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7,855 | マカオ | 座標: 北緯22度10分00秒 東経113度33分00秒 / 北緯22.16667度 東経113.55000度 / 22.16667; 113.55000 (マカオ)
マカオ(葡: Macau)あるいは澳門(おうもん、広東語イェール式: Oumùhn、普通話: Àomén)は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)。
中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノとモータースポーツや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。
マカオは珠江の最下流域、西の河口に位置し、中華人民共和国広東省の広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。広東省の珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合の島から構成される。この島は、もともとタイパ島とコロアネ島という二つの島であったが、島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は三つの橋でつながれ、コタイから西に珠海市と結ぶ橋もできている。
1999年までポルトガルの海外領土であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日に、マカオの八つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋のラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、東南アジア、東アジア域内から多くの観光客を呼び込み、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名な自動車レースであり、この時期に多くの観光客をひきつけている。
マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにもヘリコプターによる定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。2018年10月23日に香港とマカオを結ぶ港珠澳大橋が完成した。
マカオという名称の由来には多数の説があり定かではないが、マカオ半島にある道教の廟、媽閣廟(マーコミュウ)に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語 : Magok、日本語発音 : マーコク)と答えたからと伝えられている。それ以外は、当地の人間は船員の言葉が理解できず、広東語の悪口「㞗」(広東語 : gau、日本語発音 : カウ)が混ぜた「なに?」すなわち「乜㞗?」(広東語:Matgau、日本語発音 : マッカウ)の返事を真に受けたという説もある。
媽閣廟は、1448年に媽祖を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。
澳門は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山、また東の大字門と西の小字門から澳門と表記された。歴史的には、蠔鏡という名が明代に記録されているのが最初で、澳門のほか濠鏡澳、濠鏡、海鏡、香山澳などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「濠江」(普通話 : Háojiāng / 日本語発音 : ハウチャン、広東語 : Hougong / 日本語発音 : ホウコン)とも表記される。蓮が多いことから蓮島、蓮海などの呼称もあり、区旗のモチーフにも使われている。
「Macau」の広東語音訳として馬交(広東語:Magaau、日本語発音 : マーカウ)という表記が用いられることもある。ポルトガル領時代の正式名称は Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。
室町時代後期から江戸時代初期の日本においては「天川(あまかわ)」と呼ばれることがあった。
珠江と南シナ海の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や蛋民と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、東南アジアなどとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。
1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、明王朝との交易を開始した。海禁下の明が1522年に屯門島を拠点とするポルトガル船を駆逐し、広州交易を禁止した。ただしこの時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。
しかし、明の嘉靖年間(1522年 - 1566年)には、マカオ周辺海域での海賊の横行が甚だしく、ポルトガル艦隊総司令官のレオネル・デ・ソウザが海賊退治に協力した。1557年、その褒美としてに明からマカオへの居留が認められた。明が終焉に至る17世紀中頃までマカオを中継地としたポルトガル交易が東アジア周辺国で広がりをみせた。ポルトガル人居住者は、明代から居留のための献金などの名目で交易の一部利益を上納していた。
当時における中国大陸における唯一のヨーロッパ人の居留地となった。
なお、この前後にカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。
この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。その後、ポルトガルとスペインは同君連合となり、スペインの植民地マニラとの間にも貿易ルートが開かれ、これはオランダとのマカオの戦いを起こすことになる(南蛮貿易の歴史)。
しかし明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放等の影響から、アジアにおける貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。
居住確保を目的としたポルトガルからの継続的な献金は、アヘン戦争後の1849年(道光29年)に停止された。ポルトガル人は、清代の1851年にタイパ島、続いて1864年にコロアネ島を占拠するところとなり、1887年の中葡和好通商条約により、澳門(マカオ)はポルトガルの排他的占有(事実上の割譲)となり、ポルトガル直轄の植民地となった。
ポルトガル政府が任命した総督の統括により、居住地が線引されて2区となった。1区は清国人居住地で、もう1区にはポルトガル人をはじめとした外国人居住区が設けられ、各区長によって各区の行政が推進された。こうした行政下で、清国人および領事以外の外国人が、1906年7月に旅券または書類提示による入出国管理へ移行するなど、ポルトガル人居住区で近代的な法整備が進んだ。
その後、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した香港とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は凋落した。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力が低下していたことも衰退の原因に挙げられよう。
中華民国と日本との間に1937年より起きた日中戦争においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。
1939年9月に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、その後1941年12月に勃発した太平洋戦争を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの海外県政庁のもとで中立港として機能した。このため戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。
イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蔣介石の直属機関(藍衣社)等による抗日活動と標的テロも勃発し、枢軸国の敗戦が濃厚となる1944年末には対日テロが激化した。
1945年には福井保光駐マカオ領事が中国人の襲撃に遭い、拳銃で射殺されるという事件が起きている。なおマカオ人の少数が香港防衛義勇軍 (Hong Kong Volunteer Defense Corps) のメンバーであり、香港の戦いで日本軍の捕虜となった。ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。
1945年8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、中華民国総統である蔣介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる中国共産党の間に国共内戦が勃発した。
その後1949年には、毛沢東率いる中国共産党により、北京を首都とした中華人民共和国が成立し、中華民国に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。
なお、ポルトガルは中国共産党政府を西側陣営で早くも1950年に承認したイギリスとは異なり、第二次世界大戦後もファシズム的なエスタド・ノヴォと呼ばれる長期独裁体制が存続していたアントニオ・サラザール政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は結ばないままであった。
中華人民共和国内で文化大革命が行われていた1966年11月に、中国共産党系小学校における無許可での増築工事に対するポルトガル陸軍大佐のモタ・セルヴェイラ代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などで数回にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、12月3日には、これを鎮圧しようとしたフィゲレド警察署長指揮下のポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。
事件の最中に赴任したホセ・マニュエル・デ・ソウサ・エ・ファロ・ノブレ・デ・カヴァーリョ新総督は、29日午後にマカオの経済界代表と会談し、学校建設阻止のために警察を動員したことは不適切であったことを認め、中立の調査委員会を設けて事件の解決を図ろうとした。
しかし中華人民共和国政府は、人民解放軍によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する慰謝料の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関(諜報機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。
当時のポルトガル海上帝国はポルトガル植民地戦争で国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、同じく海外領土として中国大陸に香港を抱えていたイギリスとの英葡永久同盟も5年前にゴアなどのポルトガル領がインドから武力侵攻を受けた際に役立ってなかったため、軍事的な支援は期待できなかった。軍事対立が起きた場合全てを失うとサラザール首相は判断し、総督は毛沢東の肖像画が掛けられた場所で謝罪の文書に署名させられ、セルヴェイラ代理総督は追放され、要求をほぼ全面的に受け入れた。
以後「マカオの王」「マカオの影の総督」と呼ばれ、ポルトガル政府と友好的な関係を持った親中派実業家の何賢(中国語版)の影響下に入ることになり、当時のアフリカのポルトガル植民地とは対照的に政情は安定した。ポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにもかかわらず、国連で国際連合総会決議2758に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとることとなった。
オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後にポルトガルは民主化され、当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。しかし中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ当分の間のポルトガルによる統治を希望して交渉は停滞した。ポルトガル政府は1977年1月にポルトガル軍をマカオから完全撤退させるとともに、同年3月、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。
その後1979年に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを海外領土として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、中華人民共和国への即時移譲を望むも、中華人民共和国もまだまだ貧しいため返還は遅れ、「アジア最後のヨーロッパ植民地」と呼ばれていた。
その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印した。
マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。初代行政長官には何賢の息子である何厚鏵が就任した。
返還後のマカオの行政長官は、選挙委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の領土の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。
ポルトガル語は中国語(広東語)と並ぶ公用語とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられているほか、一部のカトリック系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。上述の通り、以前から中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。
2002年に、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで何鴻燊(スタンレー・ホー)経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を開放してアメリカのスティーブ・ウィン経営のウィン・リゾーツやシェルドン・アデルソン経営のラスベガス・サンズなど多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、2006年にはマカオのカジノ収入はラスベガスを抜いて世界最大のカジノ街となった。
2003年には中国本土・マカオ経済連携緊密化取決めの締結で中国本土との貿易も盛んになり、2004年から2014年まで2桁の経済成長を続けて世界で最も1人当たりの国内総生産(GDP)が高い地域の一つとなり、先進国水準の公共サービスや社会福祉制度も充実するようになった。2008年からはインフレ対策や富の再分配を名目にマカオ市民への9000パタカ(約12万円)の定額給付金も2019年時点で毎年実施されてきた。
南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。
1970年代以降に大規模な埋め立てが行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、険しい丘が多数あり元の地形の名残をとどめている。マカオ半島はもともと島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した(陸繋島)。
マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に農業はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。
かつては、半島部を澳門市、その他島嶼部を海島市とした基礎自治体により構成されていたが、2002年に両市は廃止され、全域を民政総署が管轄することとなった。
法人的地位を持たない行政区画としては、そこにある代表的な教会堂を冠した七つの堂区 (Freguesia)、タイパ島およびコロアネ島をつなぐ埋立地であるコタイ地区、中国本土にある澳門大学並びに帰属未定の埋立地(マカオ新城区)により構成される。
各堂区等は以下のとおり(右の地図の番号に一致)、なお澳門大学はコタイ、コロアネ島の対岸である横琴島に位置し(2014年の澳門大学移設により中国内地からマカオ特別行政区に編入)、マカオ新城区は、マカオ半島東岸およびタイパ島北岸の埋立地である。
マカオは、温帯夏雨気候(ケッペンの気候区分: Cwa)に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%とかなり高い。他の華南地域同様、モンスーンの影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7°Cであり、7月が平均気温28.9°Cと最も暑く、1月が平均気温14.5°Cで、もっとも寒冷な月となる。
マカオは中国の南岸地域に位置し、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし冬季はシベリア高気圧の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13°Cと穏やかであるが、時折8°Cを割るほど低下することもある。3月から湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30°Cを超える)、亜熱帯性の豪雨や時には台風に見舞われる。
1999年返還以来、マカオは中国所属だが、一国二制度の下、中国政府とは異なる別の政治システムを持っている。
マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、銀行家でもあった何厚鏵(エドモンド・ホー)が1999年12月20日にマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命され、ポルトガル統治下で任命されたロシャ・ヴィエラ (Rocha Viera) 総督に取って代わった。
立法機関はマカオ特別行政区立法会であり、マカオ住民の直接選挙で選ばれた14人の議員と各種職能団体(職能代表制)を通じて間接的に選出される12人の議員および行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには政党を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに社団を組織して議員選挙に参加している(社団の一覧についてはマカオの政党を参照のこと)。
マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。独自の法執行機関も保有している(マカオの警察)。
三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。裁判官は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには死刑制度は存在しない。
1991年以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。
2009年には香港で撤回に追い込まれた国家安全条例案と同様に国家分裂行為などの反政府活動を禁じる国家安全維持法(中国語版)が制定されている。
返還以来、マカオには中国人民解放軍が駐屯している(人民解放軍駐マカオ部隊)。出動したのは2017年8月、台風被害の対応が初めてである。
世界銀行の統計によると、2021年のマカオのGDPは2,418億マカオ・パタカ(約299億ドル)である。一人あたりのGDPは世界屈指であり(2013年はカタールを超えて世界一でもあった)、返還後の経済の急成長で税収も非常に潤沢となったため、マカオ市民には教育費と医療費を無料化する高福祉政策が行われ、毎年現金給付もされるようになった。世界最大級の都市圏を目指す粤港澳大湾区構想の一部にもなっている。
観光産業への依存度が高いため、世界情勢に影響されやすい面もある。2014年までは急成長を見せていたが、2015年に中国政府が反汚職運動を進めると、汚職官僚の資金洗浄に利用されていたマカオも監視が強化されたことで、本土の顧客が減少。カジノ収入は前年比34.3%減となり、GDP成長率は約-20%と落ち込んだ。その後は回復を見せたが、2020年にCOVID-19が世界的に流行すると、出入国規制により大打撃を受け、当年のGDPは53.6%も激減した。
域内の法定通貨は大西洋銀行および中国銀行マカオ分行(1995年より)が発券するマカオ・パタカである。しかし流通通貨の相当部分は香港ドルである。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルにペッグされており、香港ドルは米ドルにペッグされているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。
なお香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。
マカオの経済はギャンブルを含む観光産業と織物や衣類、花火の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら玩具や造花、電子機器の製造も始まった。
織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、GDPに占める製造業の割合は5%程度であり、GDPの40〜60%程度(さらにホテル、飲食業が5%程度)、政府歳入の80%程度はギャンブルに依拠している。
2018年には3580万人を越える観光客がマカオを訪れた。最多は、約2500万人の中華人民共和国本土からの訪問客であり、香港からの観光客約630万人がこれに次ぎ、以下、台湾・韓国・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く。世界最大のカジノ設備が集客に貢献している他に、世界遺産に登録されたマカオ歴史地区や、東西を融合した独特の食文化、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の観光資源にも恵まれている。
返還直前の1998年ごろには経済の暗黒面である黒社会(マフィア、ギャング)の抗争が懸念されていたが、返還後は治安はよくなった。
2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで何鴻燊経営の「マカオ旅遊娯楽有限公司(中国語版、英語版)(Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A. STDM / 澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・マカオ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。
このことが功を奏し外国からの投資が急増した。2009年5月現在、「ホテル・リスボア(Lisboa、葡京娯楽場)」、「グランド・リスボア(Grand Lisboa、新葡京)」、「サンズ・マカオ(Sands、金沙娯楽場)」、「ウィン・マカオ(Wynn、永利澳門)」や、新たに埋め立て開発されたコタイ・ストリップの「ザ・ベネチアン・マカオ(Venetian Macao-Resort-Hotel、澳門威尼斯人度假村酒店)」など20を超える大規模なカジノが運営されている。
これに伴い、観光客も2000年の800万人から2018年の3580万人と4倍以上の増加を示したように、観光産業の隆盛で経済は活況を呈しており、中華人民共和国本土の一部直轄市や省がマカオ入境を解禁した。2006年のカジノ売り上げが69億5000万アメリカドル(約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となり、その後も成長を続け、2013年の売上は3607.49億マカオパタカ(約4兆7253億円)に達した。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されている。
なおマカオで合法とされているギャンブルは数多いが、人気があるのは駆け引きの要素の無い大小やバカラである。ほぼ全てのカジノにスロットマシーンが備えられている。
また、カジノに偏らない統合型リゾート(IR)も整備してAIやICTを活用したスマートシティ化も進められている。
この他、古くからドッグレースが盛んであったが、人気を失い2018年7月に廃止された。競馬も行われているが、他のギャンブルの陰に隠れてあまり人気が無い。
隣接する珠海市とは北部のボーダーゲート(関閘、中華人民共和国側:拱北口岸)およびコタイの蓮花大橋(中華人民共和国側:横琴口岸)において、中華人民共和国に陸路を経由しバスや一般車両を含め出入域可能である。
2018年、香港、珠海市を海上で繋ぐ世界最大級の橋梁港珠澳大橋が完成し、香港国際空港及び香港市内までバスで移動することができるようになった(2018年現在港珠澳大橋の通行は許可が必要であり一般の車両にはまだ開放されていない)。
マカオ半島にあるアウター・ハーバー・フェリーターミナルと、タイパ島にあるタイパ・フェリーターミナルから、香港・上環の香港・マカオ・フェリー・ターミナルまでTurboJET社やCotaiJet社運航によるジェットフォイル(ボーイング929など)と高速双胴船が24時間、15〜30分間隔で運航されている。所要時間はおよそ55分。香港とは九龍尖沙咀のチャイナ・フェリーターミナルとの間にも30分から1時間の間隔でFirst Ferry Macauブランドによる高速双胴船が就航しており、こちらも約60分で結んでいる。同じく香港の新界にある屯門にある Tun Mun Ferry Terminalとの間にも、Hong Kong North West Express社による高速双胴船が一日に4往復就航しており、香港郊外北部とのダイレクトアクセスとなっている。
マカオ・中国本土間(深圳福永フェリーミナル・深圳蛇口クルーズセンターなど)にも高速双胴船の定期船が頻繁に運航されており、特に2006年の区域自由化以降は中国本土籍利用客が急増した。
香港国際空港スカイピアとマカオ間を発着する高速双胴船は、香港国際空港に発着する航空機との乗り継ぎ専用で、空港内で直接到着便から・出発便へ乗り換えて利用することができる。アウター・ハーバー・フェリーターミナルでは、香港空港を発着する一部航空会社の搭乗手続を行うこともできる。できない航空会社の場合は、香港国際空港スカイピアに搭乗手続カウンターが設けられている。香港国際空港までの所要時間は1時間弱。
かつて、内港(zh:內港客運碼頭、Ponte 16)から、珠海の湾仔を結ぶ渡し舟があった。
24時間運用のマカオ国際空港がある。マカオ航空などが中華人民共和国内の主要都市のほか、台北や東京、大阪、シンガポール、バンコク、クアラルンプールなどのアジア諸国の主要都市との間に定期便を運航している。
近年は日本からの観光客の増加に対応し、2007年7月26日から関西国際空港とマカオ国際空港間にマカオ航空による定期便が就航を開始。2008年7月16日より毎日就航している。2010年3月、成田国際空港にも定期便を就航させた。
なお、同空港の開港当時に宗主国のポルトガルの首都のリスボンとの間にTAPポルトガル航空が直行便を運航していたが、中華人民共和国への主権譲渡を待たず廃止された。しかしマカオとポルトガル間の旅行客が増加したことや、TAPポルトガル航空の経営状況が回復したことを受けて復活が検討されている。
アウター・ハーバー・フェリーターミナル屋上のヘリポートから発着する、「Sky Shuttle」という名称のヘリコプターによる定期便が運航されており、香港・マカオ・フェリー・ターミナル屋上にあるヘリポートや深圳宝安国際空港との間を結んでいる。香港との間はおよそ30分間隔で運航されており、おおよその飛行時間は約15分。
Transportes Urbanos de Macau SARL(Transmac、澳門新福利公共汽車有限公司)とTransportas Companhia de Macau(TCM、澳門公共汽車有限公司)の2社の路線バスやミニバスの路線が域内を網羅している。これらの路線バスのルートマップなどは全てポルトガル語と広東語の両方で表記されて、バスの車内放送では広東語→ポルトガル語→普通話→英語 の順で案内される。
他にも、サンズ・マカオやウィン・マカオ、ザ・ベネチアン・マカオなどの主なカジノやホテルが、5分から10分に1本程度の頻度でフェリーターミナルと各カジノとの間の無料バスを運行している。
タクシーが安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されている。市民の足としてスクーターが重宝されている。交通渋滞を緩和するため澳門軽軌鉄路という新交通システムが2019年供用がタイパ島において開始され、マカオ半島部への延伸が予定されている。
マカオの自動車道路は香港と同様に左側通行となっている。これはかつてポルトガルが左側通行だったことの名残とされている(ポルトガル本国は1928年に右側通行へ変更)。
人口はおよそ67万人(2022年6月)。マカオを一つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも人口密度が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に2万12人が住んでいる。
マカオの人口は92.4%が華人であり、最も多いのが広東人で、客家人もおり、いずれも近隣の広東省から来ている。ポルトガル人は0.6%で、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血のグループもいる。
書き言葉としての公用語は、ポルトガル植民地時代からポルトガル語と中国語(簡体字は用いられず、いわゆる繁体字で表記される)の2言語と定められ、官報を始めとする各種公布や注意表示、道路標示などの公的表示にはほぼ全て2言語併記が義務付けられている。テレビ局もポルトガル語専門局が設けられている。市中の看板における表記なども、その多くで2言語併記がなされているが、観光客対策に英語も含めた3言語表記になっている広告も目立つ。
口語では、広東語が広く使われ、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサなどを除けばほとんど使用されていない。マカイエンサの内、ごく少数はマカオ語とも呼ばれるクレオール言語を話す。2011年の言語調査では、広東語83.3%、普通話5%、客家語3.7%、その他の中国語2%、英語2.3%、タガログ語1.7%、ポルトガル語0.7%、その他1.3%となっている。
2010年のピュー研究所による調査では、中国の民俗宗教58.9%、仏教17.3%、キリスト教7.2%、イスラム教0.2%、その他の宗教1.0%、所属宗教無し15.4%の割合であるが、各種調査ではキリスト教が5〜7%程度で比較的安定している他は調査ごとに民俗宗教、道教、仏教、所属宗教無しの回答比率がまちまちである。80%近くが仏教を実践しているとする報告もある。キリスト教の中ではポルトガル時代以来のローマ・カトリックが多数である(聖母聖誕司教座堂(中国語版)など)ほか、少数のプロテスタント教会(マカオ・バプテスト教会など)もある。
中国系住民は広東料理系(順徳料理に近い)の中華料理を、ポルトガル系住民はポルトガル料理を基本とした食生活をしているが、これらの料理だけでなく、かつてポルトガルの植民地があったインドやマレーシア、アフリカ、ブラジルの料理の要素や、交易のあった日本料理の影響をも取り入れて融合した、マカオ料理が生まれている。
マカオ料理は一見ポルトガル料理風であるが、中華料理のように皆で取り分けて食べることも当たり前で、中国大陸近辺でとれる食材もうまく生かしている。食事の際にはポルトワインもよく飲まれる。ただし、マカオ現地では「ポルトガル料理」(「葡国菜」)と区別されずに、呼称されることも多い。
香港同様に茶餐廳や麺類、粥、パン、菓子などの専門店も発達している。マカオ料理は香港をはじめとする中華圏で高い人気を誇っており、ポルトガルのパステル・デ・ナタを基にしたマカオ式のエッグタルトは、日本にもアンドリューのエッグタルトというチェーン店を出している例がある。
基本的に香港の芸能の影響が強く、香港や台湾などの中華圏の芸能人、そしてヨーロッパの芸能人に人気が集まっている。ポルトガル音楽のファドを歌うグループや粤劇の劇団がいくつかある。
住民には、3年間の幼児教育、6年間の初等教育、6年間の中等教育、合計15年間の無償教育の機会が提供されている。
識字率は、93.5%で、非識字者の大多数は65歳以上の高齢者であり、若年層(15-29歳)では、99%以上となっている。現在、授業にポルトガル語を用いている学校は1校のみである。
マカオは、統一的学制を有しておらず、中等教育までは英国式、中国式、ポルトガル式のものが並立している。10の高等教育機関があり、内、4機関は公立である。国際学習到達度調査によると、2003年実施のもので実施41カ国(地域含む)中、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー7位、問題解決能力6位、2006年実施のもので実施56カ国(地域含む)中、数学的リテラシー8位、2015年実施のもので実施72カ国(地域含む)中、科学的リテラシー全体6位、読解力12位、数学的リテラシー3位、と上位を記録している。
マカオの進学率は、かつては、他の高収入諸地域に比べ高いとはいえず、2006年の統計によると、14歳以上の住民のうち、中等教育を受けたものは51.8%であり、高等教育は 12.6%となっていたが、近年急速な伸びを見せ、2016〜17年度(マカオの学年は9月開始)の中等教育学校卒業生の高等教育進学率は91.9%に達し、2016年における全人口に占める高等教育学歴取得率は28.9%で、近い将来には4割に達することが見込まれている。
マカオ特別行政区基本法第6章第121条において、以下の条項が定められている。
マカオには中国の中国オリンピック委員会とは独立した国内オリンピック委員会として、中国マカオ体育及びオリンピック委員会(中国語版)が存在する。ただし、マカオオリンピック委員会はOCAからは承認済みであるが、IOCからの承認は得ていない。このためアジア競技大会や東アジア競技大会、東アジアユースゲームズには選手団を送り込めるが、オリンピックには出場できない。
マカオでは2005年東アジア競技大会が行われたほか、2007年にはアジア室内競技大会が開催された。広州で行われた2010年アジア競技大会では、武術太極拳競技で賈瑞(中国語版)がマカオ史上初となる金メダルを獲得した。さらに2018年にインドネシア・パレンバンで行われたアジア大会では、トライアスロン競技で許朗(中国語版)が銅メダルを獲得した。
マカオではサッカーが人気のスポーツとなっており、1973年にサッカーリーグのリーガ・デ・エリートが創設された。藍白(英語版)がリーグ最多となる9度の優勝を果たしている。かつてマカオリーグには、日本人選手の伊藤壇と斉藤誠司が所属していた事もある。
1939年にマカオサッカー協会(AFM)が設立されており、1976年にアジアサッカー連盟(AFC)に加盟し、1978年には国際サッカー連盟(FIFA)にも加盟を果たした。サッカーマカオ代表は、FIFAワールドカップおよびAFCアジアカップへの出場歴はない。さらに東アジアサッカー選手権にも未出場となっている。
1954年から行われているモータースポーツの祭典である『マカオグランプリ』が世界的に有名で、1983年に国際格式のフォーミュラ3のマシンによって行われるようになって以降、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハ、佐藤琢磨など多くのレーシングドライバーがここで勝利を挙げた後に、フォーミュラ1へとステップアップしている。
また、2000年のマカオグランプリで同国出身の選手として初優勝したアンドレ・クートは、SUPER GTや国際F3000選手権などの世界各国のレースでも活躍している。
新聞では、中国語による日刊新聞として十紙が発行されており、最も発行数が多く影響力を有するものはマカオ日報(中国語版)である。公営のラジオ・テレビ兼営局としては、澳門廣播電視(澳廣電、Teledifusão de Macau)がある。テレビは「澳視澳門台」(每日15時間放送)、「澳視高清台」(HDTV放送)、「澳視體育台」(スポーツ専門チャンネル)、「澳視生活台」(生活情報専門)、およびポルトガル語での放送を行う「澳視葡文台」の5チャンネルで放送されている他、衛星放送として「澳廣視衛星電視頻道-澳門」が存在する。ラジオは、広東語とポルトガル語の2波で放送されている。この他にも、民営ラジオ局の緑邨電台(Radio Vilaverde Limitada)などが存在している。
世界文化遺産マカオ歴史地区も参照のこと。 | [
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"text": "座標: 北緯22度10分00秒 東経113度33分00秒 / 北緯22.16667度 東経113.55000度 / 22.16667; 113.55000 (マカオ)",
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"text": "マカオ(葡: Macau)あるいは澳門(おうもん、広東語イェール式: Oumùhn、普通話: Àomén)は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)。",
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"text": "中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノとモータースポーツや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。",
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"text": "マカオは珠江の最下流域、西の河口に位置し、中華人民共和国広東省の広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。広東省の珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合の島から構成される。この島は、もともとタイパ島とコロアネ島という二つの島であったが、島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は三つの橋でつながれ、コタイから西に珠海市と結ぶ橋もできている。",
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"text": "1999年までポルトガルの海外領土であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日に、マカオの八つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前でユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。",
"title": "概要"
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"text": "域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋のラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、東南アジア、東アジア域内から多くの観光客を呼び込み、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名な自動車レースであり、この時期に多くの観光客をひきつけている。",
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"text": "マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにもヘリコプターによる定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。2018年10月23日に香港とマカオを結ぶ港珠澳大橋が完成した。",
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"text": "マカオという名称の由来には多数の説があり定かではないが、マカオ半島にある道教の廟、媽閣廟(マーコミュウ)に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語 : Magok、日本語発音 : マーコク)と答えたからと伝えられている。それ以外は、当地の人間は船員の言葉が理解できず、広東語の悪口「㞗」(広東語 : gau、日本語発音 : カウ)が混ぜた「なに?」すなわち「乜㞗?」(広東語:Matgau、日本語発音 : マッカウ)の返事を真に受けたという説もある。",
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"text": "媽閣廟は、1448年に媽祖を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。",
"title": "名称(マカオ)"
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"text": "澳門は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山、また東の大字門と西の小字門から澳門と表記された。歴史的には、蠔鏡という名が明代に記録されているのが最初で、澳門のほか濠鏡澳、濠鏡、海鏡、香山澳などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「濠江」(普通話 : Háojiāng / 日本語発音 : ハウチャン、広東語 : Hougong / 日本語発音 : ホウコン)とも表記される。蓮が多いことから蓮島、蓮海などの呼称もあり、区旗のモチーフにも使われている。",
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"text": "「Macau」の広東語音訳として馬交(広東語:Magaau、日本語発音 : マーカウ)という表記が用いられることもある。ポルトガル領時代の正式名称は Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。",
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"text": "室町時代後期から江戸時代初期の日本においては「天川(あまかわ)」と呼ばれることがあった。",
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"text": "珠江と南シナ海の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や蛋民と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、東南アジアなどとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。",
"title": "歴史"
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"text": "1513年に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、明王朝との交易を開始した。海禁下の明が1522年に屯門島を拠点とするポルトガル船を駆逐し、広州交易を禁止した。ただしこの時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに税関を設置するなど主権を有していた。",
"title": "歴史"
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"text": "しかし、明の嘉靖年間(1522年 - 1566年)には、マカオ周辺海域での海賊の横行が甚だしく、ポルトガル艦隊総司令官のレオネル・デ・ソウザが海賊退治に協力した。1557年、その褒美としてに明からマカオへの居留が認められた。明が終焉に至る17世紀中頃までマカオを中継地としたポルトガル交易が東アジア周辺国で広がりをみせた。ポルトガル人居住者は、明代から居留のための献金などの名目で交易の一部利益を上納していた。",
"title": "歴史"
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"text": "当時における中国大陸における唯一のヨーロッパ人の居留地となった。",
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"text": "なお、この前後にカトリック教会の宣教師でイエズス会の創設メンバーの1人であるフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に東南アジア各地でキリスト教の布教活動を行っていた。",
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"text": "この頃のマカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めた。その後、ポルトガルとスペインは同君連合となり、スペインの植民地マニラとの間にも貿易ルートが開かれ、これはオランダとのマカオの戦いを起こすことになる(南蛮貿易の歴史)。",
"title": "歴史"
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"text": "しかし明清交替期の動乱や広東(広州)の対外開放等の影響から、アジアにおける貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。",
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"paragraph_id": 19,
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"text": "居住確保を目的としたポルトガルからの継続的な献金は、アヘン戦争後の1849年(道光29年)に停止された。ポルトガル人は、清代の1851年にタイパ島、続いて1864年にコロアネ島を占拠するところとなり、1887年の中葡和好通商条約により、澳門(マカオ)はポルトガルの排他的占有(事実上の割譲)となり、ポルトガル直轄の植民地となった。",
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"text": "ポルトガル政府が任命した総督の統括により、居住地が線引されて2区となった。1区は清国人居住地で、もう1区にはポルトガル人をはじめとした外国人居住区が設けられ、各区長によって各区の行政が推進された。こうした行政下で、清国人および領事以外の外国人が、1906年7月に旅券または書類提示による入出国管理へ移行するなど、ポルトガル人居住区で近代的な法整備が進んだ。",
"title": "歴史"
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"text": "その後、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した香港とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は凋落した。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力が低下していたことも衰退の原因に挙げられよう。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "中華民国と日本との間に1937年より起きた日中戦争においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。",
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"text": "1939年9月に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、その後1941年12月に勃発した太平洋戦争を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの海外県政庁のもとで中立港として機能した。このため戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。",
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"text": "イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蔣介石の直属機関(藍衣社)等による抗日活動と標的テロも勃発し、枢軸国の敗戦が濃厚となる1944年末には対日テロが激化した。",
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"text": "1945年には福井保光駐マカオ領事が中国人の襲撃に遭い、拳銃で射殺されるという事件が起きている。なおマカオ人の少数が香港防衛義勇軍 (Hong Kong Volunteer Defense Corps) のメンバーであり、香港の戦いで日本軍の捕虜となった。ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。",
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"paragraph_id": 26,
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"text": "1945年8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、中華民国総統である蔣介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる中国共産党の間に国共内戦が勃発した。",
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"text": "その後1949年には、毛沢東率いる中国共産党により、北京を首都とした中華人民共和国が成立し、中華民国に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。",
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"text": "なお、ポルトガルは中国共産党政府を西側陣営で早くも1950年に承認したイギリスとは異なり、第二次世界大戦後もファシズム的なエスタド・ノヴォと呼ばれる長期独裁体制が存続していたアントニオ・サラザール政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は結ばないままであった。",
"title": "歴史"
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"text": "中華人民共和国内で文化大革命が行われていた1966年11月に、中国共産党系小学校における無許可での増築工事に対するポルトガル陸軍大佐のモタ・セルヴェイラ代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモがセナド広場などで数回にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、12月3日には、これを鎮圧しようとしたフィゲレド警察署長指揮下のポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "事件の最中に赴任したホセ・マニュエル・デ・ソウサ・エ・ファロ・ノブレ・デ・カヴァーリョ新総督は、29日午後にマカオの経済界代表と会談し、学校建設阻止のために警察を動員したことは不適切であったことを認め、中立の調査委員会を設けて事件の解決を図ろうとした。",
"title": "歴史"
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"text": "しかし中華人民共和国政府は、人民解放軍によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する慰謝料の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関(諜報機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 32,
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"text": "当時のポルトガル海上帝国はポルトガル植民地戦争で国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、同じく海外領土として中国大陸に香港を抱えていたイギリスとの英葡永久同盟も5年前にゴアなどのポルトガル領がインドから武力侵攻を受けた際に役立ってなかったため、軍事的な支援は期待できなかった。軍事対立が起きた場合全てを失うとサラザール首相は判断し、総督は毛沢東の肖像画が掛けられた場所で謝罪の文書に署名させられ、セルヴェイラ代理総督は追放され、要求をほぼ全面的に受け入れた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 33,
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"text": "以後「マカオの王」「マカオの影の総督」と呼ばれ、ポルトガル政府と友好的な関係を持った親中派実業家の何賢(中国語版)の影響下に入ることになり、当時のアフリカのポルトガル植民地とは対照的に政情は安定した。ポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにもかかわらず、国連で国際連合総会決議2758に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとることとなった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 34,
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"text": "オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後にポルトガルは民主化され、当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。しかし中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ当分の間のポルトガルによる統治を希望して交渉は停滞した。ポルトガル政府は1977年1月にポルトガル軍をマカオから完全撤退させるとともに、同年3月、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 35,
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"text": "その後1979年に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを海外領土として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、中華人民共和国への即時移譲を望むも、中華人民共和国もまだまだ貧しいため返還は遅れ、「アジア最後のヨーロッパ植民地」と呼ばれていた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。初代行政長官には何賢の息子である何厚鏵が就任した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 38,
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"text": "返還後のマカオの行政長官は、選挙委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の領土の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 39,
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"text": "ポルトガル語は中国語(広東語)と並ぶ公用語とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられているほか、一部のカトリック系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。上述の通り、以前から中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "2002年に、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで何鴻燊(スタンレー・ホー)経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を開放してアメリカのスティーブ・ウィン経営のウィン・リゾーツやシェルドン・アデルソン経営のラスベガス・サンズなど多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、2006年にはマカオのカジノ収入はラスベガスを抜いて世界最大のカジノ街となった。",
"title": "歴史"
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"text": "2003年には中国本土・マカオ経済連携緊密化取決めの締結で中国本土との貿易も盛んになり、2004年から2014年まで2桁の経済成長を続けて世界で最も1人当たりの国内総生産(GDP)が高い地域の一つとなり、先進国水準の公共サービスや社会福祉制度も充実するようになった。2008年からはインフレ対策や富の再分配を名目にマカオ市民への9000パタカ(約12万円)の定額給付金も2019年時点で毎年実施されてきた。",
"title": "歴史"
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"text": "南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。",
"title": "地理"
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"text": "1970年代以降に大規模な埋め立てが行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、険しい丘が多数あり元の地形の名残をとどめている。マカオ半島はもともと島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した(陸繋島)。",
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"text": "マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に農業はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。",
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"text": "かつては、半島部を澳門市、その他島嶼部を海島市とした基礎自治体により構成されていたが、2002年に両市は廃止され、全域を民政総署が管轄することとなった。",
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"paragraph_id": 46,
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"text": "法人的地位を持たない行政区画としては、そこにある代表的な教会堂を冠した七つの堂区 (Freguesia)、タイパ島およびコロアネ島をつなぐ埋立地であるコタイ地区、中国本土にある澳門大学並びに帰属未定の埋立地(マカオ新城区)により構成される。",
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"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "各堂区等は以下のとおり(右の地図の番号に一致)、なお澳門大学はコタイ、コロアネ島の対岸である横琴島に位置し(2014年の澳門大学移設により中国内地からマカオ特別行政区に編入)、マカオ新城区は、マカオ半島東岸およびタイパ島北岸の埋立地である。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "マカオは、温帯夏雨気候(ケッペンの気候区分: Cwa)に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%とかなり高い。他の華南地域同様、モンスーンの影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7°Cであり、7月が平均気温28.9°Cと最も暑く、1月が平均気温14.5°Cで、もっとも寒冷な月となる。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "マカオは中国の南岸地域に位置し、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし冬季はシベリア高気圧の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13°Cと穏やかであるが、時折8°Cを割るほど低下することもある。3月から湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30°Cを超える)、亜熱帯性の豪雨や時には台風に見舞われる。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "1999年返還以来、マカオは中国所属だが、一国二制度の下、中国政府とは異なる別の政治システムを持っている。",
"title": "政治"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、銀行家でもあった何厚鏵(エドモンド・ホー)が1999年12月20日にマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命され、ポルトガル統治下で任命されたロシャ・ヴィエラ (Rocha Viera) 総督に取って代わった。",
"title": "政治"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "立法機関はマカオ特別行政区立法会であり、マカオ住民の直接選挙で選ばれた14人の議員と各種職能団体(職能代表制)を通じて間接的に選出される12人の議員および行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには政党を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに社団を組織して議員選挙に参加している(社団の一覧についてはマカオの政党を参照のこと)。",
"title": "政治"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。独自の法執行機関も保有している(マカオの警察)。",
"title": "司法"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。裁判官は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには死刑制度は存在しない。",
"title": "司法"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "1991年以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。",
"title": "司法"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "2009年には香港で撤回に追い込まれた国家安全条例案と同様に国家分裂行為などの反政府活動を禁じる国家安全維持法(中国語版)が制定されている。",
"title": "司法"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "返還以来、マカオには中国人民解放軍が駐屯している(人民解放軍駐マカオ部隊)。出動したのは2017年8月、台風被害の対応が初めてである。",
"title": "軍事"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "世界銀行の統計によると、2021年のマカオのGDPは2,418億マカオ・パタカ(約299億ドル)である。一人あたりのGDPは世界屈指であり(2013年はカタールを超えて世界一でもあった)、返還後の経済の急成長で税収も非常に潤沢となったため、マカオ市民には教育費と医療費を無料化する高福祉政策が行われ、毎年現金給付もされるようになった。世界最大級の都市圏を目指す粤港澳大湾区構想の一部にもなっている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "観光産業への依存度が高いため、世界情勢に影響されやすい面もある。2014年までは急成長を見せていたが、2015年に中国政府が反汚職運動を進めると、汚職官僚の資金洗浄に利用されていたマカオも監視が強化されたことで、本土の顧客が減少。カジノ収入は前年比34.3%減となり、GDP成長率は約-20%と落ち込んだ。その後は回復を見せたが、2020年にCOVID-19が世界的に流行すると、出入国規制により大打撃を受け、当年のGDPは53.6%も激減した。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "域内の法定通貨は大西洋銀行および中国銀行マカオ分行(1995年より)が発券するマカオ・パタカである。しかし流通通貨の相当部分は香港ドルである。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルにペッグされており、香港ドルは米ドルにペッグされているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "なお香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "マカオの経済はギャンブルを含む観光産業と織物や衣類、花火の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら玩具や造花、電子機器の製造も始まった。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、GDPに占める製造業の割合は5%程度であり、GDPの40〜60%程度(さらにホテル、飲食業が5%程度)、政府歳入の80%程度はギャンブルに依拠している。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "2018年には3580万人を越える観光客がマカオを訪れた。最多は、約2500万人の中華人民共和国本土からの訪問客であり、香港からの観光客約630万人がこれに次ぎ、以下、台湾・韓国・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く。世界最大のカジノ設備が集客に貢献している他に、世界遺産に登録されたマカオ歴史地区や、東西を融合した独特の食文化、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の観光資源にも恵まれている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "返還直前の1998年ごろには経済の暗黒面である黒社会(マフィア、ギャング)の抗争が懸念されていたが、返還後は治安はよくなった。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで何鴻燊経営の「マカオ旅遊娯楽有限公司(中国語版、英語版)(Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A. STDM / 澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「ギャラクシー・マカオ(銀河娯楽場)」社とアメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "このことが功を奏し外国からの投資が急増した。2009年5月現在、「ホテル・リスボア(Lisboa、葡京娯楽場)」、「グランド・リスボア(Grand Lisboa、新葡京)」、「サンズ・マカオ(Sands、金沙娯楽場)」、「ウィン・マカオ(Wynn、永利澳門)」や、新たに埋め立て開発されたコタイ・ストリップの「ザ・ベネチアン・マカオ(Venetian Macao-Resort-Hotel、澳門威尼斯人度假村酒店)」など20を超える大規模なカジノが運営されている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "これに伴い、観光客も2000年の800万人から2018年の3580万人と4倍以上の増加を示したように、観光産業の隆盛で経済は活況を呈しており、中華人民共和国本土の一部直轄市や省がマカオ入境を解禁した。2006年のカジノ売り上げが69億5000万アメリカドル(約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカのラスベガスの推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となり、その後も成長を続け、2013年の売上は3607.49億マカオパタカ(約4兆7253億円)に達した。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "なおマカオで合法とされているギャンブルは数多いが、人気があるのは駆け引きの要素の無い大小やバカラである。ほぼ全てのカジノにスロットマシーンが備えられている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "また、カジノに偏らない統合型リゾート(IR)も整備してAIやICTを活用したスマートシティ化も進められている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "この他、古くからドッグレースが盛んであったが、人気を失い2018年7月に廃止された。競馬も行われているが、他のギャンブルの陰に隠れてあまり人気が無い。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "隣接する珠海市とは北部のボーダーゲート(関閘、中華人民共和国側:拱北口岸)およびコタイの蓮花大橋(中華人民共和国側:横琴口岸)において、中華人民共和国に陸路を経由しバスや一般車両を含め出入域可能である。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "2018年、香港、珠海市を海上で繋ぐ世界最大級の橋梁港珠澳大橋が完成し、香港国際空港及び香港市内までバスで移動することができるようになった(2018年現在港珠澳大橋の通行は許可が必要であり一般の車両にはまだ開放されていない)。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "マカオ半島にあるアウター・ハーバー・フェリーターミナルと、タイパ島にあるタイパ・フェリーターミナルから、香港・上環の香港・マカオ・フェリー・ターミナルまでTurboJET社やCotaiJet社運航によるジェットフォイル(ボーイング929など)と高速双胴船が24時間、15〜30分間隔で運航されている。所要時間はおよそ55分。香港とは九龍尖沙咀のチャイナ・フェリーターミナルとの間にも30分から1時間の間隔でFirst Ferry Macauブランドによる高速双胴船が就航しており、こちらも約60分で結んでいる。同じく香港の新界にある屯門にある Tun Mun Ferry Terminalとの間にも、Hong Kong North West Express社による高速双胴船が一日に4往復就航しており、香港郊外北部とのダイレクトアクセスとなっている。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "マカオ・中国本土間(深圳福永フェリーミナル・深圳蛇口クルーズセンターなど)にも高速双胴船の定期船が頻繁に運航されており、特に2006年の区域自由化以降は中国本土籍利用客が急増した。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "香港国際空港スカイピアとマカオ間を発着する高速双胴船は、香港国際空港に発着する航空機との乗り継ぎ専用で、空港内で直接到着便から・出発便へ乗り換えて利用することができる。アウター・ハーバー・フェリーターミナルでは、香港空港を発着する一部航空会社の搭乗手続を行うこともできる。できない航空会社の場合は、香港国際空港スカイピアに搭乗手続カウンターが設けられている。香港国際空港までの所要時間は1時間弱。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "かつて、内港(zh:內港客運碼頭、Ponte 16)から、珠海の湾仔を結ぶ渡し舟があった。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "24時間運用のマカオ国際空港がある。マカオ航空などが中華人民共和国内の主要都市のほか、台北や東京、大阪、シンガポール、バンコク、クアラルンプールなどのアジア諸国の主要都市との間に定期便を運航している。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "近年は日本からの観光客の増加に対応し、2007年7月26日から関西国際空港とマカオ国際空港間にマカオ航空による定期便が就航を開始。2008年7月16日より毎日就航している。2010年3月、成田国際空港にも定期便を就航させた。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "なお、同空港の開港当時に宗主国のポルトガルの首都のリスボンとの間にTAPポルトガル航空が直行便を運航していたが、中華人民共和国への主権譲渡を待たず廃止された。しかしマカオとポルトガル間の旅行客が増加したことや、TAPポルトガル航空の経営状況が回復したことを受けて復活が検討されている。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "アウター・ハーバー・フェリーターミナル屋上のヘリポートから発着する、「Sky Shuttle」という名称のヘリコプターによる定期便が運航されており、香港・マカオ・フェリー・ターミナル屋上にあるヘリポートや深圳宝安国際空港との間を結んでいる。香港との間はおよそ30分間隔で運航されており、おおよその飛行時間は約15分。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "Transportes Urbanos de Macau SARL(Transmac、澳門新福利公共汽車有限公司)とTransportas Companhia de Macau(TCM、澳門公共汽車有限公司)の2社の路線バスやミニバスの路線が域内を網羅している。これらの路線バスのルートマップなどは全てポルトガル語と広東語の両方で表記されて、バスの車内放送では広東語→ポルトガル語→普通話→英語 の順で案内される。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "他にも、サンズ・マカオやウィン・マカオ、ザ・ベネチアン・マカオなどの主なカジノやホテルが、5分から10分に1本程度の頻度でフェリーターミナルと各カジノとの間の無料バスを運行している。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "タクシーが安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されている。市民の足としてスクーターが重宝されている。交通渋滞を緩和するため澳門軽軌鉄路という新交通システムが2019年供用がタイパ島において開始され、マカオ半島部への延伸が予定されている。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "マカオの自動車道路は香港と同様に左側通行となっている。これはかつてポルトガルが左側通行だったことの名残とされている(ポルトガル本国は1928年に右側通行へ変更)。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "人口はおよそ67万人(2022年6月)。マカオを一つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも人口密度が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に2万12人が住んでいる。",
"title": "人口"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "マカオの人口は92.4%が華人であり、最も多いのが広東人で、客家人もおり、いずれも近隣の広東省から来ている。ポルトガル人は0.6%で、マカイエンサと呼ばれる華人とポルトガル人の混血のグループもいる。",
"title": "人口"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "書き言葉としての公用語は、ポルトガル植民地時代からポルトガル語と中国語(簡体字は用いられず、いわゆる繁体字で表記される)の2言語と定められ、官報を始めとする各種公布や注意表示、道路標示などの公的表示にはほぼ全て2言語併記が義務付けられている。テレビ局もポルトガル語専門局が設けられている。市中の看板における表記なども、その多くで2言語併記がなされているが、観光客対策に英語も含めた3言語表記になっている広告も目立つ。",
"title": "人口"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "口語では、広東語が広く使われ、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサなどを除けばほとんど使用されていない。マカイエンサの内、ごく少数はマカオ語とも呼ばれるクレオール言語を話す。2011年の言語調査では、広東語83.3%、普通話5%、客家語3.7%、その他の中国語2%、英語2.3%、タガログ語1.7%、ポルトガル語0.7%、その他1.3%となっている。",
"title": "人口"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "2010年のピュー研究所による調査では、中国の民俗宗教58.9%、仏教17.3%、キリスト教7.2%、イスラム教0.2%、その他の宗教1.0%、所属宗教無し15.4%の割合であるが、各種調査ではキリスト教が5〜7%程度で比較的安定している他は調査ごとに民俗宗教、道教、仏教、所属宗教無しの回答比率がまちまちである。80%近くが仏教を実践しているとする報告もある。キリスト教の中ではポルトガル時代以来のローマ・カトリックが多数である(聖母聖誕司教座堂(中国語版)など)ほか、少数のプロテスタント教会(マカオ・バプテスト教会など)もある。",
"title": "人口"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "中国系住民は広東料理系(順徳料理に近い)の中華料理を、ポルトガル系住民はポルトガル料理を基本とした食生活をしているが、これらの料理だけでなく、かつてポルトガルの植民地があったインドやマレーシア、アフリカ、ブラジルの料理の要素や、交易のあった日本料理の影響をも取り入れて融合した、マカオ料理が生まれている。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "マカオ料理は一見ポルトガル料理風であるが、中華料理のように皆で取り分けて食べることも当たり前で、中国大陸近辺でとれる食材もうまく生かしている。食事の際にはポルトワインもよく飲まれる。ただし、マカオ現地では「ポルトガル料理」(「葡国菜」)と区別されずに、呼称されることも多い。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "香港同様に茶餐廳や麺類、粥、パン、菓子などの専門店も発達している。マカオ料理は香港をはじめとする中華圏で高い人気を誇っており、ポルトガルのパステル・デ・ナタを基にしたマカオ式のエッグタルトは、日本にもアンドリューのエッグタルトというチェーン店を出している例がある。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "基本的に香港の芸能の影響が強く、香港や台湾などの中華圏の芸能人、そしてヨーロッパの芸能人に人気が集まっている。ポルトガル音楽のファドを歌うグループや粤劇の劇団がいくつかある。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "住民には、3年間の幼児教育、6年間の初等教育、6年間の中等教育、合計15年間の無償教育の機会が提供されている。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "識字率は、93.5%で、非識字者の大多数は65歳以上の高齢者であり、若年層(15-29歳)では、99%以上となっている。現在、授業にポルトガル語を用いている学校は1校のみである。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "マカオは、統一的学制を有しておらず、中等教育までは英国式、中国式、ポルトガル式のものが並立している。10の高等教育機関があり、内、4機関は公立である。国際学習到達度調査によると、2003年実施のもので実施41カ国(地域含む)中、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー7位、問題解決能力6位、2006年実施のもので実施56カ国(地域含む)中、数学的リテラシー8位、2015年実施のもので実施72カ国(地域含む)中、科学的リテラシー全体6位、読解力12位、数学的リテラシー3位、と上位を記録している。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "マカオの進学率は、かつては、他の高収入諸地域に比べ高いとはいえず、2006年の統計によると、14歳以上の住民のうち、中等教育を受けたものは51.8%であり、高等教育は 12.6%となっていたが、近年急速な伸びを見せ、2016〜17年度(マカオの学年は9月開始)の中等教育学校卒業生の高等教育進学率は91.9%に達し、2016年における全人口に占める高等教育学歴取得率は28.9%で、近い将来には4割に達することが見込まれている。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "マカオ特別行政区基本法第6章第121条において、以下の条項が定められている。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "マカオには中国の中国オリンピック委員会とは独立した国内オリンピック委員会として、中国マカオ体育及びオリンピック委員会(中国語版)が存在する。ただし、マカオオリンピック委員会はOCAからは承認済みであるが、IOCからの承認は得ていない。このためアジア競技大会や東アジア競技大会、東アジアユースゲームズには選手団を送り込めるが、オリンピックには出場できない。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "マカオでは2005年東アジア競技大会が行われたほか、2007年にはアジア室内競技大会が開催された。広州で行われた2010年アジア競技大会では、武術太極拳競技で賈瑞(中国語版)がマカオ史上初となる金メダルを獲得した。さらに2018年にインドネシア・パレンバンで行われたアジア大会では、トライアスロン競技で許朗(中国語版)が銅メダルを獲得した。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "マカオではサッカーが人気のスポーツとなっており、1973年にサッカーリーグのリーガ・デ・エリートが創設された。藍白(英語版)がリーグ最多となる9度の優勝を果たしている。かつてマカオリーグには、日本人選手の伊藤壇と斉藤誠司が所属していた事もある。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "1939年にマカオサッカー協会(AFM)が設立されており、1976年にアジアサッカー連盟(AFC)に加盟し、1978年には国際サッカー連盟(FIFA)にも加盟を果たした。サッカーマカオ代表は、FIFAワールドカップおよびAFCアジアカップへの出場歴はない。さらに東アジアサッカー選手権にも未出場となっている。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "1954年から行われているモータースポーツの祭典である『マカオグランプリ』が世界的に有名で、1983年に国際格式のフォーミュラ3のマシンによって行われるようになって以降、アイルトン・セナやミハエル・シューマッハ、佐藤琢磨など多くのレーシングドライバーがここで勝利を挙げた後に、フォーミュラ1へとステップアップしている。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "また、2000年のマカオグランプリで同国出身の選手として初優勝したアンドレ・クートは、SUPER GTや国際F3000選手権などの世界各国のレースでも活躍している。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "新聞では、中国語による日刊新聞として十紙が発行されており、最も発行数が多く影響力を有するものはマカオ日報(中国語版)である。公営のラジオ・テレビ兼営局としては、澳門廣播電視(澳廣電、Teledifusão de Macau)がある。テレビは「澳視澳門台」(每日15時間放送)、「澳視高清台」(HDTV放送)、「澳視體育台」(スポーツ専門チャンネル)、「澳視生活台」(生活情報専門)、およびポルトガル語での放送を行う「澳視葡文台」の5チャンネルで放送されている他、衛星放送として「澳廣視衛星電視頻道-澳門」が存在する。ラジオは、広東語とポルトガル語の2波で放送されている。この他にも、民営ラジオ局の緑邨電台(Radio Vilaverde Limitada)などが存在している。",
"title": "メディア"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "世界文化遺産マカオ歴史地区も参照のこと。",
"title": "観光名所"
}
] | マカオあるいは澳門は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。正式名称は中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)。 中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノとモータースポーツや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。 | {{Coord|22|10|00|N|113|33|00|E|region:MO_type:city|display=title|name=マカオ}}
{{基礎情報 国
|自治領等 = y
|略名 = マカオ
|日本語国名 = {{small|中華人民共和国マカオ特別行政区}}
|公式国名 = {{lang|zh-Hant-MO|中華人民共和國澳門特別行政區}}<br/>{{lang|pt|Região Administrativa Especial de Macau da República Popular da China}}
|国旗画像 = Flag of Macau.svg
|国章画像 = [[ファイル:Regional Emblem of Macau.svg|100px|マカオの紋章]]
|標語 = 無し
|国歌 = [[義勇軍進行曲]]・[[:pt:Marcha dos Voluntários|Marcha dos Voluntários]][[ファイル:March of the Volunteers instrumental.ogg]]
|国歌追記 = ※中華人民共和国としての国歌。
|位置画像 = Macau in China (special marker) (+all claims hatched).svg
|公用語 = [[中国語]]<ref group="注釈">[[広東語]]が広く話されているが、香港同様公用語とは明記されておらず、文章語としては標準中国語の繁体字表記が用いられる。</ref>、[[ポルトガル語]]
|首都 = [[花地瑪堂区]](ファティマ堂区)
|最大都市 = 花地瑪堂区
|元首等肩書 = [[マカオ特別行政区行政長官|行政長官]]
|元首等氏名 = [[賀一誠]]
|首相等肩書 = [[行政法務司|行政法務司長]]
|首相等氏名 = [[:zh:張永春|張永春]]
|他元首等肩書1 = [[マカオ特別行政区立法会|立法会主席]]
|他元首等氏名1 = [[:zh:高開賢|高開賢]]
|他元首等肩書2 = [[:zh:澳門特別行政區司法機關|終審法院長]]
|他元首等氏名2 = [[:zh:岑浩輝|岑浩辉]]
|他元首等肩書3 = 検察院長
|他元首等氏名3 = [[:zh:葉迅生|葉迅生]]
|面積順位 =
|面積大きさ = 1 E3
|面積値 = 30.3
|面積追記 =
|水面積率 = 0
|人口統計年 = 2019
|人口順位 = 167
|人口大きさ = 1 E7
|人口値 = 672,000
|人口密度値 = 18,568
|人口追記 =
|GDP統計年元 = 2017
|GDP値元 = 4,041億<ref>澳門特別行政區政府統計暨普查局>統計資料>澳門主要統計指標 2018年10月8日閲覧 [http://www.dsec.gov.mo/Statistic.aspx]</ref>
|GDP元追記 =
|GDP統計年MER = 2017
|GDP順位MER = 83
|GDP値MER = 498億<ref name="cia-the-world-factbook"/>
|GDP MER/人= 77,427
|GDP統計年 = 2017
|GDP順位 = 97
|GDP値 = 717.8億<ref name="cia-the-world-factbook">[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/mc.html The World Factbook — Central Intelligence Agency]</ref>
|GDP/人 = 111,600<ref name="cia-the-world-factbook"/>
|GDP追記 =
|建国形態 = [[ポルトガル共和国]]から[[中華人民共和国]]へ[[マカオ返還|返還]]
|確立形態1 = 特別行政区
|確立年月日1 = [[1999年]][[12月20日]]
|確立形態2 =
|確立年月日2 =
|通貨 = [[マカオ・パタカ]]
|通貨コード = MOP
|通貨追記 =
|時間帯 = [[UTC+8|+8]]
|夏時間 = なし
|時間帯追記 =
|ISO 3166-1 = MO / MAC
|ccTLD = [[.mo]]
|ccTLD追記 =
|国際電話番号 = 853
|国際電話番号追記 =
|注記 = [[File:Macau montage.png|thumb|287px|左上から時計回り:[[マカオ・タワー]]、[[聖ポール天主堂跡]]、[[カジノ・リスボア]]、[[聖ヨセフ修道院]]、[[嘉楽庇総督大橋]]、[[媽閣廟]]、[[ギア砲台]]]]
}}
{{Chinese
|showflag = jyp
|pic= Macau (Chinese characters).svg
|title = 澳門特別行政区
|t = 澳門特別行政區
|s = 澳门特别行政区
|p = Àomén Tèbié Xíngzhèngqū
|mi = {{IPA-cmn|ɑ̂ʊ̯mə̌n|}}
|j = Ou<sup>3</sup>mun<sup>4*2</sup> Dak<sup>6</sup>bit<sup>6</sup> Hang<sup>4</sup>zing<sup>3</sup> Keoi<sup>1</sup>
|ci = {{IPA-yue|ʔōu mǔːn|}}
|wuu = au<sup>去</sup>men<sup>平</sup> deh<sup>入</sup>bih<sup>入</sup> ghan<sup>平</sup>tsen<sup>去</sup>chiu<sup>平</sup>
|poj = Ò-mn̂g Te̍k-pia̍t Hêng-chèng-khu
|h = Àu-mûn Thi̍t-phe̍t Hàng-tsṳn-khî
|bpmf = ㄠˋㄇㄣˊ ㄊㄜˋㄅㄧㄝˊㄒㄧㄥˊㄓㄥˋㄑㄩ
|por = Região Administrativa Especial de Macau
}}
{{Maplink2|zoom=9|frame=yes|plain=no|frame-align=right|frame-width=280|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=22.31|frame-longitude=113.84|text=香港との間を[[港珠澳大橋]]が結ぶ}}
'''マカオ'''({{lang-pt-short|Macau}})あるいは'''澳門'''(おうもん、[[広東語|広東語イェール式]]: Oumùhn、[[普通話]]: Àomén)は、[[中華人民共和国]]の[[特別行政区]]の一つ。正式名称は'''中華人民共和国マカオ特別行政区'''(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)。
[[中国大陸]]南岸の[[珠江]]河口([[珠江デルタ]])に位置する旧[[ポルトガル]][[海外領土]]で、現在は[[カジノ]]と[[モータースポーツ]]や[[世界遺産]]を中心とした世界的[[観光地]]としても知られる。
== 概要 ==
マカオは[[珠江]]の最下流域、西の河口に位置し、[[中華人民共和国]][[広東省]]の[[広州市|広州]]からは南西に145km、[[香港]]からは南西に70km離れている。広東省の[[珠海市]]に接し、[[中国大陸]]本土南海岸に突き出た[[マカオ半島]]と、沖合の島から構成される。この島は、もともと[[タイパ島]]と[[コロアネ島]]という二つの島であったが、島の間は埋め立てられて[[コタイ]]と呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は三つの橋でつながれ、コタイから西に珠海市と結ぶ橋もできている。
[[ファイル:Senado Square in Macau01.jpg|left|220px|thumb|セナド広場]]
[[1999年]]まで[[ポルトガル]]の海外領土であったマカオは、中国大陸の[[ヨーロッパ]]諸国の[[植民地]]の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、[[2005年]][[7月15日]]に、マカオの八つの広場と22の歴史的建造物が[[マカオ歴史地区]]という名前で[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産_(世界遺産)|文化遺産]])に登録された。
域内には多くの[[カジノ]]が運営されていることから、「[[東洋]]の[[ラスベガス]]」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、[[東南アジア]]、[[東アジア]]域内から多くの観光客を呼び込み、それに隣接している[[ホテル]]を含む[[観光]]産業が盛んである。毎年11月に市街地を使って行われる[[マカオグランプリ]]は世界的に著名な[[自動車レース]]であり、この時期に多くの観光客をひきつけている。
マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにも[[ヘリコプター]]による定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。2018年10月23日に香港とマカオを結ぶ[[港珠澳大橋]]が完成した。
== 名称(マカオ) ==
'''マカオ'''という名称の由来には多数の説があり定かではないが、<!--[[ポルトガル語]]特有の名称で、-->マカオ半島にある[[道教]]の[[廟]]、'''媽閣廟(マーコミュウ)'''に由来する説が有名である。ポルトガルの船員がマカオの媽閣の前から上陸するときに地名を聞いたら、廟の名前を聞かれたと思って「媽閣」(広東語 : Ma<sup>1</sup>gok<sup>3</sup>、日本語発音 : マーコク)と答えたからと伝えられている<ref>黄翊、『澳門語言研究』p3、北京・商務印書館、2007年</ref>。それ以外は、当地の人間は船員の言葉が理解できず、広東語の悪口「㞗」(広東語 : gau<sup>1</sup>、日本語発音 : カウ)が混ぜた「なに?」すなわち「乜㞗?」(広東語:Mat<sup>1</sup>gau<sup>1</sup>、日本語発音 : マッカウ)の返事を真に受けたという説もある。
媽閣廟は、[[1448年]]に[[媽祖]]を奉るために建設されたもので、現存し、海運、漁業の神として崇拝されている。
'''澳門'''は、「澳」が「水が奥深く入り込んだ湾や入り江」を表し、「門」は門のようにそびえ立つ南台山と北台山、また東の大字門と西の小字門から澳門と表記された。歴史的には、'''蠔鏡'''という名が[[明]]代に記録されているのが最初で、澳門のほか'''濠鏡澳'''、'''濠鏡'''、'''海鏡'''、'''香山澳'''などの名称もあった。文語的な表現でマカオは「'''濠江'''」([[普通話]] : Háojiāng / 日本語発音 : ハウチャン、広東語 : Hou<sup>4</sup>gong<sup>1</sup> / 日本語発音 : ホウコン)とも表記される。[[ハス|蓮]]が多いことから'''蓮島'''、'''蓮海'''などの呼称もあり、[[マカオの旗|区旗]]の[[話題|モチーフ]]にも使われている。
「Macau」の広東語音訳として'''馬交'''(広東語:Ma<sup>5</sup>gaau<sup>1</sup>、日本語発音 : マーカウ)という表記が用いられることもある。ポルトガル領時代の正式名称は {{lang|pt|''Cidade do Nome de Deus de Macau, Não Há Outra Mais Leal''}}(「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」の意味)であった。
室町時代後期から江戸時代初期の日本においては「[[天川]](あまかわ)」と呼ばれることがあった。
== 歴史 ==
{{main|マカオの歴史|ポルトガル領マカオ}}
=== 明朝以前 ===
珠江と[[南シナ海]]の境目に位置するマカオは、もともと、漁民や[[蛋民]]と呼ばれた水上居民を中心とする漁業の村であった。その後、[[東南アジア]]などとの通商が始まると、貿易の町として栄えてきた。
=== ポルトガル人の居留地 ===
[[1513年]]に、当時世界有数の海洋大国として世界各地にその覇権を誇っていたポルトガル人が中国に初渡来し、[[明]][[王朝]]との交易を開始した。[[海禁]]下の明が[[1522年]]に[[ランタオ島|屯門島]]を拠点とするポルトガル船を駆逐し、広州交易を禁止した。ただしこの時期のマカオの領有権はポルトガルではなく明にあり、明がマカオに[[税関]]を設置するなど主権を有していた。
しかし、明の[[嘉靖|嘉靖年間]](1522年 - 1566年)には、マカオ周辺海域での海賊の横行が甚だしく、ポルトガル艦隊総司令官のレオネル・デ・ソウザが海賊退治に協力した。[[1557年]]、その褒美としてに明からマカオへの居留が認められた。明が終焉に至る[[17世紀]]中頃までマカオを中継地としたポルトガル交易が東アジア周辺国で広がりをみせた。ポルトガル人居住者は、明代から居留のための献金などの名目で交易の一部利益を上納していた。
当時における[[中国大陸]]における唯一の[[ヨーロッパ]]人の居留地となった。
なお、この前後に[[カトリック教会]]の[[宣教師]]で[[イエズス会]]の創設メンバーの1人である[[フランシスコ・ザビエル]]が、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点に[[東南アジア]]各地で[[キリスト教]]の布教活動を行っていた。
この頃のマカオは、[[日本]]が[[鎖国]]するまでは[[長崎市|長崎]]との貿易で繁栄を極めた。その後、ポルトガルと[[スペイン]]は[[同君連合]]となり、スペインの植民地[[マニラ]]との間にも貿易ルートが開かれ、これは[[オランダ]]との[[マカオの戦い]]を起こすことになる([[南蛮貿易#中国の税|南蛮貿易の歴史]])。
しかし明清交替期の動乱や広東([[広州市|広州]])の対外開放等の影響から、アジアにおける貿易港としてのマカオは次第に衰えていった。
=== ポルトガルへの割譲 ===
[[ファイル:Macao1844.jpg|right|220px|thumb|[[1840年代]]のマカオ]]
[[ファイル:MacauPortoInterior1900.jpg|right|220px|thumb|[[1900年代]]のマカオ]]
居住確保を目的としたポルトガルからの継続的な献金は、[[アヘン戦争]]後の[[1849年]]([[道光]]29年)に停止された。ポルトガル人は、[[清]]代の[[1851年]]に[[タイパ島]]、続いて1864年に[[コロアネ島]]を占拠するところとなり、[[1887年]]の[[中葡和好通商条約]]により、澳門(マカオ)はポルトガルの排他的占有<ref>[[中葡和好通商条約]]によれば「他のポルトガル領土と同じく永久にポルトガル国の占有の下にある」(第二条)が「第三国に譲渡する際には清国の同意を必要とする」(第三条)とされた</ref>(事実上の割譲)となり、ポルトガル直轄の植民地となった。
ポルトガル政府が任命した総督の統括により、居住地が線引されて2区となった。1区は清国人居住地で、もう1区にはポルトガル人をはじめとした外国人居住区が設けられ、各区長によって各区の行政が推進された。こうした行政下で、清国人および領事以外の外国人が、[[1906年]]7月に[[パスポート|旅券]]または書類提示による入出国管理へ移行するなど、ポルトガル人居住区で近代的な法整備が進んだ。
その後、天然の良港に恵まれアジアにおける要衝として発展した[[香港]]とは対照的に、マカオの貿易港としての機能は低下し、その地位は凋落した。マカオは珠江の土砂が堆積しやすい位置にあり、大型の船舶が入港しにくくなっていたこと、当時ポルトガルの国力が低下していたことも衰退の原因に挙げられよう。
[[中華民国]]と日本との間に[[1937年]]より起きた[[日中戦争]]においては、両国と国交を持ち中立的立場にあるポルトガル領であることから戦火とは遠い存在であった。
=== 第二次世界大戦 ===
[[1939年]]9月に起きた[[第二次世界大戦]]においてポルトガルは[[中立国]]となり、その後[[1941年]]12月に勃発した[[太平洋戦争]]を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの海外県政庁のもとで中立港として機能した。このため戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。
イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、[[蔣介石]]の直属機関([[藍衣社]])等による抗日活動と標的テロも勃発し、[[枢軸国]]の敗戦が濃厚となる[[1944年]]末には対日テロが激化した。
[[1945年]]には[[福井保光]]駐マカオ領事が中国人の襲撃に遭い、拳銃で射殺されるという事件が起きている<ref>森島守人著、『真珠湾・リスボン・東京 続一外交官の回想』、岩波新書、1956年</ref>。なおマカオ人の少数が香港防衛義勇軍 (Hong Kong Volunteer Defense Corps) のメンバーであり、[[香港の戦い]]で日本軍の捕虜となった。ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。
=== 戦後 ===
[[1945年]]8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、[[中華民国総統]]である[[蔣介石]]率いる[[中国国民党]]と、[[毛沢東]]率いる[[中国共産党]]の間に[[国共内戦]]が勃発した。
その後[[1949年]]には、毛沢東率いる中国共産党により、[[北京市|北京]]を[[首都]]とした中華人民共和国が成立し、[[中華民国]]に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。
なお、ポルトガルは[[中国共産党]]政府を[[西側諸国|西側]]陣営で早くも[[1950年]]に[[国家の承認|承認]]したイギリスとは異なり、第二次世界大戦後も[[ファシズム]]的な[[エスタド・ノヴォ]]と呼ばれる長期独裁体制が存続していた[[アントニオ・サラザール]]政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は結ばないままであった。
=== マカオ暴動 ===
{{main|一二・三事件}}
[[File:12-3 Incident Apology.jpg|190px|right|thumb|中国政府へ謝罪する文書に署名するマカオ総督、1967年]]
[[ファイル:Ho Yin e Mao Zedong em 1956.jpg|190px|right|thumb|毛沢東と会見する何賢、1956年]]
中華人民共和国内で[[文化大革命]]が行われていた[[1966年]]11月に、中国共産党系[[小学校]]における無許可での増築工事に対するポルトガル陸軍大佐のモタ・セルヴェイラ代理総督による制裁が行われ、この制裁に怒った住民によるデモが[[セナド広場]]などで数回にわたり行われた。当初は平和的なデモであったが、その後中国共産党系の住人によって暴動化し、[[12月3日]]には、これを鎮圧しようとしたフィゲレド警察署長指揮下のポルトガル軍警察がデモ隊に発砲したために、数人のデモ隊が死亡する惨事となった。
事件の最中に赴任したホセ・マニュエル・デ・ソウサ・エ・ファロ・ノブレ・デ・カヴァーリョ新総督は、29日午後にマカオの経済界代表と会談し、学校建設阻止のために警察を動員したことは不適切であったことを認め、中立の調査委員会を設けて事件の解決を図ろうとした。
しかし中華人民共和国政府は、[[人民解放軍]]によるマカオへの軍事侵攻をほのめかしながら、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と責任者の処罰、共産党系の遺族に対する[[慰謝料]]の支払い、以後の中国共産党系住民による統治参加、そして中華民国の国務機関([[諜報]]機関)によるマカオ内での活動の停止などを要求した。
当時の[[ポルトガル海上帝国]]は[[ポルトガル植民地戦争]]で国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させていなかった上に、同じく海外領土として中国大陸に香港を抱えていた[[イギリス]]との[[英葡永久同盟]]も5年前に[[ゴア州|ゴア]]などのポルトガル領が[[インド]]から武力侵攻を受けた際に役立ってなかったため、軍事的な支援は期待できなかった。軍事対立が起きた場合全てを失うと[[アントニオ・サラザール|サラザール]]首相は判断し<ref>{{cite web |title=A guerra e as respostas militar e política 5.Macau: Fim da ocupação perpétua (War and Military and Political Responses 5.Macau: Ending Perpetual Occupation) |url=http://media.rtp.pt/descolonizacaoportuguesa/pecas/macau-fim-da-ocupacao-perpetua/ |website=RTP.pt |publisher=RTP |accessdate=2020-01-01}}</ref>、総督は[[毛沢東]]の肖像画が掛けられた場所で謝罪の文書に署名させられ<ref>Naked Tropics: Essays on Empire and Other Rogues, Kenneth Maxwell, Psychology Press, 2003, page 279</ref>、セルヴェイラ代理総督は追放され、要求をほぼ全面的に受け入れた。
以後「マカオの王」「マカオの影の総督」<ref>{{cite web|publisher=环球网 |date=2009年12月11日 |accessdate=2017年12月22日 |title=何贤:公认的“影子澳督”和“澳门王” |url=http://history.huanqiu.com/txt/2009-12/658218.html}}</ref>と呼ばれ、ポルトガル政府と友好的な関係を持った[[親中]]派実業家の{{仮リンク|何賢|zh|何賢}}の影響下に入ることになり<ref name="名前なし-1">Far Eastern Economic Review, 1974, page 439</ref>、当時の[[アフリカ]]のポルトガル植民地とは対照的に政情は安定した<ref name="名前なし-1"/>。ポルトガル政府は中華民国との国交を保ち続けたにもかかわらず、国連で[[アルバニア決議|国際連合総会決議2758]]に賛成したり、その植民地であるマカオがあらゆる中華民国の活動を禁止<ref>内藤陽介『マカオ紀行 ― 世界遺産と歴史を歩く』173p</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?id=NsQaAAAAIBAJ&sjid=nEYEAAAAIBAJ&pg=7150%2C3154999 Macao Is A Relic Of Bygone Era Of European Gunboat Diplomacy], David J Paine, Associated Press, ''Daily News'', May 14, 1971, page 17</ref><ref>[https://news.google.com/newspapers?id=_Ug0AAAAIBAJ&sjid=6GYEAAAAIBAJ&pg=4785%2C822777 Macao Locals Favor Portuguese Rule], Sam Cohen, ''The Observer'' in ''Sarasota Herald-Tribune'', June 2, 1974, page 4H</ref>して単独で中華民国と事実上「断交」するなど中華人民共和国政府に配慮した政策をとることとなった。
=== 返還へ ===
オテロ・デ・カルバーリョ[[大尉]]率いる国軍左派による[[1974年]][[4月25日]]の[[カーネーション革命]]の後にポルトガルは民主化され、当時所有していた全ての海外領土を放棄する方針を採ることになった。しかし中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつ当分の間のポルトガルによる統治を希望<ref>New lease for an old colony, The Straits Times, 28 March 1980, page 15</ref>して交渉は停滞した。ポルトガル政府は[[1977年]]1月に[[ポルトガル軍]]をマカオから完全撤退させる<ref>マカオもてあますポルトガル 返す・・・中国は「いらぬ」『朝日新聞』1977年(昭和52年)2月3日朝刊、13版、7面</ref>とともに、同年3月、マカオを「特別領」として再編成し行政上及び経済上の自治を多くの点で認めた<ref>Entrepreneurs and Enterprises in Macau: A Study of Industrial Development, V.F.S. Sit, R. Cremer, S.L. Wong, Hong Kong University Press, 1991, page 175</ref>。
その後[[1979年]]に、ポルトガル政府は中華人民共和国政府との国交樹立(と中華民国との断交)を行った。第二次世界大戦後に国力が低下しており、しかも地元民による自治が進んだマカオを海外領土として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は、中華人民共和国への即時移譲を望むも、中華人民共和国もまだまだ貧しいため返還は遅れ、「アジア最後のヨーロッパ植民地」と呼ばれていた<ref>{{Cite web|和書|date=2017-08-24 |url=https://www.sankei.com/article/20180502-GUJCI46G4VMQTIOUTKPJBIKGKQ/ |title=【中国探訪】世界の不夜城マカオのいま 革命歌が流れ、人民解放軍も人気! いったい何が |publisher=[[産経デジタル|産経ニュース]] |accessdate=2018-05-02}}</ref><ref>{{Cite web |date=1999-12-20|url=http://www.washingtonpost.com/wp-srv/WPcap/1999-12/20/058r-122099-idx.html |title=China Regains Macau After 442 Years |publisher=[[ワシントン・ポスト]] |accessdate=2019-03-04}}</ref><ref>{{Cite web |date=1999-12-20 |url=http://edition.cnn.com/ASIANOW/time/magazine/99/1220/macau.handover.html |title=Macau: Macau's Big Gamble |publisher=[[TIME]] |accessdate=2019-03-04}}</ref><ref>{{Cite web |date=1999-12-20 |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/564984.stm |title=Macau handover: Asia's last colony |publisher=[[BBC]] |accessdate=2019-03-04}}</ref>。
その後、[[1984年]]に行われた[[イギリス]]と中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、[[1987年]][[4月13日]]にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印した。
=== 返還後 ===
[[File:Macau,China-LotusSquare.png|thumb|220px|マカオ返還の象徴、{{仮リンク|金蓮花広場|zh|金蓮花廣場}}]]
マカオの行政管理権は[[1999年]][[12月20日]]に中華人民共和国へ返還され、マカオを'''特別行政区'''にすることになった。初代行政長官には何賢の息子である[[何厚鏵]]が就任した。
[[ファイル:Lago Nam Van, Macao, 2013-08-08, DD 05.jpg|220px|thumb|マカオのスカイライン]]
返還後のマカオの行政長官は、[[選挙]]委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の[[領土]]の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。
[[ポルトガル語]]は[[中国語]]([[広東語]])と並ぶ[[公用語]]とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられているほか、一部の[[カトリック教会|カトリック]]系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。上述の通り、以前から中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に[[普通話]]の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。
[[2002年]]に、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまで[[スタンレー・ホー|何鴻燊]](スタンレー・ホー)経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を開放して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[スティーブ・ウィン]]経営の[[ウィン・リゾーツ]]や[[シェルドン・アデルソン]]経営の[[ラスベガス・サンズ]]など多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、[[2006年]]にはマカオのカジノ収入はラスベガスを抜いて世界最大のカジノ街となった<ref name=afpbb2007>{{Cite web|和書|url = https://www.afpbb.com/articles/-/2206633 |title=マカオ、ラスベガスを抜いて世界最大のカジノに - 香港 |date=2007-04-04|publisher=[[AFPBB]] |accessdate=2020-12-07}}</ref>。
[[2003年]]には[[中国本土・マカオ経済連携緊密化取決め]]の締結で中国本土との貿易も盛んになり、2004年から2014年まで2桁の経済成長を続けて世界で最も1人当たりの[[国内総生産]](GDP)が高い地域の一つとなり<ref>Li, Sheng (2016). "The transformation of island city politics: The case of Macau" (PDF). Island Studies Journal. 11 (2): 522.</ref>、[[先進国]]水準の公共サービスや社会福祉制度も充実するようになった<ref name=chan2011/><ref name=ferrao/>。2008年からは[[インフレ]]対策や[[富の再分配]]を名目にマカオ市民への9000パタカ(約12万円)の[[定額給付金]]も2019年時点で毎年実施されてきた<ref name=nikkei2013>{{Cite web|和書|url = https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM12044_U3A111C1EB1000/ |title=マカオ、市民へ現金給付継続 カジノ税収潤沢で |date=2013-11-14|publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2019-07-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = https://www.macaushimbun.com/archives/27565 |title=マカオ政府、12年連続で市民へ現金配布…7月から順次=支給額は前年から11%アップの約13.6万円、カジノ税収潤沢で富の還元 |date=2019-05-10|publisher=マカオ新聞 |accessdate=2019-07-26}}</ref>。
== 地理 ==
[[ファイル:Mapa de Macao.png|100px|thumb|[[1990年代]]のマカオの地図]]
[[ファイル:Macau-CIA WFB Map.png|thumb|left|220px|現在のマカオの地図]]
{{main|{{仮リンク|マカオの地理|en|Geography of Macau}}}}
[[南シナ海]]に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には[[珠江]](パールリバー)、西には[[西江]]があり、中華人民共和国の本土の[[珠海市|珠海]]経済特区と隣接している。
[[1970年代]]以降に大規模な埋め立てが行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、険しい丘が多数あり元の地形の名残をとどめている。マカオ半島はもともと島だったが、徐々に[[砂州]]が伸びてゆき、狭い[[地峡]]になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した([[陸繋島]])。
マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に[[農業]]はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。
{{-}}
=== 行政地域 ===
[[ファイル:Administrative Division of Macau SAR.png|thumb|300px|マカオの行政区分地図]]
{{see|マカオの行政区画}}
かつては、半島部を[[澳門市]]、その他島嶼部を[[海島市]]とした[[基礎自治体]]により構成されていたが、2002年に両市は廃止され、全域を[[民政総署]]が管轄することとなった。
法人的地位を持たない行政区画としては、そこにある代表的な教会堂を冠した七つの[[マカオの行政区画|堂区 (Freguesia)]]、[[タイパ島]]および[[コロアネ島]]をつなぐ埋立地である[[コタイ]]地区、中国本土にある[[澳門大学]]並びに帰属未定の埋立地([[マカオ新城区]])により構成される。
各堂区等は以下のとおり(右の地図の番号に一致)、なお[[澳門大学]]はコタイ、コロアネ島の対岸である横琴島に位置し(2014年の澳門大学移設により中国内地からマカオ特別行政区に編入)、マカオ新城区は、マカオ半島東岸およびタイパ島北岸の埋立地である。
#[[花地瑪堂区]](ファティマ堂区)
#[[聖安多尼堂区]](聖アンドレ堂区)
#{{仮リンク|望徳堂区|zh|望德堂區}}(聖ラザロ堂区)
#{{仮リンク|大堂区|zh|大堂區}}(主教座堂区)
#{{仮リンク|風順堂区|zh|風順堂區}}(聖ロレンツォ堂区)
#[[嘉模堂区]](ノッサセニョーラドカルモ堂区)− [[タイパ島]]({{Lang|zh-hk|氹仔島}})
#路氹城 − [[コタイ]]地区
#[[聖方済各堂区]](聖フランシスコ・ザビエル堂区)− [[コロアネ島]](路環島)
{{-}}
=== 気候 ===
マカオは、[[温帯夏雨気候]]([[ケッペンの気候区分]]: Cwa)に属し、年間の平均湿度が75% 〜 90%<ref name=aaa>{{cite web |url=http://www.worldtravelguide.net/country/153/climate/Far-East-Asia/Macau.html |title=Macau Climate, Temp, Rainfall and Humidity |accessdate=2008-01-06 |publisher=Nexus Business Media Limited |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071216232707/http://www.worldtravelguide.net/country/153/climate/Far-East-Asia/Macau.html |archivedate=2007年12月16日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>とかなり高い。他の華南地域同様、[[モンスーン]]の影響を強く受け、夏と冬の気温差・湿度差が、大陸内部ほどではないにせよ、顕著である。年間平均気温は22.7℃<ref>{{cite web |url=http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm |title=100 years of Macau Climate |accessdate=2011-02-15 |publisher=Macao Meteorological and Geophysical Bureau |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110110060346/http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm |archivedate=2011年1月10日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>であり、7月が平均気温28.9℃と最も暑く、1月が平均気温14.5℃で、もっとも寒冷な月となる<ref name=aaa/>。
マカオは中国の南岸地域に位置し、年間降雨量2120mmと多雨地帯に属する。しかし冬季は[[シベリア高気圧]]の影響を受け、比較的乾燥する。10月から11月にかけての秋季は、晴天に恵まれ、温暖で湿度も低いなど過ごしやすい季節となる。12月から3月初旬の冬季は、平均的最低気温は13℃と穏やかであるが、時折8℃を割るほど低下することもある。3月から湿度が上昇し始め、夏季は気温がかなり高くなり(しばしば、日中30℃を超える)、亜熱帯性の豪雨や時には[[台風]]に見舞われる<ref name=aaa/>。
{{Weather box
|location = マカオ
|metric first = Y
|single line = Y
|Jan high C = 17.7
|Feb high C = 17.7
|Mar high C = 20.7
|Apr high C = 24.5
|May high C = 28.1
|Jun high C = 30.3
|Jul high C = 31.5
|Aug high C = 31.2
|Sep high C = 30.0
|Oct high C = 27.4
|Nov high C = 23.4
|Dec high C = 19.6
|year high C =25.2
|Jan low C = 12.2
|Feb low C = 13.1
|Mar low C = 16.2
|Apr low C = 20.2
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|Jun low C = 25.7
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|Nov low C = 17.8
|Dec low C = 13.8
|year low C =20.2
|rain colour = green
|Jan rain mm = 32.4
|Feb rain mm = 58.8
|Mar rain mm = 82.5
|Apr rain mm = 217.4
|May rain mm = 361.9
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|Sep rain mm = 194.1
|Oct rain mm = 116.9
|Nov rain mm = 42.6
|Dec rain mm = 35.2
|Jan humidity = 74.3
|Feb humidity = 80.6
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|unit rain days = 0.1 mm
|Jan rain days = 6
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|Dec rain days = 4
|Jan sun = 132.4
|Feb sun = 81.8
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|Jun sun = 168.2
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|Oct sun = 195.0
|Nov sun = 177.6
|Dec sun = 167.6
|source 1 = SMG <ref name="Macao climate 1901-2000">{{cite web
|url = http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm
|title = 100 Years of Macao Climate
|accessdate = 2011-02-16
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110110060346/http://www.smg.gov.mo/www/smg/centenary2/index_four.htm
|archivedate = 2011年1月10日
|deadlinkdate = 2017年9月
}}</ref>
|date=August 2010
}}
== 政治 ==
[[ファイル:Leal Senado Building.JPG|right|220px|thumb|セナド広場にある民政総署]]
{{main|マカオの政治}}
1999年返還以来、マカオは中国所属だが、[[一国二制度]]の下、中国政府とは異なる別の政治システムを持っている。
マカオの[[マカオ特別行政区行政長官|行政長官]]は、各業界団体から選出された委員からなる[[選挙]]委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる[[内閣]]を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、[[銀行]]家でもあった[[何厚鏵]](エドモンド・ホー)が[[1999年]][[12月20日]]にマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命され、ポルトガル統治下で任命された[[ロシャ・ヴィエラ]] (Rocha Viera) 総督に取って代わった。
[[立法]]機関は[[マカオ特別行政区立法会]]であり、マカオ住民の[[直接選挙]]で選ばれた14人の議員と各種[[職能団体]](職能代表制)を通じて[[間接選挙|間接的に選出]]される12人の議員および行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには[[政党]]を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに[[社団]]を組織して議員選挙に参加している(社団の一覧については[[マカオの政党]]を参照のこと)。
== 司法 ==
マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定された[[マカオ基本法]]は、中国中央政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。独自の法執行機関も保有している([[マカオの警察]])。
三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。[[裁判官]]は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには[[死刑]]制度は存在しない。
[[1991年]]以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。
[[2009年]]には香港で撤回に追い込まれた国家安全条例案と同様に国家分裂行為などの反政府活動を禁じる{{仮リンク|国家安全維持法 (マカオ)|zh|維護國家安全法 (澳門)|label=国家安全維持法}}が制定されている<ref>{{cite news|publisher=中國新聞網|date=2009年3月2日|accessdate=2019年08月11日|title=澳門特區政府頒布《維護國家安全法》 3日生效 |url=http://www.chinanews.com.cn/ga/gaynd/news/2009/03-02/1584878.shtml}}</ref>。
{{Wide image|Macau_skyline_2013_(panorama).JPG|1200px|マカオのスカイライン}}
{{Wide image|Macau banner.jpg|1200px|マカオのスカイライン}}
== 軍事 ==
返還以来、マカオには[[中国人民解放軍]]が駐屯している([[人民解放軍駐マカオ部隊]])。出動したのは[[2017年]]8月、[[台風]]被害の対応が初めてである<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM25H6G_V20C17A8FF8000/ 人民解放軍、マカオで災害出動 返還後初めて][[日本経済新聞]]アジアニュース(2017年8月25日)</ref>。
== 経済 ==
[[世界銀行]]の統計によると、2021年のマカオの[[国内総生産|GDP]]は2,418億[[マカオ・パタカ]](約299億[[ドル]])である。一人あたりのGDPは世界屈指<ref>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2004rank.html The World Factbook]</ref>であり(2013年は[[カタール]]を超えて世界一でもあった<ref>{{cite web |url = http://data.worldbank.org/indicator/NY.GDP.PCAP.PP.CD?order=wbapi_data_value_2013+wbapi_data_value+wbapi_data_value-last&sort=desc |title="GDP per capita, PPP (current international $)", World Development Indicators database |publisher= |accessdate=2015-11-05}}</ref>)、返還後の経済の急成長で税収も非常に潤沢となったため<ref name=chan2011>Chan, Kam Wah; Lee, James (2011). "Social Welfare Policy: A 'Flexible' Strategy?". Hong Kong University Press: 197–214. JSTOR j.ctt1xwg2h.20.</ref>、マカオ市民には教育費と医療費を無料化する高福祉政策が行われ<ref name="ferrao">Ferrao, Silvia O. S.; Gaspar, Elisa Lei (2013). "Public healthcare system in Macao". 2013 IEEE 2nd International Conference on Serious Games and Applications for Health (SeGAH). pp. 1–8. doi:10.1109/SeGAH.2013.6665312. ISBN 978-1-4673-6165-1.</ref><ref>Scott, Ian (2011). "Social Stability and Economic Growth". Gaming, Governance and Public Policy in Macao: 1–16. </ref>、毎年現金給付もされるようになった<ref name=nikkei2013/><ref>{{Cite web|和書|url = https://www.fnn.jp/articles/-/4327 |title=消費税0%で、住民には年12万円のボーナス。中国のマカオが発展した理由 |date=2018-11-24|publisher=[[FNN]] |accessdate=2019-07-26}}</ref>。世界最大級の[[都市圏]]を目指す[[粤港澳大湾区]]構想の一部にもなっている<ref>{{Cite web|和書|date=2018-06-24 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3179427 |title=広東・香港・マカオを結ぶベイエリア 名実ともに世界一になれるか? |publisher=[[AFPBB]] |accessdate=2019-05-19}}</ref>。
観光産業への依存度が高いため、世界情勢に影響されやすい面もある。2014年までは急成長を見せていたが、2015年に中国政府が反[[汚職]]運動を進めると<ref>{{Cite news|title=中国政府、汚職取り締まりの一環でマカオに対する監視強化|url=https://www.reuters.com/article/tk8379771-casinos-macau-china-idJPTYE94003I20130501|work=Reuters|date=2013-05-01|access-date=2022-09-23}}</ref>、汚職官僚の[[資金洗浄]]に利用されていたマカオも監視が強化されたことで、本土の顧客が減少<ref>{{Cite web|和書|title=マカオ:2015年カジノ収入、5年ぶり低水準-中国の反汚職運動が響く |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-01-01/O09L8D6KLVR401 |website=Bloomberg.com |access-date=2022-09-23}}</ref>。カジノ収入は前年比34.3%減となり、GDP成長率は約-20%と落ち込んだ。その後は回復を見せたが、2020年にCOVID-19が世界的に流行すると、出入国規制により大打撃を受け、当年のGDPは53.6%も激減した<ref>{{Cite web|和書|title=マカオの20年GDP56%減、旅客激減響く |url=https://www.nna.jp/news/show/2162108 |website=NNA.ASIA |access-date=2022-09-23}}</ref>。
=== 通貨 ===
域内の法定通貨は[[大西洋銀行]]および[[中国銀行 (中華人民共和国)|中国銀行]][[中国銀行マカオ分行|マカオ分行]](1995年より)が発券する[[マカオ・パタカ]]である。しかし流通通貨の相当部分は[[香港ドル]]である。パタカの発券に際しては1香港ドル=1.03パタカ(1983年より)と香港ドルに[[ペッグ]]されており<ref group="注釈">発行全額に相当する香港ドルが[[マカオ金融管理局]]に預託されている。</ref>、香港ドルは[[米ドル]]に[[ドルペッグ制|ペッグ]]されているので、米ドルにペッグされているのと実質同等となっている。1香港ドル=1.03パタカと、パタカがわずかに価値が低いが、ほとんどの店では等価に扱われたり、流通レート以上に値上げされることがある。
なお香港ドルで支払っても釣り銭はパタカで返ってくることがある。香港ドル硬貨はマカオ内の自動販売機などでも使用が可能ではあるが、タクシーなどでは1香港ドル未満の硬貨は受け取りを拒否されることがある。逆にパタカを香港での支払いに使うことはできない。
=== 産業 ===
マカオの[[経済]]はギャンブルを含む観光産業と[[織物]]や衣類、[[花火]]の生産に大きく依存しているが、多角化に努めた結果、小規模ながら[[玩具]]や[[造花]]、電子機器の製造も始まった。
織物や衣類は輸出金額のおよそ4分の3を占めているが、[[国内総生産|GDP]]に占める製造業の割合は5%程度であり、GDPの40〜60%程度(さらにホテル、飲食業が5%程度)<ref>澳門特別行政區政府統計暨曁普查局>統計資料>澳門主要統計指標 2018年10月8日閲覧 [http://www.dsec.gov.mo/Statistic.aspx]</ref>、政府歳入の80%程度はギャンブルに依拠している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.macaushimbun.com/news?id=23249 |title=マカオの17年1〜11月累計カジノ税収17.9%増の約1.2兆円…年間予算は10月終了時点で達成済み=歳入の8割占める(マカオ新聞) |publisher=大航海時代新聞出版社 |accessdate=2018-10-08 }}</ref>。
=== 観光とギャンブル ===
[[ファイル:Macau-Casino-Lisboa-at-night-0824.jpg|right|220px|thumb|カジノ「グランド・リスボア」、「リズボア」、「ウィン・マカオ」]]
[[ファイル:Macao Cotai Strip View1 200907.jpg|right|220px|thumb|コタイ・ストリップに建築中のカジノホテル群]]
[[2018年]]には3580万人を越える観光客がマカオを訪れた。最多は、約2500万人の中華人民共和国本土からの訪問客であり、香港からの観光客約630万人がこれに次ぎ、以下、台湾・韓国・日本をはじめとしたアジア各国・地域からの観光客がそれに続く<ref>http://www.macaotourism.jp/downloads/talkabout/201903.pdf 2020年2月26日閲覧</ref>。世界最大の[[カジノ]]設備が集客に貢献している他に、[[世界遺産]]に登録された[[マカオ歴史地区]]や、東西を融合した独特の食文化、カジノに隣接するブランド品の直営店など、ギャンブル以外の[[観光資源]]にも恵まれている。
返還直前の[[1998年]]ごろには経済の暗黒面である[[黒社会]]([[マフィア]]、[[ギャング]])の抗争が懸念されていたが、返還後は治安はよくなった<ref>[http://chinaperspectives.revues.org/pdf/808 public cector reform]china perspective 2020年2月26日閲覧</ref>。
[[2002年]]には、[[カジノ]]経営権の国際入札を実施し、その結果これまで[[スタンレー・ホー|何鴻燊]]経営の「{{仮リンク|マカオ旅遊娯楽有限公司|zh|澳門旅遊娛樂|en|Sociedade de Turismo e Diversões de Macau}}([[:pt:Sociedade de Turismo e Diversões de Macau|Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.]] '''STDM''' / 澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の「[[ギャラクシー・マカオ]](銀河娯楽場)」社と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の「[[ウィン]]・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放した。
このことが功を奏し外国からの投資が急増した。[[2009年]]5月現在、「[[ホテル・リスボア]](Lisboa、葡京娯楽場)」、「[[グランド・リスボア]](Grand Lisboa、新葡京)」、「[[サンズ・マカオ]](Sands、金沙娯楽場)」、「[[ウィン・マカオ]](Wynn、永利澳門)」や、新たに埋め立て開発されたコタイ・ストリップの「[[ザ・ベネチアン・マカオ]](Venetian Macao-Resort-Hotel、澳門威尼斯人度假村酒店)」など20を超える大規模なカジノが運営されている。
これに伴い、観光客も[[2000年]]の800万人から[[2018年]]の3580万人と4倍以上の増加を示したように、観光産業の隆盛で経済は活況を呈しており、中華人民共和国本土の一部直轄市や省がマカオ入境を解禁した。2006年のカジノ売り上げが69億5000万[[アメリカドル]](約8400億円)に達し、これまで世界最大であったアメリカの[[ラスベガス]]の推計65億ドルを超え、世界最大のカジノ都市となり<ref name=afpbb2007/>、その後も成長を続け、[[2013年]]の売上は3607.49億マカオパタカ(約4兆7253億円)に達した。カジノ市場の対外開放からわずか4年でカジノ都市として世界首位に躍り出た背景には、膨張する中華人民共和国の経済からあふれ出る「チャイナ・マネー」と、新たな市場であるマカオの国際カジノ産業に流れ込む外資があると分析されている。
なおマカオで合法とされている[[賭博|ギャンブル]]は数多いが、人気があるのは駆け引きの要素の無い[[大小 (賭博)|大小]]や[[バカラ (トランプゲーム)|バカラ]]である。ほぼ全てのカジノに[[スロットマシーン]]が備えられている。
また、カジノに偏らない[[統合型リゾート]](IR)も整備して[[人工知能|AI]]や[[情報通信技術|ICT]]を活用したスマートシティ化も進められている<ref>{{Cite web|和書|url = https://web.archive.org/web/20190827125024/https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190819/mcb1908191411009-n1.htm |title=マカオ、カジノ監視を制限 AI機器に許可必要、データは部外秘 |date=2019-08-19|publisher=[[フジサンケイビジネスアイ]] |accessdate=2019-08-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41871500Y9A220C1X12000/ |title=台頭するマカオIR市場 ITを武器に成長 編集委員 関口和一 |date=2019-03-01|publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2019-03-04}}</ref>。
この他、古くから[[マカオドッグレースクラブ|ドッグレース]]が盛んであったが、人気を失い2018年7月に廃止された。[[マカオの競馬|競馬]]も行われているが、他のギャンブルの陰に隠れてあまり人気が無い。
== 交通 ==
{{main|マカオの交通}}
=== 域外 ===
==== 陸運 ====
隣接する珠海市とは北部の[[ボーダーゲート]](関閘、中華人民共和国側:[[拱北口岸]])およびコタイの[[蓮花大橋]](中華人民共和国側:[[横琴口岸]])において、中華人民共和国に陸路を経由しバスや一般車両を含め出入域可能である。
[[2018年]]、香港、珠海市を海上で繋ぐ世界最大級の橋梁[[港珠澳大橋]]が完成し、[[香港国際空港]]及び香港市内までバスで移動することができるようになった(2018年現在港珠澳大橋の通行は許可が必要であり一般の車両にはまだ開放されていない)。
==== 海運 ====
[[ファイル:20081113-TurboJET Universal MK 2011.jpg|right|220px|thumb|[[TurboJET]]社の高速双胴船]]
マカオ半島にある[[アウター・ハーバー・フェリーターミナル]]と、タイパ島にある[[タイパ・フェリーターミナル]]から、香港・上環の[[マカオ・フェリー・ターミナル|香港・マカオ・フェリー・ターミナル]]まで[[TurboJET]]社やCotaiJet社運航によるジェットフォイル([[ボーイング929]]など)と高速[[双胴船]]が24時間、15〜30分間隔で運航されている。所要時間はおよそ55分。香港とは九龍[[尖沙咀]]の[[チャイナ・フェリーターミナル]]との間にも30分から1時間の間隔でFirst Ferry Macauブランドによる高速双胴船が就航しており、こちらも約60分で結んでいる。同じく香港の新界にある屯門にある Tun Mun Ferry Terminalとの間にも、Hong Kong North West Express社による高速双胴船が一日に4往復就航しており、香港郊外北部とのダイレクトアクセスとなっている。
マカオ・中国本土間(深圳[[福永フェリーミナル]]・深圳[[蛇口クルーズセンター]]など)にも高速双胴船の定期船が頻繁に運航されており、{{要出典範囲|date=2020年8月|特に2006年の区域自由化以降は中国本土籍利用客が急増した}}。
香港国際空港スカイピアとマカオ間を発着する高速双胴船は、香港国際空港に発着する航空機との乗り継ぎ専用で、空港内で直接到着便から・出発便へ乗り換えて利用することができる。アウター・ハーバー・フェリーターミナルでは、香港空港を発着する一部航空会社の搭乗手続を行うこともできる。できない航空会社の場合は、香港国際空港スカイピアに搭乗手続カウンターが設けられている。香港国際空港までの所要時間は1時間弱。
かつて、内港([[:zh:內港客運碼頭]]、Ponte 16)から、[[珠海]]の湾仔を結ぶ渡し舟があった。
==== 航空 ====
[[ファイル:Macao airport terminal.jpg|right|220px|thumb|マカオ国際空港]]
24時間運用の[[マカオ国際空港]]がある。[[マカオ航空]]などが中華人民共和国内の主要都市のほか、[[台北]]や[[東京]]、[[大阪]]、[[シンガポール]]、[[バンコク]]、[[クアラルンプール]]などの[[アジア]]諸国の主要都市との間に定期便を運航している。
近年は[[日本]]からの観光客の増加に対応し、[[2007年]][[7月26日]]から[[関西国際空港]]とマカオ国際空港間にマカオ航空による定期便が就航を開始。[[2008年]][[7月16日]]より毎日就航している。2010年3月、[[成田国際空港]]にも定期便を就航させた。
なお、同空港の開港当時に宗主国のポルトガルの[[首都]]の[[リスボン]]との間に[[TAPポルトガル航空]]が直行便を運航していたが、中華人民共和国への主権譲渡を待たず廃止された。しかしマカオとポルトガル間の旅行客が増加したことや、TAPポルトガル航空の経営状況が回復したことを受けて復活が検討されている。
アウター・ハーバー・フェリーターミナル屋上の[[ヘリポート]]から発着する、「Sky Shuttle」という名称の[[ヘリコプター]]による定期便が運航されており、香港・マカオ・フェリー・ターミナル屋上にあるヘリポートや[[深圳宝安国際空港]]との間を結んでいる。香港との間はおよそ30分間隔で運航されており、おおよその飛行時間は約15分。
=== 域内 ===
[[ファイル:Transmac R219.jpg|right|220px|thumb|TRANSMACのミニ[[バス (車両)|バス]]]]
Transportes Urbanos de Macau SARL([[Transmac]]、澳門新福利公共汽車有限公司)と[[Transportas Companhia de Macau]](TCM、澳門公共汽車有限公司)の2社の[[路線バス]]やミニバスの路線が域内を網羅している。これらの路線バスのルートマップなどは全てポルトガル語と広東語の両方で表記されて、バスの車内放送では広東語→ポルトガル語→普通話→英語 の順で案内される。
他にも、[[サンズ・マカオ]]や[[ウィン・マカオ]]、[[ザ・ベネチアン・マカオ]]などの主なカジノやホテルが、5分から10分に1本程度の頻度でフェリーターミナルと各カジノとの間の無料バスを運行している。
[[タクシー]]が安価な交通手段として市民だけでなく観光客の足として利用されている。市民の足として[[スクーター]]が重宝されている。交通渋滞を緩和するため[[澳門軽軌鉄路]]という[[新交通システム]]が2019年供用がタイパ島において開始され、マカオ半島部への延伸が予定されている。
マカオの[[自動車]]道路は香港と同様に[[対面交通|左側通行]]となっている。これはかつてポルトガルが左側通行だったことの名残とされている(ポルトガル本国は1928年に右側通行へ変更)。
<!--== 放送 ==
* 局名:Teledifusao De Macau,SARL
* 住所:Avenida Dr. Rodrigo Rodrigues, No. 223-225, Edif. "Nam Kwong"7 Andar, Macau.
{|border="1"
|周波数(MHz)
|出力(KW)
|放送言語
|放送時間
|-
|98.0
|2.5
|ポルトガル
|24h
|-
|100.7
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|24h
|}
* 局名:Radio Vilaverde LDA
* 住所:Hipodromo da Taipa, Macau.
{|border="1"
|周波数(KHz)
|出力(KW)
|放送言語
|放送時間
|-
|738
|10
|ポルトガル&広東
|24h
|}-->
== 人口 ==
[[ファイル:Rua do Bispo Medeiros. Aug. 2015.JPG|thumb|230px|right|人口密度の高いマカオ半島中央部の美的路主教街。2015年8月撮影。]]
{{main|{{仮リンク|マカオの人口統計|en|Demographics of Macau}}}}
人口はおよそ67万人(2022年6月)。マカオを一つの「地域」とみれば、マカオは世界でもっとも[[人口密度]]が高い国・地域である。1平方キロメートル当たり実に2万12人が住んでいる。
=== 民族 ===
マカオの人口は92.4%が[[華人]]であり、最も多いのが[[広東]]人で、[[客家]]人もおり、いずれも近隣の[[広東省]]から来ている。ポルトガル人は0.6%で<ref name=CIA>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/mc.html The World Factbook — Central Intelligence Agency] 2016年9月6日閲覧</ref>、[[マカイエンサ]]と呼ばれる[[華人]]とポルトガル人の[[混血]]のグループもいる。
=== 言語 ===
[[ファイル:Avenida Sidónio Pais.JPG|thumb|230px|right|ポルトガル語と中国語併記の道路表示]]
書き言葉としての公用語は、ポルトガル植民地時代から[[ポルトガル語]]と[[中国語]]([[簡体字]]は用いられず、いわゆる[[繁体字]]で表記される)の2言語と定められ、[[官報]]を始めとする各種[[公布]]や注意表示、[[道路標識|道路標示]]などの公的表示にはほぼ全て2言語併記が義務付けられている。テレビ局もポルトガル語専門局が設けられている。市中の[[看板]]における表記なども、その多くで2言語併記がなされているが、観光客対策に英語も含めた3言語表記になっている広告も目立つ。<!-- とりわけバスの言語表記では広東語、ポルトガル語、[[普通話]]、[[英語]]の4言語表記になっている。-->
口語では、[[広東語]]が広く使われ、ポルトガル語はポルトガル人とマカイエンサなどを除けばほとんど使用されていない。マカイエンサの内、ごく少数は[[マカオ語]]とも呼ばれる[[クレオール言語]]を話す。2011年の言語調査では、広東語83.3%、普通話5%、[[客家語]]3.7%、その他の中国語2%、英語2.3%、[[タガログ語]]1.7%、ポルトガル語0.7%、その他1.3%となっている<ref name=CIA/>。
=== 宗教 ===
{{see|{{仮リンク|マカオの宗教|en|Religion in Macau}}}}
2010年の[[ピュー研究所]]による調査では、[[中国の民俗宗教]]58.9%、[[仏教]]17.3%、[[キリスト教]]7.2%、[[イスラム教]]0.2%、その他の宗教1.0%、所属宗教無し15.4%の割合である<ref>[http://www.pewforum.org/files/2012/12/globalReligion-tables.pdf GLOBAL RELIGIOUS LANDSCAPE 45 Table:Religious Composition by Country] [[ピュー研究所]]</ref>が、各種調査ではキリスト教が5〜7%程度で比較的安定している他は調査ごとに民俗宗教、[[道教]]、仏教、所属宗教無しの回答比率がまちまちである。80%近くが仏教を実践しているとする報告もある<ref>[http://www.state.gov/j/drl/rls/irf/2012/eap/208228.htm 2012 Report on International Religious Freedom: China (Includes Tibet, Hong Kong, and Macau) - Macau] [[アメリカ合衆国国務省]](2013年5月20日)</ref>。キリスト教の中ではポルトガル時代以来の[[ローマ・カトリック]]が多数である({{仮リンク|聖母聖誕司教座堂|zh|聖母聖誕主教座堂}}など)ほか、少数の[[プロテスタント]]教会([[マカオ・バプテスト教会]]など)もある。
== 文化 ==
{{main|{{仮リンク|マカオの文化|en|Culture of Macau}}}}
=== 食文化 ===
{{see|マカオ料理}}
[[ファイル:Red market.jpg|right|220px|thumb|レッドマーケット]]
中国系住民は[[広東料理]]系([[順徳料理]]に近い)の[[中華料理]]を、ポルトガル系住民は[[ポルトガル料理]]を基本とした食生活をしているが、これらの料理だけでなく、かつてポルトガルの植民地があった[[インド]]や[[マレーシア]]、[[アフリカ]]、[[ブラジル]]の料理の要素や、交易のあった[[日本料理]]の影響をも取り入れて融合した、マカオ料理が生まれている。
マカオ料理は一見ポルトガル料理風であるが、中華料理のように皆で取り分けて食べることも当たり前で、中国大陸近辺でとれる食材もうまく生かしている。食事の際には[[ポルトワイン]]もよく飲まれる。ただし、マカオ現地では「ポルトガル料理」(「葡国菜」)と区別されずに、呼称されることも多い。
香港同様に[[茶餐廳]]や[[麺類]]、[[粥]]、[[パン]]、[[菓子]]などの専門店も発達している。マカオ料理は香港をはじめとする[[中華圏]]で高い人気を誇っており、ポルトガルの[[パステル・デ・ナタ]]を基にしたマカオ式の[[エッグタルト]]は、日本にも[[ケンズパス|アンドリューのエッグタルト]]というチェーン店を出している例がある。
===芸能===
基本的に香港の芸能の影響が強く、香港や[[台湾]]などの中華圏の芸能人、そしてヨーロッパの芸能人に人気が集まっている。ポルトガル音楽の[[ファド]]を歌うグループや[[粤劇]]の劇団がいくつかある。
== 教育 ==
{{see|マカオの教育}}
[[File:University of Macau (library).jpg|thumb|right|[[マカオ大学]]]]
住民には、3年間の[[幼児教育]]、6年間の[[初等教育]]、6年間の[[中等教育]]、合計15年間の無償教育の機会が提供されている。
[[識字率]]は、93.5%で、非識字者の大多数は65歳以上の高齢者であり、若年層(15-29歳)では、99%以上となっている<ref name="2006 by-census">{{cite book |title=Global Results of By-Census 2006 |year=2007 |publisher=Statistics and Census Service (DSEC) of the Macau Government}}</ref>。現在、授業にポルトガル語を用いている学校は1校のみである。
マカオは、統一的学制を有しておらず、中等教育までは英国式、中国式、ポルトガル式のものが並立している。10の高等教育機関があり、内、4機関は公立である<ref name="Macau 2007 Yearbook">{{cite book |year=2007 |title=Macau 2007 Yearbook |publisher=Government Information Bureau of Macau SAR |isbn=978-99937-56-09-5}}</ref>。[[OECD生徒の学習到達度調査|国際学習到達度調査]]によると、[[2003年]]実施のもので実施41カ国(地域含む)中、数学的リテラシー9位、科学的リテラシー7位、問題解決能力6位、[[2006年]]実施のもので実施56カ国(地域含む)中、数学的リテラシー8位、[[2015年]]実施のもので実施72カ国(地域含む)中、科学的リテラシー全体6位、読解力12位、数学的リテラシー3位、と上位を記録している。
マカオの進学率は、かつては、他の高収入諸地域に比べ高いとはいえず、2006年の統計によると、14歳以上の住民のうち、中等教育を受けたものは51.8%であり、高等教育は 12.6%となっていたが<ref name="2006 by-census"/>、近年急速な伸びを見せ、2016〜17年度(マカオの学年は9月開始)の中等教育学校卒業生の高等教育進学率は91.9%に達し、2016年における全人口に占める高等教育学歴取得率は28.9%で、近い将来には4割に達することが見込まれている<ref>{{Cite news |title=マカオ、高等教育学歴取得率の上昇続く…15年間学費無償化や奨学・補助金充実で=人材の海外流出が課題 |url=https://www.macaushimbun.com/news?id=27352 |newspaper=マカオ新聞| date=28 April 2019}}</ref>。
[[マカオ特別行政区基本法]]第6章第121条において、以下の条項が定められている。
*[[マカオ政府]]は、教育組織、管理・運用、教育に用いる言語、資金配分、入試制度、到達度の認識及び学位制度を含んだ政策について、教育的発展を促進するよう、教育政策の方針を定めなければならない。
*政府は法律に従って、順次、義務教育制度を整備するしなければならない。
*地域社会と個人は、法律に基づき、各種の教育的事業を営むことができる。
== スポーツ ==
{{Main|{{仮リンク|マカオのスポーツ|en|Sport in Macau}}}}
マカオには[[中華人民共和国|中国]]の[[中国オリンピック委員会]]とは独立した[[国内オリンピック委員会]]として、{{仮リンク|中国マカオ体育及びオリンピック委員会|zh|中國澳門體育暨奧林匹克委員會}}が存在する。ただし、マカオオリンピック委員会は[[アジアオリンピック評議会|OCA]]からは承認済みであるが、[[国際オリンピック委員会|IOC]]からの承認は得ていない。このため[[アジア競技大会]]や[[東アジア競技大会]]、[[東アジアユースゲームズ]]には選手団を送り込めるが、[[近代オリンピック|オリンピック]]には出場できない。
マカオでは[[2005年東アジア競技大会]]が行われたほか、[[2007年]]には[[アジア室内競技大会]]が開催された。[[広州市|広州]]で行われた[[2010年アジア競技大会]]では、[[武術太極拳]]競技で{{仮リンク|賈瑞|zh|賈瑞 (武術運動員)}}がマカオ史上初となる金メダルを獲得した。さらに[[2018年]]に[[インドネシア]]・[[パレンバン]]で行われた[[2018年アジア競技大会|アジア大会]]では、[[トライアスロン]]競技で{{仮リンク|許朗|zh|許朗}}が銅メダルを獲得した。
=== サッカー ===
{{Main|{{仮リンク|マカオのサッカー|en|Football in Macau}}}}
マカオでは[[サッカー]]が人気の[[スポーツ]]となっており、[[1973年]]にサッカーリーグの[[マカオサッカーリーグファーストディビジョン|リーガ・デ・エリート]]が創設された。{{仮リンク|藍白足球会|en|G.D. Lam Pak|label=藍白}}がリーグ最多となる9度の優勝を果たしている。かつてマカオリーグには、日本人選手の[[伊藤壇]]と[[斉藤誠司]]が所属していた事もある。
[[1939年]]に[[マカオサッカー協会]](AFM)が設立されており、[[1976年]]に[[アジアサッカー連盟]](AFC)に加盟し、[[1978年]]には[[国際サッカー連盟]](FIFA)にも加盟を果たした。[[サッカーマカオ代表]]は、[[FIFAワールドカップ]]および[[AFCアジアカップ]]への出場歴はない。さらに[[EAFF E-1サッカー選手権|東アジアサッカー選手権]]にも未出場となっている。
=== モータースポーツ ===
[[ファイル:2008 Macau F3 GP.JPG|right|220px|thumb|2008年の[[マカオグランプリ]]]]
[[1954年]]から行われている[[モータースポーツ]]の祭典である『[[マカオグランプリ]]』が世界的に有名で、[[1983年]]に国際格式の[[フォーミュラ3]]のマシンによって行われるようになって以降、[[アイルトン・セナ]]や[[ミハエル・シューマッハ]]、[[佐藤琢磨]]など多くの[[レーシングドライバー]]がここで勝利を挙げた後に、[[フォーミュラ1]]へとステップアップしている。
また、[[2000年]]のマカオグランプリで同国出身の選手として初優勝した[[アンドレ・クート]]は、[[SUPER GT]]や国際[[フォーミュラ3000|F3000]]選手権などの世界各国のレースでも活躍している。
== メディア ==
{{main|{{仮リンク|マカオのメディア|en|Media of Macau}}}}
[[新聞]]では、中国語による日刊新聞として十紙が発行されており、最も発行数が多く影響力を有するものは{{仮リンク|マカオ日報|zh|澳門日報}}である。公営のラジオ・テレビ兼営局としては、[[マカオラジオテレビ|澳門廣播電視]](澳廣電、Teledifusão de Macau)がある。[[テレビ]]は「澳視澳門台」(每日15時間放送)、「澳視高清台」(HDTV放送)、「澳視體育台」(スポーツ専門チャンネル)、「澳視生活台」(生活情報専門)、および[[ポルトガル語]]での放送を行う「澳視葡文台」の5チャンネルで放送されている他、[[衛星放送]]として「澳廣視衛星電視頻道-澳門」が存在する。[[ラジオ]]は、[[広東語]]とポルトガル語の2波で放送されている。この他にも、民営ラジオ局の緑邨電台(Radio Vilaverde Limitada)などが存在している。
== 観光名所 ==
{{main|{{仮リンク|マカオの観光|en|Tourism in Macau}}}}
''世界文化遺産[[マカオ歴史地区]]も参照のこと。''
[[ファイル:Ruinas de Sao Paulo.jpg|right|220px|thumb|聖ポール天主堂跡]]
[[ファイル:Macau tower by night.jpg|right|220px|thumb|[[マカオタワー]]]]
[[ファイル:The Venetian Macao Interior1.jpg|right|220px|thumb|[[ザ・ベネチアン・マカオ]]]]
* [[聖ポール天主堂跡]]
* [[マカオ博物館]]([[:en:Museum of Macau]])
* [[ペンニャ教会]]
* [[媽閣廟]]
* [[仁慈堂]]
* [[セナド広場]]
* [[モンテの砦]]([[:en:Fortaleza do Monte]])
* [[マカオ・フィッシャーマンズ・ワーフ]]
* [[タイパ大橋]]
* [[マカオタワー]]
* [[カジノ]]
* [[ドッグレース]]場(2018年閉鎖)
* [[マカオグランプリ]]
* [[石排湾郊野公園]]パンダ館
=== 宿泊施設およびカジノ ===
* [[リスボアホテル]]
* [[グランド・リスボア]]
* [[マカオ・パレス]]
* [[サンズ・マカオ]]
* [[ウィン・マカオ]]
* [[ザ・ベネチアン・マカオ]]
* [[フォーシーズンズホテル]]
* [[MGMグランド]]
* [[スター・ワールド]]
* [[ハードロック・ホテル]]
* [[マンダリン・オリエンタルホテル]]
* [[ポウサダ・デ・サンチャゴ]](カジノなし)
* [[フォーチュナホテル]]
== 姉妹都市・友好都市 ==
; マカオ全体
:* {{Flagicon|POR}} [[リスボン]]、[[ポルトガル]]
:* {{Flagicon|POR}} [[ポルト]]、[[ポルトガル]]
:* {{Flagicon|BEL}} [[ブリュッセル]]、[[ベルギー]]
:* {{Flagicon|BRA}} [[サンパウロ]]、[[ブラジル]]
:* {{Flagicon|Cape Verde}} [[プライア]]、[[カーボベルデ]]
; Concelho das Ilhas地区
:* {{Flagicon|POR}} [[コインブラ]]、[[ポルトガル]]
:* {{Flagicon|SWE}} [[リンシェーピング]]、[[スウェーデン]]
== マカオが舞台の作品 ==
{{Main|Category:マカオを舞台とした作品}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{anchors|岩井, 2012}}{{Cite journal|和書|author=岩井優典 |title=明末清初におけるオランダ東インド会社の動向 : 一六五五年の遣清使節を中心に |journal=立教史学 : 立教大学大学院文学研究科史学研究室紀要 |ISSN=2185-193X |publisher=立教大学大学院文学研究科史学研究室 |year=2012 |month=feb |issue=3 |pages=55-63 |naid=120007149088 |doi=10.14992/00021033}}
* {{Anchors|ブリュッセイ, 2019年}}{{Cite journal|和書 |author=レオナルト・ブリュッセイ |title=東アジアにおけるオランダ東インド会社の盛衰 : 1640-60年代のオランダ商館長日記に関する省察 |journal=[https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/ 東京大学史料編纂所研究紀要] |ISSN=0917-2416 |publisher=東京大学史料編纂所 |year=2019 |month=mar |issue=29 |pages=36-51 |naid=40022110710 |url=https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/kiyo/29/kiyo0029-17.pdf |format=PDF}}
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|中国|[[画像:China.svg|40px|Portal:中国]]}}
* [[歴代マカオ総督一覧]]
* [[マカオの歴史]]
* [[スタンレー・ホー]]
* [[テディ・イップ]]
* [[中華人民共和国の行政区分]]
* [[香港関係記事の一覧]] - マカオ関係記事の一覧も記載
* [[中国本土・マカオ経済連携緊密化取決め]]
* [[健康都市連合]]
* [[ロイヤル・スーパーマーケット]]
* [[世界三大夜景#世界新三大夜景]]
* [[ISO 3166-2:MO]]
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Macau|Macau}}
{{osm box|r|1867188}}
; 政府
:* [https://web.archive.org/web/20060829085928/http://www.gov.mo/egi/Portal/index.jsp マカオ政府] {{zh icon}}{{pt icon}}{{en icon}}
:
; 日本政府
:* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/macao/ 日本外務省 - マカオ] {{ja icon}}
:
; 観光
:* [https://www.macaotourism.gov.mo/ja/ マカオ政府観光局] {{ja icon}}
:* [https://www.sensemacao.jp/ マカオ政府観光局発行観光情報誌 センス・マカオ] {{ja icon}}
:* {{Wikivoyage-inline|zh:澳門|マカオ{{zh-hk icon}}}}
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:
; その他
:* {{Wikiatlas|Macau}} {{en icon}}
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[[Category:マカオ|*]]
[[Category:中華人民共和国の都市]]
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7,862 | 全射 | 数学において、写像が全射的(ぜんしゃてき、英: surjective, onto)であるとは、その終域となる集合の元はどれもその写像の像として得られることを言う。即ち、集合 X から集合 Y への写像 f について、Y の各元 y に対し f(x) = y となるような X の元 x が(一般には複数あってもよいが)対応させられるとき、写像 f は全射 (surjection, onto mapping/function) であるという。全写(あるいは全写像)とも書く。
全射(および単射、双射)の語は20世紀フランスの数学結社ブルバキ(1935年以降『数学原論』シリーズを刊行している)により導入されたものである。接頭辞 sur- はフランス語で「上の」を意味し、写像の始域が終域全体をすっぽり覆い尽くすように写し込まれるイメージを反映したものになっている。sur, in, bi, jection いずれもラテン語源である。
写像 f: A → B について、f の値域 f(A) ≔ {f(a) | a ∈ A} が終域(余域)B を含む(つまり B ⊆ f(A))ならば、写像 f: A → B は 全射 (surjection) であるという。f は余域 B への全射的 (surjective) な写像である、B の上への (onto) 写像であるなどともいう。記号で書けば、f: A → B が全射であるとは ∀b ∈ B, ∃a ∈ A, f(a) = b を満足することである。このとき、しばしば鏃が二つの矢印を使って f : A ↠ B {\displaystyle f\colon A\twoheadrightarrow B} と表す。
写像が双射(全単射)となるのは、それが単射かつ全射となることと同値である。
函数を(よくやるように)そのグラフと同一視して考えるとき、単射性とは異なり、全射性を函数のグラフのみから読み取ることはできない。全射性は函数自体の性質というよりは函数と余域との関係性と見るべきものである。
写像 g: Y → X が写像 f: X → Y の右逆写像であるとは、f(g(y)) = y(つまり g の効果が f によって打ち消される)が Y の各元 y で成り立つときに言う。言葉を変えれば、g と f とのこの順番での合成 f ∘ g が g の定義域 Y 上の恒等写像 idY となるとき、g が f の右逆であるという。逆順の g ∘ f が f の定義域 X 上の恒等写像でないかもしれないから、写像 g は必ずしも f の(完全)逆写像であるわけではない。即ち、f は g を打ち消すが、逆は必ずしも成り立たない。
右逆を持つ任意の写像は全射であるが、「任意の全射が右逆写像を持つ」という命題は選択公理に同値である。
f: X → Y が全射で B が Y の部分集合であるとき、f(f(B)) = B が成り立つ。つまり B はその原像 f(B) から回復される。
写像 f: X → Y が全射となる必要十分条件は、それが右消約的であること、即ち「与えられた写像 g1, g2: Y → Z が g1 ∘ f = g2 ∘ f を満たす限り常に g1 = g2 が言えること」である。この性質は、写像とその合成によって定式化されているから、より一般に圏における射 (morphism) とその合成についての性質に一般化できる。即ち、右消約的な射はエピ射あるいは全型射(圏論的全射)であるという。写像が(集合論的)全射 (surjection) ならば、それはちょうど集合の圏における全型射 (epimorphism) になっている。接頭辞の ἐπί はギリシャ語で「上の」を意味する言葉である。
右逆型射をもつ任意の射は全型射であるが、逆は一般には正しくない。射 f の右逆 g は f に対する切断(英語版)と呼ばれ、右逆を持つ射は分裂型全型射 (split epimorphism) であるという。
域 X および余域 Y を持つ任意の写像は(そのグラフと同一視することにより)、X と Y との間の左全域的かつ右一意な二項関係と見ることができる。従って、域 X, 余域 Y をもつ全射は、X と Y との間の左全域的、右一意かつ右全域的な二項関係ということになる。
全射の始域の濃度は、余域の濃度以上である。つまり f: X → Y が全射ならば、X は少なくとも Y の元の(濃度の意味での)個数と等しい数の元を含む。ただし、このことの証明には、Y の任意の元 y に対して f(g(y)) = y を満たす写像 g: Y → X の存在を言うために選択公理が必要になる。g が単射であることを見るのは容易であるから、定義により |Y| ≤ |X| が得られる。
特に、X と Y が同じ数の元を持つ有限集合であるときには、f: X → Y が全射であることと f が単射であることとが同値になる。
全射同士の合成は常に全射である。即ち、f および g がともに全射で、g の余域が f の定義域と等しいとき、合成写像 f ∘ g は全射になる。逆に、合成 f ∘ g が全射ならば f は全射(だが先に施すほうの g は必ずしも全射でなくてよい)。この性質は、集合の圏における全射から任意の圏における任意の全射に一般化される。
任意の写像は、全射と単射との合成の形に分解することができる。即ち、h: X → Z を任意の写像とすれば、全射 f: X → Y と単射 g: Y → Z で h = g ∘ f を満たすものが存在する。これを見るには、集合 Y は X の部分集合族 Y := { h − 1 ( z ) = { x ∈ X ∣ h ( x ) = z } ∣ z ∈ h ( X ) } {\textstyle Y:=\{h^{-1}(z)=\{x\in X\mid h(x)=z\}\mid z\in h(X)\}} として定めればよい。ここに現れた原像は互いに交わりを持たず、X の分割を与える。このとき、f として各元 x ∈ X を x を含む Y の元へ写す写像 f : x ↦ { x ′ ∈ X ∣ h ( x ′ ) = h ( x ) } {\textstyle f\colon x\mapsto \{x'\in X\mid h(x')=h(x)\}} をとり、g として Y の各元が含む X の元が h によって写されるところの Z の元へ写す写像 g : h − 1 ( z ) ↦ z {\textstyle g\colon h^{-1}(z)\mapsto z} とすれば、f は射影ゆえ全射で、g は作り方から単射となり、h = g ∘ f が成り立つ。
任意の写像はその終域を値域にまで制限することにより全射を誘導し、任意の全射は同じ決まった値に写るような定義域の元を同一視して潰すような商集合の上の全単射を誘導する。きちんと述べれば、任意の全射 f: A → B は以下に述べるように全単射と射影の合成に分解される。A/∼ を x ∼ y ⇔ f(x) = f(y) で定められる同値関係による A の同値類全体の成す集合とする。A/∼ を f による原像全体の成す集合とするといっても同じことである。写像 P~: A ↠ A/∼ を A の各元 x をその同値類 [x]~ へ写す射影とし、fP: A/∼ → B を f P ( [ x ] ∼ ) := f ( x ) {\displaystyle f_{P}([x]_{\sim }):=f(x)} で与えられるよく定義された写像とすればこれは全単射で、f = fP ∘ P~ が成り立つ。
包除原理の応用として、有限集合 X から Y への全射の数は
により与えられる。ここで m, n は有限集合 X, Y の濃度であり、S(m, n) は第二種スターリング数である。 | [
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"text": "右逆を持つ任意の写像は全射であるが、「任意の全射が右逆写像を持つ」という命題は選択公理に同値である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "f: X → Y が全射で B が Y の部分集合であるとき、f(f(B)) = B が成り立つ。つまり B はその原像 f(B) から回復される。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "写像 f: X → Y が全射となる必要十分条件は、それが右消約的であること、即ち「与えられた写像 g1, g2: Y → Z が g1 ∘ f = g2 ∘ f を満たす限り常に g1 = g2 が言えること」である。この性質は、写像とその合成によって定式化されているから、より一般に圏における射 (morphism) とその合成についての性質に一般化できる。即ち、右消約的な射はエピ射あるいは全型射(圏論的全射)であるという。写像が(集合論的)全射 (surjection) ならば、それはちょうど集合の圏における全型射 (epimorphism) になっている。接頭辞の ἐπί はギリシャ語で「上の」を意味する言葉である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "右逆型射をもつ任意の射は全型射であるが、逆は一般には正しくない。射 f の右逆 g は f に対する切断(英語版)と呼ばれ、右逆を持つ射は分裂型全型射 (split epimorphism) であるという。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "域 X および余域 Y を持つ任意の写像は(そのグラフと同一視することにより)、X と Y との間の左全域的かつ右一意な二項関係と見ることができる。従って、域 X, 余域 Y をもつ全射は、X と Y との間の左全域的、右一意かつ右全域的な二項関係ということになる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "全射の始域の濃度は、余域の濃度以上である。つまり f: X → Y が全射ならば、X は少なくとも Y の元の(濃度の意味での)個数と等しい数の元を含む。ただし、このことの証明には、Y の任意の元 y に対して f(g(y)) = y を満たす写像 g: Y → X の存在を言うために選択公理が必要になる。g が単射であることを見るのは容易であるから、定義により |Y| ≤ |X| が得られる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "特に、X と Y が同じ数の元を持つ有限集合であるときには、f: X → Y が全射であることと f が単射であることとが同値になる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "全射同士の合成は常に全射である。即ち、f および g がともに全射で、g の余域が f の定義域と等しいとき、合成写像 f ∘ g は全射になる。逆に、合成 f ∘ g が全射ならば f は全射(だが先に施すほうの g は必ずしも全射でなくてよい)。この性質は、集合の圏における全射から任意の圏における任意の全射に一般化される。",
"title": "性質"
},
{
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"tag": "p",
"text": "任意の写像は、全射と単射との合成の形に分解することができる。即ち、h: X → Z を任意の写像とすれば、全射 f: X → Y と単射 g: Y → Z で h = g ∘ f を満たすものが存在する。これを見るには、集合 Y は X の部分集合族 Y := { h − 1 ( z ) = { x ∈ X ∣ h ( x ) = z } ∣ z ∈ h ( X ) } {\\textstyle Y:=\\{h^{-1}(z)=\\{x\\in X\\mid h(x)=z\\}\\mid z\\in h(X)\\}} として定めればよい。ここに現れた原像は互いに交わりを持たず、X の分割を与える。このとき、f として各元 x ∈ X を x を含む Y の元へ写す写像 f : x ↦ { x ′ ∈ X ∣ h ( x ′ ) = h ( x ) } {\\textstyle f\\colon x\\mapsto \\{x'\\in X\\mid h(x')=h(x)\\}} をとり、g として Y の各元が含む X の元が h によって写されるところの Z の元へ写す写像 g : h − 1 ( z ) ↦ z {\\textstyle g\\colon h^{-1}(z)\\mapsto z} とすれば、f は射影ゆえ全射で、g は作り方から単射となり、h = g ∘ f が成り立つ。",
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},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "任意の写像はその終域を値域にまで制限することにより全射を誘導し、任意の全射は同じ決まった値に写るような定義域の元を同一視して潰すような商集合の上の全単射を誘導する。きちんと述べれば、任意の全射 f: A → B は以下に述べるように全単射と射影の合成に分解される。A/∼ を x ∼ y ⇔ f(x) = f(y) で定められる同値関係による A の同値類全体の成す集合とする。A/∼ を f による原像全体の成す集合とするといっても同じことである。写像 P~: A ↠ A/∼ を A の各元 x をその同値類 [x]~ へ写す射影とし、fP: A/∼ → B を f P ( [ x ] ∼ ) := f ( x ) {\\displaystyle f_{P}([x]_{\\sim }):=f(x)} で与えられるよく定義された写像とすればこれは全単射で、f = fP ∘ P~ が成り立つ。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "包除原理の応用として、有限集合 X から Y への全射の数は",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "により与えられる。ここで m, n は有限集合 X, Y の濃度であり、S(m, n) は第二種スターリング数である。",
"title": "性質"
}
] | 数学において、写像が全射的であるとは、その終域となる集合の元はどれもその写像の像として得られることを言う。即ち、集合 X から集合 Y への写像 f について、Y の各元 y に対し f(x) = y となるような X の元 x が(一般には複数あってもよいが)対応させられるとき、写像 f は全射 であるという。全写(あるいは全写像)とも書く。 全射(および単射、双射)の語は20世紀フランスの数学結社ブルバキ(1935年以降『数学原論』シリーズを刊行している)により導入されたものである。接頭辞 sur- はフランス語で「上の」を意味し、写像の始域が終域全体をすっぽり覆い尽くすように写し込まれるイメージを反映したものになっている。sur, in, bi, jection いずれもラテン語源である。 | {{参照方法|date=2021年12月}}
[[数学]]において、[[写像]]が'''全射的'''(ぜんしゃてき、{{lang-en-short|surjective, onto}})であるとは、その終域となる集合の[[元 (数学)|元]]はどれもその[[写像]]の像として得られることを言う。即ち、[[集合]] {{mvar|X}} から集合 {{mvar|Y}} への写像 {{mvar|f}} について、{{mvar|Y}} の各元 {{mvar|y}} に対し {{math|1=''f''(''x'') = ''y''}} となるような {{mvar|X}} の元 {{mvar|x}} が(一般には複数あってもよいが)対応させられるとき、写像 {{mvar|f}} は'''全射''' {{lang|en|(surjection, onto mapping/function)}} であるという。'''全写'''(あるいは全写像)とも書く。
[[Image:Codomain2.SVG|right|thumb|[[始域|域]] ''X''(赤)から[[終域|余域]] ''Y''(青+黄)への写像 ''f'' の模式図(余域 ''Y'' の内側の小さい楕円(黄)は ''f'' の[[像 (数学)|値域]])。これは一般には全射を表していない(一つも青に塗られる点がないときのみ全射)。]]
全射(および単射、双射)の語は20世紀フランスの数学結社[[ニコラ・ブルバキ|ブルバキ]](1935年以降『[[数学原論]]』シリーズを刊行している)により導入されたものである。接頭辞 {{lang|fr|sur-}} はフランス語で「上の」を意味し、写像の始域が終域全体をすっぽり覆い尽くすように写し込まれるイメージを反映したものになっている。sur, in, bi, jection いずれもラテン語源である。
== 定義 ==
写像 {{math|''f'': ''A'' → ''B''}} について、{{mvar|f}} の[[像 (数学)|値域]] {{math|''f''(''A'') {{coloneqq}} {{mset|''f''(''a'') | ''a'' ∈ ''A''}}}} が終域(余域){{mvar|B}} を含む(つまり {{math|1= ''B'' ⊆ ''f''(''A'')}})ならば、写像 {{math|''f'': ''A'' → ''B''}} は '''全射''' (''surjection'') であるという。{{mvar|f}} は余域 {{mvar|B}} への'''全射的''' (surjective) な写像である、{{mvar|B}} の'''上への''' (onto) 写像であるなどともいう{{Efn|全射の代わりに「上への」という言葉を用いる文献では、[[単射]]の代わりに「一対一」(one-to-one) という言葉が使われるが、後者は[[全単射]]を表す「一対一対応 (one-to-one correspondence)」とまぎらわしい。
容易に類推されるように「中への」(into) という言葉が'''全射でない'''写像を表すのに用いられる場合が稀にある(例えば、{{harvtxt|ケリー|1968}},{{harvtxt|彌永|小平|1961}})。体の準同型(これは常に単射)が全射(従って同型)でないとき、「中への同型」と呼ぶことはよくある。}}。記号で書けば、{{math|''f'': ''A'' → ''B''}} が全射であるとは {{math|∀''b'' ∈ ''B'', ∃''a'' ∈ ''A'', ''f''(''a'') {{=}} ''b''}} を満足することである。このとき、しばしば鏃が二つの矢印を使って <math>f\colon A \twoheadrightarrow B</math> と表す。
<gallery>
file:Surjection.svg|全射であり単射でない
file:Injection.svg|単射であり全射でない
file:Bijection.svg|全単射
file:Total function.svg|全射でも単射でもない
</gallery>
== 例 ==
* [[実数]] {{mvar|x}} に対し、その[[自乗]] {{math|''x''<sup>2</sup>}} を対応させる[[非負]]実数値写像 <math>f \colon \mathbb{R} \ni x \mapsto x^2 \in \mathbb{R}_+</math> は全射である。ただし {{math|'''R'''<sub>+</sub>}} で非負実数全体の集合を表している。実際、{{math|''x'' ≥ 0}} に対し、その非負[[平方根]] {{math|{{sqrt|''x''}}}} をとれば、{{math|1=''f''({{sqrt|''x''}}) = ''x''}} とすることができる(負の平方根 {{math|−{{sqrt|''x''}}}} をとっても構わない)。終域を変更して、単に実関数 <math>f \colon \mathbb{R} \ni x \mapsto x^2 \in \mathbb{R}</math> と考えたのでは全射にはならない。自乗して負になる実数は存在しないからである。
* 任意の集合 {{mvar|X}} において、{{mvar|X}} 上の[[恒等変換]] <math>\text{id}_X \colon X \ni x \mapsto x \in X</math> は全射(実は[[双射]])である。
* [[直積集合|デカルト積]] {{math|''A'' × ''B''}} の各成分への[[射影 (集合論)|射影]] <math>p_A \colon A \times B \ni (a,b) \mapsto a \in A,\ p_B \colon A \times B \ni (a,b) \mapsto b \in B</math>は全射である。
* 実2次[[多項式]]全体 <math>\mathbb{R}_2[x]:=\{ax^2+bx+c\ ;\ (a,b,c) \in (\mathbb{R} \setminus \{0\}) \times \mathbb{R} \times \mathbb{R}\}</math> から <math>\mathbb{R}</math> への写像 {{mvar|D}} を <math>D(ax^2+bx+c):=b^2-4ac</math> と定義すると、{{mvar|D}} は全射である(任意の <math>r \in \mathbb{R}</math> に対して、例えば <math>x^2-r/4 \mapsto r</math> である)。
* 正の整数 {{mvar|n}} に対し、<math>\det \colon M_n(\mathbb{R}) \ni A \mapsto \det A \in \mathbb{R}</math>は全射である(ここで <math>M_n(\mathbb{R})</math>は実 {{mvar|n}} 次[[正方行列]]全体であり, <math>\det A</math>は[[行列式]]を表す).実際,任意の実数 {{mvar|r}} に対して、対角行列 {{math|diag(''r'', 1, …, 1)}} の行列式は {{mvar|r}} である。
*[[指数関数]]<math>\exp \colon \mathbb{R} \ni x \mapsto e^x \in (0,\infty)</math> は全射である.実際,任意の<math>y \in (0,\infty)</math> に対して,<math>x:=\log y</math> ととれば<math>\exp(x)=e^x=y</math>である.
*[[複素数]]に対してその[[実部]],[[虚部]],[[絶対値]]を与える写像<math>\Re \colon \Complex \ni z \mapsto (z+\overline{z})/2 \in \R,\ \Im \colon \Complex \ni z \mapsto (z-\overline{z})/2i \in \R,\ |\cdot| \colon \Complex \ni z \mapsto \sqrt{\Re(z)^2+\Im(z)^2} \in \R</math>はいずれも全射である.
[[File:Surjective function.svg|500px|thumb|center|平面上に表した'''全射'''の模式図。函数 ''f'': ''X'' → ''Y''; ''y'' = ''f''(''x'')(''X'' = 函数の定義域, ''Y'' = 函数の値域)。値域の各元の上に定義域の元が規則 ''f'' に従って写される(定義域の複数の元が値域の同じ元に写ってもよい)。<div>左: ''f'' が全射になるような定義域の一つ。</div><div>右: 二つの定義域 ''X''<sub>1</sub>, ''X''<sub>2</sub> が示されているが、何れの場合も ''f'' は全射になる。</div>]]
[[File:Non-surjective function.svg|500px|thumb|center|平面上に表した'''全射でない'''場合の模式図。余域 ''Y'' の一部の元 ''y'' は適当な ''x'' ∈ ''X'' をとって ''y'' = ''f''(''x'') と書けるが、そうは書けない部分もある。<div>左: ''y''<sub>0</sub> は ''Y'' に属すが、''y''<sub>0</sub> = ''f''(''x''<sub>0</sub>) となる ''x''<sub>0</sub> ∈ ''X'' がない。</div><div>右: ''y''<sub>1</sub>, ''y''<sub>2</sub>, および ''y''<sub>3</sub> は ''Y'' の元だが、''y''<sub>1</sub> = ''f''(''x''<sub>1</sub>), ''y''<sub>2</sub> = ''f''(''x''<sub>2</sub>), および ''y''<sub>3</sub> = ''f''(''x''<sub>3</sub>) となるような ''x''<sub>1</sub>, ''x''<sub>2</sub>, および ''x''<sub>3</sub> は ''X'' の中には無い。</div>]]
{{-}}
== 性質 ==
写像が[[全単射|双射]](全単射)となるのは、それが[[単射]]かつ全射となることと同値である。
函数を(よくやるように)その[[グラフ (函数)|グラフ]]と同一視して考えるとき、単射性とは異なり、全射性を函数のグラフのみから読み取ることはできない。全射性は函数自体の性質というよりは函数と余域との関係性と見るべきものである。
=== 右可逆性 ===
写像 {{math|''g'': ''Y'' → ''X''}} が写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} の[[逆写像#右逆写像|右逆写像]]であるとは、{{math|1=''f''(''g''(''y'')) = ''y''}}(つまり {{mvar|g}} の効果が {{mvar|f}} によって打ち消される)が {{mvar|Y}} の各元 {{mvar|y}} で成り立つときに言う。言葉を変えれば、{{mvar|g}} と {{mvar|f}} とのこの順番での[[写像の合成|合成]] {{mvar|f ∘ g}} が {{mvar|g}} の定義域 {{mvar|Y}} 上の[[恒等写像]] {{math|id{{sub|''Y''}}}} となるとき、{{mvar|g}} が {{mvar|f}} の右逆であるという。逆順の {{mvar|g ∘ f}} が {{mvar|f}} の定義域 {{mvar|X}} 上の恒等写像でないかもしれないから、写像 {{mvar|g}} は必ずしも {{mvar|f}} の(完全)[[逆写像]]であるわけではない。即ち、{{mvar|f}} は {{mvar|g}} を打ち消すが、逆は必ずしも成り立たない。
右逆を持つ任意の写像は全射であるが、「任意の全射が右逆写像を持つ」という命題は[[選択公理]]に同値である。
{{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が全射で {{mvar|B}} が {{mvar|Y}} の[[部分集合]]であるとき、{{math|1=''f''(''f''<sup> −1</sup>(''B'')) = ''B''}} が成り立つ。つまり {{mvar|B}} はその[[原像]] {{math|''f''<sup> −1</sup>(''B'')}} から回復される。
=== 全型射との関係 ===
{{main|{{仮リンク|エピ射|label=全型射|en|Epimorphism|preserve=1}}}}
[[Image:Epimorphism-01.png|right|thumb|右消約性]]
写像 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が全射となる必要十分条件は、それが[[右消約的]]であること<ref>{{Cite book
|first=Robert
|last=Goldblatt
|title=Topoi, the Categorial Analysis of Logic
|url=http://historical.library.cornell.edu/cgi-bin/cul.math/docviewer?did=Gold010&id=3|accessdate=2009-11-25
|edition=Revised
|year=2006
|origyear=1984
|publisher=[[Dover Publications]]
|isbn=978-0486450261}}</ref>、即ち「与えられた写像 {{math2|''g''<sub>1</sub>, ''g''<sub>2</sub>: ''Y'' → ''Z''}} が {{math|1=''g''<sub>1</sub> ∘ ''f'' = ''g''<sub>2</sub> ∘ ''f''}} を満たす限り常に {{math|1=''g''<sub>1</sub> = ''g''<sub>2</sub>}} が言えること」である。この性質は、写像とその[[写像の合成|合成]]によって定式化されているから、より一般に圏における[[射 (圏論)|射]] (morphism) とその合成についての性質に一般化できる。即ち、右消約的な射はエピ射あるいは[[全型射]]([[全射 (圏論)|圏論的全射]])であるという。写像が(集合論的)全射 (surjection) ならば、それはちょうど[[集合の圏]]における全型射 (epimorphism) になっている。接頭辞の {{lang|el|''ἐπί''}} はギリシャ語で「上の」を意味する言葉である。
右逆型射をもつ任意の射は全型射であるが、逆は一般には正しくない。射 {{mvar|f}} の右逆 {{mvar|g}} は {{mvar|f}} に対する{{ill2|切断 (圏論)|label=切断|en|Section (category theory)}}と呼ばれ、右逆を持つ射は'''分裂型全型射''' (split epimorphism) であるという。
=== 二項関係としての全射 ===
域 {{mvar|X}} および余域 {{mvar|Y}} を持つ任意の写像は(そのグラフと同一視することにより)、{{mvar|X}} と {{mvar|Y}} との間の[[左全域関係|左全域的]]かつ[[右一意関係|右一意]]な[[二項関係]]と見ることができる。従って、域 {{mvar|X}}, 余域 {{mvar|Y}} をもつ全射は、{{mvar|X}} と {{mvar|Y}} との間の左全域的、右一意かつ[[右全域関係|右全域的]]な二項関係ということになる。
=== 全射の始域の濃度 ===
全射の始域の[[濃度 (数学)|濃度]]は、余域の濃度以上である。つまり {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が全射ならば、{{mvar|X}} は少なくとも {{mvar|Y}} の元の(濃度の意味での)個数と等しい数の元を含む。ただし、このことの証明には、{{mvar|Y}} の任意の元 {{mvar|y}} に対して {{math|1=''f''(''g''(''y'')) = ''y''}} を満たす写像 {{math|''g'': ''Y'' → ''X''}} の存在を言うために[[選択公理]]が必要になる。{{mvar|g}} が単射であることを見るのは容易であるから、[[濃度 (数学)#厳密な定義|定義]]により {{math|{{abs|''Y''}} ≤ {{abs|''X''}}}} が得られる。
特に、{{mvar|X}} と {{mvar|Y}} が同じ数の元を持つ[[有限集合]]であるときには、{{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} が全射であることと {{mvar|f}} が[[単射]]であることとが同値になる。
=== 合成と分解 ===
[[Image:Surjective_composition.svg|thumb|right|合成が全射(先に施す写像が全射でなくともよいことがわかる)]]
全射同士の[[写像の合成|合成]]は常に全射である。即ち、{{mvar|f}} および {{mvar|g}} がともに全射で、{{mvar|g}} の余域が {{mvar|f}} の定義域と等しいとき、合成写像 {{mvar|f ∘ g}} は全射になる。逆に、合成 {{mvar|f ∘ g}} が全射ならば {{mvar|f}} は全射(だが先に施すほうの {{mvar|g}} は必ずしも全射でなくてよい)。この性質は、[[集合の圏]]における全射から任意の[[圏 (数学)|圏]]における任意の[[全射 (圏論)|全射]]に一般化される。
任意の写像は、全射と[[単射]]との合成の形に分解することができる。即ち、{{math|''h'': ''X'' → ''Z''}} を任意の写像とすれば、全射 {{math|''f'': ''X'' → ''Y''}} と単射 {{math|''g'': ''Y'' → ''Z''}} で {{math|1=''h'' = ''g'' ∘ ''f''}} を満たすものが存在する。これを見るには、集合 {{mvar|Y}} は {{mvar|X}} の部分集合族 <math display="inline">Y := \{h^{-1}(z)=\{x\in X\mid h(x)=z\}\mid z\in h(X)\}</math> として定めればよい。ここに現れた原像は[[素集合|互いに交わりを持たず]]、{{mvar|X}} の[[集合の分割|分割]]を与える。このとき、{{mvar|f}} として各元 {{math|''x'' ∈ ''X''}} を {{mvar|x}} を含む {{mvar|Y}} の元へ写す写像 <math display="inline">f\colon x \mapsto \{x'\in X\mid h(x')=h(x)\}</math> をとり、{{mvar|g}} として {{mvar|Y}} の各元が含む {{mvar|X}} の元が {{mvar|h}} によって写されるところの {{mvar|Z}} の元へ写す写像 <math display="inline">g\colon h^{-1}(z) \mapsto z</math> とすれば、{{mvar|f}} は射影ゆえ全射で、{{mvar|g}} は作り方から単射となり、{{math|1=''h'' = ''g'' ∘ ''f''}} が成り立つ。
=== 誘導された全射・双射 ===
任意の写像はその終域を値域にまで制限することにより全射を誘導し、任意の全射は同じ決まった値に写るような定義域の元を同一視して潰すような[[商集合]]の上の全単射を誘導する。きちんと述べれば、任意の全射 {{math|''f'': ''A'' → ''B''}} は以下に述べるように全単射と射影の合成に分解される。{{mvar|A/∼}} を {{math|1=''x'' ∼ ''y'' ⇔ ''f''(''x'') = ''f''(''y'')}} で定められる[[同値関係]]による {{mvar|A}} の[[同値類]]全体の成す集合とする。{{mvar|A/∼}} を ''f'' による原像全体の成す集合とするといっても同じことである。写像 {{math|''P''<sub>~</sub>: ''A'' ↠ ''A''/∼}} を {{mvar|A}} の各元 {{mvar|x}} をその同値類 {{math|{{bracket|''x''}}{{sub|~}}}} へ写す射影とし、{{math|''f{{sub|P}}'': ''A''/∼ → ''B''}} を <math>f_P([x]_{\sim}) := f(x)</math> で与えられる[[well-defined|よく定義された]]写像とすればこれは全単射で、{{math|1=''f'' = ''f{{sub|P}}'' ∘ ''P''{{sub|~}}}} が成り立つ。
=== 数え上げ ===
[[包除原理]]の応用として、有限集合 {{mvar|X}} から {{mvar|Y}} への全射の数は
:<math> n!S(m, n) = \sum_{k = 0}^n (-1)^k \binom{n}{k} (n - k)^m </math>
により与えられる<ref>{{cite book
|last1 = Cioabă
|first1 = S. M.
|last2 = Murty
|first2 = M. R.
|title = A First Course in Graph Theory and Combinatorics
|year = 2009
|publisher = Hindustan Book Agency
|url = {{google books|sfJdDwAAQBAJ|plainurl=yes}}
|isbn = 978-81-85931-98-2
|chapter = 3.3. Counting Surjective Maps<!-- Theorems 3.3.1 and 3.5.1 -->
|chapterurl = {{google books|sfJdDwAAQBAJ|plainurl=yes|page=25}}
}}</ref>。ここで {{mvar|m}}, {{mvar|n}} は有限集合 {{mvar|X}}, {{mvar|Y}} の濃度であり、{{math|''S''(''m'', ''n'')}} は[[第二種スターリング数]]である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献==
* {{cite book|和書|author=松坂和夫|title=集合・位相入門|publisher=岩波書店|year=1968|isbn=978-4000054249}}
* {{cite book|和書|author=ジョン.L.ケリ-|translator=児玉之宏|title=位相空間論|publisher=吉岡書店|year=1968}}
* {{citation|和書|first1=昌吉|last1=彌永|authorlink1=彌永昌吉|first2=邦彦|last2=小平|authorlink2=小平邦彦|title=現代数学概説|volume=1|publisher=岩波書店|year=1961}}
* {{Cite book
|title=Theory of Sets
|last=Bourbaki
|first=Nicolas
|authorlink=ニコラ・ブルバキ
|year=2004
|origyear=1968
|publisher=Springer
|isbn=978-3540225256
|ref=bourbaki}}
== 関連項目 ==
* [[単射]]
* [[全単射]]
* [[同値関係]]
* [[中への写像]]
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=Surjection|title=Surjection}}
* {{PlanetMath|urlname=Surjective|title=surjective}}
{{DEFAULTSORT:せんしや}}
[[Category:関数の種類]]
[[Category:集合の基本概念]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2022-11-11T10:00:45Z | false | false | false | [
"Template:Main",
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"Template:PlanetMath",
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"Template:Math",
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"Template:MathWorld",
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"Template:参照方法",
"Template:Efn",
"Template:Math2",
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"Template:Mvar",
"Template:Lang"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%B0%84 |
7,864 | 単射 | 数学において、単射あるいは単写(たんしゃ、英: injective function, injection)とは、その値域に属する元はすべてその定義域の元の像として唯一通りに表されるような写像のことをいう。
集合 A を定義域、集合 B を値域とする写像 f: A → B が条件
を満たすとき、 f を単射 (injection) とよぶ。あるいは f は(写像として)単射である (injective) という。対偶をとれば、f が単射である条件は
とも表せる。与えられた写像が単射であることを示したり,単射かどうかを議論するときは後者の表現の方が使いやすい.
前者の表現は「違うものは違うところへ写る」,後者の表現は「同じところにくるものは最初から同じ」を意味しており,言っていることはどちらも同じである。
正の実数 x に対して、その自乗 x を対応させる写像 f: R+ → R は単射である。ただし、正の実数全体のなす集合を R+ と表した。実際、x, y > 0 で x = y ならば、x = y となる。
ところがひとたびこれの定義域を実数の全体 R に拡張すると、これは単射でなくなる。実際、x, y ∈ R で x = y ならば、y = ±x となるから、像 x はちょうど二つの元 ±x の像となっている(ただし 0 は 0 だけの像である)。
集合 A とその部分集合 B が与えられるとき、B の元 b (これはもちろん A の元でもあるので)を A の元としての b 自身に対応させることで、B を A に包含させる写像、包含写像(ほうがんしゃぞう、inclusion)
が定まる。これは単射を与え、標準単射あるいは自然な単射 (canonical injection) とも呼ばれる。
集合 X からその冪集合 P ( X ) {\displaystyle {\mathcal {P}}(X)} への写像を x ↦ { x } {\displaystyle x\mapsto \{x\}} と定義すると,この写像は単射となる.この写像は任意の集合の濃度はその冪集合の濃度を超えないことを証明するときに現れる.
代数系つまり代数的構造をもつ二つの集合 A, B の間の準同型 f の像 f(A) は B の部分系となる。もし、f: A → B が単射ならば、終域の制限によって得られる写像 f: A → f(A) は全単射となるから、その逆写像が定まる。これがやはり準同型であるなら、これは A が B の部分系と同型となることを意味する。この同型を同一視することによって A がもともと B の部分系であるかのように扱うとき、埋め込み (embedding) と呼ぶ。群・環などの準同型は全単射ならば同型であるから、単射準同型を与えることと埋め込みを考えることとは等価である。もっと一般の数学的構造とそれらの間の準同型・射を考えるときには逆写像の準同型性を気にする必要がある。例えば位相空間の間の全単射連続写像は同相写像とは限らない(逆写像が連続とは限らない)。
A から B への埋め込みは一般には一つに定まるとは限らない。例えば、A がはじめから B の部分系であるとき、包含写像はひとつの埋め込みを与えるが、それ以外の写像によって A が B に埋め込まれることもある。
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"text": "数学において、単射あるいは単写(たんしゃ、英: injective function, injection)とは、その値域に属する元はすべてその定義域の元の像として唯一通りに表されるような写像のことをいう。",
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] | 数学において、単射あるいは単写とは、その値域に属する元はすべてその定義域の元の像として唯一通りに表されるような写像のことをいう。 | {{出典の明記|date=2015年9月}}
[[数学]]において、'''単射'''あるいは'''単写'''(たんしゃ、{{lang-en-short|injective function, injection}})とは、その値域に属する[[元 (数学)|元]]はすべてその[[定義域]]の元の像として唯一通りに表されるような[[写像]]のことをいう。
[[Image:Gen injection not surjection.svg|thumb|単射であり全射でない写像 ''f'': ''A'' → ''B'' の例。]]
[[Image:Gen bijection.svg|thumb|全単射 ''f'': ''A'' → ''B'' の例。]]
== 定義 ==
集合 ''A'' を定義域、集合 ''B'' を値域とする[[写像]] ''f'': ''A'' → ''B'' が条件
:<math>(\forall a_1, a_2 \in A)\;\big[a_1 \neq a_2 \implies f(a_1) \neq f(a_2)\big]</math>
を満たすとき、 ''f'' を'''単射''' ({{en|injection}}) とよぶ{{sfn|Bourbaki|2004|loc={{google books quote|id=7eclBQAAQBAJ|page=84|Definition 10}}}}。あるいは ''f'' は(写像として)'''単射である''' ({{en|injective}}) という。[[対偶 (論理学)|対偶]]をとれば、''f'' が単射である条件は
:<math>(\forall a_1, a_2 \in A)\;\big[f(a_1)=f(a_2) \implies a_1=a_2\big]</math>
とも表せる。与えられた写像が単射であることを示したり,単射かどうかを議論するときは後者の表現の方が使いやすい.
前者の表現は「違うものは違うところへ写る」,後者の表現は「同じところにくるものは最初から同じ」を意味しており,言っていることはどちらも同じである。
[[Image:Gen surjection not injection.svg|thumb|全射であり単射でない写像 ''f'': ''A'' → ''B'' の例。]]
== 例 ==
正の[[実数]] ''x'' に対して、その[[冪乗|自乗]] ''x''<sup>2</sup> を対応させる写像 ''f'': '''R'''<sub>+</sub> → '''R''' は単射である。ただし、正の実数全体のなす集合を '''R'''<sub>+</sub> と表した。実際、''x'', ''y'' > 0 で ''x''<sup>2</sup> = ''y''<sup>2</sup> ならば、''x'' = ''y'' となる。
[[Image:Gen not surjection not injection.svg|thumb|全射でも単射でもない写像 ''f'': ''A'' → ''B'' の例。]]
ところがひとたびこれの定義域を実数の全体 '''R''' に拡張すると、これは単射でなくなる。実際、''x'', ''y'' ∈ '''R''' で ''x''<sup>2</sup> = ''y''<sup>2</sup> ならば、''y'' = ±''x'' となるから、像 ''x''<sup>2</sup> はちょうど二つの元 ±''x'' の像となっている(ただし 0 は 0 だけの像である)。
集合 ''A'' とその[[部分集合]] ''B'' が与えられるとき、''B'' の元 ''b'' (これはもちろん ''A'' の元でもあるので)を ''A'' の元としての ''b'' 自身に対応させることで、''B'' を ''A'' に包含させる写像、'''包含写像'''(ほうがんしゃぞう、<span lang=en>inclusion</span>)
:<math>B \hookrightarrow A;\ b \mapsto b</math>
が定まる。これは単射を与え、'''標準単射'''あるいは'''自然な単射''' <span lang=en>(canonical injection)</span> とも呼ばれる{{sfn|Bourbaki|2004|loc={{google books quote|id=7eclBQAAQBAJ|page=84|Examples (1)}}}}。
集合 ''X'' からその[[冪集合]] <math>\mathcal{P}(X)</math> への写像を <math>x \mapsto \{x\}</math> と定義すると,この写像は単射となる.この写像は任意の集合の濃度はその冪集合の濃度を超えないことを証明するときに現れる.
== 埋め込み ==
代数系つまり[[代数的構造]]をもつ二つの集合 ''A'', ''B'' の間の[[準同型]] ''f'' の像 ''f''(''A'') は ''B'' の部分系となる。もし、''f'': ''A'' → ''B'' が単射ならば、終域の制限によって得られる写像 ''f'': ''A'' → ''f''(''A'') は全単射となるから、その逆写像が定まる。これがやはり準同型であるなら、これは ''A'' が ''B'' の部分系と同型となることを意味する。この同型を同一視することによって ''A'' がもともと ''B'' の部分系であるかのように扱うとき、'''[[埋め込み (数学)|埋め込み]]''' (<span lang=en>embedding</span>) と呼ぶ。[[群 (数学)|群]]・[[環 (数学)|環]]などの準同型は全単射ならば同型であるから、単射準同型を与えることと埋め込みを考えることとは等価である。もっと一般の[[数学的構造]]とそれらの間の準同型・[[射 (圏論)|射]]を考えるときには逆写像の準同型性を気にする必要がある。例えば位相空間の間の全単射連続写像は同相写像とは限らない(逆写像が連続とは限らない)。
''A'' から ''B'' への埋め込みは一般には一つに定まるとは限らない。例えば、''A'' がはじめから ''B'' の部分系であるとき、包含写像はひとつの埋め込みを与えるが、それ以外の写像によって ''A'' が ''B'' に埋め込まれることもある。
== 性質 ==
{{Anchors|fig}}
[[image:Injective composition.svg|thumb|合成写像が単射ならば、先の写像は単射であるが、後の写像は単射とは限らない。]]
* 単射の制限は単射である。単射の拡張は単射であるとは限らない。
* 二つの単射の[[写像の合成|合成]]は単射である<ref name="thm">{{harvnb|Bourbaki|2004|loc={{google books quote|id=7eclBQAAQBAJ|page=87|Theorem 1}}}}</ref><!-- (a) -->。
* 二つの写像の合成 <math>f \circ g</math> が単射であれば、''g'' は単射である([[#fig|右図]]参照)<ref name="thm" /><!-- (c) -->。
* 写像 ''f'' : ''A'' → ''B'' に対し <math> r \circ f = \operatorname{id}_A </math> を満たす写像 ''r'' : ''B'' → ''A'' (引き込み、レトラクション)が存在するならば ''f'' は単射である{{sfn|Bourbaki|2004|loc={{google books quote|id=7eclBQAAQBAJ|page=86|Proposition 8}}}}。
*写像 ''f'' が単射であることは次の[[普遍性]]
:: <math>f \circ g = f \circ h</math> を満たす任意の射 ''g'', ''h'': ''Z'' → ''X'' に対し、''g'' = ''h'' である
:によって特徴付けられる。[[圏論]]においてはこの普遍性によって[[モニック射|単射]] <span lang=en>(monomorphism)</span> を定義する。
*''X'', ''Y'' を集合、''f'': ''X'' → ''Y'' を写像とするとき、次は同値である:
::(1) <math>f</math> は単射である。
::(2) ''X'' の任意の部分集合 ''A'' に対し、<math>f^{-1}[f[A]]=A</math> が成り立つ。
::ここで <math>f[\bullet],\ f^{-1}[\bullet]</math> はそれぞれ[[像 (数学)|像]], [[逆像]]である.
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{cite book
|last1 = Bourbaki
|first1 = N
|authorlink1 = ニコラ・ブルバキ
|year = 2004
|origyear = 1968
|title = Theory of Sets
|series = [[数学原論|Elements of mathematics]]
|url = {{google books|7eclBQAAQBAJ|plainurl=yes}}
|publisher = Springer
|isbn = 978-3-540-22525-6
|mr = 2102219
|zbl = 1061.03001
|ref = harv
}}
== 関連項目 ==
* [[写像]]
* [[関数 (数学)]]
* [[全射]]
* [[全単射]]
{{DEFAULTSORT:たんしや}}
[[Category:集合論]]
[[Category:関数の種類]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-07-19T09:51:09Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Harvnb",
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"Template:En",
"Template:Sfn",
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"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%98%E5%B0%84 |
7,865 | 境界条件 | 境界条件(きょうかいじょうけん、英: boundary condition)とは、境界値問題に課される拘束条件のこと。特に数学・物理学の用語としてよく用いられる。
境界条件は、境界値問題において興味のある解の探索領域とそれ以外の領域とを分けるために設定される。境界上では、境界内部で成り立つ方程式だけでは解の形を決定することができないので、補助的な条件を設定することで解を定める必要がある。この境界条件は多くの場合、対象とする境界値問題より一般的に成り立つであろう解の性質によって決定される。それは例えば境界上での解の値であったり、解の連続性や滑らかさであったりする。
時間的な境界条件の一つとして初期条件がある。時間発展を記述する方程式について、初期条件は応用上特別な意味を持つため、一般の境界条件とは分けて言及されることが多い。 | [
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"text": "境界条件は、境界値問題において興味のある解の探索領域とそれ以外の領域とを分けるために設定される。境界上では、境界内部で成り立つ方程式だけでは解の形を決定することができないので、補助的な条件を設定することで解を定める必要がある。この境界条件は多くの場合、対象とする境界値問題より一般的に成り立つであろう解の性質によって決定される。それは例えば境界上での解の値であったり、解の連続性や滑らかさであったりする。",
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'''境界条件'''(きょうかいじょうけん、{{lang-en-short|boundary condition}})とは、[[境界値問題]]に課される拘束条件のこと。特に[[数学]]・[[物理学]]の用語としてよく用いられる。
境界条件は、境界値問題において興味のある解の探索領域とそれ以外の領域とを分けるために設定される。境界上では、境界内部で成り立つ[[方程式]]だけでは解の形を決定することができないので、補助的な条件を設定することで解を定める必要がある。この境界条件は多くの場合、対象とする境界値問題より一般的に成り立つであろう解の性質によって決定される。それは例えば境界上での解の値であったり、解の[[連続関数|連続性]]や[[滑らかな関数|滑らかさ]]であったりする。
時間的な境界条件の一つとして[[初期条件]]がある。時間発展を記述する方程式について、初期条件は応用上特別な意味を持つため、一般の境界条件とは分けて言及されることが多い。
== 代表例 ==
* [[ディリクレ境界条件]]
* [[ノイマン境界条件]]
* [[コーシー境界条件]]
* [[周期的境界条件]]
* [[ロビン境界条件]]
* [[ハートル=ホーキングの境界条件]]
==関連記事==
*[[数学]]
*[[物理学]]
*[[数値解析]]
*[[微分方程式]]
*[[マイケル・ポランニー]]
*[[階層構造]]
*[[Off-by-oneエラー]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{境界条件}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:きようかいしようけん}}
[[Category:微分方程式]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:境界条件|*]] | null | 2021-06-13T11:37:03Z | false | false | false | [
"Template:境界条件",
"Template:Normdaten",
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"Template:Kotobank"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E6%9D%A1%E4%BB%B6 |
7,867 | 境界 | 境界(きょうかい、きょうがい、けいかい)とは、事物や領域などを分ける境目のこと。分野や用法により様々な用例がある。
インタフェースと呼ぶ。ハードウェアインタフェース(ハードウェア同士の接続境界、接続機器の形状・仕様)、ソフトウェアインタフェース(ソフトウェア同士の境界)、ユーザインタフェース(計算機と人の境界、ウェブユーザインタフェース、グラフィカルユーザインタフェース、を含む)などがある。
国と国の境界を国境(こっきょう、くにざかい)という。また、国土と国土の間の地理的な境界だけでなく、さまざまな行為について国家主権の適用される範囲の境界も国境と呼称されることがある。
このほか、行政単位の単位名称に応じて、県境(けんきょう、けんざかい)・州境(しゅうきょう、しゅうざかい)などの呼称がなされている。
個人の境界線、境界性パーソナリティ障害、境界例などの用例がある。
仏教用語としては、以下の用例がある。
土地の地番を区切る公法上の線のこと。「経界」「筆界」とも呼ばれ、以下の用例や関連する内容がある。 | [
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"text": "境界(きょうかい、きょうがい、けいかい)とは、事物や領域などを分ける境目のこと。分野や用法により様々な用例がある。",
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"text": "インタフェースと呼ぶ。ハードウェアインタフェース(ハードウェア同士の接続境界、接続機器の形状・仕様)、ソフトウェアインタフェース(ソフトウェア同士の境界)、ユーザインタフェース(計算機と人の境界、ウェブユーザインタフェース、グラフィカルユーザインタフェース、を含む)などがある。",
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"text": "国と国の境界を国境(こっきょう、くにざかい)という。また、国土と国土の間の地理的な境界だけでなく、さまざまな行為について国家主権の適用される範囲の境界も国境と呼称されることがある。",
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"text": "このほか、行政単位の単位名称に応じて、県境(けんきょう、けんざかい)・州境(しゅうきょう、しゅうざかい)などの呼称がなされている。",
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}
] | 境界(きょうかい、きょうがい、けいかい)とは、事物や領域などを分ける境目のこと。分野や用法により様々な用例がある。 | [[ファイル:Historic marker, Blue Water Bridge.jpg|サムネイル|アメリカとカナダの境界(国境)]]
'''境界'''(きょうかい、きょうがい、けいかい)とは、事物や領域などを分ける境目のこと。分野や用法により様々な用例がある。
== きょうかい ==
{{See also|しきい値}}
=== 数学 ===
* 位相空間における境界については[[境界 (位相空間論)]]を参照。
* [[多様体]]の「ふち」としての境界は[[境界付き多様体]]を参照。
* 微分方程式の分野には[[境界値問題]]と呼ばれるものがあり、境界で[[境界条件]]が課される。
=== 計算機 ===
[[インタフェース]]と呼ぶ。[[ハードウェアインタフェース]](ハードウェア同士の接続境界、接続機器の形状・仕様)、[[ソフトウェアインタフェース]](ソフトウェア同士の境界)、[[ユーザインタフェース]](計算機と人の境界、[[ウェブユーザインタフェース]]、[[グラフィカルユーザインタフェース]]、を含む)などがある。
=== 物理 ===
* 異なる物質が接する境界は[[表面]]や[[界面]]と呼ばれ、[[表面科学]]や[[界面化学]]で扱われる。
* 流体力学においては、固体表面の近傍には[[境界層]]と呼ばれる領域ができる。
=== 地理 ===
[[国]]と国の境界を[[国境]](こっきょう、くにざかい)という。また、[[国土]]と国土の間の地理的な境界だけでなく、さまざまな行為について国家[[主権]]の適用される範囲の境界も国境と呼称されることがある。
このほか、行政単位の単位名称に応じて、[[県境]](けんきょう、けんざかい)・[[州境]](しゅうきょう、しゅうざかい)などの呼称がなされている。
=== 医学 ===
{{節スタブ}}
[[個人の境界線]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[境界例]]などの用例がある。
== きょうがい ==
=== 仏教 ===
仏教用語としては、以下の用例がある。
* 果報として各自が受ける境遇。
* [[六境]]。認知作用・思考作用を起す「眼・耳・鼻・舌・身・意」の[[六根]]の対象。六塵とも呼ぶ。
== けいかい ==
=== 法律 ===
土地の[[地番]]を区切る[[公法]]上の線のこと。「経界」「[[筆界]]」とも呼ばれ、以下の用例や関連する内容がある。
* [[境界損壊罪]]
* [[境界確定の訴え]]
* [[筆界特定制度]]
* [[相隣関係]]
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}
* [[境]]
* [[結界]]
* [[境界駅]]
==外部リンク==
*{{SEP|boundary|Boundary}}
{{dab}}
{{DEFAULTSORT:きようかい}}
[[Category:数学の曖昧さ回避]]
[[Category:政治地理学]]
[[Category:仏教用語]]
[[Category:土地]]
[[Category:日本の私法]] | null | 2023-06-27T13:05:44Z | false | false | false | [
"Template:Dab",
"Template:See also",
"Template:節スタブ",
"Template:Wiktionary",
"Template:SEP"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C |
7,868 | 全単射 | 数学において、全単射(ぜんたんしゃ)あるいは双射(そうしゃ)(bijective function, bijection) とは、写像であって、その写像の終域となる集合の任意の元に対し、その元を写像の像とする元が、写像の定義域となる集合に常にただ一つだけ存在するようなもの、すなわち単射かつ全射であるような写像のことを言う。例としては、群論で扱われる置換が挙げられる。
全単射であることを1対1上への写像[上への1対1写像] (one-to-one onto mapping)あるいは1対1対応 (one-to-one correspondence) ともいうが、紛らわしいのでここでは使用しない。
写像 f が全単射のとき、f は可逆であるともいう。
写像 f: A → B に対し、2つの条件
がともに成り立つとき、写像 f は全単射 (bijective) であるという。この用語はブルバキによる。
f: A → B が全単射であることは、
が成り立つことと等価である。実際、全射と単射の定義を合わせれば、全射の定義における存在記号 ∃ {\displaystyle \exists } を唯一存在記号 ∃ ! {\displaystyle \exists \ !} に置き換えればよいことがすぐに分かる。 | [
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"text": "数学において、全単射(ぜんたんしゃ)あるいは双射(そうしゃ)(bijective function, bijection) とは、写像であって、その写像の終域となる集合の任意の元に対し、その元を写像の像とする元が、写像の定義域となる集合に常にただ一つだけ存在するようなもの、すなわち単射かつ全射であるような写像のことを言う。例としては、群論で扱われる置換が挙げられる。",
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{
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"text": "全単射であることを1対1上への写像[上への1対1写像] (one-to-one onto mapping)あるいは1対1対応 (one-to-one correspondence) ともいうが、紛らわしいのでここでは使用しない。",
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"text": "写像 f が全単射のとき、f は可逆であるともいう。",
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"text": "がともに成り立つとき、写像 f は全単射 (bijective) であるという。この用語はブルバキによる。",
"title": "定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "f: A → B が全単射であることは、",
"title": "定義"
},
{
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"text": "が成り立つことと等価である。実際、全射と単射の定義を合わせれば、全射の定義における存在記号 ∃ {\\displaystyle \\exists } を唯一存在記号 ∃ ! {\\displaystyle \\exists \\ !} に置き換えればよいことがすぐに分かる。",
"title": "定義"
}
] | 数学において、全単射(ぜんたんしゃ)あるいは双射(そうしゃ)(bijective function, bijection) とは、写像であって、その写像の終域となる集合の任意の元に対し、その元を写像の像とする元が、写像の定義域となる集合に常にただ一つだけ存在するようなもの、すなわち単射かつ全射であるような写像のことを言う。例としては、群論で扱われる置換が挙げられる。 全単射であることを1対1上への写像[上への1対1写像]あるいは1対1対応 ともいうが、紛らわしいのでここでは使用しない。 写像 f が全単射のとき、f は可逆であるともいう。 | {{出典の明記|date=2016年1月}}
[[数学]]において、'''全単射'''(ぜんたんしゃ)あるいは'''双射'''(そうしゃ)(bijective function, bijection) とは、[[写像]]であって、その写像の終域となる集合の任意の[[元 (数学)|元]]に対し、その元を写像の像とする元が、写像の定義域となる集合に常にただ一つだけ存在するようなもの、すなわち[[単射]]かつ[[全射]]であるような写像のことを言う。例としては、[[群論]]で扱われる[[置換 (数学)|置換]]が挙げられる。
全単射であることを'''1対1上への写像[上への1対1写像]''' (one-to-one onto mapping)あるいは'''1対1対応''' (one-to-one correspondence) ともいうが、紛らわしいのでここでは使用しない。
写像 ''f'' が全単射のとき、''f'' は'''可逆'''であるともいう。
==定義==
[[写像]] ''f'': ''A'' → ''B'' に対し、2つの条件
#全射性: ''f''(''A'') = ''B''
#単射性: 任意の ''A'' の元 ''a''{{sub|1}}, ''a''{{sub|2}} について、''f''(''a''{{sub|1}}) = ''f''(''a''{{sub|2}}) ならば ''a''{{sub|1}} = ''a''{{sub|2}}
がともに成り立つとき、写像 ''f'' は'''全単射''' (bijective) であるという。この用語は[[ブルバキ]]による。
''f'': ''A'' → ''B'' が全単射であることは、
:<math>\forall\ b \in B,\,\exists\ !\ a \in A \text{ s.t. } b=f(a)</math>
が成り立つことと等価である。実際、全射と単射の定義を合わせれば、全射の定義における[[存在記号]] <math>\exists</math> を唯一存在記号 <math>\exists\ !</math> に置き換えればよいことがすぐに分かる。
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
|[[画像:Total function.svg]]<br>全射でも単射でもない
|[[画像:Injection.svg]]<br>単射であり全射でない
|-
|[[画像:Surjection.svg]]<br>全射であり単射でない
|[[画像:Bijection.svg]]<br>全単射
|}
==例==
* ''f'': '''R''' → (0, ∞); ''f''(''x'') := ''e''<sup>''x''</sup> は全単射である。
*''f'': (0, ∞) → '''R'''; ''f''(''x'') := log ''x'' は全単射である。
*''f'': (−{{pi}}/2, {{pi}}/2) → '''R'''; ''f''(''x'') := tan ''x'' は全単射である。
===存在の例===
* 冪集合 <math>\mathcal{P}(\mathbb{N})</math> から '''R''' への全単射が存在する.
* '''N''', '''Z''', '''Q''', '''P''' の間の全単射が存在する.ここで '''P''' は素数の全体である.
* '''R''', '''C''' の間の全単射が存在する.また,''a'' < ''b'' に対する閉区間 [''a'', ''b''], 半開区間 (''a'', ''b''], [''a'', ''b)'', 開区間 (''a'', ''b)'' や無限区間と '''R''' の間の全単射が存在する.
==性質==
*全単射は[[逆写像]]を持つ。実際、''f'': ''A'' → ''B'' が全単射であれば、''B'' の任意の元 ''b'' に対し、''f'' の全射性から ''f''(''a'') = ''b'' となる ''a'' が存在するが、''f'' の単射性からこのような ''a'' は ''b'' に対してただ一つしかないので、写像 ''g'': ''B'' → ''A''; ''f''(''a'') {{mapsto}} ''a'' が作れる。逆に、逆写像を持つ写像は全単射に限るので、写像が全単射であることと逆写像を持つことは同値である。言い換えると、''f'': ''A'' → ''B'' が全単射であることと、''g'': ''B'' → A が存在して <math>g\circ f=\mathrm{id}_A</math> かつ <math>f\circ g=\mathrm{id}_B</math> となることは同値である。
*2つの写像 ''f'': ''A'' → ''B'', ''g'': ''B'' → ''C'' の[[合成写像]] <math>g \circ f \colon A \to C </math> が全単射ならば ''f'' は[[単射]]で、''g'' は[[全射]]である。
*2つの全単射が合成できるならば、その合成写像も全単射である。
**集合 ''X'' 上の全単射全体の成す集合を ''S{{sub|X}}'' とすると、''S{{sub|X}}'' は写像の合成に関して[[群論|群]]を成す。これを ''X'' 上の置換群あるいは[[対称群]]と呼ぶ。
*集合全体のつくるクラス(類)において、「2つの集合の間に全単射が存在する」 という関係は[[同値関係]]を定める。この同値関係により集合全体の成すクラスを類別して[[濃度 (数学)|濃度]]の概念が定義される。すなわち、集合間で全単射が定義可能な場合、それらの集合は[[基数]]が等しい。
*''X'', ''Y'' が同数の元を持つ有限集合の場合、写像 ''f'': ''X'' → ''Y'' について、以下は同値である:
#''f'' は全単射である。
#''f'' は[[全射]]である。
#''f'' は[[単射]]である。
==関連項目==
* [[全射]]
* [[単射]]
* [[関数 (数学)]]
* [[MECE]]
{{集合論}}
{{DEFAULTSORT:せんたんしや}}
[[Category:関数の種類]]
[[Category:集合論]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2022-11-10T08:10:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%8D%98%E5%B0%84 |
7,873 | FOMA | FOMA(フォーマ)は、NTTドコモのIMT-2000 (W-CDMA) サービス。英語: Freedom Of Mobile multimedia Access(マルチメディアへの移動体のアクセスの自由)の略。第3世代移動通信システム(3G)である。2026年3月31日にサービス終了が予定されており、新規で契約することはできない。
NTTドコモは、旧社名であった「NTT移動通信網」時代の1994年頃から、IS-95(cdmaOne)とは異なる方式として、大容量通信が可能な次世代携帯電話の技術研究開発に着手する。
1995年12月には、当時の郵政省から無線局免許状を得て、千葉県船橋市でW-CDMA技術を用いた2Mbpsでの伝送に成功した。1996年からは、IMT-2000X(2GHz周波数帯を利用し、2001年頃のサービスインを目標とした新移動通信規格の意)策定と実用化に向けての開発が、エリクソン・松下通信工業(現:パナソニック モバイルコミュニケーションズ)・富士通・NEC・三菱電機・東芝など複数の移動体設備機器関連メーカーや郵政省等公的機関と共同で進められ、1998年には大容量通信を活かしたテレビ電話機能などを搭載したモックアップ機がビジネスショーなどに登場した。
しかし、モノクロ液晶のmova(501iシリーズ)でiモードサービスが開始された時期に、高速通信や動画再生などの演算処理が行える高度な半導体が求められ、生産技術が未だ追いつかない状況だった。それでも1999年から既存のmovaによるiモードの成功や携帯電話端末の価格低下に伴う購入容易化から爆発的に回線数が増加し周波数帯が逼迫してきた状況から、「IMT-2000」計画による、2001年の実用化が求められた。
韓国勢など世界各国の関係企業・団体で構成された3GPPでのW-CDMA仕様決定前に、ドコモが自社と日欧パートナー企業で開発を推したDS-CDMA(IMT-DS)形式で次世代移動通信サービスの開始へ準備を進めた。3GPPが遅れて策定した、後に「UMTS」や「3G」の名称で世界的に普及するRelease99形式と互換性がなかった。結局J-フォン(VGS)をはじめとして、その後にW-CDMA(UMTS)を採用したキャリアは、さらに新しいRelease4(別称:Release2000)を使用していたため、PDC方式に続き、世界で孤立した。
2000年11月にはこの次世代移動体通信サービスの名称を「FOMA」に決定し、2001年5月よりおおむね国道16号線内側の東京都内・横浜市・川崎市をサービスエリアとして商用実用化することを発表した。しかし、サービススタートを急いだ余り、サービスエリアや携帯電話端末・交換機といった設備を検証する必要性から、2001年4月にドコモ(中央)インターネット公式サイトを中心に、サービスエリア内で端末を使える個人・法人モニターを4500人募集し、5月1日よりモニター試験の形でサービス運用を開始した。モニター端末は10月のサービス開始時に市販化されるN2001かP2101V、データ通信カード型のF2401が貸与された。そして同年10月1日に世界で初めて第3世代携帯電話の正式サービスを開始した。
宇多田ヒカルの新曲「traveling」を起用した宣伝活動を9月末より大々的に展開し、サービスが開始されたが、当初発売されたFOMA音声端末のN2001とP2101Vは、503iと同程度の機能+高速データ通信(P2101Vは内蔵カメラによる写真メールやテレビ電話)といった程度にもかかわらず、同時期に発売された503isシリーズと比べて厚みと重みがあり、一回り以上大きいサイズである上、連続待ち受け時間が公称55時間(新幹線などで遠距離を高速移動をするとハンドオーバの位置情報通知により2時間程度で消耗する)と極端に短かった。このため初期のシリーズは電池パックが2個付属していた。
サービスエリアについては、2GHzの周波数帯を使用するW-CDMA(DS-CDMA)の通信方式が未熟で、端末が前世代のmovaとのデュアル方式でなかったために、1995年に登場した初期のPHS並に「つながらない・圏外になる・切れる」などの不満が頻発した時期もあった。周波数の特性上、サービスエリア内でもアンテナが設置されていない地下街やトンネル・ビルの高層階などではほとんど圏外であった。このFOMA開始時の反省から後継サービスのXiの端末は、前世代のFOMAとのデュアル方式となりエリア問題に対処した(Xiエリア外ではデータ通信速度は低下するものの音声通話はほぼ全国で可能とした)。
コンテンツ関連ではmovaのiモードメニューと互換性が無く、40 - 60%程度のメニューサイトが未対応であった。これらの要素から一般市場に受け入れられなかったとされる。しかし、2001年11月にはサービスインから出遅れた形ではあるもののiモーションがスタートし、2004年に第2世代携帯電話からの乗換を狙って積極的に展開する900iシリーズが登場するまでは、FOMAは最先端の携帯電話であることを感じさせる製品群が揃っていた。
2002年3月から着々とサービスエリアの拡大を続け、2004年2月にmovaよりソフト面で高性能となった900iシリーズが登場。2005年の901i/700iシリーズからはmovaと類似した型番ルールになり、movaからFOMAへの移行も進み始めた。
2004年に登場したiモードFelica(おサイフケータイ)のサービス開始当初は、P506iC、SH506iC、SO506iCがリリースされ、F900iC等と並行して展開された。901iシリーズではSH901iC、N901iC、F901iC、P901iTVのみであったが、901iS以降の機種では標準装備されるようになる。また7xxiシリーズにも装備されるようになり、iモードFelicaの対象機種台数増加に拍車をかけた。
W-CDMA方式の特徴である海外ローミングへの対応は、FOMAのDS-CDMA形式から世界規格となっていたUMTS(Release99準拠)へアップデートを行わなければいけない問題があったが、2004年度に行われた大規模なFOMA基地局の改修工事によって急速にそれらが行われ、2005年6月にGSMやW-CDMAの国際的な相互接続認証団体のGlobal Certification Forum(GCF)の認定業者となることができた。これにより、ドコモの契約で海外渡航先でローミング利用が可能なWORLD WINGサービスが大幅に拡充した。なお、Release99という規格自体は、その後のRelease4などのバージョンとも互換性が取れるものであり、これによりローミングの受け入れ体制に関する問題は解決された。
2006年6月18日には契約数比率が50%を超え、2009年5月末時点では90%を超えている。2009年6月11日には契約数が5,000万件に達し 、NTTドコモの主流サービスとなった。movaは契約者数がFOMAの5分の1に満たないレベルまで減少したことから、2008年11月いっぱいで新規申し込みを終了することが同年8月に発表され、併せてmovaからFOMAへの変更事務手数料が廃止された。
また、2008年11月5日の発表で、端末のラインナップを一新。番号で種類を区別する方法を止め、明確なコンセプトシリーズを4つ打ち出した。
型番は音声端末、データ通信端末の区別なく、メーカー記号+年度内の販売順+年度(秋冬モデルを基準に変更)で表された。
2010年7月29日には、FOMAに替わる第3.9世代のLTEサービス『Xi(クロッシィ)』が発表され、同年12月よりデータ通信サービス開始。
2011年の冬モデルからXiに対応したスマートフォンが投入開始。FOMAは今後エントリーモデルやフィーチャー・フォンを中心としたラインナップとなる。同時にフィーチャー・フォンは従来の4シリーズ構成からdocomo STYLE seriesに集約された。2013年夏モデル(N-01EとP-01Eの新色)からは「docomo STYLE series」から「ドコモ ケータイ」に名称が変更された(同時にNEXTやwithなどのスマートフォンも「ドコモスマートフォン」へと集約された)。
2011年12月末のFOMA契約数は約5796万契約でピークとなり、2012年1月以降減少している。また、テレビのアナログ放送終了に代表される周波数帯再編に併せ、FOMAが従前使っていた帯域の一部が段階的にXi用に転換されるなどしており、FOMAは徐々に“繋がりにくく”なっている。今後新規に割り当てられる周波数帯域については、全てがXi用に使用される方針であり、FOMAは2026年3月31日のサービス終了 に向け「音声通話」主体にシフトしつつある。
従来の電話機単位の契約からFOMAカード(UIMカード)単位の契約になるため、1つの契約で複数の電話機を使い分けることができる。また、第二世代携帯電話の「mova」(PDC)より通信帯域を有効に活用できることから、パケットあたりの通信料金が安く設定されている。さらに2004年5月にパケットパックの値下げが行われ、6月にはパケット定額制サービス「パケ・ホーダイ」が開始された。当初はパケットパックとパケ・ホーダイは重複して加入する事ができたが、2005年4月にパケ・ホーダイ加入者のPCなどでの通信料が値下げされたことで(0.2円→0.02円)、重複加入している人は、パケ・ホーダイのみの契約になった。それと同時にパケットパック90が開始になった。また、2005年11月から、1つのFOMAカードに基本番号に加えて最大2つまでの番号を追加して付与できるマルチナンバーサービスが始まった。
なお、提携している他国事業者のローミングインも可能となっており、他国から来た旅行者が、ローミングして使うことができる。また逆に、対応端末のユーザーが他国に旅行した際に、ローミングアウトして提携他国事業者のエリアでFOMAを使える(一部使えないサービスあり)。
movaと互換性のない、全く新しい方式を使用しており、従来のmovaの基地局が使えないことと、2GHz帯と800MHz帯との電波伝播特性の違いによりサービスエリアは狭いと言われていた。全国的にエリアのあるmovaと同等以上のエリアまで拡大されつつあり、これまでmovaが繋がらなかった所でも、エリア改善の要望などによりFOMAなら繋がる場所も存在する。これは、FOMAへのユーザ移行を進めようとする意図から、地方や都市郊外の住宅地などを重点的に基地局を設置した結果だといえる。また、開始当初は電波同様に苦情の多かった途切れやすいなどの通話の品質の悪さも現在は改善されている。
次項の「デュアルネットワークサービス」を利用することでmovaの端末に切り替えて使用することが可能であった。
2004年から2005年にかけて発売された901iシリーズから、movaで使用している電波の伝達性で有利な800MHz帯の一部を利用し、2GHz帯と800MHz帯の両方をFOMAで使用する計画であった。しかし、ソフトバンクによって、既存の業者のみに800MHz帯を割り当てるのは不当との意見が出され、そのときは実現には至らなかった。しかしその後、ボーダフォンの日本法人を買収したソフトバンクに800MHzを割り当てないことが確定し、2005年6月に発表された901iSシリーズから、ほとんどの機種が従来の2GHz帯に加え、800MHz帯に対応したデュアルバンド端末になった。800MHz帯を利用するエリアは「FOMAプラスエリア」と呼ばれ、郊外や山間部などでサービスエリアが拡大した。
さらに、首都圏を始めとする東名阪の地域では、2GHz帯の不足を補うため、902iSシリーズから1.7GHz帯の導入を開始した(NTTドコモが保有している1.7GHz帯は東名阪専用バンドである)。しかしながら1.7GHz帯という帯域は、主に加入者の急増に対応するためであり、エリアが拡大するわけではないため、NTTドコモはこのエリアに関して公にしていない。
山間部を中心にさらなるサービスエリアの拡大が行われ、トラフィックが増大している住宅街などにも光張り出し方式の基地局を置く、基地局ごとに電波をチューニングするなどした。2006年秋にFOMAのエリアがmovaのエリアを越えること(movaの方がつながりやすい場所も多数存在する)、すべてのJR駅(4565駅)、高校・高専(5495校)、大学・短大(1603校)、サービスエリア・パーキングエリア・道の駅(1657ヶ所)をカバーした。2006年の目標は2007年度中に屋外基地局を約7,000局、屋内基地局を約3,600局増設し、FOMAの総基地局数56,700局にすることおよび、『いちばん「つながる」ケータイへ』をスローガンにネットワーク品質において顧客満足度No.1を獲得することとしていた。
そのために、2008年度より、エリアに対する利用者の声への対応の充実という施策を開始した。FOMAの電波調査を希望する人に対し、電話等でのヒヤリングの後原則48時間以内に訪問し、屋内電波調査を行い、電波の改善を実施している。2008年10月から、2009年3月末までの間に約13,000件の調査を実施し、改善活動を行っている。
2007年3月29日には、ドコモ九州が沖縄県北大東村・南大東村をカバーし、第三世代携帯電話では業界で初めて全国人口カバー率100%となった。
2008年12月にはFOMAハイスピードエリアの人口カバー率も100%となっている。
「FOMA」のサービス区域の狭さを補うため、「FOMA」で契約した1つの電話番号で、「mova」も利用できる「デュアルネットワークサービス」があった。これによって「FOMA」サービス区域外では「mova」に切替えることで通話・通信が可能になり、どちらの機種からも留守番電話や受信メールをチェックできた。ただし、このサービスには、別途月額300円(税込315円)掛かり、「番号の入っていないmova」もしくは「N2701」を準備する必要があった。「mova→FOMA」の契約変更の場合、これまで使っていたmovaをそのままデュアルネットワークの副端末として利用できた。なお、FOMAのサービスエリアが狭かった初期は、デュアルネットワークサービスが無いので、行動範囲でつながるかどうか試す為にショップ契約の電波測定用のFOMAが貸し出された。
デュアルネットワークサービスの契約者は個人・法人計約285万(2006年6月現在)である。また、切替の番号もワールドウイングと同じ番号なので、一時的にムーバのユーザーもFOMAとみなし、レンタルされたFOMA端末に切り替えて国際ローミングに応用されたこともある、FOMAプラスエリア対応端末が普及してあえてmovaを二台持ちする必要が無くなり2009年3月31日をもって新規受付を終了した。
下り最大14Mbps、上り最大5.7Mbpsの通信速度に対応。
FOMAのネットワークならびに端末は、国際標準団体3GPPのRelease99に準拠しているものであるが、仕様で決められていない細かな部分での機能向上あるいは3GPP 仕様の先行導入を行った。具体的には以下の通りである。
特に、「回線交換・パケット通信の分離制御」により、災害時などネットワークが輻輳した際に、通話に制限をかけてもパケット通信は可能とすることで、メールやiモードの災害用伝言板にて安否確認を行う事ができるようになった。movaはもともと回線交換網とパケット通信網が分離されているため同様の制限は可能である。
詳しくは、Xi (携帯電話)を参照。2010年12月から、現行のW-CDMA方式やHSDPA方式などに加えて、LTE方式によって、下り最大75Mbps・上り最大25Mbps の高速データ通信を開始した。
日本国消費税法の規定に基づき、価格表記は原則として消費税課税後の価格を優先する。また、「本体価格」とあるのは、消費税額を除いた金額である。
FOMAの料金体系は、ドコモがFOMAを主軸とするようになってから、複雑・多様化している。
当初のコースはmova最安の料金コースに当たるタイプBの3,500円(本体価格)に対して、FOMAの最安の料金コースに当たるのはFOMAプラン39の3,900円(本体価格)と割高感があった。しかし、時間当たりの通話料金はFOMAの方が安く必ずしも割高とは言い切れなかった。
その後、mova・FOMA共通の新料金プランが開始され、「(新)いちねん割引」や通話単価などが総合的に見直されている。また、パケット定額利用プラン「パケ・ホーダイ」も導入された。旧料金プランではFOMAプラン67以上のものでないと適用できなかったが、新料金プランは全プランとパケ・ホーダイの組み合わせが可能であった。なお、引き続き今に至るまでmovaへのパケット割引サービスの適用は無い。
従来の料金プランは基本料金に端末料金の一部を含むものであったが、国の指導などにより、「端末料金」と「利用料金」を分離した料金体系が、905iシリーズ発売に合わせて導入された。 導入後、それまでの「新料金プラン」はコース導入後に新規発売の端末購入分については「ベーシックコース」に改められ、購入した端末を2年間継続して使用することを求められる(導入前に発売済みの端末については引き続き新料金プランを適用)。新たに導入された「バリューコース」では、端末料金が別払いとなり、分割払いやクレジットカード払いが可能となる。
また、パケット利用料についても、2008年10月に抜本改正され、現在は「音声通話料と完全分離、定額・従量併用制」が基本となった。
分割払いの途中でドコモショップで残金を一括精算することができる。
2014年6月より開始された音声通話定額制の料金プラン「カケホーダイ&パケあえる」の、3G専用プラン。
2016年12月現在、5分以内の通話を無料とするライトプランはXi端末(spモードケータイ)のみで、3Gプランには提供されていない。スマートフォン初期に発売された3Gスマホは本プランは利用できず、スマートフォン向けのプラン(Xiと同じ)を使用することになる。
また、パケ・ホーダイダブルは利用できず、このプラン向けのパケットパックかケータイパックを使用することとなる。
905iシリーズ以降に発売された端末購入にあたっては、以下の2つのコースから料金プランを選ぶことになる(または、カケホーダイプランも選択可)。
なお、ベーシックコースの料金体系については、次項を参照。
当初は「新料金プラン」とされていた。その後、movaのサービス終了、「カケホーダイ&パケあえる」の導入により、「FOMA料金プラン」と称されるようになった。
movaと同一のプランかつ時間帯・曜日毎の通話料を一律とし、分かりやすさを重視した料金プラン。2005年11月1日に導入された。それ以降にFOMA・movaに新規加入した場合、従前の料金プランは選択できず、以下の新料金プランの中から選択することになっていた。2007年11月26日以降は、それ以前に新規発売された端末を利用する場合に限りこのプランを利用できる。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。
「無料通信分」は利用料金の先払い予約分であり、プランごとの単価に基づいて利用料金が精算され、無料通信分を使い切った後利用料金が加算開始される。
無料通信分はパケット通信料としても利用が可能。また余った無料通信分は2か月先まで繰り越し利用ができる。また、2005年2月より、2か月先まで使い切れなかった分は、ファミリー割引を契約している家族で共有できるようになった。なお、割引サービスが適用されても、無料通信分が減ることはないため、高額の料金プランにおいては、割引適用状況によっては支払った基本使用料を上回る金額を無料通信として利用できる仕組みになっている。
データプランは、FOMAを電話としてではなく、モデムとして利用する場合のプランである。音声通信およびiモードは利用できない。音声プランと異なり、無料通信分は「○○円分」のように利用料金の全体に適用されるのではなく、プランごとに設定された所定のパケット通信分にのみ適用される。
新料金プラン導入後は、データプランを除いてそれまで加入していた利用者のみ継続して利用できる。
通信料単価は、地域会社・利用時間帯ごとに異なっていたので、ここでは詳しい説明を省く。(価格)は本体価格。
2009年5月1日現在。1パケットは128バイト。2008年10月に改定された。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。
1か月の総パケット数に応じて、それぞれのパケット通信料が適用される。(価格)は本体価格。
定額料が「無料通信分」に相当するもので、パケット利用料の先払い式サービス。「パケ・ホーダイダブル」への完全移行により、2009年3月いっぱいで新規利用申し込みが完全に終了した。
詳細は当該項を参照。
なお、カケホーダイプランに付随するパケットパック・ケータイパックについては同プラン利用時に使用可能である。
(価格)は本体価格。定額対象外となる通信については、一律で1パケットあたり0.0216円(本体0.02円)の料金が別途請求される。またパケ・ホーダイダブルやBiz・ホーダイダブルにおいては、5,838パケットまでは定額401円(本体372円)で、それを超えたら1パケットあたり0.0864円(本体0.08円)で課金される。各上限に達すると再び定額となり、それ以上課金されない。
概要は以下に示すが、現在新規利用可能なサービスについては当該項を参照のこと。これは、定額制と従量制の併用、定額料値下げにより、料金体系が複雑になっているためである。
以下では基本料金およびパケット通信以外の付加サービスおよびその料金を挙げる。
ドコモのPHSサービスが2008年1月7日をもって停波したため、それに先駆けてPHS定額データ通信サービス@FreeDの代替サービスとして2007年10月22日に開始された。
2009年6月に新規受付は終了している。
なお、FOMAハイスピード対応端末でのサービスとなる理由は、伝送効率の良い方式が必要なためである。
個別記事のある項目に関しては備考は省略している。詳細は各記事を確認。
なお、備考欄に×印があるモデルは法人専用モデルで、ドコモショップなど一般の販売店では一切取り扱っておらず、一般向けカタログにも記載されていない(他社は一般向けカタログにも小さく掲載している)し、これらのモデルのカタログは個人客は請求・閲覧もできない。ドコモグループ各社の法人営業担当者から直接購入することになる。
FOMAの最初に出たシリーズ。2000年代を意味して、2000番台となった。当初は音声端末・通信端末が発売されたが、2004年以降は通信端末のみ2xxxを名乗った。2008年11月に新型式に移行した。
最初に出たFOMA端末である。2000番台の型番はIMT-2000による。またiモード機能の搭載が当然となっていたことから、型番に「i」を付けずロゴもない。初期ものゆえか、全体的に電池の持ちが悪く、また筐体も大きかった。この頃の機種によりFOMAの「デカイ、繋がらない」のイメージが定着してしまった。テレビ電話機能付き。iアプリは503相当のものに対応している。P2101V以外はiモーションに対応している。
2101と同じく、最初に出たFOMAのグループである。カメラは無く、テレビ電話未対応である他は、2101シリーズと仕様は変わらない。N2001以外はiモーションに対応している。
2002年4月22日に発売されたダイヤルアップルーター(DUR)内蔵モデル。法人向け製品で(仮設事務所等での使用を想定したもの)、一般に市販はされない。報道発表資料では200台生産と記載されているが、実際の納入台数は不明。
本体は家庭用ファクシミリをB5ファイルに収まる大きさにしたような形状で重さは約680グラムと、唯一無二のDUR搭載の可搬型MWA端末としてそのコンパクトさは優れていた。無線WANとして下り384k、上り384kまでのパケットデータ通信に対応している。SH2101Vに先駆けてBluetooth接続のハンドセット型子機が搭載されており、通信圏内であれば離れた場所から通話する事も可能である。
いわゆる「新FOMA」の第1弾(FOMAの端末としては第二世代)である。以前の機種より電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。カメラは付いているがiショット用でテレビ電話に対応しない。51という型番は、カメラ付きという事からmovaの251iシリーズに由来。外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。iモーションの方式がMP4に変更になった。
「新FOMA」の第2弾(FOMAの端末としては第二世代)である。2051の特徴を引き継ぎ、電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。これらの機種が出た頃より、FOMAのパケット代が安いというメリットが認められはじめ、FOMAユーザが増え始めた。Nは外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。
これまでの2xxxの型式ではなく、movaの50xのような型式番号を採用したモデル。906i・706iまで継続した。
FOMAの端末としては第三世代に当たる。50xシリーズの機能を採用して、ドコモのフラッグシップ携帯として登場した。movaシリーズと共通の型番ルールを採用し、9という数字には50xの上位という意味も込め、一般向けに広くアピールした。全機種にQVGA液晶とメガピクセルカメラを搭載した。iアプリは505iの規格をさらに拡張し、500KB(ダウンロード100KB、スクラッチパッド400KB)の仕様になった。開発の初期段階では、2103Vとされていた。2005年5月のプレスリリースで900i及び900ixを1098万台発売したと発表した。FOMA普及にかなり貢献したシリーズだが「着うたをメール着信音に設定できない」「全体的に動作の機敏さに欠ける」などの問題が残されていた。イメージキャラクターは坂口憲二と長谷川京子(同コンビで901iSシリーズまで起用。CMソングには交響曲第9番 (ベートーヴェン)の小西康陽やケン・イシイ・石野卓球らによるアレンジバージョンを起用。
900i、900ixの後継端末。共通機能はもちろんのこと、それぞれの個性のある端末となっている。共通機能は主に着うたや着モーションの最大再生容量を300KBから500KBに拡大、iモードメールの添付ファイルの最大容量も100KBから500KBに拡張、ツインスピーカー搭載、iアプリの3Dグラフィックス機能強化、Flashからの端末情報取得、外部からのコンテンツに対して問題要素を検出する「セキュリティスキャン機能」を搭載しているなど、iモードにまつわる機能が強化されている。また、全機種でデジタルオーディオプレーヤー機能が正式対応になった。(連続再生に対応するのはD,F,SHのみ)
なお、型番にiCが付く端末はiモードFeliCaにも対応している(モバイルSuicaには非対応)。FeliCaチップの供給数に余裕が無いため全機種対応にならなかった。予定されていた800MHz帯とのデュアルバンド機能は、800MHz帯再編をめぐるソフトバンクの動きから見送られ、901iSから搭載された。
2005年5月17日にドコモよりプレスリリースされた。元々、2005年1月に公表されたロードマップに2005年度中の投入が公表されていた。iモードFeliCaに全機種対応(F、DはモバイルSuicaには非対応)。よって、これまでFeliCa端末を示していた「iC」ではなく「iS」を名乗る事になった。このシリーズから800MHz帯「FOMAプラスエリア」のデュアルバンド対応となり、山間部などでエリアが拡大した。また、901iS以降の機種同士であれば音声通話中にテレビ電話への切り替えができるようになる。 D、F、Pは自動時刻補正に対応。また、PDFファイルの閲覧やダウンロードができるAdobe Reader LEを搭載する。(SHは、Excel、Word、Powerpointの閲覧が可能なPicsel Viewerも備える。) このシリーズ以降、FOMA発売以来使われてきた初代ロゴが無くなる。
2005年10月19日にSH902i、N902i、D902i、P902i、F902i、SO902iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として、定額制プランも用意しトランシーバーのような通話が可能な「プッシュトーク」、「iモードFelica」の新機能である「トルカ」サービスに対応。701iに搭載されたiチャネルにも対応している。iアプリは容量は変わりないが、HTMLの仕様がバージョンアップしている。902iでは、従来までFOMAの課題となっていたキーレスポンスのもたつきの解消に力が入れられており、今まで特に遅いとされていたP,NといったLinux OS採用端末のレスポンスもかなり快適になっている。イメージキャラクターは一新され、KAT-TUNの亀梨和也と赤西仁を起用。
2006年5月11日にD902iS、F902iS、N902iS、P902iS、SH902iSがドコモよりプレスリリースされた。新機能として1.7GHz帯の対応、DCMXアプリのプリセット、着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名、電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応等がある。また、P902iSはドコモ初の着うたフルに対応、N902iS、P902iSが3Gローミングに対応し、F902iSは、Windows Media Audio形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術(DRM)に対応している事などより、Napster Japan等の有料音楽配信サイトの利用もできる。イメージキャラクターはKAT-TUNのメンバー全員(903iシリーズまで起用)。
2006年10月12日にD903i、F903i、N903i、P903i、SH903i、SO903iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として全機種にGPS搭載した。このため、ケータイお探しサービスに対応している他、警察(110番)・消防(119番)等に通報した際の位置特定もできる。イマドコサーチにも適している。またメガiアプリに対応。容量が1MBに拡張されダウンロード、スクラッチパッドの区切りが無くなった。また、外部メモリーカードにソフトを保存できる事で、さらに容量があるソフトの作成もできる。おサイフケータイ関連では、felicaのメモリー容量が約3倍に拡大され、モバイルSuicaなど多くのメモリーを必要とするICアプリも複数使用できるようになった。その他、着うたフル、IC通信、3Gローミングに対応している。SH903i、D903i、F903i、N903iはきせかえツールに対応している。
また、903iシリーズのうち、D903i、SH903i、F903iの三機種は、Windows Media Audio形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術(DRM)に対応している事などより、Napster Japan等の有料音楽配信サイトの利用もできる(2007年12月31日まで、Napsterを2週間無料で使えるキャンペーンを行っている)。SO903iは、ATRAC3形式及び、MP3形式の音楽ファイル再生にも対応している。N903i、P903i、SH903iはSD-Audio対応で、長時間再生が可能となった。SH903iのみWindows Media AudioとSD-Audioの二つの形式に対応している。
イメージキャラクターは902iシリーズ・902iSシリーズに引き続きKAT-TUN(赤西も一部出演)。一方カメラのイメージセンサは、SH903i、D903iがCCD(スーパーCCDハニカムではない)、P903iがνMaicoviconを搭載し、ほかはすべてCMOSイメージセンサに変更された。
2007年4月23日にDoCoMo2.0の最初のシリーズとして、D904i、N904i、SH904i、P904i、F904iがドコモよりプレスリリースされた。今回より型式ルールの見直しより、903iSではなく904iとなった。(なおN904iは日本での発表前にミラノサローネで公開されていた。)新機能として音楽を定額で利用できるうた・ホーダイに対応した。また2in1と呼ばれる、1台の端末で2つのメールアドレスと電話番号を使用できるサービスに対応。一部を除き直感ゲーム(携帯本体を振るなど体を使ってプレイする)に対応。またP904iがフルブラウザを搭載した事で、全機種フルブラウザ対応になった。全機種でWindows Media Audio、3Gローミングに対応。N904iのみHSDPAに対応。F904iのみワンセグに対応。尚、ソニー・エリクソンの新機種は発表されていないが、2007年1月に発表済のSO903iTVはこの904iシリーズが全て出揃った後にようやく発売されている。
2007年11月1日に905i企画端末(N905iBizを除く)、705iシリーズとともにD905i、N905i、SH905i、P905i、F905i、SO905iがドコモよりプレスリリースされた。 全機種VGA以上の画面解像度、Flash Lite3、ワンセグ、FOMAハイスピード、GSMローミング、緊急速報エリアメール、バージョンアップしたきせかえツールが標準搭載(一部機能非搭載機種あり)。 新サービスとしてはミュージックチャネルが動画に対応しMusic&Videoチャネルとなった。また、iアプリ・直感ゲームが音声入力に対応した。D905iは最後の三菱電機製の9シリーズとなった。
2008年5月27日に906i企画端末、706iシリーズとともにN906i、SH906i、P906i、F906i、SO906iがドコモよりプレスリリースされた。
movaの25xiシリーズに相当する普及ラインの端末。2005年2月2日にF700i、SH700i、N700i、P700iがドコモよりプレスリリースされた。90xiよりも端末値段を1万円前後下げて、より一層のFOMA普及を図る。全ての端末に、QVGA液晶、デコメールやFlash対応など、できるかぎり901iのプラットフォームを活用しているが、iアプリの性能は506i相当の230KB(ダウンロード30KB、スクラッチパッド200KB)に、メガピクセル級のカメラを搭載とあえて抑えている。800MHz帯デュアルバンド対応は901i同様、ソフトバンクとの係争により見送られている。
2005年7月12日にF700iS、SH700iSがドコモよりプレスリリースされた。700iシリーズのセカンドモデル。800MHz帯とのデュアルバンド「FOMAプラスエリア」に対応する以外は700iシリーズとの機能の違いはない。8月3日にSA700iSがプレスリリースされた。
2005年8月3日にD701i、N701i、P701iDがドコモよりプレスリリース。700iの後継モデル。このシリーズからニュースなどを自動配信する「iチャネル」に対応する。音声通話中にテレビ電話への切り替えが可能。また、901iSシリーズ同様に800MHz帯のデュアルバンド対応「FOMAプラスエリア」対応。それ以外の機能はほぼ700iSと同じ。
2006年1月17日にF702iD、SH702iD、N702iD、P702i、D702iがドコモよりプレスリリース。701iの後継モデル。70xシリーズより廉価なモデルが出ることになったことより、個性派モデルになっている。機種によっては90xの機能を取り込んだモデルもある。2005年11月・12月にJATEを通過した。5月11日にSA702i、SO702iがドコモよりプレスリリースされた。
2006年7月4日にD702iF、P702iD、N702iS、SH702iS、M702iS、M702iGがドコモよりプレスリリース。702iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。機種によって70xベースと90xベースに分かれる。1.7GHz帯には対応しない。2005年11月・12月にJATEを通過した。
2007年1月16日にD703i、F703i、N703iD、P703i、SH703i、SO703iがドコモよりプレスリリース。702iSの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。iアプリは、最低でも500kアプリに対応。D703i、F703i、P703i、SH703i、SO703iではメガアプリに対応している。全機種着うたフルに対応している。GPSには非対応。ドコモ中国管内では「902iSを超えた703i」のキャッチコピーで販売されている。この703iシリーズより70xシリーズの高機能化が顕著になり、徐々に9xxiシリーズとの格差が縮まってきた。
2007年7月4日にD704i、F704i、P704i、SH704i、SO704i、L704iがドコモよりプレスリリース。703iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。D704i、SH704iではワンセグに対応している。L704iはハイスピードに対応している。2007年春以降発売の機種は原則GPS搭載としているのに704iシリーズでは搭載されておらず、これ以後の70xシリーズについても搭載しないという姿勢を貫いている。これについてドコモは薄型のためにやむをえなかったとしている。
2007年11月1日に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。 ワンセグ搭載機種が4機種、L705i及びNM705i以外はおサイフケータイに対応している。デザイン家電ブランドamadanaとのコラボレーション端末N705iまた、ノキアが初めて7シリーズを開発した。D705i、D705iμは三菱電機最後の携帯電話となった。
2008年5月27日に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。今回は企画端末以外のP70xシリーズが発売されない。前述の通り型番変更が発表されたため、旧型番最後のシリーズとなった。
900i以降(904/702除く)、超薄型モデル(iμ)や高速通信対応モデル(iX)、ワンセグやカメラなど一部の機能に特化したモデル(iTV/iCS)、無線LAN搭載モデル(iL)など通常モデルとは違い機能やデザイン面で個性的なモデルである。ただし、これらのモデルは通常の90x/70xシリーズから標準機能(GPS、国際ローミング等)が省かれていることも多いが、近年のモデルでは多機能化してきている。
なお、706iシリーズから登場した706ieシリーズは実質的に60xシリーズの後継に当たるもので、「easy」&「enjoy」をコンセプトにしたものである。
900i第2弾。基本性能は大きく変わらないが、新機能が多く盛り込まれている。2004年6月1日に、F900iT・P900iV・N900iSの3機種を発表。F900iTはタッチパネル・Bluetoothを搭載し、P900iVは強化されたムービー撮影・再生機能を搭載。N900iLは無線LAN搭載端末で、主に企業のVoIPを使った内線とのデュアル用に発売されている。PASSAGE DUPLEやビジネスmoperaIPセントレックスなどに対応している。N900iGはドコモの国際ローミングサービス(ワールドウィング)に対応した最初のモデルである。F900iCはFOMAとしてはおサイフケータイに対応した第1号の機種である(モバイルSuicaには非対応)。デコメール改善などの細かなバージョンアップにとどまるNEC製は単に900i"S"になっている。
901i系企画端末として、ワンセグ携帯のP901iTVが発売されている。
2006年5月11日に企画端末として、902iSシリーズと同時にSO902iWP+、N902iX HIGH-SPEED、DOLCE SLがプレスリリースされた。新機能としてDCMXアプリのプリセット等がある。また、N902iX HIGH-SPEEDとSH902iSLでは着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名に対応。SH902iSLでは電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応に対応。N902iX HIGH-SPEEDでは着うたフル、ミュージックチャネルに対応。902iSシリーズとは違い1.7GHz帯、バイオ認証、3Gローミングには対応しない。また、2006年10月12日に903iシリーズと同時にN902iLがプレスリリースされた。N900iLの後継機であり、それまでサポートされていなかったIEEE 802.11gとFOMAプラスエリアが対応になった。
2006年10月12日に企画端末として、903iシリーズと同時にSH903iTV、D903iTV、P903iTV、P903iX HIGH-SPEED、F903iX HIGH-SPEEDがプレスリリースされた。P901iTVに次いでワンセグ対応端末が3機種、N902iX HIGH-SPEEDに次いでHSDPA対応端末が2機種が予定されている。ノーマルの903iと異なり、3Gローミング、GPSには非対応なので注意が必要。また、2007年1月16日にSO903iTVが703iシリーズと同時に発表された。2007年3月14日にビジネス向けのF903iBSCが発表された。
2007年11月1日に905i、705iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた(N905iBizを除く)。 N905iμは9シリーズでは初めての薄型μ端末である。SH905iTVはドコモではSH903iTVに続く2代目のAQUOSケータイである。SO905iCSはサイバーショットケータイとし、ソニーのデジタルカメラブランド「サイバーショット」を冠している。 P905iTVはVIERAケータイとし、Panasonicの液晶、プラズマテレビのブランド「VIERA」を冠している。 N905iBizは2007年12月3日に発表された法人専用モデルで、N905iμベースでカメラ非搭載。F905iBizは2008年2月12日に発表された法人専用モデルで、F905iベース。
2008年5月27日に906i、706iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた。
2005年8月3日にMusic Porter IIがドコモよりプレスリリース。2006年3月2日にN701iECOがドコモよりプレスリリースされた。
2007年1月16日に企画端末として、703iシリーズと同時にN703iμ、P703iμがプレスリリースされた。両モデル共に折りたたみ式第三世代携帯電話端末として世界最薄(2007年2月現在)となる厚さ11.4mmの端末である。1.7GHz帯には対応しない。
2007年7月4日に企画端末として、704iシリーズと同時にN704iμ、P704iμがドコモよりプレスリリース。
2007年11月1日に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。L705iXはワンセグを搭載。L705iX以外の全機種でおサイフケータイに対応している。折りたたみ携帯世界最薄9.8mmのN705iμ、P705iμや7.2MbpsHSDPAに対応したL705iXなどが登場した。また、2008年3月11日にはSH705iのマイナーチェンジモデルであるSH705iIIもドコモよりプレスリリースされた。
2008年5月27日に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。また8月26日にはN705iの新色モデルであるN706iIIもドコモよりプレスリリースされている。
movaでいう600番台で、特殊モデルに割り当てている。なお、800番台はもともとはドッチーモ(PDCとPHSの複合機)に割り当てられていたもので、すでに使われている81x、82x、83xを避ける格好になる。
原則「キッズケータイ」に付けられているが、下記のように例外もある。
9や7等のどのシリーズにも属さない企画端末に割り当てられている。
88x系は一貫して「らくらくホン」シリーズで展開されている。
詳しくはSIMPURE参照の事。
以下の端末はiモードには対応せず、パケ・ホーダイが利用できないが、Biz・ホーダイの対象にはなる。
ドコモは2008年11月5日、従来の番号によりシリーズを区別していた形を改め、明確なコンセプトによるシリーズ分けとすることを発表し、同時に、それぞれのシリーズに属する端末も発表された。
番号の形式は単純にリリース順で付けられるようになったため、購入にあたっては、どのシリーズに属しているかを確認する必要がある。この法則はかつての9シリーズ、7シリーズだけではなく、今後発売されるすべての端末に適用される。理由としては70Xシリーズのワンセグ・HSDPA・おサイフケータイ対応などにより相対的に高機能化が進み、機能での棲み分けが困難になってきたことが挙げられている。
上位機種では、iコンシェル、iウィジェット、iアプリオンラインに新たに対応し、FOMAハイスピードがダウンロード7.2Mbps・アップロード5.7Mbpsに高速化し、Bluetoothの搭載数が大幅に増加した。
らくらくホンシリーズ、キッズケータイシリーズは第五のコンセプトとして独立して取り扱う方針。またデータ通信端末も新型番で発売される。
なお、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズは、SO706i以降、ドコモへの端末供給を一時休止していたため、「SO-xxA」という型番が割り振られた端末は存在せず、2010年4月発売を予定するSO-01Bが新型番初の端末となった。
また、本シリーズよりメーカーによって異なっていた文字入力の仕様などがほとんどの機種で統一された。
各シリーズに属する端末は下記のリンクを参照。「ドコモ スマートフォン」は「PRO」シリーズからスマートフォンのみ分割され、2010年1月に新設された。なお、「SMART」・「PRO」シリーズを色違い表現としたのは単にリンクを見易くするためのもので、リンク以外の部分の背景色が正式な色である。
2011年10月よりスマートフォンを主軸にしたシリーズ分けに改められ、これまでの「ドコモ スマートフォン」は新たに「with」・「NEXT」シリーズに分割され、従来のiモード対応携帯電話はらくらくホンを除き全て「STYLE」シリーズに集約された。なお「ドコモ タブレット」は先行して2011年9月より展開している。またFOMAだけではなく、3.9GのXi(クロッシイ)対応の音声端末・タブレット端末もこの5シリーズのどれかに属することになる。
2013年5月より再度シリーズの再編が行われ、「with」・「NEXT」は再び「ドコモ スマートフォン」に集約され、「STYLE」は「ドコモ ケータイ」に名称が改められた。他にも「docomo らくらくホンシリーズ」は「ドコモ らくらくホン」に変更、キッズケータイ・ジュニアケータイと名称が混載していた低年齢層向けの端末は「ドコモ キッズ・ジュニア」とシリーズ名が付けられ、「ドコモ タブレット」と合わせてすべてのシリーズ名が「ドコモ○○」に統一された。 | [
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"text": "FOMA(フォーマ)は、NTTドコモのIMT-2000 (W-CDMA) サービス。英語: Freedom Of Mobile multimedia Access(マルチメディアへの移動体のアクセスの自由)の略。第3世代移動通信システム(3G)である。2026年3月31日にサービス終了が予定されており、新規で契約することはできない。",
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"text": "NTTドコモは、旧社名であった「NTT移動通信網」時代の1994年頃から、IS-95(cdmaOne)とは異なる方式として、大容量通信が可能な次世代携帯電話の技術研究開発に着手する。",
"title": "実用化・普及までの経緯"
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"text": "1995年12月には、当時の郵政省から無線局免許状を得て、千葉県船橋市でW-CDMA技術を用いた2Mbpsでの伝送に成功した。1996年からは、IMT-2000X(2GHz周波数帯を利用し、2001年頃のサービスインを目標とした新移動通信規格の意)策定と実用化に向けての開発が、エリクソン・松下通信工業(現:パナソニック モバイルコミュニケーションズ)・富士通・NEC・三菱電機・東芝など複数の移動体設備機器関連メーカーや郵政省等公的機関と共同で進められ、1998年には大容量通信を活かしたテレビ電話機能などを搭載したモックアップ機がビジネスショーなどに登場した。",
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"text": "しかし、モノクロ液晶のmova(501iシリーズ)でiモードサービスが開始された時期に、高速通信や動画再生などの演算処理が行える高度な半導体が求められ、生産技術が未だ追いつかない状況だった。それでも1999年から既存のmovaによるiモードの成功や携帯電話端末の価格低下に伴う購入容易化から爆発的に回線数が増加し周波数帯が逼迫してきた状況から、「IMT-2000」計画による、2001年の実用化が求められた。",
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"text": "韓国勢など世界各国の関係企業・団体で構成された3GPPでのW-CDMA仕様決定前に、ドコモが自社と日欧パートナー企業で開発を推したDS-CDMA(IMT-DS)形式で次世代移動通信サービスの開始へ準備を進めた。3GPPが遅れて策定した、後に「UMTS」や「3G」の名称で世界的に普及するRelease99形式と互換性がなかった。結局J-フォン(VGS)をはじめとして、その後にW-CDMA(UMTS)を採用したキャリアは、さらに新しいRelease4(別称:Release2000)を使用していたため、PDC方式に続き、世界で孤立した。",
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"text": "2000年11月にはこの次世代移動体通信サービスの名称を「FOMA」に決定し、2001年5月よりおおむね国道16号線内側の東京都内・横浜市・川崎市をサービスエリアとして商用実用化することを発表した。しかし、サービススタートを急いだ余り、サービスエリアや携帯電話端末・交換機といった設備を検証する必要性から、2001年4月にドコモ(中央)インターネット公式サイトを中心に、サービスエリア内で端末を使える個人・法人モニターを4500人募集し、5月1日よりモニター試験の形でサービス運用を開始した。モニター端末は10月のサービス開始時に市販化されるN2001かP2101V、データ通信カード型のF2401が貸与された。そして同年10月1日に世界で初めて第3世代携帯電話の正式サービスを開始した。",
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"text": "宇多田ヒカルの新曲「traveling」を起用した宣伝活動を9月末より大々的に展開し、サービスが開始されたが、当初発売されたFOMA音声端末のN2001とP2101Vは、503iと同程度の機能+高速データ通信(P2101Vは内蔵カメラによる写真メールやテレビ電話)といった程度にもかかわらず、同時期に発売された503isシリーズと比べて厚みと重みがあり、一回り以上大きいサイズである上、連続待ち受け時間が公称55時間(新幹線などで遠距離を高速移動をするとハンドオーバの位置情報通知により2時間程度で消耗する)と極端に短かった。このため初期のシリーズは電池パックが2個付属していた。",
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"text": "サービスエリアについては、2GHzの周波数帯を使用するW-CDMA(DS-CDMA)の通信方式が未熟で、端末が前世代のmovaとのデュアル方式でなかったために、1995年に登場した初期のPHS並に「つながらない・圏外になる・切れる」などの不満が頻発した時期もあった。周波数の特性上、サービスエリア内でもアンテナが設置されていない地下街やトンネル・ビルの高層階などではほとんど圏外であった。このFOMA開始時の反省から後継サービスのXiの端末は、前世代のFOMAとのデュアル方式となりエリア問題に対処した(Xiエリア外ではデータ通信速度は低下するものの音声通話はほぼ全国で可能とした)。",
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"text": "コンテンツ関連ではmovaのiモードメニューと互換性が無く、40 - 60%程度のメニューサイトが未対応であった。これらの要素から一般市場に受け入れられなかったとされる。しかし、2001年11月にはサービスインから出遅れた形ではあるもののiモーションがスタートし、2004年に第2世代携帯電話からの乗換を狙って積極的に展開する900iシリーズが登場するまでは、FOMAは最先端の携帯電話であることを感じさせる製品群が揃っていた。",
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"text": "2002年3月から着々とサービスエリアの拡大を続け、2004年2月にmovaよりソフト面で高性能となった900iシリーズが登場。2005年の901i/700iシリーズからはmovaと類似した型番ルールになり、movaからFOMAへの移行も進み始めた。",
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"text": "2004年に登場したiモードFelica(おサイフケータイ)のサービス開始当初は、P506iC、SH506iC、SO506iCがリリースされ、F900iC等と並行して展開された。901iシリーズではSH901iC、N901iC、F901iC、P901iTVのみであったが、901iS以降の機種では標準装備されるようになる。また7xxiシリーズにも装備されるようになり、iモードFelicaの対象機種台数増加に拍車をかけた。",
"title": "実用化・普及までの経緯"
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"text": "W-CDMA方式の特徴である海外ローミングへの対応は、FOMAのDS-CDMA形式から世界規格となっていたUMTS(Release99準拠)へアップデートを行わなければいけない問題があったが、2004年度に行われた大規模なFOMA基地局の改修工事によって急速にそれらが行われ、2005年6月にGSMやW-CDMAの国際的な相互接続認証団体のGlobal Certification Forum(GCF)の認定業者となることができた。これにより、ドコモの契約で海外渡航先でローミング利用が可能なWORLD WINGサービスが大幅に拡充した。なお、Release99という規格自体は、その後のRelease4などのバージョンとも互換性が取れるものであり、これによりローミングの受け入れ体制に関する問題は解決された。",
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"text": "2006年6月18日には契約数比率が50%を超え、2009年5月末時点では90%を超えている。2009年6月11日には契約数が5,000万件に達し 、NTTドコモの主流サービスとなった。movaは契約者数がFOMAの5分の1に満たないレベルまで減少したことから、2008年11月いっぱいで新規申し込みを終了することが同年8月に発表され、併せてmovaからFOMAへの変更事務手数料が廃止された。",
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"text": "また、2008年11月5日の発表で、端末のラインナップを一新。番号で種類を区別する方法を止め、明確なコンセプトシリーズを4つ打ち出した。",
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"text": "型番は音声端末、データ通信端末の区別なく、メーカー記号+年度内の販売順+年度(秋冬モデルを基準に変更)で表された。",
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"text": "2010年7月29日には、FOMAに替わる第3.9世代のLTEサービス『Xi(クロッシィ)』が発表され、同年12月よりデータ通信サービス開始。",
"title": "実用化・普及までの経緯"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "2011年の冬モデルからXiに対応したスマートフォンが投入開始。FOMAは今後エントリーモデルやフィーチャー・フォンを中心としたラインナップとなる。同時にフィーチャー・フォンは従来の4シリーズ構成からdocomo STYLE seriesに集約された。2013年夏モデル(N-01EとP-01Eの新色)からは「docomo STYLE series」から「ドコモ ケータイ」に名称が変更された(同時にNEXTやwithなどのスマートフォンも「ドコモスマートフォン」へと集約された)。",
"title": "実用化・普及までの経緯"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "2011年12月末のFOMA契約数は約5796万契約でピークとなり、2012年1月以降減少している。また、テレビのアナログ放送終了に代表される周波数帯再編に併せ、FOMAが従前使っていた帯域の一部が段階的にXi用に転換されるなどしており、FOMAは徐々に“繋がりにくく”なっている。今後新規に割り当てられる周波数帯域については、全てがXi用に使用される方針であり、FOMAは2026年3月31日のサービス終了 に向け「音声通話」主体にシフトしつつある。",
"title": "実用化・普及までの経緯"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "従来の電話機単位の契約からFOMAカード(UIMカード)単位の契約になるため、1つの契約で複数の電話機を使い分けることができる。また、第二世代携帯電話の「mova」(PDC)より通信帯域を有効に活用できることから、パケットあたりの通信料金が安く設定されている。さらに2004年5月にパケットパックの値下げが行われ、6月にはパケット定額制サービス「パケ・ホーダイ」が開始された。当初はパケットパックとパケ・ホーダイは重複して加入する事ができたが、2005年4月にパケ・ホーダイ加入者のPCなどでの通信料が値下げされたことで(0.2円→0.02円)、重複加入している人は、パケ・ホーダイのみの契約になった。それと同時にパケットパック90が開始になった。また、2005年11月から、1つのFOMAカードに基本番号に加えて最大2つまでの番号を追加して付与できるマルチナンバーサービスが始まった。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "なお、提携している他国事業者のローミングインも可能となっており、他国から来た旅行者が、ローミングして使うことができる。また逆に、対応端末のユーザーが他国に旅行した際に、ローミングアウトして提携他国事業者のエリアでFOMAを使える(一部使えないサービスあり)。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "movaと互換性のない、全く新しい方式を使用しており、従来のmovaの基地局が使えないことと、2GHz帯と800MHz帯との電波伝播特性の違いによりサービスエリアは狭いと言われていた。全国的にエリアのあるmovaと同等以上のエリアまで拡大されつつあり、これまでmovaが繋がらなかった所でも、エリア改善の要望などによりFOMAなら繋がる場所も存在する。これは、FOMAへのユーザ移行を進めようとする意図から、地方や都市郊外の住宅地などを重点的に基地局を設置した結果だといえる。また、開始当初は電波同様に苦情の多かった途切れやすいなどの通話の品質の悪さも現在は改善されている。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "次項の「デュアルネットワークサービス」を利用することでmovaの端末に切り替えて使用することが可能であった。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2004年から2005年にかけて発売された901iシリーズから、movaで使用している電波の伝達性で有利な800MHz帯の一部を利用し、2GHz帯と800MHz帯の両方をFOMAで使用する計画であった。しかし、ソフトバンクによって、既存の業者のみに800MHz帯を割り当てるのは不当との意見が出され、そのときは実現には至らなかった。しかしその後、ボーダフォンの日本法人を買収したソフトバンクに800MHzを割り当てないことが確定し、2005年6月に発表された901iSシリーズから、ほとんどの機種が従来の2GHz帯に加え、800MHz帯に対応したデュアルバンド端末になった。800MHz帯を利用するエリアは「FOMAプラスエリア」と呼ばれ、郊外や山間部などでサービスエリアが拡大した。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "さらに、首都圏を始めとする東名阪の地域では、2GHz帯の不足を補うため、902iSシリーズから1.7GHz帯の導入を開始した(NTTドコモが保有している1.7GHz帯は東名阪専用バンドである)。しかしながら1.7GHz帯という帯域は、主に加入者の急増に対応するためであり、エリアが拡大するわけではないため、NTTドコモはこのエリアに関して公にしていない。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "山間部を中心にさらなるサービスエリアの拡大が行われ、トラフィックが増大している住宅街などにも光張り出し方式の基地局を置く、基地局ごとに電波をチューニングするなどした。2006年秋にFOMAのエリアがmovaのエリアを越えること(movaの方がつながりやすい場所も多数存在する)、すべてのJR駅(4565駅)、高校・高専(5495校)、大学・短大(1603校)、サービスエリア・パーキングエリア・道の駅(1657ヶ所)をカバーした。2006年の目標は2007年度中に屋外基地局を約7,000局、屋内基地局を約3,600局増設し、FOMAの総基地局数56,700局にすることおよび、『いちばん「つながる」ケータイへ』をスローガンにネットワーク品質において顧客満足度No.1を獲得することとしていた。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "そのために、2008年度より、エリアに対する利用者の声への対応の充実という施策を開始した。FOMAの電波調査を希望する人に対し、電話等でのヒヤリングの後原則48時間以内に訪問し、屋内電波調査を行い、電波の改善を実施している。2008年10月から、2009年3月末までの間に約13,000件の調査を実施し、改善活動を行っている。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "2007年3月29日には、ドコモ九州が沖縄県北大東村・南大東村をカバーし、第三世代携帯電話では業界で初めて全国人口カバー率100%となった。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2008年12月にはFOMAハイスピードエリアの人口カバー率も100%となっている。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "「FOMA」のサービス区域の狭さを補うため、「FOMA」で契約した1つの電話番号で、「mova」も利用できる「デュアルネットワークサービス」があった。これによって「FOMA」サービス区域外では「mova」に切替えることで通話・通信が可能になり、どちらの機種からも留守番電話や受信メールをチェックできた。ただし、このサービスには、別途月額300円(税込315円)掛かり、「番号の入っていないmova」もしくは「N2701」を準備する必要があった。「mova→FOMA」の契約変更の場合、これまで使っていたmovaをそのままデュアルネットワークの副端末として利用できた。なお、FOMAのサービスエリアが狭かった初期は、デュアルネットワークサービスが無いので、行動範囲でつながるかどうか試す為にショップ契約の電波測定用のFOMAが貸し出された。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "デュアルネットワークサービスの契約者は個人・法人計約285万(2006年6月現在)である。また、切替の番号もワールドウイングと同じ番号なので、一時的にムーバのユーザーもFOMAとみなし、レンタルされたFOMA端末に切り替えて国際ローミングに応用されたこともある、FOMAプラスエリア対応端末が普及してあえてmovaを二台持ちする必要が無くなり2009年3月31日をもって新規受付を終了した。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "下り最大14Mbps、上り最大5.7Mbpsの通信速度に対応。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "FOMAのネットワークならびに端末は、国際標準団体3GPPのRelease99に準拠しているものであるが、仕様で決められていない細かな部分での機能向上あるいは3GPP 仕様の先行導入を行った。具体的には以下の通りである。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "特に、「回線交換・パケット通信の分離制御」により、災害時などネットワークが輻輳した際に、通話に制限をかけてもパケット通信は可能とすることで、メールやiモードの災害用伝言板にて安否確認を行う事ができるようになった。movaはもともと回線交換網とパケット通信網が分離されているため同様の制限は可能である。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "詳しくは、Xi (携帯電話)を参照。2010年12月から、現行のW-CDMA方式やHSDPA方式などに加えて、LTE方式によって、下り最大75Mbps・上り最大25Mbps の高速データ通信を開始した。",
"title": "サービスの特徴"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "日本国消費税法の規定に基づき、価格表記は原則として消費税課税後の価格を優先する。また、「本体価格」とあるのは、消費税額を除いた金額である。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "FOMAの料金体系は、ドコモがFOMAを主軸とするようになってから、複雑・多様化している。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "当初のコースはmova最安の料金コースに当たるタイプBの3,500円(本体価格)に対して、FOMAの最安の料金コースに当たるのはFOMAプラン39の3,900円(本体価格)と割高感があった。しかし、時間当たりの通話料金はFOMAの方が安く必ずしも割高とは言い切れなかった。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "その後、mova・FOMA共通の新料金プランが開始され、「(新)いちねん割引」や通話単価などが総合的に見直されている。また、パケット定額利用プラン「パケ・ホーダイ」も導入された。旧料金プランではFOMAプラン67以上のものでないと適用できなかったが、新料金プランは全プランとパケ・ホーダイの組み合わせが可能であった。なお、引き続き今に至るまでmovaへのパケット割引サービスの適用は無い。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "従来の料金プランは基本料金に端末料金の一部を含むものであったが、国の指導などにより、「端末料金」と「利用料金」を分離した料金体系が、905iシリーズ発売に合わせて導入された。 導入後、それまでの「新料金プラン」はコース導入後に新規発売の端末購入分については「ベーシックコース」に改められ、購入した端末を2年間継続して使用することを求められる(導入前に発売済みの端末については引き続き新料金プランを適用)。新たに導入された「バリューコース」では、端末料金が別払いとなり、分割払いやクレジットカード払いが可能となる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "また、パケット利用料についても、2008年10月に抜本改正され、現在は「音声通話料と完全分離、定額・従量併用制」が基本となった。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "分割払いの途中でドコモショップで残金を一括精算することができる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2014年6月より開始された音声通話定額制の料金プラン「カケホーダイ&パケあえる」の、3G専用プラン。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2016年12月現在、5分以内の通話を無料とするライトプランはXi端末(spモードケータイ)のみで、3Gプランには提供されていない。スマートフォン初期に発売された3Gスマホは本プランは利用できず、スマートフォン向けのプラン(Xiと同じ)を使用することになる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "また、パケ・ホーダイダブルは利用できず、このプラン向けのパケットパックかケータイパックを使用することとなる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "905iシリーズ以降に発売された端末購入にあたっては、以下の2つのコースから料金プランを選ぶことになる(または、カケホーダイプランも選択可)。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "なお、ベーシックコースの料金体系については、次項を参照。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "当初は「新料金プラン」とされていた。その後、movaのサービス終了、「カケホーダイ&パケあえる」の導入により、「FOMA料金プラン」と称されるようになった。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "movaと同一のプランかつ時間帯・曜日毎の通話料を一律とし、分かりやすさを重視した料金プラン。2005年11月1日に導入された。それ以降にFOMA・movaに新規加入した場合、従前の料金プランは選択できず、以下の新料金プランの中から選択することになっていた。2007年11月26日以降は、それ以前に新規発売された端末を利用する場合に限りこのプランを利用できる。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "「無料通信分」は利用料金の先払い予約分であり、プランごとの単価に基づいて利用料金が精算され、無料通信分を使い切った後利用料金が加算開始される。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "無料通信分はパケット通信料としても利用が可能。また余った無料通信分は2か月先まで繰り越し利用ができる。また、2005年2月より、2か月先まで使い切れなかった分は、ファミリー割引を契約している家族で共有できるようになった。なお、割引サービスが適用されても、無料通信分が減ることはないため、高額の料金プランにおいては、割引適用状況によっては支払った基本使用料を上回る金額を無料通信として利用できる仕組みになっている。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "データプランは、FOMAを電話としてではなく、モデムとして利用する場合のプランである。音声通信およびiモードは利用できない。音声プランと異なり、無料通信分は「○○円分」のように利用料金の全体に適用されるのではなく、プランごとに設定された所定のパケット通信分にのみ適用される。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "新料金プラン導入後は、データプランを除いてそれまで加入していた利用者のみ継続して利用できる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "通信料単価は、地域会社・利用時間帯ごとに異なっていたので、ここでは詳しい説明を省く。(価格)は本体価格。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "2009年5月1日現在。1パケットは128バイト。2008年10月に改定された。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "1か月の総パケット数に応じて、それぞれのパケット通信料が適用される。(価格)は本体価格。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "定額料が「無料通信分」に相当するもので、パケット利用料の先払い式サービス。「パケ・ホーダイダブル」への完全移行により、2009年3月いっぱいで新規利用申し込みが完全に終了した。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "詳細は当該項を参照。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "なお、カケホーダイプランに付随するパケットパック・ケータイパックについては同プラン利用時に使用可能である。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "(価格)は本体価格。定額対象外となる通信については、一律で1パケットあたり0.0216円(本体0.02円)の料金が別途請求される。またパケ・ホーダイダブルやBiz・ホーダイダブルにおいては、5,838パケットまでは定額401円(本体372円)で、それを超えたら1パケットあたり0.0864円(本体0.08円)で課金される。各上限に達すると再び定額となり、それ以上課金されない。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "概要は以下に示すが、現在新規利用可能なサービスについては当該項を参照のこと。これは、定額制と従量制の併用、定額料値下げにより、料金体系が複雑になっているためである。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "以下では基本料金およびパケット通信以外の付加サービスおよびその料金を挙げる。",
"title": "料金"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "ドコモのPHSサービスが2008年1月7日をもって停波したため、それに先駆けてPHS定額データ通信サービス@FreeDの代替サービスとして2007年10月22日に開始された。",
"title": "定額データ通信サービス"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2009年6月に新規受付は終了している。",
"title": "定額データ通信サービス"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "なお、FOMAハイスピード対応端末でのサービスとなる理由は、伝送効率の良い方式が必要なためである。",
"title": "定額データ通信サービス"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "個別記事のある項目に関しては備考は省略している。詳細は各記事を確認。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "なお、備考欄に×印があるモデルは法人専用モデルで、ドコモショップなど一般の販売店では一切取り扱っておらず、一般向けカタログにも記載されていない(他社は一般向けカタログにも小さく掲載している)し、これらのモデルのカタログは個人客は請求・閲覧もできない。ドコモグループ各社の法人営業担当者から直接購入することになる。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "FOMAの最初に出たシリーズ。2000年代を意味して、2000番台となった。当初は音声端末・通信端末が発売されたが、2004年以降は通信端末のみ2xxxを名乗った。2008年11月に新型式に移行した。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "最初に出たFOMA端末である。2000番台の型番はIMT-2000による。またiモード機能の搭載が当然となっていたことから、型番に「i」を付けずロゴもない。初期ものゆえか、全体的に電池の持ちが悪く、また筐体も大きかった。この頃の機種によりFOMAの「デカイ、繋がらない」のイメージが定着してしまった。テレビ電話機能付き。iアプリは503相当のものに対応している。P2101V以外はiモーションに対応している。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "2101と同じく、最初に出たFOMAのグループである。カメラは無く、テレビ電話未対応である他は、2101シリーズと仕様は変わらない。N2001以外はiモーションに対応している。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2002年4月22日に発売されたダイヤルアップルーター(DUR)内蔵モデル。法人向け製品で(仮設事務所等での使用を想定したもの)、一般に市販はされない。報道発表資料では200台生産と記載されているが、実際の納入台数は不明。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "本体は家庭用ファクシミリをB5ファイルに収まる大きさにしたような形状で重さは約680グラムと、唯一無二のDUR搭載の可搬型MWA端末としてそのコンパクトさは優れていた。無線WANとして下り384k、上り384kまでのパケットデータ通信に対応している。SH2101Vに先駆けてBluetooth接続のハンドセット型子機が搭載されており、通信圏内であれば離れた場所から通話する事も可能である。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "いわゆる「新FOMA」の第1弾(FOMAの端末としては第二世代)である。以前の機種より電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。カメラは付いているがiショット用でテレビ電話に対応しない。51という型番は、カメラ付きという事からmovaの251iシリーズに由来。外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。iモーションの方式がMP4に変更になった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "「新FOMA」の第2弾(FOMAの端末としては第二世代)である。2051の特徴を引き継ぎ、電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。これらの機種が出た頃より、FOMAのパケット代が安いというメリットが認められはじめ、FOMAユーザが増え始めた。Nは外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "これまでの2xxxの型式ではなく、movaの50xのような型式番号を採用したモデル。906i・706iまで継続した。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "FOMAの端末としては第三世代に当たる。50xシリーズの機能を採用して、ドコモのフラッグシップ携帯として登場した。movaシリーズと共通の型番ルールを採用し、9という数字には50xの上位という意味も込め、一般向けに広くアピールした。全機種にQVGA液晶とメガピクセルカメラを搭載した。iアプリは505iの規格をさらに拡張し、500KB(ダウンロード100KB、スクラッチパッド400KB)の仕様になった。開発の初期段階では、2103Vとされていた。2005年5月のプレスリリースで900i及び900ixを1098万台発売したと発表した。FOMA普及にかなり貢献したシリーズだが「着うたをメール着信音に設定できない」「全体的に動作の機敏さに欠ける」などの問題が残されていた。イメージキャラクターは坂口憲二と長谷川京子(同コンビで901iSシリーズまで起用。CMソングには交響曲第9番 (ベートーヴェン)の小西康陽やケン・イシイ・石野卓球らによるアレンジバージョンを起用。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "900i、900ixの後継端末。共通機能はもちろんのこと、それぞれの個性のある端末となっている。共通機能は主に着うたや着モーションの最大再生容量を300KBから500KBに拡大、iモードメールの添付ファイルの最大容量も100KBから500KBに拡張、ツインスピーカー搭載、iアプリの3Dグラフィックス機能強化、Flashからの端末情報取得、外部からのコンテンツに対して問題要素を検出する「セキュリティスキャン機能」を搭載しているなど、iモードにまつわる機能が強化されている。また、全機種でデジタルオーディオプレーヤー機能が正式対応になった。(連続再生に対応するのはD,F,SHのみ)",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "なお、型番にiCが付く端末はiモードFeliCaにも対応している(モバイルSuicaには非対応)。FeliCaチップの供給数に余裕が無いため全機種対応にならなかった。予定されていた800MHz帯とのデュアルバンド機能は、800MHz帯再編をめぐるソフトバンクの動きから見送られ、901iSから搭載された。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "2005年5月17日にドコモよりプレスリリースされた。元々、2005年1月に公表されたロードマップに2005年度中の投入が公表されていた。iモードFeliCaに全機種対応(F、DはモバイルSuicaには非対応)。よって、これまでFeliCa端末を示していた「iC」ではなく「iS」を名乗る事になった。このシリーズから800MHz帯「FOMAプラスエリア」のデュアルバンド対応となり、山間部などでエリアが拡大した。また、901iS以降の機種同士であれば音声通話中にテレビ電話への切り替えができるようになる。 D、F、Pは自動時刻補正に対応。また、PDFファイルの閲覧やダウンロードができるAdobe Reader LEを搭載する。(SHは、Excel、Word、Powerpointの閲覧が可能なPicsel Viewerも備える。) このシリーズ以降、FOMA発売以来使われてきた初代ロゴが無くなる。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "2005年10月19日にSH902i、N902i、D902i、P902i、F902i、SO902iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として、定額制プランも用意しトランシーバーのような通話が可能な「プッシュトーク」、「iモードFelica」の新機能である「トルカ」サービスに対応。701iに搭載されたiチャネルにも対応している。iアプリは容量は変わりないが、HTMLの仕様がバージョンアップしている。902iでは、従来までFOMAの課題となっていたキーレスポンスのもたつきの解消に力が入れられており、今まで特に遅いとされていたP,NといったLinux OS採用端末のレスポンスもかなり快適になっている。イメージキャラクターは一新され、KAT-TUNの亀梨和也と赤西仁を起用。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "2006年5月11日にD902iS、F902iS、N902iS、P902iS、SH902iSがドコモよりプレスリリースされた。新機能として1.7GHz帯の対応、DCMXアプリのプリセット、着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名、電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応等がある。また、P902iSはドコモ初の着うたフルに対応、N902iS、P902iSが3Gローミングに対応し、F902iSは、Windows Media Audio形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術(DRM)に対応している事などより、Napster Japan等の有料音楽配信サイトの利用もできる。イメージキャラクターはKAT-TUNのメンバー全員(903iシリーズまで起用)。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "2006年10月12日にD903i、F903i、N903i、P903i、SH903i、SO903iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として全機種にGPS搭載した。このため、ケータイお探しサービスに対応している他、警察(110番)・消防(119番)等に通報した際の位置特定もできる。イマドコサーチにも適している。またメガiアプリに対応。容量が1MBに拡張されダウンロード、スクラッチパッドの区切りが無くなった。また、外部メモリーカードにソフトを保存できる事で、さらに容量があるソフトの作成もできる。おサイフケータイ関連では、felicaのメモリー容量が約3倍に拡大され、モバイルSuicaなど多くのメモリーを必要とするICアプリも複数使用できるようになった。その他、着うたフル、IC通信、3Gローミングに対応している。SH903i、D903i、F903i、N903iはきせかえツールに対応している。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "また、903iシリーズのうち、D903i、SH903i、F903iの三機種は、Windows Media Audio形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術(DRM)に対応している事などより、Napster Japan等の有料音楽配信サイトの利用もできる(2007年12月31日まで、Napsterを2週間無料で使えるキャンペーンを行っている)。SO903iは、ATRAC3形式及び、MP3形式の音楽ファイル再生にも対応している。N903i、P903i、SH903iはSD-Audio対応で、長時間再生が可能となった。SH903iのみWindows Media AudioとSD-Audioの二つの形式に対応している。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "イメージキャラクターは902iシリーズ・902iSシリーズに引き続きKAT-TUN(赤西も一部出演)。一方カメラのイメージセンサは、SH903i、D903iがCCD(スーパーCCDハニカムではない)、P903iがνMaicoviconを搭載し、ほかはすべてCMOSイメージセンサに変更された。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "2007年4月23日にDoCoMo2.0の最初のシリーズとして、D904i、N904i、SH904i、P904i、F904iがドコモよりプレスリリースされた。今回より型式ルールの見直しより、903iSではなく904iとなった。(なおN904iは日本での発表前にミラノサローネで公開されていた。)新機能として音楽を定額で利用できるうた・ホーダイに対応した。また2in1と呼ばれる、1台の端末で2つのメールアドレスと電話番号を使用できるサービスに対応。一部を除き直感ゲーム(携帯本体を振るなど体を使ってプレイする)に対応。またP904iがフルブラウザを搭載した事で、全機種フルブラウザ対応になった。全機種でWindows Media Audio、3Gローミングに対応。N904iのみHSDPAに対応。F904iのみワンセグに対応。尚、ソニー・エリクソンの新機種は発表されていないが、2007年1月に発表済のSO903iTVはこの904iシリーズが全て出揃った後にようやく発売されている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "2007年11月1日に905i企画端末(N905iBizを除く)、705iシリーズとともにD905i、N905i、SH905i、P905i、F905i、SO905iがドコモよりプレスリリースされた。 全機種VGA以上の画面解像度、Flash Lite3、ワンセグ、FOMAハイスピード、GSMローミング、緊急速報エリアメール、バージョンアップしたきせかえツールが標準搭載(一部機能非搭載機種あり)。 新サービスとしてはミュージックチャネルが動画に対応しMusic&Videoチャネルとなった。また、iアプリ・直感ゲームが音声入力に対応した。D905iは最後の三菱電機製の9シリーズとなった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "2008年5月27日に906i企画端末、706iシリーズとともにN906i、SH906i、P906i、F906i、SO906iがドコモよりプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "movaの25xiシリーズに相当する普及ラインの端末。2005年2月2日にF700i、SH700i、N700i、P700iがドコモよりプレスリリースされた。90xiよりも端末値段を1万円前後下げて、より一層のFOMA普及を図る。全ての端末に、QVGA液晶、デコメールやFlash対応など、できるかぎり901iのプラットフォームを活用しているが、iアプリの性能は506i相当の230KB(ダウンロード30KB、スクラッチパッド200KB)に、メガピクセル級のカメラを搭載とあえて抑えている。800MHz帯デュアルバンド対応は901i同様、ソフトバンクとの係争により見送られている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "2005年7月12日にF700iS、SH700iSがドコモよりプレスリリースされた。700iシリーズのセカンドモデル。800MHz帯とのデュアルバンド「FOMAプラスエリア」に対応する以外は700iシリーズとの機能の違いはない。8月3日にSA700iSがプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "2005年8月3日にD701i、N701i、P701iDがドコモよりプレスリリース。700iの後継モデル。このシリーズからニュースなどを自動配信する「iチャネル」に対応する。音声通話中にテレビ電話への切り替えが可能。また、901iSシリーズ同様に800MHz帯のデュアルバンド対応「FOMAプラスエリア」対応。それ以外の機能はほぼ700iSと同じ。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "2006年1月17日にF702iD、SH702iD、N702iD、P702i、D702iがドコモよりプレスリリース。701iの後継モデル。70xシリーズより廉価なモデルが出ることになったことより、個性派モデルになっている。機種によっては90xの機能を取り込んだモデルもある。2005年11月・12月にJATEを通過した。5月11日にSA702i、SO702iがドコモよりプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "2006年7月4日にD702iF、P702iD、N702iS、SH702iS、M702iS、M702iGがドコモよりプレスリリース。702iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。機種によって70xベースと90xベースに分かれる。1.7GHz帯には対応しない。2005年11月・12月にJATEを通過した。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "2007年1月16日にD703i、F703i、N703iD、P703i、SH703i、SO703iがドコモよりプレスリリース。702iSの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。iアプリは、最低でも500kアプリに対応。D703i、F703i、P703i、SH703i、SO703iではメガアプリに対応している。全機種着うたフルに対応している。GPSには非対応。ドコモ中国管内では「902iSを超えた703i」のキャッチコピーで販売されている。この703iシリーズより70xシリーズの高機能化が顕著になり、徐々に9xxiシリーズとの格差が縮まってきた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "2007年7月4日にD704i、F704i、P704i、SH704i、SO704i、L704iがドコモよりプレスリリース。703iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。D704i、SH704iではワンセグに対応している。L704iはハイスピードに対応している。2007年春以降発売の機種は原則GPS搭載としているのに704iシリーズでは搭載されておらず、これ以後の70xシリーズについても搭載しないという姿勢を貫いている。これについてドコモは薄型のためにやむをえなかったとしている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "2007年11月1日に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。 ワンセグ搭載機種が4機種、L705i及びNM705i以外はおサイフケータイに対応している。デザイン家電ブランドamadanaとのコラボレーション端末N705iまた、ノキアが初めて7シリーズを開発した。D705i、D705iμは三菱電機最後の携帯電話となった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "2008年5月27日に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。今回は企画端末以外のP70xシリーズが発売されない。前述の通り型番変更が発表されたため、旧型番最後のシリーズとなった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "900i以降(904/702除く)、超薄型モデル(iμ)や高速通信対応モデル(iX)、ワンセグやカメラなど一部の機能に特化したモデル(iTV/iCS)、無線LAN搭載モデル(iL)など通常モデルとは違い機能やデザイン面で個性的なモデルである。ただし、これらのモデルは通常の90x/70xシリーズから標準機能(GPS、国際ローミング等)が省かれていることも多いが、近年のモデルでは多機能化してきている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "なお、706iシリーズから登場した706ieシリーズは実質的に60xシリーズの後継に当たるもので、「easy」&「enjoy」をコンセプトにしたものである。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "900i第2弾。基本性能は大きく変わらないが、新機能が多く盛り込まれている。2004年6月1日に、F900iT・P900iV・N900iSの3機種を発表。F900iTはタッチパネル・Bluetoothを搭載し、P900iVは強化されたムービー撮影・再生機能を搭載。N900iLは無線LAN搭載端末で、主に企業のVoIPを使った内線とのデュアル用に発売されている。PASSAGE DUPLEやビジネスmoperaIPセントレックスなどに対応している。N900iGはドコモの国際ローミングサービス(ワールドウィング)に対応した最初のモデルである。F900iCはFOMAとしてはおサイフケータイに対応した第1号の機種である(モバイルSuicaには非対応)。デコメール改善などの細かなバージョンアップにとどまるNEC製は単に900i\"S\"になっている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "901i系企画端末として、ワンセグ携帯のP901iTVが発売されている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "2006年5月11日に企画端末として、902iSシリーズと同時にSO902iWP+、N902iX HIGH-SPEED、DOLCE SLがプレスリリースされた。新機能としてDCMXアプリのプリセット等がある。また、N902iX HIGH-SPEEDとSH902iSLでは着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名に対応。SH902iSLでは電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応に対応。N902iX HIGH-SPEEDでは着うたフル、ミュージックチャネルに対応。902iSシリーズとは違い1.7GHz帯、バイオ認証、3Gローミングには対応しない。また、2006年10月12日に903iシリーズと同時にN902iLがプレスリリースされた。N900iLの後継機であり、それまでサポートされていなかったIEEE 802.11gとFOMAプラスエリアが対応になった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "2006年10月12日に企画端末として、903iシリーズと同時にSH903iTV、D903iTV、P903iTV、P903iX HIGH-SPEED、F903iX HIGH-SPEEDがプレスリリースされた。P901iTVに次いでワンセグ対応端末が3機種、N902iX HIGH-SPEEDに次いでHSDPA対応端末が2機種が予定されている。ノーマルの903iと異なり、3Gローミング、GPSには非対応なので注意が必要。また、2007年1月16日にSO903iTVが703iシリーズと同時に発表された。2007年3月14日にビジネス向けのF903iBSCが発表された。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "2007年11月1日に905i、705iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた(N905iBizを除く)。 N905iμは9シリーズでは初めての薄型μ端末である。SH905iTVはドコモではSH903iTVに続く2代目のAQUOSケータイである。SO905iCSはサイバーショットケータイとし、ソニーのデジタルカメラブランド「サイバーショット」を冠している。 P905iTVはVIERAケータイとし、Panasonicの液晶、プラズマテレビのブランド「VIERA」を冠している。 N905iBizは2007年12月3日に発表された法人専用モデルで、N905iμベースでカメラ非搭載。F905iBizは2008年2月12日に発表された法人専用モデルで、F905iベース。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "2008年5月27日に906i、706iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "2005年8月3日にMusic Porter IIがドコモよりプレスリリース。2006年3月2日にN701iECOがドコモよりプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "2007年1月16日に企画端末として、703iシリーズと同時にN703iμ、P703iμがプレスリリースされた。両モデル共に折りたたみ式第三世代携帯電話端末として世界最薄(2007年2月現在)となる厚さ11.4mmの端末である。1.7GHz帯には対応しない。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "2007年7月4日に企画端末として、704iシリーズと同時にN704iμ、P704iμがドコモよりプレスリリース。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "2007年11月1日に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。L705iXはワンセグを搭載。L705iX以外の全機種でおサイフケータイに対応している。折りたたみ携帯世界最薄9.8mmのN705iμ、P705iμや7.2MbpsHSDPAに対応したL705iXなどが登場した。また、2008年3月11日にはSH705iのマイナーチェンジモデルであるSH705iIIもドコモよりプレスリリースされた。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "2008年5月27日に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。また8月26日にはN705iの新色モデルであるN706iIIもドコモよりプレスリリースされている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "movaでいう600番台で、特殊モデルに割り当てている。なお、800番台はもともとはドッチーモ(PDCとPHSの複合機)に割り当てられていたもので、すでに使われている81x、82x、83xを避ける格好になる。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "原則「キッズケータイ」に付けられているが、下記のように例外もある。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "9や7等のどのシリーズにも属さない企画端末に割り当てられている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "88x系は一貫して「らくらくホン」シリーズで展開されている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "詳しくはSIMPURE参照の事。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "以下の端末はiモードには対応せず、パケ・ホーダイが利用できないが、Biz・ホーダイの対象にはなる。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "ドコモは2008年11月5日、従来の番号によりシリーズを区別していた形を改め、明確なコンセプトによるシリーズ分けとすることを発表し、同時に、それぞれのシリーズに属する端末も発表された。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "番号の形式は単純にリリース順で付けられるようになったため、購入にあたっては、どのシリーズに属しているかを確認する必要がある。この法則はかつての9シリーズ、7シリーズだけではなく、今後発売されるすべての端末に適用される。理由としては70Xシリーズのワンセグ・HSDPA・おサイフケータイ対応などにより相対的に高機能化が進み、機能での棲み分けが困難になってきたことが挙げられている。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "上位機種では、iコンシェル、iウィジェット、iアプリオンラインに新たに対応し、FOMAハイスピードがダウンロード7.2Mbps・アップロード5.7Mbpsに高速化し、Bluetoothの搭載数が大幅に増加した。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "らくらくホンシリーズ、キッズケータイシリーズは第五のコンセプトとして独立して取り扱う方針。またデータ通信端末も新型番で発売される。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "なお、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズは、SO706i以降、ドコモへの端末供給を一時休止していたため、「SO-xxA」という型番が割り振られた端末は存在せず、2010年4月発売を予定するSO-01Bが新型番初の端末となった。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "また、本シリーズよりメーカーによって異なっていた文字入力の仕様などがほとんどの機種で統一された。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "各シリーズに属する端末は下記のリンクを参照。「ドコモ スマートフォン」は「PRO」シリーズからスマートフォンのみ分割され、2010年1月に新設された。なお、「SMART」・「PRO」シリーズを色違い表現としたのは単にリンクを見易くするためのもので、リンク以外の部分の背景色が正式な色である。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "2011年10月よりスマートフォンを主軸にしたシリーズ分けに改められ、これまでの「ドコモ スマートフォン」は新たに「with」・「NEXT」シリーズに分割され、従来のiモード対応携帯電話はらくらくホンを除き全て「STYLE」シリーズに集約された。なお「ドコモ タブレット」は先行して2011年9月より展開している。またFOMAだけではなく、3.9GのXi(クロッシイ)対応の音声端末・タブレット端末もこの5シリーズのどれかに属することになる。",
"title": "通信端末"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "2013年5月より再度シリーズの再編が行われ、「with」・「NEXT」は再び「ドコモ スマートフォン」に集約され、「STYLE」は「ドコモ ケータイ」に名称が改められた。他にも「docomo らくらくホンシリーズ」は「ドコモ らくらくホン」に変更、キッズケータイ・ジュニアケータイと名称が混載していた低年齢層向けの端末は「ドコモ キッズ・ジュニア」とシリーズ名が付けられ、「ドコモ タブレット」と合わせてすべてのシリーズ名が「ドコモ○○」に統一された。",
"title": "通信端末"
}
] | FOMA(フォーマ)は、NTTドコモのIMT-2000 (W-CDMA) サービス。英語: Freedom Of Mobile multimedia Access(マルチメディアへの移動体のアクセスの自由)の略。第3世代移動通信システム(3G)である。2026年3月31日にサービス終了が予定されており、新規で契約することはできない。 | {{出典の明記|date=2023年11月}}
{{otheruses|[[NTTドコモ]]の移動通信システム|その他|Foma}}
'''FOMA'''(フォーマ)は、[[NTTドコモ]]の[[第3世代移動通信システム|IMT-2000]] ([[W-CDMA]]) サービス。{{lang-en|'''F'''reedom '''O'''f '''M'''obile multimedia '''A'''ccess}}([[マルチメディア]]への移動体のアクセスの自由)の略。[[第3世代移動通信システム]](3G)である。2026年3月31日にサービス終了が予定されており、新規で契約することはできない。
[[ファイル:Foma-Fuyu.jpg|280px|thumb|[[スキー場]]でのFOMAエリア表示板]]
[[ファイル:FOMAが使えます (2888909147).jpg|280px|thumb|[[電柱]]に取り付けられたFOMAエリア表示板]]
[[ファイル:docomoP2101V.jpg|200px|thumb|FOMA第1号TV電話,P2101V]]
[[ファイル:NTT DoCoMo FOMA card chip new white.jpg|200px|thumb|FOMA用[[ドコモUIMカード]](FOMAカード)]]
== 実用化・普及までの経緯 ==
NTTドコモは、旧社名であった「NTT移動通信網」時代の1994年頃から、[[IS-95]]([[cdmaOne]])とは異なる方式として、大容量通信が可能な[[第3世代移動通信システム|次世代携帯電話]]の技術研究開発に着手する。
[[1995年]]12月には、当時の[[郵政省]]から[[無線局免許状]]を得て、[[千葉県]][[船橋市]]で[[W-CDMA]]技術を用いた2M[[ビット毎秒|bps]]での伝送に成功した。[[1996年]]からは、'''IMT-2000X'''(2GHz周波数帯を利用し、2001年頃のサービスインを目標とした新移動通信規格の意)策定と実用化に向けての開発が、[[エリクソン]]・松下通信工業(現:[[パナソニック モバイルコミュニケーションズ]])・[[富士通]]・[[日本電気|NEC]]・[[三菱電機]]・[[東芝]]など複数の移動体設備機器関連メーカーや[[郵政省]]等公的機関と共同で進められ、[[1998年]]には大容量通信を活かした[[テレビ電話]]機能などを搭載した[[モックアップ]]機がビジネスショーなどに登場した。
しかし、モノクロ液晶の[[mova]]([[F501i|501i]]シリーズ)で[[iモード]]サービスが開始された時期に、高速通信や動画再生などの演算処理が行える高度な[[半導体]]が求められ、生産技術が未だ追いつかない状況だった。それでも1999年から既存のmovaによるiモードの成功や携帯電話端末の価格低下に伴う購入容易化から爆発的に回線数が増加し周波数帯が逼迫してきた状況から、「IMT-2000」計画による、2001年の実用化が求められた。
韓国勢など世界各国の関係企業・団体で構成された[[3GPP]]でのW-CDMA仕様決定前に、ドコモが自社と日欧パートナー企業で開発を推した'''[[DS-CDMA]](IMT-DS)'''形式で次世代移動通信サービスの開始へ準備を進めた。3GPPが遅れて策定した、後に「[[UMTS]]」や「3G」の名称で世界的に普及する'''Release99'''形式と互換性がなかった。結局[[ソフトバンクモバイル|J-フォン]]([[SoftBank 3G|VGS]])をはじめとして、その後にW-CDMA([[UMTS]])を採用したキャリアは、さらに新しいRelease4(別称:Release2000)を使用していたため、[[PDC]]方式に続き、世界で孤立した。
<!--特に、都市部の[[ターミナル駅]]周辺では、状況によっては(金曜の夜、俗に言う「花金」など)通話用のチャンネルが満杯となってつながりにくいこともあり、チャンネルあたりの占有周波数を半分にするハーフレート化を行ったり、他社の営業譲渡を受け周波数帯を拡大したり、自動的に1.5GHz帯も利用するデュアル端末(211i/504i以降)を発売したりしていたが、限界が来るのははっきりしていた。-->
=== サービス開始へ ===
[[2000年]]11月にはこの次世代移動体通信サービスの名称を「'''FOMA'''」に決定し、2001年5月よりおおむね[[国道16号]]線内側の東京都内・[[横浜市]]・[[川崎市]]をサービスエリアとして商用実用化することを発表した。しかし、サービススタートを急いだ余り、サービスエリアや携帯電話端末・交換機といった設備を検証する必要性から、[[2001年]]4月にドコモ(中央)インターネット公式サイトを中心に、サービスエリア内で端末を使える個人・法人モニターを4500人募集し、[[5月1日]]よりモニター試験の形でサービス運用を開始した。モニター端末は10月のサービス開始時に市販化される[[N2001]]か[[P2101V]]、[[データ通信カード]]型の[[F2401]]が貸与された。そして'''同年[[10月1日]]に世界で初めて第3世代携帯電話の正式サービスを開始'''した。
[[宇多田ヒカル]]の新曲「[[traveling (宇多田ヒカルの曲)|traveling]]」を起用した宣伝活動を9月末より大々的に展開し、サービスが開始されたが、当初発売されたFOMA音声端末のN2001とP2101Vは、503iと同程度の機能+高速データ通信(P2101Vは内蔵カメラによる写真メールやテレビ電話)といった程度にもかかわらず、同時期に発売された503isシリーズと比べて厚みと重みがあり、一回り以上大きいサイズである上、連続待ち受け時間が公称55時間([[新幹線]]などで遠距離を高速移動をすると[[ハンドオーバ]]の位置情報通知により2時間程度で消耗する)と極端に短かった。このため初期のシリーズは電池パックが2個付属していた。
サービスエリアについては、2GHzの周波数帯を使用するW-CDMA(DS-CDMA)の通信方式が未熟で、端末が前世代のmovaとのデュアル方式でなかったために、1995年に登場した初期の[[PHS]]並に「つながらない・圏外になる・切れる」などの不満が頻発した時期もあった。周波数の特性上、サービスエリア内でもアンテナが設置されていない地下街やトンネル・ビルの高層階などではほとんど圏外であった。このFOMA開始時の反省から後継サービスのXiの端末は、前世代のFOMAとのデュアル方式となりエリア問題に対処した(Xiエリア外ではデータ通信速度は低下するものの音声通話はほぼ全国で可能とした)。
コンテンツ関連ではmovaのiモードメニューと互換性が無く、40 - 60%程度の[[公式サイト (携帯電話)|メニューサイト]]が未対応であった。これらの要素から一般市場に受け入れられなかったとされる。しかし、2001年11月にはサービスインから出遅れた形ではあるものの[[iモーション]]がスタートし、2004年に[[第2世代携帯電話]]からの乗換を狙って積極的に展開する900iシリーズが登場するまでは、FOMAは最先端の携帯電話であることを感じさせる製品群が揃っていた。
=== ドコモの主流はFOMAへ ===
2002年3月から着々とサービスエリアの拡大を続け、2004年2月にmovaよりソフト面で高性能となった900iシリーズが登場。2005年の901i/700iシリーズからはmovaと類似した型番ルールになり、movaからFOMAへの移行も進み始めた。
2004年に登場した[[iモードFelica]]([[おサイフケータイ]])のサービス開始当初は、[[P506iC]]、[[SH506iC]]、[[SO506iC]]がリリースされ、[[F900iC]]等と並行して展開された。901iシリーズでは[[SH901iC]]、[[N901iC]]、[[F901iC]]、[[P901iTV]]のみであったが、901iS以降の機種では標準装備されるようになる。また7xxiシリーズにも装備されるようになり、iモードFelicaの対象機種台数増加に拍車をかけた。
W-CDMA方式の特徴である海外[[ローミング]]への対応は、FOMAのDS-CDMA形式から世界規格となっていた[[UMTS]](Release99準拠)へアップデートを行わなければいけない問題があったが、2004年度に行われた大規模なFOMA[[基地局]]の改修工事によって急速にそれらが行われ、2005年6月に[[GSM]]やW-CDMAの国際的な相互接続認証団体の[[Global Certification Forum]]([[GCF]])の認定業者となることができた。これにより、ドコモの契約で海外渡航先でローミング利用が可能な[[WORLD WING]]サービスが大幅に拡充した。なお、Release99という規格自体は、その後のRelease4などのバージョンとも互換性が取れるものであり、これによりローミングの受け入れ体制に関する問題は解決された。
[[2006年]][[6月18日]]には契約数比率が50%を超え、2009年5月末時点では90%を超えている。2009年6月11日には契約数が5,000万件に達し
<ref>{{Cite web|和書
|date=2009-06-15
|url=https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/page/090615_00.html
|title=報道発表資料 : FOMAサービスの契約数が全国で5,000万契約を突破 | お知らせ | NTTドコモ
|publisher=[[NTTドコモ]]
|accessdate=2009年6月15日
}}</ref>
、NTTドコモの主流サービスとなった。movaは契約者数がFOMAの5分の1に満たないレベルまで減少したことから、2008年11月いっぱいで新規申し込みを終了することが同年8月に発表され、併せてmovaからFOMAへの変更事務手数料が廃止された。
また、[[2008年]][[11月5日]]の発表で、端末のラインナップを一新。番号で種類を区別する方法を止め、明確なコンセプトシリーズを4つ打ち出した。
型番は音声端末、データ通信端末の区別なく、メーカー記号+年度内の販売順+年度(秋冬モデルを基準に変更)で表された。
[[ファイル:Docomokitikyoku01.jpg|thumb|200px|FOMA基地局]]
=== Xiへの世代交代 ===
[[2010年]][[7月29日]]には、FOMAに替わる第3.9世代の[[Long Term Evolution|LTE]]サービス『[[Xi (携帯電話)|Xi(クロッシィ)]]』が発表され、同年12月よりデータ通信サービス開始。
[[2011年]]の冬モデルからXiに対応した[[スマートフォン]]が投入開始。FOMAは今後エントリーモデルや[[フィーチャーフォン]]を中心としたラインナップとなる。同時にフィーチャーフォンは従来の4シリーズ構成から[[docomo STYLE series]]に集約された。2013年夏モデル(N-01EとP-01Eの新色)からは「docomo STYLE series」から「ドコモ ケータイ」に名称が変更された(同時にNEXTやwithなどのスマートフォンも「ドコモスマートフォン」へと集約された)。
2011年12月末のFOMA契約数は約5796万契約でピークとなり、2012年1月以降減少している。また、テレビのアナログ放送終了に代表される周波数帯再編に併せ、FOMAが従前使っていた帯域の一部が段階的にXi用に転換されるなどしており、FOMAは徐々に“繋がりにくく”なっている。今後新規に割り当てられる周波数帯域については、全てがXi用に使用される方針であり、FOMAは2026年3月31日のサービス終了<ref>{{Cite web|和書|title=報道発表資料 : 「FOMA」および「iモード」のサービス終了について {{!}} NTTドコモ|url=https://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/2019/10/29_00.html|website=www.nttdocomo.co.jp|accessdate=2019-10-29|language=ja}}</ref> に向け「[[音声通話]]」主体にシフトしつつある。
== 沿革 ==
=== サービス ===
* [[2001年]][[5月]] - 試験サービス開始。
* [[2001年]][[10月]] - 正式サービス開始。
* [[2003年]][[6月]] - 50万契約を超える。
* [[2003年]][[10月]] - 100万契約を超える。
* [[2003年]][[11月]] - ドコモ中央(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・茨城県・栃木県・群馬県・山梨県・長野県・新潟県)で[[人口カバー率]]99%となる。
* [[2004年]][[1月]] - 200万契約を超える。
* [[2004年]][[3月]] - 300万契約を超える。全国で人口カバー率99%となる。
* [[2004年]][[5月]] - [[パケット割引サービス|パケットパック]]値下げ。400万ユーザーを超える。
* [[2004年]][[6月]] - 定額コース「[[パケ・ホーダイ]]」開始。
* [[2004年]][[7月]] - 500万契約を超える。
* [[2005年]][[2月]] - 1000万契約を超える。
* [[2005年]][[6月]] - [[FOMAプラスエリア]]開始。
* [[2005年]][[8月]] - 1500万契約を超える。
* [[2005年]][[11月]] - FOMAおよび[[mova]]サービス共通の新基本料金プラン導入。
* [[2005年]][[12月]] - 2000万契約を超える。
* [[2006年]][[3月]] - 「[[パケ・ホーダイ]]」が全ての新料金プランで使えるようになる。
* [[2006年]][[6月]] - ユーザー数がmovaを上回る。
* [[2006年]][[8月]] - [[HSDPA]]サービス「[[FOMAハイスピード]]」開始。
* [[2006年]][[9月]] - FOMAデータプラン価格改定&LL導入。
* [[2006年]][[10月]] - [[ドコモケータイdatalink]]提供開始
* [[2006年]][[11月]] - 3000万契約を超える。
* [[2007年]][[3月]] - 定額コース「[[パケ・ホーダイ#パケ・ホーダイフル|パケ・ホーダイフル]]」開始。発売。[[沖縄県]][[南大東村]]・[[北大東村]]をカバーし、全国人口カバー率100%となる。3500万ユーザーを超える。FOMAサービス契約数が、携帯電話・自動車電話サービス契約数全体の3分の2を超える。
* [[2007年]][[4月]] - 定額コース「[[Biz・ホーダイ]]」開始。
* [[2007年]][[5月]] - [[2in1 (NTTドコモ)|2in1]]、[[直感ゲーム]]、定額コース「[[うた・ホーダイ]]」サービス開始。
* [[2007年]][[9月]] - 4000万契約を超える。
* [[2007年]][[10月]] - 定額制データ通信「[[定額データプランHIGH-SPEED]]」、「[[定額データプラン64K]]」サービス開始。
* [[2007年]][[11月]] - 905iシリーズの発売に合わせて、料金体系を改定([[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]・[[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]を導入)。
* [[2008年]][[4月]] - FOMAハイスピードを受信時最大7.2Mbpsに向上。
* [[2008年]][[10月]] - パケット料金体系を改定し、一部を除いて「[[パケ・ホーダイ#パケ・ホーダイダブル|パケ・ホーダイダブル]]」に移行。
* [[2008年]][[12月]] - FOMAハイスピードエリアの人口カバー率が100%となる
* [[2009年]][[6月]] - 5000万契約を超える。
* [[2009年]][[6月26日]] - FOMAハイスピードを送信時最大5.7Mbpsに向上。
* [[2009年]][[7月1日]] - [[お便りフォトサービス]]用の新プラン、[[定額ユビキタスプラン]]開始
* [[2009年]][[12月1日]] - [[メール使いホーダイ]](タイプシンプル・タイプシンプルバリュー開始)
* [[2011年]][[6月13日]] - FOMAハイスピードを受信時最大14Mbpsに向上。
* [[2011年]][[12月]] - FOMAサービス約5796万契約のピークに達し、2012年1月以降減少が始まる。
* [[2012年]][[8月1日]] - [[らくらくスマートフォン|らくらくスマートフォン(F-12D)]]用の新プラン、らくらくパケホーダイ開始
* [[2014年]][[4月10日]] - FOMA および Xi サービス共通の新料金プラン「カケホーダイ&パケあえる」を発表<ref>[https://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/2014/04/10_00.html 新たな料金プランおよび割引サービスを提供開始|NTTドコモ報道発表 2014年4月10日]</ref>。
* [[2019年]][[9月30日]] - FOMA音声プラン・iモードの新規受付を終了<ref>[https://web.archive.org/web/20190415144012/https://japanese.engadget.com/2019/04/15/i-foma-9/ ドコモ、「iモード」と「FOMA」音声プランの新規受付を9月で終了] engadget 日本版 2019年4月15日</ref>。
* [[2019年]][[10月29日]] - 「FOMA」および「iモード」のサービス終了予定を発表。
* [[2026年]][[3月31日]](予定) - サービス終了、[[停波]]。
=== 端末 ===
* [[2001年]][[10月]] - [[N2001]]、[[P2101V]]、[[P2401]]発売。
* 2001年[[11月]] - [[N2002]]発売。
* [[2002年]][[3月]] - [[D2101V]]発売。
* 2002年[[4月]] - [[F2611]]発売。
* 2002年[[6月]] - [[P2002]]発売。
* 2002年[[7月]] - [[SH2101V]]発売。
* 2002年[[9月]] - [[T2101V]]発売。
* [[2003年]][[1月]] - [[F2051]]、[[N2051]]発売。
* 2003年3月 - [[P2102V]]発売。
* 2003年6月 - [[N2701]]発売。
* 2003年7月 - [[F2102V]]、[[N2102V]]発売。
* 2003年9月 - [[F2402]]発売。
* 2003年11月 - [[P2402]]発売。
* [[2004年]][[2月]] - [[F900i]]、[[N900i]]、[[P900i]]発売。
* 2004年3月 - [[SH900i]]発売。
* 2004年6月 - [[D900i]]、[[F900iT]]、[[N900iS]]、[[P900iV]]発売。
* 2004年[[8月]] - [[F900iC]]発売。[[おサイフケータイ]]初対応FOMA
* 2004年9月 - [[FOMAらくらくホン|FOMAらくらくホン(F880iES)]]発売。
* 2004年11月 - 企業向けに[[PASSAGE DUPLE]]等[[モバイルセントレックス]]対応機種[[N900iL]]発売。
* 2004年[[12月]] - [[F901iC]]、[[N900iG]]([[国際ローミング]]([[World Wing]])初対応FOMA)、[[SH901iC]]発売。
* [[2005年]]1月 - [[N901iC]]発売。
* 2005年2月 - [[D901i]]、[[P901i]]、[[F700i]]、[[SH700i]]発売。
* 2005年3月 - [[N700i]]、[[P700i]]発売。
* 2005年6月 - [[D901iS]]、[[F901iS]]、[[N901iS]]、[[P901iS]]、[[SH901iS]]発売。
* 2005年7月 - [[F700iS]]、[[SH700iS]]、[[M1000]]発売。
* 2005年8月 - [[DOLCE (携帯電話)|DOLCE]]([[SH851i]])、[[FOMAらくらくホンII|FOMAらくらくホンII(F881iES)]]発売。
* 2005年9月 - [[D701i]]、[[N701i]]発売。
* 2005年10月 - [[SA700iS]]、[[P701iD]]発売。
* 2005年11月 - [[D902i]]、[[F902i]]、[[N902i]]、prosolid II([[P851i]])発売。
* 2005年12月 - [[P902i]]、[[SH902i]]、Music Porter II([[D701iWM]])、[[らくらくホンシンプル|らくらくホンシンプル(D880SS)]]発売。
* [[2006年]]2月 - [[F702iD]]、[[N702iD]]、[[P702i]]、[[SH702iD]]発売。
* 2006年3月 - [[N701iECO]]、[[D702i]]、キッズケータイ([[SA800i]])、[[NM850iG]]、[[P901iTV]]、[[SO902i]]発売。
* 2006年4月 - SIMPURE N([[N600i]])、SIMPURE L([[L600i]])、MUSIC PORTER X([[D851iWM]])発売。
* 2006年[[5月]] - [[SO702i]]、[[SH902iS]]発売。
* 2006年6月 - [[D902iS]]、[[F902iS]]、[[N902iS]]、[[P902iS]]、[[SO902iWP+]]発売。
* 2006年7月 - [[DOLCE SL]](SH902iSL)、[[SH702iS]]、[[SA702i]]発売。
* 2006年8月 - [[P702iD]]、[[N702iS]]発売。[[FOMAハイスピード]]」対応[[N902iX HIGH-SPEED]]発売。
* 2006年9月 - [[FOMAらくらくホンIII|FOMAらくらくホンIII(F882iES)]]、[[D702iF]]、[[M2501 HIGH-SPEED]]発売。
* 2006年10月 - [[SH903i]]発売。
* 2006年11月 - [[P903i]]、[[D903i]]、[[F903i]] 、[[N903i]]、[[SIMPURE L1]]、[[SO903i]]発売。
* 2006年12月 - SIMPURE N1([[N601i]])、[[M702iS]]、[[M702iG]]発売。
* [[2007年]]1月 - [[N703iD]]発売。
* 2007年2月 - [[P703i]]、[[F703i]]、[[D703i]]、[[P703iμ]]、[[SH703i]]、[[D800iDS]]、[[N902iL]]、[[D903iTV]]、[[F903iX HIGH-SPEED]]、[[N703iμ]]、[[SO703i]]、[[P903iTV]]、[[SH903iTV]]発売。
* 2007年3月 - [[F903iBSC]]発売。
* 2007年4月 - [[M702iS|M702iS DOLCE&GABBANA]]、[[らくらくホンベーシック|らくらくホンベーシック(F883i)]]、[[P903iX HIGH-SPEED]]発売。
* 2007年5月 - [[N904i]]、[[SH904i]]発売。
* 2007年6月 - [[F904i]]、[[D904i]]、[[P904i]]、[[SO903iTV]]、[[SIMPURE L2|SIMPURE L2(L602i)]]発売。
* 2007年7月 - [[SO704i]]、[[F704i]]、[[N704iμ]]、[[SH704i]]、[[P704iμ]]発売。
* 2007年8月 - [[らくらくホンIV|らくらくホンIV(F883iES)]]、[[D704i]]、[[P704i]]発売。
* 2007年10月 - [[A2502 HIGH-SPEED]]、[[L704i]]発売。
* 2007年11月 - [[D905i]]、[[F905i]]、[[N905i]]、[[N905iμ]]、[[P905i]]、[[SH905i]]、[[SO905i]]発売。
* 2007年12月 - [[N905iBiz]]発売。
* [[2008年]]1月 - [[SH905iTV]]、[[P705i]]、[[D705i]]、[[D705iμ]]発売。
* 2008年2月 - [[N705i]]、[[SO905iCS]]、[[SH705i]]、[[N705iμ]]、[[P705iμ]]、[[F905iBiz]]、[[L705i]]発売。
* 2008年3月 - [[P905iTV]]、[[P705iμ|PROSOLID μ]]、[[NM705i]]、[[L705iX]]、[[F1100]]、[[N2502 HIGH-SPEED]]発売。
* 2008年4月 - [[SH705iII]]、[[らくらくホンプレミアム|らくらくホンプレミアム(F884i)]]、[[らくらくホンIVS|らくらくホンIVS(F883iESS)]]発売。
* 2008年5月 - [[らくらくホンベーシック|らくらくホンベーシックS(F883iS)]]発売。
* 2008年6月 - [[P906i]]、[[L852i|PRADA Phone by LG(L852i)]]、[[SH906i]]、[[F906i]]、[[N906iμ]]、[[N906i]]、[[F706i]]、[[N906iL]]、[[SH906iTV]]、[[HT1100]]発売、[[OP2502 HIGH-SPEED]]発売中止決定。
* 2008年7月 - [[N706i]]、[[SO706i]]、[[SH706i]]、[[P706iμ]]発売。
* 2008年8月 - [[P706ie]]、[[N706ie]]、[[SH706ie]]、[[L706ie]]、[[らくらくホンV|らくらくホンV(F884iES)]]、[[NM706i]]、[[N705i|N706iII]]発売、BlackBerry8707hの一般向け販売開始。
* 2008年9月 - [[SH706iw]]発売。数字3桁の型番としては最後に発売された端末。
* 2008年11月 - これまで90x(上位)/70x(普及)/60x(下位)/8xx(特殊)の4つに分かれていた端末区分を[[au (携帯電話)|au]]の[[CDMA 1X WIN]]同様に一本化し、コンセプトシリーズで区別する方法に改めることを発表。これ以降の品番は 「X-00x」(開発社のアルファベット、発売番号、年度を表すアルファベットの順)と表記される。[[F-01A]]、[[P-01A]]、[[SH-01A]]、[[N-03A]]、[[N-01A]]、[[N-02A]]、[[HT-01A]]発売。
* 2008年12月 - [[F-02A]]、[[L-02A]]、[[SH-03A]]、[[HT-02A]]、[[P-03A]]、[[SH-02A]]、[[L-01A]]発売、[[Nokia E71]]発売中止決定。
* [[2009年]]1月 - [[N-04A]]、[[F-03A]]、[[P-02A]]、[[F-06A]]発売。
* 2009年2月 - [[F-05A]]、[[F-04A]]、[[P-04A]]、[[SH-04A]]、[[BlackBerry Bold]]、[[P-05A]]発売。
* 2009年3月 - [[L-03A]]、[[N-05A]]、[[P-06A]]発売。
* 2009年4月 - [[らくらくホンベーシック|らくらくホンベーシックII(F-07A)]]発売。
* 2009年5月 - [[N-06A]]、[[P-07A]]発売。
* 2009年6月 - [[N-08A]]、[[F-09A]]、[[SH-05A]]、[[SH-06A]]、[[F-08A]]、[[P-10A]]、[[N-09A]]、[[P-09A]]、[[T-01A]]、[[SH-07A]]、[[P-08A]]、[[L-05A]]、[[UM02-KO]]発売。
* 2009年7月 - [[お便りフォトサービス#フォトパネル 01|お便りフォトパネル(フォトパネル01)]]、[[HT-03A]]、[[N-07A]]、[[UM02-F]]、[[SH-06A NERV]]発売。
* 2009年8月 - [[らくらくホン6|らくらくホン6(F-10A)]]発売。
* 2009年9月 - [[L-06A]]、[[SH-08A]]、[[L-04A]]発売。
* 2009年11月 - [[L-07A]]、[[SH-01B]]、[[F-01B]]、[[F-02B]]、[[P-01B]]、[[SH-02B]]発売。
* 2009年12月 - [[F-03B]]、[[SH-04B]]、[[N-02B]]、[[N-01B]]、[[L-02B]]、[[お便りフォトサービス#フォトパネル 02|フォトパネル02]]発売。
* [[2010年]]1月 - [[N-03B]]発売。
* 2010年2月 - [[SH-05B]]、[[P-03B]]、[[SH-03B]]、[[P-02B]]、[[SC-01B]]発売。
* 2010年3月 - [[L-03B]]、[[L-01B]]、[[F-04B]]発売。
* 2010年4月 - [[SO-01B|Xperia(SO-01B)]]、[[SH-06B]]発売。
* 2010年5月 - [[F-07B]]、[[P-04B]]、[[N-04B]]、[[F-05B]]、[[SH-07B]]発売。
* 2010年6月 - [[N-05B]]、[[N-06B]]、[[SH-08B]]、[[F-06B]]、[[N-07B]]、[[F-08B]]、[[T-01B|dynapocket(T-01B)]]、[[P-05B]]、[[DWR-PG|Portable Wi-Fi(DWR-PG)]]、[[L-04B]]発売。
* 2010年7月 - [[SH-02B|SH-02B marimekko]]、[[P-06B]]、[[SH-10B|LYNX(SH-10B)]]、[[らくらくホン7|らくらくホン7(F-09B)]]、[[SH-09B]]、[[BlackBerry Bold 9700]]発売。
* 2010年8月 - [[N-08B]]、[[F-10B]]発売。
* 2010年9月 - [[P-07B]]、[[BF-01B]]、[[UM01-HW]]発売。
* 2010年10月 - [[SC-02B|GALAXY S(SC-02B)]]発売。
* 2010年11月 - [[N-01C]]、[[P-02C]]、[[P-01C]]、[[N-02C]]、[[SH-01C]]、[[F-01C]]、[[SH-02C]]、[[SC-01C|GALAXY Tab(SC-01C)]]、[[F-02C]]、[[F-03C]]、[[HW-01C]]発売。
* 2010年12月 - [[BlackBerry Curve 9300]]、[[SH-03C|LYNX 3D(SH-03C)]]、[[SH-04C]]、[[P-03C]]、[[T-01C|REGZA Phone(T-01C)]]、[[L-01C]]、[[お便りフォトサービス#フォトパネル 03|フォトパネル03]]発売。
* [[2011年]]1月 - [[N-03C]]、[[F-04C]]、[[SH-07C]]、[[SH-05C]]、[[L-03C]]発売。
* 2011年2月 - [[SH-06C]]、[[F-05C]]発売。
* 2011年3月 - [[L-04C|Optimus chat(L-04C)]]、[[SH-09C]]、[[N-04C|MEDIAS(N-04C)]]、[[SO-01C|Xperia arc(SO-01C)]]、[[SH-08C|TOUCH WOOD(SH-08C)]]、[[L-06C|Optimus Pad(L-06C)]]発売。
* 2011年4月 - [[らくらくホンベーシック#らくらくホン ベーシック3|らくらくホンベーシック3(F-08C)]]発売。
* 2011年5月 - [[SH-12C|AQUOS PHONE(SH-12C)]]、[[SH-10C]]、[[SH-11C]]、[[L-08C]]発売。
* 2011年6月 - [[F-10C]]、[[L-07C|Optimus bright(L-07C)]]、[[SC-02C|GALAXY S II(SC-02C)]]、[[N-06C|MEDIAS WP(N-06C)]]、[[F-09C]]、[[N-05C]]、[[P-04C]]、[[BlackBerry Bold 9780]]、[[F-11C]]発売。
* 2011年7月 - [[SO-02C|Xperia acro(SO-02C)]]、[[P-05C]]、[[CA-01C]]、[[F-07C|Windows 7 ケータイ(F-07C)]]、[[P-06C]]発売。
* 2011年8月 - [[L-10C]]、[[SH-13C|AQUOS PHONE f(SH-13C)]]、[[F-12C]]、[[P-07C]]、[[SO-03C|Xperia ray(SO-03C)]]発売。
* 2011年9月 - [[HW-02C|キッズケータイ(HW-02C)]]発売。
* 2011年10月 - [[SO-01D|Xperia PLAY(SO-01D)]]、[[Sony Tablet S]]、[[Sony Tablet P]]発売。
* 2011年11月 - [[P-01D]]、[[F-02D]]、[[T-01D|REGZA Phone(T-01D)]]、[[F-03D|ARROWS Kiss(F-03D)]]発売。
* 2011年12月 - [[SH-01D|AQUOS PHONE(SH-01D)]]、[[SC-04D|GALAXY NEXUS(SC-04D)]]、[[SH-02D|AQUOS PHONE slider(SH-02D)]]、[[P-03D]]、[[N-03D]]、[[N-01D|MEDIAS PP(N-01D)]]、[[SC-02D|GALAXY Tab 7.0 Plus(SC-02D)]]、[[SH-03D]]、[[N-02D]]、[[P-02D|LUMIX Phone(P-02D)]]発売開。
* [[2012年]]1月 - [[F-04D]]、[[F-06D]]、[[F-06D|F-06D Girls']]、[[F-07D|ARROWS μ(F-07D)]]、[[F-03D|F-03D Girls']]、[[L-02D|PRADA Phone by LG(L-02D)]]発売。
* 2012年2月 - [[SH-05D]]、[[SH-04D|Q-pot.Phone(SH-04D)]]、[[F-08D|Disney Mobile on docomo F-08D]]、[[SO-02D|Xperia NX(SO-02D)]]発売。
* 2012年3月 - [[N-05D|MEDIAS ES(N-05D)]]、[[お便りフォトサービス#フォトパネル 04|フォトパネル04]]、[[SO-03D|Xperia acro HD(SO-03D)]]、[[P-05D|Disney Mobile on docomo P-05D]]、[[SH-06D|AQUOS PHONE(SH-06D)]]、[[P-04D]]、[[BlackBerry Bold 9900]]発売。
* 2012年6月 - [[SH-07D|AQUOS PHONE st(SH-07D)]]、[[F-09D|F-09D ANTEPRIMA]]、[[SH-06D|AQUOS PHONE NERV(SH-06D)]]発売。
* 2012年7月 - [[P-06D|ELUGA V(P-06D)]]発売。
* 2012年8月 - [[らくらくスマートフォン|らくらくスマートフォン(F-12D)]]、[[F-11D|ARROWS Me(F-11D)]]発売。
* 2012年9月 - [[P-08D|ELUGA Live(P-08D)]]、[[HW-01D|キッズケータイ(HW-01D)]]発売。
* 2012年11月 - [[P-01E]]、[[N-01E]]、[[F-01E]]発売。
* 2012年12月 - [[SH-03E]]、[[お便りフォトサービス#フォトパネル 05|フォトパネル05 Powered by REGZA]]発売。
* 2013年10月 - [[P-01F]]発売。
* 2013年11月 - [[N-01F]]発売。
* 2013年12月 - [[お便りフォトサービス#フォトパネル 06|フォトパネル06 Powered by REGZA]]発売。
* 2014年5月 - [[F-07F]]発売。
* 2014年6月 - [[SH-07F]]発売。
* 2014年9月 - [[らくらくホン8|らくらくホン8 (F-08F)]]発売。
* 2014年10月 - [[らくらくホンベーシック#らくらくホン_ベーシック4|らくらくホン ベーシック4]] [[F-01G]]発売。
* 2014年11月 - [[P-01G]]、[[N-01G]]、キッズケータイ [[HW-01G]]発売。
* 2015年6月 - spモードケータイ(iモード非対応)として、ARROWSケータイ [[F-05G]]、AQUOSケータイ [[SH-06G]]発売。
* 2015年11月 - [[P-01H]]発売。最後のiモード対応端末となった。
* 2016年2月 - SH-06Gの法人向けモデル[[SH-03H]]発売。
* 2017年3月 - キッズケータイ [[F-03J]]発売。ドコモのFOMA端末最終モデルとなった。
== サービスの特徴 ==
=== 契約体系 ===
従来の[[電話機]]単位の契約から[[FOMAカード]]([[UIMカード]])単位の契約になるため、1つの契約で複数の電話機を使い分けることができる。また、[[第二世代携帯電話]]の「[[mova]]」([[PDC]])より通信帯域を有効に活用できることから、[[パケット]]あたりの通信料金が安く設定されている。さらに[[2004年]][[5月]]にパケットパックの値下げが行われ、6月には[[パケット定額制]]サービス「[[パケ・ホーダイ]]」が開始された。当初はパケットパックとパケ・ホーダイは重複して加入する事ができたが、2005年4月にパケ・ホーダイ加入者のPCなどでの通信料が値下げされたことで(0.2円→0.02円)、重複加入している人は、パケ・ホーダイのみの契約になった。それと同時にパケットパック90が開始になった。また、[[2005年]][[11月]]から、1つのFOMAカードに基本番号に加えて最大2つまでの番号を追加して付与できる[[マルチナンバー]]サービスが始まった。
なお、提携している他国事業者の[[ローミング]]インも可能となっており、他国から来た旅行者が、ローミングして使うことができる。また逆に、対応端末のユーザーが他国に旅行した際に、ローミングアウトして提携他国事業者のエリアでFOMAを使える(一部使えないサービスあり)。
=== エリア ===
movaと互換性のない、全く新しい方式を使用しており、従来のmovaの基地局が使えないことと、[[2GHz帯]]と[[800MHz帯]]との[[電波]]伝播特性の違いによりサービスエリアは狭いと言われていた。全国的にエリアのあるmovaと同等以上のエリアまで拡大されつつあり、これまでmovaが繋がらなかった所でも、エリア改善の要望などによりFOMAなら繋がる場所も存在する。これは、FOMAへのユーザ移行を進めようとする意図から、地方や都市郊外の住宅地などを重点的に基地局を設置した結果だといえる。また、開始当初は電波同様に苦情の多かった途切れやすいなどの通話の品質の悪さも現在は改善されている。
次項の「デュアルネットワークサービス」を利用することでmovaの端末に切り替えて使用することが可能であった。
2004年から2005年にかけて発売された901iシリーズから、movaで使用している電波の伝達性で有利な800MHz帯の一部を利用し、2GHz帯と800MHz帯の両方をFOMAで使用する計画であった。しかし、[[ソフトバンク]]によって、既存の業者のみに800MHz帯を割り当てるのは不当との意見が出され、そのときは実現には至らなかった。しかしその後、[[ソフトバンクモバイル|ボーダフォンの日本法人]]を買収したソフトバンクに800MHzを割り当てないことが確定し、2005年6月に発表された901iSシリーズから、ほとんどの機種が従来の2GHz帯に加え、800MHz帯に対応したデュアルバンド端末になった。800MHz帯を利用するエリアは「[[FOMAプラスエリア]]」と呼ばれ、郊外や山間部などでサービスエリアが拡大した。
さらに、首都圏を始めとする東名阪の地域では、2GHz帯の不足を補うため、902iSシリーズから1.7GHz帯の導入を開始した([[NTTドコモ]]が保有している1.7GHz帯は東名阪専用バンドである)。しかしながら1.7GHz帯という帯域は、主に加入者の急増に対応するためであり、エリアが拡大するわけではないため、[[NTTドコモ]]はこのエリアに関して公にしていない。<!--(2008年度以降には、更なる加入者の増大に対応するため、1.5GHz帯の利用も視野に入っている)-->
山間部を中心にさらなるサービスエリアの拡大が行われ、トラフィックが増大している住宅街などにも光張り出し方式の基地局を置く、基地局ごとに電波を[[チューニング]]するなどした。[[2006年]][[秋]]にFOMAのエリアが[[mova]]のエリアを越えること(movaの方がつながりやすい場所も多数存在する)、すべての[[JR]][[鉄道駅|駅]](4565駅)、[[高等学校|高校]]・[[高等専門学校|高専]](5495校)、[[大学]]・[[短期大学|短大]](1603校)、[[サービスエリア]]・[[パーキングエリア]]・[[道の駅]](1657ヶ所)をカバーした。2006年の目標は2007年度中に屋外基地局を約7,000局、屋内基地局を約3,600局増設し、FOMAの総基地局数56,700局にすることおよび、『'''いちばん「つながる」ケータイへ'''』を[[スローガン]]にネットワーク品質において顧客満足度No.1を獲得することとしていた。
そのために、2008年度より、エリアに対する利用者の声への対応の充実という施策を開始した。FOMAの電波調査を希望する人に対し、電話等でのヒヤリングの後原則48時間以内に訪問し、屋内電波調査を行い、電波の改善を実施している。2008年10月から、2009年3月末までの間に約13,000件の調査を実施し、改善活動を行っている。
2007年3月29日には、[[エヌ・ティ・ティ・ドコモ九州|ドコモ九州]]が[[沖縄県]][[北大東村]]・[[南大東村]]をカバーし、第三世代携帯電話では業界で初めて'''全国[[人口カバー率]]100%'''となった。
2008年12月にはFOMAハイスピードエリアの人口カバー率も100%となっている。
<ref>{{Cite web|和書
|date=2009-01-06
|url=https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/page/090106_00.html
|title=報道発表資料 : FOMAハイスピードエリアの人口カバー率100%を達成 | お知らせ | NTTドコモ
|publisher=[[NTTドコモ]]
|accessdate=2009年6月15日
}}</ref>
=== デュアルネットワーク ===
「FOMA」のサービス区域の狭さを補うため、「FOMA」で契約した1つの電話番号で、「[[mova]]」も利用できる「デュアルネットワークサービス」があった。これによって「FOMA」サービス区域外では「mova」に切替えることで通話・通信が可能になり、どちらの機種からも[[留守番電話]]や受信メールをチェックできた。ただし、このサービスには、別途月額300円(税込315円)掛かり、「番号の入っていないmova」もしくは「N2701」を準備する必要があった。「mova→FOMA」の[[機種変更#契約変更|契約変更]]の場合、これまで使っていたmovaをそのままデュアルネットワークの副端末として利用できた。なお、FOMAのサービスエリアが狭かった初期は、デュアルネットワークサービスが無いので、行動範囲でつながるかどうか試す為にショップ契約の電波測定用のFOMAが貸し出された。
<!--未検証
このサービスの加入は任意で、FOMA側をカード端末、mova側を音声端末にして、パソコンによる通信にFOMAを使い、メインではmovaを使うモバイラーに重宝されている。-->
<!--movaのサービスエリアをほぼ網羅した今日でも-->デュアルネットワークサービスの契約者は個人・法人計約285万(2006年6月現在)である。また、切替の番号もワールドウイングと同じ番号なので、一時的にムーバのユーザーもFOMAとみなし、レンタルされたFOMA端末に切り替えて国際ローミングに応用されたこともある、FOMAプラスエリア対応端末が普及してあえてmovaを二台持ちする必要が無くなり2009年3月31日をもって新規受付を終了した。
=== FOMAハイスピード ===
{{main|FOMAハイスピード}}
下り最大14M[[ビット毎秒|bps]]、上り最大5.7Mbpsの通信速度に対応。
=== FOMAのネットワーク ===
FOMAのネットワークならびに端末は、国際標準団体[[3GPP]]のRelease99に準拠しているものであるが、仕様で決められていない細かな部分での機能向上あるいは[[3GPP]] 仕様の先行導入を行った。具体的には以下の通りである。<ref>NTT DoCoMo テクニカル・ジャーナル VOL.14 NO.1 P.10</ref>
* 発着信完了率の向上(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)
* 周波数サーチの最適化(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)
* 位置情報登録回数の低減(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)
* 緊急通報の優先接続([[3GPP]] R4仕様、901iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)
* 音声通話/テレビ電話の途中切り替え([[3GPP]] R5仕様、901iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)
* 回線交換・パケット通信の分離制御([[3GPP]] R6仕様、902iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)
特に、「回線交換・パケット通信の分離制御」により、災害時などネットワークが輻輳した際に、通話に制限をかけてもパケット通信は可能とすることで、メールやiモードの災害用伝言板にて安否確認を行う事ができるようになった。[[mova]]はもともと回線交換網とパケット通信網が分離されているため同様の制限は可能である。
=== FOMAの今後 ===
詳しくは、[[Xi (携帯電話)]]を参照。2010年12月から、現行の[[W-CDMA]]方式や[[HSDPA]]方式などに加えて、[[Long Term Evolution|LTE]]方式によって、下り最大75Mbps・上り最大25Mbps<ref group="注">後に下り100Mbps、112.5Mbps・上り37.5Mbpsに高速化</ref> の高速データ通信を開始した。
== 料金 ==
日本国[[消費税法]]の規定に基づき、価格表記は原則として消費税課税後の価格を優先する。また、「本体価格」とあるのは、消費税額を除いた金額である。
FOMAの料金体系は、ドコモがFOMAを主軸とするようになってから、複雑・多様化している。
当初のコースはmova最安の料金コースに当たるタイプBの3,500円(本体価格)に対して、FOMAの最安の料金コースに当たるのはFOMAプラン39の3,900円(本体価格)と割高感があった。しかし、時間当たりの通話料金はFOMAの方が安く必ずしも割高とは言い切れなかった。
その後、mova・FOMA共通の新料金プランが開始され、「[[年間割引サービス|(新)いちねん割引]]」や通話単価などが総合的に見直されている。また、パケット定額利用プラン「[[パケ・ホーダイ]]」も導入された。旧料金プランではFOMAプラン67以上のものでないと適用できなかったが、新料金プランは全プランとパケ・ホーダイの組み合わせが可能であった。なお、引き続き今に至るまでmovaへのパケット割引サービスの適用は無い。
従来の料金プランは基本料金に端末料金の一部を含むものであったが、国の指導などにより、「端末料金」と「利用料金」を分離した料金体系が、905iシリーズ発売に合わせて導入された。<ref>{{Cite web|和書
|date=2007-10-26
|url=https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/page/071026_00.html
|title=報道発表資料 : 新たなご購入方法および料金プランを提供
|publisher=[[NTTドコモ]]
|accessdate=2007年10月27日
}}</ref> 導入後、それまでの「新料金プラン」はコース導入後に新規発売の端末購入分については「[[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]」に改められ、購入した端末を2年間継続して使用することを求められる(導入前に発売済みの端末については引き続き新料金プランを適用)。新たに導入された「[[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]」では、端末料金が別払いとなり、分割払いやクレジットカード払いが可能となる。
また、パケット利用料についても、2008年10月に抜本改正され、現在は「音声通話料と完全分離、定額・従量併用制」が基本となった。
分割払いの途中でドコモショップで残金を一括精算することができる。
=== 新料金プラン ===
2014年6月より開始された[[音声通話定額制]]の料金プラン「[[Xi (携帯電話)#カケホーダイ&パケあえる|カケホーダイ&パケあえる]]」の、3G専用プラン。
* '''カケホーダイプラン(ケータイ)''':3,700円(本体価格)
*: 2年契約時、及び2年契約満了後の3年目以降は、2,200円(本体価格)
2016年12月現在、5分以内の通話を無料とするライトプランはXi端末([[ガラホ|spモードケータイ]])のみで、3Gプランには提供されていない。[[ドコモ スマートフォン|スマートフォン]]初期に発売された3Gスマホは本プランは利用できず、スマートフォン向けのプラン(Xiと同じ)を使用することになる。
また、パケ・ホーダイダブルは利用できず、このプラン向けのパケットパックかケータイパックを使用することとなる。
=== 905i・705i以降 ===
905iシリーズ以降に発売された端末購入にあたっては、以下の2つのコースから料金プランを選ぶことになる(または、カケホーダイプランも選択可)。
* [[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]
* [[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]
なお、ベーシックコースの料金体系については、[[#新料金プラン|次項]]を参照。
=== FOMA料金プラン ===
==== 音声 ====
当初は「新料金プラン」とされていた。その後、movaのサービス終了、「カケホーダイ&パケあえる」の導入により、「FOMA料金プラン」と称されるようになった。
movaと同一のプランかつ時間帯・曜日毎の通話料を一律とし、分かりやすさを重視した料金プラン。[[2005年]][[11月1日]]に導入された。それ以降にFOMA・movaに新規加入した場合、従前の料金プランは選択できず、以下の新料金プランの中から選択することになっていた。[[2007年]][[11月26日]]以降は、それ以前に新規発売された端末を利用する場合に限りこのプランを利用できる。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。
'''「無料通信分」は利用料金の先払い予約分'''であり、プランごとの単価に基づいて利用料金が精算され、無料通信分を使い切った後利用料金が加算開始される。
無料通信分はパケット通信料としても利用が可能。また余った無料通信分は2か月先まで[[2ヶ月くりこし|繰り越し]]利用ができる。また、[[2005年]]2月より、2か月先まで使い切れなかった分は、[[家族割引サービス|ファミリー割引]]を契約している家族で共有できるようになった。なお、割引サービスが適用されても、無料通信分が減ることはないため、高額の料金プランにおいては、割引適用状況によっては支払った基本使用料を上回る金額を無料通信として利用できる仕組みになっている。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
!colspan=6|基本料金プラン (価格)は本体価格
|-
!rowspan=2|料金プラン!!colspan=2|基本料金!!colspan=2|通信料単価(/30秒)!!rowspan=2|備考
|-
!基本支払額!!うち<br />無料通信分!!音声!!テレビ電話等の<br />デジタル通話料
|-
!タイプSS
|3,888円<br />(3,600円)||1,080円<br />(1,000円)||21.6円<br />(20円)||38.88円<br />(36円)||
|-
!タイプS
|4,968円<br />(4,600円)||2,160円<br />(2,000円)||19.44円<br />(18円)||34.56円<br />(32円)||
|-
!タイプM
|7,128円<br />(6,600円)||4,320円<br />(4,000円)||15.12円<br />(14円)||27円<br />(25円)||
|-
!タイプL
|10,368円<br />(9,600円)||6,480円<br />(6,000円)||10.8円<br />(10円)||19.44円<br />(18円)||
|-
!タイプLL
|15,768円<br />(14,600円)||11,880円<br />(11,000円)||8.1円<br />(7.5円)||15.12円<br />(14円)||
|-
!タイプシンプル
|3,329円<br />(3,083円)||無し||21.6円<br />(20円)||38.88円<br />(36円)||style="text-align:left;"|2009年12月に開始。
|-
!タイプリミット
|4,536円<br />(4,200円)<br />'''+上限分'''||2,376円<br />(2,200円)||21.6円<br />(20円)||38.88円<br />(36円)||style="text-align:left;"|上限額については下記を参照。
|-
!タイプビジネス
|10,584円<br />(9,800円)||5,940円<br />(5,500円)||colspan=2 style="text-align:center;"|時間により異なる||colspan=2 style="text-align:left;"|平日昼間の通話料を割安にしたプラン。
|-
!ファミリーワイド★
|3,240円<br />(3,000円)||無し||27円<br />(25円)||48.6円<br />(45円)||style="text-align:left;"|各種制限事項あり。<br />下記参照
|-
!ファミリーワイド<br />リミット★
|3,360円<br />(3,200円)<br />'''+上限分'''||無し||27円<br />(25円)||48.6円<br />(45円)||style="text-align:left;"|2006年3月に開始。<br />各種制限事項あり。下記参照
|}
; 備考
* タイプリミットの上限分は以下のとおり。無料通信分、通話・通信料以外の課金と無料通話分を超えた通話・通信料の合計が利用可能額を超えると自動的に発信停止。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
!上限額コース<br />(本体価格)
|864円<br />(800円)||3,024円<br />(2,800円)||5,184円<br />(4,800円)||8,424円<br />(7,800円)||13,824円<br />(12,800円)
|-
!利用可能額<br />(本体価格)
|3,240円<br />(3,000円)||5,400円<br />(5,000円)||7,560円<br />(7,000円)||10,800円<br />(10,000円)||16,200円<br />(15,000円)
|}
* ファミリーワイド★・ファミリーワイドリミット★に関する制限事項は以下のとおり。
** 利用できる年齢は中学生以下及び60歳以上。中学校卒業後は、4月より自動的に「ファミリーワイド」は「タイプSS」に、「ファミリーワイドリミット」は「タイプリミット・上限額800円」に、それぞれ契約が変更される。
** 当該プラン単独で契約することはできず、「(新)いちねん割引」とセットで契約するか(自動適用)、障がい者の場合は「ハーティ割引」とセットで契約(「(新)いちねん割引」は利用不可)する形となる。「(新)いちねん割引」の当初割引率は25%。
** ファミリー割引とのセット契約は任意。
** ファミリーワイドリミットのオプション上限額は一律で1,080円(本体1,000円)。発信停止に関する規定は「タイプリミット」に準じる。
* 新料金プラン制度への移行により、新プラン契約者は以下のサービスが適用対象外となった。
** [[ボリュームディスカウント]]
** ドンドンコール
** 度数表示サービス
** グループ内番号サービス
** 「[[ゆうゆうコール]]」の無料通信プレゼント(旧プランでゆうゆうコールの指定をされている回線から着信した場合は、無料通信プレゼントを受けることができる)
*新規の受け付けは2010年3月31日で終了している。
==== データ ====
データプランは、FOMAを電話としてではなく、モデムとして利用する場合のプランである。音声通信およびiモードは利用できない。音声プランと異なり、無料通信分は「○○円分」のように利用料金の全体に適用されるのではなく、プランごとに設定された所定のパケット通信分にのみ適用される。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
!colspan=7|基本料金プラン (価格)は本体価格
|-
!rowspan=2|料金プラン!!rowspan=2|基本料金!!rowspan=2|パケット<br />無料通信分!!colspan=2|通信料単価!!rowspan=2|備考
|-
!パケット<br />超過分<br />(/パケット)!!テレビ電話等の<br />デジタル通話料<br />(/30秒)
|-
!データプランSS
|1,944円<br />(1,800円)||無し||rowspan=2 style="text-align:center;"|下記参照||rowspan=5|32.4円<br />(30円)||
|-
!データプランS<br />パケットプラス
|3,132円<br />(2,900円)||10万パケット||
|-
!データプランM<br />パケットプラス
|5,616円<br />(5,200円)||45万パケット||0.0216円<br />(0.02円)||
|-
!データプランL<br />パケットプラス
|7,992円<br />(7,400円)||120万パケット||0.0162円<br />(0.015円)||
|-
!データプランLL<br />パケットプラス
|15,012円<br />(13,900円)||250万パケット||0.01296円<br />(0.012円)||2006年9月開始
|}
; 備考
* デジタル通信料は、無料通信分の対象とはならない。
* らくらくホン シンプルは、このプランを利用できない。
* データプランSS及びデータプランS パケットプラスパケット通信料単価は以下のとおり。(価格)は本体価格。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
!↓月利用パケット数!!SS!!S パケットプラス
|-
! - 10万パケット
|rowspan=2|0.108円<br />(0.1円)||無料
|-
!10万パケット超<br /> - 60万パケット
|0.054円<br />(0.05円)
|-
!60万パケット超<br /> - 200万パケット
|colspan=2|0.054円<br />(0.05円)
|-
!200万パケット超
|colspan=2|0.0216円<br />(0.02円)
|}
=== 旧料金プラン ===
新料金プラン導入後は、データプランを除いてそれまで加入していた利用者のみ継続して利用できる。
==== 2005年10月末までのプラン ====
通信料単価は、地域会社・利用時間帯ごとに異なっていたので、ここでは詳しい説明を省く。(価格)は本体価格。
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
!プラン!!基本使用料!!無料通信分!!備考
|-
!FOMAプラン39
|4,212円<br />(3,900円)||810円<br />(750円)||
|-
!FOMAプラン49
|5,292円<br />(4,900円)||2,214円<br />(2,050円)||
|-
!FOMAプラン67
|7,236円<br />(6,700円)||4,374円<br />(4,050円)||
|-
!FOMAプラン100
|10,800円<br />(10,000円)||7,938円<br />(7,350円)||
|-
!FOMAプラン150
|16,200円<br />(15,000円)||12,582円<br />(11,650円)||
|-
!ビジネスプラン
|10,584円<br />(9,800円)||5,616円<br />(5,200円)||平日昼間の通話料を割安にしたプラン
|-
!リミットプラス
|4,644円<br />(4,300円)||2,376円<br />(2,200円)||movaのリミットプラスとほぼ同じコース
|}
==== 2005年5月末までのプラン ====
* FOMAデータプラン22 2,376円(本体2,200円) - データ通信のみで音声通話はできない。テレビ電話は可能。2005年5月末で申し込み終了。
=== パケット料金 ===
2009年5月1日現在。1パケットは128バイト。2008年10月に改定された。現在は、★印を付けたものは、新規の利用申し込みができず、利用申し込み終了までに申し込みをした場合に限り利用できる。
==== 基本通信料単価 ====
1か月の総パケット数に応じて、それぞれのパケット通信料が適用される。(価格)は本体価格。
*15万パケットまで 0.216円(0.2円)
*15万パケット超 - 60万パケット 0.108円(0.1円)
*60万パケット超 - 200万パケット 0.054円(0.05円)
*200万パケット超 0.0216円(0.02円)
===== (参考)mova=====
* 10万パケットまで 0.315円(本体0.3円)/パケット
* 10万パケット超 0.21円(本体0.2円)/パケット
==== パケットパック★ ====
定額料が「無料通信分」に相当するもので、パケット利用料の先払い式サービス。「パケ・ホーダイダブル」への完全移行により、2009年3月いっぱいで新規利用申し込みが完全に終了した。<ref>{{Cite web|和書
|date=2009-01-27
|url=https://www.docomo.ne.jp/info/notice/page/090127_00_m.html
|title=パケットパック60、パケットパック90の新規お申込み受付終了のお知らせ
|publisher=NTTドコモ
|accessdate=2009年1月27日
}}
</ref>
詳細は[[パケットパック|当該項]]を参照。
なお、カケホーダイプランに付随するパケットパック・ケータイパックについては同プラン利用時に使用可能である。
==== 定額サービス ====
(価格)は本体価格。定額対象外となる通信については、一律で1パケットあたり0.0216円(本体0.02円)の料金が別途請求される。また'''パケ・ホーダイダブル'''や'''Biz・ホーダイダブル'''においては、5,838パケットまでは定額401円(本体372円)で、それを超えたら1パケットあたり0.0864円(本体0.08円)で課金される。各上限に達すると再び定額となり、それ以上課金されない。
概要は以下に示すが、現在新規利用可能なサービスについては当該項を参照のこと。これは、定額制と従量制の併用、定額料値下げにより、料金体系が複雑になっているためである。
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
|-
!サービス名!!定額料!!定額対象サービス!!定額対象外サービス
|-
![[パケ・ホーダイ]]★
|style="text-align:right;"|4,212円<br />(3,900円)||
*iモードの通信
|
* iモード[[フルブラウザ]]を使用した通信
* パソコン・PDAなどを接続したパケット通信
|-
![[パケ・ホーダイ#パケ・ホーダイフル|パケ・ホーダイフル]]★
|rowspan=2 style="text-align:right;"|6,156円<br />(5,700円)||
* iモードの通信
* iモード[[フルブラウザ]]を使用した通信
|
*PDAやコンピュータなどを接続したパケット通信
|-
![[Biz・ホーダイ]]★
|
*iモード非対応のスマートフォンにおける<br />日本国内でのパケット通信料
|
* PDAやコンピュータなどを接続したパケット通信
* iモード対応端末にFOMAカードを<br />差し替えてiモード通信を行った場合
|-
![[パケ・ホーダイ#パケ・ホーダイダブル|パケ・ホーダイダブル]]
|401円(372円)〜<br />4,536円(4,200円)<br />スマートフォン6,156円(5,700円)<br />最高8,424円(7,800円)||colspan=2 rowspan=2|当該項参照
|-
![[Biz・ホーダイ#Biz・ホーダイダブル|Biz・ホーダイダブル]]
|パケ・ホーダイダブルと統合
|}
==== 備考 ====
* パケットパックの余った無料通信分は音声プランの無料通信分と合算して2か月先まで繰り越し利用ができる。さらに余った分は家族で分け合うことができる。
* パケ・ホーダイは新料金プランまたは、67以上の旧料金プランを契約している場合のみ契約することができた。
** 新料金プランのうち、M以上とタイプビジネスは新料金プラン移行当初から適用、Sまでとタイプリミット・ファミリーワイド・ファミリーワイドリミットについては2006年3月から適用。
* デュアルネットワークでmovaを使用する場合のパケット料金は、パケ・ホーダイ及びパケットパックの有無に関わらず、movaのパケット料金である。ただし、パケットパックおよびパックプランの無料通信料を使うことはできる。
=== その他のサービス ===
以下では基本料金およびパケット通信以外の付加サービスおよびその料金を挙げる。
* [[2in1 (NTTドコモ)|2in1]](2007年5月25日開始) - 2in1料金プランに準ずる。
* オプションパック割引(留守番電話サービス・転送でんわサービス・キャッチホン・メロディコール ベーシックコース) - 月額432円(本体400円)。
* [[留守番電話]]サービス - 月額324円(本体300円)。
* キャッチホン - 月額216円(本体200円)。
* [[マルチナンバー]] - 電話番号を最大2件まで追加できる。1件に付き月額540円(本体500円)。
* [[ショートメッセージサービス]](SMS) - 一通あたり3円24銭(本体3円)。
* [[メロディコール]] - ベーシックコース月額108円(本体100円)。ただし、楽曲によっては異なる。
* [[iチャネル]] - 対象機種:701i/901is以降。ニュースや天気予報などの情報が表示される。月額162円(本体150円、ベーシックチャネルの更新に対するパケット料金含む)。
* [[ドコモケータイdatalink]] - FOMA端末のアドレス帳、メール、写真、スケジュールなどのバックアップなどを行うパソコン用ソフト。その他にアドレス帳のパソコンでの編集、iモードメール本文をパソコン上で作成他の機能がある。無料で公開されているが、USBケーブルが別途必要となる。
=== 終了したサービス ===
* [[着もじ]] - 対象機種:902iS以降/N902iX。発信時にメッセージ(10文字まで)を付ける事ができる。1回につき5.25円(本体5円)。2011年6月終了。
* [[#デュアルネットワーク|デュアルネットワーク]] - FOMAサービスエリア外のmovaサービスエリアで代替としてmovaを使用。月額315円(本体300円)。FOMAプラスエリアで800MHzを転用するためとmova停波と同時で2012年3月終了。
* [[Music&Videoチャネル|Music&Videoチャネル(旧ミュージックチャネル)]] - 音楽番組配信サービス。月額315円(本体300円)、パケ・ホーダイの契約が必要。2013年3月で終了。
* [[プッシュトーク]] - 対象機種:902i以降の9シリーズと[[P702i]]・[[P702iD]]・[[SH702iS]]・[[SH703i]]・[[SO703i]]・[[P703i]]、2010年9月終了。
** 通常は1回の発言につき5.25円(本体5円)。
** カケ・ホーダイ - プッシュトークにおける発言が月額1,050円(本体1,000円)で定額だった。
** プッシュトークプラス - 参加可能人数が20人までに拡大など。定額料金が2,100円(本体2,000円)、代表者のみグループ管理費として月額10,500円(本体10,000円)が必要であった。
== 定額データ通信サービス ==
{{main|定額データプラン}}
[[ドコモPHS|ドコモのPHSサービス]]が2008年1月7日をもって停波したため、それに先駆けてPHS定額データ通信サービス[[@FreeD]]の代替サービスとして2007年10月22日に開始された。
===定額データプランHIGH-SPEED===
; 料金
: 月額4,320〜10,800円、バリューコースで[[定額データ割]]利用の場合 3,564円〜6,156円(本体3,300円〜5,700円)
; 対応端末
: FOMA HIGH-SPEED対応端末
; 通信可能エリア
: FOMAエリア
; 通信速度
: 受信7.2Mbpsまたは3.6Mbps (HIGH-SPEEDエリア以外は384Kbps)
: 送信384Kbps
2009年6月に新規受付は終了している。
===定額データプラン64K(2013年2月に終了)===
; 料金
: 月額4,200円(本体4,000円)、バリューコースの場合3,465円(本体3,300円)
; 対応端末
: FOMAハイスピード対応端末
; 通信可能エリア
: FOMAエリア
; 通信速度
: 送受信とも最大64Kbps
なお、FOMAハイスピード対応端末でのサービスとなる理由は、伝送効率の良い方式が必要なためである。
== 通信端末 ==
'''個別記事のある項目に関しては備考は省略している。詳細は各記事を確認。'''
なお、備考欄に'''×'''印があるモデルは'''法人専用モデル'''で、'''ドコモショップなど一般の販売店では一切取り扱っておらず、一般向けカタログにも記載されていない'''(他社は一般向けカタログにも小さく掲載している)し、'''これらのモデルのカタログは個人客は請求・閲覧もできない'''。ドコモグループ各社の法人営業担当者から直接購入することになる。
=== 2xxxモデル(2001年10月-2008年11月) ===
FOMAの最初に出たシリーズ。2000年代を意味して、2000番台となった。当初は音声端末・通信端末が発売されたが、2004年以降は通信端末のみ2xxxを名乗った。2008年11月に新型式に移行した。
==== 音声端末 ====
===== 2101Vシリーズ =====
最初に出たFOMA端末である。2000番台の型番はIMT-2000による。また[[iモード]]機能の搭載が当然となっていたことから、型番に「i」を付けずロゴもない。初期ものゆえか、全体的に電池の持ちが悪く、また筐体も大きかった。この頃の機種によりFOMAの「デカイ、繋がらない」のイメージが定着してしまった。[[テレビ電話]]機能付き。[[iアプリ]]は[[mova#503i|503]]相当のものに対応している。P2101V以外は[[iモーション]]に対応している。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P2101V]]
|2001年10月1日
|||
|-
![[D2101V]]
|2002年3月1日
|||
|-
![[SH2101V]]
|2002年7月16日
|||
|-
![[T2101V]]
|2002年9月27日
|||<!--個別記事があるので空欄です-->
|}
===== 2001/2002シリーズ =====
2101と同じく、最初に出たFOMAのグループである。カメラは無く、テレビ電話未対応である他は、2101シリーズと仕様は変わらない。N2001以外は[[iモーション]]に対応している。
[[ファイル:FOMA N2001.jpg|thumb|180px|FOMA第1号機N2001]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N2001]]
|2001年10月1日
|||
|-
![[N2002]]
|2001年11月19日
|||
折りたたみ式。107g。連続待ち受け時間は55時間。<br />N2001のメインディスプレイをTFT液晶に変更し、<br />そのためディスプレイ部の厚みがN2001より増している。<br />また、[[iモーション]]に対応した。
|-
![[P2002]]
|2002年6月13日
|||
折りたたみ式。107g。連続待ち受け時間は55時間。<br />NECと[[松下通信工業]]との協業によって出た初の端末である。<br />N2002の[[OEM]]モデルである。<br />細部のデザイン・本体カラーに若干の違いがある
|}
===== F2611 =====
2002年4月22日に発売された[[ダイヤルアップルーター]](DUR)内蔵モデル。法人向け製品で(仮設事務所等での使用を想定したもの)、一般に市販はされない。報道発表資料では200台生産と記載されているが、実際の納入台数は不明。
本体は家庭用[[ファクシミリ]]をB5ファイルに収まる大きさにしたような形状で重さは約680グラムと、唯一無二のDUR搭載の可搬型[[無線アクセス|MWA]]端末としてそのコンパクトさは優れていた。[[無線アクセス#無線WAN|無線WAN]]として下り384k、上り384kまでのパケットデータ通信に対応している。SH2101Vに先駆けて[[Bluetooth]]接続の[[ハンドセット]]型子機が搭載されており、通信圏内であれば離れた場所から通話する事も可能である。
===== 2051シリーズ =====
いわゆる「新FOMA」の第1弾(FOMAの端末としては第二世代)である。以前の機種より電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。[[デジタルカメラ|カメラ]]は付いているが[[iショット]]用でテレビ電話に対応しない。51という型番は、カメラ付きという事からmovaの[[mova#251i|251i]]シリーズに由来。外部メモリーには対応していない。iアプリは[[mova#504i|504]]相当のものに対応している。[[iモーション]]の方式が[[MP4]]に変更になった。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F2051]]
|2003年1月
|||
折りたたみ式。114g。待ち受け時間は170時間(移動時)、230時間(静止時)。<br />FOMAで初めて'''Symbian OS'''を搭載した。[[富士通]]製FOMA初の音声端末である
|-
![[N2051]]
|2003年1月
|||
折りたたみ式。122g。待ち受け時間は180時間(移動時)、250時間(静止時)。<br />世界初の[[ニューロポインター]]を初搭載。これ以降のNのFOMAは本機の操作系を踏襲することになる
|}
===== 2102Vシリーズ =====
「新FOMA」の第2弾(FOMAの端末としては第二世代)である。2051の特徴を引き継ぎ、電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。これらの機種が出た頃より、FOMAのパケット代が安いというメリットが認められはじめ、FOMAユーザが増え始めた。Nは外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P2102V]]
|2003年3月15日
|||
|-
![[F2102V]]
|2003年7月3日
|||折りたたみ式。115g。外部メモリーは[[SDメモリーカード#miniSDカード|miniSD]]対応。カメラ性能は[[CCDイメージセンサ|CCD]]30万画素
|-
![[N2102V]]
|2003年7月18日
|||折りたたみ式。109g。外部メモリーは非対応。カメラ性能はCMOS 30万画素
|}
===== N2701 =====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N2701]]
|2003年6月
|||折り畳み、ムーバの通信部も内蔵したFOMA端末、ムーバも内蔵させないといけないので小型化に難があり、FOMAプラスエリアも今後行う為、これ一代限りで2701シリーズは終了した
|}
==== データ通信端末 ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P2401]]
|2001年10月1日
|||[[ファイル:FOMA P2401 b.jpg|thumb|right|180px|カード型FOMA P2401 [[パナソニック モバイルコミュニケーションズ|松下通信工業]]製 2001年]]<br />[[PCカード]]サイズの端末。<br />パケット通信が下り最大384kbps、<br />上り最大64kbpsで、<br />データ通信(回線交換方式)が<br />上り下り共に最大64kbpsに対応。
|-
![[F2402]]
|2003年9月13日
|||PCカードサイズの端末。<br />パケット通信が上り下り共に最大384kbpsで、<br />データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応。<br />パソコンに挿してテレビ電話、音声通話ができる。
|-
![[P2402]]
|2003年11月28日
|||[[コンパクトフラッシュ|CFカード]]サイズの端末。<br />パケット通信が下り最大384kbps、上り最大64kbpsで、<br />データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。<br />パソコンに挿してテレビ電話ができる。
|-
![[P2403]]
|2006年3月22日
|||CFカードサイズの端末。<br />パケット通信が下り最大384kbps、上り最大64kbpsで、<br />データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。<br />データ通信端末初の[[FOMAプラスエリア]]対応端末。
|-
![[M2501 HIGH-SPEED]]
|2006年9月29日
|||[[FOMAハイスピード]]([[HSDPA]])に最初に対応したデータ通信カード
|-
![[A2502 HIGH-SPEED]]
|2007年10月5日
|||FOMAハイスピード7.2Mbpsに初めて対応した<br />USBタイプのデータ通信端末
|-
![[N2502 HIGH-SPEED]]
|2008年3月17日
|||
|-
![[OP2502 HIGH-SPEED]]
|発売中止
|||不具合の改善が不可能なため製品化中止。
|-
|}
=== 90x・70xモデル(2004年1月-2008年11月) ===
これまでの2xxxの型式ではなく、movaの50xのような型式番号を採用したモデル。906i・706iまで継続した。
==== 90xシリーズ(9シリーズ) ====
===== 900iシリーズ =====
FOMAの端末としては第三世代に当たる。[[mova#50xシリーズ|50xシリーズ]]の機能を採用して、ドコモのフラッグシップ携帯として登場した。movaシリーズと共通の型番ルールを採用し、9という数字には50xの上位という意味も込め、一般向けに広くアピールした。全機種にQVGA液晶とメガピクセルカメラを搭載した。iアプリは505iの規格をさらに拡張し、500[[バイト (情報)|KB]](ダウンロード100KB、[[スクラッチパッド]]400KB)の仕様になった。開発の初期段階では、2103Vとされていた。2005年5月のプレスリリースで900i及び900ixを1098万台発売したと発表した。FOMA普及にかなり貢献したシリーズだが「[[着うた]]をメール着信音に設定できない」「全体的に動作の機敏さに欠ける」などの問題が残されていた。イメージキャラクターは[[坂口憲二]]と[[長谷川京子]](同コンビで901iSシリーズまで起用。CMソングには[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)]]の[[小西康陽]]や[[ケン・イシイ]]・[[石野卓球]]らによるアレンジバージョンを起用。
[[ファイル:NTTDoComo FOMA N900i(Black, closed).jpg|thumb|220px|N900i]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F900i]]
|2004年2月6日
|||
|-
![[N900i]]
|2004年2月22日
|||
|-
![[P900i]]
|2004年2月29日
|||
|-
![[SH900i]]
|2004年3月20日
|||
|-
![[D900i]]
|2004年6月23日
|||
|}
===== 901iシリーズ =====
900i、900ixの後継端末。共通機能はもちろんのこと、それぞれの個性のある端末となっている。共通機能は主に[[着うた]]や[[着モーション]]の最大再生容量を300KBから500KBに拡大、iモードメールの添付ファイルの最大容量も100KBから500KBに拡張、ツインスピーカー搭載、iアプリの3Dグラフィックス機能強化、[[Adobe Flash Lite|Flash]]からの端末情報取得、外部からの[[コンテンツ]]に対して問題要素を検出する「[[コンピュータセキュリティ|セキュリティ]]スキャン機能」を搭載しているなど、iモードにまつわる機能が強化されている。また、全機種でデジタルオーディオプレーヤー機能が正式対応になった。(連続再生に対応するのはD,F,SHのみ)
なお、型番にiCが付く端末はiモードFeliCaにも対応している([[モバイルSuica]]には非対応)。[[FeliCa]]チップの供給数に余裕が無いため全機種対応にならなかった。予定されていた800MHz帯とのデュアルバンド機能は、800MHz帯再編をめぐるソフトバンクの動きから見送られ、901iSから搭載された。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH901iC]]
|2004年12月1日
|||
|-
![[F901iC]]
|2004年12月24日
|||
|-
![[N901iC]]
|2005年1月28日
|||
|-
![[D901i]]
|2005年2月1日
|||
|-
![[P901i]]
|2005年2月4日
|||
|}
===== 901iSシリーズ =====
[[ファイル:NTT DoCoMo Foma N901iS.png|thumb|180px|NTT DoCoMo Foma N901iS]]
2005年5月17日にドコモよりプレスリリースされた。元々、2005年1月に公表されたロードマップに2005年度中の投入が公表されていた。iモードFeliCaに全機種対応(F、Dは[[モバイルSuica]]には非対応)。よって、これまでFeliCa端末を示していた「iC」ではなく「iS」を名乗る事になった。このシリーズから800MHz帯「[[FOMAプラスエリア]]」のデュアルバンド対応となり、山間部などでエリアが拡大した。また、901iS以降の機種同士であれば音声通話中にテレビ電話への切り替えができるようになる。
D、F、Pは自動時刻補正に対応。また、[[Portable Document Format|PDF]]ファイルの閲覧やダウンロードができる[[Adobe Reader|Adobe Reader LE]]を搭載する。(SHは、[[Microsoft Excel|Excel]]、[[Microsoft Word|Word]]、[[Microsoft Powerpoint|Powerpoint]]の閲覧が可能な[[Picsel Viewer]]も備える。)
このシリーズ以降、FOMA発売以来使われてきた初代ロゴが無くなる。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH901iS]]
|2005年6月3日
|||
|-
![[P901iS]]
|2005年6月10日
|||
|-
![[F901iS]]
|2005年6月10日
|||
|-
![[D901iS]]
|2005年6月10日
|||
|-
![[N901iS]]
|2005年6月24日
|||
|}
===== 902iシリーズ =====
[[2005年]][[10月19日]]にSH902i、N902i、D902i、P902i、F902i、SO902iがドコモより[[プレスリリース]]された。新機能として、[[定額制]]プランも用意し[[トランシーバー (無線機)|トランシーバー]]のような通話が可能な「[[プッシュトーク]]」、「[[iモードFelica]]」の新機能である「[[トルカ]]」サービスに対応。701iに搭載された[[iチャネル]]にも対応している。[[iアプリ]]は容量は変わりないが、[[HyperText Markup Language|HTML]]の仕様がバージョンアップしている。902iでは、従来までFOMAの課題となっていたキーレスポンスのもたつきの解消に力が入れられており、今まで特に遅いとされていたP,Nといった[[Linux]] [[オペレーティングシステム|OS]]採用端末のレスポンスもかなり快適になっている。イメージキャラクターは一新され、[[KAT-TUN]]の[[亀梨和也]]と[[赤西仁]]を起用。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F902i]]
|2005年11月11日
|||
|-
![[D902i]]
|2005年11月11日
|||[[モバイルSuica]]には非対応
|-
![[N902i]]
|2005年11月18日
|||
|-
![[P902i]]
|2005年12月6日
|||
|-
![[SH902i]]
|2005年12月9日
|||
|-
![[SO902i]]
|2006年3月21日
|FOMA STICK||
|}
===== 902iSシリーズ =====
[[2006年]][[5月11日]]にD902iS、F902iS、N902iS、P902iS、SH902iSがドコモより[[プレスリリース]]された。新機能として1.7GHz帯の対応、DCMXアプリのプリセット、着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名、電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応等がある。また、P902iSはドコモ初の着うたフルに対応、N902iS、P902iSが3Gローミングに対応し、F902iSは、[[Windows Media Audio]]形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術([[デジタル著作権管理|DRM]])に対応している事などより、[[Napster Japan]]等の有料音楽配信サイトの利用もできる。イメージキャラクターは[[KAT-TUN]]のメンバー全員(903iシリーズまで起用)。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH902iS]]
|2006年5月30日
|||
|-
![[P902iS]]
|2006年6月7日
|||
|-
![[N902iS]]
|2006年6月9日
|||
|-
![[D902iS]]
|2006年6月9日
|||
|-
![[F902iS]]
|2006年6月16日
|||
|-
|}
===== 903iシリーズ =====
[[2006年]][[10月12日]]にD903i、F903i、N903i、P903i、SH903i、SO903iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として全機種に[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]搭載した。このため、[[ケータイお探しサービス]]に対応している他、[[警察]]([[110番]])・[[消防]]([[119番]])等に通報した際の位置特定もできる。[[イマドコサーチ]]にも適している。またメガ[[iアプリ]]に対応。容量が1MBに拡張されダウンロード、スクラッチパッドの区切りが無くなった。また、外部メモリーカードにソフトを保存できる事で、さらに容量があるソフトの作成もできる。[[おサイフケータイ]]関連では、[[felica]]のメモリー容量が約3倍に拡大され、[[モバイルSuica]]など多くのメモリーを必要とするICアプリも複数使用できるようになった。その他、[[着うたフル]]、IC通信、3Gローミングに対応している。SH903i、D903i、F903i、N903iはきせかえツールに対応している。
また、903iシリーズのうち、[[D903i]]、[[SH903i]]、[[F903i]]の三機種は、[[Windows Media Audio]]形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術([[デジタル著作権管理|DRM]])に対応している事などより、[[Napster Japan]]等の有料音楽配信サイトの利用もできる(2007年12月31日まで、Napsterを2週間無料で使えるキャンペーンを行っている)。[[SO903i]]は、[[ATRAC3]]形式及び、[[MP3]]形式の音楽ファイル再生にも対応している。N903i、P903i、SH903iはSD-Audio対応で、長時間再生が可能となった。SH903iのみWindows Media AudioとSD-Audioの二つの形式に対応している。
イメージキャラクターは902iシリーズ・902iSシリーズに引き続き[[KAT-TUN]](赤西も一部出演)。一方カメラのイメージセンサは、SH903i、D903iがCCD([[スーパーCCDハニカム]]ではない)、P903iが[[νMaicovicon]]を搭載し、ほかはすべて[[CMOSイメージセンサ]]に変更された。
[[ファイル:P903i.jpg|thumb|150px|着せ替えケータイP903i]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH903i]]
|2006年10月24日
|||
|-
![[P903i]]
|2006年11月1日
|||
|-
![[D903i]]
|2006年11月14日
|||
|-
![[F903i]]
|2006年11月14日
|||
|-
![[N903i]]
|2006年11月14日
|||
|-
![[SO903i]]
|2006年11月25日
|||
|}
===== 904iシリーズ =====
[[2007年]][[4月23日]]に[[DoCoMo2.0]]の最初のシリーズとして、D904i、N904i、SH904i、P904i、F904iがドコモよりプレスリリースされた。今回より型式ルールの見直しより、903iSではなく904iとなった。(なおN904iは日本での発表前に[[ミラノサローネ]]で公開されていた。)新機能として音楽を定額で利用できる[[うた・ホーダイ]]に対応した。また[[2in1 (NTTドコモ)|2in1]]と呼ばれる、1台の端末で2つのメールアドレスと電話番号を使用できるサービスに対応。一部を除き直感ゲーム(携帯本体を振るなど体を使ってプレイする)に対応。またP904iが[[フルブラウザ]]を搭載した事で、全機種フルブラウザ対応になった。全機種で[[Windows Media Audio]]、3Gローミングに対応。N904iのみ[[HSDPA]]に対応。F904iのみワンセグに対応。尚、[[ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ|ソニー・エリクソン]]の新機種は発表されていないが、2007年1月に発表済のSO903iTVはこの904iシリーズが全て出揃った後にようやく発売されている。
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|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
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![[SH904i]]
|2007年5月25日
|||
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![[N904i]]
|2007年5月25日
|||
|-
![[F904i]]
|2007年6月1日
|||
|-
![[D904i]]
|2007年6月8日
|||
|-
![[P904i]]
|2007年6月15日
|||
|}
===== 905iシリーズ =====
[[2007年]][[11月1日]]に905i企画端末(N905iBizを除く)、705iシリーズとともにD905i、N905i、SH905i、P905i、F905i、SO905iがドコモよりプレスリリースされた。
全機種[[Video Graphics Array|VGA]]以上の[[画面解像度]]、[[Flash Lite|Flash Lite3]]、[[ワンセグ]]、[[FOMAハイスピード]]、[[GSM]][[ローミング]]、緊急速報[[エリアメール]]、バージョンアップしたきせかえツールが標準搭載(一部機能非搭載機種あり)。
新サービスとしては[[ミュージックチャネル]]が動画に対応し[[ミュージックチャネル|Music&Videoチャネル]]となった。また、iアプリ・直感ゲームが音声入力に対応した。[[D905i]]は最後の[[三菱電機]]製の9シリーズとなった。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH905i]]
|2007年11月26日
|||
|-
![[D905i]]
|2007年11月26日
|||
|-
![[N905i]]
|2007年11月28日
|||
|-
![[P905i]]
|2007年11月28日
|[[VIERAケータイ]]||
|-
![[F905i]]
|2007年11月29日
|||
|-
![[SO905i]]
|2007年11月29日
|||
|}
===== 906iシリーズ =====
[[2008年]][[5月27日]]に906i企画端末、706iシリーズとともにN906i、SH906i、P906i、F906i、SO906iがドコモよりプレスリリースされた。
[[ファイル:FOMA P906i 001.JPG|thumb|270px|VIERAケータイP906i]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P906i]]
|2008年6月1日
|[[VIERAケータイ]]||
|-
![[SO906i]]
|2008年6月2日
|[[BRAVIAケータイ]]||
|-
![[SH906i]]
|2008年6月3日
|||
|-
![[F906i]]
|2008年6月5日
|||
|-
![[N906i]]
|2008年6月18日
|||
|-
|}
==== 70xシリーズ(7シリーズ) ====
===== 700iシリーズ =====
movaの[[mova#25xシリーズ|25xiシリーズ]]に相当する普及ラインの端末。2005年2月2日にF700i、SH700i、N700i、P700iがドコモよりプレスリリースされた。90xiよりも端末値段を1万円前後下げて、より一層のFOMA普及を図る。全ての端末に、QVGA液晶、デコメールやFlash対応など、できるかぎり901iのプラットフォームを活用しているが、iアプリの性能は[[mova#506i|506i]]相当の230KB(ダウンロード30KB、スクラッチパッド200KB)に、メガピクセル級のカメラを搭載とあえて抑えている。800MHz帯デュアルバンド対応は901i同様、ソフトバンクとの係争により見送られている。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F700i]]
|2005年2月10日
|||
|-
![[SH700i]]
|2005年2月25日
|||
|-
![[N700i]]
|2005年3月11日
|||
|-
![[P700i]]
|2005年3月11日
|||
|}
===== 700iSシリーズ =====
2005年7月12日にF700iS、SH700iSがドコモよりプレスリリースされた。700iシリーズのセカンドモデル。800MHz帯とのデュアルバンド「FOMAプラスエリア」に対応する以外は700iシリーズとの機能の違いはない。8月3日にSA700iSがプレスリリースされた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F700iS]]
|2005年7月21日
|||
|-
![[SH700iS]]
|2005年7月28日
|||
|-
![[SA700iS]]
|2005年10月1日
|||
|}
===== 701iシリーズ =====
2005年8月3日にD701i、N701i、P701iDがドコモよりプレスリリース。700iの後継モデル。このシリーズからニュースなどを自動配信する「iチャネル」に対応する。音声通話中にテレビ電話への切り替えが可能。また、901iSシリーズ同様に800MHz帯のデュアルバンド対応「FOMAプラスエリア」対応。それ以外の機能はほぼ700iSと同じ。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[D701i]]
|2005年9月9日
|||
|-
![[N701i]]
|2005年9月9日
|||
|-
![[P701iD]]
|2005年10月1日
|||
|}
[[ファイル:NTT DoCoMo FOMA N702iD.jpg|thumb|140px|デザインケータイN702iD]]
===== 702iシリーズ =====
2006年1月17日にF702iD、SH702iD、N702iD、P702i、D702iがドコモよりプレスリリース。701iの後継モデル。70xシリーズより廉価なモデルが出ることになったことより、個性派モデルになっている。機種によっては90xの機能を取り込んだモデルもある。2005年11月・12月にJATEを通過した。5月11日にSA702i、SO702iがドコモよりプレスリリースされた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F702iD]]
|2006年2月24日
|||
|-
![[N702iD]]
|2006年2月24日
|||
|-
![[SH702iD]]
|2006年2月24日
|||
|-
![[P702i]]
|2006年2月24日
|||
|-
![[D702i]]
|2006年3月17日
|||
|-
![[SO702i]]
|2006年5月26日
|||
|-
![[D702iBCL]]
|2006年6月26日
|||×
|-
![[SA702i]]
|2006年7月11日
|||
|}
===== 702iSシリーズ =====
2006年7月4日にD702iF、P702iD、N702iS、SH702iS、M702iS、M702iGがドコモよりプレスリリース。702iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。機種によって70xベースと90xベースに分かれる。1.7GHz帯には対応しない。2005年11月・12月にJATEを通過した。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH702iS]]
|2006年7月21日
|||
|-
![[N702iS]]
|2006年8月25日
|||
|-
![[P702iD]]
|2006年8月31日
|||
|-
![[D702iF]]
|2006年9月9日
|||
|-
![[M702iS]]
|2006年12月14日
|MOTORAZR||
|-
![[M702iG]]
|2006年12月22日
|||
|}
===== 703iシリーズ =====
[[2007年]]1月16日にD703i、F703i、N703iD、P703i、SH703i、SO703iがドコモよりプレスリリース。702iSの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。[[iアプリ]]は、最低でも500kアプリに対応。D703i、F703i、P703i、SH703i、SO703iではメガアプリに対応している。全機種[[着うたフル]]に対応している。[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]には非対応。ドコモ中国管内では「902iSを超えた703i」のキャッチコピーで販売されている。この703iシリーズより70xシリーズの高機能化が顕著になり、徐々に9xxiシリーズとの格差が縮まってきた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N703iD]]
|2007年1月26日
|||
|-
![[D703i]]
|2007年2月2日
|||
|-
![[F703i]]
|2007年2月2日
|||
|-
![[P703i]]
|2007年2月2日
|||
|-
![[SH703i]]
|2007年2月9日
|||
|-
![[SO703i]]
|2007年2月23日
|||
|}
===== 704iシリーズ =====
[[2007年]]7月4日にD704i、F704i、P704i、SH704i、SO704i、L704iがドコモよりプレスリリース。703iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついでいる。D704i、SH704iではワンセグに対応している。L704iはハイスピードに対応している。[[2007年]]春以降発売の機種は原則[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]搭載としているのに704iシリーズでは搭載されておらず、これ以後の70xシリーズについても搭載しないという姿勢を貫いている。これについてドコモは薄型のためにやむをえなかったとしている。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SO704i]]
|2007年7月13日
|||
|-
![[F704i]]
|2007年7月20日
|||
|-
![[SH704i]]
|2007年7月27日
|||
|-
![[D704i]]
|2007年8月23日
|||
|-
![[P704i]]
|2007年8月31日
|||
|-
![[L704i]]
|2007年10月19日
|chocolate||
|}
===== 705iシリーズ =====
[[2007年]][[11月1日]]に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。
[[ワンセグ]]搭載機種が4機種、L705i及びNM705i以外は[[おサイフケータイ]]に対応している。デザイン家電ブランド[[amadana]]とのコラボレーション端末[[N705i]]また、[[ノキア]]が初めて7シリーズを開発した。[[D705i]]、[[D705iμ]]は[[三菱電機]]最後の[[携帯電話]]となった。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F705i]]
|2008年1月22日||||
|-
![[P705i]]
|2008年1月25日||||
|-
![[D705i]]
|2008年1月30日||||
|-
![[N705i]]
|2008年2月1日
|amadanaケータイ|||
|-
![[SH705i]]
|2008年2月15日||||
|-
![[L705i]]
|2008年2月21日||||
|-
![[SO705i]]
|2008年2月22日||||
|-
![[NM705i]]
|2008年3月19日||||
|-
|}
===== 706iシリーズ =====
[[2008年]][[5月27日]]に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。今回は企画端末以外のP70xシリーズが発売されない。[[FOMA#サービス|前述]]の通り型番変更が発表されたため、旧型番最後のシリーズとなった。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F706i]]
|2008年6月20日
|||
|-
![[N706i]]
|2008年7月1日
|[[Francfranc]]ケータイ||
|-
![[SO706i]]
|2008年7月4日
|||
|-
![[SH706i]]
|2008年7月11日
|||
|-
![[NM706i]]
|2008年8月8日
|||
|-
|}
==== 企画端末(90xシリーズ) ====
900i以降(904/702除く)、超薄型モデル(iμ)や高速通信対応モデル(iX)、ワンセグやカメラなど一部の機能に特化したモデル(iTV/iCS)、無線LAN搭載モデル(iL)など通常モデルとは違い機能やデザイン面で個性的なモデルである。ただし、これらのモデルは通常の90x/70xシリーズから標準機能(GPS、国際ローミング等)が省かれていることも多いが、近年のモデルでは多機能化してきている。
なお、706iシリーズから登場した706ieシリーズは実質的に[[SIMPURE|60xシリーズ]]の後継に当たるもので、「easy」&「enjoy」をコンセプトにしたものである。
===== 900i系企画端末 =====
900i第2弾。基本性能は大きく変わらないが、新機能が多く盛り込まれている。[[2004年]][[6月1日]]に、F900iT・P900iV・N900iSの3機種を発表。F900iTは[[タッチパネル]]・[[Bluetooth]]を搭載し、P900iVは強化されたムービー撮影・再生機能を搭載。N900iLは[[無線LAN]]搭載端末で、主に企業の[[VoIP]]を使った内線とのデュアル用に発売されている。[[PASSAGE DUPLE]]や[[ビジネスmoperaIPセントレックス]]などに対応している。N900iGはドコモの国際[[ローミング]]サービス([[ワールドウィング]])に対応した最初のモデルである。F900iCはFOMAとしては[[おサイフケータイ]]に対応した第1号の機種である([[モバイルSuica]]には非対応)。デコメール改善などの細かなバージョンアップにとどまる[[日本電気|NEC]]製は単に900i"S"になっている。
[[ファイル:N900iGクローズ時.JPG|thumb|220px|WORLD WING初代対応FOMAN900iG]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F900iT]]
|2004年6月19日
|||
|-
![[P900iV]]
|2004年6月19日
|ムービーケータイ
||
|-
![[N900iS]]
|2004年6月25日
|||
|-
![[F900iC]]
|2004年8月7日
|||[[おサイフケータイ]]対応1号モデル
|-
![[N900iL]]
|2004年11月16日
|||無線LAN対応1号モデル、×
|-
![[N900iG]]
|2004年12月25日
|||[[WORLD WING]]対応1号モデル
|}
===== 901i系企画端末 =====
901i系企画端末として、ワンセグ携帯のP901iTVが発売されている。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P901iTV]]
|2006年3月3日
|||[[ワンセグ]]対応1号モデル
|}
[[ファイル:SO902iWP 01.jpg|thumb|130px|防水FOMASO902iWP]]
===== 902i系企画端末 =====
[[2006年]][[5月11日]]に企画端末として、902iSシリーズと同時にSO902iWP+、N902iX HIGH-SPEED、DOLCE SLが[[プレスリリース]]された。新機能としてDCMXアプリのプリセット等がある。また、N902iX HIGH-SPEEDとSH902iSLでは着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名に対応。SH902iSLでは電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応に対応。N902iX HIGH-SPEEDでは着うたフル、ミュージックチャネルに対応。902iSシリーズとは違い1.7GHz帯、バイオ認証、3Gローミングには対応しない。また、[[2006年]][[10月12日]]に903iシリーズと同時に[[N902iL]]が[[プレスリリース]]された。[[N900iL]]の後継機であり、それまでサポートされていなかった[[IEEE 802.11g]]とFOMAプラスエリアが対応になった。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SO902iWP+]]
|2006年6月30日
|FOMA STICK WP+||
|-
![[DOLCE SL|SH902iSL]]
|2006年7月7日
|DOLCE SL||
|-
![[N902iX HIGH-SPEED]]
|2006年8月31日
|||[[FOMAハイスピード]]対応1号モデル
|-
![[N902iL]]
|2007年2月13日
|||×
|}
===== 903i系企画端末 =====
[[2006年]][[10月12日]]に企画端末として、903iシリーズと同時にSH903iTV、D903iTV、P903iTV、P903iX HIGH-SPEED、F903iX HIGH-SPEEDが[[プレスリリース]]された。[[P901iTV]]に次いでワンセグ対応端末が3機種、[[N902iX HIGH-SPEED]]に次いで[[HSDPA]]対応端末が2機種が予定されている。ノーマルの903iと異なり、3Gローミング、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]には非対応なので注意が必要。また、[[2007年]][[1月16日]]に[[SO903iTV]]が703iシリーズと同時に発表された。2007年[[3月14日]]にビジネス向けの[[F903iBSC]]が発表された。
[[ファイル:NTT_Docomo_Aquos.jpg|thumb|250px|AQUOSケータイ奥から<br />SH903iTV/SH905iTV/SH-01A]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[D903iTV]]
|2007年2月16日
|||
|-
![[F903iX HIGH-SPEED]]
|2007年2月20日
|||
|-
![[P903iTV]]
|2007年2月23日
|||
|-
![[SH903iTV]]
|2007年2月28日
|[[AQUOSケータイ]]||
|-
![[F903iBSC]]
|2007年3月19日
|||×
|-
![[P903iX HIGH-SPEED]]
|2007年4月19日||
|-
![[SO903iTV]]
|2007年6月22日
|[[BRAVIAケータイ]]||
|}
===== 905i系企画端末 =====
[[2007年]][[11月1日]]に905i、705iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた(N905iBizを除く)。
N905iμは9シリーズでは初めての薄型μ端末である。SH905iTVはドコモではSH903iTVに続く2代目の[[AQUOSケータイ]]である。SO905iCSは[[サイバーショット#Cyber-shotケータイ|サイバーショットケータイ]]とし、[[ソニー]]の[[デジタルカメラ]]ブランド「[[サイバーショット]]」を冠している。
P905iTVは[[VIERA#VIERAケータイ(携帯電話)|VIERAケータイ]]とし、[[パナソニック|Panasonic]]の[[薄型テレビ|液晶、プラズマテレビ]]のブランド「[[VIERA]]」を冠している。
N905iBizは[[2007年]][[12月3日]]に発表された法人専用モデルで、N905iμベースでカメラ非搭載。F905iBizは[[2008年]][[2月12日]]に発表された法人専用モデルで、F905iベース。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N905iμ]]
|2007年11月30日
|||
|-
![[N905iBiz]]
|2007年12月18日
|||×
|-
![[SH905iTV]]
|2008年1月24日
|[[AQUOSケータイ]]||
|-
![[SO905iCS]]
|2008年2月15日
|[[サイバーショット#Cyber-shotケータイ|サイバーショットケータイ]]||
|-
![[F905iBiz]]
|2008年2月20日
|||×
|-
![[P905iTV]]
|2008年2月29日
|[[VIERAケータイ]]||
|-
|}
===== 906i系企画端末 =====
[[2008年]][[5月27日]]に906i、706iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N906iμ]]
|2008年6月4日
|||
|-
![[N906iμ|N906iμ(Pink Diamond)]]
|2008年6月13日
|STNY by [[サマンサタバサ|Samantha Thavasa]]コラボモデル||
|-
![[N906iL]]
|2008年6月19日
|onefone
||無線LAN対応機種
|-
![[SH906iTV]]
|2008年6月20日
|[[AQUOSケータイ]]||
|-
|}
==== 企画端末(70xシリーズ) ====
===== 701i系企画端末 =====
2005年8月3日にMusic Porter IIがドコモよりプレスリリース。2006年3月2日にN701iECOがドコモよりプレスリリースされた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[Music Porter II|D701iWM]]
|2005年12月22日
|Music Porter II||
|-
![[N701iECO]]
|2006年3月10日
|||
|}
===== 703i系企画端末 =====
[[2007年]]1月16日に企画端末として、703iシリーズと同時にN703iμ、P703iμが[[プレスリリース]]された。両モデル共に折りたたみ式第三世代携帯電話端末として'''世界最薄'''([[2007年]][[2月]]現在)となる厚さ11.4[[ミリメートル|mm]]の端末である。1.7GHz帯には対応しない。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P703iμ]]
|2007年2月9日
|||
|-
![[N703iμ]]
|2007年2月20日
|||
|}
===== 704i系企画端末 =====
[[2007年]]7月4日に企画端末として、704iシリーズと同時にN704iμ、P704iμがドコモよりプレスリリース。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[N704iμ]]
|2007年7月20日
|||
|-
![[P704iμ]]
|2007年7月27日
|||
|}
===== 705i系企画端末 =====
[[2007年]][[11月1日]]に905iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。L705iXは[[ワンセグ]]を搭載。L705iX以外の全機種で[[おサイフケータイ]]に対応している。折りたたみ携帯世界最薄9.8mmの[[N705iμ]]、[[P705iμ]]や7.2Mbps[[HSDPA]]に対応した[[L705iX]]などが登場した。また、[[2008年]][[3月11日]]には[[SH705i]]のマイナーチェンジモデルである[[SH705iII]]もドコモよりプレスリリースされた。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[D705iμ]]
|2008年1月30日||||
|-
![[N705iμ]]
|2008年2月15日||||
|-
![[P705iμ]]
|2008年2月16日||||
|-
![[L705iX]]
|2008年3月8日
|Shine Phone||
|-
![[P705iμ|P705iCL]]
|2008年3月14日
|PROSOLID μ||
|-
![[SH705iII]]
|2008年4月9日||||
|}
===== 706i系企画端末 =====
[[2008年]][[5月27日]]に906iシリーズと同時にドコモよりプレスリリースされた。また[[8月26日]]には[[N705i]]の新色モデルであるN706iIIもドコモよりプレスリリースされている。
[[ファイル:NTT DoCoMo FOMA P706imu open.jpg|thumb|230px|世界最薄折畳ケータイP706iμ]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[P706iμ]]
|2008年7月25日
|||
|-
![[L706ie]]
|2008年8月1日
|||
|-
![[P706ie]]
|2008年8月15日
|||
|-
![[N706ie]]
|2008年8月15日
|||
|-
![[SH706ie]]
|2008年8月19日
|||
|-
![[N705i|N706iII]]
|2008年8月30日
|amadanaケータイ(新色)||
|-
![[SH706iw]]
|2008年9月1日
|ウェルネスケータイ||
|-
|}
==== 8xx番台 ====
movaでいう600番台で、特殊モデルに割り当てている。なお、800番台はもともとはドッチーモ(PDCとPHSの複合機)に割り当てられていたもので、すでに使われている81x、82x、83xを避ける格好になる。
===== 80x系 =====
原則「キッズケータイ」に付けられているが、下記のように例外もある。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[D800iDS]]
|2007年2月9日
|2画面ケータイ||
|-
![[SA800i]]
|2006年3月4日
|キッズケータイ||
|-
![[F801i]]
|2007年12月20日
|キッズケータイ||
|}
===== 85x系 =====
9や7等のどのシリーズにも属さない企画端末に割り当てられている。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[NM850iG]]
|2006年3月17日
|||
|-
![[SH851i]]
|2005年8月5日
|[[DOLCE (携帯電話)|DOLCE]]||
|-
![[Prosolid#FOMA P851i prosolid II|P851i]]
|2005年11月26日
|prosolid II||
|-
![[MUSIC PORTER X|D851iWM]]
|2006年4月8日
|MUSIC PORTER X||
|-
![[L852i]]
|2008年6月1日
|[[PRADA Phone by LG]]||
|}
[[ファイル:NTT DoCoMo FOMA F880iES bronze.jpg|thumb|180px|FOMAらくらくホン(F880iES)]]
===== 88x系(らくらくホンシリーズ) =====
88x系は一貫して「[[らくらくホン]]」シリーズで展開されている。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[らくらくホンシンプル|D880SS]]
|2005年12月16日
|らくらくホンシンプル||
|-
![[FOMAらくらくホン|F880iES]]
|2004年9月4日
|FOMAらくらくホン||
|-
![[FOMAらくらくホンII|F881iES]]
|2005年8月19日
|FOMAらくらくホンII||
|-
![[FOMAらくらくホンIII|F882iES]]
|2006年9月1日
|FOMAらくらくホンIII||
|-
![[らくらくホンベーシック|F883i]]
|2007年4月13日
|らくらくホンベーシック||
|-
![[らくらくホンベーシック|F883iS]]
|2008年5月22日
|らくらくホンベーシックS||
|-
![[らくらくホンIV|F883iES]]
|2007年8月17日
|らくらくホンIV||
|-
![[らくらくホンIV|F883iESS]]
|2008年4月17日
|らくらくホンIVS||
|-
![[らくらくホンプレミアム|F884i]]
|2008年4月14日
|らくらくホンプレミアム||
|-
![[らくらくホンV|F884iES]]
|2008年8月1日
|らくらくホンV||
|}
==== SIMPURE ====
詳しくは[[SIMPURE]]参照の事。
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SIMPURE L|L600i]]
|2006年4月14日
|SIMPURE L||
|-
![[SIMPURE N|N600i]]
|2006年4月25日
|SIMPURE N||
|-
![[SIMPURE L1|L601i]]
|2006年11月17日
|SIMPURE L1||
|-
![[SIMPURE N1|N601i]]
|2006年12月8日
|SIMPURE N1||
|-
![[SIMPURE L2|L602i]]
|2007年6月29日
|SIMPURE L2||
|}
==== ビジネスコンシューマー向け ====
以下の端末はiモードには対応せず、[[パケ・ホーダイ]]が利用できないが、[[Biz・ホーダイ]]の対象にはなる。
[[ファイル:Bbdesktop.jpg|thumb|170px|日本のBlackBerry第1号8707h]]
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[M1000]]
|2005年7月1日
|ビジネスFOMA||Symbian OSのスマートフォン
|-
![[hTc Z]]
|2006年7月
|||WindowsケータイFOMA第1号
|-
![[BlackBerry|BlackBerry 8707h]]
|2006年9月
|||QWERTY配列キーボードを搭載したスマートフォン。<br />日本語表示、日本語入力対応。<br />W-CDMAに加えGSM/GPRS通信に対応し、国際ローミングが可能。<br />2008年8月1日より一般ユーザー向け販売を開始。
|-
![[F1100]]
|2008年3月17日
|[[Microsoft Windows|Windows]]ケータイ
||FOMA無線LAN対応
|-
![[HT1100]]
|2008年6月12日
|[[Microsoft Windows|Windows]]ケータイ||
|-
|}
=== 新型番モデル(2008年11月-) ===
<!-- 見出し部には、[[Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)]]よりリンクを置かないで下さい-->
ドコモは[[2008年]][[11月5日]]、従来の番号によりシリーズを区別していた形を改め、明確なコンセプトによるシリーズ分けとすることを発表し、同時に、それぞれのシリーズに属する端末も発表された。
番号の形式は単純にリリース順で付けられるようになったため、購入にあたっては、どのシリーズに属しているかを確認する必要がある。この法則はかつての9シリーズ、7シリーズだけではなく、今後発売されるすべての端末に適用される。理由としては70Xシリーズのワンセグ・HSDPA・おサイフケータイ対応などにより相対的に高機能化が進み、機能での棲み分けが困難になってきたことが挙げられている。
上位機種では、[[iコンシェル]]、[[iウィジェット]]、[[iアプリオンライン]]に新たに対応し、[[FOMAハイスピード]]がダウンロード7.2Mbps・アップロード5.7Mbpsに高速化し、[[Bluetooth]]の搭載数が大幅に増加した。
らくらくホンシリーズ、キッズケータイシリーズは第五のコンセプトとして独立して取り扱う方針。またデータ通信端末も新型番で発売される。
なお、[[ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ]]は、[[SO706i]]以降、ドコモへの端末供給を一時休止していたため、「SO-xxA」という型番が割り振られた端末は存在せず、2010年4月発売を予定する[[SO-01B]]が新型番初の端末となった。
また、本シリーズよりメーカーによって異なっていた文字入力の仕様などがほとんどの機種で統一された<ref>[http://www.nttdocomo.co.jp/life/tsukaeru/naruhodo/function/index_20061109.html 入力中の文字をひとつ前に戻したい - NTTドコモ ケータイ120%活用情報 > その他の便利な使い方]</ref>。
==== 先々代・主要6シリーズ(- 2011年9月) ====
[[File:NTTdocomo PRO SH-04AW_1seg.jpg|thumb|160px|QWERTY配列ケータイ<br />docomo PRO series [[SH-04A]]]]
[[ファイル:Nttdocomo-sonyericsson so-01b front.JPG|thumb|160px|ドコモスマートフォン [[SO-01B|XPERIA]]]]
各シリーズに属する端末は下記のリンクを参照。「ドコモ スマートフォン」は「PRO」シリーズからスマートフォンのみ分割され、2010年1月に新設された。なお、「SMART」・「PRO」シリーズを色違い表現としたのは単にリンクを見易くするためのもので、リンク以外の部分の背景色が正式な色である。
{| class="wikitable"
|-
!シリーズ名・シンボルカラー!!重視点!!ターゲット
|-
!style="background:#a2d7e5;"|[[docomo STYLE series]]<br />{{small|ドコモ スタイル シリーズ}}
|デザイン||rowspan=2|一般ユーザー
|-
!style="background:#ffcc00;"|[[docomo PRIME series]]<br />{{small|ドコモ プライム シリーズ}}
|高機能
|-
!style="color:#fff; background:#4d1458;"|<span style="background:#b5a5d5;">[[docomo SMART series]]</span><br />{{small|ドコモ スマート シリーズ}}
|スリムさ||ビジネスユーザー
|-
!style="color:#fff; background:#111;"|<span style="background:#eee;">[[docomo PRO series]]</span><br />{{small|ドコモ プロ シリーズ}}
|先進機能||rowspan=2|ビジネス・デジタル専門家
|-
!style="color:#fff; background:#c9ab4b;"|[[ドコモ スマートフォン]]
|スマートフォン
|-
!style="color:#fff; background:#009966;"|[[らくらくホン|docomo らくらくホン シリーズ]]
|使いやすさ||初心者・高齢者
|}
==== 先代・主要5シリーズ(2011年10月 - 2013年5月) ====
2011年10月よりスマートフォンを主軸にしたシリーズ分けに改められ、これまでの「ドコモ スマートフォン」は新たに「with」・「NEXT」シリーズに分割され、従来のiモード対応携帯電話はらくらくホンを除き全て「STYLE」シリーズに集約された。なお「ドコモ タブレット」は先行して2011年9月より展開している。またFOMAだけではなく、[[第3.9世代移動通信システム|3.9G]]の[[Xi (携帯電話)|Xi(クロッシイ)]]対応の音声端末・タブレット端末もこの5シリーズのどれかに属することになる。
{| class="wikitable"
|-
!シリーズ名・シンボルカラー!!機種!!ターゲット
|-
!style="background:#B01C7B;"|[[docomo with series]]<br />{{small|ドコモ ウィズ シリーズ}}
|rowspan=2|スマートフォン||一般ユーザー
|-
!style="background:#2F3491;"|[[docomo NEXT series]]<br />{{small|ドコモ ネクスト シリーズ}}
|rowspan=2|ビジネス・デジタル専門家
|-
!style="color:#fff; background:#928AA2;"|[[ドコモ タブレット]]
|タブレット端末
|-
!style="background:#a2d7e5;"|docomo STYLE series<br />{{small|ドコモ スタイル シリーズ}}
|rowspan=2|携帯電話||一般ユーザー
|-
!style="color:#fff; background:#009966;"|docomo らくらくホン シリーズ
|初心者・高齢者
|}
==== 現・主要5シリーズ(2013年5月 -) ====
2013年5月より再度シリーズの再編が行われ、「with」・「NEXT」は再び「ドコモ スマートフォン」に集約され、「STYLE」は「ドコモ ケータイ」に名称が改められた。他にも「docomo らくらくホンシリーズ」は「ドコモ らくらくホン」に変更、キッズケータイ・ジュニアケータイと名称が混載していた低年齢層向けの端末は「ドコモ キッズ・ジュニア」とシリーズ名が付けられ、「ドコモ タブレット」と合わせてすべてのシリーズ名が「ドコモ○○」に統一された。
==== コンセプトモデル ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH-06A#SH-06A NERV|SH-06A NERV]]
|2009年7月22日
|『[[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破]]』コラボモデル
|台数限定
|-
![[SH-09C]]
|2011年3月11日
|[[バカラ (ガラス)|バカラ]]コラボモデル
|ドコモオンラインショップにて台数限定販売
|-
![[SH-08C]]
|2011年3月28日
|TOUCH WOOD
|ドコモオンラインショップにて先行販売<br />4月より店頭販売も開始予定<br />(いずれも台数限定)
|-
![[F-07C]]
|2011年7月23日
|[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]ケータイ/[[FMV]] LOOX
|Windows 7搭載モバイルPCとiモード対応携帯の<br />デュアル端末
|-
![[SH-06D#SH-06D NERV|SH-06D NERV]]
|2012年6月29日
|『[[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q]]』コラボモデル
|台数限定
|}
==== Sony Tablet ====
{{main|Sony Tablet}}
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[Sony Tablet S]]
|2011年10月28日
|||
|-
![[Sony Tablet P]]
|2011年10月28日
|||
|}
==== キッズケータイ ====
{{main|キッズケータイ}}
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F-05A]]
|2009年2月1日
|||
|-
![[HW-02C]]
|2011年9月28日
|||
|-
![[HW-01D]]
|2011年9月5日
|||
|}
==== 法人向け端末 ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[F-06A]]
|2009年1月26日
||
|×
|-
![[H-21 Business SmartPhone|H-21 Business<br />SmartPhone]]
|2010年3月12日||||業務用バーコードリーダーを搭載<br />OSは[[Windows Mobile]] 6.5 Professional。×<br />メーカーブランド
|-
![[F-05B]]
|2010年5月27日
||
|ハンディーターミナルを搭載<br />OSは[[Windows Mobile]] 6.5 Professional。×
|-
![[F-10B]]
|2010年8月31日
||
|×
|}
==== データ通信端末 ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[L-02A]]
|2008年12月18日
|||USB接続型端末
|-
![[L-05A]]
|2009年6月26日
|||最大送信速度5.7Mbpsの[[HSUPA]]に対応するUSB接続型端末
|-
![[L-07A]]
|2009年11月11日
|||最大送信速度5.7MbpsのHSUPAに対応するExpressCard型端末
|-
![[DWR-PG]]
|2010年6月24日
|Portable Wi-Fi
|[[バッファロー (パソコン周辺機器)|バッファロー]]のメーカーブランド製品、<br />最大送信速度5.7MbpsのHSUPAに対応するモバイル[[Wi-Fi]]ルーター
|-
![[BF-01B]]
|2010年9月25日
|||最大送信速度5.7MbpsのHSUPAに対応するモバイルWi-Fiルーター
|-
![[HW-01C]]
|2010年11月30日
|||最大送信速度5.7MbpsのHSUPAに対応するモバイルWi-Fiルーター
|-
![[L-08C]]
|2011年5月28日
|||最大送信速度5.7MbpsのHSUPAに対応するUSB接続型端末
|}
==== ブックリーダー ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[SH-07C]]
|2011年1月21日||||シャープの[[電子ブックリーダー]]+マルチメディアタブレットである[[GALAPAGOS]]にFOMAハイスピードモジュールを搭載した機種、<br />HSUPA対応
|}
==== お便りフォトパネル ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 01|フォトパネル01]]
|2009年7月1日
|||台数限定
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 02|フォトパネル02]]
|2009年12月22日
|||2010年1月15日より店頭販売も開始
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 03|フォトパネル03]]
|2010年12月23日
|||HSDPA対応、<br />[[Francfranc]]コラボモデルは2011年4月28日発売
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 04|フォトパネル04]]
|2012年3月6日
|||HSDPA(14Mbps)対応
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 05|フォトパネル05 Powered by REGZA]]
|2012年12月21日
|||HSDPA(14Mbps)対応
|-
![[お便りフォトサービス#フォトパネル 06|フォトパネル06 Powered by REGZA]]
|2013年12月13日
|||HSDPA(14Mbps)対応
|}
==== FOMAユビキタスモジュール ====
{| class="wikitable" style="text-align:left;"
|-
!端末型番!!発売日!!ブランド!!備考
|-
![[UM02-KO]]
|2009年6月26日
|||専用アダプタセットも同時発売。×
|-
![[UM02-F]]
|2009年7月14日
|||専用アダプタセットも同時発売。×
|-
![[UM01-HW]]
|2010年9月30日||||通話機能も搭載
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[mova]]
* [[NTTドコモ]]
* [[NTTドコモの携帯電話端末一覧]]
* [[WORLD WING]]
* [[FOMAプラスエリア]]
* [[iチャネル]]
* [[仮想移動体通信事業者]]
== 外部リンク ==
* [https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0607/12/news089.html ITmedia +D モバイル-番号ポータビリティまでにムーバ以上のエリアを構築する]
*{{Twitter|https://mobile.twitter.com/ymobileOfficial?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor|ymobileOfficial}}
*{{Twitter|ymobile_Care|カスタマーサービス担当}}
{{Docomoのサービス}}
{{Docomo 2001-2003 FOMAモデル}}
{{Docomo 2004-2008 FOMAモデル}}
{{Docomo 2009-2011 FOMAモデル}}
{{Docomo 2012- FOMA・Xiモデル}}
{{携帯電話の世代}}
{{デフォルトソート:FOMA}}
[[Category:スマートフォン]]
[[Category:携帯電話 (NTTドコモ)]]
[[Category:モバイルネットワーク]]
[[Category:国際ローミング]] | 2003-05-06T14:52:27Z | 2023-11-04T14:07:54Z | false | false | false | [
"Template:Small",
"Template:Cite web",
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"Template:Twitter",
"Template:Docomo 2012- FOMA・Xiモデル",
"Template:携帯電話の世代",
"Template:Lang-en",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Docomoのサービス",
"Template:Docomo 2001-2003 FOMAモデル",
"Template:Docomo 2004-2008 FOMAモデル",
"Template:Otheruses",
"Template:Main",
"Template:Docomo 2009-2011 FOMAモデル"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/FOMA |
7,876 | GSM | GSM(英: global system for mobile communications)はFDD-TDMA方式で実現されている第2世代移動通信システム (2G) 規格である。
GSMは世界のほとんどの国・地域で使用されているが、日本、韓国、ツバルでは使用されていない。 2008年現在、世界の携帯電話端末市場の82%はGSM方式であり、携帯電話方式の中で最も使われている。世界の212ヵ国で約20億人が利用している。電波の利用効率が悪いことを問わない、中古インフラや中古端末が安価であることから、発展途上国では主流である。
デジタル携帯電話方式で、世代では第二世代携帯電話 (2G) に分類される。しかし、最新技術を取り入れ、次々と改訂版を出している。最初は、回線交換(音声とデータ)でスタートした。やや遅れて、GPRS(パケット交換データ通信)が追加され第2.5世代と呼ばれ、さらに上位のEDGEを含むことで第2.75世代と呼ばれる。また、その上のEDGE Evolutionでは第3世代に近いデータ転送速度が出せる(後述)。2000年代前半にはGSMネットワークにおいてGPRSは広く普及し、オペレータによってはEDGEを導入したところもあった。
GSM方式やWCDMA方式のSIMロックされていない端末を1台持っておくと、現地の事業者が対応していれば、その発行するSIMカードを買い、現地の携帯電話として現地の電話料金で携帯電話を使用できる。多くの国では空港に携帯電話会社のサービス窓口があり、プリペイドSIMカードを入手しすぐに使用できる。
そのほか、自動国際ローミングを備えるため国が変わっても使用できることや、SIMカードでサービスアカウントを管理するため端末と電気通信事業者を分離できプリペイド式携帯電話や電話機の自由な取替えが容易であることなどの特徴がある。
また、GSMを採用した携帯電話キャリアは3G方式にW-CDMA (UMTS) を選択することを3GSMと呼ぶこともある。
なお、GSMに使用されているA5/1、A5/2などと呼ばれる通信プライバシー保護用の暗号化はいくつかの深刻な弱点が指摘されており、豊富な計算能力があれば数分で解読が可能である。暗号仕様設定当時よりもコンピュータの処理能力が飛躍的に向上し、当時であれば必要十分であった暗号強度も破ることが可能となった。
各国で異なるアナログ方式でサービスが行われていた欧州において、1982年に欧州郵便電気通信主管庁会議 (CEPT: Conference of European Postal and Telecommunications administration) が GSM (Groupe Speciale Mobile) でデジタル方式携帯電話の統一規格の策定を開始した。1987年に統一規格として採択され、これはGSM1987ともよばれる。1991年にフィンランドで初のサービスが開始された。
欧州各国で採用され、大量生産されたためシステムが安価となった。また、メーカー・欧州の標準化機関が一体となって他の地域でも採用されるように働きかけを行ったため、広く普及した。
2016年以降、オーストラリア、米国などでGSMの一部停波が始まっている。シンガポール、台湾では2017年に全面的にGSMサービスを終了した。
日本のキャリアでは、ソフトバンクモバイル、NTTドコモのほぼ全ての機種が対応し、auは3G対応機種の一部と4GLTE専用(VoLTE対応機種等)のほぼ全ての機種が対応する。なお、日本で発売される対応機種の殆どはGSMネットワークで使用される事の多い周波数(900MHzと1800MHz)へ対応しているため、北米以外の多くの国と地域で国際ローミングが可能な場合がある。
使用される周波数帯には、主に次の4つがある。
もともとのGSM規格は、900MHzからスタートし、周波数枠を広げるために、ついで、1800MHzが使われた。南北アメリカは、周波数割り当てが異なったため、これらの地域では、1900MHz,850MHzでGSMが使われる。
900/1800MHz帯ないしは850/1900MHz帯に対応した携帯電話機をデュアルバンド (Dual-band) 機、900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をトライバンド (Tri-band) 機、850/900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をクワッドバンド (Quad-band) 機と呼ぶ。
なお、北米では850/1800/1900MHzのトライバンド機もある。
日本、韓国、ツバル以外の世界中で最低一つ以上の周波数帯域が割り当てられている。
PDC・D-AMPSは送信と受信とを同時に行わず、またGSMと比較して多重化数が少なく、最大瞬時空中線電力も小さい。また、基地局に位置登録された端末を送信時間別グループに分け、そのときのみ待ち受け端末が受信状態となる間欠通信も行っている。そのため、電池の容量当たりの待ち受け時間や通話時間を長くすることが容易である。これらに対しGSMは、基地局が安価である。しかし、周波数帯域利用効率は劣る。
GSMは、最初の規格がリリースされて20年以上になるために、実装するのに必要な特許の保護期間が過ぎている。この為、第3世代携帯電話の端末に比べると特許費用が大幅に安いために、安価に製造することが可能である。この為、機能を絞った端末の場合は50ドル以下で販売することが可能なほどである。
8PSKの変調が追加されたEDGEの音声である。
CSD (Circuit Switch Data)。GSMの回線交換データ通信9.6 kbps。オプションで14.4 kbps。
HSCSD (High Speed Circuit Switch Data)。GSMの高速回線交換データ通信、最大57.6 kbps。ひとつ9.6 kbpsまたは14.4 kbpsの回線交換スロットを4つまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。
ECSD (Enhanced Circuit Switched Data)。HSCSDを拡張した規格。最大345.6 kbps。3倍程度高速化されたひとつ43.2 kbpsの回線交換スロットを8スロットまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。
GPRS (General Packet Radio Service)。GSMのパケットデータ通信、最大スループット171.2 kbps。ひとつ21.4 kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。
EDGE (Enhanced Data Rates for GSM Evolution) もしくはEGPRS (Enhanced GPRS)、IMT-SC (IMT Single Carrier) はGPRSを拡張したパケット通信規格。デジタル変調方式に八位相偏移変調 (8PSK) を使用している。最大スループット473.6 kbps。3倍程度高速化されたひとつ59.2 kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。
3GPPのrelease 7で追加された2搬送波を使う仕様を従来のEDGEとの組み合わせのみで使う。従来通り8PSKのみなのでノキア・シーメンスの基地局の無線機のハードウェアは同じままソフトウェアのバージョンアップのみで592 kbpsに対応できる。
EDGE EvolutionはEDGEをさらに高速化したもの。3GPPのrelease 7で追加された。デジタル変調に8PSKの代わりに16QAMまたは32QAMを用いる。1 Mbps程度のスループットが得られるとしている。これは第三世代携帯電話に匹敵するスピードである。2009年開始予定。 | [
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"text": "2016年以降、オーストラリア、米国などでGSMの一部停波が始まっている。シンガポール、台湾では2017年に全面的にGSMサービスを終了した。",
"title": "歴史"
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"text": "日本のキャリアでは、ソフトバンクモバイル、NTTドコモのほぼ全ての機種が対応し、auは3G対応機種の一部と4GLTE専用(VoLTE対応機種等)のほぼ全ての機種が対応する。なお、日本で発売される対応機種の殆どはGSMネットワークで使用される事の多い周波数(900MHzと1800MHz)へ対応しているため、北米以外の多くの国と地域で国際ローミングが可能な場合がある。",
"title": "歴史"
},
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"text": "使用される周波数帯には、主に次の4つがある。",
"title": "周波数帯"
},
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"text": "もともとのGSM規格は、900MHzからスタートし、周波数枠を広げるために、ついで、1800MHzが使われた。南北アメリカは、周波数割り当てが異なったため、これらの地域では、1900MHz,850MHzでGSMが使われる。",
"title": "周波数帯"
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"text": "900/1800MHz帯ないしは850/1900MHz帯に対応した携帯電話機をデュアルバンド (Dual-band) 機、900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をトライバンド (Tri-band) 機、850/900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をクワッドバンド (Quad-band) 機と呼ぶ。",
"title": "周波数帯"
},
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"text": "なお、北米では850/1800/1900MHzのトライバンド機もある。",
"title": "周波数帯"
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"text": "日本、韓国、ツバル以外の世界中で最低一つ以上の周波数帯域が割り当てられている。",
"title": "周波数帯"
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"text": "PDC・D-AMPSは送信と受信とを同時に行わず、またGSMと比較して多重化数が少なく、最大瞬時空中線電力も小さい。また、基地局に位置登録された端末を送信時間別グループに分け、そのときのみ待ち受け端末が受信状態となる間欠通信も行っている。そのため、電池の容量当たりの待ち受け時間や通話時間を長くすることが容易である。これらに対しGSMは、基地局が安価である。しかし、周波数帯域利用効率は劣る。",
"title": "技術"
},
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"tag": "p",
"text": "GSMは、最初の規格がリリースされて20年以上になるために、実装するのに必要な特許の保護期間が過ぎている。この為、第3世代携帯電話の端末に比べると特許費用が大幅に安いために、安価に製造することが可能である。この為、機能を絞った端末の場合は50ドル以下で販売することが可能なほどである。",
"title": "技術"
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"text": "8PSKの変調が追加されたEDGEの音声である。",
"title": "技術"
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"text": "CSD (Circuit Switch Data)。GSMの回線交換データ通信9.6 kbps。オプションで14.4 kbps。",
"title": "技術"
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"text": "HSCSD (High Speed Circuit Switch Data)。GSMの高速回線交換データ通信、最大57.6 kbps。ひとつ9.6 kbpsまたは14.4 kbpsの回線交換スロットを4つまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。",
"title": "技術"
},
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"text": "ECSD (Enhanced Circuit Switched Data)。HSCSDを拡張した規格。最大345.6 kbps。3倍程度高速化されたひとつ43.2 kbpsの回線交換スロットを8スロットまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。",
"title": "技術"
},
{
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"tag": "p",
"text": "GPRS (General Packet Radio Service)。GSMのパケットデータ通信、最大スループット171.2 kbps。ひとつ21.4 kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。",
"title": "技術"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "EDGE (Enhanced Data Rates for GSM Evolution) もしくはEGPRS (Enhanced GPRS)、IMT-SC (IMT Single Carrier) はGPRSを拡張したパケット通信規格。デジタル変調方式に八位相偏移変調 (8PSK) を使用している。最大スループット473.6 kbps。3倍程度高速化されたひとつ59.2 kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。",
"title": "技術"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "3GPPのrelease 7で追加された2搬送波を使う仕様を従来のEDGEとの組み合わせのみで使う。従来通り8PSKのみなのでノキア・シーメンスの基地局の無線機のハードウェアは同じままソフトウェアのバージョンアップのみで592 kbpsに対応できる。",
"title": "技術"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "EDGE EvolutionはEDGEをさらに高速化したもの。3GPPのrelease 7で追加された。デジタル変調に8PSKの代わりに16QAMまたは32QAMを用いる。1 Mbps程度のスループットが得られるとしている。これは第三世代携帯電話に匹敵するスピードである。2009年開始予定。",
"title": "技術"
}
] | GSMはFDD-TDMA方式で実現されている第2世代移動通信システム (2G) 規格である。 | {{Otheruses|通信規格|その他}}
'''GSM'''({{lang-en-short|global system for mobile communications}})は[[周波数分割複信|FDD]]-[[時分割多元接続|TDMA]]方式で実現されている[[第2世代移動通信システム]] (2G) 規格である。
==概要==
GSMは世界のほとんどの国・地域で使用されているが、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[ツバル]]では使用されていない。
[[2008年]]現在、世界の携帯電話端末市場の82%はGSM方式であり、携帯電話方式の中で最も使われている。世界の212ヵ国で約20億人が利用している。電波の利用効率が悪いことを問わない、中古インフラや中古端末が安価であることから、[[開発途上国|発展途上国]]では主流である。
デジタル携帯電話方式で、世代では[[第二世代携帯電話]] (2G) に分類される。しかし、最新技術を取り入れ、次々と改訂版を出している。最初は、回線交換(音声とデータ)でスタートした。やや遅れて、GPRS(パケット交換データ通信)が追加され第2.5世代と呼ばれ、さらに上位のEDGEを含むことで第2.75世代と呼ばれる。また、その上のEDGE Evolutionでは[[第三世代携帯電話|第3世代]]に近いデータ転送速度が出せる(後述)。2000年代前半にはGSMネットワークにおいてGPRSは広く普及し、オペレータによってはEDGEを導入したところもあった。
GSM方式やWCDMA方式のSIMロックされていない端末を1台持っておくと、現地の事業者が対応していれば、その発行する[[SIMカード]]を買い、現地の携帯電話として現地の電話料金で携帯電話を使用できる。多くの国では空港に携帯電話会社のサービス窓口があり、プリペイドSIMカードを入手しすぐに使用できる。
そのほか、自動[[ローミング|国際ローミング]]を備えるため国が変わっても使用できることや、[[SIMカード]]でサービスアカウントを管理するため[[端末]]と[[電気通信事業者]]を分離でき[[プリペイド式携帯電話]]や[[電話機]]の自由な取替えが容易であることなどの特徴がある。
また、GSMを採用した携帯電話キャリアは3G方式に[[W-CDMA]] (UMTS) を選択することを'''3GSM'''と呼ぶこともある。
なお、GSMに使用されている[[A5/1]]、A5/2などと呼ばれる通信プライバシー保護用の暗号化はいくつかの深刻な弱点が指摘されており、豊富な計算能力があれば数分で解読が可能である。暗号仕様設定当時よりもコンピュータの処理能力が飛躍的に向上し、当時であれば必要十分であった暗号強度も破ることが可能となった。
==歴史==
各国で異なるアナログ方式でサービスが行われていた欧州において、[[1982年]]に欧州郵便電気通信主管庁会議 (CEPT: Conference of European Postal and Telecommunications administration) が GSM (Groupe Speciale Mobile) でデジタル方式携帯電話の統一規格の策定を開始した。[[1987年]]に統一規格として採択され、これはGSM1987ともよばれる。[[1991年]]に[[フィンランド]]で初のサービスが開始された。
欧州各国で採用され、大量生産されたためシステムが安価となった。また、メーカー・欧州の標準化機関が一体となって他の地域でも採用されるように働きかけを行ったため、広く普及した。
2016年以降、オーストラリア、米国などでGSMの一部停波が始まっている。シンガポール、台湾では2017年に全面的にGSMサービスを終了した。
日本のキャリアでは、[[ソフトバンクモバイル]]、[[NTTドコモ]]のほぼ全ての機種が対応し、[[Au (携帯電話)|au]]は3G対応機種の一部と4GLTE専用(VoLTE対応機種等)のほぼ全ての機種が対応する。なお、日本で発売される対応機種の殆どはGSMネットワークで使用される事の多い周波数(900MHzと1800MHz)へ対応しているため、北米以外の多くの国と地域で国際ローミングが可能な場合がある<ref>現地オペレータとSIMカードオペレータの間でローミングアグリーメントが成立している必要がある。通話料金は高額。</ref>。
==周波数帯==
{|class="wikitable floatright" style="font-size:x-small"
|+周波数帯
!!!!!上り (MHz) !!下り (MHz) !!間隔 (MHz) !!帯域幅 (MHz) !!地域
|-
|rowspan="4" |GSM400
|T-GSM380 ||380.2 - 389.8 ||390.2 - 399.8 ||10 ||9.6×2
|
|-
|T-GSM410 ||410.2 - 419.8 ||420.2 - 429.8 ||10 ||9.6×2
|
|-
|GSM450 ||450.4 - 457.6 ||460.4 - 467.6 ||10 ||7.2×2
|
|-
|GSM480 ||478.8 - 486.0 ||488.8 - 496.0 ||10 ||7.2×2
|
|-
|rowspan="2" |GSM700
|GSM710 ||698.0 - 716.0 ||728.0 - 746.0 ||30 ||18×2
|
|-
|GSM750 ||747.0 - 762.0 ||777.0 - 792.0 ||30 ||15×2
|
|-
|rowspan="2" |GSM800
|T-GSM810 ||806.0 - 821.0 ||851.0 - 866.0 ||45 ||15×2
|中国
|-
|GSM850 ||824.0 - 849.0 ||869.0 - 894.0 ||45 ||25×2
|北米
|-
|rowspan="5" |GSM900
|P-GSM900 ||890.0 - 915.0 ||935.0 - 960.0 ||45 ||25×2
|アジア、アフリカ、オセアニア、欧州、中南米
|-
|E-GSM900 ||880.0 - 915.0 ||925.0 - 960.0 ||45 ||35×2
|アジア、アフリカ、オセアニア、欧州、中南米
|-
|rowspan="2" |R-GSM900 ||876.0 - 915.0 ||921.0 - 960.0 ||45 ||39×2
|アジア、欧州
|-
|876.0 - 888.0 ||921.0 - 925.0 ||45 ||4×2
|アジア、欧州
|-
|T-GSM900 ||870.4 - 876.0 ||915.4 - 921.0 ||45 ||5.6×2
|
|-
|rowspan="2" |GSM1800
|rowspan="2" |DCS1800 ||1710.0 - 1785.0 ||1805.0 - 1880.0 ||95 ||75×2
|アジア、アフリカ、オセアニア、欧州、中南米
|-
|1710.0 - 1755.0 ||1805.0 - 1850.0 ||95 ||45×2
|PCS1900併用地域、中南米
|-
|GSM1900
|[[Personal Communications Service|PCS]]1900 ||1850.0 - 1910.0 ||1930.0 - 1990.0 ||80 ||60×2
|北米、中南米
|}
使用される[[周波数]]帯には、主に次の4つがある。
*850[[メガヘルツ|MHz]]帯 [[アメリカ合衆国|米国]]など
*900MHz帯 [[ヨーロッパ|欧州]]やアジアなど
*1800MHz帯 欧州やアジアなど
*1900MHz帯 米国など
もともとのGSM規格は、900MHzからスタートし、周波数枠を広げるために、ついで、1800MHzが使われた。南北アメリカは、周波数割り当てが異なったため、これらの地域では、1900MHz,850MHzでGSMが使われる。
900/1800MHz帯ないしは850/1900MHz帯に対応した携帯電話機をデュアルバンド (''Dual-band'') 機、900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をトライバンド (''Tri-band'') 機、850/900/1800/1900MHz帯に対応した携帯電話機をクワッドバンド (''Quad-band'') 機と呼ぶ。
なお、北米では850/1800/1900MHzのトライバンド機もある。
日本、韓国、ツバル以外の世界中で最低一つ以上の周波数帯域が割り当てられている。
==技術==
[[PDC]]・[[D-AMPS]]は送信と受信とを同時に行わず、またGSMと比較して多重化数が少なく、最大瞬時空中線電力も小さい。また、基地局に位置登録された端末を送信時間別グループに分け、そのときのみ待ち受け端末が受信状態となる間欠通信も行っている。そのため、電池の容量当たりの待ち受け時間や通話時間を長くすることが容易である。これらに対しGSMは、[[基地局]]が安価である。しかし、周波数帯域利用効率は劣る。
GSMは、最初の規格がリリースされて20年以上になるために、実装するのに必要な特許の保護期間が過ぎている。この為、第3世代携帯電話の端末に比べると特許費用が大幅に安いために、安価に製造することが可能である。この為、機能を絞った端末の場合は50ドル以下で販売することが可能なほどである。
===音声===
====GMSK音声====
*フルレート 22.8{{nbsp}}k[[ビット毎秒|bps]] に [[RPE-LTP]] 13{{nbsp}}kbps音声と[[誤り検出訂正]] 9.8{{nbsp}}kbps を通す[[GSM-FR|フルレート]] (FR)。
*ハーフレート 11.4{{nbsp}}kbps に [[VSELP]] 5.6{{nbsp}}kbps音声と誤り検出訂正 5.8{{nbsp}}kbps を通す[[GSM-HR|ハーフレート]] (HR)。
*フルレート 22.8{{nbsp}}kbps に [[ACELP]] 12.2{{nbsp}}kbps音声と誤り検出訂正 10.6{{nbsp}}kbps を通す[[GSM-EFR|エンハンスドフルレート]] (EFR)。
====8PSK音声====
8PSKの変調が追加されたEDGEの音声である。
*フルレート 28.8{{nbsp}}kbps に [[AMR-WB]] コーデック (23.85 - 6.60{{nbsp}}kbps) の音声を通す。
*ハーフレート 14.4{{nbsp}}kbps に [[AMR-WB]] か [[Adaptive Multi-Rate|AMR-NB]] のコーデック (12.65 - 1.95{{nbsp}}kbps) の音声を通す。
===回線交換データ通信===
{|class="wikitable floatright" style="font-size:x-small"
|+回線交換データ通信
!回線交換 !!変調 !!CSD (kbps) !!HSCSD (kbps)
|-
!TCH/F9.6
|GMSK ||9.6 ||38.4
|-
!TCH/F14.4
|GMSK ||14.4 ||57.6
|-
!ECSD !!変調 !!timeslot (kbps) !!8slot (kbps)
|-
!E-TCH/F28.8
|8PSK ||28.8 ||230.4
|-
!E-TCH/F32.0
|8PSK ||32.0 ||256.0
|-
!E-TCH/F43.2
|8PSK ||43.2 ||345.6
|}
====CSD====
CSD (''Circuit Switch Data'')。GSMの回線交換データ通信9.6{{nbsp}}kbps。オプションで14.4{{nbsp}}kbps。
====HSCSD====
HSCSD (''High Speed Circuit Switch Data'')。GSMの高速回線交換データ通信、最大57.6{{nbsp}}kbps。ひとつ9.6{{nbsp}}kbpsまたは14.4{{nbsp}}kbpsの回線交換スロットを4つまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。
====ECSD====
ECSD (''Enhanced Circuit Switched Data'')。HSCSDを拡張した規格。最大345.6{{nbsp}}kbps。3倍程度高速化されたひとつ43.2{{nbsp}}kbpsの回線交換スロットを8スロットまで束ねる事ができる。複数の回線を使用しているのと同じであり、課金が非常に不利なので、ほとんど使われない。
===パケットデータ通信===
====GPRS====
{|class="wikitable floatright" style="font-size:x-small; text-align:center"
|+Coding Scheme (CS)
!Coding<br>Scheme !!通信速度<br>(kbps) !!最大8
|-
|CS-1 ||9.05 ||72.4
|-
|CS-2 ||13.4 ||107.2
|-
|CS-3 ||15.6 ||124.8
|-
|CS-4 ||21.4 ||171.2
|}
GPRS (''General Packet Radio Service'')。GSMのパケットデータ通信、最大スループット171.2{{nbsp}}kbps。ひとつ21.4{{nbsp}}kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+Normal GMSK Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|3 ||57 ||1 ||26 ||1 ||57 ||3 ||8.25
|}
*T1,T2:Tail bits
*E:Data
*F:Stealing-flag bits
*TS:Training sequence bits
*G:Guard period
====EDGE====
{|class="wikitable floatright" style="font-size:x-small; text-align:center"
|+Modulation and Coding Scheme (MCS)
!MCS !!通信速度<br>(k[[ビット毎秒|bps]]) !![[デジタル変調]] !!8x<br>(kbps) !!EDGE Evolution<br>(kbps)
|-
|MCS-1 ||8.8 ||[[デジタル変調#周波数偏移変調|GMSK]] ||70.4 ||140.8
|-
|MCS-2 ||11.2 ||GMSK ||89.6 ||179.2
|-
|MCS-3 ||14.8 ||GMSK ||118.4 ||236.8
|-
|MCS-4 ||17.6 ||GMSK ||140.8 ||281.6
|-
|MCS-5 ||22.4 ||8-[[デジタル変調#位相偏移変調|PSK]] ||179.2 ||358.4
|-
|MCS-6 ||29.6 ||8-PSK ||236.8 ||473.6
|-
|MCS-7 ||44.8 ||8-PSK ||358.4 ||716.8
|-
|MCS-8 ||54.4 ||8-PSK ||435.2 ||870.4
|-
|MCS-9 ||59.2 ||8-PSK ||473.6 ||947.2
|-
|MCS-10 ||67.2 ||16-[[デジタル変調#直交振幅変調|QAM]] ||{{n/a}} ||1075.2
|-
|MCS-11 ||81.6 ||16-QAM ||{{n/a}} ||1305.6
|}
EDGE (''Enhanced Data Rates for GSM Evolution'') もしくは'''EGPRS''' (''Enhanced GPRS'')、'''IMT-SC''' (''IMT Single Carrier'') はGPRSを拡張したパケット通信規格。デジタル変調方式に八位相偏移変調 (8PSK) を使用している。最大スループット473.6{{nbsp}}kbps。3倍程度高速化されたひとつ59.2{{nbsp}}kbpsのパケットスロットを8スロットまで束ねる事ができる。
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+Normal 8PSK Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|3×3 ||57×3+2 ||1 ||26×3 ||1 ||57×3+2 ||3×3 ||8.25×3
|-
|9 ||173 ||1 ||78 ||1 ||173 ||9 ||24.75
|}
=====Dual Carrier EDGE=====
[[3GPP]]のrelease 7で追加された2[[搬送波]]を使う仕様を従来のEDGEとの組み合わせのみで使う。従来通り8PSKのみなのでノキア・シーメンスの基地局の無線機のハードウェアは同じままソフトウェアのバージョンアップのみで592{{nbsp}}kbpsに対応できる<ref>{{cite news|url=https://japan.cnet.com/article/20370363/ |title=ノキア・シーメンス、2.5G携帯電話ネットワークを高速化するソフトを発表|publisher=CNET Japan|author=|work=|date=2008-03-28}}</ref>。
====EDGE Evolution====
EDGE EvolutionはEDGEをさらに高速化したもの。[[3GPP]]のrelease 7で追加された。デジタル変調に8PSKの代わりに16QAMまたは32QAMを用いる。1{{nbsp}}Mbps程度のスループットが得られるとしている。これは[[第三世代携帯電話]]に匹敵するスピードである。2009年開始予定。
=====EGPRS2-A=====
*Normal GMSK Burst
*Normal 8PSK Burst
*Normal 16QAM Burst
*Normal 32QAM Burst
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+Normal 16QAM Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|3×4 ||57×4+3 ||1 ||26×4 ||1 ||57×4+3 ||3×4 ||8.25×4
|-
|12 ||231 ||1 ||104 ||1 ||231 ||12 ||33
|}
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+Normal 32QAM Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|3×5 ||57×5+4 ||1 ||26×5 ||1 ||57×5+4 ||3×5 ||8.25×5
|-
|15 ||289 ||1 ||130 ||1 ||289 ||15 ||41.25
|}
=====EGPRS2-B=====
*HSR QPSK Burst
*HSR 16QAM Burst
*HSR 32QAM Burst : 下り最大1894.4{{nbsp}}kbps、上り最大947.2{{nbsp}}kbps。
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+HSR QPSK Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|4×2 ||68×2+1 ||1 ||31×2 ||1 ||68×2+1 ||4×2 ||10.5×2
|-
|8 ||137 ||1 ||62 ||1 ||137 ||8 ||21
|}
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+HSR 16QAM Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|4×4 ||68×4+3 ||1 ||31×4 ||1 ||68×4+3 ||4×4 ||10.5×4
|-
|16 ||275 ||1 ||124 ||1 ||275 ||16 ||41
|}
{|class="wikitable" style="font-size:x-small"
|+HSR 32QAM Burst Bits
!T1 !!E !!F !!TS !!F !!E !!T2 !!G
|-
|4×5 ||68×5+4 ||1 ||31×5 ||1 ||68×5+4 ||4×5 ||10.5×5
|-
|20||344 ||1 ||155 ||1 ||344 ||20 ||52.5
|}
==端末数推移==
{|class="wikitable floatright" style="font-size:x-small"
|+GSM/携帯電話
!!!colspan="3" |GSM !!colspan="2" |全世界
|-
!2001Q1<ref>[http://www.gsmworld.com/news/statistics/pdf/gsma_stats_q1_05.pdf gsmworld.com] - gsma_stats_q1_05.pdf</ref>
|65.705% ||colspan="2" |498,700,000 ||colspan="2" |759,000,000
|-
!+3か月
|80.607% ||+9.585% ||+47,800,000 ||+7.813% ||+59,300,000
|-
!2001Q2
|66.785% ||colspan="2" |546,500,000 ||colspan="2" |818,300,000
|-
!+3か月
|78.707% ||+7.575% ||+41,400,000 ||+6.428% ||+52,600,000
|-
!2001Q3
|67.505% ||colspan="2" |587,900,000 ||colspan="2" |870,900,000
|-
!+3か月
|79.248% ||+8.250% ||+48,500,000 ||+7.027% ||+61,200,000
|-
!2001Q4
|68.276% ||colspan="2" |636,400,000 ||colspan="2" |932,100,000
|-
!+3か月
|82.025% ||+6.238% ||+39,700,000 ||+5.193% ||+48,400,000
|-
!2002Q1
|68.955% ||colspan="2" |676,100,000 ||colspan="2" |980,500,000
|-
!+3か月
|82.796% ||+5.694% ||+38,500,000 ||+4.742% ||+46,500,000
|-
!2002Q2
|69.581% ||colspan="2" |714,600,000 ||colspan="2" |1,027,000,000
|-
!+3か月
|84.766% ||+6.073% ||+43,400,000 ||+4.985% ||+51,200,000
|-
!2002Q3
|70.302% ||colspan="2" |758,000,000 ||colspan="2" |1,078,200,000
|-
!+3か月
|86.074% ||+6.768% ||+51,300,000 ||+5.528% ||+59,600,000
|-
!2002Q4
|71.128% ||colspan="2" |809,300,000 ||colspan="2" |1,137,800,000
|-
!+3か月
|84.232% ||+5.214% ||+42,200,000 ||+4.403% ||+50,100,000
|-
!2003Q1
|71.681% ||colspan="2" |851,500,000 ||colspan="2" |1,187,900,000
|-
!+3か月
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|-
!2003Q2
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|-
!+3か月
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!2003Q3
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!+3か月
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!2003Q4
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!2004Q1
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!2005Q2<ref name="名前なし-1"/>
|76.414% ||colspan="2" |1,467,600,000 ||colspan="2" |1,920,600,000
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!2006Q1<ref>http://www.gsmworld.com/news/statistics/pdf/gsma_stats_q1_06.pdf</ref>
|80.007% ||colspan="2" |1,796,800,000 ||colspan="2" |2,245,800,000
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|80.460% ||colspan="2" |2,278,095,380 ||colspan="2" |2,831,345,390
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|80.791% ||colspan="2" |2,419,546,768 ||colspan="2" |2,994,839,520
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|80.603% ||colspan="2" |2,685,060,046 ||colspan="2" |3,331,231,433
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!!!colspan="3" |GSM !!colspan="2" |全世界
|}
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|+GSM/デジタル携帯電話
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!1992年<ref name="名前なし-2">http://www.gsmworld.com/news/statistics/pdf/gsma_stats_q1_04.pdf</ref>
|100.000% ||colspan="2" |200,000 ||colspan="2" |200,000
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!2000年
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|72.046% ||+37.294% ||+170,100,000 ||+35.605% ||+236,100,000
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!2002年<ref name="名前なし-2"/>
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!2004年<ref name="名前なし-3"/>
|74.855% ||colspan="2" |1,263,700,000 ||colspan="2" |1,688,200,000
|-
!!!colspan="3" |GSM !!colspan="2" |全デジタル
|}
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
==関連項目==
*[[移動体通信]] : 方式間の比較、周波数帯域など
*[[W-CDMA]] - 3GSMと呼ばれている。海外では[[UMTS]]の名称が一般的
*[[A5/1]] - GSM音声の暗号化手法
*[[IPマルチメディアサブシステム]]
==外部リンク==
{{Commonscat|GSM Standard}}
*[https://www.gsma.com/ GSM Association]
{{携帯電話の世代}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:GSM}}
[[Category:GSM|*]]
[[Category:携帯電話の通信規格]] | null | 2023-02-06T02:48:10Z | false | false | false | [
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"Template:Normdaten",
"Template:Otheruses",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Nbsp",
"Template:N/a",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite news",
"Template:携帯電話の世代"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/GSM |
7,878 | カミーユ・サン=サーンス | シャルル・カミーユ・サン=サーンス(フランス語: Charles Camille Saint-Saëns, フランス語: [ʃaʁl kamij sɛ̃ sɑ̃(s)];, 1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランスの作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者。広く知られた作品として『序奏とロンド・カプリチオーソ』(1863年)、ピアノ協奏曲第2番(1868年)、チェロ協奏曲第1番(1872年)、『死の舞踏』(1874年)、オペラ『サムソンとデリラ』(1877年)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1880年)、交響曲第3番『オルガン付き』(1886年)、『動物の謝肉祭』(1886年)などが挙げられる。
サン=サーンスはわずか10歳でコンサート・デビューを果たすなど、類い稀なる才能を持って生まれた。パリ音楽院で学んだ後、一般的な教会オルガニストとしてのキャリアをスタートし、はじめはパリのサン=メリ教会(英語版)、1858年からはフランス第二帝政下の公的な教会であったマドレーヌ寺院に勤めた。20年を経てオルガニストの職を退いた後は、フリーランスのピアニスト、指揮者として成功を収め、ヨーロッパと南北アメリカで人気を博した。
若い頃のサン=サーンスは当時最先端の音楽であったシューマン、リスト、ワーグナーに熱狂したが、彼自身の楽曲は概して従来からの古典的な伝統の範囲に留まっている。音楽史を専門とする学者でもあった彼は、過去のフランスの作曲家が作り出した構造に傾倒し続けた。これにより晩年には印象主義音楽や音列主義音楽の作曲家たちとの間に軋轢を生むことになる。その音楽はストラヴィンスキーや『6人組』の作品を予感させるような新古典主義的な要素を持っていながらも、サン=サーンスはその晩年にあっては保守的であったと看做されることが多い。
サン=サーンスが教職に就いたのはパリのニデルメイエール音楽学校で教えた1度きりで、教壇に立った期間は5年に満たなかった。しかしこれはフランス音楽の発展に大きな役割を果たした。彼の門下からはガブリエル・フォーレが巣立っており、モーリス・ラヴェルらがそのフォーレに教えを乞うている。この両名はいずれも彼らが天才と崇めたサン=サーンスの影響を色濃く受けている。
サン=サーンスはフランス内務省の官吏であったジャック=ジョゼフ=ヴィクトル・サン=サーンス(1798年-1835年)とフランソワーズ=クレマンス(旧姓コリン)の間のひとり息子として生まれた。父のヴィクトルはノルマンディーの家系の出身で、母はオート=マルヌ県の一家の出であった。6区のジャルディネ通りで生を受けた夫妻の息子は、近所にあったサン=シュルピス教会に受洗し、常に自らを真のパリジャンであると考えていた。息子の洗礼から2か月も経たぬ結婚記念日に、ヴィクトルは結核で他界してしまう。幼いカミーユは健康のために田舎へと連れていかれ、2年の間パリから南へ29キロメートルに位置するコルベイユ=エソンヌで乳母と共に過ごした。
パリに戻ってきたサン=サーンスは母と、夫に先立たれた彼女の叔母であるシャルロット・マッソンと一緒に暮らした。幼い頃から絶対音感を示してピアノで音を拾う遊びに興じたほか、3歳になると作曲をしたと言われている。大おばからピアノ演奏の基礎を学び、7歳になるとフリードリヒ・カルクブレンナー門下のカミーユ=マリー・スタマティに弟子入りした。スタマティはピアニストの力が全て腕ではなく手や指から伝わるようにと、教え子たちに鍵盤の前面に設置した枠の上に前腕を休ませた状態で演奏するよう求めた。サン=サーンスは後年、これはよい訓練であったと書いている。息子の早熟な才能をよく理解した母のクレマンスは、彼があまりに若いうちから有名になることを望まなかった。音楽評論家のハロルド・C・ショーンバーグは1969年にサン=サーンスについて次のように書いている。「彼がモーツァルトらと同じように、歴史上最も驚くべき神童であったことは一般に認知されていない。」カミーユ少年は5歳になる頃から少人数を前に時折演奏を披露していたが、公式にデビューを飾ったのはやっと10歳になってからのことで、この時はサル・プレイエルにおいてモーツァルトのピアノ協奏曲第15番 K450とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を含むプログラムが組まれた。スタマティの影響を受け、サン=サーンスは作曲の教授であるピエール・マルデンとオルガン教師のアレクサンドル・ボエリーを紹介される。当時のフランスではあまり知られていなかったバッハの音楽をボエリーを通じて教わり、彼は一生愛し続けていくことになる。
学生としてのサン=サーンスは多くの科目で傑出していた。音楽の腕前に加えて、フランス文学、ラテン語、ギリシア語、神学、数学で優れた成績を収めた。彼の興味は哲学、考古学、天文学に及び、とりわけ天文学においてはその後も優れたアマチュアであり続けた。
1848年、13歳にして、サン=サーンスはフランス最高峰の音楽学校であるパリ音楽院への入学を許可された。1842年にルイジ・ケルビーニの後を継いで学長になったダニエル=フランソワ=エスプリ・オベールは、厳格な前任者に比して緩やかな体制を敷いていたが、そのカリキュラムは旧態依然としたものだった。学生たちはたとえサン=サーンスのような抜群のピアニストであったとしても、オルガンに関する学課を履修するよう奨励された。というのも、教会オルガニストのキャリアにはソロピアニストよりも多くのチャンスが与えられると看做されていたからである。サン=サーンスはオルガンを教わったフランソワ・ブノワについて、オルガニストとしては平凡でありながらも教師としては一流であると考えていた。ブノワ門下からはアドルフ・アダン、セザール・フランク、シャルル=ヴァランタン・アルカン、ルイ・ルフェビュール=ヴェリー、ジョルジュ・ビゼーらが輩出している。サン=サーンスは1849年にオルガニストとして音楽院の2等賞、1851年に1等賞を獲得、同年には正式に作曲の勉強を開始した。作曲を教えたのはケルビーニの配下に居たジャック・アレヴィであり、シャルル・グノーやビゼーを教えた人物であった。
サン=サーンスは習作として交響曲イ長調(1850年)、ヴィクトル・ユーゴーの同名の詩文に基づく合唱作品『ジン』(Les Djinns、1850年)などを作曲した。1852年にはフランス最高峰の音楽賞であったローマ大賞へ応募するも落選する。オベールは優勝したレオンス・コーエンよりもサン=サーンスの方に高い将来性があり、サン=サーンスが受賞すべきであると信じていた。事実、コーエンのその後のキャリアにみるべきものは少なかった。同年にサント=セシル協会(Société Sainte-Cécile)が開催した大会では、審査員が全員一致でサン=サーンスへと票を投じており、彼は1等賞という大きな成功を手にすることができた。最初の成熟した作品と認められ、作品番号を与えられたのはハーモニウムのための『3つの小品』(1852年)である。
1853年に音楽院を後にすると、サン=サーンスはパリ市庁舎に程近い古くからの教会サン=メリ教会(英語版)のオルガニストの職に就いた。教会の教区は広範囲に及び、2万6千人の教区民がいた。通例、年間に200組を超える結婚式が開かれ、これに葬儀の分と慎ましい基礎給費を足し合わせると、オルガニストの給金はサン=サーンスにはゆとりのある収入となった。フランソワ=アンリ・クリコ建造のオルガンはフランス革命時にひどい損傷を負っており、修繕も不十分だった。そのためこの楽器は教会の礼拝用としての不足はなかったものの、パリで注目度の高い教会の多くが手掛けるような野心的なリサイタル向きではなかった。ピアニスト、作曲家としてのキャリアを追求するのに十分な余暇時間が得られるようになったサン=サーンスは、作品2を付けることになる交響曲第1番(1853年)を作曲した。軍楽調のファンファーレや増強された金管、打楽器群を備えたこの作品は、フランスの帝政復権とナポレオン3世の力に高まる人気の萌芽の中にあった時代の空気をとらえている。この楽曲は彼に再びサント=セシル協会の1等賞をもたらした。
音楽家の中ではジョアキーノ・ロッシーニ、エクトル・ベルリオーズ、フランツ・リスト、そして影響力の大きかった歌手のポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドらがサン=サーンスの才能にいち早く目を付け、こぞって彼のキャリアへ激励を行った。1858年の早い段階でサン=メリ教会を後にして、帝国の公的な教会だったマドレーヌ寺院のオルガニストという、注目を浴びるポストを手にした。これは当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた職であった。同寺院で彼の演奏を聴いたリストは、彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切った。
後年のサン=サーンスは歯に衣着せぬ保守的作曲家として通っていたが、1850年代には当時最新の音楽であったリスト、ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナーを支援し、普及させていた。同世代や次世代の多くのフランスの作曲家とは異なり、サン=サーンスはワーグナーの楽劇に対する熱狂度合いや知識の割には、自身の作品にはその影響を受けなかった。彼はこう述べている。「登場人物が異様であるにもかかわらず、私はリヒャルト・ワーグナーの作品たちに深く感心しています。優れており力強い、私にはそれだけで十分なのです。しかし、私は過去にも、現在もそしてこれからもワーグナー教徒にはなりません。」
1861年、サン=サーンスは生涯唯一となる教師の職に就く。場所はルイ・ニデルメイエールがフランスの教会のために一流のオルガニストと合唱指揮者を養成すべく、1853年にパリに開校したニデルメイエール音楽学校であった。ニデルメイエール自身はピアノ科の教授を務めており、彼が1861年3月に他界するとピアノの学課を受け持つためにサン=サーンスが任用されたのであった。学生にシューマン、リスト、ワーグナーなどの現代音楽を紹介した彼は、一部の厳格な教員たちを憤慨させた。彼の最も著名な門下生であるガブリエル・フォーレは、後年次のように述懐している。
さらにサン=サーンスは、学生が演じる1幕の道化芝居を書き、その音楽を作曲して学校の体制を活性化させた(学生の中にはアンドレ・メサジェもいた)。このとき自分の生徒たちのことを心に思い描きながら、彼の作品中で最も有名な『動物の謝肉祭』が着想されたが、曲の完成はニデルメイエール音楽学校を去って20年以上が経過した1886年になるまで待たねばならなかった。
1864年に2度目のローマ大賞挑戦を行ったサン=サーンスは、一部に驚きをもたらした。既に独奏者、作曲家として名声を確立しつつあった彼が大会に再挑戦するという決断は、音楽界の多くの人を当惑させた。この時も優勝を逃す結果となる。審査員の1人であったベルリオーズはこう記している。
音楽学者のジャン・ガロワによると、ベルリオーズがサン=サーンスについて述べた有名な洒落(bon mot)である「彼はなんでも知っている、しかし未経験不足である」(Il sait tout, mais il manque d'inexpérience)を生み出したのはこの出来事がきっかけであったという。勝利を手にしたヴィクトル・シーグは、1852年の優勝者であるということ以外に一切著名なキャリアを歩まなかった。サン=サーンスの伝記作家であるブライアン・リーズが推測するに、審査員は「一時的な試行錯誤の真っただ中にいる天賦の才の片鱗を探していたのであって、サン=サーンスについては熟練の極みに達していると看做した」のではないかということである。サン=サーンスが霊感よりも熟達度に秀でているという意見は、彼のキャリアと死後の評判に付きまとうことになる。彼自身は次のように書いている。「美しさと特質を創造するためにあるのが芸術である。感情はその後からついてくるのであって、芸術は感情がなくてもすっかりうまく成立させられる。実のところ、そうなった時の方が圧倒的に上手くいくのだ。」伝記作家のジェシカ・デュシェンは彼が「自分の魂の暗い側面を表に出さないことを好む悩み多き男」だったのだと書いている。評論家で作曲家のジェレミー・ニコラスは、このように内面を曝け出さないことにより多くの人が彼の音楽を過小評価するのだとみている。ニコラスは「サン=サーンスは天才でない唯一の大作曲家」であるとか「良く書けた悪い音楽」といった侮辱的な評を引き合いに出している。
『スパルタクス』と名付けられた序曲が1863年にボルドーのサント・セシル協会が主催した大会で優勝を収めはしたが、ニデルメイエール音楽学校の教壇に立っていた時期にサン=サーンスが作曲や演奏に注いだ労力は少なくなっていた。1865年に同校を退官すると、自らのキャリアにおけるこの両者を精力的に追及するようになる。1867年にはカンタータ『プロメテの結婚』が、100を超える他の出場者を退けてパリの大国際祭(Grande Fête Internationale)で作曲賞を獲得した。審査員を務めたのはオベール、ベルリオーズ、グノー、ロッシーニ、ジュゼッペ・ヴェルディであった。1868年にはピアノ協奏曲第2番を初演するが、この曲は彼の管弦楽作品として以降ずっとレパートリーに残ることになる初の作品となる。この作品やその他楽曲を演奏して、彼は1860年代にパリやフランス国内の他の都市、さらには国外の音楽界で有名人となっていった。
1870年、ドイツ音楽の優位とフランスの若い作曲家が自作の演奏機会を得られないことを憂慮し、サン=サーンスと音楽院の声楽科の教授だったロマン・ビュシーヌは、新しいフランス音楽を普及させる団体の設立について話し合った。この提案事項を前進させるよりも前に普仏戦争が勃発、サン=サーンスは国民衛兵として従軍することになった。続く1871年3月から5月にかけての、短期間ではあったが血なまぐさいパリ・コミューンでは、マドレーヌ寺院で上司であったドゲリー神父が反乱軍に殺害され、サン=サーンスは避難のため一時イングランドに亡命した。ジョージ・グローヴ他の助力を得た彼は、ロンドンでリサイタルを開催して自力で生活した。5月にパリへ戻ると反独感情が大きく増進しており、フランス寄りの音楽協会という構想にとっては大きな追い風が吹いているのを知ることになる。1871年2月に「ガリアの芸術」(Ars Gallica)をモットーに掲げる国民音楽協会が創設され、ビュシーヌが会長、サン=サーンスが副会長、アンリ・デュパルク、フォーレ、セザール・フランク、ジュール・マスネらが創設メンバーに名を連ねた。
リストの革新的な交響詩を賛美していたサン=サーンスは、熱意をもってこの形式を取り入れていった。彼の1作目となる交響詩(poème symphonique)である『オンファールの糸車』(1871年)は、1872年1月に国民音楽協会のコンサートで初演された。同じ年には、10年以上にわたる断続的なオペラの楽曲の仕事の末、ようやくひとつが上演を迎えることになった。1幕の軽いロマン的作品である『黄色い王女』が、6月にパリのオペラ=コミック座で上演されたのである。上演回数は5回を数えた。
1860年代と1870年代はじめまでを独身で過ごしたサン=サーンスは、フォーブール=サントノレ通り(英語版)の大きな5階建てのアパートに母と共に暮らしていた。1875年に彼は結婚するが、この出来事は多くの人を驚かせた。花婿は間もなく40代を迎える年齢で花嫁は19歳だったのである。彼女はマリー=ロール・トリュフォといい、彼のある弟子のきょうだいだった。しかし結婚は上手くいかなかった。伝記作家のザビーナ・テラー・ラトナーの言によれば「サン=サーンスの母は容認せず、またその息子は共同生活に難のある人物だった」のだという。サン=サーンスと妻はカルチエ・ラタンのムッシュー・ル・プランス通り(フランス語版)に越したが、それに母親も付いてきた。両名は2人の息子を授かったが、いずれも幼児期に死亡している。1878年には上の子で当時2歳のアンドレがアパートの窓から転落、命を落とした。下の子のジャン=フランソワは6週間後に肺炎で落命、生まれて6か月だった。サン=サーンスとマリー=ロールは以降3年間暮らしを共にし続けたが、彼はアンドレの事故のことで妻を責めた。2度の喪失による打撃は結婚生活を破綻させるに足るものだったのである。
19世紀のフランスの作曲家にとって、オペラは最も重要な音楽様式であると考えられていた。サン=サーンスより年下の同世代にあたりライバルであったマスネは、オペラ作曲家として名声を獲得しつつあったが、サン=サーンスのオペラで上演を果たしたものは、小規模な『黄色い女王』のみでそれも成功とはいえず、この分野で成果をあげられずににいた。1877年2月、彼はついに本格的な規模を持つオペラの上演にこぎつけた。4幕からなる「抒情劇」(drame lyrique)の『銀の音色』である。ジュール・バルビエ(英語版)とミシェル・カレ(英語版)によるリブレットはファウストの伝説を想起させるもので、1870年にはリハーサルに入っていたものの戦争勃発により公演延期となっていたのであった。作品はパリのリリック座によりようやく公演を迎え、18回の上演を重ねた。
このオペラの献呈を受けたアルベール・リボンは初演の3か月後に他界し、サン=サーンスに巨額の遺産を遺して「彼をマドレーヌ寺院のオルガン奴隷から解放し、すっかり作曲に専念できるよう」にした。サン=サーンスは間もなく遺産贈与が行われるとは知らなかったが、友人の死の直前に職を辞していた。型どおりのキリスト教徒ではなかった彼は、宗教的教義に次第に苛立ちを覚えるようになっていたのである。聖職者側の権威による干渉を受けることや音楽への無神経さに疲れてしまった彼は、他の都市でピアノ独奏者として多くの契約を得て自由になりたいと願うようになっていた。これ以降は教会の礼拝でプロとしてオルガンを演奏することは二度となく、またこの楽器自体をほとんど全く弾かなくなった。彼は友の追憶のためにレクイエムを作曲、曲はリボンの1周忌に合わせてサン=シュルピス教会にてシャルル=マリー・ヴィドールのオルガン、作曲者自身の指揮によって演奏された。
1877年12月、サン=サーンスはオペラによってより確固たる成功を手にする。その作品は彼のオペラの中で唯一世界で上演されるレパートリーとなり、その地位を保ち続ける『サムソンとデリラ』である。聖書に基づく題材のためフランスでの公演には多数の障害に見舞われることとなり、リストの影響もあって初演はヴァイマルにおいてドイツ語訳を用いて行われる運びとなった。やがて国際的な成功を収めるに至った本作であったが、パリ国立オペラでの公演が行われたのはようやく1892年になってからのことだった。
サン=サーンスは熱心に旅行に興じた。1870年代からこの世を去るまでに27か国に計179回の旅に出ている。プロとしての契約により、最も頻繁に訪れたのはドイツとイングランドであった。休暇には脆弱な胸に障るパリの冬を避けるために、アルジェやエジプト各地に赴くことを好んだ。
1878年にはマスネに敗れて涙を吞んでいたサン=サーンスであったが、1881年に2度目の挑戦でフランス学士院に選任された。同年7月に彼と妻は休暇にオーヴェルニュの温泉町であるラ・ブルブール(英語版)に向かった。7月28日に彼はホテルから姿を消し、数日後に妻は戻ることはないと告げる彼からの手紙を受け取ることになる。2人はこれを最後に2度と会うことはなかった。事実上の離婚である。マリー・サン=サーンスは実家へ戻り、1950年にボルドー近郊にて95歳で生涯を終えた。以降、再び母と暮らすようになったサン=サーンスは、妻との離婚手続きを取らず、再婚もしなければ、以降は女性と親密な関係となることもなかった。リーズは確たる証拠はないと述べるが、一部の伝記作家はサン=サーンスが女性よりも男性により惹かれていたと考えている。子どもを失い結婚生活が破綻してからは、サン=サーンスはフォーレとその妻マリー、そして彼らの2人の息子たちを次第に代わりの家族と見るようになり、子どもたちにとっては大好きな「おじさん」であった。マリーは彼にこう述べている。「私たちにとって貴方は家族の一員です。うちではあなたの話題がいつも出ています。」
1880年代にもサン=サーンスはオペラ劇場での成功を求め続けていた。影響力の大きい音楽界の重鎮たちは、ピアニストやオルガニスト、交響曲作家が良いオペラを書けるはずがないという思想に凝り固まっており、仕事は一層難しいものであった。80年代のうちには2作のオペラが上演されており、ひとつめはパリ・オペラ座の委嘱で書かれた『ヘンリー八世』(1883年)であった。リブレットを選んだのは彼自身ではなかったが、通常は筆の走りが速く安易なきらいすらある作曲家であるサン=サーンスが、16世紀のイングランドの雰囲気を説得力をもって捉えるべく通常は見せない努力を注いで総譜に取り組んだ。この作品は成功を収め、彼の生前に頻繁に再演された。1898年にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された際のコメントとして『イーラ(英語版)』紙は、フランスのリブレット作家はたいてい「イギリスの歴史をひどく滅茶苦茶にする」ものの、この作品は「オペラの筋書きとしては完全に見下げ果てたものではない」と評している。彼の作品に対する風当たりの強かったパリでも、この頃からはっきりと潮目が変わり始めた。
ヴァンサン・ダンディに先導される形で、国民音楽協会の自由な気風は、1880年代中盤にはフランクの弟子たちが好むワーグナー風の方法論へ独善的に固執する方向へ硬化していった。協会の多数を占めるようになっていた彼らは、フランスの作品に帰依する「ガリアの芸術」の精神を捨て去ることを模索していた。このワーグナー支持者らが国外の作品の演奏を主張し軋轢を生じており、これを看過できなかったビュシーヌとサン=サーンスは1886年に辞表を提出する。長きにわたり、時に懐疑的なフランスの大衆にワーグナーの良さを力説してきたサン=サーンスであったが、ドイツ音楽がフランスの若い作曲家に過剰な影響を与えているのではないかと憂慮するようになっていた。ワーグナーに対して募らせた警戒は、その音楽に加えてワーグナーの政治的国粋主義によっても等しく増強され、後年は強い敵意へと変貌したのであった。
1880年代にはサン=サーンスはイングランドの聴衆の心を掴んでおり、同地では存命では最高のフランスの作曲家であると広く認知されていた。1886年にロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会からの委嘱で書かれた作品が、彼の最大の人気作、高い評価を受ける楽曲となった交響曲第3番『オルガン付き』である。ロンドンで行われた初演のコンサートで、サン=サーンスは同交響曲の指揮者、そしてアーサー・サリヴァンが指揮するベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のソリストとして登場している。ロンドンにおけるこの作品の成功は凄まじく、翌年はじめに行われたパリ初演での熱狂的な歓迎はさらにそれを上回った。『サムソンとデリラ』からこの作品までが「もっとも独創的で最良の作品のうちいくつか」に数えられている。1887年にはその後、オペラ=コミック座で「抒情劇」である『プロゼルピーヌ』が幕開けを迎えた。作品は好評を博して相当な上演回数を重ねていくものと思われたが、初演から数週間のうちに劇場が火災に見舞われて公演は流れてしまった。
1888年にサン=サーンスの母が他界する。母の死による心痛で彼は抑鬱と不眠症を患い、自死を考えるまでとなった。パリを離れてアルジェに逗留し、散歩や読書をして1889年5月までには回復したが、作曲の筆を執ることはできなかった。
1890年代のサン=サーンスは余暇に多くの時間を取り、国外を旅するなどして過ごし、以前よりも作曲量も演奏頻度も減少していた。1893年にシカゴへ演奏に訪れる計画も白紙となった。喜劇『フリネ』(1893年)を作曲した他、ポール・デュカスと共同で1892年にこの世を去ったエルネスト・ギローが未完のまま遺したオペラ『フレデゴンド』(1895年)の補筆完成の仕事を請け負った。『フリネ』の評判は上々で、当時はグランド・オペラを好むようになっていたオペラ=コミック座に更なるコミック・オペラの需要を生み出した。1890年代に書かれた少数の合唱作品や管弦楽曲は、大半が短い作品である。この時期に生まれたコンサート用の主要作品には単一楽章の幻想曲『アフリカ』(1891年)とピアノ協奏曲第5番がある。後者は彼の1846年のサル=プレイエルでのデビューから50周年を記念した、1896年の演奏会で初演された。協奏曲の演奏に先駆けて、彼はこのイベントのために自らしたためた短い詩を朗読し、母の支えと世間の長きにわたる支援に賛辞を贈った。
1890年代にサン=サーンスが出演した主要な演奏会として、1893年6月にケンブリッジ大学で開催されたものが挙げられる。ケンブリッジ大学音楽協会を代表してチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードが出席したこの場では、サン=サーンスとブルッフ、チャイコフスキー、アッリーゴ・ボーイトが演奏を行い、招待者全員に名誉博士号が授与された。サン=サーンスはこの訪問を大層満喫し、カレッジのチャペルでの礼拝に好意的な言葉まで残している。「イングランドの宗教に課せられる要求は過剰なものではない。礼拝は非常に短時間で、主として良い音楽を聴くことで成り立っている。歌は極めて巧みであるが、それはイギリス人が優れた合唱隊であるからだ。」彼とイギリスの合唱の間の相互の敬意は生涯続き、彼の最後期の大規模作品となったオラトリオ『約束の地』は、1913年のスリー・クワイア・フェスティバルのために書かれることになる。
10年の間、パリには定まった家を持たずに過ごしたサン=サーンスであったが、1900年にかつて暮らしたフォーブール=サントノレ通りからも遠くないクールセル通り(フランス語版)にアパートを取得した。この家が彼の終の棲家となる。引き続き頻繁に国外旅行を行ったが、次第に旅行者としてよりもコンサートを開く頻度が増してきていた。再訪したロンドンではいつも歓迎される客人であり、ベルリンでは第一次世界大戦までは敬意をもって迎えられ、他にイタリア、スペイン、モナコやフランスの地方を訪れた。1906年と1909年にはピアニスト並びに指揮者としてアメリカ合衆国に演奏旅行で赴き、大きな成功を収めた。2度目にニューヨークを訪ねた際には、この時のために作曲した2群の合唱、管弦楽とオルガンのための詩篇第150篇『主をほめたたえよ』を初演している。
保守的音楽家として知られるようになっていたサン=サーンスであったが、ガロワによると、1910年にミュンヘンに赴いてマーラーの交響曲第8番の初演に臨んだフランスの音楽家は、おそらく彼ひとりであったという。にもかかわらず、サン=サーンスは20世紀に入ると最新の音楽への熱意の多くを失ってしまった。本人には隠そうと努力したものの、彼は自らが献呈を受けたフォーレのオペラ『ペネロープ』を理解できず、好んでもいなかった。1917年には、駆け出しの作曲家であったフランシス・プーランクは、ラヴェルがサン=サーンスを天才と称えるのを聴いて拒否感を抱いている。この頃には様々な新しい音楽の潮流が生まれてきており、サン=サーンスはそれらと相通ずるところを持たなかった。形式に対する古典的な潜在意識により、彼は自分にとって無形式に見えるものや、ドビュッシーに代表される印象主義音楽と衝突を起こすことになる。無調音楽にも否定的で、アルノルト・シェーンベルクの十二音技法もサン=サーンスには魅力的に映らなかった。
このような保守的な見方をしていたサン=サーンスは、斬新さがあると持て囃されていた20世紀初頭のパリの音楽界に賛同することができず、そして追従することができなかった。しばしば語られるのは、彼が1913年に行われたヴァーツラフ・ニジンスキーとイーゴリ・ストラヴィンスキーによる『春の祭典』に憤慨して会場を立ち去ったという逸話である。ストラヴィンスキーによると、実はサン=サーンスはその時には出席しておらず、翌年に行われた演奏会形式での実演を聴いてストラヴィンスキーは気が狂っているという見解をはっきり表明したのだという。
第一次世界大戦中に、サン=サーンス率いるフランスの音楽家の一団はドイツ音楽のボイコットを組織しようとした。フォーレとメサジェはその思想に与しなかったが、ここでの不一致がかつての師との友好関係に悪影響を及ぼすことはなかった。彼らは自らの友人が行き過ぎた愛国主義により愚かに見られてしまう危険があること、並びにサン=サーンスが台頭する若手作曲家を公然と非難する傾向を強めていることとを個人的に危惧していたのである。ドビュッシーの『白と黒で』(1915年)を断罪した文句は次のようなものであった。「こたる暴虐を働きうる男に対してはいかなる代償をもってしても学士院の門を閉ざさねばならない。こんなものはキュビストの絵画の隣にでも飾っておけ。」ドビュッシーをフランス学士院の会員候補から除外するという彼の決定は維持されることになり、ドビュッシーの支持者からは強い義憤が生まれた。『6人組』の新古典主義に対する反応も同様に容赦のないものだった。ダリウス・ミヨーが多調を用いて作曲した交響的組曲『プロテー』に関するコメントは「幸運にも、フランスにはまだ精神異常者の収容施設がある」というものだった。
サン=サーンスは1913年にパリで開いた演奏会をさよなら公演にしようと考えていた。しかし戦争の勃発によりこの引退は間もなく撤回され、フランスや各地で多くの公演を行って戦争義援金のための資金を調達した。彼はドイツの潜水艦の脅威があったにもかかわらず、この活動のために大西洋を横断している。
1921年11月、サン=サーンスは学士院で多くの招待客を前に演奏を披露した。彼の演奏は以前と変わらず生き生きとして正確で、86歳の男性として人としての振る舞いも賞賛すべきものであったと評されている。ひと月後にパリを発ってアルジェに向かい、長年慣れ親しんできた同地で冬の寒さを逃れようと考えていた。1921年12月16日、前触れのない心臓発作に襲われたサン=サーンスはアルジェにて息を引き取った。亡骸はパリへ運び戻され、マドレーヌ寺院で国葬が執り行われた。その後、モンパルナス墓地へ埋葬されている。フランスの政治分野、芸術分野から名士らが弔問に訪れる中、目立たない場所で深くベールを被って、1881年以降一度も彼に会うことのなかった未亡人のマリー=ロールがいたという。
音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍する一方、少年のころからフランス古典やラテン語を学んだほか、詩、天文学、生物学、数学、絵画などさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した。文筆家としての活動は多岐にわたり、1870年代以降は音楽批評家として多くの記事を書いているほか、哲学的な著作、一定の成功を収めた詩や戯曲などを残しており、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。
旅行好きとしても知られ、1873年に保養のためアルジェリアに滞在して以来頻繁に北アフリカを訪れたほか、スペインや北欧、カナリア諸島、南北アメリカ、セイロン、サイゴンなどにも足を伸ばしている。異国風の音楽は、『アルジェリア組曲』やピアノ協奏曲第5番『エジプト風』など多くの作品に取り入れられている。
その辛辣で無頓着な言動は人々の良く知るところであり、音楽院時代のアルフレッド・コルトーがピアノを学んでいると名乗ったのに対して「大それたことを言ってはいけないよ」と答えた逸話が残っている。対して、サン=サーンスが称賛したピアノの生徒にはレオポルド・ゴドフスキーがいる。
20世紀の初頭、『ニューグローヴ世界音楽大事典』に匿名の著者が次のように記している。
「モーツァルトとハイドンの精神で」育ったサン=サーンスは、バッハやベートーヴェンの作品にも精通し、若い時期にはメンデルスゾーンやシューマンに影響を受けている。バロック音楽にも通じ、リュリ、シャルパンティエ、ラモーらの作品の校訂に携わったほか、クラヴサンの復興にも関わった。彼の80歳を記念して書かれたプロフィールに、評論家のD.C.パーカーは次のように書いている。「サン=サーンスがラモー(中略)バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトを知っていることは、彼の作品に親しんでいる者全員に明白であるに違いない。古典の巨人に対する愛情と共感が、いわば彼の芸術の基礎を形作ったのである。」その一方で、彼の音楽は「本質的にフランス的なもの(...)を表現している」とされ、ロマン・ロランはサン=サーンスを「古典的フランス精神のただ一人の代表者」と評している。ノルベール・デュフルク(英語版)はサン=サーンスの美学を「厳密な設計、明晰な構築、論理的な展開、節約された線的・和声的手段」と表現した。こうした美学は生涯を通して大きく変わることはなかった。
前半生では、当時先進的とされたシューマンやリストの作品を積極的に擁護し、「現代音楽家」、革命家とみなされていた。「形式の最大限の可変性」を求め、リストの確立した交響詩の形式をフランスにいち早く持ちこんだ。一方、ワーグナーを早くから擁護する一人でもありながら、のちにフランスに広がったワグネリズムには否定的な立場をとるようになった。
当時のフランスでは新作が冷遇されていた、交響曲や室内楽曲、協奏曲といった分野にも多くの作品を残したことは重要である。国民音楽協会の開設とあわせ、これらの作品によって彼はフランス音楽史へ大きな足跡を残した。協奏曲においては形式面や、独奏と管弦楽との関係において多くの実験を行い、フランスにおけるこのジャンルに重要な貢献をもたらした。
晩年にはその作風はすでに保守的とみなされるようになっていた。1910年にサン=サーンスは、「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」と書簡に記している。近代音楽には押しなべて批判的であったサン=サーンスであったが「近代の和声が基づいている調性は死の苦しみにある。(...)古代の旋法が登場するであろう。そしてそれに続いて無限の多様性をもった東洋の旋法が音楽に入り込むであろう。(...)そこから新しい芸術が生まれるであろう」とも述べており、『動物の謝肉祭』の「水族館」や、幻想曲 作品124、7つの即興曲 作品150など、印象主義音楽の語法に接近した作品も残している。また、晩年の作品ではピアノの書法が線的で軽くなるとともに木管楽器への偏重、遠隔的な和音進行や旋法終止の増加といった特徴がみられ、第一次世界大戦以降の世代の作曲家の美学(新古典主義音楽)と共通する点があると指摘されている。
1955年の『レコード・ガイド』で著者のエドワード・ザックヴィル=ウェストとデズモンド・ショー=テイラーは、サン=サーンスの華麗な音楽家精神は「オペラの他にも音楽の形式があるのだという事実に対し、フランスの音楽家たちの注意を引き付けることに役立」ったと書いている。2001年版の『グローヴ事典』の中で、ラトナーとダニエル・ファロンはサン=サーンスの管弦楽曲を分析して、番号なしの交響曲 イ長調(1850年頃)を習作期の最も野心的な作品に位置付けている。成熟後の作品としては、交響曲第1番(1853年)が真剣かつ大規模な楽曲で、シューマンの影響を見出すことが出来る。交響曲『首都ローマ』はいくらか後退しており、楽器法の巧みさは減じられて「厚ぼったく重々しい」効果となっている。ラトナーとファロンは交響曲第2番(1859年)を賞賛しつつ、作曲者のフーガ書法への精通を示すパッセージを有し、管弦楽の省力化と構造の融合の好例であると述べる。最も有名な交響曲第3番(1886年)には、珍しくピアノとオルガンに目立った割り当てがある。曲はハ短調で開始して荘厳なコラール調のハ長調で終結する。4つの楽章は2組に分割されており、これは特にピアノ協奏曲第4番(1875年)やヴァイオリンソナタ第1番(1885年)など、他でも用いられた方法であった。曲中ではリストの様式に則った主題変容により繰り返し現れる「モチーフ」が処理されており、作品はリストの想い出へと捧げられている。
4曲あるサン=サーンスの交響詩はリストの型に則っているものの、リストが陥りがちであった「粗野な騒々しさ」は持ち合わせていないと、ザックヴィル=ウェストとショー=テイラーは考えている。4作品の中で最も人気が高いのは、真夜中に踊る骸骨を描写した『死の舞踏』(1874年)である。概してサン=サーンスの管弦楽的効果は異国風の楽器法ではなく巧みな音色の調和によってもたらされるが、この作品においてはガラガラ音を立てる骸骨の踊り子たちを象徴するシロフォンが目立って取り上げられている。『オンファールの糸車』(1871年)は恐ろしいパリ・コミューンの直後の作曲であるが、その軽妙さと繊細なオーケストレーションからは直近の悲劇の影は感じられない。リーズは『ファエトン』(1873年)が交響詩の中で最良の作品であると考えている。この楽曲はギリシア神話のパエトーンと彼の運命の描写に触発される形で、旋律に無関心であったと公言した作曲者の言葉に背く作品である。初演当時の評論家は異なる見方をしており、曲に霊感を与えたギリシア神話の荒々しい馬が駆けてくる様子というより、「モンマルトルで貸し馬が立てる騒音」に聞こえると述べている。最後の交響詩『ヘラクレスの青年時代』(1877年)は4曲の中で最も野心的な作品となっており、ハーディングの唱えるところではそれが故に一番の失敗作となってしまった。これらの管弦楽曲は、評論家のロジャー・ニコルズの見立てによれば、印象的な旋律、確固たる構成、忘れがたい管弦楽法が一体となり「フランス音楽の新たな基準となり、ラヴェルのような若い作曲家を鼓舞することになった」という。
サン=サーンスは1幕のバレエ『ジャヴォット』(1896年)、映画音楽『ギーズ公の暗殺』(1908年)、そして1850年から1916年にかけて12の舞台作品に付随音楽を作曲している。そのうち3作品はモリエールとラシーヌの復刻のために書かれており、サン=サーンスがフランスのバロック音楽に有していた深い造詣を反映し、リュリやシャルパンティエの楽曲が引用されている。
サン=サーンスはフランスの大作曲家としては初めてピアノ協奏曲を作曲した人物である。ピアノ協奏曲第1番 ニ長調(1858年)は伝統的な3楽章形式でありあまり知られていないが、第2番 ト短調(1868年)は彼の作品中でも有数の人気を誇る。この作品では形式面で実験が行われており、第1楽章へ習慣的なソナタ形式に代えて散文的な構造を据え、荘厳なカデンツァで開始させた。第2楽章はスケルツォ、終楽章はプレストとなっている。この対比に関して、ピアニストのジグムント・ストヨフスキは曲が「バッハのように始まり、オッフェンバックに終わる」とコメントしている。ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調(1869年)にも威勢の良い終楽章が付されているが、先行楽章は古典的色合いが濃く、明瞭なテクスチュアに優雅な旋律線が付き従う。第4番 ハ短調(1875年)はおそらく第2番の次によく知られるピアノ協奏曲である。2つの楽章から成るがそれぞれが2つの小部分から構成されており、他のピアノ協奏曲には見られない主題の統一性を有している。一部の文献では、グノーがサン=サーンスを「フランスのベートーヴェン」と称したのはこの作品に感銘を受けてのことだったという(交響曲第3番によるものであったとする文献もある)。第5番にして最後となったピアノ協奏曲は、1896年作曲のヘ長調で、前作からは20年以上が経過しての作曲であった。この作品は『エジプト風』協奏曲として知られる。ルクソールで冬の間を過ごした際に書かれ、ナイル川の船乗りが歌っていた唄が取り入れられている。
チェロ協奏曲第1番 イ短調(1872年)は活発ながらも深刻な作品となっており、連続した1楽章制で最初の部分は通常になく荒れ狂う。チェロのレパートリーの中では最大級の人気を獲得した協奏曲であり、パブロ・カザルスや後の奏者らに大層好まれてきた。第2番 ニ短調(1902年)は、ピアノ協奏曲第4番同様に2つの楽章で構成され、そのそれぞれが2つの異なる部分に分割されている。前作に比べて純粋な技巧性が高まっており、サン=サーンス自身がフォーレに対し、この作品は難しすぎるために第1番の様には人気を獲得しないだろうと述べたほどである。ヴァイオリン協奏曲には3作品がある。ひとつ目の作品は1858年に作曲されることになったものの出版が1879年となったため、第2番 ハ長調と呼ばれることになる。第1番 イ長調も同じく1858年に完成された。これは314小節からなる短い作品で、演奏時間は15分に満たない。第2番は伝統的な3楽章の協奏曲形式を取り、第1番の2倍の演奏時間を要するが、3曲の中で最も顧みられていない。作曲者の作品主題別カタログには、彼の生前にわずか3回の演奏の記録しか挙げられていないほどである。ヴァイオリン協奏曲第3番 ロ短調はパブロ・デ・サラサーテのために書かれた作品で、ソリストにとっては技巧的な要求が大きいが、ヴィルトゥオーソ風のパッセージの間に田園風の静けさを挟むことで均衡がとられている。第3番はある程度の差をつけて3つのヴァイオリン協奏曲で最大の人気曲となろうが、サン=サーンスがヴァイオリンと管弦楽のために書いた協奏的作品で最も知られるのは、おそらく『序奏とロンド・カプリチオーソ』 イ短調 作品28だろう。1863年にやはりサラサーテのために作曲された、単一楽章の作品である。曲は痛切で張り詰めた開始から気取った主要主題へと移り変わる。評論家のジェラルド・ラーナーはこの主題をほのかに毒気があると表現し、こう続ける。「重音奏法のカデンツァの後に(中略)独奏ヴァイオリンは息もつかせぬ疾走で、コーダを抜けてイ長調の幸せな終結まで駆け抜ける。」
デュカスと協力して行ったギローの未完作品『フレデゴンド』の補筆完成を除くと、サン=サーンスは12のオペラを作曲しており、うち2つがオペラ・コミックである。作曲者の生前には『ヘンリー八世』(1890年)がレパートリー入りしており、死後には『サムソンとデリラ』のみが定期的に上演されている。一方、ショーンバーグによると専門家は『アスカニオ』(1890年)をずっと優れた作品であると考えているという。評論家のロナルド・クリクトンは、サン=サーンスは彼の経験と音楽的技能の割には、「劇場の獣としての『嗅覚』、例えば他の音楽形式では彼に劣るマスネが持ち合わせていたものを欠いていた」と記している。2005年の研究で、音楽学者のスティーヴン・ヒュブナーはこの2人を対比している。「サン=サーンスにはマスネの様に芝居がかっているような時間がなかったのは明らかだ。」サン=サーンスの伝記作家であるジェームズ・ハーディングは、サン=サーンスが気楽な作品をもっと作ろうとしなかったことが悔やまれると述べる。それは、ハーディングが「軽妙なフランスの筆致の」サリヴァンのようだと評する『黄色い王女』の路線の作品のことである。
サン=サーンスのオペラは大半が顧みられないままとなっているが、クリクトンはそれらが「マイアベーアと1890年代初期のシリアスなフランスオペラを繋ぐ架け橋」であるがゆえ、フランスのオペラ史の中で重要な位置にあると述べる。彼の見立てによると、サン=サーンスのオペラ書法には、概して彼のその他の音楽にもある長所と短所があるという。「清澄なモーツァルト風の透明性、内容よりも形式に重きを置く姿勢(中略)感情的には乾いており、新たに生み出すものは時おり浅薄、しかし職人業は非の打ち所がない。」様式的には様々なものが取り入れられている。マイアベーアからは作品の中の演技に合唱を効果的に用いる術を得ている。『ヘンリー8世』にはロンドンで研究したテューダー朝の音楽が組み込まれ、『黄色い王女』には東洋的な五音音階が使われる。ワーグナーからはライトモティーフを取り込んだが、マスネ同様にその使用は控えめであった。サン=サーンスはオペラの通作に関する限りではマスネよりも保守的であり、離散的なアリアや重唱を好むことが多く、各々の歌の中でテンポ変化は少なかったとヒュブナーは考えている。アラン・ブライスはオペラの録音を調査して、次のように書いている。サン=サーンスが「ヘンデル、グルック、ベルリオーズ、『アイーダ』のヴェルディ、そしてワーグナーから多くを学んだのは間違いない。しかし、これらの優れた模範から彼は自分自身のスタイルを造り上げたのである。」
6歳からその後生涯にわたってサン=サーンスは歌曲を作曲し続け、その数は140曲以上にのぼる。彼は自分の歌曲作品を完全なる典型的フランス調であると考えており、シューベルトや他のドイツ・リートからの影響を否定していた。庇護したフォーレやライバルのマスネとは異なり、彼は連作歌曲に惹かれることはなく、長いキャリアの中でわずかに2作品『ペルシャの歌』(1870年)と『赤い灰』(1914年、フォーレに献呈)のみを遺している。最も頻繁に詩を選んだ詩人はヴィクトル・ユーゴーであったが、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、ピエール・コルネイユ、アマブル・タスチュ(英語版)らの詩も用いており、8曲には自ら詞を書いている。音楽以外の多彩な才能のひとつとして、彼はアマチュアの詩人でもあったのである。言葉に合わせた音を選ぶことに非常に敏感であったサン=サーンスは、若い作曲家だったリリ・ブーランジェに対し、効果的に歌曲を書くには音楽の才能だけでは十分ではなく、「フランス語を徹底的に研究しなければならない。それが欠かせないことだ」と説いている。歌曲の大半はピアノ伴奏による形で書かれたが、『ナイル川の日の出』(1898年)と『平和の讃歌』(1919年)などの一部の作品は管弦楽伴奏で書かれている。彼の曲の付け方、韻文の選択は形式の点で伝統に則った形となっており、ドビュッシーなど後の世代のフランスの作曲家による、自由な韻律と形式にとらわれない構造とは対照的である。
サン=サーンスはモテットからオラトリオに至るまで、60作品を超える宗教的声楽曲を作曲している。大規模作品にはレクイエム(1878年)やオラトリオの『ノアの洪水』(1875年)や『約束の地』(1913年)があり、後者にはハーマン・クラインが英語のテクストを書いた。彼はイギリスの合唱団と関りを持っていたことを誇りとしており、「ひとは、ずば抜けて優れたオラトリオの本場で認められたいと思うものだ」と述べている。数は少ないながら世俗的合唱作品も書いており、無伴奏合唱もあれば、ピアノ伴奏やフル・オーケストラ伴奏の楽曲もある。合唱曲を書くにあたり、サン=サーンスはヘンデル、メンデルスゾーンなどの過去の巨匠こそを範としなければならないと考え、伝統に重きを置いていた。クラインの見立てではこの方向性は時代遅れであり、サン=サーンスがオラトリオという形式の扱いを熟知していたことが、彼のこの分野での成功にとって足かせとなったという。
有名ピアニストであったサン=サーンスは生涯を通じてピアノ曲を書き続けたが、「興味深いことに彼の作品中、この部分はあまり名を残していない」とニコルズはコメントしている。ただし、ニコルズは練習曲(1912年)がいまだに左手の技巧を誇示したいピアニストを惹きつけていると考えており、例外扱いとしている。サン=サーンスは「フランスのベートーヴェン」と呼ばれ、『ベートーヴェンの主題による変奏曲』 変ホ長調(1874年)は彼のピアノのみの楽曲で最大の作品となっているが、ピアノソナタを作曲してこの先人に倣うことはしなかった。構想すらされたことがあるのか定かではない。曲集としてはバガテル集(1855年)、練習曲集(3集、1877年、1899年、1912年)、フーガ集(1920年)があるものの、サン=サーンスのピアノ作品は小品ばかりである。各々メンデルスゾーンとショパンによって確立された無言歌(1871年)やマズルカ(1862年、1871年、1882年)といった形式に加え、『イタリアの思い出』(1887年)、『夕べの鐘』(1889年)、『イスマイリアの思い出』(1895年)といった描写的な作品も書いている。
長くオルガニストの職を務めながら、気乗りせず作品を遺さなかった弟子のフォーレとは異なり、サン=サーンスはオルガン独奏のための楽曲を少々ながらも発表している。教会での礼拝のために書かれた作品には『Offertoire』(1853年)、『祝婚曲』(1859年)、『Communion』(1859年)などがある。マドレーヌ寺院を離れた1877年以降からはさらに10曲をオルガンのために書いており、2つある『プレリュードとフーガ』(1894年、1898年)など、大半は演奏会用となっている。初期作品にはハーモニウムもしくはオルガンのいずれでも演奏できるように書かれたものもあったが、前者をまず念頭に置いた楽曲もわずかとはいえ存在する。
サン=サーンスは1840年代から晩年に至るまでの間、40を超える室内楽曲を作曲した。このジャンルでの最初の大作としてはピアノ五重奏曲(1855年)が挙げられる。これは明快かつ自信に満ちた作品で、活発な楽章に挟まれる形で配置される緩徐楽章にはコラール風、そしてカンタービレの2つの主題が用いられている。七重奏曲(1880年)はトランペット、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという特殊な編成となっており、17世紀のフランスの舞踏形式に依拠した新古典的な作品である。この作品の作曲期間は、サン=サーンスがラモーやリュリなどのバロックの作曲家の作品の、新エディションを準備していた時期に重なっており、この曲および複数の「組曲」ではバロック期の舞曲形式へのいち早い興味が示されている。さらにフルート、オーボエ、クラリネットとピアノのための『デンマークとロシアの歌による奇想曲』(1887年)、ヴァイオリン、チェロ、ハーモニウムとピアノのための『舟歌』(1898年)という例からも、サン=サーンスが時に王道を外れた編成を用いることがかわる。
ラトナーの考えでは、サン=サーンスの室内楽曲で最も重要なのはソナタである。ピアノ伴奏で計7曲、ヴァイオリンのために2曲、チェロのために2曲、オーボエ、クラリネット、ファゴットのために1曲ずつがある。ヴァイオリンソナタ第1番は1885年の作品で、『グローヴ音楽事典』はこの作品を作曲者の最上級、そして指折りの特徴を有するものに位置付けている。第2番(1896年)はサン=サーンス作品の様式的変化を示しており、ここで聞かれる軽さ、透明さの増したピアノの音色は、以降の音楽の特色となっていくものである。チェロソナタ第1番(1872年)は、30年以上前に彼にピアノの演奏を教えた大おばの死後すぐに書かれた。この曲は深刻な作品となっており、技巧的なピアノ伴奏の上でチェロが主要な主題素材を保持する。フォーレはこの作品を世界中で唯一の、あらゆる点で重要なチェロソナタであると呼んだ。第2番(1905年)は4楽章構成で、スケルツォに主題と変奏を置くという珍しい特徴を持っている。
木管楽器のためのソナタはサン=サーンス最後の作品群で、独奏の機会を得にくいこれらの楽器のレパートリーを拡充しようという取り組みの一環であった。サン=サーンスは1921年4月15日に友人のジャン・シャンタヴォワーヌに宛てた手紙の中で次のように打ち明けている、「金を稼げないため不人気な楽器の演奏を聴いてもらえるよう、今、最後の力を注いでいます。」ラトナーはこれの作品について「飾り気のない、心に訴える、古典的な音、記憶に残る旋律、そして見事な楽曲構造がこれら新古典的主義運動の金字塔を際立たせている」と評する。ガロワはオーボエソナタについて、アンダンティーノの主題で旧来の古典的ソナタのように開始し、中央部分には豊かで色彩溢れるハーモニーがあり、モルト・アレグロの終楽章はタランテラの形式で繊細さ、ユーモア、魅力に満ちている、と述べている。ガロワにとっては3曲の中でクラリネットソナタが最も重要で、彼はこれを「茶目っ気、気品、思慮深いリリシズムに溢れた傑作」であって、「その他の総まとめ」となるに至っているとする。この作品では緩徐楽章の「悲しみを湛えた挽歌」が、18世紀の様式を彷彿とさせる終楽章の「4/4拍子のピルエット」と対比されている。またガロワはファゴットソナタを「透明さ、生命力、軽妙さ」の模範であると呼び、ユーモラスな筆致を内包しつつも穏やかな瞑想の瞬間もあるとする。サン=サーンスはさらにコーラングレのためのソナタを作曲する意思を示していたが、これは実現しなかった。
サン=サーンスの最も有名な作品である『動物の謝肉祭』(1887年)は、一般的な室内楽曲からはかけ離れているものの、11人の奏者のために書かれており、『グローヴ音楽事典』では室内楽曲の一部に分類されている。『グローヴ音楽事典』はこの作品について「彼の最も喜劇要素の強い作品であり、オッフェンバック、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ロッシーニ、そして彼自身の『死の舞踏』と7曲の流行歌をパロディにしている」と評する。この曲の軽薄さが真面目な作曲家としての自分の名声を傷つけることを懸念したサン=サーンスは、自らの存命中に本作を演奏することを禁じていた。
サン=サーンスは音楽録音の分野の先駆者だった。1904年6月にロンドンのグラモフォン・カンパニーはプロデューサーのフレッド・ガイズバーグを送り、サン=サーンスの演奏を録音している。『アスカニオ』と『サムソンとデリラ』からアリアを歌うメゾソプラノのメイリアンヌ・エグロンの伴奏者としての演奏、またピアノ協奏曲第2番の編曲(管弦楽なし)の断片などの自作のピアノ曲の演奏であった。サン=サーンスは1919年に同社でさらに録音を制作している。
LPレコードの初期には、サン=サーンスの作品は不揃いな形で音盤に収められていた。『The Record Guide』(1955年)は、様々な版の『死の舞踏』、『動物の謝肉祭』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』、その他の短い管弦楽曲に並んで、交響曲第3番、ピアノ協奏曲第2番、チェロ協奏曲第1番の録音を一つづつ挙げている。20世紀終盤から21世紀初頭には、その作品の多くがLPレコード、そしてその後CD、DVDの形で発売された。2008年の『ペンギン・ガイド』はサン=サーンス作品の録音に10ページを割いており、協奏曲、交響曲、交響詩、ソナタ、四重奏曲の全曲を網羅している。さらに初期のミサ曲やオルガン曲集、合唱曲集も取り上げられている。1997年には27曲のサン=サーンスの歌曲集の録音が発売されている。
『サムソンとデリラ』を除くと、オペラの録音はまばらである。1992年に『ヘンリー8世』の録音がCDとDVDで刊行された。『エレーヌ』は2008年にCDで発売された。『サムソンとデリラ』にはコリン・デイヴィス、ジョルジュ・プレートル、ダニエル・バレンボイム、チョン・ミョンフンらの指揮者によって、複数の録音が行われている。
サン=サーンスは1867年にレジオンドヌール勲章のシェヴァリエに叙され、1884年にオフィシエに昇級、1913年にグラン・クロワに昇級を果たした。海外の栄典には1902年のイギリスロイヤル・ヴィクトリア勲章(CVO)、ケンブリッジ大学の名誉博士号(1893年)、オックスフォード大学の名誉博士号(1907年)がある。さらに1901年にはドイツのヴィルヘルム2世からプール・ル・メリット勲章を授与された。
『タイムズ』紙は、死亡を伝える記事に次のように記している。
1890年に『Mea culpa』と題した短詩を発表したサン=サーンスは、その中で堕落を知らぬ己を責め、若さによる過剰な熱意へ賛意を述べつつも、それを自分が持たなかったことを嘆いている。あるイギリスのコメンテーターは1910年にこの詩を引用しつつ、「彼の心は先へ押し進まんと望む若者と共にある、なぜなら彼が当時の進歩的理想に肩入れしていた若き日の自分を忘れていないからだ」と述べている。サン=サーンスは革新と伝統的形式の間のバランスを求めていた。評論家のヘンリー・コールズは彼の死から数日後にこう書いている。
『グローヴ音楽事典』のサン=サーンスの項は次のような言葉で締められている。彼の作品は際立った一貫性を見せる一方で「彼が特色ある音楽スタイルを発展させたとは言えない。むしろ、彼はワグネリアンの影響に飲み込まれる危機に瀕していたフランスの伝統を守り、後進を育成する環境を整えたのである。」
本人の死後、サン=サーンスの音楽に同情的な物書きらは、彼がごく僅かな楽曲、『動物の謝肉祭』、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第3番、交響曲第3番『オルガン付き』、『サムソンとデリラ』、『死の舞踏』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』といった作品でしか、音楽好きの人々に知られていない現状に遺憾を表明している。ニコラスは彼の大規模作品の中から、レクイエム、クリスマス・オラトリオ、バレエ『ジャヴォット』、ピアノ四重奏曲、七重奏曲、ヴァイオリンソナタ第1番を忘れられた傑作として選び出している。2004年にスティーヴン・イッサーリスは次のように述べた。「サン=サーンスはまさに彼の音楽祭を開く必要があるような種類の作曲家である(中略)ミサ曲もあって、それらは全て興味深いものだ。彼のチェロ音楽は全て演奏しているが、ひとつたりとも悪い曲はない。彼の作品はあらゆる意味でやり甲斐がある。そして彼は尽きることのない魅力を備えた人物だ。」
「彼の偉大な名声も、またそれに続く軽視も、共に誇張されすぎてきた」と評されるように、サン=サーンスの音楽はしばしば不公平な評価を受けてきたが、1980年代ごろからふたたび彼への関心が高まり、再認識が進んでいる。 | [
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"text": "シャルル・カミーユ・サン=サーンス(フランス語: Charles Camille Saint-Saëns, フランス語: [ʃaʁl kamij sɛ̃ sɑ̃(s)];, 1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランスの作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者。広く知られた作品として『序奏とロンド・カプリチオーソ』(1863年)、ピアノ協奏曲第2番(1868年)、チェロ協奏曲第1番(1872年)、『死の舞踏』(1874年)、オペラ『サムソンとデリラ』(1877年)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1880年)、交響曲第3番『オルガン付き』(1886年)、『動物の謝肉祭』(1886年)などが挙げられる。",
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"text": "サン=サーンスはわずか10歳でコンサート・デビューを果たすなど、類い稀なる才能を持って生まれた。パリ音楽院で学んだ後、一般的な教会オルガニストとしてのキャリアをスタートし、はじめはパリのサン=メリ教会(英語版)、1858年からはフランス第二帝政下の公的な教会であったマドレーヌ寺院に勤めた。20年を経てオルガニストの職を退いた後は、フリーランスのピアニスト、指揮者として成功を収め、ヨーロッパと南北アメリカで人気を博した。",
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"text": "若い頃のサン=サーンスは当時最先端の音楽であったシューマン、リスト、ワーグナーに熱狂したが、彼自身の楽曲は概して従来からの古典的な伝統の範囲に留まっている。音楽史を専門とする学者でもあった彼は、過去のフランスの作曲家が作り出した構造に傾倒し続けた。これにより晩年には印象主義音楽や音列主義音楽の作曲家たちとの間に軋轢を生むことになる。その音楽はストラヴィンスキーや『6人組』の作品を予感させるような新古典主義的な要素を持っていながらも、サン=サーンスはその晩年にあっては保守的であったと看做されることが多い。",
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"text": "サン=サーンスが教職に就いたのはパリのニデルメイエール音楽学校で教えた1度きりで、教壇に立った期間は5年に満たなかった。しかしこれはフランス音楽の発展に大きな役割を果たした。彼の門下からはガブリエル・フォーレが巣立っており、モーリス・ラヴェルらがそのフォーレに教えを乞うている。この両名はいずれも彼らが天才と崇めたサン=サーンスの影響を色濃く受けている。",
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"text": "サン=サーンスはフランス内務省の官吏であったジャック=ジョゼフ=ヴィクトル・サン=サーンス(1798年-1835年)とフランソワーズ=クレマンス(旧姓コリン)の間のひとり息子として生まれた。父のヴィクトルはノルマンディーの家系の出身で、母はオート=マルヌ県の一家の出であった。6区のジャルディネ通りで生を受けた夫妻の息子は、近所にあったサン=シュルピス教会に受洗し、常に自らを真のパリジャンであると考えていた。息子の洗礼から2か月も経たぬ結婚記念日に、ヴィクトルは結核で他界してしまう。幼いカミーユは健康のために田舎へと連れていかれ、2年の間パリから南へ29キロメートルに位置するコルベイユ=エソンヌで乳母と共に過ごした。",
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"text": "パリに戻ってきたサン=サーンスは母と、夫に先立たれた彼女の叔母であるシャルロット・マッソンと一緒に暮らした。幼い頃から絶対音感を示してピアノで音を拾う遊びに興じたほか、3歳になると作曲をしたと言われている。大おばからピアノ演奏の基礎を学び、7歳になるとフリードリヒ・カルクブレンナー門下のカミーユ=マリー・スタマティに弟子入りした。スタマティはピアニストの力が全て腕ではなく手や指から伝わるようにと、教え子たちに鍵盤の前面に設置した枠の上に前腕を休ませた状態で演奏するよう求めた。サン=サーンスは後年、これはよい訓練であったと書いている。息子の早熟な才能をよく理解した母のクレマンスは、彼があまりに若いうちから有名になることを望まなかった。音楽評論家のハロルド・C・ショーンバーグは1969年にサン=サーンスについて次のように書いている。「彼がモーツァルトらと同じように、歴史上最も驚くべき神童であったことは一般に認知されていない。」カミーユ少年は5歳になる頃から少人数を前に時折演奏を披露していたが、公式にデビューを飾ったのはやっと10歳になってからのことで、この時はサル・プレイエルにおいてモーツァルトのピアノ協奏曲第15番 K450とベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を含むプログラムが組まれた。スタマティの影響を受け、サン=サーンスは作曲の教授であるピエール・マルデンとオルガン教師のアレクサンドル・ボエリーを紹介される。当時のフランスではあまり知られていなかったバッハの音楽をボエリーを通じて教わり、彼は一生愛し続けていくことになる。",
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"text": "学生としてのサン=サーンスは多くの科目で傑出していた。音楽の腕前に加えて、フランス文学、ラテン語、ギリシア語、神学、数学で優れた成績を収めた。彼の興味は哲学、考古学、天文学に及び、とりわけ天文学においてはその後も優れたアマチュアであり続けた。",
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"text": "1848年、13歳にして、サン=サーンスはフランス最高峰の音楽学校であるパリ音楽院への入学を許可された。1842年にルイジ・ケルビーニの後を継いで学長になったダニエル=フランソワ=エスプリ・オベールは、厳格な前任者に比して緩やかな体制を敷いていたが、そのカリキュラムは旧態依然としたものだった。学生たちはたとえサン=サーンスのような抜群のピアニストであったとしても、オルガンに関する学課を履修するよう奨励された。というのも、教会オルガニストのキャリアにはソロピアニストよりも多くのチャンスが与えられると看做されていたからである。サン=サーンスはオルガンを教わったフランソワ・ブノワについて、オルガニストとしては平凡でありながらも教師としては一流であると考えていた。ブノワ門下からはアドルフ・アダン、セザール・フランク、シャルル=ヴァランタン・アルカン、ルイ・ルフェビュール=ヴェリー、ジョルジュ・ビゼーらが輩出している。サン=サーンスは1849年にオルガニストとして音楽院の2等賞、1851年に1等賞を獲得、同年には正式に作曲の勉強を開始した。作曲を教えたのはケルビーニの配下に居たジャック・アレヴィであり、シャルル・グノーやビゼーを教えた人物であった。",
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"text": "サン=サーンスは習作として交響曲イ長調(1850年)、ヴィクトル・ユーゴーの同名の詩文に基づく合唱作品『ジン』(Les Djinns、1850年)などを作曲した。1852年にはフランス最高峰の音楽賞であったローマ大賞へ応募するも落選する。オベールは優勝したレオンス・コーエンよりもサン=サーンスの方に高い将来性があり、サン=サーンスが受賞すべきであると信じていた。事実、コーエンのその後のキャリアにみるべきものは少なかった。同年にサント=セシル協会(Société Sainte-Cécile)が開催した大会では、審査員が全員一致でサン=サーンスへと票を投じており、彼は1等賞という大きな成功を手にすることができた。最初の成熟した作品と認められ、作品番号を与えられたのはハーモニウムのための『3つの小品』(1852年)である。",
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"text": "1853年に音楽院を後にすると、サン=サーンスはパリ市庁舎に程近い古くからの教会サン=メリ教会(英語版)のオルガニストの職に就いた。教会の教区は広範囲に及び、2万6千人の教区民がいた。通例、年間に200組を超える結婚式が開かれ、これに葬儀の分と慎ましい基礎給費を足し合わせると、オルガニストの給金はサン=サーンスにはゆとりのある収入となった。フランソワ=アンリ・クリコ建造のオルガンはフランス革命時にひどい損傷を負っており、修繕も不十分だった。そのためこの楽器は教会の礼拝用としての不足はなかったものの、パリで注目度の高い教会の多くが手掛けるような野心的なリサイタル向きではなかった。ピアニスト、作曲家としてのキャリアを追求するのに十分な余暇時間が得られるようになったサン=サーンスは、作品2を付けることになる交響曲第1番(1853年)を作曲した。軍楽調のファンファーレや増強された金管、打楽器群を備えたこの作品は、フランスの帝政復権とナポレオン3世の力に高まる人気の萌芽の中にあった時代の空気をとらえている。この楽曲は彼に再びサント=セシル協会の1等賞をもたらした。",
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"text": "音楽家の中ではジョアキーノ・ロッシーニ、エクトル・ベルリオーズ、フランツ・リスト、そして影響力の大きかった歌手のポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドらがサン=サーンスの才能にいち早く目を付け、こぞって彼のキャリアへ激励を行った。1858年の早い段階でサン=メリ教会を後にして、帝国の公的な教会だったマドレーヌ寺院のオルガニストという、注目を浴びるポストを手にした。これは当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた職であった。同寺院で彼の演奏を聴いたリストは、彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切った。",
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"text": "後年のサン=サーンスは歯に衣着せぬ保守的作曲家として通っていたが、1850年代には当時最新の音楽であったリスト、ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナーを支援し、普及させていた。同世代や次世代の多くのフランスの作曲家とは異なり、サン=サーンスはワーグナーの楽劇に対する熱狂度合いや知識の割には、自身の作品にはその影響を受けなかった。彼はこう述べている。「登場人物が異様であるにもかかわらず、私はリヒャルト・ワーグナーの作品たちに深く感心しています。優れており力強い、私にはそれだけで十分なのです。しかし、私は過去にも、現在もそしてこれからもワーグナー教徒にはなりません。」",
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"text": "1861年、サン=サーンスは生涯唯一となる教師の職に就く。場所はルイ・ニデルメイエールがフランスの教会のために一流のオルガニストと合唱指揮者を養成すべく、1853年にパリに開校したニデルメイエール音楽学校であった。ニデルメイエール自身はピアノ科の教授を務めており、彼が1861年3月に他界するとピアノの学課を受け持つためにサン=サーンスが任用されたのであった。学生にシューマン、リスト、ワーグナーなどの現代音楽を紹介した彼は、一部の厳格な教員たちを憤慨させた。彼の最も著名な門下生であるガブリエル・フォーレは、後年次のように述懐している。",
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"text": "さらにサン=サーンスは、学生が演じる1幕の道化芝居を書き、その音楽を作曲して学校の体制を活性化させた(学生の中にはアンドレ・メサジェもいた)。このとき自分の生徒たちのことを心に思い描きながら、彼の作品中で最も有名な『動物の謝肉祭』が着想されたが、曲の完成はニデルメイエール音楽学校を去って20年以上が経過した1886年になるまで待たねばならなかった。",
"title": "生涯"
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"text": "1864年に2度目のローマ大賞挑戦を行ったサン=サーンスは、一部に驚きをもたらした。既に独奏者、作曲家として名声を確立しつつあった彼が大会に再挑戦するという決断は、音楽界の多くの人を当惑させた。この時も優勝を逃す結果となる。審査員の1人であったベルリオーズはこう記している。",
"title": "生涯"
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"text": "音楽学者のジャン・ガロワによると、ベルリオーズがサン=サーンスについて述べた有名な洒落(bon mot)である「彼はなんでも知っている、しかし未経験不足である」(Il sait tout, mais il manque d'inexpérience)を生み出したのはこの出来事がきっかけであったという。勝利を手にしたヴィクトル・シーグは、1852年の優勝者であるということ以外に一切著名なキャリアを歩まなかった。サン=サーンスの伝記作家であるブライアン・リーズが推測するに、審査員は「一時的な試行錯誤の真っただ中にいる天賦の才の片鱗を探していたのであって、サン=サーンスについては熟練の極みに達していると看做した」のではないかということである。サン=サーンスが霊感よりも熟達度に秀でているという意見は、彼のキャリアと死後の評判に付きまとうことになる。彼自身は次のように書いている。「美しさと特質を創造するためにあるのが芸術である。感情はその後からついてくるのであって、芸術は感情がなくてもすっかりうまく成立させられる。実のところ、そうなった時の方が圧倒的に上手くいくのだ。」伝記作家のジェシカ・デュシェンは彼が「自分の魂の暗い側面を表に出さないことを好む悩み多き男」だったのだと書いている。評論家で作曲家のジェレミー・ニコラスは、このように内面を曝け出さないことにより多くの人が彼の音楽を過小評価するのだとみている。ニコラスは「サン=サーンスは天才でない唯一の大作曲家」であるとか「良く書けた悪い音楽」といった侮辱的な評を引き合いに出している。",
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"text": "『スパルタクス』と名付けられた序曲が1863年にボルドーのサント・セシル協会が主催した大会で優勝を収めはしたが、ニデルメイエール音楽学校の教壇に立っていた時期にサン=サーンスが作曲や演奏に注いだ労力は少なくなっていた。1865年に同校を退官すると、自らのキャリアにおけるこの両者を精力的に追及するようになる。1867年にはカンタータ『プロメテの結婚』が、100を超える他の出場者を退けてパリの大国際祭(Grande Fête Internationale)で作曲賞を獲得した。審査員を務めたのはオベール、ベルリオーズ、グノー、ロッシーニ、ジュゼッペ・ヴェルディであった。1868年にはピアノ協奏曲第2番を初演するが、この曲は彼の管弦楽作品として以降ずっとレパートリーに残ることになる初の作品となる。この作品やその他楽曲を演奏して、彼は1860年代にパリやフランス国内の他の都市、さらには国外の音楽界で有名人となっていった。",
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"text": "1870年、ドイツ音楽の優位とフランスの若い作曲家が自作の演奏機会を得られないことを憂慮し、サン=サーンスと音楽院の声楽科の教授だったロマン・ビュシーヌは、新しいフランス音楽を普及させる団体の設立について話し合った。この提案事項を前進させるよりも前に普仏戦争が勃発、サン=サーンスは国民衛兵として従軍することになった。続く1871年3月から5月にかけての、短期間ではあったが血なまぐさいパリ・コミューンでは、マドレーヌ寺院で上司であったドゲリー神父が反乱軍に殺害され、サン=サーンスは避難のため一時イングランドに亡命した。ジョージ・グローヴ他の助力を得た彼は、ロンドンでリサイタルを開催して自力で生活した。5月にパリへ戻ると反独感情が大きく増進しており、フランス寄りの音楽協会という構想にとっては大きな追い風が吹いているのを知ることになる。1871年2月に「ガリアの芸術」(Ars Gallica)をモットーに掲げる国民音楽協会が創設され、ビュシーヌが会長、サン=サーンスが副会長、アンリ・デュパルク、フォーレ、セザール・フランク、ジュール・マスネらが創設メンバーに名を連ねた。",
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"text": "リストの革新的な交響詩を賛美していたサン=サーンスは、熱意をもってこの形式を取り入れていった。彼の1作目となる交響詩(poème symphonique)である『オンファールの糸車』(1871年)は、1872年1月に国民音楽協会のコンサートで初演された。同じ年には、10年以上にわたる断続的なオペラの楽曲の仕事の末、ようやくひとつが上演を迎えることになった。1幕の軽いロマン的作品である『黄色い王女』が、6月にパリのオペラ=コミック座で上演されたのである。上演回数は5回を数えた。",
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"paragraph_id": 19,
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"text": "1860年代と1870年代はじめまでを独身で過ごしたサン=サーンスは、フォーブール=サントノレ通り(英語版)の大きな5階建てのアパートに母と共に暮らしていた。1875年に彼は結婚するが、この出来事は多くの人を驚かせた。花婿は間もなく40代を迎える年齢で花嫁は19歳だったのである。彼女はマリー=ロール・トリュフォといい、彼のある弟子のきょうだいだった。しかし結婚は上手くいかなかった。伝記作家のザビーナ・テラー・ラトナーの言によれば「サン=サーンスの母は容認せず、またその息子は共同生活に難のある人物だった」のだという。サン=サーンスと妻はカルチエ・ラタンのムッシュー・ル・プランス通り(フランス語版)に越したが、それに母親も付いてきた。両名は2人の息子を授かったが、いずれも幼児期に死亡している。1878年には上の子で当時2歳のアンドレがアパートの窓から転落、命を落とした。下の子のジャン=フランソワは6週間後に肺炎で落命、生まれて6か月だった。サン=サーンスとマリー=ロールは以降3年間暮らしを共にし続けたが、彼はアンドレの事故のことで妻を責めた。2度の喪失による打撃は結婚生活を破綻させるに足るものだったのである。",
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"text": "19世紀のフランスの作曲家にとって、オペラは最も重要な音楽様式であると考えられていた。サン=サーンスより年下の同世代にあたりライバルであったマスネは、オペラ作曲家として名声を獲得しつつあったが、サン=サーンスのオペラで上演を果たしたものは、小規模な『黄色い女王』のみでそれも成功とはいえず、この分野で成果をあげられずににいた。1877年2月、彼はついに本格的な規模を持つオペラの上演にこぎつけた。4幕からなる「抒情劇」(drame lyrique)の『銀の音色』である。ジュール・バルビエ(英語版)とミシェル・カレ(英語版)によるリブレットはファウストの伝説を想起させるもので、1870年にはリハーサルに入っていたものの戦争勃発により公演延期となっていたのであった。作品はパリのリリック座によりようやく公演を迎え、18回の上演を重ねた。",
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"text": "このオペラの献呈を受けたアルベール・リボンは初演の3か月後に他界し、サン=サーンスに巨額の遺産を遺して「彼をマドレーヌ寺院のオルガン奴隷から解放し、すっかり作曲に専念できるよう」にした。サン=サーンスは間もなく遺産贈与が行われるとは知らなかったが、友人の死の直前に職を辞していた。型どおりのキリスト教徒ではなかった彼は、宗教的教義に次第に苛立ちを覚えるようになっていたのである。聖職者側の権威による干渉を受けることや音楽への無神経さに疲れてしまった彼は、他の都市でピアノ独奏者として多くの契約を得て自由になりたいと願うようになっていた。これ以降は教会の礼拝でプロとしてオルガンを演奏することは二度となく、またこの楽器自体をほとんど全く弾かなくなった。彼は友の追憶のためにレクイエムを作曲、曲はリボンの1周忌に合わせてサン=シュルピス教会にてシャルル=マリー・ヴィドールのオルガン、作曲者自身の指揮によって演奏された。",
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"text": "1877年12月、サン=サーンスはオペラによってより確固たる成功を手にする。その作品は彼のオペラの中で唯一世界で上演されるレパートリーとなり、その地位を保ち続ける『サムソンとデリラ』である。聖書に基づく題材のためフランスでの公演には多数の障害に見舞われることとなり、リストの影響もあって初演はヴァイマルにおいてドイツ語訳を用いて行われる運びとなった。やがて国際的な成功を収めるに至った本作であったが、パリ国立オペラでの公演が行われたのはようやく1892年になってからのことだった。",
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"text": "サン=サーンスは熱心に旅行に興じた。1870年代からこの世を去るまでに27か国に計179回の旅に出ている。プロとしての契約により、最も頻繁に訪れたのはドイツとイングランドであった。休暇には脆弱な胸に障るパリの冬を避けるために、アルジェやエジプト各地に赴くことを好んだ。",
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"paragraph_id": 24,
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"text": "1878年にはマスネに敗れて涙を吞んでいたサン=サーンスであったが、1881年に2度目の挑戦でフランス学士院に選任された。同年7月に彼と妻は休暇にオーヴェルニュの温泉町であるラ・ブルブール(英語版)に向かった。7月28日に彼はホテルから姿を消し、数日後に妻は戻ることはないと告げる彼からの手紙を受け取ることになる。2人はこれを最後に2度と会うことはなかった。事実上の離婚である。マリー・サン=サーンスは実家へ戻り、1950年にボルドー近郊にて95歳で生涯を終えた。以降、再び母と暮らすようになったサン=サーンスは、妻との離婚手続きを取らず、再婚もしなければ、以降は女性と親密な関係となることもなかった。リーズは確たる証拠はないと述べるが、一部の伝記作家はサン=サーンスが女性よりも男性により惹かれていたと考えている。子どもを失い結婚生活が破綻してからは、サン=サーンスはフォーレとその妻マリー、そして彼らの2人の息子たちを次第に代わりの家族と見るようになり、子どもたちにとっては大好きな「おじさん」であった。マリーは彼にこう述べている。「私たちにとって貴方は家族の一員です。うちではあなたの話題がいつも出ています。」",
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"text": "1880年代にもサン=サーンスはオペラ劇場での成功を求め続けていた。影響力の大きい音楽界の重鎮たちは、ピアニストやオルガニスト、交響曲作家が良いオペラを書けるはずがないという思想に凝り固まっており、仕事は一層難しいものであった。80年代のうちには2作のオペラが上演されており、ひとつめはパリ・オペラ座の委嘱で書かれた『ヘンリー八世』(1883年)であった。リブレットを選んだのは彼自身ではなかったが、通常は筆の走りが速く安易なきらいすらある作曲家であるサン=サーンスが、16世紀のイングランドの雰囲気を説得力をもって捉えるべく通常は見せない努力を注いで総譜に取り組んだ。この作品は成功を収め、彼の生前に頻繁に再演された。1898年にロイヤル・オペラ・ハウスで上演された際のコメントとして『イーラ(英語版)』紙は、フランスのリブレット作家はたいてい「イギリスの歴史をひどく滅茶苦茶にする」ものの、この作品は「オペラの筋書きとしては完全に見下げ果てたものではない」と評している。彼の作品に対する風当たりの強かったパリでも、この頃からはっきりと潮目が変わり始めた。",
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"paragraph_id": 26,
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"text": "ヴァンサン・ダンディに先導される形で、国民音楽協会の自由な気風は、1880年代中盤にはフランクの弟子たちが好むワーグナー風の方法論へ独善的に固執する方向へ硬化していった。協会の多数を占めるようになっていた彼らは、フランスの作品に帰依する「ガリアの芸術」の精神を捨て去ることを模索していた。このワーグナー支持者らが国外の作品の演奏を主張し軋轢を生じており、これを看過できなかったビュシーヌとサン=サーンスは1886年に辞表を提出する。長きにわたり、時に懐疑的なフランスの大衆にワーグナーの良さを力説してきたサン=サーンスであったが、ドイツ音楽がフランスの若い作曲家に過剰な影響を与えているのではないかと憂慮するようになっていた。ワーグナーに対して募らせた警戒は、その音楽に加えてワーグナーの政治的国粋主義によっても等しく増強され、後年は強い敵意へと変貌したのであった。",
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"paragraph_id": 27,
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"text": "1880年代にはサン=サーンスはイングランドの聴衆の心を掴んでおり、同地では存命では最高のフランスの作曲家であると広く認知されていた。1886年にロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会からの委嘱で書かれた作品が、彼の最大の人気作、高い評価を受ける楽曲となった交響曲第3番『オルガン付き』である。ロンドンで行われた初演のコンサートで、サン=サーンスは同交響曲の指揮者、そしてアーサー・サリヴァンが指揮するベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のソリストとして登場している。ロンドンにおけるこの作品の成功は凄まじく、翌年はじめに行われたパリ初演での熱狂的な歓迎はさらにそれを上回った。『サムソンとデリラ』からこの作品までが「もっとも独創的で最良の作品のうちいくつか」に数えられている。1887年にはその後、オペラ=コミック座で「抒情劇」である『プロゼルピーヌ』が幕開けを迎えた。作品は好評を博して相当な上演回数を重ねていくものと思われたが、初演から数週間のうちに劇場が火災に見舞われて公演は流れてしまった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1888年にサン=サーンスの母が他界する。母の死による心痛で彼は抑鬱と不眠症を患い、自死を考えるまでとなった。パリを離れてアルジェに逗留し、散歩や読書をして1889年5月までには回復したが、作曲の筆を執ることはできなかった。",
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"paragraph_id": 29,
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"text": "1890年代のサン=サーンスは余暇に多くの時間を取り、国外を旅するなどして過ごし、以前よりも作曲量も演奏頻度も減少していた。1893年にシカゴへ演奏に訪れる計画も白紙となった。喜劇『フリネ』(1893年)を作曲した他、ポール・デュカスと共同で1892年にこの世を去ったエルネスト・ギローが未完のまま遺したオペラ『フレデゴンド』(1895年)の補筆完成の仕事を請け負った。『フリネ』の評判は上々で、当時はグランド・オペラを好むようになっていたオペラ=コミック座に更なるコミック・オペラの需要を生み出した。1890年代に書かれた少数の合唱作品や管弦楽曲は、大半が短い作品である。この時期に生まれたコンサート用の主要作品には単一楽章の幻想曲『アフリカ』(1891年)とピアノ協奏曲第5番がある。後者は彼の1846年のサル=プレイエルでのデビューから50周年を記念した、1896年の演奏会で初演された。協奏曲の演奏に先駆けて、彼はこのイベントのために自らしたためた短い詩を朗読し、母の支えと世間の長きにわたる支援に賛辞を贈った。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "1890年代にサン=サーンスが出演した主要な演奏会として、1893年6月にケンブリッジ大学で開催されたものが挙げられる。ケンブリッジ大学音楽協会を代表してチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードが出席したこの場では、サン=サーンスとブルッフ、チャイコフスキー、アッリーゴ・ボーイトが演奏を行い、招待者全員に名誉博士号が授与された。サン=サーンスはこの訪問を大層満喫し、カレッジのチャペルでの礼拝に好意的な言葉まで残している。「イングランドの宗教に課せられる要求は過剰なものではない。礼拝は非常に短時間で、主として良い音楽を聴くことで成り立っている。歌は極めて巧みであるが、それはイギリス人が優れた合唱隊であるからだ。」彼とイギリスの合唱の間の相互の敬意は生涯続き、彼の最後期の大規模作品となったオラトリオ『約束の地』は、1913年のスリー・クワイア・フェスティバルのために書かれることになる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 31,
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"text": "10年の間、パリには定まった家を持たずに過ごしたサン=サーンスであったが、1900年にかつて暮らしたフォーブール=サントノレ通りからも遠くないクールセル通り(フランス語版)にアパートを取得した。この家が彼の終の棲家となる。引き続き頻繁に国外旅行を行ったが、次第に旅行者としてよりもコンサートを開く頻度が増してきていた。再訪したロンドンではいつも歓迎される客人であり、ベルリンでは第一次世界大戦までは敬意をもって迎えられ、他にイタリア、スペイン、モナコやフランスの地方を訪れた。1906年と1909年にはピアニスト並びに指揮者としてアメリカ合衆国に演奏旅行で赴き、大きな成功を収めた。2度目にニューヨークを訪ねた際には、この時のために作曲した2群の合唱、管弦楽とオルガンのための詩篇第150篇『主をほめたたえよ』を初演している。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "保守的音楽家として知られるようになっていたサン=サーンスであったが、ガロワによると、1910年にミュンヘンに赴いてマーラーの交響曲第8番の初演に臨んだフランスの音楽家は、おそらく彼ひとりであったという。にもかかわらず、サン=サーンスは20世紀に入ると最新の音楽への熱意の多くを失ってしまった。本人には隠そうと努力したものの、彼は自らが献呈を受けたフォーレのオペラ『ペネロープ』を理解できず、好んでもいなかった。1917年には、駆け出しの作曲家であったフランシス・プーランクは、ラヴェルがサン=サーンスを天才と称えるのを聴いて拒否感を抱いている。この頃には様々な新しい音楽の潮流が生まれてきており、サン=サーンスはそれらと相通ずるところを持たなかった。形式に対する古典的な潜在意識により、彼は自分にとって無形式に見えるものや、ドビュッシーに代表される印象主義音楽と衝突を起こすことになる。無調音楽にも否定的で、アルノルト・シェーンベルクの十二音技法もサン=サーンスには魅力的に映らなかった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "このような保守的な見方をしていたサン=サーンスは、斬新さがあると持て囃されていた20世紀初頭のパリの音楽界に賛同することができず、そして追従することができなかった。しばしば語られるのは、彼が1913年に行われたヴァーツラフ・ニジンスキーとイーゴリ・ストラヴィンスキーによる『春の祭典』に憤慨して会場を立ち去ったという逸話である。ストラヴィンスキーによると、実はサン=サーンスはその時には出席しておらず、翌年に行われた演奏会形式での実演を聴いてストラヴィンスキーは気が狂っているという見解をはっきり表明したのだという。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "第一次世界大戦中に、サン=サーンス率いるフランスの音楽家の一団はドイツ音楽のボイコットを組織しようとした。フォーレとメサジェはその思想に与しなかったが、ここでの不一致がかつての師との友好関係に悪影響を及ぼすことはなかった。彼らは自らの友人が行き過ぎた愛国主義により愚かに見られてしまう危険があること、並びにサン=サーンスが台頭する若手作曲家を公然と非難する傾向を強めていることとを個人的に危惧していたのである。ドビュッシーの『白と黒で』(1915年)を断罪した文句は次のようなものであった。「こたる暴虐を働きうる男に対してはいかなる代償をもってしても学士院の門を閉ざさねばならない。こんなものはキュビストの絵画の隣にでも飾っておけ。」ドビュッシーをフランス学士院の会員候補から除外するという彼の決定は維持されることになり、ドビュッシーの支持者からは強い義憤が生まれた。『6人組』の新古典主義に対する反応も同様に容赦のないものだった。ダリウス・ミヨーが多調を用いて作曲した交響的組曲『プロテー』に関するコメントは「幸運にも、フランスにはまだ精神異常者の収容施設がある」というものだった。",
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"tag": "p",
"text": "サン=サーンスは1913年にパリで開いた演奏会をさよなら公演にしようと考えていた。しかし戦争の勃発によりこの引退は間もなく撤回され、フランスや各地で多くの公演を行って戦争義援金のための資金を調達した。彼はドイツの潜水艦の脅威があったにもかかわらず、この活動のために大西洋を横断している。",
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"text": "1921年11月、サン=サーンスは学士院で多くの招待客を前に演奏を披露した。彼の演奏は以前と変わらず生き生きとして正確で、86歳の男性として人としての振る舞いも賞賛すべきものであったと評されている。ひと月後にパリを発ってアルジェに向かい、長年慣れ親しんできた同地で冬の寒さを逃れようと考えていた。1921年12月16日、前触れのない心臓発作に襲われたサン=サーンスはアルジェにて息を引き取った。亡骸はパリへ運び戻され、マドレーヌ寺院で国葬が執り行われた。その後、モンパルナス墓地へ埋葬されている。フランスの政治分野、芸術分野から名士らが弔問に訪れる中、目立たない場所で深くベールを被って、1881年以降一度も彼に会うことのなかった未亡人のマリー=ロールがいたという。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍する一方、少年のころからフランス古典やラテン語を学んだほか、詩、天文学、生物学、数学、絵画などさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した。文筆家としての活動は多岐にわたり、1870年代以降は音楽批評家として多くの記事を書いているほか、哲学的な著作、一定の成功を収めた詩や戯曲などを残しており、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。",
"title": "人物像"
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"text": "旅行好きとしても知られ、1873年に保養のためアルジェリアに滞在して以来頻繁に北アフリカを訪れたほか、スペインや北欧、カナリア諸島、南北アメリカ、セイロン、サイゴンなどにも足を伸ばしている。異国風の音楽は、『アルジェリア組曲』やピアノ協奏曲第5番『エジプト風』など多くの作品に取り入れられている。",
"title": "人物像"
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{
"paragraph_id": 39,
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"text": "その辛辣で無頓着な言動は人々の良く知るところであり、音楽院時代のアルフレッド・コルトーがピアノを学んでいると名乗ったのに対して「大それたことを言ってはいけないよ」と答えた逸話が残っている。対して、サン=サーンスが称賛したピアノの生徒にはレオポルド・ゴドフスキーがいる。",
"title": "人物像"
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"text": "20世紀の初頭、『ニューグローヴ世界音楽大事典』に匿名の著者が次のように記している。",
"title": "音楽"
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"text": "「モーツァルトとハイドンの精神で」育ったサン=サーンスは、バッハやベートーヴェンの作品にも精通し、若い時期にはメンデルスゾーンやシューマンに影響を受けている。バロック音楽にも通じ、リュリ、シャルパンティエ、ラモーらの作品の校訂に携わったほか、クラヴサンの復興にも関わった。彼の80歳を記念して書かれたプロフィールに、評論家のD.C.パーカーは次のように書いている。「サン=サーンスがラモー(中略)バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトを知っていることは、彼の作品に親しんでいる者全員に明白であるに違いない。古典の巨人に対する愛情と共感が、いわば彼の芸術の基礎を形作ったのである。」その一方で、彼の音楽は「本質的にフランス的なもの(...)を表現している」とされ、ロマン・ロランはサン=サーンスを「古典的フランス精神のただ一人の代表者」と評している。ノルベール・デュフルク(英語版)はサン=サーンスの美学を「厳密な設計、明晰な構築、論理的な展開、節約された線的・和声的手段」と表現した。こうした美学は生涯を通して大きく変わることはなかった。",
"title": "音楽"
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"paragraph_id": 42,
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"text": "前半生では、当時先進的とされたシューマンやリストの作品を積極的に擁護し、「現代音楽家」、革命家とみなされていた。「形式の最大限の可変性」を求め、リストの確立した交響詩の形式をフランスにいち早く持ちこんだ。一方、ワーグナーを早くから擁護する一人でもありながら、のちにフランスに広がったワグネリズムには否定的な立場をとるようになった。",
"title": "音楽"
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"paragraph_id": 43,
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"text": "当時のフランスでは新作が冷遇されていた、交響曲や室内楽曲、協奏曲といった分野にも多くの作品を残したことは重要である。国民音楽協会の開設とあわせ、これらの作品によって彼はフランス音楽史へ大きな足跡を残した。協奏曲においては形式面や、独奏と管弦楽との関係において多くの実験を行い、フランスにおけるこのジャンルに重要な貢献をもたらした。",
"title": "音楽"
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"text": "晩年にはその作風はすでに保守的とみなされるようになっていた。1910年にサン=サーンスは、「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」と書簡に記している。近代音楽には押しなべて批判的であったサン=サーンスであったが「近代の和声が基づいている調性は死の苦しみにある。(...)古代の旋法が登場するであろう。そしてそれに続いて無限の多様性をもった東洋の旋法が音楽に入り込むであろう。(...)そこから新しい芸術が生まれるであろう」とも述べており、『動物の謝肉祭』の「水族館」や、幻想曲 作品124、7つの即興曲 作品150など、印象主義音楽の語法に接近した作品も残している。また、晩年の作品ではピアノの書法が線的で軽くなるとともに木管楽器への偏重、遠隔的な和音進行や旋法終止の増加といった特徴がみられ、第一次世界大戦以降の世代の作曲家の美学(新古典主義音楽)と共通する点があると指摘されている。",
"title": "音楽"
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"text": "1955年の『レコード・ガイド』で著者のエドワード・ザックヴィル=ウェストとデズモンド・ショー=テイラーは、サン=サーンスの華麗な音楽家精神は「オペラの他にも音楽の形式があるのだという事実に対し、フランスの音楽家たちの注意を引き付けることに役立」ったと書いている。2001年版の『グローヴ事典』の中で、ラトナーとダニエル・ファロンはサン=サーンスの管弦楽曲を分析して、番号なしの交響曲 イ長調(1850年頃)を習作期の最も野心的な作品に位置付けている。成熟後の作品としては、交響曲第1番(1853年)が真剣かつ大規模な楽曲で、シューマンの影響を見出すことが出来る。交響曲『首都ローマ』はいくらか後退しており、楽器法の巧みさは減じられて「厚ぼったく重々しい」効果となっている。ラトナーとファロンは交響曲第2番(1859年)を賞賛しつつ、作曲者のフーガ書法への精通を示すパッセージを有し、管弦楽の省力化と構造の融合の好例であると述べる。最も有名な交響曲第3番(1886年)には、珍しくピアノとオルガンに目立った割り当てがある。曲はハ短調で開始して荘厳なコラール調のハ長調で終結する。4つの楽章は2組に分割されており、これは特にピアノ協奏曲第4番(1875年)やヴァイオリンソナタ第1番(1885年)など、他でも用いられた方法であった。曲中ではリストの様式に則った主題変容により繰り返し現れる「モチーフ」が処理されており、作品はリストの想い出へと捧げられている。",
"title": "音楽"
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"paragraph_id": 46,
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"text": "4曲あるサン=サーンスの交響詩はリストの型に則っているものの、リストが陥りがちであった「粗野な騒々しさ」は持ち合わせていないと、ザックヴィル=ウェストとショー=テイラーは考えている。4作品の中で最も人気が高いのは、真夜中に踊る骸骨を描写した『死の舞踏』(1874年)である。概してサン=サーンスの管弦楽的効果は異国風の楽器法ではなく巧みな音色の調和によってもたらされるが、この作品においてはガラガラ音を立てる骸骨の踊り子たちを象徴するシロフォンが目立って取り上げられている。『オンファールの糸車』(1871年)は恐ろしいパリ・コミューンの直後の作曲であるが、その軽妙さと繊細なオーケストレーションからは直近の悲劇の影は感じられない。リーズは『ファエトン』(1873年)が交響詩の中で最良の作品であると考えている。この楽曲はギリシア神話のパエトーンと彼の運命の描写に触発される形で、旋律に無関心であったと公言した作曲者の言葉に背く作品である。初演当時の評論家は異なる見方をしており、曲に霊感を与えたギリシア神話の荒々しい馬が駆けてくる様子というより、「モンマルトルで貸し馬が立てる騒音」に聞こえると述べている。最後の交響詩『ヘラクレスの青年時代』(1877年)は4曲の中で最も野心的な作品となっており、ハーディングの唱えるところではそれが故に一番の失敗作となってしまった。これらの管弦楽曲は、評論家のロジャー・ニコルズの見立てによれば、印象的な旋律、確固たる構成、忘れがたい管弦楽法が一体となり「フランス音楽の新たな基準となり、ラヴェルのような若い作曲家を鼓舞することになった」という。",
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"text": "サン=サーンスは1幕のバレエ『ジャヴォット』(1896年)、映画音楽『ギーズ公の暗殺』(1908年)、そして1850年から1916年にかけて12の舞台作品に付随音楽を作曲している。そのうち3作品はモリエールとラシーヌの復刻のために書かれており、サン=サーンスがフランスのバロック音楽に有していた深い造詣を反映し、リュリやシャルパンティエの楽曲が引用されている。",
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"text": "サン=サーンスはフランスの大作曲家としては初めてピアノ協奏曲を作曲した人物である。ピアノ協奏曲第1番 ニ長調(1858年)は伝統的な3楽章形式でありあまり知られていないが、第2番 ト短調(1868年)は彼の作品中でも有数の人気を誇る。この作品では形式面で実験が行われており、第1楽章へ習慣的なソナタ形式に代えて散文的な構造を据え、荘厳なカデンツァで開始させた。第2楽章はスケルツォ、終楽章はプレストとなっている。この対比に関して、ピアニストのジグムント・ストヨフスキは曲が「バッハのように始まり、オッフェンバックに終わる」とコメントしている。ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調(1869年)にも威勢の良い終楽章が付されているが、先行楽章は古典的色合いが濃く、明瞭なテクスチュアに優雅な旋律線が付き従う。第4番 ハ短調(1875年)はおそらく第2番の次によく知られるピアノ協奏曲である。2つの楽章から成るがそれぞれが2つの小部分から構成されており、他のピアノ協奏曲には見られない主題の統一性を有している。一部の文献では、グノーがサン=サーンスを「フランスのベートーヴェン」と称したのはこの作品に感銘を受けてのことだったという(交響曲第3番によるものであったとする文献もある)。第5番にして最後となったピアノ協奏曲は、1896年作曲のヘ長調で、前作からは20年以上が経過しての作曲であった。この作品は『エジプト風』協奏曲として知られる。ルクソールで冬の間を過ごした際に書かれ、ナイル川の船乗りが歌っていた唄が取り入れられている。",
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"text": "チェロ協奏曲第1番 イ短調(1872年)は活発ながらも深刻な作品となっており、連続した1楽章制で最初の部分は通常になく荒れ狂う。チェロのレパートリーの中では最大級の人気を獲得した協奏曲であり、パブロ・カザルスや後の奏者らに大層好まれてきた。第2番 ニ短調(1902年)は、ピアノ協奏曲第4番同様に2つの楽章で構成され、そのそれぞれが2つの異なる部分に分割されている。前作に比べて純粋な技巧性が高まっており、サン=サーンス自身がフォーレに対し、この作品は難しすぎるために第1番の様には人気を獲得しないだろうと述べたほどである。ヴァイオリン協奏曲には3作品がある。ひとつ目の作品は1858年に作曲されることになったものの出版が1879年となったため、第2番 ハ長調と呼ばれることになる。第1番 イ長調も同じく1858年に完成された。これは314小節からなる短い作品で、演奏時間は15分に満たない。第2番は伝統的な3楽章の協奏曲形式を取り、第1番の2倍の演奏時間を要するが、3曲の中で最も顧みられていない。作曲者の作品主題別カタログには、彼の生前にわずか3回の演奏の記録しか挙げられていないほどである。ヴァイオリン協奏曲第3番 ロ短調はパブロ・デ・サラサーテのために書かれた作品で、ソリストにとっては技巧的な要求が大きいが、ヴィルトゥオーソ風のパッセージの間に田園風の静けさを挟むことで均衡がとられている。第3番はある程度の差をつけて3つのヴァイオリン協奏曲で最大の人気曲となろうが、サン=サーンスがヴァイオリンと管弦楽のために書いた協奏的作品で最も知られるのは、おそらく『序奏とロンド・カプリチオーソ』 イ短調 作品28だろう。1863年にやはりサラサーテのために作曲された、単一楽章の作品である。曲は痛切で張り詰めた開始から気取った主要主題へと移り変わる。評論家のジェラルド・ラーナーはこの主題をほのかに毒気があると表現し、こう続ける。「重音奏法のカデンツァの後に(中略)独奏ヴァイオリンは息もつかせぬ疾走で、コーダを抜けてイ長調の幸せな終結まで駆け抜ける。」",
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"text": "デュカスと協力して行ったギローの未完作品『フレデゴンド』の補筆完成を除くと、サン=サーンスは12のオペラを作曲しており、うち2つがオペラ・コミックである。作曲者の生前には『ヘンリー八世』(1890年)がレパートリー入りしており、死後には『サムソンとデリラ』のみが定期的に上演されている。一方、ショーンバーグによると専門家は『アスカニオ』(1890年)をずっと優れた作品であると考えているという。評論家のロナルド・クリクトンは、サン=サーンスは彼の経験と音楽的技能の割には、「劇場の獣としての『嗅覚』、例えば他の音楽形式では彼に劣るマスネが持ち合わせていたものを欠いていた」と記している。2005年の研究で、音楽学者のスティーヴン・ヒュブナーはこの2人を対比している。「サン=サーンスにはマスネの様に芝居がかっているような時間がなかったのは明らかだ。」サン=サーンスの伝記作家であるジェームズ・ハーディングは、サン=サーンスが気楽な作品をもっと作ろうとしなかったことが悔やまれると述べる。それは、ハーディングが「軽妙なフランスの筆致の」サリヴァンのようだと評する『黄色い王女』の路線の作品のことである。",
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"text": "サン=サーンスのオペラは大半が顧みられないままとなっているが、クリクトンはそれらが「マイアベーアと1890年代初期のシリアスなフランスオペラを繋ぐ架け橋」であるがゆえ、フランスのオペラ史の中で重要な位置にあると述べる。彼の見立てによると、サン=サーンスのオペラ書法には、概して彼のその他の音楽にもある長所と短所があるという。「清澄なモーツァルト風の透明性、内容よりも形式に重きを置く姿勢(中略)感情的には乾いており、新たに生み出すものは時おり浅薄、しかし職人業は非の打ち所がない。」様式的には様々なものが取り入れられている。マイアベーアからは作品の中の演技に合唱を効果的に用いる術を得ている。『ヘンリー8世』にはロンドンで研究したテューダー朝の音楽が組み込まれ、『黄色い王女』には東洋的な五音音階が使われる。ワーグナーからはライトモティーフを取り込んだが、マスネ同様にその使用は控えめであった。サン=サーンスはオペラの通作に関する限りではマスネよりも保守的であり、離散的なアリアや重唱を好むことが多く、各々の歌の中でテンポ変化は少なかったとヒュブナーは考えている。アラン・ブライスはオペラの録音を調査して、次のように書いている。サン=サーンスが「ヘンデル、グルック、ベルリオーズ、『アイーダ』のヴェルディ、そしてワーグナーから多くを学んだのは間違いない。しかし、これらの優れた模範から彼は自分自身のスタイルを造り上げたのである。」",
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"text": "6歳からその後生涯にわたってサン=サーンスは歌曲を作曲し続け、その数は140曲以上にのぼる。彼は自分の歌曲作品を完全なる典型的フランス調であると考えており、シューベルトや他のドイツ・リートからの影響を否定していた。庇護したフォーレやライバルのマスネとは異なり、彼は連作歌曲に惹かれることはなく、長いキャリアの中でわずかに2作品『ペルシャの歌』(1870年)と『赤い灰』(1914年、フォーレに献呈)のみを遺している。最も頻繁に詩を選んだ詩人はヴィクトル・ユーゴーであったが、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ、ピエール・コルネイユ、アマブル・タスチュ(英語版)らの詩も用いており、8曲には自ら詞を書いている。音楽以外の多彩な才能のひとつとして、彼はアマチュアの詩人でもあったのである。言葉に合わせた音を選ぶことに非常に敏感であったサン=サーンスは、若い作曲家だったリリ・ブーランジェに対し、効果的に歌曲を書くには音楽の才能だけでは十分ではなく、「フランス語を徹底的に研究しなければならない。それが欠かせないことだ」と説いている。歌曲の大半はピアノ伴奏による形で書かれたが、『ナイル川の日の出』(1898年)と『平和の讃歌』(1919年)などの一部の作品は管弦楽伴奏で書かれている。彼の曲の付け方、韻文の選択は形式の点で伝統に則った形となっており、ドビュッシーなど後の世代のフランスの作曲家による、自由な韻律と形式にとらわれない構造とは対照的である。",
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"text": "サン=サーンスはモテットからオラトリオに至るまで、60作品を超える宗教的声楽曲を作曲している。大規模作品にはレクイエム(1878年)やオラトリオの『ノアの洪水』(1875年)や『約束の地』(1913年)があり、後者にはハーマン・クラインが英語のテクストを書いた。彼はイギリスの合唱団と関りを持っていたことを誇りとしており、「ひとは、ずば抜けて優れたオラトリオの本場で認められたいと思うものだ」と述べている。数は少ないながら世俗的合唱作品も書いており、無伴奏合唱もあれば、ピアノ伴奏やフル・オーケストラ伴奏の楽曲もある。合唱曲を書くにあたり、サン=サーンスはヘンデル、メンデルスゾーンなどの過去の巨匠こそを範としなければならないと考え、伝統に重きを置いていた。クラインの見立てではこの方向性は時代遅れであり、サン=サーンスがオラトリオという形式の扱いを熟知していたことが、彼のこの分野での成功にとって足かせとなったという。",
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"text": "有名ピアニストであったサン=サーンスは生涯を通じてピアノ曲を書き続けたが、「興味深いことに彼の作品中、この部分はあまり名を残していない」とニコルズはコメントしている。ただし、ニコルズは練習曲(1912年)がいまだに左手の技巧を誇示したいピアニストを惹きつけていると考えており、例外扱いとしている。サン=サーンスは「フランスのベートーヴェン」と呼ばれ、『ベートーヴェンの主題による変奏曲』 変ホ長調(1874年)は彼のピアノのみの楽曲で最大の作品となっているが、ピアノソナタを作曲してこの先人に倣うことはしなかった。構想すらされたことがあるのか定かではない。曲集としてはバガテル集(1855年)、練習曲集(3集、1877年、1899年、1912年)、フーガ集(1920年)があるものの、サン=サーンスのピアノ作品は小品ばかりである。各々メンデルスゾーンとショパンによって確立された無言歌(1871年)やマズルカ(1862年、1871年、1882年)といった形式に加え、『イタリアの思い出』(1887年)、『夕べの鐘』(1889年)、『イスマイリアの思い出』(1895年)といった描写的な作品も書いている。",
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"text": "長くオルガニストの職を務めながら、気乗りせず作品を遺さなかった弟子のフォーレとは異なり、サン=サーンスはオルガン独奏のための楽曲を少々ながらも発表している。教会での礼拝のために書かれた作品には『Offertoire』(1853年)、『祝婚曲』(1859年)、『Communion』(1859年)などがある。マドレーヌ寺院を離れた1877年以降からはさらに10曲をオルガンのために書いており、2つある『プレリュードとフーガ』(1894年、1898年)など、大半は演奏会用となっている。初期作品にはハーモニウムもしくはオルガンのいずれでも演奏できるように書かれたものもあったが、前者をまず念頭に置いた楽曲もわずかとはいえ存在する。",
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"text": "サン=サーンスは1840年代から晩年に至るまでの間、40を超える室内楽曲を作曲した。このジャンルでの最初の大作としてはピアノ五重奏曲(1855年)が挙げられる。これは明快かつ自信に満ちた作品で、活発な楽章に挟まれる形で配置される緩徐楽章にはコラール風、そしてカンタービレの2つの主題が用いられている。七重奏曲(1880年)はトランペット、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという特殊な編成となっており、17世紀のフランスの舞踏形式に依拠した新古典的な作品である。この作品の作曲期間は、サン=サーンスがラモーやリュリなどのバロックの作曲家の作品の、新エディションを準備していた時期に重なっており、この曲および複数の「組曲」ではバロック期の舞曲形式へのいち早い興味が示されている。さらにフルート、オーボエ、クラリネットとピアノのための『デンマークとロシアの歌による奇想曲』(1887年)、ヴァイオリン、チェロ、ハーモニウムとピアノのための『舟歌』(1898年)という例からも、サン=サーンスが時に王道を外れた編成を用いることがかわる。",
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"text": "ラトナーの考えでは、サン=サーンスの室内楽曲で最も重要なのはソナタである。ピアノ伴奏で計7曲、ヴァイオリンのために2曲、チェロのために2曲、オーボエ、クラリネット、ファゴットのために1曲ずつがある。ヴァイオリンソナタ第1番は1885年の作品で、『グローヴ音楽事典』はこの作品を作曲者の最上級、そして指折りの特徴を有するものに位置付けている。第2番(1896年)はサン=サーンス作品の様式的変化を示しており、ここで聞かれる軽さ、透明さの増したピアノの音色は、以降の音楽の特色となっていくものである。チェロソナタ第1番(1872年)は、30年以上前に彼にピアノの演奏を教えた大おばの死後すぐに書かれた。この曲は深刻な作品となっており、技巧的なピアノ伴奏の上でチェロが主要な主題素材を保持する。フォーレはこの作品を世界中で唯一の、あらゆる点で重要なチェロソナタであると呼んだ。第2番(1905年)は4楽章構成で、スケルツォに主題と変奏を置くという珍しい特徴を持っている。",
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"text": "木管楽器のためのソナタはサン=サーンス最後の作品群で、独奏の機会を得にくいこれらの楽器のレパートリーを拡充しようという取り組みの一環であった。サン=サーンスは1921年4月15日に友人のジャン・シャンタヴォワーヌに宛てた手紙の中で次のように打ち明けている、「金を稼げないため不人気な楽器の演奏を聴いてもらえるよう、今、最後の力を注いでいます。」ラトナーはこれの作品について「飾り気のない、心に訴える、古典的な音、記憶に残る旋律、そして見事な楽曲構造がこれら新古典的主義運動の金字塔を際立たせている」と評する。ガロワはオーボエソナタについて、アンダンティーノの主題で旧来の古典的ソナタのように開始し、中央部分には豊かで色彩溢れるハーモニーがあり、モルト・アレグロの終楽章はタランテラの形式で繊細さ、ユーモア、魅力に満ちている、と述べている。ガロワにとっては3曲の中でクラリネットソナタが最も重要で、彼はこれを「茶目っ気、気品、思慮深いリリシズムに溢れた傑作」であって、「その他の総まとめ」となるに至っているとする。この作品では緩徐楽章の「悲しみを湛えた挽歌」が、18世紀の様式を彷彿とさせる終楽章の「4/4拍子のピルエット」と対比されている。またガロワはファゴットソナタを「透明さ、生命力、軽妙さ」の模範であると呼び、ユーモラスな筆致を内包しつつも穏やかな瞑想の瞬間もあるとする。サン=サーンスはさらにコーラングレのためのソナタを作曲する意思を示していたが、これは実現しなかった。",
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"text": "サン=サーンスの最も有名な作品である『動物の謝肉祭』(1887年)は、一般的な室内楽曲からはかけ離れているものの、11人の奏者のために書かれており、『グローヴ音楽事典』では室内楽曲の一部に分類されている。『グローヴ音楽事典』はこの作品について「彼の最も喜劇要素の強い作品であり、オッフェンバック、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ロッシーニ、そして彼自身の『死の舞踏』と7曲の流行歌をパロディにしている」と評する。この曲の軽薄さが真面目な作曲家としての自分の名声を傷つけることを懸念したサン=サーンスは、自らの存命中に本作を演奏することを禁じていた。",
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"text": "サン=サーンスは音楽録音の分野の先駆者だった。1904年6月にロンドンのグラモフォン・カンパニーはプロデューサーのフレッド・ガイズバーグを送り、サン=サーンスの演奏を録音している。『アスカニオ』と『サムソンとデリラ』からアリアを歌うメゾソプラノのメイリアンヌ・エグロンの伴奏者としての演奏、またピアノ協奏曲第2番の編曲(管弦楽なし)の断片などの自作のピアノ曲の演奏であった。サン=サーンスは1919年に同社でさらに録音を制作している。",
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"text": "LPレコードの初期には、サン=サーンスの作品は不揃いな形で音盤に収められていた。『The Record Guide』(1955年)は、様々な版の『死の舞踏』、『動物の謝肉祭』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』、その他の短い管弦楽曲に並んで、交響曲第3番、ピアノ協奏曲第2番、チェロ協奏曲第1番の録音を一つづつ挙げている。20世紀終盤から21世紀初頭には、その作品の多くがLPレコード、そしてその後CD、DVDの形で発売された。2008年の『ペンギン・ガイド』はサン=サーンス作品の録音に10ページを割いており、協奏曲、交響曲、交響詩、ソナタ、四重奏曲の全曲を網羅している。さらに初期のミサ曲やオルガン曲集、合唱曲集も取り上げられている。1997年には27曲のサン=サーンスの歌曲集の録音が発売されている。",
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"text": "『サムソンとデリラ』を除くと、オペラの録音はまばらである。1992年に『ヘンリー8世』の録音がCDとDVDで刊行された。『エレーヌ』は2008年にCDで発売された。『サムソンとデリラ』にはコリン・デイヴィス、ジョルジュ・プレートル、ダニエル・バレンボイム、チョン・ミョンフンらの指揮者によって、複数の録音が行われている。",
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"text": "サン=サーンスは1867年にレジオンドヌール勲章のシェヴァリエに叙され、1884年にオフィシエに昇級、1913年にグラン・クロワに昇級を果たした。海外の栄典には1902年のイギリスロイヤル・ヴィクトリア勲章(CVO)、ケンブリッジ大学の名誉博士号(1893年)、オックスフォード大学の名誉博士号(1907年)がある。さらに1901年にはドイツのヴィルヘルム2世からプール・ル・メリット勲章を授与された。",
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"text": "『タイムズ』紙は、死亡を伝える記事に次のように記している。",
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"text": "1890年に『Mea culpa』と題した短詩を発表したサン=サーンスは、その中で堕落を知らぬ己を責め、若さによる過剰な熱意へ賛意を述べつつも、それを自分が持たなかったことを嘆いている。あるイギリスのコメンテーターは1910年にこの詩を引用しつつ、「彼の心は先へ押し進まんと望む若者と共にある、なぜなら彼が当時の進歩的理想に肩入れしていた若き日の自分を忘れていないからだ」と述べている。サン=サーンスは革新と伝統的形式の間のバランスを求めていた。評論家のヘンリー・コールズは彼の死から数日後にこう書いている。",
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"text": "『グローヴ音楽事典』のサン=サーンスの項は次のような言葉で締められている。彼の作品は際立った一貫性を見せる一方で「彼が特色ある音楽スタイルを発展させたとは言えない。むしろ、彼はワグネリアンの影響に飲み込まれる危機に瀕していたフランスの伝統を守り、後進を育成する環境を整えたのである。」",
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"text": "本人の死後、サン=サーンスの音楽に同情的な物書きらは、彼がごく僅かな楽曲、『動物の謝肉祭』、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第3番、交響曲第3番『オルガン付き』、『サムソンとデリラ』、『死の舞踏』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』といった作品でしか、音楽好きの人々に知られていない現状に遺憾を表明している。ニコラスは彼の大規模作品の中から、レクイエム、クリスマス・オラトリオ、バレエ『ジャヴォット』、ピアノ四重奏曲、七重奏曲、ヴァイオリンソナタ第1番を忘れられた傑作として選び出している。2004年にスティーヴン・イッサーリスは次のように述べた。「サン=サーンスはまさに彼の音楽祭を開く必要があるような種類の作曲家である(中略)ミサ曲もあって、それらは全て興味深いものだ。彼のチェロ音楽は全て演奏しているが、ひとつたりとも悪い曲はない。彼の作品はあらゆる意味でやり甲斐がある。そして彼は尽きることのない魅力を備えた人物だ。」",
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"text": "「彼の偉大な名声も、またそれに続く軽視も、共に誇張されすぎてきた」と評されるように、サン=サーンスの音楽はしばしば不公平な評価を受けてきたが、1980年代ごろからふたたび彼への関心が高まり、再認識が進んでいる。",
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] | シャルル・カミーユ・サン=サーンスは、フランスの作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者。広く知られた作品として『序奏とロンド・カプリチオーソ』(1863年)、ピアノ協奏曲第2番(1868年)、チェロ協奏曲第1番(1872年)、『死の舞踏』(1874年)、オペラ『サムソンとデリラ』(1877年)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1880年)、交響曲第3番『オルガン付き』(1886年)、『動物の謝肉祭』(1886年)などが挙げられる。 サン=サーンスはわずか10歳でコンサート・デビューを果たすなど、類い稀なる才能を持って生まれた。パリ音楽院で学んだ後、一般的な教会オルガニストとしてのキャリアをスタートし、はじめはパリのサン=メリ教会、1858年からはフランス第二帝政下の公的な教会であったマドレーヌ寺院に勤めた。20年を経てオルガニストの職を退いた後は、フリーランスのピアニスト、指揮者として成功を収め、ヨーロッパと南北アメリカで人気を博した。 若い頃のサン=サーンスは当時最先端の音楽であったシューマン、リスト、ワーグナーに熱狂したが、彼自身の楽曲は概して従来からの古典的な伝統の範囲に留まっている。音楽史を専門とする学者でもあった彼は、過去のフランスの作曲家が作り出した構造に傾倒し続けた。これにより晩年には印象主義音楽や音列主義音楽の作曲家たちとの間に軋轢を生むことになる。その音楽はストラヴィンスキーや『6人組』の作品を予感させるような新古典主義的な要素を持っていながらも、サン=サーンスはその晩年にあっては保守的であったと看做されることが多い。 サン=サーンスが教職に就いたのはパリのニデルメイエール音楽学校で教えた1度きりで、教壇に立った期間は5年に満たなかった。しかしこれはフランス音楽の発展に大きな役割を果たした。彼の門下からはガブリエル・フォーレが巣立っており、モーリス・ラヴェルらがそのフォーレに教えを乞うている。この両名はいずれも彼らが天才と崇めたサン=サーンスの影響を色濃く受けている。 | {{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
|名前 = カミーユ・サン=サーンス<br>Camille Saint-Saëns
|画像 = CSaint-Saens.jpg
|画像サイズ = 200px
|画像説明 = [[ナダール]]撮影。
|背景色 = classic
|出生名 = シャルル・カミーユ・サン=サーンス<br>Charles Camille Saint-Saëns
|出生 = [[1835年]][[10月9日]]<br>{{FRA1830}}・[[パリ]]
|死没 = {{死亡年月日と没年齢|1835|10|9|1921|12|16}}<br />{{Flagicon|FRA}} [[フランス領アルジェリア]]・[[アルジェ]]
|学歴 = [[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]
|ジャンル = [[クラシック音楽]]
|職業 = [[作曲家]]<br>[[ピアニスト]]<br>[[オルガニスト]]
|担当楽器 = [[ピアノ]]<br>[[オルガン]]
}}
[[image:Camille Saint-Saens signature.svg|right]]
{{Portal クラシック音楽}}
'''シャルル・カミーユ・サン=サーンス'''({{lang-fr|Charles Camille Saint-Saëns}}, {{IPA-fr|ʃaʁl kamij sɛ̃ sɑ̃(s)|lang}};{{refn|{{IPAc-en|UK|ˈ|s|æ̃|s|ɒ̃|(|s|)}},<ref>{{Cite Oxford Dictionaries|Saint-Saëns, Camille|accessdate=10 August 2019}}</ref> {{IPAc-en|US|s|æ̃|ˈ|s|ɒ̃|(|s|)}}.<ref>[https://www.ahdictionary.com/word/search.html?q=Saint-Sa%C3%ABns Saint-Saëns]. The American Heritage Dictionary of the English Language (5th ed.). Boston: Houghton Mifflin Harcourt. Retrieved 10 August 2019.</ref><ref>{{Cite Merriam-Webster|Saint-Saëns|access-date=10 August 2019}}</ref> フランス語話者の知識人や、ごく少数の音楽家は、1844年の批評で特記された末尾の「s」を省略した伝統的な発音({{IPA-fr|sɛ̃ sɑ̃|}})を用いているが<ref>Rees, p. 35</ref>、「s」を発音することはラジオのアナウンサーをも含めて現在のフランスでは非常に一般的になっている。なおサン=サーンスの父は、同じ綴りで1940年-1950年頃まで末尾の「s」を発音していなかった町、サン=サン(Saint-Saëns。現在の読みは[[サン=サンス]])と同じ発音で読まれることを望んでいたと言われる<ref>{{cite web |url=http://www.lereveildeneufchatel.fr/2015/01/12/doit-on-prononcer-le-s-final-de-saint-saens/ |title=''Doit-on prononcer le "s" final de Saint-Saëns ?'' |date-2015-01-12 |author= Raphaël Tual |publisher=Publihebdos |lang=fr |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170116112442/http://www.lereveildeneufchatel.fr/2015/01/12/doit-on-prononcer-le-s-final-de-saint-saens/ |archivedate=2017-01-16 |accessdate=2022-08-12}}</ref>。|group="注"}}, [[1835年]][[10月9日]] - [[1921年]][[12月16日]])は、[[フランス]]の[[作曲家]]、[[ピアニスト]]、[[オルガニスト]]、[[指揮者]]。広く知られた作品として『[[序奏とロンド・カプリチオーソ]]』(1863年)、[[ピアノ協奏曲第2番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第2番]](1868年)、[[チェロ協奏曲第1番 (サン=サーンス)|チェロ協奏曲第1番]](1872年)、『[[死の舞踏 (サン=サーンス)|死の舞踏]]』(1874年)、[[オペラ]]『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』(1877年)、[[ヴァイオリン協奏曲第3番 (サン=サーンス)|ヴァイオリン協奏曲第3番]](1880年)、[[交響曲第3番 (サン=サーンス)|交響曲第3番『オルガン付き』]](1886年)、『[[動物の謝肉祭]]』(1886年)などが挙げられる。
サン=サーンスはわずか10歳でコンサート・デビューを果たすなど、類い稀なる才能を持って生まれた。[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]で学んだ後、一般的な教会オルガニストとしてのキャリアをスタートし、はじめは[[パリ]]の{{仮リンク|サン=メリ教会|en|Saint-Merri}}、1858年からは[[フランス第二帝政]]下の公的な教会であった[[マドレーヌ寺院]]に勤めた。20年を経てオルガニストの職を退いた後は、フリーランスのピアニスト、指揮者として成功を収め、ヨーロッパと南北アメリカで人気を博した。
若い頃のサン=サーンスは当時最先端の音楽であった[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]に熱狂したが、彼自身の楽曲は概して従来からの古典的な伝統の範囲に留まっている。音楽史を専門とする学者でもあった彼は、過去のフランスの作曲家が作り出した構造に傾倒し続けた。これにより晩年には[[印象主義音楽]]や[[十二音技法|音列主義音楽]]の作曲家たちとの間に軋轢を生むことになる。その音楽は[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]や『[[フランス6人組|6人組]]』の作品を予感させるような[[新古典主義音楽|新古典主義]]的な要素を持っていながらも、サン=サーンスはその晩年にあっては保守的であったと看做されることが多い。
サン=サーンスが教職に就いたのはパリの[[ニデルメイエール音楽学校]]で教えた1度きりで、教壇に立った期間は5年に満たなかった。しかしこれはフランス音楽の発展に大きな役割を果たした。彼の門下からは[[ガブリエル・フォーレ]]が巣立っており、[[モーリス・ラヴェル]]らがそのフォーレに教えを乞うている。この両名はいずれも彼らが天才と崇めたサン=サーンスの影響を色濃く受けている。
== 生涯 ==
=== 幼少期 ===
[[File:Paris (France) rue du jardinet 2.JPG|thumb|alt=狭いパリの脇道を眺めた風景|サン=サーンスが生まれたジャルディネ通り。]]
サン=サーンスはフランス内務省の官吏であったジャック=ジョゼフ=ヴィクトル・サン=サーンス(1798年-1835年)とフランソワーズ=クレマンス(旧姓コリン)の間のひとり息子として生まれた<ref name=grove />。父のヴィクトルは[[ノルマンディー]]の家系の出身で、母は[[オート=マルヌ県]]の一家の出であった{{refn|[[ドレフュス事件]]で[[アルフレド・ドレフュス]]の敵対勢力に[[反ユダヤ主義]]が蔓延した際、ドレフュスに資金を用立てたサン=サーンスの本当の苗字は「カーン」(Kahn)であるとの噂が立てられた<ref name=duchen/><ref>[[ジャック=ガブリエル・プロドム|Prod'homme]], p. 470</ref>。実のところ、Gdal Saleskiをはじめとする20世紀初頭の音楽史家はサン=サーンスには一部ユダヤ人の血が流れていると報告している<ref name="San Diego Jewish World">Wingard, Eileen. [http://www.sdjewishworld.com/2011/02/14/saint-saens-concert-brought-together-unusual-combination-of-two-keyboardists/ Saint-Saens concert brought together unusual combination of two keyboardists] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160306140250/http://www.sdjewishworld.com/2011/02/14/saint-saens-concert-brought-together-unusual-combination-of-two-keyboardists/ |date=6 March 2016 }}, ''San Diego Jewish World'', 14 February 2011</ref>。他にも、彼の遠祖にユダヤ人がいるという噂が囁かれた<ref>Irene Heskes (1994) ''"Passport to Jewish Music: Its History, Traditions, and Culture"'', Greenwood Press, p.268</ref><ref>{{cite book|contribution=Saint-Saëns, Camille|title=Musical Biographies|series=The American history and encyclopedia of music|volume=2|editor-last= Hubbard|editor-first=William Lines|publisher=Toledo|url=https://archive.org/details/americanhistory02thragoog|year=1908|page=254}}</ref>。これには複数の否定意見がついている<ref>{{cite book|title=Camille Saint-Saens: A Guide to Research|first=Timothy|last=Flynn|year=2004|publisher=Routledge|pages=63, 69}}</ref><ref>{{citation|last=Prod'homme|first=J.-G.|others=trans. Martens, Frederick H.|contribution=Camille Saint-Saëns|url=https://www.jstor.org/stable/737853|journal=The Musical Quarterly|volume=8|number=4|year=1922}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=マイケル・H・ケイター|translator=明石政紀|title=第三帝国と音楽家たち―歪められた音楽|year=2003|publisher=アルファベータ|page=106}}</ref>。現実にはサン=サーンスの祖先にユダヤ人はいなかったが、それでも[[国民社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]体制下のドイツでは党による彼の音楽の禁止措置は解かれなかった<ref>Kater, p. 85</ref>。ミヒャエル・シュテーゲマン(Michael Stegemann)は、1890年代以降のフランスで反ユダヤ感情が高まるなかで、敵対者が流言を広めたものと推測している{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=169}}。|group= "注"}}。[[6区 (パリ)|6区]]のジャルディネ通りで生を受けた夫妻の息子は、近所にあった[[サン=シュルピス教会]]に[[洗礼|受洗]]し、常に自らを真のパリジャンであると考えていた<ref>Rees, p. 22</ref>。息子の[[洗礼]]から2か月も経たぬ結婚記念日に、ヴィクトルは[[結核]]で他界してしまう<ref>Saint-Saëns, p. 3</ref>。幼いカミーユは健康のために田舎へと連れていかれ、2年の間パリから南へ29[[キロメートル]]に位置する[[コルベイユ=エソンヌ]]で乳母と共に過ごした<ref>Studd, p. 6; and Rees, p. 25</ref>。
[[File:Saint-Saens-1846.jpg|thumb|left|alt=ピアノの前に座る少年を描いたスケッチ|upright|少年時代のサン=サーンス。]]
パリに戻ってきたサン=サーンスは母と、夫に先立たれた彼女の叔母であるシャルロット・マッソンと一緒に暮らした。幼い頃から[[絶対音感]]を示して[[ピアノ]]で音を拾う遊びに興じたほか<ref name=schon>Schonberg, p. 42</ref>、3歳になると作曲をしたと言われている{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=24}}。大おばからピアノ演奏の基礎を学び、7歳になると[[フリードリヒ・カルクブレンナー]]門下の[[カミーユ=マリー・スタマティ]]に弟子入りした<ref>Gallois, p. 19</ref>。スタマティはピアニストの力が全て腕ではなく手や指から伝わるようにと、教え子たちに鍵盤の前面に設置した枠の上に前腕を休ませた状態で演奏するよう求めた。サン=サーンスは後年、これはよい訓練であったと書いている<ref>Saint-Saëns, pp. 8–9</ref>。息子の早熟な才能をよく理解した母のクレマンスは、彼があまりに若いうちから有名になることを望まなかった。[[音楽評論家]]の[[ハロルド・C・ショーンバーグ]]は1969年にサン=サーンスについて次のように書いている。「彼がモーツァルトらと同じように、歴史上最も驚くべき神童であったことは一般に認知されていない<ref name=schonberg>Schonberg, Harold C. "It All Came Too Easily For Camille Saint-Saëns", ''[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]'', 12 January 1969, p. D17</ref>。」カミーユ少年は5歳になる頃から少人数を前に時折演奏を披露していたが、公式にデビューを飾ったのはやっと10歳になってからのことで、この時は[[サル・プレイエル]]において[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[ピアノ協奏曲第15番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第15番]] [[ケッヘル番号|K]]450と[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[ピアノ協奏曲第3番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第3番]]を含むプログラムが組まれた<ref name=grove>Ratner, Sabina Teller. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/24335#S24335.1 "Saint-Saëns, Camille: Life"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 7 February 2015 {{subscription}}</ref>{{sfn|Jost|2005|loc=col. 803}}。スタマティの影響を受け、サン=サーンスは作曲の教授であるピエール・マルデンとオルガン教師の[[アレクサンドル・ボエリー]]を紹介される。当時のフランスではあまり知られていなかった[[ヨハン・セバスティアン・バッハ|バッハ]]の音楽をボエリーを通じて教わり、彼は一生愛し続けていくことになる<ref>Rees, p. 40</ref>。
学生としてのサン=サーンスは多くの科目で傑出していた。音楽の腕前に加えて、[[フランス文学]]、[[ラテン語]]、[[ギリシア語]]、[[神学]]、[[数学]]で優れた成績を収めた。彼の興味は[[哲学]]、[[考古学]]、[[天文学]]に及び、とりわけ天文学においてはその後も優れたアマチュアであり続けた<ref name=grove />{{refn|2012年に開催されたサン=サーンスに関するシンポジウムでは、サン=サーンスが1889年から1913年の間に執筆した3報の論文などの彼の天文学への貢献を、Léo Houziauxが取り上げた<ref>Houziaux, pp. 12–25</ref>。Houziauxはサン=サーンスの業績が天文学の科学をフランスで大衆化させる一助となったと結論づけている<ref>Houziaux, p. 17</ref>。|group= "注"}}。
[[File:Old Conservatoire de Paris building, early19th century.jpg|thumb|alt=19世紀フランスの街の建物の外観|サン=サーンスが学んだ古い[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]の校舎。]]
1848年、13歳にして、サン=サーンスはフランス最高峰の音楽学校である[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]への入学を許可された<ref>{{Cite book|和書|author=吉澤ヴィルヘルム |other=矢野恵二(発行者) |title=ピアニストガイド |publisher=[[青弓社]] |date=2006年2月10日 |page=244 |ISBN=4-7872-7208-X}}</ref>。1842年に[[ルイジ・ケルビーニ]]の後を継いで学長になった[[ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール]]は、厳格な前任者に比して緩やかな体制を敷いていたが、そのカリキュラムは旧態依然としたものだった<ref>Rees, p. 53</ref>{{refn|サン=サーンスの弟子であった[[ガブリエル・フォーレ]]が1905年に学長に就任してカリキュラムを徹底的に自由化するまで、音楽院は保守主義の要塞であり続けた<ref>Nectoux, p. 269</ref>。|group= "注"}}。学生たちはたとえサン=サーンスのような抜群のピアニストであったとしても、オルガンに関する学課を履修するよう奨励された。というのも、教会オルガニストのキャリアには[[ソロ (音楽)|ソロ]]ピアニストよりも多くのチャンスが与えられると看做されていたからである<ref name="Rees, p. 41">Rees, p. 41</ref>。サン=サーンスはオルガンを教わった[[フランソワ・ブノワ]]について、オルガニストとしては平凡でありながらも教師としては一流であると考えていた<ref>Rees, p. 48</ref>。ブノワ門下からは[[アドルフ・アダン]]、[[セザール・フランク]]、[[シャルル=ヴァランタン・アルカン]]、[[ルイ・ジェームズ・アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリー|ルイ・ルフェビュール=ヴェリー]]、[[ジョルジュ・ビゼー]]らが輩出している<ref>[[ヒュー・マクドナルド (音楽学者)|Macdonald, Hugh]]. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/02710 "Benoist, François"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 12 February 2015 {{subscription}}</ref>。サン=サーンスは1849年にオルガニストとして音楽院の2等賞、1851年に1等賞を獲得{{sfn|Chisholm|1911|p=44}}、同年には正式に作曲の勉強を開始した{{refn|サン=サーンスは3歳から作曲を嗜んできた。そうした最初期の作品群は彼の母によって保管されており、大人になった彼はそれらが音楽的にはさして興味を引くものではないながらも、技法的に十分なものとなっていることを見出して驚いている<ref>Saint-Saëns, p. 7</ref>。1839年3月の日付となっている現存する最古の作品は、パリ音楽院の所蔵品の中に収められている<ref name=schon/>。|group= "注"}}。作曲を教えたのはケルビーニの配下に居た[[ジャック・アレヴィ]]であり、[[シャルル・グノー]]やビゼーを教えた人物であった<ref>Macdonald, Hugh. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/12213 "Halévy, Fromental"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 11 February 2015 {{subscription}}</ref>。
サン=サーンスは習作として交響曲イ長調(1850年)、[[ヴィクトル・ユーゴー]]の同名の詩文に基づく合唱作品『ジン』(Les Djinns、1850年)などを作曲した<ref name=fallon>Fallon, Daniel. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article_works/grove/music/24335#S24335.3 "Camille Saint-Saëns: List of works"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 13 February 2015 {{subscription}}</ref>。1852年にはフランス最高峰の音楽賞であった[[ローマ賞|ローマ大賞]]へ応募するも落選する。オベールは優勝した[[レオンス・コーエン]]よりもサン=サーンスの方に高い将来性があり、サン=サーンスが受賞すべきであると信じていた。事実、コーエンのその後のキャリアにみるべきものは少なかった<ref name="Rees, p. 41"/>。同年にサント=セシル協会(Société Sainte-Cécile)が開催した大会では、審査員が全員一致でサン=サーンスへと票を投じており、彼は1等賞という大きな成功を手にすることができた<ref>Studd, p. 29</ref>。最初の成熟した作品と認められ、[[作品番号]]を与えられたのは[[ハーモニウム]]のための『3つの小品』(1852年)である{{refn|ハーモニウムが一般に用いられなくなってきていた1935年、[[アンリ・ビュッセル]]がこの作品をオルガンのために編曲している<ref>Ratner (2002), p. 94</ref>。|group= "注"}}。
=== キャリア初期 ===
[[File:Saint Merri Church Interior 2, Paris, France - Diliff.jpg|alt=ゴシック聖堂の内観|thumb|サン=サーンスが1853年から1857年にかけてオルガニストを務めたパリの{{仮リンク|サン=メリ教会|en|Saint-Merri}}。]]
1853年に音楽院を後にすると、サン=サーンスは[[パリ市庁舎]]に程近い古くからの教会{{仮リンク|サン=メリ教会|en|Saint-Merri}}のオルガニストの職に就いた。教会の教区は広範囲に及び、2万6千人の教区民がいた。通例、年間に200組を超える結婚式が開かれ、これに葬儀の分と慎ましい基礎給費を足し合わせると、オルガニストの給金はサン=サーンスにはゆとりのある収入となった<ref>Smith, p. 10</ref>。[[フランソワ=アンリ・クリコ]]建造のオルガンは[[フランス革命]]時にひどい損傷を負っており、修繕も不十分だった。そのためこの楽器は教会の礼拝用としての不足はなかったものの、パリで注目度の高い教会の多くが手掛けるような野心的なリサイタル向きではなかった<ref>Rees, p. 65</ref>。ピアニスト、作曲家としてのキャリアを追求するのに十分な余暇時間が得られるようになったサン=サーンスは、作品2を付けることになる[[交響曲第1番 (サン=サーンス)|交響曲第1番]](1853年)を作曲した<ref name=fallon/>。軍楽調のファンファーレや増強された金管、打楽器群を備えたこの作品は、[[フランス第二帝政|フランスの帝政]]復権と[[ナポレオン3世]]の力に高まる人気の萌芽の中にあった時代の空気をとらえている<ref>Rees, p. 67</ref>。この楽曲は彼に再びサント=セシル協会の1等賞をもたらした<ref>Studd, p. 30</ref>。
音楽家の中では[[ジョアキーノ・ロッシーニ]]、[[エクトル・ベルリオーズ]]、[[フランツ・リスト]]、そして影響力の大きかった歌手の[[ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド]]らがサン=サーンスの才能にいち早く目を付け、こぞって彼のキャリアへ激励を行った<ref name=grove />。1858年の早い段階でサン=メリ教会を後にして、帝国の公的な教会だった[[マドレーヌ寺院]]のオルガニストという、注目を浴びるポストを手にした。これは当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた職であった{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=34}}。同寺院で彼の演奏を聴いたリストは、彼こそが世界最高のオルガニストだと言い切った<ref>Rees, p. 87; and Harding, p. 62</ref>。
後年のサン=サーンスは歯に衣着せぬ保守的作曲家として通っていたが、1850年代には当時最新の音楽であったリスト、[[ロベルト・シューマン]]、[[リヒャルト・ワーグナー]]を支援し、普及させていた<ref name=grove />。同世代や次世代の多くのフランスの作曲家とは異なり、サン=サーンスはワーグナーの楽劇に対する熱狂度合いや知識の割には、自身の作品にはその影響を受けなかった<ref>Nectoux, p. 39; and Parker, p. 574</ref><ref name=klein/>。彼はこう述べている。「登場人物が異様であるにもかかわらず、私はリヒャルト・ワーグナーの作品たちに深く感心しています。優れており力強い、私にはそれだけで十分なのです。しかし、私は過去にも、現在もそしてこれからもワーグナー教徒にはなりません<ref name=klein>Klein, p. 91</ref>。」
=== 1860年代: 教職、高まる名声 ===
[[File:Gabriel Fauré en uniforme de l'Ecole Niedermeyer.jpg|thumb|upright|alt=young man in 19th-century college uniform|学生時代の[[ガブリエル・フォーレ]]、1864年。サン=サーンスからは教えと庇護を受け、生涯にわたる友人関係を育んだ。]]
1861年、サン=サーンスは生涯唯一となる教師の職に就く。場所は[[ルイ・ニデルメイエール]]がフランスの教会のために一流のオルガニストと合唱指揮者を養成すべく、1853年にパリに開校した[[ニデルメイエール音楽学校]]であった{{sfn|Ratner et al.|2001|p=125}}。ニデルメイエール自身はピアノ科の教授を務めており、彼が1861年3月に他界するとピアノの学課を受け持つためにサン=サーンスが任用されたのであった。学生にシューマン、リスト、ワーグナーなどの現代音楽を紹介した彼は、一部の厳格な教員たちを憤慨させた<ref>Jones (1989), p. 16</ref>。彼の最も著名な門下生である[[ガブリエル・フォーレ]]は、後年次のように述懐している。
{{blockquote|授業を延長した後、彼はピアノの許へ行き私たちに巨匠らの作品を聴かせた。私たちは教育課程が厳密な古典的性格であったためにそうした楽曲から距離を置いており、さらにはその遠い昔には彼らはほとんど知られていなかったのである。(中略)当時私は15か16で、この時から(中略)私が生涯を通じて彼に持ち続けていた[いる]、ほとんど親に対するような愛着、絶大な称賛、絶えなき感謝が始まっている<ref>Fauré in 1922, ''quoted'' in Nectoux, pp. 1–2</ref>。|}}
さらにサン=サーンスは、学生が演じる1幕の道化芝居を書き、その音楽を作曲して学校の体制を活性化させた(学生の中には[[アンドレ・メサジェ]]もいた)<ref>Ratner (1999), p. 120</ref>。このとき自分の生徒たちのことを心に思い描きながら、彼の作品中で最も有名な『[[動物の謝肉祭]]』が着想されたが、曲の完成はニデルメイエール音楽学校を去って20年以上が経過した1886年になるまで待たねばならなかった<ref>Ratner (1999), p. 136</ref>。
1864年に2度目のローマ大賞挑戦を行ったサン=サーンスは、一部に驚きをもたらした。既に独奏者、作曲家として名声を確立しつつあった彼が大会に再挑戦するという決断は、音楽界の多くの人を当惑させた。この時も優勝を逃す結果となる。審査員の1人であったベルリオーズはこう記している。
{{blockquote|先日、我々は自分が優勝すると思っていなかった若者にローマ大賞を授与し、彼は喜びのあまり気も狂わんばかりであった。出場するという思い付きは奇妙ではあったが、我々の誰もがカミーユ・サン=サーンスへ賞が贈られるものと予想していた。真に偉大な芸術家であり、既によく知られた、事実上の著名人に投票しなかったことを残念に思っていると告白しよう。しかし、まだ学生であるもう一人は内なる炎、発想力を持っており、感じている、習うことが出来ないことができると、そしてその他のことは多かれ少なかれ学ぶことができると。よって、この落選がサン=サーンスにもたらすに違いない不幸を想い嘆息しつつも、私は彼に票を投じた。しかし、なんにせよ、人は正直であらねばならない<ref>Berlioz, p. 430</ref>。|}}
音楽学者のジャン・ガロワによると、ベルリオーズがサン=サーンスについて述べた有名な洒落(bon mot)である「彼はなんでも知っている、しかし未経験不足である」(Il sait tout, mais il manque d'inexpérience)を生み出したのはこの出来事がきっかけであったという<ref>Gallois, p. 96</ref>{{refn|他の著作家はこの言説について異なる説明、由来を示している。サン=サーンス自身は年老いてから、このコメントが生まれたのは自分が18歳の時で、生みの親はベルリオーズではなくグノーであったと回想している<ref>Bellaigue, p. 59; and Rees, p. 395</ref>。[[ジュール・マスネ]]の回顧録によると、この冗談で語られているのは自分のことであり、1863年にオベールがベルリオーズに「あの若いいたずら者は、経験の少ないうちに先へ進んでいきますよ」と言った際のことであるという<ref>Massenet, pp. 27–28</ref>。|group= "注"}}。勝利を手にした[[ヴィクトル・シーグ]]は、[[1864年]]の優勝者であるということ以外に一切著名なキャリアを歩まなかった。サン=サーンスの伝記作家であるブライアン・リーズが推測するに、審査員は「一時的な試行錯誤の真っただ中にいる天賦の才の片鱗を探していたのであって、サン=サーンスについては熟練の極みに達していると看做した」のではないかということである<ref>Rees, p. 122</ref>。サン=サーンスが霊感よりも熟達度に秀でているという意見は、彼のキャリアと死後の評判に付きまとうことになる。彼自身は次のように書いている。「美しさと特質を創造するためにあるのが芸術である。感情はその後からついてくるのであって、芸術は感情がなくてもすっかりうまく成立させられる。実のところ、そうなった時の方が圧倒的に上手くいくのだ<ref>Harding, p. 61: and Studd, p. 201</ref>。」伝記作家のジェシカ・デュシェンは彼が「自分の魂の暗い側面を表に出さないことを好む悩み多き男」だったのだと書いている<ref name=duchen>Duchen, Jessica. [http://docs.newsbank.com/openurl?ctx_ver=z39.88-2004&rft_id=info:sid/iw.newsbank.com:UKNB:TND1&rft_val_format=info:ofi/fmt:kev:mtx:ctx&rft_dat=13299012D6E311E0&svc_dat=InfoWeb:aggregated5&req_dat=102CDD40F14C6BDA " The composer who disappeared (twice)"], ''[[インデペンデント|The Independent]]'', 19 April 2004</ref>。評論家で作曲家の[[ジェレミー・ニコラス (作家)|ジェレミー・ニコラス]]は、このように内面を曝け出さないことにより多くの人が彼の音楽を過小評価するのだとみている。ニコラスは「サン=サーンスは天才でない唯一の大作曲家」であるとか「良く書けた悪い音楽」といった侮辱的な評を引き合いに出している<ref name=nicholas>Nicholas, Jeremy. [http://www.classical-music.com/topic/camille-saint-sa%C3%Abns "Camille Saint-Saëns"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150923210928/http://www.classical-music.com/topic/camille-saint-sa%C3%Abns |date=23 September 2015 }}, ''BBC Music Magazine''. Retrieved 15 February 2015</ref>。
[[File:Berlioz-gounod-rossini-verdi.jpg|alt=4人の19世紀の中年男性の肩から上の肖像画|thumb|upright|1867年にパリでサン=サーンスへの1等賞を決めた審査員の面々。左上から順に[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]、[[シャルル・グノー|グノー]]、[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]。]]
『スパルタクス』と名付けられた序曲が1863年にボルドーのサント・セシル協会が主催した大会で優勝を収めはしたが、ニデルメイエール音楽学校の教壇に立っていた時期にサン=サーンスが作曲や演奏に注いだ労力は少なくなっていた{{sfn|Chisholm|1911|p=44}}。1865年に同校を退官すると、自らのキャリアにおけるこの両者を精力的に追及するようになる<ref>Ratner (1999), p. 119</ref>。1867年には[[カンタータ]]『プロメテの結婚』が、100を超える他の出場者を退けてパリの大国際祭(Grande Fête Internationale)で作曲賞を獲得した。審査員を務めたのはオベール、ベルリオーズ、グノー、ロッシーニ、[[ジュゼッペ・ヴェルディ]]であった<ref name=grove /><ref>"Paris Universal Exhibition", ''The Morning Post'', 24 July 1867, p. 6</ref>{{refn|実際はロッシーニは一度も会合に姿を見せず、オベールはずっと居眠り、グノーは辞退したため、決定はベルリオーズとヴェルディに委ねられた<ref>Harding. p. 90</ref>。|group= "注"}}。1868年には[[ピアノ協奏曲第2番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第2番]]を初演するが、この曲は彼の管弦楽作品として以降ずっとレパートリーに残ることになる初の作品となる<ref name=fallon/>。この作品やその他楽曲を演奏して、彼は1860年代にパリやフランス国内の他の都市、さらには国外の音楽界で有名人となっていった<ref name=grove />。
=== 1870年代: 戦争、結婚、オペラでの成功 ===
1870年、ドイツ音楽の優位とフランスの若い作曲家が自作の演奏機会を得られないことを憂慮し、サン=サーンスと音楽院の声楽科の教授だった[[ロマン・ビュシーヌ]]は、新しいフランス音楽を普及させる団体の設立について話し合った<ref name=r133/>。この提案事項を前進させるよりも前に[[普仏戦争]]が勃発、サン=サーンスは[[国民衛兵]]として従軍することになった。続く1871年3月から5月にかけての、短期間ではあったが血なまぐさい[[パリ・コミューン]]では、マドレーヌ寺院で上司であったドゲリー神父が反乱軍に殺害され<ref>Tombs, p. 124</ref>、サン=サーンスは避難のため一時[[イングランド]]に亡命した<ref name=r133>Ratner (1999), p. 133</ref>。[[ジョージ・グローヴ]]他の助力を得た彼は、[[ロンドン]]でリサイタルを開催して自力で生活した<ref>Studd, p. 84</ref>。5月にパリへ戻ると反独感情が大きく増進しており、フランス寄りの音楽協会という構想にとっては大きな追い風が吹いているのを知ることになる{{refn|当時やその後の民衆の感覚にもかかわらず、新しい国民音楽協会それ自体は反独というわけではなかった。サン=サーンスと仲間たちはあらゆる国の芸術家の芸術表現の自由を信じており、フランスが[[プロイセン]]に屈辱を味わわされたとはいえ、多くのフランスの芸術家がドイツの文化に強い尊敬の念を持ち続けていたのである<ref name=strasser>Strasser, p. 251</ref>。|group= "注"}}。1871年2月に「ガリアの芸術」(Ars Gallica)をモットーに掲げる[[国民音楽協会]]が創設され、ビュシーヌが会長、サン=サーンスが副会長、[[アンリ・デュパルク]]、フォーレ、[[セザール・フランク]]、[[ジュール・マスネ]]らが創設メンバーに名を連ねた{{sfn|Ratner et al.|2001|p=125}}<ref>Jones (2006), p. 55</ref>。
[[File:Saint-saens-1875.jpg|thumb|left|upright|alt=ズボンのポケットに両手を入れた中年に差し掛かる男性の簡易な肖像画|結婚の年である1875年のサン=サーンス。]]
リストの革新的な[[交響詩]]を賛美していたサン=サーンスは、熱意をもってこの形式を取り入れていった。彼の1作目となる交響詩(poème symphonique)である『[[オンファールの糸車]]』(1871年)は、1872年1月に国民音楽協会のコンサートで初演された<ref>Simeone, p. 122</ref>。同じ年には、10年以上にわたる断続的なオペラの楽曲の仕事の末、ようやくひとつが上演を迎えることになった。1幕の軽いロマン的作品である『[[黄色い王女]]』が、6月にパリの[[オペラ=コミック座]]で上演されたのである。上演回数は5回を数えた<ref>Macdonald, Hugh. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/O903954 "Princesse jaune, La"], ''[[新グローヴオペラ事典|The New Grove Dictionary of Opera]]'', Oxford Music Online, Oxford University Press. Retrieved 16 February 2015 {{subscription}}</ref>。
1860年代と1870年代はじめまでを独身で過ごしたサン=サーンスは、{{仮リンク|フォーブール=サントノレ通り|en|Rue du Faubourg Saint-Honoré}}の大きな5階建てのアパートに母と共に暮らしていた。1875年に彼は結婚するが、この出来事は多くの人を驚かせた<ref name=duchen />{{refn|name=M.Morris|group= "注"}}。花婿は間もなく40代を迎える年齢で花嫁は19歳だったのである。彼女はマリー=ロール・トリュフォといい、彼のある弟子のきょうだいだった<ref>Rees, pp. 189–190</ref>。しかし結婚は上手くいかなかった。伝記作家のザビーナ・テラー・ラトナーの言によれば「サン=サーンスの母は容認せず、またその息子は共同生活に難のある人物だった」のだという<ref name=grove />。サン=サーンスと妻は[[カルチエ・ラタン]]の{{仮リンク|ムッシュー・ル・プランス通り|fr|Rue Monsieur-le-Prince}}に越したが、それに母親も付いてきた<ref>Harding, p. 148</ref>。両名は2人の息子を授かったが、いずれも幼児期に死亡している。1878年には上の子で当時2歳のアンドレがアパートの窓から転落、命を落とした<ref>Studd, p. 121</ref>。下の子のジャン=フランソワは6週間後に肺炎で落命、生まれて6か月だった。サン=サーンスとマリー=ロールは以降3年間暮らしを共にし続けたが、彼はアンドレの事故のことで妻を責めた。2度の喪失による打撃は結婚生活を破綻させるに足るものだったのである<ref name=duchen />。
19世紀のフランスの作曲家にとって、オペラは最も重要な音楽様式であると考えられていた<ref name=crichton>Crichton, pp. 351–353</ref>。サン=サーンスより年下の同世代にあたりライバルであったマスネは、オペラ作曲家として名声を獲得しつつあったが、サン=サーンスのオペラで上演を果たしたものは、小規模な『黄色い女王』のみでそれも成功とはいえず、この分野で成果をあげられずににいた<ref>Macdonald, Hugh. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/51469 "Massenet, Jules"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 15 February 2015 {{subscription}}</ref>{{refn|サン=サーンスはマスネと友好的な関係を維持していたが、個人的には毛嫌いし、不信感を抱いていた<ref>Branger, pp. 33–38</ref>。にもかかわらず、彼らは互いの音楽にはこれ以上ない敬意を払っており、マスネの側で自分が作曲を教える生徒にサン=サーンスの作品を手本として使ったかと思えば、サン=サーンスはマスネを「我らが音楽の冠にあって最大級に煌めくダイヤモンド」と呼んでいた<ref>Saint-Saëns, pp. 212 and 218</ref>。サン=サーンスはマスネ夫人のことは気に入っており、彼女の夫の作品である『[[タイス (オペラ)|タイス]]』から「タイスの死」に基づく演奏会用パラフレーズを彼女に捧げている<ref>Ratner (2002), p. 479</ref>。|group= "注"}}。1877年2月、彼はついに本格的な規模を持つオペラの上演にこぎつけた。4幕からなる「抒情劇」(drame lyrique)の『[[銀の音色]]』である。{{仮リンク|ジュール・バルビエ|en|Jules Barbier}}と{{仮リンク|ミシェル・カレ|en|Michel Carré}}による[[リブレット (音楽)|リブレット]]は[[ファウスト (伝説)|ファウスト]]の伝説を想起させるもので、1870年にはリハーサルに入っていたものの戦争勃発により公演延期となっていたのであった<ref>Rees, pp. 137–138 and 155</ref>。作品はパリのリリック座によりようやく公演を迎え、18回の上演を重ねた<ref>Macdonald, Hugh. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/O008806 "Timbre d'argent, Le"], ''The New Grove Dictionary of Opera'', Oxford Music Online, Oxford University Press. Retrieved 16 February 2015 {{subscription}}</ref>。
このオペラの献呈を受けたアルベール・リボンは初演の3か月後に他界し、サン=サーンスに巨額の遺産を遺して「彼をマドレーヌ寺院のオルガン奴隷から解放し、すっかり作曲に専念できるよう」にした<ref name=s108>Smith, p. 108</ref>。サン=サーンスは間もなく遺産贈与が行われるとは知らなかったが、友人の死の直前に職を辞していた。型どおりのキリスト教徒ではなかった彼は、宗教的教義に次第に苛立ちを覚えるようになっていたのである{{refn|サン=サーンスはキリスト教徒というよりむしろ[[理神論|理神論者]]に近かった。[[無神論]]を認めるわけではなく「神が存在する証拠には反駁不能である。それは[[科学]]の領域に存せず[[形而上学]]に属する[のであるけれど]<ref>Prod'homme, p. 480</ref>。」|group= "注"}}。聖職者側の権威による干渉を受けることや音楽への無神経さに疲れてしまった彼は、他の都市でピアノ独奏者として多くの契約を得て自由になりたいと願うようになっていた<ref>Ring, p. 9; and Smith, p. 107</ref>。これ以降は教会の礼拝でプロとしてオルガンを演奏することは二度となく、またこの楽器自体をほとんど全く弾かなくなった<ref>Smith, pp. 106–108</ref>。彼は友の追憶のために[[レクイエム (サン=サーンス)|レクイエム]]を作曲、曲はリボンの1周忌に合わせてサン=シュルピス教会にて[[シャルル=マリー・ヴィドール]]のオルガン、作曲者自身の[[指揮 (音楽)|指揮]]によって演奏された<ref name=s108/>。
{{Listen|type=music
|title="Vois ma misère, hélas !"
|filename=Enrico Caruso, Camille Saint-Saëns, Vois ma misère, hélas (Samson et Dalila).ogg
|description=『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』より。歌は[[エンリコ・カルーソー]]、1916年。
}}
1877年12月、サン=サーンスはオペラによってより確固たる成功を手にする。その作品は彼のオペラの中で唯一世界で上演されるレパートリーとなり、その地位を保ち続ける『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』である。聖書に基づく題材のためフランスでの公演には多数の障害に見舞われることとなり、リストの影響もあって初演は[[ヴァイマル]]においてドイツ語訳を用いて行われる運びとなった。やがて国際的な成功を収めるに至った本作であったが、[[パリ国立オペラ]]での公演が行われたのはようやく1892年になってからのことだった<ref name=crichton/>。
サン=サーンスは熱心に旅行に興じた。1870年代からこの世を去るまでに27か国に計179回の旅に出ている。プロとしての契約により、最も頻繁に訪れたのはドイツとイングランドであった。休暇には脆弱な胸に障るパリの冬を避けるために、[[アルジェ]]や[[エジプト]]各地に赴くことを好んだ<ref>Leteuré, p. 135</ref>。
=== 1880年代: 国際的著名人 ===
1878年にはマスネに敗れて涙を吞んでいたサン=サーンスであったが、1881年に2度目の挑戦で[[フランス学士院]]に選任された<ref>Smith, p. 119</ref>。同年7月に彼と妻は休暇に[[オーヴェルニュ地域圏|オーヴェルニュ]]の温泉町である{{仮リンク|ラ・ブルブール|en|La Bourboule}}に向かった。7月28日に彼はホテルから姿を消し、数日後に妻は戻ることはないと告げる彼からの手紙を受け取ることになる。2人はこれを最後に2度と会うことはなかった。事実上の離婚である{{sfn|Ratner et al.|2001|p=125}}。マリー・サン=サーンスは実家へ戻り、1950年にボルドー近郊にて95歳で生涯を終えた<ref>Smith, pp. 120–121</ref>。以降、再び母と暮らすようになったサン=サーンスは{{sfn|Ratner et al.|2001|p=125}}、妻との離婚手続きを取らず、再婚もしなければ、以降は女性と親密な関係となることもなかった。リーズは確たる証拠はないと述べるが、一部の伝記作家はサン=サーンスが女性よりも男性により惹かれていたと考えている<ref>Rees, pp. 198–201</ref><ref>[https://archive.is/iIjGR 外部リンク1] 及び [https://archive.is/u5L1y 外部リンク2]</ref><ref name=Fuller>{{cite book|title=Queer Episodes in Music and Modern Identity|editor1-first=Sophie|editor1-last=Fuller|editor2-first=Lloyd|editor2-last=Whitesell|publisher=University of Illinois Press|year=2002|pages=193-196}}</ref>{{refn|name=M.Morris|サン=サーンスが同性愛者だったとする推測には確かな根拠が存在しない<ref name=Fuller /><ref>{{cite book|title=Camille Saint-Saëns|first=Jean|last=Gallois|publisher=Editions Mardaga|year=2004|page=321}}</ref>。2012年のサン=サーンスの私生活の研究にて、ミッチェル・モリスは典拠が怪しいとしながらもサン=サーンスに帰する話であるとして、次の発言について述べている。「私は[[同性愛|同性愛者]]でない。[[少年愛|少年愛者]]である<ref>Morris, p. 2</ref>。」(Je ne suis pas homosexuel. Je suis pédéraste.)ベンジャミン・アイヴリーが2000年に著した[[モーリス・ラヴェル]]の伝記によると、サン=サーンスは「性交のために北アフリカの男性に金銭を支払ったが、額が明らかに少なすぎ、恐喝する手紙が届いて悩まされていた」とされるが、アイヴリーはこの言及について出典を示していない<ref>Ivry, p. 18</ref>。スティーヴン・スタッド(1999年)とケネス・リング(2002年)は結婚を除くと、サン=サーンスの関係性と性向は純精神的であったと結論づけている<ref>Studd, pp. 252–254; and Ring, pp. 68–70</ref>。本人は自分に関する風評に無関心であった。「仮に私の性格が悪いと言われているのだとしても、私にとってはどうでもいいことだから安心して欲しい。そのままの姿を私として受け取ってくれたまえ<ref>Studd, p. 253</ref>。」|group= "注"}}。子どもを失い結婚生活が破綻してからは、サン=サーンスはフォーレとその妻マリー、そして彼らの2人の息子たちを次第に代わりの家族と見るようになり、子どもたちにとっては大好きな「おじさん」であった<ref>Duchen, p. 69</ref>。マリーは彼にこう述べている。「私たちにとって貴方は家族の一員です。うちではあなたの話題がいつも出ています<ref>Nectoux and Jones (1989), p. 68</ref>。」
[[File:Saint-Saëns-Henry-VIII-1883.jpg|alt=イングランドのテューダー朝の内観を模した19世紀の舞台|thumb|left|[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]での『[[ヘンリー八世 (オペラ)|ヘンリー八世]]』公演の様子。1883年。]]
1880年代にもサン=サーンスはオペラ劇場での成功を求め続けていた。影響力の大きい音楽界の重鎮たちは、ピアニストやオルガニスト、交響曲作家が良いオペラを書けるはずがないという思想に凝り固まっており、仕事は一層難しいものであった<ref name=go>Macdonald, Hugh. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/O904535 "Saint-Saëns, Camille"], ''The New Grove Dictionary of Opera'', Oxford Music Online, Oxford University Press. Retrieved 18 February 2015 {{subscription}}</ref>。80年代のうちには2作のオペラが上演されており、ひとつめはパリ・オペラ座の委嘱で書かれた『[[ヘンリー八世 (オペラ)|ヘンリー八世]]』(1883年)であった。リブレットを選んだのは彼自身ではなかったが、通常は筆の走りが速く安易なきらいすらある作曲家であるサン=サーンスが{{refn|ロンドンで[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]を研究したサン=サーンスは、自分よりも遥かに速筆の作曲家がいたことを知り当惑した<ref>Rees, p. 242</ref>。|group= "注"}}、16世紀のイングランドの雰囲気を説得力をもって捉えるべく通常は見せない努力を注いで総譜に取り組んだ<ref name=go/>。この作品は成功を収め、彼の生前に頻繁に再演された<ref name=crichton/>。1898年に[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]で上演された際のコメントとして『{{仮リンク|イーラ (新聞)|label=イーラ|en|The Era (newspaper)}}』紙は、フランスのリブレット作家はたいてい「イギリスの歴史をひどく滅茶苦茶にする」ものの、この作品は「オペラの筋書きとしては完全に見下げ果てたものではない」と評している<ref>"Royal Opera, Covent-Garden", ''The Era'', 16 July 1898, p. 11</ref>。彼の作品に対する風当たりの強かったパリでも{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=59-60}}、この頃からはっきりと潮目が変わり始めた{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=64-65}}。
[[image:Saint-Saëns-circa-1880.jpg|thumb|right|サン=サーンス。1880年頃。]]
[[ヴァンサン・ダンディ]]に先導される形で、国民音楽協会の自由な気風は、1880年代中盤にはフランクの弟子たちが好むワーグナー風の方法論へ独善的に固執する方向へ硬化していった。協会の多数を占めるようになっていた彼らは、フランスの作品に帰依する「ガリアの芸術」の精神を捨て去ることを模索していた。このワーグナー支持者らが国外の作品の演奏を主張し軋轢を生じており、これを看過できなかったビュシーヌとサン=サーンスは1886年に辞表を提出する{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=68}}<ref name=strasser/>{{refn|フォーレ門下であったラヴェルや[[シャルル・ケクラン]]らの新世代の作曲家たちは、ダンディの頑迷さに業を煮やし、1909年に袂を分かって新しく[[独立音楽協会]]を設立することになる。この団体が理想とするものは、1870年にサン=サーンスと彼の仲間が掲げた元来の思想に近いものであった<ref>Jones (1989), p. 133</ref>。|group= "注"}}。長きにわたり、時に懐疑的なフランスの大衆にワーグナーの良さを力説してきたサン=サーンスであったが、ドイツ音楽がフランスの若い作曲家に過剰な影響を与えているのではないかと憂慮するようになっていた。ワーグナーに対して募らせた警戒は、その音楽に加えてワーグナーの政治的[[国粋主義]]によっても等しく増強され、後年は強い敵意へと変貌したのであった<ref name=strasser/>。
1880年代にはサン=サーンスはイングランドの聴衆の心を掴んでおり、同地では存命では最高のフランスの作曲家であると広く認知されていた<ref>Harding, p. 116</ref>。1886年にロンドンの[[ロイヤル・フィルハーモニック協会]]からの委嘱で書かれた作品が、彼の最大の人気作、高い評価を受ける楽曲となった[[交響曲第3番 (サン=サーンス)|交響曲第3番『オルガン付き』]]である。ロンドンで行われた初演のコンサートで、サン=サーンスは同交響曲の[[指揮者]]、そして[[アーサー・サリヴァン]]が指揮するベートーヴェンの[[ピアノ協奏曲第4番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第4番]]の[[ソロ (音楽)|ソリスト]]として登場している<ref>"Philharmonic Society", ''The Times'', 22 May 1886, p. 5; and "Music – Philharmonic Society", ''The Daily News'', 27 May 1886, p. 6</ref>。ロンドンにおけるこの作品の成功は凄まじく、翌年はじめに行われたパリ初演での熱狂的な歓迎はさらにそれを上回った<ref>Deruchie, pp. 19–20</ref>。『サムソンとデリラ』からこの作品までが「もっとも独創的で最良の作品のうちいくつか」に数えられている{{sfn|Ratner et al.|2001|p=127}}。1887年にはその後、オペラ=コミック座で「抒情劇」である『[[プロゼルピーヌ]]』が幕開けを迎えた。作品は好評を博して相当な上演回数を重ねていくものと思われたが、初演から数週間のうちに劇場が火災に見舞われて公演は流れてしまった<ref name=go/>。
1888年にサン=サーンスの母が他界する<ref>Leteuré, p. 134</ref>。母の死による心痛で彼は抑鬱と不眠症を患い、自死を考えるまでとなった<ref>Studd, pp. 172–173</ref>。パリを離れてアルジェに逗留し、散歩や読書をして1889年5月までには回復したが、作曲の筆を執ることはできなかった<ref>Rees, p. 286</ref>{{refnest|group= "注"|一方シュテーゲマンは、これらの出来事は作曲活動に大きく影響せず「リンゴの木がリンゴを実らすように(...)自分の本性の法則に従って{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=15}}」規則正しい創作活動を続けたとする{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=108}}。}}。
=== 1890年代: 足踏みの時 ===
1890年代のサン=サーンスは余暇に多くの時間を取り、国外を旅するなどして過ごし、以前よりも作曲量も演奏頻度も減少していた。1893年に[[シカゴ]]へ演奏に訪れる計画も白紙となった<ref>Jones (1989), p. 69</ref>。喜劇『[[フリネ (サン=サーンス)|フリネ]]』(1893年)を作曲した他、[[ポール・デュカス]]と共同で1892年にこの世を去った[[エルネスト・ギロー]]が未完のまま遺したオペラ『[[フレデゴンド]]』(1895年)の補筆完成の仕事を請け負った。『フリネ』の評判は上々で、当時は[[グランド・オペラ]]を好むようになっていたオペラ=コミック座に更なるコミック・オペラの需要を生み出した<ref>"New Opera by Saint-Saëns", ''The Times'', 25 May 1893, p. 5</ref>。1890年代に書かれた少数の合唱作品や管弦楽曲は、大半が短い作品である。この時期に生まれたコンサート用の主要作品には単一楽章の[[幻想曲]]『[[アフリカ (サン=サーンス)|アフリカ]]』(1891年)と[[ピアノ協奏曲第5番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第5番]]がある。後者は彼の1846年のサル=プレイエルでのデビューから50周年を記念した、1896年の演奏会で初演された<ref>Studd, pp. 203–204</ref>。協奏曲の演奏に先駆けて、彼はこのイベントのために自らしたためた短い詩を朗読し、母の支えと世間の長きにわたる支援に賛辞を贈った<ref>"M. Saint-Saëns", ''The Times'', 5 June 1896, p. 4</ref>。
1890年代にサン=サーンスが出演した主要な演奏会として、1893年6月に[[ケンブリッジ大学]]で開催されたものが挙げられる。[[ケンブリッジ大学音楽協会]]を代表して[[チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード]]が出席したこの場では、サン=サーンスと[[マックス・ブルッフ|ブルッフ]]、[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]、[[アッリーゴ・ボーイト]]が演奏を行い、招待者全員に名誉博士号が授与された<ref>"Cambridge University Musical Society", ''The Times'', 13 June 1893, p. 10</ref><ref name="Stanford">Rodmell, p. 170</ref>{{refn|この催しには[[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]]も招待されていたが、病気のために臨席できなかった<ref name="Stanford" />。|group= "注"}}。サン=サーンスはこの訪問を大層満喫し、カレッジのチャペルでの礼拝に好意的な言葉まで残している。「イングランドの宗教に課せられる要求は過剰なものではない。礼拝は非常に短時間で、主として良い音楽を聴くことで成り立っている。歌は極めて巧みであるが、それはイギリス人が優れた合唱隊であるからだ<ref>Harding, p. 185</ref>。」彼とイギリスの合唱の間の相互の敬意は生涯続き、彼の最後期の大規模作品となった[[オラトリオ]]『[[約束の地 (オラトリオ)|約束の地]]』は、1913年の[[スリー・クワイア・フェスティバル]]のために書かれることになる<ref>"Gloucester Music Festival", ''The Times'', 12 September 1913, p. 4</ref>。
===1900年–1921年: 晩年 ===
10年の間、パリには定まった家を持たずに過ごしたサン=サーンスであったが、1900年にかつて暮らしたフォーブール=サントノレ通りからも遠くない{{仮リンク|クールセル通り|fr|Rue de Courcelles}}にアパートを取得した。この家が彼の終の棲家となる<ref name=p484>Prod'homme, p. 484</ref>。引き続き頻繁に国外旅行を行ったが、次第に旅行者としてよりもコンサートを開く頻度が増してきていた。再訪したロンドンではいつも歓迎される客人であり、[[ベルリン]]では[[第一次世界大戦]]までは敬意をもって迎えられ、他に[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[モナコ]]やフランスの地方を訪れた<ref name=p484/>。1906年と1909年にはピアニスト並びに指揮者として[[アメリカ合衆国]]に演奏旅行で赴き、大きな成功を収めた<ref>Rees, pp. 370–371 and 381</ref>。2度目に[[ニューヨーク]]を訪ねた際には、この時のために作曲した2群の合唱、管弦楽とオルガンのための詩篇第150篇『主をほめたたえよ』を初演している<ref name="Rees, p. 381">Rees, p. 381</ref>。
[[File:Camille Saint-Saëns in 1900 by Pierre Petit.jpg|thumb|alt=19世紀の正装をして椅子に座る、髭を蓄えた男性の肖像写真|サン=サーンス。{{仮リンク|ピエール・プティ (撮影監督)|label=ピエール・プティ|en|Pierre Petit (photographer)}}撮影。1900年。]]
保守的音楽家として知られるようになっていたサン=サーンスであったが、ガロワによると、1910年に[[ミュンヘン]]に赴いて[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第8番 (マーラー)|交響曲第8番]]の初演に臨んだフランスの音楽家は、おそらく彼ひとりであったという<ref>Gallois, p. 350</ref>。にもかかわらず、サン=サーンスは20世紀に入ると最新の音楽への熱意の多くを失ってしまった。本人には隠そうと努力したものの、彼は自らが献呈を受けたフォーレのオペラ『[[ペネロープ (オペラ)|ペネロープ]]』を理解できず、好んでもいなかった<ref>Nectoux, p. 238</ref>。1917年には、駆け出しの作曲家であった[[フランシス・プーランク]]は、ラヴェルがサン=サーンスを天才と称えるのを聴いて拒否感を抱いている<ref>Nichols. p. 117</ref>{{refnest|group= "注"|公的には依然として栄光を受けていたものの若い世代からは「形式主義的」で「絶望的に古臭い」と攻撃され{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=94}}、彼の影響を認める作曲家はラヴェルなどわずかしかいなかったのである{{sfn|Jost|2005|loc=col. 814}}。}}。この頃には様々な新しい音楽の潮流が生まれてきており、サン=サーンスはそれらと相通ずるところを持たなかった。形式に対する古典的な潜在意識により、彼は自分にとって無形式に見えるものや、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]に代表される[[印象主義音楽]]と衝突を起こすことになる。[[無調|無調音楽]]にも否定的で<ref>{{cite book|first=Camille|last=Saint-Saëns|others=trans. Rich, Edwin Gile|title=Musical Memories|publisher=Small, Maynard & Company|year=1919|url=https://archive.org/details/musicalmemories00sainiala|pages=95-97}}</ref>、[[アルノルト・シェーンベルク]]の[[十二音技法]]もサン=サーンスには魅力的に映らなかった。
{{blockquote|古い規則に対して、時間や経験の自然な表現である新たな原理を追加していく可能性はもはや存在せず、あるのは単純にあらゆる規則、全ての規制を廃することだけである。「誰もが自分自身のルールを作らねばならない。音楽は自由であり、その表現の権利の中では制限を課せられない。完璧な和音も、不協和音も、間違った和音もない。どんなに厚く重ねられた音符にも正当性がある。」こんなものが、確信をもって「趣味の進化」と呼ばれている<ref>Saint-Saëns, p. 95</ref>。|}}
このような保守的な見方をしていたサン=サーンスは、斬新さがあると持て囃されていた20世紀初頭のパリの音楽界に賛同することができず、そして追従することができなかった<ref>Morrison, p. 64</ref>。しばしば語られるのは、彼が1913年に行われた[[ヴァーツラフ・ニジンスキー]]と[[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]による『[[春の祭典]]』に憤慨して会場を立ち去ったという逸話である<ref>Glass, Philip. [http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,988502,00.html "The Classical Musician: Igor Stravinsky"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150210025804/http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,988502,00.html |date=10 February 2015 }}, ''Time'', 8 June 1998; Atamian, Christopher. [https://www.nytimes.com/2007/11/11/arts/11atam.html?_r=0 "''Rite of Spring'' as Rite of Passage"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170507025037/http://www.nytimes.com/2007/11/11/arts/11atam.html?_r=0 |date=7 May 2017 }}, ''The New York Times'', 11 November 2007; and [https://www.npr.org/2008/06/20/91707474/love-and-ruin-saint-saens-samson-and-dalila "Love and Ruin: Saint-Saens' 'Samson and Dalila'"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20180117074123/https://www.npr.org/2008/06/20/91707474/love-and-ruin-saint-saens-samson-and-dalila |date=17 January 2018 }}, Washington National Opera, 20 June 2008</ref>。ストラヴィンスキーによると、実はサン=サーンスはその時には出席しておらず、翌年に行われた演奏会形式での実演を聴いてストラヴィンスキーは気が狂っているという見解をはっきり表明したのだという<ref>Kelly, p. 283; and Canarina, p. 47</ref>。
[[File:Saint-Saëns (later years).jpg|left|thumb|サン=サーンス。1919年。]]
第一次世界大戦中に、サン=サーンス率いるフランスの音楽家の一団はドイツ音楽のボイコットを組織しようとした。フォーレとメサジェはその思想に与しなかったが、ここでの不一致がかつての師との友好関係に悪影響を及ぼすことはなかった。彼らは自らの友人が行き過ぎた愛国主義により愚かに見られてしまう危険があること<ref>Jones (1989), pp. 162–165</ref>、並びにサン=サーンスが台頭する若手作曲家を公然と非難する傾向を強めていることとを個人的に危惧していたのである。ドビュッシーの『[[白と黒で]]』(1915年)を断罪した文句は次のようなものであった。「こたる暴虐を働きうる男に対してはいかなる代償をもってしても学士院の門を閉ざさねばならない。こんなものは[[キュビスム|キュビスト]]の絵画の隣にでも飾っておけ<ref>Nectoux, p. 108</ref><ref>{{Cite book|和書|title=サン・サーンスとフォーレ―往復書簡集 1862‐1920|others=ジャン・ミシェル・ネクトゥー 編|translator=大谷千正、島谷真紀|publisher=新評論|year=1993|page=204}}</ref>。」ドビュッシーをフランス学士院の会員候補から除外するという彼の決定は維持されることになり、ドビュッシーの支持者からは強い義憤が生まれた{{refnest|group= "注"|ドビュッシーに対してはさらに、[[春 (ドビュッシー)|交響組曲『春』]]に対して、[[嬰ヘ長調]]であることを理由に管弦楽に適さないとも評した<ref>
{{cite book|title=The Life of Debussy|first=Roger|last=Nichols|publisher=Cambridge University Press|year=1998|page=42}}</ref>。一方、ドビュッシーはサン=サーンスの批判者の筆頭であったものの{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=83-84}}、「サン=サーンスほどの音楽通は世界広しといえどもほかにはいない」とも述べている<ref>{{Cite book|和書|author=クロード・ドビュッシー|others=杉本秀太郎 訳|title=音楽のために:ドビュッシー評論集|publisher=白水社|year=1977, rpt. 1993|page=113|ref={{sfnref|ドビュッシー|1977}}}}</ref>。}}。『[[フランス6人組|6人組]]』の新古典主義に対する反応も同様に容赦のないものだった。[[ダリウス・ミヨー]]が[[多調]]を用いて作曲した交響的組曲『プロテー』に関するコメントは「幸運にも、フランスにはまだ精神異常者の収容施設がある」というものだった<ref name=ox/>。
サン=サーンスは1913年にパリで開いた演奏会をさよなら公演にしようと考えていた。しかし戦争の勃発によりこの引退は間もなく撤回され、フランスや各地で多くの公演を行って戦争義援金のための資金を調達した<ref name=p484/>。彼はドイツの潜水艦の脅威があったにもかかわらず、この活動のために[[大西洋]]を横断している<ref>Rees, p. 430</ref>。
1921年11月、サン=サーンスは学士院で多くの招待客を前に演奏を披露した。彼の演奏は以前と変わらず生き生きとして正確で、86歳の男性として人としての振る舞いも賞賛すべきものであったと評されている<ref>Prod'homme, p. 469</ref>。ひと月後にパリを発ってアルジェに向かい、長年慣れ親しんできた同地で冬の寒さを逃れようと考えていた。1921年12月16日、前触れのない心臓発作に襲われたサン=サーンスはアルジェにて息を引き取った。亡骸はパリへ運び戻され、マドレーヌ寺院で[[国葬]]が執り行われた{{sfn|Ratner et al.|2001|p=126}}。その後、[[モンパルナス墓地]]へ埋葬されている<ref name=studd288>Studd, p. 288</ref>。フランスの政治分野、芸術分野から名士らが弔問に訪れる中、目立たない場所で深くベールを被って、1881年以降一度も彼に会うことのなかった未亡人のマリー=ロールがいたという<ref name=studd288/>。
== 人物像 ==
音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍する一方、少年のころからフランス古典やラテン語を学んだほか、詩、天文学、生物学、数学、絵画などさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した{{sfn|Ratner et al.|2001|p=124}}{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=10, 11}}。文筆家としての活動は多岐にわたり、1870年代以降は音楽批評家として多くの記事を書いているほか、哲学的な著作、一定の成功を収めた詩や戯曲などを残しており{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=10, 11}}、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。
旅行好きとしても知られ{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=74}}、1873年に保養のため[[アルジェリア]]に滞在して以来頻繁に[[北アフリカ]]を訪れたほか、[[スペイン]]や[[北欧]]、[[カナリア諸島]]、[[アメリカ大陸|南北アメリカ]]{{sfn|Ratner et al.|2001|p=125}}、[[セイロン島|セイロン]]、[[ホーチミン市|サイゴン]]などにも足を伸ばしている<ref>{{cite book|title=The Lives and Times of the Great Composers|first=Michael |last=Steen|publisher=Oxford University Press|year=2004|page=623}}</ref>。異国風の音楽は、『[[アルジェリア組曲]]』や[[ピアノ協奏曲第5番_(サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第5番『エジプト風』]]など多くの作品に取り入れられている{{sfn|Jost|2005|loc=col. 815}}。
その辛辣で無頓着な言動は人々の良く知るところであり{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=16}}{{sfn|Ratner et al.|2001|pp=124-125}}、音楽院時代の[[アルフレッド・コルトー]]がピアノを学んでいると名乗ったのに対して「大それたことを言ってはいけないよ」<!--"Oh, do not let us exaggerate, my little one."-->と答えた逸話が残っている<ref>Harold C. Schonberg (1987), ''The Great Pianists'', Simon and Schuster, p. 406<!--邦訳420頁--></ref>。<!--これは、彼が超一流しか眼中になかったことを示すエピソードでもあった。-->対して、サン=サーンスが称賛したピアノの生徒には[[レオポルド・ゴドフスキー]]がいる<ref>{{Cite book|和書|title=ピアノ音楽の巨匠たち|author=ハロルド・C・ショーンバーグ|translator=後藤泰子|publisher=シンコーミュージック|year=2015|pages=354-355}}</ref>。
== 音楽 ==
{{main2|作品一覧|サン=サーンスの楽曲一覧}}
[[File:Benjamin Constant - Portrait de Camille Saint-Saens.jpg|thumb|upright|サン=サーンスの肖像。[[ジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタン]]画。1898年。]]
20世紀の初頭、『[[ニューグローヴ世界音楽大事典]]』に匿名の著者が次のように記している。
{{blockquote|サン=サーンスは完成された作曲の達人であり、芸術に秘められた秘密や力について彼ほどの深い知識を有しているものはいない。しかし、その創作の才は職人としての技術力についていけていない。比類なき彼の[[管弦楽法|オーケストレーション]]の才能のおかげで救済されている着想たちは、その能力なしには粗削りで平凡なものであったことだろう(中略)彼の作品は最も広い意味で大衆人気を獲得するに足るほどには陳腐さを回避している一方、心情の誠実さと温かさが大衆の心を捉えるほどに説得力を持つかといえばそうではない<ref>Fuller Maitland, p. 208</ref>。|}}
「[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]と[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]の精神で」育ったサン=サーンスは{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=39}}、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の作品にも精通し、若い時期には[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]に影響を受けている{{sfn|Ratner et al.|2001|p=126}}。[[バロック音楽]]にも通じ、[[ジャン=バティスト・リュリ|リュリ]]、[[マルカントワーヌ・シャルパンティエ|シャルパンティエ]]、[[ジャン=フィリップ・ラモー|ラモー]]らの作品の校訂に携わったほか{{sfn|Ratner et al.|2001|p=128}}、[[チェンバロ|クラヴサン]]の復興にも関わった{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=10, 11}}。彼の80歳を記念して書かれたプロフィールに、評論家のD.C.パーカーは次のように書いている。「サン=サーンスがラモー(中略)バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトを知っていることは、彼の作品に親しんでいる者全員に明白であるに違いない。古典の巨人に対する愛情と共感が、いわば彼の芸術の基礎を形作ったのである<ref>Parker, p. 563</ref>。」その一方で、彼の音楽は「本質的にフランス的なもの(...)を表現している」とされ<ref name=glove1>{{cite book|contribution=サン・サーンス,(シャルル・)カミーユ|first1=James|last=Harding|first2=Daniel M.|last2=Fallon|translator=笠羽映子、片山雅子|others=柴田南雄, 遠山一行 総監修|title=ニューグローヴ世界音楽大事典|volume=7|pages=347-350|publisher=音楽之友社|year=1996}}</ref>、[[ロマン・ロラン]]はサン=サーンスを「古典的フランス精神のただ一人の代表者」と評している{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=18}}。{{仮リンク|ノルベール・デュフルク|en|Norbert_Dufourcq}}はサン=サーンスの美学を「厳密な設計、明晰な構築、論理的な展開、節約された線的・和声的手段」と表現した<ref>{{Cite book|和書|author=ノルベール・デュフルク|others=遠山一行, 平島正郎, 戸口幸策 訳|title=フランス音楽史|publisher=白水社|year=1972, rpt. 2009|page=416|ref={{sfnref|デュフルク|1972}}}}</ref>。こうした美学は生涯を通して大きく変わることはなかった{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=109-110}}{{refnest|group= "注"|サン=サーンスは先人たちから多くを学びながらも、特定の流派に従うことはなかった{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=15-16}}。著書『和声と旋律』("Harmonie et Mélodie", 1885)で彼は、「私が愛するのはバッハでも、ベートーヴェンでも、ヴァーグナーでもない。(...)芸術なのだ。私は折衷主義者である。それはおそらく大きな欠点だが、私にはそれをあらためることは不可能である。つまり人はその天性を作り直すことはできないからだ。その上、私は自由を熱烈に愛しており、賛嘆を強いられるのに耐えることができない<ref>{{Cite book|和書|title=作曲家の肖像|author=海老沢敏|year=1998|publisher=音楽之友社|page=220}}</ref>」と語っている。}}。
前半生では、当時先進的とされたシューマンや[[フランツ・リスト|リスト]]の作品を積極的に擁護し{{sfn|Ratner et al.|2001|p=124}}、「現代音楽家」、革命家とみなされていた{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=45}}。「形式の最大限の可変性」を求め、リストの確立した[[交響詩]]の形式をフランスにいち早く持ちこんだ{{sfn|Jost|2005|loc=col. 815}}{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=136-137}}。一方、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]を早くから擁護する一人でもありながら、のちにフランスに広がった[[ワグネリズム]]には否定的な立場をとるようになった{{refnest|group= "注"|サン=サーンスの透明な管弦楽法に、ワーグナーからの影響はみられない{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=135}}。「ヴァーグナーがすべてで、彼の作品以外には何も認めないような狂信家」を非難したことは、彼が敵意を持たれる理由のひとつにもなった{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=41-42}}。}}。
当時のフランスでは新作が冷遇されていた{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=38, 42-44}}、[[交響曲]]や[[重奏|室内楽曲]]、[[協奏曲]]といった分野にも多くの作品を残したことは重要である{{sfn|Ratner et al.|2001|p=126}}。国民音楽協会の開設とあわせ{{sfn|Jost|2005|loc=col. 813}}、これらの作品によって彼はフランス音楽史へ大きな足跡を残した<ref>{{Cite book|和書|author1=今谷和徳|author2=井上さつき|title=フランス音楽史|publisher=春秋社|year=2010|page=367}}</ref>。協奏曲においては形式面や、独奏と管弦楽との関係において多くの実験を行い{{sfn|Jost|2005|loc=col. 816}}、フランスにおけるこのジャンルに重要な貢献をもたらした{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=140-141}}。
晩年にはその作風はすでに保守的とみなされるようになっていた{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=39, 110}}。1910年にサン=サーンスは、「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」と書簡に記している{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=39}}。[[近代音楽]]には押しなべて批判的であったサン=サーンスであったが「近代の和声が基づいている調性は死の苦しみにある。(...)古代の旋法が登場するであろう。そしてそれに続いて無限の多様性をもった東洋の旋法が音楽に入り込むであろう。(...)そこから新しい芸術が生まれるであろう」とも述べており{{sfn|シュテーゲマン|1999|p=160}}、『[[動物の謝肉祭]]』の「水族館」や<ref>{{cite book|title=Saint-Saëns: A Life|first=Brian |last=Rees|publisher=Chatto & Windus|year=1999|page=261}}</ref>、幻想曲 作品124、7つの即興曲 作品150など、[[印象主義音楽]]の語法に接近した作品も残している{{sfn|シュテーゲマン|1999|pp=153, 159}}。また、晩年の作品ではピアノの書法が線的で軽くなるとともに[[木管楽器]]への偏重、遠隔的な和音進行や[[旋法]]終止の増加といった特徴がみられ、第一次世界大戦以降の世代の作曲家の美学([[新古典主義音楽]])と共通する点があると指摘されている{{sfn|Jost|2005|loc=col. 814}}{{sfn|Ratner et al.|2001|pp=128-129}}。
=== 管弦楽曲 ===
1955年の『[[レコード・ガイド]]』で著者の[[エドワード・ザックヴィル=ウェスト (第5代ザックヴィル男爵)|エドワード・ザックヴィル=ウェスト]]と[[デズモンド・ショー・テイラー (音楽評論家)|デズモンド・ショー=テイラー]]は、サン=サーンスの華麗な音楽家精神は「オペラの他にも音楽の形式があるのだという事実に対し、フランスの音楽家たちの注意を引き付けることに役立」ったと書いている<ref name=rg>Sackville-West and Shawe-Taylor, p. 641</ref>。2001年版の『グローヴ事典』の中で、ラトナーとダニエル・ファロンはサン=サーンスの管弦楽曲を分析して、番号なしの交響曲 イ長調(1850年頃)を習作期の最も野心的な作品に位置付けている。成熟後の作品としては、[[交響曲第1番 (サン=サーンス)|交響曲第1番]](1853年)が真剣かつ大規模な楽曲で、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の影響を見出すことが出来る。交響曲『首都ローマ』はいくらか後退しており、楽器法の巧みさは減じられて「厚ぼったく重々しい」効果となっている<ref name=g2 />。ラトナーとファロンは[[交響曲第2番 (サン=サーンス)|交響曲第2番]](1859年)を賞賛しつつ、作曲者の[[フーガ]]書法への精通を示すパッセージを有し、管弦楽の省力化と構造の融合の好例であると述べる。最も有名な[[交響曲第3番 (サン=サーンス)|交響曲第3番]](1886年)には、珍しくピアノとオルガンに目立った割り当てがある。曲は[[ハ短調]]で開始して荘厳な[[コラール]]調の[[ハ長調]]で終結する。4つの楽章は2組に分割されており、これは特に[[ピアノ協奏曲第4番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第4番]](1875年)や[[ヴァイオリンソナタ第1番 (サン=サーンス)|ヴァイオリンソナタ第1番]](1885年)など、他でも用いられた方法であった<ref name=g2/>。曲中では[[フランツ・リスト|リスト]]の様式に則った[[主題変容]]により繰り返し現れる「[[モチーフ (音楽)|モチーフ]]」が処理されており、作品はリストの想い出へと捧げられている<ref name=rg/>。
[[File:Liszt (Lehmann portrait) crop-waist-slim.jpg|left|thumb|153px|[[フランツ・リスト]]。1839年。サン=サーンスはリストが創始した交響詩形式を自らの創作に取り入れた。]]
4曲あるサン=サーンスの交響詩はリストの型に則っているものの、リストが陥りがちであった「粗野な騒々しさ」は持ち合わせていないと、ザックヴィル=ウェストとショー=テイラーは考えている<ref name=rg2>Sackville-West and Shawe-Taylor, pp. 642–643</ref>。4作品の中で最も人気が高いのは、真夜中に踊る骸骨を描写した『[[死の舞踏 (サン=サーンス)|死の舞踏]]』(1874年)である。概してサン=サーンスの管弦楽的効果は異国風の楽器法ではなく巧みな音色の調和によってもたらされるが<ref name=g2/>、この作品においてはガラガラ音を立てる骸骨の踊り子たちを象徴する[[シロフォン]]が目立って取り上げられている<ref>Rees, p. 182</ref>。『[[オンファールの糸車]]』(1871年)は恐ろしい[[パリ・コミューン]]の直後の作曲であるが、その軽妙さと繊細な[[管弦楽法|オーケストレーション]]からは直近の悲劇の影は感じられない<ref name=r177>Rees, p. 177</ref>。リーズは『[[ファエトン (交響詩)|ファエトン]]』(1873年)が交響詩の中で最良の作品であると考えている。この楽曲は[[ギリシア神話]]の[[パエトーン]]と彼の運命の描写に触発される形で、旋律に無関心であったと公言した作曲者の言葉に背く作品である<ref name=r177/>{{refn|サン=サーンスは著書『Musical Memories』に次のように書いている。「巧みに構成された単純な和音の進行、その並びだけでも美しいものに純粋な喜びを感じない者は、真に音楽を好んではいないのだ<ref>Saint-Saëns, p. 109</ref>。」|group= "注"}}。初演当時の評論家は異なる見方をしており、曲に霊感を与えたギリシア神話の荒々しい馬が駆けてくる様子というより、「[[モンマルトル]]で貸し馬が立てる騒音」に聞こえると述べている<ref>Jones (2006), p. 78</ref>。最後の交響詩『[[ヘラクレスの青年時代]]』(1877年)は4曲の中で最も野心的な作品となっており、ハーディングの唱えるところではそれが故に一番の失敗作となってしまった<ref>Harding, p. 123</ref>。これらの管弦楽曲は、評論家の[[ロジャー・ニコルズ (音楽学者)|ロジャー・ニコルズ]]の見立てによれば、印象的な旋律、確固たる構成、忘れがたい管弦楽法が一体となり「フランス音楽の新たな基準となり、ラヴェルのような若い作曲家を鼓舞することになった」という<ref name=ox/>。
サン=サーンスは1幕のバレエ『ジャヴォット』(1896年)、映画音楽『[[ギーズ公の暗殺]]』(1908年){{refn|この楽曲が史上初の映画のための作品として引き合いに出されることがあるが<ref>{{Wayback |url=http://www.nhkso.or.jp/library/cahier_de_la_musique/11482/ |title=クラシックと映画音楽 |date=20190628232809 }}. NHK交響楽団.</ref>、先立つ例がいくつか存在する。無声映画のために書かれた最初のオリジナル管弦楽曲として知られるのが、1904年に[[パテ (映画会社)|パテ]]が配給した『マリー・アントワネット』のために[[ハーマン・フィンク]]が作曲した音楽で、奏者40名以上のオーケストラのために書かれた楽曲だった<ref>Usai, p. 197</ref>。当時の『アンコール』誌は、映画に音楽を提供するにあたりフィンクが「調和のとれた筆致」を持っていると評している<ref>''Encore'', January 1904, ''quoted'' in Wierzbicki, pp. 41 and 247</ref>。他にも『[[:en:Soldiers_of_the_Cross_(film)|Soldiers of the Cross]]』(1900年、作曲者不明)がある<ref>{{cite book|first=Wierzbicki|last=James|title=Film Music: A History|publisher=Routledge|year=2009|page=41}}</ref>。|group= "注"}}、そして1850年から1916年にかけて12の舞台作品に付随音楽を作曲している。そのうち3作品は[[モリエール]]と[[ジャン・ラシーヌ|ラシーヌ]]の復刻のために書かれており、サン=サーンスがフランスのバロック音楽に有していた深い造詣を反映し、[[ジャン=バティスト・リュリ|リュリ]]や[[マルカントワーヌ・シャルパンティエ|シャルパンティエ]]の楽曲が引用されている<ref name=fallon/><ref>Rees, p. 299</ref>。
=== 協奏曲 ===
サン=サーンスはフランスの大作曲家としては初めてピアノ協奏曲を作曲した人物である。[[ピアノ協奏曲第1番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第1番]] ニ長調(1858年)は伝統的な3楽章形式でありあまり知られていないが、[[ピアノ協奏曲第2番 (サン=サーンス)|第2番]] ト短調(1868年)は彼の作品中でも有数の人気を誇る。この作品では形式面で実験が行われており、第1楽章へ習慣的な[[ソナタ形式]]に代えて散文的な構造を据え、荘厳な[[カデンツァ]]で開始させた。第2楽章は[[スケルツォ]]、終楽章は[[wikt:presto|プレスト]]となっている。この対比に関して、ピアニストの[[ジグムント・ストヨフスキ]]は曲が「[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]のように始まり、[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]に終わる」とコメントしている<ref>Herter, p. 75</ref>。[[ピアノ協奏曲第3番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第3番]] 変ホ長調(1869年)にも威勢の良い終楽章が付されているが、先行楽章は古典的色合いが濃く、明瞭なテクスチュアに優雅な旋律線が付き従う<ref name=schonberg/>。[[ピアノ協奏曲第4番 (サン=サーンス)|第4番]] ハ短調(1875年)はおそらく第2番の次によく知られるピアノ協奏曲である。2つの楽章から成るがそれぞれが2つの小部分から構成されており、他のピアノ協奏曲には見られない主題の統一性を有している。一部の文献では、[[シャルル・グノー|グノー]]がサン=サーンスを「フランスの[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]」と称したのはこの作品に感銘を受けてのことだったという(交響曲第3番によるものであったとする文献もある)<ref>Anderson (1989), p. 3; and Deruchie, p. 19</ref>。[[ピアノ協奏曲第5番 (サン=サーンス)|第5番]]にして最後となったピアノ協奏曲は、1896年作曲のヘ長調で、前作からは20年以上が経過しての作曲であった。この作品は『エジプト風』協奏曲として知られる。[[ルクソール]]で冬の間を過ごした際に書かれ、[[ナイル川]]の船乗りが歌っていた唄が取り入れられている<ref>Rees, p. 326</ref>。
[[チェロ協奏曲第1番 (サン=サーンス)|チェロ協奏曲第1番]] イ短調(1872年)は活発ながらも深刻な作品となっており、連続した1楽章制で最初の部分は通常になく荒れ狂う。チェロのレパートリーの中では最大級の人気を獲得した協奏曲であり、[[パブロ・カザルス]]や後の奏者らに大層好まれてきた<ref>Ratner (2002), p. 364</ref>。[[チェロ協奏曲第2番 (サン=サーンス)|第2番]] ニ短調(1902年)は、ピアノ協奏曲第4番同様に2つの楽章で構成され、そのそれぞれが2つの異なる部分に分割されている。前作に比べて純粋な技巧性が高まっており、サン=サーンス自身がフォーレに対し、この作品は難しすぎるために第1番の様には人気を獲得しないだろうと述べたほどである。ヴァイオリン協奏曲には3作品がある。ひとつ目の作品は1858年に作曲されることになったものの出版が1879年となったため、[[ヴァイオリン協奏曲第2番 (サン=サーンス)|第2番]] ハ長調と呼ばれることになる<ref>Ratner (2002), p. 340</ref>。[[ヴァイオリン協奏曲第1番 (サン=サーンス)|第1番]] イ長調も同じく1858年に完成された。これは314[[小節]]からなる短い作品で、演奏時間は15分に満たない<ref>Ratner (2002), p. 343</ref>。第2番は伝統的な3楽章の協奏曲形式を取り、第1番の2倍の演奏時間を要するが、3曲の中で最も顧みられていない。作曲者の作品主題別カタログには、彼の生前にわずか3回の演奏の記録しか挙げられていないほどである<ref>Ratner (2002), p. 339</ref>。[[ヴァイオリン協奏曲第3番 (サン=サーンス)|ヴァイオリン協奏曲第3番]] ロ短調は[[パブロ・デ・サラサーテ]]のために書かれた作品で、[[ソロ (音楽)|ソリスト]]にとっては技巧的な要求が大きいが、[[ヴィルトゥオーソ]]風のパッセージの間に田園風の静けさを挟むことで均衡がとられている<ref>Anderson (2009), pp. 2–3</ref>。第3番はある程度の差をつけて3つのヴァイオリン協奏曲で最大の人気曲となろうが、サン=サーンスがヴァイオリンと管弦楽のために書いた協奏的作品で最も知られるのは、おそらく『[[序奏とロンド・カプリチオーソ]]』 イ短調 作品28だろう。1863年にやはりサラサーテのために作曲された、単一楽章の作品である。曲は痛切で張り詰めた開始から気取った主要主題へと移り変わる。評論家のジェラルド・ラーナーはこの主題をほのかに毒気がある<!--faintly sinister-->と表現し、こう続ける。「重音奏法のカデンツァの後に(中略)独奏ヴァイオリンは息もつかせぬ疾走で、[[コーダ (音楽)|コーダ]]を抜けてイ長調の幸せな終結まで駆け抜ける<ref>Larner, pp. 3–4</ref>。」
=== オペラ ===
[[File:Samson-in-DagonTemple.jpg|thumb|right|『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』より、崩れ落ちるペリシテ人の寺院。[[ギュスターヴ・ドレ]]画。]]
[[ポール・デュカス|デュカス]]と協力して行った[[エルネスト・ギロー|ギロー]]の未完作品『[[フレデゴンド]]』の補筆完成を除くと、サン=サーンスは12のオペラを作曲しており、うち2つが[[オペラ・コミック]]である。作曲者の生前には『[[ヘンリー八世 (オペラ)|ヘンリー八世]]』(1890年)がレパートリー入りしており、死後には『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』のみが定期的に上演されている。一方、[[ハロルド・C・ショーンバーグ|ショーンバーグ]]によると専門家は『[[アスカニオ]]』(1890年)をずっと優れた作品であると考えているという<ref name=schonberg/><ref name=crichton/>。評論家の[[ロナルド・クリクトン]]は、サン=サーンスは彼の経験と音楽的技能の割には、「劇場の獣としての『嗅覚』、例えば他の音楽形式では彼に劣る[[ジュール・マスネ|マスネ]]が持ち合わせていたものを欠いていた」と記している<ref name=crichton/>。2005年の研究で、音楽学者のスティーヴン・ヒュブナーはこの2人を対比している。「サン=サーンスにはマスネの様に芝居がかっているような時間がなかったのは明らかだ<ref>Huebner, p. 226</ref>。」サン=サーンスの伝記作家である[[ジェームズ・ハーディング (音楽ライター)|ジェームズ・ハーディング]]は、サン=サーンスが気楽な作品をもっと作ろうとしなかったことが悔やまれると述べる。それは、ハーディングが「軽妙なフランスの筆致の」[[アーサー・サリヴァン|サリヴァン]]のようだと評する『[[黄色い王女]]』の路線の作品のことである<ref name=h119>Harding, p. 119</ref>{{refn|サン=サーンスはサリヴァンと友好関係にあり、かつその音楽を好んでいたので、ロンドンにいる折には必ず最新の[[サヴォイ・オペラ]]を観劇していた<ref name=h119/>。|group= "注"}}。
サン=サーンスのオペラは大半が顧みられないままとなっているが、クリクトンはそれらが「[[ジャコモ・マイアベーア|マイアベーア]]と1890年代初期のシリアスなフランスオペラを繋ぐ架け橋」であるがゆえ、フランスのオペラ史の中で重要な位置にあると述べる<ref name=crichton353>Crichton, p. 353</ref>。彼の見立てによると、サン=サーンスのオペラ書法には、概して彼のその他の音楽にもある長所と短所があるという。「清澄なモーツァルト風の透明性、内容よりも形式に重きを置く姿勢(中略)感情的には乾いており、新たに生み出すものは時おり浅薄、しかし職人業は非の打ち所がない<ref name=crichton/>。」様式的には様々なものが取り入れられている。マイアベーアからは作品の中の演技に合唱を効果的に用いる術を得ている<ref>Huebner, p. 215</ref>。『ヘンリー8世』にはロンドンで研究した[[テューダー朝]]の音楽が組み込まれ<ref>Huebner, p. 218</ref>、『黄色い王女』には東洋的な[[五音音階]]が使われる<ref name=g2>Fallon, Daniel, and Sabina Teller Ratner. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/24335#S24335.2 "Saint-Saëns, Camille: Works"], Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 18 February 2015 {{subscription}}</ref>。ワーグナーからは[[ライトモティーフ]]を取り込んだが、マスネ同様にその使用は控えめであった<ref>Huebner, p. 222</ref>。サン=サーンスはオペラの[[通作歌曲形式|通作]]に関する限りではマスネよりも保守的であり、離散的なアリアや重唱を好むことが多く、各々の歌の中でテンポ変化は少なかったとヒュブナーは考えている<ref>Huebner, pp. 223–224</ref>。[[アラン・ブライス]]はオペラの録音を調査して、次のように書いている。サン=サーンスが「ヘンデル、[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]、『[[アイーダ]]』の[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]、そしてワーグナーから多くを学んだのは間違いない。しかし、これらの優れた模範から彼は自分自身のスタイルを造り上げたのである<ref>Blyth, p. 94</ref>。」
=== その他声楽作品 ===
[[File:Victor Hugo by Étienne Carjat 1876 - full.jpg|thumb|right|[[ヴィクトル・ユーゴー]]。1876年。]]
6歳からその後生涯にわたってサン=サーンスは歌曲を作曲し続け、その数は140曲以上にのぼる<ref>Fauser, p. 210</ref>。彼は自分の歌曲作品を完全なる典型的フランス調であると考えており、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]や他のドイツ・[[歌曲|リート]]からの影響を否定していた<ref>Fauser, p. 217</ref>。庇護したフォーレやライバルのマスネとは異なり、彼は連作歌曲に惹かれることはなく、長いキャリアの中でわずかに2作品『ペルシャの歌』(1870年)と『赤い灰』(1914年、フォーレに献呈)のみを遺している。最も頻繁に詩を選んだ詩人は[[ヴィクトル・ユーゴー]]であったが、[[アルフォンス・ド・ラマルティーヌ]]、[[ピエール・コルネイユ]]、{{仮リンク|アマブル・タスチュ|en|Amable Tastu}}らの詩も用いており、8曲には自ら詞を書いている。音楽以外の多彩な才能のひとつとして、彼はアマチュアの詩人でもあったのである。言葉に合わせた音を選ぶことに非常に敏感であったサン=サーンスは、若い作曲家だった[[リリ・ブーランジェ]]に対し、効果的に歌曲を書くには音楽の才能だけでは十分ではなく、「フランス語を徹底的に研究しなければならない。それが欠かせないことだ」と説いている<ref>Fauser, p. 211</ref>。歌曲の大半はピアノ伴奏による形で書かれたが、『ナイル川の日の出』(1898年)と『平和の讃歌』(1919年)などの一部の作品は管弦楽伴奏で書かれている<ref name=fallon/>。彼の曲の付け方、韻文の選択は形式の点で伝統に則った形となっており、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]など後の世代のフランスの作曲家による、自由な韻律と形式にとらわれない構造とは対照的である<ref>Fauser, p. 228</ref>。
サン=サーンスは[[モテット]]から[[オラトリオ]]に至るまで、60作品を超える宗教的声楽曲を作曲している。大規模作品にはレクイエム(1878年)やオラトリオの『[[ノアの洪水 (サン=サーンス)|ノアの洪水]]』(1875年)や『[[約束の地 (オラトリオ)|約束の地]]』(1913年)があり、後者には[[ハーマン・クライン]]が英語のテクストを書いた<ref name=fallon />。彼はイギリスの合唱団と関りを持っていたことを誇りとしており、「ひとは、ずば抜けて優れたオラトリオの本場で認められたいと思うものだ」と述べている<ref name=klein />。数は少ないながら世俗的合唱作品も書いており、無伴奏合唱もあれば、ピアノ伴奏やフル・オーケストラ伴奏の楽曲もある<ref name=fallon />。合唱曲を書くにあたり、サン=サーンスはヘンデル、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]などの過去の巨匠こそを範としなければならないと考え、伝統に重きを置いていた。クラインの見立てではこの方向性は時代遅れであり、サン=サーンスがオラトリオという形式の扱いを熟知していたことが、彼のこの分野での成功にとって足かせとなったという<ref name=klein />。
=== 鍵盤楽曲 ===
有名ピアニストであったサン=サーンスは生涯を通じてピアノ曲を書き続けたが、「興味深いことに彼の作品中、この部分はあまり名を残していない」とニコルズはコメントしている<ref name=ox/>。ただし、ニコルズは[[練習曲 (サン=サーンス)|練習曲]]<!--英語版原文(03:04, 4 January 2022)は"Étude en forme de valse"-->(1912年)がいまだに左手の技巧を誇示したいピアニストを惹きつけていると考えており、例外扱いとしている<ref name=ox>Nichols, Roger. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/opr/t114/e5856 "Saint-Saëns, (Charles) Camille"], ''The Oxford Companion to Music'', Oxford Music Online, Oxford University Press. Retrieved 21 February 2015 {{subscription}}</ref>。サン=サーンスは「フランスのベートーヴェン」と呼ばれ、『[[ベートーヴェンの主題による変奏曲 (サン=サーンス)|ベートーヴェンの主題による変奏曲]]』 変ホ長調(1874年)は彼のピアノのみの楽曲で最大の作品となっているが、ピアノソナタを作曲してこの先人に倣うことはしなかった。構想すらされたことがあるのか定かではない<ref>Rees, p. 198</ref>。曲集としてはバガテル集(1855年)、練習曲集(3集、1877年、1899年、1912年)、フーガ集(1920年)があるものの、サン=サーンスのピアノ作品は小品ばかりである。各々メンデルスゾーンと[[フレデリック・ショパン|ショパン]]によって確立された無言歌(1871年)やマズルカ(1862年、1871年、1882年)といった形式に加え、『イタリアの思い出』(1887年)、『夕べの鐘』(1889年)、『イスマイリアの思い出』(1895年)といった描写的な作品も書いている<ref name=fallon/><ref>Brown, Maurice J E, and Kenneth L Hamilton. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/26214 "Song without words"], and Downes, Stephen. [http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/18193 "Mazurka"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151017104518/http://www.oxfordmusiconline.com/subscriber/article/grove/music/18193 |date=17 October 2015 }}, Grove Music Online, Oxford University Press. Retrieved 20 February 2015 {{subscription}}</ref>。
{{listen|type=music
|filename=Sept Improvisations - 7. Allegro giocoso.ogg
|title=Sept Improvisations (Seven Improvisations for Organ), Op. 150
|description=即興曲第7番(アレグロ・ジョコーソ)。演奏:ロバート・スミス}}
長くオルガニストの職を務めながら、気乗りせず作品を遺さなかった弟子のフォーレとは異なり、サン=サーンスはオルガン独奏のための楽曲を少々ながらも発表している<ref>Nectoux, pp. 525–558</ref>。教会での礼拝のために書かれた作品には『Offertoire』(1853年)、『祝婚曲』(1859年)、『Communion』(1859年)などがある。マドレーヌ寺院を離れた1877年以降からはさらに10曲をオルガンのために書いており、2つある『プレリュードとフーガ』(1894年、1898年)など、大半は演奏会用となっている。初期作品には[[ハーモニウム]]もしくはオルガンのいずれでも演奏できるように書かれたものもあったが、前者をまず念頭に置いた楽曲もわずかとはいえ存在する<ref name=fallon />。
=== 室内楽曲 ===
サン=サーンスは1840年代から晩年に至るまでの間、40を超える室内楽曲を作曲した。このジャンルでの最初の大作としては[[ピアノ五重奏曲 (サン=サーンス)|ピアノ五重奏曲]](1855年)が挙げられる。これは明快かつ自信に満ちた作品で、活発な楽章に挟まれる形で配置される緩徐楽章には[[コラール]]風、そして[[wikt:cantabile|カンタービレ]]の2つの主題が用いられている<ref name=r2005 />。[[七重奏曲 (サン=サーンス)|七重奏曲]](1880年)は[[トランペット]]、2つの[[ヴァイオリン]]、[[ヴィオラ]]、[[チェロ]]、[[コントラバス]]、ピアノという特殊な編成となっており、17世紀のフランスの舞踏形式に依拠した新古典的な作品である。この作品の作曲期間は、サン=サーンスがラモーや[[ジャン=バティスト・リュリ|リュリ]]などの[[バロック音楽|バロック]]の作曲家の作品の、新エディションを準備していた時期に重なっており<ref name=g2 />、この曲および複数の「組曲」ではバロック期の舞曲形式へのいち早い興味が示されている{{sfn|Jost|2005|loc=col. 815}}。さらに[[フルート]]、[[オーボエ]]、[[クラリネット]]とピアノのための『[[デンマークとロシアの歌による奇想曲]]』(1887年)、ヴァイオリン、チェロ、ハーモニウムとピアノのための『[[舟歌 (サン=サーンス)|舟歌]]』(1898年)という例からも、サン=サーンスが時に王道を外れた編成を用いることがかわる<ref>Ratner (2002), p. 193–194</ref>。
{{Quote box |bgcolor=#CEF6EC|salign=right| quote = その室内楽作品が明らかにするのは、サン=サーンスの完璧な人物像である: 創造性を伴う伝統への感覚、色彩の感じ方、平衡性と対照性を欲する心、清澄さへの愛。|source= サビーナ・テラー・ラトナー、2005年<ref name=r2005>Ratner (2005), p. 6</ref>|align=left| width=30%}}
ラトナーの考えでは、サン=サーンスの室内楽曲で最も重要なのはソナタである。ピアノ伴奏で計7曲、ヴァイオリンのために2曲、チェロのために2曲、オーボエ、クラリネット、ファゴットのために1曲ずつがある<ref name=r2005/>。[[ヴァイオリンソナタ第1番 (サン=サーンス)|ヴァイオリンソナタ第1番]]は1885年の作品で、『グローヴ音楽事典』はこの作品を作曲者の最上級、そして指折りの特徴を有するものに位置付けている。[[ヴァイオリンソナタ第2番 (サン=サーンス)|第2番]](1896年)はサン=サーンス作品の様式的変化を示しており、ここで聞かれる軽さ、透明さの増したピアノの音色は、以降の音楽の特色となっていくものである<ref name=g2/>。[[チェロソナタ第1番 (サン=サーンス)|チェロソナタ第1番]](1872年)は、30年以上前に彼にピアノの演奏を教えた大おばの死後すぐに書かれた。この曲は深刻な作品となっており、技巧的なピアノ伴奏の上でチェロが主要な主題素材を保持する。フォーレはこの作品を世界中で唯一の、あらゆる点で重要なチェロソナタであると呼んだ<ref name="名前なし-pQmG-1">Rees, p. 167</ref>。[[チェロソナタ第2番 (サン=サーンス)|第2番]](1905年)は4楽章構成で、[[スケルツォ]]に[[変奏曲|主題と変奏]]を置くという珍しい特徴を持っている<ref name="名前なし-pQmG-1"/>。
{{listen|type=music
|filename=Camille Saint-Saens - Sonata for bassoon with piano accompaniment (opus 168).ogg
|title=Sonata for bassoon with piano accompaniment (Op. 168, 1921)
|description=[[バスーンソナタ (サン=サーンス)|ファゴットソナタ]]。ファゴット:アーサー・ゴスマン、ピアノ:ジョゼフ・レヴァイン
|filename2=JOHN MICHEL CELLO-SAINT SAENS CARNIVAL OF ANIMALS THE SWAN.ogg
|title2="Le cygne"
|description2=『[[動物の謝肉祭]]』より「白鳥」。演奏:ジョン・ミシェル}}
木管楽器のためのソナタはサン=サーンス最後の作品群で、独奏の機会を得にくいこれらの楽器のレパートリーを拡充しようという取り組みの一環であった。サン=サーンスは1921年4月15日に友人の[[ジャン・シャンタヴォワーヌ]]に宛てた手紙の中で次のように打ち明けている、「金を稼げないため不人気な楽器の演奏を聴いてもらえるよう、今、最後の力を注いでいます{{refn|原文は、"En ce moment je consacre mes dernières forces à procurer aux instruments peu favorisés sous ce rapport les moyens de se faire entendre."<ref name="Ratner 2002, p. 236">Ratner (2002), p. 236</ref>。|group= "注"}}。」ラトナーはこれの作品について「飾り気のない、心に訴える、古典的な音、記憶に残る旋律、そして見事な楽曲構造がこれら新古典的主義運動の金字塔を際立たせている<ref name=r2005 />」と評する。ガロワは[[オーボエソナタ (サン=サーンス)|オーボエソナタ]]について、[[wikt:andantino|アンダンティーノ]]の主題で旧来の古典的ソナタのように開始し、中央部分には豊かで色彩溢れるハーモニーがあり、[[wikt:molto|モルト]]・[[wikt:allegro|アレグロ]]の終楽章は[[タランテラ]]の形式で繊細さ、ユーモア、魅力に満ちている、と述べている。ガロワにとっては3曲の中で[[クラリネットソナタ (サン=サーンス)|クラリネットソナタ]]が最も重要で、彼はこれを「茶目っ気、気品、思慮深いリリシズムに溢れた傑作」であって、「その他の総まとめ」となるに至っているとする<ref>Gallois, p. 368</ref>。この作品では緩徐楽章の「悲しみを湛えた挽歌」が、18世紀の様式を彷彿とさせる終楽章の「4/4[[拍子]]のピルエット」と対比されている。またガロワは[[バスーンソナタ (サン=サーンス)|ファゴットソナタ]]を「透明さ、生命力、軽妙さ」の模範であると呼び、ユーモラスな筆致を内包しつつも穏やかな瞑想の瞬間もあるとする<ref>Gallois, pp. 368–369</ref>。サン=サーンスはさらに[[コーラングレ]]のためのソナタを作曲する意思を示していたが、これは実現しなかった{{refn|友人のシャンタヴォワーヌに宛てた同じく1921年4月15日の書簡より。「3部から成るオーボエのためのソナタをちょうど書き終わりましたが、まだ未発表です。残されたのはクラリネット、コーラングレ、ファゴット; もうすぐ出来上がります<ref name="Ratner 2002, p. 236">Ratner (2002), p. 236</ref>。」(Je viens d'écrire une sonate en trois parties pour le hautbois, encore inédite. Restent la clarinette, le cor anglais, le basson; leur tour viendra bientôt.)|group= "注"}}。
サン=サーンスの最も有名な作品である『[[動物の謝肉祭]]』(1887年)は、一般的な室内楽曲からはかけ離れているものの、11人の奏者のために書かれており、『グローヴ音楽事典』では室内楽曲の一部に分類されている。『グローヴ音楽事典』はこの作品について「彼の最も喜劇要素の強い作品であり、オッフェンバック、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ロッシーニ、そして彼自身の『死の舞踏』と7曲の流行歌をパロディにしている」と評する<ref name=g2/>。この曲の軽薄さが真面目な作曲家としての自分の名声を傷つけることを懸念したサン=サーンスは、自らの存命中に本作を演奏することを禁じていた<ref name=duchen/>。
=== 録音 ===
サン=サーンスは音楽録音の分野の先駆者だった。1904年6月にロンドンの[[グラモフォン・カンパニー]]はプロデューサーの[[フレッド・ガイズバーグ]]を送り、サン=サーンスの演奏を録音している。『アスカニオ』と『サムソンとデリラ』からアリアを歌う[[メゾソプラノ]]の[[メイリアンヌ・エグロン]]の伴奏者としての演奏、またピアノ協奏曲第2番の編曲(管弦楽なし)の断片などの自作のピアノ曲の演奏であった<ref name=marston>
[http://www.marstonrecords.com/legendary-piano/legendary_piano_ward.htm Introduction] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150406023523/http://www.marstonrecords.com/legendary-piano/legendary_piano_ward.htm |date=6 April 2015 }} and [http://www.marstonrecords.com/legendary-piano/legendary_piano_tracks.htm Track Listing] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150406023518/http://www.marstonrecords.com/legendary-piano/legendary_piano_tracks.htm |date=6 April 2015 }}, "Legendary piano recordings: the complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer and other G & T rarities", Ward Marston. Retrieved 24 February 2014
</ref>。サン=サーンスは1919年に同社でさらに録音を制作している<ref name=marston />。
[[レコード#LP盤|LPレコード]]の初期には、サン=サーンスの作品は不揃いな形で音盤に収められていた。『The Record Guide』(1955年)は、様々な版の『死の舞踏』、『動物の謝肉祭』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』、その他の短い管弦楽曲に並んで、交響曲第3番、ピアノ協奏曲第2番、チェロ協奏曲第1番の録音を一つづつ挙げている<ref>Sackville-West and Shawe-Taylor, pp. 642–644</ref>。20世紀終盤から21世紀初頭には、その作品の多くがLPレコード、そしてその後CD、DVDの形で発売された。2008年の『ペンギン・ガイド』はサン=サーンス作品の録音に10ページを割いており、協奏曲、交響曲、交響詩、ソナタ、四重奏曲の全曲を網羅している。さらに初期のミサ曲やオルガン曲集、合唱曲集も取り上げられている<ref>March, pp. 1122–1131</ref>。1997年には27曲のサン=サーンスの歌曲集の録音が発売されている<ref>[http://www.worldcat.org/title/songs/oclc/37703970&referer=brief_results "Songs – Saint Saëns"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20180906195526/http://www.worldcat.org/title/songs/oclc/37703970%26referer%3Dbrief_results |date=6 September 2018 }}, WorldCat. Retrieved 24 February 2015</ref>。
『サムソンとデリラ』を除くと、オペラの録音はまばらである。1992年に『ヘンリー8世』の録音がCDとDVDで刊行された<ref>[http://www.worldcat.org/title/henry-viii/oclc/29499717&referer=brief_results "Henry VIII"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20180906195809/http://www.worldcat.org/title/henry-viii/oclc/29499717%26referer%3Dbrief_results |date=6 September 2018 }}, WorldCat. Retrieved 24 February 2015</ref>。『[[エレーヌ (サン=サーンス)|エレーヌ]]』は2008年にCDで発売された<ref>[http://www.worldcat.org/title/helene-poeme-lyrique-in-in-one-act/oclc/699262045&referer=brief_results "Hélène"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20180906233710/http://www.worldcat.org/title/helene-poeme-lyrique-in-in-one-act/oclc/699262045%26referer%3Dbrief_results |date=6 September 2018 }}, WorldCat. Retrieved 24 February 2015</ref>。『サムソンとデリラ』には[[コリン・デイヴィス]]、[[ジョルジュ・プレートル]]、[[ダニエル・バレンボイム]]、[[チョン・ミョンフン]]らの指揮者によって、複数の録音が行われている<ref>March, p. 1131</ref>。
== 栄誉と評価 ==
サン=サーンスは1867年に[[レジオンドヌール勲章]]のシェヴァリエに叙され、1884年にオフィシエに昇級、1913年にグラン・クロワに昇級を果たした。海外の栄典には1902年のイギリス[[ロイヤル・ヴィクトリア勲章]](CVO)、[[ケンブリッジ大学]]の名誉博士号(1893年){{refnest|次の文献は授与年を1892年であるとする<ref>[[伊藤恵子]]『チャイコフスキー』音楽之友社、2005年、172頁。</ref>。}}、[[オックスフォード大学]]の名誉博士号(1907年)がある<ref name=times/><ref>[http://www.ukwhoswho.com/view/article/oupww/whowaswho/U202564 "Saint-Saëns, Camille"], ''Who Was Who'', Oxford University Press, 2014. Retrieved 21 February 2015 {{subscription}}</ref>。さらに1901年にはドイツの[[ヴィルヘルム2世_(ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]から[[プール・ル・メリット勲章]]を授与された{{sfn|Ratner et al.|2001|p=126}}。
[[File:Camille Saint-Saëns tombe intérieur.jpg|thumb|upright|[[モンパルナス墓地]]にあるサン=サーンスの墓。]]
『[[タイムズ]]』紙は、死亡を伝える記事に次のように記している。
{{blockquote|サン=サーンス氏の死は、フランスから国の最大級の作曲家を奪っただけではない。彼の死によって、19世紀に典型的な偉大なる音楽運動の最後の代表者が世界から失われたことになる。彼は活発な精力を保ち当代の活動に非常に近い距離を保ち続けたが故、習慣的に彼をフランス作曲界の「長老」と語るようになっていたとはいえ、彼が音楽史の中に実際に占めていた位置は忘れられがちであった。彼は[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]よりもわずか2歳年少、そして[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]よりも5歳年長、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]より6歳年長、そして[[アーサー・サリヴァン|サリヴァン]]よりも7歳年長なのである。彼が自国の音楽の中で得ていた立ち位置の部分部分は、自身の領域にいたそれらの巨匠たちそれぞれと、ちょうど比べることが出来るだろう<ref name=times>"M. Saint-Saëns", ''The Times'', 19 December 1921, p. 14</ref>。|}}
1890年に『Mea culpa』と題した短詩を発表したサン=サーンスは、その中で堕落を知らぬ己を責め、若さによる過剰な熱意へ賛意を述べつつも、それを自分が持たなかったことを嘆いている{{refn|詩の冒頭部は以下の通り。"''Mea culpa!'' Je m'accuse de n'être point décadent."<ref>Gallois, p. 262</ref>(「メア・カルパ!(私は間違っていた!)」認めよう、私が全く退廃的でなかったことを。){{ws|[[:s:fr:Page:Saint-Saëns - Rimes familières.djvu/21]]|MEA CULPA}} |group= "注"}}。あるイギリスのコメンテーターは1910年にこの詩を引用しつつ、「彼の心は先へ押し進まんと望む若者と共にある、なぜなら彼が当時の進歩的理想に肩入れしていた若き日の自分を忘れていないからだ」と述べている<ref>"M. Saint-Saëns's Essays", ''The Times Literary Supplement'', 23 June 1910, p. 223</ref>。サン=サーンスは革新と伝統的形式の間のバランスを求めていた。評論家の[[ヘンリー・コールズ]]は彼の死から数日後にこう書いている。
{{blockquote|彼の「完全な平衡」を維持するという希望の中に、一般の音楽好きに対するサン=サーンスの訴求の限界が見出される。サン=サーンスは、仮にあったとしても、滅多にリスクを取らない。彼は、さしあたってスラングを使うならば、「自制心を失う」(goes off the deep end) ということがない。同時代の大巨匠は皆していることなのに。ブラームス、チャイコフスキー、そして[[セザール・フランク|フランク]]ですらも、達成したい目的のためであれば全てを犠牲にする用意があり、必要とあらばそこへ至るための試みに嵌りこんでいく。サン=サーンスは自らの平衡を保ち、それによって聴衆が平衡を保つことを可能とするのだ<ref>Colles, H. C. "Camille Saint-Saëns", ''The Times Literary Supplement'', 22 December 1921, p. 853</ref>。|}}
『グローヴ音楽事典』のサン=サーンスの項は次のような言葉で締められている。彼の作品は際立った一貫性を見せる一方で「彼が特色ある音楽スタイルを発展させたとは言えない。むしろ、彼はワグネリアンの影響に飲み込まれる危機に瀕していたフランスの伝統を守り、後進を育成する環境を整えたのである<ref name=g2/>。」
本人の死後、サン=サーンスの音楽に同情的な物書きらは、彼がごく僅かな楽曲、『動物の謝肉祭』、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第3番、交響曲第3番『オルガン付き』、『サムソンとデリラ』、『死の舞踏』、『序奏とロンド・カプリチオーソ』といった作品でしか、音楽好きの人々に知られていない現状に遺憾を表明している。ニコラスは彼の大規模作品の中から、レクイエム、[[クリスマス・オラトリオ (サン=サーンス)|クリスマス・オラトリオ]]、バレエ『ジャヴォット』、[[ピアノ四重奏曲変ロ長調 (サン=サーンス)|ピアノ四重奏曲]]、七重奏曲、ヴァイオリンソナタ第1番を忘れられた傑作として選び出している<ref name=nicholas />。2004年に[[スティーヴン・イッサーリス]]は次のように述べた。「サン=サーンスはまさに彼の音楽祭を開く必要があるような種類の作曲家である(中略)ミサ曲もあって、それらは全て興味深いものだ。彼のチェロ音楽は全て演奏しているが、ひとつたりとも悪い曲はない。彼の作品はあらゆる意味でやり甲斐がある。そして彼は尽きることのない魅力を備えた人物だ<ref name=duchen />。」
「彼の偉大な名声も、またそれに続く軽視も、共に誇張されすぎてきた<ref name=glove1 />」と評されるように、サン=サーンスの音楽はしばしば不公平な評価を受けてきたが{{sfn|Ratner et al.|2001|pp=128-129}}、1980年代ごろからふたたび彼への関心が高まり、再認識が進んでいる{{sfn|Jost|2005|loc=col. 813}}。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group= "注"|30em}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
{{Div col|colwidth=25em}}
* {{Cite book|和書|title=サン=サーンス|series=大作曲家|author=ミヒャエル・シュテーゲマン|translator=西原稔|year=1999|publisher=音楽之友社|ref={{sfnref|シュテーゲマン|1999}}}}
* {{citation|author=Ratner, Sabina Teller (with Harding, James) / Fallon, Daniel M.; Ratner, Sabina Teller|title=The New Grove Dictionary of Music and Musicians|editor-first=Stanley|editor-last=Sadie|year=2001|publisher=Macmillan|edition=Second|volume=22|pages=124-135|contribution=Saint-Saëns, (Charles) Camille|ref={{sfnref|Ratner et al.|2001}}}}
* {{citation|first=Peter|last=Jost|contribution=Saint-Saëns, (Charles-)Camille |title=Die Musik in Geschichte und Gegenwart|editor-first=Ludwig|editor-last=Finscher|publisher=Bärenreiter|year=2005|volume=Personenteil 14|at=col. 803-820|ref={{sfnref|Jost|2005}}}}
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* {{cite book | last = Anderson | first = Keith| title = ''Notes to Naxos CD'' Saint-Saëns, Violin Concertos | year = 2009 | location = Munich| publisher = Naxos | oclc = 671720802}}
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* {{cite book |last=Canarina |first=John |year=2003 |title=Pierre Monteux, Maître |location=Pompton Plains, New Jersey |publisher=Amadeus Press |isbn=978-1-57467-082-0 |url=https://archive.org/details/pierremonteuxmai00cana }}
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* {{cite book | last = Duchen | first = Jessica | year = 2000 | title = Gabriel Fauré | location = London | publisher = Phaidon | isbn = 978-0-7148-3932-5}}
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* {{cite book | last = Huebner | first = Steven | year = 2005 | title = French Opera at the Fin de siècle | location = Oxford | publisher = Oxford University Press | isbn = 978-0-19-518954-4}}
* {{cite book | last= Ivry | first= Benjamin | title= Maurice Ravel: A Life | year= 2000 | location= New York | publisher= Welcome Rain | isbn= 978-1-56649-152-5 | url= https://archive.org/details/mauriceravel00benj }}
* {{cite book | last = Jones | first = J Barrie | year = 1989 | title = Gabriel Fauré – A Life in Letters | location = London | publisher = B T Batsford | isbn = 978-0-7134-5468-0}}
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*{{cite book|last=Kater |first= Michael H |year=1999 | title=The Twisted Muse: Musicians and Their Music in the Third Reich |url=https://books.google.com/books?id=GC0LGe3uzK0C&pg=PA85| location=Oxford |publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-513242-7}}
* {{cite book|last=Kelly |first=Thomas Forrest |author-link=トーマス・フォレスト・ケリー |year=2000 |title=First Nights: Five Musical Premieres |location=New Haven |publisher=Yale University Press |isbn=978-0-300-07774-2}}
* {{cite journal|last=Klein |first=Herman |author-link=ハーマン・クライン |title=Saint-Saëns as I Knew Him |journal=[[ミュージカル・タイムズ|The Musical Times]] |pages=90–93 |date=February 1922 |jstor=910966 |issn=0027-4666 |volume=63 |issue=948 |doi=10.2307/910966}} {{subscription}}
* {{cite book | last = Larner | first = Gerald | title = ''Notes to Chandos CD'' Violin Favourites |url=https://www.chandos.net/chanimages/Booklets/CH8792.pdf | year = 1990 | location = Colchester| publisher = Chandos| oclc = 42524241 }}
* {{cite book | last = Leteuré | first = Stephane | chapter = Saint-Saëns: The Traveling Musician | editor = Jann Passler | title = Saint-Saëns and his World | year = 2012 | location = Princeton | publisher = Princeton University Press | isbn = 978-0-691-15555-5 }}
* {{cite book|editor-last=March|editor-first=Ivan|year=2007|title=Penguin Guide to Recorded Classical Music|location=London|publisher=Penguin|isbn=978-0-141-03336-5|url=https://archive.org/details/penguinguidetore00lond}}
* {{cite book|last=Massenet |first=Jules |author-link=ジュール・マスネ |others=H Villiers Barnett (trans) |title=My Recollections |publisher=Small Maynard |year=1919 |orig-year=1910 |url=https://archive.org/stream/myrecollectionsb00barniala#page/n7/mode/2up |location=Boston|oclc=774419363}}
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* {{cite journal|last=Prod'homme|first=Jacques-Gabriel|author-link=ジャック=ガブリエル・プロドム|title=Camille Saint-Saëns|journal=[[ミュージカル・クォータリー|The Musical Quarterly]]|pages=469–486 |date=October 1922|jstor=737853|issn=0027-4631|volume=8|doi=10.1093/mq/viii.4.469|url=https://zenodo.org/record/2425463/files/article.pdf}} {{subscription}}
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{{Div col end}}
== 関連文献 ==
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== 外部リンク ==
{{commonscat|Camille_Saint-Saëns}} {{Wikiquote}}
* {{IMSLP|id=Saint-Sa%C3%ABns%2C_Camille}}
* {{ChoralWiki}}
* {{Gutenberg author |id=Saint-Saëns,+Camille | name=カミーユ・サン=サーンス}}
* {{Internet Archive author |sname=Camille Saint-Saëns |sopt=w}}
* [https://atom.lib.byu.edu/obps/search/?adv=person%3A%28camille+saint-saëns%29 Search "Camille Saint-Saëns" on OBPS]
* {{Librivox author |id=9483}}
* {{国立国会図書館のデジタル化資料|1017838|音楽の十字街に立つ}}
* {{DNB-Portal|11875081X}}
* {{DDB|Person|11875081X}}
* 中西充弥「[https://research.piano.or.jp/series/saint-saens/index.html 旅するピアニスト サン=サーンス]」 - [[全日本ピアノ指導者協会|ピティナ]] 調査・研究
{{Good article}}
{{デフォルトソート:さんさあんす かみいゆ}}
[[Category:カミーユ・サン=サーンス|*]]
[[Category:フランスの作曲家]]
[[Category:ロマン派の作曲家]]
[[Category:オペラ作曲家]]
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[[Category:20世紀フランスの音楽家]]
[[Category:フランスの理神論者]]
[[Category:レジオンドヌール勲章グランクロワ受章者]]
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[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1835年生]]
[[Category:1921年没]] | 2003-05-06T16:35:32Z | 2023-12-15T09:05:48Z | false | false | false | [
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7,879 | ジュール・マスネ | ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet, 1842年5月12日 - 1912年8月13日)は、フランスの作曲家。オペラで最もよく知られ、その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気があった。現在も特に『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』は頻繁に上演され、主要なオペラハウスのレパートリー演目となっている。『タイス』の間奏曲である『タイスの瞑想曲』は、ヴァイオリン独奏曲としても人気がある。
マスネはフランス、ロワール県モントーで生まれた。モントーは今でこそサン=テチエンヌの都市部の一地区となっているが、当時は辺鄙な小村であった。マスネは1848年、家族とともにパリに移り住む。幼いころから楽才を示し1853年、11歳でパリ国立高等音楽学校へ入学した。 1862年、カンタータ「ダヴィッド・リッツィオ」(David Rizzio)でローマ賞を受賞、3年をローマで過ごした。初めてのオペラは1867年にオペラ=コミック座で上演した一幕ものの作品であったが、彼がチャイコフスキーやグノーに並ぶ賞賛を勝ちえたのはオラトリオ劇『マグダラのマリア』によってである。
マスネは普仏戦争に兵士として従軍し、その間作曲活動を中断したが、1871年に戦争が終わると、創作活動に復帰した。1878年からはパリ国立高等音楽院の教授を務めた。同音楽院での彼の教え子にはギュスターヴ・シャルパンティエ、レイナルド・アーンやシャルル・ケクランなどがいる。彼の最大の成功は、1884年の『マノン』、1892年の『ウェルテル』と1894年の『タイス』である。特筆すべき後の作品として『ドン・キショット(ドン・キホーテ)』があり、1910年にモンテカルロで初演され、ロシアの伝説的バス歌手フョードル・シャリアピンが主役をつとめた。
マスネはリヒャルト・ワーグナーのライトモティーフの技法を使用したが、これにフランス風の軽妙さと叙情性を加えており、甘美なメロディーとフランス的なエスプリが特徴である。ドライで真面目であったヴァンサン・ダンディは、マスネが「秘められた、ほとんど宗教的なエロティシズム」(un érotisme discret et quasi-réligieux )を用いていると批判しているが、生涯を通じてマスネは世界で最も人気のある作曲家であったし、その傑作には今日なお色あせない快活さと魅力がある。マスネは申し分のないメロディメーカーであり、まさに「舞台人」であり、よきにせよ悪きにせよ、誰が聞いても間違いなく彼の作品だとわかるような強い個性を持った、唯一的な芸術家であった。
オペラの他に、バレエ、オラトリオ、カンタータ、オーケストラ作品、また200以上の歌曲を作曲している。幾つかの作品は広範な人気をもち、今でも頻繁に演奏されている。例えば、ヴァイオリン独奏とオーケストラで演奏される『タイス』の『瞑想曲』は殊に有名であるし、ピアノの練習曲としてよく用いられる、オペラ『ル・シッド』の「アラゴネーズ」や歌曲『エレジー』もよく知られる。
マスネのオペラ作品一覧も参照
ピアノ曲 トッカータ | [
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"text": "ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet, 1842年5月12日 - 1912年8月13日)は、フランスの作曲家。オペラで最もよく知られ、その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気があった。現在も特に『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』は頻繁に上演され、主要なオペラハウスのレパートリー演目となっている。『タイス』の間奏曲である『タイスの瞑想曲』は、ヴァイオリン独奏曲としても人気がある。",
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] | ジュール・エミール・フレデリック・マスネは、フランスの作曲家。オペラで最もよく知られ、その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気があった。現在も特に『マノン』、『ウェルテル』、『タイス』は頻繁に上演され、主要なオペラハウスのレパートリー演目となっている。『タイス』の間奏曲である『タイスの瞑想曲』は、ヴァイオリン独奏曲としても人気がある。 | {{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
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'''ジュール・エミール・フレデリック・マスネ'''(Jules Emile Frédéric Massenet, [[1842年]][[5月12日]] - [[1912年]][[8月13日]])は、[[フランス]]の[[作曲家]]。[[オペラ]]で最もよく知られ、その作品は19世紀末から20世紀初頭にかけて大変人気があった。現在も特に『[[マノン (オペラ)|マノン]]』、『ウェルテル』、『タイス』は頻繁に上演され、主要なオペラハウスのレパートリー演目となっている。『タイス』の間奏曲である『[[タイスの瞑想曲]]』は、ヴァイオリン独奏曲としても人気がある。
== 生涯 ==
マスネはフランス、[[ロワール県]]モントーで生まれた。モントーは今でこそ[[サン=テチエンヌ]]の都市部の一地区となっているが、当時は辺鄙な小村であった。マスネは[[1848年]]、家族とともに[[パリ]]に移り住む。幼いころから楽才を示し[[1853年]]、11歳で[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ国立高等音楽学校]]へ入学した。 [[1862年]]、カンタータ「ダヴィッド・リッツィオ」(David Rizzio)で[[ローマ賞]]を受賞、3年をローマで過ごした。初めてのオペラは[[1867年]]に[[オペラ=コミック座]]で上演した一幕ものの作品であったが、彼が[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]や[[シャルル・グノー|グノー]]に並ぶ賞賛を勝ちえたのは[[オラトリオ]]劇『マグダラのマリア』によってである。
マスネは[[普仏戦争]]に兵士として従軍し、その間作曲活動を中断したが、[[1871年]]に戦争が終わると、創作活動に復帰した。[[1878年]]からはパリ国立高等音楽院の教授を務めた。同音楽院での彼の教え子には[[ギュスターヴ・シャルパンティエ]]、[[レイナルド・アーン]]や[[シャルル・ケクラン]]などがいる。彼の最大の成功は、[[1884年]]の『[[マノン (オペラ)|マノン]]』、[[1892年]]の『[[ウェルテル (オペラ)|ウェルテル]]』と[[1894年]]の『[[タイス (オペラ)|タイス]]』である。特筆すべき後の作品として『[[ドン・キショット]](ドン・キホーテ)』があり、[[1910年]]に[[モンテカルロ]]で初演され、[[ロシア]]の伝説的バス歌手[[フョードル・シャリアピン]]が主役をつとめた。
マスネは[[リヒャルト・ワーグナー]]の[[ライトモティーフ]]の技法を使用したが、これにフランス風の軽妙さと叙情性を加えており、甘美なメロディーとフランス的なエスプリが特徴である。ドライで真面目であった[[ヴァンサン・ダンディ]]は、マスネが「秘められた、ほとんど宗教的なエロティシズム」(''un érotisme discret et quasi-réligieux'' )を用いていると批判しているが、生涯を通じてマスネは世界で最も人気のある作曲家であったし、その傑作には今日なお色あせない快活さと魅力がある。マスネは申し分のないメロディメーカーであり、まさに「舞台人」であり、よきにせよ悪きにせよ、誰が聞いても間違いなく彼の作品だとわかるような強い個性を持った、唯一的な芸術家であった。
オペラの他に、[[バレエ]]、[[オラトリオ]]、[[カンタータ]]、オーケストラ作品、また200以上の歌曲を作曲している。幾つかの作品は広範な人気をもち、今でも頻繁に演奏されている。例えば、ヴァイオリン独奏とオーケストラで演奏される『タイス』の『[[タイスの瞑想曲|瞑想曲]]』は殊に有名であるし、ピアノの練習曲としてよく用いられる、オペラ『ル・シッド』の「アラゴネーズ」や歌曲『エレジー』もよく知られる。
== 作品リスト ==
[[マスネのオペラ作品一覧]]も参照
=== オペラ ===
* ''{{仮リンク|大伯母 (マスネ)|label=大伯母|en|La grand'tante}}'' - 1867
* ''{{仮リンク|バザンのドン・セザール|en|Don César de Bazan}}'' - 1872
* ''{{仮リンク|ラオールの王|en|Le roi de Lahore}}'' - 1877
* ''[[エロディアード]](Hérodiade)'' - 1881
* ''[[マノン (オペラ)|マノン]]'' - 1884
* ''[[ル・シッド (マスネ)|ル・シッド]]'' - 1885
* ''{{仮リンク|エスクラルモンド|en|Esclarmonde}}'' - 1889
* ''{{仮リンク|ル・マージュ(東方の三賢人)|fr|Le Mage (opéra)}} (Le Mage)'' - 1891
* ''[[ウェルテル (オペラ)|ウェルテル]]'' - 1892
* ''[[タイス (オペラ)|タイス]]'' - 1894 - (曲中の[[タイスの瞑想曲]]が特に有名)
* ''{{仮リンク|マノンの肖像|en|Le portrait de Manon}}'' - 1894
* ''[[ナヴァラの娘]]'' - 1894
* ''{{仮リンク|サッフォー (マスネ)|label=サッフォー|en|Sapho (Massenet)}}'' - 1897
* ''[[サンドリヨン (マスネ)|サンドリヨン]](シンデレラ)'' - 1899
* ''{{仮リンク|グリゼリディス|fr|Grisélidis}}'' - 1901
* ''[[ノートルダムの曲芸師]]'' - 1902
* ''[[天使ケルビム]]'' - 1903
* ''{{仮リンク|シェリュバン|en|Chérubin}}'' - 1905
* ''{{仮リンク|アリアーヌ (マスネ)|label=アリアーヌ|en|Ariane (Massenet)}}'' - 1906
* ''{{仮リンク|テレーズ (マスネ)|en|Thérèse (opera)|label=テレーズ}}'' - 1907
* ''{{仮リンク|バッカス (マスネ)|label=バッカス|en|Bacchus (opera)}}'' - 1909
* ''[[ドン・キショット]]([[ドン・キホーテ#音楽|ドン・キホーテ]])'' - 1910
* ''{{仮リンク|ローマ (マスネ)|label=ローマ|en|Roma (opera)}} '' - 1912
* ''{{仮リンク|パニュルジュ|en|Panurge (opera)}}'' - 1913
* ''{{仮リンク|クレオパトラ (マスネ)|fr|Cléopâtre (opéra)|label=クレオパトラ}}'' - 1914
* ''{{仮リンク|アマディス|en|Amadis (Massenet)}}(Amadis)'' - 1922
=== オラトリオとカンタータ ===
*''ダヴィド・リッジオ'' (David Rizzio)- 1863
*''{{仮リンク|マグダラのマリア (オラトリオ)|label=マグダラのマリア|fr|Marie-Magdeleine (opéra)|en|Marie-Magdeleine}}''(Marie-Magdeleine) - 1873
*''{{仮リンク|エヴ(マスネ)|label=エヴ|fr|Ève (Massenet)|de|Ève (Oratorium)}}'' (Ève)- 1875
*''ナルシス''(Narcisse) - 1877
*''{{仮リンク|聖処女(マスネ)|label=聖処女|fr|La Vierge}}'' (La Vierge)- 1880
*''Biblis'' - 1886
*''{{仮リンク|約束の土地(マスネ)|label=約束の土地|en|La Terre Promise}}'' (La Terre Promise)- 1900
=== バレエ ===
*''[[鐘 (マスネ)|鐘]]'' - 1892
*''{{仮リンク|蝉 (マスネ)|label=蝉|en|Cigale (ballet)}}'' - 1904
*''エスパーダ'' - 1908
ピアノ曲
トッカータ
=== 管弦楽 ===
*''組曲第1番''- 1867
*''組曲第2番 Scènes Hongroises'' ''[[ハンガリーの風景 (マスネ)|ハンガリーの風景]]'' - 1870
*''組曲第3番 Scènes Dramatiques'' ''[[劇的風景]]'' - 1873
*''組曲第4番 Scènes Pittoresques'' ''[[絵のような風景]]'' - 1874
*''組曲第5番 Scènes Napolitaines'' ''[[ナポリの風景]]'' - 1876
*''組曲第6番 Scènes de Féerie'' ''[[おとぎの国の風景]]'' - 1881
*''組曲第7番 Scènes Alsaciennes'' ''[[アルザスの風景]]'' - 1882
*''Fantaisie pour violoncelle et orchestre'' - 1897
*''Concerto pour piano et orchestre'' - 1903
== 関連項目 ==
* [[モンテカルロ市街地コース]] - [[フォーミュラ1|F1]][[モナコグランプリ]]の開催地。「マスネ」コーナーがある。
== 外部リンク ==
{{commonscat|Operas by Massenet}}
* {{IMSLP|id=Massenet,_Jules|cname=ジュール・マスネ}}
== 脚注 ==
<references />
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ますね しゆる}}
[[Category:フランスの作曲家]]
[[Category:ロマン派の作曲家]]
[[Category:オペラ作曲家]]
[[Category:ベルギー王立アカデミー会員]]
[[Category:パリ国立高等音楽・舞踊学校の教員]]
[[Category:サン=テティエンヌ出身の人物]]
[[Category:1842年生]]
[[Category:1912年没]] | 2003-05-06T16:40:32Z | 2023-12-30T14:36:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%8D |
7,880 | タイスの瞑想曲 | タイスの瞑想曲(タイスのめいそうきょく、"Méditation" (発音: [meditasjɔ̃]) )は、ジュール・マスネが作曲した歌劇『タイス』(1894年3月16日ガルニエ宮で初演)の第2幕第1場と第2場の間の間奏曲。その甘美なメロディーによって広く知られている。本来はオーケストラと独奏楽器(ヴァイオリン)にコーラスの形であるが、室内楽編曲も多い。
日本における演奏(録音)のもっとも早い例として、1935年に15歳の諏訪根自子がSPレコード(コロムビアレコード)で録音を残している。
「タイスの瞑想曲」は、オペラ『タイス』の第2幕の第1場と第2場の間で演奏される器楽の間奏曲(w:entr'acte)である。 第2幕第1場で、修道僧アタナエルは、美貌の快楽主義の高級娼婦(クルチザンヌ)でヴィーナスの巫女の、タイス(アレクサンドリアの聖タイス)に対峙して、豪奢で享楽的な生活から離れ、神を通じた救いを見出すように彼女を説得する。 出会いの後のタイスの熟慮の間に、「瞑想曲」が管弦楽によって演奏される。 「瞑想曲」の後の第2幕の第2場で、タイスはアタナエルに、自分は砂漠へと彼を追っていくことを告げる。
本作はニ長調の作品でおよそ5分程度の演奏時間である(無数の楽曲解釈によって6分程度になるものもある)。 マスネはまた宗教的意図を伴った作品として書いた。彼の、本作は宗教的雰囲気で(厳密な速度で、あるいは文字通り宗教的な感情でのどちらを意味しうる) 、歩くようなテンポで演奏されるべきであるという意図を表して速度の指示は「宗教的なアンダンテ("Andante religioso")」である。
ハープによる短い導入部をともない始まり、ヴァイオリンの独奏ですぐに、Fis-D-A-D-Fis-H-Cis-Dのメロディで有名な主題に入る。ヴァイオリンが2度メロディを演奏した後、「いきいきに(animato)」と指示された部分へと中間部へ入り次第に情熱的になっていく(マスネはpoco a poco appassionatoと書いている)。中間部は同主調ニ短調におさまらない複雑なものである。クライマックスは「すこし情熱的に(poco piu appassionato)」と指示された部分へと到達し、それからソロによる短いカデンツァのようなパッセージへと続き、主題へと戻る。これは形式に通りの再現部である主題が2度演奏された後、ハープと、弦が静かにソロラインの下支えをし、ソロヴァイオリンは和声の上に当たる部分を演奏し、ソロはオーケストラと一緒になる。コーダはヴァイオリンのフラジオレットなどを使用した優美なもので「甘美で静かに("dolce e calmato")」終わる。
本作は、ヴァイオリン独奏、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン4、コーラスSATB、ハープ2と弦5部で演奏される。
ソロバイオリンは、総じてコンサートマスターによって演奏されるか特別なソリストがオーケストラの前に立って演奏する。
コーラスはマスネによって、オペラのセットのカーテンを後ろで歌うフルコーラスと演奏会場のオーケストラの間に座った5人から8人のソロによって歌うように指示されている。
アンコール曲の定番として知られ、ジョシュア・ベル、サラ・チャン、アンネ=ゾフィー・ムター、イツァーク・パールマン、マキシム・ヴェンゲーロフといった世界的なバイオリニストが各地の有名オーケストラとの共演でこの曲を演奏している。ピアノ伴奏用に編曲された版や、バイオリン以外の楽器に編曲された版もあり、ジュール・デルサールがチェロ用に編曲した版をヨーヨー・マがキャサリン・ストットのピアノ伴奏で録音しているほか、フルートのジェームズ・ゴールウェイ、ユーフォニウムのアダム・フレイ、トランペットのセルゲイ・ナカリャコフといったソリストが、オーケストラ伴奏で演奏した実績もある。
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[[File:JMassenet.jpg|thumb|185px|ジュール・マスネ([[ナダール]]撮影)]]
'''タイスの瞑想曲'''(タイスのめいそうきょく、'''"Méditation"''' ({{IPA-fr|meditasjɔ̃|pron}}) )は、[[ジュール・マスネ]]が作曲した[[オペラ|歌劇]]『[[タイス (オペラ)|タイス]]』([[1894年]]3月16日[[ガルニエ宮]]で初演)の第2幕第1場と第2場の間の[[間奏曲]]。その甘美な[[メロディー]]によって広く知られている。本来は[[オーケストラ]]と独奏楽器(ヴァイオリン)にコーラスの形であるが、[[室内楽]]編曲も多い。
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==概要 ==
{{Listen
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| title = ''Meditation''
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===オペラ『タイス』での使用例 ===
{{main|タイス (オペラ)}}
「タイスの瞑想曲」は、オペラ『タイス』の第2幕の第1場と第2場の間で演奏される器楽の間奏曲(''[[:w:entr'acte]]'')である。
第2幕第1場で、[[修道僧]]アタナエルは、美貌の[[快楽主義]]の高級娼婦([[クルチザンヌ]])で[[ヴィーナス]]の巫女の、タイス([[アレクサンドリア]]の[[タイス (キリスト教の聖人)|聖タイス]])に対峙して、豪奢で享楽的な生活から離れ、神を通じた救いを見出すように彼女を説得する。
出会いの後のタイスの熟慮の間に、「瞑想曲」が[[管弦楽]]によって演奏される。
「瞑想曲」の後の第2幕の第2場で、タイスはアタナエルに、自分は砂漠へと彼を追っていくことを告げる。
===『瞑想曲』===
本作は[[ニ長調]]の作品でおよそ5分程度の演奏時間である(無数の楽曲解釈によって6分程度になるものもある)。
マスネはまた宗教的意図を伴った作品として書いた。彼の、本作は宗教的雰囲気で(厳密な速度で、あるいは文字通り宗教的な感情でのどちらを意味しうる) 、歩くようなテンポで演奏されるべきであるという意図を表して速度の指示は「宗教的な[[アンダンテ]]("[[wikt:andante|Andante]] [[wikt:religioso|religioso]]")」である。
[[ハープ]]による短い導入部をともない始まり、[[ヴァイオリン]]の独奏ですぐに、Fis-D-A-D-Fis-H-Cis-Dのメロディで有名な主題に入る。ヴァイオリンが2度メロディを演奏した後、「いきいきに(''animato'')」と指示された部分へと中間部へ入り次第に情熱的になっていく(マスネは''poco a poco appassionato''と書いている)。中間部は[[同主調]][[ニ短調]]におさまらない複雑なものである。クライマックスは「すこし情熱的に(''poco piu appassionato'')」と指示された部分へと到達し、それからソロによる短い[[カデンツァ]]のような[[パッセージ]]へと続き、主題へと戻る。これは形式に通りの再現部である主題が2度演奏された後、ハープと、弦が静かにソロラインの下支えをし、ソロヴァイオリンは[[和声]]の上に当たる部分を演奏し、ソロはオーケストラと一緒になる。[[コーダ (音楽)|コーダ]]はヴァイオリンの[[フラジオレット]]などを使用した優美なもので「甘美で静かに("dolce e calmato")」終わる。
==オーケストラ==
本作は、ヴァイオリン独奏、[[フルート]]2、[[オーボエ]]2、[[イングリッシュホルン]]、[[クラリネット]]、[[バスクラリネット]]、[[ファゴット]]、[[コントラファゴット]]、[[ホルン]]4、[[合唱|コーラス]][[:w:SATB|SATB]]、[[ハープ]]2と[[弦5部]]で演奏される。
ソロバイオリンは、総じて[[コンサートマスター]]によって演奏されるか特別なソリストがオーケストラの前に立って演奏する。
コーラスはマスネによって、オペラのセットのカーテンを後ろで歌うフルコーラスと演奏会場のオーケストラの間に座った5人から8人の[[ソロ (音楽)|ソロ]]によって歌うように指示されている。
==演奏と翻案 ==
アンコール曲の定番として知られ、[[ジョシュア・ベル]]、[[サラ・チャン]]、[[アンネ=ゾフィー・ムター]]、[[イツァーク・パールマン]]、[[マキシム・ヴェンゲーロフ]]といった世界的なバイオリニストが各地の有名オーケストラとの共演でこの曲を演奏している。ピアノ伴奏用に編曲された版や、バイオリン以外の楽器に編曲された版もあり、[[ジュール・デルサール]]がチェロ用に編曲した版を[[ヨーヨー・マ]]が[[キャサリン・ストット]]のピアノ伴奏で録音しているほか、フルートの[[ジェームズ・ゴールウェイ]]、ユーフォニウムのアダム・フレイ、トランペットの[[セルゲイ・ナカリャコフ]]といったソリストが、オーケストラ伴奏で演奏した実績もある。
<!--
==振付 ==
The British choreographer [[Frederick Ashton]] created a balletic [[pas de deux]] from the ''Méditation''. Premiered on 21 March 1971, the piece was created on [[Antoinette Sibley]] and [[Anthony Dowell]] of [[The Royal Ballet]] and performed at the Adelphi Theatre as part of a Gala Performance. The piece is not related to the plot of the opera, but resembles a vision scene, with Sibley resembling "a disembodied, weightless spirit",<ref>Vaughan, p. 379</ref> and features costumes by Dowell. It was so well received at its first performance that Ashton had to announce an immediate encore, and [[Marie Rambert]] considered it one of Ashton's three masterpieces (along with [[Symphonic Variations (ballet)|Symphonic Variations]] and [[La fille mal gardée (Ashton)|La fille mal gardée]]). There is a recording of the piece that was shown on [[BBC Television]] and the pas de deux was featured in the international cinema screening [http://cinema.roh.org.uk/content/the-royal-ballet-dances-frederick-ashton-monday-15-july-2013 The Royal Ballet Dances Frederick Ashton] from the [[Royal Opera House]] in 2013.
-->
==著名な録音 ==
* 1985 – [[イヴリー・ギトリス]] – 練木繁夫 – EMI Classics
* 1993 – [[アンネ=ゾフィー・ムター]] – [[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]] – [[ドイツ・グラモフォン]]
* 1996 – [[ジェームズ・ゴールウェイ]] – [[ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団]] – [[RCA]]
* 1999 – リンダ・ブラーヴァ – ジョン・レネハン – EMI Classics
* 2001 – [[マキシム・ヴェンゲーロフ]], Vag Papian – [[EMI]]
* 2002 – [[サラ・チャン]] – [[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]] – [[EMI]]
* 2003 – [[ヨーヨー・マ]], キャサリン・ストット – [[EMI]]
* 2004 – [[ジョシュア・ベル]] – [[ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団]] – [[デッカ・レコード|Decca]]
* 2009 - [[ニコラ・ベネデッティ]] - [[ロンドン交響楽団]] - Decca
== 注釈==
{{reflist}}
==参考資料 ==
*{{cite web
|last = Wagner
|first = Paul
|date =
|title = Thaïs: An Opera by Jules Massenet
|publisher = Music with Ease
|url = http://www.musicwithease.com/massenet-thais.html
|accessdate = 2009-02-12
|ref=refWagner}}
*{{cite web
|last =
|first =
|date =
|title = Synopsis of Thaïs
|publisher = Metropolitan Opera
|url = http://www.metoperafamily.org/metopera/history/stories/synopsis.aspx?id=270
|accessdate = 2009-02-12
|ref=refMetropolitanOpera}}
*{{cite web
|last =
|first =
|date =
|title = Thaïs: performance on violin in videoclip
|publisher = [[Evelien Graat]] (violinist)
|url = http://www.youtube.com/watch?v=e0xb67oi3mw
|accessdate = 2009-08-19
|ref=e.graat}}
*{{cite web
|last = Aguinaga
|first = Idara
|date =
|title = Méditation (Thaïs): Live "Concert Performance" on Violin - Videoclip
|publisher = [[Idara Aguinaga]] (violinist)
|url = https://www.youtube.com/watch?v=rvX9Kd0bl5o
|accessdate = 2015-06-26
|ref=I.Aguinaga}}
* Vaughan, David. ''Frederick Ashton and his Ballets'', Dance Books, London, 1999.
== 外部リンク ==
*[http://cantorion.org/music/723/Tha%C3%AFs_M%C3%A9ditation Free sheet music] of Méditation on ''Cantorion.org''
*[http://traffic.libsyn.com/gardnermuseum/massenet_meditation.mp3 Recording of "Méditation"] performed by [[:w:Nicola Benedetti]], violin and Julien Quentin, piano from the [[:w:Isabella Stewart Gardner Museum]] in [[MP3]] format
* [http://www.jttk.zaq.ne.jp/dolce/doc/midroom/file21.html 演奏例] 音が出るので注意
{{classic-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:たいすのめいそうきよく}}
[[Category:管弦楽曲]]
[[Category:マスネの楽曲]]
[[Category:オペラの中の楽曲]]
[[Category:ヴァイオリンのための楽曲]]
[[Category:ニ長調]] | null | 2023-03-21T15:28:07Z | false | false | false | [
"Template:Normdaten",
"Template:Portal クラシック音楽",
"Template:IPA-fr",
"Template:Listen",
"Template:Main",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Classic-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9E%91%E6%83%B3%E6%9B%B2 |
7,881 | UIMカード | UIMカード(英: User Identity Module Card)またはUSIMカード(英: Universal Subscriber Identity Module Card)は、GSM携帯電話で使われているSIMカードをベースにして拡張された第3世代移動通信システムのうち、W-CDMA(UMTS)方式用に用いられるICカード。特に区別せずに「SIMカード」と呼ばれることもある。
電話番号などの個人情報はUIMカードに書かれているため、カードを交換することで、別の携帯電話機でも利用することができる。国外などで通信方式の違う国際ローミングの場合でも、対応電話機へUIMカードを入れ換える(プラスチックローミング)ことで利用できる(一部の端末では端末とUSIMカードの認証を行っているため、USIMカードの差し替えでは動作しない場合がある)。
日本国内オペレータの場合、概ね大日本印刷とジェムアルト日本法人(端子仕様として、統合前のアクサルト日本法人と日本ジェムプラスの2種類がある)のいずれかが製造元となっている(NTTドコモのみ両方存在する)。ソフトバンクモバイルのプリペイドUSIMカードが採用するG&D(ただし、DNPからのOEM版も存在する)などに一部例外がある。
FOMA(NTTドコモ)のFOMAカードやドコモUIMカード(ドコモUIMカードは、LTEサービスであるXiおよび厳密な意味での4Gの要件のひとつであるキャリア・アグリゲーション対応のサービスのPREMIUM 4G対応機契約時に発行されるが、取扱店でのFOMAカードの在庫がなくなり次第、FOMA契約でも発行される)、SoftBank 3G(ソフトバンクのSoftBankブランド)のSoftBank 3G USIMカード、旧:イー・アクセスのEM chipなどのW-CDMA機や、KDDIのVoLTE対応機専用品や、3G通信非対応のタブレット向けのau ICカードで使われる(VoLTE専用端末以外等に使用するものは、後述のようにR-UIMカードとなり厳密には異なる仕様となる)。ソフトバンクの場合は、利用端末や契約形態によって数種類のカードに分けられている。
MVNO事業者の場合、独自のUIMカードを発行するケース(ディズニー・モバイルのディズニー・モバイルUSIMカード等)とMNOと同一のもの(2010年9月以前のWILLCOM CORE 3GのFOMAカードなど)を採用する事業者が存在する。
CDMA 1X WIN(au(KDDI / 沖縄セルラー電話))のau ICカードは、CDMA2000方式とGSM方式のデュアルであることから、R-UIMカード(Removable User Identity Module card)として、UIMカードとは区別して呼ばれる。また、国際規格としては、CDMA仕様のSIMカードとして、CSIMカード(英語版)と呼ばれるものがあり、これにGSMでも使えるようにしたものが、実質的にはR-UIMカードといえる。一般的に、W-CDMAが使えるかCDMA2000が使えるかの違い以外の差異はそれほど無いものの、厳密には異なる仕様となっている。
なお、VoLTE対応版およびLEと名のつくカードは、CDMA通信に非対応のため、正式なUIMカードとなる。 | [
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] | UIMカードまたはUSIMカードは、GSM携帯電話で使われているSIMカードをベースにして拡張された第3世代移動通信システムのうち、W-CDMA(UMTS)方式用に用いられるICカード。特に区別せずに「SIMカード」と呼ばれることもある。 | {{Redirect|UIM|多言語入力メソッドフレームワーク|uim}}
[[File:NTT docomo UIM card DN04 IC.jpg|thumb|100px|[[ドコモ]]UIMカード DN04(バージョン4)]]
{{出典の明記|date=2012年7月5日 (木) 12:45 (UTC)}}
'''UIMカード'''({{Lang-en-short|User Identity Module Card}})または'''USIMカード'''({{Lang-en-short|Universal Subscriber Identity Module Card}})は、[[GSM]][[携帯電話]]で使われている[[SIMカード]]をベースにして拡張された[[第3世代移動通信システム]]のうち、[[W-CDMA]](UMTS)方式用に用いられる[[ICカード]]。特に区別せずに「SIMカード」と呼ばれることもある。
<!-- {{Main|http://en.wikipedia.org/wiki/Subscriber_Identity_Module#USIM en:Subscriber Identity Module#USIM}} -->
== 概要 ==
[[電話番号]]などの[[個人情報]]はUIMカードに書かれているため、カードを交換することで、別の携帯電話機でも利用することができる。国外などで通信方式の違う国際[[ローミング]]の場合でも、対応電話機へUIMカードを入れ換える([[プラスチックローミング]])ことで利用できる(一部の端末では端末とUSIMカードの認証を行っているため、USIMカードの差し替えでは動作しない場合がある)。
[[日本]]国内オペレータの場合、概ね[[大日本印刷]]と[[ジェムアルト]]日本法人(端子仕様として、統合前の[[アクサルト]]日本法人と日本ジェムプラスの2種類がある)のいずれかが製造元となっている(NTTドコモのみ両方存在する)。ソフトバンクモバイルのプリペイドUSIMカードが採用する[[ギーゼッケ アンド デブリエント|G&D]](ただし、[[大日本印刷|DNP]]からのOEM版も存在する)などに一部例外がある。
=== 具体例 ===
[[FOMA]]([[NTTドコモ]])のFOMAカードや[[ドコモUIMカード]](ドコモUIMカードは、[[Long Term Evolution|LTE]]サービスである[[Xi (携帯電話)|Xi]]および'''厳密な意味での4G'''の要件のひとつであるキャリア・アグリゲーション対応のサービスの[[PREMIUM 4G]]対応機契約時に発行されるが、取扱店でのFOMAカードの在庫がなくなり次第、FOMA契約でも発行される)、[[SoftBank 3G]]([[ソフトバンク]]の[[SoftBank (携帯電話)|SoftBankブランド]])の[[SoftBank 3G USIMカード]]、旧:[[イー・アクセス]]の[[EM chip]]などの[[W-CDMA]]機や、[[KDDI]]の[[VoLTE]]対応機専用品や、3G通信非対応のタブレット向けの[[au ICカード]]で使われる(VoLTE専用端末以外等に使用するものは、後述のようにR-UIMカードとなり厳密には異なる仕様となる)。ソフトバンクの場合は、利用端末や契約形態によって数種類のカードに分けられている。
[[仮想移動体通信事業者|MVNO]]事業者の場合、独自のUIMカードを発行するケース([[ディズニー・モバイル]]のディズニー・モバイルUSIMカード等)と[[移動体通信事業者|MNO]]と同一のもの([[2010年]]9月以前の[[WILLCOM CORE 3G]]のFOMAカードなど)を採用する事業者が存在する。
<gallery>
ファイル:FomaCard blue.JPG|[[ドコモUIMカード|FOMAカード]] DN01(バージョン1)
ファイル:FomaCard_AX02.jpg|FOMAカード AX02(バージョン2)
ファイル:NTT DoCoMo FOMA card chip green.jpg|FOMAカード DN02(バージョン2)
ファイル:FomaCard_GE02.jpg|FOMAカード GE02(バージョン2/初期型端子仕様版)
ファイル:NTT-DoCoMo-FOMA-SIM-Card.jpg|FOMAカード AX03(バージョン3/旧ドコモロゴ版)
ファイル:Docomo-uim-ge03 2.jpg|FOMAカード GE03(バージョン3)
ファイル:FomaCard_AX03.jpg|FOMAカード AX03(バージョン3/新ドコモロゴ版)
ファイル:NTT DoCoMo FOMA card chip new white.jpg|FOMAカード DN03(バージョン3/新ドコモロゴ版)
ファイル:NTT docomo UIM card DN04 IC.jpg|ドコモUIMカード DN04(バージョン4)
ファイル:DocomoMicroUimCard_AX04.jpg|ドコモminiUIMカード AX04m(バージョン4)
ファイル:NTTdocomo NanoUimCard GD04n.JPG|ドコモnanoUIMカード GD04n(バージョン4)
ファイル:NTTdocomo AX05m miniUIM Version5.jpg|ドコモminiUIMカード AX05m(バージョン5)
ファイル:NTTdocomo ドコモminiUIMカード DN05m.JPG|ドコモminiUIMカード DN05m(バージョン5)
</gallery>
<gallery>
ファイル:SoftBank_3G_USIM_Card.jpg|[[SoftBank 3G USIMカード]](GEM)
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ファイル:EM chip black.jpg|[[EM chip]](黒色/音声端末用)
ファイル:EM chip red.jpg|EM chip(赤色/データ通信端末用)
ファイル:EM Chip LTE.JPG|EM chip LTE(黒色/LTE対応データ端末用)
</gallery>
<gallery>
File:Em4g-s-sim.jpg|[[EMOBILE 4G-S]] USIMカード
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<gallery>
File:Em4g-s-sim-pin.jpg|[[Y!mobile]]の音声用USIMカードmicro
File:N111-chip.jpg|Y!mobileの音声用USIMカードnano
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==== R-UIMカード ====
{{Main|en:Removable User Identity Module}}
[[CDMA 1X WIN]]([[au (携帯電話)|au]](KDDI / [[沖縄セルラー電話]]))のau ICカードは、[[CDMA2000]]方式と[[GSM]]方式のデュアルであることから、'''R-UIMカード'''(Removable User Identity Module card)として、UIMカードとは区別して呼ばれる。また、国際規格としては、[[CDMA]]仕様のSIMカードとして、{{仮リンク|CSIMカード|en|CDMA Subscriber Identify Module}}と呼ばれるものがあり、これにGSMでも使えるようにしたものが、実質的にはR-UIMカードといえる。一般的に、W-CDMAが使えるかCDMA2000が使えるかの違い以外の差異はそれほど無いものの、厳密には異なる仕様となっている。
なお、VoLTE対応版およびLEと名のつくカードは、CDMA通信に非対応のため、正式なUIMカードとなる。
<gallery>
ファイル:Au_ic_card.jpg|[[au ICカード]] Ver.001/R-UIM
ファイル:Au IC-Card ver.002.jpg|au ICカード Ver.002/R-UIM
</gallery>
<!-- == 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}} -->
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|SIM cards|SIMカード}}
* [[SIMカード]]
* [[ドコモUIMカード]]
* [[au ICカード]](R-UIMカード)
* [[SoftBank 3G USIMカード]]
* [[EM chip]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{Keitai-stub}}
{{DEFAULTSORT:UIMかあと}}
[[Category:ICカード]]
[[Category:携帯電話]]
[[Category:GSM]]
[[Category:国際ローミング]]
[[en:Universal Subscriber Identity Module]]
[[ko:USIM 카드]] | null | 2023-03-19T11:15:14Z | false | false | false | [
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"Template:Lang-en-short",
"Template:Main",
"Template:仮リンク",
"Template:Commonscat",
"Template:Keitai-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/UIM%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89 |
7,883 | Uniform Resource Identifier | Uniform Resource Identifier(ユニフォーム リソース アイデンティファイア、URI)または統一資源識別子(とういつしげんしきべつし)とは、抽象的または物理的なリソースを識別するためのコンパクトな文字列のことである。また、一定の書式によってリソース(資源)を指し示す識別子である。1998年8月に RFC 2396 として規定され、2005年1月に RFC 3986 として改定された。URI はUniform Resource Locator (URL) の考え方を拡張したものである。URIによって示されるリソースは限定されておらず、インターネット上に存在しない対象や抽象的な概念を示す場合もある。
URI には、以下の2つのサブセットがある。
2001年、W3CはRFC 3305内で、上記の考え方を古典的な見解とした。ここで示されたW3Cの新たな考え方により、従来のURLとURNとはすべてURIと呼ばれることになった。URLやURNといった語はW3Cによって非公式な表現とされた。
2012年、WHATWGによってURL Standardの開発が開始された。URL Standardでは、目標の1つとしてRFC 3986 (URI)とRFC 3987 (IRI)を過去のものにすることを掲げている。また、従来のURIやIRIを区別する必要が無いとして、すべてURLの語を用いている。さらに、W3Cでも、このURL Standardのスナップショットをワーキンググループノートとして公開している。
以下のURI共通構文はすべてのスキーム構文で扱うスーパーセットの定義である。なおこの節(下位含む)では2005年1月に発表された RFC 3986 を主に出典とする。
URIの長さは {{IETF RFC|3986}} 、URL Standard共に255文字までと定められているが、URL Standardでは「有効なIPv4アドレス」が付け加えられている。
構文図(英語版)と各コンポーネントの解説は次の通り。
上記で列挙した文字は、URI共通構文で区切りとして予約された文字(Reserved Characters)である為、コンポーネント内で直接使用することはできない。なお[と](角括弧)はIPv6の区切り文字である。sub-delimsはURIスキームの仕様によって定義されることがある。
パーセントエンコーディング(Percent-Encoding)は上記で列挙した予約文字などをURIで使えるよう、別の形式に変換する。名前のとおり、パーセント記号%とオクテットを16進数で表現した文字を組み合わせた形式で表す。例えばスペース(空白)文字 をパーセントエンコーディングすると%20に変換される。
予約されていない文字(Unreserved Characters)には制約無く、コンポーネント内で自由に使える文字。予約されていない文字は次の通り({{IETF RFC|3986}} 第2章3節)。
なおチルダ~は古いURIの仕様によってしばしば%7eに変換される事がある。しかしてチルダ含め、予約されていない文字の変換は必要無い。
http/httpsスキームの構文を使った例:
#共通構文と同じコンポーネントの解説は除く。
userinfo(ユーザー情報、認証情報)はホスト:ポートよりも先に記載する必要がある。開始の区切り文字は無く、@(アットマーク)で区切る事でユーザー情報の終わりを示す。ユーザー情報の形式はuser:passwordである。URIにユーザー情報が付加され、かつその情報が正しければウェブブラウザは認証ダイアログを表示せずプライベートページを表示させることができる。認証情報を平文で示す為、パスワードを含んだ認証情報は非推奨である。これはURL Standardでも同様である。
host(ホスト)はhttp/httpsスキームにおいて必要な権限であり、省略することはできない。port(ポート)はスキームのデフォルトポートであれば省略できる。
クエリはパスに対しての引数であるがその構文は明確的に示されてない。一般的な利用法は、「名前」と「値」の組み合わせ(名前-値ペア(英語版)、またはキーペアなど)で扱われ、構文にするとkey=valueとなり、「名前」と「値」の間は=(イコール)で結ぶ。このペアが複数存在する場合、上記構文例のように&(アンパサンド)で繋げる。クエリはWebサーバ及びクライアント側で処理できる。URL StandardではJavaScript上でクエリ文字列を簡単に扱えるようURLSearchParams()メソッドが実装されている。
フラグメントはクライアントのみ影響する。URIを決定する際、アプリケーションはフラグメントを除外してからサーバーにリクエストを送る。
IANAに登録されているスキームで、利用が続いている一部を掲載する。 | [
{
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"text": "Uniform Resource Identifier(ユニフォーム リソース アイデンティファイア、URI)または統一資源識別子(とういつしげんしきべつし)とは、抽象的または物理的なリソースを識別するためのコンパクトな文字列のことである。また、一定の書式によってリソース(資源)を指し示す識別子である。1998年8月に RFC 2396 として規定され、2005年1月に RFC 3986 として改定された。URI はUniform Resource Locator (URL) の考え方を拡張したものである。URIによって示されるリソースは限定されておらず、インターネット上に存在しない対象や抽象的な概念を示す場合もある。",
"title": null
},
{
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"text": "URI には、以下の2つのサブセットがある。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2001年、W3CはRFC 3305内で、上記の考え方を古典的な見解とした。ここで示されたW3Cの新たな考え方により、従来のURLとURNとはすべてURIと呼ばれることになった。URLやURNといった語はW3Cによって非公式な表現とされた。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2012年、WHATWGによってURL Standardの開発が開始された。URL Standardでは、目標の1つとしてRFC 3986 (URI)とRFC 3987 (IRI)を過去のものにすることを掲げている。また、従来のURIやIRIを区別する必要が無いとして、すべてURLの語を用いている。さらに、W3Cでも、このURL Standardのスナップショットをワーキンググループノートとして公開している。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "以下のURI共通構文はすべてのスキーム構文で扱うスーパーセットの定義である。なおこの節(下位含む)では2005年1月に発表された RFC 3986 を主に出典とする。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "URIの長さは {{IETF RFC|3986}} 、URL Standard共に255文字までと定められているが、URL Standardでは「有効なIPv4アドレス」が付け加えられている。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "構文図(英語版)と各コンポーネントの解説は次の通り。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "上記で列挙した文字は、URI共通構文で区切りとして予約された文字(Reserved Characters)である為、コンポーネント内で直接使用することはできない。なお[と](角括弧)はIPv6の区切り文字である。sub-delimsはURIスキームの仕様によって定義されることがある。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "パーセントエンコーディング(Percent-Encoding)は上記で列挙した予約文字などをURIで使えるよう、別の形式に変換する。名前のとおり、パーセント記号%とオクテットを16進数で表現した文字を組み合わせた形式で表す。例えばスペース(空白)文字 をパーセントエンコーディングすると%20に変換される。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "予約されていない文字(Unreserved Characters)には制約無く、コンポーネント内で自由に使える文字。予約されていない文字は次の通り({{IETF RFC|3986}} 第2章3節)。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "なおチルダ~は古いURIの仕様によってしばしば%7eに変換される事がある。しかしてチルダ含め、予約されていない文字の変換は必要無い。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "http/httpsスキームの構文を使った例:",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "#共通構文と同じコンポーネントの解説は除く。",
"title": "設計"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "userinfo(ユーザー情報、認証情報)はホスト:ポートよりも先に記載する必要がある。開始の区切り文字は無く、@(アットマーク)で区切る事でユーザー情報の終わりを示す。ユーザー情報の形式はuser:passwordである。URIにユーザー情報が付加され、かつその情報が正しければウェブブラウザは認証ダイアログを表示せずプライベートページを表示させることができる。認証情報を平文で示す為、パスワードを含んだ認証情報は非推奨である。これはURL Standardでも同様である。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "host(ホスト)はhttp/httpsスキームにおいて必要な権限であり、省略することはできない。port(ポート)はスキームのデフォルトポートであれば省略できる。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "クエリはパスに対しての引数であるがその構文は明確的に示されてない。一般的な利用法は、「名前」と「値」の組み合わせ(名前-値ペア(英語版)、またはキーペアなど)で扱われ、構文にするとkey=valueとなり、「名前」と「値」の間は=(イコール)で結ぶ。このペアが複数存在する場合、上記構文例のように&(アンパサンド)で繋げる。クエリはWebサーバ及びクライアント側で処理できる。URL StandardではJavaScript上でクエリ文字列を簡単に扱えるようURLSearchParams()メソッドが実装されている。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "フラグメントはクライアントのみ影響する。URIを決定する際、アプリケーションはフラグメントを除外してからサーバーにリクエストを送る。",
"title": "設計"
},
{
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"tag": "p",
"text": "IANAに登録されているスキームで、利用が続いている一部を掲載する。",
"title": "設計"
}
] | Uniform Resource Identifierまたは統一資源識別子(とういつしげんしきべつし)とは、抽象的または物理的なリソースを識別するためのコンパクトな文字列のことである。また、一定の書式によってリソース(資源)を指し示す識別子である。1998年8月に RFC 2396 として規定され、2005年1月に RFC 3986 として改定された。URI はUniform Resource Locator (URL) の考え方を拡張したものである。URIによって示されるリソースは限定されておらず、インターネット上に存在しない対象や抽象的な概念を示す場合もある。 | {{WikipediaPage|URI|Help:URL}}
{{複数の問題
|出典の明記=2021-04
|更新=2021-04}}
'''Uniform Resource Identifier'''(ユニフォーム リソース アイデンティファイア、'''URI''')または'''統一資源識別子'''<ref>{{cite jis|X|4159|2005|name=拡張可能なマーク付け言語 (XML) 1.0}} 9頁</ref>(とういつしげんしきべつし)とは、抽象的または物理的なリソースを識別するためのコンパクトな文字列のことである<ref>{{Cite book|title=Foundations of modern networking : SDN, NFV, QoE, IoT, and Cloud|url=https://www.worldcat.org/oclc/927715441|date=2016|location=Indianapolis, Indiana|isbn=978-0-13-417547-8|oclc=927715441|others=Florence Agboma, Sofiene Jelassi|first=William|last=Stallings}}</ref>。また、一定の書式によって[[リソース (WWW)|リソース]](資源)を指し示す[[識別子]]である<ref>{{Cite IETF|rfc=3986|title=Uniform Resource Identifier (URI): Generic Syntax|date=January 2005}}</ref>。[[1998年]]8月に {{IETF RFC|2396}} として規定され、[[2005年]]1月に {{IETF RFC|3986}} として改定された。URI は[[Uniform Resource Locator]] (URL) の考え方を拡張したものである。URIによって示されるリソースは限定されておらず、[[インターネット]]上に存在しない対象や抽象的な概念を示す場合もある<ref>{{Cite IETF|title=Uniform Resource Identifier (URI): Generic Syntax|sectionname=Overview of URIs|rfc=3986|section=1.1}}</ref>。
== 設計 ==
=== URL と URN ===
[[File:URI Venn Diagram.svg|thumb|URI, URL, URN の集合図]]
URI には、以下の2つのサブセットがある。
;[[Uniform Resource Locator]] (URL)
:リソースの「場所」を識別する。ネットワーク内の位置を示してリソースを同定する。
;[[Uniform Resource Name]] (URN)
:リソースの「名前」を識別する。もしネットワーク上にリソースが無くなっても、一意で永続的な識別を行えるようにする。例えば <code><nowiki>urn:ietf:rfc:2648</nowiki></code> というURNは、<nowiki>RFC 2648</nowiki>への参照を示す。
2001年、[[World Wide Web Consortium|W3C]]は{{IETF RFC|3305}}<ref>{{IETF RFC|3305}} - [http://www.w3.org/TR/2001/NOTE-uri-clarification-20010921/ URIs, URLs, and URNs: Clarifications and Recommendations 1.0]</ref>内で、上記の考え方を古典的な見解とした。ここで示されたW3Cの新たな考え方により、従来のURLとURNとはすべてURIと呼ばれることになった。URLやURNといった語はW3Cによって非公式な表現とされた。
2012年、[[WHATWG]]によって[https://url.spec.whatwg.org/ URL Standard]の開発が開始された。URL Standardでは、目標の1つとして{{IETF RFC|3986}} (URI)と{{IETF RFC|3987}} (IRI)を過去のものにすることを掲げている<ref>{{Cite web|url=https://url.spec.whatwg.org/#goals|title=URL Standard Goals|accessdate=2017-06-23|date=2017-06-23|publisher=WHATWG|quote=Align {{IETF RFC|3986}} and {{IETF RFC|3987}} with contemporary implementations and obsolete them in the process.|language=英語}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://triple-underscore.github.io/URL-ja.html#goals|title=URL Standard (日本語訳) 目標|accessdate=2017-06-23|date=2017-06-01|quote={{IETF RFC|3986}} と {{IETF RFC|3987}} を現今の実装に揃わせて、その過程の中でそれらを過去のものにする。}}</ref>。また、従来のURIやIRIを区別する必要が無いとして、すべてURLの語を用いている。さらに、W3Cでも、このURL Standardのスナップショットをワーキンググループノートとして公開している。
=== 共通構文 ===
<section begin="generic-syntax" />以下のURI共通構文はすべてのスキーム構文で扱う[[部分集合|スーパーセット]]の定義である。なおこの節(下位含む)では[[2005年]]1月に発表された {{IETF RFC|3986}} を主に出典とする。
<pre>URI = scheme:[//authority]path[?query][#fragment]</pre>
URIの長さは <nowiki>RFC 3986</nowiki> 、URL Standard共に255文字までと定められているが、URL Standardでは「有効な[[IPv4]]アドレス」が付け加えられている。
{{仮リンク|構文図|en|Syntax diagram}}と各コンポーネントの解説は次の通り。
[[ファイル:URI syntax diagram.svg|なし]]
; <code style="font-weight: normal;">scheme</code>(スキーム)
: URIはこの「スキーム」と呼ばれる[[識別子]]から始まり、省略できない。階層的識別子(Hierarchical Identifiers)である<code>:</code>([[コロン (記号)|コロン]])はスキームの区切り文字でスキーム名の最後に挿入する。<br>スキーム名は<code>文字</code>で始まり、<code>文字</code>、<code>[[数字]]</code>、<code>+</code>([[プラス記号とマイナス記号|プラス記号]])、<code>-</code>([[ハイフン]])、<code>.</code>([[終止符]])で構成される文字列となる。大文字と小文字を区別しないが、一貫性を保つために小文字の使用を推奨している。
; <code style="font-weight: normal;">authority</code>([[権限]])
: 権限は<code>//</code>(ダブルスラッシュ)の区切り文字から始まる。<code>userinfo</code>(ユーザー情報)や<code>host</code>([[ホスト (ネットワーク)|ホスト]])の扱いは各'''スキーム'''よって異なる。<br>URIの考案者である[[ティム・バーナーズ=リー]]は[[2009年]][[10月12日]](現地時間)、[[ニューヨーク・タイムズ]]にて権限の区切り文字であるダブルスラッシュについて「必要では無い事が判明した」と述べている<ref>{{Cite news|title=The Web’s Inventor Regrets One Small Thing|newspaper=[[ニューヨーク・タイムズ]]|date=2009-10-12|editor=STEVE LOHR|url=https://bits.blogs.nytimes.com/2009/10/12/the-webs-inventor-regrets-one-small-thing/|accessdate=2021-08-31|language=en}}</ref>。
; <code style="font-weight: normal;">path</code>(パス)
: URIに'''権限'''が含まれている場合、'''パス'''に文字が無くても<code>/</code>([[スラッシュ (記号)|スラッシュ]])で始める必要があり、この事から'''パス'''を省略することはできない。'''権限'''が含まれていない場合は<code>//</code>で始めることはできない。さらに相対パスである場合は<code>:</code>から始めることはできない。'''パス'''に<code>?</code>([[疑問符]])、<code>#</code>([[番号記号]])を含む、あるいは末尾の場合、'''パス'''の終わりを示す。階層的(hierarchical)に構成されたデータが含まれ、階層は<code>/</code>で区切る。
; <code style="font-weight: normal;">query</code>(クエリ)
: '''クエリ'''は<code>?</code>の区切り文字から始まり、<code>#</code>また末尾で終える。'''パス'''と違い、階層的なデータを含まない。<nowiki>RFC 3986</nowiki>、第3章4節において明確的な構文は示されてない。
; <code style="font-weight: normal;">fragment</code>(フラグメント、素片)
: '''フラグメント'''は<code>#</code>の区切り文字から始まる。任意な扱いで、プライマリ(一次)リソースを参照し、セカンダリ(二次)リソースへ提供するフラグメント識別子を含む。'''クエリ'''と同様に明確的な構文は示されてない。<br>一例としてプライマリリソースが[[HyperText Markup Language|HTML]]ドキュメントの場合、要素の<code>id</code>属性に何かしらの値を指定し、フラグメントにも同様の値を指定することで、[[ウェブブラウザ]]は表示の際にその要素の位置までスクロールする。[[ウィキペディア]]では「[[Help:リンク#アンカー|アンカー]]」と呼ばれる機能が該当する。
* [[電話番号]]、[[電子メール]]アドレスは {{IETF RFC|3191}} 及び {{IETF RFC|3192}} で定義されている構文を利用する。<section end="generic-syntax" />
=== 予約文字とパーセントエンコーディング ===
{| class="wikitable"
|+ 予約文字(<nowiki>RFC 3986</nowiki> 第2章2節)
|-
! gen-delims
| <code>:</code>
| <code>/</code>
| <code>?</code>
| <code>#</code>
| <code>[</code>
| <code>]</code>
| <code>@</code>
| colspan="4" {{N/a}}
|-
! sub-delims
| <code>!</code>
| <code>$</code>
| <code>&</code>
| <code>'</code>
| <code>(</code>
| <code>)</code>
| <code>*</code>
| <code>+</code>
| <code>,</code>
| <code>;</code>
| <code>=</code>
|}
上記で列挙した文字は、URI共通構文で区切りとして予約された文字(Reserved Characters)である為、コンポーネント内で直接使用することはできない。なお<code>[</code>と<code>]</code>([[括弧#角括弧[_]|角括弧]])は[[IPv6アドレス#ネットワーク資源識別子におけるIPv6アドレスの表現|IPv6]]の区切り文字である。sub-delimsはURIスキームの仕様によって定義されることがある。
{{Main|パーセントエンコーディング}}
'''パーセントエンコーディング'''(Percent-Encoding)は上記で列挙した予約文字などをURIで使えるよう、別の形式に変換する。名前のとおり、パーセント記号<code>%</code>と[[オクテット (コンピュータ)|オクテット]]を[[十六進法|16進数]]で表現した文字を組み合わせた形式で表す。例えば[[スペース]](空白)文字<code> </code>をパーセントエンコーディングすると<code>%20</code>に変換される。
'''予約されていない文字'''(Unreserved Characters)には制約無く、コンポーネント内で自由に使える文字。予約されていない文字は次の通り(<nowiki>RFC 3986</nowiki> 第2章3節)。
* 英字 : <code>[[A]]</code>から<code>[[Z]]</code>、そして<code>a</code>から<code>z</code>
* 数字 : <code>[[0]]</code>から<code>[[9]]</code>
* 一部の記号 : <code>-</code>、<code>.</code>、<code>_</code>([[アンダースコア]])、<code>~</code>([[チルダ]])
なおチルダ<code>~</code>は古いURIの仕様によってしばしば<code>%7e</code>に変換される事がある。しかしてチルダ含め、予約されていない文字の変換は必要無い。
=== http/httpsスキームの構文例 ===
http/httpsスキームの構文を使った例<ref>{{Cite web|和書|url=https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/HTTP/Basics_of_HTTP/Identifying_resources_on_the_Web|title=ウェブ上のリソースの識別|accessdate=2021-09-05|publisher=[[Mozilla]]|website=[[MDN Web Docs]]|language=ja}}</ref>:
{| class="mw-code" style="border-spacing: 0px;"
|- style="font-size: smaller;padding: 0px;text-align: center;"
| style="color:rgb(178, 111, 0);width: 5em;" | スキーム
|
| colspan="2" style="color:rgb(186 33 33);" | 権限
| style="color:rgb(176, 0, 177);" | パス
|
|
|- style="padding: 0px;"
| style="color:rgb(178, 111, 0);text-align: right;" |https:||//|| style="color:rgb(0, 76, 178);" |user:password@|| style="color:rgb(0, 128, 0);" |www.example.com:123|| style="color:rgb(176, 0, 177);" |/forum/questions/|| style="color:rgb(0, 76, 178);" |?tag=networking&order=newest|| style="color:rgb(178, 111, 0);text-align: left;" |#top
|- style="font-size: smaller;padding: 0px;text-align: center;"
|
| colspan="2" style="color:rgb(0, 76, 178);" | ユーザー情報
| style="color:rgb(0, 128, 0);" | ホスト:ポート
|
| style="color:rgb(0, 76, 178);" | クエリ
| style="color:rgb(178, 111, 0);width: 7em;" | フラグメント
|}
[[#共通構文]]と同じコンポーネントの解説は除く。
<code>userinfo</code>(ユーザー情報、認証情報)はホスト:ポートよりも先に記載する必要がある。開始の区切り文字は無く、<code>@</code>([[アットマーク]])で区切る事でユーザー情報の終わりを示す。ユーザー情報の形式は<code>user:password</code>である。URIにユーザー情報が付加され、かつその情報が正しければウェブブラウザは認証ダイアログを表示せずプライベートページを表示させることができる。認証情報を平文で示す為、パスワードを含んだ認証情報は'''非推奨である'''。これはURL Standardでも同様である。
<code>host</code>(ホスト)はhttp/httpsスキームにおいて必要な権限であり、省略することはできない。<code>port</code>(ポート)はスキームのデフォルトポートであれば省略できる。
クエリはパスに対しての[[引数]]であるがその構文は明確的に示されてない。一般的な利用法は、「名前」と「値」の組み合わせ({{仮リンク|名前-値ペア|en|Name–value pair}}、またはキーペアなど)で扱われ、構文にすると<code>key=value</code>となり、「名前」と「値」の間は<code>=</code>([[等号|イコール]])で結ぶ。このペアが複数存在する場合、上記構文例のように<code>&</code>([[アンパサンド]])で繋げる。クエリは[[Webサーバ]]及び[[クライアント]]側で処理できる。URL Standardでは[[JavaScript]]上でクエリ文字列を簡単に扱えるよう<code>URLSearchParams()</code>[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]が実装されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/API/URLSearchParams|title=URLSearchParams|accessdate=2021-08-31|publisher=[[Mozilla]]|website=[[MDN Web Docs]]|language=ja}}</ref>。
フラグメントはクライアントのみ影響する。URIを決定する際、[[アプリケーション]]はフラグメントを除外してからサーバーにリクエストを送る<ref>{{IETF RFC|7230}} 参照</ref>。
=== 公式登録のスキーム ===
{{節スタブ|「仕様書・出典」と照らし合わせて、各項目の補完(可能な限り)。|date=2021年9月}}
IANAに登録されているスキームで、利用が続いている一部を掲載する<ref name="iana-uri-schemes">{{Cite web|url=https://www.iana.org/assignments/uri-schemes/uri-schemes.xhtml|title=Uniform Resource Identifier (URI) Schemes|accessdate=2021-09-01|publisher=[[IANA]]|language=en}}</ref>。
{{See also|:en:List of URI schemes}}
<!--==================== 必ず仕様書・出典を確認した上で追記して下さい。独自研究は差し戻しの対象になります。 ====================-->
{| class="wikitable sortable" style="font-size: small;"
|+ 公式登録されているスキームのリスト<ref name="iana-uri-schemes" />
|-
! style="min-width: fit-content;width: fit-content;" | スキーム
! 名称
! style="min-width: 7em;width: 7em;" | 仕様書・出典
! 構文
! 用途・備考
|-
| aaa
| <!-- Diameter Protocol -->
| {{IETF RFC|6733}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| aaas
| <!-- Diameter Protocol with Secure Transport -->
| {{IETF RFC|6733}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| about
| アバウト
| {{IETF RFC|6694}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>about://<token>[?query][#fragmen]</nowiki></code>
| 主にウェブブラウザの情報表示なとで用いられる。<nowiki>RFC 6694</nowiki>が定めるトークンは<code>blank</code>ひとつのみであるが、固有機能は各トークンを参照し、処理することが推奨されている。
|-
| acap
| <!-- application configuration access protocol -->
| {{IETF RFC|2244}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| acct
| <!-- acct -->
| {{IETF RFC|7565}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| cap
| <!-- Calendar Access Protocol -->
| {{IETF RFC|4324}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| cid
| コンテンツID(Content Identifier)
| {{IETF RFC|2392}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>cid:<content-id></nowiki></code>
| HTML形式の電子メールや[[MHTML]]ではMIMEマルチパートのコンテンツで指定された<code>Content-ID</code>が存在してる場合、ドキュメントからcidスキームを使う事で参照できる。<br>例:<code><nowiki><img src="cid:example"></nowiki></code>
|-
| coap
| <!-- coap -->
| {{IETF RFC|7252}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| coap+tcp
| <!-- coap+tcp [1] -->
| {{IETF RFC|8323}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| coap+ws
| <!-- coap+ws [1] -->
| {{IETF RFC|8323}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| coaps
| <!-- coaps -->
| {{IETF RFC|7252}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| coaps+tcp
| <!-- coaps+tcp [1] -->
| {{IETF RFC|8323}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| coaps+ws
| <!-- coaps+ws [1] -->
| {{IETF RFC|8323}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| crid
| <!-- TV-Anytime Content Reference Identifier -->
| {{IETF RFC|4078}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| data
| [[Data URI scheme|データURI]](データURL)
| {{IETF RFC|2397}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>data:<</nowiki>[[メディアタイプ|mediatype]]<nowiki>(;parameter)>[;base64]<,data></nowiki></code>
| メディアタイプで指定されたコンテンツをデータに添付することで、HTMLドキュメントなどから参照することができる。<br>コンテンツがプレーンテキスト以外なら[[Base64]]でエンコードする必要がある、
|-
| dav
| [[WebDAV|ウェブダブ]](WebDAV)
| {{IETF RFC|4918}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| dict
| <!-- dictionary service protocol -->
| {{IETF RFC|2229}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| dns
| [[Domain Name System]]
| {{IETF RFC|4501}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
<!-- |-
| dtn
| DTNRG research and development
| RFC-ietf-dtn-bpbis-31
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
| -->
|-
| example
| 例
| {{IETF RFC|7595}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>example:<foo></nowiki></code>
| スキーム構文例のために登録されたスキーム。<nowiki>RFC 7595</nowiki>は新しいスキームを登録する手順やガイドラインである。
|-
| file
| {{仮リンク|file URI scheme|en|file URI scheme}}
| {{IETF RFC|8089}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>file://[[userinfo@]<host>]</path></nowiki></code>
| ホストのファイルパスを提示するスキーム。構文で示してるように、権限は認証情報が必要ない、かつ[[localhost|ローカルホスト]]であれば省略できる為、<code>file:///</code>からパスが始まる。
|-
| ftp
| [[File Transfer Protocol|ファイル・トランスファー・プロトコル]]
| {{IETF RFC|1738}}
| [[#共通構文]] 参照
|
|-
| geo
| <!-- Geographic Locations -->
| {{IETF RFC|5870}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| go
| <!-- go -->
| {{IETF RFC|3368}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| gopher
| <!-- The Gopher Protocol -->
| {{IETF RFC|4266}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| h323
| [[H.323]]
| {{IETF RFC|3508}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>h323:[<user>@]<host[:port]>[;url-parameter]</nowiki></code>
|
|-
| http<br>https
| [[Hypertext Transfer Protocol|ハイパーテキスト・トランスファー・プロトコル]]
| {{IETF RFC|7230}}<br>2章7節1項<br>及び<br>2章7節2項
| [[#http/httpsスキームの構文例]] 参照
|
|-
| iax
| <!-- Inter-Asterisk eXchange Version 2 -->
| {{IETF RFC|5456}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| icap
| <!-- Internet Content Adaptation Protocol -->
| {{IETF RFC|3507}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| im
| <!-- Instant Messaging -->
| {{IETF RFC|3860}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| imap
| <!-- internet message access protocol -->
| {{IETF RFC|5092}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| info
| <!-- -->
| {{IETF RFC|4452}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
<!-- |-
| ipn
| ipn
| RFC-ietf-dtn-bpbis-31
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
| -->
|-
| ipp
| <!-- Internet Printing Protocol -->
| {{IETF RFC|3510}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| ipps
| <!-- Internet Printing Protocol over HTTPS -->
| {{IETF RFC|7472}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| iris
| <!-- Internet Registry Information Service -->
| {{IETF RFC|3981}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| iris.beep
| <!-- iris.beep -->
| {{IETF RFC|3983}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| iris.lwz
| <!-- iris.lwz -->
| {{IETF RFC|4993}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| iris.xpc
| <!-- iris.xpc -->
| {{IETF RFC|4992}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| iris.xpcs
| <!-- iris.xpcs -->
| {{IETF RFC|4992}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
<!-- |-
| jabber
| jabber
| Peter_Saint-Andre
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
| -->
|-
| ldap
| <!-- Lightweight Directory Access Protocol -->
| {{IETF RFC|4516}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| leaptofrogans
| <!-- leaptofrogans -->
| {{IETF RFC|8589}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| mailto
| <!-- Electronic mail address -->
| {{IETF RFC|6068}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| mid
| <!-- message identifier -->
| {{IETF RFC|2392}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| msrp
| <!-- Message Session Relay Protocol -->
| {{IETF RFC|4975}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| msrps
| <!-- Message Session Relay Protocol Secure -->
| {{IETF RFC|4975}}<br>{{IETF RFC|8873}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| mtqp
| <!-- Message Tracking Query Protocol -->
| {{IETF RFC|3887}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| mupdate
| <!-- Mailbox Update (MUPDATE) Protocol -->
| {{IETF RFC|3656}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| news
| <!-- USENET news -->
| {{IETF RFC|5538}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| nfs
| <!-- network file system protocol -->
| {{IETF RFC|2224}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| ni
| <!-- ni -->
| {{IETF RFC|6920}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| nih
| <!-- nih -->
| {{IETF RFC|6920}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| nntp
| <!-- USENET news using NNTP access -->
| {{IETF RFC|5538}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| opaquelocktoken
| <!-- opaquelocktokent -->
| {{IETF RFC|4918}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| pkcs11
| <!-- PKCS#11 -->
| {{IETF RFC|7512}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| pop
| <!-- Post Office Protocol v3 -->
| {{IETF RFC|2384}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| pres
| <!-- Presence -->
| {{IETF RFC|3859}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| reload
| <!-- reload -->
| {{IETF RFC|6940}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| rtsp<br>rtspu<br>rtsps
| [[Real Time Streaming Protocol|リアルタイム・ストリーミング・プロトコル]]
| {{IETF RFC|2326}}<br>{{IETF RFC|7826}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>rtsp://<host[:port]>/path</nowiki></code>
| 通常rtspとrtspsの通信プロトコルはTCPであるが、rtspuは[[User Datagram Protocol|UDP]]となる。
|-
| service
| <!-- service location -->
| {{IETF RFC|2609}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| session
| <!-- session -->
| {{IETF RFC|6787}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| shttp
| <!-- Secure Hypertext Transfer Protocol -->
| {{IETF RFC|2660}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| sieve
| <!-- ManageSieve Protocol -->
| {{IETF RFC|5804}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| sip
| <!-- session initiation protocol -->
| {{IETF RFC|3261}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| sips
| <!-- secure session initiation protocol -->
| {{IETF RFC|3261}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| sms
| [[ショートメッセージサービス]]
| {{IETF RFC|5724}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>sms://<recipient[,recipient...]>[?fields]</nowiki></code><br><code style="white-space: nowrap;"><nowiki>recipient = [+global-number]<local-number></nowiki></code>
|
|-
| snmp
| <!-- Simple Network Management Protocol -->
| {{IETF RFC|4088}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| soap.beep
| <!-- soap.beep -->
| {{IETF RFC|4227}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| soap.beeps
| <!-- soap.beeps -->
| {{IETF RFC|4227}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| stun
| <!-- stun -->
| {{IETF RFC|7064}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| stuns
| <!-- stuns -->
| {{IETF RFC|7064}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| tag
| <!-- tag -->
| {{IETF RFC|4151}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| tel
| [[電話番号]]
| {{IETF RFC|3966}}<br>{{IETF RFC|5341}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki>tel:[+global-number]<local-number></nowiki></code>
|
|-
| telnet
| <!-- Reference to interactive sessions -->
| {{IETF RFC|4248}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
|-
| tftp
| <!-- Trivial File Transfer Protocol -->
| {{IETF RFC|3617}}
| <code style="white-space: nowrap;"><nowiki></nowiki></code>
|
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; <code style="font-weight: normal;">javascript</code>
: ウェブブラウザやHTMLドキュメントでJavaScriptを実行する手段として用いられている。ドラフト状態であったが[[2011年]][[3月29日]]に期限切れを迎えた<ref>{{Cite web|url=https://tools.ietf.org/html/draft-hoehrmann-javascript-scheme-03|title=draft-hoehrmann-javascript-scheme-03|accessdate=2021-09-08|publisher=[[Internet Engineering Task Force]]|date=2010-09-25|language=en}}</ref>。
== 関連項目 ==
* [[Extensible Resource Identifier]] (XRI)
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* [[Uniform Resource Locator]] (URL)
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== 脚注 ==
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[[Category:RFC|2396]] | 2003-05-06T20:05:11Z | 2023-11-26T19:34:07Z | false | false | false | [
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7,884 | 方程式 | 数学において方程式(ほうていしき、英: equation)とは、未知数である変数を含む等式である。
方程式を成り立たせる未知数の値を方程式の解(かい、英: solution)という。解を求めることを方程式を解く(とく、英: solve)という。
方程式には様々な種類があり、数学のすべての分野において目にする。方程式を調べるために使われる方法は方程式の種類に応じて異なる。
代数学は特に2種類の方程式を研究する:多項式の方程式と、中でも一次方程式である。多項式方程式は、P をある多項式として、P(X) = 0 の形である。線型方程式は、a を線型写像、b をベクトルとして、a(x) + b = 0 の形である。それらを解くために、線型代数学や解析学から来る、アルゴリズム的あるいは幾何学的手法を用いる。変数の動く範囲を変えることにより方程式の性質が大幅に変わり得る。代数学はディオファントス方程式、すなわち係数と解が整数の方程式も研究する。用いられる手法は異なり、本質的に数論のものである。これらの方程式は一般に難しい。しばしば解の存在あるいは非存在を決定し、存在するときはその個数を調べるだけである。
幾何学は図形を記述するために方程式を利用する。目的はやはり前の場合とは異なり、方程式は幾何学的性質を調べるために利用される。この文脈では方程式の種類に2つの大きなものがある。直交座標系における方程式とパラメトリック方程式である。
解析学は f(x) = 0 の形の方程式を研究する。ここで f は、連続、微分可能、収縮、といったある種の性質を持った関数である。解析学の手法では方程式の解に収束する列を構成できる。目的はできるだけ正確に解を求められるようにすることである。
微分方程式は1つ以上の関数とその導関数を含む方程式である。導関数を含まない関数の表示を見つけることによって解かれる。微分方程式は連続的に変化し得る対象のダイナミクスを調べるためにしばしば利用される。微分方程式によって特徴づけられる連続的な数理モデルは、物理学、化学、生物学、経済学など様々な分野において、それぞれの対象に対し用いられる。
力学系は、解が列あるいは1変数あるいは多変数の関数であるような方程式によって定義される。中心的な問題が2つある。始状態(しじょうたい、英: initial state)と漸近的挙動(ぜんきんてききょどう、英: asymptotic behaviour)である。各初期条件、例えば列あるいは関数の 0 での値、に対し方程式は一意な解を持つ。大抵の系について、始状態を少しだけ変更した場合、解もまた僅かだけ変化することが期待され、実際そのように振る舞う。しかしすべての場合でそうというわけではなく、ある始状態の近傍では解が著しく異なることがある。このような初期条件に関する鋭敏性は第一の問題の目的である。解の極限でのあるいは漸近的振る舞いは変数が無限大に行くときの解の形に対応し、この振る舞いが第二の問題の目的である。解が発散しなければ、次のいずれかとなる。1つの値に近づくか、あるいは、循環的な振る舞い(周期関数か、値が同じ有限集合を同じ回数ずっと動き続ける列)に近づくか、あるいは、解が定義により決定的であったとしてもランダムに進展するように見えるカオスな振る舞いをする。
方程式の最も典型的な形は未知数 (unknown) と呼ばれる項を含んだ等式である。方程式における未知数はしばしば x などの特定の慣習的な文字によって表され、「様々に値を変える数である」という観点から変数 (variable) と呼ばれたり、あるいは「特定の値を持つわけではない」という観点から不定元 (indeterminate, indeterminant) と呼ばれることもある。
方程式に含まれる変数に対して、変域と呼ばれるある特定の範囲の値で変数を置き換える操作を考えることができるが、これは代入と呼ばれる。各変数に代入されるべきものは、数値・関数・式など様々であり、それぞれの変数がどのような変域を持つかは文脈に依存している。
未知数に値の代入が行われて初めて、方程式が等式として成立するか否かの評価が行われる。そして、与えられた方程式を等式として成立させるような未知数の値を方程式の解と呼び、方程式の解を全て求めることを方程式を解くと言う。ふつう方程式の解は変域のとりうる任意の値ではなく、何らかの特定の値に制限を受け、時には存在しない場合すらありうる。
実数(または単位的環)全体を変域とする変数 x に関する等式
のような、変数にどんな値を代入しても成り立つ方程式はその変域上の恒等式と呼ばれる。
一般には1つの方程式に変数が1つであるとは限らない。代入の際に同じ文字は同じ値をとるという約束の下で変数が複数存在する方程式を多元方程式あるいは多変数方程式 (multiple variable equation) などと言う。あるいはさらに、方程式として与えられる等式が1つである必要はない。方程式が1つではなく複数ある時、やはり同じ文字は同時に同じ値をとるという前提が成り立つならば、方程式は系をなすや連立するなどと言い、その複数本の方程式を一括りにして方程式系(ほうていしきけい、system of equations)もしくは連立方程式(れんりつほうていしき、simultaneous equation)などと呼ぶ。
与えられた等式がどのようなものであるかということによって、方程式には幾つかの分類がある。以下に代表的な方程式の種類を挙げる。
両辺を多項式 (polynomial) とする等式によって表された方程式を代数方程式と言う。多項式 p(·) によって与えられる変数の組 (x, y, z,...) を未知数とする方程式
の解 (x, y, z,...) のことを p の根 (root) または零点 (zero) とも言う。代数方程式はさらに、一次方程式、二次方程式といったように、多項式の次数 (degree) d により d 次方程式 (d-ic equation, d th degree equation) に分類される。
四次以下の一変数代数方程式は多項式の係数に関する四則演算と根号を用いて解を表すことができる。代数方程式の解のようすを調べる研究は、群の概念の導入など、ガロア理論を始めとする19世紀の代数学の発展の大きな原動力の1つとなった。
歴史上の数学の発展において様々な代数方定式の解を求める試みはそれまでになかった新しい数の体系を生み出してきている。その最も古い例として、古代ギリシアにおける無理数の発見をもたらした、正方形の辺と対角線の比 x に関する方程式
が挙げられる。さらに、三次方程式
の実数解表示を与えるカルダノの公式
は複素数の発見につながった。また、量子力学における粒子の位置と運動量の間に成り立つ正準交換関係
は系の状態を通常の数(C 数、classical number)の組でなく作用素で与える範例をもたらした。
数の等式ではなく関数の等式で与えられる方程式を関数方程式と呼ぶ。
関数方程式によって決定される関数を未知関数 (unknown function) と呼び、方程式中のそれ以外の関数は既知関数 (known function) として区別される。特に関数とその導関数に対して関係式を与えることで得られる微分方程式は、物理学の研究から興味深い実例を与えられ、逆にその研究成果が物理学に寄与するなど、物理学との関連が深い。一方純粋数学的には層の理論などと結びついて興味深い結果が得られている。微分方程式はさらに常微分方程式と偏微分方程式に別けられる。
連続的な変数に関する微分の近似として、離散系における差分によって定式化された差分方程式の考察がしばしば有用である。微分方程式と差分方程式では様々な類似概念や類似手法が並行して通用するため、同じ事象の連続的な側面と離散的な側面とを表していると考えることもできる。
また、方程式の形のみならず「重ね合わせの原理が働く」か否かという、解の状態についての分類が考えられる。解の重ね合わせが考えられる方程式を線型方程式、そうでないものを非線型方程式と呼ぶ。解の重ね合わせはベクトル空間の概念と結びつき、線型性という観点から線型代数学の様々な概念や手法を適用することが可能になる。とくに微分方程式を代数的に取り扱うという立場においては線型微分方程式は最も基本的な対象となる。
重要な数学的概念の導入・発展をもたらした関数方程式に、熱方程式や超幾何関数の微分方程式、可積分系に対するKdV方程式・KZ方程式が挙げられる。
微分方程式や差分方程式の解は、一般解と特異解とに分類されることがある。
有名な例としては、クレローの方程式
は、一般解
の他に特異解
を持つ。
自然科学が取り扱う様々な量の間に成り立つ関係は方程式として記述されている。とくに17世紀のガリレイやケプラー以降の物理学における種々の基本的な法則はふつう数学的な方程式によって表されてきた。また、化学における様々な媒質の平衡常態や生物学における大規模な個体群における個体数の変移に関する種々の法則も数学的な方程式によって表されている。
俗語として諸問題を解決する時に最も適切な方法という意味に転用して使われることもある。例としては「恋愛の方程式」、勝利の方程式などがあり、スポーツ新聞や読み物に分類されるような書籍、インターネット上の一般サイトなど、さして形式張らない場ではしばしば見受けられる。この意味では「公式」も同様に使われる。
ただし、「公式」の場合は、俗称と一般的な用語の両方とも解決策である。しかし、「方程式」の場合は俗称では解決策であるが、一般的には本項で示す通り解決していない問題を含む等号で結んだ単なる式のことである。 | [
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"text": "自然科学が取り扱う様々な量の間に成り立つ関係は方程式として記述されている。とくに17世紀のガリレイやケプラー以降の物理学における種々の基本的な法則はふつう数学的な方程式によって表されてきた。また、化学における様々な媒質の平衡常態や生物学における大規模な個体群における個体数の変移に関する種々の法則も数学的な方程式によって表されている。",
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"text": "俗語として諸問題を解決する時に最も適切な方法という意味に転用して使われることもある。例としては「恋愛の方程式」、勝利の方程式などがあり、スポーツ新聞や読み物に分類されるような書籍、インターネット上の一般サイトなど、さして形式張らない場ではしばしば見受けられる。この意味では「公式」も同様に使われる。",
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"text": "ただし、「公式」の場合は、俗称と一般的な用語の両方とも解決策である。しかし、「方程式」の場合は俗称では解決策であるが、一般的には本項で示す通り解決していない問題を含む等号で結んだ単なる式のことである。",
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] | 数学において方程式とは、未知数である変数を含む等式である。 方程式を成り立たせる未知数の値を方程式の解という。解を求めることを方程式を解くという。 方程式には様々な種類があり、数学のすべての分野において目にする。方程式を調べるために使われる方法は方程式の種類に応じて異なる。 | {{出典の明記|date=2020年1月}}
[[ファイル:First Equation Ever.png|right|thumb|[[ロバート・レコード]]による {{en|''The Whetstone of Witte''}} (1557) に記されている、最も古い方程式。{{math|14''x'' + 15 {{=}} 71}} を表している。]]
[[数学]]において'''方程式'''(ほうていしき、{{lang-en-short|equation}})とは、[[未知数]]である[[変数]]を含む[[等式]]である<ref group="注">"[[=]]" という記号は[[ロバート・レコード]] (Robert Recorde, 1510–1558) によって発明された。同じ長さの平行な直線よりも等しかり得るものは存在しないと考えた。</ref>。
方程式を成り立たせる未知数の値を方程式の'''解'''(かい、{{lang-en-short|solution}})という<ref group="注">関数を最小化する変数の値は「最小解」と呼ばれる。</ref><ref group="注">解の近似と見なされる変数の値は「[[近似解]]」、「[[収束解]]」などと呼ばれる。</ref>。解を求めることを方程式を'''解く'''(とく、[[英語|英]]: solve)という。
方程式には様々な種類があり、数学のすべての分野において目にする。方程式を調べるために使われる方法は方程式の種類に応じて異なる。
== 各分野 ==
[[代数学]]は特に2種類の方程式を研究する:'''[[代数方程式|多項式の方程式]]'''と、中でも'''[[一次方程式]]'''である。多項式方程式は、{{mvar|P}} をある[[多項式]]として、{{math|1=''P''(''X'') = 0}} の形である。<!--Des méthodes de transformation et de [[Changement de variable (simplification algébrique)|changement de variable]] permettent de venir à bout des plus simples. -->線型方程式は、{{mvar|a}} を[[線型写像]]、{{mvar|b}} を[[ベクトル空間|ベクトル]]として、{{math|1=''a''(''x'') + ''b'' = 0}} の形である。それらを解くために、[[線型代数学]]や[[解析学]]から来る、[[アルゴリズム]]的あるいは[[幾何学]]的手法を用いる。[[定義域|変数の動く範囲]]を変えることにより方程式の性質が大幅に変わり得る。代数学は[[ディオファントス方程式]]、すなわち[[係数]]と解が[[整数]]の方程式も研究する。用いられる手法は異なり、本質的に数論のものである。これらの方程式は一般に難しい。しばしば解の存在あるいは非存在を決定し、存在するときはその個数を調べるだけである。
[[幾何学]]は[[図形]]を記述するために方程式を利用する。目的はやはり前の場合とは異なり、方程式は幾何学的性質を調べるために利用される。この文脈では方程式の種類に2つの大きなものがある。[[直交座標系]]における方程式と[[パラメトリック方程式]]である。
[[解析学]]は {{math|1=''f''(''x'') = 0}} の形の方程式を研究する。ここで {{mvar|f}} は、[[連続写像|連続]]、[[微分可能関数|微分可能]]、[[収縮写像|収縮]]、といったある種の性質を持った関数である。解析学の手法では方程式の解に収束する列を構成できる。目的はできるだけ正確に解を求められるようにすることである。
[[微分方程式]]は1つ以上の関数とその[[導関数]]を含む方程式である。導関数を含まない関数の表示を見つけることによって解かれる。微分方程式は[[実数|連続的]]に変化し得る対象のダイナミクスを調べるためにしばしば利用される。微分方程式によって特徴づけられる連続的な[[数理モデル]]は、[[物理学]]、[[化学]]、[[生物学]]、[[経済学]]など様々な分野において、それぞれの対象に対し用いられる。
[[力学系]]は、解が[[列 (数学)|列]]あるいは1変数あるいは多変数の関数であるような方程式によって定義される。中心的な問題が2つある。'''始状態'''(しじょうたい、{{lang-en-short|initial state}})と'''漸近的挙動'''(ぜんきんてききょどう、{{lang-en-short|asymptotic behaviour}})である。各初期条件、例えば列あるいは関数の {{math|0}} での値、に対し方程式は一意な解を持つ。大抵の系について、始状態を少しだけ変更した場合、解もまた僅かだけ変化することが期待され、実際そのように振る舞う。しかしすべての場合でそうというわけではなく、ある始状態の近傍では解が著しく異なることがある。このような初期条件に関する''鋭敏性''は第一の問題の目的である。解の極限でのあるいは[[漸近]]的振る舞いは変数が[[無限|無限大]]に行くときの解の形に対応し、この振る舞いが第二の問題の目的である。解が発散しなければ、次のいずれかとなる。1つの値に近づくか、あるいは、循環的な振る舞い([[周期関数]]か、値が同じ有限集合を同じ回数ずっと動き続ける列)に近づくか、あるいは、解が定義により決定的であったとしてもランダムに進展するように見える[[カオス理論|カオス]]な振る舞いをする。
<!--
: ''Remarque'' : Le terme [[inéquation]] correspond à une définition différente<ref>Voir, par exemple la définition proposée dans l'article « [http://archive.wikiwix.com/cache/?url=http://fr.encarta.msn.com/dictionary_2016012982_2016013586/nextpage.html&title=In%C3%A9quation Inéquation] » de l'encyclopédie en ligne ''[[Encarta]]''.</ref>. Si dans certains cas particuliers<ref>C'est le cas par exemple, pour certaines équation étudiés dans l'enseignement pré-universitaire : ''[http://mathocollege.free.fr/brevet/equ1/equ_ineq.html Équations - Inéquations]'' par L. Pecqueux, sur le site mathocollege.free.</ref> les sujets sont connexes, dans le cas général ils sont suffisamment éloignés pour mériter des traitements distincts. L'inéquation est en conséquence traitée dans un article séparé.
-->
== 概要 ==
'''方程式'''の最も典型的な形は[[変数 (数学)|未知数]] ({{en|unknown}}) と呼ばれる項を含んだ等式である。方程式における未知数はしばしば {{mvar|x}} などの特定の慣習的な文字によって表され、「様々に値を変える数である」という観点から'''変数''' ({{en|variable}}) と呼ばれたり、あるいは「特定の値を持つわけではない」という観点から'''[[不定元]]''' ({{en|indeterminate, indeterminant}}) と呼ばれることもある。
方程式に含まれる変数に対して、'''変域'''と呼ばれるある特定の範囲の値で変数を置き換える操作を考えることができるが、これは[[変数 (数学)|代入]]と呼ばれる。各変数に代入されるべきものは、[[数|数値]]・[[関数 (数学)|関数]]・[[論理式 (数学)|式]]など様々であり、それぞれの変数がどのような変域を持つかは文脈に依存している。
未知数に値の代入が行われて初めて、方程式が等式として成立するか否かの評価が行われる。そして、与えられた方程式を等式として成立させるような未知数の値を'''方程式の解'''と呼び、方程式の解を全て求めることを'''方程式を解く'''と言う<ref group="注">一般に「方程式を解く方法」は必ずしも存在するわけではない。</ref>。ふつう方程式の解は変域のとりうる任意の値ではなく、何らかの特定の値に制限を受け、時には存在しない場合すらありうる。
実数(または単位的環)全体を変域とする変数 {{mvar|x}} に関する等式
: <math>\left(x + 1\right)^2 = x^2 + 2x + 1</math>
のような、変数にどんな値を代入しても成り立つ方程式はその変域上の[[恒等式]]と呼ばれる。
一般には1つの方程式に変数が1つであるとは限らない。代入の際に同じ文字は同じ値をとるという約束の下で変数が複数存在する方程式を'''多元方程式'''あるいは'''多変数方程式''' {{lang|en|(multiple variable equation)}} などと言う。あるいはさらに、方程式として与えられる等式が1つである必要はない。方程式が1つではなく複数ある時、やはり同じ文字は同時に同じ値をとるという前提が成り立つならば、方程式は'''系をなす'''や'''連立する'''などと言い、その複数本の方程式を一括りにして'''方程式系'''(ほうていしきけい、{{lang|en|system of equations}})もしくは'''連立方程式'''(れんりつほうていしき、{{lang|en|simultaneous equation}})などと呼ぶ。
== 分類 ==
与えられた等式がどのようなものであるかということによって、方程式には幾つかの分類がある。以下に代表的な方程式の種類を挙げる。
=== 代数方程式 ===
{{Main|代数方程式}}
両辺を[[多項式]] ({{en|polynomial}}) とする等式によって表された方程式を[[代数方程式]]と言う。多項式 {{math|''p''(·)}} によって与えられる変数の組 {{math|(''x, y, z,...'')}} を未知数とする方程式<ref group="注">等式の両辺から1つの多項式を足し引きすることはいつでもできるため、等式の一方の辺をゼロにするように引き算をすることで、各辺の多項式を1つの辺にまとめることができる。従って一般の代数方程式は必ず以下の形に表すことができる。</ref>
: <math>p(x, y, z, \dots) = 0</math>
の解 {{math|(''x, y, z,...'')}} のことを {{mvar|p}} の'''[[代数方程式#根|根]]''' ({{en|root}}) または'''[[零点]]''' ({{en|zero}}) とも言う。代数方程式はさらに、[[線型方程式#一次方程式|一次方程式]]、[[二次方程式]]といったように、[[多項式#多1変数の多項式|多項式の次数]] ({{en|degree}}) {{mvar|d}} により '''{{mvar|d}} 次方程式''' ({{en|{{mvar|d}}-ic equation,<ref group="注">{{mvar|d}} にはラテン語かギリシア語の数詞が入る。{{math|''d'' {{=}} 2}} なら {{en|quadratic}}, {{math|''d'' {{=}} 4}} なら {{en|quartic}}, {{math|''d'' {{=}} 5}} なら {{en|quintic}} など。例外として、{{math|''d'' {{=}} 1}} なら {{en|linear}}, {{math|''d'' {{=}} 3}} なら {{en|cubic}} と呼ばれる。</ref> {{mvar|d}} th degree equation}}) に分類される。
[[四次方程式|四次]]以下の一変数代数方程式は多項式の係数に関する四則演算と根号を用いて解を表すことができる。代数方程式の解のようすを調べる研究は、[[群 (数学)|群]]の概念の導入など、[[ガロア理論]]を始めとする19世紀の代数学の発展の大きな原動力の1つとなった。
歴史上の数学の発展において様々な代数方定式の解を求める試みはそれまでになかった新しい数の体系を生み出してきている。その最も古い例として、古代ギリシアにおける[[無理数]]の発見をもたらした、[[正方形]]の辺と[[対角線]]の[[比]] {{mvar|x}} に関する方程式<ref group="注">この方程式の正の根は[[2の平方根]] {{math|{{sqrt|2}}}} である。この数は[[2の平方根#無理数であることの証明|整数の比で表すことができない]]。</ref>
:<math>x^2 - 2 = 0</math>
が挙げられる。さらに、[[三次方程式]]
:<math>x^3 + px + q = 0</math>
の実数解表示を与える[[三次方程式#カルダノの方法|カルダノの公式]]
: <math>x = \sqrt[3]{- \frac{q}{2} + \sqrt{\left(\frac{q}{2}\right)^2 + \left(\frac{p}{3}\right)^3}} + \sqrt[3]{- \frac{q}{2} - \sqrt{\left(\frac{q}{2}\right)^2 + \left(\frac{p}{3}\right)^3}}</math>
は[[複素数]]の発見につながった。また、[[量子力学]]における[[粒子]]の[[位置]]と[[運動量]]の間に成り立つ[[正準交換関係]]
:<math>pq - qp = i\hbar</math>
は[[系 (自然科学)|系]]の状態を通常の数(C 数、{{en|classical number}})の組でなく[[作用素]]で与える範例をもたらした。
=== 関数方程式 ===
{{Main|関数方程式|微分方程式}}
数の等式ではなく[[関数 (数学)|関数]]の等式で与えられる方程式を[[関数方程式]]と呼ぶ。
:<math>F\!\left(x,y,z,\dots;f_1(x,y,z,\dots),f_2(x,y,z,\dots),\dots\right)=0</math>
関数方程式によって決定される関数を'''未知関数''' ({{en|''unknown function''}}) と呼び、方程式中のそれ以外の関数は'''既知関数''' ({{en|''known function''}}) として区別される。特に関数とその導関数に対して関係式を与えることで得られる[[微分方程式]]は、物理学の研究から興味深い実例を与えられ、逆にその研究成果が物理学に寄与するなど、物理学との関連が深い。一方純粋数学的には[[層 (数学)|層の理論]]などと結びついて興味深い結果が得られている。微分方程式はさらに[[常微分方程式]]と[[偏微分方程式]]に別けられる。
連続的な変数に関する微分の近似として、離散系における差分によって定式化された[[差分方程式]]の考察がしばしば有用である。微分方程式と差分方程式では様々な類似概念や類似手法が並行して通用するため、同じ事象の連続的な側面と離散的な側面とを表していると考えることもできる。
また、方程式の形のみならず「[[重ね合わせの原理]]が働く」か否かという、解の状態についての分類が考えられる。解の重ね合わせが考えられる方程式を[[線型方程式]]、そうでないものを[[非線型方程式]]と呼ぶ。解の重ね合わせは[[ベクトル空間]]の概念と結びつき、[[線型性]]という観点から[[線型代数学]]の様々な概念や手法を適用することが可能になる。とくに微分方程式を代数的に取り扱うという立場においては[[線型微分方程式]]は最も基本的な対象となる。
重要な数学的概念の導入・発展をもたらした関数方程式に、[[熱方程式]]や[[超幾何関数]]の微分方程式、[[可積分系]]に対する[[KdV方程式]]・[[KZ方程式]]が挙げられる。
==== 関数方程式の解の種類 ====
微分方程式や差分方程式の解は、一般解と特異解とに分類されることがある。
<!-- [[微分方程式]]に書こうかとも思いましたが、[[差分方程式]]でも同じような分類があるので、この[[方程式]]におきました。-->
;一般解: 微分方程式や差分方程式の解の多くは、[[積分定数]]などの任意定数や、任意関数を含む形で記述されることが多い。例えば、{{mvar|n}} 階の常微分方程式であれば {{mvar|n}} 個の積分定数を持つ。このように、任意定数や任意関数を含む形で書かれる解のことを '''一般解''' ({{en|''general solution''}}) と言う。また、一般解に含まれる個々の解のことを'''特殊解''' ({{en|''particular solution''}}) あるいは'''特解'''と言う。一般解に含まれる任意定数や、任意関数に特定の値や関数を与えることによって得られる解は全て特殊解である。一般解が任意定数を係数とする関数の[[線型結合]]で表される場合、この既知の関数の組を'''基本解系'''と呼び、その要素を'''基本解''' ({{en|''elementary solution''}}) と言う(基本解系を単に基本解と呼ぶこともある)。
;特異解: 一般解はその名前から「''方程式の解のすべてを表現したもの'' 」と誤解されることが多いが、一般解だけでは表現できない解が存在することがある。この一般解で表されない解を'''特異解''' ({{en|''singular solution''}}) と言う。
有名な例としては、[[クレローの方程式]]
:<math>y = x \cdot \frac{dy}{dx} - \left(\frac{dy}{dx}\right)^2</math>
は、一般解
:<math>y=Cx-C^2</math>
の他に特異解
:<math>y=\frac{x^2}{4}</math>
を持つ。
== 自然科学における方程式 ==
{{Main|基礎方程式}}
自然科学が取り扱う様々な量の間に成り立つ関係は方程式として記述されている。とくに17世紀の[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレイ]]や[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]]以降の[[物理学]]における種々の基本的な法則はふつう数学的な方程式によって表されてきた。また、[[化学]]における様々な媒質の[[化学平衡|平衡]]常態や[[生物学]]における大規模な個体群における個体数の変移に関する種々の法則も数学的な方程式によって表されている。
== 転用表現 ==
俗語として諸問題を解決する時に最も適切な方法という意味に転用して使われることもある。例としては「恋愛の方程式」、[[勝利の方程式]]などがあり、スポーツ新聞や読み物に分類されるような書籍、インターネット上の一般サイトなど、さして形式張らない場ではしばしば見受けられる。この意味では「公式」も同様に使われる。
ただし、「公式」の場合は、俗称と一般的な用語の両方とも解決策である。しかし、「方程式」の場合は俗称では解決策であるが、一般的には本項で示す通り解決していない問題を含む等号で結んだ単なる式のことである。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Reflist|group="注"}}
<!--===出典===
{{reflist}}-->
== 参考文献 ==
* {{Cite book
|last=Frege
|first=Gottlob
|title=Die Grundlagen der Arithmetik: Eine logisch mathematische Untersuchung über den Begriff der Zahl
|year=1884
|publisher=Koebner,
|location=Breslau
}} (Nachdruck herausgegeben von Joachim Schulte, Reclam Verlag, 1986, Ditzingen)
* {{Cite book
|last=Russell
|first=Bertrand
|title=Introduction to Mathematical Philosophy
|year=1919
|publisher=George Allen and Unwin,
|location=London
}} (reprinted with intro. by John G. Slater, Routledge, 1993, London)
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mathematical equations}}
{{wiktionary}}
{{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}}
* [[等式]]
**[[恒等式]]
* [[不等式]]
* [[代数学]]
* [[物理学]]
** [[基礎方程式]]
* [[数理生物学]]
** [[ロジスティック式]]
* [[パラメトリック方程式]]
* [[求根アルゴリズム]]
* {{仮リンク|方程式の一覧|en|List of equations}}
* {{intitle|方程式}}
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほうていしき}}
[[Category:方程式|*]]
[[Category:数式]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-05-07T02:35:05Z | 2023-12-11T10:17:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F |
7,886 | 関数 | [email protected]
関数(かんすう)、函数(ともに英語:function、ファンクション) | [
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] | [email protected] 関数(かんすう)、函数(ともに英語:function、ファンクション) 数学における関数の概念については、関数 (数学)を参照。
理論計算機科学や数理論理学における関数の形式化については、ラムダ計算も参照。
コンピュータプログラミングにおける関数については、関数 (数学)の機能に対応した言語と、ラムダ計算に対応した言語と、サブルーチンに対応した言語がある。それぞれのプログラミング言語の項を参照。
表計算ソフトの関数については…(書きかけ)
Help:条件文 - ウィキペディアで「{{#関数名」として使うもののうち、「関数」と呼ばれるものについてはこちらを参照。(MediaWikiの機能) | {{Wiktionary}}
'''関数'''(かんすう)、函数(ともに[[英語]]:function、ファンクション)
* [[数学]]における関数の概念については、'''[[関数 (数学)]]'''を参照。
* [[理論計算機科学]]や[[数理論理学]]における関数の形式化については、'''[[ラムダ計算]]'''も参照。
* [[プログラミング (コンピュータ)|コンピュータプログラミング]]における関数については、'''[[関数 (数学)]]'''の機能に対応した言語と、'''[[ラムダ計算]]'''に対応した言語と、'''[[サブルーチン]]'''に対応した言語がある。{{要説明|date=2022-7}}それぞれの[[プログラミング言語]]の項を参照。
* [[表計算ソフト]]の関数については…(書きかけ)
* [[Help:条件文]] - [[ウィキペディア]]で「<nowiki>{{#関数名</nowiki>」として使うもののうち、「関数」と呼ばれるものについてはこちらを参照。([[MediaWiki]]の機能)
== 関連項目 ==
* [[ファンクション (曖昧さ回避)]]
{{DEFAULTSORT:かんすう}}
[[Category:数学の曖昧さ回避]]
{{Aimai}}
[[en:function]] | 2003-05-07T04:52:05Z | 2023-10-17T01:25:38Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%95%B0 |
7,889 | Concurrent Versions System | Concurrent Versions System(コンカレント・バージョンズ・システム、並行バージョンシステム)は、通常CVS(シーブイエス)と略される、テキストファイルの変更を記録し管理するバージョン管理システム。フリーソフトウェアである。
主にソフトウェアの開発におけるソースコードを始めとしたテキストファイルの共有(保存、取出し)に使われる。テキストファイルの枝分かれした版を管理することができる。
枝分かれ(並行ヴァージョン)の機能を使わなくても、ファイルの直線的な追加改変を追いかけるのに使うことができる。特にダウンロードをする場合、サーバ上のファイルと自分の持っているファイルの差分を転送するだけで最新版を手にいれることができるので、開発途中のプログラムの配布にも使われる。
通常、CVSサーバを用意してファイルの共有をする。CVSサーバにアクセスするCVSクライアント・プログラムは、コマンドラインのcvsを始め、GUIによるラッパーや、統合開発環境向けのプラグインが多数作られている。
CVSは、ネットワークでの使用を考慮した最初のソースコード管理システムであって、フリーウェアだったので、1990年代を通じて広く利用された。しかし、後述するような欠陥が明らかになるにつれ、これらの問題を改善した、Subversion、Perforce、Git などの新しいツールに取って代わられた。
CVSは元々、単一のファイルを対象としたバージョン管理ツールであるRCSの上に作られていたが、現在は依存はなくなった(リポジトリ内のデータ保持は依然として RCSのそれである)。$Id:$などのキーワードは、その名残である。更にRCSは、diffなどのUNIX系のテキスト処理プログラムの上に作られている。
RCSは、マルチユーザーシステム(1台のコンピュータに、複数のダム端末が接続され、CPUやファイルシステムが共有されている)の上で、同じファイル/フォルダを共有した状態で使われたのに比べ、CVSではCVSサーバとして別のコンピュータ上に用意することもできる。
同一ファイルを複数人で同時編集した場合のコンフリクトに対するアプローチも異なる。RCSはファイルをロックする事で同時編集を禁止する。対するCVSでは、RCSのような強固なロックメカニズムは、もたない。すなわち、同時編集を許可する代りにコンフリクトが生じた場合、コミット時にマージ操作が必要とされる。
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] | Concurrent Versions System(コンカレント・バージョンズ・システム、並行バージョンシステム)は、通常CVS(シーブイエス)と略される、テキストファイルの変更を記録し管理するバージョン管理システム。フリーソフトウェアである。 | {{Infobox Software
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}}
'''Concurrent Versions System'''(コンカレント・バージョンズ・システム、並行バージョンシステム)は、通常'''CVS'''(シーブイエス)と略される、[[テキストファイル]]の変更を記録し管理する[[バージョン管理システム]]。[[フリーソフトウェア]]である。
== 概要 ==
主に[[ソフトウェア]]の開発における[[ソースコード]]を始めとしたテキストファイルの共有(保存、取出し)に使われる。テキストファイルの枝分かれした版を管理することができる。
枝分かれ(並行ヴァージョン)の機能を使わなくても、ファイルの直線的な追加改変を追いかけるのに使うことができる。特にダウンロードをする場合、サーバ上のファイルと自分の持っているファイルの差分を転送するだけで最新版を手にいれることができるので、開発途中のプログラムの配布にも使われる。
通常、CVSサーバを用意してファイルの共有をする。CVSサーバにアクセスするCVSクライアント・プログラムは、コマンドラインの<code>cvs</code>を始め、[[GUI]]によるラッパーや、[[統合開発環境]]向けの[[プラグイン]]が多数作られている。
CVSは、ネットワークでの使用を考慮した最初のソースコード管理システムであって、[[フリーウェア]]だったので、1990年代を通じて広く利用された。しかし、後述するような欠陥が明らかになるにつれ、これらの問題を改善した、[[Apache Subversion|Subversion]]、[[Perforce]]、[[Git]] などの新しいツールに取って代わられた。
== RCSとの比較 ==
CVSは元々、単一のファイルを対象としたバージョン管理ツールである[[Revision Control System|RCS]]の上に作られていたが、現在は依存はなくなった(リポジトリ内のデータ保持は依然として RCSのそれである)。$Id:$などのキーワードは、その名残である。更にRCSは、diffなどのUNIX系のテキスト処理プログラムの上に作られている。
RCSは、マルチユーザーシステム(1台のコンピュータに、複数のダム端末が接続され、[[CPU]]や[[ファイルシステム]]が共有されている)の上で、同じファイル/フォルダを共有した状態で使われたのに比べ、CVSではCVSサーバとして別のコンピュータ上に用意することもできる。
同一ファイルを複数人で同時編集した場合のコンフリクトに対するアプローチも異なる。RCSはファイルをロックする事で同時編集を禁止する。対するCVSでは、RCSのような強固なロックメカニズムは、もたない。すなわち、同時編集を許可する代りにコンフリクトが生じた場合、コミット時にマージ操作が必要とされる。
== 欠点 ==
* ファイル名の変更削除、ディレクトリ名の変更削除をうまく扱えない。
* 異なる文字コード(JIS/SJIS/EUC)に対するサポートがない。
* 基本的に個々のファイルの履歴はわかるが、リポジトリの履歴は簡単には知ることができない。
* バイナリーファイルの扱いが下手で、リポジトリサイズの増大につながる。
* 分散リポジトリをサポートしない。
* アトミック・コミットをサポートしない。複数のファイルを同時にコミットした場合、CVSではそれぞれのファイルを(ごく短時間の間に)一つずつコミットしたものとして扱うため、[[不可分操作|アトミック性]]を満たすことができない。
等の点が挙げられる。
== クライアント ==
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7,894 | 位相空間 | 数学における位相空間(いそうくうかん、英語: topological space)とは、集合Xに位相(topology)と呼ばれる構造を付け加えたもので、この構造はX上に収束性の概念を定義するのに必要十分なものである。
位相空間の諸性質を研究する数学の分野を位相空間論と呼ぶ。
位相空間は、前述のように集合に「位相」という構造を付け加えたもので、この構造により、例えば以下の概念が定義可能となる
実はこれらの概念はいわば「同値」で、これらの概念のうちいずれか一つを定式化すれば、残りの概念はそこから定義できる事が知られている。したがって集合上の位相構造は、これらのうちいずれか1つを定式化する事により定義できる。そこで学部レベルの多くの教科書では、数学的に扱いやすい開集合の概念をもとに位相構造を定義するものが多い。
その他にも
といった概念も位相構造を用いて定義できる。
上述した概念はいずれも元々距離空間のような幾何学的な対象に対して定義されたものだが、距離が定義されていなくても位相構造さえ定義できれば定式化できる。これにより、位相空間の概念は、幾何学はもちろん解析学や代数学でも応用されており、位相空間論はこうした数学の諸分野の研究の基礎を与える。位相空間の概念の利点の一つは、解析学や代数学などの研究対象に幾何学的な直観を与えることにある。
このような観点からみたとき、位相空間論の目標の一つは、ユークリッド空間など幾何学の対象に対して成り立つ諸性質を解析学などにも一般化することにある。従って学部レベルで学ぶ位相空間論の性質の多くは、ユークリッド空間などの幾何学的な対象では自明に成り立つ(例えば各種分離公理や可算公理)。
位相空間論ではこうした幾何学的な性質をいかに一般の空間へと拡張するかが問われるので、位相空間の概念自身は非常に弱く、かつ抽象的に定義される。しかしその分個別の用途では必要な性質が満たされないこともあり、例えば位相空間上では収束の一意性は保証されない。そこで必要に応じて、位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものが研究対象になることも多い。前述した収束の一意性は、位相空間に「ハウスドルフ性」という性質を加えると成立する。学部レベルの位相空間論の目標の一つは、こうしたプラスアルファの性質の代表的なものを学ぶ事にある。
位相空間となる代表的な空間としては、ユークリッド空間をはじめとした距離空間がある。距離空間は必ず位相空間になるが、逆は必ずしも正しくない。すなわち、距離構造は位相的構造よりも遥かに多くの情報を持った強い概念であり、距離空間としては異なっても位相空間としては同一の空間になることもある。
例えばp≧1を固定して実数空間 R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} 上にl距離
を入れた距離空間 ( R n , d p ) {\displaystyle (\mathbb {R} ^{n},d_{p})} を考えてみると、ε-N論法やε-δ論法による極限の議論で用いるε-近傍はpに依存して異なるにもかかわらず、収束の有無や収束先の点はpによらず一致する。
より一般に、ユークリッド空間をゴム膜のように連続変形したものは、元のユークリッド空間とは距離空間としては異なるが、位相空間としては同一であり、収束するか否かという性質も互いに保たれて不変である。
以上のように、連続性や収束性といった概念を考えたり、連続変形を対象とした研究を行ったりするときには、距離空間の概念は柔軟性に欠けるところがあり、位相空間というより弱い概念を考える積極的動機の一つとなる。
他にも例えば多様体を定義する際には複数の距離空間(ユークリッド空間の開集合)を連続写像で「張り合わせる」(商空間)が、張り合わせに際して元の空間の距離構造を壊してしまうので、元の空間を距離空間とみなすより、位相空間とみなす方が自然である。
位相空間の概念の代表的な応用分野に位相幾何学がある。これは曲面をはじめとした幾何学的な空間(主に有限次元の多様体や単体的複体)の位相空間としての性質を探る分野である。前述のようにゴム膜のように連続変形しても位相空間としての構造は変わらないので、球面と楕円体は同じ空間であるが、トーラスは球面とは異なる位相空間である事が知られている。位相幾何学では、位相空間としての構造に着目して空間を分類したり、分類に必要な不変量(位相不変量)を定義したりする。
位相空間の概念は代数学や解析学でも有益である。例えば無限次元ベクトル空間を扱う関数解析学の理論を見通しよく展開するにはベクトル空間に位相を入れて位相空間の一般論を用いることが必須であるし(位相線型空間)、代数幾何学で用いられるザリスキ位相は、通常、距離から定めることのできないような位相である。
また、位相空間としての構造はその上で定義された様々な概念の制約条件として登場することがある。例えばリーマン面上の有理型関数のなす空間の次元は、リーマン面の位相構造によって制限を受ける(リーマン・ロッホの定理)。また三次元以上の二つの閉じた双曲多様体が距離空間として同型である必要十分条件は、位相空間として同型な事である(モストウの剛性定理)。
位相空間にはいくつかの同値な定義があるが、本項ではまず、開集合を使った定義を述べる。
位相空間を定式化する為に必要となる「開集合」という概念は、直観的には位相空間の「縁を含まない」、「開いた」部分集合である。
ただし上ではわかりやすさを優先して「縁を含まない」、「開いた」という言葉を使ったが、これらの言葉を厳密に定義しようとすると位相空間の概念が必要になるので、これらを使って開集合を定義するのは循環論法になってしまう。また、ここでいう「縁」(=境界)は通常の直観と乖離している場合もあり、例えば実数直線上の有理数の集合の境界は実数全体である。
そこで位相空間の定義では、「縁を含まない」とか「開いた」といった概念に頼ることなく、非常に抽象的な方法で開集合の概念を定式化する。
位相空間を定式化するのに必要なのは、どれが開集合であるのかを弁別するために開集合全体の集合 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} を指定する事と、 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} が定められた性質を満たすことだけである。
位相空間の厳密な定義は下記のとおりである。
定義 (開集合系による位相空間の定義) ― Xを集合とし、 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} をXのべき集合 P ( X ) {\displaystyle {\mathfrak {P}}(X)} の部分集合とする。
O {\displaystyle {\mathcal {O}}} が以下の性質を満たすとき、組 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を X を台集合とし O {\displaystyle {\mathcal {O}}} を開集合系とする位相空間と呼び、 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の元を X の開集合と呼ぶ。
上述の定義に登場する3つの条件の意味するところは下記のとおりである:
本節では、これらの性質を天下り的に与えるにとどめ、後の章で距離空間で具体的な位相に関し、この定義について論ずる。
開集合系 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} を一つ定める事で、集合 X が位相空間になるので、 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} をX 上の位相(構造)と呼ぶ。
紛れがなければ開集合系 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} を省略し、X の事を位相空間 と呼ぶ。
また位相空間X の元を点と呼ぶ。
なお、集合算に関する空積および空和はそれぞれ全体集合と空集合になるので、 O ≠ ∅ {\displaystyle {\mathcal {O}}\neq \emptyset } を仮定しておけば、上述の定義における条件1を課さなくてもよい。
開集合のX における補集合の事を閉集合と呼び、閉集合全体の集合
の事を位相空間X の閉集合系と呼ぶ。
開集合が直観的には「縁を含まない」、「開いた」集合だったのに対し、その補集合である閉集合は直観的には「縁を含んだ」、「閉じた」集合である。 本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、開集合の補集合として閉集合を定義したが、閉集合系 F {\displaystyle {\mathcal {F}}} を使って下記のように位相空間を定義する事もできる。この場合、開集合は閉集合の補集合として定義する。
定義 (閉集合系による位相空間の定義) ― Xを集合とし、 F {\displaystyle {\mathcal {F}}} をXのべき集合 P ( X ) {\displaystyle {\mathfrak {P}}(X)} の部分集合とする。
F {\displaystyle {\mathcal {F}}} が以下の性質を満たすとき、組 ( X , F ) {\displaystyle (X,{\mathcal {F}})} を X を台集合とし F {\displaystyle {\mathcal {F}}} を閉集合系とする位相空間と呼び、 F {\displaystyle {\mathcal {F}}} の元を X の閉集合と呼ぶ。
閉集合系による位相空間の定義における3つの条件は、開集合系による位相空間の定義における3つの条件にド・モルガンの法則を適用することにより得られる。
なお、X の開集合でも閉集合でもあるような部分集合は X の開かつ閉集合と呼ばれる(定義から明らかに ∅ {\displaystyle \emptyset } および X は必ず開かつ閉である)。X には、開でも閉でもないような部分集合が存在しうる。
( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} を2つの位相空間とする。
定義 (位相同型) ― ある全単射
が存在して、
を満たすとき、 ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} と ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} は位相同型であるという。
位相空間論とは、位相同型で不変な性質(すなわち、 ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} がある性質を満たせば、それと位相同型な ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} もその性質を満たすような性質)を議論する分野である。
すでに述べたように位相空間の概念を定義する主な動機の一つは、距離空間上で定義される諸概念をより一般の空間でも定義する事である。この意味において距離空間は最も基本的な位相空間の例であるので、本節では距離構造が位相構造を定める事を見る:
定理・定義 (距離から定まる位相) ― (X ,d )を距離空間とし、実数 ε > 0 と x ∈ X に対し、xのε-近傍(ε-neighborhood) B ε ( x ) {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)} を
と定義するとき、
は開集合系の公理を満たす。 O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} を距離 d により定まる X の開集合系、もしくはd により定まる X の位相構造といい、 ( X , O d ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{d})} を(X ,d )により定まる位相空間という。
xのε-近傍の事を、ε-球(ε-ball)、ε-開球(ε-open ball)、あるいは単に開球(open ball)ともいう。
上記のように定義した O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} が位相の定義を満たす事を示すために、まず開集合を別の形で書き換える:
命題 (距離から定まる開集合の特徴づけ) ― 距離空間(X ,d )が定める位相を O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} とし、OをXの部分集合とする。このとき、以下の3条件は同値である:
(1⇒2):任意の開集合Oに対し、開集合の定義より開集合Oの各点xに対し、 B ε x ( x ) ⊂ O {\displaystyle B_{\varepsilon _{x}}(x)\subset O} を満たす ε x > 0 {\displaystyle \varepsilon _{x}>0} が存在するので、
と書ける。
(2⇒3):自明
(3⇒2): O = ⋃ x λ ∈ Λ B ε λ ( x λ ) {\displaystyle O=\bigcup _{x_{\lambda }\in \Lambda }B_{\varepsilon _{\lambda }}(x_{\lambda })} と書ければ、任意のx ∈ Oに対し、 x ∈ O ⟺ ∃ x λ ∈ Λ : x ∈ B ε λ ( x λ ) {\displaystyle x\in O\iff \exists x_{\lambda }\in \Lambda ~:~x\in B_{\varepsilon _{\lambda }}(x_{\lambda })} なので、 δ x := ε λ − d ( x , x λ ) {\displaystyle \delta _{x}:=\varepsilon _{\lambda }-d(x,x_{\lambda })} とすれば、 δ x > 0 {\displaystyle \delta _{x}>0} であり、 B δ x ( x ) ⊂ B ε λ ( x λ ) ⊂ ⋃ x λ ∈ Λ B ε λ ( x λ ) = O {\displaystyle B_{\delta _{x}}(x)\subset B_{\varepsilon _{\lambda }}(x_{\lambda })\subset \bigcup _{x_{\lambda }\in \Lambda }B_{\varepsilon _{\lambda }}(x_{\lambda })=O} である。x ∈ OIの任意性から、Oは O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} の開集合である。
上述の命題の条件3から特に次の系が従う:
系 ― 開球は O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} の開集合である。
上述の命題より、 O d {\displaystyle {\mathcal {O}}_{d}} が位相の定義を満たす事が従う:
なお、位相空間の定義より開集合の(有限または無限個の)和集合は開集合であり、開集合の有限個の共通部分も開集合であるが、開集合の無限個の共通部分は開集合になるとは限らない。実際、任意の自然数n > 0に対し、1/n-球 B 1 / n ( x ) {\displaystyle B_{1/n}(x)} は定義より開集合であるが、
は開集合ではない。
上述のように集合X 上の距離構造に1つの位相構造が対応するが、この対応関係は一般には「単射」ではなく、異なる距離構造が同一の位相構造を定める事も多い。実際、次の命題が成立する:
命題 ― (X ,d )を距離空間とし、f : X → Xを連続な全単射で逆写像も連続なものとする。このとき、
と定義すると、dとd'はX上に同一の位相構造を定める。
なお、上記の命題における「連続」の概念は距離空間における連続の事であるが、本稿では後で位相空間上の連続性を定義し、位相空間としての連続性の概念と距離空間としての連続性の概念が一致する事を見る。
上述の命題は、距離空間を連続変形しても位相構造が変わらない事を意味する。したがって連続変形に対して不変な性質を研究する位相幾何学にとって基礎的である。
本節では(実または複素)ベクトル空間における距離と位相の関係を述べる。本節の内容はベクトル空間が有限次元の場合は幾何学、無限次元の場合は解析学に応用がある。
ベクトル空間では、ノルムの概念を定義する事ができ、ベクトル空間上の距離としてはノルムから定まるものを考える事が多い。本節ではまずノルムの定義を振り返り、ノルムから定まる距離を定義し、その距離から定まる位相の性質を見る。
まずノルムとは何かを簡単に説明する:
定義 (ノルム) ― Kを R {\displaystyle \mathbb {R} } もしくは C {\displaystyle \mathbb {C} } とするとき、K上ベクトル空間Vのノルムとは写像
で以下の3性質を満たすものの事である。ここでx、yはVの元でαはKの元である:
R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} 上の代表的なノルムとして、p≧1に対するlノルム
が知られている。ここでv=(v1,...,vn)である。
V上にノルム‖ ・ ‖が1つ与えられると、
により、V上の距離が定まる。
このようにノルムから距離が定まり、距離から位相が定まるが、ノルムが「同値」であるとそこから定まる位相が同一になる事が知られている:
定義・定理 (ノルムの同値性と位相) ― Vを(実もしくは複素)ベクトル空間とし、 ‖ ⋅ ‖ {\displaystyle \|\cdot \|} と ‖ ⋅ ‖ ′ {\displaystyle \|\cdot \|'} をV上定義された2つのノルムとする。 ‖ ⋅ ‖ {\displaystyle \|\cdot \|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\displaystyle \|\cdot \|'} が
を満たすとき、 ‖ ⋅ ‖ {\displaystyle \|\cdot \|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\displaystyle \|\cdot \|'} は同値なノルムであるという。
‖ ⋅ ‖ {\displaystyle \|\cdot \|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\displaystyle \|\cdot \|'} が同値であれば、これらのノルムが定める距離
は V上に同一の位相を定める。
Vが有限次元の場合は次の事実が知られている:
命題 ― 有限次元の(実もしくは複素)ベクトル空間上定義されるノルムは全て同値である。
この事実から、有限次元ベクトル空間の場合は、ノルムのとり方によらず同一の位相構造が定まる事がわかる。この位相を有限次元ベクトル空間上の自然な位相、通常の位相等と呼ぶ。
一方解析学で頻繁に使われる、無限次元のベクトル空間の場合は、同一のベクトル空間上に複数の同値でないノルムが存在し、それらのノルムがそれぞれ異なる位相構造を定める事になる。例えば[0,1]区間から R {\displaystyle \mathbf {R} } への連続写像全体の集合
を写像の和と定数倍に関してベクトル空間とみなすと、各 p ≥ 1 {\displaystyle p\geq 1} 対し、Lノルム
が定義できるが、これらはpが異なれば異なる位相を定め、実際Lノルムでは収束するのに別のLノルムでは収束しない例を作る事ができる。
また無限回微分可能な写像の空間
にはLノルムの一般化であるソボレフノルム
も定義可能であるが、これらもk、pが異なれば異なる位相を定める。なお、 ‖ ⋅ ‖ k , ∞ {\displaystyle \|\cdot \|_{k,\infty }} の定める位相をC-位相と呼び、この位相は位相幾何学で図形の連続変形を扱う際重要な役割を果たす。
定義・定理 ― Xを集合とする。このとき以下は位相の公理を満たす。
密着位相と離散位相はいわば「両極端」の人工的な位相構造に過ぎないが、これらの位相構造は、位相に関する命題の反例として用いられる事がある。またこれらの位相構造は、任意の集合上に位相構造を定義できる事を意味している。
離散位相はX上に離散距離
をいれたときに距離から定まる位相と一致する。
Xが1元集合、有限集合、可算集合の場合は明らかに密着位相、補有限位相、補可算位相はいずれも離散位相に一致する。 それ以外の場合、すなわちXが2元以上ある集合、無限集合、非可算集合の場合は、密着位相、補有限位相、補可算位相はX上のいかなる距離から定まる位相とも一致しない。
P = { 2 , 3 , 5 , 7 , ... } {\displaystyle P=\{2,3,5,7,\ldots \}} を素数の集合とする。各整数 n ∈ Z {\displaystyle n\in \mathbb {Z} } に対し、
と定義し、V(n)全体の集合を閉集合系とするP上の位相をP上のザリスキー位相という。 ザリスキー位相はP上のいかなる距離から定まる位相とも一致しないことが知られており、距離から定まらない位相でなおかつ数学の重要な研究対象となっているものの代表例である。 ザリスキー位相の概念は一般の可換環Rの素イデアル全体の集合に対しても定義する事ができる事が知られている。
一方、これとは全く異なる角度からザリスキー位相を定義する事ができる。Kを複素数体(もしくはより一般に代数的閉体)とし、Kを考える。そしてK上の多項式の任意の集合Sに対し、
と定義し、V(S)全体の集合を閉集合系とする位相をK上のザリスキー位相という。
以上で述べた2種類のザリスキー位相は一見全く異なるように見えるが、実は同種の概念を別の角度から見たものである事が知られている。これら2つが同種である事は代数幾何学の最も基本的な定理の一つとなっている。
数学で使われる多くの位相空間は、距離空間(から定まる位相空間)のような既知の位相空間を加工して作られている。 例えば既知の2つの位相空間の和集合や積集合に対して、位相を定めてこれらを位相空間とみなしたり、位相空間上で同値関係を考えてその同値関係による商集合に対して位相を定めて位相空間とみなしたりする。
こうした加工の結果として得られる位相空間の例として、非常に重要なものの一つが多様体である。多様体とは、直観的にはn次元曲面のことであるが、これは R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の部分集合を何枚も張り合わせる事で実現されている。
既知の位相空間の和集合、積集合、商集合といったものにどのような位相を定めるべきかに関しては一般的な導出方法が知られており、これについては「#位相空間の導出」の節で説明する。
位相空間Xの部分集合Aに対し、Aの「内部」、「外部」、「境界」の概念を定義できる:
定義 (内点、外点、境界点) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをX の部分集合とする。このとき、
定義 (内部、外部、境界) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをX の部分集合とする。このとき、
なお、境界を表す記号「 ∂ A {\displaystyle \partial A} 」は多様体の縁(ふち, 英: boundary)を表す記号としても使われるが、両者は似て非なる概念なので注意が必要である。
さらに閉包を次のように定義する:
定理・定義 (閉包、触点) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、A をX の部分集合とする。このとき、
定義から明らかに次が成立する:
命題 (内部と閉包の関係) ―
よって内部と閉包は双対的な関係にあり、内部に関する性質にド・モルガンの法則を適用する事で閉包の性質を導く事ができる。
定義より明らかに次が成立する。
命題 ―
Xが距離空間であれば、上では「x ∈ Oを満たすある開集合O ⊂ X」、「x ∈ Oを満たす任意の開集合O ⊂ X」となっているところを、「xのあるε-近傍 B ε ( x ) {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)} 」「xの任意のε-近傍 B ε ( x ) {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)} 」に変えてもよい。これについては基本近傍系について記述する際、より詳しく述べる。
さらに次が成立する。
命題 ― 位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の任意の部分集合Aに対し次が成立する:
内部および閉包は以下のようにも特徴づけられる事が知られている:
命題 (内部および閉包の特徴づけ) ― 位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の任意の部分集合Aに対し次が成立する:
内部の概念は以下を満たす:
定理 (内部の性質) ― 位相空間Xの任意の部分集合A、Bに対し、以下が成立する:
A ̄ = ( ( A c ) ∘ ) c {\displaystyle {\bar {A}}=((A^{c})^{\circ })^{c}} である事を用いて、以上で述べた内部に関する結果をド・モルガンの法則により閉包の結果に翻訳できる:
定理 (クラトウスキイの公理系) ― 位相空間Xの任意の部分集合A、Bに対し、以下が成立する:
( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とするとき、
本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、これをベースに内核作用素を定義したが、逆に上述の性質を満たす内核作用素の概念を使って位相空間を定義し、これを使って開集合と定義する事も可能である。すなわち以下が成立する:
定理 (内核作用素による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの冪集合からそれ自身への写像
で、 A ∘ := I n t ( A ) {\displaystyle A^{\circ }:=\mathrm {Int} (A)} が「定理(内核作用素の性質)」で述べた4性質を満たすものとする。
このときX上の位相構造 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の内核作用素が I n t {\displaystyle \mathrm {Int} } に一致するものがただ一つ存在する O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開集合系 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} は具体的には以下のように書ける:
A ̄ = ( ( A c ) ∘ ) c {\displaystyle {\bar {A}}=((A^{c})^{\circ })^{c}} である事を用いて、以上の結果を閉包作用素の結果に翻訳できる:
定理 (閉包作用素による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの冪集合からそれ自身への写像
で、 A ̄ := C l ( A ) {\displaystyle {\bar {A}}:=\mathrm {Cl} (A)} がクラトウスキイの公理系を満たすものとする。
このときX上の位相構造 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の閉包作用素が A ̄ = C l ( A ) {\displaystyle {\bar {A}}=\mathrm {Cl} (A)} に一致するものがただ一つ存在する。 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の閉集合系 F {\displaystyle {\mathcal {F}}} は具体的には以下のように書ける:
定義 (集積点、導集合、孤立点) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをXの部分集合とする。このとき、
定義より明らかに次が成立する。
命題 ―
定義 (稠密) ― Aが位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の稠密な部分集合であるとは、A の閉包が X に一致することである。
これは言い換えるとX の任意の点の任意の近傍が、A と交わることを意味する。
可算な稠密部分集合をもつ位相空間は可分であるといい、例えば R {\displaystyle \mathbb {R} } においては Q {\displaystyle \mathbb {Q} } が可算な稠密部分集合なので、 R {\displaystyle \mathbb {R} } は可分である。
本節では近傍の定義を述べ、その基本的な性質を述べる。後述するように近傍は位相空間における収束の概念を定義するのに用いられるが、それ以外にもある点xの周りの局所的な性質を記述する際に広く使われている。
近傍の定義は以下のとおりである:
定義 (近傍系、開近傍系) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、xをXの点とする。このとき、
を満たす開集合をxの開近傍(かいきんぼう, 英: open neighborhood)という。 またX の部分集合Nが以下を満たすとき、Nはxの 近傍(きんぼう, 英: neighborhood)であるという
点xの近傍全体の集合をxの近傍系といい、xの開近傍全体の集合をxの開近傍系という。
近傍系のことを近傍フィルター(英: neighborhood filter)ともいう。
点xの近傍Nはx ∈ O ⊂ Nを満たし、距離空間における開集合Oは B ε ( x ) ⊂ O {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)\subset O} を満たす。したがって以下のように基本近傍系の概念を定義すると、距離空間においては { B ε ( x ) ∣ ε > 0 } {\displaystyle \{B_{\varepsilon }(x)\mid \varepsilon >0\}} が基本近傍系になっている事がわかる。また一般の位相空間でも開近傍全体の集合が基本近傍系になる事がわかる。
定義 (基本近傍系) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、xをXの点とし、 N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} をxの近傍系とする。 N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} の部分集合 B x {\displaystyle {\mathcal {B}}_{x}} が以下を満たすとき、 B x {\displaystyle {\mathcal {B}}_{x}} をxにおける基本近傍系という:
近傍概念は収束などxの局所的な振る舞いを記述する際に用いられるので、多くの場合全ての近傍を考える代わりに、基本近傍系のみを考えれば十分である。例えば次が成立する:
命題 ― B x {\displaystyle {\mathcal {B}}_{x}} を位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の点xにおける基本近傍系とする。このとき、
距離空間においては点xのε-近傍全体が基本近傍系をなすので、上記の定理より、距離空間においては内点、外点といった概念はε-近傍を用いて定義可能である。教科書によっては、このε-近傍を用いた定義を距離空間における内点、外点等の定義として採用しているものもある。
近傍系は以下の性質を満たす:
定義 (ハウスドルフの公理系) ― 点xの近傍系を N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} で表すとき、Xの任意の部分集合N、N'、Mに対して以下が成立する。
ハウスドルフの公理系を満たす近傍系は位相を特徴づける:
定理 (近傍系による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの元にXの冪集合の冪集合の元を対応させる写像
がハウスドルフの公理系を満たしたとする。このときX上の位相構造 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の各点xの近傍が N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} に一致するものがただ一つ存在する。 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} は具体的には以下のように書ける:
本節の目標は、位相空間上での収束概念を定義し、収束概念によってこれまで述べてきた様々な概念を捉え直す事にある。 位相空間における収束概念は、距離空間における点列の収束概念を適切に修正する事により得られる:
定義 (距離空間における点列の収束) ― ( X , d ) {\displaystyle (X,d)} を距離空間とする。Xの点列 ( x n ) n ∈ N {\displaystyle (x_{n})_{n\in \mathbb {N} }} がXの点xに収束するとは以下が成立する事を言う:
ここで、 B ε ( x ) = { y ∈ X | d ( y , x ) < ε } {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)=\{y\in X|d(y,x)<\varepsilon \}} である。
位相空間における収束を定義するにあたり、上述の距離空間における収束の定義に2つの変更を行う:
1番目の変更を行うのは、位相空間には距離の概念がないので、そもそもε-近傍を定義できないからである。一方2番目の変更を行うのは、点列の収束概念だけでは位相空間の諸概念を定式化するのに不十分だからである。たとえば距離空間の場合には連続性の概念は
が収束する任意の点列に対して成り立つ事により定式化できるが、一般の位相空間の場合は「任意の点列」ではなく「任意の有向点族」に対してこれと類似の性質が成り立つ事により連続性を定義する必要がある。
なぜなら点列の場合は添字集合が可算なので、点列の概念で連続性を捉え切るには位相空間の方にも何らかの可算性を要求する必要があり(列型空間を参照)、一般の位相空間の連続性の概念を適切に定義するには点列の概念では不足だからである。
なお、位相空間上ではフィルターの収束という、もう一つの収束概念を定式化できる事が知られているものの、収束する有向点族と収束するフィルターとにはある種の対応関係がある事が知られている。詳細は有向点族#フィルターとの関係を参照。
すでに述べたように位相空間では点列の概念を一般化した有向点族の概念を定義した上でその収束を定義する。本節では有向点族の定義を与える。その為にまず有向集合の概念を定義する
定義 (有向集合) ― 空でない集合ΛとΛ上の二項関係「≤ 」の組 (Λ, ≤)が有向集合(ゆうこうしゅうごう、英: directed set)であるとは、「≤ 」が以下の性質を全て満たす事を言う:
なお、有向集合の二項関係「≤ 」は、反射律と推移律を満たすのものの反対称律は満たす必要がないので、前順序ではあるものの順序の定義は満たしていない。
定義 (有向点族) ― 集合X上の有向点族とは、X上の族(xλ)λ∈Λで添字集合Λが有向集合であるものを指す。有向点族はネット (英: net)、 Moore-Smith 列(英: Moore-Smith sequence)、generalized sequenceなどとも呼ばれる。
具体的にはXに値を取る点列 ( x n ) n ∈ N {\displaystyle (x_{n})_{n\in \mathbb {N} }} や、実数を定義域に持つX値関数fから定義される族 ( f ( x ) ) x ∈ R {\displaystyle (f(x))_{x\in \mathbb {R} }} が N {\displaystyle \mathbb {N} } や R {\displaystyle \mathbb {R} } 上に自然な順序を入れた場合に有向点族になるので、これらの収束概念は有向点族の収束概念により定式化できる。
しかしより重要なのは、以下に述べる開近傍系を添字集合に取る有向点族である
命題 (開近傍系を添字集合に取る有向点族) ― aを位相空間Xの点とし、 V a {\displaystyle {\mathcal {V}}_{a}} をaの開近傍系とする。このとき V a {\displaystyle {\mathcal {V}}_{a}} 上の二項関係
を入れると、 ( V a , ≤ ) {\displaystyle ({\mathcal {V}}_{a},\leq )} は有向集合である。よって V a {\displaystyle {\mathcal {V}}_{a}} を添え字に取るX上の任意の族 ( x U ) U ∈ V a {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{a}}} はこの二項関係に関して有向点族である。
上の例で特に
を満たす有向点族 ( x U ) U ∈ V a {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{a}}} を考えれば、Uが小さくなればなるほど x U ∈ U {\displaystyle x_{U}\in U} がaに「近づく」ので、この有向点族が収束概念を考える際に重要な役割を果たす事が了解されるであろう。
また開近傍系は開集合の集まりなので、この有向点族 ( x U ) U ∈ V a {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{a}}} は、これまで開集合の概念を通して定義してきた位相空間の概念と有向点族の収束性の概念との、いわば架け橋として機能し、開集合の概念から収束を定式化したり、逆に収束の概念から開集合を逆に定式化したりする際に役に立つ。
なお上では開近傍系を添字集合とする有向点族について記したが、(開とは限らない)近傍系を添字集合とする有向点族も同様に定義できる。
先に進む前に部分有向点族の概念を定義する。この概念は収束概念を定義する上では使わないが、収束概念を使って位相空間上の他の概念を定式化する際に用いる。
定義 (部分有向点族) ― Xを集合とし、X上の有向点族 ( y γ ) γ ∈ Γ {\displaystyle (y_{\gamma })_{\gamma \in \Gamma }} 、 ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} に対し、以下の性質を満たすh : Γ→Λが存在するとき、 ( y γ ) γ ∈ Γ {\displaystyle (y_{\gamma })_{\gamma \in \Gamma }} は ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} の部分有向点族という:
(2を強共終性(英: strong cofinality)という)
上の定義でhが単射である事を要求してない事に注意されたい。これはもしh に単射性を要求すると病的な例(Tychonoff plank)のせいでいくつかの当然と思われる定理が成り立たなくなってしまうからである。
これが原因で、点列 ( x n ) n ∈ N {\displaystyle (x_{n})_{n\in \mathbb {N} }} を有向点族とみなした場合の部分有向点族は点列になっていない場合もあり得る。実際、 ( x h ( γ ) ) γ ∈ Γ {\displaystyle (x_{h(\gamma )})_{\gamma \in \Gamma }} を ( x n ) n ∈ N {\displaystyle (x_{n})_{n\in \mathbb {N} }} の部分有向点族とすると、h が単射でない事から同じx nが部分有向点族に複数回(場合によっては非可算無限回)登場するかもしれないし、Γも全順序ではないかもしれない。
なお本項に載せた部分有向点族の定義は(Kelly 1975)による。書籍によってはこれとは異なる定義を採用している場合もあるが、こうした別定義とも何らかの意味で同値である事が示されている。
以上の準備のもと、有向点族の収束の概念を定義する。
定義 (有向点族の収束) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とする。X上の有向点族 x = ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle x=(x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} がa∈Xに収束するとは、
が成立する事をいう。 x = ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle x=(x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} の収束先aが一意であれば、
等と表す。
B x {\displaystyle {\mathcal {B}}_{x}} をxの基本近傍系とするとき、以上の定義における「xの任意の近傍U」を「 B x {\displaystyle {\mathcal {B}}_{x}} の任意の元U」に変えたとしても定義としては同値になる。
よって特に、距離空間から定義される位相空間の場合は、「xの任意のεー近傍」としてもよい。従って点列の収束に関しては位相空間におけら収束と本章の冒頭にあげた距離空間における収束の定義は一致する。
一般の位相空間において有向点族の収束の一意性は必ずしも成立しないものの、収束の一意性が保証される必要十分条件は下記のように記述できる事が知られている:
定理・定義 (ハウスドルフ性) ― 位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} において、下記の2つの性質は同値である。これらの性質の1つ(したがって両方を満たす事)をハウスドルフ性もしくはハウスドルフの分離公理といい、ハウスドルフ性が成り立つ位相空間をハウスドルフ空間もしくはT2-空間という。
なお、ハウスドルフ性は数ある「分離公理」の一つであり、「T2-空間」という名称も「T1-空間」や「T3-空間」といった他の分離公理と区別するための名称である。詳細は本項の分離公理の説明や分離公理の項目を参照されたい。
有向点族の収束概念を用いると、閉包の概念を収束によって捉え直す事ができるようになる:
定理 (有向点族による特徴づけ) ― Aを位相空間Xの任意の部分集合とき、以下が成立する:
上の定理の閉集合に関する部分は以下のように非常に簡単に示せる。他のものの証明も同様である:
(⇒) a ∈ A ̄ {\displaystyle a\in {\bar {A}}} である事は以下と同値である:
これはU ∩ A に少なくとも一つ元が存在する事を意味するので、そのような元をx U とすると x U ∈ U ∩ A ⊂ A {\displaystyle x_{U}\in U\cap A\subset A} である事から ( x U ) U ∈ V a {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{a}}} はA 上にある。しかも前節で述べたように ( x U ) U ∈ V a {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{a}}} は有向点族でありしかもa に収束する。
( ⇐ {\displaystyle \Leftarrow } )逆にa に収束するA 上の有向点族(xλ)λ∈Λがあったとすれば、収束性の定義からa の任意の近傍U 内に有向点族の点xλが存在する。しかも仮定からxλ ∈ A でもあったので、これは(1)が成立する事を意味し、したがって a ∈ A ̄ {\displaystyle a\in {\bar {A}}} である。
距離空間では、点列の収束概念を用いて閉包や閉集合を同様にして特徴づけができる事が知られており、上記の2つの定理はこの特徴づけを一般の位相空間に拡張したものである。しかし一般の位相空間の場合、上記2定理で述べられているように、距離空間と違い「点列」ではなく「有向点族」で特徴づける必要がある。
なぜなら点列の添字が全順序な可算集合であるという制約が原因で、一般の位相空間の性質を記述するには不足であり、点列の概念で閉集合や開集合を特徴づけるには位相空間の方にも可算性に関する条件を満たす必要があるからである。詳細は列型空間を参照されたい。
次に有向点族の二重極限に関する定理を紹介する。後述するように、この定理は有向点族の極限で位相を特徴づける際に役立つ。定理を記述するため、まず有向集合の直積に有向集合構造が入る事を見る:
命題・定義 (有向集合の直積) ― (Γλ)λ∈Γを有向集合の族とするとき、(Γλ)λ∈Γの集合としての直積 × λ ∈ Λ Γ λ {\displaystyle {\underset {\lambda \in \Lambda }{\times }}\Gamma _{\lambda }} に
という順序を入れると、 × λ ∈ Λ Γ λ {\displaystyle {\underset {\lambda \in \Lambda }{\times }}\Gamma _{\lambda }} は有向集合になる。この順序をいれた × λ ∈ Λ Γ λ {\displaystyle {\underset {\lambda \in \Lambda }{\times }}\Gamma _{\lambda }} を (Γλ)λ∈Γの有向集合としての直積という。
定理 (二重極限の定理(英: Theorem on Iterated limit)) ― Λを有向集合とし、各λ∈Λに対し、Γλを有向集合とし、 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とする。 各λ∈Λに対し、有向集合Γλを添え字とするX上の有向点族 x λ = ( x λ , γ ) γ ∈ Γ λ {\displaystyle x_{\lambda }=(x_{\lambda ,\gamma })_{\gamma \in \Gamma _{\lambda }}} が、yλに収束するとし、さらに有向点族 ( y λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (y_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} がzに収束するものとする。
(Γλ)λ∈Λの直積を Γ = × λ ∈ Λ Γ λ {\displaystyle \Gamma ={\underset {\lambda \in \Lambda }{\times }}\Gamma _{\lambda }} とし、有向点族 ( w λ , ξ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ = ( x λ , ξ λ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ {\displaystyle (w_{\lambda ,\xi })_{(\lambda ,\xi )\in \Lambda \times \Gamma }=(x_{\lambda ,\xi _{\lambda }})_{(\lambda ,\xi )\in \Lambda \times \Gamma }} を考える(ただし ξ = ( ξ λ ) λ ∈ Λ ∈ Γ = × λ ∈ Λ Γ λ {\displaystyle \xi =(\xi _{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }\in \Gamma ={\underset {\lambda \in \Lambda }{\times }}\Gamma _{\lambda }} と定める)。
このとき ( w λ , ξ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ {\displaystyle (w_{\lambda ,\xi })_{(\lambda ,\xi )\in \Lambda \times \Gamma }} はzに収束する。
最後に有向点族による極限概念によって位相が特徴づけられる事を見る:
定理 (極限による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、 C {\displaystyle {\mathcal {C}}} をX上の有向点族とXの点の組からなるクラスとする。
( ( x λ ) λ ∈ Λ , y ) ∈ C {\displaystyle ((x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda },y)\in {\mathcal {C}}} であるとき ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} がyに C {\displaystyle {\mathcal {C}}} -収束するという事にするとき、以下が成立するとする:
このときX上の位相構造 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} で ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} における有向点族の収束が C {\displaystyle {\mathcal {C}}} -収束に一致するものが唯一存在する。 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} における閉包作用素は具体的には以下のように書ける:
本節では位相空間 ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} から別の位相空間 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} に向かって定義された関数f: X → Yの連続性の概念を定義する。後述するように位相空間における連続性の概念は、距離空間における連続性の定義で「点列」を「有向点族」に置き換える事で定義可能であるが、近傍や開集合といった、位相空間の概念を使った別定義も可能であり、両者の定義は同値となる。
なお、紛れがなければ、fが2つの位相空間の間の写像である事を強調して、「f: X → Y」ではなく
という表記を用いる事もある。
位相空間X上で定義された関数fの点x∈Xにおける連続性を以下のように定義する。
定義・定理 (一点における連続性) ― ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間とし、f: X → Yを写像とし、xをXの点とする。このとき以下の2条件は同値であり、この2条件の一方(したがって両方)を満たすとき、fはx∈Xで連続(英: continuous)であるという。以下で N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} はxの(開とは限らない)近傍全体を表す:
我々はXにハウスドルフ性を仮定していないので、以上の定理で有向点族の収束の一意性が保証されていない事に注意されたい。
(⇒)背理法で示す。 N ∈ N f ( x ) {\displaystyle N\in {\mathcal {N}}_{f(x)}} で f − 1 ( N ) ∉ N x {\displaystyle f^{-1}(N)\notin {\mathcal {N}}_{x}} となるものがあったとすると、近傍の定義よりxを含む任意の開集合Uに対し、 U ∖ f − 1 ( N ) {\displaystyle U\setminus f^{-1}(N)} の点xUが存在する。xの開近傍系を V x {\displaystyle {\mathcal {V}}_{x}} とすると、収束の定義より有向点族 ( x U ) U ∈ V x {\displaystyle (x_{U})_{U\in {\mathcal {V}}_{x}}} はxに収束する。よって仮定より ( f ( x U ) ) U ∈ V x {\displaystyle (f(x_{U}))_{U\in {\mathcal {V}}_{x}}} はf(x)に収束する。
Nはf(x)の近傍であったので、あるf(x)の開近傍Vが存在し、V⊂Nである。 ( f ( x U ) ) U ∈ V x {\displaystyle (f(x_{U}))_{U\in {\mathcal {V}}_{x}}} はf(x)に収束するので、xU⊂Vを満たすxUが存在する。
しかしxUの取り方より x U ∉ f − 1 ( N ) {\displaystyle x_{U}\notin f^{-1}(N)} であったので、 f ( x U ) ∉ N {\displaystyle f(x_{U})\notin N} であり、よって特に f ( x U ) ∉ V {\displaystyle f(x_{U})\notin V} であるのでこれは矛盾である。
( ⇐ {\displaystyle \Leftarrow } )有向点族 ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} がxに収束するとする。 N ∈ N f ( x ) {\displaystyle N\in {\mathcal {N}}_{f(x)}} を任意に取ると、仮定よりf(N)はxの近傍であるので、有向点族 ( x λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (x_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} がxに収束するから、あるλ0∈Λが存在し、 λ ≥ λ 0 {\displaystyle \lambda \geq \lambda _{0}} を満たす任意のλ∈Λに対し、xλ∈f(N)であり、よってf(xλ)∈Nである。これは有向点族 ( f ( x λ ) ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f(x_{\lambda }))_{\lambda \in \Lambda }} がf(x)に収束する事を意味する。
関数 f : ( X , O X ) → ( Y , O Y ) {\displaystyle f~:~(X,{\mathcal {O}}_{X})\to (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} が定義域上の任意の点x∈Xで連続であるとき、fは定義域の全点で連続、あるいは単に連続であるという。fの連続性は以下のようにも特徴づける事ができる。
定理 (連続性の特徴づけ) ― f : ( X , O X ) → ( Y , O Y ) {\displaystyle f~:~(X,{\mathcal {O}}_{X})\to (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間から位相空間への関数とするとき、以下は同値である。
これまで説明してきたように、連続性と収束性は、位相空間で定義可能な代表的な性質である。しかしこれらを強めた概念である一様連続性と一様収束性は、位相のみをベースにして定義する事はできない。
これらの概念は、距離空間と位相空間の中間の強さを持つ概念である一様空間で定義可能である。
定義 (位相同型) ― ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間とし、f : X → Y を写像とするとき、f が同相写像であるとは、f が全単射で、しかもf と f が両方とも連続であることをいう。
また、X、Y 間に同相写像が存在するとき、 ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} は位相同型もしくは同相であるという。
位相同型性は、位相空間のクラスにおける同値関係であることを簡単に確認できる。
位相空間論や、その応用分野である位相幾何学では、「位相同型で不変」(位相不変性)な性質(位相的性質)を探ったり、そうした性質により、空間を分類する。
位相不変な性質の中には位相不変量と呼ばれる、位相空間の性質によって決まる「量」がある。 χが「位相不変量」であるとは、以下の性質を満たすことを言う
これの対偶をとると、
したがって位相不変量に着目することで、二つの空間を位相的に分類することができる。
簡単な位相不変量として、位相空間の「連結成分数」がある。本項では、連結成分数の厳密な定義は割愛するが、直観的にはその名の通り、「繋がっている部分の数」である。以下のX では連結成分数が1なのに対し、Y では連結成分数が2である。従ってX と Y は位相同型ではない。
位相不変量は、位相空間論の応用分野である位相幾何学で主要な役割を果たし、特にホモロジー群やホモトピー群のような代数的な不変量は代数的位相幾何学の研究対象である。
定義 (位相の比較) ― 集合X 上で定義された2つの位相空間 ( X , O 1 ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{1})} 、 ( X , O 2 ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{2})} を考える。
が満たされるとき、 O 1 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{1}} は O 2 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{2}} よりも弱い(英: weak)といい、 O 2 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{2}} は O 1 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{1}} より強い(英: strong)という。
これはすなわち、 ( X , O 1 ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{1})} の開集合は必ず ( X , O 2 ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{2})} の開集合である事を意味する。 弱い/強いのかわりに粗い/細かい(英: coarse/fine)、小さい/大きい(英: small/large)という言葉を使うこともある。
O 1 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{1}} が O 2 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{2}} よりも粗い必要十分条件は、恒等写像
が連続な事である。したがって O 1 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{1}} で収束する有向点族は O 2 {\displaystyle {\mathcal {O}}_{2}} でも収束するが、逆は必ずしも成立しない。
本節ではXのべき集合 P ( X ) {\displaystyle {\mathfrak {P}}(X)} の任意の部分集合 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} から作る方法を述べる。
定義・定理 (位相の生成、準開基) ― Xを集合とし、 S ⊂ P ( X ) {\displaystyle {\mathcal {S}}\subset {\mathfrak {P}}(X)} を任意の集合族とする。このとき、X上の位相 O {\displaystyle {\mathcal {O}}}
を満たすものの中で最も弱いもの O S {\displaystyle {\mathcal {O}}_{\mathcal {S}}} が存在する。この O S {\displaystyle {\mathcal {O}}_{\mathcal {S}}} を、 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} を含む最弱の位相(英: weakest topology)といい、 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} は O S {\displaystyle {\mathcal {O}}_{\mathcal {S}}} を生成する(英: generate)という。
また位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} において、 S ⊂ P ( X ) {\displaystyle {\mathcal {S}}\subset {\mathfrak {P}}(X)} が O {\displaystyle {\mathcal {O}}} を生成するとき、 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} を O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の準開基(じゅんかいき, 英: open subbase)という。
以上で我々は、準開基の抽象的な定義を与えたが、準開基の概念をより具体的な形で与えることもできる。そのための準備として、まず準開基の関連概念である開基について述べる。
定義 (開基) ― ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とし、 B ⊂ O {\displaystyle {\mathcal {B}}\subset {\mathcal {O}}} とする。
以下が満たされるとき、 B {\displaystyle {\mathcal {B}}} は O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開基(かいき, 英: open base、open basis)であるという。
開基の概念を用いると準開基を具体的に書き表す事ができ、 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} が ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の準開基である必要十分条件は、 S {\displaystyle {\mathcal {S}}} の元の有限個の共通部分の全体の集合
が、 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開基をなすことである。 O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開集合は開基の和集合で書き表せるので、以上の事から O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開集合は準開基の有限積集合の(有限または無限)和集合として書き表せる。
開基の概念は、基本近傍系の概念と以下のような関係がある:
命題 (開基と基本近傍系の関係) ― 位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} の各点xに対し、開集合からなる基本近傍系 N x {\displaystyle {\mathcal {N}}_{x}} が定義されているとき、
は O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開基である。また B {\displaystyle {\mathcal {B}}} を O {\displaystyle {\mathcal {O}}} の開基とすると、
はxの基本近傍系である。
Xが距離空間の場合はxのε-近傍 B ε ( x ) = { y ∈ X ∣ d ( x , y ) < ε } {\displaystyle B_{\varepsilon }(x)=\{y\in X\mid d(x,y)<\varepsilon \}} がxの基本近傍系をなしていたので、 { B ε ( x ) ∣ x ∈ X , ε > 0 } {\displaystyle \{B_{\varepsilon }(x)\mid x\in X,\varepsilon >0\}} は開基をなす。
最後に、開基の概念で位相空間を特徴づける方法を述べる:
定理 (開基による位相の特徴づけ) ― Xを集合とする。このとき、 B ⊂ P ( X ) {\displaystyle {\mathcal {B}}\subset {\mathcal {P}}(X)} が何らかの位相の開集合系の開基である必要十分条件は、以下の条件を満たすことである:
弱い/強いを位相の間の順序関係とみなすと、X上の位相の集合
は順序集合になる。 この順序集合は完備束であり、
である。最も弱い位相は密着位相、最も強い位相は離散位相である。
すでにある位相空間を加工して、別の位相空間を作る方法を述べる。
位相空間を加工する上で基本となるのは、「逆像位相」と「像位相」の概念、おそびそれらの拡張概念である「始位相」と「終位相」である。
逆像位相と像位相、始位相と終位相は互いに双対の関係にあり、写像の向きを逆にすることでもう片方の概念を定式化できる。なお始位相と終位相はそれぞれ圏論における始リフト(英語版)、終リフト(英語版)の例のになっている。
まず始位相の概念を以下のように定義する:
定義 (始位相) ― Xを集合とし、 { ( Y λ , O λ ) } λ ∈ Λ {\displaystyle \{(Y_{\lambda },{\mathcal {O}}_{\lambda })\}_{\lambda \in \Lambda }} を位相空間の族とし、写像
の族 ( f λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} を考える。
このとき、全ての f λ {\displaystyle f_{\lambda }} を連続にする最弱の位相をXの ( f λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} 始位相(英語版)という。
始位相の特殊な場合として、以下のものが重要である。以下でXは集合である。
これらはより具体的に書き表す事が可能である:
定理 ― 上の定義と同様に記号を定義するとき、
上述の定理の直積位相の箇所に関して、Λが有限集合のときは、「有限個のλを除いて...」という条件がいらなくなるので簡単であるが、Λが無限集合のときは注意が必要である。例えば R 1 , R 2 , ... {\displaystyle \mathbb {R} _{1},\mathbb {R} _{2},\ldots } を R {\displaystyle \mathbb {R} } の(可算)無限個のコピーとし、 U 1 , U 2 , ... {\displaystyle U_{1},U_{2},\ldots } を U = ( 0 , 1 ) {\displaystyle U=(0,1)} の無限個のコピーとするとき、直積
は直積位相に関して
の開集合ではない。実際、前述の「有限個を除いて...」という条件を満たしておらず、条件をみたすものの和集合としても書けないからである。これに対し直積空間には ∏ i ∈ N U i {\displaystyle \prod _{i\in \mathbb {N} }U_{i}} をも開集合とする位相も定義可能である:
定義 ― 位相空間の族 ( X λ , O λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (X_{\lambda },{\mathcal {O}}_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} に対し、
を開基とする ∏ λ ∈ Λ X λ {\displaystyle \prod _{\lambda \in \Lambda }X_{\lambda }} の位相を箱型積位相(英語版)という。
箱型積位相は直積位相より強い(弱くない)位相である。
まず始位相と双対的に終位相を定義する:
定義 (終位相) ― Xを集合とし、 { ( Y λ , O λ ) } λ ∈ Λ {\displaystyle \{(Y_{\lambda },{\mathcal {O}}_{\lambda })\}_{\lambda \in \Lambda }} を位相空間の族とし、写像
の族 ( f λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} を考える。
このとき、全ての ( f λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} を連続にする最強の位相をXの ( f λ ) λ ∈ Λ {\displaystyle (f_{\lambda })_{\lambda \in \Lambda }} 終位相(英語版)という。
終位相の特殊な場合として下記のものを定義できる。これらは逆像位相、部分位相、始位相、直積位相と双対的に定義したものである。以下でXは集合である:
これらはより具体的に書き表す事が可能である:
定理 ― 上の定義と同様に記号を定義するとき、
位相空間の定義それ自身は可能な限り一般的に定義されているため、個々の応用では位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものを考えることが多い。
本節では、そうしたプラスアルファの性質のうち代表的なものを紹介する。
分離公理とは、位相空間 X 上の2つの対象(点や閉集合)を開集合により「分離」(separate)する事を示す一連の公理、もしくはそこから派生した公理である。
代表的な分離公理としてハウスドルフの分離公理があり、これは以下のような公理であり、前述のようにこれは有向点族の収束の一意性と同値である。
ハウスドルフの分離公理は、直観的には点 x と y が開近傍という位相的な性質を利用して「区別」(separate) できる事を意味している。すなわちX の位相は点の区別が可能なほど細かい事をこの公理は要請している。
他にも下記のような分離公理がある:
連結性とは、直観的には位相空間が「ひとつながりである」 という性質である。閉区間 [0,1] は連結性をもつ(連結である)が、二つの交わらない閉区間を合併した [ 0 , 1 ] ∪ [ 2 , 3 ] {\displaystyle [0,1]\cup [2,3]} という位相空間は連結ではない。
R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合は位相空間論的に「性質の良い」空間でXを R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合とすると、例えば以下が成立する事が知られている:
このような「性質の良い」空間を一般の位相空間に拡張して定義したものがコンパクトの概念である。
ただし、「 R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合」という概念自身は、「有界」という距離に依存した概念に基づいているため、一般の位相空間では定義できず、別の角度からコンパクトの概念を定義する必要がある。
そのために用いるのがボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理とハイネ・ボレルの被覆定理である。これらの定理はいずれも「 R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合であれば◯◯」という形の定理であるが、実は逆も成立する事が知られており、 R n {\displaystyle \mathbb {R} ^{n}} においては
の3つは同値となる。しかも上記の2,3はいずれも位相構造のみを使って記述可能である。
したがって2もしくは3の一方を満たす(同値なので実は2,3の両方を満たす)事をもってコンパクト性を定義する。ただしテクニカルな理由により、上記の2に関しては若干の補正が必要になり、ボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理の結論部分における「点列」を「有向点族」に置き換える必要がある。詳細はコンパクト空間を参照。
位相空間X において可算公理は、X の位相的な対象(近傍系、開集合)が可算なものから生成されることを意味し、可算公理が成立する空間では、非可算特有の難しさを回避できる場合がある。 可分もこれと類似したモチベーションのもと定義される。
厳密な定義は以下の通りである
以下が成立する:
しかし距離空間は第二可算公理を満たすとは限らない。 距離空間においては第二可算公理を満たす事と可分な事は同値である。
有限次元のユークリッド空間(あるいはより一般に多様体)は第二可算公理を満たす。(距離化可能なので可分でもある)。
一方、ユークリッド空間の「無限次元版」であるヒルベルト空間は距離空間であるが第二可算公理を満たすとは限らない。
しかし通常は第二可算公理を満たすヒルベルト空間のみを考えることが多く、そのようなヒルベルト空間は全て同型で、しかもそのようなヒルベルト空間にはベクトル空間としての可算基底が存在する事が知られている。
距離空間は自然に位相空間になるが、では逆に位相空間がどのような条件を満たせば距離空間になるであろうか。
すなわち、位相空間 ( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} が距離化可能であるとは、X 上の距離 d が(少なくとも一つ)存在し、d がX 上に定める位相が O {\displaystyle {\mathcal {O}}} と一致する事を言う。
学部レベルの教科書には距離化可能性の十分条件であるウリゾーンの距離化可能定理が載っていることが多いが、現在は距離化可能性の必要十分条件である長田=スミルノフの距離化定理やビングの距離化定理が知られている。
( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間、 C ( X , Y ) {\displaystyle C(X,Y)} を ( X , O X ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}}_{X})} から ( Y , O Y ) {\displaystyle (Y,{\mathcal {O}}_{Y})} への連続写像全体とする。このとき K ⊂ X , O ⊂ Y {\displaystyle K\subset X,O\subset Y} に対し、 W ( K , O ) {\displaystyle W(K,O)} を
とより定義する。
このとき {W(K, O) : K は X のコンパクト部分集合、 O ∈ O Y {\displaystyle O\in {\mathcal {O}}_{Y}} } を準開基とする位相を C ( X , Y ) {\displaystyle C(X,Y)} のコンパクト開位相(英: compact-open topology)という。
連続体(れんぞくたい、英: continuum)とは、空でないコンパクト連結距離空間、あるいはより一般にコンパクト連結ハウスドルフ空間のことを言う。
ユークリッド空間上の閉曲面は連続体となるが、連続体論ではこのような「常識的な」空間に留まらず幅広く連続体一般を研究する。
具体的にはヒルベルト空間の無限次元部分集合であるにもかかわらずコンパクトな ヒルベルト立方体
フラクタル図形のシェルピンスキーのカーペット、ホモトピー群は自明となるが可縮空間ではないワルシャワの円などが研究対象となる。
学部レベルの位相空間論で登場する概念の多くは、曲面のような「常識的な」空間における性質を抽象したものである。
しかし完全不連結性はこうした範疇から外れた性質で、位相空間 X 上の連結部分集合は空集合、全体集合、および一点集合に限られる事を意味する。
完全不連結な空間の例としては有理数の集合 Q {\displaystyle \mathbb {Q} } がある。
しかし完全不連結な空間は Q {\displaystyle \mathbb {Q} } のように距離空間として完備ではないものに限らない。
カントール集合(に実数体から誘導される距離をいれたもの)は、完備距離空間でありながら完全不連結な空間の例となっている。
実はカントール集合はこのような空間の典型例の一つであり、以下の性質を満たす空間(カントール空間)は必ずカントール集合と位相同型になることが知られている(ブラウワーの定理):
位相空間X がベール空間であるとは、X 上の稠密開集合の可算個の共通部分が必ず稠密になることを言う。
完備疑距離空間の開集合はベール空間になる(ベールの第一範疇定理)。 また局所コンパクトハウスドルフ空間もベール空間になる(ベールの第二範疇定理)。
ベールの範疇定理は関数解析学において、開写像定理や閉グラフ定理を証明するのに用いられる。
( X , O ) {\displaystyle (X,{\mathcal {O}})} を位相空間とする。このとき有限個の開集合 U 1 ⋯ U n {\displaystyle U_{1}\cdots U_{n}} に対し、集合族 ⟨ U 1 ⋯ U n ⟩ {\displaystyle \langle U_{1}\cdots U_{n}\rangle } を
と定義する(ただし F {\displaystyle {\mathfrak {F}}} は X {\displaystyle X} の閉集合全体)。このとき { ⟨ U 1 ⋯ U n ⟩ : U i ∈ O ( i = 0 ⋯ n ) } {\displaystyle \{\langle U_{1}\cdots U_{n}\rangle \ :U_{i}\in {\mathcal {O}}(i=0\cdots n)\}} を開基とする F {\displaystyle {\mathfrak {F}}} 上の位相をヴィートリス位相(英: Vietoris topology)と呼び、ヴィートリス位相の入った F {\displaystyle {\mathfrak {F}}} 及びその部分空間を冪空間(英: powerspace)または超空間(英: hyperspace)という。
集合論的位相空間論(英語版)とは、位相空間上の性質がZFCと独立かどうかを主題する分野である。
位相ゲーム(英語版)とは、2人のプレイヤーにより位相空間上で行われるゲームで、プレイヤー達が自分の手番のとき、何らかの位相的な対象(開集合や閉集合など)を指定する事でゲームが進んでいく。
位相空間上の様々な性質、例えばベールの性質が位相ゲームのゲーム理論的な性質と関連する(バナッハ・マズール・ゲーム)。他にも完備性、収束性、分離公理といったものもゲーム理論的な性質と関連する。
代数的な演算が定義された位相空間X は、その演算の作用がX 上連続になるとき、演算と位相は両立するという。
そのような例として代表的なものには位相群、位相環および位相体、位相線型空間などがある。
集合論の創始者ゲオルク・カントールはユークリッド空間の開集合や閉集合などについても研究したが、これが位相空間の研究のはじまりである。カントールの行ったような位相空間の古典的な研究は、点集合論と呼ばれる。その後、モーリス・フレシェはユークリッド空間から離れて距離空間において極限の概念を考察し、さらにその後フェーリクス・ハウスドルフ、カジミェシュ・クラトフスキらによって、次第に現代のような一般の位相空間の形に整えられていった。 | [
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"text": "数学における位相空間(いそうくうかん、英語: topological space)とは、集合Xに位相(topology)と呼ばれる構造を付け加えたもので、この構造はX上に収束性の概念を定義するのに必要十分なものである。",
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"text": "位相空間の諸性質を研究する数学の分野を位相空間論と呼ぶ。",
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"text": "位相空間は、前述のように集合に「位相」という構造を付け加えたもので、この構造により、例えば以下の概念が定義可能となる",
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"text": "実はこれらの概念はいわば「同値」で、これらの概念のうちいずれか一つを定式化すれば、残りの概念はそこから定義できる事が知られている。したがって集合上の位相構造は、これらのうちいずれか1つを定式化する事により定義できる。そこで学部レベルの多くの教科書では、数学的に扱いやすい開集合の概念をもとに位相構造を定義するものが多い。",
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"text": "上述した概念はいずれも元々距離空間のような幾何学的な対象に対して定義されたものだが、距離が定義されていなくても位相構造さえ定義できれば定式化できる。これにより、位相空間の概念は、幾何学はもちろん解析学や代数学でも応用されており、位相空間論はこうした数学の諸分野の研究の基礎を与える。位相空間の概念の利点の一つは、解析学や代数学などの研究対象に幾何学的な直観を与えることにある。",
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"text": "このような観点からみたとき、位相空間論の目標の一つは、ユークリッド空間など幾何学の対象に対して成り立つ諸性質を解析学などにも一般化することにある。従って学部レベルで学ぶ位相空間論の性質の多くは、ユークリッド空間などの幾何学的な対象では自明に成り立つ(例えば各種分離公理や可算公理)。",
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"text": "位相空間論ではこうした幾何学的な性質をいかに一般の空間へと拡張するかが問われるので、位相空間の概念自身は非常に弱く、かつ抽象的に定義される。しかしその分個別の用途では必要な性質が満たされないこともあり、例えば位相空間上では収束の一意性は保証されない。そこで必要に応じて、位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものが研究対象になることも多い。前述した収束の一意性は、位相空間に「ハウスドルフ性」という性質を加えると成立する。学部レベルの位相空間論の目標の一つは、こうしたプラスアルファの性質の代表的なものを学ぶ事にある。",
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"text": "位相空間となる代表的な空間としては、ユークリッド空間をはじめとした距離空間がある。距離空間は必ず位相空間になるが、逆は必ずしも正しくない。すなわち、距離構造は位相的構造よりも遥かに多くの情報を持った強い概念であり、距離空間としては異なっても位相空間としては同一の空間になることもある。",
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"text": "例えばp≧1を固定して実数空間 R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} 上にl距離",
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"text": "を入れた距離空間 ( R n , d p ) {\\displaystyle (\\mathbb {R} ^{n},d_{p})} を考えてみると、ε-N論法やε-δ論法による極限の議論で用いるε-近傍はpに依存して異なるにもかかわらず、収束の有無や収束先の点はpによらず一致する。",
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"text": "より一般に、ユークリッド空間をゴム膜のように連続変形したものは、元のユークリッド空間とは距離空間としては異なるが、位相空間としては同一であり、収束するか否かという性質も互いに保たれて不変である。",
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"text": "以上のように、連続性や収束性といった概念を考えたり、連続変形を対象とした研究を行ったりするときには、距離空間の概念は柔軟性に欠けるところがあり、位相空間というより弱い概念を考える積極的動機の一つとなる。",
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"text": "他にも例えば多様体を定義する際には複数の距離空間(ユークリッド空間の開集合)を連続写像で「張り合わせる」(商空間)が、張り合わせに際して元の空間の距離構造を壊してしまうので、元の空間を距離空間とみなすより、位相空間とみなす方が自然である。",
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"text": "位相空間の概念の代表的な応用分野に位相幾何学がある。これは曲面をはじめとした幾何学的な空間(主に有限次元の多様体や単体的複体)の位相空間としての性質を探る分野である。前述のようにゴム膜のように連続変形しても位相空間としての構造は変わらないので、球面と楕円体は同じ空間であるが、トーラスは球面とは異なる位相空間である事が知られている。位相幾何学では、位相空間としての構造に着目して空間を分類したり、分類に必要な不変量(位相不変量)を定義したりする。",
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"text": "位相空間の概念は代数学や解析学でも有益である。例えば無限次元ベクトル空間を扱う関数解析学の理論を見通しよく展開するにはベクトル空間に位相を入れて位相空間の一般論を用いることが必須であるし(位相線型空間)、代数幾何学で用いられるザリスキ位相は、通常、距離から定めることのできないような位相である。",
"title": "概要"
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"text": "また、位相空間としての構造はその上で定義された様々な概念の制約条件として登場することがある。例えばリーマン面上の有理型関数のなす空間の次元は、リーマン面の位相構造によって制限を受ける(リーマン・ロッホの定理)。また三次元以上の二つの閉じた双曲多様体が距離空間として同型である必要十分条件は、位相空間として同型な事である(モストウの剛性定理)。",
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"text": "位相空間にはいくつかの同値な定義があるが、本項ではまず、開集合を使った定義を述べる。",
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"text": "位相空間を定式化する為に必要となる「開集合」という概念は、直観的には位相空間の「縁を含まない」、「開いた」部分集合である。",
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"text": "ただし上ではわかりやすさを優先して「縁を含まない」、「開いた」という言葉を使ったが、これらの言葉を厳密に定義しようとすると位相空間の概念が必要になるので、これらを使って開集合を定義するのは循環論法になってしまう。また、ここでいう「縁」(=境界)は通常の直観と乖離している場合もあり、例えば実数直線上の有理数の集合の境界は実数全体である。",
"title": "定義"
},
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"text": "そこで位相空間の定義では、「縁を含まない」とか「開いた」といった概念に頼ることなく、非常に抽象的な方法で開集合の概念を定式化する。",
"title": "定義"
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"text": "位相空間を定式化するのに必要なのは、どれが開集合であるのかを弁別するために開集合全体の集合 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} を指定する事と、 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} が定められた性質を満たすことだけである。",
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"text": "位相空間の厳密な定義は下記のとおりである。",
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"text": "定義 (開集合系による位相空間の定義) ― Xを集合とし、 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} をXのべき集合 P ( X ) {\\displaystyle {\\mathfrak {P}}(X)} の部分集合とする。",
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"text": "O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} が以下の性質を満たすとき、組 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を X を台集合とし O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} を開集合系とする位相空間と呼び、 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の元を X の開集合と呼ぶ。",
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"text": "上述の定義に登場する3つの条件の意味するところは下記のとおりである:",
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"text": "本節では、これらの性質を天下り的に与えるにとどめ、後の章で距離空間で具体的な位相に関し、この定義について論ずる。",
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"text": "開集合系 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} を一つ定める事で、集合 X が位相空間になるので、 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} をX 上の位相(構造)と呼ぶ。",
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},
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"text": "紛れがなければ開集合系 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} を省略し、X の事を位相空間 と呼ぶ。",
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"text": "また位相空間X の元を点と呼ぶ。",
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"text": "なお、集合算に関する空積および空和はそれぞれ全体集合と空集合になるので、 O ≠ ∅ {\\displaystyle {\\mathcal {O}}\\neq \\emptyset } を仮定しておけば、上述の定義における条件1を課さなくてもよい。",
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"text": "開集合のX における補集合の事を閉集合と呼び、閉集合全体の集合",
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"text": "の事を位相空間X の閉集合系と呼ぶ。",
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"text": "開集合が直観的には「縁を含まない」、「開いた」集合だったのに対し、その補集合である閉集合は直観的には「縁を含んだ」、「閉じた」集合である。 本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、開集合の補集合として閉集合を定義したが、閉集合系 F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} を使って下記のように位相空間を定義する事もできる。この場合、開集合は閉集合の補集合として定義する。",
"title": "定義"
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"text": "定義 (閉集合系による位相空間の定義) ― Xを集合とし、 F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} をXのべき集合 P ( X ) {\\displaystyle {\\mathfrak {P}}(X)} の部分集合とする。",
"title": "定義"
},
{
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"text": "F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} が以下の性質を満たすとき、組 ( X , F ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {F}})} を X を台集合とし F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} を閉集合系とする位相空間と呼び、 F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} の元を X の閉集合と呼ぶ。",
"title": "定義"
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"text": "閉集合系による位相空間の定義における3つの条件は、開集合系による位相空間の定義における3つの条件にド・モルガンの法則を適用することにより得られる。",
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"text": "なお、X の開集合でも閉集合でもあるような部分集合は X の開かつ閉集合と呼ばれる(定義から明らかに ∅ {\\displaystyle \\emptyset } および X は必ず開かつ閉である)。X には、開でも閉でもないような部分集合が存在しうる。",
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"text": "( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} を2つの位相空間とする。",
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{
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"text": "定義 (位相同型) ― ある全単射",
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"text": "が存在して、",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "を満たすとき、 ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} と ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} は位相同型であるという。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 44,
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"text": "位相空間論とは、位相同型で不変な性質(すなわち、 ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} がある性質を満たせば、それと位相同型な ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} もその性質を満たすような性質)を議論する分野である。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 45,
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"text": "すでに述べたように位相空間の概念を定義する主な動機の一つは、距離空間上で定義される諸概念をより一般の空間でも定義する事である。この意味において距離空間は最も基本的な位相空間の例であるので、本節では距離構造が位相構造を定める事を見る:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
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"paragraph_id": 46,
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"text": "定理・定義 (距離から定まる位相) ― (X ,d )を距離空間とし、実数 ε > 0 と x ∈ X に対し、xのε-近傍(ε-neighborhood) B ε ( x ) {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)} を",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
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"text": "と定義するとき、",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "は開集合系の公理を満たす。 O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} を距離 d により定まる X の開集合系、もしくはd により定まる X の位相構造といい、 ( X , O d ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{d})} を(X ,d )により定まる位相空間という。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "xのε-近傍の事を、ε-球(ε-ball)、ε-開球(ε-open ball)、あるいは単に開球(open ball)ともいう。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "上記のように定義した O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} が位相の定義を満たす事を示すために、まず開集合を別の形で書き換える:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "命題 (距離から定まる開集合の特徴づけ) ― 距離空間(X ,d )が定める位相を O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} とし、OをXの部分集合とする。このとき、以下の3条件は同値である:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "(1⇒2):任意の開集合Oに対し、開集合の定義より開集合Oの各点xに対し、 B ε x ( x ) ⊂ O {\\displaystyle B_{\\varepsilon _{x}}(x)\\subset O} を満たす ε x > 0 {\\displaystyle \\varepsilon _{x}>0} が存在するので、",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
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"text": "と書ける。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
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"text": "(2⇒3):自明",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "(3⇒2): O = ⋃ x λ ∈ Λ B ε λ ( x λ ) {\\displaystyle O=\\bigcup _{x_{\\lambda }\\in \\Lambda }B_{\\varepsilon _{\\lambda }}(x_{\\lambda })} と書ければ、任意のx ∈ Oに対し、 x ∈ O ⟺ ∃ x λ ∈ Λ : x ∈ B ε λ ( x λ ) {\\displaystyle x\\in O\\iff \\exists x_{\\lambda }\\in \\Lambda ~:~x\\in B_{\\varepsilon _{\\lambda }}(x_{\\lambda })} なので、 δ x := ε λ − d ( x , x λ ) {\\displaystyle \\delta _{x}:=\\varepsilon _{\\lambda }-d(x,x_{\\lambda })} とすれば、 δ x > 0 {\\displaystyle \\delta _{x}>0} であり、 B δ x ( x ) ⊂ B ε λ ( x λ ) ⊂ ⋃ x λ ∈ Λ B ε λ ( x λ ) = O {\\displaystyle B_{\\delta _{x}}(x)\\subset B_{\\varepsilon _{\\lambda }}(x_{\\lambda })\\subset \\bigcup _{x_{\\lambda }\\in \\Lambda }B_{\\varepsilon _{\\lambda }}(x_{\\lambda })=O} である。x ∈ OIの任意性から、Oは O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} の開集合である。",
"title": "距離空間の位相構造"
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"text": "上述の命題の条件3から特に次の系が従う:",
"title": "距離空間の位相構造"
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"text": "系 ― 開球は O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} の開集合である。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
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"tag": "p",
"text": "上述の命題より、 O d {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{d}} が位相の定義を満たす事が従う:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
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"text": "なお、位相空間の定義より開集合の(有限または無限個の)和集合は開集合であり、開集合の有限個の共通部分も開集合であるが、開集合の無限個の共通部分は開集合になるとは限らない。実際、任意の自然数n > 0に対し、1/n-球 B 1 / n ( x ) {\\displaystyle B_{1/n}(x)} は定義より開集合であるが、",
"title": "距離空間の位相構造"
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"text": "は開集合ではない。",
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"text": "上述のように集合X 上の距離構造に1つの位相構造が対応するが、この対応関係は一般には「単射」ではなく、異なる距離構造が同一の位相構造を定める事も多い。実際、次の命題が成立する:",
"title": "距離空間の位相構造"
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"text": "命題 ― (X ,d )を距離空間とし、f : X → Xを連続な全単射で逆写像も連続なものとする。このとき、",
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},
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"text": "と定義すると、dとd'はX上に同一の位相構造を定める。",
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"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "なお、上記の命題における「連続」の概念は距離空間における連続の事であるが、本稿では後で位相空間上の連続性を定義し、位相空間としての連続性の概念と距離空間としての連続性の概念が一致する事を見る。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "上述の命題は、距離空間を連続変形しても位相構造が変わらない事を意味する。したがって連続変形に対して不変な性質を研究する位相幾何学にとって基礎的である。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "本節では(実または複素)ベクトル空間における距離と位相の関係を述べる。本節の内容はベクトル空間が有限次元の場合は幾何学、無限次元の場合は解析学に応用がある。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "ベクトル空間では、ノルムの概念を定義する事ができ、ベクトル空間上の距離としてはノルムから定まるものを考える事が多い。本節ではまずノルムの定義を振り返り、ノルムから定まる距離を定義し、その距離から定まる位相の性質を見る。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "まずノルムとは何かを簡単に説明する:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "定義 (ノルム) ― Kを R {\\displaystyle \\mathbb {R} } もしくは C {\\displaystyle \\mathbb {C} } とするとき、K上ベクトル空間Vのノルムとは写像",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "で以下の3性質を満たすものの事である。ここでx、yはVの元でαはKの元である:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} 上の代表的なノルムとして、p≧1に対するlノルム",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "が知られている。ここでv=(v1,...,vn)である。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "V上にノルム‖ ・ ‖が1つ与えられると、",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "により、V上の距離が定まる。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "このようにノルムから距離が定まり、距離から位相が定まるが、ノルムが「同値」であるとそこから定まる位相が同一になる事が知られている:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "定義・定理 (ノルムの同値性と位相) ― Vを(実もしくは複素)ベクトル空間とし、 ‖ ⋅ ‖ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|} と ‖ ⋅ ‖ ′ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|'} をV上定義された2つのノルムとする。 ‖ ⋅ ‖ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|'} が",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "を満たすとき、 ‖ ⋅ ‖ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|'} は同値なノルムであるという。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "‖ ⋅ ‖ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|} 、 ‖ ⋅ ‖ ′ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|'} が同値であれば、これらのノルムが定める距離",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "は V上に同一の位相を定める。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "Vが有限次元の場合は次の事実が知られている:",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "命題 ― 有限次元の(実もしくは複素)ベクトル空間上定義されるノルムは全て同値である。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "この事実から、有限次元ベクトル空間の場合は、ノルムのとり方によらず同一の位相構造が定まる事がわかる。この位相を有限次元ベクトル空間上の自然な位相、通常の位相等と呼ぶ。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "一方解析学で頻繁に使われる、無限次元のベクトル空間の場合は、同一のベクトル空間上に複数の同値でないノルムが存在し、それらのノルムがそれぞれ異なる位相構造を定める事になる。例えば[0,1]区間から R {\\displaystyle \\mathbf {R} } への連続写像全体の集合",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "を写像の和と定数倍に関してベクトル空間とみなすと、各 p ≥ 1 {\\displaystyle p\\geq 1} 対し、Lノルム",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "が定義できるが、これらはpが異なれば異なる位相を定め、実際Lノルムでは収束するのに別のLノルムでは収束しない例を作る事ができる。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "また無限回微分可能な写像の空間",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "にはLノルムの一般化であるソボレフノルム",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "も定義可能であるが、これらもk、pが異なれば異なる位相を定める。なお、 ‖ ⋅ ‖ k , ∞ {\\displaystyle \\|\\cdot \\|_{k,\\infty }} の定める位相をC-位相と呼び、この位相は位相幾何学で図形の連続変形を扱う際重要な役割を果たす。",
"title": "距離空間の位相構造"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "定義・定理 ― Xを集合とする。このとき以下は位相の公理を満たす。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "密着位相と離散位相はいわば「両極端」の人工的な位相構造に過ぎないが、これらの位相構造は、位相に関する命題の反例として用いられる事がある。またこれらの位相構造は、任意の集合上に位相構造を定義できる事を意味している。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "離散位相はX上に離散距離",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "をいれたときに距離から定まる位相と一致する。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "Xが1元集合、有限集合、可算集合の場合は明らかに密着位相、補有限位相、補可算位相はいずれも離散位相に一致する。 それ以外の場合、すなわちXが2元以上ある集合、無限集合、非可算集合の場合は、密着位相、補有限位相、補可算位相はX上のいかなる距離から定まる位相とも一致しない。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "P = { 2 , 3 , 5 , 7 , ... } {\\displaystyle P=\\{2,3,5,7,\\ldots \\}} を素数の集合とする。各整数 n ∈ Z {\\displaystyle n\\in \\mathbb {Z} } に対し、",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "と定義し、V(n)全体の集合を閉集合系とするP上の位相をP上のザリスキー位相という。 ザリスキー位相はP上のいかなる距離から定まる位相とも一致しないことが知られており、距離から定まらない位相でなおかつ数学の重要な研究対象となっているものの代表例である。 ザリスキー位相の概念は一般の可換環Rの素イデアル全体の集合に対しても定義する事ができる事が知られている。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "一方、これとは全く異なる角度からザリスキー位相を定義する事ができる。Kを複素数体(もしくはより一般に代数的閉体)とし、Kを考える。そしてK上の多項式の任意の集合Sに対し、",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "と定義し、V(S)全体の集合を閉集合系とする位相をK上のザリスキー位相という。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "以上で述べた2種類のザリスキー位相は一見全く異なるように見えるが、実は同種の概念を別の角度から見たものである事が知られている。これら2つが同種である事は代数幾何学の最も基本的な定理の一つとなっている。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "数学で使われる多くの位相空間は、距離空間(から定まる位相空間)のような既知の位相空間を加工して作られている。 例えば既知の2つの位相空間の和集合や積集合に対して、位相を定めてこれらを位相空間とみなしたり、位相空間上で同値関係を考えてその同値関係による商集合に対して位相を定めて位相空間とみなしたりする。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "こうした加工の結果として得られる位相空間の例として、非常に重要なものの一つが多様体である。多様体とは、直観的にはn次元曲面のことであるが、これは R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の部分集合を何枚も張り合わせる事で実現されている。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "既知の位相空間の和集合、積集合、商集合といったものにどのような位相を定めるべきかに関しては一般的な導出方法が知られており、これについては「#位相空間の導出」の節で説明する。",
"title": "その他の具体例"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "位相空間Xの部分集合Aに対し、Aの「内部」、「外部」、「境界」の概念を定義できる:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "定義 (内点、外点、境界点) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをX の部分集合とする。このとき、",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "定義 (内部、外部、境界) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをX の部分集合とする。このとき、",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "なお、境界を表す記号「 ∂ A {\\displaystyle \\partial A} 」は多様体の縁(ふち, 英: boundary)を表す記号としても使われるが、両者は似て非なる概念なので注意が必要である。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "さらに閉包を次のように定義する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 (閉包、触点) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、A をX の部分集合とする。このとき、",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "定義から明らかに次が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "命題 (内部と閉包の関係) ―",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "よって内部と閉包は双対的な関係にあり、内部に関する性質にド・モルガンの法則を適用する事で閉包の性質を導く事ができる。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "定義より明らかに次が成立する。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "命題 ―",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "Xが距離空間であれば、上では「x ∈ Oを満たすある開集合O ⊂ X」、「x ∈ Oを満たす任意の開集合O ⊂ X」となっているところを、「xのあるε-近傍 B ε ( x ) {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)} 」「xの任意のε-近傍 B ε ( x ) {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)} 」に変えてもよい。これについては基本近傍系について記述する際、より詳しく述べる。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "さらに次が成立する。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "命題 ― 位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の任意の部分集合Aに対し次が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "内部および閉包は以下のようにも特徴づけられる事が知られている:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "命題 (内部および閉包の特徴づけ) ― 位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の任意の部分集合Aに対し次が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "内部の概念は以下を満たす:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "定理 (内部の性質) ― 位相空間Xの任意の部分集合A、Bに対し、以下が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "A ̄ = ( ( A c ) ∘ ) c {\\displaystyle {\\bar {A}}=((A^{c})^{\\circ })^{c}} である事を用いて、以上で述べた内部に関する結果をド・モルガンの法則により閉包の結果に翻訳できる:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "定理 (クラトウスキイの公理系) ― 位相空間Xの任意の部分集合A、Bに対し、以下が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とするとき、",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、これをベースに内核作用素を定義したが、逆に上述の性質を満たす内核作用素の概念を使って位相空間を定義し、これを使って開集合と定義する事も可能である。すなわち以下が成立する:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "定理 (内核作用素による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの冪集合からそれ自身への写像",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "で、 A ∘ := I n t ( A ) {\\displaystyle A^{\\circ }:=\\mathrm {Int} (A)} が「定理(内核作用素の性質)」で述べた4性質を満たすものとする。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "このときX上の位相構造 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の内核作用素が I n t {\\displaystyle \\mathrm {Int} } に一致するものがただ一つ存在する O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開集合系 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} は具体的には以下のように書ける:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "A ̄ = ( ( A c ) ∘ ) c {\\displaystyle {\\bar {A}}=((A^{c})^{\\circ })^{c}} である事を用いて、以上の結果を閉包作用素の結果に翻訳できる:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "定理 (閉包作用素による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの冪集合からそれ自身への写像",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "で、 A ̄ := C l ( A ) {\\displaystyle {\\bar {A}}:=\\mathrm {Cl} (A)} がクラトウスキイの公理系を満たすものとする。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "このときX上の位相構造 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の閉包作用素が A ̄ = C l ( A ) {\\displaystyle {\\bar {A}}=\\mathrm {Cl} (A)} に一致するものがただ一つ存在する。 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の閉集合系 F {\\displaystyle {\\mathcal {F}}} は具体的には以下のように書ける:",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "定義 (集積点、導集合、孤立点) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、AをXの部分集合とする。このとき、",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "定義より明らかに次が成立する。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "命題 ―",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "定義 (稠密) ― Aが位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の稠密な部分集合であるとは、A の閉包が X に一致することである。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "これは言い換えるとX の任意の点の任意の近傍が、A と交わることを意味する。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "可算な稠密部分集合をもつ位相空間は可分であるといい、例えば R {\\displaystyle \\mathbb {R} } においては Q {\\displaystyle \\mathbb {Q} } が可算な稠密部分集合なので、 R {\\displaystyle \\mathbb {R} } は可分である。",
"title": "位相空間に関する諸概念"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "本節では近傍の定義を述べ、その基本的な性質を述べる。後述するように近傍は位相空間における収束の概念を定義するのに用いられるが、それ以外にもある点xの周りの局所的な性質を記述する際に広く使われている。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "近傍の定義は以下のとおりである:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "定義 (近傍系、開近傍系) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、xをXの点とする。このとき、",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "を満たす開集合をxの開近傍(かいきんぼう, 英: open neighborhood)という。 またX の部分集合Nが以下を満たすとき、Nはxの 近傍(きんぼう, 英: neighborhood)であるという",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "点xの近傍全体の集合をxの近傍系といい、xの開近傍全体の集合をxの開近傍系という。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "近傍系のことを近傍フィルター(英: neighborhood filter)ともいう。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "点xの近傍Nはx ∈ O ⊂ Nを満たし、距離空間における開集合Oは B ε ( x ) ⊂ O {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)\\subset O} を満たす。したがって以下のように基本近傍系の概念を定義すると、距離空間においては { B ε ( x ) ∣ ε > 0 } {\\displaystyle \\{B_{\\varepsilon }(x)\\mid \\varepsilon >0\\}} が基本近傍系になっている事がわかる。また一般の位相空間でも開近傍全体の集合が基本近傍系になる事がわかる。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "定義 (基本近傍系) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、xをXの点とし、 N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} をxの近傍系とする。 N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} の部分集合 B x {\\displaystyle {\\mathcal {B}}_{x}} が以下を満たすとき、 B x {\\displaystyle {\\mathcal {B}}_{x}} をxにおける基本近傍系という:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "近傍概念は収束などxの局所的な振る舞いを記述する際に用いられるので、多くの場合全ての近傍を考える代わりに、基本近傍系のみを考えれば十分である。例えば次が成立する:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "命題 ― B x {\\displaystyle {\\mathcal {B}}_{x}} を位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の点xにおける基本近傍系とする。このとき、",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "距離空間においては点xのε-近傍全体が基本近傍系をなすので、上記の定理より、距離空間においては内点、外点といった概念はε-近傍を用いて定義可能である。教科書によっては、このε-近傍を用いた定義を距離空間における内点、外点等の定義として採用しているものもある。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "近傍系は以下の性質を満たす:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "定義 (ハウスドルフの公理系) ― 点xの近傍系を N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} で表すとき、Xの任意の部分集合N、N'、Mに対して以下が成立する。",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "ハウスドルフの公理系を満たす近傍系は位相を特徴づける:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "定理 (近傍系による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、Xの元にXの冪集合の冪集合の元を対応させる写像",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "がハウスドルフの公理系を満たしたとする。このときX上の位相構造 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} で位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の各点xの近傍が N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} に一致するものがただ一つ存在する。 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} は具体的には以下のように書ける:",
"title": "近傍"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "本節の目標は、位相空間上での収束概念を定義し、収束概念によってこれまで述べてきた様々な概念を捉え直す事にある。 位相空間における収束概念は、距離空間における点列の収束概念を適切に修正する事により得られる:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "定義 (距離空間における点列の収束) ― ( X , d ) {\\displaystyle (X,d)} を距離空間とする。Xの点列 ( x n ) n ∈ N {\\displaystyle (x_{n})_{n\\in \\mathbb {N} }} がXの点xに収束するとは以下が成立する事を言う:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "ここで、 B ε ( x ) = { y ∈ X | d ( y , x ) < ε } {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)=\\{y\\in X|d(y,x)<\\varepsilon \\}} である。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "位相空間における収束を定義するにあたり、上述の距離空間における収束の定義に2つの変更を行う:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "1番目の変更を行うのは、位相空間には距離の概念がないので、そもそもε-近傍を定義できないからである。一方2番目の変更を行うのは、点列の収束概念だけでは位相空間の諸概念を定式化するのに不十分だからである。たとえば距離空間の場合には連続性の概念は",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "が収束する任意の点列に対して成り立つ事により定式化できるが、一般の位相空間の場合は「任意の点列」ではなく「任意の有向点族」に対してこれと類似の性質が成り立つ事により連続性を定義する必要がある。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "なぜなら点列の場合は添字集合が可算なので、点列の概念で連続性を捉え切るには位相空間の方にも何らかの可算性を要求する必要があり(列型空間を参照)、一般の位相空間の連続性の概念を適切に定義するには点列の概念では不足だからである。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "なお、位相空間上ではフィルターの収束という、もう一つの収束概念を定式化できる事が知られているものの、収束する有向点族と収束するフィルターとにはある種の対応関係がある事が知られている。詳細は有向点族#フィルターとの関係を参照。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "すでに述べたように位相空間では点列の概念を一般化した有向点族の概念を定義した上でその収束を定義する。本節では有向点族の定義を与える。その為にまず有向集合の概念を定義する",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "定義 (有向集合) ― 空でない集合ΛとΛ上の二項関係「≤ 」の組 (Λ, ≤)が有向集合(ゆうこうしゅうごう、英: directed set)であるとは、「≤ 」が以下の性質を全て満たす事を言う:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "なお、有向集合の二項関係「≤ 」は、反射律と推移律を満たすのものの反対称律は満たす必要がないので、前順序ではあるものの順序の定義は満たしていない。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "定義 (有向点族) ― 集合X上の有向点族とは、X上の族(xλ)λ∈Λで添字集合Λが有向集合であるものを指す。有向点族はネット (英: net)、 Moore-Smith 列(英: Moore-Smith sequence)、generalized sequenceなどとも呼ばれる。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "具体的にはXに値を取る点列 ( x n ) n ∈ N {\\displaystyle (x_{n})_{n\\in \\mathbb {N} }} や、実数を定義域に持つX値関数fから定義される族 ( f ( x ) ) x ∈ R {\\displaystyle (f(x))_{x\\in \\mathbb {R} }} が N {\\displaystyle \\mathbb {N} } や R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 上に自然な順序を入れた場合に有向点族になるので、これらの収束概念は有向点族の収束概念により定式化できる。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "しかしより重要なのは、以下に述べる開近傍系を添字集合に取る有向点族である",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "命題 (開近傍系を添字集合に取る有向点族) ― aを位相空間Xの点とし、 V a {\\displaystyle {\\mathcal {V}}_{a}} をaの開近傍系とする。このとき V a {\\displaystyle {\\mathcal {V}}_{a}} 上の二項関係",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "を入れると、 ( V a , ≤ ) {\\displaystyle ({\\mathcal {V}}_{a},\\leq )} は有向集合である。よって V a {\\displaystyle {\\mathcal {V}}_{a}} を添え字に取るX上の任意の族 ( x U ) U ∈ V a {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{a}}} はこの二項関係に関して有向点族である。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "上の例で特に",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "を満たす有向点族 ( x U ) U ∈ V a {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{a}}} を考えれば、Uが小さくなればなるほど x U ∈ U {\\displaystyle x_{U}\\in U} がaに「近づく」ので、この有向点族が収束概念を考える際に重要な役割を果たす事が了解されるであろう。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "また開近傍系は開集合の集まりなので、この有向点族 ( x U ) U ∈ V a {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{a}}} は、これまで開集合の概念を通して定義してきた位相空間の概念と有向点族の収束性の概念との、いわば架け橋として機能し、開集合の概念から収束を定式化したり、逆に収束の概念から開集合を逆に定式化したりする際に役に立つ。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "なお上では開近傍系を添字集合とする有向点族について記したが、(開とは限らない)近傍系を添字集合とする有向点族も同様に定義できる。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "先に進む前に部分有向点族の概念を定義する。この概念は収束概念を定義する上では使わないが、収束概念を使って位相空間上の他の概念を定式化する際に用いる。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "定義 (部分有向点族) ― Xを集合とし、X上の有向点族 ( y γ ) γ ∈ Γ {\\displaystyle (y_{\\gamma })_{\\gamma \\in \\Gamma }} 、 ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} に対し、以下の性質を満たすh : Γ→Λが存在するとき、 ( y γ ) γ ∈ Γ {\\displaystyle (y_{\\gamma })_{\\gamma \\in \\Gamma }} は ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} の部分有向点族という:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "(2を強共終性(英: strong cofinality)という)",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "上の定義でhが単射である事を要求してない事に注意されたい。これはもしh に単射性を要求すると病的な例(Tychonoff plank)のせいでいくつかの当然と思われる定理が成り立たなくなってしまうからである。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "これが原因で、点列 ( x n ) n ∈ N {\\displaystyle (x_{n})_{n\\in \\mathbb {N} }} を有向点族とみなした場合の部分有向点族は点列になっていない場合もあり得る。実際、 ( x h ( γ ) ) γ ∈ Γ {\\displaystyle (x_{h(\\gamma )})_{\\gamma \\in \\Gamma }} を ( x n ) n ∈ N {\\displaystyle (x_{n})_{n\\in \\mathbb {N} }} の部分有向点族とすると、h が単射でない事から同じx nが部分有向点族に複数回(場合によっては非可算無限回)登場するかもしれないし、Γも全順序ではないかもしれない。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "なお本項に載せた部分有向点族の定義は(Kelly 1975)による。書籍によってはこれとは異なる定義を採用している場合もあるが、こうした別定義とも何らかの意味で同値である事が示されている。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "以上の準備のもと、有向点族の収束の概念を定義する。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "定義 (有向点族の収束) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とする。X上の有向点族 x = ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle x=(x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} がa∈Xに収束するとは、",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "が成立する事をいう。 x = ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle x=(x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} の収束先aが一意であれば、",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "等と表す。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "B x {\\displaystyle {\\mathcal {B}}_{x}} をxの基本近傍系とするとき、以上の定義における「xの任意の近傍U」を「 B x {\\displaystyle {\\mathcal {B}}_{x}} の任意の元U」に変えたとしても定義としては同値になる。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "よって特に、距離空間から定義される位相空間の場合は、「xの任意のεー近傍」としてもよい。従って点列の収束に関しては位相空間におけら収束と本章の冒頭にあげた距離空間における収束の定義は一致する。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "一般の位相空間において有向点族の収束の一意性は必ずしも成立しないものの、収束の一意性が保証される必要十分条件は下記のように記述できる事が知られている:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "定理・定義 (ハウスドルフ性) ― 位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} において、下記の2つの性質は同値である。これらの性質の1つ(したがって両方を満たす事)をハウスドルフ性もしくはハウスドルフの分離公理といい、ハウスドルフ性が成り立つ位相空間をハウスドルフ空間もしくはT2-空間という。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "なお、ハウスドルフ性は数ある「分離公理」の一つであり、「T2-空間」という名称も「T1-空間」や「T3-空間」といった他の分離公理と区別するための名称である。詳細は本項の分離公理の説明や分離公理の項目を参照されたい。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "有向点族の収束概念を用いると、閉包の概念を収束によって捉え直す事ができるようになる:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "定理 (有向点族による特徴づけ) ― Aを位相空間Xの任意の部分集合とき、以下が成立する:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 193,
"tag": "p",
"text": "上の定理の閉集合に関する部分は以下のように非常に簡単に示せる。他のものの証明も同様である:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 194,
"tag": "p",
"text": "(⇒) a ∈ A ̄ {\\displaystyle a\\in {\\bar {A}}} である事は以下と同値である:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 195,
"tag": "p",
"text": "これはU ∩ A に少なくとも一つ元が存在する事を意味するので、そのような元をx U とすると x U ∈ U ∩ A ⊂ A {\\displaystyle x_{U}\\in U\\cap A\\subset A} である事から ( x U ) U ∈ V a {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{a}}} はA 上にある。しかも前節で述べたように ( x U ) U ∈ V a {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{a}}} は有向点族でありしかもa に収束する。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 196,
"tag": "p",
"text": "( ⇐ {\\displaystyle \\Leftarrow } )逆にa に収束するA 上の有向点族(xλ)λ∈Λがあったとすれば、収束性の定義からa の任意の近傍U 内に有向点族の点xλが存在する。しかも仮定からxλ ∈ A でもあったので、これは(1)が成立する事を意味し、したがって a ∈ A ̄ {\\displaystyle a\\in {\\bar {A}}} である。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 197,
"tag": "p",
"text": "距離空間では、点列の収束概念を用いて閉包や閉集合を同様にして特徴づけができる事が知られており、上記の2つの定理はこの特徴づけを一般の位相空間に拡張したものである。しかし一般の位相空間の場合、上記2定理で述べられているように、距離空間と違い「点列」ではなく「有向点族」で特徴づける必要がある。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 198,
"tag": "p",
"text": "なぜなら点列の添字が全順序な可算集合であるという制約が原因で、一般の位相空間の性質を記述するには不足であり、点列の概念で閉集合や開集合を特徴づけるには位相空間の方にも可算性に関する条件を満たす必要があるからである。詳細は列型空間を参照されたい。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 199,
"tag": "p",
"text": "次に有向点族の二重極限に関する定理を紹介する。後述するように、この定理は有向点族の極限で位相を特徴づける際に役立つ。定理を記述するため、まず有向集合の直積に有向集合構造が入る事を見る:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 200,
"tag": "p",
"text": "命題・定義 (有向集合の直積) ― (Γλ)λ∈Γを有向集合の族とするとき、(Γλ)λ∈Γの集合としての直積 × λ ∈ Λ Γ λ {\\displaystyle {\\underset {\\lambda \\in \\Lambda }{\\times }}\\Gamma _{\\lambda }} に",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 201,
"tag": "p",
"text": "という順序を入れると、 × λ ∈ Λ Γ λ {\\displaystyle {\\underset {\\lambda \\in \\Lambda }{\\times }}\\Gamma _{\\lambda }} は有向集合になる。この順序をいれた × λ ∈ Λ Γ λ {\\displaystyle {\\underset {\\lambda \\in \\Lambda }{\\times }}\\Gamma _{\\lambda }} を (Γλ)λ∈Γの有向集合としての直積という。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 202,
"tag": "p",
"text": "定理 (二重極限の定理(英: Theorem on Iterated limit)) ― Λを有向集合とし、各λ∈Λに対し、Γλを有向集合とし、 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とする。 各λ∈Λに対し、有向集合Γλを添え字とするX上の有向点族 x λ = ( x λ , γ ) γ ∈ Γ λ {\\displaystyle x_{\\lambda }=(x_{\\lambda ,\\gamma })_{\\gamma \\in \\Gamma _{\\lambda }}} が、yλに収束するとし、さらに有向点族 ( y λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (y_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} がzに収束するものとする。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 203,
"tag": "p",
"text": "(Γλ)λ∈Λの直積を Γ = × λ ∈ Λ Γ λ {\\displaystyle \\Gamma ={\\underset {\\lambda \\in \\Lambda }{\\times }}\\Gamma _{\\lambda }} とし、有向点族 ( w λ , ξ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ = ( x λ , ξ λ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ {\\displaystyle (w_{\\lambda ,\\xi })_{(\\lambda ,\\xi )\\in \\Lambda \\times \\Gamma }=(x_{\\lambda ,\\xi _{\\lambda }})_{(\\lambda ,\\xi )\\in \\Lambda \\times \\Gamma }} を考える(ただし ξ = ( ξ λ ) λ ∈ Λ ∈ Γ = × λ ∈ Λ Γ λ {\\displaystyle \\xi =(\\xi _{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }\\in \\Gamma ={\\underset {\\lambda \\in \\Lambda }{\\times }}\\Gamma _{\\lambda }} と定める)。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 204,
"tag": "p",
"text": "このとき ( w λ , ξ ) ( λ , ξ ) ∈ Λ × Γ {\\displaystyle (w_{\\lambda ,\\xi })_{(\\lambda ,\\xi )\\in \\Lambda \\times \\Gamma }} はzに収束する。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 205,
"tag": "p",
"text": "最後に有向点族による極限概念によって位相が特徴づけられる事を見る:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 206,
"tag": "p",
"text": "定理 (極限による位相の特徴づけ) ― Xを集合とし、 C {\\displaystyle {\\mathcal {C}}} をX上の有向点族とXの点の組からなるクラスとする。",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 207,
"tag": "p",
"text": "( ( x λ ) λ ∈ Λ , y ) ∈ C {\\displaystyle ((x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda },y)\\in {\\mathcal {C}}} であるとき ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} がyに C {\\displaystyle {\\mathcal {C}}} -収束するという事にするとき、以下が成立するとする:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 208,
"tag": "p",
"text": "このときX上の位相構造 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} で ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} における有向点族の収束が C {\\displaystyle {\\mathcal {C}}} -収束に一致するものが唯一存在する。 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} における閉包作用素は具体的には以下のように書ける:",
"title": "収束"
},
{
"paragraph_id": 209,
"tag": "p",
"text": "本節では位相空間 ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} から別の位相空間 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} に向かって定義された関数f: X → Yの連続性の概念を定義する。後述するように位相空間における連続性の概念は、距離空間における連続性の定義で「点列」を「有向点族」に置き換える事で定義可能であるが、近傍や開集合といった、位相空間の概念を使った別定義も可能であり、両者の定義は同値となる。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 210,
"tag": "p",
"text": "なお、紛れがなければ、fが2つの位相空間の間の写像である事を強調して、「f: X → Y」ではなく",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 211,
"tag": "p",
"text": "という表記を用いる事もある。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 212,
"tag": "p",
"text": "位相空間X上で定義された関数fの点x∈Xにおける連続性を以下のように定義する。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 213,
"tag": "p",
"text": "定義・定理 (一点における連続性) ― ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間とし、f: X → Yを写像とし、xをXの点とする。このとき以下の2条件は同値であり、この2条件の一方(したがって両方)を満たすとき、fはx∈Xで連続(英: continuous)であるという。以下で N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} はxの(開とは限らない)近傍全体を表す:",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 214,
"tag": "p",
"text": "我々はXにハウスドルフ性を仮定していないので、以上の定理で有向点族の収束の一意性が保証されていない事に注意されたい。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 215,
"tag": "p",
"text": "(⇒)背理法で示す。 N ∈ N f ( x ) {\\displaystyle N\\in {\\mathcal {N}}_{f(x)}} で f − 1 ( N ) ∉ N x {\\displaystyle f^{-1}(N)\\notin {\\mathcal {N}}_{x}} となるものがあったとすると、近傍の定義よりxを含む任意の開集合Uに対し、 U ∖ f − 1 ( N ) {\\displaystyle U\\setminus f^{-1}(N)} の点xUが存在する。xの開近傍系を V x {\\displaystyle {\\mathcal {V}}_{x}} とすると、収束の定義より有向点族 ( x U ) U ∈ V x {\\displaystyle (x_{U})_{U\\in {\\mathcal {V}}_{x}}} はxに収束する。よって仮定より ( f ( x U ) ) U ∈ V x {\\displaystyle (f(x_{U}))_{U\\in {\\mathcal {V}}_{x}}} はf(x)に収束する。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 216,
"tag": "p",
"text": "Nはf(x)の近傍であったので、あるf(x)の開近傍Vが存在し、V⊂Nである。 ( f ( x U ) ) U ∈ V x {\\displaystyle (f(x_{U}))_{U\\in {\\mathcal {V}}_{x}}} はf(x)に収束するので、xU⊂Vを満たすxUが存在する。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 217,
"tag": "p",
"text": "しかしxUの取り方より x U ∉ f − 1 ( N ) {\\displaystyle x_{U}\\notin f^{-1}(N)} であったので、 f ( x U ) ∉ N {\\displaystyle f(x_{U})\\notin N} であり、よって特に f ( x U ) ∉ V {\\displaystyle f(x_{U})\\notin V} であるのでこれは矛盾である。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 218,
"tag": "p",
"text": "( ⇐ {\\displaystyle \\Leftarrow } )有向点族 ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} がxに収束するとする。 N ∈ N f ( x ) {\\displaystyle N\\in {\\mathcal {N}}_{f(x)}} を任意に取ると、仮定よりf(N)はxの近傍であるので、有向点族 ( x λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (x_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} がxに収束するから、あるλ0∈Λが存在し、 λ ≥ λ 0 {\\displaystyle \\lambda \\geq \\lambda _{0}} を満たす任意のλ∈Λに対し、xλ∈f(N)であり、よってf(xλ)∈Nである。これは有向点族 ( f ( x λ ) ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f(x_{\\lambda }))_{\\lambda \\in \\Lambda }} がf(x)に収束する事を意味する。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 219,
"tag": "p",
"text": "関数 f : ( X , O X ) → ( Y , O Y ) {\\displaystyle f~:~(X,{\\mathcal {O}}_{X})\\to (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} が定義域上の任意の点x∈Xで連続であるとき、fは定義域の全点で連続、あるいは単に連続であるという。fの連続性は以下のようにも特徴づける事ができる。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 220,
"tag": "p",
"text": "定理 (連続性の特徴づけ) ― f : ( X , O X ) → ( Y , O Y ) {\\displaystyle f~:~(X,{\\mathcal {O}}_{X})\\to (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間から位相空間への関数とするとき、以下は同値である。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 221,
"tag": "p",
"text": "これまで説明してきたように、連続性と収束性は、位相空間で定義可能な代表的な性質である。しかしこれらを強めた概念である一様連続性と一様収束性は、位相のみをベースにして定義する事はできない。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 222,
"tag": "p",
"text": "これらの概念は、距離空間と位相空間の中間の強さを持つ概念である一様空間で定義可能である。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 223,
"tag": "p",
"text": "定義 (位相同型) ― ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間とし、f : X → Y を写像とするとき、f が同相写像であるとは、f が全単射で、しかもf と f が両方とも連続であることをいう。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 224,
"tag": "p",
"text": "また、X、Y 間に同相写像が存在するとき、 ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} は位相同型もしくは同相であるという。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 225,
"tag": "p",
"text": "位相同型性は、位相空間のクラスにおける同値関係であることを簡単に確認できる。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 226,
"tag": "p",
"text": "位相空間論や、その応用分野である位相幾何学では、「位相同型で不変」(位相不変性)な性質(位相的性質)を探ったり、そうした性質により、空間を分類する。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 227,
"tag": "p",
"text": "位相不変な性質の中には位相不変量と呼ばれる、位相空間の性質によって決まる「量」がある。 χが「位相不変量」であるとは、以下の性質を満たすことを言う",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 228,
"tag": "p",
"text": "これの対偶をとると、",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 229,
"tag": "p",
"text": "したがって位相不変量に着目することで、二つの空間を位相的に分類することができる。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 230,
"tag": "p",
"text": "簡単な位相不変量として、位相空間の「連結成分数」がある。本項では、連結成分数の厳密な定義は割愛するが、直観的にはその名の通り、「繋がっている部分の数」である。以下のX では連結成分数が1なのに対し、Y では連結成分数が2である。従ってX と Y は位相同型ではない。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 231,
"tag": "p",
"text": "位相不変量は、位相空間論の応用分野である位相幾何学で主要な役割を果たし、特にホモロジー群やホモトピー群のような代数的な不変量は代数的位相幾何学の研究対象である。",
"title": "連続性と位相同型"
},
{
"paragraph_id": 232,
"tag": "p",
"text": "定義 (位相の比較) ― 集合X 上で定義された2つの位相空間 ( X , O 1 ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{1})} 、 ( X , O 2 ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{2})} を考える。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 233,
"tag": "p",
"text": "が満たされるとき、 O 1 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{1}} は O 2 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{2}} よりも弱い(英: weak)といい、 O 2 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{2}} は O 1 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{1}} より強い(英: strong)という。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 234,
"tag": "p",
"text": "これはすなわち、 ( X , O 1 ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{1})} の開集合は必ず ( X , O 2 ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{2})} の開集合である事を意味する。 弱い/強いのかわりに粗い/細かい(英: coarse/fine)、小さい/大きい(英: small/large)という言葉を使うこともある。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 235,
"tag": "p",
"text": "O 1 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{1}} が O 2 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{2}} よりも粗い必要十分条件は、恒等写像",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 236,
"tag": "p",
"text": "が連続な事である。したがって O 1 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{1}} で収束する有向点族は O 2 {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{2}} でも収束するが、逆は必ずしも成立しない。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 237,
"tag": "p",
"text": "本節ではXのべき集合 P ( X ) {\\displaystyle {\\mathfrak {P}}(X)} の任意の部分集合 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} から作る方法を述べる。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 238,
"tag": "p",
"text": "定義・定理 (位相の生成、準開基) ― Xを集合とし、 S ⊂ P ( X ) {\\displaystyle {\\mathcal {S}}\\subset {\\mathfrak {P}}(X)} を任意の集合族とする。このとき、X上の位相 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}}",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 239,
"tag": "p",
"text": "を満たすものの中で最も弱いもの O S {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{\\mathcal {S}}} が存在する。この O S {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{\\mathcal {S}}} を、 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} を含む最弱の位相(英: weakest topology)といい、 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} は O S {\\displaystyle {\\mathcal {O}}_{\\mathcal {S}}} を生成する(英: generate)という。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 240,
"tag": "p",
"text": "また位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} において、 S ⊂ P ( X ) {\\displaystyle {\\mathcal {S}}\\subset {\\mathfrak {P}}(X)} が O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} を生成するとき、 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} を O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の準開基(じゅんかいき, 英: open subbase)という。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 241,
"tag": "p",
"text": "以上で我々は、準開基の抽象的な定義を与えたが、準開基の概念をより具体的な形で与えることもできる。そのための準備として、まず準開基の関連概念である開基について述べる。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 242,
"tag": "p",
"text": "定義 (開基) ― ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とし、 B ⊂ O {\\displaystyle {\\mathcal {B}}\\subset {\\mathcal {O}}} とする。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 243,
"tag": "p",
"text": "以下が満たされるとき、 B {\\displaystyle {\\mathcal {B}}} は O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開基(かいき, 英: open base、open basis)であるという。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 244,
"tag": "p",
"text": "開基の概念を用いると準開基を具体的に書き表す事ができ、 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} が ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の準開基である必要十分条件は、 S {\\displaystyle {\\mathcal {S}}} の元の有限個の共通部分の全体の集合",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 245,
"tag": "p",
"text": "が、 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開基をなすことである。 O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開集合は開基の和集合で書き表せるので、以上の事から O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開集合は準開基の有限積集合の(有限または無限)和集合として書き表せる。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 246,
"tag": "p",
"text": "開基の概念は、基本近傍系の概念と以下のような関係がある:",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 247,
"tag": "p",
"text": "命題 (開基と基本近傍系の関係) ― 位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} の各点xに対し、開集合からなる基本近傍系 N x {\\displaystyle {\\mathcal {N}}_{x}} が定義されているとき、",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 248,
"tag": "p",
"text": "は O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開基である。また B {\\displaystyle {\\mathcal {B}}} を O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} の開基とすると、",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 249,
"tag": "p",
"text": "はxの基本近傍系である。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 250,
"tag": "p",
"text": "Xが距離空間の場合はxのε-近傍 B ε ( x ) = { y ∈ X ∣ d ( x , y ) < ε } {\\displaystyle B_{\\varepsilon }(x)=\\{y\\in X\\mid d(x,y)<\\varepsilon \\}} がxの基本近傍系をなしていたので、 { B ε ( x ) ∣ x ∈ X , ε > 0 } {\\displaystyle \\{B_{\\varepsilon }(x)\\mid x\\in X,\\varepsilon >0\\}} は開基をなす。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 251,
"tag": "p",
"text": "最後に、開基の概念で位相空間を特徴づける方法を述べる:",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 252,
"tag": "p",
"text": "定理 (開基による位相の特徴づけ) ― Xを集合とする。このとき、 B ⊂ P ( X ) {\\displaystyle {\\mathcal {B}}\\subset {\\mathcal {P}}(X)} が何らかの位相の開集合系の開基である必要十分条件は、以下の条件を満たすことである:",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 253,
"tag": "p",
"text": "弱い/強いを位相の間の順序関係とみなすと、X上の位相の集合",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 254,
"tag": "p",
"text": "は順序集合になる。 この順序集合は完備束であり、",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 255,
"tag": "p",
"text": "である。最も弱い位相は密着位相、最も強い位相は離散位相である。",
"title": "位相の比較、生成"
},
{
"paragraph_id": 256,
"tag": "p",
"text": "すでにある位相空間を加工して、別の位相空間を作る方法を述べる。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 257,
"tag": "p",
"text": "位相空間を加工する上で基本となるのは、「逆像位相」と「像位相」の概念、おそびそれらの拡張概念である「始位相」と「終位相」である。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 258,
"tag": "p",
"text": "逆像位相と像位相、始位相と終位相は互いに双対の関係にあり、写像の向きを逆にすることでもう片方の概念を定式化できる。なお始位相と終位相はそれぞれ圏論における始リフト(英語版)、終リフト(英語版)の例のになっている。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 259,
"tag": "p",
"text": "まず始位相の概念を以下のように定義する:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 260,
"tag": "p",
"text": "定義 (始位相) ― Xを集合とし、 { ( Y λ , O λ ) } λ ∈ Λ {\\displaystyle \\{(Y_{\\lambda },{\\mathcal {O}}_{\\lambda })\\}_{\\lambda \\in \\Lambda }} を位相空間の族とし、写像",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 261,
"tag": "p",
"text": "の族 ( f λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} を考える。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 262,
"tag": "p",
"text": "このとき、全ての f λ {\\displaystyle f_{\\lambda }} を連続にする最弱の位相をXの ( f λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} 始位相(英語版)という。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 263,
"tag": "p",
"text": "始位相の特殊な場合として、以下のものが重要である。以下でXは集合である。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 264,
"tag": "p",
"text": "これらはより具体的に書き表す事が可能である:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 265,
"tag": "p",
"text": "定理 ― 上の定義と同様に記号を定義するとき、",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 266,
"tag": "p",
"text": "上述の定理の直積位相の箇所に関して、Λが有限集合のときは、「有限個のλを除いて...」という条件がいらなくなるので簡単であるが、Λが無限集合のときは注意が必要である。例えば R 1 , R 2 , ... {\\displaystyle \\mathbb {R} _{1},\\mathbb {R} _{2},\\ldots } を R {\\displaystyle \\mathbb {R} } の(可算)無限個のコピーとし、 U 1 , U 2 , ... {\\displaystyle U_{1},U_{2},\\ldots } を U = ( 0 , 1 ) {\\displaystyle U=(0,1)} の無限個のコピーとするとき、直積",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 267,
"tag": "p",
"text": "は直積位相に関して",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 268,
"tag": "p",
"text": "の開集合ではない。実際、前述の「有限個を除いて...」という条件を満たしておらず、条件をみたすものの和集合としても書けないからである。これに対し直積空間には ∏ i ∈ N U i {\\displaystyle \\prod _{i\\in \\mathbb {N} }U_{i}} をも開集合とする位相も定義可能である:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 269,
"tag": "p",
"text": "定義 ― 位相空間の族 ( X λ , O λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (X_{\\lambda },{\\mathcal {O}}_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} に対し、",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 270,
"tag": "p",
"text": "を開基とする ∏ λ ∈ Λ X λ {\\displaystyle \\prod _{\\lambda \\in \\Lambda }X_{\\lambda }} の位相を箱型積位相(英語版)という。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 271,
"tag": "p",
"text": "箱型積位相は直積位相より強い(弱くない)位相である。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 272,
"tag": "p",
"text": "まず始位相と双対的に終位相を定義する:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 273,
"tag": "p",
"text": "定義 (終位相) ― Xを集合とし、 { ( Y λ , O λ ) } λ ∈ Λ {\\displaystyle \\{(Y_{\\lambda },{\\mathcal {O}}_{\\lambda })\\}_{\\lambda \\in \\Lambda }} を位相空間の族とし、写像",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 274,
"tag": "p",
"text": "の族 ( f λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} を考える。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 275,
"tag": "p",
"text": "このとき、全ての ( f λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} を連続にする最強の位相をXの ( f λ ) λ ∈ Λ {\\displaystyle (f_{\\lambda })_{\\lambda \\in \\Lambda }} 終位相(英語版)という。",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 276,
"tag": "p",
"text": "終位相の特殊な場合として下記のものを定義できる。これらは逆像位相、部分位相、始位相、直積位相と双対的に定義したものである。以下でXは集合である:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 277,
"tag": "p",
"text": "これらはより具体的に書き表す事が可能である:",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 278,
"tag": "p",
"text": "定理 ― 上の定義と同様に記号を定義するとき、",
"title": "位相空間の導出"
},
{
"paragraph_id": 279,
"tag": "p",
"text": "位相空間の定義それ自身は可能な限り一般的に定義されているため、個々の応用では位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものを考えることが多い。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 280,
"tag": "p",
"text": "本節では、そうしたプラスアルファの性質のうち代表的なものを紹介する。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 281,
"tag": "p",
"text": "分離公理とは、位相空間 X 上の2つの対象(点や閉集合)を開集合により「分離」(separate)する事を示す一連の公理、もしくはそこから派生した公理である。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 282,
"tag": "p",
"text": "代表的な分離公理としてハウスドルフの分離公理があり、これは以下のような公理であり、前述のようにこれは有向点族の収束の一意性と同値である。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 283,
"tag": "p",
"text": "ハウスドルフの分離公理は、直観的には点 x と y が開近傍という位相的な性質を利用して「区別」(separate) できる事を意味している。すなわちX の位相は点の区別が可能なほど細かい事をこの公理は要請している。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 284,
"tag": "p",
"text": "他にも下記のような分離公理がある:",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 285,
"tag": "p",
"text": "連結性とは、直観的には位相空間が「ひとつながりである」 という性質である。閉区間 [0,1] は連結性をもつ(連結である)が、二つの交わらない閉区間を合併した [ 0 , 1 ] ∪ [ 2 , 3 ] {\\displaystyle [0,1]\\cup [2,3]} という位相空間は連結ではない。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 286,
"tag": "p",
"text": "R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合は位相空間論的に「性質の良い」空間でXを R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合とすると、例えば以下が成立する事が知られている:",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 287,
"tag": "p",
"text": "このような「性質の良い」空間を一般の位相空間に拡張して定義したものがコンパクトの概念である。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 288,
"tag": "p",
"text": "ただし、「 R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合」という概念自身は、「有界」という距離に依存した概念に基づいているため、一般の位相空間では定義できず、別の角度からコンパクトの概念を定義する必要がある。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 289,
"tag": "p",
"text": "そのために用いるのがボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理とハイネ・ボレルの被覆定理である。これらの定理はいずれも「 R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} の有界閉集合であれば◯◯」という形の定理であるが、実は逆も成立する事が知られており、 R n {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{n}} においては",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 290,
"tag": "p",
"text": "の3つは同値となる。しかも上記の2,3はいずれも位相構造のみを使って記述可能である。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 291,
"tag": "p",
"text": "したがって2もしくは3の一方を満たす(同値なので実は2,3の両方を満たす)事をもってコンパクト性を定義する。ただしテクニカルな理由により、上記の2に関しては若干の補正が必要になり、ボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理の結論部分における「点列」を「有向点族」に置き換える必要がある。詳細はコンパクト空間を参照。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 292,
"tag": "p",
"text": "位相空間X において可算公理は、X の位相的な対象(近傍系、開集合)が可算なものから生成されることを意味し、可算公理が成立する空間では、非可算特有の難しさを回避できる場合がある。 可分もこれと類似したモチベーションのもと定義される。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 293,
"tag": "p",
"text": "厳密な定義は以下の通りである",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 294,
"tag": "p",
"text": "以下が成立する:",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 295,
"tag": "p",
"text": "しかし距離空間は第二可算公理を満たすとは限らない。 距離空間においては第二可算公理を満たす事と可分な事は同値である。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 296,
"tag": "p",
"text": "有限次元のユークリッド空間(あるいはより一般に多様体)は第二可算公理を満たす。(距離化可能なので可分でもある)。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 297,
"tag": "p",
"text": "一方、ユークリッド空間の「無限次元版」であるヒルベルト空間は距離空間であるが第二可算公理を満たすとは限らない。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 298,
"tag": "p",
"text": "しかし通常は第二可算公理を満たすヒルベルト空間のみを考えることが多く、そのようなヒルベルト空間は全て同型で、しかもそのようなヒルベルト空間にはベクトル空間としての可算基底が存在する事が知られている。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 299,
"tag": "p",
"text": "距離空間は自然に位相空間になるが、では逆に位相空間がどのような条件を満たせば距離空間になるであろうか。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 300,
"tag": "p",
"text": "すなわち、位相空間 ( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} が距離化可能であるとは、X 上の距離 d が(少なくとも一つ)存在し、d がX 上に定める位相が O {\\displaystyle {\\mathcal {O}}} と一致する事を言う。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 301,
"tag": "p",
"text": "学部レベルの教科書には距離化可能性の十分条件であるウリゾーンの距離化可能定理が載っていることが多いが、現在は距離化可能性の必要十分条件である長田=スミルノフの距離化定理やビングの距離化定理が知られている。",
"title": "位相的性質"
},
{
"paragraph_id": 302,
"tag": "p",
"text": "( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} 、 ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} を位相空間、 C ( X , Y ) {\\displaystyle C(X,Y)} を ( X , O X ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}}_{X})} から ( Y , O Y ) {\\displaystyle (Y,{\\mathcal {O}}_{Y})} への連続写像全体とする。このとき K ⊂ X , O ⊂ Y {\\displaystyle K\\subset X,O\\subset Y} に対し、 W ( K , O ) {\\displaystyle W(K,O)} を",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 303,
"tag": "p",
"text": "とより定義する。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 304,
"tag": "p",
"text": "このとき {W(K, O) : K は X のコンパクト部分集合、 O ∈ O Y {\\displaystyle O\\in {\\mathcal {O}}_{Y}} } を準開基とする位相を C ( X , Y ) {\\displaystyle C(X,Y)} のコンパクト開位相(英: compact-open topology)という。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 305,
"tag": "p",
"text": "連続体(れんぞくたい、英: continuum)とは、空でないコンパクト連結距離空間、あるいはより一般にコンパクト連結ハウスドルフ空間のことを言う。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 306,
"tag": "p",
"text": "ユークリッド空間上の閉曲面は連続体となるが、連続体論ではこのような「常識的な」空間に留まらず幅広く連続体一般を研究する。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 307,
"tag": "p",
"text": "具体的にはヒルベルト空間の無限次元部分集合であるにもかかわらずコンパクトな ヒルベルト立方体",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 308,
"tag": "p",
"text": "フラクタル図形のシェルピンスキーのカーペット、ホモトピー群は自明となるが可縮空間ではないワルシャワの円などが研究対象となる。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 309,
"tag": "p",
"text": "学部レベルの位相空間論で登場する概念の多くは、曲面のような「常識的な」空間における性質を抽象したものである。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 310,
"tag": "p",
"text": "しかし完全不連結性はこうした範疇から外れた性質で、位相空間 X 上の連結部分集合は空集合、全体集合、および一点集合に限られる事を意味する。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 311,
"tag": "p",
"text": "完全不連結な空間の例としては有理数の集合 Q {\\displaystyle \\mathbb {Q} } がある。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 312,
"tag": "p",
"text": "しかし完全不連結な空間は Q {\\displaystyle \\mathbb {Q} } のように距離空間として完備ではないものに限らない。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 313,
"tag": "p",
"text": "カントール集合(に実数体から誘導される距離をいれたもの)は、完備距離空間でありながら完全不連結な空間の例となっている。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 314,
"tag": "p",
"text": "実はカントール集合はこのような空間の典型例の一つであり、以下の性質を満たす空間(カントール空間)は必ずカントール集合と位相同型になることが知られている(ブラウワーの定理):",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 315,
"tag": "p",
"text": "位相空間X がベール空間であるとは、X 上の稠密開集合の可算個の共通部分が必ず稠密になることを言う。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 316,
"tag": "p",
"text": "完備疑距離空間の開集合はベール空間になる(ベールの第一範疇定理)。 また局所コンパクトハウスドルフ空間もベール空間になる(ベールの第二範疇定理)。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 317,
"tag": "p",
"text": "ベールの範疇定理は関数解析学において、開写像定理や閉グラフ定理を証明するのに用いられる。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 318,
"tag": "p",
"text": "( X , O ) {\\displaystyle (X,{\\mathcal {O}})} を位相空間とする。このとき有限個の開集合 U 1 ⋯ U n {\\displaystyle U_{1}\\cdots U_{n}} に対し、集合族 ⟨ U 1 ⋯ U n ⟩ {\\displaystyle \\langle U_{1}\\cdots U_{n}\\rangle } を",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 319,
"tag": "p",
"text": "と定義する(ただし F {\\displaystyle {\\mathfrak {F}}} は X {\\displaystyle X} の閉集合全体)。このとき { ⟨ U 1 ⋯ U n ⟩ : U i ∈ O ( i = 0 ⋯ n ) } {\\displaystyle \\{\\langle U_{1}\\cdots U_{n}\\rangle \\ :U_{i}\\in {\\mathcal {O}}(i=0\\cdots n)\\}} を開基とする F {\\displaystyle {\\mathfrak {F}}} 上の位相をヴィートリス位相(英: Vietoris topology)と呼び、ヴィートリス位相の入った F {\\displaystyle {\\mathfrak {F}}} 及びその部分空間を冪空間(英: powerspace)または超空間(英: hyperspace)という。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 320,
"tag": "p",
"text": "集合論的位相空間論(英語版)とは、位相空間上の性質がZFCと独立かどうかを主題する分野である。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 321,
"tag": "p",
"text": "位相ゲーム(英語版)とは、2人のプレイヤーにより位相空間上で行われるゲームで、プレイヤー達が自分の手番のとき、何らかの位相的な対象(開集合や閉集合など)を指定する事でゲームが進んでいく。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 322,
"tag": "p",
"text": "位相空間上の様々な性質、例えばベールの性質が位相ゲームのゲーム理論的な性質と関連する(バナッハ・マズール・ゲーム)。他にも完備性、収束性、分離公理といったものもゲーム理論的な性質と関連する。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 323,
"tag": "p",
"text": "代数的な演算が定義された位相空間X は、その演算の作用がX 上連続になるとき、演算と位相は両立するという。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 324,
"tag": "p",
"text": "そのような例として代表的なものには位相群、位相環および位相体、位相線型空間などがある。",
"title": "発展的なトピック"
},
{
"paragraph_id": 325,
"tag": "p",
"text": "集合論の創始者ゲオルク・カントールはユークリッド空間の開集合や閉集合などについても研究したが、これが位相空間の研究のはじまりである。カントールの行ったような位相空間の古典的な研究は、点集合論と呼ばれる。その後、モーリス・フレシェはユークリッド空間から離れて距離空間において極限の概念を考察し、さらにその後フェーリクス・ハウスドルフ、カジミェシュ・クラトフスキらによって、次第に現代のような一般の位相空間の形に整えられていった。",
"title": "歴史"
}
] | 数学における位相空間とは、集合Xに位相(topology)と呼ばれる構造を付け加えたもので、この構造はX上に収束性の概念を定義するのに必要十分なものである。 位相空間の諸性質を研究する数学の分野を位相空間論と呼ぶ。 | {{otheruses||物理学における位相空間(Phase space)|位相空間 (物理学)}}
{{Pathnav|[[数学]]| [[空間 (数学)|空間]]・[[極限|収束]]|frame=1}}
{{wikibooks|位相空間論|位相空間論}}
[[数学]]における'''位相空間'''(いそうくうかん、{{lang-en|topological space}})とは、[[集合]]{{Mvar|X}}に'''位相'''({{lang|en|topology}})と呼ばれる構造を付け加えたもので、この構造は{{Mvar|X}}上に収束性の概念を定義するのに[[同値|必要十分]]なものである<ref name=":0" group="注">ただしここで言う「収束性」は点列の収束性ではなくより一般的な[[有向点族]]の収束性である。</ref>。
位相空間の諸性質を研究する数学の分野を'''[[位相空間論]]'''と呼ぶ。
==概要==
位相空間は、前述のように[[集合]]に「位相」という構造を付け加えたもので、この構造により、例えば以下の概念が定義可能となる
* 部分集合の内部、外部、境界
* 点の近傍
* 収束性<ref name=":0" group="注" />
* 開集合、閉集合、閉包
実はこれらの概念はいわば「同値」で、これらの概念のうちいずれか一つを定式化すれば、残りの概念はそこから定義できる事が知られている。したがって集合上の位相構造は、これらのうちいずれか1つを定式化する事により定義できる。そこで学部レベルの多くの教科書では、数学的に扱いやすい開集合の概念をもとに位相構造を定義するものが多い。
その他にも
*位相空間から位相空間への写像の連続性
*連結性
といった概念も位相構造を用いて定義できる。
上述した概念はいずれも元々[[距離空間]]のような[[幾何学]]的な対象に対して定義されたものだが、距離が定義されていなくても位相構造さえ定義できれば定式化できる。これにより、位相空間の概念は、幾何学はもちろん[[解析学]]や[[代数学]]でも応用されており、位相空間論はこうした数学の諸分野の研究の基礎を与える。位相空間の概念の利点の一つは、解析学や代数学などの研究対象に幾何学的な直観を与えることにある。
このような観点からみたとき、位相空間論の目標の一つは、ユークリッド空間など幾何学の対象に対して成り立つ諸性質を解析学などにも一般化することにある。従って学部レベルで学ぶ位相空間論の性質の多くは、ユークリッド空間などの幾何学的な対象では自明に成り立つ(例えば各種分離公理や可算公理)。
位相空間論ではこうした幾何学的な性質をいかに一般の空間へと拡張するかが問われるので、位相空間の概念自身は非常に弱く、かつ抽象的に定義される。しかしその分個別の用途では必要な性質が満たされないこともあり、例えば位相空間上では収束の一意性は保証されない。そこで必要に応じて、位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものが研究対象になることも多い。前述した収束の一意性は、位相空間に「[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ性]]」という性質を加えると成立する。学部レベルの位相空間論の目標の一つは、こうしたプラスアルファの性質の代表的なものを学ぶ事にある。
[[ファイル:Unit disc metrics.svg|サムネイル|upright|左|
距離空間<math>(\mathbb{R}^2,d_p)</math>の原点の1-近傍を{{math|1=''p''=''2''}}(上の図)、{{math|1=''p''=''1''}}(中央の図)、{{math|1=''p''=''∞''}}(下の図)に対して図示したもの。これらはそれぞれ[[ユークリッド距離]]、[[マンハッタン距離]]、[[チェビシェフ距離]]と呼ばれる。]]
===位相空間と距離空間===
位相空間となる代表的な空間としては、[[ユークリッド空間]]をはじめとした[[距離空間]]がある。距離空間は必ず位相空間になるが、逆は必ずしも正しくない。すなわち、[[距離関数|距離構造]]は位相的構造よりも遥かに多くの情報を持った強い概念であり、距離空間としては異なっても位相空間としては同一の空間になることもある。
例えば{{math|''p''≧1}}を固定して[[実数空間]]<math>\mathbb{R}^n</math>上に'''[[Lp空間|ℓ<sup>p</sup>距離]]'''
: <math>d_p(x,y)=\sqrt[p]{(x_1-y_1)^p+\cdots (x_n-y_n)^p}</math>
を入れた距離空間<math>(\mathbb{R}^n,d_p)</math>を考えてみると、[[イプシロン-エヌ論法|ε-N論法]]や[[ε-δ論法]]による極限の議論で用いる[[近傍 (位相空間論)#距離空間における近傍|ε-近傍]]は{{mvar|p}}に依存して異なるにもかかわらず、収束の有無や収束先の点は{{mvar|p}}によらず一致する。<!--概要に書くには少し詳しすぎる気がするので、コメントアウト。
実は、位相の一つの側面である[[近傍系]]はこのε-近傍をより柔軟にした概念であり、これを用いることで距離構造によらずに極限を議論できる。そしてこの3つの距離空間において近傍系は常に一致するから、どれを用いても極限は同じなのである。-->
より一般に、ユークリッド空間を[[位相幾何学|ゴム膜のように連続変形した]]ものは、元のユークリッド空間とは距離空間としては異なるが、位相空間としては同一であり、収束するか否かという性質も互いに保たれて不変である。
以上のように、連続性や収束性といった概念を考えたり、連続変形を対象とした研究を行ったりするときには、距離空間の概念は柔軟性に欠けるところがあり、位相空間というより弱い概念を考える積極的動機の一つとなる。
他にも例えば[[多様体]]を定義する際には複数の距離空間(ユークリッド空間の開集合)を連続写像で「張り合わせる」([[商位相空間|商空間]])が、張り合わせに際して元の空間の距離構造を壊してしまうので、元の空間を距離空間とみなすより、位相空間とみなす方が自然である。
===応用分野===
[[File:Mug and Torus morph.gif|thumb|upright|right|240px|コーヒーカップからドーナツ([[トーラス]])への連続変形([[同相写像]]の一種)とその逆]]
位相空間の概念の代表的な応用分野に[[位相幾何学]]がある。これは曲面をはじめとした幾何学的な空間(主に有限次元の[[多様体]]や[[単体的複体]])の位相空間としての性質を探る分野である。前述のようにゴム膜のように連続変形しても位相空間としての構造は変わらないので、[[球面]]と[[楕円体]]は同じ空間であるが、[[トーラス]]は[[球面]]とは異なる位相空間である事が知られている。位相幾何学では、位相空間としての構造に着目して空間を分類したり、分類に必要な[[不変量]](位相不変量)を定義したりする。
位相空間の概念は代数学や解析学でも有益である。例えば無限次元[[ベクトル空間]]を扱う[[関数解析学]]の理論を見通しよく展開するにはベクトル空間に位相を入れて位相空間の一般論を用いることが必須であるし([[位相線型空間]])、[[代数幾何学]]で用いられる[[ザリスキ位相]]は、通常、距離から定めることのできないような位相である。
また、位相空間としての構造はその上で定義された様々な概念の制約条件として登場することがある。例えばリーマン面上の有理型関数のなす空間の次元は、リーマン面の位相構造によって制限を受ける([[リーマン・ロッホの定理]])。また三次元以上の二つの閉じた双曲多様体が距離空間として同型である必要十分条件は、位相空間として同型な事である(モストウの剛性定理)。
{{Clearleft}}
== 定義 ==
位相空間にはいくつかの同値な定義があるが、本項ではまず、開集合を使った定義を述べる。
===開集合を使った特徴づけ===
位相空間を定式化する為に必要となる「開集合」という概念は、直観的には位相空間の「縁を含まない」、「開いた」部分集合である。
ただし上ではわかりやすさを優先して「縁を含まない」、「開いた」という言葉を使ったが、これらの言葉を厳密に定義しようとすると位相空間の概念が必要になるので、これらを使って開集合を定義するのは循環論法になってしまう。また、ここでいう「縁」(=境界)は通常の直観と乖離している場合もあり、例えば実数直線上の有理数の集合の境界は実数全体である。
そこで位相空間の定義では、「縁を含まない」とか「開いた」といった概念に頼ることなく、非常に抽象的な方法で開集合の概念を定式化する。
位相空間を定式化するのに必要なのは、どれが開集合であるのかを弁別するために開集合全体の集合<math>\mathcal{O}</math>を指定する事と、<math>\mathcal{O}</math>が定められた性質を満たすことだけである。
位相空間の厳密な定義は下記のとおりである。[[Image:Topological space examples.svg|thumb|right|300px|集合{1,2,3}における、開集合の公理を満たす部分集合の族や満たさない族の例。上二段の例はそれぞれ開集合の公理を満たしているが、最下段の例は、左側は{2}と{3}の和集合である{2,3}が入っていないため、右側は{1,2}と{2,3}の共通部分である{2}が入っていないため、どちらも開集合の公理を満たしていない。]]{{math theorem|定義|
''X''を集合とし、<math>\mathcal{O}</math>を''X''の[[べき集合]]<math>\mathfrak{P}(X)</math>の部分集合とする。
<math>\mathcal{O}</math>が以下の性質を満たすとき、組 <math>(X,\mathcal{O})</math> を ''X'' を台集合とし<math>\mathcal{O}</math>を'''開集合系'''とする'''位相空間'''と呼び、<math>\mathcal{O}</math>の元を ''X'' の'''開集合'''と呼ぶ。
# <math>\emptyset,\,X\in\mathcal{O}</math>
# <math>\forall O_1, \forall O_2\in\mathcal{O}~:~O_1\cap O_2\in\mathcal{O}</math>
# <math>\forall \{O_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}\subset\mathcal{O}~:~\bigcup_{\lambda\in\Lambda}O_{\lambda} \in \mathcal{O}</math>
|note=開集合系による位相空間の定義}}
上述の定義に登場する3つの条件の意味するところは下記のとおりである:
# [[空集合]]と全体集合は開集合である。
# 2つの開集合の[[共通部分 (数学)|共通部分]]は開集合である。(よって有限個の開集合の共通部分は開集合となるが、'''無限個の共通部分は開集合とは限らない''')
# 任意の個数('''有限でも無限でもよい''')の開集合の[[合併 (集合論)|和集合]]は開集合である。
本節では、これらの性質を天下り的に与えるにとどめ、後の章で距離空間で具体的な位相に関し、この定義について論ずる。
開集合系<math>\mathcal{O}</math>を一つ定める事で、集合 ''X'' が位相空間になるので、<math>\mathcal{O}</math>を''X'' 上の'''位相(構造)'''と呼ぶ。
紛れがなければ開集合系<math>\mathcal{O}</math>を省略し、''X'' の事を'''位相空間''' と呼ぶ。
また位相空間''X'' の元を'''[[点 (数学)|点]]'''と呼ぶ。
なお、集合算に関する[[空積]]および[[空和]]はそれぞれ[[全体集合]]と[[空集合]]になるので、<math>\mathcal{O}\neq \emptyset</math>を仮定しておけば、上述の定義における条件1を課さなくてもよい。
===閉集合を使った特徴づけ===
開集合の''X'' における[[補集合]]の事を'''閉集合'''と呼び、閉集合全体の集合
:<math>\mathcal{F}=\{F\subset X\mid F^c\in\mathcal{O}\}</math>
の事を位相空間''X'' の'''閉集合系'''と呼ぶ。
開集合が直観的には「縁を含まない」、「開いた」集合だったのに対し、その補集合である閉集合は直観的には「縁を含んだ」、「閉じた」集合である。
本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、開集合の補集合として閉集合を定義したが、閉集合系<math>\mathcal{F}</math>を使って下記のように位相空間を定義する事もできる。この場合、開集合は閉集合の補集合として定義する。
{{math theorem|定義|
''X''を集合とし、<math>\mathcal{F}</math>を''X''の[[べき集合]]<math>\mathfrak{P}(X)</math>の部分集合とする。
<math>\mathcal{F}</math>が以下の性質を満たすとき、組 <math>(X,\mathcal{F})</math> を ''X'' を台集合とし<math>\mathcal{F}</math>を'''閉集合系'''とする'''位相空間'''と呼び、<math>\mathcal{F}</math>の元を ''X'' の'''閉集合'''と呼ぶ。
# <math>\emptyset,X\in\mathcal{F}</math>
# <math>\forall F_1,\forall F_2\in\mathcal{F}~~:~~ F_1\cup F_2\in\mathcal{F}</math>
# <math>\forall \{F_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}\subset\mathcal{F}~~:~~ \bigcap_{\lambda\in\Lambda}F_{\lambda}\in\mathcal{F}</math>
|note=閉集合系による位相空間の定義}}
閉集合系による位相空間の定義における3つの条件は、開集合系による位相空間の定義における3つの条件に[[ド・モルガンの法則]]を適用することにより得られる。
なお、''X'' の開集合でも閉集合でもあるような部分集合は ''X'' の[[開かつ閉集合]]と呼ばれる(定義から明らかに <math>\emptyset</math> および ''X'' は必ず開かつ閉である)。''X'' には、開でも閉でもないような部分集合が存在しうる。
===その他の特徴づけ===
{{seealso|位相の特徴付け}}
===位相同型===
<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>、<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>を2つの位相空間とする。
{{math theorem|定義|
ある全単射
: <math>f~:~X \to Y</math>
が存在して、
: <math>O \in \mathcal{O}_X \iff f(O) \in \mathcal{O}_Y</math>
を満たすとき、<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>と<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>は'''位相同型'''であるという。
|note=位相同型}}
位相空間論とは、位相同型で不変な性質(すなわち、<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>がある性質を満たせば、それと位相同型な<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>もその性質を満たすような性質)を議論する分野である。
==距離空間の位相構造==
すでに述べたように位相空間の概念を定義する主な動機の一つは、距離空間上で定義される諸概念をより一般の空間でも定義する事である。この意味において距離空間は最も基本的な位相空間の例であるので、本節では距離構造が位相構造を定める事を見る:
{{math theorem|定理・定義|
{{math|(''X'' ,''d'' )}}を[[距離空間]]とし、実数 {{math|''ε'' > ''0''}} と {{math|''x'' ∈ ''X''}} に対し、{{mvar|x}}の'''{{mvar|ε}}-近傍({{mvar|ε}}-neighborhood)'''<math>B_\varepsilon(x)</math>を
: <math>B_\varepsilon(x) := \{y\in X \mid d(x,y) < \varepsilon\}</math>
と定義するとき、
:<math>\mathcal{O}_d=\{O\subset X\mid \forall x\in O \exists \varepsilon>0 ~~:~~B_\varepsilon(x)\subset O\}</math>
は開集合系の公理を満たす。
<math>\mathcal{O}_d</math>を'''距離''' ''d'' '''により定まる''' ''X'' の'''開集合系'''、もしくは''d'' '''により定まる''' ''X'' の'''位相構造'''といい、
<math>(X,\mathcal{O}_d)</math>を{{math|(''X'' ,''d'' )}}'''により定まる位相空間'''という。
|note=距離から定まる位相}}
{{mvar|x}}の{{mvar|ε}}-近傍の事を、'''{{mvar|ε}}-球'''({{mvar|ε}}-ball)、'''{{mvar|ε}}-開球'''({{mvar|ε}}-open ball)、あるいは単に'''開球'''(open ball)ともいう。
上記のように定義した<math>\mathcal{O}_d</math>が位相の定義を満たす事を示すために、まず開集合を別の形で書き換える:
{{math theorem|命題|距離空間{{math|(''X'' ,''d'' )}}が定める位相を<math>\mathcal{O}_d</math>とし、{{mvar|''O''}}を{{mvar|''X''}}の部分集合とする。このとき、以下の3条件は同値である:
# {{mvar|O}}は<math>\mathcal{O}_d</math>の開集合である
# 任意の{{math|''x'' ∈ ''O''}}に対し、ある<math>\varepsilon_x>0</math>が存在し、<math>O=\bigcup_{x\in O}B_{\varepsilon_x}(x)</math>が成立する。
# {{mvar|O}}は(有限または無限個の)開球の和集合として書ける。すなわち族<math>\{B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda})\}_{\lambda\in\Lambda}\subset X</math>が存在し、<math>O=\bigcup_{x_{\lambda}\in \Lambda}B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda})</math>が成立する。
|note=距離から定まる開集合の特徴づけ}}
{{math proof|
(1⇒2):任意の開集合{{Mvar|O}}に対し、開集合の定義より開集合{{Mvar|O}}の各点{{Mvar|x}}に対し、<math>B_{\varepsilon_x}(x)\subset O</math>を満たす<math>\varepsilon_x>0</math>が存在するので、
:<math>O=\bigcup_{x\in O}B_{\varepsilon_x}(x)</math>
と書ける。
(2⇒3):自明
(3⇒2):<math>O=\bigcup_{x_{\lambda}\in \Lambda}B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda})</math>と書ければ、任意の{{Math|''x'' ∈ ''O''}}に対し、<math>x\in O \iff \exists x_{\lambda}\in \Lambda ~:~x\in B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda}) </math>なので、<math>\delta_x := \varepsilon_{\lambda} - d(x,x_{\lambda})</math>とすれば、<math>\delta_x > 0</math>であり、<math>B_{\delta_x}(x) \subset B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda}) \subset \bigcup_{x_{\lambda}\in \Lambda}B_{\varepsilon_\lambda}(x_{\lambda}) =O </math>である。{{math|''x'' ∈ ''OI''}}の任意性から、{{mvar|O}}は<math>\mathcal{O}_d</math>の開集合である。
|drop=yes|title=証明(距離から定まる開集合の特徴づけ)}}
上述の命題の条件3から特に次の系が従う:{{math theorem|系|開球は<math>\mathcal{O}_d</math>の開集合である。}}
上述の命題より、<math>\mathcal{O}_d</math>が位相の定義を満たす事が従う:
{{math proof|
# <math>\emptyset, X\in \mathcal{O}_d</math>は自明に従う。
# 上述の命題より開集合である必要十分条件は(有限または無限個の){{mvar|ε}}-球の和集合として書けることだったので、開集合の(有限または無限個の)和集合も当然(有限または無限個の){{mvar|ε}}-球の和集合でかけるため、開集合である。
# <math>O_1=\bigcup_{x\in O_1}B_{\varepsilon_x}(x)</math>、<math>O_2=\bigcup_{x\in O_2}B_{\delta_x}(x)</math>を開集合とするとき、<math>O_1\cap O_2=\bigcup_{x\in O_1\cap O_2}B_{\min\{\varepsilon_x,\delta_x\}}(x)</math>も開球の和集合でかけるので開集合である。
|drop=yes|title=証明(<math>\mathcal{O}_d</math>が位相の定義を満たす事)}}
なお、位相空間の定義より開集合の(有限または無限個の)和集合は開集合であり、開集合の有限個の共通部分も開集合であるが、'''開集合の無限個の共通部分は開集合になるとは限らない'''。実際、任意の自然数{{Math|''n'' > ''0''}}に対し、{{mvar|1/n}}-球<math>B_{1/n}(x)</math>は定義より開集合であるが、
:<math>\bigcap_{n\in\mathbb{N}}B_{1/n}(x)=\{x\}</math>
は開集合ではない。
上述のように集合''X'' 上の距離構造に1つの位相構造が対応するが、この対応関係は一般には「単射」ではなく、異なる距離構造が同一の位相構造を定める事も多い。実際、次の命題が成立する:
{{math theorem|命題|
{{math|(''X'' ,''d'' )}}を[[距離空間]]とし、{{math|''f'' : ''X'' → ''X''}}を連続な全単射で逆写像も連続なものとする。このとき、
: <math>d'(x,y)=d(f(x),f(y))</math>
と定義すると、{{mvar|d}}と{{mvar|d'}}は{{mvar|X}}上に同一の位相構造を定める。
|}}
なお、上記の命題における「連続」の概念は距離空間における連続の事であるが、本稿では後で位相空間上の連続性を定義し、位相空間としての連続性の概念と距離空間としての連続性の概念が一致する事を見る。
上述の命題は、距離空間を連続変形しても位相構造が変わらない事を意味する。したがって連続変形に対して不変な性質を研究する[[位相幾何学]]にとって基礎的である。
===ベクトル空間の場合===
本節では(実または複素)ベクトル空間における距離と位相の関係を述べる。本節の内容はベクトル空間が有限次元の場合は[[幾何学]]、無限次元の場合は[[解析学]]に応用がある。
ベクトル空間では、[[ノルム]]の概念を定義する事ができ、ベクトル空間上の距離としては[[ノルム]]から定まるものを考える事が多い。本節ではまずノルムの定義を振り返り、ノルムから定まる距離を定義し、その距離から定まる位相の性質を見る。
==== ノルムの定義 ====
まずノルムとは何かを簡単に説明する:
{{math theorem|定義|
{{mvar|K}}を<math>\mathbb{R}</math>もしくは<math>\mathbb{C}</math>とするとき、{{mvar|K}}上ベクトル空間{{mvar|V}}の'''ノルム'''とは写像
: <math>\|\cdot\|~:~V\to K</math>
で以下の3性質を満たすものの事である。ここで{{mvar|x}}、{{mvar|y}}は{{mvar|V}}の元で{{mvar|α}}は{{mvar|K}}の元である:
# {{math2|1={{norm|'''x'''}} = 0 ⇔ '''x''' = '''0'''}}
# {{math2|1={{norm|''a'''''x'''}} = {{abs|''a''}}{{norm|'''x'''}}}}
# {{math2|1={{norm|'''x''' + '''y'''}} ≤ {{norm|'''x'''}} + {{norm|'''y'''}}}}
|note=ノルム}}
<math>\mathbb{R}^n</math>上の代表的なノルムとして、{{math|''p''≧1}}に対する'''[[Lp空間|ℓ<sup>p</sup>ノルム]]'''
:<math>\|v\|_p=(|v_1|^p+\cdots+|v_n|^p)^{1/p}</math>
が知られている。ここで{{math|''v''{{=}}(''v''{{sub|1}},...,''v''{{sub|n}})}}である<ref name=":1" group="注">[[Lp空間|ℓ<sup>p</sup>ノルム<math>\|v\|_p</math>]]、[[Lp空間|L<sup>p</sup>ノルム<math>\|f\|_p</math>]]、に関連するノルムとして、[[Lp空間|ℓ<sup>p</sup>ノルム]]
[[Lp空間|<math>\|v\|_p=\max_i |v_i|</math>]]、
'''[[Lp空間|L<sup>∞</sup>ノルム]]'''、
<math>\|f\|_{\infty}=\sup_{x\in[0,1]}|f(x)|</math>
があり、これらは[[Lp空間|<math>\|v\|_p</math>]]、[[Lp空間|<math>\|f\|_p</math>]]で{{Math|''p''→∞}}としたものに一致する。同様にソボレフノルム[[Lp空間|<math>\|f\|_{k,p}</math>]]で{{Math|''p''→∞}}としたノルム
<math>\|f\|_{k,\infty}=\max_{\ell<k}\sup_{x\in[0,1]}|f^{(\ell)}(x)|</math>
も定義可能である。</ref>。
==== ノルムから定まる距離と位相 ====
{{mvar|V}}上にノルム{{math|{{norm|・}}}}が1つ与えられると、
:<math>d(x,y)=\|x-y\|</math>
により、{{mvar|V}}上の距離が定まる。
このようにノルムから距離が定まり、距離から位相が定まるが、ノルムが「同値」であるとそこから定まる位相が同一になる事が知られている:
{{math theorem|定義・定理|
{{mvar|V}}を(実もしくは複素)[[ベクトル空間]]とし、<math>\|\cdot\|</math>と<math>\|\cdot\|'</math>を{{mvar|V}}上定義された2つの[[ノルム]]とする。<math>\|\cdot\|</math>、<math>\|\cdot\|'</math>が
: <math>\exists C_1, C_2 > 0 \forall x \in V ~:~C_1 \|x\|'\le \|x\| \le C_2 \|x\|'</math>
を満たすとき、<math>\|\cdot\|</math>、<math>\|\cdot\|'</math>は'''同値'''なノルムであるという。
<math>\|\cdot\|</math>、<math>\|\cdot\|'</math>が同値であれば、これらのノルムが定める距離
: <math>d(x,y)=\|x-y\|</math>、<math>d'(x,y)=\|x-y\|'</math>
は {{mvar|V}}上に同一の位相を定める。
|note=ノルムの同値性と位相}}
==== 有限次元ベクトル空間の場合 ====
{{mvar|V}}が有限次元の場合は次の事実が知られている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ma.noda.tus.ac.jp/u/sh/pdfdvi/13fa-s.pdf|title=解析学III 関数解析|accessdate=2021/02/05|publisher=[[東京理科大学]]|page=6|author=平場誠示}}</ref>:
{{math theorem|命題|
有限次元の(実もしくは複素)ベクトル空間上定義されるノルムは全て同値である。
|}}
この事実から、有限次元ベクトル空間の場合は、ノルムのとり方によらず同一の位相構造が定まる事がわかる。この位相を有限次元ベクトル空間上の'''自然な位相'''、'''通常の位相'''等と呼ぶ。
==== 無限次元ベクトル空間の場合 ====
一方解析学で頻繁に使われる、無限次元のベクトル空間の場合は、同一のベクトル空間上に複数の同値でないノルムが存在し、それらのノルムがそれぞれ異なる位相構造を定める事になる。例えば{{math|[0,1]}}区間から<math>\mathbf{R}</math>への連続写像全体の集合
: <math>C([0,1],\mathbf{R})=\{f~:~[0,1]\to \mathbf{R}</math>, 連続<math>\}</math>
を写像の和と定数倍に関してベクトル空間とみなすと、各<math>p\ge 1</math>対し、'''[[Lp空間|L<sup>p</sup>ノルム]]'''
: <math>\|f\|_{p}=\sqrt[p]{\int_{[0,1]}|f(x)|^{p}\mathrm{d}x}</math>
が定義できるが、これらは{{mvar|p}}が異なれば異なる位相を定め、実際L<sup>p</sup>ノルムでは収束するのに別のL<sup>q</sup>ノルムでは収束しない例を作る事ができる<ref name=":1" group="注" />。
また無限回微分可能な写像の空間
: <math>C^{\infty}([0,1],\mathbf{R})=\{f~:~[0,1]\to \mathbf{R}</math>, 無限回微分可能<math>\}</math>
にはL<sup>p</sup>ノルムの一般化である'''[[ソボレフ空間|ソボレフノルム]]'''
: <math>\|f\|_{k,p}=\sqrt[p]{\sum_{\ell=0}^k\int_{[0,1]}|f^{(\ell)}(x)|^{p}\mathrm{d}x}</math>
:
も定義可能であるが<ref name=":1" group="注" />、これらも{{mvar|k}}、{{mvar|p}}が異なれば異なる位相を定める。なお、<math>\|\cdot\|_{k,\infty}</math>の定める位相を'''{{math|C{{sup|''k''}}}}-位相'''と呼び、この位相は[[位相幾何学]]で図形の連続変形を扱う際重要な役割を果たす。
==その他の具体例==
===密着位相、離散位相、補有限位相、補可算位相 ===
{{math theorem|定義・定理|{{mvar|X}}を集合とする。このとき以下は位相の公理を満たす。
* 空集合<math>\emptyset</math>と全体集合{{mvar|X}}のみを開集合とする位相を'''[[密着位相]]'''という。
* {{mvar|X}}の任意の部分集合を開集合とする位相を{{mvar|X}}の'''[[離散位相]]'''という。
* {{mvar|X}}の任意の有限部分集合と全体集合を閉集合とする位相を{{mvar|X}}の'''[[補有限|補有限位相]]'''という。
* {{mvar|X}}の任意の可算部分集合と全体集合を閉集合とする位相を{{mvar|X}}の'''{{仮リンク |補可算位相|en|cocountable topology}}'''という。
|note=}}
密着位相と離散位相はいわば「両極端」の人工的な位相構造に過ぎないが、これらの位相構造は、位相に関する命題の反例として用いられる事がある。またこれらの位相構造は、任意の集合上に位相構造を定義できる事を意味している。
離散位相は{{mvar|X}}上に'''離散距離'''
: <math>
d(x,y)=
\begin{cases}
0 & x= y\\
1 & \text{otherwise}
\end{cases}
</math>
をいれたときに距離から定まる位相と一致する。
{{mvar|X}}が1元集合、有限集合、可算集合の場合は明らかに密着位相、補有限位相、補可算位相はいずれも離散位相に一致する。
それ以外の場合、すなわち{{mvar|X}}が2元以上ある集合、無限集合、非可算集合の場合は、密着位相、補有限位相、補可算位相は{{mvar|X}}上のいかなる距離から定まる位相とも一致しない<ref group="注">距離から定まる位相は[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ性]]と[[正規空間|正規性]]を満たすが、密着位相はハウスドルフ性を満たさない。また補有限位相や補可算位相においては空でない任意の開集合の閉包は全体集合であるため、任意{{math|''x'', ''y'' ∈ ''X''}}の任意の閉近傍は全体集合になってしまう為正規性を満たさない。</ref>。
===ザリスキー位相===
<math>P = \{2, 3, 5, 7, \ldots\} </math>を[[素数]]の集合とする。各整数<math>n\in\mathbb{Z}</math>に対し、
:<math>V(n)=\{p\in P \mid n</math>は{{mvar|p}}の倍数<math>\}</math>
と定義し、{{math|''V''(''n'')}}全体の集合を閉集合系とする{{mvar|P}}上の位相を{{mvar|P}}上の'''[[ザリスキー位相]]'''という。
ザリスキー位相は{{mvar|P}}上のいかなる距離から定まる位相とも一致しないことが知られており<ref group="注">ザリスキー位相はハウスドルフ性を満たさないから。</ref>、距離から定まらない位相でなおかつ数学の重要な研究対象となっているものの代表例である。
ザリスキー位相の概念は一般の[[環 (数学)|可換環]]{{mvar|R}}の[[素イデアル]]全体の集合に対しても定義する事ができる事が知られている。
一方、これとは全く異なる角度からザリスキー位相を定義する事ができる。{{mvar|K}}を複素数体(もしくはより一般に[[代数的閉体]])とし、{{mvar|K{{sup|n}}}}を考える。そして{{mvar|K}}上の多項式の任意の集合{{mvar|S}}に対し、
:<math>V(S)=\{x\in K^n \mid \forall f\in S~:~f(x)=0\}</math>
と定義し、{{math|''V''(''S'')}}全体の集合を閉集合系とする位相を{{mvar|K{{sup|n}}}}上の'''ザリスキー位相'''という。
以上で述べた2種類のザリスキー位相は一見全く異なるように見えるが、実は同種の概念を別の角度から見たものである事が知られている。これら2つが同種である事は[[代数幾何学]]の最も基本的な定理の一つとなっている。
===加工により得られた位相空間===
{{Main|位相空間#位相空間の導出}}
数学で使われる多くの位相空間は、距離空間(から定まる位相空間)のような既知の位相空間を加工して作られている。
例えば既知の2つの位相空間の和集合や積集合に対して、位相を定めてこれらを位相空間とみなしたり、位相空間上で同値関係を考えてその同値関係による[[商集合]]に対して位相を定めて位相空間とみなしたりする。
こうした加工の結果として得られる位相空間の例として、非常に重要なものの一つが'''[[多様体]]'''である。多様体とは、直観的には{{mvar|n}}次元曲面のことであるが、これは<math>\mathbb{R}^n</math>の部分集合を何枚も張り合わせる事で実現されている。
既知の位相空間の和集合、積集合、商集合といったものにどのような位相を定めるべきかに関しては一般的な導出方法が知られており、これについては「[[位相空間#位相空間の導出|#位相空間の導出]]」の節で説明する。
==位相空間に関する諸概念==
{{main|内部 (位相空間論)|外部 (位相空間論)|境界 (位相空間論)|閉包 (位相空間論)}}
=== 定義 ===
==== 内部、外部、境界====
位相空間{{mvar|X}}の部分集合{{mvar|A}}に対し、{{mvar|A}}の「内部」、「外部」、「境界」の概念を定義できる:
[[Image:Interior illustration.svg|right|thumb|''x'' は、それを含むある開集合もまた ''S'' に含まれるため''S'' の内点である。一方''y'' は ''S'' の境界上にある。]]
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、{{mvar|A}}を''X'' の部分集合とする。このとき、
* {{math|''x'' ∈ ''X''}} が{{mvar|A}}の'''内点'''であるとは、ある開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}が存在し、{{math|''x'' ∈ ''O'' ⊂ ''A''}}が成立する事をいう。
* {{mvar|A{{sup|c}}}}の内点を{{mvar|A}}の'''外点'''と呼ぶ。
* {{mvar|A}}の内点でも外点でもない 点{{math|''x'' ∈ ''X''}}を{{mvar|A}}の'''境界点'''という。
|note=内点、外点、境界点<ref name="内田68">[[位相空間#内田|#内田]] pp.68-73.</ref>}}
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、{{mvar|A}}を''X'' の部分集合とする。このとき、
* {{mvar|A}}の内点全体の集合を{{mvar|A}}の'''[[内部 (位相空間論)|内部]]'''(ないぶ, {{lang-en-short|interior}})または'''開核'''といい、<math>A^{\circ}, \operatorname{Int} A</math>などと表す。
* {{mvar|A}}の外点全体の集合をの'''外部'''(がいぶ, {{lang-en-short|exterior}})といい、<math>A^e,\ \ \operatorname{Ext}A</math>などと表す。
* 境界点全体の集合を{{mvar|A}}の'''境界'''(きょうかい, {{lang-en-short|frontier}})とい、<math>\operatorname{Fr} A,\ \operatorname{Bd} A,\ \partial A</math> などと表す。
|note=内部、外部、境界<ref name="内田68" />}}
なお、境界を表す記号「<math>\partial A</math>」は[[多様体]]の縁(ふち, {{lang-en-short|boundary}})を表す記号としても使われるが、両者は似て非なる概念なので注意が必要である。
====閉包====
さらに閉包を次のように定義する:
{{math theorem|定理・定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、''A'' を''X'' の部分集合とする。このとき、
* <math>A^{\circ}\cup\operatorname{Fr}(A)</math>を''A'' の'''[[閉包 (位相空間論)|閉包]]'''(へいほう, {{lang-en-short|closure}})と呼び、<math>\bar{A},~\operatorname{Cl}(A),~A^-</math>などと表す。
* {{mvar|A}}の閉包の元を{{mvar|A}}の'''触点'''という。
|note=閉包、触点}}
定義から明らかに次が成立する:
{{math theorem|命題|
*<math>\overline{A^c}=(A^{\circ})^c</math>
|note=内部と閉包の関係}}
よって内部と閉包は双対的な関係にあり、内部に関する性質に[[ド・モルガンの法則]]を適用する事で閉包の性質を導く事ができる。
=== 基本的な性質 ===
定義より明らかに次が成立する。
{{math theorem|命題|
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の外点 ⇔ {{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たすある開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}が存在し、{{math|''O'' ⊂ ''A''{{sup|c}}}}
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の境界点 ⇔ {{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たす任意の開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}に対し、<math>A\cup O \neq \emptyset</math> かつ <math>A^c\cup O \neq \emptyset</math>
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の触点 ⇔ {{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たす任意の開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}に対し、<math>A\cap O\neq \emptyset</math>
|}}
{{mvar|X}}が距離空間であれば、上では「{{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たすある開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}」、「{{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たす任意の開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}」となっているところを、「{{mvar|x}}のある{{mvar|ε}}-近傍<math>B_{\varepsilon}(x)</math>」「{{mvar|x}}の任意の{{mvar|ε}}-近傍<math>B_{\varepsilon}(x)</math>」に変えてもよい。これについては[[位相空間#基本近傍系|基本近傍系]]について記述する際、より詳しく述べる。
さらに次が成立する。
{{math theorem|命題|
位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の任意の部分集合{{mvar|A}}に対し次が成立する:
*内部、境界、外部は、全空間''X'' を排他的に分割する。すなわち、<math>A^{\circ}\sqcup\operatorname{Fr}(A)\sqcup A^e=X</math>
*<math>A^{\circ}\subset A \subset \bar{A}</math>
*{{mvar|A}}の内部、外部は開集合で、境界、閉包は閉集合である。
|}}
===内部、閉包の性質===
内部および閉包は以下のようにも特徴づけられる事が知られている:
{{math theorem|命題|
位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の任意の部分集合{{mvar|A}}に対し次が成立する:
* <math>A^{\circ}</math>は{{mvar|A}}に含まれる最大の開集合<math>\bigcup_{O\in\mathcal{O}, O\subset A}O</math>に一致する<ref name="内田68" />。
* <math>\bar{A}</math>は{{mvar|A}}を含む最小の閉集合<math>\bigcap_{F\in\mathcal{F}, A\subset F}F</math>に一致する<ref name="内田68" />。
|note=内部および閉包の特徴づけ}}
内部の概念は以下を満たす:
{{math theorem|定理|
位相空間''X''の任意の部分集合''A''、''B''に対し、以下が成立する<ref name="内田68" />:
:#<math>A^{\circ}\subset A</math>
:# <math> (A^{\circ})^{\circ}=A^{\circ}</math>
:# <math>(A\cap B)^{\circ} =A^{\circ}\cap B^{\circ}</math>
:#<math>X^{\circ}=X</math>
|note=内部の性質{{Anchors|内核作用素の性質}}}}
<math>\bar{A}=((A^c)^{\circ})^c</math>である事を用いて、以上で述べた内部に関する結果をド・モルガンの法則により閉包の結果に翻訳できる:
{{math theorem|定理|
位相空間''X''の任意の部分集合''A''、''B''に対し、以下が成立する:
:#<math>A\subset \overline{A}</math>
:# <math> \overline{\overline{A}}=\overline{A}</math>
:# <math>\overline{A\cup B} =\overline{A}\cup\overline{B}</math>
:#<math>\overline{\emptyset}=\emptyset</math>
|note='''クラトウスキイの公理系'''{{Anchors|クラトウスキイの公理系}}<ref name="内田71">[[位相空間#内田|#内田]] p.71.</ref><ref name="Kelly43">[[位相空間#Kelly]] p.43.</ref>}}
====内核作用素・閉包作用素による位相の特徴づけ====
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とするとき、
* 写像<math>A\subset X \mapsto A^{\circ}</math>を'''内核作用素'''という<ref name="内田68" />。
* 写像<math>A\subset X \mapsto \bar{A}</math>を'''閉包作用素'''という<ref name="内田68" />。
本項ではこれまで、開集合系を使って位相空間を定義し、これをベースに内核作用素を定義したが、逆に上述の性質を満たす内核作用素の概念を使って位相空間を定義し、これを使って開集合と定義する事も可能である。すなわち以下が成立する:
{{math theorem|定理|
{{mvar|X}}を集合とし、{{mvar|X}}の冪集合からそれ自身への写像
:<math>\mathrm{Int}~:~\mathfrak{P}(X)\to\mathfrak{P}(X)</math>
で、<math>A^{\circ}:=\mathrm{Int}(A)</math>が「[[位相空間#内核作用素の性質|定理(内核作用素の性質)]]」で述べた4性質を満たすものとする。
このとき{{mvar|X}}上の位相構造<math>\mathcal{O}</math>で位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の内核作用素が<math>\mathrm{Int}</math>に一致するものがただ一つ存在する
<math>\mathcal{O}</math>の開集合系<math>\mathcal{O}</math>は具体的には以下のように書ける:
: <math>\mathcal{O}=\{O\subset X \mid O = \mathrm{Int}(O) \}</math>
|note=内核作用素による位相の特徴づけ<ref name="内田68" />}}
<math>\bar{A}=((A^c)^{\circ})^c</math>である事を用いて、以上の結果を閉包作用素の結果に翻訳できる:
{{math theorem|定理|
{{mvar|X}}を集合とし、{{mvar|X}}の冪集合からそれ自身への写像
:<math>\mathrm{Cl}~:~\mathfrak{P}(X)\to\mathfrak{P}(X)</math>
で、<math>\bar{A}:=\mathrm{Cl}(A)</math>が[[位相空間#クラトウスキイの公理系|クラトウスキイの公理系]]を満たすものとする。
このとき{{mvar|X}}上の位相構造<math>\mathcal{O}</math>で位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の閉包作用素が<math>\bar{A}=\mathrm{Cl}(A)</math>に一致するものがただ一つ存在する<ref name="内田71" /><ref name="Kelly43" />。
<math>\mathcal{O}</math>の閉集合系<math>\mathcal{F}</math>は具体的には以下のように書ける:
: <math>\mathcal{F}=\{F\subset X \mid F = \bar{F} \}</math>
|note=閉包作用素による位相の特徴づけ}}
===その他の関連概念===
====集積点、導集合====
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、{{mvar|A}}を{{mvar|X}}の部分集合とする。このとき、
* {{math|''x''∈''X''}}が<math>A\setminus\{x\}</math>の触点であるとき、{{mvar|x}}を{{mvar|A}}の'''集積点'''という<ref name="内田68" />。
* {{mvar|A}}の集積点全体の集合を'''導集合'''といい、{{mvar|A{{sup|d}}}}と表す<ref name="内田68" />。
* <math>A\setminus A^d</math>の元を{{mvar|A}}の'''孤立点'''という<ref name="内田68" />。
|note=集積点、導集合、孤立点}}
定義より明らかに次が成立する。
{{math theorem|命題|
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の集積点 ⇔ {{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たす任意の開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}に対し、{{mvar|O}}は{{mvar|x}}以外に{{mvar|A}}の元を含む。
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の孤立点 ⇔ {{math|''x'' ∈ ''A''}}であり、しかも{{math|''x'' ∈ ''O''}}を満たすある開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}があって、{{mvar|O}}は{{mvar|x}}以外に{{mvar|A}}の元を含まない。
|}}
====稠密====
{{math theorem|定義|
{{mvar|A}}が位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の'''[[稠密集合|稠密な部分集合]]'''であるとは、''A'' の閉包が ''X'' に一致することである。
|note=稠密}}
これは言い換えると''X'' の任意の点の任意の近傍が、''A'' と交わることを意味する。
可算な稠密部分集合をもつ位相空間は[[可分位相空間|可分]]であるといい、例えば<math>\mathbb{R}</math>においては<math>\mathbb{Q}</math>が可算な稠密部分集合なので、<math>\mathbb{R}</math>は可分である。
== 近傍 ==
本節では近傍の定義を述べ、その基本的な性質を述べる。後述するように近傍は位相空間における収束の概念を定義するのに用いられるが、それ以外にもある点{{mvar|x}}の周りの局所的な性質を記述する際に広く使われている。
=== 定義 ===
近傍の定義は以下のとおりである:
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、{{mvar|x}}を{{mvar|X}}の点とする。このとき、
:{{math|''x'' ∈ ''O'' }}
を満たす開集合を{{mvar|x}}の'''開近傍'''(かいきんぼう, {{lang-en-short|open neighborhood}})という。
また{{mvar|X}} の部分集合{{mvar|N}}が以下を満たすとき、{{mvar|N}}は{{mvar|x}}の '''[[近傍 (位相空間論)|近傍]]'''(きんぼう, {{lang-en-short|neighborhood}})であるという<ref name="内田73">[[位相空間#内田|#内田]] pp.73-74.</ref>
:ある開集合{{math|''O'' ⊂ ''X''}}が存在し、{{math|''x'' ∈ ''O'' ⊂ ''N''}}
点{{mvar|x}}の近傍全体の集合を{{mvar|x}}の'''近傍系'''といい<ref name="内田73" />、{{mvar|x}}の開近傍全体の集合を{{mvar|x}}の'''開近傍系'''という。
|note=近傍系、開近傍系}}近傍系のことを近傍[[フィルター (数学)|フィルター]]([[英語|英]]: neighborhood filter)ともいう。
=== 基本近傍系 ===
点{{mvar|x}}の近傍{{mvar|N}}は{{math|''x'' ∈ ''O'' ⊂ ''N''}}を満たし、距離空間における開集合{{mvar|O}}は<math>B_{\varepsilon}(x)\subset O</math>を満たす。したがって以下のように'''基本近傍系'''の概念を定義すると、距離空間においては<math>\{B_{\varepsilon}(x)\mid \varepsilon>0\}</math>が基本近傍系になっている事がわかる。また一般の位相空間でも開近傍全体の集合が基本近傍系になる事がわかる。
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、{{mvar|x}}を{{mvar|X}}の点とし、<math>\mathcal{N}_x</math>を{{mvar|x}}の近傍系とする。<math>\mathcal{N}_x</math>の部分集合<math>\mathcal{B}_x</math>が以下を満たすとき、<math>\mathcal{B}_x</math>を{{mvar|x}}における'''基本近傍系'''という<ref name="内田79" />:
:任意の近傍<math>N\in\mathcal{N}_x</math>に対し、ある<math>B\in\mathcal{B}_x</math>が存在し、{{math|''x'' ∈ ''B'' ⊂ ''N''}}
|note=基本近傍系}}
近傍概念は収束など{{mvar|x}}の局所的な振る舞いを記述する際に用いられるので、多くの場合全ての近傍を考える代わりに、基本近傍系のみを考えれば十分である。例えば次が成立する:
{{math theorem|命題|
<math>\mathcal{B}_x</math>を位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の点{{mvar|x}}における基本近傍系とする。このとき、
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の内点 ⇔ <math>\exists N\in\mathcal{B}_x~:~N\subset A</math>
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の外点 ⇔ <math>\exists N\in\mathcal{B}_x~:~N\subset A^c</math>
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の境界点 ⇔ <math>\forall N\in\mathcal{B}_x~:~A\cup N \neq \emptyset</math> かつ <math>A^c\cup N \neq \emptyset</math>
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の触点 ⇔ <math>\forall N\in\mathcal{B}_x~:~A\cap N\neq \emptyset</math>
* {{math|''x'' ∈ ''X''}}が{{mvar|A}}の集積点 ⇔ <math>\forall N\in\mathcal{B}_x~:~</math>{{mvar|N}}は{{mvar|x}}以外に{{mvar|A}}の元を含む。
|}}
距離空間においては点{{mvar|x}}の{{mvar|ε}}-近傍全体が基本近傍系をなすので、上記の定理より、距離空間においては内点、外点といった概念は{{mvar|ε}}-近傍を用いて定義可能である。教科書によっては、この{{mvar|ε}}-近傍を用いた定義を距離空間における内点、外点等の定義として採用しているものもある。
=== 近傍系の性質 ===
近傍系は以下の性質を満たす:
{{math theorem|定義|
点{{mvar|x}}の近傍系を<math>\mathcal{N}_x</math>で表すとき、{{mvar|X}}の任意の部分集合{{mvar|N}}、{{mvar|N'}}、{{mvar|M}}に対して以下が成立する。
* <math>N,N'\in\mathcal{N}_x\Rightarrow N\cap N' \in \mathcal{N}_x</math>
* <math>N\in\mathcal{N}_x,~M\supset N\Rightarrow M \in \mathcal{N}_x</math>
* <math>N\in\mathcal{N}_x</math>であれば、ある<math>L\in\mathcal{N}_x</math>が存在し全ての<math>y\in L</math>に対して<math>N\in\mathcal{N}_y</math>
|note='''ハウスドルフの公理系'''<ref name="内田73" />}}
ハウスドルフの公理系を満たす近傍系は位相を特徴づける:
{{math theorem|定理|
{{mvar|X}}を集合とし、{{mvar|X}}の元に{{mvar|X}}の冪集合の冪集合の元を対応させる写像
:<math>\mathcal{N} \colon X \to \mathfrak{P}(\mathfrak{P}(X)),~x\mapsto \mathcal{N}_x</math>
がハウスドルフの公理系を満たしたとする。このとき{{mvar|X}}上の位相構造<math>\mathcal{O}</math>で位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の各点{{mvar|x}}の近傍が<math>\mathcal{N}_x</math>に一致するものがただ一つ存在する<ref name="内田73" />。
<math>\mathcal{O}</math>は具体的には以下のように書ける:
: <math>\mathcal{O}=\{O\subset X \mid \forall x\in O ~:~ O\in \mathcal{N}_x \}</math>
|note=近傍系による位相の特徴づけ}}
==収束==
本節の目標は、位相空間上での収束概念を定義し、収束概念によってこれまで述べてきた様々な概念を捉え直す事にある。
位相空間における収束概念は、距離空間における点列の収束概念を適切に修正する事により得られる:
{{math theorem|定義|
<math>(X,d)</math>を距離空間とする。{{mvar|X}}の点列<math>(x_n)_{n\in\mathbb{N}}</math>が{{mvar|X}}の点{{mvar|x}}に'''収束する'''とは以下が成立する事を言う:
: <math>\forall \varepsilon>0 \exists n_0\in\mathbb{N} \forall n>n_0 ~:~x_n\in B_{\varepsilon}(x)</math>
ここで、<math>B_{\varepsilon}(x)=\{y\in X |d(y,x)<\varepsilon\}</math>である。
|note=距離空間における点列の収束}}
位相空間における収束を定義するにあたり、上述の距離空間における収束の定義に2つの変更を行う:
# {{mvar|ε}}-近傍<math>B_{\varepsilon}(x)</math>の代わりに一般の近傍を用いる。
# 点列の概念を一般化した'''有向点族'''の概念を導入し、有向点族の収束を定義する。
1番目の変更を行うのは、位相空間には距離の概念がないので、そもそも{{mvar|ε}}-近傍を定義できないからである。一方2番目の変更を行うのは、点列の収束概念だけでは位相空間の諸概念を定式化するのに不十分だからである。たとえば距離空間の場合には連続性の概念は
: <math>
\lim_{n\to \infty}f(x_n)=f(\lim_{n\to \infty}x_n)
</math>
が収束する任意の点列に対して成り立つ事により定式化できるが、一般の位相空間の場合は「任意の点列」ではなく「任意の有向点族」に対してこれと類似の性質が成り立つ事により連続性を定義する必要がある。
なぜなら点列の場合は添字集合が可算なので、点列の概念で連続性を捉え切るには位相空間の方にも何らかの可算性を要求する必要があり([[列型空間]]を参照)、一般の位相空間の連続性の概念を適切に定義するには点列の概念では不足だからである。
なお、位相空間上では'''[[フィルター (数学)|フィルター]]の収束'''という、もう一つの収束概念を定式化できる事が知られているものの、収束する有向点族と収束するフィルターとにはある種の対応関係がある事が知られている。詳細は[[有向点族#フィルターとの関係]]を参照。
=== 有向点族 ===
{{main|有向点族}}
すでに述べたように位相空間では点列の概念を一般化した有向点族の概念を定義した上でその収束を定義する。本節では有向点族の定義を与える。その為にまず[[有向集合]]の概念を定義する
{{math theorem|定義|
空でない[[集合]]{{mvar|Λ}}と{{mvar|Λ}}上の[[二項関係]]「≤ 」の組 {{math|(Λ, ≤)}}が'''有向集合'''(ゆうこうしゅうごう、{{lang-en-short|directed set}})であるとは、「≤ 」が以下の性質を全て満たす事を言う<ref name="Kelly65">[[#Kelly]] pp.65-66.</ref>:
*([[反射関係|反射律]]){{math|∀λ∈Λ : λ ≤λ}}
*([[推移関係|推移律]]){{math|∀λ,μ,ν∈Λ : λ ≤ μ, μ ≤ν ⇒ λ ≤ ν}}
* {{mvar|Λ}}の任意の二元が[[順序集合#上界|上界]]を持つ。すなわち{{math|∀λ,μ∈Λ∃ν∈Λ : λ ≤ ν, μ ≤ν}}
|note=有向集合}}
なお、有向集合の二項関係「≤ 」は、反射律と推移律を満たすのものの反対称律は満たす必要がないので、前順序ではあるものの[[順序集合|順序]]の定義は満たしていない。
{{math theorem|定義|集合{{mvar|X}}上の'''有向点族'''とは、{{mvar|X}}上の族{{math|(''x''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ''∈''Λ''}}}}で添字集合{{mvar|Λ}}が有向集合であるものを指す<ref name="Kelly65" /><ref group="注">より厳密に言うと、有向集合{{math|(''Λ'',≤)}}と、{{mvar|Λ}}から{{mvar|X}}への写像{{math|''x'' : ''Λ''→''X''}}の組の事を{{mvar|Λ}}を添字集合とする有向点族と呼ぶ</ref>。有向点族は'''ネット''' ({{lang-en-short|net}})、 '''Moore-Smith 列'''({{lang-en-short|Moore-Smith sequence}}<ref name="Schechter7.6">[[位相空間#Schechter|#Schechter]] 7.6</ref>)、'''generalized sequence'''<ref name="Schechter7.6" />などとも呼ばれる。 |note=有向点族}}
具体的には{{Mvar|X}}に値を取る点列<math>(x_n)_{n\in\mathbb{N}}</math>や、実数を定義域に持つ{{Mvar|X}}値関数{{Mvar|f}}から定義される族<math>(f(x))_{x\in\mathbb{R}}</math>が<math>\mathbb{N}</math>や<math>\mathbb{R}</math>上に自然な順序を入れた場合に有向点族になるので、これらの収束概念は有向点族の収束概念により定式化できる。
しかしより重要なのは、以下に述べる'''開近傍系を添字集合に取る有向点族'''である
{{math theorem|命題|
{{mvar|a}}を位相空間{{mvar|X}}の点とし、<math>\mathcal{V}_a</math>を{{mvar|a}}の開近傍系とする。このとき<math>\mathcal{V}_a</math>上の二項関係
:<math>U\le V ~:\!\iff V \supset U~~~~\text{for } U,V\in\mathcal{V}_a</math>
を入れると、<math>(\mathcal{V}_a,\le)</math>は有向集合である。よって<math>\mathcal{V}_a</math>を添え字に取る{{mvar|X}}上の任意の族<math>(x_U)_{U\in\mathcal{V}_a} </math>はこの二項関係に関して有向点族である。
|note=開近傍系を添字集合に取る有向点族}}
上の例で特に
: <math>x_U\in U</math>
を満たす有向点族<math>(x_U)_{U\in\mathcal{V}_a} </math>を考えれば、{{mvar|U}}が小さくなればなるほど<math>x_U\in U</math>が{{mvar|a}}に「近づく」ので、この有向点族が収束概念を考える際に重要な役割を果たす事が了解されるであろう。
また開近傍系は開集合の集まりなので、この有向点族<math>(x_U)_{U\in\mathcal{V}_a} </math>は、これまで開集合の概念を通して定義してきた位相空間の概念と有向点族の収束性の概念との、いわば架け橋として機能し、開集合の概念から収束を定式化したり、逆に収束の概念から開集合を逆に定式化したりする際に役に立つ。
なお上では開近傍系を添字集合とする有向点族について記したが、(開とは限らない)近傍系を添字集合とする有向点族も同様に定義できる。
==== 部分有向点族 ====
先に進む前に部分有向点族の概念を定義する。この概念は収束概念を定義する上では使わないが、収束概念を使って位相空間上の他の概念を定式化する際に用いる。
{{math theorem|定義|
{{mvar|X}}を集合とし、{{mvar|X}}上の有向点族<math>(y_{\gamma})_{\gamma\in\Gamma}</math>、<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>に対し、以下の性質を満たす{{math|''h'' : ''Γ''→''Λ''}}が存在するとき、<math>(y_{\gamma})_{\gamma\in\Gamma}</math>は<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>の'''部分有向点族'''という<ref>[[#Kelly]] p.70.</ref>:
# <math>\forall \gamma\in \Gamma~:~y_{\gamma}=x_{h(\gamma)}</math><!--{{math|}}テンプレートでも書いてみたがさすがにフォントが汚く見づらかったので、latexを使った-->
# <math>\forall \lambda\in\Lambda \exists \gamma_0\in\Gamma \forall \gamma\in\Gamma~:~\gamma\ge \gamma_0 \Rightarrow h(\gamma) \ge \lambda</math>
(2を'''強共終性'''({{lang-en-short|strong cofinality}}<ref name="nLab" />)という)
|note=部分有向点族}}
上の定義で{{mvar|h}}が[[単射]]である事を要求して'''ない'''事に注意されたい。これはもし''h'' に単射性を要求すると病的な例([[:en:Tychonoff plank|Tychonoff plank]])のせいでいくつかの当然と思われる定理が成り立たなくなってしまうからである。
これが原因で、点列<math>(x_n)_{n\in\mathbb{N}}</math>を有向点族とみなした場合の部分有向点族は点列になっていない場合もあり得る。実際、<math>(x_{h(\gamma)})_{\gamma\in\Gamma}</math>を<math>(x_n)_{n\in\mathbb{N}}</math>の部分有向点族とすると、''h'' が単射でない事から同じ{{math|''x'' {{sub|''n''}}}}が部分有向点族に複数回(場合によっては非可算無限回)登場するかもしれないし、Γも全順序ではないかもしれない。
なお本項に載せた部分有向点族の定義は[[位相空間#Kelly|(Kelly 1975)]]による。書籍によってはこれとは異なる定義を採用している場合もあるが<ref name="nLab">{{Cite web|url=https://ncatlab.org/nlab/show/net|title=net|accessdate=2021/02/08|publisher=nLab}}</ref><ref name="Schechter7.14">[[位相空間#Schechter|#Schechter]] 7.14</ref>、こうした別定義とも何らかの意味で同値である事が示されている<ref name="nLab" /><ref name="Schechter7.14" />。
=== 収束の定義 ===
{{Main|極限#位相空間}}
以上の準備のもと、有向点族の収束の概念を定義する。
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とする。{{mvar|X}}上の有向点族<math>x=(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{math|''a''∈''X''}}に'''収束'''するとは、
: {{math|∀''U''}} ({{mvar|a}} の近傍) <math>\exists \lambda_0\in\Lambda \forall \lambda>\lambda_0~~:~~x_\lambda\in U</math>
が成立する事をいう<ref name="Kelly65" />。<math>x=(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>の収束先{{mvar|a}}が一意であれば、
:<math>\lim_{\lambda\to\infty}x_{\lambda}=a</math>、<math>\lim_{\Lambda}x=a</math>
等と表す。
|note=有向点族の収束}}
<math>\mathcal{B}_x</math>を{{mvar|x}}の基本近傍系とするとき、以上の定義における「{{mvar|x}}の任意の近傍{{mvar|U}}」を「<math>\mathcal{B}_x</math>の任意の元{{mvar|U}}」に変えたとしても定義としては同値になる。
よって特に、距離空間から定義される位相空間の場合は、「{{mvar|x}}の任意の{{mvar|ε}}ー近傍」としてもよい。従って点列の収束に関しては位相空間におけら収束と本章の冒頭にあげた距離空間における収束の定義は一致する。
===収束の一意性===
一般の位相空間において有向点族の収束の一意性は必ずしも成立しないものの、収束の一意性が保証される必要十分条件は下記のように記述できる事が知られている:
[[Image:Hausdorff_space.svg|thumb|right|相異なる2点を分離するそれぞれの開近傍]]
{{math theorem|定理・定義|
位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>において、下記の2つの性質は同値である。これらの性質の1つ(したがって両方を満たす事)を'''ハウスドルフ性'''もしくは'''ハウスドルフの分離公理'''といい、ハウスドルフ性が成り立つ位相空間を'''ハウスドルフ空間'''もしくは'''T<sub>2</sub>-空間'''という<ref>[[#Kelly]] p.67.</ref>。
* {{mvar|X}}上の任意の有向点族<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>に対し、 <math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が収束すればその収束先は一意である。
* {{mvar|X}}上の任意の2点{{mvar|x}}、{{mvar|y}}に対し、{{mvar|x}}の開近傍{{mvar|U}}と、{{mvar|y}}の開近傍{{mvar|V}}が存在し{{math|''U''∩''V'''{{=}}∅}}
|note=[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ性]]}}
なお、ハウスドルフ性は数ある「分離公理」の一つであり、「T<sub>2</sub>-空間」という名称も「T<sub>1</sub>-空間」や「T<sub>3</sub>-空間」といった他の分離公理と区別するための名称である。詳細は[[位相空間#分離公理|本項の分離公理の説明]]や[[分離公理]]の項目を参照されたい。
===収束による諸概念の再定式化===
有向点族の収束概念を用いると、閉包の概念を収束によって捉え直す事ができるようになる:
{{math theorem|定理|
{{mvar|A}}を位相空間{{mvar|X}}の任意の部分集合とき、以下が成立する:
* {{mvar|A}}は閉集合である⇔{{mvar|A}}上の有向点族{{math|(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>}}で{{math|''a''∈''X''}}に収束するものがあれば、{{math|''a''∈''A''}}である<ref name="Kelly66" />。
* 点{{mvar|a}}が{{mvar|A}}の閉包に含まれる⇔{{mvar|A}}上のある有向点族{{math|(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>}}が存在し、{{math|(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>}}は{{mvar|a}}に収束する<ref name="Kelly66">[[位相空間#Kelly|Kelly]] p66</ref>。
* 点{{mvar|a}}が{{mvar|A}}の集積点である⇔<math>A\setminus \{a\}</math>上のある有向点族{{math|(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>}}が存在し、{{math|(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>}}は{{mvar|a}}に収束する<ref name="Kelly66" />。
|note=有向点族による特徴づけ}}
上の定理の閉集合に関する部分は以下のように非常に簡単に示せる。他のものの証明も同様である:
{{math proof|
(⇒)<math>a\in \bar{A}</math>である事は以下と同値である:
: ''a'' の任意の近傍''U'' に対し、<math>U\cap A\neq \emptyset</math> ...(1)
これは''U'' ∩ ''A'' に少なくとも一つ元が存在する事を意味するので、そのような元を''x'' <sub>U</sub> とすると <math>x_U\in U\cap A \subset A</math>である事から<math>(x_U)_{U\in \mathcal{V}_a}</math> は''A'' 上にある。しかも前節で述べたように <math>(x_U)_{U\in \mathcal{V}_a}</math>は有向点族でありしかも''a'' に収束する。
(<math>\Leftarrow</math>)逆に''a'' に収束する''A'' 上の有向点族(''x''<sub>λ</sub>)<sub>λ∈Λ</sub>があったとすれば、収束性の定義から''a'' の任意の近傍''U'' 内に有向点族の点''x''<sub>λ</sub>が存在する。しかも仮定から''x''<sub>λ</sub> ∈ ''A'' でもあったので、これは(1)が成立する事を意味し、したがって<math>a\in \bar{A}</math>である。
|drop=yes}}
距離空間では、点列の収束概念を用いて閉包や閉集合を同様にして特徴づけができる事が知られており、上記の2つの定理はこの特徴づけを一般の位相空間に拡張したものである。しかし一般の位相空間の場合、上記2定理で述べられているように、距離空間と違い「点列」ではなく「有向点族」で特徴づける必要がある。
なぜなら点列の添字が全順序な可算集合であるという制約が原因で、一般の位相空間の性質を記述するには不足であり、点列の概念で閉集合や開集合を特徴づけるには位相空間の方にも可算性に関する条件を満たす必要があるからである。詳細は[[列型空間]]を参照されたい。
===二重極限の定理===
次に有向点族の二重極限に関する定理を紹介する。後述するように、この定理は有向点族の極限で位相を特徴づける際に役立つ。定理を記述するため、まず有向集合の直積に有向集合構造が入る事を見る:
{{math theorem|命題・定義|
{{math|(''Γ''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ''∈''Γ''}}}}を有向集合の族とするとき、{{math|(''Γ''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ''∈''Γ''}}}}の集合としての直積
<math>\underset{\lambda\in\Lambda}{\times}\Gamma_{\lambda}</math>に
: <math>(\gamma_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}\ge(\xi_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}~:\iff \forall \lambda\in\Lambda~:~ \gamma_{\lambda}\ge \xi_{\lambda}</math>
という順序を入れると、<math>\underset{\lambda\in\Lambda}{\times}\Gamma_{\lambda}</math>は有向集合になる。この順序をいれた<math>\underset{\lambda\in\Lambda}{\times}\Gamma_{\lambda}</math>を
{{math|(''Γ''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ''∈''Γ''}}}}の有向集合としての'''直積'''という。
|note=有向集合の直積}}
{{math theorem|定理|
{{mvar|Λ}}を有向集合とし、各{{math|''λ''∈''Λ''}}に対し、{{mvar|Γ{{sub|λ}}}}を有向集合とし、<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とする。
各{{math|''λ''∈''Λ''}}に対し、有向集合{{mvar|Γ{{sub|λ}}}}を添え字とする{{mvar|X}}上の有向点族<math>x_{\lambda}=(x_{\lambda,\gamma})_{\gamma\in\Gamma_{\lambda}}</math>が、{{mvar|y{{sub|λ}}}}に収束するとし、さらに有向点族<math>(y_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|z}}に収束するものとする。
{{math|(''Γ''{{sub|''λ''}}){{sub|''λ''∈''Λ''}}}}の直積を<math>\Gamma=\underset{\lambda\in\Lambda}{\times}\Gamma_{\lambda}</math>とし、有向点族<math>(w_{\lambda,\xi})_{(\lambda,\xi)\in\Lambda\times\Gamma}=(x_{\lambda,\xi_{\lambda}})_{(\lambda,\xi)\in\Lambda\times\Gamma}</math>を考える(ただし<math>\xi=(\xi_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}\in\Gamma=\underset{\lambda\in\Lambda}{\times}\Gamma_{\lambda}</math>と定める)。
このとき<math>(w_{\lambda,\xi})_{(\lambda,\xi)\in\Lambda\times\Gamma}</math>は{{mvar|z}}に収束する<ref name="Kely69" /><ref name="Schechter413">[[位相空間#Schechter|#Schechter]] 15.10.節 pp.413-414.</ref>。
|note=二重極限の定理({{lang-en-short|Theorem on Iterated limit}}<ref name="Kely69">[[位相空間#Kelly|#Kelly]] p.69.</ref>){{Anchors|二重極限の定理}}}}
===極限による位相の特徴づけ===
最後に有向点族による極限概念によって位相が特徴づけられる事を見る:
{{math theorem|定理|
{{mvar|X}}を集合とし、<math>\mathcal{C}</math>を{{mvar|X}}上の有向点族と{{mvar|X}}の点の組からなる[[クラス (集合論)|クラス]]とする。
<math>((x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda},y)\in\mathcal{C}</math>であるとき<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束するという事にするとき、以下が成立するとする:
* {{math|''x''{{sub|''λ''}}}}が恒等的に{{mvar|y}}に等しければ、<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>は{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束する
* <math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束するとき、<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>の任意の部分有向点族も{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束する
* <math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束しないとき、<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>の部分有向点族<math>(x_{\lambda_{\gamma}})_{\gamma\in\Gamma}</math>で<math>(x_{\lambda_{\gamma}})_{\gamma\in\Gamma}</math>のいかなる部分有向点族も{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束しないものが存在する。
* [[位相空間#二重極限の定理|二重極限の定理]]で「収束」を「<math>\mathcal{C}</math>-収束」に置き換えたものを満たす。
このとき{{mvar|X}}上の位相構造<math>\mathcal{O}</math>で<math>(X,\mathcal{O})</math>における有向点族の収束が<math>\mathcal{C}</math>-収束に一致するものが唯一存在する。<math>\mathcal{O}</math>における閉包作用素は具体的には以下のように書ける:
:<math>\bar{A}=\Bigg\{y\in X ~\Bigg|~ \exists (x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}\subset A~:~(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>は{{mvar|y}}に<math>\mathcal{C}</math>-収束する<math>\Bigg\}</math>
|note=極限による位相の特徴づけ<ref>[[位相空間#Kelly|#Kelly]] pp.73-75.</ref><ref name="Schechter413" />}}
== 連続性と位相同型 ==
本節では位相空間<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>から別の位相空間<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>に向かって定義された関数{{math|''f'': ''X'' → ''Y''}}の連続性の概念を定義する。後述するように位相空間における連続性の概念は、距離空間における連続性の定義で「点列」を「有向点族」に置き換える事で定義可能であるが、近傍や開集合といった、位相空間の概念を使った別定義も可能であり、両者の定義は同値となる。
なお、紛れがなければ、{{mvar|f}}が2つの位相空間の間の写像である事を強調して、「{{math|''f'': ''X'' → ''Y''}}」ではなく
: <math>f~:~(X,\mathcal{O}_X)\to(Y,\mathcal{O}_Y)</math>
という表記を用いる事もある。
===一点での連続性===
位相空間{{mvar|X}}上で定義された関数{{mvar|f}}の点{{math|''x''∈''X''}}における連続性を以下のように定義する。
{{math theorem|定義・定理|
<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>、<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>を位相空間とし、{{math|''f'': ''X'' → ''Y''}}を写像とし、{{mvar|x}}を{{mvar|X}}の点とする。このとき以下の2条件は同値であり、この2条件の一方(したがって両方)を満たすとき、{{mvar|f}}は{{math|''x''∈''X''}}で'''連続'''({{lang-en-short|continuous}})であるという。以下で<math>\mathcal{N}_x</math>は{{mvar|x}}の(開とは限らない)近傍全体を表す:
* {{mvar|x}}に収束する任意の有向点族<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>に対し、<math>(f(x_{\lambda}))_{\lambda\in\Lambda}</math>は<math>f(x)</math>に収束する。
* {{math|''f''(''x'')}}の近傍の{{mvar|f}}による逆像は{{mvar|x}}の近傍である。すなわち、<br> <math>\forall N\in \mathcal{N}_{f(x)}~:~ f^{-1}(N)\in \mathcal{N}_x</math>
|note=一点における連続性}}
我々は{{mvar|X}}にハウスドルフ性を仮定していないので、以上の定理で有向点族の収束の一意性が保証されていない事に注意されたい。
{{math proof|
(⇒)背理法で示す。<math>N\in \mathcal{N}_{f(x)}</math>で<math>f^{-1}(N)\notin \mathcal{N}_x</math>となるものがあったとすると、近傍の定義より{{mvar|x}}を含む任意の開集合{{mvar|U}}に対し、<math>U\setminus f^{-1}(N)</math>の点{{math|''x''{{sub|''U''}}}}が存在する。{{mvar|x}}の開近傍系を<math>\mathcal{V}_x</math>とすると、収束の定義より有向点族<math>(x_U)_{U\in \mathcal{V}_x}</math>は{{mvar|x}}に収束する。よって仮定より<math>(f(x_U))_{U\in \mathcal{V}_x}</math>は{{math|''f''(''x'')}}に収束する。
{{mvar|N}}は{{math|''f''(''x'')}}の近傍であったので、ある{{math|''f''(''x'')}}の開近傍{{mvar|V}}が存在し、{{math|''V''⊂''N''}}である。<math>(f(x_U))_{U\in \mathcal{V}_x}</math>は{{math|''f''(''x'')}}に収束するので、{{math|''x''{{sub|''U''}}⊂''V''}}を満たす{{math|''x''{{sub|''U''}}}}が存在する。
しかし{{math|''x''{{sub|''U''}}}}の取り方より<math>x_U\notin f^{-1}(N)</math>であったので、<math>f(x_U)\notin N</math>であり、よって特に<math>f(x_U)\notin V</math>であるのでこれは矛盾である。
(<math>\Leftarrow</math>)有向点族<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|x}}に収束するとする。
<math>N\in\mathcal{N}_{f(x)}</math>を任意に取ると、仮定より{{math|''f''{{sup|-1}}(''N'')}}は{{mvar|x}}の近傍であるので、有向点族<math>(x_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{mvar|x}}に収束するから、ある{{math|''λ''{{sub|0}}∈''Λ''}}が存在し、<math>\lambda\ge \lambda_0</math>を満たす任意の{{math|''λ''∈''Λ''}}に対し、{{math|''x''{{sub|λ}}∈''f''{{sup|-1}}(''N'')}}であり、よって{{math|''f''(''x''{{sub|λ}})∈''N''}}である。これは有向点族<math>(f(x_{\lambda}))_{\lambda\in\Lambda}</math>が{{math|''f''(''x'')}}に収束する事を意味する。
|drop=yes}}
===全点での連続性===
{{main|連続写像}}
関数<math>f~:~(X,\mathcal{O}_X)\to(Y,\mathcal{O}_Y)</math>が定義域上の任意の点{{math|''x''∈''X''}}で連続であるとき、{{mvar|f}}は'''定義域の全点で連続'''、あるいは単に'''連続'''であるという。{{mvar|f}}の連続性は以下のようにも特徴づける事ができる。
{{math theorem|定理|
<math>f~:~(X,\mathcal{O}_X)\to(Y,\mathcal{O}_Y)</math>を位相空間から位相空間への関数とするとき、以下は同値である。
* {{mvar|f}}は連続である。
* 開集合の逆像は開集合である。すなわち<math>\forall O\in\mathcal{O}_Y~:~f^{-1}(O)\in \mathcal{O}_X</math>である<ref name="Kelly86">[[位相空間#Kelly|Kelly]] p86</ref>。
* 閉集合の逆像は閉集合である。すなわち<math>\forall F\in\mathcal{F}_Y~:~f^{-1}(F)\in \mathcal{F}_X</math>である<ref name="Kelly86" />。
* 任意の{{math|''A''⊂''X''}}に対し<math>f(\bar{A})\subset \overline{f(A)}</math><ref name="Kelly86" />。
|note=連続性の特徴づけ}}
===一様連続と一様収束===
これまで説明してきたように、連続性と収束性は、位相空間で定義可能な代表的な性質である。しかしこれらを強めた概念である'''[[一様連続|一様連続性]]'''と'''[[一様収束|一様収束性]]'''は、位相のみをベースにして定義する事はできない。
これらの概念は、距離空間と位相空間の中間の強さを持つ概念である'''[[一様空間]]'''で定義可能である。
=== 位相同型 ===
{{main|同相}}
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>、<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>を位相空間とし、''f'' : ''X'' → ''Y'' を写像とするとき、''f'' が'''同相写像'''であるとは、''f'' が[[全単射]]で、しかも''f'' と ''f''<sup>−1</sup> が両方とも連続であることをいう。
また、''X''、''Y'' 間に同相写像が存在するとき、<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>、<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math>は'''[[位相同型]]'''もしくは'''同相'''であるという。
|note=位相同型}}
位相同型性は、位相空間の[[クラス (集合論)|クラス]]における同値関係であることを簡単に確認できる。
[[位相空間論]]や、その応用分野である[[位相幾何学]]では、「位相同型で不変」('''位相不変性''')な性質('''位相的性質''')を探ったり、そうした性質により、空間を分類する。
===位相不変量===
位相不変な性質の中には'''位相[[不変量]]'''と呼ばれる、位相空間の性質によって決まる「量」がある。
χが「位相不変量」であるとは、以下の性質を満たすことを言う
:''X'' と ''Y'' が位相同型⇒χ(''X'' )=χ(''Y'' )
これの対偶をとると、
: χ(''X'' )≠χ(''Y'' )⇒ ''X'' と ''Y'' が位相同型で'''ない'''
したがって位相不変量に着目することで、二つの空間を位相的に分類することができる。
簡単な位相不変量として、位相空間の「[[連結空間|連結成分数]]」がある。本項では、連結成分数の厳密な定義は割愛するが、直観的にはその名の通り、「繋がっている部分の数」である。以下の''X'' では連結成分数が1なのに対し、''Y'' では連結成分数が2である。従って''X'' と ''Y'' は位相同型ではない。
: ''X'' = <nowiki>[</nowiki>0,1<nowiki>]</nowiki>
: ''Y'' = <nowiki>[</nowiki>0,1<nowiki>]</nowiki>∪<nowiki>[</nowiki>2,3<nowiki>]</nowiki>
: (ただし、ここで<nowiki>[</nowiki><math>a</math>,<math>b</math>]とは実数の[[ユークリッド距離]]による位相の、部分位相をもつ閉区間である)
位相不変量は、位相空間論の応用分野である[[位相幾何学]]で主要な役割を果たし、特に[[ホモロジー群]]や[[ホモトピー群]]のような代数的な不変量は[[代数的位相幾何学]]の研究対象である。
== 位相の比較、生成 ==
=== 位相同士の比較 ===
{{math theorem|定義|
集合''X'' 上で定義された2つの位相空間<math>(X,\mathcal{O}_1)</math>、<math>(X,\mathcal{O}_2)</math>を考える。
: <math>\mathcal{O}_1\subset\mathcal{O}_2</math>
が満たされるとき、<math>\mathcal{O}_1</math>は<math>\mathcal{O}_2</math>よりも'''弱い'''({{lang-en-short|weak}})といい、
<math>\mathcal{O}_2</math>は<math>\mathcal{O}_1</math>より'''強い'''({{lang-en-short|strong}})という。
これはすなわち、<math>(X,\mathcal{O}_1)</math>の開集合は必ず<math>(X,\mathcal{O}_2)</math>の開集合である事を意味する。
弱い/強いのかわりに'''粗い'''/'''細かい'''({{lang-en-short|coarse/fine}})、'''小さい'''/'''大きい'''({{lang-en-short|small/large}})という言葉を使うこともある。
|note=位相の比較}}
<math>\mathcal{O}_1</math>が<math>\mathcal{O}_2</math>よりも粗い必要十分条件は、恒等写像
:<math>\operatorname{id}~:~ (X,\mathcal{O}_2)\to(X,\mathcal{O}_1),\ \ x\mapsto x</math>
が連続な事である。したがって<math>\mathcal{O}_1</math>で収束する有向点族は<math>\mathcal{O}_2</math>でも収束するが、逆は必ずしも成立しない。
=== 位相の生成 ===
{{see also|開基 (位相空間論)}}
本節では{{Mvar|X}}のべき集合<math>\mathfrak{P}(X)</math>の任意の部分集合<math>\mathcal{S}</math>から作る方法を述べる。
{{math theorem|定義・定理|
{{Mvar|X}}を集合とし、<math>\mathcal{S}\subset\mathfrak{P}(X)</math>を任意の集合族とする。このとき、{{Mvar|X}}上の位相<math>\mathcal{O}</math>
: <math>\mathcal{S}\subset\mathcal{O}</math>
を満たすものの中で最も弱いもの<math>\mathcal{O}_{\mathcal{S}}</math>が存在する。この<math>\mathcal{O}_{\mathcal{S}}</math>を、<math>\mathcal{S}</math>を含む'''最弱の位相'''({{lang-en-short|weakest topology}})といい、<math>\mathcal{S}</math>は<math>\mathcal{O}_{\mathcal{S}}</math>を'''生成する'''({{lang-en-short|generate}})という<ref name="内田79">[[位相空間#内田|#内田]] pp.79-83.</ref>。
また位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>において、<math>\mathcal{S}\subset\mathfrak{P}(X)</math>が<math>\mathcal{O}</math>を生成するとき、<math>\mathcal{S}</math>を<math>\mathcal{O}</math>の'''準開基'''(じゅんかいき, {{lang-en-short|open subbase}})という。
|note=位相の生成、準開基}}
以上で我々は、準開基の抽象的な定義を与えたが、準開基の概念をより具体的な形で与えることもできる。そのための準備として、まず準開基の関連概念である開基について述べる。
{{math theorem|定義|
<math>(X,\mathcal{O})</math>を位相空間とし、<math>\mathcal{B}\subset\mathcal{O}</math>とする。
以下が満たされるとき、<math>\mathcal{B}</math>は<math>\mathcal{O}</math>の'''開基'''(かいき, {{lang-en-short|open base}}、{{lang|en|open basis}})であるという<ref name="内田79" />。
: 任意の開集合(≠<math>\emptyset</math>)は<math>\mathcal{B}</math>の元の(有限個または無限個の)和集合として書き表せる。すなわち<br><math>\forall O\in \mathcal{O}\exists \mathcal{T}\subset\mathcal{B}~:O=~\cup_{B\in\mathcal{T}}B</math>
|note=開基}}
開基の概念を用いると準開基を具体的に書き表す事ができ、<math>\mathcal{S}</math> が <math>(X,\mathcal{O})</math>の準開基である必要十分条件は、<math>\mathcal{S}</math> の元の有限個の共通部分の全体の集合
:<math>\mathcal{B}=\left\{\bigcap_{i=1}^n S_i\,\bigg|\,n\in\mathbb{N},\,S_i\in \mathcal{S}\right\}</math>
が、<math>\mathcal{O}</math>の開基をなすことである<ref name="内田79" />。
<math>\mathcal{O}</math>の開集合は開基の和集合で書き表せるので、以上の事から<math>\mathcal{O}</math>の開集合は準開基の有限積集合の(有限または無限)和集合として書き表せる。
開基の概念は、基本近傍系の概念と以下のような関係がある:
{{math theorem|命題|
位相空間<math>(X,\mathcal{O})</math>の各点{{mvar|x}}に対し、開集合からなる基本近傍系<math>\mathcal{N}_x</math>が定義されているとき、
: <math>\bigcup_{x\in X}\mathcal{N}_x</math>
は<math>\mathcal{O}</math>の開基である。また<math>\mathcal{B}</math>を<math>\mathcal{O}</math>の開基とすると、
:<math>\mathcal{N}_x=\{B \in \mathcal{B} \mid x\in B \}</math>
は{{mvar|x}}の基本近傍系である。
|note=開基と基本近傍系の関係}}
{{mvar|X}}が距離空間の場合は{{mvar|x}}の{{mvar|ε}}-近傍<math>B_{\varepsilon}(x)=\{y\in X\mid d(x,y)<\varepsilon\}</math>が{{mvar|x}}の基本近傍系をなしていたので、<math>\{B_{\varepsilon}(x)\mid x\in X, \varepsilon >0\}</math>は開基をなす。
最後に、開基の概念で位相空間を特徴づける方法を述べる:
{{math theorem|定理|
{{mvar|X}}を集合とする。このとき、<math>\mathcal{B}\subset\mathcal{P}(X)</math>が何らかの位相の開集合系の開基である必要十分条件は、以下の条件を満たすことである<ref name="内田79" />:
: <math>\forall B_1, B_2 \in \mathcal{B},\forall x\in B_1 \cap B_2\exists B\in \mathcal{B}~:~x\in B\subset B_1 \cap B_2</math>
|note=開基による位相の特徴づけ}}
=== 位相全体のなす順序 ===
弱い/強いを位相の間の順序関係とみなすと、{{mvar|X}}上の位相の集合
:<math>\{\mathcal{O}\mid(X,\mathcal{O})</math>は位相空間<math>\}</math>
は[[順序集合]]になる。
この順序集合は[[完備束]]であり、
:<math>\sup_{\lambda\in\Lambda}(\mathcal{O}_{\lambda})=(\bigcup_{\lambda\in\Lambda}\mathcal{O}_{\lambda}</math>が生成する位相)
:<math>\inf_{\lambda\in\Lambda}(\mathcal{O}_{\lambda})=\bigcap_{\lambda\in\Lambda}\mathcal{O}_{\lambda}</math>
である。最も弱い位相は密着位相、最も強い位相は離散位相である。
== 位相空間の導出{{Anchors|位相区間の導出}} ==
{{main|直和 (位相空間論)|直積空間|部分位相空間|商位相空間}}
すでにある位相空間を加工して、別の位相空間を作る方法を述べる。
位相空間を加工する上で基本となるのは、「逆像位相」と「像位相」の概念、おそびそれらの拡張概念である「始位相」と「終位相」である。
逆像位相と像位相、始位相と終位相は互いに双対の関係にあり、写像の向きを逆にすることでもう片方の概念を定式化できる。なお始位相と終位相はそれぞれ[[圏論]]における{{訳語疑問点範囲|{{仮リンク|リフト (圏論)|en|Lift (mathematics)|label=始リフト}}|initial lift|date=2021年5月|cand_prefix=原文}}、{{訳語疑問点範囲|{{仮リンク|リフト (圏論)|en|Lift (mathematics)|label=終リフト}}|final lift|date=2021年5月|cand_prefix=原文}}の例のになっている。
=== 始位相、逆像位相、部分位相、直積位相 ===
まず始位相の概念を以下のように定義する:
{{math theorem|定義|
{{mvar|X}}を集合とし、<math>\{(Y_{\lambda},\mathcal{O}_{\lambda})\}_{\lambda\in\Lambda}</math>を位相空間の族とし、写像
:<math>f_{\lambda}~:~X\to Y_{\lambda}</math>
の族<math>(f_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>を考える。
このとき、全ての<math>f_{\lambda}</math>を連続にする最弱の位相を{{mvar|X}}の<math>(f_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>'''{{仮リンク|始位相|en|initial topology}}'''という。
|note=始位相}}
始位相の特殊な場合として、以下のものが重要である。以下で{{Mvar|X}}は集合である。
{| class="wikitable"
|+
!名称
!定義
|-
|'''[[逆像位相]]'''
|位相空間<math>(Y,\mathcal{O})</math>と写像<math>f~:~X\to Y</math>が{{Mvar|X}}に定める始位相の事
|-
|[[相対位相|'''部分位相''']]
|位相空間<math>(Y,\mathcal{O})</math>の部分集合{{mvar|X}}に対し、[[包含写像]]<math>\iota~:~X \hookrightarrow Y,\ x\mapsto x</math>による逆像位相''の''事''。X'' に部分位相を入れたものを<math>(Y,\mathcal{O})</math>の'''[[部分位相空間|部分空間]]'''という。
|-
|[[積位相|'''直積位相''']]'''(チコノフ位相とも)'''
|<math>\{(X_{\lambda},\mathcal{O}_{\lambda})\}_{\lambda\in\Lambda}</math>を位相空間の族とするとき、[[射影]]<math>\pi_{\lambda}~:~Y=\prod_{\tau\in\Lambda}X_{\tau}\to X_{\lambda}</math>の族<math>\{\pi_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}</math>によって{{mvar|Y}}に定義される始位相の事。直積{{mvar|Y}}に直積位相を入れた位相空間を'''[[直積空間]]'''という。
|}
これらはより具体的に書き表す事が可能である:{{math theorem|定理|上の定義と同様に記号を定義するとき、
* 逆像位相の開集合系は<math>f^*(\mathcal{O}):=\{f^{-1}(O)\mid O\in\mathcal{O}\}</math>に一致する。
* 部分位相の開集合系は、<math>\{O\cap X\mid O\in \mathcal{O}\}</math>に一致する。
* 直積位相は<math>\Bigg\{\prod_{\lambda\in\Lambda}O_{\lambda}\ \Bigg|\ O_{\lambda}\in \mathcal{O}_{\lambda}</math>, 有限個のλを除いて<math>O_{\lambda}= X_{\lambda}\Bigg\}</math>を開基とする。
}}
上述の定理の直積位相の箇所に関して、Λが有限集合のときは、「有限個のλを除いて…」という条件がいらなくなるので簡単であるが、Λが無限集合のときは注意が必要である。例えば<math>\mathbb{R}_1,\mathbb{R}_2,\ldots</math>を<math>\mathbb{R}</math>の(可算)無限個のコピーとし、<math>U_1,U_2,\ldots</math>を<math>U=(0,1)</math>の無限個のコピーとするとき、直積
:<math>\prod_{i\in\mathbb{N}}U_i</math>
は直積位相に関して
:<math>\prod_{i\in\mathbb{N}}\mathbb{R}_i</math>
の開集合'''ではない'''。実際、前述の「有限個を除いて…」という条件を満たしておらず、条件をみたすものの和集合としても書けないからである。これに対し直積空間には<math>\prod_{i\in\mathbb{N}}U_i</math>をも開集合とする位相も定義可能である:
{{math theorem|定義|位相空間の族<math>(X_{\lambda},\mathcal{O}_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>に対し、
:<math>\{\prod_{\lambda\in\Lambda}O_{\lambda}\mid \forall \lambda\in\Lambda~:~O_{\lambda}\in\mathcal{O}_{\lambda}\}</math>
を開基とする<math>\prod_{\lambda\in\Lambda}X_{\lambda}</math>の位相を'''{{仮リンク|箱型積位相|en|box topology}}'''という<ref>[[位相空間#内田|#内田]] p.95</ref>。
}}
箱型積位相は直積位相より強い(弱くない)位相である。
=== 終位相、像位相、商位相、直和位相 ===
まず始位相と双対的に終位相を定義する:
{{math theorem|定義|
{{mvar|X}}を集合とし、<math>\{(Y_{\lambda},\mathcal{O}_{\lambda})\}_{\lambda\in\Lambda}</math>を位相空間の族とし、写像
:<math>f_{\lambda}~:~Y_{\lambda}\to X</math>
の族<math>(f_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>を考える。
このとき、全ての<math>(f_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>を連続にする最強の位相を{{mvar|X}}の<math>(f_{\lambda})_{\lambda\in\Lambda}</math>'''{{仮リンク|終位相|en|final topology}}'''という。
|note=終位相}}
終位相の特殊な場合として下記のものを定義できる。これらは逆像位相、部分位相、始位相、直積位相と[[双対]]的に定義したものである。以下で{{Mvar|X}}は集合である:
{| class="wikitable"
|+
!名称
!定義
|-
|'''[[像位相]]'''
|位相空間<math>(Y,\mathcal{O})</math>と写像<math>f~:~Y\to X</math>が{{Mvar|X}}に定める終位相の事。
|-
|[[商位相空間|'''商位相''']]
|<math>(Y,\mathcal{O})</math> を位相空間とし、「<math>\sim</math>」を{{mvar|Y}}上の同値関係とし、{{math|<nowiki>[</nowiki>''x''<nowiki>]</nowiki>}}でこの同値関係における{{math|''x'' ∈ ''Y''}}の同値類を表すとき、商写像<math>\pi \colon Y \to Y/{\sim}, \; x \mapsto [x]</math>が商集合 <math>X=Y/{\sim}</math> に定義する像位相の事。
|-
|[[直和 (位相空間論)|'''直和位相''']]
|<math>\{(X_{\lambda},\mathcal{O}_{\lambda})\}_{\lambda\in\Lambda}</math> を位相空間の族とするとき、<math>X_{\lambda}</math> から集合族 <math>\{X_{\tau}\}_{\tau\in\Lambda}</math> の[[直和位相|直和]]への[[包含写像]]<math>\iota_{\lambda} \colon X_{\lambda} \hookrightarrow \coprod_{\tau\in\Lambda}X_{\tau}</math>の族 <math>\{\iota_{\lambda}\}_{\lambda\in\Lambda}</math> によって直和 <math>\coprod_{\lambda\in\Lambda}X_{\lambda}</math> に定義される終位相の事。
|}
これらはより具体的に書き表す事が可能である:{{math theorem|定理|上の定義と同様に記号を定義するとき、
* 像位相の開集合系は<math>f_*(\mathcal{O}):=\{U\subset Y\mid f^{-1}(U)\in\mathcal{O}\}</math>に一致する。
* 商位相の開集合系は、<math>\pi_*(\mathcal{O}):=\{U\subset Y\mid \pi^{-1}(U)\in\mathcal{O}\}</math>に一致する。
* 直和位相の開集合系は、<math>\Bigg\{\bigcup_{\lambda\in\Lambda}O_{\lambda} \Bigg| \forall \lambda\in\Lambda~:~ O_{\lambda}\in\mathcal{O}_{\lambda}\Bigg\}</math>に一致する。
}}
== 位相的性質 ==
{{main|[[位相的性質]]}}
位相空間の定義それ自身は可能な限り一般的に定義されているため、個々の応用では位相空間にプラスアルファの性質を付け加えたものを考えることが多い。
本節では、そうしたプラスアルファの性質のうち代表的なものを紹介する。
=== 分離公理 ===
{{main|分離公理}}
'''分離公理'''とは、位相空間 ''X'' 上の2つの対象(点や閉集合)を開集合により「分離」(separate)する事を示す一連の公理、もしくはそこから派生した公理である。
代表的な分離公理として'''[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフの分離公理]]'''があり、これは以下のような公理であり、前述のようにこれは有向点族の収束の一意性と同値である。
:''X'' 上の相異なる2点 ''x''、''y'' に対し、''x''、''y'' の開近傍 ''U''、''V'' があり、<math>U\cap V=\emptyset</math>である。
[[Image:Hausdorff_space.svg|thumb|right|相異なる2点を分離するそれぞれの開近傍]]
ハウスドルフの分離公理は、直観的には点 ''x'' と ''y'' が開近傍という位相的な性質を利用して「区別」(separate) できる事を意味している。すなわち''X'' の位相は点の区別が可能なほど細かい事をこの公理は要請している。
他にも下記のような分離公理がある:
{| class="wikitable"
!位相空間!!名前
|-
|{{math|''T''{{sub|0}}}}||[[コルモゴロフ空間]]
|-
|{{math|''T''{{sub|1}}}}||[[フレシェ空間]](到達可能空間)
|-
|{{math|''T''{{sub|2}}}}||[[ハウスドルフ空間]]
|-
|<math>T_{2\frac{1}{2}}</math>||[[完備ハウスドルフ空間]]、ウリゾーン空間
|-
|{{math|''T''{{sub|3}}}}||[[正則空間]]、正則ハウスドルフ空間
|-
|<math>T_{3\frac{1}{2}}</math>||[[チコノフ空間]]、完全正則空間
|-
|{{math|''T''{{sub|4}}}}||[[正規ハウスドルフ空間]]
|-
|{{math|''T''{{sub|5}}}}||[[全部分正規ハウスドルフ空間]]
|-
|{{math|''T''{{sub|6}}}}||[[完全正規ハウスドルフ空間]]
|}
===連結性===
{{main|連結空間}}
連結性とは、直観的には位相空間が「ひとつながりである」
という性質である。閉区間 [0,1] は連結性をもつ(連結である)が、二つの交わらない閉区間を合併した <math>[0,1] \cup [2, 3]</math> という位相空間は連結ではない。
===コンパクト性===
{{main|コンパクト空間}}
<math>\mathbb{R}^n</math>の有界閉集合は位相空間論的に「性質の良い」空間で{{Mvar|X}}を<math>\mathbb{R}^n</math>の有界閉集合とすると、例えば以下が成立する事が知られている:
* {{Mvar|X}}から<math>\mathbb{R}</math>への連続写像は必ず最大値・最小値を持つ
* {{Mvar|X}}から<math>\mathbb{R}</math>への連続写像は必ず[[一様連続]]である
* {{Mvar|X}}から<math>\mathbb{R}^n</math>への[[単射]]{{Mvar|f}}が連続なら、逆写像<math>f^{-1}~:~f(X) \to X</math>も連続である。
このような「性質の良い」空間を一般の位相空間に拡張して定義したものがコンパクトの概念である。
ただし、「<math>\mathbb{R}^n</math>の有界閉集合」という概念自身は、「[[有界]]」という[[距離空間|距離]]に依存した概念に基づいているため、一般の位相空間では定義できず、別の角度からコンパクトの概念を定義する必要がある。
そのために用いるのが[[ボルツァーノ=ワイエルシュトラスの定理|ボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理]]と[[ハイネ・ボレルの被覆定理]]である。これらの定理はいずれも「<math>\mathbb{R}^n</math>の有界閉集合であれば◯◯」という形の定理であるが、実は逆も成立する事が知られており、<math>\mathbb{R}^n</math>においては
# 有界閉集合である事
# ボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理の結論部分
# ハイネ・ボレルの定理の結論部分
の3つは同値となる。しかも上記の2,3はいずれも位相構造のみを使って記述可能である。
したがって2もしくは3の一方を満たす(同値なので実は2,3の両方を満たす)事をもってコンパクト性を定義する。ただしテクニカルな理由により、上記の2に関しては若干の補正が必要になり、ボルツァーノ・ワイエルシュトラスの定理の結論部分における「点列」を「有向点族」に置き換える必要がある。詳細は[[コンパクト空間]]を参照。
===可算公理と可分===
位相空間''X'' において'''可算公理'''は、''X'' の位相的な対象(近傍系、開集合)が可算なものから生成されることを意味し、可算公理が成立する空間では、非可算特有の難しさを回避できる場合がある。
'''可分'''もこれと類似したモチベーションのもと定義される。
厳密な定義は以下の通りである
{| class="wikitable"
|+
|[[第一可算空間|第一可算公理]]
|''X'' の任意の点 ''x'' に対し、''x'' の近傍系は可算な基本近傍系を持つ
|-
|[[第二可算空間|第二可算公理]]
|''X'' の開集合系は可算な開基を持つ
|-
|[[可分]]
|''X'' は稠密な可算部分集合を持つ
|}
====性質と例====
以下が成立する:
* 第二可算公理を満たす⇒ 第一可算公理を満たし、かつ可分
* 距離空間⇒ 第一可算公理を満たす
しかし距離空間は第二可算公理を満たすとは限らない。
距離空間においては第二可算公理を満たす事と可分な事は同値である。
有限次元の[[ユークリッド空間]](あるいはより一般に多様体)は第二可算公理を満たす。(距離化可能なので可分でもある)。
一方、ユークリッド空間の「無限次元版」である[[ヒルベルト空間]]は距離空間であるが第二可算公理を満たすとは限らない。
しかし通常は第二可算公理を満たすヒルベルト空間のみを考えることが多く、そのようなヒルベルト空間は全て同型で、しかもそのようなヒルベルト空間にはベクトル空間としての可算基底が存在する事が知られている。
===距離化可能性===
距離空間は自然に位相空間になるが、では逆に位相空間がどのような条件を満たせば距離空間になるであろうか。
すなわち、位相空間 <math>(X,\mathcal{O})</math>が'''[[距離化定理|距離化可能]]'''であるとは、''X'' 上の距離'' d'' が(少なくとも一つ)存在し、''d'' が''X'' 上に定める位相が<math>\mathcal{O}</math>と一致する事を言う。
学部レベルの教科書には距離化可能性の十分条件である'''[[距離化定理|ウリゾーンの距離化可能定理]]'''が載っていることが多いが、現在は距離化可能性の必要十分条件である'''[[長田=スミルノフの距離化定理]]'''や'''[[ビングの距離化定理]]'''が知られている。
==発展的なトピック==
===コンパクト開位相===
{{main|コンパクト開位相}}
<math>(X,\mathcal{O}_X)</math>、<math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math> を位相空間、 <math>C(X,Y)</math> を <math>(X,\mathcal{O}_X)</math> から <math>(Y,\mathcal{O}_Y)</math> への連続写像全体とする。このとき <math>K \subset X , O\subset Y</math>に対し、<math>W(K,O)</math> を
: <math>W(K,O)=\{f\in C(X,Y) \mid f(K) \subset O\}</math>
とより定義する。
このとき {''W''(''K'', ''O'') : ''K'' は ''X'' のコンパクト部分集合、{{nowrap|<math>O\in \mathcal{O}_Y</math>}|}} を準開基とする位相を <math>C(X,Y)</math> の'''[[コンパクト開位相]]'''({{lang-en-short|compact-open topology}})という。
===連続体論===
'''[[連続体 (位相空間論)|連続体]]'''(れんぞくたい、{{lang-en-short|''continuum''}})とは、空でない[[コンパクト空間|コンパクト]][[連結空間|連結]][[距離空間]]、あるいはより一般にコンパクト連結[[ハウスドルフ空間]]のことを言う。
ユークリッド空間上の閉曲面は連続体となるが、連続体論ではこのような「常識的な」空間に留まらず幅広く連続体一般を研究する。
具体的にはヒルベルト空間の無限次元部分集合であるにもかかわらずコンパクトな''' [[ヒルベルト立方体]]'''
:<math>\prod_{n\in\mathbb{N}}[0,1/n]</math>、
[[フラクタル図形]]の'''[[シェルピンスキーのカーペット]]'''、[[ホモトピー群]]は自明となるが[[可縮空間]]ではない'''ワルシャワの円'''などが研究対象となる。
[[File:Warsaw Circle.png|thumbnail|ワルシャワの円]]
===完全不連結性とカントール空間===
学部レベルの位相空間論で登場する概念の多くは、曲面のような「常識的な」空間における性質を抽象したものである。
しかし'''[[連結成分|完全不連結性]]'''はこうした範疇から外れた性質で、位相空間 ''X'' 上の連結部分集合は空集合、全体集合、および一点集合に限られる事を意味する。
完全不連結な空間の例としては有理数の集合<math>\mathbb{Q}</math>がある。
しかし完全不連結な空間は<math>\mathbb{Q}</math>のように距離空間として完備ではないものに限らない。
'''[[カントール集合]]'''(に実数体から誘導される距離をいれたもの)は、完備距離空間でありながら完全不連結な空間の例となっている。
実はカントール集合はこのような空間の典型例の一つであり、以下の性質を満たす空間('''[[カントール空間]]''')は必ずカントール集合と位相同型になることが知られている('''ブラウワーの定理'''):
:孤立点を持たない非空の完全不連結コンパクト距離化可能空間
===ベール空間===
位相空間''X'' が'''[[ベール空間]]'''であるとは、''X'' 上の[[稠密集合|稠密]]開集合の可算個の共通部分が必ず稠密になることを言う。
完備疑距離空間の開集合はベール空間になる('''[[ベールの範疇定理|ベールの第一範疇定理]]''')。
また局所コンパクトハウスドルフ空間もベール空間になる('''[[ベールの範疇定理|ベールの第二範疇定理]]''')。
ベールの範疇定理は[[関数解析学]]において、[[開写像定理 (関数解析)|開写像定理]]や[[閉グラフ定理]]を証明するのに用いられる。
=== ヴィートリス位相 ===
<math>(X,\mathcal{O})</math> を位相空間とする。このとき有限個の開集合 <math>U_1\cdots U_n</math> に対し、集合族 <math>\langle U_1\cdots U_n\rangle</math> を
: <math>\langle U_1\cdots U_n\rangle :=\{A\in\mathfrak{F} : A\cap U_i\neq\varnothing (i=1\cdots n), A\subseteq \bigcup_{i=1}^n U_i\}</math>
と定義する(ただし <math>\mathfrak{F}</math> は <math>X</math> の閉集合全体)。このとき <math>\{\langle U_1\cdots U_n\rangle\ : U_i\in\mathcal{O}(i=0\cdots n)\}</math> を[[開基 (位相空間論)|開基]]とする <math>\mathfrak{F}</math> 上の位相を'''ヴィートリス位相'''({{lang-en-short|Vietoris topology}})と呼び、ヴィートリス位相の入った <math>\mathfrak{F}</math> 及びその部分空間を'''冪空間'''({{lang-en-short|powerspace}})または'''超空間'''({{lang-en-short|hyperspace}})という。
===集合論的位相空間論===
'''{{仮リンク|集合論的位相空間論|en|set-theoretic topology}}'''とは、位相空間上の性質がZFCと独立かどうかを主題する分野である。
===位相ゲーム===
'''{{仮リンク|位相ゲーム|en|topological game}}'''とは、2人のプレイヤーにより位相空間上で行われるゲームで、プレイヤー達が自分の手番のとき、何らかの位相的な対象(開集合や閉集合など)を指定する事でゲームが進んでいく。
位相空間上の様々な性質、例えば[[ベールの性質]]が位相ゲームの[[ゲーム理論]]的な性質と関連する('''[[バナッハ・マズール・ゲーム]]''')。他にも完備性、収束性、分離公理といったものも[[ゲーム理論]]的な性質と関連する。
===位相代数的構造===
[[代数系|代数的な演算が定義された]]位相空間''X'' は、その演算の作用が''X'' 上連続になるとき、演算と位相は'''両立する'''という。
そのような例として代表的なものには[[位相群]]、[[位相環]]および[[位相体]]、[[位相線型空間]]などがある。
===位相順序構造===
*[[スペクトル空間]]: 位相空間がスペクトル的となるための必要十分条件は、それが何らかの[[環スペクトル|環の素スペクトル]]となっていることである。
*標準順序: 位相空間の[[特殊化前順序]]または標準前順序は、<math>x \leq y \Leftrightarrow \operatorname{Cl} (\{x\}) \subseteq \operatorname{Cl}(\{y\})</math> で定義される。
== 歴史 ==
集合論の創始者[[ゲオルク・カントール]]はユークリッド空間の開集合や閉集合などについても研究したが、これが位相空間の研究のはじまりである。カントールの行ったような位相空間の古典的な研究は、点集合論と呼ばれる。その後、[[モーリス・ルネ・フレシェ|モーリス・フレシェ]]はユークリッド空間から離れて距離空間において極限の概念を考察し、さらにその後[[フェーリクス・ハウスドルフ]]、[[カジミェシュ・クラトフスキ]]らによって、次第に現代のような一般の位相空間の形に整えられていった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注"}}
=== 出典===
{{reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|洋書|title=General Topology|date=1975/6/27|publisher=Springer-Verlag|author=John L. Kelly|ref=Kelly|isbn=978-0387901251|year=|pages=|series=Graduate Texts in Mathematics (27)}}
** Kindle版:ASIN : B06XGRCCJ3
** 翻訳版:{{Cite book|和書|title=位相空間論|date=1979/7/1|year=|publisher=吉岡書店|pages=|author=ジョン・L.ケリー|translator=児玉之宏|isbn=978-4842701318|series=数学叢書}}
*{{Cite book|和書|title=集合と位相|date=1986/11/5|year=|publisher=[[裳華房]]|pages=|ref=内田|series=数学シリーズ|author=内田伏一|isbn=978-4785314019}}
*{{Cite book|title=Handbook of Analysis and its Foundations|date=1997/1/15|year=|publisher=Academic Press|isbn=978-0126227604|author=Eric Schechter|ref=Schechter}}
== さらなる学習のために ==
{{Refbegin}}
* Armstrong, M. A.; ''Basic Topology'', Springer; 1st edition (May 1, 1997). ISBN 0-387-90839-0.
* Bredon, Glen E., ''Topology and Geometry'' (Graduate Texts in Mathematics), Springer; 1st edition (October 17, 1997). ISBN 0-387-97926-3.
* [[ニコラ・ブルバキ|Bourbaki, Nicolas]]; ''Elements of Mathematics: General Topology'', Addison-Wesley (1966).{{OCLC|221789308}}
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* {{仮リンク|ウィリアム・フルトン|en|William Fulton (mathematician)|label=Fulton, William}}, ''Algebraic Topology'', (Graduate Texts in Mathematics), Springer; 1st edition (September 5, 1997). ISBN 0-387-94327-7.
* Lipschutz, Seymour; ''Schaum's Outline of General Topology'', McGraw-Hill; 1st edition (June 1, 1968). ISBN 0-07-037988-2.
* {{仮リンク|ジェームス・マンクリズ|en|James Munkres|label=Munkres, James}}; ''Topology'', Prentice Hall; 2nd edition (December 28, 1999). ISBN 0-13-181629-2.
* Runde, Volker; ''A Taste of Topology (Universitext)'', Springer; 1st edition (July 6, 2005). ISBN 0-387-25790-X.
* {{仮リンク|リン・スティーン|en|Lynn Arthur Steen|label=Steen, Lynn A.}} and [[J. Arthur Seebach, Jr.|Seebach, J. Arthur Jr.]]; ''[[Counterexamples in Topology]]'', Holt, Rinehart and Winston (1970). ISBN 0-03-079485-4.
*{{cite book | author=Willard, Stephen | title=General Topology | publisher=Dover Publications | year=2004 | isbn=0-486-43479-6}}
* {{Cite book
| 和書
| last1 = 松坂
| first1 = 和夫
| year = 1968
| title = 集合・位相入門
| publisher = 岩波書店
| isbn = 4-00-005424-4
| ref = harv
}}
{{Refend}}
==関連項目==
*[[ストーン双対性|ポイントレス位相空間論]]
*[[位相幾何学]]
*[[関数解析学]]
*[[距離空間]]
*[[位相空間の圏]]
*[[ホモロジー (数学)]]
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|urlname=TopologicalSpace|title=topological space}}
* {{PlanetMath|urlname=TopologicalSpace|title=topological space}}
* {{Cite web|和書|title=位相空間の基礎概念|author=酒井克郎|url=http://ocw.tsukuba.ac.jp/25a0-v-1-65705b66985e/30c830ed30fc-i/8b1b7fa930ce30fc30c8|format=PDF|accessdate=2011年11月}}(2008年度 筑波大学 トポロジーI 講義用レジュメ)
* {{JGLOBAL ID|200906096366399295}}
* {{Kotobank|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
{{Topology}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:いそうくうかん}}
[[Category:位相幾何学]]
[[Category:位相空間|*]]
[[Category:位相空間論|*]]
[[Category:位相的構造]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-05-07T08:38:44Z | 2023-12-10T08:48:19Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8D%E7%9B%B8%E7%A9%BA%E9%96%93 |
7,895 | デルタロケット | デルタ (Delta) ロケットは、アメリカ合衆国で開発・運用されている人工衛星打ち上げ用中型ロケット。40年以上の長きに渡って改良を加えつつ打上げが継続されている。最新のデルタIVシリーズは第1段が新設計された大型ロケットであり、2002年に初飛行し、2004年12月にはHeavyコンフィギュレーションの機体が初飛行した。
デルタは元々ソー中距離弾道弾 (IRBM) を基に二段式打上げロケットへと発展させたソーロケットシリーズが母体になっている。「デルタ」はソーの2段目(のひとつ)の名称であり、本来は「ソー・デルタ」だったが、アメリカ航空宇宙局 (NASA) が非軍事用の打上げに用いる際にデルタと改称したものである。製造はダグラス社(後のマクドネル・ダグラス社。現在はボーイング社に吸収されている)。
初飛行は1960年で、この時は失敗したが以後順調に成功を収め、改良型がデルタA-Nまで様々な形態で用いられた。さらに、デルタ0300・1914・2914などのモデルが続いたが、スペースシャトルの就役により1980年代中盤に一旦生産が打ち切られた。
しかし、1986年1月28日のチャレンジャー号爆発事故によりシャトルの運用が中断、シャトルによる民間衛星の打上げも以後中止されたため、デルタの開発・生産が再開された。この結果、デルタII(デルタ2)と呼ばれる一連のシリーズ(6900/7900番台)が誕生し、1989年から運用開始され、現在に至っている。
1960年以来デルタの1段目は、エンジンこそLR79-7→MB3-1→MB3-3→RS-27 (A/C) と変わったものの、一貫して推進剤に液体酸素/ケロシンを使った液体燃料ロケットエンジンを用いている。1段目の直径は2.4 mであるが、長さは燃料タンクの増量に伴い何度か延長されている。
第2段とストラップ・オン・ブースターを増強することで能力を倍増させたデルタIIIが開発されたが、失敗が続いたために信用を築くことができず、また後継のデルタIVの完成が近づきデルタIIIを存続させる意義が失われたため、3号機の打ち上げをもって退役する運びとなっている。
新設計した第1段とデルタIIIの第2段を組み合わせたデルタIVシリーズは、中量級の機体が2002年11月と2003年3月に打上げに成功し、重量級も2004年12月と2009年1月に打ち上げられた。エンジンのバルブ、熱交換器、第2段液体水素タンクを三菱重工業が、酸化剤タンクをボーイングが、それぞれ製造している。
デルタロケットは、これまでにシリーズを通して300機近い打上げが行われている。最新のデルタIVシリーズは、アメリカの軍事衛星、アメリカ国家偵察局(NRO)やアメリカ航空宇宙局 (NASA) などの各政府機関の衛星を打ち上げるために開発されたもので、同趣旨で開発されたアトラスVと共に、軍事衛星などの打ち上げの中核をなしてきた。
日本のN-IおよびN-IIロケットはデルタの技術を導入して作られており、主要部分は米国製である。H-Iについても1段目はデルタ用の主エンジンと固体燃料ロケットブースターを使用しており、米国製技術の割合が高い(詳細は各ロケットの項目を参照)。
MB-3 ブロック II エンジンを備える。推力が従来の680 kNから760 kNに増強された。
13号機でEPE2、14号機で EPE3を打ち上げた。
15号機によって1962年12月13日NASAの2番目の通信衛星であるリレー 1が打ち上げられた。NASAにとって最初の能動的な衛星だった。
16号機によって1963年2月13日17b射場からシンコム1号が打ち上げられた。チオコール製のスター13B固体燃料ロケットが軌道投入に使用された。
1963年7月26日、シンコム2号が太陽同期軌道へ投入されたがデルタロケットの性能の制約により軌道が33°傾斜した。
25号機は1964年8月19日.最初の静止通信衛星であるシンコム 3号を打ち上げた。30号機は1965年4月6日にインテルサット1号を打ち上げた。
1965年11月6日に最初のデルタEによって気象衛星GEOS 1が打ち上げられた。
製作されなかった。
1号機が1966年12月14日. 生物衛星1号の打ち上げに使用された。2号機が1967年9月7日. 生物衛星2号の打ち上げに使用された。
製作されなかった。
1969年から1978年にかけてソーデルタはNASAでもっとも多く打ち上げられたロケットで計84回打ち上げられた(スカウトは2番目に多く打ち上げられたロケットで32回打ち上げられた)。 NASAは自身の衛星を打ち上げるだけでなく、同様に政府の他の機関や外国政府の人工衛星の打ち上げも実費で打ち上げを行った。NASA以外の63機の衛星がNASAによって打ち上げられた。84機以外に7機が失敗、若しくは部分的失敗だった(成功率は91.6%だった)。
以後4桁の数字で構成を表す方式になった。
1972年7月23日、ランドサット1号の打ち上げで初めて固体燃料補助ロケットを9本備え、2段目には改良されたAJ10-118Fを備えた仕様で打ち上げられた。このソー・デルタの機種は904として識別される。
デルタIIシリーズはデルタ6000とデルタ7000の2種類の派生機種(軽量級と重量級)から構成される。
1986年のチャレンジャー号爆発事故によりデルタロケットの打ち上げが継続されるようになりデルタIIが開発された。
7000シリーズは3段目を持たず固体燃料補助ロケットが少ない(3本か4本)。通常はNASAの小型の衛星の打ち上げに使用された。
デルタ II 792X はデルタIIIからの増強されたGEM-46固体燃料補助ロケットを備える。
マクドネル・ダグラス/ボーイングはデルタIII (デルタ3) は大型化する人工衛星の需要に対応するため外形4mのフェアリングを装着したもので、全長を抑えるために1段目の燃料タンクを4mと大型化した先太な外観が特徴である。さらに、固体ブースターもGEM(グラファイトエポキシモーター)に大型化して推力を増し、2段目も液体酸素・液体水素を推進剤とするRL-10B-2型に変更され、LEOに8,292kg、静止トランスファ軌道 (GTO) に3,810kgのペイロードを投入可能である。 1998年8月・1999年5月と打上げに失敗して商用衛星を喪失したため、改めて2000年8月に打上げを行い、試験用ペイロードを中高度の軌道に投入することに成功した。
デルタIIIの打ち上げは最初の2回は失敗し、3回目だけが模擬衛星を軌道へ投入した。
アメリカ空軍の発展型使い捨てロケット (Evolved Expendable Launch Vehicle: EELV) 計画の一環としてマクドネル・ダグラス/ボーイングはデルタIVを提案した。部材や技術を既存の機種から流用する事が計画の狙いでボーイングとロッキード・マーティンはそれぞれのEELVを開発した。デルタIVはアラバマ州Decaturの新工場で生産される。
デルタIVは、デルタIIIまでの直径2.4mでLox/ケロシン燃料の一段目と全く異なる。新設計の直径5.1mもある1段目コアステージ(共通コアブースタ、CBC)は、1970年代のスペースシャトルの主エンジン以来となる新規開発の液体酸素/液体水素を推進剤としたRS-68型液体燃料ロケットエンジンを採用した。このエンジンはコスト低減に主眼が置かれ、低圧の燃焼室圧力、単純な構造のノズルを特徴としている。燃焼室とノズルの上部はソビエト連邦で開発されたチャンネルウォール構造を取り入れている。ノズル下部はアブレーションによる冷却を用いている。また、2段目はデルタIIIと同じRL10B-2型液体燃料ロケットエンジンである。打ち上げ塔の配管や電気回路の必要性が取り除かれた。ペイロードにあわせ3種類5形式の構成が可能で、CBCだけの中型から、デルタIIIよりさらに大型化した直径60インチの固体燃料ブースター (GEM-60G) を装着した中量級3形式、1段目にCBCを3本束ねた重量級がある。これにより静止トランスファ軌道 (GTO) に対するペイロードは4,210kgから13,130kgまでの質量に対応する。
1972年、マクドネルダグラスは4桁の番号を従来の名称の代わりに導入した。新しいシステムではデルタロケットの新しい改善や変更により良く対応する事が出来る。(そして枯渇するアルファベットの問題も解決できる)1桁目はタンクとエンジンの形式、2桁目は固体補助燃料ロケットの数、3桁目は2段目、4桁目は3段目をあらわす。
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] | デルタ (Delta) ロケットは、アメリカ合衆国で開発・運用されている人工衛星打ち上げ用中型ロケット。40年以上の長きに渡って改良を加えつつ打上げが継続されている。最新のデルタIVシリーズは第1段が新設計された大型ロケットであり、2002年に初飛行し、2004年12月にはHeavyコンフィギュレーションの機体が初飛行した。 | {{出典の明記|date=2016年7月7日 (木) 11:50 (UTC)}}
[[File:Delta EELV family.png|thumb|250px|デルタロケットファミリー]]
'''デルタ''' (Delta) ロケットは、[[アメリカ合衆国]]で開発・運用されている[[人工衛星]]打ち上げ用中型[[ロケット]]。40年以上の長きに渡って改良を加えつつ打上げが継続されている。最新の[[デルタ IV|デルタIV]]シリーズは第1段が新設計された大型ロケットであり、[[2002年]]に初飛行し、[[2004年]]12月には[[デルタ IV ヘビー|Heavyコンフィギュレーション]]の機体が初飛行した。
== 歴史 ==
[[File:Delta D Intelsat1.jpg|thumb|200 px|デルタDロケットによる通信衛星インテルサット一号の打ち上げ([[ケープ・カナベラル]]、1965年4月6日)]]
デルタは元々[[PGM-17 (ミサイル)|ソー]][[中距離弾道ミサイル|中距離弾道弾 (IRBM)]] を基に[[ロケット#多段式ロケット|二段式打上げロケット]]へと発展させた[[ソー (ロケット)|ソー]]ロケットシリーズが母体になっている。「デルタ」はソーの2段目(のひとつ)の名称であり、本来は「[[ソー・デルタ]]」だったが、[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) が非[[軍事]]用の打上げに用いる際にデルタと改称したものである。製造はダグラス社(後の[[マクドネル・ダグラス]]社。現在は[[ボーイング]]社に吸収されている)。
初飛行は[[1960年]]で、この時は失敗したが以後順調に成功を収め、改良型がデルタA-Nまで様々な形態で用いられた。さらに、デルタ0300・1914・2914などのモデルが続いたが、[[スペースシャトル]]の就役により[[1980年代]]中盤に一旦生産が打ち切られた。
しかし、[[1986年]]1月28日の[[チャレンジャー号爆発事故]]によりシャトルの運用が中断、シャトルによる[[民間宇宙開発|民間]]衛星の打上げも以後中止されたため、デルタの開発・生産が再開された。この結果、デルタII(デルタ2)と呼ばれる一連のシリーズ(6900/7900番台)が誕生し、[[1989年]]から運用開始され、現在に至っている。
1960年以来デルタの1段目は、エンジンこそLR79-7→MB3-1→MB3-3→[[RS-27]] (A/C) と変わったものの、一貫して[[ロケットエンジンの推進剤|推進剤]]に[[液体酸素]]/[[ケロシン]]を使った[[液体燃料ロケット|液体燃料]]ロケット[[ロケットエンジン|エンジン]]を用いている。1段目の直径は2.4 mであるが、長さは燃料タンクの増量に伴い何度か延長されている。
第2段と[[ブースター|ストラップ・オン・ブースター]]を増強することで能力を倍増させたデルタIIIが開発されたが、失敗が続いたために信用を築くことができず、また後継のデルタIVの完成が近づきデルタIIIを存続させる意義が失われたため、3号機の打ち上げをもって退役する運びとなっている<ref name="Delta III">[https://news.mynavi.jp/article/spacetechnology-7/ ドーピングには御用心 - 中型から背伸びした大型ロケット「デルタIII」]、マイナビニュース. (2016年8月10日). 2018年9月14日閲覧。</ref>。
新設計した第1段とデルタIIIの第2段を組み合わせた<ref name="Delta III"/>デルタIVシリーズは、中量級の[[機体]]が[[2002年]]11月と[[2003年]]3月に打上げに成功し、重量級も[[2004年]]12月と[[2009年]]1月に打ち上げられた。エンジンのバルブ、[[熱交換器]]、第2段[[液体水素]]タンクを[[三菱重工業]]が<ref name="Delta III"/>、[[酸化剤]]タンクをボーイングが、それぞれ製造している。
デルタロケットは、これまでにシリーズを通して300機近い打上げが行われている。最新のデルタIVシリーズは、アメリカの[[軍事衛星]]、[[アメリカ国家偵察局]](NRO)や[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) などの各政府機関の衛星を打ち上げるために開発されたもので、同趣旨で開発された[[アトラスV]]と共に、軍事衛星などの打ち上げの中核をなしてきた<ref>[https://news.mynavi.jp/article/vulcan-1/ スペースXとロシアによって倒された米国の基幹ロケット]、マイナビニュース. (2016年8月24日). 2018年9月13日閲覧。</ref>。
[[日本の宇宙開発|日本]]の[[N-Iロケット|N-I]]および[[N-IIロケット]]はデルタの技術を導入して作られており<ref>{{Cite web|和書| title = JAXA N-Iロケット | url = https://www.jaxa.jp/projects/rockets/n1/index_j.html | publisher = 日本宇宙航空研究開発機構 |accessdate=2016-8-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書| title = JAXA N-IIロケット | url = https://www.jaxa.jp/projects/rockets/n2/index_j.html | publisher = 日本宇宙航空研究開発機構 |accessdate=2016-8-13}}</ref>、主要部分は米国製である。[[H-Iロケット|H-I]]についても1段目はデルタ用の主エンジンと[[固体燃料ロケット|固体燃料]]ロケットブースターを使用しており<ref>{{Cite web|和書| title = JAXA H-Iロケット | url = https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h1/index_j.html | publisher = 日本宇宙航空研究開発機構 |accessdate=2016-8-13}}</ref>、米国製技術の割合が高い(詳細は各ロケットの項目を参照)。
== 形式・構成 ==
=== 初期のデルタ(ソー・デルタ) ===
{{main|ソー・デルタ}}
* 1段目は[[準中距離弾道ミサイル]]の[[PGM-17 (ミサイル)|ソー]]を転用 (エンジンは[[ロケットダイン]] LR79)。
* デルタは2段目で、[[硝酸]]/[[非対称ジメチルヒドラジン|UDMH]]系の[[エアロジェット]][[AJ-10|AJ10]]-118エンジンを搭載。
* デルタ、デルタA-N
=== デルタ A ===
MB-3 ブロック II エンジンを備える。推力が従来の680 kNから760 kNに増強された。
13号機でEPE2、14号機で EPE3を打ち上げた。
=== デルタ B ===
* 上段がAJ10-118Dに更新された。3ftタンクが延長され、より高エネルギーの酸化剤が使用され、半導体素子を用いた誘導装置が搭載された。
* デルタ計画は'暫定'から'運用'状態になった。
* 91 kgを静止トランスファ軌道へ投入する能力を有する。
15号機によって1962年12月13日NASAの2番目の通信衛星である''リレー 1''が打ち上げられた。NASAにとって最初の能動的な衛星だった。
16号機によって1963年2月13日17b射場から''シンコム1号''が打ち上げられた。[[チオコール]]製のスター13B固体燃料ロケットが軌道投入に使用された。
1963年7月26日、シンコム2号が太陽同期軌道へ投入されたがデルタロケットの性能の制約により軌道が33°傾斜した。
=== デルタ C ===
* 3段目を従来のアルタイルからスカウトロケットに使用する為に開発されたABL X-258を備えたアルタイル2に換装した。76 mm長くなり、10%重くなったが推力は計65%増えた。
: 試験的に[[太陽観測衛星]]OSO-4を打ち上げた。
=== デルタ D ===
* 推力増強型のデルタロケットとして知られる。
* 推力増強型のデルタCに[[キャスター (ロケットモータ)|キャスター 1]]固体燃料補助ロケットを3本備える。
25号機は1964年8月19日.最初の静止通信衛星である[[シンコム]] 3号を打ち上げた。<br/>30号機は1965年4月6日に[[インテルサット1号]]を打ち上げた。
=== デルタ E ===
* 推力増強型のデルタロケットとして知られる。
* 1965年
* デルタDよりも45 kg重い静止トランスファ軌道へ投入できる。
* [[キャスター (ロケットモータ)|キャスター2]]はキャスター1固体燃料補助ロケットと比較して同規模の推力で燃焼時間が長い。
* MB-3 ブロック III コアエンジンは推力が8.9 kN大きい。
* 2段目に[[AJ-10|AJ10]]-118Eを採用し、直径が従来の0.84 mから1.40 mに拡大された。エンジン燃焼時間は2倍になった。
* 再着火回数を無制限にする為に加圧用ヘリウムタンクが追加された。
* 3段目はアルタイル2またはFW-4Dの2機種が選択可能だった。後にデルタE1として加えられた。
* アジェナから新しいフェアリングが導入された。
1965年11月6日に最初のデルタEによって気象衛星GEOS 1が打ち上げられた。
=== デルタ F ===
製作されなかった<ref name=DeltaK />。
=== デルタ G ===
* デルタEの派生機種で2段式
* 生物衛星1号と2号の打ち上げに使用された。
1号機が1966年12月14日. 生物衛星1号の打ち上げに使用された。<br/>2号機が1967年9月7日. 生物衛星2号の打ち上げに使用された。
=== デルタ J ===
* より大型の[[チオコール]] スター37D固体燃料ロケットを3段目に使用
* 1968年7月4日; エクスプローラー38号の打ち上げに使用された。
=== デルタ K ===
製作されなかった<ref name=DeltaK>{{cite web |url=http://www.designation-systems.net/dusrm/app3/b-3.html |title=Delta beyond 1974 (incl. Delta 2) |publisher=Directory of U.S. Military Rockets and Missiles |date= January 8, 2008 |accessdate=8 June 2012 |author=Jos Heyman }}</ref>。
=== デルタ L ===
* 1段目の推進剤のタンクを延長し、直径8ft (2.4 m) に拡大。胴体にくびれがない。
* 3段目に[[ユナイテッド・テクノロジー]]FW-4D 固定燃料モータを採用。
=== デルタ M ===
* 3段式
* 燃料タンク延長型ソー (MB-3 ブロック III) にキャスター2ブースターを3基増設
* 3段目にアポジキックモータとしてスター37Dを搭載
* 1968年から1971年にかけて12基の打ち上げに成功<ref>{{cite web |url=http://www.astronautix.com/lvs/deltam.htm |title=Delta M |publisher=Encyclopedia Astronautica |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120618110015/http://www.astronautix.com/lvs/deltam.htm |archivedate=2012-06-18 |accessdate=2012-6-5|df= }}</ref>。
=== デルタ N ===
* デルタ Mの派生機種で2段式
* 1968年から1972年にかけて9回 デルタ Nが打ち上げられ、8回打ち上げに成功した<ref>{{cite web |url=http://www.astronautix.com/lvs/deltan.htm |title=Delta N |publisher=Encyclopedia Astronautica |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080305011047/http://www.astronautix.com/lvs/deltan.htm |archivedate=2008-03-05 |accessdate=2008-3-12|df= }}</ref>。
=== 'スーパー シックス' ===
* デルタ M又はデルタ N は3本の固体燃料補助ロケットを備える。
* {{convert|1000|lb|kg}} を[[静止軌道]]へ投入する。
=== 打ち上げの信頼性 ===
1969年から1978年にかけてソーデルタはNASAでもっとも多く打ち上げられたロケットで計84回打ち上げられた([[スカウト (ロケット)|スカウト]]は2番目に多く打ち上げられたロケットで32回打ち上げられた)<ref>
{{cite web | url = http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/ch1.htm | title = NASA Historical Data Book, Vol. III | publisher = NASA |accessdate=2018-3-29}}
</ref>。
NASAは自身の衛星を打ち上げるだけでなく、同様に政府の他の機関や外国政府の人工衛星の打ち上げも実費で打ち上げを行った。NASA以外の63機の衛星がNASAによって打ち上げられた。84機以外に7機が失敗、若しくは部分的失敗だった(成功率は91.6%だった)<ref>
{{cite web | url = http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table1.32.htm | title = Listing of Thor-Delta Vehicles | publisher = NASA |accessdate=2018-3-29}}
</ref>。
=== 初期のデルタ(数字形式のモデル) ===
[[File:Delta 2914 launching IUE spacecraft.jpg|thumb|200px|デルタ2000シリーズ(2914)]]
以後4桁の数字で構成を表す方式になった。
: 4桁目 (1000位): 1段目コアステージ構成
: 3桁目 (100位) : 1段目固体ブースタ個数 (0/3/6/9)
: 2桁目 (10位) : 2段目構成
: 1桁目 (1位) : 3段目構成
* デルタ0000 (1972年から1973年まで使用)
: 0300, 0900
* デルタ1000 (1972年から1973年まで使用)
: 1604, 1900, 1910, 1913, 1914
* デルタ2000 (1974年1月から1981年頃まで使用)
: 2310, 2313, 2410, 2910, 2913, 2914
* デルタ3000 (1975年12月から1989年頃まで使用)
: 3910, 3913, 3914, 3920, 3924
: 4925, 5920
=== デルタ 904 ===
1972年7月23日、[[ランドサット|ランドサット1号]]の打ち上げで初めて固体燃料補助ロケットを9本備え、2段目には改良された[[AJ-10|AJ10-118F]]を備えた仕様で打ち上げられた。このソー・デルタの機種は904として識別される<ref name="chrono">
{{cite web | url = http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table1.33.htm | title = Chronology of Thor-Delta Development and Operations | publisher = NASA|accessdate=2018-3-29}}
</ref>。
=== デルタ 1000シリーズ ===
* 延長されたタンクと直径8ft (2.4 m) のフェアリングを備える。愛称は従来の機種に見られたくびれがない直径8フィートに由来する"ストレイト-エイト"である。
* 9本のキャスターII補助ロケットを備える。
* 最初に打ち上げに成功した1000シリーズは1972年9月22日の[[エクスプローラー計画|エクスプローラー47号]]である<ref name="chrono"/>。
=== デルタ 2000シリーズ ===
{{Main|デルタ 2000}}
* 新型の[[ロケットダイン]] RS-27 主エンジンと延長タンクを特徴とする。直径はくびれのない8フィートである。
* デルタ2910は1975年のランドサット2号と1978年のランドサット3号の打ち上げに使用された。
* デルタ2914は1977年7月14日に日本の[[気象衛星]][[ひまわり (人工衛星)|ひまわり]]、1978年4月7日に[[放送衛星]][[ゆり (人工衛星)|ゆり1号]]の打ち上げに使用された<ref>{{cite web |url=http://www.astronautix.com/lvs/delta.htm |title=Delta Chronology |publisher=[[Encyclopedia Astronautica]] |accessdate=2008-8-28|archiveurl=https://webcitation.org/6GnQRIrKc?url=http://www.astronautix.com/lvs/delta.htm |archivedate=2013年5月22日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
=== デルタ 3000シリーズ ===
* 増強されたキャスターIV固体燃料補助ロケットを備える。1段目は1000-や2000-と同じである。
* 同様にPAM (Payload Assist Module)/スター 48B固体燃料補助ロケットが導入された。後にデルタIIの3段目に使用される。
* デルタ3914は1976年5月にアメリカ政府の打ち上げの承認を取得した<ref name="chrono"/>。
=== デルタ 4000シリーズ ===
* 古いMB-3主エンジンを延長されたタンクとキャスターIV固体燃料補助ロケットを備える。
* 2回だけ打ち上げられた。
* 初めてデルタ-Kの2段目が使用された。
=== デルタ 5000シリーズ ===
* 1段目に[[RS-27]]エンジンと延長されたタンクとキャスターIVA固体燃料補助ロケットを備える。
* 1回だけ使用された。
=== デルタ II シリーズ ===
[[File:Delta II Dawn liftoff 1.jpg|thumb|200px|デルタIIロケット]]
{{main|デルタ II}}
デルタIIシリーズはデルタ6000とデルタ7000の2種類の派生機種(軽量級と重量級)から構成される。
==== デルタ 6000シリーズ ====
1986年の[[チャレンジャー号爆発事故]]によりデルタロケットの打ち上げが継続されるようになり[[デルタII]]が開発された。
* 延長型タンクを1段目に備え12フィート分推進剤の搭載量が増えた。
* [[キャスター (ロケットモータ)|キャスター]] IVA固体燃料補助ロケットが導入された。打ち上げ時に6本に点火され飛行中に3本が点火される。
* デルタ6900 (1989年2月に初飛行)
: 6925
==== デルタ 7000シリーズ ====
* 主エンジンに[[RS-27A]]を導入し、高高度と低高度における効率を改善した
* [[ハーキュリーズ (化学会社)|ハーキュリーズ]]社(後の[[ATKランチ・システムズ・グループ|ATK]])の[[GEM (ロケットモータ)#GEM-40|GEM-40]]固体燃料補助ロケットを導入した。全長は伸びたが軽量化されたことにより積載量が増えた。
==== デルタ II ミッド・ライト ====
7000シリーズは3段目を持たず固体燃料補助ロケットが少ない(3本か4本)。通常はNASAの小型の衛星の打ち上げに使用された。
* デルタ7900 (1990年11月に初飛行)
: 7320, 7326, 7425, 7920, 7925
==== デルタ II ヘビー ====
デルタ II 792X はデルタIIIからの増強されたGEM-46固体燃料補助ロケットを備える。
* デルタII ヘビー (7920H) (2003年8月に初飛行)
=== デルタIII (8000-シリーズ) ===
{{main|デルタ III}}
マクドネル・ダグラス/ボーイングはデルタIII (デルタ3) は大型化する人工衛星の需要に対応するため外形4mの[[ペイロードフェアリング|フェアリング]]を装着したもので、全長を抑えるために1段目の燃料タンクを4mと大型化した先太な外観が特徴である。さらに、固体ブースターもGEM(グラファイトエポキシモーター)に大型化して推力を増し、2段目も[[液体酸素]]・[[液体水素]]を[[推進剤]]とする[[RL-10]]B-2型に変更され、LEOに8,292kg、[[静止トランスファ軌道]] (GTO) に3,810kgのペイロードを投入可能である。
1998年8月・1999年5月と打上げに失敗して商用衛星を喪失したため、改めて2000年8月に打上げを行い、試験用ペイロードを中高度の軌道に投入することに成功した。
==== 概要 ====
* 2段式の上段は燃料効率が低いので単段の液体水素燃料上段に更新し、性能を向上して固定費と射場での工数を削減した。エンジンは[[セントール (ロケット)|セントール上段ロケット]]で使用されているプラット&ホイットニーのRL-10を備えた。水素燃料タンクの直径は4mでオレンジ色の断熱材が露出しており、より細い液体酸素タンクとエンジンは点火時まで覆われている。燃料タンクは日本の[[三菱重工業]]で製造された<ref name="Delta III"/>。
* 打ち上げ時に横風の影響を減らす為に1段目のケロシンのタンクは太くなり、長さは短縮され直径は上段の衛星フェアリングの直径に合わせられている。
* 9本のGEM-46固体燃料補助ロケットが備えられる。そのうち3本は[[推力偏向]]ノズルを備える。
デルタIIIの打ち上げは最初の2回は失敗し、3回目だけが模擬衛星を軌道へ投入した。
=== デルタIV ===
{{Main|デルタ IV|デルタ IV ヘビー}}
[[File:Delta4_family_future.png|thumb|190px|デルタIVロケット]]
[[File:Delta IV Medium 4,2+ launch with GOES-N.jpg|thumb|200px|デルタIVロケット ミディアム-プラス (4,2)]]
[[File:Delta IV Heavy Rocket.jpg|thumb|200px|デルタIVロケット ヘビー、ケープ・カナベラル(2004年12月10日)]]
アメリカ空軍の[[発展型使い捨てロケット]] (Evolved Expendable Launch Vehicle: ''EELV'') 計画の一環としてマクドネル・ダグラス/ボーイングはデルタIVを提案した。部材や技術を既存の機種から流用する事が計画の狙いでボーイングとロッキード・マーティンはそれぞれのEELVを開発した。デルタIVはアラバマ州[[:en:Decatur, Alabama|Decatur]]の新工場で生産される。
デルタIVは、デルタIIIまでの直径2.4mでLox/ケロシン燃料の一段目と全く異なる。新設計の直径5.1mもある1段目コアステージ([[コモン・コア・ブースター|共通コアブースタ]]、CBC)は、1970年代の[[SSME|スペースシャトルの主エンジン]]以来となる新規開発の[[液体酸素]]/[[液体水素]]を推進剤とした[[RS-68型液体燃料ロケットエンジン]]を採用した。このエンジンはコスト低減に主眼が置かれ、低圧の燃焼室圧力、単純な構造のノズルを特徴としている。燃焼室とノズルの上部はソビエト連邦で開発されたチャンネルウォール構造を取り入れている。ノズル下部は[[アブレーション]]による冷却を用いている。また、2段目は[[デルタIII]]と同じ[[RL10]]B-2型液体燃料[[ロケットエンジン]]である。打ち上げ塔の配管や電気回路の必要性が取り除かれた。ペイロードにあわせ3種類5形式の構成が可能で、CBCだけの中型から、デルタIIIよりさらに大型化した直径60インチの固体燃料ブースター (GEM-60G) を装着した中量級3形式、1段目にCBCを3本束ねた重量級がある。これにより静止トランスファ軌道 (GTO) に対するペイロードは4,210kgから13,130kgまでの質量に対応する。
* ミディアム (2003年3月初飛行)
* ミディアム-プラス (4,2) (2002年11月初飛行)
* ミディアム-プラス (5,2)
* ミディアム-プラス (5,4) (2009年12月初飛行)
* ヘビー (2004年12月初飛行)
== デルタロケットの番号システム ==
1972年、[[マクドネルダグラス]]は4桁の番号を従来の名称の代わりに導入した。新しいシステムではデルタロケットの新しい改善や変更により良く対応する事が出来る。(そして枯渇するアルファベットの問題も解決できる)1桁目はタンクとエンジンの形式、2桁目は固体補助燃料ロケットの数、3桁目は2段目、4桁目は3段目をあらわす<ref>{{cite web |url= http://kevinforsyth.net/delta/vehicle.htm#numbers |title= Vehicle Description: Four Digit Designator|accessdate= 2008-05-07 |last= Forsyth|first= Kevin S|work= History of the Delta Launch Vehicle}}</ref>。
{| class="wikitable"
|-
!番号
!1桁目<br/>(第1段/補助ロケット)
!2桁目<br/>(補助ロケットの数)
!3桁目<br/>(第2段)
!4桁目<br/>(第3段)
!備考<br/>(ヘビー仕様)
|-
|0
|燃料タンク延長型ソー<br/>[[MB-3]] エンジン<br/>[[キャスター (ロケットモータ)|キャスター2]]固体燃料ロケット
|固体燃料ロケットなし
|[[AJ-10]]エンジン搭載型デルタ
|3段目なし
|rowspan=7|N/A
|-
|1
|燃料タンク延長型ソー<br/>MB-3 エンジン<br/>キャスター2 固体燃料ロケット
|N/A
|TR-201エンジン搭載型デルタ
|N/A
|-
|2
|燃料タンク延長型ソー<br/>[[RS-27]]エンジン<br/>キャスター2 固体燃料ロケット
|2基の固体燃料ロケット (またはデルタIVHの場合は液体燃料補助ロケット)
|AJ-10エンジン搭載型デルタK
|[[FW-4D]] (飛行せず)
|-
|3
|燃料タンク延長型ソー<br/>RS-27エンジン<br/>[[キャスター (ロケットモータ)|キャスター4]]固体燃料ロケット
|SRB 3基
|デルタ III 低温上段, [[RL-10|RL-10B-2]]エンジン
|[[スター37|スター37D]]
|-
|4
|燃料タンク延長型ソー<br/>MB-3 エンジン<br/>キャスター4A SRB
|SRB 4基
|デルタIV 直径4m 低温上段, [[RL-10|RL-10B-2]] エンジン
|[[スター37|スター37E]]
|-
|5
|燃料タンク延長型ソー<br/>RS-27 エンジン<br/>キャスター4A SRB
|N/A
|デルタ IV 直径5m 低温上段, [[RL-10|RL-10B-2]] エンジン
|[[スター48|スター48B]]/[[ペイロード・アシスト・モジュール|PAM-D]]
|-
|6
|燃料タンク追加延長型ソー<br/>RS-27 エンジン<br/>キャスター4A SRB
|SRB 6基
|rowspan = 4|N/A
|[[スター37|スター37FM]]
|-
|7
|燃料タンク追加延長型ソー<br/>RS-27A エンジン<br/>[[GEM (ロケットモータ)#GEM-40|GEM 40]] SRB
|rowspan = 2|N/A
|rowspan = 3|N/A
|[[GEM (ロケットモータ)#GEM-46|GEM 46]] SRB
|-
|8
|強化型燃料タンク延長型ソー<br/>RS-27A エンジン<br/>[[GEM (ロケットモータ)#GEM-46|GEM 46]] SRB
|N/A
|-
|9
|デルタIV CBC<br/>[[RS-68]]エンジン
|9基のSRB
|1段目に2基のCBCを並列に追加
|}
この番号システムは2005年に新しいシステムが導入された事により廃止された<ref>{{cite web | title = Delta | url = http://www.astronautix.com/lvfam/delta.htm | work = Encyclopedia Astronautica | last = Wade | first = Mark | accessdate = 2008-05-07 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20080329150203/http://www.astronautix.com/lvfam/delta.htm | archivedate = 2008年3月29日 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>。実際には、このシステムは使用されていない。
{|class="wikitable"
|-
!番号
!1桁目<br/>(第1段/補助ロケット)
!2桁目<br/>(補助ロケットの数)
!3桁目<br/>(第2段)
!4桁目<br/>(第3段)
!備考<br/>(ヘビー仕様)
|-
|0
|rowspan=2|N/A
|固体燃料補助ロケットなし
|rowspan=2|N/A
|3段目なし
|rowspan=2|N/A
|-
|1
|N/A
|rowspan=4|N/A
|-
|2
|更に延長されたタンクのソー<br/>RS-27A エンジン<br/>[[GEM (ロケットモータ)#GEM-40|GEM 40]] SRB
|SRB (デルタIVHの場合は液体燃料補助ロケット) 2基
|AJ-10エンジン搭載型デルタ K
|[[GEM (ロケットモータ)#GEM-46|GEM 46]] SRB
|-
|3
|更に延長されたタンクのソー<br/>RS-27A エンジン<br/>[[GEM (ロケットモータ)#GEM-46|GEM 46]] SRB
|SRB 3基
|N/A
|N/A
|-
|4
|デルタ IV CBC<br/>[[RS-68]]エンジン
|SRB 4基
|デルタ IV 直径4m 低温上段, [[RL-10|RL-10B-2]] エンジン
|1段目に2基のCBCを並列に追加
|-
|5
|rowspan=5|N/A
|rowspan = 4|N/A
|デルタ IV 直径5m 低温上段, [[RL-10|RL-10B-2]] エンジン
|[[スター48|スター48B]]/[[ペイロード・アシスト・モジュール|PAM-D]]
|rowspan=5|N/A
|-
|6
|rowspan = 4|N/A
|[[スター37|スター37FM]]
|-
|7
|rowspan = 3|N/A
|-
|8
|-
|9
|9基のSRB
|}
== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|Delta (rocket)}}
* [[PGM-17 (ミサイル)]]
* [[ロケット]]
* [[宇宙開発]]
{{US launch systems}}
{{Expendable launch systems}}
{{Rocket families}}
{{DEFAULTSORT:てるたろけつと}}
[[Category:デルタロケット| ]]
[[Category:ボーイング]] | 2003-05-07T09:45:14Z | 2023-10-21T10:42:55Z | false | false | false | [
"Template:US launch systems",
"Template:Convert",
"Template:Cite web",
"Template:Reflist",
"Template:Commons&cat",
"Template:Expendable launch systems",
"Template:Rocket families",
"Template:出典の明記",
"Template:Main"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88 |
7,896 | PGM-17 ソー | PGM-17 ソー(Thor)は冷戦期の、核弾頭を搭載可能な射程2,400kmのアメリカ合衆国の準中距離弾道ミサイル (MRBM) である。アメリカ空軍のほか、イギリスにも配備され、イギリス空軍 (RAF) によっても運用されたが、キューバ危機後に撤去された。
「Thor」とは北欧神話の雷の神「トール」のことであり、英語では「ソー」もしくは「ソァ(ソア)」と発音する。
ソー弾道ミサイルは一段式の液体燃料ロケットである。酸化剤には液体酸素、燃料にはケロシンを用いている。ソー弾道ミサイルを一段目に用い、二段目以降を追加したソーは、打ち上げロケットシリーズとして様々な構成で開発・使用され、後にデルタロケットに改称のうえ発展している。
ソーの開発は1954年から開始された。1955年にダグラス社が担当となり、XSM-75の名称で開発されることとなった。1957年1月25日にはケープカナベラル空軍基地で試射が行なわれた。1958年から部隊配備が開始された。
ソー・ミサイルは地上配備であり、水平状態で保管され、発射時に垂直に立てられ打ち上げられた。発射に際しては燃料充填など15分ほどの準備時間を要した。ミサイル先端にMk2再突入体があり、W49核弾頭(核出力1.45MT)を搭載している。
最大射程は約2,400kmほどであるため、ソ連中枢部を射程内に入れるためにイギリス本土に発射基地を設ける必要があった。イギリスには最大60基ほどが展開し、イギリス空軍の20個中隊にミサイルが配備されていた。キューバ危機の影響やアトラスなどの大陸間弾道ミサイルが実用化されてきたことに伴い、1963年には退役した。このほか、プログラム437の名称で、ジョンストン島に衛星攻撃兵器としてソー・ミサイルが配備されていた。人工衛星を核攻撃する目的のものであり、これだけは1975年まで配備が継続された。 | [
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] | PGM-17 ソー(Thor)は冷戦期の、核弾頭を搭載可能な射程2,400kmのアメリカ合衆国の準中距離弾道ミサイル (MRBM) である。アメリカ空軍のほか、イギリスにも配備され、イギリス空軍 (RAF) によっても運用されたが、キューバ危機後に撤去された。 「Thor」とは北欧神話の雷の神「トール」のことであり、英語では「ソー」もしくは「ソァ(ソア)」と発音する。 | {{出典の明記|date=2015年2月}}
{{infobox Weapon
| name = SM-75/PGM-17A ソー
| image = [[File:Thor IRBM.jpg|250px]]
| caption = 発射台上のソーMRBM
| origin = {{USA}}
| type = 準中距離弾道ミサイル (MRBM)
| service =
| used_by = [[アメリカ空軍]] (試験)<br/>[[イギリス空軍]] (運用展開)
| wars =
|is_missile= yes
|is_vehicle= yes
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| design_date = 1957年
| manufacturer = [[ダグラス・エアクラフト]]
| unit_cost = 625万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]
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| variants = [[デルタロケット]]
| spec_label =
| weight = 打ち上げ時109,330 lbs.
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| diameter = 8 ft. 0 in.
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| launch_platform =
| transport =
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|yield= 1,440キロトン TNT (6.02 PJ)
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|engine_power= 760 kN
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|guidance=[[慣性誘導装置]]
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}}
'''PGM-17 ソー'''(Thor)は冷戦期の、[[核弾頭]]を搭載可能な射程2,400kmの[[アメリカ合衆国]]の[[準中距離弾道ミサイル|準中距離弾道ミサイル (MRBM)]] である。[[アメリカ空軍]]のほか、[[イギリス]]にも配備され、[[イギリス空軍]] (RAF) によっても運用されたが、[[キューバ危機]]後に撤去された。
「'''Thor'''」とは[[北欧神話]]の雷の神「[[トール]]」のことであり、英語では「ソー」もしくは「ソァ(ソア)」と発音する。
== 概要 ==
ソー弾道ミサイルは1段式の液体燃料ロケットである。酸化剤には[[液体酸素]]、燃料には[[ケロシン]]を用いている。ソー弾道ミサイルを1段目に用い、2段目以降を追加した[[ソー (ロケット)|ソー]]は、打ち上げロケットシリーズとして様々な構成で開発・使用され、後に[[デルタロケット]]に改称のうえ発展している。
ソーの開発は[[1954年]]から開始された。1955年にダグラス社が担当となり、XSM-75の名称で開発されることとなった。[[1957年]][[1月25日]]には[[ケープカナベラル空軍基地]]で試射が行なわれた。[[1958年]]から部隊配備が開始された。
ソー・ミサイルは地上配備であり、水平状態で保管され、発射時に垂直に立てられ打ち上げられた。発射に際しては燃料充填など15分ほどの準備時間を要した。ミサイル先端にMk2[[再突入体]]があり、[[W49 (核弾頭)|W49]][[核弾頭]](核出力1.45MT)を搭載している。
最大射程は約2,400kmほどであるため、ソ連中枢部を射程内に入れるためにイギリス本土に発射基地を設ける必要があった。イギリスには最大60基ほどが展開し、イギリス空軍の20個中隊にミサイルが配備されていた。キューバ危機の影響や[[アトラス (ミサイル)|アトラス]]などの[[大陸間弾道ミサイル]]が実用化されてきたことに伴い、[[1963年]]には退役した。このほか、プログラム437の名称で、[[ジョンストン島]]に[[衛星攻撃兵器]]としてソー・ミサイルが配備されていた。[[人工衛星]]を核攻撃する目的のものであり、これだけは1975年まで配備が継続された。
== 関連項目 ==
{{Commonscat|PGM-17 Thor}}
* [[アメリカ航空宇宙局]] (NASA)
* [[アメリカ合衆国のミサイル一覧]]
* [[ソー (ロケット)]]
{{アメリカ合衆国の弾道ミサイル}}
{{Normdaten}}
{{weapon-stub}}
{{DEFAULTSORT:PGM17 そお}}
[[Category:アメリカ合衆国の弾道ミサイル]]
[[Category:マクドネル・ダグラス]] | 2003-05-07T10:02:13Z | 2023-11-06T14:52:54Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/PGM-17_%E3%82%BD%E3%83%BC |
7,897 | デルタ | デルタ (希: Δ, δ, δέλτα, 英: Delta) は、ギリシア文字の1つ。 | [
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] | デルタ は、ギリシア文字の1つ。 | '''[[Δ|デルタ]]''' ({{Lang-el-short|[[Δ]], [[δ]], [[:w:wikt:δέλτα|δέλτα]]}}, {{lang-en-short|[[:w:wikt:Delta|Delta]]}}) は、[[ギリシア文字]]の1つ。
== 地理 ==
* [[三角州]]の別名。デルタ地帯とも。
** [[ナイル川デルタ]] - [[ナイル川]]河口の三角州。
* [[鴨川デルタ]] - [[京都市]][[左京区]]にある[[鴨川 (淀川水系)|賀茂川]]と[[高野川 (京都市)|高野川]]の合流地点に形成された三角地帯の通称。三角州ではない。
* [[デルタ州]] - [[ナイジェリア]]にある州。
* [[デルタ (ブリティッシュコロンビア州)]] - [[カナダ]]の[[メトロバンクーバー]]にある自治体。
== 企業 ==
* [[デルタ (万年筆)]] - イタリアの筆記具メーカー。
* [[デルタ航空]] - アメリカの大手航空会社。
<!-- * [[デルタ電子]] - 台湾の産業用電子機器メーカー。日本法人は[[東京都]][[港区]]にある。Intel純正のリテールクーラーを一部OEM製造している。 一応作っておきましたが記事ができるまでは保留 -->
* [[伏見デルタ]] - 二輪専門教習所。インストラクターによるバイクパレードが有名。旧称は伏見テクニカルセンター
* [[DELTA (野球)]] - 日本の野球データ分析企業。
* [[デルタ工業]] - [[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]に本社を置く自動車部品メーカー
== 乗り物 ==
* 自動車
** [[ダイハツ・デルタ]] - ダイハツ工業のバン/トラック。
** [[ランチア・デルタ]] - ランチアの自動車。
** [[キア・アベラ|キア・アヴェラ デルタ]] - 起亜のコンパクトセダン。
** [[ヒュンダイ・デルタエンジン]] - 現代自動車のV6ガソリンエンジン。
** [[デルタウイング]] - デルタウイング・レーシング・カーズが開発した[[プロトタイプレーシングカー]]。
* 鉄道
** [[デルタ線]] - 鉄道分岐点。
* 船舶
** [[デルタ (貨物輸送艦)]]
**[[デルタ (船)]] - P&O社の船。のち日本船「高砂丸」、アメリカ船「センテニアル」
*航空・宇宙
** [[デルタロケット]] - アメリカの人工衛星打ち上げ用中型ロケット。
** [[翼平面形#デルタ翼|デルタ翼]] - 航空機の翼平面形の一種。
== 軍事 ==
* [[デルタフォース]] - アメリカ陸軍第一特殊作戦部隊デルタ分遣隊の通称。
* [[通話表#欧文通話表|Delta]] - 「D」を正確に伝達するための、欧文[[通話表]]で制定された頭文字の規則の通称、[[通話表|フォネティックコード]]。
== 数学 ==
* [[ディラックのデルタ関数]] - [[ポール・ディラック]]が[[1920年代]]に提唱した[[超関数]]
* [[クロネッカーのデルタ]] - [[レオポルト・クロネッカー]]が[[19世紀]]に提唱した[[指示関数]]
== 疫学 ==
* [[SARSコロナウイルス2-デルタ株]] - [[SARSコロナウイルス2の変異株]]の1つ ([[2020年]])
== ソフトウェア ==
* [[DELTA (分類学)|DELTA]] - 主に[[分類学]]の分野で使用される分類データベースにリンクして扱うデータフォーマット。
== データ分析モデル ==
* [[データ]](Data)、[[組織風土]](Enterprise)、[[リーダーシップ]](Leadership)、[[分析対象]](Target)、[[分析力]](Analyst)の頭文字を取ったデータ分析モデル。
== 姓 ==
* {{仮リンク|ペネロープ・デルタ|en|Penelope Delta}} (Δέλτα, 1874 - 1941) - ギリシャの作家
== 女性名 ==
* [[デルタ・グッドレム]] (1984 - ) - オーストラリアのシンガーソングライター
* [[デルタ・バーク]] (1956 - ) - アメリカの女優
* {{仮リンク|ミレヤ・グレイ|en|Mireya Grey}} (1998 - ) - ジャマイカのサッカー選手、本名はMireya Aleshannee Delta Grey
== 架空のキャラクター名 ==
* [[仮面ライダー555の登場仮面ライダー#仮面ライダーデルタ|仮面ライダーデルタ]] - 特撮『[[仮面ライダー555]]』に登場する仮面ライダーの1人。
* [[ジュラシック・ワールド#劇中に登場する恐竜・古生物|デルタ]] - 映画『[[ジュラシック・ワールド]]』に登場するラプトル。
* アダルトゲーム『[[ワーズ・ワース]]』の登場人物。
* ビデオゲーム『[[スター・ウォーズ リパブリック・コマンド]]』に登場するチーム
* スマートフォン向けアプリゲーム『[[サイバーハンター]]』に登場する武器(アサルトライフル)の名前
== 作品名 ==
* [[マクロスΔ]] - 日本のテレビアニメ。
*[[R-TYPE Δ]] - 日本のビデオゲーム。
== スポーツチーム ==
* [[デルタ (ラグビーチーム)]] - [[オランダ]]・[[アメルスフォールト]]に本拠地を置く[[ラグビーユニオン]]クラブ。
== 関連項目 ==
* [[D]] - デルタを由来とする[[ラテン文字]]
* [[三角 (記号)]]
* [[ナブラ]] (∇)
* {{prefix}}
* {{intitle}}
* {{intitle|Δ}}
* [[:en:Special:PrefixIndex/delta]]
{{Aimai}}
{{DEFAULTSORT:てるた}}
[[Category:ギリシア語の語句]]
[[Category:英語の女性名]]
[[Category:英語の地名]] | 2003-05-07T10:31:43Z | 2023-12-06T20:50:38Z | true | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF |
7,898 | 三角州 | sIne
河川の上流から流れてきた砂などが堆積することにより形成される。大河の場合は河口に複数の三角州が形成されることもあり、それらを総体的にデルタまたは三角州と呼ぶこともある。
河口付近で流速が急激に遅くなるとき、土砂が堆積しやすくなるため、中洲が形成される。河口付近の潮流によって中洲が削られ、複雑な地形を形成することがある。
形成の条件は、河川からの十分な量の土砂供給があること、河口付近の海底地形が土砂を堆積できる形態であること、河口付近の潮流が土砂を侵食し過ぎないことである。河川からの土砂の供給量が十分でないときは、三角江を形成することがある。
一般にモンスーンアジアの河川は傾斜が急で流量も大きいため、河川の運搬作用が大きく、河口に三角州を形成している場合が多い。モンスーンアジアで三角州は主に水田に利用されている。
三角州の形態は、単純なデルタ状に留まらず、様々な種類がある。以下ではそのうち特にありふれた3つを示すが、すべての三角州が以下の3つに分類できるわけではない。
沖合の潮流と、河川からの土砂の供給量がうまく釣り合っているときに形成される。代表例としては、ナイル川デルタ、ニジェール・デルタなどがある。
土砂が堆積しやすく、潮流によって中洲が削られない場合に形成される。すなわち、形成されるのは、遠浅で潮の流れが遅い場所である。代表例としては、ミシシッピ川デルタ(英語版)があげられる。
尖状三角州ともよばれる。河口が尖っているような三角州のことで、川によって運ばれた土砂がよく削られる場合に形成される。このとき河口付近では土砂が堆積するが、そのまわりでは削られるため、尖った形の三角州が形成される。代表例としては、テヴェレデルタがあげられる。
日本を代表する規模の大きな三角州の街は、淀川とその支流からなる三角州に形成された大阪市をはじめ、福岡市や広島市も三角州に街が形成されており、阿武川とその支流からなる三角州の萩市など、三角州の街は多い。
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] | sIne | {{出典の明記|date=2019-02-04}}
[[ファイル:NileDelta-EO.JPG|thumb|220px|right|[[ナイル川デルタ]]。世界最大級の三角州地形である。]]
'''三角州'''(さんかくす、'''三角洲'''とも{{Sfn|海津ほか|2012|p=38}}、{{lang-en|Delta|links=no}})とは、[[河口]]付近において、[[河川]]によって運ばれた物質が堆積することにより形成された[[地形]]である{{Sfn|貝塚|1985|p=48}}。河口において河川流が[[流路形状#派川|分流]]し、枝分かれした分流路と海岸線のなす形が[[ギリシア文字]]の[[Δ|デルタ]]({{el|Δ}})に似ていることから、'''デルタ'''とも呼ばれる{{Sfn|小池|2010|p=147}}。
== 概説 ==
河川の上流から流れてきた[[砂]]などが[[堆積]]することにより形成される。大河の場合は河口に複数の三角州が形成されることもあり、それらを総体的にデルタまたは三角州と呼ぶこともある。
河口付近で流速が急激に遅くなるとき、土砂が堆積しやすくなるため、中洲が形成される。河口付近の潮流によって中洲が削られ、複雑な地形を形成することがある。
形成の条件は、河川からの十分な量の土砂供給があること、河口付近の海底地形が土砂を堆積できる形態であること、河口付近の潮流が土砂を侵食し過ぎないことである。河川からの土砂の供給量が十分でないときは、[[三角江]]を形成することがある。
一般に[[モンスーン]]アジアの河川は傾斜が急で流量も大きいため、河川の運搬作用が大きく、河口に三角州を形成している場合が多い。モンスーンアジアで三角州は主に水田に利用されている。
== 種類 ==
三角州の形態は、単純なデルタ状に留まらず、様々な種類がある。以下ではそのうち特にありふれた3つを示すが、すべての三角州が以下の3つに分類できるわけではない。
=== 円弧状三角州 ===
沖合の潮流と、河川からの土砂の供給量がうまく釣り合っているときに形成される。代表例としては、[[ナイル川デルタ]]、[[ニジェール・デルタ]]などがある。
=== 鳥趾状三角州 ===
土砂が堆積しやすく、潮流によって中洲が削られない場合に形成される。すなわち、形成されるのは、遠浅で潮の流れが遅い場所である。代表例としては、{{仮リンク|ミシシッピ川デルタ|en|Mississippi River Delta}}があげられる。
=== カスプ状三角州 ===
'''尖状三角州'''ともよばれる。河口が尖っているような三角州のことで、川によって運ばれた土砂がよく削られる場合に形成される。このとき河口付近では土砂が堆積するが、そのまわりでは削られるため、尖った形の三角州が形成される。代表例としては、[[テヴェレ川|テヴェレ]]デルタがあげられる。
== 世界の三角州 ==
[[ファイル:Mississippi delta from space.jpg|thumb|280px|right|{{仮リンク|ミシシッピ川デルタ|en|Mississippi River Delta}}(鳥趾状三角州)]]
* [[ナイル川デルタ]]
* [[メコン・デルタ]]
* [[アマゾン川|アマゾン]]デルタ
* [[ヴォルガ川|ヴォルガ]]デルタ
* [[ドナウ・デルタ]]
* {{仮リンク|ミシシッピ川デルタ|en|Mississippi River Delta}} - 鳥趾状三角州
* [[黄河]]デルタ
* [[長江デルタ]]
* [[珠江デルタ]]
* [[インダス川|インダス]]デルタ
* [[オリノコ川|オリノコ]]デルタ
* [[ガンジス川|ガンジス]]デルタ
* [[ニジェール・デルタ]]
* [[レナ川]]デルタ
== 日本の三角州 ==
日本を代表する規模の大きな三角州の街は、[[淀川]]とその支流からなる三角州に形成された[[大阪市]]をはじめ、[[福岡市]]や[[広島市]]も三角州に街が形成されており、[[阿武川]]とその支流からなる三角州の[[萩市]]など、三角州の街は多い。
<gallery>
ファイル:NagaseGawaInawashiro.jpg|[[長瀬川 (福島県)|長瀬川]]の三角州
ファイル:20080813AnegawaBiwaKo.JPG|[[姉川]]の三角州
ファイル:Karasu,mie.jpg|[[雲出川]]の三角州([[香良洲町]])
ファイル:20080813AdoGawa.JPG|[[安曇川]]の三角州
ファイル:20080813HagiShi.JPG|[[阿武川]]の三角州
ファイル:太田川の三角州.jpg|alt=太田川の三角州|[[太田川]]の三角州
</gallery>
'''箇所'''
*[[大阪平野]](大阪府)
*[[濃尾平野]](愛知県)
*[[広島平野]](広島県)
*[[徳島平野]](徳島県)
*[[福岡平野]](福岡県)
*[[萩平野]](山口県)
*[[福島潟]](新潟県)
* 水郷(茨城県・千葉県)※鳥趾状三角州 - [[水郷筑波国定公園]] 参照
*[[酒田千石]](山形県)
*[[河北潟]]南岸(石川県)
*[[田鶴浜 (七尾市)|田鶴浜]](石川県)※カスプ状三角州
*[[河口湖]]北岸(山梨県)
*[[岩木川]](青森県)
*[[大川 (一関市・気仙沼市)]] (宮城県)
*[[馬場目川]](秋田県)※カスプ状三角州 - [[八郎潟]] 参照
*[[宇多川]]・[[長瀬川 (福島県)|長瀬川]](福島県)
*[[恋瀬川]]・巴川(茨城県)
*[[小櫃川]](千葉県)
* 北川・南川(福井県)
* 宮川(長野県)
*[[天竜川]](静岡県)
*[[矢作川]](愛知県)
*[[豊川]]・[[梅田川 (愛知県)]]
*[[宮川 (三重県)]]
*[[野洲川]]・[[安曇川]](滋賀県)
*[[千種川]](兵庫県)
* 千代川・天神川(鳥取県)
*[[斐伊川]]・高津川・益田川・神戸川(島根県)
* 旭川・[[高梁川]](岡山県)
*[[芦田川]](広島県)
*[[錦川]](山口県)
*[[那賀川]](徳島県)
*[[肱川]](愛媛県)
*[[筑後川]](福岡県)
*[[松浦川]]・[[六角川]](佐賀県)
*[[浦上川]]・郡川・本明川(長崎県)
*[[球磨川]](熊本県)
*[[水俣川]] (熊本県)
*[[天降川]](鹿児島県)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=貝塚爽平|authorlink=貝塚爽平|chapter=川のつくる堆積地形|pages=46-57|editors=[[貝塚爽平]]・[[太田陽子 (地理学者)|太田陽子]]・小疇尚・小池一之・[[野上道男]]・[[町田洋 (火山学者)|町田洋]]・[[米倉伸之]]|year=1985|title=写真と図で見る地形学|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4-13-062080-2|ref={{SfnRef|貝塚|1985}}}}
* {{Cite book|和書|author=小池一之|chapter=沖積低地の発達と変化に富んだ海岸線|pages=146-153|editors=太田陽子・小池一之・[[鎮西清高]]・野上道男・町田洋・[[松田時彦]]|year=2010|title=日本列島の地形学|publisher=東京大学出版会|isbn=978-4-13-062717-7|ref={{SfnRef|小池|2010}}}}
* {{Cite book|和書|editor=海津正倫|editor-link=海津正倫|year=2012|title=沖積低地の地形環境学|publisher=古今書院|isbn=978-4-7722-5263-8|ref={{SfnRef|海津ほか|2012}}}}
== 関連項目 ==
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* [[分流]]
* [[扇状地]]
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== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* [https://www.gsi.go.jp/kikaku/tenkei_kasen.html#%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%B7%9E 河川の作用による地形] - [[国土地理院]]
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7,899 | ガリウム | ガリウム (英: gallium [ˈɡæliəm]) は原子番号31の元素で、元素記号は Ga である。ホウ素、アルミニウムなどと同じ第13族元素に属する。
命名には2つの説がある。一つは、ガリウムの発見者であるボアボードランがこの新しい元素を母国フランスのラテン名「ガリア (Gallia)」にちなんでガリウムと命名したとする説、もう一つはボアボードランのミドルネームである "Lecoq" から関連付けて、フランス語で雄鶏を意味する "le coq" のラテン語である gallus から付けられたとする説である(後者は1877年に本人によって否定されている)。
ドミトリ・メンデレーエフが1870年に周期表を発表した際、「エカ=アルミニウム (eka-alminium)」として予言した元素である。メンデレーエフはこの元素の原子量や比重などを予測した。
1875年にポール・ボアボードランがピレネー山脈産の閃亜鉛鉱を分光法によって分析した際、特徴的な2本の紫色の光線として発見した。また、同年ボアボードランは溶融させた水酸化カリウムに水酸化ガリウム(III) を加えて溶融塩電解することによって金属ガリウムを得ることに成功している。メンデレーエフの予測した密度の理論値5.9は、実測値である5.94と非常に一致しているなど、予測された多くの物性は非常に密接に実測値と一致していた。この「エカ=アルミニウム」の予測物性と「ガリウム」の実測物性の近似は、当時評価を受けていなかったメンデレーエフの周期表が注目を浴びるきっかけとなった。
圧力、温度によっていくつかの安定な結晶構造がある。常温、常圧では斜方晶系が安定(比重 5.9)で、青みがかった金属光沢がある金属結晶である。融点は 29.8 °C と低いが、一方、沸点は 2403 °C(異なる実験値あり)と非常に高い。酸にもアルカリにも溶ける両性である。価電子は3個 (4s, 4p) だが、3d軌道も比較的浅いところにある。
また、水と同じように、液体の方が固体よりも体積が小さい異常液体である。ガリウムは固体から液体になると、その体積が約3.4%減少する。そのため金属のガリウムをガラス容器に保管すると相転移に伴う体積変化によって容器が破損するため、通常はポリ容器に保管される。
単体のガリウムは自然では産出しないが、溶解製錬によって簡単に得ることができる。高純度の金属ガリウムは光沢のある銀色であり、固体金属の断面はガラスに似た貝殻状断面となる。また、鉱酸によって徐々に溶解する。金属ガリウムは非常に柔らかく、モース硬度は1.5である。液体から固体へと相転移する際に体積が3.2%増加する。これは、固体状態において分子間結合を形成する物質の典型的な現象である。そのため、金属やガラス容器での保管はガリウムの固化による容器破損を防ぐために避けられる。ガリウムのように液体の方が固体よりも高密度な材料は、ケイ素、ゲルマニウム、ビスマスおよび水のような限られたもののみである。
ガリウムは固体状態では反磁性であるが、液体状態では常磁性となり、40 °C における磁化率は χm = 2.4×10 である。
ガリウムは、ほとんどの他の金属について金属格子に拡散して侵食する。例えば、ガリウムはアルミニウム-亜鉛合金や鋼鉄の粒界に侵食することで、それらを脆化させる。また、金属ガリウムは他の金属と容易に合金化し、その代表的なものとして磁歪材料や制振材料に用いられる鉄ガリウム合金 (FeGa) がある。
融点は 302.9146 K (29.7646 °C) と室温に近く、人の手の上で融解する。ガリウムは過冷却となる傾向が非常に強いため、種結晶の添加による結晶化の促進を行わなければ融点以下の温度においても結晶化しにくい。液体のガリウムは毒性は強くなく予防措置の必要性は少ないものの、水銀と違ってガラスや金属、あるいは皮膚に対する濡れ性が強いため、機械的に取扱いが難しい。
ガリウムは他の金属のような単純な結晶構造の形では結晶化せず、常圧状態において異なる条件下で形成される四つの既知の多形であるα、β、γ、δ-ガリウムと、高圧状態において形成される Ga-II、Ga-III、Ga-IV が存在する。通常の状態下において安定した状態は単位格子に八つの原子を含む斜方晶系であるα-ガリウムが形成する。α-ガリウムは、最も近い原子同士の距離は 244 pm、六つの隣接する原子とはさらに 39 pm 離れている。このような対称性の低い不安定な構造であることは、ガリウムの融点の低さの原因となっていると考えられている。最も近い隣接した原子間の結合は共有結合的な性質を持っており、そのため Ga2 二量体は結晶の基礎的要素として見られ、共有結合した二量体がそれぞれ金属結合している構造を取る。これも、ガリウムが同族元素であるアルミニウムやインジウムと比較して著しく融点が低いことの説明とされる。この二量体のガリウムは液体状態においても安定であり、気体状態においても二量体のガリウムを検出することができる 。
過冷却状態の液体ガリウムからの結晶化によって、他の結晶形のガリウムを得ることができる。−16.3 °C 以上において単斜晶系のβ-ガリウムが形成され、これはガリウム原子がジグザグに並列した構造を取る。−19.4 °C 以上では三方晶系のδ-ガリウムが形成され、これは12個のガリウム原子が歪んだ形で配列した、α-ホウ素と同様の結晶構造を取る。−35.6 °C では最終的にγ-ガリウムが形成され、これは7個のガリウム原子が環状に配列し、その中央に直鎖型に配列したガリウム原子が相互に接続するような斜方晶系を取る 。
室温、高圧の状態においても他の結晶形のガリウムを得ることができる。詳しくは下に記した表の中にある「生成方法」項目を参照されたい。
ガリウムの化合物は通常+3の酸化数をとる。ガリウム(I) の化合物も合成されているが、不均化によって直ちにガリウム(III) となる傾向がみられる。ガリウム(II) の化合物は、実際はガリウム(I) とガリウム(III) の混合物である。
ガリウムを強酸に溶かすと Ga2(SO4)3 や Ga(NO3)3 のようなガリウム(III) 塩を生成する。ガリウム(III) 塩の水溶液は水和ガリウムイオン [Ga(H2O)6] を含んでいる。水酸化ガリウム(III) Ga(OH)3 はガリウム(III) の水溶液にアンモニアを加えることで得られ、それを 100 °C で乾燥させると水酸化酸化ガリウム(III) GaO(OH) に変化する。
アルカリ金属の水酸化物溶液はガリウムを溶解してガリウム酸イオン Ga(OH)4 を形成する。水酸化ガリウム(III) も両性化合物であり、アルカリに溶解してガリウム酸塩を作る。初期の研究では八面体形の Ga(OH)6 の存在が示唆されたが、後の研究ではこのイオン種を見いだすことはできなかった。
金属ガリウムは常温で酸化被膜を形成するため空気と水に対して不活性である。しかしより高い温度では空気中の酸素と反応して酸化ガリウム(III) Ga2O3 が生じる。この酸化ガリウム(III)は半導体素子やガスセンサー等に用いられる。また、酸化ガリウム(III)を金属ガリウムとともに真空中で 500 °C から 700 °C で加熱すると、暗褐色の酸化ガリウム(I) Ga2O が得られる。酸化ガリウム(I) は非常に強い還元剤として働き、硫酸を硫化水素にまで還元することができる。酸化ガリウム(I) は 800 °C で不均化を起こし金属ガリウムと酸化ガリウム(III) になる。
硫化ガリウム(III) Ga2S3 は金属ガリウムと硫化水素とを 900 °C で反応させることによって得られ、3つの結晶形を取りうる。金属ガリウムの代わりに水酸化ガリウム(III) Ga(OH)3 と747 °Cで反応させることによっても得られる。
アルカリ金属の炭酸塩と酸化ガリウム(III) の混合物に硫化水素を反応させることでチオガリウム酸イオン [Ga2S4] が生成する。これらの塩は強酸によって硫化水素を放出しながら分解される。チオガリウム酸の水銀塩 HgGa2S4 は蛍光体として用いられる。
緑色の硫化ガリウム(I) や硫化ガリウム(II) のような低硫化物も生成し、硫化ガリウム(I) は硫化ガリウム(II) を窒素気流化で 1000 °C に加熱することで作られる。
その他の二元化合物には、セレン化ガリウム Ga2Se3 やテルル化ガリウム Ga2Te3 があり、閃亜鉛鉱型構造を取る。これらの化合物は半導体であるが、容易に加水分解するため用途には制限がある。
ガリウムを 1050 °C でアンモニアと反応させると青色発光ダイオードの素材として知られる窒化ガリウム GaN が得られる。リン、ヒ素、アンチモンとも反応して二元化合物を作り、それぞれリン化ガリウム GaP、ヒ化ガリウム GaAs、アンチモン化ガリウム GaSb を形成する。これらの化合物は硫化亜鉛と同じ閃亜鉛鉱型構造を取り、ヒ化ガリウムは半導体材料として重要であり、リン化ガリウムは発光ダイオードの材料として利用されるなど、重要な半導体特性を有する。リン化ガリウム、ヒ化ガリウム、アンチモン化ガリウムはいずれも金属ガリウムとリン、ヒ素、アンチモンとの直接反応によって合成され、これらは窒化ガリウムよりも高い電気伝導性を示す。リン化ガリウムは酸化ガリウム(I) とリンとの反応によって低温で合成することもできる。
ガリウムは三元窒化物を形成する。
Li3GaP2 や Li3GaAs2 などのリンやヒ素による類似した化合物も存在している。これらの化合物は希酸と水によって容易に加水分解される。三元リン化物の代表的な化合物として、圧電素子として利用されるリン酸ガリウム (GaPO4) がある。
酸化ガリウム(III) はフッ化水素酸やフッ素によってフッ素化されてフッ化ガリウム(III) GaF3 を与える。フッ化ガリウム(III) は水にあまり溶解しないイオン性化合物であるが、フッ化水素酸に対しては3水和物 GaF3•3H2O を形成して溶解する。これを乾燥させると水酸化フッ化ガリウムのn水和物 GaF2OH•nH2O が得られる。この付加物はアンモニアと反応して GaF3•3NH3 となり、これを加熱することで無水物 GaF3 が得られる。
塩化ガリウム(III) は金属ガリウムと塩素ガスの反応によって合成される。塩化ガリウム(III) はフッ化ガリウム(III) とは違い二量体分子 Ga2Cl6 として存在しており、融点は 78 °C である。臭化ガリウム(III) Ga2Br6 およびヨウ化物ガリウム(III) Ga2I6 も同様である。
他の第13族元素のハロゲン化物と同様にガリウム(III) のハロゲン化物はルイス酸であり、ハロゲン化物の受容体と反応して GaX4 アニオン(X はハロゲン)を含むアルカリ金属ハロゲン化物を形成する。それらもまたハロゲン化アルキルと反応してカルボカチオンと GaX4 を生成する。
ハロゲン化ガリウム(III) は高温まで加熱されると金属ガリウムと反応し、それぞれ対応するハロゲン化ガリウム(I) を生成する。例えば、塩化ガリウム(III) と金属ガリウムを反応させることによって塩化ガリウム(I) GaCl が生成する。
低温では塩化ガリウム(I) は不均化を起こして塩化ガリウム(III) と金属ガリウムとなり平衡は左に寄る。塩化ガリウム(I) は金属ガリウムと塩化水素を 950 °C で反応させることでも作ることができ、それは赤い固体として濃縮できる。
ガリウム(I) 化合物はルイス酸と錯体を作ることで安定化することができる。
いわゆるハロゲン化ガリウム(II) GaX2 はそれぞれのハロゲン化ガリウム(I) にハロゲン化ガリウム(III) がルイス酸として付加したものであり、Ga[GaX4] という構造をしている。
アルミニウムと同様ガリウムも水素化物 GaH3 を形成する。水素化ガリウム(III)(ガラン)は無色の液体であり、LiGaH4 と塩化ガリウム(III) を −30 °C で反応させることによって得られる。
水素化ガリウム(III) はジメチルエーテルを溶媒として合成すると重合体 [GaH3]n として得られ、無溶媒で反応させると二量体の揮発性の分子 Ga2H6 として得られる。その構造はジボランと似ており、二つの水素原子が二つの金属中心を架橋する構造を有し、水素化アルミニウム(III) α-AlH3 が6配位を持つのとは異なっている。
水素化ガリウム(III) は −10 °C 以上では不安定で、金属ガリウムと水素に分解する。
ガリウムのトリアルキル化合物は同族元素であるアルミニウムのそれと類似した性質を持っているが、トリアルキルアルミニウムが炭素原子の架橋により多量体を形成するのと比較して、トリアルキルガリウムは二量体をも形成しないため非常に不安定である。トリアルキルガリウムの中でも特に重要なものとして、LED照明などに用いられる窒化ガリウムや半導体として重要なヒ化ガリウムの有機金属気相成長法による製造において、ガリウム源として用いられるトリメチルガリウムがある。また、クロロジメチルガリウムなどのジアルキルガリウムにおいては、水溶液中で錯イオンを形成し安定化することが知られている。
マイクロ波集積回路や赤色発光ダイオード、半導体レーザーなどに用いられるヒ化ガリウムのようなIII-V族半導体の主要な材料である。窒化ガリウムは中村修二が開発した青色発光ダイオードの材料である。世界市場のガリウムの95%は半導体に使われているが、合金や燃料電池などの新規用途の開発も続けられている。
302.91 K (29.76 °C)~2676 K (2403 °C) と広い温度範囲で液体であるため、液柱温度計に用いられる。水銀と違って低温での蒸気圧が低いことも、温度計への利用に有利である。
融点が低いため、低融点合金にも使われる。ガリウム68.5%、インジウム21.5%およびスズ10%からなる合金はガリンスタンとよばれ、毒性が低く常温で液体(融点−19 °C)であることから液体鏡式望遠鏡の水銀の代替として研究されており、また合金に含まれるインジウムの高速中性子に対する反応断面積の高さを利用して核融合炉の冷却材としても研究されている。また、プルトニウム-ガリウム合金はトリニティ実験で使われた核爆弾および長崎に投下されたファットマンの中心核に用いられ、プルトニウムの結晶構造を安定化させるのに用いられた。
ガリウム(III) イオンは生体内で鉄(III)イオンと同じように振る舞うため、鉄(III) イオンが操作する生体反応に相互に作用して局在化する。この性質を利用して、疾患推定の検査であるシンチグラムにガリウム塩が使われている。またガリウムの生物学的役割は知られていないが、代謝の促進を促すことが示された。
融点(302.9146 K (29.7646 °C) )が一般的に室温よりも高く、また手指の摩擦熱によって容易に融点まで温度を上げられることから、いわゆる“スプーン曲げ”や“スプーン切断”用のスプーンの製造材料に用いられることがある。
1990年、国際度量衡局が定めた国際温度目盛 (ITS-90) の定義定点の一つとして、標準気圧 (101,325 Pa) におけるガリウムの融解点である302.9146 K (29.7646 °C) が用いられた。
人間の手のひらに固体のガリウムを乗せると体温で融け、融けたガリウムを別の容器などに移すと次第に固体に戻るため、融点に関する教材としての使い道がある。ただし、液体のガリウムは濡れ性が強く、手やガラスに付くと取れにくいので、取り扱いには注意を要する。
ガリウムは自然界では単体としては存在せず、元素またはその化合物を抽出する一次原料としての高品位のガリウム鉱物もまた存在しない。地球の地殻には約 16.9 ppm 含まれている。ガリウムは、ボーキサイトの微量成分として抽出され、閃亜鉛鉱からも少量抽出される。石炭、ダイアスポア、ゲルマニウムに含まれるガリウムは無視できるほどの量である。石炭を燃焼した粉塵には、少量のガリウムが含まれる場合があるが、通常、重量にして1%以下である。ガリウムの含有量が比較的多い鉱石としてはナミビアのツメブで産するゲルマナイトが知られているが、それでも含有率はわずかに0.6%–0.7%程度である。
ガリウムはアルミニウムや亜鉛を製錬する際の副産物として得られる。これらの2つの方法以外は経済的ではない。アルミニウム製錬での副産物として得るのが主流である。ボーキサイトからバイヤー法でアルミナを生産する際に、ここで得られるガリウムを含んだバイヤー液(アルミン酸ソーダ溶液)から、Ga2O3(酸化ガリウム(III))を沈殿させた後で、水銀陰極を用いて電解還元し、ガリウムを得る方法などがある。ガリウム含有溶液には他の金属も含まれるため、それらと分離して精製する必要がある。半導体として使用する場合には、ゾーンメルト法でさらに純度を高めたり、チョクラルスキー法を使って、単結晶を得ることができる。通常、99.9999%の純度が達成され、商業的に広く利用されている。世界全体の生産量は、2006年のガリウムの生産量は234トンで、採掘からは100トン未満が得られ、残りは電子部品の製造工程でのスクラップなどからリサイクルされると推定される。世界全体のガリウム生産量の98%を中国が占める(2022年現在)。一方、日本はガリウムの最大の需要国であり、例えば2006年の日本のガリウム需要は168トンであり、これは世界の需要の約72%を占めている。また、日本でのスクラップ回収から得られる量は90トン以上と、大きな比率を占めている。 | [
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"text": "アルカリ金属の炭酸塩と酸化ガリウム(III) の混合物に硫化水素を反応させることでチオガリウム酸イオン [Ga2S4] が生成する。これらの塩は強酸によって硫化水素を放出しながら分解される。チオガリウム酸の水銀塩 HgGa2S4 は蛍光体として用いられる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "緑色の硫化ガリウム(I) や硫化ガリウム(II) のような低硫化物も生成し、硫化ガリウム(I) は硫化ガリウム(II) を窒素気流化で 1000 °C に加熱することで作られる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "その他の二元化合物には、セレン化ガリウム Ga2Se3 やテルル化ガリウム Ga2Te3 があり、閃亜鉛鉱型構造を取る。これらの化合物は半導体であるが、容易に加水分解するため用途には制限がある。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "ガリウムを 1050 °C でアンモニアと反応させると青色発光ダイオードの素材として知られる窒化ガリウム GaN が得られる。リン、ヒ素、アンチモンとも反応して二元化合物を作り、それぞれリン化ガリウム GaP、ヒ化ガリウム GaAs、アンチモン化ガリウム GaSb を形成する。これらの化合物は硫化亜鉛と同じ閃亜鉛鉱型構造を取り、ヒ化ガリウムは半導体材料として重要であり、リン化ガリウムは発光ダイオードの材料として利用されるなど、重要な半導体特性を有する。リン化ガリウム、ヒ化ガリウム、アンチモン化ガリウムはいずれも金属ガリウムとリン、ヒ素、アンチモンとの直接反応によって合成され、これらは窒化ガリウムよりも高い電気伝導性を示す。リン化ガリウムは酸化ガリウム(I) とリンとの反応によって低温で合成することもできる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
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"text": "ガリウムは三元窒化物を形成する。",
"title": "化合物と化学反応"
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{
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"tag": "p",
"text": "Li3GaP2 や Li3GaAs2 などのリンやヒ素による類似した化合物も存在している。これらの化合物は希酸と水によって容易に加水分解される。三元リン化物の代表的な化合物として、圧電素子として利用されるリン酸ガリウム (GaPO4) がある。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "酸化ガリウム(III) はフッ化水素酸やフッ素によってフッ素化されてフッ化ガリウム(III) GaF3 を与える。フッ化ガリウム(III) は水にあまり溶解しないイオン性化合物であるが、フッ化水素酸に対しては3水和物 GaF3•3H2O を形成して溶解する。これを乾燥させると水酸化フッ化ガリウムのn水和物 GaF2OH•nH2O が得られる。この付加物はアンモニアと反応して GaF3•3NH3 となり、これを加熱することで無水物 GaF3 が得られる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
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"tag": "p",
"text": "塩化ガリウム(III) は金属ガリウムと塩素ガスの反応によって合成される。塩化ガリウム(III) はフッ化ガリウム(III) とは違い二量体分子 Ga2Cl6 として存在しており、融点は 78 °C である。臭化ガリウム(III) Ga2Br6 およびヨウ化物ガリウム(III) Ga2I6 も同様である。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
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"text": "他の第13族元素のハロゲン化物と同様にガリウム(III) のハロゲン化物はルイス酸であり、ハロゲン化物の受容体と反応して GaX4 アニオン(X はハロゲン)を含むアルカリ金属ハロゲン化物を形成する。それらもまたハロゲン化アルキルと反応してカルボカチオンと GaX4 を生成する。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ハロゲン化ガリウム(III) は高温まで加熱されると金属ガリウムと反応し、それぞれ対応するハロゲン化ガリウム(I) を生成する。例えば、塩化ガリウム(III) と金属ガリウムを反応させることによって塩化ガリウム(I) GaCl が生成する。",
"title": "化合物と化学反応"
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{
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"text": "低温では塩化ガリウム(I) は不均化を起こして塩化ガリウム(III) と金属ガリウムとなり平衡は左に寄る。塩化ガリウム(I) は金属ガリウムと塩化水素を 950 °C で反応させることでも作ることができ、それは赤い固体として濃縮できる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
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"text": "ガリウム(I) 化合物はルイス酸と錯体を作ることで安定化することができる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "いわゆるハロゲン化ガリウム(II) GaX2 はそれぞれのハロゲン化ガリウム(I) にハロゲン化ガリウム(III) がルイス酸として付加したものであり、Ga[GaX4] という構造をしている。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
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"tag": "p",
"text": "アルミニウムと同様ガリウムも水素化物 GaH3 を形成する。水素化ガリウム(III)(ガラン)は無色の液体であり、LiGaH4 と塩化ガリウム(III) を −30 °C で反応させることによって得られる。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "水素化ガリウム(III) はジメチルエーテルを溶媒として合成すると重合体 [GaH3]n として得られ、無溶媒で反応させると二量体の揮発性の分子 Ga2H6 として得られる。その構造はジボランと似ており、二つの水素原子が二つの金属中心を架橋する構造を有し、水素化アルミニウム(III) α-AlH3 が6配位を持つのとは異なっている。",
"title": "化合物と化学反応"
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{
"paragraph_id": 33,
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"text": "水素化ガリウム(III) は −10 °C 以上では不安定で、金属ガリウムと水素に分解する。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ガリウムのトリアルキル化合物は同族元素であるアルミニウムのそれと類似した性質を持っているが、トリアルキルアルミニウムが炭素原子の架橋により多量体を形成するのと比較して、トリアルキルガリウムは二量体をも形成しないため非常に不安定である。トリアルキルガリウムの中でも特に重要なものとして、LED照明などに用いられる窒化ガリウムや半導体として重要なヒ化ガリウムの有機金属気相成長法による製造において、ガリウム源として用いられるトリメチルガリウムがある。また、クロロジメチルガリウムなどのジアルキルガリウムにおいては、水溶液中で錯イオンを形成し安定化することが知られている。",
"title": "化合物と化学反応"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "マイクロ波集積回路や赤色発光ダイオード、半導体レーザーなどに用いられるヒ化ガリウムのようなIII-V族半導体の主要な材料である。窒化ガリウムは中村修二が開発した青色発光ダイオードの材料である。世界市場のガリウムの95%は半導体に使われているが、合金や燃料電池などの新規用途の開発も続けられている。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "302.91 K (29.76 °C)~2676 K (2403 °C) と広い温度範囲で液体であるため、液柱温度計に用いられる。水銀と違って低温での蒸気圧が低いことも、温度計への利用に有利である。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "融点が低いため、低融点合金にも使われる。ガリウム68.5%、インジウム21.5%およびスズ10%からなる合金はガリンスタンとよばれ、毒性が低く常温で液体(融点−19 °C)であることから液体鏡式望遠鏡の水銀の代替として研究されており、また合金に含まれるインジウムの高速中性子に対する反応断面積の高さを利用して核融合炉の冷却材としても研究されている。また、プルトニウム-ガリウム合金はトリニティ実験で使われた核爆弾および長崎に投下されたファットマンの中心核に用いられ、プルトニウムの結晶構造を安定化させるのに用いられた。",
"title": "用途"
},
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"tag": "p",
"text": "ガリウム(III) イオンは生体内で鉄(III)イオンと同じように振る舞うため、鉄(III) イオンが操作する生体反応に相互に作用して局在化する。この性質を利用して、疾患推定の検査であるシンチグラムにガリウム塩が使われている。またガリウムの生物学的役割は知られていないが、代謝の促進を促すことが示された。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "融点(302.9146 K (29.7646 °C) )が一般的に室温よりも高く、また手指の摩擦熱によって容易に融点まで温度を上げられることから、いわゆる“スプーン曲げ”や“スプーン切断”用のスプーンの製造材料に用いられることがある。",
"title": "用途"
},
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"text": "1990年、国際度量衡局が定めた国際温度目盛 (ITS-90) の定義定点の一つとして、標準気圧 (101,325 Pa) におけるガリウムの融解点である302.9146 K (29.7646 °C) が用いられた。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "人間の手のひらに固体のガリウムを乗せると体温で融け、融けたガリウムを別の容器などに移すと次第に固体に戻るため、融点に関する教材としての使い道がある。ただし、液体のガリウムは濡れ性が強く、手やガラスに付くと取れにくいので、取り扱いには注意を要する。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "ガリウムは自然界では単体としては存在せず、元素またはその化合物を抽出する一次原料としての高品位のガリウム鉱物もまた存在しない。地球の地殻には約 16.9 ppm 含まれている。ガリウムは、ボーキサイトの微量成分として抽出され、閃亜鉛鉱からも少量抽出される。石炭、ダイアスポア、ゲルマニウムに含まれるガリウムは無視できるほどの量である。石炭を燃焼した粉塵には、少量のガリウムが含まれる場合があるが、通常、重量にして1%以下である。ガリウムの含有量が比較的多い鉱石としてはナミビアのツメブで産するゲルマナイトが知られているが、それでも含有率はわずかに0.6%–0.7%程度である。",
"title": "産出"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "ガリウムはアルミニウムや亜鉛を製錬する際の副産物として得られる。これらの2つの方法以外は経済的ではない。アルミニウム製錬での副産物として得るのが主流である。ボーキサイトからバイヤー法でアルミナを生産する際に、ここで得られるガリウムを含んだバイヤー液(アルミン酸ソーダ溶液)から、Ga2O3(酸化ガリウム(III))を沈殿させた後で、水銀陰極を用いて電解還元し、ガリウムを得る方法などがある。ガリウム含有溶液には他の金属も含まれるため、それらと分離して精製する必要がある。半導体として使用する場合には、ゾーンメルト法でさらに純度を高めたり、チョクラルスキー法を使って、単結晶を得ることができる。通常、99.9999%の純度が達成され、商業的に広く利用されている。世界全体の生産量は、2006年のガリウムの生産量は234トンで、採掘からは100トン未満が得られ、残りは電子部品の製造工程でのスクラップなどからリサイクルされると推定される。世界全体のガリウム生産量の98%を中国が占める(2022年現在)。一方、日本はガリウムの最大の需要国であり、例えば2006年の日本のガリウム需要は168トンであり、これは世界の需要の約72%を占めている。また、日本でのスクラップ回収から得られる量は90トン以上と、大きな比率を占めている。",
"title": "生産"
}
] | ガリウム は原子番号31の元素で、元素記号は Ga である。ホウ素、アルミニウムなどと同じ第13族元素に属する。 | {{混同|カリウム}}
{{Elementbox
|name=gallium
|japanese name=ガリウム
|pronounce={{IPAc-en|icon|ˈ|ɡ|æ|l|i|əm}} {{respell|GAL|ee-əm}}
|number=31
|symbol=Ga
|left=[[亜鉛]]
|right=[[ゲルマニウム]]
|above=[[アルミニウム|Al]]
|below=[[インジウム|In]]
|series=貧金属
|series comment=
|group=13
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|series color=
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|appearance=銀白色
|image name=Gallium1 640x480.jpg
|image size=
|image name comment=
|image name 2=
|image name 2 comment=
|atomic mass=69.723
|atomic mass 2=1
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[アルゴン|Ar]]] 4s<sup>2</sup> 3d<sup>10</sup> 4p<sup>1</sup>
|electrons per shell=2, 8, 18, 3
|color=
|phase=固体
|density gpcm3nrt=5.91
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|melting point K=302.9146
|melting point C=29.7646
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|boiling point F=4357
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|vapor pressure comment=
|crystal structure=[[斜方晶系]]
|oxidation states='''3''', 2, 1
|oxidation states comment=[[両性酸化物]]
|electronegativity=1.81
|number of ionization energies=4
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|covalent radius=122 ± 3
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|magnetic ordering=[[反磁性]]
|Curie point=
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|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=69 | sym=Ga | na=60.11 % | n=38 }}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=71 | sym=Ga | na=39.89 % | n=40 }}
|isotopes comment=
}}
'''ガリウム''' ({{lang-en-short|gallium}} {{IPA-en|ˈɡæliəm|}}<!--{{lang-lan|gallium}}<ref>http://www.encyclo.co.uk/webster/G/5</ref> {{IPA-en|ˈɡæliəm}}-->) は[[原子番号]]31の[[元素]]で、[[元素記号]]は '''Ga''' である。[[ホウ素]]、[[アルミニウム]]などと同じ[[第13族元素]]に属する。
== 名称 ==
命名には2つの説がある。一つは、ガリウムの発見者である[[ポール・ボアボードラン|ボアボードラン]]がこの新しい元素を母国[[フランス]]のラテン名「[[ガリア]] (Gallia)」にちなんでガリウムと命名したとする説、もう一つはボアボードランのミドルネームである "Lecoq" から関連付けて、フランス語で雄鶏を意味する "le coq" の[[ラテン語]]である ''gallus'' から付けられたとする説である(後者は1877年に本人によって否定されている)<ref name="Moskalyk">R. R. Moskalyk: ''Gallium: the backbone of the electronics industry.'' In:'' Minerals Engineering.'' 2003, 16, 10, S. 921–929, {{DOI|10.1016/j.mineng.2003.08.003}}.</ref>。
== 歴史 ==
[[File:Lecoq de Boisbaudran.jpg|thumb|left|180px|ガリウムを発見したポール・エミール・ルコック・デ・ボアボードラン]]
[[ドミトリ・メンデレーエフ]]が1870年に[[周期表]]を発表した際、「エカ=アルミニウム (eka-alminium)」として予言した元素である。メンデレーエフはこの元素の原子量や比重などを予測した<ref>William H. Brock: ''Viewegs Geschichte der Chemie''. Vieweg, Braunschweig 1997, ISBN 3-540-67033-5, S. 206–207.</ref>。
[[1875年]]に[[ポール・ボアボードラン]]が[[ピレネー山脈]]産の[[閃亜鉛鉱]]を[[分光法]]によって分析した際、特徴的な2本の紫色の光線として発見した<ref>{{citation | title = Caractères chimiques et spectroscopiques d'un nouveau métal, le gallium, découvert dans une blende de la mine de Pierrefitte, vallée d'Argelès (Pyrénées) | first = Lecoq | last = de Boisbaudran | page = 493 | journal = Comptes rendus | volume = 81 | url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k3038w/f490.table | accessdate = 2010-11-15}}</ref>。また、同年ボアボードランは溶融させた[[水酸化カリウム]]に[[水酸化ガリウム(III)]] を加えて[[電気分解|溶融塩電解]]することによって金属ガリウムを得ることに成功している。メンデレーエフの予測した密度の理論値5.9は、実測値である5.94と非常に一致しているなど、予測された多くの物性は非常に密接に実測値と一致していた<ref name="Weeks">Mary Elvira Weeks: ''Discovery of the Elements.'' 3. Auflage, Kessinger Publishing, 2003, ISBN 978-0-7661-3872-8, S. 215–219.</ref>。この「エカ=アルミニウム」の予測物性と「ガリウム」の実測物性の近似は、当時評価を受けていなかったメンデレーエフの周期表が注目を浴びるきっかけとなった<ref>{{Cite book | 和書 | title = 化学の歴史 | author=アイザック・アシモフ|authorlink=アイザック・アシモフ | translator = 玉虫文一、竹内敬人 | publisher = [[ちくま学芸文庫]] | edition = 第1刷 | origdate = 1967年 | year = 2010 | pages = 170-175 | isbn = 978-4-480-09282-3}}</ref>。
== 性質 ==
[[圧力]]、[[温度]]によっていくつかの[[安定]]な[[結晶]]構造がある。[[常温]]、[[常圧]]では[[斜方晶系]]が安定([[比重]] 5.9)で、青みがかった金属光沢がある金属結晶である。[[融点]]は 29.8 {{℃}} と低いが、一方、[[沸点]]は 2403 {{℃}}<ref name=murakami124>[[#村上2004|村上 (2004)]] 124頁。</ref><ref name="eagleson"/>(異なる実験値あり)と非常に高い。酸にもアルカリにも溶ける[[両性 (化学)|両性]]である。[[価電子]]は3個 (4s, 4p) だが、[[d軌道|3d軌道]]も比較的浅いところにある。
また、水と同じように、液体の方が固体よりも体積が小さい[[異常液体]]である。ガリウムは固体から液体になると、その体積が約3.4%減少する。そのため金属のガリウムをガラス容器に保管すると[[相転移]]に伴う体積変化によって容器が破損するため、通常はポリ容器に保管される。
[[単体]]のガリウムは自然では産出しないが、溶解製錬によって簡単に得ることができる。高純度の金属ガリウムは光沢のある銀色であり、固体金属の断面はガラスに似た貝殻状断面となる。また、[[鉱酸]]によって徐々に溶解する。金属ガリウムは非常に柔らかく、[[モース硬度]]は1.5である<ref name="römpp">Helmut Sitzmann: ''Gallium''. In: ''[[Römpp Chemie Lexikon]].'' Thieme Verlag, Stand Dezember 2006.</ref>。液体から固体へと[[相転移]]する際に体積が3.2%増加する<ref name="ullmann">J. F. Greber: ''Gallium and Gallium Compounds''. In: ''[[Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry]].'' 7. Auflage, Wiley-VCH, Weinheim 2005, {{DOI|10.1002/14356007.a12_163}}.</ref>。これは、固体状態において分子間結合を形成する物質の典型的な現象である<ref>O. Züger, U. Dürig: ''Atomic structure of the α-Ga(001) surface investigated by scanning tunneling microscopy: Direct evidence for the existence of Ga<sub>2</sub> molecules in solid gallium.'' In: ''Phys. Rev. B''. 1992, 46, S. 7319–7321, {{DOI|10.1103/PhysRevB.46.7319}}.</ref>。そのため、金属やガラス容器での保管はガリウムの固化による容器破損を防ぐために避けられる。ガリウムのように液体の方が固体よりも高密度な材料は、[[ケイ素]]、[[ゲルマニウム]]、[[ビスマス]]および水のような限られたもののみである。
ガリウムは固体状態では[[反磁性]]であるが、液体状態では[[常磁性]]となり、40 {{℃}} における[[磁化率]]は χ<sub>''m''</sub> = 2.4×10<sup>−6</sup> である<ref>Weast, Robert C. (ed. in chief): ''CRC Handbook of Chemistry and Physics''. CRC (Chemical Rubber Publishing Company), Boca Raton 1990. Seiten E-129 bis E-145. ISBN 0-8493-0470-9. Werte dort sind auf g/mol bezogen und in cgs-Einheiten angegeben. Der hier angegebene Wert ist der daraus berechnete maßeinheitslose SI-Wert.</ref>。
ガリウムは、ほとんどの他の金属について金属格子に拡散して侵食する。例えば、ガリウムはアルミニウム-亜鉛合金<ref>{{citation | title = Grain boundary imaging, gallium diffusion and the fracture behavior of Al–Zn Alloy – An in situ study | author = W. L. Tsai, Y. Hwu, C. H. Chen, L. W. Chang, J. H. Je, H. M. Lin, G. Margaritondo | journal = Nuclear Instruments and Methods in Physics Research Section B | year = 2003 | volume = 199 | page = 457 | doi = 10.1016/S0168-583X(02)01533-1}}</ref>や鋼鉄<ref>{{citation | url = http://stinet.dtic.mil/oai/oai?&verb=getRecord&metadataPrefix=html&identifier=ADA365497 | title = Liquid Metal Embrittlement of ASTM A723 Gun Steel by Indium and Gallium | author = Vigilante, G. N., Trolano, E., Mossey, C. | publisher = Defense Technical Information Center | date = June 1999 | accessdate = 2009-07-07}}</ref>の粒界に侵食することで、それらを[[脆化]]させる。また、金属ガリウムは他の金属と容易に合金化し、その代表的なものとして磁歪材料や制振材料に用いられる[[鉄ガリウム]]合金 (FeGa) がある<ref>{{citation | url = https://www.aml.t.u-tokyo.ac.jp/research/micro_magneto/micro_magneto_j.html | title = 広温度範囲で使用できるマイクロ磁歪アクチュエータ | publisher = 東京大学 工学系研究科 精密工学専攻 先端メカトロニクス研究室 | accessdate = 2011-6-6}}</ref>。
融点は 302.9146 [[ケルビン|K]] (29.7646 {{℃}}) と室温に近く、人の手の上で融解する。ガリウムは[[過冷却]]となる傾向が非常に強いため、[[種結晶]]の添加による結晶化の促進を行わなければ融点以下の温度においても結晶化しにくい<ref name=chitani402>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 402頁。</ref>。液体のガリウムは毒性は強くなく予防措置の必要性は少ないものの、水銀と違ってガラスや金属、あるいは皮膚に対する[[濡れ性]]が強いため、機械的に取扱いが難しい。
=== 構造 ===
[[File:Gallium kristallisiert.JPG|thumb|left|180px|溶融ガリウムの凝固による結晶生成]]
ガリウムは他の金属のような単純な[[結晶構造]]の形では結晶化せず、常圧状態において異なる条件下で形成される四つの既知の[[多形]]であるα、β、γ、δ-ガリウムと、高圧状態において形成される Ga-II、Ga-III、Ga-IV が存在する。通常の状態下において安定した状態は単位格子に八つの原子を含む斜方晶系であるα-ガリウムが形成する。α-ガリウムは、最も近い原子同士の距離は 244 pm、六つの隣接する原子とはさらに 39 pm 離れている。このような対称性の低い不安定な構造であることは、ガリウムの融点の低さの原因となっていると考えられている<ref>Ulrich Müller: ''Anorganische Strukturchemie.'' 6. Auflage, Vieweg+Teubner Verlag, 2008, ISBN 978-3-8348-0626-0, S. 228.</ref>。最も近い隣接した原子間の結合は[[共有結合]]的な性質を持っており、そのため Ga<sub>2</sub> 二量体は結晶の基礎的要素として見られ、共有結合した二量体がそれぞれ[[金属結合]]している構造を取る。これも、ガリウムが同族元素であるアルミニウムや[[インジウム]]と比較して著しく融点が低いことの説明とされる。この二量体のガリウムは液体状態においても安定であり、気体状態においても二量体のガリウムを検出することができる<ref name="HoWi1181">Arnold F. Holleman, Nils Wiberg: ''Lehrbuch der Anorganischen Chemie.'' 102. Auflage, de Gruyter, Berlin 2007, ISBN 978-3-11-017770-1, S. 1181.</ref> 。
過冷却状態の液体ガリウムからの結晶化によって、他の結晶形のガリウムを得ることができる。−16.3 {{℃}} 以上において単斜晶系のβ-ガリウムが形成され、これはガリウム原子がジグザグに並列した構造を取る。−19.4 {{℃}} 以上では三方晶系のδ-ガリウムが形成され、これは12個のガリウム原子が歪んだ形で配列した、α-[[ホウ素]]と同様の結晶構造を取る。−35.6 {{℃}} では最終的にγ-ガリウムが形成され、これは7個のガリウム原子が環状に配列し、その中央に直鎖型に配列したガリウム原子が相互に接続するような斜方晶系を取る<ref name="HoWi1181">Arnold F. Holleman, Nils Wiberg: ''Lehrbuch der Anorganischen Chemie.'' 102. Auflage, de Gruyter, Berlin 2007, ISBN 978-3-11-017770-1, S. 1181.</ref> 。
室温、高圧の状態においても他の結晶形のガリウムを得ることができる。詳しくは下に記した表の中にある「生成方法」項目を参照されたい。
{| class="wikitable" style="margin: 0 auto"
|+ ガリウムの結晶多形
|-
! [[多形]] !! α-Ga<ref>B. D. Sharma, J. Donohue: ''A refinement of the crystal structure of gallium.'' In: ''Zeitschrift für Kristallographie.'' 1962, 117, S. 293–300.</ref> !! β-Ga<ref>L. Bosio, A. Defrain: ''Structure cristalline du gallium β.'' In: ''[[Acta Cryst.]]'' 1969, B25, S. 995, {{DOI|10.1107/S0567740869003360}}.</ref>!! γ-Ga<ref>L. Bosio, H. Curien, M. Dupont, A. Rimsky: ''Structure cristalline de Ga γ.'' In:'' Acta Cryst.'' 1972, B28, S. 1974–1975, {{DOI|10.1107/S0567740872005357}}.</ref> !! δ-Ga<ref>L. Bosio, H. Curien, M. Dupont, A. Rimsky: ''Structure cristalline de Ga δ.'' In: ''Acta Cryst.'' 1973, B29, S. 367–368, {{DOI|10.1107/S0567740873002530}}.</ref> !! Ga-II<ref name="GaII-III">Louis Bosio: ''Crystal structure of Ga(II) and Ga(III).'' In: ''[[J. Chem. Phys.]]'' 1978, 68, 3, S. 1221–1223, {{DOI|10.1063/1.435841}}.</ref>!! Ga-III<ref name="GaII-III"/> !! Ga-IV<ref name="GaIV">Takemura Kenichi, Kobayashi Kazuaki, Arai Masao: ''High-pressure bct-fcc phase transition in Ga.'' In: ''Phys. Rev. B.'' 1998, 58, S. 2482–2486, {{DOI|10.1103/PhysRevB.58.2482}}.</ref>
|-
! '''構造'''
| [[File:Kristallstruktur Gallium.png|100px|α-Ga の結晶構造]] || [[File:Kristallstruktur Beta-Gallium.png|100px|β-Ga の結晶構造]] || [[File:Kristallstruktur Gamma-Gallium.png|100px|γ-Ga の結晶構造]] || [[File:Kristallstruktur Delta-Gallium.png|100px|δ-Ga の結晶構造]] || [[File:Kristallstruktur Gallium-II.png|100px|Ga-II の結晶構造]] || [[File:Kristallstruktur Gallium-III.png|100px|Ga-III の結晶構造]] || [[File:Cubic, face-centered.png |100px|Ga-IV の結晶構造]]
|-
! '''結晶系の名称'''
| 斜方晶系 || 単斜晶系 || 斜方晶系 || 三方晶系 || 立方晶系 || 正方晶系 || 立方晶系
|-
! '''配位数'''
| 1+6 || 8 (2+2+2+2) || 3, 6–9 || 6–10 || 8 || 4+8 || 12
|-
! '''[[空間群]]'''
| ''Cmca'' || ''C''2/''c'' || ''Cmcm'' || ''R''{{overline|3}}''m'' || ''I''{{overline|4}}3''d'' || ''I''4/''mmm'' || ''Fm''{{overline|3}}''m''
|-
! '''[[格子定数]]'''
| ''a'' = 452.0 pm <br />''b'' = 766.3 pm<br />''c'' = 452.6 pm || ''a'' = 276.6 pm <br />''b'' = 805.3 pm<br />''c'' = 333.2 pm<br />β = 92{{°}} || ''a'' = 1060 pm<br />''b'' = 1356 pm<br />''c'' = 519 pm || ''a'' = 907.8 pm<br />''c'' = 1702 pm || ''a'' = 459.51 pm || ''a'' = 280.13 pm<br />''c'' = 445.2 pm || ''a'' = 408 pm
|-
! '''格子あたりの原子数'''
| style="text-align:right" | 8 || style="text-align:right" | 8 || style="text-align:right" | 40 || style="text-align:right" | 66 || style="text-align:right" | 12 || style="text-align:right" | 3 || style="text-align:right" | 4
|-
! '''生成方法'''
| ? || ? || ? || ?
|| 30 k[[バール (単位)|bar]] 以上の高圧条件下において、各々8個の原子と隣接した立方晶系の安定した Ga-II が得られる<ref name="HoWi1181"/>。
|| 140 kbar 以上の高圧条件下において、インジウムの構造に対応した正方晶系の Ga-III が得られる<ref name="GaIV">Takemura Kenichi, Kobayashi Kazuaki, Arai Masao: ''High-pressure bct-fcc phase transition in Ga.'' In: ''Phys. Rev. B.'' 1998, 58, S. 2482–2486, {{DOI|10.1103/PhysRevB.58.2482}}.</ref> 。
|| 1200 kbar 以上の高圧条件下において、[[面心立方格子]]の構造を取る Ga-IV が得られる<ref name="GaIV"/>。
|}
== 化合物と化学反応 ==
ガリウムの化合物は通常+3の[[酸化数]]をとる。ガリウム(I) の化合物も合成されているが、[[不均化]]によって直ちにガリウム(III) となる傾向がみられる。ガリウム(II) の化合物は、実際はガリウム(I) とガリウム(III) の混合物である<ref name="eagleson">{{citation | title = Concise encyclopedia chemistry | editor = Mary Eagleson | publisher = Walter de Gruyter| year = 1994 | isbn = 3110114518 | page = 438}}</ref>。
=== 水溶液中の反応 ===
ガリウムを強酸に溶かすと Ga<sub>2</sub>(SO<sub>4</sub>)<sub>3</sub> や Ga(NO<sub>3</sub>)<sub>3</sub> のようなガリウム(III) 塩を生成する。ガリウム(III) 塩の[[水溶液]]は水和ガリウムイオン [Ga(H<sub>2</sub>O)<sub>6</sub>]<sup>3+</sup> を含んでいる<ref name=wiberg_holleman1033>[[#WibergHolleman|Wiberg, Holleman (2001)]] p.1033</ref>。水酸化ガリウム(III) Ga(OH)<sub>3</sub> はガリウム(III) の水溶液に[[アンモニア]]を加えることで得られ、それを 100 {{℃}} で乾燥させると水酸化酸化ガリウム(III) GaO(OH) に変化する<ref>[[#downs|Downs (1993)]] pp.440-441</ref>。
アルカリ金属の[[水酸化物]]溶液はガリウムを溶解してガリウム酸イオン Ga(OH)<sub>4</sub><sup>−</sup> を形成する<ref name="eagleson"/><ref name=wiberg_holleman1033/><ref name="sipos">{{citation | doi = 10.1007/s10953-008-9314-y | title = The Structure of Gallium in Strongly Alkaline, Highly Concentrated Gallate Solutions—a Raman and <sup>71</sup>Ga-NMR Spectroscopic Study | year = 2008 | last1 = Sipos | first1 = Pál | last2 = Megyes | first2 = Tünde | last3 = Berkesi | first3 = Ottó | journal = Journal of Solution Chemistry | volume = 37 | issue= 10 | pages = 1411-1418}}</ref>。水酸化ガリウム(III) も両性化合物であり、アルカリに溶解してガリウム酸塩を作る<ref>[[#downs|Downs (1993)]] p.141</ref>。初期の研究では[[八面体形]]の Ga(OH)<sub>6</sub><sup>3-</sup> の存在が示唆されたが<ref>{{citation | title = Electrochemistry—Volume 3: Specialist periodical report | author = N. A. Hampson | editor = Harold Reginald Thirsk | publisher = Royal Society of Chemistry | location = Great Britain | year = 1971 | isbn = 0851860273 | page = 71 | url = https://books.google.co.jp/books?id=vN0Y7KMGqNcC&printsec=frontcover&q=&redir_esc=y&hl=ja}}</ref>、後の研究ではこのイオン種を見いだすことはできなかった<ref name="sipos"/>。
=== カルコゲン化物 ===
金属ガリウムは常温で[[酸化被膜]]を形成するため空気と水に対して不活性である。しかしより高い温度では空気中の酸素と反応して酸化ガリウム(III) Ga<sub>2</sub>O<sub>3</sub> が生じる<ref name="eagleson"/>。この酸化ガリウム(III)は[[半導体素子]]やガスセンサー等に用いられる。また、酸化ガリウム(III)を金属ガリウムとともに真空中で 500 {{℃}} から 700 {{℃}} で加熱すると、暗褐色の[[酸化ガリウム(I)]] Ga<sub>2</sub>O が得られる<ref>[[#downs|Downs (1993)]] p.285</ref>。酸化ガリウム(I) は非常に強い還元剤として働き、[[硫酸]]を[[硫化水素]]にまで還元することができる<ref>[[#downs|Downs (1993)]] p.207</ref>。酸化ガリウム(I) は 800 {{℃}} で不均化を起こし金属ガリウムと酸化ガリウム(III) になる<ref>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] pp.94–95</ref>。
硫化ガリウム(III) Ga<sub>2</sub>S<sub>3</sub> は金属ガリウムと硫化水素とを 900 {{℃}} で反応させることによって得られ<ref>[[#downs|Downs (1993)]] p.162</ref>、3つの結晶形を取りうる<ref name=greenwood104>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] p.104</ref>。金属ガリウムの代わりに水酸化ガリウム(III) Ga(OH)<sub>3</sub> と747 {{℃}}で反応させることによっても得られる<ref>{{citation | title = Semiconductors: data handbook | author = Otfried Madelung | edition = 3rd | publisher = Birkhäuser | year = 2004 | isbn = 3540404880 | pages = 276–277}}</ref>。
: <chem>2 Ga(OH)3 + 3 H2S -> Ga2S3 + 6 H2O</chem>
[[アルカリ金属]]の[[炭酸塩]]と酸化ガリウム(III) の混合物に硫化水素を反応させることでチオガリウム酸イオン [Ga<sub>2</sub>S<sub>4</sub>]<sup>2−</sup> が生成する。これらの塩は強酸によって硫化水素を放出しながら分解される<ref>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] pp.104-105</ref>。チオガリウム酸の[[水銀]]塩 HgGa<sub>2</sub>S<sub>4</sub> は[[蛍光]]体として用いられる<ref>{{citation | doi = 10.1016/0031-8914(65)90110-2 | title = Mercury gallium sulfide, HgGa<sub>2</sub>S<sub>4</sub>, a new phosphor | year = 1965 | last1 = Krausbauer | first1 = L. | last2 = Nitsche | first2 = R. | last3 = Wild | first3 = P. | journal = Physica | volume = 31 | issue= 1|pages = 113-121}}</ref>。
緑色の硫化ガリウム(I) や硫化ガリウム(II) のような低硫化物も生成し、硫化ガリウム(I) は硫化ガリウム(II) を窒素気流化で 1000 {{℃}} に加熱することで作られる<ref>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] p.94</ref>。
その他の[[二元化合物]]には、セレン化ガリウム Ga<sub>2</sub>Se<sub>3</sub> やテルル化ガリウム Ga<sub>2</sub>Te<sub>3</sub> があり、閃亜鉛鉱型構造を取る。これらの化合物は半導体であるが、容易に加水分解するため用途には制限がある<ref name=greenwood104/>。
=== ニクトゲン化物 ===
[[File:Crystal-GaN.jpg|thumb|right|200px|窒化ガリウムの単結晶]]
ガリウムを 1050 {{℃}} で[[アンモニア]]と反応させると青色発光ダイオードの素材として知られる[[窒化ガリウム]] GaN が得られる。[[リン]]、[[ヒ素]]、[[アンチモン]]とも反応して二元化合物を作り、それぞれ[[リン化ガリウム]] GaP、[[ヒ化ガリウム]] GaAs、[[アンチモン化ガリウム]] GaSb を形成する。これらの化合物は[[硫化亜鉛]]と同じ閃亜鉛鉱型構造を取り、ヒ化ガリウムは半導体材料として重要であり、リン化ガリウムは発光ダイオードの材料として利用されるなど、重要な半導体特性を有する<ref>[[#WibergHolleman|Wiberg, Holleman (2001)]] p.1034</ref>。リン化ガリウム、ヒ化ガリウム、アンチモン化ガリウムはいずれも金属ガリウムとリン、ヒ素、アンチモンとの直接反応によって合成され<ref name=greenwood99>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] p.99</ref>、これらは窒化ガリウムよりも高い[[電気伝導性]]を示す<ref name=greenwood101>[[#greenwood|Greenwood (1962)]] p.101</ref>。リン化ガリウムは酸化ガリウム(I) とリンとの反応によって低温で合成することもできる<ref>{{citation | title = Inorganic Chemistry | author = Michelle Davidson | publisher = Lotus Press | year = 2006 | isbn = 8189093398 | page = 90}}</ref>。
ガリウムは三元窒化物を形成する<ref name=greenwood99/>。
: <chem>Li3Ga + N2 -> Li3GaN2</chem>
Li<sub>3</sub>GaP<sub>2</sub> や Li<sub>3</sub>GaAs<sub>2</sub> などのリンやヒ素による類似した化合物も存在している。これらの化合物は希酸と水によって容易に加水分解される<ref name=greenwood101/>。三元リン化物の代表的な化合物として、[[圧電素子]]として利用される[[リン酸ガリウム]] (GaPO<sub>4</sub>) がある。
=== ハロゲン化物 ===
酸化ガリウム(III) は[[フッ化水素酸]]や[[フッ素]]によってフッ素化されて[[フッ化ガリウム(III)]] GaF<sub>3</sub> を与える。フッ化ガリウム(III) は水にあまり溶解しないイオン性化合物であるが、フッ化水素酸に対しては3水和物 GaF<sub>3</sub>•3H<sub>2</sub>O を形成して溶解する。これを乾燥させると水酸化フッ化ガリウムのn水和物 GaF<sub>2</sub>OH•nH<sub>2</sub>O が得られる。この付加物はアンモニアと反応して GaF<sub>3</sub>•3NH<sub>3</sub> となり、これを加熱することで無水物 GaF<sub>3</sub> が得られる<ref>[[#downs|Downs (1993)]] pp.128-129</ref>。
[[塩化ガリウム(III)]] は金属ガリウムと[[塩素]]ガスの反応によって合成される<ref name="eagleson"/>。塩化ガリウム(III) はフッ化ガリウム(III) とは違い二量体分子 Ga<sub>2</sub>Cl<sub>6</sub> として存在しており、融点は 78 {{℃}} である。[[臭化ガリウム(III)]] Ga<sub>2</sub>Br<sub>6</sub> および[[ヨウ化物ガリウム(III)]] Ga<sub>2</sub>I<sub>6</sub> も同様である<ref>[[#downs|Downs (1993)]] p.133</ref>。
他の[[第13族元素]]のハロゲン化物と同様にガリウム(III) のハロゲン化物は[[ルイス酸]]であり、ハロゲン化物の受容体と反応して GaX<sub>4</sub><sup>-</sup> アニオン(X はハロゲン)を含むアルカリ金属ハロゲン化物を形成する。それらもまた[[ハロゲン化アルキル]]と反応して[[カルボカチオン]]と GaX<sub>4</sub><sup>−</sup> を生成する<ref>[[#downs|Downs (1993)]] pp.136-137</ref>。
ハロゲン化ガリウム(III) は高温まで加熱されると金属ガリウムと反応し、それぞれ対応するハロゲン化ガリウム(I) を生成する。例えば、塩化ガリウム(III) と金属ガリウムを反応させることによって塩化ガリウム(I) GaCl が生成する。
:<chem>2 Ga + GaCl3 -> 3 GaCl (g)</chem>
低温では塩化ガリウム(I) は不均化を起こして塩化ガリウム(III) と金属ガリウムとなり平衡は左に寄る。塩化ガリウム(I) は金属ガリウムと[[塩化水素]]を 950 {{℃}} で反応させることでも作ることができ、それは赤い固体として濃縮できる<ref name=wiberg_holleman1036>[[#WibergHolleman|Wiberg, Holleman (2001)]] p.1036</ref>。
ガリウム(I) 化合物はルイス酸と[[錯体]]を作ることで安定化することができる。
: <chem>GaCl + AlCl3 -> Ga^+[AlCl4]^-</chem>
いわゆるハロゲン化ガリウム(II) GaX<sub>2</sub> はそれぞれのハロゲン化ガリウム(I) にハロゲン化ガリウム(III) がルイス酸として付加したものであり、Ga<sup>+</sup>[GaX<sub>4</sub>]<sup>−</sup> という構造をしている<ref name="eagleson"/><ref name=wiberg_holleman1036/><ref name="arora">{{citation | title = Text Book Of Inorganic Chemistry | author = Amit Arora | publisher = Discovery Publishing House | year = 2005 | isbn = 818356013X | pages = 389–399}}</ref>。
: <chem>GaCl + GaCl3 -> Ga^+[GaCl4]^-</chem>
=== 水素化物 ===
[[ファイル:Digallane-3D-balls.png|thumb|ガランの二量体。ピンクの球は Ga、白は H を表す]]
[[アルミニウム]]と同様ガリウムも[[水素化物]] GaH<sub>3</sub> を形成する。水素化ガリウム(III)(ガラン)は無色の[[液体]]であり<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 403頁。</ref>、LiGaH<sub>4</sub> と塩化ガリウム(III) を −30 {{℃}} で反応させることによって得られる<ref name=wiberg_holleman1031>[[#WibergHolleman|Wiberg, Holleman (2001)]] p.1031</ref>。
: <chem>3 LiGaH4 + GaCl3 -> 3 LiCl + 4 GaH3</chem>
水素化ガリウム(III) は[[ジメチルエーテル]]を溶媒として合成すると[[重合体]] [GaH<sub>3</sub>]<sub>n</sub> として得られ、無溶媒で反応させると二量体の揮発性の分子 Ga<sub>2</sub>H<sub>6</sub> として得られる。その構造は[[ジボラン]]と似ており、二つの水素原子が二つの金属中心を架橋する構造を有し<ref name=wiberg_holleman1031/>、水素化アルミニウム(III) α-AlH<sub>3</sub> が6配位を持つのとは異なっている<ref>[[#WibergHolleman|Wiberg, Holleman (2001)]] p.1008</ref>。
水素化ガリウム(III) は −10 {{℃}} 以上では不安定で、金属ガリウムと水素に分解する<ref name="sykes">{{citation | title = Advances in Inorganic Chemistry, Volume 41 | author1 = Anthony J. Downs | author2 = Colin R. Pulham | editor = A. G. Sykes | publisher = Academic Press | year = 1994 | isbn = 0120236419 | pages = 198–199}}</ref>。
=== 有機金属化合物 ===
ガリウムのトリ[[アルキル]]化合物は同族元素である[[アルミニウム]]のそれと類似した性質を持っているが、トリアルキルアルミニウムが炭素原子の架橋により多量体を形成するのと比較して、トリアルキルガリウムは[[二量体]]をも形成しないため非常に不安定である<ref>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 337-341頁。</ref>。トリアルキルガリウムの中でも特に重要なものとして、[[LED]]照明などに用いられる窒化ガリウムや半導体として重要なヒ化ガリウムの[[有機金属気相成長法]]による製造において、ガリウム源として用いられる[[トリメチルガリウム]]がある<ref>{{citation | title = A reaction-transport model of GaAs growth by metalorganic chemical vapor deposition using trimethyl-gallium and tertiary-butyl-arsine | journal = Journal of Crystal Growth | volume = 131 | issue = 3-4 | pages = 283-299 | year = 1993 | author = T.J. Mountziaris, S. Kalyanasundarama and N.K. Inglea | doi = 10.1016/0022-0248(93)90178-Y}}</ref><ref>{{citation | url = http://www.tn-sanso-giho.com/pdf/25/01.pdf | title = 大量生産GaN用MOCVD装置の開発 | author = 徳永裕樹ほか | publisher = 大陽日酸 | year = 2006}}</ref>。また、クロロジメチルガリウムなどのジアルキルガリウムにおいては、水溶液中で錯イオンを形成し安定化することが知られている<ref>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 341頁。</ref>。
== 用途 ==
=== 産業 ===
[[ファイル:Blue LED and Reflection.jpg|thumb|ガリウムを利用した青色発光ダイオード]]
マイクロ波集積回路や[[発光ダイオード|赤色発光ダイオード]]、[[半導体レーザー]]などに用いられる[[ヒ化ガリウム]]のような[[III-V族半導体]]の主要な材料である。窒化ガリウムは[[中村修二]]が開発した[[発光ダイオード#青色発光ダイオード|青色発光ダイオード]]の材料である。世界市場のガリウムの95%は半導体に使われているが、[[合金]]や[[燃料電池]]などの新規用途の開発も続けられている。
302.91 [[ケルビン|K]] (29.76 {{℃}})~2676 K (2403 {{℃}}) と広い温度範囲で液体であるため、[[温度計|液柱温度計]]に用いられる<ref name=cotton323>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 323頁。</ref><ref name=murakami124/>。[[水銀]]と違って低温での[[蒸気圧]]が低いことも、温度計への利用に有利である。
融点が低いため、低融点合金にも使われる。ガリウム68.5%、[[インジウム]]21.5%および[[スズ]]10%からなる合金は[[ガリンスタン]]とよばれ、毒性が低く常温で液体(融点−19 {{℃}})であることから[[液体鏡式望遠鏡]]の水銀の代替として研究されており、また合金に含まれるインジウムの[[高速中性子]]に対する[[吸収断面積|反応断面積]]の高さを利用して[[核融合炉]]の冷却材としても研究されている<ref name=osti>{{citation | url = http://www.osti.gov/bridge/servlets/purl/811932-smXmM0/native/811932.pdf | title = Gallium Safety in the Laboratory | format = preprint | author = Lee C. Cadwallader | year = 2003 | accessdate = 2010-11-15}}</ref>。また、[[プルトニウムガリウム合金|プルトニウム-ガリウム合金]]は[[トリニティ実験]]で使われた[[核爆弾]]および長崎に投下された[[ファットマン]]の中心核に用いられ、プルトニウムの結晶構造を安定化させるのに用いられた<ref>{{citation | author = Sublette,Cary | title = Section 6.2.2.1 | date = 2001-09-09 | work = Nuclear Weapons FAQ | url = http://nuclearweaponarchive.org/Nwfaq/Nfaq6.html#nfaq6.2 | accessdate = 2010-11-16}}</ref>。
=== 生体内での利用 ===
ガリウム(III) イオンは生体内で[[鉄]](III)イオンと同じように振る舞うため、鉄(III) イオンが操作する生体反応に相互に作用して局在化する。この性質を利用して、疾患推定の検査である[[シンチグラム]]にガリウム塩が使われている。またガリウムの生物学的役割は知られていないが、[[代謝]]の促進を促すことが示された<ref>{{citation | url = http://www.webelements.com/webelements/scholar/elements/gallium/biological.html | title = Scholar Edition: gallium: Biological information | first = Mark | last = Winter | publisher = The University of Sheffield and WebElements Ltd, UK | accessdate = 2010-11-15}}</ref>。
=== 娯楽 ===
融点(302.9146 K (29.7646 {{℃}}) )が一般的に室温よりも高く、また手指の摩擦熱によって容易に融点まで温度を上げられることから、いわゆる“スプーン曲げ”や“スプーン切断”用のスプーンの製造材料に用いられることがある。
=== その他 ===
[[1990年]]、[[国際度量衡局]]が定めた[[温度#国際温度目盛|国際温度目盛]] (ITS-90) の定義定点の一つとして、標準気圧 (101,325 Pa) におけるガリウムの融解点である302.9146 K (29.7646 {{℃}}) が用いられた<ref>{{citation | url = http://www.bipm.org/utils/common/pdf/its-90/ITS-90_metrologia.pdf | title = The International Temperature Scale of 1990 (ITS-90) | last = Preston–Thomas | first = H. | journal = Metrologia | volume = 27 | pages = 3–10 | year = 1990 | accessdate = 2010-11-15 | doi = 10.1088/0026-1394/27/1/002}}</ref><ref>{{citation | url = http://www.bipm.org/en/publications/its-90.html | title = ITS-90 documents at Bureau International de Poids et Mesures | accessdate = 2010-11-15}}</ref><ref>{{citation | url = http://www.cstl.nist.gov/div836/836.05/papers/magnum90ITS90guide.pdf | title = Guidelines for Realizing the International Temperature Scale of 1990 (ITS-90) | last = Magnum | first = B.W. | last2 = Furukawa | first2 = G.T. | publisher = National Institute of Standards and Technology | id = NIST TN 1265 | date = August 1990 | accessdate = 2010-11-15}}</ref>。
[[人間]]の[[手]]のひらに固体のガリウムを乗せると体温で融け、融けたガリウムを別の容器などに移すと次第に固体に戻るため、融点に関する教材としての使い道がある。ただし、液体のガリウムは[[濡れ性]]が強く、手やガラスに付くと取れにくいので、取り扱いには注意を要する。
== 産出 ==
ガリウムは自然界では単体としては存在せず、元素またはその化合物を抽出する一次原料としての高品位のガリウム鉱物もまた存在しない。地球の[[地殻]]には約 16.9 ppm 含まれている。ガリウムは、[[ボーキサイト]]の微量成分として抽出され、[[閃亜鉛鉱]]からも少量抽出される<ref name=cotton323/>。[[石炭]]、[[ダイアスポア]]、[[ゲルマニウム]]に含まれるガリウムは無視できるほどの量である。石炭を燃焼した粉塵には、少量のガリウムが含まれる場合があるが、通常、重量にして1%以下である。ガリウムの含有量が比較的多い鉱石としては[[ナミビア]]の[[ツメブ]]で産するゲルマナイトが知られているが、それでも含有率はわずかに0.6%–0.7%程度である<ref name=chitani402/>。
== 生産 ==
[[ファイル:Gallium.jpg|thumb|180px|高純度のガリウム]]
ガリウムは[[アルミニウム]]や[[亜鉛]]を製錬する際の副産物として得られる。これらの2つの方法以外は経済的ではない。アルミニウム製錬での副産物として得るのが主流である。ボーキサイトから[[バイヤー法]]で[[アルミナ]]を生産する際に、ここで得られるガリウムを含んだバイヤー液(アルミン酸ソーダ溶液)から、Ga<sub>2</sub>O<sub>3</sub>([[酸化ガリウム(III)]])を沈殿させた後で、水銀陰極を用いて電解還元し、ガリウムを得る方法などがある。ガリウム含有溶液には他の金属も含まれるため、それらと分離して精製する必要がある。半導体として使用する場合には、[[ゾーンメルト法]]でさらに純度を高めたり、[[チョクラルスキー法]]を使って、[[単結晶]]を得ることができる。通常、99.9999%の純度が達成され、商業的に広く利用されている。世界全体の生産量は、2006年のガリウムの生産量は234トンで、採掘からは100トン未満が得られ、残りは電子部品の製造工程でのスクラップなどからリサイクルされると推定される。世界全体のガリウム生産量の98%を中国が占める(2022年現在)<ref>{{citation | author = NHK | title = 中国のレアメタル戦略 ガリウム・ゲルマニウム規制の狙いは? | url = https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230801/k10014149091000.html | accessdate = 2023年8月8日}}</ref>。一方、日本はガリウムの最大の需要国であり、例えば2006年の日本のガリウム需要は168トンであり、これは世界の需要の約72%を占めている。また、日本でのスクラップ回収から得られる量は90トン以上と、大きな比率を占めている<ref>{{citation | author = 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 | title = ストロンチウム及びガリウムの需要・供給・価格動向等 | url = http://www.jogmec.go.jp/mric_web/kogyojoho/2008-03/MRv37n6-16.pdf | accessdate = 2008年12月21日}}</ref>。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{citation | title = Chemistry of aluminium, gallium, indium, and thallium | author = Anthony John Downs | publisher = Springer | year = 1993 | isbn = 075140103X | ref = downs}}
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== 関連項目 ==
{{Commons|Gallium}}
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7,900 | 奴隷 | 奴隷(どれい、英:slave)とは、経済的・社会的あるいは法律的に他人の所有物として取り扱われる人間のことである。奴隷となった理由には、捕虜、債務不履行の代償、人身略奪、刑罰、保護者による売却、奴隷の両親からの出生など複数存在した。地域で待遇差があり、国によっては、その取扱いは比較的穏やかであった。逆に15世紀以後、特にアメリカ大陸とカリブ海地域におけるアフリカ人の奴隷への待遇が人道上の大問題となった。労働内容で家内奴隷・生産奴隷に分類される。家内奴隷は古代オリエントをはじめ世界各地にみられたのに対し、生産奴隷は近代アメリカの黒人奴隷などが典型的で待遇は苛酷な場合が多かった。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制といい、奴隷制社会は原始社会の次に現れた人類最初の階級社会。奴隷制社会の典型として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会がある(古代的生産様式)。
1948年に国際連合で採択された世界人権宣言にて、下記のように宣言された。
あらゆる地域・時代の文献から、広範にその存在が確認され、その様態もさまざまである。定義は古代から議論の対象となっており、アリストテレスは「生命ある道具」 と擁護し、ソフィストの奴隷制批判に反論した。マルクス主義においてはスターリンの定義が最もよく知られている。しかし福本勝清によれば多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」とする。パターソンによれば「生まれながらに疎外され、全体として名誉を喪失し...永続的かつ暴力的に支配される(人間の)こと」。
人種差別、性差別、幼児売買などは奴隷に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。暴力と恐怖による支配が社会階層におよぶ場合農奴制や奴隷労働者の階級が形成された。
奴隷制社会は原始社会の次に現れた。そして、人類最初の階級社会である。上記の例として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会(古代的生産様式)があげられるとされる。有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、風土・慣習・伝統の違いによる地域差も大きい。戦争の勝者が捕虜や被征服民族を奴隷とすることは、古代には世界中で程度の差はあるが普遍的に見られた。これらは、古代的生産様式とも呼ばれた。古代ローマでは奴隷労働に頼った大土地経営ラティフンディウムが存在した。
古代ギリシアのポリス間紛争では敗れた側の住民で成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。ギリシャやローマの社会は奴隷制を基盤にしたものであったが、ギリシャ世界のポリスはスパルタを除けば奴隷の収奪を主要な目的とした社会組織ではなかった。奴隷交易はデロス島が著名であり、ストラボンの『地理誌』では1日に1万人以上を扱うことが出来たと記されている。
家庭内労働、鉱山、ガレー船員、軍事物資の輸送、神へ捧げる生贄など様々な場面において使用された。スパルタは大量のヘイロタイを農奴として使役した。共和政ローマでは征服地住民の多くが使役された が、奴隷によるプランテーションが中小自営農家の没落を招いた。大規模な奴隷反乱はスパルタ、ローマでしばしば見られた(メッセニア戦争、奴隷戦争)。
古代中国の殷では神への生贄に供するために用いられた。日本でも弥生時代に生口と呼ばれる奴隷的身分がすでに存在したとされる。また、日本に限らないが、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢するときには、生口を貢物として差し出すことも珍しくはなかった。
古代のある時期、社会の主な労働力となっている体制を奴隷制と呼び、かつて唯物史観の発展段階論に於いて、原始共産制以降から発展し封建制へと繋がる段階とされ、この解釈では、農業・荷役・家事などの重労働に従事することが多かったとされた。
農業革命が達成された中国に於いては北宋(960年 - 1127年)以降、土地の囲い込みによる農奴の小作農化(賃労働化)が進んだ。
西欧諸国では17世紀のペスト禍によって奴隷の価格や農奴の価値が上昇するにつれ、国民については厳格な階級制度が緩和され、農奴から小作人への身分転換が進んだ。しかし、国外については、商品購買層ではない人々(他人種)に対し奴隷貿易が続けられた。
15世紀以後、アメリカ大陸とカリブ海地域でアフリカ人の奴隷が大量に使用された。これは後に、人道上の大問題となった。
新大陸(南北アメリカ・オーストラリア)においては、移民の賃金労働者がより安価な労働力となり、労働力不足も発生していたため、奴隷解放後には元奴隷たちは安価な賃金労働者に再編された。
日本列島では米軍に由る民主主義化革命の一環として自作農化が執行された(農地改革)。
1949年に発効した国際連合の人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約や1957年に発効した奴隷制度廃止補足条約などそれに準じる各国の法規によって奴隷制度やトラフィッキングは現在は禁止されている。しかし、工業化の進んでいない発展途上国では、商品経済に飲み込まれながらもその対価が払えない貧困層が絶えず生まれ続け、それを供給源とする事実上の奴隷売買が公然と行われている地域がある。また、先進国・発展途上国の別によらず、暴力等によって拘束して売買し、性産業に従事させる犯罪が後を絶たず、非合法の奴隷とみなされる。世界には今でも2700万人が存在すると言われている。
2014年、過激派組織ISILはコーランの解釈に基づき奴隷制度の復活、運用を国際社会に公表している。
2015年、イギリスで奴隷状態が約1万人居るとされ現代奴隷法を制定した。
2019年、イギリスでポーランド人8人に現代奴隷法などの違反で禁固刑が言い渡された。被害者は約400人で欧州で過去最大規模の摘発となった。
古代ギリシャ世界では、戦いや祭祀の際に捧げる犠牲、農作業、雑用役などの労働に非常に盛んに使用され、多くはないが家内工業における職人もいた。ポリス市民の得た閑暇は公的生活への参加に向けられ、労働は恥辱であることが公然と言明された。
ギリシャと異なりローマ人は肉体労働そのものを卑しむ精神伝統はなかったが、報酬として金銭を要求する職業を卑賎なものと見做す習慣があった。そのため高い報酬を受け取るような職種であっても、彼らが担う場合も多かった。境遇は様々であり、後述の通り高待遇の者も存在した。
古代ローマは基本的には初期から滅亡まで奴隷制社会であるが、時代による変遷がみられる。共和制時代には小規模自営農が多数を占めていたが、そうした自営農もひとりかふたり程度の奴隷を持つことが普通であった。この時代は、後世ほどには悲惨な境遇ではなく、大切な労働力、貧しい農民にとっての「高価な財産」として扱われた。
共和政ローマが征服戦争を推し進めるに随って獲得機会が増えると共に、価格も下がり、大量に使役するラティフンディウムが拡大した。そうした「安価な財産」の待遇は酷いものであり、様々な記録の中で悲惨さが描かれているほか、鉱山においても酷使された。ローマは4度にわたって、大規模な叛乱を経験している。従来の城郭都市近郊の小規模自営農は経済的に没落する一方でパトリキ(貴族)やエクィテス(富裕層)は大土地所有と奴隷労働により富を蓄積した。一方で、無産階級に零落したローマ市民権を持つローマ人は都市に流入した。
ローマでも奴隷の大半は農業や鉱山で使役されたが、多種の仕事に解放奴隷や稀に奴隷も従事した。彼等は奴隷所有者である主人の判断によっては、労働内容にみあう技能教育をされることがあったと考えられている。また、ローマでは哲学や詩、歴史学などに熟達した高度技能を持つギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術(会計術)を身に付けた奴隷が医術師や会計役として重宝され高額で売買された。また官僚制が発達する以前においては、政治家が個人として所有する奴隷が、家産官僚の役割を担った(家産官僚制参照)。こういった高い教育を受けた知的労働に携わる奴隷は「高価な財産」として高待遇を受けていた。家庭教師は生徒(つまり主人の子弟)にちょっとした体罰を加える事もあったし、また属州総督が所有する奴隷は、属州民から見れば支配者階級の末端であった。商業を侮蔑し農業に立ち返る事を主張した大カトーも、能力のある奴隷を見いだして教育を受けさせ、高値で転売する事に限っては、利殖として認めている。
しばしば虐待の対象となり、アウグストゥス時代の富豪(ローマ騎士)Publius Vedius Pollioは怒りにまかせ池に投げ込み、魚のエサにしたとの話がある。一方で、老年まで勤め上げた奴隷を奴隷身分から解放する主人もいた。時代が下がるとともに奴隷の境遇も改善され、帝政期の特に2世紀以降になると虐待の風潮に対して、いくつかの保護法が制定された。 コンスタンティヌス帝の319年の勅令においては主人は主人権を乱用し故意に奴隷を殺したときは主人を殺人罪に問うべしとした。これらは主に2世紀以降に出されたが、パクス・ロマーナにより戦争や略奪による奴隷の供給量が減少したことが影響している。従って、上記の待遇緩和に先んじて、所有者が解放する人数に制限が加えられてもいる(アウグストゥス帝)。これによりラティフンディウムの制度は崩壊し、コロナートゥスに移行していった。
幸運に恵まれて解放奴隷身分になる者もおり、解放奴隷の子供の代になればローマ市民権を獲得する可能性が得られた、中にはペルティナクスのように皇帝になった者もいる。また債権者は返済不能となった債務者自身を奴隷として売却し貸付金を回収することが認められており、自由身分を喪失する者もいた。またローマには捨て子の習慣があり、拾われた子は奴隷となった。
中世西北ヨーロッパでは羊毛、皮革、毛皮、蜜蝋程度しか、オリエントや東ローマに対して輸出できるものがなかったため、何世紀にもわたり奴隷は西北ヨーロッパから東ローマやアジアへの主要な輸出商品の一つであった。ヴェネツィア(特に年少のうちに去勢されたイタリア半島内の奴隷は、イベリア、東ローマ、イスラム世界で重宝された)、フィレンツェ、トスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところが大きかった。また北アフリカやアンダルス・北イタリア・諸騎士団の海賊は、しばしば南欧の住民や地中海沿岸の敵対する勢力の住民を襲って拉致し、売っていた。これは西ヨーロッパと隣接する東ローマ社会では宮廷から生産労働まで大量の需要があり、またイスラム社会においては奴隷を必要とする社会でありながら、自由民を奴隷階級に落す事が禁じられ戦争捕虜や売買によって外部から供給を受けるしか方法が無かったからである。
西ヨーロッパの内部においては、上述の通り古代末期においてラティフンディウムの崩壊により奴隷の使用は少なくなる一方、コロナートゥスの進展により農奴と呼ばれる労働・居住の自由を持たない奴隷的な小作人が数多く存在した。
16世紀から19世紀にかけて、アフリカ諸地域から輸出された黒人奴隷(奴隷貿易)は、主に南北アメリカ大陸で、プランテーション農業などの経済活動に、無償で従事させられた。北米においては最初先住民族のインディアンの奴隷化が試みられたが、彼らは社会の発展段階がまだ氏族社会の段階にあり、定住した勤労には不適で、農耕労働は強制力をもってしても強いることは出来なかった。奴隷貿易に参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの5カ国である。奴隷商人は、ヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿製品を積載してアフリカ・ギニア湾岸に到り、海に面した国に上陸した。そこで、内陸国と交戦した海洋国と交渉し、彼らが捕虜にした黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。
次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどの亜熱帯農産物を積み、ヨーロッパに帰ってくるのである。奴隷貿易で最盛期を迎えるのは18世紀である。推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は約400万人が売買されたといわれている。概算1500万人と言われているが、多数の奴隷船の一次記録の調査により、大西洋横断中の死亡率は13%程度であると想定され、近年では最大でも1100万人程度と推定されている。ただし、アフリカにおいて、ヨーロッパの奴隷貿易業者の手に渡るまでの期間の死者、即ち現地アフリカの勢力が奴隷狩り遠征その他の手段によってかき集めてから、ヨーロッパの業者に売られるまでの期間にどれだけの死者が出ていたかは調べられていない。
アメリカ大陸において民主主義の進展により市民が自由を得て、かつ君主もいなくなる一方で、人種差別と相まって奴隷の境遇が悲惨なものとなり、北アメリカでは奴隷は子孫に至るまで奴隷身分として固定されてしまい(one-drop rule「黒人の血が一滴の血でも混ざれば白人とはみなさない」)、自由民と奴隷の格差が非常に顕著になったのである。南アメリカにおいては、混血児に対する扱いは北アメリカより寛大で、父親が認知すれば相続権も与えられた。
なぜ近代社会に入って奴隷制が容認されたのかという理由は、福音や旧約聖書に奴隷制度を容認すると解せる記述があることが根拠とされ(当然、聖書の記述は古代社会であるにもかかわらず)、これを文字通り近代社会に当て嵌めうるとの解釈を強引に行ったからである。これに対し殆どの教会や牧師もこのこじつけの論理を黙認した。ジョージア州などでは、奴隷に読み書きを教えることは違法となっていた。
アメリカ合衆国では、南北戦争の時代にリンカーン大統領(→奴隷解放宣言)によって、奴隷制度が廃止されたが、大半の黒人は1971年まで、「選挙権はあるが投票権がない」状態だったなど、政治的な権利の制限は長く続いた(公民権運動、外部リンク参照)。19世紀における奴隷解放運動の活動家にはフレデリック・ダグラスなどがいた。
なお、中世・近世のように西ヨーロッパから東欧や西アジアへ奴隷が輸出されるような状況は、17世紀の人口減少による奴隷価格の高騰や西欧社会が再び奴隷を使用する社会となるにつれ減少していくが、北アフリカの海賊(バルバリア海賊)がヨーロッパ人を拉致して奴隷として売る状況は、1830年のフランスによるアルジェリア征服まで続いた。逆に、キリスト教徒海賊がギリシャやイスラム世界から拉致した奴隷を購入する事例もあった。
西アジアなどイスラム社会では奴隷の扱いは、比較的穏やかであった。10世紀から19世紀初頭にかけてトルコとアラビア半島を中心とするイスラム世界に存在した奴隷出身の傭兵(マムルーク)らは歴史上重要な役割を果たしている。
基本的に一般民との差異は労働に関する制約がほとんどで農奴に近い といえる、もちろん賎民であり蔑視の対象ではあったものの、欧州圏とは異なり奴隷の殺害を罪に問う社会が多かった。また、身分の固定も強固なものではなく、奴隷身分からの脱出も欧州世界ほど困難ではなかった。
古代中国の商(殷)は戦争奴隷を労働力・軍事力の基盤として、また葬礼や祭祀における犠牲として、盛んに利用していた。商(殷)までは奴隷制社会であったことは定説となっているが、いつまでであったかは諸説あり、奴隷制から封建制に変革されたとされる周の易姓革命、ないしは、商(殷)程ではないにせよ実質的には奴隷が生産力となっていた春秋時代までと考えられる範疇として議論されている。いずれにせよ、中原とは文化の異なる民族(蛮夷戎狄)との戦争で捕虜とした奴隷が労役に就かされたと考えられている。後漢末・魏晋南北朝以来の貴族制下では、律令により賎民に区分された雑戸官戸や奴婢などの農奴と奴隷が政府や勢家の下に多く存在していた。宋王朝以降は官奴婢が禁止されたが、私奴隷は清王朝の時代まで少数ながら存在した。基本的には罪を犯した者が奴隷身分へ落とされ、欧州でいう所の農奴や官営工場の職人として強制的に有償労働へ就かされた。前漢の衛青は奴隷の身分から大将軍まで上り詰めた。(中国の奴隷制参照)
丙子の乱で、清朝軍が李氏朝鮮を制圧した戦いの際に、清朝軍は50万の朝鮮人を捕虜として強制連行し、当時の盛京(瀋陽)の奴隷市場で売られた。
タイの歴史上では、タートと呼ばれる自由を拘束された身分があった。そのほとんどが、未切足タートと呼ばれる、少額の負債を負った者が債権者に労働などで負債を返済する形式の者であり、多くはいわゆる奴隷的な身分ではなかった。しかし、一部には切足タートと呼ばれる多額の負債を負って奴隷身分となった者や、捕虜タートと言われる奴隷があり、これらは自由身分への復帰が非常に困難とされた。ポルトガルの奴隷貿易によって買われた日本人奴隷も、捕虜タートと同列に取り扱われた。
インドのカースト制を代表とする身分制度のうち、シュードラやダーサを奴隷と訳すこともあるが、所有・売買の対象という意味では定義から外れる。他のカーストの下に置かれたことから奴隷の名を宛てる者もいる。時代による変遷があるため、ギリシャ人やローマ人が記録を残した時代のものは、家内奴隷で待遇もそれほど劣悪ではなく、ギリシャ人やローマ人の目に奴隷と映らなかったようである。
チャクリー王朝に入ってからラーマ1世によってこの切足タートや捕虜タートにも自由身分へ回復する事が制度的に可能になった。のちに、ラーマ5世のチャクリー改革によってタートの制度は廃止された。
匈奴やスキタイ、柔然、突厥、ウイグル、遼、モンゴルなどの遊牧民が主体を構成する社会では、戦争捕虜、犯罪者、征服した部族の奴隷的使役、南の農耕地域から拉致した奴隷が多数居たことが確認されるなど、類似した奴隷制社会の形態が見られる。その他の遊牧民による国家も同様と考えられるが、史料に乏しく実態はよく解っていない。
朝鮮では男の奴隷を奴、女の奴隷を婢と呼び、あわせて奴婢(ノビ)といった。また妓生と称して諸外国からの使者や兵士、両班階層に対し、楽技を披露したり、性的奉仕をするための婢が20世紀まで存在した。
朝鮮における奴婢の歴史は、中国の征服者・箕子が興した箕子朝鮮の時代より始まるとされる。箕子は朝鮮を治めるにあたり、犯禁八条という厳格な刑法を制定した。その際に刑罰として敷かれた制度が奴婢制であった。人間は自らの労働によって生計を営まねばならない。仮に誰かが詐欺や暴力で他人の財産を横取りしたなら、論理的にも道徳的にもその者は被害者の所有物となるべきとの論理にもとづいて、窃盗犯はすべて被害者の奴婢になるという刑罰がつくられた。莫大な保釈金を払って奴婢の身分から脱することはできても市民としての信用は回復されることがなかった。姦通も奴婢法によって罰せられた。この場合、罪人は国の奴婢となり、王は彼を思いのまま高級官吏に下賜(かし)したりした。
この制度は紀元前193年までほぼ千年以上続いたが、当時の箕子朝鮮の最後の王・箕準(キジュン)が燕人の衛満によって追放され、廃止された。朝鮮半島の南方に追われて馬韓(バカン)という王国を建てた箕準は、そこで奴婢制をそのまま踏襲した。その後数百年間、この制度は存続と廃止を繰り返したが、918年、朝鮮半島が高麗王朝によって統一された後、再び一般化することになった。
奴婢の数は急速に膨れあがったが、彼らへの待遇は劣悪で残忍とさえ見なせるものだった。1198年、万積らが公私奴婢を集めて蜂起を画策したものの事前に発覚し、結果として300人を越す奴婢らが首に石を結びつけたまま礼成江(イェソンガン、高麗の都・開京(開城)郊外を流れる川)に放りこまれて処刑された。
李朝の四代国王であった世宗は性的搾取の対象であった妓生(婢)と良民の男が結婚すれば間の子供は父親の身分に従って良民になれるようにしていた既存の法律を廃止した。 さらに奴婢従母法(노비종모법)という法により、父が両班で母が奴だった場合は子も奴婢になり、奴(父親)の所有者がその子の所有権を持つように定められた。この法律は父が誰でどの身分でも、二人の間の全ての子供は母の身分に従って奴婢になるようにした法律でもあった。朝鮮の少女たちを貢女として中国(明)に捧げるために『進献色』という機構を設置した上に、処女進献を避けるために民衆の間が幼い年齢で早婚させることが流行すると即座に王族など高位層を除いて民衆のみに早婚禁止を実施した、また中国から来た使臣が1〜2か月かかる貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下され選抜対象となった未婚女性は恐怖に震えた。太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者等選抜から免れようとした者」を罰する号令も出し、世宗の時代も存続していた。朝鮮王朝実録には、世宗の治世が明に対する処女進献が最多と記録されている。
李氏朝鮮政府は妓生庁を設置し、またソウルと平壌に妓生学校を設立し、15歳〜20歳の女子に妓生の育成を行った。
1592年、豊臣秀吉の軍が朝鮮半島に攻め込んだ(文禄・慶長の役)。この折、奴婢らが混乱に乗じて戸籍の消滅を図って景福宮に放火したため、王宮は漢陽陥落以前に焼失している。7年にもわたる戦乱で多くの男子が犠牲になったため、朝廷では奴婢のうち男性をその身分から解放した(しかし、実際は従来どおり男の奴婢もいた)。
1894年の甲午改革で法的には撤廃されたが、1905年の段階でも多数の女が奴婢の身分に囚われていた。彼女らはほとんどの場合、罪を犯した親戚の男の身代わりとして自主的に奴婢となったか、あるいはその身分を相続した者たちであった。
朝鮮にに「白丁」と呼ばれるもうひとつの賤民階級があり、奴婢とは区別されていた。彼らは倫理的保護の対象外として社会から厳しく差別・侮蔑される対象であり、化外の民であった。
朝鮮で実質的に制度が廃止されたのは日韓併合後であり、1910年に朝鮮総督府が奴隷の身分を明記していた旧戸籍を廃止し、全ての国民に姓を定めた新戸籍制度を導入した。
現在の北朝鮮に存在するとされる出身成分という身分制度も奴隷制の一つであるとされる。
日本において奴隷とは明治以降にSlaveの訳語として充てられるようになった単語であり、それ以前は奴婢と称した。
戦国時代に来航したポルトガル商人は主従関係などにより一時的にでも自由でない労働者を奴隷と考えており、ポルトガル商人の理解する奴隷は奴婢だけでなく下人や所従、年季奉公人等の様々な労働形態を含んでいたことが指摘されている。
奴隷という用語が日本国内では異なると考えられてきた労働形態、社会集団を隠蔽していたという。
ポルトガル人は日本で一般的な労働形態だった年季奉公人も不自由な労使関係から奴隷とみなすなど、多くの日本人の労働形態はポルトガル人の基準では奴隷であり、誤訳以上の複雑な研究課題とされてきた。ポルトガルでは不自由な労使関係、主従関係における従属を奴隷と理解することがあり、使用される傭兵や独立した商人冒険家も奴隷の名称で分類されることがあった。
またポルトガル人は日本社会の使用人や農民のことを奴隷と同定することがあった。1557年、ガスパル・ヴィレラは日本には貴族と僧侶、農民の社会階層があると論じ、貴族と僧侶は経済的に自立しているというが、農民は前二者のために働き、自分たちにはごくわずかの収入しか残らない奴隷状態にあると述べている。コスメ・デ・トーレスは日本の社会について以下のように語っている。
コスメ・デ・トーレスは日本人の地主は使用人に対して生殺与奪の権力を行使することができるとして、ローマ法において主人が奴隷に対して持つ権利 vitae necisque potestas を例証として使い、日本における農民等の使用人を奴隷と変わらない身分とした。
中世の日本社会では、百姓は納税が間に合わない場合に備えて、自分や他人を保証人として差し出すことができたという。税金を払わない場合、これらの保証は売却される可能性があり、農民と奴隷の区別をいっそう困難にした。
前期倭寇は朝鮮半島、山東・遼東半島での人狩りで捕らえた人々を手元において奴婢として使役するか、壱岐、対馬、北部九州で奴隷として売却したが、琉球にまで転売された事例もあった。後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行い、中国東南部の江南、淅江、福建などを襲撃し住人を拉致、捕らえられたものは対馬、松浦、博多、薩摩、大隅などの九州地方で奴隷として売却された。1571年のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにもあった。乱妨取りや文禄・慶長の役(朝鮮出兵)により奴隷貿易はさらに拡大、東南アジアに拠点を拡張し密貿易も行う後期倭寇によりアジア各地で売却された奴隷の一部はポルトガル商人によってマカオ等で転売され、そこからインドに送られたものもいたという。イエズス会は倭寇を恐れており、1555年に書かれた手紙の中で、ルイス・フロイスは、倭寇の一団から身を守るために、宣教師たちが武器に頼らざるを得なかったことを語っている。
鄭舜功の編纂した百科事典『日本一鑑』は南九州の高洲では200-300人の中国人奴隷が家畜のように扱われていたと述べている。奴隷となっていた中国人は福州、興化、泉州、漳州の出身だったという。
歴史家の米谷均は蘇八の事例を挙げている。蘇は浙江の漁師で、1580年に倭寇に捕らえられた。蘇は薩摩の京泊に連れて行かれ、そこで仏教僧に銀四両で買い取られた。2年後に彼は対馬の中国人商人に売られた。6年間、対馬で働き、自由を手に入れた蘇は、平戸に移り住んだ。平戸では、魚や布を売って生活していた。そして1590年、中国船でルソン島に渡り、翌年、中国に帰国することができたという。
文禄・慶長の役では、臼杵城主の太田一吉に仕え従軍した医僧、慶念が『朝鮮日々記』に
と記録を残している。渡邊大門によると、最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発していると主張している。
多聞院日記によると、乱妨取りで拉致された朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた。
薩摩の武将・大島忠泰の角右衛門という部下は朝鮮人奴隷を国許に「お土産」として送ったと書状に書いている。
弥助という名の宣教師の護衛をしていたアフリカ系の奴隷(または従者)が、戦国大名の織田信長に宣教師と共に謁見して気に入られ、武士の身分を与えられ家来として仕えたとの記録が残っている。宣教師の護衛として武術の訓練を受けていたと見られるため自由人や解放奴隷であったとの見解もあり、弥助が奴隷だったかについては諸説ある。弥助を捕らえた明智光秀は
として教会に送り届けるよう指示した。
一説には、すでに縄文時代に存在していたとされるが、歴史文書に初めて登場するのは弥生時代であり、『後漢書』の東夷伝に、「倭国王・帥升が、生口160人を安帝へ献上した」(西暦107年)という趣旨の記録がある。また、いわゆる『魏志倭人伝』にも、邪馬台国の女王・卑弥呼が婢を1000人侍らせ、西暦239年以降、魏王へと生口を幾度か献上した旨の記述がある(ただし、「生口」は奴隷の意味ではないと解釈する説もある)。
古墳時代に入ると、ヤマト王権によって部民制(べみんせい)が敷かれ、子代部(こしろのべ)、名代部(なしろのべ)、部曲(かきべ)などの私有民もしくは官有民が設けられた。部民制は、飛鳥時代の大化の改新によって、中国の唐帝国を模した律令制が導入されるまで続いた。
日本の律令制度では、人口のおよそ5%弱が五色の賤とされ、いずれも官有または私有の財産とされた。そのうち、公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)は売買の対象とされた。この2つの奴婢身分は、平安時代前期から中期にかけての公地公民の律令制度の解体と、荘園の拡大の中で寺社領に於いては減っていったが、皇家や公家の荘園では依然として存在し続けた。五色の賎は百姓の中かなりの割合(3分の1)を占め、良民との結婚などに制限があったが、良民の3分の1の口分田が班給されており、これらは中世以降の小作人や欧州の農奴に近い存在であった。ヤマト王権に恭順した蝦夷である俘囚には戦争捕虜も含まれており、そのまま兵士として動員された。また蝦夷もヤマト王権との戦争により戦争捕虜を得ていたが、蝦夷の捕虜となった和人の子孫なども混在していたとされる。
五色の賎には奴婢が規定され、朝廷が所有し76歳を越えると良民として解放される公奴婢(くぬひ)、民間所有のものを私奴婢(しぬひ)と言い、子孫に相続させることが可能であった。日本の律令制下における奴婢の割合は、全人口の10~20%前後だった とされ、五色の賤の中では最も多かった。
飛鳥時代、丁未の乱(ていびのらん)で物部氏が滅ぼされた時、物部守谷の子孫従類273人が四天王寺の奴婢にされたとの記述が四天王寺御手印縁起、伝暦、御記、太子物、今昔物語、扶桑略記、元亨釈書等にあり通説となっている。
日本書紀によると奴(奴隷等の使用人、奴国、倭奴などにも使われた蔑称)との記述のみのため、後世の脚色だとする神野清一の異説もあるが、日本書紀に脚色が入る可能性は想定されていない。聖徳太子伝暦では「奴」ではなく「子孫資財」としている。通説では丁未の乱で物部の子孫が絶えず、奴婢に零落して生き続けたからこそ美化された伝説でなく、奴婢として記録に残ったという。
平安時代後期に、日本が中世へと移行すると、社会秩序の崩壊にしたがって人身売買が増加し、「略人」、「勾引(かどわかし)・人勾引(ひとかどい)」や「子取り」と称する略取も横行した。また、貨幣経済の発展に伴って、人身を担保とする融資も行われた。こうして、様々な事情で自由を失った人々が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。有名な『安寿と厨子王(山椒大夫)』の物語は、この時代を舞台としている。このように、中世には人身売買が産業として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「人商人」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。また、奴婢が主人から逃亡することは財産権の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。下人が夫婦を形成し子をなす場合、その子も主人の下人となり身分が世襲される譜代下人などが構成された。
自力救済の時代である中世日本では、人身売買は民衆にとって餓死を免れるセーフティーネットとしての面も持つ行為であった。身売りすることで近い将来に餓死する事だけは避けえたからである。鎌倉時代に寛喜の飢饉と呼ばれる飢饉が発生した際に多くの人々が自身や妻子を身売りして社会問題となった。そのため、鎌倉幕府は1239年になって人身売買の禁止を命じるとともに、例外として飢饉の際の人身売買とそれに伴う奴婢の発生は黙認する態度を示した(『吾妻鏡』延応元年4月13日・5月1日条)。なお、災禍が治った後、親が買い戻すこともみられたが、その際には身売り時よりも相当の高額を要求されることが容認されていた。
貞永元年8月10日(1232年8月27日)に制定された御成敗式目では奴婢とその子供の所有権に関する定めがある。
御成敗式目(室町末期版)にも同様の記述がある。奴婢雑人については(逃亡等により)10年以上放置すれば(人返しされなければ)無効になることが定められている。
「天文・永禄のころには駿河の富士の麓に富士市と称する所謂奴隷市場ありて、妙齢の子女を購い来たりて、之を売買し、四方に輸出して遊女とする習俗ありき」と言う。
その後、元帝国と高麗の連合軍が壱岐・対馬と九州北部に侵攻し(元寇)、文永の役では、捕らえられた日本人の婦女子およそ200人が、高麗王に奴婢として献上された。国内においては、鎌倉幕府や朝廷は、人身売買や勾引行為に対して、顔面に焼印を押す拷問刑を課したこともあった。しかし、14世紀以降、勾引は盗犯に準ずる扱いとされ、奴婢の所有は黙認された。南北朝時代として知られる内戦期になると、中央の統制が弱まって軍閥化した前期倭寇が、朝鮮や中国で人狩りを行った。惣村社会では境界紛争の解決にしばしば下手人として奴婢を利用した。
いわゆる戦国時代には、戦闘に伴って「人取り」(乱妨取り)と呼ばれる略取が盛んに行われており、日本人奴隷は倭寇やポルトガル商人を通して東南アジアなどにも輸出された。軍資金を求めて領主が要求した増税は、国民の貧困化を招き、多くの日本人が奴隷制を生き残るための代替戦略として捉えた。
1514年にポルトガル人がマラッカから中国と貿易を行って以来、ポルトガル人が初めて日本に上陸した翌年には、マラッカ、中国、日本の間で貿易が始まった。中国は倭寇の襲撃により、日本に対して禁輸措置をとっていたため、日本では中国製品が不足していた。当初、日本との貿易は全てのポルトガル商人に開かれていたが、1550年にポルトガル国王が日本との貿易の権利を独占した。以降、年に一度、一隻に日本との貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号、事業を行うための資金が不足した場合の職権売却の権利が与えられた。船はゴアを出航し、マラッカ、中国に寄港した後、日本に向けて出発した。南蛮貿易で最も価値のある商品は、中国の絹と日本の銀であり、その銀は中国でさらに絹と交換された。
1537年のスブリミス・デウスにおいて教皇パウルス3世はアメリカ先住民の奴隷化を無効だと宣言していたが、1541年のポルトガル船来航以降にも奴隷貿易が行われてきた。日本マカオ間の定期航路の開通にともない行われた奴隷貿易に対して、1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えた。ポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を度々求めており、ポルトガル王セバスティアン1世は1571年に禁止を命令した。
ポルトガル王による1571年の人身売買禁止までの南蛮貿易の実態だが、1570年までに薩摩に来航したポルトガル船は合計18隻、倭寇のジャンク船を含めればそれ以上の数となる。実際に取引された奴隷数については議論の余地があるが、反ポルトガルのプロパガンダの一環として奴隷数を誇張する傾向があるとされている。記録に残る中国人や日本人奴隷は少数で貴重であったことや、年間数隻程度しか来航しないポルトガル船の積荷(硫黄、銀、海産物、刀、漆器等)の積載量、奴隷と積荷を離すための隔離区間、移送中の奴隷に食料・水を与える等の輸送上の配慮から、ポルトガル人の奴隷貿易で売られた日本人の奴隷は数百人程度と考えられている。16世紀のポルトガルの支配領域において東アジア人の奴隷の数は「わずかなもの」で、インド人、アフリカ人奴隷の方が圧倒的に多かった。。
関白の豊臣秀吉は、天正15年(1587年)バテレン追放令でこれを禁じたとされるが、実際に発布された追放令には人身売買を禁止する文が前日の覚書から削除されており、追放令発布の理由についても諸説ある。天正18年(1590年)4月、豊臣秀吉は上杉景勝らの人身売買を禁止、同年8月、宇都宮国綱に人身売買の禁止と百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者を返すことを命じ、労働供給の安定を図っており、人身売買や百姓の逃散、欠落の禁止による人口流出の防止が豊臣秀吉の経済財政政策における基本方針だったとする説がある。伴天連追放令後の1589年(天正17年)には日本初の遊郭ともされる京都の柳原遊郭が豊臣秀吉によって開かれたが、遊郭は女衒などによる人身売買の温床となった。バテレン追放令後の天正19年(1591年)、教皇グレゴリウス14世はカトリック信者に対してフィリピンに在住する全奴隷を解放後、賠償金を払うよう命じ違反者は破門すると宣言、在フィリピンの奴隷に影響を与えた。
デ・サンデ天正遣欧使節記では、同国民を売ろうとする日本の文化・宗教の道徳的退廃に対して批判が行われている。
デ・サンデ天正遣欧使節記はポルトガル国王による奴隷売買禁止の勅令後も、人目を忍んで奴隷の強引な売り込みが日本人の奴隷商人から行われたとしている。
デ・サンデ天正遣欧使節記は、日本に帰国前の千々石ミゲルと日本にいた従兄弟の対話録として著述されており、物理的に接触が不可能な両者の対話を歴史的な史実と見ることはできず、フィクションとして捉えられてきた。遣欧使節記は虚構だとしても、豊臣政権とポルトガルの二国間の認識の落差が伺える。
天正14年(1586年)『フロイス日本史』は島津氏の豊後侵攻の乱妨取りで拉致された領民の一部が肥後に売られていた惨状を記録している。『上井覚兼日記』天正14年7月12日条によると「路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。」と同様の記録を残している。天正16年(1588年)8月、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状で
と、天正16年(1588年)閏5月15日に肥後に配置されたばかりの加藤清正と小西行長に奴隷を買ったものに補償をせず「買い損」とするよう通知している。同天正16年(1588年)同様の命令があったことが島津家文書の記録として残っている。
元和2年(1616年)江戸幕府は高札で人身売買を禁止、元和四年に禁制を繰り返し、元和5年(1619年)12箇条の人身売買禁止令を発布、寛永4年(1627年)正月にも人身売買禁止令をだすなど、人身売買の禁令は豊臣秀吉以降も繰り返し行われた。
日本においては、中世に始まる下人が年季奉公の形を取り始めるのが江戸期であり、農村奉公人、武家奉公人、町家奉公人などの種類によって分けられる。江戸時代の代表的奉公には、子子孫々に至るまでの事実上の永代の身売りである譜代奉公、身代金を支払って請戻す本金返年季奉公、借金の担保に人質として奉公人を金主に渡し質流になれば譜代奉公に転じる質物奉公、そして年季を定めた普通の年季奉公があった。短期的な労働力を提供する種類である出替奉公とは別に、丁稚等の奉公は10年〜20年に及び、徒弟奉公も10年内外に及ぶのが普通だった。
江戸時代前期の年季奉公の主流は奴婢・下人の系統を引くもので、奉公人は人身売買の対象となった。江戸幕府は法律上は営利的な人の売買を禁止したが、それは主として営利的な人の取引に関したもので、実際においては父や兄が子弟を売ることは珍らしくなく、また人の年季貫は非合法でなかった。主人と奉公人との間には、司法上ならびに刑法上の保護と忠誠の関係があるべきものとされた。奉公人は主人を訴えることが許されず、封建的主従関係であったという。
江戸時代に入り雇用契約制度である年季奉公が一般に普及しはじめると譜代下人(または譜代奉公人)としての男性の売買は江戸時代中期(十七世紀末)にはほとんど見られなくなった。しかし遊女や飯盛女の年季奉公ではいくつかの点で人身売買的な要素が温存された。
中田薫 (法学者)は「奴婢所有権の作用にも比すべき、他人の人格に干渉し、其人格的法益を処分する人法的支配を、雇主の手に委譲して居る点に於て、此奉公契約が其本源たる人身売買の特質を充分に保存する」として「身売的年季奉公契約」と名付けた。
幕府は元禄11年(1698年)には年季制限を撤廃して永年季奉公や譜代奉公 (生涯の奉公)を容認した。
江戸時代に勾引は死罪とされ、新規の奴隷身分も廃止されたが、年貢を上納するための娘の身売りは、前借金を伴う年季奉公の形で認められた。「人買」(ひとかい)は、こうした遊女の売買を行う女衒を指す語として、この時代に一般化したものである。
なお、刑罰(身分刑)として奴隷的身分に処するものとして、江戸幕府下においては「非人手下」や「奴刑」が残り、各藩においても同様の刑罰が残った。
江戸時代の平均的農民は幕藩領主によって土地緊縛されているところから、広義における農奴と規定する定説が認められている。本百姓と世襲的な借家・小作関係にある譜代下人等も存在し、家父長的奴隷制として規定することがある。地方によっては家抱、門屋、庭子、内百姓、名子と呼ばれ、強い隷属性を特徴とし、村内での地位は水呑百姓以下だったとされる。傍系家族・下人も含め名主家族そのものを広義の農奴の一存在形態とする見解もある。
明治5年(1872年)に横浜港で発生したマリア・ルス号事件では、国際紛争を引き起こす懸念が政府内にあったが、外務卿の副島種臣は人道主義と日本の主権独立を主張し、助けを求めた清国人の苦力らを奴隷と認定し解放している。1872年、芸娼妓の年季奉公が人身売買であるとの認識から「芸娼妓解放令」を出した。「遊女・芸者、その他種々の名目にて年期を限」るのはアメリカ合衆国の「売奴」と変わらないとし、遊女・芸妓等の人身売買を禁止するよう提議した。また、それより以前の1870年には、外国人への児童の売却を禁ずる太政官弁官布告が出された。
芸娼妓解放令が有名無実なものとなると人身売買に対する法的規制が後退し、他人を売るより子孫を売る方が罪が軽く「和売」が行われていた。 明治から昭和にかけての人身売買について牧英正は、農村の慢性的貧困、父権の強さが人身売買を発生させる温床となる構造上の理由を説明している。
明治の日本では、女性を騙して海外へ連れ出し売春させるという手口が多発していた。
警視庁 北海道庁 府県
近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし
明治二十六年二月三日
外務大臣 陸奥宗光
19世紀から20世紀初頭にかけて、日本の売春婦が中国、日本、韓国、シンガポール、インドなどのアジア各地で人身売買されるネットワークがあり、当時「黄色い奴隷売買」として知られていた。「からゆきさん」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、貧困にあえぐ農村から、東アジア、東南アジア、シベリア(ロシア極東)、満州、インドなどに人身売買され、中国人、ヨーロッパ人、東南アジア原住民などさまざまな人種の男性に売春婦として性的サービスを提供した日本人の少女・女性のことである。中国での日本人売春婦の経験は、日本人女性の山崎朋子の著書に書かれている。
朝鮮や中国の港では日本国民にパスポートを要求していなかったことや、「からゆきさん」で稼いだお金が送金されることで日本経済に貢献していることを日本政府が認識していたことから、日本の少女たちは容易に海外で売買されていた。明治日本の帝国主義の拡大に日本人娼婦が果たした役割については、学術的にも検討されている。
バイカル湖の東側に位置するロシア極東では、1860年代以降、日本人の遊女や商人がこの地域の日本人コミュニティの大半を占めていた。黒海会(玄洋社)や黒龍会のような日本の国粋主義者たちは、ロシア極東や満州の日本人売春婦たちを「アマゾン軍」と美化して賞賛し、会員として登録した。またウラジオストクやイルクーツク周辺では、日本人娼婦による一定の任務や情報収集が行われていた。
1890年から1894年にかけて、シンガポールは村岡伊平治によって日本から人身売買された3,222人の日本人女性を受け入れ、シンガポールやさらなる目的地に人身売買される前に、日本人女性は数ヶ月間、香港で拘束されることになった。日本の役人である佐藤は1889年に、長崎から高田徳次郎が香港経由で5人の女性を人身売買し、「1人をマレー人の床屋に50ポンドで売り、2人を中国人に40ポンドで売り、1人を妾にし、5人を娼婦として働かせていた」と述べている。佐藤は女性たちが「祖国の恥に値するような恥ずかしい生活」をしていたと述べている。
オーストラリア北部にやってきた移民のうち、メラネシア人、東南アジア人、中国人はほとんど男性で、日本人は女性を含む特異な移民集団だった。西豪州や東豪州では、金鉱で働く中国人男性に日本人のからゆきさんがサービスを提供し、北豪州のサトウキビ、真珠、鉱業周辺では、日本人娼婦がカナカ族、マレー人、中国人に性的サービスを提供していた。
日本人娼婦は1887年に初めてオーストラリアに現れ、クイーンズランド州の一部、オーストラリア北部、西部などオーストラリアの植民地フロンティアで売春産業の主要な構成要素となり、大日本帝国の成長はからゆきさんと結びついた。19世紀後半、日本の貧しい農民の島々は、からゆきさんとなった少女たちを太平洋や東南アジアに送り出した。九州の火山性の山地は農業に不向きで、両親は7歳の娘たちを長崎県や熊本県の女衒に売り渡したが、5分の4は本人の意志に反して強制的に売買され、5分の1だけが自らの意志で売られていった。
人身売買業者が彼女たちを運んだ船はひどい状況で、船の一部に隠されて窒息死する少女や餓死しそうになる少女もおり、生き残った少女たちは香港、クアラルンプール、シンガポールで娼婦としてのやり方を教えられ、オーストラリアなど他の場所へ送られた。
戦後は日本国憲法が発布され、日本国憲法第18条にて国民に対し奴隷制度を禁じた。
第二次世界大戦直後は、未成年者が前借金で事実上売買され、作男や農業手伝いに従事する例が目立った。1950年に特殊飲食街が各地で形成され始めると売春婦として送り出されるケースが55%(前年は2%)に急上昇。次いで紡績女工、子守、女中が続いた。身売り元の多くは東北地方で、受け入れ地は東京都、埼玉県などであった。
外国人技能実習制度が現代の奴隷制度と揶揄されている。
現在の人身売買も参照。
ハチやアリなどの社会性昆虫にも、人間の奴隷制と似た社会的行動をとるものがある。サムライアリは強力な軍隊(兵隊アリ)を持つが、労働力(働きアリ)はなく、自分では女王蟻や幼虫の世話も、巣作りや餌集めもできない。そこでクロヤマアリの巣を襲撃し、蛹や働きアリを強奪して自分の巣に運び、巣を支える奴隷として死ぬまで労働させる。
書籍
論文 | [
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"text": "奴隷(どれい、英:slave)とは、経済的・社会的あるいは法律的に他人の所有物として取り扱われる人間のことである。奴隷となった理由には、捕虜、債務不履行の代償、人身略奪、刑罰、保護者による売却、奴隷の両親からの出生など複数存在した。地域で待遇差があり、国によっては、その取扱いは比較的穏やかであった。逆に15世紀以後、特にアメリカ大陸とカリブ海地域におけるアフリカ人の奴隷への待遇が人道上の大問題となった。労働内容で家内奴隷・生産奴隷に分類される。家内奴隷は古代オリエントをはじめ世界各地にみられたのに対し、生産奴隷は近代アメリカの黒人奴隷などが典型的で待遇は苛酷な場合が多かった。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制といい、奴隷制社会は原始社会の次に現れた人類最初の階級社会。奴隷制社会の典型として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会がある(古代的生産様式)。",
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"text": "1948年に国際連合で採択された世界人権宣言にて、下記のように宣言された。",
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"text": "あらゆる地域・時代の文献から、広範にその存在が確認され、その様態もさまざまである。定義は古代から議論の対象となっており、アリストテレスは「生命ある道具」 と擁護し、ソフィストの奴隷制批判に反論した。マルクス主義においてはスターリンの定義が最もよく知られている。しかし福本勝清によれば多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」とする。パターソンによれば「生まれながらに疎外され、全体として名誉を喪失し...永続的かつ暴力的に支配される(人間の)こと」。",
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"text": "人種差別、性差別、幼児売買などは奴隷に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。暴力と恐怖による支配が社会階層におよぶ場合農奴制や奴隷労働者の階級が形成された。",
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"text": "奴隷制社会は原始社会の次に現れた。そして、人類最初の階級社会である。上記の例として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会(古代的生産様式)があげられるとされる。有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、風土・慣習・伝統の違いによる地域差も大きい。戦争の勝者が捕虜や被征服民族を奴隷とすることは、古代には世界中で程度の差はあるが普遍的に見られた。これらは、古代的生産様式とも呼ばれた。古代ローマでは奴隷労働に頼った大土地経営ラティフンディウムが存在した。",
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"text": "古代ギリシアのポリス間紛争では敗れた側の住民で成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。ギリシャやローマの社会は奴隷制を基盤にしたものであったが、ギリシャ世界のポリスはスパルタを除けば奴隷の収奪を主要な目的とした社会組織ではなかった。奴隷交易はデロス島が著名であり、ストラボンの『地理誌』では1日に1万人以上を扱うことが出来たと記されている。",
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"text": "家庭内労働、鉱山、ガレー船員、軍事物資の輸送、神へ捧げる生贄など様々な場面において使用された。スパルタは大量のヘイロタイを農奴として使役した。共和政ローマでは征服地住民の多くが使役された が、奴隷によるプランテーションが中小自営農家の没落を招いた。大規模な奴隷反乱はスパルタ、ローマでしばしば見られた(メッセニア戦争、奴隷戦争)。",
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"text": "古代中国の殷では神への生贄に供するために用いられた。日本でも弥生時代に生口と呼ばれる奴隷的身分がすでに存在したとされる。また、日本に限らないが、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢するときには、生口を貢物として差し出すことも珍しくはなかった。",
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"text": "古代のある時期、社会の主な労働力となっている体制を奴隷制と呼び、かつて唯物史観の発展段階論に於いて、原始共産制以降から発展し封建制へと繋がる段階とされ、この解釈では、農業・荷役・家事などの重労働に従事することが多かったとされた。",
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"text": "農業革命が達成された中国に於いては北宋(960年 - 1127年)以降、土地の囲い込みによる農奴の小作農化(賃労働化)が進んだ。",
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"text": "西欧諸国では17世紀のペスト禍によって奴隷の価格や農奴の価値が上昇するにつれ、国民については厳格な階級制度が緩和され、農奴から小作人への身分転換が進んだ。しかし、国外については、商品購買層ではない人々(他人種)に対し奴隷貿易が続けられた。",
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"text": "15世紀以後、アメリカ大陸とカリブ海地域でアフリカ人の奴隷が大量に使用された。これは後に、人道上の大問題となった。",
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"text": "新大陸(南北アメリカ・オーストラリア)においては、移民の賃金労働者がより安価な労働力となり、労働力不足も発生していたため、奴隷解放後には元奴隷たちは安価な賃金労働者に再編された。",
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"text": "日本列島では米軍に由る民主主義化革命の一環として自作農化が執行された(農地改革)。",
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"text": "1949年に発効した国際連合の人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約や1957年に発効した奴隷制度廃止補足条約などそれに準じる各国の法規によって奴隷制度やトラフィッキングは現在は禁止されている。しかし、工業化の進んでいない発展途上国では、商品経済に飲み込まれながらもその対価が払えない貧困層が絶えず生まれ続け、それを供給源とする事実上の奴隷売買が公然と行われている地域がある。また、先進国・発展途上国の別によらず、暴力等によって拘束して売買し、性産業に従事させる犯罪が後を絶たず、非合法の奴隷とみなされる。世界には今でも2700万人が存在すると言われている。",
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"text": "2014年、過激派組織ISILはコーランの解釈に基づき奴隷制度の復活、運用を国際社会に公表している。",
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"text": "2015年、イギリスで奴隷状態が約1万人居るとされ現代奴隷法を制定した。",
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"text": "2019年、イギリスでポーランド人8人に現代奴隷法などの違反で禁固刑が言い渡された。被害者は約400人で欧州で過去最大規模の摘発となった。",
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"text": "古代ギリシャ世界では、戦いや祭祀の際に捧げる犠牲、農作業、雑用役などの労働に非常に盛んに使用され、多くはないが家内工業における職人もいた。ポリス市民の得た閑暇は公的生活への参加に向けられ、労働は恥辱であることが公然と言明された。",
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"text": "ギリシャと異なりローマ人は肉体労働そのものを卑しむ精神伝統はなかったが、報酬として金銭を要求する職業を卑賎なものと見做す習慣があった。そのため高い報酬を受け取るような職種であっても、彼らが担う場合も多かった。境遇は様々であり、後述の通り高待遇の者も存在した。",
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"text": "古代ローマは基本的には初期から滅亡まで奴隷制社会であるが、時代による変遷がみられる。共和制時代には小規模自営農が多数を占めていたが、そうした自営農もひとりかふたり程度の奴隷を持つことが普通であった。この時代は、後世ほどには悲惨な境遇ではなく、大切な労働力、貧しい農民にとっての「高価な財産」として扱われた。",
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"text": "共和政ローマが征服戦争を推し進めるに随って獲得機会が増えると共に、価格も下がり、大量に使役するラティフンディウムが拡大した。そうした「安価な財産」の待遇は酷いものであり、様々な記録の中で悲惨さが描かれているほか、鉱山においても酷使された。ローマは4度にわたって、大規模な叛乱を経験している。従来の城郭都市近郊の小規模自営農は経済的に没落する一方でパトリキ(貴族)やエクィテス(富裕層)は大土地所有と奴隷労働により富を蓄積した。一方で、無産階級に零落したローマ市民権を持つローマ人は都市に流入した。",
"title": "欧米"
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{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "ローマでも奴隷の大半は農業や鉱山で使役されたが、多種の仕事に解放奴隷や稀に奴隷も従事した。彼等は奴隷所有者である主人の判断によっては、労働内容にみあう技能教育をされることがあったと考えられている。また、ローマでは哲学や詩、歴史学などに熟達した高度技能を持つギリシア人奴隷が家庭教師として、他にも医術や算術(会計術)を身に付けた奴隷が医術師や会計役として重宝され高額で売買された。また官僚制が発達する以前においては、政治家が個人として所有する奴隷が、家産官僚の役割を担った(家産官僚制参照)。こういった高い教育を受けた知的労働に携わる奴隷は「高価な財産」として高待遇を受けていた。家庭教師は生徒(つまり主人の子弟)にちょっとした体罰を加える事もあったし、また属州総督が所有する奴隷は、属州民から見れば支配者階級の末端であった。商業を侮蔑し農業に立ち返る事を主張した大カトーも、能力のある奴隷を見いだして教育を受けさせ、高値で転売する事に限っては、利殖として認めている。",
"title": "欧米"
},
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "しばしば虐待の対象となり、アウグストゥス時代の富豪(ローマ騎士)Publius Vedius Pollioは怒りにまかせ池に投げ込み、魚のエサにしたとの話がある。一方で、老年まで勤め上げた奴隷を奴隷身分から解放する主人もいた。時代が下がるとともに奴隷の境遇も改善され、帝政期の特に2世紀以降になると虐待の風潮に対して、いくつかの保護法が制定された。 コンスタンティヌス帝の319年の勅令においては主人は主人権を乱用し故意に奴隷を殺したときは主人を殺人罪に問うべしとした。これらは主に2世紀以降に出されたが、パクス・ロマーナにより戦争や略奪による奴隷の供給量が減少したことが影響している。従って、上記の待遇緩和に先んじて、所有者が解放する人数に制限が加えられてもいる(アウグストゥス帝)。これによりラティフンディウムの制度は崩壊し、コロナートゥスに移行していった。",
"title": "欧米"
},
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"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "幸運に恵まれて解放奴隷身分になる者もおり、解放奴隷の子供の代になればローマ市民権を獲得する可能性が得られた、中にはペルティナクスのように皇帝になった者もいる。また債権者は返済不能となった債務者自身を奴隷として売却し貸付金を回収することが認められており、自由身分を喪失する者もいた。またローマには捨て子の習慣があり、拾われた子は奴隷となった。",
"title": "欧米"
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"text": "中世西北ヨーロッパでは羊毛、皮革、毛皮、蜜蝋程度しか、オリエントや東ローマに対して輸出できるものがなかったため、何世紀にもわたり奴隷は西北ヨーロッパから東ローマやアジアへの主要な輸出商品の一つであった。ヴェネツィア(特に年少のうちに去勢されたイタリア半島内の奴隷は、イベリア、東ローマ、イスラム世界で重宝された)、フィレンツェ、トスカーナ地方の富の蓄積は奴隷売買によるところが大きかった。また北アフリカやアンダルス・北イタリア・諸騎士団の海賊は、しばしば南欧の住民や地中海沿岸の敵対する勢力の住民を襲って拉致し、売っていた。これは西ヨーロッパと隣接する東ローマ社会では宮廷から生産労働まで大量の需要があり、またイスラム社会においては奴隷を必要とする社会でありながら、自由民を奴隷階級に落す事が禁じられ戦争捕虜や売買によって外部から供給を受けるしか方法が無かったからである。",
"title": "欧米"
},
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"tag": "p",
"text": "西ヨーロッパの内部においては、上述の通り古代末期においてラティフンディウムの崩壊により奴隷の使用は少なくなる一方、コロナートゥスの進展により農奴と呼ばれる労働・居住の自由を持たない奴隷的な小作人が数多く存在した。",
"title": "欧米"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "16世紀から19世紀にかけて、アフリカ諸地域から輸出された黒人奴隷(奴隷貿易)は、主に南北アメリカ大陸で、プランテーション農業などの経済活動に、無償で従事させられた。北米においては最初先住民族のインディアンの奴隷化が試みられたが、彼らは社会の発展段階がまだ氏族社会の段階にあり、定住した勤労には不適で、農耕労働は強制力をもってしても強いることは出来なかった。奴隷貿易に参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの5カ国である。奴隷商人は、ヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿製品を積載してアフリカ・ギニア湾岸に到り、海に面した国に上陸した。そこで、内陸国と交戦した海洋国と交渉し、彼らが捕虜にした黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。",
"title": "欧米"
},
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"paragraph_id": 28,
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"text": "次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどの亜熱帯農産物を積み、ヨーロッパに帰ってくるのである。奴隷貿易で最盛期を迎えるのは18世紀である。推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は約400万人が売買されたといわれている。概算1500万人と言われているが、多数の奴隷船の一次記録の調査により、大西洋横断中の死亡率は13%程度であると想定され、近年では最大でも1100万人程度と推定されている。ただし、アフリカにおいて、ヨーロッパの奴隷貿易業者の手に渡るまでの期間の死者、即ち現地アフリカの勢力が奴隷狩り遠征その他の手段によってかき集めてから、ヨーロッパの業者に売られるまでの期間にどれだけの死者が出ていたかは調べられていない。",
"title": "欧米"
},
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"tag": "p",
"text": "アメリカ大陸において民主主義の進展により市民が自由を得て、かつ君主もいなくなる一方で、人種差別と相まって奴隷の境遇が悲惨なものとなり、北アメリカでは奴隷は子孫に至るまで奴隷身分として固定されてしまい(one-drop rule「黒人の血が一滴の血でも混ざれば白人とはみなさない」)、自由民と奴隷の格差が非常に顕著になったのである。南アメリカにおいては、混血児に対する扱いは北アメリカより寛大で、父親が認知すれば相続権も与えられた。",
"title": "欧米"
},
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "なぜ近代社会に入って奴隷制が容認されたのかという理由は、福音や旧約聖書に奴隷制度を容認すると解せる記述があることが根拠とされ(当然、聖書の記述は古代社会であるにもかかわらず)、これを文字通り近代社会に当て嵌めうるとの解釈を強引に行ったからである。これに対し殆どの教会や牧師もこのこじつけの論理を黙認した。ジョージア州などでは、奴隷に読み書きを教えることは違法となっていた。",
"title": "欧米"
},
{
"paragraph_id": 31,
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"text": "アメリカ合衆国では、南北戦争の時代にリンカーン大統領(→奴隷解放宣言)によって、奴隷制度が廃止されたが、大半の黒人は1971年まで、「選挙権はあるが投票権がない」状態だったなど、政治的な権利の制限は長く続いた(公民権運動、外部リンク参照)。19世紀における奴隷解放運動の活動家にはフレデリック・ダグラスなどがいた。",
"title": "欧米"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "なお、中世・近世のように西ヨーロッパから東欧や西アジアへ奴隷が輸出されるような状況は、17世紀の人口減少による奴隷価格の高騰や西欧社会が再び奴隷を使用する社会となるにつれ減少していくが、北アフリカの海賊(バルバリア海賊)がヨーロッパ人を拉致して奴隷として売る状況は、1830年のフランスによるアルジェリア征服まで続いた。逆に、キリスト教徒海賊がギリシャやイスラム世界から拉致した奴隷を購入する事例もあった。",
"title": "欧米"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "西アジアなどイスラム社会では奴隷の扱いは、比較的穏やかであった。10世紀から19世紀初頭にかけてトルコとアラビア半島を中心とするイスラム世界に存在した奴隷出身の傭兵(マムルーク)らは歴史上重要な役割を果たしている。",
"title": "イスラム文化圏"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "基本的に一般民との差異は労働に関する制約がほとんどで農奴に近い といえる、もちろん賎民であり蔑視の対象ではあったものの、欧州圏とは異なり奴隷の殺害を罪に問う社会が多かった。また、身分の固定も強固なものではなく、奴隷身分からの脱出も欧州世界ほど困難ではなかった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "古代中国の商(殷)は戦争奴隷を労働力・軍事力の基盤として、また葬礼や祭祀における犠牲として、盛んに利用していた。商(殷)までは奴隷制社会であったことは定説となっているが、いつまでであったかは諸説あり、奴隷制から封建制に変革されたとされる周の易姓革命、ないしは、商(殷)程ではないにせよ実質的には奴隷が生産力となっていた春秋時代までと考えられる範疇として議論されている。いずれにせよ、中原とは文化の異なる民族(蛮夷戎狄)との戦争で捕虜とした奴隷が労役に就かされたと考えられている。後漢末・魏晋南北朝以来の貴族制下では、律令により賎民に区分された雑戸官戸や奴婢などの農奴と奴隷が政府や勢家の下に多く存在していた。宋王朝以降は官奴婢が禁止されたが、私奴隷は清王朝の時代まで少数ながら存在した。基本的には罪を犯した者が奴隷身分へ落とされ、欧州でいう所の農奴や官営工場の職人として強制的に有償労働へ就かされた。前漢の衛青は奴隷の身分から大将軍まで上り詰めた。(中国の奴隷制参照)",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "丙子の乱で、清朝軍が李氏朝鮮を制圧した戦いの際に、清朝軍は50万の朝鮮人を捕虜として強制連行し、当時の盛京(瀋陽)の奴隷市場で売られた。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "タイの歴史上では、タートと呼ばれる自由を拘束された身分があった。そのほとんどが、未切足タートと呼ばれる、少額の負債を負った者が債権者に労働などで負債を返済する形式の者であり、多くはいわゆる奴隷的な身分ではなかった。しかし、一部には切足タートと呼ばれる多額の負債を負って奴隷身分となった者や、捕虜タートと言われる奴隷があり、これらは自由身分への復帰が非常に困難とされた。ポルトガルの奴隷貿易によって買われた日本人奴隷も、捕虜タートと同列に取り扱われた。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "インドのカースト制を代表とする身分制度のうち、シュードラやダーサを奴隷と訳すこともあるが、所有・売買の対象という意味では定義から外れる。他のカーストの下に置かれたことから奴隷の名を宛てる者もいる。時代による変遷があるため、ギリシャ人やローマ人が記録を残した時代のものは、家内奴隷で待遇もそれほど劣悪ではなく、ギリシャ人やローマ人の目に奴隷と映らなかったようである。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "チャクリー王朝に入ってからラーマ1世によってこの切足タートや捕虜タートにも自由身分へ回復する事が制度的に可能になった。のちに、ラーマ5世のチャクリー改革によってタートの制度は廃止された。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "匈奴やスキタイ、柔然、突厥、ウイグル、遼、モンゴルなどの遊牧民が主体を構成する社会では、戦争捕虜、犯罪者、征服した部族の奴隷的使役、南の農耕地域から拉致した奴隷が多数居たことが確認されるなど、類似した奴隷制社会の形態が見られる。その他の遊牧民による国家も同様と考えられるが、史料に乏しく実態はよく解っていない。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "朝鮮では男の奴隷を奴、女の奴隷を婢と呼び、あわせて奴婢(ノビ)といった。また妓生と称して諸外国からの使者や兵士、両班階層に対し、楽技を披露したり、性的奉仕をするための婢が20世紀まで存在した。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "朝鮮における奴婢の歴史は、中国の征服者・箕子が興した箕子朝鮮の時代より始まるとされる。箕子は朝鮮を治めるにあたり、犯禁八条という厳格な刑法を制定した。その際に刑罰として敷かれた制度が奴婢制であった。人間は自らの労働によって生計を営まねばならない。仮に誰かが詐欺や暴力で他人の財産を横取りしたなら、論理的にも道徳的にもその者は被害者の所有物となるべきとの論理にもとづいて、窃盗犯はすべて被害者の奴婢になるという刑罰がつくられた。莫大な保釈金を払って奴婢の身分から脱することはできても市民としての信用は回復されることがなかった。姦通も奴婢法によって罰せられた。この場合、罪人は国の奴婢となり、王は彼を思いのまま高級官吏に下賜(かし)したりした。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "この制度は紀元前193年までほぼ千年以上続いたが、当時の箕子朝鮮の最後の王・箕準(キジュン)が燕人の衛満によって追放され、廃止された。朝鮮半島の南方に追われて馬韓(バカン)という王国を建てた箕準は、そこで奴婢制をそのまま踏襲した。その後数百年間、この制度は存続と廃止を繰り返したが、918年、朝鮮半島が高麗王朝によって統一された後、再び一般化することになった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "奴婢の数は急速に膨れあがったが、彼らへの待遇は劣悪で残忍とさえ見なせるものだった。1198年、万積らが公私奴婢を集めて蜂起を画策したものの事前に発覚し、結果として300人を越す奴婢らが首に石を結びつけたまま礼成江(イェソンガン、高麗の都・開京(開城)郊外を流れる川)に放りこまれて処刑された。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "李朝の四代国王であった世宗は性的搾取の対象であった妓生(婢)と良民の男が結婚すれば間の子供は父親の身分に従って良民になれるようにしていた既存の法律を廃止した。 さらに奴婢従母法(노비종모법)という法により、父が両班で母が奴だった場合は子も奴婢になり、奴(父親)の所有者がその子の所有権を持つように定められた。この法律は父が誰でどの身分でも、二人の間の全ての子供は母の身分に従って奴婢になるようにした法律でもあった。朝鮮の少女たちを貢女として中国(明)に捧げるために『進献色』という機構を設置した上に、処女進献を避けるために民衆の間が幼い年齢で早婚させることが流行すると即座に王族など高位層を除いて民衆のみに早婚禁止を実施した、また中国から来た使臣が1〜2か月かかる貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下され選抜対象となった未婚女性は恐怖に震えた。太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者等選抜から免れようとした者」を罰する号令も出し、世宗の時代も存続していた。朝鮮王朝実録には、世宗の治世が明に対する処女進献が最多と記録されている。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "李氏朝鮮政府は妓生庁を設置し、またソウルと平壌に妓生学校を設立し、15歳〜20歳の女子に妓生の育成を行った。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "1592年、豊臣秀吉の軍が朝鮮半島に攻め込んだ(文禄・慶長の役)。この折、奴婢らが混乱に乗じて戸籍の消滅を図って景福宮に放火したため、王宮は漢陽陥落以前に焼失している。7年にもわたる戦乱で多くの男子が犠牲になったため、朝廷では奴婢のうち男性をその身分から解放した(しかし、実際は従来どおり男の奴婢もいた)。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "1894年の甲午改革で法的には撤廃されたが、1905年の段階でも多数の女が奴婢の身分に囚われていた。彼女らはほとんどの場合、罪を犯した親戚の男の身代わりとして自主的に奴婢となったか、あるいはその身分を相続した者たちであった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "朝鮮にに「白丁」と呼ばれるもうひとつの賤民階級があり、奴婢とは区別されていた。彼らは倫理的保護の対象外として社会から厳しく差別・侮蔑される対象であり、化外の民であった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 50,
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"text": "朝鮮で実質的に制度が廃止されたのは日韓併合後であり、1910年に朝鮮総督府が奴隷の身分を明記していた旧戸籍を廃止し、全ての国民に姓を定めた新戸籍制度を導入した。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 51,
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"text": "現在の北朝鮮に存在するとされる出身成分という身分制度も奴隷制の一つであるとされる。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "日本において奴隷とは明治以降にSlaveの訳語として充てられるようになった単語であり、それ以前は奴婢と称した。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "戦国時代に来航したポルトガル商人は主従関係などにより一時的にでも自由でない労働者を奴隷と考えており、ポルトガル商人の理解する奴隷は奴婢だけでなく下人や所従、年季奉公人等の様々な労働形態を含んでいたことが指摘されている。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 54,
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"text": "奴隷という用語が日本国内では異なると考えられてきた労働形態、社会集団を隠蔽していたという。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 55,
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"text": "ポルトガル人は日本で一般的な労働形態だった年季奉公人も不自由な労使関係から奴隷とみなすなど、多くの日本人の労働形態はポルトガル人の基準では奴隷であり、誤訳以上の複雑な研究課題とされてきた。ポルトガルでは不自由な労使関係、主従関係における従属を奴隷と理解することがあり、使用される傭兵や独立した商人冒険家も奴隷の名称で分類されることがあった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 56,
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"text": "またポルトガル人は日本社会の使用人や農民のことを奴隷と同定することがあった。1557年、ガスパル・ヴィレラは日本には貴族と僧侶、農民の社会階層があると論じ、貴族と僧侶は経済的に自立しているというが、農民は前二者のために働き、自分たちにはごくわずかの収入しか残らない奴隷状態にあると述べている。コスメ・デ・トーレスは日本の社会について以下のように語っている。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "コスメ・デ・トーレスは日本人の地主は使用人に対して生殺与奪の権力を行使することができるとして、ローマ法において主人が奴隷に対して持つ権利 vitae necisque potestas を例証として使い、日本における農民等の使用人を奴隷と変わらない身分とした。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "中世の日本社会では、百姓は納税が間に合わない場合に備えて、自分や他人を保証人として差し出すことができたという。税金を払わない場合、これらの保証は売却される可能性があり、農民と奴隷の区別をいっそう困難にした。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "前期倭寇は朝鮮半島、山東・遼東半島での人狩りで捕らえた人々を手元において奴婢として使役するか、壱岐、対馬、北部九州で奴隷として売却したが、琉球にまで転売された事例もあった。後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行い、中国東南部の江南、淅江、福建などを襲撃し住人を拉致、捕らえられたものは対馬、松浦、博多、薩摩、大隅などの九州地方で奴隷として売却された。1571年のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにもあった。乱妨取りや文禄・慶長の役(朝鮮出兵)により奴隷貿易はさらに拡大、東南アジアに拠点を拡張し密貿易も行う後期倭寇によりアジア各地で売却された奴隷の一部はポルトガル商人によってマカオ等で転売され、そこからインドに送られたものもいたという。イエズス会は倭寇を恐れており、1555年に書かれた手紙の中で、ルイス・フロイスは、倭寇の一団から身を守るために、宣教師たちが武器に頼らざるを得なかったことを語っている。",
"title": "アジア"
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{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "鄭舜功の編纂した百科事典『日本一鑑』は南九州の高洲では200-300人の中国人奴隷が家畜のように扱われていたと述べている。奴隷となっていた中国人は福州、興化、泉州、漳州の出身だったという。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "歴史家の米谷均は蘇八の事例を挙げている。蘇は浙江の漁師で、1580年に倭寇に捕らえられた。蘇は薩摩の京泊に連れて行かれ、そこで仏教僧に銀四両で買い取られた。2年後に彼は対馬の中国人商人に売られた。6年間、対馬で働き、自由を手に入れた蘇は、平戸に移り住んだ。平戸では、魚や布を売って生活していた。そして1590年、中国船でルソン島に渡り、翌年、中国に帰国することができたという。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 62,
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"text": "文禄・慶長の役では、臼杵城主の太田一吉に仕え従軍した医僧、慶念が『朝鮮日々記』に",
"title": "アジア"
},
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"paragraph_id": 63,
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"text": "と記録を残している。渡邊大門によると、最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発していると主張している。",
"title": "アジア"
},
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"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "多聞院日記によると、乱妨取りで拉致された朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた。",
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},
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"paragraph_id": 65,
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"text": "薩摩の武将・大島忠泰の角右衛門という部下は朝鮮人奴隷を国許に「お土産」として送ったと書状に書いている。",
"title": "アジア"
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"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "弥助という名の宣教師の護衛をしていたアフリカ系の奴隷(または従者)が、戦国大名の織田信長に宣教師と共に謁見して気に入られ、武士の身分を与えられ家来として仕えたとの記録が残っている。宣教師の護衛として武術の訓練を受けていたと見られるため自由人や解放奴隷であったとの見解もあり、弥助が奴隷だったかについては諸説ある。弥助を捕らえた明智光秀は",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "として教会に送り届けるよう指示した。",
"title": "アジア"
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{
"paragraph_id": 68,
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"text": "一説には、すでに縄文時代に存在していたとされるが、歴史文書に初めて登場するのは弥生時代であり、『後漢書』の東夷伝に、「倭国王・帥升が、生口160人を安帝へ献上した」(西暦107年)という趣旨の記録がある。また、いわゆる『魏志倭人伝』にも、邪馬台国の女王・卑弥呼が婢を1000人侍らせ、西暦239年以降、魏王へと生口を幾度か献上した旨の記述がある(ただし、「生口」は奴隷の意味ではないと解釈する説もある)。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "古墳時代に入ると、ヤマト王権によって部民制(べみんせい)が敷かれ、子代部(こしろのべ)、名代部(なしろのべ)、部曲(かきべ)などの私有民もしくは官有民が設けられた。部民制は、飛鳥時代の大化の改新によって、中国の唐帝国を模した律令制が導入されるまで続いた。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "日本の律令制度では、人口のおよそ5%弱が五色の賤とされ、いずれも官有または私有の財産とされた。そのうち、公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)は売買の対象とされた。この2つの奴婢身分は、平安時代前期から中期にかけての公地公民の律令制度の解体と、荘園の拡大の中で寺社領に於いては減っていったが、皇家や公家の荘園では依然として存在し続けた。五色の賎は百姓の中かなりの割合(3分の1)を占め、良民との結婚などに制限があったが、良民の3分の1の口分田が班給されており、これらは中世以降の小作人や欧州の農奴に近い存在であった。ヤマト王権に恭順した蝦夷である俘囚には戦争捕虜も含まれており、そのまま兵士として動員された。また蝦夷もヤマト王権との戦争により戦争捕虜を得ていたが、蝦夷の捕虜となった和人の子孫なども混在していたとされる。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "五色の賎には奴婢が規定され、朝廷が所有し76歳を越えると良民として解放される公奴婢(くぬひ)、民間所有のものを私奴婢(しぬひ)と言い、子孫に相続させることが可能であった。日本の律令制下における奴婢の割合は、全人口の10~20%前後だった とされ、五色の賤の中では最も多かった。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "飛鳥時代、丁未の乱(ていびのらん)で物部氏が滅ぼされた時、物部守谷の子孫従類273人が四天王寺の奴婢にされたとの記述が四天王寺御手印縁起、伝暦、御記、太子物、今昔物語、扶桑略記、元亨釈書等にあり通説となっている。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "日本書紀によると奴(奴隷等の使用人、奴国、倭奴などにも使われた蔑称)との記述のみのため、後世の脚色だとする神野清一の異説もあるが、日本書紀に脚色が入る可能性は想定されていない。聖徳太子伝暦では「奴」ではなく「子孫資財」としている。通説では丁未の乱で物部の子孫が絶えず、奴婢に零落して生き続けたからこそ美化された伝説でなく、奴婢として記録に残ったという。",
"title": "アジア"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "平安時代後期に、日本が中世へと移行すると、社会秩序の崩壊にしたがって人身売買が増加し、「略人」、「勾引(かどわかし)・人勾引(ひとかどい)」や「子取り」と称する略取も横行した。また、貨幣経済の発展に伴って、人身を担保とする融資も行われた。こうして、様々な事情で自由を失った人々が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。有名な『安寿と厨子王(山椒大夫)』の物語は、この時代を舞台としている。このように、中世には人身売買が産業として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「人商人」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。また、奴婢が主人から逃亡することは財産権の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。下人が夫婦を形成し子をなす場合、その子も主人の下人となり身分が世襲される譜代下人などが構成された。",
"title": "アジア"
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"paragraph_id": 75,
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"text": "自力救済の時代である中世日本では、人身売買は民衆にとって餓死を免れるセーフティーネットとしての面も持つ行為であった。身売りすることで近い将来に餓死する事だけは避けえたからである。鎌倉時代に寛喜の飢饉と呼ばれる飢饉が発生した際に多くの人々が自身や妻子を身売りして社会問題となった。そのため、鎌倉幕府は1239年になって人身売買の禁止を命じるとともに、例外として飢饉の際の人身売買とそれに伴う奴婢の発生は黙認する態度を示した(『吾妻鏡』延応元年4月13日・5月1日条)。なお、災禍が治った後、親が買い戻すこともみられたが、その際には身売り時よりも相当の高額を要求されることが容認されていた。",
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"text": "貞永元年8月10日(1232年8月27日)に制定された御成敗式目では奴婢とその子供の所有権に関する定めがある。",
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"text": "御成敗式目(室町末期版)にも同様の記述がある。奴婢雑人については(逃亡等により)10年以上放置すれば(人返しされなければ)無効になることが定められている。",
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"text": "「天文・永禄のころには駿河の富士の麓に富士市と称する所謂奴隷市場ありて、妙齢の子女を購い来たりて、之を売買し、四方に輸出して遊女とする習俗ありき」と言う。",
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"text": "その後、元帝国と高麗の連合軍が壱岐・対馬と九州北部に侵攻し(元寇)、文永の役では、捕らえられた日本人の婦女子およそ200人が、高麗王に奴婢として献上された。国内においては、鎌倉幕府や朝廷は、人身売買や勾引行為に対して、顔面に焼印を押す拷問刑を課したこともあった。しかし、14世紀以降、勾引は盗犯に準ずる扱いとされ、奴婢の所有は黙認された。南北朝時代として知られる内戦期になると、中央の統制が弱まって軍閥化した前期倭寇が、朝鮮や中国で人狩りを行った。惣村社会では境界紛争の解決にしばしば下手人として奴婢を利用した。",
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"text": "いわゆる戦国時代には、戦闘に伴って「人取り」(乱妨取り)と呼ばれる略取が盛んに行われており、日本人奴隷は倭寇やポルトガル商人を通して東南アジアなどにも輸出された。軍資金を求めて領主が要求した増税は、国民の貧困化を招き、多くの日本人が奴隷制を生き残るための代替戦略として捉えた。",
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"paragraph_id": 81,
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"text": "1514年にポルトガル人がマラッカから中国と貿易を行って以来、ポルトガル人が初めて日本に上陸した翌年には、マラッカ、中国、日本の間で貿易が始まった。中国は倭寇の襲撃により、日本に対して禁輸措置をとっていたため、日本では中国製品が不足していた。当初、日本との貿易は全てのポルトガル商人に開かれていたが、1550年にポルトガル国王が日本との貿易の権利を独占した。以降、年に一度、一隻に日本との貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号、事業を行うための資金が不足した場合の職権売却の権利が与えられた。船はゴアを出航し、マラッカ、中国に寄港した後、日本に向けて出発した。南蛮貿易で最も価値のある商品は、中国の絹と日本の銀であり、その銀は中国でさらに絹と交換された。",
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"paragraph_id": 82,
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"text": "1537年のスブリミス・デウスにおいて教皇パウルス3世はアメリカ先住民の奴隷化を無効だと宣言していたが、1541年のポルトガル船来航以降にも奴隷貿易が行われてきた。日本マカオ間の定期航路の開通にともない行われた奴隷貿易に対して、1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えた。ポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を度々求めており、ポルトガル王セバスティアン1世は1571年に禁止を命令した。",
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"text": "ポルトガル王による1571年の人身売買禁止までの南蛮貿易の実態だが、1570年までに薩摩に来航したポルトガル船は合計18隻、倭寇のジャンク船を含めればそれ以上の数となる。実際に取引された奴隷数については議論の余地があるが、反ポルトガルのプロパガンダの一環として奴隷数を誇張する傾向があるとされている。記録に残る中国人や日本人奴隷は少数で貴重であったことや、年間数隻程度しか来航しないポルトガル船の積荷(硫黄、銀、海産物、刀、漆器等)の積載量、奴隷と積荷を離すための隔離区間、移送中の奴隷に食料・水を与える等の輸送上の配慮から、ポルトガル人の奴隷貿易で売られた日本人の奴隷は数百人程度と考えられている。16世紀のポルトガルの支配領域において東アジア人の奴隷の数は「わずかなもの」で、インド人、アフリカ人奴隷の方が圧倒的に多かった。。",
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"text": "関白の豊臣秀吉は、天正15年(1587年)バテレン追放令でこれを禁じたとされるが、実際に発布された追放令には人身売買を禁止する文が前日の覚書から削除されており、追放令発布の理由についても諸説ある。天正18年(1590年)4月、豊臣秀吉は上杉景勝らの人身売買を禁止、同年8月、宇都宮国綱に人身売買の禁止と百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者を返すことを命じ、労働供給の安定を図っており、人身売買や百姓の逃散、欠落の禁止による人口流出の防止が豊臣秀吉の経済財政政策における基本方針だったとする説がある。伴天連追放令後の1589年(天正17年)には日本初の遊郭ともされる京都の柳原遊郭が豊臣秀吉によって開かれたが、遊郭は女衒などによる人身売買の温床となった。バテレン追放令後の天正19年(1591年)、教皇グレゴリウス14世はカトリック信者に対してフィリピンに在住する全奴隷を解放後、賠償金を払うよう命じ違反者は破門すると宣言、在フィリピンの奴隷に影響を与えた。",
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"text": "デ・サンデ天正遣欧使節記では、同国民を売ろうとする日本の文化・宗教の道徳的退廃に対して批判が行われている。",
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"paragraph_id": 86,
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"text": "デ・サンデ天正遣欧使節記はポルトガル国王による奴隷売買禁止の勅令後も、人目を忍んで奴隷の強引な売り込みが日本人の奴隷商人から行われたとしている。",
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"text": "デ・サンデ天正遣欧使節記は、日本に帰国前の千々石ミゲルと日本にいた従兄弟の対話録として著述されており、物理的に接触が不可能な両者の対話を歴史的な史実と見ることはできず、フィクションとして捉えられてきた。遣欧使節記は虚構だとしても、豊臣政権とポルトガルの二国間の認識の落差が伺える。",
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"text": "天正14年(1586年)『フロイス日本史』は島津氏の豊後侵攻の乱妨取りで拉致された領民の一部が肥後に売られていた惨状を記録している。『上井覚兼日記』天正14年7月12日条によると「路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。」と同様の記録を残している。天正16年(1588年)8月、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状で",
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"text": "と、天正16年(1588年)閏5月15日に肥後に配置されたばかりの加藤清正と小西行長に奴隷を買ったものに補償をせず「買い損」とするよう通知している。同天正16年(1588年)同様の命令があったことが島津家文書の記録として残っている。",
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"text": "元和2年(1616年)江戸幕府は高札で人身売買を禁止、元和四年に禁制を繰り返し、元和5年(1619年)12箇条の人身売買禁止令を発布、寛永4年(1627年)正月にも人身売買禁止令をだすなど、人身売買の禁令は豊臣秀吉以降も繰り返し行われた。",
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"text": "日本においては、中世に始まる下人が年季奉公の形を取り始めるのが江戸期であり、農村奉公人、武家奉公人、町家奉公人などの種類によって分けられる。江戸時代の代表的奉公には、子子孫々に至るまでの事実上の永代の身売りである譜代奉公、身代金を支払って請戻す本金返年季奉公、借金の担保に人質として奉公人を金主に渡し質流になれば譜代奉公に転じる質物奉公、そして年季を定めた普通の年季奉公があった。短期的な労働力を提供する種類である出替奉公とは別に、丁稚等の奉公は10年〜20年に及び、徒弟奉公も10年内外に及ぶのが普通だった。",
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"text": "江戸時代前期の年季奉公の主流は奴婢・下人の系統を引くもので、奉公人は人身売買の対象となった。江戸幕府は法律上は営利的な人の売買を禁止したが、それは主として営利的な人の取引に関したもので、実際においては父や兄が子弟を売ることは珍らしくなく、また人の年季貫は非合法でなかった。主人と奉公人との間には、司法上ならびに刑法上の保護と忠誠の関係があるべきものとされた。奉公人は主人を訴えることが許されず、封建的主従関係であったという。",
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"text": "江戸時代に入り雇用契約制度である年季奉公が一般に普及しはじめると譜代下人(または譜代奉公人)としての男性の売買は江戸時代中期(十七世紀末)にはほとんど見られなくなった。しかし遊女や飯盛女の年季奉公ではいくつかの点で人身売買的な要素が温存された。",
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"text": "中田薫 (法学者)は「奴婢所有権の作用にも比すべき、他人の人格に干渉し、其人格的法益を処分する人法的支配を、雇主の手に委譲して居る点に於て、此奉公契約が其本源たる人身売買の特質を充分に保存する」として「身売的年季奉公契約」と名付けた。",
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"text": "幕府は元禄11年(1698年)には年季制限を撤廃して永年季奉公や譜代奉公 (生涯の奉公)を容認した。",
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"text": "江戸時代に勾引は死罪とされ、新規の奴隷身分も廃止されたが、年貢を上納するための娘の身売りは、前借金を伴う年季奉公の形で認められた。「人買」(ひとかい)は、こうした遊女の売買を行う女衒を指す語として、この時代に一般化したものである。",
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"text": "なお、刑罰(身分刑)として奴隷的身分に処するものとして、江戸幕府下においては「非人手下」や「奴刑」が残り、各藩においても同様の刑罰が残った。",
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{
"paragraph_id": 98,
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"text": "江戸時代の平均的農民は幕藩領主によって土地緊縛されているところから、広義における農奴と規定する定説が認められている。本百姓と世襲的な借家・小作関係にある譜代下人等も存在し、家父長的奴隷制として規定することがある。地方によっては家抱、門屋、庭子、内百姓、名子と呼ばれ、強い隷属性を特徴とし、村内での地位は水呑百姓以下だったとされる。傍系家族・下人も含め名主家族そのものを広義の農奴の一存在形態とする見解もある。",
"title": "アジア"
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"paragraph_id": 99,
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"text": "明治5年(1872年)に横浜港で発生したマリア・ルス号事件では、国際紛争を引き起こす懸念が政府内にあったが、外務卿の副島種臣は人道主義と日本の主権独立を主張し、助けを求めた清国人の苦力らを奴隷と認定し解放している。1872年、芸娼妓の年季奉公が人身売買であるとの認識から「芸娼妓解放令」を出した。「遊女・芸者、その他種々の名目にて年期を限」るのはアメリカ合衆国の「売奴」と変わらないとし、遊女・芸妓等の人身売買を禁止するよう提議した。また、それより以前の1870年には、外国人への児童の売却を禁ずる太政官弁官布告が出された。",
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"paragraph_id": 100,
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"text": "芸娼妓解放令が有名無実なものとなると人身売買に対する法的規制が後退し、他人を売るより子孫を売る方が罪が軽く「和売」が行われていた。 明治から昭和にかけての人身売買について牧英正は、農村の慢性的貧困、父権の強さが人身売買を発生させる温床となる構造上の理由を説明している。",
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"text": "明治の日本では、女性を騙して海外へ連れ出し売春させるという手口が多発していた。",
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"text": "警視庁 北海道庁 府県",
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"paragraph_id": 103,
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"text": "近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし",
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"text": "明治二十六年二月三日",
"title": "アジア"
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"text": "外務大臣 陸奥宗光",
"title": "アジア"
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"paragraph_id": 106,
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"text": "19世紀から20世紀初頭にかけて、日本の売春婦が中国、日本、韓国、シンガポール、インドなどのアジア各地で人身売買されるネットワークがあり、当時「黄色い奴隷売買」として知られていた。「からゆきさん」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、貧困にあえぐ農村から、東アジア、東南アジア、シベリア(ロシア極東)、満州、インドなどに人身売買され、中国人、ヨーロッパ人、東南アジア原住民などさまざまな人種の男性に売春婦として性的サービスを提供した日本人の少女・女性のことである。中国での日本人売春婦の経験は、日本人女性の山崎朋子の著書に書かれている。",
"title": "アジア"
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{
"paragraph_id": 107,
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"text": "朝鮮や中国の港では日本国民にパスポートを要求していなかったことや、「からゆきさん」で稼いだお金が送金されることで日本経済に貢献していることを日本政府が認識していたことから、日本の少女たちは容易に海外で売買されていた。明治日本の帝国主義の拡大に日本人娼婦が果たした役割については、学術的にも検討されている。",
"title": "アジア"
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"text": "バイカル湖の東側に位置するロシア極東では、1860年代以降、日本人の遊女や商人がこの地域の日本人コミュニティの大半を占めていた。黒海会(玄洋社)や黒龍会のような日本の国粋主義者たちは、ロシア極東や満州の日本人売春婦たちを「アマゾン軍」と美化して賞賛し、会員として登録した。またウラジオストクやイルクーツク周辺では、日本人娼婦による一定の任務や情報収集が行われていた。",
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"text": "1890年から1894年にかけて、シンガポールは村岡伊平治によって日本から人身売買された3,222人の日本人女性を受け入れ、シンガポールやさらなる目的地に人身売買される前に、日本人女性は数ヶ月間、香港で拘束されることになった。日本の役人である佐藤は1889年に、長崎から高田徳次郎が香港経由で5人の女性を人身売買し、「1人をマレー人の床屋に50ポンドで売り、2人を中国人に40ポンドで売り、1人を妾にし、5人を娼婦として働かせていた」と述べている。佐藤は女性たちが「祖国の恥に値するような恥ずかしい生活」をしていたと述べている。",
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"text": "オーストラリア北部にやってきた移民のうち、メラネシア人、東南アジア人、中国人はほとんど男性で、日本人は女性を含む特異な移民集団だった。西豪州や東豪州では、金鉱で働く中国人男性に日本人のからゆきさんがサービスを提供し、北豪州のサトウキビ、真珠、鉱業周辺では、日本人娼婦がカナカ族、マレー人、中国人に性的サービスを提供していた。",
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"text": "日本人娼婦は1887年に初めてオーストラリアに現れ、クイーンズランド州の一部、オーストラリア北部、西部などオーストラリアの植民地フロンティアで売春産業の主要な構成要素となり、大日本帝国の成長はからゆきさんと結びついた。19世紀後半、日本の貧しい農民の島々は、からゆきさんとなった少女たちを太平洋や東南アジアに送り出した。九州の火山性の山地は農業に不向きで、両親は7歳の娘たちを長崎県や熊本県の女衒に売り渡したが、5分の4は本人の意志に反して強制的に売買され、5分の1だけが自らの意志で売られていった。",
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"text": "人身売買業者が彼女たちを運んだ船はひどい状況で、船の一部に隠されて窒息死する少女や餓死しそうになる少女もおり、生き残った少女たちは香港、クアラルンプール、シンガポールで娼婦としてのやり方を教えられ、オーストラリアなど他の場所へ送られた。",
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"text": "戦後は日本国憲法が発布され、日本国憲法第18条にて国民に対し奴隷制度を禁じた。",
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"text": "第二次世界大戦直後は、未成年者が前借金で事実上売買され、作男や農業手伝いに従事する例が目立った。1950年に特殊飲食街が各地で形成され始めると売春婦として送り出されるケースが55%(前年は2%)に急上昇。次いで紡績女工、子守、女中が続いた。身売り元の多くは東北地方で、受け入れ地は東京都、埼玉県などであった。",
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"text": "外国人技能実習制度が現代の奴隷制度と揶揄されている。",
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"text": "現在の人身売買も参照。",
"title": "アジア"
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"paragraph_id": 117,
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"text": "ハチやアリなどの社会性昆虫にも、人間の奴隷制と似た社会的行動をとるものがある。サムライアリは強力な軍隊(兵隊アリ)を持つが、労働力(働きアリ)はなく、自分では女王蟻や幼虫の世話も、巣作りや餌集めもできない。そこでクロヤマアリの巣を襲撃し、蛹や働きアリを強奪して自分の巣に運び、巣を支える奴隷として死ぬまで労働させる。",
"title": "昆虫"
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{
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"text": "書籍",
"title": "文献情報"
},
{
"paragraph_id": 119,
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"text": "論文",
"title": "文献情報"
}
] | 奴隷(どれい、英:slave)とは、経済的・社会的あるいは法律的に他人の所有物として取り扱われる人間のことである。奴隷となった理由には、捕虜、債務不履行の代償、人身略奪、刑罰、保護者による売却、奴隷の両親からの出生など複数存在した。地域で待遇差があり、国によっては、その取扱いは比較的穏やかであった。逆に15世紀以後、特にアメリカ大陸とカリブ海地域におけるアフリカ人の奴隷への待遇が人道上の大問題となった。労働内容で家内奴隷・生産奴隷に分類される。家内奴隷は古代オリエントをはじめ世界各地にみられたのに対し、生産奴隷は近代アメリカの黒人奴隷などが典型的で待遇は苛酷な場合が多かった。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制といい、奴隷制社会は原始社会の次に現れた人類最初の階級社会。奴隷制社会の典型として、古代ギリシア、古代ローマ、古代オリエントの社会がある(古代的生産様式)。 1948年に国際連合で採択された世界人権宣言にて、下記のように宣言された。 | {{正確性|date=2010年1月5日 (火) 10:52 (UTC)}}
{{Slavery}}
'''奴隷'''(どれい、[[英語|英]]:slave)とは、[[人間]]でありながら人間としての[[名誉]]、[[権利]]・[[自由]]を認められず、他人の所有物として取り扱われる人のことである。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/142450/m0u/%E5%A5%B4%E9%9A%B7/ goo辞書「奴隷」]</ref>。奴隷を許容する社会制度を特に[[奴隷制]]という。
[[1948年]]に[[国際連合]]で採択された[[世界人権宣言]]にて、下記のように宣言された。
{{Quotation|何人も、奴隷にされ、又は苦役に服する事はない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。(第4条)}}
== 概説 ==
あらゆる地域・時代の文献から、広範にその存在が確認され、その様態もさまざまである{{Sfn|福本勝清|2007|p=5}}。定義は古代から議論の対象となっており、[[アリストテレス]]は「生命ある道具」<ref>「主人と生命ある道具としての奴隷の間にはいかなる正義も愛も成立しようがない。」「ニコマコス倫理学」第8巻第11章1161A35</ref><ref>「奴隷は一種の生命ある所有物であり、すべて下僕というのは道具に先立つ道具といったものだ」「政治学」第1巻第4章1253B33-34</ref> と擁護し、[[ソフィスト]]の奴隷制批判に反論した{{efn2|アルキダマス(紀元前400年頃)は紀元前370年に[[テーバイ|テバイ]]人が[[スパルタ]]を打ち破って[[メッシニア県|メッセニア]]人を解放したことを擁護し、そのメッセニア演説において「自由な者としたのだ、万人を神は。何人をも奴隷とはしなかったのだ、自然は」と言ったとされている。{{Harv|山川偉也|2007|pp=11-12,26}}}}。[[マルクス主義]]においては[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の定義が最もよく知られている<ref>「奴隷制度のもとでは、生産関係の基礎は奴隷所有者が、生産手段を、また生産手段の働き手である奴隷を所有することであって、奴隷所有者は、奴隷を[[家畜]]同様に売り、買い、殺すことが出来る」「富者と貧乏人、[[搾取]]する者と搾取される者、完全な[[権利]]をもつ者と無権利な者、かれらの両者のあいだのすさまじい[[階級闘争]]、これが奴隷制の光景である」『弁証法的唯物論と史的唯物論』。{{Harv|福本勝清|2007|p=9}}</ref>。しかし[[福本勝清]]によれば多くの奴隷制は生産と必ずしも結びついていないか、生産様式や生産関係を規定づけるほど主要なものではなく、本質的には「自己の勢力を増やす手段であった」とする{{Sfn|福本勝清|2007|pp=6-7}}<ref>福本によれば奴隷は①仲間を増やす手段でありかつ②従者を増やす手段であり、忠誠を誓うかぎり兵士でもありえ、その後に③交換のための奴隷や生産のための奴隷がくる、とする。{{Harv|福本勝清|2007|pp=6-8}}</ref>。パターソン{{Sfn|オルランド・パターソン|2001}}によれば「生まれながらに疎外され、全体として名誉を喪失し…永続的かつ暴力的に支配される(人間の)こと」{{Sfn|福本勝清|2007|p=9}}。
[[人種差別]]、[[性差別]]、[[人身売買|幼児売買]]などは奴隷に固有のものではないが、多くの場合密接に関係していた。[[暴力]]と[[恐怖]]による支配が[[社会階層]]におよぶ場合[[農奴制]]や[[奴隷労働者]]の[[社会階級|階級]]が形成された。
=== 古代 ===
有史以来、人が人を所有する奴隷制度は世界中で普遍的に見られたが、[[風土]]・[[慣習]]・[[伝統]]の違いによる地域差も大きい。[[戦争]]の勝者が[[捕虜]]や被征服民族を奴隷とすることは、古代には世界中で程度の差はあるが普遍的に見られた。
典型として、[[古代ギリシア]]、[[古代ローマ]]、古代オリエントの社会があげられる<ref name=":0">{{Cite kotobank|奴隷制社会|encyclopedia=|access-date=2023-08-18 }}</ref>。古代ローマでは奴隷労働に頼った大土地経営[[ラティフンディウム]]が存在した<ref>{{Cite kotobank|古代的生産様式|access-date=2023-08-18 |encyclopedia=百科事典マイペディア}}</ref>。
[[古代ギリシア]]の[[ポリス]]間紛争では敗れた側の住民で成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。ギリシャやローマの社会は奴隷制を基盤にしたものであったが、ギリシャ世界のポリスは[[スパルタ]]を除けば奴隷の収奪を主要な目的とした社会組織ではなかった{{Sfn|河口明人|2010|p=5}}。奴隷交易は[[デロス島]]が著名であり、[[ストラボン]]の『[[地理誌]]』では1日に1万人以上を扱うことが出来たと記されている{{efn2|「きわめて多くの者たちが奴隷の輸出という、この呪われた業務に殺到した。莫大な利益となったので。というのも…大規模で豊かな市場がそれほど遠くないところにあったからである。それは[[デロス島]]で、ここでは1日に1万の奴隷を受け入れ、また送り出すことが出来た。」[StrabonXIV5:2](古山正人他編訳「西洋古代史料集[第2版]」東京大学出版会2002)直接の引用は篠原陽一によるサイト [http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page009.html]}}。
家庭内労働、[[鉱山]]、[[ガレー船]]員、軍事物資の輸送、神へ捧げる[[生贄]]など様々な場面において使用された<ref>トゥキディデス著久保正彰訳「戦史(上)144-145P、147-148P、156P、164P、257P、259P、293P」「戦史(中)」「戦史(下)」「アレクサンドロス大王東征記」「アナバシス」等参照</ref>。スパルタは大量の[[ヘイロタイ]]を農奴として使役した。共和政ローマでは征服地住民の多くが使役された<ref>通商国家カルタゴ 興亡の世界史(3)343P、362-364P、386-389P参照</ref> が、奴隷によるプランテーションが中小自営農家の没落を招いた。大規模な奴隷反乱はスパルタ、ローマでしばしば見られた([[第二次メッセニア戦争|メッセニア戦争]]、[[奴隷戦争]])。
[[中国の歴史|古代中国]]の[[殷]]では神への生贄に供するために用いられた。[[日本]]でも[[弥生時代]]に[[生口]]と呼ばれる奴隷的身分がすでに存在したとされる。また、日本に限らないが、中華王朝の周辺部族が皇帝に朝貢するときには、生口を貢物として差し出すことも珍しくはなかった。
古代のある時期、社会の主な[[労働力]]となっている体制を奴隷制と呼び、かつて[[唯物史観]]の[[発展段階論]]に於いて、[[原始共産制]]以降から発展し[[封建制]]へと繋がる段階とされ、この解釈では、農業・荷役・家事などの重労働に従事することが多かったとされた。
=== 近世 ===
[[農業革命]]が達成された中国に於いては[[北宋]](960年 - 1127年)以降、土地の囲い込みによる[[農奴]]の小作農化(賃労働化)が進んだ。
[[Image:Suppressed - The lash.jpg|thumb|300 px|[[黒人]]奴隷を[[鞭#種別|一本鞭]]で[[折檻]]する[[白人]][[マスター|主人]]の図]]
西欧諸国では17世紀のペスト禍によって奴隷の価格や農奴の価値が上昇するにつれ、国民については厳格な階級制度が緩和され、農奴から小作人への身分転換が進んだ。しかし、国外については、商品購買層ではない人々(他人種)に対し[[奴隷貿易]]が続けられた。
15世紀以後、アメリカ大陸とカリブ海地域でアフリカ人の奴隷が大量に使用された。これは後に、人道上の大問題となった<ref name=":1">{{Cite kotobank|奴隷|encyclopedia=旺文社世界史事典 三訂版 |access-date=2023-08-18 }}</ref>。
[[新大陸]](南北アメリカ・オーストラリア)においては、[[移民]]の賃金労働者がより安価な労働力となり、労働力不足も発生していたため、奴隷解放後には元奴隷たちは安価な賃金労働者に再編された。
=== 第二次世界大戦後 ===
日本列島では米軍に由る民主主義化革命の一環として自作農化が執行された([[農地改革#日本の農地改革|農地改革]])。
1949年に発効した[[国際連合]]の[[人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約]]や1957年に発効した[[奴隷制度廃止補足条約]]などそれに準じる各国の法規によって奴隷制度や[[人身売買|トラフィッキング]]は現在は禁止されている。しかし、[[工業]]化の進んでいない[[開発途上国|発展途上国]]では、[[商品経済]]に飲み込まれながらもその対価が払えない[[貧困層]]が絶えず生まれ続け、それを供給源とする事実上の奴隷売買が公然と行われている地域がある。また、[[先進国]]・発展途上国の別によらず、暴力等によって拘束して売買し、[[性産業]]に従事させる[[犯罪]]が後を絶たず、非合法の奴隷とみなされる。世界には今でも2700万人が存在すると言われている<ref>ジェシカ・ウィリアムズ 『世界を見る目が変わる50の事実』 酒井泰介訳、草思社、2005年。ISBN 978-4794214041</ref><ref>[http://www.ilo.org/global/about-the-ilo/newsroom/news/WCMS_574717/lang--en/index.htm Modern slavery and child labour: 40 million in modern slavery and 152 million in child labour around the world]</ref><ref>[https://www.walkfreefoundation.org/news/40-million-modern-slavery-152-million-child-labour-around-world-achieve87/ MEDIA RELEASE: 40 million in modern slavery and 152 million in child labour around the world #Achieve87 - Walk Free Foundation]</ref><ref>[https://www.cnn.co.jp/world/35107507.html CNN.co.jp : 「現代の奴隷」、世界で4000万人超 国連報告書]</ref><ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170920/k10011148481000.html 世界の1億5000万人余が児童労働 国連調査 | NHKニュース]</ref>。
2014年、過激派組織[[ISIL]]は[[コーラン]]の解釈に基づき奴隷制度の復活、運用を国際社会に公表している<ref>Islamic State Says Slavery is Established Part of Islamic Law.''The Islamic State's (ISIS, ISIL) Magazine'' Wed, September 10, 2014</ref>。
[[2015年]]、[[イギリス]]で奴隷状態が約1万人居るとされ[[現代奴隷法 (2015年イギリス)|現代奴隷法]]を制定した。
[[2019年]]、イギリスで[[ポーランド人]]8人に現代奴隷法などの違反で禁固刑が言い渡された。被害者は約400人で欧州で過去最大規模の摘発となった<ref>https://mainichi.jp/articles/20190709/k00/00m/030/043000c</ref>。
{{See also|性的奴隷|人身売買|債務奴隷}}
== 欧米 ==
=== 古代 ===
[[Image:John Collier - Pharaohs Handmaidens.jpg|thumb|250px|古代エジプトのファラオの奴隷([[ジョン・コリア (画家)|ジョン・コリア]]画)]]
[[画像:Boulanger Gustave Clarence Rudolphe The Slave Market.jpg|right|thumb|250px|[[ギュスターヴ・ブーランジェ]]の描いた奴隷市場]]
==== ギリシア ====
{{main|古代ギリシアの奴隷制}}
古代ギリシャ世界では、戦いや祭祀の際に捧げる犠牲、農作業、雑用役などの労働に非常に盛んに使用され、多くはないが家内工業における職人もいた。ポリス市民の得た閑暇は公的生活への参加に向けられ<ref>「ギリシャ人」HDF・キトー、向坂寛(訳)剄草書房1966年P.25</ref>、労働は恥辱であることが公然と言明された<ref>「およそ自由人の身体あるいは精神を、徳の行使や実践のために役立たずにするような仕事や技術や学習は、卑しい職人向きのものとみなさなければならない」アリストテレス『政治学』(牛田徳子(訳)P.8、京都大学学術出版会2001年)直接の引用は{{Harvnb|河口明人|2010|p=7}}</ref>。
==== ローマ ====
{{See also|古代ローマの奴隷制}}
ギリシャと異なりローマ人は肉体労働そのものを卑しむ精神伝統はなかったが<ref>ローマ市民から構成される軍の兵士は常に街道の敷設や補修を行っていた。</ref>、報酬として金銭を要求する職業を卑賎なものと見做す習慣があった{{Sfn|小林雅夫|1998|p=1}}。そのため高い報酬を受け取るような職種であっても、彼らが担う場合も多かった。境遇は様々であり、後述の通り高待遇の者も存在した。
古代ローマは基本的には初期から滅亡まで奴隷制社会であるが、時代による変遷がみられる。共和制時代には小規模自営農が多数を占めていたが、そうした自営農もひとりかふたり程度の奴隷を持つことが普通であった。この時代は、後世ほどには悲惨な境遇ではなく、大切な労働力、貧しい農民にとっての「高価な財産」として扱われた。
[[共和政ローマ]]が征服戦争を推し進めるに随って獲得機会が増えると共に、価格も下がり、大量に使役する[[ラティフンディウム]]が拡大した。そうした「安価な財産」の待遇は酷いものであり、様々な記録の中で悲惨さが描かれている<ref>トゥキディデス著久保正彰訳「戦史(下)242-243P」、国原吉之助訳「ガリア戦記 259P、264P」など</ref>ほか、[[鉱山]]においても酷使された。ローマは4度にわたって、大規模な[[叛乱]]を経験している。従来の[[城郭都市]]近郊の小規模自営農は経済的に没落する一方で[[パトリキ]](貴族)や[[エクィテス]](富裕層)は大土地所有と奴隷労働により富を蓄積した。一方で、[[無産階級]]に零落した[[ローマ市民権]]を持つ[[ローマ人]]は都市に流入した。
ローマでも奴隷の大半は農業や鉱山で使役されたが、多種の仕事に[[解放奴隷]]や稀に奴隷も従事した。彼等は奴隷所有者である主人の判断によっては、労働内容にみあう技能教育をされることがあったと考えられている{{Sfn|小林雅夫|1998|p=1}}。また、ローマでは哲学や[[詩]]、[[歴史学]]などに熟達した高度技能を持つギリシア人奴隷が[[家庭教師]]として、他にも医術や算術(会計術)を身に付けた奴隷が医術師や会計役として重宝され高額で売買された。また[[官僚制]]が発達する以前においては、政治家が個人として所有する奴隷が、家産官僚の役割を担った([[家産官僚制]]参照)。こういった高い教育を受けた知的労働に携わる奴隷は「高価な財産」として高待遇を受けていた。家庭教師は生徒(つまり主人の子弟)にちょっとした[[体罰]]を加える事もあったし、また[[属州]]総督が所有する奴隷は、属州民から見れば[[支配階級|支配者階級]]の末端であった。商業を侮蔑し農業に立ち返る事を主張した[[マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|大カトー]]も、能力のある奴隷を見いだして教育を受けさせ、高値で[[転売]]する事に限っては、利殖として認めている。
しばしば[[虐待]]の対象となり、[[アウグストゥス]]時代の富豪([[エクィテス|ローマ騎士]])Publius Vedius Pollioは怒りにまかせ池に投げ込み、魚のエサにしたとの話がある。一方で、老年まで勤め上げた奴隷を奴隷身分から解放する主人もいた。時代が下がるとともに奴隷の境遇も改善され、[[ローマ帝国|帝政期]]の特に[[2世紀]]以降になると虐待の風潮に対して、いくつかの保護法が制定された<ref>裁判官の許可を得ないで主人がその奴隷を猛獣と戦わせることを禁じる法律(帝政初期・時期不明)、主人が老年もしくは疾病の奴隷を遺棄したときは奴隷は自由人となり主人はその奴隷に対する主人権を喪失する規定([[クラウディウス]]帝)、主人が奴隷を監禁することの禁止([[ハドリアヌス]]帝)、主人が奴隷を殺したときはローマ市民を殺したと同様の制裁を主人に加えるべきとする規定([[アントニヌス・ピウス]]帝)</ref><ref>[http://home.q02.itscom.net/tosyokan/data/HARUKI/HARUKI038.pdf 『耶蘇教理カ羅馬奴隷制ニ及ホシタル影響ニ就テ』春木一郎(京都法学会雑誌第6巻第7号 明治44年7月)]</ref>。
[[コンスタンティヌス1世|コンスタンティヌス]]帝の[[319年]]の[[勅令]]においては主人は主人権を乱用し故意に奴隷を殺したときは主人を[[殺人罪]]に問うべしとした<ref>『耶蘇教理カ羅馬奴隷制ニ及ホシタル影響ニ就テ』春木一郎(京都法学会雑誌第6巻第7号 明治44年7月)</ref>。これらは主に2世紀以降に出されたが、[[パクス・ロマーナ]]により戦争や[[略奪]]による奴隷の供給量が減少したことが影響している。従って、上記の待遇緩和に先んじて、所有者が解放する人数に制限が加えられてもいる([[アウグストゥス]]帝)。これによりラティフンディウムの制度は崩壊し、[[コロナートゥス]]に移行していった。
幸運に恵まれて解放奴隷身分になる者もおり、解放奴隷の子供の代になればローマ市民権を獲得する可能性が得られた、中には[[ペルティナクス]]のように皇帝になった者もいる。また債権者は返済不能となった債務者自身を奴隷として売却し貸付金を回収することが認められており、自由身分を喪失する者もいた。またローマには[[捨て子]]の[[習慣]]があり、拾われた子は奴隷となった。
=== 中世 ===
中世西北ヨーロッパでは羊毛、皮革、毛皮、[[蜜蝋]]程度しか、[[オリエント]]や[[東ローマ]]に対して輸出できるものがなかったため、何世紀にもわたり奴隷は西北ヨーロッパから[[東ローマ]]やアジアへの主要な輸出商品の一つであった。[[ヴェネツィア]](特に年少のうちに去勢されたイタリア半島内の奴隷は、イベリア、東ローマ、イスラム世界で重宝された)、[[フィレンツェ]]、[[トスカーナ]]地方の富の蓄積は奴隷売買によるところが大きかった<ref>松原久子『[[驕れる白人と闘うための日本近代史]]』田中敏訳、文藝春秋、2005年、120-131頁。ISBN 978-4-16-366980-9</ref>。また北アフリカやアンダルス・北イタリア・諸騎士団の海賊は、しばしば南欧の住民や地中海沿岸の敵対する勢力の住民を襲って拉致し、売っていた。これは西ヨーロッパと隣接する東ローマ社会では宮廷から生産労働まで大量の需要があり、またイスラム社会においては奴隷を必要とする社会でありながら、自由民を奴隷階級に落す事が禁じられ戦争捕虜や売買によって外部から供給を受けるしか方法が無かったからである。
西ヨーロッパの内部においては、上述の通り古代末期においてラティフンディウムの崩壊により奴隷の使用は少なくなる一方、コロナートゥスの進展により[[農奴]]と呼ばれる労働・居住の自由を持たない奴隷的な小作人が数多く存在した。
=== 近世・近代 ===
[[16世紀]]から[[19世紀]]にかけて、[[アフリカ]]諸地域から輸出された[[ネグロイド|黒人]]奴隷(奴隷貿易)は、主に[[アメリカ大陸|南北アメリカ大陸]]で、[[プランテーション]]農業などの経済活動に、無償で従事させられた。北米においては最初[[先住民族]]の[[インディアン]]の奴隷化が試みられたが、彼らは社会の発展段階がまだ[[氏族]]社会の段階にあり、定住した勤労には不適で、農耕労働は強制力をもってしても強いることは出来なかった<ref>[[本田創造]]1991『アメリカ黒人の歴史』</ref>。奴隷貿易に参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスの5カ国である。奴隷商人は、ヨーロッパから安物のビー玉、火器(銃器)、木綿製品を積載してアフリカ・ギニア湾岸に到り、海に面した国に上陸した。そこで、内陸国と交戦した海洋国と交渉し、彼らが捕虜にした黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島で売り飛ばした。<ref>https://www.cba.ynu.ac.jp/gakkai/kaisi/pdf/37-3-6.pdf</ref>
次にその金で土地の砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどの亜熱帯農産物を積み、ヨーロッパに帰ってくるのである。奴隷貿易で最盛期を迎えるのは18世紀である。推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は約400万人が売買されたといわれている。概算1500万人と言われているが、多数の奴隷船の一次記録の調査により、大西洋横断中の死亡率は13%程度であると想定され、近年では最大でも1100万人程度と推定されている。ただし、アフリカにおいて、ヨーロッパの奴隷貿易業者の手に渡るまでの期間の死者、即ち現地アフリカの勢力が奴隷狩り遠征その他の手段によってかき集めてから、ヨーロッパの業者に売られるまでの期間にどれだけの死者が出ていたかは調べられていない。
[[アメリカ大陸]]において民主主義の進展により市民が自由を得て、かつ君主もいなくなる一方で、人種差別と相まって奴隷の境遇が悲惨なものとなり、北アメリカでは奴隷は子孫に至るまで奴隷身分として固定されてしまい(one-drop rule「黒人の血が一滴の血でも混ざれば白人とはみなさない」)、自由民と奴隷の格差が非常に顕著になったのである<ref>[[マーク・トウェイン]]は[[アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー]]において、古代・中世の奴隷を、その当時の黒人奴隷のような悲惨な境遇の者として描いている。</ref>。南アメリカにおいては、混血児に対する扱いは北アメリカより寛大で、父親が認知すれば相続権も与えられた。
{{Main|ガラテヤ 3:28}}
なぜ近代社会に入って奴隷制が容認されたのかという理由は、[[福音]]や[[旧約聖書]]に奴隷制度を容認すると解せる記述があることが根拠とされ<ref>[[創世記]] 14:14,15、[[出エジプト記]] 21:16、レビ記 25章39,40節、出エジプト記 22:3、申命記 15章13,14節、[[コリントの信徒への手紙]] 7:21,[[コロサイ書]]3:22等</ref>(当然、聖書の記述は[[古代]]社会であるにもかかわらず)、これを文字通り[[近代]]社会に当て嵌めうるとの解釈を強引に行ったからである<ref>同様の解釈は[[一夫多妻制]]について、[[モルモン教]]徒によってなされている。</ref>。これに対し殆どの[[教会]]や[[牧師]]もこのこじつけの論理を黙認した。[[ジョージア州]]などでは、奴隷に読み書きを教えることは違法となっていた<ref>{{cite news |title=白人奴隷主になりすました妻、奴隷夫妻の白昼の脱出劇 |newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2022-2-18 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/020600056/ |accessdate=2022-2-19 |author=TUCKER C. TOOLE}}</ref>。
[[アメリカ合衆国]]では、[[南北戦争]]の時代に[[エイブラハム・リンカーン|リンカーン大統領]](→[[奴隷解放宣言]])によって、奴隷制度が廃止されたが、大半の黒人は[[1971年]]まで、「[[選挙権]]はあるが'''投票権がない'''」状態だったなど、政治的な権利の制限は長く続いた([[公民権運動]]、外部リンク参照)。19世紀における[[奴隷解放運動]]の活動家には[[フレデリック・ダグラス]]などがいた。
{{See also|アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史}}
なお、中世・近世のように西ヨーロッパから東欧や西アジアへ奴隷が輸出されるような状況は、17世紀の人口減少による奴隷価格の高騰や西欧社会が再び奴隷を使用する社会となるにつれ減少していくが、北アフリカの海賊([[バルバリア海賊]])がヨーロッパ人を拉致して奴隷として売る状況は、1830年のフランスによるアルジェリア征服まで続いた。逆に、キリスト教徒海賊がギリシャやイスラム世界から拉致した奴隷を購入する事例もあった<ref>フェルナン・ブローデル著『ブローデル歴史集成 (1)』藤原書店</ref>。
== イスラム文化圏 ==
{{main|イスラームと奴隷制}}西アジアなどイスラム社会では奴隷の扱いは、比較的穏やかであった。10世紀から19世紀初頭にかけてトルコとアラビア半島を中心とするイスラム世界に存在した奴隷出身の傭兵([[マムルーク]])らは歴史上重要な役割を果たしている<ref name=":1" />。
== アジア ==
基本的に一般民との差異は労働に関する制約がほとんどで農奴に近い<ref>中国の科学と文明8</ref> といえる、もちろん賎民であり蔑視の対象ではあったものの、欧州圏とは異なり奴隷の殺害を罪に問う社会が多かった。また、身分の固定も強固なものではなく、奴隷身分からの脱出も欧州世界ほど困難ではなかった。
古代[[中国]]の[[殷|商]]([[殷]])は戦争奴隷を労働力・軍事力の基盤として、また葬礼や祭祀における犠牲として、盛んに利用していた。商(殷)までは奴隷制社会であったことは定説となっているが、いつまでであったかは諸説あり、奴隷制から[[封建制]]に変革されたとされる[[周]]の[[易姓革命]]、ないしは、商(殷)程ではないにせよ実質的には奴隷が生産力となっていた[[春秋時代]]までと考えられる範疇として議論されている。いずれにせよ、[[中原]]とは文化の異なる民族(蛮夷戎狄)との戦争で捕虜とした奴隷が労役に就かされたと考えられている。後漢末・魏晋南北朝以来の貴族制下では、律令により賎民に区分された[[雑戸]][[官戸]]や[[奴婢]]などの農奴と奴隷が政府や勢家の下に多く存在していた。宋王朝以降は官奴婢が禁止されたが、私奴隷は清王朝の時代まで少数ながら存在した。基本的には罪を犯した者が奴隷身分へ落とされ、欧州でいう所の農奴や官営工場の職人として強制的に有償労働へ就かされた。[[前漢]]の[[衛青]]は奴隷の身分から[[大将軍]]まで上り詰めた。([[中国の奴隷制]]参照)
[[丙子の乱]]で、[[清朝]]軍が[[李氏朝鮮]]を制圧した戦いの際に、清朝軍は50万の朝鮮人を[[捕虜]]として[[強制連行]]し、当時の[[盛京]]([[瀋陽]])の奴隷[[市場]]で売られた。
[[タイ王国|タイ]]の歴史上では、'''タート'''と呼ばれる自由を拘束された身分があった。そのほとんどが、'''未切足タート'''と呼ばれる、少額の負債を負った者が債権者に労働などで負債を返済する形式の者であり、多くはいわゆる奴隷的な身分ではなかった。しかし、一部には'''切足タート'''と呼ばれる多額の負債を負って奴隷身分となった者や、'''捕虜タート'''と言われる奴隷があり、これらは自由身分への復帰が非常に困難とされた。{{要出典範囲|[[ポルトガルの奴隷貿易]]によって買われた日本人奴隷も、捕虜タートと同列に取り扱われた。|date=2021年12月}}
[[インド]]の[[カースト]]制を代表とする身分制度のうち、[[シュードラ]]や[[ダーサ]]を奴隷と訳すこともあるが、所有・売買の対象という意味では定義から外れる。他のカーストの下に置かれたことから奴隷の名を宛てる者もいる。時代による変遷があるため、ギリシャ人やローマ人が記録を残した時代のものは、家内奴隷で待遇もそれほど劣悪ではなく、ギリシャ人やローマ人の目に奴隷と映らなかったようである<ref>メガステネス、インド誌</ref>。
[[チャクリー王朝]]に入ってから[[ラーマ1世]]によってこの切足タートや捕虜タートにも自由身分へ回復する事が制度的に可能になった。のちに、[[ラーマ5世]]の[[チャクリー改革]]によってタートの制度は廃止された。
[[匈奴]]や[[スキタイ]]、[[柔然]]、[[突厥]]、[[ウイグル]]、[[遼]]、[[モンゴル]]などの遊牧民が主体を構成する社会では、戦争捕虜、犯罪者、征服した部族の奴隷的使役、南の農耕地域から拉致した奴隷が多数居たことが確認されるなど<ref>漢書匈奴伝上、後漢書南匈奴伝、突厥与回紇史P4-5など</ref>、類似した奴隷制社会の形態が見られる。その他の遊牧民による国家も同様と考えられるが、史料に乏しく実態はよく解っていない。
=== 朝鮮 ===
朝鮮では男の奴隷を奴、女の奴隷を婢と呼び、あわせて奴婢(ノビ)といった。また[[妓生]]と称して諸外国からの使者や兵士、両班階層に対し、楽技を披露したり、性的奉仕をするための婢が20世紀まで存在した。
朝鮮における奴婢の歴史は、中国の[[征服者]]・[[箕子]]が興した[[箕子朝鮮]]の時代より始まるとされる。箕子は朝鮮を治めるにあたり、[[犯禁八条]]という厳格な[[刑法]]を制定した。その際に刑罰として敷かれた制度が奴婢制であった。人間は自らの労働によって生計を営まねばならない。仮に誰かが詐欺や暴力で他人の財産を横取りしたなら、論理的にも道徳的にもその者は被害者の所有物となるべきとの論理にもとづいて、窃盗犯はすべて被害者の奴婢になるという刑罰がつくられた。莫大な保釈金を払って奴婢の身分から脱することはできても市民としての信用は回復されることがなかった。[[姦通]]も奴婢法によって罰せられた。この場合、罪人は国の奴婢となり、王は彼を思いのまま高級官吏に下賜(かし)したりした。
この制度は紀元前193年までほぼ千年以上続いたが、当時の箕子朝鮮の最後の王・[[箕準]](キジュン)が[[燕 (春秋)|燕]]人の[[衛満]]によって追放され、廃止された。朝鮮半島の南方に追われて[[馬韓]](バカン)という王国を建てた箕準は、そこで奴婢制をそのまま踏襲した。その後数百年間、この制度は存続と廃止を繰り返したが、[[918年]]、朝鮮半島が[[高麗]]王朝によって統一された後、再び一般化することになった。
奴婢の数は急速に膨れあがったが、彼らへの待遇は劣悪で残忍とさえ見なせるものだった。[[1198年]]、[[万積]]らが公私奴婢を集めて蜂起を画策したものの事前に発覚し、結果として300人を越す奴婢らが首に石を結びつけたまま[[礼成江]](イェソンガン、高麗の都・開京([[開城]])郊外を流れる川)に放りこまれて処刑された。
李朝の四代国王であった[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]は性的搾取の対象であった妓生(婢)と良民の男が結婚すれば間の子供は父親の身分に従って良民になれるようにしていた既存の法律を廃止した。
さらに[[奴婢従母法]](노비종모법)という法により、父が両班で母が奴だった場合は子も奴婢になり、奴(父親)の所有者がその子の所有権を持つように定められた。この法律は父が誰でどの身分でも、二人の間の全ての子供は母の身分に従って奴婢になるようにした法律でもあった。朝鮮の少女たちを貢女として中国(明)に捧げるために『進献色』という機構を設置した上に、処女進献を避けるために民衆の間が幼い年齢で早婚させることが流行すると即座に王族など高位層を除いて民衆のみに早婚禁止を実施した、また中国から来た使臣が1〜2か月かかる貢女を選び出す期間は半島全土に婚姻禁止令が下され選抜対象となった未婚女性は恐怖に震えた。太宗は「処女を隠した者、針灸を施した者、髪を切ったり薬を塗ったりした者等選抜から免れようとした者」を罰する号令も出し、世宗の時代も存続していた。朝鮮王朝実録には、世宗の治世が明に対する処女進献が最多と記録されている。
[[李氏朝鮮]]政府は[[妓生庁]]を設置し、またソウルと平壌に妓生学校を設立し、15歳〜20歳の女子に妓生の育成を行った。
[[1592年]]、[[豊臣秀吉]]の軍が朝鮮半島に攻め込んだ([[文禄・慶長の役]])。この折、奴婢らが混乱に乗じて戸籍の消滅を図って[[景福宮]]に放火したため、王宮は[[漢城府|漢陽]]陥落以前に焼失している。7年にもわたる戦乱で多くの男子が犠牲になったため、朝廷では奴婢のうち男性をその身分から解放した(しかし、実際は従来どおり男の奴婢もいた)。
[[1894年]]の[[甲午改革]]で法的には撤廃されたが、[[1905年]]の段階でも多数の女が奴婢の身分に囚われていた<ref>アーソン・グレイブスト『悲劇の朝鮮』</ref>。彼女らはほとんどの場合、罪を犯した親戚の男の身代わりとして自主的に奴婢となったか、あるいはその身分を相続した者たちであった。
朝鮮にに「[[白丁]]」と呼ばれるもうひとつの賤民階級があり、奴婢とは区別されていた。彼らは倫理的保護の対象外として社会から厳しく差別・侮蔑される対象であり、化外の民であった。
朝鮮で実質的に制度が廃止されたのは[[日韓併合]]後であり、1910年に[[朝鮮総督府]]が奴隷の身分を明記していた旧戸籍を廃止し、全ての国民に姓を定めた新戸籍制度を導入した。
現在の[[北朝鮮]]に存在するとされる[[出身成分]]という身分制度も奴隷制の一つであるとされる。
=== 日本 ===
==== 定義 ====
日本において奴隷とは明治以降にSlaveの訳語として充てられるようになった単語であり、それ以前は奴婢と称した。
戦国時代に来航した[[ポルトガル]]商人は主従関係などにより一時的にでも自由でない労働者を奴隷と考えており、[[ポルトガル]]商人の理解する奴隷は[[奴婢]]だけでなく[[下人]]や所従、年季奉公人等の様々な労働形態を含んでいたことが指摘されている<ref name="maki-1971">人身売買 (岩波新書)、牧 英正、1971/10/20, p. 60</ref><ref name="tokyo-2014">日本史の森をゆく - 史料が語るとっておきの42話、東京大学史料編纂所 (著)、 中公新書、2014/12/19、p77-8</ref>。
{{quotation|それでは彼らが日本人の奴隷と考えたのは日本のどのような身分の者であったのか。……『日葡辞書』をみると、奴隷を意味する criado, servo とか captivo の語は、Fudaino guenin(譜代の下人)、Fudaino mono(譜代の者)、Fudasodennno mono(譜代相伝の者)、Guenin(下人)、Xoju(所従)、Yatçuco(奴)等の語にあてられている。彼等が日本の奴隷と解した譜代の者とか譜代相伝とか称せられた下人や所従は、農業その他の家庭労働に使役されていたし、実際国内では習慣法上売買の対象となっていた<ref name="maki-1971" />。|人身売買 (岩波新書)、牧 英正、1971/10/20, p. 60}}
奴隷という用語が日本国内では異なると考えられてきた労働形態、社会集団を隠蔽していたという<ref name="tokyo-2014" />。
{{quotation|ポルトガル語で「奴隷」という語は一般的に「エスクラーヴォ escravo」と表される。日本でポルトガル人が「エスクラーヴォ」と呼ぶ人々には、中世日本社会に存在した「下人」、「所従」といった人々が当然含まれる。しかし、日本社会ではそれらと一線を画したと思われる「年季奉公人」もまた、ポルトガル人の理解では、同じカテゴリーに属した<ref name="tokyo-2014" />。|日本史の森をゆく - 史料が語るとっておきの42話、東京大学史料編纂所 (著)、 中公新書、2014/12/19、p77-8.}}
ポルトガル人は日本で一般的な労働形態だった[[年季奉公]]人も不自由な労使関係から奴隷とみなすなど、多くの日本人の労働形態はポルトガル人の基準では奴隷であり、誤訳以上の複雑な研究課題とされてきた<ref name="tokyo-2014" />。ポルトガルでは不自由な労使関係、主従関係における従属を奴隷と理解することがあり、使用される[[傭兵]]や独立した商人冒険家も奴隷の名称で分類されることがあった<ref>BOXER, Charles R. Fidalgos in the Far East (1550-1771). The Hague: Martinus Nijhoff, 1948, p.234.</ref>。
またポルトガル人は日本社会の使用人や農民のことを奴隷と同定することがあった。1557年、[[ガスパル・ヴィレラ]]は日本には貴族と僧侶、農民の社会階層があると論じ、貴族と僧侶は経済的に自立しているというが、農民は前二者のために働き、自分たちにはごくわずかの収入しか残らない奴隷状態にあると述べている<ref>Juan Ruiz-de-Medina (ed.). Documentos del Japón, 2 Vol. Rome: Instituto Histórico de la Compañía de Jesús, 1990-1995. II, pp. 695-8, p705</ref>。[[コスメ・デ・トーレス]]は日本の社会について以下のように語っている。
{{quotation|(日本の社会において)使用人や奴隷は地主に仕え、ひどく崇拝する。なぜなら、どんな質の高い人でも使用人に不従順なところがあれば、殺してしまえと命令するからである。そのため使用人たちは主人にとても従順で、主人と話すときは、たとえとても寒いときでも、いつも頭を下げてひれ伏している<ref>Tōkyō Daigaku Shiryō Hensanjo (ed.). Nihon Kankei Kaigai Shiryō –Iezusu-kai Nihon Shokan, Genbun, 3 volumes. Tokyo: Tōkyō Daigaku Shiryō Hensanjo, 1990-2011. I, p. 170</ref><ref>Juan Ruiz-de-Medina (ed.). Documentos del Japón, 2 Vol. Rome: Instituto Histórico de la Compañía de Jesús, 1990-1995. I, p.216</ref>。}}
[[コスメ・デ・トーレス]]は日本人の[[地主]]は使用人に対して生殺与奪の権力を行使することができるとして、ローマ法において主人が奴隷に対して持つ権利 vitae necisque potestas を例証として使い、日本における農民等の使用人を奴隷と変わらない身分とした<ref>WESTBROOK, Raymond. “Vitae Necisque Potestas”. In: Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte, Bd. 48,H. 2 (2nd quarter, 1999). Stuttgart: Franz Steiner Verlag, 1999, p. 203</ref>。
中世の日本社会では、百姓は納税が間に合わない場合に備えて、自分や他人を保証人として差し出すことができたという。税金を払わない場合、これらの保証は売却される可能性があり、[[農民]]と奴隷の区別をいっそう困難にした<ref>MIZUKAMI Ikkyū. Chūsei no Shōen to Shakai. Tokyo: Yoshikawa Kōbunkan, 1969.</ref>。
====アジア人奴隷====
===== 倭寇の奴隷貿易 =====
前期倭寇は朝鮮半島、山東・遼東半島での人狩りで捕らえた人々を手元において奴婢として使役するか、[[壱岐]]、[[対馬]]、北部[[九州]]で奴隷として売却したが、琉球にまで転売された事例もあった。後期倭寇はさらに大規模な奴隷貿易を行い、中国東南部の江南、淅江、福建などを襲撃し住人を拉致、捕らえられたものは[[対馬]]、松浦、[[博多]]、薩摩、大隅などの九州地方で奴隷として売却された<ref>三宅亨『倭寇と王直』、日本と東アジアのコミュニケーションの総合的研究、2012年</ref>。[[1571年]]のスペイン人の調査報告によると、日本人の海賊、密貿易商人が支配する植民地はマニラ、カガヤン・バレー地方、コルディリェラ、リンガエン、バターン、カタンドゥアネスにもあった<ref>Worcester, Dean C. (1906). "The Non-Christian Tribes of Northern Luzon". The Philippine Journal of Science. National Science Development Board</ref>。[[乱妨取り]]や[[文禄・慶長の役]](朝鮮出兵)により奴隷貿易はさらに拡大、東南アジアに拠点を拡張し密貿易も行う後期倭寇によりアジア各地で売却された奴隷の一部はポルトガル商人によってマカオ等で転売され、そこからインドに送られたものもいたという。[[イエズス会]]は倭寇を恐れており、1555年に書かれた手紙の中で、[[ルイス・フロイス]]は、倭寇の一団から身を守るために、[[宣教師]]たちが武器に頼らざるを得なかったことを語っている<ref>Tōkyō Daigaku Shiryō Hensanjo (ed.). Nihon Kankei Kaigai Shiryō – Iezusu-kai Nihon Shokan, Genbun, 3 volumes. Tokyo: Tōkyō Daigaku Shiryō Hensanjo, 1990-2011. II, pp. 303-4.</ref>。
[[鄭舜功]]の編纂した百科事典『[[日本一鑑]]』は南九州の[[高洲]]では200-300人の中国人奴隷が家畜のように扱われていたと述べている。奴隷となっていた中国人は[[福州]]、興化、[[泉州]]、[[漳州]]の出身だったという<ref>Zhèng Shùn-gōng / Tei Shunkō (auth.), MIKAJIRI Hiroshi (ed.) Nihon Ikkan. [Unnamed place]:[Unnamed editor], 1937, pp. 482-3. KATAYAMA Harukata. “Nihon Ikkan no Kiso teki Kenkyū, Sono ichi.” In: Komazawa Tanki Daigaku Kenkyū Kiyō, 24, 15. 1997; KATAYAMA Harukata. “Nihon Ikkan no Kiso teki Kenkyū, Sono ni.” In: Komazawa Tanki Daigaku Kenkyū Kiyō, 24, 17. 1998; YONETANI Hitoshi. “Kōki Wakō kara Chōsen Shinryaku he.” In: IKE Susumu (ed.). Tenka Tōitsu to Chōsen Shinryaku. Tokyo: Yoshikawa Kōbunkan, 2003, pp. 146-7.</ref>。
[[歴史家]]の米谷均は蘇八の事例を挙げている。蘇は[[浙江]]の漁師で、1580年に倭寇に捕らえられた。蘇は[[薩摩]]の京泊に連れて行かれ、そこで[[仏教]][[僧]]に銀四両で買い取られた。2年後に彼は対馬の中国人商人に売られた。6年間、[[対馬]]で働き、自由を手に入れた蘇は、平戸に移り住んだ。[[平戸]]では、魚や布を売って生活していた。そして1590年、中国船で[[ルソン島]]に渡り、翌年、中国に帰国することができたという<ref>See YONETANI Hitoshi. “Kōki Wakō kara Chōsen Shinryaku he.” In: IKE Susumu (ed.). Tenka Tōitsu to Chōsen Shinryaku. Tokyo: Yoshikawa Kōbunkan, 2003, pp. 146-7.</ref>。
=====文禄・慶長の役=====
[[文禄・慶長の役]]では、臼杵城主の[[太田一吉]]に仕え従軍した医僧、慶念が『朝鮮日々記』に
{{quotation|日本よりもよろずの商人も来たりしたなかに人商いせる者来たり、奥陣より(日本軍の)後につき歩き、男女・老若買い取りて、縄にて首をくくり集め、先へ追い立て、歩み候わねば後より杖にて追い立て、打ち走らかす有様は、さながら阿坊羅刹の罪人を責めけるもかくやと思いはべる…かくの如くに買い集め、例えば猿をくくりて歩くごとくに、牛馬をひかせて荷物持たせなどして、責める躰は、見る目いたわしくてありつる事なり|朝鮮日々記}}
と記録を残している<ref>内藤雋輔『文禄・慶長の役における被虜人の研究』p226、東京大学出版社、1976年</ref>。渡邊大門によると、最初、乱取りを禁止していた秀吉も方向転換し、捉えた朝鮮人を進上するように命令を発していると主張している<ref>渡邊 大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』 p175、2014</ref>。
[[多聞院日記]]によると、乱妨取りで拉致された朝鮮人の女性・子供は略奪品と一緒に、対馬、壱岐を経て、名護屋に送られた<ref>『多聞院日記 三十六』天正20年5月18日条</ref>。
薩摩の武将・大島忠泰の角右衛門という部下は朝鮮人奴隷を国許に「お土産」として送ったと書状に書いている<ref>渡邊大門『「朝鮮出兵」波乱に満ちた生け捕り奴隷の人生』、2019</ref><ref>藤木久志『雑兵たちの戦場―中世の傭兵と奴隷狩り―』</ref>。
====アフリカ人奴隷====
===== 弥助 =====
[[弥助]]という名の宣教師の護衛をしていた[[黒人|アフリカ系]]の奴隷(または従者<ref name="bbc">{{Cite web|url=https://www.bbc.com/news/world-africa-48542673|title=The mysterious life of an African samurai|first=Naima|last=Mohamud|date=October 14, 2019|via=www.bbc.co.uk |archive-url=https://web.archive.org/web/20201101144729/https://www.bbc.com/news/world-africa-48542673 |archive-date=November 1, 2020|accessdate=2021-04-21}}</ref><ref name=rfi>{{cite web|url=http://www.rfi.fr/hebdo/20150102-yasuke-samurai-samourai-etranger-africain-mozambique-japon |website=Rfi.fr |title=Yasuke: le premier samouraï étranger était africain |date=January 2, 2015 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200114161630/http://www.rfi.fr/hebdo/20150102-yasuke-samurai-samourai-etranger-africain-mozambique-japon/ |archive-date=January 14, 2020|accessdate=2021-04-21}}</ref>)が、[[戦国大名]]の[[織田信長]]に[[宣教師]]と共に謁見して気に入られ、武士の身分を与えられ[[家庭内労働者|家来]]として仕えたとの記録が残っている。宣教師の護衛として武術の訓練を受けていたと見られるため自由人や解放奴隷であったとの見解もあり、弥助が奴隷だったかについては諸説ある<ref name=bbc /><ref name=rfi />。弥助を捕らえた明智光秀は
{{quotation|黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず|岡田正人『織田信長総合事典』、雄山閣出版、1999年}}
として教会に送り届けるよう指示した<ref>{{Citation |和書|last =岡田|first=正人|author-link=岡田正人|year=1999|title=織田信長総合事典|publisher=雄山閣出版|pages=420-421|isbn=4639016328}}</ref>。
====日本人奴隷====
===== 縄文・弥生時代 =====
一説には、すでに[[縄文時代]]に存在していたとされるが、歴史文書に初めて登場するのは[[弥生時代]]であり、『[[後漢書]]』の東夷伝に、「倭国王・[[帥升]]が、[[生口]]160人を[[安帝 (漢)|安帝]]へ献上した」(西暦[[107年]])という趣旨の記録がある。また、いわゆる『[[魏志倭人伝]]』にも、[[邪馬台国]]の[[女王]]・[[卑弥呼]]が婢を1000人侍らせ、西暦[[239年]]以降、[[魏 (三国)|魏]]王へと生口を幾度か献上した旨の記述がある(ただし、「生口」は奴隷の意味ではないと解釈する説もある)。
===== 古墳時代 =====
[[古墳時代]]に入ると、[[ヤマト王権]]によって[[部民制]](べみんせい)が敷かれ、[[子代部]](こしろのべ)、[[名代部]](なしろのべ)、[[部曲]](かきべ)などの私有民もしくは官有民が設けられた。部民制は、[[飛鳥時代]]の[[大化の改新]]によって、[[中国]]の[[唐|唐帝国]]を模した[[律令制]]が導入されるまで続いた。
===== 飛鳥・奈良・平安時代 =====
[[日本]]の[[律令制|律令制度]]では、人口のおよそ5%弱が[[五色の賤]]とされ、いずれも官有または私有の財産とされた。そのうち、[[公奴婢]](くぬひ)と[[私奴婢]](しぬひ)は売買の対象とされた。この2つの奴婢身分は、平安時代前期から中期にかけての[[公地公民制|公地公民]]の律令制度の解体と、[[荘園]]の拡大の中で寺社領に於いては減っていったが、皇家や公家の荘園では依然として存在し続けた。五色の賎は百姓の中かなりの割合(3分の1)を占め、良民との[[結婚]]などに制限があったが、良民の3分の1の[[口分田]]が班給されており、これらは中世以降の小作人や欧州の農奴に近い存在であった。ヤマト王権に恭順した[[蝦夷]]である[[俘囚]]には戦争捕虜も含まれており、そのまま兵士として動員された。また蝦夷もヤマト王権との戦争により戦争捕虜を得ていたが、蝦夷の捕虜となった和人の子孫なども混在していたとされる。
[[五色の賎]]には奴婢が規定され、朝廷が所有し76歳を越えると良民として解放される公奴婢(くぬひ)、民間所有のものを私奴婢(しぬひ)と言い、子孫に相続させることが可能であった。日本の律令制下における奴婢の割合は、全人口の10~20%前後だった<ref>瀧川 1944, p. 39</ref> とされ、五色の賤の中では最も多かった。
飛鳥時代、[[丁未の乱]](ていびのらん)で物部氏が滅ぼされた時、物部守谷の子孫従類273人が四天王寺の奴婢にされたとの記述が四天王寺御手印縁起、伝暦、御記、太子物、今昔物語、扶桑略記、元亨釈書等にあり通説となっている。
{{Quotation|駆摂守屋子孫従類二百七十三人。為寺永奴婢。|四天王寺御手印縁起|続群書類従 巻第八百二}}
日本書紀によると奴(奴隷等の使用人、[[奴国]]、倭奴などにも使われた蔑称)との記述のみのため、後世の脚色だとする神野清一の異説もあるが、日本書紀に脚色が入る可能性は想定されていない。聖徳太子伝暦では「奴」ではなく「子孫資財」としている。[[通説]]では丁未の乱で物部の子孫が絶えず、奴婢に零落して生き続けたからこそ美化された伝説でなく、奴婢として記録に残ったという。
[[平安時代]]後期に、日本が[[中世]]へと移行すると、社会秩序の崩壊にしたがって[[人身売買]]が増加し、「略人」、「[[勾引 (歴史)|勾引]](かどわかし)・人勾引(ひとかどい)」や「子取り」と称する[[略取・誘拐罪|略取]]も横行した。また、[[貨幣経済]]の発展に伴って、人身を[[担保]]とする[[融資]]も行われた。こうして、様々な事情で自由を失った人々が[[下人]]となり、主人に所有され、売買の対象になった。有名な『[[安寿と厨子王丸|安寿と厨子王]]([[山椒大夫]])』の物語は、この時代を舞台としている。このように、中世には人身売買が[[産業]]として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「[[人商人]]」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。また、奴婢が主人から逃亡することは[[財産権]]の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。下人が夫婦を形成し子をなす場合、その子も主人の下人となり身分が世襲される[[譜代下人]]などが構成された。
===== 鎌倉・室町・戦国・安土桃山時代 =====
[[自力救済]]の時代である中世日本では、人身売買は民衆にとって餓死を免れるセーフティーネットとしての面も持つ行為であった<ref>と、藤木久志を始めとする研究者は主張する。「中世民衆の世界」1-3頁など参照</ref><ref name=shimizu>{{Cite web|和書|author=[[清水克行]] |url=https://president.jp/articles/-/47318 |date=2020-07-05 |title=「中世の日本にはたくさんの奴隷がいた」約20万円で人買い商人に売られた14歳少女のその後 |website=PRESIDENT Online |publisher=[[プレジデント社]] |accessdate=2020-07-06 }}</ref>。身売りすることで近い将来に餓死する事だけは避けえたからである。[[鎌倉時代]]に[[寛喜の飢饉]]と呼ばれる飢饉が発生した際に多くの人々が自身や妻子を身売りして社会問題となった。そのため、[[鎌倉幕府]]は[[1239年]]になって人身売買の禁止を命じるとともに、例外として飢饉の際の人身売買とそれに伴う奴婢の発生は黙認する態度を示した(『[[吾妻鏡]]』[[延応]]元年4月13日・5月1日条)。なお、災禍が治った後、親が買い戻すこともみられたが、その際には身売り時よりも相当の高額を要求されることが容認されていた<ref name=shimizu />。
[[貞永]]元年8月10日([[1232年]]8月27日)に制定された[[御成敗式目]]では奴婢とその子供の所有権に関する定めがある。
{{Quotation|一、奴婢雜人事
右任右大將家御時之例、無其沙汰過十箇年者、不論理非不及改沙汰、次奴婢所生男女事、如法意者雖有子細、任同御時之例、男者付父、女者付母也|御成敗式目 大永版|奈良女子大坂本龍門文庫善本電子画像集より}}
御成敗式目(室町末期版)にも同様の記述がある。奴婢雑人については(逃亡等により)10年以上放置すれば(人返しされなければ)無効になることが定められている。
「[[天文 (元号)|天文]]・[[永禄]]のころには駿河の富士の麓に富士市と称する所謂奴隷市場ありて、妙齢の子女を購い来たりて、之を売買し、四方に輸出して遊女とする習俗ありき」<ref>『日本奴隷史』阿部 弘臧</ref>と言う。
その後、[[元 (王朝)|元帝国]]と[[高麗]]の連合軍が[[壱岐]]・[[対馬]]と[[九州]]北部に侵攻し([[元寇]])、文永の役では、捕らえられた[[日本人]]の婦女子およそ200人が、高麗王に奴婢として献上された。国内においては、[[鎌倉幕府]]や[[朝廷 (日本)|朝廷]]は、人身売買や勾引行為に対して、顔面に焼印を押す[[拷問]]刑を課したこともあった。しかし、[[14世紀]]以降、勾引は盗犯に準ずる扱いとされ、奴婢の所有は黙認された。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]として知られる[[内戦]]期になると、中央の統制が弱まって[[軍閥]]化した前期[[倭寇]]が、[[朝鮮]]や中国で人狩りを行った。[[惣村]]社会では境界紛争の解決にしばしば[[下手人]]として奴婢を利用した。
いわゆる[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、戦闘に伴って「人取り」([[乱妨取り]])と呼ばれる略取が盛んに行われており、日本人奴隷は[[倭寇]]や[[ポルトガルの奴隷貿易|ポルトガル商人]]を通して東南アジアなどにも[[輸出]]された。軍資金を求めて領主が要求した増税は、国民の貧困化を招き、多くの日本人が奴隷制を生き残るための代替戦略として捉えた<ref>OKAMOTO Yoshitomo. Jūroku Seiki Nichiō Kōtsūshi no Kenkyū. Tokyo: Kōbunsō, 1936 (revised edition by Rokkō Shobō, 1942 and 1944, and reprint by Hara Shobō, 1969, 1974 and 1980). pp. 730-2</ref>。
[[1514年]]にポルトガル人がマラッカから中国と貿易を行って以来、ポルトガル人が初めて日本に上陸した翌年には、マラッカ、中国、日本の間で貿易が始まった。中国は[[倭寇]]の襲撃により、日本に対して禁輸措置をとっていたため、日本では中国製品が不足していた<ref name=boxer>Boxer, Charles Ralph (1951). The Christian Century in Japan 1549–1650. University of California Press.</ref>。当初、日本との貿易は全てのポルトガル商人に開かれていたが、[[1550年]]にポルトガル国王が日本との貿易の権利を独占した<ref name=boxer />。以降、年に一度、一隻に日本との貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号、事業を行うための資金が不足した場合の職権売却の権利が与えられた。船はゴアを出航し、マラッカ、中国に寄港した後、日本に向けて出発した。南蛮貿易で最も価値のある商品は、中国の絹と日本の銀であり、その銀は中国でさらに絹と交換された<ref name=boxer />。
[[1537年]]の[[スブリミス・デウス]]において教皇[[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]はアメリカ先住民の奴隷化を無効だと宣言していたが、[[1541年]]のポルトガル船来航以降にも奴隷貿易が行われてきた。日本マカオ間の定期航路の開通にともない行われた奴隷貿易に対して、[[1560年代]]以降、[[イエズス会]]の[[宣教師]]たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本における[[キリスト教]]宣教の妨げになり、宣教師への誤解を招くものと考えた。ポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を度々求めており、ポルトガル王[[セバスティアン1世]]は[[1571年]]に禁止を命令した<ref>Nelson, Thomas (Winter 2004). Monumenta Nipponica (Slavery in Medieval Japan). Vol. 59. Sophia University.. p. 463</ref>。
ポルトガル王による1571年の[[人身売買]]禁止までの[[南蛮貿易]]の実態だが、1570年までに薩摩に来航したポルトガル船は合計18隻、倭寇のジャンク船を含めればそれ以上の数となる<ref>建設コンサルタンツ協会 会報 Vol.256 (2012年7月) p12-15 「特集 鹿児島」尚古集成館田村省三</ref>。実際に取引された奴隷数については議論の余地があるが、反ポルトガルの[[プロパガンダ]]の一環として奴隷数を誇張する傾向があるとされている。記録に残る中国人や日本人奴隷は少数で貴重であったことや、年間数隻程度しか来航しないポルトガル船の積荷(硫黄、銀、海産物、刀、漆器等)の積載量、奴隷と積荷を離すための隔離区間、移送中の奴隷に食料・水を与える等の輸送上の配慮から、ポルトガル人の奴隷貿易で売られた日本人の奴隷は数百人程度と考えられている<ref>In the Name of God: The Making of Global Christianity By Edmondo F. Lupieri, James Hooten, Amanda Kunder</ref>{{efn2|船倉内に可能な限り多くの奴隷を入れることを可能とした複層区画の[[奴隷船]]が登場するのは17世紀以降である。[[1570年]]、[[セバスティアン1世 (ポルトガル王)]]は300トン以下、450トン以上の船の建造を禁止している<ref>外山卯三郎、南蛮船貿易史 (1943年), pp. 241-242</ref><ref name="名前なし-20230316115716">BARCELOS, CHRISTIANO SENNA, Construction of Naus in Lisbon and Goa for the India Route, Boletim da Sociedade de Geographia de Lisboa, 17a, série no1. 1898-99</ref>。ポルトガルは最盛期でさえも300隻以上の船を保有しておらず、1585年から1597年までにインドへ出航した66隻のうち無事に戻ってきたのは34隻だけであった<ref>Decline of the Portuguese naval power: A study based on Portuguese documents, Mathew, K.M. (The Portuguese, Indian Ocean and European Bridgeheads: 1580-1800) Festschrift in Honour of Prof. K.S. Mathew, Ed. By: Pius Malekandathil and Jamal Mohammed Fundacao Oriente, Lisbon. 2001, pp. 331-332</ref>。16世紀から17世紀を通じてポルトガル―インド間を運行した[[キャラック船|ナウ船]]の中でも最大級のものは[[載貨重量トン数]]600トン(現代の計算方法で換算すると[[排水量]]1100トン<ref>外山卯三郎、南蛮船貿易史 (1943年), pp. 240-241</ref><ref name="名前なし-20230316115716"/>)にもなり乗組員、乗客、奴隷、護衛の兵士を含む400-450人を乗せることができたという<ref>Reconstructing the Nau from Lavanha’s Manuscript, T Vacas, N Fonseca, T Santos, F Castro, nautical research journal, 2010, p.25</ref>。排水量900トンのナウ船は77人の乗組員、18人の砲兵、317人の兵士、26の家族を乗船させることができた<ref>Menéndez: Pedro Menéndez de Avilés, Captain General of the Ocean Sea Albert C. Manucy, published 1992 by Pineapple Press, Inc, p.100</ref>{{efn2|一般に排水量が増えるほど必要とされる乗組員数は多くなる。}}。
日明間の航路については、貿易風の性質上、1年周期に限定されており、ナウ船1隻だけを使用することで利益を最大化した<ref>外山卯三郎、南蛮船貿易史 (1943年), pp. 245-246</ref>{{efn2|1年毎、一隻に日本と中国の間での貿易事業の権利が与えられ、日本への航海のキャプテン・マジョールの称号が与えられた<ref name=boxer />。}}。ポルトガルのナウ船は毎年1000〜2500ピコ(1ピコ=60[[キログラム]])の[[絹]]を運んだという<ref>高瀬弘一郎、キリシタン時代の貿易と外交 ハードカバー、八木書店、2002/2/1、pp. 8-26</ref>。3000ピコは180トンの絹に相当するため船倉容積は250から400[[立方メートル]]と推定でき、それに武装、備品、乗組員、乗客、兵士、食料と水が加わっていたと推測される。日本からの積荷が硫黄、銀、海産物、刀、漆器等の特産品とするなら、積荷の量によって乗船できる人数は上下したと考えられる。}}<ref>https://www.japantimes.co.jp/culture/2013/05/26/books/book-reviews/the-rarely-if-ever-told-story-of-japanese-sold-as-slaves-by-portuguese-traders/</ref>。16世紀のポルトガルの支配領域において東アジア人の奴隷の数は「わずかなもの」で、インド人、アフリカ人奴隷の方が圧倒的に多かった。<ref name="mancall">Peter C. Mancall, ed (2007). The Atlantic World and Virginia, 1550-1624 (illustrated ed.). UNC Press Books. p. 228. ISBN 080783159X 2014年2月2日閲覧。</ref>。
[[関白]]の[[豊臣秀吉]]は、[[天正]]15年([[1587年]])[[バテレン追放令]]でこれを禁じたとされるが、実際に発布された追放令には人身売買を禁止する文が前日の覚書から削除されており、追放令発布の理由についても諸説ある<ref>安野眞幸『「キリシタン禁令」の研究』</ref>。天正18年([[1590年]])4月、豊臣秀吉は[[上杉景勝]]らの人身売買を禁止、同年8月、[[宇都宮国綱]]に人身売買の禁止と百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者を返すことを命じ、労働供給の安定を図っており、人身売買や百姓の[[逃散]]、[[欠落]]の禁止による人口流出の防止が豊臣秀吉の経済財政政策における基本方針だったとする説がある<ref>山本博文『天下人の一級史料』</ref>。[[伴天連追放令]]後の[[1589年]](天正17年)には日本初の[[遊郭]]ともされる京都の柳原遊郭が[[豊臣秀吉]]によって開かれたが<ref>[{{NDLDC|971690/15}} 『娯楽業者の群 : 社会研究』権田保之助著 実業之日本社、1923年]</ref>{{efn2|[[豊臣秀吉]]は「人心鎮撫の策」として、遊女屋の営業を積極的に認め、京都に遊廓を造った。1585年に[[大坂三郷]]遊廓を許可。89年京都柳町遊里(新屋敷)=指定区域を遊里とした最初である。秀吉も遊びに行ったという。[[ラザフォード・オールコック|オールコック]]の『大君の都』によれば、「秀吉は・・・・部下が故郷の妻のところに帰りたがっているのを知って、問題の制度(遊廓)をはじめたのである」やがて「その制度は各地風に望んで蔓延して伊勢の古市、奈良の木辻、播州の室、越後の寺泊、瀬波、出雲碕、その他、博多には「女膜閣」という唐韓人の遊女屋が出来、江島、下関、厳島、浜松、岡崎、その他全国に三百有余ヶ所の遊里が天下御免で大発展し、信濃国善光寺様の門前ですら道行く人の袖を引いていた。」<ref>『日本売春史』中村三郎</ref>のだという。}}、遊郭は[[女衒]]などによる[[人身売買]]の温床となった{{efn2|江戸幕府が[[豊臣秀吉]]の遊郭を拡大して[[唐人屋敷]]への遊女の出入り許可を与えた[[丸山 (長崎市)|丸山遊廓]]を島原の乱後の[[1639年]](寛永16年)頃に作ったことで、それが「[[唐行きさん]]」の語源ともなっている<ref>唐権『海を越えた艶ごと一日中文化交流秘史』新説社、2005、p121</ref><ref>古賀十二郎『新訂丸山遊女と唐紅毛人』長崎文献社、1968、p232</ref>。秀吉が遊郭を作ったことで、貧農の家庭の親権者などから女性を買い[[遊廓]]などに売る[[身売り]]の仲介をする[[女衒]]が、[[年季奉公]]の前借金前渡しの証文を作り、性的サービスの提供を本人の意志に関係なく強要することが横行した。日本人女性の人身売買は[[ポルトガル]]商人や[[倭寇]]に限らず、19世紀から20世紀初頭にかけても「黄色い奴隷売買」、「[[唐行きさん]]」として知られるほど活発であり、宣教師が批判した日本人が同国人を[[性的奴隷]]として売る商行為は近代まで続いた<ref name="FischerTine2003">{{Cite journal|author=Harald Fischer-Tiné|author-link=Harald Fischer-Tiné|title='White women degrading themselves to the lowest depths': European networks of prostitution and colonial anxieties in British India and Ceylon ca. 1880–1914|journal=Indian Economic and Social History Review|year=2003|volume=40|doi=10.1177/001946460304000202|pages=163–90 [175–81]|issue=2|s2cid=146273713}}</ref>。}}。バテレン追放令後の天正19年([[1591年]])、教皇[[グレゴリウス14世 (ローマ教皇)|グレゴリウス14世]]はカトリック信者に対してフィリピンに在住する全奴隷を解放後、賠償金を払うよう命じ違反者は破門すると宣言、在フィリピンの奴隷に影響を与えた。
デ・サンデ天正遣欧使節記では、同国民を売ろうとする[[日本]]の[[文化]]・[[宗教]]の道徳的退廃に対して批判が行われている<ref name="tensho">デ ・サンデ 1590 天正遣欧使節記 新異国叢書 5 (泉井久之助他共訳)雄松堂書店、1969、p233-235</ref>。
{{quotation|日本人には慾心と金銭の執着がはなはだしく、そのためたがいに身を売るようなことをして、日本の名にきわめて醜い汚れをかぶせているのを、ポルトガル人やヨーロッパ人はみな、不思議に思っているのである。|デ ・サンデ 1590 天正遣欧使節記 新異国叢書 5 (泉井久之助他共訳)雄松堂書店、1969、p232-235}}
デ・サンデ天正遣欧使節記は[[ポルトガル国王]]による奴隷売買禁止の勅令後も、人目を忍んで奴隷の強引な売り込みが日本人の奴隷商人から行われたとしている<ref name="tensho" />。
{{quotation|また会のパドレ方についてだが、あの方々がこういう売買に対して本心からどれほど反対していられるかをあなた方にも知っていただくためには、この方々が百方苦心して、ポルトガルから勅状をいただかれる運びになったが、それによれば日本に渡来する商人が日本人を奴隷として買うことを厳罰をもって禁じてあることを知ってもらいたい。しかしこのお布令ばかり厳重だからとて何になろう。日本人はいたって強慾であって兄弟、縁者、朋友、あるいはまたその他の者たちをも暴力や詭計を用いてかどわかし、こっそりと人目を忍んでポルトガル人の船へ連れ込み、ポルトガル人を哀願なり、値段の安いことで奴隷の買入れに誘うのだ。ポルトガル人はこれをもっけの幸いな口実として、法律を破る罪を知りながら、自分たちには一種の暴力が日本人の執拗な嘆願によって加えられたのだと主張して、自分の犯した罪を隠すのである。だがポルトガル人は日本人を悪くは扱っていない。というのは、これらの売られた者たちはキリスト教の教義を教えられるばかりか、ポルトガルではさながら自由人のような待遇を受けてねんごろしごくに扱われ、そして数年もすれば自由の身となって解放されるからである。|デ ・サンデ 1590 天正遣欧使節記 新異国叢書 5 (泉井久之助他共訳)雄松堂書店、1969、p232-235}}
デ・サンデ天正遣欧使節記は、日本に帰国前の千々石ミゲルと日本にいた従兄弟の対話録として著述されており<ref name="tensho" />、物理的に接触が不可能な両者の対話を歴史的な史実と見ることはできず、フィクションとして捉えられてきた<ref name="matsuda">MATSUDA Kiichi. Tenshō Ken’ō Shisetsu. Tokyo: Chōbunsha, 1991, pp. 274-5</ref>。遣欧使節記は虚構だとしても、豊臣政権とポルトガルの二国間の認識の落差が伺える{{efn2|[[天正遣欧少年使節#天正遣欧使節記|天正遣欧使節記]]の目的をヴァリニャーノはポルトガル国王やローマ教皇に対して政治的、経済的援助を依頼するためと書き残している。天正遣欧使節記は[[ポルトガルの奴隷貿易]]に関連して引用されることがあるが、[[イエズス会]]は[[1555年]]の最初期の奴隷取引からポルトガル商人を[[告発]]している<ref>Slavery in Medieval Japan, Slavery in Medieval Japan, Thomas Nelson, Monumenta Nipponica, Vol. 59, No. 4 (Winter, 2004), pp. 463-492, "As early as 1555, complaints were made by the Church that Portuguese merchants were taking Japaense slave girls with them back to Portugal and living with them there in sin....Political disunity in Japan, however, together with the difficulty that the Portuguese Crown faced in enforcing its will in the distant Indies, the ready availability of human merchandise, and the profits to be made from the trade meant that the chances were negligible of such a ban actually being enforced. In 1603 and 1605, the citizens of Goa protested against the law, claiming that it was wrong to ban the traffic in slaves who had been legally bought. Eventually, in 1605, King Philip of Spain and Portugal issued a document that was a masterpiece of obfuscation intended both to pacify his critics in Goa demanding the right to take Japanese slaves and the Jesuits, who insisted that the practice be banned."</ref>。イエズス会による抗議は[[1571年]]の[[セバスティアン1世 (ポルトガル王)]] による[[日本人奴隷]]貿易禁止の勅許公布の原動力としても知られている<ref>OKAMOTO Yoshitomo. Jūroku Seiki Nichiō Kōtsūshi no Kenkyū. Tokyo: Kōbunsō, 1936 (revised edition by Rokkō Shobō, 1942 and 1944, and reprint by Hara Shobō, 1969, 1974 and 1980). pp. 728-730</ref>。[[日本人奴隷]]の購入禁止令を根拠に奴隷取引を停止させようとした[[司教]]に従わないポルトガル商人が続出、非難の応酬が長期に渡り繰り返される事態が続いた<ref>Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 496-497 "If that is the case, the king had then sent copies of the same order to India at least three times: in 1603, when Aires de Saldanha published it, in 1604, with Martim Afonso de Castro, and in 1605."</ref><ref>COSTA, João Paulo Oliveira e. O Cristianismo no Japão e o Episcopado de D. Luís Cerqueira. PhD thesis. Lisbon: Universidade Nova de Lisboa, 1998, p. 312. Sousa indicates the same letters, but he mistakenly attributed them to Filipe II, Filipe III’s father. See SOUSA, Lúcio de. Escravatura e Diáspora Japonesa nos séculos XVI e XVII. Braga: NICPRI, 2014, p. 298.</ref><ref>Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. p. 493</ref>。ポルトガル国王やインド副王の命令に従わず法執行を拒否して騒動を起こすポルトガル商人や裁判官等も数多くいたという<ref name="romulo-494-504">Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 494-504</ref>。宣教師によって記述された情報は「ポルトガル王室への奴隷貿易廃止のロビー活動」<ref>Jesuits and the Problem of Slavery in Early Modern Japan, Rômulo da Silva Ehalt, 2017. pp. 19-20</ref>として政治的な性質を帯びており、宣教師側がポルトガル王室から政治的援助を受けるため、さらにポルトガル商人を批判して奴隷売買禁止令の執行実施を促すために生み出した虚構としての側面からも史料批判が必要と考えられる。
}}。
天正14年([[1586年]])『[[フロイス日本史]]』は[[島津氏]]の[[豊薩合戦|豊後侵攻]]の[[乱妨取り]]で拉致された領民の一部が[[肥後国|肥後]]に売られていた惨状を記録している{{efn2|「薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来に運んで売った。このように三会・島原では、四十人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった。」{{Cite book|和書 |author=ルイス・フロイス |translator= 松田毅一・川崎桃太 |title= 完訳 フロイス日本史 |volume= 8 |date= 2000 |series= [[中公文庫]] |publisher= 中央公論新社 |page=268}}}}。『上井覚兼日記』天正14年7月12日条によると「路次すがら、疵を負った人に会った。そのほか濫妨人などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。」と同様の記録を残している。天正16年([[1588年]])8月、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状で
{{quotation|豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること|下川文書、天正16年(1588年)8月}}
と、天正16年([[1588年]])閏5月15日に肥後に配置されたばかりの[[加藤清正]]と[[小西行長]]に奴隷を買ったものに補償をせず「買い損」とするよう通知している。同天正16年(1588年)同様の命令があったことが島津家文書の記録として残っている。
===== 江戸時代 =====
[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])江戸幕府は高札で人身売買を禁止、元和四年に禁制を繰り返し、元和5年([[1619年]])12箇条の人身売買禁止令を発布、[[寛永]]4年([[1627年]])正月にも人身売買禁止令をだすなど、人身売買の禁令は豊臣秀吉以降も繰り返し行われた<ref>丹野勲『江戸時代の奉公人制度 と日本的雇用慣行』、2011</ref>。
[[日本]]においては、[[中世]]に始まる[[下人]]が年季奉公の形を取り始めるのが江戸期であり、農村奉公人、[[武家奉公人]]、町家奉公人などの種類によって分けられる。江戸時代の代表的奉公には、子子孫々に至るまでの事実上の永代の[[身売り]]である譜代奉公、[[身代金]]を支払って請戻す本金返年季奉公、[[借金]]の[[担保]]に[[人質]]として奉公人を金主に渡し質流になれば譜代奉公に転じる質物奉公、そして年季を定めた普通の年季奉公があった。短期的な[[労働力]]を提供する種類である出替奉公とは別に、[[丁稚]]等の奉公は10年〜20年に及び、[[徒弟]]奉公も10年内外に及ぶのが普通だった<ref name="decchi">丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 58</ref>。
[[江戸時代]]前期の[[年季奉公]]の主流は[[奴婢]]・[[下人]]の系統を引くもので、奉公人は[[人身売買]]の対象となった。[[江戸幕府]]は法律上は営利的な人の売買を禁止したが、それは主として営利的な人の取引に関したもので、実際においては父や兄が子弟を売ることは珍らしくなく、また人の年季貫は非合法でなかった<ref name="decchi" />。主人と奉公人との間には、司法上ならびに刑法上の保護と忠誠の関係があるべきものとされた。奉公人は主人を訴えることが許されず、封建的主従関係であったという<ref>丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 62</ref>。
[[江戸時代]]に入り雇用契約制度である年季奉公が一般に普及しはじめると[[譜代下人]](または譜代奉公人)としての男性の売買は江戸時代中期(十七世紀末)にはほとんど見られなくなった。しかし[[遊女]]や[[飯盛女]]の年季奉公ではいくつかの点で[[人身売買]]的な要素が温存された<ref name="sakimoto">嶽本新奈『境界を超える女性たちと近代 ——海外日本人娼婦の表象を中心として — —』一橋大学、博士論文、p. 15</ref>。
#家長権を人主から雇い主へ委譲
#転売の自由
#身請け・縁付けの権利を雇い主に委譲
#死亡後の処置も雇い主へ一任
[[中田薫 (法学者)]]は「[[奴婢]]所有権の作用にも比すべき、他人の人格に干渉し、其人格的法益を処分する人法的支配を、雇主の手に委譲して居る点に於て、此奉公契約が其本源たる[[人身売買]]の特質を充分に保存する」<ref>中田薫「徳川時代に於ける人売及人質契約」『法制史論集』3・上、岩波書店、1943 年。</ref>として「身売的年季奉公契約」と名付けた<ref name="sakimoto" />。
[[江戸幕府|幕府]]は元禄11年([[1698年]])には年季制限を撤廃して永年季奉公や譜代奉公 (生涯の奉公)を容認した<ref name="fudai">丹野勲『江戸時代の奉公人制度と日本的雇用慣行』国際経営論集 41 57-70, 2011-03-31, p. 61</ref>。
[[江戸時代]]に勾引は[[死罪]]とされ、新規の奴隷身分も廃止されたが、年貢を上納するための娘の身売りは、[[前借金]]を伴う[[年季奉公]]の形で認められた。「[[人買]]」(ひとかい)は、こうした[[遊女]]の売買を行う[[女衒]]を指す語として、この時代に一般化したものである。
なお、刑罰([[身分刑]])として奴隷的身分に処するものとして、江戸幕府下においては「[[非人手下]]」や「[[奴 (刑罰)|奴刑]]」が残り、各藩においても同様の刑罰が残った<ref>{{Cite journal|和書|author=手塚豐 |date=1951-08 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-19510825-0001 |title=刑法局格例調考 : 仙臺藩刑法の一研究 |journal=法學研究 : 法律・政治・社会 |ISSN=0389-0538 |publisher=慶應義塾大学法学研究会 |volume=24 |issue=8 |pages=1-31 |CRID=1050286428508565376 |accessdate=2023-08-29}}</ref>。
江戸時代の平均的農民は幕藩領主によって土地緊縛されているところから、広義における[[農奴]]と規定する[[定説]]が認められている。[[本百姓]]と世襲的な借家・小作関係にある[[譜代下人]]等も存在し、[[家父長的奴隷制]]として規定することがある。地方によっては家抱、門屋、庭子、内百姓、名子と呼ばれ、強い隷属性を特徴とし、村内での地位は水呑百姓以下だったとされる。傍系家族・下人も含め名主家族そのものを広義の農奴の一存在形態とする見解もある。
===== 明治・大正・昭和前期 =====
{{See also|性的奴隷|からゆきさん}}
[[明治]]5年([[1872年]])に[[横浜港]]で発生した[[マリア・ルス号事件]]では、国際紛争を引き起こす懸念が政府内にあったが、[[外務卿]]の[[副島種臣]]は[[人道主義]]と日本の主権独立を主張し、助けを求めた[[清|清国]]人の[[苦力]]らを奴隷と認定し解放している。[[1872年]]、[[芸娼妓]]の年季奉公が人身売買であるとの認識から「[[芸娼妓解放令]]」を出した。「[[遊女]]・[[芸者]]、その他種々の名目にて年期を限」るのは[[アメリカ合衆国]]の「売奴」と変わらないとし、遊女・[[芸妓]]等の[[人身売買]]を禁止するよう提議した<ref>大日方純夫『近代日本国家の成立と警察』校倉書房、1992年、283頁</ref><ref>嶽本新奈『境界を超える女性たちと近代 ——海外日本人娼婦の表象を中心として — —』一橋大学、博士論文、p. 67</ref>。また、それより以前の[[1870年]]には、[[外国人]]への[[児童]]の売却を禁ずる太政官[[弁官]]布告が出された。
[[芸娼妓解放令]]が有名無実なものとなると人身売買に対する法的規制が後退し、他人を売るより子孫を売る方が罪が軽く「和売」が行われていた。<ref>藤野豊『戦後日本の人身売買』p18</ref> 明治から昭和にかけての[[人身売買]]について牧英正は、農村の慢性的貧困、父権の強さが人身売買を発生させる温床となる構造上の理由を説明している。<ref>藤野豊『戦後日本の人身売買』p19</ref>
明治の日本では、女性を騙して海外へ連れ出し売春させるという手口が多発していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A15112726900|title=1893年(明治26)外務省訓令「婦女ヲシテ妄リニ海外渡航ヲ企図セシメサル様注意セシム」|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|quote=外務省訓令第一号 警視庁 北海道庁 府県
近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし
明治二十六年二月三日
外務大臣陸奥宗光
内務大臣伯爵井上馨}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B13080096200|title=(28)各府県知事ト在浦汐貿易事務館間婦女誘拐者ニ関シ直接通信ノ件 自明治三十六年八月 ※1903年(明治36年)在ウラジオストク貿易事務官から本国日本外務省への文書|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|quote=本邦無智の少女を誘拐して当港に来航する悪漢之有り候趣は本月八日付公第二〇三号を以て申進置候処、当港年来の商況不振は正当なる商業者より其職業を奪ひ新渡航者に対しては従前の如く容易なる生活の方法を与へず、意思薄弱なる本邦男児をして漸次堕落の境域に導き、茲に無頼の徒と化し賎業者の手に依りて漸く其口を糊するもの多きに至り候は、慨はしき次第に之有り候。而して是等無頼漢唯一の生命は実に本邦無智の少女に懸るを以て、彼等は出来得る限り好餌を捉へんと欲し、百方訏(?)策を廻らし在本邦の誘拐者と気脈を通じて、或は汽船に依り或は日本形小漁船等に依り無智の少女を誘致し之を奪食する者日一日増加の勢之有り候。}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=新々赤毛布 : 露西亜朝鮮支那遠征奇談|year=1903|publisher=文禄堂|pages=196-198|author=長田秋濤|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761167/107|quote=醜業婦の出産地 西比利亜(シベリア)に渡航して行て醜業婦人と云ふ憐れむべき名称に甘んじて外国人に情を交はして、御髯の塵を払ふて居るもの共の出産地の戸籍を酔狂にも洗って見れば、大概は九州で其多数は九州の内で熊本県天草か、長崎県島原辺りの者で長崎市の内外も沢山ある、其の次は中国から中仙道に懸けてゞある…其事を聞き込んだる誘拐者が有らん限りの甘言を尽して之を誘ひ出し、自分の懐暖めの材料に做すと云ふ様な具合で、斯く一人連れ二人連れて行たのが今日の如く殖えたのである。}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=五大洲探険記. 第2巻 南洋印度奇観|year=1909|publisher=博文館|pages=13-14|author=中村直吉, 押川春浪|quote=九州が醜業婦唯一の輸出地であることは、三歳の童子でも知ってる有名な事実だが、猶且此地方に出稼の醜業婦も、殆んど其の全部が九州出身で、長崎天草島原辺の者が多いやうである。
以前は誘拐の口実として種々の甘言を弄したので、無智の婦女はウカと夫に乗って、新嘉坡三界迄地獄の憂目を見に行くやうになったのであるが…}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/B13080101900|title=(7)婦女誘拐者取締ニ関シ香港領事館ト内地地方庁間直接通信ノ件 自明治四十五年七月 ※1912年(明治45)在香港総領事から日本外務省への文書|accessdate=2021年9月29日|publisher=国立公文書館アジア歴史資料センター|quote=香港は南清南洋地方に於ける婦女誘拐の策源地とも見るを得べく、従て本邦より無智の婦女を誘拐し来るもの、或は斯る目的を抱きて当地より帰国する悪漢之有り。当館は斯るものに対し厳重監視致候へ共、法規の制裁之に伴はざるを以て、如何とも致難候。…}}</ref>。{{quotation|外務省訓令第一号
警視庁 北海道庁 府県
近来不良の徒各地を徘徊し甘言を以て海外の事情に疎き婦女を誘惑し、遂に種々の方法に因りて海外に渡航せしめ、渡航の後は正業に就かしむることを為さず却て之を強迫して醜業を営まして、若くは多少の金銭を貪りて他人に交付するものあり。之が為めに海外に於て言ふに忍びざるの困難に陥る婦女追追増加し在外公館に於て救護を勉むと雖も或は遠隔の地に在りて其所在を知るに由なく困難に陥れる婦女も亦種々の障碍の為めに其事情を出訴すること能はざるもの多し。依て此等誘惑渡航の途を杜絶し且つ婦女をして妄りに渡航を企図せしめざる様取計ふべし
明治二十六年二月三日
外務大臣 陸奥宗光
内務大臣 伯爵井上馨}}
19世紀から20世紀初頭にかけて、日本の売春婦が中国、日本、韓国、シンガポール、インドなどのアジア各地で[[人身売買]]されるネットワークがあり、当時「'''黄色い奴隷売買'''」として知られていた<ref name="FischerTine2003">{{Cite journal|author=Harald Fischer-Tiné|author-link=Harald Fischer-Tiné|title='White women degrading themselves to the lowest depths': European networks of prostitution and colonial anxieties in British India and Ceylon ca. 1880–1914|journal=Indian Economic and Social History Review|year=2003|volume=40|doi=10.1177/001946460304000202|pages=163–90 [175–81]|issue=2|s2cid=146273713}}</ref>。「[[からゆきさん]]」とは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、貧困にあえぐ農村から、東アジア、東南アジア、シベリア([[ロシア極東]])、満州、インドなどに[[人身売買]]され、中国人、ヨーロッパ人、東南アジア原住民などさまざまな人種の男性に[[売春婦]]として[[性的サービス]]を提供した[[日本人]]の[[少女]]・[[女性]]のことである。[[中国]]での[[日本人]][[売春婦]]の経験は、日本人女性の[[山崎朋子]]の著書に書かれている<ref>{{cite journal |page=64 |year=1991 |publisher=日本侵華研究學會 |journal=Journal of Studies of Japanese Aggression Against China |issue=5–8 |url=https://books.google.com/books?id=m-81AQAAIAAJ|title=日本侵華硏究 }}</ref><!--<ref>{{cite book|year=2015|publisher=Routledge|author1=Tomoko Yamazaki|author2=Karen F. Colligan-Taylor|title=Sandakan Brothel No.8: Journey into the History of Lower-class Japanese Women: Journey into the History of Lower-class Japanese Women|url=https://books.google.com/books?id=se7qBgAAQBAJ&pg=PT269|isbn=978-1317460244}}</ref><ref>{{cite book|year=1985|publisher=Kodansha International|author=Tomoko Yamazaki|title=The story of Yamada Waka: from prostitute to feminist pioneer|url=https://books.google.com/books?id=8VcFAQAAIAAJ|isbn=978-0870117336}}</ref><ref>{{cite book|year=1995|publisher=University of Sheffield, School of East Asian Studies|title=Giving a Voice to the Voiceless: The Significance of Yamazaki Tomoko's Use of Oral History in "Sandakan Hachiban Shōkan"|url=https://books.google.com/books?id=4h2AYgEACAAJ}}</ref><ref>{{cite book|year=2005|publisher=Iudicium Verlag|author=Tomoko Yamazaki|editor1=Yukiko Sumoto-Schwan|editor2=Friedrich B. Schwan|others=Translated by Yukiko Sumoto-Schwan, Friedrich B. Schwan|title=Sandakan Bordell Nr. 8: Ein verdrängtes Kapitel japanischer Frauengeschichte|url=https://books.google.com/books?id=MCmMAAAAIAAJ|isbn=978-3891294062}}</ref><ref>{{cite book|year=1965|publisher=Rironsha|editor1=Shōichirō Kami|editor2=Tomoko Yamazaki|title=Nihon no yōchien: yōji kyōiku no rekishi|url=https://books.google.com/books?id=qfACAAAAMAAJ&q=Tomoko+Yamazaki}}</ref><ref>{{cite book|page=223|year=2003|publisher=NUS Press|author=James Francis Warren|edition=illustrated|title=Ah Ku and Karayuki-san: Prostitution in Singapore, 1870–1940|series=Singapore Series, Singapore: studies in society & history|url=https://books.google.com/books?id=Eo_Hav3qHYEC&pg=PA223isbn|isbn=9789971692674}}</ref><ref>{{cite book|page=223|year=1974|publisher=文芸春秋|author=Tomoko Yamazaki|title=サンダカンの墓|url=https://books.google.com/books?id=2tXSAAAAMAAJ}}</ref><ref>{{cite book|page=223|year=1975|publisher=文藝春秋|author=Tomoko Yamazaki|edition=illustrated|script-title=ja:サンダカン八番娼館|url=https://books.google.com/books?id=4XoPAQAAMAAJ}}</ref><ref>{{cite book|page=223|year=2014|publisher=Ohio University Press|editor1=Gwyn Campbell|editor2=Elizabeth Elbourne|title=Sex, Power, and Slavery|url=https://books.google.com/books?id=L7eVBQAAQBAJ&pg=PT223|isbn=978-0821444900}}</ref><ref>{{cite book|year=1978|publisher=Bungei Shunjû|title=Ameyuki San no uta|url=https://books.google.com/books?id=bgyjQwAACAAJ}}</ref>--><!--学術的背景を備えていない市井の作家の作品であり信頼できる情報源として不適-->。
朝鮮や中国の港では[[日本国民]]に[[パスポート]]を要求していなかったことや、「[[からゆきさん]]」で稼いだお金が送金されることで[[日本経済]]に貢献していることを[[日本政府]]が認識していたことから、日本の少女たちは容易に海外で売買されていた<ref>{{cite book|page=83|year=2003|publisher=NUS Press|author=James Francis Warren|title=Ah Ku and Karayuki-san: Prostitution in Singapore, 1870–1940|series=Singapore Series, Singapore: studies in society & history|url=https://books.google.com/books?id=Eo_Hav3qHYEC&pg=PA83|isbn=978-9971692674}}</ref><ref>{{cite journal |page=57 |year=1989 |journal=Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society |volume=62 |issue=2 |url=https://books.google.com/books?id=slYaAQAAIAAJ}}</ref>。<!--[[1919年]]には中国人が日本製品を[[ボイコット]]したことで、[[からゆきさん]]の収入になおさら頼るようになった<ref>{{cite book|page=xxiv|year=2015|publisher=Routledge|author1=Tomoko Yamazaki|author2=Karen F. Colligan-Taylor|translator=Karen F. Colligan-Taylor|title=Sandakan Brothel No.8: Journey into the History of Lower-class Japanese Women|url=https://books.google.com/books?id=vlXrBgAAQBAJ&pg=PR24|isbn=978-1317460251}}</ref>。--><!--学術的背景を備えていない市井の作家の作品であり信頼できる情報源として不適-->明治日本の[[帝国主義]]の拡大に[[日本人]][[娼婦]]が果たした役割については、学術的にも検討されている<ref>{{cite journal |author=James Boyd|date= August 2005 |title= A Forgotten 'Hero': Kawahara Misako and Japan's Informal Imperialism in Mongolia during the Meiji Period |url= http://intersections.anu.edu.au/issue11/boyd.html|journal=Intersections: Gender, History and Culture in the Asian Context |issue= 11|access-date=21 July 2015}}</ref>。
[[バイカル湖]]の東側に位置する[[ロシア極東]]では、1860年代以降、[[日本人]]の[[遊女]]や[[商人]]がこの地域の[[日本人]][[コミュニティ]]の大半を占めていた{{sfn|Narangoa|Cribb|2003|p=45}}。黒海会([[玄洋社]])や[[黒龍会]]のような日本の[[国粋主義者]]たちは、ロシア極東や満州の日本人[[売春婦]]たちを「アマゾン軍」と美化して賞賛し、会員として登録した{{sfn|Narangoa|Cribb|2003|p=46}}。また[[ウラジオストク]]や[[イルクーツク]]周辺では、日本人娼婦による一定の任務や情報収集が行われていた<ref>{{cite book|page=59|year=2006|access-date=May 17, 2014|publisher=Routledge|author=Jamie Bisher|title=White Terror: Cossack Warlords of the Trans-Siberian|url=https://books.google.com/books?id=Mg6RAgAAQBAJ&q=manchuria+praised+prostitutes&pg=PA59|isbn=978-1135765958}}</ref>。
<!--
[[ボルネオ島]]民、[[マレーシア人]]、中国人、日本人、フランス人、アメリカ人、イギリス人など、あらゆる人種の男たちがサンダカンの[[日本人]][[娼婦]]たちを訪れた<ref>{{cite book|page=63|year=2015|publisher=Routledge|author1=Tomoko Yamazaki|author2=Karen F. Colligan-Taylor|others=Translated by Karen F. Colligan-Taylor|title=Sandakan Brothel No.8: Journey into the History of Lower-class Japanese Women|url=https://books.google.com/books?id=vlXrBgAAQBAJ&pg=PA63|isbn=978-1317460251}}</ref>。
1872年頃から1940年頃まで、[[オランダ領東インド]]諸島の[[売春宿]]で多数の日本人売春婦(からゆきさん)が働いていた{{sfn|Yamazaki|Colligan-Taylor|2015| }}。--><!--学術的背景を備えていない市井の作家の作品であり信頼できる情報源として不適-->
1890年から1894年にかけて、[[シンガポール]]は[[村岡伊平治]]によって日本から[[人身売買]]された3,222人の日本人女性を受け入れ、シンガポールやさらなる目的地に人身売買される前に、日本人女性は数ヶ月間、香港で拘束されることになった。日本の役人である佐藤は1889年に、長崎から高田徳次郎が香港経由で5人の女性を人身売買し、「1人をマレー人の床屋に50ポンドで売り、2人を中国人に40ポンドで売り、1人を妾にし、5人を娼婦として働かせていた」と述べている{{sfnm|1a1=Christopher|1a2=Pybus|1a3=Rediker|1y=2007|1p=212|2a1=Frances|2y=2007|2p=49}}。佐藤は女性たちが「祖国の恥に値するような恥ずかしい生活」をしていたと述べている<ref>{{cite book|page=331|year=1976|access-date=May 17, 2014|title=Historical Studies, Volume 17|url=https://books.google.com/books?id=ijU2AQAAIAAJ&q=takada+tokujiro}}</ref>。
[[オーストラリア]]北部にやってきた移民のうち、[[メラネシア人]]、東南アジア人、中国人はほとんど男性で、日本人は女性を含む特異な移民集団だった{{sfn|Boris|Janssens|1999|p=105}}。西豪州や東豪州では、金鉱で働く中国人男性に日本人のからゆきさんがサービスを提供し、北豪州のサトウキビ、真珠、鉱業周辺では、日本人娼婦が[[カナカ族]]、[[マレー人]]、[[中国人]]に性的サービスを提供していた<ref>{{cite book|year=2012|access-date=May 17, 2014|publisher=Ashgate Publishing, Ltd.|editor1=Dr Samantha Murray|editor2=Professor Nikki Sullivan|edition=revised|title=Somatechnics: Queering the Technologisation of Bodies|series=Queer Interventions|url=https://books.google.com/books?id=-kF7BgAAQBAJ&q=australia+white+mining+prostitutes&pg=PT108|isbn=978-1409491972}}</ref>。
日本人娼婦は[[1887年]]に初めて[[オーストラリア]]に現れ、クイーンズランド州の一部、オーストラリア北部、西部などオーストラリアの植民地フロンティアで[[売春]]産業の主要な構成要素となり、[[大日本帝国]]の成長はからゆきさんと結びついた。19世紀後半、日本の貧しい農民の島々は、からゆきさんとなった少女たちを太平洋や東南アジアに送り出した。九州の火山性の山地は農業に不向きで、両親は7歳の娘たちを長崎県や熊本県の[[女衒]]に売り渡したが、5分の4は本人の意志に反して強制的に売買され、5分の1だけが自らの意志で売られていった{{sfn|Frances|2007|p=47}}。
人身売買業者が彼女たちを運んだ船はひどい状況で、船の一部に隠されて窒息死する少女や餓死しそうになる少女もおり、生き残った少女たちは[[香港]]、[[クアラルンプール]]、[[シンガポール]]で娼婦としてのやり方を教えられ、オーストラリアなど他の場所へ送られた{{sfn|Frances|2007|p=48}}。
==== 戦後 ====
戦後は日本国憲法が発布され、[[日本国憲法第18条]]にて国民に対し奴隷制度を禁じた。
[[第二次世界大戦]]直後は、未成年者が[[前借金]]で事実上売買され、作男や農業手伝いに従事する例が目立った。1950年に特殊飲食街が各地で形成され始めると売春婦として送り出されるケースが55%(前年は2%)に急上昇。次いで[[紡績]][[女工]]、[[子守]]、[[女中]]が続いた。身売り元の多くは[[東北地方]]で、受け入れ地は[[東京都]]、[[埼玉県]]などであった<ref>「また、ふえた身売り 受け入れ地は東京が多い」『[[朝日新聞]]』昭和26年9月22日3面</ref>。
外国人[[技能実習制度]]が現代の奴隷制度と揶揄されている<ref name="HuffPost">{{Cite web|和書|author=國崎万智 |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6268d693e4b0dc52f49d82ff|title=「現代の奴隷」技能実習制度の廃止、私が求める理由。「この社会は他人を犠牲にして成り立っている」|website=ハフポスト日本版|publisher=BuzzFeed Japan|date=2022-05-04|accessdate=2022-07-16}}</ref>。
[[人身売買#第二次世界大戦後|現在の人身売買]]も参照。
== 昆虫 ==
[[ハチ]]や[[アリ]]などの[[社会性昆虫]]にも、人間の奴隷制と似た社会的行動をとるものがある。[[サムライアリ]]は強力な軍隊(兵隊アリ)を持つが、労働力(働きアリ)はなく、自分では女王蟻や幼虫の世話も、巣作りや餌集めもできない。そこで[[クロヤマアリ]]の巣を襲撃し、蛹や働きアリを強奪して自分の巣に運び、巣を支える奴隷として死ぬまで労働させる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 文献情報 ==
書籍
{{refend}}
*[[エリック・ウィリアムズ]]『資本主義と奴隷制:経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』山本伸監訳、[[明石書店]]、2004年
*エリック・ウィリアムズ『コロンブスからカストロまでI・II』[[川北稔]]訳、[[岩波書店]]、2000年
*[[ポール・ギルロイ]]『ブラック・アトランティック』月曜社
* {{Cite book|和書|author=オルランド・パターソン |title=世界の奴隷制の歴史 |date=2001 |publisher=明石書店 |isbn=4750314307 |series=世界人権問題叢書, 41 |ref=harv}}
*[[ジャイルズ・ミルトン]]『奴隷になったイギリス人の物語』アスペクト、2006年 ISBN 4-7572-1211-9
*井沢実『大航海時代夜話』[[岩波書店]]、1977年
* {{cite book |editor1-last=Boris |editor1-first=Eileen |editor2-last=Janssens |editor2-first=Angelica Anna Petronella Octaviana |title=Complicating Categories: Gender, Class, Race and Ethnicity |date=1999 |publisher=Cambridge University Press |isbn=978-0521786416 |url=https://books.google.com/books?id=YWPGs-KXry4C&q=australia+white+mining+prostitutes&pg=PA105 |language=en}}
* {{cite book |editor1-last=Christopher |editor1-first=Emma |editor2-last=Pybus |editor2-first=Cassandra |editor3-last=Rediker |editor3-first=Marcus |title=Many Middle Passages: Forced Migration and the Making of the Modern World |date=2007 |publisher=University of California Press |isbn=978-0520252066 |url=https://books.google.com/books?id=Th1JC4cGJLkC&q=takada+tokujiro&pg=PA212 |language=en}}
* {{cite book|year=2007|publisher=UNSW Press|last = Frances |first = Rae|edition=illustrated|title=Selling Sex: A Hidden History of Prostitution|url=https://books.google.com/books?id=tihJOOGSLSwC&q=takada+tokujiro&pg=PA49|isbn=978-0868409016}}
* {{cite book |last1=Hunt |first1=Su-Jane |title=Spinifex and hessian: women's lives in North-Western Australia 1860–1900 |date=1986 |publisher=University of Western Australia Press |isbn=978-0855642426 |url=https://books.google.com/books?id=kIcqAAAAYAAJ&q=1895+broome+danced |language=en}}
* {{cite book |last1=Mayne |first1=Alan |last2=Atkinson |first2=Stephen |title=Outside Country: A History of Inland Australia |date=2011 |publisher=Wakefield Press |isbn=978-1862549609 |url=https://books.google.com/books?id=AbYvzwYVxDMC&q=australia+white+mining+prostitutes&pg=PA213 |language=en}}
* {{cite book |editor1-last=Mayo |editor1-first=Marlene J. |editor2-last=Rimer |editor2-first=J. Thomas |editor3-last=Kerkham |editor3-first=H. Eleanor |title=War, Occupation, and Creativity: Japan and East Asia, 1920–1960 |date=2001 |publisher=University of Hawaii Press |isbn=978-0824824334 |url=https://books.google.com/books?id=5GuK7G-1F-MC&q=amazon+army+prostitutes&pg=PA315 |language=en}}
* {{cite book |last1=Narangoa |first1=Li |last2=Cribb |first2=Robert |title=Imperial Japan and National Identities in Asia, 1895–1945 |date=2003 |publisher=Psychology Press |isbn=978-0700714827 |url=https://books.google.com/books?id=DGQMKex16AsC&pg=PA46 |language=en}}
* {{cite book |last1=Shimizu |first1=Hiroshi |last2=Hirakawa |first2=Hitoshi |title=Japan and Singapore in the World Economy: Japan's Economic Advance Into Singapore, 1870–1965 |date=1999 |publisher=Routledge |isbn=978-0415192361 |url=https://books.google.com/books?id=7k0F8YoZ6P0C |language=en}}
* {{cite book |editor1-last=Shiraishi |editor1-first=Saya |editor2-last=Shiraishi |editor2-first=Takashi |title=The Japanese in Colonial Southeast Asia |date=1993 |publisher=SEAP Publications |isbn=978-0877274025 |url=https://books.google.com/books?id=6mfCzrbOn80C |language=en}}
* {{citation|chapter=Post-mortem identity and burial obligation: on blood relations, place relations, and associational relations in the Japanese community of Singapore|first=Yun-hui Timothy|last=Tsu|editor-first=Hirochika|editor-last=Nakamaki|publication-place=Osaka, Japan|publisher=National Museum of Ethnology|year=2002|series=Senri Ethnological Studies|volume=62|title=The culture of association and associations in contemporary Japanese society|oclc=128864303|chapter-url=https://hdl.handle.net/10502/1002}}
* {{cite book|year=2003|publisher=NUS Press|first=James Francis |last=Warren|edition=illustrated|title=Ah Ku and Karayuki-san: Prostitution in Singapore, 1870–1940|series=Singapore Series, Singapore: studies in society & history|url=https://books.google.com/books?id=Eo_Hav3qHYEC&pg=PA86|isbn=978-9971692674}}
<!--* {{cite book |last1=Yamazaki |first1=Tomoko |title=サンダカンの墓 |trans-title=Tomb of Sandakan |date=1974 |publisher=文芸春秋 |url=https://books.google.com/books?id=2tXSAAAAMAAJ&q=Tomoko+Yamazaki |language=ja }}
* {{cite book |last1=Yamazaki |first1=Tomoko |title=The story of Yamada Waka: from prostitute to feminist pioneer |date=1985 |publisher=Kodansha International |isbn=9780-870117336 |url=https://books.google.com/books?id=8VcFAQAAIAAJ&q=Tomoko+Yamazaki |language=en}}
* {{cite book |last1=Yamazaki |first1=Tomoko |last2=Colligan-Taylor |first2=Karen F. |title=Sandakan Brothel No.8: Journey into the History of Lower-class Japanese Women: Journey into the History of Lower-class Japanese Women |date=2015 |publisher=Routledge |isbn=978-1317460251 |url=https://books.google.com/books?id=vlXrBgAAQBAJ&q=passports+not+required+chinese+korean+ports+smuggling+young+girls+proper+documents+fostered&pg=PR24 |language=en}}--><!--学術的背景を備えていない市井の作家の作品であり信頼できる情報源として不適-->
{{refend}}
論文
* {{Cite journal|和書|author=中尾恭三 |date=2010-06 |url=https://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/kurihara2009-top.html |title=ヘレニズム時代における儀礼としての奴隷解放:デルポイとカイロネイアの事例を中心に |journal=[https://kodaigaku.org/kodaibunka/mokuji/ 古代文化= Cultura antiqua] |ISSN=00459232 |publisher=古代学協会 |volume=62 |issue=1 |pages=71-81 |CRID=1522543655799862144 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=山川偉也 |title=アリストテレスとディオゲネス |url=http://id.nii.ac.jp/1420/00001313/ |date=2007-06-20 |publisher=桃山学院大学 |journal=桃山学院大学総合研究所紀要 |volume=33 |number=1 |naid=110006350616 |pages=129-168 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=小林雅夫 |title=古代ローマの奴隷教育・再考 |url=https://hdl.handle.net/2065/8565 |date=1998 |publisher=早稲田大学大学院文学研究科 |journal=早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第4分冊 日本史東洋史西洋史考古学 |volume=44 |naid=120000792593 |pages=3-19 |issn=1341-7541 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=小林雅夫 |title=古典古代の奴隷医師 (シンポジウム 古代地中海世界における病・癒し・祈り) |url=https://hdl.handle.net/2065/37383 |date=2008-03 |publisher=早稲田大学地中海研究所 |journal=地中海研究所紀要 |number=6 |naid=40015988955 |pages=45-54 |ref=harv}}
* {{Cite journal|和書|author=松木栄三 |title=古代ロシア国家と奴隷貿易 |date=1974-12-01 |publisher=一橋大学一橋学会 |journal=一橋論叢 |volume=72 |number=6 |naid=110007638878 |pages=652-668 |url=https://doi.org/10.15057/1842 |ref=harv}}
*『耶蘇教理カ羅馬奴隷制ニ及ホシタル影響ニ就テ』春木一郎(京都法学会雑誌第6巻第7号 明治44年7月)[http://home.q02.itscom.net/tosyokan/data/HARUKI/HARUKI038.pdf]
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== 関連項目 ==
* [[マルーン]]
* [[奴隷制度廃止運動]]
* [[植民地]]
* [[三角貿易]]
* [[利他主義]]
* [[社会進化論]] - [[資本主義]]
* [[性的奴隷]]
* [[ブラック企業]]
* [[偶像崇拝]]
* [[ニガー]]
* [[ムラート]]
* [[サンボ]]
* [[ブラッドリー効果]]
* [[スティーブン・フォスター]]
* [[プランテーション・ソング]]
* [[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]] - アメリカのTVドラマで、日本でも20%を超える視聴率で人気を博した。
* [[義勇軍進行曲]] - 歌いだしが「立ちあがれ!奴隷となることを望まぬ人々よ!(起来! 不愿做奴隶的人们!)」とある[[中華人民共和国]]の[[国歌]]
* [[技能実習制度]] - 現代の奴隷制度として批判されている<!--<ref name="HuffPost" />-->。
* [[:en:Global Slavery Index]] - [[オーストラリア]]のNGO団体[[:en:Walk Free Foundation]]が発表している調査
* [[現代奴隷法 (2015年イギリス)|現代奴隷法]] - [[イギリス]]で[[2015年]]に制定された奴隷制度禁止法
* {{ill2|奴隷狩り|en|Slave raiding}}
* {{ill2|奴隷キャッチャー|en|Slave catcher}} - 逃亡奴隷を元の所有者の下に連れ戻す職業
* {{ill2|奴隷保険組合|en|Sklavenkasse}}(Sklavenkasse、奴隷金庫、身代金出納所) ‐ 海賊の奴隷(捕虜)となった船乗りの身代金を支払う保険取り扱い所。
* [[奴隷制度に対するキリスト教徒の見解]]
== 外部リンク ==
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7,901 | アルミニウム | アルミニウム(英: aluminium, 米: aluminum, 羅: alūminium)は、記号Al、原子番号13の化学元素である。アルミニウムは他の一般的な金属よりも密度が低く、鋼鉄の約3分の1である。酸素との親和性が高く、空気に触れると表面に酸化物の保護膜が形成される。外観は銀に似ており、色も光を反射する性質も強い。軟らかく、非磁性で延性がある。アルミニウムの同位体組成はほぼ100%が安定同位体Alであり、この同位体は宇宙で12番目に多い核種である。Alの放射能は放射年代測定に利用される。
化学的には、アルミニウムはホウ素族の後遷移金属であり、他のホウ素族元素同様、主に酸化数+3の化合物を形成する。アルミニウム陽イオンAlはイオン半径が小さく、強く正に帯電しているため分極性が高く、アルミニウムが形成する結合は共有結合になる傾向がある。酸素との親和性が高いため、天然には酸化物の形でみられることが多い。このため、地球上ではアルミニウムはマントルよりも地殻を構成する岩石中に主に存在し、地殻中における存在度は酸素とケイ素に次ぐ第3位を占める。遊離金属の形でみられることはほぼ皆無である。
アルミニウムは、1825年にデンマークの物理学者ハンス・クリスティアン・エルステッドによって発見された。アルミニウムが最初に工業生産されたのは1856年であり、フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユによる。1886年にフランスのポール・エルーとアメリカのチャールズ・マーティン・ホールがそれぞれ独自に開発したホール・エルー法により大量生産法が確立され、アルミニウムは一般に広く普及し、産業や日常生活で広く使われるようになった。第一次、第二次世界大戦においては、アルミニウムは航空にとって重要な戦略資源となった。1954年には、アルミニウムの生産量は銅を抜き、最も多く生産される非鉄金属となった。21世紀におけるアルミニウムの用途は、主に輸送、エンジニアリング、建設、包装が占める。
環境中に広く存在するため、生物学的な役割をもつ可能性が考えられ、現在も研究が続いているが、これまでにアルミニウム塩を代謝に用いる生物は知られていない。ただし、動植物は高いアルミニウム耐性を持つことが知られる。
軽銀(けいぎん)、礬素(ばんそ)とも呼ばれる。軽銀は、軽いことと、外見が銀に似ていることにちなむ。礬素は、ミョウバン(明礬)にちなむ。
アルミニウムは、化合物のミョウバン(羅: alumen、アルーメン)にちなみ、イギリスの化学者ハンフリー・デービーらによって命名された。
俗にアルミまたはニュームとも略される。
単体は銀白色の金属で、常温常圧で高い熱伝導性・電気伝導性を持ち、加工性がよく、実用金属としては軽量であるため、広く用いられている。熱力学的に酸化されやすい金属ではあるが、空気中では表面にできた酸化皮膜により内部が保護されるため高い耐食性を持つ。
単体は常温常圧では良好な熱伝導性・電気伝導性を持つ。融点は660.32 °C、沸点は2519 °C(別の報告もある)。密度は2.7 g/cmで、金属としては軽い。常温における安定相は面心立方格子構造をとる。酸やアルカリに侵されやすいが、空気中では表面に酸化アルミニウムAl2O3の膜ができ、内部は侵されにくくなる。この保護現象は酸化物イオンOのイオン半径(124 pm)とアルミニウムの原子半径(143 pm)が近く、アルミニウムイオンAl(68 pm)が酸化物の表面構造の隙間にすっぽり収まることが深く関係している。また濃硝酸に対しても表面に酸化被膜を生じ反応の進行は停止する(不動態)。陽極酸化による酸化被膜はアルマイトとも呼ばれる。
アルミニウムは両性金属で、酸にも塩基にも溶解する。塩基性の水溶液では、以下の反応によって水が還元されて水素を発生する。
ただし、生成する水酸化アルミニウムの溶解度積([Al][OH])は1.92×10であり、ほとんど水に溶解しない。したがって、薄い塩基では皮膜が発生して反応が止まる。しかし、強塩基条件では水酸化アルミニウムが次式によって水溶性のアルミン酸を形成するため、反応は表面のみでなく内部まで進行する。
したがってアルミニウムと強塩基水溶液との反応はこれらの式を合わせて以下のようになる。
アルミニウムは、鉄の約35%の比重であり、密度は2.70 g/cmと低く金属の中でも軽量な方に属し、展性に富む。純アルミニウムは強度は低いが、ジュラルミンなどのアルミニウム合金は軽量さ、加工のしやすさを活かしつつ、強度を飛躍的に改善しているため、さまざまな製品に採用され、産業界で幅広く利用されている(「#用途」を参照)。
アルミニウム合金は軟鋼などと違い、応力がかかったときの変形に降伏現象を示さない。これは侵入型固溶体である炭素によるコットレル雰囲気を持つ鉄合金とは違い、アルミニウム合金には置換型固溶体合金が多いことに起因する。よって、構造設計などの計算を行う場合には、材料力学では降伏点の代わりに「0.2%耐力」が代わりに用いられる。「0.2%耐力」とは、応力をかけた際の永久ひずみが0.2%になるときの応力である。こういった特性のために、アルミは押し出し成形や摩擦攪拌接合に向いている。
アルミニウムは、鉱石のボーキサイトを原料としてホール・エルー法で生産されるのが一般的である。ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理し、アルミナ(酸化アルミニウム)を取り出したあと、氷晶石(ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム、Na3AlF6)とともに溶融し電気分解を行う。
したがって、アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから「電気の缶詰」と呼ばれる。ちなみに、ホール・エルー法での純度は約98 %であるため、より高純度なアルミニウムを得るには三層電解法を使う。
アルミニウム1トンを生産するために消費される、材料および電力は以下の通りである。なお、1トンあたりの電力使用量は銅で1200 kW⋅h、亜鉛で4000 kW⋅hであり、アルミニウムの製錬には銅の約11倍、亜鉛の約3.5倍の電力が必要となる計算になる。
電力価格が高いためコスト競争に弱い日本国内のアルミニウム製錬事業は、オイルショック後採算困難になり、大部分は国外に拠点が移った。日本国内で原石(ボーキサイト)から製品まで一貫生産を行っていたのは、自前の水力発電所により自家発電を行っているため、低価格の電力が入手可能な日本軽金属(蒲原製造所・静岡市清水区)のみであったが、設備の老朽化と採算性の理由で2014年3月閉鎖された。昭和電工社長の鈴木治雄は、座談会において「日本で製錬を行うのは、北海道でサトウキビを作るようなもの」と述べており、いかに日本で製錬した場合の費用が高いかを比喩的に表現している。
アルミニウムの生産量は2014年時点で4930万トンに及ぶ。中国が約40 %を生産し、これにロシア、カナダを加えた3か国で生産量の過半数を占める。中国、ロシアはボーキサイト原産国でもある。ほかのボーキサイト原産国であるアメリカ、オーストラリア、ブラジル、インドも世界生産量のシェア10位以内に含まれる。一方で、ボーキサイトの世界4位の生産国であるギニアや同第5位のジャマイカでまったくアルミニウムが生産されていないように、ボーキサイトの生産とアルミニウムの精練工場との間にはそれほど強い関連性はない。
これに対し、電力供給とアルミニウム製錬工場との間には強い相関性がある。アルミニウムは製錬に非常に多くの電力を消費するため、ボーキサイトからの精練は電力の安い国で行われる傾向が強い。アラブ首長国連邦やカタールは豊富な石油を元にした火力発電で、またカナダやノルウェーは地形を生かした水力発電で、アイスランドは水力発電と地熱発電によっていずれも電力が安価であるため、アルミニウムの大生産国となっている。14位のモザンビークは、カホラ・バッサ・ダム(英語版)の豊富な電力に目をつけたBHPグループや三菱商事が製錬会社としてモザール社を設立し、2000年に工場が稼働し始めたことで大生産国となった。ここで製錬されたアルミニウムはモザンビークの総輸出額の50 %を占め、モザンビークの基幹産業として同国の経済成長を支えている。
アルミニウムの消費量も中国が飛び抜けて多く、2014年には2406万トンを消費して、全世界生産量5005万トンのほぼ半分を消費している。消費量は次いで米国が多く、さらにドイツ、日本と続く。
アルミニウム生産企業としては、カナダのリオ・ティント・アルキャン、ロシアのルサール(ロシア・アルミニウム)、アメリカのアルコア、中国の中国アルミニウムなどが特に大きな生産企業である。日本国内ではすでに精練は行われていないが、圧延や加工に関しては地金を海外から輸入したうえで盛んに行われており、日本軽金属やUACJ、神戸製鋼などがおもなメーカーとなっている。
アルミニウムは電気分解以外の手法でも製造が可能である。たとえばアルミナを2000 °C以下で炭素と反応させ、炭化アルミニウムを生成させる。これを2200 °C以上の高温部へ移動させ、今度はアルミナと反応させて金属アルミニウムと一酸化炭素に分離させる。
化学式としては以下の通りである。
2つ目の反応では逆反応が起こらないように過剰な炭素が必要である。生成されたアルミニウムは一部揮発して反応ガス成分に含まれるが、大半はスラグの上層に液体で単離する。
日本では第二次世界大戦直前にボーキサイトの輸入が途絶すると、満州地域から産出される礬土頁岩を材料としたアルミニウム生産が行われた。戦後は顧みられることもなく製法の伝承も断絶しているが、ロータリーキルンを使用していたことから、こうした電気を使用しない手法が取れられていた可能性がある。
一方、アルミニウムの純度を上げる精錬工程は、電力を消費する三層電解法に代わり電力を使用しない分別結晶法を採用することが可能である。粗製アルミニウム金属を融解し、これを局所的に冷却すると、純度の高いアルミニウムが初晶として晶出する。シリコン単結晶の引き上げ処理と原理的には同じである。この方法によって得られる精製アルミニウムの純度は99.98–99.996 %であり、三層電解法に迫る純度を得られる。
古くは塩化アルミニウムを金属カリウムで還元するテルミット反応を用いて生産されていた。
後に、金属カリウムよりもコストが安い金属ナトリウムで還元する生産法が発明された。
ボーキサイトからアルミニウムを精練するのに比し、アルミニウム屑からリサイクルして地金を作る方がコストやエネルギーが少なく済む。そのため、回収された空き缶などをリサイクル原料とし、電気炉などを用いる形態で再生するケースは徐々に増えている。
アルミニウム屑を溶解するにあたっても、融点が約660 °Cと銅や鉄などの主要金属の中では低い方で、少ないエネルギーで行うことができる。ボーキサイトからアルミニウム地金を生産するのに比べ、アルミ缶からアルミニウム地金を生産するのはわずか3 %の電力消費で済む。
こうした利点があるため、アルミニウムは日本国内においてもっともリサイクル化が進んでいる金属であり、アルミ缶のリサイクル率は94.7 %(平成24年度)にも達する。こうしたことから、アルミニウムはしばしば「リサイクルの優等生」や「リサイクルの王様」と表現される。 ただし、アルミニウムは酸化されやすい性質のため一度合金にしてしまうと不純物を除去することが困難であり、一例としてアルミ缶は蓋がマグネシウム、胴体部がマンガンとマグネシウムをそれぞれ含む(アルミ合金全体の4-5%程度)ため、アルミ缶だけ集めて溶融させてもこれらが混じってマンガンを含んだアルミニウム合金となるため、蓋用途には再生不能になってしまうといった欠点がある、酸化されにくい金属であれば融解時に不純物を酸素と反応させて除去できるがアルミニウムの場合はマグネシウムは除去できるが、マンガンは酸化させる前にアルミニウムが先に酸化してしまうのでこの方法が使えない。
20世紀のうちにアルミニウム及びそれを主体とする合金は鉄鋼材に次ぐ主要金属材料としての地位を確立している。日用品も多く、非常に生活に身近な金属である。天然には化合物のかたちで広く分布し、ケイ素や酸素とともに地殻を形成するおもな元素のひとつである。自然アルミニウム(Aluminum、Native Aluminum)というかたちで単体での産出も知られているが、稀である。単体での産出が稀少であったため、自然界に広く分布する元素であるにもかかわらず発見が19世紀初頭と非常に遅く、上述のとおり製錬にも大きなエネルギーを必要とすることから産業的に広く使用されるようになるのは20世紀に入ってからと、金属としての使用の歴史はほかの重要金属に比べて非常に浅い。
アルミニウムの比重は鉄の3分の1程度と軽量であるために利用しやすく、また、軟らかくて展性も高いなど加工しやすい性質を持っており、さらに表面にできる酸化皮膜のためにイオン化傾向が大きい割には耐食性もあることから、一円硬貨やアルミ箔、缶(アルミ缶)、鍋、外構、エクステリア、建築物の外壁、道路標識、ガソリンエンジンのシリンダーブロック、自転車のフレームやリム、パソコンや家電製品の筐体など、さまざまな用途に使用されている。ただし大抵はアルミニウム合金としての利用であり、1円硬貨のようなアルミニウム100 %のものはむしろ稀な存在である。代表的なアルミニウム合金であるジュラルミンは航空機材料などに用いられているが、金属疲労に弱く、腐食しやすいという欠点を持つため、アロジン(クロメート処理)やジンククロメートで表面を保護し、定期的な点検で腐食部を早期に発見する体制を取ることが求められる。
2014年度において、日本のアルミニウム用途でもっとも大きかった用途は輸送用機械の製造であり、40.1 %を占める。次いでアルミサッシなどの建築用途が12.9 %、アルミ缶やアルミ箔などの容器包装用途が10.6 %を占め、この3分野がおもなアルミニウムの用途であるといえる。
軽量で加工性もよいことから、軽さと強度の両立のため部材形状の工夫も求められる航空機ではアルミ合金が主流となった。冷戦中盤あたりまで、塗装まで削って軽量化したアルミの銀色の輝きは高速航空機の象徴であった(ただし20世紀末頃からさらなる性能向上の要求のため炭素繊維複合材料やチタン合金等の新素材の割合が増えつつある)。鉄道車両でも新幹線電車をはじめとして特急型電車や通勤型電車などでアルミ車体の採用例も多い。押し出し材を使って長大な部材を一体成型し、さらに連続溶接組立する低コスト化量産法が確立され、同一断面を保った16–25 mに及ぶ車体を持つ鉄道車両では、生産性の面でメリットが大きい。なお、一時期自動車も航空機材料に倣うかたちでアルミ化の取り組みがあったが、一部メーカーの高級車やスポーツカーなど特殊な車種での導入に留まり、費用対効果を両立させるため、現在はアルミではなくハイテン材料(高張力鋼)の適用が進み、また炭素繊維の適用も始まっている。軽量さが要求される高速船でもアルミが船体材料に選択されることがある。アルミ合金は軍事分野では装甲車輌や戦闘艦にも応用されているが、鉄鋼に比べて火災時の高熱や被弾に弱いため、軽量さを求められる小型の艦船や、自走砲など直接敵と交戦することを想定しない装甲車輌での使用が主流である。
構造材としての使用もある(アルミニウム構造)が、窓枠(アルミサッシ)やフェンス等、外構での使用が多い。工場での規格集中生産により高い精度で加工されており、また軽量であるため、建付けや現場での組み立てやすさ、基本的な耐候性が優秀で、1960年代以降急速に普及した。しかし、断熱性の問題から窓ガラスともども結露を生じやすく、近年は代替品として樹脂サッシや現代化された木製サッシが増えている。
高圧送電線にもアルミニウム線が使用される。銅に比べ単位体積あたりの電気伝導度は劣るが、密度が低いため銅線よりも軽量に抑えながら断面積をより大きく取る(太くする)ことができ、単位質量あたりの電気伝導度で優り材料費でもほぼ拮抗する。このため支柱(送電鉄塔)のスパンが大きくなる高圧送電線の材料として有利である。
粉末になったアルミニウムは可燃物であり、粉塵爆発を起こす場合がある。アルミニウム粉は燃焼熱が大きく、燃焼するときにガスを生じないため熱が集積して高温となり、強い白色の光を発する。これを利用して火薬類に発熱剤として添加される。スペースシャトルの固体燃料補助ロケットでも燃料として使用された。アルミニウム粉の性質は表面積の大きさによって左右されるため、等級は粒度ではなく重量あたりの表面積を示す水面拡散面積で表示される場合が多い。粒度で表示されるような粒の大きいものは粒状アルミニウム粉(アトマイズドアルミニウム粉)と呼んで区別することが多い。
スラリー爆薬などの水湿状態の火薬に混ぜると、アルミニウムの表面で以下のような反応が起きて発熱し、水素が発生する。このため、アルミニウム粉の火災には水をかけることは禁忌である。
アルミニウム粉末は塗料に混ぜて使う場合もある。また、指紋の検出(おもに警察の鑑識課による捜査活動)などでアルミニウムの粉を使用することもある。
アルミニウム粉と酸化鉄(III)との混合物はテルミットと呼ばれ、マグネシウムリボンで着火すると激しく反応し、酸化アルミニウムおよび溶融鉄を生じる。この反応は鉄の溶接にも使われているテルミット反応である。鉄以外の金属の精錬(還元)にも応用される(テルミット法)。
日本の消防法では、150 μmの網ふるいを通過する量が50 %を超えるアルミニウム粉を第2類危険物と定めている。
スポーツ用自転車フレームの素材としては、炭素繊維より安価で鉄鋼より軽量なため主流の素材である(ただし価格面に加えて疲労強度=耐久性の問題から、多数を占める廉価な日常車や実用車では依然として鉄鋼が占めている)。
真性半導体であるケイ素に微量のアルミニウムを添加することにより、P型半導体が得られる。
軽量で熱伝導性に優れるため、調理器具にアルミニウム合金がよく利用される。熱伝導度についても銅に劣るが、銅よりも安価であるため広く使われる。
俗に「銀ペン」とも呼ばれる銀色の塗料には、アルミニウムの微粉末が顔料として加えられている。耐食性があるため、橋梁などの建築物によく使われた。
人体へは摂取しても吸収される量は微量で、ほとんどはそのまま排出される。アルミニウムが体内でどのような役割を果たしているかは、まだよく分かっていない。人工透析に必要な透析液の作製に未処理の水道水を用いていた時代においては、水道水中に含まれるアルミニウムを原因とする「透析脳症」(当時の名称ならば「透析痴呆」)を発症したケースも報告された。
そこから「アルミニウムがアルツハイマー病を引き起こす」という主張もなされたが、腎不全の患者の体内に過剰な金属(アルミニウム以外の他の金属(例:Pb,Mg)も含む)が蓄積されることで発症する金属中毒が由来の透析脳症と異なり、アルツハイマー病患者の脳のアルミニウム蓄積量は健常者と変わらないうえ、病理学的所見や臨床所見も異なっている。腎臓が正常に機能し、アルミニウムイオンを排出することのできる成人が、通常の食生活で経口摂取するアルミニウムにより、アルツハイマー病を患うという根拠は乏しく、現在も明確な因果関係を示す研究結果は発見されていない。
アルミニウムは長石および粘土鉱物などとして普遍的に存在するため、地殻を構成する元素としては酸素、ケイ素に次いで3番目に多い(クラーク数:7.56 %、重量比)。工業的に多彩な用途が見出される一方、酸性土壌中のアルミニウム含量は、植物の成長に影響する重要な要素である。農業や園芸における人工的な栽培環境では中性付近に調整された土壌を用いる場合が多いが、それでも有害なアルミニウムイオン(Al)が根の伸長成長を阻害することが知られている。
土壌中のアルミニウムは、pHが5.0を下回ると急激にイオン化して溶解度が高まり、pH3.5ではほぼ完全に溶存体となる。水溶化したアルミニウムイオンが農作物その他の植物に及ぼす害として、以下のようなものが知られている。
コムギやトウモロコシ、アジサイ、ソバ、チャノキなど一部の植物は、アルミニウム耐性を持つ(あるいは高アルミニウム環境にも適応し得る)ことが知られている。アルミニウムを無毒化するメカニズムはさまざまであるが、一般にカルボン酸(シュウ酸、クエン酸、リンゴ酸など)を中心とした有機酸でアルミニウムイオンをキレートし、水溶性の錯体を形成する機構によるといわれている。
アルミニウム耐性に関与する遺伝子は最初にコムギにおいて発見された。耐性関連遺伝子はトウモロコシからも見つかっている。これらの植物においては単一の遺伝子によりアルミニウム耐性が実現されているが、すべての植物のアルミニウム耐性が同一の機構によるわけではないと考えられている。
遺伝子組み換えによりアルミニウム耐性植物を作出する際、その遺伝子源として注目されているものに、土壌性のアルミニウム耐性菌がある。根粒菌として知られるRhizobiumもアルミニウム耐性菌の一種である。強酸性(pH3.0)高アルミニウム条件にて選抜されてくる菌はほとんどが糸状菌であり、アルミニウムの多い土壌ではこれらの生物が優占していると考えられる。以下はアルミニウム耐性菌を含む属の一部である。
アルミニウムの歴史は明礬の使用で始まった。明礬の記述が最初に文書に残されたのは、紀元前5世紀の古代ギリシア歴史家ヘロドトスによる記述だった。古代人にとって、明礬は媒染剤、薬、そして(要塞を敵の放火から守るための)木の防火塗料であり、ウェットエッチングにも使用した。十字軍以降、明礬は国際貿易の商品のひとつになり、ヨーロッパの織物業では欠かせない存在になった。明礬は15世紀中期にオスマン帝国が輸出関税を大幅に上げるまで、地中海東部からヨーロッパに輸出された。
ルネサンス初期まで、明礬の性質は不明のままだった。1530年ごろ、スイスの物理学者パラケルススは明礬をウィトリオル(英語版)(硫酸塩)と区別し、「明礬の土の塩」であると主張した。1595年、神聖ローマ帝国の医師、化学者アンドレアス・リバヴィウスは明礬と緑ウィトリオルと青ウィトリオルが同じ酸と違う土で構成されると示し、明礬を構成した未発見の土の名前については「アルミナ」を提唱した。1722年、神聖ローマ帝国の化学者フリードリヒ・ホフマン(英語版)は明礬の土が別の種類であると信じると宣言した。1754年、神聖ローマ帝国の化学者アンドレアス・ジギスムント・マルクグラフ(英語版)は硫酸で粘土を煮て、続いてカリを加えることで明礬の土を生成した。
1824年、デンマークの物理学者、化学者ハンス・クリスティアン・エルステッドは金属アルミニウムの作製に成功したと主張した。彼は無水(英語版)の塩化アルミニウムとカリウム合金で化学反応を起こさせ、見た目がスズに似ている金属の塊を得た。彼は1825年に結果を発表、新金属のサンプルを展示した。1826年、「アルミニウムは金属の光沢があり、やや灰色で、かなり緩やかに水を分解する」と記述した。1827年、ドイツの化学者フリードリヒ・ヴェーラーはエルステッドの実験を再び行ったが、アルミニウムは発見できなかった。彼は後にベルセリウスに手紙を書き、「エルステッドがアルミニウムの塊と仮定したものは確実にただのアルミニウムを含有するカリウムである」と述べた。彼は続いて似たような実験を行った。その内容は無水の塩化アルミニウムとカリウムを混ぜることであり、アルミニウム粉末の作製に成功した。彼は研究を続け、1845年に小さなアルミニウムの塊を作製することに成功、その物性を記述した。しかし、ヴェーラーの記述はそれが不純物を含むアルミニウムだったことを示している。ヴェーラーなどほかの科学者がエルステッドの実験を再現できなかったことは、エルステッドが金属アルミニウムの発見者とされない理由のひとつになり、逆にヴェーラーは1845年の実験の成功とその詳細が発表されたことで金属アルミニウムの発見者とされた。
フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユは、1854年にパリ科学アカデミーでアルミニウムの工業製法を発表した。塩化アルミニウムはヴェーラーが使ったカリウムよりも便利で安いナトリウムでも還元することができるのであった。その後、アルミニウム棒は1855年のパリ万国博覧会で初めて公開展示された。1856年、ドビーユは数人のパートナーとともにルーアンの製錬所で世界初のアルミニウム工業生産を開始した。1855年から1859年にかけてアルミニウムの価格は1パウンド500米ドルから40ドルまでと、10分の1以下に下落した。しかし、ドビーユの製法でもアルミニウムの純度の高さが足りず、サンプルによって性質が異なった。
アルミニウムの最初の工業(大規模)生産法は1886年にフランスの工学者ポール・エルーとアメリカの工学者チャールズ・マーティン・ホールが開発したホール・エルー法である。ホール・エルー法がアルミナをアルミニウムに変える手法である一方、オーストリア=ハンガリー帝国の化学者カール・ヨーゼフ・バイヤー(英語版)は1889年にバイヤー法というボーキサイト(鉄礬土)をアルミナに純化する手法を発見した。現代の金属アルミニウム生産はバイヤー法とホール・エルー法に基づく手法を使用している。1920年にはスウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・セーデルベリ(Carl Wilhelm Söderberg)率いる研究チームがホール・エルー法を改良した。
日本のアルミニウム地金輸入量は2021年は約280万トン、金額は7,463,024,528ドルで前年より60.9%上昇した。最大の輸入相手国はロシアである。2021年から国際市場価格も変動しており、2022年ロシアのウクライナ侵攻のあとは3月に一時的な暴騰があった。
日本の造幣局も財務省理財局の貨幣回収準備資金として1円玉の原料であるアルミニウム地金を保管しており、理財局が毎年数回、売払いの入札公告を行っている。
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"text": "アルミニウム(英: aluminium, 米: aluminum, 羅: alūminium)は、記号Al、原子番号13の化学元素である。アルミニウムは他の一般的な金属よりも密度が低く、鋼鉄の約3分の1である。酸素との親和性が高く、空気に触れると表面に酸化物の保護膜が形成される。外観は銀に似ており、色も光を反射する性質も強い。軟らかく、非磁性で延性がある。アルミニウムの同位体組成はほぼ100%が安定同位体Alであり、この同位体は宇宙で12番目に多い核種である。Alの放射能は放射年代測定に利用される。",
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"text": "化学的には、アルミニウムはホウ素族の後遷移金属であり、他のホウ素族元素同様、主に酸化数+3の化合物を形成する。アルミニウム陽イオンAlはイオン半径が小さく、強く正に帯電しているため分極性が高く、アルミニウムが形成する結合は共有結合になる傾向がある。酸素との親和性が高いため、天然には酸化物の形でみられることが多い。このため、地球上ではアルミニウムはマントルよりも地殻を構成する岩石中に主に存在し、地殻中における存在度は酸素とケイ素に次ぐ第3位を占める。遊離金属の形でみられることはほぼ皆無である。",
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"text": "アルミニウムは、1825年にデンマークの物理学者ハンス・クリスティアン・エルステッドによって発見された。アルミニウムが最初に工業生産されたのは1856年であり、フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユによる。1886年にフランスのポール・エルーとアメリカのチャールズ・マーティン・ホールがそれぞれ独自に開発したホール・エルー法により大量生産法が確立され、アルミニウムは一般に広く普及し、産業や日常生活で広く使われるようになった。第一次、第二次世界大戦においては、アルミニウムは航空にとって重要な戦略資源となった。1954年には、アルミニウムの生産量は銅を抜き、最も多く生産される非鉄金属となった。21世紀におけるアルミニウムの用途は、主に輸送、エンジニアリング、建設、包装が占める。",
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"text": "環境中に広く存在するため、生物学的な役割をもつ可能性が考えられ、現在も研究が続いているが、これまでにアルミニウム塩を代謝に用いる生物は知られていない。ただし、動植物は高いアルミニウム耐性を持つことが知られる。",
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"text": "軽銀(けいぎん)、礬素(ばんそ)とも呼ばれる。軽銀は、軽いことと、外見が銀に似ていることにちなむ。礬素は、ミョウバン(明礬)にちなむ。",
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"text": "アルミニウムは、化合物のミョウバン(羅: alumen、アルーメン)にちなみ、イギリスの化学者ハンフリー・デービーらによって命名された。",
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"text": "俗にアルミまたはニュームとも略される。",
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"text": "単体は銀白色の金属で、常温常圧で高い熱伝導性・電気伝導性を持ち、加工性がよく、実用金属としては軽量であるため、広く用いられている。熱力学的に酸化されやすい金属ではあるが、空気中では表面にできた酸化皮膜により内部が保護されるため高い耐食性を持つ。",
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"text": "単体は常温常圧では良好な熱伝導性・電気伝導性を持つ。融点は660.32 °C、沸点は2519 °C(別の報告もある)。密度は2.7 g/cmで、金属としては軽い。常温における安定相は面心立方格子構造をとる。酸やアルカリに侵されやすいが、空気中では表面に酸化アルミニウムAl2O3の膜ができ、内部は侵されにくくなる。この保護現象は酸化物イオンOのイオン半径(124 pm)とアルミニウムの原子半径(143 pm)が近く、アルミニウムイオンAl(68 pm)が酸化物の表面構造の隙間にすっぽり収まることが深く関係している。また濃硝酸に対しても表面に酸化被膜を生じ反応の進行は停止する(不動態)。陽極酸化による酸化被膜はアルマイトとも呼ばれる。",
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"text": "アルミニウムは両性金属で、酸にも塩基にも溶解する。塩基性の水溶液では、以下の反応によって水が還元されて水素を発生する。",
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"text": "ただし、生成する水酸化アルミニウムの溶解度積([Al][OH])は1.92×10であり、ほとんど水に溶解しない。したがって、薄い塩基では皮膜が発生して反応が止まる。しかし、強塩基条件では水酸化アルミニウムが次式によって水溶性のアルミン酸を形成するため、反応は表面のみでなく内部まで進行する。",
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"text": "したがってアルミニウムと強塩基水溶液との反応はこれらの式を合わせて以下のようになる。",
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"text": "アルミニウムは、鉄の約35%の比重であり、密度は2.70 g/cmと低く金属の中でも軽量な方に属し、展性に富む。純アルミニウムは強度は低いが、ジュラルミンなどのアルミニウム合金は軽量さ、加工のしやすさを活かしつつ、強度を飛躍的に改善しているため、さまざまな製品に採用され、産業界で幅広く利用されている(「#用途」を参照)。",
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"text": "アルミニウム合金は軟鋼などと違い、応力がかかったときの変形に降伏現象を示さない。これは侵入型固溶体である炭素によるコットレル雰囲気を持つ鉄合金とは違い、アルミニウム合金には置換型固溶体合金が多いことに起因する。よって、構造設計などの計算を行う場合には、材料力学では降伏点の代わりに「0.2%耐力」が代わりに用いられる。「0.2%耐力」とは、応力をかけた際の永久ひずみが0.2%になるときの応力である。こういった特性のために、アルミは押し出し成形や摩擦攪拌接合に向いている。",
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"text": "アルミニウムは、鉱石のボーキサイトを原料としてホール・エルー法で生産されるのが一般的である。ボーキサイトを水酸化ナトリウムで処理し、アルミナ(酸化アルミニウム)を取り出したあと、氷晶石(ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム、Na3AlF6)とともに溶融し電気分解を行う。",
"title": "生産"
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"text": "したがって、アルミニウムを作るには大量の電力が消費されることから「電気の缶詰」と呼ばれる。ちなみに、ホール・エルー法での純度は約98 %であるため、より高純度なアルミニウムを得るには三層電解法を使う。",
"title": "生産"
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"text": "アルミニウム1トンを生産するために消費される、材料および電力は以下の通りである。なお、1トンあたりの電力使用量は銅で1200 kW⋅h、亜鉛で4000 kW⋅hであり、アルミニウムの製錬には銅の約11倍、亜鉛の約3.5倍の電力が必要となる計算になる。",
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"text": "電力価格が高いためコスト競争に弱い日本国内のアルミニウム製錬事業は、オイルショック後採算困難になり、大部分は国外に拠点が移った。日本国内で原石(ボーキサイト)から製品まで一貫生産を行っていたのは、自前の水力発電所により自家発電を行っているため、低価格の電力が入手可能な日本軽金属(蒲原製造所・静岡市清水区)のみであったが、設備の老朽化と採算性の理由で2014年3月閉鎖された。昭和電工社長の鈴木治雄は、座談会において「日本で製錬を行うのは、北海道でサトウキビを作るようなもの」と述べており、いかに日本で製錬した場合の費用が高いかを比喩的に表現している。",
"title": "生産"
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"text": "アルミニウムの生産量は2014年時点で4930万トンに及ぶ。中国が約40 %を生産し、これにロシア、カナダを加えた3か国で生産量の過半数を占める。中国、ロシアはボーキサイト原産国でもある。ほかのボーキサイト原産国であるアメリカ、オーストラリア、ブラジル、インドも世界生産量のシェア10位以内に含まれる。一方で、ボーキサイトの世界4位の生産国であるギニアや同第5位のジャマイカでまったくアルミニウムが生産されていないように、ボーキサイトの生産とアルミニウムの精練工場との間にはそれほど強い関連性はない。",
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"text": "これに対し、電力供給とアルミニウム製錬工場との間には強い相関性がある。アルミニウムは製錬に非常に多くの電力を消費するため、ボーキサイトからの精練は電力の安い国で行われる傾向が強い。アラブ首長国連邦やカタールは豊富な石油を元にした火力発電で、またカナダやノルウェーは地形を生かした水力発電で、アイスランドは水力発電と地熱発電によっていずれも電力が安価であるため、アルミニウムの大生産国となっている。14位のモザンビークは、カホラ・バッサ・ダム(英語版)の豊富な電力に目をつけたBHPグループや三菱商事が製錬会社としてモザール社を設立し、2000年に工場が稼働し始めたことで大生産国となった。ここで製錬されたアルミニウムはモザンビークの総輸出額の50 %を占め、モザンビークの基幹産業として同国の経済成長を支えている。",
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"text": "アルミニウムの消費量も中国が飛び抜けて多く、2014年には2406万トンを消費して、全世界生産量5005万トンのほぼ半分を消費している。消費量は次いで米国が多く、さらにドイツ、日本と続く。",
"title": "生産"
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"text": "アルミニウム生産企業としては、カナダのリオ・ティント・アルキャン、ロシアのルサール(ロシア・アルミニウム)、アメリカのアルコア、中国の中国アルミニウムなどが特に大きな生産企業である。日本国内ではすでに精練は行われていないが、圧延や加工に関しては地金を海外から輸入したうえで盛んに行われており、日本軽金属やUACJ、神戸製鋼などがおもなメーカーとなっている。",
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"text": "アルミニウムは電気分解以外の手法でも製造が可能である。たとえばアルミナを2000 °C以下で炭素と反応させ、炭化アルミニウムを生成させる。これを2200 °C以上の高温部へ移動させ、今度はアルミナと反応させて金属アルミニウムと一酸化炭素に分離させる。",
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"text": "化学式としては以下の通りである。",
"title": "生産"
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"text": "2つ目の反応では逆反応が起こらないように過剰な炭素が必要である。生成されたアルミニウムは一部揮発して反応ガス成分に含まれるが、大半はスラグの上層に液体で単離する。",
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"text": "日本では第二次世界大戦直前にボーキサイトの輸入が途絶すると、満州地域から産出される礬土頁岩を材料としたアルミニウム生産が行われた。戦後は顧みられることもなく製法の伝承も断絶しているが、ロータリーキルンを使用していたことから、こうした電気を使用しない手法が取れられていた可能性がある。",
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"text": "一方、アルミニウムの純度を上げる精錬工程は、電力を消費する三層電解法に代わり電力を使用しない分別結晶法を採用することが可能である。粗製アルミニウム金属を融解し、これを局所的に冷却すると、純度の高いアルミニウムが初晶として晶出する。シリコン単結晶の引き上げ処理と原理的には同じである。この方法によって得られる精製アルミニウムの純度は99.98–99.996 %であり、三層電解法に迫る純度を得られる。",
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"text": "古くは塩化アルミニウムを金属カリウムで還元するテルミット反応を用いて生産されていた。",
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"text": "後に、金属カリウムよりもコストが安い金属ナトリウムで還元する生産法が発明された。",
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"text": "ボーキサイトからアルミニウムを精練するのに比し、アルミニウム屑からリサイクルして地金を作る方がコストやエネルギーが少なく済む。そのため、回収された空き缶などをリサイクル原料とし、電気炉などを用いる形態で再生するケースは徐々に増えている。",
"title": "リサイクル"
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"text": "アルミニウム屑を溶解するにあたっても、融点が約660 °Cと銅や鉄などの主要金属の中では低い方で、少ないエネルギーで行うことができる。ボーキサイトからアルミニウム地金を生産するのに比べ、アルミ缶からアルミニウム地金を生産するのはわずか3 %の電力消費で済む。",
"title": "リサイクル"
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"text": "こうした利点があるため、アルミニウムは日本国内においてもっともリサイクル化が進んでいる金属であり、アルミ缶のリサイクル率は94.7 %(平成24年度)にも達する。こうしたことから、アルミニウムはしばしば「リサイクルの優等生」や「リサイクルの王様」と表現される。 ただし、アルミニウムは酸化されやすい性質のため一度合金にしてしまうと不純物を除去することが困難であり、一例としてアルミ缶は蓋がマグネシウム、胴体部がマンガンとマグネシウムをそれぞれ含む(アルミ合金全体の4-5%程度)ため、アルミ缶だけ集めて溶融させてもこれらが混じってマンガンを含んだアルミニウム合金となるため、蓋用途には再生不能になってしまうといった欠点がある、酸化されにくい金属であれば融解時に不純物を酸素と反応させて除去できるがアルミニウムの場合はマグネシウムは除去できるが、マンガンは酸化させる前にアルミニウムが先に酸化してしまうのでこの方法が使えない。",
"title": "リサイクル"
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"text": "20世紀のうちにアルミニウム及びそれを主体とする合金は鉄鋼材に次ぐ主要金属材料としての地位を確立している。日用品も多く、非常に生活に身近な金属である。天然には化合物のかたちで広く分布し、ケイ素や酸素とともに地殻を形成するおもな元素のひとつである。自然アルミニウム(Aluminum、Native Aluminum)というかたちで単体での産出も知られているが、稀である。単体での産出が稀少であったため、自然界に広く分布する元素であるにもかかわらず発見が19世紀初頭と非常に遅く、上述のとおり製錬にも大きなエネルギーを必要とすることから産業的に広く使用されるようになるのは20世紀に入ってからと、金属としての使用の歴史はほかの重要金属に比べて非常に浅い。",
"title": "用途"
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"text": "アルミニウムの比重は鉄の3分の1程度と軽量であるために利用しやすく、また、軟らかくて展性も高いなど加工しやすい性質を持っており、さらに表面にできる酸化皮膜のためにイオン化傾向が大きい割には耐食性もあることから、一円硬貨やアルミ箔、缶(アルミ缶)、鍋、外構、エクステリア、建築物の外壁、道路標識、ガソリンエンジンのシリンダーブロック、自転車のフレームやリム、パソコンや家電製品の筐体など、さまざまな用途に使用されている。ただし大抵はアルミニウム合金としての利用であり、1円硬貨のようなアルミニウム100 %のものはむしろ稀な存在である。代表的なアルミニウム合金であるジュラルミンは航空機材料などに用いられているが、金属疲労に弱く、腐食しやすいという欠点を持つため、アロジン(クロメート処理)やジンククロメートで表面を保護し、定期的な点検で腐食部を早期に発見する体制を取ることが求められる。",
"title": "用途"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "2014年度において、日本のアルミニウム用途でもっとも大きかった用途は輸送用機械の製造であり、40.1 %を占める。次いでアルミサッシなどの建築用途が12.9 %、アルミ缶やアルミ箔などの容器包装用途が10.6 %を占め、この3分野がおもなアルミニウムの用途であるといえる。",
"title": "用途"
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"text": "軽量で加工性もよいことから、軽さと強度の両立のため部材形状の工夫も求められる航空機ではアルミ合金が主流となった。冷戦中盤あたりまで、塗装まで削って軽量化したアルミの銀色の輝きは高速航空機の象徴であった(ただし20世紀末頃からさらなる性能向上の要求のため炭素繊維複合材料やチタン合金等の新素材の割合が増えつつある)。鉄道車両でも新幹線電車をはじめとして特急型電車や通勤型電車などでアルミ車体の採用例も多い。押し出し材を使って長大な部材を一体成型し、さらに連続溶接組立する低コスト化量産法が確立され、同一断面を保った16–25 mに及ぶ車体を持つ鉄道車両では、生産性の面でメリットが大きい。なお、一時期自動車も航空機材料に倣うかたちでアルミ化の取り組みがあったが、一部メーカーの高級車やスポーツカーなど特殊な車種での導入に留まり、費用対効果を両立させるため、現在はアルミではなくハイテン材料(高張力鋼)の適用が進み、また炭素繊維の適用も始まっている。軽量さが要求される高速船でもアルミが船体材料に選択されることがある。アルミ合金は軍事分野では装甲車輌や戦闘艦にも応用されているが、鉄鋼に比べて火災時の高熱や被弾に弱いため、軽量さを求められる小型の艦船や、自走砲など直接敵と交戦することを想定しない装甲車輌での使用が主流である。",
"title": "用途"
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"text": "構造材としての使用もある(アルミニウム構造)が、窓枠(アルミサッシ)やフェンス等、外構での使用が多い。工場での規格集中生産により高い精度で加工されており、また軽量であるため、建付けや現場での組み立てやすさ、基本的な耐候性が優秀で、1960年代以降急速に普及した。しかし、断熱性の問題から窓ガラスともども結露を生じやすく、近年は代替品として樹脂サッシや現代化された木製サッシが増えている。",
"title": "用途"
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"text": "高圧送電線にもアルミニウム線が使用される。銅に比べ単位体積あたりの電気伝導度は劣るが、密度が低いため銅線よりも軽量に抑えながら断面積をより大きく取る(太くする)ことができ、単位質量あたりの電気伝導度で優り材料費でもほぼ拮抗する。このため支柱(送電鉄塔)のスパンが大きくなる高圧送電線の材料として有利である。",
"title": "用途"
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"paragraph_id": 38,
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"text": "粉末になったアルミニウムは可燃物であり、粉塵爆発を起こす場合がある。アルミニウム粉は燃焼熱が大きく、燃焼するときにガスを生じないため熱が集積して高温となり、強い白色の光を発する。これを利用して火薬類に発熱剤として添加される。スペースシャトルの固体燃料補助ロケットでも燃料として使用された。アルミニウム粉の性質は表面積の大きさによって左右されるため、等級は粒度ではなく重量あたりの表面積を示す水面拡散面積で表示される場合が多い。粒度で表示されるような粒の大きいものは粒状アルミニウム粉(アトマイズドアルミニウム粉)と呼んで区別することが多い。",
"title": "用途"
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"text": "スラリー爆薬などの水湿状態の火薬に混ぜると、アルミニウムの表面で以下のような反応が起きて発熱し、水素が発生する。このため、アルミニウム粉の火災には水をかけることは禁忌である。",
"title": "用途"
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"text": "アルミニウム粉末は塗料に混ぜて使う場合もある。また、指紋の検出(おもに警察の鑑識課による捜査活動)などでアルミニウムの粉を使用することもある。",
"title": "用途"
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"text": "アルミニウム粉と酸化鉄(III)との混合物はテルミットと呼ばれ、マグネシウムリボンで着火すると激しく反応し、酸化アルミニウムおよび溶融鉄を生じる。この反応は鉄の溶接にも使われているテルミット反応である。鉄以外の金属の精錬(還元)にも応用される(テルミット法)。",
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"text": "日本の消防法では、150 μmの網ふるいを通過する量が50 %を超えるアルミニウム粉を第2類危険物と定めている。",
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"text": "スポーツ用自転車フレームの素材としては、炭素繊維より安価で鉄鋼より軽量なため主流の素材である(ただし価格面に加えて疲労強度=耐久性の問題から、多数を占める廉価な日常車や実用車では依然として鉄鋼が占めている)。",
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"text": "真性半導体であるケイ素に微量のアルミニウムを添加することにより、P型半導体が得られる。",
"title": "用途"
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"text": "軽量で熱伝導性に優れるため、調理器具にアルミニウム合金がよく利用される。熱伝導度についても銅に劣るが、銅よりも安価であるため広く使われる。",
"title": "用途"
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"text": "俗に「銀ペン」とも呼ばれる銀色の塗料には、アルミニウムの微粉末が顔料として加えられている。耐食性があるため、橋梁などの建築物によく使われた。",
"title": "用途"
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"text": "人体へは摂取しても吸収される量は微量で、ほとんどはそのまま排出される。アルミニウムが体内でどのような役割を果たしているかは、まだよく分かっていない。人工透析に必要な透析液の作製に未処理の水道水を用いていた時代においては、水道水中に含まれるアルミニウムを原因とする「透析脳症」(当時の名称ならば「透析痴呆」)を発症したケースも報告された。",
"title": "人体への影響"
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{
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"tag": "p",
"text": "そこから「アルミニウムがアルツハイマー病を引き起こす」という主張もなされたが、腎不全の患者の体内に過剰な金属(アルミニウム以外の他の金属(例:Pb,Mg)も含む)が蓄積されることで発症する金属中毒が由来の透析脳症と異なり、アルツハイマー病患者の脳のアルミニウム蓄積量は健常者と変わらないうえ、病理学的所見や臨床所見も異なっている。腎臓が正常に機能し、アルミニウムイオンを排出することのできる成人が、通常の食生活で経口摂取するアルミニウムにより、アルツハイマー病を患うという根拠は乏しく、現在も明確な因果関係を示す研究結果は発見されていない。",
"title": "人体への影響"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "アルミニウムは長石および粘土鉱物などとして普遍的に存在するため、地殻を構成する元素としては酸素、ケイ素に次いで3番目に多い(クラーク数:7.56 %、重量比)。工業的に多彩な用途が見出される一方、酸性土壌中のアルミニウム含量は、植物の成長に影響する重要な要素である。農業や園芸における人工的な栽培環境では中性付近に調整された土壌を用いる場合が多いが、それでも有害なアルミニウムイオン(Al)が根の伸長成長を阻害することが知られている。",
"title": "植物への影響"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "土壌中のアルミニウムは、pHが5.0を下回ると急激にイオン化して溶解度が高まり、pH3.5ではほぼ完全に溶存体となる。水溶化したアルミニウムイオンが農作物その他の植物に及ぼす害として、以下のようなものが知られている。",
"title": "植物への影響"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "コムギやトウモロコシ、アジサイ、ソバ、チャノキなど一部の植物は、アルミニウム耐性を持つ(あるいは高アルミニウム環境にも適応し得る)ことが知られている。アルミニウムを無毒化するメカニズムはさまざまであるが、一般にカルボン酸(シュウ酸、クエン酸、リンゴ酸など)を中心とした有機酸でアルミニウムイオンをキレートし、水溶性の錯体を形成する機構によるといわれている。",
"title": "植物への影響"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "アルミニウム耐性に関与する遺伝子は最初にコムギにおいて発見された。耐性関連遺伝子はトウモロコシからも見つかっている。これらの植物においては単一の遺伝子によりアルミニウム耐性が実現されているが、すべての植物のアルミニウム耐性が同一の機構によるわけではないと考えられている。",
"title": "植物への影響"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組み換えによりアルミニウム耐性植物を作出する際、その遺伝子源として注目されているものに、土壌性のアルミニウム耐性菌がある。根粒菌として知られるRhizobiumもアルミニウム耐性菌の一種である。強酸性(pH3.0)高アルミニウム条件にて選抜されてくる菌はほとんどが糸状菌であり、アルミニウムの多い土壌ではこれらの生物が優占していると考えられる。以下はアルミニウム耐性菌を含む属の一部である。",
"title": "植物への影響"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "アルミニウムの歴史は明礬の使用で始まった。明礬の記述が最初に文書に残されたのは、紀元前5世紀の古代ギリシア歴史家ヘロドトスによる記述だった。古代人にとって、明礬は媒染剤、薬、そして(要塞を敵の放火から守るための)木の防火塗料であり、ウェットエッチングにも使用した。十字軍以降、明礬は国際貿易の商品のひとつになり、ヨーロッパの織物業では欠かせない存在になった。明礬は15世紀中期にオスマン帝国が輸出関税を大幅に上げるまで、地中海東部からヨーロッパに輸出された。",
"title": "歴史"
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{
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"tag": "p",
"text": "ルネサンス初期まで、明礬の性質は不明のままだった。1530年ごろ、スイスの物理学者パラケルススは明礬をウィトリオル(英語版)(硫酸塩)と区別し、「明礬の土の塩」であると主張した。1595年、神聖ローマ帝国の医師、化学者アンドレアス・リバヴィウスは明礬と緑ウィトリオルと青ウィトリオルが同じ酸と違う土で構成されると示し、明礬を構成した未発見の土の名前については「アルミナ」を提唱した。1722年、神聖ローマ帝国の化学者フリードリヒ・ホフマン(英語版)は明礬の土が別の種類であると信じると宣言した。1754年、神聖ローマ帝国の化学者アンドレアス・ジギスムント・マルクグラフ(英語版)は硫酸で粘土を煮て、続いてカリを加えることで明礬の土を生成した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "1824年、デンマークの物理学者、化学者ハンス・クリスティアン・エルステッドは金属アルミニウムの作製に成功したと主張した。彼は無水(英語版)の塩化アルミニウムとカリウム合金で化学反応を起こさせ、見た目がスズに似ている金属の塊を得た。彼は1825年に結果を発表、新金属のサンプルを展示した。1826年、「アルミニウムは金属の光沢があり、やや灰色で、かなり緩やかに水を分解する」と記述した。1827年、ドイツの化学者フリードリヒ・ヴェーラーはエルステッドの実験を再び行ったが、アルミニウムは発見できなかった。彼は後にベルセリウスに手紙を書き、「エルステッドがアルミニウムの塊と仮定したものは確実にただのアルミニウムを含有するカリウムである」と述べた。彼は続いて似たような実験を行った。その内容は無水の塩化アルミニウムとカリウムを混ぜることであり、アルミニウム粉末の作製に成功した。彼は研究を続け、1845年に小さなアルミニウムの塊を作製することに成功、その物性を記述した。しかし、ヴェーラーの記述はそれが不純物を含むアルミニウムだったことを示している。ヴェーラーなどほかの科学者がエルステッドの実験を再現できなかったことは、エルステッドが金属アルミニウムの発見者とされない理由のひとつになり、逆にヴェーラーは1845年の実験の成功とその詳細が発表されたことで金属アルミニウムの発見者とされた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユは、1854年にパリ科学アカデミーでアルミニウムの工業製法を発表した。塩化アルミニウムはヴェーラーが使ったカリウムよりも便利で安いナトリウムでも還元することができるのであった。その後、アルミニウム棒は1855年のパリ万国博覧会で初めて公開展示された。1856年、ドビーユは数人のパートナーとともにルーアンの製錬所で世界初のアルミニウム工業生産を開始した。1855年から1859年にかけてアルミニウムの価格は1パウンド500米ドルから40ドルまでと、10分の1以下に下落した。しかし、ドビーユの製法でもアルミニウムの純度の高さが足りず、サンプルによって性質が異なった。",
"title": "歴史"
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"text": "アルミニウムの最初の工業(大規模)生産法は1886年にフランスの工学者ポール・エルーとアメリカの工学者チャールズ・マーティン・ホールが開発したホール・エルー法である。ホール・エルー法がアルミナをアルミニウムに変える手法である一方、オーストリア=ハンガリー帝国の化学者カール・ヨーゼフ・バイヤー(英語版)は1889年にバイヤー法というボーキサイト(鉄礬土)をアルミナに純化する手法を発見した。現代の金属アルミニウム生産はバイヤー法とホール・エルー法に基づく手法を使用している。1920年にはスウェーデンの化学者カール・ヴィルヘルム・セーデルベリ(Carl Wilhelm Söderberg)率いる研究チームがホール・エルー法を改良した。",
"title": "歴史"
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"text": "日本のアルミニウム地金輸入量は2021年は約280万トン、金額は7,463,024,528ドルで前年より60.9%上昇した。最大の輸入相手国はロシアである。2021年から国際市場価格も変動しており、2022年ロシアのウクライナ侵攻のあとは3月に一時的な暴騰があった。",
"title": "市場"
},
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"text": "日本の造幣局も財務省理財局の貨幣回収準備資金として1円玉の原料であるアルミニウム地金を保管しており、理財局が毎年数回、売払いの入札公告を行っている。",
"title": "市場"
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{
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"text": "",
"title": "市場"
}
] | アルミニウムは、記号Al、原子番号13の化学元素である。アルミニウムは他の一般的な金属よりも密度が低く、鋼鉄の約3分の1である。酸素との親和性が高く、空気に触れると表面に酸化物の保護膜が形成される。外観は銀に似ており、色も光を反射する性質も強い。軟らかく、非磁性で延性がある。アルミニウムの同位体組成はほぼ100%が安定同位体27Alであり、この同位体は宇宙で12番目に多い核種である。26Alの放射能は放射年代測定に利用される。 化学的には、アルミニウムはホウ素族の後遷移金属であり、他のホウ素族元素同様、主に酸化数+3の化合物を形成する。アルミニウム陽イオンAl3+はイオン半径が小さく、強く正に帯電しているため分極性が高く、アルミニウムが形成する結合は共有結合になる傾向がある。酸素との親和性が高いため、天然には酸化物の形でみられることが多い。このため、地球上ではアルミニウムはマントルよりも地殻を構成する岩石中に主に存在し、地殻中における存在度は酸素とケイ素に次ぐ第3位を占める。遊離金属の形でみられることはほぼ皆無である。 アルミニウムは、1825年にデンマークの物理学者ハンス・クリスティアン・エルステッドによって発見された。アルミニウムが最初に工業生産されたのは1856年であり、フランスの化学者アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユによる。1886年にフランスのポール・エルーとアメリカのチャールズ・マーティン・ホールがそれぞれ独自に開発したホール・エルー法により大量生産法が確立され、アルミニウムは一般に広く普及し、産業や日常生活で広く使われるようになった。第一次、第二次世界大戦においては、アルミニウムは航空にとって重要な戦略資源となった。1954年には、アルミニウムの生産量は銅を抜き、最も多く生産される非鉄金属となった。21世紀におけるアルミニウムの用途は、主に輸送、エンジニアリング、建設、包装が占める。 環境中に広く存在するため、生物学的な役割をもつ可能性が考えられ、現在も研究が続いているが、これまでにアルミニウム塩を代謝に用いる生物は知られていない。ただし、動植物は高いアルミニウム耐性を持つことが知られる。 | {{Otheruses|[[元素]]|[[鉱物]]|自然アルミニウム}}
{{元素
|name = aluminum
|japanese name = アルミニウム
|number = 13
|symbol = Al
|left = [[マグネシウム]]
|right = [[ケイ素]]
|above = [[ホウ素|B]]
|below = [[ガリウム|Ga]]
|series = 貧金属
|series comment =
|group = 13
|period = 3
|block = p
|series color =
|phase color =
|appearance =
|image name = Aluminium-4.jpg
|image size =
|image name comment =
|image name 2 = Aluminum Spectra.jpg
|image name 2 comment = アルミニウムのスペクトル線
|atomic mass = 26.9815386
|atomic mass 2 = 13
|atomic mass comment =
|electron configuration = [[[ネオン|Ne]]] 3s<sup>2</sup> 3p<sup>1</sup>
|electrons per shell = 2, 8, 3
|color =
|phase = 固体
|phase comment =
|density gplstp =
|density gpcm3nrt = 2.70
|density gpcm3nrt 2 =
|density gpcm3mp = 2.375
|melting point K = 933.47
|melting point C = 660.32
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|boiling point K = 2792
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|triple point kPa =
|critical point K =
|critical point MPa =
|heat fusion = 10.71
|heat fusion 2 =
|heat vaporization = 294.0
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|vapor pressure 100 k = 2790
|vapor pressure comment =
|crystal structure = face-centered cubic
|japanese crystal structure = [[面心立方格子構造]]
|oxidation states = '''3''', 2, 1
|oxidation states comment = [[両性酸化物]]
|electronegativity = 1.61
|number of ionization energies = 4
|1st ionization energy = 577.5
|2nd ionization energy = 1816.7
|3rd ionization energy = 2744.8
|atomic radius = [[1 E-10 m|143]]
|atomic radius calculated =
|covalent radius = [[1 E-10 m|121±4]]
|Van der Waals radius = [[1 E-10 m|184]]
|magnetic ordering = [[常磁性]]<ref>{{PDF|[https://web.archive.org/web/20040324080747/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds]}}(2004年3月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]), in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref>
|electrical resistivity =
|electrical resistivity at 0 =
|electrical resistivity at 20 = 28.2 n
|electrical conductivity = 3.78
|thermal conductivity = 237
|thermal conductivity 2 =
|thermal diffusivity =
|thermal expansion =
|thermal expansion at 25 = 23.1
|speed of sound =
|speed of sound rod at 20 =
|speed of sound rod at r.t. = (rolled) 5000
|Young's modulus = 70
|Shear modulus = 26
|Bulk modulus = 76
|Poisson ratio = 0.35
|Mohs hardness = 2.75
|Vickers hardness = 167
|Brinell hardness = 245
|CAS number = 7429-90-5
|isotopes = {{Elementbox_isotopes_decay3
|mn = [[アルミニウム26|26]]
|sym = Al
|na = [[微量放射性同位体|trace]]
|hl = [[1 E13 s|7.17×10<sup>5</sup> y]]
|dm1 = [[陽電子放出|β<sup>+</sup>]]
|de1 = 1.17
|pn1 = [[マグネシウム26|26]]
|ps1 = [[マグネシウム|Mg]]
|dm2 = [[電子捕獲|ε]]
|de2 = -
|pn2 = [[マグネシウム26|26]]
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|dm3 = [[γ崩壊|γ]]
|de3 = 1.8086
|pn3 =
|ps3 = -
}}
{{Elementbox_isotopes_stable
|mn = [[アルミニウム27|27]]
|sym = Al
|na = 100 %
|n = 14
}}
|isotopes comment =
}}
'''アルミニウム'''({{lang-en-gb-short|aluminium}}, {{lang-en-us-short|aluminum}}{{Efn|group=注|北米ではaluminumの綴りが用いられ、国際的にはaluminiumの綴りが用いられる<ref name="Webster">{{Cite web|url=https://www.merriam-webster.com/words-at-play/aluminum-vs-aluminium|title=Usage Notes: 'Aluminum' or 'Aluminium'? A tale of two spellings|work=Merriam-Webster|publisher=Merriam-Webster|accessdate=2021-6-1}}</ref>。}}, {{Lang-la-short|alūminium}}<ref>{{Cite journal|和書|title=元素記号の由来(あんてな)|author=杉山広樹|journal=化学と教育|volume=43|issue=12|pages=782-785|publisher=日本化学会|date=1995|doi=10.20665/kakyoshi.43.12_782}}</ref>)は、記号Al、[[原子番号]]13の化学[[元素]]である。アルミニウムは他の一般的な金属よりも密度が低く、[[鋼|鋼鉄]]の約3分の1である。[[酸素]]との親和性が高く、空気に触れると表面に[[酸化アルミニウム|酸化物]]の保護膜が形成される。外観は[[銀]]に似ており、色も光を反射する性質も強い。軟らかく、[[磁性|非磁性]]で[[展延性|延性]]がある。[[アルミニウムの同位体]]組成はほぼ100%が[[同位体|安定同位体]]{{Chem|27|Al}}であり、この同位体は宇宙で12番目に多い[[核種]]である。{{Chem|26|Al|link=アルミニウム26}}の[[放射能]]は[[放射年代測定]]に利用される。
化学的には、アルミニウムは[[第13族元素|ホウ素族]]の[[貧金属|後遷移金属]]であり、他のホウ素族元素同様、主に[[酸化数]]+3の化合物を形成する。アルミニウム[[イオン|陽イオン]]{{Chem|Al|3+}}は[[イオン半径]]が小さく、強く正に帯電しているため[[誘電分極|分極]]性が高く、アルミニウムが形成する[[化学結合|結合]]は[[共有結合]]になる傾向がある。酸素との親和性が高いため、天然には酸化物の形でみられることが多い。このため、地球上ではアルミニウムは[[マントル]]よりも[[地球の地殻|地殻]]を構成する岩石中に主に存在し、[[地殻中の元素の存在度|地殻中における存在度]]は酸素と[[ケイ素]]に次ぐ第3位を占める。[[遊離]]金属の形でみられることはほぼ皆無である。
アルミニウムは、[[1825年]]に[[デンマーク]]の物理学者[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]によって発見された。アルミニウムが最初に工業生産されたのは[[1856年]]であり、[[フランス]]の化学者[[アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユ]]による。1886年にフランスの[[ポール・エルー]]とアメリカの[[チャールズ・マーティン・ホール]]がそれぞれ独自に開発した[[ホール・エルー法]]により大量生産法が確立され、アルミニウムは一般に広く普及し、産業や日常生活で広く使われるようになった。[[第一次世界大戦|第一次]]、[[第二次世界大戦]]においては、アルミニウムは航空にとって重要な[[生産要素|戦略資源]]となった。[[1954年]]には、アルミニウムの生産量は[[銅]]を抜き、最も多く生産される[[非鉄金属]]となった。21世紀におけるアルミニウムの用途は、主に輸送、エンジニアリング、建設、包装が占める。
環境中に広く存在するため、[[生物学]]的な役割をもつ可能性が考えられ、現在も研究が続いているが、これまでにアルミニウム[[塩 (化学)|塩]]を[[代謝]]に用いる生物は知られていない。ただし、動植物は高いアルミニウム耐性を持つことが知られる。
== 名称 ==
'''軽銀'''(けいぎん)、'''礬素'''(ばんそ)とも呼ばれる。軽銀は、軽いことと、外見が銀に似ていることにちなむ。礬素は、[[ミョウバン]](明礬)にちなむ<ref name="名前なし-1">中尾善信、[[doi:10.2464/jilm.28.159|アルミニウムこぼればなし]] 軽金属 28巻 (1978) 4号 p.159-160, {{doi|10.2464/jilm.28.159}}</ref>。
'''アルミニウム'''は、化合物の[[ミョウバン]]({{lang-la-short|alumen}}、アルーメン)にちなみ、イギリスの化学者[[ハンフリー・デービー]]らによって命名された<ref name="Suzuki1953">{{Cite journal|和書|title=アルミニウム語源雑考|author=鈴木治雄|journal=軽金属|volume=1953|issue=8|pages=11-12|publisher=軽金属学会|date=1953|doi=10.2464/jilm.1953.8_11}}</ref><ref name="Webster" />。
俗に'''アルミ'''または'''ニューム'''とも略される<ref name="Suzuki1953"/>。
== 単体の性質 ==
単体は銀白色の[[金属]]で、[[常温]][[大気圧|常圧]]で高い[[熱伝導性]]・[[電気伝導性]]を持ち、[[金属加工|加工]]性がよく、[[実用]]金属としては軽量であるため、広く用いられている。[[熱力学]]的に[[酸化]]されやすい金属ではあるが、[[空気]]中では[[表面]]にできた[[酸化物|酸化皮膜]]により内部が保護されるため高い耐食性を持つ<ref>『理化学辞典』第5版、岩波書店</ref>。
[[単体]]は常温常圧では良好な[[熱伝導性]]・[[電気伝導性]]を持つ。[[融点]]は{{Val|660.32|ul=degC}}、[[沸点]]は{{Val|2519|u=degC}}(別の報告もある)。[[密度]]は{{Val|2.7|ul=g/cm3}}で、金属としては軽い。[[常温]]における安定[[相 (物質)|相]]は[[面心立方格子構造]]をとる。[[酸]]や[[アルカリ]]に侵されやすいが、[[空気]]中では[[表面]]に[[酸化アルミニウム]]Al{{sub|2}}O{{sub|3}}の膜ができ、内部は侵されにくくなる。この保護現象は[[酸化物イオン]]{{Chem|O|2-}}のイオン半径({{Val|124|ul=pm}})とアルミニウムの原子半径({{Val|143|u=pm}})が近く、アルミニウムイオン{{Chem|Al|3+}}({{Val|68|u=pm}})が酸化物の表面構造の隙間にすっぽり収まることが深く関係している。また濃[[硝酸]]に対しても表面に酸化被膜を生じ反応の進行は停止する([[不動態]])<ref name=daijiten>『化学大辞典』 共立出版、1993年</ref><ref name="RC">Geoff Rayner-Canham, Tina Overton 『レイナーキャナム 無機化学(原著第4版)』 西原寛・高木繁・森山広思訳、p.193-195、2009年、東京化学同人、ISBN 978-4-8079-0684-0</ref>。[[陽極酸化皮膜|陽極酸化による酸化被膜]]は[[アルマイト]]とも呼ばれる。
=== 化学的性質 ===
アルミニウムは両性金属で、[[酸]]にも[[塩基]]にも[[溶解]]する。塩基性の[[水溶液]]では、以下の反応によって[[水]]が[[還元]]されて[[水素]]を発生する。
:<chem>6OH^- + 2Al + 6H2O -> 6OH^- + 2Al(OH)3 + 3H2</chem>
ただし、生成する[[水酸化アルミニウム]]の[[溶解度積]]([Al<sup>3+</sup>][OH<sup>−</sup>]<sup>3</sup>)は{{val|1.92|e=-32}}であり、ほとんど[[水]]に溶解しない。したがって、薄い塩基では皮膜が発生して反応が止まる。しかし、強塩基条件では水酸化アルミニウムが次式によって水溶性の[[アルミン酸]]を形成するため、反応は表面のみでなく内部まで進行する。
:<chem>OH^- + Al(OH)3 + 2H2O -> [Al(OH)4 (H2O)2]^-</chem>
したがってアルミニウムと強塩基水溶液との反応はこれらの式を合わせて以下のようになる<ref name=RC/>。
:<chem>2Al + 10H2O + 2OH^- -> 2[Al(OH)4(H2O)2]^- + 3H2</chem>
=== 機械的性質 ===
アルミニウムは、[[鉄]]の約{{Val|35|ul=%}}の[[比重]]であり、密度は{{Val|2.70|u=g/cm3}}と低く金属の中でも軽量な方に属し、[[展性]]に富む。純アルミニウムは[[強度]]は低いが、[[ジュラルミン]]などの[[アルミニウム合金]]は軽量さ、加工のしやすさを活かしつつ、強度を飛躍的に改善しているため、さまざまな製品に採用され、[[産業]]界で幅広く利用されている(「[[#用途]]」を参照)。
アルミニウム合金は軟[[鋼]]などと違い、[[応力]]がかかったときの変形に[[降伏 (物理)|降伏現象]]を示さない。これは[[侵入型固溶体]]である[[炭素]]による[[コットレル雰囲気]]を持つ[[鉄]][[合金]]とは違い、アルミニウム合金には[[置換型固溶体]]合金が多いことに起因する<ref name=nishikawa>西川精一 『新版金属工学入門』 アグネ技術センター、2001年</ref>。よって、[[構造設計]]などの計算を行う場合には、[[材料力学]]では[[降伏点]]の代わりに「{{Val|0.2|u=%}}耐力」が代わりに用いられる。「{{Val|0.2|u=%}}耐力」とは、応力をかけた際の永久[[ひずみ]]が{{Val|0.2|u=%}}になるときの応力である<ref name="Intel">{{cite journal
|url = http://jikosoft.com/cae/engineering/strmat08.html
|title = 8.応力ひずみ線図 材料力学
|author = JIKO
}}</ref>。こういった特性のために、アルミは[[押し出し成形]]や[[摩擦攪拌接合]]に向いている。
== 生産 ==
[[画像:Bauxite hérault.JPG|thumb|アルミニウムの原料となるボーキサイト。赤い色をしているのは、中に含まれている[[鉄]]分のためである]]
アルミニウムは、鉱石の[[ボーキサイト]]を原料として[[ホール・エルー法]]で生産されるのが一般的である。ボーキサイトを[[水酸化ナトリウム]]で処理し、アルミナ([[酸化アルミニウム]])を取り出したあと、[[氷晶石]](ヘキサフルオロアルミン酸ナトリウム、Na{{sub|3}}AlF{{sub|6}})とともに溶融し[[電気分解]]を行う。
したがって、アルミニウムを作るには大量の[[電気|電力]]が消費されることから「電気の[[缶詰]]」と呼ばれる。ちなみに、ホール・エルー法での純度は約98 %であるため、より高純度なアルミニウムを得るには[[三層電解法]]を使う。
アルミニウム1トンを生産するために消費される、材料および電力は以下の通りである<ref name=nishikawa /><ref name=kameyama>亀山直人 『電気化学の理論と応用』 丸善、1955年</ref>。なお、1トンあたりの電力使用量は[[銅]]で1200 [[キロワット時|kW⋅h]]、[[亜鉛]]で4000 kW⋅hであり<ref>「非鉄金属業界大研究」南正明 p88 産学社 2008年8月31日初版第1刷</ref>、アルミニウムの製錬には銅の約11倍、亜鉛の約3.5倍の電力が必要となる計算になる。
* アルミナ 1.96[[トン]](ボーキサイト 4トン)
* 氷晶石 0.07トン
* 炭素陽極 0.5トン
* 電力 {{val|13|-|14|u=MW⋅h}}
電力価格が高いためコスト競争に弱い<ref name=kameyama />[[日本のアルミニウム製錬|日本国内のアルミニウム製錬]]事業は、[[オイルショック]]後採算困難になり、大部分は国外に拠点が移った<ref name=nishikawa />。日本国内で原石(ボーキサイト)から製品まで一貫生産を行っていたのは、自前の[[水力発電]]所により自家発電を行っているため、低価格の電力が入手可能な[[日本軽金属]](蒲原製造所・[[静岡市]][[清水区]])のみであったが、設備の老朽化と採算性の理由で2014年3月閉鎖された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDZ1408V_U4A310C1TJ1000/ 日軽金、アルミ製錬撤退 国内唯一の拠点を3月末で閉鎖] 日経新聞 2014年3月14日</ref>。[[昭和電工]]社長の鈴木治雄は、座談会において「日本で製錬を行うのは、[[北海道]]で[[サトウキビ]]を作るようなもの」と述べており<ref>『アルミニウム外史 下巻』p393</ref>、いかに日本で製錬した場合の費用が高いかを比喩的に表現している。
{|class="wikitable sortable"
|-bgcolor="#ececec"
!順位!!国!!アルミニウム<br>生産量<br>(万トン)
|-
|—||{{noflag}}''世界合計''||align="left"| 4930<ref name=lat>http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/aluminum/mcs-2015-alumi.pdf 2014年のデータ 2015年5月27日閲覧
</ref>
|-
|1||{{CHN}}||align="left"|2330<ref name=lat/>
|-
|2||{{RUS}}||align="left"|350<ref name=lat/>
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|3||{{CAN}}||align="left"|294<ref name=lat/>
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|4||{{UAE}}||align="left"|240<ref name=lat/>
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|5||{{IND}}||align="left"|210<ref name=lat/>
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|6||{{USA}}||align="left"|172<ref name=lat/>
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|7||{{AUS}}||align="left"|168<ref name=lat/>
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|8||{{NOR}}||align="left"|120<ref name=lat/>
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|9||{{BRA}}||align="left"|96<ref name=lat/>
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|10||{{BHR}}||align="left"|93<ref name=lat/>
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|—||{{noflag}}''その他''||align="left"|444<ref name=lat/>
|}
アルミニウムの生産量は2014年時点で4930万トンに及ぶ。[[中華人民共和国|中国]]が約40 %を生産し、これに[[ロシア]]、[[カナダ]]を加えた3か国で生産量の過半数を占める。中国、ロシアはボーキサイト原産国でもある。ほかのボーキサイト原産国である[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[オーストラリア]]、[[ブラジル]]、[[インド]]も世界生産量のシェア10位以内に含まれる。一方で、ボーキサイトの世界4位の生産国である[[ギニア]]や同第5位の[[ジャマイカ]]でまったくアルミニウムが生産されていないように、ボーキサイトの生産とアルミニウムの精練工場との間にはそれほど強い関連性はない。
これに対し、電力供給とアルミニウム製錬工場との間には強い相関性がある。アルミニウムは製錬に非常に多くの電力を消費するため、ボーキサイトからの精練は電力の安い国で行われる傾向が強い。[[アラブ首長国連邦]]や[[カタール]]は豊富な[[石油]]を元にした[[火力発電]]で、また[[カナダ]]や[[ノルウェー]]は地形を生かした[[水力発電]]で、[[アイスランド]]は水力発電と[[地熱発電]]によっていずれも電力が安価であるため、アルミニウムの大生産国となっている。14位の[[モザンビーク]]は、{{仮リンク|カホラ・バッサ・ダム|en|Cahora Bassa Dam}}の豊富な電力に目をつけた[[BHPグループ]]や[[三菱商事]]が製錬会社として[[モザール]]社を設立し、[[2000年]]に工場が稼働し始めたことで大生産国となった。ここで製錬されたアルミニウムはモザンビークの総輸出額の50 %を占め<ref>[http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/csr/management/business/sustainability06.html 「モザンビークにおけるアルミニウム製錬事業 アルミ事業と地域の発展」] 三菱商事 2015年6月19日閲覧</ref>、モザンビークの基幹産業として同国の経済成長を支えている。
アルミニウムの消費量も中国が飛び抜けて多く、2014年には2406万トンを消費して、全世界生産量5005万トンのほぼ半分を消費している。消費量は次いで米国が多く、さらに[[ドイツ]]、日本と続く<ref>[http://www.aluminum.or.jp/basic/worldindustry.html 「世界のアルミ産業」] 日本アルミ協会 2015年6月19日閲覧</ref>。
アルミニウム生産企業としては、[[カナダ]]の[[リオ・ティント・アルキャン]]、ロシアの[[ルサール]](ロシア・アルミニウム)、アメリカの[[アルコア]]、中国の[[中国アルミニウム]]などが特に大きな生産企業である。日本国内ではすでに精練は行われていないが、圧延や加工に関しては地金を海外から輸入したうえで盛んに行われており、[[日本軽金属]]や[[UACJ]]、[[神戸製鋼]]などがおもなメーカーとなっている。
=== 電力を必要としない生産方法 ===
アルミニウムは電気分解以外の手法でも製造が可能である。たとえばアルミナを2000 °C以下で炭素と反応させ、炭化アルミニウムを生成させる。これを2200 °C以上の高温部へ移動させ、今度はアルミナと反応させて金属アルミニウムと一酸化炭素に分離させる<ref name="tanso">[http://www.ekouhou.net/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%81%AE%E7%82%AD%E7%B4%A0%E7%86%B1%E9%82%84%E5%85%83%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%AE%E8%A3%BD%E9%80%A0%E6%96%B9%E6%B3%95%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E8%A3%85%E7%BD%AE/disp-A,2006-519921.html アルミナの炭素熱還元によるアルミニウムの製造方法及び反応装置(ekouhou.net)]</ref>。
化学式としては以下の通りである。
: <chem>{2Al2O3} + 9C -> {Al4C3} + 6CO</chem>
: <chem>{Al4C3} + Al2O3 -> {6Al} + 3CO</chem>
2つ目の反応では逆反応が起こらないように過剰な炭素が必要である。生成されたアルミニウムは一部揮発して反応ガス成分に含まれるが、大半はスラグの上層に液体で単離する。
日本では[[第二次世界大戦]]直前にボーキサイトの輸入が途絶すると、満州地域から産出される礬土頁岩を材料としたアルミニウム生産が行われた<ref>アルミ工業の原料転換助成が初仕事(昭和16年12月5日 東京日日新聞)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p226 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。戦後は顧みられることもなく製法の伝承も断絶しているが、[[ロータリーキルン]]を使用していたことから、こうした電気を使用しない手法が取れられていた可能性がある。
一方、アルミニウムの純度を上げる精錬工程は、電力を消費する三層電解法に代わり電力を使用しない[[分別結晶法]]を採用することが可能である。粗製アルミニウム金属を融解し、これを局所的に冷却すると、純度の高いアルミニウムが初晶として晶出する。シリコン単結晶の引き上げ処理と原理的には同じである。この方法によって得られる精製アルミニウムの純度は99.98–99.996 %であり、三層電解法に迫る純度を得られる<ref>[http://www.nikkeikin.co.jp/pages/hpa/product/ 高純度アルミニウム製造法(日本軽金属)]</ref>。
=== 古い時代の生産方法 ===
古くは[[塩化アルミニウム]]を金属[[カリウム]]で還元するテルミット反応を用いて生産されていた。
:<math>\mathrm{4\ AlCl_3 + 3\ K \rightarrow Al + 3\ KAlCl_4}</math>
後に、金属カリウムよりもコストが安い金属[[ナトリウム]]で還元する生産法が発明された。
:<math>\mathrm{\ AlCl_3 + 3\ Na \rightarrow Al + 3\ NaCl}</math>
== リサイクル ==
ボーキサイトからアルミニウムを精練するのに比し、アルミニウム屑から[[リサイクル]]して地金を作る方がコストやエネルギーが少なく済む。そのため、回収された空き缶などをリサイクル原料とし、電気炉などを用いる形態で再生するケースは徐々に増えている。
アルミニウム屑を溶解するにあたっても、[[融点]]が約660 °Cと[[銅]]や[[鉄]]などの主要金属の中では低い方で、少ないエネルギーで行うことができる。ボーキサイトからアルミニウム地金を生産するのに比べ、[[アルミ缶]]からアルミニウム地金を生産するのはわずか3 %の電力消費で済む<ref>[http://www.alumi-can.or.jp/publics/index/24/ リサイクルについて] アルミ缶リサイクル協会 2015年8月28日閲覧</ref>。
こうした利点があるため、アルミニウムは日本国内においてもっともリサイクル化が進んでいる金属であり、アルミ缶のリサイクル率は94.7 %(平成24年度)にも達する<ref>[http://www.jftc.or.jp/kids/eco-hint/recycling/approach05.html 「商社のとりくみ 金属(アルミ)のリサイクル」] 日本貿易会 2015年6月19日閲覧</ref>。こうしたことから、アルミニウムはしばしば「リサイクルの優等生」や「リサイクルの王様」と表現される。
ただし、アルミニウムは酸化されやすい性質のため一度合金にしてしまうと不純物を除去することが困難であり、一例としてアルミ缶は蓋が[[マグネシウム]]、胴体部が[[マンガン]]とマグネシウムをそれぞれ含む(アルミ合金全体の4-5%程度)ため、アルミ缶だけ集めて溶融させてもこれらが混じってマンガンを含んだアルミニウム合金となるため、蓋用途には再生不能になってしまうといった欠点がある、酸化されにくい金属であれば融解時に不純物を酸素と反応させて除去できるがアルミニウムの場合はマグネシウムは除去できるが、マンガンは酸化させる前にアルミニウムが先に酸化してしまうのでこの方法が使えない<ref>「図解入門よくわかる最新「鉄」の基本と仕組み 性質、技術、歴史、文化の基礎知識 性質と魅力」田中和明、株式会社秀和システム、2009年、ISBN 978-4-7980-2421-9、p.147-148</ref>。
== 用途 ==
<div class="noprint">[[画像:1JPY.JPG|thumb|200px|1円硬貨。純アルミニウムである]]</div> <!--貨幣が印刷されないようにした-->
[[画像:Aluminium foil.jpg|thumb|180px|アルミホイル]]
[[画像:Aluminium foil cup.jpg|thumb|180px|アルミホイル製のカップ]]
20世紀のうちにアルミニウム及びそれを主体とする合金は[[鉄鋼]]材に次ぐ主要[[金属]]材料としての地位を確立している。日用品も多く、非常に[[生活]]に身近な金属である。[[天然]]には[[化合物]]のかたちで広く分布し、[[ケイ素]]や[[酸素]]とともに[[地殻]]を形成するおもな元素のひとつである。[[自然アルミニウム]](Aluminum、Native Aluminum)というかたちで[[単体]]での産出も知られているが、稀である。単体での産出が稀少であったため、自然界に広く分布する元素であるにもかかわらず発見が[[19世紀]]初頭と非常に遅く、上述のとおり[[製錬]]にも大きなエネルギーを必要とすることから産業的に広く使用されるようになるのは[[20世紀]]に入ってからと、金属としての使用の歴史はほかの重要金属に比べて非常に浅い。
アルミニウムの比重は鉄の3分の1程度と軽量であるために利用しやすく、また、軟らかくて[[展性]]も高いなど加工しやすい性質を持っており、さらに表面にできる酸化皮膜のために[[イオン化傾向]]が大きい割には耐食性もあることから、[[一円硬貨]]や[[アルミ箔]]、缶([[アルミ缶]])、[[鍋]]、[[外構]]、[[エクステリア]]、建築物の外壁、道路標識、[[ガソリンエンジン]]の[[シリンダーブロック]]、[[自転車]]の[[フレーム (自転車)|フレーム]]や[[リム (機械)|リム]]、パソコンや家電製品の筐体など、さまざまな用途に使用されている。ただし大抵はアルミニウム合金としての利用であり、1円硬貨のようなアルミニウム100 %のものはむしろ稀な存在である。代表的なアルミニウム合金である[[ジュラルミン]]は[[航空機]]材料などに用いられているが、[[金属疲労]]に弱く、腐食しやすいという欠点を持つため、[[アロジン]]([[クロメート]]処理)や[[ジンククロメート]]で表面を保護し、定期的な点検で腐食部を早期に発見する体制を取ることが求められる。
{{main2|合金|アルミニウム合金}}
2014年度において、日本のアルミニウム用途でもっとも大きかった用途は輸送用機械の製造であり、40.1 %を占める。次いでアルミサッシなどの建築用途が12.9 %、アルミ缶やアルミ箔などの容器包装用途が10.6 %を占め、この3分野がおもなアルミニウムの用途であるといえる<ref>[http://www.aluminum.or.jp/basic/demand.html 「用途別需要」] 日本アルミ協会 2015年6月19日閲覧</ref>。
=== 輸送用機械 ===
軽量で加工性もよいことから、軽さと強度の両立のため部材形状の工夫も求められる[[航空機]]ではアルミ合金が主流となった。冷戦中盤あたりまで、[[B-26 (航空機)|塗装まで削って軽量化したアルミの銀色の輝きは高速航空機の象徴]]であった(ただし20世紀末頃からさらなる性能向上の要求のため[[炭素繊維]]複合材料や[[チタン]]合金等の新素材の割合が増えつつある)。[[鉄道車両]]でも[[新幹線]]電車をはじめとして特急型電車や通勤型電車などで[[アルミニウム合金製の鉄道車両|アルミ車体]]の採用例も多い。押し出し材を使って長大な部材を一体成型し、さらに連続溶接組立する低コスト化量産法が確立され、同一断面を保った16–25 mに及ぶ車体を持つ鉄道車両では、生産性の面でメリットが大きい。なお、一時期[[自動車]]も航空機材料に倣うかたちでアルミ化の取り組みがあったが、一部メーカーの高級車やスポーツカーなど特殊な車種での導入に留まり、費用対効果を両立させるため、現在はアルミではなくハイテン材料([[高張力鋼]])の適用が進み、また[[炭素繊維]]の適用も始まっている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79307660V01C14A1000000/ ついに量産車へ、炭素繊維「鉄並み価格」視野で経済圏拡大] 日本経済新聞 2014年11月19日</ref>。軽量さが要求される[[高速船]]でもアルミが船体材料に選択されることがある。アルミ合金は軍事分野では装甲車輌や戦闘艦にも応用されているが、鉄鋼に比べて火災時の高熱や被弾に弱いため、軽量さを求められる小型の艦船や、自走砲など直接敵と交戦することを想定しない装甲車輌での使用が主流である。
=== 建材 ===
構造材としての使用もある([[アルミニウム構造]])が、窓枠(アルミ[[サッシ]])や[[フェンス]]等、外構での使用が多い。工場での規格集中生産により高い精度で加工されており、また軽量であるため、建付けや現場での組み立てやすさ、基本的な耐候性が優秀で、1960年代以降急速に普及した。しかし、断熱性の問題から窓ガラスともども[[結露]]を生じやすく、近年は代替品として樹脂サッシや現代化された木製サッシが増えている<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO78836460U4A021C1000000/ 低い断熱性なぜ放置、世界に遅れる「窓」後進国ニッポン] 日本経済新聞 2014年11月7日</ref>。
=== 導電体 ===
高圧[[送電線]]にもアルミニウム線が使用される。[[銅]]に比べ単位体積あたりの電気伝導度は劣るが、密度が低いため銅線よりも軽量に抑えながら断面積をより大きく取る(太くする)ことができ、単位質量あたりの電気伝導度で優り材料費でもほぼ拮抗する。このため支柱(送電鉄塔)のスパンが大きくなる高圧送電線の材料として有利である。
=== 粉末 ===
粉末になったアルミニウムは可燃物であり、[[粉塵爆発]]を起こす場合がある。アルミニウム粉は燃焼熱が大きく、燃焼するときにガスを生じないため熱が集積して高温となり、強い白色の光を発する。これを利用して[[火薬]]類に発熱剤として添加される。[[スペースシャトル固体燃料補助ロケット|スペースシャトルの固体燃料補助ロケット]]でも燃料として使用された。アルミニウム粉の性質は表面積の大きさによって左右されるため、等級は粒度ではなく重量あたりの表面積を示す[[水面拡散面積]]で表示される場合が多い。粒度で表示されるような粒の大きいものは粒状アルミニウム粉(アトマイズドアルミニウム粉)と呼んで区別することが多い。
[[スラリー爆薬]]などの水湿状態の火薬に混ぜると、アルミニウムの表面で以下のような反応が起きて発熱し、水素が発生する。このため、アルミニウム粉の火災には水をかけることは禁忌である。
: <chem>2Al + 6H2O -> 2Al(OH)3 + 3H2</chem>
アルミニウム粉末は塗料に混ぜて使う場合もある。また、[[指紋]]の検出(おもに警察の鑑識課による捜査活動)などでアルミニウムの粉を使用することもある。
アルミニウム粉と[[酸化鉄(III)]]との混合物は[[テルミット]]と呼ばれ、[[マグネシウム]]リボンで着火すると激しく反応し、酸化アルミニウムおよび溶融鉄を生じる。この反応は[[鉄]]の溶接にも使われている[[テルミット反応]]である。鉄以外の金属の精錬(還元)にも応用される([[テルミット法]])。
日本の[[消防法]]では、150 [[マイクロメートル|μm]]の網ふるいを通過する量が50 %を超える[[金属粉|アルミニウム粉]]を[[危険物|第2類危険物]]と定めている。
=== その他 ===
スポーツ用[[自転車]][[フレーム (自転車)|フレーム]]の[[フレーム素材 (自転車)|素材]]としては、炭素繊維より安価で鉄鋼より軽量なため主流の素材である(ただし価格面に加えて疲労強度=耐久性の問題から、多数を占める廉価な日常車や実用車では依然として鉄鋼が占めている)。
[[真性半導体]]である[[ケイ素]]に微量のアルミニウムを添加することにより、[[P型半導体]]が得られる。
軽量で熱伝導性に優れるため、[[調理器具]]にアルミニウム合金がよく利用される。[[熱伝導度]]についても銅に劣るが、銅よりも安価であるため広く使われる<ref name=RC/>。
俗に「銀ペン」とも呼ばれる[[銀色]]の[[塗料]]には、アルミニウムの微粉末が顔料として加えられている。耐食性があるため、[[橋梁]]などの建築物によく使われた。
=== アルミニウムを利用した製品 ===
* [[パナール・ディナ]] - 世界で初めてのオールアルミ合金の本格量産車。
* [[ホンダ・NSX]] - 世界で初めてオールアルミモノコックボディを採用した。
* [[国鉄203系電車]]
* [[国鉄301系電車]]
* [[A-train (日立製作所)|A-train]] - 日立製作所が製造するアルミニウムダブルスキン構造の鉄道車両。
* [[アルミ箔]]
* [[アルミホイール]] - 自動車用ホイール。
== 人体への影響 ==
人体へは摂取しても吸収される量は微量で、ほとんどはそのまま排出される。アルミニウムが体内でどのような役割を果たしているかは、まだよく分かっていない。[[人工透析]]に必要な透析液の作製に未処理の水道水を用いていた時代においては、水道水中に含まれるアルミニウムを原因とする「透析脳症」(当時の名称ならば「透析痴呆」)<ref>「アルミニウムと健康」連絡協議会 ‐ [https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_4/index.html Q7.透析脳症とアルツハイマー病の関係性は?-アルミニウムと健康Q&A] </ref>を発症したケースも報告された。
そこから「アルミニウムが[[アルツハイマー病]]を引き起こす」という主張もなされたが、[[腎不全]]の患者の体内に過剰な金属(アルミニウム以外の他の金属(例:Pb,Mg)も含む)が蓄積されることで発症する金属中毒が由来の透析脳症と異なり、アルツハイマー病患者の脳のアルミニウム蓄積量は健常者と変わらないうえ、病理学的所見や臨床所見も異なっている。[[腎臓]]が正常に機能し、アルミニウムイオンを排出することのできる成人が、通常の食生活で経口摂取するアルミニウムにより、アルツハイマー病を患うという根拠は乏しく<ref> 「アルミニウムと健康」連絡協議会 ‐ [http://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/index.html よくわかる「アルミニウムと健康」基礎知識] </ref>、現在も明確な因果関係を示す研究結果は発見されていない<ref> Alzheimer's Society(2019) ‐ [https://www.alzheimers.org.uk/about-dementia/risk-factors-and-prevention/metals-and-dementia Metals, aluminium and dementia] </ref>。
== 植物への影響 ==
アルミニウムは[[長石]]および[[粘土鉱物]]などとして普遍的に存在するため、[[地殻]]を構成する[[元素]]としては[[酸素]]、[[ケイ素]]に次いで3番目に多い([[クラーク数]]:7.56 %、重量比)。工業的に多彩な用途が見出される一方、[[酸性]][[土壌]]中のアルミニウム含量は、[[植物]]の成長に影響する重要な要素である。[[農業]]や[[園芸]]における人工的な栽培環境では中性付近に調整された土壌を用いる場合が多いが、それでも有害なアルミニウムイオン(Al<sup>3+</sup>)が[[根]]の伸長成長を阻害することが知られている。
=== 作用機序 ===
土壌中のアルミニウムは、pHが5.0を下回ると急激にイオン化して溶解度が高まり、pH3.5ではほぼ完全に溶存体となる。水溶化したアルミニウムイオンが農作物その他の植物に及ぼす害として、以下のようなものが知られている。
* [[肥料]]として土壌に添加した[[リン酸]]と結合し、難溶性の塩を形成する。結果として施肥効率が低下する。
* 根の成長阻害を引き起こす。アルミニウムイオンは根の細胞の[[細胞壁]]〜[[アポプラスト]]領域へ結合し、種々の応答反応を引き起こす。応答反応としてはβ-1,3グルカンである[[カロース]]の分泌などが知られるが、成長阻害の具体的なメカニズムは分かっていない。成長阻害に関する研究は今も進められている<ref>加藤秀正、平井英明、星野幸一 ほか、[https://doi.org/10.20710/dojo.76.1_1 根系の発達に及ぼす土壌溶液のアルミニウム種の影響] 日本土壌肥料学雑誌 76巻 (2005) 1号 p.1-8, {{doi|10.20710/dojo.76.1_1}}</ref>が、{{要出典範囲|アルミニウムが[[活性酸素]]の発生を促し、[[脂質]]の過酸化や[[ミトコンドリア]]の機能障害を引き起こすとする意見が有力である|date=2018年1月}}。
=== アルミニウム耐性植物 ===
[[コムギ]]や[[トウモロコシ]]、[[アジサイ]]、[[ソバ]]、[[チャノキ]]など一部の植物は、アルミニウム耐性を持つ(あるいは高アルミニウム環境にも適応し得る)ことが知られている。アルミニウムを無毒化するメカニズムはさまざまであるが、一般に[[カルボン酸]]([[シュウ酸]]、[[クエン酸]]、[[リンゴ酸]]など)を中心とした有機酸でアルミニウムイオンを[[キレート]]し、水溶性の[[錯体]]を形成する機構によるといわれている。
アルミニウム耐性に関与する[[遺伝子]]は最初にコムギにおいて発見された。耐性関連遺伝子はトウモロコシからも見つかっている。これらの植物においては単一の遺伝子によりアルミニウム耐性が実現されているが、すべての植物のアルミニウム耐性が同一の機構によるわけではないと考えられている<ref>大澤裕樹、[https://doi.org/10.11519/jfsc.118.0.121.0 木本植物に顕著な高アルミニウム耐性の生理学的解析] 日本森林学会大会発表データベース 第118回日本森林学会大会 セッションID: D25, {{doi|10.11519/jfsc.118.0.121.0}}</ref>。
=== アルミニウム耐性土壌菌 ===
[[遺伝子組み換え作物|遺伝子組み換え]]によりアルミニウム耐性植物を作出する際、その遺伝子源として注目されているものに、土壌性のアルミニウム耐性菌がある。[[根粒菌]]として知られる''Rhizobium''もアルミニウム耐性菌の一種である。強酸性(pH3.0)高アルミニウム条件にて[[スクリーニング (生物学)|選抜]]されてくる菌はほとんどが[[糸状菌]]であり、アルミニウムの多い土壌ではこれらの生物が優占していると考えられる。以下はアルミニウム耐性菌を含む[[属 (分類学)|属]]の一部である。
*''Emericellopsis'', ''Paecilomyces'', ''Mortierella''([[クサレケカビ]]), ''Sporothrix'', ''Penicillium''([[アオカビ]]), ''Aspergillus''([[コウジカビ]]), ''Metarhizium''
=== この節の参考文献 ===
* 金澤晋二郎、[https://doi.org/10.20710/dohikouen.40.0_231_2 アルミニウム耐性土壌菌の選抜] 日本土壌肥料学会講演要旨集 40巻(1994)、 {{doi|10.20710/dohikouen.40.0_231_2}}
* {{cite journal|author = 山本洋子|title = アルミニウムによる根伸長阻害の分子機構|url = http://root.jsrr.jp/archive/pdf/Vol.11/Vol.11_No.4_147.pdf|journal = 根の研究|year = 2002|volume = 11|issue = 4|pages = 147-54}}
* {{cite journal|author = Tashiro M, Fujimoto T, Suzuki T, Furihata K, Machinami T, Yoshimura E|title = Spectroscopic characterization of 2-isopropylmalic acid-aluminum(III) complex|journal = J Inorg Biochem|year = 2006|volume = 100|issue = 2|pages = 201-5}} {{PMID|16384602}}
* {{cite journal|author = Ma JF, Hiradate S, Nomoto K, Iwashita T, Matsumoto H|title = Internal Detoxification Mechanism of Al in Hydrangea (Identification of Al Form in the Leaves)|journal = Plant Physiol|year = 1997|volume = 113|issue = 4|pages = 1033-9}} {{PMID|12223659}}
== 化合物 ==
* [[酸化アルミニウム]] Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> - 通称'''アルミナ'''。[[モース硬度]]が9と高く、[[研磨剤]]として利用される。ボーキサイトからアルミニウムを製錬する際には、バイヤー法にてボーキサイトからアルミナを製造し、そのアルミナをホール・エルー法にてアルミニウムに製錬することになる。天然の結晶は[[コランダム]]と呼ばれ、古来[[宝石]]として珍重された。コランダムの中でも特に色の赤いものを[[ルビー]]、その他の色のついたもの(濃い青がもっとも価値が高い)を[[サファイア]]と呼び、非常に価値の高い宝石として珍重される。ルビーの赤色は微量のクロム、(青色の)サファイアの色は微量の鉄とチタンによるものである。
* [[水酸化アルミニウム]] Al(OH)<sub>3</sub>
* [[水素化アルミニウム]] AlH<sub>3</sub>
* [[塩化アルミニウム]] AlCl<sub>3</sub>
* [[窒化アルミニウム]] AlN
* [[リン酸アルミニウム]] AlPO<sub>4</sub>
* [[硫酸アルミニウム]] Al<sub>2</sub>(SO<sub>4</sub>)<sub>3</sub>
* [[ミョウバン]] - [[染色]]剤や[[防水]]剤、[[消火]]剤、[[皮なめし]]剤、[[沈殿]]剤など、古来さまざまな用途に使用される。
* [[氷晶石]] Na<sub>3</sub>AlF<sub>6</sub> - ホール・エルー法によるアルミニウム製錬の際に必須の鉱石だったが、[[グリーンランド]]にあった鉱床の枯渇と代替品としての[[蛍石]]の使用の普及によって工業的価値を失った。
== 歴史 ==
{{main|アルミニウムの歴史}}
[[ファイル:Friedrich W%C3%B6hler Litho.jpg|thumb|left|upright|アルミニウムの性質を研究した[[フリードリヒ・ヴェーラー]](1856年)]]
アルミニウムの歴史は[[ミョウバン|明礬]]の使用で始まった。明礬の記述が最初に文書に残されたのは、紀元前5世紀の[[古代ギリシア]]歴史家[[ヘロドトス]]による記述だった{{sfn|Drozdov|2007|p=12}}。古代人にとって、明礬は[[媒染|媒染剤]]、薬、そして(要塞を敵の放火から守るための)木の防火塗料であり、[[ウェットエッチング]]にも使用した{{sfn|Drozdov|2007|pp=12–14}}。[[十字軍]]以降、明礬は国際貿易の商品のひとつになり{{sfn|Drozdov|2007|p=16}}、ヨーロッパの織物業では欠かせない存在になった<ref name="ClaphamPower1941">{{cite book|last1=Clapham|first1=John Harold |last2=Power|first2=Eileen Edna|title=The Cambridge Economic History of Europe: From the Decline of the Roman Empire |url=https://books.google.com/books?id=gBw9AAAAIAAJ&pg=PA682|year=1941|publisher=CUP Archive|isbn=978-0-521-08710-0 |page=207}}</ref>。明礬は15世紀中期に[[オスマン帝国]]が輸出関税を大幅に上げるまで、[[地中海]]東部からヨーロッパに輸出された。
[[ルネサンス]]初期まで、明礬の性質は不明のままだった。1530年ごろ、スイスの物理学者[[パラケルスス]]は明礬を{{仮リンク|ウィトリオル|en|Vitriol}}([[硫酸塩]])と区別し、「明礬の土の塩」であると主張した{{Efn|group=注|訳注:ここでの「土」は西洋の[[四元素]]における土元素を意味する。}}{{sfn|Drozdov|2007|p=25}}。1595年、[[神聖ローマ帝国]]の医師、化学者[[アンドレアス・リバヴィウス]]は明礬と[[硫酸鉄(II)|緑ウィトリオル]]と[[硫酸銅(II)|青ウィトリオル]]が同じ酸と違う土で構成されると示し<ref name="Weeks1968">{{cite book |last=Weeks |first=Mary Elvira |title=Discovery of the elements |url=https://books.google.com/books?id=s6kPAQAAMAAJ |year=1968 |volume=1 |edition=7 |publisher=Journal of chemical education |page=187}}</ref>、明礬を構成した未発見の土の名前については「アルミナ」を提唱した{{sfn|Drozdov|2007|p=25}}。1722年、神聖ローマ帝国の化学者{{仮リンク|フリードリヒ・ホフマン|en|Friedrich Hoffmann}}は明礬の土が別の種類であると信じると宣言した{{sfn|Richards|1896|p=2}}。1754年、神聖ローマ帝国の化学者{{仮リンク|アンドレアス・ジギスムント・マルクグラフ|en|Andreas Sigismund Marggraf}}は硫酸で粘土を煮て、続いてカリを加えることで明礬の土を生成した{{sfn|Richards|1896|p=2}}。
1824年、デンマークの物理学者、化学者[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]は金属アルミニウムの作製に成功したと主張した。彼は{{仮リンク|無水|en|Anhydrous}}の[[塩化アルミニウム]]とカリウム合金で化学反応を起こさせ、見た目が[[スズ]]に似ている金属の塊を得た<ref name="(København)1827">{{cite book|author={{仮リンク|デンマーク王立科学・文学アカデミー|en|Royal Danish Academy of Sciences and Letters|label=Royal Danish Academy of Sciences and Letters}}|title=Det Kongelige Danske Videnskabernes Selskabs philosophiske og historiske afhandlinger|trans-title=The philosophical and historical dissertations of the Royal Danish Science Society|url=https://books.google.com/books?id=L2BFAAAAcAAJ&pg=PR25|year=1827|publisher=Popp|language=da|pages=XXV–XXVI}}</ref><ref name="woehler">{{cite journal |last=Wöhler |first=Friedrich |authorlink=フリードリヒ・ヴェーラー |year=1827 |title=Ueber das Aluminium |trans-title=About the aluminum |language=de |journal=[[アナーレン・デア・フィジーク|Annalen der Physik und Chemie]] |series=2 |volume=11 |pages=146–161 |url=http://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.b4433551;view=1up;seq=162}}</ref>。彼は1825年に結果を発表、新金属のサンプルを展示した。1826年、「アルミニウムは金属の光沢があり、やや灰色で、かなり緩やかに水を分解する<!--"breaks down in water" ではなく "breaks down water" と言っているので-->」と記述した。1827年、ドイツの化学者[[フリードリヒ・ヴェーラー]]はエルステッドの実験を再び行ったが、アルミニウムは発見できなかった。彼は後にベルセリウスに手紙を書き、「エルステッドがアルミニウムの塊と仮定したものは確実にただのアルミニウムを含有するカリウムである」と述べた{{Efn|group=注|原文:{{lang|de|Was Oersted für einen Aluminiumklumpen hielt, ist ganz gewiß nichts anderes gewesen als ein aluminiumhaltiges Kalium.}}<ref name="Bjerrum1926">{{cite journal|last=Bjerrum|first=Niels|year=1926|title=Die Entdeckung des Aluminiums|journal=Zeitschrift für Angewandte Chemie|volume=39|issue=9|pages=316–317|doi=10.1002/ange.19260390907|issn=0044-8249}}</ref>。}}。彼は続いて似たような実験を行った。その内容は無水の塩化アルミニウムとカリウムを混ぜることであり、アルミニウム粉末の作製に成功した<ref name="woehler" />。彼は研究を続け、1845年に小さなアルミニウムの塊を作製することに成功、その[[物性]]を記述した。しかし、ヴェーラーの記述はそれが不純物を含むアルミニウムだったことを示している{{sfn|Drozdov|2007|p=38}}。ヴェーラーなどほかの科学者がエルステッドの実験を再現できなかったことは、エルステッドが金属アルミニウムの発見者とされない理由のひとつになり、逆にヴェーラーは1845年の実験の成功とその詳細が発表されたことで金属アルミニウムの発見者とされた<ref name="Woehler Oersted Fogh">{{cite book|url=https://books.google.com/books?id=_PkzAQAAIAAJ|title=Light Metals: Aluminum, Magnesium and Titanium|year=1960|volume=23|pages=69–70}}</ref>。
フランスの化学者[[アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユ]]は、1854年に[[科学アカデミー (フランス)|パリ科学アカデミー]]でアルミニウムの工業製法を発表した{{sfn|Drozdov|2007|p=39}}。塩化アルミニウムはヴェーラーが使ったカリウムよりも便利で安いナトリウムでも還元することができるのであった<ref>{{cite book |last=Sainte-Claire Deville |first=H. E. |authorlink=アンリ・エティエンヌ・サント=クレール・ドビーユ |year=1859 |url=https://books.google.com/books?id=rCoKAAAAIAAJ |title=De l'aluminium, ses propriétés, sa fabrication |trans-title=Aluminum, its properties, its manufacture |language=fr |publisher=Mallet-Bachelier |location=Paris |deadurl=no |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160430001812/https://books.google.com/books?id=rCoKAAAAIAAJ |archivedate=30 April 2016 |df= }}</ref>。その後、アルミニウム棒は[[パリ万国博覧会 (1855年)|1855年のパリ万国博覧会]]で初めて公開展示された<ref>{{cite journal |last=Karmarsch |first=C. |year=1864 |title=Fernerer Beitrag zur Geschichte des Aluminiums |language=de |trans-title=Further report on the history of aluminum |url=https://books.google.com/?id=v4MtAAAAYAAJ&pg=PA49 |journal=Polytechnisches Journal |volume=171 |issue=1 |page=49}}</ref>。1856年、ドビーユは数人のパートナーとともに[[ルーアン]]の製錬所で世界初のアルミニウム工業生産を開始した{{sfn|Drozdov|2007|p=39}}。1855年から1859年にかけてアルミニウムの価格は1[[ポンド (質量)|パウンド]]500米ドルから40ドルまでと、10分の1以下に下落した<ref name="Polmear2005">{{cite book|last=Polmear|first=Ian|title=Light Alloys: From Traditional Alloys to Nanocrystals|url=https://books.google.com/books?id=td0jD4it63cC&pg=PT29|year=2005|publisher=Butterworth-Heinemann|isbn=978-0-08-049610-8|page=15}}</ref>。しかし、ドビーユの製法でもアルミニウムの純度の高さが足りず、サンプルによって性質が異なった{{sfn|Drozdov|2007|p=46}}。
アルミニウムの最初の工業(大規模)生産法は1886年に[[フランス第三共和政|フランス]]の工学者[[ポール・エルー]]とアメリカの工学者[[チャールズ・マーティン・ホール]]が開発した[[ホール・エルー法]]である。ホール・エルー法がアルミナをアルミニウムに変える手法である一方、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の化学者{{仮リンク|カール・ヨーゼフ・バイヤー|en|Carl Josef Bayer}}は1889年に[[バイヤー法]]という[[ボーキサイト]](鉄礬土)をアルミナに純化する手法を発見した。現代の金属アルミニウム生産はバイヤー法とホール・エルー法に基づく手法を使用している。1920年には[[スウェーデン]]の化学者カール・ヴィルヘルム・セーデルベリ({{lang|sv|Carl Wilhelm Söderberg}})率いる研究チームがホール・エルー法を改良した。
== 同位体 ==
{{See|アルミニウムの同位体}}
== 市場 ==
日本のアルミニウム地金輸入量は2021年は約280万トン、金額は7,463,024,528ドルで前年より60.9%上昇した。最大の輸入相手国は[[ロシア]]である<ref>日本貿易図鑑[https://web.archive.org/web/20220718105110/https://jtrade.ecodb.net/trade/684-import.html 「アルミニウムの輸入(輸入額、輸入先、輸入量)」]。</ref>。2021年から国際市場価格も変動しており、[[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]のあとは3月に一時的な暴騰があった。
日本の[[造幣局]]も[[財務省]][[理財局]]の[[貨幣回収準備資金]]として[[1円玉]]の原料であるアルミニウム[[地金]]を保管しており、理財局が毎年数回、売払いの入札公告を行っている<ref>財務省[https://www.mof.go.jp/policy/currency/jigane/index.html 「地金の売払いスケジュール(地金の売払い見通し)」]。</ref>{{efn|[[産金法]](1937年)、[[金、銀又は白金等の取引等取締に関する件]](1945年)、[[貴金属地金の取引等についての帳簿及び報告に関する政令]](1949年)の廃止と同時に新設された[[貨幣回収準備資金に関する法律]](2002年)により、財務大臣は貨幣回収準備資金に属する地金(引換貨幣及び回収貨幣を含む)を貨幣の製造に要する地金として[[造幣局]]に交付することができる。}}。
== 参考文献 ==
*{{cite book |last=Drozdov |first=Andrey |year=2007 |title=Aluminum: The Thirteenth Element |publisher=[[ルサール|RUSAL]] Library |isbn=978-5-91523-002-5 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[非鉄金属]]
* [[テルミット反応]]
* [[含アルミニウム泉]]
* [[日本アルミニウム協会]]
* [[アルツハイマー病]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 外部リンク ==
{{Commons&cat}}
{{Wiktionary|アルミニウム|aluminum|Aluminium|alumínium|alüminyum}}
* [https://www.aluminum.or.jp/ (社)日本アルミニウム協会]
* {{Hfnet|970|アルミニウムの安全性について}}
* [http://www.kagakueizo.org/movie/industrial/4146/ アルミニウムの誕生] -『[[科学映像館]]』より。1960年に[[日本軽金属]](当時)の企画の下で制作された広報映画
* [https://www.uacj.co.jp/aluminum/ アルミの基礎知識(アルミニウムの世界)] - 株式会社UACJ
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
{{アルミニウムの化合物}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あるみにうむ}}
[[Category:アルミニウム|*]]
[[Category:元素]]
[[Category:第13族元素]]
[[Category:第3周期元素]]
[[Category:卑金属]] | 2003-05-07T13:53:57Z | 2023-12-21T09:47:57Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0 |
7,904 | ネオジオ | ネオジオ(NEOGEOまたはNEO・GEO)は、 SNK(旧社)が開発・販売、およびレンタルしていた家庭用ゲーム機、並びに業務用ゲーム機の名称。「新たなる大地」の意味を持つ。また、両機で使用されているシステムウェアの総称でもある。キャッチコピーは「Advanced Entertainment System」。
「アーケードゲームと互換性のある家庭用ゲーム機」というコンセプトのもとで、家庭用ゲーム機として開発が進められたが、後に業務用(アーケード用)にも流用された。キャッチコピーは「凄いゲームを連れて帰ろう」。イメージキャラクターは、黒い燕尾服に黒マントと黒シルクハットに笑い顔をイメージさせる切れ込みの入った、のっぺりした仮面姿の「ゲーマント」。
発売当初はゲームセンターに設置され、1プレイごとに料金を徴収する扱いだったが、ライトユーザーをふり向かせるゲームは少なかった。しかし対戦型格闘アクションが流行となり、注目を浴びるようになった。
なお、この項目では家庭用ネオジオ(ロムカセット版)を中心に説明するが、業務用ネオジオであるMulti Video System(MVS)との共通箇所も併せて説明する。
ネオジオの基となるハードウェアは、ネオジオのサードパーティーとなるアルファ電子(後のADK)が開発した。
これらとは別に、ネオジオCD向けの周辺機器のうち一部は互換性があるため使用可能。
2004年の『サムライスピリッツ零スペシャル』をもって、日本国内でのネオジオソフトの開発は終了した。
非ライセンス品としては2005年12月7日にNG:DEV.TEAMというドイツのゲーム開発チームにより、家庭用ネオジオ向け横スクロールアクションシューティングゲームのLAST HOPE(ラストホープ)が製作されていることが発表され、翌年の10月には、日本向けにも発売された。価格は500ユーロまたは675ドルで日本円に換算すると約8万円と、家庭用ネオジオソフト史上もっとも高額で、また、販売数量は限られていた。ネオジオCD版やドリームキャスト版の発売も発表され、その後、家庭用ネオジオ版に続いてドリームキャスト版が、2007年11月にはネオジオCD版がリリースされた。ネオジオCD向け作品のリリースは、『ザ・キング・オブ・ファイターズ'99』以来となった。パッケージおよびジャケットにネオジオの表記は一切使用されていない。代わりに家庭用ネオジオの俗称である「AES」の文字が表記されており、CD版には「AES CD」と表記されている。
従来は、ゲームセンターの業務用ゲーム機(アーケードマシン)でのゲーム内容の差し替えは内部基板の交換に依っていた。しかし、基板が嵩張ることから製造や流通のコストを押し上げる要因ともなっており、また小さなゲームセンターにとっては、ゲーム内容の入れ替えが大きな負担となっていた。
この問題に対して業務用ゲーム機メーカーのSNK側が出した回答の一つが、家庭用ゲーム機のように、汎用のハードウェアを作成し、ソフトウェアをロムカセット化した上で、ゲーム機内のスロットに投入することで、簡単にゲームの差し替えを行えるようにするという物だった。システム基板とソフトウェアの供給媒体との分離自体は1980年代にすでに確立されており、データイーストのデコカセットシステムやカプコンのCPシステムなどで既出の手法だったが、供給媒体をカートリッジとして交換を容易にしたほか、1台の基板で複数のソフトウェアを導入し切り替えることが可能な作りにするという独自の要素を導入した。また、初期タイトルのソフトウエアは3万円程度と、媒体がカートリッジ(カセット)だったため業務用としては非常に安価に設定された。この価格は、初期の家庭用のソフトウエアと同額である。
これにより開発され、1990年に発売された業務用ネオジオである、通称「Multi Video System」(略称:MVS)では、アーケードゲームとしての一般的な販売手法の他に、設置を希望する店舗に無償で筐体を貸し出しその収益を徴収するという独自の手法を取った。またソフトウェア交換が楽な上に1台のゲーム機で複数ゲームを提供できることから、スーパーマーケットなどに併設されているような小規模なゲームコーナーや、玩具店・書店・駄菓子屋の店頭にゲーム機を設営する際に、その省スペース性が受けて普及した。特に青いフードが目印のSCシリーズはローラーも付いており移動性にも優れた。なお、後期型の1カートリッジタイプを除けば、ソフトウエアごとのインカムを別々に集計する機能が備わっているため、不人気タイトルを容易に特定でき、適切なタイトル変更が行える仕様だった。
日進月歩の歩みでハードの移り変わりが激しいこの業界で、2004年までに家庭用ネオジオと共に14年間にわたりソフトを供給した。
モデル名 NEO-0。1992年度にグッドデザイン賞を受賞した。
業務用のMVSがリリースされた一方、MVSと同時開発していた家庭用ネオジオも1990年4月26日に58,000円で販売された。俗称:AES(家庭用ネオジオ本体などに記載されたネオジオのキャッチコピー「Advanced Entertainment System」から由来する)で、これは後述のネオジオCDも同様である。発売当時、「ゲームセンター向けハードウェアと同じ品質で、かつゲームセンターでヒットしていたゲームがほぼそのまま家庭で遊べる」という特徴により、特に金銭に糸目をつけない熱心なゲームファンに支持された。翌年の1991年7月1日は、本体の販売価格が48,800円に変更された。併せて、それまでに発売されていた各ゲームタイトルの価格も見直しがされた。
なお、当初は「MVS用ソフトウェアにわずかな変更を施したものが家庭用」と思われていたものの、後述する「MVSコンバーター」や「ユニバースバイオス」の登場により、実際は業務用も家庭用カセット版も中身は全く一緒で、最初から家庭用のプログラムも組み込まれていることが明らかになっている。
家庭用本体の販売と同じ日に、レンタル用の本体とソフトウェアも販売開始され、ゲームセンターや当時急速に日本全国に普及していたレンタルビデオ店で貸し出す事業を行った。なお、パソコンゲーム業界では1980年代前半よりレンタルを「違法コピーの温床」と否定的に捉える風潮が強かった。家庭用ゲーム業界もそれをほぼそのまま踏襲していたことから日本ではアメリカ合衆国と異なりゲームレンタルは「潜り」の商売とみなされて来た経緯がある。そのため、ネオジオのソフトを含めたレンタルは日本初のメーカー公認レンタルである。
2004年、SNK(旧社)の後継企業に当たるSNKプレイモアは『サムライスピリッツ零スペシャル』を最後にネオジオの生産を終了させた。生産終了の最大の理由は、「海賊版、エミュレーターなどのコピー問題」である。
SNKや後継のSNKプレイモアはこの問題に対策を施したが、発売から10年以上も経っていたこともあって、ハードはすでに徹底的に隅々まで解析され尽くされていた。そのため、知識のある人間によってコピーガードなどのプロテクトは簡単に解除されたり、会社側がさらにセキュリティを強化しようとしても、今度はソフトの互換性に問題が生じることとなってしまった。
以上のことなどを踏まえ、SNKプレイモアは生産終了を発表し、事実上ネオジオの歴史に幕を閉じることとなった。このことについては、「ザ・キング・オブ・ファイターズ完全読本」内でも、SNK時代からのSNKプレイモア社員によって語られている。
一部の国では2007年現在において安価で良質なゲームが楽しめる業務用ゲーム機として重宝されていた。
2010年、ネオジオは発売後20周年を迎えた。これを記念し、SNKプレイモアは同社サイトに20周年記念ページ“ NEOGEO MUSEUM ”を開設した。この記念ページ立ち上げと同時に別会社に委託する形でネオジオメモリーカード、ネオジオCD・ネオジオポケットを除くネオジオの補修を再開していたが、現在は終了している。
2012年12月、SNK公式ライセンス商品としてNEOGEO Xが日本国内でも発売された。
2018年5月10日には現SNK社よりネオジオ ミニが発表され、7月24日に発売された。本体は業務用の「SC型」を模している。ネオジオの名作タイトルを40作品プリインストール(内蔵)し、3.5インチ液晶ディスプレイを搭載し、モバイルバッテリーにも対応しているので携帯ゲーム的に遊ぶことができる(外部ディスプレイへ映像も出力できる)。
2019年11月11日には現SNK社よりネオジオ アーケードスティック プロが発売された。先に出た「ミニ」同様、ネオジオの名作タイトルを20作品+αプリインストールしているが、こちらはネオジオCDに付属したコントローラをイメージしたジョイスティック(にゲームが内蔵された形)になっており液晶ディスプレイは非搭載。「ミニ」のジョイスティックとしても使用できる。
2005年、SNKプレイモアはPlayStation 2(以下:PS2)向けとして、『NEOGEO オンラインコレクション』というシリーズを発表。高額なネオジオ向け製品が完全移植で、安価にPlayStation 2で楽しめることとなった。第1弾として発売された『餓狼 MARK OF THE WOLVES』(以下:餓狼MOW)は、この作品は旧SNK時代の作品であるものの、オープニングに出てくる「SNK」および「SNK Presents」のロゴが「SNK PLAYMORE Presents」に差し替えられており、「基本操作説明」の画面はカットされているなど、完全移植ではなかった。
一応完全移植と呼べるようになったのは第3弾である『THE KING OF FIGHTERS オロチ編』からである。しかし、第3弾以降の一部の作品でも、表現などの問題もあって修正せざるを得なくなったものもあった。逆に、第2弾の『月華の剣士1・2』以降の作品には、第1弾である『餓狼MOW』にあったギャラリーモードや技表、プラクティス(トレーニング)モードが無く、PS2用に少し変更を加えただけの、ネオジオ版ほぼそのままのいわゆるベタ移植だった。
SNKプレイモアはD4エンタープライズに版権許諾を出すという形でWiiのバーチャルコンソールに参入しており、同サービスで一部のネオジオ用ソフトがダウンロード販売されていた。
2010年12月22日にはPlayStation 3およびPlayStation Portableにおいてネオジオ用ソフトのダウンロード販売を行うネオジオステーションが開始された。PS3版は、1080p描画によりi/p変換を排し液晶などフラットパネルディスプレイ上でブラウン管と遜色ないプレイ環境を実現するとともに、インターネットを通じてラグの少ない高品質なマルチプレイが楽しめる。PSP版はアドホック通信によるマルチプレイに対応している。両機種とも、ゲーム中の任意の状態のセーブ、ネオジオ用メモリーカードや当時のバグなどの現象を含めたエミュレーションなどが可能な他、購入済全タイトルを網羅するBGM鑑賞モードを搭載している。
2011年4月19日には上記のD4エンタープライズが運営するプロジェクトEGGより、Windows向けにネオジオ用ソフトの配信を開始。千差万別なWindows環境に合わせて解像度を含む各種設定が変更可能であり、クイックセーブやムービーキャプチャも搭載されている。
この他、Xbox 360のXbox Live Arcadeに移植されたタイトルも存在する。それぞれHD高画質化されており、オンラインによる対戦・協力プレイが可能、実績システム、インゲームマニュアル(格闘ゲームでは技表を表示)などに対応している。
2016年からはハムスターと日本一ソフトウェアによるアーケードアーカイブスのサブブランド「アケアカNEOGEO」としてMVS版の配信が行なわれている。
このようにそれぞれのプラットフォームにて安価にダウンロード販売がなされているタイトルも多く、入手もゲームプレイも容易である。移植にあたってはバーチャルコンソールとプロジェクトEGGのようなROM版そのままの完全移植に近いものから、ネオジオステーション、Xbox LIVE アーケードのように元から新たな機能を追加した上での新規移植とも言える出来のタイトルも存在する。
SNKから公式に発行されていたネオジオ関連の広報誌および公式ファンクラブは以下の物が存在した。
SNK公認のネオジオ専門のゲーム雑誌として以下のものが存在した。
SNKが倒産後、枝分かれ組のひとつであったブレッツアソフトはネオジオに代わる後継機種として「クリスタルシステム」という基板を発表した。この基板は韓国のマジックアイズ社が開発した「VRanderZERO」というマザーボードのアーキテクチャを流用し独自にカスタマイズした基板で、見た目は小型のMVSといった趣きの基板だった。しかし、元々のVRanderZEROマザーが非常に故障しやすい基板だったのに加えて、直後にブレッツアソフトがサン・アミューズメント社に吸収合併されたため、実際に発表されたタイトルは『ザ・クリスタルオブキングス』とメキシコのEVOGA社のブランドで発売された『エヴォリューションサッカー』の2タイトルのみであった、日本国内では公式に発売されず、『ザ・クリスタルオブキングス』のみ非公式で発売された。SNKプレイモアにとってブレッツアソフト、サンアミューズメント、そしてSNKネオジオ社は現在では傍系扱いとなっているため、クリスタルシステム基板自体が無かったことにされてしまった。生産終了後、SNKがネオジオ向けに開発していた作品を初めとする、SNKプレイモアが現在、権利を所有しているアーケード向けの作品の大半については、サミー(後のセガサミーホールディングス)が開発したプラットフォームである「ATOMISWAVE」へ移行し、移行後2年後にSNKプレイモアはプラットフォームを同社と旧SNK創設期より長く付き合いのあるタイトーの「Taito Type X」に変更している。また、タイトーのアーケード向けダウンロード配信システム「NESiCAxLive」での配信も予定されている。 | [
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"text": "従来は、ゲームセンターの業務用ゲーム機(アーケードマシン)でのゲーム内容の差し替えは内部基板の交換に依っていた。しかし、基板が嵩張ることから製造や流通のコストを押し上げる要因ともなっており、また小さなゲームセンターにとっては、ゲーム内容の入れ替えが大きな負担となっていた。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "この問題に対して業務用ゲーム機メーカーのSNK側が出した回答の一つが、家庭用ゲーム機のように、汎用のハードウェアを作成し、ソフトウェアをロムカセット化した上で、ゲーム機内のスロットに投入することで、簡単にゲームの差し替えを行えるようにするという物だった。システム基板とソフトウェアの供給媒体との分離自体は1980年代にすでに確立されており、データイーストのデコカセットシステムやカプコンのCPシステムなどで既出の手法だったが、供給媒体をカートリッジとして交換を容易にしたほか、1台の基板で複数のソフトウェアを導入し切り替えることが可能な作りにするという独自の要素を導入した。また、初期タイトルのソフトウエアは3万円程度と、媒体がカートリッジ(カセット)だったため業務用としては非常に安価に設定された。この価格は、初期の家庭用のソフトウエアと同額である。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "これにより開発され、1990年に発売された業務用ネオジオである、通称「Multi Video System」(略称:MVS)では、アーケードゲームとしての一般的な販売手法の他に、設置を希望する店舗に無償で筐体を貸し出しその収益を徴収するという独自の手法を取った。またソフトウェア交換が楽な上に1台のゲーム機で複数ゲームを提供できることから、スーパーマーケットなどに併設されているような小規模なゲームコーナーや、玩具店・書店・駄菓子屋の店頭にゲーム機を設営する際に、その省スペース性が受けて普及した。特に青いフードが目印のSCシリーズはローラーも付いており移動性にも優れた。なお、後期型の1カートリッジタイプを除けば、ソフトウエアごとのインカムを別々に集計する機能が備わっているため、不人気タイトルを容易に特定でき、適切なタイトル変更が行える仕様だった。",
"title": "販売展開"
},
{
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"text": "日進月歩の歩みでハードの移り変わりが激しいこの業界で、2004年までに家庭用ネオジオと共に14年間にわたりソフトを供給した。",
"title": "販売展開"
},
{
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"text": "モデル名 NEO-0。1992年度にグッドデザイン賞を受賞した。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 14,
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"text": "業務用のMVSがリリースされた一方、MVSと同時開発していた家庭用ネオジオも1990年4月26日に58,000円で販売された。俗称:AES(家庭用ネオジオ本体などに記載されたネオジオのキャッチコピー「Advanced Entertainment System」から由来する)で、これは後述のネオジオCDも同様である。発売当時、「ゲームセンター向けハードウェアと同じ品質で、かつゲームセンターでヒットしていたゲームがほぼそのまま家庭で遊べる」という特徴により、特に金銭に糸目をつけない熱心なゲームファンに支持された。翌年の1991年7月1日は、本体の販売価格が48,800円に変更された。併せて、それまでに発売されていた各ゲームタイトルの価格も見直しがされた。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "なお、当初は「MVS用ソフトウェアにわずかな変更を施したものが家庭用」と思われていたものの、後述する「MVSコンバーター」や「ユニバースバイオス」の登場により、実際は業務用も家庭用カセット版も中身は全く一緒で、最初から家庭用のプログラムも組み込まれていることが明らかになっている。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "家庭用本体の販売と同じ日に、レンタル用の本体とソフトウェアも販売開始され、ゲームセンターや当時急速に日本全国に普及していたレンタルビデオ店で貸し出す事業を行った。なお、パソコンゲーム業界では1980年代前半よりレンタルを「違法コピーの温床」と否定的に捉える風潮が強かった。家庭用ゲーム業界もそれをほぼそのまま踏襲していたことから日本ではアメリカ合衆国と異なりゲームレンタルは「潜り」の商売とみなされて来た経緯がある。そのため、ネオジオのソフトを含めたレンタルは日本初のメーカー公認レンタルである。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "2004年、SNK(旧社)の後継企業に当たるSNKプレイモアは『サムライスピリッツ零スペシャル』を最後にネオジオの生産を終了させた。生産終了の最大の理由は、「海賊版、エミュレーターなどのコピー問題」である。",
"title": "販売展開"
},
{
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"text": "SNKや後継のSNKプレイモアはこの問題に対策を施したが、発売から10年以上も経っていたこともあって、ハードはすでに徹底的に隅々まで解析され尽くされていた。そのため、知識のある人間によってコピーガードなどのプロテクトは簡単に解除されたり、会社側がさらにセキュリティを強化しようとしても、今度はソフトの互換性に問題が生じることとなってしまった。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "以上のことなどを踏まえ、SNKプレイモアは生産終了を発表し、事実上ネオジオの歴史に幕を閉じることとなった。このことについては、「ザ・キング・オブ・ファイターズ完全読本」内でも、SNK時代からのSNKプレイモア社員によって語られている。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "一部の国では2007年現在において安価で良質なゲームが楽しめる業務用ゲーム機として重宝されていた。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "2010年、ネオジオは発売後20周年を迎えた。これを記念し、SNKプレイモアは同社サイトに20周年記念ページ“ NEOGEO MUSEUM ”を開設した。この記念ページ立ち上げと同時に別会社に委託する形でネオジオメモリーカード、ネオジオCD・ネオジオポケットを除くネオジオの補修を再開していたが、現在は終了している。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2012年12月、SNK公式ライセンス商品としてNEOGEO Xが日本国内でも発売された。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2018年5月10日には現SNK社よりネオジオ ミニが発表され、7月24日に発売された。本体は業務用の「SC型」を模している。ネオジオの名作タイトルを40作品プリインストール(内蔵)し、3.5インチ液晶ディスプレイを搭載し、モバイルバッテリーにも対応しているので携帯ゲーム的に遊ぶことができる(外部ディスプレイへ映像も出力できる)。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "2019年11月11日には現SNK社よりネオジオ アーケードスティック プロが発売された。先に出た「ミニ」同様、ネオジオの名作タイトルを20作品+αプリインストールしているが、こちらはネオジオCDに付属したコントローラをイメージしたジョイスティック(にゲームが内蔵された形)になっており液晶ディスプレイは非搭載。「ミニ」のジョイスティックとしても使用できる。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "2005年、SNKプレイモアはPlayStation 2(以下:PS2)向けとして、『NEOGEO オンラインコレクション』というシリーズを発表。高額なネオジオ向け製品が完全移植で、安価にPlayStation 2で楽しめることとなった。第1弾として発売された『餓狼 MARK OF THE WOLVES』(以下:餓狼MOW)は、この作品は旧SNK時代の作品であるものの、オープニングに出てくる「SNK」および「SNK Presents」のロゴが「SNK PLAYMORE Presents」に差し替えられており、「基本操作説明」の画面はカットされているなど、完全移植ではなかった。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "一応完全移植と呼べるようになったのは第3弾である『THE KING OF FIGHTERS オロチ編』からである。しかし、第3弾以降の一部の作品でも、表現などの問題もあって修正せざるを得なくなったものもあった。逆に、第2弾の『月華の剣士1・2』以降の作品には、第1弾である『餓狼MOW』にあったギャラリーモードや技表、プラクティス(トレーニング)モードが無く、PS2用に少し変更を加えただけの、ネオジオ版ほぼそのままのいわゆるベタ移植だった。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "SNKプレイモアはD4エンタープライズに版権許諾を出すという形でWiiのバーチャルコンソールに参入しており、同サービスで一部のネオジオ用ソフトがダウンロード販売されていた。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "2010年12月22日にはPlayStation 3およびPlayStation Portableにおいてネオジオ用ソフトのダウンロード販売を行うネオジオステーションが開始された。PS3版は、1080p描画によりi/p変換を排し液晶などフラットパネルディスプレイ上でブラウン管と遜色ないプレイ環境を実現するとともに、インターネットを通じてラグの少ない高品質なマルチプレイが楽しめる。PSP版はアドホック通信によるマルチプレイに対応している。両機種とも、ゲーム中の任意の状態のセーブ、ネオジオ用メモリーカードや当時のバグなどの現象を含めたエミュレーションなどが可能な他、購入済全タイトルを網羅するBGM鑑賞モードを搭載している。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "2011年4月19日には上記のD4エンタープライズが運営するプロジェクトEGGより、Windows向けにネオジオ用ソフトの配信を開始。千差万別なWindows環境に合わせて解像度を含む各種設定が変更可能であり、クイックセーブやムービーキャプチャも搭載されている。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "この他、Xbox 360のXbox Live Arcadeに移植されたタイトルも存在する。それぞれHD高画質化されており、オンラインによる対戦・協力プレイが可能、実績システム、インゲームマニュアル(格闘ゲームでは技表を表示)などに対応している。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "2016年からはハムスターと日本一ソフトウェアによるアーケードアーカイブスのサブブランド「アケアカNEOGEO」としてMVS版の配信が行なわれている。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "このようにそれぞれのプラットフォームにて安価にダウンロード販売がなされているタイトルも多く、入手もゲームプレイも容易である。移植にあたってはバーチャルコンソールとプロジェクトEGGのようなROM版そのままの完全移植に近いものから、ネオジオステーション、Xbox LIVE アーケードのように元から新たな機能を追加した上での新規移植とも言える出来のタイトルも存在する。",
"title": "販売展開"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "SNKから公式に発行されていたネオジオ関連の広報誌および公式ファンクラブは以下の物が存在した。",
"title": "関連商品"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "SNK公認のネオジオ専門のゲーム雑誌として以下のものが存在した。",
"title": "関連商品"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "SNKが倒産後、枝分かれ組のひとつであったブレッツアソフトはネオジオに代わる後継機種として「クリスタルシステム」という基板を発表した。この基板は韓国のマジックアイズ社が開発した「VRanderZERO」というマザーボードのアーキテクチャを流用し独自にカスタマイズした基板で、見た目は小型のMVSといった趣きの基板だった。しかし、元々のVRanderZEROマザーが非常に故障しやすい基板だったのに加えて、直後にブレッツアソフトがサン・アミューズメント社に吸収合併されたため、実際に発表されたタイトルは『ザ・クリスタルオブキングス』とメキシコのEVOGA社のブランドで発売された『エヴォリューションサッカー』の2タイトルのみであった、日本国内では公式に発売されず、『ザ・クリスタルオブキングス』のみ非公式で発売された。SNKプレイモアにとってブレッツアソフト、サンアミューズメント、そしてSNKネオジオ社は現在では傍系扱いとなっているため、クリスタルシステム基板自体が無かったことにされてしまった。生産終了後、SNKがネオジオ向けに開発していた作品を初めとする、SNKプレイモアが現在、権利を所有しているアーケード向けの作品の大半については、サミー(後のセガサミーホールディングス)が開発したプラットフォームである「ATOMISWAVE」へ移行し、移行後2年後にSNKプレイモアはプラットフォームを同社と旧SNK創設期より長く付き合いのあるタイトーの「Taito Type X」に変更している。また、タイトーのアーケード向けダウンロード配信システム「NESiCAxLive」での配信も予定されている。",
"title": "関連商品"
}
] | ネオジオ(NEOGEOまたはNEO・GEO)は、 SNK(旧社)が開発・販売、およびレンタルしていた家庭用ゲーム機、並びに業務用ゲーム機の名称。「新たなる大地」の意味を持つ。また、両機で使用されているシステムウェアの総称でもある。キャッチコピーは「Advanced Entertainment System」。 「アーケードゲームと互換性のある家庭用ゲーム機」というコンセプトのもとで、家庭用ゲーム機として開発が進められたが、後に業務用(アーケード用)にも流用された。キャッチコピーは「凄いゲームを連れて帰ろう」。イメージキャラクターは、黒い燕尾服に黒マントと黒シルクハットに笑い顔をイメージさせる切れ込みの入った、のっぺりした仮面姿の「ゲーマント」。 発売当初はゲームセンターに設置され、1プレイごとに料金を徴収する扱いだったが、ライトユーザーをふり向かせるゲームは少なかった。しかし対戦型格闘アクションが流行となり、注目を浴びるようになった。 なお、この項目では家庭用ネオジオ(ロムカセット版)を中心に説明するが、業務用ネオジオであるMulti Video System(MVS)との共通箇所も併せて説明する。 | {{出典の明記|date=2021年12月}}
{{Otheruses||[[坂本龍一]]のアルバム名|ネオ・ジオ}}
{{Infobox コンシューマーゲーム機
|名称 = ネオジオ
|ロゴ = [[File:Neo Geo logo.png|150px]]
|画像 = [[File:Neo-Geo-AES-Console-Set.png|350px]]
|画像コメント = 家庭用ネオジオ(コントローラーと本体)
|メーカー = [[SNK (1978年設立の企業)| SNK]](旧社){{Efn|現在「SNK」の社名を冠する企業は[[2001年]]の設立後にネオジオの販売元であったSNK(旧社)の知的財産権を継承し、[[2016年]]に「SNKプレイモア」から社名を変更した別法人である(詳細は[[SNK (2001年設立の企業)|当該項目]]を参照)。本記事中では、特記の無い「SNK」は旧社を、「SNKプレイモア」と記述する場合は2001年設立のSNK(新社)を指す。}}
|種別 = [[ゲーム機|据置型ゲーム機]]
|世代 = [[ゲーム機#第4世代|第4世代]]
|発売日 = {{flagicon|JPN}} [[1990年]][[4月16日]](業務用)<br />{{flagicon|JPN}} [[1990年]][[4月26日]](家庭用)<br />{{flagicon|JPN}} [[1990年]][[4月26日]](レンタル用)
|CPU = [[MC68000]]
|GPU =
|メディア = [[ロムカセット]]
|ストレージ = [[PCカード]]
|コントローラ = ケーブル
|外部接続端子 =
|オンラインサービス =
|売上台数 ={{Flagicon|JPN}} 100万台{{要出典|date=2023年12月}}<br>[[ファイル:Map projection-Eckert IV.png|26px|世界]] 110万台{{要出典|date=2023年12月}}
|最高売上ソフト = {{Flagicon|JPN}} [[真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変]] /21万本
|互換ハード = [[Multi Video System]](業務用ネオジオ)
|前世代ハード =
|次世代ハード = [[ハイパーネオジオ64]]
}}
'''ネオジオ'''('''NEOGEO'''または'''NEO・GEO''')は、[[SNK (1978年設立の企業)| SNK]](旧社)が開発・販売、および[[レンタル]]していた[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]、並びに[[アーケードゲーム機|業務用ゲーム機]]の名称。「新たなる大地」の意味を持つ<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=[[ファミ通|ファミコン通信]] No.22 |date=1993年4月30日 |year=1993 |publisher=[[アスキー (企業)|アスキー]] |pages=94,95,96,97}}</ref>。また、両機で使用されているシステムウェアの総称でもある。キャッチコピーは「Advanced Entertainment System」。
「アーケードゲームと互換性のある家庭用ゲーム機」というコンセプト<ref>{{Cite web|和書|title=『餓狼MOW』には幻の『2』があった!? SNKスタッフが『KOF』や『メタルスラッグ』などNEOGEO mini収録タイトルの思い出を語る|url=https://www.famitsu.com/news/201808/24162612.html|work=[[ファミ通]]|publisher=[[エンターブレイン]]|accessdate=2019-08-11|date=2018-08-24|author=リプ斉トン}}</ref>のもとで、家庭用ゲーム機として開発が進められたが、後に業務用(アーケード用)にも流用された。[[キャッチコピー]]は「'''凄いゲームを連れて帰ろう'''」。イメージキャラクターは、黒い燕尾服に黒[[マント]]と黒[[シルクハット]]に笑い顔をイメージさせる切れ込みの入った、のっぺりした仮面姿の「'''ゲーマント'''」。
発売当初は[[ゲームセンター]]に設置され、1プレイごとに料金を徴収する扱いだったが、[[ライトユーザー]]をふり向かせるゲームは少なかった。しかし[[対戦型格闘ゲーム|対戦型格闘アクション]]が流行となり、注目を浴びるようになった<ref name=":0" />。
なお、この項目では家庭用ネオジオ(ロムカセット版)を中心に説明するが、業務用ネオジオであるMulti Video System(MVS)との共通箇所も併せて説明する。
== ハードウェア ==
[[File:Neo-geo con.png|thumb|right|250px|家庭用ネオジオにカートリッジがセットされた状態。[[経済産業省|通産省]]の[[グッドデザイン賞]]に選ばれている<ref name=":0" />。]]
ネオジオの基となるハードウェアは、ネオジオのサードパーティーとなる[[アルファ電子]](後のADK)が開発した。
;[[ロムカセット]](ロムカートリッジ)
:家庭用カセット版・業務用で採用されている[[電子媒体|ソフトメディア]]で、2枚の基板が1つのプラスチック製カートリッジにパッケージングされている。
:家庭用カセット版と業務用とでは形状が異なる。家庭用の方がやや大きい。
:[[任天堂]]の[[スーパーファミコン]]や[[セガ]]の[[メガドライブ]]と[[キッズコンピュータ・ピコ|キッズコンピューター・ピコ]]のロムカセットと比べると2倍以上大きく、その分収められるデータ量も巨大である。そのため、「[[アーケードゲーム]]と遜色ないものが家庭でも遊べる」ことが強みであった。
:カセットの形状は、日本国内外共通であり、日本国外版のカセットを日本国内版の本体でプレイする、あるいはその逆が可能になっている。
:ただし、国別設定(および、業務用 / 家庭用の区別)は本体BIOSを取得することで行われるため、日本国外版のカセットであっても日本国内版の本体で使用すれば日本語版として動作する。また、業務用カセットであっても社外品の変換アダプタを用いて家庭用本体で使用すれば家庭用として動作する。
:容量は当時のゲーム業界におけるROMメディアの通例{{Efn|理由は諸説あるが、チップの論理的構成上、DRAMではビット単位で表示することに意味があったため、他にはメモリーチップ業界に同様な慣例があった。}}どおり、メガバイトではなくメガビットを指して「MB」で表記されている。
;[[コントローラー]]
:家庭用の場合、操作のために使う純正のコントローラーは十字キーがレバー式のファイティングスティックが使われている。
:重量はやや軽め。ボタンはゆるやかな弧を描いて配置され押すと深く沈む作り。
:NEOGEOCDに付属されるネオジオCD専用コントローラーはパッド式だが、差込口が同じなので繋げれば使用が可能になる。
<!--:SNK販売のプリントシール機NEOプリントの基板でも、同形状のロムカセットが採用されている。-->
<!--//誰か家庭用カセット版と業務用のソフトの写真を掲載してください。//-->
;[[CD-ROM]]
:ネオジオCDおよびネオジオCD-Zで採用されている[[電子媒体|ソフトメディア]]である。
:詳しくは[[ネオジオCD]]の項目にて。
;[[メモリーカード]]
:ゲーム中のセーブデータは、PCMCIA規格準拠の[[PCカード]]のメモリで保存される。容量は2キロバイト。ただし、スコアの記録程度のものが大半で、セーブデータを積極活用するようなソフトは極少数に留まった。
:格闘ゲームではゲームオーバーになったステージの時点でセーブして、ゲーム開始時にデータのロードを行う。いきなりラスボス戦から始めることも可能である。また、一部作品の隠し要素を使用する際は、メモリーカードが必要になる場合が多い。
:業務用でも一部の筐体にはメモリーカードのスロットが装備されているため使用できる。家庭用カセット版でプレイしたゲームの続きを業務用でプレイすること、あるいはその逆が可能となっている。
:電池切れを防止するため、純正メモリーカードではなく市販の[[SRAMカード]]を代用することができる。
;起動時のアニメーション
:家庭用カセット版および業務用を起動すると、最初に「'''NEO・GEO'''」または「'''NEOGEO'''」の黒文字の言葉と白色の背景が同時に現れ、その後、その文字と背景の色が反転した後に「(文字列) '''PRO-GEAR SPEC'''」という白文字の言葉と「'''SNK'''」という前述の言葉とは違うフォントで表された青文字の言葉が追加されて出てくる。
:この起動時のアニメーションは、[[ダイナ (ゲーム会社)|ダイナ]]の『Vライナー』や、ブレッツアソフトの『ジョッキーグランプリ』などのBET系作品を除けば、他社作品も含めて全ての作品に共通して使用されている。『Vライナー』は日本を含む世界中のカジノ(日本国内ではメダルコーナー)で稼動したスロットゲームで、通常の起動画面との違いは、背景の色が反転しないことと、「NEOGEO」の白文字の言葉の回転がブレながら行われることである。『ジョッキーグランプリ』に至っては起動アニメーションそのものが表示されないままゲームが立ち上がる。
:なお、「'''(文字列)'''」の部分は以下より説明する。
:;MAX 330 MEGA
::ネオジオの初期作品から『[[メタルスラッグ|メタルスラッグ2]]』まで「(文字列)」の部分を表示していたのがこの言葉で、フォントは「PRO-GEAR SPEC」と同じである。
::「MAX 330 MEGA」の意味である「最大330メガ」は化粧箱の「DIRECT ROM ACCESS CAPABILITY: 330」という記載と関係があると思われる{{疑問点|date=2022年12月}}。一般的な認識としては「ロムカセットの最大容量」という情報が伝わっているが、事実でない可能性が高い。
:;GIGA POWER
::表現力を増すために[[ロムカセット]]の容量がさらに巨大化していくことを表すために『[[リアルバウト餓狼伝説|リアルバウト餓狼伝説2]]』以降の作品は、『メタルスラッグ2』を除いてこの表記が「MAX 330 MEGA」に代わって表示されていく。
::ただし、フォントは「MAX 330 MEGA」と違って別物となっている。
::また、この表示から「NEO・GEO」の表示も「・」が抜けて「NEOGEO」と表示されるようになった。ただし、『リアルバウト餓狼伝説2』以降の一部作品でも「NEO・GEO」と表示される作品は存在した。
::『[[リアルバウト餓狼伝説|リアルバウト餓狼伝説2]]』は539メガビットの容量であり、[[2004年]]発売の『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ|ザ・キング・オブ・ファイターズ2003]]』は716メガビットもあった。
;起動時のBGMの音色
:前述の通り、起動時については、アニメーションは全作品共通であるものの、一部メーカーの作品でBGMだけは音色が異なる。
:なお、それ以外のメーカーの作品はSNK作品と共通の音色である。
:また、中には業務用のみにしかリリースされていない作品もあり、かつ起動時のアニメーションが最初から表示されない作品もあるが、後述するMVSコンバーターやユニバースバイオスといったアイテムを駆使して家庭用モードで起動すると、確認が可能となる。
:音色が異なるメーカーは以下の通り。
:;[[エーディーケイ|ADK]]
::アルファ電子時代の作品も含む。
::なお、「ADK」と社名変更する前辺りから音色が変更されている。
::また、起動画面で表示される「PRO GEAR」の「R」のフォントも異なる。
:;[[NMK]]
::ネオジオ向けに開発したゲームは『[[作戦名ラグナロク|作戦名(オペレーション)ラグナロク]]』のみで、家庭用には移植されていない。
:;[[彩京]]
::開発したゲームは『[[ストライカーズ1945|ストライカーズ1945 PLUS]]』のみで、家庭用には移植されていない。
:;[[エイティング]]
::[[ハドソン]]の許諾により『[[ボンバーマン ぱにっくボンバー]]』がリリースされている。
::なお、開発を[[イレブン (ゲーム会社)|イレブン]]が行っているため、音色はSNK作品で流れる音色にドラム音を加えたものとなっている。
:;[[ザウルス (ゲームメーカー)|ザウルス]]
::音色が異なっているのは『[[ステークスウィナー|ステークスウィナー 〜GI完全制覇への道〜]]』のみ。
::こちらも開発をイレブンが行っているため、『ボンバーマン ぱにっくボンバー』と同じ音色が採用されている。
::なお、続編の『2』はSNK作品と同じ音色が採用されている。
:;[[サミー|サミー工業]]
::リリースしたゲームは『[[ビューポイント (ゲーム)|ビューポイント]]』のみである。
::開発を後にサミー工業に吸収合併されたエイコム(旧社)が行っているため、再独立後のエイコム(新社、後に「夢工房」と社名変更、後述)作品である『パルスター』や『ブレイジングスター』と同じ音色が採用されている。
:;[[サン電子]]
::同社作品でSNK作品とは違う音色が採用されているのは『[[ギャラクシーファイト ユニバーサル・ウォーリアーズ|ギャラクシーファイト 〜ユニバーサル・ウォーリアーズ〜]]』のみである。
:;[[データイースト]]
::参入第1弾として開発・発売した『[[ミラクルアドベンチャー]]』のみ、SNK作品と同じ音色が採用されている。
::なお、同社最後のネオジオ作品である『[[マジカルドロップ|マジカルドロップ3]]』では、また別の音色が採用されている。
:;[[テクモ]]
::開発したゲームは海外販売のみの『[[テクモ ワールドサッカー'96]]』のみ。
:;[[ナスカ (ゲーム会社)|ナスカ]]
::なお、この会社がSNKに吸収合併された後も、この会社の作品を題材とした一部の作品<!--『2』よりシリーズ化した『[[メタルスラッグ]]』(ただし『3』まで)など-->にも同じ音色が採用されている。
:;[[ビデオシステム]]
::ネオジオでリリースされた作品全てSNK作品と音色が異なっている。海外のみの発売となった『[[ガッポリン]]』だけ、他のネオジオ向け同社作品とは違う音色が採用されている。
:;[[フェイス (ゲーム会社)|フェイス]]
::同社作品でSNK作品とは違う音色が採用されているのは『[[ぐるりん (テレビゲーム)|ぐるりん]]』のみ。家庭用には移植されていない。
:;[[夢工房 (ゲーム会社)|夢工房]]
::音色はエイコム時代から一貫して変更されていないが、『[[雀神伝説]]』のみ[[ホワイトボード (ゲーム会社)|ホワイトボード]]([[サントス (ゲーム会社)|サントス]])開発のため、また別の音色が採用されている。
;100メガショック
:1992年の『[[龍虎の拳]]』など、カートリッジ内の[[Read Only Memory|ROM]]に記憶できる容量が増えたことや、[[対戦型格闘ゲーム]]のブームによりキャラクタの[[スプライト (映像技術)|スプライト]]パターンや効果音が増えたことにより、容量が100メガ[[ビット]]以上のカートリッジが登場した。それらの作品に対してのキャッチコピーとして使用されたのがこの言葉である。
:それと同時に、そのキャッチコピーで宣伝された一部の作品には、ネオジオ起動時のオープニングの後に、「'''THE 100 MEGA SHOCK!'''」という言葉が流れるアニメーションが収録されたり{{Efn|『[[餓狼伝説2]]』・『[[ファイヤースープレックス]]』・『[[痛快GANGAN行進曲]]』など。}}、業務用のインストや家庭用カセット版のパッケージにその言葉を使用したロゴが記された。なお、容量が100メガビット以下で、[[ビッコム]]が開発した98メガビットの対戦2D格闘ゲーム『[[ファイトフィーバー]]』も、起動時のアニメーション後に「THE 100 MEGA SHOCK!」のアニメーションが流れるため、100メガビット未満であるものの「100メガショック」作品とされる。
:キャッチコピーを使用し始めてから2年後には、200メガビット以上の作品が登場するようになったため、この言葉も1990年代後半の作品では使われなくなっていった。
;MVSとの違い
:家庭用NEOGEOとMVSをゲーム画面内で見分ける基準として、「CREDITS」表示の位置が挙げられており、NEOGEO版は画面下の左右に表示されている<ref>{{Cite book|和書 |title=電撃NEOGEO 電撃PCエンジン12月号増刊 通巻27号 |date=1994年12月10日 |year=1994 |publisher=[[メディアワークス]] |pages=42,43,}}</ref>。
=== 仕様 ===
{| class="wikitable"
|+ ネオジオ スペック<ref>{{Wayback|url=http://www.neogeo.co.jp/hard2/conshard.htm |title=家庭用ゲーム機 ハードウェア一覧 |date=19971011122940}}</ref>
|-
! CPU</td>
| メイン:16bit/[[MC68000|68000]](12MHz)、サウンド用:8bit/[[Z80]](4MHz)
|-
! メモリ</td>
| [[Random Access Memory|RAM]]:【68000】64Kバイト、【Z80】2Kバイト、【[[VRAM]]】68Kバイト
|-
! サウンド</td>
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== 周辺機器 ==
<gallery>
File:Neo-Geo-AES-Controller-FL.jpg|コントローラ
File:Neo-Geo-AES-Cartridge-Front.jpg|カートリッジ
File:Neo-Geo-Memory-Card.jpg|メモリーカード
</gallery>
*メモリーカード NEO-IC8
*メモリーカード MV-IC
*[[RF接続|RFコンバータ]] FCG-8
*RGBケーブル FCG-9
*[[ACアダプタ]] PRO-POW/PRO-POW2/NEO-POW3
*XNEO-1([[電波新聞社]]製品)
これらとは別に、[[ネオジオCD]]向けの周辺機器のうち一部は互換性があるため使用可能。
=== 非ライセンス品 ===
;MVSコンバーター
:業務用であるMVS版の専用カートリッジを家庭用ネオジオROMカセット版の本体で使用することが可能になる変換機器である。
:最初にコンバーターを家庭用の本体のカセット差込口に差し、そのコンバーターの上にMVS版のカートリッジを差す構造となっている。
:なお、家庭用本体には[[Basic Input/Output System|BIOS(バイオス)]]が搭載されており、これには日本向け・米国(英語圏)向け・欧州向けがある。例えば日本向けのBIOSが内蔵されている家庭用本体を使うと、日本版あるいは日本国外版などと関係なく、全てのソフトが日本版の家庭用向けの状態でプレイできるようになる。
:これは米国向け・欧州向けについても当てはまる。だが、ネオジオも他の家庭用ゲーム機と同様に、各々の国で販売する際に、各々の国のアナログテレビジョン方式の規格に準じて製造されている。例えば、[[NTSC]]方式の国では、その方式によって家庭用ゲーム機およびソフトも作られているため、同じゲーム機のソフトでも他の方式にそって作られているソフトは、NTSC方式に準じて製造された本体では使えない可能性が高い。
:家庭用ROMカセット版の日本国外版を使用した場合も同様のことができ、日本国外でしか発売・販売されていないMVS版・家庭用ROMカセット版の作品のほとんども日本版の家庭用向けの状態でプレイできる。
:これにより、業務用でしかリリースされていない作品を家庭用モードでプレイすることが可能になる。
:ただ、業務用の本体と家庭用の本体は同じ基板であり互換性があるが、一部が乱れて表示されてしまうものもあれば、プレイ不可能なものもある。
:現在、「phantom-1」と「NEO SUPER SNK MVS CONVERTOR」という2つのコンバーターがリリースされており、後者は日本でもネット通販で販売されていることが確認されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www10.ocn.ne.jp/~figure17/mvs.html |title=MVSコンバーター「NEO SUPER SNK MVS CONVERTOR」レビュー |accessdate=2007年11月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130127083005/http://www10.ocn.ne.jp/~figure17/mvs.html |archivedate=2013年1月27日 }}</ref>。
:カートリッジ(カセット)形式なのでネオジオCD版では使用できず、後述するユニバースバイオスがこれの代替となっている。また、NEO SUPER SNK MVS CONVERTORに同梱するドライバCDは同社製の別の商品のドライバ兼カタログである。
;[http://neogeofanclub.com/project/neosavemasta/ NeoSaveMasta]
:メモリーカードの互換品。[[強誘電体メモリ|FeRAM]]が使用されており、電池が不要になっている。バンク切り替えで純正メモリーカード16枚分のセーブデータを記録出来る。
;[http://unibios.free.fr/ ユニバースバイオス(UNIVERSE BIOS)]
:略称は「UNI」、「UNIBIOS」。
:前述のMVSコンバーターで述べた通り、家庭用カセット版と業務用は基本的に中身が同じだが、互いの本体(業務用の場合は基板)に搭載されているBIOSにより、家庭用カセット版か業務用のどちらかのモードで起動するようになる。
:その互いのBIOSにこのユニバースバイオスを加えると、家庭用カセット版と業務用のどちらでも、家庭用カセット版と業務用の両モードを使用できるようになるほか、チートやジュークボックスなどの豊富な機能が使用できるようになる。
:オフィシャルバージョン(有償)とフリーバージョンの2種類とあるが、互いのそれぞれのバージョンの中身に違いは無い。
== ソフトウェア ==
{{Main2|ネオジオ・ネオジオCDタイトル|ネオジオのゲームタイトル一覧}}
{{Main2|MVSで発売されたタイトル|Multi Video Systemのゲームタイトル一覧}}
2004年の『[[サムライスピリッツ零|サムライスピリッツ零スペシャル]]』をもって、日本国内でのネオジオソフトの開発は終了した。
非ライセンス品としては[[2005年]][[12月7日]]にNG:DEV.TEAM<ref>{{Cite web|url=http://www.ngdevteam.com/index.htm|title=NG:DEV.TEAM|accessdate=2021-12-08}}</ref>というドイツのゲーム開発チームにより、家庭用ネオジオ向け横スクロールアクションシューティングゲームのLAST HOPE(ラストホープ)<ref>{{Cite web|url=http://www.lasthope.ngdevteam.com/|title=LAST HOPE|accessdate=2021-12-08}}</ref>が製作されていることが発表され、翌年の10月には、日本向けにも発売された。価格は500ユーロまたは675ドルで日本円に換算すると約8万円と、家庭用ネオジオソフト史上もっとも高額で、また、販売数量は限られていた。ネオジオCD版や[[ドリームキャスト]]版の発売も発表され、その後、家庭用ネオジオ版に続いてドリームキャスト版が、2007年11月にはネオジオCD版がリリースされた。ネオジオCD向け作品のリリースは、『ザ・キング・オブ・ファイターズ'99』以来となった。パッケージおよびジャケットにネオジオの表記は一切使用されていない。代わりに家庭用ネオジオの俗称である「'''AES'''」の文字が表記されており、CD版には「'''AES CD'''」と表記されている。
== 販売展開 ==
{{独自研究|section=1|date=2021年12月}}
=== 業務用ネオジオ:MVS ===
{{Main|Multi Video System}}
従来は、[[ゲームセンター]]の[[アーケードゲーム|業務用ゲーム機]](アーケードマシン)でのゲーム内容の差し替えは内部基板の交換に依っていた。しかし、基板が嵩張ることから製造や流通のコストを押し上げる要因ともなっており、また小さなゲームセンターにとっては、ゲーム内容の入れ替えが大きな負担となっていた。
この問題に対して業務用ゲーム機メーカーのSNK側が出した回答の一つが、家庭用ゲーム機のように、汎用のハードウェアを作成し、ソフトウェアを[[ロムカセット]]化した上で、ゲーム機内のスロットに投入することで、簡単にゲームの差し替えを行えるようにするという物だった。システム基板とソフトウェアの供給媒体との分離自体は1980年代にすでに確立されており、[[データイースト]]の[[デコカセットシステム]]や[[カプコン]]の[[CPシステム]]などで既出の手法だったが、供給媒体をカートリッジとして交換を容易にしたほか、1台の基板で複数のソフトウェアを導入し切り替えることが可能な作りにするという独自の要素を導入した。また、初期タイトルのソフトウエアは3万円程度と、媒体がカートリッジ(カセット)だったため業務用としては非常に安価に設定された。この価格は、初期の家庭用のソフトウエアと同額である。
これにより開発され、[[1990年]]に発売された業務用ネオジオである、通称「'''Multi Video System'''」(略称:'''MVS''')では、アーケードゲームとしての一般的な販売手法の他に、設置を希望する店舗に無償で筐体を貸し出しその収益を徴収するという独自の手法を取った。またソフトウェア交換が楽な上に1台のゲーム機で複数ゲームを提供できることから、スーパーマーケットなどに併設されているような小規模なゲームコーナーや、玩具店・書店・駄菓子屋の店頭にゲーム機を設営する際に、その省スペース性が受けて普及した。特に青いフードが目印のSCシリーズはローラーも付いており移動性にも優れた。なお、後期型の1カートリッジタイプを除けば、ソフトウエアごとのインカムを別々に集計する機能が備わっているため、不人気タイトルを容易に特定でき、適切なタイトル変更が行える仕様だった。
日進月歩の歩みでハードの移り変わりが激しいこの業界で、[[2004年]]までに家庭用ネオジオと共に14年間にわたりソフトを供給した。
=== 家庭用ネオジオ ===
モデル名 NEO-0。1992年度にグッドデザイン賞を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.g-mark.org/award/describe/19005 |title=家庭用テレビゲーム機 [ネオ・ジオ NEO-0] |publisher=日本デザイン振興会 |accessdate=2021-12-08}}</ref>。
業務用のMVSがリリースされた一方、MVSと同時開発していた家庭用ネオジオも1990年4月26日<ref>週刊ファミ通2016年6月16日増刊号特別付録 ゲームハード・ヒストリー 25項</ref>に58,000円で販売された。俗称:'''AES'''(家庭用ネオジオ本体などに記載されたネオジオのキャッチコピー「Advanced Entertainment System」から由来する){{Efn|ただし、日本では業務用が通称の「MVS」で呼ばれるのに対し、家庭用は「ネオジオ」と呼ばれることが多かったため、あまり浸透していない俗称である。「'''Advanced Entertainment System'''」自体は業務用ネオジオにも使われていたキャッチコピーであり、家庭用ネオジオの正式名称ではない。}}で、これは後述のネオジオCDも同様である。発売当時、「[[ゲームセンター]]向けハードウェアと同じ品質で、かつゲームセンターでヒットしていたゲームがほぼそのまま家庭で遊べる」という特徴により、特に金銭に糸目をつけない熱心なゲームファンに支持された。翌年の1991年7月1日は、本体の販売価格が48,800円に変更された。併せて、それまでに発売されていた各ゲームタイトルの価格も見直しがされた。
なお、当初は「MVS用ソフトウェアにわずかな変更を施したものが家庭用」と思われていたものの、後述する「MVSコンバーター」や「ユニバースバイオス」の登場により、実際は業務用も家庭用カセット版も中身は全く一緒で、最初から家庭用のプログラムも組み込まれていることが明らかになっている。{{Efn|ただし、『ザ・キング・オブ・ファイターズ2001』のようにMVS版では簡素だったオプション画面が家庭用カセット版発売時にリファインされた例もあり、また『レイジ・オブ・ザ・ドラゴンズ』ではMVS版で家庭用モードをプレイした際はオプション画面がモックアップ状態で効果が無い代わりに簡易的なデバッグモードが搭載されていたりするケースがある。}}
家庭用本体の販売と同じ日に、レンタル用の本体とソフトウェアも販売開始され、ゲームセンターや当時急速に日本全国に普及していた[[レンタルビデオ]]店で貸し出す事業を行った。なお、[[パソコンゲーム]]業界では[[1980年代]]前半よりレンタルを「違法コピーの温床」と否定的に捉える風潮が強かった。家庭用ゲーム業界もそれをほぼそのまま踏襲していたことから日本では[[アメリカ合衆国]]と異なり[[ゲームレンタル]]は「潜り」の商売とみなされて来た経緯がある。そのため、ネオジオのソフトを含めたレンタルは日本初のメーカー公認レンタルである{{Efn|[[セガ]]が[[1999年]]から[[2000年]]にかけて[[TSUTAYA]]と提携して行った[[ドリームキャスト]]のレンタル開始に際して「日本初のメーカー公認ゲームレンタル」との報道も見られたが、これは誤りである。}}。
=== ネオジオCD ===
{{main|ネオジオCD}}
=== ネオジオ生産終了の理由 ===
[[2004年]]、SNK(旧社)の後継企業に当たる[[SNK (2001年設立の企業)|SNKプレイモア]]は『サムライスピリッツ零スペシャル』を最後にネオジオの生産を終了させた。{{要出典|生産終了の最大の理由は、「海賊版、エミュレーターなどのコピー問題」である。|date=2020年7月}}{{see also|海賊版#コンピュータソフトウェア}}
SNKや後継のSNKプレイモアはこの問題に対策を施したが、発売から10年以上も経っていたこともあって、ハードはすでに徹底的に隅々まで解析され尽くされていた。そのため、知識のある人間によってコピーガードなどのプロテクトは簡単に解除されたり、会社側がさらにセキュリティを強化しようとしても、今度はソフトの互換性に問題が生じることとなってしまった。
以上のことなどを踏まえ、SNKプレイモアは生産終了を発表し、事実上ネオジオの歴史に幕を閉じることとなった。このことについては、「ザ・キング・オブ・ファイターズ完全読本」内でも、SNK時代からのSNKプレイモア社員によって語られている。{{main|SNK (2001年設立の企業)#ネオジオ終了後のプラットフォーム}}
=== 生産終了後 ===
一部の国では2007年現在において安価で良質なゲームが楽しめる業務用ゲーム機として重宝されていた<ref>[https://archive.is/20070811002141/http://news.ameba.jp/internews/2008/02/11269.html 人気爆発!『キングオブファイターズ97』が大人気!(Ameba News)]</ref><ref>{{Wayback|url=http://rocketnews24.com/?p=6768|title=カンボジアで一番人気のあるゲームメーカーはネオジオのSNK(ロケットニュース24)|date=20090327172902}}</ref>。
[[2010年]]、ネオジオは発売後20周年を迎えた。これを記念し、SNKプレイモアは同社サイトに20周年記念ページ“ NEOGEO MUSEUM ”を開設した<ref>{{Cite web|url=https://neogeomuseum.snk-corp.co.jp/index.php |title=NEOGEO MUSEUM |publisher=SNKプレイモア |accessdate=2022-10-03}}</ref>。この記念ページ立ち上げと同時に別会社に委託する形でネオジオメモリーカード、ネオジオCD・[[ネオジオポケット]]を除くネオジオの補修を再開していたが、現在は終了している。
==== 内蔵型ゲーム機 ====
2012年12月、SNK公式ライセンス商品として[[NEOGEO X]]が日本国内でも発売された。
[[2018年]][[5月10日]]には現SNK社より[[ネオジオ ミニ]]が発表され<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/201805/10157059.html|title=“NEOGEO mini”が正式発表! SNKブランド40周年を記念して名作・傑作タイトルを40作内蔵|website=ファミ通.com|publisher=[[KADOKAWA Game Linkage]]|date=2018-05-10|accessdate=2021-12-08}}</ref>、[[7月24日]]に発売された。本体は業務用の「SC型」を模している。ネオジオの名作タイトルを40作品[[プリインストール]](内蔵)し、3.5インチ液晶ディスプレイを搭載し、モバイルバッテリーにも対応しているので携帯ゲーム的に遊ぶことができる(外部ディスプレイへ映像も出力できる)。
[[2019年]][[11月11日]]には現SNK社より[[ネオジオ アーケードスティック プロ]]が発売された。先に出た「ミニ」同様、ネオジオの名作タイトルを20作品+αプリインストールしているが、こちらはネオジオCDに付属したコントローラをイメージしたジョイスティック(にゲームが内蔵された形)になっており液晶ディスプレイは非搭載。「ミニ」のジョイスティックとしても使用できる。
==== 他機種でのソフトウェア展開 ====
===== PlayStation 2 =====
[[2005年]]、SNKプレイモアは[[PlayStation 2]](以下:PS2)向けとして、『'''[[NEOGEO オンラインコレクション]]'''』というシリーズを発表。高額なネオジオ向け製品が完全移植で、安価にPlayStation 2で楽しめることとなった。第1弾として発売された『[[餓狼 MARK OF THE WOLVES]]』(以下:餓狼MOW)は、この作品は旧SNK時代の作品であるものの、オープニングに出てくる「SNK」および「SNK Presents」のロゴが「SNK PLAYMORE Presents」に差し替えられており、「基本操作説明」の画面はカットされているなど、完全移植ではなかった。
一応完全移植と呼べるようになったのは第3弾である『THE KING OF FIGHTERS オロチ編』からである。しかし、第3弾以降の一部の作品でも、表現などの問題もあって修正せざるを得なくなったものもあった。逆に、第2弾の『[[月華の剣士|月華の剣士1・2]]』以降の作品には、第1弾である『餓狼MOW』にあったギャラリーモードや技表、プラクティス(トレーニング)モードが無く、PS2用に少し変更を加えただけの、ネオジオ版ほぼそのままのいわゆるベタ移植だった。
===== ダウンロード販売 =====
SNKプレイモアは[[D4エンタープライズ]]に版権許諾を出すという形で[[Wii]]の[[バーチャルコンソール]]に参入しており、同サービスで一部のネオジオ用ソフトがダウンロード販売されていた。
2010年12月22日には[[PlayStation 3]]および[[PlayStation Portable]]においてネオジオ用ソフトのダウンロード販売を行う[[ネオジオのゲームタイトル一覧|ネオジオステーション]]が開始された。PS3版は、1080p描画によりi/p変換を排し液晶などフラットパネルディスプレイ上でブラウン管と遜色ないプレイ環境を実現するとともに、インターネットを通じてラグの少ない高品質なマルチプレイが楽しめる。PSP版はアドホック通信によるマルチプレイに対応している。両機種とも、ゲーム中の任意の状態のセーブ、ネオジオ用メモリーカードや当時のバグなどの現象を含めたエミュレーションなどが可能な他、購入済全タイトルを網羅するBGM鑑賞モードを搭載している。
2011年4月19日には上記のD4エンタープライズが運営する[[プロジェクトEGG]]より、[[Windows]]向けにネオジオ用ソフトの配信を開始。千差万別なWindows環境に合わせて解像度を含む各種設定が変更可能であり、クイックセーブやムービーキャプチャも搭載されている。
この他、[[Xbox 360]]のXbox Live Arcadeに移植されたタイトルも存在する。それぞれHD高画質化されており、オンラインによる対戦・協力プレイが可能、実績システム、インゲームマニュアル(格闘ゲームでは技表を表示)などに対応している。
2016年からは[[ハムスター (ゲーム会社)|ハムスター]]と[[日本一ソフトウェア]]による[[アーケードアーカイブス]]のサブブランド「アケアカNEOGEO」として[[Multi Video System|MVS]]版の配信が行なわれている。
このようにそれぞれのプラットフォームにて安価にダウンロード販売がなされているタイトルも多く、入手もゲームプレイも容易である。移植にあたってはバーチャルコンソールとプロジェクトEGGのようなROM版そのままの完全移植に近いものから、ネオジオステーション、[[Xbox LIVE アーケード]]のように元から新たな機能を追加した上での新規移植とも言える出来のタイトルも存在する。
== 関連商品 ==
=== 広報誌・公式ファンクラブ ===
SNKから公式に発行されていたネオジオ関連の広報誌および公式ファンクラブは以下の物が存在した。
;ネオジオクラブ
:1990年から1994年まで発行されていた無料配布の広報誌。全18号。この広報誌の発行と同時に『[[マイコンBASICマガジン]]』にて「ネオジオクラブ出張所」も連載されていた。
;SNKサポーターズクラブ
:1997年から2000年まで存在した公式ファンクラブ。会員特典として会報誌発行(全14号)・オリジナルグッズ通販・SNK直営店での割引サービスなどがあった。
=== 雑誌 ===
SNK公認のネオジオ専門の[[ゲーム雑誌]]として以下のものが存在した。
; [[ネオジオフリーク]]
: [[芸文社]]より1995年5月から2000年11月まで発行されていた、SNK公認のSNKやネオジオのゲームを専門的に扱うゲーム雑誌。詳しくはネオジオフリークの項目内にて。
=== 後継機種 ===
SNKが倒産後、枝分かれ組のひとつであった[[ブレッツアソフト]]はネオジオに代わる後継機種として「'''クリスタルシステム'''」という基板を発表した。この基板は韓国のマジックアイズ社が開発した「'''VRanderZERO'''」というマザーボードのアーキテクチャを流用し独自にカスタマイズした基板で、見た目は小型のMVSといった趣きの基板だった<ref>{{Wayback|url=http://www.geocities.jp/kai_rainsphere_elf/Gplan3.htm|title=ゲーセン化計画 第31話|date=20041120104927}}</ref>。しかし、元々のVRanderZEROマザーが非常に故障しやすい基板だったのに加えて、直後にブレッツアソフトがサン・アミューズメント社に吸収合併されたため、実際に発表されたタイトルは『ザ・クリスタルオブキングス』とメキシコのEVOGA社のブランドで発売された『エヴォリューションサッカー』の2タイトルのみであった、日本国内では公式に発売されず、『ザ・クリスタルオブキングス』のみ非公式で発売された。{{要出典|SNKプレイモアにとってブレッツアソフト、サンアミューズメント、そしてSNKネオジオ社は現在では傍系扱いとなっている|date=2021年9月}}ため、クリスタルシステム基板自体が無かったことにされてしまった。生産終了後、SNKがネオジオ向けに開発していた作品を初めとする、SNKプレイモアが現在、権利を所有しているアーケード向けの作品の大半については、[[サミー]](後のセガサミーホールディングス)が開発したプラットフォームである「'''[[ATOMISWAVE]]'''」へ移行し、移行後2年後にSNKプレイモアはプラットフォームを同社と旧SNK創設期より長く付き合いのある[[タイトー]]の「'''[[Taito Type X]]'''」に変更している。また、タイトーのアーケード向けダウンロード配信システム「[[NESiCAxLive]]」での配信も予定されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|30em}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* [[ALL ABOUTシリーズ|ALL ABOUT]] SNK対戦格闘ゲーム 1991-2000(発行:[[スタジオベントスタッフ]]、発売:[[電波新聞社]])
* ザ・キング・オブ・ファイターズ完全読本(発行:[[日経BP社]]、発売:日経BP出版センター)
== 関連項目 ==
* [[ハイパーネオジオ64]]
* [[熱闘シリーズ]]
* [[SNKの対戦型格闘ゲーム一覧]]
* [[exA-Arcadia]] - ネオジオと同系統のソフト買い切り型基板。
* [[アーケードアーカイブス #アケアカNEOGEOタイトル|アケアカNEOGEO]]
* [[ネオジオ ミニ]]
* [[ネオジオ アーケードスティック プロ]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Neo-Geo}}
* [https://www.snk-corp.co.jp/ 株式会社SNK オフィシャルサイト]
{{家庭用ゲーム機/その他}}
{{デフォルトソート:ねおしお}}
[[Category:ネオジオ|*]]
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7,905 | 2110年代 | 2110年代(にせんひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)2110年から2119年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた2110年代について記載する。 | [
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'''2110年代'''(にせんひゃくじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])2110年から2119年までの10年間を指す[[十年紀]]。この項目では、国際的な視点に基づいた2110年代について記載する。
== 予定・予測される主な出来事と周年 ==
* [[2110年]] - [[平城京|平城]][[遷都]]1400年。
* [[2110年]][[1月1日]] - [[日本年金機構]]発足100周年。
* [[2111年]][[3月11日]] - [[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])から100年。
* [[2112年]] - 第57回[[参議院議員通常選挙]]。
* [[2112年]][[5月22日]] - [[東京スカイツリー]]開業100周年。
* [[2112年]][[9月3日]] - [[2000年]]に[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]型[[タイムカプセル]]に保管した「20世紀テレビの殿堂」優秀作を開放の予定。
* [[2113年]] - [[カネミ油症事件]]被害者への和解金(元本)の支払い終了
* [[2114年]][[11月3日]] - [[1 ワールドトレードセンター]]開業100周年。
* [[2115年]] - 第58回[[参議院議員通常選挙]]。
* [[2115年]][[9月30日]] - [[道路整備特別措置法]]に基づき、この日までに[[日本の高速道路|日本における高速道路]]の料金徴収期間が満了。また、この日までに[[日本高速道路保有・債務返済機構]]が解散。
* [[2115年]][[11月18日]] - 2015年製作の映画『[[100イヤーズ]]』が公開される予定<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.afpbb.com/articles/-/3068160| title = 100年後に公開する映画が完成、ジョン・マルコヴィッチ主演| publisher = AFP| date = 2015-11-26| accessdate = 2019-11-16}}</ref>。
* [[2117年]][[12月10日]]・[[12月11日|11日]] ([[協定世界時|UTC]]) - 地球上からの[[金星の太陽面通過]]が起こる<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_2117/index.html |title=2117 December 11th Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2016-05-06}}</ref>。
* [[2118年]] - 第59回[[参議院議員通常選挙]]。
* [[2119年]][[4月30日]] - [[平成]]時代に生まれた人がこの年から全員100歳以上になる。
* [[2119年]][[5月1日]] - [[令和]]改元100周年。また[[令和]]生まれの[[センテナリアン]]が出現する。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=年代2110|date=2011年7月}}
* [[2110年]] - [[人類]]初の時間移動技術が確立される。(『[[時空警察ヴェッカー]]』)
* 2110年代 - Buy N. Large社によるクリーンアップ作戦が失敗に終わる。(『[[ウォーリー (映画)|ウォーリー]]』)
* [[2111年]][[9月3日]] - 天の川鉄道、[[どこでもドア]]との競合に敗れて廃線。(『[[ドラえもん]]』「天の川鉄道の夜」)
* [[2112年]] - 常守朱が厚生省公安局1係に監視官として入局。同時期から槙島聖護を首謀とする事件が相次いで起きる。(『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』)
* [[2112年]]9月3日 - [[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]誕生。(『ドラえもん』)
* [[2113年]] - サプリが安堂ロイドを誕生させる。([[安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜]])
* [[2114年]] - [[2014年]]のキョウリュウジャーの子孫である新生キョウリュウジャー結成。(『[[帰ってきた獣電戦隊キョウリュウジャー 100 YEARS AFTER]]』)
* [[2114年]] - 地球が初めて珪素生物フェストゥムの襲来を受ける。(『[[蒼穹のファフナー]]』シリーズ)
* [[2114年]] - Dr.ケインが使用した解析プログラムのバージョンの更新年。(『[[ロックマンXシリーズ]]』)
* [[2114年]][[12月2日]] - [[ドラミ]]誕生。(『ドラえもん』)
* [[2115年]] - 宇宙幹線道路「ギャラクシー街道」が開通。(『[[ギャラクシー街道]]』)
* [[2116年]] - シビュラシステムの輸出先となったSEAUn(東南アジア連合)から[[テロリスト]]が密入国、首謀者を突き止めるため常守朱が単身、SEAUnへ向かう。(『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』)
== 脚注 ==
'''注釈'''
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'''出典'''
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/2110%E5%B9%B4%E4%BB%A3 |
7,906 | ガウスの消去法 | ガウスの消去法(ガウスのしょうきょほう、英: Gaussian elimination)あるいは掃き出し法(はきだしほう、英: row reduction)とは、連立一次方程式を解くための多項式時間アルゴリズムであり、通常は問題となる連立一次方程式の係数からなる拡大係数行列に対して行われる一連の変形操作を意味する。 同様のアルゴリズムは歴史的には前漢に九章算術で初めて記述された。連立一次方程式の解法以外にも
などに使われる。このアルゴリズムは、大きな方程式系を系統的な方法で小さな系へ分解する方法を与えるものと理解することができ、基本的には、前進消去 (forward elimination) と後退代入 (backward substitution) という2つのステップから成る。
行列に対して掃き出し法を行う為には、行に関する基本変形を行列に可能な限り繰り返し行って行列の左下部分の成分を全て 0 にする。行に関する基本変形には、
の3種類の操作があり、必ず行列を上三角型に変形することができる。実際には、ゼロでない成分を持つ行が、ゼロしか成分に持たない行よりも上に位置し、主成分(行内の 0 でない成分のうち最も左にあるもの)が、その行の上にある行の主成分よりも、真に右側に位置する行階段形に変形される。 特に全ての主成分が 1 になり、主成分を含む列にある主成分以外の成分が 0 であるとき、この行列は行簡約階段形であると呼ばれる。この最終形は一意的であり、どのような行基本変形が行われたかには依存しない。例えば、次の様な行基本変形の繰り返し(各ステップで複数の基本変形を行っている)で、3番目と4番目は共に行階段形であるが、最後の4番目が一意に定まる行簡約階段形である。
行基本変形を用いて行列を行階段形に変形することをガウス・ジョルダンの消去法(ガウス・ジョルダンのしょうきょほう、英: Gauss–Jordan elimination)という。ガウスの消去法という用語を上三角形または(簡約とは限らない)行階段形へ変換する手法を指すこともある。連立一次方程式の解を求める際に行基本変形を完全に簡約化する前に止めてしまう方が、計算上の理由から良いとされる場合もある。
次の n 元m連立一次方程式を考察する。右側にある行列がその拡大係数行列である。
この方程式が x 1 = c 1 + d 11 λ 1 + ⋯ + d 1 s λ s , x 2 = c 2 + d 21 λ 1 + ⋯ + d 2 s λ s , ⋯ , x r = c r + d r 1 λ 1 + ⋯ + d r s λ s , x r + 1 = λ 1 , ... , x n = λ s {\displaystyle x_{1}=c_{1}+d_{11}\lambda _{1}+\cdots +d_{1s}\lambda _{s},x_{2}=c_{2}+d_{21}\lambda _{1}+\cdots +d_{2s}\lambda _{s},\cdots ,x_{r}=c_{r}+d_{r1}\lambda _{1}+\cdots +d_{rs}\lambda _{s},x_{r+1}=\lambda _{1},\ldots ,x_{n}=\lambda _{s}} ( n = r + s {\displaystyle n=r{+}s} かつ λ 1 , . . . , λ s {\displaystyle \lambda _{1},...,\lambda _{s}} は任意の定数)という解を持つとすると、これらの式は次の連立一次方程式を略記したものであると見なせる。ただし、下段に並んでいる、左辺の全ての係数が 0 である式は m − r {\displaystyle m{-}r} 本ある。 同様に右側にある行列がその拡大係数行列である。
始めの拡大係数行列から上の拡大係数行列の形に変形する為には、対角成分に注目して行基本変形を行って行簡約階段形に変形する。ただし簡単のため、変数の番号を付け替えることなしに主成分がすべて対角線にあるものと仮定する。しかし一般的には、このような仮定の下で作業を行っても次の形の行簡約階段形にしか変形できない。(最も右の列の r + 2 番目の成分以下はすべて '0')
この時点で、与えられた連立一次方程式が解を持つ必要条件が c r + 1 = 0 {\displaystyle c_{r+1}=0} であることが分かり、これは十分条件でもある。実際、 c r + 1 = 0 {\displaystyle c_{r+1}=0} とすると、上記の形の解が逆に得られていることは明らかである。より現実的な解法としては、未知数が k 個定まった時点で残り k + 1 個の未知数を含む式が解けるため、 x 1 {\displaystyle x_{1}} から x r {\displaystyle x_{r}} までの全ての変数を孤立させる必要はない。 これを行列の言葉で言えば、拡大係数行列を行簡約階段形にまで変形せずに途中で止めてしまう方がより現実的であるということになる。つまり、拡大係数行列が次の形の行階段形に変形された時点で、それ以上の簡約化を止めるのである。このとき、対応する連立一次方程式がその右の形に表せる:
従って、任意定数 λ 1 , ... , λ s {\displaystyle \lambda _{1},\ldots ,\lambda _{s}} を用いて >r+1 番目以後の s 個の変数を x r + 1 = λ 1 , x r + 2 = λ 2 , . . . , x n = λ s {\displaystyle x_{r+1}=\lambda _{1},x_{r+2}=\lambda _{2},...,x_{n}=\lambda _{s}} と置き、右辺に移項して下から順に値を代入していくことで全ての解を確定できる。
次の連立一次方程式の解を拡大係数行列を用いずにガウスの消去法のアルゴリズムで求めてみる。 式の本数が固定されていること、式の入れ替えもまた一つの操作であることに注意すべきである。
そこで、 x 4 = c {\displaystyle x_{4}=c} ("c" は任意定数)とおくと、
これで解が全て求まった。
一般的なアルゴリズムについては、たとえば(コルテ & フィーゲン 2009, p. 96)を見よ。 | [
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"title": "基本的な考え方"
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"text": "従って、任意定数 λ 1 , ... , λ s {\\displaystyle \\lambda _{1},\\ldots ,\\lambda _{s}} を用いて >r+1 番目以後の s 個の変数を x r + 1 = λ 1 , x r + 2 = λ 2 , . . . , x n = λ s {\\displaystyle x_{r+1}=\\lambda _{1},x_{r+2}=\\lambda _{2},...,x_{n}=\\lambda _{s}} と置き、右辺に移項して下から順に値を代入していくことで全ての解を確定できる。",
"title": "基本的な考え方"
},
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"text": "次の連立一次方程式の解を拡大係数行列を用いずにガウスの消去法のアルゴリズムで求めてみる。 式の本数が固定されていること、式の入れ替えもまた一つの操作であることに注意すべきである。",
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"text": "そこで、 x 4 = c {\\displaystyle x_{4}=c} (\"c\" は任意定数)とおくと、",
"title": "例"
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"text": "これで解が全て求まった。",
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] | ガウスの消去法あるいは掃き出し法とは、連立一次方程式を解くための多項式時間アルゴリズムであり、通常は問題となる連立一次方程式の係数からなる拡大係数行列に対して行われる一連の変形操作を意味する。
同様のアルゴリズムは歴史的には前漢に九章算術で初めて記述された。連立一次方程式の解法以外にも 行列の階数の計算
行列式の計算
正則行列の逆行列の計算 などに使われる。このアルゴリズムは、大きな方程式系を系統的な方法で小さな系へ分解する方法を与えるものと理解することができ、基本的には、前進消去 と後退代入 という2つのステップから成る。 行列に対して掃き出し法を行う為には、行に関する基本変形を行列に可能な限り繰り返し行って行列の左下部分の成分を全て 0 にする。行に関する基本変形には、 二つの行を入れ替えるもの
ある行を0でない定数倍するもの
ある行に他のある行の定数倍を加えるもの の3種類の操作があり、必ず行列を上三角型に変形することができる。実際には、ゼロでない成分を持つ行が、ゼロしか成分に持たない行よりも上に位置し、主成分が、その行の上にある行の主成分よりも、真に右側に位置する行階段形に変形される。
特に全ての主成分が 1 になり、主成分を含む列にある主成分以外の成分が 0 であるとき、この行列は行簡約階段形であると呼ばれる。この最終形は一意的であり、どのような行基本変形が行われたかには依存しない。例えば、次の様な行基本変形の繰り返し(各ステップで複数の基本変形を行っている)で、3番目と4番目は共に行階段形であるが、最後の4番目が一意に定まる行簡約階段形である。 行基本変形を用いて行列を行階段形に変形することをガウス・ジョルダンの消去法という。ガウスの消去法という用語を上三角形または(簡約とは限らない)行階段形へ変換する手法を指すこともある。連立一次方程式の解を求める際に行基本変形を完全に簡約化する前に止めてしまう方が、計算上の理由から良いとされる場合もある。 | {{脚注の不足|date=2022-07}}
'''ガウスの消去法'''(ガウスのしょうきょほう、{{lang-en-short|Gaussian elimination}})あるいは'''掃き出し法'''(はきだしほう、{{lang-en-short|row reduction}})とは、[[連立一次方程式]]を解くための[[多項式時間]][[アルゴリズム]]であり、通常は問題となる連立一次方程式の係数からなる[[拡大係数行列]]に対して行われる一連の変形操作を意味する。
同様のアルゴリズムは歴史的には[[前漢]]に[[九章算術]]で初めて記述された{{sfn|Schrijver|1998|p=38}}。連立一次方程式の解法以外にも
* [[行列 (数学)|行列]]の[[行列の階数|階数]]の計算
* [[行列式]]の計算
* 正則行列の[[逆行列]]の計算
などに使われる{{sfn|コルテ|フィーゲン|2009|p=95}}{{sfn|Schrijver|1998|p=33}}。このアルゴリズムは、大きな方程式系を系統的な方法で小さな系へ分解する方法を与えるものと理解することができ<ref name=Ferziger>{{Cite|和書 |title=コンピュータによる流体力学 |author=Joel H. Ferziger |author2=Milovan Perić |translator=小林敏雄、谷口伸行、坪倉誠 |publisher=シュプリンガー・フェアラーク東京 |year=2003 |isbn=4-431-70842-1 |page=88}}</ref>、基本的には、'''前進消去''' (forward elimination) と'''後退代入''' (backward substitution) という2つのステップから成る。
行列に対して掃き出し法を行う為には、[[行列の基本変形|行に関する基本変形]]を行列に可能な限り繰り返し行って行列の左下部分の成分を全て 0 にする。行に関する基本変形には、
* 二つの行を入れ替えるもの
* ある行を0でない定数倍するもの
* ある行に他のある行の定数倍を加えるもの
の3種類の操作があり、必ず行列を上三角型に変形することができる。実際には、ゼロでない成分を持つ行が、ゼロしか成分に持たない行よりも上に位置し、主成分(行内の 0 でない成分のうち最も左にあるもの)が、その行の上にある行の主成分よりも、真に右側に位置する[[行階段形]]に変形される。
特に全ての主成分が 1 になり、主成分を含む列にある主成分以外の成分が 0 であるとき、この行列は[[行階段形|行簡約階段形]]であると呼ばれる。この最終形は一意的であり、どのような行基本変形が行われたかには依存しない。例えば、次の様な行基本変形の繰り返し(各ステップで複数の基本変形を行っている)で、3番目と4番目は共に行階段形であるが、最後の4番目が一意に定まる行簡約階段形である。
:<math>\left[\begin{array}{rrr|r}
1 &3 &1 &9 \\
1 &1 &-1 &1 \\
3 &11 &5 &35
\end{array}\right]\to
\left[\begin{array}{rrr|r}
1 &3 &1 &9 \\
0 &-2 &-2 &-8 \\
0 &2 &2 &8
\end{array}\right]\to
\left[\begin{array}{rrr|r}
1 &3 &1 &9 \\
0 &-2 &-2 &-8 \\
0 &0 &0 &0
\end{array}\right]\to
\left[\begin{array}{rrr|r}
1 &0 &-2 &-3 \\
0 &1 &1 &4 \\
0 &0 &0 &0
\end{array}\right]</math>
行基本変形を用いて行列を行階段形に変形することを'''ガウス・ジョルダンの消去法'''(ガウス・ジョルダンのしょうきょほう、{{lang-en-short|Gauss–Jordan elimination}})という。ガウスの消去法という用語を上三角形または(簡約とは限らない)行階段形へ変換する手法を指すこともある。連立一次方程式の解を求める際に行基本変形を完全に簡約化する前に止めてしまう方が、計算上の理由から良いとされる場合もある。
== 基本的な考え方 ==
次の ''n'' 元''m''連立一次方程式を考察する。右側にある行列がその拡大係数行列である。
:<math>\begin{align}
&a_{11}x_1 + a_{12}x_2 +\cdots+ a_{1n}x_n = b_1 \\
&a_{21}x_1 + a_{22}x_2 + \cdots + a_{2n}x_n = b_2 \\
&\qquad\vdots \\
&a_{m1}x_1 + a_{m2}x_2 + \cdots + a_{mn}x_n= b_m
\end{align} \qquad \left[\begin{array}{cccc|c}
a_{11} &a_{12} &\cdots &a_{1n} &b_1 \\
a_{21} &a_{22} &\cdots &a_{2n} &b_2 \\
\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots \\
a_{m1} &a_{m2} &\cdots &a_{mn} &b_m
\end{array}\right]</math>
この方程式が <math>x_1 = c_1+d_{11}\lambda_1+\cdots+d_{1s}\lambda_s, x_2=c_2+d_{21}\lambda_1+\cdots+d_{2s}\lambda_s, \cdots, x_r=c_r+d_{r1}\lambda_1+\cdots+d_{rs}\lambda_s, x_{r+1}=\lambda_1,\ldots, x_n=\lambda_s</math>(<math>n=r{+}s</math> かつ <math>\lambda_1,..., \lambda_s</math> は任意の定数)という解を持つとすると、これらの式は次の連立一次方程式を略記したものであると見なせる。ただし、下段に並んでいる、左辺の全ての係数が ''0'' である式は <math>m{-}r</math> 本ある。
同様に右側にある行列がその拡大係数行列である。
:<math>\begin{align}
&1x_1 + 0x_2 + \cdots + 0x_r - d_{11}x_{r+1} -\cdots- d_{1s}x_n = c_1\\
&0x_1 + 1x_2 + \cdots + 0x_r - d_{21}x_{r+1} -\cdots- d_{2s}x_n = c_2\\
&\qquad\vdots \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 1x_r - d_{r1}x_{r+1} -\cdots- d_{rs}x_n= c_r \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 0x_r + 0x_{r+1} +\cdots+ 0x_n = 0 \\
&\qquad\vdots \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 0x_r + 0x_{r+1} +\cdots+ 0x_n = 0
\end{align} \qquad \left[ \begin{array}{ccccccc|c}
1 &0 &\cdots &0 &-d_{11} &\cdots &-d_{1s} &c_1 \\
0 &1 &\cdots &0 &-d_{21} &\cdots &-d_{2s} &c_2 \\
\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &1 &-d_{r1} &\cdots &-d_{rs} &c_r \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &0 \\
\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &0
\end{array} \right]</math>
始めの拡大係数行列から上の拡大係数行列の形に変形する為には、対角成分に注目して行基本変形を行って行簡約階段形に変形する。ただし簡単のため、変数の番号を付け替えることなしに主成分がすべて対角線にあるものと仮定する。しかし一般的には、このような仮定の下で作業を行っても次の形の行簡約階段形にしか変形できない。(最も右の列の {{math2|''r'' + 2}} 番目の成分以下はすべて '0')
:<math>\left[ \begin{array}{ccccccc|c}
1 &0 &\cdots &0 &-d_{11} &\cdots &-d_{1s} &c_1 \\
0 &1 &\cdots &0 &-d_{21} &\cdots &-d_{2s} &c_2 \\
\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &1 &-d_{r1} &\cdots &-d_{rs} &c_r \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &c_{r+1} \\
\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &0
\end{array} \right]</math>
この時点で、与えられた連立一次方程式が解を持つ必要条件が <math>c_{r+1}=0</math> であることが分かり、これは十分条件でもある。実際、<math>c_{r+1}=0</math> とすると、上記の形の解が逆に得られていることは明らかである。より現実的な解法としては、未知数が ''k'' 個定まった時点で残り ''k'' + 1 個の未知数を含む式が解けるため、<math>x_1</math> から <math>x_r</math> までの全ての変数を孤立させる必要はない。
これを行列の言葉で言えば、拡大係数行列を行簡約階段形にまで変形せずに途中で止めてしまう方がより現実的であるということになる。つまり、拡大係数行列が次の形の行階段形に変形された時点で、それ以上の簡約化を止めるのである。このとき、対応する連立一次方程式がその右の形に表せる:
:<math>\left[ \begin{array}{ccccccc|c}
1 &m_{12} &\cdots &m_{1r} &-d'_{11} &\cdots &-d'_{1s} &c'_1 \\
0 &1 &\cdots &m_{2r} &-d'_{21} &\cdots &-d'_{2s} &c'_2 \\
\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &1 &-d'_{r1} &\cdots &-d'_{rs} &c'_r \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &0 \\
\vdots &\vdots & &\vdots &\vdots &\ddots &\vdots &\vdots \\
0 &0 &\cdots &0 &0 &\cdots &0 &0
\end{array}\right]\qquad
\begin{align}
&1x_1 + m_{12}x_2 +\cdots+ m_{1r}x_r - d'_{11}x_{r+1} -\cdots- d'_{1s}x_{n} = c'_1 \\
&0x_1 + 1x_2 + \cdots + m_{2r}x_r - d'_{21}x_{r+1} -\cdots- d'_{2s}x_{n} = c'_2 \\
&\qquad\vdots \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 1x_r - d'_{r1}x_{r+1} -\cdots- d'_{rs}x_{n} = c'_r \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 0x_r + 0x_{r+1} +\cdots+ 0x_{n} = 0 \\
&\qquad\vdots \\
&0x_1 + 0x_2 + \cdots + 0x_r + 0x_{r+1} +\cdots+ 0x_{n} = 0
\end{align}</math>
従って、任意定数 <math>\lambda_1, \ldots, \lambda_s</math> を用いて {{math2|>r+1}} 番目以後の ''s'' 個の変数を<math>x_{r+1}=\lambda_1, x_{r+2}=\lambda_2,..., x_{n}=\lambda_s</math> と置き、右辺に移項して下から順に値を代入していくことで全ての解を確定できる。
==例==
次の連立一次方程式の解を拡大係数行列を用いずにガウスの消去法のアルゴリズムで求めてみる。
式の本数が固定されていること、式の入れ替えもまた一つの操作であることに注意すべきである。
: <math>\begin{align}
&2x_1 &+ &4x_2 &+ &2x_3 &+ &2x_4 & &=8 \\
&4x_1 &+ &10x_2 &+ &3x_3 &+ &3x_4 & &=17 \\
&2x_1 &+ &6x_2 &+ &x_3 &+ & x_4 & &=9 \\
&3x_1 &+ &7x_2 &+ &x_3 &+ &4x_4 & &=11
\end{align}</math>
# まず'''前進消去'''をする。
## 1 番目の方程式を {{sfrac|1|2}} 倍する。
##: <math>\begin{align}
& x_1 &+ & 2x_2 &+ & x_3 &+ & x_4 & &=4 \\
&4x_1 &+ &10x_2 &+ &3x_3 &+ &3x_4 & &=17 \\
&2x_1 &+ & 6x_2 &+ & x_3 &+ & x_4 & &=9 \\
&3x_1 &+ & 7x_2 &+ & x_3 &+ &4x_4 & &=11
\end{align}</math>
## 2 番目の方程式に 1 番目の方程式の −4 倍を足す。3 番目の方程式に 1 番目の方程式の −2 倍を足す。4 番目の方程式に 1 番目の方程式の −3 倍を足す。
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ & x_3 &+ &x_4 & &=4 \\
& & &2x_2 &- & x_3 &- &x_4 & &=1 \\
& & &2x_2 &- & x_3 &- &x_4 & &=1 \\
& & & x_2 &- &2x_3 &+ &x_4 & &=-1
\end{align}</math>
## 2 番目の方程式を 1/2 倍する。
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ & x_3 &+ &x_4 & &=4 \\
& & & x_2 &- &\frac{1}{2}x_3 &- &\frac{1}{2}x_4 & &=\frac{1}{2} \\
& & &2x_2 &- & x_3 &- &x_4 & &=1 \\
& & & x_2 &- &2x_3 &+ &x_4 & &=-1
\end{align}</math>
## 3 番目の方程式に 2 番目の方程式の -2 倍を足す。4 番目の方程式に 2 番目の方程式の -1 倍を足す。
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ &x_3 &+ &x_4 & &=4 \\
& & &x_2 &- &\frac{1}{2}x_3 &- &\frac{1}{2}x_4 & &=\frac{1}{2} \\
& & & & & & &0 & &=0 \\
& & & &- &\frac{3}{2}x_3 &+ &\frac{3}{2}x_4 & &=-\frac{3}{2}
\end{align}</math>
## 3 番目の方程式と 4 番目の方程式を入れ替える。
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ &x_3 &+ &x_4 & &=4 \\
& & & x_2 &- &\frac{1}{2}x_3 &- &\frac{1}{2}x_4 & &=\frac{1}{2} \\
& & & &- &\frac{3}{2}x_3 &+ &\frac{3}{2}x_4 & &=-\frac{3}{2} \\
& & & & & & &0 & &=0
\end{align}</math>
# 次に'''後退代入'''をする。
## 3 番目の方程式を <math>-\frac{2}{3}</math> 倍する
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ &x_3 &+ &x_4 &=4 \\
& & & x_2 &- &\frac{1}{2}x_3 &- &\frac{1}{2}x_4 &=\frac{1}{2} \\
& & & & &x_3 &- &x_4 &=1 \\
& & & & & & &0 &=0
\end{align}</math>
## <math>x_3 = 1 + x_4</math> を 2 番目の方程式に代入する。
##: <math>\begin{align}
&x_1 &+ &2x_2 &+ &x_3 &+ &x_4 &=4 \\
& & & x_2 & & &- &x_4 &=1 \\
& & & & &x_3 &- &x_4 &=1 \\
& & & & & & &0 &=0
\end{align}</math>
## <math>x_3 = 1 + x_4</math> と <math>x_2 = 1 + x_4</math> を 1 番目の方程式に代入する。
##: <math>\begin{align}
x_1 + 4x_4 &=1 \\
x_2 - x_4 &=1 \\
x_3 - x_4 &=1 \\
0 &=0
\end{align}</math>
そこで、<math>x_4=c</math>("c" は任意定数)とおくと、
: <math>\begin{align}
x_1 &=-4c+1 \\
x_2 &= c+1 \\
x_3 &= c+1 \\
x_4 &= c
\end{align}</math>
これで解が全て求まった。
一般的なアルゴリズムについては、たとえば{{harv|コルテ|フィーゲン|2009|p=96}}を見よ。
== 注意 ==
* [[対角成分]]が 0 になる場合には、[[枢軸選択]](ピボット選択)という式の交換を行う必要がある。
** 対角成分が 0 になる場合以外でも、対角成分が絶対値が最大の係数になるように枢軸選択を行ったほうが、解の[[丸め誤差]]が少なくなる。ただし、これは行列要素の絶対値が同程度の大きさの場合のみ成り立ち、スケーリング(=[[前処理行列|前処理]]として方程式に適当な正則対角行列を掛け等価な方程式へ変換すること)を行わずに枢軸選択を行うとむしろ精度が悪化する場合もあるため、注意が必要である
** [[枢軸選択]]には部分選択法と完全選択法がある。絶対値が最大の係数を探索する範囲が、部分選択法は掃出し列(下方向)のみであるのに対し、完全選択法ではすべての項目(右および下方向)である。完全選択の方が計算精度は高いが計算速度およびアルゴリズムの複雑化の面で不利であるため、完全選択法の採用は現実には少ない。
* [[疎行列]]に対してガウスの消去法のステップを行うと[[疎性]]を損なう(フィルイン fill-in)。
* 前進消去の段階において[[対角化]]を目指して、後退代入を行わずに ''x'' を直接計算する方法は'''ガウス・ジョルダンの消去法'''({{en|Gauss-Jordan elimination}})と呼ぶ。アルゴリズムは単純になるが、[[計算複雑性理論|計算量]]は多くなる(変数が多い場合、ほぼ 1.5 倍になる)。
* 計算量(乗算の回数)は、変数の個数を ''n'' とすると、ほぼ {{sfrac|1|3}}''n''{{sup|3}} になる。大部分は前進消去にかかっており、後退代入にはそれより少ない {{sfrac|1|2}}''n''{{sup|2}} 程度である<ref name=Ferziger/>。ランダウの記号では、計算量は <math>O(n^{3})</math> となる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |last1=コルテ |first1=B. |last2=フィーゲン |first2=J. |year=2009 |title=組合せ最適化:理論とアルゴリズム |edition=第2版 |url={{google books|7OfUJPqwyKwC|組合せ最適化:理論とアルゴリズム|page=95|plainurl=yes}} |publisher=シュプリンガー・ジャパン |isbn=978-4-431-10021-8 |ref=harv}}
* {{Cite book |last1=Schrijver |first1=Alexander |year=1998 |title=Theory of Linear and Integral Programming |series=Wiley-Interscience series in discrete mathematics and optimization |url={{google books|zEzW5mhppB8C|Theory of Linear and Integral Programming|page=31|plainurl=yes}} |publisher=Wiley |isbn=0-471-98232-6
|ref=harv}}
* [http://www.nct9.ne.jp/m_hiroi/light/juliaa20.html]
== 関連項目 ==
* [[LU分解]]
* [[アルゴリズム]]
* [[三角行列]]
* [[:en:Bareiss algorithm|Bareiss algorithm]]
== 外部リンク ==
* {{高校数学の美しい物語|1170|ガウスの消去法による連立一次方程式の解き方}}
{{線形代数}}
{{DEFAULTSORT:かうすのしようきよほう}}
[[Category:数値線形代数]]
[[Category:カール・フリードリヒ・ガウス]]
[[Category:数学のエポニム]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-06-17T20:55:02Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%B6%88%E5%8E%BB%E6%B3%95 |
7,907 | アレクサンドル・ボロディン | アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfiryevich Borodin, Алекса́ндр Порфи́рьевич Бороди́н 発音, 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) - 1887年2月15日/2月27日)は、帝政ロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。
サンクトペテルブルクにて、グルジアのイメレティ州タヴァディ(グルジア語版、英語版)のルカ・ステパノヴィチ・ゲデヴァニシヴィリ(ロシア名ゲディアノフ、62歳)と既婚のロシア女性エヴドキヤ・コンスタンティノヴナ・アントノヴァ(25歳)の非嫡出子として生まれる。
ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として戸籍登録せず、農奴の一人ポルフィリ・ボロディンの息子として登録した。しかしボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキーと知り合い、シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。
作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。1869年にバラキレフの指揮によって交響曲第1番が公開初演され、同年ボロディンは交響曲第2番に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、1880年にフランツ・リストがヴァイマルでドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた。
やはり1869年には、オペラ『イーゴリ公』に着手、これはボロディンの最も重要な作品とみなされている。しばしば単独で演奏され、おそらく最も有名なボロディン作品となっている「ポロヴェツ人の踊り(だったん人の踊り)」と「ポロヴェツ人の行進(だったん人の行進)」は、『イーゴリ公』からの曲である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後にニコライ・リムスキー=コルサコフとアレクサンドル・グラズノフにより補筆と改訂が進められた。
1887年に急死した。謝肉祭の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである(動脈瘤の破裂だった)。サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に葬られている。
化学者としては、ボロディン反応(ハロゲン化アルキルの合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。
ボロディンは、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって、非常に尊敬されていた。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、2つの交響曲や音画『中央アジアにて』(通称;交響詩『中央アジアの草原にて』)、抒情美をたたえて人気の高い「夜想曲」で有名な弦楽四重奏曲第2番はますます盛んに演奏されている。一握りの歌曲とピアノ曲も残され、なかでもピアノ曲『スケルツォ 変イ長調』は、ラフマニノフが演奏を録音に残している。ボロディンは交響曲第3番にも着手したが、完成できずに世を去り、後にグラズノフによって「完成」された。ただし、どの部分がオリジナルでどの部分が補筆か不明確な部分が多いため、この作品はボロディンの真作として扱われない傾向にある。近年では、未完成のチェロ・ソナタなど、初期の室内楽曲も見直されつつある。
ボロディンの作品は、力強い叙事詩的性格と豊かな和声が特色である。名高い「ロシア五人組」の同人として、ロシア的な要素は否定すべくもない。情熱的な音楽表現や比類のない和声法は、ドビュッシーやラヴェルといったフランスの作曲家にも影響を与えた。また、同世代のロシア人作曲家の中では、自然にポリフォニーを扱う能力でも際立っている。交響曲や弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章は、ボロディンがメンデルスゾーンの作風を熟知していたことをうかがわせる。また、第1主題と第2主題との間に明確な対照性を与えず、それらに関連した要素を配置していく手法は、後の時代のシベリウスを予感させ、西欧的な二元性とは異なった思想基盤が表れている。
ボロディン弦楽四重奏団は、ボロディンの功労にちなんでいる。1954年にはトニー賞を授与された。これは、ボロディンの数々の作品を改作して創られたミュージカル『キスメット』の成功を評しての受賞であった。 | [
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] | アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディンは、帝政ロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。 | {{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
| Name = アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン<br />{{lang|ru|Алекса́ндр Порфи́рьевич Бороди́н}}
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{{Portal クラシック音楽}}
'''アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン'''('''Alexander Porfiryevich Borodin''', '''{{lang|ru|Алекса́ндр Порфи́рьевич Бороди́н}}''' {{audio|RU-Alexander Porfiryevich Borodin.ogg|発音|help=no}}, [[1833年]][[10月31日]]([[ユリウス暦]])/[[11月12日]]([[グレゴリオ暦]]) - [[1887年]][[2月15日]]/[[2月27日]])は、[[ロシア帝国|帝政ロシア]]の[[作曲家]]、[[化学者]]、[[医師]]。ロシア音楽の作曲に打込んだ[[ロシア5人組]]の一人である。
== 生涯 ==
[[サンクトペテルブルク]]にて、[[グルジア]]の[[イメレティ州]]{{仮リンク|タヴァディ|ka|თავადი|en|Tavadi}}<ref>
タヴァディは、日本では[[王子]]、[[公爵]]と訳されることがあるが、正確ではない。大領主というニュアンスが最も近い。グルジアの貴族制度タヴァディ・アズナウリ制度に、貴族つまり領主一般を意味するアズナウリ、大領主を意味するタヴァディがある。[[グルジア王国]]が複数の王国と複数の公国に分裂した15世紀以降も各国の君主家は引き続きバクラチオニ家であり、19世紀初頭まで存在したイメレティ王国も同様である。また、イメレティ王国はグルジア王国から分裂直後から、長らく[[オスマン帝国]]の侵略をたびたび受け、ロシア帝国に1810年に占領・併合された頃は実質的にオスマン帝国の支配下にあった。ちなみに、タヴァディの権限の強さは各王国・時代により異なる。
</ref>のルカ・ステパノヴィチ・ゲデヴァニシヴィリ(ロシア名ゲディアノフ、62歳)と既婚のロシア女性エヴドキヤ・コンスタンティノヴナ・アントノヴァ(25歳)の[[非嫡出子]]として生まれる。
ゲデヴァニシヴィリはボロディンを実子として[[戸籍]]登録せず、[[農奴]]の一人ポルフィリ・ボロディンの息子として登録した。しかしボロディンは、[[ピアノ]]の稽古を含めてすぐれた教育を受け、[[化学]]を専攻した。転じて、[[サンクトペテルブルク大学]]の医学部に入る。最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]と知り合い<ref>初めて会った時の印象について、「まさに嘴の黄色い青二才ではあったが、極めて優雅で全く非の打ち所のない青年士官であった。…彼はピアノの前に座ると、態とらしく両手を上げて演奏を始めた。優雅に、しかも繊細に…。」と語ったと言われる(DEAGOSTINI刊‘The Classic Collection’第99号)</ref>、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の曲を紹介され、興味を持つ。[[ピサ大学]]では[[臭化ナトリウム]]を用いた[[有機窒素]]の定量法を発見した。26歳の時、[[ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク|ハイデルベルク大学]](化学)入学。元素理論を確立した[[ドミトリ・メンデレーエフ|メンデレーエフ]]と知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。
作曲は[[1863年]]に[[ミリイ・バラキレフ]]と出会うまで正式に学んだことがなかった。[[1869年]]にバラキレフの指揮によって[[交響曲第1番 (ボロディン)|交響曲第1番]]が公開初演され、同年ボロディンは[[交響曲第2番 (ボロディン)|交響曲第2番]]に着手する。この新作交響曲は、初演時には失敗したが、[[1880年]]に[[フランツ・リスト]]が[[ヴァイマル]]でドイツ初演の手筈を整え、ボロディンの名をロシアの外に広めた。
やはり[[1869年]]には、オペラ『[[イーゴリ公]]』に着手、これはボロディンの最も重要な作品とみなされている。しばしば単独で演奏され、おそらく最も有名なボロディン作品となっている「[[だったん人の踊り|ポロヴェツ人の踊り]](だったん人の踊り)」と「ポロヴェツ人の行進(だったん人の行進)」は、『イーゴリ公』からの曲である。ボロディンは本職や公務に忙殺されて、生前この作品を完成できなかったため、没後に[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ]]と[[アレクサンドル・グラズノフ]]により補筆と改訂が進められた。
[[1887年]]に急死した。[[謝肉祭]]の週間に、数人の友人を呼んで上機嫌に歌って踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて卒倒したのである([[動脈瘤]]の破裂だった)。サンクトペテルブルクの[[アレクサンドル・ネフスキー大修道院]]のチフヴィン墓地に葬られている。
化学者としては、[[ハンスディーカー反応|ボロディン反応]]([[ハロゲン化アルキル]]の合成法、ハンスディーカー反応の別名)に名を残している。また、[[付加反応#求核的付加反応|求核付加反応]]の一つである[[アルドール反応]]を発見したとされる。
== 作風と影響 ==
ボロディンは、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけ[[アルデヒド]]に関する研究によって、非常に尊敬されていた。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、2つの[[交響曲]]や音画『中央アジアにて』(通称;交響詩『[[中央アジアの草原にて]]』)、抒情美をたたえて人気の高い「[[夜想曲]]」で有名な[[弦楽四重奏曲第2番 (ボロディン)|弦楽四重奏曲第2番]]はますます盛んに演奏されている。一握りの歌曲とピアノ曲も残され、なかでもピアノ曲『[[スケルツォ]] 変イ長調』は、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]が演奏を録音に残している。ボロディンは[[交響曲第3番 (ボロディン)|交響曲第3番]]にも着手したが、完成できずに世を去り、後に[[アレクサンドル・グラズノフ|グラズノフ]]によって「完成」された。ただし、どの部分がオリジナルでどの部分が補筆か不明確な部分が多いため、この作品はボロディンの真作として扱われない傾向にある。近年では、未完成の[[チェロソナタ|チェロ・ソナタ]]など、初期の室内楽曲も見直されつつある。
ボロディンの作品は、力強い叙事詩的性格と豊かな[[和声]]が特色である。名高い「ロシア五人組」の同人として、ロシア的な要素は否定すべくもない。情熱的な音楽表現や比類のない和声法は、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]や[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]といったフランスの作曲家にも影響を与えた。また、同世代のロシア人作曲家の中では、自然に[[ポリフォニー]]を扱う能力でも際立っている。交響曲や弦楽四重奏曲の[[スケルツォ]]楽章は、ボロディンが[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]の作風を熟知していたことをうかがわせる。また、第1主題と第2主題との間に明確な対照性を与えず、それらに関連した要素を配置していく手法は、後の時代のシベリウスを予感させ、西欧的な二元性とは異なった思想基盤が表れている。
[[ボロディン弦楽四重奏団]]は、ボロディンの功労にちなんでいる。[[1954年]]には[[トニー賞]]を授与された。これは、ボロディンの数々の作品を改作して創られた[[ミュージカル]]『キスメット』の成功を評しての受賞であった。
== 主要作品 ==
{{main|ボロディンの楽曲一覧}}
===[[オペラ]]===
*勇者たち
*[[イーゴリ公]](未完)
===管弦楽曲===
*[[交響曲第1番 (ボロディン)|交響曲第1番 変ホ長調]]
*[[交響曲第2番 (ボロディン)|交響曲第2番 ロ短調]]
*[[交響曲第3番 (ボロディン)|交響曲第3番 イ短調(未完)]]
*[[中央アジアの草原にて|交響詩 中央アジアの草原にて]]
===室内楽曲===
*スペイン風セレナード
*[[弦楽四重奏曲第1番 (ボロディン)|弦楽四重奏曲第1番 イ長調]]
*[[弦楽四重奏曲第2番 (ボロディン)|弦楽四重奏曲第2番 ニ長調]]
===ピアノ曲===
*[[小組曲 (ボロディン)|小組曲(全7曲)]]
*変化のない主題によるパラフレーズ
===合唱曲===
*キリルに栄光あれ、メソディウスに栄あれ(未完)
===歌曲===
*慈悲深い神
*間違った音符
== 脚注 ==
{{Reflist}}
==外部リンク==
* [http://www.prince-igor.jp/index.html 韃靼人の踊り~歌劇「イーゴリ公」の世界]
* [https://www.pianoparadise.com/Borodin.html Borodin] biography and free audio mp3.
* [http://www.easybyte.org Easybyte] - free easy piano arrangement of Polovtsian Dance / Stranger in Paradise
* [http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Borodin-VcSonata.htm ボロディン/チェロ・ソナタ ロ短調]
* {{Wayback|url=http://www.interq.or.jp/classic/classic/data/perusal/saku/Borodin.html |title=ボロジーン簡易作品表 |date=20021024010525}}
* {{IMSLP|id=Borodin%2C_Alexander_Porfirevich|cname=アレクサンドル・ボロディン}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほろていん あれくさんとる}}
[[Category:アレクサンドル・ボロディン|*]]
[[Category:19世紀の化学者]]
[[Category:ロシアの作曲家]]
[[Category:オペラ作曲家]]
[[Category:ロマン派の作曲家]]
[[Category:ロシアの化学者]]
[[Category:ロシアの医師]]
[[Category:サンクトペテルブルク医科大学の教員]]
[[Category:グルジア系ロシア人]]
[[Category:アレクサンドル・ネフスキー大修道院に埋葬された人物]]
[[Category:サンクトペテルブルク県出身の人物]]
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7,908 | 電子ブック (規格) | 電子ブック(でんしブック、Electronic Book)は、ソニーが開発した電子書籍で、8cm CD-ROMを専用キャディに収めた。
通常のCD-ROMと違い、キャディのまま電子ブックプレーヤーと呼ばれる専用ハードウェアで利用する。メディアを汚したり、傷つけたりするおそれがない。電子ブックプレーヤーは乾電池または充電池で動作することが可能で、外出先に持ち出して使用することができる。携帯用電子辞書、電子書籍機器のはしりといえる。
ソニーの電子ブックブレーヤー (DATA Discman) が2000年発売の「DD-S35」で終了したため、電子ブックの発売も終息し、ハードウェアメーカーや版元による「電子ブックコミッティ」も活動を終了した。以降、入手可能な電子ブックは基本的に在庫のみである。
電子ブックの仕様は、大別してEB/EBG/EBXA/EBXA-C/S-EBXAがある。
源流が同じことからEPWINGと構造が類似しており、両方に対応している検索ソフトが多いが、電子ブックとEPWINGは互換性がない。ファイル名、ディレクトリ構造、ファイル構成も異なり、のちに拡張された音声と映像の形式やデータ圧縮の方式は異なる。
EBXAの音声は、当時、ソニーが推進していたCD-ROM XAトラックにADPCMで記録されている。
EBXA-Cは中国語に対応のため文字コードは特殊で、日本語のJIS X 0208と、GB 2312をベースとした独自中国語文字コードを併用している。
電子ブックの主要な検索方法は以下の通り。ワイルドカードや正規表現は使えない。電子ブックは一般にかなと英字のインデックスのみが記録されており、漢字を含むキーワードでの検索ができない。これは電子ブックが8cmCD-ROMに記録されるために、記録容量に制限があること、電子ブックプレーヤーには「かな漢字変換」機能がないことによる。検索のためのインデックスがなく検索できないものも多い。その場合はメニュー操作になる(例外的に、電子ブックでありながら、漢字のインデックスを備えるものもある)。
辞書拡張ツール「電子ブック漢字インデクサ」は、日本語電子ブックタイトルの「前方一致かなインデックス」から、漢字の「表記インデックス(前方一致と後方一致)」を作成し、漢字表記による検索ができるようにする。
電子ブック検索・閲覧専用ハードウェアとしての「電子ブックプレーヤー」は、ソニー、松下電器(九州松下)、三洋電機などから発売された。電子ブックの主たる推進者はソニーであり、初の電子ブックプレーヤー「データディスクマン」DD-1 の発売から電子ブックの歴史が始まった。途中、松下と三洋の参入はあったとはいえ、最後の電子ブックプレーヤーもソニーのDD-S35であった。
このうち、松下電器のKX-EBP2は、同時期のソニー製電子ブックプレーヤーより高速で、若干小型でもあり、さらに機構部品も丈夫なため、一部では人気があった(当時のソニー製の電子ブックプレーヤーは、機構部品の故障も少なくなかった)。
セガから家庭用ゲーム機セガサターン用ソフトウェアとして「電子ブックオペレーター HSS-0120」が発売されていた。これはゲーム機を電子ブック検索・閲覧端末(電子ブックプレーヤー)として使うソフトである。
電子ブックプレーヤーには電子ブックが付属している。ソニーの場合、最も多いものは三省堂の国語・英和・和英・外来語・類語・ことわざ、その他の辞書を1枚の電子ブックとしたもので、これは後に、ほとんど同じものが三省堂から「辞書パック10」として発売された。データが圧縮されたS-EBXAの登場以降は、広辞苑と研究社の英和・和英辞典を1枚の電子ブックとしたものとなった。松下電器は福武書店の国語・英和・和英が付属していた。
電子ブックプレーヤーは一部機種を除き、キャディの中身を入れ替えたり、専用キャディを用いることで、8cm音楽CDの再生も可能である。
FM文字多重放送に対応したラジオを内蔵した機種もあった。
電子ブックを再生できるCD-ROMドライブを内蔵したワープロ専用機も存在した。
ほとんど全ての電子ブックは、キャディからCD-ROMを取り出すと、パーソナルコンピュータで使用することができる。一部の電子ブックには、最初からPC用検索ソフトが付属している。もし付属していない場合でも、電子ブックの検索ソフトは市販製品だけでなく、フリーウェアも多いので用途や好みに応じて選択できる。ただし元来が専用ハードウェアを前提とした仕様のため、何らかの制限が残ることも多い。全てのファイルをディレクトリ構造を保ったままハードディスクにコピーして使用すれば、CD-ROMがなくとも使用できるようになる。
過去にはキャディからCD-ROMを取り出さずにセットできる専用ドライブ(ソニーDD-DR1、ただし検索ソフトは専用品)や、一般のコンピュータに接続しコンピュータ上の検索ソフト(専用品)から検索でき、かつ単体でも電子ブックの検索ができる電子ブックプレーヤー(ソニーDD-30DBZ)も発売されていたが、あまり普及しなかった。 | [
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] | 電子ブックは、ソニーが開発した電子書籍で、8cm CD-ROMを専用キャディに収めた。 | '''電子ブック'''(でんしブック、Electronic Book)は、[[ソニー]]が開発した[[電子書籍]]で、[[8センチCD|8cm]] [[CD-ROM]]を専用[[キャディ]]に収めた。
== 概要 ==
通常のCD-ROMと違い、キャディのまま'''電子ブックプレーヤー'''と呼ばれる専用ハードウェアで利用する。メディアを汚したり、傷つけたりするおそれがない。電子ブックプレーヤーは乾電池または充電池で動作することが可能で、外出先に持ち出して使用することができる。携帯用[[電子辞書]]、[[電子書籍]]機器のはしりといえる。
<!--== タイトル ==
実際に出版された電子ブックの分野は多岐にわたり、
*[[百科事典]](『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]]小項目版』『小学館[[日本大百科全書]]』)
*[[国語辞典]](『[[広辞苑]]』『[[大辞林]]』など)
*英語辞典(『[[研究社]]新英和・和英』『[[リーダーズ英和辞典|リーダーズ+プラス]]』『新編英和活用大辞典』など)
*外国語辞典(『クラウン独和』『クラウン仏和』)
*[[漢和辞典]](『漢字源』)
*現代語辞典(『[[現代用語の基礎知識]]』『データパル』)
*専門用語
*語学学習
*ホビー・レジャー
など、最盛期には200タイトル以上を数えた。電子ブックプレーヤーに同梱されるほか、大手書店などでも流通していた。少数ではあるが[[アメリカ]]や[[ドイツ]]で制作・発売された電子ブックもあった。-->
== 終息 ==
ソニーの電子ブックブレーヤー ([[ウォークマン|DATA Discman]]) が2000年発売の「DD-S35」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/200004/00-0419/|title=ソニー DD-S35|accessdate=2016-07-13}}</ref>で終了したため、電子ブックの発売も終息し、ハードウェアメーカーや版元による「電子ブックコミッティ」も活動を終了した。以降、入手可能な電子ブックは基本的に在庫のみである。
== 仕様 ==
電子ブックの仕様は、大別してEB/EBG/EBXA/EBXA-C/S-EBXAがある。
*EB 1990年から1994年までに日本国内で発行された文字のみ/文字と画像を含む電子ブック
*EBG 1994年までに日本国外(欧米)で発行された文字のみ/文字と画像を含む電子ブック
*EBXA それ以降に日本国内・国外で発行された、文字のみ/文字と画像/文字と画像と音声を含む電子ブック
*EBXA-C 中国語対応の電子ブック(ソニーの電子ブックプレーヤーDD-CH10に付属する「小学館中日/日中辞典」のみ。このタイトルは文字と画像と音声を含む)
*S-EBXA 1998年に拡張された仕様(データの圧縮など)の電子ブック
源流が同じことから[[EPWING]]と構造が類似しており、両方に対応している検索ソフトが多いが、電子ブックとEPWINGは互換性がない。ファイル名、ディレクトリ構造、ファイル構成も異なり、のちに拡張された音声と映像の形式やデータ圧縮の方式は異なる。
EBXAの音声は、当時、ソニーが推進していた[[CD-ROM XA]]トラックにADPCMで記録されている。
EBXA-Cは中国語に対応のため文字コードは特殊で、日本語の[[JIS X 0208]]と、[[GB 2312]]をベースとした独自中国語文字コードを併用している。
== 検索・操作 ==
電子ブックの主要な検索方法は以下の通り。ワイルドカードや正規表現は使えない。電子ブックは一般にかなと英字のインデックスのみが記録されており、漢字を含むキーワードでの検索ができない。これは電子ブックが8cmCD-ROMに記録されるために、記録容量に制限があること、電子ブックプレーヤーには「[[かな漢字変換]]」機能がないことによる。検索のためのインデックスがなく検索できないものも多い。その場合はメニュー操作になる(例外的に、電子ブックでありながら、漢字のインデックスを備えるものもある)。
;前方一致
:見出し語の前方に一致する。「ぜんぽう」で検索すると、「前方」だけでなく、「前方不注意」なども見つかる。
;後方一致
:見出し語の後方に一致する。「ほうこう」で検索すると、「方向」だけでなく、「双方向」なども見つかる。
;条件検索
:見出し語ではなく、語釈中の単語を検索する。ただし、その電子ブックの制作時に切り出した単語にしかマッチしないので、実際には語釈中に存在する単語が見つからないこともある。
;複合検索
:その電子ブック独自の検索方法。例えば漢和辞典であれば、読み・部首・画数のそれぞれを指定して検索する。
;テキストメニュー
:テキストベースのメニューで選択して閲覧する操作方法。検索ではなく選択になる。
;グラフィックメニュー
:グラフィックベースのメニューで選択して閲覧する操作方法。検索ではなく選択になる。
辞書拡張ツール「[http://www31.ocn.ne.jp/~h_ishida/EBKIdx.html 電子ブック漢字インデクサ]」は、日本語電子ブックタイトルの「前方一致かなインデックス」から、漢字の「表記インデックス(前方一致と後方一致)」を作成し、漢字表記による検索ができるようにする。
== 電子ブックプレーヤー ==
{{独自研究|section=1|date=2009年7月}}
電子ブック検索・閲覧専用ハードウェアとしての「電子ブックプレーヤー」は、[[ソニー]]、[[パナソニック|松下電器]](九州松下)、[[三洋電機]]などから発売された。電子ブックの主たる推進者はソニーであり、初の電子ブックプレーヤー「データディスクマン」DD-1<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/sonyhistory-m.html|title=商品のあゆみ−その他|accessdate=2016-07-13}}</ref> の発売から電子ブックの歴史が始まった。途中、松下と三洋の参入はあったとはいえ、最後の電子ブックプレーヤーもソニーのDD-S35であった。
このうち、松下電器のKX-EBP2は、同時期のソニー製電子ブックプレーヤーより高速で、若干小型でもあり、さらに機構部品も丈夫なため、一部では人気があった(当時のソニー製の電子ブックプレーヤーは、機構部品の故障も少なくなかった)。
[[セガ]]から家庭用ゲーム機[[セガサターン]]用ソフトウェアとして「電子ブックオペレーター HSS-0120」が発売されていた。これはゲーム機を電子ブック検索・閲覧端末(電子ブックプレーヤー)として使うソフトである。
電子ブックプレーヤーには電子ブックが付属している。ソニーの場合、最も多いものは[[三省堂]]の国語・英和・和英・外来語・類語・ことわざ、その他の辞書を1枚の電子ブックとしたもので、これは後に、ほとんど同じものが三省堂から「辞書パック10」として発売された。データが圧縮されたS-EBXAの登場以降は、広辞苑と研究社の英和・和英辞典を1枚の電子ブックとしたものとなった。松下電器は[[ベネッセ|福武書店]]の国語・英和・和英が付属していた。
電子ブックプレーヤーは一部機種を除き、キャディの中身を入れ替えたり、専用キャディを用いることで、8cm音楽CDの再生も可能である。
[[FM文字多重放送]]に対応したラジオを内蔵した機種もあった。
電子ブックを再生できるCD-ROMドライブを内蔵した[[ワードプロセッサ|ワープロ専用機]]も存在した。
== パーソナルコンピュータで再生 ==
[[ファイル:EBCaddy.JPG|thumb|100px|right|電子ブックの<br />構造]]
ほとんど全ての電子ブックは、キャディからCD-ROMを取り出すと、[[パーソナルコンピュータ]]で使用することができる。一部の電子ブックには、最初からPC用検索ソフトが付属している。もし付属していない場合でも、電子ブックの検索ソフトは市販製品だけでなく、[[フリーウェア]]も多いので用途や好みに応じて選択できる。ただし元来が専用ハードウェアを前提とした仕様のため、何らかの制限が残ることも多い。全てのファイルをディレクトリ構造を保ったままハードディスクにコピーして使用すれば、CD-ROMがなくとも使用できるようになる。
過去にはキャディからCD-ROMを取り出さずにセットできる専用ドライブ(ソニーDD-DR1、ただし検索ソフトは専用品)や、一般のコンピュータに接続しコンピュータ上の検索ソフト(専用品)から検索でき、かつ単体でも電子ブックの検索ができる電子ブックプレーヤー(ソニーDD-30DBZ)も発売されていたが、あまり普及しなかった。
==出典==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
*[https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press_Archive/199902/99-017/ ソニー DD-S30]
*[https://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/199912/99-1221/ カラー液晶機種ソニー DD-S1000]
*[https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press_Archive/199703/97CI-022/ 中国語対応機種ソニー DD-CH10]
*[https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/sonyhistory-m.html Sony Japan 商品のあゆみ−その他]
*[https://sega.jp/fb/segahard/ss/movie.html セガ セガサターン電子ブックオペレーター HSS-0120]
*[https://www.est.co.jp/products/viewing/index.html イースト 電子辞典ビューア ViewIng3.0]
*[http://ebstudio.info/manual/EBWin4/EBWin4.html EBWin4]
*[https://www.nabeta.tk/ 鍋田辞書ホームページ]EBXA-C対応
{{DEFAULTSORT:てんしふつく}}
[[Category:コンパクトディスク]]
[[Category:8センチディスク]]
[[Category:ソニー]]
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[[Category:電子辞書]] | 2003-05-08T00:51:52Z | 2023-12-04T14:17:18Z | false | false | false | [
"Template:独自研究",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF_(%E8%A6%8F%E6%A0%BC) |
7,910 | 白血病 | 白血病(はっけつびょう、英語: Leukemia)は、遺伝子変異を起こした造血細胞(白血球系細胞)が骨髄で無限に増殖して正常な造血を阻害し、多くは骨髄のみにとどまらず血液中にも白血病細胞があふれ出てくる血液疾患である。「血液のがん」ともいわれる。
白血病細胞が造血の場である骨髄を占拠するために造血が阻害されて正常な血液細胞が減るため感染症や貧血、出血症状などの症状が出やすくなり、あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。
治療は、抗がん剤を中心とした化学療法と輸血や感染症対策などの支持療法に加え、難治例では骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植治療も行われる。
白血病は、急性骨髄性白血病(AML)、急性リンパ性白血病(ALL)、慢性骨髄性白血病(CML)、慢性リンパ性白血病(CLL)の4つに分けられる。
日本血液学会では
としている。
白血病は病的な血液細胞(白血病細胞)が骨髄で自律的、つまりコントロールされることなく無秩序に増加する疾患である。骨髄は血液細胞を生み出す場であり、骨髄での白血病細胞の増加によって正常な造血細胞が造血の場を奪われることで正常な造血が困難になり、血液(末梢血)にも影響が及ぶ。あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。白血病患者の血液中では白血病細胞あるいは病的な白血球を含めると白血球総数は著明に増加することも、あるいは減少することもある。しかし、正常な白血球は減少し血小板や赤血球も多くの場合減少する。
白血病の症状として、正常な白血球が減ることで感染症(発熱)、赤血球が減少することで貧血になり貧血に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板が減少することで易出血症状などがよく見られ、また血液中にあふれ出た白血病細胞が皮膚や神経、各臓器に浸潤(侵入)してそれらにさまざまな異常が起きることもある。
白血病は年に10万人あたりおよそ7人(2005年、日本)が発症する比較的少ないがんであるが、多くの悪性腫瘍(癌、肉腫)は高齢者が罹患し小児や青年層ではきわめてまれなのに対し、白血病は小児から高齢者まで広く発症するため、小児から青年層に限ればがんの中で比較的多いがんである。造血の場である骨髄で造血の元になっている細胞が変異したことによって起きるのが白血病であり、癌や肉腫のように固形の腫瘍を形成しないため、胃癌や大腸癌などのように外科手術の適応ではないが、抗がん剤などの化学療法にはきわめてよく反応する。19世紀にドイツの病理学者ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー(ウィルヒョウ、フィルヒョウとも)が白血病を初めて報告して Leukemia(白血病)と名付けた。かつては白血病は治療が困難で、自覚症状が現れてからは急な経過をたどって死に至ったため、不治の病とのイメージを持たれてきた。また、白血病は現代においても現実に若年層での病死因の中で高い割合を占めることから、フィクションでは、かつての結核に代わって、現代において癌と並び、若い主人公が罹患する設定になることが多い。しかし、1980年代以降、化学療法や、骨髄移植(bone marrow transplantation; BMT)、末梢血造血幹細胞移植(peripheral blood stem cell transplantation; PBSCT)、臍帯血移植(cord blood transplantation; CBT)の進歩に伴って治療成績は改善されつつある。
一口に白血病といっても、大きくは急性骨髄性白血病(AML)、急性リンパ性白血病(ALL)、慢性骨髄性白血病(CML)、慢性リンパ性白血病(CLL)の4つに分けられ、それぞれは病態は異なっている。急性白血病では増加する白血病細胞は幼若な血液細胞(芽球)に形態は似てはいるが、正常な分化・成熟能を失い異なったものとなる。慢性白血病では1系統以上の血液細胞が異常な増殖をするが、白血病細胞は分化能を失っておらず、幼若な血液細胞(芽球)から成熟した細胞まで広範な細胞増殖を見せる。急性白血病細胞は血液細胞の幼若細胞に似た形態を取り、多くの急性白血病では出現している白血病細胞に発現している特徴が白血球系幼若細胞に現れている特徴と共通点が多い細胞であるが、多くはないが赤血球系統や血小板系統の幼若細胞の特徴が発現した白血病細胞が現れるものもあり、それらも白血病である。血液細胞は分化の方向でリンパ球と骨髄系細胞に分けられるが、ほとんどの白血病細胞も少しであっても分化の方向付けがありリンパ性と骨髄性に分けることができる。
白血病における慢性と急性の意味は、ほかの疾患でいう急性・慢性の意味合いとは違う。急性白血病が慢性化したものが慢性白血病というわけではなく、白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病を「急性白血病」、白血病細胞が成熟傾向を持ち一見正常な血液細胞になる白血病を「慢性白血病」という。白血病の歴史の中で、一般に無治療の場合には白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病の方が死に至るまでの時間が短かったため「急性」と名付けられた。急性白血病が慢性化して慢性白血病になることはないが、逆に慢性白血病が変異を起こして急性白血病様の病態になることはある。
一般的に用いられる形容で、白血病を「血液の癌」と呼ぶが、この形容は誤りである。漢字で「癌」というのは「上皮組織の悪性腫瘍」を指し、上皮組織でなく結合組織である血液や血球には使えない。ただし、「血液のがん」という平仮名の表記は正解である。平仮名の「がん」は、「癌」や「肉腫」、血液悪性腫瘍も含めた広義的な意味で使われているためである。
悪性リンパ腫や骨髄異形成症候群といった類縁疾患は通常、白血病には含まれないが、悪性リンパ腫とリンパ性白血病の細胞は本質的には同一であるとされ、骨髄異形成症候群にも前白血病状態と位置づけられ進行して白血病化するものもあり、これら類縁疾患と白血病の境目は曖昧な面もある。
19世紀半ば、ドイツの病理学者ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーが、巨大な脾腫を伴い血液が白色がかって死亡した患者(今でいう慢性骨髄性白血病)を調べて報告したのが白血病の血液疾患としての最初の認知である。ウィルヒョーの報告後、白血病は経過が比較的ゆっくりなものを慢性白血病、早いものを急性白血病と分類されている(現在の分類法とは異なる)。1930年代には細胞科学的手法によってリンパ性と骨髄性に分類されるようになった。しかしウィルヒョーの報告からほぼ100年にわたって、白血病に対する有効な治療法はなく、急性白血病は数週から数か月、慢性白血病は数か月から数年で死亡する死の病であった。
第二次世界大戦後には、抗がん剤6-MPが白血病に適用され始めたが、抗がん剤の種類も知見も少なく、血小板輸血や抗生物質も乏しかった1960年代までは死の病である状況は変わらなかった。1960年代からは抗がん剤の種類・知見も増加し、抗がん剤Ara-cとダウノルビシンの多剤併用療法が開発され、さまざまな抗生物質も登場した。1960年代後半からは抗がん剤の多剤併用療法の改良によって白血病が治癒する例が増え始め、1970年代から始まった血小板輸血などの支持療法の進歩もあり、急性白血病患者の70 - 80%はいったんは白血病細胞が見られなくなるようになったが、多剤併用療法のみでは再発は少なくはなく、最終的には多剤併用療法のみでの治癒率は30 - 40%程度で頭打ちになっている。その後、1970年代から研究の始まった造血幹細胞移植が1990年代から本格的に適用され始め、化学療法だけでは長期生存は難しい難治例でも造血幹細胞移植で2 - 6割の患者は長期生存が期待できるようになった。また急性前骨髄球性白血病(AML-M3)で画期的な治療法である分化誘導療法の発見、2001年には慢性骨髄性白血病(CML)の分子標的薬グリベックの登場など、AML-M3やCML、予後がいい小児ALLなどでは大半の患者が救われるようになってきている。
白血病は、前述したウィルヒョーが見た死亡患者の血液が白っぽくなっていたため、ギリシャ語の白い(λεύκος)と血(αίμα)をラテン文字へ換字した(leukos)と(haima)から造語した leukemia(白血病)と名付けたといわれる。ウィルヒョーが見た患者では極端に白血球が増加し血液が白っぽくなっていたと考えられるが、実際に血液が真っ白になることはなく、白血病細胞が極端に増えた例で通常は濃い赤色である血液が赤から灰白赤色になるだけで、ほとんどの白血病患者では血液の色は赤いままである。血液の赤色は赤血球の色であるが、赤血球が完全になくなる前に人は死亡するため血液が完全に真っ白になるまで生存することはできない。
白血病によって貧血が強くなると血の色が薄くはなる。また同様に、赤白血病(FAB分類M6)でも血がピンクになるわけではない。一方、家族性リポ蛋白リパーゼ欠損症では血の中に中性脂肪が溜まり血が乳白色となるが、これは白血病とは呼ばない。
ちなみに健康人の血液を遠心分離すると下層には濃い赤色の赤血球、上層には黄色みかかった透明の血漿に分離するが、中間にはやや灰色がかった白い薄い層が現れる。白い層をなす血液細胞をギリシャ語由来の(白い)を意味する leuko と細胞を表す cyte をあわせて Leukocyte:白血球と名付けられた。白血球の一つひとつは実際には無色半透明だが多く集まると光を乱反射して白く見える。白血病患者のほとんどでは白血球あるいは白血球同様に無色半透明な芽球が増加しているため、血液を遠心分離すると中間の白い層の厚みは増加している。白い層の増加の程度が甚だしいと血液の色も変化する。
白血病の症状は、急性白血病と慢性白血病では大きく異なる。
急性白血病の症状としては、骨髄で白血病細胞が増加し満ちあふれるために正常な造血が阻害されて正常な血液細胞が減少し、正常な白血球の減少に伴い細菌などの感染症(発熱)、赤血球減少(貧血)に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板減少に伴う易出血症状(歯肉出血、鼻出血、皮下出血など)がよく見られ、ほかにも白血病細胞の浸潤による歯肉の腫脹や、時には(特にAML-M3では)大規模な出血もありうる。
さらに白血病が進行し、各臓器への白血病細胞の浸潤があると、各臓器が傷害あるいは腫張し圧迫されてさまざまな症状がありうる。腫瘍熱、骨痛、歯肉腫脹、肝脾腫、リンパ節腫脹、皮膚病変などや、白血病細胞が中枢神経に浸潤すると頭痛や意識障害などのさまざまな神経症状も起こりうる。
急性リンパ性白血病では、リンパ節・肝臓・脾臓の腫大や中枢神経症状はよく見られるが、AMLでは多くはない。
ただし、これらの諸症状は白血病に特有の症状ではなく、これらの症状を示す疾患は多い。ゆえに症状だけで、白血病を推定することは困難である。
慢性骨髄性白血病では、罹患後しばらくは慢性期と呼ばれる状態が続き、特に症状が現れず、健康診断で白血球数の異常が指摘され、初めて受診することも多く、慢性期で自覚症状が現れる場合は、脾腫による腹部膨満や微熱、倦怠感の場合が多い。ただし、慢性骨髄性白血病の自然経過では、数年の後必ず、移行期と呼ばれる芽球増加の中間段階を経て急性転化を起こす。急性期では芽球が著増し、急性白血病と同様の状態になる。
慢性リンパ性白血病では、一般に進行がゆっくりで無症状のことも多く、やはり健康診断で白血球増加を指摘されて受診することが多いが、しかし80%の患者では、リンパ節の腫脹があり(痛みはないことが多い)他人からリンパ節腫脹を指摘されて受診することもある。
リンパ節の腫れ以外に、自覚症状がある場合には倦怠感、脾腫による腹部膨満や寝汗、発熱、皮膚病変などが見られる。慢性リンパ性白血病の低リスク群では、無症状のまま無治療でも天寿を全うすることもあるが、病期が進行してくると、貧血や血小板減少が進み、細菌や真菌などの日和見感染症や、自己免疫疾患を伴うこともある。
白血病の検査では血液検査と骨髄検査が主になる。白血病の本体は骨髄にあり、白血病の状態を正確に把握するには骨髄検査が不可欠であるが、骨髄検査は患者にとって負担の多い検査であり、患者への負担が少ない血液検査も重要になる(骨髄と血液を川に例えると水源が骨髄で川の水が血液に相当する。水源の異常は川の水質や水量に影響を与える。川の水の状態から水源に異常があることはある程度推測することはできるが、水源の状態や何が起きているのかを正確に把握するには水源そのものを調べるしかない。しかし水源まで行くことは苦痛を伴い労力が必要なので川の水の状態をこまめに点検し、必要に応じて水源の再点検も行うことが大事になる)。
血液検査(末梢血)で芽球を明らかに認めれば白血病の可能性は高い。末梢血で芽球が認められなくとも、白血球が著増していたり、あるいは赤血球と血小板が著しく減少し非血液疾患の可能性が見つからなければ、骨髄検査が必要になる(白血病では白血球は、著増していることもあれば正常あるいは減少していることもある。10万を超えるような場合以外は白血球数だけでは白血病かどうかは分からない)。骨髄で芽球の割合が著増していたり、極端な過形成であればやはり白血病の可能性は非常に高い。
急性白血病の骨髄では芽球の増加を認め、WHO分類では骨髄の有核細胞のなかでの芽球の割合が20%以上であれば急性白血病と定義するため骨髄検査を行わないと診断を確定できない。さらに骨髄内の有核細胞中のMPO陽性比率や非特異的エステラーゼ染色や免疫学的マーカー捜索によって急性白血病中の病型の診断を確定させる。CMLやCLLでも骨髄でのそれぞれの特徴的な骨髄像の確認は重要であり、CMLではフィラデルフィア染色体の捜索を行う。
また、白血病細胞の中枢神経への浸潤の可能性や脾・肝臓腫、感染症などの白血病の症状を探るための諸検査(CT検査、脳脊髄液検査、細菌培養検査など)も行われる。
急性白血病細胞は多くの場合、白血球の幼若な細胞と類似した形態を取るため、芽球あるいは芽球様細胞と呼ばれる。血液細胞は大きくは、白血球、赤血球、血小板の3種に分けられるが、白血病細胞(芽球)は赤血球や血小板と違って有核であり、また赤血球と違い溶血剤に溶けず血小板とはサイズが違うため、正常な白血球ではないが自動血球計数器で分析する血液検査の血液分画(血液細胞の分類とカウント)の中では白血球の区分に入れられる(高性能な検査機や検査技師が行う目視検査では血液細胞の種類ごとに細かく分類ができる)。
急性白血病の血液検査ではヘモグロビンや血小板数は低下していることが多く、芽球が認められることが多い。血液中の有核細胞が多数の骨髄系芽球と少数の正常な白血球だけで中間の成熟段階の細胞を欠けば(白血病裂孔)急性骨髄性白血病の可能性が高く、リンパ芽球が多数現れていれば急性リンパ性白血病の可能性が高い。芽球から成熟した白血球まで含めた白血球総数は著明に増加していることが多いが、なかには正常あるいは減少していることもある。
慢性骨髄性白血病では、血液、骨髄の両方で芽球から成熟した細胞まで白血球の著明な増加があり血小板も増加していることが多く、慢性リンパ性白血病では成熟したリンパ球が著明に増加する。
急性白血病細胞は分化能を失い幼若な形態(芽球)のまま数を増やすため、骨髄は一様な細胞で埋め尽くされる。慢性白血病では細胞は分化能を失わずに、しかし正常なコントロールを失って自律的な過剰な増殖を行うため正常な骨髄に比べて各成熟段階の白血球系細胞が顕著に多くなる(過形成)。骨髄検査では各細胞を細かく分けてカウントし、特に芽球の割合と形態が重要になる。赤芽球は通常では芽球には含まれないが、赤白血病(AML-M6)では白血病細胞の半数程度は赤芽球と同様の表面抗原を発現するため、赤白血病を疑われたときのみ、芽球に赤芽球を含める。
世界のどの民族でも多い急性骨髄性白血病では、世界平均の罹患率は10万人あたり年間2.5 - 3人といわれ、日本よりやや低くなっている。若い患者もいる白血病といえども高齢者ほど罹患率は高いため、高齢人口割合が高くなると白血病の罹患率も高くなる。また、慢性リンパ性白血病は欧米では急性骨髄性白血病と並んで多い白血病だがアジアでは少なく、成人T細胞白血病はカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、および日本で見られるなど、地域・民族によって白血病発症の特性は違う。白血病全体ではアジア人よりも欧米人の方が罹患率は高い傾向があるなど、白血病の罹患率は民族や年齢、性別によってその内容は異なる。なお、その病気に罹ったら「罹患」、症状が出たら「発症」と区別されるが、急性白血病の場合は罹患率と発症率には大きな差はない。
アメリカには多様な人種・民族が暮らしているため、国ごとに違う生活環境による影響を排除して人種・民族ごとの遺伝学的な白血病の特性がある程度推定できる。
1997年の日本の統計では全白血病の発症率は年間に男性で10万人あたり7人、女性で10万人あたり4.8人、合計で年間に人口10万人あたり約7人程度と見られている。
そのうち急性白血病が10万人あたり4人程度、急性白血病では大人で80%、子供で20%が急性骨髄性白血病(AML)、大人で20%、子供で80%が急性リンパ性白血病(ALL)で、全体としては3分の2が急性骨髄性白血病、3分の1が急性リンパ性白血病といわれている。
つまりALLでは小児が多く、AMLでは大多数が成人で発症年齢中央値が60歳である。慢性骨髄性白血病の発症率は10万人あたり1 - 1.5人程度、慢性リンパ性白血病は白血病全体の1 - 3%程度で少ないと見られている。
しかし、日本では少ない慢性リンパ性白血病は、欧米では全白血病の20%から30%を占めている。また、小児全体では白血病の発症率は年間10万人あたり3人程度とされるが、小児では慢性白血病は少なく5%程度で、小児の急性白血病の80%はリンパ性であり、男児にやや多い。
高齢者人口が1997年より増えた2005年の日本の統計では、高齢化によって白血病も増えており、2005年国立がん研究センターの統計では、日本では年間9,000人が白血病に罹患し、人口10万人あたり7.1人の罹患率となっている。そのうち男性が約5,300人、女性が約3,700人で、男性の10万人あたり罹患率は8.3人、女性では5.9人となっている。
2005年の日本では、67万6000人が新たにがんに侵され、人口10万人あたりでは年間529人のがん罹患率で、白血病は全がんの1.3%を占めている。地域別では九州・沖縄で白血病が多いが、これは地域特性のある成人T細胞白血病(後述)の発症率の差によるものである。
骨髄できわめて若い造血細胞の遺伝子に1つ以上の遺伝子異常が後天的に起きて白血病幹細胞が発生し、白血病幹細胞が数千億から1兆個もの白血病細胞を生み出して骨髄を占拠するようになると発症するものと考えられている。白血病幹細胞が発生してすぐに白血病の症状が出るわけではない。1個の白血病幹細胞はゆっくりと、しかし自律的に増加して(コントロールを受けない)多数の白血病細胞を生み出していき、その白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているため、やがて骨髄を白血病細胞が占拠し満ちあふれる。骨髄を白血病細胞に占拠され、正常な造血細胞が締め出されて正常な造血が阻害され、また骨髄に収まりきれず血液中にあふれ出た白血病細胞が各臓器に浸潤して白血病の諸症状が起きる。
遺伝子異常が起きる原因として放射線被曝、ベンゼンやトルエン、抗がん剤など一部の化学物質、HTLVウイルスなどは発症のリスクファクターとされているが、それらが原因と推察できる白血病はごく一部に限られ、白血病のほとんどは原因は不明である。白血病は親から子への遺伝もなく、成人T細胞白血病をわずかな例外とすればうつることもない。ほとんどの白血病はウイルスなどの病原体によるものではないが、例外的に2種類だけウイルスが関わっているものがある。ひとつは日本で同定された成人T細胞白血病で、レトロウイルスのひとつHTLV-Iの感染が原因であることが明らかになっている。もう一つは急性リンパ性白血病バーキット型(FAB分類 ALL L3)の中でアフリカなどのマラリア感染地域に多い風土病型といわれるタイプでEBウイルスとの関連が指摘されている。
細かく分類すると数十種類に及ぶ白血病では判明している遺伝子異常の数は多いが、すべての白血病に共通する遺伝子異常は見つかっておらず、多数ある白血病の病型のうち慢性骨髄性白血病や急性前骨髄球性白血病などいくつかの白血病では主となる遺伝子異常は判明しているが、大半の白血病では多くの遺伝子異常は見つかっていても共通で決定的な原因となる遺伝子異常は明らかでない。
白血病を含む「がん」は細胞の増殖・分化・生存に関わる重要な制御遺伝子に何らかの(染色体の転座、重複、部分あるいは全体の欠失、染色体上の遺伝子の点状変異など)異常が起こり、がん遺伝子の発現とがん抑制遺伝子の異常・抑制などいくつかの段階を踏んでがん化すると考えられている。一般に白血病をふくめて「がん」は一段階の遺伝子異常だけでは起こらず、何段階かの遺伝子異常が積み重なってがん化するため、若い人では少なく、異常が積み重なる時間を十分に経た高齢者で多い。遺伝子に変化が起きる原因としては活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが考えられる。
がんを起こす遺伝子異常は染色体に活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが作用することによって発生するが、細胞には遺伝子に生じた異常を修復する仕組みがあり、また修復しきれない致命的な異常が起きてしまったときはその細胞は死ぬが(アポトーシス)、修復が効かずアポトーシスも免れるような変異を起こすことがある。そのような遺伝子変異を起こした細胞のほとんどはキラーT細胞やナチュラルキラー(NK)細胞のような免疫系が正常細胞との表面抗原の違いを認識して破壊するが、遺伝子異常を起こした細胞の中にキラーT細胞やNK細胞に認識される表面抗原の発現を変化させて免疫細胞による排除を免れるものがいる。そのような遺伝子異常を積み重ねたのががん細胞であり、数を増やしてがんを発症させる。造血細胞ががん化したものが白血病である。
白血病幹細胞を含むがん細胞は多段階の遺伝子異常を経て発生するが、がん細胞ではアポトーシス制御に異常が起き、アポトーシス抵抗性を獲得する。がん細胞の80 - 90%はテロメアを伸長させるテロメラーゼが発現し、あるいはテロメラーゼが発現していないがんでもテロメラーゼの代替経路があり、それによってがん幹細胞は不死化し無限の増殖能を獲得する。
白血病における急性、慢性は一般的に用いる意味とは違っている。造血細胞が腫瘍化して分化能を失い、見た目が幼若な血液細胞の形態の白血病細胞ばかりになる急性白血病、白血病細胞が分化能を保っているもの(つまり一見まともな白血球が作られているもの)を慢性白血病と呼ぶ(ただし、慢性白血病の白血病細胞は見た目は正常な白血球に見えても、その機能には異常が生じ本来の役目は十分には果たせないものが多い)。慢性白血病が急性化することはあっても、急性白血病が慢性白血病になることはない。
また、白血病細胞の性質が骨髄系の細胞かリンパ球系の細胞かによって骨髄性白血病、リンパ性白血病に分類する。このことから主として以下の4種類に分類される。
これらはさらに生物学的な性質から細分される。
ただし、これら患者数の多い上記4つ以外にもきわめてまれな急性混合性白血病や、類縁疾患と白血病の境にあり厳密には他の疾患グループに入れられている白血病(非定型慢性骨髄性白血病、慢性好中球性白血病や慢性骨髄単球性白血病、慢性好酸球性白血病、若年性骨髄単球性白血病、慢性好塩基球性白血病、肥満細胞性白血病ほか)などもあり、それらを含めると白血病の種類はきわめて多い。
現在の白血病の治療の基本は抗がん剤、化学療法である。白血病の治療では骨髄移植が知られているが、骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植療法は過酷な治療であり、治療そのものが死亡原因になる治療関連死も少なくはない。また寛解に入っていない非寛解期に移植をしても失敗する可能性は高い。そのために白血病の診断がついてもいきなり移植に入ることはなく、まずは抗がん剤による治療になり、その後は経過や予後不良因子によって移植の検討がされる。
寛解とは白血病細胞が減少し症状がなくなった状態、完全寛解とは白血病細胞が見つからなくなった状態である。完全寛解には、顕微鏡観察で白血病細胞が見つからない血液学的寛解と、顕微鏡観察より鋭敏な分子学的捜索で白血病細胞が見つからなくなった分子学的完全寛解がある。症状が出てAMLと診断された時点では患者の体内には10個(一兆個)もの白血病細胞があるが、血液学的完全寛解では10個(10億個)以下、分子学的完全寛解では10個(100万個)以下になる。血液細胞の数は骨髄内の有核細胞だけでも数千億個はあるため、100万個の白血病細胞といえど容易に見つかるものではない。
白血病細胞を免疫不全マウス(実験用に特別に作られた免疫のないハツカネズミ)に移植する実験ではたった1個の白血病細胞が白血病を引き起こすことが証明されている。実際にはたった1個で白血病を引き起こせる細胞は白血病幹細胞であるが、病的細胞を1個でも残すと再発の可能性は否定できないため、急性白血病の治療では白血病細胞をすべて殺す(total cell kill)必要があると考えられている。ただし、慢性白血病を中心に治癒を望まずに疾病を押さえつけていくことで生命予後とQOL(Quality of Life)の改善を図っていく方法も多い。
治療の結果、もっとも鋭敏な検査法でも白血病細胞が見つからない完全寛解になっても白血病が再発することがあるのは、骨髄の奥深くニッチ環境で休眠状態の白血病幹細胞が抗がん剤に耐えて生き延びるためである。再発・転移した白血病細胞は抗がん剤治療をくぐり抜けてきた細胞であるため非常に治療抵抗性が強く、通常量の抗がん剤療法、放射線とも効きにくいため命を落とす確率が高く、そのため再発した白血病あるいは経験的に再発が予想されるタイプの白血病では、もっとも強力な治療である骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植が適用となることが多い。
造血幹細胞移植では致死量をはるかに超えた大量の抗がん剤と放射線によって、白血病幹細胞を含めて病的細胞を一気に根こそぎ死滅させることを目指す(前処置という)。しかし、この強力な前処置によって正常な造血細胞も死滅するため患者は造血能力を完全に失い、そのままでは患者は確実に死亡する。そのためにHLA型の一致した健康人の正常な造血幹細胞を移植し、健康な造血システムを再建する必要がある。白血病の移植では大半を占める同種(家族を含めた他人からの)移植では移植した免疫細胞(主としてリンパ球)による白血病細胞への攻撃(Ggraft versus leukemia effect:GVL効果)がある。同種移植には時には死につながる大きな副作用(GVHD)もあるが、代わりに万が一前処理後にも生き残った白血病細胞があってもGVL効果によって排除されることを期待できる。ただし、それでもなおかつ再発することはある。自家移植の場合は副作用GVHDはないもののGVL効果は期待できず、白血病細胞の混入もありえるため再発率は同種移植に比べて高く、白血病の治療としては自家移植は少ない。前処置では患者の免疫を破壊して移植した造血幹細胞が拒絶されない働きもする。
しかし、通常の移植の前処置はあまりに強力な治療であるため、体力の乏しい患者や高齢者は治療に耐えられない。そのためミニ移植という手段もある。ミニ移植では前処置の抗がん剤投与や放射線治療はあまり強力にはしない。そのために白血病幹細胞は一部は生き残る可能性は高いが、GVL効果(移植した正常な造血による免疫とドナーリンパ球輸注によるドナー由来リンパ球の免疫によって残った白血病幹細胞が根絶されること)を期待する。ただし、ミニ移植でもかなり強力な治療には違いないため、すべての患者が適応になるわけではない。ミニ移植は通常の移植(フル移植)に比べて移植前処置が軽いということであり、ミニと言っても移植の規模が小さいということではなく、移植後の副作用も小さいわけでもない。ミニ移植では前処置の主たる目的は移植された造血幹細胞が拒絶されないようにすることになる。
現在の急性白血病の基本の治療法は total cell kill(TCL)といい、最初に抗がん剤を使用して膨大な白血病細胞を減らして骨髄に正常な造血細胞が増殖できるスペースを与え(初回寛解導入療法)、その後の休薬期間に空いた骨髄で正常な造血細胞が増えるのを待ってから、さらに間歇的に抗がん剤を使用すること(地固めおよび強化療法・維持療法)を繰り返して最終的に白血病細胞の根絶を目指す治療を基本とする。
急性骨髄性白血病では最初の治療(寛解導入療法)として アントラサイクリン系抗がん剤(ダウノルビシンあるいはイダルビシン)3日間あるいは5日間と抗がん剤シタラビン(キロサイド)7日間の併用療法が一般的である(急性前骨髄球性白血病(AML-M3)は例外である。AML-M3については後述)。これでほとんどの患者では寛解にもっていける。しかし、血液学的に白血病細胞が見られなくなっても白血病の大本である白血病幹細胞は隠れて存在し、そのままでは白血病が再発するため、寛解導入療法後に一定期間が経ち正常な造血が回復してきたら、隠れた白血病幹細胞の根絶を目指す地固め療法を行う。地固め療法ではアントラサイクリン、シタラビンに加え、白血病細胞が薬剤耐性を持たないように違う種類の抗がん剤(エトポシドやビンカアルカロイド)を加えた併用化学療法を使ったり、シタラビンの大量療法を行い、通常は1クール4週間程度の地固め療法を3、4回繰り返し白血病細胞の根絶を目指す。強化療法で白血病細胞の根絶ができたと期待できても、万が一生き残っている白血病細胞があると再発する可能性があるため、強化療法終了後(退院後)にも定期的に抗がん剤投与を行い、万が一の可能性を押える維持療法を行うこともある。ただし、日本では強化療法を十分に行うことにより維持療法は不要とする施設も多い。完全寛解の状態が5年続けば再発の可能性は低く、治癒と見なしてよいとされている。
急性白血病では、急性前骨髄球性白血病(AML-M3)のみ治療法はまったく異なり、オールトランスレチノイン酸(ATRA)による分化誘導療法と抗がん剤の併用療法が用いられる。オールトランスレチノイン酸を与えると、分化障害を持っていた急性前骨髄球性白血病細胞はATRAによって強制的に分化・誘導させられ、継続的に白血病を維持する能力を失ってしまうのである。この薬剤の登場により、M3はAMLの中でもっとも予後良好な群となった。ATRA単剤では再発が多いため、ATRAと抗がん剤アントラサイクリンを併用した寛解導入・地固め・強化維持療法が行われ多くの患者が治癒している。ATRA治療後に急性前骨髄球性白血病(AML-M3)が再発してしまった場合には、機序は違うが、やはり細胞を分化誘導とアポトーシスに招く亜ヒ酸が著効することが知られている。
急性リンパ性白血病では白血病細胞はプレドニゾロンによく反応し数を減らし、またAMLに比べて使用できる薬剤は多いが、治療の基本的な考え方は急性骨髄性白血病と同じである。
急性リンパ性白血病の寛解導入(初回の治療)ではビンクリスチン(VCR、商品名オンコビン)とプレドニゾロン(プレドニン)およびアントラサイクリン系抗がん剤の組み合わせを基本とし、それにシクロホスファミド(エンドキサン)やL-アスパラキナーゼ(ロイナーゼ)などを加えることもある。どのプロトコール(薬剤の組み合わせや各薬剤の投薬量・投薬スケジュール)がいいかは一概には言えず、標準治療は存在しない(上に挙げた薬剤でプレドニゾロンは抗がん剤ではなくステロイドである)。
寛解導入後に行われる地固め療法もさまざまなプロトコールがあるが、寛解導入とは組み合わせを変えるのが基本となる。なるべく多種類の薬剤を使用したり、シタラビン(キロサイド)大量療法などがある。ALLでは白血病細胞が中枢神経を侵しやすく、予防しないと中枢神経白血病になることがあり、放射線の頭蓋照射や抗がん剤メトトレキサートの髄注あるいはシタラビンなどの大量投与などを組み合わせて予防する。
小児ALLでは、化学療法だけで長期生存する確率が高いため、第一寛解期で移植を検討することは少ない。しかし、成人のALLでは再発率が高いため、AMLに比べると第一寛解期での移植を検討することは多い。
移植を行わない場合、ALLでは寛解導入療法と地固め療法を数コース行って完全寛解し、いったん退院したあとにも、定期的に化学療法(おもに経口抗がん剤やプレドニゾロン)を行う維持療法を長く(2年程度)行う。
成人のPh+ALL(フィラデルフィア染色体(Bcr-Abl融合遺伝子)のあるALL)はALLの3、4割を占めるが、かつてPh+ALLは白血病の中でももっとも難治な型のひとつであった。しかし、2001年に登場したイマチニブ(グリベック)と化学療法の併用で治療成績は向上し、移植治療と併せると50%の患者は長期生存が期待できるようになってきている。
慢性骨髄性白血病については従来はインターフェロンが一部には有効ではあったが、インターフェロンが効かない場合は移植治療以外には、単に延命を計るだけの治療しかなかった。しかし、2001年分子標的薬グリベックの登場で様相が一変した。グリベックは慢性骨髄性白血病細胞において遺伝子変異によって作られた異常なBcr-Abl融合タンパク(自己リン酸化して常に活性化し、シグナル伝達を行う基質をリン酸化し、それはさらに下流の細胞の分裂を促す細胞内シグナル伝達系を活性化させていく酵素(チロシンキナーゼ)でこのため、白血病細胞は自律的に増殖する)が異常な細胞分裂を促すシグナルを伝達するのを阻害する薬で、活動している慢性骨髄性白血病細胞にのみに的を絞って攻撃し、正常な細胞は攻撃しないので副作用の少ない画期的な抗がん剤(分子標的薬)である。慢性骨髄性白血病の Bcr-Abl遺伝子変異にも様々なサブタイプ(変異体)があり、中にはグリベックが効かない Bcr-Abl変異体もあるが、同様な分子標的薬が次々に開発され、Bcr-AblタンパクT315I変異体という治療抵抗性の強いサブタイプの1つを除いては慢性期の CML はほぼ押さえ込むことができるようになっている(ただし、分子標的薬は休眠している白血病幹細胞には届かないため、病気を抑えることはできても、治癒は必ずしも望めない)。慢性骨髄性白血病では急性白血病のような休薬期間はなくグリベックなどの分子標的薬を飲み続けることになる。グリベックなどの分子標的薬に治療抵抗性のある CML、あるいは治療の過程で治療抵抗性を持ってしまった CML では造血幹細胞移植が推奨される。また付加的な遺伝子異常が起きてしまい芽球が増加し始めた移行期の治療ではグリベックの増量や他の分子標的薬に変更したり、あるいは造血幹細胞移植も検討する。さらに芽球が増えて骨髄、末梢血中の芽球が30%以上になる急性期では、芽球がリンパ系ならば ALL に準じた治療に加えて分子標的薬を投与し、芽球が骨髄系ならば AML に準じた治療に加えて分子標的薬を投与するが、急性期に移行した場合には抗がん剤も分子標的薬も有効とも限らず移植医療を検討する。
狭義の慢性リンパ性白血病は進行が緩慢で無治療でも天寿を全うすることができる患者も少なくなく病期によって治療手段が違い、リンパ球の増加のみで症状がなく安定している場合は治療によって生命予後が改善されるとは限らない。そのため状態がリンパ球の増加のみであるならば無治療で経過観察を行い、病期が進み、リンパ節腫大や脾肝腫、貧血、血小板減少などが現れてくると治療の対象になる。近年では狭義の慢性リンパ性白血病には進行がゆっくりで無治療でよい群と進行が早く治療の必要な群の2群があることが判明しつつあり、遺伝子研究が進んでいる。National Cancer Institute-sponsored Working Group のガイドラインによれば、(1)6か月以内に10%以上の体重減少、強い倦怠感、盗汗、発熱などの症状、(2)貧血や血小板減少、(3)著しい脾腫、リンパ節腫大、(4)リンパ球数が2ヶ月の間に50%あるいは6か月で2倍の増加、以上の(1)-(4)のどれかが認められた場合に治療を開始するとされている。治療は以前にはシクロフォスファミドが使われていたが、現在ではフルダラビン単剤、もしくはフルダラビンとシクロフォスファミドの併用が標準であり、リツキシマブの併用も有効性が認められている。ただし、治癒は望めず治療の目的は病勢のコントロールと生存期間の延長を図ることである。
白血病の治療では主に抗がん剤を使う。白血病の多くは症状が厳しく急を要し難治なので治療も強いものにならざるをえず、白血病細胞が薬剤耐性を持たないようにするため抗がん剤は多剤を併用することが標準である。もともと白血病特に急性白血病では正常な血液細胞が減ることが多く、感染症、貧血症状、易出血傾向などが見られるが、抗がん剤では骨髄が抑制(造血細胞が抗がん剤で減少する)されるので感染症、貧血症状、易出血傾向はさらに悪化することが多い。そのために感染症対策や、赤血球や血小板の輸血、時には顆粒球コロニー刺激因子投与などは重要になる。抗がん剤の副作用はさまざまであるが、主なものを右に挙げた。急性骨髄性白血病の治療で用いられることが多いシタラビン(Ara-C, キロサイド)では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、下痢、脱毛、肝・腎機能障害などに加えてシタラビンの特徴として結膜炎や脳の障害が見られることがある。シタラビン大量療法ではステロイド点眼薬が必要になる。やはり急性骨髄性白血病で用いられることが多いアントラサイクリン系の抗がん剤では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、脱毛などの他にアントラサイクリン系特有の心臓への毒性がある。急性リンパ性白血病で使われるビンクリスチン(オンコビン)では抗がん剤に共通する副作用の他に神経毒性、ひどい便秘や腸閉塞、低ナトリウム血症などの電解質異常(抗利尿ホルモン不適切分泌症候群) などがある。シクロフォスファミド(エンドキサン)では出血性膀胱炎が特有の副作用であり、大量の水分の補給で尿を増やし濃度を薄め早く薬剤を排出させることが必要になる。また、抗がん剤そのものの作用ではないが、治療開始初期には抗がん剤によって大量の白血病細胞が死ぬために白血病細胞の内容物が血液内に一気に放出され高尿酸血症や高カリウム血症、低カルシウム血症などが起き、それによって腎不全に陥ることがある。これを腫瘍崩壊症候群(急性腫瘍融解症候群)と言い、適切な対処をしないと死に至ることもある。また、抗がん剤の代謝、排出器官である肝臓と腎臓に障害があると毒性は一層顕著になるので、臓器に障害がある際には特に注意が必要である。
患者、特に女性患者にとって切実な副作用は脱毛であるが、抗がん剤治療が終れば髪は復活する。個人差はあるものの抗がん剤を使用したその日から脱毛が始めるのではなく抗がん剤を開始してから2-3週間程度で脱毛は始まる。脱毛は頭髪だけでなく全身の毛でも起こりうるが、抗がん剤治療を終了して1-2か月ほどで毛髪は再生し始め、約半年ほどで再生する。再び生えてきた毛髪は抗がん剤治療の前よりは少し細く、質も変わることもあるが2年ほどで髪質も元に戻る。
従来の治療法は白血病細胞をすべて殺す、押えつけることを念頭においていたが、白血病幹細胞の研究の進歩及び急性前骨髄性白血病での分化誘導療法の開発によって、治療の考え方が根本的に変わろうとしている。急性前骨髄性白血病での分化誘導療法では白血病幹細胞を含めて白血病細胞を強制的に分化させてしまう方法である。殺すのではなく、白血病細胞特有の性質を除去するのである。
現在は白血病幹細胞の研究が進み、白血病細胞の中でわずかな白血病幹細胞のみが無限の増殖能を持ち、末端の白血病細胞は有限の増殖しかできないことが判明している。したがって白血病幹細胞の除去さえできれば、末端の白血病細胞は残しても白血病はやがて治癒するものと考えられるようになっている。ただし、現在の技術では末端の白血病細胞よりも白血病幹細胞を除去するほうが難しいが、将来的には、今の total cell kill療法に代わり、白血病幹細胞に的を絞った治療法の開発が本命になっていくと考えられている。
急性白血病は自己複製能力を持つ造血幹細胞の遺伝子が変化し、正常な分化能の喪失と不死化(細胞寿命の延長)を得るか、前駆細胞に同様の遺伝子異常+自己複製能の再獲得があって発生する白血病幹細胞を基にすると考えられている。
血液細胞の大本である造血幹細胞は極めて少数で、それ故に貴重でありその多くは造血幹細胞ニッチで支持細胞に守られながら休眠している。造血幹細胞は造血が必要なときに目覚めさせられ、2つに分裂し、1つは元の幹細胞と同じ細胞であり(自己複製)再び眠りに付くが、もう1つは分化の道をたどり始めて前駆細胞となり(分化の道をたどり始めた細胞は自己複製能力はなくなる)盛んに分裂して数を増やしながら分化・成熟して極めてたくさんの血液細胞を生み出していく。急性白血病においても幹細胞と末端の細胞の関係は同様であると考えられている。正常な造血幹細胞もしくは前駆細胞の遺伝子に変化が起こり、細胞の分化能に異常が起き、また細胞に不死化(細胞寿命の延長)をもたらすものが白血病幹細胞である。正常な造血幹細胞はニッチの構成細胞や造血因子のコントロール下にあり自律的な増殖はしないが、白血病幹細胞は造血因子の有無に関係なく増殖(自律的増殖)する。ニッチにおいて正常な造血幹細胞はほとんどが休眠期(細胞周期のG0期)にあるが、白血病幹細胞においては(休眠期に入っている細胞も少なくないが)正常な造血幹細胞に比べて細胞分裂の活動期に入っている細胞の割合は高いと考えられている。
ヒトの白血病細胞を免疫不全マウスに移植する実験では、ほとんどの白血病細胞はマウスに白血病を引き起こすことはできないが、白血病細胞の中でごく少数の CD34+CD38-細胞の一部はマウスにヒトの白血病を引き起こすことができることがわかっている。発現している抗原が CD34- または CD38+ の白血病細胞では細胞は有限の増殖しかできないが、CD34+CD38-細胞の一部では長期にわたって白血病細胞を供給し続ける。この長期にわたって白血病状態を維持することのできる少数の CD34+CD38-白血病細胞の一部がすべての白血病細胞の大本である白血病幹細胞であると考えられている。少数の正常な造血幹細胞が自分自身を保持しながら、極めてたくさんの血液細胞を生み出すのと同じに、白血病幹細胞も自分自身を保持しながら、極めてたくさんの白血病細胞を生み出していくのである。ただし、白血病幹細胞から生み出された細胞は決して正常な血液細胞になることはできずに増殖し、正常な造血を阻害するのである。急性白血病の中には正常な造血前駆細胞が遺伝子異常とともに自己複製能を再獲得して白血病幹細胞が発生するものもあると考えられている。最新の知見では急性白血病の幹細胞はむしろ、そのほとんどは造血前駆細胞が遺伝子変異(分化障害と細胞寿命の亢進・自己複製能の再獲得)を起こしたものと考えられている。
正常な造血細胞に遺伝子変異が起こり急性白血病幹細胞は発生するがその遺伝子変異は1段階ではなく、増殖・生存能の亢進をもたらす遺伝子変異と細胞の分化障害を起こす遺伝子変異など複数の段階にわたる遺伝子異常が重なって発症すると考えられている。細胞の増殖・生存能が亢進する変異はクラスI変異と呼ばれ、細胞の増殖や生存に関わるシグナル伝達の活性化-増殖亢進、細胞寿命の亢進などが起き、これが前面に立つと骨髄増殖性腫瘍様の自律的増殖能を亢進する。クラスII変異とされる分化障害が先行すると骨髄異形成症候群様の細胞形態の異常が起き、急性白血病ではこのクラスI・クラスIIの変異の少なくとも2段階の遺伝子変異が必要である。このクラスI変異、クラスII変異の遺伝子異常の種類はそれぞれ多様で、なおかつ複数の変異が重複することもあり、さらに付加的な遺伝子異常もあり、白血病にきわめて多数のサブタイプがありそれぞれ性質が異なっているのも、遺伝子変異の多様性のためである。
慢性白血病でも造血幹細胞に遺伝子異常がおき、正常なコントロールを脱して異常な増殖をするが、慢性白血病では細胞の分化能は失われておらず成熟した多数の細胞を生み出す。慢性白血病幹細胞が生み出す血液細胞は一見正常な細胞と同様に見えるが、やはり細かく見ると正常な細胞とは必ずしも同じではない。
慢性骨髄性白血病 (CML) において、マウスの正常な造血幹細胞に CML の原因となる「がん遺伝子」BCR-ABL融合遺伝子を導入するとマウスは CML を発症する。しかし、造血幹細胞から分化が進み、盛んな増殖能は持つが自己複製能は失った造血細胞に BCR-ABL融合遺伝子を導入してもマウスは CML を発症しないことも分かっている。がん遺伝子 BCR-ABL融合遺伝子は細胞の増殖能力の自律的亢進に関わるが、細胞の自己複製能を発現するものではないことが分かる。また、慢性骨髄性白血病が付加的な遺伝子異常を起こし急性転化した場合、2/3の患者では急性骨髄性白血病、1/3の患者では急性リンパ性白血病とどちらの系列にも進むことがあることからも、慢性骨髄性白血病の最初の遺伝子変異(BCR-ABL融合遺伝子)が幹細胞レベルで起こっていることが分かる。CML幹細胞も造血幹細胞と同じくニッチ環境にあり、その多くは細胞活動が停止した休眠期(細胞周期G0期)にあると考えられている。イマチニブなどの Bcr-Ablタンパクを標的にした分子標的薬は休眠している細胞には届かないと考えられている。
症状が出るまでに進行した白血病では短時間で末梢血の白血球や芽球の数が増加することが多く、白血病細胞は増殖が速い印象がある。しかし実際には白血病細胞は、正常な造血細胞に比べ細胞分裂(増殖)が早いわけではなく、むしろかなり遅い。正常な造血細胞と比べ慢性白血病細胞の分裂には2-4倍の時間が掛かり、名に反して急性白血病細胞ではさらに細胞分裂には時間が掛かるのである。しかし、正常な造血細胞の細胞分裂の開始はコントロールを受け、造血細胞が増殖を始めても細胞はやがて分化・成熟して末梢血に移り役割を果たして寿命を迎え、また、過剰に作られた細胞はコントロールを受けてアポトーシスを迎えるので、健康人の正常な血液細胞は一定の数を保つのだが、白血病細胞はコントロールを受け付けることなく無際限に増殖し、また白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているので最終的には正常な細胞を圧倒して増殖する。
このようにして白血病細胞は正常な造血細胞を圧倒して骨髄を占拠し、さらには血液(末梢血)にもあふれ出てくる段階(通常、自覚症状が明らかに現れるところまでくると)になると骨髄での白血病細胞の数はすでに膨大なものになっているので、細胞1個の分裂時間は長くとも、末梢血内では短時間の内にみるみる白血病細胞の数が増えていくようになる。健康人の末梢血内の白血球総数は80-300億個程度であるが、AMLでは自覚症状が現れ診断が付く頃には骨髄内の白血病細胞は1kg、数にして 10個(1兆個)にもなるので、その10%が末梢血にあふれ出ただけでも、正常な末梢血内の白血球数から考えるとそれは尋常な量ではない。
小児の白血病は欧米では年間小児10万人あたり4人、アジアではやや少なく日本では年間10万人に3人程度発症する。日本の小児科では年間700-800人ほどの小児が白血病を発症し小児科で治療を受けている。小児白血病の発症率は成人全体の発症率の半分程度であるが男児にやや多い(男女比は=1.35)のは成人と同じである。小児白血病で特徴的なのは慢性白血病が少なく(5%程度)、ほとんどが急性白血病であり、その80%は急性リンパ性白血病 (ALL) である。成人では急性骨髄性白血病 (AML) が多いので成人と小児ではリンパ性:骨髄性の割合が逆転している。小児の白血病では AML は年齢を問わず発症しているが、ALL では2-3歳の男子に発症が多い。
小児の急性リンパ性白血病は60-80%が治癒し、小児白血病全体では成人の白血病より予後が良いとされているが、1歳未満の乳児と10歳以上の年長児ではあまり予後は良くない。白血病の原因となっている遺伝子変異の種類は多いが、年齢によってよく見られる遺伝子変異の種類は異なり、2-9歳の小児では予後の良いタイプの遺伝子変異が多く、1歳未満の乳児を除くと年齢が低いほど予後が良いタイプの白血病の割合が多くなる傾向にある。ただし、小児白血病は予後が良いものが多いといっても重篤な疾患であることにかわりはない。小児の急性リンパ性白血病の染色体・遺伝子異常では高2倍体(染色体が50本以上に増加したもの)が20-25%、TEL-AML1融合遺伝子が15-20%に見られ、この2つの染色体・遺伝子異常による白血病は予後が良い。逆に予後の悪い染色体・遺伝子異常(BCR-ABL融合遺伝子(フィラデルフィア染色体Ph+)、あるいは MLL-AF4融合遺伝子)は5%であり、中間群は5割弱である。小児の急性骨髄性白血病では大半は予後中間群であり40-60%が長期生存・治癒している。人数的に小児白血病の大半を占める2-4歳児の白血病には予後の良いタイプの ALL(高2倍体あるいはTEL-AML1融合遺伝子)が多いが、全体の中では少数である年長児の白血病では予後の良いタイプの ALL の割合は少なくなり、10歳以上の白血病はハイリスク白血病と見なされる(ただし成人の ALL より悪いということではない)。しかし、なかには、2-4歳児の白血病でも予後不良なタイプの白血病もあるので予後不良因子の見極めは重要である。1歳未満の乳児の白血病は小児白血病の5-10%であり、MLL-AF4融合遺伝子のある ALL が約半数に見られ、MLL-AF4融合遺伝子のあるALLは極めて性質が悪く移植医療が強く推奨されている。
小児の ALL の治療では寛解導入療法・聖域療法・強化療法・維持療法の4相の治療を行う。寛解導入療法ではプレドニゾロンとビングリスチン(商品名オンコビン)の2剤で寛解を目指す。ALL では中枢神経に白血病細胞が浸潤することが多く、中枢神経白血病の予防あるいは治療のために聖域療法としてメトトレキサートの髄注や大量投与、場合によっては頭蓋放射線照射などが行われる。残存している白血病細胞の根絶を目指す強化療法では多剤投与やシタラビン(キロサイド)大量投与などを行い、万が一生き残る可能性のある白血病細胞を押えるために維持療法として 6-MP とメトトレキサートの内服を1-2年ほど続ける。予後の悪いタイプや万が一再発してしまったときは移植医療を検討する。小児では体が小さいので細胞数の少ない臍帯血や小柄な女性の骨髄でも移植に十分な数の造血幹細胞が得られるので成人に比べるとドナーは得やすい。小児の AML の治療は ALL ほど成績は良くないが寛解導入はシタラビン(キロサイド)とアントラサイクリン系抗がん剤を用い、強化療法・維持療法で完全寛解を目指す。AMLでは中枢神経白血病は少ないので予防的な抗がん剤の髄注を行うことは少ない。なお、上に挙げた薬剤はプレドニゾロン以外は抗がん剤である。
ダウン症(トリソミー21)の小児は一過性白血病と急性白血病を併せると一般集団の10から20倍ほどの発症率を示す。 一過性白血病(transient leukemia:TL)は一過性骨髄異常増殖症(transient abnormal myelopoiesis:TAM)とも呼び、生後6週間以内の乳児が発症し、類白血病様の症状を起こすが肝脾腫大・胸水・腹水・pericardial effusion(心膜周辺の滲出)が主で、リンパ腫肥大・高度の貧血・出血といった症例は少なく、大部分は白血病の治療をしないでも数週間から2カ月で治ってしまうが、17%は生後9か月前に死亡するので肝脾腫大が進行して肝機能不全を伴うような場合は少量のシタラビン(Cytosine arabinoside)を予防的に投与する場合もある。 原因となる異常増殖した白血球様細胞は必ずトリソミー21(部分トリソミー含む)で、小児が正常型の細胞が多い(トリソミー21細胞が10%以下)モザイク型のため表現型にダウン症が見られない場合でも選択的にトリソミー21の細胞が増殖して一過性白血病になることがある。 急性白血病はダウン症の小児(6ヶ月から3歳)に発生するものの大半が急性巨核芽球性白血病(acute megakaryoblastic leuke acute megakaryoblastic leukemia:AMKL)(AML-M7) であり、異常増殖した細胞にトリソミー以外に白血球による様々な染色体異常がある点が一過性白血病と異なる。 急性巨核芽球性白血病はトリソミー21以外の小児には極めて起きにくく、前述の一過性白血病が寛解した小児の1/5が急性巨核芽球性白血病になる。治療はcytosine arabinosidaseを投与する。3歳以降のダウン小児では発症率も傾向も非ダウン症小児と同じになる。
子供や若者も発症する白血病だが、やはり高齢者の方が発症率は高い。60歳の白血病発症率は年間10万人あたり5人だが、80歳では年間10万人あたり17人の発症率になる。若年者では骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は10%未満だが高齢者では24-56%と高い。骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は予後が悪い。また、MDS の既往のない高齢者の白血病では若年者の白血病に比べて予後良好因子の白血病は少なく予後不良因子を持つものが多く、なおかつ、高齢者では体力や回復力が衰えておりあまり強力な治療はできないことが多く治療は困難で、未だに高齢者に向けた標準的治療はない。55歳以上の高齢者では移植はできないが(ミニ移植は適応になる)60歳以下あるいは60-64歳程度の比較的体力があると見られる患者では一般的な標準治療が選択されることが多く、逆に抗がん剤の強度を増した治療なども試みられていて効果があったとする報告も見られる。しかしそれ以上の年齢の白血病患者では抗がん剤の効果が少ないことが多く、逆に早期の治療関連死は増える。体力のない高齢者では治療関連死が多いため、強い抗がん剤では減薬して強度を低くし、あるいはハイドレアのような弱い抗がん剤による治療、または支持療法が行われることも多いが、いずれにしても高齢者の白血病では長期生存率は高くはない。しかし近年では強度を弱めた前処置による造血幹細胞移植が普及し知見が積み重なったことで従来は適応でなかった高齢者も移植の対象になりだしている。
典型的な白血病4分類 (AML, ALL, CML, CLL) 以外の白血病も存在する。細かく挙げると数が多いので特異的なものを一部紹介する。
各種の癌や血液腫瘍の治療で抗がん剤や放射線治療を行った数年後に白血病や骨髄異形成症候群を発症する可能性が高くなることが知られている。治療関連白血病(抗がん剤や放射線によってもたらされた白血病)は急性骨髄性白血病がほとんどであり tAML という。治療関連の骨髄異形成症候群は tMDS というが MDS は前白血病状態とも位置付けられ tMDS は tAML に移行することが多く、tAML/tMDS と括られることもある。非ホジキンリンパ腫を抗がん剤で治療した後10年間で tAML/tMDS を発症する患者は5-8%ほどと見られ、抗がん剤の量や期間、あるいは放射線治療の有無は tAML/tMDS 発症の重要な因子である(当然、多いほど、期間が長いほど危険である)。tAML/tMDS は自然発生した AML や MDS に比べ治療の成績が良くはなく、予後不良であることが知られている。tAML は化学治療で寛解に持っていっても早期に再発することが多く、造血幹細胞移植を積極的に検討する必要があるが、移植の成績も自然発生した AML に比べると良くはない。抗がん剤もアルキル化薬によって引き起こされた白血病の場合は薬剤の投与から白血病発症までの期間は5-7年程度と長く、MDS の段階を経て急性骨髄性白血病になることが多く、予後は極めて悪い。同じ抗がん剤でもトポイソメラーゼII阻害薬によって引き起こされる白血病は薬剤の投与から白血病を発症するまでの期間は2-3年でアルキル化薬による白血病よりは予後がまだしも良いが、やはり難治である。また治療関連の CML や ALL も tAML ほど多くはないが報告されている。治療関連の CML は tAML ほどには性質は悪くはないとされている。
ほとんどの白血病はウイルスが原因ではなくうつることもないが、成人T細胞白血病は極めて例外的な白血病である。
成人T細胞白血病(Adult T-cell leukemia 略称 ATL)はリンパ腫の病型を示すこともあり、成人T細胞白血病/リンパ腫 (Adult T-cell leukemia/lymphoma) とも呼ばれることがある。日本に多く、1977年に日本人によって初めて報告された疾患であり日本で最も研究・解析が進んでいる。HTLV-1 (Human T-cell leukemia virus type-1) ウイルスによる白血病で、病型は急性型、慢性型、リンパ腫型、くすぶり型と症状・病態の違う発現をする。HTLV-1ウイルスの感染および成人T細胞白血病の発症は地域差があり、世界ではカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、及び日本でみられ、特に西南日本、とりわけ南九州と西九州で多い。HTLV-1ウイルスに感染してもほとんどの感染者は一生のあいだ白血病を発症することはなく、HTLV-1ウイルス感染者のうち一生涯で白血病を発症する者は数%である。日本では100万人以上のキャリア(ウイルス保持者)がいるが、成人T細胞白血病の発症は年間600-700人程度であり、出身別では九州出身者が7割を占める。ATL は日本の本州では年間人口10万人あたり0.2-0.3人とまれな病型だが、九州では人口10万人あたり2-3人で急性骨髄性白血病より若干多く、白血病の病型の中で最も多い。HTLV-1ウイルスの感染ルートは輸血、性交による感染、母乳に限られ、現在では輸血用血液は検査されており、母子感染を別にすれば HTLV-1ウイルス感染者が近くにいても HTLV-1ウイルス感染者と性交さえしなければうつることはない。性交で感染するため、ウイルス感染率は年齢が上がるほど上昇し、とくに女性の感染率が上昇する。母子感染は人工ミルクに切り替えることで防げる。ウイルス感染から白血病発症まで極めて長い時間(数十年)掛かり、そのため乳児のときにウイルスに感染しても成人T細胞白血病を発症するのは成人になってからであり、日本においては成人T細胞白血病患者の平均年齢は61歳である。症状はさまざまであるがリンパ節腫脹、感染症による症状、皮膚病変などが多い。急性型では白血球が増加し平均で56000/μlになり、成人T細胞白血病の白血球は核に深い切れ込みが複数入って花のような核の特徴的な形状になり、花細胞やフラワーセルという。リンパ腫型では末梢血や骨髄での白血球増加は目立たず、リンパ節腫脹を特徴とする。慢性型とくすぶり型では大人しく、緩やかな経過をたどるためにすぐには治療を行わずに経過観察することが多い。急性型とリンパ腫型ではきわめて多種類の抗がん剤とプレドニゾロンを組み合わせる治療が行われる。若い(55歳以下)患者では骨髄移植などの造血幹細胞移植も検討される。
ヘアリーセル白血病 (HCL) は分化の進んだBリンパ球性の白血病/リンパ増殖疾患で、その細胞は毛を生やしたような細い突起が多数あるきわめて特徴的な外観をしている。欧米では全白血病の2-3%を占め、それほど珍しい白血病ではないが、アジアやアフリカではきわめてまれな病型である。男性に多く、患者の平均年齢は50-55歳で中年以降に多い。脾腫と汎血球減少が多く見られ、血球が減るだけでなく免疫を司る細胞に異常が多く、通常の感染症だけでなく非定型抗酸菌やカリニ肺炎、真菌症などの免疫不全による日和見感染が多く、感染症が死亡原因で目立つ疾患であるが、悪性度は低く進行がゆっくりで経過観察で良い症例も多い。HCL は位相差顕微鏡で見ると白血病細胞が特異な形態を取るので診断はしやすい。治療はインターフェロンやプリンアナログが著効する。日本ではヘアリーセル白血病は極めて少ないが、日本のヘアリーセル白血病には日本型 (Japanese variant) というローカルな亜型が存在し、日本のヘアリーセル白血病患者のなかでは日本型が大半を占める。ヘアリーセル白血病日本型は患者の平均年齢が64.9歳と高く、普通の HCL が男性に圧倒的に多いのに比べ、日本型は女性にやや多く、白血球は増加していることが多い。日本型はインターフェロンの効き目も良くない。
白血病は細胞の性質によって骨髄性とリンパ性に分けられるが、まれに白血病細胞の細胞系列のはっきりしない白血病(混合性白血病、あるいは急性未分化型白血病などの系統不明な白血病)がある。系統不明な白血病には、骨髄系白血病細胞とリンパ系白血病細胞それぞれの2系統の細胞集団が同時に現れるものと、1つの細胞に骨髄系リンパ系の両方の特徴が現れるもの、白血病細胞に一切の分化傾向が見られない急性未分化型白血病などがある。AML で最も未分化な最未分化型急性骨髄性白血病 (AML-M0) でさえ骨髄系細胞の証である MPO は光学顕微鏡では認められないが電子顕微鏡レベルでは認められ他の手段でも骨髄系と判明するが、急性未分化型白血病の芽球では骨髄系の抗原の証である MPO が電子顕微鏡レベルでも陰性であり、他の手段でも骨髄系への分化傾向は認められず、なおかつリンパ系の抗原も一切発現していない。白血病細胞の分化が幹細胞に極めて近いところで止まってしまっている細胞であると考えられる。急性未分化白血病は幹細胞白血病とも呼ばれ、その白血病細胞の性質はほとんど幹細胞と同等の性質を持っている。逆に言えば急性未分化白血病以外の白血病(ほとんどすべてになる)の細胞はわずかではあり異常でもあるがいくらかは分化したところで分化が止まった細胞であり、またその分化の方向で細胞の性質もある程度違ってくる。これら系統不明な白血病はきわめてまれであり、分かっていないことが多いが一般に予後不良といわれている。
白血病は骨髄で白血病細胞(芽球)が自律的に増加する疾患であるが、一部では例外的に芽球割合は増加し異形成は見られるが絶対数は減少することもある(低形成性白血病)。骨髄での芽球の絶対数が少ない低形成性白血病は白血病の定義からすると特異な病型であり FAB分類でも WHO分類でもカテゴリーになっていない、しかし、WHO分類では言及されている。骨髄の細胞密度が20%以下で芽球が20%以上かつ CD34陽性細胞が明らかであることでこの病型は定義されている。本来白血病とは正反対の疾患である再生不良性貧血に非常に似ているが再生不良性貧血と違って芽球の割合の増加が認められる。主に高齢者の AML で見られるが、強い治療はできずシタラビン少量療法がよいとされている。
白血病自体、単一の疾患ではなく、その原因遺伝子、病態には様々なものがある。さらに白血病の類縁疾患は数多くあり、その多くでは白血病と類縁疾患の境目は明瞭ではないため、以下に簡単に類縁疾患について記す。
骨髄異形成症候群 (MDS) は、多くでは貧血を伴う造血障害と細胞の異形成を特徴とする血液疾患であるが、MDS の一部では骨髄において芽球が増加していることがある。芽球が増加しているものは前白血病状態と位置付けられ、芽球比率が20%を超えると急性白血病と認知されるようになる。この前白血病状態の MDS の細胞では遺伝子異常によって細胞の分化障害が起こっていて芽球比率の増加が生じているが、これにさらに自律的増殖能力や不死化が加わると二次性の急性骨髄性白血病になると考えられている。
悪性リンパ腫は白血球の1種リンパ球が悪性腫瘍化してリンパ組織での腫瘍的異常増加をきたす疾患だが、リンパ系白血球が腫瘍化した細胞が骨髄で増加するリンパ系白血病の細胞と悪性リンパ腫の細胞に免疫学的形質や遺伝子異常に本質的な差はないとされている。悪性リンパ腫で腫瘍細胞が末梢血中に出現しさらに骨髄に腫瘍細胞が移動してそこで増殖を始めると、白血病の定義を満たしてしまい、白血病と言えてしまうこととなる。悪性リンパ腫と白血病が区別できなくなると非常に困るので、そのような病態を悪性リンパ腫の白血化と呼ぶこととなった。しかし、リンパ球にはリンパ節という増殖を行える器官があるため、非常に病態の解釈が難しい。骨髄でリンパ系の白血病細胞が発生して、白血病となり後にリンパ節に浸潤したのか、リンパ節で細胞に異常が起こりそれが白血化し骨髄浸潤をしたのか区別できなくなるのである。例えば慢性リンパ性白血病と小リンパ球性リンパ腫の細胞は本質的に同じものとされ、同じように急性リンパ性白血病である前駆B細胞リンパ芽球性白血病 (B-ALL) と前駆B細胞リンパ芽球性リンパ腫 (B-LBL) の細胞にも本質的な差はない。したがって免疫学的形質や遺伝子異常に基づく分類を重視する WHO ではリンパ性白血病とリンパ腫はリンパ系腫瘍としてくくり、リンパ系腫瘍のなかで腫瘍細胞の増殖の中心が骨髄にあり骨髄での芽球比率が25%以上なら急性リンパ性白血病、25%以下で増殖が主にリンパ節で行われるなら悪性リンパ腫とするに過ぎず、WHO はリンパ系腫瘍ではリンパ系白血病と悪性リンパ腫をあえて区別すべきものとはしていない。しかしながら症候的にはリンパ系白血病とリンパ腫では明確な差があり、リンパ性白血病と悪性リンパ腫を一括りにすることは臨床的には必ずしも受け入れられているわけではなく、むしろ急性リンパ性白血病は急性骨髄性白血病とともに急性白血病で括ったほうが臨床的にはなじみやすい。
多発性骨髄腫という骨髄でリンパ球系細胞の形質細胞が腫瘍化して増殖するのにもかかわらず、臨床症状からリンパ腫とも白血病とも区別されている疾患もある。正常であれば炎症の局所やリンパ節・扁桃・脾臓といったいわゆるリンパ組織に分布するBリンパ球が分化した形質細胞が腫瘍化したものであるが、不思議なことにリンパ組織ではなく骨髄および骨に積極的に浸潤する。リンパ腫という段階が生じているのかも不明である。
また、慢性骨髄性白血病などと同じ骨髄増殖性疾患に属する真性多血症や本態性血小板血症、骨髄線維症も主として増加している血球は白血球以外であるが、その本質は慢性骨髄性白血病などと同じく造血幹細胞レベルでの遺伝子異常による細胞の増殖能の自律的向上であると考えられ、一般的には白血病とはされないこれらも、広義には白血病の類として扱われることもある。
広島大学原爆放射線医科学研究所・鎌田七男らの1978年の研究 (Kamada N,et al:Blood 51:843,1978) によると、造血幹細胞に生じた染色体の突然変異(フィラデルフィア染色体またはbcr-abl遺伝子変異)によって1個の慢性骨髄性白血病の幹細胞が発生し、たった一つ発生した白血病幹細胞が6年後には、末梢血での白血球数が1万個/μl(基準値は3500-9000程度)になるまで数を増やす。血液分画では好塩基球が増加し、好中球と、時には好酸球も増加する。白血球数が2万個/μlを超えると芽球も出現して慢性骨髄性白血病の状態が明白になる。
1945年、広島と長崎が原子爆弾で被爆したが、その放射線被曝者では5年後の1950年から10年後の1955年にかけて慢性骨髄性白血病の発生頻度が著明に増加した。被曝した放射線量が0.5Gy以上の放射線被曝者では通常の数十倍の慢性骨髄性白血病の発生が記録され、原爆の被爆から5-10年後に発症はピークを迎え、その後には発症率は急激に低下し通常レベルになっている。
放射線影響研究所の調査では、全白血病では原爆被爆後6-8年の間が発症率のピークとされる。放射線影響研究所の詳細なデータは1950年の国勢調査から始まり、それ以前には推計もはいるが被爆2年後から白血病は増え始めていると考えられている。放射線影響研究所が被爆者約5万人を1950年-2000年までの50年間観察したところ、被爆者5万人×50年間の中で204人が白血病で死亡し、それは自然な白血病死亡率とくらべて46%の過剰発生であった。当然、被曝線量が多いほど白血病での死亡率は高く、1Gy以上の被曝者では約2700人中56人が放射線が原因の白血病で亡くなったと考えられ、0.005-0.1Gyの被曝者約3万人では白血病での死亡は69人、その中で放射線被曝していなくても発症・死亡したであろう自然発生率を勘案して除去した過剰発生は4人とされている。被曝者の白血病は AML, ALL, CML で顕著であり、CLL は目立たない(放射線被曝量の単位については脚注を参照のこと)。
広島・長崎の被爆者の白血病と白血病以外の癌・悪性腫瘍では過剰発生の傾向は異なる。前述のように放射線影響研究所の調査では慢性白血病と急性白血病の合計である全白血病では被爆から6-8年後がピークでその後は緩やかに発症率は下がっているが、白血病以外のがんの過剰発生は被爆後10年を経て目立つようになりその後も年々過剰発生は増え2010年現在でも過剰発生の状況は続いている。一つの理由として白血病では染色体の転座や逆位などでキメラ遺伝子が形成されて発生するものが多い。癌でも白血病でも一つの遺伝子異常だけではがん化はせず何段階かの遺伝子異常が重なってがん化するが(CML は例外である)白血病に多いキメラ遺伝子のような大きな遺伝子異常ではがん化に必要なステップは少なく、放射線被曝によって最初の大きな遺伝子異常(キメラ遺伝子)がおきると白血病発生に必要な残りの遺伝子異常は少なく、遺伝子異常が積み重なるために必要な時間は少ない。しかし、白血病以外のがんでは小さな遺伝子変異が数多く積み重なって発生するものが多いので放射線被曝によって遺伝子異常の First hit が生じてもそれに多くの遺伝子異常が積み重なる時間が必要なため、放射線被曝からがん発生まで長い時間が必要になると考えられる。
国連によって設置された原子放射線の影響に関する国連科学委員会( United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation:略称 UNSCEAR)の2008年の報告では、チェルノブイリ原発事故において放射線汚染除去作業者(数十万人)のなかでの高線量被曝者では白血病発生が見られるとされている。また、チェルノブイリ汚染地域の一般住民では1986年の事故発生日から数週間以内に生産された牛乳を飲んだ子供たちに甲状腺がんが高率に発生していることは判明しているが、白血病に関してはチェルノブイリ汚染地域の一般住民に明らかな白血病発症率の増加の証拠はないとしている。また、同じ報告書で原子放射線の影響に関する国連科学委員会は(高レベル被曝した作業員と1986年にチェルノブイリ地域の牛乳を飲んだ小児・青少年を除く)地域一般住民は放射線被曝による健康被害を心配する必要はないと結論付けている。
チェルノブイリ原発事故では作業員を除く地域住民には明らかな白血病の増加の証拠は見つかっていないが、1956年に停止されたロシアのマヤーク核兵器生産炉では作業員だけでなく周辺住民にも白血病の増加が観測されている。ロシアのマヤーク核兵器生産炉では核兵器用のプルトニウムを生産していたが、プルトニウム生産過程で生じたストロンチウム90が周辺環境に放出されている。チェルノブイリで主に問題になった放射性ヨウ素は甲状腺に溜まるために甲状腺がんが増加したが、マヤーク核兵器生産炉で放出されたストロンチウム90はカルシウムと化学的性質が類似するため骨に集まる性質があるので白血病の増加は予想されていた。マヤーク核兵器生産炉の作業員および周辺住民では1953-2005年の間に93人が白血病になり、明らかに放射線被曝量が多いほど白血病リスクは高くなる。ストロンチウム90による過剰相対リスクERRは4.9/Gyで、つまり被曝量1Gyあたり白血病のリスクが5.9倍になっている。
医療行為でも強直性脊椎炎患者で脊椎に放射線照射を受けた者、子宮頸癌に対しての放射線治療で骨髄に放射線を浴びた者では数年後に慢性骨髄性白血病の発症率が高くなっていることが報告されている。ただし、これらの放射線被曝量は日常生活ではありえない放射線量であり、これらの放射線が原因と思われる慢性骨髄性白血病は慢性骨髄性白血病患者全体の中では例外と言えるほど少なく、大半の慢性骨髄性白血病の発生原因は不明である。
航空会社国際線のパイロットや客室乗務員は地上に暮らす一般人よりも多くの自然放射線を浴びている。地上の一般人に比べ特に中性子線の被曝量が多い。その被曝量は年に3-6mSv程度と推定されている。彼らの白血病リスクは増大しているとの報告もあるが、しかし症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関を示せるほどはっきりした事は判明していない(白血病は現役世代では10万人あたり年に数人程度の発症率である)。また第7染色体異常の発生例も報告されているが、やはり症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関は明らかではない。
アメリカ医学会での1944年と1950年の報告では放射線科医はそれ以外の診療科の医師に比べ白血病死亡率は10倍高く、イギリスでも放射線防御の意識が低かった1921年以前の放射線科医ではガンによる死亡率は明らかに高いことが報告されている。ただし、放射線防護対策が確立した1950年以降では放射線科医の白血病発症が多いと言うデータはなくなっている。
医療制度は各国でさまざまであるが、移植医療を支える骨髄バンクや臍帯血バンクは先進国を中心に世界約50カ国にあり、2012年現在世界的な骨髄ドナー検索システム (Bone Marrow Donors Worldwide :BMDW) が構築され、骨髄に関しては48カ国66の骨髄バンクが参加し登録ドナーは1875万人、臍帯血でも29カ国から43の臍帯血バンクが BMDW に参加し、登録された臍帯血のストックは51万本になっている。BMDWで検索された骨髄血や臍帯血の提供や品質管理などで国際間で協力する組織としては The World Marrow Donor Association (WMDA) があり、やや古いデータであるが2004年の世界の骨髄移植ではその1/3は国境を超えて提供されたものである。
白血病は上述のように治療が過酷な病気ではあるが、治療費助成のある特定疾患(いわゆる難病)には指定されていない。しかし18歳未満の小児白血病には小児慢性特定疾患治療研究事業によって保健福祉事務所あるいは保健所に必要書類を添えて申請すれば自治体による助成を受けられるので小児白血病の治療費の患者負担は大きくはない。さらに治療費の助成だけでなく小児白血病では所得制限などの条件があるが特別児童扶養手当や財団法人がんの子供を守る会 などの経済的支援を得られることもあり、あるいは企業によるCSR活動などもある。なので小児白血病では各種の制度を活用すれば保護者の経済的な負担は大きくはない。
成人の白血病の治療費は高額になるが、日本の健康保険では高額療養費支給制度を利用できる。
移植が必要な患者には骨髄バンクや各地に設けられた臍帯血バンクなどの準公的な組織が患者の移植の支援のために活動している。2022年4月末時点では骨髄バンクでは約53万人のドナー登録があり、臍帯血バンクでは9600本のストックがある。白血病患者が日本骨髄バンクを利用する際の患者負担金については、前年度の所得税額が一定額以下の場合には一部もしくは全額が免除される仕組みもある。
日本人は民族的に遺伝学的な均一性が高く、そのために日本人同士でHLA型が一致する確率が高く、2004年の数字では世界で750万人の骨髄ドナーがいる中で日本人の骨髄ドナーは18万6千人と少数であったにもかかわらず、2004年時点で移植の総件数でも、人口当たりの移植数でも日本は世界第2位であった(1位はアメリカである)。しかし、登録ドナーが40万人を超えた2012年現在でもすべての患者にドナーが見つかるわけではない。
白血病は人間ばかりでなく多くの哺乳類・鳥類が罹る。家畜やペットでは牛、馬、羊、山羊、豚、猫、犬、鶏などで見られる。家畜・ペットではリンパ性白血病が多くウイルス(レトロウイルス)感染によるものが多い。犬では人間と同じく AML, ALL, まれに CML, CLL が見られ、その多くでは原因は不明である。猫では AML の2/3、ALL のほとんどが猫白血病ウイルス (FeLV) によるものであり、MDS やリンパ腫も多く、それらも FeLV が原因である。犬でも猫でも人間と同様に化学療法(抗がん剤)治療が行われるが、ほとんどは4-6ヶ月以内に死亡する。牛にも白血病はあり成牛型と散発型があり、成牛型はウイルスによるものであり、散発型は原因不明である。成牛型は牛白血病ウイルス (BLV) によるもので潜伏期間が長く成牛になってから発症する。牛ではウイルス蔓延を防ぐために病牛は治療はせず数週で死亡する。馬ではリンパ腫は散発的に見られるものの白血病は少ない。犬・猫では白血病やリンパ腫の治療に骨髄移植も試みられている。犬の骨髄移植ではGVHDが重く死亡例が多い。猫ではシクロスポリンなどの免疫抑制を行うと成功率は高く GVHD も軽めである。 | [
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"text": "白血病(はっけつびょう、英語: Leukemia)は、遺伝子変異を起こした造血細胞(白血球系細胞)が骨髄で無限に増殖して正常な造血を阻害し、多くは骨髄のみにとどまらず血液中にも白血病細胞があふれ出てくる血液疾患である。「血液のがん」ともいわれる。",
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"text": "白血病細胞が造血の場である骨髄を占拠するために造血が阻害されて正常な血液細胞が減るため感染症や貧血、出血症状などの症状が出やすくなり、あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。",
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"text": "治療は、抗がん剤を中心とした化学療法と輸血や感染症対策などの支持療法に加え、難治例では骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植治療も行われる。",
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"text": "白血病は、急性骨髄性白血病(AML)、急性リンパ性白血病(ALL)、慢性骨髄性白血病(CML)、慢性リンパ性白血病(CLL)の4つに分けられる。",
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"text": "日本血液学会では",
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"text": "としている。",
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"text": "白血病は病的な血液細胞(白血病細胞)が骨髄で自律的、つまりコントロールされることなく無秩序に増加する疾患である。骨髄は血液細胞を生み出す場であり、骨髄での白血病細胞の増加によって正常な造血細胞が造血の場を奪われることで正常な造血が困難になり、血液(末梢血)にも影響が及ぶ。あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。白血病患者の血液中では白血病細胞あるいは病的な白血球を含めると白血球総数は著明に増加することも、あるいは減少することもある。しかし、正常な白血球は減少し血小板や赤血球も多くの場合減少する。",
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"text": "白血病の症状として、正常な白血球が減ることで感染症(発熱)、赤血球が減少することで貧血になり貧血に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板が減少することで易出血症状などがよく見られ、また血液中にあふれ出た白血病細胞が皮膚や神経、各臓器に浸潤(侵入)してそれらにさまざまな異常が起きることもある。",
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"text": "白血病は年に10万人あたりおよそ7人(2005年、日本)が発症する比較的少ないがんであるが、多くの悪性腫瘍(癌、肉腫)は高齢者が罹患し小児や青年層ではきわめてまれなのに対し、白血病は小児から高齢者まで広く発症するため、小児から青年層に限ればがんの中で比較的多いがんである。造血の場である骨髄で造血の元になっている細胞が変異したことによって起きるのが白血病であり、癌や肉腫のように固形の腫瘍を形成しないため、胃癌や大腸癌などのように外科手術の適応ではないが、抗がん剤などの化学療法にはきわめてよく反応する。19世紀にドイツの病理学者ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー(ウィルヒョウ、フィルヒョウとも)が白血病を初めて報告して Leukemia(白血病)と名付けた。かつては白血病は治療が困難で、自覚症状が現れてからは急な経過をたどって死に至ったため、不治の病とのイメージを持たれてきた。また、白血病は現代においても現実に若年層での病死因の中で高い割合を占めることから、フィクションでは、かつての結核に代わって、現代において癌と並び、若い主人公が罹患する設定になることが多い。しかし、1980年代以降、化学療法や、骨髄移植(bone marrow transplantation; BMT)、末梢血造血幹細胞移植(peripheral blood stem cell transplantation; PBSCT)、臍帯血移植(cord blood transplantation; CBT)の進歩に伴って治療成績は改善されつつある。",
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"text": "一口に白血病といっても、大きくは急性骨髄性白血病(AML)、急性リンパ性白血病(ALL)、慢性骨髄性白血病(CML)、慢性リンパ性白血病(CLL)の4つに分けられ、それぞれは病態は異なっている。急性白血病では増加する白血病細胞は幼若な血液細胞(芽球)に形態は似てはいるが、正常な分化・成熟能を失い異なったものとなる。慢性白血病では1系統以上の血液細胞が異常な増殖をするが、白血病細胞は分化能を失っておらず、幼若な血液細胞(芽球)から成熟した細胞まで広範な細胞増殖を見せる。急性白血病細胞は血液細胞の幼若細胞に似た形態を取り、多くの急性白血病では出現している白血病細胞に発現している特徴が白血球系幼若細胞に現れている特徴と共通点が多い細胞であるが、多くはないが赤血球系統や血小板系統の幼若細胞の特徴が発現した白血病細胞が現れるものもあり、それらも白血病である。血液細胞は分化の方向でリンパ球と骨髄系細胞に分けられるが、ほとんどの白血病細胞も少しであっても分化の方向付けがありリンパ性と骨髄性に分けることができる。",
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"text": "白血病における慢性と急性の意味は、ほかの疾患でいう急性・慢性の意味合いとは違う。急性白血病が慢性化したものが慢性白血病というわけではなく、白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病を「急性白血病」、白血病細胞が成熟傾向を持ち一見正常な血液細胞になる白血病を「慢性白血病」という。白血病の歴史の中で、一般に無治療の場合には白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病の方が死に至るまでの時間が短かったため「急性」と名付けられた。急性白血病が慢性化して慢性白血病になることはないが、逆に慢性白血病が変異を起こして急性白血病様の病態になることはある。",
"title": "概要"
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"text": "一般的に用いられる形容で、白血病を「血液の癌」と呼ぶが、この形容は誤りである。漢字で「癌」というのは「上皮組織の悪性腫瘍」を指し、上皮組織でなく結合組織である血液や血球には使えない。ただし、「血液のがん」という平仮名の表記は正解である。平仮名の「がん」は、「癌」や「肉腫」、血液悪性腫瘍も含めた広義的な意味で使われているためである。",
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"text": "悪性リンパ腫や骨髄異形成症候群といった類縁疾患は通常、白血病には含まれないが、悪性リンパ腫とリンパ性白血病の細胞は本質的には同一であるとされ、骨髄異形成症候群にも前白血病状態と位置づけられ進行して白血病化するものもあり、これら類縁疾患と白血病の境目は曖昧な面もある。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 13,
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"text": "19世紀半ば、ドイツの病理学者ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーが、巨大な脾腫を伴い血液が白色がかって死亡した患者(今でいう慢性骨髄性白血病)を調べて報告したのが白血病の血液疾患としての最初の認知である。ウィルヒョーの報告後、白血病は経過が比較的ゆっくりなものを慢性白血病、早いものを急性白血病と分類されている(現在の分類法とは異なる)。1930年代には細胞科学的手法によってリンパ性と骨髄性に分類されるようになった。しかしウィルヒョーの報告からほぼ100年にわたって、白血病に対する有効な治療法はなく、急性白血病は数週から数か月、慢性白血病は数か月から数年で死亡する死の病であった。",
"title": "歴史と白血病の名の由来"
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"text": "第二次世界大戦後には、抗がん剤6-MPが白血病に適用され始めたが、抗がん剤の種類も知見も少なく、血小板輸血や抗生物質も乏しかった1960年代までは死の病である状況は変わらなかった。1960年代からは抗がん剤の種類・知見も増加し、抗がん剤Ara-cとダウノルビシンの多剤併用療法が開発され、さまざまな抗生物質も登場した。1960年代後半からは抗がん剤の多剤併用療法の改良によって白血病が治癒する例が増え始め、1970年代から始まった血小板輸血などの支持療法の進歩もあり、急性白血病患者の70 - 80%はいったんは白血病細胞が見られなくなるようになったが、多剤併用療法のみでは再発は少なくはなく、最終的には多剤併用療法のみでの治癒率は30 - 40%程度で頭打ちになっている。その後、1970年代から研究の始まった造血幹細胞移植が1990年代から本格的に適用され始め、化学療法だけでは長期生存は難しい難治例でも造血幹細胞移植で2 - 6割の患者は長期生存が期待できるようになった。また急性前骨髄球性白血病(AML-M3)で画期的な治療法である分化誘導療法の発見、2001年には慢性骨髄性白血病(CML)の分子標的薬グリベックの登場など、AML-M3やCML、予後がいい小児ALLなどでは大半の患者が救われるようになってきている。",
"title": "歴史と白血病の名の由来"
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"text": "白血病は、前述したウィルヒョーが見た死亡患者の血液が白っぽくなっていたため、ギリシャ語の白い(λεύκος)と血(αίμα)をラテン文字へ換字した(leukos)と(haima)から造語した leukemia(白血病)と名付けたといわれる。ウィルヒョーが見た患者では極端に白血球が増加し血液が白っぽくなっていたと考えられるが、実際に血液が真っ白になることはなく、白血病細胞が極端に増えた例で通常は濃い赤色である血液が赤から灰白赤色になるだけで、ほとんどの白血病患者では血液の色は赤いままである。血液の赤色は赤血球の色であるが、赤血球が完全になくなる前に人は死亡するため血液が完全に真っ白になるまで生存することはできない。",
"title": "歴史と白血病の名の由来"
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"text": "白血病によって貧血が強くなると血の色が薄くはなる。また同様に、赤白血病(FAB分類M6)でも血がピンクになるわけではない。一方、家族性リポ蛋白リパーゼ欠損症では血の中に中性脂肪が溜まり血が乳白色となるが、これは白血病とは呼ばない。",
"title": "歴史と白血病の名の由来"
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"text": "ちなみに健康人の血液を遠心分離すると下層には濃い赤色の赤血球、上層には黄色みかかった透明の血漿に分離するが、中間にはやや灰色がかった白い薄い層が現れる。白い層をなす血液細胞をギリシャ語由来の(白い)を意味する leuko と細胞を表す cyte をあわせて Leukocyte:白血球と名付けられた。白血球の一つひとつは実際には無色半透明だが多く集まると光を乱反射して白く見える。白血病患者のほとんどでは白血球あるいは白血球同様に無色半透明な芽球が増加しているため、血液を遠心分離すると中間の白い層の厚みは増加している。白い層の増加の程度が甚だしいと血液の色も変化する。",
"title": "歴史と白血病の名の由来"
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"paragraph_id": 18,
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"text": "白血病の症状は、急性白血病と慢性白血病では大きく異なる。",
"title": "症状"
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"tag": "p",
"text": "急性白血病の症状としては、骨髄で白血病細胞が増加し満ちあふれるために正常な造血が阻害されて正常な血液細胞が減少し、正常な白血球の減少に伴い細菌などの感染症(発熱)、赤血球減少(貧血)に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板減少に伴う易出血症状(歯肉出血、鼻出血、皮下出血など)がよく見られ、ほかにも白血病細胞の浸潤による歯肉の腫脹や、時には(特にAML-M3では)大規模な出血もありうる。",
"title": "症状"
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"text": "さらに白血病が進行し、各臓器への白血病細胞の浸潤があると、各臓器が傷害あるいは腫張し圧迫されてさまざまな症状がありうる。腫瘍熱、骨痛、歯肉腫脹、肝脾腫、リンパ節腫脹、皮膚病変などや、白血病細胞が中枢神経に浸潤すると頭痛や意識障害などのさまざまな神経症状も起こりうる。",
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"text": "急性リンパ性白血病では、リンパ節・肝臓・脾臓の腫大や中枢神経症状はよく見られるが、AMLでは多くはない。",
"title": "症状"
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"text": "ただし、これらの諸症状は白血病に特有の症状ではなく、これらの症状を示す疾患は多い。ゆえに症状だけで、白血病を推定することは困難である。",
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"text": "慢性骨髄性白血病では、罹患後しばらくは慢性期と呼ばれる状態が続き、特に症状が現れず、健康診断で白血球数の異常が指摘され、初めて受診することも多く、慢性期で自覚症状が現れる場合は、脾腫による腹部膨満や微熱、倦怠感の場合が多い。ただし、慢性骨髄性白血病の自然経過では、数年の後必ず、移行期と呼ばれる芽球増加の中間段階を経て急性転化を起こす。急性期では芽球が著増し、急性白血病と同様の状態になる。",
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"text": "慢性リンパ性白血病では、一般に進行がゆっくりで無症状のことも多く、やはり健康診断で白血球増加を指摘されて受診することが多いが、しかし80%の患者では、リンパ節の腫脹があり(痛みはないことが多い)他人からリンパ節腫脹を指摘されて受診することもある。",
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"text": "リンパ節の腫れ以外に、自覚症状がある場合には倦怠感、脾腫による腹部膨満や寝汗、発熱、皮膚病変などが見られる。慢性リンパ性白血病の低リスク群では、無症状のまま無治療でも天寿を全うすることもあるが、病期が進行してくると、貧血や血小板減少が進み、細菌や真菌などの日和見感染症や、自己免疫疾患を伴うこともある。",
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"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "白血病の検査では血液検査と骨髄検査が主になる。白血病の本体は骨髄にあり、白血病の状態を正確に把握するには骨髄検査が不可欠であるが、骨髄検査は患者にとって負担の多い検査であり、患者への負担が少ない血液検査も重要になる(骨髄と血液を川に例えると水源が骨髄で川の水が血液に相当する。水源の異常は川の水質や水量に影響を与える。川の水の状態から水源に異常があることはある程度推測することはできるが、水源の状態や何が起きているのかを正確に把握するには水源そのものを調べるしかない。しかし水源まで行くことは苦痛を伴い労力が必要なので川の水の状態をこまめに点検し、必要に応じて水源の再点検も行うことが大事になる)。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "血液検査(末梢血)で芽球を明らかに認めれば白血病の可能性は高い。末梢血で芽球が認められなくとも、白血球が著増していたり、あるいは赤血球と血小板が著しく減少し非血液疾患の可能性が見つからなければ、骨髄検査が必要になる(白血病では白血球は、著増していることもあれば正常あるいは減少していることもある。10万を超えるような場合以外は白血球数だけでは白血病かどうかは分からない)。骨髄で芽球の割合が著増していたり、極端な過形成であればやはり白血病の可能性は非常に高い。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "急性白血病の骨髄では芽球の増加を認め、WHO分類では骨髄の有核細胞のなかでの芽球の割合が20%以上であれば急性白血病と定義するため骨髄検査を行わないと診断を確定できない。さらに骨髄内の有核細胞中のMPO陽性比率や非特異的エステラーゼ染色や免疫学的マーカー捜索によって急性白血病中の病型の診断を確定させる。CMLやCLLでも骨髄でのそれぞれの特徴的な骨髄像の確認は重要であり、CMLではフィラデルフィア染色体の捜索を行う。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "また、白血病細胞の中枢神経への浸潤の可能性や脾・肝臓腫、感染症などの白血病の症状を探るための諸検査(CT検査、脳脊髄液検査、細菌培養検査など)も行われる。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "急性白血病細胞は多くの場合、白血球の幼若な細胞と類似した形態を取るため、芽球あるいは芽球様細胞と呼ばれる。血液細胞は大きくは、白血球、赤血球、血小板の3種に分けられるが、白血病細胞(芽球)は赤血球や血小板と違って有核であり、また赤血球と違い溶血剤に溶けず血小板とはサイズが違うため、正常な白血球ではないが自動血球計数器で分析する血液検査の血液分画(血液細胞の分類とカウント)の中では白血球の区分に入れられる(高性能な検査機や検査技師が行う目視検査では血液細胞の種類ごとに細かく分類ができる)。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "急性白血病の血液検査ではヘモグロビンや血小板数は低下していることが多く、芽球が認められることが多い。血液中の有核細胞が多数の骨髄系芽球と少数の正常な白血球だけで中間の成熟段階の細胞を欠けば(白血病裂孔)急性骨髄性白血病の可能性が高く、リンパ芽球が多数現れていれば急性リンパ性白血病の可能性が高い。芽球から成熟した白血球まで含めた白血球総数は著明に増加していることが多いが、なかには正常あるいは減少していることもある。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "慢性骨髄性白血病では、血液、骨髄の両方で芽球から成熟した細胞まで白血球の著明な増加があり血小板も増加していることが多く、慢性リンパ性白血病では成熟したリンパ球が著明に増加する。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "急性白血病細胞は分化能を失い幼若な形態(芽球)のまま数を増やすため、骨髄は一様な細胞で埋め尽くされる。慢性白血病では細胞は分化能を失わずに、しかし正常なコントロールを失って自律的な過剰な増殖を行うため正常な骨髄に比べて各成熟段階の白血球系細胞が顕著に多くなる(過形成)。骨髄検査では各細胞を細かく分けてカウントし、特に芽球の割合と形態が重要になる。赤芽球は通常では芽球には含まれないが、赤白血病(AML-M6)では白血病細胞の半数程度は赤芽球と同様の表面抗原を発現するため、赤白血病を疑われたときのみ、芽球に赤芽球を含める。",
"title": "検査"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "世界のどの民族でも多い急性骨髄性白血病では、世界平均の罹患率は10万人あたり年間2.5 - 3人といわれ、日本よりやや低くなっている。若い患者もいる白血病といえども高齢者ほど罹患率は高いため、高齢人口割合が高くなると白血病の罹患率も高くなる。また、慢性リンパ性白血病は欧米では急性骨髄性白血病と並んで多い白血病だがアジアでは少なく、成人T細胞白血病はカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、および日本で見られるなど、地域・民族によって白血病発症の特性は違う。白血病全体ではアジア人よりも欧米人の方が罹患率は高い傾向があるなど、白血病の罹患率は民族や年齢、性別によってその内容は異なる。なお、その病気に罹ったら「罹患」、症状が出たら「発症」と区別されるが、急性白血病の場合は罹患率と発症率には大きな差はない。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "アメリカには多様な人種・民族が暮らしているため、国ごとに違う生活環境による影響を排除して人種・民族ごとの遺伝学的な白血病の特性がある程度推定できる。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1997年の日本の統計では全白血病の発症率は年間に男性で10万人あたり7人、女性で10万人あたり4.8人、合計で年間に人口10万人あたり約7人程度と見られている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "そのうち急性白血病が10万人あたり4人程度、急性白血病では大人で80%、子供で20%が急性骨髄性白血病(AML)、大人で20%、子供で80%が急性リンパ性白血病(ALL)で、全体としては3分の2が急性骨髄性白血病、3分の1が急性リンパ性白血病といわれている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "つまりALLでは小児が多く、AMLでは大多数が成人で発症年齢中央値が60歳である。慢性骨髄性白血病の発症率は10万人あたり1 - 1.5人程度、慢性リンパ性白血病は白血病全体の1 - 3%程度で少ないと見られている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "しかし、日本では少ない慢性リンパ性白血病は、欧米では全白血病の20%から30%を占めている。また、小児全体では白血病の発症率は年間10万人あたり3人程度とされるが、小児では慢性白血病は少なく5%程度で、小児の急性白血病の80%はリンパ性であり、男児にやや多い。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "高齢者人口が1997年より増えた2005年の日本の統計では、高齢化によって白血病も増えており、2005年国立がん研究センターの統計では、日本では年間9,000人が白血病に罹患し、人口10万人あたり7.1人の罹患率となっている。そのうち男性が約5,300人、女性が約3,700人で、男性の10万人あたり罹患率は8.3人、女性では5.9人となっている。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "2005年の日本では、67万6000人が新たにがんに侵され、人口10万人あたりでは年間529人のがん罹患率で、白血病は全がんの1.3%を占めている。地域別では九州・沖縄で白血病が多いが、これは地域特性のある成人T細胞白血病(後述)の発症率の差によるものである。",
"title": "疫学"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "骨髄できわめて若い造血細胞の遺伝子に1つ以上の遺伝子異常が後天的に起きて白血病幹細胞が発生し、白血病幹細胞が数千億から1兆個もの白血病細胞を生み出して骨髄を占拠するようになると発症するものと考えられている。白血病幹細胞が発生してすぐに白血病の症状が出るわけではない。1個の白血病幹細胞はゆっくりと、しかし自律的に増加して(コントロールを受けない)多数の白血病細胞を生み出していき、その白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているため、やがて骨髄を白血病細胞が占拠し満ちあふれる。骨髄を白血病細胞に占拠され、正常な造血細胞が締め出されて正常な造血が阻害され、また骨髄に収まりきれず血液中にあふれ出た白血病細胞が各臓器に浸潤して白血病の諸症状が起きる。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "遺伝子異常が起きる原因として放射線被曝、ベンゼンやトルエン、抗がん剤など一部の化学物質、HTLVウイルスなどは発症のリスクファクターとされているが、それらが原因と推察できる白血病はごく一部に限られ、白血病のほとんどは原因は不明である。白血病は親から子への遺伝もなく、成人T細胞白血病をわずかな例外とすればうつることもない。ほとんどの白血病はウイルスなどの病原体によるものではないが、例外的に2種類だけウイルスが関わっているものがある。ひとつは日本で同定された成人T細胞白血病で、レトロウイルスのひとつHTLV-Iの感染が原因であることが明らかになっている。もう一つは急性リンパ性白血病バーキット型(FAB分類 ALL L3)の中でアフリカなどのマラリア感染地域に多い風土病型といわれるタイプでEBウイルスとの関連が指摘されている。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "細かく分類すると数十種類に及ぶ白血病では判明している遺伝子異常の数は多いが、すべての白血病に共通する遺伝子異常は見つかっておらず、多数ある白血病の病型のうち慢性骨髄性白血病や急性前骨髄球性白血病などいくつかの白血病では主となる遺伝子異常は判明しているが、大半の白血病では多くの遺伝子異常は見つかっていても共通で決定的な原因となる遺伝子異常は明らかでない。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "白血病を含む「がん」は細胞の増殖・分化・生存に関わる重要な制御遺伝子に何らかの(染色体の転座、重複、部分あるいは全体の欠失、染色体上の遺伝子の点状変異など)異常が起こり、がん遺伝子の発現とがん抑制遺伝子の異常・抑制などいくつかの段階を踏んでがん化すると考えられている。一般に白血病をふくめて「がん」は一段階の遺伝子異常だけでは起こらず、何段階かの遺伝子異常が積み重なってがん化するため、若い人では少なく、異常が積み重なる時間を十分に経た高齢者で多い。遺伝子に変化が起きる原因としては活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが考えられる。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "がんを起こす遺伝子異常は染色体に活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが作用することによって発生するが、細胞には遺伝子に生じた異常を修復する仕組みがあり、また修復しきれない致命的な異常が起きてしまったときはその細胞は死ぬが(アポトーシス)、修復が効かずアポトーシスも免れるような変異を起こすことがある。そのような遺伝子変異を起こした細胞のほとんどはキラーT細胞やナチュラルキラー(NK)細胞のような免疫系が正常細胞との表面抗原の違いを認識して破壊するが、遺伝子異常を起こした細胞の中にキラーT細胞やNK細胞に認識される表面抗原の発現を変化させて免疫細胞による排除を免れるものがいる。そのような遺伝子異常を積み重ねたのががん細胞であり、数を増やしてがんを発症させる。造血細胞ががん化したものが白血病である。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "白血病幹細胞を含むがん細胞は多段階の遺伝子異常を経て発生するが、がん細胞ではアポトーシス制御に異常が起き、アポトーシス抵抗性を獲得する。がん細胞の80 - 90%はテロメアを伸長させるテロメラーゼが発現し、あるいはテロメラーゼが発現していないがんでもテロメラーゼの代替経路があり、それによってがん幹細胞は不死化し無限の増殖能を獲得する。",
"title": "原因"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "白血病における急性、慢性は一般的に用いる意味とは違っている。造血細胞が腫瘍化して分化能を失い、見た目が幼若な血液細胞の形態の白血病細胞ばかりになる急性白血病、白血病細胞が分化能を保っているもの(つまり一見まともな白血球が作られているもの)を慢性白血病と呼ぶ(ただし、慢性白血病の白血病細胞は見た目は正常な白血球に見えても、その機能には異常が生じ本来の役目は十分には果たせないものが多い)。慢性白血病が急性化することはあっても、急性白血病が慢性白血病になることはない。",
"title": "分類"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "また、白血病細胞の性質が骨髄系の細胞かリンパ球系の細胞かによって骨髄性白血病、リンパ性白血病に分類する。このことから主として以下の4種類に分類される。",
"title": "分類"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "これらはさらに生物学的な性質から細分される。",
"title": "分類"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "ただし、これら患者数の多い上記4つ以外にもきわめてまれな急性混合性白血病や、類縁疾患と白血病の境にあり厳密には他の疾患グループに入れられている白血病(非定型慢性骨髄性白血病、慢性好中球性白血病や慢性骨髄単球性白血病、慢性好酸球性白血病、若年性骨髄単球性白血病、慢性好塩基球性白血病、肥満細胞性白血病ほか)などもあり、それらを含めると白血病の種類はきわめて多い。",
"title": "分類"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "現在の白血病の治療の基本は抗がん剤、化学療法である。白血病の治療では骨髄移植が知られているが、骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植療法は過酷な治療であり、治療そのものが死亡原因になる治療関連死も少なくはない。また寛解に入っていない非寛解期に移植をしても失敗する可能性は高い。そのために白血病の診断がついてもいきなり移植に入ることはなく、まずは抗がん剤による治療になり、その後は経過や予後不良因子によって移植の検討がされる。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "寛解とは白血病細胞が減少し症状がなくなった状態、完全寛解とは白血病細胞が見つからなくなった状態である。完全寛解には、顕微鏡観察で白血病細胞が見つからない血液学的寛解と、顕微鏡観察より鋭敏な分子学的捜索で白血病細胞が見つからなくなった分子学的完全寛解がある。症状が出てAMLと診断された時点では患者の体内には10個(一兆個)もの白血病細胞があるが、血液学的完全寛解では10個(10億個)以下、分子学的完全寛解では10個(100万個)以下になる。血液細胞の数は骨髄内の有核細胞だけでも数千億個はあるため、100万個の白血病細胞といえど容易に見つかるものではない。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "白血病細胞を免疫不全マウス(実験用に特別に作られた免疫のないハツカネズミ)に移植する実験ではたった1個の白血病細胞が白血病を引き起こすことが証明されている。実際にはたった1個で白血病を引き起こせる細胞は白血病幹細胞であるが、病的細胞を1個でも残すと再発の可能性は否定できないため、急性白血病の治療では白血病細胞をすべて殺す(total cell kill)必要があると考えられている。ただし、慢性白血病を中心に治癒を望まずに疾病を押さえつけていくことで生命予後とQOL(Quality of Life)の改善を図っていく方法も多い。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "治療の結果、もっとも鋭敏な検査法でも白血病細胞が見つからない完全寛解になっても白血病が再発することがあるのは、骨髄の奥深くニッチ環境で休眠状態の白血病幹細胞が抗がん剤に耐えて生き延びるためである。再発・転移した白血病細胞は抗がん剤治療をくぐり抜けてきた細胞であるため非常に治療抵抗性が強く、通常量の抗がん剤療法、放射線とも効きにくいため命を落とす確率が高く、そのため再発した白血病あるいは経験的に再発が予想されるタイプの白血病では、もっとも強力な治療である骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植が適用となることが多い。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "造血幹細胞移植では致死量をはるかに超えた大量の抗がん剤と放射線によって、白血病幹細胞を含めて病的細胞を一気に根こそぎ死滅させることを目指す(前処置という)。しかし、この強力な前処置によって正常な造血細胞も死滅するため患者は造血能力を完全に失い、そのままでは患者は確実に死亡する。そのためにHLA型の一致した健康人の正常な造血幹細胞を移植し、健康な造血システムを再建する必要がある。白血病の移植では大半を占める同種(家族を含めた他人からの)移植では移植した免疫細胞(主としてリンパ球)による白血病細胞への攻撃(Ggraft versus leukemia effect:GVL効果)がある。同種移植には時には死につながる大きな副作用(GVHD)もあるが、代わりに万が一前処理後にも生き残った白血病細胞があってもGVL効果によって排除されることを期待できる。ただし、それでもなおかつ再発することはある。自家移植の場合は副作用GVHDはないもののGVL効果は期待できず、白血病細胞の混入もありえるため再発率は同種移植に比べて高く、白血病の治療としては自家移植は少ない。前処置では患者の免疫を破壊して移植した造血幹細胞が拒絶されない働きもする。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "しかし、通常の移植の前処置はあまりに強力な治療であるため、体力の乏しい患者や高齢者は治療に耐えられない。そのためミニ移植という手段もある。ミニ移植では前処置の抗がん剤投与や放射線治療はあまり強力にはしない。そのために白血病幹細胞は一部は生き残る可能性は高いが、GVL効果(移植した正常な造血による免疫とドナーリンパ球輸注によるドナー由来リンパ球の免疫によって残った白血病幹細胞が根絶されること)を期待する。ただし、ミニ移植でもかなり強力な治療には違いないため、すべての患者が適応になるわけではない。ミニ移植は通常の移植(フル移植)に比べて移植前処置が軽いということであり、ミニと言っても移植の規模が小さいということではなく、移植後の副作用も小さいわけでもない。ミニ移植では前処置の主たる目的は移植された造血幹細胞が拒絶されないようにすることになる。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "現在の急性白血病の基本の治療法は total cell kill(TCL)といい、最初に抗がん剤を使用して膨大な白血病細胞を減らして骨髄に正常な造血細胞が増殖できるスペースを与え(初回寛解導入療法)、その後の休薬期間に空いた骨髄で正常な造血細胞が増えるのを待ってから、さらに間歇的に抗がん剤を使用すること(地固めおよび強化療法・維持療法)を繰り返して最終的に白血病細胞の根絶を目指す治療を基本とする。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "急性骨髄性白血病では最初の治療(寛解導入療法)として アントラサイクリン系抗がん剤(ダウノルビシンあるいはイダルビシン)3日間あるいは5日間と抗がん剤シタラビン(キロサイド)7日間の併用療法が一般的である(急性前骨髄球性白血病(AML-M3)は例外である。AML-M3については後述)。これでほとんどの患者では寛解にもっていける。しかし、血液学的に白血病細胞が見られなくなっても白血病の大本である白血病幹細胞は隠れて存在し、そのままでは白血病が再発するため、寛解導入療法後に一定期間が経ち正常な造血が回復してきたら、隠れた白血病幹細胞の根絶を目指す地固め療法を行う。地固め療法ではアントラサイクリン、シタラビンに加え、白血病細胞が薬剤耐性を持たないように違う種類の抗がん剤(エトポシドやビンカアルカロイド)を加えた併用化学療法を使ったり、シタラビンの大量療法を行い、通常は1クール4週間程度の地固め療法を3、4回繰り返し白血病細胞の根絶を目指す。強化療法で白血病細胞の根絶ができたと期待できても、万が一生き残っている白血病細胞があると再発する可能性があるため、強化療法終了後(退院後)にも定期的に抗がん剤投与を行い、万が一の可能性を押える維持療法を行うこともある。ただし、日本では強化療法を十分に行うことにより維持療法は不要とする施設も多い。完全寛解の状態が5年続けば再発の可能性は低く、治癒と見なしてよいとされている。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "急性白血病では、急性前骨髄球性白血病(AML-M3)のみ治療法はまったく異なり、オールトランスレチノイン酸(ATRA)による分化誘導療法と抗がん剤の併用療法が用いられる。オールトランスレチノイン酸を与えると、分化障害を持っていた急性前骨髄球性白血病細胞はATRAによって強制的に分化・誘導させられ、継続的に白血病を維持する能力を失ってしまうのである。この薬剤の登場により、M3はAMLの中でもっとも予後良好な群となった。ATRA単剤では再発が多いため、ATRAと抗がん剤アントラサイクリンを併用した寛解導入・地固め・強化維持療法が行われ多くの患者が治癒している。ATRA治療後に急性前骨髄球性白血病(AML-M3)が再発してしまった場合には、機序は違うが、やはり細胞を分化誘導とアポトーシスに招く亜ヒ酸が著効することが知られている。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "急性リンパ性白血病では白血病細胞はプレドニゾロンによく反応し数を減らし、またAMLに比べて使用できる薬剤は多いが、治療の基本的な考え方は急性骨髄性白血病と同じである。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "急性リンパ性白血病の寛解導入(初回の治療)ではビンクリスチン(VCR、商品名オンコビン)とプレドニゾロン(プレドニン)およびアントラサイクリン系抗がん剤の組み合わせを基本とし、それにシクロホスファミド(エンドキサン)やL-アスパラキナーゼ(ロイナーゼ)などを加えることもある。どのプロトコール(薬剤の組み合わせや各薬剤の投薬量・投薬スケジュール)がいいかは一概には言えず、標準治療は存在しない(上に挙げた薬剤でプレドニゾロンは抗がん剤ではなくステロイドである)。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "寛解導入後に行われる地固め療法もさまざまなプロトコールがあるが、寛解導入とは組み合わせを変えるのが基本となる。なるべく多種類の薬剤を使用したり、シタラビン(キロサイド)大量療法などがある。ALLでは白血病細胞が中枢神経を侵しやすく、予防しないと中枢神経白血病になることがあり、放射線の頭蓋照射や抗がん剤メトトレキサートの髄注あるいはシタラビンなどの大量投与などを組み合わせて予防する。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "小児ALLでは、化学療法だけで長期生存する確率が高いため、第一寛解期で移植を検討することは少ない。しかし、成人のALLでは再発率が高いため、AMLに比べると第一寛解期での移植を検討することは多い。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "移植を行わない場合、ALLでは寛解導入療法と地固め療法を数コース行って完全寛解し、いったん退院したあとにも、定期的に化学療法(おもに経口抗がん剤やプレドニゾロン)を行う維持療法を長く(2年程度)行う。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "成人のPh+ALL(フィラデルフィア染色体(Bcr-Abl融合遺伝子)のあるALL)はALLの3、4割を占めるが、かつてPh+ALLは白血病の中でももっとも難治な型のひとつであった。しかし、2001年に登場したイマチニブ(グリベック)と化学療法の併用で治療成績は向上し、移植治療と併せると50%の患者は長期生存が期待できるようになってきている。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "慢性骨髄性白血病については従来はインターフェロンが一部には有効ではあったが、インターフェロンが効かない場合は移植治療以外には、単に延命を計るだけの治療しかなかった。しかし、2001年分子標的薬グリベックの登場で様相が一変した。グリベックは慢性骨髄性白血病細胞において遺伝子変異によって作られた異常なBcr-Abl融合タンパク(自己リン酸化して常に活性化し、シグナル伝達を行う基質をリン酸化し、それはさらに下流の細胞の分裂を促す細胞内シグナル伝達系を活性化させていく酵素(チロシンキナーゼ)でこのため、白血病細胞は自律的に増殖する)が異常な細胞分裂を促すシグナルを伝達するのを阻害する薬で、活動している慢性骨髄性白血病細胞にのみに的を絞って攻撃し、正常な細胞は攻撃しないので副作用の少ない画期的な抗がん剤(分子標的薬)である。慢性骨髄性白血病の Bcr-Abl遺伝子変異にも様々なサブタイプ(変異体)があり、中にはグリベックが効かない Bcr-Abl変異体もあるが、同様な分子標的薬が次々に開発され、Bcr-AblタンパクT315I変異体という治療抵抗性の強いサブタイプの1つを除いては慢性期の CML はほぼ押さえ込むことができるようになっている(ただし、分子標的薬は休眠している白血病幹細胞には届かないため、病気を抑えることはできても、治癒は必ずしも望めない)。慢性骨髄性白血病では急性白血病のような休薬期間はなくグリベックなどの分子標的薬を飲み続けることになる。グリベックなどの分子標的薬に治療抵抗性のある CML、あるいは治療の過程で治療抵抗性を持ってしまった CML では造血幹細胞移植が推奨される。また付加的な遺伝子異常が起きてしまい芽球が増加し始めた移行期の治療ではグリベックの増量や他の分子標的薬に変更したり、あるいは造血幹細胞移植も検討する。さらに芽球が増えて骨髄、末梢血中の芽球が30%以上になる急性期では、芽球がリンパ系ならば ALL に準じた治療に加えて分子標的薬を投与し、芽球が骨髄系ならば AML に準じた治療に加えて分子標的薬を投与するが、急性期に移行した場合には抗がん剤も分子標的薬も有効とも限らず移植医療を検討する。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "狭義の慢性リンパ性白血病は進行が緩慢で無治療でも天寿を全うすることができる患者も少なくなく病期によって治療手段が違い、リンパ球の増加のみで症状がなく安定している場合は治療によって生命予後が改善されるとは限らない。そのため状態がリンパ球の増加のみであるならば無治療で経過観察を行い、病期が進み、リンパ節腫大や脾肝腫、貧血、血小板減少などが現れてくると治療の対象になる。近年では狭義の慢性リンパ性白血病には進行がゆっくりで無治療でよい群と進行が早く治療の必要な群の2群があることが判明しつつあり、遺伝子研究が進んでいる。National Cancer Institute-sponsored Working Group のガイドラインによれば、(1)6か月以内に10%以上の体重減少、強い倦怠感、盗汗、発熱などの症状、(2)貧血や血小板減少、(3)著しい脾腫、リンパ節腫大、(4)リンパ球数が2ヶ月の間に50%あるいは6か月で2倍の増加、以上の(1)-(4)のどれかが認められた場合に治療を開始するとされている。治療は以前にはシクロフォスファミドが使われていたが、現在ではフルダラビン単剤、もしくはフルダラビンとシクロフォスファミドの併用が標準であり、リツキシマブの併用も有効性が認められている。ただし、治癒は望めず治療の目的は病勢のコントロールと生存期間の延長を図ることである。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "白血病の治療では主に抗がん剤を使う。白血病の多くは症状が厳しく急を要し難治なので治療も強いものにならざるをえず、白血病細胞が薬剤耐性を持たないようにするため抗がん剤は多剤を併用することが標準である。もともと白血病特に急性白血病では正常な血液細胞が減ることが多く、感染症、貧血症状、易出血傾向などが見られるが、抗がん剤では骨髄が抑制(造血細胞が抗がん剤で減少する)されるので感染症、貧血症状、易出血傾向はさらに悪化することが多い。そのために感染症対策や、赤血球や血小板の輸血、時には顆粒球コロニー刺激因子投与などは重要になる。抗がん剤の副作用はさまざまであるが、主なものを右に挙げた。急性骨髄性白血病の治療で用いられることが多いシタラビン(Ara-C, キロサイド)では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、下痢、脱毛、肝・腎機能障害などに加えてシタラビンの特徴として結膜炎や脳の障害が見られることがある。シタラビン大量療法ではステロイド点眼薬が必要になる。やはり急性骨髄性白血病で用いられることが多いアントラサイクリン系の抗がん剤では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、脱毛などの他にアントラサイクリン系特有の心臓への毒性がある。急性リンパ性白血病で使われるビンクリスチン(オンコビン)では抗がん剤に共通する副作用の他に神経毒性、ひどい便秘や腸閉塞、低ナトリウム血症などの電解質異常(抗利尿ホルモン不適切分泌症候群) などがある。シクロフォスファミド(エンドキサン)では出血性膀胱炎が特有の副作用であり、大量の水分の補給で尿を増やし濃度を薄め早く薬剤を排出させることが必要になる。また、抗がん剤そのものの作用ではないが、治療開始初期には抗がん剤によって大量の白血病細胞が死ぬために白血病細胞の内容物が血液内に一気に放出され高尿酸血症や高カリウム血症、低カルシウム血症などが起き、それによって腎不全に陥ることがある。これを腫瘍崩壊症候群(急性腫瘍融解症候群)と言い、適切な対処をしないと死に至ることもある。また、抗がん剤の代謝、排出器官である肝臓と腎臓に障害があると毒性は一層顕著になるので、臓器に障害がある際には特に注意が必要である。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "患者、特に女性患者にとって切実な副作用は脱毛であるが、抗がん剤治療が終れば髪は復活する。個人差はあるものの抗がん剤を使用したその日から脱毛が始めるのではなく抗がん剤を開始してから2-3週間程度で脱毛は始まる。脱毛は頭髪だけでなく全身の毛でも起こりうるが、抗がん剤治療を終了して1-2か月ほどで毛髪は再生し始め、約半年ほどで再生する。再び生えてきた毛髪は抗がん剤治療の前よりは少し細く、質も変わることもあるが2年ほどで髪質も元に戻る。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "従来の治療法は白血病細胞をすべて殺す、押えつけることを念頭においていたが、白血病幹細胞の研究の進歩及び急性前骨髄性白血病での分化誘導療法の開発によって、治療の考え方が根本的に変わろうとしている。急性前骨髄性白血病での分化誘導療法では白血病幹細胞を含めて白血病細胞を強制的に分化させてしまう方法である。殺すのではなく、白血病細胞特有の性質を除去するのである。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "現在は白血病幹細胞の研究が進み、白血病細胞の中でわずかな白血病幹細胞のみが無限の増殖能を持ち、末端の白血病細胞は有限の増殖しかできないことが判明している。したがって白血病幹細胞の除去さえできれば、末端の白血病細胞は残しても白血病はやがて治癒するものと考えられるようになっている。ただし、現在の技術では末端の白血病細胞よりも白血病幹細胞を除去するほうが難しいが、将来的には、今の total cell kill療法に代わり、白血病幹細胞に的を絞った治療法の開発が本命になっていくと考えられている。",
"title": "治療法"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "急性白血病は自己複製能力を持つ造血幹細胞の遺伝子が変化し、正常な分化能の喪失と不死化(細胞寿命の延長)を得るか、前駆細胞に同様の遺伝子異常+自己複製能の再獲得があって発生する白血病幹細胞を基にすると考えられている。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "血液細胞の大本である造血幹細胞は極めて少数で、それ故に貴重でありその多くは造血幹細胞ニッチで支持細胞に守られながら休眠している。造血幹細胞は造血が必要なときに目覚めさせられ、2つに分裂し、1つは元の幹細胞と同じ細胞であり(自己複製)再び眠りに付くが、もう1つは分化の道をたどり始めて前駆細胞となり(分化の道をたどり始めた細胞は自己複製能力はなくなる)盛んに分裂して数を増やしながら分化・成熟して極めてたくさんの血液細胞を生み出していく。急性白血病においても幹細胞と末端の細胞の関係は同様であると考えられている。正常な造血幹細胞もしくは前駆細胞の遺伝子に変化が起こり、細胞の分化能に異常が起き、また細胞に不死化(細胞寿命の延長)をもたらすものが白血病幹細胞である。正常な造血幹細胞はニッチの構成細胞や造血因子のコントロール下にあり自律的な増殖はしないが、白血病幹細胞は造血因子の有無に関係なく増殖(自律的増殖)する。ニッチにおいて正常な造血幹細胞はほとんどが休眠期(細胞周期のG0期)にあるが、白血病幹細胞においては(休眠期に入っている細胞も少なくないが)正常な造血幹細胞に比べて細胞分裂の活動期に入っている細胞の割合は高いと考えられている。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "ヒトの白血病細胞を免疫不全マウスに移植する実験では、ほとんどの白血病細胞はマウスに白血病を引き起こすことはできないが、白血病細胞の中でごく少数の CD34+CD38-細胞の一部はマウスにヒトの白血病を引き起こすことができることがわかっている。発現している抗原が CD34- または CD38+ の白血病細胞では細胞は有限の増殖しかできないが、CD34+CD38-細胞の一部では長期にわたって白血病細胞を供給し続ける。この長期にわたって白血病状態を維持することのできる少数の CD34+CD38-白血病細胞の一部がすべての白血病細胞の大本である白血病幹細胞であると考えられている。少数の正常な造血幹細胞が自分自身を保持しながら、極めてたくさんの血液細胞を生み出すのと同じに、白血病幹細胞も自分自身を保持しながら、極めてたくさんの白血病細胞を生み出していくのである。ただし、白血病幹細胞から生み出された細胞は決して正常な血液細胞になることはできずに増殖し、正常な造血を阻害するのである。急性白血病の中には正常な造血前駆細胞が遺伝子異常とともに自己複製能を再獲得して白血病幹細胞が発生するものもあると考えられている。最新の知見では急性白血病の幹細胞はむしろ、そのほとんどは造血前駆細胞が遺伝子変異(分化障害と細胞寿命の亢進・自己複製能の再獲得)を起こしたものと考えられている。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "正常な造血細胞に遺伝子変異が起こり急性白血病幹細胞は発生するがその遺伝子変異は1段階ではなく、増殖・生存能の亢進をもたらす遺伝子変異と細胞の分化障害を起こす遺伝子変異など複数の段階にわたる遺伝子異常が重なって発症すると考えられている。細胞の増殖・生存能が亢進する変異はクラスI変異と呼ばれ、細胞の増殖や生存に関わるシグナル伝達の活性化-増殖亢進、細胞寿命の亢進などが起き、これが前面に立つと骨髄増殖性腫瘍様の自律的増殖能を亢進する。クラスII変異とされる分化障害が先行すると骨髄異形成症候群様の細胞形態の異常が起き、急性白血病ではこのクラスI・クラスIIの変異の少なくとも2段階の遺伝子変異が必要である。このクラスI変異、クラスII変異の遺伝子異常の種類はそれぞれ多様で、なおかつ複数の変異が重複することもあり、さらに付加的な遺伝子異常もあり、白血病にきわめて多数のサブタイプがありそれぞれ性質が異なっているのも、遺伝子変異の多様性のためである。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "慢性白血病でも造血幹細胞に遺伝子異常がおき、正常なコントロールを脱して異常な増殖をするが、慢性白血病では細胞の分化能は失われておらず成熟した多数の細胞を生み出す。慢性白血病幹細胞が生み出す血液細胞は一見正常な細胞と同様に見えるが、やはり細かく見ると正常な細胞とは必ずしも同じではない。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "慢性骨髄性白血病 (CML) において、マウスの正常な造血幹細胞に CML の原因となる「がん遺伝子」BCR-ABL融合遺伝子を導入するとマウスは CML を発症する。しかし、造血幹細胞から分化が進み、盛んな増殖能は持つが自己複製能は失った造血細胞に BCR-ABL融合遺伝子を導入してもマウスは CML を発症しないことも分かっている。がん遺伝子 BCR-ABL融合遺伝子は細胞の増殖能力の自律的亢進に関わるが、細胞の自己複製能を発現するものではないことが分かる。また、慢性骨髄性白血病が付加的な遺伝子異常を起こし急性転化した場合、2/3の患者では急性骨髄性白血病、1/3の患者では急性リンパ性白血病とどちらの系列にも進むことがあることからも、慢性骨髄性白血病の最初の遺伝子変異(BCR-ABL融合遺伝子)が幹細胞レベルで起こっていることが分かる。CML幹細胞も造血幹細胞と同じくニッチ環境にあり、その多くは細胞活動が停止した休眠期(細胞周期G0期)にあると考えられている。イマチニブなどの Bcr-Ablタンパクを標的にした分子標的薬は休眠している細胞には届かないと考えられている。",
"title": "白血病幹細胞"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "症状が出るまでに進行した白血病では短時間で末梢血の白血球や芽球の数が増加することが多く、白血病細胞は増殖が速い印象がある。しかし実際には白血病細胞は、正常な造血細胞に比べ細胞分裂(増殖)が早いわけではなく、むしろかなり遅い。正常な造血細胞と比べ慢性白血病細胞の分裂には2-4倍の時間が掛かり、名に反して急性白血病細胞ではさらに細胞分裂には時間が掛かるのである。しかし、正常な造血細胞の細胞分裂の開始はコントロールを受け、造血細胞が増殖を始めても細胞はやがて分化・成熟して末梢血に移り役割を果たして寿命を迎え、また、過剰に作られた細胞はコントロールを受けてアポトーシスを迎えるので、健康人の正常な血液細胞は一定の数を保つのだが、白血病細胞はコントロールを受け付けることなく無際限に増殖し、また白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているので最終的には正常な細胞を圧倒して増殖する。",
"title": "白血病細胞の分裂・増殖速度"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "このようにして白血病細胞は正常な造血細胞を圧倒して骨髄を占拠し、さらには血液(末梢血)にもあふれ出てくる段階(通常、自覚症状が明らかに現れるところまでくると)になると骨髄での白血病細胞の数はすでに膨大なものになっているので、細胞1個の分裂時間は長くとも、末梢血内では短時間の内にみるみる白血病細胞の数が増えていくようになる。健康人の末梢血内の白血球総数は80-300億個程度であるが、AMLでは自覚症状が現れ診断が付く頃には骨髄内の白血病細胞は1kg、数にして 10個(1兆個)にもなるので、その10%が末梢血にあふれ出ただけでも、正常な末梢血内の白血球数から考えるとそれは尋常な量ではない。",
"title": "白血病細胞の分裂・増殖速度"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "小児の白血病は欧米では年間小児10万人あたり4人、アジアではやや少なく日本では年間10万人に3人程度発症する。日本の小児科では年間700-800人ほどの小児が白血病を発症し小児科で治療を受けている。小児白血病の発症率は成人全体の発症率の半分程度であるが男児にやや多い(男女比は=1.35)のは成人と同じである。小児白血病で特徴的なのは慢性白血病が少なく(5%程度)、ほとんどが急性白血病であり、その80%は急性リンパ性白血病 (ALL) である。成人では急性骨髄性白血病 (AML) が多いので成人と小児ではリンパ性:骨髄性の割合が逆転している。小児の白血病では AML は年齢を問わず発症しているが、ALL では2-3歳の男子に発症が多い。",
"title": "年齢による白血病の違い"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "小児の急性リンパ性白血病は60-80%が治癒し、小児白血病全体では成人の白血病より予後が良いとされているが、1歳未満の乳児と10歳以上の年長児ではあまり予後は良くない。白血病の原因となっている遺伝子変異の種類は多いが、年齢によってよく見られる遺伝子変異の種類は異なり、2-9歳の小児では予後の良いタイプの遺伝子変異が多く、1歳未満の乳児を除くと年齢が低いほど予後が良いタイプの白血病の割合が多くなる傾向にある。ただし、小児白血病は予後が良いものが多いといっても重篤な疾患であることにかわりはない。小児の急性リンパ性白血病の染色体・遺伝子異常では高2倍体(染色体が50本以上に増加したもの)が20-25%、TEL-AML1融合遺伝子が15-20%に見られ、この2つの染色体・遺伝子異常による白血病は予後が良い。逆に予後の悪い染色体・遺伝子異常(BCR-ABL融合遺伝子(フィラデルフィア染色体Ph+)、あるいは MLL-AF4融合遺伝子)は5%であり、中間群は5割弱である。小児の急性骨髄性白血病では大半は予後中間群であり40-60%が長期生存・治癒している。人数的に小児白血病の大半を占める2-4歳児の白血病には予後の良いタイプの ALL(高2倍体あるいはTEL-AML1融合遺伝子)が多いが、全体の中では少数である年長児の白血病では予後の良いタイプの ALL の割合は少なくなり、10歳以上の白血病はハイリスク白血病と見なされる(ただし成人の ALL より悪いということではない)。しかし、なかには、2-4歳児の白血病でも予後不良なタイプの白血病もあるので予後不良因子の見極めは重要である。1歳未満の乳児の白血病は小児白血病の5-10%であり、MLL-AF4融合遺伝子のある ALL が約半数に見られ、MLL-AF4融合遺伝子のあるALLは極めて性質が悪く移植医療が強く推奨されている。",
"title": "年齢による白血病の違い"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "小児の ALL の治療では寛解導入療法・聖域療法・強化療法・維持療法の4相の治療を行う。寛解導入療法ではプレドニゾロンとビングリスチン(商品名オンコビン)の2剤で寛解を目指す。ALL では中枢神経に白血病細胞が浸潤することが多く、中枢神経白血病の予防あるいは治療のために聖域療法としてメトトレキサートの髄注や大量投与、場合によっては頭蓋放射線照射などが行われる。残存している白血病細胞の根絶を目指す強化療法では多剤投与やシタラビン(キロサイド)大量投与などを行い、万が一生き残る可能性のある白血病細胞を押えるために維持療法として 6-MP とメトトレキサートの内服を1-2年ほど続ける。予後の悪いタイプや万が一再発してしまったときは移植医療を検討する。小児では体が小さいので細胞数の少ない臍帯血や小柄な女性の骨髄でも移植に十分な数の造血幹細胞が得られるので成人に比べるとドナーは得やすい。小児の AML の治療は ALL ほど成績は良くないが寛解導入はシタラビン(キロサイド)とアントラサイクリン系抗がん剤を用い、強化療法・維持療法で完全寛解を目指す。AMLでは中枢神経白血病は少ないので予防的な抗がん剤の髄注を行うことは少ない。なお、上に挙げた薬剤はプレドニゾロン以外は抗がん剤である。",
"title": "年齢による白血病の違い"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "ダウン症(トリソミー21)の小児は一過性白血病と急性白血病を併せると一般集団の10から20倍ほどの発症率を示す。 一過性白血病(transient leukemia:TL)は一過性骨髄異常増殖症(transient abnormal myelopoiesis:TAM)とも呼び、生後6週間以内の乳児が発症し、類白血病様の症状を起こすが肝脾腫大・胸水・腹水・pericardial effusion(心膜周辺の滲出)が主で、リンパ腫肥大・高度の貧血・出血といった症例は少なく、大部分は白血病の治療をしないでも数週間から2カ月で治ってしまうが、17%は生後9か月前に死亡するので肝脾腫大が進行して肝機能不全を伴うような場合は少量のシタラビン(Cytosine arabinoside)を予防的に投与する場合もある。 原因となる異常増殖した白血球様細胞は必ずトリソミー21(部分トリソミー含む)で、小児が正常型の細胞が多い(トリソミー21細胞が10%以下)モザイク型のため表現型にダウン症が見られない場合でも選択的にトリソミー21の細胞が増殖して一過性白血病になることがある。 急性白血病はダウン症の小児(6ヶ月から3歳)に発生するものの大半が急性巨核芽球性白血病(acute megakaryoblastic leuke acute megakaryoblastic leukemia:AMKL)(AML-M7) であり、異常増殖した細胞にトリソミー以外に白血球による様々な染色体異常がある点が一過性白血病と異なる。 急性巨核芽球性白血病はトリソミー21以外の小児には極めて起きにくく、前述の一過性白血病が寛解した小児の1/5が急性巨核芽球性白血病になる。治療はcytosine arabinosidaseを投与する。3歳以降のダウン小児では発症率も傾向も非ダウン症小児と同じになる。",
"title": "年齢による白血病の違い"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "子供や若者も発症する白血病だが、やはり高齢者の方が発症率は高い。60歳の白血病発症率は年間10万人あたり5人だが、80歳では年間10万人あたり17人の発症率になる。若年者では骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は10%未満だが高齢者では24-56%と高い。骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は予後が悪い。また、MDS の既往のない高齢者の白血病では若年者の白血病に比べて予後良好因子の白血病は少なく予後不良因子を持つものが多く、なおかつ、高齢者では体力や回復力が衰えておりあまり強力な治療はできないことが多く治療は困難で、未だに高齢者に向けた標準的治療はない。55歳以上の高齢者では移植はできないが(ミニ移植は適応になる)60歳以下あるいは60-64歳程度の比較的体力があると見られる患者では一般的な標準治療が選択されることが多く、逆に抗がん剤の強度を増した治療なども試みられていて効果があったとする報告も見られる。しかしそれ以上の年齢の白血病患者では抗がん剤の効果が少ないことが多く、逆に早期の治療関連死は増える。体力のない高齢者では治療関連死が多いため、強い抗がん剤では減薬して強度を低くし、あるいはハイドレアのような弱い抗がん剤による治療、または支持療法が行われることも多いが、いずれにしても高齢者の白血病では長期生存率は高くはない。しかし近年では強度を弱めた前処置による造血幹細胞移植が普及し知見が積み重なったことで従来は適応でなかった高齢者も移植の対象になりだしている。",
"title": "年齢による白血病の違い"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "典型的な白血病4分類 (AML, ALL, CML, CLL) 以外の白血病も存在する。細かく挙げると数が多いので特異的なものを一部紹介する。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "各種の癌や血液腫瘍の治療で抗がん剤や放射線治療を行った数年後に白血病や骨髄異形成症候群を発症する可能性が高くなることが知られている。治療関連白血病(抗がん剤や放射線によってもたらされた白血病)は急性骨髄性白血病がほとんどであり tAML という。治療関連の骨髄異形成症候群は tMDS というが MDS は前白血病状態とも位置付けられ tMDS は tAML に移行することが多く、tAML/tMDS と括られることもある。非ホジキンリンパ腫を抗がん剤で治療した後10年間で tAML/tMDS を発症する患者は5-8%ほどと見られ、抗がん剤の量や期間、あるいは放射線治療の有無は tAML/tMDS 発症の重要な因子である(当然、多いほど、期間が長いほど危険である)。tAML/tMDS は自然発生した AML や MDS に比べ治療の成績が良くはなく、予後不良であることが知られている。tAML は化学治療で寛解に持っていっても早期に再発することが多く、造血幹細胞移植を積極的に検討する必要があるが、移植の成績も自然発生した AML に比べると良くはない。抗がん剤もアルキル化薬によって引き起こされた白血病の場合は薬剤の投与から白血病発症までの期間は5-7年程度と長く、MDS の段階を経て急性骨髄性白血病になることが多く、予後は極めて悪い。同じ抗がん剤でもトポイソメラーゼII阻害薬によって引き起こされる白血病は薬剤の投与から白血病を発症するまでの期間は2-3年でアルキル化薬による白血病よりは予後がまだしも良いが、やはり難治である。また治療関連の CML や ALL も tAML ほど多くはないが報告されている。治療関連の CML は tAML ほどには性質は悪くはないとされている。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "ほとんどの白血病はウイルスが原因ではなくうつることもないが、成人T細胞白血病は極めて例外的な白血病である。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "成人T細胞白血病(Adult T-cell leukemia 略称 ATL)はリンパ腫の病型を示すこともあり、成人T細胞白血病/リンパ腫 (Adult T-cell leukemia/lymphoma) とも呼ばれることがある。日本に多く、1977年に日本人によって初めて報告された疾患であり日本で最も研究・解析が進んでいる。HTLV-1 (Human T-cell leukemia virus type-1) ウイルスによる白血病で、病型は急性型、慢性型、リンパ腫型、くすぶり型と症状・病態の違う発現をする。HTLV-1ウイルスの感染および成人T細胞白血病の発症は地域差があり、世界ではカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、及び日本でみられ、特に西南日本、とりわけ南九州と西九州で多い。HTLV-1ウイルスに感染してもほとんどの感染者は一生のあいだ白血病を発症することはなく、HTLV-1ウイルス感染者のうち一生涯で白血病を発症する者は数%である。日本では100万人以上のキャリア(ウイルス保持者)がいるが、成人T細胞白血病の発症は年間600-700人程度であり、出身別では九州出身者が7割を占める。ATL は日本の本州では年間人口10万人あたり0.2-0.3人とまれな病型だが、九州では人口10万人あたり2-3人で急性骨髄性白血病より若干多く、白血病の病型の中で最も多い。HTLV-1ウイルスの感染ルートは輸血、性交による感染、母乳に限られ、現在では輸血用血液は検査されており、母子感染を別にすれば HTLV-1ウイルス感染者が近くにいても HTLV-1ウイルス感染者と性交さえしなければうつることはない。性交で感染するため、ウイルス感染率は年齢が上がるほど上昇し、とくに女性の感染率が上昇する。母子感染は人工ミルクに切り替えることで防げる。ウイルス感染から白血病発症まで極めて長い時間(数十年)掛かり、そのため乳児のときにウイルスに感染しても成人T細胞白血病を発症するのは成人になってからであり、日本においては成人T細胞白血病患者の平均年齢は61歳である。症状はさまざまであるがリンパ節腫脹、感染症による症状、皮膚病変などが多い。急性型では白血球が増加し平均で56000/μlになり、成人T細胞白血病の白血球は核に深い切れ込みが複数入って花のような核の特徴的な形状になり、花細胞やフラワーセルという。リンパ腫型では末梢血や骨髄での白血球増加は目立たず、リンパ節腫脹を特徴とする。慢性型とくすぶり型では大人しく、緩やかな経過をたどるためにすぐには治療を行わずに経過観察することが多い。急性型とリンパ腫型ではきわめて多種類の抗がん剤とプレドニゾロンを組み合わせる治療が行われる。若い(55歳以下)患者では骨髄移植などの造血幹細胞移植も検討される。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "ヘアリーセル白血病 (HCL) は分化の進んだBリンパ球性の白血病/リンパ増殖疾患で、その細胞は毛を生やしたような細い突起が多数あるきわめて特徴的な外観をしている。欧米では全白血病の2-3%を占め、それほど珍しい白血病ではないが、アジアやアフリカではきわめてまれな病型である。男性に多く、患者の平均年齢は50-55歳で中年以降に多い。脾腫と汎血球減少が多く見られ、血球が減るだけでなく免疫を司る細胞に異常が多く、通常の感染症だけでなく非定型抗酸菌やカリニ肺炎、真菌症などの免疫不全による日和見感染が多く、感染症が死亡原因で目立つ疾患であるが、悪性度は低く進行がゆっくりで経過観察で良い症例も多い。HCL は位相差顕微鏡で見ると白血病細胞が特異な形態を取るので診断はしやすい。治療はインターフェロンやプリンアナログが著効する。日本ではヘアリーセル白血病は極めて少ないが、日本のヘアリーセル白血病には日本型 (Japanese variant) というローカルな亜型が存在し、日本のヘアリーセル白血病患者のなかでは日本型が大半を占める。ヘアリーセル白血病日本型は患者の平均年齢が64.9歳と高く、普通の HCL が男性に圧倒的に多いのに比べ、日本型は女性にやや多く、白血球は増加していることが多い。日本型はインターフェロンの効き目も良くない。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "白血病は細胞の性質によって骨髄性とリンパ性に分けられるが、まれに白血病細胞の細胞系列のはっきりしない白血病(混合性白血病、あるいは急性未分化型白血病などの系統不明な白血病)がある。系統不明な白血病には、骨髄系白血病細胞とリンパ系白血病細胞それぞれの2系統の細胞集団が同時に現れるものと、1つの細胞に骨髄系リンパ系の両方の特徴が現れるもの、白血病細胞に一切の分化傾向が見られない急性未分化型白血病などがある。AML で最も未分化な最未分化型急性骨髄性白血病 (AML-M0) でさえ骨髄系細胞の証である MPO は光学顕微鏡では認められないが電子顕微鏡レベルでは認められ他の手段でも骨髄系と判明するが、急性未分化型白血病の芽球では骨髄系の抗原の証である MPO が電子顕微鏡レベルでも陰性であり、他の手段でも骨髄系への分化傾向は認められず、なおかつリンパ系の抗原も一切発現していない。白血病細胞の分化が幹細胞に極めて近いところで止まってしまっている細胞であると考えられる。急性未分化白血病は幹細胞白血病とも呼ばれ、その白血病細胞の性質はほとんど幹細胞と同等の性質を持っている。逆に言えば急性未分化白血病以外の白血病(ほとんどすべてになる)の細胞はわずかではあり異常でもあるがいくらかは分化したところで分化が止まった細胞であり、またその分化の方向で細胞の性質もある程度違ってくる。これら系統不明な白血病はきわめてまれであり、分かっていないことが多いが一般に予後不良といわれている。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "白血病は骨髄で白血病細胞(芽球)が自律的に増加する疾患であるが、一部では例外的に芽球割合は増加し異形成は見られるが絶対数は減少することもある(低形成性白血病)。骨髄での芽球の絶対数が少ない低形成性白血病は白血病の定義からすると特異な病型であり FAB分類でも WHO分類でもカテゴリーになっていない、しかし、WHO分類では言及されている。骨髄の細胞密度が20%以下で芽球が20%以上かつ CD34陽性細胞が明らかであることでこの病型は定義されている。本来白血病とは正反対の疾患である再生不良性貧血に非常に似ているが再生不良性貧血と違って芽球の割合の増加が認められる。主に高齢者の AML で見られるが、強い治療はできずシタラビン少量療法がよいとされている。",
"title": "その他の白血病"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "白血病自体、単一の疾患ではなく、その原因遺伝子、病態には様々なものがある。さらに白血病の類縁疾患は数多くあり、その多くでは白血病と類縁疾患の境目は明瞭ではないため、以下に簡単に類縁疾患について記す。",
"title": "白血病と類縁疾患の境"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "骨髄異形成症候群 (MDS) は、多くでは貧血を伴う造血障害と細胞の異形成を特徴とする血液疾患であるが、MDS の一部では骨髄において芽球が増加していることがある。芽球が増加しているものは前白血病状態と位置付けられ、芽球比率が20%を超えると急性白血病と認知されるようになる。この前白血病状態の MDS の細胞では遺伝子異常によって細胞の分化障害が起こっていて芽球比率の増加が生じているが、これにさらに自律的増殖能力や不死化が加わると二次性の急性骨髄性白血病になると考えられている。",
"title": "白血病と類縁疾患の境"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "悪性リンパ腫は白血球の1種リンパ球が悪性腫瘍化してリンパ組織での腫瘍的異常増加をきたす疾患だが、リンパ系白血球が腫瘍化した細胞が骨髄で増加するリンパ系白血病の細胞と悪性リンパ腫の細胞に免疫学的形質や遺伝子異常に本質的な差はないとされている。悪性リンパ腫で腫瘍細胞が末梢血中に出現しさらに骨髄に腫瘍細胞が移動してそこで増殖を始めると、白血病の定義を満たしてしまい、白血病と言えてしまうこととなる。悪性リンパ腫と白血病が区別できなくなると非常に困るので、そのような病態を悪性リンパ腫の白血化と呼ぶこととなった。しかし、リンパ球にはリンパ節という増殖を行える器官があるため、非常に病態の解釈が難しい。骨髄でリンパ系の白血病細胞が発生して、白血病となり後にリンパ節に浸潤したのか、リンパ節で細胞に異常が起こりそれが白血化し骨髄浸潤をしたのか区別できなくなるのである。例えば慢性リンパ性白血病と小リンパ球性リンパ腫の細胞は本質的に同じものとされ、同じように急性リンパ性白血病である前駆B細胞リンパ芽球性白血病 (B-ALL) と前駆B細胞リンパ芽球性リンパ腫 (B-LBL) の細胞にも本質的な差はない。したがって免疫学的形質や遺伝子異常に基づく分類を重視する WHO ではリンパ性白血病とリンパ腫はリンパ系腫瘍としてくくり、リンパ系腫瘍のなかで腫瘍細胞の増殖の中心が骨髄にあり骨髄での芽球比率が25%以上なら急性リンパ性白血病、25%以下で増殖が主にリンパ節で行われるなら悪性リンパ腫とするに過ぎず、WHO はリンパ系腫瘍ではリンパ系白血病と悪性リンパ腫をあえて区別すべきものとはしていない。しかしながら症候的にはリンパ系白血病とリンパ腫では明確な差があり、リンパ性白血病と悪性リンパ腫を一括りにすることは臨床的には必ずしも受け入れられているわけではなく、むしろ急性リンパ性白血病は急性骨髄性白血病とともに急性白血病で括ったほうが臨床的にはなじみやすい。",
"title": "白血病と類縁疾患の境"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "多発性骨髄腫という骨髄でリンパ球系細胞の形質細胞が腫瘍化して増殖するのにもかかわらず、臨床症状からリンパ腫とも白血病とも区別されている疾患もある。正常であれば炎症の局所やリンパ節・扁桃・脾臓といったいわゆるリンパ組織に分布するBリンパ球が分化した形質細胞が腫瘍化したものであるが、不思議なことにリンパ組織ではなく骨髄および骨に積極的に浸潤する。リンパ腫という段階が生じているのかも不明である。",
"title": "白血病と類縁疾患の境"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "また、慢性骨髄性白血病などと同じ骨髄増殖性疾患に属する真性多血症や本態性血小板血症、骨髄線維症も主として増加している血球は白血球以外であるが、その本質は慢性骨髄性白血病などと同じく造血幹細胞レベルでの遺伝子異常による細胞の増殖能の自律的向上であると考えられ、一般的には白血病とはされないこれらも、広義には白血病の類として扱われることもある。",
"title": "白血病と類縁疾患の境"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "広島大学原爆放射線医科学研究所・鎌田七男らの1978年の研究 (Kamada N,et al:Blood 51:843,1978) によると、造血幹細胞に生じた染色体の突然変異(フィラデルフィア染色体またはbcr-abl遺伝子変異)によって1個の慢性骨髄性白血病の幹細胞が発生し、たった一つ発生した白血病幹細胞が6年後には、末梢血での白血球数が1万個/μl(基準値は3500-9000程度)になるまで数を増やす。血液分画では好塩基球が増加し、好中球と、時には好酸球も増加する。白血球数が2万個/μlを超えると芽球も出現して慢性骨髄性白血病の状態が明白になる。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "1945年、広島と長崎が原子爆弾で被爆したが、その放射線被曝者では5年後の1950年から10年後の1955年にかけて慢性骨髄性白血病の発生頻度が著明に増加した。被曝した放射線量が0.5Gy以上の放射線被曝者では通常の数十倍の慢性骨髄性白血病の発生が記録され、原爆の被爆から5-10年後に発症はピークを迎え、その後には発症率は急激に低下し通常レベルになっている。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "放射線影響研究所の調査では、全白血病では原爆被爆後6-8年の間が発症率のピークとされる。放射線影響研究所の詳細なデータは1950年の国勢調査から始まり、それ以前には推計もはいるが被爆2年後から白血病は増え始めていると考えられている。放射線影響研究所が被爆者約5万人を1950年-2000年までの50年間観察したところ、被爆者5万人×50年間の中で204人が白血病で死亡し、それは自然な白血病死亡率とくらべて46%の過剰発生であった。当然、被曝線量が多いほど白血病での死亡率は高く、1Gy以上の被曝者では約2700人中56人が放射線が原因の白血病で亡くなったと考えられ、0.005-0.1Gyの被曝者約3万人では白血病での死亡は69人、その中で放射線被曝していなくても発症・死亡したであろう自然発生率を勘案して除去した過剰発生は4人とされている。被曝者の白血病は AML, ALL, CML で顕著であり、CLL は目立たない(放射線被曝量の単位については脚注を参照のこと)。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "広島・長崎の被爆者の白血病と白血病以外の癌・悪性腫瘍では過剰発生の傾向は異なる。前述のように放射線影響研究所の調査では慢性白血病と急性白血病の合計である全白血病では被爆から6-8年後がピークでその後は緩やかに発症率は下がっているが、白血病以外のがんの過剰発生は被爆後10年を経て目立つようになりその後も年々過剰発生は増え2010年現在でも過剰発生の状況は続いている。一つの理由として白血病では染色体の転座や逆位などでキメラ遺伝子が形成されて発生するものが多い。癌でも白血病でも一つの遺伝子異常だけではがん化はせず何段階かの遺伝子異常が重なってがん化するが(CML は例外である)白血病に多いキメラ遺伝子のような大きな遺伝子異常ではがん化に必要なステップは少なく、放射線被曝によって最初の大きな遺伝子異常(キメラ遺伝子)がおきると白血病発生に必要な残りの遺伝子異常は少なく、遺伝子異常が積み重なるために必要な時間は少ない。しかし、白血病以外のがんでは小さな遺伝子変異が数多く積み重なって発生するものが多いので放射線被曝によって遺伝子異常の First hit が生じてもそれに多くの遺伝子異常が積み重なる時間が必要なため、放射線被曝からがん発生まで長い時間が必要になると考えられる。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "国連によって設置された原子放射線の影響に関する国連科学委員会( United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation:略称 UNSCEAR)の2008年の報告では、チェルノブイリ原発事故において放射線汚染除去作業者(数十万人)のなかでの高線量被曝者では白血病発生が見られるとされている。また、チェルノブイリ汚染地域の一般住民では1986年の事故発生日から数週間以内に生産された牛乳を飲んだ子供たちに甲状腺がんが高率に発生していることは判明しているが、白血病に関してはチェルノブイリ汚染地域の一般住民に明らかな白血病発症率の増加の証拠はないとしている。また、同じ報告書で原子放射線の影響に関する国連科学委員会は(高レベル被曝した作業員と1986年にチェルノブイリ地域の牛乳を飲んだ小児・青少年を除く)地域一般住民は放射線被曝による健康被害を心配する必要はないと結論付けている。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "チェルノブイリ原発事故では作業員を除く地域住民には明らかな白血病の増加の証拠は見つかっていないが、1956年に停止されたロシアのマヤーク核兵器生産炉では作業員だけでなく周辺住民にも白血病の増加が観測されている。ロシアのマヤーク核兵器生産炉では核兵器用のプルトニウムを生産していたが、プルトニウム生産過程で生じたストロンチウム90が周辺環境に放出されている。チェルノブイリで主に問題になった放射性ヨウ素は甲状腺に溜まるために甲状腺がんが増加したが、マヤーク核兵器生産炉で放出されたストロンチウム90はカルシウムと化学的性質が類似するため骨に集まる性質があるので白血病の増加は予想されていた。マヤーク核兵器生産炉の作業員および周辺住民では1953-2005年の間に93人が白血病になり、明らかに放射線被曝量が多いほど白血病リスクは高くなる。ストロンチウム90による過剰相対リスクERRは4.9/Gyで、つまり被曝量1Gyあたり白血病のリスクが5.9倍になっている。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "医療行為でも強直性脊椎炎患者で脊椎に放射線照射を受けた者、子宮頸癌に対しての放射線治療で骨髄に放射線を浴びた者では数年後に慢性骨髄性白血病の発症率が高くなっていることが報告されている。ただし、これらの放射線被曝量は日常生活ではありえない放射線量であり、これらの放射線が原因と思われる慢性骨髄性白血病は慢性骨髄性白血病患者全体の中では例外と言えるほど少なく、大半の慢性骨髄性白血病の発生原因は不明である。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "航空会社国際線のパイロットや客室乗務員は地上に暮らす一般人よりも多くの自然放射線を浴びている。地上の一般人に比べ特に中性子線の被曝量が多い。その被曝量は年に3-6mSv程度と推定されている。彼らの白血病リスクは増大しているとの報告もあるが、しかし症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関を示せるほどはっきりした事は判明していない(白血病は現役世代では10万人あたり年に数人程度の発症率である)。また第7染色体異常の発生例も報告されているが、やはり症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関は明らかではない。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "アメリカ医学会での1944年と1950年の報告では放射線科医はそれ以外の診療科の医師に比べ白血病死亡率は10倍高く、イギリスでも放射線防御の意識が低かった1921年以前の放射線科医ではガンによる死亡率は明らかに高いことが報告されている。ただし、放射線防護対策が確立した1950年以降では放射線科医の白血病発症が多いと言うデータはなくなっている。",
"title": "放射線と白血病"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "医療制度は各国でさまざまであるが、移植医療を支える骨髄バンクや臍帯血バンクは先進国を中心に世界約50カ国にあり、2012年現在世界的な骨髄ドナー検索システム (Bone Marrow Donors Worldwide :BMDW) が構築され、骨髄に関しては48カ国66の骨髄バンクが参加し登録ドナーは1875万人、臍帯血でも29カ国から43の臍帯血バンクが BMDW に参加し、登録された臍帯血のストックは51万本になっている。BMDWで検索された骨髄血や臍帯血の提供や品質管理などで国際間で協力する組織としては The World Marrow Donor Association (WMDA) があり、やや古いデータであるが2004年の世界の骨髄移植ではその1/3は国境を超えて提供されたものである。",
"title": "白血病患者への支援"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "白血病は上述のように治療が過酷な病気ではあるが、治療費助成のある特定疾患(いわゆる難病)には指定されていない。しかし18歳未満の小児白血病には小児慢性特定疾患治療研究事業によって保健福祉事務所あるいは保健所に必要書類を添えて申請すれば自治体による助成を受けられるので小児白血病の治療費の患者負担は大きくはない。さらに治療費の助成だけでなく小児白血病では所得制限などの条件があるが特別児童扶養手当や財団法人がんの子供を守る会 などの経済的支援を得られることもあり、あるいは企業によるCSR活動などもある。なので小児白血病では各種の制度を活用すれば保護者の経済的な負担は大きくはない。",
"title": "白血病患者への支援"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "成人の白血病の治療費は高額になるが、日本の健康保険では高額療養費支給制度を利用できる。",
"title": "白血病患者への支援"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "移植が必要な患者には骨髄バンクや各地に設けられた臍帯血バンクなどの準公的な組織が患者の移植の支援のために活動している。2022年4月末時点では骨髄バンクでは約53万人のドナー登録があり、臍帯血バンクでは9600本のストックがある。白血病患者が日本骨髄バンクを利用する際の患者負担金については、前年度の所得税額が一定額以下の場合には一部もしくは全額が免除される仕組みもある。",
"title": "白血病患者への支援"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "日本人は民族的に遺伝学的な均一性が高く、そのために日本人同士でHLA型が一致する確率が高く、2004年の数字では世界で750万人の骨髄ドナーがいる中で日本人の骨髄ドナーは18万6千人と少数であったにもかかわらず、2004年時点で移植の総件数でも、人口当たりの移植数でも日本は世界第2位であった(1位はアメリカである)。しかし、登録ドナーが40万人を超えた2012年現在でもすべての患者にドナーが見つかるわけではない。",
"title": "白血病患者への支援"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "白血病は人間ばかりでなく多くの哺乳類・鳥類が罹る。家畜やペットでは牛、馬、羊、山羊、豚、猫、犬、鶏などで見られる。家畜・ペットではリンパ性白血病が多くウイルス(レトロウイルス)感染によるものが多い。犬では人間と同じく AML, ALL, まれに CML, CLL が見られ、その多くでは原因は不明である。猫では AML の2/3、ALL のほとんどが猫白血病ウイルス (FeLV) によるものであり、MDS やリンパ腫も多く、それらも FeLV が原因である。犬でも猫でも人間と同様に化学療法(抗がん剤)治療が行われるが、ほとんどは4-6ヶ月以内に死亡する。牛にも白血病はあり成牛型と散発型があり、成牛型はウイルスによるものであり、散発型は原因不明である。成牛型は牛白血病ウイルス (BLV) によるもので潜伏期間が長く成牛になってから発症する。牛ではウイルス蔓延を防ぐために病牛は治療はせず数週で死亡する。馬ではリンパ腫は散発的に見られるものの白血病は少ない。犬・猫では白血病やリンパ腫の治療に骨髄移植も試みられている。犬の骨髄移植ではGVHDが重く死亡例が多い。猫ではシクロスポリンなどの免疫抑制を行うと成功率は高く GVHD も軽めである。",
"title": "動物の白血病"
}
] | 白血病は、遺伝子変異を起こした造血細胞(白血球系細胞)が骨髄で無限に増殖して正常な造血を阻害し、多くは骨髄のみにとどまらず血液中にも白血病細胞があふれ出てくる血液疾患である。「血液のがん」ともいわれる。 白血病細胞が造血の場である骨髄を占拠するために造血が阻害されて正常な血液細胞が減るため感染症や貧血、出血症状などの症状が出やすくなり、あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。 治療は、抗がん剤を中心とした化学療法と輸血や感染症対策などの支持療法に加え、難治例では骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植治療も行われる。 白血病は、急性骨髄性白血病(AML)、急性リンパ性白血病(ALL)、慢性骨髄性白血病(CML)、慢性リンパ性白血病(CLL)の4つに分けられる。 | {{Otheruses|白血病全般|[[急性骨髄性白血病]]と[[急性リンパ性白血病]]、[[慢性骨髄性白血病]]、[[慢性リンパ性白血病]]について個々にはそれぞれの項目、[[慢性骨髄増殖性疾患]]|[[骨髄増殖性疾患]]|[[リンパ系腫瘍]]|[[悪性リンパ腫]]}}
{{更新|date=2022年3月24日 (木) 03:58 (UTC)}}
[[ファイル:正常血液像20111214.png|thumb|right|240px|健康人の正常な血液。中央に1つある細胞が白血球。正常な血液で白血球は赤血球の500分の1から1000分の1の数しかない。なお、各写真は見やすいように染色した画像である。染色しない白血球や幼若細胞は無色半透明である。]]
[[ファイル:AML-M6, blood smear(Right Rotation).png|thumb|right|238px|急性骨髄性白血病(AML-M6)の血液の例。白血病では赤血球は減少していることがあり、逆に白血球が著明に増加していたり(減少していることもある)、血球の幼若球([[芽球]])が末梢血に出現したりする。この画像では(健康人の血液では決して出現しない[[赤芽球]]に似た)白血病細胞が著明に出現している。なお、標本の作り方、観察方法によって顕微鏡写真像は異なるため、白血病の血液が皆、このように見えるとは限らない。]]
'''白血病'''(はっけつびょう、{{lang-en|Leukemia}})は、[[遺伝子]][[突然変異|変異]]を起こした[[造血幹細胞|造血細胞]](白血球系細胞)が[[骨髄]]で無限に増殖して正常な造血を阻害し、多くは骨髄のみにとどまらず[[血液]]中にも白血病細胞があふれ出てくる[[血液疾患]]である。「'''血液の[[悪性腫瘍|がん]]'''」ともいわれる<ref><{{Cite web|和書|url=https://www.ncchd.go.jp/hospital/sickness/children/all.html |accessdate=2019-08-29 |title=[[急性リンパ性白血病]]([[ALL]]) Q&A |publisher=[[国立成育医療研究センター]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ncc.go.jp/jp/ncce/clinic/hematology/jcog1111/patient.html |accessdate=2019-08-29 |title=[[成人T細胞白血病]]・[[リンパ腫]]([[ATL]])について |publisher=国立研究開発法人[[国立がん研究センター]] 東病院}}</ref>。
[[白血病細胞]]が造血の場である[[骨髄]]を占拠するために[[造血]]が阻害されて正常な[[血球|血液細胞]]が減るため[[感染症]]や[[貧血]]、[[出血]]症状などの症状が出やすくなり、あるいは[[骨髄]]から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな[[臓器]]に[[浸潤]](侵入)して障害することもある。
治療は、[[抗がん剤]]を中心とした[[化学療法]]と[[輸血]]や感染症対策などの[[支持療法]]に加え、難治例では[[骨髄移植]]や[[臍帯血|臍帯血移植]]などの[[造血幹細胞移植]]治療も行われる。
白血病は、[[急性骨髄性白血病]]([[AML]])、[[急性リンパ性白血病]]([[ALL]])、[[慢性骨髄性白血病]]([[CML]])、[[慢性リンパ性白血病]]([[CLL]])の4つに分けられる。
== 概要 ==
日本血液学会では
{{Quote|『白血病は遺伝子変異の結果、増殖や生存において優位性を獲得した造血細胞が骨髄で自律的に増殖するクローン性の疾患群である。白血病は分化能を失った幼若細胞が増加する急性白血病と、分化・成熟を伴いほぼ正常な形態を有する細胞が増殖する慢性白血病に分けられる。また分化の方向により骨髄性とリンパ性に大別される』|-引用、日本血液学会、日本リンパ網内系学会編集|『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.2}}としている。
白血病は病的な血液細胞(白血病細胞)が骨髄で自律的、つまりコントロールされることなく無秩序に増加する疾患である。骨髄は血液細胞を生み出す場であり、骨髄での白血病細胞の増加によって正常な造血細胞が造血の場を奪われることで正常な造血が困難になり、血液(末梢血)にも影響が及ぶ。あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。白血病患者の血液中では白血病細胞あるいは病的な白血球を含めると[[白血球]]総数は著明に増加することも、あるいは減少することもある。しかし、正常な白血球は減少し[[血小板]]や[[赤血球]]も多くの場合減少する<ref group="註">慢性骨髄性白血病では一見正常な白血球や血小板が増加し、慢性リンパ性白血病でも一見正常なリンパ球が増加するが、それらはあくまで正常な血球ではない</ref>。
白血病の症状として、正常な白血球が減ることで感染症(発熱)、赤血球が減少することで[[貧血]]になり貧血に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板が減少することで易出血症状などがよく見られ、また血液中にあふれ出た白血病細胞が皮膚や神経、各臓器に浸潤(侵入)してそれらにさまざまな異常が起きることもある。
白血病は年に10万人あたりおよそ7人(2005年、日本)が発症する比較的少ないがんであるが<ref group="註">2005年の国立がん研究センターの統計では、がん全体では、年間10万人あたり500人強罹患するが、白血病全体では年間10万人あたり7人程度でがん全体の1%強に過ぎない-[https://web.archive.org/web/20120813182023/http://ganjoho.jp/data/public/statistics/backnumber/2010/files/data05.pdf 国立がん研究センター・部位別年齢階級別がん罹患数・割合(2005年)] 2012.2.19閲覧、[https://web.archive.org/web/20120804004926/http://ganjoho.jp/data/public/statistics/backnumber/2010/files/data04.pdf 部位別年齢階級別がん罹患数・割合] 2012.2.19閲覧</ref>、多くの悪性腫瘍(癌、肉腫)は高齢者が罹患し小児や青年層ではきわめてまれなのに対し、白血病は小児から高齢者まで広く発症するため、小児から青年層に限ればがんの中で比較的多いがんである<ref>[https://web.archive.org/web/20120314124226/http://www.fpcr.or.jp/pdf/statistics/date04.pdf 財団法人がん研究振興財団・部位別年齢階級別がん罹患数・割合(2004年)] 2011.06.17閲覧</ref>。造血の場である骨髄で造血の元になっている細胞が変異したことによって起きるのが白血病であり、癌や肉腫のように固形の[[腫瘍]]を形成しないため、胃癌や大腸癌などのように[[外科学|外科]][[手術]]の適応ではないが、抗がん剤などの化学療法にはきわめてよく反応する<ref name="木崎p15">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、p.15</ref><ref group="註">ただし、白血病細胞は固まりは作らないが、白血病細胞がリンパ節や歯肉、など各種臓器に浸潤してそこで腫瘤を作ることはある、この腫瘤は白血病の本体ではないので外科的に取り除いても根本治療にはならない</ref>。19世紀にドイツの病理学者[[ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー]](ウィルヒョウ、フィルヒョウとも)が白血病を初めて報告して Leukemia(白血病)と名付けた。かつては白血病は治療が困難で、自覚症状が現れてからは急な経過をたどって死に至ったため、不治の病とのイメージを持たれてきた。また、白血病は現代においても現実に若年層での病死因の中で高い割合を占めることから、[[フィクション]]では、かつての[[結核]]に代わって、現代において癌と並び、若い主人公が罹患する設定になることが多い<ref>[http://www.jalsg.jp/02/01_04.html 日本成人白血病治療共同研究グループ・白血病の発生率] 2012.2.18閲覧</ref>。しかし、1980年代以降、[[化学療法 (悪性腫瘍)|化学療法]]や、[[骨髄移植]](bone marrow transplantation; BMT)、[[末梢血造血幹細胞移植]](peripheral blood stem cell transplantation; PBSCT)、[[臍帯血|臍帯血移植]](cord blood transplantation; CBT)の進歩に伴って治療成績は改善されつつある<ref name="大野p301-309">大野 竜三 編集『よくわかる白血病のすべて』永井書店、2005年、pp.301-309</ref>。
一口に白血病といっても、大きくは[[急性骨髄性白血病]](AML)、[[急性リンパ性白血病]](ALL)、[[慢性骨髄性白血病]](CML)、[[慢性リンパ性白血病]](CLL)の4つに分けられ、それぞれは病態は異なっている。急性白血病では増加する白血病細胞は幼若な血液細胞([[芽球]])に形態は似てはいるが、正常な分化・成熟能を失い異なったものとなる<ref name="iMedicine,p152">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.152</ref>。慢性白血病では1系統以上<ref group="註">フィラデルフィア染色体Ph+の慢性骨髄性白血病では[[好中球]]、[[好塩基球]]の増加は必発であり、[[血小板]]も増加していることが多い。-[https://web.archive.org/web/20120121024204/http://www.juntendo-hematology.org/shikkan7.html 順天堂大学血液内科・慢性白血病の特徴]</ref>の血液細胞が異常な増殖をするが、白血病細胞は分化能を失っておらず、幼若な血液細胞([[芽球]])から成熟した細胞まで広範な細胞増殖を見せる<ref name="取扱い規約p2" >日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.2</ref>。急性白血病細胞は血液細胞の幼若細胞に似た形態を取り<ref name="iMedicine,p152"/>、多くの急性白血病では出現している白血病細胞に発現している特徴が白血球系幼若細胞に現れている特徴と共通点が多い細胞であるが<ref name="iMedicine,p162">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.162</ref>、多くはないが赤血球系統<ref name="三輪血液病学p1395-1397">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1395-1397</ref>や血小板系統<ref group="註">FAB分類AML-M6では白血病細胞の半数は赤血球の幼若球である赤芽球に似ていて赤白血病とも呼ばれ、AML-M7では白血病細胞は骨髄系細胞の証であるMPOは発現せず、巨核球系の抗原が発現していて急性巨核芽球性白血病と呼ばれる。- 東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、pp.180-181</ref><ref name="三輪血液病学p1397-1398">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1397-1398</ref>の幼若細胞の特徴が発現した白血病細胞が現れるものもあり、それらも白血病である<ref name="三輪血液病学p1376-1378
">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1376-1378</ref><ref name="小川p117">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.117</ref>。血液細胞は分化の方向でリンパ球と骨髄系細胞<ref group="註">骨髄系細胞は血液細胞でリンパ球以外の細胞である。顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)、単球、赤血球、血小板やその母細胞などである。造血幹細胞が分化・増殖を始めると最初にリンパ系と骨髄系に分化の方向が分かれる。-出典 大西 俊造、梶原 博毅、神山 隆一 監修『スタンダード病理学』第3版、文光堂、2009年、pp.400-402</ref>に分けられるが、ほとんどの白血病細胞も少しであっても分化の方向付けがありリンパ性と骨髄性に分けることができる<ref name="スタンダード病理学pp.400-402">大西 俊造、梶原 博毅、神山 隆一 監修『スタンダード病理学』第3版、文光堂、2009年、pp.400-402</ref><ref name="『規約』p2">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.2</ref>。
白血病における慢性と急性の意味は、ほかの疾患でいう急性・慢性の意味合いとは違う。急性白血病が慢性化したものが慢性白血病というわけではなく、白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病を「急性白血病」、白血病細胞が成熟傾向を持ち一見正常な血液細胞になる白血病を「慢性白血病」という。白血病の歴史の中で、一般に無治療の場合には白血病細胞が幼若な形態のまま増加していく白血病の方が死に至るまでの時間が短かったため「急性」と名付けられた。急性白血病が慢性化して慢性白血病になることはないが、逆に慢性白血病が変異を起こして急性白血病様の病態になることはある<ref>村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、pp.107,131</ref>。
一般的に用いられる形容で、白血病を「血液の癌」と呼ぶが、この形容は誤りである。漢字で「癌」というのは「[[上皮組織]]の悪性腫瘍」を指し、上皮組織でなく[[結合組織]]である血液や血球には使えない。ただし、「血液のがん」という平仮名の表記は正解である。平仮名の「がん」は、「癌」や「肉腫」、血液悪性腫瘍も含めた広義的な意味で使われているためである<ref>[http://www.jalsg.jp/leukemia/about_leukemia.html 日本成人白血病治療共同研究グループ・わかりやすい白血病の話] 2015.01.17閲覧</ref>。
[[悪性リンパ腫]]や[[骨髄異形成症候群]]といった類縁疾患は通常、白血病には含まれないが、悪性リンパ腫とリンパ性白血病の細胞は本質的には同一であるとされ、骨髄異形成症候群にも前白血病状態と位置づけられ進行して白血病化するものもあり<ref group="註">骨髄異形成症候群の一部には芽球が増加しているものがあり、WHOの定義では骨髄での芽球比率が19%以下は骨髄異形成症候群であるが、そのまま芽球が増加し20%を超えると急性白血病と見なされる。ただし、19%と20%で症候的に大きな変化があるわけではなく、臨床的には適宜柔軟に対処する。-直江 知樹、他 編『WHO血液腫瘍分類』医薬ジャーナル社、2010年、p.108</ref>、これら類縁疾患と白血病の境目は曖昧な面もある。
== 歴史と白血病の名の由来 ==
=== 歴史 ===
[[ファイル:Rudolf_Virchow.jpg|thumb|right|160px|[[ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー]]]]
[[ファイル:血液の遠心分離(イラスト).png|thumb|right|150px|試験管に血液を取り遠心分離すると上に血漿、下に赤血球が分離し、中間に白血球を含む白灰色の薄い層が現れる。白血病では中間の白灰色の層の厚みが増していることがある。]]
19世紀半ば、ドイツの病理学者[[ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー]]が、巨大な脾腫を伴い血液が白色がかって死亡した患者(今でいう慢性骨髄性白血病)を調べて報告したのが白血病の血液疾患としての最初の認知である。ウィルヒョーの報告後、白血病は経過が比較的ゆっくりなものを慢性白血病、早いものを急性白血病と分類されている(現在の分類法とは異なる)。1930年代には細胞科学的手法によってリンパ性と骨髄性に分類されるようになった。しかしウィルヒョーの報告からほぼ100年にわたって、白血病に対する有効な治療法はなく、急性白血病は数週から数か月、慢性白血病は数か月から数年で死亡する死の病であった。
第二次世界大戦後には、抗がん剤[[メルカプトプリン|6-MP]]が白血病に適用され始めたが、抗がん剤の種類も知見も少なく、血小板輸血や[[抗生物質]]も乏しかった1960年代までは死の病である状況は変わらなかった。1960年代からは抗がん剤の種類・知見も増加し、抗がん剤[[シタラビン|Ara-c]]と[[ダウノルビシン]]の多剤併用療法が開発され、さまざまな抗生物質も登場した。1960年代後半からは抗がん剤の多剤併用療法の改良<ref group="註">2006年現在でも AML-M3 以外の急性骨髄性白血病では [[シタラビン|Ara-c]] 7日間とダウノルビシンなど[[アントラサイクリン]]系抗がん剤3日間の寛解導入療法は標準である。-浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1414</ref>によって白血病が治癒する例が増え始め<ref name="『三輪血液病学』p1411">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1411</ref>、1970年代から始まった血小板輸血などの支持療法の進歩もあり<ref name="『よくわかる白血病』p301-309">大野 竜三 編集『よくわかる白血病のすべて』永井書店、2005年、pp.301-309</ref>、急性白血病患者の70 - 80%はいったんは白血病細胞が見られなくなるようになったが、多剤併用療法のみでは再発は少なくはなく、最終的には多剤併用療法のみでの治癒率は30 - 40%程度で頭打ちになっている<ref name="『三輪血液病学』p1434">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1434</ref><ref name="小川p120">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.120</ref>。その後、1970年代から研究の始まった造血幹細胞移植が1990年代から本格的に適用され始め<ref>[http://www.jmdp.or.jp/about_us/overview/history.html 日本骨髄バンクの歩み] 2011.07.04閲覧</ref>、[[化学療法]]だけでは長期生存は難しい難治例でも[[造血幹細胞]]移植で2 - 6割の患者は長期生存が期待できるようになった<ref name="『三輪血液病学』p1425-1426,1436-1437">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1425-1426,1436-1437</ref>。また急性前骨髄球性白血病(AML-M3)で画期的な治療法である分化誘導療法の発見、2001年には慢性骨髄性白血病(CML)の分子標的薬[[グリベック]]の登場など、AML-M3やCML、予後がいい小児ALLなどでは大半の患者が救われるようになってきている<ref name="『よくわかる白血病』p301-309"/>。
=== 血の色と白血病の名の由来 ===
白血病は、前述したウィルヒョーが見た死亡患者の血液が白っぽくなっていたため、ギリシャ語の白い(λεύκος)と血(αίμα)をラテン文字へ換字した(leukos)と(haima)から造語した leukemia(白血病)と名付けたといわれる<ref group="註">ラテン語のleucaemia(白血病)は合成語 (ae) とされ、ラテン語の語頭の leuc はギリシャ語の「白い」から、ラテン語で血液の状態を表す aemia はギリシャ語の「血」からの由来である。-出典 松下 正幸 著『医学用語の成り立ち』榮光堂、1997年、前書きppⅰ-ⅳ及び本文p.15及びp.305</ref><ref name="『よくわかる白血病』p301-309"/><ref>松下 正幸 著『医学用語の成り立ち』榮光堂、1997年、前書きpp.ⅰ-ⅳと本文p.15及びp.305</ref>。ウィルヒョーが見た患者では極端に白血球が増加し血液が白っぽくなっていたと考えられるが、実際に血液が真っ白になることはなく、白血病細胞が極端に増えた例で通常は濃い赤色である血液が赤から灰白赤色になるだけで、ほとんどの白血病患者では血液の色は赤いままである<ref name="『よくわかる白血病』p301-309"/><ref name="iMedicine,p152">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.152</ref>。血液の赤色は赤血球の色であるが、赤血球が完全になくなる前に人は死亡するため血液が完全に真っ白になるまで生存することはできない。
白血病によって貧血が強くなると血の色が薄くはなる。また同様に、[[赤白血病]]([[FAB分類]]M6)でも血がピンクになるわけではない。一方、[[家族性リポ蛋白リパーゼ欠損症]]では血の中に中性脂肪が溜まり血が乳白色となるが、これは白血病とは呼ばない<ref>寺野 彰 総編集『シンプル内科学』南江堂、2008年、p.433</ref>。
ちなみに健康人の血液を遠心分離すると下層には濃い赤色の赤血球、上層には黄色みかかった透明の血漿に分離するが、中間にはやや灰色がかった白い薄い層が現れる。白い層をなす血液細胞をギリシャ語由来の(白い)を意味する leuko と細胞を表す cyte をあわせて Leukocyte:白血球と名付けられた<ref name="できった血液疾患p71" >村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、p.71</ref>。白血球の一つひとつは実際には無色半透明だが多く集まると光を乱反射して白く見える。白血病患者のほとんどでは白血球あるいは白血球同様に無色半透明な芽球が増加しているため、血液を遠心分離すると中間の白い層の厚みは増加している。白い層の増加の程度が甚だしいと血液の色も変化する<ref name="東田p152">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.152</ref>。
== 症状 ==
[[ファイル:AMLCase-66.jpg|thumb|180px|急性骨髄性白血病(AML-M4) において白血病細胞の浸潤で腫脹した歯肉。ただし、歯肉腫脹する疾患は白血病だけでなく、また白血病であっても必ずしも歯肉腫脹するわけでもないので、歯肉腫脹の有無で白血病かどうかは鑑別できない。]]
白血病の症状は、[[急性白血病]]と慢性白血病では大きく異なる。
急性白血病の症状としては、骨髄で白血病細胞が増加し満ちあふれるために正常な造血が阻害されて正常な血液細胞が減少し、正常な白血球の減少に伴い細菌などの感染症(発熱)、赤血球減少([[貧血]])に伴う症状(倦怠感、動悸、めまい)、血小板減少に伴う易出血症状(歯肉出血、鼻出血、皮下出血など)がよく見られ、ほかにも白血病細胞の浸潤による[[歯肉]]の[[腫脹]]や、時には(特にAML-M3では)大規模な出血もありうる<ref group="註">AML-M3急性前骨髄性白血病 (APL) では、生命に関わる大規模な出血が多いが、それは単に骨髄で白血病細胞が増えることで血小板数が減るからだけではなく、APL細胞の持つ組織因子によって高度な線溶活性化を伴う播種性血管内凝固症候群 (disseminated intravascular coagulation:DIC) を起こすからである。-[http://www.3nai.jp/weblog/entry/22519.html 金沢大学血液内科・急性前骨髄球性白血病 (APL) とDIC:ATRA、アネキシンII]</ref><ref name="国立がん研究センター・白血病の診断と治療">[http://ganjoho.jp/public/cancer/data/leukemia_basis.html 国立がん研究センター・白血病の診断と治療] 2011.06.17閲覧</ref><ref name="小川p112.113.115.119">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.112,113,115,119</ref>。
さらに白血病が進行し、各臓器への白血病細胞の浸潤があると、各臓器が傷害あるいは腫張し圧迫されてさまざまな症状がありうる。腫瘍熱、骨痛、歯肉腫脹、肝脾腫、リンパ節腫脹、皮膚病変などや、白血病細胞が[[中枢神経]]に浸潤すると[[頭痛]]や[[意識障害]]などのさまざまな神経症状も起こりうる<ref name="国立がん研究センター・白血病の診断と治療"/><ref name="小川p112.113.115.119"/>。
急性リンパ性白血病では、リンパ節・肝臓・脾臓の腫大や中枢神経症状<ref group="註">白血病細胞が脳や脊髄などの中枢神経に浸潤すると頭痛・嘔吐・視力障害・[[顔面神経麻痺]]・眼球運動麻痺などの症状が現れる。-出典 浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1431</ref>はよく見られるが、AMLでは多くはない<ref name="三輪血液病学p1431">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1431</ref><ref name="小川p.119">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.119</ref><ref name="スタンダード病理学pp.416">大西 俊造、梶原 博毅、神山 隆一 監修『スタンダード病理学』第3版、文光堂、2009年、p.416</ref>。
ただし、これらの諸症状は白血病に特有の症状ではなく、これらの症状を示す疾患は多い。ゆえに症状だけで、白血病を推定することは困難である。
慢性骨髄性白血病では、罹患後しばらくは慢性期と呼ばれる状態が続き、特に症状が現れず、[[健康診断]]で白血球数の異常が指摘され、初めて受診することも多く、慢性期で自覚症状が現れる場合は、脾腫による腹部膨満や微熱、倦怠感の場合が多い<ref name="小川p122-123">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.122-123</ref><ref name="日本成人白血病治療共同研究グループ・慢性骨髄性白血病・臨床所見">[https://web.archive.org/web/20130624145825/http://www.jalsg.jp/02/01_06_a.html 日本成人白血病治療共同研究グループ・慢性骨髄性白血病・臨床所見] 2012.2.18閲覧</ref>。ただし、慢性骨髄性白血病の自然経過では、数年の後必ず、移行期と呼ばれる芽球増加の中間段階を経て急性転化を起こす。急性期では芽球が著増し、急性白血病と同様の状態になる<ref name="小川p122-123"/>。
慢性リンパ性白血病では、一般に進行がゆっくりで無症状のことも多く、やはり[[健康診断]]で白血球増加を指摘されて受診することが多いが、しかし80%の患者では、リンパ節の腫脹があり(痛みはないことが多い)他人からリンパ節腫脹を指摘されて受診することもある。
リンパ節の腫れ以外に、自覚症状がある場合には倦怠感、[[脾腫]]による腹部膨満<ref name="金倉p.244-246">金倉 譲 監修『血液診療エキスパート 白血病』中外医学社、2009年、pp.244-246</ref><ref name="押味p.188">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、p.188</ref><ref name="小川p126-127">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.126-127</ref>や[[寝汗]]、発熱、皮膚病変<ref>[https://web.archive.org/web/20131217005322/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/CLL.html 国立がん研究センター・慢性リンパ性白血病] 2011.7.24閲覧</ref>などが見られる。慢性リンパ性白血病の低リスク群では、無症状のまま無治療でも天寿を全うすることもあるが、病期が進行してくると、[[貧血]]や[[血小板]]減少が進み、[[細菌]]や[[真菌]]などの[[日和見感染症]]や、[[自己免疫疾患]]を伴うこともある<ref name="金倉p.244-246"/><ref name="小川p126-127"/>。
== 検査 ==
白血病の検査では血液検査と[[骨髄検査]]が主になる。白血病の本体は骨髄にあり、白血病の状態を正確に把握するには骨髄検査が不可欠であるが、骨髄検査は患者にとって負担の多い検査であり、患者への負担が少ない血液検査も重要になる<ref>浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.543-548,553-555</ref>(骨髄と血液を川に例えると水源が骨髄で川の水が血液に相当する。水源の異常は川の水質や水量に影響を与える。川の水の状態から水源に異常があることはある程度推測することはできるが、水源の状態や何が起きているのかを正確に把握するには水源そのものを調べるしかない。しかし水源まで行くことは苦痛を伴い労力が必要なので川の水の状態をこまめに点検し、必要に応じて水源の再点検も行うことが大事になる)。
血液検査([[末梢血]])で[[芽球]]を明らかに認めれば白血病の可能性は高い。末梢血で芽球が認められなくとも、白血球が著増していたり、あるいは赤血球と血小板が著しく減少し非血液疾患の可能性が見つからなければ、骨髄検査が必要になる(白血病では白血球は、著増していることもあれば正常あるいは減少していることもある。10万を超えるような場合以外は白血球数だけでは白血病かどうかは分からない)。骨髄で芽球の割合が著増していたり、極端な過形成<ref group="註">正常な[[骨髄]]([[腸骨]]や[[胸骨]]の)では、造血細胞と脂肪がそれぞれある程度存在する。骨髄内を造血細胞と脂肪がそれぞれ数割ずつ占めるのを正形成という。骨髄内に造血細胞がほとんどなく脂肪ばかりなのを低形成。脂肪がなくて造血細胞がぎっしり詰まっているのを過形成という。低形成骨髄の典型が[[再生不良性貧血]]、過形成骨髄の典型が白血病である。</ref>であればやはり白血病の可能性は非常に高い<ref name="『規約』p3-4">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、pp.3-4</ref><ref name="木崎p98-99">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、pp.98-99</ref><ref>東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、pp.152-156</ref>。
急性白血病の骨髄では芽球の増加を認め、WHO分類では骨髄の有核細胞のなかでの芽球の割合が20%以上であれば急性白血病と定義するため骨髄検査を行わないと診断を確定できない。さらに骨髄内の有核細胞中のMPO陽性比率や非特異的エステラーゼ染色や免疫学的マーカー捜索によって急性白血病中の病型の診断を確定させる<ref name="『規約』p5">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.5</ref>。CMLやCLLでも骨髄でのそれぞれの特徴的な骨髄像の確認は重要であり、CMLでは[[フィラデルフィア染色体]]の捜索を行う<ref name="小川p124-127">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.124-127</ref>。
また、白血病細胞の中枢神経への浸潤の可能性や脾・肝臓腫、感染症などの白血病の症状を探るための諸検査(CT検査、脳脊髄液検査、細菌培養検査など)も行われる<ref name="小川p112.113.115.119"/><ref name="三輪血液病学p1431"/><ref name="永井正">永井 正 著『図解白血病・悪性リンパ腫がわかる本』法研、2008年、p.18</ref>。
急性白血病細胞は多くの場合、白血球の幼若な細胞と類似した形態を取るため、[[芽球]]あるいは芽球様細胞と呼ばれる。血液細胞は大きくは、白血球、赤血球、血小板の3種に分けられるが、白血病細胞(芽球)は赤血球や血小板と違って有核であり、また赤血球と違い溶血剤に溶けず血小板とはサイズが違うため、正常な白血球ではないが自動血球計数器で分析する血液検査の血液分画(血液細胞の分類とカウント)の中では白血球の区分に入れられる(高性能な検査機や検査技師が行う目視検査では血液細胞の種類ごとに細かく分類ができる)<ref name="三輪血液病学p536-542,1945-1954">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.536-542,1945-1954</ref>。
急性白血病の血液検査ではヘモグロビンや血小板数は低下していることが多く、芽球が認められることが多い。血液中の有核細胞が多数の骨髄系芽球と少数の正常な白血球だけで中間の成熟段階の細胞を欠けば([[白血病裂孔]])急性骨髄性白血病の可能性が高く<ref name="小川p113-115">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.113-115</ref>、リンパ芽球が多数現れていれば急性リンパ性白血病の可能性が高い。芽球から成熟した白血球まで含めた白血球総数は著明に増加していることが多いが、なかには正常あるいは減少していることもある<ref name="小川p116,119,120">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.116-120</ref>。
慢性骨髄性白血病では、血液、骨髄の両方で芽球から成熟した細胞まで白血球の著明な増加があり血小板も増加していることが多く、慢性リンパ性白血病では成熟したリンパ球が著明に増加する<ref name="小川p124,127">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.124,127</ref>。
急性白血病細胞は分化能を失い幼若な形態(芽球)のまま数を増やすため、骨髄は一様な細胞で埋め尽くされる。慢性白血病では細胞は分化能を失わずに、しかし正常なコントロールを失って自律的な過剰な増殖を行うため正常な骨髄に比べて各成熟段階の白血球系細胞が顕著に多くなる(過形成)。骨髄検査では各細胞を細かく分けてカウントし、特に芽球の割合と形態が重要になる。赤芽球は通常では芽球には含まれないが、赤白血病(AML-M6)では白血病細胞の半数程度は[[赤芽球]]と同様の表面抗原を発現するため、赤白血病を疑われたときのみ、芽球に赤芽球を含める<ref name="三輪血液病学p1374-1377">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1374-1377</ref>。
{{Multiple image|width=200|align=left
|image1 = Bone marrow WBC.JPG
|caption1 = 健康人の正常な骨髄。正常な骨髄では幼若な細胞から成熟した細胞まで各成熟段階の多様な血液細胞が見られる。有核細胞の中で、中央の一番大きい細胞がこの中ではもっとも幼若な細胞であり、左上の細胞がもっとも成熟した細胞([[白血球]]の[[好中球]])である。
|image2 = Acute leukemia-ALL.jpg
|caption2 = 急性リンパ性白血病の骨髄。急性白血病細胞は分化能を失って単クローン性の増殖をするため、骨髄は一様な細胞で埋め尽くされる。
|image3 = AML-M1.jpg
|caption3 = 急性骨髄性白血病(AML-M1)の骨髄。急性骨髄性白血病の骨髄も一様な細胞で埋め尽くされる。なお、各写真は見やすいように染色した画像である。染色しない白血球や幼若細胞は無色半透明である。各写真の色の違いは実際の細胞の色の違いではなく、染色や撮影の条件の違いによるものである。
|image4 = 慢性白血病.png
|caption4 = 慢性骨髄性白血病の骨髄。慢性白血病では細胞の分化能は保たれるため、骨髄では各成熟段階の多様な細胞が見られるが、正常な骨髄に比べ白血球系細胞の密度は濃く、またさまざまな異変もある。
}}
{{-}}
== 疫学 ==
[[ファイル:Leukaemia world map - Death - WHO2004.svg|thumb|2004年における10万人毎の白血病による死亡者数(年齢標準化済み)<ref>{{cite web
|url = http://www.who.int/healthinfo/global_burden_disease/estimates_country/en/index.html
|title = WHO Disease and injury country estimates
|year = 2009
|work = World Health Organization
|accessdate = 2009-11-11
}}</ref><div class="references-small" style="-moz-column-count:3; column-count:3;">
{{legend|#b3b3b3|データなし}}
{{legend|#ffff65|1人未満}}
{{legend|#fff200|1人から2人}}
{{legend|#ffdc00|2人から3人}}
{{legend|#ffc600|3人から4人}}
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{{legend|#ff8400|6人から7人}}
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{{legend|#ff4200|9人から10人}}
{{legend|#ff2c00|10人から11人}}
{{legend|#cb0000|11人を超える}}
</div>]]
世界のどの民族でも多い急性骨髄性白血病では、世界平均の[[罹患率]]は10万人あたり年間2.5 - 3人といわれ、日本よりやや低くなっている<ref>宮内 潤、泉二 登志子 編『骨髄疾患診断アトラス : 血球形態と骨髄病理』中外医学社、2010年、p.134</ref>。若い患者もいる白血病といえども高齢者ほど罹患率は高いため、高齢人口割合が高くなると白血病の罹患率も高くなる。また、慢性リンパ性白血病は欧米では急性骨髄性白血病と並んで多い白血病だがアジアでは少なく<ref name="阿部p302-303">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.302-303</ref><ref name="小川p126">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.126</ref>、成人T細胞白血病はカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、および日本で見られる<ref name="三輪血液病学p1489-1497">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1489-1497</ref>など、地域・民族によって白血病発症の特性は違う。白血病全体ではアジア人よりも欧米人の方が罹患率は高い傾向があるなど、白血病の罹患率は民族や年齢、性別によってその内容は異なる<ref name="NCI-leukemia">[http://seer.cancer.gov/statfacts/html/leuks.html アメリカNational Cancer Institute・Cancer Stat Fact Sheet: Leukemia] 2012.4.22閲覧</ref>。なお、その病気に罹ったら「罹患」、症状が出たら「発症」と区別されるが、急性白血病の場合は罹患率と発症率には大きな差はない。
アメリカには多様な人種・民族が暮らしているため、国ごとに違う生活環境による影響を排除して人種・民族ごとの遺伝学的な白血病の特性がある程度推定できる。
{|class="wikitable"
!colspan=3|アメリカに住む各人種/民族毎の全白血病の罹患率(2005年-2009年)<ref name="NCI-leukemia"/>
|-
! 人種/民族 !! 男性 !! 女性
|-
|白人
|align="right"|16.8人/年間10万人あたり
|align="right"|10.2人/年間10万人あたり
|-
|黒人
|align="right"|12.5人/年間10万人あたり
|align="right"|7.8人/年間10万人あたり
|-
|アジア人/太平洋人
|align="right"|8.8人/年間10万人あたり
|align="right"|6.3人/年間10万人あたり
|-
|アメリカインディアン、アラスカ先住民
|align="right"|9.7人/年間10万人あたり
|align="right"|6.5人/年間10万人あたり
|-
|ヒスパニック
|align="right"|11.7人/年間10万人あたり
|align="right"|8.5人/年間10万人あたり
|}
=== 日本の白血病発症率 ===
[[ファイル:年齢別性別白血病発症率2005.png|thumb|350px|2005年国立がん研究センターのデータによる日本の年齢別性別白血病罹患率]]
1997年の日本の統計では全白血病の発症率は年間に男性で10万人あたり7人<ref name="『三輪血液病学』p1430">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1430</ref>、女性で10万人あたり4.8人<ref name="『三輪血液病学』p1430"/>、合計で年間に人口10万人あたり約7人程度と見られている。
そのうち急性白血病が10万人あたり4人程度<ref name="『三輪血液病学』p1375">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1375</ref>、急性白血病では大人で80%、子供で20%が急性骨髄性白血病(AML)、大人で20%、子供で80%が急性リンパ性白血病(ALL)で、全体としては3分の2が急性骨髄性白血病、3分の1が急性リンパ性白血病といわれている<ref name="『三輪血液病学』p1430"/><ref name="『三輪血液病学』p1375"/>。
つまりALLでは小児が多く、AMLでは大多数が成人で発症年齢中央値が60歳である<ref name="『三輪血液病学』p1375"/>。慢性骨髄性白血病の発症率は10万人あたり1 - 1.5人程度、慢性リンパ性白血病は白血病全体の1 - 3%程度で少ないと見られている<ref name="押味p22,188">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、p.22,188</ref>。
しかし、日本では少ない慢性リンパ性白血病は、欧米では全白血病の20%から30%を占めている<ref name="『三輪血液病学』p1476">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1476</ref>。また、小児全体では白血病の発症率は年間10万人あたり3人程度<ref group="註">小児白血病では急性リンパ性白血病 (ALL) が多く、小児のALLでは2-3歳が発症率のピークとされ、特に男児に多い。2-3歳男児のALLが小児白血病の発症率を引き上げているので、他の年齢・性別の小児では白血病はそれほど多い疾患ではない-浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1449-1450</ref>とされるが、小児では慢性白血病は少なく5%程度で、小児の急性白血病の80%はリンパ性であり、男児にやや多い<ref name="『三輪血液病学』p1449-50">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1449-50</ref>。
高齢者人口が1997年より増えた2005年の日本の統計では、高齢化によって白血病も増えており、2005年国立がん研究センターの統計では、日本では年間9,000人が白血病に罹患し、人口10万人あたり7.1人の罹患率となっている。そのうち男性が約5,300人、女性が約3,700人で、男性の10万人あたり罹患率は8.3人、女性では5.9人となっている。
2005年の日本では、67万6000人が新たにがんに侵され、人口10万人あたりでは年間529人のがん罹患率で、白血病は全がんの1.3%を占めている<ref>[https://web.archive.org/web/20120813182023/http://ganjoho.jp/data/public/statistics/backnumber/2010/files/data05.pdf 国立がん研究センター・部位別年齢階級別がん罹患率(2005年)] 2012.2.5閲覧</ref>。地域別では九州・沖縄で白血病が多いが、これは地域特性のある[[成人T細胞白血病]](後述)の発症率の差によるものである<ref>[https://web.archive.org/web/20121224055014/http://ganjoho.jp/data/public/statistics/backnumber/2010/files/fig19.pdf 国立がん研究センター・都道府県別75歳未満がん年齢調整死亡率] 2012.2.5閲覧</ref>。
{|class="wikitable" style="text-align:right"
|+2005年日本における「がん」と白血病の患者数と白血病/がんの割合<br />(5歳刻み毎の合計数、国立がん研究センターによる)一部を抜粋<ref>[https://web.archive.org/web/20120804004926/http://ganjoho.jp/data/public/statistics/backnumber/2010/files/data04.pdf 国立がん研究センター・部位別年齢階級別がん罹患数]全がん患者数は全部位(pp.74-75最上段)、白血病患者数はC91-C95白血病(pp.76-77)参照</ref>
|-
!がんの種類!!0-4歳!!5-9歳!!10-14歳!!20-24歳!!30-34歳!!40-45歳!!50-54歳!!60-64歳!!70-74歳!!全年齢合計
|-
|2005年に罹患した全がん患者数
|659||429||473||1,666||6,537||15,086||36,304||75,766||109,042||676,075
|-
|2005年に罹患した白血病患者数
|222||150||85||170||330||210||471||827||1,170||9,032
|-
|がんの中で白血病が占める割合
|33.7%||35.0%||18.0%||10.2%||5.0%||1.4%||1.3%||1.1%||1.1%||1.3%
|}
== 原因 ==
骨髄できわめて若い造血細胞の遺伝子に1つ以上の遺伝子異常が後天的に起きて白血病幹細胞が発生し、白血病幹細胞が数千億から1兆個もの白血病細胞を生み出して骨髄を占拠するようになると発症するものと考えられている。白血病幹細胞が発生してすぐに白血病の症状が出るわけではない。1個の白血病幹細胞はゆっくりと、しかし自律的に増加して(コントロールを受けない)多数の白血病細胞を生み出していき、その白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているため、やがて骨髄を白血病細胞が占拠し満ちあふれる。骨髄を白血病細胞に占拠され、正常な造血細胞が締め出されて正常な造血が阻害され、また骨髄に収まりきれず血液中にあふれ出た白血病細胞が各臓器に浸潤して白血病の諸症状が起きる<ref name="三輪血液病学p300">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.300</ref><ref name="小川p112-113">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.112-113</ref>。
遺伝子異常が起きる原因として[[放射線]]被曝、[[ベンゼン]]や[[トルエン]]、抗がん剤など一部の化学物質、HTLVウイルスなどは発症の[[リスクファクター]]とされているが、それらが原因と推察できる白血病はごく一部に限られ、白血病のほとんどは原因は不明である<ref name="三輪血液病学p1375">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1375</ref>。白血病は親から子への遺伝もなく、成人T細胞白血病をわずかな例外とすればうつることもない<ref>[https://web.archive.org/web/20121225011744/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/leukemia_basis.html 国立がん研究センター・白血病の診断と治療] 2012.1.12閲覧</ref>。ほとんどの白血病はウイルスなどの病原体によるものではないが、例外的に2種類だけ[[ウイルス]]が関わっているものがある。ひとつは日本で同定された[[成人T細胞白血病]]で、[[レトロウイルス]]のひとつ[[ヒトTリンパ好性ウイルス|HTLV]]-Iの感染が原因であることが明らかになっている<ref name="三輪血液病学p1489">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1489</ref>。もう一つは急性リンパ性白血病バーキット型(FAB分類 ALL L3)の中でアフリカなどのマラリア感染地域に多い風土病型といわれるタイプで[[EBウイルス]]との関連が指摘されている<ref group="註">急性リンパ性白血病バーキット型でも欧米や日本で多い散発型や免疫不全型ではウイルスとの関連は指摘されていない</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20121225011654/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/Burkitt_lymphoma.html 国立がん研究センター・バーキットリンパ腫] 2012.2.18閲覧</ref>。
細かく分類すると数十種類に及ぶ白血病では判明している遺伝子異常の数は多いが、すべての白血病に共通する遺伝子異常は見つかっておらず、多数ある白血病の病型のうち慢性骨髄性白血病や[[急性前骨髄球性白血病]]などいくつかの白血病では主となる遺伝子異常は判明しているが、大半の白血病では多くの遺伝子異常は見つかっていても共通で決定的な原因となる遺伝子異常は明らかでない<ref>阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.145-410</ref>。
白血病を含む「がん」は細胞の増殖・分化・生存に関わる重要な制御遺伝子に何らかの(染色体の転座、重複、部分あるいは全体の欠失、染色体上の遺伝子の点状変異など)異常が起こり、[[がん遺伝子]]の発現と[[がん抑制遺伝子]]の異常・抑制などいくつかの段階を踏んでがん化すると考えられている。一般に白血病をふくめて「がん」は一段階の遺伝子異常だけでは起こらず、何段階かの遺伝子異常が積み重なってがん化するため、若い人では少なく、異常が積み重なる時間を十分に経た高齢者で多い<ref group="註">ただし、白血病は乳児・小児や若い人にもおき、一段階の遺伝子異常でおこる白血病(慢性骨髄性白血病)もあるのですべてではない。白血病は融合遺伝子などの大きな遺伝子変異を持っているものが多いが、そのかわり細胞ががん化するまでに必要な遺伝子変異の数は「がん」に比べると少ないことが示唆されている。-稲葉 俊哉「放射線がんにおけるエピゲノム制御異常の役割」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.236-240</ref><ref name="クーパーp593-623">Geoffrey M.Cooper,Robert E.Hausman著『クーパー細胞生物学』須藤和夫,他,訳、東京化学同人、2008年、pp.593-623</ref>。遺伝子に変化が起きる原因としては活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが考えられる<ref name="クーパーp593-623">Geoffrey M.Cooper,Robert E.Hausman著『クーパー細胞生物学』須藤和夫,他,訳、東京化学同人、2008年、pp.593-623</ref>。
がんを起こす遺伝子異常は染色体に活性酸素、ウイルス、放射線、化学物質などが作用することによって発生するが、細胞には遺伝子に生じた異常を修復する仕組みがあり、また修復しきれない致命的な異常が起きてしまったときはその細胞は死ぬが([[アポトーシス]])、修復が効かずアポトーシスも免れるような変異を起こすことがある<ref name="浅島p293-305">浅島 誠、駒崎 伸二 共著『図解分子細胞生物学』裳華房、2010年、pp.293-305</ref>。そのような遺伝子変異を起こした細胞のほとんどはキラーT細胞やナチュラルキラー(NK)細胞のような免疫系が正常細胞との表面抗原の違いを認識して破壊するが<ref name="三輪血液病学p359">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.359</ref>、遺伝子異常を起こした細胞の中にキラーT細胞やNK細胞に認識される表面抗原の発現を変化させて免疫細胞による排除を免れるものがいる。そのような遺伝子異常を積み重ねたのががん細胞であり、数を増やしてがんを発症させる<ref name="折田p1-15">折田 薫三 著『腫瘍免疫学』癌と化学療法社、2010年、pp.1-15</ref>。造血細胞ががん化したものが白血病である<ref>東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.152</ref>。
[[#白血病幹細胞|白血病幹細胞]]を含むがん細胞は多段階の遺伝子異常を経て発生するが<ref name="東田p149-151">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、pp.149-151</ref><ref>日本臨床腫瘍学会 編『新臨床腫瘍学』改訂第2版、南江堂、2009年、pp.2-6</ref>、がん細胞ではアポトーシス制御に異常が起き、アポトーシス抵抗性を獲得する<ref name="東田p149-151"/><ref>日本臨床腫瘍学会 編『新臨床腫瘍学』改訂第2版、南江堂、2009年、pp.28-30</ref>。がん細胞の80 - 90%は[[テロメア]]を伸長させるテロメラーゼが発現し、あるいはテロメラーゼが発現していないがんでもテロメラーゼの代替経路があり、それによってがん幹細胞は不死化し無限の増殖能を獲得する<ref name="東田p149-151"/><ref>日本臨床腫瘍学会 編『新臨床腫瘍学』改訂第2版、南江堂、2009年、pp.36-37</ref>。
== 分類 ==
白血病における急性、慢性は一般的に用いる意味とは違っている。造血細胞が腫瘍化して[[分化]]能を失い、見た目が幼若な血液細胞の形態の白血病細胞ばかりになる[[急性白血病]]、白血病細胞が分化能を保っているもの(つまり一見まともな白血球が作られているもの)を慢性白血病と呼ぶ(ただし、慢性白血病の白血病細胞は見た目は正常な白血球に見えても、その機能には異常が生じ本来の役目は十分には果たせないものが多い)。慢性白血病が急性化することはあっても、急性白血病が慢性白血病になることはない<ref name="東田p152-155">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、pp.152-155</ref>。
また、白血病細胞の性質が骨髄系の細胞かリンパ球系の細胞かによって骨髄性白血病、リンパ性白血病に分類する<ref group="註">急性白血病で白血病細胞が[[ミエロペルオキシダーゼ]] (MPO) 陰性でリンパ系マーカーが陽性ならば ALL である。ALL の細胞起源は未熟なリンパ系細胞である。急性白血病で細胞が MPO陽性または顆粒系マーカーもしくは巨核球マーカーもしくは非特異的エステラーゼ (NSE) が陽性などの骨髄系細胞の特徴を示すならば AML、CML では顆粒系細胞(好中球、好塩基球)の増殖を主とし、CLL では細胞はリンパ球の性質を持つ-出典 浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1377,1430および日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、pp.2,3,36,41,48 ごくまれに細胞系列のはっきりしない物がある。それについては#系統不明な白血病で説明する。</ref>。このことから主として以下の4種類に分類される。
; [[急性骨髄性白血病]](acute myelogenous leukemia; AML)
: 細胞の形態・性質を重視する[[FAB分類]]ではM0からM7までの8タイプに分けられ、さらにいくつかの細分類がある。FAB分類は2011年現在も有用な分類ではあるが、遺伝子変異に関する知見など新しい知見により、WHOによって新分類が策定されている。
:# 特異的染色体相互転座を有する急性骨髄性白血病
:## 染色体8;21転座を有する急性骨髄性白血病(または[[融合遺伝子]][[AML1]]/CBF-α-MTG8/ETOを有する)FAB分類の8;21転座を有するM2
:## 急性前骨髄球性白血病(染色体15;17転座または融合遺伝子[[前骨髄球性白血病タンパク質|PML]]/[[RARα]]を有する)FAB分類のM3
:## 骨髄中異常好酸球増多を伴う急性骨髄性白血病(染色体16番逆位または16;16転座または融合遺伝子CBFβ/MYH11を有する)FAB分類のM4Eo
:## 染色体11q23異常を有する急性骨髄性白血病:FAB分類の11q23異常を有するM5
:# 多血球系異形成を伴う急性骨髄性白血病
:## 骨髄異形成症候群から転化した急性骨髄性白血病
:## 多血系異形成を伴う初発の急性骨髄性白血病
:# 治療に関連した急性骨髄性白血病と骨髄異形成症候群
:# 上記以外の急性骨髄性白血病<ref name="国立がん研究センター・白血病">[https://web.archive.org/web/20121225011342/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/AML.html 国立がん研究センター・急性骨髄性白血病] 2012.2.18閲覧</ref>
:
; [[慢性骨髄性白血病]](chronic myelogenous leukemia; CML)<ref group="註">慢性骨髄性白血病では[[フィラデルフィア染色体]]と呼ばれる9番と22番の[[染色体]]長腕間の相互[[転座]]により、9番上の abl遺伝子が22番上の bcr遺伝子領域へ転座しbcr/abl融合遺伝子が形成される。この転座は t(9;22) (q34;q11) と略して表記する。この翻訳産物であるBCR/ABLタンパクは正常ABLタンパクと違い恒常的に活性化された[[チロシンキナーゼ]]である。恒常的に活性化されたBCR/ABLタンパクによって下流の細胞内シグナル伝達も活性化され細胞の自律的増殖をもたらす。このBCR/ABLチロシンキナーゼによる基質チロシンのリン酸化を標的に阻害する物質が[[イマチニブ]]である。-薄井 紀子「白血病幹細胞を標的とする薬剤開発」『最新医学』Vol.66 No.3、最新医学社、2011年、pp.409-415</ref>
: 各白血病はさらに細かく細分されるが、慢性骨髄性白血病だけはほぼ単一の疾患概念となっている(原因となる染色体異常が[[フィラデルフィア染色体]]以外にはない)。フィラデルフィア染色体のない[[非定型慢性骨髄性白血病]]は別の疾患群に分類されている。
; [[急性リンパ性白血病]](acute lymphoid leukemia; ALL)
: FAB分類ではL1 - L3までの分類になっていたが、現在ではALLに関してはFAB分類は有用ではない。近年、ALLとリンパ芽球性リンパ腫は本質的には同じ疾患で、同じ細胞がおもに骨髄で増殖すればALL、増殖の場がおもにリンパ節ならリンパ腫であり、同じ疾患の別の側面を見ているだけだとして、WHO分類ではALLは急性白血病とは別にして、リンパ芽球性リンパ腫とともにリンパ系悪性腫瘍として括っている<ref name="『規約』p12">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.12</ref>。しかしながら、症候的(症状や検査所見)ではリンパ腫とALLは相違があり、むしろAMLとともに急性白血病として括ったほうが臨床的にはなじみやすい<ref name="できった血液疾患p112">村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、p.112</ref>。WHOのALLに含まれる急性リンパ性白血病は以下である<ref name="『規約』p12"/>。
:# 前駆B細胞急性リンパ芽球性白血病(これは遺伝子異常によってさらに細分される)
:# 前駆T細胞急性リンパ芽球性白血病(これは遺伝子異常によってさらに細分される)
:# バーキット白血病
:
; [[慢性リンパ性白血病]](chronic lymphoid leukemia; CLL)
: 慢性リンパ性白血病の分類に関してはかなり難しい。慢性リンパ性白血病には広義の慢性リンパ性白血病と狭義の慢性リンパ性白血病の定義があるが、狭義の慢性リンパ性白血病の細胞の増殖が末梢血・骨髄でおもに行われる場合はCLLだが、同じ細胞がおもにリンパ節で増殖するならば小リンパ球性リンパ腫とされ、狭義の慢性リンパ性白血病と小リンパ球性リンパ腫は本質的には同一の疾患が異なる側面を見せているに過ぎないとされる。また、リンパ腫の白血化とリンパ性白血病も非常によく似ている<ref name="『三輪血液病学』p1475">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1475</ref><ref name="木崎2011p445">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、p.445</ref>。そのため、WHO分類ではリンパ性白血病とリンパ腫の区別は取り払い<ref name="『三輪血液病学』p1475"/>、特にリンパ腫との境目があいまいな成熟傾向を持つリンパ系白血病はWHO分類ではリンパ増殖性疾患として括っている<ref name="『規約』p13">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.13</ref>。
: 慢性リンパ性白血病は広義(FAB分類)にはB細胞性(狭義の慢性リンパ性白血病、[[B細胞前リンパ球性白血病]]、[[ヘアリーセル白血病]]、リンパ腫の白血病化、形質細胞白血病)とT細胞性(T細胞顆粒リンパ球性白血病、T細胞前リンパ球性白血病、成人T細胞白血病/リンパ腫、セザリー症候群)などを含んでいる<ref name="『規約』p48">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.48</ref>。
: 狭義の慢性リンパ性白血病は、小型のCD5+の表面抗原を持つ成熟Bリンパ球が末梢血と骨髄で自律的に増殖するリンパ性腫瘍とされている<ref name="『三輪血液病学』p1475"/>。
{|class="wikitable"
|+FAB分類とWHO分類、症候学的分類<ref name="村川p112">村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、p.112</ref>
|-
!colspan=2|FAB分類!!!!colspan=2|WHO分類!!!!colspan=2|症候学的分類
|-
|rowspan="4"|白血病
|急性骨髄性白血病
|
|colspan=2|急性骨髄性白血病
|
|colspan=2|急性白血病
|-
|慢性骨髄性白血病
|
|[[骨髄増殖性疾患]]
|慢性骨髄性白血病
|
|骨髄増殖性疾患
|慢性骨髄性白血病
|-
|急性リンパ性白血病
|
|rowspan="3"|リンパ系腫瘍
|T前駆細胞腫瘍またはB前駆細胞腫瘍
|
|colspan=2|急性白血病
|-
|慢性リンパ性白血病
|
|慢性リンパ性白血病
|
|colspan=2|リンパ増殖性疾患
|-
|rowspan="3"|類縁疾患
|悪性リンパ腫
|
|悪性リンパ腫
|
|colspan=2|リンパ系腫瘍/リンパ増殖性疾患
|-
|骨髄異形成症候群(芽球割合20%以上-30%以下)
|
|colspan=2|急性骨髄性白血病
|
|colspan=2|骨髄異形成症候群/急性白血病
|-
|骨髄異形成症候群(芽球割合20%以下)
|
|colspan=2|骨髄異形成症候群
|
|colspan=2|骨髄異形成症候群
|}
これらはさらに生物学的な性質から細分される。
ただし、これら患者数の多い上記4つ以外にもきわめてまれな急性混合性白血病や、類縁疾患と白血病の境にあり厳密には他の疾患グループに入れられている白血病([[非定型慢性骨髄性白血病]]、[[慢性好中球性白血病]]や[[慢性骨髄単球性白血病]]、[[慢性好酸球性白血病]]、[[若年性骨髄単球性白血病]]、[[慢性好塩基球性白血病]]、[[肥満細胞性白血病]]ほか)など<ref group="註">これらの白血病も「慢性」で「骨髄性」であるが、慢性骨髄性白血病がフィラデルフィア染色体(Ph染色体)陽性と定義されてしまったために、骨髄性でPh染色体陰性の慢性白血病は4つの大分類から外れる</ref>もあり、それらを含めると白血病の種類はきわめて多い。
== 治療法 ==
現在の白血病の治療の基本は[[抗がん剤]]、[[化学療法 (悪性腫瘍)|化学療法]]である。白血病の治療では骨髄移植が知られているが、骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植療法は過酷な治療であり、治療そのものが死亡原因になる治療関連死も少なくはない。また寛解に入っていない非寛解期に移植をしても失敗する可能性は高い。そのために白血病の診断がついてもいきなり移植に入ることはなく、まずは抗がん剤による治療になり、その後は経過や予後不良因子によって移植の検討がされる<ref group="註">急性白血病では寛解に入っていない非寛解期に移植をしても失敗する可能性は高いためにまずは寛解にもっていく必要がある。一旦寛解したのち運悪く再発してしまった後に再度の抗がん剤治療で寛解導入した第2寛解期での移植での5年生存率は58.9%再々発後の第3寛解期での5年生存率は38.6%と早い寛解期での移植の方が5年生存率は高い。なので最初から再発する可能性が高いと予想される高リスク(予後不良)群ではなるべく早い寛解期、状況によっては第一寛解期(最初の寛解で再発はまだしていない)に移植を推奨されることがある。予後が良いと予想される低リスク(予後良好)群では第一寛解期からの地固め療法でそのまま治癒になる可能性が高く、過酷でリスクの高い移植治療を無理に選択する必要はない。なお、白血病細胞の治療抵抗性が高く寛解に至らない非寛解期での移植では5年生存率は22.4%と高くはない -押味 和夫 編著『カラーテキスト血液病学』中外医学社、2007年、p.321 -なお最初から治療抵抗性で寛解に持って行けない難治性のAMLでは移植が唯一長期生存が期待できる方法である。前述では22.4%という数字を挙げたが資料によってだいぶ数字は異なり、寛解導入に失敗しても移植によって15-40%の患者は長期生存が可能であるともされる -豊嶋 崇徳 編『造血幹細胞移植』医薬ジャーナル社、2009年、p.169。慢性骨髄性白血病では治療抵抗性のある場合や急性転化した場合に移植を考慮する -直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.71-86。慢性リンパ性白血病では緩やかな経過のものが多く、移植医療は試されているが標準治療にはなっていない -出典 [https://web.archive.org/web/20121225012136/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/CLL.html 国立がん研究センター・慢性リンパ性白血病]。</ref>。
寛解とは白血病細胞が減少し症状がなくなった状態、完全寛解とは白血病細胞が見つからなくなった状態である。完全寛解には、顕微鏡観察で白血病細胞が見つからない血液学的寛解と、顕微鏡観察より鋭敏な分子学的捜索で白血病細胞が見つからなくなった分子学的完全寛解がある。症状が出てAMLと診断された時点では患者の体内には10<sup>12</sup>個(一兆個)もの白血病細胞があるが、血液学的完全寛解では10<sup>9</sup>個(10億個)以下、分子学的完全寛解では10<sup>6</sup>個(100万個)以下になる。血液細胞の数は骨髄内の有核細胞だけでも数千億個はあるため、100万個の白血病細胞といえど容易に見つかるものではない<ref>[https://web.archive.org/web/20121225011342/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/AML.html 国立がん研究センター・急性骨髄性白血病] 2012.2.18閲覧</ref>。
白血病細胞を[[ヒト化マウス|免疫不全マウス]](実験用に特別に作られた免疫のない[[ハツカネズミ]])に移植する実験<ref group="註">免疫不全マウスではリンパ球が存在しないか不活性なので異物の排除能力がなく、人の造血細胞を移植するとマウスの体内で人の造血細胞が定着し、マウスの体内で人の血液細胞が産出される。もちろん、無菌状態で飼育しないと免疫不全マウスはすぐに感染症で死亡する。-[https://web.archive.org/web/20170404044933/http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/tohoku/tohoku9/itoh.html SCIDマウスとヒト疾患モデル]</ref>ではたった1個の白血病細胞が白血病を引き起こすことが証明されている<ref name="三輪p1411">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1411</ref>。実際にはたった1個で白血病を引き起こせる細胞は白血病幹細胞であるが<ref name="阿部p41">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、p.41</ref>、病的細胞を1個でも残すと再発の可能性は否定できないため、急性白血病の治療では白血病細胞をすべて殺す(total cell kill)必要があると考えられている<ref name="三輪p1411"/>。ただし、慢性白血病を中心に治癒を望まずに疾病を押さえつけていくことで生命予後と[[QOL]](Quality of Life)の改善を図っていく方法も多い。
治療の結果、もっとも鋭敏な検査法でも白血病細胞が見つからない完全寛解になっても白血病が再発することがあるのは、骨髄の奥深く[[造血幹細胞ニッチ|ニッチ]]環境で休眠状態の白血病幹細胞が抗がん剤に耐えて生き延びるためである。再発・[[転移 (医学)|転移]]した白血病細胞は抗がん剤治療をくぐり抜けてきた細胞であるため非常に治療抵抗性が強く、通常量の抗がん剤療法、放射線とも効きにくいため命を落とす確率が高く、そのため再発した白血病あるいは経験的に再発が予想されるタイプの白血病では、もっとも強力な治療である骨髄移植や臍帯血移植などの[[造血幹細胞移植]]が適用となることが多い<ref name="小川p58-60">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.58-60</ref><ref name="阿部p37-43">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.37-43</ref><ref name="鶴尾p82-89">鶴尾 隆 編『がんの分子標的治療』南山堂、2008年、pp.82-89</ref><ref name="木崎p107-109">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、pp.107-109</ref>。
造血幹細胞移植では致死量をはるかに超えた大量の抗がん剤と放射線<ref group="註">施設や状況によって異なるが、標準的な前処置では放射線を2Gy×6回で計12Gyと同時に抗がん剤のシクロホスファミドを120mg/体重1kgあたりを投与、あるいはブスルファン12.8mg/kgとシクロホスファミドを120mg/kgを投与するが-出典、豊嶋 崇徳 編『造血幹細胞移植』医薬ジャーナル社、2009年、pp.60-63、放射線6Gyだけでも致死量と言われ-出典[https://web.archive.org/web/20130124111451/http://gsic.jp/cancer/cc_21/ht/bsc/03.html がんサポート情報センター]ブスルファン12.8mg/kgとシクロホスファミドを120mg/kgも致死量をはるかに超えている。放射線量や抗がん剤の量を増やすほど再発の可能性は低くなるが治療関連死は増える。-出典、豊嶋 崇徳 編『造血幹細胞移植』医薬ジャーナル社、2009年、pp.60-63</ref>によって、白血病幹細胞を含めて病的細胞を一気に根こそぎ死滅させることを目指す(前処置という)。しかし、この強力な前処置によって正常な造血細胞も死滅するため患者は造血能力を完全に失い、そのままでは患者は確実に死亡する。そのために[[HLA]]型の一致した健康人の正常な造血幹細胞を移植し、健康な造血システムを再建する必要がある<ref group="註">。造血幹細胞移植には同種(家族を含めた他人)からの移植と自家(自分の造血幹細胞)移植がある。ソースの違いを含めて同種骨髄移植、同種末梢血幹細胞移植、同種臍帯血移植、自家骨髄移植、自家末梢血幹細胞移植の5つに細分される。(自家臍帯血移植はほとんどない)- [https://web.archive.org/web/20121127152546/http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCI/type.html 国立がん研究センター・造血幹細胞移植の種類]。自家移植では移植片対宿主病 (GVHD) がないメリットはあるが、移植片に白血病細胞が混じっている可能性が高く、移植片対白血病効果(GVL効果)もないために再発率が高く、白血病の治療としては自家移植は少ない。AML-M3 以外の白血病の移植ではほとんどは同種移植である[https://web.archive.org/web/20121127152546/http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCI/type.html#prg1_1 国立がん研究センター・造血幹細胞移植の種類]。国立がん研究センターでもAML-M3以外の白血病では自家移植は推奨していない-[https://web.archive.org/web/20130105134348/http://www.ncc.go.jp/jp/ncch/clinic/pdf/stem_cell_transplantation04.pdf 国立がん研究センター・移植適応の考え方]ただし、AML-M3(急性前骨髄性白血病)では事前に白血病細胞の陰性を確認できるため AML-M3 では自家移植も行われる[https://web.archive.org/web/20121101060855/http://www.jshct.com/guideline/pdf/2009AML.pdf 日本造血細胞移植学会・造血細胞移植ガイドライン急性骨髄性白血病]。またAML-M3以外の白血病でもドナーが見つからないなどの場合に自家移植が行われることはある[http://www.med.osaka-cu.ac.jp/labmed/AutoHSCTVol3No2.pdf 山根孝久「急性白血病に対する自家末梢血幹細胞移植」大阪市立大学医学部]</ref><ref name="杉本pp.1592-1599">杉本恒明、矢崎義雄 総編集 『内科学』第9版、朝倉書店、2007年、pp.1592-1599</ref><ref name="国立がん研究センター・造血幹細胞移植">[https://web.archive.org/web/20121225031919/http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCI/index.html 国立がん研究センター・造血幹細胞移植] 2011.06.09閲覧</ref><ref name="愛知県がんセンター・造血幹細胞移植の基礎知識">[https://web.archive.org/web/20100119071723/http://www.pref.aichi.jp/cancer-center/200/210/several-cancers/iroiro-na-gan-19.html 愛知県がんセンター・造血幹細胞移植の基礎知識] 2011.06.09閲覧</ref>。白血病の移植では大半を占める同種(家族を含めた他人からの)移植<ref name="木崎p153">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、p.153</ref>では移植した免疫細胞(主としてリンパ球)による白血病細胞への攻撃(Ggraft versus leukemia effect:GVL効果)がある<ref name="三輪血液病学p806">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.806</ref>。同種移植には時には死につながる大きな副作用([[GVHD]])もあるが、代わりに万が一前処理後にも生き残った白血病細胞があってもGVL効果によって排除されることを期待できる<ref name="三輪血液病学p806"/>。ただし、それでもなおかつ再発することはある。自家移植の場合は副作用GVHDはないもののGVL効果は期待できず、白血病細胞の混入もありえるため再発率は同種移植に比べて高く<ref name="三輪血液病学p806"/>、白血病の治療としては自家移植は少ない<ref name="木崎p153"/>。前処置では患者の免疫を破壊して移植した造血幹細胞が拒絶されない働きもする<ref name="矢崎10p1928-1929">矢﨑義雄 総編集『内科学』第10版第4分冊、朝倉書店、2013年、pp.1928-1929</ref>。
しかし、通常の移植の前処置はあまりに強力な治療であるため、体力の乏しい患者や高齢者は治療に耐えられない。そのため[[ミニ移植]]という手段もある。ミニ移植では前処置の抗がん剤投与や放射線治療はあまり強力にはしない。そのために白血病幹細胞は一部は生き残る可能性は高いが、GVL効果(移植した正常な造血による免疫と[[ドナーリンパ球輸注]]によるドナー由来リンパ球の免疫によって残った白血病幹細胞が根絶されること)を期待する。ただし、ミニ移植でもかなり強力な治療には違いないため、すべての患者が適応になるわけではない。ミニ移植は通常の移植(フル移植)に比べて移植前処置が軽いということであり、ミニと言っても移植の規模が小さいということではなく、移植後の副作用も小さいわけでもない<ref name="国立がん研究センター・ミニ移植">[https://web.archive.org/web/20121230085637/http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/HSCI/mini_transplant.html 国立がん研究センター・造血幹細胞移植ミニ移植] 2011.06.09閲覧</ref><ref name="杉本p.1599">杉本恒明、矢崎義雄 総編集 『内科学』第9版、朝倉書店、2007年、p.1599</ref>。ミニ移植では前処置の主たる目的は移植された造血幹細胞が拒絶されないようにすることになる<ref name="矢崎10p1937">矢﨑義雄 総編集『内科学』第10版第4分冊、朝倉書店、2013年、p.1937</ref>。
=== 急性骨髄性白血病の治療 ===
現在の急性白血病の基本の治療法は total cell kill(TCL)といい、最初に抗がん剤を使用して膨大な白血病細胞を減らして骨髄に正常な造血細胞が増殖できるスペースを与え(初回寛解導入療法)、その後の休薬期間に空いた骨髄で正常な造血細胞が増えるのを待ってから、さらに間歇的に抗がん剤を使用すること(地固めおよび強化療法・維持療法)を繰り返して最終的に白血病細胞の根絶を目指す治療を基本とする。
急性骨髄性白血病では最初の治療(寛解導入療法)として アントラサイクリン系抗がん剤(ダウノルビシンあるいはイダルビシン)3日間あるいは5日間と抗がん剤シタラビン(キロサイド)7日間の併用療法<ref group="註">欧米ではダウノルビシン 45-60mg/m<sup>2</sup> 3日間とシタラビン 100-200mg/m<sup>2</sup> 7日間が基本である。日本では基本は同じでも頻回の骨髄検査の結果で薬剤の加減をしながら様子を見る。さまざまなレジメン(投薬する薬の種類・量・期間・タイミングの計画)が試され2012年現在ではイダルノビシン 12mg/m<sup>2</sup> 3日間またはダウノルビシン 50mg/m<sup>2</sup> 5日間とシタラビン 100mg/m<sup>2</sup> 7日間が基本になっている。-出典 宮脇 修一「急性骨髄性白血病に対する化学療法の現在の到達点」『臨床血液』Vol,53 No.1、日本血液学会、2012年、pp.39-50および直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.9-19</ref>が一般的である(急性前骨髄球性白血病(AML-M3)は例外である。AML-M3については後述)。これでほとんどの患者では寛解にもっていける。しかし、血液学的に白血病細胞が見られなくなっても白血病の大本である白血病幹細胞は隠れて存在し、そのままでは白血病が再発するため、寛解導入療法後に一定期間が経ち正常な造血が回復してきたら、隠れた白血病幹細胞の根絶を目指す地固め療法を行う。地固め療法ではアントラサイクリン、シタラビンに加え、白血病細胞が薬剤耐性を持たないように違う種類の抗がん剤(エトポシドやビンカアルカロイド)を加えた併用化学療法を使ったり、シタラビンの大量療法を行い<ref group="註">欧米ではシタラビンの大量療法が広く一般的行われている-出典 宮脇 修一「急性骨髄性白血病に対する化学療法の現在の到達点」『臨床血液』Vol,53 No.1、日本血液学会、2012年、pp.39-50および直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.9-19</ref>、通常は1クール4週間程度の地固め療法を3、4回繰り返し白血病細胞の根絶を目指す。強化療法で白血病細胞の根絶ができたと期待できても、万が一生き残っている白血病細胞があると再発する可能性があるため、強化療法終了後(退院後)にも定期的に抗がん剤投与を行い、万が一の可能性を押える維持療法を行うこともある。ただし、日本では強化療法を十分に行うことにより維持療法は不要とする施設も多い<ref name="宮脇2012臨血">宮脇 修一「急性骨髄性白血病に対する化学療法の現在の到達点」『臨床血液』Vol,53 No.1、日本血液学会、2012年、pp.39-50</ref><ref name="現場pp.9-19">直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.9-19</ref>。完全寛解の状態が5年続けば再発の可能性は低く、治癒と見なしてよいとされている<ref name="国立がん研究センター・白血病"/>。
急性白血病では、急性前骨髄球性白血病(AML-M3)のみ治療法はまったく異なり、[[トレチノイン|オールトランスレチノイン酸]](ATRA)による分化誘導療法と抗がん剤の併用療法が用いられる。オールトランスレチノイン酸を与えると、分化障害を持っていた急性前骨髄球性白血病細胞はATRAによって強制的に分化・誘導させられ、継続的に白血病を維持する能力を失ってしまうのである。この薬剤の登場により、M3はAMLの中でもっとも予後良好な群となった<ref group="註">急性前骨髄球性白血病 (AML-M3) のオールトランスレチノイン酸治療中にはレチノイン酸症候群と呼ばれる急激な白血球増加と[[急性呼吸窮迫症候群|ARDS]]の呼吸不全が生じることがあり、また ATRA単剤では耐性を持ちやすい。それらの予防としてアントラサイクリン系抗がん剤を併用する。不幸にも[[レチノイン酸症候群]]が発症してしまった場合は[[副腎皮質ホルモン]]を投与する。-阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、p.465- なお、ATRA治療中は、絶対に[[トラネキサム酸]]を投与してはいけない[http://www.3nai.jp/weblog/entry/22519.html 金沢大学血液内科・急性前骨髄球性白血病 (APL) とDIC:ATRA、アネキシンII]。また、ATRA単剤では白血病細胞数が多い症例では寛解を得にくいが、抗がん剤を併用して細胞数を減らしながら ATRA を使用すると高い完全寛解率を得ることができる。-大野竜三「急性前骨髄性白血病」『血液フロンティア』Vol.13 No.10、医薬ジャーナル社、2003年</ref>。ATRA単剤では再発が多いため、ATRAと抗がん剤アントラサイクリンを併用した寛解導入・地固め・強化維持療法が行われ多くの患者が治癒している<ref name="三輪血液病学p1386">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1386</ref>。ATRA治療後に急性前骨髄球性白血病(AML-M3)が再発してしまった場合には、機序は違うが、やはり細胞を分化誘導とアポトーシスに招く[[亜ヒ酸]]が著効することが知られている<ref name="愛知県がんセンター・急性前骨髄球性白血病">[https://web.archive.org/web/20120106232938/http://akimichi.homeunix.net/~emile/aki/html/medical/hematology/node73.html 愛知県がんセンター・急性前骨髄球性白血病]</ref><ref>[http://www.midb.jp/blood_db/db.php?module=case&id=553 国立九州がんセンター・15;17転座急性前骨髄球性白血病 (AML-M3)]</ref>。
=== 急性リンパ性白血病の治療 ===
急性リンパ性白血病では白血病細胞は[[副腎皮質ホルモン|プレドニゾロン]]によく反応し数を減らし、またAMLに比べて使用できる薬剤は多いが、治療の基本的な考え方は急性骨髄性白血病と同じである。
急性リンパ性白血病の寛解導入(初回の治療)ではビンクリスチン(VCR、商品名オンコビン)とプレドニゾロン(プレドニン)およびアントラサイクリン系抗がん剤の組み合わせを基本とし、それにシクロホスファミド(エンドキサン)やL-アスパラキナーゼ(ロイナーゼ)などを加えることもある。どのプロトコール(薬剤の組み合わせや各薬剤の投薬量・投薬スケジュール)がいいかは一概には言えず、[[標準治療]]は存在しない<ref name="木崎p153">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、p.153</ref><ref name="現場p40-50">直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.40-50</ref>(上に挙げた薬剤でプレドニゾロンは抗がん剤ではなくステロイドである)。
寛解導入後に行われる地固め療法もさまざまなプロトコールがあるが、寛解導入とは組み合わせを変えるのが基本となる。なるべく多種類の薬剤を使用したり、シタラビン(キロサイド)大量療法などがある<ref name="木崎p153"/><ref name="現場p40-50"/>。ALLでは白血病細胞が中枢神経を侵しやすく、予防しないと中枢神経白血病になることがあり、放射線の頭蓋照射や抗がん剤[[メトトレキサート]]の髄注あるいはシタラビンなどの大量投与などを組み合わせて予防する<ref name="現場p40-50"/><ref>日本血液学会 編集『血液専門医テキスト』南江堂、2011年、pp.270-272</ref>。
小児ALLでは、化学療法だけで長期生存する確率が高いため、第一寛解期で移植を検討することは少ない。しかし、成人のALLでは再発率が高いため、AMLに比べると第一寛解期での移植を検討することは多い<ref name="木崎p162-163">木崎『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』第4版、2011年、pp.162-163</ref>。
移植を行わない場合、ALLでは寛解導入療法と地固め療法を数コース行って完全寛解し、いったん退院したあとにも、定期的に化学療法(おもに経口抗がん剤やプレドニゾロン)を行う維持療法を長く(2年程度)行う<ref name="木崎p153"/><ref name="現場p40-50"/>。
成人のPh+ALL(フィラデルフィア染色体([[BCR (タンパク質)|Bcr]]-[[ABL1|Abl]]融合遺伝子)のあるALL)はALLの3、4割を占めるが、かつてPh+ALLは白血病の中でももっとも難治な型のひとつであった。しかし、2001年に登場した[[イマチニブ]](グリベック)と化学療法の併用で治療成績は向上し、移植治療と併せると50%の患者は長期生存が期待できるようになってきている<ref>日本血液学会 編集『血液専門医テキスト』南江堂、2011年、pp.274-275</ref>。
=== 慢性骨髄性白血病の治療 ===
慢性骨髄性白血病については従来はインターフェロンが一部には有効ではあったが、インターフェロンが効かない場合は移植治療以外には、単に延命を計るだけの治療しかなかった。しかし、2001年分子標的薬[[グリベック]]の登場で様相が一変した。グリベックは慢性骨髄性白血病細胞において遺伝子変異によって作られた異常なBcr-Abl融合タンパク([[自己リン酸化]]して常に活性化し、シグナル伝達を行う基質をリン酸化し、それはさらに下流の細胞の分裂を促す細胞内シグナル伝達系を活性化させていく酵素(チロシンキナーゼ)でこのため、白血病細胞は自律的に増殖する<ref>黒田 純也、山本 未央、谷脇 雅史「慢性骨髄性白血病の細胞死の抑制」『血液内科』Vol.62 No.2、科学評論社、2011年、pp.159-165</ref>)が異常な細胞分裂を促すシグナルを伝達するのを阻害する薬で、活動している慢性骨髄性白血病細胞にのみに的を絞って攻撃し、正常な細胞は攻撃しないので副作用の少ない画期的な抗がん剤(分子標的薬)である。慢性骨髄性白血病の Bcr-Abl遺伝子変異にも様々なサブタイプ(変異体)があり、中にはグリベックが効かない Bcr-Abl変異体もあるが、同様な分子標的薬が次々に開発され、Bcr-AblタンパクT315I変異体という治療抵抗性の強いサブタイプの1つを除いては慢性期の CML はほぼ押さえ込むことができるようになっている(ただし、分子標的薬は休眠している白血病幹細胞には届かないため、病気を抑えることはできても、治癒は必ずしも望めない)<ref name="鶴尾p82-89"/><ref name="アトラスp.37-43">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.37-43</ref><ref name="押味p24-27">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、pp.24-27</ref><ref name="薄井「白血病幹細胞を標的とする薬剤開発」">薄井 紀子「白血病幹細胞を標的とする薬剤開発」『最新医学』Vol.66 No.3、最新医学社、2011年、pp.409-415</ref>。慢性骨髄性白血病では急性白血病のような休薬期間はなくグリベックなどの分子標的薬を飲み続けることになる<ref>[https://web.archive.org/web/20121225011428/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/CML.html 国立がん研究センター・慢性骨髄性白血病]</ref>。グリベックなどの分子標的薬に治療抵抗性のある CML、あるいは治療の過程で治療抵抗性を持ってしまった CML では造血幹細胞移植が推奨される。また付加的な遺伝子異常が起きてしまい芽球が増加し始めた移行期の治療ではグリベックの増量や他の分子標的薬に変更したり、あるいは造血幹細胞移植も検討する。さらに芽球が増えて骨髄、末梢血中の芽球が30%以上になる急性期では、芽球がリンパ系ならば ALL に準じた治療に加えて分子標的薬を投与し、芽球が骨髄系ならば AML に準じた治療に加えて分子標的薬を投与するが、急性期に移行した場合には抗がん剤も分子標的薬も有効とも限らず移植医療を検討する<ref name="現場p71-86">直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、pp.71-86</ref>。
=== 慢性リンパ性白血病の治療 ===
{{Seealso|慢性リンパ性白血病#治療}}
狭義の慢性リンパ性白血病は進行が緩慢で無治療でも天寿を全うすることができる患者も少なくなく[[病期]]によって治療手段が違い、リンパ球の増加のみで症状がなく安定している場合は治療によって生命予後が改善されるとは限らない<ref name="木崎p445-448">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、pp.445-448</ref>。そのため状態がリンパ球の増加のみであるならば無治療で経過観察を行い、病期が進み、リンパ節腫大や脾肝腫、貧血、血小板減少などが現れてくると治療の対象になる<ref name="小川pp.127-128">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.127-128</ref>。近年では狭義の慢性リンパ性白血病には進行がゆっくりで無治療でよい群と進行が早く治療の必要な群の2群があることが判明しつつあり、遺伝子研究が進んでいる<ref name="木崎p445-446">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、pp.445-446</ref>。National Cancer Institute-sponsored Working Group のガイドラインによれば、(1)6か月以内に10%以上の体重減少、強い倦怠感、盗汗、発熱などの症状、(2)貧血や血小板減少、(3)著しい脾腫、リンパ節腫大、(4)リンパ球数が2ヶ月の間に50%あるいは6か月で2倍の増加、以上の(1)-(4)のどれかが認められた場合に治療を開始するとされている<ref name="木崎p447">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、p.447</ref>。治療は以前にはシクロフォスファミドが使われていたが、現在ではフルダラビン単剤、もしくはフルダラビンとシクロフォスファミドの併用が標準であり、リツキシマブの併用も有効性が認められている<ref name="小川pp.127-128"/><ref name="木崎p448-449">木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、pp.448-449</ref>。ただし、治癒は望めず治療の目的は病勢のコントロールと生存期間の延長を図ることである<ref name="木崎p448-449"/>。
=== 抗がん剤の副作用と対策・支持療法 ===
[[ファイル:抗がん剤の副作用(三輪血液病学P.630).png|thumb|300px|浅野他監修『三輪血液病学』(文光堂、2006年、p.630)より]]
白血病の治療では主に[[抗がん剤]]を使う。白血病の多くは症状が厳しく急を要し難治なので治療も強いものにならざるをえず、白血病細胞が薬剤耐性を持たないようにするため抗がん剤は多剤を併用することが標準である。もともと白血病特に急性白血病では正常な血液細胞が減ることが多く、感染症、貧血症状、易出血傾向などが見られるが、抗がん剤では骨髄が抑制(造血細胞が抗がん剤で減少する)されるので感染症、貧血症状、易出血傾向はさらに悪化することが多い。そのために感染症対策や、赤血球や血小板の輸血、時には[[顆粒球コロニー刺激因子]]投与などは重要になる<ref name="三輪血液病学p606-633">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.606-633</ref>。抗がん剤の副作用はさまざまであるが、主なものを右に挙げた。急性骨髄性白血病の治療で用いられることが多いシタラビン(Ara-C, キロサイド)では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、下痢、脱毛、肝・腎機能障害などに加えてシタラビンの特徴として[[結膜炎]]や脳の障害が見られることがある。シタラビン大量療法ではステロイド点眼薬が必要になる。やはり急性骨髄性白血病で用いられることが多いアントラサイクリン系の抗がん剤では骨髄抑制、嘔気・嘔吐、脱毛などの他にアントラサイクリン系特有の心臓への毒性がある。急性リンパ性白血病で使われるビンクリスチン(オンコビン)では抗がん剤に共通する副作用の他に神経毒性、ひどい便秘や腸閉塞、低ナトリウム血症などの電解質異常(抗利尿ホルモン不適切分泌症候群) などがある。シクロフォスファミド(エンドキサン)では出血性膀胱炎が特有の副作用であり、大量の水分の補給で尿を増やし濃度を薄め早く薬剤を排出させることが必要になる。また、抗がん剤そのものの作用ではないが、治療開始初期には抗がん剤によって大量の白血病細胞が死ぬために白血病細胞の内容物が血液内に一気に放出され高尿酸血症や高カリウム血症、低カルシウム血症などが起き、それによって腎不全に陥ることがある。これを腫瘍崩壊症候群(急性腫瘍融解症候群)と言い、適切な対処をしないと死に至ることもある。また、抗がん剤の代謝、排出器官である肝臓と腎臓に障害があると毒性は一層顕著になるので、臓器に障害がある際には特に注意が必要である<ref name="三輪血液病学p606-633"/>。
患者、特に女性患者にとって切実な副作用は脱毛であるが、抗がん剤治療が終れば髪は復活する。個人差はあるものの抗がん剤を使用したその日から脱毛が始めるのではなく抗がん剤を開始してから2-3週間程度で脱毛は始まる。脱毛は頭髪だけでなく全身の毛でも起こりうるが、抗がん剤治療を終了して1-2か月ほどで毛髪は再生し始め、約半年ほどで再生する。再び生えてきた毛髪は抗がん剤治療の前よりは少し細く、質も変わることもあるが2年ほどで髪質も元に戻る<ref name="Skeel, Roland Tp487-488">Skeel, Roland T 編集『癌化学療法ハンドブック』第6版、古江 尚、他 訳、メディカル・サイエンス・インターナショナル、2009年、pp.487-488</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20081203093503/http://www.bms.co.jp/medical/sizai/OncolNurse-10.pdf がんの化学療法と看護・皮膚障害・脱毛] 2012,02,02閲覧</ref>。
==== 副作用への対策・[[支持療法]] ====
* 感染症対策。白血病では異常な白血球が増加することはあっても正常な白血球は減少している。さらに抗がん剤の投与で正常な白血球は一層減少するために、細菌や真菌に感染しやすい。そのため、発熱があったら感染症を疑って検査を行い、病原体にあった抗生物質や抗真菌剤を投与する。また、白血球数を増加させるために造血因子製剤(顆粒球コロニー刺激因子 G-CSF)が投与されることがある<ref group="註">。G-CSF の投与は ALL では推奨されるが、AML ではケースバイケースであり、寛解状態での感染症のときに使われることがある。-出典、日本血液学会 編集『血液専門医テキスト』南江堂、2011年、p.248,439</ref><ref name="三輪血液病学p606-633"/>。
* 輸血。白血病や抗がん剤の副作用のために貧血や血小板減少による出血傾向が強くなったら赤血球の輸血や血小板の輸血が行われる<ref name="三輪血液病学p606-633"/>。
* 吐き気。抗がん剤治療の副作用である吐き気や嘔吐は最も苦痛の強い症状の一つといわれる<ref>[http://medical.radionikkei.jp/Jshp/final/pdf/190514.pdf 病薬アワー] 2012.02.02閲覧</ref>。吐き気や嘔吐に対しては制吐剤が使われる<ref name="三輪血液病学p606-633"/>。
* 腎臓障害。腎臓に障害が発生すると薬剤の排出が遅れ抗がん剤の毒性が一層顕著になる。そのため腎臓障害があるときは減量が必要になる。また、腎臓を守るために飲水や輸液と利尿剤によって速やかに抗がん剤を排出させてやることが必要なこともある。また、シクロフォスファミドでは排出された抗がん剤が膀胱に炎症を起こすため、尿中の薬剤濃度を薄め、また速やかに排出できるように特に大量の水分の投与がされる<ref name="三輪血液病学p606-633"/>。
=== 将来の治療法 ===
従来の治療法は白血病細胞をすべて殺す、押えつけることを念頭においていたが、白血病幹細胞の研究の進歩及び急性前骨髄性白血病での分化誘導療法の開発によって、治療の考え方が根本的に変わろうとしている。急性前骨髄性白血病での分化誘導療法では白血病幹細胞を含めて白血病細胞を強制的に分化させてしまう方法である。殺すのではなく、白血病細胞特有の性質を除去するのである<ref name="アトラスp.37-43"/>。
現在は白血病幹細胞の研究が進み、白血病細胞の中でわずかな白血病幹細胞のみが無限の増殖能を持ち、末端の白血病細胞は有限の増殖しかできないことが判明している。したがって白血病幹細胞の除去さえできれば、末端の白血病細胞は残しても白血病はやがて治癒するものと考えられるようになっている。ただし、現在の技術では末端の白血病細胞よりも白血病幹細胞を除去するほうが難しいが、将来的には、今の total cell kill療法に代わり、白血病幹細胞に的を絞った治療法の開発が本命になっていくと考えられている<ref name="アトラスp.37-43"/><ref name="松村">松村 到、金倉 譲「急性骨髄性白血病 (AML) における白血病幹細胞」『癌幹細胞-癌研究のパラダイムシフト』医歯薬出版、2009年、pp.5-11</ref>。
== 白血病幹細胞 ==
[[ファイル:白血病幹細胞の発生(ぱた).png|thumb|500px|下は正常な血液細胞の系列。上が白血病細胞の系列。慢性骨髄性白血病は造血幹細胞に遺伝子変異(Bcr-Abl融合遺伝子)が生じて白血病幹細胞となり、急性白血病では前駆細胞に多段階の遺伝子変異が起きて白血病幹細胞になる(平尾:臨血 52:484,2011)。]]
急性白血病は自己複製能力を持つ造血幹細胞の遺伝子が変化し、正常な分化能の喪失と不死化(細胞寿命の延長)を得るか、前駆細胞に同様の遺伝子異常+自己複製能の再獲得があって発生する白血病幹細胞を基にすると考えられている。
[[ファイル:正常な造血.png|thumb|400px|正常な造血。造血幹細胞と前駆細胞を形態で区別するのは容易ではない。]]
[[ファイル:白血病細胞の分化(ぱた).png|thumb|400px|急性白血病細胞の増加]]
血液細胞の大本である[[造血幹細胞]]は極めて少数で、それ故に貴重でありその多くは[[造血幹細胞ニッチ]]で支持細胞に守られながら休眠している。造血幹細胞は造血が必要なときに目覚めさせられ、2つに分裂し、1つは元の幹細胞と同じ細胞であり(自己複製)再び眠りに付くが、もう1つは分化の道をたどり始めて前駆細胞となり(分化の道をたどり始めた細胞は自己複製能力はなくなる)盛んに分裂して数を増やしながら分化・成熟して極めてたくさんの血液細胞を生み出していく。急性白血病においても幹細胞と末端の細胞の関係は同様であると考えられている。正常な造血幹細胞もしくは前駆細胞の遺伝子に変化が起こり、細胞の分化能に異常が起き、また細胞に不死化(細胞寿命の延長)をもたらすものが白血病幹細胞である。正常な造血幹細胞は[[造血幹細胞ニッチ|ニッチ]]の構成細胞や造血因子のコントロール下にあり自律的な増殖はしないが、白血病幹細胞は造血因子の有無に関係なく増殖(自律的増殖)する。ニッチにおいて正常な造血幹細胞はほとんどが休眠期([[細胞周期]]の[[G0期]])にあるが、白血病幹細胞においては(休眠期に入っている細胞も少なくないが)正常な造血幹細胞に比べて細胞分裂の[[細胞周期|活動期]]に入っている細胞の割合は高いと考えられている<ref name="阿部p37-43"/><ref name="鶴尾p82-89"/>。
ヒトの白血病細胞を免疫不全マウスに移植する実験では、ほとんどの白血病細胞はマウスに白血病を引き起こすことはできないが、白血病細胞の中でごく少数の [[CD34]]+[[CD38]]-細胞の一部はマウスにヒトの白血病を引き起こすことができることがわかっている。発現している抗原が CD34- または CD38+ の白血病細胞では細胞は有限の増殖しかできないが、CD34+CD38-細胞<ref group="註">CDとは細胞の表面に発現している抗原で多数の種類があり、細胞の種類によって発現している抗原は様々であり、抗原にはCD番号を振られている。CD34抗原が発現し CD38抗原は発現していないのが CD34+CD38-細胞であり、正常な造血幹細胞や極めて若い造血細胞も CD34+CD38-細胞であるが、細胞の分化が進むと表面抗原は様々に変化していき CD34+CD38- の発現型は失われる。-阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、p.17-42- AML細胞の大部分はCD34+CD38+細胞であり継続的に白血病を維持することはできない。白血病幹細胞が含まれる CD34+CD38-細胞は骨髄の有核細胞の中で0.2-1.0%しかなく、白血病幹細胞はさらにその一部である。-松村 到、金倉 譲「急性骨髄性白血病(AML)における白血病幹細胞」『癌幹細胞-癌研究のパラダイムシフト』医歯薬出版、2009年、p.5-11</ref>の一部では長期にわたって白血病細胞を供給し続ける。この長期にわたって白血病状態を維持することのできる少数の CD34+CD38-白血病細胞の一部がすべての白血病細胞の大本である白血病幹細胞であると考えられている<ref group="註">CD34+CD38-白血病細胞であっても、長期的に白血病状態を維持できるものと、短期的にしか白血病状態を維持できないものがある。CD34+CD38-白血病細胞にも階層化があると考えられている。この点は人の正常な幹細胞でも同じで、一生に渡って造血を維持できる造血幹細胞は CD34+CD38-分画にあるが、同じ CD34+CD38-分画には有限の造血能力しかない造血細胞もある。-阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.17-42</ref><ref name="阿部『造血器腫瘍アトラス』p.37-43">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.37-43</ref>。少数の正常な造血幹細胞が自分自身を保持しながら、極めてたくさんの血液細胞を生み出すのと同じに、白血病幹細胞も自分自身を保持しながら、極めてたくさんの白血病細胞を生み出していくのである。ただし、白血病幹細胞から生み出された細胞は決して正常な血液細胞になることはできずに増殖し、正常な造血を阻害するのである。急性白血病の中には正常な造血前駆細胞が遺伝子異常とともに自己複製能を再獲得して白血病幹細胞が発生するものもあると考えられている<ref name="松村"/><ref name="阿部『造血器腫瘍アトラス』p.37-43"/><ref name="『三輪血液病学』p1374">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1374</ref>。最新の知見では急性白血病の幹細胞はむしろ、そのほとんどは造血前駆細胞が遺伝子変異(分化障害と細胞寿命の亢進・自己複製能の再獲得)を起こしたものと考えられている<ref name="平尾、臨血52:7">平尾 敦「白血病幹細胞を標的にした新たな治療法の開発」『臨床血液』Vol.52 No.7、日本血液学会、2011年、pp.484-489</ref>。
正常な造血細胞に遺伝子変異が起こり急性白血病幹細胞は発生するがその遺伝子変異は1段階ではなく、増殖・生存能の亢進をもたらす遺伝子変異と細胞の分化障害を起こす遺伝子変異など複数の段階にわたる遺伝子異常が重なって発症すると考えられている。細胞の増殖・生存能が亢進する変異はクラスI変異と呼ばれ、細胞の増殖や生存に関わるシグナル伝達の活性化-増殖亢進、細胞寿命の亢進などが起き、これが前面に立つと[[骨髄増殖性腫瘍]]様の自律的増殖能を亢進する。クラスII変異とされる分化障害が先行すると[[骨髄異形成症候群]]様の細胞形態の異常が起き、急性白血病ではこのクラスI・クラスIIの変異の少なくとも2段階の遺伝子変異が必要である。このクラスI変異、クラスII変異の遺伝子異常の種類はそれぞれ多様で、なおかつ複数の変異が重複することもあり、さらに付加的な遺伝子異常もあり、白血病にきわめて多数のサブタイプがありそれぞれ性質が異なっているのも、遺伝子変異の多様性のためである<ref name="宮崎「分子病態」">宮崎 泰司「急性骨髄性白血病の分子病態と診断」『血液内科』Vol.62 No.5、科学評論社、2011年、pp.643-648</ref><ref name="金倉『血液診療エキスパート白血病』p.2-13">金倉 譲 監修『血液診療エキスパート 白血病』中外医学社、2009年、pp.2-13</ref><ref name="直江『WHO血液腫瘍分類』p.35">直江 知樹、他 編『WHO血液腫瘍分類』医薬ジャーナル社、2010年、p.35</ref>。
慢性白血病でも造血幹細胞に遺伝子異常がおき、正常なコントロールを脱して異常な増殖をするが、慢性白血病では細胞の分化能は失われておらず成熟した多数の細胞を生み出す。慢性白血病幹細胞が生み出す血液細胞は一見正常な細胞と同様に見えるが、やはり細かく見ると正常な細胞とは必ずしも同じではない。
慢性骨髄性白血病 (CML) において、マウスの正常な造血幹細胞に CML の原因となる「がん遺伝子」BCR-ABL融合遺伝子を導入するとマウスは CML を発症する。しかし、造血幹細胞から分化が進み、盛んな増殖能は持つが自己複製能は失った造血細胞に BCR-ABL融合遺伝子を導入してもマウスは CML を発症しないことも分かっている。がん遺伝子 BCR-ABL融合遺伝子は細胞の増殖能力の自律的亢進に関わるが、細胞の自己複製能を発現するものではないことが分かる<ref name="仲">仲 一仁、平尾 敦「CML幹細胞の制御メカニズム」『Annual Review 血液 2011』、中外医学社、2011年、pp.8-14</ref><ref group="註">マウスの造血幹細胞に BCR-ABL融合遺伝子のみ導入するとマウスは CML を発症するが、分化がある程度進んだマウスの造血前駆細胞に BCR-ABL融合遺伝子のみを導入してもマウスは CML は発症しない。しかしマウスの造血前駆細胞に BCR-ABL融合遺伝子に加えて Hes1遺伝子を同時に導入すると CML の急性期と同じ状態になる。つまりCMLの特徴を残しながら急性白血病の状態になる。この場合、BCR-ABL融合遺伝子がクラスI変異、Hes1遺伝子がクラスII変異に相当し、さらにHes1遺伝子が細胞の未分化性を付与するものと考えられる。-中原 史雄「慢性骨髄性白血病の急性転化におけるHes1の関与」『臨床血液』Vol.52 No.6、日本血液学会、2011年、pp.329-336</ref>。また、慢性骨髄性白血病が付加的な遺伝子異常を起こし急性転化した場合、2/3の患者では急性骨髄性白血病、1/3の患者では急性リンパ性白血病とどちらの系列にも進むことがあることからも、慢性骨髄性白血病の最初の遺伝子変異(BCR-ABL融合遺伝子)が幹細胞レベルで起こっていることが分かる<ref name="小川p123-124">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.123-124</ref>。CML幹細胞も造血幹細胞と同じくニッチ環境にあり、その多くは細胞活動が停止した休眠期(細胞周期G0期)にあると考えられている。イマチニブなどの Bcr-Ablタンパクを標的にした分子標的薬は休眠している細胞には届かないと考えられている<ref name="鶴尾p262-267">鶴尾 隆 編『がんの分子標的治療』南山堂、2008年、pp.262-267</ref>。
== 白血病細胞の分裂・増殖速度 ==
症状が出るまでに進行した白血病では短時間で末梢血の白血球や芽球の数が増加することが多く、白血病細胞は増殖が速い印象がある。しかし実際には白血病細胞は、正常な造血細胞に比べ細胞分裂(増殖)が早いわけではなく、むしろかなり遅い。正常な造血細胞と比べ慢性白血病細胞の分裂には2-4倍の時間が掛かり、名に反して急性白血病細胞ではさらに細胞分裂には時間が掛かるのである。しかし、正常な造血細胞の細胞分裂の開始はコントロールを受け、造血細胞が増殖を始めても細胞はやがて分化・成熟して末梢血に移り役割を果たして寿命を迎え、また、過剰に作られた細胞はコントロールを受けて[[アポトーシス]]を迎えるので、健康人の正常な血液細胞は一定の数を保つのだが、白血病細胞はコントロールを受け付けることなく無際限に増殖し、また白血病細胞は不死化(細胞寿命の延長)しているので最終的には正常な細胞を圧倒して増殖する<ref group="註">ただし、白球病細胞を生み出す大元である白血病幹細胞はゆっくりではあるが自律的に細胞分裂を起こすので、コントロール下にあり大半が細胞の休眠期(G0期)にある正常な造血幹細胞に比べると細胞周期に入っている細胞は多いと考えられている。ただし、白血病幹細胞にも休眠期(G0期)に入っているものは多い。-浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1374</ref><ref name="『三輪血液病学』p298-300">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.298-300</ref><ref name="iMedicine,p149">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.149</ref><ref name="黒川p1365">黒川 清 松澤 佑次 編集主幹『内科学』第二版、2分冊の2、文光堂、2003年、p.1365</ref>。
このようにして白血病細胞は正常な造血細胞を圧倒して骨髄を占拠し、さらには血液(末梢血)にもあふれ出てくる段階(通常、自覚症状が明らかに現れるところまでくると)になると骨髄での白血病細胞の数はすでに膨大なものになっているので、細胞1個の分裂時間は長くとも、末梢血内では短時間の内にみるみる白血病細胞の数が増えていくようになる。健康人の末梢血内の白血球総数は80-300億個程度であるが、AMLでは自覚症状が現れ診断が付く頃には骨髄内の白血病細胞は1kg、数にして 10<sup>12</sup>個(1兆個)にもなるので、その10%が末梢血にあふれ出ただけでも、正常な末梢血内の白血球数から考えるとそれは尋常な量ではない<ref name="杉本『内科学』pp.1655">杉本恒明、矢崎義雄 総編集 『内科学』第9版、朝倉書店、2007年、p.1655</ref>。
== 年齢による白血病の違い ==
=== 小児白血病 ===
==== 小児白血病の疫学 ====
小児の白血病は欧米では年間小児10万人あたり4人<ref name="直江2011-2013p149">直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、p.149</ref>、アジアではやや少なく日本では年間10万人に3人程度発症する<ref name="三輪血液病学p1449-1450">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1449-1450</ref>。日本の小児科では年間700-800人ほどの小児が白血病を発症し小児科で治療を受けている<ref group="註">15-19歳は小児科ではなく内科に掛かることもある。-直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、p.149</ref><ref name="直江2011-2013p149"/>。小児白血病の発症率は成人全体の発症率の半分程度であるが男児にやや多い(男女比は=1.35)のは成人と同じである。小児白血病で特徴的なのは慢性白血病が少なく(5%程度)、ほとんどが急性白血病であり、その80%は急性リンパ性白血病 (ALL) である。成人では急性骨髄性白血病 (AML) が多いので成人と小児ではリンパ性:骨髄性の割合が逆転している。小児の白血病では AML は年齢を問わず発症しているが、ALL では2-3歳の男子に発症が多い<ref name="三輪血液病学p1449-1456">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1449-1456</ref>。
==== 小児白血病の特徴 ====
小児の急性リンパ性白血病は60-80%が治癒し、小児白血病全体では成人の白血病より予後が良いとされているが、1歳未満の乳児と10歳以上の年長児ではあまり予後は良くない。白血病の原因となっている遺伝子変異の種類は多いが、年齢によってよく見られる遺伝子変異の種類は異なり、2-9歳の小児では予後の良いタイプの遺伝子変異が多く、1歳未満の乳児を除くと年齢が低いほど予後が良いタイプの白血病の割合が多くなる傾向にある<ref name="三輪血液病学p1449-1456">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1449-1456</ref>。ただし、小児白血病は予後が良いものが多いといっても重篤な疾患であることにかわりはない。小児の急性リンパ性白血病の[[染色体]]・[[遺伝子]]異常では高2倍体(染色体が50本以上に増加したもの)が20-25%、[[ETV6|TEL]]-AML1融合遺伝子が15-20%に見られ、この2つの染色体・遺伝子異常による白血病は予後が良い。逆に予後の悪い染色体・遺伝子異常(BCR-ABL融合遺伝子(フィラデルフィア染色体Ph+)、あるいは MLL-AF4融合遺伝子)は5%であり、中間群は5割弱である。小児の急性骨髄性白血病では大半は予後中間群であり40-60%が長期生存・治癒している<ref name="三輪血液病学p1449-1456"/>。人数的に小児白血病の大半を占める2-4歳児の白血病には予後の良いタイプの ALL(高2倍体あるいはTEL-AML1融合遺伝子)が多いが、全体の中では少数である年長児の白血病では予後の良いタイプの ALL の割合は少なくなり、10歳以上の白血病はハイリスク白血病と見なされる(ただし成人の ALL より悪いということではない)<ref name="直江2011-2013p149-150">直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、pp.149-150</ref>。しかし、なかには、2-4歳児の白血病でも予後不良なタイプの白血病もあるので予後不良因子の見極めは重要である。1歳未満の乳児の白血病は小児白血病の5-10%であり、MLL-AF4融合遺伝子のある ALL が約半数に見られ、MLL-AF4融合遺伝子のあるALLは極めて性質が悪く移植医療が強く推奨されている<ref name="三輪血液病学p1449-1456">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1449-1456</ref>。
==== 小児白血病の治療 ====
小児の ALL の治療では寛解導入療法・聖域療法・強化療法・維持療法の4相の治療を行う。寛解導入療法では[[プレドニゾロン]]と[[ビングリスチン]](商品名オンコビン)の2剤で寛解を目指す。ALL では中枢神経に白血病細胞が浸潤することが多く、中枢神経白血病の予防あるいは治療のために聖域療法として[[メトトレキサート]]の髄注や大量投与、場合によっては頭蓋放射線照射などが行われる。残存している白血病細胞の根絶を目指す強化療法では多剤投与や[[シタラビン]](キロサイド)大量投与などを行い、万が一生き残る可能性のある白血病細胞を押えるために維持療法として [[6-MP]] とメトトレキサートの内服を1-2年ほど続ける。予後の悪いタイプや万が一再発してしまったときは移植医療を検討する<ref name="三輪血液病学p1449-1456"/>。小児では体が小さいので細胞数の少ない臍帯血や小柄な女性の骨髄でも移植に十分な数の造血幹細胞が得られるので成人に比べると[[ドナー]]は得やすい。小児の AML の治療は ALL ほど成績は良くないが寛解導入はシタラビン(キロサイド)とアントラサイクリン系抗がん剤を用い、強化療法・維持療法で完全寛解を目指す。AMLでは中枢神経白血病は少ないので予防的な抗がん剤の髄注を行うことは少ない<ref name="三輪血液病学p1449-1456"/>。なお、上に挙げた薬剤はプレドニゾロン以外は抗がん剤である。
==== ダウン症小児白血病 ====
[[ダウン症]](トリソミー21)の小児は一過性白血病と急性白血病を併せると一般集団の10から20倍ほどの発症率を示す。
一過性白血病(transient leukemia:TL)は一過性骨髄異常増殖症(transient abnormal myelopoiesis:TAM)とも呼び、生後6週間以内の乳児が発症し、類白血病様の症状を起こすが肝脾腫大・胸水・腹水・pericardial effusion(心膜周辺の滲出)が主で、リンパ腫肥大・高度の貧血・出血といった症例は少なく、大部分は白血病の治療をしないでも数週間から2カ月で治ってしまうが、17%は生後9か月前に死亡するので肝脾腫大が進行して肝機能不全を伴うような場合は少量のシタラビン(Cytosine arabinoside)を予防的に投与する場合もある。
原因となる異常増殖した白血球様細胞は必ずトリソミー21(部分トリソミー含む)で、小児が正常型の細胞が多い(トリソミー21細胞が10%以下)モザイク型のため表現型にダウン症が見られない場合でも選択的にトリソミー21の細胞が増殖して一過性白血病になることがある。<br>
急性白血病はダウン症の小児(6ヶ月から3歳)に発生するものの大半が急性巨核芽球性白血病(acute megakaryoblastic leuke acute megakaryoblastic leukemia:AMKL)(AML-M7) であり、異常増殖した細胞にトリソミー以外に白血球による様々な染色体異常がある点が一過性白血病と異なる。
急性巨核芽球性白血病はトリソミー21以外の小児には極めて起きにくく<ref group="註">AMKL発症者のうちトリソミー21が400に対しそうでないものは1程度</ref>、前述の一過性白血病が寛解した小児の1/5が急性巨核芽球性白血病になる。治療はcytosine arabinosidaseを投与する。3歳以降のダウン小児では発症率も傾向も非ダウン症小児と同じになる<ref name="三輪血液病学p1450,1457">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1450,1457</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cytogen.jp/index/pdf/09-c.pdf |title=「『染色体異常をみつけたら』9-c『トリソミー21と一過性・急性白血病』」 |publisher=日本人類遺伝学会 |date=2006年8月16日|accessdate=2021年7月3日 }}</ref>。
=== 高齢者の白血病 ===
子供や若者も発症する白血病だが、やはり高齢者の方が発症率は高い。60歳の白血病発症率は年間10万人あたり5人だが、80歳では年間10万人あたり17人の発症率になる<ref name="三輪p1418">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1418</ref>。若年者では骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は10%未満だが高齢者では24-56%と高い。骨髄異形成症候群 (MDS) から移行した白血病は予後が悪い<ref name="直江2011-2013p145">直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、p.145</ref>。また、MDS の既往のない高齢者の白血病では若年者の白血病に比べて予後良好因子の白血病は少なく予後不良因子を持つものが多く<ref name="三輪p1418"/>、なおかつ、高齢者では体力や回復力が衰えておりあまり強力な治療はできないことが多く治療は困難で、未だに高齢者に向けた標準的治療はない。55歳以上の高齢者では移植はできないが(ミニ移植は適応になる)60歳以下あるいは60-64歳程度の比較的体力があると見られる患者では一般的な標準治療が選択されることが多く、逆に抗がん剤の強度を増した治療なども試みられていて効果があったとする報告も見られる。しかしそれ以上の年齢の白血病患者では抗がん剤の効果が少ないことが多く、逆に早期の治療関連死は増える。体力のない高齢者では治療関連死が多いため、強い抗がん剤では減薬して強度を低くし、あるいは[[ハイドレア]]のような弱い抗がん剤による治療、または支持療法が行われることも多いが、いずれにしても高齢者の白血病では長期生存率は高くはない<ref name="宮腰「高齢者」">宮腰 重三郎「高齢者造血器腫瘍の病態と治療」『血液内科』Vol.62 No.6、科学評論社、2011年、pp.169-175</ref>。しかし近年では強度を弱めた前処置による造血幹細胞移植が普及し知見が積み重なったことで従来は適応でなかった高齢者も移植の対象になりだしている<ref name="直江2011-2013p147">直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、p.147</ref>。
== その他の白血病 ==
典型的な白血病4分類 (AML, ALL, CML, CLL) 以外の白血病も存在する。細かく挙げると数が多いので特異的なものを一部紹介する。
=== 二次性(治療関連)白血病 ===
各種の癌や血液腫瘍の治療で抗がん剤や放射線治療を行った数年後に白血病や骨髄異形成症候群を発症する可能性が高くなることが知られている。治療関連白血病(抗がん剤や放射線によってもたらされた白血病)は急性骨髄性白血病がほとんどであり tAML という。治療関連の骨髄異形成症候群は tMDS というが MDS は前白血病状態とも位置付けられ tMDS は tAML に移行することが多く、tAML/tMDS と括られることもある。非ホジキンリンパ腫を抗がん剤で治療した後10年間で tAML/tMDS を発症する患者は5-8%ほどと見られ、抗がん剤の量や期間、あるいは放射線治療の有無は tAML/tMDS 発症の重要な因子である(当然、多いほど、期間が長いほど危険である)。tAML/tMDS は自然発生した AML や MDS に比べ治療の成績が良くはなく、予後不良であることが知られている。tAML は化学治療で寛解に持っていっても早期に再発することが多く、造血幹細胞移植を積極的に検討する必要があるが、移植の成績も自然発生した AML に比べると良くはない。抗がん剤もアルキル化薬によって引き起こされた白血病の場合は薬剤の投与から白血病発症までの期間は5-7年程度と長く、MDS の段階を経て急性骨髄性白血病になることが多く、予後は極めて悪い。同じ抗がん剤でもトポイソメラーゼII阻害薬によって引き起こされる白血病は薬剤の投与から白血病を発症するまでの期間は2-3年でアルキル化薬による白血病よりは予後がまだしも良いが、やはり難治である。また治療関連の CML や ALL も tAML ほど多くはないが報告されている。治療関連の CML は tAML ほどには性質は悪くはないとされている<ref name="三輪血液病学p1408-1409,1457">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1408-1409,1457</ref>。
=== 成人T細胞白血病 ===
{{main|成人T細胞白血病}}
ほとんどの白血病はウイルスが原因ではなくうつることもないが、成人T細胞白血病は極めて例外的な白血病である。
成人T細胞白血病(Adult T-cell leukemia 略称 ATL)はリンパ腫の病型を示すこともあり、成人T細胞白血病/リンパ腫 (Adult T-cell leukemia/lymphoma) とも呼ばれることがある。日本に多く、1977年に日本人によって初めて報告された疾患であり日本で最も研究・解析が進んでいる。HTLV-1 (Human T-cell leukemia virus type-1) ウイルスによる白血病で、病型は急性型、慢性型、リンパ腫型、くすぶり型と症状・病態の違う発現をする。HTLV-1ウイルスの感染および成人T細胞白血病の発症は地域差があり、世界ではカリブ海諸国、アフリカ中部大西洋沿岸諸国、及び日本でみられ、特に西南日本、とりわけ南九州と西九州で多い。HTLV-1ウイルスに感染してもほとんどの感染者は一生のあいだ白血病を発症することはなく、HTLV-1ウイルス感染者のうち一生涯で白血病を発症する者は数%である。日本では100万人以上のキャリア(ウイルス保持者)がいるが、成人T細胞白血病の発症は年間600-700人程度であり、出身別では九州出身者が7割を占める<ref name="三輪血液病学p1489-1497">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1489-1497</ref>。ATL は日本の本州では年間人口10万人あたり0.2-0.3人とまれな病型だが、九州では人口10万人あたり2-3人で急性骨髄性白血病より若干多く、白血病の病型の中で最も多い<ref name="松尾2009">松尾 恵太郎 伊藤 秀美「骨髄性白血病の疫学」『日本臨床』Vol.67 No.10、日本臨床社、2009年、pp.1847-1851</ref>。HTLV-1ウイルスの感染ルートは輸血、性交による感染、母乳に限られ、現在では輸血用血液は検査されており、母子感染を別にすれば HTLV-1ウイルス感染者が近くにいても HTLV-1ウイルス感染者と性交さえしなければうつることはない。性交で感染するため、ウイルス感染率は年齢が上がるほど上昇し、とくに女性の感染率が上昇する。母子感染は人工ミルクに切り替えることで防げる。ウイルス感染から白血病発症まで極めて長い時間(数十年)掛かり、そのため乳児のときにウイルスに感染しても成人T細胞白血病を発症するのは成人になってからであり、日本においては成人T細胞白血病患者の平均年齢は61歳である。症状はさまざまであるがリンパ節腫脹、感染症による症状、皮膚病変などが多い。急性型では白血球が増加し平均で56000/μlになり、成人T細胞白血病の白血球は核に深い切れ込みが複数入って花のような核の特徴的な形状になり、花細胞やフラワーセルという。リンパ腫型では末梢血や骨髄での白血球増加は目立たず、リンパ節腫脹を特徴とする。慢性型とくすぶり型では大人しく、緩やかな経過をたどるためにすぐには治療を行わずに経過観察することが多い。急性型とリンパ腫型ではきわめて多種類の抗がん剤とプレドニゾロンを組み合わせる治療が行われる。若い(55歳以下)患者では骨髄移植などの造血幹細胞移植も検討される<ref name="三輪血液病学p1489-1497">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1489-1497</ref>。
=== ヘアリーセル白血病 ===
{{main|有毛細胞白血病}}
ヘアリーセル白血病 (HCL) は分化の進んだBリンパ球性の白血病/リンパ増殖疾患で、その細胞は毛を生やしたような細い突起が多数あるきわめて特徴的な外観をしている。欧米では全白血病の2-3%を占め、それほど珍しい白血病ではないが、アジアやアフリカではきわめてまれな病型である。男性に多く、患者の平均年齢は50-55歳で中年以降に多い。脾腫と汎血球減少が多く見られ、血球が減るだけでなく免疫を司る細胞に異常が多く、通常の感染症だけでなく非定型抗酸菌やカリニ肺炎、真菌症などの免疫不全による[[日和見感染]]が多く、感染症が死亡原因で目立つ疾患であるが、悪性度は低く進行がゆっくりで経過観察で良い症例も多い。HCL は位相差顕微鏡で見ると白血病細胞が特異な形態を取るので診断はしやすい。治療はインターフェロンやプリンアナログが著効する。日本ではヘアリーセル白血病は極めて少ないが、日本のヘアリーセル白血病には日本型 (Japanese variant) というローカルな亜型が存在し、日本のヘアリーセル白血病患者のなかでは日本型が大半を占める。ヘアリーセル白血病日本型は患者の平均年齢が64.9歳と高く、普通の HCL が男性に圧倒的に多いのに比べ、日本型は女性にやや多く、白血球は増加していることが多い。日本型はインターフェロンの効き目も良くない<ref name="阿部アトラス">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、pp.309-313</ref><ref name="三輪血液病学p1480-1483">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1480-1483</ref>。
=== 系統不明な白血病 ===
白血病は細胞の性質によって骨髄性とリンパ性に分けられるが、まれに白血病細胞の細胞系列のはっきりしない白血病(混合性白血病、あるいは急性未分化型白血病などの系統不明な白血病)がある。系統不明な白血病には、骨髄系白血病細胞とリンパ系白血病細胞それぞれの2系統の細胞集団が同時に現れるものと、1つの細胞に骨髄系リンパ系の両方の特徴が現れるもの、白血病細胞に一切の分化傾向が見られない急性未分化型白血病などがある<ref name="三輪血液病学p1400-1401">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.1400-1401</ref>。AML で最も未分化な最未分化型急性骨髄性白血病 (AML-M0) でさえ骨髄系細胞の証である MPO は光学顕微鏡では認められないが電子顕微鏡レベルでは認められ他の手段でも骨髄系と判明するが、急性未分化型白血病の芽球では骨髄系の抗原の証である MPO が電子顕微鏡レベルでも陰性であり、他の手段でも骨髄系への分化傾向は認められず、なおかつリンパ系の抗原も一切発現していない。白血病細胞の分化が幹細胞に極めて近いところで止まってしまっている細胞であると考えられる<ref name="押味p153-159">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、pp.153-159</ref>。急性未分化白血病は幹細胞白血病とも呼ばれ、その白血病細胞の性質はほとんど幹細胞と同等の性質を持っている。逆に言えば急性未分化白血病以外の白血病(ほとんどすべてになる)の細胞はわずかではあり異常でもあるがいくらかは分化したところで分化が止まった細胞であり、またその分化の方向で細胞の性質もある程度違ってくる<ref name="宮内p51">宮内 潤、泉二 登志子 編『骨髄疾患診断アトラス : 血球形態と骨髄病理』中外医学社、2010年、p.51</ref>。これら系統不明な白血病はきわめてまれであり、分かっていないことが多いが一般に予後不良といわれている<ref name="押味p153-159"/>。
=== 低形成性白血病 ===
白血病は骨髄で白血病細胞(芽球)が自律的に増加する疾患であるが、一部では例外的に芽球割合は増加し異形成は見られるが絶対数は減少することもある(低形成性白血病)。骨髄での芽球の絶対数が少ない低形成性白血病は白血病の定義からすると特異な病型であり FAB分類でも WHO分類でもカテゴリーになっていない、しかし、WHO分類では言及されている。骨髄の細胞密度が20%以下で芽球が20%以上かつ CD34陽性細胞が明らかであることでこの病型は定義されている。本来白血病とは正反対の疾患である再生不良性貧血に非常に似ているが再生不良性貧血と違って芽球の割合の増加が認められる<ref name="三輪血液病学p1401">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1401</ref>。主に高齢者の AML で見られるが、強い治療はできずシタラビン少量療法がよいとされている<ref>押味和夫 監修 木崎 昌弘 松村 到 編 『造血器腫瘍治療』第2版、中外医学社、2010年、pp.47-50</ref>。
== 白血病と類縁疾患の境 ==
白血病自体、単一の疾患ではなく、その原因遺伝子、病態には様々なものがある。さらに白血病の類縁疾患は数多くあり、その多くでは白血病と類縁疾患の境目は明瞭ではないため、以下に簡単に類縁疾患について記す。
[[骨髄異形成症候群]] (MDS) は、多くでは貧血を伴う造血障害と細胞の異形成を特徴とする血液疾患であるが、MDS の一部では骨髄において芽球が増加していることがある。芽球が増加しているものは前白血病状態と位置付けられ、芽球比率が20%を超えると急性白血病と認知されるようになる。この前白血病状態の MDS の細胞では遺伝子異常によって細胞の分化障害が起こっていて芽球比率の増加が生じているが、これにさらに自律的増殖能力や不死化が加わると二次性の急性骨髄性白血病になると考えられている<ref name="三輪血液病学p925-928">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、pp.925-928</ref><ref name="iMedicine,p181">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、p.181</ref><ref name="井上・MDSの病態">井上 大地、[[北村俊雄|北村 俊雄]]「骨髄異形成症候群の病態・進展とアポトーシス」『血液内科』Vol.62 No.2、科学評論社、2011年、pp.142-148</ref>。
[[悪性リンパ腫]]は白血球の1種リンパ球が悪性腫瘍化してリンパ組織での腫瘍的異常増加をきたす疾患だが、リンパ系白血球が腫瘍化した細胞が骨髄で増加するリンパ系白血病の細胞と悪性リンパ腫の細胞に免疫学的形質や遺伝子異常に本質的な差はないとされている<ref name="規約p12,48,98">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、pp.12,48,98</ref><ref name="できった血液疾患p108-109" >村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、pp.108-109</ref>。悪性リンパ腫で腫瘍細胞が末梢血中に出現しさらに骨髄に腫瘍細胞が移動してそこで増殖を始めると、白血病の定義を満たしてしまい、白血病と言えてしまうこととなる。悪性リンパ腫と白血病が区別できなくなると非常に困るので、そのような病態を悪性リンパ腫の白血化と呼ぶこととなった。しかし、リンパ球にはリンパ節という増殖を行える器官があるため、非常に病態の解釈が難しい。骨髄でリンパ系の白血病細胞が発生して、白血病となり後にリンパ節に浸潤したのか、リンパ節で細胞に異常が起こりそれが白血化し骨髄浸潤をしたのか区別できなくなるのである<ref name="できった血液疾患p105-109" >村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、pp.105-109</ref>。例えば慢性リンパ性白血病と小リンパ球性リンパ腫の細胞は本質的に同じものとされ、同じように急性リンパ性白血病である前駆B細胞リンパ芽球性白血病 (B-ALL) と前駆B細胞リンパ芽球性リンパ腫 (B-LBL) の細胞にも本質的な差はない<ref name="押味p161-195">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、pp.161-195</ref><ref name="直江p232-263">直江 知樹、他 編『WHO血液腫瘍分類』医薬ジャーナル社、2010年、pp.232-263</ref>。したがって免疫学的形質や遺伝子異常に基づく分類を重視する WHO ではリンパ性白血病とリンパ腫はリンパ系腫瘍としてくくり<ref name="規約p12,48,98"/><ref name="できった血液疾患p108-109" /><ref name="押味p161-195"/>、リンパ系腫瘍のなかで腫瘍細胞の増殖の中心が骨髄にあり骨髄での芽球比率が25%以上なら急性リンパ性白血病、25%以下で増殖が主にリンパ節で行われるなら悪性リンパ腫とするに過ぎず<ref name="『規約』p36">日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、p.36</ref>、WHO はリンパ系腫瘍ではリンパ系白血病と悪性リンパ腫をあえて区別すべきものとはしていない<ref name="iMedicine,p172,203">東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、pp.172,203</ref><ref name="中山p115-116">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、pp.115-116</ref>。しかしながら症候的にはリンパ系白血病とリンパ腫では明確な差があり、リンパ性白血病と悪性リンパ腫を一括りにすることは臨床的には必ずしも受け入れられているわけではなく、むしろ急性リンパ性白血病は急性骨髄性白血病とともに急性白血病で括ったほうが臨床的にはなじみやすい<ref name="できった血液疾患p112" >村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、p.112</ref>。
[[多発性骨髄腫]]という骨髄でリンパ球系細胞の形質細胞が腫瘍化して増殖するのにもかかわらず、臨床症状からリンパ腫とも白血病とも区別されている疾患もある。正常であれば炎症の局所やリンパ節・扁桃・脾臓といったいわゆるリンパ組織に分布するBリンパ球が分化した形質細胞が腫瘍化したものであるが、不思議なことにリンパ組織ではなく骨髄および骨に積極的に浸潤する。リンパ腫という段階が生じているのかも不明である<ref name="できった血液疾患p155-159" >村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、pp.155-159</ref>。
また、慢性骨髄性白血病などと同じ[[骨髄増殖性疾患]]に属する[[真性多血症]]や[[本態性血小板血症]]、[[骨髄線維症]]も主として増加している血球は白血球以外であるが、その本質は慢性骨髄性白血病などと同じく造血幹細胞レベルでの遺伝子異常による細胞の増殖能の自律的向上であると考えられ、一般的には白血病とはされないこれらも、広義には白血病の類として扱われることもある<ref>[https://web.archive.org/web/20171113173141/http://ganjoho.jp/public/cancer/index.html 国立がん研究センター・各種がんの解説] 2011.6.29閲覧</ref>。
==放射線と白血病==
=== 原子爆弾と白血病 ===
広島大学原爆放射線医科学研究所・鎌田七男らの1978年の研究 (Kamada N,et al:Blood 51:843,1978) によると、造血幹細胞に生じた染色体の突然変異(フィラデルフィア染色体またはbcr-abl遺伝子変異)によって1個の慢性骨髄性白血病の幹細胞が発生し、たった一つ発生した白血病幹細胞が6年後には、末梢血での白血球数が1万個/μl(基準値は3500-9000程度)になるまで数を増やす。血液分画では好塩基球が増加し、好中球と、時には好酸球も増加する。白血球数が2万個/μlを超えると芽球も出現して慢性骨髄性白血病の状態が明白になる<ref name="阿部p225">阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、p.225</ref>。
1945年、広島と長崎が[[原子爆弾]]で[[被爆]]したが、その放射線[[被曝]]者では5年後の1950年から10年後の1955年にかけて慢性骨髄性白血病の発生頻度が著明に増加した<ref name="できったp130">村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、p.130</ref>。被曝した放射線量が0.5Gy<ref group="註">胸部レントゲン撮影で被曝量は0.3mGy、胸部CT検査の被曝量は10mGyなので-出典、[http://www.takatsuki.aijinkai.or.jp/department/radiology3.html 高槻病院・放射線科] 0.5Gyという被曝量は胸部レントゲン撮影の千倍以上、胸部CT検査の50回分を一度に受けたのと同等程度になる。</ref>以上の放射線被曝者では通常の数十倍の慢性骨髄性白血病の発生が記録され<ref group="註">慢性骨髄性白血病の通常の発症率は年間10万人あたり1-1.5人程度である。前述</ref><ref name="小川p123">小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、p.123</ref>、原爆の被爆から5-10年後に発症はピークを迎え、その後には発症率は急激に低下し通常レベルになっている<ref name="押味p22">押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、p.22</ref>。
[[ファイル:広島・長崎の白血病と全がんの過剰発生模式図.png|thumb|right|380px|大まかな推移。稲葉俊哉「放射線がんにおけるエピゲノム制御異常の役割」(『広島医学』Vol.63 No.4、2010年、pp.236 - 240)および放射線影響研究所のHP<ref name="放射線影響研究所・原爆被爆者における固形がんリスク"/><ref name="放射線影響研究所・原爆被爆者における白血病リスク"/>をもとに作成。]]
放射線影響研究所の調査では、全白血病では原爆被爆後6-8年の間が発症率のピークとされる。放射線影響研究所の詳細なデータは1950年の国勢調査から始まり、それ以前には推計もはいるが被爆2年後から白血病は増え始めていると考えられている。放射線影響研究所が被爆者約5万人を1950年-2000年までの50年間観察したところ、被爆者5万人×50年間の中で204人が白血病で死亡し、それは自然な白血病死亡率とくらべて46%の過剰発生であった。当然、被曝線量が多いほど白血病での死亡率は高く、1Gy以上の被曝者では約2700人中56人が放射線が原因の白血病で亡くなったと考えられ、0.005-0.1Gyの被曝者約3万人では白血病での死亡は69人、その中で放射線被曝していなくても発症・死亡したであろう自然発生率を勘案して除去した過剰発生は4人とされている。被曝者の白血病は AML, ALL, CML で顕著であり、CLL は目立たない<ref group="註">この白血病の過剰発生数は1950年以前の数字は入っていないが、広島の臨床医らによって被爆約2年後から白血病は増え始めていたと報告されている。[http://www.rerf.or.jp/radefx/late/leukemia.html 放射線影響研究所・原爆被爆者における白血病リスク] 2011.8.9閲覧</ref><ref name="放射線影響研究所・原爆被爆者における白血病リスク">[https://web.archive.org/web/20170404044040/http://www.rerf.or.jp/radefx/late/leukemia.html 放射線影響研究所・原爆被爆者における白血病リスク] 2012.2.26閲覧</ref>(放射線被曝量の単位については脚注<ref group="註">被曝量を表す単位はGy(グレイ)のほかSv(シーベルト)が用いられる。SvはX線、γ線についてはGyと同じである。Sv=補正係数×Gyとなる。補正係数はX線、ガンマ線、ベータ線は 1、陽子線は 5、アルファ線は 20、中性子線はエネルギーにより 5 から 20 までの値をとる。原爆の直接被爆では中性子線も浴びるので0.1Gyの被曝の影響は0.1Sv=100mSv(ミリシーベルト)よりは大きくなる。胸部CT検査はX線の検査なので胸部CT検査1回での放射線被曝量は10mGy=10mSvになる。-浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1869</ref>を参照のこと)。
==== 原爆による放射線被曝による白血病とがんの発生の違い ====
広島・長崎の被爆者の白血病と白血病以外の癌・悪性腫瘍では過剰発生の傾向は異なる。前述のように放射線影響研究所の調査では慢性白血病と急性白血病の合計である全白血病では被爆から6-8年後がピークでその後は緩やかに発症率は下がっているが<ref group="註">被爆者の白血病の各病型では CML と ALL が最初に過剰発生のリスクが上昇したが終焉も早く10年程度、AML では過剰発生リスクは徐々に増加し CML, ALL に比べると終息も遅い。また、白血病の類縁疾患である骨髄異形成症候群(MDS) では過剰発生の傾向は白血病とは異なり1980年以降に増加が目立ち、その増加傾向は固形癌と同じである。つまり原爆被爆によるがんでは慢性骨髄性白血病は潜伏期間が短く、急性骨髄性白血病がそれに続き、MDS や固形癌では長い。-出典、朝長 万左男「被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.227-235</ref><ref name="放射線影響研究所・原爆被爆者における白血病リスク"/>、白血病以外のがんの過剰発生は被爆後10年を経て目立つようになりその後も年々過剰発生は増え2010年現在でも過剰発生の状況は続いている<ref name="放射線影響研究所・原爆被爆者における固形がんリスク">[https://web.archive.org/web/20170404044041/http://www.rerf.or.jp/radefx/late/cancrisk.html 放射線影響研究所・原爆被爆者における固形がんリスク] 20120129閲覧</ref><ref name="稲葉">稲葉 俊哉「放射線がんにおけるエピゲノム制御異常の役割」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.236-240</ref>。一つの理由として白血病では染色体の転座や逆位などでキメラ遺伝子が形成されて発生するものが多い。癌でも白血病でも一つの遺伝子異常だけではがん化はせず何段階かの遺伝子異常が重なってがん化するが(CML は例外である<ref group="註">CMLは一つの大きな遺伝子変異(BCR-ABL融合遺伝子)だけで発症するが-出典[https://web.archive.org/web/20140821122357/http://ganjoho.jp/public/cancer/data/CML.html 国立がん研究センター・慢性骨髄性白血病]、CMLは被爆者のがん・白血病でも最初に増加傾向を示す-朝長 万左男「被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.227-235</ref>)白血病に多いキメラ遺伝子のような大きな遺伝子異常ではがん化に必要なステップは少なく、放射線被曝によって最初の大きな遺伝子異常(キメラ遺伝子)がおきると白血病発生に必要な残りの遺伝子異常は少なく、遺伝子異常が積み重なるために必要な時間は少ない。しかし、白血病以外のがんでは小さな遺伝子変異が数多く積み重なって発生するものが多いので放射線被曝によって遺伝子異常の First hit が生じてもそれに多くの遺伝子異常が積み重なる時間が必要なため、放射線被曝からがん発生まで長い時間が必要になると考えられる<ref name="稲葉"/>。
=== チェルノブイリ原発事故と白血病 ===
国連によって設置された[[原子放射線の影響に関する国連科学委員会]]( United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation:略称 UNSCEAR)の2008年の報告では、チェルノブイリ原発事故において放射線汚染除去作業者(数十万人)のなかでの高線量被曝者では白血病発生が見られるとされている。また、チェルノブイリ汚染地域の一般住民では1986年の事故発生日から数週間以内に生産された牛乳を飲んだ子供たちに甲状腺がんが高率に発生していることは判明しているが<ref group="註">チェルノブイリ地域で子供に甲状腺がんが増加したのは放射性ヨウ素が付着した牧草を食べた牛が出した牛乳を飲み、放射性ヨウ素が甲状腺に蓄積したためである。放射性ヨウ素の半減期は8日なので1987年以降の牛乳には放射性ヨウ素は含まれていない。</ref>、白血病に関してはチェルノブイリ汚染地域の一般住民に明らかな白血病発症率の増加の証拠はないとしている<ref name="UNSCEAR2008p16-17">原子放射線の影響に関する国連科学委員会 編集、放射線医学総合研究所 監訳『 放射線の線源と影響 : 原子放射線の影響に関する国連科学委員会UNSCEAR 2008年報告書. 第1巻 (線源)』 放射線医学総合研究所発行、2011年、pp.16-17</ref><ref name="放射線の人体影響p196">放射線被曝者医療国際協力推進協議会 編集『原爆放射線の人体影響』改訂第2版、文光堂、2012年、p.196</ref>。また、同じ報告書で原子放射線の影響に関する国連科学委員会は(高レベル被曝した作業員と1986年にチェルノブイリ地域の牛乳を飲んだ小児・青少年を除く)地域一般住民は放射線被曝による健康被害を心配する必要はないと結論付けている<ref name="UNSCEAR2008p16-17"/>。
=== マヤーク核兵器生産炉周辺での白血病増加 ===
チェルノブイリ原発事故では作業員を除く地域住民には明らかな白血病の増加の証拠は見つかっていないが、1956年に停止された[[ウラル核惨事|ロシアのマヤーク核兵器生産炉]]では作業員だけでなく周辺住民にも白血病の増加が観測されている。ロシアのマヤーク核兵器生産炉では核兵器用のプルトニウムを生産していたが、プルトニウム生産過程で生じた[[ストロンチウム90]]が周辺環境に放出されている。チェルノブイリで主に問題になった放射性ヨウ素は甲状腺に溜まるために甲状腺がんが増加したが、マヤーク核兵器生産炉で放出されたストロンチウム90はカルシウムと化学的性質が類似するため骨に集まる性質があるので白血病の増加は予想されていた。マヤーク核兵器生産炉の作業員および周辺住民では1953-2005年の間に93人が白血病になり、明らかに放射線被曝量が多いほど白血病リスクは高くなる。ストロンチウム90による過剰相対リスクERRは4.9/Gyで、つまり被曝量1Gyあたり白血病のリスクが5.9倍になっている<ref name="放射線の人体影響p196"/>。
{{Main2|マヤーク核兵器生産炉事故|ウラル核惨事}}
=== その他の放射線被曝と白血病 ===
医療行為でも[[強直性脊椎炎]]患者で脊椎に放射線照射を受けた者、[[子宮頸癌]]に対しての放射線治療で骨髄に放射線を浴びた者では数年後に慢性骨髄性白血病の発症率が高くなっていることが報告されている<ref name="三輪血液病学p1460">浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、p.1460</ref>。ただし、これらの放射線被曝量は日常生活ではありえない放射線量であり、これらの放射線が原因と思われる慢性骨髄性白血病は慢性骨髄性白血病患者全体の中では例外と言えるほど少なく、大半の慢性骨髄性白血病の発生原因は不明である<ref name="三輪血液病学p1460"/>。
航空会社国際線のパイロットや客室乗務員は地上に暮らす一般人よりも多くの自然放射線を浴びている。地上の一般人に比べ特に中性子線の被曝量が多い。その被曝量は年に3-6mSv程度と推定されている。彼らの白血病リスクは増大しているとの報告もあるが、しかし症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関を示せるほどはっきりした事は判明していない(白血病は現役世代では10万人あたり年に数人程度の発症率である)。また[[第7染色体異常 (血液)|第7染色体異常]]の発生例も報告されているが、やはり症例が少なすぎて被曝線量と発症リスクの相関は明らかではない<ref name="放射線の人体影響p196"/>。
アメリカ医学会での1944年と1950年の報告では放射線科医はそれ以外の診療科の医師に比べ白血病死亡率は10倍高く、イギリスでも放射線防御の意識が低かった1921年以前の放射線科医ではガンによる死亡率は明らかに高いことが報告されている。ただし、放射線防護対策が確立した1950年以降では放射線科医の白血病発症が多いと言うデータはなくなっている<ref name="本当にp86">佐渡敏彦 著『放射線は本当に微量でも危険なのか? : 直線しきい値なし〈LNT〉仮説について考える』医療科学社、2012年、p.86</ref>。
== 白血病患者への支援 ==
医療制度は各国でさまざまであるが、移植医療を支える骨髄バンクや臍帯血バンクは先進国を中心に世界約50カ国にあり、2012年現在世界的な骨髄ドナー検索システム (Bone Marrow Donors Worldwide :BMDW) が構築され、骨髄に関しては48カ国66の骨髄バンクが参加し登録ドナーは1875万人、臍帯血でも29カ国から43の臍帯血バンクが BMDW に参加し、登録された臍帯血のストックは51万本になっている<ref>[https://web.archive.org/web/20141222234009/http://www.bmdw.org/ BMDW] 2012.2.21閲覧</ref>。BMDWで検索された骨髄血や臍帯血の提供や品質管理などで国際間で協力する組織としては The World Marrow Donor Association (WMDA) があり<ref>[http://www.worldmarrow.org/ WMDA] 2012.2.21閲覧</ref>、やや古いデータであるが2004年の世界の骨髄移植ではその1/3は国境を超えて提供されたものである<ref name="岡本">岡本 真一郎「世界と日本の骨髄バンク」『血液フロンティア』Vol.14 No.8、医薬ジャーナル社、2004年</ref>。
=== 日本における白血病患者に対する支援 ===
白血病は上述のように治療が過酷な病気ではあるが、治療費助成のある[[特定疾患]](いわゆる難病)には指定されていない<ref>[https://web.archive.org/web/20120710181122/http://www.nanbyou.or.jp/entry/513 難病情報センター・特定疾患治療研究事業対象疾患一覧表(56疾患)] 2012.2.12閲覧</ref>。しかし18歳未満の小児白血病には[[小児慢性特定疾患治療研究事業]]によって保健福祉事務所あるいは[[保健所]]に必要書類を添えて申請すれば自治体による助成を受けられる<ref>[https://web.archive.org/web/20170515120541/http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/boshi-hoken05/index.html 厚生労働省・小児慢性特定疾患治療研究事業の概要] 2012.2.12閲覧</ref>ので小児白血病の治療費の患者負担は大きくはない。さらに治療費の助成だけでなく小児白血病では所得制限などの条件があるが[[特別児童扶養手当]]<ref>[http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/jidou/huyou.html 厚生労働省・特別児童扶養手当について] 2012.2.12閲覧</ref>や財団法人[[がんの子供を守る会]]<ref>[http://www.ccaj-found.or.jp/consultation/recuperation/ がんの子供を守る会・療養助成] 2012.2.12閲覧</ref> などの経済的支援を得られることもあり、あるいは企業による[[企業の社会的責任|CSR]]活動<ref>[http://www.artnature.co.jp/corporation/csr.html アートネーチャー・CSR活動] 2012.2.12閲覧</ref>などもある。なので小児白血病では各種の制度を活用すれば保護者の経済的な負担は大きくはない。
成人の白血病の治療費は高額になるが、日本の健康保険では[[高額療養費|高額療養費支給制度]]を利用できる<ref>[https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoken/juuyou/kougakuiryou/index.html 厚生労働省・高額療養費制度を利用される皆さまへ] 2012.2.12閲覧</ref>。
移植が必要な患者には[[骨髄バンク]]や各地に設けられた臍帯血バンクなどの準公的な組織が患者の移植の支援のために活動している。2022年4月末時点では骨髄バンクでは約53万人のドナー登録があり<ref>[https://www.bs.jrc.or.jp/bmdc/donorregistrant/m2_03_00_statistics.html 骨髄バンク集計 骨髄バンク登録状況(速報値)] 2022.5.19閲覧</ref>、臍帯血バンクでは9600本のストックがある<ref>[https://www.bs.jrc.or.jp/bmdc/cordblooddonor/m3_04_statistics.html さい帯血バンク集計 さい帯血保存公開状況] 2022.5.19閲覧</ref>。白血病患者が日本骨髄バンクを利用する際の患者負担金については、前年度の所得税額が一定額以下の場合には一部もしくは全額が免除される仕組みもある<ref>[http://www.jmdp.or.jp/documents/file/03_recipent/menjo201010.pdf 日本骨髄バンク・患者負担金の免除について] 2012.2.12閲覧</ref>。
日本人は民族的に遺伝学的な均一性が高く、そのために日本人同士でHLA型が一致する確率が高く、2004年の数字では世界で750万人の骨髄ドナーがいる中で日本人の骨髄ドナーは18万6千人と少数であったにもかかわらず、2004年時点で移植の総件数でも、人口当たりの移植数でも日本は世界第2位であった(1位はアメリカである)<ref name="岡本"/>。しかし、登録ドナーが40万人を超えた2012年現在でもすべての患者にドナーが見つかるわけではない<ref>[http://www.jmdp.or.jp/documents/file/07_about_us/press/press_12_01_12.pdf 日本骨髄バンク・プレスリリース平成24(2012)年1月12日] 2012.2.21閲覧</ref>。
== 動物の白血病 ==
{{main|猫白血病|牛白血病}}
白血病は人間ばかりでなく多くの[[哺乳類]]・[[鳥類]]が罹る。[[家畜]]やペットでは牛、馬、羊、山羊、豚、猫、犬、鶏などで見られる。家畜・ペットではリンパ性白血病が多くウイルス(レトロウイルス)感染によるものが多い<ref name="新獣医学辞典p.1062">新獣医学辞典編集委員会 編集『新獣医学辞典』チクサン出版社、2008年、p.1062</ref>。犬では人間と同じく AML, ALL, まれに CML, CLL が見られ、その多くでは原因は不明である。猫では AML の2/3、ALL のほとんどが猫白血病ウイルス (FeLV) によるものであり、MDS やリンパ腫も多く、それらも FeLV が原因である。犬でも猫でも人間と同様に化学療法(抗がん剤)治療が行われるが、ほとんどは4-6ヶ月以内に死亡する<ref name="獣医内科学 小">日本獣医内科学アカデミー 編集『獣医内科学』改訂版 小動物編、文永堂出版、2011年、pp.456-460</ref>。牛にも白血病はあり成牛型と散発型があり、成牛型はウイルスによるものであり、散発型は原因不明である。成牛型は牛白血病ウイルス (BLV) によるもので潜伏期間が長く成牛になってから発症する。牛ではウイルス蔓延を防ぐために病牛は治療はせず数週で死亡する。馬ではリンパ腫は散発的に見られるものの白血病は少ない<ref name="獣医内科学 大">日本獣医内科学アカデミー 編集『獣医内科学』改訂版 大動物編、文永堂出版、2011年、pp.221-213</ref>。犬・猫では白血病やリンパ腫の治療に骨髄移植も試みられている。犬の骨髄移植では[[移植片対宿主病|GVHD]]が重く死亡例が多い。猫では[[シクロスポリン]]などの免疫抑制を行うと成功率は高く GVHD も軽めである<ref name="イラストでみる獣医免疫学p340">Ian R.Tizard 原著『イラストでみる獣医免疫学』古澤修一、保田昌宏、多田富雄 監訳、インターズー、2011年、p.340</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 註釈 ===
{{Reflist|group="註"}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
;書籍
* 浅島 誠、駒崎 伸二 共著『図解分子細胞生物学』裳華房、2010年、ISBN 978-4-7853-5841-9
* 浅野茂隆、池田康夫、内山卓 監修 『三輪血液病学』文光堂、2006年、ISBN 4-8306-1419-6
* 阿部 達生 編集『造血器腫瘍アトラス』改訂第4版、日本医事新報社、2009年、ISBN 978-4-7849-4081-3
* 大西 俊造、梶原 博毅、神山 隆一 監修『スタンダード病理学』第3版、文光堂、2009年、ISBN 978-4-8306-0468-3
* 大野 竜三 編集『よくわかる白血病のすべて』永井書店、2005年、ISBN 4-8159-1736-1
* 大野 竜三、小寺 良尚 監修『白血病治療マニュアル』改訂第三版、南江堂、2009年、ISBN 978-4-524-25309-8
* 小川聡 総編集 『内科学書』Vol.6 改訂第7版、中山書店、2009年、ISBN 978-4-521-73173-5
* 押味和夫 監修『WHO分類第4版による白血病・リンパ系腫瘍の病態学』中外医学社、2009年、ISBN 978-4-498-12525-4
* 押味 和夫 編著『カラーテキスト血液病学』中外医学社、2007年、ISBN 978-4-498-12538-4
* 押味和夫 監修 木崎 昌弘 松村 到 編 『造血器腫瘍治療』第2版、中外医学社、2010年、ISBN 978-4-498-12535-3
* 折田 薫三 著『腫瘍免疫学』癌と化学療法社、2010年、ISBN 978-4-906225-44-6
* 金倉 譲 監修『血液診療エキスパート 白血病』中外医学社、2009年、ISBN 978-4-498-12554-4
* 木崎 昌弘 編著『白血病・リンパ腫・骨髄腫 : 今日の診断と治療』 第4版、中外医学社、2011年、ISBN 978-4-498-12519-3
* 黒川 清 松澤 佑次 編集主幹『内科学』第二版、2分冊の2、文光堂、2003年、ISBN 4-8306-1289-4
* 原子放射線の影響に関する国連科学委員会 編集、放射線医学総合研究所 監訳『 放射線の線源と影響 : 原子放射線の影響に関する国連科学委員会UNSCEAR 2008年報告書. 第1巻 (線源)』 放射線医学総合研究所発行、2011年、ISBN 978-4-938987-71-8
* 佐渡敏彦 著『放射線は本当に微量でも危険なのか? : 直線しきい値なし〈LNT〉仮説について考える』医療科学社、2012年、ISBN 978-4-86003-423-8
* 新獣医学辞典編集委員会 編集『新獣医学辞典』チクサン出版社、2008年、ISBN 978-4-88500-654-8
* 杉本恒明、矢崎義雄 総編集 『内科学』第9版、朝倉書店、2007年、ISBN 978-4-254-32230-9
* 矢﨑義雄 総編集『内科学』第10版第4分冊、朝倉書店、2013年、ISBN 978-4-254-32261-3
* 鶴尾 隆 編『がんの分子標的治療』南山堂、2008年、ISBN 978-4-525-42041-3
* 寺野 彰 総編集『シンプル内科学』南江堂、2008年、ISBN 978-4-524-22344-2
* 豊嶋 崇徳 編『造血幹細胞移植』医薬ジャーナル社、2009年、ISBN 978-4-7532-2374-9
* 直江 知樹 編『現場で役立つ血液腫瘍治療プロトコール集』医薬ジャーナル社、2011年、ISBN 978-4-7532-2518-7
* 直江 知樹、他 編『WHO血液腫瘍分類』医薬ジャーナル社、2010年、ISBN 978-4-7532-2426-5
* 直江 知樹、他 編『血液疾患最新の治療. 2011-2013』南江堂、2010年、ISBN 978-4-524-26071-3
* 永井 正 著『図解白血病・悪性リンパ腫がわかる本』法研、2008年、ISBN 978-4-87954-713-2
* 日本血液学会 編集『血液専門医テキスト』南江堂、2011年、ISBN 978-4-524-26337-0
* 日本血液学会、日本リンパ網内系学会 編集『造血器腫瘍取扱い規約』金原出版、2010年、ISBN 978-4-307-10139-4
* 日本獣医内科学アカデミー 編集『獣医内科学』改訂版 小動物編、文永堂出版、2011年、ISBN 978-4-8300-3232-5
* 日本獣医内科学アカデミー 編集『獣医内科学』改訂版 大動物編、文永堂出版、2011年、ISBN 978-4-8300-3232-5
* 日本臨床腫瘍学会 編『新臨床腫瘍学』改訂第2版、南江堂、2009年、ISBN 978-4-524-26038-6
* 東田 俊彦著 『iMedicine. 5』リブロ・サイエンス、2010年、ISBN 978-4-902496-31-4
* 放射線被曝者医療国際協力推進協議会 編集『原爆放射線の人体影響』改訂第2版、文光堂、2012年、ISBN 978-4-8306-3741-4
* 松下 正幸 著『医学用語の成り立ち』榮光堂、1997年、ISBN 978-4-900410-16-9
* 宮内 潤、泉二 登志子 編『骨髄疾患診断アトラス : 血球形態と骨髄病理』中外医学社、2010年、ISBN 978-4-498-12562-9
* 村川 裕二 総監修『新・病態生理できった内科学(5)血液疾患』第2版、医学教育出版社、2009年、ISBN 978-4-87163-435-9
* Ian R.Tizard 原著『イラストでみる獣医免疫学』古澤修一、保田昌宏、多田富雄 監訳、インターズー、2011年、ISBN 978-4-89995-456-9
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* Skeel, Roland T 編集『癌化学療法ハンドブック』第6版、古江 尚、他 訳、メディカル・サイエンス・インターナショナル、2009年、ISBN 978-4-89592-598-3
;論文
* 朝長 万左男「被爆者白血病(造血器腫瘍)研究の新展開」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.227-235
* 稲葉 俊哉「放射線がんにおけるエピゲノム制御異常の役割」『広島医学』Vol.63 No.4、広島医学会、2010年、pp.236-240
* 井上 大地、北村 俊雄「骨髄異形成症候群の病態・進展とアポトーシス」『血液内科』Vol.62 No.2、科学評論社、2011年、pp.142-148
* 薄井 紀子「白血病幹細胞を標的とする薬剤開発」『最新医学』Vol.66 No.3、最新医学社、2011年、pp.409-415
* 黒田 純也、山本 未央、谷脇 雅史「慢性骨髄性白血病の細胞死の抑制」『血液内科』Vol.62 No.2、科学評論社、2011年、pp.159-165
* 仲 一仁、平尾 敦「CML幹細胞の制御メカニズム」『Annual Review 血液 2011』、中外医学社、2011年、p.8-14
* 中原 史雄「慢性骨髄性白血病の急性転化におけるHes1の関与」『臨床血液』Vol.52 No.6、日本血液学会、2011年、pp.329-336
* 平尾 敦「白血病幹細胞を標的にした新たな治療法の開発」『臨床血液』Vol.52 No.7、日本血液学会、2011年、pp.484-489
* 松尾 恵太郎 伊藤 秀美「骨髄性白血病の疫学」『日本臨床』Vol.67 No.10、日本臨床社、2009年、pp.1847-1851
* 松村 到、金倉 譲「急性骨髄性白血病(AML)における白血病幹細胞」『癌幹細胞-癌研究のパラダイムシフト』医歯薬出版、2009年、pp.5-11
* 宮腰 重三郎「高齢者造血器腫瘍の病態と治療」『血液内科』Vol.62 No.6、科学評論社、2011年、pp.669-175
* 宮崎 泰司「急性骨髄性白血病の分子病態と診断」『血液内科』Vol.62 No.5、科学評論社、2011年、pp.643-648
* 宮脇 修一「急性骨髄性白血病に対する化学療法の現在の到達点」『臨床血液』Vol,53 No.1、日本血液学会、2012年、pp.39-50
;専門誌
* 大野竜三「急性前骨髄性白血病」『血液フロンティア』Vol.13 No.10、医薬ジャーナル社、2003年
* 岡本 真一郎「世界と日本の骨髄バンク」『血液フロンティア』Vol.14 No.8、医薬ジャーナル社、2004年
== 関連項目 ==
{{commonscat|Leukemia}}
* [[悪性腫瘍]]
* [[腫瘍学]]
* [[血液学]]
* [[遺伝学]]
* [[日本成人白血病治療共同研究グループ]] (JALSG)
* [[骨髄移植]]
* [[骨髄バンク]]
* 日本[[さい帯血バンク]]ネットワーク
* [[全国骨髄バンク推進連絡協議会|特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会]]
* [[臍帯血#治療への活用]]
== 外部リンク ==
* [https://www.jalsg.jp/ 成人白血病治療共同研究機構]
* [https://flrf.gr.jp/ 白血病研究基金を育てる会]
* [https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/13-血液の病気/白血病/白血病の概要 白血病の概要] - [[MSDマニュアル]]
* {{Kotobank}}
{{Featured article}}
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[[Category:白血病|*]]
[[Category:がん (悪性腫瘍)]]
[[Category:血液疾患]]
[[Category:職業病]] | 2003-05-08T03:00:40Z | 2023-12-28T05:33:38Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%A1%80%E7%97%85 |
7,911 | はさみ将棋 | はさみ将棋(はさみしょうぎ)とは、歩兵だけを用いて相手の駒をはさんで取る遊ぶ将棋道具を用いた遊びである。
将棋盤と歩兵の駒18個を用いる。
将棋盤のマスの最下段に歩をそれぞれ9個ずつ配置する。片側は歩を配置し反対側は歩を裏返して「と」として配置することが多い。通常、先手は歩兵、後手はと金を用いる。
相手の歩を自軍の歩ではさむことができれば相手の駒を取ることができる。はさまれる歩は、つながっていれば何枚でも良く、つまりこの方法ではタテヨコ合わせて最大9枚まで一度に取れる。なお、自分からはさまりに行っても反則にはならず、取られることもない。
また、盤面の端や四隅を利用して、相手の駒の三方または二方の隣マスを、自分の駒で塞ぐ(囲む)ことにより、囲まれた相手の駒が全く身動きができない状態にしても取ることができる。(例えば、四隅に相手の駒が1枚ある場合、動くことができる横隣と縦隣の2マスともを自分の駒で塞げば取ることができる。複数枚をまとめて囲むことも可能であり、最大9枚までを一度に取ることができる。)
ゲームが進み盤面にある歩が減ってくると相手の駒を取りにくくなるので、一定以上の差がつくか、一方の残りが一定枚数以下になるとそこで終了とするのが一般的である。日本将棋連盟で紹介されているルールでは、5枚取られるか、3枚差以上つけられた直後の1手で差を2枚以内にできなかった時点で負けとなっている。なお、一方が残り1枚になった場合、1枚だけでは相手の駒を挟むことも囲むことも出来ないので必ず終了となる。
はさみ将棋には必勝法は存在せず、双方が最善を尽くせば将棋の千日手のような状況になる。 ルールから、「駒を絶対に取られず、かつ無害な着手が何度でも可能な局面」が存在することが分かる。図はその一例で初期配置から4手で到達する。その後は▲6九歩と▲5九歩を適宜に横に動かして1九と9九の空所を維持して手待ちができる。
相手方が負けない局面を構築しようとしたとき、その全パターンを阻止することはできない。つまり両者とも負けないので、熟知した者同士の対戦ではゲームとして成立しない。
この場合、少しでもそのパターンを阻止するには、自分の駒をわざと相手に取らせ、すぐに取り返す「駒の相殺」手段を用いて、お互いの駒を減らす。そうすることにより、駒の配置が横一列や階段状になることが維持できなくなり、相手の布陣に入り込む隙が出来るのでゲームに進展を持たせることが出来る。 しかし、この手段を用いても相手が自駒を取りにこない場合はゲームが進展せず勝敗がつかない。
はさみ将棋のルールを変化させたゲームとして、はさみ天秤端落としがある。これは通常のはさみ将棋の「相手の歩を自軍の歩ではさむか囲めば取れる」(はさみ)というルールの他、「相手にはさまれる手を指した時、はさんだ相手の駒を取れる」(天秤)、「自分の駒と盤の端ではさむと取れる」(端落とし)というルールが追加されている。このルールでは相手の歩を自軍の歩ではさんで取る場合は縦・横だけでなく斜めでもよい。初期配置の状態から端落としで相手の歩を取ることが可能なので、通常のはさみ将棋が抱えている上述のような戦略上の問題は少なくとも初期配置の段階では発生しない。
世界には、はさみ将棋に似たボードゲームがいくつか存在する。
古代ギリシアにはpetteia,pessoí,psêphoi,pénte grammaí等の名前で知られていたボードゲームがあった。これが古代ローマに伝わり変化し、Lūdus lātrunculōrum,lātrunculī,lātrōnēs等の名前で知られたボードゲームになったとされる。将棋盤は9×9のサイズの板だが、Lūdus lātrunculōrumは通常12×8のサイズの板を用いていたと考えられている。(発掘の困難の為にはっきりはしない)
東南アジアのタイにはMak-yekというボードゲームがあり、マレーシアではApit-sodokという名前で知られている。8×8の板で、それぞれのプレーヤーの16個の石が1番目と3番目の列に置かれる。(参考文献History of Board Games other than Chess,Harold James Ruthven Murray著,1952年) | [
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] | はさみ将棋(はさみしょうぎ)とは、歩兵だけを用いて相手の駒をはさんで取る遊ぶ将棋道具を用いた遊びである。 | '''はさみ将棋'''(はさみしょうぎ)とは、[[歩兵 (将棋)|歩兵]]だけを用いて相手の[[駒 (将棋)|駒]]をはさんで取る遊ぶ[[将棋]]道具を用いた遊びである。
== 遊び方 ==
=== 道具 ===
[[将棋盤]]と歩兵の駒18個を用いる。
=== 初期配置 ===
将棋盤のマスの最下段に歩をそれぞれ9個ずつ配置する。片側は歩を配置し反対側は歩を裏返して「と」として配置することが多い。通常、先手は歩兵、後手はと金を用いる。
{{Shogi diagram|tright
|初期配置
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| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
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| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
|ps|ps|ps|ps|ps|ps|ps|ps|ps
|}}
=== 駒の動かし方 ===
* 本将棋の[[歩兵 (将棋)|歩]]とは異なる。
* 本将棋の[[飛車]]と同様にタテとヨコの方向に何マスでも進むことができる。
* 本将棋の[[と金]]と同様に斜めに進むことはできない。
* 通常の将棋のように直接相手の駒をとることはできない。
{| class="wikitable" border="1"
!style="background-color:#dddddd"|先手
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|歩兵<br/>(ふひょう)
|
{| border="2" cellspacing="0" cellpadding="3"
|-
| || ||│|| ||
|-
| || ||│|| ||
|-
|─||─||'''歩'''||─||─
|-
| || ||│|| ||
|-
| || ||│|| ||
|}
|縦横に何マスでも動ける。<br/>駒を飛び越えることはできない。
|と金<br/>(ときん)
|
{| border="2" cellspacing="0" cellpadding="3"
|-
| || ||│|| ||
|-
| || ||│|| ||
|-
|─||─||'''と'''||─||─
|-
| || ||│|| ||
|-
| || ||│|| ||
|}
|先手(歩兵)に同じ。
|}
=== 相手の駒の取り方と勝敗 ===
相手の歩を自軍の歩ではさむことができれば相手の駒を取ることができる。はさまれる歩は、つながっていれば何枚でも良く、つまりこの方法ではタテヨコ合わせて最大9枚まで一度に取れる。なお、自分からはさまりに行っても反則にはならず、取られることもない。
また、盤面の端や四隅を利用して、相手の駒の三方または二方の隣マスを、自分の駒で塞ぐ(囲む)ことにより、囲まれた相手の駒が全く身動きができない状態にしても取ることができる。(例えば、四隅に相手の駒が1枚ある場合、動くことができる横隣と縦隣の2マスともを自分の駒で塞げば取ることができる。複数枚をまとめて囲むことも可能であり、最大9枚までを一度に取ることができる。)
ゲームが進み盤面にある歩が減ってくると相手の駒を取りにくくなるので、一定以上の差がつくか、一方の残りが一定枚数以下になるとそこで終了とするのが一般的である。日本将棋連盟で紹介されているルールでは、5枚取られるか、3枚差以上つけられた直後の1手で差を2枚以内にできなかった時点で負けとなっている。なお、一方が残り1枚になった場合、1枚だけでは相手の駒を挟むことも囲むことも出来ないので必ず終了となる。
=== 戦略上の問題 ===
{{Shogi diagram|tright
|不敗布陣の一例
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
| | | | | | | | |
|ps|ps|ps| | | | | |ps
| | | |ps|ps|ps|ps|ps|
|}}
はさみ将棋には必勝法は存在せず、双方が最善を尽くせば将棋の[[千日手]]のような状況になる。
ルールから、「駒を絶対に取られず、かつ無害な着手が何度でも可能な局面」が存在することが分かる。図はその一例で初期配置から<!--先手の着手のみ数えて-->4手で到達する<!--3手の局面は分かり難いので、あえて4手の局面で説明する-->。その後は<!--便宜的に将棋の棋譜表記を用いる-->▲6九歩と▲5九歩を適宜に横に動かして1九と9九の空所を維持して手待ちができる。
相手方が負けない局面を構築しようとしたとき、その全パターンを阻止することはできない。つまり両者とも負けないので、熟知した者同士の対戦ではゲームとして成立しない。
この場合、少しでもそのパターンを阻止するには、自分の駒をわざと相手に取らせ、すぐに取り返す「駒の相殺」手段を用いて、お互いの駒を減らす。そうすることにより、駒の配置が横一列や階段状になることが維持できなくなり、相手の布陣に入り込む隙が出来るのでゲームに進展を持たせることが出来る。
しかし、この手段を用いても相手が自駒を取りにこない場合はゲームが進展せず勝敗がつかない。
== はさみ天秤端落とし ==
はさみ将棋のルールを変化させたゲームとして、'''はさみ天秤端落とし'''がある。これは通常のはさみ将棋の「相手の歩を自軍の歩ではさむか囲めば取れる」(はさみ)というルールの他、「相手にはさまれる手を指した時、はさんだ相手の駒を取れる」(天秤)、「自分の駒と盤の端ではさむと取れる」(端落とし)というルールが追加されている。このルールでは相手の歩を自軍の歩ではさんで取る場合は縦・横だけでなく斜めでもよい。初期配置の状態から端落としで相手の歩を取ることが可能なので、通常のはさみ将棋が抱えている上述のような戦略上の問題は少なくとも初期配置の段階では発生しない。
== 世界のはさみ将棋 ==
世界には、はさみ将棋に似たボードゲームがいくつか存在する。
[[古代ギリシア]]にはpetteia,pessoí,psêphoi,pénte grammaí等の名前で知られていたボードゲームがあった。これが[[古代ローマ]]に伝わり変化し、Lūdus lātrunculōrum,lātrunculī,lātrōnēs等の名前で知られたボードゲームになったとされる。将棋盤は9×9のサイズの板だが、Lūdus lātrunculōrumは通常12×8のサイズの板を用いていたと考えられている。(発掘の困難の為にはっきりはしない)
東南アジアのタイにはMak-yekというボードゲームがあり、マレーシアではApit-sodokという名前で知られている。8×8の板で、それぞれのプレーヤーの16個の石が1番目と3番目の列に置かれる。(参考文献History of Board Games other than Chess,Harold James Ruthven Murray著,1952年)
== 関連項目 ==
* [[将棋]]
* [[将棋類の一覧]]–将棋の様々な遊び方について
* [[まわり将棋]]
* [[山くずし]]
== 外部リンク ==
* [https://www.shogi.or.jp/knowledge/hasami_shogi/ はさみ将棋のルール] (日本将棋連盟)
{{将棋類}}
{{DEFAULTSORT:はさみしようき}}
[[Category:将棋類]] | null | 2022-03-31T08:28:34Z | false | false | false | [
"Template:Shogi diagram",
"Template:将棋類"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%95%E3%81%BF%E5%B0%86%E6%A3%8B |
7,912 | 癌腫 | 癌腫(がんしゅ、英語: Carcinoma)とは、皮膚や粘膜など外界と接する身体の上皮細胞に由来する悪性腫瘍。
国際疾病分類の日本語訳ではCarcinomaの訳語として、癌腫を当てており、上皮性悪性腫瘍を意味する。ただし、用語の語尾で用いられる場合は単に「〜癌」とする。
癌腫は悪性腫瘍の一種である。腫瘍は国際疾病分類のtumorの日本語訳であり、「生体内において、その個体自身に由来する細胞でありながら、その個体全体としての調和を破り、時に他から何らの制御を受けることなく、又自らの規律に従い、過剰の発育をとげる組織をいう。」と定義されている。
新生物(neoplasm)も腫瘍と同義に用いられており、良性と悪性があり、悪性新生物は癌、癌腫及び肉腫を意味する。悪性新生物は、上皮細胞性の癌腫、間質細胞性の肉腫(にくしゅ、Sarcoma)、その他(造血器由来の白血病や中皮由来の中皮腫など)に分けられる。
ちなみに、非小細胞肺癌 (non-small cell carcinoma) といった場合は、小細胞肺癌以外の肺癌(肺腺癌、肺扁平上皮癌、大細胞肺癌)を指す。
代表的な癌を示す。
160万年から180万年前の人類の化石に骨肉腫、198万年前の化石からは脊椎の良性腫瘍の痕跡が確認されている。 | [
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] | 癌腫とは、皮膚や粘膜など外界と接する身体の上皮細胞に由来する悪性腫瘍。 | '''癌腫'''(がんしゅ、{{lang-en|Carcinoma}})とは、皮膚や粘膜など外界と接する身体の[[上皮細胞]]に由来する[[悪性腫瘍]]<ref name="info" />。
== 国際疾病分類 ==
国際疾病分類の日本語訳では[[:en:Carcinoma|Carcinoma]]の訳語として、癌腫を当てており、上皮性悪性腫瘍を意味する<ref name="WHO">{{cite |title=国際疾病分類 腫瘍学 第3.1版 |author=厚生労働省政策統括官(統計・情報政策担当) |agency=|publisher=厚生労働統計協会 |date=|url=https://hdl.handle.net/10665/96612 |ISBN=9789241548496 |accessdate=2023-08-17}}</ref>。ただし、用語の語尾で用いられる場合は単に「〜癌」とする<ref name="WHO" />。
癌腫は悪性腫瘍の一種である<ref name="WHO" />。腫瘍は国際疾病分類のtumorの日本語訳であり、「生体内において、その個体自身に由来する細胞でありながら、その個体全体としての調和を破り、時に他から何らの制御を受けることなく、又自らの規律に従い、過剰の発育をとげる組織をいう。」と定義されている<ref name="WHO" />。
新生物(neoplasm)も腫瘍と同義に用いられており、[[良性腫瘍|良性]]と悪性があり、悪性新生物は癌、癌腫及び肉腫を意味する<ref name="WHO" />。悪性新生物は、上皮細胞性の癌腫、間質細胞性の[[肉腫]](にくしゅ、Sarcoma)、その他(造血器由来の[[白血病]]や中皮由来の[[中皮腫]]など)に分けられる<ref name="info">{{Cite web|和書|title=がん概論 |author= |agency=|publisher=国立がん研究センターがん対策情報センター |date=|url=https://ctr-info.ncc.go.jp/hcr_info/wp-content/uploads/2021/06/%E2%98%851-1%E3%81%8C%E3%82%93%E6%A6%82%E8%AB%962021.pdf|accessdate=2022-5-3}}</ref>。
== 癌腫の種類 ==
=== 病理学的分類 ===
*[[腺癌]] ([[w:Adenocarcinoma|Adenocarcinoma]]) は内部組織にある分泌[[腺]]組織の細胞から発生する。
*:一般的に[[放射線感受性]]が低く、[[手術療法]]の[[適応 (生物学)|適応]]となる。例外として[[前立腺癌]]、高分化濾胞型[[甲状腺癌]]などは[[放射線療法]]の適応となる。
*[[基底細胞癌]] ([[w:basal cell carcinoma|basal cell carcinoma]]) - [[皮膚がん|皮膚癌]]など。
*[[腺様嚢胞癌]] ([[w:Adenoid cystic carcinoma|Adenoid cystic carcinoma]]) - [[気管支]]腫瘍(気管支腺由来)、[[唾液腺]]腫瘍、特殊型[[乳癌]]など。
*[[胆管細胞癌]] ([[w:cholangiocarcinoma|cholangiocarcinoma]])
*[[肝細胞癌]] ([[w:Hepatocellular Carcinoma|Hepatocellular Carcinoma]])
*副腎皮質癌 ([[w:adrenocortical carcinoma|adrenocortical carcinoma]])
*燕麦細胞癌 (Oat cell carcinoma, small cell carcinoma) - 小細胞肺がん
*[[扁平上皮癌]] ([[w:Squamous cell carcinoma|Squamous cell carcinoma]])
*:[[舌癌]]、[[食道癌]]、[[喉頭癌]]、皮膚癌、[[子宮頸癌]]などに多い。
*:一般に放射線感受性が高く、放射線療法の適応となる。
*[[腎細胞癌]] ([[w:Renal cell carcinoma|Renal cell carcinoma]])
ちなみに、非小細胞肺癌 ('''non-small cell carcinoma''') といった場合は、小細胞肺癌以外の[[肺癌]](肺腺癌、肺扁平上皮癌、大細胞肺癌)を指す。
=== 解剖学的分類 ===
代表的な癌を示す。
*頭頸部の癌
**上顎癌、(上、中、下)咽頭癌、喉頭癌、舌癌、甲状腺癌
*胸部の癌
**乳癌、肺癌(非小細胞肺癌、小細胞肺癌)
*消化器の癌
**食道癌、[[胃癌]]、十二指腸癌、[[大腸癌]](結腸癌、直腸癌)、[[肝癌]]([[肝細胞癌]]、[[胆管細胞癌]])、[[胆嚢癌]]、[[胆管癌]]、[[膵癌]]、肛門癌
*泌尿器の癌
**[[腎癌]]、尿管癌、[[膀胱癌]]、前立腺癌、[[陰茎癌]]、[[精巣腫瘍|精巣(睾丸)癌]]
*生殖器の癌
**[[子宮癌]](子宮頸癌、[[子宮体癌]])、[[卵巣癌]]、外陰癌、膣癌
*皮膚の癌
**基底細胞癌、[[有棘細胞癌]]
*(原発不明がん)
<!-- == 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}} -->
==人類の化石上のガン==
160万年から180万年前の人類の化石に骨肉腫、198万年前の化石からは脊椎の良性腫瘍の痕跡が確認されている<ref>[http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/072900284/ 170万年前のヒト化石に最古のがん発見] NATIONAL GEOGRAPHIC 2016年7月29日配信 2021年7月25日閲覧。</ref>。
== 参考文献 == <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} -->
{{節スタブ}}
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
<references />
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Carcinoma}}
* [[悪性腫瘍]]
* [[肉腫]]
* [[腫瘍学]]
== 外部リンク == <!-- {{Cite web}} -->
{{節スタブ}}
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{{デフォルトソート:かんしゆ}}
[[Category:がん (悪性腫瘍)]]
[[Category:病理学]] | 2003-05-08T03:54:49Z | 2023-12-12T01:55:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%8C%E8%85%AB |
7,914 | 近代私法の三大原則 | 近代私法の三大原則(きんだいしほうのさんだいげんそく)とは、近代の私法において原則とされている以下の3つの事柄を指す。
封建的支配から個人を解放するための原理として主張され承認されるようになったが、現代になり自由主義(主として経済領域における)の問題点が指摘されるようになり、徐々に変容を見せている。 私的所有権絶対の原則と私的自治の原則の2つを、近代私法の二大原則ということもある。また、論者によっては三大原則に契約自由の原則や過失責任の原則を含める場合もあるが、下記に述べるようにこの二つは私的自治の原則から認められるコロラリー(当然の帰結)と解したほうが正確である。
以下、民法については、条数のみ記載する。
国籍・階級・職業・性別などにかかわらず、すべての人は等しく権利義務の帰属主体となる資格(権利能力)を有するという原則。
具体的には、自然人の権利能力の始期を出生時とする3条に現れている。
なおフランス民法典はこの原則をフランス人に限定しており、1848年のデクレ(政令)で禁止されるまで植民地での外国人に対する奴隷制を許容していた第8条は、今なお法文上は現行法である。
所有権は、何ら人為的拘束を受けず、侵害するあらゆる他人に対して主張することができる完全な支配権であり、国家の法よりも先に存在する権利で神聖不可侵であるとする原則。
具体的には、財産権を保障する憲法第29条、所有権の内容を定める206条、解釈上認められる物権的請求権に現れている。
この原則のコロラリーとして、以下の考え方が導かれる。
私人間の法律関係すなわち権利義務の関係を成立させること(私法上の法律関係)は、一切個人の自主的決定にまかせ、国家がこれに干渉してはならないとする原則。
この原則のコロラリーとして、法律行為自由の原則や過失責任の原則が導かれる。
法律行為については、当事者の意図した通りに効力が発生するという原則。法律行為のうち、特に典型的で重要な契約に関する「契約自由の原則」が特に重要である。
加害行為と損害の間に因果関係があったとしても、行為者に故意・過失がない場合には損害賠償の責任を負わないとする原則である。刑法における責任主義とも関連する。 | [
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] | 近代私法の三大原則(きんだいしほうのさんだいげんそく)とは、近代の私法において原則とされている以下の3つの事柄を指す。 権利能力平等の原則
私的所有権絶対の原則
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|出典の明記=2020年12月
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'''近代私法の三大原則'''(きんだいしほうのさんだいげんそく)とは、近代の[[私法]]において原則とされている以下の3つの事柄を指す。
* [[権利能力]]平等の原則
* [[私的所有権]]絶対の原則
* 私的[[オートノミー|自治]]の原則
==概要==
封建的支配から個人を解放するための原理として主張され承認されるようになったが、現代になり[[自由主義]](主として経済領域における)の問題点が指摘されるようになり、徐々に変容を見せている。
私的所有権絶対の原則と私的自治の原則の2つを、近代私法の二大原則ということもある。また、論者によっては三大原則に契約自由の原則や過失責任の原則を含める場合もあるが、下記に述べるようにこの二つは私的自治の原則から認められる[[wikt:コロラリー|コロラリー]](当然の帰結)と解したほうが正確である。
以下、民法については、条数のみ記載する。
== 権利能力平等の原則 ==
国籍・階級・職業・性別などにかかわらず、すべての人は等しく権利義務の帰属主体となる資格([[権利能力]])を有するという原則。
具体的には、[[自然人]]の権利能力の[[人の始期|始期]]を出生時とする[[b:民法第3条|3条]]に現れている。
なおフランス民法典はこの原則をフランス人に限定しており<ref>原田慶吉『日本民法典の史的素描』創文社、1981年、5頁</ref>、1848年の[[デクレ]](政令)で禁止されるまで植民地での外国人に対する[[奴隷制]]を許容していた第8条<ref>[{{NDLDC|787879/74}} 翻訳局『仏蘭西法律書 増訂 上 憲法 民法』博文社、1875年、93頁]</ref>は、今なお法文上は現行法である<ref>北村一郎編『フランス民法典の200年』有斐閣、2006年、143頁</ref>。
== 私的所有権絶対の原則 ==
所有権は、何ら人為的拘束を受けず、侵害するあらゆる他人に対して主張することができる完全な支配権であり、国家の法よりも先に存在する権利で神聖不可侵であるとする原則。
具体的には、[[財産権]]を保障する[[日本国憲法第29条|憲法第29条]]、所有権の内容を定める[[b:民法第206条|206条]]、解釈上認められる[[物権的請求権]]に現れている。
この原則のコロラリーとして、以下の考え方が導かれる。
*権利行使自由の原則
*[[物権 #物権法定主義|物権法定主義]]([[b:民法第175条|175条]])
*売買は賃貸借を破る
== 私的自治の原則 ==
私人間の法律関係すなわち権利義務の関係を成立させること(私法上の法律関係)は、一切個人の自主的決定にまかせ、国家がこれに干渉してはならないとする原則<ref>{{Kotobank|私的自治の原則}}</ref>。
この原則のコロラリーとして、[[法律行為]]自由の原則や[[過失 #民事責任における過失|過失責任]]の原則が導かれる。
=== 法律行為自由の原則 ===
{{See also|契約の自由}}
[[法律行為]]については、当事者の意図した通りに効力が発生するという原則。[[法律行為]]のうち、特に典型的で重要な[[契約]]に関する「契約自由の原則」が特に重要である。
* [[契約]]自由の原則: 契約の締結・内容・方式を国家の干渉を受けず自由にすることが出来る。具体的には以下の4つを意味する<ref>加藤雅信『民法総則』有斐閣、2002年、200頁。</ref>。
: 契約締結の自由
: 相手方選択の自由
: 契約内容の自由
: 契約方法の自由(形式の自由)
* [[社団]]設立自由の原則
* [[遺言]]自由の原則
=== 過失責任の原則 ===
{{See also|過失#過失責任主義}}
加害行為と損害の間に因果関係があったとしても、行為者に[[故意]]・[[過失]]がない場合には損害賠償の責任を負わないとする原則である。[[刑法]]における[[責任主義]]とも関連する。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
==関連項目==
*[[法学]]
* [[オートノミー]]
== 外部リンク ==
* 木下明『[[hdl:10109/10269|近代私法における指導原則の修正過程]]』(茨城大学)
{{デフォルトソート:きんたいしほうのさんたいけんそく}}
[[category:私法]]
[[Category:法理]]
[[Category:三大]] | 2003-05-08T05:56:04Z | 2023-12-20T15:52:53Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A7%81%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E5%89%87 |
7,917 | 中部地方の鉄道路線 | 中部地方の鉄道路線(ちゅうぶちほうのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 中部地方の鉄道路線(ちゅうぶちほうのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
中部地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[中部地方]]の[[鉄道路線]]'''(ちゅうぶちほうのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
**中部地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
== 中部地方 ==
*超広域:
**[[東海道新幹線]] ([[東海旅客鉄道]]):[[東京駅]] - [[新大阪駅]] (552.6km)
**[[上越新幹線]] ([[東日本旅客鉄道]]):[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[新潟駅]] (303.6km)
**[[北陸新幹線]] (東日本旅客鉄道):[[高崎駅]] - [[上越妙高駅]] (176.9km)
**[[東海道本線]] (東日本旅客鉄道):東京駅 - [[熱海駅]] (104.6km)
**東海道本線 (東海旅客鉄道):熱海駅 - [[米原駅]] (341.3km)
**[[御殿場線]] (東海旅客鉄道):[[国府津駅]] - [[沼津駅]] (60.2km)
**[[中央本線]](1)(東日本旅客鉄道):[[新宿駅]] - [[塩尻駅]] (211.8km)
**[[上越線]] (東日本旅客鉄道):高崎駅 - [[宮内駅 (新潟県)|宮内駅]] (162.6km)
**[[北陸本線]] ([[西日本旅客鉄道]]):[[金沢駅]] - [[米原駅]] (176.6km)
**[[小浜線]] (西日本旅客鉄道):[[敦賀駅]] - [[東舞鶴駅]] (84.3km)
**[[紀勢本線]] (東海旅客鉄道):[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]] - [[新宮駅]] (180.2km)
**[[関西本線]] (西日本旅客鉄道):亀山駅 - [[JR難波駅]] (115km)
**[[草津線]] (西日本旅客鉄道):[[柘植駅]] - [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]] (36.7 km)
**[[近鉄大阪線]] ([[近畿日本鉄道]]):[[大阪上本町駅]] - [[伊勢中川駅]] (108.9km)
**[[羽越本線]] (東日本旅客鉄道):[[新津駅]] - [[秋田駅]] (271.7km)
**[[米坂線]] (東日本旅客鉄道):[[米沢駅]] - [[坂町駅]] (90.7km)
**[[只見線]] (東日本旅客鉄道):[[会津若松駅]] - [[小出駅]] (135.2km)
**[[磐越西線]] (東日本旅客鉄道):[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]] - [[新津駅]] (175.6km)
*広域:
**[[北陸新幹線]] (西日本旅客鉄道):上越妙高駅 - 金沢駅 (168.6km)
**[[身延線]] (東海旅客鉄道):[[富士駅]] - [[甲府駅]] (88.4km)
**[[飯田線]] (東海旅客鉄道):[[豊橋駅]] - [[辰野駅]] (195.7km)
**[[高山本線]] (東海旅客鉄道):[[岐阜駅]] - [[猪谷駅]] (189.2km)
**[[中央本線]] (東海旅客鉄道):塩尻駅 - [[名古屋駅]] (174.8km)
**[[あいの風とやま鉄道線]] ([[あいの風とやま鉄道]]):[[倶利伽羅駅]] - [[市振駅]] (100.1km)
=== 甲信越地方 ===
*広域:
**[[小海線]] (東日本旅客鉄道):[[小淵沢駅]] - [[小諸駅]] (78.9km)
**[[飯山線]] (東日本旅客鉄道):[[豊野駅]] - [[越後川口駅]] (96.7km)
**[[大糸線]] (西日本旅客鉄道):[[南小谷駅]] - [[糸魚川駅]] (35.3km)
**[[しなの鉄道北しなの線]] ([[しなの鉄道]]):[[長野駅]] - [[妙高高原駅]] (37.3km)
==== 新潟県 ====
*広域:
**[[信越本線]] (東日本旅客鉄道):[[篠ノ井駅|直江津駅]] - 新潟駅 (136.3km)
**[[白新線]] (東日本旅客鉄道):新潟駅 - [[新発田駅]] (27.3km)
**[[越後線]] (東日本旅客鉄道):[[柏崎駅]] - 新潟駅 (83.8km)
**[[弥彦線]] (東日本旅客鉄道):[[東三条駅]] - [[弥彦駅]] (17.4km)
**[[北越急行ほくほく線]] ([[北越急行]]):[[六日町駅]] - [[犀潟駅]] (59.5km)
**[[えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン]] ([[えちごトキめき鉄道]]):[[妙高高原駅]] - [[直江津駅]]間 (37.7km)
**[[えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン]] (えちごトキめき鉄道):[[市振駅]] - 直江津駅間 (59.3km)
*[[新潟市]]
**信越本線(1) ([[日本貨物鉄道]]・第2種):[[越後石山駅]] - [[新潟貨物ターミナル駅]] (2.4km・貨物線)
**信越本線(2) (日本貨物鉄道):[[上沼垂信号場]] - [[東新潟港駅]] (3.8km・貨物線)
*[[湯沢町]]
**上越線(1) (東日本旅客鉄道):[[越後湯沢駅]] - [[ガーラ湯沢駅]] (1.8km)
==== 山梨県 ====
*広域:
**[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士山麓電気鉄道大月線]] ([[富士山麓電気鉄道]]):[[大月駅]] - [[富士山駅]] (23.6km)
**[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士山麓電気鉄道河口湖線]] (富士山麓電気鉄道):富士山駅 - [[河口湖駅]] (3km)
==== 長野県 ====
*広域:
**中央本線(2) (東日本旅客鉄道):[[岡谷駅]] - [[塩尻駅]] (辰野経由) (27.7km)
**[[大糸線]] (東日本旅客鉄道):[[松本駅]] - [[南小谷駅]] (70.1km)
**[[篠ノ井線]] (東日本旅客鉄道):[[篠ノ井駅]] - [[塩尻駅]] (66.7km)
**[[長野電鉄長野線]] ([[長野電鉄]]):[[長野駅]] - [[湯田中駅]] (33.2km)
**[[しなの鉄道線]] ([[しなの鉄道]]):[[軽井沢駅]] - 篠ノ井駅 (65.1km)
*[[長野市]]
**[[信越本線]] (東日本旅客鉄道):篠ノ井駅 - 長野駅 (9.3km)
*[[松本市]]
**[[アルピコ交通上高地線]] ([[アルピコ交通]]):松本駅 - [[新島々駅]] (14.4km)
*[[上田市]]
**[[上田電鉄別所線]] ([[上田電鉄]]):[[上田駅]] - [[別所温泉駅]] (11.6km)
=== 北陸地方 ===
==== 富山県 ====
*広域:
**[[城端線]] (西日本旅客鉄道):[[高岡駅]] - [[城端駅]] (29.9km)
**[[氷見線]] (西日本旅客鉄道):高岡駅 - [[氷見駅]] (16.5km)
**[[富山地方鉄道本線]] ([[富山地方鉄道]]):[[電鉄富山駅]] - [[宇奈月温泉駅]] (53.3km)
**[[富山地方鉄道立山線]] (富山地方鉄道):[[寺田駅 (富山県)|寺田駅]] - [[立山駅]] (24.2km)
**[[富山地方鉄道上滝線]] (富山地方鉄道):[[南富山駅]] - [[岩峅寺駅]] (12.4km)
**[[万葉線|万葉線高岡軌道線]] ([[万葉線 (企業)|万葉線]])'''[軌道法適用]''':[[高岡駅|高岡駅停留場]] - [[六渡寺駅]] (8.0km)
**[[万葉線|万葉線新湊港線]] (万葉線){{efn|name="tramtrain"}}:[[越ノ潟駅]] - [[六渡寺駅]] (4.9km)
*[[富山市]]
**高山本線 (西日本旅客鉄道):猪谷駅 - [[富山駅]] (36.6km)
**[[富山地方鉄道富山港線]] (富山地方鉄道)'''[軌道法適用]''':[[富山駅停留場]] - [[奥田中学校前駅]] (1.2km)
**富山地方鉄道富山港線(1) (富山地方鉄道){{efn|name="tramtrain"|路面電車車両による運行であるが、鉄道事業法準拠。}}:奥田中学校前駅 - [[岩瀬浜駅]] (6.5km)
**[[富山地方鉄道不二越線]] (富山地方鉄道):[[稲荷町駅 (富山県)|稲荷町駅]] - 南富山駅 (3.3km)
**[[富山地方鉄道富山軌道線]]
***本線 (富山地方鉄道)'''[軌道法適用]''':[[電鉄富山駅・エスタ前停留場]] - [[南富山駅前駅]] (3.6km)
***支線 (富山地方鉄道)'''[軌道法適用]''':電鉄富山駅・エスタ前停留場 - [[丸の内停留場]] (1km)
***安野屋線 (富山地方鉄道)'''[軌道法適用]''':[[丸の内停留場]] - [[安野屋停留場]] (0.4km)
***呉羽線 (富山地方鉄道)'''[軌道法適用]''':安野屋停留場 - [[富山大学前停留場]] (1.4km)
***富山都心線 (富山地方鉄道・軌道運送事業者)'''[軌道法適用]''':丸の内停留場 - [[西町停留場]] (0.9km)
***富山駅南北接続線 (富山地方鉄道・軌道運送事業者)'''[軌道法適用]''':支線接続点 - 富山駅停留場 (0.2km)
**[[小口川軌道]] (水口産業建設):駅名不明 - 駅名不明(1.5km・貨物線)
*[[黒部市]]
**[[黒部峡谷鉄道本線]] ([[黒部峡谷鉄道]]):[[宇奈月駅]] - [[欅平駅]] (20.1km)
**[[関西電力黒部専用鉄道]]
**上部軌道(関西電力):(6.5km・貨物線)
**黒薙支線 (関西電力): (貨物線)
*[[高岡市]]
**[[新湊線]](日本貨物鉄道):[[能町駅]] - [[高岡貨物駅]] (1.9km・貨物線)
*[[立山町]]
**[[立山黒部貫光立山ケーブルカー|立山ケーブルカー]] ([[立山黒部貫光]]):[[立山駅]] - [[美女平駅]] (1.3km)
**[[立山黒部貫光黒部ケーブルカー|黒部ケーブルカー]] (立山黒部貫光):[[黒部湖駅]] - [[黒部平駅]] (0.8km)
**[[立山黒部貫光無軌条電車線]] (立山黒部貫光):[[室堂駅]] - [[大観峰駅]] (3.7km)
**[[国土交通省立山砂防工事専用軌道]] (国土交通省):(18.0km・貨物線)
==== 石川県 ====
*広域:
**[[七尾線]] (西日本旅客鉄道):[[津幡駅]] - [[和倉温泉駅]] (59.5km)
**[[北陸鉄道浅野川線]] ([[北陸鉄道]]):[[北鉄金沢駅]] - [[内灘駅]] (6.8km)
**[[北陸鉄道石川線]] (北陸鉄道):[[野町駅]] - [[鶴来駅]] (15.9km)
**[[IRいしかわ鉄道線]] ([[IRいしかわ鉄道]]):[[金沢駅]] - [[倶利伽羅駅]] (17.8km)
**[[のと鉄道七尾線]](1) ([[のと鉄道]]・第2種):和倉温泉駅 - [[穴水駅]] (28km)
*[[七尾市]]
**のと鉄道七尾線 (のと鉄道・第2種):[[七尾駅]] - 和倉温泉駅 (5.1km)
==== 福井県 ====
*広域:
**[[越美北線]] (西日本旅客鉄道):[[越前花堂駅]] - [[九頭竜湖駅]] (52.5km)
**[[えちぜん鉄道勝山永平寺線]] ([[えちぜん鉄道]]):[[福井駅 (福井県)|福井駅]] - [[勝山駅]] (27.8km)
**[[えちぜん鉄道三国芦原線]] (えちぜん鉄道):[[福井口駅]] - [[三国港駅]] (25.2km)
**[[福井鉄道福武線]] ([[福井鉄道]]){{efn|name="tramtrain"}}:[[たけふ新駅]] - 鉄軌分界点 (18.1km)
*[[福井市]]
**[[福井鉄道福武線]](1) (福井鉄道)'''[軌道法適用]''':鉄軌分界点 - [[田原町駅 (福井県)|田原町駅]] (2.8km)
**福井鉄道福武線(2) (福井鉄道)'''[軌道法適用]''':[[福井城址大名町駅]] - [[福井駅 (福井県)|福井駅停留場]] (0.6km)
=== 東海地方 ===
*広域:
**[[関西本線]] (東海旅客鉄道):[[名古屋駅]] - [[亀山駅 (三重県)|亀山駅]] (59.9km)
**[[名鉄名古屋本線]] ([[名古屋鉄道]]):[[豊橋駅]] - [[名鉄岐阜駅]] (99.8km)
**[[名鉄犬山線]] (名古屋鉄道):[[枇杷島分岐点]] - [[新鵜沼駅]] (26.8km)
**[[名鉄広見線]] (名古屋鉄道):[[犬山駅]] - [[御嵩駅]] (22.3km)
**[[近鉄名古屋線]] (近畿日本鉄道):[[伊勢中川駅]] - [[近鉄名古屋駅]] (78.8km)
**[[養老鉄道養老線]] ([[養老鉄道]]・第2種):[[桑名駅]] - [[揖斐駅]] (57.5km)
==== 岐阜県 ====
*広域:
**東海道本線(2) (東海旅客鉄道):[[大垣駅]] - [[関ケ原駅]] (13.8km)
**[[太多線]] (東海旅客鉄道):[[多治見駅]] - [[美濃太田駅]] (17.8km)
**[[長良川鉄道越美南線]] ([[長良川鉄道]]):美濃太田駅 - [[北濃駅]] (72.1km)
**[[樽見鉄道樽見線]] ([[樽見鉄道]]):大垣駅 - [[樽見駅]] (34.5km)
**[[明知鉄道明知線]] ([[明知鉄道]]):[[恵那駅]] - [[明智駅 (岐阜県恵那市)|明智駅]] (25.1km)
**[[名鉄各務原線]] (名古屋鉄道):[[名鉄岐阜駅]] - [[新鵜沼駅]] (17.6km)
**[[名鉄竹鼻線]] (名古屋鉄道):[[笠松駅]] - [[江吉良駅]] (10.3km)
*[[羽島市]]
**[[名鉄羽島線]] (名古屋鉄道):江吉良駅 - [[新羽島駅]] (1.3km)
*[[大垣市]]
**東海道本線(3) (東海旅客鉄道):大垣駅 - [[美濃赤坂駅]] (5km)
**[[西濃鉄道市橋線]] ([[西濃鉄道]]):美濃赤坂駅 - [[猿岩駅]] (2.0km・貨物線)
==== 静岡県 ====
*広域:
**[[伊東線]] (東日本旅客鉄道):[[熱海駅]] - [[伊東駅]] (16.9km)
**[[伊豆箱根鉄道駿豆線]] ([[伊豆箱根鉄道]]):[[三島駅]] - [[修善寺駅]] (19.8km)
**[[伊豆急行線]] ([[伊豆急行]]):伊東駅 - [[伊豆急下田駅]] (45.7km)
**[[大井川鐵道大井川本線]] ([[大井川鐵道]]):[[金谷駅]] - [[千頭駅]] (39.5km)
**[[大井川鐵道井川線]] (大井川鐵道):千頭駅 - [[井川駅]] (25.5km)
**[[天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線]] ([[天竜浜名湖鉄道]]):[[掛川駅]] - [[新所原駅]] (67.7km)
*[[静岡市]]
**[[静岡鉄道静岡清水線]] ([[静岡鉄道]]):[[新静岡駅]] - [[新清水駅]] (11km)
*[[浜松市]]
**[[遠州鉄道鉄道線]] ([[遠州鉄道]]):[[新浜松駅]] - [[西鹿島駅]] (17.8km)
*[[富士市]]
**[[岳南電車岳南線]] ([[岳南電車]]):[[吉原駅]] - [[岳南江尾駅]] (9.2km)
*[[函南町]]
**[[十国峠十国鋼索線]] ([[十国峠 (企業)|十国峠]]):[[十国登り口駅]] - [[十国峠駅]] (0.3km)
==== 愛知県 ====
*広域:
**[[武豊線]] (東海旅客鉄道):[[大府駅]] - [[武豊駅]] (19.3km)
**[[東海交通事業城北線]] ([[東海交通事業]]・第2種):[[勝川駅]] - [[枇杷島駅]] (11.2km)
**[[豊橋鉄道渥美線]] ([[豊橋鉄道]]):[[新豊橋駅]] - [[三河田原駅]] (18km)
**[[愛知環状鉄道線]] ([[愛知環状鉄道]]):[[岡崎駅]] - [[高蔵寺駅]] (45.3km)
**[[愛知高速交通東部丘陵線]] ([[愛知高速交通]])磁気浮上'''[軌道法適用]''':[[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]] - [[八草駅]] (8.9km)
**[[名鉄西尾線]] (名古屋鉄道):[[新安城駅]] - [[吉良吉田駅]] (24.7km)
**[[名鉄三河線]] (名古屋鉄道):[[猿投駅]] - [[碧南駅]] (39.8km)
**[[名鉄豊田線]] (名古屋鉄道):[[赤池駅 (愛知県)|赤池駅]] - [[梅坪駅]] (15.2km)
**[[名鉄蒲郡線]] (名古屋鉄道):吉良吉田駅 - [[蒲郡駅]] (17.6km)
**[[名鉄常滑線]] (名古屋鉄道):[[神宮前駅]] - [[常滑駅]] (29.3km)
**[[名鉄河和線]] (名古屋鉄道):[[太田川駅]] - [[河和駅]] (28.8km)
**[[名鉄知多新線]] (名古屋鉄道):[[富貴駅]] - [[内海駅 (愛知県)|内海駅]] (13.9km)
**[[名鉄瀬戸線]] (名古屋鉄道):[[栄町駅 (愛知県)|栄町駅]] - [[尾張瀬戸駅]] (20.6km)
**[[名鉄小牧線]](1) (名古屋鉄道):[[味鋺駅]] - [[犬山駅]] (18.3km)
**[[名鉄津島線]] (名古屋鉄道):[[須ヶ口駅]] - [[津島駅]] (11.8km)
**[[名鉄尾西線]] (名古屋鉄道):[[弥富駅]] - [[玉ノ井駅]] (30.9km)
**[[名古屋市営地下鉄鶴舞線]] ([[名古屋市交通局]]):[[上小田井駅]] - 赤池駅 (20.4km)
**[[名古屋臨海鉄道南港線]] ([[名古屋臨海鉄道]]):[[東港駅]] - [[知多駅]] (11.3km・貨物線)
**[[衣浦臨海鉄道碧南線]] ([[衣浦臨海鉄道]]):[[東浦駅]] - [[碧南市駅]] (11.3km・貨物線)
*[[名古屋市]]
**[[名鉄築港線]] (名古屋鉄道):[[大江駅 (愛知県)|大江駅]] - [[東名古屋港駅]] (1.5km)
**名鉄小牧線 (名古屋鉄道・第2種):[[上飯田駅]] - [[味鋺駅]] (2.3km)
**[[名古屋ガイドウェイバスガイドウェイバス志段味線]] ([[名古屋ガイドウェイバス]])'''[軌道法適用]''':[[大曽根駅]] - [[小幡緑地駅]] (6.5km)
**[[名古屋市営地下鉄東山線]] (名古屋市交通局):[[高畑駅]] - [[藤が丘駅 (愛知県)|藤が丘駅]] (20.6km)
**[[名古屋市営地下鉄名城線]] (名古屋市交通局)
***2号線:大曽根駅 - [[栄駅 (愛知県)|栄駅]] - [[金山駅 (愛知県)|金山駅]] (8.9km)
***4号線:大曽根駅 - [[名古屋大学駅]] - 金山駅 (17.5km)
**[[名古屋市営地下鉄名港線]] (名古屋市交通局):金山駅 - [[名古屋港駅 (名古屋市営地下鉄)|名古屋港駅]] (6.0km)
**[[名古屋市営地下鉄桜通線]] (名古屋市交通局):[[太閤通駅]] - [[徳重駅 (名古屋市)|徳重駅]] (19.1km)
**[[名古屋市営地下鉄上飯田線]] (名古屋市交通局・第2種):[[上飯田駅]] - [[平安通駅]] (0.8km)
**[[名古屋臨海高速鉄道あおなみ線|名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線]] (名古屋臨海高速鉄道):名古屋駅 - [[金城ふ頭駅]] (15.2km)
**[[名古屋臨海鉄道東港線]] (名古屋臨海鉄道):[[笠寺駅]] - [[東港駅]] (3.8km・貨物線)
**[[名古屋臨海鉄道昭和町線]] (名古屋臨海鉄道):東港駅 - [[昭和町駅 (愛知県)|昭和町駅]] (1km・貨物線)
**[[名古屋臨海鉄道汐見町線]] (名古屋臨海鉄道):東港駅 - [[汐見町駅]] (3km・貨物線)
**[[名古屋臨海鉄道東築線]] (名古屋臨海鉄道):東港駅 - [[名電築港駅]] (1.3km・貨物線)
**東海道本線(1)(日本貨物鉄道):[[山王信号場]] - [[名古屋港駅_(JR貨物)|名古屋港駅]] (6.2km・貨物線)
*[[豊橋市]]
**[[豊橋鉄道東田本線]] ([[豊橋鉄道]])'''[軌道法適用]''':[[駅前停留場]] - [[赤岩口停留場]] (4.8km)
**豊橋鉄道東田本線(1) (豊橋鉄道)'''[軌道法適用]''':[[井原停留場]] - [[運動公園前停留場]] (0.6km)
*[[豊川市]]
**[[名鉄豊川線]] (名古屋鉄道)'''[軌道法適用{{efn|現在は鉄道規格の路線であるが、歴史的経緯によるもの。}}]''':[[国府駅 (愛知県)|国府駅]] - [[豊川稲荷駅]] (7.2km)
*[[半田市]]
**[[衣浦臨海鉄道半田線]] ([[衣浦臨海鉄道]]):[[半田埠頭駅]] - [[東成岩駅]] (3.4km・貨物線)
*[[常滑市]]
**[[名鉄空港線]] (名古屋鉄道・第2種):[[常滑駅]] - [[中部国際空港駅]] (4.2km)
==== 三重県 ====
*広域:
**[[参宮線]] (東海旅客鉄道):[[多気駅]] - [[鳥羽駅]] (29.1km)
**[[名松線]] (東海旅客鉄道):[[松阪駅]] - [[伊勢奥津駅]] (43.5km)
**[[近鉄山田線]] (近畿日本鉄道):[[伊勢中川駅]] - [[宇治山田駅]] (28.3km)
**[[近鉄鳥羽線]] (近畿日本鉄道):宇治山田駅 - 鳥羽駅 (13.2km)
**[[近鉄志摩線]] (近畿日本鉄道):鳥羽駅 - [[賢島駅]] (24.5km)
**[[近鉄湯の山線]] (近畿日本鉄道):[[近鉄四日市駅]] - [[湯の山温泉駅]] (15.4km)
**[[伊勢鉄道伊勢線]] ([[伊勢鉄道]]):[[河原田駅]] - [[津駅]] (22.3km)
**[[三岐鉄道三岐線]](1) ([[三岐鉄道]]):[[三岐朝明信号場]] - [[西藤原駅]] (25.5km)
**[[三岐鉄道北勢線]] (三岐鉄道):[[西桑名駅]] - [[阿下喜駅]] (20.4km)
*[[四日市市]]
**関西本線(1)(日本貨物鉄道):[[四日市駅]] - [[塩浜駅]] (3.3km・貨物線)
**[[四日市あすなろう鉄道内部線]] ([[四日市あすなろう鉄道]]・第2種):[[近鉄四日市駅|あすなろう四日市駅]] - [[内部駅]] (5.7km)
**[[四日市あすなろう鉄道八王子線]] (四日市あすなろう鉄道・第2種):[[日永駅]] - [[西日野駅]] (1.3km)
**三岐鉄道三岐線 (三岐鉄道):[[富田駅 (三重県)|富田駅]] - [[三岐朝明信号場]] (1.0km・貨物線)
**[[三岐鉄道三岐線|三岐鉄道近鉄連絡線]] (三岐鉄道):[[三岐朝明信号場]] - [[近鉄富田駅]] (1.1km)
*[[鈴鹿市]]
**[[近鉄鈴鹿線]] (近畿日本鉄道):[[伊勢若松駅]] - [[平田町駅]] (8.2km)
*[[伊賀市]]
**[[伊賀鉄道伊賀線]] ([[伊賀鉄道]]・第2種):[[伊賀上野駅]] - [[伊賀神戸駅]] (16.6km)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
== 関連項目 ==
*[[日本の地域別鉄道路線一覧]]
**[[北海道の鉄道路線]]
**[[東北地方の鉄道路線]]
**[[関東地方の鉄道路線]]
**[[近畿地方の鉄道路線]]
**[[中国地方の鉄道路線]]
**[[四国の鉄道路線]]
**[[九州の鉄道路線]]
[[Category:中部地方の鉄道路線|*]]
[[Category:日本の地域別鉄道路線一覧|ちゆうふちほう]] | 2003-05-08T07:54:23Z | 2023-09-19T10:59:01Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,918 | 近畿地方の鉄道路線 | 近畿地方の鉄道路線(きんきちほうのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 近畿地方の鉄道路線(きんきちほうのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
近畿地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[近畿地方]]の[[鉄道路線]]'''(きんきちほうのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
**近畿地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
==近畿地方==
*超広域:
**[[東海道新幹線]] ([[東海旅客鉄道]]):[[東京駅]] - [[新大阪駅]] (552.6 km)
**[[東海道本線]] (東海旅客鉄道):[[熱海駅]] - [[米原駅]] (341.3 km)
**[[北陸本線]] ([[西日本旅客鉄道]]):[[米原駅]] - [[金沢駅]] (176.6 km)
**[[小浜線]] (西日本旅客鉄道):[[敦賀駅]] - [[東舞鶴駅]] (84.3 km)
**[[関西本線]] (西日本旅客鉄道):[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]] - [[JR難波駅]] (115 km)
**[[草津線]] (西日本旅客鉄道):[[柘植駅]] - [[草津駅 (滋賀県)|草津駅]] (36.7 km)
**[[紀勢本線]] (東海旅客鉄道):亀山駅 - [[新宮駅]] (180.2 km)
**[[山陽新幹線]] (西日本旅客鉄道):新大阪駅 - [[博多駅]] (644 km)
**[[山陽本線]] (西日本旅客鉄道):[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] - [[下関駅]] (528.1 km)
**[[姫新線]] (西日本旅客鉄道):[[姫路駅]] - [[新見駅]] (158.1 km)
**[[赤穂線]] (西日本旅客鉄道):[[相生駅 (兵庫県)|相生駅]] - [[東岡山駅]] (57.4 km)
**[[山陰本線]] (西日本旅客鉄道):[[京都駅]] - [[幡生駅]] (673.8 km)
**[[近鉄大阪線]] ([[近畿日本鉄道]]):[[大阪上本町駅]] - [[伊勢中川駅]] (108.9 km)
**[[智頭急行智頭線]] ([[智頭急行]]):[[上郡駅]] - [[智頭駅]] (56.1 km)
*広域:
**[[近鉄京都線]] (近畿日本鉄道):京都駅 - [[大和西大寺駅]] (34.6 km)
**[[近鉄奈良線]] (近畿日本鉄道):[[布施駅]] - [[近鉄奈良駅]] (26.7 km)
**[[近鉄けいはんな線]](1) (近畿日本鉄道):鉄軌分界点 - [[生駒駅]] (5.1 km) <!--生駒以東は奈良県内で第2種なので別掲-->
**[[近鉄南大阪線]] (近畿日本鉄道):[[大阪阿部野橋駅]] - [[橿原神宮前駅]] (39.8 km)
**[[京阪本線]] ([[京阪電気鉄道]]):[[淀屋橋駅]] - [[三条駅 (京都府)|三条駅]] (49.3 km)
**[[京阪京津線]] (京阪電気鉄道)'''[軌道法適用]''':[[御陵駅]] - [[びわ湖浜大津駅]] (7.5 km)
**[[阪急神戸本線]] ([[阪急電鉄]]):[[大阪梅田駅 (阪急)|大阪梅田駅]] - [[三宮駅|神戸三宮駅]] (32.3 km)
**[[阪急京都本線]] (阪急電鉄):[[十三駅]] - [[京都河原町駅]] (45.3 km)
**[[阪急宝塚本線]] (阪急電鉄):大阪梅田駅 - [[宝塚駅]] (24.5 km)
**[[阪神本線]] ([[阪神電気鉄道]]):[[元町駅 (兵庫県)|元町駅]] - [[大阪梅田駅 (阪神)|大阪梅田駅]] (32.1 km)
**[[阪神なんば線]] (阪神電気鉄道):[[尼崎駅 (阪神)|尼崎駅]] - [[西九条駅]] (6.3 km)<!-- 西九条-大阪難波間は事業種別が違うので別掲 -->
**[[南海本線]] ([[南海電気鉄道]]):[[難波駅 (南海)|難波駅]] - [[和歌山市駅]] (64.2 km)
**[[南海高野線]] (南海電気鉄道):[[汐見橋駅]] - [[極楽橋駅]] (64.5 km)
**[[琵琶湖線]] - [[JR京都線]] - [[JR神戸線]] - [[福知山線|JR宝塚線]](それぞれ愛称:西日本旅客鉄道)
**[[東海道本線]] (西日本旅客鉄道):[[米原駅]] - 神戸駅 (143.6 km)
**[[東海道本線]](1) (西日本旅客鉄道):[[吹田貨物ターミナル駅]] - [[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]] (12.2 km)
**[[湖西線]] (西日本旅客鉄道):[[山科駅]] - [[近江塩津駅]] (74.1 km)
**[[和歌山線]] (西日本旅客鉄道):[[王寺駅]] - [[和歌山駅]] (87.5 km)
**[[阪和線]] (西日本旅客鉄道):[[天王寺駅]] - 和歌山駅 (61.3 km)
**[[福知山線]] (西日本旅客鉄道):尼崎駅 - [[福知山駅]] (106.5 km)
**[[片町線]] (西日本旅客鉄道):[[木津駅 (京都府)|木津駅]] - [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] (44.8 km)
**[[JR東西線]] (西日本旅客鉄道・第2種):京橋駅 - 尼崎駅 (12.5 km)
**[[能勢電鉄妙見線]] ([[能勢電鉄]]):[[川西能勢口駅]] - [[妙見口駅]] (12.2 km)
**[[北近畿タンゴ鉄道宮津線|京都丹後鉄道宮津線]] ([[WILLER TRAINS]]・第2種):[[西舞鶴駅]] - [[豊岡駅 (兵庫県)|豊岡駅]] (83.6 km)
=== 京都府 ===
*超広域:東海道新幹線 東海道本線 湖西線 山陰本線 小浜線 福知山線 関西本線 片町線 近鉄京都線 京阪本線 京阪京津線 阪急京都本線 京都丹後鉄道宮津線
*広域:
**[[奈良線]] (西日本旅客鉄道):京都駅 - 木津駅 (34.7 km)
**[[舞鶴線]] (西日本旅客鉄道):[[綾部駅]] - [[東舞鶴駅]] (26.4 km)
**[[京阪宇治線]] (京阪電気鉄道):[[中書島駅]] - [[宇治駅 (京阪)|宇治駅]] (7.6 km)
**[[嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線]] ([[嵯峨野観光鉄道]]・第2種):[[トロッコ嵯峨駅]] - [[トロッコ亀岡駅]] (7.3 km)
**[[京都丹後鉄道宮福線]] (WILLER TRAINS・第2種):[[宮津駅]] - [[福知山駅]] (30.4 km)
**[[京都市営地下鉄東西線]] ([[京都市交通局]]):[[六地蔵駅]] - [[太秦天神川駅]] (17.5 km)
*[[京都市]]
**[[阪急嵐山線]] (阪急電鉄):[[桂駅]] - [[嵐山駅 (阪急)|嵐山駅]] (4.1 km)
**[[京阪鴨東線]] (京阪電気鉄道):三条駅 - [[出町柳駅]] (2.3 km)
**[[京福電気鉄道嵐山本線]] (京福電気鉄道)'''[軌道法適用]''':[[四条大宮駅]] - [[嵐山駅 (京福電気鉄道)|嵐山駅]] (7.2 km)
**[[京福電気鉄道北野線]] (京福電気鉄道)'''[軌道法適用]''':[[北野白梅町駅]] - [[帷子ノ辻駅]] (3.8 km)
**[[京福電気鉄道鋼索線]] (京福電気鉄道):[[ケーブル八瀬駅]] - [[ケーブル比叡駅]] (1.3 km)
**[[叡山電鉄叡山本線]] ([[叡山電鉄]]):[[出町柳駅]] - [[八瀬比叡山口駅]] (5.6 km)
**[[叡山電鉄鞍馬線]] (叡山電鉄):[[宝ケ池駅]] - [[鞍馬駅]] (8.8 km)
**[[鞍馬山鋼索鉄道]] ([[鞍馬寺]]):[[山門駅]] - [[多宝塔駅]] (0.2 km)
**[[京都市営地下鉄烏丸線]] (京都市交通局):[[国際会館駅]] - [[竹田駅 (京都府)|竹田駅]] (13.7 km)
*[[八幡市]]
**[[京阪鋼索線]] (京阪電気鉄道):[[ケーブル八幡宮口駅]] - [[ケーブル八幡宮山上駅]] (0.4 km)
*[[宮津市]]
**[[天橋立鋼索鉄道]] ([[丹後海陸交通]]):[[府中駅 (京都府)|府中駅]] - [[傘松駅]] (0.4 km)
=== 大阪府 ===
*超広域:東海道新幹線 山陽新幹線 東海道本線 JR東西線 片町線 関西本線 阪和線 京阪本線 阪急京都本線 阪急宝塚本線 阪急神戸本線 阪神本線 阪神なんば線 近鉄大阪線 近鉄奈良線 近鉄けいはんな線 近鉄南大阪線 南海本線 南海高野線 能勢電鉄妙見線
*広域:
**[[阪急千里線]] (阪急電鉄):[[天神橋筋六丁目駅]] - [[北千里駅]] (13.6 km)
**[[阪急箕面線]] (阪急電鉄):[[石橋阪大前駅]] - [[箕面駅]] (4 km)
**[[近鉄道明寺線]] (近畿日本鉄道):[[道明寺駅]] - [[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]] (2.2 km)
**[[近鉄長野線]] (近畿日本鉄道):[[古市駅 (大阪府)|古市駅]] - [[河内長野駅]] (12.5 km)
**[[京阪交野線]] (京阪電気鉄道):[[枚方市駅]] - [[私市駅]] (6.9 km)
**[[北大阪急行電鉄南北線]] ([[北大阪急行電鉄]]):[[江坂駅]] - [[千里中央駅]] (5.9 km)
**[[泉北高速鉄道線]] ([[泉北高速鉄道]]):[[中百舌鳥駅]] - [[和泉中央駅]] (14.3 km)
**[[南海空港線]](1) ([[南海電気鉄道]]・第2種):[[りんくうタウン駅]] - [[関西空港駅]] (6.9 km)
**東海道本線(2)(西日本旅客鉄道):吹田貨物ターミナル駅 - [[福島駅 (JR西日本)|福島駅]] (10.0km)
**[[片町線]](1) (西日本旅客鉄道):[[神崎川信号場]] - 吹田貨物ターミナル駅 (3.7km)
**[[おおさか東線]] (西日本旅客鉄道・第2種):[[新大阪駅]] - [[久宝寺駅]] (20.2km)
**阪和線(1) (西日本旅客鉄道):[[鳳駅]] - [[東羽衣駅]] (1.7 km)
**[[関西空港線]](1) (西日本旅客鉄道・第2種):りんくうタウン駅 - 関西空港駅 (6.9 km)
**東海道本線(2)([[日本貨物鉄道]]):吹田貨物ターミナル駅 - [[大阪貨物ターミナル駅]] (8.7km・貨物線)
**[[大阪モノレール本線|大阪モノレール大阪モノレール線]](本線) ([[大阪モノレール]])'''[軌道法適用]''':[[大阪空港駅]] - [[門真市駅]] (21.2 km)
**[[大阪モノレール彩都線|大阪モノレール国際文化公園都市モノレール線]](彩都線) (大阪モノレール)'''[軌道法適用]''':[[万博記念公園駅 (大阪府)|万博記念公園駅]] - [[彩都西駅]] (6.8 km)
**[[阪堺電気軌道阪堺線]] ([[阪堺電気軌道]])'''[軌道法適用]''':[[恵美須町駅]] - [[浜寺駅前停留場]] (14.1 km)
**1号線[[Osaka Metro御堂筋線]] ([[大阪市高速電気軌道]])'''[軌道法適用]''':[[江坂駅]] - [[中百舌鳥駅]] (24.5 km)
**2号線[[Osaka Metro谷町線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[大日駅]] - [[八尾南駅]] (28.1 km)
**4号線[[Osaka Metro中央線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[大阪港駅]] - [[長田駅 (大阪府)|長田駅]] (15.5 km)
**7号線[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[大正駅 (大阪府)|大正駅]] - [[門真南駅]] (15 km)
**8号線[[Osaka Metro今里筋線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[井高野駅]] - [[今里駅 (Osaka Metro)|今里駅]] (11.9 km)
*[[大阪市]]
**[[近鉄難波線]] (近畿日本鉄道):[[大阪難波駅]] - [[大阪上本町駅]] (2 km)
**[[阪神なんば線]](1) (阪神電気鉄道・第2種):[[西九条駅]] - [[大阪難波駅]] (3.8 km)<!-- 尼崎-西九条間は事業種別が違うので別掲 -->
**[[京阪中之島線]] (京阪電気鉄道・第2種):[[中之島駅]] - [[天満橋駅]] (3 km)
**[[大阪環状線]] (西日本旅客鉄道):天王寺駅 - [[新今宮駅]] (20.7 km)
**[[桜島線]] (西日本旅客鉄道):[[西九条駅]] - [[桜島駅]] (4.1 km)
**片町線(2) (西日本旅客鉄道):[[正覚寺信号場]] - [[平野駅 (JR西日本)|平野駅]] (1.5 km)
**関西本線(2)(日本貨物鉄道):平野駅 - [[百済貨物ターミナル駅]] (1.4km・貨物線)
**[[阪堺電気軌道上町線]] (阪堺電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[天王寺駅|天王寺駅前停留場]] - [[住吉停留場 (大阪府)|住吉停留場]] (4.4 km)
**[[南港・港区連絡線]]([[Osaka Metro中央線]]) (大阪市高速電気軌道・第2種):[[大阪港駅]] - [[コスモスクエア駅]] (2.4 km)
**南港・港区連絡線([[Osaka Metro南港ポートタウン線]]) (大阪市高速電気軌道・第2種):コスモスクエア駅 - [[トレードセンター前駅]] (0.6 km)
**南港・港区連絡線(Osaka Metro南港ポートタウン線)(1) (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':トレードセンター前駅 - [[中ふ頭駅]] (0.7 km)
**3号線[[Osaka Metro四つ橋線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[西梅田駅]] - [[住之江公園駅]] (11.4 km)
**5号線[[Osaka Metro千日前線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[野田阪神駅]] - [[南巽駅]] (12.6 km)
**6号線[[Osaka Metro堺筋線]] (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[天神橋筋六丁目駅]] - [[天下茶屋駅]] (8.5 km)
**[[Osaka Metro南港ポートタウン線]] (大阪市高速電気軌道):[[中ふ頭駅]] - [[フェリーターミナル駅]] (2.7 km)
**Osaka Metro南港ポートタウン線(1) (大阪市高速電気軌道)'''[軌道法適用]''':フェリーターミナル駅 - [[住之江公園駅]] (3.9 km)
*[[東大阪市]]
**[[近鉄けいはんな線]] (近畿日本鉄道)'''[軌道法適用]''':[[長田駅 (大阪府)|長田駅]] - 鉄軌分界点 (5.1 km)
*[[八尾市]]
**[[近鉄信貴線]] (近畿日本鉄道):[[河内山本駅]] - [[信貴山口駅]] (2.8 km)
**[[近鉄西信貴鋼索線]] (近畿日本鉄道):[[信貴山口駅]] - [[高安山駅]] (1.3 km)
*[[高石市]]
**[[南海高師浜線]] (南海電気鉄道):[[羽衣駅]] - [[高師浜駅]] (1.5 km)
*[[貝塚市]]
**[[水間鉄道水間線]] ([[水間鉄道]]):[[貝塚駅 (大阪府)|貝塚駅]] - [[水間観音駅]] (5.5 km)
*[[泉佐野市]]
**関西空港線 (西日本旅客鉄道):[[日根野駅]] - [[りんくうタウン駅]] (4.2 km)
**南海空港線 (南海電気鉄道):[[泉佐野駅]] - りんくうタウン駅 (1.9 km)
*[[泉南郡]][[岬町]]
**[[南海多奈川線]] (南海電気鉄道):[[みさき公園駅]] - [[多奈川駅]] (2.6 km)
=== 滋賀県 ===
*超広域:東海道新幹線 東海道本線 湖西線 草津線 北陸本線 京阪京津線
*広域:
**[[近江鉄道本線]] ([[近江鉄道]]):[[米原駅]] - [[貴生川駅]] (47.7 km)
**[[近江鉄道多賀線]] (近江鉄道):[[高宮駅 (滋賀県)|高宮駅]] - [[多賀大社前駅]] (2.5 km)
**[[近江鉄道八日市線]] (近江鉄道):[[八日市駅]] - [[近江八幡駅]] (9.3 km)
*[[大津市]]
**[[京阪石山坂本線]] (京阪電気鉄道)'''[軌道法適用]''':[[石山寺駅]] - [[坂本比叡山口駅]] (14.1 km)
**[[比叡山鉄道線]] ([[比叡山鉄道]]):[[ケーブル坂本駅]] - [[ケーブル延暦寺駅]] (2.0 km)
*[[甲賀市]]
**[[信楽高原鐵道信楽線]] ([[信楽高原鐵道]]・第2種):[[貴生川駅]] - [[信楽駅]] (14.7 km)
=== 兵庫県 ===
*超広域:東海道本線 JR東西線 福知山線 山陽本線 山陽新幹線 姫新線 赤穂線 山陰本線 阪急神戸本線 阪急宝塚本線 阪神本線 阪神なんば線 能勢電鉄妙見線 京都丹後鉄道宮津線 智頭急行智頭線
*広域:
**[[加古川線]] (西日本旅客鉄道):[[加古川駅]] - [[谷川駅]] (48.5 km)
**[[播但線]] (西日本旅客鉄道):[[姫路駅]] - [[和田山駅]] (65.7 km)
**[[阪急今津線]] (阪急電鉄):[[宝塚駅]] - [[今津駅 (兵庫県)|今津駅]] (9.3 km)
**[[阪急伊丹線]] (阪急電鉄):[[塚口駅 (阪急)|塚口駅]] - [[伊丹駅 (阪急)|伊丹駅]] (3.1 km)
**[[神戸電鉄三田線]] ([[神戸電鉄]]):[[有馬口駅]] - [[三田駅 (兵庫県)|三田駅]] (12.0 km)
**[[神戸電鉄粟生線]] (神戸電鉄):[[鈴蘭台駅]] - [[粟生駅]] (29.2 km)
**[[山陽電気鉄道本線]] ([[山陽電気鉄道]]):[[西代駅]] - [[山陽姫路駅]] (54.7 km)
**[[能勢電鉄日生線]] ([[能勢電鉄]]):[[山下駅 (兵庫県)|山下駅]] - [[日生中央駅]] (2.6 km)
**[[北条鉄道北条線]] ([[北条鉄道]]):粟生駅 - [[北条町駅]] (13.6 km)
*[[神戸市]]
**山陽本線(1) (西日本旅客鉄道):[[兵庫駅]] - [[和田岬駅]] (2.7 km)
**[[神戸電鉄有馬線]] (神戸電鉄):[[湊川駅]] - [[有馬温泉駅]] (22.5 km)
**[[神戸高速鉄道東西線]] ([[神戸高速鉄道]]・第3種):[[西代駅]] - [[三宮駅|神戸三宮駅]] (5.7 km)
**神戸高速鉄道東西線(1) (神戸高速鉄道・第3種):[[高速神戸駅]] - [[元町駅 (兵庫県)|元町駅]] (1.5 km)
**[[阪急神戸高速線]] (阪急電鉄・第2種):神戸三宮駅 - [[新開地駅]] (2.8 km)
**[[阪神神戸高速線]] (阪神電気鉄道・第2種):元町駅 - 西代駅 (5.0 km)
**[[神戸高速鉄道南北線]] (神戸高速鉄道・第3種):新開地駅 - [[湊川駅]] (0.4 km)
**[[神戸電鉄神戸高速線]] (神戸電鉄・第2種):新開地駅 - 湊川駅 (0.4 km)
**[[神戸新交通ポートアイランド線]] ([[神戸新交通]])'''[軌道法適用]''':三宮駅 - [[ポートターミナル駅]] (1.8 km)
**神戸新交通ポートアイランド線(1) (神戸新交通):ポートターミナル駅 - [[中公園駅]] (1 km)
**神戸新交通ポートアイランド線(2) (神戸新交通)'''[軌道法適用]''':中公園駅 - [[南公園駅]] (1.6 km)
**神戸新交通ポートアイランド線(3) (神戸新交通):南公園駅 - 中公園駅 (2 km)
**神戸新交通ポートアイランド線(4) (神戸新交通)'''[軌道法適用]''':[[市民広場駅]] - [[神戸空港駅]] (4.4 km)
**[[神戸新交通六甲アイランド線]] (神戸新交通)'''[軌道法適用]''':[[住吉駅 (JR西日本・神戸新交通)|住吉駅]] - [[南魚崎駅]] (2 km)
**神戸新交通六甲アイランド線(1) (神戸新交通):南魚崎駅 - [[アイランド北口駅]] (1.5 km)
**神戸新交通六甲アイランド線(2) (神戸新交通)'''[軌道法適用]''':[[アイランド北口駅]] - [[マリンパーク駅]] (1 km)
**[[神戸市営地下鉄西神・山手線]] ([[神戸市交通局]]):[[新神戸駅]] - [[西神中央駅]] (22.7 km)
**[[神戸市営地下鉄海岸線]] (神戸市交通局):[[三宮・花時計前駅]] - [[新長田駅]] (7.9 km)
**[[神戸市営地下鉄北神線]] (神戸市交通局):新神戸駅 - [[谷上駅]] (7.5 km)
**[[六甲山観光六甲ケーブル線]] ([[六甲山観光]]):[[六甲ケーブル下駅]] - [[六甲山上駅]] (1.7 km)
**[[こうべ未来都市機構摩耶ケーブル線]] ([[こうべ未来都市機構]]):[[摩耶ケーブル駅]] - [[虹駅]] (0.9 km)
*[[姫路市]]
**[[山陽電気鉄道網干線]] ([[山陽電気鉄道]]):[[飾磨駅]] - [[山陽網干駅]] (8.5 km)
*[[西宮市]]
**[[阪急甲陽線]] (阪急電鉄):[[夙川駅]] - [[甲陽園駅]] (2.2 km)
**[[阪神武庫川線]] (阪神電気鉄道):[[武庫川駅]] - [[武庫川団地前駅]] (1.7 km)
*[[川西市]]
**[[能勢電鉄妙見の森ケーブル]] ([[能勢電鉄]]):[[黒川駅 (兵庫県)|黒川駅]] - [[ケーブル山上駅]] (0.6 km)
*[[三田市]]
**[[神戸電鉄公園都市線]] (神戸電鉄):[[横山駅 (兵庫県)|横山駅]] - [[ウッディタウン中央駅]] (5.5 km)
=== 奈良県 ===
*超広域:関西本線 和歌山線 近鉄大阪線 近鉄奈良線 近鉄京都線 近鉄けいはんな線 近鉄南大阪線
*広域:
**[[桜井線]] (西日本旅客鉄道):[[奈良駅]] - [[高田駅 (奈良県)|高田駅]] (29.4 km)
**[[近鉄橿原線]] (近畿日本鉄道):[[大和西大寺駅]] - [[橿原神宮前駅]] (23.8 km)
**[[近鉄吉野線]] (近畿日本鉄道):橿原神宮前駅 - [[吉野駅 (奈良県)|吉野駅]] (25.2 km)
**近鉄けいはんな線(2) (近畿日本鉄道・第2種):[[生駒駅]] - [[学研奈良登美ヶ丘駅]] (8.6 km)
**[[近鉄生駒線]] (近畿日本鉄道):王寺駅 - [[生駒駅]] (12.4 km)
**[[近鉄田原本線]] (近畿日本鉄道):[[新王寺駅]] - [[田原本駅|西田原本駅]] (10.1 km)
**[[近鉄天理線]] (近畿日本鉄道):[[平端駅]] - [[天理駅]] (4.5 km)
**[[近鉄御所線]] (近畿日本鉄道):[[尺土駅]] - [[近鉄御所駅]] (5.2 km)
*[[生駒市]]
**[[近鉄生駒鋼索線]] (近畿日本鉄道):[[鳥居前駅]] - [[生駒山上駅]] (2.0 km)
=== 和歌山県 ===
*超広域:阪和線 和歌山線 紀勢本線(JR東海) 南海本線 南海高野線
*広域:
**[[紀勢本線]] (西日本旅客鉄道):[[新宮駅]] - 和歌山市駅 (204.0 km)
**[[紀勢本線|きのくに線]] (愛称:西日本旅客鉄道)
**[[和歌山電鐵貴志川線]] ([[和歌山電鐵]]):和歌山駅 - [[貴志駅]] (14.3 km)
*[[和歌山市]]
**[[南海加太線]] (南海電気鉄道):[[紀ノ川駅]] - [[加太駅 (和歌山県)|加太駅]] (9.6 km)
**[[南海和歌山港線]] (南海電気鉄道):和歌山市駅 - [[久保町駅|県社分界点]] (0.8 km)
**南海和歌山港線(1) (南海電気鉄道・第2種):[[久保町駅|県社分界点]] - [[和歌山港駅]] (2 km)
*[[御坊市]]
**[[紀州鉄道線]] ([[紀州鉄道]]):[[御坊駅]] - [[西御坊駅]] (2.7 km)
*[[伊都郡]][[高野町]]
**[[南海鋼索線]] (南海電気鉄道):[[極楽橋駅]] - [[高野山駅]] (0.8 km)
== 関連項目 ==
* [[日本の地域別鉄道路線一覧]]
* [[北海道の鉄道路線]]
* [[東北地方の鉄道路線]]
* [[関東地方の鉄道路線]]
* [[中部地方の鉄道路線]]
* [[中国地方の鉄道路線]]
* [[四国の鉄道路線]]
* [[九州の鉄道路線]]
[[Category:近畿地方の鉄道路線|*]]
[[Category:日本の地域別鉄道路線一覧|きんきちほう]] | 2003-05-08T07:55:08Z | 2023-08-03T19:59:26Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%95%BF%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,919 | 中国地方の鉄道路線 | 中国地方の鉄道路線(ちゅうごくちほうのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 中国地方の鉄道路線(ちゅうごくちほうのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
中国地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[中国地方]]の[[鉄道路線]]'''(ちゅうごくちほうのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
**中国地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
==中国地方==
*超広域:
**[[山陽新幹線]] ([[西日本旅客鉄道]]):[[新大阪駅]] - [[博多駅]] (644.0km)
**[[山陽本線]] (西日本旅客鉄道):[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] - [[下関駅]] (528.1km)
**[[山陽本線]] ([[九州旅客鉄道]]):[[下関駅]] - [[門司駅]] (6.3km)
**[[姫新線]] (西日本旅客鉄道):[[姫路駅]] - [[新見駅]] (158.1km)
**[[赤穂線]] (西日本旅客鉄道):[[相生駅 (兵庫県)|相生駅]] - [[東岡山駅]] (57.4km)
**[[本四備讃線]] (四国旅客鉄道):[[児島駅]] - [[宇多津駅]] (18.1km)
**[[山陰本線]] (西日本旅客鉄道):[[京都駅]] - [[幡生駅]] (673.8km)
**[[智頭急行智頭線]] ([[智頭急行]]):[[上郡駅]] - [[智頭駅]] (56.1km)
*広域:
**[[伯備線]] (西日本旅客鉄道):[[倉敷駅]] - [[伯耆大山駅]] (138.4km)
**[[芸備線]] (西日本旅客鉄道):[[備中神代駅]] - [[広島駅]] (159.1km)
**[[山口線]] (西日本旅客鉄道):[[新山口駅]] - [[益田駅]] (93.9km)
**[[因美線]] (西日本旅客鉄道):[[鳥取駅]] - [[東津山駅]] (70.8km)
**[[木次線]] (西日本旅客鉄道):[[宍道駅]] - [[備後落合駅]] (81.9km)
**[[井原鉄道井原線]](1) ([[井原鉄道]]):[[清音駅]] - [[神辺駅]] (38.3km)
=== 鳥取県 ===
*超広域:山陰本線 因美線 伯備線 智頭急行智頭線
**広域:
***[[境線]] (西日本旅客鉄道):[[米子駅]] - [[境港駅]] (17.9km)
***[[若桜鉄道若桜線]] ([[若桜鉄道]]・第2種):[[郡家駅]] - [[若桜駅]] (19.2km)
=== 島根県 ===
*超広域:山陰本線 木次線 山口線
*広域:
**[[一畑電車北松江線]] ([[一畑電車]]):[[電鉄出雲市駅]] - [[松江しんじ湖温泉駅]] (33.9km)
*[[出雲市]]
**[[一畑電車大社線]] (一畑電車):[[川跡駅]] - [[出雲大社前駅]] (8.3km)
=== 岡山県 ===
*超広域:山陽新幹線 山陽本線 姫新線 赤穂線 本四備讃線 伯備線 芸備線 因美線 智頭急行智頭線 井原鉄道井原線
*広域:
**[[津山線]] (西日本旅客鉄道):[[岡山駅]] - [[津山駅]] (58.7km)
**[[吉備線]] (西日本旅客鉄道):岡山駅 - [[総社駅]] (20.4km)
**[[宇野線]] (西日本旅客鉄道):岡山駅 - [[宇野駅]] (32.8km)
**[[本四備讃線]] (西日本旅客鉄道):[[茶屋町駅]] - [[児島駅]] (12.9km)
*[[岡山市]]
**[[岡山電気軌道東山本線]] ([[岡山電気軌道]])'''[軌道法適用]''':岡山駅前停留場 - [[東山・おかでんミュージアム駅停留場]] (3.1km)
**[[岡山電気軌道清輝橋線]] (岡山電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[柳川停留場]] - [[清輝橋停留場]] (1.6km)
*[[倉敷市]]
**[[水島臨海鉄道水島本線]] ([[水島臨海鉄道]]):[[倉敷市駅]] - [[倉敷貨物ターミナル駅]] (11.2km)
**[[水島臨海鉄道港東線]] (水島臨海鉄道):[[水島駅]] - [[東水島駅]] (3.6km・貨物線)
**[[水島臨海鉄道西埠頭線]] (水島臨海鉄道):[[三菱自工前駅]] - [[西埠頭駅]] (0.8km・貨物線)
*[[総社市]]
**[[井原鉄道井原線]] ([[井原鉄道]]・第2種):[[総社駅]] - [[清音駅]] (3.4km)
=== 広島県 ===
*超広域:山陽新幹線 山陽本線 芸備線 木次線 井原鉄道井原線
*広域:
**[[福塩線]] (西日本旅客鉄道):[[福山駅]] - [[塩町駅]] (78.0km)
**[[呉線]] (西日本旅客鉄道):[[三原駅]] - [[海田市駅]] (87.0km)
**[[広島電鉄宮島線]] ([[広島電鉄]]){{efn|路面電車車両による運行であるが、鉄道事業法準拠。}}:[[広電西広島駅]] - [[広電宮島口駅]] (16.1km)
*[[広島市]]
**[[可部線]] (西日本旅客鉄道):[[横川駅 (広島県)|横川駅]] - [[あき亀山駅]] (15.6km)
**[[広島電鉄本線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':広島駅停留場 - [[広電西広島駅]] (5.4km)
**[[広島電鉄宇品線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':[[紙屋町停留場]] - [[広島港停留場]] (5.7km)
**[[広島電鉄江波線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':[[土橋停留場]] - [[江波停留場]] (2.6km)
**[[広島電鉄横川線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':[[十日市町停留場]] - 横川駅停留場 (1.4km)
**[[広島電鉄皆実線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':[[的場町停留場]] - [[皆実町六丁目停留場]] (2.5km)
**[[広島電鉄白島線]] (広島電鉄)'''[軌道法適用]''':[[八丁堀停留場]] - [[白島停留場]] (1.2km)
**[[広島高速交通広島新交通1号線]] ([[広島高速交通]]):[[本通駅]] - [[県庁前駅 (広島県)|県庁前駅]] (0.3km)
**[[広島高速交通広島新交通1号線]](1) (広島高速交通)'''[軌道法適用]''':[[県庁前駅 (広島県)|県庁前駅]] - [[広域公園前駅]] (18.1km)
**[[スカイレールサービス広島短距離交通瀬野線]] ([[スカイレールサービス]])'''[軌道法適用]''':[[みどり口駅]] - [[みどり中央駅]] (1.3km)
=== 山口県 ===
*超広域:山陽新幹線 山陽本線 山陰本線 山口線
*広域:
**[[岩徳線]] (西日本旅客鉄道):[[岩国駅]] - [[櫛ケ浜駅]] (43.7km)
**[[宇部線]] (西日本旅客鉄道):[[新山口駅]] - [[宇部駅]] (33.2km)
**[[小野田線]] (西日本旅客鉄道):[[小野田駅]] - [[居能駅]] (11.6km)
**[[美祢線]] (西日本旅客鉄道):[[厚狭駅]] - [[長門市駅]] (46.0km)
*[[岩国市]]
**[[錦川鉄道錦川清流線]] ([[錦川鉄道]]):[[川西駅 (山口県)|川西駅]] - [[錦町駅]] (32.7km)
*[[山陽小野田市]]
**[[小野田線]](1)(本山線) (西日本旅客鉄道):[[雀田駅]] - [[長門本山駅]] (2.3km)
*[[長門市]]
**[[山陰本線]](1) (西日本旅客鉄道):[[長門市駅]] - [[仙崎駅]] (2.2km)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
==関連項目==
* [[日本の地域別鉄道路線一覧]]
* [[北海道の鉄道路線]]
* [[東北地方の鉄道路線]]
* [[関東地方の鉄道路線]]
* [[中部地方の鉄道路線]]
* [[近畿地方の鉄道路線]]
* [[四国の鉄道路線]]
* [[九州の鉄道路線]]
[[Category:中国地方の鉄道路線|*]]
[[Category:日本の地域別鉄道路線一覧|ちゆうこく]] | null | 2023-04-15T15:22:51Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,920 | 四国の鉄道路線 | 四国の鉄道路線(しこくのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 四国の鉄道路線(しこくのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
四国地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[四国]]の[[鉄道路線]]'''(しこくのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
**四国地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
== 四国 ==
*超広域:
**[[本四備讃線]] ([[四国旅客鉄道]]):[[児島駅]] - [[宇多津駅]] (18.1 km)
*広域:
**[[予讃線]] (四国旅客鉄道):[[高松駅 (香川県)|高松駅]] - [[宇和島駅]] (297.6 km)
**[[予土線]] (四国旅客鉄道):[[北宇和島駅]] - [[若井駅]] (76.3 km)
**[[高徳線]] (四国旅客鉄道):高松駅 - [[徳島駅]] (74.5 km)
**[[土讃線]] (四国旅客鉄道):[[多度津駅]] - [[窪川駅]] (198.7 km)
**[[阿佐海岸鉄道阿佐東線]] ([[阿佐海岸鉄道]]):[[阿波海南駅|阿波海南信号場]] - [[甲浦信号場]] (10.0 km)
=== 徳島県 ===
*超広域:土讃線 高徳線 阿佐海岸鉄道阿佐東線
*広域:
**[[徳島線]] (四国旅客鉄道):[[佃駅]] - [[佐古駅]] (67.5 km)
**[[牟岐線]] (四国旅客鉄道):[[徳島駅]] - [[阿波海南駅]] (77.8 km)
*[[鳴門市]]
**[[鳴門線]] (四国旅客鉄道):[[池谷駅]] - [[鳴門駅]] (8.5 km)
=== 香川県 ===
*超広域:予讃線 本四備讃線 土讃線 高徳線
*広域:
**[[高松琴平電気鉄道琴平線]] ([[高松琴平電気鉄道]]):[[高松築港駅]] - [[琴電琴平駅]] (32.9 km)
**[[高松琴平電気鉄道志度線]] (高松琴平電気鉄道):[[瓦町駅]] - [[琴電志度駅]] (12.5 km)
**[[高松琴平電気鉄道長尾線]] (高松琴平電気鉄道):瓦町駅 - [[長尾駅 (香川県)|長尾駅]] (14.6 km)
*[[高松市]]
**[[八栗ケーブル]] ([[四国ケーブル]]):[[八栗登山口駅]] - [[八栗山上駅]] (0.7 km)
=== 愛媛県 ===
*超広域:予讃線 予土線
*広域:
**予讃線(1) (四国旅客鉄道):[[向井原駅]] - [[内子駅]] (23.5 km)
**[[内子線]] (四国旅客鉄道):[[新谷駅]] - 内子駅 (5.3 km)
**[[伊予鉄道横河原線]] ([[伊予鉄道]]):[[松山市駅]] - [[横河原駅]] (13.2 km)
**[[伊予鉄道郡中線]] (伊予鉄道):松山市駅 - [[郡中港駅]] (11.3 km)
*[[松山市]]
**[[伊予鉄道高浜線]] (伊予鉄道):[[高浜駅 (愛媛県)|高浜駅]] - 松山市駅 (9.4 km)
**[[伊予鉄道城北線]] (伊予鉄道){{efn|路面電車車両による運行であるが、鉄道事業法準拠。}}:[[古町駅]] - [[平和通一丁目停留場]] (2.7 km)
**[[伊予鉄道城南線]] (伊予鉄道)'''[軌道法適用]''':[[道後温泉駅]] - [[西堀端停留場]] (3.5 km)
**伊予鉄道城南線(連絡支線) (伊予鉄道)'''[軌道法適用]''':平和通一丁目停留場 - [[上一万停留場]] (0.1 km)
**[[伊予鉄道本町線]] (伊予鉄道)'''[軌道法適用]''':[[西堀端停留場|本町一丁目停留場]] - [[本町六丁目停留場]] (1.5 km)
**[[伊予鉄道大手町線]] (伊予鉄道)'''[軌道法適用]''':古町駅 - 西堀端停留場 (1.4 km)
**[[伊予鉄道花園線]] (伊予鉄道)'''[軌道法適用]''':松山市駅停留場 - [[南堀端停留場]] (0.4 km)
*大洲市
**予讃線(2) (四国旅客鉄道):新谷駅 - [[伊予大洲駅]] (5.9 km)
=== 高知県 ===
*超広域:土讃線 予土線 阿佐海岸鉄道阿佐東線
*広域:
**[[土佐くろしお鉄道中村線]] ([[土佐くろしお鉄道]]):[[窪川駅]] - [[中村駅]] (43.0 km)
**[[土佐くろしお鉄道宿毛線]] (土佐くろしお鉄道):中村駅 - [[宿毛駅]] (23.6 km)
**[[土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線|土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)]] (土佐くろしお鉄道):[[奈半利駅]] - [[後免駅]] (42.7 km)
**[[とさでん交通伊野線]] ([[とさでん交通]])'''[軌道法適用]''':[[はりまや橋停留場]] - [[伊野停留場]] (11.2 km)
**[[とさでん交通後免線]] (とさでん交通)'''[軌道法適用]''':はりまや橋停留場 - [[後免町駅|後免町停留場]] (10.9 km)
*[[高知市]]
**[[とさでん交通桟橋線]] (とさでん交通)'''[軌道法適用]''':[[高知駅|高知駅前停留場]] - [[桟橋通五丁目停留場]] (3.2 km)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
==関連項目==
* [[日本の地域別鉄道路線一覧]]
* [[北海道の鉄道路線]]
* [[東北地方の鉄道路線]]
* [[関東地方の鉄道路線]]
* [[中部地方の鉄道路線]]
* [[近畿地方の鉄道路線]]
* [[中国地方の鉄道路線]]
* [[九州の鉄道路線]]
[[Category:四国地方の鉄道路線|*]]
[[Category:日本の地域別鉄道路線一覧|しこく]]
[[Category:四国地方の一覧|てつとうろせん]] | null | 2023-04-12T06:53:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,921 | 九州の鉄道路線 | 九州の鉄道路線(きゅうしゅうのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 九州の鉄道路線(きゅうしゅうのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
九州地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[九州]]の[[鉄道路線]]'''(きゅうしゅうのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
**九州地方以外の路線が紛れ込んでいる可能性もある。その場合は、単に削除するのではなく、適切な記事に移動するか、誤りの指摘をしていただきたい。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
==九州==
*超広域:
**[[山陽新幹線]] ([[西日本旅客鉄道]]):[[新大阪駅]] - [[博多駅]] (644.0 km)
**[[山陽本線]] ([[九州旅客鉄道]]):[[下関駅]] - [[門司駅]] (6.3 km)
*広域:
**[[九州新幹線]] (九州旅客鉄道):博多駅([[福岡県]]) - [[鹿児島中央駅]]([[鹿児島県]]) (256.8 km)
**[[西九州新幹線]] (九州旅客鉄道):武雄温泉駅([[佐賀県]]) - [[長崎駅]]([[長崎県]])
**[[鹿児島本線]] (九州旅客鉄道):[[門司港駅]](福岡県) - [[八代駅]]([[熊本県]]) (232.3 km)
**[[長崎本線]] (九州旅客鉄道):[[鳥栖駅]](佐賀県) - [[長崎駅]](長崎県) (125.3 km)
**[[佐世保線]] (九州旅客鉄道):[[江北駅 (佐賀県)|江北駅]]([[佐賀県]]) - [[佐世保駅]](長崎県) (48.8 km)
**[[筑肥線]] (九州旅客鉄道):[[姪浜駅]](福岡県) - [[唐津駅]](佐賀県) (42.6 km)
**[[久大本線]] (九州旅客鉄道):[[久留米駅]](福岡県) - [[大分駅]]([[大分県]]) (141.5 km)
**[[日田彦山線]] (九州旅客鉄道):[[城野駅 (JR九州)|城野駅]](福岡県) - [[夜明駅]](大分県) (68.7 km)
**[[日豊本線]] (九州旅客鉄道):[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] (福岡県) - [[鹿児島駅]](鹿児島県) (462.6 km)
**[[豊肥本線]] (九州旅客鉄道):大分駅(大分県) - [[熊本駅]](熊本県) (148 km)
**[[肥薩線]] (九州旅客鉄道):八代駅(熊本県) - [[隼人駅]](鹿児島県) (124.2 km)
**[[吉都線]] (九州旅客鉄道):[[吉松駅]](鹿児島県) - [[都城駅]]([[宮崎県]]) (61.6 km)
**[[日南線]] (九州旅客鉄道):[[南宮崎駅]](宮崎県) - [[志布志駅]](鹿児島県) (88.9 km)
**[[甘木鉄道甘木線]] ([[甘木鉄道]]):[[基山駅]](佐賀県) - [[甘木駅]](福岡県) (13.7 km)
**[[松浦鉄道西九州線]] ([[松浦鉄道]]):[[有田駅]](佐賀県) - 佐世保駅(長崎県) (93.8 km)
**[[肥薩おれんじ鉄道線]] ([[肥薩おれんじ鉄道]]):八代駅(熊本県) - [[川内駅 (鹿児島県)|川内駅]](鹿児島県) (116.9 km)
=== 福岡県 ===
*超広域:山陽本線 山陽新幹線 九州新幹線 鹿児島本線 筑肥線 日豊本線 日田彦山線 甘木鉄道甘木線
*広域:
**[[博多南線]] (西日本旅客鉄道):博多駅 - [[博多南駅]] (8.5 km)
**[[香椎線]] (九州旅客鉄道):[[西戸崎駅]] - [[宇美駅]] (25.4 km)
**[[篠栗線]] (九州旅客鉄道):[[桂川駅 (福岡県)|桂川駅]] - [[吉塚駅]] (25.1 km)
**[[筑豊本線]] (九州旅客鉄道):[[若松駅]] - [[原田駅 (福岡県)|原田駅]] (66.1 km)
**[[後藤寺線]] (九州旅客鉄道):[[田川後藤寺駅]] - [[新飯塚駅]] (13.3 km)
**[[西鉄天神大牟田線]] (西日本鉄道):[[西鉄福岡(天神)駅]] - [[大牟田駅]] (74.8 km)
**[[西鉄太宰府線]] ([[西日本鉄道]]):[[西鉄二日市駅]] - [[太宰府駅]] (2.4 km)
**[[西鉄貝塚線]] (西日本鉄道):[[貝塚駅 (福岡県)|貝塚駅]] - [[西鉄新宮駅]] (11.0 km)
**[[西鉄甘木線]] (西日本鉄道):[[甘木駅]] - [[宮の陣駅]] (17.9 km)
**[[筑豊電気鉄道線]] ([[筑豊電気鉄道]]):[[熊西駅]] - [[筑豊直方駅]] (15.4 km)
**[[平成筑豊鉄道伊田線]] ([[平成筑豊鉄道]]):[[直方駅]] - [[田川伊田駅]] (16.1 km)
**[[平成筑豊鉄道糸田線]] (平成筑豊鉄道):[[金田駅]] - 田川後藤寺駅 (6.8 km)
**[[平成筑豊鉄道田川線]] (平成筑豊鉄道):[[行橋駅]] - 田川伊田駅 (26.3 km)
*[[福岡市]]
**鹿児島本線(1) ([[日本貨物鉄道]]):[[香椎駅]] - [[福岡貨物ターミナル駅]] (3.7 km)
**[[福岡市地下鉄空港線]] ([[福岡市交通局]]):[[姪浜駅]] - [[福岡空港駅]] (13.1 km)
**[[福岡市地下鉄箱崎線]] (福岡市交通局):[[中洲川端駅]] - 貝塚駅 (4.7 km)
**[[福岡市地下鉄七隈線]] (福岡市交通局):[[橋本駅 (福岡県)|橋本駅]] - 博多駅 (13.6 km)
*[[北九州市]]
**[[皿倉山ケーブルカー]] ([[皿倉登山鉄道]]):[[山麓駅 (福岡県)|山麓駅]] - [[山上駅 (福岡県)|山上駅]] (1.1 km)
**[[北九州高速鉄道小倉線]] ([[北九州高速鉄道]]・第2種)''[軌道法適用]''':[[小倉駅 (福岡県)|小倉駅]] - [[企救丘駅]] (8.8 km)
**[[筑豊電気鉄道線]](1) (筑豊電気鉄道):[[黒崎駅前駅]] - [[熊西駅]] (0.6 km)
**[[平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線]] (平成筑豊鉄道・第2種):[[九州鉄道記念館駅]] - [[関門海峡めかり駅]] (2.1 km)
=== 佐賀県 ===
*超広域:九州新幹線 鹿児島本線 長崎本線 佐世保線 筑肥線 甘木鉄道甘木線 松浦鉄道西九州線
*広域:
**筑肥線(1) (九州旅客鉄道):[[山本駅 (佐賀県)|山本駅]] - [[伊万里駅]] (25.7 km)
**[[唐津線]] (九州旅客鉄道):[[久保田駅 (佐賀県)|久保田駅]] - [[西唐津駅]] (42.5 km)
=== 長崎県 ===
*超広域:長崎本線 佐世保線 松浦鉄道西九州線
*広域:
**長崎本線(1) (九州旅客鉄道):[[喜々津駅]] - [[浦上駅]] (23.5 km)
**[[大村線]] (九州旅客鉄道):[[早岐駅]] - [[諫早駅]] (47.6 km)
**[[島原鉄道線]] ([[島原鉄道]]):[[諫早駅]] - [[島原港駅]] (43.2 km)
*[[長崎市]]
**[[長崎電気軌道赤迫支線]] ([[長崎電気軌道]])'''[軌道法適用]''':[[赤迫停留場]] - [[住吉停留場 (長崎県)|住吉停留場]] (0.3 km)
**[[長崎電気軌道本線]] (長崎電気軌道)'''[軌道法適用]''':住吉停留場 - [[崇福寺停留場]] (7 km)
**[[長崎電気軌道桜町支線]] (長崎電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[長崎駅|長崎駅前停留場]] - [[市役所停留場]] (0.9 km)
**[[長崎電気軌道大浦支線]] (長崎電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[新地中華街停留場]] - [[石橋停留場]] (1.1 km)
**[[長崎電気軌道蛍茶屋支線]] (長崎電気軌道)'''[軌道法適用]''':[[西浜町停留場]] - [[蛍茶屋停留場]] (2.2 km)
=== 熊本県 ===
*超広域:九州新幹線 鹿児島本線 豊肥本線 肥薩線 肥薩おれんじ鉄道線
*広域:
**[[三角線]] (九州旅客鉄道):[[宇土駅]] - [[三角駅]] (25.6 km)
**[[熊本電気鉄道菊池線]] ([[熊本電気鉄道]]):[[上熊本駅]] - [[御代志駅]] (10.8 km)
**[[くま川鉄道湯前線]] ([[くま川鉄道]]):[[人吉駅]] - [[湯前駅]] (24.8 km)
*[[熊本市]]
**[[熊本電気鉄道藤崎線]] (熊本電気鉄道):[[北熊本駅]] - [[藤崎宮前駅]] (2.3 km)
**[[熊本市電幹線]] ([[熊本市交通局]])'''[軌道法適用]''':[[熊本駅|熊本駅前停留場]] - [[水道町停留場]] (3.3 km)
**[[熊本市電水前寺線]] (熊本市交通局)'''[軌道法適用]''':水道町停留場 - [[水前寺公園停留場]] (2.4 km)
**[[熊本市電健軍線]] (熊本市交通局)'''[軌道法適用]''':水前寺公園停留場 - [[健軍町停留場]] (3 km)
**[[熊本市電上熊本線]] (熊本市交通局)'''[軌道法適用]''':[[辛島町停留場]] - [[上熊本駅|上熊本停留場]] (2.9 km)
**[[熊本市電田崎線]] (熊本市交通局)'''[軌道法適用]''':熊本駅前停留場 - [[田崎橋停留場]] (0.5 km)
*[[阿蘇郡]]
**[[南阿蘇鉄道高森線]] ([[南阿蘇鉄道]]):[[立野駅 (熊本県)|立野駅]] - [[高森駅]] (17.7 km)
=== 大分県 ===
*超広域:日豊本線 日田彦山線 久大本線 豊肥本線
*広域:なし
*[[別府市]]
**[[別府ラクテンチケーブル線]] ([[岡本製作所]]):[[雲泉寺駅]](ラクテンチ下) - [[乙原駅 (大分県)|乙原駅]](ラクテンチ上) (0.3 km)
=== 宮崎県 ===
*超広域:日豊本線 吉都線 日南線
*広域:
**なし
*[[宮崎市]]
**[[宮崎空港線]] (九州旅客鉄道):[[田吉駅]] - [[宮崎空港駅]] (1.4 km)
=== 鹿児島県 ===
*超広域:九州新幹線 鹿児島本線 肥薩線 日豊本線 吉都線 日南線 肥薩おれんじ鉄道線
*広域:
**鹿児島本線 (九州旅客鉄道):[[川内駅 (鹿児島県)|川内駅]] - [[鹿児島駅]] (49.3 km)
**[[指宿枕崎線]] (九州旅客鉄道):[[鹿児島中央駅]] - [[枕崎駅]] (87.9 km)
*[[鹿児島市]]
**[[鹿児島市電第一期線]] ([[鹿児島市交通局]])軌道'''[軌道法適用]''':[[武之橋停留場]] - [[鹿児島駅|鹿児島駅前停留場]] (3.0 km)
**[[鹿児島市電第二期線]] (鹿児島市交通局)軌道'''[軌道法適用]''':[[高見馬場停留場]] - [[鹿児島中央駅|鹿児島中央駅前停留場]] (1.0 km)
**[[鹿児島市電谷山線]] (鹿児島市交通局)軌道'''[軌道法適用]''':武之橋停留場 - [[谷山停留場]] (6.4 km)
**[[鹿児島市電唐湊線]] (鹿児島市交通局)軌道'''[軌道法適用]''':鹿児島中央駅前停留場 - [[郡元停留場]] (2.7 km)
=== 沖縄県 ===
*超広域:なし
*広域:
**[[沖縄都市モノレール線]] ([[沖縄都市モノレール]])'''[軌道法適用]''':[[那覇空港駅]] - [[てだこ浦西駅]] (17.0 km)
== 関連項目 ==
* [[日本の地域別鉄道路線一覧]]
* [[北海道の鉄道路線]]
* [[東北地方の鉄道路線]]
* [[関東地方の鉄道路線]]
* [[中部地方の鉄道路線]]
* [[近畿地方の鉄道路線]]
* [[中国地方の鉄道路線]]
* [[四国の鉄道路線]]
[[Category:九州地方の鉄道路線|*]]
[[Category:日本の地域別鉄道路線一覧|きゆうしゆうちほう]] | null | 2023-05-28T16:39:15Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,922 | 東北地方の鉄道路線 | 東北地方の鉄道路線(とうほくちほうのてつどうろせん)
解説:
廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | [
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] | 東北地方の鉄道路線(とうほくちほうのてつどうろせん) 解説: 「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
詳細については、その地域を含む親の地域の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
特記無き路線は鉄道事業法に基づく鉄道路線、[軌道法適用]と記載がある路線は軌道法に基づく軌道路線である。 廃止された鉄道路線については日本の廃止鉄道路線一覧を参照。 | '''[[東北地方]]の[[鉄道路線]]'''(とうほくちほうのてつどうろせん)
解説:
*「広域:」とは、その地域内の複数の部分にまたがる路線である。地域内で完結している。
*「超広域:」とは、その地域と他の地域にまたがる路線である。
**詳細については、[[日本の地域別鉄道路線一覧|その地域を含む親の地域]]の「広域」にある同じ路線名の記述を参照。
* 各路線の区間は『鉄道要覧』を基準としている。
* 同じ路線でも支線(別線)および事業種別の違う区間は別掲しており、各地方ごとに起点側から(1)、(2)…と番号を付けている。
* 特記無き路線は[[鉄道事業法]]に基づく鉄道路線、'''[軌道法適用]'''と記載がある路線は[[軌道法]]に基づく軌道路線である。
廃止された鉄道路線については[[日本の廃止鉄道路線一覧]]を参照。
== 東北地方 ==
*超広域:
**[[北海道新幹線]] ([[北海道旅客鉄道]]) : [[新青森駅]] - [[新函館北斗駅]]([[北海道地方]]) (148.8km)
**[[海峡線]] (北海道旅客鉄道):[[中小国駅]] - [[木古内駅]](北海道地方) (87.8km)
**[[東北新幹線]] ([[東日本旅客鉄道]]):[[東京駅]]([[関東地方]]) - [[新青森駅]] (713.7km)
**[[東北本線]] (東日本旅客鉄道):[[東京駅]](関東地方) - [[盛岡駅]] (535.3km)
**[[常磐線]] (東日本旅客鉄道):[[日暮里駅]](関東地方) - [[岩沼駅]] (343.1km)
**[[磐越西線]] (東日本旅客鉄道):[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]] - [[新津駅]]([[中部地方]]) (175.6km)
**[[羽越本線]] (東日本旅客鉄道):[[新津駅]](中部地方) - [[秋田駅]] (271.7km)
**[[米坂線]] (東日本旅客鉄道):[[米沢駅]] - [[坂町駅]](中部地方) (90.7km)
**[[只見線]] (東日本旅客鉄道):[[会津若松駅]] - [[小出駅]](中部地方) (135.2km)
**[[水郡線]] (東日本旅客鉄道):[[水戸駅]](関東地方) - [[安積永盛駅]] (137.5km)
**[[野岩鉄道会津鬼怒川線]] ([[野岩鉄道]]):[[新藤原駅]](関東地方) - [[会津高原尾瀬口駅]] (30.7km)
*広域:
**[[奥羽本線]] (東日本旅客鉄道):[[福島駅 (福島県)|福島駅]]([[福島県]]) - [[青森駅]]([[青森県]]) (484.5km)
**[[五能線]] (東日本旅客鉄道):[[東能代駅]]([[秋田県]]) - [[川部駅]](青森県) (147.2km)
**[[花輪線]] (東日本旅客鉄道):[[好摩駅]]([[岩手県]]) - [[大館駅]](秋田県) (106.9km)
**[[八戸線]] (東日本旅客鉄道):[[八戸駅]](青森県) - [[久慈駅]](岩手県) (64.9km)
**[[田沢湖線]] (東日本旅客鉄道):[[盛岡駅]](岩手県) - [[大曲駅 (秋田県)|大曲駅]](秋田県) (75.6km)
**[[北上線]] (東日本旅客鉄道):[[北上駅]](岩手県) - [[横手駅]](秋田県) (61.1km)
**[[大船渡線]] (東日本旅客鉄道):[[一ノ関駅]](岩手県) - [[気仙沼駅]]([[宮城県]])- [[盛駅]](岩手県) (105.7km)
**[[陸羽東線]] (東日本旅客鉄道):[[小牛田駅]](宮城県) - [[新庄駅]]([[山形県]]) (94.1km)
**[[仙山線]] (東日本旅客鉄道):[[仙台駅]](宮城県) - [[羽前千歳駅]](山形県) (58.0km)
**[[いわて銀河鉄道線]]([[IGRいわて銀河鉄道]]):[[盛岡駅]](岩手県) - [[目時駅]](青森県) (82.0km)
**[[阿武隈急行線]] ([[阿武隈急行]]):福島駅(福島県) - [[槻木駅]](宮城県) (54.9km)
=== 青森県 ===
*超広域:[[北海道新幹線]] [[東北新幹線]] [[八戸線]] [[奥羽本線]] [[五能線]] [[海峡線]] [[いわて銀河鉄道線]]
*広域:
**[[大湊線]] (東日本旅客鉄道):[[野辺地駅]] - [[大湊駅]] (58.4km)
**[[津軽線]] (東日本旅客鉄道):[[青森駅]] - [[三厩駅]] (55.8km)
**[[青い森鉄道線]] ([[青い森鉄道]]・第2種):[[目時駅]] - 青森駅 (121.9km)
**[[弘南鉄道弘南線]] ([[弘南鉄道]]):[[弘前駅]] - [[黒石駅 (青森県)|黒石駅]] (16.8km)
**[[弘南鉄道大鰐線]] (弘南鉄道):[[大鰐温泉駅|大鰐駅]] - [[中央弘前駅]] (13.9km)
**[[津軽鉄道線]] ([[津軽鉄道]]):[[五所川原駅|津軽五所川原駅]] - [[津軽中里駅]] (20.7km)
*[[青森市]]
**奥羽本線(2)([[日本貨物鉄道]]・第2種):新青森駅 - [[青森信号場]] (4.8km・貨物線)
*[[八戸市]]
**[[八戸臨海鉄道線]] ([[八戸臨海鉄道]]):八戸貨物駅 - 北沼駅 (8.5km・貨物線)
*[[東津軽郡]][[外ヶ浜町]]
**[[青函トンネル竜飛斜坑線]] ([[道の駅みんまや#青函トンネル記念館|青函トンネル記念館]]):[[青函トンネル記念館駅]] - [[体験坑道駅]] (0.8km)
=== 秋田県 ===
*超広域:奥羽本線 [[羽越本線]] 五能線 [[花輪線]] [[田沢湖線]] [[北上線]]
*広域:
**[[男鹿線]] (東日本旅客鉄道):[[追分駅 (秋田県)|追分駅]] - [[男鹿駅]] (26.6km)
**[[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]] ([[秋田内陸縦貫鉄道]]):[[鷹ノ巣駅|鷹巣駅]] - [[角館駅]] (94.2km)
*[[秋田市]]
**奥羽本線(1) (日本貨物鉄道):[[土崎駅]] - [[秋田港駅]] (1.8km・貨物線)
**[[秋田臨海鉄道線|秋田臨海鉄道線南線]] ([[秋田臨海鉄道]]):秋田港駅 - 向浜駅 (5.4km・貨物線)
**[[秋田臨海鉄道線|秋田臨海鉄道線北線]] (秋田臨海鉄道):秋田港駅 - 秋田北港駅 (2.5km・貨物線)
*[[由利本荘市]]
**[[由利高原鉄道鳥海山ろく線]] ([[由利高原鉄道]]):[[羽後本荘駅]] - [[矢島駅]] (23km)
=== 山形県 ===
*超広域:奥羽本線 [[仙山線]] [[陸羽東線]] 羽越本線 [[米坂線]]
*広域:
**[[陸羽西線]] (東日本旅客鉄道):[[新庄駅]] - [[余目駅]] (43.0km)
**[[左沢線]] (東日本旅客鉄道):[[北山形駅]] - [[左沢駅]] (24.3km)
**[[山形鉄道フラワー長井線]] ([[山形鉄道]]):[[赤湯駅]] - [[荒砥駅]] (30.5km)
*[[酒田市]]
**[[羽越本線]](1) (日本貨物鉄道):[[酒田駅]] - [[酒田港駅]] (2.7km・貨物線)
=== 岩手県 ===
*超広域:[[東北新幹線]] [[東北本線]] [[八戸線]] [[大船渡線]] [[北上線]] [[田沢湖線]] [[花輪線]] [[いわて銀河鉄道線]]
*広域:
**[[山田線]] ([[東日本旅客鉄道]]):[[盛岡駅]] - [[宮古駅]] (102.1km)
**[[釜石線]] ([[東日本旅客鉄道]]):[[花巻駅]] - [[釜石駅]] (90.2km)
**[[三陸鉄道リアス線]] ([[三陸鉄道]]):[[盛駅]] - [[久慈駅]] (163.0km)
*[[大船渡市]]
**[[岩手開発鉄道日頃市線]] ([[岩手開発鉄道]]):[[盛駅 ]]- [[岩手石橋駅]] (9.5km・貨物線)
**[[岩手開発鉄道赤崎線]] ([[岩手開発鉄道]]):[[盛駅]] - [[赤崎駅]] (2.0km・貨物線)
=== 宮城県 ===
*超広域:東北新幹線 東北本線 [[常磐線]] [[仙山線]] [[陸羽東線]] 大船渡線 [[阿武隈急行線]]
*広域:
**東北本線(4) (東日本旅客鉄道):[[岩切駅]] - [[利府駅]] (4.2km)
**[[仙石線]] (東日本旅客鉄道):[[あおば通駅]] - [[石巻駅]] (50.2km)
**[[石巻線]] (東日本旅客鉄道):[[小牛田駅]] - [[女川駅]] (44.7km)
**[[気仙沼線]] (東日本旅客鉄道):[[前谷地駅]] - [[気仙沼駅]] (72.8km)
**[[仙台臨海鉄道臨海本線]] ([[仙台臨海鉄道]])貨物線:[[陸前山王駅]] - 仙台北港駅 (5.4km)
*[[仙台市]]
**東北本線(3) (東日本旅客鉄道):[[長町駅]] - [[東仙台駅]] (6.6km)
**[[仙台市地下鉄南北線]] ([[仙台市交通局]]):[[富沢駅]] - [[泉中央駅]] (14.8km)
**[[仙台市地下鉄東西線]] (仙台市交通局):[[八木山動物公園駅]] - [[荒井駅 (宮城県)|荒井駅]] (13.9km)
**[[仙台臨海鉄道仙台埠頭線]] ([[仙台臨海鉄道]]):仙台港駅 - 仙台埠頭駅 (1.6km・貨物線)
**[[仙台臨海鉄道仙台西港線]] (仙台臨海鉄道):仙台港駅 - 仙台西港駅 (2.5km・貨物線)
*[[石巻市]]
**仙石線(1) (日本貨物鉄道)貨物線:[[陸前山下駅]] - 石巻埠頭駅 (4.7km)
*[[名取市]]
**[[仙台空港鉄道仙台空港線]] ([[仙台空港鉄道]]):[[名取駅]] - [[仙台空港駅]] (7.1km)
=== 福島県 ===
*超広域:東北新幹線 東北本線 常磐線 [[水郡線]] [[磐越西線]] [[只見線]] 奥羽本線 阿武隈急行線 [[野岩鉄道会津鬼怒川線]]
*広域:
**[[磐越東線]] (東日本旅客鉄道):[[いわき駅]] - [[郡山駅 (福島県)|郡山駅]] (85.6km)
**[[会津鉄道会津線]] ([[会津鉄道]]):[[西若松駅]] - [[会津高原尾瀬口駅]] (57.4km)
*[[福島市]]
**[[福島交通飯坂線]] ([[福島交通]]):福島駅 - [[飯坂温泉駅]] (9.2km)
*[[いわき市]]
**[[福島臨海鉄道本線]] ([[福島臨海鉄道]]):[[泉駅 (福島県いわき市)|泉駅]] - 小名浜駅 (5.4km・貨物線)
==関連項目==
* [[日本の地域別鉄道路線一覧]]
* [[北海道の鉄道路線]]
* [[関東地方の鉄道路線]]
* [[中部地方の鉄道路線]]
* [[近畿地方の鉄道路線]]
* [[中国地方の鉄道路線]]
* [[四国の鉄道路線]]
* [[九州の鉄道路線]]
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[[Category:東北地方の一覧|てつとう]] | null | 2023-03-05T19:00:40Z | false | false | false | [] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E8%B7%AF%E7%B7%9A |
7,923 | 遺伝子組み換え作物 | 遺伝子組み換え作物(いでんしくみかえさくもつ、英語: genetically modified crops)とは、遺伝子組換え技術を用いて遺伝的性質の改変が行われた作物である。略称はGM作物(英語: GM crops)である。
日本語では、いくつかの表記が混在している。遺伝子組換作物反対派は遺伝子組み換え作物、厚生労働省が遺伝子組換え作物、食品衛生法では組換えDNA技術応用作物、農林水産省では遺伝子組換え農産物 を使う。
英語の genetically modified organism からGMOとも呼ばれることがある。なお、GMOは通常はトランスジェニック動物なども含む遺伝子組換え生物を指し、作物に限らない。
遺伝子組換え作物は、商業的に栽培されている植物(作物)に遺伝子操作を行い、新たな遺伝子を導入し発現させたり、内在性の遺伝子の発現を促進・抑制したりすることにより、新たな形質が付与された作物である。食用の遺伝子組換え作物では、除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの生産者や流通業者にとっての利点を重視した遺伝子組換え作物の開発が先行し、こうして生み出された食品を第一世代遺伝子組換え食品と呼ぶ。これに対し、食物の成分を改変することによって栄養価を高めたり、有害物質を減少させたり、医薬品として利用できたりするなど、消費者にとっての直接的な利益を重視した遺伝子組み換え作物の開発も近年活発となり、こうして生み出された食品を第二世代組み換え食品という。
遺伝子組換え作物の作製には、開発過程の高効率化や安全性に関する懸念の払拭のためにさまざまな手法が取り入れられている。たとえば、遺伝子の組み換わった細胞(形質転換細胞)だけを選択するプロセスにおいて、かつては医療用、畜産用としても用いられる抗生物質と選択マーカー遺伝子としてその抗生物質耐性遺伝子が用いられていた。現在ではそのような抗生物質耐性遺伝子が遺伝子組換え作物に残っていることが規制される場合もあり、それ以外の選択マーカー遺伝子を利用したり、選択マーカー遺伝子を除去したりといった技術が開発された。
遺伝子組換え作物の栽培国と作付面積は年々増加している。2015年時点、全世界の大豆(ダイズ)作付け面積の83%、トウモロコシの29%、ワタの75%、カノーラの24%がGM作物である(ISAAA調査)。遺伝子組換え作物が商業的に本格的に栽培された1996年から2014年までは年々栽培面積が増えてきたが2015年になって初めて前年に比べ栽培面積が1%減少した。
2020年10月、アルゼンチンは世界で初めて遺伝子組換え小麦を承認した。ヒマワリ由来で、すでに大豆への組み込み実績がある遺伝子HB4により、旱魃でも従来品種より平均20%多収である。アルゼンチンとフランスの企業が開発した。
日本については、限定的ではあるが、青いバラ (サントリーフラワーズ)の商業栽培により2009年には遺伝子組換え作物の商業栽培国となった。
日本の輸入穀類の半量以上は既に遺伝子組換え作物であるという推定もある。
遺伝子組換え作物の開発・利用について、賛成派と反対派の間に激しい論争がある。主な論点は、生態系などへの影響、経済問題、倫理面、食品としての安全性などである。生態系などへの影響、経済問題に関しては、単一の作物や品種を大規模に栽培すること(モノカルチャー)に伴う諸問題を遺伝子組み換え作物特有の問題と混同して議論されることが多い。食品としての安全性に関して、特定の遺伝子組換え作物ではなく遺伝子組み換え操作自体が食品としての安全性を損なっているという主張がある。そのような主張の論拠となっている研究に対し、実験設計の不備やデータ解釈上の誤りを多数指摘したうえで科学的根拠が充分に伴っていないとする反論もある。
日本では、厚生労働省および内閣府食品安全委員会によって、ジャガイモ、ダイズ、テンサイ、トウモロコシ、ナタネ、ワタ、アルファルファおよびパパイアの8作物318種類について、2018年(平成30年)2月23日時点、食品の安全性が確認されている。
従来の育種学の延長で導入された、1973年以降の遺伝子組換えの手法としては、放射線照射、重イオン粒子線照射、変異原性薬品などの処理で、胚の染色体に変異を導入した母本を多数作成し、そこから有用な形質を持つ個体を選抜する作業を重ねるという手順で行われた。
最初のGMOが作成されたあとに、科学者は自発的なモラトリアムを、組換えDNA実験に求めて観測した。モラトリアムの一つの目標は、新技術の状態、および危険性を評価するアシロマ会議のための時間を提供することだった。生化学者の参入と新たなバイオテクノロジーの開発、遺伝子地図の作成などにより、作物となる植物に対して、「目的とする」形質をコードする遺伝子を導入したり、「問題がある」形質の遺伝子をノックアウトしたりすることができるようになった。
アメリカ合衆国では、研究の進展とともに厳しいガイドラインが設けられた。そのようなガイドラインは、のちにアメリカ国立衛生研究所や他国でも相当する機関により公表された。これらのガイドラインは、GMOが今日まで規制される基礎を成している。
初めて市場に登場した遺伝子組換え作物と言われるのは、アンチセンスRNA法(mRNAと相補的なRNAを作らせることで、標的となるタンパク質の生合成を抑える手法でRNAi法の一種)を用いて、ペクチンを分解する酵素ポリガラクツロナーゼの産生を抑制したトマト "Flavr Savr" である。ほかのトマトと比較して、熟しても果皮や果肉が柔らかくなりにくいという特徴を持つ。
遺伝子組換え「植物」として開発されているものは、植物自体の研究に用いられるモデル植物として利用されているものと、産業的に利用されている、もしくは産業的利用を目指して研究されている遺伝子組換え「作物」に分けることができる。さらに、遺伝子組換え作物は、非食用作物、食用作物(遺伝子組換え食品)、飼料用作物などに分類可能である。なお、食用作物と飼料用作物との境界は明確ではないため、食用作物と飼料用作物の双方を遺伝子組換え食品の範疇に含めて説明する。また、食用作物と飼料用作物はエタノール生産や燃料用油生産に利用されることもある。
非食用の遺伝子組換え作物としては、園芸作物と林木が主である。園芸作物としては花卉が主体である。たとえば、青い花色のカーネーション「ムーンダスト」は、一般の消費者に花屋で売られている遺伝子組換え作物である。また、2009年11月に国内で市販が開始された青いバラも遺伝子組換え作物である。そのほか、菊のカロテノイド含量を変化させたり、トレニアのアントシアニン生合成系をオーロン生合成系へ変化させて黄色いトレニアの花を作ったりする試みがある。林木の例としては製紙用にリグニンの構造や含量を改変されたポプラやヤマナラシ、ユーカリ、テーダマツ、ラジアータマツが多く、セルロース含量を高めたギンドロなどもある。
なお、食用作物と飼料用作物がエタノール生産や燃料用油生産に利用されることもあるが、バイオエタノールやバイオディーゼル用にスイッチグラスやナンヨウアブラギリなどの非食用植物を分子育種する研究も進んでいる。たとえば、スプラウトとして食用とされることもあるアルファルファにおいては、反芻動物の飼料用としてタンニン含量を増加させたものが開発されているとともに、リグニン生合成を抑制してリグニン含量を低下させたものが上市されている。
遺伝子組換え食品の分類としてはさまざまなものがあるが、一例として以下のように分類されることがある。本項目においては、この分類に従って解説する。なお、第三世代に関してはまだ明確ではない。
日本において第一種使用(食用または飼料用に供するための使用、栽培、加工、保管、運搬および廃棄ならびにこれらに付随する行為)を認められている組換え品種には、たとえば、選択マーカー遺伝子以外に1品種に6種類の害虫抵抗性と2種類の除草剤耐性の計8種類の外来遺伝子が導入されたものや、1品種に7種類の害虫抵抗性と3種類の除草剤耐性の計10種類の外来遺伝子が導入されたもの、除草剤耐性と改変された脂肪酸残基組成の貯蔵脂質の双方を持つという、世代をまたいでいるといえるものもある。このように、異なった形質を持つ組換え品種をかけ合わせて、複数の形質 (stacked traits) を導入された組換え品種をスタック(ド)品種 (stacked GM line (variety, cultivar)) ということがある。
なお、前述の通り、まだ第三世代については確たる定説がないため、ストレス耐性作物に関しては「第一世代組換え食品の開発状況」において説明する。
第一世代組換え食品は、作物に除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの形質が導入されたものである。これらの特質は、生産者や流通業者にとっての利点となるだけでなく、安価で安全な食品の安定供給につながるという点で消費者にとっても大きなメリットとなる。また、農薬使用量の減少や不耕起栽培の利用可能性などにより環境面での負荷の減少を図れることや、収穫量が多かったり、損耗が少なかったりという性質を持つことは持続的農業を進めていく上でも有用である。
以下に、除草剤耐性作物、害虫抵抗性作物、耐病性作物、保存性を増大させた作物、雄性不稔形質の付与と雄性不稔からの稔性の回復、耐熱性α-アミラーゼ生産トウモロコシ、乾燥耐性トウモロコシなどに関して、それぞれの種類と原理について説明する。
第一世代組換え作物としては、ラウンドアップやビアラホス (bialaphos) など特定の除草剤に耐性を持つ品種を作成し、その除草剤による雑草防除を利用するような作物も開発されている。これは農作業の効率化だけではなく、土壌流出による環境破壊を防ぐ不耕起栽培を適用できる。ダイズの主要生産地である南北アメリカ諸国では表土流出が大問題となっている。前作の植物残渣を放置できるため、植物残渣がマルチ(マルチング)となって風雨から土壌流出を防ぎ、土壌を耕すことによって土壌が流亡しやすくなることを不耕起栽培によって防ぐことができる。そのほか、有毒雑草の収穫物への混入を減らせるとの主張もある。
単一の除草剤と除草剤耐性作物の組み合わせで長年栽培を続けると、その除草剤に対する耐性雑草が出現する。この現象自体は一般的なものであり、すでに除草剤ラウンドアップに対する耐性雑草の出現が報告されている。このような事態を避けるための方策として、複数の除草剤に対して耐性を持つ作物と複数の除草剤の混用、異なる除草剤とその除草剤耐性作物の複数の組み合わせを用いた定期的な輪作などが推奨されている。
除草剤を含めた薬剤に対する耐性化機構として次のものが挙げられる。
除草剤に対しても、これらの機構を単独もしくは複数組み合わせて植物を耐性化している。
以下に除草剤の種類ごとの耐性作物について説明する。
ビアラホス (bialaphos)は放線菌 Streptomyces hygroscopicus, S. viridochromogenes などが生産する抗生物質であり、窒素代謝においてアンモニウムイオンの同化に関与するグルタミン合成酵素の阻害剤として作用する。グルタミン合成酵素が阻害されると毒性の高いアンモニウムイオンが植物体内に蓄積して、植物体を枯死させると考えられている。
ビアラホス生産菌は、ビアラホスが自身のグルタミン合成酵素を阻害する事態に対処するため、ビアラホスを無毒化する酵素ホスフィノスリシン N-アセチル基転移酵素(英語版)の遺伝子 bar を持っている。そこで bar を植物内で発現できるように改変して導入することでビアラホス耐性作物を開発した(薬剤の分解・修飾による無毒化)。
ブロモキシニルやアイオキシニルはオキシニル (oxynil) 系除草剤であり、光合成系の電子伝達系を阻害することで除草活性を示す。肺炎桿菌クレブシエラ・ニューモニエKlebsiella pneumoniae subsp. ozaenae由来のブロモキシニル・ニトリラーゼは、ブロモキシニルを3,5-ジブロモ 4-ヒドロキシ安息香酸 (3,5-dibromo 4-hydroxybenzoate) とアンモニアに、アイオキシニルを3,5-ジヨード 4-ヒドロキシ安息香酸 (3,5-diiodo 4-hydroxybenzoate) とアンモニアに加水分解できる。そこで、このニトリラーゼの遺伝子oxyを植物に導入してブロモキシニル耐性にしている(薬剤の分解・修飾による無毒化)。バイエルクロップサイエンス株式会社の西洋ナタネ・カノーラ OXY-23については、「除草剤ブロモキシニル耐性セイヨウナタネ (oxy, Brassica napus L.) (OXY-235, OECD UI: ACS-BNØ11-5) の生物多様性影響評価書の概要」などで公表されている。
スルホニルウレア (sulfonylurea) 系除草剤(SU剤)には多数の薬剤が登録されている。SU剤は後述の「ALS遺伝子の特異的置換」の小節で述べているbispyribacと同様にALS/AHASの阻害剤で分岐鎖アミノ酸の生合成系を阻害する。ALS/AHASのSU剤に対する感受性の低下した耐性変異が知られており、耐性型のALS遺伝子を導入して発現させることによりSU剤耐性作物が分子育種されている(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。そのほか、ヒトの肝臓で発現しているシトクロムP450 (cytochrome P450) の分子種のうち、CYP2C9やCYP2C19をイネで発現させてSU剤であるクロルスルフロンとイマゾスルフロン (imazosulfuron) に対してそれぞれ耐性化させた例もある。ヒトの肝臓でクロルスルフロンがCYP2C9によって、イマゾスルフロンがCYP2C19によってそれぞれ水酸化されて代謝されるという知見から応用されたものである(薬剤の分解・修飾による無毒化)。
イミダゾリノン (imidazolinone) 系除草剤はスルホニルウレア系除草剤と同様にALSを阻害する。そこで、イミダゾリノン系除草剤に対して感受性の低下したALSの遺伝子を導入して耐性作物を育種した(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。その例として、BASFアグロ株式会社のイミダゾリノン系除草剤耐性ダイズがあり、「イミダゾリノン系除草剤耐性ダイズ(改変csr1-2, Glycine max (L.) Merr.)(CV127, OECD UI: BPS-CV127-9) 申請書等の概要」などで公表されている。
2,4-Dは植物ホルモン・オーキシン様の生理活性を示し、高濃度では植物を枯死させる作用を持つ。2,4-Dを2,4-ジクロロフェノールへ変換する酵素2,4-D モノオキシゲナーゼ(タンパク質名: TfdA)を利用して2,4-D耐性のタバコやワタなどの作物が作られた(薬剤の分解・修飾による無毒化)。TfdAはグラム陰性細菌Alcaligenes eutrophusのプラスミドpJP5上の遺伝子tfdA由来のものである。なお、グラム陰性桿菌Sphingobium herbicidovoransの同様の酵素の遺伝子aad-1が改変されて導入された2,4-D耐性トウモロコシは、ダウ・ケミカルにより開発されている。複数の系統が開発されており、「アリルオキシアルカノエート系除草剤耐性トウモロコシ(改変aad-1, Zea mays subsp. mays (L.)Iltis.)(DAS40278, OECD UI:DAS-4Ø278-9) 申請書等の概要」などで公表されている。また、グラム陰性桿菌デルフチア・アシドボランス由来の同様の酵素遺伝子aad-12の改変型によっても2,4-D耐性ダイズやワタが開発されている。
ジカンバ(dicamba: 3,6-dichloro-2-methoxybenzoic acid, 3,6-ジクロロ-2-メトキシ安息香酸, CAS No. 1918-00-9)は、2,4-Dと同様にオーキシン様の生理活性を示す除草剤である。ジカンバを3,6-ジクロロサリチル酸 (3,6-dichlorosalicylic acid) へ変換する酵素ジカンバ モノオキシゲナーゼ(DMO)を利用してジカンバ耐性のダイズが作られた(薬剤の分解・修飾による無毒化)。グラム陰性細菌Stenotrophomonas maltophilia DI-6株由来の改変dmo遺伝子が利用され、ダイズに導入されている。改変DMOのアミノ末端側にはプラスチドへの移行ペプチド (transit peptide) が融合されている。ジカンバ耐性ダイズに関しては、「除草剤ジカンバ耐性ダイズ(改変dmo, Glycine max (L.) Merr.)(MON87708, OECD UI : MON-877Ø8-9) 申請書等の概要」などで公表されている。
4-ヒドロキシフェニルピルビン酸ジオキシゲナーゼ(HPPD)は、4-ヒドロキシフェニルピルビン酸をホモゲンチジン酸に変換する反応を触媒する。ホモゲンチジン酸はいくつかの段階を経て、光合成やカロテノイド生合成に重要なプラストキノン、トコフェロール類の前駆体である2-メチル-6-フィトキノールへ変換される。
イソキサゾール系除草剤であるイソキサフルトール (isoxaflutole: 5-cyclopropyl-4- (2-methylsulfonyl-4-trifluoromethylbenzoyl) isoxazole, CAS No. 141112-29-0) は、その代謝産物2-シアノ-3-シクロプロピル-1-(2-メチルスルホニル-4-トリフルオロメチルフェニル)プロパン-1,3-ジオン(DKN)がHPPDの基質である4-ヒドロキシフェニルピルビン酸と競合してHPPD活性を阻害することにより除草活性を示す。
植物にイソキサフルトール耐性を付与するために、シュードモナス属細菌Pseudomonas protegens Pf-5株のhppd遺伝子から1塩基置換されたものが用いられている。この遺伝子は、1塩基置換によるミスセンス変異によって本来のアミノ酸配列 (GenBank:AAY92656.1) から1アミノ酸置換されたHPPDをコードしている。この変異型HPPDはDKNによって阻害されにくいためホモゲンチジン酸が合成される(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。なお、植物のHPPDはプラスチドに局在しているが、バクテリアであるP. protegenes由来の変異型HPPDはそのままではプラスチドへ移行できない。そこで、変異型HPPDのアミノ末端側にはプラスチドへ移行できるように移行ペプチドが融合されている。なお、P. protegenes Pf-5株はかつてP. fluorescensに分類されていたため、P. fluorescens Pf-5株と記載されている場合がある。バイエルクロップサイエンス社のイソキサフルトール耐性ダイズに関しては、「除草剤グリホサート及びイソキサフルトール耐性ダイズ(2mepsps, 改変hppd, Glycine max (L.) Merr.)(FG72,OECD UI: MST-FG072-3) 申請書等の概要」などで公表されている。
メソトリオンは、トリケトン系除草剤である。メソトリオンも上記のイソキサフルトールと同様にHPPDの阻害剤である。そこで、エンバク (Avena sativa) 由来のメソトリオンに感受性の低下した変異型のhppd遺伝子の導入により、メソトリオン耐性ダイズが育種された(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。シンジェンタ社のメソトリオン耐性ダイズに関しては、「除草剤メソトリオン耐性ダイズ(改変avhppd, Glycine max (L.) Merr.)(SYHT04R, OECD UI: SYN-∅∅∅4R-8) 申請書等の概要」などで公表されている。
害虫に対して毒性を有するタンパク質や害虫の天敵を誘引する物質を生産させることで、害虫の発生を抑える害虫耐性のものも存在する。その機構としては、
が挙げられるが、特にBacillus thuringiensisの結晶性タンパク質 (Bt toxin) 遺伝子導入による害虫抵抗性作物が成功している。
Bt toxinのBは属名Bacillusの頭文字に、tは種小名thuringiensisの頭文字に由来する。B. thuringiensisの性質として、
というものがある。Bt toxinは哺乳類には毒性を持たないため、Bt toxinを生産する植物を人間が食べても害はない。そこでBt toxinを生産する害虫耐性組換え作物の開発につながった。日本においては市民団体などによって人体への害が喧伝されているが、現時点において人体への有害性は確認されていない。Bt toxinをそのまま植物に生産される場合もあるが、多くの場合、部分消化の際に取り除かれる配列を除去して、殺虫性毒素ペプチドを含む部分を主体とした、もっと小型のタンパク質として植物に生産させている。生産株の違いによりBt toxinにはさまざまな種類がある。その種類により、殺虫スペクトルが異なってくる。そのため、作物に導入されたBt toxin遺伝子の種類により、殺虫活性を示す昆虫が異なる。
Bt生産作物の導入により、
という結果が得られている。
その他の重要な利点は、ある種の作物の連作を可能にするということである。米国中西部におけるトウモロコシ栽培の例が挙げられる。トウモロコシは肥料をコントロールすれば連作障害の出にくい作物である。しかし、かつては米国中西部のコーンベルトにおいて連作できなかった。その原因は、ウェスタンコーンルートワーム (western corn rootworm: Diabrotica virgifera virgifera LeConte) などの数種類のネクイハムシによる被害であった。これらのネクイハムシの成虫はトウモロコシ畑で羽化し、地中に産卵する。そして、翌春、播種されたトウモロコシの種子が発芽するころに孵化する。幼虫は生育初期の幼根を加害するためトウモロコシの被害は大きかった。これらのネクイハムシの幼虫はトウモロコシの幼根がないと成育できないため、生産者はトウモロコシ栽培のあとに別の作物を輪作して虫害を防除してきた。ところが、ほかの作物が栽培されている間は孵化せず、トウモロコシが播種されると孵化するネクイハムシの系統が各地で出現したため、輪作も無効になりつつあった。そのような状況下に、根においてBt toxinを生産する組換えトウモロコシ品種が上市され、連作可能となった。
トウモロコシの栽培面積は、圧倒的にデントコーン品種が多くを占めているため、トウモロコシの組換え品種の大部分はデントコーンのものである。組換えスイートコーン品種は遺伝子組換えトウモロコシ品種開発の初期から少数ではあるが存在していたが、近年、相次いで複数の組換えスイートコーン品種が上市されている。スイートコーンは、茹でトウモロコシや焼きトウモロコシや缶詰として利用されるため、害虫の食害痕があると大きく商品価値を下げる。そのため、加工されることが多いデントコーンの場合、収量が重要であるが、スイートコーンの場合、収量よりも食害痕がなく商品となるかどうかの商品化率の方が大きな意味を持ち、栽培には殺虫剤が重要な役割を果たしている。アメリカにおいてスイートコーンの主要害虫はアメリカタバコガ (Heliocoverpa zea) である。そこで、アメリカタバコガに抵抗性を持つBtスイートコーンとその母本の大規模な栽培試験が行われ、その商品化率が調べられた。その結果、Btスイートコーン品種の商品化率は安定的に高かったが、一方、その母本の商品化率はBt品種に比べ低くその値の変動幅も大きかった。そこで、Btスイートコーン品種の栽培は殺虫剤の使用を大幅に減少させるとともに、大量の殺虫剤使用に伴う職業上や環境上の危険を減少させることになろうと結論づけている。
作物の主要害虫に対する殺虫活性を持つBt toxinの遺伝子が選択されて導入されている。その結果、主要害虫の被害は低減するため、殺虫剤の散布が減少する。その結果、Bt toxin自体の殺虫スペクトルが狭いため、副次的な害虫が主要害虫に作用するBt toxinに非感受性であれば、増加して主要害虫に代わって新たな被害を与えることがある。また、主要害虫が複数あって、それぞれ別のBt toxin感受性の場合も同様である。そのほか、ある作物の主要害虫を減少させることができたために、農薬散布量が減って副次的な害虫が増加してその作物だけでなく他の作物に被害を与えることがある。これは前述の同じ主要害虫の減少による他の作物に対する被害の減少とは逆に副次的な害虫による他の作物に対する被害の増大である。その例として、中国においてBtワタの導入によって殺虫剤散布が減った結果、殺虫対象外のカスミカメムシ類が増え、ワタ以外の果樹園にも被害をもたらしていることが報告されている。そのための対策として、
ことが考えられる。そのため、広範囲の害虫に抵抗性を持たせるためには複数の異なる殺虫スペクトルのBt toxin遺伝子を導入された作物が開発されている。
一方、上記とは逆にBt toxin生産作物の栽培により害虫を食べる益虫が増加し、周辺の非組換え作物にも天敵による害虫コントロールが及ぶ利点を示唆する報告も存在する。Bt toxin生産作物が害虫と益虫の両者とも殺す殺虫剤処理を必要としないため、Btワタはオオタバコガ (Helicoverpa armigera) などによる被害を予防するだけでなく、この害虫を食べる益虫の数を増やすことを発見した。
なお、ほかの殺虫剤と同様にBt toxin抵抗性害虫の発生も報告されている。そこで、Bt toxin 耐性害虫の出現管理対策として、
ことが推奨されている。
Bt toxin生産作物で害虫の抵抗性発達を抑える対策の基本は、上記のように高濃度のBt toxinを生産する品種を用い、非Bt toxin生産作物を緩衝区として栽培することであり、さらに複数のBt toxinを生産する品種を用いることも有効とされている。高濃度Bt toxin生産作物においては害虫を幼虫段階で死亡させ、次世代に生き残る個体を大幅に減らせる。しかし、不正増殖種子や自家採種によるBt toxin濃度が不十分な作物の栽培面積が広がるとBt toxin抵抗性害虫の出現を助長することになり、不正増殖種子や組換え作物種子の自家採種が重大な問題となってくる。そのため、栽培農家による正規の種子の購入と害虫出現のモニタリングは重要である。
殺虫性の線虫の誘因剤の合成酵素遺伝子の導入による害虫防除の例が報告された。植物食の昆虫による食害が起きると、天敵を誘引する揮発性物質を植物は放出することがある。そこで、作物の害虫防除を改良するうえで、これらの揮発性物質の利用が提案されてきた。トウモロコシの重大な害虫であるウェスタンコーンルートワーム (D. virgifera virgifera) の食害は、多くのトウモロコシ品種の根から(E)-β-カリオフィレン ((E)-β-caryophyllene: EβC) を放出させる。EβCは殺虫性の線虫 (Heterorhabditis megidis) を誘引する。そして、殺虫性の線虫は根を食害する害虫に感染して殺す。しかし、大部分の北米のトウモロコシ品種はEβCの放出能を失っており、そのため線虫による防除をほとんど受けられない。それらのトウモロコシ品種のEβC生産能を回復させるために、オレガノ由来のEβC合成酵素((E)-β-caryophyllene synthase, EC 4.2.3.57, 反応)遺伝子を導入されたトウモロコシは、恒常的にEβCを放出できるようになった。その結果、ウェスタンコーンルートワームが発生している圃場に線虫を散布した試験では、EβC放出トウモロコシでは有意に根に対する被害が減少し、非形質転換の非放出系のトウモロコシに比べ60%少ない成虫しか羽化できなかった。
第一世代組換え作物として耐病性を有するものも作られている。病害抵抗性遺伝子や糸状菌の細胞壁成分であるキチンを加水分解するキチナーゼの遺伝子の導入(多数あるうちの一例)によるものであるが、その中でも植物ウイルス耐性のものが特に成功している。そのほか、糸状菌や細菌性の植物病原菌に耐性を与えるためにディフェンシンなどの抗菌ペプチドなどを作物で生産させる試みも進んでいる。
ジャガイモやイチゴなどの栄養繁殖性作物や果樹などの永年性作物において植物ウイルスによる被害は大きく、それらに植物ウイルス抵抗性を付与することは農業上重要である。ただし、ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに対してのみ抵抗性であり、ウイルス一般に対して抵抗性を持つわけではない。ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに抵抗性であり、その特定のウイルスを媒介する害虫を防除する必要がなくなるため、その害虫への殺虫剤散布は不要となる。しかし、野菜や果物は外見や味のわずかな劣化でも商品価値に大きく影響するため、ほかの病害虫防除のために農薬散布は必要である。そのため、その特定のウイルス以外の被害が大きい地域では、生産者はウイルス抵抗性品種を採用する必要性を感じないと考えられる。
特にウイルス抵抗性作物の成功例としては、papaya ringspot virus(PRSV, パパイヤ・リングスポット・ウイルス)によってほぼ壊滅したハワイのパパイヤ栽培が遺伝子組換えパパイヤ品種(Rainbow:レインボー)によって復活できた事例が挙げられる。これについては後述する。なお、2011年2月以降に報道された、沖縄におけるレインボーとは異なる未承認遺伝子組換えパパイヤが栽培されていた事例についても記す。植物ウイルス耐性を与える手法としてはさまざまな機構が用いられているが、その手法は少なくとも4種類挙げられる。
ハワイのパパイヤ・リングスポット・ウイルス(PRSV)抵抗性のパパイヤはレインボー・パパイヤとしてすでにアメリカやカナダや日本などで市販されている。東南アジアにおいてもPRSVの別の株に耐性を示すパパイヤが開発されている。レインボー・パパイヤに関しては、「パパイヤリングスポットウイルス抵抗性パパイヤ(改変PRSV CP, uidA, nptII, Carica papaya L.)(55-1, OECD UI: CUH-CP551-8) 申請書等の概要」で公表されている。外皮タンパク質を大量にパパイヤ中で生産させることによってPRSV抵抗性が現れることが期待されたが、実際にはRNAiによってPRSV抵抗性が現れた。赤肉種のパパイヤ・サンセット (Sunset) に外皮タンパク質遺伝子が導入され、その自殖後代で外皮タンパク質の遺伝子をホモ接合で持つ赤肉種のPRSV抵抗性のサンアップ (SunUp) が選択された。サンアップと非形質転換体でPRSV感受性の黄肉種のカポホ (Kapoho) を交雑させたF1品種がレインボーである。レインボー・パパイヤの一種使用が日本でも2011年(平成23年)8月31日に認可され、同年12月1日より市販された。これは、未加工の生の遺伝子組換え植物体をそのまま食用とする日本における初めての例となった。レインボー・パパイヤの果実中の種子からは、メンデルの法則に基づきウイルス抵抗性と感受性の苗が3:1で得られる。ただし、レインボー・パパイヤはF1品種であるため、発芽した苗はF2世代であり、さまざまな形質を持つ雑多な集団になる。
レインボーとは異なる未承認のウイルス抵抗性遺伝子組換えパパイヤが沖縄において市販および栽培されていたことが、2011年2月と4月に公表された。それらによると、市販・栽培されていたものは台湾で開発されたPRSV抵抗性の品種であり、台農5号として販売されていた。台農5号は本来、遺伝子組換え体ではない通常の品種として、交雑育種により1987年に開発されたものである。それにレインボーと同じ機構によるウイルス抵抗性が台湾で導入されたものが、台湾の種苗会社から輸入された種子に混入していたことが未承認の組換えパパイヤの栽培・市販事例の原因と考えられている。この組換え品種はカルタヘナ法に基づく承認を受けていないため、カルタヘナ法と食品衛生法に基づいて市販や栽培は規制され、販売されていた種苗や果実は回収・破棄され、台農5号の疑いのある植物体は抜き取りや伐採された。厚生労働省によると、この遺伝子組換えパパイヤの摂食による危害につながるような情報は今のところ確認されていない。更に、環境省と農林水産省の共同見解ではこの未承認の遺伝子組換えパパイヤによる生物多様性への影響は低いとされている。
ウイルス抵抗性品種はウイルスによる被害は少なくなるが、害虫による食害や害虫によって媒介される細菌性の病害を受けやすくなるという報告がある。これはカボチャの仲間であるスクアッシュ (squash) をウイルス耐性にするとウイルスが広がった場合、当然のことながらウイルス抵抗性品種の方が生産性が高いが、害虫であるキューカンバー・ビートル (cucumber beetle) が健全な植物体であるウイルス抵抗性品種を好んで食害するため、キューカンバー・ビートルが媒介するErwinia属細菌などの病害が増すというものである。
ディフェンシンとは、約80個のアミノ酸残基から構成されシステイン残基に富む構造を特徴とする抗菌ペプチドの総称である。さまざまなアブラナ科植物の種や葉がディフェンシンを含むが、これはカイコやカブトムシ、ウサギ、ヒトなどがもつディフェンシンとは構造・活性範囲および活性強度が異なる。
イネにはアブラナ科植物のディフェンシンと配列類似性の高いものは存在しない。そこで、アブラナ科植物のさまざまなディフェンシンをイネで生産させて、イネの重大な病害であるいもち病や白葉枯病に抵抗性を付与する研究が進められてきた。ディフェンシン遺伝子はイネの緑葉組織特異的発現をするプロモーターと連結されて、イネ(母本品種:どんとこい)に導入されている。同様の研究は多数有り、ワサビ由来のディフェンシンを生産するイネも病害抵抗性を示している。
ここで、アブラナ科植物のディフェンシンの組換えによりイネは大量のディフェンシンを恒常的に生産することになる。これにより抗生物質や農薬の乱用による多耐性病原菌の出現と同様にディフェンシン耐性を持つ細菌やウイルスの出現が必至と考えられている。さらに、組換えディフェンシン遺伝子を発現させるプロモーターが耐性遺伝子の水平移動を可能にして、種を越えたディフェンシン耐性の拡散が広く起こることを遺伝子組換え食品反対派は強く懸念している。しかし、アブラナ科のディフェンシンとヒトのディフェンシンとは構造が大きく異なる。ディフェンシンをもともと生産するアブラナ科作物は大量に栽培されてきたが、今までそのような報告はない。また、遺伝子組換え食品反対派はそのような懸念を示しておきながら一方で、アブラナ科作物の大量栽培にも、アブラナ科のディフェンシンよりもヒトのディフェンシンとはるかに類似したディフェンシンを生産する家畜の飼育にも、ディフェンシン耐性菌出現を阻止することを目的として反対してはいない。
これに対する反論として、「自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がないのであり、ちょうどペニシリンが医薬品として生産される前はペニシリン生産能力を持つアオカビが存在したにもかかわらず、ペニシリン耐性菌がいない状況と同じと解釈すべきである」というものがある。『自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がない』という仮説が出されているが、イネに導入されたカラシナ由来のディフェンシンは細菌感染がなくても種子表層で生産されるものであり、『必要なとき』とはどのようなときをさすのかも、この仮説の根拠自体も明らかにされていない。なお、ペニシリン耐性菌を例にした反論は、比喩として適切ではない。まず、抗生物質生産菌自体が耐性菌である。ペニシリンは細菌の細胞壁の成分であるペプチドグリカンの生合成を阻害することによって抗菌性を発揮する。しかし、真菌である青カビには、もともとペプチドグリカンがないため、自身には作用しない。一方、抗生物質生産菌自身にも本来は作用するようなカナマイシンやエリスロマイシンなどを生産する菌は、自身が生産する抗生物質が自身に作用しないようにするために、抗生物質や抗生物質の作用点を修飾する耐性遺伝子をもともと保持している。ペニシリンには、生産菌である青カビ以外にも多種多様のペニシリン耐性菌が自然界に当初より存在していた。ペプチドグリカンを持たない真菌類やマイコプラズマはもともとペニシリン耐性菌であり、ペプチドグリカンを持つ細菌の中でもシュードモナス属細菌のようにペニシリン感受性の低いものも多数存在し、ペニシリンのβ-ラクタム環を開裂する酵素β-ラクタマーゼなどによりペニシリン耐性となっている細菌も存在する。ペニシリンが医薬品として生産される以前に、これらの微生物が存在していたことを否定できない以上、「耐性菌がいない状況」というものを想定できない。
なお、カイコのディフェンシンであるcecropin B をイネで生産させて白葉枯病に抵抗性を与えた研究やいろいろな抗菌ペプチドの配列から設計された人工抗菌ペプチドMsrA1をジャガイモで生産させて病害抵抗性にした研究などもある。
果実等の中には収穫適期が非常に短いものがある。特に、生食用のトマトなどでは色づき始めたらすぐに収穫して流通に乗せる必要性が高い。そうしないと店頭に並ぶころには過熟状態になったり、ケチャップやピューレなどへの工業的加工過程に入る前に傷口から腐敗したりして商品価値が低下することが多くなるためである。そこで、熟しても果皮が柔らかくならないように細胞間を充填しているペクチン (pectin) の分解が抑制された遺伝子組換えトマトが開発された。また、ペクチンの分解は果実が熟するときに誘導されるため、ペクチンの分解抑制ではなく熟期を遅らせることで柔らかくならないようにされたトマトやメロンも開発された。それらの手法は3種類知られている。
エチレン生合成が抑制されたトマト果実は出荷前に倉庫でエチレン処理をすると正常に熟しはじめる。エチレンによる果実の追熟は多くの果実で取り入れられている。たとえばバナナやマンゴーなどの熱帯輸入果実は、害虫移入防止のため未熟果実を輸入しエチレンによって追熟されている。エチレン合成抑制による収穫適期拡大手法ではそのための設備を利用できる。
植物体の傷口より進入した糸状菌の生産するマイコトキシンは食料や飼料の安全性を脅かす大問題である。Bt toxin生産作物では害虫による食害が減るために、マイコトキシン含量が減っている。それよりも生産されたマイコトキシンを分解する酵素を作物に生産させて、積極的にマイコトキシン含量を低減させる試みがある。
その一つが、マイコトキシンであるフモニシン分解酵素をトウモロコシに生産させてフモニシン含量を低減させようというものである。黒色酵母Exophiala spiniferaのフモニシン分解系の酵素はすでに解析されている。そこで、これらの酵素をトウモロコシで生産させようというものである。
次に、ゼアラレノン(Zearalenone) 分解酵素遺伝子の導入である。糸状菌Clonostachys roseaよりラクトン環解裂酵素遺伝子zhd101をトウモロコシに導入したところ、ゼアラレノンをほとんど分解してしまったという結果が得られた。
収量の増加、病虫害抵抗などの雑種強勢を目的に多くのF1(first filial generation:雑種第一代)作物が作られている。自家受粉可能な作物の固定された品種では多くの遺伝子座においてホモ接合状態になっているため、異なる品種をかけ合わせた雑種第一世代であるF1状態になれば多くの遺伝子座においてヘテロ接合状態になって雑種強勢の効果による収量の増加や品質の向上が期待される。F1種子を得ることはトウモロコシの様に雄花と雌花が別れている作物では比較的容易ではあるが、人手がかかる。さらに、自家受粉する作物に他家受粉させて安定的に均一なF1種子を得ることは困難である。そのため、花粉を形成しない、花粉に稔性がないという雄性不稔系統があればF1種子が得やすくなる。現在では、さまざまな作物で雄性不稔系統を用いてF1品種が開発されているが、それでも利用できる作物が限定されている。そこで、遺伝子組換え技術が雄性不稔系統の開発に応用されている。
花粉の成熟に関与しているタペート細胞では発現しないようなプロモーターを利用した除草剤耐性作物を用いた雄性不稔の付与である。公開されている「除草剤グリホサート誘発性雄性不稔及び除草剤グリホサート耐性トウモロコシ(改変 cp4 epsps, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(MON87427, OECD UI: MON-87427-7) 申請書等の概要」を例とする。
除草剤グリホサート(ラウンドアップ)耐性化遺伝子(ラウンドアップの項を参照)をタペート細胞および小胞子においては発現しないかあるいは発現しても微量であるが、栄養組織および雌性生殖組織においてはグリホサート耐性を付与するのに十分な量を発現できるようなプロモーターに連結する。それが導入されたトウモロコシをグリホサート非存在下で自家受粉させ、導入遺伝子をホモ接合で持つ品種(BB)を種子親として育種する。一方、種子親とは別系統の品種で、全組織で耐性を示すような別のプロモーターで制御されているグリホサート耐性化遺伝子をホモ接合で持つ品種(AA)を花粉親とする。種子親と花粉親を隣接して栽培し、雄花が分化する8葉期頃および10葉期頃にグリホサートを散布して、種子親(BB)の花粉を不稔にする。タペート細胞でも耐性である花粉親(AA)の花粉は稔性があるため、種子親の雌花に受粉する。種子親のみから種子を採種すればそれはヘテロ接合(AB)のF1種子となる。F1植物体はAのゲノムも持つため、植物全組織はグリホサート耐性を示す。
プロモーターやエンハンサーのDNAがメチル化されることによりトランス転写因子がそれらを認識できなくなり、その結果、細胞の分化や生育に影響を与え死滅させることがある。そこで大腸菌の遺伝子damにコードされているDNA中のアデニン残基をメチル化する酵素を、トウモロコシの葯特異的に発現する遺伝子512delのプロモーターを用いてトウモロコシ中で生産させると葯や花粉を形成できず雄性不稔となった。Pioneer Hi-Bred International Inc.の開発したトウモロコシ 676、678、680の例がある。
遺伝子組換え技術により花粉が成熟できなくなるような人為的な雄性不稔系統と雄性不稔からの稔性回復系統が作られた。その実現には次の四つのものが重要な役割を果たす。
TA29のプロモーターとbarnaseのキメラ遺伝子(配列)によって、葯のタペート細胞特異的にBARNASEが生産されると細胞内のRNAが分解されてタペート細胞は死滅し、花粉が成熟できなくなり、その結果、その植物は雄性不稔系統となる。
種子親となる雄性不稔系統の近傍に花粉親となる品種を栽培すれば、雄性不稔系統に結実する種子は両者のF1であることが期待される。しかし、その種子から得られたF1植物体も雄性不稔である確率が高く、ダイズ、トウモロコシ、イネ、菜種などの子実を収穫する作物においては自家受粉できることが望まれるため、F1植物体においては雄性不稔形質が出現しない方がよい。そこで、花粉親が雄性不稔からの稔性回復系統である必要がある。そのためには、花粉親として用いる植物が、TA29のプロモーターとbarstarのキメラ遺伝子(配列)によって葯のタペート細胞特異的にBARSTARが生産されるように導入された遺伝子をホモ接合で保有していればよい。
これらのBARNASEとBARSTARを利用した系を説明する。F1の親品種としたいそれぞれ純系のAとBの品種を用意する。Aにはbarnaseと除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。導入されてできた雄性不稔品種をAsとする。Asに導入されたカセットが1コピーであるならAsの遺伝子型は (barnase / -) となる。Asは雄性不稔であり自家受粉できないため雄性不稔維持系統として親品種Aを用い、その花粉で受粉させて結実させ、種子を播種する。種子の遺伝子型はAと同一のものとAsと同一の (barnase / -) とが1:1で分離してくる。Asと同一の (barnase / -) のものだけをbarnaseと同じ導入遺伝子カセットに存在している除草剤耐性遺伝子によって除草剤耐性で選択できる。そのため、Asを大量に増殖できる。Bにbarstarと除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。できた品種Brは自家受粉可能であるため、除草剤耐性の後代をとってその中からホモ接合となった遺伝子型 (barstar / barstar) の株Brrを選択して増殖する。Brrを稔性回復系統として用いる。Asの近傍にBrrを植えてAsに結実したF1種子のみを採種する。F1種子の遺伝子型はbarnaseとbarstarに関して (barnase / -, barstar / -) と (- / -, barstar / -) が1:1で分離し、それぞれの種子から育ったF1植物体は自家受粉可能となる。
この手法の適用例は多数あるが、その一例としてバイエルクロップサイエンス社のカノーラについて挙げると「除草剤グルホシネート耐性及び雄性不稔及び稔性回復性セイヨウナタネ(改変bar, barnase, barstar, Brassica napus L.)(MS8RF3, OECD UI: ACS-BNØØ5-8×ACS-BNØØ3-6) の生物多様性影響評価書の概要」で公表されている。
なお、F1品種に結実した種子(F2世代)は発芽可能で栽培できるが、遺伝的に不均一な集団であるため、次回の栽培には新たに種子を購入する必要がある。これは、F1品種を栽培する場合、非組換えのF1品種でも毎作ごとにF1品種の種子を購入しなくてはならないのと同じ理由である。
主としてトウモロコシを原料としたエタノール生産を効率的に行うために開発されたものである。従来、トウモロコシ穀粒の乾燥粉末からエタノールを生産する場合、加水・加熱するとともに微生物由来の耐熱性α-アミラーゼとグルコアミラーゼを添加して澱粉を可溶化と糖化してから、酵母でエタノール発酵させている。微生物由来のα-アミラーゼを添加する代わりに、トウモロコシ穀粒中に耐熱性α-アミラーゼを生産・貯蔵させて、作業工程の簡略化と低コスト化を狙ったものである。たとえば、公開させているシンジェンタシード株式会社の「耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ (耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ(改変amy797E, 改変cry1Ab, cry34Ab1, cry35Ab1, 改変cry3Aa2, cry1F, pat, mEPSPS, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(3272×Bt11×B.t. Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7×MIR604×B.t. Cry1F maize line 1507×GA21, OECD UI:SYN-E3272-5×SYN-BTØ11-1×DAS-59122-7×SYN-IR6Ø4-5×DAS-Ø15Ø7-1×MON-ØØØ21-9) 並びに当該トウモロコシの分離系統に包含される組合せ(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)の申請書等の概要」によると、Thermococcales目の好熱古細菌由来のα-アミラーゼ遺伝子を改変した改変amy797E遺伝子をトウモロコシに導入して、耐熱性α-アミラーゼを穀粒で産生させている。トウモロコシ穀粒中で生産されるα-アミラーゼとして耐熱性のものが選ばれた理由は、デンプンの可溶化と糖化の促進と雑菌汚染の減少のためにトウモロコシ穀粒粉末に加水したものを加熱するため、その温度で失活してはならないからである。また、トウモロコシ穀粒中で生産されたα-アミラーゼが予期せぬ影響を及ぼさないようにするため、成熟中や保存中の穀粒中でデンプンを分解しないようにする必要がある。そのためには、細胞内でα-アミラーゼとデンプンを隔離すればよい。そこで、改変AMY797E α-アミラーゼのアミノ末端には、小胞体内腔へ輸送するためのシグナルペプチドが付加された。さらに、カルボキシル末端には、小胞体に局在化させるために小胞体残留シグナル配列(KDEL)が付加された。これらの付加配列により、生産された耐熱性α-アミラーゼは胚乳細胞の小胞体中に蓄積される。一方、α-アミラーゼの基質であるデンプンは穀粒中のプラスチドの一形態であるアミロプラスト中に澱粉粒として存在している。つまり、改変AMY797E α-アミラーゼと基質となるデンプンは、細胞内の異なる細胞内小器官にそれぞれ存在しているため、細胞が破壊されない限りは改変AMY797E α-アミラーゼによるデンプン分解は生じないと考えられる。
植物が生育していくうえで様さまざまな環境ストレスがある。たとえば、低温ストレス、凍結ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、浸透圧ストレス(塩ストレス)、強光ストレス、冠水ストレスなどが代表的である。これらのストレスに強い作物が開発できれば未利用地が耕地として利用できるようになるため、さまざまな研究が進められている。たとえば、低温ストレスの感受性・抵抗性に関しては、プラスチドのチラコイド膜のホスファチジルグリセロール (phosphatidyl glycerol) の脂肪酸残基組成が関与しているため、ホスファチジルグリセロールの生合成系において取り込まれる脂肪酸残基の基質特異性に関わる酵素 acyl-(acyl-carrier protein): glycerol-3-phosphate acyltransferase (GPAT) を改変することによって低温耐性を付与する研究などがある。浸透圧ストレス(塩ストレス)に関しては、ナトリウムイオンの細胞からの排出促進するためにNa/H アンチポーターなどの利用の研究が進んでいる。そのほか、これらのストレスに共通に生じる障害を軽減するために、グリシンベタインやプロリンやトレハロースなどの適合溶質 (compatible solute) の合成遺伝子や蓄積させるための遺伝子の導入、ストレス応答性遺伝子を制御する DREB (Dehydration-Responsive Element Binding factor) などの転写因子の発現、熱ショックタンパク質などのストレス関連タンパク質、ストレスによって生じる活性酸素種を消去するアスコルビン酸ペルオキシダーゼやスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)などの遺伝子を利用する研究も進んでいる。そのほか、タンパク質のユビキチン化に関わるE3 ユビキチン・リガーゼ (E3 ubiquitin ligase) であるOsSDIR1を過剰生産させることにより、イネを乾燥耐性にした例も存在する。
また、微量成分の欠乏や過剰も植物にとってはストレスとなる。たとえば、鉄は植物の微量栄養素であるが、比較的要求性は高く、不足すると生育遅滞やクロロシスなどが生じる。そこで、土壌中の不溶化している鉄を可溶化する能力を植物に付与したり、鉄を含むタンパク質を機能的に代替できるタンパク質を生産させたりして、鉄欠乏を緩和する育種が行われている。また、その他の微量成分に対しても研究が進められている。
モンサント社の乾燥耐性トウモロコシ MON87460に関しては、「乾燥耐性トウモロコシ(改変cspB, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(MON87460, OECD UI: MON-8746Ø-4) 申請書等の概要」によって公表されている。トウモロコシの後期栄養生長期から初期生殖生長期における乾燥ストレス条件下において収量の減少を抑制するために、改変低温ショックタンパク質B (cold shock protein B) 遺伝子(改変cspB遺伝子)を導入されたものである。改変cspB遺伝子の供与体は、納豆菌もその一部として含まれる枯草菌Bacillus subtilisである。CspBはRNAシャペロンとして機能して、RNAの二次構造を解消することが知られている。
グリシンベタインは、テンサイ、ホウレンソウなどのアカザ科植物やコムギなど低温耐性の植物に多く含まれる適合溶質であるが、イネやトマトやアラビドプシスは蓄積しない。多量に含まれても細胞の生化学反応や細胞内小器官には悪影響を及ぼさずに浸透圧の調整、活性酸素から膜やタンパク質の保護を行うことが知られている。そこで、グリシンベタインを生合成しない植物にグリシンベタインを合成させてさまざまなストレス耐性を強化する試みがある。
グリシンベタインはコリンがベタインアルデヒド (betaine aldehyde) を経て酸化されて合成される。この反応を行う合成系にはいくつかの種類があることが知られている。植物ではプラスチドで合成される。コリンからベタインアルデヒドへ酸化する酵素、コリン一酸素添加酵素はフェレドキシン要求性の酵素である。次にベタインアルデヒドからグリシンベタインへ酸化する酵素、ベタインアルデヒド脱水素酵素によってグリシンベタインへと酸化される。一方、細菌Arthrobacter globiformisでは分子状酸素のみを要求する一種類の酵素、コリン酸化酵素によって合成されている。A. globiformisのコリン酸化酵素の遺伝子codAは、導入する遺伝子が1つで済むこととコードしている酵素がコリンと分子状酸素以外には必要としない性質のため、植物や大腸菌由来のグリシンベタイン生合成酵素遺伝子よりも植物に導入されている例が多い。
なお、コリン一酸素添加酵素遺伝子であるcodAを植物で発現させてもグリシンベタイン生成量が少ないのは、植物中のコリン含量が制限要因となっているからである。そこで豊富に存在するグリシンからグリシンベタインへ変換する別のグリシンベタイン合成経路を利用する試みがある。メタン生成古細菌Methanohalophilus portucalensis FDF1株由来のグリシン サルコシン N-メチル基転移酵素 (glycine sarcosine N-methyltransferase: GSMT) とサルコシン ジメチルグリシン N-メチル基転移酵素 (sarcosine dimethylglycine N-methyltransferase: SDMT) を植物で生産させた。GSMTはグリシン N-メチル基転移活性(グリシン N-メチルトランスフェラーゼ)とサルコシン N-メチル基転移活性を、SDMTはサルコシン N-メチル基転移活性とジメチルグリシン N-メチル基転移活性を持つ。つまり、GSMTとSDMTによりグリシンからサルコシンへ、サルコシンからN, N-ジメチルグリシンへ、N, N-ジメチルグリシンからグリシンベタインへ変換される。GSMTとSDMTが生産されているシロイヌナズナは塩耐性を示した。
グリシンベタインを生産するようになった形質転換植物は、低温ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、凍結ストレス、塩ストレスなどさまざまなストレスに抵抗性を示すようになる。合成されたグリシンベタインのモル濃度だけでは、そのストレス抵抗性を説明できない。そこで、グリシンベタインの細胞内局在による局所的高濃度、膜やタンパク質に対する保護作用、コリン酸化酵素の反応に伴い生じる過酸化水素による活性酸素消去系酵素の常時誘導など、ストレス耐性機構を説明するさまざまな説がある。
アミノ酸のプロリンも同様に適合溶質である。プロリンを蓄積させる手法には2種類ある。一つは、プロリン合成を促進する方法であり、もう一つはプロリン分解を阻害する方法である。プロリンの生合成は高濃度のプロリンによってフィードバック阻害を受ける。そこで、プロリン生合成系のフィードバック阻害を受ける酵素、L-1-ピロリン-5-カルボン酸合成酵素 (L-1-Pyrroline-5-carboxylate synthetase) のフィードバック阻害が解除された変異酵素の遺伝子を導入すると大量のプロリンが合成された。もう一つは、プロリンを分解する酵素、プロリン脱水素酵素をRNAiなどの手法で阻害する方法である。プロリンを蓄積することにより形質転換植物はさまざまなストレスに抵抗性を示すようになった。
トレハロースは動植物、微生物に広く存在する、保水力の強い二糖である。これを植物に蓄積させて乾燥・強光ストレス耐性にした。グルコース-6-リン酸とUDP-グルコースからトレハロース-6-リン酸を合成する酵素、トレハロース-6-リン酸合成酵素とトレハロース-6-リン酸からトレハロースに変換する酵素、トレハロース-6-リン酸脱リン酸化酵素を導入することによって達成された。
アスコルビン酸ペルオキシダーゼやグルタチオンペルオキシダーゼやカタラーゼやSODなどの活性酸素を除去する酵素を過剰生産することによって、さまざまなストレス耐性を付与する研究が進んでいる。
アルカリ土壌中において三価鉄は安定であり、植物の根から放出される有機酸で可溶化することは困難である。そのため、アルカリ土壌中では植物は鉄欠乏を起こして生育しにくい。イネ科植物の根はムギネ酸類とよばれるキレート能を持つ物質を放出して、アルカリ土壌中の三価鉄を吸収している。オオムギはその能力が高いため、アルカリ土壌中でもよく生育できるが、イネやトウモロコシの能力は低く、アルカリ土壌中での生育は困難である。そこで、アルカリ土壌中でも生育できるイネの開発を目的として、イネのムギネ酸生合成系を強化して鉄欠乏耐性イネが開発された。
ムギネ酸の生合成は、まず3分子のS-アデノシル-L-メチオニン (S-adenosyl-L-methionine: SAM)から1分子のニコチアナミン(nicotianamine) を合成する酵素であるニコチアナミン合成酵素によって始まり、ニコチアナミンから3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミン (3"-deamino-3"-oxonicotianamine) に変換する酵素であるニコチアナミン・アミノ基転移酵素や、3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミンから2'-デオキシムギネ酸 (2'-deoxymugineic acid) に還元する酵素である3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミン還元酵素や、2'-デオキシムギネ酸からムギネ酸へ変換する酵素である2'-デオキシムギネ酸-2'-ジオキシゲナーゼなどの酵素が関与している。これらの酵素遺伝子はオオムギより単離されている。これらの酵素遺伝子が導入されたイネはアルカリ土壌における鉄欠乏に耐性を示した。現在、さまざまな遺伝子が導入された形質転換イネが試験栽培されている。
鉄は電子伝達系の電子伝達タンパク質であるフェレドキシンの構成成分であり、高等植物において鉄が欠乏すると結果としてフェレドキシンが不足し、電子伝達系が関与しているプラスチドの光合成系などに支障をきたす。ところが、ある種のラン藻や藻類においては、フェレドキシンが不足すると、フェレドキシンと類似した機能を持ち、多くの反応においてフェレドキシンの代替となるフラボドキシン (flavodoxin) が合成される。フラボドキシンはフラビンモノヌクレオチドを含む電子伝達タンパク質である。そこで、ラン藻由来のフラボドキシン遺伝子にプラスチドへの移行シグナル部分の塩基配列を融合したものを高等植物において発現させると鉄欠乏耐性が増強されることが確認されている。
Roundup Ready2Yieldのように初めから収量を高めるように育種されたものでもなくても、除草剤耐性ダイズや害虫抵抗性トウモロコシの収量が在来種よりも高いことが報告されている。
第二世代組換え食品とは、ワクチン等の有用タンパク質の工場として利用することができたり、栄養素を多く含ませたり、食品中の有害物質を低減させたり、消費者にとって利益が目に見えるものである。例えば、B型肝炎予防の食べるワクチンとしてB型肝炎ウイルスの表面抗原をバナナで発現させ経口免疫によってB型肝炎感染を防除する試みがある。油糧種子中の油脂の脂肪酸残基組成を改変することは、第二世代組換え食品開発の初期からの目標であった。また、日本においてはインスリンを分泌誘導して糖尿病になりにくくするコメや経口免疫寛容によるスギ花粉症を低減するコメの開発が先行している。また、鉄分を多く含むコメも開発中である。
一般的なダイズ油中の不飽和脂肪酸残基の組成はリノール酸(18:2)(約50%)、オレイン酸(18:1)(約20%)、リノレン酸(18:3)(約10%)である。一方、オレイン酸高含有遺伝子組換えダイズ油(高オレイン酸ダイズ油)には約85%のオレイン酸残基が含まれ、リノール酸やリノレン酸などの多価不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acids : PUFAs)残基が少ない。オレイン酸のような一価不飽和脂肪酸(monounsaturated fatty acid)残基を多量に含む油脂は血中の高密度リポタンパク質(high density lipoprotein : HDL)の比率を増やして、動脈硬化を防止すると考えられている。更に、オレイン酸はPUFAsに比べ酸化に安定である。そのため、高オレイン酸ダイズ油は揚げ油などに適している。
これは、炭素数18の脂肪酸の不飽和化に関与している酵素の発現を制御することによって達成された。
ステアリン酸からリノール酸までの不飽和化酵素デサチュラーゼには、ステアリン酸(18:0)のCoAチオエステルであるステアロイルCoA (stearoyl-CoA)からオレイン酸のCoAチオエステルであるオレオイルCoA (oleoyl-CoA)への反応を触媒するΔ9-desaturase (ω9-desaturaseともとオレイン酸残基からリノール酸残基への不飽和化に関与している酵素ω6-desaturase (デサチュラーゼ, Δ12-desaturaseとも: FAD2)がある。このω6-desaturaseの遺伝子(FAD2)の発現を抑制することによってオレイン酸残基の含量を高めている。デュポン社のダイス 260-05系統に関しては、「高オレイン酸ダイズ(GmFad2-1, Glycine max (L.) Merr.)(260-05, OECD UI :DD- Ø26ØØ5-3) 申請書等の概要」により、公表されている。
更に、FAD2を抑制するだけではなくFATBも抑制することにより、飽和脂肪酸残基含量が少なくオレイン酸残基含量の多いダイズが開発されている。FATBとは、パルミトイル-ACP チオエステラーゼ(palmitoyl-ACP thioesterase, EC 3.1.2.14, ACP: acyl carrier protein、アシル輸送タンパク質)であり、炭素鎖14-18の飽和脂肪酸残基を持つアシル-ACPを加水分解でき、その中でも主にパルミトイル-ACP (16:0-ACP)を加水分解する。一方、FATAはオレオイル-ACPを加水分解する。FATBが抑制され、FATA活性が十分ある場合、飽和脂肪酸残基が減少し、不飽和脂肪酸残基が増加する。更に、多価不飽和脂肪酸残基への変換を触媒するFAD2が抑制されていれば、一価不飽和脂肪酸残基であるオレイン酸残基の含量は増加する。このような形質を持つモンサント社のMON87705系統に関しては、「低飽和脂肪酸・高オレイン酸及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(GmFAD2-1A, GmFATB1A, 改変cp4 epsps, Glycine max (L.) Merr.)(MON87705, OECD UI: MON-877Ø5-6)申請書等の概要」により、公表されている。
エイコサペンタエン酸(eicosapentaenoic acid(20:5): EPA)やドコサヘキサエン酸(docosahexaenoic acid(22:6): DHA) などの長鎖ω-3脂肪酸は、心臓発作のリスクを軽減することが知られている。これらの脂肪酸の前駆体であるステアリドン酸(stearidonic acid(18:4): SDA)の残基を含むダイズを育種した。ダイズにはSDAが含まれない。これは、炭素鎖18個の脂肪酸のカルボキシル基から数えて6番目と7番目の炭素の間を二重結合を導入するω12-desaturaseがダイズにないためである。そこでサクラソウの一種であるPrimula juliaeからω12-desaturaseに対応するコーディング領域が導入された。
また、ダイズのリノール酸残基からα-リノレン酸残基へ変換するω3-desaturase(Δ15-desaturase: FAD3)の活性を高めるために、アカパンカビ(Neurospora crassa)のΔ15-desaturaseの遺伝子も導入されている。その結果、リノール酸のCoAチオエステルであるリノレオイル-CoA (linoleoyl-CoA)からω12-desaturaseによってγ-リノレン酸のCoAチオエステルであるγ-リノレノイル-CoA (γ-linolenoyl-CoA)に、γ-リノレノイル-CoAからω3-desaturaseによってステアリドノイル-CoA(stearidonoyl-CoA)へと変換される。もしくは、リノレオイル-CoAからω3-desaturaseによってα-リノレン酸のCoAチオエステルであるα-リノレノイル-CoA (α-linolenoyl-CoA)へ、α-リノレノイルCoAからω12-desaturaseによってステアリドノイル-CoAへと変換される。
ステアリドン酸含有遺伝子組換えダイズに関してはモンサント社のMON87769が、「ステアリドン酸産生及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(改変Pj.D6D, 改変Nc.Fad3, 改変cp4 epsps, Glycine max (L.) Merr.)(MON87769×MON89788, OECD UI:MON-87769-7×MON-89788-1)申請書等の概要」で公表されている。
L-リシン (L-lysine) は必須アミノ酸の一種である。しかし、イネ科の植物の貯蔵タンパク質ではその含有量が低いため、飼料として使う際にはリシンを添加している。このコストを低減するために、リシンを多く含むトウモロコシであるモンサントLY038が開発された。
現在、市販されているリシンは、微生物を用いたアミノ酸発酵によって工業生産されているものである。各アミノ酸生合成系では、それぞれのアミノ酸濃度が低下すると生合成が促進されるとともに、必要以上にアミノ酸濃度が上昇すると生合成が抑制されるようにフィードバック制御されている。微生物によるアミノ酸発酵においてはそのアミノ酸の生合成系の鍵酵素のフィードバック阻害が解除されたものを利用することが多い。あるアミノ酸の生合成系のフィードバック阻害解除株はそのアミノ酸のアナログに対する耐性株(アナログ耐性株)として得られる。リシン生合成の場合、フィードバック阻害は、リシン生合成系の酵素群の1つで鍵酵素でもあるジヒドロジピコリン酸合成酵素(DHDPS)の酵素活性の低下で生じる。最終産物であるリシンがネガティブ・エフェクターとしてアロステリック酵素であるDHDPSに作用する。
そこで、リシン・アナログ耐性のCorynebacterium glutamicumのDHDPS(リシンによるフィードバック阻害が解除されている変異型)をコードしている遺伝子cordapAが利用された。更に、植物の細胞質中で合成されたC. glutamicumの変異型DHDPSが植物のリシン生合成の場であるプラスチドへ移行できるように、トウモロコシのDHDPSの遺伝子mDHDPSのプラスチドへの移行配列(transit peptide)部分の塩基配列が、C. glutamicumのDHDPS遺伝子(cordapA)と連結された融合遺伝子がつくられた。それにトウモロコシの胚乳の貯蔵タンパク質であるグロブリン(globlin 1)の遺伝子のプロモーターと連結されたものがトウモロコシに導入された。導入されたC. glutamicumの変異型DHDPSはフィードバック阻害が解除されているため植物でもリシン生合成がフィードバック阻害されず、また、胚乳中で発現するグロブリン遺伝子のプロモーターによってトウモロコシ種子中のリシン含有量が増加した。モンサントLY038の「生物多様性影響評価書の概要」、「高リシン(lysine)トウモロコシ(cordapA, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(LY038, OECD UI: REN-ØØØ38-3)の生物多様性影響評価書の概要」は、公開されている。形質転換における選択系・選択マーカー遺伝子の除去系として、後述の「選択マーカー遺伝子の除去系」のうちの「Cre-loxP system」が用いられている。
ビタミンAの欠乏は、子供の失明や発育障害などを招き、慢性的に摂取量が少ない後進地域では将来の人口構成にまで影響を与える。このため、国際協力の一環として様々な研究機関や団体がビタミンAの摂取量を高めるための品種改良に取り組んでいる。植物のカロテノイドの一部はビタミンAの前駆体であるプロビタミンAである。1分子のβ-カロテン(β-carotene)から2分子のビタミンAに、1分子のα-カロテンやγ-カロテンやβ-クリプトキサンチンから1分子のビタミンAに変換される。そこで、作物中のプロビタミンA量を増やすための機構として次のものが挙げられる。
そこでイネ、トウモロコシ、コムギ、ジャガイモ、サツマイモなど様々な作物において、これらの機構が応用されてプロビタミンA強化作物が開発されている。
多くの発展途上国において深刻な問題になっているビタミンA(vitamin A)欠乏の解決策として開発されたイネの品種である。ビタミンAの前駆体であるβ-カロテンを内胚乳に含有するため精米された米が黄金色を呈することから、このような名称がつけられた。
ゴールデンライスには植物由来のフィトエン合成酵素の遺伝子psyと細菌由来のフィトエン不飽和化酵素の遺伝子crtIが導入されており、リコペンを合成できる。細菌由来のフィトエン不飽和化酵素であるCrtIは植物のカロテノイド合成場所であるプラスチドへはそのままでは移行できないので、crtIにはプラスチドへの移行ペプチドをコードした塩基配列が融合されている。リコペンはイネの内胚乳中にもともと存在するリコペンβ-環化酵素によってβ-カロテンに変換される。
ゴールデンライス自体を主食としてもビタミンAの必要量を満たさないとの主張が遺伝子組換え食品反対派にあったが、2005年には、新たにゴールデンライス2が発表され、これだけを摂食することでビタミンAの必要量がまかなえるようになった。これはカロテノイド生合成系遺伝子としてゴールデンライスで用いられていたスイセン由来のpsyの代わりにトウモロコシ由来のpsyを利用することにより達成された。
ゴールデンライスは2015年にアメリカ合衆国特許商標庁の"Patents for Humanity Awards(英語版)"を受賞し、2018年にはオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国で食品として承認され、そして2021年に世界で初めてフィリピンで洪水と乾燥の両方に耐性があるコメ品種「RC82」を遺伝子操作したゴールデンライスの商業栽培が認可された。
ジャガイモにおいては様々な機構が適用されて塊茎中のプロビタミンAが強化されたジャガイモが開発されている。ゴールデンライスと同様にカロテノイド生合成を強化する目的で、Erwinia由来のフィトエン合成酵素(CrtB)とフィトエン不飽和化酵素(CrtI)とリコペンβ-環化酵素(CrtY)の遺伝子が導入されたものが開発された。また、プロビタミンAとしての効力の高いβ-カロテンの高比率化をはかるために、α-カロテンの合成に関与するリコペンε-環化酵素を抑制して、β-環を持つカロテノイドの含量を高めたものも開発されている。更に、β-カロテンからキサントフィルへの変換を抑制することにより、β-カロテン含量を高めたジャガイモも開発されている。β-カロテンのβ-環を水酸化する酵素、β-カロテン 3-水酸化酵素を抑制するものである。これらのプロビタミンAが強化されたジャガイモの塊茎の断面は黄色味を呈する。
トコフェロール類にはビタミンE活性があるが、分子種によってその活性の強弱は異なる。トコフェロール類はメチル化の程度やメチル基の位置によって、α-, β-, γ-, δ-トコフェロールと区別されている。これらの中では、α-トコフェロールが最もビタミンE活性が強い分子種であり、次がβ-トコフェロールである。ダイズ種子に由来するダイズ油中に存在するトコフェロール類の主要分子種はγ-トコフェロールであり、次がδ-トコフェロールである。これらはビタミンE活性が弱い。そこで、これらをα-トコフェロールやβ-トコフェロールに変換することによってビタミンE活性を増強することが試みられた。エゴマ(Perilla frutescens, シソと同種の植物)のγ-トコフェロール・メチル転移酵素の遺伝子をエンドウマメの種子特異的貯蔵タンパク質であるvicillinの遺伝子のプロモーターを用いてダイズの種子中で発現させた。その結果、γ-トコフェロールやδ-トコフェロールの含量は大幅に減る一方、α-トコフェロール含量は10倍強、β-トコフェロール含量は15倍弱まで増えた。その結果、ビタミンE活性が4.8倍強化されたダイズ種子が得られた。
アントシアニンはフラボノイド系のポリフェノールであり、植物の重要な色素である。アントシアニンには抗酸化活性とともに様々な生理活性があり、健康食品としても注目されている。このアントシアニンをトマトで大量に蓄積させることに成功した。キンギョソウ由来のアントシアニンの合成を誘導する2種類の転写因子の遺伝子Delila (Del)(ACCESSION M84913塩基配列)とRosea1 (Ros1)(ACCESSION DQ275529塩基配列)をトマトに導入し、過剰発現させたところ、デルフィニジン系のアントシアニンを大量に蓄積した紫色のトマトの果実ができた。このアントシアニンが大量に蓄積して果実が紫色になる形質は、トマトの他の品種と交配させると、交雑品種にも遺伝することが示されている。
スギ花粉米とは、摂食によりスギ花粉症を緩和させることを目的に、スギ花粉が持つ抗原タンパク質が種子に蓄積するように遺伝子組換えによって作出されたイネである。2005年に農業生物資源研究所の高木英典らによってマウスでスギ花粉へのアレルギー症状の緩和が報告され、ヒトへの応用に向け研究開発が進められている。
上記にあるゴールデンライスと同様に、多くの発展途上国において深刻な問題になっている鉄欠乏とそれによる貧血の解決策として鉄分豊富なコメが開発されている。大きく分けて二つの方法がある。一つは、鉄を貯蔵するダイズ由来のタンパク質であるフェリチン(ferritin)の分子種H1やH2をイネの種子中に多量に蓄積させることで種子中の鉄貯蔵能力を高め、鉄含有量を増加させる方法であり、こちらは"フェリチン米"とも呼ばれている。もう一つは、植物にとって鉄イオン吸収に関わるムギネ酸合成の前駆体であるとともに鉄イオンの体内輸送に係るニコチアナミンを合成する酵素の遺伝子の発現量を高める方法である。オオムギ由来の高発現のニコチアナミン合成酵素遺伝子をイネに導入して植物体中のニコチアナミンを増やすことで鉄の種子への輸送能力を高めている。こちらの方法では白米中の鉄濃度が3倍に増加していた。ニコチアナミン合成酵素遺伝子は、アルカリ性土壌でも鉄イオンを吸収して生育できるイネやトウモロコシの開発にも利用されている。
フィチン酸(phytateは種子などの多くの植物組織に存在する植物における主要なリン酸の貯蔵形態である。フィチン酸はキレート作用が強く、多くの金属イオンを強く結合し、特にフィチン (phytin: 不溶性のフィチン酸の金属塩)の形で多く存在する。フィチン酸のリン酸残基は、非反芻動物ではフィチン酸加水分解酵素であるフィターゼがほとんどないため、消化・吸収されにくい。非反芻動物由来の糞便中から未分解のフィチン酸が環境に放出されると環境中で分解されてリン酸が遊離して水圏の富栄養化を招くこととなる。一方、ウシなどの反芻動物はルーメン(反芻胃)内の微生物によって作られるフィターゼが加水分解するためフィチン酸由来のリン酸を利用できる。
現在、フィチン酸由来のリン酸やフィチンとして不溶化されているミネラルの吸収を増す目的で非反芻動物の飼料には、微生物由来のフィターゼを添加することがある。そこで、フィターゼを飼料に添加しなくてもよいように糸状菌や大腸菌のフィターゼの遺伝子をトウモロコシやダイズで発現させてフィチン酸のリン酸の有効利用率を高める試みが行われた。更に、フィターゼ生産トウモロコシをニワトリに給餌してフィチン酸由来のリン酸の有効利用率が上昇していることが確かめられた。
その他、フィチン酸は金属イオンに対するキレート活性が高いためフィチン酸によって鉄の吸収が阻害されるが、鉄貯蔵タンパク質であるフェリチン(ferritin)とフィターゼを共に生産させたトウモロコシでは鉄分の有効利用率が有意に上昇していたという報告もある。
デンプンは、グルコースのポリマーで、直鎖構造のアミロースと枝分かれ構造をもつアミロペクチンから構成されている。アミロースとアミロペクチンの分子量や含量や枝分かれ頻度によって物性が異なる。デンプンは植物のプラスチドで生合成され、特にデンプン合成が盛んでデンプンを貯蔵しているプラスチドをアミロプラストとよぶ。細胞質からプラスチドに輸送されたグルコース-1-リン酸やグルコース-6-リン酸やADP-グルコースはプラスチド中で最終的にADP-グルコースとなり、ADP-グルコースのグルコース残基はデンプン合成酵素によって伸長中のアミロースやアミロペクチンの非還元末端のグルコース残基の4位の水酸基と脱水縮合して新たなα-1,4グルコシド結合を形成して取り込まれる。プラスチド中のデンプン合成酵素はデンプン粒結合型デンプン合成酵素 (GBSS: granule-bound starch synthase)と可溶性デンプン合成酵素(SSS: soluble starch synthase)に大別される。GBSSはアミロースの生合成に関与している。SSSによって合成途中のα-1,4グルコシド結合のグルコース残基の直鎖が、枝分かれ酵素によって一部切断され、その切断されて生じた還元末端のグルコース残基の1位の水酸基と直鎖部分の中間のグルコース残基の6位の水酸基の間でα-1,6グルコシド結合が生じる。こうして生じた分子中に存在する複数の非還元末端はSSSによって伸長するとともに枝分かれ酵素によって新たに非還元末端の側鎖が次々と形成される。一方、余分なα-1,6グルコシド結合部分は枝切り酵素によって切断され側鎖は整理されて、アミロペクチンは合成される。つまり、アミロースとアミロペクチンの含量はGBSSとSSSの活性によって制御されている。よって、GBSSが欠損していればアミロペクチンのみを含むモチ性となり、SSSの活性が低下していると高アミロース含量となる。そこで遺伝子操作によってGBSSやSSSの生産量を制御して、デンプン組成を改変できるようになった。
GBSS生産量が抑制されてモチ性に変換された"Amflora"と名付けられたジャガイモ品種(EH92-527-1系統)が既にBASFによって開発され、チェコ、スウェーデン、ドイツで商業栽培されている。
キャッサバ (Manihot esculenta) は熱帯における重要な作物である。ただし、タンパク質含量が少なく、かつ、有毒なシアン化合物である青酸配糖体を多く含んでいる。含まれる青酸配糖体のうち、95%はリナマリンで、5%はロトストラリンである。キャッサバを食料や飼料にするためには青酸配糖体や分解産物であるアセトンシアノヒドリンの除去が重要であり、不十分だと健康被害が生じることがある。そこでキャッサバ中のシアン化合物を減少させるための研究が進められている。その一つにはヒドロキシニトリル脱離酵素 をキャッサバの根で生産させるというものがある。ヒドロキシニトリル脱離酵素はアセトンシアノヒドリンを青酸とアセトンに分解する酵素である。ヒドロキシニトリル脱離酵素によって生じた青酸は気化するため、ヒドロキシニトリル脱離酵素活性とキャッサバ中の青酸化合物の濃度との間には負の相関性がある。野生型のキャッサバの根ではほとんど生産されていないヒドロキシニトリル脱離酵素を根で過剰生産させた結果、形質転換体では根でリナマリン含量が80%低下すると共にタンパク質含量が3倍に増加していた。
ワタ(Gossypium hirsutum)の種子約1. 65 kg当たり、ワタ繊維1 kgが生産される。ワタの種子は21%の油脂とともに23%の高品質のタンパク質を含んでいる。しかし、ワタの種子自体や脱脂種子は反芻動物の飼料として利用されているが、食料としても単胃動物の飼料としても利用されていない。心機能と肝機能を障害するゴシポールが腺に含まれているからである。ゴシポールはセスキテルペンの一種である。そこで、棉実を食料、飼料として利用するために、腺を持たない変異ワタが発見されたのでそれを用いて腺欠損品種の育種がすすめられ、上市された。しかし、腺欠損品種は害虫抵抗性に関与しているテルペノイドを欠くため、極めて虫害に遭いやすいので農民に拒否された。そこで種子でのみゴシポールが削減された品種の開発を目的として、ゴシポールの前駆体であるδ-カディニンをファルネシルピロリン酸から合成する酵素であるδ-カディニン合成酵素を、ワタの種子特異的α-globulin Bの遺伝子のプロモーターを用い、RNAiで抑制した形質転換ワタが開発された。この形質転換植物の種子と若い芽生えにおいてのみゴシポールや関連物質の含量が低下しており、他の地上部や根では含量の変化はなかった。つまり、害虫抵抗性は大きくは変化せず、また、この形質は多世代にわたり安定に遺伝していた。
デンプンなどの糖類とアスパラギンが共存しているもの、穀類など、を加熱すると様々な毒性を持つアクリルアミドが生成する。特にフライドポテトなどが問題視されている。そこでアクリルアミド生成量を減らすために遊離アスパラギン含量の少ないジャガイモの開発が行われている。 ジャガイモにはアスパラギン合成酵素としてStAst1とStAst2の二種類が知られている。まず初めにStAst1とStAst2の遺伝子StAst1とStAst2の双方を根茎特異的に抑制した形質転換ジャガイモが開発された。温室での形質転換ジャガイモの生育や根茎の収量は野生型のものと遜色がなく、その根茎中の遊離アスパラギン含量は野生型のものの1/20程度であった。ところが、その形質転換体を圃場試験したところ、植物体の生育は悪く、根茎はいびつで収量は低かった。そこで、解析を進めた結果、StAst1は根茎で主に、StAst2は緑色組織で主に発現していることがわかった。そのため、StAst1を根茎特異的に抑制したところ、圃場試験においても生育や収量が正常で、遊離アスパラギン含量が少ない、つまり、加熱してもアクリルアミド生成量の少ない形質転換ジャガイモが得られた。
そしてAsn1 (StAst1と同じ)をRNAiによって抑制して遊離アスパラギンを減少させ、ホスホリラーゼとデンプン関連タンパク質であるR1をRNAiによって抑制してデンプンから還元糖への変換を抑えて、両者の効果によって加熱によるアクリルアミドの生成を減少させたジャガイモがInnateという商標で2015年3月20日にアメリカ食品医薬品局(FDA)によって認可された。なお、Innateにおいては傷や切断による褐変を防ぐために、ポリフェノール・オキシダーゼの遺伝子Ppo5をRNAiによって抑制してされている。
涙の出ないタマネギを参照。
リンゴの果実を切断すると、果実の切断面が褐変することが知られている。これは果実の細胞の液胞中のクロロゲン酸やエピカテキンなどのポリフェノールがプラスチド中のポリフェノールオキシダーゼ(PPO: polyphenol oxidase)と細胞の損傷によって接触して、酸化重合されて分子中の共役二重結合が伸び、長波長の光まで吸収することが原因である。そこで、リンゴの果実の褐変を押さえるために4種類のPPOの遺伝子 PPO2, GPO3, APO5, pSR7のそれぞれ394, 457, 457, 453 塩基対のDNA断片を利用したRNAiによってPPO活性が抑制されたリンゴが開発された。リンゴの品種Golden DeliciousとGranny Smithにおいて実用化され、Artic appleの商標で2015年3月20日にアメリカのFDAによって認可された。
遺伝子組換え植物を作製する上で、植物のホスト(宿主)・ベクター系 (host-vector system) が必要とされる。そのホスト・ベクター系を構築する上で以下の4種類の系が必要とされる。
これらについて以下の節で簡単に説明する。
なお、外来遺伝子の導入場所として、細胞の核ゲノムだけではなく、プラスチド・ゲノムもある。プラスチド・ゲノムに導入して形質を変えることをプラスチド形質転換(plastid transformation)という。
また、遺伝子組換え食品反対派からの反対理由の一つであった「医療用、家畜用抗生物質耐性遺伝子の選択マーカー遺伝子としての利用」を回避するために用いられている、「新しい選択マーカー遺伝子と選択マーカー遺伝子の除去系の利用」についても述べる。
さらに、反対理由の一つである「ゲノムの特定の場所を狙って遺伝子を導入できない」という問題を解決するためにジーン・ターゲッティングの技法が導入されていることについても紹介する。また、導入された遺伝子の利用を制限する遺伝的利用制限技術についても解説する。
その他、遺伝子組換え作物の作製法とは直接関係ないが、それが商品化され一般の圃場で栽培されるために要求されている「環境に対する影響」と「食品としての安全性」を評価する安全性審査についても述べる。
導入系とは、目的とする遺伝子を細胞の遺伝子が発現する場所に導入するための系である。遺伝子を導入・発現させるための植物細胞内の小器官として、現在、核とプラスチド(plastid)が標的となっている。導入系にはいろいろな手法があるが、現在の主要な方法は、パーティクル・ガン法とアグロバクテリウム法であり、それぞれについて簡単に説明する。
その他にも、DNAを含んだ等張液中のプロトプラストに高電圧の電気パルスを与えて細胞膜に短時間だけ穴を開けて等張液中のDNAを細胞内に導入させるエレクトロポレーション法があるが、その操作の煩雑さと効率の低さとイネへのアグロバクテリウム法の適用が可能になったことにより、現在ではほとんど利用されていない。また、最近、使用例が増えてきたウィスカー(whisker)法がある。
ウィスカーとは、髭状の強度の高い単結晶であり、マイクロ試験管中で植物組織やカルスと滅菌処理されたウィスカーとDNAを含む溶液を激しく攪拌し、ウィスカーによって傷ついた細胞内に溶液中のDNAが侵入し取り込まれるようにする。組織やカルスを洗浄後、固体選択培地にて形質転換体を選択し増殖させる。使用されるウィスカーとしてシリコンカーバイドよりホウ酸アルミニウム(2B2O3・9Al2O3)のものが安全性の面から好まれる。植物の形質転換操作手順は、植物組織とウィスカーをDNAを含む溶液中で激しく撹拌、洗浄し、その後は、後述の「パーティクル・ガン法による手順」の4.以降と同様である。
Agrobacterium tumefaciens(正式名称 Rhizobium radiobacter)が主に用いられている。自然界ではA. tumefaciensは、双子葉植物を宿主としてクラウンゴール(crown gallまたはcrowngall)という腫瘍を形成させ、それをA. tumefaciensは資化できるが植物は資化できないオパイン(またはオピン: opine)という特殊なイミノ酸を生産する工場としている。これを生物学的植民地化という。これはA. tumefaciensに含まれるTi (tumor inducing) plasmidのT-DNA (transferred DNA)が植物細胞の核ゲノムに導入されたことによって生じる。そこで、このDNA導入機構を利用して植物への遺伝子導入方法として中間ベクター法とバイナリーベクター法(binary vector)が開発された。そのうち、現在はバイナリー・ベクター法が主流である。これは、Ti plasmidの本来のT-DNAを除去されたvir helper Ti plasmidと、大腸菌とA. tumefaciensの双方で利用できる小型のシャトル・ベクター(shuttle vector)に人工のT-DNAを付与したものとで構築されている。vir helper Ti plasmidには、本来のT-DNAが存在しないため、植物にクラウンゴール(腫瘍)を形成できないが、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要なvir領域が存在しているため、他のプラスミド上に存在する人工T-DNAを植物に導入できる。このように同一のDNA上に存在しなくても、作用しあえる遺伝子間の関係をトランスという。以下に、バイナリー・ベクター法を簡単に説明する。
A. tumefaciensに存在するTi plasmidは巨大プラスミドであり、これをA. tumefaciensから直接単離し試験管内で操作することは困難である。一方、Ti plasmid上にはvir領域という、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要な遺伝子群が存在するので、Ti plasmidは植物への遺伝子導入には必要である。しかし、本来のT-DNAは植物を腫瘍化するので不要である。そこで、本来のT-DNAを欠損したがvir領域を保持したままのvir helper Ti plasmidとそれを保持するA. tumefaciensの菌株が開発された。A. tumefaciensの染色体上にも植物への遺伝子導入に必要とされる遺伝子群(chv genes: chromosomal virulence genes)が存在するために、更にTi plasmidの宿主としてもA. tumefaciensはアグロバクテリウム法において必要とされる。
T-DNAの両末端にはRB(right border:右境界配列)とLB(left border:左境界配列)という短い配列が存在している。RBとLBに挟まれた配列が植物に導入され、その間の配列には特異性がない。つまり、植物に導入したい遺伝子や形質転換植物を選択するための選択マーカー遺伝子をRBとLBに挟みこめば、任意の人工のT-DNAを構築できる。
更に、vir領域とT-DNAとの作用関係はトランスであり、両者が同一のプラスミド上に存在している必要が無い。そこで、操作しやすい小型のシャトル・ベクターに人工のT-DNAを付与したT-DNAプラスミドを試験管内で改変した後に大腸菌を用いて増幅させる。その後、T-DNAプラスミドをA. tumefaciensへ導入して、A. tumefaciens内でvir helper Ti plasmidと共存させて植物に人工のT-DNAを導入させる。この小型のシャトル・ベクターであるT-DNAプラスミドは、大腸菌での複製開始点と広範囲のグラム陰性菌の間での複製可能な複製開始点が存在する広宿主域ベクターであり、また、人工のT-DNA部分内に存在する植物の形質転換の選択に用いられる選択マーカー遺伝子以外にも、大腸菌とA. tumefaciensの形質転換体の選択に必要な選択マーカー遺伝子を別に保持している。
A. tumefaciensの本来の宿主は双子葉植物であるが、vir領域の転写を誘導するフェノール系物質アセトシリンゴン(acetosyringone)の利用やvir領域の転写活性が恒常的に高いhypervirulent helper Ti plasmidの開発により、イネなどの単子葉植物や真菌類などへの応用が可能となってきている。
アグロバクテリウム法は、パーティクル・ガン法に比べ高価な機材は必要なく、また、ランニングコストも低い。T-DNAは植物の核ゲノムに1〜2コピー程度の低コピー数で導入されることが多い。一方、アグロバクテリウムの感染後に抗生物質を用いてアグロバクテリウムを除去するなどの煩雑な操作が必要であり、アグロバクテリウムの感染効率も材料の種類や状態によって様々に変化する。
多数の細胞を材料として、それらに遺伝子導入を試みても、それらの中から極少数の形質転換体しか得られないことが多い。そのため、形質転換体のみを特異的に選択する選択マーカー遺伝子を目的遺伝子以外に同時に導入する必要がある。選択マーカー遺伝子の性質としては、形質転換細胞のみが生存・増殖できるポジティブ選択可能であり、更に形質転換細胞と非形質転換細胞とが混在しあったキメラ(chimera)を形成しにくいことが望ましい。多くの場合、アミノグリコシド系抗生物質のカナマイシン(kanamycin)やG418やハイグロマイシンB(hygromycin B)などの耐性遺伝子が遺伝子組換え作物にも用いられてきたが、現在では後述の新しい選択マーカー遺伝子やマーカー除去の技術が用いられるようになった。
導入された遺伝子が植物細胞の細胞分裂にあわせて複製されなくては、一過性の遺伝子発現(transient gene expression)となって、安定した形質転換植物を得ることができない。そこで外来遺伝子の複製系が必要となる。現在、植物の場合は外来遺伝子が植物の核ゲノムに挿入されて、核ゲノムの複製にあわせて一緒に複製される様にすることが主流である。また、プラスチドのDNAに外来遺伝子を相同組換えによって導入する系も存在する。
外来遺伝子が導入された単一の形質転換細胞より植物個体を分化・再生する系である。上記の三つの系は効率の高低はあるがほぼ共通の手法を用いることができる。しかし、この系は、植物のホスト・ベクター系を構築する上で、この系が確立すればその植物の形質転換植物個体がえられるのとほぼ同じ意味を持つほど重要なものである。多くの場合、オーキシンやサイトカイニンなどの植物ホルモンの濃度比を変えることによって植物個体を再生させている。しかし、材料の状態や培養開始からの時間や材料の成熟度などによって大きく変化する。多くの場合、カルスを経てカルスからシュートが分化してくる。そのシュートを発根培地に植え継いでから馴化して鉢上げする。なお、シロイヌナズナ(アラビドプシス: Arabidopsis thaliana)やその近縁のストレス耐性の強いThellungiella halophila (salt cress)などにおいては、未熟な花蕾をアグロバクテリウム懸濁液につけるフローラル・ディップ(floral dip)法や、花蕾にアグロバクテリウム懸濁液を噴霧したりするフローラル・スプレー(floral spray)法が用いられており、それらの処理後に植物体より得られた種子を選択培地上に置床し発芽させ、その中から形質転換体を選択している。つまり、もともと分化能を持つ種子を発芽させて選択するだけなので人為的な再生系は必要とされない。フローラル・ディップ法やフローラル・スプレー法を適用できる植物はまだ少数ではあるが、適用できれば形質転換植物を得る操作が極めて簡便化される。
その他、カルスなどの未分化な状態での形質転換植物を培養することが目的の場合には、分化・再生系は必要とされない。
パーティクル・ガン法による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。
バイナリー・ベクターを用いたアグロバクテリウム法による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。
プラスチド形質転換(plastid transformation)とは、植物細胞の核ゲノムにではなく、プラスチド・ゲノムに外来DNAを導入して形質を変えることである。プラスチドには、プラスチド・ゲノムが複数個存在し、更に細胞中にプラスチドが多数存在するため、細胞当たり数千コピーのプラスチド・ゲノムが存在することもある。そのため、大規模な遺伝子量効果(gene dosage effect)を期待でき、核ゲノムに外来遺伝子を導入してタンパク質を生産させるよりも遥かに多量の目的タンパク質を生産させることが可能となる場合がある。また、プラスチドの転写・翻訳機構は原核生物型なので、複数の外来遺伝子を単一のポリシストロニック・オペロン(polycistronic operon)として導入可能である。
プラスチド形質転換における遺伝子導入系として、パーティクル・ガン法が用いられている。導入されたDNA断片は相同組換えによるプラスチド・ゲノムとの遺伝子置換によってプラスチド・ゲノムに組み込まれ、プラスチド・ゲノムの複製に合わせて複製される。そのため、プラスチド形質転換には、外来DNAが組み込まれても影響の少ない、プラスチド・ゲノムの一部が、事前に単離されている必要がある。つまり、植物種やプラスチド・ゲノムの種類毎に導入するために必要なベクターが異なることになる。具体的には、単離されたプラスチド・ゲノムの一部の中で外来DNAが挿入されても影響の少ない部位に選択マーカー遺伝子と共に目的遺伝子のカセットが挿入されたDNAを調製する。これがパーティクル・ガン法で植物細胞に導入されるとカセットの両側の配列とプラスチド・ゲノムのそれらとの相同配列間の二カ所で相同組換えが低頻度で生じ、遺伝子置換によって外来DNAがプラスチド・ゲノムに挿入される。この組換え型のプラスチド・ゲノムを選択的に増幅させるための選択系が必要になる。遺伝子置換されたプラスチド・ゲノムはプラスチド中で野生型のプラスチド・ゲノムと混在した状態(ヘテロプラスミー: heteroplasmy)であるが、選択を繰り返していく間にそのプラスチドに含まれるゲノムDNAが全て組換え型になった状態となり、更にその細胞中に含まれるプラスチド全体が組換え型になる(ホモプラスミー: homoplasmy)ことが期待される。プラスチド形質転換において細胞中の全プラスチドを組換え型のホモプラスミーにするためには細胞の選択を長期間続ける必要がある。そのため、プラスチド形質転換植物を得るために必要な時間は、核ゲノムに外来遺伝子を導入して形質転換植物を得るよりも長くなる傾向がある。
プラスチド形質転換の選択系として、スペクチノマイシン(spectinomycin)と、大腸菌のトランスポゾンであるTn7由来のスペクチノマイシン耐性遺伝子aadAが用いられることが多い。
現在の遺伝子組換え手法において、多数の細胞を材料としてその中から極少数の形質転換細胞を選択する操作が用いられることが多い。そのため、形質転換細胞を選択するための選択マーカー遺伝子の発現を指標として形質転換体を選択している。この植物の選択マーカー遺伝子は組換え作物においてもカナマイシン(kanamycin)などのアミノグリコシド(aminoglycoside)系抗生物質に耐性を与える遺伝子が用いられることが多かった。そこに、社会政策的な問題が形質転換植物の選択系にも影響をおよぼした。EUは2004年末をもって医療用、家畜用に用いられる抗生物質に対する耐性遺伝子で形質転換植物細胞の選択を禁止した。そして、今後、EUで販売される遺伝子組換え植物や食品は他の選択マーカー遺伝子が用いられているか、選択マーカー遺伝子が除去されていなくてはならないとした(European Parliament 2001)。形質転換植物の選択マーカー遺伝子は基本的には形質転換体の選択という育種の極初期に用いられるに過ぎない。
しかし、遺伝子組換え食品反対派は、組換え作物が持つカナマイシン耐性遺伝子(NPTII: aminoglycoside (neomycin) phosphotransferase遺伝子) やハイグロマイシンB耐性遺伝子(hpt: hygromycin phosphotransferase遺伝子)などの抗生物質耐性遺伝子が腸内細菌に極低い頻度であっても取り込まれる可能性があるとし、これを批判の根拠の一つとしていた。そこで、除草剤として用いられているビアラホス(bialaphos: phosphinothricinとなって作用)の様な農業用抗生物質や医療用・畜産用にほとんど用いられていない抗生物質を除いて、医療用・畜産用抗生物に対する耐性遺伝子を選択マーカーとして利用することを規制したわけである。その結果、新たな選択マーカー遺伝子を利用した選択系が用いられるようになった。更に、初めの選択では抗生物質耐性遺伝子を選択マーカー遺伝子として利用するが、後にその抗生物質耐性遺伝子を欠失させる手法が開発された。ただし、カナマイシン耐性を付与する遺伝子nptIIは、自然界に広く広がって存在しており、カナマイシン自体が医薬としての使用が極希か、もしくは使用されていないという理由で規制外となっている。
なお、EUの予算によって設立・運営されている独立機関であるEuropean Food Safety Authority (EFSA)は、"EFSA evaluates antibiotic resistance marker genes in GM plants" (News Story 11 June 2009)において、"In their joint opinion, the GMO and BIOHAZ Panels concluded that transfers of ARMG (antibiotic resistance marker genes) from GM plants to bacteria have not been shown to occur either in natural conditions or in the laboratory."とあるように遺伝子組換え植物からバクテリアへの抗生物質耐性マーカー遺伝子の移行を自然条件下でも実験室でも観察できなかったと発表している。
新たな選択マーカー遺伝子の中には、植物の利用できない炭素源を資化または解毒できるようにするものがある。
その他、選択マーカー遺伝子を除去する系を利用するものもある。
その他、現在、ジーン・ターゲッティング法を用いて遺伝子置換を植物に応用する試みが進んでいる。植物は相同組換え活性が低く、内在性の遺伝子と配列類似性が高いDNA断片を導入しても内在性の遺伝子と殆ど相同組換えを起こさず、非相同組換えによって標的以外に組み込まれるものが大部分である。そこで様々な工夫が必要となる。
ひとつの例が、pyrimidinyl carboxy系除草剤であるbispyribacへの耐性を示すイネの開発である。前記の「除草剤耐性作物」の小節で述べたsulfonylurea系除草剤と同様に、この除草剤は分岐鎖アミノ酸(branched chain amino acids, BCAA)生合成系の酵素の一種であるacetolactate synthase (ALS)の阻害剤である。イネのある変異体は、ALSの2カ所のアミノ酸残基の変異によってbispyribacに対して高度に耐性を示す。そこで、非相同組換えによる耐性形質転換体を除去するためにpromoterとALSのN(アミノ)末端側の配列を欠失したイネ由来の変異型ALSをイネに導入して耐性になった相同組換えによる遺伝子置換体を単離した。そのhomo接合体は著しくbispyribacに対して耐性となっていた。
この過程で変異型ALSのpromoterとALSのN末端側の配列を欠失したものを用いているのは重要である。promoterとALSのN末端側の配列を含む完全な変異型ALSを用いればゲノムの本来のALS以外のところに非相同組換えによって挿入されてもbispyribac耐性になってしまう。また、promoterのみを除去し開始コドンから完全な変異型ALSのタンパク質コード領域(翻訳領域、ORF)を含んでいるものを用いれば、ほとんどの非相同組換えによるbispyribac耐性株を除去できるはずであるが、T-DNA taggingに用いられているようにAgrobacterium(アグロバクテリウム)法ではT-DNAはかなりの高頻度で転写活性の高い領域に挿入されるため、何らかの遺伝子のpromoter下流に挿入され、その転写方向と挿入断片のセンス鎖方向が一致すればbispyribac耐性株が生じる可能性がある。そこで、promoterとN末端側の配列を欠失したものを用いれば、非相同組換えによるbispyribac耐性形質転換体によるバックグラウンドをほぼ排除できるわけである。
この遺伝子置換体は基本的に標的となったALSの配列のみが野生型と一部異なるだけであり、他の選択マーカー遺伝子が存在しないため、突然変異により育種されたものと区別がつかない。このことは遺伝子組換え食品の実質的同等性を確保する上で大きな意味を持つ。
また、変異型ALSのようなそれ自体が選択マーカーとなる遺伝子だけでなく、任意の遺伝子を遺伝子置換により遺伝子破壊する方法が開発された。これらの方法はゲノム編集の手法の一部である。非相同組換えが生じやすい生物種において、相同組換えによる遺伝子置換体を得るための方法は大きく二つに分けられる。一つは、非相同組換え体は死滅するが、相同組換えによる遺伝子置換体は生存できるようにして遺伝子置換体を濃縮する方法である。もう一つの方法は、配列特異的に相同組換え効率を向上させる方法である。
前者の方法として、diphtheria toxinの遺伝子を利用しているものがある。これは、diphtheria toxinが真核生物の細胞質の蛋白質合成を阻害するため、diphtheria toxinを生産する真核細胞が死滅することを利用している。Agrobacterium法による形質転換においてT-DNAのright borderとleft borderの内側近傍にネガティブ選択マーカーとして働くdiphtheria toxin-A(ジフテリア毒A)遺伝子を1個ずつ逆方向反復配列(inverted repeats)として配置し、更にその内側に遺伝子破壊したい配列と相同な配列とポジティブ選択マーカー遺伝子を挿入することによって、相同組換えを起こしたもののみ生存できるようにしたものである。相同組換えによって2個のdiphtheria toxin-A遺伝子が除去されポジティブ選択マーカー遺伝子が導入された細胞は生存可能であるが、非相同組換えによって標的遺伝子以外のところにright borderとleft borderとともにdiphtheria toxin-A遺伝子が導入された細胞は死滅すると考えられる。ただし、この方法によってもイネにおいて選択された形質転換体のうち目的とする遺伝子破壊体の頻度は1.9%であった。更なる効率上昇に関する研究は必要である。
後者の方法として、ジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFNs)やTranscription Activator-Like Effector Nuclease (TALENs)やメガヌクレアーゼ(meganuclease)を利用して、配列特異的に相同組換え頻度を上昇させ、植物における遺伝子置換効率を高める研究がある。DNA二本鎖切断を修復する過程でその切断部近傍のDNAの相同組換え効率は上昇する。ゲノム中の任意の部位だけを特異的に切断しゲノムの他の部位を切断しないような酵素は長い認識配列を必要とするため、通常の制限酵素では対応できない。そこで、認識・切断させたい長いDNA配列を切断できる酵素は人為的に設計できるものでなくてはならない。それらの条件を満たすものとしてZFNsやTALENsが挙げられる。置換したい遺伝子領域内の特異的な配列を認識できる様に設計された人工的なZFNsなどを植物中で誘導性プロモーターなどを利用して生産させるとその特異的配列を含む領域でDNA二本鎖切断が生じる。そのときに置換したい領域と相同性のあるDNA断片が導入されているとそれを鋳型としたDNA修復が生じ、相同組換えによる遺伝子置換が生じることになる。この方法は人為的DNA二本鎖切断を伴わない、前述の方法より遺伝子置換効率を上昇させることができる。しかし、ZFNsの配列認識の甘さによる標的配列以外の切断もあるため、ZFNsの改良がなお必要である。また、ZFNsなどとともにエキソヌクレアーゼやヘリカーゼを発現させることにより相同組換え効率を更に高めることができる。
なお、DNA二本鎖切断が生じた後、相同組換えが生じないとNHEJ(non-homologous end joining: 非相同末端結合)が生じる場合がある。その場合は、遺伝子破壊(ノックアウト)が生じることになる。
ZFNsやTALENs以外にも原核生物の外来DNA排除機構に関わるCRISPR/Cas9を用いた系がゲノム編集に利用され始めている(ゲノム編集コンソーシアム)。CRISPR/Cas9系では、特定DNA配列を認識するガイドRNAに対応する合成DNAをベクターに挿入するだけである。そのため、複数のジンクフィンガー・モチーフを組み合わせて作成されるZFNsを作製するよりも簡便で短時間に人工エンドヌクレアーゼ系を構築可能である。
遺伝子利用制限技術(GURTs: gene use restriction technologies)または遺伝的利用制限技術(GURTs: genetic use restriction technologies)とは、特異的化合物による遺伝子発現誘導系と配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用した遺伝子発現や形質を人為的に制御する技術である。この技術のことを、遺伝子組換え作物反対派は形質(trait)を制御することにかこつけて「裏切り者(traitor)」とよぶことがある。この技術を利用すれば、次世代の種子から導入された遺伝子を除去したり、必要ないときまでは形質が現れないがその形質が必要な場合には特定の化合物で処理すると形質を誘導したりできる。また、いわゆる「ターミネーター技術」もこの応用例である。
外部から与えた化合物によって遺伝子発現を誘導するために開発された。遺伝子発現を制御にはトランス転写因子とシスエレメントが関与している。トランス転写因子はドメイン(domain)構造をとっており、それらはシスエレメントである特定のDNA配列を認識して結合するDNA結合領域や、転写活性化に関与するトランス活性化領域や、シグナルを検知して転写活性化能を制御するシグナル検知領域などに分けることができる。これらのドメインを別のトランス転写因子のドメインと交換することにより、別のDNA配列と結合させたり、別のシグナルによって転写活性を制御できたりする場合がある。そこで、外部から与える化合物をシグナルとする人工のトランス転写因子とシスエレメントの系が開発された。
人工のトランス転写因子に求められる条件として、
が挙げられる。上記の条件を満たすために、バクテリア由来のシスエレメントと結合するDNA結合領域のアミノ酸配列、特異的化合物と結合して転写因子の活性を制御するシグナル検知領域のアミノ酸配列、及び、トランス転写活性化領域のアミノ酸配列との三つの領域を融合した人工のキメラ・トランス転写因子が合成されている。現在では、テトラサイクリンやエストラジオールや糖質コルチコイドなどによる遺伝子発現誘導系が開発されている。
上記の化学物質による遺伝子発現制御系を用いて、配列特異的組換え酵素の生産を制御してin vivoで形質を改変する技術(遺伝子利用制限技術)が開発された。その配列特異的組換え酵素とその標的配列としてCreとloxP、酵母の2-μm DNAや醤油酵母のpSR1の組換え酵素とそれらの標的配列、他が用いられている。その応用例を挙げる。
次世代の種子の発芽抑制技術である。自家受粉する作物では、組換え品種からの契約外の自家採種が行われていることがある。その制限のためと交配による遺伝子拡散の防止ために開発された。この技術のためには3つの系が必要である。
それらを満たすために、ワタにおける例では次のものが用いられている。
例としてRIPとCreとloxPとtetRとtetOの系について説明する。「目的遺伝子 + (LEAプロモーター + loxP + 分断配列 + loxP + RIP) + (構成的プロモーター + tetR) + (構成的プロモーター + 複数のtetO + cre)」というカセットを植物体に導入しておく。構成的プロモーターによりリプレッサーであるTetRが常に生産されているため、オペレーター配列であるtetOにTetRが結合してcreは転写・翻訳されない。その結果、後期胚形成期であっても、分断配列によって毒素RIPが生産されないので正常な胚発生が進行する。そのため、種苗会社はこの植物の種子を増やすことができる。しかし、種子を出荷する前にインデューサーであるドキシサイクリンで処理するとTetRが不活化してtetOから遊離してCreが生産される。その結果、順方向に並んでいる二つのloxPの間でCreにより配列特異的な組換えが生じて「目的遺伝子 + (LEAプロモーター + loxP + RIP) + (構成的プロモーター + tetR) + (構成的プロモーター + 複数のtetO + cre)」という構造に変換する。LEAプロモーター + loxP + RIPの組み合わせは転写と翻訳を阻害されない。この構造を持つ種子は正常に発芽・生育・開花できるが、受精後の種子形成の最終段階である後期胚形成期に胚においてのみ転写活性を持つLEAプロモーターにより、胚においてRIPが生産され胚は死滅する。その結果、次世代の種子は発芽できなくなる。
この技術に関しては反対意見が強いために現時点においては栽培されている遺伝子組換え作物には利用されていない。なお、「ターミネーター技術」とは遺伝子組換え作物反対派から命名された通称である。
いわゆる「ターミネーター技術」を利用した場合、次世代の種子が発芽しなくなるため批判が強い。そこで、次世代の種子は発芽できるが導入された遺伝子が次世代には伝わらないように花粉や種子から除去する技術である。その結果、農家が契約に反して自家採種しても、その種子からは組換え品種を得ることができなくなる。生態系に対する遺伝子汚染を減少することもできる。種子や花粉特異的プロモーターを用いて配列特異的な組換え酵素遺伝子を誘導して、標的配列の順方向繰り返し(direct repeats)によって囲まれたDNA領域(導入された形質に係わる遺伝子)を、順方向繰り返し配列間の特異的相同組換えによってループアウトさせて除去して遺伝子拡散を防ぐ系である。
花粉特異的発現する遺伝子としてBGP1(配列)とLAT52(配列)が、花粉と種子特異的発現をする遺伝子としてPAB5(配列)が同定され、それらのプロモーターが単離された。loxPと2-μm DNAの標的配列を連結した配列を順方向繰り返し配列として利用し、それらのプロモーターでCreと2-μm DNAの配列特異的組換え酵素をそれぞれ単独で生産させた場合、導入された遺伝子を得られた種子からほぼ100%除去することができた。
その他、アシネトバクター(Acinetobacter)由来のセリン・リゾルベースCinH組換え酵素(serine resolvase CinH recombinase)(CinH:アミノ酸配列)とその認識配列RS2を用いて、花粉特異的に発現する遺伝子LAT52のプロモーターを用いてCinHを生産させて、順方向繰り返し配列とした二つのRS2に挟まれた領域(導入遺伝子)を除去する系も開発されている。RS2は、119 bpと長いため特異性が高くなるので、CinHとRS2を用いた系ではゲノムにもともと存在する類似の配列と組換える可能性はほとんどない。
なお、上記以外にもストレプトマイセス(Streptomyces)由来のファージphiC31のインテグラーゼ(integrase)と標的配列であるattBとattPを用いて組換えコムギでの導入遺伝子の除去にも成功している。phiC31を生産する組換えコムギと除去される標的配列を持つ組換えコムギを掛け合わせて得られた後代から目的とした導入遺伝子が除去されていることが確認されている。
エピジェネティック効果とは「DNAの塩基配列の変化を伴わずにおきるゲノム機能の変化」である。細胞レベルでのエピジェネティック効果は以下のメカニズムに基づく。
これらのエピジェネティック効果をもたらす操作を一過的に行っても、それに伴い変化したクロマチン状態は有糸分裂を経ても安定的に伝達され、生物の表現型に影響を与え続けることがある。つまり、初めに導入遺伝子によってエピジェネティック効果をもたらし、その後代からエピジェネティック効果を保持しつつ、かつ、導入された遺伝子配列を保持しない系統を選抜することで、植物のゲノム配列を変化させずに植物の形質を安定に変化させられる。
例えば、「non-coding short RNA (miRNA、siRNA、shRNA 等)による遺伝子制御」に関するRdDM (RNA-directed DNA methylation)を簡単に説明する。これは基本的にRNAiのgene silencing (GS)と同様の手法であり、「植物の発現を抑制したい遺伝子配列と相同性を持つコンストラクト(RdDM誘導コンストラクト)を植物体へ導入して、短鎖二本鎖RNA (dsRNA)を細胞中で作らせ、これにより相同配列部分のDNAのメチル化を誘発し、標的遺伝子の転写を抑制する」ものである。RdDMの植物育種上の重要性は、植物体の特定遺伝子を、遺伝子配列の変異を生じさせることなく、発現抑制できることにある。このDNAのメチル化状態は世代を通じて、維持される場合がある。そこで、後代において、目的の形質を保持し、かつ、導入されたRdDM誘導コンストラクトを保持しない系統を選抜する。この手法の応用により、既に様々な形質の植物体が作り出されている。
この手法には明らかな利点が存在する。DNAのメチル化自体はごく一般的な自然現象であり、真核細胞に広く発生している。RdDMによりメチル化されたDNAと自然にメチル化されたDNAを区別することは困難であり、RdDM誘導コンストラクトが除去された系統と従来の手法で育種された作物とを区別できない。導入された遺伝子が存在しないために、この手法により育種された作物はそもそも遺伝子組換え作物であるのかどうかという、遺伝子組換え作物の定義にも関わる根本的な議論を引き起こしている。
組換え作物に対する安全性審査は、生物多様性の確保に関するカルタヘナ法に基づく「食品としての安全性の評価」と「環境に与える影響の評価」に分けられる。
日本においては、遺伝子組換え食用作物(遺伝子組換え食品)の商業的栽培は行われていないが、多量の組換え食品が輸入されている。それらの安全性を確保するため、厚生省は1991年(平成3年)から「安全性評価指針」に基づいて個別に安全性審査を行ってきたが、任意の仕組みであった。安全性審査を法的に義務化することとし、2001年(平成13年)4月1日から、安全性審査を受けていない遺伝子組換え食品の輸入・販売等が禁止された。
また、2003年(平成15年)7月1日に食品安全基本法が施行され、内閣府に食品安全委員会が発足したことに伴い、遺伝子組換え食品の安全性審査は食品安全委員会の意見を聴いて行うこととなった。厚生労働省の「遺伝子組換え食品の安全性審査について」に関連の規則や安全性評価基準についてのリンクがある。詳細はリンク先参照。2019年8月時点で、日本で食品として安全性が確認され使用許可があるGM作物は、8種類320品種である。食品安全委員会の「遺伝子組換え食品(種子植物)の安全性評価基準」によると、食品としての安全性審査における基本的な検討事項は、
である。 上記のアレルギーの検定については、アレルギーの素となるアレルゲンの評価として、
が、初めに調査される。上記4項目で安全性が判断できないときには、
ことにより、評価されている。
飼料としての安全性審査は、「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律(飼料安全法)」によって規定され、その基準は「遺伝子組換え飼料及び飼料添加物の安全性評価の考え方」に基づいている。
遺伝子組換え作物を一般圃場で栽培する前に環境への影響は、カルタヘナ法に基づき、競合における優位性があるか有害物質を産生しないか、交雑性の主に3点から科学的に評価されている。
それぞれ、「競合における優位性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「有害物質産生性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「交雑性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」と評価されてから、農林水産大臣及び環境大臣より一般圃場での栽培が承認(第1種使用)される。
なお、花卉などの非食用の遺伝子組換え作物に関しては、カルタヘナ法に基づく第1種使用の承認だけが要求されており、食品としての安全性審査は必要とされない。
1994年にFlavr Savrが発売された後に、GM作物は、1996年にアメリカで大豆の栽培が始められて以降、着々と普及してきた。
2015年現在、全世界の大豆作付け面積の83%、トウモロコシで29%、綿で75%、カノーラで24%がGM作物である(ISAAA調査)。特に食生活の変化による肉類消費の増加を背景とした飼料用穀物の需要増加は、害虫、除草剤への耐性が高く、生産性も高いGM作物の需要増加に繋がっている。
ダイズの栽培面積の拡大に関しては、BSE問題と関連があるとされている。BSEによって家畜飼料として肉骨粉の使用が敬遠され、それに代わるタンパク質源として、ダイズが使用されているからである。その結果、組換え品種の割合の高いダイズの栽培面積が、組換え作物の栽培面積の増加となった。
その他、トウモロコシの栽培の増加には、バイオエタノール増産と関係があるとされている。アメリカを初め、中華人民共和国やインド、ブラジル、アルゼンチン、カナダなど各国へ普及しており、2006年時点で22カ国で約1億200万 ha栽培され、更に2007年には23カ国で約1億1430万 ha、2008年には25カ国で約1億2500万 ha、2009年には約1億3400万 ha、2010年には1億4800万 ha、2011年には1億6000万 ha、2012年には日本を除く28カ国において1億7030万 haで、2013年には27カ国において1億7520万 haで、2014年には28カ国において1億8150万 haで、2015年には28カ国において1億7970万 haで栽培された(ISAAA調査)。
2015年において、初めてその栽培面積が減少した主な理由は、2015年の農産物価格の低下と考えられた(ISAAA調査)。ちなみに農林水産省大臣官房統計部によると、2009年の日本の全耕地面積は約460万 haである。また、国際連合食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)によると、2006年の全世界の栽培面積は耕地面積の約14億1171.7万 haと永年性作物の栽培面積の1億4197.6万 haの計15億5369.3万 haであった。
つまり、2012年には全世界の耕地面積の約12%、耕地面積+永年性作物の栽培面積の約11%において遺伝子組換え作物が栽培されていたことになる。
2015年の遺伝子組換え作物生産国は、
である。なお日本においては、遺伝子組換えバラが商業栽培されている。
近年の特徴として、複数の形質(stacked traits)が導入された品種の栽培面積が増えてきている(ISAAA調査、USDA調査)。複数の形質とは、複数の除草剤に対する抵抗性や、除草剤耐性と害虫抵抗性などを併せ持つものである。多くの場合、異なった遺伝子が導入された複数の組換え作物を交配して作られている。
日本は大量の穀類を輸入しており、その相当量は既に遺伝子組換え品種であると推定されている。
「農林水産物輸出入概況2008年(平成20年)確定値」による主要穀類の日本の輸入量とその輸入相手国は以下の通りである。
これらの作物の主要輸入相手国は、上記のようにそれらの作物の遺伝子組換え品種の栽培の盛んな国である。よって、日本は遺伝子組換え作物を大量に輸入していると推定されている。その推定値の中には日本の輸入穀類の半量は既に遺伝子組換え作物であるというものもある。日本における自給率は、トウモロコシ、ワタおよびナタネでは0%、ダイズでは7%で、国内需要を海外からの輸入に頼っている。日本への主要輸出国では、これらの作物にGM品種が高い割合で使用されており、日本に輸入されるこれらの農産物の9割程度がGM品種であると推測されている。GM作物の安全性や必要性について、日本国内において広く普及していないとみられるが、経済的貢献は大きく、年間1兆8000~4000億円のGDPを生み出している。
遺伝子組換え食品が流通している各国や地域において、遺伝子組換え食品含有に関して表示する義務の有無や規則が異なっている。その中には、「非遺伝子組換え」、「遺伝子組換え不使用」等に相当する表示自体が厳しく規制されている、アメリカやEU内のいくつかの国々もある。そのため、輸出に際しては輸入国の法律や規則に従う必要がある。「非遺伝子組換え」等の表示がある場合や無表示の場合でも、意図せざる混入により少量の遺伝子組換え作物が混入していることがあり、その場合の許される混入率も各国や地域で異なっている。
日本農林規格等に関する法律(JAS法)(遺伝子組換え食品に関する表示に係る加工食品品質表示基準第7条第1項及び生鮮食品品質表示基準第7条第1項の規定に基づく農林水産大臣の定める基準)(以下、「基準」)及び食品衛生法(食品衛生法施行規則)、現在は食品表示法に基づき、遺伝子組換え農産物とその加工食品について表示ルールが定められ、平成13年4月から義務化されている。なお、酒類に関しての表示の法的根拠は、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律(昭和28年法律第7号。以下「法」という。)第86条の6第1項の規定に基づく国税庁告示による「酒類における有機等の表示基準を定める件」である。それによると、「農林水産大臣の定める基準」の加工食品の規定を準用して、当該酒類の容器又は包装に遺伝子組換えに関する表示をしなければならないことになっている。
表示義務の対象となるのは、大豆、とうもろこし、ばれいしょ(ジャガイモ)、菜種、綿実、アルファルファ、てん菜(テンサイ)及びパパイヤの8種類の農産物と、これを原材料とし、加工工程後も組換えられたDNA又はこれによって生じたタンパク質を検出できる加工食品33食品群及び高オレイン酸遺伝子組換え大豆と高リシンとうもろこし及びこれを主な原材料として使用した加工食品(大豆油等)等と規定されている。なお、パパイヤに関しては、2011年(平成23年)12月1日より施行された。
安全性審査の手続きを経た上記の8つの遺伝子組換え農産物以外の農産物(例えば、米や小麦など)及びその加工食品については、「遺伝子組換えでない」「非遺伝子組換え」などの表示はできない。上記の7つの遺伝子組換え農産物以外の農産物はもともと非遺伝子組換えであるため、表示することによってそれがあたかも特別に非遺伝子組換えであるかのような誤解を招かないように表示は禁止されている(食品衛生法施行規則 第二十一条 第五項)。ただし、その農産物について、「現在時点で、小麦やピーナッツの遺伝子組換えのものは流通していません。」などのように遺伝子組換えのものが存在していないことを一般論として表示することは可能である。
遺伝子組換え農産物が主な原材料(原材料の上位3位以内で、かつ、全重量の5%以上を占める)でない場合は表示義務はない。また、加工の際に加える水については計算から除外することとなっている。ただし、原材料の上位4位以下のものや全重量の5%未満であるものに関しても、分別生産流通管理(IPハンドリング:Identity Preserved Handling)が行われていなければ、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をできない。分別生産流通管理に関わる流通マニュアルは農林水産省や「財団法人 食品産業センター」などから公表されている。
従来のものと組成、栄養価等が同等である遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であって、加工工程後も組換えられたDNA又はこれに由来するタンパク質を、ひろく認められた最新の検出技術によって5%以上検出可能であるものについては、「遺伝子組換えである」旨又は「遺伝子組換え不分別である」旨の表示が義務付けられている(「基準」第3条第1項及び第2項)。
油や醤油などの加工食品に関しては、組換えられたDNA及びこれに由来するタンパク質が加工工程で除去・分解され、ひろく認められた最新の検出技術によっても検出不可能とされている加工食品については、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、任意で「遺伝子組換えである」旨、「遺伝子組換え不分別である」旨、または「遺伝子組換えでない」旨を表示することは可能である。ただし、表示する場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。
上記の8つの遺伝子組換え農産物においては、分別生産流通管理が行われた非遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であれば、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、任意で「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をすることができる。ただし、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。不使用表示の場合、生産から食品の製造までの全段階で、遺伝子組換え作物が混入しないよう施設の洗浄や機器の専用化など分別生産流通管理を適切に行っていれば、5%以下の遺伝子組換え作物の意図せざる混入が許されている。
分別生産流通管理(IPハンドリング)とは、非遺伝子組換え農産物を農場から食品製造業者まで生産、流通及び加工の各段階で混入が起こらないよう管理し、そのことが書類等により証明されていることをいう。農産物及び加工食品の取引の実態として、分別生産流通管理を適切に行うことにより、最大限の努力をもって非遺伝子組換え農産物を分別しようとした場合でも、生産、流通のそれぞれの段階で非遺伝子組換え原料専用の機械、施設を設置することは現実的に不可能であることから、その完全な分別は困難である。そこで、分別生産流通管理が適切に行われていれば、このような一定以下の「意図せざる混入」がある場合でも、「遺伝子組換えでない」旨の表示が認められている。つまり、分別生産流通管理が行われなかった場合や意図的に組換え農産物を加えた場合は、たとえ5%未満の混入であっても不使用表示はできない。
パパイヤに関してはハワイでの出荷段階で個々の果実に表示シールが貼られる予定である。国内での加工がある場合には表示義務に応じた表示がなされる。
従来のものと組成、栄養価等が著しく異なる遺伝子組換え農産物(高オレイン酸遺伝子組換え大豆や高リシンとうもろこし等)及びこれを原材料とする加工食品については、JAS法に基づき、組換えられたDNAやタンパク質を検出不可能であっても、「高オレイン酸遺伝子組換え」である旨又は「高オレイン酸遺伝子組換えのものを混合」したものである旨の表示が義務付けられている。
PCRなどの検出感度の高い検査法では、混入率0.01%程度でも陽性反応が出る。そのため、現在までに行われた多数の調査では、多くの「遺伝子組換え不使用」表示食品からも遺伝子組換え食品の混入が検出されているが、5%を超える混入はなかった。その混入率は、概ね0.1%未満-1.2%程度であった。
バイテク情報普及会によると諸国の表示や規則は次のようになる。
組換え作物に由来する資材を有機栽培に利用することは本来はJAS規格で禁止されている。しかし、飼料の多くを組換え作物に依存している現実を無視できず、また産業廃棄物の有効利用という面を重視して現状では許可されている。その他、現在、組換え作物の栽培と慣行農法や有機栽培と共存(co-existence)させるためのルール作りがEUを中心に進められている。
上記の節のように日本は大量に遺伝子組換え作物を輸入している。その結果、遺伝子組換え作物に由来する家畜の糞尿などの大量の畜産廃棄物が発生している。畜産廃棄物や油粕などの産業廃棄物は有機質肥料の原料として用いられることもある。「有機農産物の日本農林規格」によれば、本来は種苗や防除資材や肥料などに組換えDNA技術を用いたものを利用できない。しかし、特例として遺伝子組換え作物から油を絞った油粕や、飼料として用いた結果生じた糞尿をもとに作った有機質肥料である堆肥を有機栽培に用いることは、現状では許可されている。堆肥に関しては、組換えDNA技術を用いていないものの入手やその確認が困難であることを理由に、「有機農産物の日本農林規格」の「附則(平成18年10月27日農林水産省告示第1463号) 抄」において、
と明記されている。
また、「有機農産物及び有機加工食品のJAS規格のQ&A」の「(問15-4) 遺伝子組換え作物に由来する堆肥の使用は認められますか。」の回答としても、
と解説されている。
組換え作物の栽培が各国で年々拡大している。そこで、消費者と農家の「選択の自由(Freedom of Choice)」を保障するために、組換え作物の栽培と他の慣行農法や有機栽培との共存のための規制作りがEUを中心に各国で進められている。EUにおける規制の指針は作成されたが、その規制の実施方法に関しては各国で対応が異なっている。
遺伝子組換え作物(GM作物)については、強く推進する者がいる一方、健康や環境に悪影響があるのではと不安を抱く者も多く、イギリスなどの一部の国では、商業目的でのGM作物栽培が行われていない。GM作物を否定する者と肯定する者の間で、その影響について論争が起きている。
遺伝子組換え作物の生態系への影響を含めた評価をする上で重要なことは、何と比較するのかということを明確にすることである。細胞融合や種間交雑、変異体育種、古典的交配を含めた従来の手法によって育種された品種や、慣行農法(慣行栽培)や有機栽培や自然農法との比較を行い、様々な観点からの評価を遺伝子組換え作物に対して総合的に行う必要がある。日本においてはセイヨウアブラナであるカノーラのこぼれ種の発芽や他のアブラナ属植物との交雑、ダイズに関しては自生している野生種(原種)であるツルマメとの交雑の可能性が指摘され、様々な調査がなされている。なお、日本には、トウモロコシと交雑可能な野生植物は存在しないため、組換えトウモロコシを日本で栽培した場合、組換えトウモロコシによる野生種への遺伝子汚染の問題はない。そこで、カノーラとダイズの交雑問題について記述した。
本来、組換え作物が持っていて野生植物が持っていない形質が、組換え作物の花粉の飛散等によって近縁の植物との間で交雑して、拡散してしまう可能性がある(遺伝子汚染)。そのため、組換え作物においても生態系への影響として、組換え品種と在来種や野生種との交雑の危険性があげられることがある。ただし、在来種や野生種との交雑に関しては、組換え品種のみではなく伝統的手法で育種された品種でも同様の問題を含んでおり、組換え品種にのみ限定された問題ではない。
組換え作物と在来種や野生種との交雑を防ぐ手法の一つとして、花粉を作らない雄性不稔の形質が求められている。その他の解決法として、葉緑体などのプラスチド(plastid)やミトコンドリアのゲノムは基本的に母系遺伝のため、花粉を通して拡散しないという性質を利用することもある。すべての植物の形質転換に利用できるわけではないが、プラスチドのDNAに目的の外来DNAを相同組換えによって導入してプラスチド内で発現させる訳である。これをプラスチド形質転換という。このようなプラスチド形質転換植物の外来DNAは形質転換植物自身に結実した種子を通してのみ後代に伝達されるため、花粉を介した遺伝子拡散を回避できる。その他、自家受粉するイネやダイズなどの作物においては、閉花受粉性を利用する試みが進んでいる。閉花受粉性とは、開花せずに同一の花の雄蕊の花粉によって雌蕊が受粉する性質である。この性質を利用できれば、花粉を介した遺伝子拡散の可能性を低減できる。現在では利用されてはいないが、いわゆる「ターミネーター技術」を利用すれば遺伝子拡散を防ぐことができる。その他にも種子や花粉特異的に発現する遺伝子のプロモーターによって配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用して導入遺伝子を花粉や種子から除去する遺伝的改変遺伝子除去技術(genetically modified gene deletor)などの利用が考えられる。
更に、組換え品種を大量に栽培すると遺伝的多様性が失われるのではないかという懸念も、組換え品種特有の問題ではなく、在来品種においても少数の品種の大規模栽培に伴う問題である。農業も産業である以上、経営上有利である高品質で低コストなどの競争力の高い品種が現れれば、遺伝子組換え作物に限らず栽培が広がる。その過程で競争に敗れた品種は淘汰される。しかし、野生種や競争力の低い旧来の品種にも重要な遺伝子やゲノム構造が存在しているため、その維持・保存は重要である。
一方、遺伝的多様性を維持していく上で、遺伝子組換え技術は大いに役立つという意見もある。その意見は、
という考えに基づいている。つまり、在来品種に遺伝子組換え技術によって有用な遺伝子を導入し競争力を高めることにより、在来品種のゲノム構造が残りやすくなるという意味である。
カノーラの輸入港の近辺や菜種油工場の近辺、更にそこに至る沿道では遺伝子組換えカノーラの自生が確認されている。2015年度(平成27年度)の調査では、ナタネ類の日本の輸入港18港のうち、10港の周辺で組換え遺伝子を持つものが、ナタネ類1215個体中から130個体見つかった。その調査においては、カラシナ又は在来ナタネと遺伝子組換えカノーラとの交雑体は発見されなかった。
その他のアブラナ属作物との交配に関しては、栽培されている作物は雑種第一代であり、その他、品種の純粋性を保つために、種子を栽培農家が毎年購入しているので、アブラナ属作物に遺伝子組換え品種の形質が導入される可能性は低い。なお、現在、輸入されているカノーラの種はBrassica napus(セイヨウアブラナ)であり、複二倍体の種であるためそのゲノム構成はAACC (2n = 38)である。日本で栽培されている多くのアブラナ属作物はBrassica rapa(ゲノム構成: AA, 2n = 20)かB. oleracea(ゲノム構成: CC, 2n = 18)かB. juncea(ゲノム構成: AABB, 2n = 4x = 36)であり、カノーラとの交雑も報告されているが、同種間に比べ交雑と発芽の可能性は低く、また交雑したものの稔性も低い。しかし、野生化しているB. rapaと遺伝子組換えカノーラとの交雑した植物体(ゲノム構成: AAC, 2n = 3x = 29)の自生も確認されている。なお、日本で栽培されているB. napusはセイヨウアブラナ、芯摘菜、かぶれ菜、のらぼう菜、三重なばな、などである。
ダイズ(Glycine max)の原種であるツルマメ(G. soja)は、日本を含む東アジアやシベリアで自生している。ツルマメもダイズも閉花受粉による自家受粉性の強い植物であるが、ツルマメとダイズは交雑可能である。そのため、組換えダイズを東アジアで栽培すると導入遺伝子がツルマメに拡散する可能性が指摘された。そこで、どの程度の交雑頻度であるのかを調べる定量分析が行われた。ダイズとツルマメが絡みつくくらいに混植した混植区と2 m, 4 m, 6 m, 8 m, 10 m離して植えた距離区が設定、供試された。また、花期の異なる組換えダイズ品種を複数種類用いると共に、播種時期をずらして、できるだけツルマメと組換えダイズの花期を合わせるようにした。そしてツルマメに結実した種子のみを回収して解析した。その結果、混植区では、25,741個体中、交雑個体は35個体であり、また、距離区(66,671個体)においても、遺伝子組換えダイズから2 m、4 m、6 mの距離区での交雑個体はそれぞれ1個体、8 m、10 mの距離区では交雑個体は認められないという結果になった。このことから、意図的に交雑頻度を上げるような操作を行っても、組換えダイズとツルマメの交雑は極めて低頻度であることがわかり、通常の栽培条件では更に低頻度になることが予想された。
生態系に与える他の影響として、Btトウモロコシの花粉がトウモロコシ畑の近傍の有毒雑草であるトウワタにかかり、それを食草とする蝶・オオカバマダラの幼虫の生育を阻害して生存率を下げたという報告が有名である。この論文は、実験室内でトウワタの葉にBtトウモロコシ、トウモロコシ栽培品種の花粉をかけたものとかけなかったものを餌としてオオカバマダラの幼虫を飼育して経時的に体重と生存率を測定したものである。その際に、トウワタに散布した花粉の密度が、"Pollen density was set to visually match densities on milkweed leaves collected from corn fields."と非定量的であるにもかかわらず、体重変化や生存率を定量的に示したという問題点を含んでいる。著者らが、"it is imperative that we gather the data necessary to evaluate the risks associated with this new agrotechnology and to compare these risks with those posed by pesticides and other pest-control tactics."と述べているように、Btトウモロコシの栽培と慣行栽培によるリスク評価の比較を行うことは重要である。すなわち、殺虫剤の散布に伴う生態系への影響や残留農薬、食害に伴う微生物汚染などのリスクとBtトウモロコシのリスクを比較する必要がある。たとえば、慣行農法によって殺虫剤をまくことによって害虫以外への影響とBtトウモロコシの栽培による影響を相互比較した場合、どちらが生態系への影響が大きいかを検定することなどである。なお、Bt toxinを生産させるための発現カセットのプロモーターを花粉で発現しないものにすることにより、花粉に含まれるBt toxinの量は激減させることができる。MON80100やMon809などのように、Btタンパク質が花粉中にはほとんど含まれないが他の組織には含まれるトウモロコシ組換え品種などがその例である。なお、全ての組織で強く発現するとされるCaMV 35sプロモーターやその改変したもの、他のウイルスのプロモーター、ユビキチン、熱ショックタンパク質類似タンパク質の遺伝子のプロモーターなどがBt toxin生産に使用されている組換え品種でも、花粉中にはBt toxinはほとんど含まれていない。また、全組織で強く発現するとされるプロモーターを用いた場合でも、得られた形質転換植物の系統の中からBt toxinを花粉では生産しない系統を選択することでも避けられる。
なお、国内外の大学の生物学の教科書として広く利用されている「キャンベル生物学」において、この論文や論争については以下のように記載されている。
このようにこの論文の評価はほぼ定まっている。
除草剤に耐性を持った遺伝子組み換え作物が幅広く普及した要因の一つには、単一の薬剤を一度使用するだけで雑草を一挙に取り除ける事から手間もコストも環境負荷も従来より低減するという利点があると考えられている。しかし、複数の除草剤を使い分けていた従来の手法と違い、単一の除草剤だけに頼った事で雑草の側が容易に除草剤への耐性を獲得してしまい、除草剤が効果を発揮しづらくなる事例が増加している。
雑草の耐性獲得を防ぐ為には、遺伝子組み換え作物とそれに対応した単一の除草剤ばかりを使用せずに、輪作・耕作・耕起・複数の除草剤の使用といった、従来の手法を組み合わせる必要があるが、そのような従来の手法に回帰すればするほど、手間、費用、環境負荷といった、遺伝子組み換え技術の利点が失われると指摘されている。(→ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題)
組換え品種を開発した企業が、種子の支配を通じて食料生産をコントロールすることにつながるのではないか、という懸念が出されている。多くの場合、組換え種子の販売会社と生産農家は、収穫した種子の次回作への利用を禁止する契約を結んでいる。更に、組換え種子を毎作毎に農家に購入させるための手法として、一時期、結実はできるが得られた種子から発芽できないようにする、いわゆる「ターミネーター技術」が導入された組換え品種の開発が行われたが、批判も多く、現在、販売されているものの中にはない。
F1品種の多いトウモロコシなどを除き、カノーラやダイズの組換え品種に関しては農家による自家採種によって違法増殖され紛争になることがある。上記のラウンドアップ耐性作物を開発・販売しているモンサント社は農家の農家の自家採種に対して「特許侵害」として数多くの訴訟を起こしており、これに反発する農家も存在する。
その他、農家による自家採種には、経済的な側面以外にも、Bt toxin生産作物などの害虫抵抗性品種に関してはBt toxin抵抗性害虫の出現を助長するという重大な問題を含んでいる。
その他の経済問題として、組換え作物の方が収量が低いという指摘がある(Benbrook reportsなど)一方、逆に組換え作物の方が収量が高く経済的にも有利であるという報告もある。
1995年から2014年3月までの組換え作物の経済問題に関する147報の研究報告を基に組換え作物の経済問題に対する包括的なレビューが報告された。それによると様々な形質を持つ組換え作物(主に害虫抵抗性トウモロコシとワタ、除草剤耐性ダイズとトウモロコシとワタ)の結果を纏めた結果として、収量は21.6%増加、農薬使用量は36.9%減少、農薬費用は39.2%減少、全生産費用は3.3%増加、農民の利益は68.2%増加することが判明した。更に害虫抵抗性と除草剤抵抗性作物に分けて解析すると、害虫抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は38.97%減少、農薬費用は39.45%減少、全生産費用は3.94%増加、農民の利益は60.01%増加することが、除草剤抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は6.02%減少、農薬費用は36.21%減少、全生産費用は5.51%減少、農民の利益は56.48%増加することが明らかになった。
毎作毎に種子を購入する必要性を通じて、開発した種苗会社による種子の支配が強化されるという批判がある。これは、農民には収穫した種子の一部を次回作に利用する権利があり、それを侵害することになるという意見である。しかし、これは、組換え品種に限定された問題ではない。
現代農業では、交雑による雑種第一代が栽培されている。F1品種に実った種子はF2世代であり、F2世代は遺伝的に不均一であるため、F2世代は栽培可能ではあるが、F2世代を栽培すると様々な表現型の植物の雑多な集団となってしまう。そのため、栽培管理上著しく不利になってしまう。
そこで、F1品種を栽培する場合、安定して同一形質の作物を得るためには、毎作毎に種子を購入しなくてはならない。更に、F1品種でなくても自家採種した種子は、遺伝的な純粋性の問題、病原菌汚染や種子の品質の問題、その品種名を名乗って販売する場合の種苗法の問題があり、多くの農家が種子を種苗会社から購入している現状がある。つまり、特定企業による種子の支配の問題は、遺伝子組換え品種に特有の問題ではない。
一方、この意見に対する反論もある。従来の交配や突然変異による育種において優良な品種を開発するためには、扱う材料が膨大で、人員や時間が大量に必要で費用がかかる一方、優良な品種が得られる確率が低かった。それに対して、遺伝子組換え育種では、アイデアさえよければ比較的短期間・低コストで優良な品種を育種できる確率が高いために、小資本のベンチャー企業や小規模な研究機関でも組換え品種の開発に参入できた。
ただし、組換え品種を開発すること自体は比較的容易であっても、それを商品化して上市するためには安全性審査に合格する必要がある。安全性審査には多額の費用と時間がかかるために、小資本のベンチャー企業や中小資本の種苗会社や中小研究機関にはその余裕がなく、それに耐えられる大資本の種苗会社に企業ごと買収されたり、特許を売却したりすることにつながった。つまり、遺伝子組換え品種に対する規制の強化の結果として、大資本の種苗会社による寡占化が進んだという解釈も成り立つ。
その他、組換え品種の多いトウモロコシ、ダイズ、ワタ以外の果樹や野菜やバイオ燃料用作物においても、様々な形質の組換え品種が開発されているが、それらの多くは商業化されていない。その理由としても、同様のことが指摘されている。
更に、別の問題によって寡占化が進んでいるという指摘もある。日本で組換え食品の安全性審査を多数の申請業務を経験しているのは数社の大手企業だけであり、それらの会社では申請のノウハウが蓄積され、提出文書も改善されている。
しかし、例えば、ウイルス抵抗性パパイヤの安全性審査の申請を行ったハワイパパイヤ産業協会などのように、食品安全委員会に組換え作物・食品の商業利用申請を出すことが今後少ないであろう小企業や大学などは、食品や環境への安全性審査に多大な時間と経費を要し、そこで得たノウハウをさらに活用する機会が少なければ、商業化への意欲も低下し、ひいては研究・開発活動自体が停滞・縮小していくとも考えられる。
農作物の生育には、地域の気候や土壌との適合性が重要である。このため、多国籍種苗会社といえどもすでに実績のある種苗を輸出するためには、その種苗に適した類似の気候や土壌の地域に限られる。既存の品種に適さない気候帯や土壌特性の地域に輸出した場合は期待通りの収穫は得られない。そこで、現地で新たな品種を育種しなければならない。
ところが、進出するに当たり問題になるものは知的財産法制度である。知的財産法制度は各国固有のものであるために、種苗に対する知的財産権保護の制度やその実効性は国や地域によって異なる。例えば、米国では特許を得ている種苗などの知的財産であったとしても、仮に外国で保護の対象とされていなければその国内での増殖は違法ではないし、特許権ではなく種苗育成者権でしか保護されていなければ、その種苗を用いた新品種の育種も違法ではない。
そのため、知的財産法制度やその実効性が乏しい国や地域に、多国籍種苗会社は進出しにくくなるとも考えられる。しかし、知的財産法制度の整備よりも、実際には"進出企業数が可耕面積と公的種苗販売者数に正の相関を持つという結果は,利潤に敏感な多国籍種苗企業の行動を端的に示すものであろう。"という解析が出ている。
更に、作物や品種によって種苗会社の知的財産権保護の実効性が異なる。トウモロコシの雑種第一代のように、毎作毎にF1種子を購入しなくてはならない品種の場合は、種苗会社の知的財産権は比較的守られることになる。一方、コメやコムギやダイズのように、優先的に自家受粉するため遺伝子座のホモ接合性の高い作物の固定された品種では、実った種子が親と同じ遺伝形質を持つので、ジャガイモやイチゴのように、栄養繁殖するものと同様に違法な増殖を防ぐ実効性が乏しくなる。
事実、アルゼンチンで栽培されていたモンサントが育種した遺伝子組換えダイズ(ラウンドアップレディー・ダイズ)のほとんどが、違法に増殖されていたものであること("モンサント・アルゼンチン社の広報担当者によると,同国で撒布された大豆種の18%しか合法な種でないという(La Nacion, 2004年1月20日)。", p.72-73)が報告されている。
このことは、種苗会社の知的財産権が守られやすいF1作物やその組換え品種を好んで育種するというように、種苗会社がどのような作物を選択して育種するのかということにも関係してくると考えられる。また、違法増殖があった場合には、多国籍種苗会社が種子の販売を停止する場合がある。
例えば、前述の違法に組換えダイズを大量に栽培していたアルゼンチンに対して、
と報道(p. 52, 右 5-14行)された。
このような行為を「企業による種子の支配」ととらえるか、侵害された知的財産権を回復するための「正当な行為」ととらえるか、意見が分かれる。なお、ラウンドアップレディー・ダイズに対する特許料支払いに関しては、アルゼンチン政府とモンサントだけではなく、アメリカ合衆国連邦政府も巻き込んで、2005年以降も交渉がもめており、知的財産権の国際的な紛争解決の困難さを示している。
1998年、カナダモンサント社はカナダ、サスカチェワン(Saskatchewan)州の農民、パーシー・シュマイザー(Percy Schmeiser)の農場でラウンドアップ耐性ナタネ(カノーラ: canola)が無許可で栽培されていることに対し特許権侵害で訴訟を起こした。シュマイザーは種子に特許が存在しないこと、農場のナタネの9割以上がラウンドアップ耐性ナタネになっていたのは意図的に栽培したのではなく周辺で栽培されているラウンドアップ耐性ナタネによる「遺伝子汚染」の結果であると主張した。しかし、交雑等の可能性があっても約400 haに植えられたナタネの95-98%のナタネがラウンドアップ耐性ナタネになることは現実にはあり得ないとしてカナダ最高裁はモンサント社に対する特許侵害を認めた。下級審の判決を妥当としシュマイザーは敗訴した。
まず、カナダ連邦裁判所が2001年3月29日に下した判決では、シュマイザーがラウンドアップを噴霧器で自ら噴霧してラウンドアップ耐性ナタネを意図的に選択して増殖し、栽培したことを認定した。
また、2002年9月4日のカナダ連邦控訴裁判所の判決においても、シュマイザーの控訴事由を三人の判事が全員一致で全て退けた。2004年5月21日にカナダ最高裁判所によって下された判決においても、シュマイザーは敗訴した。
種子に対する特許が認められたことに対しカナダの市民団体と生産者団体は強く反発している。
シュマイザーは自らを遺伝子汚染の被害者として、遺伝子組換え作物反対派と共に日本国内でもたびたび反対活動を行っている。
イ ンドでは2002年から遺伝子組換えBtワタが導入され、その栽培面積は急激に広がっている。緑の革命に対する批判者としても、遺伝子組換え食品反対派としても国際的に著名なインドの環境活動家であるヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva)らは、「インドにおいて遺伝子組換 えBtワタの種子の導入はコストを80倍にし、農民を借金漬けにして自殺に追い込んだ。27万人以上のインドの農民が高価な種子と農薬による借金のために 自殺した。そして大部分の自殺はワタ栽培地帯に集中している。」と主張している。しかし、別の調査によれば、遺伝子組換えBtワタがインドに導入される以前の1997年から大幅に栽培面積が増加していった2007年にかけて10年間のインドの農民の自殺数にほとんど変化は認められず、自殺数と遺伝子組換えBtワタの栽培面積の間に相関も見いだせなかった(インドの農民の年間自殺数とBtワタ栽培面積の変化のグラフ)。このことから「ネイチャー」は2013年の5月2日号で、シヴァらの主張は誤りであるとした。
宗教上やその他の信念により遺伝子操作自体を忌み嫌う人も存在し、反対活動を行っている。一方、ゴールデンライスのように人道的なものにまで反対することに対しては反発もある。
ビタミンA欠乏症を解消することは世界保健機構(WHO)や国際連合児童基金(UNICEF)においても主要目標である(A Strategy for Acceleration of Progress in CombatingVitamin A Deficiency)。WHOによると、 推定2億 5千万人の未就学児がビタミンA欠乏症であり、ビタミンA欠乏地域では多数の妊婦もビタミンA欠乏症である。そして、推定25万人から50万人の子供たちが毎年、ビタミンA欠乏症で失明し、その半数が一年以内に死亡している。そのような子供たちは南アジアや東南アジアの都市部のスラムに住む貧困家庭に多い。ビタミンA欠乏症を解消するために、主食であるコメにビタミンAの前駆体であるβ-カロテンを含むようにしてビタミンA欠乏症を緩和しようと育種されたものがゴールデンライスである。
このゴールデンライスに対しても反対する遺伝子組換え食品反対派はいる。前述のヴァンダナ・シヴァの主張は、
と紹介されている。この主張に対しては、リンゴはビタミンAの供給源としては不適切であるという栄養学的な反論と、貧困家庭の人々がバランスが良い食事がとれないためにビタミンA欠乏症に陥っているという現実を無視しているという反論がなりたつ。
また、ヴァンダナ・シヴァの主張の中には、色素米や茶米には多量のビタミンA前駆体が含まれているのでゴールデンライスを開発する必要がないというものがある。しかし、玄米には極僅かのβ-カロテンが含まれるために痕跡量のレチノール当量のビタミンA活性があるがビタミンAの供給源としては不適切であり、精米された白米にはないといって良い。赤米の色素はタンニン系であり、黒米の色素はアントシアニン系である。つまり、ビタミンAに変換されるカロテノイド系の色素ではないため、赤米や黒米はたとえ玄米であったとしてもビタミンAの供給源にはならない。
この様なゴールデンライスに対する反対に対して、ゴールデンライスの開発者(Ingo Potrykusら)や推進派の中には、人道に反すると反発する考えもある。また、ゴールデンライス導入の遅れに伴うビタミンA欠乏症に関係する健康被害にゴールデンライスの反対派は責任をとるべきである、という意見もある。
などを根拠に安全性を保障する実績がないとして忌避する意見も根強い。しかし、従来の非GM作物であっても100%の安全性証明がなされているわけではなく、暗黙のうちに「危険性」が許容されている。また、「種の壁」は一般に信じられているほど強固なものではなく、遺伝子の水平伝播や雑種形成も知られていることなどを考えるべきで、一般的に行われている品種改良を無視して、GM作物だけを問題視するのは公正とはいえない。GM作物の安全性については「実質的同等性」の概念に基づいた議論が重要である。ヒトのタンパク質消化において大部分はアミノ酸にまで分解されてから吸収されるため、よほどでない限り遺伝子組換え作物によって変化したアミノ酸配列の僅かな違いが消化・吸収に大きな影響を与えるとは考えにくい。
事実、様々な組換え作物と非組換え作物を飼料として多くの家畜に投与し、様々な生化学的、生理学的、組織学的差異を調べる大規模な研究を行ったが、如何なる有意な差異を見いだせなかったという包括的なレビューを欧州食品安全機関(European Food Safety Authority: EFSA)が発表している。
また、組換え食品は解放系での栽培や上市されるまでにさまざまな安全性審査を受けて、それに合格したものである。一方、組換え作物の比較対象となる在来品種は、組換え作物が受けるような安全性審査を経たものはほとんどなく、その安全性は組換え作物に比べ未知数であるという解釈も成り立つ。
以下の節でいくつかの特記すべき事例について論じる。
ある種の組換え作物の方が食品としての安全性が高いという報告がある。これはBt toxinを発現しているトウモロコシYieldGardの方が野生型の栽培種に比べ含有しているカビ毒(mycotoxin)量が数倍から20倍程度少ないというものである。昆虫などによって摂食された傷口からカビが侵入し繁殖するため、Bt toxinを発現していると摂食されにくくなるためカビ毒が大幅に減少したと考えられている。カビ毒には発ガン性や女性ホルモン活性などを有し、様々な疾患を引き起こすものがあることが知られている。このように現在判明している食品としての安全性検査ではある種の組換え作物の方がむしろ有利であるとの解釈も成り立つ。
ダイズ種子の貯蔵タンパク質のアミノ酸組成では、含硫アミノ酸であるメチオニンやシステインが少ない。そのため、ダイズ・タンパク質の有効利用率を表すプロテインスコアやアミノ酸スコアが低い。そこで、ダイズ種子にメチオニンやシステイン含量の高いタンパク質を蓄積させてタンパク質有効利用率を向上させようという研究が行われた。メチオニン残基が18%、システイン残基が8%と高含量で含まれているため、蓄積させるタンパク質としてブラジルナッツ(Bertholletia excelsa)の2S アルブミン(S: 沈降定数、Svedberg単位)が選ばれた。ただし、既にブラジルナッツなどのナッツ類に対するアレルギーが知られていた。主要なアレルゲンとして分子量9 kDaの2S アルブミンと42 kDa タンパク質、その他の複数のアレルゲンとなるタンパク質があることが判明している。遺伝子組換え作物は、上市される前に安全性審査を経なければならず、その中にはアレルギー試験も含まれている。その審査過程で、ブラジルナッツ 2S アルブミン蓄積ダイズは、一部のブラジルナッツ・アレルギー患者にアレルギーを誘発する可能性があることが判った。一部のブラジルナッツ・アレルギー患者由来の血清中の免疫抗体IgEは、形質転換ダイズ中の9 kDaのブラジルナッツ 2S アルブミンやその前駆体と抗原抗体反応を起こすことが判明した。また、ブラジルナッツ・アレルギー患者に対するアレルギー試験の一種である皮膚プリックテストにおいても同様の結果が得られた。この結果を受けて、この形質転換ダイズの上市は中止された。植物に遺伝子を導入する以前に遺伝子産物に対するアレルギーの確認が可能であったにもかかわらず、商品化の過程の安全性審査で判明したことに問題がある。この件は、導入される遺伝子の産物に対する事前の細心の注意が必要であることと、安全性審査が有効に機能したことを示している。
2000年9月以降、アメリカにおいて食品としては未認可であるが飼料としてのみ認可された組換えトウモロコシであるスターリンク(Starlink)(系統名: CBH351)が食品からも検出された事件である。食品としても飼料としても未認可であった日本においても食品から検出された。そのため、大規模な回収騒動が生じた。スターリンクはアグレボ社(事件当時はアベンティス(Aventis)社、現在のバイエルクロップサイエンス社)が開発したものであり、除草剤であるビアラホスに耐性が付与されるとともにBt toxinとしてCry9C(アミノ酸配列)を生産している。Bt toxinには様々な種類があり、そのアミノ酸配列や殺虫スペクトルは異なっている。Bt toxinを生産する組換え作物は様々あるがCry9Cを生産するものが飼料としてのみ認可された理由は、アレルゲンとなる可能性が考慮されたからである。Cry9Cはペプシンやトリプシンに対して安定であり、90°Cで10分間安定であった。そこで、調理や消化後も安定であると考えられ、免疫系と反応する可能性が指摘された。一方、既知のアレルゲンとはアミノ酸配列の配列類似性は低かった。タンパク質としての安定性を重視した結果、飼料としてのみスターリンクは認可された。スターリンクのBt toxinのアレルゲン性は低いことがのちに判明した。
この事件の教訓として、隔離栽培の厳守とモニタリングの必要性、飼料としても食料としても利用される作物は厳密に管理されていてもある程度の混入は不可避であるため飼料としてのみではなく食品としても認可されたものを上市する必要性、がある。
モンサント社のニューリーフ・ポテトはアメリカの環境保護局(U.S. Environmental Protection Agency: EPA)に農薬として登録された。しかし、日本では農薬としては登録されていない。ニューリーフ・ポテトBT-6系統やSPBT02-05系統とはBacillus thuringiensisの結晶性殺虫タンパク質(Bt toxin)の種である一種であるCry3Aを生産してコロラドハムシ(Colorado potato beetle, Leptinotarsa decemlineata)というジャガイモの害虫に抵抗性を持たせたジャガイモのことである。付け加えて、更にある種の植物ウイルスに抵抗性も持たせたニューリーフ・プラス・ポテトやニューリーフY・ポテトの系統も存在する。ニューリーフ・ポテトにおいて生産されているBt toxinであるCry3Aは哺乳類に対する安全性が確認されたタンパク質であり、ニューリーフ・ポテトに関する安全性は様々な安全性試験によって確認されている。農薬を使い害虫駆除をするようなこととは違い、ポテト自体に害虫を殺す作用があるという理由で、ポテト自体が通常の農薬としてEPAに登録された。なお、ニューリーフ・ポテトと同様にBt toxinを生産しているトウモロコシやワタの複数の系統が組換え作物として認可されており、これらにもニューリーフ・ポテトと同様に作物自体に害虫を殺す作用があるが、これらは農薬として登録されたことはない。なお、害虫抵抗性植物に含まれる殺虫活性物質とその生産に必要な遺伝物質(PIPs: Plant-Incorporated Protectants)に対する現在のEPAの方針は、
と公表されているように、EPAは植物の生産する殺虫タンパク質と遺伝物質を規制しているが、それを生産する植物自体を規制してはいない。
遺伝子組換え食品の安全性審査においては、急性および亜急性毒性の審査しかしていない、多世代にわたって給餌した際の安全性を調べていない、という批判がある。そこで、ラウンドアップレディー・ダイズの安全性に関しては、多世代の動物飼育における給餌実験によって試験された。例えば、サウスダコタ大学のグループは4世代にわたってマウスにラウンドアップレディー・ダイズを給餌しても、何ら悪影響を見いだすことができなかった、と報告した。また、東京都の健康安全研究センターも2世代にわたるラットへの給餌試験を行ったが何ら有意差を見いだせなかった。同様な研究は多数行われている。2-4世代にわたる多世代飼育実験の世代数が十分かどうかについては異論があるかもしれないが、これらの実験においては少なくともこの世代数では有意な危険性を検出できなかったといえる。
一方、健康への影響例としてよく挙げられるものに「遺伝子組換えジャガイモを実験用のラットに食べさせたところ免疫力が低下した。」と世間に大きな衝撃を与えたレポート(パズタイ(Pusztai)事件)がある。1998年8月10日、スコットランドのアバディーン(Aberdeen)のロウェット研究所(Rowett Research Institute)のパズタイ(Arpad Pusztai)が、英国のテレビ番組で、組換えジャガイモにより、ラットに免疫低下などがみられたと公表した。論文は1999年のLancetの10月16日号まで公表されず、主張の妥当性を検証できない状態であったにもかかわらず、一部の間ではさも真実であるかのように受け取られ大騒ぎになった。しかし、公表された論文からは実験そのものがずさんであり、パズタイの主張には無理があることが判明した。使用した遺伝子組換えジャガイモが安全性が確認され商品化されているジャガイモとは全く別なレクチンという哺乳動物に対し有害な作用を持つタンパク質を作る遺伝子を組み込んだ実験用ジャガイモであり、有害な遺伝子を組み込んだ遺伝子組換え作物は有害だったと当たり前の結果が出たに過ぎない。この実験は、マツユキソウの殺虫活性のあるレクチン(GNA)を生産する組換えジャガイモ、親株のジャガイモにレクチンを注入したもの、親株(母本)のジャガイモ、を生のままものと茹でたものに分け、6頭ずつのラットに10日間与えて消化管を調べたところ、炎症や免疫の低下が組換えジャガイモを飼料としたものにみとめられたというものである。なお、レクチン(GNA)を注入されたジャガイモは、遺伝子組換えジャガイモの親株(母本)とは、かなり組成の異なるものであったという報告もある。
この実験には栄養学的な問題や検定数が少ないという問題以前に実験の設計段階での欠陥として、
という点が挙げられる。実験設計の不備のため、この実験によって遺伝子組換え自体によって危険性が増すという結論を導き出すことはできない。この論文に関しても、社会的な問題が大きいから論文の内容にかかわらず掲載することにしたという異例の編集者の意見が明記されて掲載された経緯がある。それには以下のように記されている。
この論文に関しては更に著者らとの異例の誌上討論が行われた。そこでは空のベクターを用いていないという指摘に対して、著者らは、
と、実験において空のベクターを用いていなかったことを明確に認めている。
上記のような一般消費者の不安の背景として以下のようなことも指摘、主張されている。
以上2点は、研究開発に関わる側からよくなされる指摘であるが、反対派からは自らの視点が絶対に正しいと決め付けているとの批判もある。 | [
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"text": "遺伝子組み換え作物(いでんしくみかえさくもつ、英語: genetically modified crops)とは、遺伝子組換え技術を用いて遺伝的性質の改変が行われた作物である。略称はGM作物(英語: GM crops)である。",
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"text": "日本語では、いくつかの表記が混在している。遺伝子組換作物反対派は遺伝子組み換え作物、厚生労働省が遺伝子組換え作物、食品衛生法では組換えDNA技術応用作物、農林水産省では遺伝子組換え農産物 を使う。",
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"text": "英語の genetically modified organism からGMOとも呼ばれることがある。なお、GMOは通常はトランスジェニック動物なども含む遺伝子組換え生物を指し、作物に限らない。",
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"text": "遺伝子組換え作物は、商業的に栽培されている植物(作物)に遺伝子操作を行い、新たな遺伝子を導入し発現させたり、内在性の遺伝子の発現を促進・抑制したりすることにより、新たな形質が付与された作物である。食用の遺伝子組換え作物では、除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの生産者や流通業者にとっての利点を重視した遺伝子組換え作物の開発が先行し、こうして生み出された食品を第一世代遺伝子組換え食品と呼ぶ。これに対し、食物の成分を改変することによって栄養価を高めたり、有害物質を減少させたり、医薬品として利用できたりするなど、消費者にとっての直接的な利益を重視した遺伝子組み換え作物の開発も近年活発となり、こうして生み出された食品を第二世代組み換え食品という。",
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"text": "遺伝子組換え作物の作製には、開発過程の高効率化や安全性に関する懸念の払拭のためにさまざまな手法が取り入れられている。たとえば、遺伝子の組み換わった細胞(形質転換細胞)だけを選択するプロセスにおいて、かつては医療用、畜産用としても用いられる抗生物質と選択マーカー遺伝子としてその抗生物質耐性遺伝子が用いられていた。現在ではそのような抗生物質耐性遺伝子が遺伝子組換え作物に残っていることが規制される場合もあり、それ以外の選択マーカー遺伝子を利用したり、選択マーカー遺伝子を除去したりといった技術が開発された。",
"title": "概要"
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"text": "遺伝子組換え作物の栽培国と作付面積は年々増加している。2015年時点、全世界の大豆(ダイズ)作付け面積の83%、トウモロコシの29%、ワタの75%、カノーラの24%がGM作物である(ISAAA調査)。遺伝子組換え作物が商業的に本格的に栽培された1996年から2014年までは年々栽培面積が増えてきたが2015年になって初めて前年に比べ栽培面積が1%減少した。",
"title": "概要"
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"text": "2020年10月、アルゼンチンは世界で初めて遺伝子組換え小麦を承認した。ヒマワリ由来で、すでに大豆への組み込み実績がある遺伝子HB4により、旱魃でも従来品種より平均20%多収である。アルゼンチンとフランスの企業が開発した。",
"title": "概要"
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"text": "日本については、限定的ではあるが、青いバラ (サントリーフラワーズ)の商業栽培により2009年には遺伝子組換え作物の商業栽培国となった。",
"title": "概要"
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"text": "日本の輸入穀類の半量以上は既に遺伝子組換え作物であるという推定もある。",
"title": "概要"
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"text": "遺伝子組換え作物の開発・利用について、賛成派と反対派の間に激しい論争がある。主な論点は、生態系などへの影響、経済問題、倫理面、食品としての安全性などである。生態系などへの影響、経済問題に関しては、単一の作物や品種を大規模に栽培すること(モノカルチャー)に伴う諸問題を遺伝子組み換え作物特有の問題と混同して議論されることが多い。食品としての安全性に関して、特定の遺伝子組換え作物ではなく遺伝子組み換え操作自体が食品としての安全性を損なっているという主張がある。そのような主張の論拠となっている研究に対し、実験設計の不備やデータ解釈上の誤りを多数指摘したうえで科学的根拠が充分に伴っていないとする反論もある。",
"title": "概要"
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"text": "日本では、厚生労働省および内閣府食品安全委員会によって、ジャガイモ、ダイズ、テンサイ、トウモロコシ、ナタネ、ワタ、アルファルファおよびパパイアの8作物318種類について、2018年(平成30年)2月23日時点、食品の安全性が確認されている。",
"title": "概要"
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"text": "従来の育種学の延長で導入された、1973年以降の遺伝子組換えの手法としては、放射線照射、重イオン粒子線照射、変異原性薬品などの処理で、胚の染色体に変異を導入した母本を多数作成し、そこから有用な形質を持つ個体を選抜する作業を重ねるという手順で行われた。",
"title": "起源"
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"text": "最初のGMOが作成されたあとに、科学者は自発的なモラトリアムを、組換えDNA実験に求めて観測した。モラトリアムの一つの目標は、新技術の状態、および危険性を評価するアシロマ会議のための時間を提供することだった。生化学者の参入と新たなバイオテクノロジーの開発、遺伝子地図の作成などにより、作物となる植物に対して、「目的とする」形質をコードする遺伝子を導入したり、「問題がある」形質の遺伝子をノックアウトしたりすることができるようになった。",
"title": "起源"
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"text": "アメリカ合衆国では、研究の進展とともに厳しいガイドラインが設けられた。そのようなガイドラインは、のちにアメリカ国立衛生研究所や他国でも相当する機関により公表された。これらのガイドラインは、GMOが今日まで規制される基礎を成している。",
"title": "起源"
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"text": "初めて市場に登場した遺伝子組換え作物と言われるのは、アンチセンスRNA法(mRNAと相補的なRNAを作らせることで、標的となるタンパク質の生合成を抑える手法でRNAi法の一種)を用いて、ペクチンを分解する酵素ポリガラクツロナーゼの産生を抑制したトマト \"Flavr Savr\" である。ほかのトマトと比較して、熟しても果皮や果肉が柔らかくなりにくいという特徴を持つ。",
"title": "起源"
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"text": "遺伝子組換え「植物」として開発されているものは、植物自体の研究に用いられるモデル植物として利用されているものと、産業的に利用されている、もしくは産業的利用を目指して研究されている遺伝子組換え「作物」に分けることができる。さらに、遺伝子組換え作物は、非食用作物、食用作物(遺伝子組換え食品)、飼料用作物などに分類可能である。なお、食用作物と飼料用作物との境界は明確ではないため、食用作物と飼料用作物の双方を遺伝子組換え食品の範疇に含めて説明する。また、食用作物と飼料用作物はエタノール生産や燃料用油生産に利用されることもある。",
"title": "分類"
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"text": "非食用の遺伝子組換え作物としては、園芸作物と林木が主である。園芸作物としては花卉が主体である。たとえば、青い花色のカーネーション「ムーンダスト」は、一般の消費者に花屋で売られている遺伝子組換え作物である。また、2009年11月に国内で市販が開始された青いバラも遺伝子組換え作物である。そのほか、菊のカロテノイド含量を変化させたり、トレニアのアントシアニン生合成系をオーロン生合成系へ変化させて黄色いトレニアの花を作ったりする試みがある。林木の例としては製紙用にリグニンの構造や含量を改変されたポプラやヤマナラシ、ユーカリ、テーダマツ、ラジアータマツが多く、セルロース含量を高めたギンドロなどもある。",
"title": "分類"
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"text": "なお、食用作物と飼料用作物がエタノール生産や燃料用油生産に利用されることもあるが、バイオエタノールやバイオディーゼル用にスイッチグラスやナンヨウアブラギリなどの非食用植物を分子育種する研究も進んでいる。たとえば、スプラウトとして食用とされることもあるアルファルファにおいては、反芻動物の飼料用としてタンニン含量を増加させたものが開発されているとともに、リグニン生合成を抑制してリグニン含量を低下させたものが上市されている。",
"title": "分類"
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"text": "遺伝子組換え食品の分類としてはさまざまなものがあるが、一例として以下のように分類されることがある。本項目においては、この分類に従って解説する。なお、第三世代に関してはまだ明確ではない。",
"title": "分類"
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"text": "日本において第一種使用(食用または飼料用に供するための使用、栽培、加工、保管、運搬および廃棄ならびにこれらに付随する行為)を認められている組換え品種には、たとえば、選択マーカー遺伝子以外に1品種に6種類の害虫抵抗性と2種類の除草剤耐性の計8種類の外来遺伝子が導入されたものや、1品種に7種類の害虫抵抗性と3種類の除草剤耐性の計10種類の外来遺伝子が導入されたもの、除草剤耐性と改変された脂肪酸残基組成の貯蔵脂質の双方を持つという、世代をまたいでいるといえるものもある。このように、異なった形質を持つ組換え品種をかけ合わせて、複数の形質 (stacked traits) を導入された組換え品種をスタック(ド)品種 (stacked GM line (variety, cultivar)) ということがある。",
"title": "分類"
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"tag": "p",
"text": "なお、前述の通り、まだ第三世代については確たる定説がないため、ストレス耐性作物に関しては「第一世代組換え食品の開発状況」において説明する。",
"title": "分類"
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"paragraph_id": 21,
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"text": "第一世代組換え食品は、作物に除草剤耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの形質が導入されたものである。これらの特質は、生産者や流通業者にとっての利点となるだけでなく、安価で安全な食品の安定供給につながるという点で消費者にとっても大きなメリットとなる。また、農薬使用量の減少や不耕起栽培の利用可能性などにより環境面での負荷の減少を図れることや、収穫量が多かったり、損耗が少なかったりという性質を持つことは持続的農業を進めていく上でも有用である。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
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"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "以下に、除草剤耐性作物、害虫抵抗性作物、耐病性作物、保存性を増大させた作物、雄性不稔形質の付与と雄性不稔からの稔性の回復、耐熱性α-アミラーゼ生産トウモロコシ、乾燥耐性トウモロコシなどに関して、それぞれの種類と原理について説明する。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 23,
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"text": "第一世代組換え作物としては、ラウンドアップやビアラホス (bialaphos) など特定の除草剤に耐性を持つ品種を作成し、その除草剤による雑草防除を利用するような作物も開発されている。これは農作業の効率化だけではなく、土壌流出による環境破壊を防ぐ不耕起栽培を適用できる。ダイズの主要生産地である南北アメリカ諸国では表土流出が大問題となっている。前作の植物残渣を放置できるため、植物残渣がマルチ(マルチング)となって風雨から土壌流出を防ぎ、土壌を耕すことによって土壌が流亡しやすくなることを不耕起栽培によって防ぐことができる。そのほか、有毒雑草の収穫物への混入を減らせるとの主張もある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"paragraph_id": 24,
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"text": "単一の除草剤と除草剤耐性作物の組み合わせで長年栽培を続けると、その除草剤に対する耐性雑草が出現する。この現象自体は一般的なものであり、すでに除草剤ラウンドアップに対する耐性雑草の出現が報告されている。このような事態を避けるための方策として、複数の除草剤に対して耐性を持つ作物と複数の除草剤の混用、異なる除草剤とその除草剤耐性作物の複数の組み合わせを用いた定期的な輪作などが推奨されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"text": "除草剤を含めた薬剤に対する耐性化機構として次のものが挙げられる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"paragraph_id": 26,
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"text": "除草剤に対しても、これらの機構を単独もしくは複数組み合わせて植物を耐性化している。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"paragraph_id": 27,
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"text": "以下に除草剤の種類ごとの耐性作物について説明する。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "ビアラホス (bialaphos)は放線菌 Streptomyces hygroscopicus, S. viridochromogenes などが生産する抗生物質であり、窒素代謝においてアンモニウムイオンの同化に関与するグルタミン合成酵素の阻害剤として作用する。グルタミン合成酵素が阻害されると毒性の高いアンモニウムイオンが植物体内に蓄積して、植物体を枯死させると考えられている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
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"paragraph_id": 29,
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"text": "ビアラホス生産菌は、ビアラホスが自身のグルタミン合成酵素を阻害する事態に対処するため、ビアラホスを無毒化する酵素ホスフィノスリシン N-アセチル基転移酵素(英語版)の遺伝子 bar を持っている。そこで bar を植物内で発現できるように改変して導入することでビアラホス耐性作物を開発した(薬剤の分解・修飾による無毒化)。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ブロモキシニルやアイオキシニルはオキシニル (oxynil) 系除草剤であり、光合成系の電子伝達系を阻害することで除草活性を示す。肺炎桿菌クレブシエラ・ニューモニエKlebsiella pneumoniae subsp. ozaenae由来のブロモキシニル・ニトリラーゼは、ブロモキシニルを3,5-ジブロモ 4-ヒドロキシ安息香酸 (3,5-dibromo 4-hydroxybenzoate) とアンモニアに、アイオキシニルを3,5-ジヨード 4-ヒドロキシ安息香酸 (3,5-diiodo 4-hydroxybenzoate) とアンモニアに加水分解できる。そこで、このニトリラーゼの遺伝子oxyを植物に導入してブロモキシニル耐性にしている(薬剤の分解・修飾による無毒化)。バイエルクロップサイエンス株式会社の西洋ナタネ・カノーラ OXY-23については、「除草剤ブロモキシニル耐性セイヨウナタネ (oxy, Brassica napus L.) (OXY-235, OECD UI: ACS-BNØ11-5) の生物多様性影響評価書の概要」などで公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "スルホニルウレア (sulfonylurea) 系除草剤(SU剤)には多数の薬剤が登録されている。SU剤は後述の「ALS遺伝子の特異的置換」の小節で述べているbispyribacと同様にALS/AHASの阻害剤で分岐鎖アミノ酸の生合成系を阻害する。ALS/AHASのSU剤に対する感受性の低下した耐性変異が知られており、耐性型のALS遺伝子を導入して発現させることによりSU剤耐性作物が分子育種されている(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。そのほか、ヒトの肝臓で発現しているシトクロムP450 (cytochrome P450) の分子種のうち、CYP2C9やCYP2C19をイネで発現させてSU剤であるクロルスルフロンとイマゾスルフロン (imazosulfuron) に対してそれぞれ耐性化させた例もある。ヒトの肝臓でクロルスルフロンがCYP2C9によって、イマゾスルフロンがCYP2C19によってそれぞれ水酸化されて代謝されるという知見から応用されたものである(薬剤の分解・修飾による無毒化)。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "イミダゾリノン (imidazolinone) 系除草剤はスルホニルウレア系除草剤と同様にALSを阻害する。そこで、イミダゾリノン系除草剤に対して感受性の低下したALSの遺伝子を導入して耐性作物を育種した(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。その例として、BASFアグロ株式会社のイミダゾリノン系除草剤耐性ダイズがあり、「イミダゾリノン系除草剤耐性ダイズ(改変csr1-2, Glycine max (L.) Merr.)(CV127, OECD UI: BPS-CV127-9) 申請書等の概要」などで公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "2,4-Dは植物ホルモン・オーキシン様の生理活性を示し、高濃度では植物を枯死させる作用を持つ。2,4-Dを2,4-ジクロロフェノールへ変換する酵素2,4-D モノオキシゲナーゼ(タンパク質名: TfdA)を利用して2,4-D耐性のタバコやワタなどの作物が作られた(薬剤の分解・修飾による無毒化)。TfdAはグラム陰性細菌Alcaligenes eutrophusのプラスミドpJP5上の遺伝子tfdA由来のものである。なお、グラム陰性桿菌Sphingobium herbicidovoransの同様の酵素の遺伝子aad-1が改変されて導入された2,4-D耐性トウモロコシは、ダウ・ケミカルにより開発されている。複数の系統が開発されており、「アリルオキシアルカノエート系除草剤耐性トウモロコシ(改変aad-1, Zea mays subsp. mays (L.)Iltis.)(DAS40278, OECD UI:DAS-4Ø278-9) 申請書等の概要」などで公表されている。また、グラム陰性桿菌デルフチア・アシドボランス由来の同様の酵素遺伝子aad-12の改変型によっても2,4-D耐性ダイズやワタが開発されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
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"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ジカンバ(dicamba: 3,6-dichloro-2-methoxybenzoic acid, 3,6-ジクロロ-2-メトキシ安息香酸, CAS No. 1918-00-9)は、2,4-Dと同様にオーキシン様の生理活性を示す除草剤である。ジカンバを3,6-ジクロロサリチル酸 (3,6-dichlorosalicylic acid) へ変換する酵素ジカンバ モノオキシゲナーゼ(DMO)を利用してジカンバ耐性のダイズが作られた(薬剤の分解・修飾による無毒化)。グラム陰性細菌Stenotrophomonas maltophilia DI-6株由来の改変dmo遺伝子が利用され、ダイズに導入されている。改変DMOのアミノ末端側にはプラスチドへの移行ペプチド (transit peptide) が融合されている。ジカンバ耐性ダイズに関しては、「除草剤ジカンバ耐性ダイズ(改変dmo, Glycine max (L.) Merr.)(MON87708, OECD UI : MON-877Ø8-9) 申請書等の概要」などで公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "4-ヒドロキシフェニルピルビン酸ジオキシゲナーゼ(HPPD)は、4-ヒドロキシフェニルピルビン酸をホモゲンチジン酸に変換する反応を触媒する。ホモゲンチジン酸はいくつかの段階を経て、光合成やカロテノイド生合成に重要なプラストキノン、トコフェロール類の前駆体である2-メチル-6-フィトキノールへ変換される。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "イソキサゾール系除草剤であるイソキサフルトール (isoxaflutole: 5-cyclopropyl-4- (2-methylsulfonyl-4-trifluoromethylbenzoyl) isoxazole, CAS No. 141112-29-0) は、その代謝産物2-シアノ-3-シクロプロピル-1-(2-メチルスルホニル-4-トリフルオロメチルフェニル)プロパン-1,3-ジオン(DKN)がHPPDの基質である4-ヒドロキシフェニルピルビン酸と競合してHPPD活性を阻害することにより除草活性を示す。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "植物にイソキサフルトール耐性を付与するために、シュードモナス属細菌Pseudomonas protegens Pf-5株のhppd遺伝子から1塩基置換されたものが用いられている。この遺伝子は、1塩基置換によるミスセンス変異によって本来のアミノ酸配列 (GenBank:AAY92656.1) から1アミノ酸置換されたHPPDをコードしている。この変異型HPPDはDKNによって阻害されにくいためホモゲンチジン酸が合成される(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。なお、植物のHPPDはプラスチドに局在しているが、バクテリアであるP. protegenes由来の変異型HPPDはそのままではプラスチドへ移行できない。そこで、変異型HPPDのアミノ末端側にはプラスチドへ移行できるように移行ペプチドが融合されている。なお、P. protegenes Pf-5株はかつてP. fluorescensに分類されていたため、P. fluorescens Pf-5株と記載されている場合がある。バイエルクロップサイエンス社のイソキサフルトール耐性ダイズに関しては、「除草剤グリホサート及びイソキサフルトール耐性ダイズ(2mepsps, 改変hppd, Glycine max (L.) Merr.)(FG72,OECD UI: MST-FG072-3) 申請書等の概要」などで公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "メソトリオンは、トリケトン系除草剤である。メソトリオンも上記のイソキサフルトールと同様にHPPDの阻害剤である。そこで、エンバク (Avena sativa) 由来のメソトリオンに感受性の低下した変異型のhppd遺伝子の導入により、メソトリオン耐性ダイズが育種された(薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化)。シンジェンタ社のメソトリオン耐性ダイズに関しては、「除草剤メソトリオン耐性ダイズ(改変avhppd, Glycine max (L.) Merr.)(SYHT04R, OECD UI: SYN-∅∅∅4R-8) 申請書等の概要」などで公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "害虫に対して毒性を有するタンパク質や害虫の天敵を誘引する物質を生産させることで、害虫の発生を抑える害虫耐性のものも存在する。その機構としては、",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "が挙げられるが、特にBacillus thuringiensisの結晶性タンパク質 (Bt toxin) 遺伝子導入による害虫抵抗性作物が成功している。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "Bt toxinのBは属名Bacillusの頭文字に、tは種小名thuringiensisの頭文字に由来する。B. thuringiensisの性質として、",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "というものがある。Bt toxinは哺乳類には毒性を持たないため、Bt toxinを生産する植物を人間が食べても害はない。そこでBt toxinを生産する害虫耐性組換え作物の開発につながった。日本においては市民団体などによって人体への害が喧伝されているが、現時点において人体への有害性は確認されていない。Bt toxinをそのまま植物に生産される場合もあるが、多くの場合、部分消化の際に取り除かれる配列を除去して、殺虫性毒素ペプチドを含む部分を主体とした、もっと小型のタンパク質として植物に生産させている。生産株の違いによりBt toxinにはさまざまな種類がある。その種類により、殺虫スペクトルが異なってくる。そのため、作物に導入されたBt toxin遺伝子の種類により、殺虫活性を示す昆虫が異なる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "Bt生産作物の導入により、",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "という結果が得られている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "その他の重要な利点は、ある種の作物の連作を可能にするということである。米国中西部におけるトウモロコシ栽培の例が挙げられる。トウモロコシは肥料をコントロールすれば連作障害の出にくい作物である。しかし、かつては米国中西部のコーンベルトにおいて連作できなかった。その原因は、ウェスタンコーンルートワーム (western corn rootworm: Diabrotica virgifera virgifera LeConte) などの数種類のネクイハムシによる被害であった。これらのネクイハムシの成虫はトウモロコシ畑で羽化し、地中に産卵する。そして、翌春、播種されたトウモロコシの種子が発芽するころに孵化する。幼虫は生育初期の幼根を加害するためトウモロコシの被害は大きかった。これらのネクイハムシの幼虫はトウモロコシの幼根がないと成育できないため、生産者はトウモロコシ栽培のあとに別の作物を輪作して虫害を防除してきた。ところが、ほかの作物が栽培されている間は孵化せず、トウモロコシが播種されると孵化するネクイハムシの系統が各地で出現したため、輪作も無効になりつつあった。そのような状況下に、根においてBt toxinを生産する組換えトウモロコシ品種が上市され、連作可能となった。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "トウモロコシの栽培面積は、圧倒的にデントコーン品種が多くを占めているため、トウモロコシの組換え品種の大部分はデントコーンのものである。組換えスイートコーン品種は遺伝子組換えトウモロコシ品種開発の初期から少数ではあるが存在していたが、近年、相次いで複数の組換えスイートコーン品種が上市されている。スイートコーンは、茹でトウモロコシや焼きトウモロコシや缶詰として利用されるため、害虫の食害痕があると大きく商品価値を下げる。そのため、加工されることが多いデントコーンの場合、収量が重要であるが、スイートコーンの場合、収量よりも食害痕がなく商品となるかどうかの商品化率の方が大きな意味を持ち、栽培には殺虫剤が重要な役割を果たしている。アメリカにおいてスイートコーンの主要害虫はアメリカタバコガ (Heliocoverpa zea) である。そこで、アメリカタバコガに抵抗性を持つBtスイートコーンとその母本の大規模な栽培試験が行われ、その商品化率が調べられた。その結果、Btスイートコーン品種の商品化率は安定的に高かったが、一方、その母本の商品化率はBt品種に比べ低くその値の変動幅も大きかった。そこで、Btスイートコーン品種の栽培は殺虫剤の使用を大幅に減少させるとともに、大量の殺虫剤使用に伴う職業上や環境上の危険を減少させることになろうと結論づけている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "作物の主要害虫に対する殺虫活性を持つBt toxinの遺伝子が選択されて導入されている。その結果、主要害虫の被害は低減するため、殺虫剤の散布が減少する。その結果、Bt toxin自体の殺虫スペクトルが狭いため、副次的な害虫が主要害虫に作用するBt toxinに非感受性であれば、増加して主要害虫に代わって新たな被害を与えることがある。また、主要害虫が複数あって、それぞれ別のBt toxin感受性の場合も同様である。そのほか、ある作物の主要害虫を減少させることができたために、農薬散布量が減って副次的な害虫が増加してその作物だけでなく他の作物に被害を与えることがある。これは前述の同じ主要害虫の減少による他の作物に対する被害の減少とは逆に副次的な害虫による他の作物に対する被害の増大である。その例として、中国においてBtワタの導入によって殺虫剤散布が減った結果、殺虫対象外のカスミカメムシ類が増え、ワタ以外の果樹園にも被害をもたらしていることが報告されている。そのための対策として、",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "ことが考えられる。そのため、広範囲の害虫に抵抗性を持たせるためには複数の異なる殺虫スペクトルのBt toxin遺伝子を導入された作物が開発されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "一方、上記とは逆にBt toxin生産作物の栽培により害虫を食べる益虫が増加し、周辺の非組換え作物にも天敵による害虫コントロールが及ぶ利点を示唆する報告も存在する。Bt toxin生産作物が害虫と益虫の両者とも殺す殺虫剤処理を必要としないため、Btワタはオオタバコガ (Helicoverpa armigera) などによる被害を予防するだけでなく、この害虫を食べる益虫の数を増やすことを発見した。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "なお、ほかの殺虫剤と同様にBt toxin抵抗性害虫の発生も報告されている。そこで、Bt toxin 耐性害虫の出現管理対策として、",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "ことが推奨されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "Bt toxin生産作物で害虫の抵抗性発達を抑える対策の基本は、上記のように高濃度のBt toxinを生産する品種を用い、非Bt toxin生産作物を緩衝区として栽培することであり、さらに複数のBt toxinを生産する品種を用いることも有効とされている。高濃度Bt toxin生産作物においては害虫を幼虫段階で死亡させ、次世代に生き残る個体を大幅に減らせる。しかし、不正増殖種子や自家採種によるBt toxin濃度が不十分な作物の栽培面積が広がるとBt toxin抵抗性害虫の出現を助長することになり、不正増殖種子や組換え作物種子の自家採種が重大な問題となってくる。そのため、栽培農家による正規の種子の購入と害虫出現のモニタリングは重要である。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "殺虫性の線虫の誘因剤の合成酵素遺伝子の導入による害虫防除の例が報告された。植物食の昆虫による食害が起きると、天敵を誘引する揮発性物質を植物は放出することがある。そこで、作物の害虫防除を改良するうえで、これらの揮発性物質の利用が提案されてきた。トウモロコシの重大な害虫であるウェスタンコーンルートワーム (D. virgifera virgifera) の食害は、多くのトウモロコシ品種の根から(E)-β-カリオフィレン ((E)-β-caryophyllene: EβC) を放出させる。EβCは殺虫性の線虫 (Heterorhabditis megidis) を誘引する。そして、殺虫性の線虫は根を食害する害虫に感染して殺す。しかし、大部分の北米のトウモロコシ品種はEβCの放出能を失っており、そのため線虫による防除をほとんど受けられない。それらのトウモロコシ品種のEβC生産能を回復させるために、オレガノ由来のEβC合成酵素((E)-β-caryophyllene synthase, EC 4.2.3.57, 反応)遺伝子を導入されたトウモロコシは、恒常的にEβCを放出できるようになった。その結果、ウェスタンコーンルートワームが発生している圃場に線虫を散布した試験では、EβC放出トウモロコシでは有意に根に対する被害が減少し、非形質転換の非放出系のトウモロコシに比べ60%少ない成虫しか羽化できなかった。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "第一世代組換え作物として耐病性を有するものも作られている。病害抵抗性遺伝子や糸状菌の細胞壁成分であるキチンを加水分解するキチナーゼの遺伝子の導入(多数あるうちの一例)によるものであるが、その中でも植物ウイルス耐性のものが特に成功している。そのほか、糸状菌や細菌性の植物病原菌に耐性を与えるためにディフェンシンなどの抗菌ペプチドなどを作物で生産させる試みも進んでいる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "ジャガイモやイチゴなどの栄養繁殖性作物や果樹などの永年性作物において植物ウイルスによる被害は大きく、それらに植物ウイルス抵抗性を付与することは農業上重要である。ただし、ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに対してのみ抵抗性であり、ウイルス一般に対して抵抗性を持つわけではない。ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに抵抗性であり、その特定のウイルスを媒介する害虫を防除する必要がなくなるため、その害虫への殺虫剤散布は不要となる。しかし、野菜や果物は外見や味のわずかな劣化でも商品価値に大きく影響するため、ほかの病害虫防除のために農薬散布は必要である。そのため、その特定のウイルス以外の被害が大きい地域では、生産者はウイルス抵抗性品種を採用する必要性を感じないと考えられる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "特にウイルス抵抗性作物の成功例としては、papaya ringspot virus(PRSV, パパイヤ・リングスポット・ウイルス)によってほぼ壊滅したハワイのパパイヤ栽培が遺伝子組換えパパイヤ品種(Rainbow:レインボー)によって復活できた事例が挙げられる。これについては後述する。なお、2011年2月以降に報道された、沖縄におけるレインボーとは異なる未承認遺伝子組換えパパイヤが栽培されていた事例についても記す。植物ウイルス耐性を与える手法としてはさまざまな機構が用いられているが、その手法は少なくとも4種類挙げられる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ハワイのパパイヤ・リングスポット・ウイルス(PRSV)抵抗性のパパイヤはレインボー・パパイヤとしてすでにアメリカやカナダや日本などで市販されている。東南アジアにおいてもPRSVの別の株に耐性を示すパパイヤが開発されている。レインボー・パパイヤに関しては、「パパイヤリングスポットウイルス抵抗性パパイヤ(改変PRSV CP, uidA, nptII, Carica papaya L.)(55-1, OECD UI: CUH-CP551-8) 申請書等の概要」で公表されている。外皮タンパク質を大量にパパイヤ中で生産させることによってPRSV抵抗性が現れることが期待されたが、実際にはRNAiによってPRSV抵抗性が現れた。赤肉種のパパイヤ・サンセット (Sunset) に外皮タンパク質遺伝子が導入され、その自殖後代で外皮タンパク質の遺伝子をホモ接合で持つ赤肉種のPRSV抵抗性のサンアップ (SunUp) が選択された。サンアップと非形質転換体でPRSV感受性の黄肉種のカポホ (Kapoho) を交雑させたF1品種がレインボーである。レインボー・パパイヤの一種使用が日本でも2011年(平成23年)8月31日に認可され、同年12月1日より市販された。これは、未加工の生の遺伝子組換え植物体をそのまま食用とする日本における初めての例となった。レインボー・パパイヤの果実中の種子からは、メンデルの法則に基づきウイルス抵抗性と感受性の苗が3:1で得られる。ただし、レインボー・パパイヤはF1品種であるため、発芽した苗はF2世代であり、さまざまな形質を持つ雑多な集団になる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "レインボーとは異なる未承認のウイルス抵抗性遺伝子組換えパパイヤが沖縄において市販および栽培されていたことが、2011年2月と4月に公表された。それらによると、市販・栽培されていたものは台湾で開発されたPRSV抵抗性の品種であり、台農5号として販売されていた。台農5号は本来、遺伝子組換え体ではない通常の品種として、交雑育種により1987年に開発されたものである。それにレインボーと同じ機構によるウイルス抵抗性が台湾で導入されたものが、台湾の種苗会社から輸入された種子に混入していたことが未承認の組換えパパイヤの栽培・市販事例の原因と考えられている。この組換え品種はカルタヘナ法に基づく承認を受けていないため、カルタヘナ法と食品衛生法に基づいて市販や栽培は規制され、販売されていた種苗や果実は回収・破棄され、台農5号の疑いのある植物体は抜き取りや伐採された。厚生労働省によると、この遺伝子組換えパパイヤの摂食による危害につながるような情報は今のところ確認されていない。更に、環境省と農林水産省の共同見解ではこの未承認の遺伝子組換えパパイヤによる生物多様性への影響は低いとされている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "ウイルス抵抗性品種はウイルスによる被害は少なくなるが、害虫による食害や害虫によって媒介される細菌性の病害を受けやすくなるという報告がある。これはカボチャの仲間であるスクアッシュ (squash) をウイルス耐性にするとウイルスが広がった場合、当然のことながらウイルス抵抗性品種の方が生産性が高いが、害虫であるキューカンバー・ビートル (cucumber beetle) が健全な植物体であるウイルス抵抗性品種を好んで食害するため、キューカンバー・ビートルが媒介するErwinia属細菌などの病害が増すというものである。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "ディフェンシンとは、約80個のアミノ酸残基から構成されシステイン残基に富む構造を特徴とする抗菌ペプチドの総称である。さまざまなアブラナ科植物の種や葉がディフェンシンを含むが、これはカイコやカブトムシ、ウサギ、ヒトなどがもつディフェンシンとは構造・活性範囲および活性強度が異なる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "イネにはアブラナ科植物のディフェンシンと配列類似性の高いものは存在しない。そこで、アブラナ科植物のさまざまなディフェンシンをイネで生産させて、イネの重大な病害であるいもち病や白葉枯病に抵抗性を付与する研究が進められてきた。ディフェンシン遺伝子はイネの緑葉組織特異的発現をするプロモーターと連結されて、イネ(母本品種:どんとこい)に導入されている。同様の研究は多数有り、ワサビ由来のディフェンシンを生産するイネも病害抵抗性を示している。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "ここで、アブラナ科植物のディフェンシンの組換えによりイネは大量のディフェンシンを恒常的に生産することになる。これにより抗生物質や農薬の乱用による多耐性病原菌の出現と同様にディフェンシン耐性を持つ細菌やウイルスの出現が必至と考えられている。さらに、組換えディフェンシン遺伝子を発現させるプロモーターが耐性遺伝子の水平移動を可能にして、種を越えたディフェンシン耐性の拡散が広く起こることを遺伝子組換え食品反対派は強く懸念している。しかし、アブラナ科のディフェンシンとヒトのディフェンシンとは構造が大きく異なる。ディフェンシンをもともと生産するアブラナ科作物は大量に栽培されてきたが、今までそのような報告はない。また、遺伝子組換え食品反対派はそのような懸念を示しておきながら一方で、アブラナ科作物の大量栽培にも、アブラナ科のディフェンシンよりもヒトのディフェンシンとはるかに類似したディフェンシンを生産する家畜の飼育にも、ディフェンシン耐性菌出現を阻止することを目的として反対してはいない。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "これに対する反論として、「自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がないのであり、ちょうどペニシリンが医薬品として生産される前はペニシリン生産能力を持つアオカビが存在したにもかかわらず、ペニシリン耐性菌がいない状況と同じと解釈すべきである」というものがある。『自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がない』という仮説が出されているが、イネに導入されたカラシナ由来のディフェンシンは細菌感染がなくても種子表層で生産されるものであり、『必要なとき』とはどのようなときをさすのかも、この仮説の根拠自体も明らかにされていない。なお、ペニシリン耐性菌を例にした反論は、比喩として適切ではない。まず、抗生物質生産菌自体が耐性菌である。ペニシリンは細菌の細胞壁の成分であるペプチドグリカンの生合成を阻害することによって抗菌性を発揮する。しかし、真菌である青カビには、もともとペプチドグリカンがないため、自身には作用しない。一方、抗生物質生産菌自身にも本来は作用するようなカナマイシンやエリスロマイシンなどを生産する菌は、自身が生産する抗生物質が自身に作用しないようにするために、抗生物質や抗生物質の作用点を修飾する耐性遺伝子をもともと保持している。ペニシリンには、生産菌である青カビ以外にも多種多様のペニシリン耐性菌が自然界に当初より存在していた。ペプチドグリカンを持たない真菌類やマイコプラズマはもともとペニシリン耐性菌であり、ペプチドグリカンを持つ細菌の中でもシュードモナス属細菌のようにペニシリン感受性の低いものも多数存在し、ペニシリンのβ-ラクタム環を開裂する酵素β-ラクタマーゼなどによりペニシリン耐性となっている細菌も存在する。ペニシリンが医薬品として生産される以前に、これらの微生物が存在していたことを否定できない以上、「耐性菌がいない状況」というものを想定できない。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "なお、カイコのディフェンシンであるcecropin B をイネで生産させて白葉枯病に抵抗性を与えた研究やいろいろな抗菌ペプチドの配列から設計された人工抗菌ペプチドMsrA1をジャガイモで生産させて病害抵抗性にした研究などもある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "果実等の中には収穫適期が非常に短いものがある。特に、生食用のトマトなどでは色づき始めたらすぐに収穫して流通に乗せる必要性が高い。そうしないと店頭に並ぶころには過熟状態になったり、ケチャップやピューレなどへの工業的加工過程に入る前に傷口から腐敗したりして商品価値が低下することが多くなるためである。そこで、熟しても果皮が柔らかくならないように細胞間を充填しているペクチン (pectin) の分解が抑制された遺伝子組換えトマトが開発された。また、ペクチンの分解は果実が熟するときに誘導されるため、ペクチンの分解抑制ではなく熟期を遅らせることで柔らかくならないようにされたトマトやメロンも開発された。それらの手法は3種類知られている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "エチレン生合成が抑制されたトマト果実は出荷前に倉庫でエチレン処理をすると正常に熟しはじめる。エチレンによる果実の追熟は多くの果実で取り入れられている。たとえばバナナやマンゴーなどの熱帯輸入果実は、害虫移入防止のため未熟果実を輸入しエチレンによって追熟されている。エチレン合成抑制による収穫適期拡大手法ではそのための設備を利用できる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "植物体の傷口より進入した糸状菌の生産するマイコトキシンは食料や飼料の安全性を脅かす大問題である。Bt toxin生産作物では害虫による食害が減るために、マイコトキシン含量が減っている。それよりも生産されたマイコトキシンを分解する酵素を作物に生産させて、積極的にマイコトキシン含量を低減させる試みがある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "その一つが、マイコトキシンであるフモニシン分解酵素をトウモロコシに生産させてフモニシン含量を低減させようというものである。黒色酵母Exophiala spiniferaのフモニシン分解系の酵素はすでに解析されている。そこで、これらの酵素をトウモロコシで生産させようというものである。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "次に、ゼアラレノン(Zearalenone) 分解酵素遺伝子の導入である。糸状菌Clonostachys roseaよりラクトン環解裂酵素遺伝子zhd101をトウモロコシに導入したところ、ゼアラレノンをほとんど分解してしまったという結果が得られた。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "収量の増加、病虫害抵抗などの雑種強勢を目的に多くのF1(first filial generation:雑種第一代)作物が作られている。自家受粉可能な作物の固定された品種では多くの遺伝子座においてホモ接合状態になっているため、異なる品種をかけ合わせた雑種第一世代であるF1状態になれば多くの遺伝子座においてヘテロ接合状態になって雑種強勢の効果による収量の増加や品質の向上が期待される。F1種子を得ることはトウモロコシの様に雄花と雌花が別れている作物では比較的容易ではあるが、人手がかかる。さらに、自家受粉する作物に他家受粉させて安定的に均一なF1種子を得ることは困難である。そのため、花粉を形成しない、花粉に稔性がないという雄性不稔系統があればF1種子が得やすくなる。現在では、さまざまな作物で雄性不稔系統を用いてF1品種が開発されているが、それでも利用できる作物が限定されている。そこで、遺伝子組換え技術が雄性不稔系統の開発に応用されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "花粉の成熟に関与しているタペート細胞では発現しないようなプロモーターを利用した除草剤耐性作物を用いた雄性不稔の付与である。公開されている「除草剤グリホサート誘発性雄性不稔及び除草剤グリホサート耐性トウモロコシ(改変 cp4 epsps, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(MON87427, OECD UI: MON-87427-7) 申請書等の概要」を例とする。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "除草剤グリホサート(ラウンドアップ)耐性化遺伝子(ラウンドアップの項を参照)をタペート細胞および小胞子においては発現しないかあるいは発現しても微量であるが、栄養組織および雌性生殖組織においてはグリホサート耐性を付与するのに十分な量を発現できるようなプロモーターに連結する。それが導入されたトウモロコシをグリホサート非存在下で自家受粉させ、導入遺伝子をホモ接合で持つ品種(BB)を種子親として育種する。一方、種子親とは別系統の品種で、全組織で耐性を示すような別のプロモーターで制御されているグリホサート耐性化遺伝子をホモ接合で持つ品種(AA)を花粉親とする。種子親と花粉親を隣接して栽培し、雄花が分化する8葉期頃および10葉期頃にグリホサートを散布して、種子親(BB)の花粉を不稔にする。タペート細胞でも耐性である花粉親(AA)の花粉は稔性があるため、種子親の雌花に受粉する。種子親のみから種子を採種すればそれはヘテロ接合(AB)のF1種子となる。F1植物体はAのゲノムも持つため、植物全組織はグリホサート耐性を示す。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "プロモーターやエンハンサーのDNAがメチル化されることによりトランス転写因子がそれらを認識できなくなり、その結果、細胞の分化や生育に影響を与え死滅させることがある。そこで大腸菌の遺伝子damにコードされているDNA中のアデニン残基をメチル化する酵素を、トウモロコシの葯特異的に発現する遺伝子512delのプロモーターを用いてトウモロコシ中で生産させると葯や花粉を形成できず雄性不稔となった。Pioneer Hi-Bred International Inc.の開発したトウモロコシ 676、678、680の例がある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え技術により花粉が成熟できなくなるような人為的な雄性不稔系統と雄性不稔からの稔性回復系統が作られた。その実現には次の四つのものが重要な役割を果たす。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "TA29のプロモーターとbarnaseのキメラ遺伝子(配列)によって、葯のタペート細胞特異的にBARNASEが生産されると細胞内のRNAが分解されてタペート細胞は死滅し、花粉が成熟できなくなり、その結果、その植物は雄性不稔系統となる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "種子親となる雄性不稔系統の近傍に花粉親となる品種を栽培すれば、雄性不稔系統に結実する種子は両者のF1であることが期待される。しかし、その種子から得られたF1植物体も雄性不稔である確率が高く、ダイズ、トウモロコシ、イネ、菜種などの子実を収穫する作物においては自家受粉できることが望まれるため、F1植物体においては雄性不稔形質が出現しない方がよい。そこで、花粉親が雄性不稔からの稔性回復系統である必要がある。そのためには、花粉親として用いる植物が、TA29のプロモーターとbarstarのキメラ遺伝子(配列)によって葯のタペート細胞特異的にBARSTARが生産されるように導入された遺伝子をホモ接合で保有していればよい。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "これらのBARNASEとBARSTARを利用した系を説明する。F1の親品種としたいそれぞれ純系のAとBの品種を用意する。Aにはbarnaseと除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。導入されてできた雄性不稔品種をAsとする。Asに導入されたカセットが1コピーであるならAsの遺伝子型は (barnase / -) となる。Asは雄性不稔であり自家受粉できないため雄性不稔維持系統として親品種Aを用い、その花粉で受粉させて結実させ、種子を播種する。種子の遺伝子型はAと同一のものとAsと同一の (barnase / -) とが1:1で分離してくる。Asと同一の (barnase / -) のものだけをbarnaseと同じ導入遺伝子カセットに存在している除草剤耐性遺伝子によって除草剤耐性で選択できる。そのため、Asを大量に増殖できる。Bにbarstarと除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。できた品種Brは自家受粉可能であるため、除草剤耐性の後代をとってその中からホモ接合となった遺伝子型 (barstar / barstar) の株Brrを選択して増殖する。Brrを稔性回復系統として用いる。Asの近傍にBrrを植えてAsに結実したF1種子のみを採種する。F1種子の遺伝子型はbarnaseとbarstarに関して (barnase / -, barstar / -) と (- / -, barstar / -) が1:1で分離し、それぞれの種子から育ったF1植物体は自家受粉可能となる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "この手法の適用例は多数あるが、その一例としてバイエルクロップサイエンス社のカノーラについて挙げると「除草剤グルホシネート耐性及び雄性不稔及び稔性回復性セイヨウナタネ(改変bar, barnase, barstar, Brassica napus L.)(MS8RF3, OECD UI: ACS-BNØØ5-8×ACS-BNØØ3-6) の生物多様性影響評価書の概要」で公表されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "なお、F1品種に結実した種子(F2世代)は発芽可能で栽培できるが、遺伝的に不均一な集団であるため、次回の栽培には新たに種子を購入する必要がある。これは、F1品種を栽培する場合、非組換えのF1品種でも毎作ごとにF1品種の種子を購入しなくてはならないのと同じ理由である。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "主としてトウモロコシを原料としたエタノール生産を効率的に行うために開発されたものである。従来、トウモロコシ穀粒の乾燥粉末からエタノールを生産する場合、加水・加熱するとともに微生物由来の耐熱性α-アミラーゼとグルコアミラーゼを添加して澱粉を可溶化と糖化してから、酵母でエタノール発酵させている。微生物由来のα-アミラーゼを添加する代わりに、トウモロコシ穀粒中に耐熱性α-アミラーゼを生産・貯蔵させて、作業工程の簡略化と低コスト化を狙ったものである。たとえば、公開させているシンジェンタシード株式会社の「耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ (耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ(改変amy797E, 改変cry1Ab, cry34Ab1, cry35Ab1, 改変cry3Aa2, cry1F, pat, mEPSPS, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(3272×Bt11×B.t. Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7×MIR604×B.t. Cry1F maize line 1507×GA21, OECD UI:SYN-E3272-5×SYN-BTØ11-1×DAS-59122-7×SYN-IR6Ø4-5×DAS-Ø15Ø7-1×MON-ØØØ21-9) 並びに当該トウモロコシの分離系統に包含される組合せ(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)の申請書等の概要」によると、Thermococcales目の好熱古細菌由来のα-アミラーゼ遺伝子を改変した改変amy797E遺伝子をトウモロコシに導入して、耐熱性α-アミラーゼを穀粒で産生させている。トウモロコシ穀粒中で生産されるα-アミラーゼとして耐熱性のものが選ばれた理由は、デンプンの可溶化と糖化の促進と雑菌汚染の減少のためにトウモロコシ穀粒粉末に加水したものを加熱するため、その温度で失活してはならないからである。また、トウモロコシ穀粒中で生産されたα-アミラーゼが予期せぬ影響を及ぼさないようにするため、成熟中や保存中の穀粒中でデンプンを分解しないようにする必要がある。そのためには、細胞内でα-アミラーゼとデンプンを隔離すればよい。そこで、改変AMY797E α-アミラーゼのアミノ末端には、小胞体内腔へ輸送するためのシグナルペプチドが付加された。さらに、カルボキシル末端には、小胞体に局在化させるために小胞体残留シグナル配列(KDEL)が付加された。これらの付加配列により、生産された耐熱性α-アミラーゼは胚乳細胞の小胞体中に蓄積される。一方、α-アミラーゼの基質であるデンプンは穀粒中のプラスチドの一形態であるアミロプラスト中に澱粉粒として存在している。つまり、改変AMY797E α-アミラーゼと基質となるデンプンは、細胞内の異なる細胞内小器官にそれぞれ存在しているため、細胞が破壊されない限りは改変AMY797E α-アミラーゼによるデンプン分解は生じないと考えられる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "植物が生育していくうえで様さまざまな環境ストレスがある。たとえば、低温ストレス、凍結ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、浸透圧ストレス(塩ストレス)、強光ストレス、冠水ストレスなどが代表的である。これらのストレスに強い作物が開発できれば未利用地が耕地として利用できるようになるため、さまざまな研究が進められている。たとえば、低温ストレスの感受性・抵抗性に関しては、プラスチドのチラコイド膜のホスファチジルグリセロール (phosphatidyl glycerol) の脂肪酸残基組成が関与しているため、ホスファチジルグリセロールの生合成系において取り込まれる脂肪酸残基の基質特異性に関わる酵素 acyl-(acyl-carrier protein): glycerol-3-phosphate acyltransferase (GPAT) を改変することによって低温耐性を付与する研究などがある。浸透圧ストレス(塩ストレス)に関しては、ナトリウムイオンの細胞からの排出促進するためにNa/H アンチポーターなどの利用の研究が進んでいる。そのほか、これらのストレスに共通に生じる障害を軽減するために、グリシンベタインやプロリンやトレハロースなどの適合溶質 (compatible solute) の合成遺伝子や蓄積させるための遺伝子の導入、ストレス応答性遺伝子を制御する DREB (Dehydration-Responsive Element Binding factor) などの転写因子の発現、熱ショックタンパク質などのストレス関連タンパク質、ストレスによって生じる活性酸素種を消去するアスコルビン酸ペルオキシダーゼやスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)などの遺伝子を利用する研究も進んでいる。そのほか、タンパク質のユビキチン化に関わるE3 ユビキチン・リガーゼ (E3 ubiquitin ligase) であるOsSDIR1を過剰生産させることにより、イネを乾燥耐性にした例も存在する。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "また、微量成分の欠乏や過剰も植物にとってはストレスとなる。たとえば、鉄は植物の微量栄養素であるが、比較的要求性は高く、不足すると生育遅滞やクロロシスなどが生じる。そこで、土壌中の不溶化している鉄を可溶化する能力を植物に付与したり、鉄を含むタンパク質を機能的に代替できるタンパク質を生産させたりして、鉄欠乏を緩和する育種が行われている。また、その他の微量成分に対しても研究が進められている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "モンサント社の乾燥耐性トウモロコシ MON87460に関しては、「乾燥耐性トウモロコシ(改変cspB, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(MON87460, OECD UI: MON-8746Ø-4) 申請書等の概要」によって公表されている。トウモロコシの後期栄養生長期から初期生殖生長期における乾燥ストレス条件下において収量の減少を抑制するために、改変低温ショックタンパク質B (cold shock protein B) 遺伝子(改変cspB遺伝子)を導入されたものである。改変cspB遺伝子の供与体は、納豆菌もその一部として含まれる枯草菌Bacillus subtilisである。CspBはRNAシャペロンとして機能して、RNAの二次構造を解消することが知られている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "グリシンベタインは、テンサイ、ホウレンソウなどのアカザ科植物やコムギなど低温耐性の植物に多く含まれる適合溶質であるが、イネやトマトやアラビドプシスは蓄積しない。多量に含まれても細胞の生化学反応や細胞内小器官には悪影響を及ぼさずに浸透圧の調整、活性酸素から膜やタンパク質の保護を行うことが知られている。そこで、グリシンベタインを生合成しない植物にグリシンベタインを合成させてさまざまなストレス耐性を強化する試みがある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "グリシンベタインはコリンがベタインアルデヒド (betaine aldehyde) を経て酸化されて合成される。この反応を行う合成系にはいくつかの種類があることが知られている。植物ではプラスチドで合成される。コリンからベタインアルデヒドへ酸化する酵素、コリン一酸素添加酵素はフェレドキシン要求性の酵素である。次にベタインアルデヒドからグリシンベタインへ酸化する酵素、ベタインアルデヒド脱水素酵素によってグリシンベタインへと酸化される。一方、細菌Arthrobacter globiformisでは分子状酸素のみを要求する一種類の酵素、コリン酸化酵素によって合成されている。A. globiformisのコリン酸化酵素の遺伝子codAは、導入する遺伝子が1つで済むこととコードしている酵素がコリンと分子状酸素以外には必要としない性質のため、植物や大腸菌由来のグリシンベタイン生合成酵素遺伝子よりも植物に導入されている例が多い。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "なお、コリン一酸素添加酵素遺伝子であるcodAを植物で発現させてもグリシンベタイン生成量が少ないのは、植物中のコリン含量が制限要因となっているからである。そこで豊富に存在するグリシンからグリシンベタインへ変換する別のグリシンベタイン合成経路を利用する試みがある。メタン生成古細菌Methanohalophilus portucalensis FDF1株由来のグリシン サルコシン N-メチル基転移酵素 (glycine sarcosine N-methyltransferase: GSMT) とサルコシン ジメチルグリシン N-メチル基転移酵素 (sarcosine dimethylglycine N-methyltransferase: SDMT) を植物で生産させた。GSMTはグリシン N-メチル基転移活性(グリシン N-メチルトランスフェラーゼ)とサルコシン N-メチル基転移活性を、SDMTはサルコシン N-メチル基転移活性とジメチルグリシン N-メチル基転移活性を持つ。つまり、GSMTとSDMTによりグリシンからサルコシンへ、サルコシンからN, N-ジメチルグリシンへ、N, N-ジメチルグリシンからグリシンベタインへ変換される。GSMTとSDMTが生産されているシロイヌナズナは塩耐性を示した。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "グリシンベタインを生産するようになった形質転換植物は、低温ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、凍結ストレス、塩ストレスなどさまざまなストレスに抵抗性を示すようになる。合成されたグリシンベタインのモル濃度だけでは、そのストレス抵抗性を説明できない。そこで、グリシンベタインの細胞内局在による局所的高濃度、膜やタンパク質に対する保護作用、コリン酸化酵素の反応に伴い生じる過酸化水素による活性酸素消去系酵素の常時誘導など、ストレス耐性機構を説明するさまざまな説がある。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "アミノ酸のプロリンも同様に適合溶質である。プロリンを蓄積させる手法には2種類ある。一つは、プロリン合成を促進する方法であり、もう一つはプロリン分解を阻害する方法である。プロリンの生合成は高濃度のプロリンによってフィードバック阻害を受ける。そこで、プロリン生合成系のフィードバック阻害を受ける酵素、L-1-ピロリン-5-カルボン酸合成酵素 (L-1-Pyrroline-5-carboxylate synthetase) のフィードバック阻害が解除された変異酵素の遺伝子を導入すると大量のプロリンが合成された。もう一つは、プロリンを分解する酵素、プロリン脱水素酵素をRNAiなどの手法で阻害する方法である。プロリンを蓄積することにより形質転換植物はさまざまなストレスに抵抗性を示すようになった。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "トレハロースは動植物、微生物に広く存在する、保水力の強い二糖である。これを植物に蓄積させて乾燥・強光ストレス耐性にした。グルコース-6-リン酸とUDP-グルコースからトレハロース-6-リン酸を合成する酵素、トレハロース-6-リン酸合成酵素とトレハロース-6-リン酸からトレハロースに変換する酵素、トレハロース-6-リン酸脱リン酸化酵素を導入することによって達成された。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "アスコルビン酸ペルオキシダーゼやグルタチオンペルオキシダーゼやカタラーゼやSODなどの活性酸素を除去する酵素を過剰生産することによって、さまざまなストレス耐性を付与する研究が進んでいる。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "アルカリ土壌中において三価鉄は安定であり、植物の根から放出される有機酸で可溶化することは困難である。そのため、アルカリ土壌中では植物は鉄欠乏を起こして生育しにくい。イネ科植物の根はムギネ酸類とよばれるキレート能を持つ物質を放出して、アルカリ土壌中の三価鉄を吸収している。オオムギはその能力が高いため、アルカリ土壌中でもよく生育できるが、イネやトウモロコシの能力は低く、アルカリ土壌中での生育は困難である。そこで、アルカリ土壌中でも生育できるイネの開発を目的として、イネのムギネ酸生合成系を強化して鉄欠乏耐性イネが開発された。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "ムギネ酸の生合成は、まず3分子のS-アデノシル-L-メチオニン (S-adenosyl-L-methionine: SAM)から1分子のニコチアナミン(nicotianamine) を合成する酵素であるニコチアナミン合成酵素によって始まり、ニコチアナミンから3\"-デアミノ-3\"-オキソニコチアナミン (3\"-deamino-3\"-oxonicotianamine) に変換する酵素であるニコチアナミン・アミノ基転移酵素や、3\"-デアミノ-3\"-オキソニコチアナミンから2'-デオキシムギネ酸 (2'-deoxymugineic acid) に還元する酵素である3\"-デアミノ-3\"-オキソニコチアナミン還元酵素や、2'-デオキシムギネ酸からムギネ酸へ変換する酵素である2'-デオキシムギネ酸-2'-ジオキシゲナーゼなどの酵素が関与している。これらの酵素遺伝子はオオムギより単離されている。これらの酵素遺伝子が導入されたイネはアルカリ土壌における鉄欠乏に耐性を示した。現在、さまざまな遺伝子が導入された形質転換イネが試験栽培されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "鉄は電子伝達系の電子伝達タンパク質であるフェレドキシンの構成成分であり、高等植物において鉄が欠乏すると結果としてフェレドキシンが不足し、電子伝達系が関与しているプラスチドの光合成系などに支障をきたす。ところが、ある種のラン藻や藻類においては、フェレドキシンが不足すると、フェレドキシンと類似した機能を持ち、多くの反応においてフェレドキシンの代替となるフラボドキシン (flavodoxin) が合成される。フラボドキシンはフラビンモノヌクレオチドを含む電子伝達タンパク質である。そこで、ラン藻由来のフラボドキシン遺伝子にプラスチドへの移行シグナル部分の塩基配列を融合したものを高等植物において発現させると鉄欠乏耐性が増強されることが確認されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "Roundup Ready2Yieldのように初めから収量を高めるように育種されたものでもなくても、除草剤耐性ダイズや害虫抵抗性トウモロコシの収量が在来種よりも高いことが報告されている。",
"title": "第一世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "第二世代組換え食品とは、ワクチン等の有用タンパク質の工場として利用することができたり、栄養素を多く含ませたり、食品中の有害物質を低減させたり、消費者にとって利益が目に見えるものである。例えば、B型肝炎予防の食べるワクチンとしてB型肝炎ウイルスの表面抗原をバナナで発現させ経口免疫によってB型肝炎感染を防除する試みがある。油糧種子中の油脂の脂肪酸残基組成を改変することは、第二世代組換え食品開発の初期からの目標であった。また、日本においてはインスリンを分泌誘導して糖尿病になりにくくするコメや経口免疫寛容によるスギ花粉症を低減するコメの開発が先行している。また、鉄分を多く含むコメも開発中である。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "一般的なダイズ油中の不飽和脂肪酸残基の組成はリノール酸(18:2)(約50%)、オレイン酸(18:1)(約20%)、リノレン酸(18:3)(約10%)である。一方、オレイン酸高含有遺伝子組換えダイズ油(高オレイン酸ダイズ油)には約85%のオレイン酸残基が含まれ、リノール酸やリノレン酸などの多価不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acids : PUFAs)残基が少ない。オレイン酸のような一価不飽和脂肪酸(monounsaturated fatty acid)残基を多量に含む油脂は血中の高密度リポタンパク質(high density lipoprotein : HDL)の比率を増やして、動脈硬化を防止すると考えられている。更に、オレイン酸はPUFAsに比べ酸化に安定である。そのため、高オレイン酸ダイズ油は揚げ油などに適している。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "これは、炭素数18の脂肪酸の不飽和化に関与している酵素の発現を制御することによって達成された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "ステアリン酸からリノール酸までの不飽和化酵素デサチュラーゼには、ステアリン酸(18:0)のCoAチオエステルであるステアロイルCoA (stearoyl-CoA)からオレイン酸のCoAチオエステルであるオレオイルCoA (oleoyl-CoA)への反応を触媒するΔ9-desaturase (ω9-desaturaseともとオレイン酸残基からリノール酸残基への不飽和化に関与している酵素ω6-desaturase (デサチュラーゼ, Δ12-desaturaseとも: FAD2)がある。このω6-desaturaseの遺伝子(FAD2)の発現を抑制することによってオレイン酸残基の含量を高めている。デュポン社のダイス 260-05系統に関しては、「高オレイン酸ダイズ(GmFad2-1, Glycine max (L.) Merr.)(260-05, OECD UI :DD- Ø26ØØ5-3) 申請書等の概要」により、公表されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "更に、FAD2を抑制するだけではなくFATBも抑制することにより、飽和脂肪酸残基含量が少なくオレイン酸残基含量の多いダイズが開発されている。FATBとは、パルミトイル-ACP チオエステラーゼ(palmitoyl-ACP thioesterase, EC 3.1.2.14, ACP: acyl carrier protein、アシル輸送タンパク質)であり、炭素鎖14-18の飽和脂肪酸残基を持つアシル-ACPを加水分解でき、その中でも主にパルミトイル-ACP (16:0-ACP)を加水分解する。一方、FATAはオレオイル-ACPを加水分解する。FATBが抑制され、FATA活性が十分ある場合、飽和脂肪酸残基が減少し、不飽和脂肪酸残基が増加する。更に、多価不飽和脂肪酸残基への変換を触媒するFAD2が抑制されていれば、一価不飽和脂肪酸残基であるオレイン酸残基の含量は増加する。このような形質を持つモンサント社のMON87705系統に関しては、「低飽和脂肪酸・高オレイン酸及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(GmFAD2-1A, GmFATB1A, 改変cp4 epsps, Glycine max (L.) Merr.)(MON87705, OECD UI: MON-877Ø5-6)申請書等の概要」により、公表されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "エイコサペンタエン酸(eicosapentaenoic acid(20:5): EPA)やドコサヘキサエン酸(docosahexaenoic acid(22:6): DHA) などの長鎖ω-3脂肪酸は、心臓発作のリスクを軽減することが知られている。これらの脂肪酸の前駆体であるステアリドン酸(stearidonic acid(18:4): SDA)の残基を含むダイズを育種した。ダイズにはSDAが含まれない。これは、炭素鎖18個の脂肪酸のカルボキシル基から数えて6番目と7番目の炭素の間を二重結合を導入するω12-desaturaseがダイズにないためである。そこでサクラソウの一種であるPrimula juliaeからω12-desaturaseに対応するコーディング領域が導入された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "また、ダイズのリノール酸残基からα-リノレン酸残基へ変換するω3-desaturase(Δ15-desaturase: FAD3)の活性を高めるために、アカパンカビ(Neurospora crassa)のΔ15-desaturaseの遺伝子も導入されている。その結果、リノール酸のCoAチオエステルであるリノレオイル-CoA (linoleoyl-CoA)からω12-desaturaseによってγ-リノレン酸のCoAチオエステルであるγ-リノレノイル-CoA (γ-linolenoyl-CoA)に、γ-リノレノイル-CoAからω3-desaturaseによってステアリドノイル-CoA(stearidonoyl-CoA)へと変換される。もしくは、リノレオイル-CoAからω3-desaturaseによってα-リノレン酸のCoAチオエステルであるα-リノレノイル-CoA (α-linolenoyl-CoA)へ、α-リノレノイルCoAからω12-desaturaseによってステアリドノイル-CoAへと変換される。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "ステアリドン酸含有遺伝子組換えダイズに関してはモンサント社のMON87769が、「ステアリドン酸産生及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(改変Pj.D6D, 改変Nc.Fad3, 改変cp4 epsps, Glycine max (L.) Merr.)(MON87769×MON89788, OECD UI:MON-87769-7×MON-89788-1)申請書等の概要」で公表されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "L-リシン (L-lysine) は必須アミノ酸の一種である。しかし、イネ科の植物の貯蔵タンパク質ではその含有量が低いため、飼料として使う際にはリシンを添加している。このコストを低減するために、リシンを多く含むトウモロコシであるモンサントLY038が開発された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "現在、市販されているリシンは、微生物を用いたアミノ酸発酵によって工業生産されているものである。各アミノ酸生合成系では、それぞれのアミノ酸濃度が低下すると生合成が促進されるとともに、必要以上にアミノ酸濃度が上昇すると生合成が抑制されるようにフィードバック制御されている。微生物によるアミノ酸発酵においてはそのアミノ酸の生合成系の鍵酵素のフィードバック阻害が解除されたものを利用することが多い。あるアミノ酸の生合成系のフィードバック阻害解除株はそのアミノ酸のアナログに対する耐性株(アナログ耐性株)として得られる。リシン生合成の場合、フィードバック阻害は、リシン生合成系の酵素群の1つで鍵酵素でもあるジヒドロジピコリン酸合成酵素(DHDPS)の酵素活性の低下で生じる。最終産物であるリシンがネガティブ・エフェクターとしてアロステリック酵素であるDHDPSに作用する。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "そこで、リシン・アナログ耐性のCorynebacterium glutamicumのDHDPS(リシンによるフィードバック阻害が解除されている変異型)をコードしている遺伝子cordapAが利用された。更に、植物の細胞質中で合成されたC. glutamicumの変異型DHDPSが植物のリシン生合成の場であるプラスチドへ移行できるように、トウモロコシのDHDPSの遺伝子mDHDPSのプラスチドへの移行配列(transit peptide)部分の塩基配列が、C. glutamicumのDHDPS遺伝子(cordapA)と連結された融合遺伝子がつくられた。それにトウモロコシの胚乳の貯蔵タンパク質であるグロブリン(globlin 1)の遺伝子のプロモーターと連結されたものがトウモロコシに導入された。導入されたC. glutamicumの変異型DHDPSはフィードバック阻害が解除されているため植物でもリシン生合成がフィードバック阻害されず、また、胚乳中で発現するグロブリン遺伝子のプロモーターによってトウモロコシ種子中のリシン含有量が増加した。モンサントLY038の「生物多様性影響評価書の概要」、「高リシン(lysine)トウモロコシ(cordapA, Zea mays subsp. mays (L.) Iltis)(LY038, OECD UI: REN-ØØØ38-3)の生物多様性影響評価書の概要」は、公開されている。形質転換における選択系・選択マーカー遺伝子の除去系として、後述の「選択マーカー遺伝子の除去系」のうちの「Cre-loxP system」が用いられている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "ビタミンAの欠乏は、子供の失明や発育障害などを招き、慢性的に摂取量が少ない後進地域では将来の人口構成にまで影響を与える。このため、国際協力の一環として様々な研究機関や団体がビタミンAの摂取量を高めるための品種改良に取り組んでいる。植物のカロテノイドの一部はビタミンAの前駆体であるプロビタミンAである。1分子のβ-カロテン(β-carotene)から2分子のビタミンAに、1分子のα-カロテンやγ-カロテンやβ-クリプトキサンチンから1分子のビタミンAに変換される。そこで、作物中のプロビタミンA量を増やすための機構として次のものが挙げられる。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "そこでイネ、トウモロコシ、コムギ、ジャガイモ、サツマイモなど様々な作物において、これらの機構が応用されてプロビタミンA強化作物が開発されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "多くの発展途上国において深刻な問題になっているビタミンA(vitamin A)欠乏の解決策として開発されたイネの品種である。ビタミンAの前駆体であるβ-カロテンを内胚乳に含有するため精米された米が黄金色を呈することから、このような名称がつけられた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "ゴールデンライスには植物由来のフィトエン合成酵素の遺伝子psyと細菌由来のフィトエン不飽和化酵素の遺伝子crtIが導入されており、リコペンを合成できる。細菌由来のフィトエン不飽和化酵素であるCrtIは植物のカロテノイド合成場所であるプラスチドへはそのままでは移行できないので、crtIにはプラスチドへの移行ペプチドをコードした塩基配列が融合されている。リコペンはイネの内胚乳中にもともと存在するリコペンβ-環化酵素によってβ-カロテンに変換される。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "ゴールデンライス自体を主食としてもビタミンAの必要量を満たさないとの主張が遺伝子組換え食品反対派にあったが、2005年には、新たにゴールデンライス2が発表され、これだけを摂食することでビタミンAの必要量がまかなえるようになった。これはカロテノイド生合成系遺伝子としてゴールデンライスで用いられていたスイセン由来のpsyの代わりにトウモロコシ由来のpsyを利用することにより達成された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "ゴールデンライスは2015年にアメリカ合衆国特許商標庁の\"Patents for Humanity Awards(英語版)\"を受賞し、2018年にはオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国で食品として承認され、そして2021年に世界で初めてフィリピンで洪水と乾燥の両方に耐性があるコメ品種「RC82」を遺伝子操作したゴールデンライスの商業栽培が認可された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "ジャガイモにおいては様々な機構が適用されて塊茎中のプロビタミンAが強化されたジャガイモが開発されている。ゴールデンライスと同様にカロテノイド生合成を強化する目的で、Erwinia由来のフィトエン合成酵素(CrtB)とフィトエン不飽和化酵素(CrtI)とリコペンβ-環化酵素(CrtY)の遺伝子が導入されたものが開発された。また、プロビタミンAとしての効力の高いβ-カロテンの高比率化をはかるために、α-カロテンの合成に関与するリコペンε-環化酵素を抑制して、β-環を持つカロテノイドの含量を高めたものも開発されている。更に、β-カロテンからキサントフィルへの変換を抑制することにより、β-カロテン含量を高めたジャガイモも開発されている。β-カロテンのβ-環を水酸化する酵素、β-カロテン 3-水酸化酵素を抑制するものである。これらのプロビタミンAが強化されたジャガイモの塊茎の断面は黄色味を呈する。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "トコフェロール類にはビタミンE活性があるが、分子種によってその活性の強弱は異なる。トコフェロール類はメチル化の程度やメチル基の位置によって、α-, β-, γ-, δ-トコフェロールと区別されている。これらの中では、α-トコフェロールが最もビタミンE活性が強い分子種であり、次がβ-トコフェロールである。ダイズ種子に由来するダイズ油中に存在するトコフェロール類の主要分子種はγ-トコフェロールであり、次がδ-トコフェロールである。これらはビタミンE活性が弱い。そこで、これらをα-トコフェロールやβ-トコフェロールに変換することによってビタミンE活性を増強することが試みられた。エゴマ(Perilla frutescens, シソと同種の植物)のγ-トコフェロール・メチル転移酵素の遺伝子をエンドウマメの種子特異的貯蔵タンパク質であるvicillinの遺伝子のプロモーターを用いてダイズの種子中で発現させた。その結果、γ-トコフェロールやδ-トコフェロールの含量は大幅に減る一方、α-トコフェロール含量は10倍強、β-トコフェロール含量は15倍弱まで増えた。その結果、ビタミンE活性が4.8倍強化されたダイズ種子が得られた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "アントシアニンはフラボノイド系のポリフェノールであり、植物の重要な色素である。アントシアニンには抗酸化活性とともに様々な生理活性があり、健康食品としても注目されている。このアントシアニンをトマトで大量に蓄積させることに成功した。キンギョソウ由来のアントシアニンの合成を誘導する2種類の転写因子の遺伝子Delila (Del)(ACCESSION M84913塩基配列)とRosea1 (Ros1)(ACCESSION DQ275529塩基配列)をトマトに導入し、過剰発現させたところ、デルフィニジン系のアントシアニンを大量に蓄積した紫色のトマトの果実ができた。このアントシアニンが大量に蓄積して果実が紫色になる形質は、トマトの他の品種と交配させると、交雑品種にも遺伝することが示されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "スギ花粉米とは、摂食によりスギ花粉症を緩和させることを目的に、スギ花粉が持つ抗原タンパク質が種子に蓄積するように遺伝子組換えによって作出されたイネである。2005年に農業生物資源研究所の高木英典らによってマウスでスギ花粉へのアレルギー症状の緩和が報告され、ヒトへの応用に向け研究開発が進められている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "上記にあるゴールデンライスと同様に、多くの発展途上国において深刻な問題になっている鉄欠乏とそれによる貧血の解決策として鉄分豊富なコメが開発されている。大きく分けて二つの方法がある。一つは、鉄を貯蔵するダイズ由来のタンパク質であるフェリチン(ferritin)の分子種H1やH2をイネの種子中に多量に蓄積させることで種子中の鉄貯蔵能力を高め、鉄含有量を増加させる方法であり、こちらは\"フェリチン米\"とも呼ばれている。もう一つは、植物にとって鉄イオン吸収に関わるムギネ酸合成の前駆体であるとともに鉄イオンの体内輸送に係るニコチアナミンを合成する酵素の遺伝子の発現量を高める方法である。オオムギ由来の高発現のニコチアナミン合成酵素遺伝子をイネに導入して植物体中のニコチアナミンを増やすことで鉄の種子への輸送能力を高めている。こちらの方法では白米中の鉄濃度が3倍に増加していた。ニコチアナミン合成酵素遺伝子は、アルカリ性土壌でも鉄イオンを吸収して生育できるイネやトウモロコシの開発にも利用されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "フィチン酸(phytateは種子などの多くの植物組織に存在する植物における主要なリン酸の貯蔵形態である。フィチン酸はキレート作用が強く、多くの金属イオンを強く結合し、特にフィチン (phytin: 不溶性のフィチン酸の金属塩)の形で多く存在する。フィチン酸のリン酸残基は、非反芻動物ではフィチン酸加水分解酵素であるフィターゼがほとんどないため、消化・吸収されにくい。非反芻動物由来の糞便中から未分解のフィチン酸が環境に放出されると環境中で分解されてリン酸が遊離して水圏の富栄養化を招くこととなる。一方、ウシなどの反芻動物はルーメン(反芻胃)内の微生物によって作られるフィターゼが加水分解するためフィチン酸由来のリン酸を利用できる。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "現在、フィチン酸由来のリン酸やフィチンとして不溶化されているミネラルの吸収を増す目的で非反芻動物の飼料には、微生物由来のフィターゼを添加することがある。そこで、フィターゼを飼料に添加しなくてもよいように糸状菌や大腸菌のフィターゼの遺伝子をトウモロコシやダイズで発現させてフィチン酸のリン酸の有効利用率を高める試みが行われた。更に、フィターゼ生産トウモロコシをニワトリに給餌してフィチン酸由来のリン酸の有効利用率が上昇していることが確かめられた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "その他、フィチン酸は金属イオンに対するキレート活性が高いためフィチン酸によって鉄の吸収が阻害されるが、鉄貯蔵タンパク質であるフェリチン(ferritin)とフィターゼを共に生産させたトウモロコシでは鉄分の有効利用率が有意に上昇していたという報告もある。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "デンプンは、グルコースのポリマーで、直鎖構造のアミロースと枝分かれ構造をもつアミロペクチンから構成されている。アミロースとアミロペクチンの分子量や含量や枝分かれ頻度によって物性が異なる。デンプンは植物のプラスチドで生合成され、特にデンプン合成が盛んでデンプンを貯蔵しているプラスチドをアミロプラストとよぶ。細胞質からプラスチドに輸送されたグルコース-1-リン酸やグルコース-6-リン酸やADP-グルコースはプラスチド中で最終的にADP-グルコースとなり、ADP-グルコースのグルコース残基はデンプン合成酵素によって伸長中のアミロースやアミロペクチンの非還元末端のグルコース残基の4位の水酸基と脱水縮合して新たなα-1,4グルコシド結合を形成して取り込まれる。プラスチド中のデンプン合成酵素はデンプン粒結合型デンプン合成酵素 (GBSS: granule-bound starch synthase)と可溶性デンプン合成酵素(SSS: soluble starch synthase)に大別される。GBSSはアミロースの生合成に関与している。SSSによって合成途中のα-1,4グルコシド結合のグルコース残基の直鎖が、枝分かれ酵素によって一部切断され、その切断されて生じた還元末端のグルコース残基の1位の水酸基と直鎖部分の中間のグルコース残基の6位の水酸基の間でα-1,6グルコシド結合が生じる。こうして生じた分子中に存在する複数の非還元末端はSSSによって伸長するとともに枝分かれ酵素によって新たに非還元末端の側鎖が次々と形成される。一方、余分なα-1,6グルコシド結合部分は枝切り酵素によって切断され側鎖は整理されて、アミロペクチンは合成される。つまり、アミロースとアミロペクチンの含量はGBSSとSSSの活性によって制御されている。よって、GBSSが欠損していればアミロペクチンのみを含むモチ性となり、SSSの活性が低下していると高アミロース含量となる。そこで遺伝子操作によってGBSSやSSSの生産量を制御して、デンプン組成を改変できるようになった。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "GBSS生産量が抑制されてモチ性に変換された\"Amflora\"と名付けられたジャガイモ品種(EH92-527-1系統)が既にBASFによって開発され、チェコ、スウェーデン、ドイツで商業栽培されている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "キャッサバ (Manihot esculenta) は熱帯における重要な作物である。ただし、タンパク質含量が少なく、かつ、有毒なシアン化合物である青酸配糖体を多く含んでいる。含まれる青酸配糖体のうち、95%はリナマリンで、5%はロトストラリンである。キャッサバを食料や飼料にするためには青酸配糖体や分解産物であるアセトンシアノヒドリンの除去が重要であり、不十分だと健康被害が生じることがある。そこでキャッサバ中のシアン化合物を減少させるための研究が進められている。その一つにはヒドロキシニトリル脱離酵素 をキャッサバの根で生産させるというものがある。ヒドロキシニトリル脱離酵素はアセトンシアノヒドリンを青酸とアセトンに分解する酵素である。ヒドロキシニトリル脱離酵素によって生じた青酸は気化するため、ヒドロキシニトリル脱離酵素活性とキャッサバ中の青酸化合物の濃度との間には負の相関性がある。野生型のキャッサバの根ではほとんど生産されていないヒドロキシニトリル脱離酵素を根で過剰生産させた結果、形質転換体では根でリナマリン含量が80%低下すると共にタンパク質含量が3倍に増加していた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "ワタ(Gossypium hirsutum)の種子約1. 65 kg当たり、ワタ繊維1 kgが生産される。ワタの種子は21%の油脂とともに23%の高品質のタンパク質を含んでいる。しかし、ワタの種子自体や脱脂種子は反芻動物の飼料として利用されているが、食料としても単胃動物の飼料としても利用されていない。心機能と肝機能を障害するゴシポールが腺に含まれているからである。ゴシポールはセスキテルペンの一種である。そこで、棉実を食料、飼料として利用するために、腺を持たない変異ワタが発見されたのでそれを用いて腺欠損品種の育種がすすめられ、上市された。しかし、腺欠損品種は害虫抵抗性に関与しているテルペノイドを欠くため、極めて虫害に遭いやすいので農民に拒否された。そこで種子でのみゴシポールが削減された品種の開発を目的として、ゴシポールの前駆体であるδ-カディニンをファルネシルピロリン酸から合成する酵素であるδ-カディニン合成酵素を、ワタの種子特異的α-globulin Bの遺伝子のプロモーターを用い、RNAiで抑制した形質転換ワタが開発された。この形質転換植物の種子と若い芽生えにおいてのみゴシポールや関連物質の含量が低下しており、他の地上部や根では含量の変化はなかった。つまり、害虫抵抗性は大きくは変化せず、また、この形質は多世代にわたり安定に遺伝していた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "デンプンなどの糖類とアスパラギンが共存しているもの、穀類など、を加熱すると様々な毒性を持つアクリルアミドが生成する。特にフライドポテトなどが問題視されている。そこでアクリルアミド生成量を減らすために遊離アスパラギン含量の少ないジャガイモの開発が行われている。 ジャガイモにはアスパラギン合成酵素としてStAst1とStAst2の二種類が知られている。まず初めにStAst1とStAst2の遺伝子StAst1とStAst2の双方を根茎特異的に抑制した形質転換ジャガイモが開発された。温室での形質転換ジャガイモの生育や根茎の収量は野生型のものと遜色がなく、その根茎中の遊離アスパラギン含量は野生型のものの1/20程度であった。ところが、その形質転換体を圃場試験したところ、植物体の生育は悪く、根茎はいびつで収量は低かった。そこで、解析を進めた結果、StAst1は根茎で主に、StAst2は緑色組織で主に発現していることがわかった。そのため、StAst1を根茎特異的に抑制したところ、圃場試験においても生育や収量が正常で、遊離アスパラギン含量が少ない、つまり、加熱してもアクリルアミド生成量の少ない形質転換ジャガイモが得られた。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "そしてAsn1 (StAst1と同じ)をRNAiによって抑制して遊離アスパラギンを減少させ、ホスホリラーゼとデンプン関連タンパク質であるR1をRNAiによって抑制してデンプンから還元糖への変換を抑えて、両者の効果によって加熱によるアクリルアミドの生成を減少させたジャガイモがInnateという商標で2015年3月20日にアメリカ食品医薬品局(FDA)によって認可された。なお、Innateにおいては傷や切断による褐変を防ぐために、ポリフェノール・オキシダーゼの遺伝子Ppo5をRNAiによって抑制してされている。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "涙の出ないタマネギを参照。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "リンゴの果実を切断すると、果実の切断面が褐変することが知られている。これは果実の細胞の液胞中のクロロゲン酸やエピカテキンなどのポリフェノールがプラスチド中のポリフェノールオキシダーゼ(PPO: polyphenol oxidase)と細胞の損傷によって接触して、酸化重合されて分子中の共役二重結合が伸び、長波長の光まで吸収することが原因である。そこで、リンゴの果実の褐変を押さえるために4種類のPPOの遺伝子 PPO2, GPO3, APO5, pSR7のそれぞれ394, 457, 457, 453 塩基対のDNA断片を利用したRNAiによってPPO活性が抑制されたリンゴが開発された。リンゴの品種Golden DeliciousとGranny Smithにおいて実用化され、Artic appleの商標で2015年3月20日にアメリカのFDAによって認可された。",
"title": "第二世代組換え食品の開発状況"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え植物を作製する上で、植物のホスト(宿主)・ベクター系 (host-vector system) が必要とされる。そのホスト・ベクター系を構築する上で以下の4種類の系が必要とされる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "これらについて以下の節で簡単に説明する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "なお、外来遺伝子の導入場所として、細胞の核ゲノムだけではなく、プラスチド・ゲノムもある。プラスチド・ゲノムに導入して形質を変えることをプラスチド形質転換(plastid transformation)という。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "また、遺伝子組換え食品反対派からの反対理由の一つであった「医療用、家畜用抗生物質耐性遺伝子の選択マーカー遺伝子としての利用」を回避するために用いられている、「新しい選択マーカー遺伝子と選択マーカー遺伝子の除去系の利用」についても述べる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "さらに、反対理由の一つである「ゲノムの特定の場所を狙って遺伝子を導入できない」という問題を解決するためにジーン・ターゲッティングの技法が導入されていることについても紹介する。また、導入された遺伝子の利用を制限する遺伝的利用制限技術についても解説する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "その他、遺伝子組換え作物の作製法とは直接関係ないが、それが商品化され一般の圃場で栽培されるために要求されている「環境に対する影響」と「食品としての安全性」を評価する安全性審査についても述べる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "導入系とは、目的とする遺伝子を細胞の遺伝子が発現する場所に導入するための系である。遺伝子を導入・発現させるための植物細胞内の小器官として、現在、核とプラスチド(plastid)が標的となっている。導入系にはいろいろな手法があるが、現在の主要な方法は、パーティクル・ガン法とアグロバクテリウム法であり、それぞれについて簡単に説明する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "その他にも、DNAを含んだ等張液中のプロトプラストに高電圧の電気パルスを与えて細胞膜に短時間だけ穴を開けて等張液中のDNAを細胞内に導入させるエレクトロポレーション法があるが、その操作の煩雑さと効率の低さとイネへのアグロバクテリウム法の適用が可能になったことにより、現在ではほとんど利用されていない。また、最近、使用例が増えてきたウィスカー(whisker)法がある。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "ウィスカーとは、髭状の強度の高い単結晶であり、マイクロ試験管中で植物組織やカルスと滅菌処理されたウィスカーとDNAを含む溶液を激しく攪拌し、ウィスカーによって傷ついた細胞内に溶液中のDNAが侵入し取り込まれるようにする。組織やカルスを洗浄後、固体選択培地にて形質転換体を選択し増殖させる。使用されるウィスカーとしてシリコンカーバイドよりホウ酸アルミニウム(2B2O3・9Al2O3)のものが安全性の面から好まれる。植物の形質転換操作手順は、植物組織とウィスカーをDNAを含む溶液中で激しく撹拌、洗浄し、その後は、後述の「パーティクル・ガン法による手順」の4.以降と同様である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "Agrobacterium tumefaciens(正式名称 Rhizobium radiobacter)が主に用いられている。自然界ではA. tumefaciensは、双子葉植物を宿主としてクラウンゴール(crown gallまたはcrowngall)という腫瘍を形成させ、それをA. tumefaciensは資化できるが植物は資化できないオパイン(またはオピン: opine)という特殊なイミノ酸を生産する工場としている。これを生物学的植民地化という。これはA. tumefaciensに含まれるTi (tumor inducing) plasmidのT-DNA (transferred DNA)が植物細胞の核ゲノムに導入されたことによって生じる。そこで、このDNA導入機構を利用して植物への遺伝子導入方法として中間ベクター法とバイナリーベクター法(binary vector)が開発された。そのうち、現在はバイナリー・ベクター法が主流である。これは、Ti plasmidの本来のT-DNAを除去されたvir helper Ti plasmidと、大腸菌とA. tumefaciensの双方で利用できる小型のシャトル・ベクター(shuttle vector)に人工のT-DNAを付与したものとで構築されている。vir helper Ti plasmidには、本来のT-DNAが存在しないため、植物にクラウンゴール(腫瘍)を形成できないが、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要なvir領域が存在しているため、他のプラスミド上に存在する人工T-DNAを植物に導入できる。このように同一のDNA上に存在しなくても、作用しあえる遺伝子間の関係をトランスという。以下に、バイナリー・ベクター法を簡単に説明する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "A. tumefaciensに存在するTi plasmidは巨大プラスミドであり、これをA. tumefaciensから直接単離し試験管内で操作することは困難である。一方、Ti plasmid上にはvir領域という、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要な遺伝子群が存在するので、Ti plasmidは植物への遺伝子導入には必要である。しかし、本来のT-DNAは植物を腫瘍化するので不要である。そこで、本来のT-DNAを欠損したがvir領域を保持したままのvir helper Ti plasmidとそれを保持するA. tumefaciensの菌株が開発された。A. tumefaciensの染色体上にも植物への遺伝子導入に必要とされる遺伝子群(chv genes: chromosomal virulence genes)が存在するために、更にTi plasmidの宿主としてもA. tumefaciensはアグロバクテリウム法において必要とされる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "T-DNAの両末端にはRB(right border:右境界配列)とLB(left border:左境界配列)という短い配列が存在している。RBとLBに挟まれた配列が植物に導入され、その間の配列には特異性がない。つまり、植物に導入したい遺伝子や形質転換植物を選択するための選択マーカー遺伝子をRBとLBに挟みこめば、任意の人工のT-DNAを構築できる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "更に、vir領域とT-DNAとの作用関係はトランスであり、両者が同一のプラスミド上に存在している必要が無い。そこで、操作しやすい小型のシャトル・ベクターに人工のT-DNAを付与したT-DNAプラスミドを試験管内で改変した後に大腸菌を用いて増幅させる。その後、T-DNAプラスミドをA. tumefaciensへ導入して、A. tumefaciens内でvir helper Ti plasmidと共存させて植物に人工のT-DNAを導入させる。この小型のシャトル・ベクターであるT-DNAプラスミドは、大腸菌での複製開始点と広範囲のグラム陰性菌の間での複製可能な複製開始点が存在する広宿主域ベクターであり、また、人工のT-DNA部分内に存在する植物の形質転換の選択に用いられる選択マーカー遺伝子以外にも、大腸菌とA. tumefaciensの形質転換体の選択に必要な選択マーカー遺伝子を別に保持している。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "A. tumefaciensの本来の宿主は双子葉植物であるが、vir領域の転写を誘導するフェノール系物質アセトシリンゴン(acetosyringone)の利用やvir領域の転写活性が恒常的に高いhypervirulent helper Ti plasmidの開発により、イネなどの単子葉植物や真菌類などへの応用が可能となってきている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "アグロバクテリウム法は、パーティクル・ガン法に比べ高価な機材は必要なく、また、ランニングコストも低い。T-DNAは植物の核ゲノムに1〜2コピー程度の低コピー数で導入されることが多い。一方、アグロバクテリウムの感染後に抗生物質を用いてアグロバクテリウムを除去するなどの煩雑な操作が必要であり、アグロバクテリウムの感染効率も材料の種類や状態によって様々に変化する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "多数の細胞を材料として、それらに遺伝子導入を試みても、それらの中から極少数の形質転換体しか得られないことが多い。そのため、形質転換体のみを特異的に選択する選択マーカー遺伝子を目的遺伝子以外に同時に導入する必要がある。選択マーカー遺伝子の性質としては、形質転換細胞のみが生存・増殖できるポジティブ選択可能であり、更に形質転換細胞と非形質転換細胞とが混在しあったキメラ(chimera)を形成しにくいことが望ましい。多くの場合、アミノグリコシド系抗生物質のカナマイシン(kanamycin)やG418やハイグロマイシンB(hygromycin B)などの耐性遺伝子が遺伝子組換え作物にも用いられてきたが、現在では後述の新しい選択マーカー遺伝子やマーカー除去の技術が用いられるようになった。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "導入された遺伝子が植物細胞の細胞分裂にあわせて複製されなくては、一過性の遺伝子発現(transient gene expression)となって、安定した形質転換植物を得ることができない。そこで外来遺伝子の複製系が必要となる。現在、植物の場合は外来遺伝子が植物の核ゲノムに挿入されて、核ゲノムの複製にあわせて一緒に複製される様にすることが主流である。また、プラスチドのDNAに外来遺伝子を相同組換えによって導入する系も存在する。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "外来遺伝子が導入された単一の形質転換細胞より植物個体を分化・再生する系である。上記の三つの系は効率の高低はあるがほぼ共通の手法を用いることができる。しかし、この系は、植物のホスト・ベクター系を構築する上で、この系が確立すればその植物の形質転換植物個体がえられるのとほぼ同じ意味を持つほど重要なものである。多くの場合、オーキシンやサイトカイニンなどの植物ホルモンの濃度比を変えることによって植物個体を再生させている。しかし、材料の状態や培養開始からの時間や材料の成熟度などによって大きく変化する。多くの場合、カルスを経てカルスからシュートが分化してくる。そのシュートを発根培地に植え継いでから馴化して鉢上げする。なお、シロイヌナズナ(アラビドプシス: Arabidopsis thaliana)やその近縁のストレス耐性の強いThellungiella halophila (salt cress)などにおいては、未熟な花蕾をアグロバクテリウム懸濁液につけるフローラル・ディップ(floral dip)法や、花蕾にアグロバクテリウム懸濁液を噴霧したりするフローラル・スプレー(floral spray)法が用いられており、それらの処理後に植物体より得られた種子を選択培地上に置床し発芽させ、その中から形質転換体を選択している。つまり、もともと分化能を持つ種子を発芽させて選択するだけなので人為的な再生系は必要とされない。フローラル・ディップ法やフローラル・スプレー法を適用できる植物はまだ少数ではあるが、適用できれば形質転換植物を得る操作が極めて簡便化される。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "その他、カルスなどの未分化な状態での形質転換植物を培養することが目的の場合には、分化・再生系は必要とされない。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "パーティクル・ガン法による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "バイナリー・ベクターを用いたアグロバクテリウム法による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "プラスチド形質転換(plastid transformation)とは、植物細胞の核ゲノムにではなく、プラスチド・ゲノムに外来DNAを導入して形質を変えることである。プラスチドには、プラスチド・ゲノムが複数個存在し、更に細胞中にプラスチドが多数存在するため、細胞当たり数千コピーのプラスチド・ゲノムが存在することもある。そのため、大規模な遺伝子量効果(gene dosage effect)を期待でき、核ゲノムに外来遺伝子を導入してタンパク質を生産させるよりも遥かに多量の目的タンパク質を生産させることが可能となる場合がある。また、プラスチドの転写・翻訳機構は原核生物型なので、複数の外来遺伝子を単一のポリシストロニック・オペロン(polycistronic operon)として導入可能である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "プラスチド形質転換における遺伝子導入系として、パーティクル・ガン法が用いられている。導入されたDNA断片は相同組換えによるプラスチド・ゲノムとの遺伝子置換によってプラスチド・ゲノムに組み込まれ、プラスチド・ゲノムの複製に合わせて複製される。そのため、プラスチド形質転換には、外来DNAが組み込まれても影響の少ない、プラスチド・ゲノムの一部が、事前に単離されている必要がある。つまり、植物種やプラスチド・ゲノムの種類毎に導入するために必要なベクターが異なることになる。具体的には、単離されたプラスチド・ゲノムの一部の中で外来DNAが挿入されても影響の少ない部位に選択マーカー遺伝子と共に目的遺伝子のカセットが挿入されたDNAを調製する。これがパーティクル・ガン法で植物細胞に導入されるとカセットの両側の配列とプラスチド・ゲノムのそれらとの相同配列間の二カ所で相同組換えが低頻度で生じ、遺伝子置換によって外来DNAがプラスチド・ゲノムに挿入される。この組換え型のプラスチド・ゲノムを選択的に増幅させるための選択系が必要になる。遺伝子置換されたプラスチド・ゲノムはプラスチド中で野生型のプラスチド・ゲノムと混在した状態(ヘテロプラスミー: heteroplasmy)であるが、選択を繰り返していく間にそのプラスチドに含まれるゲノムDNAが全て組換え型になった状態となり、更にその細胞中に含まれるプラスチド全体が組換え型になる(ホモプラスミー: homoplasmy)ことが期待される。プラスチド形質転換において細胞中の全プラスチドを組換え型のホモプラスミーにするためには細胞の選択を長期間続ける必要がある。そのため、プラスチド形質転換植物を得るために必要な時間は、核ゲノムに外来遺伝子を導入して形質転換植物を得るよりも長くなる傾向がある。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "プラスチド形質転換の選択系として、スペクチノマイシン(spectinomycin)と、大腸菌のトランスポゾンであるTn7由来のスペクチノマイシン耐性遺伝子aadAが用いられることが多い。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "現在の遺伝子組換え手法において、多数の細胞を材料としてその中から極少数の形質転換細胞を選択する操作が用いられることが多い。そのため、形質転換細胞を選択するための選択マーカー遺伝子の発現を指標として形質転換体を選択している。この植物の選択マーカー遺伝子は組換え作物においてもカナマイシン(kanamycin)などのアミノグリコシド(aminoglycoside)系抗生物質に耐性を与える遺伝子が用いられることが多かった。そこに、社会政策的な問題が形質転換植物の選択系にも影響をおよぼした。EUは2004年末をもって医療用、家畜用に用いられる抗生物質に対する耐性遺伝子で形質転換植物細胞の選択を禁止した。そして、今後、EUで販売される遺伝子組換え植物や食品は他の選択マーカー遺伝子が用いられているか、選択マーカー遺伝子が除去されていなくてはならないとした(European Parliament 2001)。形質転換植物の選択マーカー遺伝子は基本的には形質転換体の選択という育種の極初期に用いられるに過ぎない。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "しかし、遺伝子組換え食品反対派は、組換え作物が持つカナマイシン耐性遺伝子(NPTII: aminoglycoside (neomycin) phosphotransferase遺伝子) やハイグロマイシンB耐性遺伝子(hpt: hygromycin phosphotransferase遺伝子)などの抗生物質耐性遺伝子が腸内細菌に極低い頻度であっても取り込まれる可能性があるとし、これを批判の根拠の一つとしていた。そこで、除草剤として用いられているビアラホス(bialaphos: phosphinothricinとなって作用)の様な農業用抗生物質や医療用・畜産用にほとんど用いられていない抗生物質を除いて、医療用・畜産用抗生物に対する耐性遺伝子を選択マーカーとして利用することを規制したわけである。その結果、新たな選択マーカー遺伝子を利用した選択系が用いられるようになった。更に、初めの選択では抗生物質耐性遺伝子を選択マーカー遺伝子として利用するが、後にその抗生物質耐性遺伝子を欠失させる手法が開発された。ただし、カナマイシン耐性を付与する遺伝子nptIIは、自然界に広く広がって存在しており、カナマイシン自体が医薬としての使用が極希か、もしくは使用されていないという理由で規制外となっている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "なお、EUの予算によって設立・運営されている独立機関であるEuropean Food Safety Authority (EFSA)は、\"EFSA evaluates antibiotic resistance marker genes in GM plants\" (News Story 11 June 2009)において、\"In their joint opinion, the GMO and BIOHAZ Panels concluded that transfers of ARMG (antibiotic resistance marker genes) from GM plants to bacteria have not been shown to occur either in natural conditions or in the laboratory.\"とあるように遺伝子組換え植物からバクテリアへの抗生物質耐性マーカー遺伝子の移行を自然条件下でも実験室でも観察できなかったと発表している。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "新たな選択マーカー遺伝子の中には、植物の利用できない炭素源を資化または解毒できるようにするものがある。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "その他、選択マーカー遺伝子を除去する系を利用するものもある。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "その他、現在、ジーン・ターゲッティング法を用いて遺伝子置換を植物に応用する試みが進んでいる。植物は相同組換え活性が低く、内在性の遺伝子と配列類似性が高いDNA断片を導入しても内在性の遺伝子と殆ど相同組換えを起こさず、非相同組換えによって標的以外に組み込まれるものが大部分である。そこで様々な工夫が必要となる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "ひとつの例が、pyrimidinyl carboxy系除草剤であるbispyribacへの耐性を示すイネの開発である。前記の「除草剤耐性作物」の小節で述べたsulfonylurea系除草剤と同様に、この除草剤は分岐鎖アミノ酸(branched chain amino acids, BCAA)生合成系の酵素の一種であるacetolactate synthase (ALS)の阻害剤である。イネのある変異体は、ALSの2カ所のアミノ酸残基の変異によってbispyribacに対して高度に耐性を示す。そこで、非相同組換えによる耐性形質転換体を除去するためにpromoterとALSのN(アミノ)末端側の配列を欠失したイネ由来の変異型ALSをイネに導入して耐性になった相同組換えによる遺伝子置換体を単離した。そのhomo接合体は著しくbispyribacに対して耐性となっていた。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "この過程で変異型ALSのpromoterとALSのN末端側の配列を欠失したものを用いているのは重要である。promoterとALSのN末端側の配列を含む完全な変異型ALSを用いればゲノムの本来のALS以外のところに非相同組換えによって挿入されてもbispyribac耐性になってしまう。また、promoterのみを除去し開始コドンから完全な変異型ALSのタンパク質コード領域(翻訳領域、ORF)を含んでいるものを用いれば、ほとんどの非相同組換えによるbispyribac耐性株を除去できるはずであるが、T-DNA taggingに用いられているようにAgrobacterium(アグロバクテリウム)法ではT-DNAはかなりの高頻度で転写活性の高い領域に挿入されるため、何らかの遺伝子のpromoter下流に挿入され、その転写方向と挿入断片のセンス鎖方向が一致すればbispyribac耐性株が生じる可能性がある。そこで、promoterとN末端側の配列を欠失したものを用いれば、非相同組換えによるbispyribac耐性形質転換体によるバックグラウンドをほぼ排除できるわけである。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "この遺伝子置換体は基本的に標的となったALSの配列のみが野生型と一部異なるだけであり、他の選択マーカー遺伝子が存在しないため、突然変異により育種されたものと区別がつかない。このことは遺伝子組換え食品の実質的同等性を確保する上で大きな意味を持つ。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "また、変異型ALSのようなそれ自体が選択マーカーとなる遺伝子だけでなく、任意の遺伝子を遺伝子置換により遺伝子破壊する方法が開発された。これらの方法はゲノム編集の手法の一部である。非相同組換えが生じやすい生物種において、相同組換えによる遺伝子置換体を得るための方法は大きく二つに分けられる。一つは、非相同組換え体は死滅するが、相同組換えによる遺伝子置換体は生存できるようにして遺伝子置換体を濃縮する方法である。もう一つの方法は、配列特異的に相同組換え効率を向上させる方法である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "前者の方法として、diphtheria toxinの遺伝子を利用しているものがある。これは、diphtheria toxinが真核生物の細胞質の蛋白質合成を阻害するため、diphtheria toxinを生産する真核細胞が死滅することを利用している。Agrobacterium法による形質転換においてT-DNAのright borderとleft borderの内側近傍にネガティブ選択マーカーとして働くdiphtheria toxin-A(ジフテリア毒A)遺伝子を1個ずつ逆方向反復配列(inverted repeats)として配置し、更にその内側に遺伝子破壊したい配列と相同な配列とポジティブ選択マーカー遺伝子を挿入することによって、相同組換えを起こしたもののみ生存できるようにしたものである。相同組換えによって2個のdiphtheria toxin-A遺伝子が除去されポジティブ選択マーカー遺伝子が導入された細胞は生存可能であるが、非相同組換えによって標的遺伝子以外のところにright borderとleft borderとともにdiphtheria toxin-A遺伝子が導入された細胞は死滅すると考えられる。ただし、この方法によってもイネにおいて選択された形質転換体のうち目的とする遺伝子破壊体の頻度は1.9%であった。更なる効率上昇に関する研究は必要である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "後者の方法として、ジンクフィンガーヌクレアーゼ(ZFNs)やTranscription Activator-Like Effector Nuclease (TALENs)やメガヌクレアーゼ(meganuclease)を利用して、配列特異的に相同組換え頻度を上昇させ、植物における遺伝子置換効率を高める研究がある。DNA二本鎖切断を修復する過程でその切断部近傍のDNAの相同組換え効率は上昇する。ゲノム中の任意の部位だけを特異的に切断しゲノムの他の部位を切断しないような酵素は長い認識配列を必要とするため、通常の制限酵素では対応できない。そこで、認識・切断させたい長いDNA配列を切断できる酵素は人為的に設計できるものでなくてはならない。それらの条件を満たすものとしてZFNsやTALENsが挙げられる。置換したい遺伝子領域内の特異的な配列を認識できる様に設計された人工的なZFNsなどを植物中で誘導性プロモーターなどを利用して生産させるとその特異的配列を含む領域でDNA二本鎖切断が生じる。そのときに置換したい領域と相同性のあるDNA断片が導入されているとそれを鋳型としたDNA修復が生じ、相同組換えによる遺伝子置換が生じることになる。この方法は人為的DNA二本鎖切断を伴わない、前述の方法より遺伝子置換効率を上昇させることができる。しかし、ZFNsの配列認識の甘さによる標的配列以外の切断もあるため、ZFNsの改良がなお必要である。また、ZFNsなどとともにエキソヌクレアーゼやヘリカーゼを発現させることにより相同組換え効率を更に高めることができる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "なお、DNA二本鎖切断が生じた後、相同組換えが生じないとNHEJ(non-homologous end joining: 非相同末端結合)が生じる場合がある。その場合は、遺伝子破壊(ノックアウト)が生じることになる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "ZFNsやTALENs以外にも原核生物の外来DNA排除機構に関わるCRISPR/Cas9を用いた系がゲノム編集に利用され始めている(ゲノム編集コンソーシアム)。CRISPR/Cas9系では、特定DNA配列を認識するガイドRNAに対応する合成DNAをベクターに挿入するだけである。そのため、複数のジンクフィンガー・モチーフを組み合わせて作成されるZFNsを作製するよりも簡便で短時間に人工エンドヌクレアーゼ系を構築可能である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "遺伝子利用制限技術(GURTs: gene use restriction technologies)または遺伝的利用制限技術(GURTs: genetic use restriction technologies)とは、特異的化合物による遺伝子発現誘導系と配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用した遺伝子発現や形質を人為的に制御する技術である。この技術のことを、遺伝子組換え作物反対派は形質(trait)を制御することにかこつけて「裏切り者(traitor)」とよぶことがある。この技術を利用すれば、次世代の種子から導入された遺伝子を除去したり、必要ないときまでは形質が現れないがその形質が必要な場合には特定の化合物で処理すると形質を誘導したりできる。また、いわゆる「ターミネーター技術」もこの応用例である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "外部から与えた化合物によって遺伝子発現を誘導するために開発された。遺伝子発現を制御にはトランス転写因子とシスエレメントが関与している。トランス転写因子はドメイン(domain)構造をとっており、それらはシスエレメントである特定のDNA配列を認識して結合するDNA結合領域や、転写活性化に関与するトランス活性化領域や、シグナルを検知して転写活性化能を制御するシグナル検知領域などに分けることができる。これらのドメインを別のトランス転写因子のドメインと交換することにより、別のDNA配列と結合させたり、別のシグナルによって転写活性を制御できたりする場合がある。そこで、外部から与える化合物をシグナルとする人工のトランス転写因子とシスエレメントの系が開発された。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "人工のトランス転写因子に求められる条件として、",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "が挙げられる。上記の条件を満たすために、バクテリア由来のシスエレメントと結合するDNA結合領域のアミノ酸配列、特異的化合物と結合して転写因子の活性を制御するシグナル検知領域のアミノ酸配列、及び、トランス転写活性化領域のアミノ酸配列との三つの領域を融合した人工のキメラ・トランス転写因子が合成されている。現在では、テトラサイクリンやエストラジオールや糖質コルチコイドなどによる遺伝子発現誘導系が開発されている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "上記の化学物質による遺伝子発現制御系を用いて、配列特異的組換え酵素の生産を制御してin vivoで形質を改変する技術(遺伝子利用制限技術)が開発された。その配列特異的組換え酵素とその標的配列としてCreとloxP、酵母の2-μm DNAや醤油酵母のpSR1の組換え酵素とそれらの標的配列、他が用いられている。その応用例を挙げる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "次世代の種子の発芽抑制技術である。自家受粉する作物では、組換え品種からの契約外の自家採種が行われていることがある。その制限のためと交配による遺伝子拡散の防止ために開発された。この技術のためには3つの系が必要である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "それらを満たすために、ワタにおける例では次のものが用いられている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "例としてRIPとCreとloxPとtetRとtetOの系について説明する。「目的遺伝子 + (LEAプロモーター + loxP + 分断配列 + loxP + RIP) + (構成的プロモーター + tetR) + (構成的プロモーター + 複数のtetO + cre)」というカセットを植物体に導入しておく。構成的プロモーターによりリプレッサーであるTetRが常に生産されているため、オペレーター配列であるtetOにTetRが結合してcreは転写・翻訳されない。その結果、後期胚形成期であっても、分断配列によって毒素RIPが生産されないので正常な胚発生が進行する。そのため、種苗会社はこの植物の種子を増やすことができる。しかし、種子を出荷する前にインデューサーであるドキシサイクリンで処理するとTetRが不活化してtetOから遊離してCreが生産される。その結果、順方向に並んでいる二つのloxPの間でCreにより配列特異的な組換えが生じて「目的遺伝子 + (LEAプロモーター + loxP + RIP) + (構成的プロモーター + tetR) + (構成的プロモーター + 複数のtetO + cre)」という構造に変換する。LEAプロモーター + loxP + RIPの組み合わせは転写と翻訳を阻害されない。この構造を持つ種子は正常に発芽・生育・開花できるが、受精後の種子形成の最終段階である後期胚形成期に胚においてのみ転写活性を持つLEAプロモーターにより、胚においてRIPが生産され胚は死滅する。その結果、次世代の種子は発芽できなくなる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "この技術に関しては反対意見が強いために現時点においては栽培されている遺伝子組換え作物には利用されていない。なお、「ターミネーター技術」とは遺伝子組換え作物反対派から命名された通称である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "いわゆる「ターミネーター技術」を利用した場合、次世代の種子が発芽しなくなるため批判が強い。そこで、次世代の種子は発芽できるが導入された遺伝子が次世代には伝わらないように花粉や種子から除去する技術である。その結果、農家が契約に反して自家採種しても、その種子からは組換え品種を得ることができなくなる。生態系に対する遺伝子汚染を減少することもできる。種子や花粉特異的プロモーターを用いて配列特異的な組換え酵素遺伝子を誘導して、標的配列の順方向繰り返し(direct repeats)によって囲まれたDNA領域(導入された形質に係わる遺伝子)を、順方向繰り返し配列間の特異的相同組換えによってループアウトさせて除去して遺伝子拡散を防ぐ系である。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "花粉特異的発現する遺伝子としてBGP1(配列)とLAT52(配列)が、花粉と種子特異的発現をする遺伝子としてPAB5(配列)が同定され、それらのプロモーターが単離された。loxPと2-μm DNAの標的配列を連結した配列を順方向繰り返し配列として利用し、それらのプロモーターでCreと2-μm DNAの配列特異的組換え酵素をそれぞれ単独で生産させた場合、導入された遺伝子を得られた種子からほぼ100%除去することができた。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "その他、アシネトバクター(Acinetobacter)由来のセリン・リゾルベースCinH組換え酵素(serine resolvase CinH recombinase)(CinH:アミノ酸配列)とその認識配列RS2を用いて、花粉特異的に発現する遺伝子LAT52のプロモーターを用いてCinHを生産させて、順方向繰り返し配列とした二つのRS2に挟まれた領域(導入遺伝子)を除去する系も開発されている。RS2は、119 bpと長いため特異性が高くなるので、CinHとRS2を用いた系ではゲノムにもともと存在する類似の配列と組換える可能性はほとんどない。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "なお、上記以外にもストレプトマイセス(Streptomyces)由来のファージphiC31のインテグラーゼ(integrase)と標的配列であるattBとattPを用いて組換えコムギでの導入遺伝子の除去にも成功している。phiC31を生産する組換えコムギと除去される標的配列を持つ組換えコムギを掛け合わせて得られた後代から目的とした導入遺伝子が除去されていることが確認されている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "エピジェネティック効果とは「DNAの塩基配列の変化を伴わずにおきるゲノム機能の変化」である。細胞レベルでのエピジェネティック効果は以下のメカニズムに基づく。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "これらのエピジェネティック効果をもたらす操作を一過的に行っても、それに伴い変化したクロマチン状態は有糸分裂を経ても安定的に伝達され、生物の表現型に影響を与え続けることがある。つまり、初めに導入遺伝子によってエピジェネティック効果をもたらし、その後代からエピジェネティック効果を保持しつつ、かつ、導入された遺伝子配列を保持しない系統を選抜することで、植物のゲノム配列を変化させずに植物の形質を安定に変化させられる。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "例えば、「non-coding short RNA (miRNA、siRNA、shRNA 等)による遺伝子制御」に関するRdDM (RNA-directed DNA methylation)を簡単に説明する。これは基本的にRNAiのgene silencing (GS)と同様の手法であり、「植物の発現を抑制したい遺伝子配列と相同性を持つコンストラクト(RdDM誘導コンストラクト)を植物体へ導入して、短鎖二本鎖RNA (dsRNA)を細胞中で作らせ、これにより相同配列部分のDNAのメチル化を誘発し、標的遺伝子の転写を抑制する」ものである。RdDMの植物育種上の重要性は、植物体の特定遺伝子を、遺伝子配列の変異を生じさせることなく、発現抑制できることにある。このDNAのメチル化状態は世代を通じて、維持される場合がある。そこで、後代において、目的の形質を保持し、かつ、導入されたRdDM誘導コンストラクトを保持しない系統を選抜する。この手法の応用により、既に様々な形質の植物体が作り出されている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "この手法には明らかな利点が存在する。DNAのメチル化自体はごく一般的な自然現象であり、真核細胞に広く発生している。RdDMによりメチル化されたDNAと自然にメチル化されたDNAを区別することは困難であり、RdDM誘導コンストラクトが除去された系統と従来の手法で育種された作物とを区別できない。導入された遺伝子が存在しないために、この手法により育種された作物はそもそも遺伝子組換え作物であるのかどうかという、遺伝子組換え作物の定義にも関わる根本的な議論を引き起こしている。",
"title": "作製法"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "組換え作物に対する安全性審査は、生物多様性の確保に関するカルタヘナ法に基づく「食品としての安全性の評価」と「環境に与える影響の評価」に分けられる。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "日本においては、遺伝子組換え食用作物(遺伝子組換え食品)の商業的栽培は行われていないが、多量の組換え食品が輸入されている。それらの安全性を確保するため、厚生省は1991年(平成3年)から「安全性評価指針」に基づいて個別に安全性審査を行ってきたが、任意の仕組みであった。安全性審査を法的に義務化することとし、2001年(平成13年)4月1日から、安全性審査を受けていない遺伝子組換え食品の輸入・販売等が禁止された。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "また、2003年(平成15年)7月1日に食品安全基本法が施行され、内閣府に食品安全委員会が発足したことに伴い、遺伝子組換え食品の安全性審査は食品安全委員会の意見を聴いて行うこととなった。厚生労働省の「遺伝子組換え食品の安全性審査について」に関連の規則や安全性評価基準についてのリンクがある。詳細はリンク先参照。2019年8月時点で、日本で食品として安全性が確認され使用許可があるGM作物は、8種類320品種である。食品安全委員会の「遺伝子組換え食品(種子植物)の安全性評価基準」によると、食品としての安全性審査における基本的な検討事項は、",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "である。 上記のアレルギーの検定については、アレルギーの素となるアレルゲンの評価として、",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "が、初めに調査される。上記4項目で安全性が判断できないときには、",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "ことにより、評価されている。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "飼料としての安全性審査は、「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律(飼料安全法)」によって規定され、その基準は「遺伝子組換え飼料及び飼料添加物の安全性評価の考え方」に基づいている。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え作物を一般圃場で栽培する前に環境への影響は、カルタヘナ法に基づき、競合における優位性があるか有害物質を産生しないか、交雑性の主に3点から科学的に評価されている。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "それぞれ、「競合における優位性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「有害物質産生性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「交雑性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」と評価されてから、農林水産大臣及び環境大臣より一般圃場での栽培が承認(第1種使用)される。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "なお、花卉などの非食用の遺伝子組換え作物に関しては、カルタヘナ法に基づく第1種使用の承認だけが要求されており、食品としての安全性審査は必要とされない。",
"title": "安全性審査"
},
{
"paragraph_id": 193,
"tag": "p",
"text": "1994年にFlavr Savrが発売された後に、GM作物は、1996年にアメリカで大豆の栽培が始められて以降、着々と普及してきた。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 194,
"tag": "p",
"text": "2015年現在、全世界の大豆作付け面積の83%、トウモロコシで29%、綿で75%、カノーラで24%がGM作物である(ISAAA調査)。特に食生活の変化による肉類消費の増加を背景とした飼料用穀物の需要増加は、害虫、除草剤への耐性が高く、生産性も高いGM作物の需要増加に繋がっている。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 195,
"tag": "p",
"text": "ダイズの栽培面積の拡大に関しては、BSE問題と関連があるとされている。BSEによって家畜飼料として肉骨粉の使用が敬遠され、それに代わるタンパク質源として、ダイズが使用されているからである。その結果、組換え品種の割合の高いダイズの栽培面積が、組換え作物の栽培面積の増加となった。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 196,
"tag": "p",
"text": "その他、トウモロコシの栽培の増加には、バイオエタノール増産と関係があるとされている。アメリカを初め、中華人民共和国やインド、ブラジル、アルゼンチン、カナダなど各国へ普及しており、2006年時点で22カ国で約1億200万 ha栽培され、更に2007年には23カ国で約1億1430万 ha、2008年には25カ国で約1億2500万 ha、2009年には約1億3400万 ha、2010年には1億4800万 ha、2011年には1億6000万 ha、2012年には日本を除く28カ国において1億7030万 haで、2013年には27カ国において1億7520万 haで、2014年には28カ国において1億8150万 haで、2015年には28カ国において1億7970万 haで栽培された(ISAAA調査)。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 197,
"tag": "p",
"text": "2015年において、初めてその栽培面積が減少した主な理由は、2015年の農産物価格の低下と考えられた(ISAAA調査)。ちなみに農林水産省大臣官房統計部によると、2009年の日本の全耕地面積は約460万 haである。また、国際連合食糧農業機関(Food and Agriculture Organization: FAO)によると、2006年の全世界の栽培面積は耕地面積の約14億1171.7万 haと永年性作物の栽培面積の1億4197.6万 haの計15億5369.3万 haであった。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 198,
"tag": "p",
"text": "つまり、2012年には全世界の耕地面積の約12%、耕地面積+永年性作物の栽培面積の約11%において遺伝子組換え作物が栽培されていたことになる。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 199,
"tag": "p",
"text": "2015年の遺伝子組換え作物生産国は、",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 200,
"tag": "p",
"text": "である。なお日本においては、遺伝子組換えバラが商業栽培されている。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 201,
"tag": "p",
"text": "近年の特徴として、複数の形質(stacked traits)が導入された品種の栽培面積が増えてきている(ISAAA調査、USDA調査)。複数の形質とは、複数の除草剤に対する抵抗性や、除草剤耐性と害虫抵抗性などを併せ持つものである。多くの場合、異なった遺伝子が導入された複数の組換え作物を交配して作られている。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 202,
"tag": "p",
"text": "日本は大量の穀類を輸入しており、その相当量は既に遺伝子組換え品種であると推定されている。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 203,
"tag": "p",
"text": "「農林水産物輸出入概況2008年(平成20年)確定値」による主要穀類の日本の輸入量とその輸入相手国は以下の通りである。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 204,
"tag": "p",
"text": "これらの作物の主要輸入相手国は、上記のようにそれらの作物の遺伝子組換え品種の栽培の盛んな国である。よって、日本は遺伝子組換え作物を大量に輸入していると推定されている。その推定値の中には日本の輸入穀類の半量は既に遺伝子組換え作物であるというものもある。日本における自給率は、トウモロコシ、ワタおよびナタネでは0%、ダイズでは7%で、国内需要を海外からの輸入に頼っている。日本への主要輸出国では、これらの作物にGM品種が高い割合で使用されており、日本に輸入されるこれらの農産物の9割程度がGM品種であると推測されている。GM作物の安全性や必要性について、日本国内において広く普及していないとみられるが、経済的貢献は大きく、年間1兆8000~4000億円のGDPを生み出している。",
"title": "世界各国での栽培と輸出入の現状"
},
{
"paragraph_id": 205,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え食品が流通している各国や地域において、遺伝子組換え食品含有に関して表示する義務の有無や規則が異なっている。その中には、「非遺伝子組換え」、「遺伝子組換え不使用」等に相当する表示自体が厳しく規制されている、アメリカやEU内のいくつかの国々もある。そのため、輸出に際しては輸入国の法律や規則に従う必要がある。「非遺伝子組換え」等の表示がある場合や無表示の場合でも、意図せざる混入により少量の遺伝子組換え作物が混入していることがあり、その場合の許される混入率も各国や地域で異なっている。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 206,
"tag": "p",
"text": "日本農林規格等に関する法律(JAS法)(遺伝子組換え食品に関する表示に係る加工食品品質表示基準第7条第1項及び生鮮食品品質表示基準第7条第1項の規定に基づく農林水産大臣の定める基準)(以下、「基準」)及び食品衛生法(食品衛生法施行規則)、現在は食品表示法に基づき、遺伝子組換え農産物とその加工食品について表示ルールが定められ、平成13年4月から義務化されている。なお、酒類に関しての表示の法的根拠は、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律(昭和28年法律第7号。以下「法」という。)第86条の6第1項の規定に基づく国税庁告示による「酒類における有機等の表示基準を定める件」である。それによると、「農林水産大臣の定める基準」の加工食品の規定を準用して、当該酒類の容器又は包装に遺伝子組換えに関する表示をしなければならないことになっている。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 207,
"tag": "p",
"text": "表示義務の対象となるのは、大豆、とうもろこし、ばれいしょ(ジャガイモ)、菜種、綿実、アルファルファ、てん菜(テンサイ)及びパパイヤの8種類の農産物と、これを原材料とし、加工工程後も組換えられたDNA又はこれによって生じたタンパク質を検出できる加工食品33食品群及び高オレイン酸遺伝子組換え大豆と高リシンとうもろこし及びこれを主な原材料として使用した加工食品(大豆油等)等と規定されている。なお、パパイヤに関しては、2011年(平成23年)12月1日より施行された。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 208,
"tag": "p",
"text": "安全性審査の手続きを経た上記の8つの遺伝子組換え農産物以外の農産物(例えば、米や小麦など)及びその加工食品については、「遺伝子組換えでない」「非遺伝子組換え」などの表示はできない。上記の7つの遺伝子組換え農産物以外の農産物はもともと非遺伝子組換えであるため、表示することによってそれがあたかも特別に非遺伝子組換えであるかのような誤解を招かないように表示は禁止されている(食品衛生法施行規則 第二十一条 第五項)。ただし、その農産物について、「現在時点で、小麦やピーナッツの遺伝子組換えのものは流通していません。」などのように遺伝子組換えのものが存在していないことを一般論として表示することは可能である。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 209,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え農産物が主な原材料(原材料の上位3位以内で、かつ、全重量の5%以上を占める)でない場合は表示義務はない。また、加工の際に加える水については計算から除外することとなっている。ただし、原材料の上位4位以下のものや全重量の5%未満であるものに関しても、分別生産流通管理(IPハンドリング:Identity Preserved Handling)が行われていなければ、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をできない。分別生産流通管理に関わる流通マニュアルは農林水産省や「財団法人 食品産業センター」などから公表されている。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 210,
"tag": "p",
"text": "従来のものと組成、栄養価等が同等である遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であって、加工工程後も組換えられたDNA又はこれに由来するタンパク質を、ひろく認められた最新の検出技術によって5%以上検出可能であるものについては、「遺伝子組換えである」旨又は「遺伝子組換え不分別である」旨の表示が義務付けられている(「基準」第3条第1項及び第2項)。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 211,
"tag": "p",
"text": "油や醤油などの加工食品に関しては、組換えられたDNA及びこれに由来するタンパク質が加工工程で除去・分解され、ひろく認められた最新の検出技術によっても検出不可能とされている加工食品については、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、任意で「遺伝子組換えである」旨、「遺伝子組換え不分別である」旨、または「遺伝子組換えでない」旨を表示することは可能である。ただし、表示する場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 212,
"tag": "p",
"text": "上記の8つの遺伝子組換え農産物においては、分別生産流通管理が行われた非遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であれば、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、任意で「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をすることができる。ただし、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。不使用表示の場合、生産から食品の製造までの全段階で、遺伝子組換え作物が混入しないよう施設の洗浄や機器の専用化など分別生産流通管理を適切に行っていれば、5%以下の遺伝子組換え作物の意図せざる混入が許されている。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 213,
"tag": "p",
"text": "分別生産流通管理(IPハンドリング)とは、非遺伝子組換え農産物を農場から食品製造業者まで生産、流通及び加工の各段階で混入が起こらないよう管理し、そのことが書類等により証明されていることをいう。農産物及び加工食品の取引の実態として、分別生産流通管理を適切に行うことにより、最大限の努力をもって非遺伝子組換え農産物を分別しようとした場合でも、生産、流通のそれぞれの段階で非遺伝子組換え原料専用の機械、施設を設置することは現実的に不可能であることから、その完全な分別は困難である。そこで、分別生産流通管理が適切に行われていれば、このような一定以下の「意図せざる混入」がある場合でも、「遺伝子組換えでない」旨の表示が認められている。つまり、分別生産流通管理が行われなかった場合や意図的に組換え農産物を加えた場合は、たとえ5%未満の混入であっても不使用表示はできない。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 214,
"tag": "p",
"text": "パパイヤに関してはハワイでの出荷段階で個々の果実に表示シールが貼られる予定である。国内での加工がある場合には表示義務に応じた表示がなされる。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 215,
"tag": "p",
"text": "従来のものと組成、栄養価等が著しく異なる遺伝子組換え農産物(高オレイン酸遺伝子組換え大豆や高リシンとうもろこし等)及びこれを原材料とする加工食品については、JAS法に基づき、組換えられたDNAやタンパク質を検出不可能であっても、「高オレイン酸遺伝子組換え」である旨又は「高オレイン酸遺伝子組換えのものを混合」したものである旨の表示が義務付けられている。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 216,
"tag": "p",
"text": "PCRなどの検出感度の高い検査法では、混入率0.01%程度でも陽性反応が出る。そのため、現在までに行われた多数の調査では、多くの「遺伝子組換え不使用」表示食品からも遺伝子組換え食品の混入が検出されているが、5%を超える混入はなかった。その混入率は、概ね0.1%未満-1.2%程度であった。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 217,
"tag": "p",
"text": "バイテク情報普及会によると諸国の表示や規則は次のようになる。",
"title": "遺伝子組換え食品の含有の表示"
},
{
"paragraph_id": 218,
"tag": "p",
"text": "組換え作物に由来する資材を有機栽培に利用することは本来はJAS規格で禁止されている。しかし、飼料の多くを組換え作物に依存している現実を無視できず、また産業廃棄物の有効利用という面を重視して現状では許可されている。その他、現在、組換え作物の栽培と慣行農法や有機栽培と共存(co-existence)させるためのルール作りがEUを中心に進められている。",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 219,
"tag": "p",
"text": "上記の節のように日本は大量に遺伝子組換え作物を輸入している。その結果、遺伝子組換え作物に由来する家畜の糞尿などの大量の畜産廃棄物が発生している。畜産廃棄物や油粕などの産業廃棄物は有機質肥料の原料として用いられることもある。「有機農産物の日本農林規格」によれば、本来は種苗や防除資材や肥料などに組換えDNA技術を用いたものを利用できない。しかし、特例として遺伝子組換え作物から油を絞った油粕や、飼料として用いた結果生じた糞尿をもとに作った有機質肥料である堆肥を有機栽培に用いることは、現状では許可されている。堆肥に関しては、組換えDNA技術を用いていないものの入手やその確認が困難であることを理由に、「有機農産物の日本農林規格」の「附則(平成18年10月27日農林水産省告示第1463号) 抄」において、",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 220,
"tag": "p",
"text": "と明記されている。",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 221,
"tag": "p",
"text": "また、「有機農産物及び有機加工食品のJAS規格のQ&A」の「(問15-4) 遺伝子組換え作物に由来する堆肥の使用は認められますか。」の回答としても、",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 222,
"tag": "p",
"text": "と解説されている。",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 223,
"tag": "p",
"text": "組換え作物の栽培が各国で年々拡大している。そこで、消費者と農家の「選択の自由(Freedom of Choice)」を保障するために、組換え作物の栽培と他の慣行農法や有機栽培との共存のための規制作りがEUを中心に各国で進められている。EUにおける規制の指針は作成されたが、その規制の実施方法に関しては各国で対応が異なっている。",
"title": "遺伝子組換え作物と有機栽培"
},
{
"paragraph_id": 224,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え作物(GM作物)については、強く推進する者がいる一方、健康や環境に悪影響があるのではと不安を抱く者も多く、イギリスなどの一部の国では、商業目的でのGM作物栽培が行われていない。GM作物を否定する者と肯定する者の間で、その影響について論争が起きている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 225,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え作物の生態系への影響を含めた評価をする上で重要なことは、何と比較するのかということを明確にすることである。細胞融合や種間交雑、変異体育種、古典的交配を含めた従来の手法によって育種された品種や、慣行農法(慣行栽培)や有機栽培や自然農法との比較を行い、様々な観点からの評価を遺伝子組換え作物に対して総合的に行う必要がある。日本においてはセイヨウアブラナであるカノーラのこぼれ種の発芽や他のアブラナ属植物との交雑、ダイズに関しては自生している野生種(原種)であるツルマメとの交雑の可能性が指摘され、様々な調査がなされている。なお、日本には、トウモロコシと交雑可能な野生植物は存在しないため、組換えトウモロコシを日本で栽培した場合、組換えトウモロコシによる野生種への遺伝子汚染の問題はない。そこで、カノーラとダイズの交雑問題について記述した。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 226,
"tag": "p",
"text": "本来、組換え作物が持っていて野生植物が持っていない形質が、組換え作物の花粉の飛散等によって近縁の植物との間で交雑して、拡散してしまう可能性がある(遺伝子汚染)。そのため、組換え作物においても生態系への影響として、組換え品種と在来種や野生種との交雑の危険性があげられることがある。ただし、在来種や野生種との交雑に関しては、組換え品種のみではなく伝統的手法で育種された品種でも同様の問題を含んでおり、組換え品種にのみ限定された問題ではない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 227,
"tag": "p",
"text": "組換え作物と在来種や野生種との交雑を防ぐ手法の一つとして、花粉を作らない雄性不稔の形質が求められている。その他の解決法として、葉緑体などのプラスチド(plastid)やミトコンドリアのゲノムは基本的に母系遺伝のため、花粉を通して拡散しないという性質を利用することもある。すべての植物の形質転換に利用できるわけではないが、プラスチドのDNAに目的の外来DNAを相同組換えによって導入してプラスチド内で発現させる訳である。これをプラスチド形質転換という。このようなプラスチド形質転換植物の外来DNAは形質転換植物自身に結実した種子を通してのみ後代に伝達されるため、花粉を介した遺伝子拡散を回避できる。その他、自家受粉するイネやダイズなどの作物においては、閉花受粉性を利用する試みが進んでいる。閉花受粉性とは、開花せずに同一の花の雄蕊の花粉によって雌蕊が受粉する性質である。この性質を利用できれば、花粉を介した遺伝子拡散の可能性を低減できる。現在では利用されてはいないが、いわゆる「ターミネーター技術」を利用すれば遺伝子拡散を防ぐことができる。その他にも種子や花粉特異的に発現する遺伝子のプロモーターによって配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用して導入遺伝子を花粉や種子から除去する遺伝的改変遺伝子除去技術(genetically modified gene deletor)などの利用が考えられる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 228,
"tag": "p",
"text": "更に、組換え品種を大量に栽培すると遺伝的多様性が失われるのではないかという懸念も、組換え品種特有の問題ではなく、在来品種においても少数の品種の大規模栽培に伴う問題である。農業も産業である以上、経営上有利である高品質で低コストなどの競争力の高い品種が現れれば、遺伝子組換え作物に限らず栽培が広がる。その過程で競争に敗れた品種は淘汰される。しかし、野生種や競争力の低い旧来の品種にも重要な遺伝子やゲノム構造が存在しているため、その維持・保存は重要である。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 229,
"tag": "p",
"text": "一方、遺伝的多様性を維持していく上で、遺伝子組換え技術は大いに役立つという意見もある。その意見は、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 230,
"tag": "p",
"text": "という考えに基づいている。つまり、在来品種に遺伝子組換え技術によって有用な遺伝子を導入し競争力を高めることにより、在来品種のゲノム構造が残りやすくなるという意味である。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 231,
"tag": "p",
"text": "カノーラの輸入港の近辺や菜種油工場の近辺、更にそこに至る沿道では遺伝子組換えカノーラの自生が確認されている。2015年度(平成27年度)の調査では、ナタネ類の日本の輸入港18港のうち、10港の周辺で組換え遺伝子を持つものが、ナタネ類1215個体中から130個体見つかった。その調査においては、カラシナ又は在来ナタネと遺伝子組換えカノーラとの交雑体は発見されなかった。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 232,
"tag": "p",
"text": "その他のアブラナ属作物との交配に関しては、栽培されている作物は雑種第一代であり、その他、品種の純粋性を保つために、種子を栽培農家が毎年購入しているので、アブラナ属作物に遺伝子組換え品種の形質が導入される可能性は低い。なお、現在、輸入されているカノーラの種はBrassica napus(セイヨウアブラナ)であり、複二倍体の種であるためそのゲノム構成はAACC (2n = 38)である。日本で栽培されている多くのアブラナ属作物はBrassica rapa(ゲノム構成: AA, 2n = 20)かB. oleracea(ゲノム構成: CC, 2n = 18)かB. juncea(ゲノム構成: AABB, 2n = 4x = 36)であり、カノーラとの交雑も報告されているが、同種間に比べ交雑と発芽の可能性は低く、また交雑したものの稔性も低い。しかし、野生化しているB. rapaと遺伝子組換えカノーラとの交雑した植物体(ゲノム構成: AAC, 2n = 3x = 29)の自生も確認されている。なお、日本で栽培されているB. napusはセイヨウアブラナ、芯摘菜、かぶれ菜、のらぼう菜、三重なばな、などである。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 233,
"tag": "p",
"text": "ダイズ(Glycine max)の原種であるツルマメ(G. soja)は、日本を含む東アジアやシベリアで自生している。ツルマメもダイズも閉花受粉による自家受粉性の強い植物であるが、ツルマメとダイズは交雑可能である。そのため、組換えダイズを東アジアで栽培すると導入遺伝子がツルマメに拡散する可能性が指摘された。そこで、どの程度の交雑頻度であるのかを調べる定量分析が行われた。ダイズとツルマメが絡みつくくらいに混植した混植区と2 m, 4 m, 6 m, 8 m, 10 m離して植えた距離区が設定、供試された。また、花期の異なる組換えダイズ品種を複数種類用いると共に、播種時期をずらして、できるだけツルマメと組換えダイズの花期を合わせるようにした。そしてツルマメに結実した種子のみを回収して解析した。その結果、混植区では、25,741個体中、交雑個体は35個体であり、また、距離区(66,671個体)においても、遺伝子組換えダイズから2 m、4 m、6 mの距離区での交雑個体はそれぞれ1個体、8 m、10 mの距離区では交雑個体は認められないという結果になった。このことから、意図的に交雑頻度を上げるような操作を行っても、組換えダイズとツルマメの交雑は極めて低頻度であることがわかり、通常の栽培条件では更に低頻度になることが予想された。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 234,
"tag": "p",
"text": "生態系に与える他の影響として、Btトウモロコシの花粉がトウモロコシ畑の近傍の有毒雑草であるトウワタにかかり、それを食草とする蝶・オオカバマダラの幼虫の生育を阻害して生存率を下げたという報告が有名である。この論文は、実験室内でトウワタの葉にBtトウモロコシ、トウモロコシ栽培品種の花粉をかけたものとかけなかったものを餌としてオオカバマダラの幼虫を飼育して経時的に体重と生存率を測定したものである。その際に、トウワタに散布した花粉の密度が、\"Pollen density was set to visually match densities on milkweed leaves collected from corn fields.\"と非定量的であるにもかかわらず、体重変化や生存率を定量的に示したという問題点を含んでいる。著者らが、\"it is imperative that we gather the data necessary to evaluate the risks associated with this new agrotechnology and to compare these risks with those posed by pesticides and other pest-control tactics.\"と述べているように、Btトウモロコシの栽培と慣行栽培によるリスク評価の比較を行うことは重要である。すなわち、殺虫剤の散布に伴う生態系への影響や残留農薬、食害に伴う微生物汚染などのリスクとBtトウモロコシのリスクを比較する必要がある。たとえば、慣行農法によって殺虫剤をまくことによって害虫以外への影響とBtトウモロコシの栽培による影響を相互比較した場合、どちらが生態系への影響が大きいかを検定することなどである。なお、Bt toxinを生産させるための発現カセットのプロモーターを花粉で発現しないものにすることにより、花粉に含まれるBt toxinの量は激減させることができる。MON80100やMon809などのように、Btタンパク質が花粉中にはほとんど含まれないが他の組織には含まれるトウモロコシ組換え品種などがその例である。なお、全ての組織で強く発現するとされるCaMV 35sプロモーターやその改変したもの、他のウイルスのプロモーター、ユビキチン、熱ショックタンパク質類似タンパク質の遺伝子のプロモーターなどがBt toxin生産に使用されている組換え品種でも、花粉中にはBt toxinはほとんど含まれていない。また、全組織で強く発現するとされるプロモーターを用いた場合でも、得られた形質転換植物の系統の中からBt toxinを花粉では生産しない系統を選択することでも避けられる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 235,
"tag": "p",
"text": "なお、国内外の大学の生物学の教科書として広く利用されている「キャンベル生物学」において、この論文や論争については以下のように記載されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 236,
"tag": "p",
"text": "このようにこの論文の評価はほぼ定まっている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 237,
"tag": "p",
"text": "除草剤に耐性を持った遺伝子組み換え作物が幅広く普及した要因の一つには、単一の薬剤を一度使用するだけで雑草を一挙に取り除ける事から手間もコストも環境負荷も従来より低減するという利点があると考えられている。しかし、複数の除草剤を使い分けていた従来の手法と違い、単一の除草剤だけに頼った事で雑草の側が容易に除草剤への耐性を獲得してしまい、除草剤が効果を発揮しづらくなる事例が増加している。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 238,
"tag": "p",
"text": "雑草の耐性獲得を防ぐ為には、遺伝子組み換え作物とそれに対応した単一の除草剤ばかりを使用せずに、輪作・耕作・耕起・複数の除草剤の使用といった、従来の手法を組み合わせる必要があるが、そのような従来の手法に回帰すればするほど、手間、費用、環境負荷といった、遺伝子組み換え技術の利点が失われると指摘されている。(→ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題)",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 239,
"tag": "p",
"text": "組換え品種を開発した企業が、種子の支配を通じて食料生産をコントロールすることにつながるのではないか、という懸念が出されている。多くの場合、組換え種子の販売会社と生産農家は、収穫した種子の次回作への利用を禁止する契約を結んでいる。更に、組換え種子を毎作毎に農家に購入させるための手法として、一時期、結実はできるが得られた種子から発芽できないようにする、いわゆる「ターミネーター技術」が導入された組換え品種の開発が行われたが、批判も多く、現在、販売されているものの中にはない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 240,
"tag": "p",
"text": "F1品種の多いトウモロコシなどを除き、カノーラやダイズの組換え品種に関しては農家による自家採種によって違法増殖され紛争になることがある。上記のラウンドアップ耐性作物を開発・販売しているモンサント社は農家の農家の自家採種に対して「特許侵害」として数多くの訴訟を起こしており、これに反発する農家も存在する。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 241,
"tag": "p",
"text": "その他、農家による自家採種には、経済的な側面以外にも、Bt toxin生産作物などの害虫抵抗性品種に関してはBt toxin抵抗性害虫の出現を助長するという重大な問題を含んでいる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 242,
"tag": "p",
"text": "その他の経済問題として、組換え作物の方が収量が低いという指摘がある(Benbrook reportsなど)一方、逆に組換え作物の方が収量が高く経済的にも有利であるという報告もある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 243,
"tag": "p",
"text": "1995年から2014年3月までの組換え作物の経済問題に関する147報の研究報告を基に組換え作物の経済問題に対する包括的なレビューが報告された。それによると様々な形質を持つ組換え作物(主に害虫抵抗性トウモロコシとワタ、除草剤耐性ダイズとトウモロコシとワタ)の結果を纏めた結果として、収量は21.6%増加、農薬使用量は36.9%減少、農薬費用は39.2%減少、全生産費用は3.3%増加、農民の利益は68.2%増加することが判明した。更に害虫抵抗性と除草剤抵抗性作物に分けて解析すると、害虫抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は38.97%減少、農薬費用は39.45%減少、全生産費用は3.94%増加、農民の利益は60.01%増加することが、除草剤抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は6.02%減少、農薬費用は36.21%減少、全生産費用は5.51%減少、農民の利益は56.48%増加することが明らかになった。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 244,
"tag": "p",
"text": "毎作毎に種子を購入する必要性を通じて、開発した種苗会社による種子の支配が強化されるという批判がある。これは、農民には収穫した種子の一部を次回作に利用する権利があり、それを侵害することになるという意見である。しかし、これは、組換え品種に限定された問題ではない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 245,
"tag": "p",
"text": "現代農業では、交雑による雑種第一代が栽培されている。F1品種に実った種子はF2世代であり、F2世代は遺伝的に不均一であるため、F2世代は栽培可能ではあるが、F2世代を栽培すると様々な表現型の植物の雑多な集団となってしまう。そのため、栽培管理上著しく不利になってしまう。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 246,
"tag": "p",
"text": "そこで、F1品種を栽培する場合、安定して同一形質の作物を得るためには、毎作毎に種子を購入しなくてはならない。更に、F1品種でなくても自家採種した種子は、遺伝的な純粋性の問題、病原菌汚染や種子の品質の問題、その品種名を名乗って販売する場合の種苗法の問題があり、多くの農家が種子を種苗会社から購入している現状がある。つまり、特定企業による種子の支配の問題は、遺伝子組換え品種に特有の問題ではない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 247,
"tag": "p",
"text": "一方、この意見に対する反論もある。従来の交配や突然変異による育種において優良な品種を開発するためには、扱う材料が膨大で、人員や時間が大量に必要で費用がかかる一方、優良な品種が得られる確率が低かった。それに対して、遺伝子組換え育種では、アイデアさえよければ比較的短期間・低コストで優良な品種を育種できる確率が高いために、小資本のベンチャー企業や小規模な研究機関でも組換え品種の開発に参入できた。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 248,
"tag": "p",
"text": "ただし、組換え品種を開発すること自体は比較的容易であっても、それを商品化して上市するためには安全性審査に合格する必要がある。安全性審査には多額の費用と時間がかかるために、小資本のベンチャー企業や中小資本の種苗会社や中小研究機関にはその余裕がなく、それに耐えられる大資本の種苗会社に企業ごと買収されたり、特許を売却したりすることにつながった。つまり、遺伝子組換え品種に対する規制の強化の結果として、大資本の種苗会社による寡占化が進んだという解釈も成り立つ。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 249,
"tag": "p",
"text": "その他、組換え品種の多いトウモロコシ、ダイズ、ワタ以外の果樹や野菜やバイオ燃料用作物においても、様々な形質の組換え品種が開発されているが、それらの多くは商業化されていない。その理由としても、同様のことが指摘されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 250,
"tag": "p",
"text": "更に、別の問題によって寡占化が進んでいるという指摘もある。日本で組換え食品の安全性審査を多数の申請業務を経験しているのは数社の大手企業だけであり、それらの会社では申請のノウハウが蓄積され、提出文書も改善されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 251,
"tag": "p",
"text": "しかし、例えば、ウイルス抵抗性パパイヤの安全性審査の申請を行ったハワイパパイヤ産業協会などのように、食品安全委員会に組換え作物・食品の商業利用申請を出すことが今後少ないであろう小企業や大学などは、食品や環境への安全性審査に多大な時間と経費を要し、そこで得たノウハウをさらに活用する機会が少なければ、商業化への意欲も低下し、ひいては研究・開発活動自体が停滞・縮小していくとも考えられる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 252,
"tag": "p",
"text": "農作物の生育には、地域の気候や土壌との適合性が重要である。このため、多国籍種苗会社といえどもすでに実績のある種苗を輸出するためには、その種苗に適した類似の気候や土壌の地域に限られる。既存の品種に適さない気候帯や土壌特性の地域に輸出した場合は期待通りの収穫は得られない。そこで、現地で新たな品種を育種しなければならない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 253,
"tag": "p",
"text": "ところが、進出するに当たり問題になるものは知的財産法制度である。知的財産法制度は各国固有のものであるために、種苗に対する知的財産権保護の制度やその実効性は国や地域によって異なる。例えば、米国では特許を得ている種苗などの知的財産であったとしても、仮に外国で保護の対象とされていなければその国内での増殖は違法ではないし、特許権ではなく種苗育成者権でしか保護されていなければ、その種苗を用いた新品種の育種も違法ではない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 254,
"tag": "p",
"text": "そのため、知的財産法制度やその実効性が乏しい国や地域に、多国籍種苗会社は進出しにくくなるとも考えられる。しかし、知的財産法制度の整備よりも、実際には\"進出企業数が可耕面積と公的種苗販売者数に正の相関を持つという結果は,利潤に敏感な多国籍種苗企業の行動を端的に示すものであろう。\"という解析が出ている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 255,
"tag": "p",
"text": "更に、作物や品種によって種苗会社の知的財産権保護の実効性が異なる。トウモロコシの雑種第一代のように、毎作毎にF1種子を購入しなくてはならない品種の場合は、種苗会社の知的財産権は比較的守られることになる。一方、コメやコムギやダイズのように、優先的に自家受粉するため遺伝子座のホモ接合性の高い作物の固定された品種では、実った種子が親と同じ遺伝形質を持つので、ジャガイモやイチゴのように、栄養繁殖するものと同様に違法な増殖を防ぐ実効性が乏しくなる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 256,
"tag": "p",
"text": "事実、アルゼンチンで栽培されていたモンサントが育種した遺伝子組換えダイズ(ラウンドアップレディー・ダイズ)のほとんどが、違法に増殖されていたものであること(\"モンサント・アルゼンチン社の広報担当者によると,同国で撒布された大豆種の18%しか合法な種でないという(La Nacion, 2004年1月20日)。\", p.72-73)が報告されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 257,
"tag": "p",
"text": "このことは、種苗会社の知的財産権が守られやすいF1作物やその組換え品種を好んで育種するというように、種苗会社がどのような作物を選択して育種するのかということにも関係してくると考えられる。また、違法増殖があった場合には、多国籍種苗会社が種子の販売を停止する場合がある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 258,
"tag": "p",
"text": "例えば、前述の違法に組換えダイズを大量に栽培していたアルゼンチンに対して、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 259,
"tag": "p",
"text": "と報道(p. 52, 右 5-14行)された。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 260,
"tag": "p",
"text": "このような行為を「企業による種子の支配」ととらえるか、侵害された知的財産権を回復するための「正当な行為」ととらえるか、意見が分かれる。なお、ラウンドアップレディー・ダイズに対する特許料支払いに関しては、アルゼンチン政府とモンサントだけではなく、アメリカ合衆国連邦政府も巻き込んで、2005年以降も交渉がもめており、知的財産権の国際的な紛争解決の困難さを示している。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 261,
"tag": "p",
"text": "1998年、カナダモンサント社はカナダ、サスカチェワン(Saskatchewan)州の農民、パーシー・シュマイザー(Percy Schmeiser)の農場でラウンドアップ耐性ナタネ(カノーラ: canola)が無許可で栽培されていることに対し特許権侵害で訴訟を起こした。シュマイザーは種子に特許が存在しないこと、農場のナタネの9割以上がラウンドアップ耐性ナタネになっていたのは意図的に栽培したのではなく周辺で栽培されているラウンドアップ耐性ナタネによる「遺伝子汚染」の結果であると主張した。しかし、交雑等の可能性があっても約400 haに植えられたナタネの95-98%のナタネがラウンドアップ耐性ナタネになることは現実にはあり得ないとしてカナダ最高裁はモンサント社に対する特許侵害を認めた。下級審の判決を妥当としシュマイザーは敗訴した。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 262,
"tag": "p",
"text": "まず、カナダ連邦裁判所が2001年3月29日に下した判決では、シュマイザーがラウンドアップを噴霧器で自ら噴霧してラウンドアップ耐性ナタネを意図的に選択して増殖し、栽培したことを認定した。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 263,
"tag": "p",
"text": "また、2002年9月4日のカナダ連邦控訴裁判所の判決においても、シュマイザーの控訴事由を三人の判事が全員一致で全て退けた。2004年5月21日にカナダ最高裁判所によって下された判決においても、シュマイザーは敗訴した。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 264,
"tag": "p",
"text": "種子に対する特許が認められたことに対しカナダの市民団体と生産者団体は強く反発している。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 265,
"tag": "p",
"text": "シュマイザーは自らを遺伝子汚染の被害者として、遺伝子組換え作物反対派と共に日本国内でもたびたび反対活動を行っている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 266,
"tag": "p",
"text": "イ ンドでは2002年から遺伝子組換えBtワタが導入され、その栽培面積は急激に広がっている。緑の革命に対する批判者としても、遺伝子組換え食品反対派としても国際的に著名なインドの環境活動家であるヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva)らは、「インドにおいて遺伝子組換 えBtワタの種子の導入はコストを80倍にし、農民を借金漬けにして自殺に追い込んだ。27万人以上のインドの農民が高価な種子と農薬による借金のために 自殺した。そして大部分の自殺はワタ栽培地帯に集中している。」と主張している。しかし、別の調査によれば、遺伝子組換えBtワタがインドに導入される以前の1997年から大幅に栽培面積が増加していった2007年にかけて10年間のインドの農民の自殺数にほとんど変化は認められず、自殺数と遺伝子組換えBtワタの栽培面積の間に相関も見いだせなかった(インドの農民の年間自殺数とBtワタ栽培面積の変化のグラフ)。このことから「ネイチャー」は2013年の5月2日号で、シヴァらの主張は誤りであるとした。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 267,
"tag": "p",
"text": "宗教上やその他の信念により遺伝子操作自体を忌み嫌う人も存在し、反対活動を行っている。一方、ゴールデンライスのように人道的なものにまで反対することに対しては反発もある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 268,
"tag": "p",
"text": "ビタミンA欠乏症を解消することは世界保健機構(WHO)や国際連合児童基金(UNICEF)においても主要目標である(A Strategy for Acceleration of Progress in CombatingVitamin A Deficiency)。WHOによると、 推定2億 5千万人の未就学児がビタミンA欠乏症であり、ビタミンA欠乏地域では多数の妊婦もビタミンA欠乏症である。そして、推定25万人から50万人の子供たちが毎年、ビタミンA欠乏症で失明し、その半数が一年以内に死亡している。そのような子供たちは南アジアや東南アジアの都市部のスラムに住む貧困家庭に多い。ビタミンA欠乏症を解消するために、主食であるコメにビタミンAの前駆体であるβ-カロテンを含むようにしてビタミンA欠乏症を緩和しようと育種されたものがゴールデンライスである。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 269,
"tag": "p",
"text": "このゴールデンライスに対しても反対する遺伝子組換え食品反対派はいる。前述のヴァンダナ・シヴァの主張は、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 270,
"tag": "p",
"text": "と紹介されている。この主張に対しては、リンゴはビタミンAの供給源としては不適切であるという栄養学的な反論と、貧困家庭の人々がバランスが良い食事がとれないためにビタミンA欠乏症に陥っているという現実を無視しているという反論がなりたつ。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 271,
"tag": "p",
"text": "また、ヴァンダナ・シヴァの主張の中には、色素米や茶米には多量のビタミンA前駆体が含まれているのでゴールデンライスを開発する必要がないというものがある。しかし、玄米には極僅かのβ-カロテンが含まれるために痕跡量のレチノール当量のビタミンA活性があるがビタミンAの供給源としては不適切であり、精米された白米にはないといって良い。赤米の色素はタンニン系であり、黒米の色素はアントシアニン系である。つまり、ビタミンAに変換されるカロテノイド系の色素ではないため、赤米や黒米はたとえ玄米であったとしてもビタミンAの供給源にはならない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 272,
"tag": "p",
"text": "この様なゴールデンライスに対する反対に対して、ゴールデンライスの開発者(Ingo Potrykusら)や推進派の中には、人道に反すると反発する考えもある。また、ゴールデンライス導入の遅れに伴うビタミンA欠乏症に関係する健康被害にゴールデンライスの反対派は責任をとるべきである、という意見もある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 273,
"tag": "p",
"text": "などを根拠に安全性を保障する実績がないとして忌避する意見も根強い。しかし、従来の非GM作物であっても100%の安全性証明がなされているわけではなく、暗黙のうちに「危険性」が許容されている。また、「種の壁」は一般に信じられているほど強固なものではなく、遺伝子の水平伝播や雑種形成も知られていることなどを考えるべきで、一般的に行われている品種改良を無視して、GM作物だけを問題視するのは公正とはいえない。GM作物の安全性については「実質的同等性」の概念に基づいた議論が重要である。ヒトのタンパク質消化において大部分はアミノ酸にまで分解されてから吸収されるため、よほどでない限り遺伝子組換え作物によって変化したアミノ酸配列の僅かな違いが消化・吸収に大きな影響を与えるとは考えにくい。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 274,
"tag": "p",
"text": "事実、様々な組換え作物と非組換え作物を飼料として多くの家畜に投与し、様々な生化学的、生理学的、組織学的差異を調べる大規模な研究を行ったが、如何なる有意な差異を見いだせなかったという包括的なレビューを欧州食品安全機関(European Food Safety Authority: EFSA)が発表している。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 275,
"tag": "p",
"text": "また、組換え食品は解放系での栽培や上市されるまでにさまざまな安全性審査を受けて、それに合格したものである。一方、組換え作物の比較対象となる在来品種は、組換え作物が受けるような安全性審査を経たものはほとんどなく、その安全性は組換え作物に比べ未知数であるという解釈も成り立つ。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 276,
"tag": "p",
"text": "以下の節でいくつかの特記すべき事例について論じる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 277,
"tag": "p",
"text": "ある種の組換え作物の方が食品としての安全性が高いという報告がある。これはBt toxinを発現しているトウモロコシYieldGardの方が野生型の栽培種に比べ含有しているカビ毒(mycotoxin)量が数倍から20倍程度少ないというものである。昆虫などによって摂食された傷口からカビが侵入し繁殖するため、Bt toxinを発現していると摂食されにくくなるためカビ毒が大幅に減少したと考えられている。カビ毒には発ガン性や女性ホルモン活性などを有し、様々な疾患を引き起こすものがあることが知られている。このように現在判明している食品としての安全性検査ではある種の組換え作物の方がむしろ有利であるとの解釈も成り立つ。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 278,
"tag": "p",
"text": "ダイズ種子の貯蔵タンパク質のアミノ酸組成では、含硫アミノ酸であるメチオニンやシステインが少ない。そのため、ダイズ・タンパク質の有効利用率を表すプロテインスコアやアミノ酸スコアが低い。そこで、ダイズ種子にメチオニンやシステイン含量の高いタンパク質を蓄積させてタンパク質有効利用率を向上させようという研究が行われた。メチオニン残基が18%、システイン残基が8%と高含量で含まれているため、蓄積させるタンパク質としてブラジルナッツ(Bertholletia excelsa)の2S アルブミン(S: 沈降定数、Svedberg単位)が選ばれた。ただし、既にブラジルナッツなどのナッツ類に対するアレルギーが知られていた。主要なアレルゲンとして分子量9 kDaの2S アルブミンと42 kDa タンパク質、その他の複数のアレルゲンとなるタンパク質があることが判明している。遺伝子組換え作物は、上市される前に安全性審査を経なければならず、その中にはアレルギー試験も含まれている。その審査過程で、ブラジルナッツ 2S アルブミン蓄積ダイズは、一部のブラジルナッツ・アレルギー患者にアレルギーを誘発する可能性があることが判った。一部のブラジルナッツ・アレルギー患者由来の血清中の免疫抗体IgEは、形質転換ダイズ中の9 kDaのブラジルナッツ 2S アルブミンやその前駆体と抗原抗体反応を起こすことが判明した。また、ブラジルナッツ・アレルギー患者に対するアレルギー試験の一種である皮膚プリックテストにおいても同様の結果が得られた。この結果を受けて、この形質転換ダイズの上市は中止された。植物に遺伝子を導入する以前に遺伝子産物に対するアレルギーの確認が可能であったにもかかわらず、商品化の過程の安全性審査で判明したことに問題がある。この件は、導入される遺伝子の産物に対する事前の細心の注意が必要であることと、安全性審査が有効に機能したことを示している。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 279,
"tag": "p",
"text": "2000年9月以降、アメリカにおいて食品としては未認可であるが飼料としてのみ認可された組換えトウモロコシであるスターリンク(Starlink)(系統名: CBH351)が食品からも検出された事件である。食品としても飼料としても未認可であった日本においても食品から検出された。そのため、大規模な回収騒動が生じた。スターリンクはアグレボ社(事件当時はアベンティス(Aventis)社、現在のバイエルクロップサイエンス社)が開発したものであり、除草剤であるビアラホスに耐性が付与されるとともにBt toxinとしてCry9C(アミノ酸配列)を生産している。Bt toxinには様々な種類があり、そのアミノ酸配列や殺虫スペクトルは異なっている。Bt toxinを生産する組換え作物は様々あるがCry9Cを生産するものが飼料としてのみ認可された理由は、アレルゲンとなる可能性が考慮されたからである。Cry9Cはペプシンやトリプシンに対して安定であり、90°Cで10分間安定であった。そこで、調理や消化後も安定であると考えられ、免疫系と反応する可能性が指摘された。一方、既知のアレルゲンとはアミノ酸配列の配列類似性は低かった。タンパク質としての安定性を重視した結果、飼料としてのみスターリンクは認可された。スターリンクのBt toxinのアレルゲン性は低いことがのちに判明した。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 280,
"tag": "p",
"text": "この事件の教訓として、隔離栽培の厳守とモニタリングの必要性、飼料としても食料としても利用される作物は厳密に管理されていてもある程度の混入は不可避であるため飼料としてのみではなく食品としても認可されたものを上市する必要性、がある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 281,
"tag": "p",
"text": "モンサント社のニューリーフ・ポテトはアメリカの環境保護局(U.S. Environmental Protection Agency: EPA)に農薬として登録された。しかし、日本では農薬としては登録されていない。ニューリーフ・ポテトBT-6系統やSPBT02-05系統とはBacillus thuringiensisの結晶性殺虫タンパク質(Bt toxin)の種である一種であるCry3Aを生産してコロラドハムシ(Colorado potato beetle, Leptinotarsa decemlineata)というジャガイモの害虫に抵抗性を持たせたジャガイモのことである。付け加えて、更にある種の植物ウイルスに抵抗性も持たせたニューリーフ・プラス・ポテトやニューリーフY・ポテトの系統も存在する。ニューリーフ・ポテトにおいて生産されているBt toxinであるCry3Aは哺乳類に対する安全性が確認されたタンパク質であり、ニューリーフ・ポテトに関する安全性は様々な安全性試験によって確認されている。農薬を使い害虫駆除をするようなこととは違い、ポテト自体に害虫を殺す作用があるという理由で、ポテト自体が通常の農薬としてEPAに登録された。なお、ニューリーフ・ポテトと同様にBt toxinを生産しているトウモロコシやワタの複数の系統が組換え作物として認可されており、これらにもニューリーフ・ポテトと同様に作物自体に害虫を殺す作用があるが、これらは農薬として登録されたことはない。なお、害虫抵抗性植物に含まれる殺虫活性物質とその生産に必要な遺伝物質(PIPs: Plant-Incorporated Protectants)に対する現在のEPAの方針は、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 282,
"tag": "p",
"text": "と公表されているように、EPAは植物の生産する殺虫タンパク質と遺伝物質を規制しているが、それを生産する植物自体を規制してはいない。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 283,
"tag": "p",
"text": "遺伝子組換え食品の安全性審査においては、急性および亜急性毒性の審査しかしていない、多世代にわたって給餌した際の安全性を調べていない、という批判がある。そこで、ラウンドアップレディー・ダイズの安全性に関しては、多世代の動物飼育における給餌実験によって試験された。例えば、サウスダコタ大学のグループは4世代にわたってマウスにラウンドアップレディー・ダイズを給餌しても、何ら悪影響を見いだすことができなかった、と報告した。また、東京都の健康安全研究センターも2世代にわたるラットへの給餌試験を行ったが何ら有意差を見いだせなかった。同様な研究は多数行われている。2-4世代にわたる多世代飼育実験の世代数が十分かどうかについては異論があるかもしれないが、これらの実験においては少なくともこの世代数では有意な危険性を検出できなかったといえる。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 284,
"tag": "p",
"text": "一方、健康への影響例としてよく挙げられるものに「遺伝子組換えジャガイモを実験用のラットに食べさせたところ免疫力が低下した。」と世間に大きな衝撃を与えたレポート(パズタイ(Pusztai)事件)がある。1998年8月10日、スコットランドのアバディーン(Aberdeen)のロウェット研究所(Rowett Research Institute)のパズタイ(Arpad Pusztai)が、英国のテレビ番組で、組換えジャガイモにより、ラットに免疫低下などがみられたと公表した。論文は1999年のLancetの10月16日号まで公表されず、主張の妥当性を検証できない状態であったにもかかわらず、一部の間ではさも真実であるかのように受け取られ大騒ぎになった。しかし、公表された論文からは実験そのものがずさんであり、パズタイの主張には無理があることが判明した。使用した遺伝子組換えジャガイモが安全性が確認され商品化されているジャガイモとは全く別なレクチンという哺乳動物に対し有害な作用を持つタンパク質を作る遺伝子を組み込んだ実験用ジャガイモであり、有害な遺伝子を組み込んだ遺伝子組換え作物は有害だったと当たり前の結果が出たに過ぎない。この実験は、マツユキソウの殺虫活性のあるレクチン(GNA)を生産する組換えジャガイモ、親株のジャガイモにレクチンを注入したもの、親株(母本)のジャガイモ、を生のままものと茹でたものに分け、6頭ずつのラットに10日間与えて消化管を調べたところ、炎症や免疫の低下が組換えジャガイモを飼料としたものにみとめられたというものである。なお、レクチン(GNA)を注入されたジャガイモは、遺伝子組換えジャガイモの親株(母本)とは、かなり組成の異なるものであったという報告もある。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 285,
"tag": "p",
"text": "この実験には栄養学的な問題や検定数が少ないという問題以前に実験の設計段階での欠陥として、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 286,
"tag": "p",
"text": "という点が挙げられる。実験設計の不備のため、この実験によって遺伝子組換え自体によって危険性が増すという結論を導き出すことはできない。この論文に関しても、社会的な問題が大きいから論文の内容にかかわらず掲載することにしたという異例の編集者の意見が明記されて掲載された経緯がある。それには以下のように記されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 287,
"tag": "p",
"text": "この論文に関しては更に著者らとの異例の誌上討論が行われた。そこでは空のベクターを用いていないという指摘に対して、著者らは、",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 288,
"tag": "p",
"text": "と、実験において空のベクターを用いていなかったことを明確に認めている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 289,
"tag": "p",
"text": "上記のような一般消費者の不安の背景として以下のようなことも指摘、主張されている。",
"title": "論争"
},
{
"paragraph_id": 290,
"tag": "p",
"text": "以上2点は、研究開発に関わる側からよくなされる指摘であるが、反対派からは自らの視点が絶対に正しいと決め付けているとの批判もある。",
"title": "論争"
}
] | 遺伝子組み換え作物とは、遺伝子組換え技術を用いて遺伝的性質の改変が行われた作物である。略称はGM作物である。 日本語では、いくつかの表記が混在している。遺伝子組換作物反対派は遺伝子組み換え作物、厚生労働省が遺伝子組換え作物、食品衛生法では組換えDNA技術応用作物、農林水産省では遺伝子組換え農産物 を使う。 英語の genetically modified organism からGMOとも呼ばれることがある。なお、GMOは通常はトランスジェニック動物なども含む遺伝子組換え生物を指し、作物に限らない。 | '''遺伝子組み換え作物'''(いでんしくみかえさくもつ、{{lang-en|genetically modified crops}})とは、[[遺伝子工学|遺伝子組換え]]技術を用いて遺伝的性質の改変が行われた[[農作物|作物]]である。略称は'''GM作物'''({{lang-en|GM crops}})である。
[[日本語]]では、いくつかの表記が混在している。遺伝子組換作物反対派は''遺伝子組み換え作物''、[[厚生労働省]]が''遺伝子組換え作物''、[[食品衛生法]]では''[[組換えDNA]]技術応用作物''、[[農林水産省]]では''遺伝子組換え農産物'' を使う。
[[英語]]の {{en|genetically modified organism}} から'''GMO'''とも呼ばれることがある。なお、GMOは通常は[[トランスジェニック動物]]なども含む[[遺伝子組換え生物]]を指し、作物に限らない。
[[File:World map GMO production.svg|thumb|300px|GMO生産マップ({{仮リンク|国際アグリバイオ事業団|en|International Service for the Acquisition of Agri-biotech Applications}}、2019年)。耕作面積によって色分けされている。{{legend|#803300|1000万[[ヘクタール]]以上}}
{{legend|#D45500|5万から1000万ヘクタール}}
{{legend|#FF9955|5万ヘクタール以下}}
{{legend|#b9b9b9|栽培されていない}}]]
== 概要 ==
'''遺伝子組換え作物'''は、商業的に栽培されている[[植物]](作物)に遺伝子操作を行い、新たな遺伝子を導入し発現させたり、内在性の遺伝子の発現を促進・抑制したりすることにより、新たな[[形質]]が付与された作物である。食用の遺伝子組換え作物では、[[除草剤]]耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの生産者や流通業者にとっての利点を重視した遺伝子組換え作物の開発が先行し、こうして生み出された食品を第一世代遺伝子組換え食品と呼ぶ。これに対し、食物の成分を改変することによって[[栄養価]]を高めたり、[[有害物質]]を減少させたり、[[医薬品]]として利用できたりするなど、消費者にとっての直接的な利益を重視した遺伝子組み換え作物の開発も近年活発となり、こうして生み出された食品を第二世代組み換え食品という。
遺伝子組換え作物の作製には、開発過程の高効率化や安全性に関する懸念の払拭のためにさまざまな手法が取り入れられている。たとえば、遺伝子の組み換わった[[細胞]](形質転換細胞)だけを選択するプロセスにおいて、かつては医療用、畜産用としても用いられる[[抗生物質]]と選択マーカー遺伝子としてその抗生物質耐性遺伝子が用いられていた。現在ではそのような抗生物質耐性遺伝子が遺伝子組換え作物に残っていることが規制される場合もあり、それ以外の選択マーカー遺伝子を利用したり、選択マーカー遺伝子を除去したりといった技術が開発された。
遺伝子組換え作物の栽培国と作付面積は年々増加している。2015年時点、全世界の[[大豆]](ダイズ)作付け面積の83%、[[トウモロコシ]]の29%、[[ワタ]]の75%、[[カノーラ]]の24%がGM作物である([http://www.isaaa.org/ ISAAA調査])。遺伝子組換え作物が商業的に本格的に栽培された1996年から2014年までは年々栽培面積が増えてきたが2015年になって初めて前年に比べ栽培面積が1%減少した。
2020年10月、[[アルゼンチン]]は世界で初めて遺伝子組換え[[小麦]]を承認した。[[ヒマワリ]]由来で、すでに大豆への組み込み実績がある遺伝子HB4により、[[旱魃]]でも従来品種より平均20%多収である。アルゼンチンと[[フランス]]の企業が開発した<ref>「[https://www.agrinews.co.jp/p52121.html GM小麦を初承認 アルゼンチン 食用混入に注視]」『[[日本農業新聞]]』2020年10月13日(2020年10月22日閲覧)</ref>。
[[日本]]については、限定的ではあるが、[[青いバラ (サントリーフラワーズ)]]の商業栽培により2009年には遺伝子組換え作物の商業栽培国となった。
日本の輸入穀類の半量以上は既に遺伝子組換え作物であるという推定もある{{要出典|date=2019年12月}}。
遺伝子組換え作物の開発・利用について、賛成派と反対派の間に激しい論争がある。主な論点は、[[生態系]]などへの影響、経済問題、倫理面、食品としての安全性などである。生態系などへの影響、経済問題に関しては、単一の作物や品種を大規模に栽培すること([[モノカルチャー]])に伴う諸問題を遺伝子組み換え作物特有の問題と混同して議論されることが多い。食品としての安全性に関して、特定の遺伝子組換え作物ではなく遺伝子組み換え操作自体が食品としての安全性を損なっているという主張がある。そのような主張の論拠となっている研究に対し、実験設計の不備やデータ解釈上の誤りを多数指摘したうえで科学的根拠が充分に伴っていないとする反論もある<ref>[http://www.ilsijapan.org/ILSIJapan/COM/Bio2010/rikaisuru2-2.pdf 遺伝子組換え食品を理解するⅡ], 特定非営利活動法人 国際生命科学研究機構(ILSI) バイオテクノロジー研究会, 2010年9月印刷</ref>。
日本では、[[厚生労働省]]および[[内閣府]][[食品安全委員会]]によって、[[ジャガイモ]]、[[ダイズ]]、[[テンサイ]]、[[トウモロコシ]]、[[ナタネ]]、[[ワタ]]、[[アルファルファ]]および[[パパイア]]の8作物318種類について、2018年(平成30年)2月23日時点、食品の安全性が確認されている<ref name="list">[https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/shinsazumigm.pdf 安全性審査の手続を経た旨の公表がなされた遺伝子組換え食品及び添加物一覧] 厚生労働省医薬食品局食品安全部 平成30年2月23日現在</ref>。
== 起源 ==
従来の[[育種学]]の延長で導入された、1973年以降の遺伝子組換えの手法としては、[[食品照射|放射線照射]]、[[重イオン]][[粒子線]]照射、[[変異原]]性薬品などの処理で、[[胚]]の[[染色体]]に変異を導入した母本を多数作成し、そこから有用な形質を持つ個体を選抜する作業を重ねるという手順で行われた。
最初のGMOが作成されたあとに、科学者は自発的なモラトリアムを、組換えDNA実験に求めて観測した。モラトリアムの一つの目標は、新技術の状態、および危険性を評価する[[アシロマ会議]]のための時間を提供することだった。[[生化学]]者の参入と新たな[[バイオテクノロジー]]の開発、[[遺伝子地図]]の作成などにより、作物となる植物に対して、「目的とする」形質をコードする遺伝子を導入したり、「問題がある」形質の遺伝子を[[ノックアウト]]したりすることができるようになった。
[[アメリカ合衆国]]では、研究の進展とともに厳しいガイドラインが設けられた。そのようなガイドラインは、のちに[[アメリカ国立衛生研究所]]や他国でも相当する機関により公表された。これらのガイドラインは、GMOが今日まで規制される基礎を成している。
初めて市場に登場した遺伝子組換え作物と言われるのは、[[アンチセンスRNA法]]([[mRNA]]と相補的なRNAを作らせることで、標的となる[[タンパク質]]の生合成を抑える手法で[[RNAi]]法の一種)を用いて、[[ペクチン]]を分解する酵素ポリガラクツロナーゼの産生を抑制した[[トマト]] "[[Flavr Savr]]" である。ほかのトマトと比較して、熟しても[[果皮]]や[[果肉]]が柔らかくなりにくいという特徴を持つ。
== 分類 ==
遺伝子組換え「植物」として開発されているものは、植物自体の研究に用いられるモデル植物として利用されているものと、産業的に利用されている、もしくは産業的利用を目指して研究されている遺伝子組換え「作物」に分けることができる。さらに、遺伝子組換え作物は、非食用作物、食用作物(遺伝子組換え食品)、[[飼料]]用作物などに分類可能である。なお、食用作物と飼料用作物との境界は明確ではないため、食用作物と飼料用作物の双方を遺伝子組換え食品の範疇に含めて説明する。また、食用作物と飼料用作物は[[エタノール]]生産や燃料用油生産に利用されることもある。
=== 非食用遺伝子組換え作物 ===
非食用の遺伝子組換え作物としては、園芸作物と林木が主である。園芸作物としては[[花卉]]が主体である。たとえば、青い花色の[[カーネーション]]「[[ムーンダスト]]」は、一般の消費者に花屋で売られている遺伝子組換え作物である。また、2009年11月に国内で市販が開始された[[青いバラ (サントリーフラワーズ)|青いバラ]]も遺伝子組換え作物である。そのほか、[[菊]]の[[カロテノイド]]含量を変化させたり、[[トレニア]]の[[アントシアニン]]生合成系を[[オーロン]]生合成系へ変化させて黄色いトレニアの花を作ったりする試み<ref>[http://www.pnas.org/content/103/29/11075.full.pdf+html PNAS, July 18, (2006), vol. 103, no. 29, 11075-11080], "Yellow flowers generated by expression of the aurone biosynthetic pathway", Eiichiro Ono, Masako Fukuchi-Mizutani, Noriko Nakamura, Yuko Fukui , Keiko Yonekura-Sakakibara, Masaatsu Yamaguchi, Toru Nakayama, Takaharu Tanaka, Takaaki Kusumi, and Yoshikazu Tanaka</ref>がある。林木の例としては[[製紙]]用に[[リグニン]]の構造や含量を改変された[[ポプラ]]や[[ヤマナラシ]]、[[ユーカリ]]、[[テーダマツ]]、[[ラジアータマツ]]が多く、[[セルロース]]含量を高めた[[ギンドロ]]<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/trg300_2ap.pdf 高セルロース含量ギンドロtrg300-2 (''AaXEG2'', ''Populus alba'' L.) 第一種使用規程申請書等の概要]</ref>などもある。
なお、食用作物と飼料用作物がエタノール生産や燃料用油生産に利用されることもあるが、[[バイオエタノール]]や[[バイオディーゼル]]用に[[スイッチグラス]]や[[ナンヨウアブラギリ]]などの非食用植物を分子育種する研究も進んでいる。たとえば、[[スプラウト]]として食用とされることもある[[アルファルファ]]においては、[[反芻動物]]の[[飼料]]用として[[タンニン]]含量を増加させたものが開発されているとともに、[[リグニン]][[生合成]]を抑制してリグニン含量を低下させたものが上市されている<ref>概要は「[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/H27.6.26_alfalfa_ap1.pdf 低リグニンアルファルファ (''CCOMT'', ''Medicago sativa'' L.) (KK179, OECD UI: MON-ØØ179-5) 申請書等の概要]」などによって公開されている</ref>。
=== 遺伝子組換え食品の分類 ===
遺伝子組換え食品の分類としてはさまざまなものがあるが、一例として以下のように分類されることがある。本項目においては、この分類に従って解説する。なお、第三世代に関してはまだ明確ではない。
; 第一世代
: [[除草剤]]耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大など
; 第二世代
: 成分改変食品で消費者の利益が強調されたもの。
; 第三世代
: 過酷な環境でも成育できたり、収量が高かったりするような作物か?
日本において第一種使用(食用または飼料用に供するための使用、栽培、加工、保管、運搬および廃棄ならびにこれらに付随する行為)を認められている組換え品種には、たとえば、選択マーカー遺伝子以外に1品種に6種類の害虫抵抗性と2種類の除草剤耐性の計8種類の外来遺伝子が導入されたもの<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/5_H25_6_19.toumorokoshi2.pdf チョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ (''cry1A.105'', 改変''cry2Ab2'', ''cry1F'', ''pat'', 改変''cp4 epsps'', 改変''cry3Bb1'', ''cry34Ab1'', ''cry35Ab1'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON89034×''B.t.'' Cry1F maize line 1507×MON88017×''B.t.'' Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7, OECD UI: MON-89Ø34-3×DAS-Ø15Ø7-1×MON-88Ø17-3×DAS-59122-7) ( MON89034, ''B.t.'' Cry1F maize line 1507, MON88017 及び''B.t.'' Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7 それぞれへの導入遺伝子の組合せを有するものであって当該トウモロコシから分離した後代系統のもの(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)を含む。)申請書等の概要]</ref>や、1品種に7種類の害虫抵抗性と3種類の除草剤耐性の計10種類の外来遺伝子が導入されたもの<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H29.5.25_maize_ap7.pdf 除草剤グリホサート誘発性雄性不稔、チョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤アリルオキシアルカノエート系、グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ(''cry1A.105'', 改変''cry2Ab2'', 改変''cry1F'', ''pat'', ''DvSnf7'', 改変''cry3Bb1'', 改変''cp4 epsps'', ''cry34Ab1'', ''cry35Ab1'', 改変''aad-1'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON87427×MON89034×''B.t.'' Cry1F maize line 1507× MON87411×''B.t.'' Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7×DAS40278、OECD UI: MON-87427-7× MON-89Ø34-3×DAS-Ø15Ø7-1×MON-87411-9×DAS-59122-7 ×DAS-4Ø278-9)並びに当該トウモロコシの分離系統に包含される組合せ(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)の申請書等の概要]</ref>、除草剤耐性と改変された脂肪酸残基組成の貯蔵[[脂質]]の双方を持つという、世代をまたいでいるといえるもの<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/MON87705ap.pdf 低飽和脂肪酸・高オレイン酸及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(''GmFAD2-1A'', ''GmFATB1A'', 改変''cp4 epsps'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(MON87705, OECD UI: MON-877Ø5-6)申請書等の概要]</ref>もある。このように、異なった形質を持つ組換え品種をかけ合わせて、複数の形質 (stacked traits) を導入された組換え品種をスタック(ド)品種 (stacked GM line (variety, cultivar)) ということがある。
なお、前述の通り、まだ第三世代については確たる定説がないため、[[ストレス (生体)|ストレス]]耐性作物に関しては「第一世代組換え食品の開発状況」において説明する。
== 第一世代組換え食品の開発状況 ==
=== 概説 ===
第一世代組換え食品は、作物に[[除草剤]]耐性、病害虫耐性、貯蔵性増大などの[[形質]]が導入されたものである。これらの特質は、生産者や流通業者にとっての利点となるだけでなく、安価で安全な食品の安定供給につながるという点で[[消費者]]にとっても大きなメリットとなる。また、[[農薬]]使用量の減少や[[不耕起栽培]]の利用可能性などにより環境面での負荷の減少を図れることや、収穫量が多かったり、損耗が少なかったりという性質を持つことは持続的農業を進めていく上でも有用である。
以下に、除草剤耐性作物、害虫抵抗性作物、耐病性作物、保存性を増大させた作物、[[雄性不稔]]形質の付与と雄性不稔からの[[稔性]]の回復、耐熱性α-[[アミラーゼ]]生産[[トウモロコシ]]、乾燥耐性トウモロコシなどに関して、それぞれの種類と原理について説明する。
=== 除草剤耐性作物 ===
==== 概説 ====
第一世代組換え作物としては、[[ラウンドアップ]]やビアラホス (bialaphos) など特定の除草剤に耐性を持つ品種を作成し、その除草剤による雑草防除を利用するような作物も開発されている。これは農作業の効率化だけではなく、[[土壌流出]]による環境破壊を防ぐ[[不耕起栽培]]を適用できる。[[ダイズ]]の主要生産地である[[アメリカ州|南北アメリカ]]諸国では[[表土]]流出が大問題となっている。前作の植物残渣を放置できるため、植物残渣がマルチ([[マルチング]])となって風雨から土壌流出を防ぎ、土壌を耕すことによって土壌が流亡しやすくなることを不耕起栽培によって防ぐことができる<ref>[https://doi.org/10.3719/weed.56.104 有井 彩, 山根 精一郎「除草剤耐性遺伝子組換え作物の普及と問題点」『雑草研究』51, 263-268](2006年)</ref>。そのほか、有毒[[雑草]]の収穫物への混入を減らせるとの主張もある。
単一の除草剤と除草剤耐性作物の組み合わせで長年栽培を続けると、その除草剤に対する耐性雑草が出現する。この現象自体は一般的なものであり、すでに除草剤[[ラウンドアップ]]に対する耐性雑草の出現が報告されている。このような事態を避けるための方策として、複数の除草剤に対して耐性を持つ作物と複数の除草剤の混用、異なる除草剤とその除草剤耐性作物の複数の組み合わせを用いた定期的な輪作などが推奨されている<ref name="merit-demerit">白井洋一(独立行政法人[[農業環境技術研究所]])[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/122/mgzn12205.html 「GMO情報:組換え作物のメリットとデメリット」『農業と環境』No.122(2010年6月1日)]</ref>。
除草剤を含めた薬剤に対する耐性化機構として次のものが挙げられる。
* 薬剤とその標的との親和性の低下
* 標的の過剰発現
* 薬剤の分解・修飾による無毒化
* 薬剤の移行・吸収の阻害
* 薬剤が阻害しない別経路の誘導
* もともとは活性を持たない薬剤を活性を有する物質に変換する経路の抑制
除草剤に対しても、これらの機構を単独もしくは複数組み合わせて植物を耐性化している。
以下に除草剤の種類ごとの耐性作物について説明する。
==== ラウンドアップ耐性作物 ====
{{main|ラウンドアップ}}
==== ビアラホス耐性作物 ====
ビアラホス (bialaphos){{refnest|group="注釈"|name="biala2"|Ignite/Basta、 Glufosinate (グルホシネート)、Herbiace等の名称で販売されている。}}は[[放線菌]] ''Streptomyces hygroscopicus'', ''S. viridochromogenes'' などが生産する[[抗生物質]]であり、[[窒素代謝]]においてアンモニウムイオンの同化に関与する{{仮リンク|グルタミン合成酵素|en|Glutamine synthetase}}の阻害剤として作用する{{refnest|group="注釈"|name="bialahhos"|グルタミン合成酵素の阻害剤として実際に作用するのは、ビアラホスから2分子の[[アラニン]]残基が[[加水分解]]により遊離した{{仮リンク|ホスフィノスリシン|en|DL-Phosphinothricin}}である。}}。グルタミン合成酵素が阻害されると毒性の高いアンモニウムイオンが植物体内に蓄積して、植物体を枯死させると考えられている。
ビアラホス生産菌は、ビアラホスが自身のグルタミン合成酵素を阻害する事態に対処するため、ビアラホスを無毒化する酵素ホスフィノスリシン {{仮リンク|N-アセチル基転移酵素|en|N-acetyltransferase|label=''N''-アセチル基転移酵素}}{{refnest|group="注釈"|name="ec2.3.1.183"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.3.1.183 phosphinothricin ''N''-acetyltransferase]: PAT, EC 2.3.1.183, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R08938 反応]}}の遺伝子 ''bar'' を持っている。そこで ''bar'' を植物内で発現できるように改変して導入することでビアラホス耐性作物を開発した('''薬剤の分解・修飾による無毒化''')。
==== ブロモキシニル耐性作物 ====
ブロモキシニル{{refnest|group="注釈"|name="bromoxynil"|bromoxynil: [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C04178 3,5-dibromo 4-hydroxybenzonitrile], BXN, CAS No. 1689-84-5}}やアイオキシニル{{refnest|group="注釈"|name="ioxynil"|ioxynil: 3,5-diiodo 4-hydroxybenzonitrile}}はオキシニル (oxynil) 系除草剤であり、[[光合成]]系の[[電子伝達系]]を阻害することで除草活性を示す。肺炎桿菌[[クレブシエラ・ニューモニエ]]''Klebsiella pneumoniae'' subsp. ''ozaenae''由来のブロモキシニル・ニトリラーゼ{{refnest|group="注釈"|name="nitrialase"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+3.5.5.6 bromoxynil nitrilase], EC 3.5.5.6, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R04349 反応]}}は、ブロモキシニルを3,5-ジブロモ 4-ヒドロキシ安息香酸 ([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C03925 3,5-dibromo 4-hydroxybenzoate]) とアンモニアに、アイオキシニルを3,5-ジヨード 4-ヒドロキシ安息香酸 (3,5-diiodo 4-hydroxybenzoate) とアンモニアに[[加水分解]]できる。そこで、このニトリラーゼの遺伝子''oxy''を植物に導入してブロモキシニル耐性にしている('''薬剤の分解・修飾による無毒化''')。バイエルクロップサイエンス株式会社の西洋ナタネ・[[カノーラ]] OXY-23については、「除草剤ブロモキシニル耐性セイヨウナタネ (''oxy'', ''Brassica napus'' L.) (OXY-235, OECD UI: ACS-BNØ11-5) の生物多様性影響評価書の概要<ref>[https://www.env.go.jp/press/files/jp/11864.pdf 除草剤ブロモキシニル耐性セイヨウナタネ(''oxy'', ''Brassica napus'' L.)(OXY-235, OECD UI: ACS-BNØ11-5)の生物多様性影響評価書の概要]</ref>」などで公表されている。
==== スルホニルウレア系除草剤耐性作物 ====
[[スルホニルウレア]] (sulfonylurea) 系除草剤(SU剤)には多数の薬剤が登録されている。SU剤は後述の「''ALS''遺伝子の特異的置換」の小節で述べているbispyribacと同様にALS/AHAS{{refnest|group="注釈"|name="ec2.2.1.6"|EC 2.2.1.6, ALS: [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+2.2.1.6 acetolactate synthase](アセト乳酸合成酵素), [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R00006 反応]; AHAS: acetohydroxy acid synthase(アセトヒドロキシ酸合成酵素)の両活性を持つ}}の阻害剤で分岐鎖アミノ酸{{refnest|group="注釈"|name="BCAA"|branched-chain amino acids: BCAA, [[バリン]](<small>L</small>-valine)、[[イソロイシン]](<small>L</small>-isoleucine)、[[ロイシン]](<small>L</small>-leucine)の三アミノ酸の総称}}の生合成系を阻害する。ALS/AHASのSU剤に対する感受性の低下した耐性変異が知られており、耐性型の''ALS''遺伝子を導入して発現させることによりSU剤耐性作物が分子育種されている('''薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化''')。そのほか、[[ヒト]]の[[肝臓]]で発現している[[シトクロムP450]] (cytochrome P450) の分子種のうち、CYP2C9やCYP2C19を[[イネ]]で発現させてSU剤であるクロルスルフロン{{refnest|group="注釈"|name="chlorsulfuron"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C05071 chlorsulfuron]}}とイマゾスルフロン (imazosulfuron) に対してそれぞれ耐性化させた例もある<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15660356?ordinalpos=1&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum Pest Manag Sci. 2005 Mar;61(3):286-91.], "Herbicide resistance in transgenic plants with mammalian P450 monooxygenase genes.", Inui H, Ohkawa H., {{PMID|15660356}}</ref>。ヒトの肝臓でクロルスルフロンがCYP2C9によって、イマゾスルフロンがCYP2C19によってそれぞれ水酸化されて代謝されるという知見から応用されたものである('''薬剤の分解・修飾による無毒化''')。
==== イミダゾリノン系除草剤耐性作物 ====
イミダゾリノン (imidazolinone) 系除草剤はスルホニルウレア系除草剤と同様にALSを阻害する。そこで、イミダゾリノン系除草剤に対して感受性の低下したALSの遺伝子を導入して耐性作物を育種した('''薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化''')。その例として、BASFアグロ株式会社のイミダゾリノン系除草剤耐性ダイズがあり、「イミダゾリノン系除草剤耐性ダイズ(改変''csr1-2'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(CV127, OECD UI: BPS-CV127-9) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/CV127_2010ap.pdf イミダゾリノン系除草剤耐性ダイズ(改変''csr1-2'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(CV127, OECD UI: BPS-CV127-9) 申請書等の概要]</ref>」などで公表されている。
==== 2,4-D耐性作物 ====
2,4-D{{refnest|group="注釈"|name="2,4-D"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C03664 2,4-dichlorophenoxyacetate]、[[2,4-ジクロロフェノキシ酢酸]]}}は[[植物ホルモン]]・[[オーキシン]]様の[[生理活性]]を示し、高濃度では植物を枯死させる作用を持つ。2,4-Dを[[2,4-ジクロロフェノール]]{{refnest|group="注釈"|name="2,4-DP"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C02625 2,4-dichlorophenol]}}へ変換する酵素2,4-D モノオキシゲナーゼ{{refnest|group="注釈"|name="2,4-D monooxygenase"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.14.11.- 2,4-D monooxygenase], 2,4-D モノオキシゲナーゼ, EC 1.14.11.-, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R05419 反応]}}([[タンパク質]]名: TfdA)を利用して2,4-D耐性の[[タバコ]]や[[ワタ]]などの作物が作られた<ref>[http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/jf990672c J Agric Food Chem. 2000 Nov;48(11):5307-11.], "2,4-Dichlorophenoxyacetic acid metabolism in transgenic tolerant cotton (''Gossypium hirsutum'')"., Laurent F, Debrauwer L, Rathahao E, Scalla R., {{PMID|11087477}}</ref>('''薬剤の分解・修飾による無毒化''')。TfdAは[[グラム陰性菌|グラム陰性細菌]]''Alcaligenes eutrophus''の[[プラスミド]]pJP5上の遺伝子''tfdA''由来のものである。なお、グラム陰性[[桿菌]]''Sphingobium herbicidovorans''の同様の酵素の遺伝子''aad-1''が改変されて導入された2,4-D耐性トウモロコシは、[[ダウ・ケミカル]]により開発されている。複数の系統が開発されており、「アリルオキシアルカノエート系除草剤耐性トウモロコシ(改変''aad-1'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.)Iltis.)(DAS40278, OECD UI:DAS-4Ø278-9) 申請書等の概要<ref>[https://www.env.go.jp/press/files/jp/17570.pdf アリルオキシアルカノエート系除草剤耐性トウモロコシ (改変''aad-1'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.)Iltis.) (DAS40278, OECD UI:DAS-4Ø278-9) 申請書等の概要]</ref>{{refnest|group="注釈"|name="aryl groupe"|申請書においてアリルオキシアルカノエート系除草なっているが、アリルではなくアリールが正しい。[[フェニル基]]は[[アリール基]]の一部であり、2,4-D([[2,4-ジクロロフェノキシ酢酸]])のフェノキシ基はアリールオキシ(またはアローキシ)基と表記されるべきである。アリルとすると別の[[官能基]]である[[アリル基]]と誤解されかねない。}}」などで公表されている。また、グラム陰性桿菌[[デルフチア・アシドボランス]]由来の同様の酵素遺伝子''aad-12''の改変型によっても2,4-D耐性ダイズやワタが開発されている。
==== ジカンバ耐性作物 ====
ジカンバ(dicamba: 3,6-dichloro-2-methoxybenzoic acid, 3,6-ジクロロ-2-メトキシ安息香酸, [http://webbook.nist.gov/cgi/cbook.cgi?ID=1918-00-9 CAS No. 1918-00-9])は、2,4-Dと同様に[[オーキシン]]様の生理活性を示す除草剤である。ジカンバを3,6-ジクロロサリチル酸 (3,6-dichlorosalicylic acid) へ変換する酵素ジカンバ モノオキシゲナーゼ{{refnest|group="注釈"|name="DMO"|dicamba monooxygenase: ジカンバ モノオキシゲナーゼ, DMO}}(DMO)を利用してジカンバ耐性のダイズが作られた('''薬剤の分解・修飾による無毒化''')。グラム陰性細菌''Stenotrophomonas maltophilia'' DI-6株由来の改変''dmo''遺伝子が利用され、ダイズに導入されている。改変DMOのアミノ末端側にはプラスチドへの移行ペプチド (transit peptide) が融合されている。ジカンバ耐性ダイズに関しては、「除草剤ジカンバ耐性ダイズ(改変''dmo'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(MON87708, OECD UI : MON-877Ø8-9) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H24_9_26_zikanba_ap3.pdf 除草剤ジカンバ耐性ダイズ (改変''dmo'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(MON87708, OECD UI : MON-877Ø8-9)申請書等の概要]</ref>」などで公表されている。
==== イソキサフルトール耐性作物 ====
[[4-ヒドロキシフェニルピルビン酸ジオキシゲナーゼ]]{{refnest|group="注釈"|name="HPPD"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.13.11.27 4-hydroxyphenylpyruvate dioxygenase]: HPPD, EC 1.13.11.27, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R02521+R01372 反応]}}(HPPD)は、[[4-ヒドロキシフェニルピルビン酸]]{{refnest|group="注釈"|name="HPP"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C01179 4-hydroxyphenylpyruvate]}}を[[ホモゲンチジン酸]]{{refnest|group="注釈"|name="homogentisate"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C00544 homogentisate]}}に変換する反応を触媒する。ホモゲンチジン酸はいくつかの段階を経て、光合成やカロテノイド生合成に重要なプラストキノン{{refnest|group="注釈"|name="plastoquinone"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C10385 plastoquinone]}}、[[トコフェロール]]類の前駆体である2-メチル-6-フィトキノール{{refnest|group="注釈"|name="2-methyl-6-phytylquinol"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C15882 2-methyl-6-phytylquinol]}}へ変換される。
イソキサゾール系除草剤であるイソキサフルトール (isoxaflutole: 5-cyclopropyl-4- (2-methylsulfonyl-4-trifluoromethylbenzoyl) isoxazole, [http://webbook.nist.gov/cgi/cbook.cgi?ID=141112-29-0 CAS No. 141112-29-0]) は、その代謝産物2-シアノ-3-シクロプロピル-1-(2-メチルスルホニル-4-トリフルオロメチルフェニル)プロパン-1,3-ジオン{{refnest|group="注釈"|name="DKN"|2-cyano-3-cyclopropyl-1-(2-methylsulfonyl-4-trifluoromethylphenyl)propane-1,3-dione: DKN}}(DKN)がHPPDの基質である4-ヒドロキシフェニルピルビン酸と競合してHPPD活性を阻害することにより除草活性を示す。
植物にイソキサフルトール耐性を付与するために、[[シュードモナス属]]細菌''Pseudomonas protegens'' Pf-5株の''hppd''遺伝子から1塩基置換されたものが用いられている。この遺伝子は、1塩基置換による[[ミスセンス変異]]によって本来のアミノ酸配列 (GenBank:[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/protein/68345050?report=GenPept AAY92656.1]) から1アミノ酸置換されたHPPDをコードしている。この変異型HPPDはDKNによって阻害されにくいためホモゲンチジン酸が合成される('''薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化''')。なお、植物のHPPDは[[プラスチド]]に局在しているが、[[バクテリア]]である''P. protegenes''由来の変異型HPPDはそのままではプラスチドへ移行できない。そこで、変異型HPPDの[[アミノ末端]]側にはプラスチドへ移行できるように移行ペプチドが融合されている。なお、''P. protegenes'' Pf-5株はかつて''P. fluorescens''に分類されていたため、''P. fluorescens'' Pf-5株と記載されている場合がある。バイエルクロップサイエンス社のイソキサフルトール耐性ダイズに関しては、「除草剤グリホサート及びイソキサフルトール耐性ダイズ(''2mepsps'', 改変''hppd'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(FG72,OECD UI: MST-FG072-3) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H24_9_26_isokisato_ap1.pdf 除草剤グリホサート及びイソキサフルトール耐性ダイズ(''2mepsps'', 改変''hppd'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(FG72,OECD UI: MST-FG072-3)申請書等の概要]</ref>」などで公表されている。
==== メソトリオン耐性作物 ====
メソトリオン{{refnest|group="注釈"|name="mesotrione"|mesotrione, 2-(4-メシル-2-ニトロベンゾイル)シクロヘキサン-1,3-ジオン: 2-(4-mesyl-2-nitrobenzoyl)cyclohexane-1,3-dione}}は、トリケトン系除草剤である。メソトリオンも上記のイソキサフルトールと同様にHPPDの阻害剤である。そこで、[[エンバク]] (''Avena sativa'') 由来のメソトリオンに感受性の低下した変異型の''hppd''遺伝子の導入により、メソトリオン耐性ダイズが育種された('''薬剤とその標的との親和性の低下による耐性化''')。シンジェンタ社のメソトリオン耐性ダイズに関しては、「除草剤メソトリオン耐性ダイズ(改変''avhppd'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(SYHT04R, OECD UI: SYN-∅∅∅4R-8) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H23_6_15SYHT04Rap7.pdf 除草剤メソトリオン耐性ダイズ(改変''avhppd'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(SYHT04R, OECD UI: SYN-∅∅∅4R-8) 申請書等の概要]</ref>」などで公表されている。
=== 害虫抵抗性作物 ===
==== 概説 ====
[[害虫]]に対して毒性を有する[[タンパク質]]や害虫の天敵を誘引する物質を生産させることで、害虫の発生を抑える害虫耐性のものも存在する。その機構としては、
* [[グラム陽性]][[桿菌]]''[[バチルス・チューリンゲンシス|Bacillus thuringiensis]]''の結晶性タンパク質の[[遺伝子導入]]
* [[マメ科]]植物由来の[[トリプシンインヒビター|トリプシン阻害剤]](タンパク質)の遺伝子導入(摂食したタンパク質を消化・吸収しにくくなる)
* [[インゲン豆]]由来のα-[[アミラーゼ]]阻害剤(タンパク質)の遺伝子導入(摂食した[[デンプン]]を消化・吸収しにくくなる)
* 昆虫の[[外骨格]]の成分である[[キチン]] (chitin) を分解する[[キチナーゼ]]([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+3.2.1.14 chitinase], EC 3.2.1.14, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R01206+R02334+R06081+R06082 反応])の遺伝子導入
* 殺虫性の[[線虫]]([[ネマトーダ]])の誘因物質の合成遺伝子の導入
が挙げられるが、特に''Bacillus thuringiensis''の結晶性タンパク質 (Bt toxin) 遺伝子導入による害虫抵抗性作物が成功している。
==== Bt toxin生産作物 ====
===== 概説 =====
Bt toxinのBは[[属名]]''Bacillus''の頭文字に、tは[[種小名]]''thuringiensis''の頭文字に由来する。''B. thuringiensis''の性質として、
* 土壌細菌で[[芽胞]]を形成するときに結晶性タンパク質(δ-[[内毒素]]: δ-endotoxin, Bt toxin)を蓄積する。
* 結晶性タンパク質が昆虫の腸に達すると部分消化され、殺虫性毒素[[ペプチド]]が遊離する。
* [[哺乳類]]には殺虫性毒素ペプチドと結合する特異的な[[受容体]]がないため、毒性を発揮できない。
* 菌株によって生産する結晶性タンパク質が作用する昆虫の種類が異なる。
というものがある。Bt toxinは哺乳類には毒性を持たないため、Bt toxinを生産する植物を人間が食べても害はない。そこでBt toxinを生産する害虫耐性組換え作物の開発につながった。日本においては[[疑似科学|市民団体などによって人体への害が喧伝されている]]が、現時点において人体への有害性は確認されていない。Bt toxinをそのまま植物に生産される場合もあるが、多くの場合、部分消化の際に取り除かれる配列を除去して、殺虫性毒素ペプチドを含む部分を主体とした、もっと小型のタンパク質として植物に生産させている。生産株の違いによりBt toxinにはさまざまな種類がある。その種類により、殺虫スペクトルが異なってくる。そのため、作物に導入されたBt toxin遺伝子の種類により、殺虫活性を示す昆虫が異なる。
Bt生産作物の導入により、
* 殺虫剤使用量の大幅削減
* 組織内へ侵入済みの害虫にも作用
* 害虫以外への殺虫剤による影響の大幅低下
* 虫害による傷口からの糸状菌感染症が著しく低下し、また収量増加の効用。
* その結果として[[カビ毒]] (mycotoxin) の含量([[フモニシン]]: fumonisin、[[アフラトキシン]]: aflatoxinなどの総量)の低下(「害虫抵抗性トウモロコシにおけるカビ毒含有量の低下」の小節参照)
* Bt生産作物の殺虫対象害虫の減少に伴う、同じ害虫による他の作物の被害の減少<ref name="Bt-China">
[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/102/mgzn10212.html 農業と環境 No.102 (2008年10月1日)], "GMO情報: 中国のBtワタ、ワタ以外の作物でも防除効果", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>
という結果が得られている。
その他の重要な利点は、ある種の作物の連作を可能にするということである。米国中西部におけるトウモロコシ栽培の例が挙げられる。トウモロコシは[[肥料]]をコントロールすれば[[連作障害]]の出にくい作物である。しかし、かつては米国中西部の[[コーンベルト]]において連作できなかった。その原因は、ウェスタンコーンルートワーム ([[:en:Western corn rootworm|western corn rootworm]]: ''Diabrotica virgifera virgifera'' LeConte) などの数種類のネクイハムシによる被害であった。これらのネクイハムシの成虫はトウモロコシ畑で[[羽化]]し、地中に産卵する。そして、翌春、播種されたトウモロコシの種子が発芽するころに[[孵化]]する。幼虫は生育初期の幼根を加害するためトウモロコシの被害は大きかった。これらのネクイハムシの幼虫はトウモロコシの幼根がないと成育できないため、生産者はトウモロコシ栽培のあとに別の作物を[[輪作]]して虫害を防除してきた。ところが、ほかの作物が栽培されている間は孵化せず、トウモロコシが播種されると孵化するネクイハムシの系統が各地で出現したため、輪作も無効になりつつあった。そのような状況下に、根においてBt toxinを生産する組換えトウモロコシ品種が上市され、連作可能となった<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/087/mgzn08707.html 農業と環境 No.87 (2007年7月1日)], "GMO情報: バイオ燃料と遺伝子組換え作物 -トウモロコシの連作を可能にした技術", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
===== Btスイートコーン品種 =====
トウモロコシの栽培面積は、圧倒的に[[デントコーン]]品種が多くを占めているため、トウモロコシの組換え品種の大部分はデントコーンのものである。組換え[[スイートコーン]]品種は遺伝子組換えトウモロコシ品種開発の初期から少数ではあるが存在していた{{refnest|group="注釈"|name="Btsweetcorn"|Bt11スイートコーン(官報掲載日2001.3.30), MON89034(官報掲載日2007.11.6)}}が、近年、相次いで複数の組換えスイートコーン品種が上市されている。スイートコーンは、茹でトウモロコシや焼きトウモロコシや[[缶詰]]として利用されるため、害虫の食害痕があると大きく商品価値を下げる。そのため、加工されることが多いデントコーンの場合、収量が重要であるが、スイートコーンの場合、収量よりも食害痕がなく商品となるかどうかの商品化率の方が大きな意味を持ち、栽培には[[殺虫剤]]が重要な役割を果たしている。アメリカにおいてスイートコーンの主要害虫はアメリカタバコガ (''Heliocoverpa zea'') である。そこで、アメリカタバコガに抵抗性を持つBtスイートコーンとその母本の大規模な栽培試験が行われ、その商品化率が調べられた<ref>[http://esa.publisher.ingentaconnect.com/content/esa/jee/2013/00000106/00000005/art00029 Journal of Economic Entomology, Volume 106, Number 5, pp. 2151-2159 (2013)], "Multi-State Trials of Bt Sweet Corn Varieties for Control of the Corn Earworm (Lepidoptera: Noctuidae)", A. M. Shelton, D. L. Olmstead, E. C. Burkness, W. D. Hutchison, G. Dively, C. Welty, A. N Sparks</ref>。その結果、Btスイートコーン品種の商品化率は安定的に高かったが、一方、その母本の商品化率はBt品種に比べ低くその値の変動幅も大きかった。そこで、Btスイートコーン品種の栽培は殺虫剤の使用を大幅に減少させるとともに、大量の殺虫剤使用に伴う職業上や環境上の危険を減少させることになろうと結論づけている。
===== Bt toxin生産作物の改善すべき点と益虫の増加 =====
作物の主要害虫に対する殺虫活性を持つBt toxinの遺伝子が選択されて導入されている。その結果、主要害虫の被害は低減するため、殺虫剤の散布が減少する。その結果、Bt toxin自体の殺虫スペクトルが狭いため、副次的な害虫が主要害虫に作用するBt toxinに非感受性であれば、増加して主要害虫に代わって新たな被害を与えることがある<ref>[http://esa.publisher.ingentaconnect.com/content/esa/envent/2006/00000035/00000005/art00038 Environmental Entomology (35) p. 1439-1452 (2006)], “Western Bean Cutworm, ''Striacosta albicosta'' (Smith) (Lepidoptera: Noctuidae), as a Potential Pest of Transgenic Cry1Ab ''Bacillus thuringiensis'' Corn Hybrids in South Dakota”, Catangui, Michael A.; Berg, Robert K</ref>。また、主要害虫が複数あって、それぞれ別のBt toxin感受性の場合も同様である。そのほか、ある作物の主要害虫を減少させることができたために、農薬散布量が減って副次的な害虫が増加してその作物だけでなく他の作物に被害を与えることがある。これは前述の同じ主要害虫の減少による他の作物に対する被害の減少<ref name="Bt-China"/>とは逆に副次的な害虫による他の作物に対する被害の増大である。その例として、中国においてBtワタの導入によって殺虫剤散布が減った結果、殺虫対象外のカスミカメムシ類が増え、ワタ以外の果樹園にも被害をもたらしていることが報告されている<ref name="merit-demerit"/>。そのための対策として、
* 新たな害虫に作用する別のBt toxinの遺伝子も導入する。
* 広範囲の害虫にも作用するBt toxinの遺伝子を導入する。
* 別の原理の抵抗性遺伝子を導入する。
ことが考えられる。そのため、広範囲の害虫に抵抗性を持たせるためには複数の異なる殺虫スペクトルのBt toxin遺伝子を導入された作物が開発されている。
一方、上記とは逆にBt toxin生産作物の栽培により害虫を食べる益虫が増加し、周辺の非組換え作物にも天敵による害虫コントロールが及ぶ利点を示唆する報告も存在する[http://www.sciencemediacentre.co.nz/2012/06/14/gene-modified-crops-allow-beneficial-insects-to-thrive/]。Bt toxin生産作物が害虫と益虫の両者とも殺す殺虫剤処理を必要としないため、Btワタは[[オオタバコガ]] (''Helicoverpa armigera'') などによる被害を予防するだけでなく、この害虫を食べる益虫の数を増やすことを発見した<ref>[http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature11153.html Nature, Jul 19;487(7407):362-5., (2012)], "Widespread adoption of Bt cotton and insecticide decrease promotes biocontrol services.", Lu Y, Wu K, Jiang Y, Guo Y, Desneux N., {{PMID|22722864}}</ref>。
なお、ほかの殺虫剤と同様にBt toxin抵抗性害虫の発生も報告されている。そこで、Bt toxin 耐性害虫の出現管理対策として、
* Bt toxinを高濃度に生産する系統を用いる。
* Bt toxin抵抗性害虫はある[[遺伝子座]]の[[劣性]][[ホモ接合]]で出現するため、感受性個体の供給源として、周辺に非Bt品種を栽培する(緩衝帯の設置)。
* 定期的に害虫を採集して、抵抗性の発達程度をモニタリングする。
ことが推奨されている<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/117/mgzn11708.html 農業と環境 No.117 (2010年1月1日)], "GMO情報: Btトウモロコシの害虫抵抗性管理対策 〜緩衝帯ルールと小口栽培制限〜", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref><ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/096/mgzn09609.html 農業と環境 No.96 (2008年4月1日)], "GMO情報: Btワタに抵抗性発達 -対策は緩衝帯と複数トキシン品種-", 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref><ref name="siryou zouka">[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/132/mgzn13208.html 農業と環境 農業と環境 No.132 (2011年4月1日)], "GMO情報: 商業栽培15年、強まる飼料作物の組換え依存", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
===== Bt toxin生産作物の自家採種と抵抗性害虫の出現 =====
Bt toxin生産作物で害虫の抵抗性発達を抑える対策の基本は、上記のように高濃度のBt toxinを生産する品種を用い、非Bt toxin生産作物を緩衝区として栽培することであり、さらに複数のBt toxinを生産する品種を用いることも有効とされている。高濃度Bt toxin生産作物においては害虫を幼虫段階で死亡させ、次世代に生き残る個体を大幅に減らせる。しかし、不正増殖種子や自家採種によるBt toxin濃度が不十分な作物の栽培面積が広がるとBt toxin抵抗性害虫の出現を助長することになり、不正増殖種子や組換え作物種子の自家採種が重大な問題となってくる<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/120/mgzn12008.html 農業と環境 No.120 (2010年4月1日)], "GMO情報: 不正種子利用に潜む抵抗性発達の危険性", 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。そのため、栽培農家による正規の種子の購入と害虫出現のモニタリングは重要である。
==== 天敵誘引物質生産作物 ====
殺虫性の[[線虫]]の誘因剤の合成酵素遺伝子の導入による害虫防除の例が報告された<ref>[http://www.pnas.org/content/early/2009/07/31/0906365106.abstract PNAS August 11, 2009 vol. 106 no. 32 p. 13213-13218]"Restoring a maize root signal that attracts insect-killing nematodes to control a major pest.", Jörg Degenhardt, Ivan Hiltpold, Tobias G. Köllner, Monika Frey, Alfons Gierl, Jonathan Gershenzon, Bruce E. Hibbard, Mark R. Ellersieck and Ted C. J. Turlings</ref>。植物食の昆虫による食害が起きると、[[天敵]]を誘引する揮発性物質を植物は放出することがある。そこで、作物の害虫防除を改良するうえで、これらの揮発性物質の利用が提案されてきた。[[トウモロコシ]]の重大な害虫であるウェスタンコーンルートワーム (''D. virgifera virgifera'') の食害は、多くのトウモロコシ品種の根から(''E'')-β-カリオフィレン ((''E'')-[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C09629 β-caryophyllene]: EβC) を放出させる。EβCは殺虫性の[[線虫]] (''Heterorhabditis megidis'') を誘引する。そして、殺虫性の線虫は根を食害する害虫に感染して殺す。しかし、大部分の北米のトウモロコシ品種はEβCの放出能を失っており、そのため線虫による防除をほとんど受けられない。それらのトウモロコシ品種のEβC生産能を回復させるために、[[オレガノ]]由来のEβC合成酵素([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:4.2.3.57 (''E'')-β-caryophyllene synthase], EC 4.2.3.57, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R08541 反応])遺伝子を導入されたトウモロコシは、恒常的にEβCを放出できるようになった。その結果、ウェスタンコーンルートワームが発生している圃場に線虫を散布した試験では、EβC放出トウモロコシでは有意に根に対する被害が減少し、非形質転換の非放出系のトウモロコシに比べ60%少ない成虫しか[[羽化]]できなかった。
=== 耐病性作物 ===
==== 概説 ====
第一世代組換え作物として耐病性を有するものも作られている。病害抵抗性遺伝子や糸状菌の細胞壁成分である[[キチン]]を加水分解する[[キチナーゼ]]の遺伝子の導入(多数あるうちの一例<ref>[http://springerlink.metapress.com/content/k17438824308665v/?p=22142705a79f42f58214bc1b3c5b79d5&pi=2 Plant Biotechnol Rep (2008) 2:13-20], "Production of transgenic potato exhibiting enhanced resistance to fungal infections and herbicide applications", Raham Sher Khan, Rinaldi Sjahril, Ikuo Nakamura, Masahiro Mii</ref>)によるものであるが、その中でも植物[[ウイルス]]耐性のものが特に成功している。そのほか、糸状菌や細菌性の植物病原菌に耐性を与えるために[[ディフェンシン]]などの抗菌ペプチドなどを作物で生産させる試みも進んでいる。
==== ウイルス抵抗性作物 ====
[[ジャガイモ]]や[[イチゴ]]などの[[栄養繁殖]]性作物や果樹などの永年性作物において植物ウイルスによる被害は大きく、それらに植物ウイルス抵抗性を付与することは農業上重要である。ただし、ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに対してのみ抵抗性であり、ウイルス一般に対して抵抗性を持つわけではない。ウイルス抵抗性作物は特定のウイルスに抵抗性であり、その特定のウイルスを媒介する害虫を防除する必要がなくなるため、その害虫への殺虫剤散布は不要となる。しかし、野菜や果物は外見や味のわずかな劣化でも商品価値に大きく影響するため、ほかの病害虫防除のために農薬散布は必要である。そのため、その特定のウイルス以外の被害が大きい地域では、生産者はウイルス抵抗性品種を採用する必要性を感じないと考えられる<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/108/mgzn10806.html 農業と環境 No.108 (2009年4月1日)]、"GMO情報: 一難去ってまた一難 米国ワタ害虫防除作戦の教訓", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
特にウイルス抵抗性作物の成功例としては、papaya ringspot virus(PRSV, パパイヤ・リングスポット・ウイルス)によってほぼ壊滅した[[ハワイ]]の[[パパイヤ]]栽培が遺伝子組換えパパイヤ品種(Rainbow:レインボー)によって復活できた事例が挙げられる。これについては後述する。なお、2011年2月以降に報道された、沖縄におけるレインボーとは異なる未承認遺伝子組換えパパイヤが栽培されていた事例についても記す。植物ウイルス耐性を与える手法としてはさまざまな機構が用いられているが、その手法は少なくとも4種類挙げられる。
;decoatingの阻害
:植物ウイルスが植物細胞内に侵入して[[ゲノム]]を複製させたり、[[ゲノム]]にコードされているタンパク質を生産させたりするためには外皮タンパク質 (coat protein) を脱ぐこと(decoating、脱殻)が必要である。もし、侵入した細胞内で外皮タンパク質が大量に存在している場合、decoating してもウイルスのゲノムがすぐに外皮タンパク質に覆われて (recoating)、植物ウイルスのゲノムはゲノムの複製やタンパク質の翻訳に必要な酵素や[[リボソーム]]と接触できず、ゲノムの複製や翻訳が阻害される。そこで植物細胞に植物ウイルスの外皮タンパク質の遺伝子を導入し、細胞中で外皮タンパク質を大量に生産させてdecoatingを阻害する手法が用いられている。
;PTGS (post-transcriptional gene silencing) という機構の利用
:多くの植物ウイルスのゲノムはRNAであり、その生活環の中で二本鎖RNAの形成が生じる。そのウイルスのRNAと相同性や相補性のあるRNAが発現されるように改変された形質転換植物は、対応するウイルスに対して、PTGSと同様の機構により、[[dicer]]や[[siRNA]] (short interfering RNA) や[[RNA誘導サイレンシング複合体|RISC (RNA-induced silencing complex)]]などを通じてウイルスの二本鎖RNAの分解が行えるようになり、植物ウイルスに抵抗性になる。これは[[RNAi]]の一例といえる。
;植物ウイルスのゲノムの複製に必要なreplicaseの変異型遺伝子の導入による耐性化の利用
;植物由来のウイルス抵抗性遺伝子 (''R'' gene) の導入および発現強化
=====レインボー・パパイヤ =====
ハワイのパパイヤ・リングスポット・ウイルス(PRSV)抵抗性のパパイヤはレインボー・パパイヤ<ref>[http://www.hawaiipapaya.com/japanese/qa.html Rainbow Papaya]</ref>としてすでにアメリカやカナダや日本などで市販されている。[[東南アジア]]においてもPRSVの別の株に耐性を示すパパイヤが開発されている。レインボー・パパイヤに関しては、「パパイヤリングスポットウイルス抵抗性パパイヤ(改変''PRSV CP'', ''uidA'', ''nptII'', ''Carica papaya'' L.)(55-1, OECD UI: CUH-CP551-8) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/55_1ap.pdf パパイヤリングスポットウイルス抵抗性パパイヤ(改変''PRSV CP'', ''uidA'', ''nptII'', ''Carica papaya'' L.)(55-1, OECD UI: CUH-CP551-8)申請書等の概要]</ref>」で公表されている。外皮タンパク質を大量にパパイヤ中で生産させることによってPRSV抵抗性が現れることが期待されたが、実際にはRNAiによってPRSV抵抗性が現れた。赤肉種のパパイヤ・サンセット (Sunset) に外皮タンパク質遺伝子が導入され、その自殖後代で外皮タンパク質の遺伝子を[[ホモ接合]]で持つ赤肉種のPRSV抵抗性のサンアップ (SunUp) が選択された。サンアップと非形質転換体でPRSV感受性の黄肉種のカポホ (Kapoho) を交雑させたF<sub>1</sub>品種がレインボーである。レインボー・パパイヤの一種使用が日本でも2011年(平成23年)8月31日に認可され、同年12月1日より市販された。これは、未加工の生の遺伝子組換え植物体をそのまま食用とする日本における初めての例となった。レインボー・パパイヤの果実中の種子からは、[[メンデルの法則]]に基づきウイルス抵抗性と感受性の苗が3:1で得られる。ただし、レインボー・パパイヤはF<sub>1</sub>品種であるため、発芽した苗はF<sub>2</sub>世代であり、さまざまな形質を持つ雑多な集団になる。
=====沖縄における未承認のウイルス抵抗性遺伝子組換えパパイヤ栽培・市販事例=====
レインボーとは異なる未承認のウイルス抵抗性遺伝子組換えパパイヤが沖縄において市販および栽培されていたことが、2011年2月と4月に公表された<ref>[https://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13514 平成23年2月22日 未承認の遺伝子組換えパパイヤの種子の混入に関する検査の実施について]</ref><ref>[https://www.env.go.jp/press/press.php?serial=13703 平成23年4月21日 未承認の遺伝子組換えパパイヤの種子の混入に関する検査結果について(お知らせ)]</ref><ref>[http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/110421.html 平成23年4月21日 農林水産省 パパイヤ種子の検査結果について]</ref>。それらによると、市販・栽培されていたものは[[台湾]]で開発されたPRSV抵抗性の品種であり、台農5号として販売されていた。台農5号は本来、遺伝子組換え体ではない通常の品種として、交雑育種により1987年に開発されたものである。それにレインボーと同じ機構によるウイルス抵抗性が台湾で導入されたものが、台湾の種苗会社から輸入された種子に混入していたことが未承認の組換えパパイヤの栽培・市販事例の原因と考えられている。この組換え品種は[[カルタヘナ法]]に基づく承認を受けていないため、カルタヘナ法と[[食品衛生法]]に基づいて市販や栽培は規制され、販売されていた種苗や果実は回収・破棄され、台農5号の疑いのある植物体は抜き取りや伐採された。[[厚生労働省]]によると、この遺伝子組換えパパイヤの摂食による危害につながるような情報は今のところ確認されていない<ref>[https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/qa/110222-1.html 平成23年2月22日 更新:平成23年2月24日 安全性未審査の遺伝子組換えパパイヤについて]</ref>。更に、[[環境省]]と[[農林水産省]]の共同見解ではこの未承認の遺伝子組換えパパイヤによる生物多様性への影響は低いとされている<ref>[https://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=17353&hou_id=13703 遺伝子組換えパパイヤ(注)による我が国の生物多様性への影響について(農林水産省及び環境省の共同見解)]</ref>。
==== ウイルス抵抗性品種のほかの病害虫被害 ====
ウイルス抵抗性品種はウイルスによる被害は少なくなるが、害虫による食害や害虫によって媒介される細菌性の病害を受けやすくなるという報告がある<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19858473?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=1 Proc Natl Acad Sci U S A. 2009 Nov 10;106(45):19067-71.] "Indirect costs of a nontarget pathogen mitigate the direct benefits of a virus-resistant transgene in wild ''Cucurbita''.", Sasu MA, Ferrari MJ, Du D, Winsor JA, Stephenson AG. {{PMID|19858473}}</ref>。これはカボチャの仲間であるスクアッシュ (squash) をウイルス耐性にするとウイルスが広がった場合、当然のことながらウイルス抵抗性品種の方が生産性が高いが、害虫であるキューカンバー・ビートル (cucumber beetle) が健全な植物体であるウイルス抵抗性品種を好んで食害するため、キューカンバー・ビートルが媒介する''Erwinia''属細菌などの病害が増すというものである。
==== ディフェンシン生産イネ ====
[[ディフェンシン]]とは、約80個のアミノ酸残基から構成され[[システイン]]残基に富む構造を特徴とする抗菌ペプチドの総称である。さまざまな[[アブラナ科]]植物の種や葉がディフェンシンを含むが、これは[[カイコ]]や[[カブトムシ]]、[[ウサギ]]、[[ヒト]]などがもつディフェンシンとは構造・活性範囲および活性強度が異なる。
イネにはアブラナ科植物のディフェンシンと配列類似性の高いものは存在しない。そこで、アブラナ科植物のさまざまなディフェンシンを[[イネ]]で生産させて、イネの重大な病害である[[いもち病]]や[[白葉枯病]]に抵抗性を付与する研究が進められてきた。ディフェンシン遺伝子はイネの緑葉組織特異的発現をするプロモーターと連結されて、イネ(母本品種:どんとこい<ref>[https://archive.fo/76Ic どんとこい]</ref>)に導入されている<ref>[http://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/AD41ap.pdf いもち病及び白葉枯病抵抗性イネ(''DEF'', ''Oryza sativa'' L.) (AD41)申請書等の概要], カラシナ由来のディフェンシン。この他にも多数の系統がある。</ref>。同様の研究は多数有り、[[ワサビ]]由来のディフェンシンを生産するイネも病害抵抗性を示している<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12582903?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=8 Mol Theor Appl Genet. 2002 Nov;105(6-7):809-814], "Overexpression of the wasabi defensin gene confers enhanced resistance to blast fungus (''Magnaporthe grisea'') in transgenic rice.", Kanzaki H, Nirasawa S, Saitoh H, Ito M, Nishihara M, Terauchi R, Nakamura I., {{PMID|12582903}}</ref><ref>Patent: JP 2003088379-A 2 25-MAR-2003</ref>。
ここで、アブラナ科植物のディフェンシンの組換えによりイネは大量のディフェンシンを恒常的に生産することになる。これにより抗生物質や農薬の乱用による多耐性病原菌の出現と同様にディフェンシン耐性を持つ細菌やウイルスの出現が必至と考えられている。さらに、組換えディフェンシン遺伝子を発現させるプロモーターが耐性遺伝子の水平移動を可能にして、種を越えたディフェンシン耐性の拡散が広く起こることを遺伝子組換え食品反対派は強く懸念している<ref>[http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/050807kanekawatinjyutusyo.htm 陳述書 (2)], 金川 貴博</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=金川貴博 |date=2006-12 |title=ディフェンシン産生の遺伝子組換えイネが高感染性のヒト病原菌を生み出す |journal=日本の科学者 |ISSN=00290335 |publisher=日本科学者会議 |volume=41 |issue=12 |pages=648-653 |CRID=1520572357127645312}}</ref>。しかし、アブラナ科のディフェンシンとヒトのディフェンシンとは構造が大きく異なる。ディフェンシンをもともと生産するアブラナ科作物は大量に栽培されてきたが、今までそのような報告はない。また、遺伝子組換え食品反対派はそのような懸念を示しておきながら一方で、アブラナ科作物の大量栽培にも、アブラナ科のディフェンシンよりもヒトのディフェンシンとはるかに類似したディフェンシンを生産する家畜の飼育にも、ディフェンシン耐性菌出現を阻止することを目的として反対してはいない。
これに対する反論として、「自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がないのであり、ちょうどペニシリンが医薬品として生産される前はペニシリン生産能力を持つアオカビが存在したにもかかわらず、ペニシリン耐性菌がいない状況と同じと解釈すべきである」というものがある。『自然界ではディフェンシンは必要なときにのみ生産されるため耐性問題がない』という仮説が出されているが、イネに導入された[[カラシナ]]由来のディフェンシンは細菌感染がなくても種子表層で生産されるものであり<ref>accession number: [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/nuccore/BD285518 BD285518]</ref>、『必要なとき』とはどのようなときをさすのかも、この仮説の根拠自体も明らかにされていない。なお、ペニシリン耐性菌を例にした反論は、比喩として適切ではない。まず、抗生物質生産菌自体が耐性菌である。ペニシリンは細菌の細胞壁の成分である[[ペプチドグリカン]]の生合成を阻害することによって抗菌性を発揮する。しかし、[[真菌]]である青カビには、もともとペプチドグリカンがないため、自身には作用しない。一方、抗生物質生産菌自身にも本来は作用するようなカナマイシンや[[エリスロマイシン]]などを生産する菌は、自身が生産する抗生物質が自身に作用しないようにするために、抗生物質や抗生物質の作用点を修飾する耐性遺伝子をもともと保持している。ペニシリンには、生産菌である青カビ以外にも多種多様のペニシリン耐性菌が自然界に当初より存在していた。[[ペプチドグリカン]]を持たない[[真菌]]類や[[マイコプラズマ]]はもともとペニシリン耐性菌であり、ペプチドグリカンを持つ[[細菌]]の中でも[[シュードモナス属]]細菌のようにペニシリン感受性の低いものも多数存在し、ペニシリンのβ-[[ラクタム]]環を開裂する酵素[[β-ラクタマーゼ]]{{refnest|group="注釈"|name="ec3526"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.5.2.6 β-lactamase], EC 3.5.2.6, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R03743+R04318+R06363 反応]}}などによりペニシリン耐性となっている細菌も存在する。ペニシリンが医薬品として生産される以前に、これらの微生物が存在していたことを否定できない以上、「耐性菌がいない状況」というものを想定できない。
なお、カイコのディフェンシンであるcecropin B <ref>[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=EU047749-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j アミノ酸配列]</ref>をイネで生産させて白葉枯病に抵抗性を与えた研究<ref>[http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6T36-41GWG4V-2&_user=10&_coverDate=10%2F27%2F2000&_rdoc=2&_fmt=high&_orig=browse&_srch=doc-info(%23toc%234938%232000%23995159998%23215289%23FLA%23display%23Volume)&_cdi=4938&_sort=d&_docanchor=&_ct=11&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=54b7768ff69b910ba2e37900f8c8fae7 FEBS Letters, Volume 484, Issue 1, 27 October 2000, Pages 7-11], "Transgenic expression of cecropin B, an antibacterial peptide from ''Bombyx mori'', confers enhanced resistance to bacterial leaf blight in rice", Arun Sharma, Rashmi Sharma, Morikazu Imamura, Minoru Yamakawa and Hiroaki Machii</ref>やいろいろな抗菌ペプチドの配列から設計された人工抗菌ペプチドMsrA1を[[ジャガイモ]]で生産させて病害抵抗性にした研究<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11062434?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=5 Nat Biotechnol. 2000 Nov;18(11):1162-6], "Transgenic plants expressing cationic peptide chimeras exhibit broad-spectrum resistance to phytopathogens.", Osusky M, Zhou G, Osuska L, Hancock RE, Kay WW, Misra S., {{PMID|11062434}}</ref>などもある。
=== 果実の収穫適期の拡大と保存性の向上 ===
果実等の中には収穫適期が非常に短いものがある。特に、生食用の[[トマト]]などでは色づき始めたらすぐに収穫して流通に乗せる必要性が高い。そうしないと店頭に並ぶころには過熟状態になったり、[[ケチャップ]]や[[ピューレ]]などへの工業的加工過程に入る前に傷口から腐敗したりして商品価値が低下することが多くなるためである。そこで、熟しても果皮が柔らかくならないように細胞間を充填している[[ペクチン]] (pectin) の分解が抑制された遺伝子組換えトマトが開発された。また、ペクチンの分解は果実が熟するときに誘導されるため、ペクチンの分解抑制ではなく熟期を遅らせることで柔らかくならないようにされたトマトや[[メロン]]も開発された。それらの手法は3種類知られている。
; ペクチンを分解する酵素ポリガラクチュロナーゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec32115"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+3.2.1.15 polygalacturonase], EC 3.2.1.15, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R01982 反応]}}の生産抑制
: ポリガラクチュロナーゼの生産をアンチセンスRNA法などのRNAiの技法で直接抑制した[[Flavr Savr]]<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=FLAVR+SAVR]</ref>などのトマトが開発された<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=B%2C+Da%2C+F]</ref>。その結果、熟しても果皮などはあまり柔らかくならない。
; 果実の成熟の制御(エチレン生合成酵素の抑制)
: 果実が熟する過程でポリガラクチュロナーゼの発現が誘導されるため、果実の熟する過程を制御する方向の研究が進んでいる。果実の熟する過程には、[[植物ホルモン]]の一種である[[エチレン]]が関与している。そこで、エチレンの生合成を抑制する研究が進んだ。エチレンの生合成系は、次の二過程からなる。
:* ACC合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec44114"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+4.4.1.14 ACC synthase], EC 4.4.1.14, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R00179 反応]}}の作用により、''S''-アデノシル-<small>L</small>-メチオニン (''S''-adenosyl-<small>L</small>-methionine<ref name="名前なし-1">[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C00019 ''S''-adenosyl-L-methionine]</ref>: SAM) から、1-アミノシクロプロパン-1-カルボン酸 (1-amino cyclopropane-1-carbonic acid<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C01234 1-amino cyclopropane-1-carbonic acid]</ref>: ACC) が合成される。
:* ACC酸化酵素([[アミノシクロプロパンカルボン酸オキシダーゼ]]){{refnest|group="注釈"|name="ec114174"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.14.17.4 ACC oxidase], EC 1.14.17.4, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R07214 反応]}}によって、ACCがエチレンに変換される。
: そこで、この過程に関与するACC合成酵素やACC酸化酵素をアンチセンスRNA法やコサプレッション法などのRNAiの技法で抑制すれば、エチレンの生合成が抑制されるわけである。ACC合成酵素を抑制したトマト 1345-4<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=1345-4]</ref>がDNA Plant Technology Corporation社により開発された。
; 果実の成熟の制御(エチレン生合成中間体の分解)
:* エチレン生合成中間体であるACCを分解することでエチレン生産を抑制する。土壌細菌''Pseudomonas chlororaphis''由来のACCデアミナーゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec35997"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+3.5.99.7 ACC deaminase], EC 3.5.99.7,[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R00997 反応]}}遺伝子の導入によって、ACCを2-オキソ酪酸 (2-oxobutyrate<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C00109 2-oxobutyrate]</ref>) と[[アンモニア]]に[[加水分解]]することによってエチレン生合成が抑制されたトマトも開発されている。ACCデアミナーゼ遺伝子が導入されたトマトは室温で収穫後121日放置しても瑞々しい状態であった<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1821764?ordinalpos=25&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum The Plant Cell, Vol. 3, 1187-1 193, November (1991)], "Control of Ethylene Synthesis by Expression of a Bacterial Enzyme in Transgenic Tomato Plants",Harry J. Klee, Maria B. Hayford, Keith A. Kretzmer, Gerard F. Barry, and Ganesh M. Kishore, {{PMID|1821764}}</ref>。[[モンサント (企業)|モンサント]]社のトマト CGN-89322-3 (8338)<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=8338]</ref>はACCデアミナーゼ遺伝子が導入されたものである。
:* エチレン生合成の出発物質であるSAMを加水分解して減少させ、結果としてエチレン合成量を減らす。SAM加水分解酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec3312"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.3.1.2 ''S''-adenosyl-L-methionine hydrolase], EC 3.3.1.2, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00175 反応]}}遺伝子の導入によって達成された。Agritope Inc.の開発したトマト品種35 1 N<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=35+1+N]</ref>やメロン品種AとB<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=A%2C+B]</ref>の例がある。
エチレン生合成が抑制されたトマト果実は出荷前に倉庫でエチレン処理をすると正常に熟しはじめる。エチレンによる果実の追熟は多くの果実で取り入れられている。たとえば[[バナナ]]や[[マンゴー]]などの熱帯輸入果実は、害虫移入防止のため未熟果実を輸入しエチレンによって追熟されている{{refnest|group="注釈"|name="kiwi"|家庭においても[[キウイフルーツ]]を追熟させたい場合、エチレンをよく発生する[[リンゴ]]と同じ[[ビニール]]袋に入れて保存するのも同じ原理である。}}。エチレン合成抑制による収穫適期拡大手法ではそのための設備を利用できる。
=== マイコトキシン分解酵素生産作物 ===
植物体の傷口より進入した糸状菌の生産する[[マイコトキシン]]は食料や飼料の安全性を脅かす大問題である。Bt toxin生産作物では害虫による食害が減るために、マイコトキシン含量が減っている。それよりも生産されたマイコトキシンを分解する酵素を作物に生産させて、積極的にマイコトキシン含量を低減させる試みがある。
その一つが、マイコトキシンである[[フモニシン]]分解酵素をトウモロコシに生産させてフモニシン含量を低減させようというものである。黒色酵母''Exophiala spinifera''のフモニシン分解系の酵素はすでに解析されている<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10441035?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=2 Nat Toxins. 1999;7(1):31-8.], "Oxidative deamination of hydrolyzed fumonisin B(1) (AP(1)) by cultures of ''Exophiala spinifera''.", Blackwell BA, Gilliam JT, Savard ME, David Miller J, Duvick JP., {{PMID|10441035}}</ref>。そこで、これらの酵素をトウモロコシで生産させようというものである<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11359705?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=1 Environ Health Perspect. 2001 May;109 Suppl 2:337-42.], "Prospects for reducing fumonisin contamination of maize through genetic modification.", Duvick J. {{PMID|11359705}}</ref>。
次に、ゼアラレノン<ref>[http://ss.niah.affrc.go.jp/disease/poisoning/manual/zearalenone.html ゼアラレノン]</ref>(Zearalenone) 分解酵素遺伝子の導入である。糸状菌''Clonostachys rosea''より[[ラクトン]]環解裂酵素遺伝子''zhd101''をトウモロコシに導入したところ、ゼアラレノンをほとんど分解してしまったという結果が得られた<ref>[http://aem.asm.org/cgi/content/abstract/73/5/1622 Applied and Environmental Microbiology, March 2007, p. 1622-1629, Vol. 73, No. 5], "Reduced Contamination by the ''Fusarium'' Mycotoxin Zearalenone in Maize Kernels through Genetic Modification with a Detoxification Gene.", Tomoko Igawa, Naoko Takahashi-Ando, Noriyuki Ochiai, Shuichi Ohsato, Tsutomu Shimizu, Toshiaki Kudo, Isamu Yamaguchi, and Makoto Kimura</ref>。
=== 雄性不稔形質作物 ===
==== 概説 ====
収量の増加、病虫害抵抗などの[[雑種]]強勢を目的に多くのF<sub>1</sub>(first filial generation:[[雑種第一代]])作物が作られている。[[自家受粉]]可能な作物の固定された品種では多くの[[遺伝子座]]において[[ホモ接合]]状態になっているため、異なる品種をかけ合わせた雑種第一世代であるF<sub>1</sub>状態になれば多くの遺伝子座において[[ヘテロ接合]]状態になって[[雑種強勢]]の効果による収量の増加や品質の向上が期待される。F<sub>1</sub>種子を得ることはトウモロコシの様に[[雄花]]と[[雌花]]が別れている作物では比較的容易ではあるが、人手がかかる。さらに、自家受粉する作物に他家受粉させて安定的に均一なF<sub>1</sub>[[種子]]を得ることは困難である。そのため、[[花粉]]を形成しない、[[花粉]]に稔性がないという[[雄性不稔]]系統があればF<sub>1</sub>種子が得やすくなる。現在では、さまざまな作物で雄性不稔系統を用いてF<sub>1</sub>品種が開発されているが、それでも利用できる作物が限定されている。そこで、遺伝子組換え技術が雄性不稔系統の開発に応用されている。
==== 組織特異的な除草剤感受性を利用した雄性不稔 ====
花粉の成熟に関与しているタペート細胞では発現しないようなプロモーターを利用した除草剤耐性作物を用いた雄性不稔の付与である。公開されている「除草剤グリホサート誘発性雄性不稔及び除草剤グリホサート耐性トウモロコシ(改変 ''cp4 epsps'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON87427, OECD UI: MON-87427-7) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H23_11_17_MON87427ap3.pdf 除草剤グリホサート誘発性雄性不稔及び除草剤グリホサート耐性トウモロコシ(改変 ''cp4 epsps'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON87427, OECD UI: MON-87427-7)申請書等の概要]</ref>」を例とする。
除草剤グリホサート([[ラウンドアップ]])耐性化遺伝子([[ラウンドアップ]]の項を参照)をタペート細胞および小胞子においては発現しないかあるいは発現しても微量であるが、栄養組織および雌性生殖組織においてはグリホサート耐性を付与するのに十分な量を発現できるようなプロモーターに連結する。それが導入されたトウモロコシをグリホサート非存在下で自家受粉させ、導入遺伝子をホモ接合で持つ品種(BB)を種子親として育種する。一方、種子親とは別系統の品種で、全組織で耐性を示すような別のプロモーターで制御されているグリホサート耐性化遺伝子をホモ接合で持つ品種(AA)を花粉親とする。種子親と花粉親を隣接して栽培し、雄花が分化する8葉期頃および10葉期頃にグリホサートを散布して、種子親(BB)の花粉を不稔にする。タペート細胞でも耐性である花粉親(AA)の花粉は稔性があるため、種子親の雌花に受粉する。種子親のみから種子を採種すればそれはヘテロ接合(AB)のF<sub>1</sub>種子となる。F<sub>1</sub>植物体はAのゲノムも持つため、植物全組織はグリホサート耐性を示す。
==== 葯特異的発現をするDNAメチル化酵素を利用した雄性不稔 ====
[[プロモーター]]や[[エンハンサー]]のDNAが[[メチル化]]されることによりトランス[[転写因子]]がそれらを認識できなくなり、その結果、細胞の[[分化]]や生育に影響を与え死滅させることがある。そこで大腸菌の遺伝子''dam''にコードされているDNA中の[[アデニン]]残基をメチル化する酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec21172"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.1.1.72 DNA adenine methylase]、EC 2.1.1.72、[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R02961 反応]}}を、トウモロコシの[[葯]]特異的に発現する遺伝子''512del''のプロモーターを用いてトウモロコシ中で生産させると葯や花粉を形成できず雄性不稔となった。Pioneer Hi-Bred International Inc.の開発したトウモロコシ 676、678、680の例がある<ref>[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=676%2C+678%2C+680]</ref>。
==== BARNASEを用いた雄性不稔形質の付与とBARSTARを用いた雄性不稔からの回復 ====
遺伝子組換え技術により花粉が成熟できなくなるような人為的な雄性不稔系統と雄性不稔からの稔性回復系統が作られた。その実現には次の四つのものが重要な役割を果たす。
* [[葯]]に存在する、花粉の成熟に関与しているタペート細胞において特異的に発現している[[タバコ]] (''Nicotiana tabacum'') 由来の遺伝子''TA29(''[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/A10061?filetype=html 配列])のプロモーター
* グラム陽性細菌''Bacillus amyloliquefaciens''由来のRNase([[リボヌクレアーゼ]])であるBARNASEの遺伝子''barnase(''[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/M14442?filetype=html 配列])
* BARNASEと特異的に結合して阻害する、同じく''B. amyloliquefaciens''由来のタンパク質であるBARSTARの遺伝子''barstar''([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/X15545?filetype=html 配列])
* 除草剤耐性遺伝子
''TA29''のプロモーターと''barnase''のキメラ遺伝子([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/A18052?filetype=html 配列])によって、[[葯]]のタペート細胞特異的にBARNASEが生産されると細胞内のRNAが分解されてタペート細胞は死滅し、花粉が成熟できなくなり、その結果、その植物は雄性不稔系統となる。
種子親となる雄性不稔系統の近傍に花粉親となる品種を栽培すれば、雄性不稔系統に結実する種子は両者のF<sub>1</sub>であることが期待される。しかし、その種子から得られたF<sub>1</sub>植物体も雄性不稔である確率が高く、ダイズ、トウモロコシ、イネ、菜種などの子実を収穫する作物においては自家受粉できることが望まれるため、F<sub>1</sub>植物体においては雄性不稔形質が出現しない方がよい。そこで、花粉親が雄性不稔からの稔性回復系統である必要がある。そのためには、花粉親として用いる植物が、''TA29''のプロモーターと''barstar''のキメラ遺伝子([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/BD069514?filetype=html 配列])によって葯のタペート細胞特異的にBARSTARが生産されるように導入された遺伝子をホモ接合で保有していればよい。
これらのBARNASEとBARSTARを利用した系を説明する。F<sub>1</sub>の親品種としたいそれぞれ純系のAとBの品種を用意する。Aには''barnase''と除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。導入されてできた雄性不稔品種をAsとする。Asに導入されたカセットが1コピーであるならAsの[[遺伝子型]]は (''barnase'' / -) となる。Asは雄性不稔であり自家受粉できないため雄性不稔維持系統として親品種Aを用い、その花粉で受粉させて結実させ、種子を播種する。種子の遺伝子型はAと同一のものとAsと同一の (''barnase'' / -) とが1:1で分離してくる。Asと同一の (''barnase'' / -) のものだけを''barnase''と同じ導入[[遺伝子カセット]]に存在している除草剤耐性遺伝子によって除草剤耐性で選択できる。そのため、Asを大量に増殖できる。Bに''barstar''と除草剤耐性遺伝子の双方を含むカセットを導入する。できた品種Brは自家受粉可能であるため、除草剤耐性の後代をとってその中からホモ接合となった遺伝子型 (''barstar'' / ''barstar'') の株Brrを選択して増殖する。Brrを稔性回復系統として用いる。Asの近傍にBrrを植えてAsに結実したF<sub>1</sub>種子のみを採種する。F<sub>1</sub>種子の遺伝子型は''barnase''と''barstar''に関して (''barnase'' / -, ''barstar'' / -) と (- / -, ''barstar'' / -) が1:1で分離し、それぞれの種子から育ったF<sub>1</sub>植物体は自家受粉可能となる。
この手法の適用例は多数あるが、その一例としてバイエルクロップサイエンス社の[[カノーラ]]について挙げると「除草剤グルホシネート耐性及び雄性不稔及び稔性回復性セイヨウナタネ(改変''bar'', ''barnase'', ''barstar'', ''Brassica napus'' L.)(MS8RF3, OECD UI: ACS-BNØØ5-8×ACS-BNØØ3-6) の生物多様性影響評価書の概要<ref>[http://www.affrc.maff.go.jp/docs/commitee/diversity/070622/pdf/siryou3_2.pdf 除草剤グルホシネート耐性及び雄性不稔及び稔性回復性セイヨウナタネ(改変''bar'', ''barnase'', ''barstar'', ''Brassica napus'' L.)(MS8RF3, OECD UI: ACS-BNØØ5-8×ACS-BNØØ3-6)の生物多様性影響評価書の概要]</ref>」で公表されている。
なお、F<sub>1</sub>品種に結実した種子(F<sub>2</sub>世代)は発芽可能で栽培できるが、遺伝的に不均一な集団であるため、次回の栽培には新たに種子を購入する必要がある。これは、F<sub>1</sub>品種を栽培する場合、非組換えのF<sub>1</sub>品種でも毎作ごとにF<sub>1</sub>品種の種子を購入しなくてはならないのと同じ理由である。
=== 耐熱性α-アミラーゼ生産トウモロコシ ===
主としてトウモロコシを原料としたエタノール生産を効率的に行うために開発されたものである。従来、トウモロコシ穀粒の乾燥粉末からエタノールを生産する場合、加水・加熱するとともに[[微生物]]由来の[[耐熱性]]α-[[アミラーゼ]]と[[グルコアミラーゼ]]を添加して[[デンプン|澱粉]]を可溶化と[[糖化]]してから、[[酵母]]で[[エタノール発酵]]させている。微生物由来のα-アミラーゼを添加する代わりに、トウモロコシ穀粒中に耐熱性α-アミラーゼを生産・貯蔵させて、作業工程の簡略化と低コスト化を狙ったものである。たとえば、公開させている[[シンジェンタ]]シード株式会社の「耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ (耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ(改変''amy797E'', 改変''cry1Ab'', ''cry34Ab1'', ''cry35Ab1'', 改変''cry3Aa2'', ''cry1F'', ''pat'', ''mEPSPS'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(3272×Bt11×B.t. Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7×MIR604×B.t. Cry1F maize line 1507×GA21, OECD UI:SYN-E3272-5×SYN-BTØ11-1×DAS-59122-7×SYN-IR6Ø4-5×DAS-Ø15Ø7-1×MON-ØØØ21-9) 並びに当該トウモロコシの分離系統に包含される組合せ(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)の申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/H28.11.1_maize_ap4.pdf 耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ (耐熱性α-アミラーゼ産生並びにチョウ目及びコウチュウ目害虫抵抗性並びに除草剤グルホシネート及びグリホサート耐性トウモロコシ(改変''amy797E'', 改変''cry1Ab'', ''cry34Ab1'', ''cry35Ab1'', 改変''cry3Aa2'', ''cry1F'', ''pat'', ''mEPSPS'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis) (3272×Bt11×B.t. Cry34/35Ab1 Event DAS-59122-7×MIR604×B.t. Cry1F maize line 1507×GA21, OECD UI:SYN-E3272-5×SYN-BTØ11-1×DAS-59122-7×SYN-IR6Ø4-5×DAS-Ø15Ø7-1×MON-ØØØ21-9)並びに当該トウモロコシの分離系統に包含される組合せ(既に第一種使用規程の承認を受けたものを除く。)の申請書等の概要]</ref>」によると、Thermococcales目の好熱[[古細菌]]由来のα-アミラーゼ遺伝子を改変した改変''amy797E''遺伝子をトウモロコシに導入して、耐熱性α-アミラーゼを穀粒で産生させている。トウモロコシ穀粒中で生産されるα-アミラーゼとして耐熱性のものが選ばれた理由は、デンプンの可溶化と糖化の促進と雑菌汚染の減少のためにトウモロコシ穀粒粉末に加水したものを加熱するため、その温度で[[失活]]してはならないからである。また、トウモロコシ穀粒中で生産されたα-アミラーゼが予期せぬ影響を及ぼさないようにするため、成熟中や保存中の穀粒中でデンプンを分解しないようにする必要がある。そのためには、細胞内でα-アミラーゼとデンプンを隔離すればよい。そこで、改変AMY797E α-アミラーゼの[[アミノ末端]]には、[[小胞体]][[内腔]]へ輸送するための[[シグナルペプチド]]が付加された。さらに、[[カルボキシル末端]]には、小胞体に局在化させるために小胞体残留シグナル配列(KDEL)が付加された。これらの付加配列により、生産された耐熱性α-アミラーゼは胚乳細胞の小胞体中に蓄積される。一方、α-アミラーゼの[[基質 (化学)|基質]]であるデンプンは穀粒中の[[プラスチド]]の一形態である[[アミロプラスト]]中に[[澱粉粒]]として存在している。つまり、改変AMY797E α-アミラーゼと基質となるデンプンは、細胞内の異なる[[細胞内小器官]]にそれぞれ存在しているため、細胞が破壊されない限りは改変AMY797E α-アミラーゼによるデンプン分解は生じないと考えられる。
=== ストレス耐性作物 ===
==== 概説 ====
植物が生育していくうえで様さまざまな環境ストレスがある。たとえば、低温ストレス、凍結ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、浸透圧ストレス(塩ストレス)、強光ストレス、冠水ストレスなどが代表的である。これらのストレスに強い作物が開発できれば未利用地が耕地として利用できるようになるため、さまざまな研究が進められている。たとえば、低温ストレスの感受性・抵抗性に関しては、プラスチドの[[チラコイド]]膜のホスファチジルグリセロール (phosphatidyl glycerol) の脂肪酸残基組成が関与しているため、ホスファチジルグリセロールの生合成系において取り込まれる脂肪酸残基の基質特異性に関わる酵素 acyl-(acyl-carrier protein): glycerol-3-phosphate acyltransferase (GPAT) を改変することによって低温耐性を付与する研究などがある<ref>[http://www.nature.com/nature/journal/v356/n6371/abs/356710a0.html Nature 356, 710 - 713(23 April 1992)], "Genetically engineered alteration in the chilling sensitivity of plants", N. Murata, O. Ishizaki-Nishizawa, S. Higashi, H. Hayashi, Y. Tasaka & I. Nishida </ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12154137?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=138 Plant and Cell Physiology, 2002, Vol. 43, No. 7 751-758], "An Increase in Unsaturation of Fatty Acids in Phosphatidylglycerol from Leaves Improves the Rates of Photosynthesis and Growth at Low Temperatures in Transgenic Rice Seedlings", Tohru Ariizumi, Sachie Kishitani, Rie Inatsugi, Ikuo Nishida, Norio Murata and Kinya Toriyama, {{PMID|12154137}}</ref>。浸透圧ストレス(塩ストレス)に関しては、ナトリウムイオンの細胞からの排出促進するためにNa<sup>+</sup>/H<sup>+</sup> [[アンチポーター]]などの利用の研究が進んでいる。そのほか、これらのストレスに共通に生じる障害を軽減するために、[[グリシンベタイン]]や[[プロリン]]や[[トレハロース]]などの[[適合溶質]] (compatible solute) の合成遺伝子や蓄積させるための遺伝子の導入、ストレス応答性遺伝子を制御する DREB (Dehydration-Responsive Element Binding factor) などの転写因子の発現、熱ショックタンパク質などのストレス関連タンパク質、ストレスによって生じる[[活性酸素種]]を消去する[[アスコルビン酸ペルオキシダーゼ]]や[[スーパーオキシドジスムターゼ]](SOD)などの遺伝子を利用する研究も進んでいる。そのほか、タンパク質の[[ユビキチン]]化に関わるE3 ユビキチン・リガーゼ (E3 ubiquitin ligase) であるOsSDIR1を過剰生産させることにより、イネを乾燥耐性にした例も存在する<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21499841 "''OsSDIR1'' overexpression greatly improves drought tolerance in transgenic rice."], Gao T, Wu Y, Zhang Y, Liu L, Ning Y, Wang D, Tong H, Chen S, Chu C, Xie Q., Plant Mol Biol. 2011 May;76(1-2):145-56., {{PMID|21499841}}</ref>。
また、微量成分の欠乏や過剰も植物にとってはストレスとなる。たとえば、[[鉄]]は植物の微量栄養素であるが、比較的要求性は高く、不足すると生育遅滞や[[クロロシス]]などが生じる。そこで、土壌中の不溶化している鉄を可溶化する能力を植物に付与したり、鉄を含むタンパク質を機能的に代替できるタンパク質を生産させたりして、鉄欠乏を緩和する育種が行われている。また、その他の微量成分に対しても研究が進められている。
==== RNAシャペロンを利用した乾燥耐性トウモロコシ ====
モンサント社の乾燥耐性トウモロコシ MON87460に関しては、「乾燥耐性トウモロコシ(改変''cspB'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON87460, OECD UI: MON-8746Ø-4) 申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/MON87460ap.pdf 乾燥耐性トウモロコシ(改変''cspB'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(MON87460, OECD UI: MON-8746Ø-4)申請書等の概要]</ref>」によって公表されている。トウモロコシの後期栄養生長期から初期生殖生長期における乾燥ストレス条件下において収量の減少を抑制するために、改変低温ショックタンパク質B (cold shock protein B) 遺伝子(改変''cspB''遺伝子<ref>[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/get_entry?mode=view&type=flatfile&database=ddbj&format=&accnumber=X59715 オリジナルの''cspB''の塩基配列]、[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=X59715-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j オリジナルのCspBのアミノ酸配列]</ref>)を導入されたものである。改変''cspB''遺伝子の供与体は、[[納豆菌]]もその一部として含まれる[[枯草菌]]''Bacillus subtilis''である。CspBはRNA[[シャペロン]]として機能して、RNAの二次構造を解消することが知られている。
==== グリシンベタイン蓄積によるストレス耐性 ====
[[グリシンベタイン]]は、[[テンサイ]]、[[ホウレンソウ]]などの[[アカザ科]]植物や[[コムギ]]など低温耐性の植物に多く含まれる適合溶質であるが、[[イネ]]や[[トマト]]や[[アラビドプシス]]は蓄積しない。多量に含まれても細胞の生化学反応や[[細胞内小器官]]には悪影響を及ぼさずに[[浸透圧]]の調整、[[活性酸素]]から膜やタンパク質の保護を行うことが知られている。そこで、グリシンベタインを生合成しない植物にグリシンベタインを合成させてさまざまなストレス耐性を強化する試みがある。
グリシンベタインは[[コリン (栄養素)|コリン]]{{refnest|group="注釈"|name="choli"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C00114 choline]}}が[[ベタインアルデヒド]] (betaine aldehyde<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C00576 betaine aldehyde]</ref>) を経て[[酸化]]されて合成される。この反応を行う合成系にはいくつかの種類があることが知られている。植物では[[プラスチド]]で合成される。コリンからベタインアルデヒドへ酸化する酵素、コリン一酸素添加酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec114157"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.14.15.7 choline monooxygenase], EC 1.14.15.7, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R05739 反応]}}は[[フェレドキシン]]要求性の酵素である。次にベタインアルデヒドからグリシンベタインへ酸化する酵素、ベタインアルデヒド脱水素酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec1218"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.2.1.8 betaine aldehyde dehydrogenase], EC 1.2.1.8, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R02565+R02566 反応]}}によってグリシンベタインへと酸化される。一方、細菌''Arthrobacter globiformis''では分子状酸素のみを要求する一種類の酵素、コリン酸化酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec11317"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?1.1.3.17+R01022 choline oxidase], EC 1.1.3.17, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R01022+R08211+R08212 反応]}}によって合成されている。''A. globiformis''のコリン酸化酵素の遺伝子''codA''は、導入する遺伝子が1つで済むこととコードしている酵素がコリンと分子状酸素以外には必要としない性質のため、植物や大腸菌由来のグリシンベタイン生合成酵素遺伝子よりも植物に導入されている例が多い。
なお、コリン一酸素添加酵素遺伝子である''codA''を植物で発現させてもグリシンベタイン生成量が少ないのは、植物中のコリン含量が[[制限要因]]となっているからである。そこで豊富に存在する[[グリシン]]からグリシンベタインへ変換する別のグリシンベタイン合成経路を利用する試みがある。[[メタン生成]][[古細菌]]''Methanohalophilus portucalensis'' FDF1株由来のグリシン サルコシン ''N''-メチル基転移酵素 (glycine sarcosine ''N''-methyltransferase: GSMT) とサルコシン ジメチルグリシン ''N''-メチル基転移酵素 (sarcosine dimethylglycine ''N''-methyltransferase: SDMT) を植物で生産させた<ref>[http://link.springer.com/article/10.1007/s11103-014-0195-8 Plant Molecular Biology, July 2014, Vol. 85, p. 429-441], "Transgenic Arabidopsis expressing osmolyte glycine betaine synthesizing enzymes from halophilic methanogen promote tolerance to drought and salt stress",Shu-Jung Lai, Mei-Chin Lai, Ren-Jye Lee, Yu-Hsuan Chen, Hungchen Emilie Yen</ref>。GSMTはグリシン ''N''-メチル基転移活性([[グリシン-N-メチルトランスフェラーゼ|グリシン ''N''-メチルトランスフェラーゼ]])とサルコシン ''N''-メチル基転移活性を、SDMTはサルコシン ''N''-メチル基転移活性とジメチルグリシン ''N''-メチル基転移活性を持つ。つまり、GSMTとSDMTによりグリシンから[[サルコシン]]へ、サルコシンから''N'', ''N''-[[ジメチルグリシン]]へ、''N'', ''N''-ジメチルグリシンからグリシンベタインへ変換される。GSMTとSDMTが生産されている[[シロイヌナズナ]]は塩耐性を示した。
グリシンベタインを生産するようになった形質転換植物は、低温ストレス、高温ストレス、乾燥ストレス、凍結ストレス、塩ストレスなどさまざまな[[応力|ストレス]]に抵抗性を示すようになる。合成されたグリシンベタインの[[モル濃度]]だけでは、そのストレス抵抗性を説明できない。そこで、グリシンベタインの細胞内局在による局所的高濃度、膜やタンパク質に対する保護作用、コリン酸化酵素の反応に伴い生じる[[過酸化水素]]による[[活性酸素]]消去系酵素の常時誘導など、ストレス耐性機構を説明するさまざまな説がある。
==== プロリン蓄積によるストレス耐性 ====
アミノ酸の[[プロリン]]も同様に適合溶質である。プロリンを蓄積させる手法には2種類ある。一つは、プロリン合成を促進する方法であり、もう一つはプロリン分解を阻害する方法である。プロリンの生合成は高濃度のプロリンによって[[フィードバック阻害]]を受ける。そこで、プロリン生合成系のフィードバック阻害を受ける酵素、<small>L</small>-1-ピロリン-5-カルボン酸合成酵素 (<small>L</small>-1-Pyrroline-5-carboxylate synthetase) のフィードバック阻害が解除された変異酵素の遺伝子を導入すると大量のプロリンが合成された<ref name="proline">[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10759508?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=2 Plant Physiol. 2000 Apr;122(4):1129-36.], "Removal of feedback inhibition of delta(1)-pyrroline-5-carboxylate synthetase results in increased proline accumulation and protection of plants from osmotic stress.", Hong Z, Lakkineni K, Zhang Z, Verma DP., {{PMID|10759508}}</ref>。もう一つは、プロリンを分解する酵素、プロリン脱水素酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec15998"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.5.99.8 proline dehydrogenase], EC 1.5.99.8, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R01253 反応]}}を[[RNAi]]などの手法で阻害する方法である。プロリンを蓄積することにより形質転換植物はさまざまなストレスに抵抗性を示すようになった<ref name="proline"/>。
==== トレハロース蓄積によるストレス耐性 ====
[[トレハロース]]は動植物、微生物に広く存在する、保水力の強い[[二糖]]である。これを植物に蓄積させて乾燥・強光ストレス耐性にした<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17453154?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=8 Plant Mol Biol. 2007 Jul;64(4):371-86. Epub 2007 Apr 24.], "Improved drought tolerance without undesired side effects in transgenic plants producing trehalose.", Karim S, Aronsson H, Ericson H, Pirhonen M, Leyman B, Welin B, Mäntylä E, Palva ET, Van Dijck P, Holmström KO., {{PMID|17453154}}</ref>。[[グルコース-6-リン酸]]と[[UDP-グルコース]]からトレハロース-6-リン酸<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C00689 トレハロース-6-リン酸]</ref>を合成する酵素、トレハロース-6-リン酸合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec24115"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.4.1.15 trehalose 6-phosphate synthase], EC 2.4.1.15, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R00836+R06043+R02737+R06226 反応]}}とトレハロース-6-リン酸からトレハロースに変換する酵素、トレハロース-6-リン酸脱リン酸化酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec31312"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.1.3.12 trehalose 6-phosphate phosphatase], EC 3.1.3.12, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R02778+R06228 反応]}}を導入することによって達成された。
==== 活性酸素消去酵素によるストレス耐性 ====
アスコルビン酸ペルオキシダーゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec111111"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.11.1.11 ascorbate peroxidase], EC 1.11.1.11, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00644 反応]}}や[[グルタチオン]]ペルオキシダーゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec11119"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.11.1.9 glutathione peroxidase], EC 1.11.1.9, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00274 反応]}}や[[カタラーゼ]]{{refnest|group="注釈"|name="ec11116"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.11.1.6 catalase], EC 1.11.1.6, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00009 反応]}}やSOD{{refnest|group="注釈"|name="ec11511"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.15.1.1 superoxide dismutase], EC 1.15.1.1, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00275 反応]}}などの[[活性酸素]]を除去する[[酵素]]を過剰生産することによって、さまざまなストレス耐性を付与する研究が進んでいる<ref>Plant Biotechnol Rep (2007) 1:49-55, "Enhancement of salt tolerance in transgenic rice expressing an ''Escherichia coli'' catalase gene, ''katE''", Kenji Nagamiya, Tsuyoshi Motohashi, Kimiko Nakao, Shamsul Haque Prodhan, Eriko Hattori, Sakiko Hirose, Kenjiro Ozawa, Yasunobu Ohkawa, Tetsuko Takabe, Teruhiro Takabe, Atsushi Komamine</ref><ref>Plant Biotechnol Rep. (2008) 2:41-46, "Overexpression of the ''Escherichia coli'' catalase gene, ''katE'', enhances tolerance to salinity stress in the transgenic indica rice cultivar, BR5", Teppei Moriwaki, Yujirou Yamamoto, Takehiko Aida, Tatsuya Funahashi, Toshiyuki Shishido, Masataka Asada, Shamusul Haque Prodhan, Atsushi Komamine, Tsuyoshi Motohashi</ref>。
==== ムギネ酸類生産によるアルカリ土壌鉄欠乏耐性イネ ====
アルカリ土壌中において三価鉄は安定であり、植物の根から放出される[[有機酸]]で可溶化することは困難である。そのため、アルカリ土壌中では植物は鉄欠乏を起こして生育しにくい。[[イネ科]]植物の根は[[ムギネ酸]]類とよばれる[[キレート]]能を持つ物質を放出して、アルカリ土壌中の三価鉄を吸収している。[[オオムギ]]はその能力が高いため、アルカリ土壌中でもよく生育できるが、イネやトウモロコシの能力は低く、アルカリ土壌中での生育は困難である。そこで、アルカリ土壌中でも生育できるイネの開発を目的として、イネのムギネ酸生合成系を強化して鉄欠乏耐性イネが開発された。
ムギネ酸の生合成は、まず3分子の''S''-アデノシル-<small>L</small>-メチオニン (''S''-adenosyl-<small>L</small>-methionine<ref name="名前なし-1"/>: SAM)から1分子のニコチアナミン(nicotianamine<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C05324 nicotianamine]</ref>) を合成する酵素であるニコチアナミン合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec25143"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.5.1.43 nicotianamine synthase], EC 2.5.1.43, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00075 反応]}}によって始まり、ニコチアナミンから3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミン (3"-deamino-3"-oxonicotianamine<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C15486 3"-deamino-3"-oxonicotianamine]</ref>) に変換する酵素であるニコチアナミン・アミノ基転移酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec26180"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.6.1.80 nicotianamine aminotransferase], EC 2.6.1.80, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R07277 反応]}}や、3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミンから2'-デオキシムギネ酸 (2'-deoxymugineic acid<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C15485 2'-deoxymugineic acid]</ref>) に還元する酵素である3"-デアミノ-3"-オキソニコチアナミン還元酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec111285"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.1.1.285 3"-deamino-3"-oxonicotianamine reductase], EC 1.1.1.285, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R07141+R07142 反応]}}や、2'-デオキシムギネ酸からムギネ酸へ変換する酵素である2'-デオキシムギネ酸-2'-ジオキシゲナーゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec1141124"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.14.11.24 2'-deoxymugineic acid-2'-dioxygenase: IDS3], EC 1.14.11.24, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R07185 反応]}}などの酵素が関与している。これらの酵素遺伝子はオオムギより単離されている。これらの酵素遺伝子が導入されたイネはアルカリ土壌における鉄欠乏に耐性を示した<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11329018?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=3 Nat Biotechnol. 2001 May;19(5):466-9.], "Enhanced tolerance of rice to low iron availability in alkaline soils using barley nicotianamine aminotransferase genes.", Takahashi M, Nakanishi H, Kawasaki S, Nishizawa NK, Mori S., {{PMID|11329018}}</ref>。現在、さまざまな遺伝子が導入された形質転換イネが試験栽培されている<ref>[http://www.bch.biodic.go.jp/download/lmo/public_comment/1NAS1ap.pdf 鉄欠乏耐性イネ(''HvNAS1'', ''Oryza sativa'' L.) (gHvNAS1-1)申請書等の概要]</ref><ref>[http://www.bch.biodic.go.jp/download/lmo/public_comment/2NAATap.pdf 鉄欠乏耐性イネ(''HvNAAT-A'', ''HvNAAT-B'', ''Oryza sativa'' L.) (gHvNAAT1)申請書等の概要]</ref><ref>[http://www.bch.biodic.go.jp/download/lmo/public_comment/3Ids3ap.pdf 鉄欠乏耐性イネ(''HvIDS3'', ''Oryza sativa'' L.) (gHvIDS3-1)申請書等の概要]</ref>。
==== フラボドキシン生産による鉄欠乏耐性植物 ====
鉄は電子伝達系の電子伝達タンパク質である[[フェレドキシン]]の構成成分であり、高等植物において鉄が欠乏すると結果としてフェレドキシンが不足し、電子伝達系が関与しているプラスチドの光合成系などに支障をきたす。ところが、ある種の[[ラン藻]]や[[藻類]]においては、フェレドキシンが不足すると、フェレドキシンと類似した機能を持ち、多くの反応においてフェレドキシンの代替となるフラボドキシン (flavodoxin) が合成される。フラボドキシンは[[フラビンモノヌクレオチド]]を含む電子伝達タンパク質である。そこで、ラン藻由来のフラボドキシン遺伝子にプラスチドへの移行シグナル部分の塩基配列を融合したものを高等植物において発現させると鉄欠乏耐性が増強されることが確認されている<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16829589 Plant Cell. 2006 Aug;18(8):2035-50.], "Functional replacement of ferredoxin by a cyanobacterial flavodoxin in tobacco confers broad-range stress tolerance.", Tognetti VB, Palatnik JF, Fillat MF, Melzer M, Hajirezaei MR, Valle EM, Carrillo N., {{PMID|16829589}}, {{PMC|1533984}}.</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18706721 Trends Biotechnol. 2008 Oct;26(10):531-7.], "Combating stress with flavodoxin: a promising route for crop improvement.", Zurbriggen MD, Tognetti VB, Fillat MF, Hajirezaei MR, Valle EM, Carrillo N., {{PMID|18706721}}.</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21205028 Plant J. 2011 Mar;65(6):922-35.], "Cyanobacterial flavodoxin complements ferredoxin deficiency in knocked-down transgenic tobacco plants.", Blanco NE, Ceccoli RD, Segretin ME, Poli HO, Voss I, Melzer M, Bravo-Almonacid FF, Scheibe R, Hajirezaei MR, Carrillo N., {{PMID|21205028}}.</ref>。
=== 組換え作物の収量 ===
Roundup Ready2Yieldのように初めから収量を高めるように育種されたものでもなくても、除草剤耐性ダイズや害虫抵抗性トウモロコシの収量が在来種よりも高いことが報告されている<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/097/mgzn09710.html 情報:農業と環境 No.97 (2008年5月1日)], "GMO情報: 除草剤耐性品種でなぜ収量が増えるのか?", 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
;除草剤耐性ダイズ
:栽培技術の面で除草剤耐性ダイズを栽培する際に[[畝]]間を狭くすることでより高密度で種子をまいて、単位面積あたりの収量を増加させる栽培法が利用できるようになった。在来品種では1 haあたり60万株を栽培していた。それよりも高密度栽培をすると光条件が悪くなるため、1株あたりの莢数と種子数は減少したが、1つ1つの種子は大きくなり、最終的な収穫量は1haあたり80万株で最大となった。
;害虫抵抗性トウモロコシ
:害虫抵抗性の組換え品種は、害虫の加害による損失を減らすため、基礎収量の同じ非組換え品種と比べても、結果として高い収量が得られることになる。それだけではなく、高密度栽培によっても収量が増えている。害虫抵抗性トウモロコシの場合、茎に潜り込む[[アワノメイガ]]などの被害が減るため密植しても茎が倒れる被害が減るためである。
== 第二世代組換え食品の開発状況 ==
=== 概説 ===
第二世代組換え食品とは、[[ワクチン]]等の有用タンパク質の工場として利用することができたり、栄養素を多く含ませたり、食品中の有害物質を低減させたり、消費者にとって利益が目に見えるものである。例えば、B型肝炎予防の食べるワクチンとして[[B型肝炎]][[ウイルス]]の表面[[抗原]]をバナナで発現させ[[経口免疫]]によってB型肝炎感染を防除する試みがある<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15918027?ordinalpos=6&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum Planta, vol. 222, No. 3, p. 484-493, October 2005], "Expression of hepatitis B surface antigen in transgenic banana plants.", Kumar GB, Ganapathi TR, Revathi CJ, Srinivas L, Bapat VA., {{PMID|15918027}}</ref>。油糧種子中の油脂の[[脂肪酸]][[残基]]組成を改変することは、第二世代組換え食品開発の初期からの目標であった。また、日本においては[[インスリン]]を分泌誘導して[[糖尿病]]になりにくくする[[コメ]]や経口[[免疫寛容]]による[[スギ花粉症]]を低減するコメの開発が先行している。また、鉄分を多く含むコメも開発中である。
=== オレイン酸高含有遺伝子組換えダイズ ===
一般的なダイズ油中の[[不飽和脂肪酸]]残基の組成は[[リノール酸]](18:2)(約50%)、[[オレイン酸]](18:1)(約20%)、[[リノレン酸]](18:3)(約10%)である。一方、オレイン酸高含有遺伝子組換えダイズ油(高オレイン酸ダイズ油)には約85%のオレイン酸残基が含まれ、リノール酸やリノレン酸などの多価不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acids : PUFAs)残基が少ない。オレイン酸のような一価不飽和脂肪酸(monounsaturated fatty acid)残基を多量に含む油脂は血中の高密度[[リポタンパク質]](high density lipoprotein : HDL)の比率を増やして、[[動脈硬化症|動脈硬化]]を防止すると考えられている。更に、オレイン酸はPUFAsに比べ酸化に安定である。そのため、高オレイン酸ダイズ油は揚げ油などに適している。
これは、炭素数18の脂肪酸の不飽和化に関与している酵素の発現を制御することによって達成された。
[[ステアリン酸]]からリノール酸までの不飽和化酵素[[デサチュラーゼ]]には、[[ステアリン酸]](18:0)の[[CoA]][[チオエステル]]であるステアロイルCoA (stearoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C00412 stearoyl-CoA]</ref>)からオレイン酸のCoAチオエステルであるオレオイルCoA (oleoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C00510 oleoyl-CoA]</ref>)への反応を触媒するΔ9-desaturase<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.14.19.1 Δ9-desaturase]</ref> (ω9-desaturaseとも{{refnest|group="注釈"|name="ec114191"|EC 1.14.19.1, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R02222 反応]}}とオレイン酸残基からリノール酸残基への不飽和化に関与している酵素ω6-desaturase ([[デサチュラーゼ]], Δ12-desaturaseとも: FAD2)がある。このω6-desaturaseの遺伝子(''FAD2'')の発現を抑制することによってオレイン酸残基の含量を高めている。[[デュポン]]社のダイス 260-05系統に関しては、「高オレイン酸ダイズ(''GmFad2-1'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(260-05, OECD UI :DD- Ø26ØØ5-3) 申請書等の概要<ref>[https://www.env.go.jp/info/iken/h190301a/a-3.pdf 高オレイン酸ダイズ(''GmFad2-1'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(260-05, OECD UI :DD- Ø26ØØ5-3) 申請書等の概要]</ref>」により、公表されている。
更に、FAD2を抑制するだけではなくFATBも抑制することにより、飽和脂肪酸残基含量が少なくオレイン酸残基含量の多いダイズが開発されている。FATBとは、パルミトイル-ACP チオエステラーゼ(palmitoyl-ACP thioesterase, EC 3.1.2.14{{refnest|group="注釈"|name="ec31214"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?3.1.2.14 EC 3.1.2.14]、[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?R01706 反応]}}, ACP: acyl carrier protein、アシル輸送タンパク質)であり、炭素鎖14-18の飽和脂肪酸残基を持つアシル-ACPを加水分解でき、その中でも主にパルミトイル-ACP (16:0-ACP)を加水分解する。一方、FATAはオレオイル-ACPを加水分解する{{refnest|group="注釈"|name="r02814"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?R02814 反応]}}。FATBが抑制され、FATA活性が十分ある場合、飽和脂肪酸残基が減少し、不飽和脂肪酸残基が増加する。更に、多価不飽和脂肪酸残基への変換を触媒するFAD2が抑制されていれば、一価不飽和脂肪酸残基であるオレイン酸残基の含量は増加する。このような形質を持つモンサント社のMON87705系統に関しては、「低飽和脂肪酸・高オレイン酸及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(''GmFAD2-1A'', ''GmFATB1A'', 改変''cp4 epsps'', ''Glycine ma''x (L.) Merr.)(MON87705, OECD UI: MON-877Ø5-6)申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/public_comment/MON87705ap.pdf 低飽和脂肪酸・高オレイン酸及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(''GmFAD2-1A'', ''GmFATB1A'', 改変''cp4 epsps'', ''Glycine ma''x (L.) Merr.)(MON87705, OECD UI: MON-877Ø5-6)申請書等の概要]</ref>」により、公表されている。
=== ステアリドン酸含有遺伝子組換えダイズ ===
[[エイコサペンタエン酸]](eicosapentaenoic acid(20:5): EPA)や[[ドコサヘキサエン酸]](docosahexaenoic acid(22:6): DHA) などの長鎖[[ω-3脂肪酸]]は、心臓発作のリスクを軽減することが知られている。これらの脂肪酸の[[前駆体]]である[[ステアリドン酸]](stearidonic acid(18:4): SDA)の残基を含むダイズを育種した。ダイズにはSDAが含まれない。これは、炭素鎖18個の[[脂肪酸]]の[[カルボキシル基]]から数えて6番目と7番目の炭素の間を二重結合を導入するω12-desaturase{{refnest|group="注釈"|name="desaturase"|[[デサチュラーゼ]]: カルボキシル基の反対側から数えて12番目と13番目の炭素の間に二重結合、Δ6-desaturaseともいう, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.14.19.3 EC 1.14.19.3], [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R03814 反応]}}がダイズにないためである。そこで[[サクラソウ]]の一種である''Primula juliae''からω12-desaturaseに対応するコーディング領域が導入された。
また、ダイズの[[リノール酸]]残基からα-[[リノレン酸]]残基へ変換するω3-desaturase(Δ15-desaturase: FAD3)の活性を高めるために、[[アカパンカビ]](''Neurospora crassa'')のΔ15-desaturaseの遺伝子も導入されている。その結果、リノール酸のCoA[[チオエステル]]であるリノレオイル-CoA (linoleoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C02050 linoleoyl-CoA]</ref>)からω12-desaturaseによってγ-リノレン酸のCoAチオエステルであるγ-リノレノイル-CoA (γ-linolenoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C03035 γ-linolenoyl-CoA]</ref>){{refnest|group="注釈"|name="r03814-2"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R03814 反応]}}に、γ-リノレノイル-CoAからω3-desaturaseによってステアリドノイル-CoA(stearidonoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C16163 stearidonoyl-CoA]</ref>)へと変換される。もしくは、リノレオイル-CoAからω3-desaturaseによってα-リノレン酸のCoAチオエステルであるα-リノレノイル-CoA (α-linolenoyl-CoA<ref>[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C16162 α-linolenoyl-CoA]</ref>)へ、α-リノレノイルCoAからω12-desaturaseによってステアリドノイル-CoA{{refnest|group="注釈"|name="r07933"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R07933 反応]}}へと変換される。
ステアリドン酸含有遺伝子組換えダイズに関してはモンサント社のMON87769が、「ステアリドン酸産生及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(改変''Pj.D6D'', 改変''Nc.Fad3'', 改変''cp4 epsps'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(MON87769×MON89788, OECD UI:MON-87769-7×MON-89788-1)申請書等の概要<ref>[https://www.biodic.go.jp/bch/download/lmo/H27.5.22_daizu_ap1.pdf ステアリドン酸産生及び除草剤グリホサート耐性ダイズ(改変''Pj.D6D'', 改変''Nc.Fad3'', 改変''cp4 epsps'', ''Glycine max'' (L.) Merr.)(MON87769×MON89788, OECD UI:MON-87769-7×MON-89788-1)申請書等の概要]</ref>」で公表されている。
=== リシン高含有トウモロコシ ===
<small>L</small>-[[リシン]] (<small>L</small>-lysine) は[[必須アミノ酸]]の一種である。しかし、イネ科の植物の[[貯蔵タンパク質]]ではその含有量が低いため、飼料として使う際にはリシンを添加している。このコストを低減するために、リシンを多く含む[[トウモロコシ]]であるモンサントLY038が開発された。
現在、市販されているリシンは、微生物{{refnest|group="注釈"|name="lysine"|多くの場合、リシン生産菌として[[コリネバクテリウム属]]細菌の''Corynebacterium glutamicum''が用いられている。}}を用いた[[アミノ酸発酵]]によって工業生産されているものである。各アミノ酸生合成系では、それぞれのアミノ酸濃度が低下すると生合成が促進されるとともに、必要以上にアミノ酸濃度が上昇すると生合成が抑制されるように[[フィードバック制御]]されている。微生物によるアミノ酸発酵においてはそのアミノ酸の生合成系の[[鍵酵素]]の[[フィードバック阻害]]が解除されたものを利用することが多い。あるアミノ酸の生合成系のフィードバック阻害解除株はそのアミノ酸の[[アナログ]]に対する耐性株([[アナログ耐性]]株)として得られる。リシン生合成の場合、フィードバック阻害は、リシン生合成系の酵素群の1つで鍵酵素でもあるジヒドロジピコリン酸合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec42152"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+4.2.1.52 dihydrodipicolinate synthase]: EC 4.2.1.52, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R02292 反応]}}(DHDPS)の[[酵素活性]]の低下で生じる。最終産物であるリシンがネガティブ・エフェクターとして[[アロステリック酵素]]であるDHDPSに作用する。
そこで、リシン・[[アナログ耐性]]の''Corynebacterium glutamicum''のDHDPS(リシンによるフィードバック阻害が解除されている変異型)をコードしている遺伝子''cordapA''が利用された。更に、植物の[[細胞質]]中で合成された''C. glutamicum''の変異型DHDPSが植物のリシン生合成の場である[[プラスチド]]へ移行できるように、トウモロコシのDHDPSの遺伝子''mDHDPS''のプラスチドへの移行配列(transit peptide)部分の塩基配列が、''C. glutamicum''のDHDPS遺伝子(''cordapA'')と連結された[[融合遺伝子]]がつくられた。それにトウモロコシの[[胚乳]]の貯蔵タンパク質である[[グロブリン]](globlin 1)の遺伝子のプロモーターと連結されたものがトウモロコシに導入された。導入された''C. glutamicum''の変異型DHDPSはフィードバック阻害が解除されているため植物でもリシン生合成がフィードバック阻害されず、また、胚乳中で発現するグロブリン遺伝子のプロモーターによってトウモロコシ種子中のリシン含有量が増加した。モンサントLY038の「生物多様性影響評価書の概要<ref>[https://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=9206&hou_id=8076 生物多様性影響評価書の概要]</ref>」、「高リシン(lysine)トウモロコシ(''cordapA'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(LY038, OECD UI: REN-ØØØ38-3)の生物多様性影響評価書の概要<ref>[https://www.env.go.jp/press/files/jp/9206.pdf 高リシン(lysine)トウモロコシ(''cordapA'', ''Zea mays'' subsp. ''mays'' (L.) Iltis)(LY038, OECD UI: REN-ØØØ38-3)の生物多様性影響評価書の概要]</ref>」は、公開されている。形質転換における選択系・選択マーカー遺伝子の除去系として、後述の「選択マーカー遺伝子の除去系」のうちの「[[Cre-loxP部位特異的組換え|Cre-''loxP'' system]]」が用いられている。
=== プロビタミンA強化作物 ===
==== 概説 ====
[[ビタミンA]]の欠乏は、子供の[[失明]]や発育障害などを招き、慢性的に摂取量が少ない後進地域では将来の人口構成にまで影響を与える。このため、国際協力の一環として様々な研究機関や団体がビタミンAの摂取量を高めるための品種改良に取り組んでいる<ref>{{Cite web|和書|date= 2012.09.13|url=https://bio.nikkeibp.co.jp/article/news/20120905/163101/ |title= 国際アグリバイオ事業団(ISAAA)アグリバイオ最新情報【2012年8月31日】|publisher= 日経バイオテクオンライン|accessdate=2018-04-13}}</ref>。植物の[[カロテノイド]]の一部はビタミンAの[[前駆体]]である[[プロビタミンA]]である。1分子の[[β-カロテン]](β-carotene)から2分子のビタミンAに、1分子の[[α-カロテン]]やγ-カロテンや[[β-クリプトキサンチン]]から1分子のビタミンAに変換される。そこで、作物中のプロビタミンA量を増やすための機構として次のものが挙げられる。
* カロテノイド生合成系の強化によるカロテノイド全体の増加
* プロビタミンAとしての効力の高いβ-カロテンの高比率化
* [[カロテン]]から[[キサントフィル]]への変換の抑制
そこでイネ、トウモロコシ、コムギ、ジャガイモ、[[サツマイモ]]など様々な作物において、これらの機構が応用されてプロビタミンA強化作物が開発されている。
==== ゴールデンライス ====
{{main|ゴールデンライス}}
多くの発展途上国において深刻な問題になっている[[ビタミンA]](vitamin A)欠乏の解決策として開発されたイネの品種である<ref name="Paine2005">{{Cite journal |last=Paine |first=Jacqueline A. |last2=Shipton |first2=Catherine A. |last3=Chaggar |first3=Sunandha |last4=Howells |first4=Rhian M. |last5=Kennedy |first5=Mike J. |last6=Vernon |first6=Gareth |last7=Wright |first7=Susan Y. |last8=Hinchliffe |first8=Edward |last9=Adams |first9=Jessica L. |date=2005-04 |title=Improving the nutritional value of Golden Rice through increased pro-vitamin A content |url=https://www.nature.com/articles/nbt1082 |journal=Nature Biotechnology |volume=23 |issue=4 |pages=482–487 |language=en |doi=10.1038/nbt1082 |issn=1546-1696}}</ref>。ビタミンAの[[前駆体]]である[[β-カロテン]]を内胚乳に含有するため精米された米が黄金色を呈することから、このような名称がつけられた<ref name="光合成辞典">{{Cite web|和書|url=https://photosyn.jp/pwiki/index.php?%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9 |title=ゴールデンライス |access-date=2023-03-05 |website=光合成事典 |publisher=日本光合成学会}}</ref>。
ゴールデンライスには植物由来の[[フィトエン]]合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec25132"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+2.5.1.32 phytoene synthase], EC 2.5.1.32, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R07916+R02065+R07270 反応]}}の遺伝子''psy''と細菌由来のフィトエン不飽和化酵素{{refnest|group="注釈"|name="phy-desa"|フィトエン・[[デサチュラーゼ]]: phytoene desaturase: [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.3.99.31 CrtI], EC 1.3.99.31, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R04787+R04798+R04800+R09692+R09716 反応]}}の遺伝子''crtI''が導入されており、[[リコペン]]を合成できる<ref name="光合成辞典" />。細菌由来のフィトエン不飽和化酵素であるCrtIは植物のカロテノイド合成場所である[[プラスチド]]へはそのままでは移行できないので、''crtI''にはプラスチドへの移行ペプチドをコードした塩基配列が融合されている<ref>{{Cite journal |last=Hirschberg |first=Joseph |date=2001-06-01 |title=Carotenoid biosynthesis in flowering plants |url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1369526600001631 |journal=Current Opinion in Plant Biology |volume=4 |issue=3 |pages=210–218 |language=en |doi=10.1016/S1369-5266(00)00163-1 |issn=1369-5266}}</ref>。リコペンはイネの内胚乳中にもともと存在するリコペンβ-環化酵素{{refnest|group="注釈"|name="lycopene1"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:5.5.1.19 lycopene β-cyclase], EC 5.5.1.19, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R03824+R04801+R05341+R06962+R07856+R10508 反応]}}によってβ-カロテンに変換される<ref>{{Cite web |url=http://www.goldenrice.org/Content2-How/how1_sci.php |title=The science behind Golden Rice |access-date=2023-03-05 |website=www.goldenrice.org}}</ref>。
ゴールデンライス自体を主食としてもビタミンAの必要量を満たさないとの主張が遺伝子組換え食品反対派にあったが、[[2005年]]には、新たにゴールデンライス2が発表され、これだけを摂食することでビタミンAの必要量がまかなえるようになった<ref name="Paine2005" />。これは[[カロテノイド]]生合成系遺伝子としてゴールデンライスで用いられていた[[スイセン]]由来の''psy''の代わりに[[トウモロコシ]]由来の''psy''を利用することにより達成された<ref name="Paine2005" />。
ゴールデンライスは2015年に[[米国特許商標庁|アメリカ合衆国特許商標庁]]の"{{仮リンク|Patents for Humanity Awards|en|Patents for Humanity}}"を受賞し<ref name=":3">{{cite web|url=http://www.ipwatchdog.com/2015/04/20/patents-for-humanity-awards-ceremony-at-the-white-house/id=57015/|title=Patents for Humanity Awards Ceremony at the White House|date=20 April 2015|work=IP Watchdog Blog|accessdate=2020-02-24|publisher=}}</ref>、2018年にはオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ合衆国で食品として承認され<ref name="GR2E">{{Cite web|url=https://geneticliteracyproject.org/2018/05/29/us-fda-approves-gmo-golden-rice-as-safe-to-eat/|title=US FDA approves GMO Golden Rice as safe to eat {{!}} Genetic Literacy Project|website=geneticliteracyproject.org|language=en-US|access-date=2018-05-30}}</ref>、そして2021年に世界で初めて[[フィリピン]]で洪水と乾燥の両方に耐性があるコメ品種「RC82」を遺伝子操作したゴールデンライスの商業栽培が認可された<ref name="210801農業新聞">{{Cite news |title=GM米 商業栽培認可 フィリピンで世界初 |newspaper=日本農業新聞 |date=2021-08-01 |url=https://www.agrinews.co.jp/news/index/16706 |accessdate=2023-03-06 |publisher=日本農業新聞 |language=ja}}</ref>。
==== プロビタミンA強化ジャガイモ ====
[[ジャガイモ]]においては様々な機構が適用されて[[塊茎]]中のプロビタミンAが強化されたジャガイモが開発されている。ゴールデンライスと同様に'''カロテノイド生合成を強化'''する目的で、''Erwinia''由来のフィトエン合成酵素(CrtB)とフィトエン不飽和化酵素(CrtI)とリコペンβ-環化酵素(CrtY)の遺伝子が導入されたものが開発された<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17406674 PLoS One. 2007 Apr 4;2(4):e350.], "Metabolic engineering of potato carotenoid content through tuber-specific overexpression of a bacterial mini-pathway.", Diretto G, Al-Babili S, Tavazza R, Papacchioli V, Beyer P, Giuliano G., {{PMID|17406674}}, {{PMC|1831493}}.</ref>。また、プロビタミンAとしての効力の高い'''β-カロテンの高比率化'''をはかるために、α-カロテンの合成に関与するリコペンε-環化酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec55118"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ko:K06444 lycopene ε-cyclase], EC 5.5.1.18, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R06960+R06963+R07840 反応]}}を抑制して、β-環を持つカロテノイドの含量を高めたものも開発されている<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16800876 BMC Plant Biol. 2006 Jun 26;6:13.], "Metabolic engineering of potato tuber carotenoids through tuber-specific silencing of lycopene epsilon cyclase.", Diretto G, Tavazza R, Welsch R, Pizzichini D, Mourgues F, Papacchioli V, Beyer P, Giuliano G., {{PMID|16800876}}, {{PMC|1570464}}.</ref>。更に、'''β-カロテンからキサントフィルへの変換を抑制'''することにより、β-カロテン含量を高めたジャガイモも開発されている。β-カロテンのβ-環を水酸化する酵素、β-カロテン 3-水酸化酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec11413129"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?K15746+1.14.13.129+R07558 β-carotene 3-hydroxylase], EC 1.14.13.129, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R07558+R07559+R09747+R07530+R07561+R07562+R07568+R07569+R07570+R07572+R07851 反応]}}を抑制するものである<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17335571 BMC Plant Biol. 2007 Mar 2;7:11], "Silencing of beta-carotene hydroxylase increases total carotenoid and beta-carotene levels in potato tubers.", Diretto G, Welsch R, Tavazza R, Mourgues F, Pizzichini D, Beyer P, Giuliano G., {{PMID|17335571}}, {{PMC|1828156}}.</ref>。これらのプロビタミンAが強化されたジャガイモの塊茎の断面は黄色味を呈する。
=== ビタミンE強化ダイズ ===
[[トコフェロール]]類には[[ビタミンE]]活性があるが、分子種によってその活性の強弱は異なる。トコフェロール類はメチル化の程度やメチル基の位置によって、α-, β-, γ-, δ-トコフェロールと区別されている。これらの中では、α-トコフェロールが最もビタミンE活性が強い分子種であり、次がβ-トコフェロールである。ダイズ種子に由来するダイズ油中に存在するトコフェロール類の主要分子種はγ-トコフェロールであり、次がδ-トコフェロールである。これらはビタミンE活性が弱い。そこで、これらをα-トコフェロールやβ-トコフェロールに変換することによってビタミンE活性を増強することが試みられた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16909228 Plant Cell Rep. 2007 Jan;26(1):61-70.], "Increased alpha-tocopherol content in soybean seed overexpressing the ''Perilla frutescens'' gamma-tocopherol methyltransferase gene.", Tavva VS, Kim YH, Kagan IA, Dinkins RD, Kim KH, Collins GB., {{PMID|16909228}}</ref>。[[エゴマ]](''Perilla frutescens'', [[シソ]]と同種の植物)のγ-トコフェロール・メチル転移酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec21195"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.1.1.95 γ-tocopherol methyltransferase], EC 2.1.1.95, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R07236+R07504 反応]}}の遺伝子を[[エンドウマメ]]の種子特異的貯蔵タンパク質であるvicillinの遺伝子のプロモーターを用いてダイズの種子中で発現させた。その結果、γ-トコフェロールやδ-トコフェロールの含量は大幅に減る一方、α-トコフェロール含量は10倍強、β-トコフェロール含量は15倍弱まで増えた。その結果、ビタミンE活性が4.8倍強化されたダイズ種子が得られた。
=== アントシアニン高含有果実 ===
[[アントシアニン]]は[[フラボノイド]]系の[[ポリフェノール]]であり、植物の重要な[[色素]]である。アントシアニンには[[抗酸化活性]]とともに様々な[[生理活性]]があり、[[健康食品]]としても注目されている。このアントシアニンを[[トマト]]で大量に蓄積させることに成功した。[[キンギョソウ]]由来のアントシアニンの合成を誘導する2種類の[[転写因子]]の遺伝子''Delila'' (''Del'')([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/M84913?filetype=html ACCESSION M84913塩基配列])と''Rosea1'' (''Ros1'')([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/DQ275529?filetype=html ACCESSION DQ275529塩基配列])をトマトに導入し、過剰発現させたところ、[[デルフィニジン]]系のアントシアニンを大量に蓄積した紫色のトマトの果実ができた<ref>[http://www.nature.com/nbt/journal/v26/n11/abs/nbt.1506.html Nature Biotechnology 26, 1301 - 1308 (2008)], "Enrichment of tomato fruit with health-promoting anthocyanins by expression of select transcription factors", Eugenio Butelli, Lucilla Titta, Marco Giorgio, Hans-Peter Mock, Andrea Matros, Silke Peterek, Elio G W M Schijlen, Robert D Hall, Arnaud G Bovy, Jie Luo & Cathie Martin</ref>。このアントシアニンが大量に蓄積して果実が紫色になる形質は、トマトの他の品種と交配させると、交雑品種にも遺伝することが示されている。
=== スギ花粉米 ===
{{main|スギ花粉米}}
スギ花粉米とは、摂食により[[スギ花粉症]]を緩和させることを目的に、スギ花粉が持つ[[抗原]]タンパク質が種子に蓄積するように遺伝子組換えによって作出されたイネである。2005年に[[農業生物資源研究所]]の高木英典らによってマウスでスギ花粉へのアレルギー症状の緩和が報告され、ヒトへの応用に向け研究開発が進められている<ref name="bio160">{{Cite book |last=日本学術振興会植物バイオ第160委員会 |title=救え!世界の食料危機: ここまできた遺伝子組換え作物 |url=https://books.google.co.jp/books/about/%25E6%2595%2591%25E3%2581%2588_%25E4%25B8%2596%25E7%2595%258C%25E3%2581%25AE%25E9%25A3%259F%25E6%2596%2599%25E5%258D%25B1%25E6%25A9%259F.html?id=_Ep8-wztmlgC&printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false |date=2009-03 |publisher=化学同人 |isbn=9784759811728}}</ref>。
=== 鉄分豊富なコメ ===
上記にあるゴールデンライスと同様に、多くの発展途上国において深刻な問題になっている[[鉄]]欠乏とそれによる[[貧血]]の解決策として鉄分豊富なコメが開発されている。大きく分けて二つの方法がある。一つは、鉄を貯蔵するダイズ由来のタンパク質である[[フェリチン]](ferritin)の分子種H1やH2<ref>[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=AB062754-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j H2]</ref>をイネの種子中に多量に蓄積させることで種子中の鉄貯蔵能力を高め、鉄含有量を増加させる方法であり、こちらは"フェリチン米"とも呼ばれている<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10096297?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=4 Nat Biotechnol. 1999 Mar;17(3):282-6.], "Iron fortification of rice seed by the soybean ferritin gene.", Goto F, Yoshihara T, Shigemoto N, Toki S, Takaiwa F., {{PMID|10096297}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15821927?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=1 Planta. 2005 Oct;222(2):225-33. Epub 2005 Apr 9.], "Iron accumulation does not parallel the high expression level of ferritin in transgenic rice seeds.", Qu le Q, Yoshihara T, Ooyama A, Goto F, Takaiwa F., {{PMID|15821927}}</ref>。もう一つは、植物にとって鉄イオン吸収に関わる[[ムギネ酸]]合成の前駆体であるとともに鉄イオンの体内輸送に係る[[ニコチアナミン]]を合成する酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec25143"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.5.1.43 nicotianamine synthase], EC 2.5.1.43, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00075 反応]}}の遺伝子の発現量を高める方法である。[[オオムギ]]由来の高発現のニコチアナミン合成酵素遺伝子をイネに導入して植物体中のニコチアナミンを増やすことで鉄の種子への輸送能力を高めている。こちらの方法では[[白米]]中の鉄濃度が3倍に増加していた<ref>「鉄分3倍含むコメ開発、貧血解消にも効果期待」, 2010年1月14日, 読売新聞</ref><ref>「鉄分3倍のイネ開発 東大など 遺伝子組み換えで」, 米山正寛, 2010年2月16日, 科学面, 朝日新聞</ref>。ニコチアナミン合成酵素遺伝子は、アルカリ性土壌でも鉄イオンを吸収して生育できるイネやトウモロコシの開発にも利用されている。
=== フィターゼ生産作物 ===
[[フィチン酸]](phytate{{refnest|group="注釈"|name="phytate"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C01204 phytate]}}は種子などの多くの植物組織に存在する植物における主要な[[リン酸]]の貯蔵形態である。フィチン酸は[[キレート]]作用が強く、多くの金属イオンを強く結合し、特に[[フィチン]] (phytin: 不溶性のフィチン酸の金属塩)の形で多く存在する。フィチン酸のリン酸残基は、非反芻動物ではフィチン酸加水分解酵素であるフィターゼ{{refnest|group="注釈"|name="ec3138p"|phytase, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.1.3.8 EC 3.1.3.8], [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R03371 反応], [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.1.3.26 EC 3.1.3.26], [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R03372 反応]}}がほとんどないため、消化・吸収されにくい。非反芻動物由来の糞便中から未分解のフィチン酸が環境に放出されると環境中で分解されてリン酸が遊離して水圏の富栄養化を招くこととなる。一方、[[ウシ]]などの反芻動物はルーメン([[反芻胃]])内の微生物によって作られるフィターゼが加水分解するためフィチン酸由来のリン酸を利用できる。
現在、フィチン酸由来のリン酸やフィチンとして不溶化されているミネラルの吸収を増す目的で非反芻動物の飼料には、微生物由来のフィターゼを添加することがある。そこで、フィターゼを飼料に添加しなくてもよいように[[糸状菌]]や大腸菌のフィターゼの遺伝子をトウモロコシやダイズで発現させてフィチン酸のリン酸の有効利用率を高める試みが行われた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17932782?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=1 Transgenic Res. 2008 Aug;17(4):633-43. Epub 2007 Oct 12.], "Transgenic maize plants expressing a fungal phytase gene.", Chen R, Xue G, Chen P, Yao B, Yang W, Ma Q, Fan Y, Zhao Z, Tarczynski MC, Shi J., {{PMID|17932782}}</ref>。更に、フィターゼ生産トウモロコシを[[ニワトリ]]に給餌してフィチン酸由来のリン酸の有効利用率が上昇していることが確かめられた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18809864?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=13&log$=free Poult Sci. 2008 Oct;87(10):2015-22.], "Corn expressing an ''Escherichia coli''-derived phytase gene: comparative evaluation study in broiler chicks.", Nyannor EK, Adeola O., {{PMID|18809864}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19531712?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=5 Poult Sci. 2009 Jul;88(7):1413-20.], "Corn expressing an ''Escherichia coli''-derived phytase gene: residual phytase activity and microstructure of digesta in broiler chicks.", Nyannor EK, Bedford MR, Adeola O., {{PMID|19531712}}</ref>。
その他、フィチン酸は金属イオンに対するキレート活性が高いためフィチン酸によって鉄の吸収が阻害されるが、鉄貯蔵タンパク質である[[フェリチン]](ferritin)とフィターゼを共に生産させたトウモロコシでは鉄分の有効利用率が有意に上昇していた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16307363?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=2 Plant Mol Biol. 2005 Dec;59(6):869-80.], "Endosperm-specific co-expression of recombinant soybean ferritin and ''Aspergillus'' phytase in maize results in significant increases in the levels of bioavailable iron.", Drakakaki G, Marcel S, Glahn RP, Lund EK, Pariagh S, Fischer R, Christou P, Stoger E., {{PMID|16307363}}</ref>という報告もある。
=== 貯蔵デンプンの改質 ===
[[デンプン]]は、[[グルコース]]の[[ポリマー]]で、直鎖構造の[[アミロース]]と枝分かれ構造をもつ[[アミロペクチン]]から構成されている。アミロースとアミロペクチンの分子量や含量や枝分かれ頻度によって[[物性]]が異なる。デンプンは植物の[[プラスチド]]で生合成され、特にデンプン合成が盛んでデンプンを貯蔵しているプラスチドを[[アミロプラスト]]とよぶ。細胞質からプラスチドに輸送された[[グルコース-1-リン酸]]や[[グルコース-6-リン酸]]や[[ADP-グルコース]]{{refnest|group="注釈"|name="adp-glu"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C00498 ADP-glucose]}}はプラスチド中で最終的にADP-グルコースとなり、ADP-グルコースのグルコース残基はデンプン合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec24121"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.4.1.21 starch synthase], EC 2.4.1.21, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R02421+R06049 反応]}}によって伸長中のアミロースやアミロペクチンの非還元末端のグルコース残基の4位の水酸基と[[脱水縮合]]して新たなα-1,4[[グルコシド結合]]を形成して取り込まれる。プラスチド中のデンプン合成酵素はデンプン粒結合型デンプン合成酵素 (GBSS: granule-bound starch synthase)と可溶性デンプン合成酵素(SSS: soluble starch synthase)に大別される。GBSSはアミロースの生合成に関与している。SSSによって合成途中のα-1,4[[グルコシド結合]]のグルコース残基の直鎖が、枝分かれ酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec24118"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:2.4.1.18 branching enzyme], EC 2.4.1.18, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R02110+R06186 反応]}}によって一部切断され、その切断されて生じた還元末端のグルコース残基の1位の水酸基と直鎖部分の中間のグルコース残基の6位の水酸基の間でα-1,6グルコシド結合が生じる。こうして生じた分子中に存在する複数の非還元末端はSSSによって伸長するとともに枝分かれ酵素によって新たに非還元末端の側鎖が次々と形成される。一方、余分なα-1,6グルコシド結合部分は[[枝切り酵素]]によって切断され側鎖は整理されて、アミロペクチンは合成される。つまり、アミロースとアミロペクチンの含量はGBSSとSSSの活性によって制御されている。よって、GBSSが欠損していればアミロペクチンのみを含む[[モチ]]性となり、SSSの活性が低下していると高アミロース含量となる。そこで遺伝子操作によってGBSSやSSSの生産量を制御して、デンプン組成を改変できるようになった。
GBSS生産量が抑制されてモチ性に変換された"Amflora"と名付けられたジャガイモ品種(EH92-527-1系統)が既にBASFによって開発され、チェコ、スウェーデン、ドイツで商業栽培されている<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/121/mgzn12106.html 農業と環境 No.121 (2010年5月1日)], "GMO情報: ヨーロッパのポテト―商業栽培と試験栽培の承認", 白井洋一, 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
=== キャッサバ中のシアン化合物の削減 ===
[[キャッサバ]] (''Manihot esculenta'') は[[熱帯]]における重要な作物である。ただし、タンパク質含量が少なく、かつ、有毒な[[シアン化合物]]である[[青酸]][[配糖体]]を多く含んでいる。含まれる青酸配糖体のうち、95%は[[リナマリン]]で、5%は[[ロトストラリン]]{{refnest|group="注釈"|name="lata2"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C08334 lotaustralin]}}である。キャッサバを食料や飼料にするためには青酸配糖体や分解産物であるアセトン[[シアノヒドリン]]{{refnest|group="注釈"|name="a-cyan3"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C02659 acetone cyanohydrin]: CAS 75-86-5}}の除去が重要であり、不十分だと健康被害が生じることがある。そこでキャッサバ中のシアン化合物を減少させるための研究が進められている。その一つにはヒドロキシニトリル脱離酵素 {{refnest|group="注釈"|name="ec41246"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:4.1.2.46 hydroxynitrile lyase], EC 4.1.2.46, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?reaction+R09358+R01553+R02811 反応]}}をキャッサバの根で生産させるというものがある。ヒドロキシニトリル脱離酵素はアセトンシアノヒドリンを青酸と[[アセトン]]に分解する酵素である。ヒドロキシニトリル脱離酵素によって生じた青酸は気化するため、ヒドロキシニトリル脱離酵素活性とキャッサバ中の青酸化合物の濃度との間には負の相関性がある<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC35028/?tool=pubmed Plant Physiol. 1998 April; 116(4): 1219-1225.], "Cyanogenesis in Cassava The Role of Hydroxynitrile Lyase in Root Cyanide Production", Wanda L.B. White, Diana I. Arias-Garzon, Jennifer M. McMahon, and Richard T. Sayre, {{PMC|35028}}, open access</ref>。野生型のキャッサバの根ではほとんど生産されていないヒドロキシニトリル脱離酵素を根で過剰生産させた結果、形質転換体では根でリナマリン含量が80%低下すると共にタンパク質含量が3倍に増加していた<ref>[http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0021996#pone.0021996-White1 PLoS ONE 6(7), (2011): e21996.] {{doi|10.1371/journal.pone.0021996}}, "Overexpression of Hydroxynitrile Lyase in Cassava Roots Elevates Protein and Free Amino Acids while Reducing Residual Cyanogen Levels.", Narayanan NN, Ihemere U, Ellery C, Sayre RT, open access</ref>。
=== ワタ子実中のゴシポールの削減 ===
ワタ(''Gossypium hirsutum'')の種子約1. 65 kg当たり、ワタ繊維1 kgが生産される。ワタの種子は21%の油脂とともに23%の高品質のタンパク質を含んでいる。しかし、ワタの種子自体や脱脂種子は反芻動物の飼料として利用されているが、食料としても単胃動物の飼料としても利用されていない。心機能と肝機能を障害する[[ゴシポール]]{{refnest|group="注釈"|name="goss4"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C07667 gossypol]}}が[[腺]]に含まれているからである。ゴシポールは[[セスキテルペン]]の一種である。そこで、棉実を食料、飼料として利用するために、腺を持たない変異ワタが発見されたのでそれを用いて腺欠損品種の育種がすすめられ、上市された。しかし、腺欠損品種は害虫抵抗性に関与している[[テルペノイド]]を欠くため、極めて虫害に遭いやすいので農民に拒否された。そこで種子でのみゴシポールが削減された品種の開発を目的として、ゴシポールの前駆体であるδ-カディニン{{refnest|group="注釈"|name="cadi5"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C06394 δ-cadinine]}}を[[ファルネシルピロリン酸]]{{refnest|group="注釈"|name="f-pyro6"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?cpd:C00448 farnesyl pyrophosphate]}}から合成する酵素であるδ-カディニン合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec42313"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:4.2.3.13 (+)-δ-cadinene synthase], EC 4.2.3.13, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R02311 反応]}}を、ワタの種子特異的α-globulin Bの遺伝子のプロモーターを用い、RNAiで抑制した形質転換ワタが開発された<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17110445 Proc Natl Acad Sci U S A. 2006 Nov 28;103(48):18054-9], "Engineering cottonseed for use in human nutrition by tissue-specific reduction of toxic gossypol.", Sunilkumar G, Campbell LM, Puckhaber L, Stipanovic RD, Rathore KS., {{PMID|17110445}}, {{PMC|1838705}}.</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21902797 Plant Biotechnol J. 2012 Feb;10(2):174-83], "Ultra-low gossypol cottonseed: generational stability of the seed-specific, RNAi-mediated phenotype and resumption of terpenoid profile following seed germination.", Rathore KS, Sundaram S, Sunilkumar G, Campbell LM, Puckhaber L, Marcel S, Palle SR, Stipanovic RD, Wedegaertner TC., {{PMID|21902797}}.</ref>。この形質転換植物の種子と若い芽生えにおいてのみゴシポールや関連物質の含量が低下しており、他の地上部や根では含量の変化はなかった。つまり、害虫抵抗性は大きくは変化せず、また、この形質は多世代にわたり安定に遺伝していた。
=== アクリルアミド生成量の少ないジャガイモ ===
デンプンなどの糖類と[[アスパラギン]]が共存しているもの、[[穀類]]など、を加熱すると様々な毒性を持つ[[アクリルアミド]]が生成する。特に[[フライドポテト]]などが問題視されている。そこでアクリルアミド生成量を減らすために遊離アスパラギン含量の少ないジャガイモの開発が行われている。
ジャガイモにはアスパラギン合成酵素{{refnest|group="注釈"|name="ec6311"|[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:6.3.1.1 L-asparagine synthetase], EC 6.3.1.1, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R00483 反応]}}としてStAst1とStAst2の二種類が知られている。まず初めにStAst1とStAst2の遺伝子''StAst1''と''StAst2''の双方を根茎特異的に抑制した形質転換ジャガイモが開発された。温室での形質転換ジャガイモの生育や根茎の収量は野生型のものと遜色がなく、その根茎中の遊離アスパラギン含量は野生型のものの1/20程度であった<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18662372 Plant Biotechnol J. 2008 Oct;6(8):843-53.], "Low-acrylamide French fries and potato chips.", Rommens CM, Yan H, Swords K, Richael C, Ye J., {{PMID|18662372}}, {{PMC|2607532}}</ref>。ところが、その形質転換体を圃場試験したところ、植物体の生育は悪く、根茎はいびつで収量は低かった<ref name="acrylamidepotato">Plant Biotechnol J. 2012 10(8):913-924, "Tuber-specific silencing of ''asparagine synthetase-1'' reduces the acrylamide-forming potential of potatoes grown in the field without affecting tuber shape and yield.", Chawla R, Shakya R, Rommens CM, [http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1467-7652.2012.00720.x/abstract abstract]</ref>。そこで、解析を進めた結果、''StAst1''は根茎で主に、''StAst2''は緑色組織で主に発現していることがわかった。そのため、''StAst1''を根茎特異的に抑制したところ、圃場試験においても生育や収量が正常で、遊離アスパラギン含量が少ない、つまり、加熱してもアクリルアミド生成量の少ない形質転換ジャガイモが得られた<ref name="acrylamidepotato"/>。
そして''Asn1'' (''StAst1''と同じ)を[[RNAi]]によって抑制して遊離アスパラギンを減少させ、[[ホスホリラーゼ]]とデンプン関連タンパク質であるR1をRNAiによって抑制してデンプンから[[還元糖]]への変換を抑えて、両者の効果によって加熱によるアクリルアミドの生成を減少させたジャガイモがInnateという商標で2015年3月20日に[[アメリカ食品医薬品局]](FDA)によって認可された[http://www.fda.gov/NewsEvents/Newsroom/PressAnnouncements/ucm439121.htm]。なお、Innateにおいては傷や切断による褐変を防ぐために、ポリフェノール・オキシダーゼの遺伝子''Ppo5''をRNAiによって抑制してされている[http://www.fda.gov/Food/FoodScienceResearch/Biotechnology/Submissions/ucm436173.htm]。
=== 涙の出ないタマネギ ===
[[涙の出ないタマネギ]]を参照。
=== 褐変しにくいリンゴ ===
[[リンゴ]]の[[果実]]を切断すると、果実の切断面が褐変することが知られている。これは果実の[[細胞]]の[[液胞]]中の[[クロロゲン酸]]や[[エピカテキン]]などの[[ポリフェノール]]がプラスチド中の[[ポリフェノールオキシダーゼ]](PPO: polyphenol oxidase)と細胞の損傷によって接触して、酸化重合されて分子中の[[共役二重結合]]が伸び、長波長の光まで吸収することが原因である。そこで、リンゴの果実の褐変を押さえるために4種類のPPOの遺伝子 ''PPO2'', ''GPO3'', ''APO5'', ''pSR7''のそれぞれ394, 457, 457, 453 [[塩基対]]のDNA断片を利用した[[RNAi]]によってPPO活性が抑制されたリンゴが開発された[http://www.fda.gov/Food/FoodScienceResearch/Biotechnology/Submissions/ucm436168.htm]。リンゴの品種Golden DeliciousとGranny Smithにおいて実用化され、Artic appleの[[商標]]で2015年3月20日にアメリカの[[アメリカ食品医薬品局|FDA]]によって認可された[https://web.archive.org/web/20150320212235/http://www.fda.gov/NewsEvents/Newsroom/PressAnnouncements/ucm439121.htm]。
== 作製法 ==
=== 概説 ===
遺伝子組換え植物を作製する上で、植物のホスト([[宿主]])・[[ベクター (遺伝子工学)|ベクター]]系 (host-vector system) が必要とされる。そのホスト・ベクター系を構築する上で以下の4種類の系が必要とされる。
* 植物細胞への遺伝子の導入系(導入系)
* 遺伝子の組換わった細胞(形質転換細胞)だけを選択するための系(選択系)
* 導入した遺伝子を複製させ、細胞分裂後にも伝達させるための系(複製系)
* 単一の細胞から植物個体まで再生させるための系(分化・再生系)
これらについて以下の節で簡単に説明する。
なお、外来遺伝子の導入場所として、細胞の核ゲノムだけではなく、プラスチド・ゲノムもある。プラスチド・ゲノムに導入して形質を変えることをプラスチド形質転換(plastid transformation)という。
また、遺伝子組換え食品反対派からの反対理由の一つであった「医療用、家畜用抗生物質耐性遺伝子の選択マーカー遺伝子としての利用」を回避するために用いられている、「新しい選択マーカー遺伝子と選択マーカー遺伝子の除去系の利用」についても述べる。
さらに、反対理由の一つである「ゲノムの特定の場所を狙って遺伝子を導入できない」という問題を解決するためにジーン・ターゲッティングの技法が導入されていることについても紹介する。また、導入された遺伝子の利用を制限する遺伝的利用制限技術についても解説する。
その他、遺伝子組換え作物の作製法とは直接関係ないが、それが商品化され一般の圃場で栽培されるために要求されている「環境に対する影響」と「食品としての安全性」を評価する安全性審査についても述べる。
=== 導入系 ===
導入系とは、目的とする遺伝子を細胞の遺伝子が発現する場所に導入するための系である。遺伝子を導入・発現させるための植物細胞内の小器官として、現在、核と[[プラスチド]](plastid)が標的となっている。導入系にはいろいろな手法があるが、現在の主要な方法は、[[パーティクル・ガン法]]と[[アグロバクテリウム]]法であり、それぞれについて簡単に説明する。
その他にも、DNAを含んだ[[等張液]]中の[[プロトプラスト]]に高電圧の電気パルスを与えて細胞膜に短時間だけ穴を開けて等張液中のDNAを細胞内に導入させる[[エレクトロポレーション]]法があるが、その操作の煩雑さと効率の低さとイネへのアグロバクテリウム法の適用が可能になったことにより、現在ではほとんど利用されていない。また、最近、使用例が増えてきた[[ウィスカー]](whisker)法がある。
==== パーティクル・ガン法 ====
{{main|パーティクル・ガン法}}
==== ウィスカー法 ====
[[ウィスカー]]とは、髭状の強度の高い単結晶であり、マイクロ試験管中で植物組織やカルスと滅菌処理されたウィスカーとDNAを含む溶液を激しく攪拌し、ウィスカーによって傷ついた細胞内に溶液中のDNAが侵入し取り込まれるようにする。組織やカルスを洗浄後、固体選択培地にて形質転換体を選択し増殖させる。使用されるウィスカーとして[[シリコンカーバイド]]よりホウ酸アルミニウム(2B<sub>2</sub>O<sub>3</sub>・9Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)のものが安全性の面から好まれる。植物の形質転換操作手順は、植物組織とウィスカーをDNAを含む溶液中で激しく撹拌、洗浄し、その後は、後述の「パーティクル・ガン法による手順」の4.以降と同様である。
==== アグロバクテリウム法 ====
''Agrobacterium tumefaciens''(正式名称 ''Rhizobium radiobacter'')が主に用いられている。自然界では''A. tumefaciens''は、[[双子葉植物]]を[[宿主]]として[[クラウンゴール]](crown gallまたはcrowngall)という[[腫瘍]]を形成させ、それを''A. tumefaciens''は資化できるが植物は資化できない[[オパイン]](またはオピン: opine)という特殊な[[イミノ酸]]を生産する工場としている。これを生物学的植民地化という。これは''A. tumefaciens''に含まれるTi (tumor inducing) plasmidのT-DNA (transferred DNA)が植物細胞の核ゲノムに導入されたことによって生じる。そこで、このDNA導入機構を利用して植物への遺伝子導入方法として中間ベクター法とバイナリーベクター法(binary vector)が開発された。そのうち、現在はバイナリー・ベクター法が主流である。これは、Ti plasmidの本来のT-DNAを除去された''vir'' helper Ti plasmidと、大腸菌と''A. tumefaciens''の双方で利用できる小型のシャトル・ベクター(shuttle vector)に人工のT-DNAを付与したものとで構築されている。''vir'' helper Ti plasmidには、本来のT-DNAが存在しないため、植物にクラウンゴール(腫瘍)を形成できないが、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要な''vir''領域が存在しているため、他のプラスミド上に存在する人工T-DNAを植物に導入できる。このように同一のDNA上に存在しなくても、作用しあえる遺伝子間の関係をトランスという。以下に、バイナリー・ベクター法を簡単に説明する。
''A. tumefaciens''に存在するTi plasmidは巨大プラスミドであり、これを''A. tumefaciens''から直接単離し試験管内で操作することは困難である。一方、Ti plasmid上には''vir''領域という、T-DNAを植物ゲノムに導入するために必要な遺伝子群が存在するので、Ti plasmidは植物への遺伝子導入には必要である。しかし、本来のT-DNAは植物を腫瘍化するので不要である。そこで、本来のT-DNAを欠損したが''vir''領域を保持したままの''vir'' helper Ti plasmidとそれを保持する''A. tumefaciens''の菌株が開発された。''A. tumefaciens''の染色体上にも植物への遺伝子導入に必要とされる遺伝子群(''chv'' genes: chromosomal virulence genes)が存在するために、更にTi plasmidの宿主としても''A. tumefaciens''はアグロバクテリウム法において必要とされる。
T-DNAの両末端にはRB(right border:右境界配列)とLB(left border:左境界配列)という短い配列が存在している。RBとLBに挟まれた配列が植物に導入され、その間の配列には特異性がない。つまり、植物に導入したい遺伝子や形質転換植物を選択するための選択マーカー遺伝子をRBとLBに挟みこめば、任意の人工のT-DNAを構築できる。
更に、''vir''領域とT-DNAとの作用関係はトランスであり、両者が同一のプラスミド上に存在している必要が無い。そこで、操作しやすい小型のシャトル・ベクターに人工のT-DNAを付与したT-DNAプラスミドを試験管内で改変した後に大腸菌を用いて増幅させる。その後、T-DNAプラスミドを''A. tumefaciens''へ導入して、''A. tumefaciens''内で''vir'' helper Ti plasmidと共存させて植物に人工のT-DNAを導入させる。この小型のシャトル・ベクターであるT-DNAプラスミドは、大腸菌での[[複製開始点]]と広範囲の[[グラム陰性菌]]の間での複製可能な複製開始点が存在する広宿主域ベクターであり、また、人工のT-DNA部分内に存在する植物の形質転換の選択に用いられる選択マーカー遺伝子以外にも、大腸菌と''A. tumefaciens''の形質転換体の選択に必要な選択マーカー遺伝子を別に保持している。
''A. tumefaciens''の本来の宿主は[[双子葉植物]]であるが、''vir''領域の転写を誘導する[[フェノール]]系物質アセトシリンゴン([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?C10664 acetosyringone])の利用や''vir''領域の転写活性が恒常的に高いhypervirulent helper Ti plasmidの開発により、イネなどの[[単子葉植物]]や[[真菌]]類などへの応用が可能となってきている。
アグロバクテリウム法は、パーティクル・ガン法に比べ高価な機材は必要なく、また、ランニングコストも低い。T-DNAは植物の核ゲノムに1〜2コピー程度の低コピー数で導入されることが多い。一方、アグロバクテリウムの感染後に[[抗生物質]]を用いてアグロバクテリウムを除去するなどの煩雑な操作が必要であり、アグロバクテリウムの感染効率も材料の種類や状態によって様々に変化する。
=== 選択系 ===
多数の細胞を材料として、それらに遺伝子導入を試みても、それらの中から極少数の形質転換体しか得られないことが多い。そのため、形質転換体のみを特異的に選択する選択[[マーカー遺伝子]]を目的遺伝子以外に同時に導入する必要がある。選択マーカー遺伝子の性質としては、形質転換細胞のみが生存・増殖できるポジティブ選択可能であり、更に形質転換細胞と非形質転換細胞とが混在しあった[[キメラ]](chimera)を形成しにくいことが望ましい。多くの場合、[[アミノグリコシド]]系[[抗生物質]]の[[カナマイシン]](kanamycin)や[[G418]]や[[ハイグロマイシンB]](hygromycin B)などの耐性遺伝子が遺伝子組換え作物にも用いられてきたが、現在では後述の新しい選択マーカー遺伝子やマーカー除去の技術が用いられるようになった。
=== 複製系 ===
導入された遺伝子が植物細胞の細胞分裂にあわせて複製されなくては、一過性の遺伝子発現(transient gene expression)となって、安定した形質転換植物を得ることができない。そこで外来遺伝子の複製系が必要となる。現在、植物の場合は外来遺伝子が植物の核ゲノムに挿入されて、核ゲノムの複製にあわせて一緒に複製される様にすることが主流である。また、[[プラスチド]]のDNAに外来遺伝子を[[相同組換え]]によって導入する系も存在する。
=== 分化・再生系 ===
外来遺伝子が導入された単一の形質転換細胞より植物個体を分化・再生する系である。上記の三つの系は効率の高低はあるがほぼ共通の手法を用いることができる。しかし、この系は、植物のホスト・ベクター系を構築する上で、この系が確立すればその植物の形質転換植物個体がえられるのとほぼ同じ意味を持つほど重要なものである。多くの場合、[[オーキシン]]や[[サイトカイニン]]などの植物ホルモンの濃度比を変えることによって植物個体を再生させている。しかし、材料の状態や培養開始からの時間や材料の成熟度などによって大きく変化する。多くの場合、[[カルス (植物)|カルス]]を経てカルスからシュートが分化してくる。そのシュートを発根培地に植え継いでから馴化して鉢上げする。なお、[[シロイヌナズナ]](アラビドプシス: ''Arabidopsis thaliana'')やその近縁のストレス耐性の強い''Thellungiella halophila'' (salt cress)などにおいては、未熟な花蕾をアグロバクテリウム懸濁液につけるフローラル・ディップ(floral dip)法や、花蕾にアグロバクテリウム懸濁液を噴霧したりするフローラル・スプレー(floral spray)法が用いられており、それらの処理後に植物体より得られた種子を選択培地上に置床し発芽させ、その中から形質転換体を選択している。つまり、もともと分化能を持つ種子を発芽させて選択するだけなので人為的な再生系は必要とされない。フローラル・ディップ法やフローラル・スプレー法を適用できる植物はまだ少数ではあるが、適用できれば形質転換植物を得る操作が極めて簡便化される。
その他、カルスなどの未分化な状態での形質転換植物を培養することが目的の場合には、分化・再生系は必要とされない。
=== 植物の形質転換操作手順 ===
==== パーティクル・ガン法による手順 ====
[[パーティクル・ガン法]]による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。
# 植物に導入したい遺伝子と選択マーカー遺伝子が存在するDNA溶液とよく懸濁した金の微粒子とを混和してエタノール沈殿を行う。
# 遠心分離により回収されたDNAでコートされた金の微粒子を風乾し、パーティクル・ガンにセットする。
# 無菌的植物もしくは滅菌した植物の葉の断片や茎の断片などの組織片をシャーレの中の固体培地上に置床してパーティクル・ガンにセットしてから、金の微粒子を打ち込む。
# 植物組織をカルスを誘導する植物ホルモンも含む選択培地に植え継ぎ、選択培地上で増殖するカルスを選択する。
# 増殖したカルスをシュート分化用の植物ホルモンも含む選択培地に植え継ぎ、シュートを分化させる。
# カルスからシュートを切除して、シュートを発根用の選択培地に植え継ぎ、発根した後に鉢上げして馴化する。
# カルスが形成された後の各段階で遺伝子の導入を確認する。
==== アグロバクテリウム法による手順 ====
バイナリー・ベクターを用いたアグロバクテリウム法による一般的な形質転換植物を得る操作手順の例を簡単に示す。
# 小型プラスミドのシャトル・ベクター上のT-DNA部分に目的遺伝子を挿入する。T-DNA部分には選択マーカー遺伝子も含まれている。
# 組換わったプラスミドを大腸菌に導入して、大腸菌中で増やしてから回収し、挿入遺伝子を確認する。
# 回収したプラスミドを電気穿孔([[エレクトロポレーション]]: electroporation)法や三親接合伝達法などを利用して''vir'' helper Ti plasmidを含む''A. tumefaciens''へ導入する。その際、シャトル・ベクター上のバクテリアでの選択マーカー遺伝子を利用してシャトル・ベクターが導入された''A. tumefaciens''を選択する。
# 選択した''A. tumefaciens''を液体培地で増殖させて集菌し、共存培養培地に懸濁する。
# 無菌的植物もしくは滅菌した植物の葉の断片や茎の断片などの組織片をシャーレの中に移し、''A. tumefaciens''と共存培養する。この際に、アセトシリンゴンなどを添加すると感染効率が上昇する。
# 共存培養が終わった植物組織片をカルスを誘導する植物ホルモンも含む選択培地に植え継ぎ、選択培地上で増殖するカルスを選択する。この培地には、''A. tumefaciens''を除菌するための[[カルベニシリン]]やセフォタキシムなどの植物には影響が少なく、アグロバクテリウムには強く作用する抗生物質が含まれている。
# 増殖したカルスをシュート分化用の植物ホルモンと除菌用抗生物質も含む選択培地に植え継ぎ、シュートを分化させる。
# シュートを切除して、除菌用抗生物質も含む発根用の選択培地に植え継ぎ、発根した後に鉢上げして馴化する。
# カルスが形成された後の植物体の各段階で遺伝子の導入と''A. tumefaciens''の除去を確認する。
=== プラスチド形質転換 ===
プラスチド形質転換(plastid transformation)とは、植物細胞の核ゲノムにではなく、プラスチド・ゲノムに外来DNAを導入して形質を変えることである。[[プラスチド]]には、プラスチド・ゲノムが複数個存在し、更に細胞中にプラスチドが多数存在するため、細胞当たり数千コピーのプラスチド・ゲノムが存在することもある。そのため、大規模な遺伝子量効果(gene dosage effect)を期待でき、核ゲノムに外来遺伝子を導入してタンパク質を生産させるよりも遥かに多量の目的タンパク質を生産させることが可能となる場合がある。また、プラスチドの転写・翻訳機構は原核生物型なので、複数の外来遺伝子を単一のポリシストロニック・[[オペロン]](polycistronic operon)として導入可能である。
プラスチド形質転換における遺伝子導入系として、パーティクル・ガン法が用いられている。導入されたDNA断片は相同組換えによるプラスチド・ゲノムとの遺伝子置換によってプラスチド・ゲノムに組み込まれ、プラスチド・ゲノムの複製に合わせて複製される。そのため、プラスチド形質転換には、外来DNAが組み込まれても影響の少ない、プラスチド・ゲノムの一部が、事前に単離されている必要がある。つまり、植物種やプラスチド・ゲノムの種類毎に導入するために必要なベクターが異なることになる。具体的には、単離されたプラスチド・ゲノムの一部の中で外来DNAが挿入されても影響の少ない部位に選択マーカー遺伝子と共に目的遺伝子のカセットが挿入されたDNAを調製する。これがパーティクル・ガン法で植物細胞に導入されるとカセットの両側の配列とプラスチド・ゲノムのそれらとの相同配列間の二カ所で相同組換えが低頻度で生じ、遺伝子置換によって外来DNAがプラスチド・ゲノムに挿入される。この組換え型のプラスチド・ゲノムを選択的に増幅させるための選択系が必要になる。遺伝子置換されたプラスチド・ゲノムはプラスチド中で野生型のプラスチド・ゲノムと混在した状態(ヘテロプラスミー: heteroplasmy)であるが、選択を繰り返していく間にそのプラスチドに含まれるゲノムDNAが全て組換え型になった状態となり、更にその細胞中に含まれるプラスチド全体が組換え型になる(ホモプラスミー: homoplasmy)ことが期待される。プラスチド形質転換において細胞中の全プラスチドを組換え型のホモプラスミーにするためには細胞の選択を長期間続ける必要がある。そのため、プラスチド形質転換植物を得るために必要な時間は、核ゲノムに外来遺伝子を導入して形質転換植物を得るよりも長くなる傾向がある。
プラスチド形質転換の選択系として、[[スペクチノマイシン]](spectinomycin)と、大腸菌の[[トランスポゾン]]であるTn''7''由来のスペクチノマイシン耐性遺伝子''aadA''が用いられることが多い。
=== 新しい選択マーカー遺伝子と選択マーカー遺伝子の除去系の利用 ===
==== 医療用、畜産用の抗生物質に対する耐性マーカー遺伝子の利用制限 ====
現在の遺伝子組換え手法において、多数の細胞を材料としてその中から極少数の形質転換細胞を選択する操作が用いられることが多い。そのため、形質転換細胞を選択するための選択マーカー遺伝子の発現を指標として形質転換体を選択している。この植物の選択マーカー遺伝子は組換え作物においても[[カナマイシン]](kanamycin)などの[[アミノグリコシド]](aminoglycoside)系抗生物質に耐性を与える遺伝子が用いられることが多かった。そこに、社会政策的な問題が形質転換植物の選択系にも影響をおよぼした。EUは2004年末をもって医療用、家畜用に用いられる抗生物質に対する耐性遺伝子で形質転換植物細胞の選択を禁止した。そして、今後、EUで販売される遺伝子組換え植物や食品は他の選択マーカー遺伝子が用いられているか、選択マーカー遺伝子が除去されていなくてはならないとした(European Parliament 2001)<ref>[http://www.gmo-compass.org/pdf/law/2001-18.pdf Official Journal of the European Communities 17.4.2001], "DIRECTIVE 2001/18/EC OF THE EUROPEAN PARLIAMENT AND OF THE COUNCIL of 12 March 2001 on the deliberate release into the environment of genetically modified organisms and repealing Council Directive 90/220/EEC</ref>。形質転換植物の選択マーカー遺伝子は基本的には形質転換体の選択という育種の極初期に用いられるに過ぎない。
しかし、遺伝子組換え食品反対派は、組換え作物が持つカナマイシン耐性遺伝子(''NPTII'': aminoglycoside (neomycin) phosphotransferase遺伝子) やハイグロマイシンB耐性遺伝子(''hpt'': hygromycin phosphotransferase遺伝子)などの抗生物質耐性遺伝子が腸内細菌に極低い頻度であっても取り込まれる可能性があるとし、これを批判の根拠の一つとしていた。そこで、除草剤として用いられているビアラホス(bialaphos: phosphinothricinとなって作用)の様な農業用抗生物質や医療用・畜産用にほとんど用いられていない抗生物質を除いて、医療用・畜産用抗生物に対する耐性遺伝子を選択マーカーとして利用することを規制したわけである。その結果、新たな選択マーカー遺伝子を利用した選択系が用いられるようになった。更に、初めの選択では抗生物質耐性遺伝子を選択マーカー遺伝子として利用するが、後にその抗生物質耐性遺伝子を欠失させる手法が開発された。ただし、カナマイシン耐性を付与する遺伝子''nptII''は、自然界に広く広がって存在しており、カナマイシン自体が医薬としての使用が極希か、もしくは使用されていないという理由で規制外となっている[http://www.gmo-compass.org/eng/safety/human_health/126.position_efsa_antibiotic_resistance_markers.html]。
なお、[[欧州連合|EU]]の予算によって設立・運営されている独立機関であるEuropean Food Safety Authority ([http://www.efsa.europa.eu/EFSA/efsa_locale-1178620753812_home.htm EFSA])は、"[http://www.efsa.europa.eu/EFSA/efsa_locale-1178620753812_1211902569389.htm EFSA evaluates antibiotic resistance marker genes in GM plants]" (News Story 11 June 2009)において、"In their joint opinion, the GMO and BIOHAZ Panels concluded that transfers of ARMG (antibiotic resistance marker genes) from GM plants to bacteria have not been shown to occur either in natural conditions or in the laboratory."とあるように遺伝子組換え植物から[[バクテリア]]への抗生物質耐性マーカー遺伝子の移行を自然条件下でも実験室でも観察できなかったと発表している。
==== 抗生物質耐性以外の新たな選択マーカー遺伝子 ====
新たな選択マーカー遺伝子の中には、植物の利用できない炭素源を資化または解毒できるようにするものがある。
;<small>D</small>-amino acid oxidase (DAAO)
:[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.4.3.3 DAAO](EC 1.4.3.3, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R01340 反応])は赤色酵母''Rhodotorula gracilis''由来の''DAO1''にコードされているものを利用。多くの<small>D</small>-アミノ酸(<small>D</small>-amino acids)をα-[[ケト酸]](α-keto acids: 2-オキソ酸(2-oxo acids))に変換できる。<small>D</small>-アラニン(<small>D</small>-Ala), <small>D</small>-セリン(<small>D</small>-Ser)は毒性を持ち、DAAOによって解毒されるため、形質転換体をpositive selectionできる。(<small>D</small>-Alaから[[ピルビン酸]](pyruvate), <small>D</small>-Serから3-ヒドロキシピルビン酸(3-hydroxy pyruvate)へ解毒、α位の炭素の[[光学活性]]が無くなる。)。<small>D</small>-イソロイシン(<small>D</small>-Ile), <small>D</small>-バリン(<small>D</small>-Val)の毒性は低いが、それらのα-ケト酸は毒性を持つ。そのため、部位特異的な組換えにより''DAO1''が形質転換体から除去された組換え体をnegative selection可能である。また、後述のcotransformationにおいては、この酵素遺伝子だけを選択マーカー遺伝子として用いても培地に加えるD-アミノ酸を変えるだけでpositive selectionもnegative selectionもを行える。
;phosphomannose isomerase (PMI)
:[[フルクトース-6-リン酸]]は[[解糖系]]の中間代謝物であり、[[マンノース-6-リン酸]]をフルクトース-6-リン酸へ変換できれば、唯一の炭素源として[[資化]]し生育できることになる。多くの植物は[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+5.3.1.8 PMI](EC 5.3.1.8, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R00772 反応])を所持せず、マンノース-6-リン酸をフルクトース-6-リン酸へ変換できない。そのため、[[マンノース]](mannose)を選択培地中の唯一の炭素源とした場合、植物はマンノースを資化できないが、[[大腸菌]]''Escherichia coli''由来のPMI遺伝子''pmi''を導入された形質転換体はマンノースを解糖系へ導入できるため、生育可能となる。なお、培地から取り込まれたマンノースは植物の[[ヘキソース]]・キナーゼ(hexose kinase)(ヘキソキナーゼ: [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ko+K00844 hexokinase]とも記述される: EC 2.7.1.1 ([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R02848 反応]), EC 2.7.1.2 ([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R00299 反応]))によってマンノース-6-リン酸へ変換される。
;2-deoxyglucose 6-phosphate phosphatase
:2-deoxyglucose (2DOG)は[[グルコース]]の2位の炭素の[[水酸基]]が水素原子に置換されたグルコースの[[アナログ]]である。2DOGはヘキソース・キナーゼによって6位の炭素の水酸基がリン酸化され、2-deoxyglucose 6-phosphateになるが、それ以上[[解糖系]]の酵素の[[基質 (化学)|基質]]とはならない。多くの植物にとって、2DOGは解糖系の[[阻害剤]]であり、細胞の成長を阻害する。そこで、2DOG耐性の[[酵母]]から2-deoxyglucose 6-phosphate phosphataseの遺伝子を単離し、植物で発現させたところ、2DOG耐性となった。
;<small>D</small>-arabitol 4-dehydrogenase
:[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?enzyme+1.1.1.11 <small>D</small>-arabitol 4-dehydrogenase](EC 1.1.1.11, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn+R05604 反応])により植物にアラビトール([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?compound+C01904 <small>D</small>-arabitol])資化能を導入する。
;phosphite oxidoreductase
:[http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:1.20.1.1 phosphite oxidoreductase](EC 1.20.1.1, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?rn:R05746 反応])は[[亜リン酸]]を[[リン酸]]へ酸化できる。植物は亜リン酸を[[リン]]源として利用できないため、リン源として亜リン酸のみが存在する場合は生育できない。しかし、バクテリア由来のphosphite oxidoreductaseの遺伝子を導入された形質転換細胞や形質転換植物は生育できることを利用した選択系である<ref>[http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/pbi.12063/abstract Plant Biotechnology Journal, Vol. 11, p. 516-525, May 2013], "A novel dominant selectable system for the selection of transgenic plants under in vitro and greenhouse conditions based on phosphite metabolism", Damar L. Lopez-Arredondo and Luis Herrera-Estrella</ref>。亜リン酸は安価であるため、安価に形質転換体を選択できる。更に、リン酸を含まず亜リン酸を含む培養土で、形質転換体と非形質転換体の種子が混在しているものから形質転換植物体だけを選択可能である。
==== 選択マーカー遺伝子の除去系 ====
その他、選択マーカー遺伝子を除去する系を利用するものもある。
; cotransformation
: 抗生物質耐性などの選択マーカー遺伝子と目的遺伝子を別々のDNA断片として導入して、選択マーカー遺伝子で選択した形質転換体の中から目的遺伝子と選択マーカー遺伝子が植物細胞のゲノムの別々の部位に組み込まれたものを選択して、後代をとり目的遺伝子を持つが選択遺伝子を持たないものを選択するというもの。外来遺伝子を取り込む能力を持つ[[コンピテントセル]](competent cell)が限られていることを利用する手法である。この手法には、後代をとるという過程が含まれているため、この手法の果樹や林木などのヘテロ接合性の強い植物種に対する適用は限定的になってしまう。つまり、各遺伝子座のヘテロ接合性が強いと、たとえ自家受粉であったとしても親品種とは全く異なった形質が後代に現れてしまうため、親品種の品種改良や遺伝子解析という目的を果たすことが困難になるからである。なお、イネやダイズなど自家受粉を繰り返した結果、ホモ接合性が強い作物であれば、後代をとってもゲノムの遺伝子構成は親品種とほとんど変わらないため、問題は出にくい。
; MAT vector法
: [[日本製紙]]株式会社の開発したMulti-Auto-Transformationの略である。いろいろなタイプがあるが、[[サイトカイニン]](cytokinin)合成遺伝子(''iptZ'')と耐塩性[[酵母]]である[[醤油]]酵母''Zygosaccharomyces rouxii''の内在性プラスミドpSR1の部位特異的組換え酵素とその標的配列を順方向反復配列(direct repeats)として利用しているものの説明をする。[[植物ホルモン]]の一種であるサイトカイニンは[[頂芽優勢]]を打破するために、サイトカイニンが多いと側芽が次々伸びて多芽体を植物は形成する。''iptZ''と部位特異的組換え酵素遺伝子を標的配列の順方向反復配列で囲み、その外側に目的遺伝子を配置したDNA(「目的遺伝子+ 反復配列 + ''iptZ'' + 部位特異的組換え酵素遺伝子 + 反復配列」カセット)を植物細胞に導入すると、サイトカイニンが過剰生産され、多芽体が形成される。その中から、部位特異的組換え酵素遺伝子が標的配列の順方向反復配列に作用して''iptZ''と部位特異的組換え酵素遺伝子が除去され、目的遺伝子が残ったもの(「目的遺伝子+ 反復配列」カセット)を保持するシュートが正常な頂芽優勢を示す表現型のものとして得られる。それを目的遺伝子のみを所持するものか検定して、確認する。
; Cre-''loxP'' system
: [[バクテリオファージ]]P1の部位特異的組換え酵素であるCreとその標的配列''loxP'' (5'-ATAACTTCGTATAGCATACATTATACGAAGTTAT-3')を2つ順方向反復配列として用いて、''loxP'' の順方向反復配列間の選択マーカー遺伝子を含む配列を特異的に除去する系を利用したものである。(基本原理等については[[Cre-loxP部位特異的組換え]]を参照すること。)[[Cre-loxP部位特異的組換え|Cre-''loxP'' system]]を用いた手法にはいくつかのものがあり、そのうちの2つを紹介する。まず1つめは交配を利用したものである。導入したい目的遺伝子は''loxP''の順方向反復配列の外側に、選択マーカー遺伝子は''loxP''の順方向反復配列の内側に配置して、「目的遺伝子+ ''loxP'' + 選択マーカー遺伝子 + ''loxP''」カセットを作製し、それを植物に導入して形質転換植物をつくる。次に、それとCreを生産するように''cre''遺伝子が導入された形質転換植物と交配して、「目的遺伝子+ ''loxP'' + 選択マーカー遺伝子 + ''loxP''」カセットと「''cre''遺伝子」カセットの双方を持つ後代を得る。その後代の細胞の中には、''loxP'' 間で組換えが生じた結果、選択マーカー遺伝子部分がループアウトして除去され残された「目的遺伝子+ ''loxP''」カセットと「''cre''遺伝子」カセットの双方を持つようになった細胞が現れる。そこで、その交配株から後代を得て、その中から「''cre''遺伝子」カセットを持たないが「目的遺伝子+ ''loxP''」カセットのみを持つものを選択すると選択マーカー遺伝子が除去された個体が得られる。2つめは特異的化合物誘導性プロモーターを利用したものである。「目的遺伝子+ ''loxP'' + 選択マーカー遺伝子 + 特異的化合物誘導性プロモーター+ ''cre'' + ''loxP''」カセットを作製し植物体に導入する。特異的化合物誘導性プロモーターとして植物が通常は接することのない[[テトラサイクリン]]や[[エストラジオール]]や[[糖質コルチコイド]]などで誘導されるものを利用した場合、それらの化合物で形質転換体を処理すると''loxP''間で組換えが生じて「目的遺伝子+ ''loxP''」となったものが得られる。
=== 新技術(ジーン・ターゲッティング)の導入 ===
その他、現在、[[ジーン・ターゲッティング]]法を用いて遺伝子置換を植物に応用する試みが進んでいる。植物は相同組換え活性が低く、内在性の遺伝子と配列類似性が高いDNA断片を導入しても内在性の遺伝子と殆ど相同組換えを起こさず、[[非相同組換え]]によって標的以外に組み込まれるものが大部分である。そこで様々な工夫が必要となる。
==== ''ALS''遺伝子の特異的置換 ====
ひとつの例が、pyrimidinyl carboxy系除草剤であるbispyribacへの耐性を示すイネの開発である。前記の「除草剤耐性作物」の小節で述べたsulfonylurea系除草剤と同様に、この除草剤は分岐鎖アミノ酸(branched chain amino acids, BCAA)生合成系の酵素の一種であるacetolactate synthase (ALS)の阻害剤である。イネのある変異体は、ALSの2カ所のアミノ酸残基の変異によってbispyribacに対して高度に耐性を示す。そこで、非相同組換えによる耐性形質転換体を除去するためにpromoterとALSのN(アミノ)末端側の配列を欠失したイネ由来の変異型''ALS''をイネに導入して耐性になった相同組換えによる遺伝子置換体を単離した。そのhomo接合体は著しくbispyribacに対して耐性となっていた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17883686?ordinalpos=2&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum The Plant Journal (2007) 52, p. 157-166], "Molecular breeding of a novel herbicide-tolerant rice by gene targeting.", Endo M, Osakabe K, Ono K, Handa H, Shimizu T, Toki S., {{PMID|17883686}}</ref>。
この過程で変異型''ALS''のpromoterとALSのN末端側の配列を欠失したものを用いているのは重要である。promoterとALSのN末端側の配列を含む完全な変異型''ALS''を用いればゲノムの本来の''ALS''以外のところに非相同組換えによって挿入されてもbispyribac耐性になってしまう。また、promoterのみを除去し開始コドンから完全な変異型''ALS''のタンパク質コード領域(翻訳領域、ORF)を含んでいるものを用いれば、ほとんどの非相同組換えによるbispyribac耐性株を除去できるはずであるが、T-DNA taggingに用いられているように''Agrobacterium''([[アグロバクテリウム]])法ではT-DNAはかなりの高頻度で転写活性の高い領域に挿入されるため、何らかの遺伝子のpromoter下流に挿入され、その転写方向と挿入断片のセンス鎖方向が一致すればbispyribac耐性株が生じる可能性がある。そこで、promoterとN末端側の配列を欠失したものを用いれば、非相同組換えによるbispyribac耐性形質転換体によるバックグラウンドをほぼ排除できるわけである。
この遺伝子置換体は基本的に標的となった''ALS''の配列のみが野生型と一部異なるだけであり、他の選択マーカー遺伝子が存在しないため、突然変異により育種されたものと区別がつかない。このことは遺伝子組換え食品の実質的同等性を確保する上で大きな意味を持つ。
==== 任意の遺伝子の特異的置換や遺伝子破壊 ====
また、変異型''ALS''のようなそれ自体が選択マーカーとなる遺伝子だけでなく、任意の遺伝子を遺伝子置換により[[遺伝子破壊]]する方法が開発された。これらの方法は[[ゲノム編集]]の手法の一部である。非相同組換えが生じやすい生物種において、相同組換えによる遺伝子置換体を得るための方法は大きく二つに分けられる。一つは、非相同組換え体は死滅するが、相同組換えによる遺伝子置換体は生存できるようにして遺伝子置換体を濃縮する方法である。もう一つの方法は、配列特異的に相同組換え効率を向上させる方法である。
前者の方法として、diphtheria toxinの遺伝子を利用しているものがある。これは、diphtheria toxinが真核生物の細胞質の蛋白質合成を阻害するため、diphtheria toxinを生産する真核細胞が死滅することを利用している。''Agrobacterium''法による形質転換においてT-DNAのright borderとleft borderの内側近傍にネガティブ選択マーカーとして働くdiphtheria toxin-A([[ジフテリア]]毒A)遺伝子を1個ずつ逆方向反復配列(inverted repeats)として配置し、更にその内側に遺伝子破壊したい配列と相同な配列とポジティブ選択マーカー遺伝子を挿入することによって、相同組換えを起こしたもののみ生存できるようにしたものである。相同組換えによって2個のdiphtheria toxin-A遺伝子が除去されポジティブ選択マーカー遺伝子が導入された細胞は生存可能であるが、非相同組換えによって標的遺伝子以外のところにright borderとleft borderとともにdiphtheria toxin-A遺伝子が導入された細胞は死滅すると考えられる。ただし、この方法によってもイネにおいて選択された形質転換体のうち目的とする遺伝子破壊体の頻度は1.9%であった<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17449652?ordinalpos=1&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DiscoveryPanel.Pubmed_Discovery_PMC&linkpos=1&log$=citedinpmcarticles&logdbfrom=pubmed Plant Physiology, June 2007, Vol. 144, pp. 846-856], "Gene targeting by homologous recombination as a biotechnological tool for rice functional genomics.", Terada R, Johzuka-Hisatomi Y, Saitoh M, Asao H, Iida S., {{PMID|17449652}}</ref>。更なる効率上昇に関する研究は必要である。
後者の方法として、[[ジンクフィンガーヌクレアーゼ]](ZFNs)やTranscription Activator-Like Effector Nuclease (TALENs)やメガヌクレアーゼ(meganuclease)を利用して、配列特異的に相同組換え頻度を上昇させ、植物における遺伝子置換効率を高める研究がある<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19404258 Nature, 2009 May 21;459(7245):442-5], "High-frequency modification of plant genes using engineered zinc-finger nucleases.", Townsend JA, Wright DA, Winfrey RJ, Fu F, Maeder ML, Joung JK, Voytas DF, {{PMID|19404258}}, {{PMC|2743854}}.</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19404259 Nature. 2009 May 21;459(7245):437-41], "Precise genome modification in the crop species Zea mays using zinc-finger nucleases.", Shukla VK, Doyon Y, Miller JC, DeKelver RC, Moehle EA, Worden SE, Mitchell JC, Arnold NL, Gopalan S, Meng X, Choi VM, Rock JM, Wu YY, Katibah GE, Zhifang G, McCaskill D, Simpson MA, Blakeslee B, Greenwalt SA, Butler HJ, Hinkley SJ, Zhang L, Rebar EJ, Gregory PD, Urnov FD, {{PMID|19404259}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22351024 Methods Mol Biol, 2012;847:391-7], "Targeting DNA to a previously integrated transgenic locus using zinc finger nucleases.", Strange TL, Petolino JF, {{PMID|22351024}}</ref>。DNA二本鎖切断を修復する過程でその切断部近傍のDNAの相同組換え効率は上昇する。ゲノム中の任意の部位だけを特異的に切断しゲノムの他の部位を切断しないような酵素は長い認識配列を必要とするため、通常の[[制限酵素]]では対応できない。そこで、認識・切断させたい長いDNA配列を切断できる酵素は人為的に設計できるものでなくてはならない。それらの条件を満たすものとしてZFNsやTALENsが挙げられる。置換したい遺伝子領域内の特異的な配列を認識できる様に設計された人工的なZFNsなどを植物中で誘導性プロモーターなどを利用して生産させるとその特異的配列を含む領域でDNA二本鎖切断が生じる。そのときに置換したい領域と相同性のあるDNA断片が導入されているとそれを鋳型としたDNA修復が生じ、相同組換えによる遺伝子置換が生じることになる。この方法は人為的DNA二本鎖切断を伴わない、前述の方法より遺伝子置換効率を上昇させることができる。しかし、ZFNsの配列認識の甘さによる標的配列以外の切断もあるため、ZFNsの改良がなお必要である。また、ZFNsなどとともに[[エキソヌクレアーゼ]]や[[ヘリカーゼ]]を発現させることにより相同組換え効率を更に高めることができる。
なお、DNA二本鎖切断が生じた後、相同組換えが生じないとNHEJ(non-homologous end joining: [[非相同末端結合]])が生じる場合がある。その場合は、[[遺伝子破壊]](ノックアウト)が生じることになる。
ZFNsやTALENs以外にも[[原核生物]]の外来DNA排除機構に関わる[[CRISPR]]/Cas9を用いた系がゲノム編集に利用され始めている([http://www.mls.sci.hiroshima-u.ac.jp/smg/genome_editing/index.html ゲノム編集コンソーシアム])。[[CRISPR]]/Cas9系では、特定DNA配列を認識するガイドRNAに対応する合成DNAをベクターに挿入するだけである。そのため、複数のジンクフィンガー・モチーフを組み合わせて作成されるZFNsを作製するよりも簡便で短時間に人工[[エンドヌクレアーゼ]]系を構築可能である。
=== 遺伝子利用制限技術 ===
遺伝子利用制限技術(GURTs: gene use restriction technologies)または遺伝的利用制限技術(GURTs: genetic use restriction technologies)とは、特異的化合物による遺伝子発現誘導系と配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用した遺伝子発現や形質を人為的に制御する技術である。この技術のことを、遺伝子組換え作物反対派は形質(trait)を制御することにかこつけて「裏切り者(traitor)」とよぶことがある。この技術を利用すれば、次世代の種子から導入された遺伝子を除去したり、必要ないときまでは形質が現れないがその形質が必要な場合には特定の化合物で処理すると形質を誘導したりできる。また、いわゆる「ターミネーター技術」もこの応用例である。
==== 特異的化合物による遺伝子発現誘導系 ====
外部から与えた化合物によって[[遺伝子発現]]を誘導するために開発された。遺伝子発現を制御には[[トランス (分子生物学)|トランス]][[転写因子]]と[[シスエレメント]]が関与している。トランス転写因子はドメイン(domain)構造をとっており、それらはシスエレメントである特定のDNA配列を認識して結合するDNA結合領域や、転写活性化に関与するトランス活性化領域や、シグナルを検知して転写活性化能を制御するシグナル検知領域などに分けることができる。これらのドメインを別のトランス転写因子のドメインと交換することにより、別のDNA配列と結合させたり、別のシグナルによって転写活性を制御できたりする場合がある。そこで、外部から与える化合物をシグナルとする人工のトランス転写因子とシスエレメントの系が開発された。
人工のトランス転写因子に求められる条件として、
* 人工のトランス転写因子の活性を制御するシグナルとなる[[インデューサー]]や[[アクチベーター]]として特異的化合物が必要であり、それらは植物の[[生活環]]の中で合成されず、更に接する可能性の低い化合物であること。
* 人工の転写因子が結合して転写を制御する、[[プロモーター]]のシスエレメントとなるDNA配列が植物に存在しないもの。植物が元々用いているようなシスエレメントを利用すると、植物に予定外の影響を及ぼす可能性が高くなる。そこで、[[進化]]的に離れたバクテリアなどのシスエレメントを利用すると、植物自身が本来持っている[[トランス (分子生物学)|トランス]][[転写因子]]とバクテリア由来のシスエレメントとが相互作用する可能性は低くなる。
が挙げられる。上記の条件を満たすために、バクテリア由来のシスエレメントと結合するDNA結合領域のアミノ酸配列、特異的化合物と結合して転写因子の活性を制御するシグナル検知領域のアミノ酸配列、及び、トランス転写活性化領域のアミノ酸配列との三つの領域を融合した人工の[[キメラ]]・トランス転写因子が合成されている。現在では、[[テトラサイクリン]]や[[エストラジオール]]や[[糖質コルチコイド]]などによる遺伝子発現誘導系が開発されている。
* テトラサイクリン誘導系:[[大腸菌]]の[[トランスポゾン]]Tn''10''に存在するテトラサイクリン耐性[[オペロン]](''tet''オペロン)の発現は、[[リプレッサー]]であるTetR([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=X00694-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j アミノ酸配列])と[[オペレーター]]である''tetO'' (5'-TCCCTATCAGTGATAGAGAA-3')によって負に制御されている。テトラサイクリン非存在下ではTetRは活性型で''tetO''に結合して転写を阻害しているが、テトラサイクリン存在下では不活性型となり''tetO''から解離する。つまり、テトラサイクリンが''tet''オペロンの[[インデューサー]]である。そこで植物中で構成的に発現する遺伝子のプロモーターの下流にTetRの遺伝子''tetR''を結合したものと、それとは別の別のプロモーターの下流に''tetO''を複数個連結するとともに更にその下流に発現を誘導したい遺伝子を結合したものを組み合わせたものから構築されている。''tetO''を複数個連結している理由はTetRの結合効率を高めて、テトラサイクリン非存在下での遺伝子発現抑制効果を高めるためである。テトラサイクリンをインデューサーとして投与することによって''tetO''下流の遺伝子は誘導される。なお、インデューサーとしてはテトラサイクリンよりも[[ドキシサイクリン]]の方が誘導性が高い。なお、この系はキメラ・トランス転写因子を用いたアクチベーター型のものではなく、リプレッサー型である。
* [[エストラジオール]]誘導系:DNA結合領域として[[大腸菌]]のSOS[[レギュロン]](regulon)の[[リプレッサー]]であるLexA([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/dad/AAA24067.1/?filetype=html アミノ酸配列])の第1-87アミノ酸残基配列、[[単純ヘルペスウイルス]](HSV: Herpes Simplex Virus)由来のVP16([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=M60050-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j アミノ酸配列])のトランス転写活性領域(第403-479アミノ酸残基配列)、ヒト・[[エストロゲン受容体]]のシグナル検知領域(第282-595アミノ酸残基配列)を融合して作られた合成転写活性化因子XVE([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/search/SearchServlet?showmode=proteinlink&database=dad&number=accession&accnumber=AF309825-1&othersdb=imgt&dna_type=normal&amino_type=normal&mode=show&lang=j アミノ酸配列])と、本来はLexAが結合するオペレーターであるSOS box (5'-TACTGTATATATATACAGTA-3')をXVEが結合するシスエレメントとし、CaMV 35S最小プロモーターの[[TATAボックス]](TATA box)の上流にSOS boxを複数個配した転写誘導系である<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11069700 Plant J. 2000 Oct;24(2):265-73.], "Technical advance: An estrogen receptor-based transactivator XVE mediates highly inducible gene expression in transgenic plants.", Zuo J, Niu QW, Chua NH., {{PMID|11069700}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11175731 Nat Biotechnol. 2001 Feb;19(2):157-61.], "Chemical-regulated, site-specific DNA excision in transgenic plants.", Zuo J, Niu QW, Møller SG, Chua NH., {{PMID|11175731}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/16739588 Methods Mol Biol. 2006;323:329-42.], "Applications of chemical-inducible expression systems in functional genomics and biotechnology.", Zuo J, Hare PD, Chua NH., {{PMID|16739588}}</ref>。CaMV 35S最小プロモーターにはエストラジオールが存在しないとほとんど転写活性がない。しかし、XVEとエストラジオールが結合するとXVEはSOS boxと結合して下流のCaMV 35S最小プロモーターの転写活性を強力に誘導する。つまり、正の制御系である。
* [[デキサメタゾン]]誘導系:DNA結合領域およびシグナル検知領域としてTetR(1-208アミノ酸残基)と、別のシグナル検知領域としてラットの[[糖質コルチコイド]]受容体(GR: glucocorticoid receptor)のホルモン結合領域(512-794アミノ酸残基)と、HSVのVP16のトランス転写活性化領域(363-490アミノ酸残基)の融合蛋白質TGVと''tetO''を利用して、[[デキサメタゾン]]で誘導、テトラサイクリンで抑制する系である<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10417730 Plant J. 1999 Jul;19(1):87-95.], "Technical advance: transcriptional activator TGV mediates dexamethasone-inducible and tetracycline-inactivatable gene expression ", Bohner S, Lenk I I, Rieping M, Herold M, Gatz C., {{PMID|10417730}}</ref><ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11254134 Mol Gen Genet. 2001 Feb;264(6):860-70.], "Characterisation of novel target promoters for the dexamethasone-inducible/tetracycline-repressible regulator TGV using luciferase and isopentenyl transferase as sensitive reporter genes.", Böhner S, Gatz C., {{PMID|11254134}}</ref>。TetRが結合するオペレーターである''tetO''をTGVが結合するシスエレメントとし、CaMV 35S最小プロモーターの[[TATAボックス]]の上流に''tetO''を複数個配してある。テトラサイクリンもデキサメタゾンも非存在下ではCaMV 35S最小プロモーターの転写活性はほとんどない。テトラサイクリン非存在でかつデキサメタゾン存在下ではTGVにデキサメタゾンが結合したものが''tetO''に結合して、転写が強力に誘導される。そこにテトラサイクリンが添加されるとTGV-デキサメタゾン-テトラサイクリン複合体となって''tetO''から遊離するため転写が抑制される。
上記の化学物質による遺伝子発現制御系を用いて、配列特異的組換え酵素の生産を制御して''[[in vivo]]''で形質を改変する技術(遺伝子利用制限技術)が開発された。その配列特異的組換え酵素とその標的配列としてCreと''loxP''、[[酵母]]の2-μm DNAや醤油酵母のpSR1の組換え酵素とそれらの標的配列、他が用いられている。その応用例を挙げる。
==== いわゆる「ターミネーター技術」====
次世代の種子の発芽抑制技術である。自家受粉する作物では、組換え品種からの契約外の自家採種が行われていることがある。その制限のためと交配による遺伝子拡散の防止ために開発された。この技術のためには3つの系が必要である。
* 毒素遺伝子は種子成熟の晩期に発現して種子や胚を殺すが、成長・繁殖時期や他の部位では発現してはならない。そのために、胚発生後期に種子特異的に発現するプロモーターとそれを用いて生産される毒素遺伝子。
* 種子特異的に発現する毒素遺伝子が組み込まれていても、種苗会社が大量に種子生産ができるようにその発現を抑制する系。
* 種子販売に際して、種子特異的発現できるように毒素遺伝子の抑制を解除するための系。
それらを満たすために、[[ワタ]]における例では次のものが用いられている。
* ワタの後期胚形成主要タンパク質(LEA: late embryogenesis abundant protein)遺伝子''LEA''のプロモーターとサボンソウ(''Saponaria officinalis'')のリボソーム不活化タンパク質(RIP: ribosome-inactivating protein, [http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?ec:3.2.2.22 EC 3.2.2.22], [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/protein/149941268 アミノ酸配列], [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/nuccore/149941267 塩基配列])か[[リボヌクレアーゼ]](RNase)であるBARNASEを毒素とする。
* ''LEA''プロモーターと毒素遺伝子の間を分断して転写や翻訳を阻害する分断配列。
* 分断する配列を条件的に除去するための系として配列特異的組換え酵素とその標的配列。
例としてRIPとCreと''loxP''と''tetR''と''tetO''の系について説明する。「目的遺伝子 + (''LEA''プロモーター + ''loxP'' + 分断配列 + ''loxP'' + ''RIP'') + (構成的プロモーター + ''tetR'') + (構成的プロモーター + 複数の''tetO'' + ''cre'')」というカセットを植物体に導入しておく。構成的プロモーターにより[[リプレッサー]]であるTetRが常に生産されているため、[[オペレーター]]配列である''tetO''にTetRが結合して''cre''は転写・翻訳されない。その結果、後期胚形成期であっても、分断配列によって毒素RIPが生産されないので正常な胚発生が進行する。そのため、種苗会社はこの植物の種子を増やすことができる。しかし、種子を出荷する前に[[インデューサー]]である[[ドキシサイクリン]]で処理するとTetRが不活化して''tetO''から遊離してCreが生産される。その結果、順方向に並んでいる二つの''loxP''の間でCreにより配列特異的な組換えが生じて「目的遺伝子 + (''LEA''プロモーター + ''loxP'' + ''RIP'') + (構成的プロモーター + ''tetR'') + (構成的プロモーター + 複数の''tetO'' + ''cre'')」という構造に変換する。''LEA''プロモーター + ''loxP'' + ''RIP''の組み合わせは転写と翻訳を阻害されない。この構造を持つ種子は正常に発芽・生育・開花できるが、[[受精]]後の種子形成の最終段階である後期胚形成期に胚においてのみ転写活性を持つ''LEA''プロモーターにより、胚においてRIPが生産され胚は死滅する。その結果、次世代の種子は発芽できなくなる。
この技術に関しては反対意見が強いために現時点においては栽培されている遺伝子組換え作物には利用されていない。なお、「ターミネーター技術」とは遺伝子組換え作物反対派から命名された通称である。
==== 遺伝的改変遺伝子除去技術(genetically modified gene deletor) ====
いわゆる「ターミネーター技術」を利用した場合、次世代の種子が発芽しなくなるため批判が強い。そこで、次世代の種子は発芽できるが導入された遺伝子が次世代には伝わらないように花粉や種子から除去する技術である。その結果、農家が契約に反して自家採種しても、その種子からは組換え品種を得ることができなくなる。生態系に対する遺伝子汚染を減少することもできる。種子や花粉特異的プロモーターを用いて配列特異的な組換え酵素遺伝子を誘導して、標的配列の順方向繰り返し(direct repeats)によって囲まれたDNA領域(導入された形質に係わる遺伝子)を、順方向繰り返し配列間の特異的相同組換えによってループアウトさせて除去して遺伝子拡散を防ぐ系である。
花粉特異的発現する遺伝子として''BGP1''([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/X68210?filetype=html 配列])と''LAT52''([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/X15855?filetype=html 配列])が、花粉と種子特異的発現をする遺伝子として''PAB5''([http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/na/M97657?filetype=html 配列])が同定され、それらのプロモーターが単離された。''loxP''と2-μm DNAの標的配列を連結した配列を順方向繰り返し配列として利用し、それらのプロモーターでCreと2-μm DNAの配列特異的組換え酵素をそれぞれ単独で生産させた場合、導入された遺伝子を得られた種子からほぼ100%除去することができた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17309681 Plant Biotechnol J. 2007 Mar;5(2):263-274.], "'GM-gene-deletor': fused ''loxP''-FRT recognition sequences dramatically improve the efficiency of FLP or CRE recombinase on transgene excision from pollen and seed of tobacco plants.", Luo K, Duan H, Zhao D, Zheng X, Deng W, Chen Y, Stewart CN Jr, McAvoy R, Jiang X, Wu Y, He A, Pei Y, Li Y., {{PMID|17309681}}</ref>。
その他、[[アシネトバクター]](''Acinetobacter'')由来のセリン・リゾルベースCinH組換え酵素(serine resolvase CinH recombinase)(CinH:[http://getentry.ddbj.nig.ac.jp/getentry/dad/CAD31737.1/?filetype=html アミノ酸配列])とその認識配列''RS2''<ref>5’-CGTAAATTATAAATCTTAAATATCAAAGTT ACATGTTATATATGGTTAAAAATCATTTAA ATGTTACATAGTTTTAAGAACTTTTATATT GTAACTTTAGGGTATACTCTAAAATAACA-3’</ref>を用いて、花粉特異的に発現する遺伝子''LAT52''のプロモーターを用いてCinHを生産させて、順方向繰り返し配列とした二つの''RS2''に挟まれた領域(導入遺伝子)を除去する系も開発されている<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed?term=21359553 Plant Mol Biol. 2011 Apr;75(6):621-31. Epub 2011 Feb 2], "Transgene excision in pollen using a codon optimized serine resolvase CinH-''RS2'' site-specific recombination system.", Moon HS, Abercrombie LL, Eda S, Blanvillain R, Thomson JG, Ow DW, Stewart CN Jr., {{PMID|21359553}}</ref>。''RS2''は、119 bpと長いため特異性が高くなるので、CinHと''RS2''を用いた系ではゲノムにもともと存在する類似の配列と組換える可能性はほとんどない。
なお、上記以外にも[[ストレプトマイセス]](''Streptomyces'')由来の[[ファージ]]phiC31の[[インテグラーゼ]](integrase)と標的配列である''attB''と''attP''を用いて組換え[[コムギ]]での導入遺伝子の除去にも成功している<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20127141 Plant Mol Biol. 2010 Apr;72(6):673-87.], "Transgene excision from wheat chromosomes by phage phiC31 integrase.",Kempe K, Rubtsova M, Berger C, Kumlehn J, Schollmeier C, Gils M., {{PMID|20127141}}</ref>。phiC31を生産する組換えコムギと除去される標的配列を持つ組換えコムギを掛け合わせて得られた後代から目的とした導入遺伝子が除去されていることが確認されている。
=== エピジェネティック効果を用いた形質改変植物の育種 ===
[[エピジェネティック]]効果とは「DNAの塩基配列の変化を伴わずにおきるゲノム機能の変化」である。細胞レベルでのエピジェネティック効果は以下のメカニズムに基づく。
* DNAの[[メチル化]]または脱メチル化
* non-coding short RNA ([[ncRNA]]: [[miRNA]]、[[siRNA]]、[[shRNA]] 等)による遺伝子制御
* [[クロマチン]]修飾([[ヒストン]]の[[アセチル化]]、[[メチル化]]、[[リン酸化]] 等)
これらのエピジェネティック効果をもたらす操作を一過的に行っても、それに伴い変化したクロマチン状態は[[有糸分裂]]を経ても安定的に伝達され、生物の[[表現型]]に影響を与え続けることがある。つまり、初めに導入遺伝子によってエピジェネティック効果をもたらし、その後代からエピジェネティック効果を保持しつつ、かつ、導入された遺伝子配列を保持しない系統を選抜することで、植物のゲノム配列を変化させずに植物の形質を安定に変化させられる。
例えば、「non-coding short RNA (miRNA、siRNA、shRNA 等)による遺伝子制御」に関するRdDM (RNA-directed DNA methylation)を簡単に説明する。これは基本的に[[RNAi]]のgene silencing (GS)と同様の手法であり、「植物の発現を抑制したい遺伝子配列と相同性を持つコンストラクト(RdDM誘導コンストラクト)を植物体へ導入して、短鎖二本鎖RNA (dsRNA)を細胞中で作らせ、これにより相同配列部分のDNAのメチル化を誘発し、標的遺伝子の転写を抑制する」ものである。RdDMの植物育種上の重要性は、植物体の特定遺伝子を、遺伝子配列の変異を生じさせることなく、発現抑制できることにある。このDNAのメチル化状態は世代を通じて、維持される場合がある。そこで、後代において、目的の形質を保持し、かつ、導入されたRdDM誘導コンストラクトを保持しない系統を選抜する。この手法の応用により、既に様々な形質の植物体が作り出されている。
この手法には明らかな利点が存在する。DNAのメチル化自体はごく一般的な自然現象であり、[[真核細胞]]に広く発生している。RdDMによりメチル化されたDNAと自然にメチル化されたDNAを区別することは困難であり、RdDM誘導コンストラクトが除去された系統と従来の手法で育種された作物とを区別できない。導入された遺伝子が存在しないために、この手法により育種された作物はそもそも遺伝子組換え作物であるのかどうかという、遺伝子組換え作物の定義にも関わる根本的な議論を引き起こしている。
== 安全性審査 ==
組換え'''作物'''に対する安全性審査は、[[生物多様性]]の確保に関する[[カルタヘナ法]]に基づく「食品としての安全性の評価」と「環境に与える影響の評価」に分けられる。
=== 食品としての安全性の評価 ===
日本においては、遺伝子組換え'''食用作物'''(遺伝子組換え食品)の商業的栽培は行われていないが、多量の組換え食品が輸入されている。それらの安全性を確保するため、厚生省は1991年(平成3年)から「安全性評価指針」に基づいて個別に安全性審査を行ってきたが、任意の仕組みであった。安全性審査を法的に義務化することとし、2001年(平成13年)4月1日から、安全性審査を受けていない遺伝子組換え食品の輸入・販売等が禁止された。
また、2003年(平成15年)7月1日に[[食品安全基本法]]が施行され、内閣府に[[食品安全委員会]]が発足したことに伴い、遺伝子組換え食品の安全性審査は[[食品安全委員会]]の意見を聴いて行うこととなった。[[厚生労働省]]の[http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/anzen/anzen.html 「遺伝子組換え食品の安全性審査について」]に関連の規則や安全性評価基準についてのリンクがある。詳細はリンク先参照。2019年8月時点で、日本で食品として安全性が確認され使用許可があるGM作物は、8種類320品種である<ref>{{Cite web|和書|url=https://cbijapan.com/about_use/usage_situation_jp/|title=日本での利用状況|accessdate=2021年3月25日|publisher=バイテク情報普及会}}</ref>。食品安全委員会の「遺伝子組換え食品(種子植物)の安全性評価基準」<ref>[https://www.fsc.go.jp/senmon/idensi/gm_kijun.pdf 遺伝子組換え食品(種子植物)の安全性評価基準]</ref>によると、食品としての安全性審査における基本的な検討事項は、
* 組み込む前の作物(既存の食品)、組み込む遺伝子、[[ベクター]]などはよく解明されたものか?
* 食経験はあるか?
* 組み込まれた遺伝子はどのように働くか?
* 組換えることで新しくできたタンパク質はヒトに有害でないか?
* [[アレルギー]]を起こさないか?
* 組換えによって意図しない変化が起きないか?
* 食品中の栄養素などが大きく変わらないか?
である。
上記のアレルギーの検定については、[[アレルギー]]の素となる[[アレルゲン]]の評価として、
* 挿入遺伝子の供与体(生物)が、アレルギー([[グルテン]]過敏性腸炎誘発性を含む。以下同じ。)を引き起こすことが知られているか。
* 挿入遺伝子産物(タンパク質)が、アレルギーを引き起こすことが知られているか。
* 挿入遺伝子産物(タンパク質)が、加熱やタンパク質分解酵素処理(人工胃液や人工腸液)に対して、安定であるか。
* 挿入遺伝子産物(タンパク質)に、既知の[[アレルゲン]]と共通するアミノ酸配列があるか。
が、初めに調査される。上記4項目で安全性が判断できないときには、
* アレルギー患者の[[血清]]に含まれているIgE[[抗体]]との反応性がないことを確認する。
* アレルギー患者の血清を用いる試験で、安全性が判断できないときには、ヒトでの皮膚プリックテストや経口負荷試験などの臨床試験を行う。
ことにより、評価されている。
飼料としての安全性審査は、「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律([[飼料安全法]])」によって規定され、その基準は「遺伝子組換え飼料及び飼料添加物の安全性評価の考え方」<ref>[https://www.fsc.go.jp/senmon/idensi/gm_siryoukijyun.pdf 遺伝子組換え飼料及び飼料添加物の安全性評価の考え方]</ref>に基づいている。
==== 環境に与える影響の評価 ====
遺伝子組換え作物を一般圃場で栽培する前に環境への影響は、[[カルタヘナ法]]に基づき、競合における優位性があるか有害物質を産生しないか、交雑性の主に3点から科学的に評価されている。
; 競合における優位性
: 野生生物と栄養分、日照、生育場所等の資源を巡って競合しそれらの生育に支障を及ぼす性質
; 有害物質産生性
: 野生動植物又は微生物の生息又は生育に支障を及ぼす物質を産生する性質
; 交雑性
: 近縁の野生植物と交雑し、法が対象とする技術により移入された核酸をそれらに伝達する性質
それぞれ、「競合における優位性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「有害物質産生性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」、「交雑性による生物多様性影響が生ずるおそれが無い」と評価されてから、農林水産大臣及び環境大臣より一般圃場での栽培が承認(第1種使用)される。
なお、花卉などの非食用の遺伝子組換え作物に関しては、[[カルタヘナ法]]に基づく第1種使用の承認だけが要求されており、食品としての安全性審査は必要とされない。
== 世界各国での栽培と輸出入の現状 ==
=== 概説 ===
1994年に[[Flavr Savr]]が発売された後に、GM作物は、1996年にアメリカで大豆の栽培が始められて以降、着々と普及してきた。
2015年現在、全世界の大豆作付け面積の83%、トウモロコシで29%、綿で75%、[[カノーラ]]で24%がGM作物である([http://www.isaaa.org/ ISAAA]調査)。特に食生活の変化による肉類消費の増加を背景とした飼料用穀物の需要増加は、害虫、除草剤への耐性が高く、生産性も高いGM作物の需要増加に繋がっている<ref name="20071217nikkeibo">『遺伝子組み換え作物、事実上の勝利 安全性への懸念をよそに栽培農家は世界中で急増』2007年12月17日付配信 日経ビジネスオンライン</ref><ref name="siryou zouka"/>。
ダイズの栽培面積の拡大に関しては、[[BSE]]問題と関連があるとされている。BSEによって家畜飼料として[[肉骨粉]]の使用が敬遠され、それに代わるタンパク質源として、ダイズが使用されているからである<ref>[http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/review/pdf/primaffreview2006-21.pdf 農林水産政策研究所レビューNo.21(2006年10月16日)], 巻頭言, "BSE・大豆・アマゾン", 石 弘之, [[農林水産政策研究所]]レビュー </ref>。その結果、組換え品種の割合の高いダイズの栽培面積が、組換え作物の栽培面積の増加となった。
その他、トウモロコシの栽培の増加には、[[バイオエタノール]]増産と関係があるとされている。アメリカを初め、[[中華人民共和国]]や[[インド]]、[[ブラジル]]、[[アルゼンチン]]、[[カナダ]]など各国へ普及しており、2006年時点で22カ国で約1億200万 ha栽培され<ref name="20071028sankei">『“遺伝子組み換え作物”中国進む技術開発 コメ商業栽培もう一歩』2007年10月29日付配信 産経新聞</ref>、更に2007年には23カ国で約1億1430万 ha、2008年には25カ国で約1億2500万 ha、2009年には約1億3400万 ha、2010年には1億4800万 ha、2011年には1億6000万 ha、2012年には日本を除く28カ国において1億7030万 haで、2013年には27カ国において1億7520万 haで、2014年には28カ国において1億8150万 haで、2015年には28カ国において1億7970万 haで栽培された(ISAAA調査)。
2015年において、初めてその栽培面積が減少した主な理由は、2015年の農産物価格の低下と考えられた(ISAAA調査)。ちなみに[[農林水産省]]大臣官房統計部によると、2009年の日本の全耕地面積は約460万 haである<ref>[http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/kouti_09/kouti_09.pdf 平成21年耕地面積(7月15日現在)]</ref>。また、[[国際連合食糧農業機関]](Food and Agriculture Organization: [[FAO]])によると、2006年の全世界の栽培面積は耕地面積の約14億1171.7万 haと永年性作物の栽培面積の1億4197.6万 haの計15億5369.3万 haであった[http://www.fao.org/fileadmin/templates/ess/documents/publications_studies/statistical_yearbook/FAO_statistical_yearbook_2007-2008/a04.xls]。
つまり、2012年には全世界の耕地面積の約12%、耕地面積+永年性作物の栽培面積の約11%において遺伝子組換え作物が栽培されていたことになる。
2015年の遺伝子組換え作物生産国は、
; 北米
: [[アメリカ合衆国]]、[[カナダ]]
; 中南米
: [[メキシコ]]、[[ホンジュラス]]、[[コロンビア]]、[[チリ]]、[[アルゼンチン]]、[[ウルグアイ]]、[[パラグアイ]]、[[ブラジル]]、[[ボリビア]]、[[コスタリカ]]
; アジア、オセアニア
: [[中華人民共和国]]、[[インド]]、[[パキスタン]]、[[ミャンマー]]、[[フィリピン]]、[[ベトナム]]、[[バングラデシュ]]、[[オーストラリア]]
; アフリカ
: [[南アフリカ]]、[[ブルキナファソ]]、[[スーダン]]
; ヨーロッパ
: [[ポルトガル]]、[[スペイン]]、[[チェコ]]、[[スロバキア]]、[[ルーマニア]]
である。なお日本においては、遺伝子組換え[[バラ]]が商業栽培されている。
近年の特徴として、複数の形質(stacked traits)が導入された品種の栽培面積が増えてきている(ISAAA調査、[[USDA]]調査<ref>[http://www.ers.usda.gov/data-products/adoption-of-genetically-engineered-crops-in-the-us/recent-trends-in-ge-adoption.aspx#.U9Jz0UgoxpE Recent Trends in GE Adoption, Adoption of Genetically Engineered Crops in the U.S.], Last updated: Monday, July 14, 2014</ref>)。複数の形質とは、複数の除草剤に対する抵抗性や、除草剤耐性と害虫抵抗性などを併せ持つものである。多くの場合、異なった遺伝子が導入された複数の組換え作物を交配して作られている。
日本は大量の[[穀類]]を輸入しており、その相当量は既に遺伝子組換え品種であると推定されている。
=== 遺伝子組換え作物の主要栽培国と日本での栽培の現状 ===
; アメリカ
: 最初に栽培が始まったアメリカは遺伝子組換え作物の生産が最も盛んな国の一つである。2007年に報道されたところによると米国産作物の半分以上は遺伝子組換え作物であり、大豆はほぼ100%、トウモロコシは約70%を占める<ref name="20071217nikkeibo"/>。また、加工食品の多くにもGM作物が使用されている<ref name="20071217nikkeibo"/>。[[アメリカ食品医薬品局|アメリカ食品医薬局]]によると、遺伝子組み換えトウモロコシのほとんどは、牛などの家畜や鶏肉などの飼料として使用されている<ref>{{Cite web|url=https://www.fda.gov/food/agricultural-biotechnology/gmo-crops-animal-food-and-beyond|title=GMO Crops, Animal Food, and Beyond|accessdate=2021年3月29日|publisher=U.S.FOOD & DRUGS ADMINISTRATION(アメリカ食品医薬品局)}}</ref>。なお、米国農務省のNASS(National Agricultural Statistics Service)によると2008年の組換え作物の作付けの割合は、ダイズで92%(約2770万 ha<ref name="GMO compass soybean">[http://www.gmo-compass.org/eng/agri_biotechnology/gmo_planting/342.genetically_modified_soybean_global_area_under_cultivation.html Genetically modified plants: Global Cultivation Area Soybean]</ref>)、トウモロコシで80%(約2820万 ha<ref name="GMO compass maize">[http://www.gmo-compass.org/eng/agri_biotechnology/gmo_planting/341.genetically_modified_maize_global_area_under_cultivation.html Genetically modified plants: Global Cultivation Area Maize]</ref>)、[[ワタ]]で86%(約320万 ha<ref name="GMO compass cotton">[http://www.gmo-compass.org/eng/agri_biotechnology/gmo_planting/343.genetically_modified_cotton_global_area_under_cultivation.html Genetically modified plants: Global Cultivation Area Cotton]</ref>)であった<ref>[http://usda.mannlib.cornell.edu/usda/nass/Acre/2000s/2008/Acre-06-30-2008.pdf Acreage 2008]</ref>。また、2009年の組換え作物の作付けの割合は、ダイズで91%(約2860万 ha<ref name="GMO compass soybean"/>)、トウモロコシで85%(約2990万 ha<ref name="GMO compass maize"/>)、ワタで88%(約320万 ha<ref name="GMO compass cotton"/>)であった<ref>[http://usda.mannlib.cornell.edu/usda/nass/Acre/2000s/2009/Acre-06-30-2009.pdf Acreage 2009]</ref>。2010年では、ダイズで93%、トウモロコシで86%、ワタで93%であり<ref>[http://usda.mannlib.cornell.edu/usda/nass/Acre//2010s/2010/Acre-06-30-2010.pdf Acreage 2010]</ref>、2011年では、ダイズで94%、トウモロコシで88%、ワタで90%であり<ref>[http://usda01.library.cornell.edu/usda/nass/Acre//2010s/2011/Acre-06-30-2011.pdf Acreage 2011]</ref>、2012年では、ダイズで93%、トウモロコシで88%、ワタで94%<ref>[http://www.usda.gov/nass/PUBS/TODAYRPT/acrg0612.pdf Acreage 2012]</ref>であり、2013年では、ダイズで93%、トウモロコシで90%、ワタで90%であった<ref>[http://usda01.library.cornell.edu/usda/current/Acre/Acre-06-28-2013.pdf Acreage 2013]</ref>。なお、2014年の組換え品種の栽培比率は、ダイズで94%、トウモロコシで93%、ワタで96%である<ref>[http://www.nass.usda.gov/Publications/Todays_Reports/reports/acrg0614.pdf Acreage 2014]</ref>。
; [[カナダ]]
: 2007年のダイズの栽培面積の62.5%(約68.8万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass soybean"/>。2007年のトウモロコシの栽培面積の84%(約117万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass maize"/>。[[カノーラ]]の2007年の栽培面積の87%(約510万 ha<ref name="GMO compass rapeseed">[http://www.gmo-compass.org/eng/agri_biotechnology/gmo_planting/344.genetically_modified_rapeseed_global_area_under_cultivation.html Genetically modified plants: Global Cultivation Area Rapeseed]</ref>)は組換え品種であった。
; [[ブラジル]]
: 当所、ブラジル政府はGM作物に対して態度を明確にしていなかった。そのため、隣国であるアメリカでGM作物が問題となっていたことを利用して、2002年大統領選では候補者が「ブラジルではGM作物を作らない」と宣言して自国農作物をアピールする動きも見られた。ところが、そのときにはすでに密輸されたGM作物が国内に流通しており、2005年にブラジル政府はGM作物を認めることになる<ref name="20071217nikkeibo"/><ref>[http://lin.alic.go.jp/alic/month/fore/2005/oct/spe-02.htm ブラジルにおける遺伝子組換え(GM)作物の栽培許可をめぐる経緯], 犬塚 明伸、横打 友恵、月報「畜産の情報」(海外編), 2005年10月, 独立行政法人 農畜産業振興機構</ref>。2007年と2009年のダイズの栽培面積の64%(約1450万 ha)と71%(約1620万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass soybean"/>。2009年のトウモロコシの栽培面積の36%(約500万 ha)は組換え品種であり<ref name="GMO compass maize"/>、ワタの栽培面積の18%(約14.5万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass cotton"/>。
; [[アルゼンチン]]
: 組換えダイズの栽培が盛んであり、2008年と2009年のダイズ栽培面積の99%(約1620万 ha)と99%(約1740万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass soybean"/>。2009年のトウモロコシの栽培面積の85%(約210万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass maize"/>。また、2008年のワタの栽培面積の95%(約38万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass cotton"/>。
; [[ウルグアイ]]
: 2007年のダイズの栽培面積の100%(約47万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass soybean"/>。
; [[パラグアイ]]
: 2007年と2009年のダイズの栽培面積の93%(約260万 ha)と85%(約220万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass soybean"/>。
; [[インド]]
: 組換えワタの栽培が盛んであり、[[ナス]]などの組換え品種の育種も進んでいる。2008年のワタの栽培面積の76%(約695万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass cotton"/>。なお、上記のデータと多少の誤差があるがISAAAの調査によると<ref>ISAAA Series of Biotech Crop Profiles: [http://www.isaaa.org/resources/publications/biotech_crop_profiles/bt_cotton_in_india-a_country_profile/download/Bt_Cotton_in_India-A_Country_Profile.pdf Bt Cotton in India: A Country Profile], Bhagirath Choudhary and Kadambini Gaur著, July 2010, ISBN 978-1-89245646-5.</ref><ref>[http://www.isaaa.org/india/media/Adoption%20and%20Impact%20of%20Bt%20Cotton%20in%20India,%202002%20to%202010-%2011%20aug%20Final.pdf Adoptation and impact of Bt cotton in India, 2002 to 2010], Bhagirath Choudhary and Kadambini Gaur著</ref><ref>[http://www.isaaa.org/india/media/Socio-economic%20and%20farm%20level%20impact%20of%20Bt%20cotton%20in%20India,%202002%20to%202010-11%20aug%20final.pdf Socio-Economic and Farm Level Impact of Bt Cotton in India], Bhagirath Choudhary and Kadambini Gaur著</ref>、インドの各地方に適した様々な品種が開発され2008年には綿花栽培面積の80%が、2009年には87%(約840万ha)がBtワタになっており、2009年には560万人の小農がBtワタを栽培した。さらに、2010年には86%(約940万ha)がBtワタになっており、630万人の小農がBtワタを栽培した。このように遺伝子組換えワタの栽培は急激に増えている。遺伝子組換えワタを導入する以前と比較すると綿花栽培に使用される農薬使用量の大幅な減少と単位面積当たりの収量の大幅な増加(2001-2002年では308 kg/ha、2009-2010年では568 kg/ha)によって、インドの農民に広く受け入れられている。インドにおける遺伝子組換え作物の現状については、ISAAAの[http://www.isaaa.org/india/index.html India Biotech Information Centre]によって詳しく解説されている。また、インドにおいて2002-2008年の期間のワタ栽培農家に対して経済学的な解析を行った結果によると、害虫被害の減少によってBtワタは伝統的ワタ品種より24%収量が多く、Btワタ栽培からの収入の50%増加につながり、その結果、Btワタを採用した農家の支出は2006-2008年の間に18%増加するほど生活水準が上がっていた。このことから、Btワタ品種の栽培はインドの経済的、社会的発展に貢献していると結論づけている<ref>[http://www.pnas.org/content/early/2012/06/25/1203647109.full.pdf+html pnas.1203647109], "Economic impacts and impact dynamics of Bt (''Bacillus thuringiensis'') cotton in India", Jonas Kathage and Matin Qaim, PNAS, July 2, 2012</ref><ref>[http://www.nature.com/news/genetically-modified-cotton-gets-high-marks-in-india-1.10927 Genetically modified cotton gets high marks in India], Engineered plants increased yields and profits relative to conventional varieties, Gayathri Vaidyanathan, Nature | News, 03 July 2012</ref>。
; 中国
: GM作物を積極的に取り入れる動きがある。中国政府が積極的に取り組んでおり、研究は1986年から行われている<ref name="20071028sankei"/>。2006年時点では、GM作物のほとんどは綿花とタバコだが、基礎食品である[[米]]の開発に力を入れており、商業栽培も間近な状況となっている<ref name="20071028sankei"/>。2007年のワタの栽培面積の68%(380万 ha)は組換え品種であった<ref name="GMO compass cotton"/>。
; 日本
: 一部自治体で環境や[[消費者団体]]などへの影響への懸念から[[遺伝子組み換え作物規制条例]]で栽培を規制している。北海道、新潟県など10都道府県では実質的に栽培が禁止されている<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/shs/grp/06/gmjourei02.pdf 北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例], 平成17年3月31日北海道条例第10号, 改正平成21年3月31日北海道条例第15号</ref>。また、購入した種子を撒いたところ混入していた組換え作物の種子に由来する組換え作物を栽培してしまった事例があるが、この場合は意図して栽培しているわけではないので処罰はされない{{refnest|group="注釈"|name="hokkaido"|"「北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」は、GM作物を栽培する場合の規制であり、今回のような場合は対象外", [http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/shs/grp/09/saai4-3-1gmjoukyou.pdf 「遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例」をめぐる状況]}}。このように、現実には意図せず日本においても組換え作物を商業栽培している可能性がある。そのほか、スギ花粉症緩和米などは医薬品としての規制を受ける。厚生労働省医薬食品局食品安全部が安全性審査を終えた組換え作物を公表している<ref name="list"/>。[[青いバラ (サントリーフラワーズ)]]は国内で商業栽培されているため、2009年には日本も遺伝子組換え作物の商業栽培国となった。
=== 日本の遺伝子組換え作物の輸入量 ===
「農林水産物輸出入概況2008年(平成20年)確定値」<ref>[https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kokusai/pdf/yusyutu_gaikyo_08s.pdf 農林水産物輸出入状況2008年(平成20年)確定値]平成21年4月10日 平成21年10月1日訂正 農林水産省 国際部国際政策課</ref>による主要穀類の日本の輸入量とその輸入相手国は以下の通りである。
* トウモロコシ:16,460,160トン(内 飼料用 11,877,772トン) 主要輸入相手国(重量比) アメリカ 16,277,542トン(内 飼料用 11,726,815トン)(98.9%)、アルゼンチン 86,724トン(内 飼料用 85,991トン)(0.5%)、インド 72,578トン(内 飼料用 57,868トン)(0.4%)
* ダイズ:3,711,043トン 主要輸入相手国(重量比) アメリカ 176,882,857トン(73.5%)、ブラジル 568,024トン(15.3%)、カナダ 325,010トン(8.8%)、中国 86千トン(2.3%)
* 菜種(採油用):2,312,536トン 主要輸入相手国(重量比) カナダ 2,208,754トン(95.5%)、オーストラリア 103,450トン(4.5%)
これらの作物の主要輸入相手国は、上記のようにそれらの作物の遺伝子組換え品種の栽培の盛んな国である。よって、日本は遺伝子組換え作物を大量に輸入していると推定されている。その推定値の中には日本の輸入穀類の半量は既に遺伝子組換え作物であるというものもある<ref>遺伝子組換え作物 -世界の動向と今後の日本の展望-, 三石誠司, 財団法人 報農会, 掲載誌名:植物ハイビジョン-2008 -遺伝子組換え作物の現状と課題-, p.49-57</ref>{{refnest|group="注釈"|name="mitsuishi"|「日本の家畜飼料は、ほぼその輸入に頼っている。三石誠司・宮城大教授(経営学)の試算では、日本に輸入される全穀物は年間約3200万トンで、半分以上の約1700万トンがGMという。」 食卓どこへ:遺伝子組み換え/1 生協「不使用」から転換 (小島正美、遠藤和行) 毎日新聞 2009年11月2日 東京朝刊}}<ref>「講師の三石誠司・宮城大学教授は、大豆やトウモロコシなど輸入穀物の半分を遺伝子組み換え農産物が占めている現状を解説。」 遺伝子組み換えに賛否 新潟で農水省農産物シンポ 新潟日報2009年9月17日</ref>。日本における自給率は、トウモロコシ、ワタおよびナタネでは0%、ダイズでは7%で、国内需要を海外からの輸入に頼っている。日本への主要輸出国では、これらの作物にGM品種が高い割合で使用されており、日本に輸入されるこれらの農産物の9割程度がGM品種であると推測されている。GM作物の安全性や必要性について、日本国内において広く普及していないとみられるが、経済的貢献は大きく、年間1兆8000~4000億円のGDPを生み出している<ref>{{Cite web|和書|url=https://cbijapan.com/about_use/usage_situation_jp/|title=日本での利用状況|accessdate=2021年3月31日|publisher=バイテク情報普及会}}</ref><ref>”遺伝子組換え作物の社会的便益の評価に関する研究-遺伝子組換え作物の日本経済への貢献度の計測-”、バイテク情報普及会研究報告書、東京大学大学院農学生命科学研究科、本間正義、齋藤勝宏、2016年9月30日、2021年3月31日閲覧。
<nowiki>https://cbijapan.com/wp-content/themes/cbijapan/pdf/2017031401CBIJ.pdf</nowiki></ref>。
== 遺伝子組換え食品の含有の表示 ==
=== 概説 ===
遺伝子組換え食品が流通している各国や地域において、遺伝子組換え食品含有に関して表示する義務の有無や規則が異なっている。その中には、「非遺伝子組換え」、「遺伝子組換え不使用」等に相当する表示自体が厳しく規制されている、アメリカやEU内のいくつかの国々もある。そのため、輸出に際しては輸入国の法律や規則に従う必要がある。「非遺伝子組換え」等の表示がある場合や無表示の場合でも、意図せざる混入により少量の遺伝子組換え作物が混入していることがあり、その場合の許される混入率も各国や地域で異なっている。
=== 日本における表示 ===
{{law|section=1}}
==== 表示の法的根拠 ====
[[日本農林規格等に関する法律]](JAS法)<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC0000000175 日本農林規格等に関する法律(JAS法)]</ref>(遺伝子組換え食品に関する表示に係る加工食品品質表示基準第7条第1項及び生鮮食品品質表示基準第7条第1項の規定に基づく農林水産大臣の定める基準<ref>[http://www.caa.go.jp/jas/hyoji/pdf/kijun_03.pdf 遺伝子組換えに関する表示に係る加工食品品質表示基準第7条第1項及び生鮮食品品質表示基準第7条第1項の規定に基づく農林水産大臣の定める基準], (平成12年3月31日 農林水産省告示第517号、最終改正平成23年8月31日消費者庁告示第9号)</ref>)(以下、「基準」)及び[[食品衛生法]]<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000233 食品衛生法]</ref>([https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323M40000100023 食品衛生法施行規則])、現在は[[食品表示法]]に基づき、遺伝子組換え農産物とその[[加工食品]]について表示ルールが定められ、平成13年4月から義務化されている<ref name="hyouji">[http://www.caa.go.jp/foods/pdf/syokuhin244.pdf 食品表示に関する共通Q&A(第3集:遺伝子組換え食品に関する表示について)]</ref>。なお、[[酒類]]に関しての表示の法的根拠は、酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律(昭和28年法律第7号。以下「法」という。)第86条の6第1項の規定に基づく[[国税庁]]告示による「酒類における有機等の表示基準を定める件<ref>[https://www.nta.go.jp/law/kokuji/001226/01.htm 酒類における有機等の表示基準を定める件], 平成12年12月26日 国税庁告示第7号, 改正 平成20年7月 国税庁告示第22号
、平成27年10月国税庁告示第19号、令和元年6月国税庁告示第7号</ref>」である<ref name="hyouji"/>。それによると、「農林水産大臣の定める基準」の加工食品の規定を準用して、当該酒類の容器又は包装に遺伝子組換えに関する表示をしなければならないことになっている。
==== 表示義務対象 ====
表示義務の対象となるのは、[[大豆]]、[[とうもろこし]]、ばれいしょ([[ジャガイモ]])、[[菜種]]、[[綿]]実、[[ムラサキウマゴヤシ|アルファルファ]]、てん菜([[テンサイ]])及び[[パパイヤ]]の8種類の農産物と、これを原材料とし、加工工程後も組換えられたDNA又はこれによって生じたタンパク質を検出できる加工食品33食品群及び高オレイン酸遺伝子組換え大豆と高リシンとうもろこし及びこれを主な原材料として使用した加工食品(大豆油等)等と規定されている<ref name="hyouji"/>。なお、パパイヤに関しては、2011年(平成23年)12月1日より施行された<ref>[http://www.caa.go.jp/foods/pdf/syokuhin700.pdf 食品衛生法第19条第1項の規定に基づく表示の基準に関する内閣府令等の施行について], (消食表第370号 平成23年8月31日)</ref>。
==== 表示禁止対象 ====
安全性審査の手続きを経た上記の8つの遺伝子組換え農産物以外の農産物(例えば、米や[[小麦]]など)及びその加工食品については、「遺伝子組換えでない」「非遺伝子組換え」などの表示はできない<ref name="hyouji"/><ref name="fusiyou">[http://www.maff.go.jp/j/press/2006/pdf/20060705press_3b.pdf 大豆加工品の「国産大豆使用」表示等に関する特別調査の結果について]</ref>。上記の7つの遺伝子組換え農産物以外の農産物はもともと非遺伝子組換えであるため、表示することによってそれがあたかも特別に非遺伝子組換えであるかのような誤解を招かないように表示は禁止されている(食品衛生法施行規則 第二十一条 第五項)。ただし、その農産物について、「現在時点で、小麦やピーナッツの遺伝子組換えのものは流通していません。」などのように遺伝子組換えのものが存在していないことを一般論として表示することは可能である<ref name="hyouji"/>。
==== 加工食品における主な原材料とは ====
遺伝子組換え農産物が主な原材料(原材料の上位3位以内で、かつ、全重量の5%以上を占める)でない場合は表示義務はない<ref name="hyouji"/>。また、加工の際に加える水については計算から除外することとなっている。ただし、原材料の上位4位以下のものや全重量の5%未満であるものに関しても、分別生産流通管理(IPハンドリング:Identity Preserved Handling)が行われていなければ、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をできない。分別生産流通管理に関わる流通マニュアルは[[農林水産省]]や「財団法人 [[食品産業センター]]」などから公表されている<ref>[http://www.shokusan.or.jp/sys/upload/85pdf1.pdf バルク輸送非GMO流通マニュアル(とうもろこし・大豆)]</ref><ref>[http://www.shokusan.or.jp/sys/upload/86pdf1.pdf バルク輸送非GMO流通マニュアル(ばれいしょ)]</ref>。
==== 義務表示 ====
従来のものと組成、栄養価等が同等である遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であって、加工工程後も組換えられたDNA又はこれに由来するタンパク質を、ひろく認められた最新の検出技術によって5%以上検出可能であるものについては、「遺伝子組換えである」旨又は「遺伝子組換え不分別である」旨の表示が義務付けられている(「基準」第3条第1項及び第2項)。
==== 任意表示 ====
油や[[醤油]]などの加工食品に関しては、組換えられたDNA及びこれに由来するタンパク質が加工工程で除去・分解され、ひろく認められた最新の検出技術によっても検出不可能とされている加工食品については、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、'''任意で'''「遺伝子組換えである」旨、「遺伝子組換え不分別である」旨、または「遺伝子組換えでない」旨を表示することは可能である<ref name="hyouji"/>。ただし、表示する場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。
==== 非遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品 ====
上記の8つの遺伝子組換え農産物においては、分別生産流通管理が行われた非遺伝子組換え農産物及びこれを原材料とする加工食品であれば、遺伝子組換えに関する表示義務はない。ただし、'''任意で'''「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示をすることができる<ref name="hyouji"/>。ただし、「遺伝子組換えでない」旨の不使用表示場合は、「基準」及び「食品衛生法施行規則」に従う義務が生じる。不使用表示の場合、生産から食品の製造までの全段階で、遺伝子組換え作物が混入しないよう施設の洗浄や機器の専用化など分別生産流通管理を適切に行っていれば、5%以下の遺伝子組換え作物の意図せざる混入が許されている<ref name="hyouji"/>。
==== 分別生産流通管理と意図せざる混入 ====
分別生産流通管理(IPハンドリング)とは、非遺伝子組換え農産物を農場から食品製造業者まで生産、流通及び加工の各段階で混入が起こらないよう管理し、そのことが書類等により証明されていることをいう<ref name="hyouji"/>。農産物及び加工食品の取引の実態として、分別生産流通管理を適切に行うことにより、最大限の努力をもって非遺伝子組換え農産物を分別しようとした場合でも、生産、流通のそれぞれの段階で非遺伝子組換え原料専用の機械、施設を設置することは現実的に不可能であることから、その完全な分別は困難である。そこで、分別生産流通管理が適切に行われていれば、このような一定以下の「意図せざる混入」がある場合でも、「遺伝子組換えでない」旨の表示が認められている<ref name="hyouji"/>。つまり、分別生産流通管理が行われなかった場合や意図的に組換え農産物を加えた場合は、たとえ5%未満の混入であっても不使用表示はできない。
パパイヤに関してはハワイでの出荷段階で個々の果実に表示シールが貼られる予定である。国内での加工がある場合には表示義務に応じた表示がなされる。
==== 高オレイン酸遺伝子組換え大豆等の表示 ====
従来のものと組成、栄養価等が著しく異なる遺伝子組換え農産物(高オレイン酸遺伝子組換え大豆や高リシンとうもろこし等)及びこれを原材料とする加工食品については、JAS法に基づき、組換えられたDNAやタンパク質を検出不可能であっても、「高オレイン酸遺伝子組換え」である旨又は「高オレイン酸遺伝子組換えのものを混合」したものである旨の表示が義務付けられている<ref name="hyouji"/>。
==== 不使用表示食品における遺伝子組換え食品の検出 ====
[[PCR]]などの検出感度の高い検査法では、混入率0.01%程度でも陽性反応が出る。そのため、現在までに行われた多数の調査では、多くの「遺伝子組換え不使用」表示食品からも遺伝子組換え食品の混入が検出されているが、5%を超える混入はなかった<ref>[http://www.famic.go.jp/syokuhin/labeling/221228hyouji.pdf 科学的手法を用いて実施した食品の品質表示実施状況調査の結果について(平成21年度)], 平成22年12月28日 独立行政法人 農林水産消費安全技術センター</ref>。その混入率は、概ね0.1%未満-1.2%程度であった<ref name="fusiyou"/>。
=== 各国・地域における表示基準 ===
[http://www.cbijapan.com/index.html バイテク情報普及会]によると諸国の表示や規則は次のようになる[http://www.cbijapan.com/l_overseas/index-low.html]。
; アメリカ
: 従来のものと同等であるという観点から、遺伝子組換え食品に関する表示は義務付けられていない。さらに、「遺伝子組換え作物は含まれていない」、「遺伝子組換え不使用」などに相当する表示は厳しい条件の下でしかできず、実質的には困難である。しかし、高オレイン酸含有大豆の様に従来のものと著しく組成・栄養に変化がある場合には、その成分を表示することとなっている。
; カナダ
: アメリカと同様に栄養組成が従来のものと異なる場合にだけ表示が義務付けられていた。しかし、2004年4月15日、カナダ政府は遺伝子組換え原料を使用の有無の食品表示および広告を自主的に行うことに関する基準を、カナダの国家規格としてカナダ規格審査会が公式採用したことを発表した。
; EU
: 遺伝子組換えに関する表示は、遺伝子組換え作物に由来するDNAやそのDNAに由来するタンパク質の最終製品中での有無にかかわらず、遺伝子組換え作物から生成されたすべての食品に義務付けられている<ref>[http://www.gmo-compass.org/pdf/law/1830-2003.pdf Regulation No 1830/2003 concerning the traceability and labelling of genetically modified organisms and the traceability of food and feed products produced from genetically modified organisms]</ref><ref>[http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=MEMO/05/104&format=PDF&aged=1&language=EN&guiLanguage=en Questions and answers on the regulation of GMOs in the European Union (October 2005)]</ref>[http://www.gmo-compass.org/eng/regulation/labelling/]。つまり、油のような加工食品や[[食品添加物]]、その他に[[飼料]]などについても表示が義務付けられている[http://www.gmo-compass.org/eng/regulation/labelling/51.gmo_labelling_these_products_labelled.html]。ただし、組換え飼料で飼育された家畜由来の肉製品や卵、[[蜂蜜]]などの例外規定も存在する[http://www.gmo-compass.org/eng/regulation/labelling/88.gmo_labelling_these_products_require.html]。表示方法としては、「この製品は、遺伝子組換え体を含む("genetically modified...")」または「…遺伝子組換え(作物名)から製造("produced from genetically modified...")」に相当することを記すこととなった。ただし、「遺伝子組換え作物は含まれていない」、「遺伝子組換え不使用」などに相当する表示("Without Genetic Engineering"、"without GMOs")が見受けられるが、EUの制度として認められているものではなく、このような表記をEUのいくつかの国ではアメリカと同様に国内的に規制している[http://www.gmo-compass.org/eng/regulation/labelling/260.lablling_organic_products.html]。なお、表示規制は、最終消費者向けのものだけでなく外食事業者向けのものについても適用される。しかし、外食事業者が調理・加工して顧客に出す場合には義務表示規制が適用されず、そのまま出す場合にだけ適用される。たとえば遺伝子組換えパパイヤをそのまま出す場合は、メニュー等に「遺伝子組換えパパイヤ」と表示しなければならないが、それを使ってフルーツケーキを作って出す場合は表示が不要となる<ref>[http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/project/pdf/gm6.pdf 遺伝子組換え樹木/遺伝子組換え作物をめぐる諸外国の政策動向、第6章 EUにおける遺伝子組換え食品等の表示制度及び実施状況について 大臣官房情報評価課 平形和世、平成21年3月 農林水産政策研究所]</ref>。また、承認されている遺伝子組換え作物については、意図せざる混入であれば0.9%までは「遺伝子組換え作物を含む」旨を表示しなくても良い。また、EUでは承認されていない遺伝子組換え作物であっても、EUの科学的リスク評価で肯定的な決定が出されている作物であれば、意図的でなければ0.5%までの混入を認めている[http://www.gmo-compass.org/eng/regulation/labelling/93.new_labelling_laws_gm_products_eu.html]。
; オーストラリア・ニュージーランド
: 2001年12月から、遺伝子組換え体由来の作物および加工食品について表示が義務付けられた。そのうち、組み込まれたDNAや、それに由来するタンパク質が製品中に残らない油や砂糖などの加工食品には表示する必要はない。ただし、高オレイン酸含有大豆の様に組換えによって成分や特性に変化が見られる場合は表示が義務づけられている。なお、分別された非組換え原材料を使用している場合でも、「遺伝子組換え不使用」「非組換え」「GMフリー」「Non-GM」等に相当する表示は、検出される可能性がまったくない場合以外はできない。つまり、分別されていても、意図せざる混入があるため、実質的に「非組換え」等の表示は許されていないということを意味している。
; 韓国
: 対象品目において、遺伝子組換え作物を使っている場合は「遺伝子組換え」または「遺伝子組換え○○を含む」に相当することを表示しなければならない。なお、意図せざる混入の場合、最大3%までは認められており、今後は検査技術の精度や国際動向などを考慮し、順次1%水準にまで引き下げるとしている。また、「遺伝子組換え不使用」に相当することを表示できるのは、遺伝子組換え作物の混入の検出限界以下の場合だけである。
== 遺伝子組換え作物と有機栽培 ==
=== 概説 ===
組換え作物に由来する資材を[[有機栽培]]に利用することは本来は[[JAS規格]]で禁止されている。しかし、飼料の多くを組換え作物に依存している現実を無視できず、また[[産業廃棄物]]の有効利用という面を重視して現状では許可されている。その他、現在、組換え作物の栽培と[[慣行農法]]や[[有機栽培]]と共存(co-existence)させるためのルール作りが[[欧州連合|EU]]を中心に進められている。
=== 組換え作物由来の堆肥と有機栽培 ===
上記の節のように日本は大量に遺伝子組換え作物を輸入している。その結果、遺伝子組換え作物に由来する家畜の糞尿などの大量の畜産廃棄物が発生している。畜産廃棄物や油粕などの産業廃棄物は有機質肥料の原料として用いられることもある。「有機農産物の日本農林規格」<ref>[http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/attach/pdf/kikaku_itiran-25.pdf 有機農産物の日本農林規格]制定平成12年1月20日農林水産省告示第59号 一部改正平成15年11月18日農林水産省告示第1884号 全部改正平成17年10月27日農林水産省告示第1605号 一部改正平成21年8月27日農林水産省告示第1180号 一部改正平成24年3月28日農林水産省告示第833号 一部改正平成27年12月3日農林水産省告示第2597号 一部改正平成28年2月24日農林水産省告示第489号 最終改正平成29年3月27日農林水産省告示第443号</ref>によれば、本来は種苗や防除資材や肥料などに組換えDNA技術を用いたものを利用できない。しかし、特例として遺伝子組換え作物から油を絞った[[油粕]]や、飼料として用いた結果生じた糞尿をもとに作った有機質肥料である[[堆肥]]を[[有機栽培]]に用いることは、現状では許可されている。堆肥に関しては、組換えDNA技術を用いていないものの入手やその確認が困難であることを理由に、「有機農産物の日本農林規格」の「附則(平成18年10月27日農林水産省告示第1463号) 抄」において、
{{Quotation|(経過措置)
2 この告示による改正後の有機農産物の日本農林規格(以下「新有機農産物規格」という。)別表1に掲げる肥料及び土壌改良資材のうち、植物及びその残さ由来の資材、発酵、乾燥又は焼成した排せつ物由来の資材、食品工場及び繊維工場からの農畜水産物由来の資材並びに発酵した食品廃棄物由来の資材については、新有機農産物規格第4条の表ほ場における肥培管理の項基準の欄1に規定するその原材料の生産段階において組換えDNA技術が用いられていない資材に該当するものの入手が困難である場合には、当分の間、同項の規定にかかわらず、これらの資材に該当する資材以外のものを使用することができる。}}
と明記されている。
また、「有機農産物及び有機加工食品のJAS規格のQ&A」<ref>[https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/yuki_nousan_kakou_qa2601.pdf 有機農産物及び有機加工食品のJAS規格のQ&A]平成28年7月 農林水産省 食料産業局 食品製造課</ref>の「(問15-4) 遺伝子組換え作物に由来する堆肥の使用は認められますか。」の回答としても、
{{Quotation|平成18年度の改正において「肥料等の原材料の生産段階において組換えDNA技術が用いられていないものに限る。」と規定され、堆肥についても組換えDNA技術の使用が明確に排除されることとなりました。
しかしながら、現状では植物及びその残さ由来の資材、発酵、乾燥又は焼成した排せつ物由来の資材、食品及び繊維産業からの農畜水産物由来の資材、発酵した食品廃棄物由来の資材のそれぞれについて、遺伝子組換え作物に由来していないことを確認することが現実的には難しい状況にあります。このため、これらの資材の活用が困難となることを考慮し、附則において、当分の間使用することができるとされています。}}
と解説されている。
=== 組換え作物と慣行農法や有機栽培との共存 ===
組換え作物の栽培が各国で年々拡大している。そこで、消費者と農家の「選択の自由(Freedom of Choice)」を保障するために、組換え作物の栽培と他の慣行農法や有機栽培との共存のための規制作りがEUを中心に各国で進められている<ref>[http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010682042.pdf 農業環境技術研究所資料 第27号], "欧州農業における遺伝子組換え作物、一般栽培作物および有機栽培作物の共存のためのシナリオ", 欧州委員会共同研究センター予測技術研究所 著, 廉澤 敏弘 中谷 敬子 訳, ISSN 0912-7542, 平成15年9月, [[農業環境技術研究所]]</ref><ref>[http://www.nedo.go.jp/content/100105834.pdf NEDO海外レポート NO.1047, 2009.7.01], "【ライフサイエンス・バイオテクノロジー特集】 遺伝子組換え作物の栽培方法に関する規制レポート(EU)", 編集:久我 健二郎、原訳:吉野 晴美, [[NEDO]]</ref>。EUにおける規制の指針<ref>[http://ecob.jrc.ec.europa.eu/documents/CoexRecommendation.pdf Official Journal of the European Union 22.7.2010], "COMMISSION RECOMMENDATION of 13 July 2010 on guidelines for the development of national co-existence measures to avoid the unintended presence of GMOs in conventional and organic crops"</ref>は作成されたが、その規制の実施方法に関しては各国で対応が異なっている<ref>[http://ucbiotech.org/biotech_info/PDFs/GMO_Safety_2010_Coexistence_in_the_countries_of_the_EU_A_European_patchwork.pdf Coexistence in the countries of the EU: A European patchwork], GMO Safety.eu</ref><ref>[http://ucbiotech.org/biotech_info/PDFs/GMO_Safety_2006_Coexistence_to_continue_to_be_regulated_by_member_states_for_the_time_being.pdf EU report on national coexistence measures: Coexistence to continue to be regulated by member states for the time being], GMO Safety.eu</ref><ref>遺伝子組換え樹木/遺伝子組換え作物をめぐる諸外国の政策動向、第2部 遺伝子組換え作物に関する諸動向、[http://www.maff.go.jp/primaff/koho/seika/project/pdf/gm4.pdf 第4章 欧州委員会における遺伝子組換え作物をめぐる共存政策の動向]、茨城大学農学部 立川雅司、平成21年3月 農林水産政策研究所</ref><ref>海外駐在員情報、[http://www.alic.go.jp/chosa-c/joho01_000197.html 欧州委、遺伝子組換作物の栽培を許可、制限または禁止できる権限を加盟国に付与する規則を提案]、ブリュッセル駐在員 前間 聡 平成22年7月16日発、独立行政法人 農畜産業振興機構</ref>。
== 論争 ==
遺伝子組換え作物(GM作物)については、強く推進する者{{refnest|group="注釈"|name="irri"|『フィリピンの国際イネ研究所(IRRI)のロバート・ザイグラー所長は「今こそ遺伝子革命が必要だ」と力説する。「世界を救える技術があるのに規制して使わないのは犯罪に近い」とまで言い放った。』, "遺伝子組み換えに追い風 食糧高騰・温暖化が均衡破る", (庄司直樹), 2008年7月20日 朝日新聞}}がいる一方、健康や環境に悪影響があるのではと不安を抱く者も多く、イギリスなどの一部の国では、商業目的でのGM作物栽培が行われていない。GM作物を否定する者と肯定する者の間で、その影響について論争が起きている。
=== 生態系などへの影響 ===
==== 概説 ====
遺伝子組換え作物の生態系への影響を含めた評価をする上で重要なことは、何と比較するのかということを明確にすることである。[[細胞融合]]や種間交雑、変異体育種、古典的交配を含めた従来の手法によって育種された品種や、[[慣行農法]](慣行栽培)や[[有機栽培]]や[[自然農法]]との比較を行い、様々な観点からの評価を遺伝子組換え作物に対して総合的に行う必要がある。日本においては[[セイヨウアブラナ]]である[[カノーラ]]のこぼれ種の発芽や他の[[アブラナ属]]植物との交雑、[[ダイズ]]に関しては自生している野生種([[原種]])である[[ツルマメ]]との交雑の可能性が指摘され、様々な調査がなされている。なお、日本には、トウモロコシと交雑可能な野生植物は存在しないため、組換えトウモロコシを日本で栽培した場合、組換えトウモロコシによる野生種への遺伝子汚染の問題はない。そこで、カノーラとダイズの交雑問題について記述した。
==== 外来遺伝子による遺伝子汚染とその防除法 ====
本来、組換え作物が持っていて野生植物が持っていない形質が、組換え作物の[[花粉]]の飛散等によって近縁の植物との間で交雑して、拡散してしまう可能性がある([[遺伝子汚染]])。そのため、組換え作物においても生態系への影響として、組換え品種と在来種や野生種との交雑の危険性があげられることがある。ただし、在来種や野生種との交雑に関しては、組換え品種のみではなく伝統的手法で育種された品種でも同様の問題を含んでおり、組換え品種にのみ限定された問題ではない。
組換え作物と在来種や野生種との交雑を防ぐ手法の一つとして、花粉を作らない[[雄性不稔]]の形質が求められている。その他の解決法として、[[葉緑体]]などの[[プラスチド]](plastid)や[[ミトコンドリア]]の[[ゲノム]]は基本的に母系遺伝のため、花粉を通して拡散しないという性質を利用することもある。すべての植物の形質転換に利用できるわけではないが、プラスチドのDNAに目的の外来DNAを相同組換えによって導入してプラスチド内で発現させる訳である。これをプラスチド形質転換という。このようなプラスチド形質転換植物の外来DNAは形質転換植物自身に結実した種子を通してのみ後代に伝達されるため、花粉を介した遺伝子拡散を回避できる。その他、[[自家受粉]]する[[イネ]]や[[ダイズ]]などの作物においては、閉花受粉性を利用する試みが進んでいる。閉花受粉性とは、開花せずに同一の花の[[雄蕊]]の[[花粉]]によって[[雌蕊]]が受粉する性質である。この性質を利用できれば、花粉を介した遺伝子拡散の可能性を低減できる。現在では利用されてはいないが、いわゆる「ターミネーター技術」を利用すれば遺伝子拡散を防ぐことができる。その他にも種子や花粉特異的に発現する遺伝子の[[プロモーター]]によって配列特異的な組換え酵素とその標的配列を利用して導入遺伝子を花粉や種子から除去する遺伝的改変遺伝子除去技術(genetically modified gene deletor)などの利用が考えられる。
==== 遺伝子組換え作物と遺伝的多様性 ====
更に、組換え品種を大量に栽培すると遺伝的多様性が失われるのではないかという懸念も、組換え品種特有の問題ではなく、在来品種においても少数の品種の大規模栽培に伴う問題である。農業も産業である以上、経営上有利である高品質で低コストなどの競争力の高い品種が現れれば、遺伝子組換え作物に限らず栽培が広がる。その過程で競争に敗れた品種は淘汰される。しかし、野生種や競争力の低い旧来の品種にも重要な遺伝子やゲノム構造が存在しているため、その維持・保存は重要である。
一方、遺伝的多様性を維持していく上で、遺伝子組換え技術は大いに役立つという意見もある。その意見は、
* 従来の育種法において、多くの品種を育種材料として用いてそれらに新たな形質を導入することは、きわめて多数の試料を扱うことになり困難である。そのため、比較的少数の品種等しか育種の材料になれず、育種材料として選ばれなかったものの[[遺伝子]]や[[ゲノム]]構造の消失する可能性が高くなる。
* 一方、遺伝子組換え技術を利用した場合では、新たな形質を発現させるための遺伝子発現カセットを多数の品種に導入することは比較的容易である。よって、多数の品種を維持・保存する上で有利である。
という考えに基づいている。つまり、在来品種に遺伝子組換え技術によって有用な遺伝子を導入し競争力を高めることにより、在来品種のゲノム構造が残りやすくなるという意味である。
==== 組換えカノーラもしくはその後代の自生 ====
カノーラの輸入港の近辺や[[菜種油]]工場の近辺、更にそこに至る沿道では遺伝子組換えカノーラの自生が確認されている<ref name="kouzatsu">[https://www.biodic.go.jp/bch/download/natane/H26_natane_hokokusho.pdf 平成26年度 環境省請負業務 遺伝子組換え生物による影響監視調査 報告書]</ref>。2015年度(平成27年度)の調査では、ナタネ類の日本の輸入港18港のうち、10港の周辺で組換え遺伝子を持つものが、ナタネ類1215個体中から130個体見つかった<ref>[http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/nouan/attach/pdf/170110-1.pdf 「平成27年度遺伝子組換え植物実態調査」の結果について]</ref>。その調査においては、[[カラシナ]]又は在来ナタネと遺伝子組換えカノーラとの交雑体は発見されなかった。
その他の[[アブラナ属]]作物との交配に関しては、栽培されている作物は[[雑種第一代]]であり、その他、品種の純粋性を保つために、種子を栽培農家が毎年購入しているので、[[アブラナ属]]作物に遺伝子組換え品種の形質が導入される可能性は低い。なお、現在、輸入されている[[カノーラ]]の[[種 (分類学)|種]]は''Brassica napus''([[セイヨウアブラナ]])であり、[[倍数体#異質倍数体|複二倍体]]の種であるためそのゲノム構成はAACC (2''n'' = 38)である。日本で栽培されている多くの[[アブラナ属]]作物は''Brassica rapa''(ゲノム構成: AA, 2''n'' = 20)か''B. oleracea''(ゲノム構成: CC, 2''n'' = 18)か''B. juncea''(ゲノム構成: AABB, 2''n'' = 4''x'' = 36)であり、カノーラとの交雑も報告されているが、同種間に比べ交雑と発芽の可能性は低く、また交雑したものの[[稔性]]も低い。しかし、野生化している''B. rapa''と遺伝子組換えカノーラとの交雑した植物体(ゲノム構成: AAC, 2''n'' = 3''x'' = 29)の自生も確認されている<ref name="kouzatsu"/>。なお、日本で栽培されている''B. napus''はセイヨウアブラナ、芯摘菜、かぶれ菜、[[のらぼう菜]]、三重なばな、などである。
==== 組換えダイズとツルマメの交雑頻度 ====
ダイズ(''Glycine max'')の原種である[[ツルマメ]](''G. soja'')は、日本を含む東アジアやシベリアで自生している。ツルマメもダイズも閉花受粉による[[自家受粉]]性の強い植物であるが、ツルマメとダイズは[[交雑]]可能である。そのため、組換えダイズを東アジアで栽培すると導入遺伝子がツルマメに拡散する可能性が指摘された。そこで、どの程度の交雑頻度であるのかを調べる[[定量分析]]が行われた。ダイズとツルマメが絡みつくくらいに混植した混植区と2 m, 4 m, 6 m, 8 m, 10 m離して植えた距離区が設定、供試された。また、花期の異なる組換えダイズ品種を複数種類用いると共に、播種時期をずらして、できるだけツルマメと組換えダイズの花期を合わせるようにした。そしてツルマメに結実した種子のみを回収して解析した。その結果、混植区では、25,741個体中、交雑個体は35個体であり、また、距離区(66,671個体)においても、遺伝子組換えダイズから2 m、4 m、6 mの距離区での交雑個体はそれぞれ1個体、8 m、10 mの距離区では交雑個体は認められないという結果になった。このことから、意図的に交雑頻度を上げるような操作を行っても、組換えダイズとツルマメの交雑は極めて低頻度であることがわかり、通常の栽培条件では更に低頻度になることが予想された[http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/press/080930/press080930.html]<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/sinfo/result/result23/result23_22.pdf 「ほ場で遺伝子組換えダイズとツルマメが交雑する可能性は低い」], リサーチプロジェクト名:遺伝子組換え生物生態影響リサーチプロジェクト, 研究担当者:生物多様性研究領域 吉村泰幸、水口亜樹、松尾和人, 平成18年度 研究成果情報(第23集), [[農業環境技術研究所]]</ref><ref>[http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1445-6664.2008.00324.x/abstract Weed Biology and Management, March 2009; 9(1):93-6], "Flowering phenologies and natural hybridization of genetically modified and wild soybeans under field conditions", AKI MIZUGUTI, YASUYUKI YOSHIMURA and KAZUHITO MATSUO, DOI: 10.1111/j.1445-6664.2008.00324.x</ref>。
==== Btトウモロコシ花粉の生態系に与える影響 ====
生態系に与える他の影響として、Btトウモロコシの花粉がトウモロコシ畑の近傍の有毒雑草である[[トウワタ]]にかかり、それを食草とする蝶・[[オオカバマダラ]]の幼虫の生育を阻害して生存率を下げたという報告が有名である<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/10353241?ordinalpos=2&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum Nature 399, 214 (1999)], "Transgenic pollen harms monarch larvae", JOHN E. LOSEY, LINDA S. RAYOR & MAUREEN E. CARTER, {{PMID|10353241}}</ref>。この論文は、実験室内でトウワタの葉にBtトウモロコシ、トウモロコシ栽培品種の[[花粉]]をかけたものとかけなかったものを餌としてオオカバマダラの幼虫を飼育して経時的に体重と生存率を測定したものである。その際に、トウワタに散布した花粉の密度が、"Pollen density was set to visually match densities on milkweed leaves collected from corn fields."と非定量的であるにもかかわらず、体重変化や生存率を定量的に示したという問題点を含んでいる。著者らが、"it is imperative that we gather the data necessary to evaluate the risks associated with this new agrotechnology and to compare these risks with those posed by pesticides and other pest-control tactics."と述べているように、Btトウモロコシの栽培と慣行栽培によるリスク評価の比較を行うことは重要である。すなわち、殺虫剤の散布に伴う生態系への影響や残留農薬、食害に伴う微生物汚染などのリスクとBtトウモロコシのリスクを比較する必要がある。たとえば、慣行農法によって殺虫剤をまくことによって害虫以外への影響とBtトウモロコシの栽培による影響を相互比較した場合、どちらが生態系への影響が大きいかを検定することなどである。なお、Bt toxinを生産させるための発現カセットのプロモーターを花粉で発現しないものにすることにより、花粉に含まれるBt toxinの量は激減させることができる。MON80100[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=MON80100]やMon809[http://cera-gmc.org/index.php?action=gm_crop_database&mode=ShowProd&data=MON809]などのように、Btタンパク質が花粉中にはほとんど含まれないが他の組織には含まれるトウモロコシ組換え品種などがその例である。なお、全ての組織で強く発現するとされるCaMV 35sプロモーターやその改変したもの、他のウイルスのプロモーター、[[ユビキチン]]、[[熱ショックタンパク質]]類似タンパク質の遺伝子のプロモーターなどがBt toxin生産に使用されている組換え品種でも、花粉中にはBt toxinはほとんど含まれていない。また、全組織で強く発現するとされるプロモーターを用いた場合でも、得られた形質転換植物の系統の中からBt toxinを花粉では生産しない系統を選択することでも避けられる。
なお、国内外の大学の生物学の教科書として広く利用されている「キャンベル生物学」において、この論文や論争については以下のように記載されている<ref>p. 818, 左側下から18行目から4行目まで, chapter 38 Angiosperm Reproduction and Biotechnology, BIOLOGY Eighth Edition, Neil A. Campbell, Jane B. Reece, Lisa A. Urry, Michael L. Cain, Steven A. Wasserman, Peter V. Minorsky, Robert B. Jackson, Pearson Education, Inc., (2008), ISBN 978-0-321-53616-7/0-321-53616-9</ref>。
{{quotation|One laboratory study indicated that the larvae (caterpillars) of monarch butterflies responded adversely and even died after eating milkweed leaves (their preffered food) heavily dusted with pollen from transgenic ''Bt'' maize. (オオカバマダラというチョウの幼虫(芋虫)は、(この蝶が好む食物である)トウワタの葉に形質転換Btトウモロコシの花粉を大量に降りかけられた後に食べると、有害な反応を示し死ぬことさえあったということを、ある研究室の研究が示した。) This study has since been discredited and affords a good example of the self-correcting nature of science. (この研究は、もとより信用されず、科学の自己の過ちを修正する特性のよい例を提供している。) As it turns out, when the original reserchers shook the male maize inflorescences onto the milkweed leaves in the laboratory, the filaments of stamens, opend microsporangia, and other floral parts also rained onto the leaves. (結局のところ、もともとの(論文の)研究者がトウモロコシの雄花をトウワタの葉に実験室でふりかけたとき、雄蕊の花糸やはじけた花粉嚢と他の花の部分も葉に降り注いでいた。) Subsequent research found that it was these other floral parts, ''not'' the pollen, that contained ''Bt'' toxin in high consentrations. (引き続き行われた研究は、Bt毒素を高濃度で含んでいたのは、花粉ではなく、これらの他の花の部分であることを明らかにした。) Unlike pollen, these floral parts would not be carried by the wind to neighboring milkweed plants when shed under natural field conditions. (花粉とは異なり、これらの花の部分は自然な圃場の環境下で落下した場合、風により隣接するトウワタの植物体に運ばれない。)}}
このようにこの論文の評価はほぼ定まっている。
==== 除草剤耐性雑草の増加による環境負荷 ====
除草剤に耐性を持った遺伝子組み換え作物が幅広く普及した要因の一つには、単一の薬剤を一度使用するだけで雑草を一挙に取り除ける事から手間もコストも環境負荷も従来より低減するという利点があると考えられている。しかし、複数の除草剤を使い分けていた従来の手法と違い、単一の除草剤だけに頼った事で雑草の側が容易に除草剤への耐性を獲得してしまい、除草剤が効果を発揮しづらくなる事例が増加している<ref>{{Cite journal|和書|author=松尾和人, 吉村泰幸 |year=2015|title=遺伝子組み換え作物の栽培国および輸入国における雑草問題|url=https://doi.org/10.1626/jcs.84.1 |journal=日本作物学会紀事|volume=84 |page=1 |pages=1-8(p.2)}}</ref>。
雑草の耐性獲得を防ぐ為には、遺伝子組み換え作物とそれに対応した単一の除草剤ばかりを使用せずに、輪作・耕作・耕起・複数の除草剤の使用といった、従来の手法を組み合わせる必要があるが、そのような従来の手法に回帰すればするほど、手間、費用、環境負荷といった、遺伝子組み換え技術の利点が失われると指摘されている<ref>{{Cite journal|author=Vencill, W.K., R.L. Nichols, T.M. Webster, J.K. Soteres, C. Mallory-Smith, N.R. Burgos, W.G. Johnson and M.R. McClelland|year=2012|title=Herbicide Resistance: Toward an Understanding of Resistance Development and the Impact of Herbicide-Resistant Crops|url=https://www.cambridge.org/core/services/aop-cambridge-core/content/view/1A9433257A97A1C8416B7AFB3A8BC61A/S004317450002186Xa.pdf/herbicide_resistance_toward_an_understanding_of_resistance_development_and_the_impact_of_herbicideresistant_crops.pdf#page=15|journal=WSAA Weed Science|volume=Special Issue:2-30|page=15}}</ref><ref>{{Cite journal|author=Livingston, M., J. Fernandez-Cornejo, J. Unger, C. Osteen, D. Schimmelpfennig, T. Park and D. Lambert|year=2015|title=The Economics of Glyphosate Resistance Management in Corn and Soybean Production|url=https://www.ers.usda.gov/webdocs/publications/45354/52761_err184.pdf?v=42207#page=7|journal=Economic Research Report U.S. Department of Agriculture|volume=No. ERR-184|page=7}}</ref>。(→[[ラウンドアップ#ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題|ラウンドアップ耐性雑草の世界的な問題]])
=== 経済問題 ===
==== 概説 ====
組換え品種を開発した企業が、[[種子]]の支配を通じて食料生産をコントロールすることにつながるのではないか、という懸念が出されている。多くの場合、組換え種子の販売会社と生産農家は、収穫した種子の次回作への利用を禁止する契約を結んでいる。更に、組換え種子を毎作毎に農家に購入させるための手法として、一時期、結実はできるが得られた種子から発芽できないようにする、いわゆる「ターミネーター技術」が導入された組換え品種の開発が行われたが、批判も多く、現在、販売されているものの中にはない。
F<sub>1</sub>品種の多いトウモロコシなどを除き、カノーラやダイズの組換え品種に関しては農家による自家採種によって違法増殖され紛争になることがある。上記の[[ラウンドアップ]]耐性作物を開発・販売している[[モンサント (企業)|モンサント]]社は農家の農家の自家採種に対して「特許侵害」として数多くの訴訟を起こしており、これに反発する農家も存在する<ref>[http://www.centerforfoodsafety.org/files/monsanto_november_2007_update.pdf CENTER FOR FOOD SAFETY,Monsant vs. U.S. Farmers] monsanto, 2007</ref>。
その他、農家による自家採種には、経済的な側面以外にも、Bt toxin生産作物などの害虫抵抗性品種に関してはBt toxin抵抗性害虫の出現を助長するという重大な問題を含んでいる<ref name="siryou zouka"/>。
その他の経済問題として、組換え作物の方が収量が低いという指摘がある(Benbrook reports<ref>[http://stopogm.net/sites/stopogm.net/files/EvidenceBenbrook.pdf Evidence of the Magnitude and Consequences of the Roundup Ready Soybean Yield Drag from University-Based Varietal Trials in 1998], Dr. Charles Benbrook, Benbrook Consulting Services, Sandpoint, Idaho</ref>など)一方、逆に組換え作物の方が収量が高く経済的にも有利であるという報告もある。
==== 組換え作物栽培による農民の経済的利益 ====
1995年から2014年3月までの組換え作物の経済問題に関する147報の研究報告を基に組換え作物の経済問題に対する包括的なレビューが報告された<ref>[http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0111629 A Meta-Analysis of the Impacts of Genetically Modified Crops], Wilhelm Klümper and Matin Qaim, [[PLOS ONE]], Published: November 03, 2014, DOI: 10.1371/journal.pone.0111629</ref>。それによると様々な形質を持つ組換え作物(主に害虫抵抗性トウモロコシとワタ、除草剤耐性ダイズとトウモロコシとワタ)の結果を纏めた結果として、収量は21.6%増加、農薬使用量は36.9%減少、農薬費用は39.2%減少、全生産費用は3.3%増加、農民の利益は68.2%増加することが判明した。更に害虫抵抗性と除草剤抵抗性作物に分けて解析すると、害虫抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は38.97%減少、農薬費用は39.45%減少、全生産費用は3.94%増加、農民の利益は60.01%増加することが、除草剤抵抗性作物の収量は21.98%増加、農薬使用量は6.02%減少、農薬費用は36.21%減少、全生産費用は5.51%減少、農民の利益は56.48%増加することが明らかになった<ref>[http://www.plosone.org/article/fetchSingleRepresentation.action?uri=info:doi/10.1371/journal.pone.0111629.s006 Table S3. Weighted mean impacts of GM crop adoption.]</ref>。
==== 種子の支配と種苗会社の寡占化 ====
毎作毎に種子を購入する必要性を通じて、開発した種苗会社による種子の支配が強化されるという批判がある。これは、農民には収穫した種子の一部を次回作に利用する権利があり、それを侵害することになるという意見である。しかし、これは、組換え品種に限定された問題ではない。
現代農業では、[[交雑]]による[[雑種第一代]]が栽培されている。F<sub>1</sub>品種に実った種子はF<sub>2</sub>世代であり、F<sub>2</sub>世代は遺伝的に不均一であるため、F<sub>2</sub>世代は栽培可能ではあるが、F<sub>2</sub>世代を栽培すると様々な[[表現型]]の植物の雑多な集団となってしまう。そのため、栽培管理上著しく不利になってしまう。
そこで、F<sub>1</sub>品種を栽培する場合、安定して同一形質の作物を得るためには、毎作毎に種子を購入しなくてはならない。更に、F<sub>1</sub>品種でなくても自家採種した種子は、遺伝的な純粋性の問題、病原菌汚染や種子の品質の問題、その品種名を名乗って販売する場合の種苗法の問題があり、多くの農家が種子を種苗会社から購入している現状がある。つまり、特定企業による種子の支配の問題は、遺伝子組換え品種に特有の問題ではない。
一方、この意見に対する反論もある。従来の交配や突然変異による育種において優良な品種を開発するためには、扱う材料が膨大で、人員や時間が大量に必要で費用がかかる一方、優良な品種が得られる確率が低かった。それに対して、遺伝子組換え育種では、アイデアさえよければ比較的短期間・低コストで優良な品種を育種できる確率が高いために、小資本の[[ベンチャー企業]]や小規模な研究機関でも組換え品種の開発に参入できた。
ただし、組換え品種を開発すること自体は比較的容易であっても、それを商品化して上市するためには安全性審査に合格する必要がある。安全性審査には多額の費用と時間がかかるために、小資本のベンチャー企業や中小資本の種苗会社や中小研究機関にはその余裕がなく、それに耐えられる大資本の種苗会社に企業ごと買収されたり、特許を売却したりすることにつながった。つまり、遺伝子組換え品種に対する規制の強化の結果として、大資本の種苗会社による寡占化が進んだという解釈も成り立つ<ref>p.181, 遺伝子組換え食品―どこが心配なのですか?, 著者 アラン マキュアン(Alan McHaghen), 翻訳 渡辺 正 および 久村 典子, 出版社 丸善, 2002年7月 初版, ISBN 978-4621070635</ref>。
その他、組換え品種の多いトウモロコシ、ダイズ、ワタ以外の果樹や野菜やバイオ燃料用作物においても、様々な形質の組換え品種が開発されているが、それらの多くは商業化されていない。その理由としても、同様のことが指摘されている<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/133/mgzn13309.html 農業と環境 No.133 (2011年5月1日)], "GMO情報: 進まぬ新規形質作物の実用化、原因は消費者意識か審査のハードルか", 白井洋一、独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
更に、別の問題によって寡占化が進んでいるという指摘もある。日本で組換え食品の安全性審査を多数の申請業務を経験しているのは数社の大手企業だけであり、それらの会社では申請のノウハウが蓄積され、提出文書も改善されている。
しかし、例えば、ウイルス抵抗性パパイヤの安全性審査の申請を行ったハワイパパイヤ産業協会などのように、食品安全委員会に組換え作物・食品の商業利用申請を出すことが今後少ないであろう小企業や大学などは、食品や環境への安全性審査に多大な時間と経費を要し、そこで得たノウハウをさらに活用する機会が少なければ、商業化への意欲も低下し、ひいては研究・開発活動自体が停滞・縮小していくとも考えられる<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/118/mgzn11804.html 農業と環境 No.118 (2010年2月1日)], "GMO情報: ウイルス病抵抗性パパイヤ、承認までの長い道のり", 白井洋一、独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
==== 多国籍組換え作物開発種苗会社と国際的な知的財産権 ====
農作物の生育には、地域の[[気候]]や[[土壌]]との適合性が重要である。このため、多国籍種苗会社といえどもすでに実績のある種苗を輸出するためには、その種苗に適した類似の気候や土壌の地域に限られる。既存の品種に適さない気候帯や土壌特性の地域に輸出した場合は期待通りの収穫は得られない。そこで、現地で新たな品種を育種しなければならない。
ところが、進出するに当たり問題になるものは[[知的財産]]法制度である。知的財産法制度は各国固有のものであるために、[[種苗]]に対する[[知的財産権]]保護の制度やその実効性は国や地域によって異なる。例えば、米国では[[特許]]を得ている種苗などの知的財産であったとしても、仮に外国で保護の対象とされていなければその国内での増殖は違法ではないし、特許権ではなく[[種苗育成者権]]でしか保護されていなければ、その種苗を用いた新品種の育種も違法ではない<ref name="takokuseki">{{Cite journal|和書|author=伊藤成朗 |title=多国籍種苗企業の国際展開 (特集 発展途上国と知的財産権--経済学的アプローチ) |journal=アジア経済 |issn=00022942 |publisher=日本貿易振興機構アジア経済研究所 |year=2004 |month=nov |volume=45 |issue=11/12 |pages=49-79 |naid=120000808691 |url=https://hdl.handle.net/2344/263}}</ref>。
そのため、知的財産法制度やその実効性が乏しい国や地域に、多国籍種苗会社は進出しにくくなるとも考えられる。しかし、知的財産法制度の整備よりも、実際には"進出企業数が可耕面積と公的種苗販売者数に正の相関を持つという結果は,利潤に敏感な多国籍種苗企業の行動を端的に示すものであろう。"という解析が出ている<ref name="takokuseki"/>。
更に、作物や品種によって種苗会社の知的財産権保護の実効性が異なる。トウモロコシの雑種第一代のように、毎作毎にF<sub>1</sub>種子を購入しなくてはならない品種の場合は、種苗会社の知的財産権は比較的守られることになる。一方、コメや[[コムギ]]やダイズのように、優先的に[[自家受粉]]するため[[遺伝子座]]の[[ホモ接合]]性の高い作物の固定された品種では、実った種子が親と同じ遺伝形質を持つので、ジャガイモやイチゴのように、栄養繁殖するものと同様に違法な増殖を防ぐ実効性が乏しくなる。
事実、アルゼンチンで栽培されていた[[モンサント (企業)|モンサント]]が育種した遺伝子組換えダイズ(ラウンドアップレディー・ダイズ)のほとんどが、違法に増殖されていたものであること("モンサント・アルゼンチン社の広報担当者によると,同国で撒布された大豆種の18%しか合法な種でないという(La Nacion, 2004年1月20日)。", p.72-73<ref name="takokuseki"/>)が報告されている。
このことは、種苗会社の知的財産権が守られやすいF<sub>1</sub>作物やその組換え品種を好んで育種するというように、種苗会社がどのような作物を選択して育種するのかということにも関係してくると考えられる<ref name="takokuseki"/>。また、違法増殖があった場合には、多国籍種苗会社が種子の販売を停止する場合がある。
例えば、前述の違法に組換えダイズを大量に栽培していたアルゼンチンに対して、
{{quotation|モンサントのアルゼンチン法人は、大豆生産第三位国のアルゼンチンにおける大豆種販売を2003年12月に停止し、2004年1月18日にはGM トウモロコシ,GM モロコシ,新品種のひまわりなど、交雑作物に販売の重点を移すことを発表した(Reuters, 2004年1月18日)。翌日,モンサントは状況が好転したら、大豆種販売を再開するとも発表している。2004年2月、違法行為を放置し続けてきたアルゼンチン政府も、ロイヤルティ支払いのために基金を設立することを明らかにし、モンサント社の“脅し”に応えている(St. Louis Business Journal, 2004年2月20日)。}}
と報道(p. 52, 右 5-14行<ref name="takokuseki"/>)された。
このような行為を「企業による種子の支配」ととらえるか、侵害された知的財産権を回復するための「正当な行為」ととらえるか、意見が分かれる。なお、ラウンドアップレディー・ダイズに対する特許料支払いに関しては、アルゼンチン政府とモンサントだけではなく、[[アメリカ合衆国連邦政府]]も巻き込んで、2005年以降も交渉がもめており<ref>[http://lin.alic.go.jp/alic/week/2005/apr/668ar.htm 週報「海外駐在員情報」平成17年4月12日号(通巻668号)], "アルゼンチンにおけるGM大豆の特許料支払い問題", 犬塚 明伸、独立行政法人 農畜産業振興機構</ref><ref>[http://lin.alic.go.jp/alic/week/2005/aug/683ar.HTM 週報「海外駐在員情報」平成17年8月2日号(通巻683号)], "RR大豆の特許料支払い問題、再燃(アルゼンチン)", 犬塚 明伸、独立行政法人 農畜産業振興機構</ref>、知的財産権の国際的な紛争解決の困難さを示している。
==== シュマイザー事件 ====
1998年、カナダモンサント社はカナダ、サスカチェワン(Saskatchewan)州の農民、パーシー・シュマイザー(Percy Schmeiser)の[[農場]]でラウンドアップ耐性[[ナタネ]]([[カノーラ]]: canola)が無許可で栽培されていることに対し特許権侵害で訴訟を起こした。シュマイザーは種子に特許が存在しないこと、農場のナタネの9割以上がラウンドアップ耐性ナタネになっていたのは意図的に栽培したのではなく周辺で栽培されているラウンドアップ耐性ナタネによる「遺伝子汚染」の結果であると主張した。しかし、交雑等の可能性があっても約400 haに植えられたナタネの95-98%のナタネがラウンドアップ耐性ナタネになることは現実にはあり得ないとしてカナダ最高裁はモンサント社に対する特許侵害を認めた。下級審の判決を妥当としシュマイザーは敗訴した。
まず、カナダ連邦裁判所が2001年3月29日に下した判決<ref>[http://decisions.fct-cf.gc.ca/en/2001/2001fct256/2001fct256.html Docket: T-1593-98, Neutral Citation: 2001 FCT 256], MONSANTO CANADA INC. and MONSANTO COMPANY Plaintiffs and PERCY SCHMEISER and SCHMEISER ENTERPRISES LTD. Defendants, カナダ連邦裁判所判決文</ref>では、シュマイザーがラウンドアップを噴霧器で自ら噴霧してラウンドアップ耐性ナタネを意図的に選択して増殖し、栽培したことを認定した。
また、2002年9月4日のカナダ連邦控訴裁判所の判決<ref>[http://decisions.fca-caf.gc.ca/en/2002/2002fca309/2002fca309.html Monsanto Canada Inc. v. Schmeiser (C.A.) (2003)2 F.C. 165], カナダ連邦控訴裁判所判決文</ref>においても、シュマイザーの控訴事由を三人の判事が全員一致で全て退けた。2004年5月21日にカナダ最高裁判所によって下された判決<ref>[https://scc-csc.lexum.com/scc-csc/scc-csc/en/item/2147/index.do Monsanto Canada Inc. v. Schmeiser, (2004) 1 S.C.R. 902, 2004 SCC 34], カナダ最高裁判所判決文</ref>においても、シュマイザーは敗訴した。
種子に対する特許が認められたことに対しカナダの市民団体と生産者団体は強く反発している。
シュマイザーは自らを[[遺伝子汚染]]の被害者として、遺伝子組換え作物反対派と共に日本国内でもたびたび反対活動を行っている。
==== インドにおけるBtワタ栽培と農民の自殺の関係の有無 ====
イ ンドでは2002年から遺伝子組換えBtワタが導入され、その栽培面積は急激に広がっている。[[緑の革命]]に対する批判者としても、遺伝子組換え食品反対派としても国際的に著名な[[インド]]の環境活動家である[[ヴァンダナ・シヴァ]]([[:en:Vandana_Shiva|Vandana Shiva]])らは、「インドにおいて遺伝子組換 えBtワタの種子の導入はコストを80倍にし、農民を借金漬けにして自殺に追い込んだ。27万人以上のインドの農民が高価な種子と農薬による借金のために 自殺した。そして大部分の自殺はワタ栽培地帯に集中している。」<ref>"In India, the introduction of GMO Bt cotton seed increased costs by 8000%, locked farmers in debt ,and pushed them to suicide. More than 270000 Indian farmers have committed suicide due to debt created by high cost seeds and chemicals. And most suicides are concentrated in the cotton belt.", [http://www.navdanya.org/news/280-prop-37-vital-for-food-democracy Prop 37-vital for Food Democracy]</ref>と主張している。しかし、別の調査によれば、遺伝子組換えBtワタがインドに導入される以前の1997年から大幅に栽培面積が増加していった2007年にかけて10年間のインドの農民の自殺数にほとんど変化は認められず、自殺数と遺伝子組換えBtワタの栽培面積の間に相関も見いだせなかった([http://www.nature.com/news/farmer-suicides-jpg-7.10319?article=1.12907 インドの農民の年間自殺数とBtワタ栽培面積の変化のグラフ])。このことから「[[ネイチャー]]」は2013年の5月2日号で、シヴァらの主張は誤りであるとした<ref>[http://www.nature.com/news/case-studies-a-hard-look-at-gm-crops-1.12907 Nature | News Feature, Vol. 497], 02 May (2013), Natasha Gilbert, GM cotton has driven farmers to suicide: False, Case studies: A hard look at GM crops</ref>。
=== 倫理面 ===
宗教上やその他の信念により遺伝子操作自体を忌み嫌う人も存在し、反対活動を行っている。一方、ゴールデンライスのように人道的なものにまで反対することに対しては反発もある。
==== ゴールデンライスと遺伝子組換え食品反対運動 ====
ビタミンA欠乏症<ref>[http://www.unicef.or.jp/library/pdf/toukei_4.pdf ビタミンA欠乏症 目標 ビタミンA欠乏症を撲滅する。], UNICEF</ref>を解消することは[[世界保健機構]](WHO)や[[国際連合児童基金]](UNICEF)においても主要目標である([https://www.unicef.org/immunization/files/Vit_A_strategy.pdf A Strategy for Acceleration of Progress in CombatingVitamin A Deficiency])。WHOによると、
推定2億 5千万人の未就学児がビタミンA欠乏症であり、ビタミンA欠乏地域では多数の妊婦もビタミンA欠乏症である<ref>"An estimated 250 million preschool children are vitamin A deficient and it is likely that in vitamin A deficient areas a substantial proportion of pregnant women is vitamin A deficient.","An estimated 250 000 to 500 000 vitamin A-deficient children become blind every year, half of them dying within 12 months of losing their sight.", [http://www.who.int/nutrition/topics/vad/en/index.html A few salient facts]</ref><ref>[http://whqlibdoc.who.int/publications/2009/9789241598019_eng.pdf Global prevalance of vitamin A deficiency in populations at risk 1995-2005], WHO Global Database on Vitamin A Deficiency, Authors: World Health Organization, Number of pages: 55, Publication date: 2009, Languages: English, ISBN 978-92-4-159801-9</ref>。そして、推定25万人から50万人の子供たちが毎年、ビタミンA欠乏症で[[失明]]し、その半数が一年以内に死亡している。そのような子供たちは[[南アジア]]や[[東南アジア]]の都市部の[[スラム]]に住む貧困家庭に多い。ビタミンA欠乏症を解消するために、主食である[[コメ]]に[[ビタミンA]]の[[前駆体]]である[[β-カロテン]]を含むようにしてビタミンA欠乏症を緩和しようと育種されたものがゴールデンライスである<ref>[http://www.goldenrice.org/ golden Rice Project]</ref>。
このゴールデンライスに対しても反対する遺伝子組換え食品反対派はいる。前述のヴァンダナ・シヴァの主張は、
{{quotation|ビタミン含有率が高い遺伝子組み換えのゴールデンライスの開発に対して、イギリス{{refnest|group="注釈"|name="england"|イギリスではビタミンA不足は深刻な問題となってはおらず、文脈的にもインドと考えられるので、in Indiaをin Englandと、またはIndianをEnglandと聴き間違えたのであろう。なお、紹介者の[[島村菜津]]の同一内容を紹介した別の著作においても"ビタミン不足の英国の子どもたち"と記載されている。「世にもマヌケなスローフードへの旅 [http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/column/shimamura/080520_siva/index2.html 第19回 インド編 無知な経済学者・政治家が農民たちを苦しめる!]」, ECO JAPAN, 日経BP, 2008年05月20日}}のビタミン不足の子どもたちのために開発しているのになぜ反対かと、ヴァンダナ・シヴァさんが責められた。答えは、「そんなものはいらない。リンゴひとつ食べればビタミンは補えるもの」。バランス良く食べれば、そんなものはつくる必要がないし、ほんとうに栄養不足の子どもたちの役にたつわけでもない。そして、ゴールデンライスみたいな画一的な圃場(ほじょう)をつくるためになぎ倒された、たくさんの薬草でビタミンを補給していたインドの子どもたちが、年間4000人{{refnest|group="注釈"|name="4000people"|ヴァンダナ・シヴァ自身は「四万人」と著書の中で述べている。"インドの子供たちは毎年ビタミンA不足で、四万人が視力を失っているが、ビタミンAが豊富でどこにでも生えている植物を除草剤で殺してしまったことが、この悲劇を招いている。", p. 214, 左から3-1行, 「緑の革命とその暴力」, ヴァンダナ・シヴァ 著, 浜谷喜美子 訳, 発行所 株式会社 日本経済評論社, 1997年8月5日 第1刷発行, 旧ISBN 4-8188-0939-X, 現ISBN 978-4-8188-0939-0}}{{refnest|group="注釈"|name="shimamura"|紹介者の[[島村菜津]]は、同様の内容を紹介した別の著作では「4万人に近い」と記述している。"「これからは、数年単位ではなくて、もっと長いスパンで考えて、地域を豊かにしていく視点が大切なの。それに、単一品種を効率よく育てれば、薬草やビタミンをたくさん含む野草は、雑草として排除される。小麦とともに育つバツアという薬草は、ビタミンAが豊富なのに、そうしたものが一気になぎ倒される。毎年、4万人に近い子どもたちがビタミンA不足で失明しているこの国で、ですよ」", "かつて、イギリスの学者が、ビタミンAの豊富なGM米「ゴールデンライス」を開発したとき、学者は「なぜビタミン不足の英国の子どもたちを救う研究に楯突くのか」とシヴァを批判した。", "この時も、彼女は「そんな米など必要ない。それより、リンゴを1つかじろうと教えればいい。ビタミン不足で失明している産地の子の身にもなってほしい」と噛みついた。", 「世にもマヌケなスローフードへの旅 [http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/column/shimamura/080520_siva/index2.html 第19回 インド編 無知な経済学者・政治家が農民たちを苦しめる!]」, ECO JAPAN, 日経BP, 2008年05月20日}}失明していると反論していました。}}
と紹介されている<ref>p. 52, 4-10行, 「ゆっくりノートブック1 SLOW FOOD, IT'S ABOUT TIME! そろそろスローフード 〜今、何をどう食べるのか?」, [[島村菜津]]・辻 信一 共著, 発行所 株式会社 大月書店, 2008年6月20日 第1刷発行, ISBN 978-4-272-32031-8-C0336</ref>。この主張に対しては、[[リンゴ]]は[[ビタミンA]]の供給源としては不適切である<ref>第2章 五訂増補日本食品標準成分表(本表), [http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002/007.pdf 果実類], リンゴ(生)の可食部100 g当たり[[レチノール]]当量 2 μg</ref>という[[栄養学]]的な反論と、貧困家庭の人々がバランスが良い食事がとれないためにビタミンA欠乏症に陥っている<ref>[http://gwweb.jica.go.jp/km/FSubject1501.nsf/cfe2928f2c56e150492571c7002a982c/74875bed7d20467349257b010026a259/$FILE/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%201998.pdf 国別WID情報整備調査]、インド India : Country WID Profile、平成10年3月 国際協力事業団 企画部、p. 6の下から2行からp. 7の1行目「世帯の経済状態により栄養を摂取できる機会が異なり、家庭内では性別により栄養の配分に差異が生じている。女性は貧困家庭ほど栄養状況が悪い。インドで特に不足している栄養素は、ヨウ素とビタミン A である。」</ref>[http://www.unicef.or.jp/children/children_now/pakistan/sek_pa01.html][http://www.nikkei-science.net/modules/flash/index.php?id=200712_070]という{{要出典範囲|現実を無視しているという反論|date=2011年6月}}がなりたつ。
また、ヴァンダナ・シヴァの主張の中には、色素米{{refnest|group="注釈"|name="shikisomai"|[[赤米]]や[[黒米]]:[[玄米]]の状態だと色素を含んでいるが、[[精米]]すると[[白米]]になる}}や茶米{{refnest|group="注釈"|name="chamai"|字義通り茶色の米か、[[玄米]](brown rice)の誤訳かは不明である。なお、農学の分野おいて「茶米」とは、病害や生理障害などを受けて褐色を呈する被害粒やエクアドル茶米菌の増えた米を指す。}}には多量のビタミンA前駆体が含まれているのでゴールデンライスを開発する必要がないというものがある<ref>[http://www.yasudasetsuko.com/gmo/column/030507.htm][http://www.yasudasetsuko.com/gmo/column/030421.htm][http://www.joaa.net/gmo/gmo-0304-01.html]</ref>。しかし、[[玄米]]には極僅かのβ-カロテンが含まれるために痕跡量の[[レチノール]][[当量]]のビタミンA活性があるがビタミンAの供給源としては不適切であり、精米された白米にはないといって良い<ref>第2章 五訂増補日本食品標準成分表(本表), [http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002/001.pdf 穀類]</ref>。赤米の色素は[[タンニン]]系であり<ref>名和義彦・大谷俊郎:有色素米の色素特性,食品工業,11月30日号,28-33(1991)</ref>、黒米の色素は[[アントシアニン]]系である<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12639403?itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_RVDocSum&ordinalpos=11 J Med Food. 2001 Winter;4(4):211-218.], "Antioxidant Activity of Anthocyanin Extract from Purple Black Rice.", Ichikawa H, Ichiyanagi T, Xu B, Yoshii Y, Nakajima M, Konishi T., {{PMID|12639403}}</ref>。つまり、ビタミンAに変換される[[カロテノイド]]系の色素ではないため、赤米や黒米はたとえ玄米であったとしてもビタミンAの供給源にはならない。
この様なゴールデンライスに対する反対に対して、ゴールデンライスの開発者(Ingo Potrykusら)や推進派の中には、人道に反すると反発する考えもある<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/088/mgzn08806.html 農業と環境 No. 88(2007.8)], GMO情報: ビタミンA強化米 ゴールデンライスの開発阻害要因, 独立行政法人農業環境技術研究所</ref><ref>[http://www.cropgen.org/article_120.html Regulated to blindness and death]</ref><ref>HarvestPlus Technical Monograph 4. (2005), Analyzing the health benefits of biofortified staple crops by means of the disability-adjusted life years approach: a handbook focusing on iron, zinc and vitamin A., Alexander J. Stein, J.V. Meenakshi, Matin Qaim, Penelope Nestel, H.P.S. Sachdev and Zulfiqar A. Bhutta</ref>。また、ゴールデンライス導入の遅れに伴うビタミンA欠乏症に関係する健康被害にゴールデンライスの反対派は責任をとるべきである、という意見もある<ref>[http://blogs.scientificamerican.com/guest-blog/2014/03/15/golden-rice-opponents-should-be-held-accountable-for-health-problems-linked-to-vitamain-a-deficiency/ Scientific American], March 15, 2014, "Golden Rice Opponents Should Be Held Accountable for Health Problems Linked to Vitamin A Deficiency", David Ropeik</ref>。
=== 食品としての安全性 ===
==== 概説 ====
* 従来考えられないほどの短い期間で新品種の開発が行われる。
* 従来はありえなかった「種の壁を越えた」品種開発が可能である。
などを根拠に安全性を保障する実績がないとして忌避する意見も根強い。しかし、従来の非GM作物であっても100%の安全性証明がなされているわけではなく、暗黙のうちに「危険性」が許容されている。また、「種の壁」は一般に信じられているほど強固なものではなく、[[遺伝子の水平伝播]]や[[雑種]]形成も知られていることなどを考えるべきで、一般的に行われている品種改良を無視して、GM作物だけを問題視するのは公正とはいえない。GM作物の安全性については「実質的同等性」の概念に基づいた議論が重要である。ヒトのタンパク質消化において大部分はアミノ酸にまで分解されてから吸収されるため、よほどでない限り遺伝子組換え作物によって変化したアミノ酸配列の僅かな違いが消化・吸収に大きな影響を与えるとは考えにくい。
事実、様々な組換え作物と非組換え作物を飼料として多くの家畜に投与し、様々な生化学的、生理学的、組織学的差異を調べる大規模な研究を行ったが、如何なる有意な差異を見いだせなかったという包括的なレビューを欧州食品安全機関(European Food Safety Authority: EFSA)が発表している<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18328408 Food Chem Toxicol. 2008 Mar;46 Suppl 1:S2-70. Epub 2008 Feb 13.], "Safety and nutritional assessment of GM plants and derived food and feed: the role of animal feeding trials.", EFSA GMO Panel Working Group on Animal Feeding Trials., {{PMID|18328408}}</ref>。
また、組換え食品は解放系での栽培や上市されるまでにさまざまな安全性審査を受けて、それに合格したものである。一方、組換え作物の比較対象となる在来品種は、組換え作物が受けるような安全性審査を経たものはほとんどなく、その安全性は組換え作物に比べ未知数であるという解釈も成り立つ。
以下の節でいくつかの特記すべき事例について論じる。
==== 害虫抵抗性トウモロコシにおけるカビ毒含有量の低下 ====
ある種の組換え作物の方が食品としての安全性が高いという報告がある。これはBt toxinを発現しているトウモロコシYieldGardの方が野生型の栽培種に比べ含有している[[カビ毒]](mycotoxin)量が数倍から20倍程度少ないというものである<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11067772?ordinalpos=5&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum Regulatory Toxicology and Pharmacology 32, p. 156-173 (2000)], "Safety and Advantages of ''Bacillus thuringiensis''-Protected Plants to Control Insect Pests", Fred S. Betz, Bruce G. Hammond, and Roy L. Fuchs, {{PMID|11067772}}</ref>。昆虫などによって摂食された傷口からカビが侵入し繁殖するため、Bt toxinを発現していると摂食されにくくなるためカビ毒が大幅に減少したと考えられている。カビ毒には発ガン性や女性ホルモン活性などを有し、様々な疾患を引き起こすものがあることが知られている。このように現在判明している食品としての安全性検査ではある種の組換え作物の方がむしろ有利であるとの解釈も成り立つ。
==== ブラジルナッツ 2S アルブミン蓄積ダイズ ====
ダイズ種子の貯蔵タンパク質のアミノ酸組成では、含硫アミノ酸である[[メチオニン]]や[[システイン]]が少ない。そのため、ダイズ・タンパク質の有効利用率を表す[[プロテインスコア]]や[[アミノ酸スコア]]が低い。そこで、ダイズ種子に[[メチオニン]]や[[システイン]]含量の高いタンパク質を蓄積させてタンパク質有効利用率を向上させようという研究が行われた。メチオニン残基が18%、システイン残基が8%と高含量で含まれているため、蓄積させるタンパク質として[[ブラジルナッツ]](''Bertholletia excelsa'')の2S [[アルブミン]](S: 沈降定数、Svedberg単位)が選ばれた。ただし、既にブラジルナッツなどのナッツ類に対する[[アレルギー]]が知られていた。主要なアレルゲンとして分子量9 kDaの2S アルブミンと42 kDa タンパク質、その他の複数のアレルゲンとなるタンパク質があることが判明している。遺伝子組換え作物は、上市される前に安全性審査を経なければならず、その中には[[アレルギー]]試験も含まれている。その審査過程で、ブラジルナッツ 2S アルブミン蓄積ダイズは、一部のブラジルナッツ・アレルギー患者にアレルギーを誘発する可能性があることが判った<ref>[http://content.nejm.org/cgi/content/full/334/11/688 NEJM., Volume 334, p.688-692, (1996)],[[ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン|NEJM]]., "Identification of a Brazil-Nut Allergen in Transgenic Soybeans", Julie A. Nordlee, Steve L. Taylor, Jeffrey A. Townsend, Laurie A. Thomas, and Robert K. Bush</ref>。一部のブラジルナッツ・アレルギー患者由来の血清中の[[免疫]][[抗体]]IgEは、形質転換ダイズ中の9 kDaのブラジルナッツ 2S アルブミンやその[[前駆体]]と抗原抗体反応を起こすことが判明した。また、ブラジルナッツ・アレルギー患者に対するアレルギー試験の一種である皮膚プリックテストにおいても同様の結果が得られた。この結果を受けて、この形質転換ダイズの上市は中止された。植物に遺伝子を導入する以前に遺伝子産物に対するアレルギーの確認が可能であったにもかかわらず、商品化の過程の安全性審査で判明したことに問題がある。この件は、導入される遺伝子の産物に対する事前の細心の注意が必要であることと、安全性審査が有効に機能したことを示している。
==== スターリンク事件 ====
2000年9月以降、アメリカにおいて食品としては未認可であるが飼料としてのみ認可された組換えトウモロコシであるスターリンク(Starlink)(系統名: CBH351)が食品からも検出された事件である。食品としても飼料としても未認可であった日本においても食品から検出された。そのため、大規模な回収騒動が生じた。スターリンクはアグレボ社(事件当時は[[アベンティス]](Aventis)社、現在のバイエルクロップサイエンス社)が開発したものであり、除草剤であるビアラホスに耐性が付与されるとともにBt toxinとしてCry9C([http://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?sp:CR9CA_BACTO アミノ酸配列])を生産している。Bt toxinには様々な種類があり、そのアミノ酸配列や殺虫スペクトルは異なっている。Bt toxinを生産する組換え作物は様々あるがCry9Cを生産するものが飼料としてのみ認可された理由は、[[アレルゲン]]となる可能性が考慮されたからである[https://archive.epa.gov/pesticides/biopesticides/web/html/regofbtcrops.html]。Cry9Cは[[ペプシン]]や[[トリプシン]]に対して安定であり、90℃で10分間安定であった。そこで、調理や消化後も安定であると考えられ、免疫系と反応する可能性が指摘された。一方、既知のアレルゲンとはアミノ酸配列の配列類似性は低かった。タンパク質としての安定性を重視した結果、飼料としてのみスターリンクは認可された。スターリンクのBt toxinのアレルゲン性は低いことがのちに判明した<ref>[http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/098/mgzn09809.html 農業と環境 No.98 (2008年6月1日)]、"GMO情報: スターリンクの悲劇 〜8年後も残るマイナスイメージ〜", 独立行政法人 農業環境技術研究所</ref>。
この事件の教訓として、隔離栽培の厳守とモニタリングの必要性、飼料としても食料としても利用される作物は厳密に管理されていてもある程度の混入は不可避であるため飼料としてのみではなく食品としても認可されたものを上市する必要性、がある<ref>遺伝子組換え植物の光と影 Ⅱ、監修者 佐野 浩、出版社 学会出版センター、2003年6月20日 初版、ISBN 4-7622-3014-6</ref>。
==== ニューリーフ・ポテト ====
モンサント社のニューリーフ・ポテトはアメリカの環境保護局(U.S. Environmental Protection Agency: EPA)に農薬として登録された。しかし、日本では農薬としては登録されていない。ニューリーフ・ポテトBT-6系統[http://cera-gmc.org/GmCropDatabaseEvent/BT6,%20BT10,%20BT12,%20BT16,%20BT17,%20BT18,%20BT23]やSPBT02-05系統[http://www.cera-gmc.org/GmCropDatabaseEvent/ATBT04-6,%20ATBT04-27,%20ATBT04-30,%20ATBT04-31,%20ATBT04-36,%20SPBT02-5,%20SPBT02-7/print]とは''Bacillus thuringiensis''の結晶性殺虫タンパク質(Bt toxin)の種である一種であるCry3Aを生産してコロラドハムシ(Colorado potato beetle, ''Leptinotarsa decemlineata'')というジャガイモの害虫に抵抗性を持たせた[[ジャガイモ]]のことである。付け加えて、更にある種の植物ウイルスに抵抗性も持たせたニューリーフ・プラス・ポテト[http://www.cera-gmc.org/files/cera/GmCropDatabase/docs/decdocs/A383.pdf]やニューリーフY・ポテト[http://cera-gmc.org/GmCropDatabaseEvent/RBMT15-101,%20SEMT15-02,%20SEMT15-15]の系統も存在する。ニューリーフ・ポテトにおいて生産されているBt toxinであるCry3Aは哺乳類に対する安全性が確認されたタンパク質であり、ニューリーフ・ポテトに関する安全性は様々な安全性試験によって確認されている。農薬を使い害虫駆除をするようなこととは違い、ポテト自体に害虫を殺す作用があるという理由で、ポテト自体が通常の農薬としてEPAに登録された。なお、ニューリーフ・ポテトと同様にBt toxinを生産しているトウモロコシやワタの複数の系統が組換え作物として認可されており、これらにもニューリーフ・ポテトと同様に作物自体に害虫を殺す作用があるが、これらは農薬として登録されたことはない。なお、害虫抵抗性植物に含まれる殺虫活性物質とその生産に必要な遺伝物質(PIPs: Plant-Incorporated Protectants)に対する現在のEPAの方針は、{{quotation|Plant-incorporated protectants are pesticidal substances produced by plants and the genetic material necessary for the plant to produce the substance. For example, scientists can take the gene for a specific Bt pesticidal protein, and introduce the gene into the plant's genetic material. Then the plant manufactures the pesticidal protein that controls the pest when it feeds on the plant. Both the protein and its genetic material are regulated by EPA; the plant itself is not regulated.}}と公表されている[https://www.epa.gov/regulation-biotechnology-under-tsca-and-fifra/overview-plant-incorporated-protectants]ように、EPAは植物の生産する殺虫タンパク質と遺伝物質を規制しているが、それを生産する植物自体を規制してはいない。
==== ラウンドアップレディー・ダイズを給餌した多世代飼育試験 ====
遺伝子組換え食品の安全性審査においては、急性および亜急性毒性の審査しかしていない、多世代にわたって給餌した際の安全性を調べていない、という批判がある。そこで、ラウンドアップレディー・ダイズの安全性に関しては、多世代の動物飼育における給餌実験によって試験された。例えば、サウスダコタ大学のグループは4世代にわたってマウスにラウンドアップレディー・ダイズを給餌しても、何ら悪影響を見いだすことができなかった、と報告した<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=14630127&dopt=Abstract Food and Chemical Toxicology 2004;42:p. 29-36], "A generational study of glyphosate-tolerant soybeans on mouse fetal, postnatal, pubertal and adult testicular development.", Brake DG, Evenson DP., {{PMID|14630127}}</ref>。また、東京都の健康安全研究センターも2世代にわたるラットへの給餌試験を行ったが何ら有意差を見いだせなかった<ref>[https://web.archive.org/web/20171116093033/http://www.tokyo-eiken.go.jp/assets/issue/health/08/08.pdf 東京都健康安全研究センター情報誌 くらしの健康 第8号 (2005年6月)「生体影響試験が教えてくれること」]</ref><ref>[http://www.tokyo-eiken.go.jp/assets/inform/seminar/2004/pdf2004.pdf "「生体影響試験が教えてくれること」-緑茶抽出物及び遺伝子組み換え大豆の動物実験の結果から-"], 知っておきたい暮らしの中の健康と安全, 東京都健康安全研究センター公開セミナー, 2004年度(平成16年度), 9月30日(木), 東京都庁都民ホール</ref>。同様な研究は多数行われている。2-4世代にわたる多世代飼育実験の世代数が十分かどうかについては異論があるかもしれないが、これらの実験においては少なくともこの世代数では有意な危険性を検出できなかったといえる。
==== パズタイ事件 ====
一方、健康への影響例としてよく挙げられるものに「遺伝子組換えジャガイモを実験用のラットに食べさせたところ免疫力が低下した。」と世間に大きな衝撃を与えたレポート(パズタイ(Pusztai){{refnest|group="注釈"|name="pusztai"|プシュタイまたはプッタイとも表記される}}事件)がある。1998年8月10日、スコットランドのアバディーン(Aberdeen)のロウェット研究所(Rowett Research Institute)のパズタイ(Arpad Pusztai)が、英国のテレビ番組で、組換えジャガイモにより、ラットに免疫低下などがみられたと公表した。論文は1999年の[[ランセット|Lancet]]の10月16日号まで公表されず、主張の妥当性を検証できない状態であったにもかかわらず、一部の間ではさも真実であるかのように受け取られ大騒ぎになった。しかし、公表された論文からは実験そのものがずさんであり、パズタイの主張には無理があることが判明した。使用した遺伝子組換えジャガイモが安全性が確認され商品化されているジャガイモとは全く別な[[レクチン]]という哺乳動物に対し有害な作用を持つタンパク質を作る遺伝子を組み込んだ実験用ジャガイモであり、有害な遺伝子を組み込んだ遺伝子組換え作物は有害だったと当たり前の結果が出たに過ぎない。この実験は、[[マツユキソウ]]の殺虫活性のあるレクチン(GNA)を生産する組換えジャガイモ、親株のジャガイモにレクチンを注入したもの、親株(母本)のジャガイモ、を生のままものと茹でたものに分け、6頭ずつのラットに10日間与えて消化管を調べたところ、炎症や免疫の低下が組換えジャガイモを飼料としたものにみとめられたというものである<ref>[http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6T1B-3XYFJJ5-H&_user=10&_coverDate=10%2F16%2F1999&_rdoc=1&_fmt=high&_orig=browse&_sort=d&view=c&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=1e8076d79784c078563e136ff1ee66c6 the Lancet, Vol. 354, p. 1353-1354, (1999)], "Effect of diets containing genetically modified potatoes expressing ''Galanthus nivalis'' lectin on rat small intestine", Stanley WB Ewen and Arpad Pusztai</ref>。なお、レクチン(GNA)を注入されたジャガイモは、遺伝子組換えジャガイモの親株(母本)とは、かなり組成の異なるものであったという報告もある<ref>[http://www.mhlw.go.jp/topics/idenshi/qa/qa.html#D-9]</ref>。
この実験には栄養学的な問題や検定数が少ないという問題以前に実験の設計段階での欠陥として、
* レクチンの遺伝子を含まない空のベクターを用いて形質転換した、つまりレクチンを生産しない組換えジャガイモと、更にそれにレクチンを注入した2種類の対照(コントロール)がない。
* 注入したレクチンが複数のレクチンの混合物でないことを証明していない(組換え体は単一の遺伝子に由来するレクチンを生産しているが、実験で用いられたレクチンは単一の遺伝子産物であるという証明がなされていない)。
* 遺伝子組換えと関係がない、組織培養に伴う体細胞変異を考慮していない。(組織培養に伴う[[トランスポゾン]]の活性化による変異以外にも、ジャガイモのような栄養繁殖植物の場合、植物体は変異の蓄積した細胞のキメラ集団として存在していることが多い。そのため、何ら変異処理をしなくても単細胞となる[[プロトプラスト]]にして植物体を再生させると様々な表現型の変異株が得られることがある。)
という点が挙げられる。実験設計の不備のため、この実験によって遺伝子組換え自体によって危険性が増すという結論を導き出すことはできない。この論文に関しても、社会的な問題が大きいから論文の内容にかかわらず掲載することにしたという異例の編集者の意見が明記されて掲載された経緯がある<ref>[http://www.sciencedirect.com/science?_ob=MImg&_imagekey=B6T1B-3XYFJJ5-2-1&_cdi=4886&_user=961306&_orig=browse&_coverDate=10%2F16%2F1999&_qd=1&_sk=996450812&view=c&wchp=dGLzVzz-zSkzk&md5=8c126d118e06b1e64b555d9983bde0cb&ie=/sdarticle.pdf the Lancet, Vol. 354, p. 1314-6, (1999)],commentary, "Genetically modified foods: "absurd" concern or welcome dialogue?", Richard Horton</ref>。それには以下のように記されている。{{quotation|While criticising the researchers' “sweeping conclusions about the unpredictability and safety of GM foods”, he pointed to the frustration that had dogged this entire debate: “Pusztai's work has never been submitted for peer review, much less published, and so the usual evaluation of confusing claim and counter-claim effectively cannot be made”. This problem was underlined by our reviewers, one of whom, while arguing that the data were “flawed”, also noted that, “I would like to see [this work] published in the public domain so that fellow scientists can judge for themselves… if the paper is not published, it will be claimed there is a conspiracy to suppress information”.}}
この論文に関しては更に著者らとの異例の誌上討論が行われた<ref>GM debate, [[ランセット|Lancet]], Vol. 354, Issue 9191, 13 November 1999, p. 1725-1729[http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(99)90199-X/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76706-4/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76707-6/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76708-8/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76709-X/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76710-6/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76711-8/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76712-X/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76713-1/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76714-3/fulltext][http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(05)76715-5/fulltext]</ref>。そこでは空のベクターを用いていないという指摘に対して、著者らは、
{{quotation|If our experiments are so poor why have they not been repeated in the past 16 months? It was not we who stopped the work on testing GM potatoes expressing GNA or other lectins or even potatoes transformed with the empty vector, which are now available.}}
と、実験において空のベクターを用いていなかったことを明確に認めている。
=== 背景 ===
{{出典の明記|date=2023年7月|section=1}}
上記のような一般消費者の不安の背景として以下のようなことも指摘、主張されている。
* GM作物を推進する側の研究・行政サイドから市民へのGM作物に関する広報活動はこれまで充分であったとは言いがたく、反対派の先行を許してしまったことが今日の混乱を生んだ面がある。
* 一般人の科学知識の欠如により正確にGM作物が理解されていない。
以上2点は、研究開発に関わる側からよくなされる指摘であるが、反対派からは自らの視点が絶対に正しいと決め付けているとの批判もある。
* 遺伝子組換え食品に対して、一般消費者のバージン[[バイアス]]がかかっている。経験豊富な事柄に対してはリスクを過小評価するベテランバイアスがかかり、初めてのものに対してはリスクを過大評価するバージンバイアスがかかる傾向がある。
* 「遺伝子組換え作物を人体に危険なものと消費者に訴え、自社商品の売り上げを伸ばそうとする非遺伝子組換え食品商法に走る業者」等[https://web.archive.org/web/20090114162508/http://www.fiberbit.net/user/biology/QA/items/kumikae31.html]の[[ネガティブキャンペーン]]がある。
* 政府に対する信用が低い。イギリス政府は[[BSE問題]]の収拾に失敗し、日本では[[薬害]]など厚生労働省の失態や国内でのBSE発生(農林水産省)が報じられ国民の信用が低下していた。どちらの国も遺伝子組換え作物の規制が厳しい。しかし、各国の政府に対する信用と各国の遺伝子組換え作物に対する政策に対する相関性は報告されていない。なお、一般の日本人の遺伝子組換え作物に対する見方は『平成22年度遺伝子組換え農作物等に関する意識調査報告書』<ref>[https://web.archive.org/web/20170704225218/https://www.jataff.jp/project/download/pdf/30-2011040110271306326.pdf 平成22年度遺伝子組換え農作物等に関する意識調査報告書]</ref>において、一般のイギリス人の遺伝子組換え作物に対する態度は"Exploring attitudes to GM food ''Final Report''"<ref>[https://web.archive.org/web/20131009233343/https://www.food.gov.uk/multimedia/pdfs/gmreportnov09finalreport.pdf Exploring attitudes to GM food ''Final Report'']</ref>において詳しく研究され纏められている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[シトクロムP450]]
* [[遺伝子]]
* 遺伝子組み換え
* [[遺伝子工学]]
* [[遺伝子汚染]]
* [[ラウンドアップ]]
* [[モンサント (企業)|モンサント]]
* [[ファイトレメディエーション]]
* [[食料安全保障]]
* [[遺伝子組換え食品]]
* [[栽培植物]]
== 外部リンク ==
* [https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/idenshi/index.html 遺伝子組換え食品] - 厚生労働省
* [https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/seibutsu_tayousei.html 生物多様性と遺伝子組換え] - 農林水産省
* [https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_safety/food_safety/food_safety_portal/genetically_modified_food/ 遺伝子組換え食品] - 消費者庁
* [https://www.jba.or.jp/top/bioschool/seminar/ バイオテクノロジーQ&A] - バイオインダストリー協会
* [https://www.biodic.go.jp/bch/ 日本版バイオセーフティクリアリングハウス] - 環境省
* [https://cbijapan.com/ バイテク情報普及会]
* [https://web.archive.org/web/20091204230154/http://www2.odn.ne.jp/cdu37690/index.htm 遺伝子組み換え情報室]
* [https://www.isaaa.org/ International Service for the Acquisition of Agri-biotech Applications]{{en icon}}
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7,924 | 基底 | [] | 一般
物事の根本、基礎となる底面
化学
基底 (結晶構造)
物理学
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数学
ベクトル空間の基底: 基底 (線型代数学)、正規直交基底など
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* 一般
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7,925 | 自然科学 | 自然科学(、英: natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔サイエンス〕)または理学とは、自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。『精選版 日本国語大辞典』において自然科学は、「狭義には自然現象そのものの法則を探求する数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学〔地球科学〕など」を指し、広義にはそれらを実生活へ応用する「工学、農学、医学など」をも指し得る。『大学事典』では「理学を構成する数学・物理学・化学・生物学・地学等」と書かれている。
また、Dictionary.comの定義における自然科学とは、自然における観測可能な対象や過程に関する科学または知識であり、例えば生物学や物理学など。この意味での自然科学は、数学や哲学のような「抽象的または理論的な諸科学」("the abstract or theoretical sciences")とは異なる。
自然科学において取り扱う対象は、大きくは宇宙から小さくは素粒子の世界まで含まれる。生物やその生息環境も対象となっており、そこには生物としてのヒトも含んでいる。対照的に、人間が作り出した文化や社会──すなわち文芸、哲学、倫理、歴史、法律、政治、経済等々──に関しては、主に人文科学・社会科学・人文社会科学(cultural social science)・自然社会科学(natural social science)が扱っている。
この「自然科学」(ナチュラルサイエンス natural science)という用語と対比される用語は、近年の日本では一般に、
であることが多い。19世紀のヨーロッパにおいて諸科学が分化・独立した際に英語圏ではそのような呼び分けが生まれた。ただしドイツでは、対比・区分が若干異なり、ナトゥーアヴィッセンシャフト(自然科学・科学 Naturwissenschaft) は「文化科学 Kulturwissenschaft」や「精神科学 Geisteswissenschaft」と対比されることが多い。日本でもドイツの影響を大きく受けていた時代には、こうしたドイツ式の対比で説明する科学者もかなりいたが、近年の日本では主として英語圏に倣った対比が行われている。
自然科学の歴史は科学史の分野で研究対象とされている。自然科学を対象とする哲学的考察は認識論および科学哲学においてなされており、「科学基礎論」と呼ばれることもある。
何をもって自然科学の誕生と見なすか、という点については科学史の研究者ごとにそれなりに異なった見方がある。 自然を対象とした学問としては、確かに古代ギリシア時代以来「自然学」があった。またヨーロッパ中世にはスコラ学があり、「自由七科」という学問分類の内の「クアドリウム(四科)」には、天文学も含まれていた。ただし、科学史などでは、それらの学問の中に新たな方法論や傾向が芽生えたことを指摘することで、それらの学問と自然科学的方法論の対比をしたり、それをもって自然科学の初期の歴史の説明としていることが多い。
近代自然科学の方法論の説明のしかたはいくつもあるが、実験と観察とされたり、分析と総合とされたり、仮説と実証とされたりする。
現在考えられているような自然科学(近代自然科学)の説明する場合、17世紀のヨーロッパの「自然科学者」(当時は自然哲学者、自然学者と呼ばれていた人々)の研究の一部が紹介されることが多い。説明する科学史家のバックグラウンドの違い(例えば物理学・化学・生物学などの違い)によって、どの手法をピックアップするのか、選択が異なったり重点の置き方が異なっている。物理系ではケプラー、ガリレイ、デカルト、ニュートン等などの手法の一部に言及することが多い。
中世のアラビア科学であれ中世ラテン科学であれ、分析概念は重要な方法論と見なされていた。古代のアルキメデスは解析的方法の巨匠であり、イスラーム中世のイブン・アル・ハイサムもそうした解析的手法の伝統を継ぐ人であったが、20世紀になりラテン科学の歴史研究が発展するつれて、中世ラテン科学の中心的荷い手のひとりロバート・グロステストが「近代的科学方法概念の開拓者」と見なされた理由のひとつは、彼がアリストテレスの『分析論後書』に独創的な注釈を加筆したからであった。こうした古代~中世の分析概念に、ガリレオやデカルトが大きな飛躍をもたらした。ガリレオはパドヴァの学者たちの生み出したものの恩恵を受けつつ、彼の業績を上げた。デカルトはそれまでの数学的な解析を代数的なものに転換するのに大きな役割を果たしたことに加えて、自然哲学において分析概念に枢要な地位を与えた。分析を総合と対比させつつ深化させた人物としてニュートンは特筆に値する。ニュートンは実験科学についての主著とされる『光学』の末尾に添えた「疑問」(Queries)の章において、次のように論じた。
また、総合については次のように述べた。
こうした分析と総合に関する説明には、同国人のベーコンの考え方が大きく影響している。ニュートンによって、分析と総合の対概念が、批判的帰納法を介しつつ明確に自然科学にまで拡張されたと言うことができる、と佐々木力は指摘した。
実証を支える精密な実験や実験解析方法の進展に加え、理論を展開する土台となる数学手法も構築され、オープンに科学の成果を交換しえる場(ロンドン王立協会、フランス科学アカデミー等)も登場した。また同時期に学術雑誌が登場し、ジャーナル・アカデミズムが確立した。新たな知識は、公開の場で討論され鍛え上げられていくようになり、科学成果は、発見者の占有物ではなく万人の知的共有財産となることになった。このように知識が効率的に共有されるシステムが築かれたことが、その後、科学知識が膨大に蓄積されていく原動力となった。これらすべてを可能たらしめるシステム全体が近代自然科学の営為である。
知識をある基本法則に帰着させる方法論は還元主義と呼ばれることがある。この語が否定的トーンで語られることの多いのは、「科学技術」という応用面の発展も促して人類への貢献も大きなものがあったものの、生命の起原や生物社会の成り立ちなどこの方法では説明が困難な対象も存在するからであろう。近年、これらの対象を素因子が相互作用する場として捉えることでその成り立ちを理解・説明しようとする複雑系の手法も成立しつつある。ここでの方法論は還元主義のそれとは違うアプローチをとっており、自然科学および経済活動など社会科学の分野でこれまで説明困難であった事象の理解がすすむのではないかとも期待されている。
自然科学には、以下のような学問分野が属する。
物理学は、おもに無生物界の現象を量的関係として把握し、無生物界を支配する法則を数式で表現し、数学的に推論することを特徴とする部門である。
化学は、物質を研究対象とし、原子・分子を物質の構成要素と考え、物質の構造・性質・反応を研究する分野である。日本では幕末から明治初期にかけては舎密(せいみ)と呼ばれた。
生物学は生物や生命現象を研究する分野。広義には医学や農学など応用科学・総合科学も含み、狭義には基礎科学(理学)の部分を指す。
地球科学は、地球を研究対象とした分野であり、内容は地球の構造や環境、歴史などを目的として多岐にわたる。近年では太陽系に関する研究も含めて地球惑星科学ということが多くなってきている。
天文学は、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う分野。地球科学や物理学の一分野とされることもある。
自然科学分野の教育は、現代の日本の小・中・高では「理科」という名の教科で行われている。初等・中等教育などでの自然科学教育のことを「理科教育」と呼んでいる。
日本の大学では、主に理学部・理工学部・医学部・歯学部・薬学部・獣医学部・農学部・水産学部(また工学部)などが教育研究をおこなう。放送大学には(教養学部教養学科(学士(教養))・自然と環境コース、大学院修士課程(修士(学術))・自然環境科学プログラム、博士後期課程(博士(学術))・自然科学プログラム)と自然科学の学士課程のコースや修士と博士課程のプログラムもあるので、学生として学費を納めて履修し単位を取得することも出来、また、単位が不要であれば、学生登録もせず放送を無料で視聴して学ぶこともできる。
ケンブリッジ大学ではNST(Natural Sciences Tripos)で学ぶことができる。
米国のいくつかの大学が自然科学を学ぶための無料オンラインコースを設けている。たとえばカーネギーメロン大学は、「バイオケミストリー」「現代生物学」。MITは、「生物学基礎」「(物理I)古典力学」「(物理II)電気と電磁気学」。タフツ大学は「遺伝学」「現代物理入門」。カリフォルニア大学バークレー校は、「天文学」「化学」。 | [
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"text": "自然科学(、英: natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔サイエンス〕)または理学とは、自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。『精選版 日本国語大辞典』において自然科学は、「狭義には自然現象そのものの法則を探求する数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学〔地球科学〕など」を指し、広義にはそれらを実生活へ応用する「工学、農学、医学など」をも指し得る。『大学事典』では「理学を構成する数学・物理学・化学・生物学・地学等」と書かれている。",
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"text": "また、Dictionary.comの定義における自然科学とは、自然における観測可能な対象や過程に関する科学または知識であり、例えば生物学や物理学など。この意味での自然科学は、数学や哲学のような「抽象的または理論的な諸科学」(\"the abstract or theoretical sciences\")とは異なる。",
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"text": "自然科学において取り扱う対象は、大きくは宇宙から小さくは素粒子の世界まで含まれる。生物やその生息環境も対象となっており、そこには生物としてのヒトも含んでいる。対照的に、人間が作り出した文化や社会──すなわち文芸、哲学、倫理、歴史、法律、政治、経済等々──に関しては、主に人文科学・社会科学・人文社会科学(cultural social science)・自然社会科学(natural social science)が扱っている。",
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"text": "この「自然科学」(ナチュラルサイエンス natural science)という用語と対比される用語は、近年の日本では一般に、",
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"text": "であることが多い。19世紀のヨーロッパにおいて諸科学が分化・独立した際に英語圏ではそのような呼び分けが生まれた。ただしドイツでは、対比・区分が若干異なり、ナトゥーアヴィッセンシャフト(自然科学・科学 Naturwissenschaft) は「文化科学 Kulturwissenschaft」や「精神科学 Geisteswissenschaft」と対比されることが多い。日本でもドイツの影響を大きく受けていた時代には、こうしたドイツ式の対比で説明する科学者もかなりいたが、近年の日本では主として英語圏に倣った対比が行われている。",
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"text": "自然科学の歴史は科学史の分野で研究対象とされている。自然科学を対象とする哲学的考察は認識論および科学哲学においてなされており、「科学基礎論」と呼ばれることもある。",
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"text": "何をもって自然科学の誕生と見なすか、という点については科学史の研究者ごとにそれなりに異なった見方がある。 自然を対象とした学問としては、確かに古代ギリシア時代以来「自然学」があった。またヨーロッパ中世にはスコラ学があり、「自由七科」という学問分類の内の「クアドリウム(四科)」には、天文学も含まれていた。ただし、科学史などでは、それらの学問の中に新たな方法論や傾向が芽生えたことを指摘することで、それらの学問と自然科学的方法論の対比をしたり、それをもって自然科学の初期の歴史の説明としていることが多い。",
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"text": "近代自然科学の方法論の説明のしかたはいくつもあるが、実験と観察とされたり、分析と総合とされたり、仮説と実証とされたりする。",
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"text": "現在考えられているような自然科学(近代自然科学)の説明する場合、17世紀のヨーロッパの「自然科学者」(当時は自然哲学者、自然学者と呼ばれていた人々)の研究の一部が紹介されることが多い。説明する科学史家のバックグラウンドの違い(例えば物理学・化学・生物学などの違い)によって、どの手法をピックアップするのか、選択が異なったり重点の置き方が異なっている。物理系ではケプラー、ガリレイ、デカルト、ニュートン等などの手法の一部に言及することが多い。",
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"text": "中世のアラビア科学であれ中世ラテン科学であれ、分析概念は重要な方法論と見なされていた。古代のアルキメデスは解析的方法の巨匠であり、イスラーム中世のイブン・アル・ハイサムもそうした解析的手法の伝統を継ぐ人であったが、20世紀になりラテン科学の歴史研究が発展するつれて、中世ラテン科学の中心的荷い手のひとりロバート・グロステストが「近代的科学方法概念の開拓者」と見なされた理由のひとつは、彼がアリストテレスの『分析論後書』に独創的な注釈を加筆したからであった。こうした古代~中世の分析概念に、ガリレオやデカルトが大きな飛躍をもたらした。ガリレオはパドヴァの学者たちの生み出したものの恩恵を受けつつ、彼の業績を上げた。デカルトはそれまでの数学的な解析を代数的なものに転換するのに大きな役割を果たしたことに加えて、自然哲学において分析概念に枢要な地位を与えた。分析を総合と対比させつつ深化させた人物としてニュートンは特筆に値する。ニュートンは実験科学についての主著とされる『光学』の末尾に添えた「疑問」(Queries)の章において、次のように論じた。",
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"text": "こうした分析と総合に関する説明には、同国人のベーコンの考え方が大きく影響している。ニュートンによって、分析と総合の対概念が、批判的帰納法を介しつつ明確に自然科学にまで拡張されたと言うことができる、と佐々木力は指摘した。",
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},
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"text": "実証を支える精密な実験や実験解析方法の進展に加え、理論を展開する土台となる数学手法も構築され、オープンに科学の成果を交換しえる場(ロンドン王立協会、フランス科学アカデミー等)も登場した。また同時期に学術雑誌が登場し、ジャーナル・アカデミズムが確立した。新たな知識は、公開の場で討論され鍛え上げられていくようになり、科学成果は、発見者の占有物ではなく万人の知的共有財産となることになった。このように知識が効率的に共有されるシステムが築かれたことが、その後、科学知識が膨大に蓄積されていく原動力となった。これらすべてを可能たらしめるシステム全体が近代自然科学の営為である。",
"title": "自然科学の歴史と方法論"
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"text": "知識をある基本法則に帰着させる方法論は還元主義と呼ばれることがある。この語が否定的トーンで語られることの多いのは、「科学技術」という応用面の発展も促して人類への貢献も大きなものがあったものの、生命の起原や生物社会の成り立ちなどこの方法では説明が困難な対象も存在するからであろう。近年、これらの対象を素因子が相互作用する場として捉えることでその成り立ちを理解・説明しようとする複雑系の手法も成立しつつある。ここでの方法論は還元主義のそれとは違うアプローチをとっており、自然科学および経済活動など社会科学の分野でこれまで説明困難であった事象の理解がすすむのではないかとも期待されている。",
"title": "自然科学の歴史と方法論"
},
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"text": "自然科学には、以下のような学問分野が属する。",
"title": "自然科学の分野"
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"text": "物理学は、おもに無生物界の現象を量的関係として把握し、無生物界を支配する法則を数式で表現し、数学的に推論することを特徴とする部門である。",
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"text": "化学は、物質を研究対象とし、原子・分子を物質の構成要素と考え、物質の構造・性質・反応を研究する分野である。日本では幕末から明治初期にかけては舎密(せいみ)と呼ばれた。",
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"text": "生物学は生物や生命現象を研究する分野。広義には医学や農学など応用科学・総合科学も含み、狭義には基礎科学(理学)の部分を指す。",
"title": "自然科学の分野"
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"text": "地球科学は、地球を研究対象とした分野であり、内容は地球の構造や環境、歴史などを目的として多岐にわたる。近年では太陽系に関する研究も含めて地球惑星科学ということが多くなってきている。",
"title": "自然科学の分野"
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"text": "自然科学分野の教育は、現代の日本の小・中・高では「理科」という名の教科で行われている。初等・中等教育などでの自然科学教育のことを「理科教育」と呼んでいる。",
"title": "教育・学習"
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"text": "日本の大学では、主に理学部・理工学部・医学部・歯学部・薬学部・獣医学部・農学部・水産学部(また工学部)などが教育研究をおこなう。放送大学には(教養学部教養学科(学士(教養))・自然と環境コース、大学院修士課程(修士(学術))・自然環境科学プログラム、博士後期課程(博士(学術))・自然科学プログラム)と自然科学の学士課程のコースや修士と博士課程のプログラムもあるので、学生として学費を納めて履修し単位を取得することも出来、また、単位が不要であれば、学生登録もせず放送を無料で視聴して学ぶこともできる。",
"title": "教育・学習"
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"text": "ケンブリッジ大学ではNST(Natural Sciences Tripos)で学ぶことができる。",
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"text": "米国のいくつかの大学が自然科学を学ぶための無料オンラインコースを設けている。たとえばカーネギーメロン大学は、「バイオケミストリー」「現代生物学」。MITは、「生物学基礎」「(物理I)古典力学」「(物理II)電気と電磁気学」。タフツ大学は「遺伝学」「現代物理入門」。カリフォルニア大学バークレー校は、「天文学」「化学」。",
"title": "教育・学習"
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] | 自然科学(しぜんかがく、または理学とは、自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。『精選版 日本国語大辞典』において自然科学は、「狭義には自然現象そのものの法則を探求する数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学〔地球科学〕など」を指し、広義にはそれらを実生活へ応用する「工学、農学、医学など」をも指し得る。『大学事典』では「理学を構成する数学・物理学・化学・生物学・地学等」と書かれている。 また、Dictionary.comの定義における自然科学とは、自然における観測可能な対象や過程に関する科学または知識であり、例えば生物学や物理学など。この意味での自然科学は、数学や哲学のような「抽象的または理論的な諸科学」とは異なる。 | {{複数の問題|出典の明記=2023年3月|独自研究=2023年3月|正確性=2023年3月}}
{{Multiple image|perrow = 2|total_width=310
| image1 = DNA-fragment-3D-vdW.png|thumb|upright|A fragment of [[DNA]], the chemical sequence that contains instructions for [[life]]
| image2 = Carina Nebula.jpg |width2=3877|height2=2482
| image3 = Volcano q.jpg|width3=678|height3=449
| image4 = Topspun.jpg|width4=1686|height4=1654
| image5 = Herd of Elephants.jpg |width5=2048|height5=1200
| footer = 自然科学は、私たちの周りの世界と[[宇宙]]がどのように機能するかを理解しようとする。[[天文学]]、[[物理学]]、[[化学]]、[[地球科学]]、[[生物学]]の5つの主要な分野がある。
}}
{{読み仮名|'''自然科学'''|しぜんかがく|{{lang-en-short|natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔[[科学|サイエンス]]〕<ref>{{Cite web|和書|url=https://eow.alc.co.jp/search?q=%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6|title=『英辞郎』「自然科学」|publisher=英辞郎 on the WEB|accessdate=2021-07-04}}</ref>}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E7%A7%91%E5%AD%A6-43288#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2|title=『百科事典マイペディア』「科学」|publisher=コトバンク|accessdate=2021-07-04}}</ref>}}または'''[[理学]]'''とは、[[自然]]に属しているあらゆる対象を取り扱い、その[[自然法則|法則]]性を明らかにする[[学問]]<ref>{{Cite book|和書|title=[[広辞苑]]|edition=第五版|publisher=[[岩波書店]]|date=1998-11-11|page=1174}}</ref>。『[[精選版 日本国語大辞典]]』において自然[[科学]]は、「狭義には[[自然法則|自然現象そのものの法則]]を探求する[[数学]]、[[物理学]]、[[天文学]]、[[化学]]、[[生物学]]、[[地学]]{{Interp|地球科学|原文では「地学」|和文=1}}など」を指し、広義にはそれらを[[日常生活|実生活]]へ応用する「[[工学]]、[[農学]]、[[医学]]など」をも指し得る<ref name="seisen">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6-73562#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8|title=『精選版 日本国語大辞典』「自然科学」|publisher=コトバンク|accessdate=2021-07-04}}</ref>{{Efn2|以下、『精選版 日本国語大辞典』の原文:{{Quote|しぜん‐かがく ‥クヮガク【自然科学】<br>
〘[[名詞|名]]〙 (natural science の訳語) 自然現象を対象とする学問の総称。'''狭義には自然現象そのものの法則を探求する数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学など'''をさし、'''広義には'''それらの実生活への応用を目的とする'''工学、農学、医学など'''を含むこともある。<ref name="seisen"/>}}}}。『大学事典』では「[[理学]]を構成する数学・物理学・化学・生物学・地学等」と書かれている<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%90%86%E5%AD%A6%E9%83%A8-2092387#E5.A4.A7.E5.AD.A6.E4.BA.8B.E5.85.B8 『大学事典』「理学部」]</ref>。
また、[[Dictionary.com]]の定義における自然科学とは、自然における観測可能な対象や過程に関する[[科学]]または[[知識]]であり、例えば生物学や物理学など<ref name="dictionarydotcom">{{Cite news|url=https://www.dictionary.com/browse/natural-science#|title=natural science|publisher=Dictionary.com}}</ref>。この意味での自然科学は、[[数学]]や[[哲学]]のような「[[形式科学|抽象的または理論的な諸科学]]」("the abstract or theoretical sciences")とは異なる<ref name="dictionarydotcom"/>。
== 概要 ==
自然科学において取り扱う対象は、大きくは[[宇宙]]から小さくは[[素粒子]]の世界まで含まれる。[[生物]]やその生息[[環境]]も対象となっており、そこには生物としての[[ヒト]]も含んでいる。対照的に、[[人間]]が作り出した[[文化]]や[[社会]]──すなわち[[文芸]]、[[哲学]]、[[倫理]]、[[歴史]]、[[法律]]、[[政治]]、[[経済]]等々──に関しては、主に[[人文科学]]・[[社会科学]]・人文社会科学(cultural social science)<ref>[[Google Scholar]] - [https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&lr=&as_sdt=0%2C5&q=%22cultural+social+science%22 "cultural social science"]</ref>・自然社会科学(natural social science)<ref>Google Scholar - [https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&lr=&as_sdt=0%2C5&q=%22natural+social+science%22 "natural social science"]</ref>が扱っている。
この「自然科学」(ナチュラルサイエンス natural science)という用語と対比される用語は、近年の日本では一般に、
* 「[[社会科学]]」(ソーシャルサイエンス social science)
* 「[[人文科学]]」(カルチュラルサイエンス cultural science)または「[[人文学]]」([[人間性|ヒューマニティーズ]] humanities)
であることが多い。19世紀のヨーロッパにおいて諸科学が分化・独立した際に[[英語圏]]ではそのような呼び分けが生まれた。ただし[[ドイツ]]では、対比・区分が若干異なり、[[ヴィッセンシャフト|ナトゥーアヴィッセンシャフト(自然科学・科学 Naturwissenschaft)]] は「[[文化科学]] Kulturwissenschaft」や「[[精神科学]] Geisteswissenschaft」と対比されることが多い<ref>{{Cite book|和書|author=丸山高司|title=人間科学の方法論争|publisher=[[勁草書房]]|isbn=4-326-15162-5}}</ref>。日本でもドイツの影響を大きく受けていた時代には、こうしたドイツ式の対比で説明する科学者もかなりいたが、近年の日本では主として英語圏に倣った対比が行われている。
{{see also|理学|理工学|応用科学}}
自然科学の歴史は[[科学史]]の分野で研究対象とされている。自然科学を対象とする哲学的考察は[[認識論]]および[[科学哲学]]においてなされており、「科学基礎論」と呼ばれることもある。
== 自然科学の歴史と方法論 ==
何をもって自然科学の誕生と見なすか、という点については科学史の研究者ごとにそれなりに異なった見方がある。
自然を対象とした学問としては、確かに古代ギリシア時代以来「[[自然学]]」があった{{efn2|自然学(physica){{要出典|date=2023年3月}}。自然科学とは異なり、ここでは自然哲学を指す{{要出典|date=2023年3月}}。近代自然科学の成立の後はこのphysicaという語は指す対象が変わり、物理学を意味するようになった{{要出典|date=2023年3月}}。}}。またヨーロッパ中世には[[スコラ学]]があり、「[[リベラル・アーツ|自由七科]]」という学問分類の内の「クアドリウム(四科)」には、天文学も含まれていた。ただし、科学史などでは、それらの学問の中に新たな方法論や傾向が芽生えたことを指摘することで、それらの学問と自然科学的方法論の対比をしたり、それをもって自然科学の初期の歴史の説明としていることが多い。
[[科学的方法|近代自然科学の方法論]]の説明のしかたはいくつもあるが、[[実験]]と[[観察]]とされたり、分析と総合とされたり、[[仮説]]と実証とされたりする。
{| align="right" border=0 cellspacing=0 cellpadding=2
|-
|align="center"|[[File:Hazan.png|75px]]<br />[[イブン・ハイサム|イブン・アル=ハイサム]]
|-
|align="center"|[[File:Bishop Robert Grosseteste, 1896 (crop).jpg|75px]]<br />[[ロバート・グロステスト]]
|-
|align="center"|[[File:Francis Bacon.jpg|75px]]<br />[[フランシス・ベーコン (哲学者)|ベーコン]]
|-
|-
|align="center"|[[File:Galileo.jpg|75px]]<br />[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレオ]]
|-
|align="center"|[[File:Kepler.png|75px]]<br />[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]]
|-
|align="center"|[[ファイル:Frans Hals - Portret van René Descartes.jpg|74px]]<br />[[ルネ・デカルト|デカルト]]
|-
|align="center"|[[File:GodfreyKneller-IsaacNewton-1689.jpg|75px]]<br />[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]
|-
|}
<!--このような素朴な合理的方法が洗練され、さらに原子や宇宙などの非日常的な領域に適用されたところに、近代自然科学の特徴がある。-->
現在考えられているような自然科学(近代自然科学)の説明する場合、17世紀のヨーロッパの「自然科学者」(当時は[[自然哲学|自然哲学者]]、自然学者と呼ばれていた人々{{efn2|19世紀まではscienceという言葉には今日的な意味での「科学」というニュアンスはなく(詳しくは[[科学#近代]]を参照)、今日の自然科学に相当する分野には「自然哲学」(natural philosophy)もしくは「自然学」(physics)という名称がもっぱら使われ、その分野の研究者も自然哲学者、自然学者を自認していたが、自然科学成立の経緯も踏まえて、当時の自然哲学研究も自然科学の一部に含むことが多い{{要出典|date=2023年3月}}。}})の研究の一部が紹介されることが多い。説明する科学史家のバックグラウンドの違い(例えば物理学・化学・生物学などの違い)によって、どの手法をピックアップするのか、選択が異なったり重点の置き方が異なっている。物理系では[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]]、[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレイ]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]、[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]等などの手法の一部に言及することが多い{{efn2|例えば物理学をバックグラウンドとする科学史家などが説明する場合は、天文現象の研究にばかり言及し、他領域を見落としたり無視してしまうことも多い{{要出典|date=2023年3月}}。}}。
中世の[[アラビア科学]]であれ[[中世ラテン科学]]であれ、分析概念は重要な方法論と見なされていた。古代の[[アルキメデス]]は解析的方法の巨匠であり、イスラーム中世の[[イブン・アル・ハイサム]]もそうした解析的手法の伝統を継ぐ人であったが、20世紀になりラテン科学の歴史研究が発展するつれて、中世ラテン科学の中心的荷い手のひとり[[ロバート・グロステスト]]が「近代的科学方法概念の開拓者」と見なされた理由のひとつは、彼が[[アリストテレス]]の『[[分析論後書]]』に独創的な注釈を加筆したからであった<ref name="pp.138-139">{{Harvtxt|佐々木力|1996|pp=138-139}}</ref>。こうした古代~中世の分析概念に、ガリレオやデカルトが大きな飛躍をもたらした<ref name="pp.138-139" />。[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレオ]]は[[パドヴァ]]の学者たちの生み出したものの恩恵を受けつつ、彼の業績を上げた<ref name="pp.138-139" />。[[ルネ・デカルト|デカルト]]はそれまでの数学的な解析を[[代数学|代数]]的なものに転換するのに大きな役割を果たしたことに加えて、自然哲学において分析概念に枢要な地位を与えた<ref name="pp.138-139" />。分析を総合と対比させつつ深化させた人物としてニュートンは特筆に値する<ref name="pp.140-141">{{Harvtxt|佐々木力|1996|pp=140-141}}</ref>。ニュートンは実験科学についての主著とされる『[[光学 (アイザック・ニュートン)|光学]]』の末尾に添えた「疑問」(''Queries'')の章において、次のように論じた<ref name="pp.140-141" />。
{{Quotation|数学と同様、自然哲学においても、難解なことがらの研究には、分析の方法による研究が総合の方法に先行しなければならない。この分析とは、実験と観察を行うことであり、またそれらから帰納によって一般的結論を引き出し、そしてこの結論に対する異議は、実験あるいは他の真理から得られたもの以外は認めないことである<ref name="pp.140-141" />}}
また、総合については次のように述べた。
{{Quotation|総合とは、発見され、[[原理]]として確立された原因を[[仮説|仮に採用]]し、それらによってそれらから生じる諸現象を[[説明]]し、その説明を証明することである<ref name="pp.140-141" />}}
こうした分析と総合に関する説明には、同国人の[[フランシス・ベーコン (哲学者)|ベーコン]]の考え方が大きく影響している<ref name="pp.140-141" />。ニュートンによって、分析と総合の対概念が、批判的帰納法を介しつつ明確に自然科学にまで拡張されたと言うことができる、と佐々木力は指摘した<ref name="pp.140-141" />。
実証を支える精密な実験や実験解析方法の進展に加え、理論を展開する土台となる数学手法も構築され、オープンに科学の成果を交換しえる場([[王立協会|ロンドン王立協会]]、[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]等)も登場した。<!--「実証を支える~場の登場」まで、補足説明もなしにただ単に名詞を列挙するだけで終わると、これらが一体何についてのことなのか分からない。補足分求む-->また同時期に[[学術雑誌]]が登場し、[[ジャーナル・アカデミズム]]が確立した。新たな知識は、公開の場で討論され鍛え上げられていくようになり、科学成果は、発見者の占有物ではなく万人の知的共有財産となることになった{{efn2|成果・知識が共有されても、発見した者、プライオリティがある者は社会的には特別な扱いを受け、名誉などを得ることが多い{{要出典|date=2023年3月}}。20世紀に始まった[[ノーベル賞]]でもプライオリティのある者に対して賞および賞金が与えられている{{要出典|date=2023年3月}}。}}。このように知識が効率的に共有されるシステムが築かれたことが、その後、科学知識が膨大に蓄積されていく原動力となった。これらすべてを可能たらしめるシステム全体が近代自然科学の営為である。
=== 近年の方法論 ===
;還元主義と複雑系
知識をある基本法則に帰着させる方法論は[[還元主義]]と呼ばれることがある。この語が否定的トーンで語られることの多いのは、「[[テクノロジー|科学技術]]」という応用面の発展も促して人類への貢献も大きなものがあったものの、[[生命]]の起原や生物社会の成り立ちなどこの方法では説明が困難な対象も存在するからであろう。近年、これらの対象を素因子が相互作用する場として捉えることでその成り立ちを理解・説明しようとする[[複雑系]]の手法も成立しつつある。ここでの方法論は還元主義のそれとは違うアプローチをとっており、自然科学および経済活動など社会科学の分野でこれまで説明困難であった事象の理解がすすむのではないかとも期待されている。
== 自然科学の分野 ==
自然科学には、以下のような学問分野が属する。
{{Main|学問の一覧#自然科学}}
=== 物理学 ===
{{Main|物理学}}
'''[[物理学]]'''は、おもに[[無生物界]]の現象を[[量]]的関係として把握し、無生物界を支配する[[法則]]を[[数式]]で表現し、数学的に[[推論]]することを特徴とする部門である<ref>{{Cite book|和書|title=[[ブリタニカ百科事典]]「物理学」|isbn=1-59339-292-3|oclc=71783328|lccn=2006921233}}</ref>。
<!--{{要出典|date=2014年9月}}
* 自然界を構成する要素
* それらの構成要素に働く[[相互作用]]
* 相互作用に対する応答
* 要素が多数集まったときのふるまい
についての普遍的な法則を探求する学問分野である。
-->
=== 化学 ===
{{Main|化学}}
'''[[化学]]'''は、物質を研究対象とし、[[原子]]・[[分子]]を[[物質]]の構成要素と考え、物質の構造・性質・反応を研究する分野である。日本では幕末から明治初期にかけては[[舎密|舎密(せいみ)]]と呼ばれた。
=== 生物学 ===
{{Main|生物学}}
'''[[生物学]]'''は[[生物]]や[[生命|生命現象]]を研究する分野。広義には[[医学]]や[[農学]]など[[応用科学]]・[[総合科学]]も含み、狭義には[[基礎科学]]([[理学]])の部分を指す。
=== 地球科学 ===
{{Main|地球科学}}
'''[[地球科学]]'''は、[[地球]]を研究対象とした分野であり、内容は地球の構造や環境、歴史などを目的として多岐にわたる。近年では太陽系に関する研究も含めて地球惑星科学ということが多くなってきている。
=== 天文学 ===
{{Main|天文学}}
'''[[天文学]]'''は、[[天体]]や[[天文現象]]など、地球外で生起する自然現象の観測、[[法則]]の発見などを行う分野。地球科学や物理学の一分野とされることもある。
== 教育・学習 ==
;日本
自然科学分野の教育は、現代の日本の小・中・高では「[[理科]]」という名の教科で行われている。初等・中等教育などでの自然科学教育のことを「[[理科教育]]」と呼んでいる。
日本の[[大学]]では、主に[[理学部]]・[[理工学部]]・[[医学部]]・[[歯学部]]・[[薬学部]]・[[獣医学部]]・[[農学部]]・[[水産学部]](また[[工学部]])などが教育研究をおこなう。[[放送大学]]には([[教養学部]]教養学科([[学士(教養)]])・自然と環境コース、[[大学院]][[修士課程]]([[修士(学術)]])・自然環境科学プログラム、[[博士後期課程]]([[博士(学術)]])・自然科学プログラム)と自然科学の学士課程のコースや修士と博士課程のプログラムもあるので、学生として学費を納めて履修し単位を取得することも出来、また、単位が不要であれば、学生登録もせず放送を無料で視聴して学ぶこともできる。
;イギリス
[[ケンブリッジ大学]]ではNST(Natural Sciences Tripos)で学ぶことができる。
;米国
米国のいくつかの大学が自然科学を学ぶための無料[[オンライン]]コースを設けている<ref>{{Cite news|url=http://education-portal.com/articles/7_Universities_Offering_Free_Natural_Sciences_Courses_Online.html|title=7 Universities Offering Free Natural Sciences Courses Online|publisher=Study.com}}</ref>。たとえば[[カーネギーメロン大学]]は、「バイオケミストリー」「現代生物学」。[[MIT]]は、「生物学基礎」「(物理I)古典力学」「(物理II)電気と電磁気学」。[[タフツ大学]]は「遺伝学」「現代物理入門」。[[カリフォルニア大学バークレー校]]は、「天文学」「化学」。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=佐々木力|authorlink=佐々木力|title=科学論入門|publisher=[[岩波書店]]|year=1996|ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{ウィキポータルリンク|自然科学}}
{{Wikibooks|自然科学}}
{{Wiktionary|自然科学}}
* [[学問]]・[[学術]]
** [[科学]] - '''自然科学'''・[[理学]]
*** [[基礎科学]] - [[基礎研究]]
**** [[物理科学]] - [[生命科学]]
*** [[応用科学]] - [[研究開発]]
** [[科学者]]
* [[総合科学]]
* [[形式科学]]
* [[社会科学]] - [[人文科学]]・[[人文学]]
* [[自然哲学]]
* [[科学理論]]
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[[Category:自然科学|*]]
[[Category:理学]]
[[Category:学問の分野]]
[[Category:応用科学]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:科学史]]
[[Category:科学哲学の主題]] | 2003-05-08T09:40:31Z | 2023-12-01T03:36:46Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%A7%91%E5%AD%A6 |
7,927 | 紀勢本線 | 紀勢本線(きせいほんせん)は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至るJRの鉄道路線(幹線)である。亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている。
紀伊半島を海沿いに走る路線。全通したのは日本の幹線級の路線としては比較的遅く、1959年(昭和34年)のことである。新宮駅を境に、東側のJR東海が管轄する区間は非電化であり、西側のJR西日本が管轄する区間は直流電化されている。
全区間に大小180本(総延長68.9km)のトンネルがあり、これはJRグループの1路線としては最多のトンネル数である。
名古屋駅からは関西本線と伊勢鉄道伊勢線を、京都駅・新大阪駅からは東海道本線・大阪環状線・阪和線をそれぞれ経由して当路線へ特急列車が直通している。JR西日本管轄区間では、カーブを高速で通過可能な振り子式の車両が一部の特急列車で使用されている。
JR西日本の管轄区間では、海南駅 - 和歌山駅間の各駅と南海電気鉄道(南海)が管理する和歌山市駅で自動改札機が、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の特急停車駅と紀伊田辺駅 - 冷水浦駅の各駅と紀和駅ではIC専用型自動改札機が設置されている。新宮駅 - 和歌山市駅間が「ICOCA」のエリアに含まれており、区間内の各駅でICOCAなどのIC乗車カードが利用できる。また、2018年10月1日に近畿圏で開始されたPiTaPaによるポストペイ利用は対象外となる(従前のプリペイド利用。2020年3月14日のICOCAエリア拡大後も対象外)。2021年3月13日より車載型IC改札機を導入することにより、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の全駅でもICOCAなどが利用可能となった。
2014年度から、新宮駅 - 和歌山駅間のきのくに線区間に、W の路線記号が導入されている。
亀山駅 - 新宮駅(構内除く)間はJR東海の東海鉄道事業本部、新宮駅 - 和歌山市駅(構内除く)間はJR西日本の和歌山支社が管轄している。なお、紀和駅 - 和歌山市駅間のうち、分界点 - 和歌山市駅間1.0kmは南海の所有である。この区間は、南海が施設をJR西日本に貸与しており、南海が第三種鉄道事業者とならず、JR西日本が第一種鉄道事業者となっている。
新宮駅 - 白浜駅間は、2022年4月11日にJR西日本が公表したローカル線の線区別収支によると、2019年度の輸送密度が1日2000人以下となっており、JR西日本は路線の活性化策などを関係自治体と協議したい考えで、廃線も視野に議論が進む可能性があると報じられている。
紀伊半島を半周する路線で、松阪駅 - 和歌山駅間では熊野や南紀といった沿岸部の都市を国道42号とともに結んでいる。
紀伊長島駅 - 海南駅間では一部区間を除いて海沿いを走行する一方で、多気駅 - 紀伊長島駅間など山間部を走行する区間もあり、山間部では野生動物と列車が衝突する事象も増えている。
鈴鹿川の北側にある亀山駅を発車すると、右にカーブして鈴鹿川を渡り、丘陵地の中をトンネルで抜けていくつものカーブを抜けて南東方向に進む。築堤を上がると下庄駅であるが、なお山間部の中を進み、しばらくして田園地帯に入り、国道23号(中勢バイパス)をくぐると一身田駅で、左手に真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)が見える。左手から伊勢鉄道伊勢線が合流してくると、近鉄名古屋線をくぐって津駅に到着する。三重県の県庁所在地で近鉄名古屋線と伊勢鉄道伊勢線も乗り入れている。
津駅を出ると、三重県庁が建ち並ぶ丘陵を右に眺めながら、近鉄名古屋線と並走して南下する。 安濃川を渡り、津市の副都心として発展している近鉄津新町駅の東側を通過し、岩田川を渡ると近鉄名古屋線と分かれて市街地を進むと阿漕駅で、国道23号(伊勢街道)とともに南下を始める。 高茶屋駅の先で田園風景が広がってくるようになり、雲出川を渡ると津市から松阪市に入る。六軒駅を過ぎ、三渡川を渡って近鉄山田線と交差し紀勢本線は近鉄山田線の西側を走行する。右手から名松線が合流すると、松阪駅に到着する。
松阪駅を出ると近鉄山田線はやや東向きに分かれていく。かつて伊勢電気鉄道(のちの関急伊勢線)との乗換駅であった徳和駅を過ぎて丘陵地帯を通過し、櫛田川を渡ってまもなく多気駅に到着する。
建設の経緯から、参宮線は多気駅を出ると直進するのに対し、紀勢本線は右にカーブをして進路を西に変えて、かつて紀勢東線と呼ばれていた区間に入る。国道42号(松阪バイパス)を過ぎると相可駅を通過し、多気町役場の西側を走行すると紀伊山地に入り、川添駅まで茶畑が目立つようになる。この先、国道42号とともに和歌山市を目指す。三瀬谷駅を出ると、宮川に架かるアンダートラス橋を渡り、滝原駅 - 阿曽駅間では大滝峡と呼ばれる渓谷を通過する。梅ケ谷駅を過ぎると伊勢国と紀伊国の境にある荷坂峠を荷坂トンネルで抜け、Ω状のカーブを13ものトンネルで抜けると紀勢本線では初めて熊野灘が見える海沿いに出て、再びトンネルをくぐると紀伊長島駅に到着する。
紀伊長島駅を出ると赤羽川橋梁を渡る。三野瀬駅を出て小さな峠を越えると、田園地帯を走行し、船津駅を通過して、相賀駅を過ぎ、銚子川を渡る高架橋のままトンネルに入って銚子川沿いの谷を走行し、馬越峠を尾鷲トンネルで抜けると尾鷲駅に到着する。国道は山間部を通過するのに対して、紀勢本線は海沿いを走行し、中部電力の尾鷲三田火力発電所を左手に眺めながら小さなトンネルを抜けて大曽根浦駅を通過する。この先は、長大トンネルが多く、熊野市駅まで各トンネルの間に駅が所在するようになる。九鬼駅・三木里駅と続いて、紀勢東線と呼ばれた区間が終了する。この区間は住民・政治家から国鉄に対して陳情が行われ、九鬼駅経由で建設されることになった。三木里駅 - 新鹿駅間は紀勢本線で最後に建設された区間であり、建設当初の計画では賀田駅 - 新鹿駅間を1本のトンネルによって結ぶ予定であったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ、二木島駅経由で建設されることになった。
熊野市駅近くにある鬼ヶ城と呼ばれる景勝地が志摩半島から続いたリアス式海岸の最南端にあり、熊野市駅からは平野部が続き鵜殿駅までは約22kmの海岸線が続く七里御浜沿いに進む。この七里御浜では毎年8月に熊野大花火大会が行われ、臨時列車が多数運転されている。鵜殿駅を過ぎると、右にカーブをして一度山側へ迂回して三重県と和歌山県の県境である熊野川を渡り、新宮城跡の下に設けられた丹鶴トンネルをくぐると新宮市の市街地を進み、ほどなくして新宮駅に到着する。なお、熊野川橋梁中央部から丹鶴トンネル入り口までのわずかな区間が、JR東海唯一の和歌山県区間である。
JR西日本が管轄する区間の大半は沿岸部を走行している。近い将来に発生が想定されている東海地震・東南海地震・南海地震による津波対策として新宮駅 - 和歌山駅間では避難誘導標が沿線に設置されている。沿線の架線柱には、津波浸水区間・避難する方向・避難場所と避難場所までの距離などが記された看板や海岸線沿いで海抜が低い串本駅 - 紀伊勝浦駅間においては、津波避難用の全長5m程度のコンクリート製避難誘導降車台が設置されている。
なお、この区間の各駅の1日あたりの乗降客の推移(昭和55年度以降)については、和歌山県のホームページに一覧表が公開されている。
紀勢本線の要衝の駅である新宮駅は、かつて新宮運転区が設けられていたこともあり、構内は広大な留置線が設けられている。新宮駅を発車した列車は、南東に進んだのちに、王子ヶ浜の海岸線を南下する。那智駅は那智勝浦海浜公園の前にあり、海水浴場もあるため、特急列車が停車していたこともあった。熊野那智大社は那智駅から山奥に入った場所に位置している。2011年の台風12号による大雨の影響で、橋脚が流された那智川を渡り紀伊勝浦駅に至る。紀伊勝浦駅のすぐ近くには、マグロの水揚げ量が日本一を誇る勝浦漁港と、南紀勝浦温泉がある。
古くからの温泉地である湯川駅を過ぎ、日本の捕鯨発祥の地にある太地町の太地駅を通過し、駅前に県内最古の前方後円墳のある下里駅の先では、万葉集でも詠まれた玉の浦を望みながら紀伊浦神駅を過ぎ、左手には近畿大学水産研究所の浦神研究所が見え、山間部に入る。紀伊田原駅付近から再び海沿いを走行し、平成の名水百選にも選ばれ、カヌーでの川下りが盛んな古座川を渡って古座駅である。対岸に紀伊大島が見え始め、紀伊姫駅を過ぎると岩が立ち並ぶ橋杭岩が見え、本州最南端の駅である串本駅に到着する。この駅を境にして、多気駅から南西方向に向かってきた紀勢本線は右にカーブをして和歌山市を目指すために北進を始める。山間にある紀伊有田駅・田並駅と過ぎると、やがて枯木灘が広がる海岸が田子駅・和深駅と続いた先の周参見駅付近まで広がる。江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多く、沿線のアドベンチャーワールドで飼われているライオンの糞を忌避剤として線路沿いに撒いたところ接触事故がなくなったが、一時的な効果に終わっている。この先の見老津駅 - 周参見駅間では当線唯一の信号場である双子山信号場が設けられている。周参見駅からは山間を走行し、富田川を渡って紀伊富田駅を過ぎると、次第に左手にはアドベンチャーワールドの観覧車が見え始め、右手に引き上げ線が現れると、白浜駅に到着する。同駅は白良浜や南紀白浜温泉などの観光地を抱える白浜町の中心駅として位置づけられており、特に夏場には多くの観光客が訪れる関西のリゾート地となっている。新大阪方面からの特急列車のうち、半数以上がこの白浜駅で折り返している。
紀伊田辺駅は和歌山県中南部の経済の中心となっている田辺市の中心駅で、かつて紀伊田辺機関区があったため、駅構内には多くの留置線があり、この駅を境に普通列車の運転系統が分かれている。また、紀州路から中辺路と大辺路が分岐しており、陸上交通においても鉄道においても交通の要衝でもあった。紀伊田辺駅からは複線になり、田辺市の市街地を抜け、芳養駅を過ぎると第三芳養トンネルを通過し、日本一の梅の産地を抱えるみなべ町に入り、南部駅に至る。千里梅林の下にあるトンネルをすぎると、千里の浜と呼ばれる海岸沿いを走行する。古くからの景勝地で、『枕草子』などでその名がみられるほか、日本有数のアカウミガメの産卵地として知られている。岩代駅 - 切目駅間の一部区間では太平洋の絶景を眺めることができ、一部の列車が速度を落として運転するなどビューポイントとなっている。
切目駅からは内陸を走行し、印南駅のすぐ北側には印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる。御坊駅では紀州鉄道が分岐している。御坊駅は御坊市の郊外に位置しており、中心駅は紀州鉄道の紀伊御坊駅である。御坊駅から再び北上し、紀伊内原駅・紀伊由良駅と続く。紀伊由良駅は、蒸気機関車に使用される石炭を配炭する拠点が海岸部にある由良港に設けられ、その配炭所を結ぶ目的で貨物線が分岐していた。このあたりからミカン畑が目立つようになり、広川ビーチ駅を通過し、醤油発祥の地として知られている湯浅駅へと至る。かつて有田鉄道が分岐し、特急の停車駅にもなった藤並駅を過ぎると、西進しながらJR西日本管内の在来線では最長の有田川橋梁 (912m) を渡って、有田みかんの生産地である有田市に入り、有田川の右岸を走行する。有田市の代表駅である箕島駅を過ぎて半島の先端を回って石油タンクが立ち並ぶ初島駅に至り、再び東に進路を変えて下津駅と続く。
加茂郷駅を過ぎトンネルを抜けると再び海岸線を走行するようになり、左手には紀伊水道が見える。この先の冷水浦駅まで、紀勢本線では海が見える最後の区間で、対岸にはポルトヨーロッパや工業地帯が見える。阪和道の海南インターチェンジの高架橋をくぐると、左にカーブをしながらやがて高架橋を走行して海南駅を通過し、その後も高架橋を走行するも徐々に高度を落として紀勢本線最後で180か所目のトンネルを通過する。トンネルを抜けると黒江駅で、和歌山市に入って名草山の南西側を迂回するために左へカーブしてしばらく直進で進んだのち、再び右へカーブして紀三井寺駅を通過し、徐々に和歌山市の市街地を進むようになる。宮前駅を過ぎると左手には和歌山ビッグホエールと呼ばれる多目的施設が見えるが、かつてここには和歌山操駅があった。やがて右手から和歌山電鐵貴志川線が寄り添ってくると、和歌山駅に到着する。
和歌山駅では、和歌山市行きの列車は8番のりばから発車する。阪和線と並走し、高架橋をくぐる付近までわずかであるが和歌山線と線路を共用し、和歌山線の線路が右に分かれる。先に阪和線が左に分かれ、その後和歌山線が右に分かれていくと、しだいに左にカーブをして阪和線をくぐって高架橋を上り始め、直線部にある紀和駅に至る。紀和駅は1968年まで和歌山駅と称し、和歌山駅は同年まで東和歌山駅と称していた。2008年に紀和駅付近が連続立体交差事業により高架化された。紀和駅を発車すると、左にカーブをしながら高架を下り、次第に南海本線が右手から合流する。南海電鉄分界点を通過し、和歌山市駅に到着する。紀勢本線から南海線への渡り線が設けられているが、この渡り線は非電化であり、紀勢本線の旅客列車が南海線のホームを発着することはない。かつては、この渡り線を介して南海本線から南紀方面への直通列車が運転されていたが、現在は甲種車両輸送時の車両受け渡し用としてのみ利用されている。
起点は亀山駅で、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅方面へ向かう方向が全線を通して下りであり、JR東海が管轄する亀山駅 - 新宮駅間では列車番号や特急列車の号数は新宮駅へ向かう方向が下り列車に付けられる奇数である。一方、JR西日本が管轄する区間のうち新宮駅から和歌山駅までの区間では、和歌山駅へ向かう下り列車が本来上り列車に付ける偶数、逆方向の上り列車が本来下り列車に付ける奇数となっている。これは、1989年7月の東海道本線への乗り入れ開始時に、同線に合わせて変更したためである。
名古屋駅からは伊勢鉄道経由で紀伊勝浦駅まで特急「南紀」が1日4往復運転されていて、多客期には運転本数が増発される。京都駅、新大阪駅から白浜駅、新宮駅までは特急「くろしお」が運転されている。
1978年10月2日のダイヤ改正前までは、キハ81・82系気動車を使った特急「くろしお」やキハ28・58系気動車を使った急行「紀州」、1984年2月1日のダイヤ改正まで旧型客車(スハ43系など)を使った夜行客車普通列車「はやたま」(新宮駅以西ではB寝台車も連結していた)などが名古屋駅 - 和歌山駅 - 天王寺駅間で運行されていたが、同改正以降は亀山駅 - 和歌山駅間を通して走る列車はない。
また、東京駅 - 紀伊勝浦駅間には亀山駅経由で寝台特急「紀伊」が1984年1月31日まで運行されていた。
天王寺駅(一部は南海本線難波駅)および紀伊田辺駅から白浜駅・椿駅・周参見駅・新宮駅・熊野市駅まではキハ28・58系(難波駅乗り入れ列車はキハ55系相当の南海5501・5551形)気動車を使った急行「きのくに」が運行され、新宮駅以西の電化後も1985年3月14日のダイヤ改正で運行終了する(485系電車投入および特急「くろしお」への格上げのため)まで気動車で運行されていた。
1959年の紀勢本線全線開通前の1933年から1937年には関西から白浜への温泉観光列車「黒潮号」が運転されていた。
運行系統は、JR東海の亀山駅 / 伊勢鉄道 - 津駅 - 多気駅間・多気駅 - 新宮駅間とJR西日本の新宮駅 - 紀伊田辺駅間・紀伊田辺駅 - 御坊駅間・御坊駅 - 和歌山駅間・和歌山駅 - 和歌山市駅間に分かれている。
亀山駅を発着する紀勢本線の列車は普通列車のみとなっており、多気駅発着や新宮駅・三瀬谷駅方面への列車が少数あるほか大半は多気駅より参宮線へ直通運転している。亀山駅から関西本線へ直通する列車は1本もない(名古屋方面へはスイッチバックとなり、運行した場合は伊勢鉄道を経由する列車とは車両の向きが逆になる)。日中1時間あたり1本程度の運行で、ワンマン運転を行う列車が多い。キハ25形気動車で運用されている。
津駅 - 多気駅間には前述した亀山駅発着の普通のほか、伊勢鉄道経由で関西本線名古屋駅まで直通する快速「みえ」が運行されている。この快速「みえ」は全列車が多気駅より参宮線に直通する。普通列車は亀山駅発着のほか、朝夕の一部に松阪駅発着での多気駅発着、三瀬谷駅方面、参宮線直通も設定されている。快速「みえ」はキハ75形気動車、普通列車はキハ25形気動車で運用されており、普通列車はワンマン運転を行う列車が多い。運転本数は快速「みえ」と亀山駅発着の普通列車がそれぞれ日中1時間あたり1本程度である。
津駅 - 松阪駅間は特定運賃を採用していないが、競合する近鉄名古屋線・山田線に比べて運賃が安い。しかし運転本数は近鉄名古屋線より大幅に少ない。
快速列車の定期運行はなく、通過駅のある特急列車を除くと普通列車のみが運転されている。多気駅発着の列車が多いが、亀山駅 - 新宮駅間を直通する列車も下り3本・上り1本ある。紀伊長島駅・熊野市駅発着の列車があるほか、下り最終は亀山駅発三瀬谷駅行きで運転されている。新宮駅を越えてJR西日本管内に直通する普通列車はない。本数は1日10往復程度と少なく、3時間以上列車の間隔が開く時間帯もある。全列車がキハ25形気動車で運行され、大半の列車がワンマン運転を行っている。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車が多い。
1 - 3時間に1本の間隔で運行されている。1日あたり9 - 10本の運転が基本で、平日の新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は通勤・通学需要のため上り12本、下り11本と若干多く、串本駅 - 周参見駅間は1日8往復とこの区間内では最も運転本数が少ない。また、白浜駅 - 紀伊田辺駅間は普通列車よりも特急「くろしお」の本数が多い区間となっている。現在は全て227系電車でワンマン運転を行う。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車がある。
かつては急行用の165系電車や通勤用の105系が主力車両であった。165系電車が使用されていた時代には和歌山駅 - 新宮駅を直通運転する普通列車が設定されていた。この区間の標準的な所要時間は3時間弱であるが、朝下りと夜上りの各1本は2時間20分台で走っており、この区間を走る最も遅い特急列車との所要時間差は20分程度である。2021年3月13日のダイヤ改正までは朝に周参見発和歌山行きが1本あり、223系・225系電車4両編成が充当されていた。この列車はワンマン運転ではなく、この区間の列車で唯一車掌が乗務する普通列車であった。
2021年9月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車において自転車を解体せず車内に持ち込めるサイクルトレインが実施されている。
紀伊田辺駅 - 御坊駅間は1時間に1本程度で、2002年11月以降は日中は他区間から系統分離され、2020年4月現在227系電車2両編成によるワンマン運転を行っている。2020年3月以前は当区間専用の113系2000番台電車2両編成によるワンマン運転が行われていた。ただし、朝と夜には紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の列車が223系電車・225系電車・227系電車の4両編成で運転され、この場合は車掌乗務の列車となる。御坊駅折り返しの列車は御坊駅で和歌山方面の列車と接続する。また、朝に周参見発御坊行き(列車番号は紀伊田辺駅を境に変更)の直通列車が運転されているほか、2006年6月からは田辺地区の中学校・高等学校の授業日には南部発紀伊田辺行きの臨時列車も運転されている。
2022年4月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車においてサイクルトレインが実施されている。
御坊駅 - 和歌山駅間は1時間に1 - 2本が運行されている。朝と夜の一部時間帯を除いて1時間あたり2本が運行されており、紀勢本線の中で最も運転本数の多い区間である。ただし、日中の一部列車は箕島駅 - 和歌山駅間の運転である。主に223系・225系・227系電車で運行されており、原則として和歌山駅で紀州路快速を含む阪和線の快速列車との接続が考慮されている。また、阪和線との直通列車も朝晩に設定されており、223系や225系電車で運行されている。前述のとおり、紀伊田辺駅 - 御坊駅 - 和歌山駅間を直通する普通列車も朝と夜に設定されている。
御坊駅 - 和歌山駅間で通過運転を行う快速(停車駅は#駅一覧参照)が設定されており、朝に紀伊田辺発2本(平日は和歌山行き2本、休日は和歌山行きと和歌山駅から紀州路快速となる大阪環状線直通京橋行き)、平日の夕方に和歌山発紀伊田辺行き1本の快速列車も運転されている。
この区間は特に和歌山側の利用客が比較的多いこともあり、すべて4両編成で運転されている。1992年3月13日までは阪和線からの直通列車を中心に113系の6両編成で運転される列車も存在していた。
2023年8月21日より一部列車においてサイクルトレインが実施されている(事前予約制で1列車3台までの実証実験)。
紀勢本線の電化後、阪和線の電車(快速の一部および日根野駅発着の各駅停車の一部。紀勢本線内は各駅停車)の乗り入れが開始された。2000年3月10日までは、日中においても天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間直通運転の快速(紀勢本線内は各駅停車)が設定されており、これらの列車が紀勢本線内の日中の普通運用も兼ねていた。しかしその後、列車の運転区間の短縮や、阪和線直通の快速列車の削減が相次ぎ、日中の直通運転も廃止された。2022年現在では上下とも紀伊田辺駅までの間で朝夜時間帯のみ直通運転が実施されている。
この区間では快速または普通として運転し、和歌山駅で阪和線内の種別に変更することが多いが、種別変更せず阪和線に直通する列車も存在する。
かつては後述する「太公望列車」を含む新大阪始発の快速列車があったが、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪駅からの阪和線・紀勢本線直通の快速列車の運転は廃止され、新大阪駅から阪和線・紀勢本線への直通列車は特急のみとなった。この改正で「太公望列車」を前身とする夜の新大阪発御坊行き最終列車は天王寺発(土休日は京橋発)大阪経由御坊行き(和歌山駅まで紀州路快速)に変更された。2021年3月13日のダイヤ改正で和歌山発となって阪和線からの直通は一旦は廃止されたものの、2022年3月12日ダイヤ改正で平日・土休日ともに大阪環状線一周の天王寺発に改められて復活した。
紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の上りの始発列車と下りの最終列車は、2020年3月13日まで阪和線の日根野駅発着で運転されており、阪和線内の日根野駅 - 和歌山駅間も各駅に停車し、113系電車2両編成が運用されていた。この列車は上り・下りとも2020年3月14日のダイヤ改正で、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間と和歌山駅 - 日根野駅間の列車に系統が分割され、阪和線と直通しなくなった。
日中は1時間あたり1本運転されている。2010年3月7日までの土曜・休日は2本で運行されていた。この区間では227系電車によるワンマン運転を行っているが、途中駅である紀和駅を含めて全駅ですべてのドアが開閉する。運転士による集札は行われないが、時間帯によってはJR西日本メンテックの契約社員による車内改札が行われることがある。
この区間は「紀和線」とも呼ばれている。正式路線名の紀勢本線と案内されることはなく、車内の乗り換え案内では南海側は「JR和歌山行き」、JR側は「和歌山市方面」、南海が管理する和歌山市駅の案内放送では「紀和・和歌山行き」とそれぞれ案内されている。
この区間では1985年3月13日まで「きのくに」などの南海電気鉄道(南海)難波駅からの直通列車や、新宮方面や和歌山線との直通列車、さらに昔には急行「大和」に併結される東京駅直通の寝台車が運行されていたこともある。また、この路線を使って南海や泉北高速鉄道の新造車両の甲種輸送が行なわれている。和歌山市駅構内の南海本線との渡り線のみ非電化のままである。
2009年には当時の和歌山市長大橋建一が、和歌山電鐵貴志川線内の架線電圧昇圧を行い(2012年実施)、当区間を経由して同線・南海加太線と直通列車を運行する構想があることを明らかにしている。
2000年9月30日まで大阪地区(天王寺駅、のちに新大阪駅)と新宮駅を結ぶ夜行普通(のちに快速)列車が運行されており、本節ではこの夜行普通列車を主体に述べる。なお、国鉄時代は大阪側・名古屋側双方を発着する準急(のちに急行)の夜行列車もあった。それぞれの沿革は「大阪対南紀直通優等列車沿革」・「紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革」を参照。
1959年の紀勢本線の全通前から天王寺駅発着の夜行列車はあり、紀勢本線の全通により天王寺駅 - 名古屋駅間通しで運行される夜行普通列車となった。1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形を保有し、和歌山駅で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。なお、1984年から新宮駅発着に、1986年から天王寺駅発のみの片道に、1990年から種別が快速列車となり、始発駅も新大阪駅に変更された。
1984年1月31日まで寝台車を新宮駅 - 天王寺駅間で連結しており、1974年の指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、「南紀」(のちに「はやたま」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから太公望列車とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには指定席が設定されていた兼ね合いで「いそつり」(のちに「きのくに」)の愛称が与えられていた。
その後、1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは臨時列車として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。2010年3月13日の改正で新大阪発御坊行きとなったことで、紀勢本線内は単なる普通列車となった。
以後の運行状況は「#阪和線との直通運転」を参照。
JR東海では、2010年秋から毎年、春・夏・秋に臨時快速「熊野古道伊勢路号」を多気駅 - 熊野市駅間で運転しているほか、毎年8月17日に行われる熊野大花火大会の開催日と翌日の未明に特急「南紀」の臨時便や臨時快速、普通列車を熊野市駅 - 名古屋駅・津駅・亀山駅・多気駅・伊勢市駅(多気駅より参宮線へ乗り入れ)・紀伊長島駅・新宮駅(きのくに線でも新宮駅 - 紀伊勝浦駅・串本駅行きの臨時列車を運行し接続)の各区間で運転している。なお、2011年までは津駅・伊勢市駅 - 熊野市駅間に臨時急行「熊野市花火」が運転されていた。
JR西日本では、大型時刻表には掲載されないが、和歌山港まつりや紀文まつりなど、夏の花火大会にあわせて臨時普通列車を運行することがある。過去には、ジョイフルトレインを活用し、1999年4月29日から9月19日にかけて行われた南紀熊野体験博にあわせて「きのくにシーサイド」が運転されていたほか、ホリデー号やレジャー号、「ぶらり海南号」「紀三井寺桜まいり号」「熊野古道ハイキング号」「紀州歴史物語号」などの臨時列車が運転されていた。 2016年10月には、「紀の国トレイナート号」が運行された。
貨物列車は、2016年4月1日の貨物営業廃止までは、ダイヘン多気工場から変圧器を輸送するため、多気駅からの特大貨物列車が臨時で運転されていた。
2013年3月15日までは稲沢駅 - 四日市駅 - 鵜殿駅間の高速貨物列車が津駅 - 鵜殿駅間で1日1往復運行されていた。牽引機はDD51形ディーゼル機関車、牽引されていた貨車はコキ100系コンテナ車である。コンテナ車は7両編成で運行され、鵜殿駅にコンテナ積降設備がないため基本的に5tコンテナを5個すべて積載していた。荷主は、鵜殿駅に専用線が接続する北越紀州製紙である。2008年3月15日のダイヤ改正から伊勢鉄道伊勢線経由となっていたが、それより前は稲沢駅 - 四日市駅 - 亀山駅 - 新宮駅 - 鵜殿駅間の経路で運行されていた。
1987年(昭和62年)の日本貨物鉄道(JR貨物)発足時点では、貨物列車は稲沢駅 - 亀山駅 - 紀伊佐野駅間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両(重連運転)とワム80000形有蓋車20両前後(6両は紀伊佐野行き、残りは鵜殿行き)、タキ5450形タンク車数両で、最後尾にはヨ8000形車掌車が1両連結されていた。
1994年9月にワム80000形による輸送が廃止され、これに代わりコンテナ車による輸送が開始された。コンテナ車は鵜殿行き7両、紀伊佐野行き2両が連結されたが、1995年に荷主である巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野行きの連結は廃止された。2000年8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となったが、2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機による牽引に替わった。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に単機運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた。
この路線は全通後間もない1959年9月26日の伊勢湾台風をはじめとして、何度か台風により長期不通などの被害がもたらされている。
2011年9月3日に日本に上陸した台風12号は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、河川氾濫や土砂崩れが発生するなど大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。
この被害で熊野市駅 - 白浜駅間の約120kmが一時不通になり、バス代行輸送が紀伊田辺駅 - 新宮駅間で9月6日から、熊野市駅 - 新宮駅間で9月7日から行われた。
不通区間のうち、串本駅 - 白浜駅間は同年9月17日、紀伊勝浦駅 - 串本駅間は同年9月26日に運転を再開した。熊野市駅 - 新宮駅間については、井戸川橋梁と新宮駅構内の信号設備の復旧にあわせ、2011年10月11日から運転を再開した。
新宮駅 - 紀伊勝浦駅間については和歌山県が河川改修を検討し、復旧工事をする場合はその川幅にあわせて工事をしなければならないためJR西日本は年内の復旧は難しいとしていたが、和歌山県は橋梁部の河川の拡幅をしないことを決定し、これを受けてJR西日本は残った鉄橋で復旧を進めることになった。2011年9月26日から復旧工事が始まり、同年12月3日に運転を再開した。
一部区間の運転再開後も、白浜駅に留置されていた特急車両283系6両1本の床下機器が冠水して故障し、また、那智川橋梁が流失したため新宮駅に381系(スーパーくろしお編成)6両編成2本、283系6両1本が取り残され、車両が不足していることから、283系は11月12日から13日にかけて、381系は同月13日から14日にかけてと、同月19日から20日にかけて、名古屋駅経由で京都総合運転所まで甲種輸送された。鵜殿駅 - 新宮駅間はすでにJR貨物の第2種鉄道事業が廃止されているが、JR東海の協力により搬出が実現した。このほか新宮駅では、普通列車用の車両105系5本と特急車両キハ85系4両編成2本、検測車キヤ95系3両編成1本が取り残された。紀伊田辺駅 - 紀伊勝浦駅間で普通列車に必要な車両が不足していることから、113系の4両編成や2両編成の2000番台などを急遽車掌乗務で運転した。
2015年7月17日に日本に上陸した台風11号は四国全域・紀伊半島を中心に大雨をもたらし、熊野川の氾濫や土砂崩れが発生するなど再び大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。
被害状況の確認と復旧作業を行い、御坊駅 - 箕島駅間以外は7月18日までに運転を再開したが、御坊駅 - 箕島駅間は列車の運休が続き、バスによる代行輸送が実施された。この影響により、京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅を結ぶ特急「くろしお」はすべて運転を休止を余儀なくされる。代替処置として、20日から新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅間に臨時列車扱いの特急「くろしお」を運行した。一方普通列車は、和歌山方面からの列車は箕島駅で、紀伊田辺方面からの列車は御坊駅での折り返し運転をそれぞれ実施した。
当初復旧時期については未定とされていたが、夏休みの行楽シーズンに入ったことに加え、バス代行では朝・夕時間帯の田辺市・御坊市から海南市内や和歌山市内への通勤・通学需要に対応しきれていない状況であった。JR西日本和歌山支社は記者会見にて復旧作業の進捗状況を見た上で、運転再開時期を2015年7月末頃を目途とした。その後、予定より早く作業が進んだことから2015年7月25日に踏切・信号機器の作動状態確認の試運転列車を走らせ、同日限りで御坊駅 - 箕島駅間のバス代行を終了し、翌26日の始発より全線での運転を再開し通常ダイヤに戻された。
その後日本列島に接近した台風16号の高波により、再度新宮駅 - 三輪崎駅間で路盤流出が発生し、8月22日から9月1日まで紀伊勝浦駅 - 新宮駅間で運行を見合わせ、バスによるピストン輸送を行った。
全列車、気動車で運転されている。
紀勢本線・参宮線で使用される車両(キハ85系・キハ75形・キハ25形を除く。HC85系は当時存在しない)は伊勢市駅構内の伊勢車両区に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止され、名古屋車両区に統合された。
289系を除く全列車が、吹田総合車両所の日根野支所に配置されている電車で運転されている。
運行形態の「貨物列車」の節を参照。なおディーゼル機関車DD51形はかつて旅客列車の牽引にも用いられた。
新宮駅 - 紀伊田辺駅間では、長い間165系が使用されていたが、165系の老朽化のため1999年10月のダイヤ改正から105系に置き換えられた。しかし運用を始めた105系はトイレのない4扉ロングシート車で、このような車両を観光地であり駅間距離の長い当区間で運行することは沿線の自治体や地元から大きな問題として取り上げられ、和歌山県や沿線の自治体で構成されている紀勢本線活性化促進協議会がJR西日本に対して要望を行った。
この要望を受けてJR西日本は、「マリンライナー」で使用されていた213系の転用により捻出された岡山地区の3扉ロングシートの105系を、トイレ設置を含めたリニューアル工事を施工することにより紀勢本線に転用を行い、2004年10月25日から運用を開始し、2004年度内に5編成すべてにトイレが設置された。トイレの設置にあたっては、5編成分の改造費など6,500万円のうち、和歌山県と紀勢本線活性化促進協議会が1,000万円ずつ負担している。
前述のとおり亀山駅 - 和歌山市駅間が全通したのは幹線路線としては最も遅い部類に入る1959年であり、それまでは亀山駅 - 多気駅間が参宮線、和歌山駅(初代:現在の紀和駅) - 和歌山市駅間が和歌山線のそれぞれ一部、残る多気駅 - 和歌山駅(初代)間が紀勢東線・中線・西線の3線に分かれて存在していた。
亀山駅 - 多気駅間は、最も早く開業した区間である。関西鉄道が津支線として1891年に亀山駅 - 津駅間を開業させ、これを延伸する形で参宮鉄道が1893年に津駅 - 相可口駅(現在の多気駅) - 宮川駅間を開業させた。両社は1907年に国有化され亀山駅 - 多気駅間は参宮線の一部となった。
多気駅 - 三木里駅間は紀勢東線として開業した。尾鷲駅までは戦前の1934年に開業したが、三木里駅まで開業したのは戦後の1958年である。
新宮駅 - 串本駅間は紀勢中線として開業した。うち、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は地元産木材を大型船で台湾方面へ輸送するため、新宮から大型船が入港可能な勝浦に運ぶ目的で新宮鉄道(初代社長は津田長四郎)が1912年から1913年にかけて開業させたものを1934年に国有化したものである。
新鹿駅 - 新宮駅間、串本駅 - 和歌山駅 - 紀和駅間は紀勢西線として開業した。1940年に串本駅 - 江住駅間と紀伊木本駅(現在の熊野市駅) - 新宮駅間が開業し、紀勢中線を編入して紀伊木本駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢西線となった。戦後の1956年には新鹿駅 - 紀伊木本駅間が開業した。
1959年に三木里駅 - 新鹿駅間が開業し、紀勢本線が全通した。この時、参宮線の亀山駅 - 多気駅間を編入し、亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢本線となった。1972年には和歌山線の紀和駅 - 和歌山市駅間が編入され現在の区間となった。
以下の年表にて南海連絡点・紀和連絡点・国社分界点・両社分界点・南海電鉄分界点は同一地点を指す(新宮駅起点383.2km、和歌山市駅から1.0km)。
下記を除く32駅は無人駅である。
この区間の駅のうち下記を除く39駅は無人駅である。
( )内の数字は起点からの営業キロ。
廃止区間の駅を除く。( )内の数字は亀山駅起点の営業キロ。 | [
{
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"text": "紀勢本線(きせいほんせん)は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至るJRの鉄道路線(幹線)である。亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている。",
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},
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"text": "紀伊半島を海沿いに走る路線。全通したのは日本の幹線級の路線としては比較的遅く、1959年(昭和34年)のことである。新宮駅を境に、東側のJR東海が管轄する区間は非電化であり、西側のJR西日本が管轄する区間は直流電化されている。",
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"text": "全区間に大小180本(総延長68.9km)のトンネルがあり、これはJRグループの1路線としては最多のトンネル数である。",
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"text": "名古屋駅からは関西本線と伊勢鉄道伊勢線を、京都駅・新大阪駅からは東海道本線・大阪環状線・阪和線をそれぞれ経由して当路線へ特急列車が直通している。JR西日本管轄区間では、カーブを高速で通過可能な振り子式の車両が一部の特急列車で使用されている。",
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"text": "JR西日本の管轄区間では、海南駅 - 和歌山駅間の各駅と南海電気鉄道(南海)が管理する和歌山市駅で自動改札機が、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の特急停車駅と紀伊田辺駅 - 冷水浦駅の各駅と紀和駅ではIC専用型自動改札機が設置されている。新宮駅 - 和歌山市駅間が「ICOCA」のエリアに含まれており、区間内の各駅でICOCAなどのIC乗車カードが利用できる。また、2018年10月1日に近畿圏で開始されたPiTaPaによるポストペイ利用は対象外となる(従前のプリペイド利用。2020年3月14日のICOCAエリア拡大後も対象外)。2021年3月13日より車載型IC改札機を導入することにより、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の全駅でもICOCAなどが利用可能となった。",
"title": "概要"
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"text": "2014年度から、新宮駅 - 和歌山駅間のきのくに線区間に、W の路線記号が導入されている。",
"title": "概要"
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"text": "亀山駅 - 新宮駅(構内除く)間はJR東海の東海鉄道事業本部、新宮駅 - 和歌山市駅(構内除く)間はJR西日本の和歌山支社が管轄している。なお、紀和駅 - 和歌山市駅間のうち、分界点 - 和歌山市駅間1.0kmは南海の所有である。この区間は、南海が施設をJR西日本に貸与しており、南海が第三種鉄道事業者とならず、JR西日本が第一種鉄道事業者となっている。",
"title": "概要"
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"text": "新宮駅 - 白浜駅間は、2022年4月11日にJR西日本が公表したローカル線の線区別収支によると、2019年度の輸送密度が1日2000人以下となっており、JR西日本は路線の活性化策などを関係自治体と協議したい考えで、廃線も視野に議論が進む可能性があると報じられている。",
"title": "概要"
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"text": "紀伊半島を半周する路線で、松阪駅 - 和歌山駅間では熊野や南紀といった沿岸部の都市を国道42号とともに結んでいる。",
"title": "沿線概況"
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"text": "紀伊長島駅 - 海南駅間では一部区間を除いて海沿いを走行する一方で、多気駅 - 紀伊長島駅間など山間部を走行する区間もあり、山間部では野生動物と列車が衝突する事象も増えている。",
"title": "沿線概況"
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{
"paragraph_id": 10,
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"text": "鈴鹿川の北側にある亀山駅を発車すると、右にカーブして鈴鹿川を渡り、丘陵地の中をトンネルで抜けていくつものカーブを抜けて南東方向に進む。築堤を上がると下庄駅であるが、なお山間部の中を進み、しばらくして田園地帯に入り、国道23号(中勢バイパス)をくぐると一身田駅で、左手に真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)が見える。左手から伊勢鉄道伊勢線が合流してくると、近鉄名古屋線をくぐって津駅に到着する。三重県の県庁所在地で近鉄名古屋線と伊勢鉄道伊勢線も乗り入れている。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 11,
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"text": "津駅を出ると、三重県庁が建ち並ぶ丘陵を右に眺めながら、近鉄名古屋線と並走して南下する。 安濃川を渡り、津市の副都心として発展している近鉄津新町駅の東側を通過し、岩田川を渡ると近鉄名古屋線と分かれて市街地を進むと阿漕駅で、国道23号(伊勢街道)とともに南下を始める。 高茶屋駅の先で田園風景が広がってくるようになり、雲出川を渡ると津市から松阪市に入る。六軒駅を過ぎ、三渡川を渡って近鉄山田線と交差し紀勢本線は近鉄山田線の西側を走行する。右手から名松線が合流すると、松阪駅に到着する。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "松阪駅を出ると近鉄山田線はやや東向きに分かれていく。かつて伊勢電気鉄道(のちの関急伊勢線)との乗換駅であった徳和駅を過ぎて丘陵地帯を通過し、櫛田川を渡ってまもなく多気駅に到着する。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "建設の経緯から、参宮線は多気駅を出ると直進するのに対し、紀勢本線は右にカーブをして進路を西に変えて、かつて紀勢東線と呼ばれていた区間に入る。国道42号(松阪バイパス)を過ぎると相可駅を通過し、多気町役場の西側を走行すると紀伊山地に入り、川添駅まで茶畑が目立つようになる。この先、国道42号とともに和歌山市を目指す。三瀬谷駅を出ると、宮川に架かるアンダートラス橋を渡り、滝原駅 - 阿曽駅間では大滝峡と呼ばれる渓谷を通過する。梅ケ谷駅を過ぎると伊勢国と紀伊国の境にある荷坂峠を荷坂トンネルで抜け、Ω状のカーブを13ものトンネルで抜けると紀勢本線では初めて熊野灘が見える海沿いに出て、再びトンネルをくぐると紀伊長島駅に到着する。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "紀伊長島駅を出ると赤羽川橋梁を渡る。三野瀬駅を出て小さな峠を越えると、田園地帯を走行し、船津駅を通過して、相賀駅を過ぎ、銚子川を渡る高架橋のままトンネルに入って銚子川沿いの谷を走行し、馬越峠を尾鷲トンネルで抜けると尾鷲駅に到着する。国道は山間部を通過するのに対して、紀勢本線は海沿いを走行し、中部電力の尾鷲三田火力発電所を左手に眺めながら小さなトンネルを抜けて大曽根浦駅を通過する。この先は、長大トンネルが多く、熊野市駅まで各トンネルの間に駅が所在するようになる。九鬼駅・三木里駅と続いて、紀勢東線と呼ばれた区間が終了する。この区間は住民・政治家から国鉄に対して陳情が行われ、九鬼駅経由で建設されることになった。三木里駅 - 新鹿駅間は紀勢本線で最後に建設された区間であり、建設当初の計画では賀田駅 - 新鹿駅間を1本のトンネルによって結ぶ予定であったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ、二木島駅経由で建設されることになった。",
"title": "沿線概況"
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"text": "熊野市駅近くにある鬼ヶ城と呼ばれる景勝地が志摩半島から続いたリアス式海岸の最南端にあり、熊野市駅からは平野部が続き鵜殿駅までは約22kmの海岸線が続く七里御浜沿いに進む。この七里御浜では毎年8月に熊野大花火大会が行われ、臨時列車が多数運転されている。鵜殿駅を過ぎると、右にカーブをして一度山側へ迂回して三重県と和歌山県の県境である熊野川を渡り、新宮城跡の下に設けられた丹鶴トンネルをくぐると新宮市の市街地を進み、ほどなくして新宮駅に到着する。なお、熊野川橋梁中央部から丹鶴トンネル入り口までのわずかな区間が、JR東海唯一の和歌山県区間である。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 16,
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"text": "JR西日本が管轄する区間の大半は沿岸部を走行している。近い将来に発生が想定されている東海地震・東南海地震・南海地震による津波対策として新宮駅 - 和歌山駅間では避難誘導標が沿線に設置されている。沿線の架線柱には、津波浸水区間・避難する方向・避難場所と避難場所までの距離などが記された看板や海岸線沿いで海抜が低い串本駅 - 紀伊勝浦駅間においては、津波避難用の全長5m程度のコンクリート製避難誘導降車台が設置されている。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 17,
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"text": "なお、この区間の各駅の1日あたりの乗降客の推移(昭和55年度以降)については、和歌山県のホームページに一覧表が公開されている。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 18,
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"text": "紀勢本線の要衝の駅である新宮駅は、かつて新宮運転区が設けられていたこともあり、構内は広大な留置線が設けられている。新宮駅を発車した列車は、南東に進んだのちに、王子ヶ浜の海岸線を南下する。那智駅は那智勝浦海浜公園の前にあり、海水浴場もあるため、特急列車が停車していたこともあった。熊野那智大社は那智駅から山奥に入った場所に位置している。2011年の台風12号による大雨の影響で、橋脚が流された那智川を渡り紀伊勝浦駅に至る。紀伊勝浦駅のすぐ近くには、マグロの水揚げ量が日本一を誇る勝浦漁港と、南紀勝浦温泉がある。",
"title": "沿線概況"
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{
"paragraph_id": 19,
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"text": "古くからの温泉地である湯川駅を過ぎ、日本の捕鯨発祥の地にある太地町の太地駅を通過し、駅前に県内最古の前方後円墳のある下里駅の先では、万葉集でも詠まれた玉の浦を望みながら紀伊浦神駅を過ぎ、左手には近畿大学水産研究所の浦神研究所が見え、山間部に入る。紀伊田原駅付近から再び海沿いを走行し、平成の名水百選にも選ばれ、カヌーでの川下りが盛んな古座川を渡って古座駅である。対岸に紀伊大島が見え始め、紀伊姫駅を過ぎると岩が立ち並ぶ橋杭岩が見え、本州最南端の駅である串本駅に到着する。この駅を境にして、多気駅から南西方向に向かってきた紀勢本線は右にカーブをして和歌山市を目指すために北進を始める。山間にある紀伊有田駅・田並駅と過ぎると、やがて枯木灘が広がる海岸が田子駅・和深駅と続いた先の周参見駅付近まで広がる。江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多く、沿線のアドベンチャーワールドで飼われているライオンの糞を忌避剤として線路沿いに撒いたところ接触事故がなくなったが、一時的な効果に終わっている。この先の見老津駅 - 周参見駅間では当線唯一の信号場である双子山信号場が設けられている。周参見駅からは山間を走行し、富田川を渡って紀伊富田駅を過ぎると、次第に左手にはアドベンチャーワールドの観覧車が見え始め、右手に引き上げ線が現れると、白浜駅に到着する。同駅は白良浜や南紀白浜温泉などの観光地を抱える白浜町の中心駅として位置づけられており、特に夏場には多くの観光客が訪れる関西のリゾート地となっている。新大阪方面からの特急列車のうち、半数以上がこの白浜駅で折り返している。",
"title": "沿線概況"
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"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "紀伊田辺駅は和歌山県中南部の経済の中心となっている田辺市の中心駅で、かつて紀伊田辺機関区があったため、駅構内には多くの留置線があり、この駅を境に普通列車の運転系統が分かれている。また、紀州路から中辺路と大辺路が分岐しており、陸上交通においても鉄道においても交通の要衝でもあった。紀伊田辺駅からは複線になり、田辺市の市街地を抜け、芳養駅を過ぎると第三芳養トンネルを通過し、日本一の梅の産地を抱えるみなべ町に入り、南部駅に至る。千里梅林の下にあるトンネルをすぎると、千里の浜と呼ばれる海岸沿いを走行する。古くからの景勝地で、『枕草子』などでその名がみられるほか、日本有数のアカウミガメの産卵地として知られている。岩代駅 - 切目駅間の一部区間では太平洋の絶景を眺めることができ、一部の列車が速度を落として運転するなどビューポイントとなっている。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "切目駅からは内陸を走行し、印南駅のすぐ北側には印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる。御坊駅では紀州鉄道が分岐している。御坊駅は御坊市の郊外に位置しており、中心駅は紀州鉄道の紀伊御坊駅である。御坊駅から再び北上し、紀伊内原駅・紀伊由良駅と続く。紀伊由良駅は、蒸気機関車に使用される石炭を配炭する拠点が海岸部にある由良港に設けられ、その配炭所を結ぶ目的で貨物線が分岐していた。このあたりからミカン畑が目立つようになり、広川ビーチ駅を通過し、醤油発祥の地として知られている湯浅駅へと至る。かつて有田鉄道が分岐し、特急の停車駅にもなった藤並駅を過ぎると、西進しながらJR西日本管内の在来線では最長の有田川橋梁 (912m) を渡って、有田みかんの生産地である有田市に入り、有田川の右岸を走行する。有田市の代表駅である箕島駅を過ぎて半島の先端を回って石油タンクが立ち並ぶ初島駅に至り、再び東に進路を変えて下津駅と続く。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "加茂郷駅を過ぎトンネルを抜けると再び海岸線を走行するようになり、左手には紀伊水道が見える。この先の冷水浦駅まで、紀勢本線では海が見える最後の区間で、対岸にはポルトヨーロッパや工業地帯が見える。阪和道の海南インターチェンジの高架橋をくぐると、左にカーブをしながらやがて高架橋を走行して海南駅を通過し、その後も高架橋を走行するも徐々に高度を落として紀勢本線最後で180か所目のトンネルを通過する。トンネルを抜けると黒江駅で、和歌山市に入って名草山の南西側を迂回するために左へカーブしてしばらく直進で進んだのち、再び右へカーブして紀三井寺駅を通過し、徐々に和歌山市の市街地を進むようになる。宮前駅を過ぎると左手には和歌山ビッグホエールと呼ばれる多目的施設が見えるが、かつてここには和歌山操駅があった。やがて右手から和歌山電鐵貴志川線が寄り添ってくると、和歌山駅に到着する。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "和歌山駅では、和歌山市行きの列車は8番のりばから発車する。阪和線と並走し、高架橋をくぐる付近までわずかであるが和歌山線と線路を共用し、和歌山線の線路が右に分かれる。先に阪和線が左に分かれ、その後和歌山線が右に分かれていくと、しだいに左にカーブをして阪和線をくぐって高架橋を上り始め、直線部にある紀和駅に至る。紀和駅は1968年まで和歌山駅と称し、和歌山駅は同年まで東和歌山駅と称していた。2008年に紀和駅付近が連続立体交差事業により高架化された。紀和駅を発車すると、左にカーブをしながら高架を下り、次第に南海本線が右手から合流する。南海電鉄分界点を通過し、和歌山市駅に到着する。紀勢本線から南海線への渡り線が設けられているが、この渡り線は非電化であり、紀勢本線の旅客列車が南海線のホームを発着することはない。かつては、この渡り線を介して南海本線から南紀方面への直通列車が運転されていたが、現在は甲種車両輸送時の車両受け渡し用としてのみ利用されている。",
"title": "沿線概況"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "起点は亀山駅で、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅方面へ向かう方向が全線を通して下りであり、JR東海が管轄する亀山駅 - 新宮駅間では列車番号や特急列車の号数は新宮駅へ向かう方向が下り列車に付けられる奇数である。一方、JR西日本が管轄する区間のうち新宮駅から和歌山駅までの区間では、和歌山駅へ向かう下り列車が本来上り列車に付ける偶数、逆方向の上り列車が本来下り列車に付ける奇数となっている。これは、1989年7月の東海道本線への乗り入れ開始時に、同線に合わせて変更したためである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "名古屋駅からは伊勢鉄道経由で紀伊勝浦駅まで特急「南紀」が1日4往復運転されていて、多客期には運転本数が増発される。京都駅、新大阪駅から白浜駅、新宮駅までは特急「くろしお」が運転されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "1978年10月2日のダイヤ改正前までは、キハ81・82系気動車を使った特急「くろしお」やキハ28・58系気動車を使った急行「紀州」、1984年2月1日のダイヤ改正まで旧型客車(スハ43系など)を使った夜行客車普通列車「はやたま」(新宮駅以西ではB寝台車も連結していた)などが名古屋駅 - 和歌山駅 - 天王寺駅間で運行されていたが、同改正以降は亀山駅 - 和歌山駅間を通して走る列車はない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "また、東京駅 - 紀伊勝浦駅間には亀山駅経由で寝台特急「紀伊」が1984年1月31日まで運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "天王寺駅(一部は南海本線難波駅)および紀伊田辺駅から白浜駅・椿駅・周参見駅・新宮駅・熊野市駅まではキハ28・58系(難波駅乗り入れ列車はキハ55系相当の南海5501・5551形)気動車を使った急行「きのくに」が運行され、新宮駅以西の電化後も1985年3月14日のダイヤ改正で運行終了する(485系電車投入および特急「くろしお」への格上げのため)まで気動車で運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "1959年の紀勢本線全線開通前の1933年から1937年には関西から白浜への温泉観光列車「黒潮号」が運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "運行系統は、JR東海の亀山駅 / 伊勢鉄道 - 津駅 - 多気駅間・多気駅 - 新宮駅間とJR西日本の新宮駅 - 紀伊田辺駅間・紀伊田辺駅 - 御坊駅間・御坊駅 - 和歌山駅間・和歌山駅 - 和歌山市駅間に分かれている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "亀山駅を発着する紀勢本線の列車は普通列車のみとなっており、多気駅発着や新宮駅・三瀬谷駅方面への列車が少数あるほか大半は多気駅より参宮線へ直通運転している。亀山駅から関西本線へ直通する列車は1本もない(名古屋方面へはスイッチバックとなり、運行した場合は伊勢鉄道を経由する列車とは車両の向きが逆になる)。日中1時間あたり1本程度の運行で、ワンマン運転を行う列車が多い。キハ25形気動車で運用されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "津駅 - 多気駅間には前述した亀山駅発着の普通のほか、伊勢鉄道経由で関西本線名古屋駅まで直通する快速「みえ」が運行されている。この快速「みえ」は全列車が多気駅より参宮線に直通する。普通列車は亀山駅発着のほか、朝夕の一部に松阪駅発着での多気駅発着、三瀬谷駅方面、参宮線直通も設定されている。快速「みえ」はキハ75形気動車、普通列車はキハ25形気動車で運用されており、普通列車はワンマン運転を行う列車が多い。運転本数は快速「みえ」と亀山駅発着の普通列車がそれぞれ日中1時間あたり1本程度である。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "津駅 - 松阪駅間は特定運賃を採用していないが、競合する近鉄名古屋線・山田線に比べて運賃が安い。しかし運転本数は近鉄名古屋線より大幅に少ない。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "快速列車の定期運行はなく、通過駅のある特急列車を除くと普通列車のみが運転されている。多気駅発着の列車が多いが、亀山駅 - 新宮駅間を直通する列車も下り3本・上り1本ある。紀伊長島駅・熊野市駅発着の列車があるほか、下り最終は亀山駅発三瀬谷駅行きで運転されている。新宮駅を越えてJR西日本管内に直通する普通列車はない。本数は1日10往復程度と少なく、3時間以上列車の間隔が開く時間帯もある。全列車がキハ25形気動車で運行され、大半の列車がワンマン運転を行っている。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車が多い。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "1 - 3時間に1本の間隔で運行されている。1日あたり9 - 10本の運転が基本で、平日の新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は通勤・通学需要のため上り12本、下り11本と若干多く、串本駅 - 周参見駅間は1日8往復とこの区間内では最も運転本数が少ない。また、白浜駅 - 紀伊田辺駅間は普通列車よりも特急「くろしお」の本数が多い区間となっている。現在は全て227系電車でワンマン運転を行う。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車がある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "かつては急行用の165系電車や通勤用の105系が主力車両であった。165系電車が使用されていた時代には和歌山駅 - 新宮駅を直通運転する普通列車が設定されていた。この区間の標準的な所要時間は3時間弱であるが、朝下りと夜上りの各1本は2時間20分台で走っており、この区間を走る最も遅い特急列車との所要時間差は20分程度である。2021年3月13日のダイヤ改正までは朝に周参見発和歌山行きが1本あり、223系・225系電車4両編成が充当されていた。この列車はワンマン運転ではなく、この区間の列車で唯一車掌が乗務する普通列車であった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2021年9月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車において自転車を解体せず車内に持ち込めるサイクルトレインが実施されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "紀伊田辺駅 - 御坊駅間は1時間に1本程度で、2002年11月以降は日中は他区間から系統分離され、2020年4月現在227系電車2両編成によるワンマン運転を行っている。2020年3月以前は当区間専用の113系2000番台電車2両編成によるワンマン運転が行われていた。ただし、朝と夜には紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の列車が223系電車・225系電車・227系電車の4両編成で運転され、この場合は車掌乗務の列車となる。御坊駅折り返しの列車は御坊駅で和歌山方面の列車と接続する。また、朝に周参見発御坊行き(列車番号は紀伊田辺駅を境に変更)の直通列車が運転されているほか、2006年6月からは田辺地区の中学校・高等学校の授業日には南部発紀伊田辺行きの臨時列車も運転されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "2022年4月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車においてサイクルトレインが実施されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "御坊駅 - 和歌山駅間は1時間に1 - 2本が運行されている。朝と夜の一部時間帯を除いて1時間あたり2本が運行されており、紀勢本線の中で最も運転本数の多い区間である。ただし、日中の一部列車は箕島駅 - 和歌山駅間の運転である。主に223系・225系・227系電車で運行されており、原則として和歌山駅で紀州路快速を含む阪和線の快速列車との接続が考慮されている。また、阪和線との直通列車も朝晩に設定されており、223系や225系電車で運行されている。前述のとおり、紀伊田辺駅 - 御坊駅 - 和歌山駅間を直通する普通列車も朝と夜に設定されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "御坊駅 - 和歌山駅間で通過運転を行う快速(停車駅は#駅一覧参照)が設定されており、朝に紀伊田辺発2本(平日は和歌山行き2本、休日は和歌山行きと和歌山駅から紀州路快速となる大阪環状線直通京橋行き)、平日の夕方に和歌山発紀伊田辺行き1本の快速列車も運転されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "この区間は特に和歌山側の利用客が比較的多いこともあり、すべて4両編成で運転されている。1992年3月13日までは阪和線からの直通列車を中心に113系の6両編成で運転される列車も存在していた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2023年8月21日より一部列車においてサイクルトレインが実施されている(事前予約制で1列車3台までの実証実験)。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "紀勢本線の電化後、阪和線の電車(快速の一部および日根野駅発着の各駅停車の一部。紀勢本線内は各駅停車)の乗り入れが開始された。2000年3月10日までは、日中においても天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間直通運転の快速(紀勢本線内は各駅停車)が設定されており、これらの列車が紀勢本線内の日中の普通運用も兼ねていた。しかしその後、列車の運転区間の短縮や、阪和線直通の快速列車の削減が相次ぎ、日中の直通運転も廃止された。2022年現在では上下とも紀伊田辺駅までの間で朝夜時間帯のみ直通運転が実施されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "この区間では快速または普通として運転し、和歌山駅で阪和線内の種別に変更することが多いが、種別変更せず阪和線に直通する列車も存在する。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "かつては後述する「太公望列車」を含む新大阪始発の快速列車があったが、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪駅からの阪和線・紀勢本線直通の快速列車の運転は廃止され、新大阪駅から阪和線・紀勢本線への直通列車は特急のみとなった。この改正で「太公望列車」を前身とする夜の新大阪発御坊行き最終列車は天王寺発(土休日は京橋発)大阪経由御坊行き(和歌山駅まで紀州路快速)に変更された。2021年3月13日のダイヤ改正で和歌山発となって阪和線からの直通は一旦は廃止されたものの、2022年3月12日ダイヤ改正で平日・土休日ともに大阪環状線一周の天王寺発に改められて復活した。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の上りの始発列車と下りの最終列車は、2020年3月13日まで阪和線の日根野駅発着で運転されており、阪和線内の日根野駅 - 和歌山駅間も各駅に停車し、113系電車2両編成が運用されていた。この列車は上り・下りとも2020年3月14日のダイヤ改正で、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間と和歌山駅 - 日根野駅間の列車に系統が分割され、阪和線と直通しなくなった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "日中は1時間あたり1本運転されている。2010年3月7日までの土曜・休日は2本で運行されていた。この区間では227系電車によるワンマン運転を行っているが、途中駅である紀和駅を含めて全駅ですべてのドアが開閉する。運転士による集札は行われないが、時間帯によってはJR西日本メンテックの契約社員による車内改札が行われることがある。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "この区間は「紀和線」とも呼ばれている。正式路線名の紀勢本線と案内されることはなく、車内の乗り換え案内では南海側は「JR和歌山行き」、JR側は「和歌山市方面」、南海が管理する和歌山市駅の案内放送では「紀和・和歌山行き」とそれぞれ案内されている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "この区間では1985年3月13日まで「きのくに」などの南海電気鉄道(南海)難波駅からの直通列車や、新宮方面や和歌山線との直通列車、さらに昔には急行「大和」に併結される東京駅直通の寝台車が運行されていたこともある。また、この路線を使って南海や泉北高速鉄道の新造車両の甲種輸送が行なわれている。和歌山市駅構内の南海本線との渡り線のみ非電化のままである。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "2009年には当時の和歌山市長大橋建一が、和歌山電鐵貴志川線内の架線電圧昇圧を行い(2012年実施)、当区間を経由して同線・南海加太線と直通列車を運行する構想があることを明らかにしている。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "2000年9月30日まで大阪地区(天王寺駅、のちに新大阪駅)と新宮駅を結ぶ夜行普通(のちに快速)列車が運行されており、本節ではこの夜行普通列車を主体に述べる。なお、国鉄時代は大阪側・名古屋側双方を発着する準急(のちに急行)の夜行列車もあった。それぞれの沿革は「大阪対南紀直通優等列車沿革」・「紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "1959年の紀勢本線の全通前から天王寺駅発着の夜行列車はあり、紀勢本線の全通により天王寺駅 - 名古屋駅間通しで運行される夜行普通列車となった。1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形を保有し、和歌山駅で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。なお、1984年から新宮駅発着に、1986年から天王寺駅発のみの片道に、1990年から種別が快速列車となり、始発駅も新大阪駅に変更された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "1984年1月31日まで寝台車を新宮駅 - 天王寺駅間で連結しており、1974年の指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、「南紀」(のちに「はやたま」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから太公望列車とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには指定席が設定されていた兼ね合いで「いそつり」(のちに「きのくに」)の愛称が与えられていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "その後、1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは臨時列車として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。2010年3月13日の改正で新大阪発御坊行きとなったことで、紀勢本線内は単なる普通列車となった。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "以後の運行状況は「#阪和線との直通運転」を参照。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "JR東海では、2010年秋から毎年、春・夏・秋に臨時快速「熊野古道伊勢路号」を多気駅 - 熊野市駅間で運転しているほか、毎年8月17日に行われる熊野大花火大会の開催日と翌日の未明に特急「南紀」の臨時便や臨時快速、普通列車を熊野市駅 - 名古屋駅・津駅・亀山駅・多気駅・伊勢市駅(多気駅より参宮線へ乗り入れ)・紀伊長島駅・新宮駅(きのくに線でも新宮駅 - 紀伊勝浦駅・串本駅行きの臨時列車を運行し接続)の各区間で運転している。なお、2011年までは津駅・伊勢市駅 - 熊野市駅間に臨時急行「熊野市花火」が運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "JR西日本では、大型時刻表には掲載されないが、和歌山港まつりや紀文まつりなど、夏の花火大会にあわせて臨時普通列車を運行することがある。過去には、ジョイフルトレインを活用し、1999年4月29日から9月19日にかけて行われた南紀熊野体験博にあわせて「きのくにシーサイド」が運転されていたほか、ホリデー号やレジャー号、「ぶらり海南号」「紀三井寺桜まいり号」「熊野古道ハイキング号」「紀州歴史物語号」などの臨時列車が運転されていた。 2016年10月には、「紀の国トレイナート号」が運行された。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "貨物列車は、2016年4月1日の貨物営業廃止までは、ダイヘン多気工場から変圧器を輸送するため、多気駅からの特大貨物列車が臨時で運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "2013年3月15日までは稲沢駅 - 四日市駅 - 鵜殿駅間の高速貨物列車が津駅 - 鵜殿駅間で1日1往復運行されていた。牽引機はDD51形ディーゼル機関車、牽引されていた貨車はコキ100系コンテナ車である。コンテナ車は7両編成で運行され、鵜殿駅にコンテナ積降設備がないため基本的に5tコンテナを5個すべて積載していた。荷主は、鵜殿駅に専用線が接続する北越紀州製紙である。2008年3月15日のダイヤ改正から伊勢鉄道伊勢線経由となっていたが、それより前は稲沢駅 - 四日市駅 - 亀山駅 - 新宮駅 - 鵜殿駅間の経路で運行されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "1987年(昭和62年)の日本貨物鉄道(JR貨物)発足時点では、貨物列車は稲沢駅 - 亀山駅 - 紀伊佐野駅間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両(重連運転)とワム80000形有蓋車20両前後(6両は紀伊佐野行き、残りは鵜殿行き)、タキ5450形タンク車数両で、最後尾にはヨ8000形車掌車が1両連結されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "1994年9月にワム80000形による輸送が廃止され、これに代わりコンテナ車による輸送が開始された。コンテナ車は鵜殿行き7両、紀伊佐野行き2両が連結されたが、1995年に荷主である巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野行きの連結は廃止された。2000年8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となったが、2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機による牽引に替わった。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に単機運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた。",
"title": "運行形態"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "この路線は全通後間もない1959年9月26日の伊勢湾台風をはじめとして、何度か台風により長期不通などの被害がもたらされている。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "2011年9月3日に日本に上陸した台風12号は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、河川氾濫や土砂崩れが発生するなど大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "この被害で熊野市駅 - 白浜駅間の約120kmが一時不通になり、バス代行輸送が紀伊田辺駅 - 新宮駅間で9月6日から、熊野市駅 - 新宮駅間で9月7日から行われた。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "不通区間のうち、串本駅 - 白浜駅間は同年9月17日、紀伊勝浦駅 - 串本駅間は同年9月26日に運転を再開した。熊野市駅 - 新宮駅間については、井戸川橋梁と新宮駅構内の信号設備の復旧にあわせ、2011年10月11日から運転を再開した。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "新宮駅 - 紀伊勝浦駅間については和歌山県が河川改修を検討し、復旧工事をする場合はその川幅にあわせて工事をしなければならないためJR西日本は年内の復旧は難しいとしていたが、和歌山県は橋梁部の河川の拡幅をしないことを決定し、これを受けてJR西日本は残った鉄橋で復旧を進めることになった。2011年9月26日から復旧工事が始まり、同年12月3日に運転を再開した。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "一部区間の運転再開後も、白浜駅に留置されていた特急車両283系6両1本の床下機器が冠水して故障し、また、那智川橋梁が流失したため新宮駅に381系(スーパーくろしお編成)6両編成2本、283系6両1本が取り残され、車両が不足していることから、283系は11月12日から13日にかけて、381系は同月13日から14日にかけてと、同月19日から20日にかけて、名古屋駅経由で京都総合運転所まで甲種輸送された。鵜殿駅 - 新宮駅間はすでにJR貨物の第2種鉄道事業が廃止されているが、JR東海の協力により搬出が実現した。このほか新宮駅では、普通列車用の車両105系5本と特急車両キハ85系4両編成2本、検測車キヤ95系3両編成1本が取り残された。紀伊田辺駅 - 紀伊勝浦駅間で普通列車に必要な車両が不足していることから、113系の4両編成や2両編成の2000番台などを急遽車掌乗務で運転した。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2015年7月17日に日本に上陸した台風11号は四国全域・紀伊半島を中心に大雨をもたらし、熊野川の氾濫や土砂崩れが発生するなど再び大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "被害状況の確認と復旧作業を行い、御坊駅 - 箕島駅間以外は7月18日までに運転を再開したが、御坊駅 - 箕島駅間は列車の運休が続き、バスによる代行輸送が実施された。この影響により、京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅を結ぶ特急「くろしお」はすべて運転を休止を余儀なくされる。代替処置として、20日から新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅間に臨時列車扱いの特急「くろしお」を運行した。一方普通列車は、和歌山方面からの列車は箕島駅で、紀伊田辺方面からの列車は御坊駅での折り返し運転をそれぞれ実施した。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "当初復旧時期については未定とされていたが、夏休みの行楽シーズンに入ったことに加え、バス代行では朝・夕時間帯の田辺市・御坊市から海南市内や和歌山市内への通勤・通学需要に対応しきれていない状況であった。JR西日本和歌山支社は記者会見にて復旧作業の進捗状況を見た上で、運転再開時期を2015年7月末頃を目途とした。その後、予定より早く作業が進んだことから2015年7月25日に踏切・信号機器の作動状態確認の試運転列車を走らせ、同日限りで御坊駅 - 箕島駅間のバス代行を終了し、翌26日の始発より全線での運転を再開し通常ダイヤに戻された。",
"title": "台風による被害"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "その後日本列島に接近した台風16号の高波により、再度新宮駅 - 三輪崎駅間で路盤流出が発生し、8月22日から9月1日まで紀伊勝浦駅 - 新宮駅間で運行を見合わせ、バスによるピストン輸送を行った。",
"title": "台風による被害"
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{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "全列車、気動車で運転されている。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "紀勢本線・参宮線で使用される車両(キハ85系・キハ75形・キハ25形を除く。HC85系は当時存在しない)は伊勢市駅構内の伊勢車両区に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止され、名古屋車両区に統合された。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "289系を除く全列車が、吹田総合車両所の日根野支所に配置されている電車で運転されている。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "運行形態の「貨物列車」の節を参照。なおディーゼル機関車DD51形はかつて旅客列車の牽引にも用いられた。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "新宮駅 - 紀伊田辺駅間では、長い間165系が使用されていたが、165系の老朽化のため1999年10月のダイヤ改正から105系に置き換えられた。しかし運用を始めた105系はトイレのない4扉ロングシート車で、このような車両を観光地であり駅間距離の長い当区間で運行することは沿線の自治体や地元から大きな問題として取り上げられ、和歌山県や沿線の自治体で構成されている紀勢本線活性化促進協議会がJR西日本に対して要望を行った。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "この要望を受けてJR西日本は、「マリンライナー」で使用されていた213系の転用により捻出された岡山地区の3扉ロングシートの105系を、トイレ設置を含めたリニューアル工事を施工することにより紀勢本線に転用を行い、2004年10月25日から運用を開始し、2004年度内に5編成すべてにトイレが設置された。トイレの設置にあたっては、5編成分の改造費など6,500万円のうち、和歌山県と紀勢本線活性化促進協議会が1,000万円ずつ負担している。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "前述のとおり亀山駅 - 和歌山市駅間が全通したのは幹線路線としては最も遅い部類に入る1959年であり、それまでは亀山駅 - 多気駅間が参宮線、和歌山駅(初代:現在の紀和駅) - 和歌山市駅間が和歌山線のそれぞれ一部、残る多気駅 - 和歌山駅(初代)間が紀勢東線・中線・西線の3線に分かれて存在していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "亀山駅 - 多気駅間は、最も早く開業した区間である。関西鉄道が津支線として1891年に亀山駅 - 津駅間を開業させ、これを延伸する形で参宮鉄道が1893年に津駅 - 相可口駅(現在の多気駅) - 宮川駅間を開業させた。両社は1907年に国有化され亀山駅 - 多気駅間は参宮線の一部となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "多気駅 - 三木里駅間は紀勢東線として開業した。尾鷲駅までは戦前の1934年に開業したが、三木里駅まで開業したのは戦後の1958年である。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "新宮駅 - 串本駅間は紀勢中線として開業した。うち、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は地元産木材を大型船で台湾方面へ輸送するため、新宮から大型船が入港可能な勝浦に運ぶ目的で新宮鉄道(初代社長は津田長四郎)が1912年から1913年にかけて開業させたものを1934年に国有化したものである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "新鹿駅 - 新宮駅間、串本駅 - 和歌山駅 - 紀和駅間は紀勢西線として開業した。1940年に串本駅 - 江住駅間と紀伊木本駅(現在の熊野市駅) - 新宮駅間が開業し、紀勢中線を編入して紀伊木本駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢西線となった。戦後の1956年には新鹿駅 - 紀伊木本駅間が開業した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "1959年に三木里駅 - 新鹿駅間が開業し、紀勢本線が全通した。この時、参宮線の亀山駅 - 多気駅間を編入し、亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢本線となった。1972年には和歌山線の紀和駅 - 和歌山市駅間が編入され現在の区間となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "以下の年表にて南海連絡点・紀和連絡点・国社分界点・両社分界点・南海電鉄分界点は同一地点を指す(新宮駅起点383.2km、和歌山市駅から1.0km)。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "下記を除く32駅は無人駅である。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "この区間の駅のうち下記を除く39駅は無人駅である。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "( )内の数字は起点からの営業キロ。",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "廃止区間の駅を除く。( )内の数字は亀山駅起点の営業キロ。",
"title": "駅一覧"
}
] | 紀勢本線(きせいほんせん)は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至るJRの鉄道路線(幹線)である。亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付いている。 | {{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:JR logo JRgroup.svg|35px|link=JR]] 紀勢本線
|路線色 = #f77321
|路線色2 = #00A6B4
|画像 = 289_kuroshio.jpg
|画像サイズ =
|画像説明 = [[太平洋]]沿岸を走る[[JR西日本683系電車#289系|289系電車]]の特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」<br />(2016年2月19日 [[南部駅]] - [[岩代駅]]間)
|通称 = きのくに線([[新宮駅]] - [[和歌山駅]]間)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[三重県]]、[[和歌山県]]
|種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]])
|起点 = [[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]<ref name="sone 5">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 5頁]]</ref>
|終点 = [[和歌山市駅]]<ref name="sone 5"/>
|駅数 = 96駅<ref name="sone 5"/>
|電報略号 = キセホセ<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p22">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=22}}</ref>
|路線記号 = {{JR西路線記号|K|W}}(新宮駅 - 和歌山駅間)
|開業 = [[1891年]][[8月21日]]
|全通 = [[1959年]][[7月15日]]<ref name="sone 5"/>
|廃止 =
|所有者 = [[東海旅客鉄道]]<br />(亀山駅 - 新宮駅間)<br />[[西日本旅客鉄道]]<br />(新宮駅 - 分界点間)<br />[[南海電気鉄道]]<br />(分界点 - 和歌山市駅間、施設貸主)
|運営者 = [[東海旅客鉄道]](亀山駅 - 新宮駅間、第1種鉄道事業者)<br />[[西日本旅客鉄道]](新宮駅 - 和歌山市駅間、第1種鉄道事業者)
|使用車両 = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照
|路線距離 = 384.2 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]])
|線路数 = [[複線]]([[紀伊田辺駅]] - 和歌山駅間)<br />[[単線]](上記以外)
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]<br />(新宮駅 - 和歌山市駅間)
|最高速度 = 100 [[キロメートル毎時|km/h]](JR東海)<br />110 km/h(JR西日本)<ref name="speed">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2022_05.pdf データで見るJR西日本2022 安全 列車の安全運行]}} - 西日本旅客鉄道</ref>
|路線図 = LineMap Kisei jp.png
}}
'''紀勢本線'''(きせいほんせん)は、[[三重県]][[亀山市]]の[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]から[[和歌山県]][[新宮市]]の[[新宮駅]]を経て同県[[和歌山市]]の[[和歌山市駅]]に至る[[JR]]の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。亀山駅 - 新宮駅間は[[東海旅客鉄道]](JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - [[和歌山駅]]間には「'''きのくに線'''」という[[鉄道路線の名称#路線の系統名称・愛称|愛称]]が付いている<ref name="aisho">{{Cite web|和書|url=http://www.westjr.co.jp/railroad/digest/#aisho |title=鉄道事業ダイジェスト |publisher=西日本旅客鉄道 |accessdate=2019-09-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140314194736/http://www.westjr.co.jp/railroad/digest/#aisho |archivedate=2014-03-14}}</ref>。
== 概要 ==
[[ファイル:紀勢本線起点.jpg|thumb|亀山駅にある紀勢本線の0キロポスト]]
[[紀伊半島]]を海沿いに走る路線。全通したのは日本の[[幹線]]級の路線としては比較的遅く、[[1959年]](昭和34年)のことである。[[新宮駅]]を境に、東側のJR東海が管轄する区間は[[非電化]]であり、西側のJR西日本が管轄する区間は[[直流電化]]されている。
全区間に大小180本(総延長68.9km)の[[トンネル]]があり、これはJRグループの1路線としては最多のトンネル数である<ref group="注">JR西日本管轄区間に129本、JR東海管轄区間に51本存在する。なお、一社完結路線としては山陰本線(176本)が最多である。</ref>。
[[名古屋駅]]からは[[関西本線]]と[[伊勢鉄道]][[伊勢鉄道伊勢線|伊勢線]]を、[[京都駅]]・[[新大阪駅]]からは[[東海道本線]]・[[大阪環状線]]・[[阪和線]]をそれぞれ経由して当路線へ[[特別急行列車|特急列車]]が直通している。JR西日本管轄区間では、カーブを高速で通過可能な[[車体傾斜式車両|振り子式の車両]]が一部の特急列車で使用されている。
JR西日本の管轄区間では、[[海南駅]] - [[和歌山駅]]間の各駅と[[南海電気鉄道]](南海)が管理する[[和歌山市駅]]で[[自動改札機]]が、新宮駅 - [[紀伊田辺駅]]間の特急停車駅と紀伊田辺駅 - 冷水浦駅の各駅と[[紀和駅]]ではIC専用型自動改札機が設置されている。新宮駅 - 和歌山市駅間が「[[ICOCA]]」のエリアに含まれており、区間内の各駅でICOCAなどの[[ICカード|IC]][[乗車カード]]が利用できる<ref>[http://www.jr-odekake.net/icoca/area/map/all.html ご利用可能エリア|ICOCA:JRおでかけネット] - 西日本旅客鉄道</ref><ref name="westjr20150223">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/02/page_6835.html ICカード乗車券「ICOCA」のサービスを拡充します!] - 西日本旅客鉄道 2015年2月23日</ref><ref name="westjr20170608" /><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/08/page_9077.html 和歌山県内の特急 「くろしお 」号停車駅で、ICOCAがご利用できるようになります!] - 西日本旅客鉄道 2015年8月9日</ref><ref name="westjr20191213" /><ref name="westjr20190829">[https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/08/page_14788.html 和歌山線に加え、きのくに線もICOCAエリアを拡大] - 西日本旅客鉄道 2019年8月29日</ref>。また、2018年10月1日に近畿圏で開始された[[PiTaPa]]によるポストペイ利用は対象外となる(従前のプリペイド利用。2020年3月14日のICOCAエリア拡大後も対象外)<ref>{{Cite press release|和書|title= JR西日本におけるPiTaPaポストペイサービス(後払い)のご利用開始日およびサービスの詳細について(2018年10月1日より利用開始)|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/08/page_12844.html|publisher=西日本旅客鉄道 |date=2018-08-09 |accessdate=2018-08-10}}</ref>。2021年3月13日より車載型IC改札機を導入することにより、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の全駅でもICOCAなどが利用可能となった<ref name="westjr20200827">{{Cite press release |url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200827_00_kinokunisen.pdf|format=PDF|title=2021年春、きのくに線(紀伊田辺駅〜新宮駅間)への新型車両導入 和歌山県全域へのICOCAエリア拡大|publisher=西日本旅客鉄道|date=2020-08-27|accessdate=2020-09-04}}</ref><ref name=":1">{{Cite press release|和書|title=2021年春ダイヤ改正について|publisher=西日本旅客鉄道株式会社和歌山支社|date=2020-12-18|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_wakayama.pdf|format=PDF|accessdate=2021-1-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201222132853/https://www.westjr.co.jp/press/article/items/201218_00_wakayama.pdf|archivedate=2020-12-22}}</ref>。
2014年度から、新宮駅 - 和歌山駅間のきのくに線区間に、'''W''' の[[駅ナンバリング|路線記号]]が導入されている<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/08/page_5993.html 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年8月6日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.jr-odekake.net/eki/pdf/index_03.pdf 詳細路線図(和歌山エリア)]}} - 西日本旅客鉄道</ref><ref group="注">2014年8月6日のニュースリリースでは、路線図に御坊駅 - 和歌山駅間のみ路線記号の表示とラインカラーが施されていたが、和歌山エリアの路線図に和歌山駅 - 新宮駅間で路線記号の表示とラインカラーが施されている</ref>。
亀山駅 - 新宮駅(構内除く)間はJR東海の[[東海旅客鉄道東海鉄道事業本部|東海鉄道事業本部]]、新宮駅 - 和歌山市駅(構内除く)間はJR西日本の[[西日本旅客鉄道和歌山支社|和歌山支社]]が管轄している。なお、[[紀和駅]] - 和歌山市駅間のうち、分界点 - 和歌山市駅間1.0kmは南海の[[所有権|所有]]である。この区間は、南海が施設をJR西日本に[[賃貸借|貸与]]しており、南海が[[鉄道事業者#第三種鉄道事業者|第三種鉄道事業者]]とならず、JR西日本が[[鉄道事業者#第一種鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]となっている。
新宮駅 - 白浜駅間は、2022年4月11日にJR西日本が公表したローカル線の線区別収支によると、2019年度の[[輸送密度]]が1日2000人以下となっており、JR西日本は路線の活性化策などを関係自治体と協議したい考えで、廃線も視野に議論が進む可能性があると報じられている<ref>{{Cite press release|和書|title=ローカル線に関する課題認識と情報開示について|publisher=西日本旅客鉄道|date=2022-04-11|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220411_02_local.pdf|format=PDF|accessdate=2022-04-12}}</ref><ref>{{Cite news|title=JR西日本、ローカル線収支を初公表 利用少ない17路線、廃線議論も|newspaper=毎日新聞|date=2002-04-11|url=https://mainichi.jp/articles/20220411/k00/00m/020/047000c|accessdate=2022-04-11}}</ref>。
=== 路線データ ===
* 管轄・路線距離([[営業キロ]]):全長384.2km<ref name="sone 5"/>
** 東海旅客鉄道([[鉄道事業者#第一種鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]):
*** 亀山駅 - 新宮駅間 180.2km
** 西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
*** 新宮駅 - 和歌山市駅間 204.0km
* 駅数:96(起終点駅含む)
** JR東海:40(新宮駅除く)
** JR西日本:56
*** 紀勢本線所属駅に限定した場合、起点の関西本線所属の亀山駅<ref>『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』[[JTB]]、1998年。{{ISBN2|978-4-533-02980-6}}。</ref>が除外され、95駅(うちJR東海は39駅)となる。
* [[軌間]]:1,067mm
* 複線区間:紀伊田辺駅 - 和歌山駅間
* 電化区間:新宮駅 - 和歌山駅 - 和歌山市駅間(直流1500V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:
** 亀山駅 - 新宮駅間:自動閉塞式(特殊)
** 新宮駅 - 和歌山駅間:自動閉塞式
** 和歌山駅 - 和歌山市駅間:自動閉塞式(特殊)
* 保安装置:
** [[自動列車停止装置#ATS-PT形 (JR東海ATS-P)|ATS-PT]](亀山駅 - 新宮駅間)
** [[自動列車停止装置#ATS-S改良形|ATS-SW]](新宮駅 - 和歌山市駅間)
* [[運転指令所]]:
** 亀山駅 - 新宮駅間:[[東海総合指令所]]
** 新宮駅 - 和歌山市駅間:近畿総合指令所[[和歌山指令所]]
*** 和歌山駅 - 和歌山市駅間の閉塞扱いは両駅で行うため[[列車集中制御装置]] (CTC) の管轄外となっている。
* 最高速度:
** 亀山駅 - 津駅間:95km/h
** 津駅 - 多気駅間:100km/h([[JR東海HC85系気動車|HC85系]]による特急、[[JR東海キハ75形気動車|キハ75形]]による快速)、95km/h(その他)
** 多気駅 - 新宮駅間:85km/h
** 新宮駅 - 紀伊富田駅間<ref name="speed" />:95km/h([[JR西日本283系電車|283系]]、[[JR西日本287系電車|287系]]および[[JR西日本289系電車|289系]])、85km/h(その他)
** 紀伊富田駅 - 白浜駅間<ref name="speed" />:110km/h(283系、287系および289系)、85km/h(その他)
** 白浜駅 - 和歌山駅間<ref name="speed" />:110km/h(283系、287系および289系)、95km/h(その他)
*** なお芳養←南部駅間上り線・紀三井寺→和歌山駅間下り線では2021年まで283系特急型車両に限り130km/h運転を行っていた
** 和歌山駅 - 紀和駅間<ref name="speed" />:95km/h
** 紀和駅 - 和歌山市駅間<ref name="speed" />:85km/h
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:
** [[TOICA]]エリア:なし
** [[ICOCA]]エリア:新宮駅 - 和歌山市駅間(新宮駅 - 紀伊田辺駅間の無人駅は、車載型IC改札機で対応)
== 沿線概況 ==
{{紀勢本線路線図}}
紀伊半島を半周する路線で、松阪駅 - 和歌山駅間では[[熊野]]や[[南紀]]といった沿岸部の都市を[[国道42号]]とともに結んでいる。
[[紀伊長島駅]] - [[海南駅]]間では一部区間を除いて海沿いを走行する一方で、多気駅 - 紀伊長島駅間など山間部を走行する区間もあり、山間部では野生動物と列車が衝突する事象も増えている<ref>[https://web.archive.org/web/20101029035159/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101026-OYT1T00277.htm 動物と列車接触急増、1年で507件…紀勢線]([[インターネットアーカイブ]])- [[読売新聞]] 2010年10月26日</ref>。
=== JR東海区間 ===
==== 亀山駅 - 多気駅間 ====
[[鈴鹿川]]の北側にある亀山駅を発車すると、右にカーブして鈴鹿川を渡り、丘陵地の中をトンネルで抜けていくつものカーブを抜けて南東方向に進む。築堤を上がると[[下庄駅]]であるが、なお山間部の中を進み、しばらくして田園地帯に入り、[[国道23号]]([[中勢バイパス]])をくぐると[[一身田駅]]で、左手に[[真宗高田派]]本山の[[専修寺]](せんじゅじ)が見える。左手から[[伊勢鉄道伊勢線]]が合流してくると、[[近鉄名古屋線]]をくぐって[[津駅]]に到着する。三重県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]で近鉄名古屋線と伊勢鉄道伊勢線も乗り入れている。
津駅を出ると、三重県庁が建ち並ぶ丘陵を右に眺めながら、近鉄名古屋線と並走して南下する。 [[安濃川]]を渡り、津市の副都心として発展している近鉄[[津新町駅]]の東側を通過し、[[岩田川]]を渡ると近鉄名古屋線と分かれて市街地を進むと[[阿漕駅]]で、国道23号([[伊勢参宮街道|伊勢街道]])とともに南下を始める。 [[高茶屋駅]]の先で田園風景が広がってくるようになり、[[雲出川]]を渡ると津市から[[松阪市]]に入る。[[六軒駅 (三重県)|六軒駅]]を過ぎ、三渡川を渡って[[近鉄山田線]]と交差し紀勢本線は近鉄山田線の西側を走行する。右手から[[名松線]]が合流すると、[[松阪駅]]に到着する。
松阪駅を出ると近鉄山田線はやや東向きに分かれていく。かつて[[伊勢電気鉄道]](のちの[[近鉄伊勢線|関急伊勢線]])との乗換駅であった[[徳和駅]]を過ぎて丘陵地帯を通過し、[[櫛田川]]を渡ってまもなく多気駅に到着する<ref>[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 6頁]]</ref>。
==== 多気駅 - 新宮駅間 ====
建設の経緯から、[[参宮線]]は多気駅を出ると直進するのに対し、紀勢本線は右にカーブをして進路を西に変えて、かつて紀勢東線と呼ばれていた区間に入る。[[国道42号]](松阪バイパス)を過ぎると[[相可駅]]を通過し、多気町役場の西側を走行すると[[紀伊山地]]に入り、[[川添駅]]まで茶畑が目立つようになる。この先、国道42号とともに[[和歌山市]]を目指す。[[三瀬谷駅]]を出ると、[[宮川 (三重県)|宮川]]に架かるアンダートラス橋を渡り、[[滝原駅]] - [[阿曽駅]]間では大滝峡と呼ばれる渓谷を通過する<ref name="sone 7">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 7頁]]</ref>。[[梅ケ谷駅]]を過ぎると伊勢国と紀伊国の境にある[[荷坂峠]]を荷坂トンネルで抜け、Ω状のカーブを13ものトンネルで抜けると紀勢本線では初めて[[熊野灘]]が見える海沿いに出て、再びトンネルをくぐると[[紀伊長島駅]]に到着する<ref name="sone 7"/>。
紀伊長島駅を出ると赤羽川橋梁を渡る。[[三野瀬駅]]を出て小さな峠を越えると、田園地帯を走行し、[[船津駅 (三重県紀北町)|船津駅]]を通過して、[[相賀駅]]を過ぎ、銚子川を渡る高架橋のままトンネルに入って銚子川沿いの谷を走行し、馬越峠を尾鷲トンネルで抜けると[[尾鷲駅]]に到着する。国道は山間部を通過するのに対して、紀勢本線は海沿いを走行し、[[中部電力]]の[[尾鷲三田火力発電所]]を左手に眺めながら小さなトンネルを抜けて[[大曽根浦駅]]を通過する。この先は、長大トンネルが多く、[[熊野市駅]]まで各トンネルの間に駅が所在するようになる。[[九鬼駅]]・[[三木里駅]]と続いて、紀勢東線と呼ばれた区間が終了する。この区間は住民・政治家から国鉄に対して陳情が行われ、九鬼駅経由で建設されることになった。三木里駅 - [[新鹿駅]]間は紀勢本線で最後に建設された区間であり、建設当初の計画では[[賀田駅]] - 新鹿駅間を1本のトンネルによって結ぶ予定であったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ、[[二木島駅]]経由で建設されることになった。
熊野市駅近くにある[[鬼ヶ城]]と呼ばれる景勝地が[[志摩半島]]から続いた[[リアス式海岸]]の最南端にあり、熊野市駅からは平野部が続き[[鵜殿駅]]までは約22kmの海岸線が続く[[七里御浜]]沿いに進む。この七里御浜では毎年8月に[[熊野大花火大会]]が行われ、[[臨時列車]]が多数運転されている。鵜殿駅を過ぎると、右にカーブをして一度山側へ迂回して三重県と和歌山県の県境である[[熊野川]]を渡り、[[新宮城]]跡の下に設けられた丹鶴トンネル<ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200911210048.html トンネル抜ければ朝 JR紀勢線 新宮駅周辺] - [[朝日新聞]] 2009年11月21日</ref>をくぐると[[新宮市]]の市街地を進み、ほどなくして[[新宮駅]]に到着する。なお、熊野川橋梁中央部から丹鶴トンネル入り口までのわずかな区間が、JR東海唯一の和歌山県区間である。
<gallery widths="300">
ファイル:Oosoneura-sta-wide2.jpg|遠方に尾鷲湾が見える大曽根浦駅。
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=== JR西日本区間 ===
JR西日本が管轄する区間の大半は沿岸部を走行している。近い将来に発生が想定されている[[東海地震]]・[[東南海地震]]・[[南海地震]]による[[津波]]対策として新宮駅 - 和歌山駅間では避難誘導標が沿線に設置されている<ref>[http://www.westjr.co.jp/safety/action/disaster/ 災害に対する安全性向上] - 西日本旅客鉄道</ref>。沿線の架線柱には、津波浸水区間・避難する方向・避難場所と避難場所までの距離などが記された看板<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/action/csr_report/2009/pdf/csr2009-2010_07.pdf 企業行動報告書 2009-2010]}} - 西日本旅客鉄道 p.32</ref>や海岸線沿いで海抜が低い串本駅 - 紀伊勝浦駅間においては、津波避難用の全長5m程度のコンクリート製避難誘導降車台<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/company/action/csr_report/2013/pdf/csr2013_07.pdf JR西日本 CSR REPORT 2013]}} - 西日本旅客鉄道 p.28</ref>が設置されている。
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ファイル:Refuge instruction instructions Sign.jpg|避難誘導指示標(避難場所・距離を示したもの)
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なお、この区間の各駅の1日あたりの乗降客の推移(昭和55年度以降)については、和歌山県のホームページ<ref>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020500/tetudou/tetudoutop.html 和歌山県内の各路線] - 和歌山県 企画部 地域振興局 総合交通政策課</ref>に一覧表<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020500/tetudou/documents/H26JReki.pdf JR駅別乗降客数の推移]}}</ref>が公開されている。
==== 新宮駅 - 紀伊田辺駅間 ====
紀勢本線の要衝の駅である新宮駅は、かつて新宮運転区が設けられていたこともあり、構内は広大な留置線が設けられている。新宮駅を発車した列車は、南東に進んだのちに、王子ヶ浜の海岸線を南下する。[[那智駅]]は那智勝浦海浜公園の前にあり、海水浴場もあるため、特急列車が停車していたこともあった。[[熊野那智大社]]は那智駅から山奥に入った場所に位置している。2011年の[[平成23年台風12号|台風12号]]による大雨の影響で、橋脚が流された[[那智川]]を渡り<ref name="名前なし-1">[http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201109040033.html JR紀勢線鉄橋、増水で一部流される 和歌山・那智勝浦] - 朝日新聞 2011年9月4日</ref>[[紀伊勝浦駅]]に至る。紀伊勝浦駅のすぐ近くには、[[マグロ]]の水揚げ量が日本一を誇る[[勝浦漁港 (和歌山県)|勝浦漁港]]と、[[南紀勝浦温泉]]がある<ref>[http://www.wakayama-kanko.or.jp/marutabi/spa/katsuura.html わかやま観光情報] - 和歌山県</ref>。
古くからの温泉地である[[湯川駅]]を過ぎ、日本の[[捕鯨]]発祥の地にある[[太地町]]の[[太地駅]]を通過し、駅前に県内最古の前方後円墳のある[[下里駅]]の先では、[[万葉集]]でも詠まれた[[玉の浦]]を望みながら[[紀伊浦神駅]]を過ぎ、左手には近畿大学水産研究所の浦神研究所が見え、山間部に入る。[[紀伊田原駅]]付近から再び海沿いを走行し、[[平成の名水百選]]にも選ばれ、[[カヌー]]での川下りが盛んな[[古座川]]を渡って[[古座駅]]である。対岸に[[紀伊大島]]が見え始め、[[紀伊姫駅]]を過ぎると岩が立ち並ぶ[[橋杭岩]]が見え、本州最南端の駅である[[串本駅]]に到着する。この駅を境にして、多気駅から南西方向に向かってきた紀勢本線は右にカーブをして[[和歌山市]]を目指すために北進を始める。山間にある[[紀伊有田駅]]・[[田並駅]]と過ぎると、やがて枯木灘が広がる海岸が[[田子駅]]・[[和深駅]]と続いた先の[[周参見駅]]付近まで広がる。[[江住駅]] - 和深駅間では[[シカ]]との接触事故が多く、沿線の[[アドベンチャーワールド]]で飼われている[[ライオン]]の[[糞]]を忌避剤として線路沿いに撒いたところ接触事故がなくなったが、一時的な効果に終わっている<ref>[https://web.archive.org/web/20131202234756/http://www.47news.jp/CN/200302/CN2003022101000005.html ライオンのふん効果抜群/紀勢線、シカ衝突事故0件] - [[47NEWS]] 2003年3月20日</ref>。この先の[[見老津駅]] - 周参見駅間では当線唯一の[[信号場]]である[[双子山信号場]]が設けられている。周参見駅からは山間を走行し、[[富田川 (和歌山県)|富田川]]を渡って[[紀伊富田駅]]を過ぎると、次第に左手にはアドベンチャーワールドの[[観覧車]]が見え始め、右手に[[引き上げ線]]が現れると、[[白浜駅]]に到着する。同駅は[[白良浜]]や[[南紀白浜温泉]]などの観光地を抱える[[白浜町]]の中心駅として位置づけられており、特に夏場には多くの観光客が訪れる関西のリゾート地となっている。新大阪方面からの特急列車のうち、半数以上がこの白浜駅で折り返している。
==== 紀伊田辺駅 - 和歌山駅間 ====
[[紀伊田辺駅]]は和歌山県中南部の経済の中心となっている[[田辺市]]の中心駅で、かつて紀伊田辺機関区があったため、駅構内には多くの留置線があり、この駅を境に普通列車の運転系統が分かれている。また、紀州路から中辺路と大辺路が分岐しており、陸上交通においても鉄道においても交通の要衝でもあった。紀伊田辺駅からは複線になり、田辺市の市街地を抜け、[[芳養駅]]を過ぎると第三芳養トンネルを通過し、日本一の[[梅]]の産地を抱える[[みなべ町]]に入り<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/110604/wky11060402080000-n1.htm 「南高梅」収穫始まる 台風も枝には実がいっぱい 和歌山・みなべ] - 産経新聞 2011年6月4日</ref>、[[南部駅]]に至る。千里梅林の下にあるトンネルをすぎると、[[千里の浜]]と呼ばれる海岸沿いを走行する。古くからの景勝地で、『[[枕草子]]』などでその名がみられるほか、日本有数の[[アカウミガメ]]の産卵地として知られている<ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200909120073.html 青い世界からの伝言 JR紀勢線・岩代駅] - 朝日新聞 2009年9月12日</ref>。[[岩代駅]] - [[切目駅]]間の一部区間では[[太平洋]]の絶景を眺めることができ、一部の列車が速度を落として運転するなどビューポイントとなっている<ref>[https://web.archive.org/web/20061008082005/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/060915c.html きのくに観光列車 快速「紀州歴史物語号」の運転]([[インターネットアーカイブ]])- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年9月15日</ref>。
切目駅からは内陸を走行し、[[印南駅]]のすぐ北側には[[印南町]]のシンボルである「かえる橋」を見ることができる。御坊駅では紀州鉄道が分岐している。御坊駅は御坊市の郊外に位置しており、中心駅は紀州鉄道の[[紀伊御坊駅]]である。御坊駅から再び北上し、紀伊内原駅・紀伊由良駅と続く。紀伊由良駅は、蒸気機関車に使用される石炭を配炭する拠点が海岸部にある由良港に設けられ、その配炭所を結ぶ目的で貨物線が分岐していた。このあたりからミカン畑が目立つようになり、広川ビーチ駅を通過し、醤油発祥の地として知られている湯浅駅へと至る。かつて有田鉄道が分岐し、特急の停車駅にもなった[[藤並駅]]を過ぎると、西進しながらJR西日本管内の在来線では最長の[[有田川]]橋梁 (912m) <ref>[http://www.westjr.co.jp/company/issue/data/ データで見るJR西日本] - 西日本旅客鉄道</ref>を渡って、[[有田みかん]]の生産地である[[有田市]]に入り、有田川の右岸を走行する。有田市の代表駅である[[箕島駅]]を過ぎて半島の先端を回って石油タンクが立ち並ぶ初島駅に至り、再び東に進路を変えて下津駅と続く。
[[加茂郷駅]]を過ぎトンネルを抜けると再び海岸線を走行するようになり、左手には[[紀伊水道]]が見える。この先の[[冷水浦駅]]まで、紀勢本線では海が見える最後の区間で、対岸には[[ポルトヨーロッパ]]や[[工業地域|工業地帯]]が見える。阪和道の[[海南インターチェンジ]]の高架橋をくぐると、左にカーブをしながらやがて高架橋を走行して[[海南駅]]を通過し、その後も高架橋を走行するも徐々に高度を落として紀勢本線最後で180か所目のトンネルを通過する<ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/ensen/OSK200809130038.html 駅で水着に着替えたら JR紀勢線 古座駅] - 朝日新聞 2008年9月13日</ref>。トンネルを抜けると[[黒江駅]]で、[[和歌山市]]に入って[[名草山]]の南西側を迂回するために左へカーブしてしばらく直進で進んだのち、再び右へカーブして[[紀三井寺駅]]を通過し、徐々に和歌山市の市街地を進むようになる。[[宮前駅]]を過ぎると左手には[[和歌山ビッグホエール]]と呼ばれる多目的施設が見えるが、かつてここには[[和歌山操駅]]があった<ref>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/200100/www/html/gijiroku/9509/0709-04-04.html 平成7年9月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(永井佑治議員の質疑及び一般質問)] - 和歌山県議会</ref>。やがて右手から[[和歌山電鐵貴志川線]]が寄り添ってくると、[[和歌山駅]]に到着する。
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ファイル:JRW Kinokuni Line view-01.jpg|岩代駅 - 切目駅間は太平洋を眺める
ファイル:JRW Kinokuni Line view-02.jpg|印南駅からは印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる
ファイル:JRW Kinokuni Line view-03.jpg|ポルトヨーロッパや工業地域を見ることができる加茂郷駅 - 冷水浦駅間
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==== 和歌山駅 - 和歌山市駅間 ====
和歌山駅では、和歌山市行きの列車は8番のりばから発車する。[[阪和線]]と並走し、高架橋をくぐる付近までわずかであるが[[和歌山線]]と線路を共用し、和歌山線の線路が右に分かれる。先に阪和線が左に分かれ、その後和歌山線が右に分かれていくと、しだいに左にカーブをして阪和線をくぐって高架橋を上り始め、直線部にある[[紀和駅]]に至る。紀和駅は1968年まで和歌山駅と称し、和歌山駅は同年まで東和歌山駅と称していた。2008年に紀和駅付近が[[連続立体交差事業]]により高架化された<ref name="名前なし-2">[http://www.wakayamashimpo.co.jp/news/08/10/081005_435.html JR紀和駅高架の供用始まる 渋滞緩和などに効果] - わかやま新報 2008年10月5日</ref>。紀和駅を発車すると、左にカーブをしながら高架を下り、次第に[[南海本線]]が右手から合流する。南海電鉄分界点を通過し、和歌山市駅に到着する。紀勢本線から南海線への[[連絡線|渡り線]]が設けられているが、この渡り線は[[非電化]]であり、紀勢本線の旅客列車が南海線のホームを発着することはない。かつては、この渡り線を介して南海本線から南紀方面への[[直通運転|直通列車が運転]]されていたが、現在は[[車両輸送|甲種車両輸送]]時の車両受け渡し用としてのみ利用されている。
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ファイル:JRW series105 Kinokuni.jpg|南海線との渡り線付近を走行する105系
ファイル:和歌山線(旧線)-23.jpg|地上線時代の会社境界場所。 金網の柵がある区間が南海電鉄、枕木の柵がある区間がJR。
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== 運行形態 ==
起点は亀山駅で、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅方面へ向かう方向が全線を通して[[ダイヤグラム#上りと下り|下り]]であり<ref group="注" name="direction">例として『JTB時刻表』では新宮駅 → 和歌山駅のページは「下り」、和歌山駅 → 新宮駅のページは「上り」と記されている。</ref>、JR東海が管轄する亀山駅 - 新宮駅間では[[列車番号]]や[[特別急行列車|特急列車]]の号数は新宮駅へ向かう方向が下り列車に付けられる奇数である。一方、JR西日本が管轄する区間のうち新宮駅から和歌山駅までの区間では、和歌山駅へ向かう下り列車<ref group="注" name="direction" />が本来上り列車に付ける偶数、逆方向の上り列車が本来下り列車に付ける奇数となっている<ref group="注">特急「[[南紀 (列車)|南紀]]」が乗り入れる新宮駅 - 紀伊勝浦駅間では混在することになる。</ref>。これは、1989年7月の[[東海道本線]]への乗り入れ開始時に、同線に合わせて変更したためである。
=== 優等列車 ===
名古屋駅からは[[伊勢鉄道伊勢線|伊勢鉄道]]経由で紀伊勝浦駅まで特急「[[南紀 (列車)|南紀]]」が1日4往復運転されていて、多客期には運転本数が増発される。[[京都駅]]、[[新大阪駅]]から白浜駅、新宮駅までは特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」が運転されている。
[[1978年]]10月2日のダイヤ改正前までは、[[国鉄キハ80系気動車|キハ81・82系]]気動車を使った特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」や[[国鉄キハ58系気動車|キハ28・58系]]気動車を使った急行「[[南紀 (列車)|紀州]]」、[[1984年]]2月1日のダイヤ改正まで旧型客車([[国鉄スハ43系客車|スハ43系]]など)を使った夜行客車普通列車「[[#夜行普通列車|はやたま]]」(新宮駅以西では[[B寝台車]]も連結していた)などが名古屋駅 - 和歌山駅 - 天王寺駅間で運行されていたが、同改正以降は亀山駅 - 和歌山駅間を通して走る列車はない。
また、東京駅 - 紀伊勝浦駅間には亀山駅経由で[[寝台列車|寝台特急]]「[[紀伊 (列車)|紀伊]]」が1984年1月31日まで運行されていた。
天王寺駅(一部は[[南海本線]][[難波駅 (南海)|難波駅]])および紀伊田辺駅から白浜駅・椿駅・周参見駅・新宮駅・熊野市駅まではキハ28・58系(難波駅乗り入れ列車はキハ55系相当の南海[[国鉄キハ55系気動車#南海電気鉄道キハ5501形・キハ5551形|5501・5551形]])気動車を使った急行「[[きのくに_(列車)|きのくに]]」が運行され、新宮駅以西の電化後も1985年3月14日のダイヤ改正で運行終了する(485系電車投入および特急「くろしお」への格上げのため)まで気動車で運行されていた。
1959年の紀勢本線全線開通前の[[1933年]]から[[1937年]]には関西から白浜への温泉観光列車「[[黒潮号]]」が運転されていた。
=== 地域輸送 ===
運行系統は、JR東海の亀山駅 / 伊勢鉄道 - 津駅 - 多気駅間・多気駅 - 新宮駅間とJR西日本の新宮駅 - 紀伊田辺駅間・紀伊田辺駅 - 御坊駅間・御坊駅 - 和歌山駅間・和歌山駅 - 和歌山市駅間に分かれている。
==== 亀山駅 - 津駅間 ====
[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]を発着する紀勢本線の列車は[[普通列車]]のみとなっており、多気駅発着や新宮駅・三瀬谷駅方面への列車が少数あるほか大半は多気駅より[[参宮線]]へ[[直通運転]]している。亀山駅から関西本線へ直通する列車は1本もない(名古屋方面へはスイッチバックとなり、運行した場合は伊勢鉄道を経由する列車とは車両の向きが逆になる<ref group="注">国鉄時代は伊勢線開業後も名古屋駅 - 天王寺駅間直通の[[#夜行普通列車|夜行普通列車]]など数本設定があった。</ref>)。日中1時間あたり1本程度の運行で、[[ワンマン運転]]を行う列車が多い。[[JR東海キハ25形気動車|キハ25形]]気動車で運用されている。
==== 津駅 - 多気駅間 ====
[[津駅]] - 多気駅間には前述した亀山駅発着の普通のほか、伊勢鉄道経由で関西本線名古屋駅まで直通する快速「[[みえ (列車)|みえ]]」が運行されている。この快速「みえ」は全列車が多気駅より参宮線に直通する。普通列車は亀山駅発着のほか、朝夕の一部に[[松阪駅]]発着での多気駅発着、三瀬谷駅方面、参宮線直通も設定されている。快速「みえ」は[[JR東海キハ75形気動車|キハ75形]]気動車、普通列車は[[JR東海キハ25形気動車|キハ25形]]気動車で運用されており、普通列車はワンマン運転を行う列車が多い。運転本数は快速「みえ」と亀山駅発着の普通列車がそれぞれ日中1時間あたり1本程度である。
津駅 - 松阪駅間は特定運賃を採用していないが、競合する[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄名古屋線|名古屋線]]・[[近鉄山田線|山田線]]に比べて運賃が安い。しかし運転本数は近鉄名古屋線より大幅に少ない。
==== 多気駅 - 新宮駅間 ====
快速列車の定期運行はなく、通過駅のある特急列車を除くと普通列車のみが運転されている。多気駅発着の列車が多いが、亀山駅 - 新宮駅間を直通する列車も下り3本・上り1本ある。紀伊長島駅・熊野市駅発着の列車があるほか、下り最終は亀山駅発三瀬谷駅行きで運転されている。新宮駅を越えてJR西日本管内に直通する普通列車はない。本数は1日10往復程度と少なく、3時間以上列車の間隔が開く時間帯もある。全列車がキハ25形気動車で運行され、大半の列車がワンマン運転を行っている。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため[[列車交換|行き違い可能駅]]で長時間停車する列車が多い。
==== 新宮駅 - 紀伊田辺駅間 ====
1 - 3時間に1本の間隔で運行されている。1日あたり9 - 10本の運転が基本で、平日の新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は通勤・通学需要のため上り12本、下り11本と若干多く、串本駅 - 周参見駅間は1日8往復とこの区間内では最も運転本数が少ない。また、白浜駅 - 紀伊田辺駅間は普通列車よりも特急「くろしお」の本数が多い区間となっている。現在は全て[[JR西日本227系電車|227系]]電車でワンマン運転を行う。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車がある。
かつては[[急行形車両|急行用]]の[[国鉄165系電車|165系]]電車や[[通勤形車両 (鉄道)|通勤用]]の[[国鉄105系電車|105系]]が主力車両であった。165系電車が使用されていた時代には和歌山駅 - 新宮駅を直通運転する普通列車が設定されていた。この区間の標準的な所要時間は3時間弱であるが、朝下りと夜上りの各1本は2時間20分台で走っており、この区間を走る最も遅い特急列車との所要時間差は20分程度である。2021年3月13日のダイヤ改正までは朝に周参見発和歌山行きが1本あり、[[JR西日本223系電車|223系]]・[[JR西日本225系電車|225系]]電車4両編成が充当されていた。この列車はワンマン運転ではなく、この区間の列車で唯一車掌が乗務する普通列車であった。
[[2021年]][[9月1日]]より平日の始発 - 9時を除く全列車において[[自転車]]を解体せず車内に持ち込める[[サイクルトレイン]]が実施されている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/211124_01_cycletrain.pdf|format=PDF|title=きのくに線「サイクルトレイン2022」通年実施します!!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2021-11-24|accessdate=2022-10-07}}</ref>。
==== 紀伊田辺駅 - 御坊駅間 ====
紀伊田辺駅 - 御坊駅間は1時間に1本程度で、2002年11月以降は日中は他区間から系統分離され、2020年4月現在[[JR西日本227系電車|227系]]電車2両編成によるワンマン運転を行っている。2020年3月以前は当区間専用の[[国鉄113系電車#クモハ113・112形2000番台|113系2000番台]]電車2両編成によるワンマン運転が行われていた。ただし、朝と夜には紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の列車が223系電車・225系電車・227系電車の4両編成で運転され、この場合は車掌乗務の列車となる。御坊駅折り返しの列車は御坊駅で和歌山方面の列車と接続する。また、朝に周参見発御坊行き(列車番号は紀伊田辺駅を境に変更)の直通列車が運転されているほか、2006年6月からは田辺地区の中学校・高等学校の授業日には南部発紀伊田辺行きの臨時列車も運転されている<ref name="rinji">{{Cite news |title=朝の通学時間帯の混雑改善、JRに陳情へ 印南駅から田辺方面 |newspaper=[[紀伊民報]] |date=2013-04-19 |url=http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=251137 |accessdate=2013-04-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130424070042/http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=251137|archivedate=2013-04-24}}</ref>。
[[2022年]][[4月1日]]より平日の始発 - 9時を除く全列車においてサイクルトレインが実施されている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220323_01_cycletrain.pdf|title=きのくに線「サイクルトレイン2022」がさらに進化します!!|publisher=西日本旅客鉄道|date=2022-03-23|accessdate=2022-10-07}}</ref>。
==== 御坊駅 - 和歌山駅間 ====
御坊駅 - 和歌山駅間は1時間に1 - 2本が運行されている。朝と夜の一部時間帯を除いて1時間あたり2本が運行されており、紀勢本線の中で最も運転本数の多い区間である。ただし、日中の一部列車は箕島駅 - 和歌山駅間の運転である。主に223系・225系・227系電車で運行されており、原則として和歌山駅で[[関空快速・紀州路快速|紀州路快速]]を含む[[阪和線]]の[[快速列車]]との接続が考慮されている。また、阪和線との直通列車も朝晩に設定されており、223系や225系電車で運行されている。前述のとおり、紀伊田辺駅 - 御坊駅 - 和歌山駅間を直通する普通列車も朝と夜に設定されている。
御坊駅 - 和歌山駅間で通過運転を行う快速(停車駅は[[#駅一覧]]参照)が設定されており、朝に紀伊田辺発2本(平日は和歌山行き2本、休日は和歌山行きと和歌山駅から紀州路快速となる大阪環状線直通京橋行き)、平日の夕方に和歌山発紀伊田辺行き1本の快速列車も運転されている。
この区間は特に和歌山側の利用客が比較的多いこともあり、すべて4両編成で運転されている。1992年3月13日までは阪和線からの直通列車を中心に[[国鉄113系電車|113系]]の6両編成で運転される列車も存在していた。
[[2023年]]8月21日より一部列車においてサイクルトレインが実施されている(事前予約制で1列車3台までの実証実験)<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230724_00_press_kinokuni.pdf ついに!和歌山駅まで!!「きのくに線サイクルトレインプラス」実証実験スタート] JR西日本</ref>。
===== 阪和線との直通運転 =====
<!--阪和線内のスジ等の状況は阪和線の記事に記載してください-->
[[File:JRW series 113 at Kainan Station 19920818.jpg|thumb|113系電車による阪和線直通天王寺発御坊行き快速列車(海南駅、1992年8月)]]
紀勢本線の電化後、阪和線の電車(快速の一部および日根野駅発着の各駅停車の一部。紀勢本線内は各駅停車)の乗り入れが開始された。2000年3月10日までは、日中においても天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間直通運転の快速(紀勢本線内は各駅停車)が設定されており、これらの列車が紀勢本線内の日中の普通運用も兼ねていた。しかしその後、列車の運転区間の短縮や、阪和線直通の快速列車の削減が相次ぎ、日中の直通運転も廃止された。2022年現在では上下とも紀伊田辺駅までの間で朝夜時間帯のみ直通運転が実施されている。
この区間では快速または普通として運転し、和歌山駅で阪和線内の種別に変更することが多いが、種別変更せず阪和線に直通する列車も存在する。
かつては後述する「[[#夜行普通列車|太公望列車]]」を含む新大阪始発の快速列車があったが、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪駅からの阪和線・紀勢本線直通の快速列車の運転は廃止され、新大阪駅から阪和線・紀勢本線への直通列車は特急のみとなった。この改正で「太公望列車」を前身とする夜の新大阪発御坊行き最終列車は天王寺発(土休日は京橋発)大阪経由御坊行き(和歌山駅まで[[関空快速・紀州路快速|紀州路快速]])に変更された<ref name="jtbtt201710-201803">JTBパブリッシング『JTB時刻表』2017年10月号 pp.286,292,300、および同2018年3月号 pp.286,292,300</ref>。2021年3月13日のダイヤ改正で和歌山発となって阪和線からの直通は一旦は廃止されたものの、2022年3月12日ダイヤ改正で平日・土休日ともに[[大阪環状線]]一周の天王寺発に改められて復活した。
紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の上りの始発列車と下りの最終列車は、2020年3月13日まで阪和線の日根野駅発着で運転されており、阪和線内の日根野駅 - 和歌山駅間も各駅に停車し、113系電車2両編成が運用されていた。この列車は上り・下りとも2020年3月14日のダイヤ改正で、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間と和歌山駅 - 日根野駅間の列車に系統が分割され、阪和線と直通しなくなった<ref>『JTB時刻表』JTBパブリッシング、2019年12月号 pp.298,303,708、同2020年3月号 pp.298,303,706</ref>。
==== 和歌山駅 - 和歌山市駅間 ====
日中は1時間あたり1本運転されている。2010年3月7日までの土曜・休日は2本で運行されていた。この区間では227系電車によるワンマン運転を行っているが、途中駅である[[紀和駅]]を含めて全駅ですべてのドアが開閉する。運転士による集札は行われないが、時間帯によっては[[JR西日本メンテック]]の契約社員による[[車内改札]]が行われることがある。
この区間は「紀和線」とも呼ばれている。正式路線名の紀勢本線と案内されることはなく、車内の乗り換え案内では南海側は「JR和歌山行き」、JR側は「和歌山市方面」、南海が管理する和歌山市駅の案内放送では「紀和・和歌山行き」とそれぞれ案内されている。
この区間では[[1985年]]3月13日まで「[[きのくに (列車)|きのくに]]」などの[[南海電気鉄道]](南海)[[難波駅 (南海)|難波駅]]からの直通列車や、新宮方面や和歌山線との直通列車、さらに昔には[[急行列車|急行]]「[[紀伊 (列車)#大和|大和]]」に併結される[[東京駅]]直通の[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]が運行されていたこともある。また、この路線を使って南海や[[泉北高速鉄道]]の新造車両の[[車両輸送|甲種輸送]]が行なわれている。和歌山市駅構内の南海本線との渡り線のみ非電化のままである。
2009年には当時の和歌山市長[[大橋建一]]が、[[和歌山電鐵貴志川線]]内の架線電圧昇圧を行い(2012年実施)、当区間を経由して同線・[[南海加太線]]と直通列車を運行する構想があることを明らかにしている<ref>[http://wakayamashimpo.co.jp/news/2009/03/post_681.html 貴志川線と南海加太線を1本化構想] - [[わかやま新報]] 2009年3月5日</ref>。<!--念のため。2009年3月のわかやま新報の報道では「市長の構想」であり、相互直通運転になるかどうかは不明。-->
=== 夜行普通列車 ===
<!--この節で御坊行き終電の変遷を記述するのはやめてください-->
[[File:Kisei Yako 165 at Tennoji 19880401.jpg|thumb|165系電車による天王寺発新宮行き夜行列車(天王寺駅、1988年4月)]]
[[2000年]]9月30日まで大阪地区([[天王寺駅]]、のちに[[新大阪駅]])と[[新宮駅]]を結ぶ[[夜行列車|夜行]][[普通列車|普通]](のちに[[快速列車|快速]])列車が運行されており、本節ではこの夜行普通列車を主体に述べる。なお、[[日本国有鉄道|国鉄]]時代は大阪側・名古屋側双方を発着する[[準急列車|準急]](のちに[[急行列車|急行]])の夜行列車もあった。それぞれの沿革は「[[くろしお (列車)#大阪対南紀直通優等列車沿革|大阪対南紀直通優等列車沿革]]」・「[[南紀 (列車)#紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革|紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革]]」を参照。
[[1959年]]の紀勢本線の全通前から天王寺駅発着の夜行列車はあり、紀勢本線の全通により天王寺駅 - 名古屋駅間通しで運行される夜行普通列車となった。1972年までは[[南海電気鉄道]]も専用客車[[南海サハ4801形客車|サハ4801形]]<ref group="注">ただし南海サハ4801形客車は1両のみのため、国鉄の客車も南海乗り入れに使用された。</ref>を保有し、[[和歌山駅]]で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。なお、[[1984年]]から新宮駅発着に、[[1986年]]から天王寺駅発のみの片道に、[[1990年]]から種別が[[快速列車]]となり、始発駅も[[新大阪駅]]に変更された。
1984年1月31日まで[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]を新宮駅 - 天王寺駅間で連結しており、[[1974年]]の[[マルス (システム)|指定席発券システム]]拡充による[[寝台券]]発売開始に伴い、「'''南紀'''」(のちに「'''はやたま'''」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝[[釣り]]をする人達によく利用されていたことから'''[[釣り#関連する逸話|太公望]]列車'''とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには[[座席指定席|指定席]]が設定されていた兼ね合いで「'''いそつり'''」(のちに「'''きのくに'''」)の愛称が与えられていた。
その後、1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは[[臨時列車]]として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。2010年3月13日の改正で新大阪発御坊行きとなったことで、紀勢本線内は単なる普通列車となった。
==== 大阪側発着夜行普通列車の年譜 ====
{{See also|くろしお (列車)#大阪対南紀直通優等列車沿革|きのくに_(列車)#国鉄・南海直通優等列車沿革}}
* [[1959年]]([[昭和]]34年)[[7月15日]]の紀勢本線全通直前:当時の紀勢西線には、夜行普通列車が運行されていた。この時点では、天王寺発新宮行、天王寺・[[南海本線]][[難波駅 (南海)|難波]]発新宮行、[[新鹿駅|新鹿]]発天王寺・南海難波行(ただし難波行の客車は新宮駅から連結)の3本が運行されていた<ref name="jikoku-195907-94-95">{{Cite journal|和書|date =1959-07|journal = 日本国有鉄道監修時刻表|publisher =日本交通公社|issue = 401|pages=94 - 95}}</ref>。
* 1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線の全通により、名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車が上下とも設定される。上下とも新宮駅 - 東和歌山駅(現・和歌山駅)間で南海難波駅発着の客車を併結する。また従来の天王寺発新宮行夜行列車のうち1本は準急「はやたま」となる<ref name="jikoku-195907-94-95"/>。
* [[1961年]](昭和36年)[[3月1日]]:名古屋発天王寺・南海難波行が新宮駅で系統分割され、同時に南海難波行の併結が廃止される。新宮発天王寺行の夜行普通列車は気動車による運行となる。なお天王寺・南海難波発名古屋行は従来通り客車で直通運行<ref name="kjikoku-196104-30-33">{{Cite journal|和書|date =1961-04|journal = 京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表|publisher =日本交通公社関西支社|issue = 64|pages=30 - 33}}</ref>。
* [[1966年]](昭和41年)頃<!--正確には1965年12月から1966年3月25日改正の前まで-->:新宮発天王寺行の夜行普通列車が名古屋発となり、再び客車での運行に変更される<ref name="jikoku-196511-141-144">{{Cite journal|和書|date =1965-11|journal = 交通公社の国鉄監修時刻表|publisher =日本交通公社|issue = 477|pages=141及び144頁}}</ref><ref name="kjikoku-196604-44-49">{{Cite journal|和書|date =1966-04|journal = 京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表|publisher =日本交通公社関西支社|issue = 124|pages=44 - 49}}</ref>。
* [[1968年]](昭和43年):上下列車とも新宮駅 - 天王寺駅間で二等寝台車(のちの[[B寝台|B寝台車]])が連結される{{refnest|group="注"|1968年4月の時刻表では寝台車表記なし<ref name="kjikoku-196804-48-53">{{Cite journal|和書|date =1968-04|journal = 京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表|publisher =日本交通公社関西支社|issue = 148|pages=48 - 53}}</ref>。1968年7月の時刻表では寝台車表記あり<ref name="kjikoku-196807-48-53">{{Cite journal|和書|date =1968-07|journal = 京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表|publisher =日本交通公社関西支社|issue = 151|pages=48 - 53}}</ref>。}}。
* [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]:ダイヤ改正([[1972年3月15日国鉄ダイヤ改正]])により、南海難波駅始発の客車が廃止される。和歌山市駅始発の運転(和歌山で名古屋行きに併結)は継続。
* [[1974年]](昭和49年):指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、寝台車を連結した夜行普通列車に「南紀」の名称が与えられる。[[ファイル:南紀-78-01.jpg|代替文=|サムネイル|「南紀」天王寺駅 1978年]]
* [[1978年]](昭和53年)[[10月2日]]:「南紀」の列車名を名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間の特急列車の名称に使用するため、夜行普通列車の名称が「はやたま」に変更。
* [[1982年]](昭和57年)[[5月17日]]:「はやたま」の運転区間が名古屋駅 - 天王寺駅から亀山駅 - 天王寺駅に短縮。
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:寝台車の連結廃止。これに伴い、「はやたま」の名称使用も終了する。また、運転区間も天王寺駅 - 新宮駅間に変更される。同時に実施された急行「きのくに」の夜行列車廃止に伴い、座席車は非冷房の旧形客車から冷房付きの[[国鉄12系客車|12系]]客車に変更。和歌山市駅始発の客車は廃止。
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]]:夜行列車の新宮発列車の運転を終了し天王寺発のみの片道列車となる。またこの時点で客車による運行から[[急行形車両|急行形電車]][[国鉄165系電車|165系]]による運行となる。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月10日]]:夜行列車の始発駅が新大阪駅に変更され、[[列車種別]]を普通から快速に変更。それまでは天王寺駅から和歌山駅まで無停車運行であったものを阪和線内で快速停車駅に停車することになり、ホーム上での案内も普通列車ではなく「快速・新宮行き」として案内されるようになった{{refnest|group="注"|改正前までは阪和線内運転の各駅に停車する[[通勤形車両]]を使用した普通電車との混同を避けるため、夜行普通列車運転の時間帯の阪和線天王寺駅での案内は、新宮行きの165系電車使用の夜行普通列車を「普通列車」、阪和線内運転の通勤形車両使用の普通電車を「各駅停車」と呼んで区別していた。}}。
* [[1999年]](平成11年)10月2日:定期列車としての新大阪発新宮行き普通夜行列車の運転終了。
** 列車自体はすでに紀伊田辺駅までの最終列車であったため、新大阪駅 → 紀伊田辺駅間は存続。臨時列車として紀伊田辺駅 → 新宮駅間で延長運転される。
* [[2000年]](平成12年)10月1日:紀伊田辺駅 → 新宮駅間の延長運転が廃止され、臨時列車としての"太公望列車"も廃止。
* [[2002年]](平成14年)[[3月23日]]:この日未明の紀伊田辺駅到着分をもって165系での運行を終了、同日に新大阪を出発する列車から[[JR西日本221系電車|221系]]による運行となる。
* [[2010年]](平成22年)3月13日:御坊駅から紀伊田辺駅までの運転を取りやめ、御坊駅までに運転区間を短縮。終着駅到着が最も遅い列車ではなくなる。
以後の運行状況は「[[#阪和線との直通運転]]」を参照。
=== 臨時列車 ===
JR東海では、2010年秋から毎年、春・夏・秋に臨時快速「熊野古道伊勢路号」を多気駅 - 熊野市駅間で運転しているほか<ref>{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000008918.pdf “秋”の臨時列車のお知らせ]}} - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2010年8月24日</ref><ref>{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000013884.pdf “春”の臨時列車のお知らせ]}} - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2012年1月20日</ref>、毎年[[8月17日]]に行われる[[熊野大花火大会]]の開催日と翌日の未明に特急「南紀」の臨時便や臨時快速、普通列車を熊野市駅 - 名古屋駅・津駅・亀山駅・多気駅・伊勢市駅(多気駅より参宮線へ乗り入れ)・紀伊長島駅・新宮駅(きのくに線でも新宮駅 - 紀伊勝浦駅・串本駅行きの臨時列車を運行し接続)の各区間で運転している。なお、2011年までは津駅・伊勢市駅 - 熊野市駅間に臨時急行「[[南紀 (列車)#熊野市花火(2012年以降は設定なし)|熊野市花火]]」が運転されていた。
JR西日本では、大型時刻表には掲載されないが、和歌山港まつりや紀文まつりなど、夏の花火大会にあわせて臨時普通列車を運行することがある<ref>[http://www.kishuarida-cci.or.jp/ 紀州有田商工会議所 紀文まつり花火大会]<!--トップページに掲載--> - 2012年8月4日閲覧。</ref>。過去には、[[ジョイフルトレイン]]を活用し、[[1999年]][[4月29日]]から[[9月19日]]にかけて行われた[[南紀熊野体験博]]にあわせて「[[きのくにシーサイド]]」が運転されていたほか<ref>[https://web.archive.org/web/19991006103851/http://www.westjr.co.jp/kou/press/1press/n990114c.html 平成11年【春】の臨時列車の運転について]([[インターネットアーカイブ]])- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年1月14日</ref>、ホリデー号やレジャー号<ref>[https://web.archive.org/web/19980625054640/http://www.westjr.co.jp/new/1press/n970120b.html 平成9年《春》の臨時列車の運転について](インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年1月20日</ref>、「ぶらり海南号」「紀三井寺桜まいり号」「熊野古道ハイキング号」「紀州歴史物語号」などの臨時列車が運転されていた<ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20050530201625/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/050114a_wakayama.pdf 平成17年 春の臨時列車の運転について]}}(インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2005年1月14日</ref>。
2016年10月には、「紀の国トレイナート号」が運行<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/160824_00_wakayama.pdf 平成28年度 秋の臨時列車運転について]}} - 西日本旅客鉄道株式会社ニュースリリース(和歌山支社) 2016年8月24日</ref>された。
<gallery>
ファイル:Kinokuni Seaside-1.jpg|きのくにシーサイド
</gallery>
=== 貨物列車 ===
[[貨物列車]]は、2016年4月1日の貨物営業廃止までは、[[ダイヘン]]多気工場から[[変圧器]]を輸送するため、[[多気駅]]からの[[大物車|特大貨物]]列車が臨時で運転されていた。
2013年3月15日までは[[稲沢駅]] - 四日市駅 - [[鵜殿駅]]間の[[高速貨物列車]]が津駅 - 鵜殿駅間で1日1往復運行されていた<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/03/jr_955.html 【JR貨】"紀勢貨物"廃止] - 鉄道ホビダス RMニュース、2013年3月18日。</ref><ref>[http://mainichi.jp/area/mie/news/20130316ddlk24040075000c.html JR紀勢線:最後の貨物列車発車、ファンら雄姿見納め 鵜殿駅から紙175トン積み /三重] - 毎日新聞、2013年3月16日。{{deadlink|date=2014-5}}</ref>。牽引機は[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]][[ディーゼル機関車]]、牽引されていた貨車は[[JR貨物コキ100系貨車|コキ100系]][[コンテナ車]]である。コンテナ車は7両編成で運行され、鵜殿駅に[[日本のコンテナ輸送#鉄道コンテナ|コンテナ]]積降設備がないため基本的に5[[トン|t]]コンテナを5個すべて積載していた。荷主は、鵜殿駅に[[専用鉄道|専用線]]が接続する[[北越紀州製紙]]である。2008年3月15日のダイヤ改正から伊勢鉄道伊勢線経由となっていたが、それより前は稲沢駅 - 四日市駅 - 亀山駅 - 新宮駅 - 鵜殿駅間の経路で運行されていた。
1987年(昭和62年)の[[日本貨物鉄道]](JR貨物)発足時点では、貨物列車は稲沢駅 - 亀山駅 - 紀伊佐野駅間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両([[重連運転]])と[[国鉄ワム80000形貨車|ワム80000形]][[有蓋車]]20両前後(6両は紀伊佐野行き、残りは鵜殿行き)、[[国鉄タキ5450形貨車|タキ5450形]][[タンク車]]数両で、最後尾には[[国鉄ヨ8000形貨車|ヨ8000形]][[車掌車]]が1両連結されていた<ref name="railf200811pp160-163">{{Cite journal | 和書 | author = 辻坂一貴 | title = JR貨物 紀勢本線重連貨物 単機化の経緯 | journal = [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] | volume = 2008年11月号 | publisher = [[交友社]] | year = 2008 | pages = pp. 160-163}}</ref>。
1994年9月にワム80000形による輸送が廃止され、これに代わりコンテナ車による輸送が開始された。コンテナ車は鵜殿行き7両、紀伊佐野行き2両が連結されたが、1995年に荷主である[[巴川製紙所]]の工場閉鎖に伴い紀伊佐野行きの連結は廃止された。2000年8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となったが、2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機による牽引に替わった。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に単機運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた<ref name="railf200811pp160-163"/>。
== 台風による被害 ==
この路線は全通後間もない[[1959年]][[9月26日]]の[[伊勢湾台風]]をはじめとして、何度か[[台風]]により長期不通などの被害がもたらされている。
=== 2011年台風12号の被害と状況 ===
2011年9月3日に日本に上陸した[[平成23年台風第12号|台風12号]]は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、河川氾濫や[[土砂崩れ]]が発生するなど大きな被害がでた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110904/dst11090421120037-n1.htm 土砂崩れ山間の村一変 町長の娘、結納当日に犠牲] - [[産経新聞]] 2011年9月4日</ref>。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り<ref name="mainichi_20110914">[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110915k0000m040016000c.html JR紀勢線:全線復旧まで最短でも半年 台風12号の被害] - 毎日新聞 2011年9月14日</ref>。
* 紀伊天満駅 - 那智駅間の那智川橋梁が[[那智川]]の増水により一部流失<ref name="名前なし-1"/>
* 熊野市駅構内の井戸川橋梁が増水により一部流失
* 下里駅 - 紀伊浦神駅間の江川橋梁で、土砂流出
* 周参見駅 - 紀伊日置駅間の第3太間川橋梁で橋脚の土台周辺の土砂が流出
この被害で熊野市駅 - 白浜駅間の約120kmが一時不通になり<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/110913/wky11091312330008-n1.htm 紀勢線120キロ不通 JR西「復旧めど立たず」] - 産経新聞 2011年9月13日</ref>、[[バス代行]]輸送が紀伊田辺駅 - 新宮駅間で9月6日から<ref>[http://www.wbs.co.jp/news.html?p=34685 JR・南海などの鉄道状況] - 和歌山放送 2011年9月6日</ref>、熊野市駅 - 新宮駅間で9月7日から<ref>[http://www.kotsu.co.jp/index.php?cID=1877 紀勢線で代行バス JR東海] - [[交通新聞社]] 2011年9月8日</ref>行われた。
不通区間のうち、串本駅 - 白浜駅間は同年[[9月17日]]<ref name="jrw_20110914">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2011/09/page_722.html 台風12号の影響による列車の運転状況について(きのくに線)] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年9月14日</ref>、紀伊勝浦駅 - 串本駅間は同年[[9月26日]]に運転を再開した<ref name="jrw_20110926">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2011/09/page_765.html きのくに線運転再開見込みについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年9月26日</ref>。熊野市駅 - 新宮駅間については、井戸川橋梁と新宮駅構内の信号設備の復旧にあわせ、2011年10月11日から運転を再開した<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws000865.html 【社長会見】紀勢線(熊野市駅〜新宮駅間)の運転再開予定について] - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2011年9月29日</ref>。
新宮駅 - 紀伊勝浦駅間については和歌山県が河川改修を検討し、復旧工事をする場合はその川幅にあわせて工事をしなければならないためJR西日本は年内の復旧は難しいとしていた<ref>[http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001109160001 JR西、紀勢線復旧「年内難しい」] - 朝日新聞 2011年9月16日</ref><ref>[http://www.asahi.com/national/update/0914/OSK201109140201.html JR紀勢全線の復旧は年内困難 JR西日本社長が見通し] - 朝日新聞 2011年9月15日</ref>が、和歌山県は橋梁部の河川の拡幅をしないことを決定し、これを受けてJR西日本は残った鉄橋で復旧を進めることになった<ref>[http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001109200002 「残った鉄橋で再建」] - 朝日新聞 2011年9月20日</ref>。2011年9月26日から復旧工事が始まり、同年12月3日に運転を再開した<ref name="mainichi_20111203">[http://mainichi.jp/select/weathernews/news/m20111203k0000e040169000c.html 台風12号被害:JR紀勢線、全線復旧 3カ月ぶり] - 毎日新聞 2011年12月3日</ref>。
一部区間の運転再開後も、白浜駅に留置されていた特急車両[[JR西日本283系電車|283系]]6両1本の床下機器が冠水して故障し、また、那智川橋梁が流失したため新宮駅に[[国鉄381系電車|381系]](スーパーくろしお編成)6両編成2本、283系6両1本が取り残され、車両が不足していることから<ref name="sankei_20110926">[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110926/dst11092614030016-n1.htm 復旧しても「特急電車足りない」 JR紀勢線 流された橋の向こうに3編成] - 産経新聞 2011年9月26日</ref>、283系は11月12日から13日にかけて<ref>[http://railf.jp/news/2011/11/13/223000.html 283系が甲種輸送される] -『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』[[交友社]] railf.jp鉄道ニュース 2011年11月13日</ref>、381系は同月13日から14日にかけてと<ref>[http://railf.jp/news/2011/11/15/114000.html 381系が甲種輸送される] -『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年11月15日</ref>、同月19日から20日にかけて<ref>[http://railf.jp/news/2011/11/21/134900.html 381系D655編成が甲種輸送される] -『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年11月21日</ref>、[[名古屋駅]]経由で[[京都総合運転所]]まで[[車両輸送|甲種輸送]]された。鵜殿駅 - 新宮駅間はすでにJR貨物の第2種鉄道事業が廃止されているが、JR東海の協力により搬出が実現した<ref>[http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111110-OYO1T00321.htm 新宮で足止めの特急名古屋経由で京都へ JR3社協力]{{リンク切れ|date=2012年2月}} - 読売新聞 2011年11月10日</ref>。このほか新宮駅では、普通列車用の車両105系5本と特急車両[[JR東海キハ85系気動車|キハ85系]]4両編成2本<ref name="sankei_20110926" />、検測車[[JR東海キヤ95系気動車|キヤ95系]]3両編成1本が取り残された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/110925/wky11092502160004-n1.htm 台風12号影響 ドクター東海“足止め” 和歌山・新宮駅で長期に] - 産経新聞 2011年9月25日</ref>。紀伊田辺駅 - 紀伊勝浦駅間で普通列車に必要な車両が不足していることから、113系の4両編成や2両編成の2000番台などを急遽車掌乗務で運転した。
=== 2015年の台風被害 ===
2015年7月17日に日本に上陸した[[平成27年台風第11号|台風11号]]は四国全域・紀伊半島を中心に大雨をもたらし、熊野川の氾濫や[[土砂崩れ]]が発生するなど再び大きな被害がでた。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り。
* 紀伊由良駅 - 広川ビーチ駅間、土砂崩壊
* 湯浅駅 - 藤並駅間、トンネル内にて水漏れ
* 新宮駅 - 三輪崎駅間、路盤陥没
被害状況の確認と復旧作業を行い、御坊駅 - 箕島駅間以外は7月18日までに運転を再開したが、御坊駅 - 箕島駅間は列車の運休が続き<ref name="sankei20150719">[https://www.sankei.com/article/20150719-72JHVBPTZVJJPJEL7BNVKG6HOY/ 【台風11号】運転再開のめど立たず、土砂崩れのJR紀勢線「箕島-御坊」] - 産経WEST、2015年7月19日</ref>、バスによる代行輸送が実施された<ref name="response20150721" />。この影響により、京都駅・新大阪駅 - 白浜駅・新宮駅を結ぶ特急「くろしお」はすべて運転を休止を余儀なくされる<ref name="sankei20150719" />。代替処置として、20日<ref>[http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=298347&p=more JR箕島―御坊間で運転見合わせ続く] - AGARA 紀伊民報、2015年7月20日</ref>から新大阪駅 - 和歌山駅・海南駅間に臨時列車扱いの特急「くろしお」を運行した<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20150721-a599/ JR西日本、臨時「くろしお」7月末まで運転 - 紀勢本線一部区間運転見合わせ] - マイナビニュース、2015年7月21日</ref>。一方普通列車は、和歌山方面からの列車は箕島駅で、紀伊田辺方面からの列車は御坊駅での折り返し運転をそれぞれ実施した。
当初復旧時期については未定とされていたが、夏休みの行楽シーズンに入ったことに加え、バス代行では朝・夕時間帯の田辺市・御坊市から海南市内や和歌山市内への通勤・通学需要に対応しきれていない状況であった。JR西日本和歌山支社は記者会見にて復旧作業の進捗状況を見た上で、運転再開時期を2015年7月末頃<ref>[http://www.agara.co.jp/news/daily/?i=298378&p=more 運転再開は今月末 JR紀勢線「箕島―御坊」] - AGARA 紀伊民報、2015年7月21日<!--復旧見込み時期のみ記載--></ref><ref name="response20150721">[http://response.jp/article/2015/07/21/256043.html JR西日本、きのくに線は7月末頃に全線再開へ] - レスポンス、2015年7月21日<!--復旧見込み時期のみ記載--></ref>を目途とした。その後、予定より早く作業が進んだことから2015年7月25日に踏切・信号機器の作動状態確認の試運転列車を走らせ、同日限りで御坊駅 - 箕島駅間のバス代行を終了し、翌26日の始発より全線での運転を再開し通常ダイヤに戻された<ref name="response20150724">[http://response.jp/article/2015/07/24/256347.html JR西日本、きのくに線7月26日に全線再開] - レスポンス、2015年7月24日<!--再開予定日のみ記載。試運転の件は不掲載--></ref><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/07/page_7419.html きのくに線の全線運転再開について[7月26日(日曜日)始発から]] - 西日本旅客鉄道、2015年7月24日<!--試運転列車の件も記載あり--></ref>。
その後日本列島に接近した[[平成27年台風第16号|台風16号]]の高波により、再度新宮駅 - 三輪崎駅間で路盤流出が発生し、8月22日から9月1日まで紀伊勝浦駅 - 新宮駅間で運行を見合わせ、バスによるピストン輸送を行った<ref name="response20150831" /><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/08/page_7569.html きのくに線 新宮〜紀伊勝浦駅間 運転再開について[9月1日(火曜日)始発から]] - 西日本旅客鉄道、2015年8月31日</ref>。
== 使用車両 ==
=== 現在の使用車両 ===
==== JR東海 ====
全列車、[[気動車]]で運転されている。
* [[JR東海HC85系気動車|HC85系]]([[名古屋車両区]])
** 2023年7月1日から特急「南紀」として津駅 - 紀伊勝浦駅間で運用されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://trafficnews.jp/post/126734 |title=ハイブリッド特急「南紀」出発! キハ85系から全て新型HC85系に “会社またぎ”も本格化 |website=乗りものニュース |date=2023-07-01 |access-date=2023-07-02|publisher=メディア・ヴァーグ}}</ref>。
* [[JR東海キハ75形気動車|キハ75形]](名古屋車両区・[[美濃太田車両区]])
** 快速「みえ」として津駅 - 多気駅間で運用されている<!-- ほか、2016年3月26日のダイヤ改正より、それまでキハ40系が運用されていた列車にも充てられている …亀山 - 多気に入線可能という出典が明記されるまで記述を見送る。-->。
* [[JR東海キハ25形気動車|キハ25形]](名古屋車両区)
** 2015年8月1日より投入<ref name="mynavi20150722">[https://news.mynavi.jp/article/20150722-a517/ JR東海キハ25形、紀勢本線・参宮線に! 今年度も普通気動車56両ミャンマーへ] - マイナビニュース、2015年7月22日</ref><ref name="jr-central20150722">{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000027429.pdf 新型気動車の紀勢本線・参宮線での運用開始、およびミャンマー鉄道省への車両譲渡について]}} - 東海旅客鉄道、2015年7月22日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2015/08/03/170000.html 紀勢本線・参宮線でキハ11形からキハ25形へ置換え] - railf.jp鉄道ニュース、2015年8月3日<!-- キハ11は300番台は残っている?--></ref>。亀山駅 - 新宮駅間で運用されている。
紀勢本線・参宮線で使用される車両(キハ85系・キハ75形・キハ25形を除く。HC85系は当時存在しない)は伊勢市駅構内の[[伊勢車両区]]に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止され、名古屋車両区に統合された<ref>{{PDFlink|[http://www.geocities.jp/jrtoukairou/koe/nagoya/2014.12.19nagoyagyoumu253.pdf 『業務ニュース名古屋』2014年12月19日 No.253]}} - JR東海労働組合名古屋地方本部</ref><ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20160319/CK2016031902000017.html 電化の波、118年に幕 JRの伊勢車両区] - 中日新聞、2016年3月19日</ref>。
==== JR西日本 ====
289系を除く全列車が、[[吹田総合車両所]]の[[吹田総合車両所#日根野支所_2|日根野支所]]に配置されている[[電車]]で運転されている。
* [[JR西日本283系電車|283系]]・[[JR西日本287系電車|287系]]・[[JR西日本289系電車|289系]]
** 特急「くろしお」として和歌山駅 - 新宮駅間で運用されている<ref>[http://response.jp/article/2015/08/21/258397.html JR西日本、10月31日から南紀・北近畿特急に「289系」投入] - レスポンス、2015年8月21日</ref>。
* [[JR西日本223系電車|223系]]
** 0・2500番台が紀伊田辺駅 - 和歌山駅間(紀伊田辺駅 - 御坊駅間は朝夕のみ)で運用されている<ref>[http://railf.jp/news/2011/12/10/065700.html 日根野電車区の113系4連が運用離脱] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年12月10日</ref>。
* [[JR西日本225系電車|225系]]
** 5000・5100番台が紀伊田辺駅 - 和歌山駅間(紀伊田辺駅 - 御坊駅間は朝夕のみ)で運用されている。113系・117系・221系の一部の運用を置き換えて2010年12月1日より運用を開始した。
* [[JR西日本227系電車#1000番台|227系1000番台]]
** 新宮駅 - 和歌山市駅間で運用されており、御坊駅 - 和歌山駅間は全ての列車が本系式を2本繋いだ4両編成で運用される。2019年3月16日より117系の運用を置き換えて紀伊田辺駅 - 和歌山駅間で、同年6月1日より105系4扉車の運用を置き換えて和歌山駅 - 和歌山市駅間で、運用を開始した。2021年3月13日より新宮駅 - 紀伊田辺駅間でも運行を開始した<ref name="westjr20200827" />。2019年3月16日から2021年3月12日まではドアが通年[[半自動ドア|半自動扱い]]だった。
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ファイル:283系オーシャンアロー.jpg|283系「くろしお」
|287系「くろしお」
|289系「くろしお」
ファイル:JRW223-0.JPG|223系0番台
ファイル:JRW series225 Kinokuni.JPG|225系5000番台
ファイル:RW-Series227-1000 SR02.jpg|227系1000番台
</gallery>
==== 貨物列車 ====
運行形態の「[[#貨物列車|貨物列車]]」の節を参照。なおディーゼル機関車[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]]はかつて旅客列車の牽引にも用いられた。
=== 過去の使用車両 ===
==== 気動車 ====
* [[国鉄キハ10系気動車|キハ10系]]
* [[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]
* [[国鉄キハ30系気動車|キハ30系]]
** 長距離運用にも用いられる関係からキハ10系やキハ20系などクロスシート車との併結で運用されたが、末期には本形式のみでの長編成運用があった。
* [[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]
* [[国鉄キハ45系気動車|キハ45系]]
* [[国鉄キハ55系気動車|キハ55系]]<!-- キハ26など含む-->
* [[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]<!-- キハ28、キロ28など含む-->
* [[国鉄キハ65形気動車|キハ65形]]
* [[国鉄キハ80系気動車|キハ81・82系]]
** キハ81は特急「くろしお」、キハ82は特急「くろしお」「南紀」で運用。キハ81・82の両形式とも特急運用で最後の定期運用路線となった。
* [[国鉄キハ55系気動車#南海電気鉄道キハ5501形・キハ5551形|キハ5501・5505形]](南海直通列車・[[南海電気鉄道]]保有)
* [[国鉄キハ58系気動車#富士急行のキハ58|キハ58]](有田鉄道直通列車・[[有田鉄道]]保有)
* [[JR東海キハ11形気動車|キハ11形]]
** 参宮線直通などの短距離列車には主に0番台や100番台、紀勢本線多気以南発着などの長距離列車にはトイレのある300番台とトイレのない他番台の車両が組み合わされて運用されていた。
* [[JR東海キハ85系気動車|キハ85系]]
** 特急「南紀」として津駅 - 紀伊勝浦駅間で運用されていた。
==== 電車 ====
* [[国鉄103系電車|103系]]
** 海南駅 - 和歌山駅間で、平日ダイヤのみ運用されていた。1994年6月1日から1999年5月9日までは周参見駅 - 海南駅間でも運用されていた<ref name="rf_199908">[[交友社]]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1999年8月号 通巻460号 p.129</ref>。また、臨時ではあるが、[[森ノ宮電車区]]所属の[[国鉄103系電車#ラッピング・イベント塗装|USJラッピング車]]が2001年に和歌山駅 - 新宮駅間で運転された事がある。
* [[国鉄105系電車|105系]]
** 2019年5月31日までは、改造車の4扉車が和歌山駅 - 和歌山市駅間で運用されていた。
** 2021年3月12日までは、新宮駅 - 紀伊田辺駅間(平日の一部は南部駅まで<ref name="rinji" />)で新造車の3扉車が運用されていたほか、新造車グループの検査代走用として元和歌山線用の4扉車も使用されていた<ref name="agara20210313">{{Cite news|url=https://www.agara.co.jp/article/112192/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210313084231/https://www.agara.co.jp/article/112192/|title=ありがとう「105系」電車 県内ラストラン、JR紀勢線|newspaper=紀伊民報|date=2021-03-13|accessdate=2021-03-13|archivedate=2021-03-13}}</ref>。
* [[国鉄113系電車|113系]]
** 2両編成の[[国鉄113系電車#クモハ113・112形2000番台|2000番台]]のみが紀伊田辺駅 - 和歌山駅間で運用されており、御坊駅 - 和歌山駅間は早朝の上りと深夜の下りの各1本のみ運用されていた。2011年12月10日までは、4両編成も周参見駅 - 和歌山駅間(周参見駅 - 紀伊田辺駅間は下り列車のみ)で運用されていた<ref name="rm_20111212">[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/12/jr1134_1.html 【JR西】日根野電車区113系4連が定期運用終了] - 鉄道ホビダス [[ネコ・パブリッシング]] RMニュース 2011年12月12日</ref>。[[2020年代のJRダイヤ改正#2020年(令和2年)|2020年3月14日のダイヤ改正]]で運用を終了した<ref name="westjr20191213">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_wakayama.pdf 2020年春ダイヤ改正について]}} - JR西日本和歌山支社ニュースリリース 2019年12月13日 </ref>。
* [[国鉄165系電車|165系]]
** 定期列車として原色(いわゆる[[国鉄色|制式色]])を用いた最後の運用路線で、2002年3月22日で定期運用が終了した<ref name="jrr_dc02">『JR気動車客車編成表 '02年版』ジェー・アール・アール、2002年。{{ISBN2|4-88283-123-6}}。</ref>。
* [[国鉄117系電車|117系]]
** 2002年3月に投入され、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間で運用されていたが、227系による置き換えにより、2019年3月15日で定期運用が終了した。
* [[JR西日本221系電車|221系]]
** JR西日本[[奈良電車区]]の車両が使用されていたが、225系5000番台投入に伴い、運用が終了した。
* [[国鉄485系電車|485系]]
** 1985年3月に投入されたが、1986年11月のダイヤ改正で、福知山線の全線電化に伴いそちらに転用され、当路線の特急運用は381系に、普通運用は165系にそれぞれ置き換えられた。
* [[国鉄381系電車|381系]]
** 1978年10月投入。特急「くろしお」で運用されたが、2015年10月30日をもって運用を終了した<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASHBZ4JB8HBZPLZB013.html 旧国鉄特急381系、近畿でラストラン ファンがお別れ] - 朝日新聞、2015年10月30日(2015年11月2日閲覧)</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/local/wakayama/news/20151030-OYTNT50293.html くろしお「381系」ありがとう] - 読売新聞、2015年10月31日(2015年11月2日閲覧)</ref>。
==== 客車 ====
* [[国鉄50系客車|50系]]
* [[国鉄12系客車|12系]]
** [[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|1986年11月のダイヤ改正]]で、165系電車に置き換えられた。
* [[国鉄14系客車|14系]]
** 特急運用は寝台特急「紀伊」のみ。座席車の定期運用は無かったが臨時急行「きのくに」での実績はある。
* [[国鉄10系客車|10系]]
* [[国鉄オハ35系客車|オハ35系]]<!-- オハフ33など -->
* [[国鉄スハ43系客車|スハ43系]]<!-- スハ43・スハフ42・オハ47など -->
* [[南海サハ4801形客車|サハ4801形]](南海直通列車・南海電気鉄道保有)
==== 電気機関車 ====
* [[国鉄EF60形電気機関車|EF60形]]
* [[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]
* [[国鉄EF15形電気機関車|EF15形]]
* [[国鉄ED60形電気機関車|ED60形]]
==== ディーゼル機関車 ====
* [[国鉄DF50形ディーゼル機関車|DF50形]]
* [[国鉄DD13形ディーゼル機関車|DD13形]]
* [[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51形]]
* [[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]]
==== 蒸気機関車 ====
* [[国鉄C57形蒸気機関車|C57形]]
* [[国鉄C58形蒸気機関車|C58形]]
* [[国鉄D51形蒸気機関車|D51形]]
* [[国鉄D60形蒸気機関車|D60形]]
<gallery>
ファイル:JNR DC 82 Ltd Exp Nanki at Oouchiyama Sta.jpg|キハ82系
ファイル:JRC Kiha85 Series01.jpg|キハ85系「南紀」
ファイル:Ef58 66 shingu.jpg|EF58牽引の普通列車
ファイル:Super-kuroshio3.jpg|381系「くろしお」
ファイル:JR-central-kiha11-1.jpg|キハ11形
ファイル:WestJapanRailwayCompanyType105Wakayama.jpg|105系 新和歌山色
ファイル:JRwest105forWakayamashi.jpg|105系
ファイル:JNR 117 at JR West Kisei Main Line Gobo Station.jpg|117系
ファイル:Mc113-2000-2016-12-18.jpg|113系2000番台 地域統一色
</gallery>
=== 普通列車のトイレ問題 ===
新宮駅 - 紀伊田辺駅間では、長い間165系が使用されていた<ref group="注">165系がこの区間で運用を開始したのは1986年11月のダイヤ改正からで、それ以前はホーム高さが760mmだった関係上普通列車については485系電車や12系客車、キハ58系気動車などに限られ113系の入線すらできなかった。</ref>が、165系の老朽化のため[[1999年]]10月のダイヤ改正から105系に置き換えられた<ref name="gijiroku9912" />。しかし運用を始めた105系は[[列車便所|トイレ]]のない4扉[[鉄道車両の座席|ロングシート]]車で、このような車両を観光地であり駅間距離の長い当区間で運行することは沿線の自治体や地元から大きな問題として取り上げられ<ref name="gijiroku9912">{{Cite web|和書|date=1999-12 |url=http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/200100/www/html/gijiroku/9912/1112-05.html#00 |title=平成11年12月 和歌山県議会定例会会議録 第5号(全文) |publisher=和歌山県 |accessdate=2020-05-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151223021239/http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/200100/www/html/gijiroku/9912/1112-05.html |archivedate=2015-12-23}}</ref>、和歌山県や沿線の自治体で構成されている紀勢本線活性化促進協議会がJR西日本に対して要望を行った<ref>{{Cite news |title=普通列車にトイレ設置 JRが田辺―新宮間 来年度中に全車両 |newspaper=[[紀伊民報]] |date=2004-01-30 |url=http://www.agara.co.jp/DAILY/20040130/20040130_001.html |publisher=紀伊民報 |accessdate=2020-05-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040216144957/www.agara.co.jp/DAILY/20040130/20040130_001.html |archivedate=2004-02-16}}</ref>。
この要望を受けてJR西日本は、「[[マリンライナー]]」で使用されていた[[国鉄213系電車|213系]]の転用により捻出された岡山地区の3扉ロングシートの105系を、トイレ設置を含めたリニューアル工事を施工することにより紀勢本線に転用を行い、2004年10月25日から運用を開始し、2004年度内に5編成すべてにトイレが設置された<ref>{{Cite press release|和書|title=新宮〜紀伊田辺駅間 トイレ付列車の運転開始 |publisher=西日本旅客鉄道 |date=2004-10-18 |url=http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/041018a.html |accessdate=2020-05-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041206170218/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/041018a.html |archivedate=2004-12-06}}</ref>。トイレの設置にあたっては、5編成分の改造費など6,500万円のうち、和歌山県と紀勢本線活性化促進協議会が1,000万円ずつ負担している<ref>{{Cite news |title=トイレ付き運転開始 JR普通列車 田辺―新宮間 3月までに5編成 |newspaper=紀伊民報 |date=2004-10-20 |url=http://www.agara.co.jp/DAILY/20041020/20041020_004.html |publisher=紀伊民報 |accessdate=2020-05-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041023090157/www.agara.co.jp/DAILY/20041020/20041020_004.html |archivedate=2004-10-23}}</ref>。
== 歴史 ==
前述のとおり亀山駅 - 和歌山市駅間が全通したのは幹線路線としては最も遅い部類に入る1959年であり、それまでは亀山駅 - 多気駅間が'''[[参宮線]]'''、和歌山駅(初代:現在の紀和駅) - 和歌山市駅間が'''[[和歌山線]]'''のそれぞれ一部、残る多気駅 - 和歌山駅(初代)間が'''紀勢東線'''・'''中線'''・'''西線'''の3線に分かれて存在していた。
亀山駅 - 多気駅間は、最も早く開業した区間である。'''[[関西鉄道]]'''が津支線として1891年に亀山駅 - 津駅間を開業させ、これを延伸する形で'''[[参宮鉄道]]'''が1893年に津駅 - 相可口駅(現在の多気駅) - 宮川駅間を開業させた。両社は1907年に国有化され亀山駅 - 多気駅間は'''参宮線'''の一部となった<ref name="sone 18">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 18頁]]</ref>。
多気駅 - 三木里駅間は'''紀勢東線'''として開業した<ref name="sone 18"/>。尾鷲駅までは戦前の1934年に開業した<ref name="sone 19">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 19頁]]</ref>が、三木里駅まで開業したのは戦後の1958年である<ref name="sone 20">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 20頁]]</ref>。
新宮駅 - 串本駅間は'''紀勢中線'''として開業した。うち、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は地元産木材を大型船で台湾方面へ輸送するため、新宮から大型船が入港可能な勝浦に運ぶ目的で<ref>[https://www.sankei.com/article/20150120-BO44YGJTLJNW7KXENLNONE7KBQ/3/ 【鉄道ファン必見】日本一古い「木造客車」が“里帰り”…「陸の孤島」に輝いた「新宮鉄道」の時代(3/4ページ)] - 産経WEST、2015年1月20日、2015年9月9日閲覧</ref>'''[[新宮鉄道]]'''(初代社長は津田長四郎)が1912年から1913年にかけて開業させたものを1934年に国有化したものである<ref name="sone 19"/>。
新鹿駅 - 新宮駅間、串本駅 - 和歌山駅 - 紀和駅間は'''紀勢西線'''として開業した<ref name="sone 18"/>。1940年に串本駅 - 江住駅間と紀伊木本駅(現在の熊野市駅) - 新宮駅間が開業し、紀勢中線を編入して紀伊木本駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢西線となった<ref name="sone 19"/>。戦後の1956年には新鹿駅 - 紀伊木本駅間が開業した<ref name="sone 20"/>。
1959年に三木里駅 - 新鹿駅間が開業し、'''紀勢本線'''が全通した。この時、参宮線の亀山駅 - 多気駅間を編入し、亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が紀勢本線となった<ref name="sone 20"/>。1972年には和歌山線の紀和駅 - 和歌山市駅間が編入され現在の区間となった<ref name="sone 21">[[#sone25|『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 21頁]]</ref>。
=== 年表 ===
以下の年表にて南海連絡点・紀和連絡点・国社分界点・両社分界点・南海電鉄分界点は同一地点を指す(新宮駅起点383.2km、和歌山市駅から1.0km)。
==== 全通まで ====
===== 関西鉄道・参宮鉄道→参宮線(亀山駅 - 多気駅間) =====
[[ファイル:Kameyama Station old.jpg|thumb|大正初期の亀山駅(現在もこの駅舎を使用)]]
[[ファイル:Rokken accident.jpg|thumb|[[六軒事故]](1956年)]]
* [[1891年]](明治24年)
** [[8月21日]]:'''関西鉄道津支線''' 亀山駅 - 一身田駅間(7[[マイル|M]]42[[チェーン (単位)|C]]≒12.11km)が開業し、下庄駅・一身田駅が開業<ref name="sone 18"/>。
** [[11月4日]]:一身田駅 - 津駅間(2M18C≒3.58km)が延伸開業し、津駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1893年]](明治26年)[[12月31日]]:'''参宮鉄道''' 津駅 - 相可駅 - 宮川駅間が開業し、現在の紀勢本線にあたる区間に阿漕駅・高茶屋駅・六軒駅・松阪駅・徳和駅・相可駅(初代、現在の多気駅)が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1901年]](明治34年)[[1月25日]]:関西鉄道津支線が8C(≒0.16km)短縮。
<!-- * [[1902年]](明治35年)[[11月12日]]:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(関西鉄道津市線 9M52C→9.7M)←統計資料で確認できず -->
* [[1907年]](明治40年)
** [[10月1日]]:関西鉄道・参宮鉄道が国有化<ref name="sone 18"/>。
** [[11月1日]]:一身田駅 - 津駅間が0.1M(≒0.16km)短縮。
* [[1909年]](明治42年)
** [[9月29日]]:阿漕駅 - 高茶屋駅間が複線化。
** [[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]の制定により、亀山駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間が'''参宮線'''となる<ref name="sone 18"/>。
* [[1911年]](明治44年)[[11月7日]]:松阪駅 - 徳和駅間が複線化。
* [[1923年]]([[大正]]12年)[[3月20日]]:相可駅が相可口駅に改称。
* [[1930年]](昭和5年)[[4月1日]]:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(亀山駅 - 相可口駅間 26.4M→42.5km)。
* [[1944年]]([[昭和]]19年)8月1日:阿漕駅 - 高茶屋駅間、松阪駅 - 徳和駅間が単線化<ref name="tennoji-30_283">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.283。</ref>。
* [[1956年]](昭和31年)[[10月15日]]:六軒駅構内において[[列車衝突事故]]([[六軒事故]])が発生<ref name="sone 20"/>。
===== 紀勢東線(多気駅 - 三木里駅間) =====
[[ファイル:Owashi station.jpg|thumb|1942年の尾鷲駅。[[駅名標]]は「おわせ」では無く「をわし」。]]
* 1923年(大正12年)
** [[3月20日]]:'''紀勢東線''' 相可口駅(現在の多気駅) - 栃原駅間(7.8M≒12.55km)が開業し<ref name="sone 18"/>、相可駅(2代目)・佐奈駅・栃原駅が開業。
** [[9月25日]]:栃原駅 - 川添駅間(3.6M≒5.79km)が延伸開業し、川添駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1925年]](大正14年)[[8月15日]]:川添駅 - 三瀬谷駅間(4.4M≒7.08km)が延伸開業し、三瀬谷駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1926年]](大正15年)[[8月18日]]:三瀬谷駅 - 滝原駅間(3.2M≒5.15km)が延伸開業し、滝原駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1927年]](昭和2年)
** [[7月3日]]:滝原駅 - 伊勢柏崎駅間(5.7M≒9.17km)が延伸開業し、伊勢柏崎駅が開業<ref name="sone 19"/>。
** [[11月13日]]:伊勢柏崎駅 - 大内山駅間(2.9M≒4.67km)が延伸開業し、大内山駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1928年]](昭和3年)[[11月8日]]:阿曽駅が開業。
* 1930年(昭和5年)
** 4月1日:営業距離の単位がマイルからメートルに変更(27.6M→44.5km)。
** [[4月29日]]:大内山駅 - 紀伊長島駅間 (11.5km) が延伸開業し、紀伊長島駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1932年]](昭和7年)[[4月26日]]:紀伊長島駅 - 三野瀬駅間 (7.4km) が延伸開業し、三野瀬駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1934年]](昭和9年)[[12月19日]]:三野瀬駅 - 尾鷲駅間 (17.5km) が延伸開業し、船津駅・相賀駅・尾鷲駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1946年]](昭和21年)6月11日:大内山駅 - 紀伊長島駅間が票券閉塞式から通票閉塞式に変更<ref>『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年。p.178。</ref>。
* [[1957年]](昭和32年)[[1月12日]]:尾鷲駅 - 九鬼駅間 (11.0km) が延伸開業し、大曽根浦駅・九鬼駅が開業<ref name="sone 20"/>。
* [[1958年]](昭和33年)[[4月23日]]:九鬼駅 - 三木里駅間 (4.2km) が延伸開業(旅客営業のみ)し、三木里駅が開業<ref name="sone 20"/>。
===== 新宮鉄道→紀勢中線(新宮駅 - 串本駅間) =====
[[ファイル:Shingu Station opening.jpg|thumb|新宮鉄道新宮駅の開業時(1913年)]]
[[ファイル:JGR-Nachi Station.jpg|thumb|改築直後の[[那智駅]]2代目駅舎(1937年)]]
[[ファイル:C11 98SL buffer coupler.jpg|thumb|紀勢中線(旧[[新宮鉄道]])に新製配置された当時の[[国鉄C11形蒸気機関車|C11 98]]。ボイラー側面に細長い円筒形の重見式給水加熱装置が装着され、[[連結器#ねじ式連結器|ねじ式連結器]]を備えた特異な姿。(1938年3月、紀伊勝浦機関庫)]]
* 1909年(明治42年)5月14日:[[新宮鉄道]]に対し仮免許状下付([[東牟婁郡]][[新宮 (新宮市)|新宮町]]-同郡[[勝浦 (那智勝浦町)|勝浦村]]間 動力蒸気及自働車併用)<ref>[{{NDLDC|2951116/8}} 「私設鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1909年5月18日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* 1910年(明治43年)12月22日:新宮鉄道を軽便鉄道に指定<ref>[{{NDLDC|2951608/5}} 「軽便鉄道指定」『官報』1910年12月26日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1912年]](大正元年)[[12月4日]]:'''新宮鉄道''' 勝浦駅 - 三輪崎駅間(6.3M≒10.14km)が開業し、勝浦駅(現在の紀伊勝浦駅)・那智口停留場(現在の紀伊天満駅)・那智駅・宇久井駅・三輪崎駅が開業<ref>[{{NDLDC|2952207/8}} 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1912年12月10日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1913年]](大正2年)
** [[3月1日]]:三輪崎駅 - 新宮駅間(3.3M≒5.31km)が延伸開業し、佐野村停留場<ref>[{{NDLDC|2952318/9}} 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1913年4月26日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>(現在の紀伊佐野駅)・熊野地駅・新宮駅が開業<ref>[{{NDLDC|2952277/6}} 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1913年3月7日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
** [[4月17日]]:佐野村停留場が駅に変更され、佐野村駅が開業。
* [[1917年]](大正6年)[[2月1日]]:那智口停留場が天満停留場に改称<ref>[{{NDLDC|2953465/6}} 「軽便鉄道停留場名改称」『官報』1917年2月6日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* 1920年(大正9年)8月13日:鉄道免許状下付(東牟婁郡[[那智町|那智村]]大字天満-同郡同村大字市野々間)<ref>[{{NDLDC|2954525/6}} 「鉄道免許状下付」『官報』1920年8月14日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1925年]](大正14年)[[3月10日]]:那智駅 - 宇久井駅間に狗子ノ川停留場が開業<ref>[{{NDLDC|2955923/8}} 「地方鉄道駅設置」『官報』1925年3月26日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* 1926年(大正15年)4月8日:鉄道免許失効(1920年8月13日免許 東牟婁郡那智村大字天満-同郡同村大字市野々間指定ノ期限マテニ工事ニ着手セサルタメ)<ref>[{{NDLDC|2956235/7}} 「鉄道免許失効」『官報』1926年4月8日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(9.6M→15.5km)。
* [[1932年]](昭和7年)[[8月1日]]:三輪崎駅 - 熊野地駅間に御手洗停留場(のちの広角駅)が開業。
* [[1934年]](昭和9年)[[7月1日]]:新宮鉄道が買収されて国有化され、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間が'''紀勢中線'''になる<ref>[{{NDLDC|2958719/2}} 「鉄道省告示第281・282号」『官報』1934年6月26日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。停留場が駅に変更され、御手洗停留場が広角駅に、佐野村駅が秋津野駅に、天満停留場が紀伊天満駅、勝浦駅が紀伊勝浦駅に改称。機関車7両、[[買収気動車#新宮鉄道(現・紀勢本線の一部)|ガソリンカー]]5両、客車18両、貨車63両を引き継ぐ<ref>[{{NDLDC|1073665/158}} 『鉄道統計資料. 昭和9年度』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1935年]](昭和10年)[[7月18日]]:紀勢中線 紀伊勝浦駅 - 下里駅間 (6.0km) が延伸開業し、湯川駅・太地駅・下里駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1936年]](昭和11年)[[12月11日]]:下里駅 - 串本駅間 (20.8km) が開業し、紀伊浦神駅・紀伊田原駅・古座駅・紀伊姫駅・串本駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1937年]](昭和12年)7月1日:広角駅が廃止<ref>[{{NDLDC|2959603/9}} 「鉄道省告示第179号」『官報』1937年5月31日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。
* [[1938年]](昭和13年)[[5月20日]]:新宮駅 - 三輪崎駅間の新線 (4.7km)・新宮駅 - 熊野地駅間の貨物支線 (1.5km) が開業し新宮駅が移転<ref name="sone 19"/>。新宮駅(旧駅) - 熊野地駅 - 三輪崎駅間の旧線 (5.4km) が廃止。熊野地駅が貨物駅に変更。
===== 紀勢西線(新鹿駅 - 紀和駅間) =====
[[ファイル:Inami Station open.jpg|thumb|開業当時の[[印南駅]](1930年頃)]]
[[ファイル:Minabe Station open.jpg|thumb|開業当時の[[南部駅]](1931年頃)]]
[[ファイル:JGR Kii tanabe Station opening celemony.jpg|thumb|[[紀伊田辺駅]]での開通祝賀風景(1932年)]]
[[ファイル:Kiitsubaki Station.jpg|thumb|1935年頃、終着駅時代の[[椿駅|紀伊椿駅]]構内。[[駅名標]]に注目。写る[[国鉄C11形蒸気機関車|C11形]]40号機は現在[[福知山駅]]前で保存。]]
* [[1924年]](大正13年)
** [[2月28日]]:'''紀勢西線''' 和歌山駅(初代、現在の紀和駅) - 東和歌山駅 - 箕島駅間(16.8M≒27.04km)が開業し、東和歌山駅(現在の和歌山駅)・紀三井寺駅・日方町駅(現在の海南駅)・加茂郷駅・箕島駅が開業<ref name="sone 18"/>。
** [[8月20日]]:下津駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1925年]](大正14年)[[12月11日]]:箕島駅 - 紀伊宮原駅間(2.7M≒4.35km)が延伸開業し、紀伊宮原駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1926年]](大正15年)[[8月8日]]:紀伊宮原駅 - 藤並駅間(2.4M≒3.86km)が延伸開業し、藤並駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1927年]](昭和2年)[[8月14日]]:藤並駅 - 紀伊湯浅駅間(2.1M≒3.38km)が延伸開業し、紀伊湯浅駅(現在の湯浅駅)が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1928年]](昭和3年)[[10月28日]]:紀伊湯浅駅 - 紀伊由良駅間(5.9M≒9.50km)が延伸開業し、紀伊由良駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1929年]](昭和4年)[[4月21日]]:紀伊由良駅 - 御坊駅間(5.1M≒8.21km)・貨物支線 紀伊由良駅 - 由良内駅間(1.2M≒1.93km)が開業し、紀伊内原駅・御坊駅および、貨物駅として由良内駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* 1930年(昭和5年)
** 4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(和歌山駅 - 御坊駅間 35.0M→56.4km、紀伊由良駅 - 由良内駅間 1.2M→2.0km)。
** [[12月14日]]:御坊駅 - 印南駅間 (17.0km) が延伸開業し、道成寺駅・和佐駅・稲原駅・印南駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1931年]](昭和6年)[[9月21日]]:印南駅 - 南部駅間 (14.8km) が延伸開業し、切目駅・岩代駅・南部駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1932年]](昭和7年)[[11月8日]]:南部駅 - 紀伊田辺駅間 (9.1km) が延伸開業し、芳養駅・紀伊田辺駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1933年]](昭和8年)[[12月20日]]:紀伊田辺駅 - 紀伊富田駅間 (12.8km) が延伸開業し、紀伊新庄駅・朝来駅・白浜口駅(現在の白浜駅)・紀伊富田駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1935年]](昭和10年)[[3月29日]]:紀伊富田駅 - 紀伊椿駅間 (5.3km) が延伸開業し、紀伊椿駅(現在の椿駅)が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1936年]](昭和11年)
** [[7月1日]]:日方町駅が海南駅に改称。
** [[10月30日]]:紀伊椿駅 - 周参見駅間 (13.3km) が延伸開業し、紀伊日置駅・周参見駅が開業<ref name="sone 19"/>。
* [[1938年]](昭和13年)
** [[9月7日]]:周参見駅 - 江住駅間 (12.0km) が延伸開業し、見老津駅・江住駅が開業<ref name="sone 19"/>。
** [[12月15日]]:手平駅・冷水浦駅・初島駅が開業。
* [[1940年]](昭和15年)8月8日:江住駅 - 串本駅間 (20.1km)、新宮駅 - 紀伊木本駅間 (22.6km) が延伸開業<ref name="sone 19"/>。紀勢中線を編入し、和歌山駅(初代) - 紀伊木本駅間などが紀勢西線となる<ref name="sone 19"/>。狗子ノ川駅 - 秋津野駅間で改キロ (+0.1km)。和深駅・田並駅・紀伊有田駅・鵜殿駅・阿田和駅・紀伊市木駅・神志山駅・有井駅・紀伊木本駅(現在の熊野市駅)が開業<ref name="sone 19"/>、紀伊湯浅駅 - 紀伊由良駅間に南広信号場が開設。
* [[1941年]](昭和16年)
** 7月19日:浦神駅 - 下里駅間の新線が完成、供用開始。[[地すべり]]地を迂回する岩谷山トンネルの完成を受けたもの<ref>軟弱地盤の難工事、岩谷山トンネル開通『朝日新聞(和歌山版)』(昭和16年7月20日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p799 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
** 8月10日:手平駅が廃止。
* [[1942年]](昭和17年)[[4月1日]]:秋津野駅が紀伊佐野駅に改称。
* [[1945年]](昭和20年)[[2月15日]]:東和歌山駅 - 紀三井寺駅間に宮前信号場が開設。
* 1951年(昭和26年)ごろ:定期列車の天王寺駅乗り入れ開始。東和歌山駅で電気機関車に付け替え、当初は普通列車が6往復運転していた。
* 1951年(昭和26年)[[12月26日]]:宮前信号場が廃止。
* [[1954年]](昭和29年)[[11月15日]]:田子駅が開業。
* [[1955年]](昭和30年)4月1日:宮前駅が開業。
* [[1956年]](昭和31年)4月1日:紀伊木本駅 - 新鹿駅間 (6.8km) が延伸開業し、大泊駅・新鹿駅が開業<ref name="sone 20"/>。
===== 紀和鉄道→和歌山線(紀和駅 - 和歌山市駅間) =====
[[ファイル:Wakayama Station in Meiji and Taisho eras.JPG|thumb|明治-大正時代と思われる和歌山駅(現・紀和駅)]]
* [[1903年]](明治36年)[[3月21日]]:[[紀和鉄道]]の和歌山駅(初代、現在の紀和駅) - 南海連絡点、[[南海電気鉄道|南海鉄道]]の紀和連絡点 - 和歌山市間(両者計1.1M≒1.77km)が延伸開業し、和歌山市駅が開業<ref name="sone 18"/>。
* [[1904年]](明治37年)[[8月27日]]:関西鉄道が紀和鉄道の路線を買収<ref name="sone 18"/>。
* [[1907年]](明治40年)
** [[10月1日]]:関西鉄道が国有化<ref name="sone 18"/>。
** 11月1日:和歌山駅 - 和歌山市駅間が 0.1M(≒0.16km)短縮。
* [[1909年]](明治42年)10月12日:[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]の制定により、[[王寺駅]] - 和歌山駅(初代) - 和歌山市駅間が'''和歌山線'''となる<ref name="sone 18"/>。
* 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(1.0M→1.5km)。
==== 全通以後 ====
* [[1959年]](昭和34年)
** [[7月15日]]:三木里駅 - 新鹿駅間 (12.3km) が開業し全通<ref name="sone 20"/>。亀山駅 - 和歌山駅(初代)間が'''紀勢本線'''となる<ref name="sone 20"/>。紀伊木本駅が熊野市駅に、相可口駅が多気駅に改称。九鬼駅 - 三瀬谷駅間で貨物営業開始。伊勢柏崎駅 - 大内山駅間で改キロ (-0.1km)。三野瀬駅・相賀駅・九鬼駅を和歌山方面に0.1km、三瀬谷駅・阿曽駅・鵜殿駅・宇久井駅・串本駅・紀伊富田駅・紀伊新庄駅・和佐駅を亀山方面に0.1kmずつ改キロ。
** [[9月26日]]:[[伊勢湾台風]]により、徳和駅 - 多気駅間の[[櫛田川]]橋梁流失。同年[[10月17日]]に仮橋梁を設置して復旧<ref>『中部日本新聞(現・[[中日新聞]])』中部日本新聞社(現・[[中日新聞社]])、1959年10月17日夕刊。</ref>。
* [[1961年]](昭和36年)
** 9月1日:冷水浦駅が和歌山方面に0.4km移転。
** [[12月11日]]:波田須駅が開業。
* [[1964年]](昭和39年)
** [[6月27日]]:紀三井寺駅 - 東和歌山駅間が複線化<ref name="tennoji-30_213">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.215。</ref>。
** [[11月12日]]:海南駅 - 紀三井寺駅間が複線化<ref name="tennoji-30_213" />。
* [[1965年]](昭和40年)
** [[2月27日]]:大内山駅 - 紀伊長島駅間に梅ケ谷信号場が、見老津駅 - 周参見駅間に双子山信号場が開設。
** [[3月1日]]:紀伊椿駅が椿駅に、白浜口駅が白浜駅に、紀伊湯浅駅が湯浅駅に改称。名古屋駅 - 天王寺駅間で特急「くろしお」が運転開始。
** [[11月1日]]:梅ケ谷信号場を駅に変更し梅ケ谷駅が開業。
* [[1966年]](昭和41年)
** 11月1日:黒江駅が開業。
** [[12月1日]]:冷水浦駅 - 海南駅間が複線化<ref name="名前なし-3">『保存版・紀勢本線の70年 -きのくに線と紀州路の私鉄』郷土出版社、1996年、p.235。</ref>。<!-- 複線開通が11/25、使用開始日が12/1 -->
* [[1967年]](昭和42年)
** [[2月8日]]:南広信号場 - 湯浅駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.219。</ref>。
** [[3月3日]]:下津駅 - 加茂郷駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** [[3月11日]]:初島駅 - 下津駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** [[3月14日]]:紀伊由良駅 - 南広信号場間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** 3月15日:南広信号場が廃止<ref name="tennoji-30_219" />。
** [[3月24日]]:加茂郷駅 - 冷水浦駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** 4月1日:和歌山駅 - 和歌山市間の営業キロが改正(国鉄0.5km、南海1.0km)<ref name="tennoji-30_219" />。
** 9月17日:紀伊宮原駅 - 藤並駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** 9月29日:箕島駅 - 紀伊宮原駅間が複線化<ref name="tennoji-30_219" />。
** 10月1日:狗子ノ川駅が廃止。
* [[1968年]](昭和43年)
** [[2月1日]]:和歌山駅(初代)が紀和駅に改称<ref name="sone 21"/>。
** 3月1日:東和歌山駅が和歌山駅(2代目)に改称。
** [[3月19日]]:湯浅駅 - 藤並駅間が複線化<ref name="tennoji-30_221">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.221。</ref>。
** 3月24日:箕島駅 - 初島駅間が複線化<ref name="tennoji-30_221" />。
** [[6月1日]]:貨物支線 紀伊由良駅 - 由良内駅間 (2.0km) が廃止。由良内駅が廃止<ref name="sone 21"/>。
** [[9月1日]]:宮前駅 - 和歌山駅間に貨物駅として和歌山操駅が開業。和歌山操駅 - 和歌山駅間が電化。
** [[9月3日]]:稲原駅 - 和佐駅間が複線化<ref name="tennoji-30_221" />。
** [[9月18日]]:岩代駅 - 切目駅間が複線化<ref name="tennoji-30_221" />。
** [[9月21日]]:御坊駅 - 紀伊内原駅間が複線化<ref name="tennoji-30_221" />。
** [[9月28日]]:紀伊内原駅 - 紀伊由良駅間が複線化<ref name="zensenzeneki8">[[宮脇俊三]]・原田勝正『全線全駅鉄道の旅8 近畿 JR私鉄1300キロ』小学館、1991年、p.198。</ref><ref name="tekkenkyo">[https://web.archive.org/web/20071022000013/http://www.tekkenkyo.or.jp/ukeoi/area/kansai/37/index.html 日本鉄道請負史](インターネットアーカイブ)- 社団法人日本鉄道建設業協会</ref>。
* [[1969年]](昭和44年)[[2月25日]]:道成寺駅 - 御坊駅間が複線化<ref>『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.223。</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)9月29日:南部駅 - 岩代駅間が複線化<ref>『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年。p.225。</ref><ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●紀勢本線南部・岩代間増設線路の使用開始について(運転局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1970-09-28 |page=17 }}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]:和歌山線の紀和駅 - 国社分界点 - 和歌山市駅間が紀勢本線に編入<ref name="sone 21"/>。
* [[1977年]](昭和52年)
** [[4月5日]]:印南駅 - 稲原駅間が複線化<ref name="tennoji-30_239">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.239。</ref>。
** [[5月25日]]:紀伊田辺駅 - 芳養間が複線化<ref name="zensenzeneki8" /><ref name="tekkenkyo" />。<!--稲原駅間が複線化<ref name="tennoji-30_239" />。→稲原だと1978年1月24日、1970年9月29日、1968年9月18日、1977年11月15日・4月5日の区間と重複 -->
** [[11月15日]]:切目駅 - 印南駅間が複線化<ref name="tennoji-30_239" />。
** [[12月13日]]:和佐駅 - 道成寺駅間が複線化<ref name="tennoji-30_239" />。
* [[1978年]](昭和53年)
** [[1月24日]]:芳養駅 - 南部駅間が複線化され、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の複線化が完成<ref name="tennoji-30_241">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.241。</ref>。
** 3月31日:新宮駅 - 和歌山駅間に[[列車集中制御装置]] (CTC) が導入<ref name="tennoji-30_241" />。
** [[10月2日]]:新宮駅 - 和歌山操駅間が電化開業<ref>『'88 JR西日本』西日本旅客鉄道、1988年、p.97。</ref>。名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間で特急「南紀」が運転開始<ref name="sone 21"/>。「くろしお」は天王寺駅 - 白浜駅・新宮駅間の運転となる<ref name="sone 21"/>。
* [[1982年]](昭和57年)11月15日:貨物支線 新宮駅 - 熊野地駅間 (1.5km) が廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第166号 |newspaper=[[官報]] |date=1982-11-13 }}</ref>。熊野地駅が廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第167号 |newspaper=[[官報]] |date=1982-11-13 }}</ref>。
* [[1983年]](昭和58年)[[12月21日]]:亀山駅 - 新宮駅間に CTC が導入<ref name="名前なし-3"/>。
* [[1984年]](昭和59年)[[10月1日]]:和歌山駅 - 和歌山市駅間が電化<ref name="sone 21"/>。
* [[1985年]](昭和60年)3月13日:南海本線からの直通列車が廃止<ref name="sone 21"/>。
* [[1986年]](昭和61年)11月1日:紀伊佐野駅 - 和歌山駅間の貨物営業が廃止。和歌山操駅が廃止。客車列車は全廃され新宮駅 - 和歌山駅間の普通列車が113系から165系に置き換えられる。
==== 分割民営化以後 ====
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により亀山駅 - 新宮駅間 (180.2km) を東海旅客鉄道<ref name="sone 21"/>、新宮駅 - 和歌山市駅間 (204.0km) を西日本旅客鉄道が承継<ref name="sone 21"/>、日本貨物鉄道が亀山駅 - 紀伊佐野駅間 (188.6km)、和歌山駅 - 南海電鉄分界点間 (2.3km) の第二種鉄道事業者となる。
* [[1989年]]([[平成]]元年)
**[[2月20日]]:松阪駅 - 多気駅間でワンマン運転開始<ref>「新造ディーゼル車で初のワンマン運転へ JR東海が「太多」など3線で」[[中日新聞]] 1988年12月27日朝刊</ref><ref>「三重地方のJRの3線に新型車両 参宮、名松、紀勢 ワンマン運転」中日新聞 1989年2月22日朝刊 三重版</ref>。
** [[7月22日]]:特急「スーパーくろしお」運転開始。「くろしお」とともに一部が新大阪駅・京都駅発着になる。<!--スーパーくろしおも2004年まで一部が天王寺発着-->新宮駅 - 和歌山駅間で'''きのくに線'''の愛称が使用開始<ref>{{PDFlink|1=[http://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2014_25.pdf#page=2 データで見るJR西日本2014 沿革]}} - 西日本旅客鉄道、2014年11月17日閲覧</ref>。
** [[10月20日]]:和歌山駅 - 和歌山市駅間でワンマン運転開始<ref name="kotsu2011">ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2011』[[交通新聞社]]、2011年。{{ISBN2|978-4-330-22011-6}}。</ref><ref>{{Cite book|和書 |date=1990-08-01 |title=JR気動車客車編成表 90年版 |chapter=JR年表 |page=173 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-111-2}}</ref>。
* [[1990年]](平成2年)[[3月10日]]:亀山駅 - 松阪駅間でワンマン運転開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1992-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '92年版 |chapter=JRワンマン運転線区一覧表 |page=190 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-113-9}}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)[[3月14日]]:広川ビーチ駅が開業<ref name="sone 21"/>。
* [[1996年]](平成8年)[[7月31日]]:特急「スーパーくろしお・オーシャンアロー」が運転開始<ref name="sone 21"/>。
* [[1997年]](平成9年)3月8日:「スーパーくろしお・オーシャンアロー」が「オーシャンアロー」に改称<ref name="sone 21"/><ref>[https://web.archive.org/web/19971022220205/www.westjr.co.jp/new/1press/dia.html 平成9年3月ダイヤ改正](インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1996年12月6日</ref>。[[高速化 (鉄道)|高速化]]が完成し、和歌山駅 - 新宮駅間で約19分の短縮。
* [[1998年]](平成10年)[[10月10日]]:海南駅周辺の[[連続立体交差事業]]が完成。
* [[2000年]](平成12年)3月11日:新宮駅 - 紀伊田辺駅間でワンマン運転開始<ref name="kotsu2011" />。阪和線からの直通の快速列車が大幅に削減。
* [[2001年]](平成13年)3月3日:多気駅 - 新宮駅間でワンマン運転開始<ref>[https://web.archive.org/web/20010211101749/http://www.jr-central.co.jp/news.nsf/news/E0F732F58C5F0579492569EC0005D1B8 関西・紀勢・飯田線での乗降方法の変更について](JR東海ニュースリリース・インターネットアーカイブ・)2001年時点の版)。</ref><ref>「JR紀勢線でワンマン運転開始 多紀-新宮間」読売新聞 2001年3月7日</ref>。
* [[2002年]](平成14年)
** [[3月22日]]:165系の定期運用が終了<ref name="jrr_dc02" />。
** [[3月24日]]:快速「ありがとう 165系号」が天王寺駅 - 白浜駅間で運転される<ref name="jrr_dc02" />。
** [[11月2日]]:紀伊田辺駅 - 御坊駅間でワンマン運転開始<ref name="kotsu2011" />。
* [[2003年]](平成15年)
<!-- ** 4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業(和歌山駅 - 南海電鉄分界点間 2.3km)が廃止。-->
** 10月1日:紀和駅 - 新宮駅間のコンコースの喫煙コーナーが廃止<ref>[https://web.archive.org/web/20031001173208/www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030829a.html 駅コンコースを終日全面禁煙にします](インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月29日</ref>。
** 10月:きのくに線電化25周年記念イベントとして、11・12日に天王寺駅 - 新宮駅間でキハ58系による急行「きのくに」が[[リバイバルトレイン|復活運転]]、12・13日に和歌山駅 - 白浜駅間でEF58 150牽引の12系客車による急行「紀勢線電化25周年記念号」が運転される<ref>[https://web.archive.org/web/20031001170756/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030822b.html 平成15年度【秋】の臨時列車の運転](インターネットアーカイブ)- 2003年8月22日</ref>。
* [[2004年]](平成16年)
** 6月2日:冷水浦駅付近の高架橋でトレーラーが横転して積荷の材木が線路上へ落下し、快速列車が脱線して約1日半にわたって部分運休<ref>[http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004061401000658.html 丸太落下で運転手逮捕 JR紀勢線の脱線事故]{{リンク切れ|date=2012年4月}} - 47NEWS 2006年6月14日</ref>。
** [[9月29日]] - [[10月26日]]:[[平成16年台風第21号|台風21号]]による紀伊長島駅 - 三野瀬駅間の[[赤羽川]]橋梁橋脚流出により、紀伊長島駅 - 船津駅間で運休<ref>{{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00035/2005/60-4/60-4-0163.pdf 紀勢本線赤羽川橋りょう橋脚流失の被災状況と応急復旧について]}} - 土木学会第60回年次学術講演会(平成17年9月)</ref>。
* [[2005年]](平成17年)[[12月7日]]:那智駅で紀伊勝浦発新宮行き普通列車がホームで停止できずに[[安全側線]]に進入する事故が発生。この事故で約1日半にわたって運休やダイヤの乱れが生じたが、人的被害はなかった<ref>[http://replay.waybackmachine.org/20051210055548/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20051208k0000m040151000c.html JR紀勢線脱線:線路に草、車輪がスリップか](インターネットアーカイブ)- 毎日新聞 2005年12月8日</ref>。
* [[2008年]](平成20年)
** [[4月1日]]:鵜殿駅 - 紀伊佐野駅間(10.0km)の貨物営業(日本貨物鉄道の第二種鉄道事業)廃止。
** [[10月4日]]:紀和駅周辺の連続立体交差事業が完成<ref name="名前なし-2"/>。
* [[2009年]](平成21年)[[7月15日]]:紀勢本線全通50周年記念として亀山駅 - 白浜駅間でキハ85系による快速「紀勢本線全通50周年記念号」が運転<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws000305.html 「快速 紀勢本線全通50周年記念号」について] - 東海旅客鉄道プレスリリース 2009年5月19日</ref>。キハ85系が紀伊勝浦駅 - 白浜駅間で運転されるのは初めて。
* [[2011年]](平成23年)
** [[4月2日]] - [[4月7日]]:[[東日本大震災]]の影響で車両保守部品が不足したことにより、新宮駅 - 和歌山市駅間で日中の列車の間引き運転が実施される<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html 車両保守部品の不足に伴う列車運転計画の見直しについて] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年4月6日</ref>。
*** 日中の運転率は、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間70%、周参見駅 - 御坊駅間60%、御坊駅 - 和歌山駅間50%で、和歌山駅 - 和歌山市駅間は9 - 15時台の全列車の運転を取りやめた<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/20110325_wakayama.pdf 東北地方太平洋沖地震に伴う車両保守部品の不足による4月2日からの具体的な運転計画について]}} - 西日本旅客鉄道和歌山支社プレスリリース 2011年3月25日</ref>。
** [[9月4日]]:[[平成23年台風第12号|台風12号]]による[[那智川]]の増水で紀伊天満駅 - 那智駅間の那智川橋梁が流失するなどの被害を受ける<ref name="mainichi_20110914" />。
** [[9月6日]]:多気駅 - 尾鷲駅間で運転再開。
** [[9月7日]]:尾鷲駅 - 熊野市駅間で運転再開。
** [[9月17日]]:串本駅 - 白浜駅間で運転再開<ref name="jrw_20110914" />。
** [[9月26日]]:紀伊勝浦駅 - 串本駅間で運転再開<ref name="jrw_20110926" />。
** [[10月11日]]:熊野市駅 - 新宮駅間で運転再開<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111010/dst11101015510011-n1.htm JR紀勢線・熊野市-新宮駅間が11日運転再開] - 産経新聞 2011年10月10日</ref>。
** [[12月3日]]:新宮駅 - 紀伊勝浦駅間で運転再開され、台風12号による不通区間が解消される<ref name="mainichi_20111203" />。
* [[2012年]](平成24年)[[3月17日]]:特急に287系が投入(新大阪駅<!--京都発着列車は7月ごろから--> - 白浜駅間のみ)。これに伴い特急「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」「くろしお」がすべて「くろしお」に列車名統一<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/20111216_wakayama.pdf 平成24年 春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道和歌山支社プレスリリース 2011年12月16日</ref>。
* [[2015年]](平成27年)
** [[7月17日]]:[[平成27年台風第11号|台風11号]]による大雨で、紀伊由良駅 - 広川ビーチ駅間にて土砂崩壊するなどの被害を受け<ref>[https://www.sankei.com/article/20150724-PBSZ2SQBRZMNPCCAMIK6EV563U/ 土砂崩れで一部区間運転見合わせのJR紀勢線、26日から運転再開] - 産経WEST、2015年7月24日</ref>、新宮駅 - 和歌山駅間が不通に<ref name="sankei20150719" />。
** [[7月18日]]:御坊駅 - 箕島駅間以外は運転再開<ref name="sankei20150719" />、バス代行を実施。
** [[7月26日]]:御坊駅 - 箕島駅間が運転再開<ref name="sankei20150719" />、25日限りでバス代行終了<ref name="response20150724" />。
** [[8月22日]]:[[平成27年台風第16号|台風16号]]の高波の影響で新宮駅 - 三輪崎駅間の土砂が流出し、新宮駅 - 紀伊勝浦駅間が不通となり、バス代行を実施<ref>[http://response.jp/article/2015/08/26/258693.html 西日本のJR線など、台風の影響で運休続く] - レスポンス、2015年8月26日</ref>。
** [[8月30日]]:海南駅 - 宮前駅の各駅でICカード「[[ICOCA]]」が利用可能となる<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/06/page_7335.html いよいよ「紀の国わかやま国体」開催まで100日!ICカード乗車券利用可能駅を拡大、和歌山〜海南駅間大増発!など、どんどん国体を盛り上げていきます!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2015年6月18日</ref><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/08/page_7469.html 8月30日(日曜日)にIC乗車券利用可能エリア拡大!ICOCAを買うなら、今がチャンス!ICエリア拡大(宮前〜海南駅間)プレゼントキャンペーンの実施] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2015年8月5日</ref>。
** [[9月1日]]:新宮駅 - 紀伊勝浦駅間が運転再開、8月31日限りでバス代行終了<ref name="response20150831">[http://response.jp/article/2015/08/31/259048.html JR西日本、9月1日からきのくに線全線再開…台風で土砂流出被害] - レスポンス、2015年8月31日</ref>。
* [[2016年]](平成28年)
** [[4月1日]]:亀山駅 - 鵜殿駅間(176.6km)の貨物営業(日本貨物鉄道の第二種鉄道事業)廃止<ref>電気車研究会『平成二十八年度 鉄道要覧』p.14。</ref>。
** [[12月17日]]:新宮駅 - 海南駅の特急停車駅(新宮駅・紀伊勝浦駅・太地駅・古座駅・串本駅・周参見駅・白浜駅・紀伊田辺駅・南部駅・御坊駅・湯浅駅・藤並駅・箕島駅)でICカード「ICOCA」が利用可能となる。ただし、同区間を含む場合は乗車券機能のみ利用可能で、同区間を含むICOCA定期券は発売しない。
* [[2017年]](平成29年)
** [[7月15日]]:和歌山市駅 - 和歌山駅間でICカード「ICOCA」が利用可能となる<ref name="westjr20170608">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/06/page_10582.html 利用開始日が決定!紀勢線(和歌山〜和歌山市駅)でICカード乗車券が7月15日(土曜日)から利用できるようになります!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2017年6月8日</ref>。また、和歌山市駅接続で南海線とのIC連絡定期券の取扱いを開始<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/06/page_10581.html 「南海・JR西日本IC連絡定期券」(和歌山市接続)の発売開始日について〜2017年7月15日に決定〜] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2017年6月8日</ref>。
* [[2019年]](平成31年)[[4月14日]]:御坊駅構内で入換車両の脱線事故が発生。人的被害はなかったが、この事故で運休やダイヤの乱れが生じた<ref>[https://www.asahi.com/sp/articles/ASM4G362XM4GPTIL001.html JR御坊駅・留置線で脱線 紀勢線、一部運転見合わせ] 朝日新聞 2019年4月14日</ref>。
* [[2020年]]([[令和]]2年)3月14日:紀伊田辺駅 - 海南駅間の全駅でICカード「ICOCA」が利用可能となる<ref name="westjr20191213" />。この間では、IC専用型自動改札機で対応。
* [[2021年]](令和3年)3月13日:新宮駅 - 紀伊田辺駅間の全駅でICカード「ICOCA」が利用可能となる<ref name="westjr20200827" /><ref name=":1" />。
== 駅一覧 ==
; 凡例
:* 停車駅
:** 普通…すべての駅に停車
:** 快速…●印の駅は停車、|印の駅は通過
:* 線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
=== 東海旅客鉄道 ===<!--一覧表の接続路線欄に表記方法を合わせる-->
* 全区間非電化(新宮駅構内を除く)
* 停車駅
** 快速=「[[みえ (列車)|みえ]]」
** 特急…「[[南紀 (列車)]]」参照
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!style="width:7.5em;"|駅名
!style="width:2.5em;"|駅間<br />営業<br />キロ
!style="width:3em;"|累計<br />営業<br />キロ
!style="width:1em; background-color:#fd8;"|{{縦書き|快速}}
!接続路線
!style="width:1em;"|{{縦書き|線路}}
!colspan="3"|所在地
|-
|[[亀山駅 (三重県)|亀山駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
| rowspan="3" style="width:1em; text-align:center; vertical-align:bottom;" |{{縦書き|伊勢鉄道線経由}}
|[[東海旅客鉄道]]:{{JR海駅番号|CJ}} [[関西線 (名古屋地区)|関西本線]] (CJ17)([[名古屋駅|名古屋]]方面)<br />[[西日本旅客鉄道]]:[[File:JRW kinki-V.svg|17px|V]] [[関西本線]]([[柘植駅|柘植]]方面)
|◇
|rowspan="40" style="width:1em; text-align:center; line-height:5;"|{{縦書き|[[三重県]]}}
|rowspan="2"colspan="2"|[[亀山市]]
|-
|[[下庄駅]]
|style="text-align:right;"|5.5
|style="text-align:right;"|5.5
|
|◇
|-
|[[一身田駅]]
|style="text-align:right;"|6.6
|style="text-align:right;"|12.1
|
|◇
|rowspan="4"colspan="2"|[[津市]]
|-
|[[津駅]]
|style="text-align:right;"|3.4
|style="text-align:right;"|15.5
|style="background-color:#fd8;"|●
|[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|E}} [[近鉄名古屋線|名古屋線]] (E39)<br />[[伊勢鉄道]]:[[伊勢鉄道伊勢線|伊勢線]] (12)
|◇
|-
|[[阿漕駅]]
|style="text-align:right;"|3.8
|style="text-align:right;"|19.3
|style="background-color:#fd8;"||
|
|◇
|-
|[[高茶屋駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|23.4
|style="background-color:#fd8;"||
|
|◇
|-
|[[六軒駅 (三重県)|六軒駅]]
|style="text-align:right;"|5.7
|style="text-align:right;"|29.1
|style="background-color:#fd8;"||
|
|◇
|rowspan="3"colspan="2"|[[松阪市]]
|-
|[[松阪駅]]
|style="text-align:right;"|5.5
|style="text-align:right;"|34.6
|style="background-color:#fd8;"|●
|東海旅客鉄道:{{Color|#f77321|■}}[[名松線]]<br />近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|M}} [[近鉄山田線|山田線]] (M64)
|◇
|-
|[[徳和駅]]
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|37.6
|style="background-color:#fd8;"||
|
|◇
|-
|[[多気駅]]
|style="text-align:right;"|4.9
|style="text-align:right;"|42.5
|style="background-color:#fd8;"|●
|東海旅客鉄道:{{Color|#f77321|■}}[[参宮線]]
|◇
|rowspan="7" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[多気郡]]}}
|rowspan="3"|[[多気町]]
|-
|[[相可駅]]
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|46.4
| rowspan="31" style="width:1em; text-align:center; vertical-align:top;" |{{縦書き|参宮線直通}}
|
||
|-
|[[佐奈駅]]
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:right;"|49.6
|
|◇
|-
|[[栃原駅]]
|style="text-align:right;"|5.5
|style="text-align:right;"|55.1
|
|◇
|rowspan="4"|[[大台町]]
|-
|[[川添駅]]
|style="text-align:right;"|5.7
|style="text-align:right;"|60.8
|
|◇
|-
|[[三瀬谷駅]]
|style="text-align:right;"|7.1
|style="text-align:right;"|67.9
|
|◇
|-
|[[滝原駅]]
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:right;"|73.0
|
|◇
|-
|[[阿曽駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|77.1
|
||
|rowspan="4" colspan="2"|[[度会郡]]<br />[[大紀町]]
|-
|[[伊勢柏崎駅]]
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:right;"|82.2
|
|◇
|-
|[[大内山駅]]
|style="text-align:right;"|4.7
|style="text-align:right;"|86.9
|
|◇
|-
|[[梅ケ谷駅]]
|style="text-align:right;"|2.6
|style="text-align:right;"|89.5
|
|◇
|-
|[[紀伊長島駅]]
|style="text-align:right;"|8.9
|style="text-align:right;"|98.4
|
|◇
|rowspan="4"colspan="2" style="white-space:nowrap;"|[[北牟婁郡]]<br />[[紀北町]]
|-
|[[三野瀬駅]]
|style="text-align:right;"|7.5
|style="text-align:right;"|105.9
|
|◇
|-
|[[船津駅 (三重県紀北町)|船津駅]]
|style="text-align:right;"|6.3
|style="text-align:right;"|112.2
|
|◇
|-
|[[相賀駅]]
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|116.6
|
|◇
|-
|[[尾鷲駅]]
|style="text-align:right;"|6.7
|style="text-align:right;"|123.3
|
|◇
|rowspan="5"colspan="2"|[[尾鷲市]]
|-
|[[大曽根浦駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|127.4
|
|◇
|-
|[[九鬼駅]]
|style="text-align:right;"|7.0
|style="text-align:right;"|134.4
|
|◇
|-
|[[三木里駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|138.5
|
||
|-
|[[賀田駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|142.6
|
|◇
|-
|[[二木島駅]]
|style="text-align:right;"|4.2
|style="text-align:right;"|146.8
|
||
|rowspan="6"colspan="2"|[[熊野市]]
|-
|[[新鹿駅]]
|style="text-align:right;"|4.0
|style="text-align:right;"|150.8
|
|◇
|-
|[[波田須駅]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|153.2
|
||
|-
|[[大泊駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|155.2
|
||
|-
|[[熊野市駅]]
|style="text-align:right;"|2.4
|style="text-align:right;"|157.6
|
|◇
|-
|[[有井駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|159.6
|
||
|-
|[[神志山駅]]
|style="text-align:right;"|4.5
|style="text-align:right;"|164.1
|
|◇
|rowspan="5" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[南牟婁郡]]}}
|rowspan="3"|[[御浜町]]
|-
|[[紀伊市木駅]]
|style="text-align:right;"|1.5
|style="text-align:right;"|165.6
|
||
|-
|[[阿田和駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|168.4
|
|◇
|-
|[[紀伊井田駅]]
|style="text-align:right;"|5.4
|style="text-align:right;"|173.8
|
||
|rowspan="2"|[[紀宝町]]
|-
|[[鵜殿駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|176.6
|
|◇
|-
|[[新宮駅]]
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|180.2
| style="white-space:nowrap;"|西日本旅客鉄道:[[File:JRW kinki-W.svg|17px|W]] 紀勢本線(和歌山方面)
|◇
|colspan="3"|[[和歌山県]]<br />[[新宮市]]
|}
下記を除く32駅は[[無人駅]]である。
* JR東海[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]](7駅)
** 亀山駅・津駅・松阪駅・多気駅・紀伊長島駅・尾鷲駅・熊野市駅
* JR西日本の直営駅
** 新宮駅
=== 西日本旅客鉄道 === <!--一覧表の接続路線欄に表記方法を合わせる-->
* 全区間直流電化
* 停車駅
** 特急…「[[くろしお (列車)]]」「[[南紀 (列車)]]」参照
** 普通(阪和線内で快速または紀州路快速となる列車を含む)… すべての駅に停車する(表中省略、阪和線内で快速または紀州路快速となる普通の停車駅については[[阪和線#駅一覧|阪和線]]を参照)
* 全駅[[和歌山県]]内に所在
==== 新宮駅 - 和歌山駅間(きのくに線) ====
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="width:7.5em; border-bottom:3px solid #00A6B4;"|駅名・信号場名
!rowspan="2" style="width:2.5em; border-bottom:3px solid #00A6B4;"|駅間<br />営業<br />キロ
!colspan="2"|累計<br />営業キロ
!rowspan="2" style="width:1em; background-color:#feb; border-bottom:3px solid #00A6B4;"|{{縦書き|快速}}
!rowspan="2" style="border-bottom:3px solid #00A6B4;"|接続路線
!rowspan="2" style="width:1em; border-bottom:3px solid #00A6B4;"|{{縦書き|線路}}
!rowspan="2" colspan="2" style="border-bottom:3px solid #00A6B4;"|所在地
|-
!style="border-bottom:3px solid #00A6B4;"|{{Nowrap|新宮<br />から}}
!style="border-bottom:3px solid #00A6B4;"|{{Nowrap|亀山<br />から}}
|-
|[[新宮駅]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|0.0
|style="text-align:right;"|180.2
|
|東海旅客鉄道:紀勢本線(亀山方面)
|◇
|rowspan="3" colspan="2"|[[新宮市]]
|-
|[[三輪崎駅]]
|style="text-align:right;"|4.7
|style="text-align:right;"|4.7
|style="text-align:right;"|184.9
|
|
|◇
|-
|[[紀伊佐野駅]]
|style="text-align:right;"|1.7
|style="text-align:right;"|6.4
|style="text-align:right;"|186.6
|
|
|◇
|-
|[[宇久井駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|8.5
|style="text-align:right;"|188.7
|
|
|◇
|rowspan="16" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[東牟婁郡]]}}
|rowspan="5" style="white-space:nowrap;"|[[那智勝浦町]]
|-
|[[那智駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|12.8
|style="text-align:right;"|193.0
|
|
|◇
|-
|[[紀伊天満駅]]
|style="text-align:right;"|0.9
|style="text-align:right;"|13.7
|style="text-align:right;"|193.9
|
|
||
|-
|[[紀伊勝浦駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|14.9
|style="text-align:right;"|195.1
|
|
|◇
|-
|[[湯川駅]]
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|17.6
|style="text-align:right;"|197.8
|
|
|◇
|-
|[[太地駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|19.7
|style="text-align:right;"|199.9
|
|
||
|[[太地町]]
|-
|[[下里駅]]
|style="text-align:right;"|1.2
|style="text-align:right;"|20.9
|style="text-align:right;"|201.1
|
|
|◇
|rowspan="2"|那智勝浦町
|-
|[[紀伊浦神駅]]
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|24.8
|style="text-align:right;"|205.0
|
|
|◇
|-
|[[紀伊田原駅]]
|style="text-align:right;"|4.0
|style="text-align:right;"|28.8
|style="text-align:right;"|209.0
|
|
|◇
|rowspan="8"|[[串本町]]
|-
|[[古座駅]]
|style="text-align:right;"|6.0
|style="text-align:right;"|34.8
|style="text-align:right;"|215.0
|
|
|◇
|-
|[[紀伊姫駅]]
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|38.7
|style="text-align:right;"|218.9
|
|
||
|-
|[[串本駅]]
|style="text-align:right;"|2.9
|style="text-align:right;"|41.6
|style="text-align:right;"|221.8
|
|
|◇
|-
|[[紀伊有田駅]]
|style="text-align:right;"|5.8
|style="text-align:right;"|47.4
|style="text-align:right;"|227.6
|
|
|◇
|-
|[[田並駅]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|49.2
|style="text-align:right;"|229.4
|
|
|◇
|-
|[[田子駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|53.5
|style="text-align:right;"|233.7
|
|
||
|-
|[[和深駅]]
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|56.2
|style="text-align:right;"|236.4
|
|
|◇
|-
|[[江住駅]]
|style="text-align:right;"|5.6
|style="text-align:right;"|61.8
|style="text-align:right;"|242.0
|
|
|◇
|rowspan="9" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[西牟婁郡]]}}
|rowspan="4"|[[すさみ町]]
|-
|[[見老津駅]]
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|64.8
|style="text-align:right;"|245.0
|
|
|◇
|-
|[[双子山信号場]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|70.5
|style="text-align:right;"|250.7
|
|
|◇
|-
|[[周参見駅]]
|style="text-align:right;"|9.0
|style="text-align:right;"|73.8
|style="text-align:right;"|254.0
|
|
|◇
|-
|[[紀伊日置駅]]
|style="text-align:right;"|7.2
|style="text-align:right;"|81.0
|style="text-align:right;"|261.2
|
|
|◇
|rowspan="4"|[[白浜町]]
|-
|[[椿駅]]
|style="text-align:right;"|6.1
|style="text-align:right;"|87.1
|style="text-align:right;"|267.3
|
|
|◇
|-
|[[紀伊富田駅]]
|style="text-align:right;"|5.2
|style="text-align:right;"|92.3
|style="text-align:right;"|272.5
|
|
|◇
|-
|[[白浜駅]]
|style="text-align:right;"|2.9
|style="text-align:right;"|95.2
|style="text-align:right;"|275.4
|
|
|◇
|-
|[[朝来駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|99.5
|style="text-align:right;"|279.7
|
|
|◇
|[[上富田町]]
|-
|[[紀伊新庄駅]]
|style="text-align:right;"|3.5
|style="text-align:right;"|103.0
|style="text-align:right;"|283.2
|
|
|◇
|rowspan="3" colspan="2"|[[田辺市]]
|-
|[[紀伊田辺駅]]
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|105.2
|style="text-align:right;"|285.4
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∧
|-
|[[芳養駅]]
|style="text-align:right;"|4.1
|style="text-align:right;"|109.3
|style="text-align:right;"|289.5
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[南部駅]]
|style="text-align:right;"|5.0
|style="text-align:right;"|114.3
|style="text-align:right;"|294.5
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|rowspan="6" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[日高郡 (和歌山県)|日高郡]]|height=3.3em}}
|rowspan="2"|[[みなべ町]]
|-
|[[岩代駅]]
|style="text-align:right;"|5.1
|style="text-align:right;"|119.4
|style="text-align:right;"|299.6
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[切目駅]]
|style="text-align:right;"|5.9
|style="text-align:right;"|125.3
|style="text-align:right;"|305.5
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|rowspan="3"|[[印南町]]
|-
|[[印南駅]]
|style="text-align:right;"|3.8
|style="text-align:right;"|129.1
|style="text-align:right;"|309.3
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[稲原駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|133.4
|style="text-align:right;"|313.6
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[和佐駅]]
|style="text-align:right;"|6.8
|style="text-align:right;"|140.2
|style="text-align:right;"|320.4
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|[[日高川町]]
|-
|[[道成寺駅]]
|style="text-align:right;"|4.3
|style="text-align:right;"|144.5
|style="text-align:right;"|324.7
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|rowspan="2" colspan="2"|[[御坊市]]
|-
|[[御坊駅]]
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|146.1
|style="text-align:right;"|326.3
|style="background-color:#feb;"|●
|[[紀州鉄道]]:[[紀州鉄道線]]
|∥
|-
|[[紀伊内原駅]]
|style="text-align:right;"|2.9
|style="text-align:right;"|149.0
|style="text-align:right;"|329.2
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|rowspan="2" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|日高郡}}
|[[日高町 (和歌山県)|日高町]]
|-
|[[紀伊由良駅]]
|style="text-align:right;"|5.3
|style="text-align:right;"|154.3
|style="text-align:right;"|334.5
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|[[由良町]]
|-
|[[広川ビーチ駅]]
|style="text-align:right;"|6.8
|style="text-align:right;"|161.1
|style="text-align:right;"|341.3
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|rowspan="3" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[有田郡]]|height=3em}}
|[[広川町 (和歌山県)|広川町]]
|-
|[[湯浅駅]]
|style="text-align:right;"|2.6
|style="text-align:right;"|163.7
|style="text-align:right;"|343.9
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|[[湯浅町]]
|-
|[[藤並駅]]
|style="text-align:right;"|3.4
|style="text-align:right;"|167.1
|style="text-align:right;"|347.3
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|[[有田川町]]
|-
|[[紀伊宮原駅]]
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|171.0
|style="text-align:right;"|351.2
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|rowspan="3" colspan="2"|[[有田市]]
|-
|[[箕島駅]]
|style="text-align:right;"|4.4
|style="text-align:right;"|175.4
|style="text-align:right;"|355.6
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[初島駅]]
|style="text-align:right;"|2.5
|style="text-align:right;"|177.9
|style="text-align:right;"|358.1
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
|[[下津駅]]
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|180.9
|style="text-align:right;"|361.1
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|rowspan="5" colspan="2"|[[海南市]]
|-
|[[加茂郷駅]]
|style="text-align:right;"|2.7
|style="text-align:right;"|183.6
|style="text-align:right;"|363.8
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[冷水浦駅]]
|style="text-align:right;"|3.9
|style="text-align:right;"|187.5
|style="text-align:right;"|367.7
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
|[[海南駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|190.3
|style="text-align:right;"|370.5
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[黒江駅]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|192.1
|style="text-align:right;"|372.3
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
|[[紀三井寺駅]]
|style="text-align:right;"|3.6
|style="text-align:right;"|195.7
|style="text-align:right;"|375.9
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|rowspan="3" colspan="2"|[[和歌山市]]
|-
|[[宮前駅]]
|style="text-align:right;"|2.9
|style="text-align:right;"|198.6
|style="text-align:right;"|378.8
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
|[[和歌山駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|200.7
|style="text-align:right;"|380.9
|style="background-color:#feb;"|●
|西日本旅客鉄道:紀勢本線(和歌山市方面)・[[File:JRW kinki-R.svg|17px|R]] [[阪和線]] (JR-R54)・[[File:JRW kinki-T.svg|17px|T]] [[和歌山線]]<br />[[和歌山電鐵]]:[[和歌山電鐵貴志川線|貴志川線]] (01)
|∨
|}
この区間の駅のうち下記を除く39駅は無人駅である。
* JR西日本の直営駅(8駅)
** 新宮駅・紀伊勝浦駅・串本駅・白浜駅・紀伊田辺駅・御坊駅・海南駅・和歌山駅
* [[JR西日本交通サービス]]による業務委託駅(4駅)
** 藤並駅・箕島駅・黒江駅・紀三井寺駅
==== 和歌山駅 - 和歌山市駅間 ====
* この区間は全区間[[和歌山市]]内に所在。
{| class="wikitable" rules="all"
|-
!rowspan="2" style="width:7.5em;"|駅名
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!rowspan="2" |接続路線
!rowspan="2" style="width:1em;"|{{縦書き|線路}}
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!{{Nowrap|新宮<br />から}}
!{{Nowrap|亀山<br />から}}
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|[[和歌山駅]]
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|style="text-align:right;"|380.9
|西日本旅客鉄道:[[File:JRW kinki-W.svg|17px|W]] 紀勢本線(きのくに線)(新宮方面)・[[File:JRW kinki-R.svg|17px|R]] [[阪和線]] (JR-R54)・[[File:JRW kinki-T.svg|17px|T]] [[和歌山線]]<br />[[和歌山電鐵]]:[[和歌山電鐵貴志川線|貴志川線]] (01)
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|[[紀和駅]]
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|style="text-align:right;"|202.5
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|[[和歌山市駅]]
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|style="text-align:right;"|204.0
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|[[南海電気鉄道]]:[[File:Nankai mainline simbole.svg|15px|NK]] [[南海本線]]・[[File:Nankai mainline simbole.svg|15px|NK]] [[南海和歌山港線|和歌山港線]] (NK45)
||
|}
* JR西日本の直営駅(1駅)
** 和歌山駅(前節参照)
* 無人駅(1駅)
** 紀和駅
* 南海電気鉄道の管轄駅(1駅)
** 和歌山市駅(JR線改札口にJR西日本の券売機設置)
=== 廃止区間 ===
( )内の数字は起点からの営業キロ。
; 貨物支線(1968年 6月1日廃止)
: 紀伊由良駅 (0.0km) - [[由良内駅]] (2.0km)
; 貨物支線(1982年11月15日廃止)
: 新宮駅 (0.0km) - [[熊野地駅]] (1.5km)
; 旧線(1938年5月20日廃止)
: 熊野地駅 (0.0km) - [[広角駅]] (2.4km) - 三輪崎駅 (4.4km)
=== 廃駅・廃止信号場 ===
廃止区間の駅を除く。( )内の数字は亀山駅起点の営業キロ。
* 狗子ノ川駅:1967年廃止、宇久井駅 - 那智駅間 (191.4km)
* 南広信号場:1967年廃止、広川ビーチ駅付近 (341.3km)
* 手平駅:1941年廃止、宮前駅付近 (379.1km)
* [[和歌山操駅]]:1986年廃止、宮前駅 - 和歌山駅間 (379.5km)
=== 過去の接続路線 ===
* 阿漕駅:[[中勢鉄道]]線 - 1942年11月30日まで
* 松阪駅:[[三重電気鉄道松阪線]] - 1964年12月13日まで
* 徳和駅:[[近鉄伊勢線|関急伊勢線]] - 1942年8月11日まで
* 藤並駅:[[有田鉄道線]] - 2002年12月31日まで
* 海南駅:
** [[野上電気鉄道|野上電気鉄道野上線]]([[日方駅|日方駅・連絡口駅]]) - 1994年3月31日まで
** [[南海和歌山軌道線]] - 1971年1月9日まで
* 紀和駅:[[和歌山線]]
** 和歌山線は1974年まで紀和駅からも分岐していた。こちらが1903年に開通した元々の和歌山線で、和歌山駅から分岐するようになったのは1961年である(正式な旅客営業は1972年から。ただしそれ以前から一部の旅客列車が運転されていて、運賃は[[紀伊中ノ島駅]]経由の営業キロで計算していた)。
* 和歌山駅:南海和歌山軌道線 - 1971年3月31日まで
* 和歌山市駅:
** [[南海北島支線|南海加太線]](廃止区間)
*** 南海加太線は、和歌山市駅 - 北島駅 - 東松江駅 - 加太駅間であったが、1950年に台風のため和歌山市駅 - 北島駅間が不通となり、1955年に同区間が廃止され、北島駅 - 東松江駅間が北島支線、紀ノ川駅 - 東松江駅 - 加太駅間が加太線となった。詳細は[[南海加太線]]・[[南海北島支線]]の項を参照。なお、加太線に直通する列車は和歌山市駅から発着している。
** 南海和歌山軌道線 - 1971年3月31日まで
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 『JR「本線」9200キロ』[[JTBパブリッシング]]、2010年。{{ISBN2|978-4-533-08007-4}}。
* 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 -国鉄・JR-』No.25 紀勢本線/参宮線/名松線、朝日新聞出版、2010年。
* [[今尾恵介]]『鉄道車窓絵図 西日本編』JTBパブリッシング、2010年、p.47- p.58。{{ISBN2|978-4-533-07723-4}}。
* 今尾恵介『新・鉄道廃線跡を歩く 4 近畿・中国編』JTBパブリッシング、2010年、p.68 - p.71。{{ISBN2|978-4-533-07861-3}}。
* [[徳田耕一]]『まるごと名古屋の電車 ぶらり沿線の旅 JR・近鉄ほか編』河出書房新社、2012年、p.90 - p.97。{{ISBN2|978-4-309-22555-5}}。
* [[川島令三]]編著『東海道ライン 全線・全駅・全配線(8) 名古屋南部・紀勢東部』[[講談社]]、2009年。{{ISBN2|978-4-06-270018-4}}。
* 川島令三編著『東海道ライン 全線・全駅・全配線(10) 阪南・紀勢西部』講談社、2009年。{{ISBN2|978-4-06-270020-7}}。
* {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=25号 紀勢本線・参宮線・名松線|date=2010-01-10|ref=sone25}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[大糸線]] - 紀勢本線と同じく違う社間で電化・非電化に分かれている路線。
*[[伊勢自動車道]]
*[[紀勢自動車道]]
*[[阪和自動車道]]
*[[国道23号]]
*[[国道42号]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Kisei Main Line}}
* [https://traininfo.jr-central.co.jp/zairaisen/status_detail.html?line=10007&lang=ja 紀勢線] - JR東海
*{{Twitter|JRC_Kisei}}
* [https://www.train-guide.westjr.co.jp/kinokuni.html きのくに線:JR西日本 列車走行位置] - JR西日本
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7,928 | 三角行列 | 数学の一分野線型代数学における三角行列(さんかくぎょうれつ、英: triangular matrix)は特別な種類の正方行列である。正方行列が 下半三角または下三角であるとは主対角線より「上」の成分がすべて零となるときに言い、同様に上半三角または上三角とは主対角線より「下」の成分がすべて零となるときに言う。三角行列は上半または下半三角となる行列のことを言い、また上半かつ下半三角となる行列は対角行列と呼ぶ。
三角行列に関する行列方程式は解くことが容易であるから、それは数値解析において非常に重要である。LU分解アルゴリズムにより、正則行列が下半三角行列 L と上半三角行列 U との積 LU に書くことができるための必要十分条件は、その行列の首座小行列式 (leading principal minor) がすべて非零となることである。
下三角行列または左三角行列は
なる形に書ける行列を言い、同様に上三角行列または右三角行列は
の形に書けるものをいう。ここで用いたような、下三角行列を変数 L(left or lower の略)や上三角行列を変数 U(upper の略)または R(right の略)で表す用法が一般的にしばしば用いられる。
上半かつ下半三角な行列は対角行列といい、また三角行列に相似な行列は三角化可能であると言う。
上三角(resp. 下三角)であるという性質は様々な行列演算に関して保たれる:
これらの事実により、与えられたサイズの上(resp. 下)三角行列の全体は、同じサイズの正方行列の成す結合多元環(行列環)の部分多元環を成すことがわかる。さらに加えて、リー括弧積を交換子 [A, B] ≔ AB − BA を与えれば、同じサイズの正方行列全体の成すリー環の部分リー環としても見ることもできる。この上(resp. 下)三角行列全体の成すリー環は可解リー環であり、またしばしば全行列リー環のボレル部分リー環(英語版)とも呼ばれる。
上記の記述においては下半と上半を混ぜた演算を行ってはならない(その場合、一般には三角行列にならない)。例えば上三角行列と下三角行列の和は任意の行列となり得るし、下三角行列と上三角行列との積も三角行列でないものになり得る。
主対角成分が全て 1 の三角行列は単三角行列 (unitriangular) という。単位行列は上半単三角かつ下半単三角なる唯一の行列である。
任意の単三角行列は冪単である。上(resp. 下)単三角行列全体の成す集合はリー群を成す。
主対角成分が全て零の三角行列は狭義三角行列であるという。任意の狭義三角行列は冪零行列であり、上(resp. 下)三角行列全体の成す集合は冪零リー環 n {\textstyle {\mathfrak {n}}} を成す。このリー環はすべての上(resp. 下)三角行列全体の成すリー環 b {\textstyle {\mathfrak {b}}} の導来リー環: n = [ b , b ] {\textstyle {\mathfrak {n}}=[{\mathfrak {b}},{\mathfrak {b}}]} であり、かつこのリー環 n {\textstyle {\mathfrak {n}}} は上(resp. 下)単三角行列全体の成すリー群のリー環である。
実はエンゲルの定理により、任意の有限次元冪零リー環は狭義上三角行列からなる部分リー環に共軛、すなわち任意の有限次元冪零リー環は狭義上三角行列に同時三角化可能である。
単三角行列が原子的 (atomic; アトミック) とは、ただ一つの列を除いて非対角成分が全て零であるときに言う。そのような行列をフロベニウス行列やガウス行列(ガウス変換行列)などとも呼ぶ。つまり、下半フロベニウス行列は
という形をしている。フロベニウス行列の逆行列はふたたびフロベニウスで、もとのフロベニウス行列の非対角成分をすべて符号反転したものによって与えられる。
正規三角行列は対角行列である。これは正規三角行列 A に対して A*A および AA* の対角成分を見ればわかる。
上三角行列の転置行列は下三角であり、下三角の転置は上三角である。
三角行列の行列式は対角成分の積である。任意の三角行列 A に対して λI − A もまた三角行列で、その行列式は A の固有多項式であるから、実は A の対角成分の全体は A の固有値全体の成す多重集合を与える(重複度 m の固有値はちょうど m 個が対角成分に現れる)。
三角行列と相似な行列は三角化可能 (triangularizable) であるという。抽象的には完全旗を固定することに同値である。上三角行列とは標準基底 (e1, ..., en) により与えられる標準旗
を保つ行列に他ならない。完全旗は互いに共役なので(一般線形群が基底に推移的に作用するから)、ある完全旗を固定する行列は標準旗を固定する行列と相似である。
任意の複素正方行列は三角化可能である。実際には行列 A が、その固有値すべてを含む体(たとえば代数的閉体)上で三角行列と相似であることが示せる。これは帰納法により証明できる。行列 A は固有ベクトルをもつので、その生成系による商空間を考え、帰納法によって完全旗を固定することを示すことにより、その基底に関して三角化可能であることがわかる。より精密な主張がジョルダン標準形の理論により与えることができ、行列は非常に特別な形の上三角行列(ジョルダン標準形)と相似である。けれども、より単純な三角化で多くの場合は用が足りる。いずれにせよジョルダン標準形の存在を示すときには三角化が必要となる。
複素行列の場合には三角化に関してより強い主張ができる。任意の複素正方行列 A はシューア分解をもつ。つまり A が上三角行列とユニタリ同値(ユニタリ行列による基底変換で相似)である。これは完全旗の正規直交基底をとることで得られる。
代数閉体上の互いに可換な正方行列は同時三角化可能である。
上三角行列全体の成す集合は結合多元環を成すのであった。これは函数解析学においてヒルベルト空間上のnest algebra(英語版)に一般化される。
主対角線の上(resp. 下)の成分が全て零の非正方行列は、その非零成分が台形に並ぶから、下(resp. 上)台形行列と呼ばれる。
上(resp. 下)正則三角行列全体の成す集合は群、実際にはリー群を成し、正則行列全体の成す一般線型群の部分群となる。三角行列が可逆となるのはちょうどすべての対角成分が可逆つまり非零となるときであることに注意する。
実係数で考えれば、この群は非連結で、各対角成分が正または負となることに応じて 2 個の連結成分を持つ。単位成分は対角成分が全て正の正則三角行列全体に等しく、また正則三角行列全体の成す群はこの単位成分の群と対角線上に ±1 が(各連結成分に対応して)並ぶ対角成分との半直積になる。
正則上三角行列全体の成すリー群に付随するリー環は、必ずしも正則でない上三角行列全体の成す集合であり、それは可解リー環である。これらはそれぞれ、一般線型リー群 GLn の標準ボレル部分群 B および、一般線型リー環 g l n {\textstyle {\mathfrak {gl}}_{n}} の標準ボレル部分リー環と呼ばれる。
上三角行列はちょうど標準旗(英語版)を固定する行列である。そのなかで正則三角行列の全体は一般線型群の部分群として、その共軛部分群が適当な完全旗 (complete frag) の固定群として定義されるような群である。これらの部分群はボレル部分群と総称される。正則下三角行列全体の成す群がそのような群であることは、それが標準基底を逆順にしたものに対応する標準旗の固定部分群となることからわかる。
標準旗の適当な部分を忘れて得られる部分旗の固定部分群は、区分行列として上三角な(つまり各区分は上三角であるとは限らない)行列の成す集合として記述することができる。そのような部分群の共軛は適当な部分旗の固定部分群として定義される。これらの部分群を放物型部分群(英語版)と総称する。
例えば、二次の上単三角行列全体の成す群は係数体の加法群に同型である。複素係数の場合にはその群は放物型メビウス変換からなる群に対応する。三次の上単三角行列の全体はハイゼンベルク群を成す。 | [
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"title": "一般化"
}
] | 数学の一分野線型代数学における三角行列は特別な種類の正方行列である。正方行列が 下半三角または下三角であるとは主対角線より「上」の成分がすべて零となるときに言い、同様に上半三角または上三角とは主対角線より「下」の成分がすべて零となるときに言う。三角行列は上半または下半三角となる行列のことを言い、また上半かつ下半三角となる行列は対角行列と呼ぶ。 三角行列に関する行列方程式は解くことが容易であるから、それは数値解析において非常に重要である。LU分解アルゴリズムにより、正則行列が下半三角行列 L と上半三角行列 U との積 LU に書くことができるための必要十分条件は、その行列の首座小行列式 がすべて非零となることである。 | {{出典の明記|date=2017年8月}}
[[File:Cyclic group Z4; Cayley table; powers of Gray code permutation (small).svg|thumb|[[Logical matrix|Binary]] lower unitriangular [[Toeplitz matrix|Toeplitz]] matrices, multiplied using [[Finite field|'''F'''<sub>2</sub>]] operations<br>They form the [[Cayley table]] of [[cyclic group|Z<sub>4</sub>]] and correspond to [[v:Gray code permutation powers#4 bit|powers of the 4-bit Gray code permutation]].]]
[[数学]]の一分野[[線型代数学]]における'''三角行列'''(さんかくぎょうれつ、{{lang-en-short|''triangular matrix''}})は特別な種類の[[正方行列]]である。正方行列が '''{{vanc|下半三角}}'''または'''{{vanc|下三角}}'''であるとは[[主対角線]]より「上」の成分がすべて零となるときに言い、同様に'''{{vanc|上半三角}}'''または'''{{vanc|上三角}}'''とは主対角線より「下」の成分がすべて零となるときに言う。三角行列は上半または下半三角となる行列のことを言い、また上半かつ下半三角となる行列は[[対角行列]]と呼ぶ。
三角行列に関する行列方程式は解くことが容易であるから、それは[[数値解析]]において非常に重要である。[[LU分解]]アルゴリズムにより、[[正則行列]]が下半三角行列 {{mvar|L}} と上半三角行列 {{mvar|U}} との積 {{mvar|LU}} に書くことができるための[[必要十分条件]]は、その行列の首座[[小行列式]] (leading principal minor) がすべて非零となることである。
== 定義と簡単な性質 ==
'''下三角行列'''または'''左三角行列'''は <math display="block"> L=\begin{bmatrix}
\ell_{1,1} & & \cdots & & 0 \\
\ell_{2,1} & \ell_{2,2} & & & \\
\ell_{3,1} & \ell_{3,2} & \ddots & & \vdots \\
\vdots & \vdots & \ddots & \ddots & \\
\ell_{n,1} & \ell_{n,2} & \dotsb & \ell_{n,n-1} & \ell_{n,n}
\end{bmatrix}</math> なる形に書ける行列を言い、同様に'''上三角行列'''または'''右三角行列'''は <math display="block"> U =\begin{bmatrix}
u_{1,1} & u_{1,2} & u_{1,3} & \ldots & u_{1,n}\\
& u_{2,2} & u_{2,3} & \ldots & u_{2,n}\\ \vdots & & \ddots & \ddots & \vdots \\
& & & \ddots & u_{n-1,n}\\
0 & & \cdots & & u_{n,n}
\end{bmatrix}</math> の形に書けるものをいう。ここで用いたような、下三角行列を変数 {{mvar|L}}('''l'''eft or '''l'''ower の略)や上三角行列を変数 {{mvar|U}}('''u'''pper の略)または {{mvar|R}}('''r'''ight の略)で表す用法が一般的にしばしば用いられる。
上半かつ下半三角な行列は[[対角行列]]といい、また三角行列に[[行列の相似|相似]]な行列は'''[[シュール分解|三角化]]可能'''であると言う。
上三角(resp. 下三角)であるという性質は様々な行列演算に関して保たれる:
* 二つの上(resp. 下)三角[[行列の和]]は上(resp. 下)三角行列である;
* 二つの上(resp. 下)三角[[行列の積]]は上(resp. 下)三角行列である;
* 正則上(resp. 下)三角行列の[[逆行列]]は上(resp. 下)三角である;
* 上(resp. 下)三角のスカラー倍は上(resp. 下)三角である。
これらの事実により、与えられたサイズの上(resp. 下)三角行列の全体は、同じサイズの[[正方行列]]の成す[[結合多元環]]([[行列環]])の[[部分多元環]]を成すことがわかる。さらに加えて、[[リー括弧積]]を[[交換子]] {{math|{{bracket|''A'', ''B''}} {{coloneqq}} ''AB'' − ''BA''}} を与えれば、同じサイズの正方行列全体の成す[[リー環]]の部分リー環としても見ることもできる。この上(resp. 下)三角行列全体の成すリー環は[[可解リー環]]であり、またしばしば全行列リー環の{{ill2|ボレル部分リー環|en|Borel subalgebra}}とも呼ばれる。
上記の記述においては下半と上半を混ぜた演算を行ってはならない(その場合、一般には三角行列にならない)。例えば上三角行列と下三角行列の和は任意の行列となり得るし、下三角行列と上三角行列との積も三角行列でないものになり得る。
{{see also|アフィン群}}
== 特別なクラス ==
=== 冪単三角行列 ===
主対角成分が全て {{math|1}} の三角行列は'''単三角行列''' (''uni­triangular'') という{{efn|'''単位三角行列''' (''unit triangular'') とか正規化された (''normed triangular'') などともいうが、単位三角行列は単位行列ではないし、正規化された三角行列は[[行列ノルム|ノルム化された]]わけでもない}}。単位行列は上半単三角かつ下半単三角なる唯一の行列である。
任意の単三角行列は[[冪単]]である。上(resp. 下)単三角行列全体の成す集合は[[リー群]]を成す。
=== 冪零三角行列 ===
主対角成分が全て零の三角行列は'''狭義'''三角行列であるという。任意の狭義三角行列は[[冪零行列]]であり、上(resp. 下)三角行列全体の成す集合は[[冪零リー環]] <math display="inline">\mathfrak{n}</math> を成す。このリー環はすべての上(resp. 下)三角行列全体の成すリー環 <math display="inline">\mathfrak{b}</math> の[[導来リー環]]: <math display="inline">\mathfrak{n} = [\mathfrak{b},\mathfrak{b}]</math> であり、かつこのリー環 <math display="inline">\mathfrak{n}</math> は上(resp. 下)単三角行列全体の成すリー群のリー環である。
実は[[エンゲルの定理]]により、任意の有限次元冪零リー環は狭義上三角行列からなる部分リー環に共軛、すなわち任意の有限次元冪零リー環は狭義上三角行列に同時三角化可能である。
=== フロベニウス行列 ===
{{main|{{ill2|フロベニウス行列|en|Frobenius matrix}}}}
単三角行列が'''原子的''' (''atomic''; アトミック) とは、ただ一つの列を除いて非対角成分が全て零であるときに言う。そのような行列を'''フロベニウス行列'''や'''ガウス行列'''(ガウス変換行列)などとも呼ぶ。つまり、下半フロベニウス行列は <math display="block"> \mathbf{L}_{i} =
\begin{bmatrix}
1 & & & \cdots & \cdots & & & 0 \\
0 & \ddots & & & & & & \\
& \ddots & 1 & & & & & \\ \vdots
& & 0 & 1 & & & & \vdots \\
\vdots & & &\ell_{i+1,i}& 1 & & & \vdots \\
& & \vdots & \vdots & 0 & \ddots & & \\
& & & \vdots & \vdots & \ddots & 1 & \\
0 & \dotsb & 0 &\ell_{n,i} & 0 & \dotsb & 0 & 1
\end{bmatrix}
</math> という形をしている。フロベニウス行列の逆行列はふたたびフロベニウスで、もとのフロベニウス行列の非対角成分をすべて符号反転したものによって与えられる。
== 特徴的な性質 ==
[[正規行列|正規]]三角行列は[[対角行列]]である。これは正規三角行列 {{mvar|A}} に対して {{mvar|A*A}} および {{mvar|AA*}} の対角成分を見ればわかる。
上三角行列の[[転置行列]]は下三角であり、下三角の転置は上三角である。
三角行列の[[行列式]]は対角成分の積である。任意の三角行列 {{mvar|A}} に対して {{math|''λI'' − ''A''}} もまた三角行列で、その行列式は {{mvar|A}} の[[固有多項式]]であるから、実は {{mvar|A}} の対角成分の全体は {{mvar|A}} の[[固有値]]全体の成す[[多重集合]]を与える(重複度 {{mvar|m}} の固有値はちょうど {{mvar|m}} 個が対角成分に現れる){{sfn|Axler|1996|pages=86–87, 169}}。
== 三角化可能性 ==
三角行列と[[相似行列|相似]]な行列は'''三角化可能''' (triangularizable) であるという。抽象的には[[完全旗]]を固定することに同値である。上三角行列とは[[標準基底]] {{math|(''e''{{sub|1}}, …, ''e''{{sub|''n''}})}} により与えられる[[標準旗]]
:<math> \langle e_1 \rangle < \langle e_1, e_2 \rangle < \dotsb < \langle e_1, e_2, \dotsc, e_{n-1} \rangle </math>
を保つ行列に他ならない。完全旗は互いに[[行列の相似|共役]]なので([[一般線形群]]が基底に[[推移的群作用|推移的]]に[[群作用|作用]]するから)、ある完全旗を固定する行列は標準旗を固定する行列と相似である。
任意の複素正方行列は三角化可能である{{sfn|Axler|1996|pages=86–87, 169}}。実際には行列 {{mvar|A}} が、その[[固有値]]すべてを含む[[体]](たとえば[[代数的閉体]])上で三角行列と相似であることが示せる。これは帰納法により証明できる。行列 {{mvar|A}} は固有ベクトルをもつので、その[[線型包|生成系]]による[[商線型空間|商空間]]を考え、帰納法によって完全旗を固定することを示すことにより、その基底に関して三角化可能であることがわかる。より精密な主張が[[ジョルダン標準形]]の理論により与えることができ、行列は非常に特別な形の上三角行列(ジョルダン標準形)と相似である。けれども、より単純な三角化で多くの場合は用が足りる。いずれにせよジョルダン標準形の存在を示すときには三角化が必要となる{{sfn|Herstein|1975|pages=285–290}}。
複素行列の場合には三角化に関してより強い主張ができる。任意の複素正方行列 {{mvar|A}} は[[シューア分解]]をもつ。つまり {{mvar|A}} が上三角行列と[[ユニタリ同値]]([[ユニタリ行列]]による基底変換で相似)である。これは完全旗の[[正規直交基底]]をとることで得られる。
代数閉体上の互いに可換な正方行列は同時三角化可能である。
== 一般化 ==
上三角行列全体の成す集合は[[結合多元環]]を成すのであった。これは[[函数解析学]]において[[ヒルベルト空間]]上の{{ill2|nest algebra|en|nest algebra}}に一般化される。
主対角線の上(resp. 下)の成分が全て零の非正方行列は、その非零成分が[[台形]]に並ぶから、下(resp. 上)台形行列と呼ばれる。
=== ボレル部分群とボレル部分環 ===
{{main|{{ill2|ボレル部分群|en|Borel subgroup}}|{{ill2|ボレル部分環|en|Borel subalgebra}}}}
上(resp. 下)正則三角行列全体の成す集合は[[群 (数学)|群]]、実際には[[リー群]]を成し、正則行列全体の成す[[一般線型群]]の部分群となる。三角行列が可逆となるのはちょうどすべての対角成分が可逆つまり非零となるときであることに注意する。
実係数で考えれば、この群は非連結で、各対角成分が正または負となることに応じて {{math|2{{exp|''n''}}}} 個の連結成分を持つ。単位成分は対角成分が全て正の正則三角行列全体に等しく、また正則三角行列全体の成す群はこの単位成分の群と対角線上に {{math|±1}} が(各連結成分に対応して)並ぶ対角成分との[[半直積]]になる。
正則上三角行列全体の成すリー群に付随する[[リー環]]は、必ずしも正則でない上三角行列全体の成す集合であり、それは[[可解リー環]]である。これらはそれぞれ、一般線型リー群 {{mvar|GL{{sub|n}}}} の標準[[ボレル部分群]] {{mvar|B}} および、一般線型リー環 <math display="inline">\mathfrak{gl}_n</math> の標準[[ボレル部分リー環]]と呼ばれる。
上三角行列はちょうど{{ill2|旗 (線型代数学)|en|Flag (linear algebra)|label=標準旗}}を固定する行列である。そのなかで正則三角行列の全体は一般線型群の部分群として、その共軛部分群が適当な完全旗 (complete frag) の固定群として定義されるような群である。これらの部分群は[[ボレル部分群]]<ref>{{nlab|id=Borel+subgroup|title=Borel subgroup}}</ref>と総称される。正則下三角行列全体の成す群がそのような群であることは、それが標準基底を逆順にしたものに対応する標準旗の固定部分群となることからわかる。
標準旗の適当な部分を忘れて得られる部分旗の固定部分群は、区分行列として上三角な(つまり各区分は上三角であるとは限らない)行列の成す集合として記述することができる。そのような部分群の共軛は適当な部分旗の固定部分群として定義される。これらの部分群を{{ill2|放物型部分群|en|parabolic subgroup}}<ref>{{nlab|id=parabolic+subgroup|title=parabolic subgroup}}</ref>と総称する。
例えば、二次の上単三角行列全体の成す群は係数体の[[加法群]]に[[同型]]である。複素係数の場合にはその群は放物型[[メビウス変換]]からなる群に対応する。三次の上単三角行列の全体は[[ハイゼンベルク群]]を成す<ref>{{nlab|id=Heisenberg+group|title=Heisenberg group}}</ref>。
== 関連項目 ==
* [[シュール分解]]: 三角化する方法。シュールの三角化とも。
* [[ガウス消去]]
* [[QR分解]]
* [[コレスキー分解]]
* {{ill2|ヘッセンベルク行列|en|Hessenberg matrix}}
* {{ill2|三重対角行列|en|Tridiagonal matrix}}
* [[不変部分空間]]
* {{ill2|三角配列|en|triangular array}}: よく似た概念
* {{ill2|三角行列環|en|triangular matrix ring}}: 二つの環とそれらの上の両側加群の三つ組に対応する要素を持つ三角行列の成す行列環
== 注 ==
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist}}
== 参考文献 ==
{{refbegin}}
* {{Citation | first = Sheldon | last = Axler | title = Linear Algebra Done Right | publisher = Springer-Verlag | year = 1996 | isbn=0-387-98258-2}}
* {{Citation | first1 = M. P. | last1 = Drazin | first2 = J. W. | last2 = Dungey | first3 = K. W. | last3 = Gruenberg | title = Some theorems on commutative matrices | journal = J. London Math. Soc. | volume = 26 | pages = 221–228 | year = 1951 | url = http://jlms.oxfordjournals.org/cgi/pdf_extract/s1-26/3/221 |doi=10.1112/jlms/s1-26.3.221 | issue = 3}}
* {{Citation | first = I. N. | last = Herstein | title=Topics in Algebra | edition=2nd | publisher=John Wiley and Sons | year = 1975 | isbn = 0-471-01090-1}}
* {{Citation | title = Problems and theorems in linear algebra | first = Viktor | last = Prasolov | year = 1994 | url = https://books.google.com/books?id=fuONq1od6nsC&lpg=PP1&dq=victor%20prasolov%20Problems%20and%20theorems%20in%20linear%20algebra&pg=PP1#v=onepage&q&f=false | isbn = 9780821802366 }}
{{refend}}
{{数値線形代数}}
{{linear algebra}}
== 外部リンク ==
* {{高校数学の美しい物語|1332|上三角行列と下三角行列の意味と6つの定理}}
* {{MathWorld|urlname=TriangularMatrix|title=Trianglular Matrix}}
* {{nlab|urlname=triangular+matrix|title=trianglular matrix}}
* {{PlanetMath|urlname=TriangularMatrix|title=trianglular matrix}}
* {{ProofWiki|urlname=Definition:Triangular_Matrix|title=Definition:Trianglular Matrix}}
* {{SpringerEOM|urlname=Triangular_matrix|title=Trianglular matrix|author= Ivanova, O.A.}}
{{DEFAULTSORT:さんかくきようれつ}}
[[Category:数値線形代数]]
[[Category:行列]]
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[[Category:線型代数学]]
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7,932 | ホウ素 | ホウ素(ホウそ、硼素、英: boron、羅: borium)は、原子番号5の元素である。元素記号はB。原子量は 10.81。
元素名はアラビア語で「ホウ砂」を意味する「Buraq(ブラーク)」に由来する。ホウ素 (Boron) の名称は、ホウ砂を意味するアラビア語の بورق (buraq) もしくはペルシャ語の بوره (burah) に起源があるとされる。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている。
単体は高融点かつ高沸点な硬くて脆い固体であり、金属元素と非金属元素の中間の性質を示す半金属である。1808年にゲイ=リュサックとルイ・テナールの2人の共同作業およびハンフリー・デービーによってそれぞれ個別に単体の分離が行われた。
ホウ素は同じ第13族元素であるアルミニウムなどよりも第14族元素である炭素やケイ素に類似した性質を示す。結晶性ホウ素は化学的に不活性であり耐酸性が高く、フッ化水素酸にも侵されない。ホウ素の化合物は通常+3価の酸化数を取り、ルイス酸としての性質をもつハロゲン化物や、ホウ酸塩鉱物中で見られるホウ酸塩、三中心二電子結合と呼ばれる特殊な結合様式を取るボランなどがある。ホウ素には13の既知の同位体があり、天然に存在するホウ素は80.1 %のBと19.9 %のBからなっている。
ホウ素は地殻中の存在率が比較的低い元素であるが、鉱床を形成するため容易に採掘可能であることから人類による利用の歴史は長く、古くから釉薬として使われていた。現代ではガラス向けの用途に使われることが多く、2011年のホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス用として消費されている。その他、半導体のドーパントや超硬度材料、音響材料、殺虫剤などに利用される。
植物にとってホウ素は細胞壁を維持するために必要な必須元素であり、ホウ素の欠乏によって成長障害が引き起こされる。動物にとっても必須元素であると考えられているが、その生物学的な役割はよく知られていない。ヒトや動物に対しては食塩と同程度に無毒な物質であるが、植物では高濃度のホウ素を含む土壌で葉の壊死などの障害が発生し、昆虫に対しては強い毒性を示す。
ホウ素化合物の存在は数千年前にはすでに知られており、西チベットの砂漠から産出したホウ砂はサンスクリット語でチンカルと呼ばれていた。西暦300年ごろの中国ではすでに釉薬としてホウ砂が利用されており、8世紀のペルシアの錬金術師であるジャービル・ブン・ハイヤーンはホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、マルコ・ポーロによってホウ砂釉薬を用いた陶磁器がイタリアへと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって冶金学における融剤としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は、1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない。
1774年、イタリアのトスカーナ州州都フィレンツェ近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気にホウ酸が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了したあと、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した地熱発電が行われている。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石のサッソライトがある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれるフランシス・マリオン・スミス(英語版)のPacific Coast Borax Company(英語版)が初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた。その後、光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった。
ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の炎色反応を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある。単体のホウ素はジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックとルイ・テナールの2人と、ハンフリー・デービーがそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して電気分解することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりにカリウムで還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を単離し、この元素をboraciumと命名した。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温で鉄と反応させる方法をとった。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した。イェンス・ベルセリウスは、1824年にホウ素の元素としての性質を同定した。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を単離しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85 %を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に三塩化ホウ素を電弧中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を単離した。
ホウ素には複数の同素体があり、物性値は同素体によって異なる値を示すが、全体として高融点かつ高沸点な硬くて脆い固体である。たとえば融点はアモルファスホウ素で2300 °C、β菱面晶ホウ素で2180 °Cであり、沸点はβ菱面晶ホウ素で3650 °Cである。アモルファスホウ素は2550 °Cで昇華する。β菱面晶ホウ素のモース硬度は9.3。比重はα菱面晶ホウ素が2.46、β菱面晶ホウ素が2.35である。
単体のホウ素は金属元素と非金属元素の中間の性質を示す半金属元素であり、安定した共有結合を形成するという点では、同じ第13族元素であるアルミニウムやガリウムなどの金属元素よりもむしろ炭素やケイ素と類似した性質を示す。これはホウ素の第一イオン化エネルギーが8.296 eVと非常に高いためイオン化しにくく、2s2pの最外殻電子がsp混成軌道を形成する方がエネルギー的に有利であることに起因する。単体ホウ素におけるホウ素同士の結合もまた共有結合性が強いため、自由電子として導電性に寄与できる電子が少なく、導電性を示すものの導電性は低いという半金属に特有な性質が現れる原因となる。また、このような電気的特性を有するため単体ホウ素は半導体としての性質を示す。
結晶性ホウ素は化学的に不活性であり、フッ化水素酸や塩酸による煮沸に対しても耐性を示す。微細粉末は熱濃過酸化水素や熱濃硝酸、熱硫酸もしくは熱クロム酸混液に対して徐々に侵される。ホウ素の酸化率は結晶化度、粒径、純度および温度に依存する。ホウ素は室温では空気と反応しないが、高温では燃焼して酸化ホウ素を形成する。
ホウ素はハロゲン化によって三ハロゲン化物を形成する。
三塩化ホウ素は通常、酸化ホウ素から合成される。
ホウ素の化合物は通常+3価の形式酸化数を取る。これらには酸化物、硫化物、窒化物およびハロゲン化物が含まれる。
三ハロゲン化物は平面三角形構造を取る。それらの化合物はホウ素上に6つの電子しか持たないためオクテット則を満たしておらず、ルイス酸として働き、ルイス塩基のような電子対供与体と即座に反応する。たとえば三フッ化ホウ素 (BF3) はフッ化物イオン (F) と反応してテトラフルオロホウ酸塩アニオン (BF4) を与える。三フッ化ホウ素は石油化学産業において触媒として利用される。三ハロゲン化ホウ素は水と反応してホウ酸を形成する。
ホウ素は地球上の自然中においてはさまざまな種類の+3価の酸化物として見られ、しばしばほかの元素と結合している。100種類以上のホウ酸塩鉱物でホウ素は+3価のホウ素を含んでいる。これらのホウ酸塩鉱物はいくつかの点でケイ酸塩鉱物と類似しているが、SiO4の四面体構造が構造の基本単位となっているケイ酸塩とは異なり、ホウ酸塩はBO4の四面体構造だけでなく、BO3の平面三角形構造の基本単位も多く見られる。典型的な例としては、一般的なホウ酸塩鉱物の一つであるホウ砂における四ホウ酸アニオンがある(左図)。四ホウ酸アニオン中のホウ素は平面三角形構造と四面体構造の2種類の構造をとっており、四面体構造を取っているホウ素は負の電荷を有している。この負の電荷は、たとえばホウ砂におけるナトリウム(Na)のような金属陽イオンとの間で釣り合っている。
ボランはホウ素と水素の化合物であり、BxHyの組成式で表される。ボランの構造にはB-H-Bのような水素による橋架け構造が含まれており、通常の化学結合における原子価の考え方ではその結合が説明できず、三中心二電子結合のような特殊な結合様式をとっている。ボランの構造は正二十面体構造のホウ素クラスターを基本単位として考えることができ、ホウ素数の少ないボランも正二十面体構造からいくつかのホウ素原子が脱落した構造としてとらえることができる。ボランのいくつかは異性体が存在し、たとえばジヒドロデカボラン (B10H16) はホウ素が5原子集まったクラスター2つからなっており、2つのクラスターの結合の方法によって3つの構造異性体が存在する。
最も単純なボランはBH3であるが単離することはできず、ジボラン (B2H6) がその他のボランおよびボラン誘導体を合成する際の前駆体として利用される。ホウ素数の少ないボランは空気との反応性が高く自然発火するが、ホウ素数6のヘキサボラン以上では空気中で安定に存在する。ボランのうち重要なものにはペンタボランB5H9およびデカボランB10H14があり、それらはジボランB2H6の熱分解によって生成される。多数のボランアニオンが知られており、テトラヒドロホウ酸イオン (BH4) およびその誘導体([BH3CN]など)は金属塩して還元などの用途に広く利用されている。また、ホウ素数の多い多面体型ボランアニオンとしては[B12H12]などがあり、反応性などについて広く研究されている。
ボランの誘導体としては、ボラン中のBHと等電子的なCH基が置換したカルバボランがあり、ボランとアセチレンの反応によって合成される。ほかに硫黄、リン、砒素なども、ホウ素と置換してカルバボランに類似したヘテロボラン誘導体を形成する。カルバボランは強塩基と反応してカルバボランアニオンとなり、たとえばB9C2H11はシクロペンタジエニルアニオンに類似しており遷移金属との間でフェロセン様の錯体を形成する。また、ハロゲンやアミン、アルキル基などはボランの水素を置換してボラン誘導体を形成する。
窒化ホウ素はさまざまな構造をとり、それらはダイヤモンドやカーボンナノチューブを含む炭素の同素体に似た構造をとる。ダイヤモンド様の構造をした窒化ホウ素は立方晶窒化ホウ素と呼ばれ、ホウ素原子はダイヤモンドの四面体構造における炭素原子の位置に存在しているが、4つのB-N結合のうちの1つは配位結合と見ることができる。すなわち、三フッ化ホウ素の場合と同様に、3つの窒素原子とホウ素原子が結合することで3つのB-N結合と1つの空軌道が形成され、窒素の2つの電子がルイス塩基としてホウ素上の空軌道へ供与されることで、4つ目のB-N結合が形成されることとなる。立方晶窒化ホウ素はダイヤモンドに匹敵する硬さを有しているため研磨剤に用いられる。黒鉛様の六方晶窒化ホウ素 (h-BN) は、正の電荷を持つホウ素と負の電荷を持つ窒素が交互に配列した平面構造が層状に積み重なった構造をとる。そのため、六方晶窒化ホウ素とグラファイトはともに層間の滑りによる潤滑性を示すという類似した性質もあるものの、非常に異なった性質も示す。たとえば、黒鉛は優れた熱伝導性および電気伝導性を示すが、h-BNは平面方向の熱伝導性および電気伝導性が比較的乏しい。
ホウ素は非常に多くの元素との間でホウ化物を形成するが、特に金属元素との間で形成されるホウ化物は金属的な性質を示すことが多いことから、ホウ素自身は非金属元素であるものの、しばしばホウ素合金として扱われる。金属ホウ化物は一般的に高硬度、高融点、低反応性といった性質を示す。金属ホウ化物の多くはホウ素と金属元素をともに溶融もしくは焼結させることによって合成することが可能であり、ホウ化鉄やホウ化クロムなどの工業的製造法としては高純度なものは得られにくいものの、大量生産が可能なテルミット反応などの直接還元法が利用されている。金属ホウ化物は、ホウ素原子と金属原子との間に化学量論的な関係が見られないことが多い。これは、金属原子が形成する立体構造の空隙に遊離したホウ素原子が取り込まれた構造をとるものや、逆にホウ素が形成する立体構造の空隙に遊離した金属原子が取り込まれた構造をとるものが多く存在するためである。金属ホウ化物として重要なものにホウ化鉄(フェロボロン)があり、Fe2BやFeB、Fe2B5などが知られている。ホウ化鉄は製鉄の原料として焼入れや溶接に関する性能向上に利用される。ホウ素はこのような二元化合物のみならず、複数の金属元素との間に多元化合物を形成することも知られている。代表的なものに、非常に強力な磁力を有するネオジム磁石として利用されるネオジム-鉄-ホウ素の三元化合物であるNd2Fe14Bがある。
数千種類に及ぶ有機ホウ素化合物の存在が知られており、代表的なものにトリエチルボランやボロン酸のようなアルキルホウ素化合物、ボラジン誘導体のような複素環式化合物などが存在する。アルキルホウ素化合物はハロゲン化ホウ素とグリニャール試薬を用いて合成され、アリールホウ素化合物も同様に合成することができる。トリアルキルホウ素を含むアルキルボランは、ヒドロホウ素化反応によってボランから合成される。トリエチルボランなどのトリアルキルホウ素化合物は、空気中で酸素と反応して自然発火する自然発火性物質であるが、一方でトリフェニルボランのようなトリアリールホウ素化合物は空気中で燃焼しない。ハロゲン化ホウ素は4倍モル当量のアルキル化剤もしくはアリール化剤と反応させると、トリアルキルもしくはトリアリールホウ素からさらに反応が進行して、テトラアルキルもしくはテトラアリールホウ酸イオンが生成される。このような化合物としてはテトラフェニルホウ酸ナトリウムやテトラメチルホウ酸リチウムなどがあり、テトラフェニルホウ酸ナトリウムはカリウムやルビジウムなどの重アルカリ金属元素を分離するのに用いられる。
ホウ素には7つの同素体が存在しており、それらは結晶およびアモルファスの構造をとる。よく知られているものにα-菱面体、β-菱面体、β-正方晶があり、特殊な条件下ではα-正方晶やγ-斜方晶のような形もとる。アモルファスの同素体には、微細な粉末状のものとガラス状のものの2つが知られている。標準状態において最も安定なものはβ-菱面体晶であり、ほかの同素体は全て準安定状態である。少なくとも14以上の同素体が報告されているが、前述の7つ以外の同素体は弱い論拠に基づいたものであったり実験的に立証できなかったりするため、それらは単一の同素体ではなく複数の同素体の混合物や不純物によって安定化した構造であると考えられている。
天然に存在するホウ素は2種類の安定同位体からなっており、Bが80.1%、Bが19.9%を占める。天然存在比B/Bの値と実測のB/Bの値の差として定義される質量差δBは自然水域において−16‰〜+59‰の広い範囲で変動する。ホウ素には13種の既知の同位体があり、半減期の最も短いBは、陽子放出およびアルファ崩壊によって3.5×10 sの半減期で崩壊する。ホウ素の同位体分離は、B(OH)3および[B(OH)4]の交換反応によって制御される。ホウ素の同位体はまた、熱水系や熱水変質岩において水層から鉱石結晶が析出する際にも分離される。たとえば熱水変質岩の粘土上ではB(OH)−4イオンが析出することで海水から優先して除去され、その結果として大洋性地殻や大陸性地殻と比較して海水中のB(OH)3濃度が大規模に高められている可能性がある。このような同位体比の違いは同位体特性(英語版)としての働きをするかもしれない。エキゾチック原子核であるBは中性子ハローを示す(すなわち液滴模型から予測されるよりも大きな原子半径を示す)。
Bは良質な熱中性子捕獲材である。Bの天然存在比はおよそ20%ほどでしかないため、原子力産業においては天然ホウ素を濃縮して純粋なBとして利用しており、ほぼ純粋なBが利用価値の低い副生物として生じる。
ホウ素を含む試料を炎で熱すると緑色の炎色が観測されるため、ホウ素の定性分析には炎色反応が利用される。この反応においては、銅やバリウムなども類似した緑色の炎色を示して妨害となるため、炭酸ナトリウムで妨害元素を分離するなどの前処理が必要となる。また、フッ化ホウ素の200 °Cにおける炎色は鋭敏であるため、試料にフッ化カルシウムと硫酸を加えて試料中のホウ素をフッ化ホウ素とすることで微量の試料でも定性することが可能となり、およそ10 μg程度の検出限界が得られている。ほかの定性方法としては、1,2,5,8-テトラヒドロキシアントラキノン(キナザリン)とホウ素との反応によって生じる青色の発色が利用される。
ホウ素の定量分析には、マンニトール法やクルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法、誘導結合プラズマ発光分析法 (ICP-AES) および質量分析法 (ICP-MS) などが主に用いられており、日本工業規格においてはホウ酸などの試薬の純度分析にはマンニトール法が、工場排水の試験方法などには吸光光度法やICP法が公定法として規定されている。吸光光度法では反応時間や妨害成分の問題が、ICP法では高価な装置が必要になるなどの問題があるため、高価な装置を必要とせず迅速に測定が可能な方法として電気化学的な定量分析法の開発も行われている。
マンニトール法は、ホウ酸とD-(-)-マンニトールとの反応によって定量的に発生する水素イオンの量を、水酸化ナトリウム溶液などのアルカリ溶液を用いて中和滴定を行うことによって定量する分析法である。ホウ素含有量の高い試料に適しており、ホウ酸や四ホウ酸ナトリウムなどの純度を分析するのに用いられる。マンニトール法は鉄やリンなどの共存元素による妨害を受けやすく、また中和滴定であるため酸やアルカリが存在している場合は先に一度中和しておく必要があるため、複雑な前処理が必要となることもある。たとえば鉄鋼中のホウ素の分析にマンニトール法を用いる場合では、まず試料を酸溶解させたあとにメタノールと反応させ、ホウ酸メチルとして蒸留を行ってほかの成分からホウ素を分離し、得られた留出液を蒸発乾固させて生じる残留物を硫酸で溶解させ、硫酸酸性となっている試料溶液のpHを水酸化ナトリウムで中和してpH調整するという前処理が行われる。
クルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法はいずれも、ホウ素が発色試薬と錯体を形成することによって生じる発色の度合いを吸光度として吸光光度計を用いて測定し、ホウ素濃度が既知の溶液を発色させた場合の吸光度と比較することでホウ素濃度を定量する分析法である。クルクミン法はクルクミンがホウ素と反応して形成されるロソシアニンの赤色の発色を利用した分析法であり、分析感度は高いもののフッ素など妨害となる元素が多い。アゾメチンH法はアゾメチンHとホウ素の錯形成反応を利用した分析法であり、クルクミン法と比べて分析感度は低いものの妨害となる元素が少なく、妨害となる元素もEDTAによりマスキングすることができる。メチレンブルー吸光光度法は、フッ化水素酸の存在下でホウ素とメチレンブルーが反応して形成されるメチレンブルー-テトラフルオロホウ酸錯体を溶媒抽出によって分離して吸光度を測定する分析法であり、クロム酸イオンなどが妨害要因となる。
ICP-AES法は低濃度の試料においても高感度かつ簡便にホウ素濃度の定量分析を行うことができるが、装置価格は非常に高価である。通常は182.64 nmもしくは249.77 nmの発光波長が利用されるが、後者では高感度であるものの鉄の妨害を受け、前者は鉄の妨害を受けないものの低感度である。また、試料の分解中にホウ素が揮発することもあり誤差要因となる。
また、ホウ素中におよそ20 %ほど含まれているBの熱中性子吸収能が非常に大きいことを利用して、熱中性子線を試料に照射して熱中性子線密度の変化を測定することでもホウ素の定量分析が可能である。非破壊かつ迅速に連続分析を行うことができるため、排水中のホウ素濃度のモニタリングなどに応用されている。
Bは3/2の核スピンを持つため、核磁気共鳴分光法によって構造解析を行うことができる。Bは天然存在比がおよそ80 %と高いため、S/N比の大きな高感度な測定結果が得られるが、スピン数が1より大きな四極子核であるため幅広かつ複雑なスペクトルとなり分解能は低い。また、Bは熱中性子吸収能が高いため通常はホウ素の中性子回折は行えないが、同位体分離によってBのみからなる分析試料を作成することで中性子回折による構造解析を行うこともできる。ホウ素化合物の分子構造解析には赤外分光法やラマン分光法が利用される。例えば赤外分光法では、B-H結合は2500 cmに、B-N結合は1400 cmにそれぞれ吸収が現れる。
ホウ素は原子番号の小さな元素であるにもかかわらず、宇宙においては存在度が著しく低い元素であり、その存在度は1982年のAndersおよびEbiharaらの報告でケイ素原子1×10個に対して21個と見積もられている(ヘリウムで2.8×10、鉄で9.0×10)。宇宙におけるホウ素の存在度が著しく低いのは、ビッグバン原子核合成や恒星内元素合成ではリチウム原子がヘリウム原子と核融合してホウ素原子を形成するよりも早く、リチウム原子が水素原子により核分裂してヘリウム原子に分解してしまい、ホウ素原子がほとんど合成されないことに起因する。自然に存在するホウ素の同位体比から、太陽系に存在しているホウ素は宇宙線による核破砕および超新星爆発時に起こるニュートリノ反応の2つの核合成経路によって生成したものと考えられている。
ホウ素の地殻中の存在率もまた比較的低く、その存在率は酸化ホウ素としておよそ0.001 %である(地殻中の元素の存在度も参照)。しかしながら、その存在率の低さに反してホウ素はホウ酸塩の形で鉱床を形成して局所的に濃縮されるため容易に採掘可能であることから、古くから人類に利用されてきた。このようなホウ素の濃縮は、マグマの冷却による火成岩の形成過程や、マグマから揮発放散したホウ素の堆積などによって引き起こされる。そのため、火山におけるマグマの噴出孔近辺や火山性の温泉、湖沼などにおいても、しばしばホウ素の濃縮が見られる。また、岩石の風化作用によって乾燥地帯にも濃縮される。ホウ素は地球上において単体の形では存在しておらず、常に酸素と結合してホウ砂やホウ酸、ホウ酸塩、コールマン石(英語版)、ケルナイト(英語版)、ウレキサイトなどの形で存在している。このようなホウ素を主成分として含む鉱物は100種類以上存在している。また、ホウ素はそのイオン半径からケイ素やアルミニウム、ベリリウム、リンなどに置換されやすく、数多くの鉱物中に微量元素としても存在している。海水中のホウ素濃度はおよそ4–5 mg/Lであり、場所や深度による差異は比較的小さい。
アメリカ地質調査所が2015年に発表したMineral Commodity Summariesでは、技術的・経済的に採掘可能なホウ素鉱石の可採埋蔵量は全世界でおよそ2億1000万トンと見られている。ホウ素は火山活動や乾燥気候に起因して濃縮されるため、ホウ素の鉱床はアルプス・ヒマラヤ造山帯やアンデス山脈などの火山帯や乾燥地帯などに偏在しているが、経済的に利用可能な鉱床は限られている。世界最大のホウ酸塩鉱床はエスキシェヒル、キュタヒヤ、バルケスィルを含むトルコの中-西部に存在しており、トルコは6000万トンのホウ素鉱石を埋蔵する世界最大のホウ素埋蔵国である。アメリカはトルコに次ぐ4,000万トンの埋蔵量を有しており、カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠には世界最大の露天掘りホウ砂鉱山が存在する。その他のホウ素埋蔵国としては、ロシア(4000万トン)、チリ(3500万トン)、中国(3200万トン)などがある。
ホウ素化合物の生産はホウ酸塩が容易に入手可能なため、単体ホウ素を経由せずに生産される。
初期の単体ホウ素の合成方法は、ホウ酸をマグネシウムもしくはアルミニウムを用いて還元することによって生産されていた。しかしこの方法では純粋な単体ホウ素を得ることができず、常に金属ホウ化物が不純物として混在した。純粋な単体ホウ素は、揮発性のハロゲン化ホウ素を高温条件下で水素還元させることによって得られる。半導体産業で用いられる超高純度ホウ素は、高温条件下でのジボランの分解によって合成され、その後ゾーンメルト法やチョクラルスキー法によってさらに精製される。
ホウ素の同位体であるBは高い中性子吸収能を有するが、天然ホウ素中の同位体存在率はおよそ20 %でしかないため、同位体を分離してBを濃縮する必要がある。その方法としては、蒸留法や化学的交換法があり、蒸留法では低沸点のホウ素化合物であるハロゲン化ホウ素を用いた低温蒸留が、化学的交換法では有機ホウフッ化化合物を用いた気液交換反応が利用される。また、蒸留法と化学的交換法を組み合わせた化学交換蒸留法という方法も開発されており、現代の濃縮ホウ素の生産のほとんどは化学交換蒸留法によって行われている。
2014年の世界のホウ素の生産量は鉱石ベースで372万トンであり、そのうち177万トンはトルコで生産された。B2O3換算での世界のホウ酸塩の生産能力は2008年には年間200万トン以下であったが、2012年はおよそ年間220万トンまで増加している。アメリカ地質調査所が2015年に発表したMineral Commodity Summariesでは、ホウ酸塩の世界需要はアジアや南米での需要の伸びに牽引されて継続的に増加すると予測されている。また、ヨーロッパなどでは地球温暖化対策として建築物のエネルギー収支を改善するために建築基準がより厳しく改正されたため、断熱ガラス用途のホウ素の需要が伸びるとも予想されており、それらに伴って世界的なホウ酸塩の生産量は増加すると見られている。
世界で産業利用されているおもなホウ素鉱石はコールマン石(英語版)、ウレキサイト、ホウ砂、ケルナイト(英語版)の4つであり、この4種類の鉱石でホウ素生産の90 %が賄われている。これらの鉱石は主にナトリウム含有量の差によって使い分けられており、たとえばウレキサイトはホウ酸の、ホウ砂は四ホウ酸ナトリウムの原料として利用されている。ホウ素の主要な用途の一つであるガラス向けにはナトリウム含有量が低いことが求められるため、主要な4鉱石の中で唯一ナトリウム塩でなくカルシウム塩 (CaB6O11) を主成分としているコールマン石が有用な原料として利用されている。しかしながらコールマン石には不純物として多くのヒ素も含有されているため、近年の環境規制の強化に伴ってその処理が問題となっている。たとえば、アメリカのニューメキシコ州マグダレナ近郊では高品質のコールマン石が産出されるが、ヒ素含有量の多さのため鉱山建設が幾度も延期されている。このようなヒ素処理の問題は、ホウ素生産量の伸びを制限する要因にもなっている。
ホウ素の主要な生産者は、アメリカの「リオ・ティント」グループとトルコの国営企業である「Eti Mine Works」の2社である。リオ・ティントはカリフォルニアにある露天掘りの鉱山からホウ砂およびケルナイトを生産しており、2012年にはこの鉱山のみで世界のホウ素生産量の25 %を賄っている。Etiはトルコ全域におけるホウ素鉱石の採掘権を有しており、2012年の世界のホウ素生産量の50 %弱を賄っている。中国には3,200万トンのホウ素鉱石が埋蔵されていると見積もられているが、アメリカやトルコで産出するホウ素鉱石がおよそ25–30 %のB2O3を含むのに対して、中国産のものではおよそ8.4 %とB2O3含有量が少なく低品位である。そのため、高品質なホウ酸塩の急速な需要増を補うために、中国の四ホウ酸ナトリウムの輸入量は2000年から2005年までに100倍も増加し、同期間中のホウ酸の輸入量も年に28 %ずつ増加した。アメリカ地質調査所のMineral Commodity Summaries (2015) においても、中国の輸入量は2015年以降も増加していくと予測されている。
ホウ素が単体で使用されることは少ないが、化合物や合金の形でさまざまに利用されている。
身近な用途で使用される場合は、ホウ砂やホウ酸の状態であることが多い。ホウ砂はガラスの原料や防腐剤、金属の還元剤、溶接溶剤や研磨剤、火の抑制剤などに使われ、教育の現場では、ホウ砂と洗濯糊などを用いてスライムを作成する子ども向けの科学実験工作がしばしば行われる。ホウ酸塩や過ホウ酸塩は目の洗浄剤、うがい薬や鼻スプレーなど口腔衛生のための医薬品、ホウ酸団子としてゴキブリ駆除などに使われる。
ガラスはホウ素の主要な用途の一つであり、2011年におけるホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス繊維を含むガラス用途であった。ホウケイ酸ガラスは一般的に5–30 %の酸化ホウ素を含んでおり、熱膨張率が低いため熱衝撃に対する耐性が高い。また、ホウ素をガラスに添加することで溶融状態におけるガラスの流動性が向上するため、ガラスを成型する際の生産性が向上する。ホウケイ酸ガラスの主要な商標としてデュランおよびパイレックスがあり、熱衝撃に対する抵抗性を利用して主に実験用のガラス器具や、一般用の調理器具、耐熱皿などに用いられる。
ホウ素繊維(ガラス長繊維)は軽量かつ高強度であるため、繊維強化プラスチックのような複合材料の強化材として利用される。主に航空宇宙分野における構造体に用いられ、一般消費者向けとしてはゴルフクラブや釣り竿のような一部のスポーツ用品にも使われている。また絶縁材や耐火材としても用いられており、ガラス繊維用途のホウ素の消費量は全体のおよそ45 %に及ぶ。このようなホウ素繊維は、化学気相蒸着法によってタングステン繊維の上にホウ素を堆積させることによって製造される。
ホウ素繊維(ガラス短繊維)はグラスウールとして冷蔵庫や建材などにおいて断熱材として用いられる。ガラス短繊維はレーザーアシストCVD法によって製造され、収束したレーザービームの並進によってサブミリメートルサイズの螺旋状のホウ素結晶のような複雑な構造さえも作り出すことができる。そのような構造は弾性係数450 MPa、剪断ひずみ3.7 %、破断応力17 GPaといった良好な機械的性質を示し、セラミックスもしくはMEMSの強化に用いることができる。
密度が小さく、ヤング率が大きく、音の伝わる速さが16200 m/sとアルミニウムの約2.6倍以上であることから、音響材料としてはベリリウム以上に理想的な素材として知られているが、高融点かつ展延性が非常に低いため技術的に加工が難しい素材であり、実用化されたのは1980年以降である。
ホウ素はケイ素、ゲルマニウム、炭化ケイ素などの半導体のドーパントとして用いられる。ホウ素は3つの価電子を有しているため、4つの価電子を有するケイ素のようなホスト原子中で電荷を運ぶ正孔として機能してP型半導体が形成される。古典的なホウ素のドープ方法としては、高温での原子拡散が利用されていた。このプロセスではホウ素源として固体の酸化ホウ素や液体の三臭化ホウ素、気体の三フッ化ホウ素やジボランなどを利用することができる。しかしながら1970年代以降、大部分はホウ素源として三フッ化ホウ素を利用するイオン注入法に取って代わられた。三塩化ホウ素ガスもまた半導体産業において重要な化合物であるが、それはドープでなく金属および金属酸化物のプラズマエッチングのために用いられる。トリエチルボランはホウ素源として化学気相成長の反応器に注入され、ホウ素を含有した硬質炭素膜やダイヤモンド膜(ダイヤモンドライクカーボン)、窒化ケイ素-窒化ホウ素膜などにおけるプラズマ堆積法に利用される。
ホウ素は最も強い永久磁石の一つであるネオジム磁石 (Nd2Fe14B) を構成する元素の一つであり、ネオジム磁石中のホウ素の含有量は1 %ほどである。ネオジム磁石はさまざまな電子機器や電子デバイス、核磁気共鳴画像法 (MRI) のような医用画像処理システム、比較的小型な電動機およびアクチュエータに用いられている。たとえば、ハードディスクドライブやCDプレーヤー、DVDプレーヤーなどにおいては、ヘッド駆動機構を小型化するためにネオジム磁石が利用される。また、携帯電話向けにスピーカーを小型化するためにもネオジム磁石が用いられる。
いくつかのホウ素化合物は非常に高硬度であることで知られている。炭化ホウ素および立方晶窒化ホウ素の粉末は研磨剤として広く用いられており、また金属ホウ化物は化学蒸着もしくは物理蒸着法によって被覆材として用いられる。金属および合金にホウ素イオンを導入する方法としては、イオン注入法もしくは収束イオンビームによるイオンビーム堆積法、レーザ合金化法などが利用され、その結果として表面抵抗や微小硬さが著しく増加する。このようにホウ化物に被覆された素材はダイヤモンド被覆された素材に代わるものであり、それらホウ化物の表面はバルクのホウ化物と類似した性質を有している。
炭化ホウ素は、酸化ホウ素を炭素とともに電気炉で熱分解することによって得られるセラミックス材料である。
炭化ホウ素の構造はほぼB4Cのみであるものの、炭素量は化学量論比よりも明確に低い値を示す。これは炭化ホウ素の非常に複雑な構造に起因しており、炭化ホウ素はホウ素がB12クラスターとして存在しているB12C3の分子式で表される構造を取るものの、3つの炭素原子のうちの1つはホウ素原子に置換されやすいため、炭素原子数の少ない単位クラスターが混在した構造となる。また、正八面構造のB6クラスターも混在しており、炭素量が少なくなる要因となる。このような構造に起因して、炭化ホウ素は単位重量あたりの構造強さに優れている。そのため、炭化ホウ素は戦車などの装甲やボディアーマーのほか、多くの構造材として利用される。炭化ホウ素(特にB)は、長寿命な放射性核種を生成することなく中性子を吸収する能力を有しているため、原子力発電所において発生する中性子線の吸収材として有用である。そのため、B濃度を制御した炭化ホウ素が原子炉における遮蔽材や制御棒などに利用される。制御棒としての利用においてはその表面積を増やすためにしばしば粉末状で用いられ、また粉末を焼結させた円筒のペレット状でも用いられる。
ホウ素系薬品で処理をした古新聞紙が、「セルロースファイバー」という名称で断熱材として使用される。吸湿性を持つ天然繊維系断熱材として注目されている。ホウ素系薬品で処理することにより、撥水性、難燃性、駆虫作用が得られる。日本の大手ハウスメーカーで採用例は少ないが、アメリカでは家庭用断熱材の40 %前後のシェアを占める。充填工法で施工されるために、専門の吹き込み用機器が必要なこと、改築の際に壁・天井に充填されたセルロースファイバーが障害になる、吹き込み後の沈み込みの可能性などの問題を指摘する声がある。
ホウ素の同位体のうちB は非常に大きな中性子吸収断面積を持つ。この特性を生かし、原子炉内において中性子の吸収のため制御棒に使用される。化合物であるホウ酸は一次冷却水に溶かし込んで加圧水型原子炉の余剰反応度制御に使われる。微量のホウ素添加を行った金属による放射性物質運搬容器も使用される。
ホウ素の有機化学への利用はH・C・ブラウンによって系統的に研究が行われ、ブラウンはその業績によって1979年にノーベル化学賞を授与された。ブラウンの研究した還元剤としての水素化ホウ素ナトリウムやヒドロホウ素化は、現在でも有機合成上、盛んに利用されている。ブラウンの研究室で学んだ鈴木章もまた、有機ホウ素化合物を用いた鈴木・宮浦カップリングの研究で2010年にノーベル化学賞を授与されている。この反応を利用すると多様な変換が可能になるため、有機ホウ素化合物は複雑な化合物の前駆体として利用されている。
トリエチルボランは発火しやすく燃焼速度も早いため、ジェット燃料に利用される。
植物の必須元素の一つであり、98 %は細胞壁に存在することから、細胞壁の合成、細胞膜の完全性の維持、糖の膜輸送、核酸合成、酵素の補酵素などに関係していると予想されているが、まだ解明されてはいない。植物中でホウ素輸送を行う物質は2002年(平成14年)に初めて同定された。
一方、高濃度のホウ素は植物の成長を阻害するため、土壌中のホウ素含有量が高いオーストラリア南部などでは農業が困難となっている。植物の遺伝子を改変することで、ホウ素耐性を持たせる研究が進められている。
ホウ素は主に植物の細胞壁を維持するのに必要である重要な栄養素である。土壌中におけるホウ素の欠乏は植物に対して全体的な成長障害を引き起こすが(適切な細胞壁構造の構築が行えなくなるのでホウ素が切れた場合は壊滅的な影響を及ぼす。)、逆に土壌中のホウ素分率が1×10を越えても葉の周辺や先端の壊死といった過剰障害を引き起こす。特にホウ素に敏感な植物では、土壌中のホウ素分率が8×10を越えると同様の症状が現れることがあり、土壌中のホウ素分率が1.8×10を越えると、ホウ素に耐性を示すような植物を含むほとんどの植物において過剰障害の兆候が現れる。ホウ素分率が2.0×10を越える土壌で正常に生育できる植物はほとんどなく、一部は生存できないこともある。植物組織中のホウ素分率が200×10を越えると過剰障害の兆候が現れる。
ホウ素はおそらく全ての哺乳類にとって必須であると考えられているが、動物におけるホウ素の生物学的役割はよく知られていない。たとえば、精製してホウ素を除去した食品を与え、空気中の塵を濾過することによってホウ素欠乏症を誘発させたラットでは体毛への影響が出ることが知られており、ホウ素は超微量元素としてネズミの最適な健康状態を維持するために必要である。動物におけるホウ素の摂取は広く食糧に由来しており、その必要摂取量はラットにおける試験からの推測によって非常に少量であると考えられている。
1989年以降、ホウ素が人間を含む動物にとって栄養素として生物学的な役割を持つのではないかという議論が起こった。アメリカ合衆国農務省が閉経後の女性に対して1日3 mgのホウ素を投与する実験を行った結果、ホウ素の補給がカルシウムの排出を44 %抑え、エストロゲンおよびビタミンDを活性化させるという結果が示され、骨粗鬆症を抑制する可能性が示唆された。しかし、これらの影響が栄養素としての効果なのか、医薬品としての効果なのかということは判別できなかった。アメリカ合衆国国立衛生研究所は「正常なヒトの食事におけるホウ素の1日当たりの総摂取量の範囲は2.1–4.3 mgである」と述べた。
角膜ジストロフィーの珍しい型である先天性角膜内皮ジストロフィー(英語版)2型は、ホウ素の細胞内濃度を調整している輸送体をコード化するSLC4A11(英語版)遺伝子における突然変異と関連している。しかし、2013年のDiego G. Ogandoらの報告によれば、SLC4A11とホウ素輸送の関係は否定されており、SLC4A11はNa-OH(H)およびNH4に対する透過性を持った輸送体であるとされている。
単体ホウ素、酸化ホウ素、ホウ酸、ホウ酸塩および多くの有機ホウ素化合物は、急性毒性に限って見ると、ヒトおよび動物にとっては食塩と同程度に無毒である。動物に対する半数致死量 (LD50) は体重1 kgあたりおよそ6 gであり、LD50が体重1 kgあたり2 g以上となる物質は一般に無毒であるとされている。ヒトに対する最小致死量ははっきりとしていない。事件を除く1日4 gのホウ酸の摂取は報告されているが、それを超える量の摂取では有毒であると考えられている。50日間継続して1日0.5 g以上のホウ酸を摂取すると下痢など消化器系の不良が生じ、ほかの毒性も示唆される。中性子捕捉療法のために行われるホウ酸20グラムの単回投与では、著しいほかの毒性が生じることなく使用されている。魚類は飽和ホウ酸溶液中で30分間生存することができ、ホウ酸ナトリウム溶液中ではより長く生存できる。ホウ酸は、昆虫に対しては動物に対してよりも毒性が強く、通常殺虫剤として利用される。
ボランのような水素化ホウ素やそれに類似したガス状の化合物は毒性を示す。ホウ素自体はほかの単体ホウ素やホウ素化合物と同様に本質的には有毒ではないが、その毒性は化学構造に起因する。
ボランは可燃性かつ有毒であるため、取り扱いには特別な操作が必要となる。水素化ホウ素ナトリウムは強い還元性を持つ物質であるため、水や酸、酸化剤などと反応して火災や爆発を起こす危険性がある。ハロゲン化ホウ素は腐食性を有する。 | [
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"text": "ホウ素(ホウそ、硼素、英: boron、羅: borium)は、原子番号5の元素である。元素記号はB。原子量は 10.81。",
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"text": "元素名はアラビア語で「ホウ砂」を意味する「Buraq(ブラーク)」に由来する。ホウ素 (Boron) の名称は、ホウ砂を意味するアラビア語の بورق (buraq) もしくはペルシャ語の بوره (burah) に起源があるとされる。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている。",
"title": "名称"
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"text": "単体は高融点かつ高沸点な硬くて脆い固体であり、金属元素と非金属元素の中間の性質を示す半金属である。1808年にゲイ=リュサックとルイ・テナールの2人の共同作業およびハンフリー・デービーによってそれぞれ個別に単体の分離が行われた。",
"title": "概要"
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"text": "ホウ素は同じ第13族元素であるアルミニウムなどよりも第14族元素である炭素やケイ素に類似した性質を示す。結晶性ホウ素は化学的に不活性であり耐酸性が高く、フッ化水素酸にも侵されない。ホウ素の化合物は通常+3価の酸化数を取り、ルイス酸としての性質をもつハロゲン化物や、ホウ酸塩鉱物中で見られるホウ酸塩、三中心二電子結合と呼ばれる特殊な結合様式を取るボランなどがある。ホウ素には13の既知の同位体があり、天然に存在するホウ素は80.1 %のBと19.9 %のBからなっている。",
"title": "概要"
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"text": "ホウ素は地殻中の存在率が比較的低い元素であるが、鉱床を形成するため容易に採掘可能であることから人類による利用の歴史は長く、古くから釉薬として使われていた。現代ではガラス向けの用途に使われることが多く、2011年のホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス用として消費されている。その他、半導体のドーパントや超硬度材料、音響材料、殺虫剤などに利用される。",
"title": "概要"
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"text": "植物にとってホウ素は細胞壁を維持するために必要な必須元素であり、ホウ素の欠乏によって成長障害が引き起こされる。動物にとっても必須元素であると考えられているが、その生物学的な役割はよく知られていない。ヒトや動物に対しては食塩と同程度に無毒な物質であるが、植物では高濃度のホウ素を含む土壌で葉の壊死などの障害が発生し、昆虫に対しては強い毒性を示す。",
"title": "概要"
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"text": "ホウ素化合物の存在は数千年前にはすでに知られており、西チベットの砂漠から産出したホウ砂はサンスクリット語でチンカルと呼ばれていた。西暦300年ごろの中国ではすでに釉薬としてホウ砂が利用されており、8世紀のペルシアの錬金術師であるジャービル・ブン・ハイヤーンはホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、マルコ・ポーロによってホウ砂釉薬を用いた陶磁器がイタリアへと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって冶金学における融剤としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は、1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない。",
"title": "歴史"
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"text": "1774年、イタリアのトスカーナ州州都フィレンツェ近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気にホウ酸が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了したあと、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した地熱発電が行われている。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石のサッソライトがある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれるフランシス・マリオン・スミス(英語版)のPacific Coast Borax Company(英語版)が初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた。その後、光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった。",
"title": "歴史"
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"text": "ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の炎色反応を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある。単体のホウ素はジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックとルイ・テナールの2人と、ハンフリー・デービーがそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して電気分解することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりにカリウムで還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を単離し、この元素をboraciumと命名した。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温で鉄と反応させる方法をとった。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した。イェンス・ベルセリウスは、1824年にホウ素の元素としての性質を同定した。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を単離しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85 %を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に三塩化ホウ素を電弧中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を単離した。",
"title": "歴史"
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"text": "ホウ素には複数の同素体があり、物性値は同素体によって異なる値を示すが、全体として高融点かつ高沸点な硬くて脆い固体である。たとえば融点はアモルファスホウ素で2300 °C、β菱面晶ホウ素で2180 °Cであり、沸点はβ菱面晶ホウ素で3650 °Cである。アモルファスホウ素は2550 °Cで昇華する。β菱面晶ホウ素のモース硬度は9.3。比重はα菱面晶ホウ素が2.46、β菱面晶ホウ素が2.35である。",
"title": "性質"
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"text": "単体のホウ素は金属元素と非金属元素の中間の性質を示す半金属元素であり、安定した共有結合を形成するという点では、同じ第13族元素であるアルミニウムやガリウムなどの金属元素よりもむしろ炭素やケイ素と類似した性質を示す。これはホウ素の第一イオン化エネルギーが8.296 eVと非常に高いためイオン化しにくく、2s2pの最外殻電子がsp混成軌道を形成する方がエネルギー的に有利であることに起因する。単体ホウ素におけるホウ素同士の結合もまた共有結合性が強いため、自由電子として導電性に寄与できる電子が少なく、導電性を示すものの導電性は低いという半金属に特有な性質が現れる原因となる。また、このような電気的特性を有するため単体ホウ素は半導体としての性質を示す。",
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"text": "結晶性ホウ素は化学的に不活性であり、フッ化水素酸や塩酸による煮沸に対しても耐性を示す。微細粉末は熱濃過酸化水素や熱濃硝酸、熱硫酸もしくは熱クロム酸混液に対して徐々に侵される。ホウ素の酸化率は結晶化度、粒径、純度および温度に依存する。ホウ素は室温では空気と反応しないが、高温では燃焼して酸化ホウ素を形成する。",
"title": "性質"
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"text": "ホウ素はハロゲン化によって三ハロゲン化物を形成する。",
"title": "性質"
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"text": "三塩化ホウ素は通常、酸化ホウ素から合成される。",
"title": "性質"
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"text": "ホウ素の化合物は通常+3価の形式酸化数を取る。これらには酸化物、硫化物、窒化物およびハロゲン化物が含まれる。",
"title": "性質"
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"text": "三ハロゲン化物は平面三角形構造を取る。それらの化合物はホウ素上に6つの電子しか持たないためオクテット則を満たしておらず、ルイス酸として働き、ルイス塩基のような電子対供与体と即座に反応する。たとえば三フッ化ホウ素 (BF3) はフッ化物イオン (F) と反応してテトラフルオロホウ酸塩アニオン (BF4) を与える。三フッ化ホウ素は石油化学産業において触媒として利用される。三ハロゲン化ホウ素は水と反応してホウ酸を形成する。",
"title": "性質"
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"text": "ホウ素は地球上の自然中においてはさまざまな種類の+3価の酸化物として見られ、しばしばほかの元素と結合している。100種類以上のホウ酸塩鉱物でホウ素は+3価のホウ素を含んでいる。これらのホウ酸塩鉱物はいくつかの点でケイ酸塩鉱物と類似しているが、SiO4の四面体構造が構造の基本単位となっているケイ酸塩とは異なり、ホウ酸塩はBO4の四面体構造だけでなく、BO3の平面三角形構造の基本単位も多く見られる。典型的な例としては、一般的なホウ酸塩鉱物の一つであるホウ砂における四ホウ酸アニオンがある(左図)。四ホウ酸アニオン中のホウ素は平面三角形構造と四面体構造の2種類の構造をとっており、四面体構造を取っているホウ素は負の電荷を有している。この負の電荷は、たとえばホウ砂におけるナトリウム(Na)のような金属陽イオンとの間で釣り合っている。",
"title": "性質"
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"text": "ボランはホウ素と水素の化合物であり、BxHyの組成式で表される。ボランの構造にはB-H-Bのような水素による橋架け構造が含まれており、通常の化学結合における原子価の考え方ではその結合が説明できず、三中心二電子結合のような特殊な結合様式をとっている。ボランの構造は正二十面体構造のホウ素クラスターを基本単位として考えることができ、ホウ素数の少ないボランも正二十面体構造からいくつかのホウ素原子が脱落した構造としてとらえることができる。ボランのいくつかは異性体が存在し、たとえばジヒドロデカボラン (B10H16) はホウ素が5原子集まったクラスター2つからなっており、2つのクラスターの結合の方法によって3つの構造異性体が存在する。",
"title": "性質"
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"text": "最も単純なボランはBH3であるが単離することはできず、ジボラン (B2H6) がその他のボランおよびボラン誘導体を合成する際の前駆体として利用される。ホウ素数の少ないボランは空気との反応性が高く自然発火するが、ホウ素数6のヘキサボラン以上では空気中で安定に存在する。ボランのうち重要なものにはペンタボランB5H9およびデカボランB10H14があり、それらはジボランB2H6の熱分解によって生成される。多数のボランアニオンが知られており、テトラヒドロホウ酸イオン (BH4) およびその誘導体([BH3CN]など)は金属塩して還元などの用途に広く利用されている。また、ホウ素数の多い多面体型ボランアニオンとしては[B12H12]などがあり、反応性などについて広く研究されている。",
"title": "性質"
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"text": "ボランの誘導体としては、ボラン中のBHと等電子的なCH基が置換したカルバボランがあり、ボランとアセチレンの反応によって合成される。ほかに硫黄、リン、砒素なども、ホウ素と置換してカルバボランに類似したヘテロボラン誘導体を形成する。カルバボランは強塩基と反応してカルバボランアニオンとなり、たとえばB9C2H11はシクロペンタジエニルアニオンに類似しており遷移金属との間でフェロセン様の錯体を形成する。また、ハロゲンやアミン、アルキル基などはボランの水素を置換してボラン誘導体を形成する。",
"title": "性質"
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"text": "窒化ホウ素はさまざまな構造をとり、それらはダイヤモンドやカーボンナノチューブを含む炭素の同素体に似た構造をとる。ダイヤモンド様の構造をした窒化ホウ素は立方晶窒化ホウ素と呼ばれ、ホウ素原子はダイヤモンドの四面体構造における炭素原子の位置に存在しているが、4つのB-N結合のうちの1つは配位結合と見ることができる。すなわち、三フッ化ホウ素の場合と同様に、3つの窒素原子とホウ素原子が結合することで3つのB-N結合と1つの空軌道が形成され、窒素の2つの電子がルイス塩基としてホウ素上の空軌道へ供与されることで、4つ目のB-N結合が形成されることとなる。立方晶窒化ホウ素はダイヤモンドに匹敵する硬さを有しているため研磨剤に用いられる。黒鉛様の六方晶窒化ホウ素 (h-BN) は、正の電荷を持つホウ素と負の電荷を持つ窒素が交互に配列した平面構造が層状に積み重なった構造をとる。そのため、六方晶窒化ホウ素とグラファイトはともに層間の滑りによる潤滑性を示すという類似した性質もあるものの、非常に異なった性質も示す。たとえば、黒鉛は優れた熱伝導性および電気伝導性を示すが、h-BNは平面方向の熱伝導性および電気伝導性が比較的乏しい。",
"title": "性質"
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"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "ホウ素は非常に多くの元素との間でホウ化物を形成するが、特に金属元素との間で形成されるホウ化物は金属的な性質を示すことが多いことから、ホウ素自身は非金属元素であるものの、しばしばホウ素合金として扱われる。金属ホウ化物は一般的に高硬度、高融点、低反応性といった性質を示す。金属ホウ化物の多くはホウ素と金属元素をともに溶融もしくは焼結させることによって合成することが可能であり、ホウ化鉄やホウ化クロムなどの工業的製造法としては高純度なものは得られにくいものの、大量生産が可能なテルミット反応などの直接還元法が利用されている。金属ホウ化物は、ホウ素原子と金属原子との間に化学量論的な関係が見られないことが多い。これは、金属原子が形成する立体構造の空隙に遊離したホウ素原子が取り込まれた構造をとるものや、逆にホウ素が形成する立体構造の空隙に遊離した金属原子が取り込まれた構造をとるものが多く存在するためである。金属ホウ化物として重要なものにホウ化鉄(フェロボロン)があり、Fe2BやFeB、Fe2B5などが知られている。ホウ化鉄は製鉄の原料として焼入れや溶接に関する性能向上に利用される。ホウ素はこのような二元化合物のみならず、複数の金属元素との間に多元化合物を形成することも知られている。代表的なものに、非常に強力な磁力を有するネオジム磁石として利用されるネオジム-鉄-ホウ素の三元化合物であるNd2Fe14Bがある。",
"title": "性質"
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{
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"text": "数千種類に及ぶ有機ホウ素化合物の存在が知られており、代表的なものにトリエチルボランやボロン酸のようなアルキルホウ素化合物、ボラジン誘導体のような複素環式化合物などが存在する。アルキルホウ素化合物はハロゲン化ホウ素とグリニャール試薬を用いて合成され、アリールホウ素化合物も同様に合成することができる。トリアルキルホウ素を含むアルキルボランは、ヒドロホウ素化反応によってボランから合成される。トリエチルボランなどのトリアルキルホウ素化合物は、空気中で酸素と反応して自然発火する自然発火性物質であるが、一方でトリフェニルボランのようなトリアリールホウ素化合物は空気中で燃焼しない。ハロゲン化ホウ素は4倍モル当量のアルキル化剤もしくはアリール化剤と反応させると、トリアルキルもしくはトリアリールホウ素からさらに反応が進行して、テトラアルキルもしくはテトラアリールホウ酸イオンが生成される。このような化合物としてはテトラフェニルホウ酸ナトリウムやテトラメチルホウ酸リチウムなどがあり、テトラフェニルホウ酸ナトリウムはカリウムやルビジウムなどの重アルカリ金属元素を分離するのに用いられる。",
"title": "性質"
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"paragraph_id": 23,
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"text": "ホウ素には7つの同素体が存在しており、それらは結晶およびアモルファスの構造をとる。よく知られているものにα-菱面体、β-菱面体、β-正方晶があり、特殊な条件下ではα-正方晶やγ-斜方晶のような形もとる。アモルファスの同素体には、微細な粉末状のものとガラス状のものの2つが知られている。標準状態において最も安定なものはβ-菱面体晶であり、ほかの同素体は全て準安定状態である。少なくとも14以上の同素体が報告されているが、前述の7つ以外の同素体は弱い論拠に基づいたものであったり実験的に立証できなかったりするため、それらは単一の同素体ではなく複数の同素体の混合物や不純物によって安定化した構造であると考えられている。",
"title": "性質"
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"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "天然に存在するホウ素は2種類の安定同位体からなっており、Bが80.1%、Bが19.9%を占める。天然存在比B/Bの値と実測のB/Bの値の差として定義される質量差δBは自然水域において−16‰〜+59‰の広い範囲で変動する。ホウ素には13種の既知の同位体があり、半減期の最も短いBは、陽子放出およびアルファ崩壊によって3.5×10 sの半減期で崩壊する。ホウ素の同位体分離は、B(OH)3および[B(OH)4]の交換反応によって制御される。ホウ素の同位体はまた、熱水系や熱水変質岩において水層から鉱石結晶が析出する際にも分離される。たとえば熱水変質岩の粘土上ではB(OH)−4イオンが析出することで海水から優先して除去され、その結果として大洋性地殻や大陸性地殻と比較して海水中のB(OH)3濃度が大規模に高められている可能性がある。このような同位体比の違いは同位体特性(英語版)としての働きをするかもしれない。エキゾチック原子核であるBは中性子ハローを示す(すなわち液滴模型から予測されるよりも大きな原子半径を示す)。",
"title": "性質"
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{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "Bは良質な熱中性子捕獲材である。Bの天然存在比はおよそ20%ほどでしかないため、原子力産業においては天然ホウ素を濃縮して純粋なBとして利用しており、ほぼ純粋なBが利用価値の低い副生物として生じる。",
"title": "性質"
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{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "ホウ素を含む試料を炎で熱すると緑色の炎色が観測されるため、ホウ素の定性分析には炎色反応が利用される。この反応においては、銅やバリウムなども類似した緑色の炎色を示して妨害となるため、炭酸ナトリウムで妨害元素を分離するなどの前処理が必要となる。また、フッ化ホウ素の200 °Cにおける炎色は鋭敏であるため、試料にフッ化カルシウムと硫酸を加えて試料中のホウ素をフッ化ホウ素とすることで微量の試料でも定性することが可能となり、およそ10 μg程度の検出限界が得られている。ほかの定性方法としては、1,2,5,8-テトラヒドロキシアントラキノン(キナザリン)とホウ素との反応によって生じる青色の発色が利用される。",
"title": "分析"
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{
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"tag": "p",
"text": "ホウ素の定量分析には、マンニトール法やクルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法、誘導結合プラズマ発光分析法 (ICP-AES) および質量分析法 (ICP-MS) などが主に用いられており、日本工業規格においてはホウ酸などの試薬の純度分析にはマンニトール法が、工場排水の試験方法などには吸光光度法やICP法が公定法として規定されている。吸光光度法では反応時間や妨害成分の問題が、ICP法では高価な装置が必要になるなどの問題があるため、高価な装置を必要とせず迅速に測定が可能な方法として電気化学的な定量分析法の開発も行われている。",
"title": "分析"
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"text": "マンニトール法は、ホウ酸とD-(-)-マンニトールとの反応によって定量的に発生する水素イオンの量を、水酸化ナトリウム溶液などのアルカリ溶液を用いて中和滴定を行うことによって定量する分析法である。ホウ素含有量の高い試料に適しており、ホウ酸や四ホウ酸ナトリウムなどの純度を分析するのに用いられる。マンニトール法は鉄やリンなどの共存元素による妨害を受けやすく、また中和滴定であるため酸やアルカリが存在している場合は先に一度中和しておく必要があるため、複雑な前処理が必要となることもある。たとえば鉄鋼中のホウ素の分析にマンニトール法を用いる場合では、まず試料を酸溶解させたあとにメタノールと反応させ、ホウ酸メチルとして蒸留を行ってほかの成分からホウ素を分離し、得られた留出液を蒸発乾固させて生じる残留物を硫酸で溶解させ、硫酸酸性となっている試料溶液のpHを水酸化ナトリウムで中和してpH調整するという前処理が行われる。",
"title": "分析"
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{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "クルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法はいずれも、ホウ素が発色試薬と錯体を形成することによって生じる発色の度合いを吸光度として吸光光度計を用いて測定し、ホウ素濃度が既知の溶液を発色させた場合の吸光度と比較することでホウ素濃度を定量する分析法である。クルクミン法はクルクミンがホウ素と反応して形成されるロソシアニンの赤色の発色を利用した分析法であり、分析感度は高いもののフッ素など妨害となる元素が多い。アゾメチンH法はアゾメチンHとホウ素の錯形成反応を利用した分析法であり、クルクミン法と比べて分析感度は低いものの妨害となる元素が少なく、妨害となる元素もEDTAによりマスキングすることができる。メチレンブルー吸光光度法は、フッ化水素酸の存在下でホウ素とメチレンブルーが反応して形成されるメチレンブルー-テトラフルオロホウ酸錯体を溶媒抽出によって分離して吸光度を測定する分析法であり、クロム酸イオンなどが妨害要因となる。",
"title": "分析"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ICP-AES法は低濃度の試料においても高感度かつ簡便にホウ素濃度の定量分析を行うことができるが、装置価格は非常に高価である。通常は182.64 nmもしくは249.77 nmの発光波長が利用されるが、後者では高感度であるものの鉄の妨害を受け、前者は鉄の妨害を受けないものの低感度である。また、試料の分解中にホウ素が揮発することもあり誤差要因となる。",
"title": "分析"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "また、ホウ素中におよそ20 %ほど含まれているBの熱中性子吸収能が非常に大きいことを利用して、熱中性子線を試料に照射して熱中性子線密度の変化を測定することでもホウ素の定量分析が可能である。非破壊かつ迅速に連続分析を行うことができるため、排水中のホウ素濃度のモニタリングなどに応用されている。",
"title": "分析"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "Bは3/2の核スピンを持つため、核磁気共鳴分光法によって構造解析を行うことができる。Bは天然存在比がおよそ80 %と高いため、S/N比の大きな高感度な測定結果が得られるが、スピン数が1より大きな四極子核であるため幅広かつ複雑なスペクトルとなり分解能は低い。また、Bは熱中性子吸収能が高いため通常はホウ素の中性子回折は行えないが、同位体分離によってBのみからなる分析試料を作成することで中性子回折による構造解析を行うこともできる。ホウ素化合物の分子構造解析には赤外分光法やラマン分光法が利用される。例えば赤外分光法では、B-H結合は2500 cmに、B-N結合は1400 cmにそれぞれ吸収が現れる。",
"title": "分析"
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{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "ホウ素は原子番号の小さな元素であるにもかかわらず、宇宙においては存在度が著しく低い元素であり、その存在度は1982年のAndersおよびEbiharaらの報告でケイ素原子1×10個に対して21個と見積もられている(ヘリウムで2.8×10、鉄で9.0×10)。宇宙におけるホウ素の存在度が著しく低いのは、ビッグバン原子核合成や恒星内元素合成ではリチウム原子がヘリウム原子と核融合してホウ素原子を形成するよりも早く、リチウム原子が水素原子により核分裂してヘリウム原子に分解してしまい、ホウ素原子がほとんど合成されないことに起因する。自然に存在するホウ素の同位体比から、太陽系に存在しているホウ素は宇宙線による核破砕および超新星爆発時に起こるニュートリノ反応の2つの核合成経路によって生成したものと考えられている。",
"title": "分布"
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"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ホウ素の地殻中の存在率もまた比較的低く、その存在率は酸化ホウ素としておよそ0.001 %である(地殻中の元素の存在度も参照)。しかしながら、その存在率の低さに反してホウ素はホウ酸塩の形で鉱床を形成して局所的に濃縮されるため容易に採掘可能であることから、古くから人類に利用されてきた。このようなホウ素の濃縮は、マグマの冷却による火成岩の形成過程や、マグマから揮発放散したホウ素の堆積などによって引き起こされる。そのため、火山におけるマグマの噴出孔近辺や火山性の温泉、湖沼などにおいても、しばしばホウ素の濃縮が見られる。また、岩石の風化作用によって乾燥地帯にも濃縮される。ホウ素は地球上において単体の形では存在しておらず、常に酸素と結合してホウ砂やホウ酸、ホウ酸塩、コールマン石(英語版)、ケルナイト(英語版)、ウレキサイトなどの形で存在している。このようなホウ素を主成分として含む鉱物は100種類以上存在している。また、ホウ素はそのイオン半径からケイ素やアルミニウム、ベリリウム、リンなどに置換されやすく、数多くの鉱物中に微量元素としても存在している。海水中のホウ素濃度はおよそ4–5 mg/Lであり、場所や深度による差異は比較的小さい。",
"title": "分布"
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "アメリカ地質調査所が2015年に発表したMineral Commodity Summariesでは、技術的・経済的に採掘可能なホウ素鉱石の可採埋蔵量は全世界でおよそ2億1000万トンと見られている。ホウ素は火山活動や乾燥気候に起因して濃縮されるため、ホウ素の鉱床はアルプス・ヒマラヤ造山帯やアンデス山脈などの火山帯や乾燥地帯などに偏在しているが、経済的に利用可能な鉱床は限られている。世界最大のホウ酸塩鉱床はエスキシェヒル、キュタヒヤ、バルケスィルを含むトルコの中-西部に存在しており、トルコは6000万トンのホウ素鉱石を埋蔵する世界最大のホウ素埋蔵国である。アメリカはトルコに次ぐ4,000万トンの埋蔵量を有しており、カリフォルニア州のモハーヴェ砂漠には世界最大の露天掘りホウ砂鉱山が存在する。その他のホウ素埋蔵国としては、ロシア(4000万トン)、チリ(3500万トン)、中国(3200万トン)などがある。",
"title": "分布"
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"text": "ホウ素化合物の生産はホウ酸塩が容易に入手可能なため、単体ホウ素を経由せずに生産される。",
"title": "生産"
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"text": "初期の単体ホウ素の合成方法は、ホウ酸をマグネシウムもしくはアルミニウムを用いて還元することによって生産されていた。しかしこの方法では純粋な単体ホウ素を得ることができず、常に金属ホウ化物が不純物として混在した。純粋な単体ホウ素は、揮発性のハロゲン化ホウ素を高温条件下で水素還元させることによって得られる。半導体産業で用いられる超高純度ホウ素は、高温条件下でのジボランの分解によって合成され、その後ゾーンメルト法やチョクラルスキー法によってさらに精製される。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 38,
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"text": "ホウ素の同位体であるBは高い中性子吸収能を有するが、天然ホウ素中の同位体存在率はおよそ20 %でしかないため、同位体を分離してBを濃縮する必要がある。その方法としては、蒸留法や化学的交換法があり、蒸留法では低沸点のホウ素化合物であるハロゲン化ホウ素を用いた低温蒸留が、化学的交換法では有機ホウフッ化化合物を用いた気液交換反応が利用される。また、蒸留法と化学的交換法を組み合わせた化学交換蒸留法という方法も開発されており、現代の濃縮ホウ素の生産のほとんどは化学交換蒸留法によって行われている。",
"title": "生産"
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"text": "2014年の世界のホウ素の生産量は鉱石ベースで372万トンであり、そのうち177万トンはトルコで生産された。B2O3換算での世界のホウ酸塩の生産能力は2008年には年間200万トン以下であったが、2012年はおよそ年間220万トンまで増加している。アメリカ地質調査所が2015年に発表したMineral Commodity Summariesでは、ホウ酸塩の世界需要はアジアや南米での需要の伸びに牽引されて継続的に増加すると予測されている。また、ヨーロッパなどでは地球温暖化対策として建築物のエネルギー収支を改善するために建築基準がより厳しく改正されたため、断熱ガラス用途のホウ素の需要が伸びるとも予想されており、それらに伴って世界的なホウ酸塩の生産量は増加すると見られている。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 40,
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"text": "世界で産業利用されているおもなホウ素鉱石はコールマン石(英語版)、ウレキサイト、ホウ砂、ケルナイト(英語版)の4つであり、この4種類の鉱石でホウ素生産の90 %が賄われている。これらの鉱石は主にナトリウム含有量の差によって使い分けられており、たとえばウレキサイトはホウ酸の、ホウ砂は四ホウ酸ナトリウムの原料として利用されている。ホウ素の主要な用途の一つであるガラス向けにはナトリウム含有量が低いことが求められるため、主要な4鉱石の中で唯一ナトリウム塩でなくカルシウム塩 (CaB6O11) を主成分としているコールマン石が有用な原料として利用されている。しかしながらコールマン石には不純物として多くのヒ素も含有されているため、近年の環境規制の強化に伴ってその処理が問題となっている。たとえば、アメリカのニューメキシコ州マグダレナ近郊では高品質のコールマン石が産出されるが、ヒ素含有量の多さのため鉱山建設が幾度も延期されている。このようなヒ素処理の問題は、ホウ素生産量の伸びを制限する要因にもなっている。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 41,
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"text": "ホウ素の主要な生産者は、アメリカの「リオ・ティント」グループとトルコの国営企業である「Eti Mine Works」の2社である。リオ・ティントはカリフォルニアにある露天掘りの鉱山からホウ砂およびケルナイトを生産しており、2012年にはこの鉱山のみで世界のホウ素生産量の25 %を賄っている。Etiはトルコ全域におけるホウ素鉱石の採掘権を有しており、2012年の世界のホウ素生産量の50 %弱を賄っている。中国には3,200万トンのホウ素鉱石が埋蔵されていると見積もられているが、アメリカやトルコで産出するホウ素鉱石がおよそ25–30 %のB2O3を含むのに対して、中国産のものではおよそ8.4 %とB2O3含有量が少なく低品位である。そのため、高品質なホウ酸塩の急速な需要増を補うために、中国の四ホウ酸ナトリウムの輸入量は2000年から2005年までに100倍も増加し、同期間中のホウ酸の輸入量も年に28 %ずつ増加した。アメリカ地質調査所のMineral Commodity Summaries (2015) においても、中国の輸入量は2015年以降も増加していくと予測されている。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 42,
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"text": "ホウ素が単体で使用されることは少ないが、化合物や合金の形でさまざまに利用されている。",
"title": "用途"
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"text": "身近な用途で使用される場合は、ホウ砂やホウ酸の状態であることが多い。ホウ砂はガラスの原料や防腐剤、金属の還元剤、溶接溶剤や研磨剤、火の抑制剤などに使われ、教育の現場では、ホウ砂と洗濯糊などを用いてスライムを作成する子ども向けの科学実験工作がしばしば行われる。ホウ酸塩や過ホウ酸塩は目の洗浄剤、うがい薬や鼻スプレーなど口腔衛生のための医薬品、ホウ酸団子としてゴキブリ駆除などに使われる。",
"title": "用途"
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"text": "ガラスはホウ素の主要な用途の一つであり、2011年におけるホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス繊維を含むガラス用途であった。ホウケイ酸ガラスは一般的に5–30 %の酸化ホウ素を含んでおり、熱膨張率が低いため熱衝撃に対する耐性が高い。また、ホウ素をガラスに添加することで溶融状態におけるガラスの流動性が向上するため、ガラスを成型する際の生産性が向上する。ホウケイ酸ガラスの主要な商標としてデュランおよびパイレックスがあり、熱衝撃に対する抵抗性を利用して主に実験用のガラス器具や、一般用の調理器具、耐熱皿などに用いられる。",
"title": "用途"
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{
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"text": "ホウ素繊維(ガラス長繊維)は軽量かつ高強度であるため、繊維強化プラスチックのような複合材料の強化材として利用される。主に航空宇宙分野における構造体に用いられ、一般消費者向けとしてはゴルフクラブや釣り竿のような一部のスポーツ用品にも使われている。また絶縁材や耐火材としても用いられており、ガラス繊維用途のホウ素の消費量は全体のおよそ45 %に及ぶ。このようなホウ素繊維は、化学気相蒸着法によってタングステン繊維の上にホウ素を堆積させることによって製造される。",
"title": "用途"
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"text": "ホウ素繊維(ガラス短繊維)はグラスウールとして冷蔵庫や建材などにおいて断熱材として用いられる。ガラス短繊維はレーザーアシストCVD法によって製造され、収束したレーザービームの並進によってサブミリメートルサイズの螺旋状のホウ素結晶のような複雑な構造さえも作り出すことができる。そのような構造は弾性係数450 MPa、剪断ひずみ3.7 %、破断応力17 GPaといった良好な機械的性質を示し、セラミックスもしくはMEMSの強化に用いることができる。",
"title": "用途"
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"tag": "p",
"text": "密度が小さく、ヤング率が大きく、音の伝わる速さが16200 m/sとアルミニウムの約2.6倍以上であることから、音響材料としてはベリリウム以上に理想的な素材として知られているが、高融点かつ展延性が非常に低いため技術的に加工が難しい素材であり、実用化されたのは1980年以降である。",
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"paragraph_id": 48,
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"text": "ホウ素はケイ素、ゲルマニウム、炭化ケイ素などの半導体のドーパントとして用いられる。ホウ素は3つの価電子を有しているため、4つの価電子を有するケイ素のようなホスト原子中で電荷を運ぶ正孔として機能してP型半導体が形成される。古典的なホウ素のドープ方法としては、高温での原子拡散が利用されていた。このプロセスではホウ素源として固体の酸化ホウ素や液体の三臭化ホウ素、気体の三フッ化ホウ素やジボランなどを利用することができる。しかしながら1970年代以降、大部分はホウ素源として三フッ化ホウ素を利用するイオン注入法に取って代わられた。三塩化ホウ素ガスもまた半導体産業において重要な化合物であるが、それはドープでなく金属および金属酸化物のプラズマエッチングのために用いられる。トリエチルボランはホウ素源として化学気相成長の反応器に注入され、ホウ素を含有した硬質炭素膜やダイヤモンド膜(ダイヤモンドライクカーボン)、窒化ケイ素-窒化ホウ素膜などにおけるプラズマ堆積法に利用される。",
"title": "用途"
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"text": "ホウ素は最も強い永久磁石の一つであるネオジム磁石 (Nd2Fe14B) を構成する元素の一つであり、ネオジム磁石中のホウ素の含有量は1 %ほどである。ネオジム磁石はさまざまな電子機器や電子デバイス、核磁気共鳴画像法 (MRI) のような医用画像処理システム、比較的小型な電動機およびアクチュエータに用いられている。たとえば、ハードディスクドライブやCDプレーヤー、DVDプレーヤーなどにおいては、ヘッド駆動機構を小型化するためにネオジム磁石が利用される。また、携帯電話向けにスピーカーを小型化するためにもネオジム磁石が用いられる。",
"title": "用途"
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"text": "いくつかのホウ素化合物は非常に高硬度であることで知られている。炭化ホウ素および立方晶窒化ホウ素の粉末は研磨剤として広く用いられており、また金属ホウ化物は化学蒸着もしくは物理蒸着法によって被覆材として用いられる。金属および合金にホウ素イオンを導入する方法としては、イオン注入法もしくは収束イオンビームによるイオンビーム堆積法、レーザ合金化法などが利用され、その結果として表面抵抗や微小硬さが著しく増加する。このようにホウ化物に被覆された素材はダイヤモンド被覆された素材に代わるものであり、それらホウ化物の表面はバルクのホウ化物と類似した性質を有している。",
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"text": "炭化ホウ素は、酸化ホウ素を炭素とともに電気炉で熱分解することによって得られるセラミックス材料である。",
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"text": "炭化ホウ素の構造はほぼB4Cのみであるものの、炭素量は化学量論比よりも明確に低い値を示す。これは炭化ホウ素の非常に複雑な構造に起因しており、炭化ホウ素はホウ素がB12クラスターとして存在しているB12C3の分子式で表される構造を取るものの、3つの炭素原子のうちの1つはホウ素原子に置換されやすいため、炭素原子数の少ない単位クラスターが混在した構造となる。また、正八面構造のB6クラスターも混在しており、炭素量が少なくなる要因となる。このような構造に起因して、炭化ホウ素は単位重量あたりの構造強さに優れている。そのため、炭化ホウ素は戦車などの装甲やボディアーマーのほか、多くの構造材として利用される。炭化ホウ素(特にB)は、長寿命な放射性核種を生成することなく中性子を吸収する能力を有しているため、原子力発電所において発生する中性子線の吸収材として有用である。そのため、B濃度を制御した炭化ホウ素が原子炉における遮蔽材や制御棒などに利用される。制御棒としての利用においてはその表面積を増やすためにしばしば粉末状で用いられ、また粉末を焼結させた円筒のペレット状でも用いられる。",
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"text": "ホウ素系薬品で処理をした古新聞紙が、「セルロースファイバー」という名称で断熱材として使用される。吸湿性を持つ天然繊維系断熱材として注目されている。ホウ素系薬品で処理することにより、撥水性、難燃性、駆虫作用が得られる。日本の大手ハウスメーカーで採用例は少ないが、アメリカでは家庭用断熱材の40 %前後のシェアを占める。充填工法で施工されるために、専門の吹き込み用機器が必要なこと、改築の際に壁・天井に充填されたセルロースファイバーが障害になる、吹き込み後の沈み込みの可能性などの問題を指摘する声がある。",
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"text": "ホウ素の同位体のうちB は非常に大きな中性子吸収断面積を持つ。この特性を生かし、原子炉内において中性子の吸収のため制御棒に使用される。化合物であるホウ酸は一次冷却水に溶かし込んで加圧水型原子炉の余剰反応度制御に使われる。微量のホウ素添加を行った金属による放射性物質運搬容器も使用される。",
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"text": "ホウ素の有機化学への利用はH・C・ブラウンによって系統的に研究が行われ、ブラウンはその業績によって1979年にノーベル化学賞を授与された。ブラウンの研究した還元剤としての水素化ホウ素ナトリウムやヒドロホウ素化は、現在でも有機合成上、盛んに利用されている。ブラウンの研究室で学んだ鈴木章もまた、有機ホウ素化合物を用いた鈴木・宮浦カップリングの研究で2010年にノーベル化学賞を授与されている。この反応を利用すると多様な変換が可能になるため、有機ホウ素化合物は複雑な化合物の前駆体として利用されている。",
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"text": "トリエチルボランは発火しやすく燃焼速度も早いため、ジェット燃料に利用される。",
"title": "用途"
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"text": "植物の必須元素の一つであり、98 %は細胞壁に存在することから、細胞壁の合成、細胞膜の完全性の維持、糖の膜輸送、核酸合成、酵素の補酵素などに関係していると予想されているが、まだ解明されてはいない。植物中でホウ素輸送を行う物質は2002年(平成14年)に初めて同定された。",
"title": "用途"
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"text": "一方、高濃度のホウ素は植物の成長を阻害するため、土壌中のホウ素含有量が高いオーストラリア南部などでは農業が困難となっている。植物の遺伝子を改変することで、ホウ素耐性を持たせる研究が進められている。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "ホウ素は主に植物の細胞壁を維持するのに必要である重要な栄養素である。土壌中におけるホウ素の欠乏は植物に対して全体的な成長障害を引き起こすが(適切な細胞壁構造の構築が行えなくなるのでホウ素が切れた場合は壊滅的な影響を及ぼす。)、逆に土壌中のホウ素分率が1×10を越えても葉の周辺や先端の壊死といった過剰障害を引き起こす。特にホウ素に敏感な植物では、土壌中のホウ素分率が8×10を越えると同様の症状が現れることがあり、土壌中のホウ素分率が1.8×10を越えると、ホウ素に耐性を示すような植物を含むほとんどの植物において過剰障害の兆候が現れる。ホウ素分率が2.0×10を越える土壌で正常に生育できる植物はほとんどなく、一部は生存できないこともある。植物組織中のホウ素分率が200×10を越えると過剰障害の兆候が現れる。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "ホウ素はおそらく全ての哺乳類にとって必須であると考えられているが、動物におけるホウ素の生物学的役割はよく知られていない。たとえば、精製してホウ素を除去した食品を与え、空気中の塵を濾過することによってホウ素欠乏症を誘発させたラットでは体毛への影響が出ることが知られており、ホウ素は超微量元素としてネズミの最適な健康状態を維持するために必要である。動物におけるホウ素の摂取は広く食糧に由来しており、その必要摂取量はラットにおける試験からの推測によって非常に少量であると考えられている。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "1989年以降、ホウ素が人間を含む動物にとって栄養素として生物学的な役割を持つのではないかという議論が起こった。アメリカ合衆国農務省が閉経後の女性に対して1日3 mgのホウ素を投与する実験を行った結果、ホウ素の補給がカルシウムの排出を44 %抑え、エストロゲンおよびビタミンDを活性化させるという結果が示され、骨粗鬆症を抑制する可能性が示唆された。しかし、これらの影響が栄養素としての効果なのか、医薬品としての効果なのかということは判別できなかった。アメリカ合衆国国立衛生研究所は「正常なヒトの食事におけるホウ素の1日当たりの総摂取量の範囲は2.1–4.3 mgである」と述べた。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "角膜ジストロフィーの珍しい型である先天性角膜内皮ジストロフィー(英語版)2型は、ホウ素の細胞内濃度を調整している輸送体をコード化するSLC4A11(英語版)遺伝子における突然変異と関連している。しかし、2013年のDiego G. Ogandoらの報告によれば、SLC4A11とホウ素輸送の関係は否定されており、SLC4A11はNa-OH(H)およびNH4に対する透過性を持った輸送体であるとされている。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "単体ホウ素、酸化ホウ素、ホウ酸、ホウ酸塩および多くの有機ホウ素化合物は、急性毒性に限って見ると、ヒトおよび動物にとっては食塩と同程度に無毒である。動物に対する半数致死量 (LD50) は体重1 kgあたりおよそ6 gであり、LD50が体重1 kgあたり2 g以上となる物質は一般に無毒であるとされている。ヒトに対する最小致死量ははっきりとしていない。事件を除く1日4 gのホウ酸の摂取は報告されているが、それを超える量の摂取では有毒であると考えられている。50日間継続して1日0.5 g以上のホウ酸を摂取すると下痢など消化器系の不良が生じ、ほかの毒性も示唆される。中性子捕捉療法のために行われるホウ酸20グラムの単回投与では、著しいほかの毒性が生じることなく使用されている。魚類は飽和ホウ酸溶液中で30分間生存することができ、ホウ酸ナトリウム溶液中ではより長く生存できる。ホウ酸は、昆虫に対しては動物に対してよりも毒性が強く、通常殺虫剤として利用される。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "ボランのような水素化ホウ素やそれに類似したガス状の化合物は毒性を示す。ホウ素自体はほかの単体ホウ素やホウ素化合物と同様に本質的には有毒ではないが、その毒性は化学構造に起因する。",
"title": "生物学的役割"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "ボランは可燃性かつ有毒であるため、取り扱いには特別な操作が必要となる。水素化ホウ素ナトリウムは強い還元性を持つ物質であるため、水や酸、酸化剤などと反応して火災や爆発を起こす危険性がある。ハロゲン化ホウ素は腐食性を有する。",
"title": "生物学的役割"
}
] | ホウ素は、原子番号5の元素である。元素記号はB。原子量は 10.81。 | {{Redirect|ボロン}}
{{Elementbox
|name = boron
|japanese name = ホウ素
|number = 5
|symbol = B
|left = [[ベリリウム]]
|right = [[炭素]]
|above = -
|below = [[アルミニウム|Al]]
|series = 半金属
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|series color =
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|appearance = 黒色の固体
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|image size 2 =
|image name 2 comment =
|atomic mass = 10.811
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|atomic mass comment =
|electron configuration=[[[ヘリウム|He]]] 2s{{sup|2}} 2p{{sup|1}}
|electrons per shell = 2, 3
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|density gplstp =
|density gpcm3nrt = 2.08
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|desnity gpcm3nrt 3 =
|density gpcm3mp =
|melting point K = 2453
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|melting point pressure = β菱面体晶
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|triple point K =
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|critical point MPa =
|heat fusion = 50.2
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|vapor pressure 100 k = 4072
|vapor pressure comment =
|crystal structure = [[六方晶系]]
|oxidation states = 4<ref name=v4>{{cite journal|url=http://bernath.uwaterloo.ca/media/78.pdf|title=Fourier Transform Spectroscopy: B<sup>4</sup>Σ<sup>−</sup>−X<sup>4</sup>Σ<sup>−</sup>|author=Fernando, W.T.M.L.; O'Brien, L.C.; Bernath, P.F.|journal=J. Chem. Phys.|volume=93|year=1990|page=8482|doi=10.1063/1.459287|bibcode=1990JChPh..93.8482F|deadurl=yes|archiveurl=https://webcitation.org/69YsDcX0o?url=http://bernath.uwaterloo.ca/media/78.pdf|archivedate=2012-07-31}}</ref>, '''3''', 2, 1
|oxidation states comment = [[酸性酸化物]]
|electronegativity = 2.04
|number of ionization energies = 3
|1st ionization energy = 800.6
|2nd ionization energy = 2427.1
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|atomic radius calculated =
|covalent radius = 84±3
|Van der Waals radius = 192
|magnetic ordering = [[反磁性]]
|electrical resistivity =
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20 = ~10{{sup|6}}
|thermal conductivity = 27.4
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|thermal diffusivity =
|thermal expansion =
|thermal expansion at 25 = (βボロン)5-7
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|speed of sound rod at 20 =
|speed of sound rod at r.t. = 16200
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|Young's modulus =
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|Poisson ratio =
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|Brinell hardness =
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{{Elementbox isotopes stable |mn=10 |sym=B |na=19.9% |n=5}}
{{Elementbox isotopes stable |mn=11 |sym=B |na='''80.1%''' |n=6}}
}}
'''ホウ素'''(ホウそ、硼素、{{lang-en-short|boron}}、{{lang-la-short|borium}})は、[[原子番号]]5の[[元素]]である。[[元素記号]]は'''B'''。[[原子量]]は 10.81。
== 名称 ==
元素名は[[アラビア語]]で「[[ホウ砂]]」を意味する「{{lang|ar-latn|'''Buraq'''}}(ブラーク)」に由来する。ホウ素 ({{lang|en|Boron}}) の名称は、ホウ砂を意味する<ref>{{Cite web |url=http://www.innvista.com/science/chemistry/elements/etymolo.htm |title=Etymology of Elements |publisher=Innvista |accessdate=2009-06-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090922221916/http://www.innvista.com/science/chemistry/elements/etymolo.htm |archivedate=2009-09-22}}</ref>アラビア語の {{lang|ar|بورق }} ({{lang|ar-latn|buraq}}) もしくはペルシャ語の {{lang|fa|بوره}} ({{lang|fa-latn|burah}}) に起源があるとされる<ref>{{Cite book |title=The Origins of English Words: A Discursive Dictionary of Indo-European Roots |first=Joseph T. |last=Shipley |publisher=JHU Press |year=2001 |isbn=978-0-8018-6784-2 |url=https://books.google.co.jp/books?id=m1UKpE4YEkEC&pg=PA83&redir_esc=y&hl=ja}}</ref>。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている<ref name="saitou4"/>。
== 概要 ==
[[単体]]は高[[融点]]かつ高[[沸点]]な硬くて脆い固体であり、[[金属]]元素と[[非金属]]元素の中間の性質を示す[[半金属]]である。[[1808年]]に[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック|ゲイ=リュサック]]と[[ルイ・テナール]]の2人の共同作業および[[ハンフリー・デービー]]によってそれぞれ個別に単体の分離が行われた。
ホウ素は同じ[[第13族元素]]である[[アルミニウム]]などよりも[[第14族元素]]である[[炭素]]や[[ケイ素]]に類似した性質を示す。結晶性ホウ素は化学的に不活性であり耐酸性が高く、[[フッ化水素酸]]にも侵されない。ホウ素の化合物は通常+3価の[[酸化数]]を取り、[[ルイス酸]]としての性質をもつハロゲン化物や、ホウ酸塩鉱物中で見られるホウ酸塩、[[三中心二電子結合]]と呼ばれる特殊な結合様式を取る[[ボラン]]などがある。ホウ素には13の既知の同位体があり、天然に存在するホウ素は80.1 %の{{sup|11}}Bと19.9 %の{{sup|10}}Bからなっている。
ホウ素は地殻中の存在率が比較的低い元素であるが、鉱床を形成するため容易に採掘可能であることから人類による利用の歴史は長く、古くから[[釉薬]]として使われていた。現代ではガラス向けの用途に使われることが多く、2011年のホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス用として消費されている。その他、半導体の[[ドーパント]]や[[超硬度材料]]、音響材料、殺虫剤などに利用される。
植物にとってホウ素は[[細胞壁]]を維持するために必要な必須元素であり、[[ホウ素欠乏症 (植物)|ホウ素の欠乏]]によって成長障害が引き起こされる。動物にとっても必須元素であると考えられているが、その生物学的な役割はよく知られていない。ヒトや動物に対しては食塩と同程度に無毒な物質であるが、植物では高濃度のホウ素を含む土壌で葉の壊死などの障害が発生し、[[昆虫]]に対しては強い毒性を示す。
== 歴史 ==
[[画像:Sassolite.jpg|150px|thumb|left|ホウ素鉱石である硼酸石(サッソライト)]]
ホウ素化合物の存在は数千年前にはすでに知られており、西[[チベット]]の砂漠から産出した[[ホウ砂]]は[[サンスクリット語]]でチンカルと呼ばれていた。西暦300年ごろの中国ではすでに釉薬としてホウ砂が利用されており、[[8世紀]]の[[ペルシア]]の錬金術師である[[ジャービル・ブン・ハイヤーン]]はホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、[[マルコ・ポーロ]]によってホウ砂釉薬を用いた陶磁器が[[イタリア]]へと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって[[冶金学]]における[[融剤]]としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は、1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 3-4頁。</ref>。
1774年、イタリアの[[トスカーナ州]]州都[[フィレンツェ]]近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気に[[ホウ酸]]が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了したあと、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した[[地熱発電]]が行われている<ref name="saitou4"/><ref>{{Cite web|和書|title=地熱エネルギー入門(翻訳)序章 |url=http://grsj.gr.jp/whatbook/chapter1.html |publisher=日本地熱学会 |accessdate=2014-01-19}}</ref>。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石の[[サッソライト]]がある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた<ref name="borates">{{Cite book |pages=102; 385-386 |title=Borates: handbook of deposits, processing, properties, and use |author=Garrett, Donald E. |publisher=Academic Press |year=1998 |isbn=0-12-276060-3}}</ref><ref name="boron">{{Cite web |accessdate=2009-05-05 |url=http://mysite.du.edu/~jcalvert/phys/boron.htm |title=Boron |work=University of Denver |author=Calvert, J. B.}}</ref>。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれる{{仮リンク|フランシス・マリオン・スミス|en|Francis Marion Smith}}の{{仮リンク|Pacific Coast Borax Company|en|Pacific Coast Borax Company}}が初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた<ref>Hildebrand, G. H. (1982) "Borax Pioneer: Francis Marion Smith." San Diego: Howell-North Books. p. 267 ISBN 0-8310-7148-6</ref>。その後、光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった<ref name="saitou4">[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 4頁。</ref>。
ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の[[炎色反応]]を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある<ref name="saitou4"/>。単体のホウ素は[[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]と[[ルイ・テナール]]の2人<ref name="Lussac">Gay Lussac, J.L. and Thenard, L.J. (1808) [https://books.google.co.jp/books?id=e6Aw616K5ysC&pg=PA169&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false "Sur la décomposition et la recomposition de l'acide boracique,"] ''Annales de chimie'' [later: Annales de chemie et de physique], vol. 68, pp. 169-174.</ref>と、[[ハンフリー・デービー]]<ref name="Davy">{{Cite journal |author=Davy H |year=1809 |title=An account of some new analytical researches on the nature of certain bodies, particularly the alkalies, phosphorus, sulphur, carbonaceous matter, and the acids hitherto undecomposed: with some general observations on chemical theory |url=https://books.google.co.jp/books?id=gpwEAAAAYAAJ&pg=PA140&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false |journal=Philosophical Transactions of the Royal Society of London |volume=99 |pages=33-104 |doi=10.1098/rstl.1809.0005}}</ref>がそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して[[電気分解]]することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりに[[カリウム]]で還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を単離し、この元素を''boracium''と命名した<ref name="Davy"/>。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温で[[鉄]]と反応させる方法をとった。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した<ref name="Lussac"/><ref>{{Cite book |last=Weeks |first=Mary Elvira |year=1933 |title=The Discovery of the Elements |publisher=Journal of Chemical Education |location=Easton, PA |chapter=XII. Other Elements Isolated with the Aid of Potassium and Sodium: Beryllium, Boron, Silicon and Aluminum |page=156 |url=https://books.google.com/books?id=SJIk9BPdNWcC&pg=PA156 |isbn=0-7661-3872-0}}</ref>。[[イェンス・ベルセリウス]]は、1824年にホウ素の元素としての性質を同定した<ref>ベルセリウスはホウフッ化塩の還元、特にホウフッ化カリウムを金属カリウムとともに加熱することでホウ素を単離した。以下を参照のこと。Berzelius, J. (1824) [https://books.google.co.jp/books?id=pJlPAAAAYAAJ&pg=PA46&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false "Undersökning af flusspatssyran och dess märkvärdigaste föreningar"] (Part 2) (Investigation of hydrofluoric acid and of its most noteworthy compounds), ''Kongliga Vetenskaps-Academiens Handlingar'' (Proceedings of the Royal Science Academy), vol.12, pp.46-98; 特にpp.88ff. Reprinted in German as: Berzelius, J. J. (1824) [http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k150878/f123.image.r=Annalen%20der%20Physic.langEN "Untersuchungen über die Flußspathsäure und deren merkwürdigste Verbindungen"], Poggendorff's ''Annalen der Physik und Chemie'', vol. 78, pages 113-150.</ref>。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を単離しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85 %を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に[[三塩化ホウ素]]を[[電弧]]中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を単離した<ref>{{Cite journal |author=Weintraub, Ezekiel |year=1910 |title=Preparation and properties of pure boron |journal=Transactions of the American Electrochemical Society |volume=16 |pages=165-184 |url=https://books.google.co.jp/books?id=e5USAAAAYAAJ&pg=PA165&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false}}</ref><ref name="Laubengayer">{{Cite journal |title=Boron. I. Preparation and Properties of Pure Crystalline Boron |doi=10.1021/ja01250a036 |year=1943 |first=A. W. |last=Laubengayer |journal=Journal of the American Chemical Society |volume=65 |pages=1924-1931 |last2=Hurd |first2=D. T. |last3=Newkirk |first3=A. E. |last4=Hoard |first4=J. L. |issue=10}}</ref><ref>{{Cite journal |author=Borchert, W. ; Dietz, W. ; Koelker, H. |title=Crystal Growth of Beta-Rhombohedrical Boron |journal=Zeitschrift für Angewandte Physik |year=1970 |page=277 |volume=29 |osti=4098583}}</ref><ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 5頁。</ref>。
== 性質 ==
=== 物理的および化学的性質 ===
ホウ素には複数の[[同素体]]があり、物性値は同素体によって異なる値を示すが、全体として高[[融点]]かつ高[[沸点]]な硬くて脆い固体である<ref>[[#村上2004|村上 (2004)]] 70頁。</ref>。たとえば融点はアモルファスホウ素で{{val|2300|u=degC}}<ref name="tezler">{{Cite web |url=http://library.iyte.edu.tr/tezler/master/kimya/T000727.pdf |title=SYNTHESIS AND CHARACTERIZATION OF MgB{{sub|2}} SUPERCONDUCTING WIRES |year=2008 |page=3 |accessdate=2014-01-11}}</ref>、β菱面晶ホウ素で{{val|2180|u=degC}}<ref name="tb">{{Cite web |url=http://www.testbourne.com/materials/metals-details/3506/Boron,-B/ |title=Boron, B |publisher=Testbourne Ltd. |accessdate=2014-01-11}}</ref>であり、沸点はβ菱面晶ホウ素で{{val|3650|u=degC}}である<ref name="tb"/>。アモルファスホウ素は{{val|2550|u=degC}}で[[昇華 (化学)|昇華]]する<ref name="tezler"/>。β菱面晶ホウ素の[[モース硬度]]は9.3<ref>[[#boron2008u|宇野、木村 (2008)]] 11頁。</ref>。[[比重]]はα菱面晶ホウ素が2.46、β菱面晶ホウ素が2.35である<ref name="tezler"/>。
[[画像:Lewis dot B.svg|thumb|ホウ素の[[ルイス構造式]]図]]
単体のホウ素は[[金属]]元素と[[非金属]]元素の中間の性質を示す[[半金属]]元素であり、安定した[[共有結合]]を形成するという点では、同じ[[第13族元素]]である[[アルミニウム]]や[[ガリウム]]などの金属元素よりもむしろ炭素やケイ素と類似した性質を示す<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、286頁。]]</ref>。これはホウ素の第一イオン化エネルギーが8.296 eVと非常に高いためイオン化しにくく、2s{{sup|2}}2p{{sup|1}}の最外殻電子がsp{{sup|2}}[[混成軌道]]を形成する方がエネルギー的に有利であることに起因する<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、285頁。]]</ref>。単体ホウ素におけるホウ素同士の結合もまた共有結合性が強いため、[[自由電子]]として[[導電性]]に寄与できる電子が少なく、導電性を示すものの導電性は低いという[[半金属]]に特有な性質が現れる原因となる<ref>[[#sakurai2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003)、33頁。]]</ref>。また、このような電気的特性を有するため単体ホウ素は[[半導体]]としての性質を示す<ref>[[#boron2008s|白井 (2008)]] 43頁。</ref>。
結晶性ホウ素は化学的に不活性であり、[[フッ化水素酸]]や[[塩酸]]による煮沸に対しても耐性を示す。微細粉末は熱濃[[過酸化水素]]や熱濃[[硝酸]]、熱[[硫酸]]もしくは熱[[クロム酸混液]]に対して徐々に侵される<ref name="Laubengayer"/>。ホウ素の酸化率は結晶化度、粒径、純度および温度に依存する。ホウ素は室温では空気と反応しないが、高温では燃焼して[[酸化ホウ素]]を形成する<ref name="HollemanAF">{{Cite book |publisher=Walter de Gruyter |year=1985 |edition=91-100 |pages=814-864 |isbn=3-11-007511-3 |title=Lehrbuch der Anorganischen Chemie |first=Arnold F. |last=Holleman |coauthors=Wiberg, Egon; Wiberg, Nils; |chapter=Bor |language=German}}</ref>。
: <chem>4B + 3O2 -> 2B2O3</chem>
ホウ素はハロゲン化によって三ハロゲン化物を形成する。
: <chem>2B + 3Br2 -> 2 BBr3</chem>
三塩化ホウ素は通常、酸化ホウ素から合成される<ref name="HollemanAF"/>。
=== 化合物 ===
ホウ素の化合物は通常+3価の形式[[酸化数]]を取る。これらには酸化物、硫化物、窒化物およびハロゲン化物が含まれる<ref name="HollemanAF"/>。
[[画像:Boron-trifluoride-pi-bonding-2D.png|100px|thumb|[[三フッ化ホウ素]]の構造。π供与性[[配位結合]]におけるホウ素の空のp軌道を示す]]
三ハロゲン化物は平面三角形構造を取る。それらの化合物はホウ素上に6つの電子しか持たないため[[オクテット則]]を満たしておらず、[[ルイス酸]]として働き、[[ルイス塩基]]のような電子対供与体と即座に反応する。たとえば[[三フッ化ホウ素]] (BF{{sub|3}}) はフッ化物イオン (F{{sup|−}}) と反応してテトラフルオロホウ酸塩アニオン (BF{{sub|4}}{{sup|−}}) を与える。三フッ化ホウ素は石油化学産業において触媒として利用される。三ハロゲン化ホウ素は水と反応してホウ酸を形成する<ref name="HollemanAF"/><ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、286-287頁。]]</ref>。
[[画像:Tetraborate-xtal-3D-balls.png|thumb|left|四ホウ酸アニオン ([B{{sub|4}}O{{sub|5}}(OH){{sub|4}}]{{sup|2−}})の棒球モデル。結晶質のホウ砂 (Na{{sub|2}}[B{{sub|4}}O{{sub|5}}(OH){{sub|4}}]·8H{{sub|2}}O)中などで見られる。ピンク色のホウ素原子が赤色の酸素原子に架橋されており、端には白色の水素原子を伴う4つの水酸基がある。4つのホウ素のうち、右上と左下の2つはsp{{sup|2}}混成軌道による平面三角形構造を形成して電気的に中性となっているが、残り2つのホウ素はsp{{sup|3}}混成軌道による四面体構造を形成してそれぞれ−1価の電荷を持っている。全てのホウ素の酸化数は+3価である。このように、配位数と電荷の異なったホウ素の混合は天然ホウ素の特色である]]
ホウ素は地球上の自然中においてはさまざまな種類の+3価の酸化物として見られ、しばしばほかの元素と結合している。100種類以上のホウ酸塩鉱物でホウ素は+3価のホウ素を含んでいる。これらのホウ酸塩鉱物はいくつかの点でケイ酸塩鉱物と類似しているが、SiO{{sub|4}}の四面体構造が構造の基本単位となっているケイ酸塩とは異なり、ホウ酸塩はBO{{sub|4}}の四面体構造だけでなく、BO{{sub|3}}の平面三角形構造の基本単位も多く見られる<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、292頁。]]</ref>。典型的な例としては、一般的なホウ酸塩鉱物の一つであるホウ砂における四ホウ酸アニオンがある(左図)。四ホウ酸アニオン中のホウ素は平面三角形構造と四面体構造の2種類の構造をとっており、四面体構造を取っているホウ素は負の電荷を有している。この負の電荷は、たとえばホウ砂におけるナトリウム(Na{{sup|+}})のような金属陽イオンとの間で釣り合っている<ref name="HollemanAF"/>。
==== ボラン ====
{{main|ボラン}}
[[ボラン]]はホウ素と水素の化合物であり、B{{sub|x}}H{{sub|y}}の組成式で表される。ボランの構造にはB-H-Bのような水素による橋架け構造が含まれており、通常の[[化学結合]]における[[原子価]]の考え方ではその結合が説明できず、[[三中心二電子結合]]のような特殊な結合様式をとっている<ref name="CW301">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 301頁。]]</ref><ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 79頁。</ref>。ボランの構造は正二十面体構造のホウ素クラスターを基本単位として考えることができ、ホウ素数の少ないボランも正二十面体構造からいくつかのホウ素原子が脱落した構造としてとらえることができる<ref name=saito80/>。ボランのいくつかは異性体が存在し、たとえばジヒドロデカボラン (B{{sub|10}}H{{sub|16}}) はホウ素が5原子集まったクラスター2つからなっており、2つのクラスターの結合の方法によって3つの構造異性体が存在する<ref>{{Cite book |title=Chemistry of the Elements |author=N. N. Greenwood、A. Earnshaw |year=1997 |pages=152, 155 |publisher=Elsevier |isbn=0080501095}}</ref>。
最も単純なボランはBH{{sub|3}}であるが単離することはできず、[[ジボラン]] (B{{sub|2}}H{{sub|6}}) がその他のボランおよびボラン誘導体を合成する際の前駆体として利用される<ref name="saito80">[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 80頁。</ref><ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 308頁。]]</ref>。ホウ素数の少ないボランは空気との反応性が高く自然発火するが、ホウ素数6のヘキサボラン以上では空気中で安定に存在する<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 300頁。]]</ref>。ボランのうち重要なものにはペンタボランB{{sub|5}}H{{sub|9}}およびデカボランB{{sub|10}}H{{sub|14}}があり、それらはジボランB{{sub|2}}H{{sub|6}}の熱分解によって生成される<ref name="CW301"/>。多数のボランアニオンが知られており、テトラヒドロホウ酸イオン (BH{{sub|4}}{{sup|−}}) およびその誘導体([BH{{sub|3}}CN]{{sup|−}}など)は金属塩して還元などの用途に広く利用されている<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 311頁。]]</ref>。また、ホウ素数の多い多面体型ボランアニオンとしては[B{{sub|12}}H{{sub|12}}]{{sup|2−}}などがあり、反応性などについて広く研究されている<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 312-313頁。]]</ref>。
ボランの誘導体としては、ボラン中のBH{{sup|−}}と等電子的なCH基が置換した[[カルバボラン]]があり、ボランと[[アセチレン]]の反応によって合成される<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 314頁。]]</ref>。ほかに[[硫黄]]、[[リン]]、[[砒素]]なども、ホウ素と置換してカルバボランに類似したヘテロボラン誘導体を形成する<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 316頁。]]</ref>。カルバボランは強塩基と反応してカルバボランアニオンとなり<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987) 315頁。]]</ref>、たとえばB{{sub|9}}C{{sub|2}}H{{sub|11}}{{sup|2−}}は[[シクロペンタジエニルアニオン]]に類似しており遷移金属との間で[[フェロセン]]様の錯体を形成する<ref>[[#sakurai2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003) 38-39頁。]]</ref>。また、[[ハロゲン]]や[[アミン]]、[[アルキル基]]などはボランの水素を置換してボラン誘導体を形成する<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 95-97頁。</ref>。
==== 窒化ホウ素 ====
[[窒化ホウ素]]はさまざまな構造をとり、それらは[[ダイヤモンド]]や[[カーボンナノチューブ]]を含む[[炭素の同素体]]に似た構造をとる。ダイヤモンド様の構造をした窒化ホウ素は[[立方晶窒化ホウ素]]と呼ばれ、ホウ素原子はダイヤモンドの四面体構造における炭素原子の位置に存在しているが、4つのB-N結合のうちの1つは配位結合と見ることができる。すなわち、三フッ化ホウ素の場合と同様に、3つの窒素原子とホウ素原子が結合することで3つのB-N結合と1つの空軌道が形成され、窒素の2つの電子がルイス塩基としてホウ素上の空軌道へ供与されることで、4つ目のB-N結合が形成されることとなる。立方晶窒化ホウ素はダイヤモンドに匹敵する硬さを有しているため[[研磨剤]]に用いられる。[[黒鉛]]様の六方晶窒化ホウ素 (h-BN) は、正の電荷を持つホウ素と負の電荷を持つ窒素が交互に配列した平面構造が層状に積み重なった構造をとる。そのため、六方晶窒化ホウ素とグラファイトはともに層間の滑りによる潤滑性を示すという類似した性質もあるものの、非常に異なった性質も示す。たとえば、黒鉛は優れた熱伝導性および電気伝導性を示すが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toyotanso.co.jp/introduction/charactaristic.html |title=炭素入門 |publisher=東洋炭素 |accessdate=2014-01-16}}</ref>、h-BNは平面方向の熱伝導性および電気伝導性が比較的乏しい<ref>{{Cite journal |title=Hexagonal Boron Nitride (hBN) - Applications from Metallurgy to Cosmetics |url=http://www.esk.com/uploads/tx_userjspresseveroeff/PR_0712_CFI_12-2007_Hexagonales-BN_e_01.pdf |author=Engler, M. |journal=Cfi/Ber. DKG |volume=84 |year=2007 |page=D25 |issn=0173-9913}}</ref><ref>{{Cite book |author=Greim, Jochen and Schwetz, Karl A. |title=Boron Carbide, Boron Nitride, and Metal Borides, in Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry |publisher=Wiley-VCH: Weinheim |year=2005 |doi=10.1002/14356007.a04_295.pub2}}</ref>。
==== 金属ホウ化物 ====
ホウ素は非常に多くの元素との間でホウ化物を形成するが、特に金属元素との間で形成されるホウ化物は金属的な性質を示すことが多いことから、ホウ素自身は非金属元素であるものの、しばしばホウ素合金として扱われる<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 167頁。</ref>。金属ホウ化物は一般的に高硬度、高融点、低反応性といった性質を示す<ref name="CW289">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、289頁。]]</ref>。金属ホウ化物の多くはホウ素と金属元素をともに溶融もしくは焼結させることによって合成することが可能であり、ホウ化鉄やホウ化クロムなどの工業的製造法としては高純度なものは得られにくいものの、大量生産が可能な[[テルミット反応]]などの直接還元法が利用されている<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 167-168頁。</ref>。金属ホウ化物は、ホウ素原子と金属原子との間に[[化学量論]]的な関係が見られないことが多い。これは、金属原子が形成する立体構造の空隙に遊離したホウ素原子が取り込まれた構造をとるものや、逆にホウ素が形成する立体構造の空隙に遊離した金属原子が取り込まれた構造をとるものが多く存在するためである<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、290頁。]]</ref>。金属ホウ化物として重要なものにホウ化鉄(フェロボロン)があり、Fe{{sub|2}}BやFeB、Fe{{sub|2}}B{{sub|5}}などが知られている<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 177頁。</ref>。ホウ化鉄は[[製鉄]]の原料として焼入れや溶接に関する性能向上に利用される<ref name="jogmec2012">{{Cite web|和書|url=http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2012-05/29.B_20120619.pdf |title=鉱物資源マテリアフロー ホウ素 (B) |publisher=石油天然ガス・金属鉱物資源機構 |accessdate=2014-01-25}}</ref>。ホウ素はこのような二元化合物のみならず、複数の金属元素との間に多元化合物を形成することも知られている<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 181頁。</ref>。代表的なものに、非常に強力な磁力を有する[[ネオジム磁石]]として利用されるネオジム-鉄-ホウ素の三元化合物であるNd{{sub|2}}Fe{{sub|14}}Bがある<ref>{{Cite journal |url=http://www.apph.tohoku.ac.jp/kiso/files/0910_kotai.pdf |title=Nd{{sub|2}}Fe{{sub|14}}B永久磁石の磁気異方性 |author=土浦宏紀、栂裕太、守谷浩志、佐久間昭正 |journal=固体物理 |volume=44 |issue=10 |year=2009 |publisher=アグネ技術センター |accessdate=2014-01-25}}</ref>。
==== 有機ホウ素化合物 ====
数千種類に及ぶ有機ホウ素化合物の存在が知られており、代表的なものに[[トリエチルボラン]]や[[ボロン酸]]のようなアルキルホウ素化合物、[[ボラジン]]誘導体のような複素環式化合物などが存在する。アルキルホウ素化合物はハロゲン化ホウ素と[[グリニャール試薬]]を用いて合成され、アリールホウ素化合物も同様に合成することができる。トリアルキルホウ素を含むアルキルボランは、[[ヒドロホウ素化]]反応によってボランから合成される<ref name="CW316319"/>。[[トリエチルボラン]]などのトリアルキルホウ素化合物は、空気中で酸素と反応して自然発火する[[自然発火性物質]]であるが、一方で[[トリフェニルボラン]]のようなトリアリールホウ素化合物は空気中で燃焼しない<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 134頁。</ref>。ハロゲン化ホウ素は4倍モル当量のアルキル化剤もしくはアリール化剤と反応させると、トリアルキルもしくはトリアリールホウ素からさらに反応が進行して、テトラアルキルもしくはテトラアリールホウ酸イオンが生成される。このような化合物としては[[テトラフェニルホウ酸ナトリウム]]やテトラメチルホウ酸リチウムなどがあり、テトラフェニルホウ酸ナトリウムはカリウムやルビジウムなどの重アルカリ金属元素を分離するのに用いられる<ref name="CW316319">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)、316-319頁。]]</ref>。
=== 同素体 ===
{{main|ホウ素の同素体}}
[[画像:Brown-boron.jpg|125px|thumb|アモルファスホウ素]]
ホウ素には7つの[[同素体]]が存在しており、それらは[[結晶]]および[[アモルファス]]の構造をとる。よく知られているものにα-菱面体、β-菱面体、β-正方晶があり、特殊な条件下ではα-正方晶やγ-斜方晶のような形もとる。アモルファスの同素体には、微細な粉末状のものとガラス状のものの2つが知られている{{sfn|Wiberg|2001|p=930}}{{sfn|Housecroft |Sharpe|2008|p=331}}。標準状態において最も安定なものはβ-菱面体晶であり、ほかの同素体は全て準安定状態である<ref name="CW289"/>。少なくとも14以上の同素体が報告されているが、前述の7つ以外の同素体は弱い論拠に基づいたものであったり実験的に立証できなかったりするため、それらは単一の同素体ではなく複数の同素体の混合物や不純物によって安定化した構造であると考えられている{{sfn|Donohue|1982|p=48}}{{sfn|Housecroft |Sharpe|2008|p=331}}<ref>{{Cite encyclopedia |last=Lundström |first=T |editor1-first=J. J. |editor1-last=Zuckerman |editor2-first=A. P. |editor2-last=Hagen |encyclopedia=Inorganic reactions and methods |series=Vol. 13: The formation of bonds to group-I, -II, and -IIIB elements |title=The solubility in the various modifications of boron |year=2009 |publisher=John Wiley & Sons |place=New York |isbn=0470145498 |pages=196-97}}</ref><ref name="oganov"/>。
{|class="wikitable" style="text-align:center"
!層!!α!!β!!γ!!β
|-
!結晶形
|[[菱面体晶]]
|[[菱面体晶]]
|[[斜方晶]]
|[[正方晶]]
|-
!原子数/単位格子<ref name="oganov">{{Cite journal |first1=A. R. |last1=Oganov |first2=J. |last2=Chen |first3=Y. |last3=Ma |first4=C. W. |last4=Glass |first5=Z. |last5=Yu |first6=O. O. |last6=Kurakevych |first7=V. L. |last7=Solozhenko |title=Ionic high-pressure form of elemental boron |journal=Nature |volume=457 |pages=863-868 |doi=10.1038/nature07736 |issue=7027 |date=2009-02-12 |ref=harv |pmid=19182772 |arxiv=0911.3192 |bibcode=2009Natur.457..863O}}</ref>
|12
|105‒108
|28
|192
|-
!密度/(g/cm{{sup|3}})<ref>{{Cite journal |first=R. H. |last=Wentorf Jr |title=Boron: Another Form |journal=Science |volume=147 |year=1965 |pages=49-50 (Powder Diffraction File database (CAS number 7440-42-8)) |doi=10.1126/science.147.3653.49 |pmid=17799779 |issue=3653 |bibcode=1965Sci...147...49W}}</ref><ref>{{Cite journal |author=Hoard, J. L.; Sullenger, D. B.; Kennard, C. H. L.; Hughes, R. E. |title=The structure analysis of β-rhombohedral boron |journal=J. Solid State Chem. |volume=1 |pages=268-277 |year=1970 |doi=10.1016/0022-4596(70)90022-8 |issue=2 |bibcode=1970JSSCh...1..268H}}</ref><ref>{{Cite journal |title=Electron Deformation Density in Rhombohedral a-Boron |author=Will, G.; Kiefer, B. |journal=Zeitschrift für anorganische und allgemeine Chemie |volume=627 |page=2100 |year=2001 |doi=10.1002/1521-3749(200109)627:9<2100::AID-ZAAC2100>3.0.CO;2-G |issue=9}}</ref><ref>{{Cite journal |author=Talley, C. P.; LaPlaca, S.; Post, B. |title=A new polymorph of boron |journal=Acta Crystallogr. |volume=13 |page=271 |year=1960 |doi=10.1107/S0365110X60000613 |issue=3}}</ref>
|2.46
|2.35
|2.52
|2.36
|-
![[ビッカース硬度]]/GPa<ref>{{Cite journal |first=V. L. |last=Solozhenko |title=On the hardness of a new boron phase, orthorhombic γ-B{{sub|28}} |journal=Journal of Superhard Materials |volume=30 |year=2008 |pages=428-429 |doi=10.3103/S1063457608060117 |last2=Kurakevych |first2=O. O. |last3=Oganov |first3=A. R. |issue=6}}</ref><ref name="prl"/>
|42
|45
|50–58
|
|-
!{{仮リンク|体積弾性係数|en|Bulk modulus}}/GPa<ref name="prl">
{{Cite journal |last1=Zarechnaya |first1=E. Yu. |last2=Dubrovinsky |first2=L. |last3=Dubrovinskaia |first3=N. |last4=Filinchuk |first4=Y. |last5=Chernyshov |first5=D. |last6=Dmitriev |first6=V. |last7=Miyajima |first7=N. |last8=El Goresy |first8=A. |last9=Braun|first9=H. F. |last10=van Smaalen |first10=S. |last11=Kantor |first11=I. |last12=Kantor |first12=A. |last13=Prakapenka |first13=V. |last14=Hanfland |first14=M. |last15=Mikhaylushkin |first15=A. S. |last16=Abrikosov |first16=I. A. |last17=Simak |first17=S. I. |displayauthors=8 |title=Superhard Semiconducting Optically Transparent High Pressure Phase of Boron |year=2009 |journal=Phys. Rev. Lett. |volume=102 |issue=18 |page=185501 |doi=10.1103/PhysRevLett.102.185501 |pmid=19518885 |bibcode=2009PhRvL.102r5501Z}}</ref><ref>{{Cite journal |author=Nelmes, R. J. |title=Neutron- and x-ray-diffraction measurements of the bulk modulus of boron |journal=Phys. Rev. B |volume=47 |page=7668 |year=1993 |doi=10.1103/PhysRevB.47.7668 |last2=Loveday |first2=J. S. |last3=Allan |first3=D. R. |last4=Hull |first4=S. |last5=Hamel |first5=G. |last6=Grima |first6=P. |last7=Hull |first7=S. |issue=13 |bibcode=1993PhRvB..47.7668N}}</ref>
|224
|185
|227
|
|-
![[バンドギャップ]]/eV<ref name="prl"/><ref>{{Cite book |title=Landolt-Bornstein, New Series |editor=Madelung, O. |publisher=Springer-Verlag |place=Berlin |year=1983 |volume=17e}}</ref>
|2
|1.6
|2.1
|~2.6<ref>{{Cite book |title=Electric Refractory Materials |editor-last=Kumashiro |editor-first=Y |chapter=Boron and boron-rich compounds |publisher=Marcel Dekker |year=2000 |isbn=082470049X |location=New York |pages=589‒654 (633, 635)}}</ref>
|}
=== 同位体 ===
{{main|ホウ素の同位体}}
天然に存在するホウ素は2種類の安定[[同位体]]からなっており、{{Chem|11|B}}が80.1%、{{Chem|10|B}}が19.9%を占める。天然存在比{{chem|11|B}}/{{chem|10|B}}の値と実測の{{chem|11|B}}/{{chem|10|B}}の値の差として定義される質量差δ{{chem|11|B}}は自然水域において{{val|-16|~|+59|ul=permill}}の広い範囲で変動する。ホウ素には13種の既知の同位体があり、[[半減期]]の最も短い{{chem|7|B}}は、[[陽子放出]]および[[アルファ崩壊]]によって{{val|3.5|e=−22|u=s}}の半減期で崩壊する。ホウ素の同位体分離は、{{chem|B(OH)|3}}および{{chem|[B(OH)|4|]|-}}の交換反応によって制御される。ホウ素の同位体はまた、熱水系や熱水変質岩において水層から鉱石結晶が析出する際にも分離される。たとえば熱水変質岩の粘土上では{{chem|10|B(OH)|4|-}}イオンが析出することで海水から優先して除去され、その結果として大洋性地殻や大陸性地殻と比較して海水中の{{chem|11|B(OH)|3}}濃度が大規模に高められている可能性がある。このような同位体比の違いは{{仮リンク|同位体特性|en|Isotopic signature}}としての働きをするかもしれない<ref>{{Cite journal |first=S. |last=Barth |title=Boron isotopic analysis of natural fresh and saline waters by negative thermal ionization mass spectrometry |journal=Chemical Geology |volume=143 |year=1997 |pages=255-261 |doi=10.1016/S0009-2541(97)00107-1 |issue=3-4}}</ref>。[[エキゾチック原子核]]である{{chem|17|B}}は[[中性子ハロー]]を示す(すなわち[[液滴模型]]から予測されるよりも大きな原子半径を示す)<ref>{{Cite journal |title=Two-body and three-body halo nuclei |first=Z. |last=Liu |journal=Science China Physics, Mechanics & Astronomy |volume=46 |year=2003 |page=441 |doi=10.1360/03yw0027 |issue=4 |bibcode=2003ScChG..46..441L}}</ref>。
{{chem|10|B}}は良質な熱中性子捕獲材である。{{chem|10|B}}の天然存在比はおよそ20%ほどでしかないため、原子力産業においては天然ホウ素を濃縮して純粋な{{chem|10|B}}として利用しており、ほぼ純粋な{{chem|11|B}}が利用価値の低い副生物として生じる。
== 分析 ==
=== 定性分析 ===
[[画像:Boratflamme.jpg|thumb|ホウ素の炎色反応]]
ホウ素を含む試料を炎で熱すると緑色の炎色が観測されるため、ホウ素の定性分析には[[炎色反応]]が利用される。この反応においては、[[銅]]や[[バリウム]]なども類似した緑色の炎色を示して妨害となるため、[[炭酸ナトリウム]]で妨害元素を分離するなどの前処理が必要となる。また、[[フッ化ホウ素]]の{{val|200|u=degC}}における炎色は鋭敏であるため、試料にフッ化カルシウムと硫酸を加えて試料中のホウ素をフッ化ホウ素とすることで微量の試料でも定性することが可能となり、およそ10 μg程度の検出限界が得られている。ほかの定性方法としては、[[1,2,5,8-テトラヒドロキシアントラキノン]](キナザリン)とホウ素との反応によって生じる青色の発色が利用される<ref>{{Cite book|和書 |author=G. シャルロー |translator=曽根興二、田中元治 |title=定性分析化学II ―溶液中の化学反応 |year=1974 |edithion=改訂版 |publisher=[[共立出版]] |pages=572-573}}</ref>。
=== 定量分析 ===
ホウ素の定量分析には、マンニトール法やクルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法、[[誘導結合プラズマ]]発光分析法 (ICP-AES) および質量分析法 (ICP-MS) などが主に用いられており<ref name="famic">{{Cite web|和書|title=肥料分析法(農林水産省農業環境技術研究所法) |url=http://www.famic.go.jp/ffis/fert/sub6_data/bunsekihou2.html |publisher=農林水産消費安全技術センター |accessdate=2014-03-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=環境保健クライテリア No.204 ホウ素 |url=https://www.nihs.go.jp/hse/ehc/sum3/ehc204/ehc204.pdf |publisher=国立医薬品食品衛生研究所 |page=1 |accessdate=2014-03-08}}</ref>、[[日本工業規格]]においてはホウ酸などの試薬の純度分析にはマンニトール法が、工場排水の試験方法などには吸光光度法やICP法が[[公定法]]として規定されている<ref>日本工業規格 JIS K 8863、JIS H 0102</ref>。吸光光度法では反応時間や妨害成分の問題が、ICP法では高価な装置が必要になるなどの問題があるため、高価な装置を必要とせず迅速に測定が可能な方法として電気化学的な定量分析法の開発も行われている<ref name="TCT">{{Cite journal |title=ホウ素の新しい電気化学的分析方法 |author=吉田和久、竹原公、原田義一 |year=2013 |journal=THE CHEMICAL TIMES |volume=228 |issue=2 |url=http://www.kanto.co.jp/times/pdf/CT_228_01.pdf |publisher=関東化学}}</ref>。
マンニトール法は、ホウ酸とD-(-)-マンニトールとの反応によって定量的に発生する水素イオンの量を、水酸化ナトリウム溶液などのアルカリ溶液を用いて中和滴定を行うことによって定量する分析法である<ref name="G1227-1">日本工業規格 JIS G 1227 附属書1</ref>。ホウ素含有量の高い試料に適しており、ホウ酸や四ホウ酸ナトリウムなどの純度を分析するのに用いられる。マンニトール法は鉄やリンなどの共存元素による妨害を受けやすく、また中和滴定であるため酸やアルカリが存在している場合は先に一度中和しておく必要があるため、複雑な前処理が必要となることもある<ref name="famic"/>。たとえば鉄鋼中のホウ素の分析にマンニトール法を用いる場合では、まず試料を酸溶解させたあとにメタノールと反応させ、ホウ酸メチルとして蒸留を行ってほかの成分からホウ素を分離し、得られた留出液を蒸発乾固させて生じる残留物を硫酸で溶解させ、硫酸酸性となっている試料溶液のpHを水酸化ナトリウムで中和してpH調整するという前処理が行われる<ref name="G1227-1"/>。
クルクミン法、アゾメチンH法、メチレンブルー吸光光度法はいずれも、ホウ素が発色試薬と錯体を形成することによって生じる発色の度合いを[[吸光度]]として吸光光度計を用いて測定し、ホウ素濃度が既知の溶液を発色させた場合の吸光度と比較することでホウ素濃度を定量する分析法である<ref>日本工業規格 JIS G 1227 附属書2-5</ref><ref name="famic"/>。クルクミン法は[[クルクミン]]がホウ素と反応して形成されるロソシアニンの赤色の発色を利用した分析法であり、分析感度は高いもののフッ素など妨害となる元素が多い<ref name="famic"/><ref>{{Cite book|和書 |author=厚生労働省 |title=食品衛生検査指針 理化学編 |year=2005 |pages=438-440 |publisher=日本食品衛生協会 |isbn=978-4889250039}}</ref>。アゾメチンH法はアゾメチンHとホウ素の錯形成反応を利用した分析法であり、クルクミン法と比べて分析感度は低いものの妨害となる元素が少なく、妨害となる元素も[[エチレンジアミン四酢酸|EDTA]]によりマスキングすることができる<ref>{{Cite web |title=Azomethine H |url=http://dominoweb.dojindo.co.jp/goodsr7.nsf/codelist/A015?OpenDocument |publisher=同仁化学研究所 |accessdate=2014-03-09}}</ref><ref name="famic"/>。メチレンブルー吸光光度法は、フッ化水素酸の存在下でホウ素とメチレンブルーが反応して形成されるメチレンブルー-テトラフルオロホウ酸錯体を溶媒抽出によって分離して吸光度を測定する分析法であり、クロム酸イオンなどが妨害要因となる<ref name="TCT"/><ref>日本工業規格 JIS G 1227 附属書5</ref>。
ICP-AES法は低濃度の試料においても高感度かつ簡便にホウ素濃度の定量分析を行うことができるが、装置価格は非常に高価である<ref name="TCT"/>。通常は182.64 nmもしくは249.77 nmの発光波長が利用されるが、後者では高感度であるものの鉄の妨害を受け、前者は鉄の妨害を受けないものの低感度である。また、試料の分解中にホウ素が揮発することもあり誤差要因となる<ref>{{Cite journal |author=篠原敏雄 ほか |year=2003 |title=陰イオン交換分離/誘導結合プラズマ発光分析法による鉄鋼中ホウ素の定量 |journal=分析化学 |volume=52 |issue=9 |publisher=日本分析化学会 |page=851 |url=https://doi.org/10.2116/bunsekikagaku.52.851 |doi=10.2116/bunsekikagaku.52.851}}</ref>。
また、ホウ素中におよそ20 %ほど含まれている{{sup|10}}Bの熱中性子吸収能が非常に大きいことを利用して、熱中性子線を試料に照射して熱中性子線密度の変化を測定することでもホウ素の定量分析が可能である。非破壊かつ迅速に連続分析を行うことができるため、排水中のホウ素濃度のモニタリングなどに応用されている<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 52-53頁。</ref><ref>公開特許公報 2002-350369、財団法人電力中央研究所、"ホウ素濃度の計測方法およびこれを利用する計測装置"</ref>。
=== 構造解析 ===
{{sup|11}}Bは3/2の[[核スピン]]を持つため、[[核磁気共鳴分光法]]によって構造解析を行うことができる。{{sup|11}}Bは天然存在比がおよそ80 %と高いため、[[S/N比]]の大きな高感度な測定結果が得られるが、スピン数が1より大きな[[固体核磁気共鳴#四極子相互作用|四極子核]]であるため幅広かつ複雑なスペクトルとなり分解能は低い<ref>{{Cite journal |url=https://www.agc.com/english/rd/library/2009/59-05.pdf |title=ガラス構造の分光学的解析技術 |author=閔庚薫、鈴木俊夫 |journal=旭硝子研究報告 |volume=59 |pages=29-30}}</ref>。また、{{sup|10}}Bは熱中性子吸収能が高いため通常はホウ素の[[中性子回折]]は行えないが、同位体分離によって{{sup|11}}Bのみからなる分析試料を作成することで中性子回折による構造解析を行うこともできる<ref name="名前なし-2">[[#boron2008s2|宍戸、岡田 (2008)]] 156頁。</ref>。ホウ素化合物の分子構造解析には[[赤外分光法]]やラマン分光法が利用される<ref>{{Cite journal |title=Synthesis and characterization of BN thin films prepared by plasma MOCVD with organoboron precursors |author=Haruyuki Yasui, Kaoru Awazu, Noriaki Ikenaga, Noriyuki Sakudo |year=2008 |journal=Vacuum|volume=83 |issue=3 |pages=582-584 |doi=10.1016/j.vacuum.2008.04.030}}</ref>。例えば赤外分光法では、B-H結合は{{val|2500|u=cm{{sup-|1}}}}に、B-N結合は{{val|1400|u=cm{{sup-|1}}}}にそれぞれ吸収が現れる<ref>{{Cite journal |title=トリアンモニアデカボランとアンモニアからの窒化ホウ素の合成(2. 気相反応法)(<特集>新技術によるセラミックスの合成と評価(I)) |author=余語利信、松雄茂、中重治 |journal=窯業協會誌 |volume=95 |issue=No.1097 |page=105 |publisher=社団法人日本セラミックス協会 |year=1987 |naid=110002313558}}</ref>。
== 分布 ==
[[画像:Borax crystals.jpg|thumb|ホウ砂の結晶]]
ホウ素は原子番号の小さな元素であるにもかかわらず、宇宙においては存在度が著しく低い元素であり、その存在度は1982年のAndersおよびEbiharaらの報告でケイ素原子{{val|1|e=6}}個に対して21個と見積もられている(ヘリウムで{{val|2.8|e=9}}、鉄で{{val|9.0|e=5}})<ref>{{Cite journal |title=Solar-System Abundances of the Elements. |author=Edward Anders, Mitsuru Ebihara |year=1982 |journal=Geochimica et Cosmochimica Acta |volume=46 |issue=11 |pages=2363-2380 |doi=10.1016/0016-7037(82)90208-3}}</ref>。宇宙におけるホウ素の存在度が著しく低いのは、[[ビッグバン原子核合成]]や[[恒星内元素合成]]ではリチウム原子がヘリウム原子と核融合してホウ素原子を形成するよりも早く、リチウム原子が水素原子により核分裂してヘリウム原子に分解してしまい、ホウ素原子がほとんど合成されないことに起因する。自然に存在するホウ素の同位体比から、太陽系に存在しているホウ素は[[宇宙線による核破砕]]および[[超新星爆発]]時に起こるニュートリノ反応の2つの核合成経路によって生成したものと考えられている<ref>{{Cite journal |title=超新星爆発における希少元素合成 |author=中村航 |journal=天文月報 |volume=第106巻 |issue=9月号 |year=2013 |pages=598-601 |url=https://www.asj.or.jp/geppou/contents/2013_09.html |publisher=日本天文学会}}</ref>。
ホウ素の地殻中の存在率もまた比較的低く、その存在率は酸化ホウ素としておよそ0.001 %である([[地殻中の元素の存在度]]も参照)。しかしながら、その存在率の低さに反してホウ素はホウ酸塩の形で鉱床を形成して局所的に濃縮されるため容易に採掘可能であることから、古くから人類に利用されてきた<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 7頁。</ref>。このようなホウ素の濃縮は、マグマの冷却による[[火成岩]]の形成過程や、マグマから揮発放散したホウ素の堆積などによって引き起こされる。そのため、火山におけるマグマの噴出孔近辺や火山性の温泉、湖沼などにおいても、しばしばホウ素の濃縮が見られる<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 17、21頁。</ref>。また、岩石の[[風化作用]]によって乾燥地帯にも濃縮される<ref name="NIHS">{{Cite web|和書|url=https://www.nihs.go.jp/hse/ehc/sum3/ehc204/ehc204.pdf |title=環境保健クライテリア No.204 ホウ素 |publisher=国立医薬品食品衛生研究所 |accessdate=2015-06-02}}</ref>。ホウ素は地球上において単体の形では存在しておらず、常に酸素と結合して[[ホウ砂]]や[[ホウ酸]]、[[ホウ酸塩]]、{{仮リンク|コールマン石|en|Colemanite}}、{{仮リンク|ケルナイト|en|Kernite}}、[[ウレキサイト]]などの形で存在している。このようなホウ素を主成分として含む鉱物は100種類以上存在している。また、ホウ素はそのイオン半径からケイ素やアルミニウム、ベリリウム、リンなどに置換されやすく、数多くの鉱物中に[[微量元素]]としても存在している<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 10-13、15頁。</ref>。海水中のホウ素濃度はおよそ4–5 mg/Lであり、場所や深度による差異は比較的小さい<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 25頁。</ref>。
[[アメリカ地質調査所]]が2015年に発表した''Mineral Commodity Summaries''では、技術的・経済的に採掘可能なホウ素鉱石の[[可採埋蔵量]]は全世界でおよそ2億1000万トンと見られている<ref name="usgs2015"/>。ホウ素は火山活動や乾燥気候に起因して濃縮されるため、ホウ素の鉱床は[[アルプス・ヒマラヤ造山帯]]や[[アンデス山脈]]などの火山帯や乾燥地帯などに偏在しているが、経済的に利用可能な鉱床は限られている<ref name="usgs2015"/><ref name="NIHS"/>。世界最大のホウ酸塩鉱床は[[エスキシェヒル]]、[[キュタヒヤ]]、[[バルケスィル]]を含むトルコの中-西部に存在しており<ref>{{Cite journal |last=Kistler |first=R. B. |year=1994 |url=http://kisi.deu.edu.tr/cahit.helvaci/Boron.pdf |title=Boron and Borates |journal=Industrial Minerals and Rocks |edition=6 |publisher=Society of Mining, Metallurgy and Exploration, Inc. |pages=171-186}}</ref><ref>{{Cite journal |journal=Mineral Processing and Extractive Metallurgy Review |volume=9 |issue=1-4 |year=1992 |pages=245-254 |doi=10.1080/08827509208952709 |title=Mining and Processing of Borates in Turkey |author=Zbayolu, G.; Poslu, K.}}</ref><ref>{{Cite journal |title=Boron Minerals in Turkey, Their Application Areas and Importance for the Country's Economy |first=Y. |last=Kar |journal=Minerals & Energy - Raw Materials Report |year=2006 |volume=20 |issue=3-4 |pages=2-10 |doi=10.1080/14041040500504293 |last2=Şen |first2=Nejdet |last3=Demİrbaş |first3=Ayhan}}</ref>、トルコは6000万トンのホウ素鉱石を埋蔵する世界最大のホウ素埋蔵国である<ref name="STORMCROW"/><ref name="usgs2015"/>。アメリカはトルコに次ぐ4,000万トン<ref name="usgs2015"/>の埋蔵量を有しており<ref name="usgs2015"/>、[[カリフォルニア州]]の[[モハーヴェ砂漠]]には世界最大の露天掘りホウ砂鉱山が存在する<ref>{{Cite web |url=http://ludb.clui.org/ex/i/CA4982/ |title=U.S. Borax Boron Mine |work=The Center for Land Use Interpretation, Ludb.clui.org |date= |accessdate=2013-04-26}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.riotinto.com/ourproducts/218_our_companies_4438.asp |title=Boras |publisher=Rio Tinto |date=2012-04-10 |accessdate=2013-04-26 |archiveurl=https://archive.is/20120918084003/http://www.riotinto.com/ourproducts/218_our_companies_4438.asp |archivedate=2012-09-18 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。その他のホウ素埋蔵国としては、ロシア(4000万トン)、チリ(3500万トン)、中国(3200万トン)などがある<ref name="usgs2015"/>。
== 生産 ==
ホウ素化合物の生産はホウ酸塩が容易に入手可能なため、単体ホウ素を経由せずに生産される。
初期の単体ホウ素の合成方法は、ホウ酸をマグネシウムもしくはアルミニウムを用いて還元することによって生産されていた。しかしこの方法では純粋な単体ホウ素を得ることができず、常に金属ホウ化物が不純物として混在した。純粋な単体ホウ素は、揮発性のハロゲン化ホウ素を高温条件下で水素還元させることによって得られる。半導体産業で用いられる超高純度ホウ素は、高温条件下での[[ジボラン]]の分解によって合成され、その後[[ゾーンメルト法]]や[[チョクラルスキー法]]によってさらに精製される<ref>{{Cite book |title=Semiconductor materials |author=Berger, L. I. |publisher=CRC Press |year=1996 |isbn=0-8493-8912-7 |pages=37-43}}</ref>。
ホウ素の同位体である{{sup|10}}Bは高い中性子吸収能を有するが、天然ホウ素中の同位体存在率はおよそ20 %でしかないため、同位体を分離して{{sup|10}}Bを濃縮する必要がある。その方法としては、蒸留法や化学的交換法があり、蒸留法では低沸点のホウ素化合物であるハロゲン化ホウ素を用いた低温蒸留が、化学的交換法では有機ホウフッ化化合物を用いた気液交換反応が利用される<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 64頁。</ref>。また、蒸留法と化学的交換法を組み合わせた化学交換蒸留法という方法も開発されており<ref name="名前なし-2"/>、現代の濃縮ホウ素の生産のほとんどは化学交換蒸留法によって行われている<ref>{{Cite journal |title=濃縮ボロン製品の今後の展望 |url=http://www.kobelco.co.jp/technology-review/pdf/53_3/023-025.pdf |author=谷内廣明、下条純、萬谷健一 |journal=神戸製鋼技報 |volume=53 |issue=3 |date=2003-12 |publisher=神戸製鋼 |accessdate=2014-01-19}}</ref>。
=== 市場動向 ===
2014年の世界のホウ素の生産量は鉱石ベースで372万トンであり、そのうち177万トンはトルコで生産された<ref name="usgs2015">{{Cite web |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/boron/mcs-2015-boron.pdf |title=Mineral Commodity Summaries 2015 Boron |publisher=[[アメリカ地質調査所]] |accessdate=2015-05-28}}</ref>。B{{sub|2}}O{{sub|3}}換算での世界のホウ酸塩の生産能力は2008年には年間200万トン以下であったが、2012年はおよそ年間220万トンまで増加している<ref name="STORMCROW">{{Cite web |url=http://static1.squarespace.com/static/535e7e2de4b088f0b623c597/t/55365c32e4b09956c7c42fc0/1429625906212/Stormcrow-Borate+Industry+Report-Apr2015-Final.pdf |title=INDUSTRY REPORT //Borates |publisher=STORMCROW CAPITAL LTD. |accessdate=2015-05-28}}</ref>。[[アメリカ地質調査所]]が2015年に発表した''Mineral Commodity Summaries''では、ホウ酸塩の世界需要はアジアや南米での需要の伸びに牽引されて継続的に増加すると予測されている。また、ヨーロッパなどでは[[地球温暖化]]対策として建築物のエネルギー収支を改善するために建築基準がより厳しく改正されたため、断熱ガラス用途のホウ素の需要が伸びるとも予想されており、それらに伴って世界的なホウ酸塩の生産量は増加すると見られている<ref name="usgs2015"/>。
世界で産業利用されているおもなホウ素鉱石は{{仮リンク|コールマン石|en|Colemanite}}、[[ウレキサイト]]、[[ホウ砂]]、{{仮リンク|ケルナイト|en|Kernite}}の4つであり、この4種類の鉱石でホウ素生産の90 %が賄われている。これらの鉱石は主にナトリウム含有量の差によって使い分けられており、たとえばウレキサイトはホウ酸の、ホウ砂は四ホウ酸ナトリウムの原料として利用されている<ref name="usgs2015"/>。ホウ素の主要な用途の一つであるガラス向けにはナトリウム含有量が低いことが求められるため、主要な4鉱石の中で唯一ナトリウム塩でなくカルシウム塩 (CaB{{sub|6}}O{{sub|11}}) を主成分としているコールマン石が有用な原料として利用されている。しかしながらコールマン石には不純物として多くの[[ヒ素]]も含有されているため、近年の環境規制の強化に伴ってその処理が問題となっている。たとえば、アメリカの[[ニューメキシコ州]]マグダレナ近郊では高品質のコールマン石が産出されるが、ヒ素含有量の多さのため鉱山建設が幾度も延期されている。このようなヒ素処理の問題は、ホウ素生産量の伸びを制限する要因にもなっている<ref name="STORMCROW"/>。
ホウ素の主要な生産者は、アメリカの「リオ・ティント」[[グループ企業|グループ]]と[[トルコ]]の[[国営企業]]である「Eti Mine Works」の2社である。リオ・ティントは[[カリフォルニア]]にある露天掘りの鉱山からホウ砂およびケルナイトを生産しており、2012年にはこの鉱山のみで世界のホウ素生産量の25 %を賄っている。Etiはトルコ全域におけるホウ素鉱石の採掘権を有しており、2012年の世界のホウ素生産量の50 %弱を賄っている<ref name="STORMCROW"/>。[[中華人民共和国|中国]]には3,200万トンのホウ素鉱石が埋蔵されていると見積もられているが<ref name="usgs2015"/>、アメリカやトルコで産出するホウ素鉱石がおよそ25–30 %のB{{sub|2}}O{{sub|3}}を含むのに対して、中国産のものではおよそ8.4 %とB{{sub|2}}O{{sub|3}}含有量が少なく低品位である<ref>{{Cite web |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/boron/myb1-2012-boron.pdf |title=Minerals Yearbook 2012 Boron |page=4 |publisher=アメリカ地質調査所 |accessdate=2015-05-28}}</ref>。そのため、高品質なホウ酸塩の急速な需要増を補うために、中国の四ホウ酸ナトリウムの[[輸入]]量は[[2000年]]から2005年までに100倍も増加し、同期間中のホウ酸の輸入量も年に28 %ずつ増加した<ref>{{Cite book |title=The Economics of Boron, 11th edition |year=2006 |isbn=0-86214-516-3 |publisher=Roskill Information Services, Ltd.}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.ceramicindustry.com/articles/87818-raw-and-manufactured-materials-2006-overview |accessdate=2009-05-05 |title=Raw and Manufactured Materials 2006 Overview}}</ref>。アメリカ地質調査所の''Mineral Commodity Summaries (2015)'' においても、中国の輸入量は2015年以降も増加していくと予測されている<ref name="usgs2015"/>。
== 用途 ==
ホウ素が単体で使用されることは少ないが、化合物や合金の形でさまざまに利用されている<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 184頁。</ref>。
身近な用途で使用される場合は、ホウ砂や[[ホウ酸]]の状態であることが多い。ホウ砂は[[ガラス]]の原料や[[防腐剤]]、金属の[[還元剤]]、[[溶接]]溶剤や研磨剤、火の抑制剤などに使われ、教育の現場では、ホウ砂と[[PVA|洗濯糊]]などを用いて[[スライム]]を作成する子ども向けの科学実験工作がしばしば行われる<ref>{{Cite journal |title=地学現象の再現実験 : 洗濯糊 (polyvinyl alcohol: PVA) スライムを用いた粘弾性流体の再現 |author=谷口英嗣、町田嗣樹、齋藤洋輔 |journal=城西大学研究年報. 自然科学編 |volume=35 |year=2012 |pages=13-14 |publisher=城西大学 |url=http://libir.josai.ac.jp/il/meta_pub/G0000284repository_JOS-09149775-3502}}</ref>。ホウ酸塩や過ホウ酸塩は[[目]]の洗浄剤<ref>[[#sakurai2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003) 39-40頁。]]</ref>、[[うがい薬]]や鼻スプレーなど口腔衛生のための[[医薬品]]<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 157-158、165頁。</ref>、[[ホウ酸団子]]として[[ゴキブリ]]駆除<ref>[[#sakurai2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003) 41頁。]]</ref>などに使われる。
=== ガラスおよびセラミックス ===
[[画像:Schott Duran glassware.jpg|thumb|[[ホウケイ酸ガラス]]製の[[ビーカー]]と[[試験管]]]]
ガラスはホウ素の主要な用途の一つであり、2011年におけるホウ酸塩消費量のおよそ60 %がガラス繊維を含むガラス用途であった。[[ホウケイ酸ガラス]]は一般的に5–30 %の[[酸化ホウ素]]を含んでおり、[[熱膨張率]]が低いため熱衝撃に対する耐性が高い。また、ホウ素をガラスに添加することで溶融状態におけるガラスの流動性が向上するため、ガラスを成型する際の生産性が向上する<ref name="yearbook2011">{{Cite web |title=2011 Minerals Yearbook |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/boron/myb1-2011-boron.pdf |publisher=[[アメリカ地質調査所]] |accessdate=2014-02-15}}</ref>。ホウケイ酸ガラスの主要な商標として[[デュラン]]および[[パイレックス]]があり、熱衝撃に対する抵抗性を利用して主に実験用の[[ガラス器具]]や、一般用の調理器具、耐熱皿などに用いられる<ref>{{Cite book |title=Schott guide to glass |first=H. G. |last=Pfaender |edition=2 |publisher=Springer |year=1996 |isbn=0-412-62060-X |page=122}}</ref>。
ホウ素繊維(ガラス長繊維)は軽量かつ高強度であるため、[[繊維強化プラスチック]]のような[[複合材料]]の強化材として利用される。主に航空宇宙分野における構造体に用いられ、一般消費者向けとしては[[ゴルフクラブ]]や[[釣り竿]]のような一部のスポーツ用品にも使われている<ref>{{Cite web |title=Selected Mechanical and Physical Properties of Boron Filaments |year=1966 |first=H. W. |last=Herring |publisher=NASA |accessdate=2008-09-20 |url=http://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/19660005941_1966005941.pdf}}</ref><ref>{{Cite journal |title=Fracture behaviour of boron filaments |first=G. K.|last=Layden |journal=Journal of Materials Science |volume=8 |issue=11 |year=1973 |pages=1581-1589 |doi=10.1007/BF00754893 |bibcode=1973JMatS...8.1581L}}</ref>。また絶縁材や耐火材としても用いられており、ガラス繊維用途のホウ素の消費量は全体のおよそ45 %に及ぶ<ref name="yearbook2011"/>。このようなホウ素繊維は、[[化学気相蒸着]]法によってタングステン繊維の上にホウ素を堆積させることによって製造される<ref>{{Cite web |publisher=[[United States Geological Survey]] |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/boron/myb1-2006-boron.pdf |first=Dennis S. |last=Kostick |year=2006 |title=Mineral Yearbook: Boron |accessdate=2008-09-20 |format=PDF}}</ref><ref>{{Cite journal |title=Inorganic Fibers—A Literature Review |first=Theodore F. |last=Cooke |journal=Journal of the American Ceramic Society |volume=74 |issue=12 |pages=2959-2978 |doi=10.1111/j.1151-2916.1991.tb04289.x |year=1991}}</ref>。
ホウ素繊維(ガラス短繊維)は[[グラスウール]]として[[冷蔵庫]]や[[建材]]などにおいて断熱材として用いられる<ref name="jogmec2012"/>。ガラス短繊維はレーザーアシストCVD法によって製造され、収束したレーザービームの並進によってサブミリメートルサイズの螺旋状のホウ素結晶のような複雑な構造さえも作り出すことができる。そのような構造は[[弾性係数]]450 MPa、剪断ひずみ3.7 %、破断応力17 GPaといった良好な機械的性質を示し、セラミックスもしくは[[MEMS]]の強化に用いることができる<ref>{{Cite journal |title=Microfabrication of three-dimensional boron structures by laser chemical processing |journal=Journal Applied Physics |volume=72 |pages=5956-5963 |year=1992 |doi=10.1063/1.351904 |first=S. |last=Johansson |last2=Schweitz |first2=Jan-Åke |last3=Westberg |first3=Helena |last4=Boman |first4=Mats |issue=12 |bibcode=1992JAP....72.5956J}}</ref>。
=== 音響機器 ===
密度が小さく、[[ヤング率]]が大きく、音の伝わる速さが{{val|16200|ul=m/s}}と[[アルミニウム]]の約2.6倍以上であることから、音響材料としては[[ベリリウム]]以上に理想的な素材として知られている<ref>井上敏也 監修『レコードとレコード・プレーヤー』ラジオ技術社、[[1979年]]([[昭和]]54年)においてカンチレバーの素材として紹介されている。</ref>が、高融点かつ[[展延性]]が非常に低いため技術的に加工が難しい素材であり、実用化されたのは1980年以降である<ref>{{Cite web |url=http://www.denon.jp/jp/museum/products/dl305.html |title=DL305 |publisher=DENON |accessdate=2015-05-10}}</ref>。
* レコード針の[[レコードプレーヤー#ピックアップ(カートリッジ)|カンチレバー]]においては[[品川無線]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?no=104810541010&c=&y1=&y2=&id=&pref=&city=&org=&word=F-8L&p=2 |title=PUカートリッジ F-8L |publisher=産業技術史資料データベース |accessdate=2015-05-10}}</ref>や[[オーディオテクニカ]]<ref>{{Cite web |url=https://www.audio-technica.co.jp/atj/show_model.php?modelId=522 |title=AT150MLX |publisher=audio-technica |accessdate=2015-05-10}}</ref>、[[デノン]]<ref>{{Cite web |url=http://www.denon.jp/jp/museum/products/dl1000a.html |title=DL1000A |publisher=DENON |accessdate=2015-05-10}}</ref>などより商品化されている。<!--出典を見つけきれなかった分をコメントアウト [[東芝]]、松下電器(現[[パナソニック]])、[[シュア (音響機器メーカー)|シュア]]、[[ダイナベクター]]、-->
* [[ダイヤトーン]]では[[炭化ホウ素]] (B{{sub|4}}C) をスピーカーの高・中音域ユニットの振動板に用いている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mee.co.jp/kaisyaan/press/prs051219.html |title=音楽再生の頂点を目指した高級スピーカーシステム 「DS-MA1」を発売 |publisher=三菱電機エンジニアリング |accessdate=2015-05-10}}</ref>。
* [[デノン]]はボロン長繊維を使用したボロンファイバー振動板を低域ユニットに使用していた。高域ユニットの振動板としても、αボロン化合物が使用されたが、チタンやジュラルミンベースに溶射する形を取っていた<ref>{{Cite web |url=http://www.denon.jp/jp/museum/products/scr99.html |title=SC-R99 |publisher=DENON |accessdate=2015-05-10}}</ref>。
=== 半導体 ===
ホウ素は[[ケイ素]]、[[ゲルマニウム]]、[[炭化ケイ素]]などの[[半導体]]の[[ドーパント]]として用いられる。ホウ素は3つの価電子を有しているため、4つの価電子を有するケイ素のようなホスト原子中で電荷を運ぶ[[正孔]]として機能して[[P型半導体]]が形成される。古典的なホウ素の[[ドープ]]方法としては、高温での原子拡散が利用されていた。このプロセスではホウ素源として固体の酸化ホウ素や液体の[[三臭化ホウ素]]、気体の三フッ化ホウ素やジボランなどを利用することができる。しかしながら[[1970年代]]以降、大部分はホウ素源として三フッ化ホウ素を利用する[[イオン注入]]法に取って代わられた<ref>{{Cite book |pages=51-54 |title=Fundamentals of semiconductor manufacturing and process control |last=May |first=Gary S. |last2=Spanos |first2=Costas J. |publisher=John Wiley and Sons |year=2006 |isbn=0-471-78406-0}}</ref>。三塩化ホウ素ガスもまた半導体産業において重要な化合物であるが、それはドープでなく金属および金属酸化物のプラズマエッチングのために用いられる<ref>{{Cite book |pages=39-60 |title=Semiconductor industry: wafer fab exhaust management |first=J. Michael |last=Sherer |publisher=CRC Press |year=2005 |isbn=1-57444-720-3}}</ref>。トリエチルボランはホウ素源として[[化学気相成長]]の反応器に注入され、ホウ素を含有した硬質炭素膜やダイヤモンド膜([[ダイヤモンドライクカーボン]])、窒化ケイ素-窒化ホウ素膜などにおけるプラズマ堆積法に利用される<ref>{{Cite book |page=44 |title=Materials for information technology: devices, interconnects and packaging |author=Zschech, Ehrenfried; Whelan, Caroline and Mikolajick, Thomas |publisher=Birkhäuser |year=2005 |isbn=1-85233-941-1}}</ref>。
=== 磁石 ===
ホウ素は最も強い永久磁石の一つである[[ネオジム磁石]] (Nd{{sub|2}}Fe{{sub|14}}B) を構成する元素の一つであり、ネオジム磁石中のホウ素の含有量は1 %ほどである。ネオジム磁石はさまざまな電子機器や電子デバイス、[[核磁気共鳴画像法]] (MRI) のような[[医用画像処理]]システム、比較的小型な[[電動機]]および[[アクチュエータ]]に用いられている。たとえば、[[ハードディスクドライブ]]や[[CDプレーヤー]]、[[DVDプレーヤー]]などにおいては、ヘッド駆動機構を小型化するためにネオジム磁石が利用される。また、携帯電話向けにスピーカーを小型化するためにもネオジム磁石が用いられる<ref>{{Cite journal |url=http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt114j/report1.pdf |title=資源問題に直面するモータ用永久磁石の研究動向と課題 |author=小澤純夫 |page=12 |journal=科学技術動向 |year=2010 |publisher=科学技術・学術政策研究所 |volume=2010年9月号}}</ref><ref>{{Cite journal |url=http://www.apph.tohoku.ac.jp/kiso/files/0910_kotai.pdf |title=Nd{{sub|2}}Fe{{sub|14}}B永久磁石の磁気異方性 |author=土浦宏紀、栂裕太、守谷浩志、佐久間昭正 |journal=固体物理 |volume=44 |issue=10 |year=2009 |publisher=アグネ技術センター |accessdate=2014-01-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cjc.or.jp/modules/incontent/indexletter26Jmain03.html |title=使用済み製品からのネオジム磁石の回収・リサイクルシステムに関する調査研究 |publisher=産業環境管理協会 資源・リサイクル促進センター |accessdate=2014-04-05}}</ref>。
=== 超硬度材料 ===
[[画像:Bodyarmor.jpg|thumb|炭化ホウ素は[[ボディアーマー]]の内板に用いられる]]
{{main|超硬度材料}}
いくつかのホウ素化合物は非常に高硬度であることで知られている。[[炭化ホウ素]]および[[立方晶窒化ホウ素]]の粉末は研磨剤として広く用いられており、また金属ホウ化物は化学蒸着もしくは物理蒸着法によって被覆材として用いられる。金属および合金にホウ素イオンを導入する方法としては、イオン注入法もしくは[[収束イオンビーム]]によるイオンビーム堆積法、レーザ合金化法などが利用され、その結果として表面抵抗や[[ビッカース硬さ#微小硬さ|微小硬さ]]が著しく増加する。このようにホウ化物に被覆された素材はダイヤモンド被覆された素材に代わるものであり、それらホウ化物の表面はバルクのホウ化物と類似した性質を有している<ref>{{Cite book |title=Materials Science of Carbides, Nitrides and Borides |author=Gogotsi, Y. G. and Andrievski, R.A. |publisher=Springer |year=1999 |isbn=0-7923-5707-8 |page=270}}</ref>。
==== 炭化ホウ素 ====
{{main|炭化ホウ素}}
炭化ホウ素は、酸化ホウ素を炭素とともに電気炉で熱分解することによって得られる[[セラミックス]]材料である。
:<chem>2B2O3 + 7C -> B4C + 6CO</chem>
炭化ホウ素の構造はほぼB{{sub|4}}Cのみであるものの、炭素量は[[化学量論]]比よりも明確に低い値を示す。これは炭化ホウ素の非常に複雑な構造に起因しており、炭化ホウ素はホウ素がB{{sub|12}}クラスターとして存在しているB{{sub|12}}C{{sub|3}}の分子式で表される構造を取るものの、3つの炭素原子のうちの1つはホウ素原子に置換されやすいため、炭素原子数の少ない単位クラスターが混在した構造となる。また、正八面構造のB{{sub|6}}クラスターも混在しており、炭素量が少なくなる要因となる。このような構造に起因して、炭化ホウ素は単位重量あたりの構造強さに優れている。そのため、炭化ホウ素は[[戦車]]などの[[装甲]]や[[ボディアーマー]]のほか、多くの構造材として利用される。炭化ホウ素(特に{{sup|10}}B)は、長寿命な放射性核種を生成することなく[[中性子]]を吸収する能力を有しているため、[[原子力発電所]]において発生する中性子線の吸収材として有用である。そのため、{{sup|10}}B濃度を制御した炭化ホウ素が原子炉における遮蔽材や制御棒などに利用される。制御棒としての利用においてはその表面積を増やすためにしばしば粉末状で用いられ、また粉末を焼結させた円筒のペレット状でも用いられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ceramic.or.jp/museum/contents/pdf/2007_8_04.pdf |title=原子力用 B{{sub|4}}C 制御材 |publisher=日本セラミックス協会 |accessdate=2014-04-06}}</ref><ref>{{Cite book |first=Alan W. |last=Weimer |title=Carbide, Nitride and Boride Materials Synthesis and Processing |isbn=0-412-54060-6 |year=1997 |publisher=Chapman & Hall (London, New York)}}</ref>。
==== その他の超高硬度ホウ素化合物 ====
*ヘテロダイヤモンドはBCNとも呼ばれ、ダイヤモンドの高硬度と立方晶窒化ホウ素の優れた耐熱性を併せ持つ多結晶材料である<ref>{{Cite journal |author=Komatsu, T.; Samedima, M.; Awano, T.; Kakadate, Y.; Fujiwara, S. |title=Creation of Superhard B-C-N Heterodiamond Using an Advanced Shock Wave Compression Technology |journal=Journal of Materials Processing Technology |volume=85 |issue=1-3 |year=1999 |pages=69-73 |doi=10.1016/S0924-0136(98)00263-5}}</ref>。鉄と反応しやすいダイヤモンドとは異なり鉄との反応性が低いことから、研磨剤としての有用性が期待されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.iri.pref.kumamoto.jp/library/data/sangaku/2004/pdf/444-1089.pdf |title=高圧下溶融法によるヘテロカーボンの合成と電気特性 |publisher=熊本県産業技術センター |accessdate=2014-04-06}}</ref>。
*窒化ホウ素は炭素と等電子的であり、六方晶窒化ホウ素 (h-BN) は[[グラファイト]]に類似した六角形構造を、立方晶窒化ホウ素 (c-BN) はダイヤモンドに類似した構造を取る。h-BNは高温領域で用いられる構造材や潤滑油に利用される。c-BNは優れた研磨剤として利用され、ボラゾンの商標で知られている<ref>{{Cite journal |first=R. H. |last=Wentorf |title=Cubic form of boron nitride |journal=J. Chem Phys. |volume=26 |year=1957 |page=956 |doi=10.1063/1.1745964 |issue=4 |bibcode=1957JChPh..26..956W}}</ref>。c-BNはダイヤモンドに次ぐ硬度を有しており、化学的安定性はダイヤモンドよりも優れている<ref>[[#boron2008n|中村 (2008)]] 132頁。</ref>。
*二ホウ化レニウム (ReB{{sub|2}}) は大気圧下で容易に生産することが可能な超高硬度材料である<ref>{{Cite web|和書|url=https://nikkeibook.com/science/topics/bn0710_3.html |title=NEWS SCAN 2007年10月号 低圧で作れる超硬材料 |publisher=日経サイエンス |accessdate=2014-04-06}}</ref>。ReB{{sub|2}}の硬さはその六角形の層状構造に起因してかなりの[[等方的と異方的|異方性]]を示す。その硬さは[[炭化タングステン]]や[[炭化ケイ素]]、[[チタン]]、{{仮リンク|二ホウ化ジルコニウム|en|Zirconium diboride}}などに匹敵する。その高硬度かつ高融点な性質から、高温領域で用いる構造材などの用途が検討されている<ref>公開特許公報 H10-251095、科学技術庁無機材質研究所、"二ホウ化レニウム単結晶の製造方法"</ref>。
*ホウ化アルミニウムマグネシウム-ホウ化チタン複合材料 (AlMg{{sub|14}}-TiB{{sub|2}}) は高硬度かつ耐摩耗性に優れた性質を有しており、高温や磨耗に晒される構造材のための被覆材もしくはバルクのままで利用される<ref>{{Cite journal |doi=10.1016/j.stam.2007.06.009 |title=Preparation of titanium diboride TiB{{sub|2}} by spark plasma sintering at slow heating rate |year=2007 |last=Schmidt |first=Jürgen |journal=Science and Technology of Advanced Materials |volume=8 |page=376 |last2=Boehling |first2=Marian |last3=Burkhardt |first3=Ulrich |last4=Grin |first4=Yuri |issue=5 |bibcode=2007STAdM...8..376S}}</ref>。
{|class="wikitable" style="text-align:center"
|+ヘテロダイヤモンド (BCN)<ref>{{Cite journal |title=Ultimate Metastable Solubility of Boron in Diamond: Synthesis of Superhard Diamondlike BC5 |first=V. L. |last=Solozhenko |journal=Phys. Rev. Lett. |volume=102 |page=015506 |year=2009 |doi=10.1103/PhysRevLett.102.015506 |last2=Kurakevych |first2=Oleksandr O. |last3=Le Godec |first3=Yann |last4=Mezouar |first4=Mohamed |last5=Mezouar |first5=Mohamed |pmid=19257210 |bibcode=2009PhRvL.102a5506S |issue=1}}</ref>および二ホウ化レニウム (ReB{{sub|2}})<ref>{{Cite journal |last1=Qin |first1=Jiaqian |last2=He |first2=Duanwei |last3=Wang |first3=Jianghua |last4=Fang |first4=Leiming |last5=Lei |first5=Li |last6=Li |first6=Yongjun |last7=Hu |first7=Juan |last8=Kou |first8=Zili |last9=Bi |first9=Yan |displayauthors=9 |title=Is Rhenium Diboride a Superhard Material? |year=2008 |journal=Advanced Materials |volume=20 |issue=24 |pages=4780-4783 |doi=10.1002/adma.200801471}}</ref>の機械的性質
!素材
!ダイヤモンド
!立方晶-BC{{sub|2}}N
!立方晶-BC{{sub|5}}
!立方晶-BN
!B{{sub|4}}C
!ReB{{sub|2}}
|-
![[ビッカース硬さ]] (GPa)
|115||76||71||62||38||22
|-
![[破壊靭性]](MPa m{{sup|1/2}})
|5.3||4.5||9.5||6.8||3.5||
|}
=== 建築 ===
ホウ素系薬品で処理をした古新聞紙が、「[[セルロースファイバー]]」という名称で断熱材として使用される。吸湿性を持つ天然繊維系断熱材として注目されている。ホウ素系薬品で処理することにより、撥水性、難燃性、駆虫作用が得られる。日本の大手ハウスメーカーで採用例は少ないが、アメリカでは家庭用断熱材の40 %前後のシェアを占める<ref>山本順三「無垢材・無暖房の家―断熱・防音・透湿!奇跡の工法」ISBN 4778201167</ref>。充填工法で施工されるために、専門の吹き込み用機器が必要なこと、改築の際に壁・天井に充填されたセルロースファイバーが障害になる、吹き込み後の沈み込みの可能性などの問題を指摘する声がある<ref>西方里見『最高の断熱・エコ住宅をつくる方法』 ISBN 4767809517</ref>。
=== 原子力 ===
ホウ素の同位体のうち{{sup|10}}B は非常に大きな[[中性子]][[吸収断面積]]を持つ。この特性を生かし、原子炉内において[[中性子]]の吸収のため[[制御棒]]に使用される<ref>{{Cite journal |url=http://www.ceramic.or.jp/museum/contents/pdf/2007_8_04.pdf |title=原子力用 B{{sub|4}}C 制御材 |journal=セラミックス |volume=42 |year=2007 |issue=No. 8 |page=610}}</ref>。化合物であるホウ酸は一次冷却水に溶かし込んで[[加圧水型原子炉]]の[[余剰反応度]]制御に使われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_02-04-01-02.html |title=原子炉機器(PWR)の原理と構造 |publisher=一般社団法人 高度情報科学技術研究機構 |accessdate=2015-05-10}}</ref>。微量のホウ素添加を行った金属による放射性物質運搬容器も使用される<ref>{{Cite web|和書|url=https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_11-02-06-12.html |title=核燃料輸送容器の臨界安全性と遮蔽安全性 |publisher=一般社団法人 高度情報科学技術研究機構 |accessdate=2015-05-10}}</ref>。
=== 有機化学 ===
ホウ素の[[有機化学]]への利用は[[ハーバート・ブラウン|H・C・ブラウン]]によって系統的に研究が行われ、ブラウンはその業績によって[[1979年]]に[[ノーベル化学賞]]を授与された。ブラウンの研究した[[還元剤]]としての[[水素化ホウ素ナトリウム]]や[[ヒドロホウ素化]]は、現在でも有機合成上、盛んに利用されている。ブラウンの研究室で学んだ[[鈴木章]]もまた、有機ホウ素化合物を用いた[[鈴木・宮浦カップリング]]の研究で2010年にノーベル化学賞を授与されている。この反応を利用すると多様な変換が可能になるため、有機ホウ素化合物は複雑な化合物の前駆体として利用されている<ref>{{Cite journal |url=https://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2011/09/articles/1109-02/1109-02_article.html |title=鈴木 章 北海道大学名誉教授 人生を決めた2冊の本 |author=松尾義之 |year=2011 |volume=7 |issue=No. 9 |journal=産学官連携ジャーナル |pages=5-15}}</ref>。
[[トリエチルボラン]]は発火しやすく燃焼速度も早いため、ジェット燃料に利用される<ref>[[#saitou1965|斉藤 (1965)]] 157-158、187頁。</ref>。
=== 生物 ===
[[植物]]の[[必須元素]]の一つであり、98 %は[[細胞壁]]に存在することから、細胞壁の合成、[[細胞膜]]の完全性の維持、[[糖]]の膜輸送、核酸合成、酵素の補酵素などに関係していると予想されているが、まだ解明されてはいない<ref>[http://www.npk.kais.kyoto-u.ac.jp/research/boron/boron.html 京都大学農学部植物栄養学研究室]</ref>。植物中でホウ素輸送を行う物質は[[2002年]]([[平成]]14年)に初めて同定された<ref>http://jstshingi.jp/abst/p/07/jst/05/0504.pdf</ref>。
一方、高濃度のホウ素は植物の成長を阻害する<ref>Ross O. Nable, Gary S. Bañuelos, Jeffrey G. Paull, "Boron toxicity", ''Plant Soil'' '''193''', 181-193 (1997). {{Doi|10.1023/A:1004272227886}}</ref>ため、土壌中のホウ素含有量が高い[[オーストラリア]]南部などでは農業が困難となっている<ref>http://www.dwlbc.sa.gov.au/land/topics/rootzone/boron.html</ref>。植物の遺伝子を改変することで、ホウ素耐性を持たせる研究が進められている<ref>Kyoko Miwa, Junpei Takano, Hiroyuki Omori, Motoaki Seki, Kazuo Shinozaki, Toru Fujiwara, "Plants Tolerant of High Boron Levels", ''Science'' '''318''', 1417 (2007). {{Doi|10.1126/science.1146634}}</ref>。
== 生物学的役割 ==
ホウ素は主に植物の[[細胞壁]]を維持するのに必要である重要な[[栄養素]]である。土壌中におけるホウ素の欠乏は植物に対して全体的な成長障害を引き起こすが(適切な細胞壁構造の構築が行えなくなるのでホウ素が切れた場合は壊滅的な影響を及ぼす。)、逆に土壌中のホウ素分率が{{val|1|e=-6}}を越えても葉の周辺や先端の壊死といった過剰障害を引き起こす。特にホウ素に敏感な植物では、土壌中のホウ素分率が{{val|8|e=-7}}を越えると同様の症状が現れることがあり、土壌中のホウ素分率が{{val|1.8|e=-6}}を越えると、ホウ素に耐性を示すような植物を含むほとんどの植物において過剰障害の兆候が現れる。ホウ素分率が{{val|2.0|e=-6}}を越える土壌で正常に生育できる植物はほとんどなく、一部は生存できないこともある。植物組織中のホウ素分率が{{val|200|e=-6}}を越えると過剰障害の兆候が現れる<ref>{{Cite news |url=http://info.ag.uidaho.edu/Resources/PDFs/CIS1085.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091001005107/http://info.ag.uidaho.edu/Resources/PDFs/CIS1085.pdf |archivedate=2009-10-01 |publisher=University of Idaho |title=Essential Plant Micronutrients. Boron in Idaho |first=R. L. |last=Mahler |accessdate=2009-05-05 |deadurldate=2017-09}}</ref><ref>{{cite web |title=Functions of Boron in Plant Nutrition |url=http://www.borax.com/agriculture/files/an203.pdf |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090320175602/http://www.borax.com/agriculture/files/an203.pdf |archivedate =2009-03-20 |publisher=U.S. Borax Inc. |format=PDF |accessdate=2014-01-31 |deadlinkdate=2017-09}}</ref><ref>{{Cite journal |title=Functions of Boron in Plant Nutrition |first=Dale G. |last=Blevins |journal=Annual Review of Plant Physiology and Plant Molecular Biology |volume=49 |pages=481-500 |year=1998 |doi=10.1146/annurev.arplant.49.1.481 |pmid=15012243 |last2=Lukaszewski |first2=KM}}</ref>。
ホウ素はおそらく全ての哺乳類にとって必須であると考えられているが、動物におけるホウ素の生物学的役割はよく知られていない。たとえば、精製してホウ素を除去した食品を与え、空気中の塵を濾過することによってホウ素欠乏症を誘発させたラットでは体毛への影響が出ることが知られており、ホウ素は超微量元素としてネズミの最適な健康状態を維持するために必要である。動物におけるホウ素の摂取は広く食糧に由来しており、その必要摂取量はラットにおける試験からの推測によって非常に少量であると考えられている<ref>{{Cite journal |title=Ultratrace elements in nutrition: Current knowledge and speculation |first=Forrest H. |last=Nielsen |journal=The Journal of Trace Elements in Experimental Medicine |volume=11 |issue=2-3 |pages=251-274 |doi=10.1002/(SICI)1520-670X(1998)11:2/3<251::AID-JTRA15>3.0.CO;2-Q |year=1998}}</ref>。
1989年以降、ホウ素が人間を含む動物にとって栄養素として生物学的な役割を持つのではないかという議論が起こった<ref>{{Cite web |url=http://www.pdrhealth.com/drug_info/nmdrugprofiles/nutsupdrugs/bor_0040.shtml |title=Boron |accessdate=2008-09-18 |publisher=PDRhealth |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080524054321/http://www.pdrhealth.com/drug_info/nmdrugprofiles/nutsupdrugs/bor_0040.shtml |archivedate=2008-05-24 |deadlinkdate=2017-09}}</ref>。[[アメリカ合衆国農務省]]が閉経後の女性に対して1日3 mgのホウ素を投与する実験を行った結果、ホウ素の補給がカルシウムの排出を44 %抑え、[[エストロゲン]]および[[ビタミンD]]を活性化させるという結果が示され、[[骨粗鬆症]]を抑制する可能性が示唆された。しかし、これらの影響が栄養素としての効果なのか、医薬品としての効果なのかということは判別できなかった。[[アメリカ合衆国国立衛生研究所]]は「正常なヒトの食事におけるホウ素の1日当たりの総摂取量の範囲は2.1–4.3 mgである」と述べた<ref>{{Cite journal |title=Total boron |last=Zook |first=E. G. |journal=J. Assoc. Off Agric. Chem |volume=48 |page=850 |year=1965}}</ref><ref>{{Cite book |url=https://books.google.co.jp/books?id=trUdm-GXchIC&pg=PA84&redir_esc=y&hl=ja |page=84 |title=Health advisories for drinking water contaminants: United States Environmental Protection Agency Office of Water health advisories |author=United States. Environmental Protection Agency. Office of Water, U. S. Environmental Protection Agency Staff |publisher=CRC Press |year=1993 |isbn=0-87371-931-X}}</ref>。
角膜ジストロフィーの珍しい型である{{仮リンク|先天性角膜内皮ジストロフィー|en|Congenital hereditary endothelial dystrophy}}2型は、ホウ素の細胞内濃度を調整している[[輸送体]]をコード化する{{仮リンク|SLC4A11|en|SLC4A11}}遺伝子における突然変異と関連している<ref>{{Cite journal |doi=10.1038/ng1824 |date=2006-07 |author=Vithana, En; Morgan, P; Sundaresan, P; Ebenezer, Nd; Tan, Dt; Mohamed, Md; Anand, S; Khine, Ko; Venkataraman, D; Yong, Vh; Salto-Tellez, M; Venkatraman, A; Guo, K; Hemadevi, B; Srinivasan, M; Prajna, V; Khine, M; Casey, Jr; Inglehearn, Cf; Aung, T |title=Mutations in sodium-borate cotransporter SLC4A11 cause recessive congenital hereditary endothelial dystrophy (CHED2) |volume=38 |issue=7 |pages=755-7 |issn=1061-4036 |pmid=16767101 |journal=Nature Genetics}}</ref>。しかし、2013年のDiego G. Ogandoらの報告によれば、SLC4A11とホウ素輸送の関係は否定されており、SLC4A11はNa{{sup|+}}-OH{{sup|−}}(H{{sup|+}})およびNH{{sub|4}}{{sup|+}}に対する透過性を持った輸送体であるとされている<ref>{{Cite journal |author=Diego G. Ogando et al. |title=SLC4A11 is an EIPA-sensitive Na{{sup|+}} permeable pH{{sub|i}} regulator |journal=American Journal of Physiology - Cell Physiology |volume=305 |issue=7 |page=16-27 |date=2013-10-01 |doi=10.1152/ajpcell.00056.2013}}</ref>。
=== 健康問題と毒性 ===
単体ホウ素、酸化ホウ素、ホウ酸、ホウ酸塩および多くの有機ホウ素化合物は、急性毒性に限って見ると、ヒトおよび動物にとっては食塩と同程度に無毒である。動物に対する[[半数致死量]] (LD50) は体重1 kgあたりおよそ6 gであり、LD50が体重1 kgあたり2 g以上となる物質は一般に無毒であるとされている。ヒトに対する最小致死量ははっきりとしていない。事件を除く1日4 gのホウ酸の摂取は報告されているが、それを超える量の摂取では有毒であると考えられている。50日間継続して1日0.5 g以上のホウ酸を摂取すると下痢など消化器系の不良が生じ、ほかの毒性も示唆される<ref>{{Cite journal |doi=10.1023/A:1004276311956 |year=1997 |last1=Nielsen |first1=Forrest H. |journal=Plant and Soil |volume=193 |issue=2 |page=199}}</ref>。[[中性子捕捉療法]]のために行われるホウ酸20グラムの単回投与では、著しいほかの毒性が生じることなく使用されている。魚類は飽和ホウ酸溶液中で30分間生存することができ、ホウ酸ナトリウム溶液中ではより長く生存できる<ref>{{Cite book |page=385 |url=https://books.google.co.jp/books?id=imMJJP5T5rsC&pg=PA385&redir_esc=y&hl=ja |title=Borates |author=Garrett, Donald E. |year=1998 |publisher=Academic Press |isbn=0-12-276060-3}}</ref>。ホウ酸は、昆虫に対しては動物に対してよりも毒性が強く、通常殺虫剤として利用される<ref>{{Cite journal |title=Oral toxicity of boric acid and other boron compounds to immature cat fleas (Siphonaptera: Pulicidae) |first=J. H. |last=Klotz |journal=J. Econ. Entomol. |volume=87 |issue=6 |pages=1534-1536 |year=1994 |pmid=7836612 |last2=Moss |first2=JI |last3=Zhao |first3=R |last4=Davis Jr |first4=LR |last5=Patterson |first5=RS}}</ref>。
ボランのような水素化ホウ素やそれに類似したガス状の化合物は毒性を示す。ホウ素自体はほかの単体ホウ素やホウ素化合物と同様に本質的には有毒ではないが、その毒性は化学構造に起因する<ref name="borates"/><ref name="boron"/>。
ボランは可燃性かつ有毒であるため、取り扱いには特別な操作が必要となる。[[水素化ホウ素ナトリウム]]は強い還元性を持つ物質であるため、水や酸、酸化剤などと反応して火災や爆発を起こす危険性がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ilo.org/dyn/icsc/showcard.display?p_lang=ja&p_card_id=1670&p_version=2 |title=化学物質安全性カード 水素化ホウ素ナトリウム |publisher=国立医薬品食品衛生研究所 |accessdate=2014-02-01}}</ref>。ハロゲン化ホウ素は腐食性を有する<ref>{{Cite web |url=https://inchem.org/documents/ehc/ehc/ehc204.htm |title=Environmental Health Criteria 204: Boron |year=1998 |publisher=the [[International Programme on Chemical Safety|IPCS]] |accessdate=2009-05-05}}</ref>。
== 出典 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
=== 和書 ===
* {{Cite book|和書 |title=コットン ウィルキンソン 無機化学(上) |author=F・A・コットン、G・ウィルキンソン |others=中原勝儼 |publisher=培風館 |year=1987 |edition=原書第四版 |isbn=4563041920 |ref=CW1987}}
* {{Cite book|和書 |author=斉藤一夫 |editor=柴田雄次、木村健二郎 監修 |title=無機化学全書 X-2 ホウ素、炭素、ゲルマニウム |year=1965 |publisher=丸善 |ref=saitou1965}}
* {{Cite book|和書 |author=櫻井武、鈴木晋一郎、中尾安男 |year=2003 |title=ベーシック無機化学 |publisher=化学同人 |ref=sakurai2003 |isbn=4759809031}}
* {{Cite book|和書 |title=元素を知る事典: 先端材料への入門 |author=村上雅人 |publisher=海鳴社 |year=2004 |isbn=9784875252207 |ref=村上2004}}
* {{Cite book|和書 |editor=第16回ホウ素ホウ化物および関連物質国際会議組織委員会 編 |title=ホウ素・ホウ化物および関連物質の基礎と応用 |publisher=シーエムシー出版 |year=2008 |isbn=978-4882319559}}
** 宇野良清、木村薫 「第1編 第1章 1 ホウ素固体の物理的性質」、3-28頁。{{Anchors|boron2008u}}
** 白井光雲 「第1編 第1章 3 高圧における固体ホウ素の性質」、34-46頁。{{Anchors|boron2008s}}
** 中村勝光 「第1編 第2章 5 窒化ホウ素」、123-139頁。{{Anchors|boron2008n}}
** 宍戸統悦、岡田繁 「第1編 第3章 1 ホウ素の製造方法」、151-156頁。{{Anchors|boron2008s2}}
=== 洋書 ===
* {{Cite book |title=The structures of the elements |last=Donohue |first=J. |publisher=Robert E. Krieger |location=Malabar, Florida |year=1982 |isbn=0898742307 |ref=harv}}
* {{Cite book |last1=Housecroft |first1=C. E. |last2=Sharpe |first2=A. G. |title=Inorganic chemistry|year=2008 |publisher=Pearson Education|edition=3rd |location=Harlow |isbn=978-0-13-175553-6 |ref=harv}}
* {{Cite book |title=Inorganic chemistry |last=Wiberg |first=N. |publisher=Academic Press |location=San Diego |year=2001 |isbn=0-12-352651-5 |ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Boron}}
* [[ヒドロホウ素化]]
* [[ホウ素の同位体]]
* [[ホウ素の同素体]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
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[[Category:ホウ素|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A6%E7%B4%A0 |
7,933 | キャリア | キャリア、カリア、キャリアー
[kəˈriər] ( 音声ファイル)(カリア)
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] | キャリア、カリア、キャリアー | '''キャリア'''、'''カリア'''、'''キャリアー'''
== career ==
{{IPA-en|kəˈriər|-|en-us-career.ogg}}<ref>[https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/career CAREER 意味, Cambridge 英語辞書での定義]</ref>('''カリア''')
* [[経歴]]、職歴
* 専門技能を持って職に就いている者 → [[プロフェッショナル]]
* [[キャリア (国家公務員)]] - [[日本]]における[[公務員試験#国家公務員試験|国家公務員試験]]の総合職試験、上級甲種試験又はI種試験(旧外務I種を含む)等に合格し、[[幹部]]候補生として[[日本の行政機関|中央省庁]]に採用された[[国家公務員]]の俗称である。
** [[キャリア〜掟破りの警察署長〜]]([[フジテレビジョン]]日曜ドラマ 上記から派生したもの)
== carrier ==
{{IPA-en|ˈkæriər}}<ref>[https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/carrier CARRIER 意味, Cambridge 英語辞書での定義]</ref>('''ケァリア''')
=== 電気・通信 ===
* [[電荷担体]] - [[電荷]]を担うもの。[[電気伝導]]に寄与する[[伝導電子]]、[[正孔]](ホール)、[[イオン伝導体|伝導イオン]]などの総称。[[半導体]]内のキャリアについては「[[半導体#半導体の型]]」の節を参照。
* [[搬送波]] - 変調で、変調される側の波
* [[通信キャリア]] - [[携帯電話]]、[[PHS]]、[[IP電話]]などの[[回線事業者]]、[[電気通信事業者|通信事業者]]、[[電話会社]]。
** 三大キャリア - 日本における「[[NTTドコモ]]、[[KDDI]]([[au (携帯電話)|au]])、[[ソフトバンク]]」の3社のこと。「3大キャリア」と呼ばれる事から、近年3大キャリアを略して「キャリア」と呼ぶ場合が多い。
=== 生物・医学 ===
* [[無症候性キャリア]] - [[病原体|伝染性病原体]]([[細菌]]・[[ウイルス]]など)の保因者で発病していないが感染力を持つ者
* [[遺伝子ベクター]] - [[遺伝子治療]]で遺伝子を患者に導入するベクタ(ウイルスなど)
* {{仮リンク|遺伝的保因者|en|Genetic carrier}} - 劣性遺伝子を[[ヘテロ]]で持ち、自らは発現しない個体([ABO式血液型]におけるAO型やBO型など。)
=== 運輸 ===
* [[運輸業]]
**[[フラッグキャリア]] 特定の国を代表する[[航空会社]]、[[海運会社]]のこと。
* [[乗り物]]
** [[キャリアカー]] - 車両積載車。ただし、「キャリアカー」なる単語は[[和製英語]]である。
* [[航空母艦]]
=== 固有名詞 ===
* 英語の姓
** [[ウィリス・キャリア]] - [[アメリカ合衆国]]のエンジニア、発明家
** [[リチャード・キャリアー]] - アメリカ合衆国の古代史研究者
* [[キャリア (人材サービス)]] - 東京都新宿区に本社をおく人材サービス企業
* [[キヤリア (空調設備メーカー)]] - アメリカの空調設備メーカー
* [[キャリアー]] - [[カナダ]]の[[インディアン]]民族のひとつ
=== フィクション ===
* Uキャリア - 漫画『[[サブマリン707]]』に登場する、U結社の巨大[[潜水艦]]。
* [[ランドシップ#キャメル|キャリアーシップ キャメル]] - アニメ『[[戦闘メカ ザブングル]]』に登場する、空母的[[ランドシップ]]。
== 関連項目 ==
* {{prefix}}
* {{intitle}}
* [[キャリアデザイン]]
* [[キャリア教育]]
* [[キャリア段位]]
* [[キャリア・コンサルタント]]
* [[キャリアウーマン]]
== 関連項目 ==
{{Reflist}}
{{Aimai}}
{{デフォルトソート:きやりあ}}
[[Category:英語の語句]]
[[Category:英語の姓]] | 2003-05-08T12:43:47Z | 2023-10-02T00:17:31Z | true | false | false | [
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"Template:Intitle",
"Template:Aimai"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%A2 |
7,935 | ヒルベルト空間 | 数学におけるヒルベルト空間(ヒルベルトくうかん、英: Hilbert space)は、ダフィット・ヒルベルトにその名を因む、ユークリッド空間の概念を一般化したものである。これにより、二次元のユークリッド平面や三次元のユークリッド空間における線型代数学や微分積分学の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、内積の構造を備えた抽象ベクトル空間(内積空間)になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに完備距離空間の構造を備えている(極限が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。
ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の関数空間として、数学、物理学、工学などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間にヒルベルト、シュミット、リースらによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、偏微分方程式論、量子力学、フーリエ解析(信号処理や熱伝導などへの応用も含む)、熱力学の研究の数学的基礎を成すエルゴード理論などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、フォン・ノイマンである。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、関数解析学の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、自乗可積分関数の空間 L、自乗総和可能数列の空間 l 2 {\displaystyle \ell ^{2}} 、超関数からなるソボレフ空間 H s {\displaystyle H^{s}} 、正則関数の成すハーディ空間 H 2 {\displaystyle H^{2}} などが挙げられる。
ヒルベルト空間論の多くの場面で、幾何学的直観は重要である。例えば、三平方の定理や中線定理(の厳密な類似対応物)は、ヒルベルト空間においても成り立つ。より深いところでは、部分空間への直交射影(例えば、三角形に対してその「高さを潰す」操作の類似対応物)は、ヒルベルト空間論における最適化問題やその周辺で重要である。ヒルベルト空間の各元は、平面上の点がそのデカルト座標(直交座標)によって特定できるのと同様に、座標軸の集合(正規直交基底)に関する座標によって一意的に特定することができる。このことは、座標軸の集合が可算無限であるときには、ヒルベルト空間を自乗総和可能な無限列の集合と看做すことも有用であることを意味する。ヒルベルト空間上の線型作用素は、ほぼ具体的な対象として扱うことができる。条件がよければ、空間を互いに直交するいくつかの異なる要素に分解してやると、線型作用素はそれぞれの要素の上では単に拡大縮小するだけの変換になる(これはまさに線型作用素のスペクトルを調べるということである)。
最もよく知られたヒルベルト空間の例の一つは、三次元の空間ベクトル全体の成すユークリッド空間 R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} にドット積を考えたものであろう。二つのベクトル x , y {\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}} のドット積 x ⋅ y {\displaystyle {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {y}}} は実数を与える。 x , y {\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}} がデカルト座標系であらわされているときには、ドット積は
として定まる。このドット積は、条件
を満足する。
このドット積のように、上記三つの性質を満足するベクトルの二項演算を(実)内積と呼び、そのような内積を備えたベクトル空間は(実)内積空間と呼ばれる。任意の有限次元内積空間は、ヒルベルト空間でもある。ユークリッド幾何学に関わるドット積の基本的な特徴というのは、ベクトルの長さ(ノルム) ‖ x ‖ {\displaystyle \|{\boldsymbol {x}}\|} と二つのベクトル x , y {\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}} の間の角度 θ {\displaystyle \theta } の両方が
なる式が成立するという意味でドット積と関連付けられることである。 ユークリッド空間における多変数微分積分学は極限が計算できること、および極限の存在を結論付ける有用な判定法を持つことに支えられている。 R 3 {\displaystyle \mathbb {R} ^{3}} のベクトルを項とする級数 ∑ n = 0 ∞ x n {\displaystyle \textstyle \sum _{n=0}^{\infty }{\boldsymbol {x}}_{n}} は、そのノルムの和(これは実数を項とする通常の級数)が ∑ n = 0 ∞ ‖ x n ‖ < ∞ {\displaystyle \textstyle \sum _{n=0}^{\infty }\|{\boldsymbol {x}}_{n}\|<\infty }
なる条件を満たすとき、絶対収束するという。スカラー項級数の場合と全く同じく、絶対収束するベクトル項級数は
なる意味で、このユークリッド空間の適当な極限ベクトル L {\displaystyle {\boldsymbol {L}}} に収束する。このような性質(絶対収束級数は通常の意味でも収束する)は、ユークリッド空間の完備性 (completeness) として表される。
H {\displaystyle H} がヒルベルト空間であるとは、 H {\displaystyle H} は実または複素内積空間であって、さらに内積によって誘導される距離関数に関して完備距離空間をなすことを言う。ここで、 H {\displaystyle H} が複素内積空間であるというのは、 H {\displaystyle H} は複素線型空間であって、その上に内積、即ち x , y ∈ H {\displaystyle x,y\in H} に ⟨ x , y ⟩ ∈ C {\displaystyle \langle x,y\rangle \in \mathbb {C} } を対応させる写像であって、条件
を満たすものが存在することをいう。条件の 1 と 2 を併せると、複素内積は第二引数に関して反線型 (antilinear) となることが従う。即ち、
が成り立つ。実内積空間も同様に定められ( H {\displaystyle H} が実線型空間であることと、内積が実数値であることとが違うだけである)、この場合の内積は双線型(各引数について線型)になる。
内積 ⟨ ⋅ , ⋅ ⟩ {\displaystyle \langle \cdot ,\cdot \rangle } によって定義されるノルム ‖ x ‖ := ⟨ x , x ⟩ 1 / 2 {\displaystyle \|x\|:=\langle x,x\rangle ^{1/2}} は実数値関数であり、このノルムを用いて2点 x , y ∈ H {\displaystyle x,y\in H} の間の距離が d ( x , y ) := ‖ x − y ‖ = ⟨ x − y , x − y ⟩ 1 / 2 {\displaystyle d(x,y):=\|x-y\|=\langle x-y,x-y\rangle ^{1/2}} と定められる。これが距離であるというのは、(1)「 x , y {\displaystyle x,y} に関して対称」で、(2)「 x {\displaystyle x} と x {\displaystyle x} 自身との距離は 0 に等しく、かつそれ以外のときは x , y {\displaystyle x,y} の距離は必ず正」で、(3)「三角不等式
を満たす、即ち三角形 xyz の一辺の長さは他の二辺の長さの和を超えない」という三性質を満たすことを意味する。 三つ目の性質は、突き詰めればより基本的なコーシー・シュヴァルツの不等式
(ただし等号成立は x, y の線型従属性と同値)からの帰結である。
このようにして定義される距離関数に関して、任意の内積空間は距離空間となる。内積空間のことを前ヒルベルト空間 (pre-Hilbert space) と呼ぶこともある。距離空間として完備であるような任意の前ヒルベルト空間は、ヒルベルト空間になる。完備性は、H 内の列に対するコーシーの判定法(英語版)の形で表すことができる。即ち、前ヒルベルト空間 H が完備となるのは、任意のコーシー列がノルムに関する意味で H 内の元に収束することである。完備性は、次のような条件
によっても特徴付けることができる。
完備なノルム空間であるという点で、定義によりヒルベルト空間はバナッハ空間でもある。これらは位相線型空間であり、開集合や閉集合といった位相的概念を定めることができる。特に重要になるのが、ヒルベルト空間の閉部分空間の概念である。完備距離空間の閉部分集合は(そこへ距離を制限すれば)それ自身完備距離空間となるから、ヒルベルト空間の閉部分空間は(そこへ内積を制限するとき)それ自身ヒルベルト空間をなす。
複素数を項とする無限数列 z = (z1, z2, ...) で級数
が収束するようなもの(自乗総和可能な無限複素数列)全体の成す数列空間を l で表す。l 上の内積はエルミート積として
で定義される。この右辺の級数が収束することはコーシー・シュヴァルツの不等式からの帰結である。
空間 l の完備性は「l の元からなる級数が(ノルムの意味で)絶対収束するならば必ず、その級数が l の何らかの元に収束する」ことを示せば言える。このことの証明は解析学の初歩であり、この空間の元からなる級数は複素数(あるいは有限次元ベクトル空間のベクトル)からなる級数と同程度容易に扱うことができる。
ヒルベルト空間が開発される以前にも、数学や物理学においてユークリッド空間を一般化する別な概念が知られていた。特に、19世紀の終わりに掛けていくつかの流れの中から抽象線型空間の概念が獲得される。これは、その元同士の加法と(実数や複素数のような)スカラーによる乗法とを備えた空間のことを指すのであって、必ずしも物理的な系における運動量や位置といった「幾何学的な」ベクトルをその元が同一視される必要はないという性質のものである。20世紀に入ると、数学者たちは新たな対象を扱うようになり、特に数列の空間(級数論も含む)や関数の空間 は自然に線型空間と看做すことができる。実際に、関数の場合なら、関数同士の和や定数をスカラーとする乗法が定義できて、それらの演算は空間ベクトルの加法とスカラー倍が従うのと同じ代数法則に従う。
20世紀の最初の10年間で、ヒルベルト空間の導入に繋がる展開が同時並行的に現れた。その一つは、ヒルベルトとシュミットの積分方程式論の研究過程で見出された。区間 [a, b] 上の2つの自乗可積分な実数値関数 f, g は「内積」
を持ち、これがよく知られたユークリッド空間のドット積の性質の多くを有していた。これにより特に、関数からなる正規直交系の概念が意味を持つようになる。シュミットは、この内積と通常のドット積との類似性として、
(ただし、K は x, y に関して対称)なる形の作用素に対してスペクトル分解の類似物を示した。得られる固有関数展開は関数 K を
なる形の級数として表す。ただし、関数系 φn は、n ≠ m なるとき常に ⟨φn, φm⟩ = 0 を満たすという意味で、直交系を成す。この級数の個々の項は、基本積解 (elementary product solution) と呼ばれることもある。しかし、この固有関数展開には、適当な意味で自乗可積分関数に収束するものとそうでないものがある。収束を保証するには完備性(系の完全性)が不可欠なのである。
いま一つは、ルベーグがリーマン積分に替わるものとして1904年に導入したルベーグ積分である。ルベーグ積分は、より広範なクラスの関数で積分を定義することを可能にした。1907年に、リースとフィッシャー(英語版)はそれぞれ独立にルベーグ自乗可積分関数全体の成す空間 L が完備距離空間であることを示した。このような幾何学的議論と系の完全性の議論が合わさった帰結として、19世紀に得られたフーリエ、ベッセル、パーシヴァル(英語版)らの三角級数についての成果を、これらのより一般の空間へ容易に持ち込むことができた。そうして得られた幾何学的かつ解析学的な仕組みは今日ではふつうリース・フィッシャーの定理として知られる。
更なる基本的結果が20世紀の初め頃に証明されていく。例えば、リースの表現定理は1907年にフレシェとリースがそれぞれ独立に示した フォン・ノイマンは自身の非有界エルミート作用素の研究において「抽象ヒルベルト空間」という用語を創出した。他のワイルやウィーナーのような数学者は(しばしば物理学的な興味を動機として)既に特定のヒルベルト空間については極めて詳細な研究を行っていたのだけれども、一般のヒルベルト空間をきちんと、しかも公理的に取り扱ったのはフォン・ノイマンが最初である。後にフォン・ノイマンは、量子力学の基礎付けに関する金字塔的研究においてこのヒルベルト空間の概念を用いており、ウィグナーへと続いていく。「ヒルベルト空間」という呼称は瞬く間に他へ広まり、例えばワイルは自身の量子力学と群論の教科書で用いている。
ヒルベルト空間の概念の重要性は、それが最も適切な量子力学の数学的基礎の提供を実現したことで強く認識されるようになった。簡単に言えば、量子力学系の状態はある種のヒルベルト空間におけるベクトルであり、可観測量はその空間上のエルミート作用素であり、系の対称性はユニタリ作用素であり、観測は直交射影である。量子力学的対称性とユニタリ作用素との間の関係は、1928年のワイルに始まる群のユニタリ表現論の発展の原動力となった。他方、1930年代の初め頃には、古典的な力学系のある種の性質が、エルゴード理論の枠組みのもとでヒルベルト空間を用いた方法で調べられるようになり、明らかにされた。
量子力学における可観測量の代数は、ハイゼンベルクの行列力学による量子論の定式化に従って、自然に或るヒルベルト空間上で定義される作用素環となる。1930年代のうちにフォン・ノイマンがヒルベルト空間上の作用素の成す環としての作用素環を調べ始め、フォン・ノイマンやその時代の人々が研究した種類の作用素環は、今日ではフォン・ノイマン環と呼ばれている。1940年代には、ゲルファント、ナイマーク(英語版)、シーガル(英語版)らが C-環と呼ばれる種類の作用素環の定義を与えた。これはヒルベルト空間の基盤となることはない一方で、それまで知られていた作用素環のもつ有用な特徴が当てはまる。特に、存在する殆どのヒルベルト空間論の根底にある、自己随伴作用素のスペクトル定理が C-環に対して一般化された。これらの手法は今や抽象調和解析や表現論において基本となっている。
ルベーグ空間は測度空間 (X, M, μ) (X は集合で、M は X の部分集合からなる完全加法族、μ は M 上の完全加法的測度)に付随する関数空間である。L(X, μ) を、X 上の複素数値可測関数で、その絶対値の平方のルベーグ積分が有限となるようなもの全体の成す空間とする。即ち、L(X, μ) に属する関数 f は必ず
を満たす。ただし、測度零の集合の上でだけ異なる(殆ど至る所一致する)ような関数は全て同一視するものとする。
L(X, μ) に属する関数 f, g の内積は
で与えられる。L の元 f, g に対して、右辺の積分が存在することはコーシー・シュヴァルツの不等式から示されるから、これは確かに内積を定義している。このように定義された内積に関して L は実は完備になる。積分がルベーグ積分であることは完備性を保証するために本質的である。例えば、実数からなる領域上でリーマン可積分関数を考えるのでは十分でない。
多くの自然な設定の下でルベーグ空間を考えることができる。L(R) および L([0, 1]) をそれぞれ実数直線および単位閉区間上で定義される(ルベーグ測度に関する)自乗可積分関数全体の成す空間とすると、それぞれの自然な定義域上でフーリエ変換とフーリエ級数が定義できる。別な状況では、実数直線上の通常のルベーグ測度ではない何か別の測度を用いることもある。例えば、任意の正値可測関数 w をとり、区間 [0, 1] 上の可測関数 f で
を満たすもの全体の成す空間は重み付き L-空間と呼ばれ、w を重み関数と呼ぶ。内積は
で与えられる。重み付き空間 L2w([0, 1]) はヒルベルト空間 L([0, 1], μ) に等しい。ただし測度 μ は可測集合 A に対して
を満たすものと定める。このような重み付き L 空間は直交多項式を調べるのによく用いられる(これは種々の直交多項式系は、それぞれ別な重み関数に関する意味で直交することによる)。
ソボレフ空間 H あるいは W はヒルベルト空間になる。これらの空間は微分が行えるような関数空間の一種で、(ヘルダー空間のようなほかのバナッハ空間とは異なり)内積の構造も持つ特別な場合になっている。微分が使えることで、ソボレフ空間は偏微分方程式論に対して都合がよい。また変分法における直接法の基礎も与えている。
非負整数 s と領域 Ω ⊂ R に対し、ソボレフ空間 H(Ω) は s 階までの弱微分が全て L に属するような L-関数を全て含む。H(Ω) における内積は
で与えられる。ただし、右辺のドット積は各階の偏導関数全体の成すユークリッド空間におけるドット積である。s が整数でない場合にもソボレフ空間は定義できる。
ソボレフ空間は、(ヒルベルト空間のより具体的な構造に依拠する)スペクトル論の観点からも研究される。適当な領域 Ω に対してソボレフ空間 H(Ω) をベッセルポテンシャル(英語版)全体の成す空間として定義することができる。これはだいたい
のようなものである。ここで Δ はラプラス作用素、(1 − Δ) はスペクトル写像定理(英語版)によって捉えることができる。非負整数 s に対するソボレフ空間の意味のある定義を与える必要があることをひとまず置いておけば、ソボレフ空間の定義はフーリエ変換のもとで特に望ましい性質を持ち、擬微分作用素の研究に対して理想的である。これらの方法をコンパクトリーマン多様体上で用いれば、例えばホッジ理論の基礎を成すホッジ分解が得られる。
ベルグマン空間は再生核ヒルベルト空間(関数からなるヒルベルト空間で、先と同様の再生性を持つ積分核 K(ζ,z) を備えたもの)の例になっている。ハーディ空間 H(D) にもセゲー核(英語版)と呼ばれる再生核を持つ。再生核は数学のほかの分野でもよく用いられる。たとえば、調和解析におけるポアソン核は単位球体上の自乗可積分調和関数全体の成すヒルベルト空間(これがヒルベルト空間を成すことは調和関数に対する中間値の定理からわかる)に対する再生核である。
ヒルベルト空間の応用の多くは、ヒルベルト空間において射影や基底変換といったような単純な幾何学的概念が、ふつうの有限次元の場合に考えられるそれらの自然な一般化になっているという事実に依拠して行われている。特に、ヒルベルト空間上の連続自己随伴線型作用素のスペクトル論は、行列のふつうのスペクトル分解の一般化であり、これはヒルベルト空間論を他の数学や物理学の分野に応用する際にしばしば大きな役割を果たす。
常微分方程式論において、微分方程式の固有関数および固有値の振る舞いを調べるのに適当なヒルベルト空間上のスペクトル法が利用できる。例えば、ヴァイオリンの弦やドラムの調波の研究から生じたスツルム・リウヴィル問題は、常微分方程式論の中心的な問題である。スツルム・リウヴィル問題は区間 [a, b] 上の未知関数 y に対する常微分方程式
で、一般斉次ロビン境界条件
を満足するものである。関数 p, q, および w は所与で、方程式の解となる関数 y および定数 λ を求める。同問題は、この系の固有値と呼ばれる特定の値の λ に対してだけ解を持つのだが、それのことはこの系に対するグリーン関数によって定まる積分作用素にコンパクト作用素のスペクトル論を適用した結果として得られる。さらにはこの一般論からの別な帰結として、固有値 λ を無限大に発散する単調増大列に並べることができる。
ヒルベルト空間は偏微分方程式を調べる基本的な道具である。即ち、楕円型線型方程式のような偏微分方程式の多くのクラスでは、考える関数のクラスを拡張して弱解と呼ばれる超関数解を考えることができるが、弱解の定式化(弱定式化)の多くはヒルベルト空間を成すソボレフ関数のクラスを含むものになっているのである。解を求めたり、あるいはしばしばより重要な、与えられた境界条件に対する解の存在および一意性を示したりする解析学的な問題が、適当な弱定式化によって幾何学的問題に還元される。楕円型線型方程式に対して、かなりのクラスの問題が一意的に解けることを保証する幾何学的結果の一つがラックス・ミルグラムの定理である。この方法論は、偏微分方程式の数値解法に対するガレルキン法(英語版)(有限要素法の一つ)の基盤をなしている。
典型的な例が、R の有界領域 Ω におけるポアソン方程式 −Δu = g のディリクレ境界問題である。弱定式化は、境界上で消えている Ω 上連続的微分可能な任意の関数 v に対して
を満たすような関数 u を求めることからなる。これは、u およびその弱偏導関数がともに境界上で消えている Ω 上の自乗可積分関数となるような関数 u からなるヒルベルト空間 H10(Ω) の言葉で書き直すことができて、問題はこの空間 H10(Ω) の任意の元 v に対して
を満たすような u を空間 H10(Ω) の中で求めることに帰着される。ただし、a および b はそれぞれ
で与えられる連続な双線型形式および連続な線型汎関数である。ポアソン方程式は楕円型だから、ポアンカレの不等式から双線型形式 a が強圧的であることが従う。故に、ラックス・ミルグラムの定理は、この方程式の解の存在と一意性を保証する。
多くの楕円型偏微分方程式に対して同様のやり方でヒルベルト空間による定式化ができるので、それ故にラックス・ミルグラムの定理はそれらの解析における基本的な道具となる。同様の方法は抛物型偏微分方程式やある種の双曲型偏微分方程式に対しても、適当な修正を施せば通用する。
エルゴード理論の分野では、カオス力学系の長期的振る舞いを研究する。エルゴード理論が有効な原型的な場合というのは、熱力学における系である。この系の微視的な状態は(微粒子の間の個々の衝突の集まりとしては理解できないという意味で)極めて複雑であるにも拘らず、十分長期間にわたるその平均的振る舞いは素直であり、熱力学の法則が主張するのはこのような平均的挙動である。特に、熱力学の第0法則は「十分長い時間スケールを経れば平衡状態にある熱力学系の、その機能的に独立な測度は、温度の形でのその全エネルギーのみである」などと定式化できる。
エルゴート力学系は、(ハミルトニアンで測られる)エネルギーを除けば、相空間上の機能的に独立な保存量を持たないような系である。詳しく述べれば、エネルギー E を固定して、ΩE をエネルギーが E となる状態すべてからなる相空間の部分集合(エネルギー面)とし、Tt で相空間上の発展演算子を表せば、力学系がエルゴードとなるのは、ΩE 上の定数でない連続関数で、ΩE の任意の w と任意の時間 t において
を満たすものがない場合に限る。リウヴィルの定理によれば、エネルギー面上の測度 μ で時間並進不変なものが存在する。結果として時間並進は、エネルギー面 ΩE 上の自乗可積分関数に内積を
で入れたヒルベルト空間 L(ΩE,μ) のユニタリ変換になる。
フォンノイマンの平均エルゴード定理の主張は次のようなものである。
エルゴード系では、時間発展の固定集合は定数関数のみから成るので、先のエルゴード定理から任意の f ∈ L(ΩE,μ) に対し
となることが従う。つまり、観測可能な f の長期平均は、そのエネルギー面に亘ってとった期待値に等しい。
フーリエ解析の基本目的の一つは、関数を付随するフーリエ級数、即ち与えられた基底関数族の(必ずしも有限とは限らない)線型結合に分解することである。区間 [0, 1] 上の関数 f に付随する古典フーリエ級数とは
なる形の級数である。
鋸歯状波関数に対するフーリエ級数の最初の数項を足し上げた例を図に示す。鋸歯状波関数の波長を λ とすると、(基本波、つまり n = 1 を除いて)それよりも短い波長 λ/n(n は整数)をもつ正弦波が基底関数である。全ての基底関数が鋸歯状波の折れるところで交わり(結点)を持つが、基本波を除く全ての基底関数はそれ以外にも結点を持つ。鋸歯の周りでの基底関数の部分和の振動はギブズ現象と呼ばれるものである。
古典フーリエ級数論の特徴的な問題の一つに「関数 f のフーリエ級数がもとの関数に収束する(ことが仮にあったとする)ならば、それはどのような意味においての収束であるか」を問う問題がある。これに対して、ヒルベルト空間を用いた方法で答えを与えることができる。関数族 en(θ) := e はヒルベルト空間 L([0, 1]) の正規直交基底を成すから、それ故に任意の自乗可積分関数 f が
なる級数の形で表せて、さらにこの級数は L([0, 1]) の元として収束する(即ち、L-収束、自乗平均収束)。
この問題を抽象的な観点からも見ることができる。任意のヒルベルト空間は正規直交基底を持ち、ヒルベルト空間の各元はそれら基底に属する元の定数倍の和として一意的に表すことができるが、この展開に現れる各基底元の係数のことをその元の抽象フーリエ係数と呼ぶことがある。このような抽象化は、L([0,1]) などの空間で別の基底関数系を用いることがより自然であるようなときに、特に有用である。関数を三角関数系に分解することは不適当だが、例えば直交多項式系やウェーブレットおよび高次元において球面調和関数へ展開することが適当であるような状況はたくさんある。
例えば、en を L[0,1] の任意の正規直交基底関数系とすると、与えられた L[0,1] の関数は有限線型結合
で近似することができる。右辺の係数 {aj} は、差の大きさ ‖ƒ − ƒn‖ をできるだけ小さくするように定める。幾何学的には、最適近似は {ej} の線型結合全体の成す部分空間の上への ƒ の直交射影であり、
によって計算することができる。これが ‖ƒ − ƒn‖ を最小化することはベッセルの不等式とパーセヴァルの公式からの帰結である。
種々の物理学的問題においては、関数を物理的に意味を持つ微分作用素(典型的なものはラプラス作用素)の固有関数系に分解することができ、微分作用素のスペクトルに関連して、関数のスペクトル研究の基礎を成している。物理学への具体的な応用として太鼓の形を聴く(英語版)問題が挙げられる。これは「太鼓の皮が引き起こす基本振動モードを与えたとき、太鼓自身の形が推定できるか」というものである。この問題の数学的定式化は、平面上のラプラス作用素のディリクレ固有値に関わるものになる(これはヴァイオリンの弦の基本振動モードを表す整数の直接の対応物である)。
スペクトル論も関数のフーリエ変換のある種の側面を下支えしている。フーリエ解析ではコンパクト集合上定義された関数を(ヴァイオリンの弦や太鼓の皮の振動に対応する)ラプラス変換の離散スペクトルに分解するのに対して、関数のフーリエ変換はユークリド空間の全域で定義された関数をラプラス作用素の連続スペクトルに関する成分に分解する。フーリエ変換があるヒルベルト空間(「時間領域」)から別なヒルベルト空間(「周波数領域」)への等距変換であることを主張するプランシュレルの定理として、フーリエ変換は幾何学的な意味を持つ。このフーリエ変換の等距性は、例えば非可換調和解析に現れる球関数に対するプランシュレルの定理などが示すとおり、抽象的な調和解析では繰り返し登場する主題である。
ディラックとフォンノイマンによって発展した量子力学の数学的に厳密な定式化は、量子力学系の取りうる状態(より正確には純粋状態)が、状態空間と呼ばれる可分な複素ヒルベルト空間に属する単位ベクトル(状態ベクトルという)によって(位相因子と呼ばれるノルム 1 の複素数の違いを除いて)表現される。つまり、取りうる状態はあるヒルベルト空間の射影化(ふつうは複素射影空間と呼ばれる)の元である。このヒルベルト空間が実際にどのようなものになるかは系に依存する。例えば、一つの非相対論的スピン 0 粒子の位置と運動量の状態は自乗可積分関数全体の成す空間であり、いっぽう一つの陽子のスピンの状態はスピノルの成す二次元複素ヒルベルト空間の長さ 1 の元である。各可観測量は状態空間上に作用する自己随伴線型作用素として表現され、可観測量の固有状態はその作用素の固有ベクトルに、固有ベクトルに対応する固有値は固有状態にある可観測量の値にそれぞれ対応する。
量子状態の時間発展はシュレーディンガー方程式によって記述され、そこに現れるハミルトニアン(全エネルギーに対応する作用素)は時間発展を生み出す。
二つの状態ベクトルの間の内積は確率振幅として知られる複素数になる。量子力学系の理想的な測定の間で、系が与えられた初期状態から特定の固有状態に崩壊する確率は、初期状態から終期状態の間の確率振幅の絶対値の平方によって与えられる。測定の結果として可能なのは、作用素の固有値であり(これは自己随伴作用素のとり方を説明する)、全ての固有値は実数でなければならない。与えられた状態の可観測量の確率分布は対応する作用素のスペクトル分解を計算すれば求められる。
一般の系では、状態は典型的には純粋ではないが、密度行列(ヒルベルト空間上のトレース 1 の自己随伴作用素)で与えられる純粋状態の統計的混合(あるいは混合状態)として表される。さらに、一般の量子力学系では、単独の測定の効果は系のほかの部分に影響を及ぼしうるが、それは測度が正の作用素値測度(英語版)で取り替えたものとして記述される。従って、一般論として状態と可観測量の両方の構造は、純粋状態の理想化したものより相当に複雑である。
ハイゼンベルクの不確定性原理は、ある種の可観測量に対応する作用素が互いに可換でなく、特定の形の交換子を与えるという主張として表される。
ヒルベルト空間 H の二つのベクトル u, v が直交するのは、⟨u, v⟩ = 0 のときである。このとき u ⊥ v と書く。更に一般に、H の部分集合 S に対して u ⊥ S と書けば、これは u が S の各元と直交することを意味する。
u と v とが直交するとき、等式
が成り立つ。これは個数 n に関する帰納法で拡張することができて、任意の互いに直交する n 本のベクトルの族 u1, ..., un に対して
が成り立つ。三平方の定理の主張は任意の内積空間で有効であるにも拘らず、この等式を級数(無限和)に対して拡張するには完備性を課さねばならない。互いに直交するベクトルからなる級数 ∑ uk が H において収束するための必要十分条件は、各項のノルムの平方からなる級数が収束し、かつ
が満たされることである。更に言えば、互いに直交するベクトルからなる級数の和は、それらのベクトルの和をとる順番に依らずに定まる。
定義から、任意のヒルベルト空間はバナッハ空間であり、さらに中線定理
も成立する。逆に中線定理が成り立つような任意のバナッハ空間はヒルベルト空間になり、その内積は極化恒等式によってノルムから一意的に定まる。実ヒルベルト空間における極化恒等式は
であり、複素ヒルベルト空間の場合は
で与えられる。中線定理は、任意のヒルベルト空間が一様凸バナッハ空間となることを示している。
ヒルベルト空間 H の空でない閉凸部分集合を C とし、H の点 x をとると、x との距離を最小化する C の元 y がただ一つ存在する。
これは、C を平行移動した凸集合 D := C − x にノルムが最小となる点が存在するとも言い換えられる。このことは、任意の最小化列 (dn) ⊂ D が(中線定理により)コーシー列となること、従って(完備性により)D 内の点に収束するが、それがノルム最小であることを示すことで証明できる。もっと一般に、一様凸バナッハ空間でこのことは成り立つ。
この結果を H の閉部分空間 F に適用するとき、y ∈ F が x に最近接することは
によって特徴付けることができる。この点 y というのは x の F の上への直交射影に他ならない。このとき、写像 PF: x ↦ y は線型である(後述)。この結果は、最小自乗法の基礎を成すもので、応用数学、特に数値解析において有意である。
特に F が全体空間 H 自身とは一致しないとき、F に直交する非零ベクトル v が取れる(F に属さない x をとって、v := x − y と置けばよい)。これを応用して、閉部分集合 F が H の部分集合 S によって生成されるかを見るのに有効な判定法が得られる。即ち、
ヒルベルト空間 H の連続的双対空間 H とは、H からその係数体への連続な線型写像全体の成す空間のことをいう。この空間には
で定義される自然なノルムが入る。このノルムは中線定理を満足するので、この双対空間もまた内積空間になる。またこれは完備であり、従ってそれ自身ヒルベルト空間を定める。
リースの表現定理は、この双対空間の簡便な記述を与えてくれる。即ち、H の各元 u に対して、
で定まる H の元 φu がただ一つ存在し、写像 u ↦ φu は H から H への反線型写像(英語版)になる。リースの表現定理はこの写像が反線型同型であるというのである。故に、双対空間 H の各元 φ に対し H の元 uφ がただ一つ存在して、H の任意の元 x について
を満たす。双対空間 H 上に定まるこの内積は
を満たす。右辺で順番が逆になっているのは uφ の反線型性から φ の線型性を回復するためである。実係数の場合は、H からその双対空間への反線型同型は実際には線型同型になるから、実ヒルベルト空間はその双対空間と自然に同型になる。
表現ベクトル uφ を得るには以下のようにする。φ ≠ 0 のとき、核 F = ker φ は H の閉部分空間であって、H には一致しないから、F に直交する非零ベクトル v が存在する。ベクトル u を v の適当なスカラー倍 λv として、φ(v) = ⟨v, u⟩ が
を満たすようにする。この対応関係 φ ↔ u は物理学ではお馴染みのブラ・ケット記法で大いに活用されている。物理学ではふつうは内積 ⟨x | y⟩ の右側の項に関して線型なので、
とすると、この ⟨x | y⟩ は、ブラベクトルと呼ばれる線型汎関数 ⟨x| がケットベクトルと呼ばれるベクトル |y⟩ に作用したものと見ることができる。
リースの表現定理は内積の存在に関して基本的であるばかりでなく、双対空間の完備性に関しても基本的である。事実、定理からは任意の内積空間の位相的双対がもとの空間の完備化と同一視できることが導かれる。リースの表現定理から直ちに導かれる結果としては他にも、ヒルベルト空間 H の回帰性、即ち H からその二重双対空間への自然な写像が同型となることも挙げられる。
ヒルベルト空間 H において、点列 {xn} がベクトル x ∈ H に弱収束するとは、任意の v ∈ H に対し
をみたすことをいう。
例えば、任意の正規直交列 {ƒn} は 0 に弱収束することが、ベッセルの不等式から従う。任意の弱収束列 {xn} は一様有界性原理(英語版)により有界である。
逆に、ヒルベルト空間における任意の有界列は弱収束する部分列を含む(アラオグルの定理) 。この結果は、R 上の連続関数に対してボルツァーノ・ヴァイエルシュトラスの定理を用いるのと同じやり方で、連続凸関数に対する最小値定理の証明に用いられる。これにはいくらか異なった述べ方があるが、以下のような形が簡便であろう
この事実(とその種々の一般化)は変分法における直接法の基礎を成している。有界閉凸関数に対する最小値の存在は、もう少し抽象的な、ヒルベルト空間 H 内の有界閉凸部分集合が H の回帰性により弱コンパクトになるという事実からも直接的に得られる。弱収束部分列の存在性は、エーベルライン・スムリアンの定理(英語版)の特別の場合である。
バナッハ空間が一般に持つ性質はヒルベルト空間においても成立する。開写像定理の主張は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続かつ全射な線型写像は、開集合を開集合に写すという意味で開写像である」ことをいい、その系としての有界逆写像定理は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続全単射な線型写像は(逆写像も連続であるような連続線型写像の意味で)同型である」ことを主張する。ヒルベルト空間版のこの定理の証明は、一般のバナッハ空間でやるよりも随分と簡単になる。開写像定理は閉グラフ定理と同値である。後者は「バナッハ空間からバナッハ空間への線型写像が連続となるための必要十分条件がそのグラフが閉集合となることである」ことを主張するものである。ヒルベルト空間の場合には、これが非有界作用素の研究において基本になる(閉作用素参照)。
(幾何学的な)ハーン・バナッハの定理は、閉凸集合をその外にある任意の点からヒルベルト空間の超平面によって分割できることを示すものである。これは最適近似性から直ちに得られる。即ち、y が閉凸集合 F の元で x に最近接するものとすると、線分 xy に垂直で、その中点を通る平面が求める分割超平面である。
ヒルベルト空間 H1 から別のヒルベルト空間 H2 への連続線型作用素 A: H1 → H2 は有界集合を有界集合へ写すという意味で「有界」である。逆に、有界な線型作用素は連続になる。二つの有界線型作用素の和および合成は、ふたたび有界かつ線型であり、このような有界線型作用素全体の成す空間には、作用素ノルムと呼ばれるノルム
が定義される。また、H2 の元 y に対して、x ∈ H1 を ⟨Ax, y⟩ へ写す写像は線型かつ連続である。リースの表現定理によれば、有界線型作用素は必ず H1 の適当なベクトル Ay に対する
の形で表現可能である。この定義から、もう一つの有界線型作用素(A の随伴作用素)A: H2 → H1 が定まる。このとき、A = A であることが確かめられる。
H 上の有界線型作用素全体の成す集合 B(H) に、作用素の加法と合成および作用素ノルムと随伴作用素を考えたものは、作用素環の一種である C-環を成す。
B(H) の元 A は A = A を満たすとき自己随伴作用素もしくはエルミート作用素と呼ばれる。エルミート作用素 A が ⟨Ax, x⟩ ≥ 0 を任意の x で満たすとき、A は非負であるといい、A ≥ 0; で表す。さらに等号成立が x = 0 のときに限るならば A は正であるという。また、
なるものと定義すれば、自己随伴作用素全体の成す集合に半順序 ≥ が導入できる。作用素 A が適当な B に対して A = BB なる形に書けるならば、A は非負であり、さらに B が可逆のとき A は正になる。また、非負作用素 A に対して
を満たす非負平方根 B が一意に定まるという意味で逆が成り立つ。これは、スペクトル論によって精緻化することができ、自己随伴作用素を「実」作用素と看做すことが有効であると分かる。B(H) の元 A が AA = A A を満たすとき、A は正規であるという。正規作用素は、自己随伴作用素と自己随伴作用素の虚数倍の和
に分解され、各項は互いに可換になる。正規作用素をその実部と虚部とに分けて考えることも有用である。
B(H) の元 U が可逆かつその逆作用素が U で与えられるとき、U はユニタリであるという。この条件は「U が全射かつ H の各元 x, y に対して ⟨Ux, Uy⟩ = ⟨x, y⟩ を満たすこと」とも言い換えられる。H 上のユニタリ作用素の全体は、合成に関して H の等距変換群と呼ばれる群を成す。
B(H) の元がコンパクトであるとは、それが有界集合を相対コンパクト集合へ写すときに言う。同じことだが、有界作用素 T について、任意の有界列 {xk} に対して列 {Txk} が収束部分列を持つとき T はコンパクトである。多くの積分作用素はコンパクトであり、事実ヒルベルト=シュミット作用素として知られるコンパクト作用素のクラスが積分方程式論において特に重要な働きをする。フレドホルム作用素は恒等変換の定数倍の分だけコンパクト作用素とは違うけれども、核と余核が有限であるような作用素としても特徴付けられる。フレドホルム作用素の指数 (index) は
で定義される。この指数はホモトピー不変量であり、アティヤ・シンガーの指数定理を通じて微分幾何学で深い役割を果たす。
ヒルベルト空間においては非有界作用素もある程度きれいに扱うことができ、量子力学にも重要な応用を持つ。ヒルベルト空間 H 上の非有界作用素 T は、その定義域 D(T) が H の線型部分空間であるような線型作用素であるものとして定義される。定義域が H の稠密な部分集合となることもよくあり、そのような作用素 T は密定義作用素と呼ばれる。
密定義非有界作用素の随伴は、本質的に有界作用素の場合と同じ方法で定義される。自己随伴非有界作用素は量子力学の数学的基礎において可観測量の役割を持つ。ヒルベルト空間 H = L(R) 上の自己随伴非有界作用素の例としては、
などが挙げられる。これらはそれぞれ、運動量と位置の可観測量に対応する。この A も B も H の全域で定義されてはいないことに注意すべきである。A の場合は微分が存在しないものがあること、B の場合は x が掛けられた関数が自乗可積分とは限らないことがその理由である。何れの場合にも、引数にとり得る関数全体の成す集合は H の稠密な部分集合になる。
二つのヒルベルト空間 H1 および H2 を足し併せて、(直交)直和と呼ばれる別のヒルベルト空間 H1 ⊕ H2 を作ることができる。この空間は(x1, x2) (xi ∈ Hi, i = 1,2) なる順序対の全体からなる集合を台に持ち、その上の内積を
で定めたものになっている。より一般に、i ∈ I を添字とするヒルベルト空間の族 Hi に対して、その(外部)直和 ⨁ i ∈ I H i {\displaystyle \textstyle \bigoplus _{i\in I}H_{i}} が、Hi のデカルト積の元 x = ( x i ∈ H i ∣ i ∈ I ) ∈ ∏ i ∈ I H i {\displaystyle \textstyle x=(x_{i}\in H_{i}\mid i\in I)\in \prod _{i\in I}H_{i}} で条件 ∑ i ∈ I ‖ x i ‖ 2 < ∞ {\displaystyle \textstyle \sum _{i\in I}\|x_{i}\|^{2}<\infty } を満たすもの全体から成る集合を台とし、内積を
で定めることによって定義される。このとき、各空間 Hi は直和空間の中へ閉部分空間として埋め込まれる。もっと言えば、埋め込まれた各 Hi はどの二つも互いに直交する。逆に、一つのヒルベルト空間において閉部分空間の族 Vi (i ∈ I) で各空間がどの二つも互いに直交しているようなものが与えられているとき、それら全ての和集合が全体空間 H の中で稠密になるならば、H は本質的に Vi たちの直和に同型である。この場合、H は Vi たちの内部直和であると言われる。(内部でも外部でも)直和には、i-番目の直和因子 Hi の上への直交射影 Ei の族が伴う。これらの直交射影はどれも有界・自己随伴かつ冪等な作用素であって、直交性条件
が成り立つ。
ヒルベルト空間 H 上の自己随伴コンパクト作用素に対するスペクトル論によれば、H は或る作用素の固有空間の直交直和に分解され、またその作用素はその固有空間への射影の直和として明示的に表される。ヒルベルト空間の直和は、(素粒子を変数にもつ系のフォック空間など)量子力学においても用いられ、そこでは直和の各成分たるヒルベルト空間と量子力学系の余剰自由度とが対応する。表現論におけるピーター・ワイルの定理(英語版)によれば、ヒルベルト空間上で定義されるコンパクト群のユニタリ表現は必ず有限次元表現の直和に分解されることが保証される。
二つのヒルベルト空間 H1, H2 に対し、それらの(代数的な)テンソル積の上に、次のように内積を定めることができる。まず(生成元である)単純テンソル(英語版)に対して
と定め、これを半双線型 (Sesquilinearly) に H 1 ⊗ H 2 {\displaystyle H_{1}\otimes H_{2}} 全体で定義される内積に拡張する。H1 と H2 とのヒルベルトテンソル積 H 1 ⊗ ^ H 2 {\displaystyle H_{1}{\hat {{}\otimes {}}}H_{2}} とは、いま定義した内積に付随する距離位相に関して H1 ⊗ H2 を完備化して得られるものをいう。
ヒルベルト空間 L([0, 1]) を使って例を考えよう。L([0, 1]) の二つのコピーのヒルベルトテンソル積は、正方形 [0, 1] 上の自乗可積分関数の空間 L([0, 1]) に等距かつ線型に同型である。この同型で単純テンソル f1 ⊗ f2 は
なる正方形上の関数に写される。
この例は以下のような意味で典型的である。即ち、各単純テンソル積 x1 ⊗ x2 には(連続的)双対 H1 から H2 への 1-階作用素
が対応し、この単純テンソル上定義された写像を拡張して、H1 ⊗ H2 と H1 から H2 への有限階作用素全体の成す空間とを同一視する線型同型が得られる。これを拡張して、ヒルベルトテンソル積 H 1 ⊗ ^ H 2 {\displaystyle H_{1}{\hat {{}\otimes {}}}H_{2}} は H1 から H2 へのヒルベルト=シュミット作用素全体の成すヒルベルト空間 HS(H1, H2) に等距線型同型になることがわかる。
線型代数学で言うような正規直交基底の概念を、ヒルベルト空間に対するものへ一般化することができる。ヒルベルト空間 H における正規直交基底とは、H の元からなる族 {ek}k ∈ B で、条件
を満足するものを言う。
上記基底の条件の最初の二つを満たすようなベクトルの集合は正規直交系と呼ばれる(B が可算のときは、正規直交列とも呼ぶ)。正規直交系は常に一次独立系である。ヒルベルト空間のベクトルの成す正規直交系については、その完全性条件を次のように言い換えることもできる。
このことは「稠密な部分集合に対して直交するようなベクトルは零ベクトルに限る」という事実と関係がある。実際、S を任意の正規直交系とし、ベクトル v が S に直交するものとすると、v は S の張る部分空間の閉包とも直交するが、S が完全であるならばそのような閉包は全空間に他ならない。
正規直交基底の例としては、
等を挙げることができる。
無限次元の場合には、正規直交基底は線型代数学でいう意味での基底にはならない(これを区別する意味で後者をハメル基底とも呼ぶ)。基底ベクトルの張る部分空間が全空間において稠密であるということから、空間の各ベクトルが基底ベクトルの無限線型和として書けることが従う。また直交性からはそのような和としての表示の一意性が従う。
自乗総和可能な複素数列の空間 l とは、各項が複素数の無限数列
で、条件
を満たすもの全体からなる集合(に、項ごとの和、スカラー倍、標準内積を入れたもの)である。この空間には標準的な正規直交基底
が存在する。より一般に、任意の集合 B に対して、B 上の自乗総和可能数列の成す空間 l(B) が
で定義される。ただし B 上の総和というのを、ここでは
で定める(上限は B の有限部分空間すべてに亘って取る)。このようにすると、この和が有限であるところの l(B) の各元は、可算個の例外を除いた全ての項が 0 になることがわかる。l(B) の任意の元 x, y に対して、
と内積を定めれば、この空間は実際にヒルベルト空間となる。右辺の和は、0 でない項が高々可算個しかないから意味を持ち、またコーシー・シュヴァルツの不等式によって無条件収束であることがわかる。
l(B) の正規直交基底の一つは、
で与えられる B で添字付けられた族によって与えられる。
H の有限正規直交系 ƒ1, ..., ƒn と H の任意のベクトル x に対して
と置くと、各 k = 1, ..., n に対して ⟨x, ƒk⟩ = ⟨y, ƒk⟩ が成り立つ。故に x − y は各ƒk に直交し、従って x − y は y に直交する。三平方の定理を二度使い
が得られる。さらに {ƒi} (i ∈ I) を H の任意の正規直交系とするとき、I の任意の有限部分集合 J に対して先ほどの不等式を適用すれば、(非負実数の任意濃度の族の和の定義に従って)ベッセルの不等式
が得られる。
幾何学的には、ベッセルの不等式が言っているのは、x の fi たちが生成する部分空間の上への直交射影のノルムは x のノルムを超えないということである。二次元の場合で言えば、これは正三角形の足の長さは斜辺の長さを越えないということになる。
ベッセルの不等式はからは、より強力なパーシヴァルの等式が得られる。これはベッセルの不等式の不等号を等号に取り替えたものになっている。{ek}k ∈ B が H の正規直交基底ならば、H の各元 x は
という形に書くことができる。ベッセルの不等式によって B が非可算の場合にも、このような表示が意味を持ち、可算個の例外を除く各項が 0 に等しいことが保証される。このような和を x のフーリエ展開と呼び、個々の係数 ⟨x,ek⟩ を x のフーリエ係数と呼ぶ。このとき、パーセヴァルの等式は
と書ける。逆に、正規直交系 {ek} が任意の x においてパーセヴァルの等式を満足するならば、{ek} は正規直交基底になる。
ツォルンの補題の帰結として、「任意の」ヒルベルト空間が少なくとも一つの正規直交基底を持つことが分かる。さらに、一つの空間ではどの二つの正規直交基底も必ず同じ濃度を持つことが示されるので、その濃度をしてその空間のヒルベルト次元と呼ぶ 例えば、B 上の自乗総和可能数列の空間 l(B) は B で添字づけられる正規直交基底を持つから、そのヒルベルト次元は B の濃度(これは有限な整数かもしれないし、可算あるいは非可算の基数であるかもしれない)である。
パーセヴァルの等式の帰結として、{ek}k ∈ B が H の正規直交基底ならば、Φ(x) := (⟨x, ek⟩)k∈B で定まる写像 Φ: H → l(B) はヒルベルト空間の等距同型、即ち、全単射な線型写像であって、H の各元 x, y に対して
を満たすことがわかる。B の濃度は H のヒルベルト次元に等しい。従って、任意のヒルベルト空間は、適当な集合 B に対する数列空間 l(B) に等距同型である。
ヒルベルト空間が可分であるための必要十分条件は、それが可算な正規直交基底を持つことである。従って、任意の無限次元可分ヒルベルト空間は l に等距同型になる。
かつてはヒルベルト空間の定義の中に可分であることを含めることが多かった。物理学に現れる殆どの空間は可分であったことや、どの無限次元可分ヒルベルト空間も全て互いに同型であったことから、任意の無限次元可分ヒルベルト空間に言及するときは「唯一の (the) ヒルベルト空間」とかあるいは単に「ヒルベルト空間」と呼ぶこともしばしばであった。場の量子論においてさえ、殆どのヒルベルト空間は事実可分であり、ワイトマンの公理系として明記された。しかし、場の量子論において非可分なヒルベルト空間も重要であるというような反論が時には為された。これは大まかには理論における系が無限個の自由度を持ちうることと(1 より大きい次元を持つ空間の)無限個のテンソル積はどれも非可分であることが理由である。例えばボソン場は自然に、その因子が空間の各点において調和振動子で表現されるようなテンソル積の元と考えることができる。この観点からは、ボソンの空間は非可分であると見るのが自然であるが、しかし全テンソル積の小さな可分部分空間にしか(その上で可観測量が定義できる)物理的に意味のある場が含まれていない。もう一つの非可分ヒルベルト空間モデルは、空間の非有界領域に存在する無限個の素粒子の状態である。この空間の正規直交基底は素粒子の密度を表すある連続なパラメータによって添字付けられる。これは非可算となりうるから、基底は可算ではない。
S をヒルベルト空間 H の部分集合として、S に直交するベクトル全体の成す集合
を考える。S は H の閉部分空間である(これは内積の連続性と線型性用いて容易に示せる)から、それ自身ヒルベルト空間になる。V が H の閉部分空間のとき、V は V の直交補空間と呼ばれる。事実、H の各元 x は x = v + w (v ∈ V, w ∈ V) なる形に一意的に表すことができる。従って、H は V と V との内部直和になっている。
この x を v へ写す線型作用素 PV: H → H を V の上への直交射影と呼ぶ。H の閉部分空間全体の成す集合と有界自己随伴作用素 P で P = P を満たすもの全体の成す集合との間に自然な一対一対応が存在する。
このことから、V の元による x の最適近似であるという PV(x) の幾何学的解釈が得られる。
二つの射影 PU, PV が互いに直交するとは、PUPV = 0 が成り立つときにいう。これは U, V が H の部分空間として直交することと同値である。二つの射影 PU, PV の和が再び射影となるのは U と V とが互いに直交するときに限られる。このとき PU + PV = PU+V が成り立つ。合成 PUPV は一般には射影にならない。事実、合成が射影となる必要十分条件は二つの射影が可換となることであり、その場合 PUPV = PU∩V が成り立つ。
直交射影 PV の終域をヒルベルト空間 V へ制限することにより、射影 π: H → V が生じる。これは包含写像 i: V → H に対して
を満たすという意味での随伴になっている。零でない閉部分空間の上への射影 P の作用素ノルムは
に等しい。従って、ヒルベルト空間の任意の閉部分空間 V は、ノルム 1 で P = P を満たす適当な作用素 P の像になっている。この適当な射影作用素がとれるという性質はヒルベルト空間を特徴付ける性質である。即ち、
この結果はヒルベルト空間の距離構造を特徴付けるものだが、位相線型空間としてのヒルベルト空間の構造は補空間の存在の言葉で特徴付けられる。即ち、
直交補空間については、いくつかのより初等的な事実が成立する。「U ⊂ V ならば V ⊆ U で、等号成立は V が U の閉包に含まれるとき、かつそのときに限る」という意味で、直交補空間をとる操作は単調写像である。これはハーン・バナッハの定理の特別の場合である。部分空間の閉包は直交補空間の言葉で完全に特徴付けることができる。即ち、V が H の部分空間ならば、V の閉包はV に一致する。従って、直交補空間をとる操作は、ヒルベルト空間の部分空間全体の成す半順序集合上のガロワ対応になっている。一般に、部分空間の合併の直交補空間は直交補空間の交わりに一致する。即ち
が成り立つ。さらに Vi が閉ならば
を得る。
ヒルベルト空間における自己随伴作用素のスペクトル論も広く研究が成されている。これには、実係数の場合の対称行列や複素係数の場合の自己随伴行列の研究と大まかな類似がある。同様の意味で、自己随伴作用素を適当な直交射影作用素の和(実際には積分)として表す「対角化」もできる。
作用素 T のスペクトル σ(T) とは、T − λ が連続な逆作用素を持たないような複素数 λ 全体の成す集合のことである。T が有界ならば、そのスペクトルは必ずガウス平面内のコンパクト集合で、円板 {|z| ≤ ‖T‖} の内側に入る。T が自己随伴ならばそのスペクトルは実であり、事実として区間 [m,M] に含まれる。ただし、
とする。さらに言えば m と M はともに実際にはスペクトルに含まれる。
作用素 T の固有空間は
で与えられる。有限次元の行列の場合と異なり、T のスペクトルの元は必ずしも固有値にはなるとは限らず、線型作用素 T − λ が逆を持たないときだけである(これは全射ではないから)。作用素のスペクトルの元は一般に「スペクトル値」と呼ばれる。スペクトル値は固有値とは限らないので、スペクトル分解は有限次元の場合よりは扱いが難しいことが多い。
しかし、自己随伴作用素 T のスペクトル論は、さらにコンパクト作用素であるという仮定を加えれば特に簡単な形にすることができる。自己随伴コンパクト作用素のスペクトル論の主張は
多くの積分作用素、特にヒルベルト=シュミット作用素から生じるものはコンパクトであり、この定理は積分方程式論において基本的な役割を果たす。
自己随伴作用素に対する一般のスペクトル論には、無限和というよりもある種の作用素値リーマン・スティルチェス積分が関係してくる。T に伴う「スペクトル族」には、各実数 λ に対して作用素 (T − λ) の零空間の上への射影 Eλ が対応している。ただし は
で定義される自己随伴作用素の正部分を表す。作用素 Eλ は自己随伴作用素の間に定義される半順序に関して単調増大である。固有値はちょうど跳躍不連続点に対応しており、
なるスペクトル論が得られる。右辺の積分はリーマン・スティルチェス積分として理解され、B(H) のノルムに関して収束する。特に、通常のスカラー値積分表現
が得られる。正規作用素に対してもある程度似たようなスペクトル分解が成立するが、この場合実数でない複素数がスペクトルに含まれるから、作用素値スティルチェス測度 dEλ は 1 の分解で置き換えられなければならない。
スペクトル法の主な応用はスペクトル写像定理(英語版)で、これにより、積分
を作って、自己随伴作用素 T に T のスペクトル上で定義される連続な複素関数を施すことができるようになる。このような連続汎函数計算(英語版)は特に擬微分作用素への応用を持つ。
「非有界」な自己随伴作用素のスペクトル論は、有界作用素に対するものと比べてさほど難しいわけではない。非有界作用素のスペクトルは有界作用素に対するのと全く同じやり方で定義される。つまり、λ がスペクトル値となるのはレゾルベント作用素
が連続作用素として定義されないときである。T の随伴性から、やはりスペクトルが実であることが保証される。従って、非有界作用素に特有な議論の本質の部分は、λ が実でないようなレゾルベント Rλ を見るところにある。このレゾルベントは有界正規作用素で、これをスペクトル表現したものを使って T 自身のスペクトル表現が得られる。同様の方法論で、例えばラプラス作用素のスペクトルも調べられる。作用素を直接扱うよりも、それに付随するリースポテンシャルやベッセルポテンシャル(英語版)のようなレゾルベントを見るのである。
非有界自己随伴作用素の場合に成立するスペクトル定理は以下のようなものである。
非有界正規作用素に対するスペクトル定理も存在する。 | [
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"text": "数学におけるヒルベルト空間(ヒルベルトくうかん、英: Hilbert space)は、ダフィット・ヒルベルトにその名を因む、ユークリッド空間の概念を一般化したものである。これにより、二次元のユークリッド平面や三次元のユークリッド空間における線型代数学や微分積分学の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、内積の構造を備えた抽象ベクトル空間(内積空間)になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに完備距離空間の構造を備えている(極限が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。",
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"text": "ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の関数空間として、数学、物理学、工学などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間にヒルベルト、シュミット、リースらによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、偏微分方程式論、量子力学、フーリエ解析(信号処理や熱伝導などへの応用も含む)、熱力学の研究の数学的基礎を成すエルゴード理論などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、フォン・ノイマンである。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、関数解析学の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、自乗可積分関数の空間 L、自乗総和可能数列の空間 l 2 {\\displaystyle \\ell ^{2}} 、超関数からなるソボレフ空間 H s {\\displaystyle H^{s}} 、正則関数の成すハーディ空間 H 2 {\\displaystyle H^{2}} などが挙げられる。",
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"text": "ヒルベルト空間論の多くの場面で、幾何学的直観は重要である。例えば、三平方の定理や中線定理(の厳密な類似対応物)は、ヒルベルト空間においても成り立つ。より深いところでは、部分空間への直交射影(例えば、三角形に対してその「高さを潰す」操作の類似対応物)は、ヒルベルト空間論における最適化問題やその周辺で重要である。ヒルベルト空間の各元は、平面上の点がそのデカルト座標(直交座標)によって特定できるのと同様に、座標軸の集合(正規直交基底)に関する座標によって一意的に特定することができる。このことは、座標軸の集合が可算無限であるときには、ヒルベルト空間を自乗総和可能な無限列の集合と看做すことも有用であることを意味する。ヒルベルト空間上の線型作用素は、ほぼ具体的な対象として扱うことができる。条件がよければ、空間を互いに直交するいくつかの異なる要素に分解してやると、線型作用素はそれぞれの要素の上では単に拡大縮小するだけの変換になる(これはまさに線型作用素のスペクトルを調べるということである)。",
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"text": "最もよく知られたヒルベルト空間の例の一つは、三次元の空間ベクトル全体の成すユークリッド空間 R 3 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{3}} にドット積を考えたものであろう。二つのベクトル x , y {\\displaystyle {\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {y}}} のドット積 x ⋅ y {\\displaystyle {\\boldsymbol {x}}\\cdot {\\boldsymbol {y}}} は実数を与える。 x , y {\\displaystyle {\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {y}}} がデカルト座標系であらわされているときには、ドット積は",
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"text": "として定まる。このドット積は、条件",
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"text": "このドット積のように、上記三つの性質を満足するベクトルの二項演算を(実)内積と呼び、そのような内積を備えたベクトル空間は(実)内積空間と呼ばれる。任意の有限次元内積空間は、ヒルベルト空間でもある。ユークリッド幾何学に関わるドット積の基本的な特徴というのは、ベクトルの長さ(ノルム) ‖ x ‖ {\\displaystyle \\|{\\boldsymbol {x}}\\|} と二つのベクトル x , y {\\displaystyle {\\boldsymbol {x}},{\\boldsymbol {y}}} の間の角度 θ {\\displaystyle \\theta } の両方が",
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"text": "なる式が成立するという意味でドット積と関連付けられることである。 ユークリッド空間における多変数微分積分学は極限が計算できること、および極限の存在を結論付ける有用な判定法を持つことに支えられている。 R 3 {\\displaystyle \\mathbb {R} ^{3}} のベクトルを項とする級数 ∑ n = 0 ∞ x n {\\displaystyle \\textstyle \\sum _{n=0}^{\\infty }{\\boldsymbol {x}}_{n}} は、そのノルムの和(これは実数を項とする通常の級数)が ∑ n = 0 ∞ ‖ x n ‖ < ∞ {\\displaystyle \\textstyle \\sum _{n=0}^{\\infty }\\|{\\boldsymbol {x}}_{n}\\|<\\infty }",
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"text": "なる条件を満たすとき、絶対収束するという。スカラー項級数の場合と全く同じく、絶対収束するベクトル項級数は",
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"text": "なる意味で、このユークリッド空間の適当な極限ベクトル L {\\displaystyle {\\boldsymbol {L}}} に収束する。このような性質(絶対収束級数は通常の意味でも収束する)は、ユークリッド空間の完備性 (completeness) として表される。",
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"text": "H {\\displaystyle H} がヒルベルト空間であるとは、 H {\\displaystyle H} は実または複素内積空間であって、さらに内積によって誘導される距離関数に関して完備距離空間をなすことを言う。ここで、 H {\\displaystyle H} が複素内積空間であるというのは、 H {\\displaystyle H} は複素線型空間であって、その上に内積、即ち x , y ∈ H {\\displaystyle x,y\\in H} に ⟨ x , y ⟩ ∈ C {\\displaystyle \\langle x,y\\rangle \\in \\mathbb {C} } を対応させる写像であって、条件",
"title": "定義と導入"
},
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"tag": "p",
"text": "を満たすものが存在することをいう。条件の 1 と 2 を併せると、複素内積は第二引数に関して反線型 (antilinear) となることが従う。即ち、",
"title": "定義と導入"
},
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"tag": "p",
"text": "が成り立つ。実内積空間も同様に定められ( H {\\displaystyle H} が実線型空間であることと、内積が実数値であることとが違うだけである)、この場合の内積は双線型(各引数について線型)になる。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "内積 ⟨ ⋅ , ⋅ ⟩ {\\displaystyle \\langle \\cdot ,\\cdot \\rangle } によって定義されるノルム ‖ x ‖ := ⟨ x , x ⟩ 1 / 2 {\\displaystyle \\|x\\|:=\\langle x,x\\rangle ^{1/2}} は実数値関数であり、このノルムを用いて2点 x , y ∈ H {\\displaystyle x,y\\in H} の間の距離が d ( x , y ) := ‖ x − y ‖ = ⟨ x − y , x − y ⟩ 1 / 2 {\\displaystyle d(x,y):=\\|x-y\\|=\\langle x-y,x-y\\rangle ^{1/2}} と定められる。これが距離であるというのは、(1)「 x , y {\\displaystyle x,y} に関して対称」で、(2)「 x {\\displaystyle x} と x {\\displaystyle x} 自身との距離は 0 に等しく、かつそれ以外のときは x , y {\\displaystyle x,y} の距離は必ず正」で、(3)「三角不等式",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "を満たす、即ち三角形 xyz の一辺の長さは他の二辺の長さの和を超えない」という三性質を満たすことを意味する。 三つ目の性質は、突き詰めればより基本的なコーシー・シュヴァルツの不等式",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "(ただし等号成立は x, y の線型従属性と同値)からの帰結である。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "このようにして定義される距離関数に関して、任意の内積空間は距離空間となる。内積空間のことを前ヒルベルト空間 (pre-Hilbert space) と呼ぶこともある。距離空間として完備であるような任意の前ヒルベルト空間は、ヒルベルト空間になる。完備性は、H 内の列に対するコーシーの判定法(英語版)の形で表すことができる。即ち、前ヒルベルト空間 H が完備となるのは、任意のコーシー列がノルムに関する意味で H 内の元に収束することである。完備性は、次のような条件",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "によっても特徴付けることができる。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "完備なノルム空間であるという点で、定義によりヒルベルト空間はバナッハ空間でもある。これらは位相線型空間であり、開集合や閉集合といった位相的概念を定めることができる。特に重要になるのが、ヒルベルト空間の閉部分空間の概念である。完備距離空間の閉部分集合は(そこへ距離を制限すれば)それ自身完備距離空間となるから、ヒルベルト空間の閉部分空間は(そこへ内積を制限するとき)それ自身ヒルベルト空間をなす。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "複素数を項とする無限数列 z = (z1, z2, ...) で級数",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "が収束するようなもの(自乗総和可能な無限複素数列)全体の成す数列空間を l で表す。l 上の内積はエルミート積として",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "で定義される。この右辺の級数が収束することはコーシー・シュヴァルツの不等式からの帰結である。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "空間 l の完備性は「l の元からなる級数が(ノルムの意味で)絶対収束するならば必ず、その級数が l の何らかの元に収束する」ことを示せば言える。このことの証明は解析学の初歩であり、この空間の元からなる級数は複素数(あるいは有限次元ベクトル空間のベクトル)からなる級数と同程度容易に扱うことができる。",
"title": "定義と導入"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間が開発される以前にも、数学や物理学においてユークリッド空間を一般化する別な概念が知られていた。特に、19世紀の終わりに掛けていくつかの流れの中から抽象線型空間の概念が獲得される。これは、その元同士の加法と(実数や複素数のような)スカラーによる乗法とを備えた空間のことを指すのであって、必ずしも物理的な系における運動量や位置といった「幾何学的な」ベクトルをその元が同一視される必要はないという性質のものである。20世紀に入ると、数学者たちは新たな対象を扱うようになり、特に数列の空間(級数論も含む)や関数の空間 は自然に線型空間と看做すことができる。実際に、関数の場合なら、関数同士の和や定数をスカラーとする乗法が定義できて、それらの演算は空間ベクトルの加法とスカラー倍が従うのと同じ代数法則に従う。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "20世紀の最初の10年間で、ヒルベルト空間の導入に繋がる展開が同時並行的に現れた。その一つは、ヒルベルトとシュミットの積分方程式論の研究過程で見出された。区間 [a, b] 上の2つの自乗可積分な実数値関数 f, g は「内積」",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "を持ち、これがよく知られたユークリッド空間のドット積の性質の多くを有していた。これにより特に、関数からなる正規直交系の概念が意味を持つようになる。シュミットは、この内積と通常のドット積との類似性として、",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "(ただし、K は x, y に関して対称)なる形の作用素に対してスペクトル分解の類似物を示した。得られる固有関数展開は関数 K を",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "なる形の級数として表す。ただし、関数系 φn は、n ≠ m なるとき常に ⟨φn, φm⟩ = 0 を満たすという意味で、直交系を成す。この級数の個々の項は、基本積解 (elementary product solution) と呼ばれることもある。しかし、この固有関数展開には、適当な意味で自乗可積分関数に収束するものとそうでないものがある。収束を保証するには完備性(系の完全性)が不可欠なのである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "いま一つは、ルベーグがリーマン積分に替わるものとして1904年に導入したルベーグ積分である。ルベーグ積分は、より広範なクラスの関数で積分を定義することを可能にした。1907年に、リースとフィッシャー(英語版)はそれぞれ独立にルベーグ自乗可積分関数全体の成す空間 L が完備距離空間であることを示した。このような幾何学的議論と系の完全性の議論が合わさった帰結として、19世紀に得られたフーリエ、ベッセル、パーシヴァル(英語版)らの三角級数についての成果を、これらのより一般の空間へ容易に持ち込むことができた。そうして得られた幾何学的かつ解析学的な仕組みは今日ではふつうリース・フィッシャーの定理として知られる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "更なる基本的結果が20世紀の初め頃に証明されていく。例えば、リースの表現定理は1907年にフレシェとリースがそれぞれ独立に示した フォン・ノイマンは自身の非有界エルミート作用素の研究において「抽象ヒルベルト空間」という用語を創出した。他のワイルやウィーナーのような数学者は(しばしば物理学的な興味を動機として)既に特定のヒルベルト空間については極めて詳細な研究を行っていたのだけれども、一般のヒルベルト空間をきちんと、しかも公理的に取り扱ったのはフォン・ノイマンが最初である。後にフォン・ノイマンは、量子力学の基礎付けに関する金字塔的研究においてこのヒルベルト空間の概念を用いており、ウィグナーへと続いていく。「ヒルベルト空間」という呼称は瞬く間に他へ広まり、例えばワイルは自身の量子力学と群論の教科書で用いている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間の概念の重要性は、それが最も適切な量子力学の数学的基礎の提供を実現したことで強く認識されるようになった。簡単に言えば、量子力学系の状態はある種のヒルベルト空間におけるベクトルであり、可観測量はその空間上のエルミート作用素であり、系の対称性はユニタリ作用素であり、観測は直交射影である。量子力学的対称性とユニタリ作用素との間の関係は、1928年のワイルに始まる群のユニタリ表現論の発展の原動力となった。他方、1930年代の初め頃には、古典的な力学系のある種の性質が、エルゴード理論の枠組みのもとでヒルベルト空間を用いた方法で調べられるようになり、明らかにされた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "量子力学における可観測量の代数は、ハイゼンベルクの行列力学による量子論の定式化に従って、自然に或るヒルベルト空間上で定義される作用素環となる。1930年代のうちにフォン・ノイマンがヒルベルト空間上の作用素の成す環としての作用素環を調べ始め、フォン・ノイマンやその時代の人々が研究した種類の作用素環は、今日ではフォン・ノイマン環と呼ばれている。1940年代には、ゲルファント、ナイマーク(英語版)、シーガル(英語版)らが C-環と呼ばれる種類の作用素環の定義を与えた。これはヒルベルト空間の基盤となることはない一方で、それまで知られていた作用素環のもつ有用な特徴が当てはまる。特に、存在する殆どのヒルベルト空間論の根底にある、自己随伴作用素のスペクトル定理が C-環に対して一般化された。これらの手法は今や抽象調和解析や表現論において基本となっている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "ルベーグ空間は測度空間 (X, M, μ) (X は集合で、M は X の部分集合からなる完全加法族、μ は M 上の完全加法的測度)に付随する関数空間である。L(X, μ) を、X 上の複素数値可測関数で、その絶対値の平方のルベーグ積分が有限となるようなもの全体の成す空間とする。即ち、L(X, μ) に属する関数 f は必ず",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "を満たす。ただし、測度零の集合の上でだけ異なる(殆ど至る所一致する)ような関数は全て同一視するものとする。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "L(X, μ) に属する関数 f, g の内積は",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。L の元 f, g に対して、右辺の積分が存在することはコーシー・シュヴァルツの不等式から示されるから、これは確かに内積を定義している。このように定義された内積に関して L は実は完備になる。積分がルベーグ積分であることは完備性を保証するために本質的である。例えば、実数からなる領域上でリーマン可積分関数を考えるのでは十分でない。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "多くの自然な設定の下でルベーグ空間を考えることができる。L(R) および L([0, 1]) をそれぞれ実数直線および単位閉区間上で定義される(ルベーグ測度に関する)自乗可積分関数全体の成す空間とすると、それぞれの自然な定義域上でフーリエ変換とフーリエ級数が定義できる。別な状況では、実数直線上の通常のルベーグ測度ではない何か別の測度を用いることもある。例えば、任意の正値可測関数 w をとり、区間 [0, 1] 上の可測関数 f で",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "を満たすもの全体の成す空間は重み付き L-空間と呼ばれ、w を重み関数と呼ぶ。内積は",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。重み付き空間 L2w([0, 1]) はヒルベルト空間 L([0, 1], μ) に等しい。ただし測度 μ は可測集合 A に対して",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "を満たすものと定める。このような重み付き L 空間は直交多項式を調べるのによく用いられる(これは種々の直交多項式系は、それぞれ別な重み関数に関する意味で直交することによる)。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "ソボレフ空間 H あるいは W はヒルベルト空間になる。これらの空間は微分が行えるような関数空間の一種で、(ヘルダー空間のようなほかのバナッハ空間とは異なり)内積の構造も持つ特別な場合になっている。微分が使えることで、ソボレフ空間は偏微分方程式論に対して都合がよい。また変分法における直接法の基礎も与えている。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "非負整数 s と領域 Ω ⊂ R に対し、ソボレフ空間 H(Ω) は s 階までの弱微分が全て L に属するような L-関数を全て含む。H(Ω) における内積は",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。ただし、右辺のドット積は各階の偏導関数全体の成すユークリッド空間におけるドット積である。s が整数でない場合にもソボレフ空間は定義できる。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "ソボレフ空間は、(ヒルベルト空間のより具体的な構造に依拠する)スペクトル論の観点からも研究される。適当な領域 Ω に対してソボレフ空間 H(Ω) をベッセルポテンシャル(英語版)全体の成す空間として定義することができる。これはだいたい",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "のようなものである。ここで Δ はラプラス作用素、(1 − Δ) はスペクトル写像定理(英語版)によって捉えることができる。非負整数 s に対するソボレフ空間の意味のある定義を与える必要があることをひとまず置いておけば、ソボレフ空間の定義はフーリエ変換のもとで特に望ましい性質を持ち、擬微分作用素の研究に対して理想的である。これらの方法をコンパクトリーマン多様体上で用いれば、例えばホッジ理論の基礎を成すホッジ分解が得られる。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "ベルグマン空間は再生核ヒルベルト空間(関数からなるヒルベルト空間で、先と同様の再生性を持つ積分核 K(ζ,z) を備えたもの)の例になっている。ハーディ空間 H(D) にもセゲー核(英語版)と呼ばれる再生核を持つ。再生核は数学のほかの分野でもよく用いられる。たとえば、調和解析におけるポアソン核は単位球体上の自乗可積分調和関数全体の成すヒルベルト空間(これがヒルベルト空間を成すことは調和関数に対する中間値の定理からわかる)に対する再生核である。",
"title": "例"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間の応用の多くは、ヒルベルト空間において射影や基底変換といったような単純な幾何学的概念が、ふつうの有限次元の場合に考えられるそれらの自然な一般化になっているという事実に依拠して行われている。特に、ヒルベルト空間上の連続自己随伴線型作用素のスペクトル論は、行列のふつうのスペクトル分解の一般化であり、これはヒルベルト空間論を他の数学や物理学の分野に応用する際にしばしば大きな役割を果たす。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "常微分方程式論において、微分方程式の固有関数および固有値の振る舞いを調べるのに適当なヒルベルト空間上のスペクトル法が利用できる。例えば、ヴァイオリンの弦やドラムの調波の研究から生じたスツルム・リウヴィル問題は、常微分方程式論の中心的な問題である。スツルム・リウヴィル問題は区間 [a, b] 上の未知関数 y に対する常微分方程式",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "で、一般斉次ロビン境界条件",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "を満足するものである。関数 p, q, および w は所与で、方程式の解となる関数 y および定数 λ を求める。同問題は、この系の固有値と呼ばれる特定の値の λ に対してだけ解を持つのだが、それのことはこの系に対するグリーン関数によって定まる積分作用素にコンパクト作用素のスペクトル論を適用した結果として得られる。さらにはこの一般論からの別な帰結として、固有値 λ を無限大に発散する単調増大列に並べることができる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間は偏微分方程式を調べる基本的な道具である。即ち、楕円型線型方程式のような偏微分方程式の多くのクラスでは、考える関数のクラスを拡張して弱解と呼ばれる超関数解を考えることができるが、弱解の定式化(弱定式化)の多くはヒルベルト空間を成すソボレフ関数のクラスを含むものになっているのである。解を求めたり、あるいはしばしばより重要な、与えられた境界条件に対する解の存在および一意性を示したりする解析学的な問題が、適当な弱定式化によって幾何学的問題に還元される。楕円型線型方程式に対して、かなりのクラスの問題が一意的に解けることを保証する幾何学的結果の一つがラックス・ミルグラムの定理である。この方法論は、偏微分方程式の数値解法に対するガレルキン法(英語版)(有限要素法の一つ)の基盤をなしている。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "典型的な例が、R の有界領域 Ω におけるポアソン方程式 −Δu = g のディリクレ境界問題である。弱定式化は、境界上で消えている Ω 上連続的微分可能な任意の関数 v に対して",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "を満たすような関数 u を求めることからなる。これは、u およびその弱偏導関数がともに境界上で消えている Ω 上の自乗可積分関数となるような関数 u からなるヒルベルト空間 H10(Ω) の言葉で書き直すことができて、問題はこの空間 H10(Ω) の任意の元 v に対して",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "を満たすような u を空間 H10(Ω) の中で求めることに帰着される。ただし、a および b はそれぞれ",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "で与えられる連続な双線型形式および連続な線型汎関数である。ポアソン方程式は楕円型だから、ポアンカレの不等式から双線型形式 a が強圧的であることが従う。故に、ラックス・ミルグラムの定理は、この方程式の解の存在と一意性を保証する。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "多くの楕円型偏微分方程式に対して同様のやり方でヒルベルト空間による定式化ができるので、それ故にラックス・ミルグラムの定理はそれらの解析における基本的な道具となる。同様の方法は抛物型偏微分方程式やある種の双曲型偏微分方程式に対しても、適当な修正を施せば通用する。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "エルゴード理論の分野では、カオス力学系の長期的振る舞いを研究する。エルゴード理論が有効な原型的な場合というのは、熱力学における系である。この系の微視的な状態は(微粒子の間の個々の衝突の集まりとしては理解できないという意味で)極めて複雑であるにも拘らず、十分長期間にわたるその平均的振る舞いは素直であり、熱力学の法則が主張するのはこのような平均的挙動である。特に、熱力学の第0法則は「十分長い時間スケールを経れば平衡状態にある熱力学系の、その機能的に独立な測度は、温度の形でのその全エネルギーのみである」などと定式化できる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "エルゴート力学系は、(ハミルトニアンで測られる)エネルギーを除けば、相空間上の機能的に独立な保存量を持たないような系である。詳しく述べれば、エネルギー E を固定して、ΩE をエネルギーが E となる状態すべてからなる相空間の部分集合(エネルギー面)とし、Tt で相空間上の発展演算子を表せば、力学系がエルゴードとなるのは、ΩE 上の定数でない連続関数で、ΩE の任意の w と任意の時間 t において",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "を満たすものがない場合に限る。リウヴィルの定理によれば、エネルギー面上の測度 μ で時間並進不変なものが存在する。結果として時間並進は、エネルギー面 ΩE 上の自乗可積分関数に内積を",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "で入れたヒルベルト空間 L(ΩE,μ) のユニタリ変換になる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "フォンノイマンの平均エルゴード定理の主張は次のようなものである。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "エルゴード系では、時間発展の固定集合は定数関数のみから成るので、先のエルゴード定理から任意の f ∈ L(ΩE,μ) に対し",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "となることが従う。つまり、観測可能な f の長期平均は、そのエネルギー面に亘ってとった期待値に等しい。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "フーリエ解析の基本目的の一つは、関数を付随するフーリエ級数、即ち与えられた基底関数族の(必ずしも有限とは限らない)線型結合に分解することである。区間 [0, 1] 上の関数 f に付随する古典フーリエ級数とは",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "なる形の級数である。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "鋸歯状波関数に対するフーリエ級数の最初の数項を足し上げた例を図に示す。鋸歯状波関数の波長を λ とすると、(基本波、つまり n = 1 を除いて)それよりも短い波長 λ/n(n は整数)をもつ正弦波が基底関数である。全ての基底関数が鋸歯状波の折れるところで交わり(結点)を持つが、基本波を除く全ての基底関数はそれ以外にも結点を持つ。鋸歯の周りでの基底関数の部分和の振動はギブズ現象と呼ばれるものである。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "古典フーリエ級数論の特徴的な問題の一つに「関数 f のフーリエ級数がもとの関数に収束する(ことが仮にあったとする)ならば、それはどのような意味においての収束であるか」を問う問題がある。これに対して、ヒルベルト空間を用いた方法で答えを与えることができる。関数族 en(θ) := e はヒルベルト空間 L([0, 1]) の正規直交基底を成すから、それ故に任意の自乗可積分関数 f が",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "なる級数の形で表せて、さらにこの級数は L([0, 1]) の元として収束する(即ち、L-収束、自乗平均収束)。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "この問題を抽象的な観点からも見ることができる。任意のヒルベルト空間は正規直交基底を持ち、ヒルベルト空間の各元はそれら基底に属する元の定数倍の和として一意的に表すことができるが、この展開に現れる各基底元の係数のことをその元の抽象フーリエ係数と呼ぶことがある。このような抽象化は、L([0,1]) などの空間で別の基底関数系を用いることがより自然であるようなときに、特に有用である。関数を三角関数系に分解することは不適当だが、例えば直交多項式系やウェーブレットおよび高次元において球面調和関数へ展開することが適当であるような状況はたくさんある。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "例えば、en を L[0,1] の任意の正規直交基底関数系とすると、与えられた L[0,1] の関数は有限線型結合",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "で近似することができる。右辺の係数 {aj} は、差の大きさ ‖ƒ − ƒn‖ をできるだけ小さくするように定める。幾何学的には、最適近似は {ej} の線型結合全体の成す部分空間の上への ƒ の直交射影であり、",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "によって計算することができる。これが ‖ƒ − ƒn‖ を最小化することはベッセルの不等式とパーセヴァルの公式からの帰結である。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "種々の物理学的問題においては、関数を物理的に意味を持つ微分作用素(典型的なものはラプラス作用素)の固有関数系に分解することができ、微分作用素のスペクトルに関連して、関数のスペクトル研究の基礎を成している。物理学への具体的な応用として太鼓の形を聴く(英語版)問題が挙げられる。これは「太鼓の皮が引き起こす基本振動モードを与えたとき、太鼓自身の形が推定できるか」というものである。この問題の数学的定式化は、平面上のラプラス作用素のディリクレ固有値に関わるものになる(これはヴァイオリンの弦の基本振動モードを表す整数の直接の対応物である)。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "スペクトル論も関数のフーリエ変換のある種の側面を下支えしている。フーリエ解析ではコンパクト集合上定義された関数を(ヴァイオリンの弦や太鼓の皮の振動に対応する)ラプラス変換の離散スペクトルに分解するのに対して、関数のフーリエ変換はユークリド空間の全域で定義された関数をラプラス作用素の連続スペクトルに関する成分に分解する。フーリエ変換があるヒルベルト空間(「時間領域」)から別なヒルベルト空間(「周波数領域」)への等距変換であることを主張するプランシュレルの定理として、フーリエ変換は幾何学的な意味を持つ。このフーリエ変換の等距性は、例えば非可換調和解析に現れる球関数に対するプランシュレルの定理などが示すとおり、抽象的な調和解析では繰り返し登場する主題である。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "ディラックとフォンノイマンによって発展した量子力学の数学的に厳密な定式化は、量子力学系の取りうる状態(より正確には純粋状態)が、状態空間と呼ばれる可分な複素ヒルベルト空間に属する単位ベクトル(状態ベクトルという)によって(位相因子と呼ばれるノルム 1 の複素数の違いを除いて)表現される。つまり、取りうる状態はあるヒルベルト空間の射影化(ふつうは複素射影空間と呼ばれる)の元である。このヒルベルト空間が実際にどのようなものになるかは系に依存する。例えば、一つの非相対論的スピン 0 粒子の位置と運動量の状態は自乗可積分関数全体の成す空間であり、いっぽう一つの陽子のスピンの状態はスピノルの成す二次元複素ヒルベルト空間の長さ 1 の元である。各可観測量は状態空間上に作用する自己随伴線型作用素として表現され、可観測量の固有状態はその作用素の固有ベクトルに、固有ベクトルに対応する固有値は固有状態にある可観測量の値にそれぞれ対応する。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "量子状態の時間発展はシュレーディンガー方程式によって記述され、そこに現れるハミルトニアン(全エネルギーに対応する作用素)は時間発展を生み出す。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "二つの状態ベクトルの間の内積は確率振幅として知られる複素数になる。量子力学系の理想的な測定の間で、系が与えられた初期状態から特定の固有状態に崩壊する確率は、初期状態から終期状態の間の確率振幅の絶対値の平方によって与えられる。測定の結果として可能なのは、作用素の固有値であり(これは自己随伴作用素のとり方を説明する)、全ての固有値は実数でなければならない。与えられた状態の可観測量の確率分布は対応する作用素のスペクトル分解を計算すれば求められる。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "一般の系では、状態は典型的には純粋ではないが、密度行列(ヒルベルト空間上のトレース 1 の自己随伴作用素)で与えられる純粋状態の統計的混合(あるいは混合状態)として表される。さらに、一般の量子力学系では、単独の測定の効果は系のほかの部分に影響を及ぼしうるが、それは測度が正の作用素値測度(英語版)で取り替えたものとして記述される。従って、一般論として状態と可観測量の両方の構造は、純粋状態の理想化したものより相当に複雑である。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "ハイゼンベルクの不確定性原理は、ある種の可観測量に対応する作用素が互いに可換でなく、特定の形の交換子を与えるという主張として表される。",
"title": "応用"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H の二つのベクトル u, v が直交するのは、⟨u, v⟩ = 0 のときである。このとき u ⊥ v と書く。更に一般に、H の部分集合 S に対して u ⊥ S と書けば、これは u が S の各元と直交することを意味する。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "u と v とが直交するとき、等式",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "が成り立つ。これは個数 n に関する帰納法で拡張することができて、任意の互いに直交する n 本のベクトルの族 u1, ..., un に対して",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "が成り立つ。三平方の定理の主張は任意の内積空間で有効であるにも拘らず、この等式を級数(無限和)に対して拡張するには完備性を課さねばならない。互いに直交するベクトルからなる級数 ∑ uk が H において収束するための必要十分条件は、各項のノルムの平方からなる級数が収束し、かつ",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "が満たされることである。更に言えば、互いに直交するベクトルからなる級数の和は、それらのベクトルの和をとる順番に依らずに定まる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "定義から、任意のヒルベルト空間はバナッハ空間であり、さらに中線定理",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "も成立する。逆に中線定理が成り立つような任意のバナッハ空間はヒルベルト空間になり、その内積は極化恒等式によってノルムから一意的に定まる。実ヒルベルト空間における極化恒等式は",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "であり、複素ヒルベルト空間の場合は",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。中線定理は、任意のヒルベルト空間が一様凸バナッハ空間となることを示している。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H の空でない閉凸部分集合を C とし、H の点 x をとると、x との距離を最小化する C の元 y がただ一つ存在する。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "これは、C を平行移動した凸集合 D := C − x にノルムが最小となる点が存在するとも言い換えられる。このことは、任意の最小化列 (dn) ⊂ D が(中線定理により)コーシー列となること、従って(完備性により)D 内の点に収束するが、それがノルム最小であることを示すことで証明できる。もっと一般に、一様凸バナッハ空間でこのことは成り立つ。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "この結果を H の閉部分空間 F に適用するとき、y ∈ F が x に最近接することは",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "によって特徴付けることができる。この点 y というのは x の F の上への直交射影に他ならない。このとき、写像 PF: x ↦ y は線型である(後述)。この結果は、最小自乗法の基礎を成すもので、応用数学、特に数値解析において有意である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "特に F が全体空間 H 自身とは一致しないとき、F に直交する非零ベクトル v が取れる(F に属さない x をとって、v := x − y と置けばよい)。これを応用して、閉部分集合 F が H の部分集合 S によって生成されるかを見るのに有効な判定法が得られる。即ち、",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H の連続的双対空間 H とは、H からその係数体への連続な線型写像全体の成す空間のことをいう。この空間には",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "で定義される自然なノルムが入る。このノルムは中線定理を満足するので、この双対空間もまた内積空間になる。またこれは完備であり、従ってそれ自身ヒルベルト空間を定める。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "リースの表現定理は、この双対空間の簡便な記述を与えてくれる。即ち、H の各元 u に対して、",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "で定まる H の元 φu がただ一つ存在し、写像 u ↦ φu は H から H への反線型写像(英語版)になる。リースの表現定理はこの写像が反線型同型であるというのである。故に、双対空間 H の各元 φ に対し H の元 uφ がただ一つ存在して、H の任意の元 x について",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "を満たす。双対空間 H 上に定まるこの内積は",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "を満たす。右辺で順番が逆になっているのは uφ の反線型性から φ の線型性を回復するためである。実係数の場合は、H からその双対空間への反線型同型は実際には線型同型になるから、実ヒルベルト空間はその双対空間と自然に同型になる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "表現ベクトル uφ を得るには以下のようにする。φ ≠ 0 のとき、核 F = ker φ は H の閉部分空間であって、H には一致しないから、F に直交する非零ベクトル v が存在する。ベクトル u を v の適当なスカラー倍 λv として、φ(v) = ⟨v, u⟩ が",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "を満たすようにする。この対応関係 φ ↔ u は物理学ではお馴染みのブラ・ケット記法で大いに活用されている。物理学ではふつうは内積 ⟨x | y⟩ の右側の項に関して線型なので、",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "とすると、この ⟨x | y⟩ は、ブラベクトルと呼ばれる線型汎関数 ⟨x| がケットベクトルと呼ばれるベクトル |y⟩ に作用したものと見ることができる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "リースの表現定理は内積の存在に関して基本的であるばかりでなく、双対空間の完備性に関しても基本的である。事実、定理からは任意の内積空間の位相的双対がもとの空間の完備化と同一視できることが導かれる。リースの表現定理から直ちに導かれる結果としては他にも、ヒルベルト空間 H の回帰性、即ち H からその二重双対空間への自然な写像が同型となることも挙げられる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H において、点列 {xn} がベクトル x ∈ H に弱収束するとは、任意の v ∈ H に対し",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "をみたすことをいう。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "例えば、任意の正規直交列 {ƒn} は 0 に弱収束することが、ベッセルの不等式から従う。任意の弱収束列 {xn} は一様有界性原理(英語版)により有界である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "逆に、ヒルベルト空間における任意の有界列は弱収束する部分列を含む(アラオグルの定理) 。この結果は、R 上の連続関数に対してボルツァーノ・ヴァイエルシュトラスの定理を用いるのと同じやり方で、連続凸関数に対する最小値定理の証明に用いられる。これにはいくらか異なった述べ方があるが、以下のような形が簡便であろう",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "この事実(とその種々の一般化)は変分法における直接法の基礎を成している。有界閉凸関数に対する最小値の存在は、もう少し抽象的な、ヒルベルト空間 H 内の有界閉凸部分集合が H の回帰性により弱コンパクトになるという事実からも直接的に得られる。弱収束部分列の存在性は、エーベルライン・スムリアンの定理(英語版)の特別の場合である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "バナッハ空間が一般に持つ性質はヒルベルト空間においても成立する。開写像定理の主張は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続かつ全射な線型写像は、開集合を開集合に写すという意味で開写像である」ことをいい、その系としての有界逆写像定理は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続全単射な線型写像は(逆写像も連続であるような連続線型写像の意味で)同型である」ことを主張する。ヒルベルト空間版のこの定理の証明は、一般のバナッハ空間でやるよりも随分と簡単になる。開写像定理は閉グラフ定理と同値である。後者は「バナッハ空間からバナッハ空間への線型写像が連続となるための必要十分条件がそのグラフが閉集合となることである」ことを主張するものである。ヒルベルト空間の場合には、これが非有界作用素の研究において基本になる(閉作用素参照)。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "(幾何学的な)ハーン・バナッハの定理は、閉凸集合をその外にある任意の点からヒルベルト空間の超平面によって分割できることを示すものである。これは最適近似性から直ちに得られる。即ち、y が閉凸集合 F の元で x に最近接するものとすると、線分 xy に垂直で、その中点を通る平面が求める分割超平面である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H1 から別のヒルベルト空間 H2 への連続線型作用素 A: H1 → H2 は有界集合を有界集合へ写すという意味で「有界」である。逆に、有界な線型作用素は連続になる。二つの有界線型作用素の和および合成は、ふたたび有界かつ線型であり、このような有界線型作用素全体の成す空間には、作用素ノルムと呼ばれるノルム",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "が定義される。また、H2 の元 y に対して、x ∈ H1 を ⟨Ax, y⟩ へ写す写像は線型かつ連続である。リースの表現定理によれば、有界線型作用素は必ず H1 の適当なベクトル Ay に対する",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "の形で表現可能である。この定義から、もう一つの有界線型作用素(A の随伴作用素)A: H2 → H1 が定まる。このとき、A = A であることが確かめられる。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "H 上の有界線型作用素全体の成す集合 B(H) に、作用素の加法と合成および作用素ノルムと随伴作用素を考えたものは、作用素環の一種である C-環を成す。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "B(H) の元 A は A = A を満たすとき自己随伴作用素もしくはエルミート作用素と呼ばれる。エルミート作用素 A が ⟨Ax, x⟩ ≥ 0 を任意の x で満たすとき、A は非負であるといい、A ≥ 0; で表す。さらに等号成立が x = 0 のときに限るならば A は正であるという。また、",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "なるものと定義すれば、自己随伴作用素全体の成す集合に半順序 ≥ が導入できる。作用素 A が適当な B に対して A = BB なる形に書けるならば、A は非負であり、さらに B が可逆のとき A は正になる。また、非負作用素 A に対して",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "を満たす非負平方根 B が一意に定まるという意味で逆が成り立つ。これは、スペクトル論によって精緻化することができ、自己随伴作用素を「実」作用素と看做すことが有効であると分かる。B(H) の元 A が AA = A A を満たすとき、A は正規であるという。正規作用素は、自己随伴作用素と自己随伴作用素の虚数倍の和",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "に分解され、各項は互いに可換になる。正規作用素をその実部と虚部とに分けて考えることも有用である。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "B(H) の元 U が可逆かつその逆作用素が U で与えられるとき、U はユニタリであるという。この条件は「U が全射かつ H の各元 x, y に対して ⟨Ux, Uy⟩ = ⟨x, y⟩ を満たすこと」とも言い換えられる。H 上のユニタリ作用素の全体は、合成に関して H の等距変換群と呼ばれる群を成す。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "B(H) の元がコンパクトであるとは、それが有界集合を相対コンパクト集合へ写すときに言う。同じことだが、有界作用素 T について、任意の有界列 {xk} に対して列 {Txk} が収束部分列を持つとき T はコンパクトである。多くの積分作用素はコンパクトであり、事実ヒルベルト=シュミット作用素として知られるコンパクト作用素のクラスが積分方程式論において特に重要な働きをする。フレドホルム作用素は恒等変換の定数倍の分だけコンパクト作用素とは違うけれども、核と余核が有限であるような作用素としても特徴付けられる。フレドホルム作用素の指数 (index) は",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "で定義される。この指数はホモトピー不変量であり、アティヤ・シンガーの指数定理を通じて微分幾何学で深い役割を果たす。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 121,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間においては非有界作用素もある程度きれいに扱うことができ、量子力学にも重要な応用を持つ。ヒルベルト空間 H 上の非有界作用素 T は、その定義域 D(T) が H の線型部分空間であるような線型作用素であるものとして定義される。定義域が H の稠密な部分集合となることもよくあり、そのような作用素 T は密定義作用素と呼ばれる。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 122,
"tag": "p",
"text": "密定義非有界作用素の随伴は、本質的に有界作用素の場合と同じ方法で定義される。自己随伴非有界作用素は量子力学の数学的基礎において可観測量の役割を持つ。ヒルベルト空間 H = L(R) 上の自己随伴非有界作用素の例としては、",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 123,
"tag": "p",
"text": "などが挙げられる。これらはそれぞれ、運動量と位置の可観測量に対応する。この A も B も H の全域で定義されてはいないことに注意すべきである。A の場合は微分が存在しないものがあること、B の場合は x が掛けられた関数が自乗可積分とは限らないことがその理由である。何れの場合にも、引数にとり得る関数全体の成す集合は H の稠密な部分集合になる。",
"title": "ヒルベルト空間上の線型作用素"
},
{
"paragraph_id": 124,
"tag": "p",
"text": "二つのヒルベルト空間 H1 および H2 を足し併せて、(直交)直和と呼ばれる別のヒルベルト空間 H1 ⊕ H2 を作ることができる。この空間は(x1, x2) (xi ∈ Hi, i = 1,2) なる順序対の全体からなる集合を台に持ち、その上の内積を",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 125,
"tag": "p",
"text": "で定めたものになっている。より一般に、i ∈ I を添字とするヒルベルト空間の族 Hi に対して、その(外部)直和 ⨁ i ∈ I H i {\\displaystyle \\textstyle \\bigoplus _{i\\in I}H_{i}} が、Hi のデカルト積の元 x = ( x i ∈ H i ∣ i ∈ I ) ∈ ∏ i ∈ I H i {\\displaystyle \\textstyle x=(x_{i}\\in H_{i}\\mid i\\in I)\\in \\prod _{i\\in I}H_{i}} で条件 ∑ i ∈ I ‖ x i ‖ 2 < ∞ {\\displaystyle \\textstyle \\sum _{i\\in I}\\|x_{i}\\|^{2}<\\infty } を満たすもの全体から成る集合を台とし、内積を",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 126,
"tag": "p",
"text": "で定めることによって定義される。このとき、各空間 Hi は直和空間の中へ閉部分空間として埋め込まれる。もっと言えば、埋め込まれた各 Hi はどの二つも互いに直交する。逆に、一つのヒルベルト空間において閉部分空間の族 Vi (i ∈ I) で各空間がどの二つも互いに直交しているようなものが与えられているとき、それら全ての和集合が全体空間 H の中で稠密になるならば、H は本質的に Vi たちの直和に同型である。この場合、H は Vi たちの内部直和であると言われる。(内部でも外部でも)直和には、i-番目の直和因子 Hi の上への直交射影 Ei の族が伴う。これらの直交射影はどれも有界・自己随伴かつ冪等な作用素であって、直交性条件",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 127,
"tag": "p",
"text": "が成り立つ。",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 128,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 H 上の自己随伴コンパクト作用素に対するスペクトル論によれば、H は或る作用素の固有空間の直交直和に分解され、またその作用素はその固有空間への射影の直和として明示的に表される。ヒルベルト空間の直和は、(素粒子を変数にもつ系のフォック空間など)量子力学においても用いられ、そこでは直和の各成分たるヒルベルト空間と量子力学系の余剰自由度とが対応する。表現論におけるピーター・ワイルの定理(英語版)によれば、ヒルベルト空間上で定義されるコンパクト群のユニタリ表現は必ず有限次元表現の直和に分解されることが保証される。",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 129,
"tag": "p",
"text": "二つのヒルベルト空間 H1, H2 に対し、それらの(代数的な)テンソル積の上に、次のように内積を定めることができる。まず(生成元である)単純テンソル(英語版)に対して",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 130,
"tag": "p",
"text": "と定め、これを半双線型 (Sesquilinearly) に H 1 ⊗ H 2 {\\displaystyle H_{1}\\otimes H_{2}} 全体で定義される内積に拡張する。H1 と H2 とのヒルベルトテンソル積 H 1 ⊗ ^ H 2 {\\displaystyle H_{1}{\\hat {{}\\otimes {}}}H_{2}} とは、いま定義した内積に付随する距離位相に関して H1 ⊗ H2 を完備化して得られるものをいう。",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 131,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間 L([0, 1]) を使って例を考えよう。L([0, 1]) の二つのコピーのヒルベルトテンソル積は、正方形 [0, 1] 上の自乗可積分関数の空間 L([0, 1]) に等距かつ線型に同型である。この同型で単純テンソル f1 ⊗ f2 は",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 132,
"tag": "p",
"text": "なる正方形上の関数に写される。",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 133,
"tag": "p",
"text": "この例は以下のような意味で典型的である。即ち、各単純テンソル積 x1 ⊗ x2 には(連続的)双対 H1 から H2 への 1-階作用素",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 134,
"tag": "p",
"text": "が対応し、この単純テンソル上定義された写像を拡張して、H1 ⊗ H2 と H1 から H2 への有限階作用素全体の成す空間とを同一視する線型同型が得られる。これを拡張して、ヒルベルトテンソル積 H 1 ⊗ ^ H 2 {\\displaystyle H_{1}{\\hat {{}\\otimes {}}}H_{2}} は H1 から H2 へのヒルベルト=シュミット作用素全体の成すヒルベルト空間 HS(H1, H2) に等距線型同型になることがわかる。",
"title": "ヒルベルト空間の構成"
},
{
"paragraph_id": 135,
"tag": "p",
"text": "線型代数学で言うような正規直交基底の概念を、ヒルベルト空間に対するものへ一般化することができる。ヒルベルト空間 H における正規直交基底とは、H の元からなる族 {ek}k ∈ B で、条件",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 136,
"tag": "p",
"text": "を満足するものを言う。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 137,
"tag": "p",
"text": "上記基底の条件の最初の二つを満たすようなベクトルの集合は正規直交系と呼ばれる(B が可算のときは、正規直交列とも呼ぶ)。正規直交系は常に一次独立系である。ヒルベルト空間のベクトルの成す正規直交系については、その完全性条件を次のように言い換えることもできる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 138,
"tag": "p",
"text": "このことは「稠密な部分集合に対して直交するようなベクトルは零ベクトルに限る」という事実と関係がある。実際、S を任意の正規直交系とし、ベクトル v が S に直交するものとすると、v は S の張る部分空間の閉包とも直交するが、S が完全であるならばそのような閉包は全空間に他ならない。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 139,
"tag": "p",
"text": "正規直交基底の例としては、",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 140,
"tag": "p",
"text": "等を挙げることができる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 141,
"tag": "p",
"text": "無限次元の場合には、正規直交基底は線型代数学でいう意味での基底にはならない(これを区別する意味で後者をハメル基底とも呼ぶ)。基底ベクトルの張る部分空間が全空間において稠密であるということから、空間の各ベクトルが基底ベクトルの無限線型和として書けることが従う。また直交性からはそのような和としての表示の一意性が従う。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 142,
"tag": "p",
"text": "自乗総和可能な複素数列の空間 l とは、各項が複素数の無限数列",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 143,
"tag": "p",
"text": "で、条件",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 144,
"tag": "p",
"text": "を満たすもの全体からなる集合(に、項ごとの和、スカラー倍、標準内積を入れたもの)である。この空間には標準的な正規直交基底",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 145,
"tag": "p",
"text": "が存在する。より一般に、任意の集合 B に対して、B 上の自乗総和可能数列の成す空間 l(B) が",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 146,
"tag": "p",
"text": "で定義される。ただし B 上の総和というのを、ここでは",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 147,
"tag": "p",
"text": "で定める(上限は B の有限部分空間すべてに亘って取る)。このようにすると、この和が有限であるところの l(B) の各元は、可算個の例外を除いた全ての項が 0 になることがわかる。l(B) の任意の元 x, y に対して、",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 148,
"tag": "p",
"text": "と内積を定めれば、この空間は実際にヒルベルト空間となる。右辺の和は、0 でない項が高々可算個しかないから意味を持ち、またコーシー・シュヴァルツの不等式によって無条件収束であることがわかる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 149,
"tag": "p",
"text": "l(B) の正規直交基底の一つは、",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 150,
"tag": "p",
"text": "で与えられる B で添字付けられた族によって与えられる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 151,
"tag": "p",
"text": "H の有限正規直交系 ƒ1, ..., ƒn と H の任意のベクトル x に対して",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 152,
"tag": "p",
"text": "と置くと、各 k = 1, ..., n に対して ⟨x, ƒk⟩ = ⟨y, ƒk⟩ が成り立つ。故に x − y は各ƒk に直交し、従って x − y は y に直交する。三平方の定理を二度使い",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 153,
"tag": "p",
"text": "が得られる。さらに {ƒi} (i ∈ I) を H の任意の正規直交系とするとき、I の任意の有限部分集合 J に対して先ほどの不等式を適用すれば、(非負実数の任意濃度の族の和の定義に従って)ベッセルの不等式",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 154,
"tag": "p",
"text": "が得られる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 155,
"tag": "p",
"text": "幾何学的には、ベッセルの不等式が言っているのは、x の fi たちが生成する部分空間の上への直交射影のノルムは x のノルムを超えないということである。二次元の場合で言えば、これは正三角形の足の長さは斜辺の長さを越えないということになる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 156,
"tag": "p",
"text": "ベッセルの不等式はからは、より強力なパーシヴァルの等式が得られる。これはベッセルの不等式の不等号を等号に取り替えたものになっている。{ek}k ∈ B が H の正規直交基底ならば、H の各元 x は",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 157,
"tag": "p",
"text": "という形に書くことができる。ベッセルの不等式によって B が非可算の場合にも、このような表示が意味を持ち、可算個の例外を除く各項が 0 に等しいことが保証される。このような和を x のフーリエ展開と呼び、個々の係数 ⟨x,ek⟩ を x のフーリエ係数と呼ぶ。このとき、パーセヴァルの等式は",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 158,
"tag": "p",
"text": "と書ける。逆に、正規直交系 {ek} が任意の x においてパーセヴァルの等式を満足するならば、{ek} は正規直交基底になる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 159,
"tag": "p",
"text": "ツォルンの補題の帰結として、「任意の」ヒルベルト空間が少なくとも一つの正規直交基底を持つことが分かる。さらに、一つの空間ではどの二つの正規直交基底も必ず同じ濃度を持つことが示されるので、その濃度をしてその空間のヒルベルト次元と呼ぶ 例えば、B 上の自乗総和可能数列の空間 l(B) は B で添字づけられる正規直交基底を持つから、そのヒルベルト次元は B の濃度(これは有限な整数かもしれないし、可算あるいは非可算の基数であるかもしれない)である。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 160,
"tag": "p",
"text": "パーセヴァルの等式の帰結として、{ek}k ∈ B が H の正規直交基底ならば、Φ(x) := (⟨x, ek⟩)k∈B で定まる写像 Φ: H → l(B) はヒルベルト空間の等距同型、即ち、全単射な線型写像であって、H の各元 x, y に対して",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 161,
"tag": "p",
"text": "を満たすことがわかる。B の濃度は H のヒルベルト次元に等しい。従って、任意のヒルベルト空間は、適当な集合 B に対する数列空間 l(B) に等距同型である。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 162,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間が可分であるための必要十分条件は、それが可算な正規直交基底を持つことである。従って、任意の無限次元可分ヒルベルト空間は l に等距同型になる。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 163,
"tag": "p",
"text": "かつてはヒルベルト空間の定義の中に可分であることを含めることが多かった。物理学に現れる殆どの空間は可分であったことや、どの無限次元可分ヒルベルト空間も全て互いに同型であったことから、任意の無限次元可分ヒルベルト空間に言及するときは「唯一の (the) ヒルベルト空間」とかあるいは単に「ヒルベルト空間」と呼ぶこともしばしばであった。場の量子論においてさえ、殆どのヒルベルト空間は事実可分であり、ワイトマンの公理系として明記された。しかし、場の量子論において非可分なヒルベルト空間も重要であるというような反論が時には為された。これは大まかには理論における系が無限個の自由度を持ちうることと(1 より大きい次元を持つ空間の)無限個のテンソル積はどれも非可分であることが理由である。例えばボソン場は自然に、その因子が空間の各点において調和振動子で表現されるようなテンソル積の元と考えることができる。この観点からは、ボソンの空間は非可分であると見るのが自然であるが、しかし全テンソル積の小さな可分部分空間にしか(その上で可観測量が定義できる)物理的に意味のある場が含まれていない。もう一つの非可分ヒルベルト空間モデルは、空間の非有界領域に存在する無限個の素粒子の状態である。この空間の正規直交基底は素粒子の密度を表すある連続なパラメータによって添字付けられる。これは非可算となりうるから、基底は可算ではない。",
"title": "正規直交基底"
},
{
"paragraph_id": 164,
"tag": "p",
"text": "S をヒルベルト空間 H の部分集合として、S に直交するベクトル全体の成す集合",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 165,
"tag": "p",
"text": "を考える。S は H の閉部分空間である(これは内積の連続性と線型性用いて容易に示せる)から、それ自身ヒルベルト空間になる。V が H の閉部分空間のとき、V は V の直交補空間と呼ばれる。事実、H の各元 x は x = v + w (v ∈ V, w ∈ V) なる形に一意的に表すことができる。従って、H は V と V との内部直和になっている。",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 166,
"tag": "p",
"text": "この x を v へ写す線型作用素 PV: H → H を V の上への直交射影と呼ぶ。H の閉部分空間全体の成す集合と有界自己随伴作用素 P で P = P を満たすもの全体の成す集合との間に自然な一対一対応が存在する。",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 167,
"tag": "p",
"text": "このことから、V の元による x の最適近似であるという PV(x) の幾何学的解釈が得られる。",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 168,
"tag": "p",
"text": "二つの射影 PU, PV が互いに直交するとは、PUPV = 0 が成り立つときにいう。これは U, V が H の部分空間として直交することと同値である。二つの射影 PU, PV の和が再び射影となるのは U と V とが互いに直交するときに限られる。このとき PU + PV = PU+V が成り立つ。合成 PUPV は一般には射影にならない。事実、合成が射影となる必要十分条件は二つの射影が可換となることであり、その場合 PUPV = PU∩V が成り立つ。",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 169,
"tag": "p",
"text": "直交射影 PV の終域をヒルベルト空間 V へ制限することにより、射影 π: H → V が生じる。これは包含写像 i: V → H に対して",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 170,
"tag": "p",
"text": "を満たすという意味での随伴になっている。零でない閉部分空間の上への射影 P の作用素ノルムは",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 171,
"tag": "p",
"text": "に等しい。従って、ヒルベルト空間の任意の閉部分空間 V は、ノルム 1 で P = P を満たす適当な作用素 P の像になっている。この適当な射影作用素がとれるという性質はヒルベルト空間を特徴付ける性質である。即ち、",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 172,
"tag": "p",
"text": "この結果はヒルベルト空間の距離構造を特徴付けるものだが、位相線型空間としてのヒルベルト空間の構造は補空間の存在の言葉で特徴付けられる。即ち、",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 173,
"tag": "p",
"text": "直交補空間については、いくつかのより初等的な事実が成立する。「U ⊂ V ならば V ⊆ U で、等号成立は V が U の閉包に含まれるとき、かつそのときに限る」という意味で、直交補空間をとる操作は単調写像である。これはハーン・バナッハの定理の特別の場合である。部分空間の閉包は直交補空間の言葉で完全に特徴付けることができる。即ち、V が H の部分空間ならば、V の閉包はV に一致する。従って、直交補空間をとる操作は、ヒルベルト空間の部分空間全体の成す半順序集合上のガロワ対応になっている。一般に、部分空間の合併の直交補空間は直交補空間の交わりに一致する。即ち",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 174,
"tag": "p",
"text": "が成り立つ。さらに Vi が閉ならば",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 175,
"tag": "p",
"text": "を得る。",
"title": "直交補空間と射影作用素"
},
{
"paragraph_id": 176,
"tag": "p",
"text": "ヒルベルト空間における自己随伴作用素のスペクトル論も広く研究が成されている。これには、実係数の場合の対称行列や複素係数の場合の自己随伴行列の研究と大まかな類似がある。同様の意味で、自己随伴作用素を適当な直交射影作用素の和(実際には積分)として表す「対角化」もできる。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 177,
"tag": "p",
"text": "作用素 T のスペクトル σ(T) とは、T − λ が連続な逆作用素を持たないような複素数 λ 全体の成す集合のことである。T が有界ならば、そのスペクトルは必ずガウス平面内のコンパクト集合で、円板 {|z| ≤ ‖T‖} の内側に入る。T が自己随伴ならばそのスペクトルは実であり、事実として区間 [m,M] に含まれる。ただし、",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 178,
"tag": "p",
"text": "とする。さらに言えば m と M はともに実際にはスペクトルに含まれる。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 179,
"tag": "p",
"text": "作用素 T の固有空間は",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 180,
"tag": "p",
"text": "で与えられる。有限次元の行列の場合と異なり、T のスペクトルの元は必ずしも固有値にはなるとは限らず、線型作用素 T − λ が逆を持たないときだけである(これは全射ではないから)。作用素のスペクトルの元は一般に「スペクトル値」と呼ばれる。スペクトル値は固有値とは限らないので、スペクトル分解は有限次元の場合よりは扱いが難しいことが多い。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 181,
"tag": "p",
"text": "しかし、自己随伴作用素 T のスペクトル論は、さらにコンパクト作用素であるという仮定を加えれば特に簡単な形にすることができる。自己随伴コンパクト作用素のスペクトル論の主張は",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 182,
"tag": "p",
"text": "多くの積分作用素、特にヒルベルト=シュミット作用素から生じるものはコンパクトであり、この定理は積分方程式論において基本的な役割を果たす。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 183,
"tag": "p",
"text": "自己随伴作用素に対する一般のスペクトル論には、無限和というよりもある種の作用素値リーマン・スティルチェス積分が関係してくる。T に伴う「スペクトル族」には、各実数 λ に対して作用素 (T − λ) の零空間の上への射影 Eλ が対応している。ただし は",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 184,
"tag": "p",
"text": "で定義される自己随伴作用素の正部分を表す。作用素 Eλ は自己随伴作用素の間に定義される半順序に関して単調増大である。固有値はちょうど跳躍不連続点に対応しており、",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 185,
"tag": "p",
"text": "なるスペクトル論が得られる。右辺の積分はリーマン・スティルチェス積分として理解され、B(H) のノルムに関して収束する。特に、通常のスカラー値積分表現",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 186,
"tag": "p",
"text": "が得られる。正規作用素に対してもある程度似たようなスペクトル分解が成立するが、この場合実数でない複素数がスペクトルに含まれるから、作用素値スティルチェス測度 dEλ は 1 の分解で置き換えられなければならない。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 187,
"tag": "p",
"text": "スペクトル法の主な応用はスペクトル写像定理(英語版)で、これにより、積分",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 188,
"tag": "p",
"text": "を作って、自己随伴作用素 T に T のスペクトル上で定義される連続な複素関数を施すことができるようになる。このような連続汎函数計算(英語版)は特に擬微分作用素への応用を持つ。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 189,
"tag": "p",
"text": "「非有界」な自己随伴作用素のスペクトル論は、有界作用素に対するものと比べてさほど難しいわけではない。非有界作用素のスペクトルは有界作用素に対するのと全く同じやり方で定義される。つまり、λ がスペクトル値となるのはレゾルベント作用素",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 190,
"tag": "p",
"text": "が連続作用素として定義されないときである。T の随伴性から、やはりスペクトルが実であることが保証される。従って、非有界作用素に特有な議論の本質の部分は、λ が実でないようなレゾルベント Rλ を見るところにある。このレゾルベントは有界正規作用素で、これをスペクトル表現したものを使って T 自身のスペクトル表現が得られる。同様の方法論で、例えばラプラス作用素のスペクトルも調べられる。作用素を直接扱うよりも、それに付随するリースポテンシャルやベッセルポテンシャル(英語版)のようなレゾルベントを見るのである。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 191,
"tag": "p",
"text": "非有界自己随伴作用素の場合に成立するスペクトル定理は以下のようなものである。",
"title": "スペクトル論"
},
{
"paragraph_id": 192,
"tag": "p",
"text": "非有界正規作用素に対するスペクトル定理も存在する。",
"title": "スペクトル論"
}
] | 数学におけるヒルベルト空間は、ダフィット・ヒルベルトにその名を因む、ユークリッド空間の概念を一般化したものである。これにより、二次元のユークリッド平面や三次元のユークリッド空間における線型代数学や微分積分学の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、内積の構造を備えた抽象ベクトル空間(内積空間)になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに完備距離空間の構造を備えている(極限が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。 ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の関数空間として、数学、物理学、工学などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間にヒルベルト、シュミット、リースらによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、偏微分方程式論、量子力学、フーリエ解析(信号処理や熱伝導などへの応用も含む)、熱力学の研究の数学的基礎を成すエルゴード理論などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、フォン・ノイマンである。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、関数解析学の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、自乗可積分関数の空間 L2、自乗総和可能数列の空間 ℓ 2 、超関数からなるソボレフ空間 H s 、正則関数の成すハーディ空間 H 2 などが挙げられる。 ヒルベルト空間論の多くの場面で、幾何学的直観は重要である。例えば、三平方の定理や中線定理(の厳密な類似対応物)は、ヒルベルト空間においても成り立つ。より深いところでは、部分空間への直交射影(例えば、三角形に対してその「高さを潰す」操作の類似対応物)は、ヒルベルト空間論における最適化問題やその周辺で重要である。ヒルベルト空間の各元は、平面上の点がそのデカルト座標(直交座標)によって特定できるのと同様に、座標軸の集合(正規直交基底)に関する座標によって一意的に特定することができる。このことは、座標軸の集合が可算無限であるときには、ヒルベルト空間を自乗総和可能な無限列の集合と看做すことも有用であることを意味する。ヒルベルト空間上の線型作用素は、ほぼ具体的な対象として扱うことができる。条件がよければ、空間を互いに直交するいくつかの異なる要素に分解してやると、線型作用素はそれぞれの要素の上では単に拡大縮小するだけの変換になる(これはまさに線型作用素のスペクトルを調べるということである)。 | [[数学]]における'''ヒルベルト空間'''(ヒルベルトくうかん、{{lang-en-short|''Hilbert space''}})は、[[ダフィット・ヒルベルト]]にその名を因む、[[ユークリッド空間]]の概念を一般化したものである。これにより、二次元の[[平面|ユークリッド平面]]や三次元のユークリッド空間における[[線型代数学]]や[[微分積分学]]の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、[[内積]]の構造を備えた[[ベクトル空間|抽象ベクトル空間]]([[内積空間]])になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに[[完備距離空間]]の構造を備えている([[極限]]が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。
ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の[[関数空間]]として、[[数学]]、[[物理学]]、[[工学]]などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間に[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]、[[エルハルト・シュミット|シュミット]]、[[リース・フリジェシュ|リース]]らによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、[[偏微分方程式]]論、[[量子力学の数学的基礎|量子力学]]、[[フーリエ解析]]([[信号処理]]や熱伝導などへの応用も含む)、[[熱力学]]の研究の数学的基礎を成す[[エルゴード理論]]などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]である。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、[[関数解析学]]の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、[[自乗可積分関数]]の空間 {{math|''L''{{sup|2}}}}、[[数列空間|自乗総和可能数列の空間]] <math>\ell^2</math>、[[超関数]]からなる[[ソボレフ空間]] <math>H^s</math>、[[正則関数]]の成す[[ハーディ空間]] <math>H^2</math> などが挙げられる。
ヒルベルト空間論の多くの場面で、幾何学的直観は重要である。例えば、[[ピタゴラスの定理|三平方の定理]]や[[中線定理]](の厳密な類似対応物)は、ヒルベルト空間においても成り立つ。より深いところでは、部分空間への直交射影(例えば、三角形に対してその「高さを潰す」操作の類似対応物)は、ヒルベルト空間論における最適化問題やその周辺で重要である。ヒルベルト空間の各元は、平面上の点がそのデカルト座標(直交座標)によって特定できるのと同様に、[[座標軸]]の集合([[正規直交基底]])に関する座標によって一意的に特定することができる。このことは、座標軸の集合が[[可算無限]]であるときには、ヒルベルト空間を[[ルベーグ空間|自乗総和可能]]な[[列 (数学)|無限列]]の集合と看做すことも有用であることを意味する。ヒルベルト空間上の[[線型作用素]]は、ほぼ具体的な対象として扱うことができる。条件がよければ、空間を互いに直交するいくつかの異なる要素に分解してやると、線型作用素はそれぞれの要素の上では単に拡大縮小するだけの変換になる(これはまさに線型作用素の[[スペクトル論|スペクトル]]を調べるということである)。
== 定義と導入 ==
=== 動機付けとなる例 ===
最もよく知られたヒルベルト空間の例の一つは、三次元の[[ユークリッドベクトル|空間ベクトル]]全体の成す[[ユークリッド空間]] <math>\mathbb{R}^3</math> に[[ドット積]]を考えたものであろう。二つのベクトル <math>\boldsymbol{x}, \boldsymbol{y}</math> のドット積 <math>\boldsymbol{x} \cdot \boldsymbol{y}</math> は実数を与える。<math>\boldsymbol{x}, \boldsymbol{y}</math> が[[直交座標系|デカルト座標系]]であらわされているときには、ドット積は
:<math>(x_1,x_2,x_3)\cdot (y_1,y_2,y_3) := x_1y_1+x_2y_2+x_3y_3</math>
として定まる。このドット積は、条件
# [[対称性]]: <math>\boldsymbol{x} \cdot \boldsymbol{y}=\boldsymbol{y} \cdot \boldsymbol{x}.</math>
# 第一引数に関する[[線型性]]: <math>(a\boldsymbol{x}_1+b\boldsymbol{x}_2)\cdot \boldsymbol{y}=a\boldsymbol{x}_1 \cdot \boldsymbol{y}+b\boldsymbol{x}_2 \cdot \boldsymbol{y}\quad \forall\ a,b \in \mathbb{R},\ \forall\ \boldsymbol{x}_1, \boldsymbol{x}_2 \in \mathbb{R}^3.</math>
# [[定符号二次形式|正定値性]]: <math>\boldsymbol{x} \cdot \boldsymbol{x} \ge 0\quad \forall\ \boldsymbol{x} \in \mathbb{R}^3;\quad \boldsymbol{x} \cdot \boldsymbol{x}=0 \iff \boldsymbol{x}=\boldsymbol{0}.</math>
を満足する。
このドット積のように、上記三つの性質を満足するベクトルの[[二項演算]]を(実)[[内積]]と呼び、そのような内積を備えた[[ベクトル空間]]は(実)[[内積空間]]と呼ばれる。任意の有限次元内積空間は、ヒルベルト空間でもある。ユークリッド幾何学に関わるドット積の基本的な特徴というのは、ベクトルの長さ([[ノルム]])<math>\|\boldsymbol{x}\|</math> と二つのベクトル <math>\boldsymbol{x}, \boldsymbol{y}</math> の間の角度 <math>\theta</math> の両方が
:<math>\boldsymbol{x}\cdot\boldsymbol{y} = \|\boldsymbol{x}\|\,\|\boldsymbol{y}\|\,\cos\theta</math>
なる式が成立するという意味でドット積と関連付けられることである。
<!--[[Image:Completeness in Hilbert space.png|thumb|right|Completeness means that if a particle moves along the broken path (in blue) travelling a finite total distance, then the particle has a [[Well defined|well-defined]] net displacement (in orange).]]-->
ユークリッド空間における[[多変数微分積分学]]は[[極限]]が計算できること、および極限の存在を結論付ける有用な判定法を持つことに支えられている。<math>\mathbb{R}^3</math> のベクトルを項とする[[級数]] <math>\textstyle\sum_{n=0}^\infty \boldsymbol{x}_n</math> は、そのノルムの和(これは実数を項とする通常の級数)が <math>\textstyle\sum_{n=0}^\infty \|\boldsymbol{x}_n\| < \infty</math>
なる条件を満たすとき、[[絶対収束]]するという<ref>{{harvnb|Marsden|1974|loc=§2.8}}</ref>。スカラー項級数の場合と全く同じく、絶対収束するベクトル項級数は
:<math>\|\boldsymbol{L}-\textstyle\sum_{n=0}^N\boldsymbol{x}_n\|\to 0\quad\text{as }N\to\infty</math>
なる意味で、このユークリッド空間の適当な極限ベクトル <math>\boldsymbol{L}</math> に収束する。このような性質(絶対収束級数は通常の意味でも収束する)は、ユークリッド空間の'''[[完備距離空間|完備性]]''' {{lang|en|(''completeness'')}} として表される。
=== 定義 ===
<math>H</math> が'''ヒルベルト空間'''であるとは、<math>H</math> は[[実数|実]]または[[複素数|複素]][[内積空間]]であって、さらに内積によって誘導される[[距離関数]]に関して[[完備距離空間]]をなすことを言う<ref name="General">この節における数学的な題材は、{{Harvtxt|Dieudonné|1960}}, {{Harvtxt|Hewitt|Stromberg|1965}}, {{Harvtxt|Reed|Simon|1980}}, {{Harvtxt|Rudin|1980}} など、標準的な関数解析学の教科書を見れば載っている。</ref>。ここで、<math>H</math> が複素内積空間であるというのは、<math>H</math> は複素線型空間であって、その上に内積、即ち <math>x,y \in H</math> に <math>\langle x,y \rangle \in \mathbb{C}</math> を対応させる写像であって、条件
#<math>\langle y,x\rangle</math> は <math>\langle x,y\rangle</math> の[[複素共役]]である:<div style="margin: 1ex 2em;"><math>\langle y,x\rangle = \overline{\langle x, y\rangle}\quad \forall\ x,y \in H.</math></div>
#<math>\langle \cdot,\cdot\rangle</math> は第一引数に関して[[線型写像|線型]]である<ref>第二引数に関して線型であると約束する場合もある。</ref>: <div style="margin: 1ex 2em;"><math>\langle ax_1+bx_2, y\rangle = a\langle x_1, y\rangle + b\langle x_2, y\rangle\quad \forall\ x_1,x_2 \in H,\ \forall\ a,b \in \mathbb{C}.</math>
# 内積 <math>\langle \cdot,\cdot\rangle</math> は[[定符号二次形式|正定値]]である:<div style="margin: 1ex 2em;"><math>\langle x,x\rangle \ge 0\quad \forall\ x \in H;\quad \langle x,x\rangle=0 \iff x=0.</math></div>
を満たすものが存在することをいう。条件の 1 と 2 を併せると、複素内積は第二引数に関して反線型 {{lang|en|(antilinear)}} となることが従う。即ち、
:<math>\langle x, ay_1+by_2\rangle = \bar{a}\langle x, y_1\rangle + \bar{b}\langle x, y_2\rangle\quad \forall x_1, x_2 \in H,\ \forall\ a,b \in \mathbb{C}</math>
が成り立つ。実内積空間も同様に定められ(<math>H</math> が実線型空間であることと、内積が実数値であることとが違うだけである)、この場合の内積は双線型(各引数について線型)になる。
内積 <math>\langle \cdot,\cdot\rangle</math> によって定義される[[ノルム]] <math>\|x\| := \langle x,x \rangle^{1/2}</math> は実数値関数であり、このノルムを用いて2点 <math>x,y \in H</math> の間の距離が <math>d(x,y):=\|x-y\| = \langle x-y,x-y \rangle^{1/2}</math>と定められる。これが距離であるというのは、(1)「<math>x,y</math> に関して対称」で、(2)「<math>x</math> と <math>x</math> 自身との距離は 0 に等しく、かつそれ以外のときは <math>x,y</math> の距離は必ず正」で、(3)「[[三角不等式]]
:<math>d(x,z) \le d(x,y) + d(y,z)</math>
を満たす、即ち三角形 {{mvar|xyz}} の一辺の長さは他の二辺の長さの和を超えない」という三性質を満たすことを意味する。
<!--[[File:Triangle inequality in a metric space.svg|300px|center]]-->
三つ目の性質は、突き詰めればより基本的な[[コーシー・シュヴァルツの不等式]]
:<math>|\langle x, y\rangle| \le \|x\|\,\|y\|</math>
(ただし等号成立は {{math|''x'', ''y''}} の[[線型独立性#線型従属|線型従属性]]と同値)からの帰結である。
このようにして定義される距離関数に関して、任意の内積空間は[[距離空間]]となる。内積空間のことを'''前ヒルベルト空間''' {{en|(pre-Hilbert space)}} と呼ぶこともある<ref>{{harvnb|Dieudonné|1960|loc=§6.2}}</ref>。距離空間として[[完備距離空間|完備]]であるような任意の前ヒルベルト空間は、ヒルベルト空間になる。完備性は、{{mvar|H}} 内の列に対する{{仮リンク|コーシーの判定法|en|Cauchy's convergence test}}の形で表すことができる。即ち、前ヒルベルト空間 {{mvar|H}} が完備となるのは、任意の[[コーシー列]]がノルムに関する意味で {{mvar|H}} 内の元に収束することである。完備性は、次のような条件
: ベクトル項級数 {{math|1=∑{{su|b=''k''{{=}}0|p=∞}}  ''u''<sub>''k''</sub>}} が<div style="margin: 1ex 2em;"><math>\sum_{k=0}^\infty\|u_k\| < \infty</math></div>なる意味で絶対収束するならば、もとの級数は(部分和が {{mvar|H}} の元に収束するという意味で) {{mvar|H}} において収束する。
によっても特徴付けることができる。
完備なノルム空間であるという点で、定義によりヒルベルト空間は[[バナッハ空間]]でもある。これらは[[位相線型空間]]であり、[[開集合]]や[[閉集合]]といった[[位相空間論|位相的概念]]を定めることができる。特に重要になるのが、ヒルベルト空間の閉[[部分線型空間|部分空間]]の概念である。完備距離空間の閉部分集合は(そこへ距離を制限すれば)それ自身完備距離空間となるから、ヒルベルト空間の閉部分空間は(そこへ内積を制限するとき)それ自身ヒルベルト空間をなす。
=== もう少し自明でない例 ===
複素数を項とする[[数列|無限数列]] {{math|1='''z''' = (''z''<sub>''1''</sub>, ''z''<sub>2</sub>, …)}} で[[級数]]
:<math>\sum_{n=1}^\infty |z_n|^2</math>
が[[収束級数|収束]]するようなもの(自乗総和可能な無限複素数列)全体の成す[[数列空間]]を {{math|ℓ<sup>2</sup>}} で表す。ℓ<sup>2</sup> 上の内積は[[エルミート積]]として
:<math>\langle \mathbf{z},\mathbf{w}\rangle = \sum_{n=1}^\infty z_n\bar{w}_n</math>
で定義される。この右辺の級数が収束することはコーシー・シュヴァルツの不等式からの帰結である。
空間 {{math|ℓ<sup>2</sup>}} の完備性は「{{math|ℓ<sup>2</sup>}} の元からなる級数が(ノルムの意味で)絶対収束するならば必ず、その級数が {{math|ℓ<sup>2</sup>}} の何らかの元に収束する」ことを示せば言える。このことの証明は[[解析学]]の初歩であり、この空間の元からなる級数は複素数(あるいは有限次元ベクトル空間のベクトル)からなる級数と同程度容易に扱うことができる<ref>{{harvnb|Dieudonné|1960}}</ref>。
== 歴史 ==
[[Image:Hilbert.jpg|thumb|right|[[ダフィット・ヒルベルト]]]]
ヒルベルト空間が開発される以前にも、数学や物理学において[[ユークリッド空間]]を一般化する別な概念が知られていた。特に、19世紀の終わりに掛けていくつかの流れの中から[[ベクトル空間|抽象線型空間]]の概念が獲得される<ref>[[アウグスト・フェルディナント・メビウス|メビウス]]の後押しを受けた[[ヘルマン・グラスマン|グラスマン]]の手によるところが大きい {{harv|Boyer|Merzbach|1991|pp=584–586}}。抽象線型空間の現代的にきちんとした公理的取り扱いは、1888年の[[ジュゼッペ・ペアノ|ペアノ]]が最初である ({{harvnb|Grattan-Guinness|2000|loc=§5.2.2}}; {{harvnb|O'Connor|Robertson|1996}})。</ref>。これは、その元同士の加法と([[実数]]や[[複素数]]のような)スカラーによる乗法とを備えた空間のことを指すのであって、必ずしも物理的な系における運動量や位置といった[[幾何ベクトル|「幾何学的な」ベクトル]]をその元が同一視される必要はないという性質のものである。20世紀に入ると、数学者たちは新たな対象を扱うようになり、特に[[数列]]の空間([[級数]]論も含む)や関数の空間<ref>ヒルベルト空間の詳しい歴史は {{harvnb|Bourbaki|1987}} に扱われている。</ref> は自然に線型空間と看做すことができる。実際に、関数の場合なら、関数同士の和や定数をスカラーとする乗法が定義できて、それらの演算は空間ベクトルの加法とスカラー倍が従うのと同じ代数法則に従う。
20世紀の最初の10年間で、ヒルベルト空間の導入に繋がる展開が同時並行的に現れた。その一つは、[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]と[[エルハルト・シュミット|シュミット]]の[[積分方程式]]論の研究過程で見出された<ref>{{harvnb|Schmidt|1908}}</ref>。区間 {{math|[''a'', ''b'']}} 上の2つの[[自乗可積分]]な実数値関数 {{math|''f'', ''g''}} は「内積」
:<math>\langle f,g \rangle = \int_a^b f(x)g(x)\,dx</math>
を持ち、これがよく知られたユークリッド空間のドット積の性質の多くを有していた。これにより特に、関数からなる[[正規直交系]]の概念が意味を持つようになる。シュミットは、この内積と通常のドット積との類似性として、
:<math>f(x) \mapsto \int_a^b K(x,y) f(y)\, dy</math>
(ただし、{{mvar|K}} は {{math|''x'', ''y''}} に関して対称)なる形の作用素に対して[[スペクトル分解]]の類似物を示した。得られる[[固有関数]]展開は関数 {{mvar|K}} を
:<math>K(x,y) = \sum_n \lambda_n\varphi_n(x)\varphi_n(y)\,</math>
なる形の級数として表す。ただし、関数系 {{mvar|φ<sub>n</sub>}} は、{{math|''n'' ≠ ''m''}} なるとき常に {{math|1={{angbr|''φ<sub>n</sub>'', ''φ<sub>m</sub>''}} = 0}} を満たすという意味で、直交系を成す。この級数の個々の項は、'''基本積解''' {{en|(elementary product solution)}} と呼ばれることもある。しかし、この固有関数展開には、適当な意味で自乗可積分関数に収束するものとそうでないものがある。収束を保証するには完備性(系の完全性)が不可欠なのである<ref>{{harvnb|Titchmarsh|1946|loc=§IX.1}}</ref>。
いま一つは、[[アンリ・ルベーグ|ルベーグ]]が[[リーマン積分]]に替わるものとして1904年に導入した[[ルベーグ積分]]である<ref>{{harvnb|Lebesgue|1904}}。積分論の歴史の詳細は {{harvtxt|Bourbaki|1987}} と {{harvtxt|Saks|2005}} にある。</ref>。ルベーグ積分は、より広範なクラスの関数で積分を定義することを可能にした。1907年に、[[リース・フリジェシュ|リース]]と{{仮リンク|エルンスト・シギスムント・フィッシャー|label=フィッシャー|en|Ernst Sigismund Fischer}}はそれぞれ独立にルベーグ自乗可積分関数全体の成す空間 {{math|''L''<sup>2</sup>}} が[[完備距離空間]]であることを示した<ref>{{harvnb|Bourbaki|1987}}.</ref>。このような幾何学的議論と系の完全性の議論が合わさった帰結として、19世紀に得られた[[ジョゼフ・フーリエ|フーリエ]]、[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル|ベッセル]]、{{仮リンク|マルク=アントワーヌ・パーシヴァル|label=パーシヴァル|en|Marc-Antoine Parseval}}らの[[三角級数]]についての成果を、これらのより一般の空間へ容易に持ち込むことができた。そうして得られた幾何学的かつ解析学的な仕組みは今日ではふつう[[リース・フィッシャーの定理]]として知られる<ref>{{harvnb|Dunford|Schwartz|1958|loc=§IV.16}}</ref>。
更なる基本的結果が20世紀の初め頃に証明されていく。例えば、[[リースの表現定理]]は1907年に[[モーリス・フレシェ|フレシェ]]と[[リース・フリジェシュ|リース]]がそれぞれ独立に示した<ref>{{harvtxt|Fréchet|1907}} と {{harvtxt|Riesz|1907}} の結果を併せて {{harvtxt|Dunford|Schwartz|1958|loc=§IV.16}} は「L<sup>2</sup>[0,1] 上の任意の線型汎関数は積分で表される」と書いている。「ヒルベルト空間の双対がもとの空間と同一視される」という一般な形の主張は {{harvtxt|Riesz|1934}} で述べられている。</ref>。[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]は自身の非有界[[エルミート作用素]]の研究において「'''抽象ヒルベルト空間'''」という用語を創出した<ref>{{Harvnb|von Neumann|1929}}.</ref>。他の[[ヘルマン・ワイル|ワイル]]や[[ノーバート・ウィーナー|ウィーナー]]のような数学者は(しばしば物理学的な興味を動機として)既に特定のヒルベルト空間については極めて詳細な研究を行っていたのだけれども、一般のヒルベルト空間をきちんと、しかも公理的に取り扱ったのは[[ジョン・フォン・ノイマン|フォン・ノイマン]]が最初である<ref>{{harvnb|Kline|1972|p=1092}}</ref>。後にフォン・ノイマンは、量子力学の基礎付けに関する金字塔的研究<ref>{{Harvnb|Hilbert|Nordheim|von Neumann|1927}}.</ref>においてこのヒルベルト空間の概念を用いており、[[ユージン・ウィグナー|ウィグナー]]へと続いていく。「ヒルベルト空間」という呼称は瞬く間に他へ広まり、例えばワイルは自身の量子力学と群論の教科書<ref name="Weyl31">{{Harvnb|Weyl|1931}}.</ref>で用いている。
ヒルベルト空間の概念の重要性は、それが最も適切な[[量子力学の数学的定式化|量子力学の数学的基礎]]の提供を実現したことで強く認識されるようになった<ref>{{harvnb|Prugovečki|1981|pp=1–10}}.</ref>。簡単に言えば、量子力学系の状態はある種のヒルベルト空間におけるベクトルであり、可観測量はその空間上の[[エルミート作用素]]であり、系の[[対称性 (物理学)|対称性]]は[[ユニタリ作用素]]であり、[[観測問題|観測]]は[[直交射影]]である。量子力学的対称性とユニタリ作用素との間の関係は、1928年のワイル<ref name="Weyl31" />に始まる[[群 (数学)|群]]の[[ユニタリ表現|ユニタリ]][[群の表現論|表現論]]の発展の原動力となった。他方、1930年代の初め頃には、古典的な[[力学系]]のある種の性質が、[[エルゴード理論]]の枠組みのもとでヒルベルト空間を用いた方法で調べられるようになり、明らかにされた<ref name="von Neumann 1932">{{harvnb|von Neumann|1932}}</ref>。
量子力学における[[可観測量]]の代数は、[[ヴェルナー・ハイゼンベルク|ハイゼンベルク]]の[[行列力学]]による量子論の定式化に従って、自然に或るヒルベルト空間上で定義される作用素環となる。1930年代のうちにフォン・ノイマンがヒルベルト空間上の作用素の成す[[環 (数学)|環]]としての[[作用素代数|作用素環]]を調べ始め、フォン・ノイマンやその時代の人々が研究した種類の作用素環は、今日では[[フォン・ノイマン環]]と呼ばれている。1940年代には、[[イズライル・ゲルファント|ゲルファント]]、{{仮リンク|マーク・ナイマーク|en|Mark Naimark|label=ナイマーク}}、{{仮リンク|アーヴィング・シーガル|en|Irving Segal|label=シーガル}}らが [[C*代数|{{math|''C''<sup>∗</sup>}}-環]]と呼ばれる種類の作用素環の定義を与えた。これはヒルベルト空間の基盤となることはない一方で、それまで知られていた作用素環のもつ有用な特徴が当てはまる。特に、存在する殆どのヒルベルト空間論の根底にある、自己随伴作用素の[[スペクトル定理]]が {{math|''C''<sup>∗</sup>}}-環に対して一般化された。これらの手法は今や抽象調和解析や表現論において基本となっている。
== 例 ==
=== ルベーグ空間 ===
{{Main|ルベーグ空間}}
ルベーグ空間は[[測度空間]] {{math|(''X'', ''M'', ''μ'')}} ({{mvar|X}} は[[集合]]で、{{mvar|M}} は {{mvar|X}} の部分集合からなる[[完全加法族]]、{{mvar|μ}} は {{mvar|M}} 上の[[測度|完全加法的測度]])に付随する[[関数空間]]である。{{math|''L''<sup>2</sup>(''X'', ''μ'')}} を、{{mvar|X}} 上の複素数値可測関数で、その[[絶対値]]の平方の[[ルベーグ積分]]が有限となるようなもの全体の成す空間とする。即ち、{{math|''L''<sup>2</sup>(''X'', ''μ'')}} に属する関数 {{mvar|f}} は必ず
:<math> \int_X |f|^2 d \mu < \infty</math>
を満たす。ただし、[[零集合|測度零の集合]]の上でだけ異なる([[ほとんど (数学)|殆ど至る所一致する]])ような関数は全て同一視するものとする。
{{math|''L''<sup>2</sup>(''X'', ''μ'')}} に属する関数 {{math|''f'', ''g''}} の内積は
:<math>\langle f,g\rangle=\int_X f(t) \overline{g(t)} \ d \mu(t)</math>
で与えられる。{{math|''L''<sup>2</sup>}} の元 {{math|''f'', ''g''}} に対して、右辺の積分が存在することはコーシー・シュヴァルツの不等式から示されるから、これは確かに内積を定義している。このように定義された内積に関して {{math|''L''<sup>2</sup>}} は実は完備になる<ref>{{Harvnb|Halmos|1957|loc=Section 42}}.</ref>。積分がルベーグ積分であることは完備性を保証するために本質的である。例えば、実数からなる領域上で[[リーマン積分#可積分性|リーマン可積分関数]]を考えるのでは十分でない<ref>{{Harvnb|Hewitt|Stromberg|1965}}.</ref>。
多くの自然な設定の下でルベーグ空間を考えることができる。{{math|''L''<sup>2</sup>('''R''')}} および {{math|''L''<sup>2</sup>([0, 1])}} をそれぞれ実数直線および単位閉区間上で定義される([[ルベーグ測度]]に関する)自乗可積分関数全体の成す空間とすると、それぞれの自然な定義域上でフーリエ変換とフーリエ級数が定義できる。別な状況では、実数直線上の通常のルベーグ測度ではない何か別の測度を用いることもある。例えば、任意の正値可測関数 {{mvar|w}} をとり、区間 {{math|[0, 1]}} 上の可測関数 {{mvar|f}} で
:<math>\int_0^1 |f(t)|^2w(t)\,dt < \infty</math>
を満たすもの全体の成す空間は[[ルベーグ空間|重み付き {{math|''L''<sup>2</sup>}}-空間]]と呼ばれ、{{mvar|w}} を重み関数と呼ぶ。内積は
:<math>\langle f,g\rangle=\int_0^1 f(t) \overline{g(t)} w(t) \, dt</math>
で与えられる。重み付き空間 {{math|1=''L''{{su|p=2|b=''w''}}([0, 1])}} はヒルベルト空間 {{math|''L''<sup>2</sup>([0, 1], ''μ'')}} に等しい。ただし測度 {{mvar|μ}} は可測集合 {{mvar|A}} に対して
:<math>\mu(A) = \int_A w(t)\,dt</math>
を満たすものと定める。このような重み付き {{math|''L''<sup>2</sup>}} 空間は[[直交多項式]]を調べるのによく用いられる(これは種々の直交多項式系は、それぞれ別な重み関数に関する意味で直交することによる)。
=== ソボレフ空間 ===
[[ソボレフ空間]] {{math|''H''<sup>''s''</sup>}} あるいは {{math|''W''<sup>''s'',2</sup>}} はヒルベルト空間になる。これらの空間は[[微分]]が行えるような[[関数空間]]の一種で、([[ヘルダー空間]]のようなほかのバナッハ空間とは異なり)内積の構造も持つ特別な場合になっている。微分が使えることで、ソボレフ空間は[[偏微分方程式]]論に対して都合がよい<ref name="BeJoSc81" />。また[[変分法における直接法]]の基礎も与えている。<ref>{{Harvnb|Giusti|2003}}.<!--Find a reference more specific to the case p=2--></ref>
非負整数 {{mvar|s}} と領域 {{math|Ω ⊂ '''R'''<sup>''n''</sup>}} に対し、ソボレフ空間 {{math|''H''<sup>''s''</sup>(Ω)}} は {{mvar|s}} 階までの[[弱微分]]が全て {{math|''L''<sup>2</sup>}} に属するような {{math|''L''<sup>2</sup>}}-関数を全て含む。{{math|''H''<sup>''s''</sup>(Ω)}} における内積は
:<math>\langle f,g\rangle = \int_\Omega f(x)\bar{g}(x)\,dx + \int_\Omega D f\cdot D\bar{g}(x)\,dx + \cdots + \int_\Omega D^s f(x)\cdot D^s \bar{g}(x)\, dx</math>
で与えられる。ただし、右辺のドット積は各階の偏導関数全体の成すユークリッド空間におけるドット積である。{{mvar|s}} が整数でない場合にもソボレフ空間は定義できる。
ソボレフ空間は、(ヒルベルト空間のより具体的な構造に依拠する)スペクトル論の観点からも研究される。適当な領域 {{math|Ω}} に対してソボレフ空間 {{math|''H''<sup>''s''</sup>(Ω)}} を{{仮リンク|ベッセルポテンシャル|en|Bessel potential}}全体の成す空間として定義することができる<ref>{{harvnb|Stein|1970}}</ref>。これはだいたい
:<math>H^s(\Omega) = \{ (1-\Delta)^{-s/2}f | f\in L^2(\Omega)\}</math>
のようなものである。ここで {{math|Δ}} は[[ラプラス作用素]]、{{math|(1 − Δ)<sup>−''s''/2</sup>}} は{{仮リンク|スペクトル写像定理|en|spectral mapping theorem<!-- リダイレクト先の「[[:en:Banach algebra]]」は、[[:ja:バナッハ環]] とリンク -->}}によって捉えることができる。非負整数 {{mvar|s}} に対するソボレフ空間の意味のある定義を与える必要があることをひとまず置いておけば、ソボレフ空間の定義は[[フーリエ変換]]のもとで特に望ましい性質を持ち、[[擬微分作用素]]の研究に対して理想的である。これらの方法を[[コンパクト空間|コンパクト]][[リーマン多様体]]上で用いれば、例えば[[ホッジ理論]]の基礎を成す[[ド・ラームコホモロジー#ホッジ分解|ホッジ分解]]が得られる<ref>詳細は {{harvtxt|Warner|1983}} に見つかる。</ref>。
=== {{anchors|正則函数の空間}}正則関数の空間 ===
; ハーディ空間
:[[複素解析]]や[[調和解析]]で用いられる[[ハーディ空間]]は、その元が複素領域上の[[正則関数]]となっているような関数空間の一種である<ref>ハーディ空間の一般論は {{harvtxt|Duren|1970}} を見よ。</ref>。{{mvar|U}} をガウス平面上の[[単位円板]]とすると、ハーディ空間 {{math|''H''<sup>2</sup>(''U'')}} は {{mvar|U}} 上の正則関数 {{mvar|f}} で、その平均<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
M_r(f) = \frac{1}{2\pi}\int_0^{2\pi}|f(re^{i\theta})|^2\,d\theta
</math></div>がまた {{math|''r'' < 1}} で抑えられるようなもの全体の成す空間として定義される。このハーディ空間上のノルムは<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
\|f\|_2 = \lim_{r\to 1} \sqrt{M_r(f)}
</math></div>で与えられる。この円板上のハーディ空間はフーリエ級数と関係があり、正則関数 {{mvar|f}} が {{math|''H''<sup>2</sup>(''U'')}} に属するための必要十分条件は、<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
f(z) =\sum_{n=0}^\infty a_n z^n,\qquad\left(\sum_{n=0}^\infty|a_n|^2 <\infty\right)
</math></div>なる形に書けることである。従って、空間 {{math|''H''<sup>2</sup>(''U'')}} は、単位円板上の {{math|''L''<sup>2</sup>}}-関数で、負の周波数に対するフーリエ係数が消えているようなもの全体からなる。
; ベルグマン空間
: 正則関数の成すヒルベルト空間の別なクラスに[[ベルグマン空間]]がある<ref>{{harvnb|Krantz|2002|loc=§1.4}}</ref>。{{mvar|D}} を[[ガウス平面]](または高次元の複素空間)の有界開集合とし、{{math|''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'')}} を {{mvar|D}} 上の正則関数 {{mvar|f}} で<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
\|f\|^2 = \int_D |f(z)|^2\,d\mu(z) < \infty
</math></div>なる意味で {{math|''L''<sup>2</sup>(''D'')}} にも属するようなもの全体の成す集合とする。ただし積分は {{mvar|D}} におけるルベーグ測度に関してとる。明らかに {{math|''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'')}} は {{math|''L''<sup>2</sup>(''D'')}} の部分空間であり、実は閉部分空間になっているので、それ自身ヒルベルト空間を成す。このことは、{{mvar|D}} の[[コンパクト空間|コンパクト部分集合]] {{mvar|K}} の上で有効な評価<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
\sup_{z\in K} |f(z)| \le C_K \|f\|_2
</math></div>からの帰結である。この評価自体は[[コーシーの積分公式]]から出る。従って、{{math|''L''<sup>2</sup>(''D'')}} に属する正則関数列の収束は[[コンパクト収束]]でもあるから、極限関数もまた正則になる。先の評価不等式の別な帰結として、{{mvar|D}} の一点において関数 {{mvar|f}} を評価する線型汎関数は、実際には {{math|''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'')}} 上で連続であることがわかる。リースの表現定理によれば、この評価関数を表現する ''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'') の元が存在するから、各 {{math|''z'' ∈ ''D''}} に対して関数 {{math|''η''<sub>''z''</sub> ∈ ''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'')}} で<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
f(z) = \int_D f(\zeta)\overline{\eta_z(\zeta)}\,d\mu(\zeta)
</math></div>をすべての {{math|''ƒ'' ∈ ''L''<sup>2,''h''</sup>(''D'')}} に対して満たすようなものが取れる。被積分関数の因子<div style="margin: 1ex 2em;"><math>K(\zeta,z) = \overline{\eta_z(\zeta)}</math></div>は {{mvar|D}} の[[ベルグマン核]]と呼ばれる[[積分核]]で、再生性<div style="margin: 1ex 2em;"><math>f(z) = \int_D f(\zeta)K(\zeta,z)\,d\mu(\zeta)</math></div>を満足する。
ベルグマン空間は[[再生核ヒルベルト空間]](関数からなるヒルベルト空間で、先と同様の再生性を持つ積分核 {{math|''K''(''ζ'',''z'')}} を備えたもの)の例になっている。ハーディ空間 {{math|''H''<sup>2</sup>(''D'')}} にも{{仮リンク|セゲー核|en| Szegő kernel}}と呼ばれる再生核を持つ<ref>{{harvnb|Krantz|2002|loc=§1.5}}</ref>。再生核は数学のほかの分野でもよく用いられる。たとえば、[[調和解析]]における[[ポアソン核]]は[[単位球体]]上の自乗可積分[[調和関数]]全体の成すヒルベルト空間(これがヒルベルト空間を成すことは調和関数に対する中間値の定理からわかる)に対する再生核である。
== 応用 ==
ヒルベルト空間の応用の多くは、ヒルベルト空間において[[射影作用素|射影]]や[[基底変換]]といったような単純な幾何学的概念が、ふつうの有限次元の場合に考えられるそれらの自然な一般化になっているという事実に依拠して行われている。特に、ヒルベルト空間上の[[連続写像|連続]][[自己随伴作用素|自己随伴]][[線型作用素]]の[[スペクトル論]]は、[[行列 (数学)|行列]]のふつうの[[スペクトル分解]]の一般化であり、これはヒルベルト空間論を他の数学や物理学の分野に応用する際にしばしば大きな役割を果たす。
=== スツルム・リウヴィル理論 ===
{{Main|スツルム・リウヴィル理論|{{仮リンク|常微分方程式のスペクトル論|en|Spectral theory of ordinary differential equations}}}}
[[Image:Harmonic partials on strings.svg|right|thumb|振動元の[[倍音]]。これらはスツルム・リウヴィル問題の[[固有関数]]で、固有値 {{math|1,1/2,1/3,…}} は[[倍音列]]を成す。]]
[[常微分方程式]]論において、微分方程式の固有関数および固有値の振る舞いを調べるのに適当なヒルベルト空間上のスペクトル法が利用できる。例えば、ヴァイオリンの弦やドラムの調波の研究から生じた[[スツルム=リウヴィル型微分方程式|スツルム・リウヴィル問題]]は、常微分方程式論の中心的な問題である<ref>{{harvnb|Young|1988|loc=Chapter 9}}.</ref>。スツルム・リウヴィル問題は区間 {{math|[''a'', ''b'']}} 上の未知関数 {{mvar|y}} に対する常微分方程式
:<math> -\frac{d}{dx}\left[p(x)\frac{dy}{ dx}\right]+q(x)y=\lambda w(x)y</math>
で、一般斉次[[ロビン境界条件]]
:<math>\begin{cases}
\alpha y(a)+\alpha' y'(a)=0\\
\beta y(b) + \beta' y'(b)=0.
\end{cases}</math>
を満足するものである。関数 ''p'', ''q'', および ''w'' は所与で、方程式の解となる関数 ''y'' および定数 λ を求める。同問題は、この系の固有値と呼ばれる特定の値の λ に対してだけ解を持つのだが、それのことはこの系に対する[[グリーン関数]]によって定まる[[積分作用素]]に[[コンパクト作用素]]のスペクトル論を適用した結果として得られる。さらにはこの一般論からの別な帰結として、固有値 λ を無限大に発散する単調増大列に並べることができる<ref>フレドホルム核の固有値は 1/λ でこれは 0 に近づく。</ref>。
=== 偏微分方程式論 ===
ヒルベルト空間は[[偏微分方程式]]を調べる基本的な道具である<ref name="BeJoSc81">{{harvnb|Bers|John|Schechter|1981}}.</ref>。即ち、[[楕円型偏微分方程式|楕円型線型方程式]]のような偏微分方程式の多くのクラスでは、考える関数のクラスを拡張して[[弱解]]と呼ばれる超関数解を考えることができるが、弱解の定式化(弱定式化)の多くはヒルベルト空間を成す[[ソボレフ空間|ソボレフ関数]]のクラスを含むものになっているのである。解を求めたり、あるいはしばしばより重要な、与えられた境界条件に対する解の存在および一意性を示したりする解析学的な問題が、適当な弱定式化によって幾何学的問題に還元される。楕円型線型方程式に対して、かなりのクラスの問題が一意的に解けることを保証する幾何学的結果の一つが[[ラックス・ミルグラムの定理]]である。この方法論は、偏微分方程式の数値解法に対する{{仮リンク|ガレルキン法|en| Galerkin method}}([[有限要素法]]の一つ)の基盤をなしている<ref>この観点からの有限要素法の詳細が {{harvtxt|Brenner|Scott|2005}} にある。</ref>。
典型的な例が、'''R'''<sup>2</sup> の有界領域 Ω における[[ポアソン方程式]] −Δ''u'' = ''g'' の[[ディリクレ境界条件|ディリクレ境界問題]]である。弱定式化は、境界上で消えている Ω 上連続的微分可能な任意の関数 ''v'' に対して
: <math>\int_\Omega \nabla u\cdot\nabla v = \int_\Omega gv</math>
を満たすような関数 ''u'' を求めることからなる。これは、''u'' およびその弱偏導関数がともに境界上で消えている Ω 上の自乗可積分関数となるような関数 ''u'' からなるヒルベルト空間 ''H''{{su|p=1|b=0}}(Ω) の言葉で書き直すことができて、問題はこの空間 ''H''{{su|p=1|b=0}}(Ω) の任意の元 ''v'' に対して
:<math>a(u,v) = b(v)</math>
を満たすような ''u'' を空間 ''H''{{su|p=1|b=0}}(Ω) の中で求めることに帰着される。ただし、''a'' および ''b'' はそれぞれ
: <math>a(u,v) = \int_\Omega \nabla u\cdot\nabla v,\quad b(v)= \int_\Omega gv</math>
で与えられる連続な[[双線型形式]]および連続な[[線型汎関数]]である。ポアソン方程式は[[楕円型偏微分方程式|楕円型]]だから、ポアンカレの不等式から双線型形式 ''a'' が[[強圧的関数|強圧的]]であることが従う。故に、ラックス・ミルグラムの定理は、この方程式の解の存在と一意性を保証する。
多くの楕円型偏微分方程式に対して同様のやり方でヒルベルト空間による定式化ができるので、それ故にラックス・ミルグラムの定理はそれらの解析における基本的な道具となる。同様の方法は[[放物型偏微分方程式|抛物型偏微分方程式]]やある種の[[双曲型偏微分方程式]]に対しても、適当な修正を施せば通用する。
=== エルゴード理論 ===
[[File:BunimovichStadium.png|thumb|right|[[ブニモヴィチスタジアム]]における[[力学的ビリヤード]]球の軌道は、エルゴード[[力学系]]で記述される。]]
[[エルゴード理論]]の分野では、[[カオス理論|カオス]][[力学系]]の長期的振る舞いを研究する。エルゴード理論が有効な原型的な場合というのは、[[熱力学]]における系である。この系の微視的な状態は(微粒子の間の個々の衝突の集まりとしては理解できないという意味で)極めて複雑であるにも拘らず、十分長期間にわたるその平均的振る舞いは素直であり、[[熱力学の法則]]が主張するのはこのような平均的挙動である。特に、[[熱力学の第0法則]]は「十分長い時間スケールを経れば平衡状態にある熱力学系の、その機能的に独立な測度は、[[温度]]の形でのその全エネルギーのみである」などと定式化できる。
エルゴート力学系は、([[ハミルトニアン]]で測られる)エネルギーを除けば、[[相空間]]上の機能的に独立な[[保存量]]を持たないような系である。詳しく述べれば、エネルギー ''E'' を固定して、Ω<sub>''E''</sub> をエネルギーが ''E'' となる状態すべてからなる相空間の部分集合(エネルギー面)とし、''T''<sub>''t''</sub> で相空間上の発展演算子を表せば、力学系がエルゴードとなるのは、Ω<sub>''E''</sub> 上の定数でない連続関数で、Ω<sub>''E''</sub> の任意の ''w'' と任意の時間 ''t'' において
:<math>f(T_tw) = f(w)</math>
を満たすものがない場合に限る。[[リウヴィルの定理 (物理学)|リウヴィルの定理]]によれば、エネルギー面上の[[測度]] μ で時間並進不変なものが存在する。結果として時間並進は、エネルギー面 Ω<sub>''E''</sub> 上の自乗可積分関数に内積を
:<math>\langle f,g\rangle_{L^2(\Omega_E,\mu)} = \int_E f\bar{g}\,d\mu</math>
で入れたヒルベルト空間 ''L''<sup>2</sup>(Ω<sub>''E''</sub>,μ) の[[ユニタリ変換]]になる。
フォンノイマンの平均エルゴード定理<ref name="von Neumann 1932"></ref>の主張は次のようなものである。
* ''U''<sub>''t''</sub> がヒルベルト空間 {{mvar|H}} 上のユニタリ作用素からなる(強連続)一径数半群で、''P'' を ''U''<sub>''t''</sub> の同時不動点全体の成す集合{''x''∈''H'' | ''U''<sub>''t''</sub>''x'' = ''x'' for all ''t'' > 0} の上への直交射影とすると<div style="margin: 1ex 2em;"><math>
Px = \lim_{T\to\infty}\frac{1}{T}\int_0^TU_tx\,dt
</math></div>が成り立つ。
エルゴード系では、時間発展の固定集合は定数関数のみから成るので、先のエルゴード定理から任意の ''f'' ∈ ''L''<sup>2</sup>(Ω<sub>''E''</sub>,μ) に対し
:<math>\underset{T\to\infty}{L^2\!\text{-}\!\lim{}} \frac{1}{T}\int_0^T f(T_tw)\,dt = \int_{\Omega_E} f(y)\,d\mu(y)</math>
となることが従う<ref>{{harvnb|Reed|Simon|1980}}</ref>。つまり、観測可能な ''f'' の長期平均は、そのエネルギー面に亘ってとった期待値に等しい。
=== フーリエ解析 ===
[[File:Sawtooth Fourier Analysys.svg|thumb|right|正弦波基底関数(下)の重ね合わせが鋸歯状波(上)になる。]]
[[File:Harmoniki.png|thumb|right|球面上の自乗可積分関数全体の成すヒルベルト空間の正規直交基底を成す[[球面調和関数]]を、半径方向に沿ってグラフ化したもの]]
[[フーリエ解析]]の基本目的の一つは、関数を付随する[[フーリエ級数]]、即ち与えられた基底関数族の(必ずしも有限とは限らない)[[線型結合]]に分解することである。区間 {{math|[0, 1]}} 上の関数 {{mvar|f}} に付随する古典フーリエ級数とは
:<math>\sum_{n=-\infty}^\infty a_n e^{2\pi in\theta}\quad (a_n := \int_0^1f(\theta)e^{-2\pi in\theta}\,d\theta)</math>
なる形の級数である。
鋸歯状波関数に対するフーリエ級数の最初の数項を足し上げた例を図に示す。鋸歯状波関数の波長を λ とすると、(基本波、つまり ''n'' = 1 を除いて)それよりも短い波長 λ/''n''(''n'' は整数)をもつ正弦波が基底関数である。全ての基底関数が鋸歯状波の折れるところで交わり(結点)を持つが、基本波を除く全ての基底関数はそれ以外にも結点を持つ。鋸歯の周りでの基底関数の部分和の振動は[[ギブズ現象]]と呼ばれるものである。
古典フーリエ級数論の特徴的な問題の一つに「関数 ''f'' のフーリエ級数がもとの関数に収束する(ことが仮にあったとする)ならば、それはどのような意味においての収束であるか」を問う問題がある。これに対して、ヒルベルト空間を用いた方法で答えを与えることができる<ref>この観点からのフーリエ級数の扱いは、例えば {{harvtxt|Rudin|1987}} や {{harvtxt|Folland|2009}} を参照。</ref>。関数族 ''e''<sub>''n''</sub>(θ) := e<sup>''2πinθ''</sup> はヒルベルト空間 {{math|''L''<sup>2</sup>([0, 1])}} の正規直交基底を成すから、それ故に任意の自乗可積分関数 ''f'' が
:<math>f(\theta) = \sum_n a_n e_n(\theta),\quad (a_n := \langle f,e_n\rangle)</math>
なる級数の形で表せて、さらにこの級数は {{math|''L''<sup>2</sup>([0, 1])}} の元として収束する(即ち、{{math|''L''<sup>2</sup>}}-収束、[[平均収束|自乗平均収束]])。
この問題を抽象的な観点からも見ることができる。任意のヒルベルト空間は[[正規直交基底]]を持ち、ヒルベルト空間の各元はそれら基底に属する元の定数倍の和として一意的に表すことができるが、この展開に現れる各基底元の係数のことをその元の抽象フーリエ係数と呼ぶことがある<ref>{{harvnb|Halmos|1957|loc=§5}}</ref>。このような抽象化は、''L''<sup>2</sup>([0,1]) などの空間で別の基底関数系を用いることがより自然であるようなときに、特に有用である。関数を三角関数系に分解することは不適当だが、例えば[[直交多項式系]]や[[ウェーブレット]]<ref>{{harvnb|Bachman|Narici|Beckenstein|2000}}</ref>および高次元において[[球面調和関数]]<ref>{{harvnb|Stein|Weiss|1971|loc=§IV.2}}.</ref>へ展開することが適当であるような状況はたくさんある。
例えば、''e''<sub>''n''</sub> を ''L''<sup>2</sup>[0,1] の任意の正規直交基底関数系とすると、与えられた ''L''<sup>2</sup>[0,1] の関数は有限線型結合
:<math>f(x) \approx f_n (x) = a_1 e_1 (x) + a_2 e_2(x) + \cdots + a_n e_n (x)</math>
で近似することができる<ref>{{harvnb|Lancos|1988|pp=212–213}}</ref>。右辺の係数 {''a''<sub>''j''</sub>} は、差の大きさ ‖ƒ − ƒ<sub>''n''</sub>‖<sup>2</sup> をできるだけ小さくするように定める。幾何学的には、[[#最適近似|最適近似]]は {''e''<sub>''j''</sub>} の線型結合全体の成す部分空間の上への ƒ の[[#直交補空間と射影作用素|直交射影]]であり、
:<math>a_j = \int_0^1 \overline{e_j(x)}f (x) \, dx</math>
によって計算することができる<ref>{{harvnb|Lanczos|1988|loc=Equation 4-3.10}}</ref>。これが ‖ƒ − ƒ<sub>''n''</sub>‖<sup>2</sup> を最小化することは[[#ベッセルの不等式とパーセヴァルの公式|ベッセルの不等式とパーセヴァルの公式]]からの帰結である。
種々の物理学的問題においては、関数を物理的に意味を持つ[[微分作用素]](典型的なものは[[ラプラス作用素]])の[[固有関数]]系に分解することができ、微分作用素の[[スペクトル定理|スペクトル]]に関連して、関数のスペクトル研究の基礎を成している<ref>スペクトル法の古典的文献は {{harvnb|Courant|Hilbert|1953}}。より今日的な取り扱いは {{harvnb|Reed|Simon|1975}} を参照。</ref>。物理学への具体的な応用として{{仮リンク|太鼓の形を聴く|en|hearing the shape of a drum}}問題が挙げられる。これは「太鼓の皮が引き起こす基本振動モードを与えたとき、太鼓自身の形が推定できるか」というものである<ref>{{harvnb|Kac|1966}}</ref>。この問題の数学的定式化は、平面上のラプラス作用素の[[ディリクレ固有値]]に関わるものになる(これはヴァイオリンの弦の基本振動モードを表す整数の直接の対応物である)。
スペクトル論も関数の[[フーリエ変換]]のある種の側面を下支えしている。フーリエ解析では[[コンパクト集合]]上定義された関数を(ヴァイオリンの弦や太鼓の皮の振動に対応する)ラプラス変換の離散スペクトルに分解するのに対して、関数のフーリエ変換はユークリド空間の全域で定義された関数をラプラス作用素の{{仮リンク|連続スペクトル|en|continuous spectrum}}に関する成分に分解する。フーリエ変換があるヒルベルト空間(「時間領域」)から別なヒルベルト空間(「周波数領域」)への[[等距変換]]であることを主張する[[プランシュレルの定理]]として、フーリエ変換は幾何学的な意味を持つ。このフーリエ変換の等距性は、例えば[[非可換調和解析]]に現れる[[球関数に対するプランシュレルの定理]]などが示すとおり、抽象的な[[調和解析]]では繰り返し登場する主題である。
=== 量子力学 ===
[[Image:HAtomOrbitals.png|right|thumb|[[水素原子]]における[[電子]]の[[原子軌道|軌道]]は[[エネルギー]]の[[固有関数]]である。]]
[[ポール・ディラック|ディラック]]<ref>{{harvnb|Dirac|1930}}</ref>と[[ジョン・フォン・ノイマン|フォンノイマン]]<ref>{{harvnb|von Neumann|1955}}</ref>によって発展した量子力学の数学的に厳密な定式化は、量子力学系の取りうる状態(より正確には[[純粋状態]])が、[[状態空間]]と呼ばれる可分な複素ヒルベルト空間に属する[[単位ベクトル]](状態ベクトルという)によって(位相因子と呼ばれるノルム 1 の複素数の[[up to|違いを除いて]])表現される。つまり、取りうる状態はあるヒルベルト空間の[[射影空間|射影化]](ふつうは[[複素射影空間]]と呼ばれる)の元である。このヒルベルト空間が実際にどのようなものになるかは系に依存する。例えば、一つの非相対論的スピン 0 粒子の位置と運動量の状態は[[自乗可積分関数]]全体の成す空間であり、いっぽう一つの陽子のスピンの状態は[[スピノル]]の成す二次元複素ヒルベルト空間の長さ 1 の元である。各可観測量は状態空間上に作用する[[自己随伴作用素|自己随伴]][[線型作用素]]として表現され、可観測量の固有状態はその作用素の[[固有ベクトル]]に、固有ベクトルに対応する固有値は固有状態にある可観測量の値にそれぞれ対応する。
量子状態の時間発展は[[シュレーディンガー方程式]]によって記述され、そこに現れる[[ハミルトニアン]]([[全エネルギー]]に対応する[[作用素]])は時間発展を生み出す。
二つの状態ベクトルの間の内積は[[波動関数#確率振幅|確率振幅]]として知られる複素数になる。量子力学系の理想的な測定の間で、系が与えられた初期状態から特定の固有状態に崩壊する確率は、初期状態から終期状態の間の確率振幅の[[絶対値]]の平方によって与えられる。測定の結果として可能なのは、作用素の固有値であり(これは自己随伴作用素のとり方を説明する)、全ての固有値は実数でなければならない。与えられた状態の可観測量の確率分布は対応する作用素のスペクトル分解を計算すれば求められる。
一般の系では、状態は典型的には純粋ではないが、[[密度行列]](ヒルベルト空間上のトレース 1 の自己随伴作用素)で与えられる純粋状態の統計的混合(あるいは混合状態)として表される。さらに、一般の量子力学系では、単独の測定の効果は系のほかの部分に影響を及ぼしうるが、それは測度が{{仮リンク|正の作用素値測度|en|positive operator valued measure}}で取り替えたものとして記述される。従って、一般論として状態と可観測量の両方の構造は、純粋状態の理想化したものより相当に複雑である。
ハイゼンベルクの[[不確定性原理]]は、ある種の可観測量に対応する作用素が互いに可換でなく、特定の形の[[交換子]]を与えるという主張として表される。
== 性質 ==
=== 三平方の定理 ===
ヒルベルト空間 {{mvar|H}} の二つのベクトル ''u'', ''v'' が直交するのは、⟨''u'', ''v''⟩ = 0 のときである。このとき ''u'' ⊥ ''v'' と書く。更に一般に、''H'' の部分集合 ''S'' に対して ''u'' ⊥ ''S'' と書けば、これは ''u'' が ''S'' の各元と直交することを意味する。
''u'' と ''v'' とが直交するとき、等式
:<math>\|u + v\|^2 = \langle u + v, u + v \rangle = \langle u, u \rangle + 2 \, \mathrm{Re} \langle u, v \rangle + \langle v, v \rangle= \|u\|^2 + \|v\|^2</math>
が成り立つ。これは個数 ''n'' に関する[[帰納|帰納法]]で拡張することができて、任意の互いに直交する ''n'' 本のベクトルの族
''u''<sub>1</sub>, …, ''u<sub>n</sub>'' に対して
:<math>\|u_1 + \cdots + u_n\|^2 = \|u_1\|^2 + \cdots + \|u_n\|^2</math>
が成り立つ。三平方の定理の主張は任意の内積空間で有効であるにも拘らず、この等式を級数(無限和)に対して拡張するには完備性を課さねばならない。互いに直交するベクトルからなる級数 ∑ ''u<sub>k</sub>'' が {{mvar|H}} において収束するための必要十分条件は、各項のノルムの平方からなる級数が収束し、かつ
:<math>\left\|\sum_{k=0}^\infty u_k \right\|^2 = \sum_{k=0}^\infty \|u_k\|^2</math>
が満たされることである。更に言えば、互いに直交するベクトルからなる級数の和は、それらのベクトルの和をとる順番に依らずに定まる。
=== 中線定理と極化公式 ===
[[Image:Color parallelogram.svg|right|thumb|幾何学的には、中線定理の式は AC<sup>2</sup> + BD<sup>2</sup> = 2(AB<sup>2</sup> + AD<sup>2</sup>) なることを示すものである。言葉で書けば、対角線の平方和は任意の隣り合う二辺の平方和の二倍に等しい。]]
定義から、任意のヒルベルト空間は[[バナッハ空間]]であり、さらに[[中線定理]]
: <math>\|u+v\|^2+\|u-v\|^2=2(\|u\|^2+\|v\|^2)</math>
も成立する。逆に中線定理が成り立つような任意のバナッハ空間はヒルベルト空間になり、その内積は[[極化恒等式]]によってノルムから一意的に定まる<ref>{{harvnb|Young|1988|p=23}}.</ref>。実ヒルベルト空間における極化恒等式は
:<math>\langle u,v\rangle = \frac{1}{4}(\|u+v\|^2-\|u-v\|^2)</math>
であり、複素ヒルベルト空間の場合は
:<math>\langle u,v\rangle = \frac{1}{4}(\|u+v\|^2-\|u-v\|^2+i\|u+iv\|^2-i\|u-iv\|^2)</math>
で与えられる。中線定理は、任意のヒルベルト空間が[[一様凸バナッハ空間]]となることを示している<ref>{{harvnb|Clarkson|1936}}.</ref>。
=== 最適近似 ===
ヒルベルト空間 {{mvar|H}} の空でない閉凸部分集合を ''C'' とし、''H'' の点 ''x'' をとると、''x'' との距離を最小化する ''C'' の元 ''y'' がただ一つ存在する<ref>{{harvnb|Rudin|1987|loc=Theorem 4.10}}</ref>。
:<math> {}^{\exists!}y \in C,\quad \|x - y\| = \mathrm{dist}(x, C) = \min \{ \|x - z\| : z \in C \}.</math>
これは、''C'' を平行移動した凸集合 ''D'' := ''C'' − ''x'' にノルムが最小となる点が存在するとも言い換えられる。このことは、任意の最小化列 (''d<sub>n</sub>'') ⊂ ''D'' が(中線定理により)コーシー列となること、従って(完備性により)''D'' 内の点に収束するが、それがノルム最小であることを示すことで証明できる。もっと一般に、一様凸バナッハ空間でこのことは成り立つ<ref>{{harvnb|Dunford|Schwartz|1958|loc=II.4.29}}</ref>。
この結果を {{mvar|H}} の閉部分空間 ''F'' に適用するとき、''y'' ∈ ''F'' が ''x'' に最近接することは
:<math> y \in F, \quad x - y \perp F</math>
によって特徴付けることができる<ref>{{harvnb|Rudin|1987|loc=Theorem 4.11}}</ref>。この点 ''y'' というのは ''x'' の ''F'' の上への'''直交射影'''に他ならない。このとき、写像 ''P<sub>F</sub>'': ''x'' ↦ ''y'' は線型である([[#直交補空間と射影作用素|後述]])。この結果は、[[最小自乗法]]の基礎を成すもので、[[応用数学]]、特に[[数値解析]]において有意である。
特に ''F'' が全体空間 {{mvar|H}} 自身とは一致しないとき、''F'' に直交する非零ベクトル ''v'' が取れる(''F'' に属さない ''x'' をとって、''v'' := ''x'' − ''y'' と置けばよい)。これを応用して、閉部分集合 ''F'' が {{mvar|H}} の部分集合 ''S'' によって生成されるかを見るのに有効な判定法が得られる。即ち、
: {{mvar|H}} の部分集合 ''S'' が生成する部分空間が {{mvar|H}} で稠密となるのは、''S'' に直交するベクトル {{math|''v'' ∈ ''H''}} が零ベクトル 0 のみであるとき(かつそのときに限る)である。
=== 双対性 ===
ヒルベルト空間 {{mvar|H}} の[[連続的双対空間]] ''H''<sup>∗</sup> とは、''H'' からその係数体への[[連続写像|連続]]な線型写像全体の成す空間のことをいう。この空間には
:<math>\|\varphi\| = \sup_{\|x\|=1,\atop x\in H} |\varphi(x)|</math>
で定義される自然なノルムが入る。このノルムは中線定理を満足するので、この双対空間もまた内積空間になる。またこれは完備であり、従ってそれ自身ヒルベルト空間を定める。
[[リースの表現定理]]は、この双対空間の簡便な記述を与えてくれる。即ち、''H'' の各元 ''u'' に対して、
:<math>\varphi_u(x) = \langle x,u\rangle</math>
で定まる ''H''<sup>∗</sup> の元 φ<sub>''u''</sub> がただ一つ存在し、写像 ''u'' ↦ φ<sub>''u''</sub> は {{mvar|H}} から ''H''<sup>∗</sup> への{{仮リンク|反線型写像|en|antilinear map}}になる。リースの表現定理はこの写像が反線型同型であるというのである<ref>{{harvnb|Weidmann|1980|loc=Theorem 4.8}}</ref>。故に、双対空間 ''H''<sup>∗</sup> の各元 φ に対し {{mvar|H}} の元 ''u''<sub>φ</sub> がただ一つ存在して、''H'' の任意の元 ''x'' について
:<math>\langle x, u_\varphi\rangle = \varphi(x)</math>
を満たす。双対空間 ''H''<sup>∗</sup> 上に定まるこの内積は
:<math> \langle \varphi, \psi \rangle = \langle u_\psi, u_\varphi \rangle</math>
を満たす。右辺で順番が逆になっているのは ''u''<sub>φ</sub> の反線型性から φ の線型性を回復するためである。実係数の場合は、''H'' からその双対空間への反線型同型は実際には線型同型になるから、実ヒルベルト空間はその双対空間と自然に同型になる。
表現ベクトル ''u''<sub>φ</sub> を得るには以下のようにする。φ ≠ 0 のとき、[[核 (代数学)|核]] ''F'' = ker φ は {{mvar|H}} の閉部分空間であって、''H'' には一致しないから、''F'' に直交する非零ベクトル ''v'' が存在する。ベクトル ''u'' を ''v'' の適当なスカラー倍 λ''v'' として、φ(''v'') = ⟨''v'', ''u''⟩ が
:<math> u = \langle v, v \rangle^{-1} \, \overline{\varphi (v)} \, v</math>
を満たすようにする。この対応関係 φ ↔ ''u'' は[[物理学]]ではお馴染みの[[ブラ・ケット記法]]で大いに活用されている。物理学ではふつうは内積 ⟨''x'' | ''y''⟩ の右側の項に関して線型なので、
:<math>\langle x\mid y \rangle := \langle y, x \rangle</math>
とすると、この ⟨''x'' | ''y''⟩ は、ブラベクトルと呼ばれる線型汎関数 ⟨''x''| がケットベクトルと呼ばれるベクトル |''y''⟩ に作用したものと見ることができる。
リースの表現定理は内積の存在に関して基本的であるばかりでなく、双対空間の完備性に関しても基本的である。事実、定理からは任意の内積空間の[[位相的双対]]がもとの空間の完備化と同一視できることが導かれる。リースの表現定理から直ちに導かれる結果としては他にも、ヒルベルト空間 {{mvar|H}} の[[回帰的空間|回帰性]]、即ち {{mvar|H}} からその二重双対空間への自然な写像が同型となることも挙げられる。
=== {{anchors|弱収斂列}}弱収束列 ===
{{main|{{仮リンク|弱収束 (ヒルベルト空間)|en|Weak convergence (Hilbert space)}}}}
ヒルベルト空間 {{mvar|H}} において、点列 {''x''<sub>''n''</sub>} がベクトル {{math|''x'' ∈ ''H''}} に[[弱位相|弱収束]]するとは、任意の {{math|''v'' ∈ ''H''}} に対し
:<math>\lim_n \langle x_n, v \rangle = \langle x, v \rangle</math>
をみたすことをいう。
例えば、任意の正規直交列 {ƒ<sub>''n''</sub>} は 0 に弱収束することが、[[#ベッセルの不等式とパーセヴァルの公式|ベッセルの不等式]]から従う。任意の弱収束列 {''x''<sub>''n''</sub>} は{{仮リンク|一様有界性原理|en|uniform boundedness principle}}により有界である。
逆に、ヒルベルト空間における任意の有界列は弱収束する部分列を含む([[アラオグルの定理]]) <ref>{{harvnb|Weidmann|1980|loc=§4.5}}</ref>。この結果は、'''R'''<sup>''d''</sup> 上の連続関数に対して[[ボルツァーノ・ヴァイエルシュトラスの定理]]を用いるのと同じやり方で、連続[[凸関数]]に対する最小値定理の証明に用いられる。これにはいくらか異なった述べ方があるが、以下のような形が簡便であろう<ref>{{harvnb|Buttazzo|Giaquinta|Hildebrandt|1998|loc=Theorem 5.17}}</ref>
: {{math|ƒ: ''H'' → '''R'''}} が凸関数で、{{math|‖''x''‖ → ∞}} のとき {{math|ƒ(''x'') → +∞}} を満たすとき、{{math|ƒ}} は {{mvar|H}} の適当な点 {{math|''x''<sub>0</sub> ∈ ''H''}} で最小値を持つ。
この事実(とその種々の一般化)は[[変分法における直接法]]の基礎を成している。有界閉凸関数に対する最小値の存在は、もう少し抽象的な、ヒルベルト空間 {{mvar|H}} 内の有界閉凸部分集合が {{mvar|H}} の回帰性により[[弱位相|弱コンパクト]]になるという事実からも直接的に得られる。弱収束部分列の存在性は、{{仮リンク|エーベルライン・スムリアンの定理|en|Eberlein–Šmulian theorem}}の特別の場合である。
=== バナッハ空間の性質 ===
[[バナッハ空間]]が一般に持つ性質はヒルベルト空間においても成立する。[[開写像定理 (関数解析)|開写像定理]]の主張は「バナッハ空間からバナッハ空間への[[連続写像|連続]]かつ[[全射]]な線型写像は、開集合を開集合に写すという意味で[[開写像]]である」ことをいい、その系としての[[有界逆写像定理]]は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続[[全単射]]な線型写像は(逆写像も連続であるような連続線型写像の意味で)同型である」ことを主張する。ヒルベルト空間版のこの定理の証明は、一般のバナッハ空間でやるよりも随分と簡単になる<ref>{{harvnb|Halmos|1982|loc=Problem 52, 58}}</ref>。開写像定理は[[閉グラフ定理]]と同値である。後者は「バナッハ空間からバナッハ空間への線型写像が連続となるための必要十分条件がそのグラフが[[閉集合]]となることである」ことを主張するものである<ref>{{harvnb|Rudin|1973}}</ref>。ヒルベルト空間の場合には、これが[[非有界作用素]]の研究において基本になる([[閉作用素]]参照)。
(幾何学的な)[[ハーン・バナッハの定理]]は、閉凸集合をその外にある任意の点からヒルベルト空間の[[超平面]]によって分割できることを示すものである。これは[[#最適近似|最適近似性]]から直ちに得られる。即ち、''y'' が閉凸集合 ''F'' の元で ''x'' に最近接するものとすると、線分 ''xy'' に垂直で、その中点を通る平面が求める分割超平面である<ref>{{harvnb|Trèves|1967|loc=Chapter 18}}</ref>。
== ヒルベルト空間上の線型作用素 ==
=== 有界作用素 ===
ヒルベルト空間 ''H''<sub>1</sub> から別のヒルベルト空間 ''H''<sub>2</sub> への[[連続写像|連続]][[線型作用素]] ''A'': ''H''<sub>1</sub> → ''H''<sub>2</sub> は[[有界集合]]を有界集合へ写すという意味で「有界」である。逆に、有界な線型作用素は連続になる。二つの有界線型作用素の和および合成は、ふたたび有界かつ線型であり、このような[[有界線型作用素]]全体の成す空間には、[[作用素ノルム]]と呼ばれる[[ノルム]]
:<math>\lVert A \rVert = \sup\{\,\lVert Ax \rVert : \lVert x \rVert \leq 1\}</math>
が定義される。また、''H''<sub>2</sub> の元 ''y'' に対して、''x'' ∈ ''H''<sub>1</sub> を ⟨''Ax'', ''y''⟩ へ写す写像は線型かつ連続である。リースの表現定理によれば、有界線型作用素は必ず ''H''<sub>1</sub> の適当なベクトル ''A''<sup>∗</sup>''y'' に対する
:<math>\langle x, A^* y \rangle = \langle Ax, y \rangle</math>
の形で表現可能である。この定義から、もう一つの有界線型作用素(''A'' の[[エルミート随伴|随伴作用素]])''A''<sup>∗</sup>: ''H''<sub>2</sub> → ''H''<sub>1</sub> が定まる。このとき、''A''<sup>∗∗</sup> = ''A'' であることが確かめられる。
''H'' 上の有界線型作用素全体の成す集合 B(''H'') に、作用素の加法と合成および作用素ノルムと随伴作用素を考えたものは、[[作用素環]]の一種である[[C*代数| ''C''<sup>∗</sup>-環]]を成す。
B(''H'') の元 ''A'' は ''A''<sup>∗</sup> = ''A'' を満たすとき'''自己随伴作用素'''もしくは'''エルミート作用素'''と呼ばれる。エルミート作用素 ''A'' が ⟨''Ax'', ''x''⟩ ≥ 0 を任意の ''x'' で満たすとき、''A'' は'''非負'''であるといい、''A'' ≥ 0; で表す。さらに等号成立が ''x'' = 0 のときに限るならば ''A'' は'''正'''であるという。また、
: ''A'' − ''B'' ≥ 0 ならば ''A'' ≥ ''B''
なるものと定義すれば、自己随伴作用素全体の成す集合に[[半順序]] ≥ が導入できる。作用素 ''A'' が適当な ''B'' に対して ''A'' = ''B''<sup>∗</sup>''B'' なる形に書けるならば、''A'' は非負であり、さらに ''B'' が可逆のとき ''A'' は正になる。また、非負作用素 ''A'' に対して
:<math>A = B^2=B^*B</math>
を満たす非負[[行列の平方根|平方根]] ''B'' が一意に定まるという意味で逆が成り立つ。これは、[[#スペクトル論|スペクトル論]]によって精緻化することができ、自己随伴作用素を「実」作用素と看做すことが有効であると分かる。B(''H'') の元 ''A'' が ''A''<sup>∗</sup>''A'' = ''A'' ''A''<sup>∗</sup> を満たすとき、''A'' は'''正規'''であるという。正規作用素は、自己随伴作用素と自己随伴作用素の虚数倍の和
:<math>A = \frac{A+A^*}{2} + i\frac{(A-A^*)}{2i}</math>
に分解され、各項は互いに可換になる。正規作用素をその実部と虚部とに分けて考えることも有用である。
B(''H'') の元 ''U'' が可逆かつその逆作用素が ''U''<sup>∗</sup> で与えられるとき、''U'' は[[ユニタリ作用素|ユニタリ]]であるという。この条件は「''U'' が全射かつ {{mvar|H}} の各元 ''x'', ''y'' に対して ⟨''Ux'', ''Uy''⟩ = ⟨''x'', ''y''⟩ を満たすこと」とも言い換えられる。''H'' 上のユニタリ作用素の全体は、合成に関して {{mvar|H}} の[[等距変換群]]と呼ばれる[[群 (数学)|群]]を成す。
B(''H'') の元が[[コンパクト作用素|コンパクト]]であるとは、それが有界集合を[[相対コンパクト]]集合へ写すときに言う。同じことだが、有界作用素 ''T'' について、任意の有界列 {''x''<sub>''k''</sub>} に対して列 {''Tx''<sub>''k''</sub>} が収束部分列を持つとき ''T'' はコンパクトである。多くの[[積分作用素]]はコンパクトであり、事実[[ヒルベルト=シュミット作用素]]として知られるコンパクト作用素のクラスが[[積分方程式]]論において特に重要な働きをする。[[フレドホルム作用素]]は恒等変換の定数倍の分だけコンパクト作用素とは違うけれども、[[核 (代数学)|核]]と[[余核]]が有限であるような作用素としても特徴付けられる。フレドホルム作用素の指数 (index) は
:<math>\operatorname{index}\, T = \dim\ker T - \dim\operatorname{coker}\, T.</math>
で定義される。この指数は[[ホモトピー]]不変量であり、[[アティヤ・シンガーの指数定理]]を通じて[[微分幾何学]]で深い役割を果たす。
=== 非有界作用素 ===
ヒルベルト空間においては[[非有界作用素]]もある程度きれいに扱うことができ、[[量子力学]]にも重要な応用を持つ<ref>See {{harvtxt|Prugovečki|1981}}, {{harvtxt|Reed|Simon|1980|loc=Chapter VIII}}, {{harvtxt|Folland|1989}}.</ref>。ヒルベルト空間 {{mvar|H}} 上の非有界作用素 ''T'' は、その定義域 ''D''(''T'') が {{mvar|H}} の線型部分空間であるような線型作用素であるものとして定義される。定義域が {{mvar|H}} の稠密な部分集合となることもよくあり、そのような作用素 ''T'' は[[稠密に定義された作用素|密定義作用素]]と呼ばれる。
密定義非有界作用素の随伴は、本質的に有界作用素の場合と同じ方法で定義される。[[自己随伴作用素|自己随伴非有界作用素]]は量子力学の数学的基礎において可観測量の役割を持つ。ヒルベルト空間 {{math|1=''H'' = ''L''<sup>2</sup>('''R''')}} 上の自己随伴非有界作用素の例としては、
* 微分作用素の適当な拡張 <div style="margin: 1ex 3em;"><math> (A f)(x) = i \frac{d}{dx} f(x),</math></div> ただし、''i'' は虚数単位、''f'' は台がコンパクトな可微分関数。
* ''x'' による掛け算作用素 <div style="margin: 1ex 3em;"><math> (B f) (x) = x f(x).</math></div>
などが挙げられる<ref>{{harvnb|Prugovečki|1981|loc=III, §1.4}}</ref>。これらはそれぞれ、[[運動量]]と[[位置演算子|位置]]の可観測量に対応する。この ''A'' も ''B'' も {{mvar|H}} の全域で定義されてはいないことに注意すべきである。''A'' の場合は微分が存在しないものがあること、''B'' の場合は ''x'' が掛けられた関数が自乗可積分とは限らないことがその理由である。何れの場合にも、引数にとり得る関数全体の成す集合は {{mvar|H}} の稠密な部分集合になる。
== ヒルベルト空間の構成 ==
=== 直和 ===
二つのヒルベルト空間 ''H''<sub>1</sub> および ''H''<sub>2</sub> を足し併せて、[[加群の直和|(直交)直和]]と呼ばれる別のヒルベルト空間 ''H''<sub>1</sub> ⊕ ''H''<sub>2</sub> を作ることができる<ref>{{harvnb|Dunford|Schwartz|1958|loc=IV.4.17-18}}</ref>。この空間は(''x''<sub>1</sub>, ''x''<sub>2</sub>) (''x''<sub>''i''</sub> ∈ ''H''<sub>''i''</sub>, ''i'' = 1,2) なる[[順序対]]の全体からなる集合を台に持ち、その上の内積を
:<math>\langle (x_1,x_2), (y_1,y_2)\rangle_{H_1\oplus H_2} := \langle x_1,y_1\rangle_{H_1} + \langle x_2,y_2\rangle_{H_2}.</math>
で定めたものになっている。より一般に、''i'' ∈ ''I'' を添字とするヒルベルト空間の族 ''H''<sub>''i''</sub> に対して、その(外部)直和 <math>\textstyle\bigoplus_{i\in I}H_i</math> が、''H''<sub>''i''</sub> の[[直積集合|デカルト積]]の元 <math>\textstyle x=(x_i\in H_i\mid i\in I) \in \prod_{i\in I}H_i</math> で条件 <math>\textstyle\sum_{i\in I} \|x_i\|^2 < \infty</math> を満たすもの全体から成る集合を台とし、内積を
:<math>\langle x, y\rangle = \sum_{i\in I} \langle x_i, y_i\rangle_{H_i}</math>
で定めることによって定義される。このとき、各空間 ''H''<sub>''i''</sub> は直和空間の中へ閉部分空間として埋め込まれる。もっと言えば、埋め込まれた各 ''H''<sub>''i''</sub> はどの二つも互いに直交する。逆に、一つのヒルベルト空間において閉部分空間の族 ''V''<sub>''i''</sub> (''i'' ∈ ''I'') で各空間がどの二つも互いに直交しているようなものが与えられているとき、それら全ての和集合が全体空間 {{mvar|H}} の中で稠密になるならば、{{mvar|H}} は本質的に ''V''<sub>''i''</sub> たちの直和に同型である。この場合、''H'' は ''V''<sub>''i''</sub> たちの内部直和であると言われる。(内部でも外部でも)直和には、''i''-番目の直和因子 ''H''<sub>i</sub> の上への直交射影 ''E''<sub>''i''</sub> の族が伴う。これらの直交射影はどれも有界・自己随伴かつ[[冪等]]な作用素であって、直交性条件
:<math>E_iE_j = 0\quad (i\ne j)</math>
が成り立つ。
ヒルベルト空間 {{mvar|H}} 上の自己随伴[[コンパクト作用素]]に対する[[スペクトル論]]によれば、''H'' は或る作用素の固有空間の直交直和に分解され、またその作用素はその固有空間への射影の直和として明示的に表される。ヒルベルト空間の直和は、(素粒子を変数にもつ系の[[フォック空間]]など)量子力学においても用いられ、そこでは直和の各成分たるヒルベルト空間と量子力学系の余剰自由度とが対応する。[[群の表現論|表現論]]における{{仮リンク|ピーター・ワイルの定理|en|Peter–Weyl theorem}}によれば、ヒルベルト空間上で定義される[[コンパクト群]]の[[ユニタリ表現]]は必ず有限次元表現の直和に分解されることが保証される。
=== テンソル積 ===
{{Main|{{仮リンク|ヒルベルト空間のテンソル積|en|Tensor product of Hilbert spaces}}}}
二つのヒルベルト空間 ''H''<sub>1</sub>, ''H''<sub>2</sub> に対し、それらの(代数的な)[[テンソル積]]の上に、次のように内積を定めることができる。まず(生成元である){{仮リンク|単純テンソル|en| simple tensor}}に対して
:<math> \langle x_1 \otimes x_2, \, y_1 \otimes y_2 \rangle := \langle x_1, y_1 \rangle \, \langle x_2, y_2 \rangle</math>
と定め、これを[[半双線型形式|半双線型]] (Sesquilinearly) に <math> H_1 \otimes H_2</math> 全体で定義される内積に拡張する。''H''<sub>1</sub> と ''H''<sub>2</sub> とのヒルベルトテンソル積 <math>H_1\hat{{}\otimes{}}H_2</math> とは、いま定義した内積に付随する距離位相に関して ''H''<sub>1</sub> ⊗ ''H''<sub>2</sub> を完備化して得られるものをいう<ref>{{harvnb|Weidmann|1980|loc=§3.4}}</ref>。
ヒルベルト空間 ''L''<sup>2</sup>([0, 1]) を使って例を考えよう。''L''<sup>2</sup>([0, 1]) の二つのコピーのヒルベルトテンソル積は、正方形 [0, 1]<sup>2</sup> 上の自乗可積分関数の空間 ''L''<sup>2</sup>([0, 1]<sup>2</sup>) に等距かつ線型に同型である。この同型で単純テンソル ''f''<sub>1</sub> ⊗ ''f''<sub>2</sub> は
:<math> (s, t) \mapsto f_1(s)\, f_2(t) </math>
なる正方形上の関数に写される。
この例は以下のような意味で典型的である<ref>{{harvnb|Kadison|Ringrose|1983|loc=Theorem 2.6.4}}</ref>。即ち、各単純テンソル積 ''x''<sub>1</sub> ⊗ ''x''<sub>2</sub> には(連続的)双対 ''H''<sub>1</sub><sup>∗</sup> から ''H''<sub>2</sub> への 1-階作用素
:<math> x^* \in H_1^* \to x^*(x_1) \, x_2</math>
が対応し、この単純テンソル上定義された写像を拡張して、''H''<sub>1</sub> ⊗ ''H''<sub>2</sub> と ''H''<sub>1</sub><sup>∗</sup> から ''H''<sub>2</sub> への有限階作用素全体の成す空間とを同一視する線型同型が得られる。これを拡張して、ヒルベルトテンソル積 <math>H_1\hat{{}\otimes{}}H_2</math> は ''H''<sub>1</sub><sup>∗</sup> から ''H''<sub>2</sub> への[[ヒルベルト=シュミット作用素]]全体の成すヒルベルト空間 ''HS''(''H''<sub>1</sub><sup>∗</sup>, ''H''<sub>2</sub>) に等距線型同型になることがわかる。
== 正規直交基底 ==
{{main|正規直交基底}}
線型代数学で言うような[[正規直交基底]]の概念を、ヒルベルト空間に対するものへ一般化することができる<ref>{{harvnb|Dunford|Schwartz|1958|loc=§IV.4}}.</ref>。ヒルベルト空間 {{mvar|H}} における正規直交基底とは、{{mvar|H}} の元からなる族 {{math|{{mset|''e<sub>k</sub>''}}<sub>''k'' ∈ ''B''</sub>}} で、条件
# '''直交性''': ''B'' のどの相異なる二元についても、対応する {{mvar|H}} の元は互いに直交する(⟨''e''<sub>''k''</sub>, ''e''<sub>''j''</sub>⟩ = 0 for all ''k'', ''j'' in ''B'' with ''k'' ≠ ''j'')。
# '''正規性''': 族 ''e''<sub>''k''</sub> (''k'' ∈ ''B'') の各元のノルムは 1 である(‖''e''<sub>''k''</sub>‖ = 1 for all ''k'' in ''B'')。
# '''完全性''': 族 ''e''<sub>''k''</sub> (''k'' ∈ ''B'') の[[線型包|張る部分空間]]は ''H'' において[[稠密集合|稠密]]である。
を満足するものを言う。
上記基底の条件の最初の二つを満たすようなベクトルの集合は[[正規直交系]]と呼ばれる(''B'' が[[可算集合|可算]]のときは、正規直交列とも呼ぶ)。正規直交系は常に[[線型独立|一次独立系]]である。ヒルベルト空間のベクトルの成す正規直交系については、その完全性条件を次のように言い換えることもできる。
: 全ての ''k'' ∈ ''B'' に対して ⟨''v'', ''e''<sub>''k''</sub>⟩ = 0 を満たす ''v'' ∈ ''H'' が存在するならば、必ず ''v'' = '''0''' である。
このことは「稠密な部分集合に対して直交するようなベクトルは零ベクトルに限る」という事実と関係がある。実際、''S'' を任意の正規直交系とし、ベクトル ''v'' が ''S'' に直交するものとすると、''v'' は ''S'' の張る部分空間の閉包とも直交するが、''S'' が完全であるならばそのような閉包は全空間に他ならない。
正規直交基底の例としては、
* 集合 {(1,0,0), (0,1,0), (0,0,1)} はドット積に関して '''R'''<sup>3</sup> の正規直交基底になる。
* 指数関数列 {''ƒ''<sub>''n''</sub> : ''n'' ∈ '''Z'''} (''ƒ''<sub>''n''</sub>(''x'') = exp(2π''inx'')) は {{math|''L''<sup>2</sup>([0, 1])}} の正規直交基底になる。
等を挙げることができる。
無限次元の場合には、正規直交基底は[[線型代数学]]でいう意味での基底にはならない(これを区別する意味で後者を[[ハメル基底]]とも呼ぶ)。基底ベクトルの張る部分空間が全空間において稠密であるということから、空間の各ベクトルが基底ベクトルの無限線型和として書けることが従う。また直交性からはそのような和としての表示の一意性が従う。
=== 数列空間の場合 ===
自乗総和可能な複素数列の空間 ℓ<sup>2</sup> とは、各項が複素数の無限数列
: <math> (c_1, c_2, c_3, \dots)</math>
で、条件
: <math> |c_1|^2 + |c_2|^2 + |c_3|^2 + \cdots < \infty</math>
を満たすもの全体からなる集合(に、項ごとの和、スカラー倍、標準内積を入れたもの)である。この空間には標準的な正規直交基底
:<math>\begin{align}
e_1 &= (1,0,0,\dots)\\
e_2 &= (0,1,0,\dots)\\
& \quad \vdots
\end{align}</math>
が存在する。より一般に、任意の集合 ''B'' に対して、''B'' 上の自乗総和可能数列の成す空間 ℓ<sup>2</sup>(''B'') が
:<math> \ell^2(B) =\left\{ x\colon B \to \mathbb{C}\ \left|\quad \sum_{b \in B} |x(b)|^2 < \infty \right. \right\}</math>
で定義される。ただし ''B'' 上の総和というのを、ここでは
:<math>\sum_{b \in B} |x(b)|^2 = \sup\sum_{n=1}^N |x(b_n)|^2</math>
で定める([[上限 (数学)|上限]]は ''B'' の有限部分空間すべてに亘って取る)。このようにすると、この和が有限であるところの ℓ<sup>2</sup>(''B'') の各元は、可算個の例外を除いた全ての項が 0 になることがわかる。ℓ<sup>2</sup>(''B'') の任意の元 ''x'', ''y'' に対して、
:<math>\langle x, y \rangle = \sum_{b \in B} x(b)\overline{y(b)}</math>
と内積を定めれば、この空間は実際にヒルベルト空間となる。右辺の和は、0 でない項が高々可算個しかないから意味を持ち、またコーシー・シュヴァルツの不等式によって無条件収束であることがわかる。
ℓ<sup>2</sup>(''B'') の正規直交基底の一つは、
:<math>e_b(b') = \begin{cases}
1&\text{if } b=b'\\
0&\text{otherwise.}
\end{cases}</math>
で与えられる ''B'' で添字付けられた族によって与えられる。
=== ベッセルの不等式とパーセヴァルの公式 ===
''H'' の有限正規直交系 ƒ<sub>1</sub>, …, ƒ<sub>''n''</sub> と ''H'' の任意のベクトル ''x'' に対して
:<math>y = \sum_{j=1}^n \langle x, f_j \rangle f_j</math>
と置くと、各 ''k'' = 1, …, ''n'' に対して ⟨''x'', ƒ<sub>''k''</sub>⟩ = ⟨''y'', ƒ<sub>''k''</sub>⟩ が成り立つ。故に ''x'' − ''y'' は各ƒ<sub>''k''</sub> に直交し、従って ''x'' − ''y'' は ''y'' に直交する。三平方の定理を二度使い
:<math>\|x\|^2 = \|x - y\|^2 + \|y\|^2 \ge \|y\|^2 = \sum_{j=1}^n|\langle x, f_j \rangle|^2</math>
が得られる。さらに {''ƒ''<sub>''i''</sub>} (''i'' ∈ ''I'') を ''H'' の任意の正規直交系とするとき、''I'' の任意の有限部分集合 ''J'' に対して先ほどの不等式を適用すれば、(非負実数の任意濃度の族の和の定義に従って)'''ベッセルの不等式'''
:<math>\sum_{i \in I}|\langle x, f_i \rangle|^2 \le \|x\|^2, \quad x \in H</math>
が得られる<ref>添字集合が有限の場合は例えば {{harvnb|Halmos|1957|loc=§5}}、無限の場合は {{harvnb|Weidmann|1980|loc=Theorem 3.6}} を参照。</ref>。
幾何学的には、ベッセルの不等式が言っているのは、''x'' の ''f''<sub>''i''</sub> たちが生成する部分空間の上への直交射影のノルムは ''x'' のノルムを超えないということである。二次元の場合で言えば、これは正三角形の足の長さは斜辺の長さを越えないということになる。
ベッセルの不等式はからは、より強力な[[パーセヴァルの等式|パーシヴァルの等式]]が得られる。これはベッセルの不等式の不等号を等号に取り替えたものになっている。{''e''<sub>''k''</sub>}<sub>''k'' ∈ ''B''</sub> が ''H'' の正規直交基底ならば、''H'' の各元 ''x'' は
:<math>x = \sum_{k \in B} \langle x, e_k \rangle e_k</math>
という形に書くことができる。ベッセルの不等式によって ''B'' が非可算の場合にも、このような表示が[[well-defined|意味を持ち]]、可算個の例外を除く各項が 0 に等しいことが保証される。このような和を ''x'' の'''フーリエ展開'''と呼び、個々の係数 ⟨''x'',''e''<sub>''k''</sub>⟩ を ''x'' の'''フーリエ係数'''と呼ぶ。このとき、パーセヴァルの等式は
:<math>\|x\|^2 = \sum_{k\in B}|\langle x, e_k\rangle|^2</math>
と書ける。逆に、正規直交系 {''e''<sub>''k''</sub>} が任意の ''x'' においてパーセヴァルの等式を満足するならば、{''e''<sub>''k''</sub>} は正規直交基底になる。
=== ヒルベルト次元 ===
[[ツォルンの補題]]の帰結として、「任意の」ヒルベルト空間が少なくとも一つの正規直交基底を持つことが分かる。さらに、一つの空間ではどの二つの正規直交基底も必ず同じ[[濃度 (数学)|濃度]]を持つことが示されるので、その濃度をしてその空間のヒルベルト次元と呼ぶ<ref>{{harvnb|Levitan|2001}}。様々な文献(例えば {{harvtxt|Dunford|Schwartz|1958|loc=§IV.4}} など)ではこれを単に次元と呼ぶが、考えているヒルベルト空間が有限次元の場合を除けば、これは通常の線型空間の意味での次元(ハメル基底の濃度)と同じものではない。</ref> 例えば、''B'' 上の自乗総和可能数列の空間 ℓ<sup>2</sup>(''B'') は ''B'' で添字づけられる正規直交基底を持つから、そのヒルベルト次元は ''B'' の濃度(これは有限な整数かもしれないし、可算あるいは非可算の基数であるかもしれない)である。
パーセヴァルの等式の帰結として、{''e''<sub>''k''</sub>}<sub>''k'' ∈ ''B''</sub> が ''H'' の正規直交基底ならば、Φ(''x'') := (⟨x, ''e''<sub>''k''</sub>⟩)<sub>''k''∈''B''</sub> で定まる写像 Φ: ''H'' → ℓ<sup>2</sup>(''B'') はヒルベルト空間の等距同型、即ち、全単射な線型写像であって、''H'' の各元 ''x'', ''y'' に対して
: <math>\langle \Phi(x), \Phi(y) \rangle_{\ell^2(B)} = \langle x, y \rangle_H</math>
を満たすことがわかる。''B'' の[[濃度 (数学)|濃度]]は ''H'' のヒルベルト次元に等しい。従って、任意のヒルベルト空間は、適当な集合 ''B'' に対する数列空間 ℓ<sup>2</sup>(''B'') に等距同型である。
=== 可分ヒルベルト空間 ===
ヒルベルト空間が[[可分空間|可分]]であるための必要十分条件は、それが[[可算]]な正規直交基底を持つことである。従って、任意の無限次元可分ヒルベルト空間は ℓ<sup>2</sup> に等距同型になる。
かつてはヒルベルト空間の定義の中に可分であることを含めることが多かった<ref>{{harvnb|Prugovečki|1981|loc=I, §4.2}}</ref>。物理学に現れる殆どの空間は可分であったことや、どの無限次元可分ヒルベルト空間も全て互いに同型であったことから、任意の無限次元可分ヒルベルト空間に言及するときは「唯一の (''the'') ヒルベルト空間」とかあるいは単に「ヒルベルト空間」と呼ぶこともしばしばであった<ref>{{harvtxt|von Neumann|1955}} はヒルベルト空間は可算ヒルベルト基底を持つものと定義したので、そのようなものは全て ℓ<sup>2</sup> に等距同型である。量子力学の厳密な取り扱いにおいて殆どの場合この規約が用いられている(例えば {{harvnb|Sobrino|1996|loc=Appendix B}} を参照)。</ref>。[[場の量子論]]においてさえ、殆どのヒルベルト空間は事実可分であり、[[ワイトマンの公理系]]として明記された。しかし、場の量子論において非可分なヒルベルト空間も重要であるというような反論が時には為された。これは大まかには理論における系が無限個の[[自由度]]を持ちうることと(1 より大きい次元を持つ空間の)無限個のテンソル積はどれも非可分であることが理由である<ref name="Streater">{{harvnb|Streater|Wightman|1964|pp=86–87}}</ref>。例えば[[ボソン|ボソン場]]は自然に、その因子が空間の各点において調和振動子で表現されるようなテンソル積の元と考えることができる。この観点からは、ボソンの空間は非可分であると見るのが自然である<ref name="Streater"/>が、しかし全テンソル積の小さな可分部分空間にしか(その上で可観測量が定義できる)物理的に意味のある場が含まれていない。もう一つの非可分ヒルベルト空間モデルは、空間の非有界領域に存在する無限個の素粒子の状態である。この空間の正規直交基底は素粒子の密度を表すある連続なパラメータによって添字付けられる。これは非可算となりうるから、基底は可算ではない<ref name="Streater"/>。
== 直交補空間と射影作用素 ==
''S'' をヒルベルト空間 ''H'' の部分集合として、''S'' に直交するベクトル全体の成す集合
:<math>S^\perp = \left\{ x \in H : \langle x, s \rangle = 0\ \forall s \in S \right\}</math>
を考える。''S''<sup>⊥</sup> は ''H'' の[[閉集合|閉]]部分空間である(これは内積の連続性と線型性用いて容易に示せる)から、それ自身ヒルベルト空間になる。''V'' が ''H'' の閉部分空間のとき、''V''<sup>⊥</sup> は ''V'' の'''直交補空間'''と呼ばれる。事実、''H'' の各元 ''x'' は ''x'' = ''v'' + ''w'' (''v'' ∈ ''V'', ''w'' ∈ ''V''<sup>⊥</sup>) なる形に一意的に表すことができる。従って、''H'' は ''V'' と ''V''<sup>⊥</sup> との内部直和になっている。
この ''x'' を ''v'' へ写す線型作用素 P<sub>''V''</sub>: ''H'' → ''H'' を ''V'' の上への'''直交射影'''と呼ぶ。''H'' の閉部分空間全体の成す集合と有界自己随伴作用素 ''P'' で ''P''<sup>2</sup> = ''P'' を満たすもの全体の成す集合との間に[[自然変換|自然な]]一対一対応が存在する。
; 定理: 直交射影 P<sub>''V''</sub> は ''H'' のノルム ≤ 1 なる自己随伴作用素で条件 P{{su|p=2|b=''V''}} = P<sub>''V''</sub> を満足する。さらに任意の自己随伴線型作用素 ''E'' で ''E''<sup>2</sup> = ''E'' を満たすものは、''E'' の値域を ''V'' として P<sub>''V''</sub> の形に表される。また ''H'' の各元 ''x'' に対して、P<sub>''V''</sub>(''x'') は距離 ‖''x'' − ''v''‖ を最小にする ''V'' の唯一の元 ''v'' になる。
このことから、''V'' の元による ''x'' の最適近似であるという P<sub>''V''</sub>(''x'') の幾何学的解釈が得られる<ref>{{harvnb|Young|1988|loc=Theorem 15.3}}</ref>。
二つの射影 ''P''<sub>''U''</sub>, ''P''<sub>''V''</sub> が互いに直交するとは、''P''<sub>''U''</sub>''P''<sub>''V''</sub> = 0 が成り立つときにいう。これは ''U'', ''V'' が ''H'' の部分空間として直交することと同値である。二つの射影 ''P''<sub>''U''</sub>, ''P''<sub>''V''</sub> の和が再び射影となるのは ''U'' と ''V'' とが互いに直交するときに限られる。このとき ''P''<sub>''U''</sub> + ''P''<sub>''V''</sub> = ''P''<sub>''U''+''V''</sub> が成り立つ。合成 ''P''<sub>''U''</sub>''P''<sub>''V''</sub> は一般には射影にならない。事実、合成が射影となる必要十分条件は二つの射影が可換となることであり、その場合 ''P''<sub>''U''</sub>''P''<sub>''V''</sub> = ''P''<sub>''U''∩''V''</sub> が成り立つ。
直交射影 ''P''<sub>''V''</sub> の終域をヒルベルト空間 ''V'' へ制限することにより、射影 π: ''H'' → ''V'' が生じる。これは[[包含写像]] ''i'': ''V'' → ''H'' に対して
:<math>\langle i x, y\rangle_H = \langle x, \pi y\rangle_V\quad (x\in V,y\in H)</math>
を満たすという意味での随伴になっている。零でない閉部分空間の上への射影 ''P'' の作用素ノルムは
:<math>\|P\| = \sup_{x\in H,\atop x\neq 0} \frac{ \|Px\| }{ \|x\| }=1</math>
に等しい。従って、ヒルベルト空間の任意の閉部分空間 ''V'' は、ノルム 1 で ''P''<sup>2</sup> = ''P'' を満たす適当な作用素 ''P'' の像になっている。この適当な射影作用素がとれるという性質はヒルベルト空間を特徴付ける性質である<ref>{{harvnb|Kakutani|1939}}</ref>。即ち、
* 2 より大きな次元のバナッハ空間が(等距的に)ヒルベルト空間となるための必要十分条件は、任意の部分空間 ''V'' に対し、その像が ''V'' となるようなノルム 1 の作用素 ''P''<sub>''V''</sub> で ''P''{{su|b=''V''|p=2}} = ''P''<sub>''V''</sub> を満たすものが存在することである。
この結果はヒルベルト空間の距離構造を特徴付けるものだが、[[位相線型空間]]としてのヒルベルト空間の構造は補空間の存在の言葉で特徴付けられる<ref>{{harvnb|Lindenstrauss|Tzafriri|1971}}</ref>。即ち、
* バナッハ空間 ''X'' が何らかのヒルベルト空間に位相線型同型(同相かつ線型同型)であるための必要十分条件は、その任意の閉部分空間 ''V'' に対し、閉部分空間 ''W'' で ''X'' が内部直和 ''V'' ⊕ ''W'' に一致するようなものが存在することである。
直交補空間については、いくつかのより初等的な事実が成立する。「''U'' ⊂ ''V'' ならば ''V''<sup>⊥</sup> ⊆ ''U''<sup>⊥</sup> で、等号成立は ''V'' が ''U'' の[[閉包 (位相空間論)|閉包]]に含まれるとき、かつそのときに限る」という意味で、直交補空間をとる操作は[[単調写像]]である。これは[[ハーン・バナッハの定理]]の特別の場合である。部分空間の閉包は直交補空間の言葉で完全に特徴付けることができる。即ち、''V'' が ''H'' の部分空間ならば、''V'' の閉包は''V''<sup>⊥⊥</sup> に一致する。従って、直交補空間をとる操作は、ヒルベルト空間の部分空間全体の成す[[半順序集合]]上の[[ガロワ対応]]になっている。一般に、部分空間の合併の直交補空間は直交補空間の交わりに一致する<ref>{{harvnb|Halmos|1957|loc=§12}}</ref>。即ち
: <math>\Big(\sum_i V_i\Big)^\perp = \bigcap_i V_i^\perp</math>
が成り立つ。さらに ''V''<sub>''i''</sub> が閉ならば
: <math>\overline{\sum_i V_i^\perp} = \Big(\bigcap_i V_i\Big)^\perp</math>
を得る。
== スペクトル論 ==
ヒルベルト空間における自己随伴作用素の[[スペクトル論]]も広く研究が成されている。これには、実係数の場合の[[対称行列]]や複素係数の場合の[[自己随伴行列]]の研究と大まかな類似がある<ref>ヒルベルト空間におけるスペクトル論の一般的な説明が {{harvtxt|Riesz|Sz Nagy|1990}} にある。C<sup>∗</sup>-環の言葉を用いたより高度な説明は {{harvtxt|Rudin|1973}} や {{harvtxt|Kadison|Ringrose|1997}} を参照。</ref>。同様の意味で、自己随伴作用素を適当な直交射影作用素の和(実際には積分)として表す「対角化」もできる。
作用素 ''T'' のスペクトル σ(''T'') とは、''T'' − λ が連続な逆作用素を持たないような複素数 λ 全体の成す集合のことである。''T'' が有界ならば、そのスペクトルは必ずガウス平面内の[[コンパクト集合]]で、円板 {{(}}|''z''| ≤ ‖''T''‖{{)}} の内側に入る。''T'' が自己随伴ならばそのスペクトルは実であり、事実として区間 [''m'',''M''] に含まれる。ただし、
:<math>m=\inf_{\|x\|=1}\langle Tx, x\rangle,\quad M=\sup_{\|x\|=1}\langle Tx, x\rangle</math>
とする。さらに言えば ''m'' と ''M'' はともに実際にはスペクトルに含まれる。
作用素 ''T'' の固有空間は
:<math>H_\lambda = \ker(T-\lambda)</math>
で与えられる。有限次元の行列の場合と異なり、''T'' のスペクトルの元は必ずしも固有値にはなるとは限らず、線型作用素 ''T'' − λ が逆を持たないときだけである(これは全射ではないから)。作用素のスペクトルの元は一般に「スペクトル値」と呼ばれる。スペクトル値は固有値とは限らないので、スペクトル分解は有限次元の場合よりは扱いが難しいことが多い。
しかし、自己随伴作用素 ''T'' の[[スペクトル論]]は、さらに[[コンパクト作用素]]であるという仮定を加えれば特に簡単な形にすることができる。自己随伴コンパクト作用素のスペクトル論の主張は<ref>たとえば {{harvtxt|Riesz|Sz Nagy|1990|loc=Chapter VI}} や {{harvnb|Weidmann|1980|loc=Chapter 7}} を参照。この結果は、積分核から生じる作用素の場合には、既に {{harvtxt|Schmidt|1907}} で知られている。</ref>
* 自己随伴コンパクト作用素 ''T'' は高々可算個のスペクトル値しか持たない。''T'' のスペクトルがガウス平面において[[集積点]]を持つ可能性は 0 以外にはない。''T'' の固有空間は ''H'' の直交直和<div style="margin: 1ex 2em"><math>H=\bigoplus_{\lambda\in\sigma(T)}H_\lambda</math></div>に分解する。さらに固有空間 ''H''<sub>λ</sub> の上への直交射影を ''E''<sub>λ</sub> と書けば<div style="margin: 1ex 2em"><math>T = \sum_{\lambda\in\sigma(T)} \lambda E_\lambda</math></div>と表せる。ただし和は B(''H'') のノルムに関して収束する。
多くの積分作用素、特に[[ヒルベルト=シュミット作用素]]から生じるものはコンパクトであり、この定理は[[積分方程式]]論において基本的な役割を果たす。
自己随伴作用素に対する一般のスペクトル論には、無限和というよりもある種の作用素値[[リーマン・スティルチェス積分]]が関係してくる<ref>{{harvnb|Riesz|Sz Nagy|1990|loc=§§107–108}}</ref>。''T'' に伴う「スペクトル族」には、各実数 λ に対して作用素 (''T'' − λ)<sup>+</sup> の零空間の上への射影 ''E''<sub>λ</sub> が対応している。ただし <sup>+</sup> は
:<math>A^+ = \frac{1}{2}(\sqrt{A^2}+A)</math>
で定義される自己随伴作用素の正部分を表す。作用素 ''E''<sub>λ</sub> は自己随伴作用素の間に定義される半順序に関して単調増大である。固有値はちょうど跳躍不連続点に対応しており、
:<math>T = \int_\mathbb{R} \lambda\, dE_\lambda</math>
なるスペクトル論が得られる。右辺の積分はリーマン・スティルチェス積分として理解され、B(''H'') のノルムに関して収束する。特に、通常のスカラー値積分表現
:<math>\langle Tx, y\rangle = \int_{\mathbb{R}} \lambda\,d\langle E_\lambda x,y\rangle</math>
が得られる。正規作用素に対してもある程度似たようなスペクトル分解が成立するが、この場合実数でない複素数がスペクトルに含まれるから、作用素値スティルチェス測度 ''dE''<sub>λ</sub> は[[1の分解| 1 の分解]]で置き換えられなければならない。
スペクトル法の主な応用は{{仮リンク|スペクトル写像定理|en|spectral mapping theorem<!-- リダイレクト先の「[[:en:Banach algebra]]」は、[[:ja:バナッハ環]] とリンク -->}}で、これにより、積分
:<math>f(T) = \int_{\sigma(T)} f(\lambda)\,dE_\lambda</math>
を作って、自己随伴作用素 ''T'' に ''T'' のスペクトル上で定義される連続な複素関数を施すことができるようになる。このような{{仮リンク|連続汎函数計算|en|Continuous functional calculus}}は特に[[擬微分作用素]]への応用を持つ<ref>{{harvnb|Shubin|1987}}</ref>。
「非有界」な自己随伴作用素のスペクトル論は、有界作用素に対するものと比べてさほど難しいわけではない。非有界作用素のスペクトルは有界作用素に対するのと全く同じやり方で定義される。つまり、λ がスペクトル値となるのは[[レゾルベント|レゾルベント作用素]]
:<math>R_\lambda = (T-\lambda)^{-1}</math>
が連続作用素として定義されないときである。''T'' の随伴性から、やはりスペクトルが実であることが保証される。従って、非有界作用素に特有な議論の本質の部分は、λ が実でないようなレゾルベント ''R''<sub>λ</sub> を見るところにある。このレゾルベントは'''有界'''正規作用素で、これをスペクトル表現したものを使って ''T'' 自身のスペクトル表現が得られる。同様の方法論で、例えばラプラス作用素のスペクトルも調べられる。作用素を直接扱うよりも、それに付随する[[リースポテンシャル]]や{{仮リンク|ベッセルポテンシャル|en|Bessel potential}}のようなレゾルベントを見るのである。
非有界自己随伴作用素の場合に成立するスペクトル定理は以下のようなものである<ref>{{harvnb|Rudin|1973|loc=Theorem 13.30}}.</ref>。
: ヒルベルト空間 ''H'' 上稠密に定義された自己随伴作用素 ''T'' が与えられたとき、'''R''' のボレル集合族上で定義された[[1の分解| 1 の分解]] ''E'' が一意に対応して<div style="margin: 1ex 2em"><math>
\langle Tx, y\rangle = \int_\mathbb{R} \lambda\,dE_{x,y}(\lambda)\quad(x\in D(T),y\in H)
</math></div>を満たす。スペクトル測度 ''E'' は ''T'' のスペクトル上に集中する。
非有界正規作用素に対するスペクトル定理も存在する。
== 関連項目 ==
*[[対称性 (物理学)]]
* {{仮リンク|ヒルベルトC*-加群|en|Hilbert C*-module}}
* {{仮リンク|ヒルベルト代数|de|Hilbertalgebra}}
* {{仮リンク|ヒルベルト多様体|en|Hilbert manifold}}
* {{仮リンク|艤装ヒルベルト空間|en|Rigged Hilbert space}}
* [[作用素論]]
* {{仮リンク|アダマール空間|en|Hadamard space}}
* [[フォック空間]]
== 注記 ==
{{reflist|colwidth=30em}}
== 参考文献 ==
{{Refbegin|colwidth=30em}}
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* {{citation|title=Partial differential equations|first=Lipman|last= Bers|authorlink=Lipman Bers|first2=Fritz|last2= John|authorlink2=Fritz John|first3= Martin|last3= Schechter|publisher= American Mathematical Society|year=1981|isbn=0821800493}}.
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* {{citation| first = Jean| last = Dieudonné| authorlink=Jean Dieudonné|title= Foundations of Modern Analysis|publisher = Academic Press| year= 1960}}.
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* {{citation|first=Mark|last=Kac|authorlink=Mark Kac|title=Can one hear the shape of a drum?|journal=[[American Mathematical Monthly]]|volume=73|issue=4, part 2|year=1966|pages=1–23|doi=10.2307/2313748|jstor=2313748}}.
*{{Citation | last1=Kadison | first1=Richard V. | last2=Ringrose | first2=John R. | title=Fundamentals of the theory of operator algebras. Vol. I | publisher=[[American Mathematical Society]] | location=Providence, R.I. | series=Graduate Studies in Mathematics | isbn=978-0-8218-0819-1 | mr=1468229 | year=1997 | volume=15}}.
<!--* {{citation| title = Элементы теории функций и функционального анализа| last1 = Колмогоров| first1 = А. Н.| authorlink1 = Andrey Kolmogorov| last2= Фомин|first2= С. В.| authorlink2 = Sergei Fomin| year = 1989| edition = sixth Russian (with corrections)| publisher = "Nauka", Moscow| isbn= 5-02-013993-9}}.-->
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*{{Citation | last1=Weidmann | first1=Joachim | title=Linear operators in Hilbert spaces | publisher=[[Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | series=Graduate Texts in Mathematics | isbn=978-0-387-90427-6 | mr=566954 | year=1980 | volume=68}}.
* {{citation| last=Weyl| first=Hermann| authorlink=Hermann Weyl| title = The Theory of Groups and Quantum Mechanics| year = 1931| publisher = Dover Press| edition = English 1950| isbn= 0-486-60269-9}}.
* {{citation| last=Young|first=Nicholas|title=An introduction to Hilbert space|publisher=Cambridge University Press|year=1988|zbl=0645.46024|isbn=0-521-33071-8}}.
{{Refend}}
*日本数学会 『岩波数学辞典(第3版)』 岩波書店、1985年。ISBN 4000800167
== 学習用図書 ==
* 中村英樹:「ヒルベルト空間論&作用素論」、現代数学社、ISBN 978-4-7687-0529-2 (2020)。
== 外部リンク ==
* {{MathWorld|url=HilbertSpace|title=Hilbert space}}
* [http://terrytao.wordpress.com/2009/01/17/254a-notes-5-hilbert-spaces/ 245B, notes 5: Hilbert spaces] by [[Terence Tao]]
{{Functional Analysis}}
{{Algebra}}
{{authority control}}
{{DEFAULTSORT:ひるへるとくうかん}}
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[[Category:数学に関する記事]] | 2003-05-08T13:06:53Z | 2023-11-20T10:05:41Z | false | false | false | [
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7,937 | 千代田区 |
千代田区(ちよだく)は、東京都の区部中央部に位置する特別区。東京都の都心部にあたり、内閣総理大臣官邸、国会議事堂、最高裁判所や各中央省庁などの日本の首都機能が集中している。また、丸の内をはじめとした一帯は大企業や金融機関が集積する日本最大のビジネス街であり、日本経済の中心を担っている。
中央区・港区とともに「東京都心」、「都心3区」とされる。永田町や霞が関を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の政治・行政・司法の中心地である。また、日本屈指のオフィス街である丸の内や大手町は東京の中心業務地区(CBD)の1つとして機能しており、3大メガバンク(都市銀行)の本店や我が国を代表する大企業の本社が多数集積し、日本の金融・経済の中核を担っている。丸の内には東京駅が位置しており、日本の中央駅として多数の新幹線・在来線の起点となっている。区の南部に皇居(かつての江戸城)があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占める。区域は江戸城の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址にあたる場所である。また、皇居西側を中心とした麹町・番町地区は都心屈指の高級住宅街として知られている。
西部は武蔵野台地の東端にあたる麹町台や駿河台といった台地で、東部は沖積平野である。北部に神田川が東に向かって流れ、日本橋川が三崎橋付近から分かれて流れている。
東京23区の中央部に位置する。旧・麹町区と旧・神田区の合併により誕生した。区名は江戸城の別名である「千代田城」に由来する。現在の皇居(千代田区千代田1番1号)がある場所に江戸城が置かれ徳川幕府の本拠地として政治の中心になり、江戸城の周辺には武家屋敷(大名屋敷)などの江戸の城下町が整備された。明治維新後も新政府が大名屋敷跡に官庁街を開設して首都機能を置くなど「東京」の中心地としており、日本の政治の中心が引き続き置かれることになった。古来より荒川や利根川(現在の古利根川、下流は隅田川がかつての水路)、多摩川の河口部に近く、日比谷入江があったことから、海と川を利用した水運の根拠地となり、関東地方における流通の中心地としての機能を果たしていたといわれている「江戸湊」も当地区にあった。江戸時代には、掘割沿いに河岸と呼ばれる流通基地が整備され、現在の中央通りにあたる「通町筋」には「伊勢屋」の屋号を名乗る伊勢商人などの上方の商業資本が多く進出しており、問屋機能の集積が進んだ。
神田地区は、江戸時代から幕府御用の儒学者が集まった昌平校があり、民間の学者も多く住んで私塾が多数あった学問の盛んな地であったが、近代以降も私立大学や予備校などが多数立地する文教地区となっており、御茶ノ水界隈は日本最大の学生街である。こうした伝統の影響もあり、神田の一角にある神保町には世界最大級の古書店街である神田古書店街が形成され、神田神保町や隣接する一ツ橋地区には小学館や集英社などの出版社も多く立地している。江戸時代の神田川の付け替えで分離され、江戸城の川を挟む形となった神田の北部は外神田と呼ばれるようになった。江戸時代に火災の延焼を防ぐため、約9,000坪の広場が作られて遠江の秋葉神社が勧請されたことから、この地区は秋葉原と呼ばれるようになり、第二次世界大戦に露店商が集積し、そこから電気部品を扱う店舗が集まる「秋葉原電気街」が発達した。現在、秋葉原は電気街としての側面も持ちつつ、世界的に有名な「オタクの街」「サブカルチャーの街」として発展し、世界中から多くの観光客を呼び寄せている。
明治以降、国会・首相官邸・中央省庁・最高裁判所などの三権をはじめとする日本の首都機能、主要政党の本部など国家権力の中枢が千代田区に集中し、日本の立法・行政・司法の中心である。区内の永田町、霞が関といった地名は国会議員や官僚の代名詞である。1991年に新宿区西新宿の新宿副都心(新都心)に移転するまで、東京都庁舎は同区丸の内に所在していた。
1891年に丸の内が三菱に払い下げられて、政府機関などに隣接することからオフィス街が建設された。政府との間での人脈構築や情報の収集しやすさから当地区に大手企業の本社が多数立地するようになり、経済面でも中心的な機能を果たすようになった。このため丸の内には三菱グループ(旧三菱財閥)の各社の本社が多数集積しており、その歴史的経緯から丸の内は「三菱村」とも呼ばれる(グループの御三家と呼ばれる三菱UFJ銀行・三菱商事・三菱重工業の本社は全て丸の内に位置している)。その結果、丸の内や大手町、日比谷(有楽町)の東京駅界隈のビジネスセンターは、3大メガバンク(都市銀行)の本店や全国紙の新聞社をはじめ、大手製造業や大手総合商社などの巨大企業の本社機能が集中しているほか、経団連や農協などの経済団体の本部も集結している日本経済の中心的地区である。
以前は東京都庁が丸の内三丁目(現在の東京国際フォーラムの場所)にあったが、1991年に新宿区西新宿二丁目に移転している(都庁所在地としての表記は現地移転後も東京)。
明治維新後に徳川将軍家が駿府(現在の静岡市)に転封になった際には、当区の北西部に居住していた旗本・御家人が大量に失業状態になって屋敷を引き払ったことなどが影響して人口が激減し、区北西部の旗本屋敷街は一気に無人状態に陥ることになった。旗本屋敷跡のうち、神田地区には一般市民などが移り住む、学校が開設されるなどの形で民間の市街地となり、番町地区や麹町地区には明治政府の官僚などが移り住んだことから高級住宅街となっていった。こうした新たな住民の流入により人口がいったん回復し、1919年の第1回国勢調査では約22万人となっていた。
しかし、関東大震災で大きな被害を受け、復興の過程で郊外の鉄道沿線に住宅街が発達したことから住民が流出し、再び人口が減少することになった。
第二次世界大戦時には統制で通常の書籍の出版がほとんど行われなくなり、丸の内などのオフィス街も統制機関や軍需機関などによって接収されるなどしたため、民間の活動はほぼ壊滅状態となったうえ、空襲で区内の民家の大半が焼失したことから、旧神田区が2万1,506人、旧麹町区が1万435人の合わせて3万1,941人まで人口が減少した。
一番町から六番町を総称して「番町」と呼ばれる千鳥ヶ淵に隣接する皇居の西側の地区は、セブン&アイホールディングスやそのグループ会社(セブンイレブンジャパン、イトーヨーカ堂、そごう・西武など)の本社や大使館などが立地しているオフィス街であると同時に、高級住宅街にもなっている。
当地は先述の通り明治以降に官庁街とオフィス街、文教地区が形成されたことから、大正期にすでに夜間人口と昼間人口の差が大きくなっていた。この傾向は第二次世界大戦後に一段と加速し、昼間人口が約15倍から約20倍に上るといわれるようになった。
1980年代以降は住民の比較的多かった神田地区は、バブル景気も相まって不動産業者が用地買収を盛んに行って再開発し、高層ビルなどを建設したことから、一部で高層の住宅も併設されたものの人口が急速に減少し、この傾向がより強まっていった。
しかし、先述のような再開発や地価高騰にともなう大都市の中心市街地における人口減少が典型的に進んでおり、夜間人口は約5万8000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約15倍の約85万人にまで膨れ上がる。こうした夜間人口の少なさから、夜間人口を面積で割って算出される人口密度は、2015年10月1日現在でほかの22区がすべて10,000人/平方キロメートル (km)を超える中、当区のみ約5,000人/kmと低くなっている(昼間人口で計算すれば、70,000人/kmを超える過密状態となる)。
2005年に夜間人口(居住者)は4万1683人であるが、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は85万3382人で、昼は夜の約20.5倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行120,121頁。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで26万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含めているが、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に齟齬が生じている)。
千代田区では、一部の地域を除き住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
千代田区は住居表示実施率が23区で最も低い。面積ベースの比率では新宿区よりも僅差で下回り、皇居部分の面積を除いて考えると23区で突出して実施率が低い。*住居表示未実施の町丁目:
千代田区では、日本語の読み方と共にラテン文字表記に関しても正式なスペルを示している。
千代田区の町名で注視する点が「麴町」の正式な漢字表記である。「麴町」が正式な漢字表記であり、プレートや紙媒体などの印刷物・画像データなどの印字には「麴町」という表記が多く見受けられる。しかし「麴」は機種依存文字にあたるため、本記事も含め、電子データ上では簡易慣用字体である「麹」が使用される。東京地下鉄麴町駅の漢字表記も町名に合わせたものである。
麹町地域は、江戸開府以来から東京山手の町として賑わいを見せている。皇居を中心に、高級住宅地としての色とオフィス街および官公庁街としての色が濃い地域である。
神田地域は、中央区日本橋や京橋とともに東京下町の一部として、江戸開府以来の中心的商業地として賑わいを見せている。
現在の千代田区の町名で旧神田区の区域にある街は「神田○○町、○神田」と称している(住居表示実施地区を除く)。これは戦後、旧麹町区と旧神田区が合併する際に「神田」の町名が消えることを避けるために、旧神田の町名に神田を冠したことによる。名称の経緯が似ている例として日本橋地域が挙げられる。
千代田区は日本の中枢であり、多くの政府機関が密集している。
過去には日本テレビ放送網(日テレ)の本社が二番町にあったが、2003年(平成15年)に港区東新橋(汐留シオサイト)に移転した。旧社屋は麹町分室として使用されていたが、2019年(平成31年/令和元年)に同じ二番町に番町スタジオに新築移転したのちに解体された。
朝日新聞東京本社・日刊スポーツ新聞社(いずれも中央区)、報知新聞社(スポーツ報知。港区)、スポーツニッポン新聞社、東京スポーツ新聞社(いずれも江東区)を除く全国紙・地方紙・スポーツ紙の本社が千代田区に所在している。なお朝日新聞は、千代田区内に東京総局を置いている。出版社は東京に集中して存在しており、大手から専門出版社まで、当区北部および文京区に数多く存在する。
東京運輸支局本庁舎の管轄エリアで、品川ナンバーを交付される。
指定地区外も公共の場所での歩きタバコをしないように努める義務がある。また、ゴミのポイ捨てに対しても禁止する規定がある。
今まで永田町・霞が関・内幸町はこの条例の適用除外地域であったが、2010年(平成22年)4月1日から皇居・皇居外苑・日比谷公園や中小の公園を除く千代田区全域の公道上で路上喫煙が禁止されている。
また、このほか政令指定都市の大阪市などの自治体でも、いわゆる路上喫煙禁止条例を制定・施行しているところもある。
現在、千代田区内で東京都災害拠点病院に指定されている病院は日本大学病院と三井記念病院の2か所である。
現在、千代田区内の救急告示医療機関は3か所ある。
高速道路
放射道路(時計回りに表記)
環状道路(皇居側からの表記)
以下は、当区内を通過する路線と所在する駅を各路線別に記述している。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
東京地下鉄(東京メトロ)
東京都交通局
首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)
★は本店所在金融機関
区民1人あたりの区民図書館蔵書数は5.6冊で23区のトップである。23区の平均は区民1人あたり3.4冊である(2012年現在)。
秋葉原が舞台の作品は『秋葉原を題材・舞台とした作品』を参照。
旧麹町区、旧神田区の出身有名人については麹町区、神田区を参照 | [
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"text": "区民1人あたりの区民図書館蔵書数は5.6冊で23区のトップである。23区の平均は区民1人あたり3.4冊である(2012年現在)。",
"title": "文化施設"
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"text": "秋葉原が舞台の作品は『秋葉原を題材・舞台とした作品』を参照。",
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"text": "旧麹町区、旧神田区の出身有名人については麹町区、神田区を参照",
"title": "著名な出身者"
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] | 千代田区(ちよだく)は、東京都の区部中央部に位置する特別区。東京都の都心部にあたり、内閣総理大臣官邸、国会議事堂、最高裁判所や各中央省庁などの日本の首都機能が集中している。また、丸の内をはじめとした一帯は大企業や金融機関が集積する日本最大のビジネス街であり、日本経済の中心を担っている。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{東京都の特別区
|画像 = Tokyo Marunouchi01s3872.jpg
|画像の説明 = [[丸の内]]の[[超高層建築物|超高層ビル]]群と[[東京駅]]の丸の内駅舎
|区旗 = [[File:Flag of Chiyoda, Tokyo.svg|border|100px]]
|区旗の説明 = 千代田[[市町村旗|区旗]]<div style="font-size:smaller">[[1950年]][[3月26日]]制定
|区章 = [[File:Emblem of Chiyoda, Tokyo.svg|70px|center]]
|区章の説明 = 千代田[[市町村章|区章]]<div style="font-size:smaller">1950年3月26日制定
|自治体名 = 千代田区
|コード = 13101-6
|隣接自治体 = [[中央区 (東京都)|中央区]]、[[港区 (東京都)|港区]]、[[新宿区]]、[[文京区]]、[[台東区]]
|木 = [[マツ]]
|花 = [[サクラ]]
|シンボル名= 他のシンボル
|鳥など = 区の鳥: [[ハクチョウ]]<br />区歌: [[千代田区歌]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/gaiyo/yokoso/uta.html |title=千代田区歌 |publisher=千代田区役所 |date=2021-03-17 |accessdate=2022-08-20 }}</ref>
|郵便番号 = 102-8688
|所在地 = 千代田区[[九段南]]一丁目2番1号<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-13|display=inline,title}}<br />[[画像:Chiyoda - 2.png|250px]]<br />千代田区役所
|外部リンク = [https://www.city.chiyoda.lg.jp/ 千代田区]
|位置画像 = {{基礎自治体位置図|13|101|image=Chiyoda-ku in Tokyo Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}<br/>{{Maplink2|zoom=12|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=280|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2}}
|特記事項 =
}}
'''千代田区'''(ちよだく)は、[[東京都]]の[[東京都区部|区部]]中央部に位置する[[特別区]]。東京都の[[都心]]部にあたり、[[内閣総理大臣官邸]]、[[国会議事堂]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]や各[[日本の行政機関|中央省庁]]などの[[日本の首都]]機能が集中している{{efn|[[南]]部に位置する[[永田町]]・[[霞が関]]・[[隼町]]}}。また、[[丸の内]]をはじめとした一帯{{efn|[[丸の内]]・[[大手町 (千代田区)|大手町]]・[[有楽町]]([[大丸有]])や、隣接する[[中央区 (東京都)|中央区]]の[[八重洲]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[京橋 (東京都中央区)|京橋]]など。中心となる丸の内一丁目には[[東京駅]]が所在している。}}は[[大企業]]や[[金融機関]]が集積する日本最大の[[オフィス街|ビジネス街]]であり、[[日本の経済|日本経済]]の中心を担っている。
== 概要・歴史 ==
{{独自研究|section=1|date=2011年12月}}
[[中央区 (東京都)|中央区]]・[[港区 (東京都)|港区]]とともに「'''東京都心'''」、「'''都心3区'''」とされる<ref>国土交通省 第6章 都市構造と鉄道利用に関する分析</ref>。[[永田町]]や[[霞が関]]を中心にさまざまな首都機能が集積し、日本の[[政治]]・[[行政]]・[[司法]]の中心地である。また、日本屈指の[[オフィス街]]である[[丸の内]]や[[大手町 (千代田区)|大手町]]は東京の'''[[中心業務地区]](CBD)'''の1つとして機能しており、3大[[メガバンク]]([[都市銀行]])の本店や我が国を代表する大企業の本社が多数集積し、日本の[[金融]]・[[経済]]の中核を担っている。丸の内には[[東京駅]]が位置しており、日本の[[中央駅]]として多数の[[新幹線]]・[[在来線]]の起点となっている。区の南部に[[皇居]](かつての[[江戸城]])があり、区全体の約15%を皇居の緑地が占める。区域は[[江戸城]]の外濠の内側部分とほぼ一致しており、外郭を含めた城址にあたる場所である<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3">[[鈴木理生]]『千代田区の歴史 東京ふるさと文庫 5』1978年3月。</ref>。また、皇居西側を中心とした[[麹町]]・[[番町]]地区は[[都心]]屈指の[[高級住宅街]]として知られている。
西部は[[武蔵野台地]]の東端にあたる麹町台や駿河台といった台地で、東部は[[沖積平野]]である。北部に[[神田川 (東京都)|神田川]]が東に向かって流れ、[[日本橋川]]が三崎橋付近から分かれて流れている<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
[[東京都区部|東京23区]]の中央部に位置する<ref name="yamaguchi-geographical-dictionary-1980-10">[[山口恵一郎]] 『日本地名辞典 市町村編』1980年10月。</ref>。旧・[[麹町区]]と旧・[[神田区]]の合併により誕生した。区名は[[江戸城]]の別名である「千代田城」に由来する<ref>{{Cite web|和書|title=千代田区ホームページ - 区の起こり・由来|url=https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/gaiyo/yokoso/okori.html|website=www.city.chiyoda.lg.jp|accessdate=2021-11-06}}</ref>。現在の皇居(千代田区[[千代田 (千代田区)|千代田]]1番1号)がある場所に[[江戸城]]が置かれ[[徳川幕府]]の本拠地として政治の中心になり<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />、江戸城の周辺には[[武家屋敷]](大名屋敷)などの[[江戸]]の[[城下町]]が整備された。[[明治維新]]後も新政府が大名屋敷跡に官庁街を開設して[[首都]]機能を置くなど「東京」の中心地としており<ref name="chiyoda-wald-history-1960">『千代田區史』1960年。</ref>、日本の政治の中心が引き続き置かれることになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。古来より[[荒川 (関東)|荒川]]や[[利根川]](現在の[[古利根川]]、下流は[[隅田川]]がかつての水路)、[[多摩川]]の河口部に近く、[[日比谷]]入江があったことから、海と川を利用した水運の根拠地となり、関東地方における流通の中心地としての機能を果たしていたといわれている「江戸湊」も当地区にあった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。江戸時代には、掘割沿いに河岸と呼ばれる流通基地が整備され、現在の中央通りにあたる「通町筋」には「伊勢屋」の屋号を名乗る[[伊勢商人]]などの[[上方]]の商業資本が多く進出しており、問屋機能の集積が進んだ<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
[[神田 (千代田区)|神田]]地区は、江戸時代から幕府御用の[[儒学者]]が集まった[[昌平校]]があり、民間の学者も多く住んで私塾が多数あった学問の盛んな地であったが、近代以降も[[私立大学]]や[[予備校]]などが多数立地する[[文教地区]]となっており、[[御茶ノ水]]界隈は日本最大の[[学生街]]である<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。こうした伝統の影響もあり、神田の一角にある[[神田神保町|神保町]]には世界最大級の古書店街である[[神田古書店街]]が形成され、[[神田神保町]]や隣接する[[一ツ橋]]地区には[[小学館]]や[[集英社]]などの[[出版社]]も多く立地している<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。江戸時代の[[神田川 (東京都)|神田川]]の付け替えで分離され、江戸城の川を挟む形となった神田の北部は[[外神田]]と呼ばれるようになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。江戸時代に火災の延焼を防ぐため、約9,000坪の広場が作られて[[遠江]]の[[秋葉神社]]が勧請されたことから、この地区は[[秋葉原]]と呼ばれるようになり、[[第二次世界大戦]]に露店商が集積し、そこから電気部品を扱う店舗が集まる「秋葉原電気街」が発達した<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。現在、[[秋葉原]]は電気街としての側面も持ちつつ、世界的に有名な「[[おたく|オタク]]の街」「[[サブカルチャー]]の街」として発展し、世界中から多くの観光客を呼び寄せている。
明治以降、[[国会]]・[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]・[[中央省庁]]・[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]などの[[三権]]をはじめとする[[日本]]の[[首都機能]]、主要[[政党]]の本部など[[国家権力]]の中枢が千代田区に集中し、日本の[[立法]]・[[行政]]・[[司法]]の中心である。区内の[[永田町]]、[[霞が関]]といった地名は[[国会議員]]や[[官僚]]の代名詞である。[[1991年]]に[[新宿区]][[西新宿]]の新宿[[副都心]](新都心)に移転するまで、[[東京都庁舎]]は同区丸の内に所在していた。
[[1891年]]に[[丸の内]]が[[三菱財閥|三菱]]に払い下げられて、政府機関などに隣接することから[[オフィス街]]が建設された。政府との間での人脈構築や情報の収集しやすさから当地区に大手企業の本社が多数立地するようになり、経済面でも中心的な機能を果たすようになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。このため丸の内には[[三菱グループ]](旧[[三菱財閥]])の各社の本社が多数集積しており、その歴史的経緯から丸の内は「'''三菱村'''」とも呼ばれる(グループの[[御三家]]と呼ばれる[[三菱UFJ銀行]]・[[三菱商事]]・[[三菱重工業]]の本社は全て丸の内に位置している)。その結果、[[丸の内]]や[[大手町 (千代田区)|大手町]]、[[日比谷]]([[有楽町]])の[[東京駅]]界隈のビジネスセンターは、3大[[メガバンク]]([[都市銀行]])の本店や[[全国紙]]の[[新聞社]]をはじめ、大手[[製造業]]や大手[[総合商社]]などの巨大企業の本社機能が集中しているほか、[[経団連]]や[[農協]]などの経済団体の本部も集結している日本経済の中心的地区である。
=== 年表 ===
{{節スタブ}}
* [[江戸時代]]前期までの「[[江戸]]」は、現在の千代田区周辺を指し、[[江戸城]]は別名「千代田城」と呼ばれていた。
* [[明治]]以前は[[武蔵国]]、[[豊島郡 (武蔵国)|豊島郡]]であった。
* 明治以降は[[麹町区]]および[[神田区]]。
以前は[[東京都庁]]が丸の内三丁目(現在の[[東京国際フォーラム]]の場所)にあったが、[[1991年]]に[[新宿区]][[西新宿]]二丁目に移転している(都庁所在地としての表記は現地移転後も'''東京''')。
=== 歴史上の出来事 ===
* [[桜田門外の変]](1860)
* [[坂下門外の変]](1862)
* [[紀尾井坂の変]](1878)
* [[竹橋事件]](1878)
*[[日比谷焼打事件|日比谷焼討事件]](1905)
*[[原敬暗殺事件]](1921)
* [[五・一五事件]](1932)
* [[二・二六事件]](1936)
* [[宮城事件]](1945)
* [[人民広場事件]](1950)
* [[血のメーデー事件]](1952)
* [[金大中事件]](1973)
* [[三菱重工爆破事件]](1974)
* [[地下鉄サリン事件]](1995)
* [[秋葉原通り魔事件]](2008)
== 住宅街と人口 ==
{{人口統計|code=13101|name=千代田区|image=Population distribution of Chiyoda, Tokyo, Japan.svg}}
明治維新後に[[徳川将軍家]]が駿府(現在の[[静岡市]])に転封になった際には、当区の北西部に居住していた[[旗本]]・[[御家人]]が大量に失業状態になって屋敷を引き払ったことなどが影響して人口が激減し、区北西部の旗本屋敷街は一気に無人状態に陥ることになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。旗本屋敷跡のうち、神田地区には一般市民などが移り住む、学校が開設されるなどの形で民間の市街地となり<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />、番町地区や麹町地区には明治政府の[[官僚]]などが移り住んだことから高級住宅街となっていった<ref name="chiyoda-wald-history-1960" />。こうした新たな住民の流入により人口がいったん回復し、[[1919年]]の第1回国勢調査では約22万人となっていた<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
しかし、[[関東大震災]]で大きな被害を受け、復興の過程で[[郊外]]の鉄道沿線に住宅街が発達したことから住民が流出し、再び人口が減少することになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
[[第二次世界大戦]]時には統制で通常の書籍の出版がほとんど行われなくなり、丸の内などのオフィス街も統制機関や軍需機関などによって接収されるなどしたため、民間の活動はほぼ壊滅状態となったうえ、空襲で区内の民家の大半が焼失したことから、旧神田区が2万1,506人、旧麹町区が1万435人の合わせて3万1,941人まで人口が減少した<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
一番町から六番町を総称して「[[番町]]」と呼ばれる千鳥ヶ淵に隣接する皇居の西側の地区は、[[セブン&アイ・ホールディングス|セブン&アイホールディングス]]やそのグループ会社([[セブンイレブンジャパン]]、[[イトーヨーカ堂]]、[[そごう・西武]]など)の本社や[[大使館]]などが立地している[[オフィス街]]であると同時に、[[高級住宅街]]にもなっている<ref name="makino-edo-temple-609-2011-9-15">槇野修 『地名で読む江戸の町』2011年9月15日。</ref>。
=== 人口 ===
当地は先述の通り明治以降に官庁街とオフィス街、文教地区が形成されたことから、大正期にすでに[[夜間人口]]と[[昼間人口]]の差が大きくなっていた<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。この傾向は第二次世界大戦後に一段と加速し、昼間人口が約15倍から約20倍に上るといわれるようになった<ref name="suzuki-chiyoda-wald-history-1978-3" />。
[[1980年代]]以降は住民の比較的多かった神田地区は、バブル景気も相まって不動産業者が用地買収を盛んに行って再開発し、高層ビルなどを建設したことから、一部で高層の住宅も併設されたものの人口が急速に減少し、この傾向がより強まっていった<ref name="urban-area-context-1993-1">[[奥田道大]] 『都市と地域の文脈を求めて 21世紀システムとしての都市社会学』1993年1月。</ref>。
しかし、先述のような再開発や地価高騰にともなう大都市の中心市街地における人口減少が典型的に進んでおり<ref name="urban-area-context-1993-1" />、夜間人口は約5万8000人で23区で最も少ないが、昼間人口は約15倍の約85万人にまで膨れ上がる。こうした夜間人口の少なさから、夜間人口を面積で割って算出される人口密度は、[[2015年]]10月1日現在でほかの22区がすべて10,000人/[[平方キロメートル|平方キロメートル (km<sup>2</sup>)]]を超える中、当区のみ約5,000人/km<sup>2</sup>と低くなっている(昼間人口で計算すれば、70,000人/km<sup>2</sup>を超える過密状態となる)。<!--人口密度が低いのは昼夜人口比率の問題よりも、面積の多くを皇居が占めているためでは??-->
2005年に夜間人口([[居住]]者)は4万1683人であるが、区外からの[[通勤]]者と[[通学]]生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は85万3382人で、[[昼]]は[[夜]]の約20.5倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行120,121頁。国勢調査では[[年齢]]不詳のものが東京都だけで26万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含めているが、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないため数字の間に齟齬が生じている)。<!--*****そうなると3桁くらいしか信用できないので、倍率を5桁も出すのは無意味。-->
== 町名 ==
千代田区では、一部の地域を除き[[住居表示に関する法律]]に基づく[[住居表示]]が実施されている。
千代田区は[[住居表示]]実施率が23区で最も低い。面積ベースの比率では新宿区よりも僅差で下回り、皇居部分の面積を除いて考えると23区で突出して実施率が低い。*住居表示未実施の町丁目:
:神田○○町(神田三崎町、神田猿楽町を除く)、○番町、麹町全丁目
=== 町名のラテン文字表記 ===
千代田区では、日本語の読み方と共にラテン文字表記に関しても正式なスペルを示している。
* 「町」の読みは、[[麹町|麴町]]、[[大手町 (千代田区)|大手町]]、[[神田小川町]]、[[神田司町]]の4町は「まち」、その他はすべて「ちょう」と読む。
* 神田紺屋町、神田東紺屋町の場合、「{{スペル|lang=ja|Kanda-kon'yacho}}」「{{スペル|lang=ja|Kanda-higashikon'yacho}}」のように[[アポストロフィ]] ({{音読しない|'}}) で区切って表記する。アポストロフィで区切らない「{{スペル|lang=ja|konya}}」のままでは「こにゃ」と発音する為「{{スペル|lang=ja|kon'ya}}」と表記する必要がある。
* 神田神保町の場合、ローマ字表記の一つ「旧ヘボン式」に則り(「{{スペル|lang=ja|b}}」「{{スペル|lang=ja|p}}」「{{スペル|lang=ja|m}}」の前に限り「{{スペル|lang=ja|m}}」を使う)「{{スペル|lang=ja|Kanda-jimbocho}}」としている。
* 三番町、四番町の場合、ローマ字表記の一つ現在主流の「修正ヘボン式」を採用しており、そのまま「{{スペル|lang=ja|Sanbancho}}」「{{スペル|lang=ja|Yonbancho}}」と記載する。同様の使用例は[[中央区 (東京都)|中央区]]の[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]「{{スペル|lang=ja|Nihonbashi}}」どが正式なラテン文字表記として採用されている。
=== 町名の漢字表記 ===
千代田区の町名で注視する点が「麴町」の正式な漢字表記である。「麴町」が正式な漢字表記であり<ref>[http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/tochi/jukyohyoji/joho-02.html 千代田区総合ホームページ 住居表示と町名の情報 神田と麹町]</ref>、プレートや紙媒体などの印刷物・画像データなどの印字には「麴町」という表記が多く見受けられる。しかし「麴」は[[機種依存文字]]にあたるため、本記事も含め、電子データ上では簡易慣用字体である「麹」が使用される。[[東京地下鉄]][[麹町駅|麴町駅]]の漢字表記も町名に合わせたものである。
=== 町名一覧 ===
====千代田区役所麹町出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所麹町出張所管内(33町丁)
!style="width:14%"|町名
!style="width:12%"|町区域新設年月日
!style="width:12%"|住居表示実施年月日
!style="width:32%"|住居表示実施前の町名など
!style="width:18%"|備考
|-
|{{ruby|'''[[丸の内]]'''|まるのうち}}'''一丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|丸ノ内1〜3(全)
|
|-
|'''丸の内二丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|丸ノ内1〜3(全)
|
|-
|'''丸の内三丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|丸ノ内1〜3(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[大手町 (千代田区)|大手町]]'''|おおてまち}}'''一丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|大手町1・2(全)、竹平町
|
|-
|'''大手町二丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|大手町1・2(全)、竹平町
|
|-
|{{ruby|'''[[内幸町]]'''|うちさいわいちょう}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|内幸町1・2(全)
|
|-
|'''内幸町二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|内幸町1・2(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[有楽町]]'''|ゆうらくちょう}}'''一丁目'''
|1975年1月1日
|1975年1月1日
|有楽町1・2
|
|-
|'''有楽町二丁目'''
|1975年1月1日
|1975年1月1日
|有楽町1・2
|
|-
|{{ruby|'''[[霞が関]]'''|かすみがせき}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
|
|-
|'''霞が関二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
|
|-
|'''霞が関三丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|霞ヶ関1(全)、霞ヶ関2・3、三年町、永田町2
|
|-
|{{ruby|'''[[永田町]]'''|ながたちょう}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町
|
|-
|'''永田町二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|永田町1(全)、永田町2、霞ヶ関2・3、三年町
|
|-
|{{ruby|'''[[隼町]]'''|はやぶさちょう}}
|1973年1月1日
|1973年1月1日
|隼町(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[平河町]]'''|ひらかわちょう}}'''一丁目'''
|1971年7月1日
|1971年7月1日
|平河町1・2
|
|-
|'''平河町二丁目'''
|1971年7月1日
|1971年7月1日
|平河町1・2
|
|-
|{{ruby|'''[[麹町]]'''|こうじまち}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|-
|'''麹町二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''麹町三丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''麹町四丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''麹町五丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''麹町六丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[紀尾井町]]'''|きおいちょう}}
|1980年1月1日
|1980年1月1日
|紀尾井町(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[一番町 (千代田区)|一番町]]'''|いちばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[二番町 (千代田区)|二番町]]'''|にばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[三番町 (千代田区)|三番町]]'''|さんばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[四番町 (千代田区)|四番町]]'''|よんばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[五番町 (千代田区)|五番町]]'''|ごばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[六番町 (千代田区)|六番町]]'''|ろくばんちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[九段南]]'''|くだんみなみ}}'''二丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、竹平町、代官町、三番町
|
|-
|{{ruby|'''[[皇居外苑]]'''|こうきょがいえん}}
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|祝田町、宝田町、元千代田町(以上全)
|
|-
|{{ruby|'''[[日比谷公園]]'''|ひびやこうえん}}
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|日比谷公園
|
|-
|}
====千代田区役所富士見出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所富士見出張所管内(16町丁)
!style="width:14%" |町名
!style="width:12%" |町区域新設年月日
!style="width:12%" |住居表示実施年月日
!style="width:32%" |住居表示実施前の町名など
!style="width:18%" |備考
|-
|{{ruby|'''[[千代田 (千代田区)|千代田]]'''|ちよだ}}
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|(皇居){{efn|千代田区公式サイトの「新旧町名対照表」には千代田の旧町名は「千代田区1番」とある{{r|新旧町名対照表}}。}}
|
|-
|{{ruby|'''[[北の丸公園]]'''|きたのまるこうえん}}
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|代官町(全){{efn|千代田区公式サイトの「新旧町名対照表」には代官町全域が北の丸公園になったとするが{{R|新旧町名対照表}}、『角川日本地名大辞典 東京都』は、代官町の一部が九段南一・二丁目になったとする。}}
|
|-
|{{ruby|'''[[一ツ橋]]'''|ひとつばし}}'''一丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|神田一ツ橋1・2(全)、竹平町
|
|-
|{{ruby|'''[[九段南]]'''|くだんみなみ}}'''一丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、竹平町、代官町、三番町
|
|-
|'''九段南三丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、竹平町、代官町、三番町
|
|-
|'''九段南四丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、竹平町、代官町、三番町
|
|-
|{{ruby|'''[[九段北]]'''|くだんきた}}'''一丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、飯田町1、富士見町1
|
|-
|'''九段北二丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、飯田町1、富士見町1
|
|-
|'''九段北三丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、飯田町1、富士見町1
|
|-
|'''[[九段北|九段北四丁目]]'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|九段1〜4、飯田町1、富士見町1
|
|-
|{{ruby|'''[[富士見 (千代田区)|富士見]]'''|ふじみ}}'''一丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|富士見町3(全)、富士見町1・2、飯田町1・2
|
|-
|'''富士見二丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|富士見町3(全)、富士見町1・2、飯田町1・2
|
|-
|{{ruby|'''[[飯田橋]]'''|いいだばし}}'''一丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|飯田町1・2、富士見町2
|
|-
|'''飯田橋二丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|飯田町1・2、富士見町2
|
|-
|'''飯田橋三丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|飯田町1・2、富士見町2
|
|-
|'''飯田橋四丁目'''
|1966年10月1日
|1966年10月1日
|飯田町1・2、富士見町2
|
|-
|}
{{Reflist|group="a"}}
====千代田区役所神保町出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所神保町出張所管内(14町丁)
!style="width:14%"|町名
!style="width:12%"|町区域新設年月日
!style="width:12%"|住居表示実施年月日
!style="width:32%"|住居表示実施前の町名など
!style="width:18%"|備考
|-
|{{ruby|'''[[一ツ橋]]'''|ひとつばし}}'''二丁目'''
|1970年1月1日
|1970年1月1日
|神田一ツ橋1・2(全)、竹平町
|
|-
|{{ruby|'''[[神田神保町]]'''|かんだじんぼうちょう}}'''一丁目'''
|1934年4月1日
|未実施
|
|
|-
|'''神田神保町二丁目'''
|1934年4月1日
|未実施
|
|
|-
|'''神田神保町三丁目'''
|1934年4月1日
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田三崎町]]'''|かんだみさきちょう}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|神田三崎町1・2(全)
|2018年1月1日三崎町から改名
|-
|'''神田三崎町二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|神田三崎町1・2(全)
|2018年1月1日三崎町から改名
|-
|'''神田三崎町三丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|神田三崎町1・2(全)
|2018年1月1日三崎町から改名
|-
|{{ruby|'''[[西神田]]'''|にしかんだ}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|西神田1・2(全)
|
|-
|'''西神田二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|西神田1・2(全)
|
|-
|'''西神田三丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|西神田1・2(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[神田猿楽町]]'''|かんださるがくちょう}}'''一丁目'''
|1969年4月1日
|1969年4月1日
|神田猿楽町1・2(全)、神田駿河台2
|[[2018年]]1月1日猿楽町から改名
|-
|'''神田猿楽町二丁目'''
|1969年4月1日
|1969年4月1日
|神田猿楽町1・2(全)、神田駿河台2
|[[2018年]]1月1日猿楽町から改名
|-
|{{ruby|'''[[神田駿河台]]'''|かんだするがだい}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|-
|'''神田駿河台二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|}
====千代田区役所神田公園出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所神田公園出張所管内(13町丁)
!style="width:14%" |町名
!style="width:12%" |町区域新設年月日
!style="width:12%" |住居表示実施年月日
!style="width:32%" |住居表示実施前の町名など
!style="width:18%" |備考
|-
|{{ruby|'''[[神田錦町]]'''|かんだにしきちょう}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田錦町二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田錦町三丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田小川町]]'''|かんだおがわまち}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田小川町二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田小川町三丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[内神田]]'''|うちかんだ}}'''一丁目'''
|1966年4月1日
|1966年4月1日
|神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3
|
|-
|'''内神田二丁目'''
|1966年4月1日
|1966年4月1日
|神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3
|
|-
|'''内神田三丁目'''
|1966年4月1日
|1966年4月1日
|神田鎌倉町、神田司町1、神田旭町、神田多町1(以上全)、神田美土代町、神田鍛冶町3
|
|-
|{{ruby|'''[[神田美土代町]]'''|かんだみとしろちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田司町]]'''|かんだつかさまち}}'''二丁目'''{{efn|『角川日本地名大辞典 東京都』には「かんだつかさちょう」とあるが、千代田区公式サイトほか諸資料には「かんだつかさまち」とある。}}
|未実施
|
|
|一丁目は1966年に消滅
|-
|{{ruby|'''[[神田多町]]'''|かんだたちょう}}'''二丁目'''
|未実施
|
|
|一丁目は1966年に消滅
|-
|{{ruby|'''[[神田鍛冶町]]'''|かんだかじちょう}}'''三丁目'''
|未実施
|
|
|神田鍛冶町一〜二丁目は1974年の住居表示実施により、鍛冶町一〜二丁目となった
|-
|}
{{Reflist|group="b"}}
====千代田区役所万世橋出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所万世橋出張所管内(13町丁)
!style="width:14%"|町名
!style="width:12%"|町区域新設年月日
!style="width:12%"|住居表示実施年月日
!style="width:32%"|住居表示実施前の町名など
!style="width:18%"|備考
|-
|{{ruby|'''[[神田駿河台]]'''|かんだするがだい}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田駿河台二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田駿河台三丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田駿河台四丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田淡路町]]'''|かんだあわじちょう}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|'''神田淡路町二丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''神田須田町'''|かんだすだちょう}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|
|-
|{{ruby|'''[[外神田]]'''|そとかんだ}}'''一丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|'''外神田二丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|'''外神田三丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|'''外神田四丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|'''外神田五丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|'''外神田六丁目'''
|1964年12月1日
|1964年12月1日
|神田旅籠町1〜3、神田仲町1・2、神田花房町、神田花田町、神田松住町、神田台所町、神田宮本町、神田同朋町、神田金沢町、神田末広町、神田田代町、神田松富町、神田山本町、神田亀住町、神田栄町、神田元佐久間町、神田五軒町(以上全)、神田佐久間町1、神田花岡町、神田練塀町、神田相生町
|
|-
|}
{{Reflist|group="b"}}
====千代田区役所和泉橋出張所管内====
{|class="wikitable" style="width:100%; font-size:small"
|+千代田区役所和泉橋出張所管内(28町丁)
!style="width:14%"|町名
!style="width:12%"|町区域新設年月日
!style="width:12%"|住居表示実施年月日
!style="width:32%"|住居表示実施前の町名など
!style="width:18%"|備考
|-
|{{ruby|'''[[鍛冶町 (千代田区)|鍛冶町]]'''|かじちょう}}'''一丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|神田鍛冶町1・2(全)
|
|-
|'''鍛冶町二丁目'''
|1967年4月1日
|1967年4月1日
|神田鍛冶町1・2(全)
|
|-
|{{ruby|'''[[神田紺屋町]]'''|かんだこんやちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田北乗物町]]'''|かんだきたのりものちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田富山町]]'''|かんだとみやまちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田美倉町]]'''|かんだみくらちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[岩本町]]'''|いわもとちょう}}'''一丁目'''
|1965年7月1日
|1965年7月1日
|神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町
|
|-
|'''岩本町二丁目'''
|1965年7月1日
|1965年7月1日
|神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町
|
|-
|'''岩本町三丁目'''
|1965年7月1日
|1965年7月1日
|神田東今川町、神田材木町、神田東福田町、神田松枝町、神田元岩井町、神田大和町(以上全)、神田豊島町、神田東松下町、神田東紺屋町、神田岩本町
|
|-
|{{ruby|'''[[神田西福田町]]'''|かんだにしふくだちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田須田町]]'''|かんだすだちょう}}'''二丁目'''
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田東松下町]]'''|かんだひがしまつしたちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田東紺屋町]]'''|かんだひがしこんやちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田岩本町]]'''|かんだいわもとちょう}}
|未実施
|
|
|1965年の住居表示実施時に岩本町一〜三丁目に編入されなかった区域
|-
|{{ruby|'''[[東神田]]'''|ひがしかんだ}}'''一丁目'''
|1965年1月1日
|1965年1月1日
|東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町
|
|-
|'''東神田二丁目'''
|1965年1月1日
|1965年1月1日
|東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町
|
|-
|'''東神田三丁目'''
|1967年1月1日
|1967年1月1日
|東神田、神田元久右衛門町1・2、神田八名川町、神田向柳原町1、神田餌鳥町(以上全)、神田豊島町
|
|-
|{{ruby|'''[[神田相生町]]'''|かんだあいおいちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田和泉町]]'''|かんだいずみちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田佐久間河岸]]'''|かんださくまがし}}
|未実施(神田佐久間河岸nn'''号地'''と表記する。)
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田佐久間町]]'''|かんださくまちょう}}'''一丁目'''
|未実施
|
|
|-
|'''神田佐久間町二丁目'''
|未実施
|
|
|-
|'''神田佐久間町三丁目'''
|未実施
|
|
|-
|'''神田佐久間町四丁目'''
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田練塀町]]'''|かんだねりべいちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田花岡町]]'''|かんだはなおかちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田平河町]]'''|かんだひらかわちょう}}
|未実施
|
|
|-
|{{ruby|'''[[神田松永町]]'''|かんだまつながちょう}}
|未実施
|
|
|
|-
|}
{{Reflist|group="b"}}
{{右|
<gallery mode="packed">
Chiyodacity-townmap1.png
Kanda-townmap1.png
</gallery>}}
== 地域 ==
{{See also|千代田区の町名}}
=== 主な祭事・行事 ===
* 皇居一般参賀(正月、天皇誕生日)- 通常開放されていない正門が開放される。
* [[神田祭]]
* [[平将門の首塚|将門塚]]例祭
* 神田古本まつり
* 日比谷公園ガーデニングショー - 10月に都立日比谷公園で開催される。
=== 麹町地域(旧麹町区) ===
麹町地域は、江戸開府以来から東京[[山の手|山手]]の町として賑わいを見せている。皇居を中心に、高級住宅地としての色とオフィス街および官公庁街としての色が濃い地域である。
==== 各町の特徴 ====
* [[千代田 (千代田区)|千代田]] - [[皇居]]の所在地。新宮殿、皇居東御苑、[[宮内庁]]などがある。
* [[皇居外苑]] - 和田倉噴水公園([[会津藩]][[会津松平家|松平家]]上屋敷跡地)
* [[北の丸公園]] - 皇居の北側。[[日本武道館]]、[[東京国立近代美術館]]、[[国立公文書館]]などがある。[[九段下駅]]、[[竹橋駅]]が近い。
* [[大手町 (千代田区)|大手町]] - オフィス街。[[読売新聞|読売]]・[[産経新聞|産経]]・[[日本経済新聞|日経新聞]]本社や[[日本経済団体連合会|経団連]](関連:[[大手町駅 (東京都)|大手町駅]])
* [[丸の内]] - オフィス街。[[東京駅]]西側。[[三菱グループ]]関連のビルが多く、別名「三菱村」。
* [[有楽町]] - [[有楽町駅]]、[[日比谷駅]]の周辺の地域。[[織田長益|織田有楽]]に由来。また[[ニッポン放送]]([[ラジオ局]])がある。
* [[内幸町]] - [[中日新聞社|中日新聞東京本社]]([[東京新聞]]・[[東京中日スポーツ]])(関連:[[内幸町駅]])
* [[日比谷公園]] - [[日比谷野外音楽堂]]、[[日比谷図書文化館]]
* [[霞が関]] - 官庁街や[[警視庁]]本庁舎。「[[官僚]]」の代名詞にもなっている(関連:[[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]])
* [[永田町]] - [[国会議事堂]]や[[自由民主党 (日本)|自民党本部]]、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党本部]]、[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党本部]]、[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]があり、日本の政治の中心であり「国政」の代名詞にもなっている(関連:[[永田町駅]])
* [[飯田橋]] - [[飯田橋駅]]
* [[富士見 (千代田区)|富士見]] - [[法政大学]]、[[在日本朝鮮人総聯合会]]中央本部
* [[九段北]] - [[築土神社]]、[[靖国神社]]、[[東京理科大学]]
* [[九段南]] [[千鳥ヶ淵緑道]]、 [[千代田区役所]]、[[東京法務局]]、[[九段会館]]、[[日本大学]]本部
* [[麹町]] - 旧麹町区役所の所在地。[[麹町駅]]、[[半蔵門駅]]
* [[一番町 (千代田区)|一番町]] - [[駐日英国大使館]]
* [[二番町 (千代田区)|二番町]] - [[日本テレビ麹町分室]](BS日テレ本社など)
* [[三番町 (千代田区)|三番町]] - [[千鳥ケ淵戦没者墓苑]]、[[千鳥ヶ淵緑道]]、[[大妻女子大学]]
* [[四番町 (千代田区)|四番町]]
* [[五番町 (千代田区)|五番町]] - [[市ケ谷駅]]
* [[六番町 (千代田区)|六番町]] - [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]本社
* [[隼町]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]
* [[平河町]] - [[砂防会館]]、[[全国共済農業協同組合連合会]]、[[タイトー]]本社
* [[紀尾井町]] - [[ホテルニューオータニ]]、[[上智大学]]
* [[一ツ橋]](一丁目) - [[毎日新聞]]本社、[[竹橋]]
=== 神田地域(旧神田区)===
神田地域は、[[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]や[[京橋 (東京都中央区)|京橋]]とともに東京[[下町]]の一部として、江戸開府以来の中心的商業地として賑わいを見せている。
{{See also|神田 (千代田区)}}
==== 神田冠称について ====
現在の千代田区の町名で旧神田区の区域にある街は「神田○○町、○神田」と称している(住居表示実施地区を除く)。これは戦後、旧麹町区と旧神田区が合併する際に「神田」の町名が消えることを避けるために、旧神田の町名に神田を冠したことによる。名称の経緯が似ている例として[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]地域が挙げられる。
==== 各町の特徴 ====
* [[一ツ橋]](二丁目)
* [[内神田]] - 広意には、江戸城[[総構え]]内([[神田川 (東京都)|神田川]]以南)の神田地域を指す。[[神田駅 (東京都)|神田駅]]西側の地区。
* [[西神田]]
* [[岩本町]]
* 神田岩本町 - 町域の大部分は「岩本町」に町名変更。
* [[鍛冶町 (千代田区)|鍛冶町]] - 神田駅東側の地区。
* 神田鍛冶町 - 神田鍛冶町三丁目のみ残存(一丁目・二丁目は「鍛冶町」)
* [[神田猿楽町]]
* [[神田三崎町]] - [[水道橋駅]]
* [[神田淡路町]]
* [[神田小川町]] - スポーツ用品店街
* [[神田北乗物町]]
* [[神田紺屋町]]
* [[神田神保町]] - [[古書店]]街、[[神保町駅]]。
* [[神田須田町]]
* [[神田駿河台]] - [[御茶ノ水駅]]周辺の地域。[[明治大学]]・[[日本大学]]などのある学生街。
* [[神田多町]] - 神田多町二丁目のみ残存。
* [[神田司町]] - 神田司町二丁目のみ残存。
* [[神田富山町]]
* [[神田錦町]] - 旧神田区役所の所在地。
* [[神田西福田町]]
* [[神田東紺屋町]]
* [[神田東松下町]]
* [[神田美倉町]]
* [[神田美土代町]]
* [[東神田]] - 繊維問屋街。一丁目・二丁目が総構え、三丁目が総構えの外れにあたる。
* [[外神田]] - 広意には、江戸城総構えの外れ(神田川以北)にある神田地域を指す。[[秋葉原駅]]の西側の地区。[[秋葉原]]電気街の中核をなす。
* [[神田相生町]]
* [[神田和泉町]]
* [[神田佐久間河岸]]
* [[神田佐久間町]] - [[東京地下鉄|東京メトロ]]秋葉原駅がある。
* [[神田練塀町]]
* [[神田花岡町]] - [[ヨドバシAkiba]]、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]秋葉原駅がある。
* [[神田平河町]]
* [[神田松永町]]
=== 官公庁 ===
千代田区は日本の中枢であり、多くの政府機関が密集している。
{{Col-begin}}
{{Col-break}}
* [[国会議事堂]]
* [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]
* [[総理大臣官邸]]
* [[内閣府]]庁舎
* [[内閣官房]]庁舎
* [[外務省]]庁舎
* [[財務省]]庁舎
{{Col-break}}
* [[経済産業省]]庁舎
* [[国立公文書館]]
* [[日本学術会議]]
* [[官民人材交流センター]]
* [[宮内庁]]庁舎
* [[消費者庁]]([[山王パークタワー]])
* [[人事院]]庁舎
{{Col-break}}
* [[中央合同庁舎]]
** [[中央合同庁舎第1号館|第1号館]]
** [[中央合同庁舎第2号館|第2号館]]
** [[中央合同庁舎第3号館|第3号館]]
** [[中央合同庁舎第4号館|第4号館]]
** [[中央合同庁舎第5号館|第5号館]]
** [[中央合同庁舎第6号館|第6号館]]
** [[中央合同庁舎第7号館|第7号館]]
{{Col-break}}
[[ファイル:Diet of Japan Kokkai 2009.jpg|thumb|国会議事堂]]
{{Col-end}}
=== 在外公館 ===
==== 大使館 ====
{{Col-begin}}
{{Col-break}}
* {{flagicon|IRL}} [[駐日アイルランド大使館|アイルランド大使館]]
* {{flagicon|UK}} [[駐日英国大使館|英国大使館]]
* {{flagicon|ISR}} [[駐日イスラエル大使館|イスラエル大使館]]
* {{flagicon|IND}} [[駐日インド大使館|インド大使館]]
<!-- *{{flagicon|THA}} [[駐日タイ王国大使館|タイ王国大使館]] 2013年7月に品川区上大崎へ移転-->
* {{flagicon|TUN}} [[駐日チュニジア大使館|チュニジア共和国大使館]]
{{Col-break}}
* {{flagicon|BEN}} [[駐日ベナン大使館|ベナン共和国大使館]]
* {{flagicon|BEL}} [[駐日ベルギー大使館|ベルギー大使館]]
* {{flagicon|BIH}} [[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]大使館
* {{flagicon|POR}} [[ポルトガル]]大使館
* {{flagicon|RSA}} [[南アフリカ共和国]]大使館
{{Col-break}}
* {{flagicon|MEX}} [[メキシコ]]大使館
* {{flagicon|LUX}} [[駐日ルクセンブルク大使館|ルクセンブルク大使館]]
<!-- * {{flagicon|LIB}} [[駐日レバノン大使館|レバノン大使館]] 港区赤坂へ移転-->
* {{flagicon|VAT}} [[駐日本国ローマ法王庁大使館|ローマ法王庁大使館]]
{{Col-end}}
==== 領事館 ====
* {{SEY}}共和国名誉領事館
==== 大使館の機能を果たしている機関 ====
* {{flagicon|PRK}} [[在日本朝鮮人総聯合会]]中央本部
* {{flagicon|PSE}} [[駐日パレスチナ常駐総代表部]]
=== 国際機関 ===
* [[アジア開発銀行]]駐日代表事務所
* [[アジア開発銀行研究所]]
* [[アジア生産性機構]]
* [[米州開発銀行]]アジア事務所
* [[国際原子力機関]]東京地域事務所
* [[国際金融公社]]東京事務所
* [[国際復興開発銀行]]・[[国際開発協会]]東京事務所
* [[国際通貨基金]]アジア太平洋地域事務所
* [[多数国間投資保証機関]]事務所
* [[国際連合工業開発機関]]東京投資・技術移転促進事務所
* [[経済協力開発機構]]東京センター
* [[国際獣疫事務局]]アジア太平洋地域事務所
=== メディア ===
==== テレビ ====
* [[東京メトロポリタンテレビジョン]](MXTV、TOKYO MX)
* [[日本BS放送]](BS11)
過去には[[日本テレビ放送網]](日テレ)の本社が二番町にあったが、[[2003年]](平成15年)に[[港区 (東京都)|港区]]東新橋([[汐留シオサイト]])に移転した。旧社屋は[[日本テレビ放送網麹町分室|麹町分室]]として使用されていたが、[[2019年]](平成31年/令和元年)に同じ二番町に[[日本テレビ放送網麹町分室#日本テレビ番町スタジオ|番町スタジオ]]に新築移転したのちに解体された。
==== ラジオ ====
* [[ニッポン放送]] - AM局。新局舎建設中は[[お台場]]の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]局舎に同居していた。
* [[エフエム東京]](TOKYO FM)
**[[ジャパンエフエムネットワーク (企業)|ジャパンエフエムネットワーク]](エフエム東京の子会社で系列局に番組を制作・配信している)
** [[ミュージックバード]](エフエム東京の子会社の衛星ラジオ事業者で、[[コミュニティ放送]]局向けの番組も制作・配信している)
==== 新聞社、出版社 ====
[[朝日新聞東京本社]]・[[日刊スポーツ新聞社]](いずれも[[中央区 (東京都)|中央区]])、[[報知新聞社]]([[スポーツ報知]]。[[港区 (東京都)|港区]])、[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]]、[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]](いずれも[[江東区]])を除く全国紙・地方紙・スポーツ紙の本社が千代田区に所在している。なお[[朝日新聞]]は、千代田区内に東京総局を置いている。出版社は東京に集中して存在しており、大手から専門出版社まで、当区北部および[[文京区]]に数多く存在する。
* [[読売新聞グループ本社]]
** [[読売新聞東京本社]]([[読売新聞]])
** [[中央公論新社]]
* [[毎日新聞グループホールディングス]]
** [[毎日新聞東京本社]]([[毎日新聞]])
** [[毎日新聞出版]]
* [[産業経済新聞社]]
** [[産経新聞東京本社]]([[産経新聞]]・[[サンケイスポーツ]]・[[夕刊フジ]])
** [[産経新聞出版]]
* [[日本経済新聞社]]([[日本経済新聞]])
** [[日経BP]]
* [[中日新聞東京本社]]([[東京新聞]]・[[東京中日スポーツ]])
* [[一ツ橋グループ]]
** [[小学館]]、[[集英社]]など
* [[KADOKAWA]]
** [[汐文社]]、[[ブックウォーカー]]など
* [[日本電子出版協会]]
=== ナンバープレート ===
[[東京運輸支局]]本庁舎の管轄エリアで、品川ナンバーを交付される。
=== ケーブルテレビエリア ===
* [[東京ケーブルネットワーク]](区内全域)
== 行政 ==
=== 区長 ===
* 区長:[[樋口高顕]](2021年2月8日就任<ref name="任期満了日">[http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/schedule/schedule04.html 東京都選挙管理委員会 | 都内選挙スケジュール | 任期満了日(定数)一覧] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151119222128/http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/schedule/schedule04.html |date=2015年11月19日 }}</ref>、1期目)
{| class="wikitable"
|-
! 代 !! 氏名 !! 就任日 !! 退任日 !! 備考
|-
| rowspan="2" | 初代 || rowspan="2" | [[村瀬清]] || 1947年 || 1955年4月22日 ||
|-
| 1955年5月28日 || 1959年5月27日 || 区長選任制導入
|-
| 2代 || [[市村駒之助]]|| 1959年6月23日 || 1960年 ||
|-
| 3代 || [[遠山景光]] || 1960年5月20日 || 1972年5月19日 ||
|-
| 職務代理者 || 石川五郎 || 1972年5月20日 || 1973年3月16日 ||
|-
| 4代 || [[高橋銑一]]||1973年3月16日 || 1975年 ||
|-
| 5代 || [[遠山景光]] || 1975年4月27日 || 1980年12月20日 || 公選復活。任期中に死去。
|-
| 6代 || [[加藤清政]] || 1981年2月8日 || 1989年2月7日 ||
|-
| 7代 || [[木村茂 (政治家)|木村茂]] || 1989年2月8日 || 2001年2月7日 ||
|-
| 8代 || [[石川雅己]] || 2001年2月8日 || 2021年2月7日 ||
|-
| 9代 || [[樋口高顕]] || 2021年2月8日 || 現職 ||
|}
=== 日本初の路上喫煙禁止条例 ===
* [[2002年]](平成14年)[[11月]]より、日本初・公道上での[[喫煙]]に対して[[過料]]を徴収する条例('''[[路上喫煙禁止条例|千代田区生活環境条例]]''')が施行された。
* [[東京駅]]・[[秋葉原]]など、千代田区のほとんどの地域は、この条例により'''路上での喫煙が禁止'''されている。違反者には2万円(当分の間2,000円)の過料を課せられる。
指定地区外も公共の場所での歩きタバコをしないように努める義務がある。また、ゴミのポイ捨てに対しても禁止する規定がある。
今まで[[永田町]]・[[霞が関]]・[[内幸町]]はこの条例の適用除外地域であったが、[[2010年]](平成22年)[[4月1日]]から皇居・皇居外苑・日比谷公園や中小の公園を除く千代田区全域の公道上で路上喫煙が禁止されている<ref>"路上喫煙の罰則地域拡大へ 千代田区"-東京新聞 2010年2月15日付</ref>。
また、このほか[[政令指定都市]]の[[大阪市]]などの自治体でも、いわゆる[[路上喫煙禁止条例]]を制定・施行しているところもある。
=== 災害準備施策 ===
{{Col-begin}}
{{Col-break}}
* 東京都災害拠点病院病床数 - 904床
* 避難所 - 23か所
* 避難所収容人員 - 2万5,812人
* 給水拠点確保水量 - 3,100立方m
* 屋外[[メガフォン|拡声器]] - 71か所
{{Col-break}}
* 備蓄倉庫数 - 46か所
* 救急告示医療機関 - 3か所
* 街頭[[消火器]] - 約770本
* [[消防車|消防ポンプ車]] - 16台
* [[日本の救急車|救急車]] - 7台
{{Col-end}}
== 議会 ==
=== 千代田区議会 ===
{{main|千代田区議会}}
* 定数:25人
* 任期:2019年(令和元年)5月1日 - 2023年(令和5年)4月30日<ref name="任期満了日" />
**石川雅己区長が2020年(令和2年)7月28日に区議会を解散したと主張していたが、区議会は区長の解散を無効だと主張しており対立していた<ref>{{cite news|url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO62002670Y0A720C2L83000?s=4|title=東京・千代田区長、議会解散を通知 区議会は「無効」|newspaper=日本経済新聞|date=2020-7-28|accessdate=2020-7-28}}</ref>。区議会は解散の執行停止を東京地裁に申し立て、東京地裁は区議会の主張を認めたため区長は解散を取り消した<ref>{{cite news|url=https://web.archive.org/web/20210629132757/https://www.jiji.com/sp/article?k=2021062900882&g=soc|title=議会解散通知は違法 千代田区に99万円賠償命令―東京地裁|newspaper=時事通信|date=2021-6-29|accessdate=2021-6-29}}</ref>。
=== 東京都議会 ===
;2021年東京都議会議員選挙
* 選挙区:千代田区選挙区
* 定数:1人
* 任期:2021年7月23日 - 2025年7月22日
* 投票日:2021年7月4日
* 当日有権者数:52,921人
* 投票率:44.19%
{| class="wikitable"
! 候補者名 !! 当落 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 備考
|-
| style="background-color:#ffc0cb;" | [[平慶翔]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center" | 33 || style="background-color:#ffc0cb;" | [[都民ファーストの会]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center" | 現 || style="background-color:#ffc0cb;"| 8,149票 || style="background-color:#ffc0cb;"| 板橋区選挙区から国替え
|-
| 内田直之 || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 57 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || style="text-align:center" | 新 || 7,240票 || [[内田茂]]の娘婿
|-
| 浜森香織 || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 42 || 無所属 || style="text-align:center" | 新 || 4,278票 ||
|-
| 冨田直樹 || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 45 || [[日本共産党]] || style="text-align:center" | 新 || 3,189票 ||
|}
;2017年東京都議会議員選挙
* 選挙区:千代田区選挙区
* 定数:1人
* 投票日:2017年7月4日
* 当日有権者数:47,902人
* 投票率:54.28%
{| class="wikitable"
! 候補者名 !! 当落 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 備考
|-
| style="background-color:#ffc0cb;" | [[樋口高顕]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center" | 34 || style="background-color:#ffc0cb;" | 都民ファーストの会 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center" | 新 || style="background-color:#ffc0cb;"| 14,418票 || style="background-color:#ffc0cb;" | 2021年1月24日に辞職
|-
| 中村彩 || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 27 || 自由民主党 || style="text-align:center" | 新 || style="text-align:right" | 7,556票 ||
|-
| 須賀和男 || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 61 || 無所属 || style="text-align:center" | 新 || style="text-align:right" | 2,871票 ||
|-
| [[後藤輝樹]] || style="text-align:center" | 落 || style="text-align:center" | 34 || 諸派 || style="text-align:center" | 新 || style="text-align:right" | 602票 ||
|}
=== 衆議院 ===
* 選挙区:[[東京都第1区|東京1区]](千代田区、[[港区 (東京都)|港区]]の一部、[[新宿区]]の一部)
* 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
* 投票日:2021年10月31日
* 当日有権者数:462,609人
* 投票率:56.27%
{| class="wikitable"
! 当落 !! 候補者名 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 重複
|-
| style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || style="background-color:#ffc0cb;" | [[山田美樹]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 47 || style="background-color:#ffc0cb;" | [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 前 || style="background-color:#ffc0cb;" | 99,133票 || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | ○
|-
| style="background-color:#ffdddd;" | 比当 || style="background-color:#ffdddd;" | [[海江田万里]] || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | 72 || style="background-color:#ffdddd;" | [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | 前 || style="background-color:#ffdddd;" | 90,043票 || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | ○
|-
| style="background-color:#ffdddd;" | 比当 || style="background-color:#ffdddd;" | [[小野泰輔]] || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | 47 || style="background-color:#ffdddd;" | [[日本維新の会 (2016-)|日本維新の会]] || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | 新 || style="background-color:#ffdddd;" | 60,230票 || style="background-color:#ffdddd; text-align:center;" | ○
|-
| || 内藤久遠 || style="text-align:center;" | 64 || [[無所属]] || style="text-align:center;" | 新 || style="text-align:right;" | 4,715票 ||
|}
== 警察 ==
* [[警視庁]]
** [[麹町警察署]](麹町1-4)
** [[丸の内警察署]](有楽町1-9-2)
** [[神田警察署]](神田錦町2-2)
** [[万世橋警察署]](外神田1-16-5)
== 消防 ==
* [[東京消防庁]] 本庁警防本部(大手町1-3-5)※丸の内消防署併設
**[[東京消防庁第一消防方面本部|第一方面本部]](麹町1-12)
*** [[丸の内消防署]](大手町1-3-5)[[特別消火中隊]]・[[救急隊]]1
**** 有楽町出張所(有楽町1-9-2)救急隊無
*** [[麹町消防署]](麹町1-12)特別消火中隊・救急隊無
**** 永田町出張所(永田町1-8-3)[[特別救助隊]]・救急隊1
*** [[神田消防署]](外神田4-14-3)特別消火中隊・救急隊1
**** 三崎町出張所(三崎町3-3-9)救急隊1
**** 鍛冶町出張所(鍛冶町2-3-2)救急隊無
== 主な病院 ==
=== 東京都災害拠点病院 ===
現在、千代田区内で[[東京都災害拠点病院]]に指定されている[[病院]]は[[日本大学病院]]と[[三井記念病院]]の2か所である。
=== 救急指定病院 ===
現在、千代田区内の救急告示医療機関は3か所ある。
* [[三楽病院]]
* [[三井記念病院]]
* [[東京逓信病院]]
== 交通 ==
=== 道路 ===
[[画像:千代田区(東京都)区内と周辺の主な道路.png|240px|thumb|区内と周辺の主な道路]]
高速道路
* [[首都高速都心環状線]]([[霞が関出入口]] - [[三宅坂JCT]] - [[代官町出入口]] - [[北の丸出口]] - [[竹橋JCT]] - [[神田橋出入口]] - 神田橋JCT)
* [[首都高速5号池袋線]]([[竹橋JCT]] - [[一ツ橋出入口]] - [[西神田出入口]])
* [[首都高速八重洲線]](神田橋JCT - [[常盤橋出入口]])
放射道路(時計回りに表記)
* [[国道1号]](桜田通り)
* 六本木通り([[東京都道412号霞ヶ関渋谷線]])
* [[国道246号]]
* [[国道20号]]([[甲州街道]])
* [[靖国通り]]
* [[白山通り]]
* [[国道4号]]([[昭和通り (東京都)|昭和通り]])
* [[晴海通り]]
* [[日比谷通り]]
* [[愛宕通り]]
環状道路(皇居側からの表記)
* [[内堀通り]]
* 外堀通り([[東京都道405号外濠環状線]])
=== 鉄道 ===
{{Vertical_images_list
|幅 = 240px
|画像1 = Tokyo-STA Marunouchi-Entrance 2023.jpg
|説明1 = 東京駅
|画像2 = 千代田区(東京都)区内と周辺の鉄道路線図.png
|説明2 = 区内と周辺の鉄道路線図
|画像3 = 千代田区(東京都)区内と周辺の鉄道路線図1967年.png
|説明3 = 1967年([[東京都電車|都電]]撤去計画が実施される<br />直前)の鉄道路線と路面電車系統}}
以下は、当区内を通過する路線と所在する駅を各路線別に記述している。
* 区役所最寄駅:九段下駅
'''[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)'''
:* [[File:Shinkansen jre.svg|16px]] [[東北新幹線]]・[[上越新幹線]]・[[山形新幹線]]・[[秋田新幹線]]・[[北陸新幹線]]
:** 東京駅
:* [[File:JR JT line symbol.svg|17px|JT]] [[File:JR JO line symbol.svg|17px|JO]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]・[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]
:** 東京駅
:* [[File:JR JY line symbol.svg|17px|JY]] [[File:JR JK line symbol.svg|17px|JK]] [[山手線]]・[[京浜東北線]]
:** [[有楽町駅]] - 東京駅 - [[神田駅 (東京都)|神田駅]] - [[秋葉原駅]]
:* [[File:JR JC line symbol.svg|17px|JC]] [[中央線快速]]
:** 東京駅 - 神田駅 - [[御茶ノ水駅]] - ([[四ツ谷駅]])
::* ※四ツ谷駅は[[新宿区]]に所在。
::: ※神田駅と御茶ノ水駅の間には[[万世橋駅]]があったが、[[1943年]](昭和18年)に廃止されている。現在でもホームの遺構は残っており、高架下は[[2006年]](平成18年)5月まで[[交通博物館]]として使用された。
:* [[File:JR JB line symbol.svg|17px|JB]] [[中央・総武緩行線|中央緩行線(各駅停車)]]<!--左記は案内上用いられる呼称(通称?)を併記した。--> (総武緩行線と直通運転)
:** 御茶ノ水駅 - [[水道橋駅]] - [[飯田橋駅]] - [[市ケ谷駅]]
:* [[File:JR JO line symbol.svg|17px|JO]] [[横須賀・総武快速線|総武快速線]]
:** 東京駅
:*[[File:JR JB line symbol.svg|17px|JB]] [[中央・総武緩行線|総武緩行線(各駅停車)]]<!--左記は案内上用いられる呼称(通称?)を併記した。--> (中央緩行線と直通運転)
:** 御茶ノ水駅 - 秋葉原駅
:* [[File:JR JE line symbol.svg|17px|JE]] [[京葉線]]
:** 東京駅
:* {{Color|purple|■}} [[上野東京ライン]](宇都宮線、高崎線、常磐線)
:** 東京駅
'''[[東海旅客鉄道]](JR東海)'''
:* [[File:Shinkansen jrc.svg|16px]] [[東海道新幹線]]
:** [[東京駅]]
'''[[東京地下鉄]](東京メトロ)'''
:*[[File:Logo of Tokyo Metro Ginza Line.svg|17px|G]] [[東京メトロ銀座線|銀座線]]
:** 神田駅 - [[末広町駅 (東京都)|末広町駅]]
:** ([[赤坂見附駅]]) - [[溜池山王駅]]
::* ※赤坂見附駅は[[港区 (東京都)|港区]]に所在。
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Marunouchi Line.svg|17px|M]] [[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]
:** (赤坂見附駅) - [[国会議事堂前駅]] - [[霞ケ関駅 (東京都)|霞ケ関駅]] - ([[銀座駅]]) - 東京駅 - [[大手町駅 (東京都)|大手町駅]] - [[淡路町駅]] - (御茶ノ水駅)
::* ※赤坂見附駅は港区に、銀座駅は[[中央区 (東京都)|中央区]]に、丸ノ内線御茶ノ水駅は[[文京区]]に所在。
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Hibiya Line.svg|17px|H]] [[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]
:** 秋葉原駅
:** [[日比谷駅]] - 霞ケ関駅
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|17px|T]] [[東京メトロ東西線|東西線]]
:** 飯田橋駅 - [[九段下駅]] - [[竹橋駅]] - 大手町駅
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|17px|C]] [[東京メトロ千代田線|千代田線]]
:** 国会議事堂前駅 - 霞ケ関駅 - 日比谷駅 - [[二重橋前駅]] - 大手町駅 - [[新御茶ノ水駅]]
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Yūrakuchō Line.svg|17px|Y]] [[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]
:** (飯田橋駅) - (市ケ谷駅) - [[麹町駅]] - [[永田町駅]] - [[桜田門駅]] - 有楽町駅
::* ※有楽町線の飯田橋駅・市ケ谷駅は[[新宿区]]に所在。
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Hanzōmon Line.svg|17px|Z]] [[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]
:** 永田町駅 - [[半蔵門駅]] - 九段下駅 - [[神保町駅]] - 大手町駅
:* [[File:Logo of Tokyo Metro Namboku Line.svg|17px|N]] [[東京メトロ南北線|南北線]]
:** 溜池山王駅 - 永田町駅 - (四ツ谷駅) - (市ケ谷駅) - (飯田橋駅)
::* ※南北線の四ツ谷駅・市ケ谷駅・飯田橋駅は新宿区に所在。
:* ※[[東京メトロ副都心線|副都心線]]は東京メトロの9路線で唯一、千代田区を通っていない。副都心線開業前は東京メトロ全線が通っていた。
'''[[東京都交通局]]'''
:* [[File:Toei Mita line symbol.svg|17px|I]] [[都営地下鉄三田線|三田線]]
:** (水道橋駅) - 神保町駅 - 大手町駅 - 日比谷駅 - [[内幸町駅]]
::* ※都営三田線の水道橋駅は文京区に所在。
:* [[File:Toei Shinjuku line symbol.svg|17px|S]] [[都営地下鉄新宿線|新宿線]]
:** 市ヶ谷駅 - 九段下駅 - 神保町駅 - [[小川町駅 (東京都)|小川町駅]] - [[岩本町駅]]
:* [[File:Toei Oedo line symbol.svg|17px|E]] [[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]
:** (飯田橋駅)
::* ※都営大江戸線の飯田橋駅は文京区に所在。
:* ※都営浅草線は都営地下鉄の4路線で唯一、千代田区を通っていない。
'''[[首都圏新都市鉄道]]([[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]])'''
::* 秋葉原駅
=== バス ===
* [[都営バス]]
* [[東急バス]]([[東急バス目黒営業所#自由が丘線|東98系統自由が丘線]])
* [[京王電鉄バス|京王バス]]([[京王バス永福町営業所#丸の内線|052系統丸の内線]])
* [[日の丸自動車興業]]
** [[丸の内シャトル]]
** [[メトロリンク日本橋]]
* [[日立自動車交通]]
** [[風ぐるま (千代田区)|風ぐるま]](2015年までは[[乗合タクシー]]として運行)
** 晴海ライナー
== 経済 ==
=== 商業施設 ===
[[File:Shin-marunouchi.Building-2007-02.jpg|thumb|新丸の内ビルディング]]
[[FIle:Yurakucho Marui.jpg|thumb|有楽町イトシア]]
==== 複合商業施設 ====
* [[丸の内ビルディング]](丸ビル)
* [[新丸の内ビルディング]](新丸ビル)
* [[丸の内マイプラザ]]
* [[有楽町イトシア]](有楽町[[丸井|マルイ]])
* [[丸の内オアゾ]]
* 丸の内ブリックスクエア
* [[TOKIA]]
==== デパート・ファッションビル ====
* [[大丸]]東京店
* [[丸井|有楽町マルイ]]
* [[阪急百貨店|阪急MEN'S TOKYO]]
* [[ルミネ]]有楽町
==== ホテル ====
* [[帝国ホテル]]東京
* [[ザ・キャピトルホテル 東急|ザ・キャピトルホテル東急]]
* [[ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町]]
* [[ホテルニューオータニ]]
* [[丸ノ内ホテル]]
* [[ホテルメトロポリタン丸の内]]
* [[パレスホテル]]
* [[ホテルグランドパレス]]
* [[星野リゾート|星のや]]東京
* [[東京ステーションホテル]]
* [[フォーシーズンズホテル丸の内東京]]
* [[フォーシーズンズホテル東京大手町]]
* [[シャングリ・ラ ホテル 東京]]
* [[アマンリゾーツ|アマン]]東京
=== 本社がある企業 ===
{{See|Category:千代田区の企業}}
=== 預金取扱金融機関 ===
{{Columns-list|colwidth=14em|
* [[みずほ銀行]] ★
* [[三菱UFJ銀行]] ★
* [[三井住友銀行]] ★
* [[りそな銀行]]
* [[セブン銀行]] ★
* [[ソニー銀行]] ★
* [[群馬銀行]]
* [[武蔵野銀行]]
* [[千葉銀行]]
* [[きらぼし銀行]]
* [[山梨中央銀行]]
* [[福井銀行]]
* [[静岡銀行]]
* [[池田泉州銀行]]
* [[紀陽銀行]]
* [[四国銀行]]
* [[琉球銀行]]
* [[三菱UFJ信託銀行]] ★
* [[三井住友信託銀行]] ★
* [[SMBC信託銀行]]
* [[野村信託銀行]] ★
* [[あおぞら銀行]] ★
* [[SBJ銀行]]
* [[北洋銀行]]
* [[北日本銀行]]
* [[東日本銀行]]
* [[長野銀行]]
* [[トマト銀行]]
* [[もみじ銀行]]
* [[香川銀行]]
* [[愛媛銀行]]
* [[高知銀行]]
* [[南日本銀行]]
* [[朝日信用金庫]]
* [[興産信用金庫]] ★
* [[東京シティ信用金庫]]
* [[芝信用金庫]]
* [[東京東信用金庫]]
* [[西武信用金庫]]
* [[城南信用金庫]]
* [[城北信用金庫]]
* [[商工組合中央金庫]]
* [[東浴信用組合]] ★
* [[文化産業信用組合]] ★
* [[中ノ郷信用組合]]
* [[第一勧業信用組合]]
* [[警視庁職員信用組合]] ★
* [[東京消防信用組合]] ★
* [[毎日信用組合]]
* [[労働金庫連合会]] ★
* [[中央労働金庫]] ★
* [[農林中央金庫]] ★}}
★は本店所在金融機関
== 文化施設 ==
=== イベントホール ===
[[File:Nippon_Budokan_2010.jpg|thumb|日本武道館]]
[[File:Tokyo international forum01s3200.jpg|thumb|東京国際フォーラム]]
* [[日本武道館]] - 北の丸公園内に所在。
* [[東京国際フォーラム]]
* [[国立劇場]]
* 内幸町ホール
* [[よみうりホール]]
* [[紀尾井ホール]]
* [[サンケイホール|サンケイプラザ]]
* [[日比谷公会堂]]
* [[TOKYO FM HALL]]
=== 美術館・博物館 ===
* [[科学技術館]] - [[北の丸公園]]内に所在。
* [[東京国立近代美術館]]
** 工芸館
* [[出光美術館]]
* [[相田みつを美術館]] - [[東京国際フォーラム]]地下1階
* [http://rekimin.city.chiyoda.tokyo.jp/ 千代田区立四番町歴史民俗資料館]
*: かつては神田須田町に[[交通博物館]]があったが[[2006年]](平成18年)[[5月14日]]をもって閉館となった。
* [[3331 Arts Chiyoda]] - 旧千代田区立練成中学校の校舎を再利用したアートギャラリー。
=== 図書館 ===
[[File:NDL Tokyo01st3200.jpg|thumb|国立国会図書館]]
* 国立
** [[国立国会図書館]]
* 区立
** [[千代田区立図書館]]
*** 千代田図書館
*** 四番町図書館
*** 神田まちかど図書館
*** 昌平まちかど図書館
*** 千代田区立 [[日比谷図書文化館]] - [[2009年]]7月1日に東京都から千代田区に移管され、[[2011年]]11月4日に開館した。
区民1人あたりの区民図書館蔵書数は5.6冊で23区のトップである。23区の平均は区民1人あたり3.4冊である(2012年現在)。
== 歴史的建造物・名所・旧跡 ==
; 重要文化財(国指定)
* 旧[[江戸城]]田安門・清水門・外桜田門
* 旧近衛師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)
* [[法務省旧本館]]
* [[明治生命館]]
* [[東京駅]]丸の内駅舎
* 東京復活大聖堂([[ニコライ堂]]) - [[日本正教会]]の[[府主教]]座教会
* [[山王日吉神社境内遺跡]]
<gallery hight="180px" mode="packed">
ファイル:Sakuradamon01s3200.jpg|[[桜田門]]
ファイル:滝沢馬琴邸跡井戸mono0707290070.JPG|[[曲亭馬琴|曲亭馬琴硯の井戸跡]]<br />(九段坂下)
ファイル:小栗上野介.jpg|[[小栗忠順|小栗上野介]]屋敷跡<br />([[神田駿河台]])
ファイル:Hanawa Hokinoichi.JPG|[[塙保己一]]和学講談所跡<br />([[三番町 (千代田区)|三番町]])
ファイル:Sano Zenzaemon.JPG|[[佐野善左衛門]]宅跡<br />(三番町)
ファイル:Sakaike kamiyashiki ato mono.jpg|[[酒井家]]上屋敷跡<br />([[大手町 (千代田区)|大手町]])
ファイル:Taki Rentoroh house.JPG|[[瀧廉太郎|滝廉太郎]]居住地跡<br />([[四番町 (千代田区)|四番町]])
ファイル:九段下灯台Kudanshita(mono).jpg|九段下灯台
ファイル:Nikolai-do.jpg|[[ニコライ堂]]([[駿河台]])
ファイル:Kandamyojin01.jpg|[[神田明神]]([[外神田]])
ファイル:Suijyun-Genten-Japan.JPG|[[日本水準原点標庫]]<br />([[永田町]])
</gallery>
=== 主な由緒ある神社・仏閣 ===
[[File:Yasukuni Jinja.JPG|thumb|靖国神社]]
{{columns-list|colwidth=11em|
* [[日枝神社 (千代田区)|日枝神社]]
* [[築土神社]]
* [[神田明神]]
* [[靖国神社]]
* 平河天満宮
* [[東京大神宮]]
* 太田姫稲荷
* 三崎稲荷
* 五十稲荷
* 柳森稲荷
* 心法寺<ref group="注釈">千代田区内で墓地があるのはこの寺のみである。寺院の一角が近代的なビルになった([[浄土宗]])。</ref>
}}
=== 主な歴史的公園 ===
<gallery>
ファイル:Kitanomaru park01s3072.jpg|[[北の丸公園]]
ファイル:Togo gensui kinen koen.jpg|[[東郷平八郎|東郷元帥記念公園]]([[三番町 (千代田区)|三番町]])
ファイル:Hibiya Park01s3872.jpg|[[日比谷公園]]
ファイル:Wadakura Fountain Park 01.jpg|[[皇居外苑]]
</gallery>
== 教育 ==
=== 大学 ===
* [[国立大学]]
**[[一橋大学]] 千代田キャンパス
**[[東京医科歯科大学]] 駿河台キャンパス
**[[総合研究大学院大学]] [[国立情報学研究所|千代田キャンパス]]
* [[公立大学]]
**[[東京都立大学 (2020-)|東京都立大学]] 丸の内サテライトキャンパス
* [[私立大学]]
**[[大妻女子大学]] 千代田キャンパス
***[[大妻女子大学短期大学部]]
** [[共立女子大学]] 神田一ツ橋キャンパス
***[[共立女子短期大学]]
** [[城西大学]] 東京紀尾井町キャンパス
** [[上智大学]] 四谷キャンパス
** [[専修大学]] 神田キャンパス
** [[デジタルハリウッド大学]] 駿河台キャンパス
** [[東京家政学院大学]] 千代田三番町キャンパス
** [[東京歯科大学]] 水道橋キャンパス
** [[東京理科大学]] 神楽坂キャンパス富士見校舎
**[[東洋大学]] 大手町サテライトキャンパス
**[[二松學舍大学]] 九段キャンパス
** [[日本大学歯学部・大学院歯学研究科]]・[[日本大学理工学部・大学院理工学研究科|理工学部・大学院理工学研究科]] 駿河台校舎
** [[日本大学法学部・大学院法学研究科及び新聞学研究科]]・[[日本大学経済学部・大学院経済学研究科|経済学部・大学院経済学研究科]] 三崎町校舎
** [[日本大学通信教育部]] 市ヶ谷校舎
** [[日本大学法科大学院]] お茶の水校舎
** [[日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科]]・[[日本大学大学院総合社会情報研究科|総合社会情報研究科]] 日本大学会館
** [[日本大学短期大学部]] 事務地区
** [[日本歯科大学]] 東京キャンパス
** [[日本工業大学]] 神田キャンパス
** [[法政大学]] 市ヶ谷キャンパス
** [[明治大学]] 駿河台キャンパス
** [[ビジネス・ブレークスルー大学]]
** [[名古屋商科大学大学院]] 東京丸の内キャンパス
** [[大原大学院大学]]
** [[グロービス経営大学院大学]]
** [[LEC東京リーガルマインド大学院大学]] 千代田キャンパス
** [[千葉商科大学]] 丸の内サテライトキャンパス
* 外国大学院の日本校
** [[ボンド大学]][[ビジネススクール]]日本校
=== 専修学校 ===
* 専門課程
** [[専門学校ファッションカレッジ桜丘]]
** [[神田外語学院]]
** [[学校法人大原学園]]
*** 大原簿記学校
*** 大原法律専門学校
* 一般課程
** [[駿台予備学校]] お茶の水校
=== 各種学校 ===
* 東京中華学校 - 台湾系の[[中華学校]]。小・中・高に相当する。
=== 高等学校 ===
* [[公立学校|公立高等学校]]
** [[東京都立高等学校|東京都立]]
*** [[東京都立日比谷高等学校|日比谷高等学校]]
*** [[東京都立一橋高等学校|一橋高等学校]]
** 千代田区立
*** [[千代田区立九段中等教育学校|九段中等教育学校]]後期課程
* 私立
** [[ウィッツ青山学園高等学校]] 四谷LETSキャンパス
** [[大妻中学校・高等学校]]
** [[大原学園高等学校]]
** [[神田女学園中学校・高等学校]]
** [[共立女子中学校・高等学校]]
** [[錦城学園高等学校]]
** [[暁星中学校・高等学校]]
** [[鹿島学園高等学校]] 秋葉原キャンパス・飯田橋連携キャンパス
** [[クラーク記念国際高等学校]] 秋葉原ITキャンパス
** [[麹町学園女子中学校・高等学校]]
** [[白百合学園中学校・高等学校]]
** [[女子学院中学校・高等学校]]
** [[正則学園高等学校]]
** [[千代田国際中学校・武蔵野大学附属千代田高等学院]]
** [[東京家政学院中学校・高等学校]]
** [[東洋高等学校]]
** [[二松學舍大学附属高等学校]]
** [[雙葉中学校・高等学校]]
** [[三輪田学園中学校・高等学校]]
** [[和洋九段女子中学校・高等学校]]
=== 中学校 ===
* [[公立学校|公立]]
** 千代田区立
*** [[千代田区立神田一橋中学校|神田一橋中学校]]
*** [[千代田区立麹町中学校|麹町中学校]]
*** [[千代田区立九段中等教育学校|九段中等教育学校]]前期課程
* 私立
** 高校が併設されているものは高校の項に記す。
=== 小学校 ===
* [[公立学校|公立]]
** 千代田区立
*** [[千代田区立麹町小学校|麹町小学校]]
*** [[千代田区立九段小学校|九段小学校]]
*** [[千代田区立番町小学校|番町小学校]]
*** [[千代田区立富士見小学校|富士見小学校]]
*** [[千代田区立お茶の水小学校|お茶の水小学校]]
*** [[千代田区立千代田小学校|千代田小学校]]
*** [[千代田区立昌平小学校|昌平小学校]]
*** [[千代田区立和泉小学校|和泉小学校]]
* 私立
** [[暁星小学校]]
** [[白百合学園小学校]]
** [[雙葉小学校]]
=== 幼稚園 ===
* [[公立学校|公立]]
** 千代田区立(現在設置されているもの)
*** [[千代田区立麹町小学校|麹町幼稚園]]
*** [[千代田区立番町小学校|番町幼稚園]]
== 住宅 ==
===大規模マンション===
* [[千代田区の超高層建築物・構築物の一覧]]を参照。
*ローレル永田町
*三番町パークテラス
*パラロワイヤル六番町
*マートルコート麹町
*ビラカーサ五番町
*プラウド千代田淡路町
*麹町三番町マンション
*シティインデックス神田
*グランドガーラ神田
*朝日九段マンション
*アルベルゴ御茶ノ水
*東京ロイヤルプラザ
*インペリアル御茶ノ水
*ガラステーション岩本町ノース
*ブランズ四番町
*パレステュディオ秋葉原サイバーシティ
*ザ・パークハウスグラン三番町
*ガラグランディ大手町
*番町パークハウス
*ハイツ神田岩本町
*パークホームズ千代田淡路町
*ザ・パークハウス千代田淡路町
*[[ワテラス]]タワーレジデンス
===住宅団地===
*神田五軒町団地(外神田 市街地住宅 賃貸42 [[1959年]](昭和34年) 現存譲渡)
* 万世橋団地(外神田 市街地住宅 賃貸58 [[1960年]](昭和35年))
* 西神田団地(西神田 市街地住宅 賃貸27 [[1962年]](昭和37年) 現存 譲渡返還)
* 神田鍛冶町団地(鍛冶町 市街地住宅 賃貸17 [[1959年]](昭和34年) 現存譲渡)
* 神田司町団地(内神田 市街地住宅 賃貸15 [[1959年]](昭和34年) 現存内神田一丁目に改称後、譲渡)
* 四番町アパート(四番町)
* 四番町第2アパート(四番町、[[1998年]](平成10年))
* 四番町第3アパート(四番町、[[1995年]](平成7年))
* 飯田橋二丁目アパート(飯田橋、[[1987年]](昭和62年))
== 作品 ==
秋葉原が舞台の作品は『[[秋葉原#秋葉原を題材・舞台とした作品|秋葉原を題材・舞台とした作品]]』を参照。
* [[夏目漱石]]『[[こゝろ]]』 - 登場人物が神保町付近を徘徊する。
* [[横溝正史]]『[[びっくり箱殺人事件]]』 - [[丸の内]]の小劇場・梟座で起こった連続殺人事件を描いた長編[[推理小説]]。
* 横溝正史『[[女が見ていた (小説)|女が見ていた]]』 - [[パンパン]]連続殺人事件を描いた長編推理小説。第2の殺人の舞台が[[日比谷]]。
* [[杉森久英]]『[[天皇の料理番]]』 - 長編小説。およびそれを原作としたテレビドラマ。明治末期から昭和初期の神田が舞台。
* 『[[ウルトラマンタロウ]]』 - 防衛組織「ZAT」の本部が霞が関にある設定。
* 『[[Gメン'75]]』 - 本部オフィスが[[東京海上日動火災保険|東京海上火災]]ビルにある設定。
* 『[[探偵物語]]』 - 主人公の探偵事務所が平河町にある設定。
* 『[[R.O.D]]シリーズ』 - 神田神保町が主な舞台の一つとして描かれている。
== 著名な出身者 ==
''旧麹町区、旧神田区の出身有名人については[[麹町区]]、[[神田区]]を参照''
* [[徳仁|第126代天皇・徳仁]] - [[上皇明仁|第125代天皇・明仁]]の長男
* [[秋篠宮文仁親王]] - 明仁の二男
* [[黒田清子]] - 明仁の長女
* [[五島昇]] - [[実業家]]
* [[杉下茂]] - [[野球解説者]]
* [[三木鶏郎]] - 作詞家・作曲家・放送作家・演出家
* [[浅香光代]] - 女優
* [[樹木希林]] - 女優
* [[楠トシエ]] - 歌手・女優・声優
* [[越路吹雪]] - 歌手・女優
* [[川野一宇]] - 元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー
* [[名古屋章]] - 俳優・声優・ナレーター
* [[二瓶正也]] - 俳優
* [[藤村有弘]] - 俳優・声優・コメディアン
* [[渡辺文雄 (俳優)|渡辺文雄]] - 俳優・タレント・エッセイスト
* [[景山民夫]] - 作家
* [[麻実れい]] - 女優
* [[梓英子]] - 女優
* [[梶芽衣子]] - 女優
* [[高樹蓉子]] - 女優
* [[日髙のり子]] - 声優
* [[緒方恵美]] - 声優
* [[三宅裕司]] - 俳優・タレント
* [[柳家小袁治]] - 落語家
* [[吉田博彦]] - ゲームクリエイター・実業家
* [[秋山具義]] - [[アートディレクター]]
* [[都築響一]] - 編集者・写真家
* [[大石静]] - 脚本家
* [[柳沼行]] - 漫画家
* [[今村洋子]] - 漫画家
* [[国定勇人]] - [[衆議院議員]]
* [[石山曻之助]] - [[大相撲力士]]
* [[信山信幸]] - [[大相撲力士]]
* [[佐藤直子]] - [[テニス]]選手
* [[ベイカー茉秋]] - [[柔道]]選手
* [[古川奈穂]] - 中央競馬騎手
* [[山中真]] - [[毎日放送]]アナウンサー
* [[山下美穂子]] - フリーアナウンサー
* [[加藤公一]] - 政治家
* [[丸尾崇真]] - [[ラグビーフットボール|ラグビー]]選手
* [[西寺郷太]] - ミュージシャン、音楽プロデューサー([[ノーナ・リーヴス]]メインボーカル)
* [[菊池武夫 (ファッションデザイナー)|菊池武夫]] - [[ファッションデザイナー]]、[[タケオキクチ]]創始者
* [[ハヤカワ五味]] - ファッションデザイナー、[[実業家]]
* [[椎木里佳]] - 実業家
* [[町山智浩]] - [[編集者]]、[[映画評論家]]
* [[町山広美]] - [[放送作家]]、[[コラムニスト]]
* [[冴島奈緒]] - 歌手、女優
* [[佐宗邦皇]] - 著述家
* [[阿部謹也]] - 西洋史学者
* 尾身智志 - お笑い芸人([[ラパルフェ]]のボケ担当)
* [[小宮輝之]] - [[恩賜上野動物園]]第13代園長、[[動物学]]者
* [[宮城聰]] - 演出家
;
;ゆかりのある人物
* [[役所広司]] - 俳優、千代田区役所に勤務していた。芸名の由来もこれによる。
* [[浅田好未]] - 実業家・タレント、神奈川県鎌倉市育ち
* [[佐野元春]] - ミュージシャン、出身は台東区となっている。
* [[辛酸なめ子]] - 漫画家・コラムニスト、埼玉県さいたま市浦和区育ち
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="新旧町名対照表">{{Cite web|和書|url=https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/tochi/jukyohyoji/shinkyu.html|title=新旧町名対照表(住居表示実施地域)|website=千代田区ホームページ|accessdate=2022-12-9}}</ref>
}}
== 参考文献 ==
<!-- 実際に参考にした文献一覧(本文中の追加した情報の後に脚注を導入し文献参照ページを示して、実際に参考にした出典〈書籍、論文、資料やウェブページなど〉のみを列挙して下さい。さらにこの項目を理解するのに役立つ関連した文献は、「関連文献」などとセクション名を分けて区別して下さい。) -->
* 『千代田區史』 千代田区、1960年。
* [[鈴木理生]] 東京にふる里をつくる会編 『千代田区の歴史 東京ふるさと文庫 5』 [[名著出版]]、1978年3月。
* [[山口恵一郎]] 『日本地名辞典 市町村編』 [[東京堂出版]]、1980年10月。ISBN 978-4490101355
* [[奥田道大]] 『都市と地域の文脈を求めて 21世紀システムとしての都市社会学』 [[有信堂]]、1993年1月。ISBN 978-4842065359
* 槇野修 『地名で読む江戸の町』 [[PHP研究所]]、2011年9月15日。ISBN 978-4-569-76123-7
== 関連項目 ==
<!-- 本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク、ウィキリンク。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 -->
{{See also|Category:千代田区}}
* [[麹町区]]・[[神田区]]
* [[日本の首都]]
* [[千代田市構想]]
* [[ちよれん]]
* [[八重洲]]
* [[江戸祭礼氏子町一覧]]
* [[千代田区議会]]
== 外部リンク ==
{{Sisterlinks|wikt=no|b=|q=no|s=|commons=千代田区|commonscat=Chiyoda, Tokyo|n=|vno=|voy=Tokyo/Chiyoda|species=Chiyoda Tokyo}}
{{Multimedia|千代田区の画像}}
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; 行政
* {{Official website|name=千代田区}}
* {{Twitter|chiyoda_city}}
* {{Facebook|chiyoda.city}}
; 観光
* [https://visit-chiyoda.tokyo/ 千代田区観光協会]
{{千代田区の町名}}
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{{DEFAULTSORT:ちよたく}}
[[Category:千代田区|*]]
[[Category:東京都の特別区]] | 2003-05-08T13:39:35Z | 2023-12-31T19:21:38Z | false | false | false | [
"Template:東京都の自治体",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E5%8C%BA |
7,938 | 国分寺駅 |
国分寺駅(こくぶんじえき)は、東京都国分寺市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西武鉄道の駅である。
JR東日本の中央本線と、西武鉄道の国分寺線・多摩湖線の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。このうち西武鉄道の駅は国分寺線小川駅、東村山駅と並び、西武最古の駅の一つでもある。
中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細は該当記事を参照のこと。特急「あずさ」「かいじ」「富士回遊」「はちおうじ」「おうめ」はすべて当駅を通過しているが、早朝・深夜の「成田エクスプレス」は停車する。
西武鉄道の2路線は双方とも当駅を起点としている。
JR東日本と西武で同一の橋上駅舎を使用している。駅ビル「セレオ国分寺」の建物の1階と一体化した自由通路に面して西(西国分寺・恋ヶ窪寄り)側にJRと西武の改札が並び、それぞれの改札の脇にJR・西武の自動券売機が(JR側には指定席券売機も)設置されている。西武の有人窓口は自動券売機の横にある。自由通路を挟んで東側にJRのみどりの窓口および西武国分寺線につながる改札がある。改札内西側コンコースにはJR東日本と西武との乗り換え改札がある。
三鷹営業統括センター管内の直営駅で、駅長を配置している。島式ホーム2面4線を有する地上駅である。上下線双方とも待避線を備えている。快速・各駅停車が待避線に進入し通勤特快(平日朝上りのみ)・中央特快・青梅特快・通勤快速(平日夕方 - 夜間の下りのみ)と接続するほか、特急列車の通過待ちが行われている。また、新宿方面へは折り返し運転が可能となっており、当駅始発・終点の列車も数本設定されている。
(出典:JR東日本:駅構内図)
1995年9月頃までは日本電音、以降は五感工房制作の発車メロディを使用していたが、2017年3月4日に、国分寺市で半生を過ごした作曲家の信時潔の作品である「電車ごっこ」をアレンジしたものに変更している。これは信時の存在を地元の財産としてアピールするために駅周辺の商店街などが取り組んできた運動を受け、市がJR東日本八王子支社に要望したものである。1・2・4番線で使用しているバージョンはスイッチの制作で、編曲は福嶋尚哉が手掛けた。3番線では市が制作したバージョンを使用している。
かつて、当駅は中央本線の支線である下河原線の始発駅でもあった。下河原線ホームは廃止時点で島式ホーム1面2線(旧4・5番線)で、国分寺線ホーム(旧1番線)や中央線ホーム(旧2・3番線)とは貨物ヤードを挟んでやや離れた場所にあった。また、北府中側には国鉄の教育施設だった中央鉄道学園への引き込み線が存在していた。ホーム有効長が短く、ラッシュ時は北府中方の1両をドアカットしていた。
1973年、武蔵野線の開業で当駅 - 北府中駅 - 東京競馬場前駅間が廃止、1976年に残りの北府中駅 - 下河原駅間の貨物線も廃止されたが、下河原線ホームはそのまま残されていた。しかし、1988年の駅改良工事時に構内は大きく改変されたため、現在では下河原線の痕跡を見つけることは困難である。
国分寺線ののりばはJRのホームの北側に並行して、多摩湖線ののりばは一段高い改札階の脇(北西方向)にそれぞれ位置している。ともに単式ホーム1面1線を有する地上駅であるが、国分寺線ホームは島式ホームの片面を使用する形であり、将来的には1面2線化を見越した構造となっている。
改札口は2か所ある。1か所はJRと並んだ有人通路設置、もう1か所は向かい側のNewDays横にある自動改札機のみ設置で、国分寺線ホームのみ連絡する。
駅舎改築前の日本国有鉄道(国鉄)時代は国分寺線と中央本線の線路がつながっており、1976年(昭和51年)に武蔵野線新秋津駅 - 池袋線所沢駅間の連絡線が開業するまで貨物列車の受け渡しが行われていた。輸送品目はブリヂストン東京工場(小川駅付近)向けの原料のカーボンブラックを運んでいた旭カーボン私有のホキ6900形と所沢への日用品および航空自衛隊入間基地へのジェット部品などがあった。また、甲武鉄道・川越鉄道時代は飯田町駅からの直通列車も運転されていた。
多摩湖線は1990年(平成2年)の改良まで17 m級車両3両編成(もしくは20 m級車両2両編成)しか入線できなかったが、改良によるホーム移転で現在のホーム形態になった。かつては現在の北口付近にホームがあり、西武バス折返場付近から線路がカーブしており、ホーム先端すぐのところに踏切があったため同じ場所での延伸が困難であった。カーブの名残りは同線ホーム脇の建物や駅北口にある広告看板の地図に見られる。なお、同線を複線化して現在のホームの反対側まで線路を敷設する構想があったが、実現には至らず、その用地は西武バス専用道路(発着路線は下記バス路線の節を参照)に転用されている。現ホームは途中に道路のアンダーパスが設けられている。
駅改良工事完成時に西武線とJR線の間に乗り換え専用改札が設けられた。駅改良工事以前は西武線のホームの管理は国鉄→JRが行っていた。駅改良工事後に西武側にも駅務室が設けられ、以後ホームの管理は個別で行われることになった。
国分寺線ホーム・多摩湖線ホームともホームドアが設置されている。設置に伴い、多摩湖線ホームは3ドア車が入線できなくなり、国分寺線ホームは6両編成しか入線できなくなった。
駅番号は両路線で個別に与えられていて、国分寺線はSK01、多摩湖線はST01となる。
6番ホームは、かつてホーム移設前の多摩湖線のホームとして使用されていた。現在は国分寺線ホームの2線化の用地という形で欠番となっている。
以前は多摩湖線のホームが0番線であった。駅開業当時に駅本屋が国分寺線側にあったため、それを1番線として南側の中央線方向に番号を割り振った。しかし、後に乗り入れた多摩湖線ホームが国分寺線の北側に設置されたことから「0番線」という措置が採られた。その後2線化の際に下河原線の追い番の6・7番線に改められ、さらにホーム延長で7番線のみとなり、駅改良後も引き継がれている。また、駅改良工事が行われる以前は多摩湖線ホーム入口に中間改札が設けられていた。
各年度の1日平均乗降人員は下表の通り。
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。
再開発が行われ、2018年4月に2棟の高層マンション併設の駅ビル・シティタワー国分寺 ザ・ツイン ウエスト/イーストが連結。低層階に三越伊勢丹プロパティデザインによる新業態の商業施設「ミーツ国分寺」が開業した。
再開発前は、自由通路から少し下がった所に小さい駅前広場があり路線バスとタクシー乗り場があった。周辺は昔ながらの商店街だった。
自由通路に面して駅ビル「セレオ国分寺(旧・国分寺エル)」の入口がある。
駅前広場は狭く、こちらも自由通路から少し下がっている。タクシー乗り場はあるがバス乗り場は左へ少し行った所と広場向い側になっている。
駅のすぐ周辺や多喜窪通り沿いは商店が目立つ。殿ヶ谷戸庭園や団地が隣接し、その先が国分寺崖線(多摩川のハケ(河岸段丘崖))となって一段下がっていることもあり、駅から少し離れると住宅地である。
駅前広場向かい側ののりば(南口3番)から西方面の路線・コミュニティバス「ぶんバス」と、駅南口を出て左(東側)へ約100 m、殿ヶ谷戸庭園向かいののりば(南口1・2番)から東・南方面の路線が発着する。
その他、降車専用として、深夜急行バス 新宿駅発国立駅行のバスも停車する。
2020年12月23日に北口交通広場が開放され、以前から乗り入れを行っていた立川バス・ぶんバスに加え、京王バス・銀河鉄道・西武バス(一部路線)が乗り入れを開始した。
西武バス小平営業所が運行する路線が発着する。西武多摩湖線ホーム脇に設けられた折り返し場から発車する。折り返し場を出ると同線に沿ったバス専用道路(同線複線化用地を転用)を走行する。かつては「国分寺車庫」停留所と称した。
2020年12月22日までは、寺71と小平営業所行もこちらからの発車であった。
本町・南町地域センターの前にて、ぶんばすの以下の路線が発着する。 | [
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"text": "国分寺駅(こくぶんじえき)は、東京都国分寺市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西武鉄道の駅である。",
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"text": "JR東日本の中央本線と、西武鉄道の国分寺線・多摩湖線の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。このうち西武鉄道の駅は国分寺線小川駅、東村山駅と並び、西武最古の駅の一つでもある。",
"title": "乗り入れ路線"
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"text": "中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細は該当記事を参照のこと。特急「あずさ」「かいじ」「富士回遊」「はちおうじ」「おうめ」はすべて当駅を通過しているが、早朝・深夜の「成田エクスプレス」は停車する。",
"title": "乗り入れ路線"
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"text": "西武鉄道の2路線は双方とも当駅を起点としている。",
"title": "乗り入れ路線"
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"text": "JR東日本と西武で同一の橋上駅舎を使用している。駅ビル「セレオ国分寺」の建物の1階と一体化した自由通路に面して西(西国分寺・恋ヶ窪寄り)側にJRと西武の改札が並び、それぞれの改札の脇にJR・西武の自動券売機が(JR側には指定席券売機も)設置されている。西武の有人窓口は自動券売機の横にある。自由通路を挟んで東側にJRのみどりの窓口および西武国分寺線につながる改札がある。改札内西側コンコースにはJR東日本と西武との乗り換え改札がある。",
"title": "駅構造"
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"text": "三鷹営業統括センター管内の直営駅で、駅長を配置している。島式ホーム2面4線を有する地上駅である。上下線双方とも待避線を備えている。快速・各駅停車が待避線に進入し通勤特快(平日朝上りのみ)・中央特快・青梅特快・通勤快速(平日夕方 - 夜間の下りのみ)と接続するほか、特急列車の通過待ちが行われている。また、新宿方面へは折り返し運転が可能となっており、当駅始発・終点の列車も数本設定されている。",
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"text": "(出典:JR東日本:駅構内図)",
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"text": "1995年9月頃までは日本電音、以降は五感工房制作の発車メロディを使用していたが、2017年3月4日に、国分寺市で半生を過ごした作曲家の信時潔の作品である「電車ごっこ」をアレンジしたものに変更している。これは信時の存在を地元の財産としてアピールするために駅周辺の商店街などが取り組んできた運動を受け、市がJR東日本八王子支社に要望したものである。1・2・4番線で使用しているバージョンはスイッチの制作で、編曲は福嶋尚哉が手掛けた。3番線では市が制作したバージョンを使用している。",
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"text": "かつて、当駅は中央本線の支線である下河原線の始発駅でもあった。下河原線ホームは廃止時点で島式ホーム1面2線(旧4・5番線)で、国分寺線ホーム(旧1番線)や中央線ホーム(旧2・3番線)とは貨物ヤードを挟んでやや離れた場所にあった。また、北府中側には国鉄の教育施設だった中央鉄道学園への引き込み線が存在していた。ホーム有効長が短く、ラッシュ時は北府中方の1両をドアカットしていた。",
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"text": "1973年、武蔵野線の開業で当駅 - 北府中駅 - 東京競馬場前駅間が廃止、1976年に残りの北府中駅 - 下河原駅間の貨物線も廃止されたが、下河原線ホームはそのまま残されていた。しかし、1988年の駅改良工事時に構内は大きく改変されたため、現在では下河原線の痕跡を見つけることは困難である。",
"title": "駅構造"
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"text": "国分寺線ののりばはJRのホームの北側に並行して、多摩湖線ののりばは一段高い改札階の脇(北西方向)にそれぞれ位置している。ともに単式ホーム1面1線を有する地上駅であるが、国分寺線ホームは島式ホームの片面を使用する形であり、将来的には1面2線化を見越した構造となっている。",
"title": "駅構造"
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"text": "改札口は2か所ある。1か所はJRと並んだ有人通路設置、もう1か所は向かい側のNewDays横にある自動改札機のみ設置で、国分寺線ホームのみ連絡する。",
"title": "駅構造"
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"text": "駅舎改築前の日本国有鉄道(国鉄)時代は国分寺線と中央本線の線路がつながっており、1976年(昭和51年)に武蔵野線新秋津駅 - 池袋線所沢駅間の連絡線が開業するまで貨物列車の受け渡しが行われていた。輸送品目はブリヂストン東京工場(小川駅付近)向けの原料のカーボンブラックを運んでいた旭カーボン私有のホキ6900形と所沢への日用品および航空自衛隊入間基地へのジェット部品などがあった。また、甲武鉄道・川越鉄道時代は飯田町駅からの直通列車も運転されていた。",
"title": "駅構造"
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"text": "多摩湖線は1990年(平成2年)の改良まで17 m級車両3両編成(もしくは20 m級車両2両編成)しか入線できなかったが、改良によるホーム移転で現在のホーム形態になった。かつては現在の北口付近にホームがあり、西武バス折返場付近から線路がカーブしており、ホーム先端すぐのところに踏切があったため同じ場所での延伸が困難であった。カーブの名残りは同線ホーム脇の建物や駅北口にある広告看板の地図に見られる。なお、同線を複線化して現在のホームの反対側まで線路を敷設する構想があったが、実現には至らず、その用地は西武バス専用道路(発着路線は下記バス路線の節を参照)に転用されている。現ホームは途中に道路のアンダーパスが設けられている。",
"title": "駅構造"
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"text": "駅改良工事完成時に西武線とJR線の間に乗り換え専用改札が設けられた。駅改良工事以前は西武線のホームの管理は国鉄→JRが行っていた。駅改良工事後に西武側にも駅務室が設けられ、以後ホームの管理は個別で行われることになった。",
"title": "駅構造"
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"text": "国分寺線ホーム・多摩湖線ホームともホームドアが設置されている。設置に伴い、多摩湖線ホームは3ドア車が入線できなくなり、国分寺線ホームは6両編成しか入線できなくなった。",
"title": "駅構造"
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"text": "駅番号は両路線で個別に与えられていて、国分寺線はSK01、多摩湖線はST01となる。",
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"text": "6番ホームは、かつてホーム移設前の多摩湖線のホームとして使用されていた。現在は国分寺線ホームの2線化の用地という形で欠番となっている。",
"title": "駅構造"
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"text": "以前は多摩湖線のホームが0番線であった。駅開業当時に駅本屋が国分寺線側にあったため、それを1番線として南側の中央線方向に番号を割り振った。しかし、後に乗り入れた多摩湖線ホームが国分寺線の北側に設置されたことから「0番線」という措置が採られた。その後2線化の際に下河原線の追い番の6・7番線に改められ、さらにホーム延長で7番線のみとなり、駅改良後も引き継がれている。また、駅改良工事が行われる以前は多摩湖線ホーム入口に中間改札が設けられていた。",
"title": "駅構造"
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"text": "各年度の1日平均乗降人員は下表の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。",
"title": "利用状況"
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{
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"text": "再開発が行われ、2018年4月に2棟の高層マンション併設の駅ビル・シティタワー国分寺 ザ・ツイン ウエスト/イーストが連結。低層階に三越伊勢丹プロパティデザインによる新業態の商業施設「ミーツ国分寺」が開業した。",
"title": "駅周辺"
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"text": "再開発前は、自由通路から少し下がった所に小さい駅前広場があり路線バスとタクシー乗り場があった。周辺は昔ながらの商店街だった。",
"title": "駅周辺"
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"text": "自由通路に面して駅ビル「セレオ国分寺(旧・国分寺エル)」の入口がある。",
"title": "駅周辺"
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"text": "駅前広場は狭く、こちらも自由通路から少し下がっている。タクシー乗り場はあるがバス乗り場は左へ少し行った所と広場向い側になっている。",
"title": "駅周辺"
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"text": "駅のすぐ周辺や多喜窪通り沿いは商店が目立つ。殿ヶ谷戸庭園や団地が隣接し、その先が国分寺崖線(多摩川のハケ(河岸段丘崖))となって一段下がっていることもあり、駅から少し離れると住宅地である。",
"title": "駅周辺"
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"text": "駅前広場向かい側ののりば(南口3番)から西方面の路線・コミュニティバス「ぶんバス」と、駅南口を出て左(東側)へ約100 m、殿ヶ谷戸庭園向かいののりば(南口1・2番)から東・南方面の路線が発着する。",
"title": "バス路線"
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"text": "その他、降車専用として、深夜急行バス 新宿駅発国立駅行のバスも停車する。",
"title": "バス路線"
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"text": "2020年12月23日に北口交通広場が開放され、以前から乗り入れを行っていた立川バス・ぶんバスに加え、京王バス・銀河鉄道・西武バス(一部路線)が乗り入れを開始した。",
"title": "バス路線"
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"text": "西武バス小平営業所が運行する路線が発着する。西武多摩湖線ホーム脇に設けられた折り返し場から発車する。折り返し場を出ると同線に沿ったバス専用道路(同線複線化用地を転用)を走行する。かつては「国分寺車庫」停留所と称した。",
"title": "バス路線"
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"text": "2020年12月22日までは、寺71と小平営業所行もこちらからの発車であった。",
"title": "バス路線"
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"text": "本町・南町地域センターの前にて、ぶんばすの以下の路線が発着する。",
"title": "バス路線"
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] | 国分寺駅(こくぶんじえき)は、東京都国分寺市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・西武鉄道の駅である。 | {{Otheruses||しなの鉄道線の駅|信濃国分寺駅}}
{{出典の明記|date=2012年2月|ソートキー=駅}}
{{駅情報
|駅名 = 国分寺駅
|画像 = Kokubunji-Sta-N-202104.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 北口駅ビル「ミーツ国分寺」(2021年4月)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300
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|coord={{coord|35|42|0.9|N|139|28|48.9|E}}|title=JR 国分寺駅
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}}
|よみがな = こくぶんじ
|ローマ字 = Kokubunji
|所在地 = [[東京都]][[国分寺市]]本町二丁目
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[西武鉄道]]([[#西武鉄道|駅詳細]])}}
}}
[[File:Kokubunji-Sta-S-201404.JPG|thumb|南口駅ビル「セレオ国分寺」<br />(2014年4月)]]
'''国分寺駅'''(こくぶんじえき)は、[[東京都]][[国分寺市]]本町二丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[西武鉄道]]の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
JR東日本の[[中央本線]]と、西武鉄道の[[西武国分寺線|国分寺線]]・[[西武多摩湖線|多摩湖線]]の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。このうち西武鉄道の駅は国分寺線[[小川駅 (東京都)|小川駅]]、[[東村山駅]]と並び、'''西武最古の駅の一つ'''でもある。
中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「[[中央線快速|中央線]]」と案内される。運転形態の詳細は該当記事を参照のこと。[[特別急行列車|特急]][[あずさ (列車)|「あずさ」]]「[[かいじ (列車)|かいじ]]」「[[富士回遊]]」「[[はちおうじ]]」「[[おうめ]]」はすべて当駅を通過しているが、早朝・深夜の「[[成田エクスプレス]]」は停車する。
* [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線 - [[駅ナンバリング|駅番号]]「'''JC 16'''」
西武鉄道の2路線は双方とも当駅を起点としている。
* [[File:SeibuKokubunji.svg|18px|SK]] 国分寺線 - 駅番号「'''SK01'''」
* [[File:SeibuTamako.svg|18px|ST]] 多摩湖線 - 駅番号「'''ST01'''」
== 歴史 ==
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]]:[[甲武鉄道]][[新宿駅]] - [[立川駅]]間開通と同時に開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/h_01.html|title=中央線の歴史(1880年 - 1899年)|date=|publisher=東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社|accessdate=2018-10-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/open.html|title=中央線の歴史(駅開業一覧)|date=|publisher=東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社|accessdate=2018-10-24}}</ref><ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、22頁</ref>。旅客および貨物の取り扱いを開始。
* [[1894年]](明治27年)[[12月21日]]:[[川越鉄道]](現在の[[西武国分寺線]])開業。
* [[1906年]](明治39年)[[10月1日]]:甲武鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]<ref name="sone05-23">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、23頁</ref>。
* [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|線路名称]]制定により中央東線(1911年から中央本線)の所属となる{{R|sone05-23}}。
* [[1910年]](明治43年):東京砂利鉄道専用線(後の[[下河原線]])開業。
* [[1920年]]([[大正]]9年)
** [[5月25日]]:[[鉄道省]]が東京砂利鉄道を買収。翌[[5月26日]]付けで中央本線貨物支線(下河原線)となる。
** [[6月1日]]:川越鉄道が武蔵水電に合併。
* [[1921年]](大正10年)[[12月1日]]:国鉄、下河原線が営業を廃止、当駅構内側線扱いとなる。
* [[1922年]](大正11年)
** [[11月1日]]:武蔵水電が帝国電灯に合併。
** [[11月16日]]:帝国電灯が武蔵鉄道に鉄・軌道事業を譲渡、西武鉄道(旧)に改称。
** [[11月20日]]:中央線、当駅まで複線電化工事完成、電車の運転を開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/h_03.html|title=中央線の歴史(1920年 - 1939年)|date=|publisher=東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社|accessdate=2018-10-24}}</ref>{{R|sone05-23}}。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)
** [[4月6日]]:多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)開業。
** [[10月15日]]:中央線、当駅 - [[国立駅]]間複線開通。
* [[1929年]](昭和4年)
** [[3月5日]]:中央線、当駅 - 国立駅間[[鉄道の電化|電化]]開通。
** 6月15日:国立駅 - 立川駅間が電化、両駅間で電車運転が開始。これに伴い飯田町、新宿発着の汽車(出典ママ)は国分寺駅を通過運転することとなった<ref>東京立川間、3両連結で16分間隔『中外商業新報』昭和4年6月13日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p444-445 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
** 6月16日:国分寺機関分庫廃止(1931年度[[国鉄2100形蒸気機関車#2700形|2700形]]3両配置<ref>『世界の鉄道 1967年版』170頁</ref>)<ref>[{{NDLDC|1076965/100}} 『鉄道省年報. 昭和7年度』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。
* [[1934年]](昭和9年)[[4月2日]]:国鉄、中央本線支線(下河原線)開業<ref name="sone05-24">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、24頁</ref>。競馬開催日に限り旅客輸送(貨物は当駅構内扱いのまま。富士見仮信号所〈後の北府中駅〉までは二重線籍)。
* [[1940年]](昭和15年)[[3月12日]]:多摩湖鉄道が武蔵野鉄道に合併。
* [[1944年]](昭和19年)10月1日:国鉄、下河原線の旅客営業を休止{{R|sone05-24}}。この頃から富士見仮信号所内の乗降場への工場従業員輸送が始まる(当駅構内扱い)。
* [[1945年]](昭和20年)[[9月22日]]:武蔵野鉄道が西武鉄道(旧)を合併。西武農業鉄道に改称。現在の西武2線が同一の会社所属となる。
* [[1946年]](昭和21年) [[11月15日]]:西武農業鉄道が西武鉄道に改称。
* [[1947年]](昭和22年)[[4月24日]]:国鉄、下河原線の旅客営業を再開{{R|sone05-24}}。
* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足<ref name="sone05-25">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、25頁</ref>。
* [[1952年]](昭和27年)[[7月1日]]:国鉄、下河原線貨物営業開始{{R|sone05-25}}。当駅 - [[北府中駅]]間は旅客・貨物営業とする。
* [[1956年]](昭和31年)12月1日:国鉄の南口駅舎が完成し、供用開始<ref group="新聞">{{Cite news |和書|title=国分寺駅 南口本家が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1956-11-28 |page=2 }}</ref>。
* [[1973年]](昭和48年)[[4月1日]]:国鉄、[[武蔵野線]]開通に伴い下河原線当駅 - 北府中駅 - [[東京競馬場前駅]]間を廃止<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、26頁</ref>。
* [[1976年]](昭和51年)[[9月20日]]:国鉄駅での[[鉄道貨物|貨物]]取り扱いを廃止。
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:国鉄駅での[[チッキ|荷物]]取り扱いを廃止。
* [[1986年]](昭和61年):駅改良工事(国鉄駅2面4線化、橋上駅舎化、駅ビル建設)着工。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、27頁</ref>。
* [[1988年]](昭和63年)12月1日:JR駅の2面4線化工事、橋上駅舎完成。
** これに伴い[[1980年代・1990年代のJRダイヤ改正|ダイヤ改正]]が実施され、特別快速(中央特快)と通勤快速が停車するようになる。改正で新設された青梅特快は通過。また、[[武蔵小金井駅]]に代わり通過列車の待避駅となる。
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[3月1日]]:駅ビル(丸井・国分寺エル)竣工<ref name="交通890113">{{Cite news |title=「国分寺L」開業3月1日に変更 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1989-01-13 |page=1 }}</ref>{{Refnest|group="注"|当初は2月24日の開業としていたが、この年1月7日に[[崩御]]した[[昭和天皇]]の[[大喪の礼]]が2月24日に行われることで決定したため開業を延期した<ref name="交通890113"/>。}}。
* [[1990年]](平成2年):西武多摩湖線ホーム移設工事完了。
* [[1992年]](平成4年)[[7月30日]]:JR駅に[[自動改札機]]を設置し、使用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)[[4月10日]]:JR東日本のダイヤ改正に伴い、青梅特快の停車を開始<ref group="新聞" name="kotsu19930410">{{Cite news |title=今日から「特快」全停車 乗客数急増のJR国分寺駅 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-04-10 |page=2 }}</ref>。これにより特別快速の全電車が当駅に停車<ref group="新聞" name="kotsu19930410"/>。通勤特快運行開始、当駅に停車<ref group="新聞" name="kotsu19930410"/>。
* [[1998年]](平成10年)[[8月30日]]:JR東日本のホームから東京駅寄りに200mの地点に[[分岐器#形状による分類|両渡り線]]を設置<ref name="交通980730" group="新聞">{{Cite news |title=JR東日本 国分寺駅折り返し設備新設 来月30日切替工事 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1998-07-30 |page=1 }}</ref>。同年12月から使用開始{{R|group="新聞"|交通980730}}。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-27|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref><ref name="中央線の歴史00-05">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/h_09.html|title=中央線の歴史(2000年 - 2005年)|date=|publisher=東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社|accessdate=2018-10-24}}</ref>。
* [[2002年]](平成14年)[[3月23日]]:特急「成田エクスプレス」高尾駅始発列車の運行開始、成田空港行き1本が停車するようになる(同年12月1日に高尾駅終着列車も運行開始、上下1往復停車となる)<ref name="中央線の歴史00-05"/><ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2002_1/20020911/pdf/express.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160405221200/https://www.jreast.co.jp/press/2002_1/20020911/pdf/express.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2002年12月ダイヤ改正について > II.在来線特急・急行|publisher=東日本旅客鉄|date=2002-09-20|accessdate=2021-02-14|archivedate=2016-04-05}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)[[3月12日]]:西武鉄道のダイヤ改正に伴い、国分寺線で当駅始発・[[西武新宿線|新宿線]][[新所沢駅]]までの定期直通運転を開始<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/news/2003/0124dia.pdf|title=3月12日(水)ダイヤ改正を実施します。 スピードアップと増発を中心に利便性をさらに向上|date=2003-01-24|publisher=西武鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030308002149fw_/http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/news/2003/0124dia.pdf|archivedate=2003-03-08|deadlinkdate=2018年10月|format=PDF}}</ref>([[2008年]][[6月14日]]に[[本川越駅]]まで延長<ref>{{Cite news|url=http://rail.hobidas.com/news/info/article/82070.html|title=西武鉄道 6月14日(土)にダイヤ改正|date=2008-03-27|newspaper=鉄道ホビダス|accessdate=2018-10-23}}</ref>)。
* [[2013年]](平成25年)[[10月25日]]:駅ビル「国分寺エル」が「セレオ国分寺」へ名称変更<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/0_celeopress1010.pdf|title=セレオ八王子北館 開業1周年、セレオ国分寺誕生 全館合同キャンペーンを開催|format=PDF|publisher=JR東京西駅ビル開発|date=2013-10-10|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200412062716/https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/0_celeopress1010.pdf|archivedate=2020-04-12}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)
** [[4月21日]]:駅ビル「セレオ国分寺」が第1期リニューアル<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1160323144536.pdf|title=JR国分寺駅ビル「セレオ国分寺」4月21日(木)10時 第1期リニューアルオープン!|format=PDF|publisher=JR東京西駅ビル開発|date=2016-03-23|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160818025340/http://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1160323144536.pdf|archivedate=2016-08-18}}</ref>。
** [[11月25日]]:駅ビル「セレオ国分寺」が第2期リニューアル<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1161121135405.pdf|title=11月25日(金)午前10時 JR国分寺駅ビル「セレオ国分寺」いよいよ、第2期リニューアルオープン!!|format=PDF|publisher=JR東京西駅ビル開発|date=2016-11-21|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200412062122/https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1161121135405.pdf|archivedate=2020-04-12}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)[[3月4日]]:JR駅ホームの[[発車メロディ]]を「[[電車ごっこ#音楽|電車ごっこ]]」に変更<ref group="報道" name=":0">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160216/20160216_info1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181024113011/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160216/20160216_info1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=国分寺駅・西国分寺駅の列車発車メロディが変わります|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2017-02-16|accessdate=2020-04-21|archivedate=2018-10-24}}</ref><ref name="kokbunji-melody" />。
* [[2018年]](平成30年)[[11月22日]]:駅ビル「セレオ国分寺」が第3期リニューアル<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1181031181841.pdf|title=11/22(木)午前10時 JR国分寺駅ビル「セレオ国分寺」いよいよ、8階リニューアルオープン!!|format=PDF|publisher=JR東京西駅ビル開発|date=2018-10-31|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200412062322/https://www.celeo.co.jp/admin/newsrelease/pdf/nrp1181031181841.pdf|archivedate=2020-04-12}}</ref>。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[5月12日]]:この日をもって[[びゅうプラザ]]の営業が終了<ref>{{Cite web|和書|url=http://jreu-h.jp/relays/download/35/98/444/589/?file=/files/libs/589//201902071805141984.pdf|format=PDF|language=日本語|title=びゅうプラザ立川移管とびゅうプラザ八王子・国分寺廃止の提案される|publisher=JR東労組八王子地本|date=2019-02-07|accessdate=2020-01-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200128163343/http://jreu-h.jp/relays/download/35/98/444/589/?file=/files/libs/589//201902071805141984.pdf|archivedate=2020-01-28}}</ref>。
* [[2021年]](令和3年)
** [[3月2日]]:西武線5番ホーム(国分寺線)の[[ホームドア]]使用開始<ref group="報道" name="seibu_platformdoor">{{Cite press release|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210222_kokubunji_platformdoor.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210223074248/https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210222_kokubunji_platformdoor.pdf|format=PDF|language=日本語|title=駅ホームにおける安全性向上 国分寺駅5番ホーム(国分寺線)において 3月2日(火)よりホームドアの使用を開始します 7番ホーム(多摩湖線)は、当社初となる「軽量型ホームドア」を採用し、2021年3月中に使用を開始します|publisher=西武鉄道|date=2021-02-22|accessdate=2021-03-21|archivedate=2021-02-23}}</ref>。
** 3月12日:西武線7番ホーム(多摩湖線)のホームドア使用開始<ref group="報道" name="seibu_platformdoor" />。
<!-- 一部異論や届出、帳簿上の日付と実情に差異のある場合があります。国鉄の電化、複線化についてはJRの資料に合わせました。 -->
== 駅構造 ==
JR東日本と西武で同一の[[橋上駅|橋上駅舎]]を使用している。[[駅ビル]]「[[セレオ国分寺]]」の建物の1階と一体化した自由通路に面して西(西国分寺・恋ヶ窪寄り)側にJRと西武の[[改札]]が並び、それぞれの改札の脇にJR・西武の[[自動券売機]]が(JR側には[[指定席券売機]]も)設置されている。西武の有人窓口は自動券売機の横にある。自由通路を挟んで東側にJRの[[みどりの窓口]]および[[西武国分寺線]]につながる改札がある。改札内西側コンコースにはJR東日本と西武との乗り換え改札がある。
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 国分寺駅
|画像 = Kokubunji-Sta-JR-Gate.JPG
|pxl = 300
|画像説明 = JR改札口(2016年6月)
|よみがな = こくぶんじ
|ローマ字 = Kokubunji
|前の駅 = JC 15 [[武蔵小金井駅|武蔵小金井]]
|駅間A = 2.3
|駅間B = 1.4
|次の駅 = [[西国分寺駅|西国分寺]] JC 17
|電報略号 = コシ
|駅番号 = {{駅番号r|JC|16|#f15a22|1}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#f15a22|■}}[[中央本線]]([[中央線快速|中央線]])
|キロ程 = 21.1 km([[新宿駅|新宿]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から31.4
|起点駅 =
|所在地 = [[東京都]][[国分寺市]]本町二丁目1-23
|座標 = {{coord|35|42|0.9|N|139|28|48.9|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 国分寺駅}}
|開業年月日 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]]
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面4線
|乗車人員 = <ref group="JR" name="JR2022" />94,734
|統計年度 = 2022年
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]
* [[みどりの窓口]] 有}}
}}
{{駅情報
|社色 = #ccc
|文字色 = #000
|駅名 = 国分寺駅
|画像 =
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = こくぶんじ
|ローマ字 = Kokubunji
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 3.3
|次の駅 = [[北府中駅|北府中]]
|電報略号 =
|駅番号 =
|所属事業者 = [[日本国有鉄道]]
|所属路線 = [[中央本線]]支線([[下河原線]])
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 国分寺
|所在地 =
|座標 =
|駅構造 =
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1910年]](明治43年)
|廃止年月日 = [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]
|乗車人員 =
|乗降人員 =
|統計年度 =
|乗換 =
|備考 =
}}
三鷹営業統括センター管内の直営駅で、駅長を配置している。[[島式ホーム]]2面4線を有する[[地上駅]]である。上下線双方とも[[待避駅|待避線]]を備えている。[[中央線快速#快速|快速]]<!--運行上は下りも「快速」-->・[[中央線快速#各駅停車|各駅停車]]が待避線に進入し[[中央線快速#通勤特快|通勤特快]](平日朝上りのみ)・[[中央線快速#特別快速(中央特快・青梅特快)|中央特快・青梅特快]]・[[中央線快速#通勤快速|通勤快速]](平日夕方 - 夜間の下りのみ)と接続するほか、特急列車の通過待ちが行われている。また、新宿方面へは折り返し運転が可能となっており{{R|group="新聞"|交通980730}}、当駅始発・終点の列車も数本設定されている。
==== のりば ====
<!-- 方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠 -->
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称。JR東日本は「○番線」と表現 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1・2
|rowspan=2|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
|style="text-align:center"|下り
|[[立川駅|立川]]・[[八王子駅|八王子]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]方面
|-
!3・4
|style="text-align:center"|上り
|[[三鷹駅|三鷹]]・[[新宿駅|新宿]]・[[東京駅|東京]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/682.html JR東日本:駅構内図])
* 当駅は内側の2・3番線が主本線、外側の1・4番線が待避線となっている。
* 上りホームは1面2線時代のホームの場所とほぼ同じであるが、後の拡張で80 [[メートル|m]]程立川寄りに移動した。下りホームは2面4線に拡張するにあたり上りホーム南側に新設されたものである。
* JR中央線は、[[2020年代]]前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行うため快速電車が停車する1 - 4番線は、ホームの12両対応の改築や構内配線の変更・信号設備改良工事などが実施される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190924030537/https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2015-02-04|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-09-24}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324011255/https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|title=JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期|newspaper=産経新聞|date=2017-03-24|accessdate=2020-11-29|archivedate=2017-03-24}}</ref>。
==== 発車メロディ ====
1995年9月頃までは[[日本電音]]、以降は[[五感工房]]制作の発車メロディを使用していたが、2017年3月4日に、国分寺市で半生を過ごした[[作曲家]]の[[信時潔]]の作品である「電車ごっこ」をアレンジしたものに変更している<ref group="報道" name=":0" />。これは信時の存在を地元の財産としてアピールするために駅周辺の[[商店街]]などが取り組んできた運動を受け、市が[[東日本旅客鉄道八王子支社|JR東日本八王子支社]]に要望したものである<ref name="kokbunji-melody">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/machi/midokoro/1015296.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210214031958/https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/machi/midokoro/1015296.html|title=JR国分寺駅・西国分寺駅の発車メロディは市にゆかりのある曲です|date=2021-01-23|archivedate=2021-02-14|accessdate=2021-02-14|publisher=国分寺市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref group="新聞">{{Cite web|和書|title=JR国分寺駅・西国分寺駅発車メロディー、国分寺ゆかりの曲に 「国分寺市の歌」も|url=https://tachikawa.keizai.biz/headline/2367/|website=立川経済新聞|accessdate=2019-10-20}}</ref>。1・2・4番線で使用しているバージョンは[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]の制作で、編曲は[[福嶋尚哉]]が手掛けた<ref>{{Cite web|和書|title=国分寺・西国分寺駅発車メロディー制作|url=http://www.switching.co.jp/news/279|website=株式会社スイッチオフィシャルサイト|accessdate=2019-10-20|language=ja|publisher=株式会社スイッチ}}</ref>。3番線では市が制作したバージョンを使用している。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|電車ごっこ verA
|-
!2
|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|電車ごっこ verB
|-
!3
|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|電車ごっこ verD
|-
!4
|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|電車ごっこ verC
|}
==== バリアフリー設備 ====
* 下りホーム - コンコース間:[[エレベーター]]・上り[[エスカレーター]]・下りエスカレーター
* 上りホーム - コンコース間:エレベーター・上りエスカレーター・下りエスカレーター
<gallery>
Kokubunji Station JR Line・Seibu Line Transfer Gates.jpg|JR・西武連絡改札(2019年9月)
Kokubunji Station 1915.jpg|中央線列車<br>(1915年4月)
JR Chuo-Main-Line Kokubunji Station Platform 1・2.jpg|1・2番線ホーム(2019年9月)
JR Chuo-Main-Line Kokubunji Station Platform 3・4.jpg|3・4番線ホーム(2019年9月)
</gallery>
==== 下河原線 ====
{{main|下河原線}}
かつて、当駅は中央本線の支線である下河原線の[[始発駅]]でもあった。下河原線ホームは廃止時点で島式ホーム1面2線(旧4・5番線)で、国分寺線ホーム(旧1番線)や中央線ホーム(旧2・3番線)とは貨物ヤードを挟んでやや離れた場所にあった。また、北府中側には国鉄の教育施設だった[[中央鉄道学園]]への引き込み線が存在していた。ホーム有効長が短く、ラッシュ時は北府中方の1両を[[ドアカット]]していた<ref>『[[鉄道ピクトリアル]]』[[電気車研究会]]、2002年8月号、38頁。</ref>。
[[1973年]]、[[武蔵野線]]の開業で当駅 - 北府中駅 - 東京競馬場前駅間が廃止、[[1976年]]に残りの北府中駅 - 下河原駅間の[[貨物線]]も廃止されたが、下河原線ホームはそのまま残されていた。しかし、[[1988年]]の駅改良工事時に構内は大きく改変されたため、現在では下河原線の痕跡を見つけることは困難である。
=== 西武鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #36C
|文字色 =
|駅名 = 西武 国分寺駅
|画像 = Kokubunji-Sta-Seibu-Gate.JPG
|pxl = 300
|画像説明 = 改札口(2016年6月)
|よみがな = こくぶんじ
|ローマ字 = Kokubunji
|所在地 = [[東京都]][[国分寺市]]本町二丁目1-23
|座標 = {{coord|35|42|2.2|N|139|28|46.8|E|region:JP_type:railwaystation|name=西武 国分寺駅}}
|所属事業者 = [[西武鉄道]]
|開業年月日 = [[1894年]]([[明治]]27年)[[12月21日]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面2線
|乗降人員 = <ref group="西武" name="seibu2022" />104,586
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 2
|所属路線1 = {{color|#00cc66|■}}[[西武国分寺線|国分寺線]]
|隣の駅1 =
|前の駅1 =
|駅間A1 =
|駅間B1 = 2.1
|次の駅1 = [[恋ヶ窪駅|恋ヶ窪]] SK02
|駅番号1 = {{駅番号r|SK|01|#0c6|2}}
|キロ程1 = 0.0
|起点駅1 = 国分寺
|所属路線2 = {{color|#ffcc33|■}}[[西武多摩湖線|多摩湖線]]
|隣の駅2 =
|前の駅2 =
|駅間A2 =
|駅間B2 = 2.4
|次の駅2 = [[一橋学園駅|一橋学園]] ST02
|駅番号2 = {{駅番号r|ST|01|#fdbc00|2}}
|キロ程2 = 0.0
|起点駅2 = 国分寺
|備考 =
}}
国分寺線ののりばはJRのホームの北側に並行して、多摩湖線ののりばは一段高い改札階の脇(北西方向)にそれぞれ位置している。ともに[[単式ホーム]]1面1線を有する地上駅であるが、国分寺線ホームは島式ホームの片面を使用する形であり、将来的には1面2線化を見越した構造となっている。
改札口は2か所ある。1か所はJRと並んだ有人通路設置、もう1か所は向かい側の[[NewDays]]横にある[[自動改札機]]のみ設置で、国分寺線ホームのみ連絡する。
駅舎改築前の[[日本国有鉄道]](国鉄)時代は国分寺線と中央本線の線路がつながっており、1976年(昭和51年)に[[武蔵野線]][[新秋津駅]] - [[西武池袋線|池袋線]][[所沢駅]]間の[[連絡線]]が開業するまで[[貨物列車]]の受け渡しが行われていた。輸送品目は[[ブリヂストン]]東京工場([[小川駅 (東京都)|小川駅]]付近)向けの原料の[[カーボンブラック]]を運んでいた[[旭カーボン]][[私有貨車|私有]]の[[国鉄ホキ6900形貨車|ホキ6900形]]と所沢への日用品および航空自衛隊入間基地へのジェット部品などがあった。また、[[甲武鉄道]]・川越鉄道時代は[[飯田町駅]]からの直通列車も運転されていた。
多摩湖線は[[1990年]](平成2年)の改良まで17 m級車両3両編成(もしくは20 m級車両2両編成)しか入線できなかったが、改良によるホーム移転で現在のホーム形態になった。かつては現在の北口付近にホームがあり、[[西武バス]]折返場付近から線路がカーブしており、ホーム先端すぐのところに踏切があったため同じ場所での延伸が困難であった。カーブの名残りは同線ホーム脇の建物や駅北口にある広告看板の地図に見られる。なお、同線を[[複線]]化して現在のホームの反対側まで線路を敷設する構想があったが、実現には至らず、その用地は西武バス専用道路(発着路線は下記[[#バス路線|バス路線の節]]を参照)に転用されている。現ホームは途中に道路のアンダーパスが設けられている。
駅改良工事完成時に西武線とJR線の間に乗り換え専用改札が設けられた。駅改良工事以前は西武線のホームの管理は国鉄→JRが行っていた。駅改良工事後に西武側にも駅務室が設けられ、以後ホームの管理は個別で行われることになった。
国分寺線ホーム・多摩湖線ホームとも[[ホームドア]]が設置されている<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2016/20170203formdoorsetti.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210214032852/https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2016/20170203formdoorsetti.pdf|format=PDF|language=日本語|title=駅ホームにおける安全性向上 西武鉄道の主要な6駅にホームドアを整備します|publisher=西武鉄道|date=2017-02-03|accessdate=2021-02-14|archivedate=2021-02-14}}</ref>。設置に伴い、多摩湖線ホームは[[西武新101系電車|3ドア車]]が入線できなくなり、国分寺線ホームは6両編成しか入線できなくなった。
駅番号は両路線で個別に与えられていて、国分寺線は'''SK01'''、多摩湖線は'''ST01'''となる。
==== のりば ====
<!-- 2012年9月時点の現地の案内標ならびにLED発車標の表記に準拠。西武鉄道の方針により、実際の案内表記には直通先の路線名は表記されない。実際には5番線は「小川・東村山・(所沢・西武園)方面」、7番線は「萩山・(西武遊園地)方面」と一部の駅に括弧付けされている(7番線は2013年3月改正以前の運行形態の名残)。5番線の括弧付きの駅には路線名を表記して区別した -->
{|class="wikitable"
!ホーム<!-- 事業者側による呼称。西武は「○番ホーム」と表現 -->!!路線!!行先
|-
!5
|[[File:SeibuKokubunji.svg|18px|SK]] 国分寺線
|[[小川駅 (東京都)|小川]]・[[東村山駅|東村山]]方面<!--<br />{{smaller|[[西武新宿線|新宿線]]直通}} [[所沢駅|所沢]]・{{smaller|[[西武西武園線|西武園線]]直通}} [[西武園駅|西武園]]方面-->
|-
!7
|[[File:SeibuTamako.svg|18px|ST]] 多摩湖線
|[[萩山駅|萩山]]・[[多摩湖駅|多摩湖]]方面
|}
6番ホームは、かつてホーム移設前の多摩湖線のホームとして使用されていた。現在は国分寺線ホームの2線化の用地という形で欠番となっている。
<gallery>
Seibu-railway-Kokubunji-station-platform-5.jpg|国分寺線ホーム(ホームドア設置前)(2008年3月)
Seibu-railway-Kokubunji-station-tamako-line-platform.jpg|多摩湖線ホーム(ホームドア設置後)(2021年4月)
Seibu-railway-Kokubunji-station-platform-7.jpg|多摩湖線ホーム(ホームドア設置前)(2008年3月)
</gallery>
==== バリアフリー設備 ====
* 国分寺線ホーム - コンコース:エレベーター・上りエスカレーター(車椅子などでの使用時には専用となり、下りも可能)
* 多摩湖線ホーム:コンコースと[[斜路|スロープ]]で連絡している。
==== 0番ホーム ====
以前は多摩湖線のホームが0番線であった。駅開業当時に駅本屋が国分寺線側にあったため、それを1番線として南側の中央線方向に番号を割り振った。しかし、後に乗り入れた多摩湖線ホームが国分寺線の北側に設置されたことから「0番線」という措置が採られた。その後2線化の際に[[下河原線]]の追い番の6・7番線に改められ、さらにホーム延長で7番線のみとなり、駅改良後も引き継がれている。また、駅改良工事が行われる以前は多摩湖線ホーム入口に中間改札が設けられていた。
<gallery>
Seibu 351 sayonara.jpg|西武多摩湖線旧ホームから(向こう側に建設されているのは現行のホーム)(1990年)
Kokubunji-202104.jpg|国分寺駅付近にある多摩湖線沿線の西武バス専用レーン<br>(2021年4月)
</gallery>
{{-}}
<!-- 画面解像度により表が重なります。対応可能な方修正お願いします -->
== 利用状況 ==
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''94,734人'''である<ref group="JR" name="JR2022" />。
*: 同社の駅の中では[[千葉駅]]に次いで第31位。
* '''西武鉄道''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''104,586人'''である<ref group="西武" name="seibu2022" />。
*: 同社の駅の中では[[池袋駅]]、[[高田馬場駅]]、[[西武新宿駅]]、[[小竹向原駅]]、[[練馬駅]]に次いで第6位である。[[西武有楽町線]]を含む[[西武池袋線|池袋線]]系統及び[[西武新宿線|新宿線]]系統以外の駅の中では最多の利用者数である。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
各年度の1日平均'''乗降'''人員は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="乗降データ">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!rowspan="2"|年度
!colspan="2"|西武鉄道
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|1998年(平成10年)
|119,356||
|-
|1999年(平成11年)
|116,417||−2.5%
|-
|2000年(平成12年)
|114,876||−1.3%
|-
|2001年(平成13年)
|114,084||−0.7%
|-
|2002年(平成14年)
|112,450||−1.4%
|-
|2003年(平成15年)
|114,235||1.6%
|-
|2004年(平成16年)
|114,690||0.4%
|-
|2005年(平成17年)
|116,629||1.7%
|-
|2006年(平成18年)
|114,917||−1.5%
|-
|2007年(平成19年)
|115,432||0.4%
|-
|2008年(平成20年)
|116,055||0.5%
|-
|2009年(平成21年)
|115,005||−0.9%
|-
|2010年(平成22年)
|114,779||−0.2%
|-
|2011年(平成23年)
|112,056||−2.4%
|-
|2012年(平成24年)
|114,577||2.3%
|-
|2013年(平成25年)
|117,475||2.5%
|-
|2014年(平成26年)
|116,316||−1.0%
|-
|2015年(平成27年)
|118,392||1.8%
|-
|2016年(平成28年)
|118,792||0.3%
|-
|2017年(平成29年)
|119,242||0.4%
|-
|2018年(平成30年)
|120,121||0.7%
|-
|2019年(令和元年)
|117,796||−1.9%
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="西武" name="seibu2020">{{Wayback|url=https://www.seiburailway.jp/railway/eigyo/transfer/2020joukou.pdf|title=駅別乗降人員(2020年度1日平均)|date=20210923000614}}、2022年8月18日閲覧</ref>83,466||−29.1%
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="西武" name="seibu2021">{{Wayback|url=https://www.seiburailway.jp/file.jsp?file/2021joukou.pdf|title=駅別乗降人員(2021年度1日平均)|date=20220708052848}}、2022年8月18日閲覧</ref>93,722||12.3%
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="西武" name="seibu2022">{{Cite web|和書|title=駅別乗降人員(2022年度1日平均)|url=https://www.seiburailway.jp/file.jsp?company/passengerdata/file/2022joukou.pdf|page=|accessdate=2023-07-30|publisher=西武鉄道|format=pdf|language=日本語|archiveurl=|archivedate=}}</ref>104,586||11.6%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1880年代 - 1930年代) ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員
!年度
!甲武鉄道<br/>/ 国鉄
!川越鉄道<br/>/ 西武鉄道
!多摩湖鉄道
!出典
|-
|1889年(明治22年)
|<ref group="備考">1889年4月11日開業。</ref>
|rowspan="2" style="text-align:center"|未開業
|rowspan="31" style="text-align:center"|未開業
|
|-
|1893年(明治26年)
|110
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806573/209?viewMode= 明治26年]</ref>
|-
|1894年(明治27年)
|
|<ref group="備考">1894年12月21日開業。</ref>
|
|-
|1895年(明治28年)
|109
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806575/134?viewMode= 明治28年]</ref>
|-
|1896年(明治29年)
|141
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806576/153?viewMode= 明治29年]</ref>
|-
|1897年(明治30年)
|169
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806577/135?viewMode= 明治30年]</ref>
|-
|1898年(明治31年)
|174
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806578/147?viewMode= 明治31年]</ref>
|-
|1899年(明治32年)<!--1899年度は1900年が100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく平年となるので365日間で集計-->
|204
|55
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806579/168?viewMode= 明治32年]</ref>
|-
|1900年(明治33年)
|183
|57
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806580/165?viewMode= 明治33年]</ref>
|-
|1901年(明治34年)
|182
|49
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806581/188?viewMode= 明治34年]</ref>
|-
|1902年(明治35年)
|183
|44
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806582/186?viewMode= 明治35年]</ref>
|-
|1903年(明治36年)
|186
|46
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806583/183?viewMode= 明治36年]</ref>
|-
|1904年(明治37年)
|184
|41
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806584/213?viewMode= 明治37年]</ref>
|-
|1905年(明治38年)
|217
|48
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806585/196?viewMode= 明治38年]</ref>
|-
|1907年(明治40年)
|293
|57
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806587/191?viewMode= 明治40年]</ref>
|-
|1908年(明治41年)
|329
|57
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806589/103?viewMode= 明治41年]</ref>
|-
|1909年(明治42年)
|330
|56
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806591/106?viewMode= 明治42年]</ref>
|-
|1911年(明治44年)
|324
|64
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972667/131?viewMode= 明治44年]</ref>
|-
|1912年(大正元年)
|365
|62
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972670/134?viewMode= 大正元年]</ref>
|-
|1913年(大正{{0}}2年)
|334
|69
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972675/127?viewMode= 大正2年]</ref>
|-
|1914年(大正{{0}}3年)
|244
|64
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972677/386?viewMode= 大正3年]</ref>
|-
|1915年(大正{{0}}4年)
|221
|52
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972678/348?viewMode= 大正4年]</ref>
|-
|1916年(大正{{0}}5年)
|219
|67
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972679/383?viewMode= 大正5年]</ref>
|-
|1919年(大正{{0}}8年)
|447
|92
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972680/266?viewMode= 大正8年]</ref>
|-
|1920年(大正{{0}}9年)
|539
|285
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972681/302?viewMode= 大正10年]</ref>
|-
|1922年(大正11年)
|484
|595
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972682/303?viewMode= 大正11年]</ref>
|-
|1923年(大正12年)
|781
|587
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972683/294?viewMode= 大正12年]</ref>
|-
|1924年(大正13年)
|789
|377
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972684/292?viewMode= 大正13年]</ref>
|-
|1925年(大正14年)
|1,157
|220
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448121/326?viewMode= 大正14年]</ref>
|-
|1926年(昭和元年)
|1,208
|214
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448138/316?viewMode= 昭和元年]</ref>
|-
|1927年(昭和{{0}}2年)
|1,095
|168
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448164/314?viewMode= 昭和2年]</ref>
|-
|1928年(昭和{{0}}3年)
|1,186
|141
|<ref group="備考">1928年4月6日開業。</ref>77
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448188/346?viewMode= 昭和3年]</ref>
|-
|1929年(昭和{{0}}4年)
|1,310
|195
|202
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448218/334?viewMode= 昭和4年]</ref>
|-
|1930年(昭和{{0}}5年)
|1,310
|102
|427
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448245/340?viewMode= 昭和5年]</ref>
|-
|1931年(昭和{{0}}6年)
|1,438
|80
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448278/342?viewMode= 昭和6年]</ref>
|-
|1932年(昭和{{0}}7年)
|1,579
|57
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448259/315?viewMode= 昭和7年]</ref>
|-
|1933年(昭和{{0}}8年)
|1,916
|134
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446322/334?viewMode= 昭和8年]</ref>
|-
|1934年(昭和{{0}}9年)
|2,272
|164
|619
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446161/342?viewMode= 昭和9年]</ref>
|-
|1935年(昭和10年)
|2,482
|254
|718
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446276/340?viewMode= 昭和10年]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年) ===
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員
!rowspan=2|年度
!rowspan=2|国鉄 /<br/>JR東日本
!colspan=2|西武鉄道
!rowspan=2|出典
|-
!国分寺線
!多摩湖線
|-
|1953年(昭和28年)
|13,122
|
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1953/tn53qa0009.pdf 昭和28年]}} - 11ページ</ref>
|-
|1954年(昭和29年)
|16,664
|
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1954/tn54qa0009.pdf 昭和29年]}} - 9ページ</ref>
|-
|1955年(昭和30年)
|15,440
|
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1955/tn55qa0009.pdf 昭和30年]}} - 9ページ</ref>
|-
|1956年(昭和31年)
|19,220
|5,135
|6,646
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1956/tn56qa0009.pdf 昭和31年]}}</ref>
|-
|1957年(昭和32年)
|21,691
|5,862
|7,297
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1957/tn57qa0009.pdf 昭和32年]}}</ref>
|-
|1958年(昭和33年)
|25,039
|6,625
|7,954
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1958/tn58qa0009.pdf 昭和33年]}}</ref>
|-
|1959年(昭和34年)
|28,885
|7,139
|8,114
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1959/tn59qyti0510u.htm 昭和34年]</ref>
|-
|1960年(昭和35年)
|33,881
|7,944
|8,574
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1960/tn60qyti0510u.htm 昭和35年]</ref>
|-
|1961年(昭和36年)
|36,259
|8,863
|9,232
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1961/tn61qyti0510u.htm 昭和36年]</ref>
|-
|1962年(昭和37年)
|40,180
|10,305
|9,993
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1962/tn62qyti0510u.htm 昭和37年]</ref>
|-
|1963年(昭和38年)
|44,274
|12,557
|10,929
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1963/tn63qyti0510u.htm 昭和38年]</ref>
|-
|1964年(昭和39年)
|46,932
|14,609
|11,859
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1964/tn64qyti0510u.htm 昭和39年]</ref>
|-
|1965年(昭和40年)
|49,234
|16,595
|12,876
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1965/tn65qyti0510u.htm 昭和40年]</ref>
|-
|1966年(昭和41年)
|52,979
|17,727
|13,096
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1966/tn66qyti0510u.htm 昭和41年]</ref>
|-
|1967年(昭和42年)
|53,616
|19,285
|13,511
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1967/tn67qyti0510u.htm 昭和42年]</ref>
|-
|1968年(昭和43年)
|55,745
|19,348
|13,313
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1968/tn68qyti0510u.htm 昭和43年]</ref>
|-
|1969年(昭和44年)
|53,897
|19,337
|13,595
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1969/tn69qyti0510u.htm 昭和44年]</ref>
|-
|1970年(昭和45年)
|56,430
|20,534
|13,978
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1970/tn70qyti0510u.htm 昭和45年]</ref>
|-
|1971年(昭和46年)
|79,104
|21,937
|14,251
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1971/tn71qyti0510u.htm 昭和46年]</ref>
|-
|1972年(昭和47年)
|83,216
|23,044
|14,759
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1972/tn72qyti0510u.htm 昭和47年]</ref>
|-
|1973年(昭和48年)
|82,682
|22,948
|14,838
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1973/tn73qyti0510u.htm 昭和48年]</ref>
|-
|1974年(昭和49年)
|83,252
|23,625
|15,395
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1974/tn74qyti0510u.htm 昭和49年]</ref>
|-
|1975年(昭和50年)
|79,066
|23,795
|14,956
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1975/tn75qyti0510u.htm 昭和50年]</ref>
|-
|1976年(昭和51年)
|79,485
|23,548
|16,351
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1976/tn76qyti0510u.htm 昭和51年]</ref>
|-
|1977年(昭和52年)
|78,222
|23,918
|16,036
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1977/tn77qyti0510u.htm 昭和52年]</ref>
|-
|1978年(昭和53年)
|78,233
|24,975
|15,953
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref>
|-
|1979年(昭和54年)
|76,699
|25,377
|14,913
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|74,745
|25,463
|14,688
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|73,438
|25,068
|14,027
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|74,444
|25,466
|14,027
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|75,301
|25,997
|14,413
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|81,668
|26,350
|14,436
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|77,367
|26,214
|14,671
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|78,748
|26,751
|15,121
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|72,918
|27,268
|15,208
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|73,403
|28,792
|16,033
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|83,707
|31,726
|17,405
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qa0091.pdf 平成元年]</ref>
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|88,701
|33,622
|18,400
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qa0091.pdf 平成2年]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|93,967
|36,675
|19,516
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qa0091.pdf 平成3年]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|96,153
|36,542
|19,562
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|98,400
|37,090
|19,951
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|103,649
|40,195
|21,762
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|103,850
|40,724
|21,011
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|104,449
|41,066
|20,471
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|103,066
|41,077
|20,088
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|101,948
|40,164
|19,529
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>101,084
|39,087
|19,120
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>100,815
|38,441
|19,068
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref>
|-
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) ===
<!--東京都統計年鑑、国分寺市統計書を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="乗降データ" name="musashino">[http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/smp/shisei/toukei/index.html 統計] - 国分寺市</ref>
!rowspan=2|年度
!rowspan=2|JR東日本
!colspan=2|西武鉄道
!rowspan=2|出典
|-
!国分寺線
!多摩湖線
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>102,316
|38,241
|18,811
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>102,262
|37,729
|18,493
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>103,226
|37,932
|18,713
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>103,240
|37,726
|18,647
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>103,862
|37,627
|18,904
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>104,866
|37,718
|18,964
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>107,910
|38,251
|19,413
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>107,847
|38,351
|19,556
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>106,315
|38,049
|19,323
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>105,883
|38,222
|18,668
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 平成22年]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>104,731
|37,544
|18,219
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 平成23年]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>106,523
|38,173
|18,745
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>108,819
|38,849
|19,447
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>108,022
|38,249
|19,578
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>111,325
|38,756
|20,260
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>111,679
|38,805
|20,304
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>112,800
|38,770
|20,564
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>113,368
|38,989
|20,855
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>112,090
|38,063
|20,705
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>78,422
|
|
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>86,199
|
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR" name="JR2022">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>94,734
|
|
|
|}
;備考
{{Reflist|group="備考"}}
== 駅周辺 ==
=== 北口 ===
再開発が行われ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisei/torikumi/kitaguchi/index.html|title=国分寺駅北口再開発|date=|publisher=国分寺市|accessdate=2018-10-24}}</ref>、2018年4月に2棟の高層マンション併設の[[駅ビル]]・シティタワー国分寺 ザ・ツイン ウエスト/イーストが連結。低層階に[[三越伊勢丹]]プロパティデザインによる新業態の商業施設「ミーツ国分寺」が開業した<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=http://pdf.irpocket.com/C3099/hHid/vJP7/P4Xd.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181024073715/http://pdf.irpocket.com/C3099/hHid/vJP7/P4Xd.pdf|format=PDF|language=日本語|title=国分寺の新たなランドマーク「ミーツ国分寺」に49店舗が出店 〜2018年4月7日(土) グランドオープン〜|publisher=三越伊勢丹ホールディングス|date=2018-02-15|accessdate=2020-07-28|archivedate=2018-10-24}}</ref>。
再開発前は、自由通路から少し下がった所に小さい駅前広場があり[[路線バス]]と[[タクシー]]乗り場があった。周辺は昔ながらの[[商店街]]だった。
{{columns-list|2|
* 国分寺市役所 国分寺駅北口事務所
** 国分寺市立本多図書館 駅前分館
* 国分寺市役所 市民課国分寺駅北口サービスコーナー
* 国分寺市 本多公民館
** 国分寺市立本多図書館
* 国分寺市 本多武道館
* 国分寺市 民俗資料室
* [[西友]]国分寺店
* [[日立製作所]]中央研究所
* [[東京学芸大学]]
* [[早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部|早稲田実業学校]]
* [[サレジオ小学校・中学校]]
* [[文化学園大学]]
* 国分寺本町[[郵便局]]
* [[三菱UFJ銀行]] 国分寺支店
* [[多摩信用金庫]] 国分寺支店
* [[野村證券]] 国分寺支店
|}}
<gallery>
Kokubunji-Sta-N-rotary-202104.jpg|改装された北口ロータリー(2021年4月)
国分寺駅北口.JPG|北口(改装前)(2008年8月)
Kokubunjieki1478796632662.jpg|北口(改装工事中)(2016年11月)
国分寺20180315.jpg|北口(改装工事中)(2018年3月)
</gallery>
=== 南口 ===
自由通路に面して駅ビル「[[JR東京西駅ビル開発|セレオ]]国分寺(旧・国分寺エル)」の入口がある。
駅前広場は狭く、こちらも自由通路から少し下がっている。タクシー乗り場はあるがバス乗り場は左へ少し行った所と広場向い側になっている。
駅のすぐ周辺や[[東京都道145号立川国分寺線|多喜窪通り]]沿いは商店が目立つ。[[殿ヶ谷戸庭園]]や団地が隣接し、その先が[[武蔵野台地#国分寺崖線|国分寺崖線]]([[多摩川]]のハケ([[河岸段丘]]崖))となって一段下がっていることもあり、駅から少し離れると住宅地である。
{{columns-list|2|
* [[武蔵国分寺跡]]([[史跡]])
* [[お鷹の道・真姿の池湧水群]]([[名水百選]])
* [[殿ヶ谷戸庭園]]
* 国分寺市 本町・南町地域センター
* 東京都労働相談情報センター国分寺事務所
** [[東京しごとセンター]]多摩
* [[セレオ国分寺]]
** 国分寺[[丸井|マルイ]]・[[ノジマ]]
* 国分寺南郵便局
* [[みずほ銀行]] 国分寺支店
* [[三井住友銀行]] 国分寺支店
* [[多摩信用金庫]] 国分寺南口支店
* [[JR東日本ホテルメッツ]]国分寺
* [[マルエツ]] 国分寺南口店
* [[東京経済大学]]
* [[東京農工大学]]
* [[学校法人明星学苑]]
* [[東京都道145号立川国分寺線]](多喜窪通り)
* [[リオン]]本社
|}}
== バス路線 ==
=== 国分寺駅南口 ===
[[File:Kokubunji south ter.-2009.1.24.jpg|thumb|南口殿ヶ谷戸側のりば<br />(2009年1月)]]
駅前広場向かい側ののりば(南口3番)から西方面の路線・[[コミュニティバス]]「[[ぶんバス]]」と、駅南口を出て左(東側)へ約100 m、殿ヶ谷戸庭園向かいののりば(南口1・2番)から東・南方面の路線が発着する。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|rowspan="2" style="text-align:center;"|[[京王電鉄バス#京王バス|京王バス]]
|{{Unbulleted list|[[京王バス府中営業所#多喜窪線|'''寺85''']]:小平団地|[[京王バス府中営業所#府中新町線|'''寺92''']]:[[府中駅 (東京都)|府中駅]]}}
|
|-
!rowspan="2"|2
|{{Unbulleted list|[[京王バス府中営業所#国分寺線|'''寺91''']]:府中駅|'''急行''':明星学苑}}
|明星学苑行き急行便は平日朝のみ運行<ref group="注">なお、急行バスは[[学校法人明星学苑|明星学苑]]の生徒しか乗れないことになっているが大幅にバスが遅延した際などは、[[学校法人明星学苑|明星学苑]]の近くにある[[東京都立府中高等学校|都立府中高校]]の生徒や[[東京農工大学|東京農工大]]の生徒も特別に乗車できるように便宜が図られることもある。</ref>
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京王バス|[[東京空港交通]]}}
|[[京王バス府中営業所#空港連絡バス|'''空港リムジンバス''']]:[[東京国際空港|羽田空港]]
|
|-
!rowspan="2"|3
|style="text-align:center;"|京王バス
|'''寺83''':[[京王バス府中営業所|府中営業所]] / [[東京都立多摩総合医療センター|総合医療センター]]
|
|-
|style="text-align:center;"|ぶんバス
|[[ぶんバス#東元町ルート|'''東元町ルート''']]:国分寺駅南口
|
|}
その他、降車専用として、深夜急行バス [[新宿駅のバス乗り場|新宿駅]]発国立駅行のバスも停車する。
=== 国分寺駅北口 ===
2020年12月23日に北口交通広場が開放され、以前から乗り入れを行っていた[[立川バス]]・ぶんバスに加え、京王バス・[[銀河鉄道 (バス会社)|銀河鉄道]]・[[西武バス]](一部路線)が乗り入れを開始した。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!1
|style="text-align:center;"|京王バス
|{{Unbulleted list|'''寺85''':総合医療センター|'''寺85'''・'''寺86''':小平団地}}
|「寺86」は北口始発
|-
!rowspan="2"|2
|style="text-align:center;"|ぶんバス
|[[ぶんバス#本多ルート|'''本多ルート''']]:国分寺駅北口
|
|-
|style="text-align:center;"|銀河鉄道
|[[銀河鉄道 (バス会社)#小平国分寺線|'''11''']]:[[小平駅]]南口
|
|-
!3
|style="text-align:center;"|立川バス
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国分寺駅 - 小平団地 - 花小金井駅 - 大沼団地線|'''寺51''']]:[[公立昭和病院|昭和病院]]・昭和病院前|'''寺52''':回田本通入口|'''寺53''':回田循環(朝回り)|'''寺54''':回田循環(夕回り)|'''寺55''':[[花小金井駅]]南口|'''寺56'''・'''寺57''':大沼団地}}
|
|-
!4
|style="text-align:center;"|西武バス
|{{Unbulleted list|[[西武バス小平営業所#国分寺駅北口 - 津田塾大学 - 武蔵野美大方面|'''寺71''']]:[[武蔵野美術大学]]|'''寺72''':[[西武バス小平営業所|小平営業所]]}}
|
|-
!5
|style="text-align:center;"|京王バス
|[[京王電鉄バス小金井営業所#下之原線|'''武42''']]:武蔵小金井駅北口<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keio-bus.com/news.php?id=3535 |title=【武42】国分寺駅北口~学芸大正門~武蔵小金井駅北口系統 国分寺駅北口乗り入れ開始のお知らせ |publisher=京王バス |date=2021-01-05 |accessdate=2021-01-17}}</ref>
|
|}
=== 国分寺駅北入口 ===
[[File:Kokubunji station-2009.1.14 1.jpg|thumb|北入口バスのりば<br />(2009年1月)]]
西武バス小平営業所が運行する路線が発着する。西武多摩湖線ホーム脇に設けられた折り返し場から発車する。折り返し場を出ると同線に沿った[[バス専用道路]](同線複線化用地を転用)を走行する。かつては「国分寺車庫」停留所と称した。
2020年12月22日までは、寺71と小平営業所行もこちらからの発車であった。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
* [[西武バス小平営業所#国分寺駅北入口 - 一橋学園駅 - 小平駅方面|'''寺61'''・'''寺62''']]:小平駅南口
* '''寺63''':[[ルネサスエレクトロニクス|ルネサス武蔵]]
* '''寺64''':[[新小平駅]]循環
=== 国分寺駅西 ===
本町・南町地域センターの前にて、ぶんばすの以下の路線が発着する。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
* [[ぶんバス#万葉・けやきルート|'''万葉・けやきルート''']]:東恋ヶ窪三丁目 / 史跡[[武蔵国分寺跡]]
== 隣の駅 ==
<!--テンプレートは不評なようです。もしご意見があれば [[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅/各路線の駅一覧のテンプレート・隣りの駅]]で議論されています。-->
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
:* 特急「[[成田エクスプレス]]」停車駅
:: {{Color|#ff0066|■}}通勤特快(平日上りのみ)
::: [[新宿駅]] (JC 05) ← '''国分寺駅 (JC 16)''' ← [[立川駅]] (JC 19)
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速「[[ホリデー快速おくたま]]」<!-- おくたまは定期列車扱い -->・{{Color|#0033ff|■}}中央特快・{{Color|#339966|■}}青梅特快・{{Color|#990099|■}}通勤快速(平日下りのみ)
::: [[三鷹駅]] (JC 12) - '''国分寺駅 (JC 16)''' - 立川駅 (JC 19)
:: {{Color|#f15a22|■}}快速(三鷹・武蔵小金井発着の「各駅停車」を含む)
::: [[武蔵小金井駅]] (JC 15) - '''国分寺駅 (JC 16)''' - [[西国分寺駅]] (JC 17)
; 西武鉄道
: [[File:SeibuKokubunji.svg|18px|SK]] 国分寺線
:: {{Color|#999|■}}各駅停車
:::'''国分寺駅 (SK01)''' - ([[羽根沢信号場]]) - [[恋ヶ窪駅]] (SK02)
: [[File:SeibuTamako.svg|18px|ST]] 多摩湖線
:: {{Color|#999|■}}各駅停車
::: '''国分寺駅 (ST01)''' - ([[本町信号場]]) - [[一橋学園駅]] (ST02)
:::※次駅は1954年10月まで[[東国分寺駅]]、1966年7月まで[[一橋大学駅]]
=== かつて存在した路線 ===
; 日本国有鉄道
: 中央本線支線(下河原線)
:: '''国分寺駅''' - [[北府中駅]]
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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==== 報道発表資料 ====
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==== 新聞記事 ====
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==== 利用状況に関する資料 ====
;JR東日本の1999年度以降の乗車人員
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;西武鉄道の1日平均利用客数
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;JR・私鉄の統計データ
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;東京府統計書
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;東京都統計年鑑
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== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=5
|title=中央本線 |date=2009-08-09 |ref=sone05 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Kokubunji Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[武蔵国分寺跡]]
* [[小柳九一郎]] - 国分寺村長。開業時に敷地の一部を寄付。
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=682|name=国分寺}}
* {{外部リンク/西武鉄道駅|filename=kokubunji}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E9%A7%85 |
7,939 | 西国分寺駅 | 西国分寺駅(にしこくぶんじえき)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号は中央線がJC 17、武蔵野線がJM 33。略称は「西国」(にしこく)。
中央本線と武蔵野線の2路線が乗り入れ、中央本線を当駅の所属線としている。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
東京 - 高尾間の中央線の駅では最も新しい駅である。元々中央線には西国分寺駅は設置されていなかったが、武蔵野線開通に伴い乗り換えの便を図るために設置された。
「西国分寺」という駅名は、国分寺駅の西側に設けられた事に由来している。駅自体は国分寺市の中央部に位置する。
中央線部分は相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。ホームは掘割部分にあり、その上部に橋上駅舎を有する。駅本屋の建設は鹿島建設が担当した。中央線の複々線化を考慮し、掘割は十分な幅を持って、ホームの改修により島式ホーム2面4線として機能するようになっている。当初は開業時から2面4線の予定であったが、取得予定地で立退き拒否があり、2面2線での開駅を強いられた。2013年現在は複々線用地に店舗が設置されている(後述)。また、駅ホームの手前、国立寄りの中央線上り線路側の掘割斜面には「JR東日本」の文字が示された植え込みがある。
武蔵野線部分は中央線と直交し、相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。他に上り線と下り線の間に待避線を持つ。ホームは駅舎よりもやや高い位置にあり、駅舎から4番線へは上り階段で直接、3番線へは線路の下をくぐる連絡通路、あるいは中央線のホームを経由して接続する。当駅の駅カラーは赤。
武蔵野線当駅西船橋方小平トンネル内で、国立支線の線路が分岐するが、国立支線は当駅北西方向の地下を通過しており、主に貨物列車(一部旅客列車)が通過する。国立支線は第二種鉄道事業者である日本貨物鉄道(JR貨物)が新小平駅 ー 国立駅間に営業キロ(5.0 km)を設定している(後述参照)。
駅舎は中央線掘割の上、武蔵野線の西側にあり、掘割北側と南側を結ぶ自由通路を有する。改札は1か所であり、4基の自動改札機が設置されている。北口側に指定席券売機が設置されている。
2011年6月14日に、JR東日本はエスカレーターやエレベーターといったバリアフリー設備の整備、改札口付近のリニューアル、駅構内店舗のリニューアル・新設などの駅改良工事を行うことを発表した。これらは2012年9月13日より供用開始されている。
立川営業統括センターが管理しJR中央線コミュニティデザインが駅業務を受託する業務委託駅。2021年11月30日までは直営駅(駅長配置)であり、管理駅として武蔵野線の新小平駅を管理下に置いていた。
(出典:JR東日本:駅構内図)
国分寺市からの要望により、2017年3月4日に発車メロディを同市ゆかりの楽曲に変更している。中央線ホームには市内で半生を過ごした作曲家の信時潔の作品である「一番星見つけた」、武蔵野線ホームには同市の市歌である「国分寺市の歌」をアレンジしたものが採用されている。1番線と3番線のメロディはスイッチの制作で、編曲は福嶋尚哉が手掛けた。2番線と4番線では市が制作した音源を使用している。
中央線ホームでは五感工房、武蔵野線ホームでは東洋メディアリンクス制作のメロディを使用していた。
2011年10月11日にウェスタン調の駅ビルが完成し(運営会社はJR中央線コミュニティデザイン)、下記の4店舗が先行オープンした。
そして、2012年9月13日に「nonowa西国分寺」としてグランドオープンし、下記の16店舗が新たに入居した。
2018年9月13日にはコンコース階、2階のエキナカフードゾーンを「nonowa Table」としてリニューアルした。
2019年2月26日にミスタードーナツが閉店、跡地に同年6月7日、「ジャック・イン・ザ・ドーナツ」がオープンした。
2022年4月4日、日本初の駅ホーム上に開設された診療所として「あおいクリニック -駅ホーム西国分寺-」が中央線上りホーム上に開院した。
なお、駅ビルが建設される以前は、コンコース改札内に小竹林(立ち食いそば・うどん店)の他非常設で各地の物産品コーナー、2番線ホームに証明写真コーナー、4番線ホームにジューサーバー→ハニーズバー、改札外コンコースにビューアルッテ、山梨中央銀行ATM、コインロッカーが設置されていたが、駅ビル新設により閉店、撤去された。
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は25,420人である。既成の市街地に駅を設置したのではなく、武蔵野線と中央線の乗り換えの便を図るために駅が開設されたという沿革から、改札を通る乗車人数は中央線快速の24駅(東京 - 高尾間)の中では日野駅、高尾駅に次いで3番目に少ない。中央線と武蔵野線との乗換客は多いが、中央線は快速と各駅停車のみの停車である。なお、武蔵野線内では26駅中東浦和駅に次いで第12位であった。
近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通り。
武蔵野線貨物支線(国立支線・新小平 - 国立間)はJR東日本の所属であるが、独立した線区として扱っていない。したがって、旅客列車は当駅経由の扱いとなり、旅客運賃は当駅経由の営業キロで計算する。JR時刻表では「むさしの号」の一部に当駅通過のマークが入っているが、実際には八王子駅発着の列車が当駅北西方向の地下を通過するこの貨物支線を経由するため、当該列車を当駅で見ることはできない。一方、JR貨物では独自の線区(新小平 - 国立間5.0キロ)としており、その営業キロ数で貨物運賃は計算される。
橋上駅舎からほぼ平面で南北出口につながっている。両側ともにロータリーを有するが、北口側はごく小さく、タクシー乗り場や多少の商店があるのみである。南側はバス・タクシー乗り場を有する南口前ロータリーを中心として商店やマンションが並ぶ。ただし、1970年代に開設されたことから、昔ながらの商店街はなく、中央線の他の駅と比較して規模は小さい。
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"text": "橋上駅舎からほぼ平面で南北出口につながっている。両側ともにロータリーを有するが、北口側はごく小さく、タクシー乗り場や多少の商店があるのみである。南側はバス・タクシー乗り場を有する南口前ロータリーを中心として商店やマンションが並ぶ。ただし、1970年代に開設されたことから、昔ながらの商店街はなく、中央線の他の駅と比較して規模は小さい。",
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"text": "府中街道を挟んだ駅南東部(中央鉄道学園跡地)は大規模に再開発がなされ、高層住宅が立ち並ぶ。その他は府中街道、多喜窪通り沿いに多少の商店がある。",
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] | 西国分寺駅(にしこくぶんじえき)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号は中央線がJC 17、武蔵野線がJM 33。略称は「西国」(にしこく)。 中央本線と武蔵野線の2路線が乗り入れ、中央本線を当駅の所属線としている。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。 | {{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = 西国分寺駅
|画像 = JR Chuo-Main-Line・Musashino-Line Nishi-Kokubunji Station South Exit.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 南口(2019年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|41|59.2|N|139|27|56.6|E}}}}
|よみがな = にしこくぶんじ
|ローマ字 = Nishi-Kokubunji
|電報略号 = ニフ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所在地幅 =
|所在地 = [[東京都]][[国分寺市]][[西恋ヶ窪]]二丁目1-18
|座標 = {{coord|35|41|59.2|N|139|27|56.6|E|region:JP-13_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]
|駅構造 = {{Plainlist|
* 中央本線:[[地上駅]]
* 武蔵野線:[[高架駅]]
*([[橋上駅]])}}
|ホーム = 各2面2線(計4面4線)
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 25,420
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 2
|所属路線1 = {{color|#f15a22|■}}[[中央本線]]([[中央線快速|中央線]])
|前の駅1 = JC 16 [[国分寺駅|国分寺]]
|駅間A1 = 1.4
|駅間B1 = 1.7
|次の駅1 = [[国立駅|国立]] JC 18
|駅番号1 = {{駅番号r|JC|17|#f15a22|1}}
|キロ程1 = 22.5 km([[新宿駅|新宿]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から32.8
|所属路線2 = {{color|#f15a22|■}}[[武蔵野線]]
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|駅間A2 = 2.2
|駅間B2 = 3.5
|次の駅2 = [[新小平駅|新小平]] JM 32
|駅番号2 = {{駅番号r|JM|33|#f15a22|1}}
|キロ程2 = 32.7 km([[鶴見駅|鶴見]]起点)<br />[[府中本町駅|府中本町]]から3.9
|起点駅2 =
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]
}}
[[File:Nishi-Kokubunji Station 20120929.jpg|thumb|北口(2012年9月)]]
'''西国分寺駅'''(にしこくぶんじえき)は、[[東京都]][[国分寺市]][[西恋ヶ窪]]二丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は[[中央線快速|中央線]]が'''JC 17'''、[[武蔵野線]]が'''JM 33'''。略称は「'''西国'''」(にしこく)。
[[中央本線]]と武蔵野線の2路線が乗り入れ、中央本線を当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]としている<ref>『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年</ref>。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
== 概要 ==
東京 - 高尾間の中央線の駅では最も新しい駅である。元々中央線には西国分寺駅は設置されていなかったが、武蔵野線開通に伴い乗り換えの便を図るために設置された。
「西国分寺」という駅名は、[[国分寺駅]]の西側に設けられた事に由来している。駅自体は国分寺市の中央部に位置する。
== 歴史 ==
* [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]:武蔵野線開通と同時に[[日本国有鉄道]]の駅として開業<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、25頁</ref>。旅客営業のみ。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、27頁</ref>。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[7月28日]]:自動改札機を設置し、使用を開始する<ref name=JRR1993>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-27|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2012年]](平成24年)[[9月13日]]:商業施設「nonowa西国分寺」が開業<ref group="報道" name="press/20120726_info01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20120726/20120726_info01.pdf|title=2012年9月13日、西国分寺駅に「nonowa西国分寺」がオープン!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2012-07-26|accessdate=2020-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200520153610/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20120726/20120726_info01.pdf|archivedate=2020-05-21}}</ref>。
* [[2017年]](平成29年)[[3月4日]]:[[発車メロディ]]を変更<ref group="報道" name="melody">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160216/20160216_info1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181024113011/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160216/20160216_info1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=国分寺駅・西国分寺駅の列車発車メロディが変わります|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2017-02-16|accessdate=2020-04-21|archivedate=2018-10-24}}</ref><ref name="kokubunjimelody" />。
* [[2021年]]([[令和]]3年)
** [[2月25日]]:2番線ホームに駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」のコワーキング型「STATION DESK」が開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.stationwork.jp/user/notices-before|title=お知らせ一覧 > 2/25(木)西国分寺駅にSTATION DESKが開業します!|publisher=STATION WORK|date=2021-02-24|accessdate=2021-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210225173238/https://www.stationwork.jp/user/notices-before|archivedate=2021-02-25}}</ref><ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210218_ho03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210218051108/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210218_ho03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=日本初!! ホーム上シェアオフィス3カ所OPEN ~WEB会議対応の完全個室の快適環境、衛生対策にも配慮~|publisher=東日本旅客鉄道|date=2021-02-18|accessdate=2021-02-18|archivedate=2021-02-18}}</ref><ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210208_ho04.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210208053136/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20210208_ho04.pdf|format=PDF|language=日本語|title=STATION WORKは2020年度100カ所ネットワークへ ~東日本エリア全域へ一挙拡大。ホテルワーク・ジムワークなどの新たなワークスタイルを提案します~|publisher=東日本旅客鉄道|date=2021-02-08|accessdate=2021-02-08|archivedate=2021-02-08}}</ref>。
** [[10月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref name="StationCd_1156">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1156|title=駅の情報(西国分寺駅):JR東日本|language=日本語|accessdate=2021-10-02|publisher=東日本旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211002100352/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1156|archivedate=2021-10-02}}</ref><ref name="close">{{Cite web|和書|url=https://71525617-6c4e-40ec-b26e-277e7e5a94ef.filesusr.com/ugd/7466df_8d1dab99cb8c4408a16c02c91b3dbcbe.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210428231040/https://71525617-6c4e-40ec-b26e-277e7e5a94ef.filesusr.com/ugd/7466df_8d1dab99cb8c4408a16c02c91b3dbcbe.pdf|title=2021年度 営業関係施策提案を受ける!|date=2021-04-28|archivedate=2021-04-28|accessdate=2021-04-28|publisher=JTSU-E 八王子地本|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
** [[12月1日]]:業務委託化<ref name="outsourcing">{{Cite web|和書|url=http://jreu-h.jp/relays/download/35/120/979/1196/?file=/files/libs/1196/20210605185011923.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210719005354/http://jreu-h.jp/relays/download/35/120/979/1196/?file=%2Ffiles%2Flibs%2F1196%2F20210605185011923.pdf|title=2021 年度 営業施策提案(その2)を受けています!|date=2021-06-04|archivedate=2021-07-19|accessdate=2021-07-19|publisher=JR東労組八王子|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)[[4月4日]]:中央線上りホーム上に「あおいクリニック - 駅ホーム西国分寺 -」が開院。駅ホームへの[[診療所]]開設は日本国内初<ref group="報道" name="press/20220208_ho01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/20220208_ho01.pdf|title=日本初!駅ホーム上に「スマート健康ステーション」OPEN ~リアルとオンラインのハイブリッドクリニック~|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2022-02-08|accessdate=2022-06-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220208094106/https://www.jreast.co.jp/press/2021/20220208_ho01.pdf|archivedate=2022-02-08}}</ref><ref group="新聞" name="asahi/20220404">{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ444FPRQ41UTIL010.html|title=駅ホームで診察から検査まで…JR中央線「全国初」の診療所オープン|newspaper=朝日新聞|date=2022-04-04|accessdate=2022-06-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220605045045/https://www.asahi.com/articles/ASQ444FPRQ41UTIL010.html|archivedate=2022-06-05}}</ref>。
== 駅構造 ==
中央線部分は[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]である<ref name="jtb30-32">[[#jtb|武蔵野線まるごと探見]]、pp.30-32。</ref>。ホームは[[切土#掘割|掘割]]部分にあり、その上部に[[橋上駅|橋上駅舎]]を有する。駅本屋の建設は[[鹿島建設]]が担当した<ref>『鉄道建築ニュース 1973年4月』、鉄道建築協会、1973年4月。</ref>。中央線の[[複々線]]化を考慮し、掘割は十分な幅を持って、ホームの改修により[[島式ホーム]]2面4線として機能するようになっている<ref name="jtb30-32"/>。当初は開業時から2面4線の予定であったが、取得予定地で立退き拒否があり、2面2線での開駅を強いられた。2013年現在は複々線用地に店舗が設置されている([[#構内施設|後述]])。また、駅ホームの手前、国立寄りの中央線上り線路側の掘割斜面には「JR東日本」の文字が示された植え込みがある。
武蔵野線部分は中央線と直交し、相対式ホーム2面2線を有する[[高架駅]]である<ref name="jtb30-32"/>。他に上り線と下り線の間に[[待避駅|待避線]]を持つ<ref name="jtb30-32"/>。ホームは駅舎よりもやや高い位置にあり、駅舎から4番線へは上り階段で直接、3番線へは線路の下をくぐる連絡通路、あるいは中央線のホームを経由して接続する。当駅の駅カラーは赤。
武蔵野線当駅西船橋方小平トンネル内で、国立支線の線路が分岐するが<ref group="注釈">武蔵野線の当駅場内は、国立支線分岐手前の(上り線)場内信号から、府中本町方の当駅中線接続点奥の(下り線)場内信号まで。</ref>、国立支線は当駅北西方向の地下を通過しており、主に貨物列車(一部旅客列車)が通過する<ref name="RF566 35">{{Cite journal|和書|author=祖田圭介 |date=2008-6-1 |title=特集:短絡線ミステリー9 東京都心の鉄道複雑エリア Ⅱ列車の走行ルート 3武蔵野線を走る行楽列車のルート 西国分寺駅 |journal=鉄道ファン2008年6月号 |volume=48|issue=第6号(通巻566号)|page=35 |publisher=交友社}}</ref>。国立支線は[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業]]者である[[日本貨物鉄道]](JR貨物)が[[新小平駅]] ー [[国立駅]]間に営業キロ(5.0 km)を設定している<ref name="鉄道要覧 日本貨物鉄道" >{{Cite book |和書 |author=監修者 国土交通省鉄道局 |title=鉄道要覧 |chapter=日本貨物鉄道株式会社 |publisher=電気車研究会・鉄道図書刊行会 |volume=各年度 |page=武蔵野線掲載頁}}</ref><ref group="注釈">[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業]]であるJR東日本は国立支線に営業キロを設定しておらず、当該支線を旅客列車で通過する場合は当駅経由で運賃計算される。</ref>([[#武蔵野線貨物支線の運賃計算|後述]]参照)。
駅舎は中央線掘割の上、武蔵野線の西側にあり、掘割北側と南側を結ぶ自由通路を有する。[[改札]]は1か所であり、4基の[[自動改札機]]が設置されている。北口側に[[指定席券売機]]が設置されている。
2011年6月14日に、JR東日本は[[エスカレーター]]や[[エレベーター]]といった[[バリアフリー]]設備の整備、改札口付近のリニューアル、駅構内店舗のリニューアル・新設などの駅改良工事を行うことを発表した<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20110614/20110614_info04.pdf|title=西国分寺駅が生まれ変わります!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2011-06-14|accessdate=2020-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200520153559/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20110614/20110614_info04.pdf|archivedate=2020-05-21}}</ref>。これらは2012年9月13日より供用開始されている<ref group="報道" name="press/20120726_info01" />。
[[立川駅|立川営業統括センター]]が管理し[[JR中央線コミュニティデザイン]]が駅業務を受託する[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]。2021年11月30日までは[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[駅長]]配置)であり、[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]として武蔵野線の[[新小平駅]]を管理下に置いていた。
=== のりば ===
<!--方面表記は、JR東日本の「駅構内図」の記載に準拠-->
{|class="wikitable"
|+JR西国分寺駅プラットホーム
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-style="border-top:solid 3px #999"
|colspan="4" style="background-color:#eee"|'''地上ホーム'''
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
|style="text-align:center"|上り
|[[三鷹駅|三鷹]]・[[新宿駅|新宿]]・[[東京駅|東京]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|下り
|[[立川駅|立川]]・[[八王子駅|八王子]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]方面
|-style="border-top:solid 3px #999"
|colspan="4" style="background-color:#eee;"|'''高架ホーム'''
|-
!3
|rowspan="2"|[[File:JR JM line symbol.svg|15px|JM]] 武蔵野線
|style="text-align:center"|上り
|[[府中本町駅|府中本町]]方面
|-
!4
|style="text-align:center"|下り
|[[南浦和駅|南浦和]]・[[新松戸駅|新松戸]]・[[西船橋駅|西船橋]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1156.html JR東日本:駅構内図])
* 中央線新宿方面は、武蔵小金井行き最終電車及び深夜の三鷹行き2本以外はすべて快速電車である。
* JR中央線は、[[2020年代]]前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに2階建てグリーン車を2両連結させ、12両編成での運転を行う。そのため快速電車が停車する1・2番線は、ホームの12両編成対応改築および、信号設備の改良工事などが実施される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190924030537/https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2015-02-04|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-09-24}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324011255/https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|title=JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期|newspaper=産経新聞|date=2017-03-24|accessdate=2020-11-29|archivedate=2017-03-24}}</ref>。
* 2022年10月以降、武蔵野線で臨時特急「[[鎌倉 (列車)|鎌倉]]」の運転が開始され、該当列車の運転日には当駅も停車する。
<gallery>
Nishikokubunji-entrance.JPG|改札口(2018年3月)
N-koku concourse.JPG|コンコース(2017年5月)
JR Chuo-Main-Line・Musashino-Line Nishi-Kokubunji Station Platform 1・2.jpg|1・2番線(中央線)ホーム(2019年9月)
Nishi-Kokubunji-Western-Village.jpg|中央線上りホームから下りホームのウェスタン・ヴィレッジを眺める(2012年2月)
JR Chuo-Main-Line・Musashino-Line Nishi-Kokubunji Station Platform 3・4.jpg|3・4番線(武蔵野線)ホーム(2019年9月)
</gallery>
=== 発車メロディ ===
国分寺市からの要望により、2017年3月4日に発車メロディを同市ゆかりの楽曲に変更している。中央線ホームには市内で半生を過ごした作曲家の[[信時潔]]の作品である「一番星見つけた」、武蔵野線ホームには同市の市歌である「国分寺市の歌」をアレンジしたものが採用されている<ref group="報道" name="melody" /><ref name="kokubunjimelody">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/machi/midokoro/1015296.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210214031958/https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/machi/midokoro/1015296.html|title=JR国分寺駅・西国分寺駅の発車メロディは市にゆかりのある曲です|date=2021-01-23|archivedate=2021-02-14|accessdate=2021-02-14|publisher=国分寺市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。1番線と3番線のメロディは[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]の制作で、編曲は[[福嶋尚哉]]が手掛けた<ref>{{Cite web|和書|title=国分寺・西国分寺駅発車メロディー制作 |url=http://www.switching.co.jp/news/279 |website=スイッチオフィシャルサイト |accessdate=2020-03-10 |language=ja |publisher=スイッチ |date=2017-03-12}}</ref>。2番線と4番線では市が制作した音源を使用している。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
| rowspan="2" |[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|一番星見つけた verA
|-
!2
|一番星見つけた
|-
!3
| rowspan="2" |[[File:JR JM line symbol.svg|15px|JM]]
|国分寺市の歌(サビ)
|-
!4
|国分寺市の歌(歌い出し)
|}
==== かつての発車メロディ ====
中央線ホームでは[[五感工房]]、武蔵野線ホームでは[[東洋メディアリンクス]]制作のメロディを使用していた。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
| rowspan="2" |[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]]
|JR-SH2-3
|-
!2
|JR-SH1-1
|-
!3
| rowspan="2" |[[File:JR JM line symbol.svg|15px|JM]]
|Gota del Vient
|-
!4
|(曲名なし)
|}
=== 構内施設 ===
[[2011年]][[10月11日]]に[[西部劇|ウェスタン]]調の駅ビルが完成し(運営会社は[[JR中央線コミュニティデザイン]])、下記の4店舗が先行オープンした<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20110915/20110915_info02.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160427090326/http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20110915/20110915_info02.pdf|format=PDF|language=日本語|title=西国分寺駅中央線下りホームに新たに4ショップがオープン!|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2011-09-15|accessdate=2020-04-21|archivedate=2016-04-27}}</ref>。
* [[KIOSK]]西国分寺
* プラットホームカフェ 西国分寺店
* [[ジェイアール東日本スポーツ|リラクゼメイト]] 西国分寺駅ビル店
* [[キュービーネット|QBハウス]] 西国分寺駅店
<gallery>
Nishi-Kokubunji-Kiosk.jpg|KIOSK西国分寺(2012年2月)
Nishi-Kokubunji-Platform-Cafe.jpg|プラットホームカフェ 西国分寺店(2012年2月)
Nishi-Kokubunji-RelaXEmate.jpg|リラクゼメイト 西国分寺駅ビル店(2012年2月)
Nishi-Kokubunji-QBHouse.jpg|QBハウス 西国分寺駅店(2012年2月)
</gallery>
そして、[[2012年]][[9月13日]]に「[[nonowa]]西国分寺」としてグランドオープンし、下記の16店舗が新たに入居した<ref group="報道" name="press/20120726_info01" /><ref group="新聞">{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120726/prl12072617580097-n1.htm|title=2012年9月13日、西国分寺駅に「nonowa西国分寺」がオープン!|newspaper=産経新聞|date=2012-07-26|accessdate=2012-09-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120727153537/http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120726/prl12072617580097-n1.htm|archivedate=2012-07-27}}</ref>。
{{columns-list|2|
* 中央線ホーム
** [[ミスタードーナツ]]
** [[はなまるうどん]]
** [[NewDays]]
* コンコース階
** ビアードパパ
** NewDays
** 中央線SWEETS
*** 豆乳ケーキ はらロールnishikokubunji
*** 一真庵
*** ル スリール ダンジュ
** ベーカリー ドンク&ミニワン
** にしこくマルシェ しゅんかしゅんか
** 青山フラワーマーケット
* 2階フロア
** [[タリーズコーヒー|TULLY'S COFFEE]]
** [[オリオン書房|BOOKS ORION]]
** シャンドエルブ
** FLO
** WAGON SHOP
|}}
[[2018年]][[9月13日]]にはコンコース階、2階のエキナカフードゾーンを「'''nonowa Table'''」としてリニューアルした<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=http://www.nonowa.co.jp/company/release/220a838b665d886184c8647b8b92db5f48583490.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190706052010/http://www.nonowa.co.jp/company/release/220a838b665d886184c8647b8b92db5f48583490.pdf|format=PDF|language=日本語|title=『リニューアル OPEN』 nonowa 西国分寺が生まれ変わります!! 8月25日(土)ATM コーナー 9月13日(木)新ショップ(5店舗)オープン|publisher=JR中央ラインモール|date=2018-08-24|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-07-06}}</ref>。
{{columns-list|2|
* コンコース階
** ビアードパパ(シュークリーム、改札外)
** にしこくマルシェ しゅんかしゅんか(青果直売所、改札外)
** NewDays
** [[みずほ銀行]][[現金自動預け払い機|ATM]]
** ミニワン(クロワッサン)
** [[日本レストランエンタプライズ|いろり庵 きらく]]([[立ち食いそば・うどん店]])
** 寿司 魚がし日本一(立ち食い寿司)
* 2階フロア
** [[スターバックス|スターバックスコーヒー]]
** [[ウェンディーズ|ウェンディーズ・ファーストキッチン]](ファストフード店)
|}}
[[2019年]][[2月26日]]にミスタードーナツが閉店、跡地に同年[[6月7日]]、「[[ジャック・イン・ザ・ドーナツ]]」がオープンした<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.nonowa.co.jp/topics/store/67jack-in-the-donutsnew-open.html|title=【西国分寺】6/7(金)『JACK IN THE DONUTS』NEW OPEN!|publisher=nonowa|date=2019-06-06|accessdate=2020-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190706052010/http://www.nonowa.co.jp/topics/store/67jack-in-the-donutsnew-open.html|archivedate=2019-07-06}}</ref>。
[[2022年]][[4月4日]]、日本初の駅ホーム上に開設された[[診療所]]として「あおいクリニック -駅ホーム西国分寺-」<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrccd.co.jp/nonowa/shop/nishikokubunji/23245/|title=あおいクリニック - 駅ホーム西国分寺 -|accessdate=2022-06-20|publisher=nonowa西国分寺}}<br>{{Cite web|和書|url=https://nishikoku.aoiclinic.net/|title=あおいクリニック - 駅ホーム西国分寺 -|accessdate=2022-06-20|publisher=医療法人社団創青会}}</ref>が中央線上りホーム上に開院した<ref group="報道" name="press/20220208_ho01" /><ref group="新聞" name="asahi/20220404" />。
なお、駅ビルが建設される以前は、コンコース改札内に[[小竹林]]([[立ち食いそば・うどん店]])の他非常設で各地の物産品コーナー、2番線ホームに[[証明写真]]コーナー、4番線ホームにジューサーバー→ハニーズバー、改札外コンコースに[[ビューアルッテ]]、[[山梨中央銀行]][[現金自動預け払い機|ATM]]、[[ロッカー#コインロッカー|コインロッカー]]が設置されていたが、駅ビル新設により閉店、撤去された。
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''25,420人'''である。既成の市街地に駅を設置したのではなく、武蔵野線と中央線の乗り換えの便を図るために駅が開設されたという沿革から、改札を通る乗車人数は中央線快速の24駅(東京 - 高尾間)の中では[[日野駅 (東京都)|日野駅]]、[[高尾駅 (東京都)|高尾駅]]に次いで3番目に少ない。中央線と武蔵野線との乗換客は多いが、中央線は快速と各駅停車のみの停車である。なお、武蔵野線内では26駅中[[東浦和駅]]に次いで第12位であった。
近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref><ref group="統計">[http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/smp/shisei/toukei/index.html 国分寺市統計] - 国分寺市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|15,816
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|16,661
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|17,715
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|18,348
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|19,025
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|19,071
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|19,222
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|18,973
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|18,745
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|18,954
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>19,674
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>20,764
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>21,917
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>22,471
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>23,185
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>23,908
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>24,334
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>25,569
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>26,375
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>26,474
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>26,969
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>26,804
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>27,485
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>28,394
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>28,396
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>29,123
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>29,300
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>29,658
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>29,928
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>29,577
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>22,063
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>23,544
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>25,420
|
|}
== 武蔵野線貨物支線の運賃計算 ==
武蔵野線貨物支線(国立支線・新小平 - 国立間)はJR東日本の所属であるが、独立した線区として扱っていない。したがって、旅客列車は当駅経由の扱いとなり、旅客[[運賃]]は当駅経由の[[営業キロ]]で計算する。[[JR時刻表]]では「[[むさしの号]]」の一部に当駅通過のマークが入っている{{Refnest|group="注釈"|「[[マリンライナー]]」の[[予讃線]][[宇多津駅]]と同等の扱いである。}}が、実際には八王子駅発着の列車が当駅北西方向の地下を通過するこの貨物支線を経由するため、当該列車を当駅で見ることはできない<ref name="RF566 35" />。一方、JR貨物では独自の線区(新小平 - 国立間5.0キロ<ref name="鉄道要覧 日本貨物鉄道" />)としており、その営業キロ数で貨物運賃は計算される。
== 駅周辺 ==
[[File:Nishi-Kokubunji station south rotary 20121127.jpg|thumb|南口ロータリー(2012年11月)]]
橋上駅舎からほぼ平面で南北出口につながっている。両側ともにロータリーを有するが、北口側はごく小さく、タクシー乗り場や多少の商店があるのみである<ref name="jtb30-32"/>。南側はバス・タクシー乗り場を有する南口前ロータリーを中心として商店や[[マンション]]が並ぶ<ref name="jtb30-32"/>。ただし、[[1970年代]]に開設されたことから、昔ながらの[[商店街]]はなく、中央線の他の駅と比較して規模は小さい。
府中街道を挟んだ駅南東部([[中央鉄道学園]]跡地)は大規模に[[都市再開発|再開発]]がなされ、高層住宅が立ち並ぶ<ref name="jtb30-32"/>。その他は府中街道、多喜窪通り沿いに多少の商店がある。
=== 北口 ===
* 国分寺姿見の池緑地保全地域(姿見の池) - 駅所在地の地名、恋ヶ窪の由来となった池で、[[鎌倉時代]]に[[畠山重忠]]を慕う[[遊女]]の夙妻太夫(あさづまたゆう)が身を投げた場所とされる。昭和40年代に埋め立てられたが、平成11年に池を再生し公園として整備される。
* [[山梨中央銀行]] 国分寺支店
* [[埼玉県道・東京都道17号所沢府中線|東京都道17号所沢府中線]](府中街道)
=== 南口 ===
{{columns-list|2|
* 西国分寺レガ - 東館、西館、南館の3館からなる駅前商業施設
** [[東武ストア]] にしこくマイン(西館B1F - 3F) - 当駅の通称から成立した店舗名である。
** [[きらぼし銀行]] 西国分寺支店(南館1F)
* [[史跡]] [[武蔵国分寺跡|武蔵国分寺跡・国分尼寺跡]]
* [[名水百選]] [[お鷹の道・真姿の池湧水群]]
* [[多摩信用金庫]]西国分寺支店
* 国分寺泉郵便局
* [[武蔵国分寺公園|東京都立武蔵国分寺公園]]
* [[東京都立図書館#東京都立多摩図書館|東京都立多摩図書館]]
* [[東京都公文書館]]
* いずみホール(市営文化施設)
* 多摩メディカル・キャンパス
** [[東京都立多摩総合医療センター]]
** [[東京都立小児総合医療センター]]
** [[東京都立神経病院]]
** 東京都がん検診センター
** 東京都立府中療育センター
** 東京都立府中看護専門学校
* 東京都立武蔵台学園(バス便多数・武蔵台2丁目下車)
* 根岸病院(同上)
* [[総務省]][[情報通信政策研究所]]・[[統計研究研修所]]
* [[トヨタ自動車|トヨタ]]府中スポーツセンター
* [[日本芸術高等学園]]
* 東京都道17号所沢府中線(府中街道)
* 東京都道17号所沢府中線バイパス(府中街道バイパス)
* [[東京都道145号立川国分寺線]](多喜窪通り)
|}}
== バス路線 ==
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
; 西国分寺駅(南口ロータリー)
* [[京王バス府中営業所#国立 (東芝) 線|西国01]]:[[東京都立多摩総合医療センター|総合医療センター]]行([[京王電鉄バス|京王バス]])
* [[京王電鉄バス桜ヶ丘営業所#西府線|西府01]]:[[西府駅]]行(京王バス)
* [[京王電鉄バス桜ヶ丘営業所#西府線|永81]]:[[永山駅 (東京都)|永山駅]]行(京王バス)
* [[京王バス府中営業所#七小西国分寺線|西国45]]:[[府中駅 (東京都)|府中駅]]行(京王バス)
* [[ぶんバス]][[ぶんバス#日吉町ルート|日吉町ルート]]:西国分寺駅行(京王バス)
; 西国分寺駅(東側交通広場)
* [[WILLER EXPRESS]]:[[名古屋|名古屋(則武一丁目)]]/[[梅田スカイビル|WILLERバスターミナル大阪梅田]]行(ニュープリンス高速バス)
; 西国分寺駅北、西国分寺駅南
* ぶんバス日吉町ルート:西国分寺駅行(京王バス)
* ぶんバス[[ぶんバス#北町ルート|北町ルート]]:西国分寺駅東行/北町パンダ公園環状行([[武州交通興業]])
; 西国分寺駅東
* ぶんバス[[ぶんバス#万葉・けやきルート|万葉・けやきルート]]:東恋ヶ窪三丁目行/史跡[[武蔵国分寺跡]]行(京王バス)
* ぶんバス日吉町ルート:西国分寺駅行(京王バス)
* ぶんバス北町ルート:西国分寺駅東行(武州交通興業)
* 羽田空港リムジンバス:[[東京国際空港]](羽田空港)行(京王バス)
* 成田空港リムジンバス:[[成田国際空港]](成田空港)行(京王バス)※運休中
== その他 ==
* 武蔵野線は[[1990年]][[3月10日]]から[[京葉線]]直通で東京駅への乗り入れを開始したため、当駅から中央線・武蔵野線双方に別ルートの東京行が存在する(どちらもオレンジ色の電車)。ただし、当駅 - 東京駅間の所要時間では中央線快速で約35 - 50分、武蔵野線は約100分と大きな開きがあるため、駅構内には中央線の利用を呼びかける注意が掲示されている。
* 当駅の[[自動券売機]]では地下鉄・私鉄線の[[連絡運輸#連絡乗車券|連絡乗車券]]を発売しているが、購入可能範囲は乗り換え接続駅から初乗り区間のみに限定されている。
*[[中央線快速#連続立体交差事業|中央線連続立体交差化事業]]による[[国立駅]]高架化工事で立川駅 - 当駅間が運休された時は、当駅 - 国分寺駅間で[[単線]]での折り返し運転が実施された。なお、国分寺駅から国立駅の東側より当駅寄り辺りまでの区間は[[盛土|築堤]]・掘割となっており、交差する道路とはすべて[[立体交差]]となっているため工事区間に入っておらず、当駅でも立体交差事業に伴った駅の改修工事などが行われる予定はない。
*京王バスで当駅から唯一新しい路線である、永81系統の[[永山駅 (東京都)|永山駅]]行の運行が2023年4月より始まった。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速「[[ホリデー快速おくたま]]」<!-- おくたまは定期列車扱い -->・{{Color|#ff0066|■}}通勤特快・{{Color|#0033ff|■}}中央特快・{{Color|#339966|■}}青梅特快・{{Color|#990099|■}}通勤快速
:::; 通過
:: {{Color|#f15a22|■}}快速(三鷹・武蔵小金井発着の「各駅停車」を含む)
::: [[国分寺駅]] (JC 16) - '''西国分寺駅 (JC 17)''' - [[国立駅]] (JC 18)
: [[File:JR JM line symbol.svg|15px|JM]] 武蔵野線
::{{Color|#f15a22|■}}各駅停車・{{Color|#0033ff|■}}むさしの号
:::[[新小平駅]] (JM 32) - '''西国分寺駅 (JM 33)''' - [[北府中駅]] (JM 34)
:* 特急「[[鎌倉 (列車)|鎌倉]]」停車駅
== 当駅が登場する作品 ==
* [[School Days|School Days HQ]]:主人公の伊藤誠と桂言葉が通学に使用する駅として登場する。また「轢殺」のエンディングにおいては、通過しようとしていた急行電車に西園寺が桂を突き飛ばすという演出がある。なお、それに配慮してなのか登場する電車の帯色は橙ではなく水色となっている。
* [[RAIL WARS! -日本國有鉄道公安隊-|RAIL WALS!]]:アニメ第1話において、主人公の高山直人が研修の際かつて当駅近くにあった国鉄中央学園に行くことになり、最寄り駅として当駅が登場する。高山の最初の登校の際に、後に行動を共にする桜井あおいと小海はるかに駅構内で出会う。
* [[ローゼンメイデン]]:アニメにおいて、駅ロータリーと駅周辺の街並みが登場する。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
{{Reflist}}
===== 報道発表資料 =====
{{Reflist|group="報道"|2}}
===== 新聞記事 =====
{{Reflist|group="新聞"}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="統計"}}
; JR東日本の2000年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
; 東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author=三好好三 |author2=垣本泰宏 |title=武蔵野線まるごと探見 |publisher=[[JTBパブリッシング]] |date=2010-02-01 |ref=jtb}}
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=5
|title=中央本線 |date=2009-08-09 |ref=sone05 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nishi-Kokubunji Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[にしこくん]]
== 外部リンク==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1156|name=西国分寺}}
* [http://www.nonowa.co.jp/nishikokubunji/ nonowa西国分寺]
{{中央線快速}}
{{武蔵野線・京葉線}}
{{DEFAULTSORT:にしこくふんし}}
[[Category:東京都の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 に|しこくふんし]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:中央線快速]]
[[Category:武蔵野線]]
[[Category:1973年開業の鉄道駅]]
[[Category:国分寺市の建築物|にしこくふんしえき]]
[[Category:国分寺市の交通|にしこくふんしえき]] | 2003-05-08T13:58:12Z | 2023-12-14T14:42:04Z | false | false | false | [
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"Template:武蔵野線・京葉線",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E9%A7%85 |
7,940 | 国立駅 | 国立駅(くにたちえき)は、東京都国立市北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJC 18。
中央本線と、当駅から分岐し新小平駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が乗り入れる。この支線は中央本線と武蔵野線とを直通する貨物列車や「むさしの号」、臨時旅客列車などが使用する。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
国立市の北部に位置し、市の中心駅である。堤康次郎率いる箱根土地(後の西武グループ)が駅を作り、同時に一橋大学(当時の東京商科大学)を中心とした学園都市として街づくりを行なった。駅から南側には大学通りと呼ばれる大通りが南武線の谷保駅まで伸びており、春には桜並木の桜が満開に咲き誇る。当駅南側の約1.3 kmの範囲は東京都から文教地区に指定されており、風営法の対象となる飲食店などの設置について規制を受ける。開業当時、中央線の国分寺駅と立川駅の間に駅を設置するため両駅の頭文字をとって「国立駅」と命名された(西国分寺駅は後から開業)。また「この地から新しく国が立つ」という想いを込めて名付けられたとも言われている。町制施行前は谷保村という地名であったが、当駅の駅名から町名をとって「国立町(→国立市)」となった。2020年には三角屋根が特徴の旧・南口駅舎が復原され、まち合わせ場所や展示室として活用されている。
JR中央線コミュニティデザインが駅管理を受託している立川営業統括センター管理の業務委託駅で、2面3線を有する高架駅である。当駅東方から単線の国立支線が分岐している。
改札は、2013年1月13日をもって高架下の1ヶ所に統合されたが、2016年4月24日に西側に「nonowa口」(ICカード専用)が新設され、2ヶ所となった。なお、コンコースとホームの間にはエスカレーター、階段とエレベーターが設置されている。また、中央改札にはお客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝は遠隔対応のため改札係員は不在となる。
高架化工事前は島式と単式の2面3線で、下りが単式、他に鉄道総合技術研究所用の授受線、通称「総研線」が2004年まであった。そのうち3番線は主に国立支線方向に向かう列車の待避に使用され、上り方の一部を除いて柵が設けられていた。3番線と総研線を横断する警報器のない構内踏切が北口改札横につながっており、朝ラッシュ時のみ使用された。なお、事業完了後は事業前の2面3線に戻り、外側が本線、内側が副本線となるが、総研線は設置されず、その跡地は授受線部分がnonowa国立WESTの付帯施設「ののみち」として、引き込み線部分の一部は国立市が緑道「ぽっぽみち」として整備された。
2009年1月11日に下り線(1番線)が、2010年11月7日に上り線が高架へ切り替えられ、2012年12月16日に上り本線(3番線)が新設された。
(出典:JR東日本:駅構内図)
高架化工事に伴う駅構内改良工事に伴い、店舗は全て閉店となった。その後、2014年4月22日にNewDays国立・マンスリースイーツ国立店がオープンしている。これらの2店舗も含め、2015年4月18日に「nonowa国立」が第1期開業し、後にこれを「nonowa国立EAST」とした。2016年4月24日に「nonowa国立WEST」が開業した。2020年6月27日には、「nonowa国立EAST」がリニューアルされた。
旧南口駅舎(旧国立駅舎)は現存当時、原宿駅に次いで東京都内で2番目に古い木造建築駅舎であり、その美しさは、当駅が「関東の駅百選」に選出された理由ともなった。解体後も選出は取り消されていない。
だがその駅舎は三鷹駅 - 立川駅間の高架化工事で移転か撤去をする必要が発生した。国立市はJR東日本による鉄道遺産としての保存を希望したが、老朽化していることもあり、同社が拒否したことで、国立市による保存か撤去の選択を求め、同事業の一環としてその費用で保存する要望も事業主体である東京都に拒否された。
これに対して国立市は、独自費用で駅舎を曳き家により工事範囲から移転して仮保存を行い、立体化工事終了後に再度曳き家により元の場所で保存する計画を立てたが、費用負担の問題で議会と対立し、予算案が正式に否決されるに至った。
2006年10月8日に旧駅舎の使用を終了。国立市はなおも保存方法を探っていたが、工事のタイムリミットに近付いたため、妥協案として解体・保存し、立体化工事終了後に復原となった。防火などの法的問題で一度解体すると現地での復原ができなくなるため、同年10月10日から12月にかけて解体作業が行われ、主要部材や駅名の表札は立体化事業完了時に再建可能なように国立市の倉庫内に保管され、10月26日に文化財の指定を行い、法がかからないようにした(それ以降の10年間程度は前記の倉庫内の一般公開が年に一回程度実施されていた)。
高架化工事終了後、国立市では元の場所か、その付近に復原を計画したが、南北通過道路と駅前広場の関係で通過道路整備の状況によっては南北通過車両を現状通り駅前広場に流さざるを得ず、市が保存用地を取得か借用をする必要があり、詳細はまとまっていなかったが、2014年2月3日から国立市のふるさと納税制度の寄付金の使いみちに「旧駅舎再築のために」が加わり、再築費用の寄付を募った。
2016年11月14日、国立市は国立駅の再築に向けてJR東日本と土地売買契約における覚書を締結し、2020年度末の完成を目指し、開業当時の形態で再築する予定で、建物は駅舎ではなく、情報発信機能(観光案内所・展示スペース)や情報交流機能(多目的スペース)として整備した(ただしスペースの関係上東側数メートルの部分は復原されなかった)。
旧三角屋根駅舎の高さが12 mで、その両隣にJR東日本が地上4階建てビル(高さ20 m)各1棟の建設を計画していることが2017年8月に明らかとなった。JR東日本は大学通りからの景観に配慮して高層ビルでなく低いビルとしたが、現状の計画に対しても地元の市民や商業者からは「復原駅舎が埋没してしまう」との再考を求める意見が出ていた。そこで、2018年11月から、国立市とJR東日本でお互いの所有地を交換する検討を開始し、2020年3月にJR東日本の所有する旧駅舎両側の土地と国立市が所有する南口の西側にある駐車場及び駐輪場の土地を交換する方針を確認した。2021年3月に、JR東日本と国立市との間で用地交換の合意が成立し、JR東日本が計画していた旧駅舎の両隣のビルは建設されず、広場として活用されることになっている。
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は45,198人である。JR東日本管内の駅では金町駅に次いで第91位。
近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通り。
駅前ロータリーを起点に、大学通りが南に、富士見通りが西南に、旭通りが東南に、それぞれまっすぐ放射状に伸びている。それぞれの通りの直線区間の長さはおよそ1.8 km、1.3 km、0.7 kmである。これらの道路は、上空から見ると正面から見た旧駅舎の輪郭となぞらえた形状になっている。これらのうち、大学通りが東京都道146号国立停車場谷保線に、富士見通り駅寄り約370 mと旭通りが東京都道145号立川国分寺線に指定されている。いずれの通りも若者向けなどの商店が多く立ち並び、また路線バスが頻繁に通っている。特に大学通りのこの部分は幅員が全体で40 m以上あり、車道、歩道、自転車道、緑地帯が画然と分けられている。緑地帯はサクラとイチョウが交互に植わった並木道である。ロータリーと並木道は、前述の関係のため、西武グループのプリンスホテル(コクドの流れから)が所有している。
それ以外の街路はほぼ東西、南北の格子状であり、一方通行が多い。大学通りを南に進むと、南武線の谷保駅に出る。
大学通りの両脇に一橋大学のキャンパスがあり、塾が立ち並ぶなど、教育施設は多い。
北口周辺は南口と同様に格子状の街路になっている。バスロータリーも新しく整備されたが、規模は南口と比べて広くない。
北口を出て約100m歩くと国分寺市域に入る。その為、当駅は国分寺市からの利用客も多い他、東京方の高架下にある国立駅前くにたち・こくぶんじ市民プラザ内には、国分寺市役所のサービスコーナーが設けられている。
北口付近に国分寺崖線による坂道が多くある。
南口からは京王バス、立川バスおよび国立市コミュニティバス「くにっこ」(立川バス)によって運行されている。このうち、大学通りを南に向うバスは各系統合わせて昼間5分毎の頻発となっている。
北口からは立川バスおよび「くにっこ」によって運行されている。2008年3月29日から国分寺市コミュニティバス「ぶんバス」(立川バス)の西町ルートが運行開始され、乗り入れている。
「くにっこ」以外の全路線でPASMO・Suicaが使用できる。また、「ぶんバス」及び空港連絡バス以外の全路線で東京都シルバーパスが使用できる。
ロータリーの南西側に主に富士見通り方面に向かう系統が発車する1番のりばが、同じく東側に主に大学通りと旭通り方面の系統が発車する3 - 6番のりばがある。西側の2番のりばは降車専用である。現行の南口出口から見て、ロータリー右側が2番、その先の道路向こうが1番、ロータリー左側が3 - 6番である。
ロータリーの島内に1・2番のりば、ロータリー線路沿い(タクシー乗り場前方)に3番のりば、ロータリー北西側(立川側)に4・5番のりば、ロータリーの東側に「ぶんバス」のバス停がある。
すべて立川バスにより運行されており、「国立駅北口」の名称となっている。 | [
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"text": "国立駅(くにたちえき)は、東京都国立市北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJC 18。",
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"text": "中央本線と、当駅から分岐し新小平駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が乗り入れる。この支線は中央本線と武蔵野線とを直通する貨物列車や「むさしの号」、臨時旅客列車などが使用する。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。",
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"text": "国立市の北部に位置し、市の中心駅である。堤康次郎率いる箱根土地(後の西武グループ)が駅を作り、同時に一橋大学(当時の東京商科大学)を中心とした学園都市として街づくりを行なった。駅から南側には大学通りと呼ばれる大通りが南武線の谷保駅まで伸びており、春には桜並木の桜が満開に咲き誇る。当駅南側の約1.3 kmの範囲は東京都から文教地区に指定されており、風営法の対象となる飲食店などの設置について規制を受ける。開業当時、中央線の国分寺駅と立川駅の間に駅を設置するため両駅の頭文字をとって「国立駅」と命名された(西国分寺駅は後から開業)。また「この地から新しく国が立つ」という想いを込めて名付けられたとも言われている。町制施行前は谷保村という地名であったが、当駅の駅名から町名をとって「国立町(→国立市)」となった。2020年には三角屋根が特徴の旧・南口駅舎が復原され、まち合わせ場所や展示室として活用されている。",
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"text": "JR中央線コミュニティデザインが駅管理を受託している立川営業統括センター管理の業務委託駅で、2面3線を有する高架駅である。当駅東方から単線の国立支線が分岐している。",
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"text": "改札は、2013年1月13日をもって高架下の1ヶ所に統合されたが、2016年4月24日に西側に「nonowa口」(ICカード専用)が新設され、2ヶ所となった。なお、コンコースとホームの間にはエスカレーター、階段とエレベーターが設置されている。また、中央改札にはお客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝は遠隔対応のため改札係員は不在となる。",
"title": "駅構造"
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"text": "高架化工事前は島式と単式の2面3線で、下りが単式、他に鉄道総合技術研究所用の授受線、通称「総研線」が2004年まであった。そのうち3番線は主に国立支線方向に向かう列車の待避に使用され、上り方の一部を除いて柵が設けられていた。3番線と総研線を横断する警報器のない構内踏切が北口改札横につながっており、朝ラッシュ時のみ使用された。なお、事業完了後は事業前の2面3線に戻り、外側が本線、内側が副本線となるが、総研線は設置されず、その跡地は授受線部分がnonowa国立WESTの付帯施設「ののみち」として、引き込み線部分の一部は国立市が緑道「ぽっぽみち」として整備された。",
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"text": "2009年1月11日に下り線(1番線)が、2010年11月7日に上り線が高架へ切り替えられ、2012年12月16日に上り本線(3番線)が新設された。",
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"text": "(出典:JR東日本:駅構内図)",
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"text": "高架化工事に伴う駅構内改良工事に伴い、店舗は全て閉店となった。その後、2014年4月22日にNewDays国立・マンスリースイーツ国立店がオープンしている。これらの2店舗も含め、2015年4月18日に「nonowa国立」が第1期開業し、後にこれを「nonowa国立EAST」とした。2016年4月24日に「nonowa国立WEST」が開業した。2020年6月27日には、「nonowa国立EAST」がリニューアルされた。",
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"text": "旧南口駅舎(旧国立駅舎)は現存当時、原宿駅に次いで東京都内で2番目に古い木造建築駅舎であり、その美しさは、当駅が「関東の駅百選」に選出された理由ともなった。解体後も選出は取り消されていない。",
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"text": "だがその駅舎は三鷹駅 - 立川駅間の高架化工事で移転か撤去をする必要が発生した。国立市はJR東日本による鉄道遺産としての保存を希望したが、老朽化していることもあり、同社が拒否したことで、国立市による保存か撤去の選択を求め、同事業の一環としてその費用で保存する要望も事業主体である東京都に拒否された。",
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"text": "これに対して国立市は、独自費用で駅舎を曳き家により工事範囲から移転して仮保存を行い、立体化工事終了後に再度曳き家により元の場所で保存する計画を立てたが、費用負担の問題で議会と対立し、予算案が正式に否決されるに至った。",
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"text": "2006年10月8日に旧駅舎の使用を終了。国立市はなおも保存方法を探っていたが、工事のタイムリミットに近付いたため、妥協案として解体・保存し、立体化工事終了後に復原となった。防火などの法的問題で一度解体すると現地での復原ができなくなるため、同年10月10日から12月にかけて解体作業が行われ、主要部材や駅名の表札は立体化事業完了時に再建可能なように国立市の倉庫内に保管され、10月26日に文化財の指定を行い、法がかからないようにした(それ以降の10年間程度は前記の倉庫内の一般公開が年に一回程度実施されていた)。",
"title": "駅構造"
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"text": "高架化工事終了後、国立市では元の場所か、その付近に復原を計画したが、南北通過道路と駅前広場の関係で通過道路整備の状況によっては南北通過車両を現状通り駅前広場に流さざるを得ず、市が保存用地を取得か借用をする必要があり、詳細はまとまっていなかったが、2014年2月3日から国立市のふるさと納税制度の寄付金の使いみちに「旧駅舎再築のために」が加わり、再築費用の寄付を募った。",
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"text": "2016年11月14日、国立市は国立駅の再築に向けてJR東日本と土地売買契約における覚書を締結し、2020年度末の完成を目指し、開業当時の形態で再築する予定で、建物は駅舎ではなく、情報発信機能(観光案内所・展示スペース)や情報交流機能(多目的スペース)として整備した(ただしスペースの関係上東側数メートルの部分は復原されなかった)。",
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"text": "旧三角屋根駅舎の高さが12 mで、その両隣にJR東日本が地上4階建てビル(高さ20 m)各1棟の建設を計画していることが2017年8月に明らかとなった。JR東日本は大学通りからの景観に配慮して高層ビルでなく低いビルとしたが、現状の計画に対しても地元の市民や商業者からは「復原駅舎が埋没してしまう」との再考を求める意見が出ていた。そこで、2018年11月から、国立市とJR東日本でお互いの所有地を交換する検討を開始し、2020年3月にJR東日本の所有する旧駅舎両側の土地と国立市が所有する南口の西側にある駐車場及び駐輪場の土地を交換する方針を確認した。2021年3月に、JR東日本と国立市との間で用地交換の合意が成立し、JR東日本が計画していた旧駅舎の両隣のビルは建設されず、広場として活用されることになっている。",
"title": "駅構造"
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"text": "2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は45,198人である。JR東日本管内の駅では金町駅に次いで第91位。",
"title": "利用状況"
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"title": "利用状況"
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"text": "駅前ロータリーを起点に、大学通りが南に、富士見通りが西南に、旭通りが東南に、それぞれまっすぐ放射状に伸びている。それぞれの通りの直線区間の長さはおよそ1.8 km、1.3 km、0.7 kmである。これらの道路は、上空から見ると正面から見た旧駅舎の輪郭となぞらえた形状になっている。これらのうち、大学通りが東京都道146号国立停車場谷保線に、富士見通り駅寄り約370 mと旭通りが東京都道145号立川国分寺線に指定されている。いずれの通りも若者向けなどの商店が多く立ち並び、また路線バスが頻繁に通っている。特に大学通りのこの部分は幅員が全体で40 m以上あり、車道、歩道、自転車道、緑地帯が画然と分けられている。緑地帯はサクラとイチョウが交互に植わった並木道である。ロータリーと並木道は、前述の関係のため、西武グループのプリンスホテル(コクドの流れから)が所有している。",
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"text": "大学通りの両脇に一橋大学のキャンパスがあり、塾が立ち並ぶなど、教育施設は多い。",
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"text": "北口周辺は南口と同様に格子状の街路になっている。バスロータリーも新しく整備されたが、規模は南口と比べて広くない。",
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"text": "北口を出て約100m歩くと国分寺市域に入る。その為、当駅は国分寺市からの利用客も多い他、東京方の高架下にある国立駅前くにたち・こくぶんじ市民プラザ内には、国分寺市役所のサービスコーナーが設けられている。",
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"text": "北口付近に国分寺崖線による坂道が多くある。",
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"text": "南口からは京王バス、立川バスおよび国立市コミュニティバス「くにっこ」(立川バス)によって運行されている。このうち、大学通りを南に向うバスは各系統合わせて昼間5分毎の頻発となっている。",
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"text": "北口からは立川バスおよび「くにっこ」によって運行されている。2008年3月29日から国分寺市コミュニティバス「ぶんバス」(立川バス)の西町ルートが運行開始され、乗り入れている。",
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"text": "ロータリーの島内に1・2番のりば、ロータリー線路沿い(タクシー乗り場前方)に3番のりば、ロータリー北西側(立川側)に4・5番のりば、ロータリーの東側に「ぶんバス」のバス停がある。",
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"text": "すべて立川バスにより運行されており、「国立駅北口」の名称となっている。",
"title": "バス路線"
}
] | 国立駅(くにたちえき)は、東京都国立市北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJC 18。 中央本線と、当駅から分岐し新小平駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が乗り入れる。この支線は中央本線と武蔵野線とを直通する貨物列車や「むさしの号」、臨時旅客列車などが使用する。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。 | {{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = 国立駅
|画像 = Kunitachi-sta-southgate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 南口(2021年4月)<br />三角屋根は復原<!--国立市広報には「復原」の文字を使用しているため勝手に修正しないこと-->された旧駅舎(現行駅とは接続しない)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|41|56.4|N|139|26|47|E}}}}
|よみがな = くにたち
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|電報略号 = クチ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
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|座標 = {{coord|35|41|56.4|N|139|26|47|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
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|駅構造 = [[高架駅]]
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|所属路線2 = [[武蔵野線]]貨物支線(国立支線)
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|駅間A2 = 5.0
|駅間B2 =
|駅番号2 =
|キロ程2 = 5.0{{Refnest|group="*"|国立支線はJR東日本が[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業者]]であるが、[[営業キロ]]は設定されていない。[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]である[[日本貨物鉄道]](JR貨物)のみ営業キロを設定している。}}
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|乗換 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref group="報道" name="outsourcing"/>
* [[みどりの窓口]] 有<!-- ←除去する場合は、営業終了日時(2024年1月31日18:00)経過後 -->
* [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅{{Refnest|group="*"|中央改札に導入<ref name="StationCd=622_231225" />。}}<ref name="StationCd=622_231225" />
<!-- * [[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]設置駅 --><!-- ←反映する場合は、導入開始日時(2024年2月1日6:20)経過後 -->}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[File:Kunitachi-sta-northgate-01.jpg|thumb|北口(2021年4月)]]
'''国立駅'''(くにたちえき)は、[[東京都]][[国立市]][[北 (国立市)|北]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''JC 18'''。
[[中央本線]]と、当駅から分岐し[[新小平駅]]へ通じる[[武蔵野線]]支線(国立支線)が乗り入れる。この支線は中央本線と武蔵野線とを直通する[[貨物列車]]や「[[むさしの号]]」、臨時旅客列車などが使用する。中央本線は当駅を含む区間は、運行系統上は「[[中央線快速|中央線]]」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
== 概要 ==
[[国立市]]の北部に位置し、市の中心駅である。[[堤康次郎]]率いる[[箱根土地]](後の[[西武グループ]])が駅を作り、同時に[[一橋大学]](当時の[[東京商科大学 (旧制)|東京商科大学]])を中心とした[[学園都市]]として街づくりを行なった<ref name="pr20200924">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/machi/town/town1/1465447535596.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424112327/https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/machi/town/town1/1465447535596.html|title=旧国立駅舎の生い立ち|date=2020-09-24|archivedate=2021-04-24|accessdate=2021-04-24|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。駅から南側には[[東京都道146号国立停車場谷保線|大学通り]]と呼ばれる大通りが[[南武線]]の[[谷保駅]]まで伸びており、春には桜並木の桜が満開に咲き誇る。当駅南側の約1.3 [[キロメートル|km]]の範囲は東京都から[[文教地区]]に指定されており、[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法]]の対象となる飲食店などの設置について規制を受ける<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/about/about1/shoukai/1465447620026.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201005023201/https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/about/about1/shoukai/1465447620026.html|date=2016-07-11|title=くにたちのあゆみ|archivedate=2020-10-05|accessdate=2021-04-23|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。開業当時、中央線の[[国分寺駅|'''国'''分寺駅]]と[[立川駅|'''立'''川駅]]の間に駅を設置するため両駅の頭文字をとって「国立駅」と命名された([[西国分寺駅]]は後から開業)<ref name="toyokeizai20200507" /><ref name="historybook" />。また「この地から新しく'''国'''が'''立'''つ」という想いを込めて名付けられたとも言われている<ref name="historybook" />。町制施行前は[[谷保]]村という地名であったが、当駅の駅名から町名をとって「国立町(→国立市)」となった<ref name="toyokeizai20200507">{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/347182?page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424114613/https://toyokeizai.net/articles/-/347182?page=2|title=三角屋根の旧駅舎復活、学園都市「国立」の軌跡 西武・堤康次郎、失敗の末に築いた理想都市|date=2020-05-07|publisher=東洋経済新報社|website=東洋経済オンライン|accessdate=2021-04-24|archivedate=2021-04-24}}</ref>。[[2020年]]には三角屋根が特徴の旧・南口駅舎が復原され、まち合わせ場所や展示室として活用されている<ref group="報道" name="PR-20200320" />。
== 歴史 ==
* [[1926年]]([[大正]]15年)
** [[3月1日]]:'''谷保[[信号場|信号所]]'''として開設。
** [[4月1日]]:[[鉄道省]]の駅として開業。旅客及び貨物の取り扱いを開始。
** 大学([[東京商科大学 (旧制)|東京商科大学]]→[[一橋大学]])や住民の誘致のために箱根土地が駅を作り、[[鉄道省]]へ譲渡した<ref name="pr20200924" />。
** 駅舎の設計は、[[帝国ホテル]]新館建設時に[[フランク・ロイド・ライト]]に師事した[[河野傳]]が行い、[[清水建設]]が工事を担当した<ref name="historybook">{{Cite web|和書|url=https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/57/historybook.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424120202/https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/57/historybook.pdf|title=三角屋根でまちあわせ 旧国立駅舎History book|date=2019-11|archivedate=2021-04-24|accessdate=2021-04-24|publisher=国立市|format=PDF|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)[[10月15日]]:中央線が当駅まで[[複線]]化。
* [[1929年]](昭和4年)
** 3月1日:中央線、立川まで複線化。
** [[3月5日]]:中央線、当駅まで電化開通。電車(省線)運転開始。[[6月16日]]に立川まで開通。
<!-- 資料により細かい日付に相違があります。また届出、帳簿上の日付と実情に差異のある場合がありますが、JRの資料に合わせました。 -->
* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、25頁</ref>。
* [[1951年]](昭和26年):駅所在地の谷保村が町制施行にあたり、駅名から町名をとって[[国立市|国立町]]となる。
* [[1959年]](昭和34年):北口開設。
* [[1962年]](昭和37年)[[10月25日]]:貨物の取り扱いを廃止。
* [[1970年]](昭和45年)[[3月25日]]:国鉄では初めてとなる[[自動改札機|自動定期券改札装置]]の試用を開始<ref name="RP237_82">{{Cite journal|和書|author=編集部|title=3月のメモ帳|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=1970-05-01|volume=20|issue=第5号(通巻第237号)|page=82|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref><ref name="korono1-313">『コロタン文庫 鉄道No.1全百科』p.313(1981年・小学館)</ref>。
* [[1973年]](昭和48年)4月1日:武蔵野線貨物支線が開業。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる<ref name="sone05-27">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、27頁</ref>。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[4月23日]]:自動改札機を設置し、供用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1994-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '94年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-115-5}}</ref>。
* [[1998年]](平成10年):[[関東の駅百選]]に選定<ref name="historybook" /><ref name="stations">{{Cite book|和書|author=(監修)「鉄道の日」関東実行委員会|title=駅の旅物語 関東の駅百選|publisher=[[人文社]]|date=2000-10-14|pages=58-59,227|edition=初版|isbn=4795912807}}</ref>。選定理由は「赤い三角屋根の駅舎が駅前の桜並木とマッチした駅」<ref name="historybook" /><ref name="stations" />。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-27|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)6月:高架化工事開始。
* [[2005年]](平成17年)9月:上りホームを仮線に切り替え。
* [[2006年]](平成18年)
** [[10月8日]]:旧三角屋根駅舎の使用を終了<ref group="報道" name="PR-20161114"/>。下りホームを仮線に切り替える。
** [[10月26日]]:旧三角屋根駅舎が「国立市指定[[有形文化財]]」に指定される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/machi/town/town1/town2/1465447535776.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170428163431/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/machi/town/town1/town2/1465447535776.html|title=平成18年10月 国立市有形文化財指定|archivedate=2017-04-28|accessdate=2021-04-23|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref group="報道" name="PR-20161114"/>。
* [[2009年]](平成21年)[[1月11日]]:下りホームを高架に切り替える{{R|sone05-27}}。
* [[2010年]](平成22年)[[11月7日]]:上りホームを高架に切り替える。
* [[2011年]](平成23年)[[10月8日]]:終電後から10日始発前まで構内線路切り替え工事が行われる。
* [[2012年]](平成24年)[[12月16日]]:上り本線(3番線)が新設<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ekishuhen/3584/006133.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121127215448/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ekishuhen/3584/006133.html|title=中央線国立駅線路切換工事に伴う列車の運休等のお知らせ|archivedate=2012-11-27|date=2012-11-09|accessdate=2020-06-14|publisher=国立市|language=日本語}}</ref>。
* [[2013年]](平成25年)[[1月13日]]:南北改札口閉鎖し1ヶ所に統合<ref name="2013-01-13"/>。旧北口駅舎の使用終了。
* [[2014年]](平成26年)
** [[3月15日]]:[[むさしの号]]の停車駅となる<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20131220/20131220_info_01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190808041103/https://www.jreast.co.jp/Hachioji/info/20131220/20131220_info_01.pdf|format=PDF|language=日本語|page=1|title=2014年3月ダイヤ改正について①|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2013-12-20|accessdate=2020-07-25|archivedate=2019-08-08}}</ref>。
** [[5月1日]]:業務委託化<ref group="報道" name="outsourcing">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20140424/20140424_info_01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170820202952/http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20140424/20140424_info_01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央ラインモールプロジェクト 国立駅東側高架下開発計画について|publisher=東日本旅客鉄道/JR中央ラインモール|date=2014-04-24|accessdate=2020-03-29|archivedate=2017-08-20}}</ref>。
* [[2015年]](平成27年)
** [[2月1日]]:早朝無人化。
** [[4月18日]]:商業施設「nonowa国立EAST」が開業<ref group="報道" name="press/20150316_info03">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20150316/20150316_info03.pdf|title=「nonowa国立」第1期 2015年4月18日(土)開業|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2015-03-16|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180625161312/http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20150316/20150316_info03.pdf|archivedate=2018-06-25}}</ref>。
* [[2016年]](平成28年)[[4月24日]]:商業施設「nonowa国立WEST」が開業<ref group="報道" name="press/20160210_info01"/>。nonowa口改札(交通系ICカード専用)の供用を開始<ref group="報道" name="press/20160210_info01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160210/20160210_info01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170701123805/http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160210/20160210_info01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2016年4月24日(日)nonowa国立WEST開業!|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2016-02-10|accessdate=2020-03-29|archivedate=2017-07-01}}</ref>。
* [[2020年]]([[令和]]2年)
** [[4月6日]]:旧三角屋根駅舎の復原工事が終了し<ref group="注釈">「復原」は文化財建造物の修理の際に用いる言葉で、歴史を経て改造された建造物を元の姿に戻すことを意味する。</ref>、「まちの魅力発信拠点」としてオープン<ref group="報道" name="PR-20200320">{{Cite web|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/4/shihou20200320gou.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200322014953/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/4/shihou20200320gou.pdf|format=PDF|page=1|language=日本語|title=市報くにたち令和2年3月20日号(1236号)> ただいま! 赤い三角屋根の旧国立駅舎が4月4日(土)に帰ってきます。|publisher=国立市役所市長室広報・広聴係|date=2020-03-20|accessdate=2020-03-22|archivedate=2020-03-22}}</ref><ref group="報道">{{Cite web|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/57/kaigyouennki1-4.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200404025429/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/57/kaigyouennki1-4.pdf|title=旧国立駅舎のお知らせ >【重要】4/4(土)開業を延期します。|archivedate=2020-04-04|accessdate=2020-04-04|publisher=国立市|format=PDF|language=日本語}}</ref><ref group="新聞" name="kensetsunews20200419">{{Cite news|url=https://www.kensetsunews.com/web-kan/443174|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210711124635/https://www.kensetsunews.com/web-kan/443174|title=【落ち着いたら行きたい】旧国立駅舎が要望に応え再築 大正15年の姿を蘇らせた再現性に注目|newspaper=建設通信新聞|date=2020-04-19|accessdate=2021-07-11|archivedate=2021-07-11}}</ref>。
** [[6月27日]]:商業施設「nonowa国立EAST」がリニューアル<ref group="報道" name="press/20200603">{{Cite press release|和書|url=http://www.nonowa.co.jp/company/release/a7c27a2a448680945d2e8e52390fff89ecf35c61.pdf|title=nonowa国立EAST リニューアルオープンのお知らせ ~より居心地のよい、街のリビングのような存在へ~|format=PDF|publisher=JR中央ラインモール|date=2020-06-03|accessdate=2020-07-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200612160519/http://www.nonowa.co.jp/company/release/a7c27a2a448680945d2e8e52390fff89ecf35c61.pdf|archivedate=2020-06-12}}</ref>。
* [[2024年]](令和4年)
** [[1月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了(予定)<ref name="StationCd=622_231225">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=622|title=駅の情報(国立駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-12-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231225083335/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=622|archivedate=2023-12-25}}</ref>。
** 2月1日:[[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]を導入(予定)<ref name="StationCd=622_231225" />。
** 春:南口に商業施設「nonowa国立SOUTH」(仮称)が開業予定<ref>{{Cite web|和書|author=JR中央線コミュニティデザイン、大林組 |url=https://www.obayashi.co.jp/news/detail/news20230307_3.html |title=JR東日本グループ初の木造商業ビル(仮称)nonowa国立SOUTH着工のお知らせ |website= |publisher=大林組 |date=2023-03-07 |accessdate=2023-05-19}}</ref>。
<gallery>
JR Kunitachi station.jpg|旧南口三角屋根駅舎(2006年10月8日)
JR Kunitachi station North 20081011.jpg|北口駅舎(高架化前)<br>(2008年10月11日)
国立市街航空写真001.jpg|航空写真。上部に駅、その下に放射状に伸びる道路や一橋大学が見える。{{国土航空写真}}
Kunitachi Station post card.jpg|開業当初の国立駅(1926年)
</gallery>
== 駅構造 ==
[[JR中央線コミュニティデザイン]]が駅管理を受託している[[立川駅|立川営業統括センター]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]で<ref group="報道" name="outsourcing"/>、2面3線を有する[[高架駅]]である。当駅東方から[[単線]]の国立支線が分岐している。
[[改札]]は、[[2013年]][[1月13日]]をもって高架下の1ヶ所に統合されたが<ref name="2013-01-13">{{Cite web|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ekishuhen/3584/006285.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130128212432/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ekishuhen/3584/006285.html|title=国立駅 南北改札口の閉鎖と改札統合のお知らせ(平成25年1月13日初電時刻より)|archivedate=2013-01-28|date=2013-01-15|accessdate=2020-06-14|publisher=国立市|language=日本語}}</ref>、[[2016年]][[4月24日]]に西側に「nonowa口」(ICカード専用)が新設され、2ヶ所となった<ref group="報道" name="press/20160210_info01" />。なお、コンコースとホームの間には[[エスカレーター]]、[[階段]]と[[エレベーター]]が設置されている。また、中央改札には[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、早朝は遠隔対応のため改札係員は不在となる<ref name="StationCd=622_231225" />。
高架化工事前は島式と単式の2面3線で、下りが単式、他に[[鉄道総合技術研究所]]用の[[停車場#側線|授受線]]、通称「総研線」が2004年まであった。そのうち3番線は主に国立支線方向に向かう列車の待避に使用され、上り方の一部を除いて柵が設けられていた。3番線と総研線を横断する警報器のない[[踏切#構内踏切|構内踏切]]が北口改札横につながっており、朝[[ラッシュ時]]のみ使用された。なお、事業完了後は事業前の2面3線に戻り、外側が本線、内側が副本線となるが、総研線は設置されず、その跡地は授受線部分がnonowa国立WESTの付帯施設「ののみち」として、引き込み線部分の一部は国立市が緑道「ぽっぽみち」として整備された<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/kosodate/education1/1465447568617.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424110953/https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/kosodate/education1/1465447568617.html|title=総研線跡地緑道を開放しました|date=2016-07-01|archivedate=2021-04-23|accessdate=2021-04-23|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
[[2009年]][[1月11日]]に下り線(1番線)が、[[2010年]][[11月7日]]に上り線が高架へ切り替えられ、[[2012年]][[12月16日]]に上り本線(3番線)が新設された。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先!!備考
|-
!1
|rowspan=2|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
|style="text-align:center"|下り
|[[立川駅|立川]]・[[八王子駅|八王子]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]方面<ref name="stations/622">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/stations/622.html|title=駅構内図(国立駅)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-08-03}}</ref>
|立川駅から [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] [[青梅線]]へ直通<br />([[青梅駅|青梅]]方面行の列車)
|-
!2・3
|style="text-align:center"|上り
|[[三鷹駅|三鷹]]・[[新宿駅|新宿]]・[[東京駅|東京]]方面<ref name="stations/622" />
|
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/622.html JR東日本:駅構内図])
* 2012年12月16日の線路切り替え以前は、暫定的に2番線を上り本線として使用していた。線路切り替え後は3番線が上り本線となり、2番線は上下共用の待避線となった。そのため、2番線の案内標には方面表記が未記入になった。線路切り替え時点では2番線は一部の上り列車のみが使用し、下り列車の停車は設定されていない。なお、下り方面のダイヤが乱れた場合、一部列車が当駅止まりに変更され、2番線を使用し東京方面への折り返し列車が設定される場合がある。また、2013年3月16日ダイヤ改正より、朝ラッシュ時の上り列車が2番線・3番線を交互に使用する[[相互発着]]が開始された。
* 配線の関係上、上り本線の3番線から国立支線に入線ができない。このため、国立支線に向かう旅客列車(むさしの号や臨時列車等)や貨物列車は2番線を使用する。
* 終電時間帯の三鷹行き・武蔵小金井行きを除く上り電車は「快速」として運転されている。
* JR中央線は、[[2020年代]]前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行う。そのため当駅は、ホームの12両編成対応改築および、構内配線の変更や信号設備改良工事などが実施される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190924030537/https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2015-02-04|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-09-24}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324011255/https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|title=JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期|newspaper=産経新聞|date=2017-03-24|accessdate=2020-11-29|archivedate=2017-03-24}}</ref>。
<gallery>
JR Chuo-Main-Line Kunitachi Station Central Gates.jpg|中央改札<br>(2019年9月19日)
JR Chuo-Main-Line Kunitachi Station nonowa Gates.jpg|nonowa口<br>(2019年9月19日)
JR Chuo-Main-Line Kunitachi Station Platform.jpg|ホーム<br>(2019年9月19日)
</gallery>
=== 設備 ===
* [[みどりの窓口]](改札外)<!-- ←除去する場合は、営業終了日時(2024年1月31日18:00)経過後 -->
* [[指定席券売機]](改札外)
<!-- * [[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]](改札外)<ref name="StationCd=622_231225" />--><!-- ←反映する場合は、導入開始日時(2024年2月1日6:20)経過後 -->
* [[便所|トイレ]](改札内)
* [[タクシー]]乗り場
* バス乗り場(下記参照)
高架化工事に伴う駅構内改良工事に伴い、店舗は全て閉店となった。その後、2014年4月22日に[[NewDays]]国立・マンスリースイーツ国立店がオープンしている<ref group="報道" name="test">[http://www.j-retail.jp/brand/newdays/info/detail.html?id=956 [お知らせ]NEWDAYS国立オープンについて] より</ref><ref group="報道">[http://www.nonowa.co.jp/news/detail.php?id=35 『【国立駅】NEW SHOP OPEN!]</ref>。これらの2店舗も含め、2015年4月18日に「nonowa国立」が第1期開業し、後にこれを「nonowa国立EAST」とした<ref group="報道" name="press/20150316_info03" /><ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=http://www.nonowa.co.jp/kunitachi/news/pdf/5_Updata.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170921144952/http://www.nonowa.co.jp/kunitachi/news/pdf/5_Updata.pdf|format=PDF|language=日本語|title=nonowa国立 第1期 4月18日(土)10:00開業 〜報道各社様向け内覧会を4月17日(金)、オープニングセレモニーを4月18日(土)に実施します!〜 また、開業に合わせ、地域と連携したイベントを開催します!|publisher=JR中央ラインモール|date=2015-04-02|accessdate=2020-07-20|archivedate=2017-09-21}}</ref>。2016年4月24日に「nonowa国立WEST」が開業した<ref group="報道" name="press/20160210_info01" />。2020年6月27日には、「nonowa国立EAST」がリニューアルされた<ref group="報道" name="press/20200603" />。
=== 旧駅舎の移転・復原問題 ===
旧南口駅舎([[旧国立駅舎]])は現存当時、[[原宿駅]]に次いで東京都内で2番目に古い[[木構造 (建築)|木造建築]]駅舎であり<ref name="pr20200924" />、その美しさは、当駅が「[[関東の駅百選]]」に選出された理由ともなった<ref name="historybook" />。解体後も選出は取り消されていない。
だがその駅舎は[[三鷹駅]] - [[立川駅]]間の高架化工事で移転か撤去をする必要が発生した。国立市はJR東日本による鉄道遺産としての保存を希望したが、老朽化していることもあり、同社が拒否したことで、国立市による保存か撤去の選択を求め、同事業の一環としてその費用で保存する要望も事業主体である東京都に拒否された。
これに対して国立市は、独自費用で駅舎を[[建築行為#移転|曳き家]]により工事範囲から移転して仮保存を行い、立体化工事終了後に再度曳き家により元の場所で保存する計画を立てたが、費用負担の問題で議会と対立し、予算案が正式に否決されるに至った<ref name="toyokeizai20170506" />。
[[2006年]][[10月8日]]に旧駅舎の使用を終了。国立市はなおも保存方法を探っていたが、工事のタイムリミットに近付いたため、妥協案として解体・保存し、立体化工事終了後に復原となった<ref name="toyokeizai20170506">{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/171745|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424122339/https://toyokeizai.net/articles/-/171745|title=国立「三角屋根の駅舎」復活までの長い道のり 解体保存の部材使い復元<!--記事原文では復元-->、2020年完成めざす|date=2017-05-06|publisher=東洋経済新報社|website=東洋経済オンライン|accessdate=2021-04-24|archivedate=2021-04-24}}</ref>。防火などの法的問題で一度解体すると現地での復原ができなくなるため、同年[[10月10日]]から12月にかけて解体作業が行われ、主要部材や駅名の表札は立体化事業完了時に再建可能なように国立市の[[倉庫]]内に保管され、[[10月26日]]に[[文化財]]の指定を行い、法がかからないようにした(それ以降の10年間程度は前記の倉庫内の一般公開が年に一回程度実施されていた)<ref name="toyokeizai20170506" />。
高架化工事終了後、国立市では元の場所か、その付近に復原を計画したが、南北通過道路と駅前広場の関係で通過道路整備の状況によっては南北通過車両を現状通り駅前広場に流さざるを得ず、市が保存用地を取得か借用をする必要があり、詳細はまとまっていなかったが、[[2014年]][[2月3日]]から国立市の[[ふるさと納税]]制度の寄付金の使いみちに「旧駅舎再築のために」が加わり、再築費用の寄付を募った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/shisei/4687/index.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150106113634/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/shisei/4687/index.html|title=国立市への寄附(くにたち未来寄附)を受け付けています|date=2014-12-01|archivedate=2021-04-|accessdate=2021-04-24|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。
[[2016年]][[11月14日]]、国立市は国立駅の再築に向けてJR東日本と土地売買契約における覚書を締結し、2020年度末の完成を目指し、開業当時の形態で再築する予定で、建物は駅舎ではなく、情報発信機能(観光案内所・展示スペース)や情報交流機能(多目的スペース)として整備した(ただしスペースの関係上東側数[[メートル]]の部分は復原されなかった)<ref group="報道" name="PR-20161114">{{Cite press release|和書|url=http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/4/JRtochibaibaikeiyaku_oboegakiteiketsu.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191207132208/http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/4/JRtochibaibaikeiyaku_oboegakiteiketsu.pdf|format=PDF|language=日本語|title=旧国立駅舎の再築が本格的に始動します 東日本旅客鉄道株式会社と土地売買契約に関する覚書を締結しました|publisher=国立市役所市長室広報|date=2016-11-14|accessdate=2020-03-22|archivedate=2019-12-07}}</ref>。
旧三角屋根駅舎の高さが12 mで、その両隣にJR東日本が地上4階建て[[オフィスビル|ビル]](高さ20 m)各1棟の建設を計画していることが2017年8月に明らかとなった<ref group="新聞" name="yomiuri20170826" />。JR東日本は大学通りからの[[景観]]に配慮して高層ビルでなく低いビルとしたが、現状の計画に対しても地元の市民や商業者からは「復原駅舎が埋没してしまう」との再考を求める意見が出ていた<ref group="新聞" name="yomiuri20170826">{{Cite news|url=http://sp.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20170828-OYTNT50149.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170828082634/http://sp.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20170828-OYTNT50149.html|title=国立復元<!--記事原文では復元-->駅舎 埋没を懸念 両隣にJR 4階ビル計画…シンポで異論相次ぐ|newspaper=読売新聞|date=2017-08-26|accessdate=2020-07-20|archivedate=2017-08-28}}</ref>。そこで、[[2018年]][[11月]]から、国立市とJR東日本でお互いの所有地を交換する検討を開始し、[[2020年]][[3月]]にJR東日本の所有する旧駅舎両側の土地と国立市が所有する南口の西側にある駐車場及び駐輪場の土地を交換する方針を確認した<ref group="新聞" name="yomiuri20210313" />。[[2021年]]3月に、JR東日本と国立市との間で用地交換の合意が成立し、JR東日本が計画していた旧駅舎の両隣のビルは建設されず、広場として活用されることになっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/machi/town/town10/r02/1615451090934.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210424121813/https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/machi/town/town10/r02/1615451090934.html|title=国立駅南口における用地交換について(令和3年3月)|date=2021-03-19|archivedate=2021-04-24|accessdate=2021-04-24|publisher=国立市|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref><ref group="新聞" name="yomiuri20210313">{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20210312-OYTNT50128/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210430142740/https://www.yomiuri.co.jp/local/tokyotama/news/20210312-OYTNT50128/|title=旧国立駅舎周辺 広場に|newspaper=読売新聞|date=2021-03-13|accessdate=2021-04-30|archivedate=2021-04-30}}</ref>。
<gallery>
Kunitachi-sta-oldbuilding.jpg|復原された南口旧駅舎(2021年4月10日)
KunitachiStaSouthEx003.jpg|南口旧駅舎(2006年10月10日)
JR Kunitachi station South.jpg|南口遠景(2006年10月8日)
Kunitachi Station.jpg|夜の旧南口駅舎(2002年12月24日)
Kunitachioldsta01.jpg|南口ロータリーの東側から見た再建中の旧駅舎(2019年9月28日)
Kunitachioldsta02.jpg|南口ロータリーの西側から見た再建中の旧駅舎(2019年9月28日)
Kunitachioldsta03.jpg| 高架駅舎ホームから見た再建中の旧駅舎(2019年9月28日)
</gallery>
== 利用状況 ==
[[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''45,198人'''である。JR東日本管内の駅では[[金町駅]]に次いで第91位。
近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref><ref group="統計">[http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/about/about1/shoukai/1465447620231.html 統計くにたち] - 国立市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|55,685
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|57,262
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|57,759
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|58,170
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|57,000
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|56,336
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|56,479
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|55,533
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|54,844
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>54,861
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>54,787
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>55,064
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>54,833
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>55,245
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>54,827
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>54,902
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>54,979
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>54,872
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>54,243
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>53,345
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>52,635
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>52,097
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>52,686
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>53,237
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>52,518
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>53,274
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>53,712
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>54,134
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>54,049
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>53,532
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>38,513
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>42,070
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>45,198
|
|}
== 駅周辺 ==
=== 南口 ===
駅前ロータリーを起点に、大学通りが南に、富士見通りが西南に、旭通りが東南に、それぞれまっすぐ放射状に伸びている。それぞれの通りの直線区間の長さはおよそ1.8 [[キロメートル|km]]、1.3 km、0.7 kmである。これらの道路は、上空から見ると正面から見た旧駅舎の輪郭となぞらえた形状になっている。これらのうち、大学通りが[[東京都道146号国立停車場谷保線]]に、富士見通り駅寄り約370 mと旭通りが[[東京都道145号立川国分寺線]]に指定されている。いずれの通りも若者向けなどの商店が多く立ち並び、また[[路線バス]]が頻繁に通っている。特に大学通りのこの部分は幅員が全体で40 m以上あり、[[車道]]、[[歩道]]、[[自転車道]]、[[緑地帯]]が画然と分けられている。緑地帯は[[サクラ]]と[[イチョウ]]が交互に植わった並木道である。ロータリーと並木道は、前述の関係のため、[[西武グループ]]の[[プリンスホテル]]([[コクド]]の流れから)が所有している。
それ以外の街路はほぼ東西、南北の格子状であり、[[一方通行]]が多い。大学通りを南に進むと、[[南武線]]の[[谷保駅]]に出る。
大学通りの両脇に一橋大学のキャンパスがあり、[[塾]]が立ち並ぶなど、教育施設は多い。
==== 学校 ====
* [[一橋大学]](国立キャンパス)
* [[桐朋中学校・高等学校]]
* [[私立学校|私立]][[国立学園小学校]]・付属[[かたばみ幼稚園]]
* [[東京都立国立高等学校]]
* [[東京都立第五商業高等学校]]
* [[学校法人NHK学園]] ‐ [[通信制高等学校]]と生涯学習通信講座を運営。
* [[国立音楽大学附属幼稚園]]・[[国立音楽大学附属小学校|小学校]]・[[国立音楽大学附属中学校・高等学校|中学校・高等学校]]
* [[郵政大学校|郵政大学校・中央郵政研修センター]]
==== 学習施設・塾 ====
{{columns-list|2|
* [[Ena (予備校)|ena]]
** 小中受験部
** 高校受験部
** 大学受験部
** c'ena(セナ)
** 個別ena
** マイスクールena
** egg新美
** ena家庭教師センター
* [[東京個別指導学院]] 国立教室
* 森塾 国立校
* 個別指導塾TOMAS 国立校
* [[早稲田アカデミー]]
** 早稲田アカデミー 国立校
** 早稲田アカデミー IBS国立ラボ
** 早稲田アカデミー個別進学館 国立校
* [[栄光ゼミナール]]
** 栄光ゼミナール 国立校
** 栄光の個別ビサビ 国立校
** 栄光の大学受験ナビオ 国立校
* [[SAPIX]]
** SAPIX小学部 国立校
** SAPIX中学部 国立校
* 個太郎塾 国立教室
* 個別教室のトライ 国立駅前校
* ITTO個別指導学院 国立東校
* [[明光義塾]] 国立教室
* [[河合塾]]マナビス 国立校
* 代々木個別指導学院 国立校
* 坪田塾 国立校
|}}
====郵便局====
* 国立駅前郵便局
* 国立旭通郵便局
<gallery>
国立市旭通り001.jpg|南口から旭通りを見る
国立市大学通001.jpg|南口から大学通りを見る
国立市富士見通り001.jpg|南口から富士見通りを見る
Kunitachi_stn_cherry.jpg|大学通りから国立駅南口を望む
</gallery>
=== 北口 ===
北口周辺は南口と同様に格子状の街路になっている。バスロータリーも新しく整備されたが、規模は南口と比べて広くない。
北口を出て約100m歩くと[[国分寺市]]域に入る。その為、当駅は国分寺市からの利用客も多い他、東京方の高架下にある国立駅前くにたち・こくぶんじ市民プラザ内には、国分寺市役所のサービスコーナーが設けられている<ref>[http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/shikanren/shisho/1003816.html 国立駅前市民サービスコーナー(国立駅前くにたち・こくぶんじ市民プラザ内)] - 国分寺市ホームページ 施設情報</ref>。
北口付近に[[国分寺崖線]]による坂道が多くある。
* 国立駅前くにたち・こくぶんじ市民プラザ
* [[鉄道総合技術研究所]](JR総研)国立研究所(所在は国分寺市だが、当駅が最寄りである為、この名で呼ばれている)
* [[鉄道情報システム]](JRシステム)中央システムセンター
* [[東京都立国分寺高等学校]]
* 国分寺市ひかりプラザ
* 国立駅北口郵便局
<gallery>
Kunitachi-sta-northgate-02.jpg|北口ロータリー(2021年4月)
</gallery>
== バス路線 ==
南口からは[[京王電鉄バス#京王バス中央|京王バス]]、[[立川バス]]および国立市コミュニティバス「[[くにっこ]]」(立川バス)によって運行されている。このうち、大学通りを南に向うバスは各系統合わせて昼間5分毎の頻発となっている。
北口からは立川バスおよび「くにっこ」によって運行されている。[[2008年]][[3月29日]]から国分寺市コミュニティバス「[[ぶんバス]]」(立川バス)の西町ルートが運行開始され、乗り入れている。
「くにっこ」以外の全路線で[[PASMO]]・[[Suica]]が使用できる。また、「ぶんバス」及び[[リムジンバス|空港連絡バス]]以外の全路線で[[東京都シルバーパス]]が使用できる。
=== 南口 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
ロータリーの南西側に主に富士見通り方面に向かう系統が発車する1番のりばが、同じく東側に主に大学通りと旭通り方面の系統が発車する3 - 6番のりばがある。西側の2番のりばは降車専用である。現行の南口出口から見て、ロータリー右側が2番、その先の道路向こうが1番、ロータリー左側が3 - 6番である。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!方面!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!-<br />(南口から出て右手)
|colspan="4"|障害者スポーツセンター送迎(特定輸送・無料)
|-
!1
|style="text-align:center;"|富士見通り方面
|style="text-align:center;"|[[立川バス]]
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#音高線・郵政循環|'''国15''']]:[[立川駅]]北口|'''国15-1''':立川駅南口|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 郵政正門 - 矢川駅線|'''国16'''・'''国16-3''']]:国立操車場|'''国16-2''':[[矢川駅]]|'''国20-2''':郵政循環|'''国42''':国立泉団地}}
|
|-
!-<br />(1番線に隣接)
|
|style="text-align:center;"|くにっこ
|[[くにっこ#北西中ルート|'''北西中ルート''']]:市役所方面 / 国立駅北口方面
|
|-
!2
|
|rowspan="2" style="text-align:center;"|[[京王電鉄バス#京王バス|京王バス]]
|'''深夜急行バス''':[[新宿駅のバス乗り場|新宿駅西口]]発
|降車のみ
|-
!3
|style="text-align:center;"|大学通り方面
|{{Unbulleted list|[[京王電鉄バス桜ヶ丘営業所#府中四谷橋線|'''国18''']]:[[聖蹟桜ヶ丘駅]]|[[京王バス府中営業所#谷保線|'''国17''']]:[[府中駅 (東京都)|府中駅]]}}
|
|-
!4
|style="text-align:center;"|大学通り方面
|style="text-align:center;"|立川バス
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 一橋大学 - 矢川駅線|'''国10'''・'''国10-2''']]:国立操車場|'''国11''':矢川駅|'''国12''':[[谷保駅]]|'''国41''':国立泉団地}}
|
|-
!5
|style="text-align:center;"|旭通り方面
|style="text-align:center;"|京王バス
|{{Unbulleted list|[[京王バス府中営業所#国立 (東芝) 線|'''国01''']]:[[京王バス府中営業所|府中営業所]]|'''国02'''・'''国03''':府中駅}}
|
|-
!rowspan="2"|6
|rowspan="2" style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|旭通り方面|大学通り方面の一部}}
|style="text-align:center;"|立川バス
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 国立循環線・三小出入庫線・RISURU線(旧立川市役所線)|'''国04''']]:矢川駅|'''国13''':国立循環(旭通り回り)|'''国13-2''':国立東循環|'''国14''':国立循環(音高回り)|'''国14-2''':国立西循環|'''国15-2''':立川駅南口}}
|
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|立川バス|[[京浜急行バス]]}}
|'''空港連絡バス''':[[東京国際空港|羽田空港]]
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|}
=== 北口 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
ロータリーの島内に1・2番のりば、ロータリー線路沿い(タクシー乗り場前方)に3番のりば、ロータリー北西側(立川側)に4・5番のりば、ロータリーの東側に「ぶんバス」のバス停がある。
すべて立川バスにより運行されており、「国立駅北口」の名称となっている。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!0
|style="text-align:center;"|[[ぶんバス]]
|[[ぶんバス#西町ルート|'''西町ルート''']]:ひかりプラザ、稲荷神社方面
|
|-
!1
|rowspan="3" style="text-align:center;"|立川バス
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 弁天通り折返場線|'''国29''']]:弁天通り折返場|'''国29-2''':[[玉川上水駅]]南口}}
|
|-
!2
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 戸倉循環線|'''国23''']]:戸倉循環(稲荷神社回り)|'''国26''':[[立川バス上水営業所|上水営業所]]}}
|
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!rowspan="2"|3
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 東京創価小学校線(旧北町公園線)|'''国24-2''']]:東京創価小学校循環|'''国24-3''':東京創価小学校|'''国24-4''':並木町二丁目}}
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|-
|style="text-align:center;"|くにっこ
|{{Unbulleted list|[[くにっこ#北ルート|'''北ルート''']]:北市民プラザ方面|'''北西中ルート''':市役所方面}}
|
|-
!4
|rowspan="2" style="text-align:center;"|立川バス
|{{Unbulleted list|[[立川バス上水営業所#国立駅 - 戸倉循環線|'''国22''']]:戸倉循環(日吉町回り)|'''国25''':上水営業所}}
|
|-
!5
|[[立川バス上水営業所#国立駅 - けやき台団地線|'''国21''']]:けやき台団地
|
|}
== ゆかりの作品 ==
* [[くにたち物語]]
* [[おおかみこどもの雨と雪]]
* [[水沢めぐみ]]『[[姫ちゃんのリボン]]』(名前は「風立駅」になっている)
* [[遊人]]『[[ANGEL (漫画)|ANGEL]]』
* アニメ『[[魔法の天使クリィミーマミ]]』
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速「[[ホリデー快速おくたま]]」<!-- おくたまは定期列車扱い -->・{{Color|#ff0066|■}}通勤特快・{{Color|#0033ff|■}}中央特快・{{Color|#339966|■}}青梅特快・{{Color|#990099|■}}通勤快速
:::; 通過
:: {{Color|#f15a22|■}}快速(三鷹・武蔵小金井発着の「各駅停車」を含む)
::: [[西国分寺駅]] (JC 17) - '''国立駅 (JC 18)''' - [[立川駅]] (JC 19)
: [[File:JR JM line symbol.svg|15px|JM]] 武蔵野線直通(武蔵野線貨物支線(国立支線)経由)
:: {{Color|#6666ff|■}}[[むさしの号]]
::: [[新小平駅]] (JM 32) - '''国立駅 (JC 18)''' - 立川駅 (JC 19)
: ※国立支線についてはJR東日本では旅客用の[[営業キロ]]を設定していないため、経由旅客列車の運賃は西国分寺駅を経由したものとして計算する。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
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==== 出典 ====
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===== 報道発表資料 =====
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===== 新聞記事 =====
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=== 利用状況 ===
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; JR東日本の1999年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
; 東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=5
|title=中央本線 |date=2009-08-09 |ref=sone05 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Kunitachi Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[河野傳]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=622|name=国立}}
* [http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/i/kyukunitachiekisha_specialsite/ 旧国立駅舎]:国立市
{{中央線快速}}
{{武蔵野線 (貨物線)}}
{{関東の駅百選}}
{{DEFAULTSORT:くにたち}}
[[Category:日本の鉄道駅 く|にたち]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:東京都の鉄道駅]]
[[Category:中央線快速]]
[[Category:1926年開業の鉄道駅]]
[[Category:1926年竣工の日本の建築物]]
[[Category:国立市の建築物]]
[[Category:国立市の交通]]
[[Category:西洋館]] | 2003-05-08T13:59:29Z | 2023-12-25T08:47:08Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E9%A7%85 |
7,941 | フェルマーの小定理 | 数論において、フェルマーの小定理(フェルマーのしょうていり、英: Fermat's little theorem)は、素数の性質についての定理であり、実用としてもRSA暗号に応用されている定理である。
p {\displaystyle p} を素数とし、 a {\displaystyle a} を整数とすると、
が成立すると言う定理である。また、 p {\displaystyle p} を素数とし、 a {\displaystyle a} を p {\displaystyle p} の倍数でない整数( a {\displaystyle a} と p {\displaystyle p} は互いに素)とするときに、
が成立する。すなわち、 a {\displaystyle a} の p − 1 {\displaystyle p-1} 乗を p {\displaystyle p} で割った余りは 1 {\displaystyle 1} である。有名なフェルマーの最終定理と区別するためにあえて「小」定理と称されている。
この定理はピエール・ド・フェルマーの名を冠するが、フェルマーの他の予想と同じく、フェルマー自身によって証明が与えられていたことが確認されているわけではない。この定理に対する証明はゴットフリート・ライプニッツによって初めて与えられた。
3通りの証明を示す。
二項定理から、数学的帰納法を用いて証明する方法が簡便である。
補題:「 ( m + 1 ) p {\displaystyle \left(m+1\right)^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは m p + 1 {\displaystyle m^{p}+1} を p {\displaystyle p} で割った余りに等しい。」
(補題の証明)
右辺の両端以外の二項係数 p C k {\displaystyle {}_{p}\mathrm {C} _{k}} はすべて p {\displaystyle p} の倍数である。なぜなら、
であり、 p {\displaystyle p} は素数であって k < p {\displaystyle k<p} なので、分子に含まれる p {\displaystyle p} が約分されることはないからである。
したがって、 ( m + 1 ) p {\displaystyle \left(m+1\right)^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは、両端の項 m p + 1 {\displaystyle m^{p}+1} を p {\displaystyle p} で割った余りに等しい。(補題の証明終)
命題「 a p ≡ a ( mod p ) {\displaystyle a^{p}\equiv a{\pmod {p}}} 」を、 a {\displaystyle a} についての数学的帰納法で証明する。
補題に m = 1 {\displaystyle m=1} を代入すると、 2 p = ( 1 + 1 ) p {\displaystyle 2^{p}=\left(1+1\right)^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは 1 p + 1 = 2 {\displaystyle 1^{p}+1=2} となり、 a = 2 {\displaystyle a=2} のとき成り立つ。
命題が、 a = k {\displaystyle a=k} のとき成り立つと仮定する。
補題から、 ( k + 1 ) p {\displaystyle \left(k+1\right)^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは k p + 1 {\displaystyle k^{p}+1} を p {\displaystyle p} で割った余りに等しい。帰納法の仮定によって k p {\displaystyle k^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは k {\displaystyle k} を p {\displaystyle p} で割った余りに等しいから、 ( k + 1 ) p {\displaystyle \left(k+1\right)^{p}} を p {\displaystyle p} で割った余りは k + 1 {\displaystyle k+1} を p {\displaystyle p} で割った余りに等しい。
したがって、命題は a = k + 1 {\displaystyle a=k+1} のときも成り立つ。
数学的帰納法によって、命題は a ≧ 2 {\displaystyle a\geqq 2} に対して成り立つ。また、 a = 0 , 1 {\displaystyle a=0,\ 1} のときは、代入してみると明らかに成り立つので、命題は a ≧ 0 {\displaystyle a\geqq 0} に対して成り立つ。
(証明終)
上の補題と同様に、 ( x + y ) p ≡ x p + y p ( mod p ) {\displaystyle (x+y)^{p}\equiv x^{p}+y^{p}{\pmod {p}}} が示せる。これより、
(証明終)
p {\displaystyle p} を素数とし、 a {\displaystyle a} と p {\displaystyle p} が互いに素とするときに、
が成立することを、ここで証明する。
集合 { 1 , 2 , 3 , ... , p − 1 } {\displaystyle \left\{1,\ 2,\ 3,\ldots ,\ p-1\right\}} は、全体として法 p {\displaystyle p} の下で { a , 2 a , 3 a , ... , ( p − 1 ) a } {\displaystyle \left\{a,\ 2a,\ 3a,\ldots ,\ \left(p-1\right)a\right\}} と合同である。(背理法による証明)もし後者の集合内に
となる i , j {\displaystyle i,\ j} (ただし、 i ≠ j {\displaystyle i\neq j} )が存在したとする。すると、 a {\displaystyle a} と p {\displaystyle p} が互いに素なので、 i ≡ j ( mod p ) {\displaystyle i\equiv j{\pmod {p}}} となり、 0 < i , j < p {\displaystyle 0<i,\ j<p} であることから、 i = j {\displaystyle i=j} となり、矛盾する。したがって、二つの集合は全体として合同であることが分かった。
それぞれの集合の要素をすべて掛け合わせると、
となる。 p {\displaystyle p} が素数であることから、 p {\displaystyle p} と ( p − 1 ) ! {\displaystyle \left(p-1\right)!} とは互いに素なので、
(証明終)
後になってレオンハルト・オイラーはこの定理を拡張し、 a {\displaystyle a} を n {\displaystyle n} と互いに素な整数とすると、
が成り立つことを示した。ここで、 φ ( n ) {\displaystyle \varphi (n)} は n {\displaystyle n} 未満の n {\displaystyle n} と互いに素な自然数の個数を表し、オイラー関数と呼ばれる。
特に n {\displaystyle n} が素数のときは、 φ ( n ) = n − 1 {\displaystyle \varphi (n)=n-1} より、フェルマーの小定理に一致する。
m = φ ( n ) {\displaystyle m=\varphi (n)} とすれば、 a m ≡ 1 ( mod n ) {\displaystyle a^{m}\equiv 1{\pmod {n}}} が n {\displaystyle n} と互いに素なすべての a {\displaystyle a} に対して成り立つが、 φ ( n ) {\displaystyle \varphi (n)} はこの性質を満たす m {\displaystyle m} の最小の数とは限らない。カーマイケルの定理はオイラーの定理を精緻化したもので、すべての a {\displaystyle a} に対して a m ≡ 1 ( mod n ) {\displaystyle a^{m}\equiv 1{\pmod {n}}} が成立するような最小の m {\displaystyle m} を与える。ただし、 n {\displaystyle n} と互いに素な a {\displaystyle a} が与えられたときに、 a m ≡ 1 ( mod n ) {\displaystyle a^{m}\equiv 1{\pmod {n}}} を満たす最小の m {\displaystyle m} は、 λ ( n ) {\displaystyle \lambda \left(n\right)} となるとは限らない。
たとえば、 n = 10000 {\displaystyle n=10000} のとき、カーマイケルの定理によれば n {\displaystyle n} と互いに素なすべての a {\displaystyle a} に対して a m ≡ 1 ( mod n ) {\displaystyle a^{m}\equiv 1{\pmod {n}}} を満たす最小の m {\displaystyle m} は500であるが、特定の a = 7 {\displaystyle a=7} に対しては 7 100 ≡ 1 ( mod n ) {\displaystyle 7^{100}\equiv 1{\pmod {n}}} が成立する。
カーマイケル関数(英語版) λ ( n ) {\displaystyle \lambda \left(n\right)} を以下のように再帰的に定義する。
n = 2 e {\displaystyle n=2^{e}} なら、
n {\displaystyle n} が奇素数 p {\displaystyle p} を用いて n = p e {\displaystyle n=p^{e}} と書けるなら、
n {\displaystyle n} が p 1 e 1 ... p k e k {\displaystyle p_{1}^{e_{1}}\ldots p_{k}^{e_{k}}} と素因数分解できるなら、
ここで lcm {\displaystyle \operatorname {lcm} } は最小公倍数。
カーマイケルの定理は、 a {\displaystyle a} と n {\displaystyle n} が互いに素なとき、
が成り立つという定理である。
λ ( n ) {\displaystyle \lambda \left(n\right)} が n − 1 {\displaystyle n-1} の約数であるとき、 n {\displaystyle n} はカーマイケル数と呼ばれ、自身と互いに素であるようなすべての底でフェルマーテストを通過する絶対擬素数となる。
フェルマーテストは、フェルマーの小定理の対偶を用いて確率的素数判定を行うアルゴリズムである。
フェルマーの小定理の対偶をとると、これは次のように、自然数 n が合成数であるための十分条件を与える。
この十分条件を用いて、次のように自然数 n {\displaystyle n} の素数判定を行う。
フェルマーテストが「合成数」と出力したとき、上のフェルマーの小定理の対偶によって n {\displaystyle n} は実際に合成数である。しかし、上の対偶は十分条件を与えるのみで必要条件を与えるものではないので、「確率的素数」と出力された場合でも n {\displaystyle n} は実際に素数であるとは限らない。素数ではないにもかかわらず「確率的素数」と判定されてしまう合成数は擬素数と呼ばれる。
疑わしければ、「確率的素数」と出力された場合にはまた異なる a {\displaystyle a} を用いて再びテストを行う。十分な回数だけ a {\displaystyle a} を取り替えて繰り返せば、フェルマーテストが「確率的素数」と判定した数は実際に素数である可能性が高い。
しかし、カーマイケル数または絶対擬素数と呼ばれる "反例" もある。カーマイケル数は合成数であるにもかかわらず、ほとんどいかなる a {\displaystyle a} を用いても「確率的素数」と判定されてしまう。従って、フェルマーテストは完全な素数判定法ではない。
フェルマーテストを改善するアルゴリズムとしては、ミラー–ラビン素数判定法やAKS素数判定法がある。
フェルマーの小定理・オイラーの定理は一般の有限群の定理に拡張できる。 G {\displaystyle G} を位数 m {\displaystyle m} の有限群とすると、 G {\displaystyle G} の任意の元 g {\displaystyle g} に対して g m {\displaystyle g^{m}} は単位元に一致する。オイラーの定理は G {\displaystyle G} が乗法群 ( Z / n Z ) × {\displaystyle \left(\mathbb {Z} /n\mathbb {Z} \right)^{\times }} のときの場合であり、フェルマーの小定理はさらに n {\displaystyle n} が素数の場合である。 | [
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"text": "n {\\displaystyle n} が p 1 e 1 ... p k e k {\\displaystyle p_{1}^{e_{1}}\\ldots p_{k}^{e_{k}}} と素因数分解できるなら、",
"title": "カーマイケルの定理"
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"title": "カーマイケルの定理"
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"text": "λ ( n ) {\\displaystyle \\lambda \\left(n\\right)} が n − 1 {\\displaystyle n-1} の約数であるとき、 n {\\displaystyle n} はカーマイケル数と呼ばれ、自身と互いに素であるようなすべての底でフェルマーテストを通過する絶対擬素数となる。",
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"text": "フェルマーテストは、フェルマーの小定理の対偶を用いて確率的素数判定を行うアルゴリズムである。",
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"text": "フェルマーの小定理の対偶をとると、これは次のように、自然数 n が合成数であるための十分条件を与える。",
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"text": "この十分条件を用いて、次のように自然数 n {\\displaystyle n} の素数判定を行う。",
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"text": "フェルマーテストが「合成数」と出力したとき、上のフェルマーの小定理の対偶によって n {\\displaystyle n} は実際に合成数である。しかし、上の対偶は十分条件を与えるのみで必要条件を与えるものではないので、「確率的素数」と出力された場合でも n {\\displaystyle n} は実際に素数であるとは限らない。素数ではないにもかかわらず「確率的素数」と判定されてしまう合成数は擬素数と呼ばれる。",
"title": "フェルマーテスト"
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"text": "疑わしければ、「確率的素数」と出力された場合にはまた異なる a {\\displaystyle a} を用いて再びテストを行う。十分な回数だけ a {\\displaystyle a} を取り替えて繰り返せば、フェルマーテストが「確率的素数」と判定した数は実際に素数である可能性が高い。",
"title": "フェルマーテスト"
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"text": "しかし、カーマイケル数または絶対擬素数と呼ばれる \"反例\" もある。カーマイケル数は合成数であるにもかかわらず、ほとんどいかなる a {\\displaystyle a} を用いても「確率的素数」と判定されてしまう。従って、フェルマーテストは完全な素数判定法ではない。",
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},
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"text": "フェルマーテストを改善するアルゴリズムとしては、ミラー–ラビン素数判定法やAKS素数判定法がある。",
"title": "フェルマーテスト"
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"text": "フェルマーの小定理・オイラーの定理は一般の有限群の定理に拡張できる。 G {\\displaystyle G} を位数 m {\\displaystyle m} の有限群とすると、 G {\\displaystyle G} の任意の元 g {\\displaystyle g} に対して g m {\\displaystyle g^{m}} は単位元に一致する。オイラーの定理は G {\\displaystyle G} が乗法群 ( Z / n Z ) × {\\displaystyle \\left(\\mathbb {Z} /n\\mathbb {Z} \\right)^{\\times }} のときの場合であり、フェルマーの小定理はさらに n {\\displaystyle n} が素数の場合である。",
"title": "一般化"
}
] | 数論において、フェルマーの小定理は、素数の性質についての定理であり、実用としてもRSA暗号に応用されている定理である。 | {{混同|フェルマーの大定理|フェルマーの最終定理|x1=自然数の冪乗の和に関する定理の}}
[[数論]]において、'''フェルマーの小定理'''(フェルマーのしょうていり、{{lang-en-short|Fermat's little theorem}})は、[[素数]]の性質についての[[定理]]であり、実用としても[[RSA暗号]]に応用されている定理である。
== 概要 ==
<math>p</math> を素数とし、 <math>a</math> を整数とすると、
:<math>a^{p} \equiv a \pmod p</math>
が成立すると言う定理である。また、 <math>p</math> を素数とし、 <math>a</math> を <math>p</math> の倍数でない整数( <math>a</math> と <math>p</math> は[[互いに素 (整数論)|互いに素]])とするときに、
:<math>a^{p-1} \equiv 1 \pmod p</math>
が成立する。すなわち、 <math>a</math> の <math>p-1</math> 乗を <math>p</math> で割った余りは <math>1</math> である。有名な[[フェルマーの最終定理]]と区別するためにあえて「小」定理と称されている。
この定理は[[ピエール・ド・フェルマー]]の名を冠するが、フェルマーの他の予想と同じく、フェルマー自身によって[[証明 (数学)|証明]]が与えられていたことが確認されているわけではない。この定理に対する証明は[[ゴットフリート・ライプニッツ]]によって初めて与えられた。
== 証明 ==
3通りの証明を示す。
=== 証明(1) ===
[[二項定理]]から、[[数学的帰納法]]を用いて証明する方法が簡便である。
補題:「 <math>\left( m+1\right)^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは <math>m^{p}+1</math> を <math>p</math> で割った余りに等しい。」
(補題の証明)
:<math>(m + 1)^p = m^p + {}_p\mathrm{C}_1 m^{p-1} + {}_p\mathrm{C}_2 m^{p-2} + \dotsb + {}_p\mathrm{C}_{p-1} m + 1</math>([[二項定理]])
右辺の両端以外の二項係数 <math>{}_p\mathrm{C}_k</math> はすべて <math>p</math> の倍数である。なぜなら、
:<math>{}_p \mathrm{C}_k = \frac{p(p-1) \dotsb (p-k+1)}{k (k-1) \dotsb 1}</math>
であり、 <math>p</math> は素数であって <math>k<p</math> なので、分子に含まれる <math>p</math> が約分されることはないからである。
したがって、 <math>\left( m+1\right)^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは、両端の項 <math>m^{p}+1</math> を <math>p</math> で割った余りに等しい。(補題の証明終)
命題「 <math>a^{p}\equiv a\pmod{p}</math> 」を、 <math>a</math> についての数学的帰納法で証明する。
補題に <math>m=1</math> を代入すると、 <math>2^{p}=\left( 1+1\right)^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは <math>1^{p}+1=2</math> となり、 <math>a=2</math> のとき成り立つ。
命題が、 <math>a=k</math> のとき成り立つと仮定する。
補題から、 <math>\left( k+1\right)^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは <math>k^{p}+1</math> を <math>p</math> で割った余りに等しい。帰納法の仮定によって <math>k^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは <math>k</math> を <math>p</math> で割った余りに等しいから、 <math>\left( k+1\right)^{p}</math> を <math>p</math> で割った余りは <math>k+1</math> を <math>p</math> で割った余りに等しい。
したがって、命題は <math>a=k+1</math> のときも成り立つ。
数学的帰納法によって、命題は <math>a\geqq 2</math> に対して成り立つ。また、 <math>a=0,\ 1</math> のときは、代入してみると明らかに成り立つので、命題は <math>a\geqq 0</math> に対して成り立つ。
(証明終)
=== 証明(2) ===
上の補題と同様に、<math>(x+y)^p \equiv x^p + y^p \pmod p</math> が示せる。これより、
:<math>\begin{align}
a^p &= [1+(a-1)]^p \\
&\equiv 1^p + [1+(a-2)]^p \\
&\equiv 1 + 1^p + [1+(a-3)]^p \\
&\equiv a \pmod p
\end{align}</math>
(証明終)
=== 証明(3) ===
<math>p</math> を素数とし、 <math>a</math> と <math>p</math> が互いに素とするときに、
:<math>a^{p-1} \equiv 1 \pmod p</math>
が成立することを、ここで証明する。
集合 <math>\left\{ 1,\ 2,\ 3,\ldots ,\ p-1\right\}</math> は、全体として法 <math>p</math> の下で <math>\left\{ a,\ 2a,\ 3a,\ldots ,\ \left( p-1\right)a\right\}</math> と合同である。([[背理法]]による証明)もし後者の集合内に
:<math>ia \equiv ja \pmod p</math>
となる <math>i,\ j</math> (ただし、 <math>i\neq j</math> )が存在したとする。すると、 <math>a</math> と <math>p</math> が[[互いに素 (整数論)|互いに素]]なので、 <math>i\equiv j\pmod{p}</math> となり、 <math>0<i,\ j<p</math> であることから、 <math>i=j</math> となり、矛盾する。したがって、二つの集合は全体として合同であることが分かった。
それぞれの集合の要素をすべて掛け合わせると、
:<math>(p-1)! \equiv (p-1)! \ a^{p-1} \pmod p</math>
となる。 <math>p</math> が素数であることから、 <math>p</math> と <math>\left( p-1\right)!</math> とは互いに素なので、
:<math>a^{p-1}\equiv 1\pmod{p}</math>
(証明終)
== オイラーの定理 ==
{{main|オイラーの定理 (数論)}}
後になって[[レオンハルト・オイラー]]はこの定理を拡張し、 <math>a</math> を <math>n</math> と[[互いに素 (整数論)|互いに素]]な整数とすると、
:<math>a^{\varphi(n)}\equiv 1\pmod{n}</math>
が成り立つことを示した。ここで、<math>\varphi(n)</math> は <math>n</math> 未満の <math>n</math> と互いに素な自然数の個数を表し、''[[オイラー関数]]''と呼ばれる。
特に <math>n</math> が素数のときは、<math>\varphi(n)=n-1</math> より、フェルマーの小定理に一致する。
== カーマイケルの定理 ==
<math>m=\varphi(n)</math> とすれば、 <math>a^{m}\equiv 1\pmod{n}</math> が <math>n</math> と互いに素なすべての <math>a</math> に対して成り立つが、 <math>\varphi(n)</math> はこの性質を満たす <math>m</math> の最小の数とは限らない。カーマイケルの定理はオイラーの定理を精緻化したもので、すべての <math>a</math> に対して<math>a^{m}\equiv 1\pmod{n}</math>が成立するような最小の <math>m</math> を与える。ただし、<math>n</math> と互いに素な<math>a</math>が与えられたときに、 <math>a^{m}\equiv 1\pmod{n}</math> を満たす最小の<math>m</math>は、<math>\lambda \left( n\right)</math> となるとは限らない。
たとえば、<math>n=10000</math> のとき、カーマイケルの定理によれば <math>n</math> と互いに素なすべての <math>a</math>に対して <math>a^{m}\equiv 1\pmod{n}</math> を満たす最小の <math>m</math> は500であるが、特定の <math>a=7</math> に対しては <math>7^{100}\equiv 1\pmod{n}</math> が成立する。
{{仮リンク|カーマイケル関数|en|Carmichael function}} <math>\lambda \left( n\right)</math> を以下のように再帰的に定義する。
<math>n=2^{e}</math> なら、
:<math>\lambda (2^e )=\begin{cases}
1 &(e=1)\\
2 &(e=2)\\
2^{e-2} &(e \ge 3)
\end{cases}</math>
<math>n</math> が奇素数 <math>p</math> を用いて <math>n=p^{e}</math> と書けるなら、
:<math>\lambda(p^e) = p^{e-1}(p-1)</math>
<math>n</math> が <math>p_{1}^{e_{1}}\ldots p_{k}^{e_{k}}</math> と[[素因数分解]]できるなら、
:<math>\lambda(p_1^{e_1} \dotsb p_k^{e_k}) = \operatorname{lcm} \{ \lambda(p_1^{e_1}), \dotsc, \lambda(p_k^{e_k}) \}</math>
ここで <math>\operatorname{lcm}</math> は[[最小公倍数]]。
カーマイケルの定理は、 <math>a</math> と <math>n</math> が互いに素なとき、
:<math>a^{\lambda \left( n\right)}\equiv 1\pmod{n}</math>
が成り立つという定理である。
<math>\lambda \left( n\right)</math> が <math>n-1</math> の約数であるとき、 <math>n</math> は[[カーマイケル数]]と呼ばれ、自身と互いに素であるようなすべての底で[[#フェルマーテスト|フェルマーテスト]]を通過する絶対擬素数となる。
== フェルマーテスト ==
'''フェルマーテスト'''は、フェルマーの小定理の[[対偶 (論理学)|対偶]]を用いて[[素数判定|確率的素数判定]]を行う[[アルゴリズム]]である。
フェルマーの小定理の[[対偶 (論理学)|対偶]]をとると、これは次のように、自然数 ''n'' が[[合成数]]であるための十分条件を与える。
;対偶
:<math>n</math> と互いに素な整数 <math>a</math> が
::<math>a^{n-1} \not\equiv 1\pmod{n}</math>
:を満たせば、 <math>n</math> は合成数である。
この十分条件を用いて、次のように自然数 <math>n</math> の素数判定を行う。
#パラメータとして、 <math>2</math> 以上 <math>n</math> 未満の自然数 <math>a</math> を1つ定める。
#<math>a</math> と <math>n</math> が互いに素でなければ「 <math>n</math> は合成数」と出力して終了。
#<math>a^{n-1} \not\equiv 1\pmod{n}</math> ならば「 <math>n</math> は合成数」と出力して終了する。そうでないとき「 <math>n</math> は確率的素数」と出力して終了する。
フェルマーテストが「合成数」と出力したとき、上のフェルマーの小定理の対偶によって <math>n</math> は実際に合成数である。しかし、上の対偶は十分条件を与えるのみで必要条件を与えるものではないので、「確率的素数」と出力された場合でも <math>n</math> は実際に素数であるとは限らない。素数ではないにもかかわらず「確率的素数」と判定されてしまう合成数は'''擬素数'''と呼ばれる。
疑わしければ、「確率的素数」と出力された場合にはまた異なる <math>a</math> を用いて再びテストを行う。十分な回数だけ <math>a</math> を取り替えて繰り返せば、フェルマーテストが「確率的素数」と判定した数は実際に素数である可能性が高い。
しかし、[[カーマイケル数]]または絶対擬素数と呼ばれる "反例" もある。カーマイケル数は合成数であるにもかかわらず、ほとんどいかなる <math>a</math> を用いても「確率的素数」と判定されてしまう。従って、フェルマーテストは完全な素数判定法ではない。
フェルマーテストを改善するアルゴリズムとしては、[[ミラー–ラビン素数判定法]]や[[AKS素数判定法]]がある。
== 一般化 ==
フェルマーの小定理・オイラーの定理は一般の[[有限群]]の定理に拡張できる。 <math>G</math> を[[位数 (群論)|位数]] <math>m</math> の有限群とすると、 <math>G</math> の任意の元 <math>g</math> に対して <math>g^{m}</math> は単位元に一致する。オイラーの定理は <math>G</math> が[[乗法群]] <math>\left( \mathbb{Z}/n\mathbb{Z}\right)^{\times}</math> のときの場合であり、フェルマーの小定理はさらに <math>n</math> が素数の場合である。
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=高木貞治|authorlink=高木貞治|year=1971|month=|title=初等整数論講義|edition=第2版|publisher=[[共立出版]]|pages=67,53-54|isbn=4-320-01001-9|ref={{Harvid|高木|1971}}}}
*{{Cite book|和書|author=G.H.ハーディ|authorlink=ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ|coauthors=[[E・M・ライト]]|others=[[示野信一]]・[[矢神毅]] 訳|year=2001|month=7|title=数論入門I|publisher=[[シュプリンガー・フェアラーク東京]]|series=シュプリンガー数学クラシックス8 |pages=82-107|isbn=4-431-70848-0 |ref={{Harvid|ハーディ|ライト|2001a}}}}
**{{Cite book|和書|author=G・H・ハーディ|coauthors=E・M・ライト|others=示野信一・矢神毅 訳|year=2001|month=7|title=数論入門I|publisher=丸善出版|series=シュプリンガー数学クラシックス8 |url=http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/9784621062265.html|pages=82-107|isbn=978-4-621-06226-5 |ref={{Harvid|ハーディ|ライト|2001b}}}}
== 外部リンク ==
*{{高校数学の美しい物語|680|フェルマーの小定理の証明と例題}}
*{{MathWorld|title=Fermat's Little Theorem|urlname=FermatsLittleTheorem}}
*{{MathWorld|title=Euler's Totient Theorem|urlname=EulersTotientTheorem}}
*{{MathWorld|title=Carmichael's Theorem|urlname=CarmichaelsTheorem}}
{{DEFAULTSORT:ふえるまあのしようていり}}
[[Category:数論の定理]]
[[Category:ピエール・ド・フェルマー]]
[[Category:ゴットフリート・ライプニッツ]]
[[Category:数学のエポニム]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-07-25T08:39:13Z | false | false | false | [
"Template:仮リンク",
"Template:Cite book",
"Template:高校数学の美しい物語",
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"Template:混同",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Main"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%AE%9A%E7%90%86 |
7,942 | ユークリッドの互除法 | ユークリッドの互除法(ユークリッドのごじょほう、英: Euclidean Algorithm)は、2 つの自然数の最大公約数を求める手法の一つである。
2 つの自然数 a, b (a ≧ b) について、a の b による剰余を r とすると、 a と b との最大公約数は b と r との最大公約数に等しいという性質が成り立つ。この性質を利用して、 b を r で割った剰余、 除数 r をその剰余で割った剰余、と剰余を求める計算を逐次繰り返すと、剰余が 0 になった時の除数が a と b との最大公約数となる。
明示的に記述された最古のアルゴリズムとしても知られ、紀元前300年頃に記されたユークリッドの『原論』第 7 巻、命題 1 から 3 がそれである。
(問題) 1071 と 1029 の最大公約数を求める。
よって、最大公約数は21である。
a, b は自然数で a ≠ 0 とする。 b を a で割った商を q、剰余を r とすると
今、d0 を a と r の両方を割り切る自然数とする。
このとき d0 は積 qa を割り切るから、和 qa + r も割り切るが、qa + r は b に等しい。したがって、d0 は a とb を割り切る。すなわち a と r の公約数はすべてb と aの公約数である。
逆に、d1 を b と a の両方を割り切る自然数とする。
d1 は qa を割り切るから差 b - qa を割り切るが、b - qa は r に等しい。したがって、d1 は a とrを割り切る。言い換えると b と a の公約数はすべてa と r の公約数である。
したがって、b と a の公約数全体の集合は a と r の公約数全体の集合に等しく、特に b と a の最大公約数は a と r の最大公約数でなければならない。
手続き的に記述すると、次のようになる。
上記の手順は「n, m に対して剰余の演算を行うことができる」という仮定だけに依っているので、整数環だけではなく任意のユークリッド整域においても同様にして最大公約因子を求めることができる。
整数 m, n の最大公約数 (英: Greatest Common Divisor) を gcd(m,n) と表すときに、(拡張された)ユークリッドの互除法を用いて、mx + ny = gcd(m, n) の解となる整数 x, y の組を見つけることができる。上の例の場合、m = 1071, n = 1029 のとき、
であるから、gcd(1071, 1029) = 21 であり、
となるので、x = −24, y = 25 である。
特に、m, n が互いに素(最大公約数が 1)である場合、mx + ny = 1 の整数解を (x, y) とすると、mx + ny = c は任意の整数 c に対して整数解 (cx, cy) をもつことが分かる。
一般に、 m = r 0 , n = r 1 {\displaystyle m=r_{0},n=r_{1}} において、ユークリッドの互除法の各過程を繰り返して
が得られるとき、
すなわち
ここで
これらの過程において、 m = r 0 , n = r 1 {\displaystyle m=r_{0},n=r_{1}} 、ユークリッドの互除法により、 r h = gcd ( m , n ) {\displaystyle r_{h}=\gcd(m,n)} であるから、 K i − 1 = ( 0 1 1 − k i ) {\displaystyle K_{i}^{-1}={\begin{pmatrix}0&1\\1&-k_{i}\\\end{pmatrix}}} を考慮すると、
となる。
とおき、ユークリッドの互除法の各過程で得られた k 0 {\displaystyle k_{0}} , k 1 {\displaystyle k_{1}} , k 2 {\displaystyle k_{2}} 等を用いて、右辺を計算すれば、左辺の x {\displaystyle x} , y {\displaystyle y} が求まり、これはベズーの等式
を満たす。
割って余りを取るという操作を最悪でも小さいほうの十進法での桁数の約 5 倍繰り返せば、最大公約数に達する(ラメの定理)。
最大公約数を求めるのに素因数分解すればよいと思うかもしれないが、この定理は(m, n が大きいときには)素因数分解をするよりもユークリッドの互除法によるほうがはるかに速いということを述べている。
実際、計算複雑性理論においては最大公約数を求めることは「容易な問題」として知られており、素因数分解は「困難な問題」であろうと考えられている。 入力された2つの整数のうち小さいほうの整数 n の桁数を d とすれば、ユークリッドの互除法では O(d) 回の除算で最大公約数が求められる。桁数 d は O(log n) なので、ユークリッドの互除法では O(log n) 回の除算で最大公約数が求められる。
上の例で出てきた、1071 と 1029 の最大公約数を求める過程は、次のように表せる。
すなわち、
したがって、
このように、 n と m (n > m) の最大公約数を求める際のユークリッドの互除法の割り算の商は、有理数 n/m の連分数展開になっている。 | [
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"text": "整数 m, n の最大公約数 (英: Greatest Common Divisor) を gcd(m,n) と表すときに、(拡張された)ユークリッドの互除法を用いて、mx + ny = gcd(m, n) の解となる整数 x, y の組を見つけることができる。上の例の場合、m = 1071, n = 1029 のとき、",
"title": "拡張された互除法"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "であるから、gcd(1071, 1029) = 21 であり、",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "となるので、x = −24, y = 25 である。",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "特に、m, n が互いに素(最大公約数が 1)である場合、mx + ny = 1 の整数解を (x, y) とすると、mx + ny = c は任意の整数 c に対して整数解 (cx, cy) をもつことが分かる。",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"tag": "p",
"text": "一般に、 m = r 0 , n = r 1 {\\displaystyle m=r_{0},n=r_{1}} において、ユークリッドの互除法の各過程を繰り返して",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "が得られるとき、",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "すなわち",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"tag": "p",
"text": "ここで",
"title": "拡張された互除法"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "これらの過程において、 m = r 0 , n = r 1 {\\displaystyle m=r_{0},n=r_{1}} 、ユークリッドの互除法により、 r h = gcd ( m , n ) {\\displaystyle r_{h}=\\gcd(m,n)} であるから、 K i − 1 = ( 0 1 1 − k i ) {\\displaystyle K_{i}^{-1}={\\begin{pmatrix}0&1\\\\1&-k_{i}\\\\\\end{pmatrix}}} を考慮すると、",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"tag": "p",
"text": "となる。",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "とおき、ユークリッドの互除法の各過程で得られた k 0 {\\displaystyle k_{0}} , k 1 {\\displaystyle k_{1}} , k 2 {\\displaystyle k_{2}} 等を用いて、右辺を計算すれば、左辺の x {\\displaystyle x} , y {\\displaystyle y} が求まり、これはベズーの等式",
"title": "拡張された互除法"
},
{
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"text": "を満たす。",
"title": "拡張された互除法"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "割って余りを取るという操作を最悪でも小さいほうの十進法での桁数の約 5 倍繰り返せば、最大公約数に達する(ラメの定理)。",
"title": "計算量"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "最大公約数を求めるのに素因数分解すればよいと思うかもしれないが、この定理は(m, n が大きいときには)素因数分解をするよりもユークリッドの互除法によるほうがはるかに速いということを述べている。",
"title": "計算量"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "実際、計算複雑性理論においては最大公約数を求めることは「容易な問題」として知られており、素因数分解は「困難な問題」であろうと考えられている。 入力された2つの整数のうち小さいほうの整数 n の桁数を d とすれば、ユークリッドの互除法では O(d) 回の除算で最大公約数が求められる。桁数 d は O(log n) なので、ユークリッドの互除法では O(log n) 回の除算で最大公約数が求められる。",
"title": "計算量"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "上の例で出てきた、1071 と 1029 の最大公約数を求める過程は、次のように表せる。",
"title": "連分数"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "すなわち、",
"title": "連分数"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "したがって、",
"title": "連分数"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "このように、 n と m (n > m) の最大公約数を求める際のユークリッドの互除法の割り算の商は、有理数 n/m の連分数展開になっている。",
"title": "連分数"
}
] | ユークリッドの互除法(ユークリッドのごじょほう、英: Euclidean Algorithm)は、2 つの自然数の最大公約数を求める手法の一つである。 2 つの自然数 a, b (a ≧ b) について、a の b による剰余を r とすると、 a と b との最大公約数は b と r との最大公約数に等しいという性質が成り立つ。この性質を利用して、 b を r で割った剰余、 除数 r をその剰余で割った剰余、と剰余を求める計算を逐次繰り返すと、剰余が 0 になった時の除数が a と b との最大公約数となる。 明示的に記述された最古のアルゴリズムとしても知られ、紀元前300年頃に記されたユークリッドの『原論』第 7 巻、命題 1 から 3 がそれである。 | [[File:Euclidean algorithm 252 105 animation flipped.gif|thumb|upright|
252と105のためのユークリッドの互除法のアニメーション。<br />
クロスバーは、最大公約数(GCD)である21の倍数を表す。 <br />
それぞれのステップにおいて、1つの番号がゼロになるまで、より少ない数はより大きな数から引かれる。 <br />
残りの数は、GCD。<br />]]
'''ユークリッドの互除法'''(ユークリッドのごじょほう、{{Lang-en-short|Euclidean Algorithm}})は、2 つの[[自然数]]の[[最大公約数]]を求める手法の一つである。
2 つの自然数 ''a'', ''b'' (''a'' ≧ ''b'') について、''a'' の ''b'' による[[除法|剰余]]を ''r'' とすると、 ''a'' と ''b'' との最大公約数は ''b'' と ''r'' との最大公約数に等しいという性質が成り立つ。この性質を利用して、 ''b'' を ''r'' で割った剰余、 除数 ''r'' をその剰余で割った剰余、と剰余を求める計算を逐次繰り返すと、剰余が 0 になった時の除数が ''a'' と ''b'' との最大公約数となる。
明示的に記述された最古の[[アルゴリズム]]としても知られ、[[紀元前]]300年頃に記された[[エウクレイデス|ユークリッド]]の『[[ユークリッド原論|原論]]』第 7 巻、命題 1 から 3 がそれである{{refnest|group=注釈|『原論』第7巻では、1 を'''単位'''と定義し、2 以上の自然数を'''数'''と定義している{{sfn|ユークリッド|中村ほか|1996|p=149}}。
;定義
#単位とは存在するもののおのおのがそれによって 1 とよばれるものである。
#数とは単位から成る多である。
ユークリッドの互除法は以下の命題 1 から 3 において述べられている。
;命題
#二つの不等な数が定められ、常に大きい数から小さい数が引き去られるとき、もし単位が残されるまで、残された数が自分の前の数を割り切らないならば、最初の 2 数は互いに素であろう{{sfn|ユークリッド|中村ほか|1996|pp=150f}}。
#互いに素でない 2 数が与えられたとき、それらの最大公約数を見いだすこと{{sfn|ユークリッド|中村ほか|1996|p=151}}。
#これから次のことが明らかである。すなわちもしある数が二つの数を割り切るならば、それらの最大公約数をも割り切るであろう。これが証明すべきことであった{{sfn|ユークリッド|中村ほか|1996|p=152}}。
#互いに素でない三つの数が与えられたとき、それらの最大公約数を見いだすこと{{sfn|ユークリッド|中村ほか|1996|pp=152f}}。}}。
== 例 ==
(問題) 1071 と 1029 の最大公約数を求める。
*1071 を 1029 で割った余りは 42
*1029 を 42 で割った余りは 21
*42 を 21 で割った余りは 0
よって、最大公約数は21である。
== 証明 ==
''a'', ''b'' は自然数で ''a'' ≠ 0 とする。
''b'' を ''a'' で割った商を ''q''、剰余を ''r'' とすると
:''b'' = ''qa'' + ''r''
今、''d<sub>0</sub>'' を ''a'' と ''r'' の両方を割り切る自然数とする。
このとき ''d<sub>0</sub>'' は積 ''qa'' を割り切るから、和 ''qa'' + ''r'' も割り切るが、''qa'' + ''r'' は ''b'' に等しい。したがって、''d<sub>0</sub>'' は ''a'' と''b'' を割り切る。すなわち ''a'' と ''r'' の[[公約数]]はすべて''b'' と ''a''の公約数である。
逆に、''d<sub>1</sub>'' を ''b'' と ''a'' の両方を割り切る自然数とする。
''d<sub>1</sub>'' は ''qa'' を割り切るから差 ''b'' - ''qa'' を割り切るが、''b'' - ''qa'' は ''r'' に等しい。したがって、''d<sub>1</sub>'' は ''a'' と''r''を割り切る。言い換えると ''b'' と ''a'' の公約数はすべて''a'' と ''r'' の公約数である。
したがって、''b'' と ''a'' の公約数全体の集合は ''a'' と ''r'' の公約数全体の集合に等しく、特に ''b'' と ''a'' の最大公約数は ''a'' と ''r'' の最大公約数でなければならない。
== 手続き的記述 ==
[[File:GCM_Of_20_And_32.gif|thumb|right|480px|
ユークリッドの互除法の仕組みは、この図のように最大公約数を求める対象の2つの[[整数]]を幅と高さに設定した[[長方形]]内での赤色の斜めの[[直線]]の描画過程によっても表現できる。
赤色の斜めの直線の描画は、はじめはその長方形内を描画範囲とし、その角から内部に向け、かつ、その辺に対して45度の差を持たせて開始する。
描画範囲の辺の途中に当たれば、その内部へ直角反射するように角度を変える。
赤色の斜めの直線が反射後に描画範囲の向かいの辺と異なる辺の途中に当たる場合、描画範囲の長辺の長さを短辺の長さで割ると余りが生じる状態となっており、直前の反射地点を足掛かりに描画範囲を垂直に区切ってその範囲を絞りこむ。
(区切られて出来た小さいほうの範囲を以後の描画範囲とする)
(除数および被除数の変更に相当)
赤色の斜めの直線が描画範囲の角に到達した場合、描画範囲の長辺の長さを短辺の長さで余りなく割れる状態となっており、描画の終了となり、最後にして最小の描画範囲の短辺の長さが最大公約数となる。]]
手続き的に記述すると、次のようになる。
# 入力を ''m'', ''n'' (''m'' ≧ ''n'') とする。
# ''n'' = 0 なら、 ''m'' を出力してアルゴリズムを終了する。
# ''m'' を ''n'' で割った余りを新たに ''n'' とし、更に 元の''n''を新たに''m'' とし 2. に戻る。
上記の手順は「''n'', ''m'' に対して剰余の演算を行うことができる」という仮定だけに依っているので、[[整数環]]だけではなく任意の[[ユークリッド整域]]においても同様にして最大公約因子を求めることができる。
== 拡張された互除法 ==
整数 ''m'', ''n'' の最大公約数 ({{Lang-en-short|Greatest Common Divisor}}) を gcd(''m'',''n'') と表すときに、(拡張された)ユークリッドの互除法を用いて、''mx'' + ''ny'' = gcd(''m'', ''n'') の解となる整数 ''x'', ''y'' の組を見つけることができる。[[#例|上の例]]の場合、''m'' = 1071, ''n'' = 1029 のとき、
:1071 = 1 × 1029 + 42
:1029 = 24 × 42 + 21
:42 = 2 × 21
であるから、gcd(1071, 1029) = 21 であり、
:21 = 1029 − 24 × 42
:= 1029 − 24 × (1071 − 1 × 1029)
:= −24 × 1071 + 25 × 1029
となるので、''x'' = −24, ''y'' = 25 である。
特に、''m'', ''n'' が[[互いに素 (整数論)|互いに素]](最大公約数が 1)である場合、''mx'' + ''ny'' = 1 の整数解を (''x'', ''y'') とすると、''mx'' + ''ny'' = ''c'' は任意の整数 ''c'' に対して整数解 (''cx'', ''cy'') をもつことが分かる。
一般に、<math>
m = r_{0}, n = r_{1} </math>
において、ユークリッドの互除法の各過程を繰り返して
:<math>r_{0} = k_{0}r_{1} + r_{2} \ \ ( 0 < r_{2} < r_{1})</math>
:<math>r_{1} = k_{1}r_{2} + r_{3} \ \ ( 0 < r_{3} < r_{2})</math>
:<math>r_{2} = k_{2}r_{3} + r_{4} \ \ ( 0 < r_{4} < r_{3})</math>
:<math>...</math>
:<math>r_{h - 1} = k_{h - 1}r_{h} + 0</math>
が得られるとき、
:<math>
\begin{pmatrix}
r_{0} \\
r_{1} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
k_{0} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
r_{1} \\
r_{2} \\
\end{pmatrix}</math>
:<math>
\begin{pmatrix}
r_{1} \\
r_{2} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
k_{1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
r_{2} \\
r_{3} \\
\end{pmatrix}</math>
:<math>
\begin{pmatrix}
r_{2} \\
r_{3} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
k_{2} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
r_{3} \\
r_{4} \\
\end{pmatrix}</math>
:<math>...</math>
:<math>
\begin{pmatrix}
r_{h-1} \\
r_{h} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
k_{h - 1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
r_{h} \\
0 \\
\end{pmatrix}</math>
すなわち
:<math>
\begin{pmatrix}
r_{0} \\
r_{1} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
k_{0} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
k_{1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
k_{2} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
k_{3} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
...
\begin{pmatrix}
k_{h-1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
r_{h} \\
0 \\
\end{pmatrix}</math>
ここで
:<math>
K_{i}=
\begin{pmatrix}
k_{i} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}</math> とおくと、<math>|K_{i}|=-1</math> であるから<math>K_{i}^{-1}</math>は存在して
:<math>
\begin{pmatrix}
k_{h-1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}^{-1}
\begin{pmatrix}
k_{h-2} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}^{-1}
...
\begin{pmatrix}
k_{2} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}^{-1}
\begin{pmatrix}
k_{1} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}^{-1}
\begin{pmatrix}
k_{0} & 1 \\
1 & 0 \\
\end{pmatrix}^{-1}
\begin{pmatrix}
r_{0} \\
r_{1} \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
r_{h} \\
0 \\
\end{pmatrix}
</math>
これらの過程において、<math>m = r_{0}, n = r_{1} </math>、ユークリッドの互除法により、<math>r_{h}=\gcd(m, n)</math>であるから、<math>K_{i}^{-1}=\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{i} \\
\end{pmatrix}</math>を考慮すると、
:<math>
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{h - 1} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{h - 2} \\
\end{pmatrix}
...
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{2} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{1} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{0} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
m \\
n \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
\gcd(m, n) \\
0 \\
\end{pmatrix}</math>
となる。
:<math>
\begin{pmatrix}
x & y \\
u & v \\
\end{pmatrix}
=
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{h - 1} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{h - 2} \\
\end{pmatrix}
...
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{2} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{1} \\
\end{pmatrix}
\begin{pmatrix}
0 & 1 \\
1 & -k_{0} \\
\end{pmatrix}</math>
とおき、ユークリッドの互除法の各過程で得られた <math>k_{0}</math>, <math>k_{1}</math>, <math>k_{2}</math>等を用いて、右辺を計算すれば、左辺の<math>x</math>, <math>y</math> が求まり、これは[[ベズーの等式]]
:<math>mx+ny=\gcd(m,n)</math>
を満たす{{sfn|岩堀|1983}}。
== 計算量 ==
割って余りを取るという操作を最悪でも小さいほうの[[十進法]]での桁数の約 5 倍繰り返せば、最大公約数に達する([[ガブリエル・ラメ|ラメ]]の定理)。
最大公約数を求めるのに[[素因数分解]]すればよいと思うかもしれないが、この定理は(''m'', ''n'' が大きいときには)素因数分解をするよりもユークリッドの互除法によるほうがはるかに速いということを述べている。
実際、[[計算複雑性理論]]においては最大公約数を求めることは「容易な問題」として知られており、素因数分解は「困難な問題」であろうと考えられている。
入力された2つの整数のうち小さいほうの整数 ''n'' の桁数を ''d'' とすれば、ユークリッドの互除法では O(''d'') 回の除算で最大公約数が求められる。桁数 ''d'' は O(log ''n'') なので、ユークリッドの互除法では O(log ''n'') 回の除算で最大公約数が求められる。
== 連分数 ==
上の例で出てきた、1071 と 1029 の最大公約数を求める過程は、次のように表せる。
:<math>\begin{align}
1071 &= 1029 \times 1 + 42, \\
1029 &= 42 \times 24 + 21, \\
42 &= 21 \times 2.
\end{align}</math>
すなわち、
:<math>\begin{align}
\frac{1071}{1029} &= 1 + \frac{42}{1029}, \\
\frac{1029}{42} &= 24 + \frac{21}{42}, \\
\frac{42}{21} &= 2.
\end{align}</math>
したがって、
:<math>\frac{1071}{1029} = 1 + \frac{1}{24 + \frac{1}{2}}</math>
このように、 ''n'' と ''m'' (''n'' > ''m'') の最大公約数を求める際のユークリッドの互除法の割り算の商は、有理数 ''n''/''m'' の[[連分数展開]]になっている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=岩堀長慶|authorlink=岩堀長慶|date=1983-04-22|title=2次行列の世界|series=数学入門シリーズ 4|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-007634-5|ref={{Harvid|岩堀|1983}}}}
**{{Cite book|和書|author=岩堀長慶|authorlink=岩堀長慶|date=2015-03-06|title=2次行列の世界|series=新装版 数学入門シリーズ|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-029834-6|ref={{Harvid|岩堀|2015}}}}
*{{Cite book|和書|editor1=ハイベア|editor1-link=ヨハン・ルードウィッヒ・ハイベア|editor2=メンゲ|editor2-link=ハインリッヒ・メンゲ|others=[[中村幸四郎]]・[[寺阪英孝]]・[[伊東俊太郎]]・[[池田美恵]]訳・解説|title=ユークリッド原論|publisher=[[共立出版]]|ref={{Harvid|ユークリッド|中村ほか|1996}}}} - 全13巻の最初の邦訳。
** (ハードカバー)1971年7月。ISBN 4-320-01072-8
***(抜粋)『[[世界の名著]]9』 池田美恵訳 [[中央公論社]] 1972年
** (縮刷版)1996年6月。ISBN 4-320-01513-4
** ([http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320019652 追補版])2011年5月。ISBN 978-4-320-01965-2
*{{Cite book|和書|editor1=ハイベア|editor1-link=ヨハン・ルードウィッヒ・ハイベア|editor2=メンゲ|editor2-link=ハインリッヒ・メンゲ|title=エウクレイデス全集|volume=(全5巻)|publisher=[[東京大学出版会]]|ref=東大版}} - 「エウクレイデス全集」の世界初の近代語訳。
** 第2巻 [http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-065302-2.html 原論VII-X]、[[斎藤憲]] 訳・解説、2015年8月。ISBN 978-4-13-065302-2
== 関連項目 ==
{{Div col}}
*[[ベズーの等式]]
*[[ユークリッド環]]
*[[モジュラ逆数]]
{{Div col end}}
== 外部リンク ==
*{{高校数学の美しい物語|672|ユークリッドの互除法の証明と不定方程式}}
*{{Kotobank|ユークリッドの互除法|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
*{{MathWorld|title=Euclidean Algorithm|urlname=EuclideanAlgorithm}}
*{{SpringerEOM|title=Euclidean algorithm|id=Euclidean_algorithm}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ゆうくりつとのこしよほう}}
[[Category:エウクレイデス]]
[[Category:数学のエポニム]]
[[Category:合同算術]]
[[Category:初等数学]]
[[Category:初等整数論]]
[[Category:数論アルゴリズム]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-05-08T15:16:25Z | 2023-07-28T10:01:45Z | false | false | false | [
"Template:Div col end",
"Template:Kotobank",
"Template:MathWorld",
"Template:Normdaten",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Refnest",
"Template:Sfn",
"Template:Div col",
"Template:高校数学の美しい物語",
"Template:SpringerEOM",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite book"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%AE%E4%BA%92%E9%99%A4%E6%B3%95 |
7,943 | 楽器 | 楽器(がっき、英: musical instrumentあるいは単に英: instrument)とは、一般的には「音楽の素材としての音を発するための道具の総称」「音楽に使用される音を出す器具」とされる。
『音を出すもの』全てが楽器なのではなく、『音を出すためのもの』が楽器であり、言い換えると、音を出すことを目的とするものが楽器である、とも指摘されている。大抵のものは叩けば音がするが、それだけでそれを「楽器」と言うことはない。例えばスプーンは(叩けば音がするが、それだけでは)楽器ではない。だがアフリカにはそれを重ね合わせて楽器とする例があり、『スプーン・カスタネット』と呼ばれる。また法螺貝は元々は貝の殻であり、その時点では楽器でないが、死んで(音を出す目的で)吹かれると楽器になる。他の用途にも使える楽器もあり、例えばステッキとして使えるフルートなどが実在する。この場合、(ステッキとして使っている間はステッキであって)フルートとして使っているときは楽器だと言うことになる。
桶・弓・鍋・釜・皿などを叩いて「音楽の素材にする」こともできないわけではないため、広くは「音を出すことができるものはすべて楽器(になりうる)」とみなすことができる。しかし、「音を出すために使われる(ことがある)が、(一般的に他の用途のほうがむしろ主で)楽器とまでは言い難い道具は音具と呼んで区別する」という考え方もある。
そもそも楽器はいつ頃発明されたのか、様々な楽器がそれぞれいつ発明されたのかという問題は多くの人の関心を呼んできたが、初期の楽器は今日的な意味で「発明」されたわけではなく、大地を踏み鳴らしたり、手で体を打ったりといった人間の様々な動作衝動によって生み出されてきたに違いないのであって、おそらくリズムを刻む種類の楽器が最初に作られたのであろうとザックスは指摘した。さらにはより大きな音や激しい音を得るために木や石を叩いた可能性も大きい。具体的には旧石器時代に「がらがら」を作っていたことが知られ、これは音をより長く持続させるための工夫であったかも知れない。楽器の種類としては打楽器が最も早かったと考えられる。これは作るのが容易であると考えられること、それに現在の民族で打楽器を持たないものがほとんど無いことから推察される。がらがらの他に木の棒を叩く「クラッパー」などがもっとも初期のものと考えられる。なお、笛も、すでに旧石器時代のそれと思われるものが発見されている。
打楽器は、全ての楽器の中で一番古い歴史をもっている。原始時代から存在していて、古代の人々は、両手を打ち合わせたり、木の枝でものをたたいて音を作り出した。
また山間の歩行に、猛獣毒蛇をさけるための打ち道具も、ダンスに利用すれば立派な楽器となり、これがない場合には、拍手、足ぶみ、胸、腹、尻、腕、脚などを打つこともある。
管楽器は、人間の気息によって発音される楽器の総称で、打楽器に次いで構想されたと思われている。管でないものもあるので、楽器学では空気楽器とか気鳴楽器といわれている。 つまり、口笛や、こぶしを吹くような動作が、たまたま芦や竹の茎や動物のつの、ほら貝を吹くようになった。そして即興的に興奮にまたは合図に用いられたのが発端であるといわれている。
たとえば、角を強く吹けばオクターブや、5度、4度の音程がでることや、長い竹と短い竹とでは音程に差があることが、だんだん知られてきた。笛類も、最も古いものは、上から吹くもので、これを音階順に並べたものは「パンの笛」といわれ、中国の古楽器「排簫(はいしょう)」はそれである。今日南米ペルー、ボリビアなどに民族楽器として盛んに行われているものである。
管楽器は芦や竹がその材料であることから、竹の特産である東アジア、東南アジア、芦の名産地である西南アジア、地中海東部がこれらの楽器を育ててきたということができる。
打楽器や管楽器は、合図用から発展したものであるが、弦楽器は、明らかに一層後期に、しかも意図のもとに作られたものである。狩りの弓はその起源であるにしても、あるときは武力の優勢を誇るために、弓の弦を一勢に鳴らして、相手側を圧迫しようとしたことがあったと思われる。
弦楽器は特定の民族から起こって西東に伝わったというよりも、狩猟に弓を使っているうちに、いろいろな音の効果を知って、それぞれの弦楽器を作ったものと思われる。
弦楽器は振動の起こし方で3種類に分けられる。
・擦弦楽器(さつげんがっき)...弦を弓でこすって振動させ、発音に響く楽器でバイオリンや胡弓などがその実例
・撥弦楽器(はつげんがっき)...弦をばちや指ではじいて、かき鳴らす楽器で、ハーブやギター、三味線や箏など
・打弦楽器(だげんがっき)...・弦をハンマーなどをたたいて鳴らす楽器で、ピアノがその代表
鍵盤楽器で一番古い歴史を持つのは、 紀元前3世紀にエジプトで原型が発見されたオルガン(パイプに空気を送って音を作りだす操作を鍵盤でするもの)であった。 それから14~15世紀にかけて改良され、現在のような白と黒の鍵盤が作られた。
今でこそ鍵盤楽器は、両手と足でふむペダルを使って演奏するが、初期のオルガンは複数の鍵盤の音を出すこともできなかったし、早く演奏したりもできなかった。
物理的な側面から見ると、楽器の多くは
の双方から成っているが、中には後者を持たないものもある。
今日、多種類の楽器が知られているが、これらは以下のように様々な見方で分類することができる。
主に西洋音楽の分野で歴史的に用いられている分類。奏法を感覚的に把握する上であるていど役立つ実用性をもつ反面、明確な分類基準に基づくものではないので、楽器を体系的に分類するには適していない。
最もよく知られているザックス=ホルンボステル分類(HS分類)では、発音原理に基づいて以下の5つに分ける。当初は「体」「膜」「弦」「気」の4分類法だったが、後に「電」が加えられた。
オーケストラの配置決めの際に、音域による楽器の分類を使うことがある。
西洋音楽の3要素であるリズム、メロディ、ハーモニーに注目した分類。
両者の境界線は曖昧である。例えば、一見すると不完全楽器であるヴァイオリンも、和声伴奏部をアルペジオで崩して弾いたり、バッハ弓を使うなどの裏技を駆使すれば、完全楽器に近い演奏が可能である。
作音楽器は人声のように、ピアノでは出せない微妙な高さの音も奏でることができる。
減衰楽器は構造上、熟練奏者であっても持続音を出すことはできない。持続楽器は意図的に楽音を増減させることができるので、表現力豊かな演奏が可能である。
地域による楽器分類の境界線は曖昧である。例えばバラライカやバグパイプ、カンテレなどは広義の洋楽器だが、狭義ではヨーロッパの民族楽器である。また一般人が日本語で漠然と「洋楽器」と言うと結果として古楽器は含んでいないことが多いが、これも専門家だと異なる用い方をすることがある。
楽器メーカーや楽器店では、アコースティック楽器、フレット楽器、リード楽器、蛇腹楽器など、購買層のニーズや楽器の流通経路の実態に応じた実用的分類も行われており、それぞれの楽器の専門店も存在する。
楽器製造業とは、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、電子楽器などの楽器を製造する工業のことである。楽器の製造工程には、パーツ成形・組み立て・塗装・検品などが含まれる。 | [
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"text": "たとえば、角を強く吹けばオクターブや、5度、4度の音程がでることや、長い竹と短い竹とでは音程に差があることが、だんだん知られてきた。笛類も、最も古いものは、上から吹くもので、これを音階順に並べたものは「パンの笛」といわれ、中国の古楽器「排簫(はいしょう)」はそれである。今日南米ペルー、ボリビアなどに民族楽器として盛んに行われているものである。",
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"text": "鍵盤楽器で一番古い歴史を持つのは、 紀元前3世紀にエジプトで原型が発見されたオルガン(パイプに空気を送って音を作りだす操作を鍵盤でするもの)であった。 それから14~15世紀にかけて改良され、現在のような白と黒の鍵盤が作られた。",
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"text": "楽器メーカーや楽器店では、アコースティック楽器、フレット楽器、リード楽器、蛇腹楽器など、購買層のニーズや楽器の流通経路の実態に応じた実用的分類も行われており、それぞれの楽器の専門店も存在する。",
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"text": "楽器製造業とは、鍵盤楽器、弦楽器、管楽器、打楽器、電子楽器などの楽器を製造する工業のことである。楽器の製造工程には、パーツ成形・組み立て・塗装・検品などが含まれる。",
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] | 楽器とは、一般的には「音楽の素材としての音を発するための道具の総称」「音楽に使用される音を出す器具」とされる。 | {{出典の明記|date=2012年3月|ソートキー=楽}}
[[File:Attributes of Music.jpg|thumb|[[アンヌ・ヴァライエ=コステル]]が描いた楽器の[[絵]]。]]
'''楽器'''(がっき、{{lang-en-short|musical instrument|musical instrument}}あるいは単に{{Lang-en-short|instrument}}<ref name="OxfordD">[https://en.oxforddictionaries.com/definition/instrument Oxford Dictionary "instrument 3."] </ref><ref group="注">英語で「instrument」だけでも楽器を指しうるので、たとえば歌詞カードでも「All Other Instruments(その他全ての楽器)」「All Instruments(全ての楽器)」「Other Instruments(その他の楽器)」といった表記がされることになる。</ref>)とは、一般的には「[[音楽]]の素材としての音を発するための道具の総称<ref name="Daijiten">[[下中直也]](編) 『音楽大事典』 全6巻、[[平凡社]]、1981年</ref>」「音楽に使用される音を出す器具<ref name="Tyuujiten">『音楽中辞典』 [[音楽之友社]]、1979年</ref>」とされる。
==範囲==
<ref group="注">{{要出典範囲|「楽器は一般的には「音楽のための道具であり、そのために音を出すもの」である。ただし楽器は必ずしも音楽のためだけに使われるものではない。合図を発するため、あるいは猛獣を避けるために音を鳴らすのも楽器である。したがって楽器とは『音を発するための道具』とするのが妥当である。」|date=2018年12月}}</ref>
『音を出すもの』全てが楽器なのではなく、『音を出すためのもの』が楽器であり、言い換えると、音を出すことを目的とするものが楽器である、とも指摘されている。大抵のものは叩けば音がするが、それだけでそれを「楽器」と言うことはない。例えばスプーンは(叩けば音がするが、それだけでは)楽器ではない。だがアフリカにはそれを重ね合わせて楽器とする例があり、『スプーン・カスタネット』と呼ばれる。また[[法螺貝]]は元々は貝の殻であり、その時点では楽器でないが、死んで(音を出す目的で)吹かれると楽器になる。他の用途にも使える楽器もあり、例えばステッキとして使えるフルートなどが実在する。この場合、(ステッキとして使っている間はステッキであって)フルートとして使っているときは楽器だと言うことになる<ref>守重(2015),p.19-20</ref>。
桶・弓・鍋・釜・皿などを叩いて「音楽の素材にする」こともできないわけではないため、広くは「音を出すことができるものはすべて楽器(になりうる)」とみなすことができる。しかし、「音を出すために使われる(ことがある)が、(一般的に他の用途のほうがむしろ主で)楽器とまでは言い難い道具は[[音具]]と呼んで区別する」という考え方もある。
== 歴史 ==
[[File:Musical_instruments_AMIDA-KY%C5%8C_WAKUN_ZUE_%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80%E7%B5%8C%E5%92%8C%E8%A8%93%E5%9B%B3%E4%BC%9A_%E6%A5%BD%E5%99%A8%E5%9B%B3.jpg|thumb|楽器は古来さまざまな宗教とも結びついてきた。『阿弥陀経和訓図』上巻(1864年刊)の挿絵]]
そもそも楽器はいつ頃発明されたのか、様々な楽器がそれぞれいつ発明されたのかという問題は多くの人の関心を呼んできたが、初期の楽器は今日的な意味で「発明」されたわけではなく、大地を踏み鳴らしたり、手で体を打ったりといった人間の様々な動作衝動によって生み出されてきたに違いないのであって、おそらく[[リズム]]を刻む種類の楽器が最初に作られたのであろうと[[クルト・ザックス|ザックス]]は指摘した<ref name="Rekisi">[[クルト・ザックス]](著) [[柿木悟郎]](訳) 『楽器の歴史(上)』 [[全音楽譜出版社]]、1965年、{{ISBN2|4-11-800011-3}}。</ref>。さらにはより大きな音や激しい音を得るために木や石を叩いた可能性も大きい。具体的には[[旧石器時代]]に「[[がらがら]]」を作っていたことが知られ、これは音をより長く持続させるための工夫であったかも知れない。楽器の種類としては[[打楽器]]が最も早かったと考えられる。これは作るのが容易であると考えられること、それに現在の民族で[[打楽器]]を持たないものがほとんど無いことから推察される。がらがらの他に木の棒を叩く「クラッパー」などがもっとも初期のものと考えられる。なお、[[笛]]も、すでに旧石器時代のそれと思われるものが発見されている<ref>守重(2015),p.21</ref><ref group="注">ちなみに、日本の古代を研究する[[考古学]]領域では、[[近畿地方]]を中心とする[[遺跡]]から出土する[[銅鐸]]について、「[[祭祀]]に用いられる[[鐘]]のような楽器であった」とする説が有力である。</ref>。
打楽器は、全ての楽器の中で一番古い歴史をもっている。原始時代から存在していて、古代の人々は、両手を打ち合わせたり、木の枝でものをたたいて音を作り出した。
また山間の歩行に、猛獣毒蛇をさけるための打ち道具も、ダンスに利用すれば立派な楽器となり、これがない場合には、拍手、足ぶみ、胸、腹、尻、腕、脚などを打つこともある。
管楽器は、人間の気息によって発音される楽器の総称で、打楽器に次いで構想されたと思われている。管でないものもあるので、楽器学では空気楽器とか気鳴楽器といわれている。 つまり、口笛や、こぶしを吹くような動作が、たまたま芦や竹の茎や動物のつの、ほら貝を吹くようになった。そして即興的に興奮にまたは合図に用いられたのが発端であるといわれている。
たとえば、角を強く吹けばオクターブや、5度、4度の音程がでることや、長い竹と短い竹とでは音程に差があることが、だんだん知られてきた。笛類も、最も古いものは、上から吹くもので、これを音階順に並べたものは「パンの笛」といわれ、中国の古楽器「排簫(はいしょう)」はそれである。今日南米ペルー、ボリビアなどに民族楽器として盛んに行われているものである。
管楽器は芦や竹がその材料であることから、竹の特産である東アジア、東南アジア、芦の名産地である西南アジア、地中海東部がこれらの楽器を育ててきたということができる。
打楽器や管楽器は、合図用から発展したものであるが、弦楽器は、明らかに一層後期に、しかも意図のもとに作られたものである。狩りの弓はその起源であるにしても、あるときは武力の優勢を誇るために、弓の弦を一勢に鳴らして、相手側を圧迫しようとしたことがあったと思われる。
弦楽器は特定の民族から起こって西東に伝わったというよりも、狩猟に弓を使っているうちに、いろいろな音の効果を知って、それぞれの弦楽器を作ったものと思われる。
弦楽器は振動の起こし方で3種類に分けられる。
・擦弦楽器(さつげんがっき)…弦を弓でこすって振動させ、発音に響く楽器でバイオリンや胡弓などがその実例
・撥弦楽器(はつげんがっき)…弦をばちや指ではじいて、かき鳴らす楽器で、ハーブやギター、三味線や箏など
・打弦楽器(だげんがっき)…・弦をハンマーなどをたたいて鳴らす楽器で、ピアノがその代表
鍵盤楽器で一番古い歴史を持つのは、 紀元前3世紀にエジプトで原型が発見されたオルガン(パイプに空気を送って音を作りだす操作を鍵盤でするもの)であった。 それから14~15世紀にかけて改良され、現在のような白と黒の鍵盤が作られた。
今でこそ鍵盤楽器は、両手と足でふむペダルを使って演奏するが、初期のオルガンは複数の鍵盤の音を出すこともできなかったし、早く演奏したりもできなかった。<ref>{{Cite web|和書|title=音の起源 |url=https://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/oto/naiyou/kigen.html |website=www.osaka-kyoiku.ac.jp |accessdate=2022-01-28}}</ref>{{節スタブ|date=2021年4月}}
==構造==
物理的な側面から見ると、楽器の多くは
* 振動源([[励振|励振系]]):[[振動]]を作り出す部位([[弦 (楽器)|弦]]、[[リード (楽器)|リード]]、[[マウスピース (楽器)|マウスピース]]など)
* 共鳴部([[共振|共振系]]):[[共振]]([[共鳴]])によって音を大きくする部位(共鳴板、共鳴箱、共鳴筒など)
の双方から成っているが、中には後者を持たないものもある。
== 楽器の分類 ==
今日、多種類の楽器が知られているが、これらは以下のように様々な見方で分類することができる。
=== 旧来の慣用的分類 ===
{{Indent|
主に[[西洋音楽]]の分野で歴史的に用いられている分類。奏法を感覚的に把握する上であるていど役立つ実用性をもつ反面<ref group="注">例えば(ピアノ式の手鍵盤をもつ)「鍵盤楽器」の指遣いはどの楽器でも同じであるため、ピアノの奏者は、HS分類では異なる種類に分類されるオルガンや鍵盤ハーモニカ、電子キーボードなども問題なく弾ける。「金管楽器」であれば、呼吸器が弱い人は不利だと想像できる。</ref>、[[楽器分類学#概要|明確な分類基準に基づくものではない]]ので、楽器を体系的に分類するには適していない。
* [[管楽器]] - 一般的には「管」の内部の空気を振動させて音を出す楽器であるが、[[オカリナ]]のように「管状」でないものも含まれるから、訳語としては「吹奏楽器」の方が適切である。後述のHS分類では[[気鳴楽器]]となる。管状の楽器では、[[音高]]は筒の長さや形状によって決まり、[[音色]]は楽器の作りによってかなり異なったものとなる。
**[[金管楽器]] - 唇の振動によって管の内部の空気を振動させる楽器。唇簧管楽器。広義の[[ラッパ]]。音高を変えるために、[[バルブ]]などによって管の長さを変える仕組みを持つものが多い。「金属」で作られているかどうかは無関係である。
**[[木管楽器]] - 金管楽器以外の管楽器すべて。唇の振動によらないもの。広義の[[笛]]。無簧(エアリード)、単簧(シングルリード)、複簧(ダブルリード)に分けられる。一般に音高を変える側孔([[音孔]])を持つ。「木」で作られているかどうかは無関係である。
* [[弦楽器]] - 張力を持たせて張った[[弦 (楽器)|弦]]を弾く、擦る、叩くなどして音を出す楽器。音高は弦の長さや張力、単位長さ当たりの質量によって決まり、弦の材質、共鳴胴の形状、材質などによって様々な音色のものがある。HS分類では弦鳴楽器となる。
* [[打楽器]] - 楽器を手や[[撥|ばち]]で打ったり楽器同士を打ち合わせることによって音を出すものが多いが、振ったり擦ったりして出す楽器もある。様々な材料と形のものがあり、音や奏法も様々である。HS分類では体鳴楽器または膜鳴楽器となる。
* [[鍵盤楽器]] - 指や足で演奏するための[[鍵盤 (楽器)|鍵盤]]を有するもの。HS分類では発音原理次第で、体鳴楽器、弦鳴楽器、気鳴楽器、電鳴楽器のいずれかに該当することになる。
* [[電気楽器]] - 何らかの手段で作り出した物理的振動を、電気的、電子的に増幅処理して、最終的に電磁気力によって音を出す楽器。振動源だけに着目すれば、HS分類の体鳴楽器、膜鳴楽器、気鳴楽器、弦鳴楽器のいずれかに属するわけであるが、いずれであってもHS分類では電鳴楽器として分類される。
* [[電子楽器]] - 振動自体を電子的手段で作成し、最終的に電磁気力によって音を出す楽器。HS分類では電鳴楽器となる。
* [[声]] - 人間の声は一種の楽器として取り扱われることもあり、その場合は[[声帯]]が振動源、[[口腔]]が共鳴部ということになるが、一般的には「[[声楽]]」は「[[器楽]]」の対語であり、声は楽器とみなさない。HS分類でも楽器に含めない。
}}
=== 楽器分類学における分類 ===
{{Indent|
最もよく知られている[[楽器分類学#ザックス=ホルンボステル分類|ザックス=ホルンボステル分類(HS分類)]]では、発音原理に基づいて以下の5つに分ける。当初は「体」「膜」「弦」「気」の4分類法だったが、後に「電」が加えられた<ref name="Daijiten"/>。
* [[体鳴楽器]] - ほぼ均質の物質でできた弾性体に刺激が与えられることにより音を出す楽器【例:[[シンバル]]、[[トライアングル]] 等】
* [[膜鳴楽器]] - 張力を持たせて張った膜に刺激が与えられることにより音を出す楽器【例:[[スネアドラム|小太鼓]]、[[ティンパニ]] 等】
* [[弦鳴楽器]] - 張力を持たせて張った糸に刺激が与えられることにより音を出す楽器【例:[[ヴァイオリン]]、[[ピアノ]] 等】
* [[気鳴楽器]] - 息など空気の流れが刺激となり音を出す楽器【例:[[トランペット]]、[[フルート]] 等】
* [[電鳴楽器]] - 紙などでできた振動板を電磁気力で刺激して音を出す(つまり[[スピーカ]]から音を出す)楽器【例:[[エレクトリック・ギター]]、[[電子ピアノ]] 等】
}}
=== 音域による分類 ===
{{Indent|
[[オーケストラ]]の配置決めの際に、[[音域]]による楽器の分類を使うことがある。
*[[ソプラノ]] - [[フルート]]、[[ヴァイオリン]]、[[トランペット]]、[[クラリネット]]、[[オーボエ]]、[[ピッコロ]]
*[[アルト]] - [[フレンチホルン]]、[[コーラングレ]]、[[ヴィオラ]]
*[[テナー]] - [[トロンボーン]]、[[ギター]]
*[[バリトン]] - [[ファゴット]]、[[チェロ]]、[[ユーフォニアム]]
*[[バス (声域)|バス]] - [[チューバ]]、[[コントラバス]]
}}
=== 機能による分類 ===
{{Indent|西洋音楽の3要素である[[リズム]]、[[メロディ]]、[[和声|ハーモニー]]に注目した分類。
* 完全楽器(complete musical instrument) - 3要素の全てを1台で奏することができる楽器。[[合奏]]はもちろん、[[ホモフォニー]]音楽や[[ポリフォニー]]音楽の[[独奏]]楽器としても使用可能。【例:一部の[[鍵盤楽器]]([[ピアノ]]、[[オルガン]]、[[アコーディオン]]、[[コンサーティーナ]]、[[バンドネオン]]等)、一部の弦楽器([[クラシック・ギター]]、クラシック・[[ハープ]])等】
* 不完全楽器 - 3要素のうち1部の要素の演奏に特化した楽器。[[モノフォニー|単旋律]]楽器やリズム楽器([[打楽器]])など。他の楽器との合奏で使われることが多い。【例:[[フルート]]、[[トランペット]]、[[大正琴]]、[[カスタネット]]等】
両者の境界線は曖昧である。例えば、一見すると不完全楽器である[[ヴァイオリン]]も、和声伴奏部を[[アルペジオ]]で崩して弾いたり、[[バッハ弓]]を使うなどの裏技を駆使すれば、完全楽器に近い演奏が可能である。
}}
=== 音の安定性による分類 ===
{{Indent|
* 定音楽器 - ピアノのような鍵盤楽器など、楽器の構造上、鳴らすだけで正確な高さの音が出る楽器。
* 作音楽器 - ヴァイオリンのような弦楽器や、尺八のような管楽器など、楽器の構造上、奏でるだけでは正確な音程が出ず、演奏者が音の高さを調整して作らねばならない楽器。
作音楽器は人声のように、ピアノでは出せない微妙な高さの音も奏でることができる。
}}
=== 音の持続性による分類 ===
{{Indent|
* 減衰楽器 - ピアノやギター、ハープ、三味線など。
* 持続楽器 - 笛やヴァイオリン、オルガン、[[コンサーティーナ]]、人声(楽器と見なす場合)など。
減衰楽器は構造上、熟練奏者であっても持続音を出すことはできない<ref group="注">ただし、電気を用いる楽器ではこれを可能にする例も存在する。</ref>。持続楽器は意図的に楽音を増減させることができるので、表現力豊かな演奏が可能である。
}}
=== 地域による分類 ===
{{Indent|
* [[民族楽器]]([[民俗楽器]]) - 西洋音楽に用いる楽器以外の楽器。世界的には、日本人だけが用いている伝統的楽器も「民族楽器」に分類される。ただし、日本語で書かれた日本人だけに向けた教科書類で「民族楽器」と言った場合にはそれ(和楽器)を含まず別格にしたがる傾向がある。
* [[和楽器]] - 日本の伝統的な楽器。
* [[洋楽器]] - 広義では上記以外の楽器全て。狭義では「明治時代以降に西洋から日本に伝来した楽器」。
地域による楽器分類の境界線は曖昧である。例えば[[バラライカ]]や[[バグパイプ]]、[[カンテレ]]などは広義の洋楽器だが、狭義ではヨーロッパの民族楽器である。また一般人が日本語で漠然と「洋楽器」と言うと結果として[[古楽器]]は含んでいないことが多いが、これも専門家だと異なる用い方をすることがある。
}}
=== その他の分類 ===
{{Indent|
楽器メーカーや楽器店では、[[アコースティック楽器]]、[[フレット]]楽器、[[リード (楽器)|リード楽器]]、[[蛇腹楽器]]など、購買層のニーズや楽器の流通経路の実態に応じた実用的分類も行われており、それぞれの楽器の専門店も存在する。
}}
== 楽器製造業 ==
{{see also|Category:楽器メーカー|Category:日本の楽器メーカー}}
[[楽器製造業]]とは、[[鍵盤楽器]]、[[弦楽器]]、[[管楽器]]、[[打楽器]]、[[電子楽器]]などの楽器を[[製造]]する[[工業]]のことである<ref name=":0">{{コトバンク|楽器製造業}}</ref>。楽器の製造工程には、パーツ成形・組み立て・塗装・検品などが含まれる<ref>{{Cite web|和書|title=楽器製造業はどんな仕事?年収や仕事内容など詳しく解説 |url=https://www.job-monodukuri.net/industry/instrument.html |website= |access-date=2022-09-14 |language=ja}}</ref>。
;日本の楽器製造業
:[[日本楽器製造]]([[ヤマハ]])の創業者である[[山葉寅楠]]が1887年に[[オルガン]]製作に成功したことで<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=楽器産業の歴史 |url=http://www.hamamatsu-mononavi.jp/about/music/ |website= |access-date=2022-09-14 |language=ja |publisher=浜松ものづくり企業ナビ}}</ref>、[[日本]]の近代的楽器製造は幕を開けた<ref name=":0" />。
:日本において最も楽器製造が盛んといえる地域は[[静岡県]]であり<ref>{{Cite web|和書|title=ピアノ、楽器の輸出額日本一 |url=https://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_piano_yusyutsu.html |website=www.pref.shizuoka.jp |access-date=2022-09-14 |publisher=[[静岡県]] |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ピアノの出荷量、出荷額日本一 |url=https://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_piano.html |website=www.pref.shizuoka.jp |access-date=2022-09-14 |publisher=静岡県 |language=ja}}</ref>、日本国内で[[ピアノ]]を[[出荷]]しているのは静岡県のみである<ref name=":2">{{PDFlink|[https://toukei.pref.shizuoka.jp/documents/monodukuriken_shizuokanonihoniti.pdf ものづくり県・ 静岡の日本一!]}}</ref>。2014年の静岡県のピアノの出荷台数は35,174台、出荷額は230億4,800万円でいずれも日本一である<ref name=":2" />。特に[[浜松]]は、世界的な楽器生産地のひとつであり、ヤマハや[[カワイ]]、[[ローランド]]などの楽器メーカーがたくさん集まっている<ref name=":1" />。
:現在、楽器製造業の事業所は日本国内に90ほどある<ref>{{Cite web|和書|title=楽器メーカー |url=https://www.ondainavi.jp/job/musical_instrument.html |website=www.ondainavi.jp |access-date=2022-09-14 |publisher=音大生就活ナビ |language=ja}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
=== 出典 ===
{{Reflist}}
==参考文献==
* [[守重信郎]]、『写真で分かる! 楽器の歴史 楽器学入門』、(2015)、[[時事通信出版局]]、 {{ISBN2|978-4-7887-1417-5}}。
== 関連項目 ==
{{ウィキプロジェクトリンク|楽器}}
* [[楽器分類学]]
* {{ill2|創作楽器|en|Experimental musical instrument}} - 新しい音を作り出すために、音楽家たちが創意工夫を凝らして作った楽器。
* Improvised musical instruments:{{ill2|シガーボックスギター|en|Cigar box guitar}}、{{ill2|スプーン (楽器)|en|Spoon (musical instrument)}}、[[ミュージックソー]]、[[グラス・ハープ]]
* [[ヘリコプター弦楽四重奏曲]] - その名の通り、[[ヘリコプター]]が4機使われる。
* [[音域一覧]]
* [[奏法]]
* [[浜松市楽器博物館]]
== 外部リンク ==
{{Sisterlinks
| wikt = 楽器
| q = no
}}
* {{Kotobank|楽器}}
* [http://toyokeizai.net/articles/-/117094 「楽器」の真実をどれぐらい知っていますか]([[東洋経済オンライン]]、蘊蓄の箪笥 100章)
* {{YouTube|oCYHMVlQezA|世界で最も珍しい楽器です!}}
{{楽器}}
{{Normdaten}}
{{musical-instrument-stub}}
{{DEFAULTSORT:かつき}}
[[Category:楽器|*]] | 2003-05-08T16:19:56Z | 2023-11-25T22:25:24Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%99%A8 |
7,946 | 音源 | 音源(おんげん)は、音の発生源。あるいは、音のデータ・ソース元。
電子的に再生音を作成する機構、回路。電子楽器の心臓部。シンセサイザー、電子オルガン、電子ピアノなどの電子楽器、音源モジュールなどに組み込まれる他、ゲーム機、パソコン、携帯電話等に搭載される。
方式としては(観点にもよるので以下のような分類が絶対といったようなことはない)、
などがある。
ひとつの音源チップで複数の方式を実装しているものもある。またDSPのような信号処理に強いプロセッサや、200x年代以降は通常のCPUを使っても音声波形を処理する計算が可能になってきたことで、いわゆる「ソフトウェア音源」といったものも一般的になった。
メロディICのように、あらかじめデータが書き込まれた音源も存在する。
別な観点からは、PCの仕様の一部として策定されたものもあるが、これはどちらかというとコンテンツの快適な再生などといった観点から、最低要求水準を定めたものであり、それを満たしていることが一般的になると、通常は特に言及もされなくなった。
他には、共通規格という観点から、
といった分類もある。 | [
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] | 音源(おんげん)は、音の発生源。あるいは、音のデータ・ソース元。 音が発生する場所、またはその物体。
コンピュータ等で音を出すための機構、そのための回路、部品。
電子楽器の楽音生成部、およびそれをモジュール化して独立させた機器(音源モジュール)。
CDアルバムなど、そこから音が得られる媒体のことを指すこともある。媒体そのものは音を発生させないため、誤用から始まった表現方法。 | {{出典の明記|date=2023年6月}}
'''音源'''(おんげん)は、[[音]]の発生源。あるいは、音の[[データ]]・[[情報源|ソース]]元。
* 音が発生する[[位置|場所]]、またはその[[物体]]。
* [[コンピュータ]]等で音を出すための機構、そのための回路、部品。
* 電子楽器の楽音生成部、およびそれをモジュール化して独立させた機器([[音源モジュール]])。
* [[コンパクトディスク|CD]][[アルバム]]など、そこから音が得られる[[メディア (媒体)|媒体]]のことを指すこともある。媒体そのものは音を発生させないため、[[誤用]]から始まった表現方法。
== コンピュータ等で音を出すための機構 ==
電子的に再生音を作成する機構、回路。電子楽器の心臓部。[[シンセサイザー]]、[[電子オルガン]]、[[電子ピアノ]]などの電子楽器、音源モジュールなどに組み込まれる他、[[ゲーム機]]、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]、[[携帯電話]]等に搭載される。
方式としては(観点にもよるので以下のような分類が絶対といったようなことはない)、
* [[Programmable Sound Generator|PSG]] (SSG)
* [[FM音源]]
* [[LA音源]]
* [[PD音源]]
* [[PCM音源]]
* [[波形メモリ音源]] (Wavetable音源)
* [[物理モデル音源]]
などがある。
ひとつの音源チップで複数の方式を実装しているものもある。また[[デジタルシグナルプロセッサ|DSP]]のような信号処理に強いプロセッサや、200x年代以降は通常のCPUを使っても音声波形を処理する計算が可能になってきたことで、いわゆる「ソフトウェア音源」といったものも一般的になった。
[[メロディIC]]のように、あらかじめデータが書き込まれた音源も存在する。
別な観点からは、PCの仕様の一部として策定されたものもあるが、これはどちらかというとコンテンツの快適な再生などといった観点から、最低要求水準を定めたものであり、それを満たしていることが一般的になると、通常は特に言及もされなくなった。
* [[Audio Codec 97]](AC'97)
* [[HD Audio]](High Definition Audio)
== 電子楽器の楽音生成部、およびそれを独立させた機器(音源モジュール) ==
他には、共通規格という観点から、
* MIDI音源 ([[MIDI]])
といった分類もある。
== 関連項目 ==
{{Wiktionary}}
* [[パースペクタ・ステレオ]]
* [[内蔵音源]]
{{DEFAULTSORT:おんけん}}
[[Category:音]]
[[Category:音声処理]] | 2003-05-09T01:50:09Z | 2023-09-07T13:20:46Z | false | false | false | [
"Template:出典の明記",
"Template:Wiktionary"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%BA%90 |
7,948 | 音声ファイルフォーマット | 音声ファイルフォーマット(おんせいファイルフォーマット、英: Audio file format)は、音データをコンピュータシステム上で格納する際のファイル形式(コンテナフォーマット)の総称である。
音声の符号化には、大別してパルス符号変調(PCM)方式に基づくものと、パルス密度変調(PDM)方式に基づくものとがある。CD-DAやDVD-Audioに使用される方式は前者であり、Super Audio CDに使用される方式は後者である。リニアPCMは音声信号の強度を特定の量子化ビット数(ビット深度)の数値として表現し、一定の時間間隔(サンプリング周波数)で標本化する。音声信号の強さの代わりに、音声信号の強さの(時間)差分を符号化する方式として差分パルス符号変調(DPCM)や適応的差分パルス符号変調(ADPCM)がある。一方でPDMは音声の波の疎密を1bitで表現して一定の間隔で標本化する。
これらのデータは圧縮されずに格納されるか、ファイルサイズを削減するために圧縮して格納される。その際に、どのような構造で格納されるかを規定するものがファイルフォーマットである。例えば、生のPCMデータは 量子化ビット数[bit/sample]×サンプリング周波数[sample/sec]×時間[sec] で定まる長さのビット列として表されるが、これを音声データとして解釈する場合、それがPCMで符号化された音声であること、量子化ビット数、サンプリングレートなどの情報(メタデータ)が必要である。ファイルフォーマットはこれらデータの配置の仕方・形式(フォーマット)を規定する。リニアPCMを格納したWAVフォーマットは、RIFF識別子、この項目以降のサイズ、フォーマット情報、fmt識別子、fmtチャンクのサイズ、リニアPCMであることを表す情報、チャンネル数(モノラルなら 1、ステレオなら 2)、サンプリングレート、バイトレート、ブロックサイズ、データ識別子、PCMデータのバイト数、PCMデータ、という形式になっている。ただし数値はリトルエンディアンで表現される。より複雑なファイルフォーマットでは、曲名、アーティスト名、アルバムアート(画像データ)、歌詞など、他の付加的情報を格納することもでき、その為のフォーマットが規定される。
ファイルフォーマットとコーデックを区別することは重要である。コーデックは生の音声データを符号化(とくに圧縮)/復号する方式であり、ファイルフォーマットは音声をファイルに格納する際の特定の形式を指す。ただし、音声ファイルフォーマットには1つのコーデックが対応する(あるいはひとつの標準的なコーデックが存在する)こともある。複数のコーデックが対応する音声ファイルフォーマットとしては、Matroska AudioやMP4などがある。
音声ファイルフォーマットには、主に非圧縮音声の格納に用いられるもの、可逆圧縮音声の格納に用いられるもの、非可逆圧縮音声の格納に用いられるものとがある。
PCM形式の非圧縮音声については、WindowsではWAV、Mac OS ではAIFFに格納されることが標準的である。WAVは柔軟なファイルフォーマットであり、非圧縮/圧縮を問わず、任意のサンプリング周波数とビットレートの音声を格納できる。一方でPDM形式の非圧縮音声はDSDIFFやDSFなどの形式で格納される。詳細はDSDを参照。
可逆圧縮を伴うフォーマットでは、録音や再生の際に余分な処理が必要となるが、大量の録音をする場合にはストレージ容量の節約という点で効率的と言える。WAV(正確にはリニアPCM)などの非圧縮形式は、録音対象が複雑な音楽でも全くの静寂であっても、単位時間当たりに同じ量のビットを記録する。例えば、オーケストラの演奏のような複数の音が混じる場合でも、全く音がしない状況でも、非圧縮の場合、単位時間当たりのファイルサイズは同じである。同じものを可逆圧縮方式であるTTAで符号化した場合、前者のファイルはある程度小さくなり、後者のファイルはほとんどゼロに近いサイズになるだろう。しかし、音声データをTTAで符号化するには、非圧縮(何も処理をしない)よりも処理時間がかかる。
非可逆圧縮方式は、一般には元データを復元することができない。音響心理学等様々な技法を使用し、可聴域にない音や、ある音(例えばヴォーカルの声)でマスクされて聴き取り難い音を省いて圧縮するため、同じ音源のPCMファイルよりも(音源の性質、コーデック、ビットレート設定にも依存するが)数分の一のサイズになるが、体感的な音質はそれなりに保たれる。コーデックそれぞれの工夫により圧縮率、再生時の音質・特性の差違がみられる。
可逆圧縮の為、元データと同一のデータを保持したままサイズを削減することができる。全てのフォーマットの音質は同一の為、圧縮率、エンコード・デコードの計算リソース、付加機能、再生環境等を比較する事により有用性を判断することができる。 | [
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"title": "種類"
}
] | 音声ファイルフォーマットは、音データをコンピュータシステム上で格納する際のファイル形式(コンテナフォーマット)の総称である。 | {{WikipediaPage|ウィキペディア記事への音声データの添付については[[Help:音声・動画の作成と利用]]をご覧ください。}}
'''音声ファイルフォーマット'''(おんせいファイルフォーマット、{{lang-en-short|Audio file format}})は、[[音]]データを[[コンピュータ]]システム上で格納する際のファイル形式([[コンテナフォーマット]])の総称である。
== 概要 ==
音声の符号化には、大別して[[パルス符号変調]](PCM)方式に基づくものと、[[パルス密度変調]](PDM)方式に基づくものとがある。[[CD-DA]]や[[DVD-Audio]]に使用される方式は前者であり、[[Super Audio CD]]に使用される方式は後者である。リニアPCMは音声信号の強度を特定の[[量子化]]ビット数([[ビット深度 (音響機器)|ビット深度]])の数値として表現し、一定の時間間隔([[サンプリング周波数]])で[[標本化]]する。音声信号の強さの代わりに、音声信号の強さの(時間)差分を符号化する方式として[[差分パルス符号変調]](DPCM)や[[適応的差分パルス符号変調]](ADPCM)がある。一方でPDMは音声の[[疎密波|波の疎密]]を1bitで表現して一定の間隔で標本化する。
これらのデータは圧縮されずに格納されるか、ファイルサイズを削減するために[[音声圧縮|圧縮]]して格納される。その際に、どのような構造で格納されるかを規定するものがファイルフォーマットである。例えば、生のPCMデータは 量子化ビット数[bit/sample]×サンプリング周波数[sample/sec]×時間[sec] で定まる長さのビット列として表されるが、これを音声データとして解釈する場合、それがPCMで符号化された音声であること、量子化ビット数、サンプリングレートなどの情報(メタデータ)が必要である。ファイルフォーマットはこれらデータの配置の仕方・形式(フォーマット)を規定する。リニアPCMを格納した[[WAV]]フォーマットは、RIFF識別子、この項目以降のサイズ、フォーマット情報、fmt識別子、fmtチャンクのサイズ、リニアPCMであることを表す情報、チャンネル数([[モノラル]]なら 1、[[ステレオ]]なら 2)、サンプリングレート、バイトレート、ブロックサイズ、データ識別子、PCMデータのバイト数、PCMデータ、という形式になっている。ただし数値は[[リトルエンディアン]]で表現される。より複雑なファイルフォーマットでは、曲名、アーティスト名、[[アルバムアート]](画像データ)、歌詞など、他の付加的情報を格納することもでき、その為のフォーマットが規定される。
[[ファイルフォーマット]]と[[コーデック]]を区別することは重要である。コーデックは生の音声データを符号化(とくに圧縮)/復号する方式であり、ファイルフォーマットは音声をファイルに格納する際の特定の形式を指す。ただし、音声ファイルフォーマットには1つのコーデックが対応する(あるいはひとつの標準的なコーデックが存在する)こともある。複数のコーデックが対応する音声ファイルフォーマットとしては、[[Matroska|Matroska Audio]]や[[MP4]]などがある。
== 種類 ==
音声ファイルフォーマットには、主に非圧縮音声の格納に用いられるもの、[[可逆圧縮]]音声の格納に用いられるもの、[[非可逆圧縮]]音声の格納に用いられるものとがある。
=== 非圧縮音声 ===
PCM形式の非圧縮音声については、[[Microsoft Windows|Windows]]では[[WAV]]、[[Mac OS]] では[[AIFF]]に格納されることが標準的である。WAVは柔軟なファイルフォーマットであり、非圧縮/圧縮を問わず、任意のサンプリング周波数とビットレートの音声を格納できる。一方でPDM形式の非圧縮音声は[[DSDIFF]]や[[DSF]]などの形式で格納される。詳細は[[DSD]]を参照。
* [[WAV]] - 主に[[Microsoft Windows]]で使われている標準音声ファイルフォーマット。基本的には[[PCM|リニアPCM]]が格納される。ただし他コーデックを格納することも可能である。ファイル内の構造は [[RIFF]]を踏襲している。これは[[Interchange File Format|IFF]]フォーマットに似ている。
* [[AIFF]] - アップルの標準音声ファイルフォーマット。言うなれば[[Macintosh]]にとってのWAVである。
* BWF ([[Broadcast Wave Format]]) - [[欧州放送連合]]がWAVの後継として策定した標準音声フォーマットである。BWFではファイルに[[メタデータ]]を含めることができる。詳しくは、European Broadcasting Union: Specification of the Broadcast Wave Format - A format for audio data files in broadcasting. EBU Technical document 3285, July 1997 を参照。このフォーマットは録音時のフォーマットとして、テレビや映画業界で使われる多くのオーディオワークステーションで採用されている。[[SMPTE]][[タイムコード]]をファイルに含めることができるため、別に録画された画像と同期をとるのが容易である。
可逆圧縮を伴うフォーマットでは、録音や再生の際に余分な処理が必要となるが、大量の録音をする場合にはストレージ容量の節約という点で効率的と言える。WAV(正確にはリニアPCM)などの非圧縮形式は、録音対象が複雑な音楽でも全くの静寂であっても、単位時間当たりに同じ量のビットを記録する。例えば、オーケストラの演奏のような複数の音が混じる場合でも、全く音がしない状況でも、非圧縮の場合、単位時間当たりのファイルサイズは同じである。同じものを可逆圧縮方式である[[TTA]]で符号化した場合、前者のファイルはある程度小さくなり、後者のファイルはほとんどゼロに近いサイズになるだろう。しかし、音声データをTTAで符号化するには、非圧縮(何も処理をしない)よりも処理時間がかかる。
=== 非可逆圧縮音声 ===
非可逆圧縮方式は、一般には元データを復元することができない。音響心理学等様々な技法を使用し、可聴域にない音や、ある音(例えばヴォーカルの声)でマスクされて聴き取り難い音を省いて圧縮するため、同じ音源のPCMファイルよりも(音源の性質、コーデック、ビットレート設定にも依存するが)数分の一のサイズになるが、体感的な音質はそれなりに保たれる。コーデックそれぞれの工夫により圧縮率、再生時の音質・特性の差違がみられる。
* [[AAC]] - Advanced Audio Coding。MP3と並ぶ代表的な非可逆圧縮コーデックのひとつで、MP3よりも音質(圧縮効率)が良い。[[MPEG-2]] と [[MPEG-4]] に基づいている。AAC ファイルにはコンテナ形式として ADTS と ADIF がある。
* [[ATRAC]] - [[ソニー]]が開発した非可逆圧縮コーデック。[[SonicStage]]、[[x-アプリ]]等に使われている
* [[MP3|mp3]] - 音楽ダウンロード配信で最も一般的な音声非可逆圧縮コーデックのひとつであり、ファイルフォーマットでもある。MP3は音楽の圧縮には適しているが、話し声には適していないとされている{{要出典|date=2019年10月12日}}。
* [[MP4|mp4]]/[[MP4|m4a]] - [[MPEG-4]] 音声フォーマット(コンテナ)。中身は [[AAC]] であることが多いが、MP2/MP3 が格納されることもある。MP4には音声に限らず動画ストリームや字幕なども格納できる。拡張子 *.m4a はとくに音声ストリーム(とメタデータ等)を格納したMP4ファイルに用いられる。
* [[Opus (音声圧縮)|Opus]] - Vorbis よりもさらに高音質な音声非可逆圧縮コーデック。低遅延ながら低ビットレートから高ビットレートまで高い音質であり、音声通信や音楽の圧縮に利用できる。
* [[Vorbis]] - 音声非可逆圧縮コーデックのひとつ。主に[[Ogg]]コンテナに格納される。MP3よりも(体感の音質に対する)[[圧縮効率]]がよい。
* [[Windows Media Audio|Windows Media Audio(WMA)]] - [[マイクロソフト]]が権利を保有する非可逆圧縮コーデック・ファイルフォーマット。[[デジタル著作権管理]]機能が含まれている。
=== 可逆圧縮音声フォーマット ===
可逆圧縮の為、元データと同一のデータを保持したままサイズを削減することができる。<!-- 圧縮率は音楽の種類やコーデックに依存するので断定的・画一的に「半分」などと書くべきではない。信頼のおける出典があればよいが。 -->全てのフォーマットの音質は同一の為、圧縮率、エンコード・デコードの計算リソース、付加機能、再生環境等を比較する事により有用性を判断することができる。<ref name="icer005-1">[http://www.audiograaf.nl/losslesstest/Lossless%20audio%20codec%20comparison%20-%20revision%205%20-%20multichannel.html Lossless audio codec comparison - Revision 5, part 1: multichannel (March 30, 2022)]</ref><ref name="icer005-2">[http://www.audiograaf.nl/losslesstest/Lossless%20audio%20codec%20comparison%20-%20revision%205%20-%20hires.html Lossless audio codec comparison - Revision 5, part 2: hi-res (Apr 10, 2022)]</ref>
* [[TAK]] - 圧縮率、エンコード・デコード速度、機能面共にバランスの取れた総合的に高い性能を誇る。[[フリーウェア]]だが[[オープンソース]]ではない。
* [[FLAC]] - エンコード・デコード速度、機能面に高い性能を誇る。圧縮率は低いが最もメジャーなコーデックのひとつ。ファイルフォーマットも兼ねている。
* [[Monkey's Audio|Monkey's Audio(ape)]] - 可逆圧縮コーデックでありフォーマット。OSSで圧縮率、エンコード速度に高い性能を誇るが、Windows以外のOSに公式非対応という欠点がある。デコード速度は遅い。
* [[TTA]] - 平均的にバランスの取れた性能。
* [[WavPack]] - 平均的にバランスの取れた性能。非可逆ファイルと差分ファイルを生成することで、非可逆音声と可逆音声の両方として扱うことのできる、ハイブリッドモードがある。PDM方式の音声データの圧縮にも対応する。
* [[La (音声ファイルフォーマット)|LA]] - 圧縮率に高い性能を誇る。エンコード・デコード速度、機能面共に低い性能。
* [[MP3|mp3HD]] - [[MP3]] 可逆圧縮コーデックでありフォーマット。MP3によって非可逆圧縮されたデータに、可逆圧縮されたデータを添加したもの(ハイブリッド)。MP3のみの再生機でも(非可逆圧縮部分を参照することで)再生可能だが、非可逆圧縮相当の音質となる。
* [[MPEG-4 ALS]] - [[MPEG-4]] 可逆圧縮コーデック、圧縮率、エンコード速度に高い性能を誇り、柔軟性が高い。
* [[MPEG-4 SLS]] - [[MPEG-4]] 可逆圧縮コーデック、AAC 再生機でも再生可能(ただし AAC 音質)
* [[Apple Lossless|Apple Lossless(ALAC)]] - [[Apple]]の開発した可逆圧縮コーデック。後にオープンソース化された。
* [[ATRAC|ATRAC Advanced Lossless(AAL)]] - [[ソニー]]の開発した可逆圧縮コーデック
* [[Windows Media Audio|WMA Lossless]] - [[マイクロソフト]]の開発した可逆圧縮コーデック
== パテント別分類 ==
=== フリーかつオープンなコーデック・フォーマット ===
* [[WAV]]、[[FLAC]]、[[AIFF]]、[[Apple Lossless|ALAC]]
*[[Matroska|Matroska Audio]] - フリーでオープンソースな汎用コンテナフォーマットであり、各種コーデックをサポートしている。
* [[Ogg]] - フリーでオープンソースな汎用コンテナフォーマットであり、各種コーデックをサポートしている。最も一般に使われるコーデックは Vorbis である。
* [[Opus (音声圧縮)|Opus]] - Vorbisと同等にパテントフリーなコーデックである。
* [[Sunオーディオファイル|AU]] - [[サン・マイクロシステムズ]]の標準音声ファイルフォーマット。[[Java]]でも使われている。PCM そのまま以外に、[[G.711|μ-law]]、A-law、[[G.729]] といった可逆・非可逆コーデックを格納できる。
=== オープンなコーデック・フォーマット ===
* [[AAC]]、[[MP4|mp4]]/[[MP4|m4a]]
* [[GSM]] - 欧州で電話での利用目的で設計された。従って、電話レベルの音質に最適である。ファイルサイズと音質の兼ね合いが良い。WAV ファイルは GSM コーデックで圧縮可能である。
* [[dct]] - 各種コーデックが使えるフォーマットであり、口述筆記向けである。
* [[vox]] - Dialogic [[Adaptive Differential Pulse Code Modulation|ADPCM]] コーデックを使うことが多い。他の ADPCM フォーマットと同様、サンプル当たり4ビットに圧縮する。vox フォーマットのファイルは WAV ファイルとよく似ているが、メタデータ的なものが全くないため、再生時にはサンプリング周波数やチャンネル数といった情報を外から与える必要がある。
=== オープンでないコーデック・フォーマット ===
* [[MP3]]、[[Windows Media Audio|WMA]]、[[ATRAC]]、[[TAK]]
* [[RealAudio]] - インターネットにおけるストリーミング向けに設計されたフォーマット。再生に必要な全情報がファイルに格納されている。
* Digital Speech Standard- [[オリンパス]]が権利を有する。古い形式でありコーデックの性能も良くない。
* msv - [[ソニー]]の[[メモリースティック]]で使われる独自の音声ファイルフォーマット。
* dvf - ソニーの[[ICレコーダー]]で使われる独自の音声ファイルフォーマット。
* [[MP4|m4p]] - アップルが[[iTunes]]で使うために独自に拡張した[[デジタル著作権管理]]付きのMP4(AAC)フォーマット。
== 脚註 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 関連項目 ==
*[[ファイルフォーマット一覧]]
*[[音声圧縮]]
== 外部リンク ==
*[http://www.file-extensions.org/filetype/extension/name/audio-and-music-files List of audio and music file formats]
{{音楽}}
{{DEFAULTSORT:おんせいふあいるふおまつと}}
[[Category:音声ファイルフォーマット|*]]
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"Template:要出典",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:音楽"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E5%A3%B0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%88 |
7,949 | ゲーム機一覧 | ゲーム機一覧(ゲームきいちらん)では、主に日本でのゲーム機を列挙する。いずれも商品名、各メーカーの登録商標または商標。
通例ゲーム機と言った場合はゲーム専用機を指し、パーソナルコンピュータに分類されるいわゆるゲームパソコン類は含まないことが多いが、本稿では複合機や関連機種の観点から一部の機種が併記されている。マルチメディア機 / 複合機等以外の節におけるパソコンは「※ゲームパソコン」と注記した。
また本稿ではソフト非交換式ゲーム機は主に電子ゲームやその他のゲーム機の節で扱うが、ソフト交換式ゲーム機と同じメーカーの製品はできるだけ同じ節にまとめた。
いずれも旧社。
単体では使用できず、上記テレビゲーム機等の機能拡張に用いられる。
ゲームパソコンなど。 | [
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] | ゲーム機一覧(ゲームきいちらん)では、主に日本でのゲーム機を列挙する。いずれも商品名、各メーカーの登録商標または商標。 通例ゲーム機と言った場合はゲーム専用機を指し、パーソナルコンピュータに分類されるいわゆるゲームパソコン類は含まないことが多いが、本稿では複合機や関連機種の観点から一部の機種が併記されている。マルチメディア機 / 複合機等以外の節におけるパソコンは「※ゲームパソコン」と注記した。 また本稿ではソフト非交換式ゲーム機は主に電子ゲームやその他のゲーム機の節で扱うが、ソフト交換式ゲーム機と同じメーカーの製品はできるだけ同じ節にまとめた。 | {{Pathnav|ゲーム機|frame=1}}
[[File:Color_TV-Game_15_(Cut_out).jpg|thumb|[[任天堂]]の[[カラーテレビゲーム15]]]]
'''ゲーム機一覧'''(ゲームきいちらん)では、主に[[日本]]での[[ゲーム機]]を列挙する。いずれも商品名、各メーカーの登録[[商標]]または商標。
通例ゲーム機と言った場合はゲーム専用機を指し、[[パーソナルコンピュータ]]に分類されるいわゆる[[ゲームパソコン]]類は含まないことが多いが、本稿では複合機や関連機種の観点から一部の機種が併記されている。[[#マルチメディア機 / 複合機等|マルチメディア機 / 複合機等]]以外の節におけるパソコンは「※ゲームパソコン」と注記した。
また本稿ではソフト非交換式ゲーム機は主に電子ゲームやその他のゲーム機の節で扱うが、ソフト交換式ゲーム機と同じメーカーの製品はできるだけ同じ節にまとめた。
== 家庭用ゲーム機 ==
=== テレビゲーム機(据え置き型ゲーム機) ===
==== 任天堂発売のゲーム機 ====
[[File:Nintendo-Famicom-Console-Set-FL.png|thumb|[[任天堂]]の[[ファミリーコンピュータ]]]]
[[File:Nintendo-Super-Famicom-Set-FL.png|thumb|[[スーパーファミコン]]]]
* [[カラーテレビゲーム|カラーテレビゲーム15]](1977)
** カラーテレビゲーム6(1977)
** カラーテレビゲーム レーシング112(1978)
** カラーテレビゲーム ブロック崩し(1979)
** カラーテレビゲーム コンピュータTVゲーム(1980)
* [[ファミリーコンピュータ]](1983) - 初期型の四角ボタンのものなど、いくつかの型がある
** AV仕様ファミリーコンピュータ(ニューファミコン)(1993)
** HYUNDAI COMBOY(1989) - 韓国版ファミリーコンピュータ
** [[Nintendo Entertainment System]](1985) - 海外版ファミリーコンピュータ
** New-Style NES(NES2)(1993) - 海外版AV仕様ファミリーコンピュータ
* [[ツインファミコン]]([[シャープ]])(1986)
* [[スーパーファミコン]](1990)
** HYUNDAI SUPER COMBOY(1992) - 韓国版スーパーファミコン
** スーパーファミコンジュニア(1998)
** [[Super Nintendo Entertainment System]](1991) - 海外版スーパーファミコン
** New-Style Super NES(SNES2)(1998) - 海外版スーパーファミコンジュニア
* [[NINTENDO64]](1996) - 2000年にはピカチュウモデルが発売された。
** Hyundai Comboy64(1997)
** [[iQue Player]](2003)
* [[ニンテンドーゲームキューブ]](2001) - 2003年には阪神タイガース優勝記念モデルが発売された。
** Panasonic Q(2003) ※[[松下電器]](現:[[パナソニック]])が発売
* [[Wii]](2006)
** Wii Family Edition(2011)
** [[Wii Mini]](2012)
* [[Wii U]](2012)
* [[Nintendo Switch]](2017)
** [[Nintendo Switch|Nintendo Switch Superモデル]](2019)
** [[Nintendo Switch(有機ELモデル)]](2021)
==== ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE、旧称:SCE)発売のゲーム機 ====
{{seealso|ソニー・インタラクティブエンタテインメント}}
[[File:PSX-Console-wController.png|thumb|[[PlayStation (ゲーム機)|初代PlayStation]](SCPH-5001)]]
* [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]](1994)
** [[PS one]](2000)
* [[PlayStation 2]](2000)
** PlayStation 2 Slim(2004)
* [[PlayStation 3]](2006)
** PlayStation 3 40・80GBモデル(2007)
** PlayStation 3 Slim(2009)
** PlayStation 3 Super Slim(2012)
* [[PlayStation Vita TV]](2013)
* [[PlayStation 4]](2014)
** PlayStation 4 Superモデル(2015)
** PlayStation 4 Slim(2016)
** PlayStation 4 Pro(2016)
* [[PlayStation 5]](2020)
** PlayStation 5 デジタル・エディション(2020)
** PlayStation 5 Slim(2023)
==== マイクロソフト発売のゲーム機 ====
[[File:Xbox-Console-Set.png|thumb|[[Xbox (ゲーム機)|初代Xbox]]]]
{{seealso|マイクロソフト}}
* [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]](2002)
* [[Xbox 360]](2005)
** Xbox 360 エリート(2007)
** Xbox 360 S(2010)
** Xbox 360 E(2013)
* [[Xbox One]](2014)
** Xbox One S(2016)
** Xbox One X(2017)
** Xbox One S All Digital Edition(2019)
* [[Xbox Series X/S|Xbox Series X]](2020)
** Xbox Series S(2020)
==== セガ発売のゲーム機 ====
[[File:Sega-Mega-Drive-JP-Mk1-Console-Set.png|thumb|[[メガドライブ]]([[セガ]])]]
* [[SG-1000]](1983)
** [[SG-1000II]](セガ・マークII)(1984)
* [[セガ・マークIII]](1985)
** [[セガ・マスターシステム]](1987)
** セガ・マスターシステム2(1989)
* [[メガドライブ]](1988)
** [[メガドライブのバリエーション#Sega_Genesis(北米)|Genesis]](1989) - 北米版メガドライブ
** メガドライブ2(1993)
** [[メガドライブのバリエーション#Sega Genesis(北米第2弾モデル)|Genesis(model2)]](1993)
** [[メガドライブのバリエーション|メガジェット]](1994)
** [[メガドライブのバリエーション#Sega Genesis 3(北米)|Genesis 3]](1997)
* [[メガドライブのバリエーション#ワンダーメガ/X'eye|ワンダーメガ]](1993)
** [[メガドライブのバリエーション#ワンダーメガ/X'eye|X'EYE]](ビクター)(1993) - 北米版ワンダーメガ
** マルチメガ(1994)
** [[メガドライブのバリエーション#セガ・マルチメガ/CDX|Genesis CDX]](1994) - 北米版マルチメガ
* [[セガサターン]](1994)
** セガサターン 白モデル(1996)
** Vサターン(ビクター)(1994)
** HIサターン(日立)(1995)
* [[ドリームキャスト]](1998) - R7モデルやサクラ大戦仕様などの限定デザインの本体が数種類ある
==== 日本電気ホームエレクトロニクス(NEC-HE)発売のゲーム機 ====
[[File:PC-Engine-Console-Set.png|thumb|[[PCエンジン]]]]
{{seealso|日本電気ホームエレクトロニクス}}
* [[PCエンジン]](1987)
** [[PCエンジンシャトル]](1989)
** TurboGrafx-16 - 北米版PCエンジン(1989)
** [[PCエンジンコアグラフィックス]](1989)
** PCエンジンコアグラフィックスII(1991)
** [[PCエンジンLT]](1991)
* [[PCエンジンスーパーグラフィックス]](1989)
* [[PCエンジンDuo]](1991)
** Turbo Duo(1992) - 北米版PCエンジンDuo
** PCエンジンDuo-R(1993)
** PCエンジンDuo-RX(1994)
* [[PC-FX]](1994)
==== エポック社発売のゲーム機 ====
[[File:Epoch-Cassette-Vision-Console.png|thumb|[[カセットビジョン]]([[エポック社]])]]
* [[テレビテニス]](1975) - 国産初のテレビゲーム機
* [[システム10 (ゲーム機)|システム10]](1978)
** システム10-M2
* [[テレビ野球ゲーム]](1979) - 後にカセットビジョンの[[ロムカセット|カートリッジ]]として発売される
* [[テレビブロック]](1979)
** テレビブロックMB
* カセットTVゲーム
* [[テレビベーダー]](1980) - 後にカセットビジョンのカートリッジとして発売される
* [[カセットビジョン]](1981)
** [[カセットビジョン#カセットビジョンJr.|カセットビジョンJr.]](1983)
* [[スーパーカセットビジョン]](1984) - 女の子向けの「レディースセット」というバージョンも発売された
==== SNK発売のゲーム機 ====
[[File:Neo-Geo-AES-Console-Set.png|thumb|家庭用[[ネオジオ]]]]
* [[ネオジオ]](NEOGEO)(1990) ※[[SNK (1978年設立の企業)|SNK(旧社)]]が倒産した2001年から2004年までは[[SNK (2001年設立の企業)|プレイモア→SNKプレイモア]]が販売
* [[ネオジオCD]](1994)
** ネオジオCDZ(1996)
==== バンダイ発売のゲーム機 ====
[[File:Playdia-Console-Set.png|thumb|[[プレイディア]]([[バンダイ]])]]
* [[TV JACK|TV JACK 1000]](1977)
** [[TV JACK|TV JACK 1200]](1977)
** [[TV JACK|TV JACK 1500]](1977)
** [[TV JACK|TV JACK 2500]](1977)
** [[TV JACK|TV JACK 3000]](1977)
** [[TV JACK|TV JACK アドオン5000]](1978)
** [[TV JACK|TV JACK スーパービジョン8000]](1978)
* [[インテレビジョン]](1982) - アメリカの[[マテル]]社製。アメリカでは1980年発売
* [[アルカディア (ゲーム機)|アルカディア]](1983)
* [[光速船]](1983)
* [[RX-78 (パソコン)|RX-78 GUNDAM]](1983) ※ゲームパソコン
* [[プレイディア]](1994)
* [[ピピンアットマーク]](1996)
* [[Let's!TVプレイCLASSIC]](2006)
==== アタリ(Atari)発売のゲーム機 ====
[[File:TeleGames-Atari-Pong.png|thumb|[[ホーム・ポン]]([[アタリ (企業)|アタリ]])]]
* [[ホーム・ポン|ホームポン]](1975)
** [[ポン|スーパーポン]](1976)
* [[Atari Blakeout]](1977)
* [[Atari 2600]](1977)
** Atari 2800(1983)
** Atari 2600jr(1984)
* [[Atari 5200]](1982)
* [[Atari 7800]](1984)
* [[Atari XEGS|Atari XEgameSystem]]
* [[Atari Panther]] ※開発中止
* [[Atari Mirai]] ※開発中止
* [[Atari Jaguar]](1993)
** Atari Jaguar VR ※開発中止
** Atari Jaguar Duo ※開発中止
** Atari Jaguar CD
* [[Atari VCS (2021年のゲーム機)|Atari VCS]](2021)
==== カシオ計算機発売のゲーム機 ====
* [[PV-1000]](1983)
* [[PV-2000]](1983) ※ゲームパソコン
* [[ルーピー]](1995)
==== マグナボックス発売のゲーム機 ====
[[File:Magnavox-Odyssey-Console-Set.png|thumb|オデッセイ]]
* [[オデッセイ (ゲーム機)|オデッセイ]]([[マグナボックス]])(1972)
** オデッセイ100(マグナボックス)
** オデッセイ200(マグナボックス)
** オデッセイ300(マグナボックス)
** オデッセイ400(マグナボックス)
** オデッセイ500(マグナボックス)
** オデッセイ2000(マグナボックス)
** オデッセイ3000(マグナボックス)
** オデッセイ4000(マグナボックス)
* [[オデッセイ (ゲーム機)#オデッセイ2|オデッセイ<sup>2</sup>]](マグナボックス)(1978)
==== コレコ社発売のゲーム機 ====
[[File:Coleco-Telstar-Colortron.jpg|thumb|コレコ・テルスター]]
* [[コレコ・テルスター]]([[コレコ]]社)(1976)
** コレコ・テルスタークラシック(コレコ社)(1976)
** コレコ・テルスターデラックス(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターアーケード(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターコンバット(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターアルファ(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターカラーマティック(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターレンジャー(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターレジェント(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスタージェミニ(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスターギャラクシー(コレコ社)(1977)
** コレコ・テルスタースポーツマン(コレコ社)(1978)
** コレコ・テルスターカラートロン(コレコ社)(1978)
** コレコ・テルスターマークスマン(コレコ社)(1978)
* [[コレコビジョン]](コレコ社)(1982)
** 拡張モジュール#1(1982)
** 拡張モジュール#2(1982)
** 拡張モジュール#3(1983)
* コレコジェミニ(コレコ社)(1983)
* コレコ・アダム(コレコ社)(1983)
==== その他のテレビゲーム機 ====
[[File:Commodore-64-Computer-FL.png|thumb|[[コモドール64]]([[コモドール]])]]
[[File:3DO-FZ1-Console-Set.png|thumb|[[3DO REAL]]([[Panasonic]])]]
* [[フェアチャイルド・チャンネルF|チャンネルF]]([[フェアチャイルドセミコンダクター]])(1976、日本では1977)
* [[ビデオカセッティ・ロック]]([[タカトクトイス|タカトク]])(1977)
* [[Action Max]]([[Worldsofwonder]])(1987)
* [[TV FUN]]([[トミー (企業)|トミー工業]])(1977)
* [[View-Master]]([[IaealGroup]])(1988)
* アルカディア2001([[エマーソン]])
* [[ダイナツインワン]]([[ビットコーポレーション]])
* [[Bally Astrocade]]([[Belly]])
* [[パックマン]](トミー)
* TV VIDEO GAME PACK SD-G5([[パイオニア]])(1983)
* [[コモドール64]]
** [[Commodore 64 Games System|コモドール64ゲームシステム]](コモドール)
** コモドールCDTV(コモドール)
* [[RCA Studio II]](RCA)
* [[Zemmix]]([[大宇電子]])(1985)
* [[ビジコン (テレビゲーム)|ビジコン]]([[東芝|東京芝浦電気(後の東芝)]])(1978)
* [[VC 4000]]([[インタートン]])(1978)
* [[インテレビジョン]]([[マテル]])(1980) - 日本では1982年にバンダイから発売
** Intellivision Amico(マテル)(2022)
* [[マックスマシーン]]([[コモドール]])(1982) ※ゲームパソコン
* [[Vectrex]]([[GCE]])
* [[ZX Spectrum]]([[シンクレア・リサーチ|シンクレア]])(1982)
* [[オセロマルチビジョン]]([[ツクダオリジナル]])(1983) - FG-1000
** オセロマルチビジョン2(1984) - FG-2000
* [[マイビジョン]]([[日本物産]])
* [[GX4000]] ([[アムストラッド]])(1990)
* [[TVボーイ]]([[学研ホールディングス|学習研究社]])
* [[レーザーアクティブ]](パイオニア)(1993)
** PAC-N1(LD-ROM<sup>2</sup>用パック)
** PAC-S1(MEGA-LD用パック)
* [[CDTV32]](コモドール)
** [[Amiga CD32]](コモドール)
* [[CDi]]([[フィリップス]])
** CDi450
* [[3DO|3DO REAL]]([[松下電器]])(1994)
** 3DO REAL II(松下電器)(1994)
** 3DO TRY([[三洋電機]])(1994)
** 3DO ALIVE([[LGエレクトロニクス|金星電子]])(1994)
** 3DO ALIVE2(金星電子)(1994)
** [[3DO M2]](3DO社) ※開発中止
* [[Super A'Can]]([[UMC]])
* [[NUON]](1990)
* [[ガチンコ勝負! パチンコTV]]([[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]])(2002)
* [[Steam]]([[Valve Corporation]])(2003)
* [[XaviXPORT]](2005)
* [[HyperScan]](マテル社)(2006)
* [[Zeebo]]([[Tectoy]]&[[クアルコム|Qualcomm]])(2009)
* [[Tectoy Mega Drive 4]](Tectoy)(2009)
* [[3D体感游戏机]](视睿电子科技)(2010)
* [[Onlive]](Onlive)(2010)
* [[CT510]](联合绿动科技)(2012)
* [[Co-Star]]([[VIZIO]])(2012)
* [[ブロードメディア#G-cluster|G-cluster]]([[ブロードメディア]])(2013)
* [[Ouya|OUYA]](OUYA, inc.)(2013)
* [[ST-3200]]([[ぷらら]])(2013)
* [[GameStick]]([[PlayJam]])(2013)
* [[Zemmix Neo]](2013)
* [[GamePop]] [[BlueStacks]](2013)
* [[MOJO|M.O.J.O]]([[マッドキャッツ (企業)|Mad Catz]])(2013)
* [[UNU/Vyper]]([[Snake Byte]])(2014)
* [[HUAWEI Tron mini game console]]([[華為技術]])(2014)
* [[ブロードメディア#G-cluster|G-cluster]](ブロードメディア)(2013)
* [[Pandora TV Box]](L.C. Smart)(2013)
* [[MOJO]]([[Mad Catz]])(2013)
* [[flarePlay]](Flare Entertainment)(2013)
* [[Xtreamer Multi-Console]](Unicorn Information Systems)(2014)
* [[FunBox]]([[ZTE]])(2014)
* [[T2]]([[TCL集団]])(2014)
* [[Amazon Fire TV|Fire TV]]([[Amazon.com]])(2014)
* Fire TV Stick(Amazon.com)(2014)
* [[Chromecast]](2014)
* [[X18]](迪优美特电子科技)(2014)
* [[TIMEBOX]](腾目网络科技)(2014)
* [[Nexus Player]]([[ASUS]])(2014)
* [[G-BOX]](金亚科技)(2014)
* [[1UP]](乐升世纪)(2014)
* [[大酋长]](小葱)(2015)
* [[致酷游戏主机]](致酷游弋科技)(2015)
* [[Razer Forge TV]]([[Razer]])(2015)
* [[Nvidia Shield TV]]([[NVIDIA]])(2015)
* [[魔棒]](集尚科技)(2015)
* [[OBox]](蜗牛数字)(2015)
* [[Playdroid TV]](Lexibook)(2015)
* [[魔蛋娱乐主机]](魔蛋科技)(2015)
* [[Flare Play 2.0]](Flare Entertainment)(2015)
* [[飞智游戏盒子]](飞智电子科技)(2015)
* [[乐檬miniStation]]([[レノボ]]&[[テンセント]])(2015)
* [[GS Gamekit]](GS Group)(2016)
* [[战斧F1]](斧子科技)(2016)
* [[创维miniStation]](创维&テンセント)(2016)
* [[GEM Box]](EMTEC)(2016)
* [[TIM BOX]](Gruppo TIM)(2017)
* [[KORA]](Atlantis Land)(2017)
* [[凤凰1号]](超卓科技)(2018)
* [[OOParts]](Black Inc.)(2020)
* [[咪咕快游娱乐终端]](思珹科技)(2020)
* [[GeForce Now]](NVIDIA)(2020)
* [[Amazon Luna]](Amazon)(2020)
* [[Facebook Gaming]](Facebook)(2020)
* [[Plex Arcade]](Plex)(2021)
* [[Evo Fox Game Box]](Amkette)(2021)
* [[极光盒子3Pro云游戏版]](テンセント)(2021)
* [[ZONE (ゲーム機)|ZONE]](AtGames)
* [[ZONE (ゲーム機)|SEGA Reactor]](セガ)
* [[Piston]](Xi3)(2013)
* [[Apple TV]](Apple)
* [[Apple Arcade]](Apple)
* [[Google Stadia]](Google)(2019)
=== 携帯型ゲーム機 ===
==== 任天堂発売のゲーム機(携帯型) ====
[[File:Game-Boy-FL.png|thumb|[[任天堂]]の初代[[ゲームボーイ]]([[1989年]])]]
* [[ゲーム&ウオッチ]](1980)
* [[ゲームボーイ]](1989)
** ゲームボーイブロス(1994)
** [[ゲームボーイポケット]](1996)
** [[ゲームボーイライト]](1998)
** [[ゲームボーイカラー]](1998)
* [[バーチャルボーイ]](1995)
* [[ゲームボーイアドバンス]](2001)
** [[ゲームボーイアドバンスSP]](2003)
** [[ゲームボーイミクロ]](2005)
* [[ニンテンドーDS]](2004)
** [[ニンテンドーDS Lite]](2006)
** [[ニンテンドーDSi]](2008)
** ニンテンドーDSi LL(2009)
* [[ニンテンドー3DS]](2011)
** ニンテンドー3DS LL(2012)
** [[ニンテンドー2DS]](海外・2013、日本・2016)
** [[Newニンテンドー3DS]](2014)
** Newニンテンドー3DS LL(2014)
** [[Newニンテンドー2DS LL]](2017)
* [[Nintendo Switch Lite]](2019)
==== ソニー・コンピュータエンタテインメント発売の携帯ゲーム機 ====
[[File:PSP-1000.png|thumb|PlayStation Portable]]
{{seealso|ソニー・コンピュータエンタテインメント}}
* [[PlayStation Portable]](2004)
** PlayStation Portable-2000(2006)
** PlayStation Portable-3000(2008)
** [[PlayStation Portable go]](2009)
** PlayStation Portable-E1000(2011)
* [[PlayStation Vita]](2011)
** PlayStation Vita-PCH2000(2013)
==== バンダイ発売のゲーム機(携帯型) ====
* [[ワンダースワン]](1999)
** [[ワンダースワンカラー]](2000)
** スワンクリスタル(2002)
==== セガ発売のゲーム機(携帯型) ====
[[File:Sega-Game-Gear-WB.png|thumb|ゲームギア]]
* [[ゲームギア]](1990)
** キッズギア(1996)
* [[ノーマッド (ゲーム機)|ノーマッド]](1995)
==== 日本電気ホームエレクトロニクス発売のゲーム機(携帯型) ====
* [[PCエンジンGT]](1990)
** Turbo Express(1990)
==== エポック社発売のゲーム機(携帯型) ====
* [[ゲームポケコン]](1985)
* [[バーコードバトラー]](1991)
==== SNK発売のゲーム機(携帯型) ====
いずれも旧社。
* [[ネオジオポケット]](1998)
** [[ネオジオポケットカラー]](1999) - 阪神タイガースモデルもある
** NEWネオジオポケットカラー(1999)
* [[NEOGEO X]](2012)
==== アタリ発売のゲーム機 ====
* [[Atari Lynx]](1989)
** Atari Lynx II(1991)
==== その他の携帯型ゲーム機のゲーム機 ====
[[File:Mattel Electronics Auto Race, No. 9879, Red LED, Made In Hong Kong, Copyright 1976 (LED Handheld Electronic Game).jpg|thumb|Mattel Auto Race]]
* [[Mattel Auto Race]]([[マテル]])(1976)
** Mattel football(マテル)
* [[Merlin (電子ゲーム)|Merlin]]([[パーカー・ブラザーズ]])(1978) - 日本では「ドクタースミス」として販売された
* [[Microvision]](Milton Bradley Company)(1979) - 世界初のカートリッジ交換式携帯ゲーム機
* [[アドベンチャービジョン]]([[:w:Entex Industries|ENTEX]])(1982)
* [[game.com]]([[タイガー・エレクトロニクス|タイガー]])
* [[Watarasupenvision]]
* [[CDi350seres]]([[フィリップス]])
* [[PIECE]]([[アクアプラス]])
* [[N-Gage]]([[ノキア]])
** N-Gage QD(ノキア)
* [[GP32]](GamePark)
* [[GP2X]](GamePark Holdings)
* [[GP2X Wiz]](GamePark Holdings)
* [[Gizmondo]](タイガー・テレマティクス)
* [[Tapwave Zodiac|Zodiac]](Tapwave)(2003)
* [[Dingoo A320]](Dingoo)(2009)
* [[Pandora (console)|Pandora]](OpenPandora)(2010)
* [[Gamate]]([[UMC]]、[[Bit Corporation]])
* [[The Jungle]](Panasonic) ※開発中止
* [[Archos GamePad]](Archos)(2012)
* [[Wikipad]](Wikipad)(2013)
* [[Arduboy]](Arduboy)(2016)
** Arduboy FX(Arduboy)(2022)
* [[NVIDIA SHIELD Tablet]](NVIDIA)
* [[NVIDIA SHIELD Portable]](NVIDIA)
* [[Playdate (ゲーム機)|Playdate]](Panic Inc.)(2022)
* [[Steam Deck]](Valve)(2022)
=== 電子ゲーム機 ===
[[File:Game_%26_Watch.png|thumb|[[任天堂]] [[ゲーム&ウオッチ]]「ボール」]]
* [[ゲーム&ウオッチ]]([[任天堂]])(1980 - )
* [[ポケットピカチュウ]](任天堂)
** ポケットピカチュウカラー(任天堂)
** ポケットハローキティ(任天堂)
** [[ポケモンミニ]](任天堂)
** ポケットサクラ([[メディアファクトリー]])
* [[たまごっち]](バンダイ)
* [[デジタルモンスター]](バンダイ)
* [[ヨーカイザー]](バンダイ)
* [[てくてくエンジェル]]([[ハドソン]])
* [[ポケットドリームコンソール]]([[タカラトミー]])
* [[テトリス|ミニテトリス]](キーチェーンゲーム)
** テトリスもどき(キーチェーンゲーム)
* [[ゲームロボット九]]([[タカトクトイス]])
** ゲームロボット5(タカトクトイス)
** ゲームロボット21([[ハナヤマ]])
** ゲームロボット50(ハナヤマ)
** ゲームロボット25(ハナヤマ)
** ゲームロボットai(ハナヤマ)
*とびだせきゅーびっつ(タカラトミー)
=== 拡張型ゲーム機 / 周辺機器 ===
単体では使用できず、上記テレビゲーム機等の機能拡張に用いられる。
==== 任天堂発売のゲーム機(拡張型 / 周辺) ====
[[File:Nintendo-Famicom-Disk-System-Deck-01.jpg|thumb|[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]]]
[[File:Super-Game-Boy-JP.png|thumb|[[スーパーゲームボーイ]]]]
* [[光線銃シリーズ]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーベーシック]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーコンピュータ 3Dシステム]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーコンピュータ ネットワークシステム]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーコンピュータ ロボット]](ファミリーコンピュータ)
** ファミリーコンピュータ ロボット ブロックセット(ファミリーコンピュータ)
** ファミリーコンピュータ ロボット ジャイロセット(ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリーキング]](ファミリーコンピュータ)
* [[ファミリートレーナー]](ファミリーコンピュータ)
* PlayStation(スーパーファミコン) ※開発中止
* [[スーファミターボ]](スーパーファミコン)
* [[スーパースコープ]](スーパーファミコン)
* [[スーパーファミコンマウス]](スーパーファミコン)
* [[スーパーゲームボーイ]](スーパーファミコン)
** スーパーゲームボーイ2(スーパーファミコン)
* [[サテラビュー]](スーパーファミコン)
* [[64DD]](NINTENDO64)
* [[NINTENDO64振動パック]](NINTENDO64)
* [[NINTENDO64メモリー拡張パック]](NINTENDO64)
* [[ゲームボーイプレーヤー]](ニンテンドーゲームキューブ)
* [[Wiiスピーク]](Wii)
* [[Wii Fit]](Wii)
* [[Wiiリモコン|Wiiモーションプラス]](Wii)
* Wiiハンドル(Wii)
* [[Wii Uマイク]](Wii U)
* [[amiibo]](Wii U、3DS、Nintendo Switch)
* [[リングフィット アドベンチャー]](Nintendo Switch)
* [[ニンテンドーUSBマイク]](Nintendo Switch)
** ニンテンドーUSBワイヤレスマイク(Nintendo Switch)
==== 日本電気ホームエレクトロニクス発売のゲーム機(拡張型 / 周辺) ====
* [[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]](PCエンジン)
** TurboGrafx-16 CD(TurboGrafx-16)
* [[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]](PCエンジン)
* [[アーケードカード]](PCエンジン)
* [[天の声]](PCエンジン)
==== セガ発売のゲーム機(拡張型 / 周辺) ====
* [[Menacar]](Genesis)
* [[スーパー32X]](メガドライブ)
** SEGA32X(Genesis)
* [[ソニック&ナックルズ|ロックオンカートリッジ]](メガドライブ)
* [[メガアンサー]](メガドライブ)
* [[メガモデム]](メガドライブ)
* [[メガCD]](メガドライブ)
** メガCD2(メガドライブ2)
** SEGACD(Genesis)
** SEGACD(model2)(Genesis2)
* [[メガターミナル]](メガドライブ)
* [[メガアダプタ]](メガドライブ)
** パワーベースコンバーター(Genesis)
* [[メガCDカラオケ]](メガドライブ)
* [[セガタップ]](メガドライブ)
* [[マルチターミナル6]](セガサターン)
* [[サターンモデム]](セガサターン)
* [[ビジュアルメモリ]](ドリームキャスト)
** ぷるぷるパック(ドリームキャスト)
==== ソニー・コンピュータエンタテインメント発売のゲーム機(拡張型 / 周辺) ====
* [[PocketStation]](PlayStation)
* [[DUALSHOCK]](PlayStation、PlayStation 2、PlayStation 3、PlayStation 4、PlayStation 5)
* [[PlayStation BB Unit]](PlayStation 2)
* [[Eyetoy]](PlayStation 2)
* [[nasne]](PlayStation 3、PlayStation 4、PlayStation Vita)
* PlayStation Eye(PlayStation 3)
* [[torne]](PlayStation 3)
* [[PlayStation Move]](PlayStation 3、PlayStation 4)
* PlayStation Camera(PlayStation 4)
* [[PlayStation VR]](PlayStation 4)
** [[PlayStation VR2]](PlayStation 5)
==== マイクロソフト発売のゲーム機(拡張型 / 周辺) ====
* [[Kinect]](Xbox 360、Xbox One)
=== マルチメディア機 / 複合機等 ===
ゲームパソコンなど。
* [[ぴゅう太]](トミー)
** ぴゅう太jr(トミー) - 他のぴゅう太シリーズと異なりパソコン機能を持たないゲーム専用機
** ぴゅう太mk-ll(トミー)
** ぴゅう太くん(トミー) ※メダルゲーム
* [[M5 (コンピュータ)|ゲームパソコンM5]]([[東芝パソコンシステム|ソード]]、[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]])
* [[MSX]]
* [[バーコードバトラー]](エポック社)
* [[ファミコンテレビC1]]([[シャープ]])
* [[編集ファミコン]](シャープ)
* [[SF-1]](シャープ)
* [[SC-3000]](セガ)
** SC-3000H(セガ)
* [[テラドライブ]](セガ)
* [[FM TOWNS マーティー]](富士通)
* [[ドリームキャスト|CX-1]](フジテレビ)
* [[PSX]]([[ソニー]])
* [[Xperia play]](ソニー)
* [[ふぁみ魂家郎]](クイックリンク)
** ふぁみ魂家郎2(クイックリンク)
** ふぁみ魂家郎V7(クイックリンク)
* [[プレイコンピューターレトロ]](ライソン)
* [[ネオファミ]](ゲームテック)
* [[ファミエイト]](クイックリンク)
* [[レトロフリーク]]([[サイバーガジェット]])
* [[Oculus Quest]]([[Oculus VR]])
* [[Meta Quest 2|Oculus Quest 2→Meta Quest 2]](Oculus VR)
=== その他の家庭用ゲーム機 ===
* [[電子ブロック]](学研)
* [[ゲーム電卓]]
* [[PC-FXGA]](日本電気ホームエレクトロニクス)
* [[キッズコンピュータ・ピコ]](セガ)
* [[ポリーステーション]]
* [[ミニポリーステーション2004]]
* [[スーパーメガソン]]
* [[Vii]](威力棒・V-Sports)
== 業務用ゲームシステム基板 ==
* [[ポン (ゲーム)|ポン]](Atari)
* ニンテンドーエンターテイメントシステム(任天堂) - ファミリーコンピュータの業務用版
* [[SEGAHIKARU]](セガ)
* [[NAOMI]](セガ)
** NAOMI2(セガ)
* [[ST-V]](セガ)
* [[トライフォース (アーケードゲーム基板)|トライフォース]](セガ・[[ナムコ]]・任天堂)
* [[ハイパーネオジオ64]](SNK)
* [[Chihiro]](セガ)
* [[SYSTEM246]](ナムコ・SCE)
* [[MODEL1]](セガ)
** [[MODEL2]](セガ)
** [[MODEL3]](セガ)
* [[LINDBERGH]](セガ)
* [[RING (アーケードゲーム基板)|RING]](セガ)
* [[Nu (アーケードゲーム基板)|Nu]](セガ)
* [[ALLS (アーケードゲーム基板)|ALLS]](セガ)
== 復刻系ゲーム機 ==
=== テレビゲーム機(据え置き型ゲーム機) ===
* [[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ]](任天堂、2016)
** ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ創刊50周年記念バージョン(任天堂、2018)
* [[ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコン]](任天堂、2017)
* [[ネオジオ ミニ]](SNK、2018)
* [[PlayStation Classic]](SIE、2018)
* [[メガドライブ ミニ]](セガ、2019)
** [[メガドライブ ミニ2]](セガ、2022)
* [[PCエンジン mini]](コナミ、2020)
** PCエンジンコアグラフィックス mini(コナミ、2020) - ヨーロッパ版PCエンジン mini
** TurboGrafx-16 mini(コナミ、2020) - 北アメリカ版PCエンジン mini
* [[The C64]](Electronic Games、2018) - [[Commodore64]]の大きさやキータッチまで再現し、HDMIやUSB端子を備えたもの
* [[Zemmix mini]](ロッテマート、2019)
=== 携帯型ゲーム機 ===
* [[ゲームギアミクロ]](セガ、2020)
* ゲームウオッチ カラースクリーン(任天堂、2020)
=== アーケードゲーム機 ===
* [[レトロアーケード]]([[インフォレンズ]]、2019)
* [[アストロシティミニ]](セガ、2020)
** [[アストロシティミニV]](セガ、2022)
* [[Multi Video System#MVSX|MVSX]](SNK、2021年)
* [[Atari Mini Pong Jr]](Atari、2021)
* [[RETRO STATION]]([[カプコン]]、2021)
* [[イーグレットツー ミニ]]([[タイトー]]、2022)
== 関連項目 ==
* [[ゲーム機]] / [[携帯型ゲーム]]
* [[家庭用ゲーム機の販売台数一覧]]
* [[ホビーパソコン]] / [[ゲームパソコン]] / [[パーソナルコンピュータ製品一覧]]
{{家庭用ゲーム機/任天堂}}
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[[Category:ゲーム機|*]]
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[[ca:Consola de joc#Llista de videoconsoles]] | 2003-05-09T03:47:39Z | 2023-12-18T10:50:54Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%A9%9F%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
7,951 | シューティングゲーム | シューティングゲーム(和製英語: shooting game、英: shooter game)は、敵を撃つことがメインの、コンピュータゲームのジャンルのひとつ。STGやSHTと略記される場合もある。
主に弾丸やレーザー光線などの飛び道具を用いて敵(敵の機体、敵の兵器、敵の生物、敵のエイリアン、敵の兵など)を撃つ。
シューティングゲームの分類方法はいくつもあるが、視点、スクロール方向、攻撃手段などによって分類されることが多い。大別すると、2Dシューティング / 3Dシューティング、ガンシューティングゲームに分類される。#分類・種類
広義のアクションゲームの下位概念、と分類する方法もあり、アクションゲームとは区別する分類方法もある。中にはアクション要素のあるシューティングや、シューティング要素のあるアクション、また完全に中間に位置するゲームなどがあり、両者の判別を困難にしている(それらを大別して「アクションシューティング」、あるいは「シューティングアクション」と呼ぶこともある)。
作中の時代設定および世界観設定に関しては様々であるが、未来を舞台にしたSF色の強い作品やミリタリー色の強い世界観設定の作品が多い。 一方で、『1942』シリーズのように過去を舞台にした作品、『ストライカーズ1945』シリーズのように過去の時代をベースにしつつもSF色の強い世界観を描いた作品もある。
言葉自体は1970年代前半の光線銃ゲームで使われているが、この頃は射撃ゲームとほぼ同じ意味だった。電子ゲームでは1980年の『スペースシューティング』『スリムボーイ シューティングゲーム6』、『アスキー』1980年8月号掲載の「タンク・シューティング」がある。
日本ではスペースインベーダーのヒット以来、数々の2DSTGが産まれシューティングゲームの代名詞となった。昨今(2000年以降)では2DSTGから分化した各種3DSTG(FPS、フライトシューティング、ガンシューティングなど)が増加、多様化しているため、日本国内でもシューティングゲームというとき2DSTGを指すか3DSTGを指すかで誤解が生じることがある。2DSTGと呼べば誤解は生じないが、今度は2DSTGという単語そのものの認知度が低いという問題が生じる。
一般的にシューティングゲームと呼ばれるゲームがアクションゲームとされていたことがあり『ログイン』1983年5月号で『ゼビウス』を「戦闘(アクション)ゲーム」とルビが振られ、1983年8月発売の『こんにちはマイコン』第2巻の目次にあるゲームジャンル紹介でアクションゲームを「スペースインベーダー等の、反射神経を競うゲーム」と説明していた。『ログイン』では1983年3月号の『UFOパニック』の広告で「シューティングゲーム」とあるのが雑誌や広告類での使用の早い例とみられ、1983年12月号のシューティングゲーム紹介記事では『アルフォス』が「スクロールゲーム」とされていた。「シューティング」の語が広まったのは1982年公開のアニメ映画『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』が関係しているという見方があり、予告編で「GUNDAM LAST SHOOTING」や宣伝ポスターで「Last Shooting!」とあったのが影響したという説がある。
シューティングゲームの分類はいくつもあるが、たとえば下記の分類法がある。
たとえば 2Dシューティング / 3Dシューティング と大別する方法がある。
2Dシューティングは、画面内に表示されるものが2次元的、つまり平面的に表示されるもの。 3Dシューティングゲームは、画面内に世界が3次元的に、立体的、透視図法的に表示されるもので、コンピュータのCPUの処理能力の向上、オブジェクト指向プログラミング、ポリゴン技術などの発達により、コンピュータのデータ空間内のシミュレーション的なデータ処理やそれを視覚的に表示する技術が実現したことによって可能になったもの。なお2Dと3Dの中間的なもの、本当の3D技法ではなくそれを「疑似的に」実現しているもの、3次元的に見せようとしている表示も一部含まれているが、データ空間内での敵・自分の動きなどが3次元的に十分に再現できていないものについては「擬似3Dシューティング」と分類する方法もある。
2Dシューティングは画面スクロールの有無により、固定画面シューティング / スクロールシューティング に分類できる。
スクロールシューティングはさらに 縦スクロールシューティング / 横スクロールシューティング / 縦横両スクロールシューティング / 多方向スクロールシューティングなどに分類できる。
3Dシューティングのほうは、視点のとりかたによって、FPS(ファーストパーソン・シューティング) / TPS(サードパーソン・シューティング)に分類される。
射撃主体のアクションゲームである「アクションシューティング」 / 1対1で対戦する「対戦型シューティングゲーム」という分類法もある。
英語圏では、シューティングゲームのうち一騎当千方式のものは、shoot 'em up(略して、shmup)と分類する傾向がある。これは2DSTGに限定した分類名ではなく、『スペースハリアー』、『アフターバーナー』、『サンダーブレード』、『スターフォックス』といった、一騎当千方式の3DSTGもshoot'em upの一種とされる(これに対して、格闘アクションゲームのことをbeat'em upと呼ぶことが多い)。逆に、『スペースウォー!』のような、2DSTGであっても一騎当千方式ではないものは、shoot'em upとは分類されない。なお、ある時期まではアメリカでもシューティングゲームといえば2DSTGが大部分であった。
各分類の具体的な内容については、記事本文で解説する。
タイトーの西角友宏によって開発され、1978年に同社から発売されたアーケードゲームの『スペースインベーダー』は、それまでの、数分という決まった時間内で行うただの「的当て(まとあて)ゲーム」とは異なって、敵からの攻撃を避けつつ敵をすべて撃墜することを目的としており、上手な人は長くプレイできるゲームシステムを採用しており、後続のシューティングゲームにさまざまな形で影響を与えており「シューティングゲームの元祖(始祖)」と評価されている。スペースインベーダーは、ただ単に「シューティングゲームの元祖」となっただけでなく、世界的な大ヒット、いまだに塗り替えられていない記録的なヒットとなり莫大な額の売上をたたき出し、それまで小規模だったゲームの世界市場の規模を一気に大きくし、このジャンルだけでなく、ゲーム業界というものをそれまでとは異なったものへと変えた。また1980年には、同ゲームは米国のホームコンピューター(ゲームコンピューター)のAtari 2600のソフトウェアとしても正式にライセンスされ、同筺体の売上増進に大貢献し、世界初の「キラーアプリケーション」となった。
スペースインベーダーの大ヒットに追随し、それのゲームシステムをほぼそのまま取り入れつつ、敵の動きに変化をつけたりカラー表現を美しくする形で、1979年11月にはナムコから『ギャラクシアン』が発売され、こちらも大ヒットした。それに続く1980年代初頭の『バルーンボンバー』、『ムーンクレスタ』、『ギャラガ』などのコンスタントなヒットにより、(『パックマン』、『ドンキーコング』などのアクションゲームとともに)シューティングゲームは当時のテレビゲーム界における主要なジャンルとして定着していった。
この時期はまだCPUのクロック周波数も低く、メモリの量もわずか数キロバイト程度と限られていて、処理能力が低かったので、この時期のシューティングゲームは全て、平面的なキャラクタを平面的に動かすタイプの「2Dシューティングゲーム」であった。
1980年代を迎えると、ビデオゲーム界の進歩の牽引役としてシューティングゲームは発展の一途をたどる。ゲームシステム、グラフィック、サウンド、難易度といった、ビデオゲームのあらゆる構成要素において、ハードウェアの技術革新に合わせ確実に進歩を加速させていくこととなった。ユーザーとしてのプレイヤーもそれにあわせて技能を磨き、「ワンコインクリア」や「ハイスコア」を目指すスタイルが定着。「敵を撃ち落とし、敵の弾を避ける」というシンプルでわかりやすいルール、パターンを解析し覚えた分だけ先の面へ進める・高い得点を取れるといった特質により、1980年代中頃にはアーケードゲーム、コンシューマーゲームの別を問わず、シューティングゲームはビデオゲームの中心ジャンルとして活況を呈するに至った。ゲーム会社はこぞってシューティングゲームを開発し、東亜プランなどのようにほぼシューティングゲーム開発専業のゲームメーカーも存在した。
1980年代が終わろうとする頃、シューティングゲームの隆盛にもかげりが見え始めてくる。ゲームアイデアの出尽くし感やマンネリ化、回転率の悪さからくるオペレータの不満などにより、シューティングは次第にゲーム市場から歓迎されなくなっていった。それ以外にも、ロールプレイングゲームや対戦型格闘ゲーム、パズルゲームなど、他の比較的新興のゲームジャンルに次々にヒット作が生まれ、そちらの方へユーザーが流れていったこと、難化の一途をたどる難易度や一部メーカー(アイレム)の情報統制による攻略情報の不足などから「シューティングは難しい・とっつきにくい」というイメージが一般に定着してしまったことなど、複数の衰退要因があげられる。
特に『ストリートファイターII』・『バーチャファイター』を開祖とする対戦格闘ゲームは、回転率、時間あたりの満足度、初心者の入り易さ、キャラクター性でシューティングゲームより圧倒的に注目を集め、アーケードゲームの主流を一気に奪い去った。シューティングゲームは上級者が1コインで長時間プレイするため回転率が悪く、メーカー側が回転率を上げるために難易度を上げたゲームを発表すると今度は初心者が寄り付かなくなり、結果としてプレイヤー全体数の減少を招いた。そのため、対戦格闘の驚異的な回転率の高さもあって次第にオペレータに敬遠され、設置台数が減少した。そしてマニア化したプレイヤーは前例に倣わない革新作を歓迎しなくなり、大差のないマニア向けゲームしか作られず初心者離れが更に加速するという悪循環を生み出してしまう。それを象徴するのが、1994年の東亜プランの倒産であった。『R-TYPE』シリーズを売り出したアイレムも同年にアーケードゲーム事業から撤退し、『グラディウス』シリーズなどを展開していたコナミも1990年代後半には『BEMANI』シリーズなどの音楽ゲームに主軸を移した。
シューティングゲームから撤退するメーカーが相次ぐ中で、タイトーなど一部老舗メーカーは製作を継続し、ケイブ、彩京、ライジングのようにシューティングゲームに新たに参入するメーカーも現れた。これらのメーカーは初心者離れに危機感をもち、キャラクター性の強化、自動難易度調整、ボムの標準装備、1面の低難易度化などの施策を講じた。しかし、根本的な解決に至ることはなく、結局は初心者を取り込みつつも上級者が納得できるようなバランス調整に各メーカーは頭を悩ませることとなる。1990年代、2000年代にかけて少数の意欲作や特にガンシューティングゲームにおけるヒット作は散見されるものの広範なユーザー層の獲得には至っておらず、マイナー化・ニッチ化が進むこととなった。
「リアルな体験」が好まれる英語圏・欧米圏では早くから3Dシューティングを求める人々が多かった。1993年にはDOS向けに『DOOM』がリリースされ評判となった。真正の3D処理をするためにはハードウェア的に高い処理能力が必要なので、1990年代の段階ではそのため(だけ)に高性能PCを購入する必要があった。英語圏ではともかく「リアルな体験」指向が強いので、それの実現のためならばたとえ価格が高くても高性能PC(ゲーム用PC)を購入するという人々の数が多く、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。その後2000年代になるとコンシューマ・ゲーム機(つまりPSやXBOXなど)の側の高性能化が進み、わざわざ高性能PCまでは購入する気が無い、という人々の間でも3Dシューティングが普及してゆくことになり、世界的に3Dシューティングの普及が進んだ。2000年代ではFPSで「SFもの」としては『HALO』も大ヒット。FPSで、かつリアルな戦場ものとしては『バトルフィールド』や『コール・オブ・デューティ』が大人気となり、続編が次々とリリースされ「シリーズもの」となっていった。バトルフィールドやコールオブデューティは、近年でもPSやXBOXなどのゲームソフト売上の上位ランクの常連であり、世界中で膨大な数が購入され、膨大な数のプレーヤーによってプレイされつづけている。
#3Dシューティングゲームの節で解説。
なお2Dシューティングは製作するメーカーは少なくなったまま
家庭用では『Everyday Shooter』や『Every Extend Extra』、『Blast Works』などがある。アーケード向けについては、日本では『トラブル☆ウィッチーズ』がゲームショウなどでロケーションを行い後に稼動、『exception』もAMI、サクセス、スコーネック制作の新システム基板のソフトランナップに記載された。
オンライン配信対応のものについては、アーケードゲームでは2007年、コナミがオンラインに対応したシューティングゲームとして『オトメディウス』を販売した。2Dスクロール系のものでは『Valkyrie Sky』が日本では2010年からクローズドβテストを開始している。
#年表を末尾に掲載したので、そちらも参照のこと。
コンピュータゲームでも極めて早期に登場したゲームジャンルで、1962年の『スペースウォー!』が初出とされる。また1947年に開発された『陰極線管娯楽装置』は制限時間内に陰極線管のノブを操作して照準となる光源を航空機に合わせ撃墜するというゲームであった。
2Dとは「二次元的視点」の意味で、オブジェクトの拡大縮小でパースを付けたり3Dポリゴン処理などをしていても2D視点のゲームはこちらに含まれる。なお、攻撃できる射線が一方向なものもあれば、任意に変えられるものも存在する。
画面がスクロールしないシューティングゲーム。世界初のシューティングゲームとされる『スペースウォー!』や『陰極線管娯楽装置』はこの形式。その他の代表的なタイトルは『スペースインベーダー』、『バルーンボンバー』、『アステロイド』、『ロボトロン2084』、『グロブダー』など。
敵を全て破壊すると面クリアとなり、次の面に進むものが多い。なお、自機が全方位に移動・射撃できるものを、日本国外ではこれを闘技場になぞらえて「アリーナ・シューター」と呼んでいる(戦闘エリアが局所的な多方向スクロールシューティングもこれに含まれる)。
基本的に画面が主に上から下へ縦方向にスクロールするトップビューの画面構成を持つシューティングゲーム。通称「縦シュー」。『ゼビウス』、『スターフォース』、『テラクレスタ』、『ツインビー』、『究極タイガー』、『雷電』、『バトルガレッガ』、『怒首領蜂』、『東方Project』など。『シルフィード』、『レイストーム』のように3D処理をして手前を大きく、奥を小さく表示する(パース処理)ようにしたハーフトップビューの縦スクロールシューティングもある(この手法は、横スクロールシューティングでも稀に見られる)。
1990年代後半からは障害物の類はあまり出現しない代わりに「敵弾を避ける(避け)を主体とする」というものが多く、大量の弾幕を小さな当たり判定を持つ自機で潜り抜ける弾幕系シューティングというムーブメントが発生した(詳細は、弾幕系シューティングの項を参照)。ただし、それ以前のものには、『スターソルジャー』、『イメージファイト』など地形の概念などのギミックが存在するタイトルも少なくない。
最初から家庭用またはパソコン用として作成されたタイトルでは、その特性上ほとんどがモニターを横置きした画面構成となっている。従って、縦画面構成のタイトルの大多数が業務用として作成されたものであり、横画面構成のタイトル大多数が家庭用ないしパソコン用として作成されたものである。
業務用の縦スクロールシューティングは筐体のモニターを縦置き(3:4)にして使用するものがほとんどである。家庭のテレビが4:3比率だった時代、大半がブラウン管を使用しており縦置きにするのは故障の原因になるため、据え置き型家庭用ゲーム機へ移植する際はゲームを横画面に再構成した状態に移植する必要があった。画面をフルに使うか、横を多少狭めてオリジナルの雰囲気を残すかは個々のタイトルごとに対応が異なるが、いずれにせよ画面が小さくなり解像度が低くなり見にくくなるなどのデメリットが出るのは必然であり避けられない時代が長く続いた。
ただし一部では縦置き可能なモニターでプレイする事を必須とし、オリジナルそのままの縦画面モードを搭載してこれに対応する作品もあった(『ソニックウィングス2』、『レイストーム』、『レイディアントシルバーガン』、『ギガウイング』など)。このモードを実装した作品は極めて少ないが、これは縦置きが可能なモニターは入手が困難か、相応の接続知識が必要になる事から、あくまでも縦表示に拘り、安全に縦置きモニターを設置・運用出来るマニア向けの仕様として搭載されているためである。縦置きがブラウン管タイプより簡単な液晶モニターを使う手もあるが、この場合は家庭用の映像機器接続端子が付いているものや、特殊なアップコンバーター機器を使う必要があるため、やはり簡単ではない。
近年は家庭用のテレビも高解像度化・大画面化が進み、据え置き型ゲーム機も高解像度描画が当たり前になった事から、往年の業務用縦スクロールシューティングを(据え置き型)家庭用ソフトやPC用ゲームとして移植する場合、画面の中央にオリジナルそのまま縦画面を表示する仕様のゲームも出てきた(Xbox 360版『怒首領蜂 大復活』・『虫姫さま』など)。このような仕様になっている作品については大画面テレビを使えば往時の縦型モニターと同サイズかそれ以上の画面サイズを確保出来るのでプレイに支障無く遊べるようになっている。ただし何も対処しないとプレイ画面の両サイドが未表示状態になり寂しい画面になってしまうため、その場合は両脇にゲームに関連したイラストを表示したり、ゲームプレイに役立つ様々なガジェットを表示したりするケースもある(PS4版『バトルガレッガ』・『弾銃フィーバロン』など)。
なお、携帯ゲーム機に移植された場合、据え置き機よりも画面を縦にする事が比較的容易な場合本体を縦に持ってプレイ出来るようにして対応した作品もあった(『カプコン クラシックス コレクション』『ナムコミュージアム』収録作品の一部など)。
基本的に画面が主に右から左横方向にスクロールするサイドビューの画面構成のシューティングゲーム。通称「横シュー」。『グラディウス』、『R-TYPE』、『ダライアス』、後期の『サンダーフォース』シリーズ、『超兄貴』など。
画面構成がサイドビューになることにより、必然的に上下と地形の概念が発生する。そのため爽快感を追求する方向性に行きやすい縦スクロールシューティングとは対照的に、戦略性を追求するタイトルが多い。ただしごくまれに、『プロギアの嵐』のように(自機が衝突する意味においての)地形が無いゲームも存在する。
横スクロールシューティングはモニターを横置きにして使用するものがほとんどであるが、かつては『スクランブル』、『ジャンプバグ』、『スティンガー』、『バスター』、『フォーメーションZ』などのモニター縦置きの横スクロールシューティングが主流であった。『スカイキッド』は常に左から右へスクロールする。『ディフェンダー』、『チョップリフター』は任意で左右方向にスクロール可能。
1990年代後期より弾幕系縦スクロールSTGに圧される形でタイトルを減少させていったが、アーケード・家庭用共にディスプレイ標準が横に長い16:9比率になった2000年代後期からは再び増加傾向を見せている。
ごく少数の例外として、『ヴァンガード』、『沙羅曼蛇』、『テラフォース』、『アクスレイ』、『フィロソマ』、『ヘクター'87』などのように、横スクロールシューティングと縦スクロールシューティングが交互に行われる構成のゲームも存在する。
ゲーム進行上の演出として、ステージの途中などでゲームの通常方向のスクロールとは異なる方向への強制的、あるいは選択的なスクロール処理が行われる場合もあり、局所的に縦横両スクロールに見える場合もある。(『グラディウス』『スペースマンボウ』など)
画面が主に斜め方向にスクロールするシューティングゲーム。背景が3D的になっている。『ザクソン』、『ブレイザー』、『メルヘンメイズ』、『ビューポイント』、『マッドクラッシャー』など極めて少数。
基本的ルールとしては縦スクロールシューティングと同じだが、ザクソンは高度・障害物の概念も入っている(その代わり前後への移動はなし)。
斜め視点なのでスプライトでも敵などが立体的に見えるというメリットはあったが、位置関係が把握しづらく、高度の概念を入れると敵と同高度なのかどうかが解らなかったり、敵弾の機動予測がしづらいなどのデメリットがあり、ゲーム性に幅を持たせにくい。結局、縦スクロールシューティングに統合されるような形で作成されなくなった。
画面がプレイヤーの「任意の方向にスクロール」し、「任意の方向への攻撃」を行うシューティング。別称、任意スクロールシューティング。
代表的なタイトルは『ボスコニアン』、『タイムパイロット』、『バンゲリング ベイ』、『エイリアンシンドローム』、『奇々怪界』、『アサルト』、『ワルキューレの伝説』、初期の『サンダーフォース』シリーズ、『グラナダ』、『Geometry Wars』など多岐にわたる。前述のアリーナシューティングや、初期のFPSなども多方向スクロールシューティングの要素を備え、同様の内部処理を行っている場合がある。
スクロール表現に関して分類すると「方向入力を行い続けるとスクロールするタイプ」(『グラナダ』や『アサルト』など)と、「方向入力を行わなくても常にスクロールするタイプ」(『ボスコニアン』など)に分かれる。前者は、多方向スクロールシューティングの要素が濃厚であってもアクションゲームに分類されることも多い。
戦闘空間が円筒状の曲面であるシューティングゲーム。画面は3次元的表現で描画されるが、戦闘は円筒状の形状の表面に沿うような空間上で行われる。この戦闘空間は、変則的ではあるものの一種の2次元である。『Tempest』、『ジャイラス』、『Space Giraffe』など極めて少数。また、『アーガス』などは通常の縦スクロールシューティングであるが、マップの左右が接続・ループしており、事実上、トンネル・シューティング同様の空間構成であると見なす事もできる。
ゲームのデータ空間が3次元構造を再現していて、3次元的に表示するシューティングゲーム。オブジェクト指向プログラミングによるシミュレーション的な仮想空間の再現や3Dポリゴン技術などを用いることで実現している。
擬似3D処理としてスプライト・一枚絵の拡大縮小を使っているが、ゲーム内の仮想空間が3次元的に設計されている作品も(一応)3Dシューティングゲームに分類され、更に細かくジャンルを分ける際は「疑似3Dシューティング」と呼ばれる。
なお「二次元的視点 (斜め見下ろし視点のものを含む) で、ポリゴンを使用して3D処理している」というゲーム(『レイストーム』、『斑鳩』、『グラディウスV』など)は基本的に「2Dシューティング」に分類され、「3Dシューティング」には分類されない。
アーケードゲームではいわゆる「大型筐体」を採用し、プレイヤーが操作と連動して揺らされる「体感ゲーム」が多い。
強制スクロール型の2Dシューティングとはゲーム性が大きく異なる。
なお、各タイトルのゲーム設定やプレイヤーの体質にもよるが、3Dシューティングというのは、ゲームの仮想空間内で視線方向をあまりに激しく動かし続けると(ちょうど現実世界で頭をあまりに激しく振り回すと酔ったようになり、吐き気を催すのと同じで)「3D酔い」と呼ばれる症状を発する場合もある。視線方向を振ることを控えめにすると酔いにくい。
3次元の仮想空間内を自由に移動して戦うシューティングゲーム。 3D処理には高い処理能力が要求されるが、コンシューマ機・スマートフォンの高性能化及びPCの低価格化が進むにつれて、世界的に普及していった
一人称視点のもの、つまり主人公の目線で仮想空間を見るものはファーストパーソン・シューティング(FPS)と分類され、三人称視点のもの、つまり主人公の眼とは別のところにあたかもカメラがあるかのようにして仮想空間を見るものはサードパーソン・シューティング(TPS)と分類される。ハードウェアの性能が向上した2000年代頃から多様化が進み、一人称視点と三人称視点の任意切り替えが可能なタイトルも増えている。
プレイヤーは仮想空間で主人公となり、課せられたミッションをこなす事でステージをクリアしていく。 単独プレイのほかに、プレイヤー同士がLANやインターネットを通じて対戦・協力プレイもできるようデザインされたゲームも多い。
世界的に人気が高いジャンルでもあり、特に「リアルなグラフィックや演出」「現実のような体験」が好まれる傾向がある欧米では、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。 一方、日本では文化的な違いから、欧米に比べてFPS/TPSはアーケード・コンシューマ・PCのいずれにおいても普及が遅れていた。 しかし、2000年代に入るとインターネットの発達により海外のゲーム情報が身近になり、少しずつではあるが日本でも普及していくようになる。
リアルな戦場を表現したFPSとしては『バトルフィールド・シリーズ』、『コールオブデューティ・シリーズ』などの知名度が高い。これはFPSであるが、兵士の体験をシミュレーションするシミュレーション・ゲームとも言える。 FPSの「SFもの」としては『HALO』シリーズ、『DOOM』シリーズなどがある。
TPSとしては、たとえば以下のようなものがある。
なお、ソニー・インタラクティブエンタテインメントとゲリラゲームズが、「ゲームの地平線を目指すために」物理エンジンから作り直し、6年もの歳月と千名以上のスタッフで作り上げ、大ヒットしたPS4ソフトの大作、『Horizon Zero Dawn』も、(ゲーム全体では多要素であるが)その戦闘部分はTPSである。(他のTPSとは違って、銃やレーザー銃ではなく)弓矢を多用する、という特徴がある。
『フォートナイト』も(ゲーム全体は多要素ではあるが)戦闘部分はTPSである。
戦闘機などを駆って自由な空間移動が可能なシューティングゲーム。フライトシミュレーションにシューティングゲームの要素を混ぜたもののうち、物理現象などの再現よりも、特にシューティングゲームとしての要素を重視しているもの。代表的な作品は3Dポリゴンを用いた『エースコンバットシリーズ』、『スカイガンナー』、『ブレイジング・エンジェル』、『エナジーエアフォース』など。
フライトシューティングは歴史の古いジャンルではあるが、フライトシューティングという呼称が定着したのは『ACE COMBAT』をはじめとするコンシューマ機向け作品がフライトシューティングというジャンル名を冠して登場するようになってからである。それ以前は、たとえその内容が実質的にフライトシューティングであっても、フライトシミュレータと冠して発売されることが常であった。
なお、海外においてはフライトシューティング(flight shooter)という呼称はあまり用いられない。フライトアクション(flight action)という呼称がより一般的である。
宇宙船を操って宇宙空間を舞台に自由な空間移動が可能なシューティングゲーム。宇宙空間を舞台としたフライトシューティングとも言える。『スターラスター』、『PROJECT SYLPHEED』、『FreeSpace』などはここに分類される。また、スペースフライトシミュレーターの一ジャンルでもある。このうち、シューティングゲームとしての爽快感を重視したものはスペースコンバットシューティング (あるいは単にスペースシューティング)、高い戦術性や複雑な機体操作など、シミュレーションゲームとしての要素が強いものはスペースコンバットシミュレーションと呼ばれるが、明確な区分があるわけではない。
なお、シミュレーションといっても、必ずしも宇宙戦闘を物理学的・科学的に正しく再現することを目指しているわけではなく、『スター・ウォーズ・シリーズ』のようなSFの中での宇宙戦闘を模したものがほとんどである。その結果としてシューティングゲームの一種として分類されうるゲームになっている。
また、このジャンルには『Elite』、『FreeLancer』、『X:Beyond the Frontier』の様に、通常のシューティングのような、固定された内容のミッションだけでなくSF的世界観の中でフリーランスの宇宙船乗りとして宇宙を冒険し様々なランダムミッションや交易などを行う、ロールプレイングゲームや経営シミュレーションの要素を多く含むタイトルも存在している。
奥から手前にスクロールする強制スクロール型の3Dシューティングゲーム。3Dポリゴンによる本格的な3D処理が可能になる以前から、擬似3D処理としてスプライト・一枚絵の拡大縮小を用いてこの種のタイトルが作られてきた。代表的なタイトルは『スペースハリアー』、『アフターバーナーII』、『ギャラクシーフォース』、『スターフォックス』シリーズ、『パンツァードラグーン』シリーズなど。2DCGではあるものの、『サンダーセプターII』などのように、特殊メガネなどを使用した3D投影を行っているタイトルもある。
「光線銃」などを用いるもの。2Dシューティングゲームや、3Dシューティングゲームよりも発祥は古く、ビデオゲームが発明される以前から存在する。
かつてはレーザーディスクの映像再生機能を使用しているゲームもあった。
上記までとは異なる分類として、ボム・シューティング(略してボムシュー)というジャンル分けがある。通常攻撃のほかに、一定時間無敵、絶大なる攻撃力などをもった「ボム」あるいは「ボンバー」などと呼ばれる特殊攻撃が可能。この特殊攻撃は何らかの方法により使用回数の制限がなされている。詳しくはボンバーの項目を参照。
上記のどれにも該当しないもの。そのほとんどは、後継作品がリリースされていない。『バンクパニック』、『エンパイアシティ1931』など。
1980年代末期までの2Dシューティング作品においては、プレイヤー自機の攻撃力はショットボタンの押下回数、すなわち連打(連射)回数に依存している作品が多かった。しかしプレイヤーにとってはショットボタンの連打には体力やテクニックが要求され、長時間続けると筋肉痛などの症状を起こす恐れがあり、またゲーム機自体への負荷も大きくなった。さらにハイスコアを競う局面では、ゲーム機外部に取り付ける自動連射装置の利用の有無により結果に差異が生じた。そのため『ゲーメスト』などではハイスコア集計を連射装置の有無別に分けて行うこともあった。その後、ほぼ全ての2Dシューティングゲームのプログラム上に自動連射機能が組み込まれている。
シューティングゲームではプレイ内容により難易度を調整するシステムが搭載されているものが多く、この内部での難易度設定のことを俗にランクと呼ぶ。ランクの上昇(および下降)に関係する要素は作品によって異なるが、概ね自機のパワーアップ状態、周回数、残機数、ミスをしてからの時間などが関係する。一方ランクが反映される要素としては敵の攻撃量、耐久力、撃ち返し弾の有無などがある。
ランクへの対処方法としては、極力ミスをしないように、また自機を効率的にパワーアップさせランクの上昇に対抗し得るようにするというものがある。また逆に意図的にパワーアップの抑制やミスなどプレイヤーにとって不利益ともなり得ることを行うことで難易度を抑制する、「ランクを下げる(あるいは調整する)」という手法もある。どちらの方法を取るかは作品やプレイヤーの熟練度、局面などによって異なり、そうした攻略パターンをまとめたものがゲーム雑誌や書籍に掲載されることもある。また一般的にハイスコアを目指すプレイでは効率的なパワーアップを行いつつノーミスで進行することとなるため、必然的にランクの上昇を大きく引き起こす。そのため作品によっては、初心者向けにランク上昇を抑えることを考慮したクリア重視の攻略と、上級者向けにランク上昇を度外視したハイスコア重視の攻略の2種類が雑誌に掲載されることもあった。中にはランク上昇が顕著でクリアのためには上級者でもランク調整が必須なものもあり、例として『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』や『バトルガレッガ』などが挙げられる。
1980年代後半から1990年代のゲームミュージックの中心の一つが当時のアーケードの2DSTGであり、タイトーのZUNTATA、コナミの矩形波倶楽部などゲームミュージックのチーム・ブランドが生まれるきっかけの一つとなった。当時アーケードの2DSTGのサウンドトラックやアレンジ版が多数発売された。
当時の2DSTGのサウンドトラックにはテレビのニュース番組やバラエティ番組などのBGMや効果音としていまだに使われているものもある(『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』など)。
シューティングゲーム、ゲーム業界に影響を与えたものや出来事を記す。
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2006年にフランスのゲーム専門チャンネル『Gameone』によって制作・放送された、2DSTGの特集番組。上記年表にある2DSTGの大部分について網羅。2DSTGの繁栄から衰退、そして現在(2005年)について解説。各2DSTGの面白さやヒット理由の分析、開発者へのインタビューなど、2DSTGの歴史について報道している番組。
有志による日本語訳がいくつか存在する。
2009年にケーブルCS放送MONDO21にて放映された番組。毎回1つのタイトルを取り上げ、上級プレイヤーによる攻略映像を解説付きで流すという内容。 | [
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"text": "シューティングゲーム(和製英語: shooting game、英: shooter game)は、敵を撃つことがメインの、コンピュータゲームのジャンルのひとつ。STGやSHTと略記される場合もある。",
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"text": "主に弾丸やレーザー光線などの飛び道具を用いて敵(敵の機体、敵の兵器、敵の生物、敵のエイリアン、敵の兵など)を撃つ。",
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"text": "シューティングゲームの分類方法はいくつもあるが、視点、スクロール方向、攻撃手段などによって分類されることが多い。大別すると、2Dシューティング / 3Dシューティング、ガンシューティングゲームに分類される。#分類・種類",
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"text": "広義のアクションゲームの下位概念、と分類する方法もあり、アクションゲームとは区別する分類方法もある。中にはアクション要素のあるシューティングや、シューティング要素のあるアクション、また完全に中間に位置するゲームなどがあり、両者の判別を困難にしている(それらを大別して「アクションシューティング」、あるいは「シューティングアクション」と呼ぶこともある)。",
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"text": "作中の時代設定および世界観設定に関しては様々であるが、未来を舞台にしたSF色の強い作品やミリタリー色の強い世界観設定の作品が多い。 一方で、『1942』シリーズのように過去を舞台にした作品、『ストライカーズ1945』シリーズのように過去の時代をベースにしつつもSF色の強い世界観を描いた作品もある。",
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"text": "言葉自体は1970年代前半の光線銃ゲームで使われているが、この頃は射撃ゲームとほぼ同じ意味だった。電子ゲームでは1980年の『スペースシューティング』『スリムボーイ シューティングゲーム6』、『アスキー』1980年8月号掲載の「タンク・シューティング」がある。",
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"text": "日本ではスペースインベーダーのヒット以来、数々の2DSTGが産まれシューティングゲームの代名詞となった。昨今(2000年以降)では2DSTGから分化した各種3DSTG(FPS、フライトシューティング、ガンシューティングなど)が増加、多様化しているため、日本国内でもシューティングゲームというとき2DSTGを指すか3DSTGを指すかで誤解が生じることがある。2DSTGと呼べば誤解は生じないが、今度は2DSTGという単語そのものの認知度が低いという問題が生じる。",
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"text": "一般的にシューティングゲームと呼ばれるゲームがアクションゲームとされていたことがあり『ログイン』1983年5月号で『ゼビウス』を「戦闘(アクション)ゲーム」とルビが振られ、1983年8月発売の『こんにちはマイコン』第2巻の目次にあるゲームジャンル紹介でアクションゲームを「スペースインベーダー等の、反射神経を競うゲーム」と説明していた。『ログイン』では1983年3月号の『UFOパニック』の広告で「シューティングゲーム」とあるのが雑誌や広告類での使用の早い例とみられ、1983年12月号のシューティングゲーム紹介記事では『アルフォス』が「スクロールゲーム」とされていた。「シューティング」の語が広まったのは1982年公開のアニメ映画『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』が関係しているという見方があり、予告編で「GUNDAM LAST SHOOTING」や宣伝ポスターで「Last Shooting!」とあったのが影響したという説がある。",
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"text": "シューティングゲームの分類はいくつもあるが、たとえば下記の分類法がある。",
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"text": "たとえば 2Dシューティング / 3Dシューティング と大別する方法がある。",
"title": "分類・種類"
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"text": "2Dシューティングは、画面内に表示されるものが2次元的、つまり平面的に表示されるもの。 3Dシューティングゲームは、画面内に世界が3次元的に、立体的、透視図法的に表示されるもので、コンピュータのCPUの処理能力の向上、オブジェクト指向プログラミング、ポリゴン技術などの発達により、コンピュータのデータ空間内のシミュレーション的なデータ処理やそれを視覚的に表示する技術が実現したことによって可能になったもの。なお2Dと3Dの中間的なもの、本当の3D技法ではなくそれを「疑似的に」実現しているもの、3次元的に見せようとしている表示も一部含まれているが、データ空間内での敵・自分の動きなどが3次元的に十分に再現できていないものについては「擬似3Dシューティング」と分類する方法もある。",
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"text": "2Dシューティングは画面スクロールの有無により、固定画面シューティング / スクロールシューティング に分類できる。",
"title": "分類・種類"
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"text": "スクロールシューティングはさらに 縦スクロールシューティング / 横スクロールシューティング / 縦横両スクロールシューティング / 多方向スクロールシューティングなどに分類できる。",
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"text": "3Dシューティングのほうは、視点のとりかたによって、FPS(ファーストパーソン・シューティング) / TPS(サードパーソン・シューティング)に分類される。",
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"text": "射撃主体のアクションゲームである「アクションシューティング」 / 1対1で対戦する「対戦型シューティングゲーム」という分類法もある。",
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"text": "英語圏では、シューティングゲームのうち一騎当千方式のものは、shoot 'em up(略して、shmup)と分類する傾向がある。これは2DSTGに限定した分類名ではなく、『スペースハリアー』、『アフターバーナー』、『サンダーブレード』、『スターフォックス』といった、一騎当千方式の3DSTGもshoot'em upの一種とされる(これに対して、格闘アクションゲームのことをbeat'em upと呼ぶことが多い)。逆に、『スペースウォー!』のような、2DSTGであっても一騎当千方式ではないものは、shoot'em upとは分類されない。なお、ある時期まではアメリカでもシューティングゲームといえば2DSTGが大部分であった。",
"title": "分類・種類"
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"text": "各分類の具体的な内容については、記事本文で解説する。",
"title": "分類・種類"
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"text": "タイトーの西角友宏によって開発され、1978年に同社から発売されたアーケードゲームの『スペースインベーダー』は、それまでの、数分という決まった時間内で行うただの「的当て(まとあて)ゲーム」とは異なって、敵からの攻撃を避けつつ敵をすべて撃墜することを目的としており、上手な人は長くプレイできるゲームシステムを採用しており、後続のシューティングゲームにさまざまな形で影響を与えており「シューティングゲームの元祖(始祖)」と評価されている。スペースインベーダーは、ただ単に「シューティングゲームの元祖」となっただけでなく、世界的な大ヒット、いまだに塗り替えられていない記録的なヒットとなり莫大な額の売上をたたき出し、それまで小規模だったゲームの世界市場の規模を一気に大きくし、このジャンルだけでなく、ゲーム業界というものをそれまでとは異なったものへと変えた。また1980年には、同ゲームは米国のホームコンピューター(ゲームコンピューター)のAtari 2600のソフトウェアとしても正式にライセンスされ、同筺体の売上増進に大貢献し、世界初の「キラーアプリケーション」となった。",
"title": "歴史"
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"text": "スペースインベーダーの大ヒットに追随し、それのゲームシステムをほぼそのまま取り入れつつ、敵の動きに変化をつけたりカラー表現を美しくする形で、1979年11月にはナムコから『ギャラクシアン』が発売され、こちらも大ヒットした。それに続く1980年代初頭の『バルーンボンバー』、『ムーンクレスタ』、『ギャラガ』などのコンスタントなヒットにより、(『パックマン』、『ドンキーコング』などのアクションゲームとともに)シューティングゲームは当時のテレビゲーム界における主要なジャンルとして定着していった。",
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"text": "この時期はまだCPUのクロック周波数も低く、メモリの量もわずか数キロバイト程度と限られていて、処理能力が低かったので、この時期のシューティングゲームは全て、平面的なキャラクタを平面的に動かすタイプの「2Dシューティングゲーム」であった。",
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"text": "1980年代を迎えると、ビデオゲーム界の進歩の牽引役としてシューティングゲームは発展の一途をたどる。ゲームシステム、グラフィック、サウンド、難易度といった、ビデオゲームのあらゆる構成要素において、ハードウェアの技術革新に合わせ確実に進歩を加速させていくこととなった。ユーザーとしてのプレイヤーもそれにあわせて技能を磨き、「ワンコインクリア」や「ハイスコア」を目指すスタイルが定着。「敵を撃ち落とし、敵の弾を避ける」というシンプルでわかりやすいルール、パターンを解析し覚えた分だけ先の面へ進める・高い得点を取れるといった特質により、1980年代中頃にはアーケードゲーム、コンシューマーゲームの別を問わず、シューティングゲームはビデオゲームの中心ジャンルとして活況を呈するに至った。ゲーム会社はこぞってシューティングゲームを開発し、東亜プランなどのようにほぼシューティングゲーム開発専業のゲームメーカーも存在した。",
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"text": "1980年代が終わろうとする頃、シューティングゲームの隆盛にもかげりが見え始めてくる。ゲームアイデアの出尽くし感やマンネリ化、回転率の悪さからくるオペレータの不満などにより、シューティングは次第にゲーム市場から歓迎されなくなっていった。それ以外にも、ロールプレイングゲームや対戦型格闘ゲーム、パズルゲームなど、他の比較的新興のゲームジャンルに次々にヒット作が生まれ、そちらの方へユーザーが流れていったこと、難化の一途をたどる難易度や一部メーカー(アイレム)の情報統制による攻略情報の不足などから「シューティングは難しい・とっつきにくい」というイメージが一般に定着してしまったことなど、複数の衰退要因があげられる。",
"title": "歴史"
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"text": "特に『ストリートファイターII』・『バーチャファイター』を開祖とする対戦格闘ゲームは、回転率、時間あたりの満足度、初心者の入り易さ、キャラクター性でシューティングゲームより圧倒的に注目を集め、アーケードゲームの主流を一気に奪い去った。シューティングゲームは上級者が1コインで長時間プレイするため回転率が悪く、メーカー側が回転率を上げるために難易度を上げたゲームを発表すると今度は初心者が寄り付かなくなり、結果としてプレイヤー全体数の減少を招いた。そのため、対戦格闘の驚異的な回転率の高さもあって次第にオペレータに敬遠され、設置台数が減少した。そしてマニア化したプレイヤーは前例に倣わない革新作を歓迎しなくなり、大差のないマニア向けゲームしか作られず初心者離れが更に加速するという悪循環を生み出してしまう。それを象徴するのが、1994年の東亜プランの倒産であった。『R-TYPE』シリーズを売り出したアイレムも同年にアーケードゲーム事業から撤退し、『グラディウス』シリーズなどを展開していたコナミも1990年代後半には『BEMANI』シリーズなどの音楽ゲームに主軸を移した。",
"title": "歴史"
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"text": "シューティングゲームから撤退するメーカーが相次ぐ中で、タイトーなど一部老舗メーカーは製作を継続し、ケイブ、彩京、ライジングのようにシューティングゲームに新たに参入するメーカーも現れた。これらのメーカーは初心者離れに危機感をもち、キャラクター性の強化、自動難易度調整、ボムの標準装備、1面の低難易度化などの施策を講じた。しかし、根本的な解決に至ることはなく、結局は初心者を取り込みつつも上級者が納得できるようなバランス調整に各メーカーは頭を悩ませることとなる。1990年代、2000年代にかけて少数の意欲作や特にガンシューティングゲームにおけるヒット作は散見されるものの広範なユーザー層の獲得には至っておらず、マイナー化・ニッチ化が進むこととなった。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "「リアルな体験」が好まれる英語圏・欧米圏では早くから3Dシューティングを求める人々が多かった。1993年にはDOS向けに『DOOM』がリリースされ評判となった。真正の3D処理をするためにはハードウェア的に高い処理能力が必要なので、1990年代の段階ではそのため(だけ)に高性能PCを購入する必要があった。英語圏ではともかく「リアルな体験」指向が強いので、それの実現のためならばたとえ価格が高くても高性能PC(ゲーム用PC)を購入するという人々の数が多く、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。その後2000年代になるとコンシューマ・ゲーム機(つまりPSやXBOXなど)の側の高性能化が進み、わざわざ高性能PCまでは購入する気が無い、という人々の間でも3Dシューティングが普及してゆくことになり、世界的に3Dシューティングの普及が進んだ。2000年代ではFPSで「SFもの」としては『HALO』も大ヒット。FPSで、かつリアルな戦場ものとしては『バトルフィールド』や『コール・オブ・デューティ』が大人気となり、続編が次々とリリースされ「シリーズもの」となっていった。バトルフィールドやコールオブデューティは、近年でもPSやXBOXなどのゲームソフト売上の上位ランクの常連であり、世界中で膨大な数が購入され、膨大な数のプレーヤーによってプレイされつづけている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "#3Dシューティングゲームの節で解説。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "なお2Dシューティングは製作するメーカーは少なくなったまま",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "家庭用では『Everyday Shooter』や『Every Extend Extra』、『Blast Works』などがある。アーケード向けについては、日本では『トラブル☆ウィッチーズ』がゲームショウなどでロケーションを行い後に稼動、『exception』もAMI、サクセス、スコーネック制作の新システム基板のソフトランナップに記載された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "オンライン配信対応のものについては、アーケードゲームでは2007年、コナミがオンラインに対応したシューティングゲームとして『オトメディウス』を販売した。2Dスクロール系のものでは『Valkyrie Sky』が日本では2010年からクローズドβテストを開始している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "#年表を末尾に掲載したので、そちらも参照のこと。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "コンピュータゲームでも極めて早期に登場したゲームジャンルで、1962年の『スペースウォー!』が初出とされる。また1947年に開発された『陰極線管娯楽装置』は制限時間内に陰極線管のノブを操作して照準となる光源を航空機に合わせ撃墜するというゲームであった。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "2Dとは「二次元的視点」の意味で、オブジェクトの拡大縮小でパースを付けたり3Dポリゴン処理などをしていても2D視点のゲームはこちらに含まれる。なお、攻撃できる射線が一方向なものもあれば、任意に変えられるものも存在する。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "画面がスクロールしないシューティングゲーム。世界初のシューティングゲームとされる『スペースウォー!』や『陰極線管娯楽装置』はこの形式。その他の代表的なタイトルは『スペースインベーダー』、『バルーンボンバー』、『アステロイド』、『ロボトロン2084』、『グロブダー』など。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "敵を全て破壊すると面クリアとなり、次の面に進むものが多い。なお、自機が全方位に移動・射撃できるものを、日本国外ではこれを闘技場になぞらえて「アリーナ・シューター」と呼んでいる(戦闘エリアが局所的な多方向スクロールシューティングもこれに含まれる)。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "基本的に画面が主に上から下へ縦方向にスクロールするトップビューの画面構成を持つシューティングゲーム。通称「縦シュー」。『ゼビウス』、『スターフォース』、『テラクレスタ』、『ツインビー』、『究極タイガー』、『雷電』、『バトルガレッガ』、『怒首領蜂』、『東方Project』など。『シルフィード』、『レイストーム』のように3D処理をして手前を大きく、奥を小さく表示する(パース処理)ようにしたハーフトップビューの縦スクロールシューティングもある(この手法は、横スクロールシューティングでも稀に見られる)。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1990年代後半からは障害物の類はあまり出現しない代わりに「敵弾を避ける(避け)を主体とする」というものが多く、大量の弾幕を小さな当たり判定を持つ自機で潜り抜ける弾幕系シューティングというムーブメントが発生した(詳細は、弾幕系シューティングの項を参照)。ただし、それ以前のものには、『スターソルジャー』、『イメージファイト』など地形の概念などのギミックが存在するタイトルも少なくない。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "最初から家庭用またはパソコン用として作成されたタイトルでは、その特性上ほとんどがモニターを横置きした画面構成となっている。従って、縦画面構成のタイトルの大多数が業務用として作成されたものであり、横画面構成のタイトル大多数が家庭用ないしパソコン用として作成されたものである。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "業務用の縦スクロールシューティングは筐体のモニターを縦置き(3:4)にして使用するものがほとんどである。家庭のテレビが4:3比率だった時代、大半がブラウン管を使用しており縦置きにするのは故障の原因になるため、据え置き型家庭用ゲーム機へ移植する際はゲームを横画面に再構成した状態に移植する必要があった。画面をフルに使うか、横を多少狭めてオリジナルの雰囲気を残すかは個々のタイトルごとに対応が異なるが、いずれにせよ画面が小さくなり解像度が低くなり見にくくなるなどのデメリットが出るのは必然であり避けられない時代が長く続いた。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "ただし一部では縦置き可能なモニターでプレイする事を必須とし、オリジナルそのままの縦画面モードを搭載してこれに対応する作品もあった(『ソニックウィングス2』、『レイストーム』、『レイディアントシルバーガン』、『ギガウイング』など)。このモードを実装した作品は極めて少ないが、これは縦置きが可能なモニターは入手が困難か、相応の接続知識が必要になる事から、あくまでも縦表示に拘り、安全に縦置きモニターを設置・運用出来るマニア向けの仕様として搭載されているためである。縦置きがブラウン管タイプより簡単な液晶モニターを使う手もあるが、この場合は家庭用の映像機器接続端子が付いているものや、特殊なアップコンバーター機器を使う必要があるため、やはり簡単ではない。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "近年は家庭用のテレビも高解像度化・大画面化が進み、据え置き型ゲーム機も高解像度描画が当たり前になった事から、往年の業務用縦スクロールシューティングを(据え置き型)家庭用ソフトやPC用ゲームとして移植する場合、画面の中央にオリジナルそのまま縦画面を表示する仕様のゲームも出てきた(Xbox 360版『怒首領蜂 大復活』・『虫姫さま』など)。このような仕様になっている作品については大画面テレビを使えば往時の縦型モニターと同サイズかそれ以上の画面サイズを確保出来るのでプレイに支障無く遊べるようになっている。ただし何も対処しないとプレイ画面の両サイドが未表示状態になり寂しい画面になってしまうため、その場合は両脇にゲームに関連したイラストを表示したり、ゲームプレイに役立つ様々なガジェットを表示したりするケースもある(PS4版『バトルガレッガ』・『弾銃フィーバロン』など)。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "なお、携帯ゲーム機に移植された場合、据え置き機よりも画面を縦にする事が比較的容易な場合本体を縦に持ってプレイ出来るようにして対応した作品もあった(『カプコン クラシックス コレクション』『ナムコミュージアム』収録作品の一部など)。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "基本的に画面が主に右から左横方向にスクロールするサイドビューの画面構成のシューティングゲーム。通称「横シュー」。『グラディウス』、『R-TYPE』、『ダライアス』、後期の『サンダーフォース』シリーズ、『超兄貴』など。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "画面構成がサイドビューになることにより、必然的に上下と地形の概念が発生する。そのため爽快感を追求する方向性に行きやすい縦スクロールシューティングとは対照的に、戦略性を追求するタイトルが多い。ただしごくまれに、『プロギアの嵐』のように(自機が衝突する意味においての)地形が無いゲームも存在する。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "横スクロールシューティングはモニターを横置きにして使用するものがほとんどであるが、かつては『スクランブル』、『ジャンプバグ』、『スティンガー』、『バスター』、『フォーメーションZ』などのモニター縦置きの横スクロールシューティングが主流であった。『スカイキッド』は常に左から右へスクロールする。『ディフェンダー』、『チョップリフター』は任意で左右方向にスクロール可能。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "1990年代後期より弾幕系縦スクロールSTGに圧される形でタイトルを減少させていったが、アーケード・家庭用共にディスプレイ標準が横に長い16:9比率になった2000年代後期からは再び増加傾向を見せている。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "ごく少数の例外として、『ヴァンガード』、『沙羅曼蛇』、『テラフォース』、『アクスレイ』、『フィロソマ』、『ヘクター'87』などのように、横スクロールシューティングと縦スクロールシューティングが交互に行われる構成のゲームも存在する。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "ゲーム進行上の演出として、ステージの途中などでゲームの通常方向のスクロールとは異なる方向への強制的、あるいは選択的なスクロール処理が行われる場合もあり、局所的に縦横両スクロールに見える場合もある。(『グラディウス』『スペースマンボウ』など)",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "画面が主に斜め方向にスクロールするシューティングゲーム。背景が3D的になっている。『ザクソン』、『ブレイザー』、『メルヘンメイズ』、『ビューポイント』、『マッドクラッシャー』など極めて少数。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "基本的ルールとしては縦スクロールシューティングと同じだが、ザクソンは高度・障害物の概念も入っている(その代わり前後への移動はなし)。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "斜め視点なのでスプライトでも敵などが立体的に見えるというメリットはあったが、位置関係が把握しづらく、高度の概念を入れると敵と同高度なのかどうかが解らなかったり、敵弾の機動予測がしづらいなどのデメリットがあり、ゲーム性に幅を持たせにくい。結局、縦スクロールシューティングに統合されるような形で作成されなくなった。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "画面がプレイヤーの「任意の方向にスクロール」し、「任意の方向への攻撃」を行うシューティング。別称、任意スクロールシューティング。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "代表的なタイトルは『ボスコニアン』、『タイムパイロット』、『バンゲリング ベイ』、『エイリアンシンドローム』、『奇々怪界』、『アサルト』、『ワルキューレの伝説』、初期の『サンダーフォース』シリーズ、『グラナダ』、『Geometry Wars』など多岐にわたる。前述のアリーナシューティングや、初期のFPSなども多方向スクロールシューティングの要素を備え、同様の内部処理を行っている場合がある。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "スクロール表現に関して分類すると「方向入力を行い続けるとスクロールするタイプ」(『グラナダ』や『アサルト』など)と、「方向入力を行わなくても常にスクロールするタイプ」(『ボスコニアン』など)に分かれる。前者は、多方向スクロールシューティングの要素が濃厚であってもアクションゲームに分類されることも多い。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "戦闘空間が円筒状の曲面であるシューティングゲーム。画面は3次元的表現で描画されるが、戦闘は円筒状の形状の表面に沿うような空間上で行われる。この戦闘空間は、変則的ではあるものの一種の2次元である。『Tempest』、『ジャイラス』、『Space Giraffe』など極めて少数。また、『アーガス』などは通常の縦スクロールシューティングであるが、マップの左右が接続・ループしており、事実上、トンネル・シューティング同様の空間構成であると見なす事もできる。",
"title": "2Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "ゲームのデータ空間が3次元構造を再現していて、3次元的に表示するシューティングゲーム。オブジェクト指向プログラミングによるシミュレーション的な仮想空間の再現や3Dポリゴン技術などを用いることで実現している。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "擬似3D処理としてスプライト・一枚絵の拡大縮小を使っているが、ゲーム内の仮想空間が3次元的に設計されている作品も(一応)3Dシューティングゲームに分類され、更に細かくジャンルを分ける際は「疑似3Dシューティング」と呼ばれる。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "なお「二次元的視点 (斜め見下ろし視点のものを含む) で、ポリゴンを使用して3D処理している」というゲーム(『レイストーム』、『斑鳩』、『グラディウスV』など)は基本的に「2Dシューティング」に分類され、「3Dシューティング」には分類されない。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "アーケードゲームではいわゆる「大型筐体」を採用し、プレイヤーが操作と連動して揺らされる「体感ゲーム」が多い。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "強制スクロール型の2Dシューティングとはゲーム性が大きく異なる。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "なお、各タイトルのゲーム設定やプレイヤーの体質にもよるが、3Dシューティングというのは、ゲームの仮想空間内で視線方向をあまりに激しく動かし続けると(ちょうど現実世界で頭をあまりに激しく振り回すと酔ったようになり、吐き気を催すのと同じで)「3D酔い」と呼ばれる症状を発する場合もある。視線方向を振ることを控えめにすると酔いにくい。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "3次元の仮想空間内を自由に移動して戦うシューティングゲーム。 3D処理には高い処理能力が要求されるが、コンシューマ機・スマートフォンの高性能化及びPCの低価格化が進むにつれて、世界的に普及していった",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "一人称視点のもの、つまり主人公の目線で仮想空間を見るものはファーストパーソン・シューティング(FPS)と分類され、三人称視点のもの、つまり主人公の眼とは別のところにあたかもカメラがあるかのようにして仮想空間を見るものはサードパーソン・シューティング(TPS)と分類される。ハードウェアの性能が向上した2000年代頃から多様化が進み、一人称視点と三人称視点の任意切り替えが可能なタイトルも増えている。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "プレイヤーは仮想空間で主人公となり、課せられたミッションをこなす事でステージをクリアしていく。 単独プレイのほかに、プレイヤー同士がLANやインターネットを通じて対戦・協力プレイもできるようデザインされたゲームも多い。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "世界的に人気が高いジャンルでもあり、特に「リアルなグラフィックや演出」「現実のような体験」が好まれる傾向がある欧米では、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。 一方、日本では文化的な違いから、欧米に比べてFPS/TPSはアーケード・コンシューマ・PCのいずれにおいても普及が遅れていた。 しかし、2000年代に入るとインターネットの発達により海外のゲーム情報が身近になり、少しずつではあるが日本でも普及していくようになる。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "リアルな戦場を表現したFPSとしては『バトルフィールド・シリーズ』、『コールオブデューティ・シリーズ』などの知名度が高い。これはFPSであるが、兵士の体験をシミュレーションするシミュレーション・ゲームとも言える。 FPSの「SFもの」としては『HALO』シリーズ、『DOOM』シリーズなどがある。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "TPSとしては、たとえば以下のようなものがある。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "なお、ソニー・インタラクティブエンタテインメントとゲリラゲームズが、「ゲームの地平線を目指すために」物理エンジンから作り直し、6年もの歳月と千名以上のスタッフで作り上げ、大ヒットしたPS4ソフトの大作、『Horizon Zero Dawn』も、(ゲーム全体では多要素であるが)その戦闘部分はTPSである。(他のTPSとは違って、銃やレーザー銃ではなく)弓矢を多用する、という特徴がある。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "『フォートナイト』も(ゲーム全体は多要素ではあるが)戦闘部分はTPSである。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "戦闘機などを駆って自由な空間移動が可能なシューティングゲーム。フライトシミュレーションにシューティングゲームの要素を混ぜたもののうち、物理現象などの再現よりも、特にシューティングゲームとしての要素を重視しているもの。代表的な作品は3Dポリゴンを用いた『エースコンバットシリーズ』、『スカイガンナー』、『ブレイジング・エンジェル』、『エナジーエアフォース』など。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "フライトシューティングは歴史の古いジャンルではあるが、フライトシューティングという呼称が定着したのは『ACE COMBAT』をはじめとするコンシューマ機向け作品がフライトシューティングというジャンル名を冠して登場するようになってからである。それ以前は、たとえその内容が実質的にフライトシューティングであっても、フライトシミュレータと冠して発売されることが常であった。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "なお、海外においてはフライトシューティング(flight shooter)という呼称はあまり用いられない。フライトアクション(flight action)という呼称がより一般的である。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "宇宙船を操って宇宙空間を舞台に自由な空間移動が可能なシューティングゲーム。宇宙空間を舞台としたフライトシューティングとも言える。『スターラスター』、『PROJECT SYLPHEED』、『FreeSpace』などはここに分類される。また、スペースフライトシミュレーターの一ジャンルでもある。このうち、シューティングゲームとしての爽快感を重視したものはスペースコンバットシューティング (あるいは単にスペースシューティング)、高い戦術性や複雑な機体操作など、シミュレーションゲームとしての要素が強いものはスペースコンバットシミュレーションと呼ばれるが、明確な区分があるわけではない。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "なお、シミュレーションといっても、必ずしも宇宙戦闘を物理学的・科学的に正しく再現することを目指しているわけではなく、『スター・ウォーズ・シリーズ』のようなSFの中での宇宙戦闘を模したものがほとんどである。その結果としてシューティングゲームの一種として分類されうるゲームになっている。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "また、このジャンルには『Elite』、『FreeLancer』、『X:Beyond the Frontier』の様に、通常のシューティングのような、固定された内容のミッションだけでなくSF的世界観の中でフリーランスの宇宙船乗りとして宇宙を冒険し様々なランダムミッションや交易などを行う、ロールプレイングゲームや経営シミュレーションの要素を多く含むタイトルも存在している。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "奥から手前にスクロールする強制スクロール型の3Dシューティングゲーム。3Dポリゴンによる本格的な3D処理が可能になる以前から、擬似3D処理としてスプライト・一枚絵の拡大縮小を用いてこの種のタイトルが作られてきた。代表的なタイトルは『スペースハリアー』、『アフターバーナーII』、『ギャラクシーフォース』、『スターフォックス』シリーズ、『パンツァードラグーン』シリーズなど。2DCGではあるものの、『サンダーセプターII』などのように、特殊メガネなどを使用した3D投影を行っているタイトルもある。",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "3Dシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "「光線銃」などを用いるもの。2Dシューティングゲームや、3Dシューティングゲームよりも発祥は古く、ビデオゲームが発明される以前から存在する。",
"title": "ガンシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "かつてはレーザーディスクの映像再生機能を使用しているゲームもあった。",
"title": "レーザーディスクを使用したシューティングゲーム"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "上記までとは異なる分類として、ボム・シューティング(略してボムシュー)というジャンル分けがある。通常攻撃のほかに、一定時間無敵、絶大なる攻撃力などをもった「ボム」あるいは「ボンバー」などと呼ばれる特殊攻撃が可能。この特殊攻撃は何らかの方法により使用回数の制限がなされている。詳しくはボンバーの項目を参照。",
"title": "ボム・シューティング"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "上記のどれにも該当しないもの。そのほとんどは、後継作品がリリースされていない。『バンクパニック』、『エンパイアシティ1931』など。",
"title": "その他"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "1980年代末期までの2Dシューティング作品においては、プレイヤー自機の攻撃力はショットボタンの押下回数、すなわち連打(連射)回数に依存している作品が多かった。しかしプレイヤーにとってはショットボタンの連打には体力やテクニックが要求され、長時間続けると筋肉痛などの症状を起こす恐れがあり、またゲーム機自体への負荷も大きくなった。さらにハイスコアを競う局面では、ゲーム機外部に取り付ける自動連射装置の利用の有無により結果に差異が生じた。そのため『ゲーメスト』などではハイスコア集計を連射装置の有無別に分けて行うこともあった。その後、ほぼ全ての2Dシューティングゲームのプログラム上に自動連射機能が組み込まれている。",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "シューティングゲームではプレイ内容により難易度を調整するシステムが搭載されているものが多く、この内部での難易度設定のことを俗にランクと呼ぶ。ランクの上昇(および下降)に関係する要素は作品によって異なるが、概ね自機のパワーアップ状態、周回数、残機数、ミスをしてからの時間などが関係する。一方ランクが反映される要素としては敵の攻撃量、耐久力、撃ち返し弾の有無などがある。",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "ランクへの対処方法としては、極力ミスをしないように、また自機を効率的にパワーアップさせランクの上昇に対抗し得るようにするというものがある。また逆に意図的にパワーアップの抑制やミスなどプレイヤーにとって不利益ともなり得ることを行うことで難易度を抑制する、「ランクを下げる(あるいは調整する)」という手法もある。どちらの方法を取るかは作品やプレイヤーの熟練度、局面などによって異なり、そうした攻略パターンをまとめたものがゲーム雑誌や書籍に掲載されることもある。また一般的にハイスコアを目指すプレイでは効率的なパワーアップを行いつつノーミスで進行することとなるため、必然的にランクの上昇を大きく引き起こす。そのため作品によっては、初心者向けにランク上昇を抑えることを考慮したクリア重視の攻略と、上級者向けにランク上昇を度外視したハイスコア重視の攻略の2種類が雑誌に掲載されることもあった。中にはランク上昇が顕著でクリアのためには上級者でもランク調整が必須なものもあり、例として『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』や『バトルガレッガ』などが挙げられる。",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "1980年代後半から1990年代のゲームミュージックの中心の一つが当時のアーケードの2DSTGであり、タイトーのZUNTATA、コナミの矩形波倶楽部などゲームミュージックのチーム・ブランドが生まれるきっかけの一つとなった。当時アーケードの2DSTGのサウンドトラックやアレンジ版が多数発売された。",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "当時の2DSTGのサウンドトラックにはテレビのニュース番組やバラエティ番組などのBGMや効果音としていまだに使われているものもある(『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』など)。",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "シューティングゲームの関連事項"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "シューティングゲーム、ゲーム業界に影響を与えたものや出来事を記す。",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "1960年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "1970年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "1980年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "1990年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "2000年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "2010年代",
"title": "年表"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "2006年にフランスのゲーム専門チャンネル『Gameone』によって制作・放送された、2DSTGの特集番組。上記年表にある2DSTGの大部分について網羅。2DSTGの繁栄から衰退、そして現在(2005年)について解説。各2DSTGの面白さやヒット理由の分析、開発者へのインタビューなど、2DSTGの歴史について報道している番組。",
"title": "シューティングゲームを題材としたテレビ番組"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "有志による日本語訳がいくつか存在する。",
"title": "シューティングゲームを題材としたテレビ番組"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "2009年にケーブルCS放送MONDO21にて放映された番組。毎回1つのタイトルを取り上げ、上級プレイヤーによる攻略映像を解説付きで流すという内容。",
"title": "シューティングゲームを題材としたテレビ番組"
}
] | シューティングゲームは、敵を撃つことがメインの、コンピュータゲームのジャンルのひとつ。STGやSHTと略記される場合もある。 主に弾丸やレーザー光線などの飛び道具を用いて敵(敵の機体、敵の兵器、敵の生物、敵のエイリアン、敵の兵など)を撃つ。 シューティングゲームの分類方法はいくつもあるが、視点、スクロール方向、攻撃手段などによって分類されることが多い。大別すると、2Dシューティング / 3Dシューティング、ガンシューティングゲームに分類される。#分類・種類 広義のアクションゲームの下位概念、と分類する方法もあり、アクションゲームとは区別する分類方法もある。中にはアクション要素のあるシューティングや、シューティング要素のあるアクション、また完全に中間に位置するゲームなどがあり、両者の判別を困難にしている(それらを大別して「アクションシューティング」、あるいは「シューティングアクション」と呼ぶこともある)。 作中の時代設定および世界観設定に関しては様々であるが、未来を舞台にしたSF色の強い作品やミリタリー色の強い世界観設定の作品が多い。
一方で、『1942』シリーズのように過去を舞台にした作品、『ストライカーズ1945』シリーズのように過去の時代をベースにしつつもSF色の強い世界観を描いた作品もある。 言葉自体は1970年代前半の光線銃ゲームで使われているが、この頃は射撃ゲームとほぼ同じ意味だった。電子ゲームでは1980年の『スペースシューティング』『スリムボーイ シューティングゲーム6』、『アスキー』1980年8月号掲載の「タンク・シューティング」がある。 日本ではスペースインベーダーのヒット以来、数々の2DSTGが産まれシューティングゲームの代名詞となった。昨今(2000年以降)では2DSTGから分化した各種3DSTG(FPS、フライトシューティング、ガンシューティングなど)が増加、多様化しているため、日本国内でもシューティングゲームというとき2DSTGを指すか3DSTGを指すかで誤解が生じることがある。2DSTGと呼べば誤解は生じないが、今度は2DSTGという単語そのものの認知度が低いという問題が生じる。 一般的にシューティングゲームと呼ばれるゲームがアクションゲームとされていたことがあり『ログイン』1983年5月号で『ゼビウス』を「戦闘(アクション)ゲーム」とルビが振られ、1983年8月発売の『こんにちはマイコン』第2巻の目次にあるゲームジャンル紹介でアクションゲームを「スペースインベーダー等の、反射神経を競うゲーム」と説明していた。『ログイン』では1983年3月号の『UFOパニック』の広告で「シューティングゲーム」とあるのが雑誌や広告類での使用の早い例とみられ、1983年12月号のシューティングゲーム紹介記事では『アルフォス』が「スクロールゲーム」とされていた。「シューティング」の語が広まったのは1982年公開のアニメ映画『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』が関係しているという見方があり、予告編で「GUNDAM LAST SHOOTING」や宣伝ポスターで「Last Shooting!」とあったのが影響したという説がある。 | {{Pathnav|frame=1|コンピュータゲームのジャンル}}
{{出典の明記|date=2009年4月}}
[[File:Space Invaders - Midway's.JPG|thumb|250px|[[タイトー]]「[[スペースインベーダー]]」]]
'''シューティングゲーム'''(<small>[[和製英語]]:</small> shooting game、{{lang-en-short|shooter game}})は、敵を撃つことがメインの、[[コンピュータゲームのジャンル]]のひとつ。'''STG'''や'''SHT'''と略記される場合もある。
主に弾丸やレーザー光線などの[[飛び道具]]を用いて敵(敵の機体、敵の兵器、敵の生物、敵のエイリアン、敵の兵など)を撃つ。
シューティングゲームの分類方法はいくつもあるが、視点、スクロール方向、攻撃手段などによって分類されることが多い。大別すると、2Dシューティング / 3Dシューティング、[[ガンシューティングゲーム]]に分類される。[[#分類・種類]]
広義の[[アクションゲーム]]の下位概念、と分類する方法もあり、[[アクションゲーム]]とは区別する分類方法もある。中にはアクション要素のあるシューティングや、シューティング要素のあるアクション、また完全に中間に位置するゲームなどがあり、両者の判別を困難にしている(それらを大別して「アクションシューティング」、あるいは「シューティングアクション」と呼ぶこともある)。
作中の時代設定および世界観設定に関しては様々であるが、未来を舞台にしたSF色の強い作品やミリタリー色の強い世界観設定の作品が多い。
一方で、『[[1942 (ゲーム)|1942]]』シリーズのように過去を舞台にした作品、『[[ストライカーズ1945]]』シリーズのように過去の時代をベースにしつつもSF色の強い世界観を描いた作品もある。
;呼称の歴史
言葉自体は1970年代前半の光線銃ゲームで使われているが、この頃は射撃ゲームとほぼ同じ意味だった<ref name="denfami1">{{Cite news|date=2017-11-17|title=ガンダムの名シーンが「シューティングゲーム」という言葉を生んだ!? アクション、シューティング…ゲームのジャンル分けの歴史を徹底考察! |newspaper=電ファミニコゲーマー |publisher=マレ |url=https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/171115 |accessdate=2020-04-28 |page=1 }}</ref>。電子ゲームでは1980年の『スペースシューティング』『スリムボーイ シューティングゲーム6』、『[[月刊アスキー|アスキー]]』1980年8月号掲載の「タンク・シューティング」がある<ref name="denfami1" />。
日本では[[スペースインベーダー]]のヒット以来、数々の2DSTGが産まれシューティングゲームの代名詞となった。昨今(2000年以降)では2DSTGから分化した各種3DSTG([[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]、フライトシューティング、ガンシューティングなど)が増加、多様化しているため、日本国内でもシューティングゲームというとき2DSTGを指すか3DSTGを指すかで誤解が生じることがある。2DSTGと呼べば誤解は生じないが、今度は2DSTGという単語そのものの認知度が低いという問題が生じる。
一般的にシューティングゲームと呼ばれるゲームがアクションゲームとされていたことがあり『[[ログイン (雑誌)|ログイン]]』1983年5月号で『[[ゼビウス]]』を「戦闘(アクション)ゲーム」とルビが振られ、1983年8月発売の『[[こんにちはマイコン]]』第2巻の目次にあるゲームジャンル紹介でアクションゲームを「スペースインベーダー等の、反射神経を競うゲーム」と説明していた<ref name="denfami1" />。『ログイン』では1983年3月号の『[[UFOパニック]]』の広告で「シューティングゲーム」とあるのが雑誌や広告類での使用の早い例とみられ、1983年12月号のシューティングゲーム紹介記事では『[[ゼビウス|アルフォス]]』が「スクロールゲーム」とされていた<ref name="denfami1" />。「シューティング」の語が広まったのは1982年公開のアニメ映画『[[機動戦士ガンダム|機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編]]』が関係しているという見方があり、予告編で「GUNDAM LAST SHOOTING」や宣伝ポスターで「Last Shooting!」とあったのが影響したという説がある<ref name="denfami1" />。
== 分類・種類 ==
シューティングゲームの分類はいくつもあるが、たとえば下記の分類法がある。
たとえば '''2Dシューティング''' / '''3Dシューティング''' と大別する方法がある。
2Dシューティングは、画面内に表示されるものが2次元的、つまり平面的に表示されるもの。
3Dシューティングゲームは、画面内に世界が3次元的に、立体的、[[遠近法|透視図法]]的に表示されるもので、コンピュータの[[CPU]]の処理能力の向上、[[オブジェクト指向プログラミング]]、[[ポリゴン]]技術などの発達により、コンピュータのデータ空間内の[[シミュレーション]]的なデータ処理やそれを視覚的に表示する技術が実現したことによって可能になったもの。なお2Dと3Dの中間的なもの、本当の3D技法ではなくそれを「疑似的に」実現しているもの、3次元的に見せようとしている表示も一部含まれているが、データ空間内での敵・自分の動きなどが3次元的に十分に再現できていないものについては「'''擬似3D'''シューティング」と分類する方法もある。
2Dシューティングは画面[[スクロール]]の有無により、'''固定画面シューティング''' / '''スクロールシューティング''' に分類できる。
スクロールシューティングはさらに '''縦スクロール'''シューティング / '''横スクロール'''シューティング / '''縦横両スクロール'''シューティング / '''多方向スクロール'''シューティングなどに分類できる。
3Dシューティングのほうは、[[視点]]のとりかたによって、'''FPS'''(ファーストパーソン・シューティング) / '''TPS'''(サードパーソン・シューティング)に分類される。
射撃主体のアクションゲームである「アクションシューティング」 / 1対1で対戦する「対戦型シューティングゲーム」という分類法もある。
[[英語圏]]では、シューティングゲームのうち一騎当千方式{{要出典|date=2012年5月}}のものは、'''[[:en:Shoot 'em up|shoot 'em up]]'''(略して、'''shmup''')と分類する傾向がある。これは2DSTGに限定した分類名ではなく、『[[スペースハリアー]]』、『[[アフターバーナー (ゲーム)|アフターバーナー]]』、『[[サンダーブレード]]』、『[[スターフォックス]]』といった、一騎当千方式の3DSTGも'''shoot'em up'''の一種とされる(これに対して、格闘アクションゲームのことを'''beat'em up'''と呼ぶことが多い)。逆に、『[[スペースウォー!]]』のような、2DSTGであっても一騎当千方式ではないものは、'''shoot'em up'''とは分類されない。なお、ある時期まではアメリカでもシューティングゲームといえば2DSTGが大部分であった。
各分類の具体的な内容については、記事本文で解説する。
== 歴史 ==
;黎明期
タイトーの[[西角友宏]]によって開発され、[[1978年]]に同社から発売された[[アーケードゲーム]]の『[[スペースインベーダー]]』は、それまでの、数分という決まった時間内で行うただの「的当て(まとあて)ゲーム」とは異なって、敵からの攻撃を避けつつ敵をすべて撃墜することを目的としており、上手な人は長くプレイできるゲームシステムを採用しており、後続のシューティングゲームにさまざまな形で影響を与えており「シューティングゲームの元祖(始祖)」と評価されている。スペースインベーダーは、ただ単に「シューティングゲームの元祖」となっただけでなく、世界的な大ヒット、いまだに塗り替えられていない記録的なヒットとなり莫大な額の売上をたたき出し、それまで小規模だったゲームの世界市場の規模を一気に大きくし、このジャンルだけでなく、ゲーム業界というものをそれまでとは異なったものへと変えた。また1980年には、同ゲームは米国のホームコンピューター(ゲームコンピューター)の[[:en:Atari 2600|Atari 2600]]のソフトウェアとしても正式にライセンスされ、同筺体の売上増進に大貢献し、世界初の「[[キラーアプリケーション]]」となった。
スペースインベーダーの大ヒットに追随し、それのゲームシステムをほぼそのまま取り入れつつ、敵の動きに変化をつけたりカラー表現を美しくする形で、1979年11月にはナムコから『[[ギャラクシアン]]』が発売され、こちらも大ヒットした。それに続く1980年代初頭の『バルーンボンバー』、『[[ムーンクレスタ]]』、『[[ギャラガ]]』などのコンスタントなヒットにより、(<small>『[[パックマン]]』、『[[ドンキーコング]]』などの[[アクションゲーム]]とともに</small>)シューティングゲームは当時のテレビゲーム界における主要なジャンルとして定着していった。
この時期はまだCPUのクロック周波数も低く、メモリの量もわずか数キロバイト程度と限られていて、処理能力が低かったので、この時期のシューティングゲームは全て、平面的なキャラクタを平面的に動かすタイプの「2Dシューティングゲーム」であった。
;繁栄期
[[1980年代]]を迎えると、ビデオゲーム界の進歩の牽引役としてシューティングゲームは発展の一途をたどる。ゲームシステム、グラフィック、サウンド、難易度といった、ビデオゲームのあらゆる構成要素において、ハードウェアの技術革新に合わせ確実に進歩を加速させていくこととなった。ユーザーとしてのプレイヤーもそれにあわせて技能を磨き、「ワンコインクリア」や「ハイスコア」を目指すスタイルが定着。「敵を撃ち落とし、敵の弾を避ける」というシンプルでわかりやすいルール、パターンを解析し覚えた分だけ先の面へ進める・高い得点を取れるといった特質により、1980年代中頃には[[アーケードゲーム]]、[[コンシューマーゲーム]]の別を問わず、シューティングゲームはビデオゲームの中心ジャンルとして活況を呈するに至った。ゲーム会社はこぞってシューティングゲームを開発し、[[東亜プラン]]などのようにほぼシューティングゲーム開発専業のゲームメーカーも存在した。
;2Dシューティングの衰退期
1980年代が終わろうとする頃、シューティングゲームの隆盛にもかげりが見え始めてくる。ゲームアイデアの出尽くし感やマンネリ化、回転率の悪さからくるオペレータの不満などにより、シューティングは次第にゲーム市場から歓迎されなくなっていった。それ以外にも、[[ロールプレイングゲーム]]や[[対戦型格闘ゲーム]]、[[パズルゲーム]]など、他の比較的新興のゲームジャンルに次々にヒット作が生まれ、そちらの方へユーザーが流れていったこと、難化の一途をたどる難易度や一部メーカー([[アピエス|アイレム]])の情報統制による攻略情報の不足などから「シューティングは難しい・とっつきにくい」というイメージが一般に定着してしまったことなど、複数の衰退要因があげられる。
特に『[[ストリートファイターII]]』・『[[バーチャファイター]]』を開祖とする対戦格闘ゲームは、回転率、時間あたりの満足度、初心者の入り易さ、キャラクター性でシューティングゲームより圧倒的に注目を集め、アーケードゲームの主流を一気に奪い去った。シューティングゲームは上級者が1コインで長時間プレイするため回転率が悪く、メーカー側が回転率を上げるために難易度を上げたゲームを発表すると今度は初心者が寄り付かなくなり、結果としてプレイヤー全体数の減少を招いた。そのため、対戦格闘の驚異的な回転率の高さもあって次第にオペレータに敬遠され、設置台数が減少した。そしてマニア化したプレイヤーは前例に倣わない革新作を歓迎しなくなり、大差のないマニア向けゲームしか作られず初心者離れが更に加速するという悪循環を生み出してしまう。それを象徴するのが、1994年の東亜プランの倒産であった。『R-TYPE』シリーズを売り出したアイレムも同年にアーケードゲーム事業から撤退し、『グラディウス』シリーズなどを展開していたコナミも1990年代後半には『[[BEMANIシリーズ|BEMANI]]』シリーズなどの[[音楽ゲーム]]に主軸を移した。
シューティングゲームから撤退するメーカーが相次ぐ中で、[[タイトー]]など一部老舗メーカーは製作を継続し、[[ケイブ]]、[[彩京]]、[[ライジング]]のようにシューティングゲームに新たに参入するメーカーも現れた。これらのメーカーは初心者離れに危機感をもち、キャラクター性の強化、自動難易度調整、[[ボム (シューティングゲーム)|ボム]]の標準装備、1面の低難易度化などの施策を講じた。しかし、根本的な解決に至ることはなく、結局は初心者を取り込みつつも上級者が納得できるようなバランス調整に各メーカーは頭を悩ませることとなる。1990年代、2000年代にかけて少数の意欲作や特に[[ガンシューティングゲーム]]におけるヒット作は散見されるものの広範なユーザー層の獲得には至っておらず、マイナー化・[[ニッチ]]化が進むこととなった。
;3Dシューティングの勃興と大流行
「リアルな体験」が好まれる英語圏・欧米圏では早くから[[#3Dシューティング|3Dシューティング]]を求める人々が多かった。1993年にはDOS向けに『DOOM』がリリースされ評判となった。真正の3D処理をするためにはハードウェア的に高い処理能力が必要なので、1990年代の段階ではそのため(だけ)に高性能PCを購入する必要があった。英語圏ではともかく「リアルな体験」指向が強いので、それの実現のためならばたとえ価格が高くても高性能PC(ゲーム用PC)を購入するという人々の数が多く、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。その後2000年代になるとコンシューマ・ゲーム機(つまりPSやXBOXなど)の側の高性能化が進み、わざわざ高性能PCまでは購入する気が無い、という人々の間でも3Dシューティングが普及してゆくことになり、世界的に3Dシューティングの普及が進んだ。2000年代ではFPSで「SFもの」としては『HALO』も大ヒット。FPSで、かつリアルな戦場ものとしては『バトルフィールド』や『コール・オブ・デューティ』が大人気となり、続編が次々とリリースされ「シリーズもの」となっていった。バトルフィールドやコールオブデューティは、近年でもPSやXBOXなどのゲームソフト売上の上位ランクの常連であり、世界中で膨大な数が購入され、膨大な数のプレーヤーによってプレイされつづけている。
[[#3Dシューティングゲーム]]の節で解説。
<!--{{要出典範囲|なお2Dシューティングは製作するメーカーは少なくなったまま積極的に開発に関わってきていた[[ケイブ]]も、2013年5月限りでアーケードゲーム、コンシューマーゲーム市場から撤退している。|date=2014-10}}-->
<!--{{要出典範囲|だが、[[フリーゲーム]]および[[同人ゲーム]]などの[[インディーズゲーム]]としての創作は活発に行われ、同人ゲームのアーケードへの[[移植 (ソフトウェア)|移植]]が行われるようになった。|date=2014-10}}-->
2Dシューティンも制作されなくなった訳ではなく意欲作は度々登場している。
家庭用では『[[Everyday Shooter]]』や『[[Every Extend Extra]]』、『[[TUMIKI Fighters|Blast Works]]』などがある。アーケード向けについては、日本では『[[トラブル☆ウィッチーズ]]』がゲームショウなどでロケーションを行い後に稼動{{いつ|date=2014-10}}、『[[exception]]』も[[エイエムアイ|AMI]]、[[サクセス (ゲーム会社)|サクセス]]、[[スコーネック]]制作の新システム基板のソフトランナップに記載された。
[[オンライン]]配信対応のものについては、アーケードゲームでは2007年、コナミがオンラインに対応したシューティングゲームとして『[[オトメディウス]]』を販売した。<!--{{要出典範囲|家庭用ゲーム機では他のジャンルと同様の流れでSTGの方も配信サービスに対応しており、ネットワークを通じた2人同時プレイも可能になっているものがある。一方、[[パーソナルコンピュータ|PC]]のオンラインゲームの方では、FPSではオンラインに対応したシューティングが多数作られているが、|date=2014-10}}-->2Dスクロール系のものでは『[[Valkyrie Sky]]』が日本では2010年からクローズドβテストを開始している。
'''[[#年表]]'''を末尾に掲載したので、そちらも参照のこと。
== 2Dシューティングゲーム ==
コンピュータゲームでも極めて早期に登場したゲームジャンルで、[[1962年]]の『スペースウォー!』が初出とされる。また1947年に開発された『[[陰極線管娯楽装置]]』は制限時間内に[[陰極線管]]のノブを操作して照準となる光源を航空機に合わせ撃墜するというゲームであった。
2Dとは「二次元的視点」の意味で、オブジェクトの拡大縮小でパースを付けたり3D[[ポリゴン]]処理などをしていても2D視点のゲームはこちらに含まれる。なお、攻撃できる射線が一方向なものもあれば、任意に変えられるものも存在する。<!--独自調査記事のためコメントアウト'''[[危険行為推奨シューティング]]'''も参照。-->
=== 固定画面シューティング ===
画面がスクロールしないシューティングゲーム。世界初のシューティングゲームとされる『スペースウォー!』や『陰極線管娯楽装置』はこの形式。その他の代表的なタイトルは『スペースインベーダー』、『[[バルーンボンバー]]』、『アステロイド』、『[[ロボトロン2084]]』、『[[グロブダー]]』など。
敵を全て破壊すると面クリアとなり、次の面に進むものが多い。なお、[[自機]]が全方位に移動・射撃できるものを、日本国外ではこれを闘技場になぞらえて「アリーナ・シューター」と呼んでいる(戦闘エリアが局所的な多方向スクロールシューティングもこれに含まれる)。
=== 縦スクロールシューティング ===
{{出典の明記|section=1|date=2017年9月}}
基本的に画面が主に上から下へ縦方向にスクロールする[[トップビュー]]の画面構成を持つシューティングゲーム。通称「縦シュー」。『[[ゼビウス]]』、『[[スターフォース]]』、『[[テラクレスタ]]』、『[[ツインビー]]』、『[[究極タイガー]]』、『[[雷電 (シューティングゲーム)|雷電]]』、『[[バトルガレッガ]]』、『[[怒首領蜂]]』、『[[東方Project]]』など。『[[シルフィード (ゲーム)|シルフィード]]』、『[[レイストーム]]』のように3D処理をして手前を大きく、奥を小さく表示する(パース処理)ようにした[[ハーフトップビュー]]の縦スクロールシューティングもある(この手法は、横スクロールシューティングでも稀に見られる)。
[[1990年代]]後半からは障害物の類はあまり出現しない代わりに「'''敵弾を避ける(避け)を主体とする'''」というものが多く、大量の弾幕を小さな当たり判定を持つ自機で潜り抜ける'''弾幕系シューティング'''というムーブメントが発生した(詳細は、[[弾幕系シューティング]]の項を参照)。ただし、それ以前のものには、『[[スターソルジャー]]』、『[[イメージファイト]]』など地形の概念などのギミックが存在するタイトルも少なくない。
最初から家庭用またはパソコン用として作成されたタイトルでは、その特性上ほとんどがモニターを横置きした画面構成となっている。従って、縦画面構成のタイトルの大多数が業務用として作成されたものであり、横画面構成のタイトル大多数が家庭用ないしパソコン用として作成されたものである。
業務用の縦スクロールシューティングは'''筐体のモニターを縦置き'''(3:4)'''にして使用するもの'''がほとんどである。家庭のテレビが4:3比率だった時代、大半がブラウン管を使用しており縦置きにするのは故障の原因になるため、据え置き型家庭用ゲーム機へ移植する際はゲームを横画面に再構成した状態に移植する必要があった。画面をフルに使うか、横を多少狭めてオリジナルの雰囲気を残すかは個々のタイトルごとに対応が異なるが、いずれにせよ画面が小さくなり[[解像度]]が低くなり見にくくなるなどのデメリットが出るのは必然であり避けられない時代が長く続いた。
ただし一部では縦置き可能なモニターでプレイする事を必須とし、オリジナルそのままの縦画面モードを搭載してこれに対応する作品もあった(『[[ソニックウィングス2]]』、『[[レイストーム]]』、『[[レイディアントシルバーガン]]』、『[[ギガウイング]]』など)。このモードを実装した作品は極めて少ないが、これは縦置きが可能なモニターは入手が困難か、相応の接続知識が必要になる事から、あくまでも縦表示に拘り、安全に縦置きモニターを設置・運用出来るマニア向けの仕様として搭載されているためである。縦置きがブラウン管タイプより簡単な液晶モニターを使う手もあるが、この場合は家庭用の映像機器接続端子が付いているものや、特殊なアップコンバーター機器を使う必要があるため、やはり簡単ではない。
近年{{いつ|date=2017年9月}}は家庭用のテレビも高解像度化・大画面化が進み、据え置き型ゲーム機も高解像度描画が当たり前になった事から、往年の業務用縦スクロールシューティングを(据え置き型)家庭用ソフトやPC用ゲームとして移植する場合、画面の中央にオリジナルそのまま縦画面を表示する仕様のゲームも出てきた(Xbox 360版『[[怒首領蜂 大復活]]』・『[[虫姫さま]]』など)。このような仕様になっている作品については大画面テレビを使えば往時の縦型モニターと同サイズかそれ以上の画面サイズを確保出来るのでプレイに支障無く遊べるようになっている。ただし何も対処しないとプレイ画面の両サイドが未表示状態になり寂しい画面になってしまうため、その場合は両脇にゲームに関連したイラストを表示したり、ゲームプレイに役立つ様々なガジェットを表示したりするケースもある(PS4版『[[バトルガレッガ]]』・『[[弾銃フィーバロン]]』など)。
なお、携帯ゲーム機に移植された場合、据え置き機よりも画面を縦にする事が比較的容易な場合本体を縦に持ってプレイ出来るようにして対応した作品もあった(『[[カプコン クラシックス コレクション]]』『[[ナムコミュージアム]]』収録作品の一部など)。
=== 横スクロールシューティング ===
基本的に画面が主に右から左横方向にスクロールする[[サイドビュー]]の画面構成のシューティングゲーム。通称「横シュー」。『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』、『[[R-TYPE]]』、『[[ダライアス]]』、後期の『[[サンダーフォース]]』シリーズ、『[[超兄貴]]』など。
画面構成が[[サイドビュー]]になることにより、必然的に上下と地形の概念が発生する。そのため爽快感を追求する方向性に行きやすい縦スクロールシューティングとは対照的に、'''戦略性を追求する'''タイトルが多い。ただしごくまれに、『[[プロギアの嵐]]』のように(自機が衝突する意味においての)地形が無いゲームも存在する。
横スクロールシューティングは'''モニターを横置きにして使用するもの'''がほとんどであるが、かつては『[[スクランブル (ゲーム)|スクランブル]]』、『[[ジャンプバグ]]』、『スティンガー』、『バスター』、『[[フォーメーションZ]]』などのモニター縦置きの横スクロールシューティングが主流であった。『[[スカイキッド]]』は常に'''左から右へ'''スクロールする。『[[ディフェンダー (ゲーム)|ディフェンダー]]』、『[[チョップリフター]]』は任意で左右方向にスクロール可能。
1990年代後期より弾幕系縦スクロールSTGに圧される形でタイトルを減少させていったが、アーケード・家庭用共にディスプレイ標準が横に長い16:9比率になった2000年代後期からは再び増加傾向を見せている。
=== 縦横両スクロールシューティング ===
ごく少数の例外として、『[[SNK (1978年設立の企業)#新日本企画 時代|ヴァンガード]]』、『[[沙羅曼蛇]]』、『[[テラフォース]]』、『[[アクスレイ]]』、『[[フィロソマ (シューティングゲーム)|フィロソマ]]』、『[[ヘクター'87]]』などのように、横スクロールシューティングと縦スクロールシューティングが'''交互に行われる構成'''のゲームも存在する。
ゲーム進行上の演出として、ステージの途中などでゲームの通常方向のスクロールとは異なる方向への強制的、あるいは選択的なスクロール処理が行われる場合もあり、局所的に縦横両スクロールに見える場合もある。(『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』『[[スペースマンボウ]]』など)
=== クォータービューシューティング ===
画面が主に'''斜め方向にスクロールする'''シューティングゲーム。背景が3D的になっている。『[[ザクソン]]』、『[[ブレイザー (ゲーム)|ブレイザー]]』、『[[メルヘンメイズ]]』、『[[ビューポイント]]』、『[[マッドクラッシャー]]』など極めて少数。
基本的ルールとしては縦スクロールシューティングと同じだが、ザクソンは高度・障害物の概念も入っている(その代わり前後への移動はなし)。
斜め視点なのでスプライトでも敵などが立体的に見えるというメリットはあったが、位置関係が把握しづらく、高度の概念を入れると敵と同高度なのかどうかが解らなかったり、敵弾の機動予測がしづらいなどのデメリットがあり、ゲーム性に幅を持たせにくい。結局、縦スクロールシューティングに統合されるような形で作成されなくなった。
=== 多方向スクロールシューティング ===
画面が'''プレイヤーの「任意の方向にスクロール」し、「任意の方向への攻撃」を行う'''シューティング。別称、'''任意スクロールシューティング'''。
代表的なタイトルは『[[ボスコニアン]]』、『[[タイムパイロット]]』、『[[バンゲリング ベイ]]』、『[[エイリアンシンドローム]]』、『[[奇々怪界]]』、『[[アサルト]]』、『[[ワルキューレの伝説]]』、初期の『[[サンダーフォース]]』シリーズ、『[[グラナダ (ゲーム)|グラナダ]]』、『[[Geometry Wars]]』など多岐にわたる。前述のアリーナシューティングや、初期のFPSなども多方向スクロールシューティングの要素を備え、同様の内部処理を行っている場合がある。
スクロール表現に関して分類すると「方向入力を行い続けるとスクロールするタイプ」(『[[グラナダ (ゲーム)|グラナダ]]』や『アサルト』など)と、「方向入力を行わなくても常にスクロールするタイプ」(『ボスコニアン』など)に分かれる。前者は、多方向スクロールシューティングの要素が濃厚であってもアクションゲームに分類されることも多い。
=== トンネル・シューティング ===
戦闘空間が円筒状の曲面であるシューティングゲーム。画面は3次元的表現で描画されるが、戦闘は円筒状の形状の表面に沿うような空間上で行われる。この戦闘空間は、変則的ではあるものの一種の2次元である。『[[Tempest (コンピュータゲーム)|Tempest]]』、『[[ジャイラス]]』、『[[Space Giraffe]]』など極めて少数。また、『[[アーガス]]』などは通常の縦スクロールシューティングであるが、マップの左右が接続・ループしており、事実上、トンネル・シューティング同様の空間構成であると見なす事もできる。
== 3Dシューティングゲーム ==
ゲームのデータ空間が3次元構造を再現していて、3次元的に表示するシューティングゲーム。オブジェクト指向プログラミングによるシミュレーション的な仮想空間の再現や'''3D[[ポリゴン]]技術'''などを用いることで実現している。
擬似3D処理として'''[[スプライト (映像技術)|スプライト]]'''・'''一枚絵の拡大縮小'''を使っているが、ゲーム内の仮想空間が3次元的に設計されている作品も(一応)3Dシューティングゲームに分類され、更に細かくジャンルを分ける際は「疑似3Dシューティング」と呼ばれる。
なお「二次元的視点 (斜め見下ろし視点のものを含む) で、ポリゴンを使用して3D処理している」というゲーム(『[[レイストーム]]』、『[[斑鳩 (シューティングゲーム)|斑鳩]]』、『[[グラディウスV]]』など)は基本的に「2Dシューティング」に分類され、「3Dシューティング」には分類されない。
アーケードゲームではいわゆる「大型筐体」を採用し、プレイヤーが操作と連動して揺らされる「体感ゲーム」が多い。
強制スクロール型の2Dシューティングとはゲーム性が大きく異なる。
なお、各タイトルのゲーム設定やプレイヤーの体質にもよるが、3Dシューティングというのは、ゲームの仮想空間内で視線方向をあまりに激しく動かし続けると(ちょうど現実世界で頭をあまりに激しく振り回すと酔ったようになり、吐き気を催すのと同じで)「[[3D酔い]]」と呼ばれる症状を発する場合もある。視線方向を振ることを控えめにすると酔いにくい。
=== ファーストパーソン・シューティング(FPS)/ サードパーソン・シューティング(TPS) ===
{{Main|ファーストパーソン・シューティングゲーム|サードパーソン・シューティングゲーム}}
3次元の仮想空間内を<u>自由に移動</u>して戦うシューティングゲーム。
3D処理には高い処理能力が要求されるが、コンシューマ機・スマートフォンの高性能化及びPCの低価格化が進むにつれて、世界的に普及していった
<u>一人称視点</u>のもの、つまり主人公の目線で仮想空間を見るものは'''[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|ファーストパーソン・シューティング(FPS)]]'''と分類され、<u>三人称視点</u>のもの、つまり主人公の眼とは別のところにあたかもカメラがあるかのようにして仮想空間を見るものは'''[[サードパーソン・シューティング|サードパーソン・シューティング(TPS)]]'''と分類される。ハードウェアの性能が向上した2000年代頃から多様化が進み、一人称視点と三人称視点の任意切り替えが可能なタイトルも増えている。
プレイヤーは仮想空間で主人公となり、課せられたミッションをこなす事でステージをクリアしていく。
単独プレイのほかに、プレイヤー同士が[[Local Area Network|LAN]]や[[インターネット]]を通じて対戦・協力プレイもできるようデザインされたゲームも多い。
世界的に人気が高いジャンルでもあり、特に「リアルなグラフィックや演出」「現実のような体験」が好まれる傾向がある欧米では、早くから3Dシューティングゲームの普及が進んだ。
一方、日本では文化的な違い<ref>「アニメ・マンガ文化」の影響から二次元的なキャラクターやストーリー重視の作品が好まれる事、銃器や軍事への馴染みの薄さが挙げられる。</ref>から、欧米に比べてFPS/TPSはアーケード・コンシューマ・PCのいずれにおいても普及が遅れていた。
しかし、2000年代に入るとインターネットの発達により海外のゲーム情報が身近になり、少しずつではあるが日本でも普及していくようになる。
<!--全体的に重複した内容が多い上に冗長な内容だったので、コンパクトにまとめました。編集する際は読みやすい文章を心掛けてもらえると助かります。-->
リアルな戦場を表現したFPSとしては『[[バトルフィールド (コンピューターゲーム)|バトルフィールド・シリーズ]]』、『[[コール オブ デューティシリーズ|コールオブデューティ・シリーズ]]』などの知名度が高い。これはFPSであるが、兵士の体験をシミュレーションするシミュレーション・ゲームとも言える。
FPSの「SFもの」としては『[[HALO (ビデオゲームシリーズ)|HALO]]』シリーズ、『[[DOOM]]』シリーズなどがある。
TPSとしては、たとえば以下のようなものがある。
* [[アンチャーテッドシリーズ]]
* [[グランド・セフト・オートシリーズ]]
* [[THE 地球防衛軍|地球防衛軍]]シリーズ
* [[ガントレット (ゲーム)]]
* [[Gears of War]]シリーズ
* [[ゴーストリコンシリーズ]]
* [[スプラトゥーン]]シリーズ
なお、ソニー・インタラクティブエンタテインメントとゲリラゲームズが、「ゲームの<u>地平線</u>を目指すために」物理エンジンから作り直し、6年もの歳月と千名以上のスタッフで作り上げ、大ヒットしたPS4ソフトの大作、『[[Horizon Zero Dawn]]』も、(ゲーム全体では多要素であるが)その戦闘部分はTPSである。(他のTPSとは違って、銃やレーザー銃ではなく)<u>弓矢</u>を多用する、という特徴がある。
『[[フォートナイト (ゲーム)|フォートナイト]]』も(ゲーム全体は多要素ではあるが)戦闘部分はTPSである。
=== フライトシューティング ===
戦闘機などを駆って'''自由な空間移動'''が可能なシューティングゲーム。'''[[フライトシミュレーション]]'''にシューティングゲームの要素を混ぜたもののうち、物理現象などの再現よりも、特にシューティングゲームとしての要素を重視しているもの。代表的な作品は3Dポリゴンを用いた『[[エースコンバットシリーズ]]』、『[[スカイガンナー]]』、『[[ブレイジング・エンジェル]]』、『[[エナジーエアフォース]]』など。
フライトシューティングは歴史の古いジャンルではあるが、フライトシューティングという呼称が定着したのは『[[ACE COMBAT]]』をはじめとするコンシューマ機向け作品がフライトシューティングというジャンル名を冠して登場するようになってからである。それ以前は、たとえその内容が実質的にフライトシューティングであっても、フライトシミュレータと冠して発売されることが常であった。
なお、海外においてはフライトシューティング(flight shooter)という呼称はあまり用いられない。フライトアクション(flight action)という呼称がより一般的である。
=== スペースコンバットシューティング/スペースコンバットシミュレーション ===
'''宇宙船'''を操って'''宇宙空間'''を舞台に'''自由な空間移動'''が可能なシューティングゲーム。宇宙空間を舞台としたフライトシューティングとも言える。『[[スターラスター]]』、『[[PROJECT SYLPHEED]]』、『[[FreeSpace]]』などはここに分類される。また、[[スペースフライトシミュレーター]]の一ジャンルでもある。このうち、シューティングゲームとしての爽快感を重視したものはスペースコンバットシューティング (あるいは単にスペースシューティング)、高い戦術性や複雑な機体操作など、シミュレーションゲームとしての要素が強いものはスペースコンバットシミュレーションと呼ばれるが、明確な区分があるわけではない。
なお、シミュレーションといっても、必ずしも宇宙戦闘を物理学的・科学的に正しく再現することを目指しているわけではなく、『[[スター・ウォーズ・シリーズ]]』のようなSFの中での宇宙戦闘を模したものがほとんどである。その結果としてシューティングゲームの一種として分類されうるゲームになっている。
また、このジャンルには『[[Elite (ビデオゲーム)|Elite]]』、『[[FreeLancer]]』、『[[X:Beyond the Frontier]]』の様に、通常のシューティングのような、固定された内容のミッションだけでなくSF的世界観の中でフリーランスの宇宙船乗りとして宇宙を冒険し様々なランダムミッションや交易などを行う、ロールプレイングゲームや経営シミュレーションの要素を多く含むタイトルも存在している。
=== 奥スクロール・シューティング ===
'''奥から手前にスクロールする強制スクロール型'''の3Dシューティングゲーム。3Dポリゴンによる本格的な3D処理が可能になる以前から、擬似3D処理として'''[[スプライト (映像技術)|スプライト]]'''・'''一枚絵の拡大縮小'''を用いてこの種のタイトルが作られてきた。代表的なタイトルは『[[スペースハリアー]]』、『[[アフターバーナーII]]』、『[[ギャラクシーフォース]]』、『[[スターフォックスシリーズ|スターフォックス]]』シリーズ、『[[パンツァードラグーン]]』シリーズなど。2DCGではあるものの、『[[サンダーセプターII]]』などのように、特殊メガネなどを使用した3D投影を行っているタイトルもある。
== ガンシューティングゲーム ==
{{main|ガンシューティングゲーム}}
「[[光線銃]]」などを用いるもの。2Dシューティングゲームや、3Dシューティングゲームよりも発祥は古く、ビデオゲームが発明される以前から存在する。
; 強制進行するもの
: 『[[ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド]]』、『[[デスクリムゾン]]』、『[[マッドドッグマックリー]]』など。
; 固定画面のもの
: 『[[ワイルドガンマン]]』、『[[光線銃シリーズ|ホーガンズアレイ]]』、『[[ダックハント]]』など。
== レーザーディスクを使用したシューティングゲーム ==
かつては[[レーザーディスク]]の映像再生機能を使用しているゲームもあった。
; [[実写ゲーム|実写映像を使用した物]]
: 『[[アストロンベルト]]』、『[[スターブレイザー]]』、『[[マッハ3]]』、『[[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]]』など。
; [[コンピューターグラフィックス]]を使用した物
: 『[[インター・ステラ (ゲーム)|インター・ステラ]]』、『キューブクエスト』など。
; アニメーション映像を使用した物
: 『[[幻魔大戦 (映画)|幻魔大戦]]』、『[[光速電神アルベガス|アルベガス]]』、『[[サンダーストーム]]』、『[[バッドランズ]]』、『[[宇宙戦艦ヤマト#ゲーム|宇宙戦艦ヤマト]]』、『[[銀河鉄道999#ゲーム|フリーダムファイター]]』など。
== ボム・シューティング ==
上記までとは異なる分類として、ボム・シューティング(略して'''ボムシュー''')というジャンル分けがある。通常攻撃のほかに、一定時間無敵、絶大なる攻撃力などをもった「ボム」あるいは「ボンバー」などと呼ばれる特殊攻撃が可能。この特殊攻撃は何らかの方法により使用回数の制限がなされている。詳しくは[[ボム (シューティングゲーム)|ボンバー]]の項目を参照。
== その他 ==
上記のどれにも該当しないもの。そのほとんどは、後継作品がリリースされていない。『[[バンクパニック]]』、『[[エンパイアシティ1931]]』など。
== シューティングゲームの関連事項 ==
=== 連射と2Dシューティング ===
[[1980年代]]末期までの2Dシューティング作品においては、プレイヤー自機の攻撃力はショットボタンの押下回数、すなわち連打([[連射]])回数に依存している作品が多かった。しかしプレイヤーにとってはショットボタンの連打には体力やテクニックが要求され、長時間続けると[[筋肉痛]]などの症状を起こす恐れがあり、またゲーム機自体への負荷も大きくなった。さらにハイスコアを競う局面では、ゲーム機外部に取り付ける自動連射装置の利用の有無により結果に差異が生じた。そのため『ゲーメスト』などではハイスコア集計を連射装置の有無別に分けて行うこともあった。その後、ほぼ全ての2Dシューティングゲームのプログラム上に自動連射機能が組み込まれている。
=== ランク ===
シューティングゲームではプレイ内容により難易度を調整するシステムが搭載されているものが多く、この内部での難易度設定のことを俗に'''ランク'''と呼ぶ。ランクの上昇(および下降)に関係する要素は作品によって異なるが、概ね自機のパワーアップ状態、周回数、残機数、ミスをしてからの時間などが関係する。一方ランクが反映される要素としては敵の攻撃量、耐久力、[[撃ち返し]]弾の有無などがある。
ランクへの対処方法としては、極力ミスをしないように、また自機を効率的にパワーアップさせランクの上昇に対抗し得るようにするというものがある。また逆に意図的にパワーアップの抑制やミスなどプレイヤーにとって不利益ともなり得ることを行うことで難易度を抑制する、「ランクを下げる(あるいは調整する)」という手法もある。どちらの方法を取るかは作品やプレイヤーの熟練度、局面などによって異なり、そうした攻略パターンをまとめたものがゲーム雑誌や書籍に掲載されることもある。また一般的にハイスコアを目指すプレイでは効率的なパワーアップを行いつつノーミスで進行することとなるため、必然的にランクの上昇を大きく引き起こす。そのため作品によっては、初心者向けにランク上昇を抑えることを考慮したクリア重視の攻略と、上級者向けにランク上昇を度外視したハイスコア重視の攻略の2種類が雑誌に掲載されることもあった。中にはランク上昇が顕著でクリアのためには上級者でもランク調整が必須なものもあり、例として『[[パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜]]』や『[[バトルガレッガ]]』などが挙げられる。
=== ゲームミュージック ===
1980年代後半から1990年代の[[ゲームミュージック]]の中心の一つが当時のアーケードの2DSTGであり、タイトーの[[ZUNTATA]]、コナミの[[コナミ矩形波倶楽部|矩形波倶楽部]]などゲームミュージックのチーム・ブランドが生まれるきっかけの一つとなった。当時アーケードの2DSTGの[[サウンドトラック]]やアレンジ版が多数発売された。
当時の2DSTGのサウンドトラックにはテレビのニュース番組やバラエティ番組などのBGMや効果音としていまだに使われているものもある(『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』など)。
== 年表 ==
<!--wikipediaの性質上、主に売れ行き、後に与えた影響、の二点を重視しています
熱心なファンによる論の多いゲームだからといって優先度を高くはしていません-->
シューティングゲーム、ゲーム業界に影響を与えたものや出来事を記す。
=== 2Dシューティングゲーム ===
'''1960年代'''
* [[1962年]] - 『スペースウォー!』 - 世界初のSTGとされる。2D固定画面ワイヤーフレーム表示の対戦型ゲーム。ただし、これはミニコン[[PDP-1]]上で稼動するデモンストレーションプログラムである。
'''1970年代'''
* [[1971年]] - 『[[コンピュータースペース]]』 - 『スペースウォー!』をアーケード用にした、世界初のアーケード用STG。ただし操作が当時の人々にとってはまだ複雑で、失敗した。
* [[1978年]] - 『スペースインベーダー』 - 社会現象にもなったSTG初のメガヒット作品。模倣作品と違法コピーが出回る。
* [[1979年]] - 『ギャラクシアン』がポスト『インベーダー』ゲームとなり、後の縦スクロールSTGの素地となる。
'''1980年代'''
* [[1980年]]
** 『[[ムーンクレスタ]]』 - パワーアップの概念を導入。合体や着陸をゲームシステム化。
** 『[[ドラキュラハンター]]』 - ポスト『インベーダー』を掲げつつも『スペースインベーダー』とは異なるゲーム性を提示。雑誌媒体で広く紹介されその知名度を上げた。
** 『[[ディフェンダー (ゲーム)|ディフェンダー]]』 - 史上初のスクロールSTG。翌1981年に米国でGame of the Yearを受賞。多くの模倣作が登場。
* [[1981年]]
** 『[[スクランブル (ゲーム)|スクランブル]]』 - [[ディフェンダー (ゲーム)|ディフェンダー]]と並ぶ、横スクロール撃ち分けSTGの始祖。
** 『[[ギャラガ]]』 - 『ギャラクシアン』の続編。1985年までロングヒット。
** 『[[SNK (1978年設立の企業)#新日本企画 時代|ヴァンガード]]』 - 横スクロールの他に多方向にもスクロールする概念がある。
* [[1983年]]
** 『[[アストロンベルト]]』 - レーザーディスクを使用したシューティングゲーム。
** 『[[メジャーハボック]]』 - シューティング、ジャンプアクションなど複数のジャンルを融合。ワイヤフレーム表示。シューティングパートはハーフトップビューの始祖。
** 『[[ゼビウス]]』 - グラフィック能力強化によるバッググラウンド世界観のゲーム内での表現、地上と空中を撃ち分けるSTGスタイルを確立(初出ではない)。違法コピー作品が多く出回る。ファミコン移植版では[[隠しコマンド]](デバッグ用コマンドともされる)による無敵モードも存在した。[[ゲームミュージック]]が音楽ソフト用コンテンツとして注目されるきっかけにもなった。
* [[1984年]]
** 『[[サンダーストーム]]』 - 動画数枚が5万枚以上の[[レーザーディスクゲーム]]。
** 『[[光速電神アルベガス|アルベガス]]』 - 日本のTVアニメの映像を使用したレーザーディスクゲーム。
** 『[[スターフォース]]』 - ポスト『ゼビウス』を掲げつつも対空・対地撃ち分けを排し爽快感を重視するという『ゼビウス』とは正反対のゲーム性を打ち出し、ヒットへ。
** 『[[1942 (ゲーム)|1942]]』 - 独自の攻撃回避システム(宙返り)を導入し、STGが陥りやすいプレイスタイルのルーチン化を防いだ。
** 『[[ヴォルガード]]』 - パソコン向けのSTGでは事実上初のヒットタイトルとされ、[[FM-7]]から始まり[[PC-8800シリーズ]]等各社のパソコン用に移植された。
**: 味方機と3機で合体しての人間形巨大ロボットへの変形など、[[サイエンス・フィクション|SF]]よりも[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]を意識した設定をSTGに持ち込む(もっとも、当時のコンピュータの表現能力ではゲーム内で設定の詳細な再現まではできず、具体的なところはマニュアルにこれらの設定が記されていただけではある)。
* [[1985年]]
** 『[[宇宙戦艦ヤマト#ゲーム|宇宙戦艦ヤマト]]』 - 日本のアニメ映画の映像を使用したレーザーディスクゲーム。
** 『[[ツインビー]]』 - ポップな路線でヒット。スペシャル攻撃があるなど、2人同時プレイに意味を持たせる。
** 『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』 - ギミックの多彩な横スクロールSTGの草分け的作品。本作は大ヒットし、亜流ゲームが多く生まれた。FC移植版は少なくないギミックが省略されたが、[[コナミコマンド]]やモアイワープなどの裏技要素が話題を呼び100万本を売り上げる。
** 『[[ASO (ゲーム)|ASO]]』 - 多種多彩なパワーアップを設定。パワーアップに計画性を要求するSTGの始祖の一つ。
** 『[[テグザー]]』 - パソコン向けSTGとして史上空前の大ヒットを記録する。当時の最新PC([[PC-8801mkIISR]])にとって[[キラーソフト]]となった。
** [[ファミリーコンピュータ]]の大ブームに乗り、家庭向けSTGも数十万本という単位で売れる。
* [[1986年]]
** 『[[沙羅曼蛇]]』 - 『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』の正統系譜作。グラフィックや、ステージに散りばめられたギミックはシューティングゲームの進化の方向を指し示した。
**: なお、このゲームの弾幕は後の弾幕系STGにも影響を与えたと言われており、[[ケイブ]]の[[池田恒基]]は名作と呼べるSTGとしてこのゲームを挙げている。
** 『[[スターソルジャー]]』 - [[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]オリジナルのSTG。[[高橋名人]]が[[高橋名人#16連射|16連射]]を必殺技とし日本全国を巻き込む一大[[連射]]STGブームを巻き起こす。自動連射機能付コントローラーをゲーム関連市場で認知させた。
**: その一方で、連射のやりすぎで指や手を痛める子供が続出、またアーケードゲームの筐体のボタン破損多発の原因となったことから、以降のSTGはフルオート連射、さらに時代が進むとセミオート連射が主流となってゆく。
** 『[[ザナック (シューティングゲーム)|ザナック]]』 - サブウェポンの任意選択、自動難易度調整機能といった斬新なギミックを導入したSTG。また、高いプログラム技術により難易度調整・超高速スクロールなどの演出を実現。
**: 後の『[[アレスタ]]』へと続く[[コンパイル (企業)|コンパイル]]製STGは、1980年代の終わりまでゲーム業界で確固たる存在感を示し続けた。
** 『[[ダーウィン4078]]』 - パワーアップによる多種多彩な攻撃手段の変化、一定条件下で起きる突然変異型強化、パワーアップする程に自機の当たり判定が大きくなるといった要素は、ゲーム攻略におけるパワーアップの計画性を必要不可欠なものとした。
** 『[[ファンタジーゾーン]]』 - 『[[ディフェンダー (ゲーム)|ディフェンダー]]』の流れを汲む任意横スクロールSTG。任意にスクロール方向を左右に切り替えられるほか、[[コイン]]を集めてショップで武器を購入する方式のパワーアップが特徴的だった。
**: 複数のコンシューマ機・家庭用パソコンへ複数のメーカー・開発チームを経由して移植されたことから、ハード性能差による表現能力差と当時のコンシューマ機の限界、移植作開発に携わるメーカー・開発スタッフの移植技術の能力・水準(再現度)が比較される様になり、これらが大きく意識される様になったきっかけの一つ。
** 『[[ダライアス]]』 - 3画面を並べたインパクトある大型筐体と併せて演出の重要性を強く認識させたSTG。
* [[1987年]]
** 『[[R-TYPE]]』 - SF系モチーフの発展系として[[H・R・ギーガー]]調の美術要素をゲームに持ち込んだ。『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』とは別路線のギミック(溜め撃ち・フォース)を導入し以降のSTGに大きな影響を与える。敵の攻撃の多彩さも相俟って戦略型STGを確立することになる。本作のPCエンジン版も、完全移植が意識されるきっかけとなる作品となった。
** 『[[究極タイガー]]』 - 縦スクロールボンバー系STGを確立。
** 『[[グラディウス (ゲーム)|グラディウス]]』 ([[X68000]]版) - X68000初代モデルの付属同梱ソフトウェアという当時異例の非売品の位置づけで配布された。16ビットCPUが主流となって以降のパソコン、コンシューマ機で、アーケードゲームをオリジナル作品に極限まで近い移植を行う「'''完全移植'''」が意識される様になったきっかけ。
* [[1988年]]
** 『[[グラディウスII -GOFERの野望-|グラディウスII]]』 - 自機選択とパワーアップ種類の増加を主軸にグラディウスを正常進化させた。
**: 本作発表の前、1987年には[[MSX]]で『[[グラディウス2]]』が発売されており、同一シリーズがパソコンとアーケードで別進化を遂げた最初のケースでもある。
** 『[[達人]]{{要曖昧さ回避|date=2022-11}}』 - パターン学習を重視したSTGを提唱。連射装置の普及に貢献。
** 『[[イメージファイト]]』 - 『R-TYPE』の方向性をより推し進め、自機と敵にはさらに多彩なギミックが導入された。
** 『[[パロディウス]]』(MSX用) - 『グラディウス』の持つ優れたゲームシステムはそのまま、コミカル演出などを多数盛り込む。
* [[1989年]]
** 『[[グラディウスIII -伝説から神話へ-|グラディウスIII]]』、『[[R-TYPE II]]』など人気作品の続編が大幅に高難易上昇し、アーケードSTGの高難易度化がピークを迎える。以降家庭用移植版や続編では難易度が落とされていく事になる。
** 『[[オメガファイター]]』 - 積極的な得点稼ぎがゲーム性を大きく変化させる[[危険行為推奨シューティング]]の先駆けと呼ばれるタイトル。
'''1990年代'''
* [[1990年]]
** 『[[雷電 (シューティングゲーム)|雷電]]』 - 分かりやすさと手軽さで幅広い客層にヒット。高インカムにより驚異的なロングラン作品となり、多くのコンシューマにも移植される。
** 『[[パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜|パロディウスだ!]]』 - コンシューマ向けシューティングゲームの業務用アレンジ移植。また、親しみやすさを重視してランクシステムによる難易度調整が功を奏して大ヒット作となった。
** 『[[ソーラーストライカー]]』 - [[ゲームボーイ]]初のシューティングゲーム。[[横井軍平]]によるプロデュース。シンプルなゲーム性でゲームボーイのジャンルの充実を図った。
<!--『[[グラディウスIII]]』オリジナル版に付記すれば充分な内容のため削除-->
* [[1991年]]
** 『[[メタルブラック]]』 - STGとしては凡庸な評価を受けるも、高品質な演出群で強いインパクトを残し後の多くのSTGに影響を及ぼした。ゲーム性以上に演出を重視したタイトー製シューティングの方向性が認知される。
** 『[[ストリートファイターII]]』の大ヒットで[[対戦型格闘ゲーム]]がブームとなり、商業的な不利さからSTGの市場は縮小する。
** 『[[コットン (ゲーム)|コットン]]』、『[[XEXEX]]』など、キャラクター要素を前面に押し出した作品が登場した。
**: 特に『[[出たな!!ツインビー]]』はキャラクターが人気を集め、同作を皮切りに『ツインビー』シリーズの本格的なメディアミックス展開が行われていく。
** 『[[デザエモン]]』 - シューティングゲームを一般ユーザーが作れるシステムで知られ、その後シリーズとして様々なプラットフォームで販売。
* [[1992年]]
** 『[[ソニックウィングス|ソニックウイングス]]』 - 自機選択、簡略化されたパワーアップ方式を提示。以後このスタイルが縦STGの主流となる。
** 『[[超兄貴]]』 - STGに[[ボディビル]]・筋肉美(さらにメタファーとしていわゆる[[ハードゲイ (曖昧さ回避)|アメリカン・ハードゲイ]])という要素を組み合わせた一種のイロモノであったが、あまりにも特異な世界観がゲーム内容を越えてユーザーの好評を得て、結果的にヒット作となった異色の作品。
**: 世界観に合わせて作られた音楽は輪を掛けて個性的なもので、サウンドトラックはゲームミュージック史にも残る売り上げを記録する(ゲームソフトそのものの数倍の枚数を売り上げたと言われる)。
** 『[[達人王]]』 - 数あるSTGの中でも最高クラスの難易度を誇る。
* [[1993年]]
** 『[[シルフィード (ゲーム)|シルフィード]]』 ([[メガCD]]版) - プリレンダ・ムービーによる背景演出が話題を呼ぶ。
** 『[[BATSUGUN|バツグン]]』 - 比較的低難度でヒット。東亜プラン最終期のSTG。
**『[[R-TYPE III]]』 - SFCで発売。アーケードの主力シリーズが家庭用にシフトする流れの先触れと言える作品。
* [[1994年]]
** 多くの優良STGを出産した[[東亜プラン]]が倒産。所属していたスタッフにより[[ケイブ]]などの新会社が設立された。
** 『[[ガンバード]]』- 『ソニックウィングス』で培ったシステムを昇華。個性的なキャラクターと演出、初心者に配慮した難易度設定でヒット作に。
** 『[[ダライアス外伝]]』 - ボンバーが搭載された事で難易度を軽減。演出・BGMも高く評価され今なお名作と語り継がれる。
** 『[[レイフォース]]』 - 雄弁な演出とゼビウスを踏襲した隙の無いゲーム性で傑作と呼ばれる。
** 『[[雷電DX]]』 - 『雷電』の正常進化。分かりやすい内容。低難度を用意し新規STGプレイヤーの受け入れ姿勢を示した。
** 『[[シューティングツクール|シューティングツクール98]]』 - 同シリーズのソフトと組み合わせて、演出に特化したSTGを自作できるようになる。
* [[1995年]]
** [[セガサターン|SS]]、[[PlayStation (ゲーム機)|PS]]が発売され、家庭用ゲーム機でも[[アーケードゲーム]]に近い品質での移植が可能になる。これ以降は再現度を追求する『完全移植』にファンサービス要素を追加したものが、コンシューマ機移植の基本仕様となる。
** 『[[シルバーミレニアム]]』 - 自機が全て生身の女性キャラによって構成された[[大韓民国|韓国]]製の縦STG。日本国内では[[ロケテスト]]のみで終わっているものの、自機が飛行する直立した人物であったり、[[萌え]]要素など、後の作品の[[トレンド]]が採用され、STGの設定表現の解釈を広げた先駆けの作品。
* [[1996年]]
** 『[[バトルガレッガ]]』 - STGが「撃つゲーム」から「弾幕を避けるゲーム(=[[弾幕系シューティング]])」に変遷していくきっかけとなった作品。
** 『[[レイストーム]]』 - 全編[[ポリゴン]]による派手な映像と音楽が話題になる。
** 『[[ティンクルスタースプライツ]]』 - スクロール型対戦STGというジャンルを提示。その後亜流作品がいくつか生まれるも定着には至っていない。
** 『[[超連射68k]]』 - [[X68000]]向けに制作された[[同人ゲーム]]。STGとしては比較的オーソドックスだが、独自のプログラムによりX68000の[[スプライト (映像技術)|スプライト]]の表示限界を引き上げることに成功している。
* [[1997年]]
<!--『[[サンダーフォース|サンダーフォースV]]』同時期STGに比べ売上げが低く、特記するべきシステムもないためこの項目に不適切、システムに類似点があるレイストームやアインハンダーだけで十分-->
** 『[[怒首領蜂]]』 (どどんぱち) - 元祖弾幕系シューティングゲームにして一応の完成形。非常に多い弾数と高難度な2周目の存在で当時のプレイヤー達を圧倒した。その後もロングラン。本作の登場を皮切りに多くの弾幕系シューティングゲームが誕生した。
** 『[[ストライカーズ1945]]II』 - 『[[怒首領蜂]]』の弾幕主体なゲーム性に対して、「速い弾速」という対照的な仕立てでロングランした。
** 『[[アインハンダー]]』 - [[スクウェア・エニックス|スクウェア]]内におけるコナミからの移籍スタッフによる製作。11万本という当時のSTGとしては高いセールスを記録した。3Dポリゴンを駆使した演出、戦略性の高い武装運用システムにより根強い人気を持つ。
* [[1998年]]
** 『[[エスプレイド]]』- 初心者向けの難易度とキャラクター性の導入により幅広い層にヒット。
** 『[[レイディアントシルバーガン]]』 - 豊富なギミックと狙い撃ち重視、特殊な稼ぎシステムなどで温故知新を意識。
** 『[[シューティングツクール|シューティングツクール95]]』 - 『デザエモン』とは趣の異なった仕様や拡張・汎用性の高さなどから話題に。
* [[1999年]]
** 『[[グラディウスIV -復活-]]』 - 約10年ぶりの新作だがシリーズ過去作品の焼き直し的内容であり、アーケードにおける横スクロールSTGの衰退とコンシューマにシフトする流れを決定づける事になる。
** 『[[ギガウイング]]』 - 激しい弾幕とそれに対する敵弾を「反射」させるカウンター式の攻撃システム。この頃から「敵弾=避けるだけの物」というSTGの基本構造に変化が現れ始める。
**: 「反射」による敵弾処理システムは本作が初めてではなく、同人ゲーム『[[RefleX|Reflection]]』を初出とする。
'''2000年代'''
* [[2000年]]
** 『[[サイヴァリア]]』 - 弾幕系STGの中ではとりわけて美しい弾幕群を形成し、過激な敵弾対処システムと相まって話題に。
** 『[[神威 (シューティングゲーム)|神威]]』 - 低スペックのPCでも動作し、レイシリーズ、蒼穹紅蓮隊を意識したシステムや演出が評価される。体験版が低価格のPC用ソフトとして流通されたことでも知られる。
**『[[婆裟羅]]』- [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]とオーバーテクノロジーを組み合わせた設定とキャラクター、溜め撃ちシステムなどで話題。
* [[2001年]]
** 『[[式神の城]]』 - [[ライトノベル]]的設定とキャラクターによりライトユーザー層にヒット。
*: 『[[高機動幻想ガンパレード・マーチ|ガンパレード・マーチ]]』など、他ジャンルの作品と世界観を共有することにより、新規ユーザー層の開拓にも成功した。
** 『[[斑鳩 (シューティングゲーム)|斑鳩]]』 - シンプルなゲーム内容に斬新な敵弾処理システム。ランダム要素をほぼ廃し、正確なパターンを再現する事に重点が置かれている。
<!-- 『[[Rez]]』は2DSTGではないので3DSTGに移動させました。-->
* [[2002年]]
** 『[[怒首領蜂 大往生]]』 - 高難度と度を越した強さの最終ボスの存在。弾幕系シューティングの一つの限界点。家庭用特典として超上級シューターのプレイ映像が付加された。その後細かい調整が施されたマイナーチェンジバージョン「ブラックレーベル」が登場。
** 『[[東方Project]]』([[東方紅魔郷 〜 the Embodiment of Scarlet Devil.|東方紅魔郷]]) - [[同人]]市場で流通している作品ながら、独自の世界観、敵キャラクターが発する美麗な弾幕、魅力あるキャラクター、秀逸なBGM、幅広い難易度設定などにより多くのファンを獲得。また、プログラム、グラフィック、BGMのほぼ全てが個人製作である事も驚きを持って迎え入れられた。現在でもコンスタントに新作が供給されている。
**: この「東方紅魔郷」から今日の同人コンテンツにおける屈指の大型タイトルへと成長し、東方Projectの二次創作も大きなムーブメントとなった。
**『[[らじおぞんで]]』 - フリーソフトとして公開された。自機数無限が標準設定となっているなど、『怒首領蜂大往生』にも劣らない超高難易度の弾幕系シューティングである一方で、自機に美少女キャラクターを採用しており、衰退期に向かいつつあった「弾幕系シューティング」に続く「萌え系シューティング」という新たな方向性を生み出した。
* [[2003年]]
** 『[[ケツイ〜絆地獄たち〜]]』 - 硬派なスタイル、非常に高い難易度、特徴的な弾幕などでコアな人気を得る。
** 『[[エスプガルーダ]]』 - 初心者向けのシステムと低難易度により幅広くヒット。エスプレイドを彷彿させる演出。
* [[2004年]]
** 『[[虫姫さま]]』 - 3種のゲームモード選択によるプレイヤー選択肢の多様化。この作品の前後から、萌えの需要の上昇に伴って、アーケード作品でもこれを取り入れようとする動きが本格化していく。
** 『[[グラディウスV]]』 - ナンバリング作では初の家庭用オリジナルタイトル。「オプション操作」という新フィーチャーの導入に加えて家庭用ならではのギミックを多く盛り込みシリーズ従来作よりゲームデザインを刷新。米国のゲームサイト[[GameSpy]]のGame of the Year:PS2ベストシューティング賞を受賞。
<!--「近年のSTGでは高いセールスを記録」という記述は同機種「R-typeFinal」や「復活の神話」のほうが売上げ本数が多いため不適切。今後も追加しないでください-->
** 『[[ギガウイング|翼神 GIGAWING GENERATIONS]]』 - STG史上、得点倍率による極端な桁数までのスコア表示。
<!-- http://www.konami.co.jp/ja/news/topics/041224game/ GotYは複数ありまして。さすがに大賞と間違われるとまずいかと -->
* [[2005年]]
** 『[[アンダーディフィート]]』 - ミリタリー色の濃い世界観や敵戦死者数の表示など、演出面のこだわりが評価される。
** 『[[Geometry Wars|Geometry Wars: Retro Evolved]]』 - [[Xbox 360]]の[[Xbox Live#Xbox Live Arcade(Xbox 360のみ)|Xbox Live Arcade]]用ダウンロード配信タイトルとして好セールスを記録。[[イギリス]]のゲーム雑誌『EDGE』のコンピュータゲーム誕生からの全期間を通してのトップ100ゲームランキングにおいて67位に選出される。<ref name="EDGEy">[http://www.next-gen.biz/index.php?option=com_content&task=view&id=6231&Itemid=50 Next Generation: EDGE'S TOP 100 GAMES OF ALL TIME]</ref>
** 『[[旋光の輪舞]]』 - [[対戦アクションゲーム]]と[[弾幕系シューティング]]の融合。後に移植版が、[[Eスポーツスタジアム]]の競技種目となる。
** 『[[ラジルギ]]』 - 永続的に使用できるシールドの存在。弾幕系STGに対する初心者への配慮の一つ。
* [[2006年]] - <!--オンライン系([[MO]]・[[MMO]])のシューティングゲームが多く発表される。←代表的な(後世に影響を与えそうな)タイトルを挙げる必要があるかと-->
** 『[[トリガーハート エグゼリカ]]』 - [[メカ少女]]という表現でキャラクター方面で大きく話題になる。業務用においてSTGと萌え要素が強く関係した一例。
** フランスのゲーム専門チャンネルでSTGの特集番組が放送される (下記参照)。
* [[2007年]]
** 『[[オトメディウス]]』 - アーケード2Dシューティング初のオンラインアーケードゲーム。『[[BEMANIシリーズ|BEMANI]]』シリーズで培ったノウハウを導入し、本作の稼動以前のSTGの傾向からプレイテンポの配慮がなされている。
** 『[[シューティング技能検定]]』(『[[シューティングラブ。2007]]』内) - このゲームを用いて、シューティングゲーム史上初めて、2人対戦による大規模な全国大会が開催された(「シューティングラブ。甲子園」)。
** 『[[デススマイルズ]]』 - 同年の『オトメディウス』と同様に「萌え」要素へのアプローチを重視。難易度・ステージ選択制、被弾物の属性によりダメージが通常より抑えられるセグメント式のライフシステムなど、初心者層への配慮がアピールされた。
* [[2008年]]
** 『[[怒首領蜂大復活|怒首領蜂大復活 Ver.1.5]]』 - 弾消しが可能なハイパーカウンターモード、オートボム、パワーアップアイテムの廃止など初心者を意識した内容へ。一方、高難易度の2周目も用意され上級者も満足できる内容となっている。結果として初心者から上級者まで幅広く評価された。
* [[2009年]]
** 『[[ダライアスバースト]]』 - ダライアスシリーズ12年ぶりの完全新作。著名クリエーターの起用、メインコンポーザーの変更など新たな試みを取り入れ、ダライアスシリーズ再起の礎となった。
'''2010年代'''
* [[2010年]]
** 『[[怒首領蜂大復活#ブラックレーベル|怒首領蜂大復活ブラックレーベル]]』 - 『怒首領蜂大復活』のマイナーチェンジモデル。本作独自システム「烈怒モード」の追加、全BGM一新、1周ENDへの変更、裏ボスの追加等、今までのブラックレーベルシリーズではされなかった大幅な追加や変更、調整が施された。また本作ではショットスタイル毎での難度の差異やオートボムのON・OFFの選択があり、これによる住み分けが可能。
** 『[[ゲームサイド]]』の編集長によるSTGの記事を専門にした雑誌『シューティングゲームサイド』が発行される。
** 『[[ダライアスバースト アナザークロニクル]]』 - 『ダライアスII』以来となる専用筐体を用いた作品。同一筐体による最大4人協力プレイが可能。
* [[2013年]]
** 多くの弾幕系シューティングゲームを輩出してきたケイブが、[[Xbox 360]]版『[[怒首領蜂最大往生]]』を最後にアーケードゲーム、コンシューマーゲームから撤退する。
* [[2015年]]
** 『[[ゴシックは魔法乙女〜さっさと契約しなさい!〜]]』 - ケイブがアーケード・コンシューマ時代に培ったSTGのノウハウをスマートデバイス向けに落とし込んだソーシャルSTG。
* [[2016年]]
** 『[[ダライアスバースト クロニクルセイバーズ]]』 - ダライアスバースト アナザークロニクルの移植に加え、独自の「CS MODE」と「DLC MODE」追加した作品。「DLC MODE」では他社のSTGやコンポーザーとのコラボレーションが話題を呼んだ。
* [[2017年]]
** 『[[アカとブルー]]』 - ケイブ出身のクリエイターが設立したタノシマスによる弾幕系シューティング。スマートデバイス向けSTGとしては異例となるアーケードへの逆移植を果たした。
=== 3Dシューティング ===
* [[1973年]] - 『[[Maze War]]』 - ワイヤフレーム表示の迷路で戦う3Dシューティング。通信対戦をサポート。[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]の原型。
* [[1974年]] - 『[[Spasim]]』 - ワイヤフレーム表示の宇宙戦3Dシューティング。32人同時の通信対戦をサポート。
* [[1978年]] - 『[[Star Fire]]』 - グラフィックパターンによる擬似3Dの3Dシューティング。ビデオゲームで初めてハイスコア時のネームエントリーを導入したゲームでもある。
* [[1979年]] - 『[[Star Raiders]]』 - [[Atari 2600]]他用の宇宙戦3Dシューティング。シミュレーションゲームの要素も併せ持つ。後の『[[スターラスター]]』の原案になったと言われる。
* [[1980年]] - 『[[Battlezone]]』 - ワイヤフレーム表示の戦車戦3Dシューティング。
* [[1983年]] - 『[[スターウォーズ (ゲーム)|スターウォーズ]]』 - 同名映画を題材としたワイヤフレーム表示の主観視点奥スクロールシューティング。
* [[1984年]]
** 『[[Elite (ビデオゲーム)|Elite]]』 - 宇宙船乗りとなり、星々を巡って交易や戦闘を行うなど、広大な仮想世界の中での自由度の高いゲームプレイを実現。8ビットコンピュータである[[BBC Micro]]などにおいてワイヤフレーム表示による3D空間移動を再現していた。後に16ビットコンピュータである[[IBM PC]]向けに表示をポリゴン化した『Elite Plus』が登場、これは日本の[[PC-9800シリーズ|PC-98]]にも日本語化移植されている。
** 『[[チューブパニック]]』 - 業界で初めてゲーム基板に回転機能を持たせた擬似3D表現の奥スクロールシューティング<ref>[http://gameside.jp/sgs/sgs10/ シューティングゲームサイドvol.10 収録インタビュー] - [[マイクロマガジン社]] 2014年9月26日発行</ref>。アップライト筐体とコクピット筐体の2種類が存在した。
* [[1985年]]
** 『[[スペースハリアー]]』 - スプライトを用いた擬似3D表現の奥スクロールシューティング。可動型大型筐体でも話題となる。
** 『[[スターラスター]]』 - [[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]でありながら3D空間移動を再現。エネルギー管理や拠点防衛など、シミュレーションゲームの要素も併せ持つ。複雑な内容に加え、3次元を表すレーダーの表記に癖があったこと、マニュアルが説明不足だったこともあり、当時の主な[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]のユーザー層である低年齢層には広くは理解されなかった。
* [[1987年]] - 『[[アフターバーナーII]]』 - スプライトを用いた擬似3D表現の奥スクロールシューティング。また、可動型大型筐体の一つのピークであった。
* [[1988年]] - 『[[メタルホーク]]』 - 可動型大型筐体を用いた見下ろし視点の擬似3Dシューティング。箱庭状の3次元空間を自由に移動しながら戦う。
* [[1989年]] - 『[[ナイトストライカー]]』 - スペースハリアーのフォロワーだが、秀逸な筐体とBGMなど演出効果が優れていた。一風変わった得点稼ぎ方法も話題になる。
* [[1990年]] - 『[[ウィングコマンダー]]』 - AT-DOS用の宇宙戦3Dシューティング。当時としては美麗なグラフィックスと練りこまれたシナリオに基づく雄弁な演出で、海外で大ヒット。
* [[1991年]] - 『[[Wolfenstein|Wolfenstein 3D]]』 - [[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]をジャンルとして確立。
* [[1993年]]
** 『[[スターフォックス]]』 - 特殊チップを積むことでポリゴンによる3D表現を実現したSFC用奥スクロールシューティング。
** 『[[X-Wing (ゲーム)|X-Wing]]』 - 『スターウォーズ』が題材。自機の各能力へのエネルギー配分管理というギミックとパズル要素の高いミッション群によりスペース・コンバット・シミュレーションを確立。
** 『[[DOOM]]』 - 海外を中心に大ヒット。[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]は一躍メジャージャンルに。広大な閉鎖空間を探索・戦闘するスタイルはこの後しばらくの間、FPSの基本となった(DOOMクローンと呼ばれる)。
* [[1994年]] - 『[[ウイングコマンダー|ウィングコマンダーIII]]』 - 主役に『[[スター・ウォーズ・シリーズ]]』で[[ルーク・スカイウォーカー]]を演じた[[マーク・ハミル]]を配し、膨大な実写カットシーンを[[ハリウッド]]で撮影。カットシーンの映画に匹敵する完成度や練りこまれた設定やストーリーで全世界で100万本以上を売上げた。
* [[1995年]]
** [[セガサターン|SS]]、[[PlayStation (ゲーム機)|PS]]が発売。ハードウェアの進化によって[[サードパーソン・シューティングゲーム]](TPS)と呼ばれるジャンルの作品が多く登場。
** 『[[パンツァードラグーン]]』 - ストーリー演出に特化したTPSのスタイルを提唱。
* [[1996年]]
** 『[[Quake]]』 - フルポリゴン化された3D描画、インターネットをサポートしたマルチプレイ。キーボード移動とマウスルックというFPSにおける標準的な操作系を確立(ただしデフォルト設定ではなかった)。
** 『[[エースコンバット2]]』 - シンプルなゲーム内容と美麗なグラフィックスでヒット。
* [[1997年]]
** 『[[スターフォックス64]]』 - 全世界で400万本以上を販売し、シューティングゲーム史上FPSを除いて最もヒットした作品となった。
** 『[[ゴールデンアイ 007]]』 - NINTENDO64専用の作品。日本でのFPSの認知度向上に貢献した。
* [[1998年]]
** 『[[FreeSpace]]』 - 設定やメカデザイン、ストーリー・カットシーンのみならず、ゲームとしてのミッション内容など全てにおいて完成度の高いミッションクリア型のスペース・コンバット・シミュレーション。
** 『[[ハーフライフ (ゲーム)|ハーフライフ]]』 - FPSに強いドラマ性を導入した作品。リアルタイムで発生するイベントシーン(基本的に操作可能)や戦法の変更や逃亡さえ行う臨機応変なAI、謎解き、低い耐久力など以後のさまざまなゲームに多大な影響を与える要素が満載された。また、無数の[[Mod (コンピューターゲーム)|MOD]]も作成された。
** 『[[Unreal]]』 - 当時としては圧倒的なグラフィック、閉鎖空間主体だったFPSにおいて開放感のある屋外マップを採用したことなどが特徴のスポーツ系FPS。対戦に特化した派生作品『[[Unreal Tournament]]』も製作・シリーズ化された。
* [[2001年]] -
** 『[[HALO (ビデオゲームシリーズ)|HALO]]』 - 家庭用ゲームハードのFPSでは世界で最もヒットしたSF系FPS。コンシューマ向けFPS・TPSの操作性の基礎を概ね確立したとされる。
** 『[[Rez]]』 - 敵の倒し方によって変わる効果音や音楽との一体感を持たせる演出により、プレイヤーに[[グルーヴ]]感を生み出すようになっている。この、ある種の[[音楽ゲーム]]的なシステムとの融合は、(2D、3D問わず)後のシューティングゲーム作品でもしばし見られるようになっていく。
**:なおSTGの音楽ゲーム的アプローチは本作が初めてではなく、過去には『[[オトッキー]]』などでも試みられていた。
* [[2002年]]
** 『[[バトルフィールド (コンピューターゲーム)|バトルフィールド1942]]』 - オンライン対戦に特化した[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]。歩兵戦を主体としながらも、そこに戦車戦や空中戦をシームレスに融合。
** 『[[America's Army]]』 - アメリカ陸軍の訓練や規則などを忠実に再現。国家予算を投じて作られた。
* [[2003年]] - 『[[THE 地球防衛軍]]』 - 大量の強大な敵を極めて強力な火器で一掃する爽快感、シンプルで奥の深いゲームデザイン、[[特撮]]や[[B級映画]]を思わせる世界観など、低価格ソフトながら丁寧な作りでヒットした国産TPS。
* [[2005年]]
**『[[F.E.A.R. (ゲームソフト)|F.E.A.R.]]』 - ホラーとミリタリーを融合させた異色の作品。シングルプレイに特化。日本のホラーゲーム『[[零 (ゲーム)|零]]』の影響を受けたとされる。
** 『[[バイオハザード4]]』 - 前作までのホラーアドベンチャー主体のゲームデザインから戦闘系システムを先鋭化させTPSとしてゲーム性を昇華、以降のシリーズ作品にも大きな影響を与える。
* [[2006年]]
** 『[[PROJECT SYLPHEED]]』 - 次世代家庭用ハードでは初のスペース・コンバット・シミュレーション。
** 『[[Gears of War]]』 - 伝統的に攻撃主体で防御面の要素が軽視されがちだったFPS・TPSにおいて防御の基本システムを確立・最大限に活用した作品。
* [[2007年]]
** 『[[Portal_(ゲーム)|Portal]]』 - FPSのシステムと高度な物理計算エンジンを利用したパズルアクションゲーム。数多くの賞を獲得した。
* [[2009年]]
** 『[[Paperman]]』 - FPSの敬遠要因のひとつであるゴア表現を徹底して排除した他、アニメ調のキャラクターや著名声優のキャスティング起用によりライト層にヒット。
** 『[[ボーダーブレイク]]』 - アーケード用TPSとしては初のICカードによる継続プレイを前提とした作品。AC用FPSとしては『HL2サバイバー』で採用しているが、TPSとしては初。
* [[2015年]]
** 『[[スプラトゥーン]]』 - 「敵を撃って倒す」だけに依存しないゲームデザインや、ポップで親しみやすいビジュアルとキャラクターにより低年齢層を中心に幅広い層から支持を得てミリオンヒットとなる。
* [[2016年]]
** 『[[オーバーウォッチ]]』 - ロール製を採用し、個性的な性能を持つヒーローを用いて戦うFPS。世界各国にプロチームが結成されるなど盛り上がりを見せ、2016年の[[ゲーム・オブ・ザ・イヤー]]を多数受賞している。近未来を舞台にしており、[[デジタルコミック]]、[[ウェブアニメ]]、小説などのメディアミックスも行われている。2022年に『[[オーバーウォッチ2]]』へ移行する形でサービスが終了した。
* [[2017年]]
** 『[[PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS]]』 - 最大100人参加によるサバイバルMOFPS/TPS。
** 『[[フォートナイト (ゲーム)|フォートナイト]]』 - TPSにクラフトゲーム要素を加味。欧米圏では社会現象を起こす大ヒットとなる。
* [[2020年]]
** 『[[VALORANT]]』 - 高チックレートによるサーバ構築や幅広いPCスペックに対応したフレームレート、独自のアンチチートシステムなど競技シーン([[eスポーツ]]化)を念頭に置いて制作された[[タクティカルシューター]]。
<!--
** 『[[Ultrakill]]』 - [[デビルメイクライシリーズ]]のアクション要素を融合させた点が強い印象を与えているシングルプレイヤーFPS。スタイリッシュなムーブメントに重きを置いており、ハイスピードで格好良さの強めなゲームシステムや{{仮リンク|ローポリ|en|Low poly}}なグラフィックで描かれる独特な世界観が特徴的となっている。
-->
=== ガンシューティング ===
: 主要ガンシューティングゲームの一覧は、[[ガンシューティングゲーム]]の項目を参照のこと。
== シューティングゲームを題材としたテレビ番組 ==
=== 『シューティングゲームの歴史』(Histoire Du Shooting Game) ===
2006年にフランスのゲーム専門チャンネル『[[:fr:Gameone|Gameone]]』によって制作・放送された、2DSTGの特集番組。上記年表にある2DSTGの大部分について網羅。2DSTGの繁栄から衰退、そして現在(2005年)について解説。各2DSTGの面白さやヒット理由の分析、開発者へのインタビューなど、2DSTGの歴史について報道している番組。
有志による日本語訳がいくつか存在する<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070221_shooting_history/ シューティングゲームの歴史を解説したドキュメンタリー風ムービー - GIGAZINE]</ref>。
=== シューティングゲーム攻略軍団参上! ===
2009年にケーブルCS放送[[MONDO21]]にて放映された番組。毎回1つのタイトルを取り上げ、上級プレイヤーによる攻略映像を解説付きで流すという内容。
{{main|シューティングゲーム攻略軍団参上!}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[復活 (コンピュータゲーム)|復活]]
* [[シューター]]
* [[カウンターストップ]](カンスト)
* [[ウソスコア]]
* [[ダブルプレイ]]
* [[連射王]] - STGのプレイヤーを題材にした小説
{{コンピュータゲームのジャンル}}
{{DEFAULTSORT:しゆうていんくけえむ}}
[[Category:シューティングゲーム|*]] | 2003-05-09T04:52:52Z | 2023-12-20T06:32:13Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 |
7,952 | アドベンチャーゲーム | アドベンチャーゲーム(Adventure game、略記:ADVまたはAVG)は、コンピュータゲームのジャンルの一つ。
テキストまたはグラフィックス(あるいはその両方)によって現在プレイヤーの置かれている状況が提示され、それに対しプレイヤーが行動を入力すると行動の結果が提示されるので、さらにその状況に対する行動を入力......という操作を繰り返して進めていく、コンピュータとプレイヤーとの対話形式で構成される。プレイングに反射神経を必要とせず、提示される様々な情報から的確な行動を推理・選択することが求められる、思考型のゲームである。
同じ思考型のシミュレーションゲームやロールプレイングゲームなどとは「複数の項目からなる主人公の能力等を表す数値(経験値や攻撃力など)」が存在しない点で区別される。
コンピュータゲームとしてのアドベンチャーゲームの始祖は『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー』で、1975年頃から米国の研究機関ネットワーク上で広まった。これは洞窟探検を題材に作成したゲームで、最初に想定されていたプレイヤーは開発者の娘であった。本作は単に「Adventure」、または端末に入力するコマンド文字列に由来する「ADVENT」とも呼ばれ、これが「アドベンチャーゲーム」というジャンル名の由来となる。その後、同様のシステムと世界観を持ったゲームとして『Dungeon』が開発された(同時期に同名で複数開発されている。詳細は『ダンジョン』および『ゾーク』の記事を参照)。
これら2つの作品は、画面に表示されるメッセージを頼りに、簡単な英語でコマンドを打ち込むもので、画像を伴わず文字だけで進行する。このような形式は、後にテキストアドベンチャーと呼ばれることになる。また、両作品には、研究機関に属する研究者や大学院生が、その余暇に業務用コンピュータで開発したところにも特徴がある。当時、コンピュータに触れることは一部の人間の特権であり、それを自由に使えゲームさえもできる、というような立場にある人間は極めて限られていたためである。
米国でApple Computerやコモドールなどの家庭向けコンピュータ、いわゆるパソコンが発売されると、上記『アドベンチャー』『Dungeon』と同様のゲームが遊ばれるようになった。『アドベンチャー』には1980〜81年にマイクロソフトが出したものがある。『Dungeon』の名で開発されたゲームのひとつが『ゾーク』とタイトルを改め商品化され、Apple II上で広くプレイされた。アドベンチャーゲーム市場が認知されると、企業が商品としてテキストアドベンチャーを開発するようになった。当時の主要メーカーとしてインフォコムが挙げられる。インフォコムのアドベンチャーゲームのパッケージには、ゲーム中に出てくるアイテムの実物(レシートの切れ端、マッチ、名刺、雑誌など)が同封されており、文字だけのゲーム世界に彩りを添える工夫がなされていた。
アドベンチャーゲームは、リアルタイム処理など高度なプログラミングを要するアクションゲームに比べて開発が容易であり、限られたハードウェアでもアイディア勝負に持ち込みやすい市場であった。初期のコンピュータゲーム市場でアドベンチャーが受け入れられ、数多くの製品がリリースされたのにはそうした事情もあった。ただし、プレイヤーが入力したコマンドを適切に処理するには相応の技術が必要であった。前述のインフォコム製品では、(当時としては)かなり高度な文法解析ルーチンが実装されており、「look mailbox」のように前置詞を省いた表現(いわゆるアドベンチャー英語)は受け付けてくれなかった。前置詞は実際にゲーム内容に関係しており、例えば「look at mailbox」では郵便受けの外観を、「look inside mailbox」では郵便受けの中味を表示するようになっていた。
このようなテキストアドベンチャーゲームは、日本ではほとんど受け入れられなかった。『表参道アドベンチャー』(アスキー)、『暗闇の視点 バニーガール殺人事件』(ハドソン)などいくつかの作品がリリースされたが、パソコン雑誌の編集者が余暇に作ったものが多く、米国のように企業が組織立って開発した例はほとんどない。理由として、この時期の日本のコンピュータにおける日本語処理の問題が挙げられる。当時の家庭用パソコンでは、画面解像度の問題から漢字表示が困難であり、自然な日本語表現が不可能であった。また、日本国外のテキストアドベンチャー作品は、難解な文学的表現や古英語を用いている場合が多かった。
逆にアメリカでは、ゾークをはじめとするインフォコムのテキストアドベンチャーゲームはZ-machineと呼ばれる仮想マシンで開発されていたため、インフォコムが活動を停止した1989年以降も、最新の環境で動作するZ-machineのエミュレータがあればプレイすることができる。さらに、Z-machine用のソフトの開発ツール等もユーザーによって独自に整備されたため、21世紀になっても新作が作り続けられている。Z-machineは日本語の表記に必要な2バイト文字の取り扱いに大きな制限があるため日本語へのローカライズは難しく、このムーブメントは日本ではほとんど知られていない。
前節で述べたような、文字だけのゲームからの発展として、ひとつには『ローグ』のような文字による擬似グラフィックスの利用やコンピュータRPGへといった分化があった。一方、Apple IIなどはこういったゲームでの利用に適した、テキストとグラフィックスを同時表示するモードを備えており、それを利用したゲームが開発された。米国では『ミステリーハウス』を皮切りにグラフィックスを伴ったゲームが開発された。ミステリーハウスの開発者は、シエラオンラインを興し、『ウィザード&プリンセス(英語版)』や『タイムゾーン』などの作品を次々に発表した。ペンギンソフトウェア(英語版)の『トランシルバニア (ゲーム)(英語版)』もこの時期を代表する作品として挙げられる。これら最初期のグラフィックス表示つきアドベンチャーは、Apple IIを主要ハードとしていた。ただし、米国ではテキストアドベンチャーも根強い人気を持っており、グラフィックアドベンチャーとテキストアドベンチャーはしばらく共存する状態が続いた。
こうしたグラフィックス表示つきのアドベンチャーは、日本国内でも数多くの作品が発表された。この時期の代表的作品には、『ミステリーハウス』(マイクロキャビン)、『スターアーサー伝説』三部作(T&E SOFT)、『デゼニランド』『サラダの国のトマト姫』(ハドソン)、『ポートピア連続殺人事件』(エニックス)などが挙げられる。これら国産アドベンチャーゲームも、米国のテキストアドベンチャーゲーム同様、基本的にキーボードから単語をコマンドとして直接入力する方式であった。ストーリーの大半は、一般的な単語や事前にヒントのある単語で進めることが出来たが、ラスト近くなど特定の場面では、事前のヒントが全くないまま、思いも寄らない単語の入力が必要な場合もあった。これはゲームの難度を極度に高める結果となり、プレイヤーは唯一の回答であるコマンドを探して頭を悩ませ、極端な場合には辞書を片手に日常的な英単語を全て打ち込んでみるといった攻略法すら行われた。メーカー側から切手などと交換に「ヒント集」を送付するなど一定の救済策はあったものの、当時のアドベンチャーゲームは「1本のソフトを終えるのに、1年くらいかかる」ものであり、「単なることば探し」と見なされる傾向も強かった。コンピュータ自体の普及率の低さもあり、当時のアドベンチャーゲームは、概して高度にマニアックなゲームジャンルであった。
キーボードから単語をコマンドとして直接入力する「コマンド入力方式」を採用しているアドベンチャーの後期の作品の中には、「単なることば探し」になってしまうことを避けるためにファンクションキーによく使う単語を事前に用意しておき、プレイヤーの負担を緩和しているものが出てきた。そして、後述の「コマンド選択方式」へと発展することになる。
日本市場におけるグラフィックス付きアドベンチャーでは、後期の作品の一部にアニメーションの技法が取り入れられた。これには、画面上の登場人物が振り向いたり、ロボットが変形するなどのフルアニメーションに近いものから、登場人物の目が時々瞬きするといった限定的なものまで、様々な形態があった。
アメリカでは、大作『タイムゾーン』に見られるように、コマンド入力方式のゲームは成熟を迎えた。コマンド入力方式の次に開発されたものは、『King's Quest(英語版)』を始めとする、二次元画面内でキャラクタを移動させつつゲームを進行させる方式であった。この方式は、アメリカでは複数のソフトが開発され、『ミシシッピー殺人事件』など一部が日本にも紹介されたが、日本では『ハイドライドシリーズ』に代表されるアクションRPGが独自の発展を遂げており、キャラクター移動方式はこれに準じた形で発展していった。なお、『King's Quest』のように三人称視点でキャラクターの移動先を間接的に指示して操作するタイプの国産アドベンチャーゲームは、『東京トワイライト・バスターズ』『クロックタワー』シリーズなど、少数ながら制作されている。
日本ではコマンド入力方式の限界が、キャラクター移動方式とは異なるアプローチからも打ち破られた。それは、コマンドを単語として入力する代わりに、事前に用意されたコマンドを画面に提示してユーザーに選択させるもので、コマンド選択方式と呼ばれる。これを最初に採用したソフトは『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』である。コマンド選択方式は広く受け入れられ、コマンド入力方式を瞬く間に駆逐していった。また、コマンド選択方式では、キーボードを持たないコンシューマー機への移植も容易となる。『ポートピア連続殺人事件』はコマンド選択方式へと作り直され、ファミリーコンピュータにも移植された(1985年)。これは初の家庭用ゲーム機用アドベンチャーゲームである。
しかし、コマンド選択方式はその性質上、ごく限られたコマンド選択の組み合わせしかユーザーに提示できなかった。そのため、どんなに凝ったシナリオを作製しても、ごく短時間でユーザーが攻略を終えてしまう別の問題を抱え込むこととなった。すなわち、言葉探しによる時間稼ぎが通用しなくなったのである。
一方で、日本においてはアクションRPGを含め、コンピュータRPG全体がストーリーを色濃くする方向へと発展していた。そして、RPGはコマンド選択方式アドベンチャーのプレイ時間の問題を、キャラクターの移動や経験値稼ぎによって自然な形で解消することが可能であった。その結果、徐々にコマンド選択方式も用いられなくなり、アドベンチャーゲームはRPGに吸収される形となった。こうした作品の代表には『イース』『ドラゴンクエスト』が挙げられる。これらの作品では、キャラクターの成長を楽しむといったRPGの特性と、ストーリー進行を楽しむアドベンチャーゲームの特性がうまく融合されている。
アーケードにおいて動画をゲーム化したレーザーディスクゲームが登場し、インタラクティブムービーの時代が幕を開けた。この時代、『ドラゴンズレア』(1983年)、『忍者ハヤテ』(1984年)、『タイムギャル』(1985年)などの全編アニメーションによるアクションアドベンチャーゲームが登場し、これらのゲームは家庭用にも移植された(「QTE」も参照)。
その後も、家庭用において『ゆみみみっくす』(1993年)、『だいなあいらん』(1997年)、『やるドラ』シリーズ(1998年、2000年)などの全編アニメーションによるアドベンチャーゲームが登場したものの、主流には至れず衰退した。2010年代になり、アニメシリーズの映像を流用する形でコストなどの問題を解決し、『STEINS;GATE ELITE』(2018年)など、全編アニメーションアドベンチャーゲームが復活している。
また、実写を盛り込んだアドベンチャーゲームも登場し、最近でも『テスラ・エフェクト(英語版)』(2014年)、『デスカムトゥルー』(2020年)、『春ゆきてレトロチカ』(2022年)などが作られている。しかしながら、3DCGが写実的になるにつれ実写ベースのものは減っており、『デトロイト ビカム ヒューマン』(2018年)のようなリアルタイムベースのものが増えつつある。
アメリカでは、1984年にMacintoshでリリースされた『Enchanted Scepters(英語版)』を始めとして、マウスなどのポインティングデバイスで画面をクリックすることによりゲームを進めるポイント・アンド・クリックアドベンチャーが広まった。『Enchanted Scepters』はマウスを使って進めるとはいえ、テキストと静止画による画面表示とあらかじめ用意されたコマンドを選択して進める古いスタイルの名残を留めていたが、1985年にICOM Simulations(英語版)がリリースした『ディジャブ』に始まる『MacVenture(英語版)』シリーズは、画面上で対象物をドラッグ操作するなど、より完全なポイント・アンド・クリックアドベンチャーとして商業的成功を収めた。日本でも『ポートピア連続殺人事件』(1985年)、『水晶の龍』(1986年)などでファミコンのコントローラを使ったポイント・アンド・クリックシステムが部分的に採用された。1987年にはルーカスアーツが『マニアックマンション』をリリースし、そこで採用されたゲームエンジン「SCUMM」を使用して開発された一連のタイトルでヒットを飛ばした。後述の『同級生』『MYST』といったタイトルもポイント・アンド・クリックシステムが有効的に使用されている。
国内でのアドベンチャーゲームは、RPGに淘汰もしくは吸収されたかのように見受けられた。しかし、1992年にサウンドノベルを標榜した『弟切草』が開発された。同ソフトでは、エンディングに辿り着くことよりも、シナリオ分岐それ自体を楽しむことに重点が置かれた。特にプレイ回数やエンディング到達回数に応じて選択肢が増えるゲームシステムは画期的なアイディアであった。これはアドベンチャーゲームの再定義とも言えるもので、以降のアドベンチャーゲーム作品に大きな影響を与えた。続いて『かまいたちの夜』『SIREN』などが開発されている。
黎明期のアダルトゲームは、『天使たちの午後』(1985年)に見られるように、アドベンチャーゲームとして作られるケースが多かった。その後、アドベンチャーゲームの衰退に引きずられる形で、このような作品はあまり製作されなくなっていった。しかし、アドベンチャーゲームの手法を用いた『同級生』(1992年)、『同級生2』が10万本のヒット作品となり、再びアドベンチャーゲームの体裁を取る作品が急増した。『同級生』に始まる一連のゲームは、謎解きのようなゲームとしての面白味よりも、シナリオ自体で魅せる傾向が強い。特に2作目の『同級生2』がヒロイン達における後の泣きゲーに通じる人間ドラマを展開したことは、この流れを決定付けた。こうした方向性は、先述のサウンドノベルにも波及していき、『雫』に続いて『To Heart』が開発された。これらのソフトはビジュアルノベルとも呼ばれた。また、複数の視点から1つのシナリオを見る『EVE burst error』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』は先進的なゲームシステムを開発し、アドベンチャーゲームに新機軸を打ち出した。
独自のシステムを組み込み発展する一方で、各場面にプレイヤー側を適合させて簡易的な操作のみを行う選択肢方式の登場により、システムそのものの簡略化を図る流れも生まれた。この場合、「見る」「聞く」といった主体的な個別コマンドを駆使して場に変化を与えるのではなく、「Aさんに○○のことを聞く」「Bさんにアイテムを渡す」「すぐに駅へ向かう」というように、場に応じて予め決められた行動パターンをいくつか提示することで、本来複数のコマンドを必要とした行動内容をダイレクトに選ばせるというシンプルなスタイルを確立した。これら選択肢の選び方によってイベントやエンディングが変化する分岐イベント(後のシナリオ分岐)やマルチエンドへと発展した。
こうしたアダルトゲームの中には、コンシューマー機への移植にあたってアダルト性を廃し、(アダルトではない)一般的な意味でのサウンドノベル、もしくはアドベンチャーゲームへと展開していくものも見られる。
アメリカでは、『アローン・イン・ザ・ダーク』『MYST』など3DCGを用いたゲームが開発された。特に『MYST』は大ヒットし、数多くの続編が開発されてシリーズ化された。『MYST』は、アドベンチャーゲームを大人中心のメインストリーム市場に初めて紹介した作品とも言われる。他にも、アメリカのこの時期の作品はストーリーではなくパズル的な要素が強く、グラフィックスの美しさや世界観を楽しませるものが多い。日本のゲームでは『サイレントヒル』がこの系統に属する(ただし、『サイレントヒル』はストーリーの比重もかなり高めである)が、ゲームの方向性のせいもあってか和製アドベンチャーゲームであるにもかかわらず、日本国内よりも国外で評価された。日本のものでは他に『エコーナイト』がある。
伝統的な形式のアドベンチャーゲームは、1980年代前半のマイコンブームとほぼ同時期に黄金期を迎えた。それ以降、コンピュータゲームの主役にはなっていない。しかし、携帯電話上でいわゆる『堀井ミステリー三部作』(『ポートピア連続殺人事件』『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』)がプレイできるようになるなど、過去の名作をリメイクする動きも見受けられる。旧来のアドベンチャーゲームに近い新作も、散発的ではあるものの携帯電話市場で開発されており、固定ファン層の存在もうかがわせる。コンシューマー機においては和製ホラー映画的な作品や、携帯ゲーム機でも「法廷バトル」と銘打った『逆転裁判』シリーズなどが製作され、後者は近年のアドベンチャーゲームとしては非常に好調なセールスを記録している。
上記以外で現在主流なものとしては、
アドベンチャーは、本来は冒険や探検を意味する単語であるが、日本で単にアドベンチャーゲームと言えば冒険ゲームではなく、ほとんどが「立ち絵+メッセージウィンドウ」でストーリーを進める会話主体のスタイルを指す。これらの多くは、かつてのように謎解きや言葉探しを主眼としたものではなく、物語の表現形式の1つとして作成されている。そのような作品では、プレイヤーは画面に表示されるメッセージを読むことでストーリーを楽しむように想定されており、コマンド選択はそのままシナリオ分岐と直結している。
さらには『ひぐらしのなく頃に』のようにコマンド選択そのものを廃し、ゲーム性をプレイヤーによる事件の推理とネット上での推理に関する情報交換に求めた作品も現れている。
こうした現状に対し、往年のプレイヤーは否定的な考えを持つ傾向が強い。だが、こうした作品の人気は高く、先述の『ひぐらしのなく頃に』や『かまいたちの夜』等はシリーズ化され、漫画やアニメ、テレビドラマなどへの展開も活発に行われている。ビジュアルノベルに属するアダルトゲームは『Fate/stay night』や『ToHeart2』などの10万本を越えるヒット(PC NEWSランキング調べ)によって相変わらず隆盛である。コンシューマ機移植による非アダルト化やアニメその他への展開も同様に進んでいる(先述の『ToHeart2』はコンシューマー機からの逆移植・アダルトゲーム化が行われた)。
対照的に、(主に据え置き型の)コンシューマー機および日本国外(主にアメリカ)のPCゲームにおいては、開発費用および技術量の決定的な差もあって、3DCGを利用したアクションゲーム、もしくはFPSやTPSの外観・操作システムを用いた、シミュレーターとしての側面と路線を共にするアドベンチャーゲームが多い。逆に、現在の3DアクションゲームやFPS・TPSもアドベンチャーの要素が含まれているものが多く、両者の境界線は現在では曖昧になって来ている。日本国外では、実写映画や欧米の漫画を意識した重厚な外観や世界観の作品が大半で、日本のビジュアルノベルやRPGに多いアニメ調のキャラクター・軽めのファンタジー調の設定などが用いられることはまれである。
ゲームクリエイターのイシイジロウが提唱する方法でアドベンチャーゲームを分類して、時代が古い作品から順番に並べたものである。 | [
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"text": "テキストまたはグラフィックス(あるいはその両方)によって現在プレイヤーの置かれている状況が提示され、それに対しプレイヤーが行動を入力すると行動の結果が提示されるので、さらにその状況に対する行動を入力......という操作を繰り返して進めていく、コンピュータとプレイヤーとの対話形式で構成される。プレイングに反射神経を必要とせず、提示される様々な情報から的確な行動を推理・選択することが求められる、思考型のゲームである。",
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"text": "コンピュータゲームとしてのアドベンチャーゲームの始祖は『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー』で、1975年頃から米国の研究機関ネットワーク上で広まった。これは洞窟探検を題材に作成したゲームで、最初に想定されていたプレイヤーは開発者の娘であった。本作は単に「Adventure」、または端末に入力するコマンド文字列に由来する「ADVENT」とも呼ばれ、これが「アドベンチャーゲーム」というジャンル名の由来となる。その後、同様のシステムと世界観を持ったゲームとして『Dungeon』が開発された(同時期に同名で複数開発されている。詳細は『ダンジョン』および『ゾーク』の記事を参照)。",
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"text": "これら2つの作品は、画面に表示されるメッセージを頼りに、簡単な英語でコマンドを打ち込むもので、画像を伴わず文字だけで進行する。このような形式は、後にテキストアドベンチャーと呼ばれることになる。また、両作品には、研究機関に属する研究者や大学院生が、その余暇に業務用コンピュータで開発したところにも特徴がある。当時、コンピュータに触れることは一部の人間の特権であり、それを自由に使えゲームさえもできる、というような立場にある人間は極めて限られていたためである。",
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"text": "米国でApple Computerやコモドールなどの家庭向けコンピュータ、いわゆるパソコンが発売されると、上記『アドベンチャー』『Dungeon』と同様のゲームが遊ばれるようになった。『アドベンチャー』には1980〜81年にマイクロソフトが出したものがある。『Dungeon』の名で開発されたゲームのひとつが『ゾーク』とタイトルを改め商品化され、Apple II上で広くプレイされた。アドベンチャーゲーム市場が認知されると、企業が商品としてテキストアドベンチャーを開発するようになった。当時の主要メーカーとしてインフォコムが挙げられる。インフォコムのアドベンチャーゲームのパッケージには、ゲーム中に出てくるアイテムの実物(レシートの切れ端、マッチ、名刺、雑誌など)が同封されており、文字だけのゲーム世界に彩りを添える工夫がなされていた。",
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"text": "アドベンチャーゲームは、リアルタイム処理など高度なプログラミングを要するアクションゲームに比べて開発が容易であり、限られたハードウェアでもアイディア勝負に持ち込みやすい市場であった。初期のコンピュータゲーム市場でアドベンチャーが受け入れられ、数多くの製品がリリースされたのにはそうした事情もあった。ただし、プレイヤーが入力したコマンドを適切に処理するには相応の技術が必要であった。前述のインフォコム製品では、(当時としては)かなり高度な文法解析ルーチンが実装されており、「look mailbox」のように前置詞を省いた表現(いわゆるアドベンチャー英語)は受け付けてくれなかった。前置詞は実際にゲーム内容に関係しており、例えば「look at mailbox」では郵便受けの外観を、「look inside mailbox」では郵便受けの中味を表示するようになっていた。",
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"text": "このようなテキストアドベンチャーゲームは、日本ではほとんど受け入れられなかった。『表参道アドベンチャー』(アスキー)、『暗闇の視点 バニーガール殺人事件』(ハドソン)などいくつかの作品がリリースされたが、パソコン雑誌の編集者が余暇に作ったものが多く、米国のように企業が組織立って開発した例はほとんどない。理由として、この時期の日本のコンピュータにおける日本語処理の問題が挙げられる。当時の家庭用パソコンでは、画面解像度の問題から漢字表示が困難であり、自然な日本語表現が不可能であった。また、日本国外のテキストアドベンチャー作品は、難解な文学的表現や古英語を用いている場合が多かった。",
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"text": "逆にアメリカでは、ゾークをはじめとするインフォコムのテキストアドベンチャーゲームはZ-machineと呼ばれる仮想マシンで開発されていたため、インフォコムが活動を停止した1989年以降も、最新の環境で動作するZ-machineのエミュレータがあればプレイすることができる。さらに、Z-machine用のソフトの開発ツール等もユーザーによって独自に整備されたため、21世紀になっても新作が作り続けられている。Z-machineは日本語の表記に必要な2バイト文字の取り扱いに大きな制限があるため日本語へのローカライズは難しく、このムーブメントは日本ではほとんど知られていない。",
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"text": "前節で述べたような、文字だけのゲームからの発展として、ひとつには『ローグ』のような文字による擬似グラフィックスの利用やコンピュータRPGへといった分化があった。一方、Apple IIなどはこういったゲームでの利用に適した、テキストとグラフィックスを同時表示するモードを備えており、それを利用したゲームが開発された。米国では『ミステリーハウス』を皮切りにグラフィックスを伴ったゲームが開発された。ミステリーハウスの開発者は、シエラオンラインを興し、『ウィザード&プリンセス(英語版)』や『タイムゾーン』などの作品を次々に発表した。ペンギンソフトウェア(英語版)の『トランシルバニア (ゲーム)(英語版)』もこの時期を代表する作品として挙げられる。これら最初期のグラフィックス表示つきアドベンチャーは、Apple IIを主要ハードとしていた。ただし、米国ではテキストアドベンチャーも根強い人気を持っており、グラフィックアドベンチャーとテキストアドベンチャーはしばらく共存する状態が続いた。",
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"text": "こうしたグラフィックス表示つきのアドベンチャーは、日本国内でも数多くの作品が発表された。この時期の代表的作品には、『ミステリーハウス』(マイクロキャビン)、『スターアーサー伝説』三部作(T&E SOFT)、『デゼニランド』『サラダの国のトマト姫』(ハドソン)、『ポートピア連続殺人事件』(エニックス)などが挙げられる。これら国産アドベンチャーゲームも、米国のテキストアドベンチャーゲーム同様、基本的にキーボードから単語をコマンドとして直接入力する方式であった。ストーリーの大半は、一般的な単語や事前にヒントのある単語で進めることが出来たが、ラスト近くなど特定の場面では、事前のヒントが全くないまま、思いも寄らない単語の入力が必要な場合もあった。これはゲームの難度を極度に高める結果となり、プレイヤーは唯一の回答であるコマンドを探して頭を悩ませ、極端な場合には辞書を片手に日常的な英単語を全て打ち込んでみるといった攻略法すら行われた。メーカー側から切手などと交換に「ヒント集」を送付するなど一定の救済策はあったものの、当時のアドベンチャーゲームは「1本のソフトを終えるのに、1年くらいかかる」ものであり、「単なることば探し」と見なされる傾向も強かった。コンピュータ自体の普及率の低さもあり、当時のアドベンチャーゲームは、概して高度にマニアックなゲームジャンルであった。",
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"text": "キーボードから単語をコマンドとして直接入力する「コマンド入力方式」を採用しているアドベンチャーの後期の作品の中には、「単なることば探し」になってしまうことを避けるためにファンクションキーによく使う単語を事前に用意しておき、プレイヤーの負担を緩和しているものが出てきた。そして、後述の「コマンド選択方式」へと発展することになる。",
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"text": "日本市場におけるグラフィックス付きアドベンチャーでは、後期の作品の一部にアニメーションの技法が取り入れられた。これには、画面上の登場人物が振り向いたり、ロボットが変形するなどのフルアニメーションに近いものから、登場人物の目が時々瞬きするといった限定的なものまで、様々な形態があった。",
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"text": "アメリカでは、大作『タイムゾーン』に見られるように、コマンド入力方式のゲームは成熟を迎えた。コマンド入力方式の次に開発されたものは、『King's Quest(英語版)』を始めとする、二次元画面内でキャラクタを移動させつつゲームを進行させる方式であった。この方式は、アメリカでは複数のソフトが開発され、『ミシシッピー殺人事件』など一部が日本にも紹介されたが、日本では『ハイドライドシリーズ』に代表されるアクションRPGが独自の発展を遂げており、キャラクター移動方式はこれに準じた形で発展していった。なお、『King's Quest』のように三人称視点でキャラクターの移動先を間接的に指示して操作するタイプの国産アドベンチャーゲームは、『東京トワイライト・バスターズ』『クロックタワー』シリーズなど、少数ながら制作されている。",
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"text": "日本ではコマンド入力方式の限界が、キャラクター移動方式とは異なるアプローチからも打ち破られた。それは、コマンドを単語として入力する代わりに、事前に用意されたコマンドを画面に提示してユーザーに選択させるもので、コマンド選択方式と呼ばれる。これを最初に採用したソフトは『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』である。コマンド選択方式は広く受け入れられ、コマンド入力方式を瞬く間に駆逐していった。また、コマンド選択方式では、キーボードを持たないコンシューマー機への移植も容易となる。『ポートピア連続殺人事件』はコマンド選択方式へと作り直され、ファミリーコンピュータにも移植された(1985年)。これは初の家庭用ゲーム機用アドベンチャーゲームである。",
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"text": "しかし、コマンド選択方式はその性質上、ごく限られたコマンド選択の組み合わせしかユーザーに提示できなかった。そのため、どんなに凝ったシナリオを作製しても、ごく短時間でユーザーが攻略を終えてしまう別の問題を抱え込むこととなった。すなわち、言葉探しによる時間稼ぎが通用しなくなったのである。",
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"text": "一方で、日本においてはアクションRPGを含め、コンピュータRPG全体がストーリーを色濃くする方向へと発展していた。そして、RPGはコマンド選択方式アドベンチャーのプレイ時間の問題を、キャラクターの移動や経験値稼ぎによって自然な形で解消することが可能であった。その結果、徐々にコマンド選択方式も用いられなくなり、アドベンチャーゲームはRPGに吸収される形となった。こうした作品の代表には『イース』『ドラゴンクエスト』が挙げられる。これらの作品では、キャラクターの成長を楽しむといったRPGの特性と、ストーリー進行を楽しむアドベンチャーゲームの特性がうまく融合されている。",
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"text": "アーケードにおいて動画をゲーム化したレーザーディスクゲームが登場し、インタラクティブムービーの時代が幕を開けた。この時代、『ドラゴンズレア』(1983年)、『忍者ハヤテ』(1984年)、『タイムギャル』(1985年)などの全編アニメーションによるアクションアドベンチャーゲームが登場し、これらのゲームは家庭用にも移植された(「QTE」も参照)。",
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"text": "その後も、家庭用において『ゆみみみっくす』(1993年)、『だいなあいらん』(1997年)、『やるドラ』シリーズ(1998年、2000年)などの全編アニメーションによるアドベンチャーゲームが登場したものの、主流には至れず衰退した。2010年代になり、アニメシリーズの映像を流用する形でコストなどの問題を解決し、『STEINS;GATE ELITE』(2018年)など、全編アニメーションアドベンチャーゲームが復活している。",
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"text": "また、実写を盛り込んだアドベンチャーゲームも登場し、最近でも『テスラ・エフェクト(英語版)』(2014年)、『デスカムトゥルー』(2020年)、『春ゆきてレトロチカ』(2022年)などが作られている。しかしながら、3DCGが写実的になるにつれ実写ベースのものは減っており、『デトロイト ビカム ヒューマン』(2018年)のようなリアルタイムベースのものが増えつつある。",
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"text": "アメリカでは、1984年にMacintoshでリリースされた『Enchanted Scepters(英語版)』を始めとして、マウスなどのポインティングデバイスで画面をクリックすることによりゲームを進めるポイント・アンド・クリックアドベンチャーが広まった。『Enchanted Scepters』はマウスを使って進めるとはいえ、テキストと静止画による画面表示とあらかじめ用意されたコマンドを選択して進める古いスタイルの名残を留めていたが、1985年にICOM Simulations(英語版)がリリースした『ディジャブ』に始まる『MacVenture(英語版)』シリーズは、画面上で対象物をドラッグ操作するなど、より完全なポイント・アンド・クリックアドベンチャーとして商業的成功を収めた。日本でも『ポートピア連続殺人事件』(1985年)、『水晶の龍』(1986年)などでファミコンのコントローラを使ったポイント・アンド・クリックシステムが部分的に採用された。1987年にはルーカスアーツが『マニアックマンション』をリリースし、そこで採用されたゲームエンジン「SCUMM」を使用して開発された一連のタイトルでヒットを飛ばした。後述の『同級生』『MYST』といったタイトルもポイント・アンド・クリックシステムが有効的に使用されている。",
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"text": "国内でのアドベンチャーゲームは、RPGに淘汰もしくは吸収されたかのように見受けられた。しかし、1992年にサウンドノベルを標榜した『弟切草』が開発された。同ソフトでは、エンディングに辿り着くことよりも、シナリオ分岐それ自体を楽しむことに重点が置かれた。特にプレイ回数やエンディング到達回数に応じて選択肢が増えるゲームシステムは画期的なアイディアであった。これはアドベンチャーゲームの再定義とも言えるもので、以降のアドベンチャーゲーム作品に大きな影響を与えた。続いて『かまいたちの夜』『SIREN』などが開発されている。",
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"text": "黎明期のアダルトゲームは、『天使たちの午後』(1985年)に見られるように、アドベンチャーゲームとして作られるケースが多かった。その後、アドベンチャーゲームの衰退に引きずられる形で、このような作品はあまり製作されなくなっていった。しかし、アドベンチャーゲームの手法を用いた『同級生』(1992年)、『同級生2』が10万本のヒット作品となり、再びアドベンチャーゲームの体裁を取る作品が急増した。『同級生』に始まる一連のゲームは、謎解きのようなゲームとしての面白味よりも、シナリオ自体で魅せる傾向が強い。特に2作目の『同級生2』がヒロイン達における後の泣きゲーに通じる人間ドラマを展開したことは、この流れを決定付けた。こうした方向性は、先述のサウンドノベルにも波及していき、『雫』に続いて『To Heart』が開発された。これらのソフトはビジュアルノベルとも呼ばれた。また、複数の視点から1つのシナリオを見る『EVE burst error』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』は先進的なゲームシステムを開発し、アドベンチャーゲームに新機軸を打ち出した。",
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"text": "独自のシステムを組み込み発展する一方で、各場面にプレイヤー側を適合させて簡易的な操作のみを行う選択肢方式の登場により、システムそのものの簡略化を図る流れも生まれた。この場合、「見る」「聞く」といった主体的な個別コマンドを駆使して場に変化を与えるのではなく、「Aさんに○○のことを聞く」「Bさんにアイテムを渡す」「すぐに駅へ向かう」というように、場に応じて予め決められた行動パターンをいくつか提示することで、本来複数のコマンドを必要とした行動内容をダイレクトに選ばせるというシンプルなスタイルを確立した。これら選択肢の選び方によってイベントやエンディングが変化する分岐イベント(後のシナリオ分岐)やマルチエンドへと発展した。",
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"text": "こうしたアダルトゲームの中には、コンシューマー機への移植にあたってアダルト性を廃し、(アダルトではない)一般的な意味でのサウンドノベル、もしくはアドベンチャーゲームへと展開していくものも見られる。",
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"text": "アメリカでは、『アローン・イン・ザ・ダーク』『MYST』など3DCGを用いたゲームが開発された。特に『MYST』は大ヒットし、数多くの続編が開発されてシリーズ化された。『MYST』は、アドベンチャーゲームを大人中心のメインストリーム市場に初めて紹介した作品とも言われる。他にも、アメリカのこの時期の作品はストーリーではなくパズル的な要素が強く、グラフィックスの美しさや世界観を楽しませるものが多い。日本のゲームでは『サイレントヒル』がこの系統に属する(ただし、『サイレントヒル』はストーリーの比重もかなり高めである)が、ゲームの方向性のせいもあってか和製アドベンチャーゲームであるにもかかわらず、日本国内よりも国外で評価された。日本のものでは他に『エコーナイト』がある。",
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"text": "伝統的な形式のアドベンチャーゲームは、1980年代前半のマイコンブームとほぼ同時期に黄金期を迎えた。それ以降、コンピュータゲームの主役にはなっていない。しかし、携帯電話上でいわゆる『堀井ミステリー三部作』(『ポートピア連続殺人事件』『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』『軽井沢誘拐案内』)がプレイできるようになるなど、過去の名作をリメイクする動きも見受けられる。旧来のアドベンチャーゲームに近い新作も、散発的ではあるものの携帯電話市場で開発されており、固定ファン層の存在もうかがわせる。コンシューマー機においては和製ホラー映画的な作品や、携帯ゲーム機でも「法廷バトル」と銘打った『逆転裁判』シリーズなどが製作され、後者は近年のアドベンチャーゲームとしては非常に好調なセールスを記録している。",
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"text": "上記以外で現在主流なものとしては、",
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"text": "アドベンチャーは、本来は冒険や探検を意味する単語であるが、日本で単にアドベンチャーゲームと言えば冒険ゲームではなく、ほとんどが「立ち絵+メッセージウィンドウ」でストーリーを進める会話主体のスタイルを指す。これらの多くは、かつてのように謎解きや言葉探しを主眼としたものではなく、物語の表現形式の1つとして作成されている。そのような作品では、プレイヤーは画面に表示されるメッセージを読むことでストーリーを楽しむように想定されており、コマンド選択はそのままシナリオ分岐と直結している。",
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"text": "さらには『ひぐらしのなく頃に』のようにコマンド選択そのものを廃し、ゲーム性をプレイヤーによる事件の推理とネット上での推理に関する情報交換に求めた作品も現れている。",
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"text": "こうした現状に対し、往年のプレイヤーは否定的な考えを持つ傾向が強い。だが、こうした作品の人気は高く、先述の『ひぐらしのなく頃に』や『かまいたちの夜』等はシリーズ化され、漫画やアニメ、テレビドラマなどへの展開も活発に行われている。ビジュアルノベルに属するアダルトゲームは『Fate/stay night』や『ToHeart2』などの10万本を越えるヒット(PC NEWSランキング調べ)によって相変わらず隆盛である。コンシューマ機移植による非アダルト化やアニメその他への展開も同様に進んでいる(先述の『ToHeart2』はコンシューマー機からの逆移植・アダルトゲーム化が行われた)。",
"title": "歴史"
},
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"text": "対照的に、(主に据え置き型の)コンシューマー機および日本国外(主にアメリカ)のPCゲームにおいては、開発費用および技術量の決定的な差もあって、3DCGを利用したアクションゲーム、もしくはFPSやTPSの外観・操作システムを用いた、シミュレーターとしての側面と路線を共にするアドベンチャーゲームが多い。逆に、現在の3DアクションゲームやFPS・TPSもアドベンチャーの要素が含まれているものが多く、両者の境界線は現在では曖昧になって来ている。日本国外では、実写映画や欧米の漫画を意識した重厚な外観や世界観の作品が大半で、日本のビジュアルノベルやRPGに多いアニメ調のキャラクター・軽めのファンタジー調の設定などが用いられることはまれである。",
"title": "歴史"
},
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"text": "ゲームクリエイターのイシイジロウが提唱する方法でアドベンチャーゲームを分類して、時代が古い作品から順番に並べたものである。",
"title": "代表的なアドベンチャーゲーム"
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] | アドベンチャーゲームは、コンピュータゲームのジャンルの一つ。 | {{Pathnav|コンピュータゲーム|コンピュータゲームのジャンル|frame=1}}
{{出典の明記|date=2011年9月}}
<!--このファイルは許諾されています(ファイルページ参照)-->[[File:The Whispered World screenshot 006.jpg|thumb|[[ポイント・アンド・クリック]]アドベンチャーゲーム ''[[:en:The Whispered World|The Whispered World]]'' (2009)]]
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{{ウィキプロジェクトリンク|コンピュータゲーム|[[ファイル:Gamepad.svg|36px]]|break=yes}}
{{ウィキポータルリンク|コンピュータゲーム|[[ファイル:Gamepad.svg|36px]]|break=yes}}
'''アドベンチャーゲーム'''(Adventure game、略記:ADVまたはAVG)は、[[コンピュータゲームのジャンル]]の一つ。
== 概要 ==
テキストまたはグラフィックス(あるいはその両方)によって現在プレイヤーの置かれている状況が提示され、それに対しプレイヤーが行動を入力すると行動の結果が提示されるので、さらにその状況に対する行動を入力……という操作を繰り返して進めていく、コンピュータとプレイヤーとの対話形式で構成される<ref>{{Cite web|和書|title=デジタル大辞泉「アドベンチャーゲーム」 - Weblio辞書|url=https://www.weblio.jp/content/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0|website=www.weblio.jp|accessdate=2021-06-23}}</ref>。プレイングに反射神経を必要とせず、提示される様々な情報から的確な行動を推理・選択することが求められる、思考型のゲームである<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=アドベンチャーゲームとは (AdVenture Game, AVG): - IT用語辞典バイナリ|url=https://www.sophia-it.com/content/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0|website=www.sophia-it.com|accessdate=2021-06-23}}</ref>。
同じ思考型の[[シミュレーションゲーム]]や[[ロールプレイングゲーム]]などとは「複数の項目からなる主人公の能力等を表す数値([[経験値]]や攻撃力など)」が存在しない点で区別される{{R|:0}}。
== 歴史 ==
=== テキストアドベンチャー ===
コンピュータゲームとしてのアドベンチャーゲームの始祖は『[[コロッサル・ケーブ・アドベンチャー]]』で<ref name=":1">{{Cite journal|last=Jerz|first=Dennis G.|date=2007-09-12|title=Somewhere Nearby is Colossal Cave: Examining Will Crowther's Original Adventure in Code and in Kentucky|url=http://www.digitalhumanities.org/dhq/vol/001/2/000009/000009.html|journal=Digital Humanities Quarterly|volume=001|issue=2|issn=1938-4122}}</ref>、1975年頃から米国の研究機関ネットワーク上で広まった。これは[[洞窟]][[探検]]を題材に作成したゲームで、最初に想定されていたプレイヤーは開発者の娘であった<ref>{{Cite web|title=A history of 'Adventure'|url=https://rickadams.org/adventure/a_history.html|website=rickadams.org|accessdate=2021-06-23}}</ref>。本作は単に「Adventure」、または端末に入力するコマンド文字列に由来する「ADVENT」とも呼ばれ、これが「アドベンチャーゲーム」というジャンル名の由来となる{{R|:1}}。その後、同様のシステムと世界観を持ったゲームとして『Dungeon』が開発された(同時期に同名で複数開発されている。詳細は『[[ダンジョン (コンピュータゲーム)|ダンジョン]]』および『[[ゾーク]]』の記事を参照)。
これら2つの作品は、画面に表示されるメッセージを頼りに、簡単な英語でコマンドを打ち込むもので、画像を伴わず文字だけで進行する。このような形式は、後に[[インタラクティブフィクション|テキストアドベンチャー]]と呼ばれることになる{{要出典|date=2021年6月}}。また、両作品には、研究機関に属する研究者や大学院生が、その余暇に業務用コンピュータで開発したところにも特徴がある。当時、コンピュータに触れることは一部の人間の特権であり、それを自由に使えゲームさえもできる、というような立場にある人間は極めて限られていたためである。
米国で[[Apple|Apple Computer]]や[[コモドール]]などの家庭向けコンピュータ、いわゆる[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]が発売されると、上記『アドベンチャー』『Dungeon』と同様のゲームが遊ばれるようになった。『アドベンチャー』には1980〜81年に[[マイクロソフト]]が出したものがある<ref>{{Cite web|title=IBM Archives: Product fact sheet|url=https://www.ibm.com/ibm/history/exhibits/pc25/pc25_fact.html|website=www.ibm.com|date=2003-01-23|accessdate=2021-06-23|language=en-US}}</ref>。『Dungeon』の名で開発されたゲームのひとつが『[[ゾーク]]』とタイトルを改め商品化され<ref>{{Cite web|title=The History of Zork|url=https://web.archive.org/web/20060427000213/http://www.csd.uwo.ca/Infocom/Articles/NZT/zorkhist.html|website=The New Zork Times|accessdate=2021-06-23|archivedate=2006-04-27|archiveurl=http://infodoc.plover.net/nzt/NZT4.2.pdf}}</ref>、[[Apple II]]上で広くプレイされた。アドベンチャーゲーム市場が認知されると、企業が商品としてテキストアドベンチャーを開発するようになった。当時の主要メーカーとして[[インフォコム (アメリカ合衆国の企業)|インフォコム]]が挙げられる。インフォコムのアドベンチャーゲームのパッケージには、ゲーム中に出てくるアイテムの実物(レシートの切れ端、マッチ、名刺、雑誌など)が同封されており、文字だけのゲーム世界に彩りを添える工夫がなされていた。
アドベンチャーゲームは、[[リアルタイムシステム|リアルタイム処理]]など高度なプログラミングを要する[[アクションゲーム]]に比べて開発が容易であり、限られたハードウェアでもアイディア勝負に持ち込みやすい市場であった。初期のコンピュータゲーム市場でアドベンチャーが受け入れられ、数多くの製品がリリースされたのにはそうした事情もあった。ただし、プレイヤーが入力したコマンドを適切に処理するには相応の技術が必要であった。前述のインフォコム製品では、(当時としては)かなり高度な文法解析[[サブルーチン|ルーチン]]が実装されており、「{{Lang|en|look mailbox}}」のように前置詞を省いた表現(いわゆるアドベンチャー英語)は受け付けてくれなかった。前置詞は実際にゲーム内容に関係しており、例えば「{{Lang|en|look at mailbox}}」では郵便受けの外観を、「{{Lang|en|look inside mailbox}}」では郵便受けの中味を表示するようになっていた。
このようなテキストアドベンチャーゲームは、日本ではほとんど受け入れられなかった。『[[表参道アドベンチャー]]』([[アスキー (企業)|アスキー]])、『[[暗闇の視点 バニーガール殺人事件]]』([[ハドソン]])などいくつかの作品がリリースされたが、[[パソコン雑誌]]の編集者が余暇に作ったものが多く、米国のように企業が組織立って開発した例はほとんどない。理由として、この時期の日本のコンピュータにおける日本語処理の問題が挙げられる。当時の家庭用パソコンでは、画面解像度の問題から漢字表示が困難であり、自然な日本語表現が不可能であった。また、日本国外のテキストアドベンチャー作品は、難解な文学的表現や[[古英語]]を用いている場合が多かった。
逆にアメリカでは、ゾークをはじめとするインフォコムのテキストアドベンチャーゲームは[[Z-machine]]と呼ばれる[[仮想機械|仮想マシン]]で開発されていたため、インフォコムが活動を停止した1989年<ref>{{Cite web|title=CGW Museum - Galleries|url=https://www.cgwmuseum.org/galleries/index.php?year=1991&pub=2&id=88|website=www.cgwmuseum.org|accessdate=2021-06-23|page=10}}</ref>以降も、最新の環境で動作するZ-machineの[[エミュレータ (コンピュータ)|エミュレータ]]があればプレイすることができる。さらに、Z-machine用のソフトの開発ツール等もユーザーによって独自に整備されたため、21世紀になっても新作が作り続けられている。Z-machineは日本語の表記に必要な2[[バイト (情報)|バイト]]文字の取り扱いに大きな制限があるため日本語へのローカライズは難しく、このムーブメントは日本ではほとんど知られていない<ref>{{Cite journal |和書 |title=テキスト・アドベンチャーゲームは死なず 今なお生き続ける『Zork』の系譜 |date=2013-08-10 |publisher=[[マイクロマガジン社]] |journal=[[GAME SIDE|アドベンチャーゲームサイド]] |issue=1 |pages=10-12 |isbn=978-4-89637-436-0}}</ref>。
=== グラフィックアドベンチャーの登場 ===
[[ファイル:Mystery House - Apple II render emulation - 2.png|thumb|right|250px|『ミステリーハウス』<br />初のグラフィックス付きアドベンチャーゲーム。]]
前節で述べたような、文字だけのゲームからの発展として、ひとつには『[[ローグ]]』のような文字による擬似グラフィックスの利用や[[コンピュータRPG]]へといった分化があった。一方、Apple IIなどはこういったゲームでの利用に適した、テキストとグラフィックスを同時表示するモードを備えており、それを利用したゲームが開発された。米国では『[[ミステリーハウス]]』を皮切りにグラフィックスを伴ったゲームが開発された。ミステリーハウスの開発者は、[[シエラエンターテインメント|シエラオンライン]]を興し、『{{仮リンク|ウィザード&プリンセス|en|Wizard and the Princess}}』や『[[タイムゾーン (ゲーム)|タイムゾーン]]』などの作品を次々に発表した。{{仮リンク|ペンギンソフトウェア|en|Penguin Software}}の『{{仮リンク|トランシルバニア (ゲーム)|en|Transylvania (series)}}』もこの時期を代表する作品として挙げられる。これら最初期のグラフィックス表示つきアドベンチャーは、Apple IIを主要ハードとしていた。ただし、米国ではテキストアドベンチャーも根強い人気を持っており、グラフィックアドベンチャーとテキストアドベンチャーはしばらく共存する状態が続いた。
こうしたグラフィックス表示つきのアドベンチャーは、日本国内でも数多くの作品が発表された。この時期の代表的作品には、『ミステリーハウス』([[マイクロキャビン]])、『[[惑星メフィウス|スターアーサー伝説]]』三部作([[T&E SOFT]])、『[[デゼニランド]]』『[[サラダの国のトマト姫]]』(ハドソン)、『[[ポートピア連続殺人事件]]』([[エニックス]])などが挙げられる。これら国産アドベンチャーゲームも、米国のテキストアドベンチャーゲーム同様、基本的にキーボードから単語をコマンドとして直接入力する方式であった。ストーリーの大半は、一般的な単語や事前にヒントのある単語で進めることが出来たが、ラスト近くなど特定の場面では、事前のヒントが全くないまま、思いも寄らない単語の入力が必要な場合もあった。これはゲームの難度を極度に高める結果となり、プレイヤーは唯一の回答であるコマンドを探して頭を悩ませ、極端な場合には辞書を片手に日常的な英単語を全て打ち込んでみるといった攻略法すら行われた。メーカー側から切手などと交換に「ヒント集」を送付するなど一定の救済策はあったものの、当時のアドベンチャーゲームは「1本のソフトを終えるのに、1年くらいかかる」ものであり、「単なることば探し」と見なされる傾向も強かった。コンピュータ自体の普及率の低さもあり、当時のアドベンチャーゲームは、概して高度にマニアックなゲームジャンルであった。
キーボードから単語をコマンドとして直接入力する「コマンド入力方式」を採用しているアドベンチャーの後期の作品の中には、「単なることば探し」になってしまうことを避けるために[[ファンクションキー]]によく使う単語を事前に用意しておき、プレイヤーの負担を緩和しているものが出てきた。そして、後述の「コマンド選択方式」へと発展することになる。
日本市場におけるグラフィックス付きアドベンチャーでは、後期の作品の一部にアニメーションの技法が取り入れられた。これには、画面上の登場人物が振り向いたり、[[ロボット]]が変形するなどのフルアニメーションに近いものから、登場人物の目が時々瞬きするといった限定的なものまで、様々な形態があった。
=== コマンド選択方式の登場とRPGへの融合 ===
アメリカでは、大作『タイムゾーン』に見られるように、コマンド入力方式のゲームは成熟を迎えた。コマンド入力方式の次に開発されたものは、『{{仮リンク|King's Quest|en|King's Quest}}』を始めとする、二次元画面内でキャラクタを移動させつつゲームを進行させる方式であった。この方式は、アメリカでは複数のソフトが開発され、『[[ミシシッピー殺人事件]]』など一部が日本にも紹介されたが、日本では『[[ハイドライドシリーズ]]』に代表される[[アクションロールプレイングゲーム|アクションRPG]]が独自の発展を遂げており、キャラクター移動方式はこれに準じた形で発展していった。なお、『King's Quest』のように三人称視点でキャラクターの移動先を間接的に指示して操作するタイプの国産アドベンチャーゲームは、『[[東京トワイライト・バスターズ]]』『[[クロックタワー]]』シリーズなど、少数ながら制作されている。
日本ではコマンド入力方式の限界が、キャラクター移動方式とは異なるアプローチからも打ち破られた。それは、コマンドを単語として入力する代わりに、事前に用意されたコマンドを画面に提示してユーザーに選択させるもので、コマンド選択方式と呼ばれる。これを最初に採用したソフトは『[[北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ]]』である。コマンド選択方式は広く受け入れられ、コマンド入力方式を瞬く間に駆逐していった。また、コマンド選択方式では、キーボードを持たない[[コンシューマーゲーム|コンシューマー]]機への移植も容易となる。『ポートピア連続殺人事件』はコマンド選択方式へと作り直され、[[ファミリーコンピュータ]]にも移植された([[1985年]])。これは初の家庭用ゲーム機用アドベンチャーゲームである。
しかし、コマンド選択方式はその性質上、ごく限られたコマンド選択の組み合わせしかユーザーに提示できなかった。そのため、どんなに凝った[[脚本|シナリオ]]を作製しても、ごく短時間でユーザーが攻略を終えてしまう別の問題を抱え込むこととなった。すなわち、言葉探しによる時間稼ぎが通用しなくなったのである。
一方で、日本においてはアクションRPGを含め、コンピュータRPG全体がストーリーを色濃くする方向へと発展していた。そして、RPGはコマンド選択方式アドベンチャーのプレイ時間の問題を、キャラクターの移動や経験値稼ぎによって自然な形で解消することが可能であった。その結果、徐々にコマンド選択方式も用いられなくなり、アドベンチャーゲームはRPGに吸収される形となった。こうした作品の代表には『[[イースシリーズ|イース]]』『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]』が挙げられる。これらの作品では、キャラクターの成長を楽しむといったRPGの特性と、ストーリー進行を楽しむアドベンチャーゲームの特性がうまく融合されている。
=== 全編アニメーション/実写のアドベンチャーの登場 ===
アーケードにおいて動画をゲーム化した[[レーザーディスクゲーム]]が登場し、インタラクティブムービーの時代が幕を開けた。この時代、『[[ドラゴンズレア]]』(1983年)、『[[忍者ハヤテ]]』(1984年)、『[[タイムギャル]]』(1985年)などの全編アニメーションによる[[アクションアドベンチャーゲーム]]が登場し、これらのゲームは家庭用にも移植された(「[[クイックタイムイベント|QTE]]」も参照)。
その後も、家庭用において『[[ゆみみみっくす]]』(1993年)、『[[だいなあいらん]]』(1997年)、『[[やるドラ]]』シリーズ(1998年<ref>{{Cite web|和書|date=2018-06-25 |url=https://dengekionline.com/elem/000/001/747/1747057/ |title=『ダブルキャスト』発売から20年。『やるドラ』シリーズ第1弾をネタバレありで振りかえる【周年連載】 |website=[[電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage]] |accessdate=2018-10-14}}</ref>、2000年)などの全編アニメーションによるアドベンチャーゲームが登場したものの、主流には至れず衰退した。2010年代になり、アニメシリーズの映像を流用する形でコストなどの問題を解決し、『[[STEINS;GATE#STEINS;GATE ELITE|STEINS;GATE ELITE]]』(2018年)など、全編アニメーションアドベンチャーゲームが復活している<ref>{{Cite web|和書|date=2017-09-21 |url=https://www.famitsu.com/news/201709/21142252.html |title=志倉千代丸氏インタビュー『シュタインズ・ゲート エリート』は"ゲーム以上でいて、アニメ以上" |website=[[ファミ通.com]] |publisher=KADOKAWA Game Linkage |accessdate=2018-10-14}}</ref>。
また、[[実写ゲーム|実写を盛り込んだ]]アドベンチャーゲームも登場し、最近でも『{{仮リンク|テスラ・エフェクト|en|Tesla Effect: A Tex Murphy Adventure}}』(2014年)<ref>{{Cite web|和書|author=奥谷海人 |date=2014-04-08 |url=https://www.4gamer.net/games/243/G024345/20140408031/ |title=実写を利用したアドベンチャーゲーム「Tesla Effect: A Tex Murphy Adventure」は4月22日にリリース |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[Aetas]] |accessdate=2018-10-14}}</ref>、『[[デスカムトゥルー]]』(2020年)、『[[春ゆきてレトロチカ]]』(2022年)などが作られている。しかしながら、3DCGが写実的になるにつれ実写ベースのものは減っており、『[[デトロイト ビカム ヒューマン]]』(2018年)のようなリアルタイムベースのものが増えつつある。
=== ポイント・アンド・クリックアドベンチャー ===
アメリカでは、[[1984年]]に[[Macintosh]]でリリースされた『{{仮リンク|Enchanted Scepters|en|Enchanted Scepters}}』を始めとして、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]などの[[ポインティングデバイス]]で画面を[[ポイント・アンド・クリック|クリック]]することによりゲームを進めるポイント・アンド・クリックアドベンチャーが広まった。『Enchanted Scepters』はマウスを使って進めるとはいえ、テキストと静止画による画面表示とあらかじめ用意されたコマンドを選択して進める古いスタイルの名残を留めていたが、[[1985年]]に{{仮リンク|ICOM Simulations|en|ICOM Simulations}}がリリースした『[[ディジャブ (コンピュータゲーム)|ディジャブ]]』に始まる『{{仮リンク|MacVenture|en|MacVenture}}』シリーズは、画面上で対象物を[[ドラッグ・アンド・ドロップ|ドラッグ]]操作するなど、より完全なポイント・アンド・クリックアドベンチャーとして商業的成功を収めた。日本でも『ポートピア連続殺人事件』(1985年)、『[[水晶の龍]]』(1986年)などでファミコンの[[ゲームコントローラ|コントローラ]]を使ったポイント・アンド・クリックシステムが部分的に採用された。[[1987年]]には[[ルーカスアーツ]]が『[[マニアックマンション]]』をリリースし、そこで採用されたゲームエンジン「[[SCUMM]]」を使用して開発された一連のタイトルでヒットを飛ばした。後述の『[[同級生 (ゲーム)|同級生]]』『[[MYST]]』といったタイトルもポイント・アンド・クリックシステムが有効的に使用されている。
=== シナリオ分岐や3D表示の時代へ ===
[[ファイル:Wikipe-tan visual novel (Ren'Py).png|thumb|[[ビジュアルノベル]]は絵の上に文字を表示する(イメージ)]]
国内でのアドベンチャーゲームは、RPGに淘汰もしくは吸収されたかのように見受けられた。しかし、[[1992年]]に[[サウンドノベル]]を標榜した『[[弟切草 (ゲーム)|弟切草]]』が開発された。同ソフトでは、エンディングに辿り着くことよりも、シナリオ分岐それ自体を楽しむことに重点が置かれた。特にプレイ回数やエンディング到達回数に応じて選択肢が増えるゲームシステムは画期的なアイディアであった。これはアドベンチャーゲームの再定義とも言えるもので、以降のアドベンチャーゲーム作品に大きな影響を与えた。続いて『[[かまいたちの夜]]』『[[SIREN (ゲームソフト)|SIREN]]』などが開発されている。
黎明期の[[アダルトゲーム]]は、『[[天使たちの午後]]』([[1985年]])に見られるように、アドベンチャーゲームとして作られるケースが多かった。その後、アドベンチャーゲームの衰退に引きずられる形で、このような作品はあまり製作されなくなっていった。しかし、アドベンチャーゲームの手法を用いた『[[同級生 (ゲーム)|同級生]]』([[1992年]])、『[[同級生2]]』が10万本のヒット作品となり、再びアドベンチャーゲームの体裁を取る作品が急増した。『同級生』に始まる一連のゲームは、謎解きのようなゲームとしての面白味よりも、シナリオ自体で魅せる傾向が強い。特に2作目の『同級生2』がヒロイン達における後の[[泣きゲー]]に通じる人間ドラマを展開したことは、この流れを決定付けた。こうした方向性は、先述のサウンドノベルにも波及していき、『[[雫 (アダルトゲーム)|雫]]』に続いて『[[To Heart]]』が開発された。これらのソフトは[[ビジュアルノベル]]とも呼ばれた。また、複数の視点から1つのシナリオを見る『[[EVE burst error]]』や『[[この世の果てで恋を唄う少女YU-NO]]』は先進的なゲームシステムを開発し、アドベンチャーゲームに新機軸を打ち出した。
独自のシステムを組み込み発展する一方で、各場面にプレイヤー側を適合させて簡易的な操作のみを行う選択肢方式の登場により、システムそのものの簡略化を図る流れも生まれた。この場合、「見る」「聞く」といった主体的な個別コマンドを駆使して場に変化を与えるのではなく、「Aさんに○○のことを聞く」「Bさんにアイテムを渡す」「すぐに駅へ向かう」というように、場に応じて予め決められた行動パターンをいくつか提示することで、本来複数のコマンドを必要とした行動内容をダイレクトに選ばせるというシンプルなスタイルを確立した。これら選択肢の選び方によってイベントやエンディングが変化する[[フラグ (ストーリー)|分岐イベント]](後のシナリオ分岐)やマルチエンドへと発展した。
こうしたアダルトゲームの中には、コンシューマー機への移植にあたってアダルト性を廃し、(アダルトではない)一般的な意味でのサウンドノベル、もしくはアドベンチャーゲームへと展開していくものも見られる。
アメリカでは、『[[アローン・イン・ザ・ダーク]]』『[[MYST]]』など[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]を用いたゲームが開発された。特に『MYST』は大ヒットし、数多くの続編が開発されてシリーズ化された。『MYST』は、アドベンチャーゲームを大人中心のメインストリーム市場に初めて紹介した作品とも言われる。他にも、アメリカのこの時期の作品はストーリーではなく[[パズル]]的な要素が強く、グラフィックスの美しさや世界観を楽しませるものが多い。日本のゲームでは『[[サイレントヒル]]』がこの系統に属する(ただし、『サイレントヒル』はストーリーの比重もかなり高めである)が、ゲームの方向性のせいもあってか和製アドベンチャーゲームであるにもかかわらず、日本国内よりも国外で評価された。日本のものでは他に『[[エコーナイト]]』がある。
=== 現在の立場 ===
伝統的な形式のアドベンチャーゲームは、1980年代前半のマイコンブームとほぼ同時期に黄金期を迎えた。それ以降、コンピュータゲームの主役にはなっていない。しかし、携帯電話上でいわゆる『堀井ミステリー三部作』(『ポートピア連続殺人事件』『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』『[[軽井沢誘拐案内]]』)がプレイできるようになるなど、過去の名作を[[リメイク]]する動きも見受けられる。旧来のアドベンチャーゲームに近い新作も、散発的ではあるものの携帯電話市場で開発されており、固定ファン層の存在もうかがわせる。コンシューマー機においては和製ホラー映画的な作品や、携帯ゲーム機でも「法廷バトル」と銘打った『[[逆転裁判]]』シリーズなどが製作され、後者は近年のアドベンチャーゲームとしては非常に好調なセールスを記録している。
上記以外で現在主流なものとしては、
# 画面下部にメッセージウィンドウを設けて数行のテキストを表示して、キャラクターとの会話と選択肢によるシナリオ分岐を重視した「選択肢式アドベンチャーゲーム」。
# 全画面にテキストを表示して状況描写や心理描写を多用する「[[サウンドノベル]]」や「[[ビジュアルノベル]]」。
# 背景に表示されたオブジェクトをクリックして調べ、入手したアイテムを使用したり行動を選択したりしてフラグをこなしていく「探索アドベンチャー」や「[[脱出ゲーム]]」(例として『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』などが挙げられる)。
# 基本テーマとして恋愛や青春群像などを据えてキャラクター色の強いストーリーを展開する「[[恋愛アドベンチャー]]」や「[[美少女ゲーム]]」、「[[乙女ゲーム]]」(他のアドベンチャーゲームと区別することが多く、メーカーがこれらをビジュアルノベルと称することはほとんどない)。
アドベンチャーは、本来は冒険や探検を意味する単語であるが、日本で単にアドベンチャーゲームと言えば冒険ゲームではなく、ほとんどが「立ち絵+メッセージウィンドウ」でストーリーを進める会話主体のスタイルを指す。これらの多くは、かつてのように謎解きや言葉探しを主眼としたものではなく、物語の表現形式の1つとして作成されている。そのような作品では、プレイヤーは画面に表示されるメッセージを読むことでストーリーを楽しむように想定されており、コマンド選択はそのままシナリオ分岐と直結している。
さらには『[[ひぐらしのなく頃に]]』のようにコマンド選択そのものを廃し、ゲーム性をプレイヤーによる事件の推理とネット上での推理に関する情報交換に求めた作品も現れている。
こうした現状に対し、往年のプレイヤーは否定的な考えを持つ傾向が強い。だが、こうした作品の人気は高く、先述の『ひぐらしのなく頃に』や『かまいたちの夜』等はシリーズ化され、[[漫画]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[テレビドラマ]]などへの展開も活発に行われている。ビジュアルノベルに属するアダルトゲームは『[[Fate/stay night]]』や『[[ToHeart2]]』などの10万本を越えるヒット([[PC NEWS]]ランキング調べ)によって相変わらず隆盛である。コンシューマ機移植による非アダルト化やアニメその他への展開も同様に進んでいる(先述の『ToHeart2』はコンシューマー機からの逆移植・アダルトゲーム化が行われた)。
対照的に、(主に据え置き型の)コンシューマー機および日本国外(主にアメリカ)のPCゲームにおいては、開発費用および技術量の決定的な差もあって、3DCGを利用したアクションゲーム、もしくは[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]や[[サードパーソン・シューティングゲーム|TPS]]の外観・操作システムを用いた、シミュレーターとしての側面と路線を共にするアドベンチャーゲームが多い。逆に、現在の3DアクションゲームやFPS・TPSもアドベンチャーの要素が含まれているものが多く、両者の境界線は現在では曖昧になって来ている。日本国外では、実写映画や欧米の漫画を意識した重厚な外観や世界観の作品が大半で、日本のビジュアルノベルやRPGに多いアニメ調のキャラクター・軽めのファンタジー調の設定などが用いられることはまれである。
== 代表的なアドベンチャーゲーム ==
[[ゲームクリエイター]]の[[イシイジロウ]]が提唱する方法でアドベンチャーゲームを分類して、時代が古い作品から順番に並べたものである<ref>{{Cite web|和書|date=2013-11-09 |url=https://www.4gamer.net/games/074/G007427/20131108107/ |title=イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編)1ページ目 |website=4Gamer.net |publisher=Aetas |accessdate=2013-12-06}}</ref>。
=== 直線型 ===
{| class="sortable wikitable"
|-
! 発売日!! タイトル!! 発売元
|-
| 1980年12月 || {{Display none|そおく}}[[ゾーク]] || {{Display none|いんふおこむ}}[[インフォコム (アメリカ合衆国の企業)|インフォコム]]
|-
| 1983年6月 || {{Display none|ほおとひあれんそくさつしんしけん}}[[ポートピア連続殺人事件]] || {{Display none|えにつくす}}[[エニックス]]
|-
| 1984年3月31日 || {{Display none|さらたのくにのとまとひめ}}[[サラダの国のトマト姫]] || {{Display none|はとそん}}[[ハドソン]]
|-
| 1987年4月28日 || {{Display none|しいさす}}[[ジーザス (ゲーム)|ジーザス]] || {{Display none|えにつくす}}エニックス
|-
| 1988年11月26日 || {{Display none|すなつちやあ}}[[スナッチャー]] || {{Display none|こなみ}}[[コナミ]]
|-
| 1991年4月2日 || {{Display none|のすたるしあ1907}}[[ノスタルジア1907]] || {{Display none|しゆうるとうええふ}}[[シュールド・ウェーブ]]
|-
| 1994年7月29日 || {{Display none|ほりすのおつ}}[[ポリスノーツ]] || {{Display none|こなみ}}コナミ
|-
| 1996年11月29日 || {{Display none|たんていしんくうしさふろうみかんのるほ}}[[探偵 神宮寺三郎 未完のルポ]] || {{Display none|てえたいいすと}}[[データイースト]]
|-
| 1998年6月25日 || {{Display none|くろすたんていものかたり}}[[クロス探偵物語]] || {{Display none|わあくしやむ}}[[ワークジャム]]
|-
| 1998年9月17日 || {{Display none|みかくらしようしよたんていたん}}[[御神楽少女探偵団]] || {{Display none|ひゆうまん}}[[ヒューマン (ゲーム会社)|ヒューマン]]
|-
| 2001年10月12日 || {{Display none|きやくてんさいはん}}[[逆転裁判]] || {{Display none|かふこん}}[[カプコン]]
|-
| 2007年2月15日 || {{Display none|れいとんきようしゆとふしきなまち}}[[レイトン教授と不思議な町]] || {{Display none|れへるふあいふ}}[[レベルファイブ]]
|-
| 2010年11月25日 || {{Display none|たんかんろんはきほうのかくえんとせつほうのこうこうせい}}[[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生]] || {{Display none|すはいく}}[[スパイク (ゲーム会社)|スパイク]]
|-
| 2012年4月12日 || {{Display none|まほうつかいのよる}}[[魔法使いの夜]] || {{Display none|たいふむうん}}[[TYPE-MOON]]
|}
=== フローチャート型 ===
{| class="sortable wikitable"
|-
! 発売日!! タイトル!! 発売元
|-
| 1992年3月7日 || {{Display none|おときりそう}}[[弟切草 (ゲーム)|弟切草]] || {{Display none|ちゆんそふと}}[[チュンソフト]]
|-
| 1992年12月17日 || {{Display none|とうきゆうせい}}[[同級生 (ゲーム)|同級生]] || {{Display none|えるふ}}[[エルフ (ブランド)|エルフ]]
|-
| 1994年5月27日 || {{Display none|ときめきめもりある}}[[ときめきメモリアル]] || {{Display none|こなみ}}コナミ
|-
| 1994年11月25日 || {{Display none|かまいたちのよる}}[[かまいたちの夜]] || {{Display none|ちゆんそふと}}チュンソフト
|-
| 1996年1月26日 || {{Display none|しすく}}[[雫 (アダルトゲーム)|雫]] || {{Display none|りいふ}}[[Leaf]]
|-
| 1996年7月26日 || {{Display none|きすあと}}[[痕]] || {{Display none|りいふ}}Leaf
|-
| 1996年12月26日 || {{Display none|このよのはててこいをうたうしようしよゆうの}}[[この世の果てで恋を唄う少女YU-NO]] || {{Display none|えるふ}}エルフ
|-
| 1997年5月23日 || {{Display none|とうはあと}}[[To Heart]] || {{Display none|りいふ}}Leaf
|-
| 1998年6月25日 || {{Display none|たふるきやすと}}[[ダブルキャスト (ゲーム)|ダブルキャスト]] || {{Display none|そにいこんひゆうたえんたていんめんと}}[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]
|-
| 1999年6月4日 || {{Display none|かのん}}[[Kanon (ゲーム)|Kanon]] || {{Display none|きい}}[[Key (ゲームブランド)|Key]]
|-
| 2000年3月23日 || {{Display none|いんふいにてい}}[[infinity (ゲーム)|infinity]] || {{Display none|きつと}}[[KID (ゲームブランド)|KID]]
|-
| 2000年9月8日 || {{Display none|えああ}}[[AIR (ゲーム)|AIR]] || {{Display none|きい}}Key
|-
| 2000年12月29日 || {{Display none|つきひめ}}[[月姫 (ゲーム)|月姫]] || {{Display none|たいふむうん}}TYPE-MOON
|-
| 2002年8月16日 || {{Display none|ひくらしのなくころに}}[[ひぐらしのなく頃に]] || {{Display none|せふんすえきすはんしよん}}[[07th Expansion]]
|-
| 2004年1月30日 || {{Display none|ふえいとすていないと}}[[Fate/stay night]] || {{Display none|たいふむうん}}TYPE-MOON
|-
| 2004年4月28日 || {{Display none|くらなと}}[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]] || {{Display none|きい}}Key
|-
| 2007年7月27日 || {{Display none|りとるはすたあす}}[[リトルバスターズ!]] || {{Display none|きい}}Key
|-
| 2009年10月15日 || {{Display none|しゆたいんすけえと}}[[STEINS;GATE]] || {{Display none|ふあいふひいひい}}[[5pb.]]
|-
| 2009年12月10日 || {{Display none|きよくけんたつしゆつきゆうしかんきゆうにんきゆうのとひら}}[[極限脱出 9時間9人9の扉]] || {{Display none|ちゆんそふと}}チュンソフト
|-
| 2011年6月24日 || {{Display none|りらいと}}[[Rewrite (ゲーム)|Rewrite]] || {{Display none|きい}}Key
|-
| 2012年2月16日 || {{Display none|きよくけんたつしゆつあとへんちやあせんにんしほうてす}}[[極限脱出ADV 善人シボウデス]] || {{Display none|ちゆんそふと}}チュンソフト
|}
=== マルチサイト型 ===
{| class="sortable wikitable"
|-
! 発売日!! タイトル!! 発売元
|-
| 1995年11月22日 || {{Display none|いうはあすとえらあ}}[[EVE burst error]] || {{Display none|しいすうえあ}}[[シーズウェア]]
|-
| 1998年1月22日 || {{Display none|まちうんめいのこうさてん}}[[街 〜運命の交差点〜]] || {{Display none|ちゆんそふと}}チュンソフト
|-
| 2002年8月29日 || {{Display none|えはあせふんていいんしあうとおふいんふいにてい}}[[Ever17 -the out of infinity-]] || {{Display none|きつと}}KID
|-
| 2006年8月31日 || {{Display none|いふにゆうしえねれえしよん}}[[EVE new generation]] || {{Display none|かとかわしよてん}}[[角川書店]]
|-
| 2008年12月4日 || {{Display none|よんにいはちふうさされたしふやて}}[[428 〜封鎖された渋谷で〜]] || {{Display none|ちゆんそふと}}チュンソフト
|-
| 2012年6月14日 || {{Display none|るうとたふるひふおおくらいむあふたあていす}}[[ルートダブル -Before Crime * After Days-]] || {{Display none|いえてい}}[[イエティ (ゲームブランド)|イエティ]]
|-
| 2012年7月12日 || {{Display none|たいむとらへらあす}}[[タイムトラベラーズ]] || {{Display none|れへるふあいふ}}レベルファイブ
|}
=== 主人公不在型 ===
{| class="sortable wikitable"
|-
! 発売日!! タイトル!! 発売元
|-
| 1993年9月24日 || {{Display none|みすと}}[[MYST]] || {{Display none|ふろおたあはんと}}[[ブローダーバンド]]
|-
| 1996年7月26日 || {{Display none|のえる}}[[NOëL]] || {{Display none|はいおにあえるていいしい}}[[パイオニアLDC]]
|-
| 2009年9月3日 || {{Display none|らふふらす}}[[ラブプラス]] || {{Display none|こなみてしたるえんたていんめんと}}[[コナミデジタルエンタテインメント]]
|-
| 2013年6月28日 || {{Display none|きみとかのしよとかのしよのこい}}[[君と彼女と彼女の恋。]] || {{Display none|にとろふらす}}[[ニトロプラス]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite web|和書|date=2013-11-09 |url=https://www.4gamer.net/games/074/G007427/20131108107/ |title=イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(前編) |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[Aetas]] |accessdate=2013-12-06}}
* {{Cite web|和書|date=2013-11-11 |url=https://www.4gamer.net/games/074/G007427/20131109008/ |title=イシイジロウ氏ら第一線で活躍するクリエイターがアドベンチャーゲームを語り尽くす!――「弟切草」「かまいたちの夜」から始まった僕らのアドベンチャーゲーム開発史(後編) |website=4Gamer.net |publisher=Aetas |accessdate=2013-12-06}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Adventure games}}
* [[アクションアドベンチャーゲーム]]
* [[インタラクティブフィクション]]
* [[サウンドノベル]]
* [[ビジュアルノベル]]
* [[脱出ゲーム]]
* [[恋愛ゲーム (ゲームジャンル)|恋愛ゲーム]]
* [[美少女ゲーム]]
* [[乙女ゲーム]]
* [[ゲームブック]]
{{コンピュータゲームのジャンル}}
{{Video-game-stub}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あとへんちやあけえむ}}
[[Category:アドベンチャーゲーム|*]] | 2003-05-09T05:05:45Z | 2023-10-06T22:23:57Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 |
7,955 | ガンマ線 | ガンマ線(ガンマせん、γ線、英: gamma ray)は、放射線の一種。その実体は、波長がおよそ 10 pm よりも短い電磁波である。
波長領域(エネルギー領域)の一部がX線と重なっていて、波長による境界線はない。10 nmから 1または10 pmまでをX線、これより短い波長(高いエネルギー領域)をガンマ線とすることもあるが、明確な基準は無い。 両者の区別は波長範囲ではなく発生機構によっていて、ガンマ線は原子核のエネルギー準位が遷移(不安定状態から、エネルギーを放出して安定)する現象を起源とし、X線は軌道電子の遷移(特性X線)や、自由電子の運動エネルギー(制動X線)を起源とし、スペクトルにおいても制動X線の有無で見分けられる。
1.022 MeV以上のエネルギーを持つガンマ線が消滅するとき、電子と陽電子が対生成されることがある。逆に、電子と陽電子が対消滅する際には、0.511 MeVのガンマ線2本が反対方向に放出される。 ガンマ線は電磁波の中で最もエネルギーが大きい領域に相当する。原理上人工的には造れないが、加速器で高エネルギー電子線から二次的に生成した高エネルギーのX線がガンマ線として扱われる。これまでに得られた電子線は200 GeVに達し、計画されている国際リニアコライダーではTeVに及ぶが、ガンマ線天文学の発展により、宇宙にはこれらを遙かに上回るものが存在すると考えられるようになった。
最初に発見されたガンマ線源は「ガンマ崩壊」と呼ばれる放射性崩壊過程であった。この種の崩壊では、励起した核種が生成されると、ほとんど瞬間的にガンマ線を放出する。フランスの化学者かつ物理学者であるポール・ヴィラールは1900年にウランから放出される放射線を研究しているときにガンマ線を発見した。ヴィラールは彼が見出した放射線が、それまでにラジウムから放出される放射線として記述されていたもの (これにはアンリ・ベクレルによって1896年に初めて「放射能」として言及されたベータ線やラザフォードによって1899年に発見されたほとんど透過しない種類の放射線であるアルファ線が含まれる)より強力であることに気づいた。しかしながら、ヴィラールはこれを根本的に異なる種類として名前を付けようとは考えなかった。その後1903年に、アーネスト・ラザフォードがヴィラールの放射線はそれまでに名付けられていた放射線とは根本的に異なるものであると認知し、1899年にラザフォードが区別していたアルファ線とベータ線からの類推でヴィラールの放射線を「ガンマ線」と名付けた。放射性元素によって放出される放射線はギリシア文字を使って様々な物質を透過する力の順に名付けられた(アルファ線が最も透過しにくく、次いでベータ線、そしてガンマ線が最も透過しやすい)。ラザフォードはもうひとつのガンマ線がアルファ線やベータ線と異なる性質として、磁場によって曲げられない(少なくとも簡単には曲げられない。カー効果・ポッケルス効果・応用例として光磁気ディスクも参照されたし。)ことにも注目した。
ガンマ線は最初はアルファ線やベータ線と同じように質量を持つ粒子と考えられていた。ラザフォードは初めはそれが非常に速いベータ粒子であると信じていたが、磁場で曲げられないことから電荷を持たないことが示された。1914年にガンマ線が水晶の表面で反射されることが観測され、電磁放射線であることが証明された。ラザフォードと彼の同僚であるエドワード・アンドレードはラジウムから出るガンマ線の波長を測定し、ガンマ線はX線に似ているが、より短い波長と(それゆえ)高い周波数を持つことを発見した(※ただし本記事前述の通り、ガンマ線とX線を波長により区別しないこともある)。やがてこれによって光子あたりより多くのエネルギーを持っていることが認知された。そしてガンマ崩壊は通常ガンマ光子を放出すると理解された。
放射性核種が崩壊して質量や陽子・中性子の比率が変わっても、その原子核には過剰なエネルギーが残存している場合がある。このとき、残存しているエネルギーをガンマ線として放出することで原子核は安定に向かう。この現象をガンマ崩壊と呼ぶ。放出するガンマ線のエネルギー領域は核種によって様々である。核種によっては単一領域のガンマ線しか出さないものもあるが、一般的には複数領域のガンマ線を出す。同じ元素でも、同位体によって現象は下の例のように異なる。
理化学研究所によれば、冬期の日本本州・日本海沿岸地域において雷雲の活動に伴い自然放射線が増える現象を調査していたところ、雷雲から10 MeV(10 mSv)のガンマ線を40秒間観測し、雷雲が粒子加速器の働きをしていることが分かった。なお、雷雲からのガンマ線量は1回の胸部X線で浴びる放射線量の2億分の1程度と計算されている。雷は光核反応のトリガーになり得る。
ガンマ線を放射する天体には超新星残骸、パルサー、活動銀河核等がある。また、発生機構は未解明であるがガンマ線バースト現象を起こす天体も発見されている。
一般的なガンマ線源としては、コバルトの放射性同位体であるコバルト60(Co)が用いられる。これは安定同位体のコバルト59(Co)を原子炉内で中性子線に晒す事で放射化により生成され、医薬品や医療廃棄物、食品などのガンマ線滅菌、工業的なX線写真(溶接部X線写真)、脳腫瘍除去などのガンマナイフに使われている。
放射線による影響には、閾値線量以上で発生する確定的影響とそれ以下の線量でも発生する確率的影響がある。 低線量被曝の影響の定量化は難しく、明確になっていない。2003年に米国アメリカ合衆国エネルギー省の低線量放射線研究プログラムによる支援等を受けて米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表された論文によれば、疫学的データによる人の癌リスクの増加の十分な証拠が存在するエックス線やガンマ線の被曝線量の最低値は、急性被曝では、10–50 mSv、長期被曝では50–100 mSvである。 | [
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] | ガンマ線は、放射線の一種。その実体は、波長がおよそ 10 pm よりも短い電磁波である。 | [[ファイル:Gammadecay-1.jpg|thumb|ガンマ線]]
{{原子核物理学}}
'''ガンマ線'''(ガンマせん、γ線、{{lang-en-short|gamma ray}})は、[[放射線]]の一種。その実体は、[[波長]]がおよそ 10 [[ピコメートル|pm]] よりも短い[[電磁波]]である。
== 概要 ==
波長領域(エネルギー領域)の一部が[[X線]]と重なっていて、波長による境界線はない。10 [[nm]]から 1または10 [[pm]]までをX線、これより短い波長(高いエネルギー領域)をガンマ線とすることもあるが、明確な基準は無い。
両者の区別は波長範囲ではなく発生機構によっていて、ガンマ線は[[原子核]]の[[エネルギー準位]]が遷移(不安定状態から、エネルギーを放出して安定)する現象を起源とし、X線は[[軌道電子]]の[[分子電子遷移|遷移]]([[特性X線]])や、[[自由電子]]の[[運動エネルギー]](制動X線)を起源とし、[[スペクトル]]においても制動X線の有無で見分けられる。
1.022 [[SI接頭語|M]][[電子ボルト|eV]]以上のエネルギーを持つガンマ線が消滅するとき、[[電子]]と[[陽電子]]が[[対生成]]されることがある。逆に、[[電子]]と[[陽電子]]が[[対消滅]]する際には、0.511 MeVのガンマ線2本が反対方向に放出される。
ガンマ線は電磁波の中で最もエネルギーが大きい領域に相当する。原理上人工的には造れないが、[[加速器]]で高エネルギー電子線から二次的に生成した高エネルギーのX線がガンマ線として扱われる。これまでに得られた電子線は200 GeVに達し、計画されている[[国際リニアコライダー]]では[[テラ|T]]eVに及ぶが、[[ガンマ線天文学]]の発展により、宇宙にはこれらを遙かに上回るものが存在すると考えられるようになった<ref>[https://www.kek.jp/ja/newsroom/2011/12/01/1700/ 高エネルギー素粒子宇宙物理学に挑む] 高エネルギー加速器研究機構</ref>。
== 発見 ==
最初に発見されたガンマ線源は「ガンマ崩壊」と呼ばれる[[放射性崩壊]]過程であった。この種の崩壊では、[[励起]]した核種が生成されると、ほとんど瞬間的にガンマ線を放出する{{efn|[[核異性体]]遷移では測定可能ではるかに長い半減期を持つ抑制されたガンマ崩壊が起こりうることが現在ではわかっている。}}。[[フランス]]の化学者かつ物理学者である[[ポール・ヴィラール]]は1900年に[[ウラン]]から放出される放射線を研究しているときにガンマ線を発見した。ヴィラールは彼が見出した放射線が、それまでにラジウムから放出される放射線として記述されていたもの (これには[[アンリ・ベクレル]]によって1896年に初めて「放射能」として言及されたベータ線やラザフォードによって1899年に発見されたほとんど透過しない種類の放射線であるアルファ線が含まれる)より強力であることに気づいた。しかしながら、ヴィラールはこれを根本的に異なる種類として名前を付けようとは考えなかった<ref>P. Villard (1900) [https://books.google.com/books?id=W1oDAAAAYAAJ&pg=PA1010 "Sur la réflexion et la réfraction des rayons cathodiques et des rayons déviables du radium"], ''Comptes rendus'', vol. 130, pages 1010–1012. See also: P. Villard (1900) [https://books.google.com/books?id=W1oDAAAAYAAJ&pg=PA1179 "Sur le rayonnement du radium"], ''Comptes rendus'', vol. 130, pages 1178–1179.</ref><ref>{{cite book|last=L'Annunziata|first=Michael F.|title=Radioactivity: introduction and history|publisher=Elsevier BV|location=Amsterdam, Netherlands|year=2007|pages=55–58|isbn=978-0-444-52715-8}}</ref>。その後1903年に、[[アーネスト・ラザフォード]]がヴィラールの放射線はそれまでに名付けられていた放射線とは根本的に異なるものであると認知し、1899年にラザフォードが区別していたアルファ線とベータ線からの類推でヴィラールの放射線を「ガンマ線」と名付けた<ref>Rutherford named γ rays on page 177 of: E. Rutherford (1903) [https://books.google.com/books?id=otXPAAAAMAAJ&pg=PA177#v=onepage&q&f=false "The magnetic and electric deviation of the easily absorbed rays from radium"], ''Philosophical Magazine'', Series 6, vol. 5, no. 26, pages 177–187.</ref>。放射性元素によって放出される放射線はギリシア文字を使って様々な物質を透過する力の順に名付けられた(アルファ線が最も透過しにくく、次いでベータ線、そしてガンマ線が最も透過しやすい)。ラザフォードはもうひとつのガンマ線がアルファ線やベータ線と異なる性質として、磁場によって曲げられない(少なくとも{{em|簡単には}}曲げられない。[[カー効果]]・[[ポッケルス効果]]・応用例として[[光磁気ディスク]]も参照されたし。)ことにも注目した。
ガンマ線は最初はアルファ線やベータ線と同じように質量を持つ粒子と考えられていた。ラザフォードは初めはそれが非常に速いベータ粒子であると信じていたが、磁場で曲げられないことから電荷を持たないことが示された<ref name=RaP>{{cite web|url=http://galileo.phys.virginia.edu/classes/252/rays_and_particles.html |title=Rays and Particles |publisher=Galileo.phys.virginia.edu |accessdate=2013-08-27}}</ref>。1914年にガンマ線が水晶の表面で反射されることが観測され、電磁放射線であることが証明された<ref name=RaP/>。ラザフォードと彼の同僚である[[エドワード・アンドレード]]はラジウムから出るガンマ線の波長を測定し、ガンマ線はX線に似ているが、より短い波長と(それゆえ)高い周波数を持つことを発見した(※ただし本記事前述の通り、ガンマ線とX線を波長により区別しないこともある)。やがてこれによって[[光子]]あたりより多くのエネルギーを持っていることが認知された。そしてガンマ崩壊は通常ガンマ光子を放出すると理解された。
== ガンマ線源 ==
=== 放射性崩壊 ===
[[放射性核種]]が[[放射性崩壊|崩壊]]して[[質量]]や[[陽子]]・[[中性子]]の比率が変わっても、その原子核には過剰なエネルギーが残存している場合がある。このとき、残存しているエネルギーをガンマ線として放出することで原子核は安定に向かう。この現象を[[ガンマ崩壊]]と呼ぶ。放出するガンマ線のエネルギー領域は核種によって様々である。核種によっては単一領域のガンマ線しか出さないものもあるが、一般的には複数領域のガンマ線を出す。同じ元素でも、同位体によって現象は下の例のように異なる。
* <sup>81</sup>[[クリプトン|Kr]] この核種は {{val|275.988|ul=keV}} の1領域のみ放出。
* <sup>88</sup>Kr この核種は最低 {{val|27.513|u=keV}}、最高 {{val||2771.02|u=keV}} の88領域を放出。
**割合で多い順から3種挙げると、{{val|2392.11|u=keV}}(34.6 %)、{{val|196.301|u=keV}} (25.98 %)、{{val|2195.842|u=keV}} (13.18 %) である。
=== 雷雲 ===
[[理化学研究所]]によれば、冬期の[[本州|日本本州]]・[[日本海]]沿岸地域において[[雷雲]]の活動に伴い[[自然放射線]]が増える現象を調査していたところ、雷雲から10 MeV({{val|e=-9|u=mSv}})のガンマ線を40秒間観測し、雷雲が[[粒子加速器]]の働きをしていることが分かった。なお、雷雲からのガンマ線量は1回の[[胸部X線]]で浴びる放射線量の2億分の1程度と計算されている<ref>[http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/press/2007/20071005_1/20071005_1pdf.pdf 日本海側の冬の雷雲が40秒間放射した10 MeVガンマ線を初観測 -冬の雷雲が天然の粒子加速器である証拠をつかむ-] 独立行政法人 理化学研究所</ref>。[[雷#雷による光核反応|雷]]は光核反応のトリガーになり得る<ref>{{cite web
|url=https://www.nature.com/articles/nature24630
|title= Photonuclear reactions triggered by lightning discharge
|publisher= nature
|accessdate=2021-02-23
|language=en
|format=}}</ref>。
=== 天体 ===
ガンマ線を放射する天体には[[超新星残骸]]、[[パルサー]]、[[活動銀河核]]等がある。また、発生機構は未解明であるが[[ガンマ線バースト]]現象を起こす天体も発見されている。
== 他の放射線との比較 ==
[[ファイル:Alfa_beta_gamma_radiation.svg|thumb|ヘリウム4の原子核である[[アルファ粒子]]は一枚の紙すら通過できず、[[ベータ線]]の実態である[[電子]]では1cmのプラスチック板で十分遮蔽できるが、電磁波であるガンマ線では10cmの鉛板が必要となる。]]
* [[アルファ粒子]]・[[ベータ粒子]]と比べると透過能力は高いが、[[電離]]作用は弱い。
* ガンマ線の遮蔽には、比重の重い物質([[鉛]]、[[鉄]]、[[コンクリート]]など)が使われる。一般によく利用される鉛(11.3 g/cm<sup>3</sup>)では、10 [[センチメートル|cm]]の厚さで約1/100 – 1/1000に減衰される。ガンマ線は飛程が長い上、[[電荷]]を持たないので[[電磁気力]]を使って方向を変えられないため、ガンマ線からの防護は他の放射線と比較して難しい。
== 利用 ==
一般的なガンマ線源としては、[[コバルト]]の放射性同位体である[[コバルト60]](<sup>60</sup>Co)が用いられる。これは安定同位体のコバルト59(<sup>59</sup>Co)を原子炉内で[[中性子線]]に晒す事で[[放射化]]により生成され、医薬品や医療廃棄物、食品などの[[ガンマ線滅菌]]、工業的な[[X線写真]](溶接部X線写真)、[[脳腫瘍]]除去などの[[ガンマナイフ]]に使われている。
== 健康影響 ==
{{See|被曝|低線量被曝問題}}
放射線による影響には、[[閾値]]線量以上で発生する[[確定的影響]]とそれ以下の線量でも発生する[[確率的影響]]がある。
低線量被曝の影響の定量化は難しく、明確になっていない。2003年に米国[[アメリカ合衆国エネルギー省]]の低線量放射線研究プログラムによる支援等を受けて<ref>{{cite journal |url=http://www.pnas.org/content/100/24/13761.full |title=Cancer risks attributable to low doses of ionizing radiation: Assessing what we really know |author=David J. Brenner et al. |journal=PNAS |date=2003 |volume=100 |issue=24 |pages=13761–13766 |doi=10.1073/pnas.2235592100 |quote=This work was supported in part by the U.S. Department of Energy Low-Dose Radiation Research Program. }}</ref>[[米国科学アカデミー紀要]](PNAS)に発表された論文によれば、[[疫学]]的データによる人の癌リスクの増加の十分な証拠が存在する[[エックス線]]や'''ガンマ線'''の被曝線量の最低値は、急性被曝では、10–50 m[[シーベルト|Sv]]、長期被曝では50–100 m[[シーベルト|Sv]]である<ref>{{cite |url=http://www.cancerit.jp/ |chapterurl=http://smc-japan.org/?p=2037 |title=海外癌医療情報リファレンス |chapter=【翻訳論文】「低線量被ばくによるがんリスク:私たちが確かにわかっていることは何かを評価する」PNAS (2003) |author=翻訳:調麻佐志 |date= |work=一般社団法人 サイエンス・メディア・センター |accessdate=2011/8/26 }}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[アルファ崩壊]]
* [[アルファ粒子]]
* [[ベータ崩壊]]
* [[ベータ粒子]]
* [[ガンマ崩壊]]
* [[ガンマ線天文学]]
* [[ガンマ線透過写真撮影作業主任者]]
* [[ガンマ線滅菌]]
* [[不妊虫放飼]]
* [[食品照射]](放射線を用いた食品の殺菌・殺虫技術)
{{電磁波}}
{{放射線}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かんません}}
[[Category:ガンマ線|*]]
[[Category:電磁波]]
[[Category:原子核物理学]]
[[Category:放射線]] | null | 2022-06-28T14:09:20Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E%E7%B7%9A |
7,956 | がん (曖昧さ回避) | がん | [
{
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}
] | がん | '''がん'''
==一覧==
*「癌」とは、[[病理学]]上は[[粘膜]]や[[皮膚]]などの[[上皮細胞]]から生じた[[悪性腫瘍]]すなわち[[癌腫]]のこと。
*「がん」という語は悪性腫瘍を指す。
**「がん」は上記の「癌腫」のみならず、[[結合組織]]や[[筋肉]]や[[骨]]などの[[組織 (生物学)|組織]]から生じる悪性腫瘍である「[[肉腫]]」や、[[造血細胞]]から生じる非固型悪性腫瘍である「[[白血病]]」をも含む。
*「[[雁]]」とは、[[カモ目]][[カモ科]]の[[水鳥]]の総称。
*「眼」は[[目]]のこと。また、[[硯]]の表面の紋様のこと。
*「[[丸]]」は円形あるいは球状のもの(特に[[薬品]]の形状における丸薬・丸剤のことを指す)。
*日本の政治運動家・[[高田がん]]。
== 関連項目 ==
* [[ガン]]
{{aimai}}
{{デフォルトソート:かん}}
[[Category:曖昧さ回避]] | null | 2020-09-28T19:20:12Z | true | false | false | [
"Template:Aimai"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%82%93_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF) |
7,959 | オングストローム | オングストローム(典: ångström, 記号:Å)は、長さの非SI単位である。原子や分子の大きさ、可視光の波長など、非常に小さな長さを表すのに用いられる。
1 Åは10m = 0.1ナノメートル(nm) = 100ピコメートル(pm) と定義されている。原子や分子の大きさ、また可視光の波長は数千オングストロームというオーダーとなることから、分光学などにおいて数値的に都合がよく、かつては広く使われていた。しかし、2019年以降の国際単位系はこの単位の使用を認めていない(後述)。
日本の計量法では「電磁波の波長、膜厚又は物体の表面の粗さ若しくは結晶格子に係る長さの計量」にのみ使用することができる法定計量単位である、それ以外の用途(取引、証明)に用いることはできない。
SI単位ではないため、理化学分野、工業分野、教育分野で積極的に使われることはないが、その利便さから今日でもオングストロームを用いることがある。
オングストロームの記号は、日本の計量法でも国際単位系(SI)でも同じであり、それは、大文字の「A」の上部に小さいリングを付したものである。
単位オングストロームの、国際単位系(SI)の正式文書における位置付けは次のように変遷している。現行の第9版(2019年)においては、オングストロームについては全く記載がなく、したがってSI単位と併用することはできない(SI併用単位#その他の非SI単位の削除)。
分光法の先駆者であるスウェーデンの物理学者アンデルス・オングストロームが、1868年に 10 m を単位として使ったことに由来する。ただし、特に単位名称は名づけなかった。のちに、その単位がオングストローム単位 (ångström unit) と呼ばれ、さらにオングストロームと略されるようになった。
オングストロームが使った単位は 10 m であったが、当時メートル原器で定義されていたメートルより高精度の長さの単位が分光学では必要とされていた。そのため、1907年、国際天文学連合 (IAU) が初めてオングストロームを国際標準として定めたとき、国際オングストローム (international ångström) を、「カドミウムの赤線の指定条件下における波長の1/6438.4696」と再定義した。1927年に国際度量衡局 (BIPM) もこれを採用した。メートルの精度が低かった時代は、この定義は 10 m とする定義と矛盾することはなかった。
1960年、メートル自体もクリプトンの橙色線の波長から分光学的に再定義され、国際オングストロームと同等の精度を持つようになった。しかし、国際オングストロームを新しく定義されたメートルで表すと、1.0000002×10 m となったため、10 m とされるオングストロームと2つのオングストロームが並立することとなった。
オングストロームの単位記号 "Å" はリング付きの大文字A "Å" に由来するが、UnicodeやJIS X 0213ではそれぞれ別の文字として定義されている。なお、JIS X 0208にはオングストローム記号のみが2区82点に定義されている。Unicodeのオングストローム記号は、既存の文字コードとの互換性のために用意されている互換文字である。Unicode標準では、この文字の代わりに「LATIN CAPITAL LETTER A WITH RING ABOVE(リング付きの大文字A)」を使うことを推奨している。「次の3つの文字様記号は、普通の文字と正準等価である: U+2126 Ω ohm sign, U+212A K kelvin sign, and U+212B Å angstrom sign。これら3つの全ての文字については、普通の文字が使われなければならない。」 | [
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] | オングストロームは、長さの非SI単位である。原子や分子の大きさ、可視光の波長など、非常に小さな長さを表すのに用いられる。 1 Åは10−10m = 0.1ナノメートル(nm) = 100ピコメートル(pm) と定義されている。原子や分子の大きさ、また可視光の波長は数千オングストロームというオーダーとなることから、分光学などにおいて数値的に都合がよく、かつては広く使われていた。しかし、2019年以降の国際単位系はこの単位の使用を認めていない(後述)。 日本の計量法では「電磁波の波長、膜厚又は物体の表面の粗さ若しくは結晶格子に係る長さの計量」にのみ使用することができる法定計量単位である、それ以外の用途(取引、証明)に用いることはできない。 SI単位ではないため、理化学分野、工業分野、教育分野で積極的に使われることはないが、その利便さから今日でもオングストロームを用いることがある。 | {{Otheruses|長さの単位|その他}}
{{JIS2004}}
{{単位
|名称=オングストローム
|英字=ångström
|記号={{JIS2004フォント|[[Å]]}}
|度量衡=[[メートル法]]
|単位系= [[非SI単位]](特殊の計量に用いる[[法定計量単位]])
|物理量=[[長さ]]
|定義=10<sup>-10</sup>メートル<ref name="名前なし-1">[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000357&openerCode=1#82 計量単位令 別表第六] 項番2、オングストローム、メートルの百億分の一</ref>
|SI=0.1 nm = 100 pm
|画像=[[File:Dihydrogen-3D-vdW.png|250px|水素分子]]<br />[[水素]]の[[ファンデルワールス半径]]は1.2{{JIS2004フォント|Å}}
|語源=[[アンデルス・オングストローム]]
}}
'''オングストローム'''({{Lang-sv-short|ångström}}, 記号:'''Å''')は、[[長さ]]の[[非SI単位]]である。[[原子]]や[[分子]]の大きさ、[[可視光]]の[[波長]]など、非常に小さな長さを表すのに用いられる。
1 Åは10<sup>−10</sup>[[メートル|m]] = 0.1[[ナノメートル]](nm) = 100[[ピコメートル]](pm) と定義されている。[[原子]]や[[分子]]の大きさ、また可視光の波長は数千オングストロームというオーダーとなることから、分光学などにおいて数値的に都合がよく、かつては広く使われていた。しかし、2019年以降の[[国際単位系]]はこの単位の使用を認めていない(後述)。
日本の[[計量法]]では「電磁波の波長、膜厚又は物体の表面の粗さ若しくは結晶格子に係る長さの計量」にのみ使用することができる[[法定計量単位]]である<ref name="名前なし-1"/>、それ以外の用途([[計量法#取引、証明とは|取引、証明]])に用いることはできない。
[[SI単位]]ではないため、理化学分野、工業分野、教育分野で積極的に使われることはないが、その利便さから今日でもオングストロームを用いることがある。
== 記号 ==
オングストロームの記号は、日本の[[計量法]]でも[[国際単位系]](SI)でも同じであり、それは、大文字の「A」の上部に小さい[[リング符号|リング]]を付したものである<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404M50000400080#93 計量単位規則 別表第4(第2条関係)] オングストロームの欄</ref>。
== 国際単位系における位置づけ ==
単位オングストロームの、[[国際単位系]](SI)の正式文書における位置付けは次のように変遷している<ref>[https://www.bipm.org/en/publications/si-brochure/ SI Brochure: The International System of Units (SI)] Previous editions of the SI Brochure 第1版(1970年)-第8版(2006年)の各年版 </ref>。現行の第9版(2019年)においては、オングストロームについては全く記載がなく、したがってSI単位と併用することはできない([[SI併用単位#その他の非SI単位の削除]])。
* 第1版(1970年)~第6版(1991年):分野や国によっては、[[CIPM]]がその使用がもはや不必要と考えるまでは、暫定的にSIと併用できる単位。
* 第7版(1998年):SIとの併用が許容される[[非SI単位]]
* 第8版(2006年):様々な理由により特定の分野で使用されている[[非SI単位]]。ただし、単位の定義を[[SI単位]]で与えなければならない。
* 第9版(2019年)現行版<ref>[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] [[産業技術総合研究所]]、計量標準総合センター、2020年4月。</ref>:一切の記載がない。
==歴史==
[[分光法]]の先駆者である[[スウェーデン]]の[[物理学者]][[アンデルス・オングストローム]]が、1868年に [[1 E-10 m|10<sup>-10</sup> m]] を単位として使ったことに由来する。ただし、特に単位名称は名づけなかった。のちに、その単位がオングストローム単位 ({{JIS2004フォント|ångström unit}}) と呼ばれ、さらにオングストロームと略されるようになった。
オングストロームが使った単位は 10<sup>−10</sup> m であったが、当時[[メートル原器]]で定義されていたメートルより高精度の長さの単位が分光学では必要とされていた。そのため、[[1907年]]、[[国際天文学連合]] (IAU) が初めてオングストロームを国際標準として定めたとき、国際オングストローム ({{JIS2004フォント|international ångström}}) を、「[[カドミウム]]の赤線の指定条件下における波長の1/6438.4696」と再定義した。[[1927年]]に[[国際度量衡局]] (BIPM) もこれを採用した。メートルの精度が低かった時代は、この定義は 10<sup>-10</sup> m とする定義と矛盾することはなかった。
[[1960年]]、メートル自体も[[クリプトン]]の橙色線の波長から分光学的に再定義され、国際オングストロームと同等の精度を持つようになった。しかし、国際オングストロームを新しく定義されたメートルで表すと、1.0000002×10<sup>-10</sup> m となったため、10<sup>-10</sup> m とされるオングストロームと2つのオングストロームが並立することとなった。
== 符号位置 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
{{CharCode|8491|212B|1-2-82|オングストローム <br /> ANGSTROM }}
{{CharCode|197|00C5|1-9-18|LATIN CAPITAL LETTER A WITH RING ABOVE|Aring|font=JIS2004フォント}}
|}
オングストロームの単位記号 "{{JIS2004フォント|Å}}" は[[リング符号|リング]]付きの大文字A "{{JIS2004フォント|[[Å]]}}" に由来するが、[[Unicode]]や[[JIS X 0213]]ではそれぞれ別の文字として定義されている。なお、[[JIS X 0208]]にはオングストローム記号のみが2区82点に定義されている。Unicodeのオングストローム記号は、既存の文字コードとの互換性のために用意されている[[Unicodeの互換文字|互換文字]]である。Unicode標準では、この文字の代わりに「LATIN CAPITAL LETTER A WITH RING ABOVE(リング付きの大文字A)」を使うことを推奨している。「次の3つの[[文字様記号]]は、普通の文字と正準等価である: {{unichar|2126|ohm sign}}, {{unichar|212A|kelvin sign}}, and {{unichar|212B|angstrom sign}}。これら3つの全ての文字については、普通の文字が使われなければならない。」<ref>{{cite book|title=The Unicode Standard, Version 8.0|date=August 2015|publisher=The Unicode Consortium|location=Mountain View, CA, USA|isbn=978-1-936213-10-8 |section=22.2 Letterlike Symbols|page=754|url=http://www.unicode.org/versions/Unicode8.0.0/ch22.pdf|accessdate=6 September 2015}}</ref>
== 脚注 ==
<references />
{{Punctuation_marks}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:おんくすとろおむ}}
[[Category:長さの単位]]
[[Category:メートル法]]
[[Category:原子]]
[[Category:分子]]
[[Category:アンデルス・オングストローム]]
[[Category:物理学のエポニム]]
[[Category:化学のエポニム]] | 2003-05-10T02:34:58Z | 2023-12-30T10:57:59Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0 |
7,960 | 有界 | 数学において集合が有界(ゆうかい、英: bounded)である、または有界集合(ゆうかいしゅうごう、bounded set)であるとは、ある種の「差渡しの大きさ」に関する有限性をそれが持つときにいう。有界でない集合は非有界(ひゆうかい、unbounded)であるという。
順序集合 (X, ≤) とその空でない部分集合 A を考える。X の元 L が、A の任意の元 a について a ≤ L を満たすとき、L を A の上界 (upper bound) といい、上界を持つ A は上に有界であるまたは「上から抑えられる」(bounded [from] above) という。また X の元 l が、A の任意の元 a について l ≤ a を満たすならば、l を A の下界 (lower bound) といい、下界を持つ A は下に有界である、または「下から押さえられる」(bounded [from] below) という。
上に有界かつ下に有界な集合は単に有界であるという。
順序集合 (X, ≤) が半順序 ≤ に関して最大元および最小元を持つならば、この半順序は有界順序 (bounded order) である、または X は有界順序集合 (bounded poset) であるという。有界順序を持つ順序集合 X に対し、部分集合 S に順序を制限した (S, ≤) は必ずしも有界順序にはならない。
距離空間 (M, d) の部分集合 S が有界であるとは、S が有限な半径を持つ球で覆えることをいう。すなわち、M の元 x と正数 r > 0 で、任意の S の元 s に対して d (x, s) < r となるようなものが存在するとき、S は有界であるという。
M がそれ自身を M の部分集合とみて有界であるとき、d を有界距離函数 (bounded metric) といい、M を有界距離空間 (bounded metric space) と呼ぶ。
ここでSが空集合でないときは中心xをSの元に選ぶとしても同値である。
また同値な特徴付としてSの直径 diam S := sup{d(x, y) | x, y ∈ S} が有限というものがある。 | [
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] | 数学において集合が有界である、または有界集合であるとは、ある種の「差渡しの大きさ」に関する有限性をそれが持つときにいう。有界でない集合は非有界(ひゆうかい、unbounded)であるという。 | {{出典の明記|date=2023年12月}}
[[file:Bounded unbounded.svg|250px|right|thumb|上が有界集合、下が非有界集合を模式的に表したもの。ただし、下のほうは枠を超えて右方へ延々と続くものとする。]]
[[数学]]において[[集合]]が'''有界'''(ゆうかい、{{lang-en-short|''bounded''}})である、または'''有界集合'''(ゆうかいしゅうごう、{{lang|en|''bounded'' set}})であるとは、ある種の「差渡しの大きさ」に関する有限性をそれが持つときにいう。有界でない集合は'''非有界'''(ひゆうかい、{{lang|en|unbounded}})であるという。
[[file:Jordan curve theorem.png|250px|right|thumb|単純閉曲線はそれを境界として平面 '''R'''<sup>2</sup> を有界(内側)および非有界(外側)な二つの領域に分ける。]]
== 定義 ==
=== 順序集合の有界性 ===
[[順序集合]] (''X'', ≤) とその[[空集合|空]]でない[[部分集合]] ''A'' を考える。''X'' の[[元 (数学)|元]] ''L'' が、''A'' の任意の元 ''a'' について ''a'' ≤ ''L'' を満たすとき、''L'' を ''A'' の'''上界''' {{lang|en|(upper bound)}} といい、上界を持つ ''A'' は'''上に有界'''であるまたは「上から抑えられる」{{lang|en|(bounded [from] above)}} という。また ''X'' の元 ''l'' が、''A'' の任意の元 ''a'' について ''l'' ≤ ''a'' を満たすならば、''l'' を ''A'' の'''下界''' {{lang|en|(lower bound)}} といい、下界を持つ ''A'' は'''下に有界'''である、または「下から押さえられる」{{lang|en|(bounded [from] below)}} という。
上に有界かつ下に有界な集合は単に'''有界'''であるという。
順序集合 (''X'', ≤) が半順序 ≤ に関して[[最大元]]および[[最小元]]を持つならば、この半順序は'''有界順序''' {{lang|en|(bounded order)}} である、または ''X'' は'''有界順序集合''' {{lang|en|(bounded poset)}} であるという。有界順序を持つ順序集合 ''X'' に対し、部分集合 ''S'' に順序を制限した (''S'', ≤) は必ずしも有界順序にはならない。
=== 距離空間の有界性 ===
[[距離空間]] (''M'', ''d'') の部分集合 ''S'' が'''有界'''であるとは、''S'' が有限な半径を持つ球で覆えることをいう。すなわち、''M'' の元 ''x'' と正数 ''r'' > 0 で、任意の ''S'' の元 ''s'' に対して ''d'' (''x'', ''s'') < ''r'' となるようなものが存在するとき、''S'' は有界であるという。
''M'' がそれ自身を ''M'' の部分集合とみて有界であるとき、''d'' を'''有界距離函数''' {{lang|en|(bounded metric)}} といい、''M'' を'''有界距離空間''' {{lang|en|(bounded metric space)}} と呼ぶ。
ここで''S''が空集合でないときは中心''x''を''S''の元に選ぶとしても同値である。
また同値な特徴付として''S''の[[直径]] diam S := sup{''d''(''x'', ''y'') | ''x'', ''y'' ∈ ''S''} が有限というものがある。
== 例と性質 ==
* [[実数]]からなる[[開区間]] (''a'', ''b'') や[[閉区間]] [''a'', ''b''] は(通常の実数の大小関係に関する)順序集合としても(通常のユークリッド距離に関する)距離空間としても有界である。
* 実数からなる集合(実数全体の成す集合 '''R''' の部分集合)が有界ならば、それを含む有界区間が存在する。
* 一般に、'''R'''<sup>''n''</sup> に大小関係の直積順序と通常のユークリッド距離を入れて考えるとき、'''R'''<sup>''n''</sup> の部分集合 ''S'' がこの順序に関して有界となることとこの距離に関して有界となることとは等価である。
* 実数全体 '''R''' は有界ではない([[アルキメデス性]])。
* '''R''' の空でない有界集合は[[上限 (数学)|上限]](最小上界)と[[下限]](最大下界)を持つ。
* [[ユークリッド空間]] '''R'''<sup>''n''</sup> の有界集合は全有界である。とくに'''R'''<sup>''n''</sup> の有界集合はそれが閉集合ならば[[コンパクト集合|コンパクト]]である。一般に完備距離空間の全有界部分集合はコンパクトになる。
== 関連項目 ==
* [[全有界]](前コンパクト)
* [[順序集合]]
* [[有向集合]]
[[Category:順序構造|ゆうかい]]
[[Category:解析学|ゆうかい]]
[[Category:数学に関する記事|ゆうかい]] | 2003-05-10T03:11:10Z | 2023-12-28T05:12:59Z | false | false | false | [
"Template:Lang",
"Template:出典の明記",
"Template:Lang-en-short"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%95%8C |
7,961 | カントールの対角線論法 | カントールの対角線論法(カントールのたいかくせんろんぽう、英: Cantor's diagonal argument)は、数学における証明テクニック(背理法)の一つ。1891年にゲオルク・カントールによって非可算濃度を持つ集合の存在を示した論文の中で用いられたのが最初だとされている。 その後対角線論法は、数学基礎論や計算機科学において写像やアルゴリズム等が存在しないことを示す為の代表的な手法の一つとなり、例えばゲーデルの不完全性定理、停止性問題の決定不能性、時間階層定理といった重要な定理の証明で使われている。
対角線論法とは、以下の補題を使って定理を証明する背理法のことである。
上の補題は以下のように示せる。 ψ ( x ) = Y {\displaystyle \psi (x)=Y} となる x ∈ X {\displaystyle x\in X} が存在すると仮定したうえで x {\displaystyle x} が Y {\displaystyle Y} の元であるか否かを考える。もし x {\displaystyle x} が Y {\displaystyle Y} の元であれば x ∈ Y = ψ ( x ) {\displaystyle x\in Y=\psi (x)} である。しかし Y {\displaystyle Y} の定義より、 Y {\displaystyle Y} は x ∉ ψ ( x ) {\displaystyle x\notin \psi (x)} を満たす x {\displaystyle x} の集合であるので、 x ∉ ψ ( x ) {\displaystyle x\notin \psi (x)} でなければならず、矛盾する。反対にもし x {\displaystyle x} が Y {\displaystyle Y} の元でなければ x ∉ Y = ψ ( x ) {\displaystyle x\notin Y=\psi (x)} であるが、 Y {\displaystyle Y} の定義により、 x ∉ ψ ( x ) {\displaystyle x\notin \psi (x)} である x {\displaystyle x} は Y {\displaystyle Y} の元でなければならず、やはり矛盾する。
以下の補題を使った論法も対角線論法と呼ばれる。後で見るように、実は以下の補題は前節で示した補題と同値である。
実際、もしそのような x 0 ∈ X {\displaystyle x_{0}\in X} が存在すれば、 φ x 0 ( x 0 ) = g ( x 0 ) = ¬ φ x 0 ( x 0 ) {\displaystyle \phi _{x_{0}}(x_{0})=g(x_{0})=\neg \phi _{x_{0}}(x_{0})} となり矛盾する。 第一の等号は φ x 0 = g {\displaystyle \phi _{x_{0}}=g} より。第二の等号はgの定義より。
なお上の補題は φ {\displaystyle \phi } の値域 Z {\displaystyle Z} が {0,1} ではない場合にも一般化でき、 σ : Z → X {\displaystyle \sigma :Z\rightarrow X} を σ ( z ) = z {\displaystyle \sigma (z)=z} となる z ∈ Z {\displaystyle z\in Z} が存在しない写像とし、 g ( x ) = σ ∘ φ x ( x ) {\displaystyle g(x)=\sigma \circ \phi _{x}(x)} とすると、 φ x 0 = g {\displaystyle \phi _{x_{0}}=g} となる x 0 ∈ X {\displaystyle x_{0}\in X} は存在しない。
べき集合2は、Xから{0,1}への関数全体の集合と自然に同一視できることがよく知られているが、「関数による表現」の対角線論法と「集合による表現」の対角線論法はこの同一視を通して同値である事が証明できる。実際、ψを「集合による表現」で登場した関数とするとき、ψ(x)∈2はXから{0,1}への関数とみなせる。関数ψ(x)によるy∈Xの像をψ(x)(y)と書き、関数φ: X×X→{0,1}を、φ(x,y)=ψ(x)(y)として「関数による表現」の補題を使うことで、「集合による表現」の補題を証明できる。(逆もまた真。)
以下の補題を使った論法も対角線論法と呼ばれる。後で見るように、実は以下の補題は前節で示した補題と同値である。
実際Bの第i成分は¬ax,xであるのに対し、Axの第i成分はaxであるので、B≠Ax。
ψ:X×X→{0,1}を(x,y)に対しax,yを対応させる関数とすることで、「関数による表現」の補題との同値性を証明できる。
¬∃x∀y.(P(x,y)⇔¬P(y,y)) すなわち ∀x∃y.((P(x,y)∧P(y,y))∨(¬P(x,y)∧¬P(y,y)))
自然数全体の集合 N {\displaystyle \mathbb {N} } から[0, 1]区間(=0以上1以下の実数全体の集合)への全単射が存在しないことを以下のように証明できる。後で見るように、この証明は暗に対角線論法を使っている。
なお、[0, 1]区間と実数全体の集合 R {\displaystyle \mathbb {R} } は濃度が等しいので、この事実は N {\displaystyle \mathbb {N} } から R {\displaystyle \mathbb {R} } への全単射が存在しないことを含意する。
さて、仮に N {\displaystyle \mathbb {N} } から[0, 1]区間への全単射φが存在したとし、φ(i)をaiと書くことにする。すると[0, 1]区間の各元を a 1 , a 2 , ⋯ {\displaystyle a_{1},a_{2},\cdots } と番号づけすることができたことになる。
aiを二進数展開したときの j {\displaystyle j} 桁目をai,jとし、biを¬ai,iとする。
そしてbを小数点展開が0.b1b2...となる実数とする。このとき、bは a 1 , a 2 , ⋯ {\displaystyle a_{1},a_{2},\cdots } のいずれとも異なる。実際iを任意に取るとき、aiのi桁目はai,iであるのに対し、bのi桁目は¬ai,iであるので、aiとbは異なる。
仮定より[0, 1]区間の全ての元は a 1 , a 2 , ⋯ {\displaystyle a_{1},a_{2},\cdots } と番号づけされているはずなのに、[0, 1]区間の元であるはずのbは a 1 , a 2 , ⋯ {\displaystyle a_{1},a_{2},\cdots } のいずれとも異なるので、矛盾。 従って N {\displaystyle \mathbb {N} } から[0, 1]区間への全単射は存在しない。
なお、n桁に対応する元は 2 n {\displaystyle 2^{n}} 個存在するが、対角線論法においてはn桁に対して元の数をn個として議論していることには注意が必要である。
以上の論法は、行列A={ai,j}i,jに対して対角線論法の「行列による表現」を使ってベクトル{bi}={¬ai,i}がAのいずれの行とも異なることを証明したものであると解釈できる。従って以上の論法は暗に対角線論法を使っている。
カントールの定理とは次のようなものである。
これは以下のように対角線論法を用いて次のように示される。
上の Y の構成はラッセルのパラドックスで用いられる「自分自身を含まないような集合」と酷似していることに注意されたい。 X を「全ての集合を含む集合」として同じことを行うと、2 は X の部分集合でありながらしかも X より濃度が大きくなり矛盾を生じる(カントールのパラドックス)。したがって、(公理的集合論の立場では)「すべての集合を含む集合」は集合ではなく、真のクラスになる。
カントールの定理において、Xとして自然数の集合Nを考える。この冪集合の濃度2 は連続体濃度に等しいことが知られている。では、果たして可算濃度 |N| とその冪集合の濃度 2 の間に濃度が存在するのだろうか。 つまり
という主張が連続体仮説と呼ばれるものである。これはヒルベルトの23の問題の第1問題として挙げられた。
またこれを一般化して、
というのが、一般連続体仮説である。一般連続体仮説のZFからの無矛盾性をクルト・ゲーデルが、独立性を1963年にポール・コーエンがそれぞれ証明した。
停止性問題の決定不能性も対角線論法で証明できる。 (停止性問題の決定不能性が何かは停止性問題の項を参照)。
以下簡単の為、プログラムの入力は全て自然数とする。 プログラムは0と1からなる数字で書き表せるので、 プログラム全体の集合と自然数全体の集合 N {\displaystyle \mathbb {N} } と自然に同一視できる。 φ : N × N ↦ { 0 , 1 } {\displaystyle \phi :\mathbb {N} \times \mathbb {N} \mapsto \{0,1\}} を次のように定義する: A(x)が停止すればφ(A,x)=1、そうでなければφ(A,x)=0。
以下φ(A,x)のことをφA(x)と定義する。 g : N ↦ { 0 , 1 } {\displaystyle g:\mathbb {N} \mapsto \{0,1\}} を、g(A)=¬φA(A)により定義する。 すると対角線論法により、g=φMとなるMは存在しない。
さて、仮に停止性問題を常に正しく解くプログラムHが存在するとする。 M(A)を、H(A,A)=YESなら停止せず、H(A,A)=NOなら0を出力して停止するプログラムとすると、 MとHの定義よりg(A)=φMが成立し、矛盾。 したがって停止性問題を常に正しく解くプログラムは存在しない。
ゲーデルの第一不完全性定理の証明は 停止性問題の決定不能性の証明に酷似している。 したがってゲーデルの第一不完全性定理の証明も暗に対角線論法を利用している。
停止性問題の決定不能性を「有限時間」と「無限時間」という2つの時間階層の間の時間階層定理だと解釈すると、 時間階層定理の証明を停止性問題の決定不能性の証明の焼き直しとみなすことができる。 したがって時間階層定理の証明も対角線論法を使っていることが分かる。 | [
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] | カントールの対角線論法は、数学における証明テクニック(背理法)の一つ。1891年にゲオルク・カントールによって非可算濃度を持つ集合の存在を示した論文の中で用いられたのが最初だとされている。
その後対角線論法は、数学基礎論や計算機科学において写像やアルゴリズム等が存在しないことを示す為の代表的な手法の一つとなり、例えばゲーデルの不完全性定理、停止性問題の決定不能性、時間階層定理といった重要な定理の証明で使われている。 | '''カントールの対角線論法'''(カントールのたいかくせんろんぽう、{{lang-en-short|Cantor's diagonal argument}})は、数学における証明テクニック(背理法)の一つ。1891年に[[ゲオルク・カントール]]によって非可算濃度を持つ集合の存在を示した論文<ref>{{cite paper |author=George Cantor|title=Uber ein elementare Frage der Mannigfaltigkeitslehre|publisher=Deutsche Mathematiker-Vereinigung|date=1891}}</ref>の中で用いられたのが最初だとされている。
その後対角線論法は、数学基礎論や計算機科学において写像やアルゴリズム等が存在しないことを示す為の代表的な手法の一つとなり、例えば[[ゲーデルの不完全性定理]]、[[停止性問題]]の決定不能性、[[時間階層定理]]といった重要な定理の証明で使われている。
<!--
[[自然数]]からの全射が存在しないような集合、言い換えるとその元に一つずつ番号をつけて数え上げることはできないような集合の存在を、対角線論法を用いて以下のように証明することができる。この証明は[[ゲオルグ・カントール|カントール]]が[[1891年]]に発表したものである。カントールはこの定理の区間縮小法を用いた証明を[[1874年]]に得ていたが、対角線論法を用いた以下の証明はもとの証明よりも簡単で、見通しのよいものになっている。
うまく本文に組み込めなかったので、いったん削除。
-->
== 対角線論法 ==
=== 集合による表現 ===
'''対角線論法'''とは、以下の補題を使って定理を証明する[[背理法]]のことである。
* <math>X</math>を集合とし、<math>2^X</math>を<math>X</math>のべき集合とする。さらに<math>\psi</math>を<math>X</math>から<math>2^X</math>への写像とする。<math>X</math>の部分集合<math>Y</math>を<math>Y=\{x\in X: x\notin\psi(x)\}</math>により定義すると、<math>\psi(x)=Y</math>となる<math>x\in X</math>は存在しない。
上の補題は以下のように示せる。<math>\psi(x)=Y</math>となる<math>x\in X</math>が存在すると仮定したうえで<math>x</math>が<math>Y</math>の元であるか否かを考える。もし<math>x</math>が<math>Y</math>の元であれば<math>x\in Y=\psi(x)</math>である。しかし<math>Y</math>の定義より、<math>Y</math>は<math>x\notin\psi(x)</math>を満たす<math>x</math>の集合であるので、<math>x\notin\psi(x)</math>でなければならず、矛盾する。反対にもし<math>x</math>が<math>Y</math>の元でなければ<math>x\notin Y=\psi(x)</math>であるが、<math>Y</math>の定義により、<math>x\notin\psi(x)</math>である<math>x</math>は<math>Y</math>の元でなければならず、やはり矛盾する。
=== 関数による表現 ===
以下の補題を使った論法も'''対角線論法'''と呼ばれる。後で見るように、実は以下の補題は前節で示した補題と同値である。
* <math>X</math> を集合とし、<math>\phi : X \times X \rightarrow \{0,1\}</math> を写像とする。 <math>\phi(x,y)</math> を <math>\phi_{x}(y)</math> と書くと、各 <math>x \in X</math> に対し<math>\phi_{x}</math> は<math>X</math> から <math>\{0,1\}</math> への写像である。<math>g : X \rightarrow \{0, 1\}</math> を、 <math>g(x) = \neg \phi_{x}(x)</math> により定義する。ここで、「 <math>\neg</math> 」は0と1を反転する写像。すなわち、 <math>\neg{0} = 1\quad</math> 、 <math>\neg{1} = 0\quad</math> 。このとき、 <math>\phi_{x_0} = g</math> となる <math>x_0 \in X</math> は存在しない。
実際、もしそのような <math>x_{0} \in X</math> が存在すれば、 <math>\phi_{x_0}(x_0)=g(x_0)=\neg \phi_{x_0}(x_0)</math> となり矛盾する。
第一の等号は <math>\phi_{x_0}=g</math> より。第二の等号は''g''の定義より。
なお上の補題は <math>\phi</math> の値域 <math>Z</math> が {0,1} ではない場合にも一般化でき、
<math>\sigma : Z \rightarrow X</math> を <math>\sigma(z) = z</math> となる <math>z \in Z</math> が存在しない写像とし、<math>g(x)=\sigma\circ\phi_x(x)</math> とすると、 <math>\phi_{x_0}=g</math> となる <math>x_0 \in X</math> は存在しない。
べき集合2<sup>X</sup>は、Xから{0,1}への関数全体の集合と自然に同一視できる<ref group="注釈">W∈2<sup>X</sup>に対し、その特性関数χ<sub>W</sub>を対応させることで同一視できる。ここでχ<sub>W</sub>: X → {0,1}は、x∈Wとなるときおよびそのときのみχ<sub>W</sub>(x)=1となる関数。</ref>ことがよく知られているが、「関数による表現」の対角線論法と「集合による表現」の対角線論法はこの同一視を通して同値である事が証明できる。実際、ψを「集合による表現」で登場した関数とするとき、ψ(x)∈2<sup>X</sup>はXから{0,1}への関数とみなせる。関数ψ(x)によるy∈Xの像をψ(x)(y)と書き、関数φ: X×X→{0,1}を、φ(x,y)=ψ(x)(y)として「関数による表現」の補題を使うことで、「集合による表現」の補題を証明できる。(逆もまた真。)
<!--「対角線論法」という名前の由来は、 <math>\phi_{x}(y)</math> を <math>X \times X</math> の「対角線」 <math>y = x</math> 上に制限した写像 <math>\phi_{x}(x)</math> を考えることから。-->
=== 行列による表現 ===
以下の補題を使った論法も'''対角線論法'''と呼ばれる。後で見るように、実は以下の補題は前節で示した補題と同値である。
*Xを集合とし、{0,1}に値をとるX行X列の正方行列A={a<sub>x,y</sub>}<sub>x,y∈X</sub>を考える。Aのx行目のなすベクトル{a<sub>x,y</sub>}<sub>y∈X</sub>をA<sub>x</sub>と書く。行列Aの「対角線」{a<sub>x,x</sub>}<sub>x∈X</sub>をビット反転させたベクトル{¬a<sub>x,x</sub>}<sub>x∈X</sub>をBとする。ここで「¬」は0と1を反転させる関数。このとき、任意のiに対し、B≠A<sub>i</sub>。
実際Bの第i成分は¬a<sub>x,x</sub>であるのに対し、A<sub>x</sub>の第i成分はa<sub>x</sub>であるので、B≠A<sub>x</sub>。
ψ:X×X→{0,1}を(x,y)に対しa<sub>x,y</sub>を対応させる関数とすることで、「関数による表現」の補題との同値性を証明できる。
=== 論理式による表現 ===
¬∃x∀y.(P(x,y)⇔¬P(y,y)) すなわち ∀x∃y.((P(x,y)∧P(y,y))∨(¬P(x,y)∧¬P(y,y)))
== 自然数の集合と[0, 1]区間の濃度の違い ==
自然数全体の集合<math>\mathbb{N}</math>から[0, 1]区間(=0以上1以下の実数全体の集合)への[[全単射]]が存在しないことを以下のように証明できる。後で見るように、この証明は暗に対角線論法を使っている。
なお、[0, 1]区間と実数全体の集合<math>\mathbb{R}</math>は[[濃度_(数学)|濃度]]が等しいので、この事実は<math>\mathbb{N}</math>から<math>\mathbb{R}</math>への全単射が存在しないことを含意する。
さて、仮に<math>\mathbb{N}</math>から[0, 1]区間への全単射φが存在したとし、φ(i)をa<sub>i</sub>と書くことにする。すると[0, 1]区間の各[[元 (数学)|元]]を<math>a_{1}, a_{2}, \cdots</math>と番号づけすることができたことになる。
a<sub>i</sub>を[[二進記数法|二進数展開]]したときの<math>j</math>桁目をa<sub>i,j</sub>とし<ref group="注釈"><math>a_i</math>の二進数展開が2つあることもある(例えば<math>0.1=0.01111\cdots</math>)為、本当はこの部分の証明はもう少し複雑になる。</ref>、b<sub>i</sub>を¬a<sub>i,i</sub>とする。
そしてbを小数点展開が0.b<sub>1</sub>b<sub>2</sub>…となる実数とする。このとき、bは<math>a_{1}, a_{2}, \cdots</math>のいずれとも異なる。実際iを任意に取るとき、a<sub>i</sub>のi桁目はa<sub>i,i</sub>であるのに対し、bのi桁目は¬a<sub>i,i</sub>であるので、a<sub>i</sub>とbは異なる。
仮定より[0, 1]区間の全ての[[元 (数学)|元]]は<math>a_{1}, a_{2}, \cdots</math>と番号づけされているはずなのに、[0, 1]区間の元であるはずのbは<math>a_{1}, a_{2}, \cdots</math>のいずれとも異なるので、矛盾。
従って<math>\mathbb{N}</math>から[0, 1]区間への全単射は存在しない。
なお、n桁に対応する元は<math>2^n</math>個存在するが、対角線論法においてはn桁に対して元の数をn個として議論していることには注意が必要である。
以上の論法は、行列A={a<sub>i,j</sub>}<sub>i,j</sub>に対して対角線論法の「行列による表現」を使ってベクトル{b<sub>i</sub>}={¬a<sub>i,i</sub>}がAのいずれの行とも異なることを証明したものであると解釈できる。従って以上の論法は暗に対角線論法を使っている。
== カントールの定理 ==
{{main|カントールの定理}}
[[カントールの定理]]とは次のようなものである。
;定理
:''X''を任意の集合とするとき、''X''から''X''の冪集合2<sup>''X''</sup>への全射が存在しない(従って特に全単射が存在しない)。つまり、''X''の[[濃度]]より2<sup>''X''</sup>の濃度のほうが真に大きい。
これは以下のように対角線論法を用いて次のように示される。
:Xから2<sup>X</sup>への全射ψが存在したとする。<math>Y=\{x\in X: x\notin\psi(x)\}</math>により定義すると、対角線論法より、ψ(x)=Yとなるx∈Xは存在しない。これはψの全射性に反する。
上の ''Y'' の構成は[[ラッセルのパラドックス]]で用いられる「自分自身を含まないような集合」と酷似していることに注意されたい。
''X'' を「全ての集合を含む集合」として同じことを行うと、2<sup>''X''</sup> は ''X'' の部分集合でありながらしかも ''X'' より濃度が大きくなり矛盾を生じる([[集合論#素朴集合論と公理的集合論|カントールのパラドックス]])。したがって、([[公理的集合論]]の立場では)「すべての集合を含む集合」は集合ではなく、[[クラス (集合論)|真のクラス]]になる。
=== 連続体仮説 ===
{{details|連続体仮説}}
カントールの定理において、''X''として自然数の集合'''N'''を考える。この冪集合の濃度2<sup>'''N'''</sup> は[[連続体濃度]]に等しいことが知られている。では、果たして[[可算濃度]] |'''N'''| とその冪集合の濃度 2<sup>'''N'''</sup> の間に濃度が存在するのだろうか。
つまり
: |'''N'''| < ''m'' < 2<sup>'''N'''</sup> なる濃度 ''m'' は存在しない
という主張が[[連続体仮説]]と呼ばれるものである。これは[[ヒルベルトの23の問題]]の第1問題として挙げられた。
またこれを一般化して、
: 無限濃度 ''n'' に対して、''n'' < ''m'' < 2<sup>''n''</sup> なる ''m'' は存在しない
というのが、一般連続体仮説である。一般連続体仮説のZFからの無矛盾性を[[クルト・ゲーデル]]が、独立性を1963年に[[ポール・コーエン (数学者)|ポール・コーエン]]がそれぞれ証明した。
== 停止性問題の決定不能性 ==
[[停止性問題]]の決定不能性も対角線論法で証明できる。
(停止性問題の決定不能性が何かは[[停止性問題]]の項を参照)。
以下簡単の為、プログラムの入力は全て自然数とする。
プログラムは0と1からなる数字で書き表せるので、
プログラム全体の集合と自然数全体の集合<math>\mathbb{N}</math>と自然に同一視できる。
<ref group="注釈">本当は<math>\mathbb{N}</math>の中にはプログラムに対応していないものもあるが、
簡単の為その辺の事情は略する。</ref>
<math>\phi:\mathbb{N} \times \mathbb{N} \mapsto \{0,1\}</math>を次のように定義する:
''A''(''x'')が停止すればφ(''A'',''x'')=1、そうでなければφ(''A'',''x'')=0。
以下φ(''A'',''x'')のことをφ<sub>''A''</sub>(''x'')と定義する。
<math>g:\mathbb{N} \mapsto \{0,1\}</math>を、g(''A'')=¬φ<sub>''A''</sub>(''A'')により定義する。
すると対角線論法により、''g''=φ<sub>''M''</sub>となる''M''は存在しない。
さて、仮に停止性問題を常に正しく解くプログラム''H''が存在するとする。
''M''(''A'')を、''H''(''A'',''A'')=YESなら停止せず、''H''(''A'',''A'')=NOなら0を出力して停止するプログラムとすると、
''M''と''H''の定義より''g''(''A'')=φ<sub>''M''</sub>が成立し、矛盾。
したがって停止性問題を常に正しく解くプログラムは存在しない。
[[ゲーデルの不完全性定理|ゲーデルの第一不完全性定理]]の証明は
停止性問題の決定不能性の証明に酷似している。
したがってゲーデルの第一不完全性定理の証明も暗に対角線論法を利用している。
停止性問題の決定不能性を「有限時間」と「無限時間」という2つの時間階層の間の[[時間階層定理]]だと解釈すると、
時間階層定理の証明を停止性問題の決定不能性の証明の焼き直しとみなすことができる。
したがって時間階層定理の証明も対角線論法を使っていることが分かる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [http://uk.geocities.com/[email protected]/cantor/diagarg.htm Cantor's Diagonal Argument]: カントールの証明の原文とその英訳
== 関連項目 ==
* [[濃度_(数学)|濃度]]
* [[停止性問題]]
* [[パラドックス]]
{{集合論}}
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[[Category:集合論]]
[[Category:論証]]
[[Category:証明法]]
[[Category:ゲオルク・カントール]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:数学のエポニム]] | 2003-05-10T03:54:44Z | 2023-10-26T05:56:25Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A7%92%E7%B7%9A%E8%AB%96%E6%B3%95 |
7,962 | アナバシス | 『アナバシス』(古希: Ἀνάβασις)は、古代ギリシアの軍人・著述家であるクセノポンの著作。クセノポンがペルシア王の子キュロスが雇ったギリシア傭兵に参加した時の顛末を記した書物である。
書名の「アナバシス」とは、ギリシア語で元来の意味である「上り」から派生した「進軍」「内陸行」といった意味。アッリアノスの『アレクサンドロス東征記』などでも、原題にこの語彙が用いられている。
以下の全7巻から成る。
ペルシア王ダレイオス2世の子であるキュロスと兄アルタクセルクセスの兄弟では、弟の方が優秀であった。キュロスは、共に育ったペルシア人の子供たちで最も優れており、武技・弓術・馬術に並々ならぬ腕前を示し、鍛錬を怠ることがなく、勇敢であった。長じて父から地方の総督に任命されたが、彼が心がけていたのは、嘘をつかないということであった。このため、個人からも諸都市からも信頼された。また、自分が窮地にあっても味方を見捨てない、不正を許さない、有能な人物を重く用いるなど、統治者としての才能も示したと、クセノポンは記している。
このようなキュロスだったが、兄が王位に就きアルタクセルクセス2世となると、反乱を計画していると讒言されたと、クセノポンは云う。兄はそれを信じてキュロスを殺そうとするが、母の嘆願により、かろうじて思いとどまった。兄弟の母は、兄よりも弟キュロスの方が気に入っていたのである。キュロスは謀反を考えるようになり、ひそかに兵を集め始めた。
このような経緯でキュロスが雇ったギリシア傭兵に、クセノポンは、キュロスと親しかった友人に誘われて参加した。時は紀元前401年。アテナイがペロポネソス戦争で敗れた紀元前404年から3年後のことである。
キュロスの軍はサルディスを出発(紀元前401年3月)。行軍の後、バビロン近郊のクナクサでペルシア王アルタクセルクセス2世の軍と戦った(クナクサの戦い、紀元前401年9月)。キュロスは血気に逸って飛び出し、兄に手傷を負わせるも、結局討たれてしまう。このためキュロスの軍はあっけなく敗れてしまった。これによって彼に雇われていたギリシア傭兵一万は、給料も支給されぬまま、異国に放り出されることとなった。
一行はギリシアに向け帰還を開始するが、撤退早々ペルシア側との交渉に出て行った指揮官クレアルコスが、護衛兵と共に処刑される。傭兵軍団は、クセノポン他の数名を新たな指揮官として選んだ。手持ちの食料が乏しいため、各地の村々で焼き討ち、大掛かりな略奪、奴隷狩り、虐殺を繰り返し、メスピラにおいて住民の大半を虐殺。当然行く先々で敵視され、略奪の際の抵抗も強くなる。クセノポンをはじめとする傭兵軍団は、苦労を乗り越え無辜の民衆へ甚大な被害を与え続けた後、小アジア北西部のペルガモンに辿り着く(紀元前399年3月)。到着時には、ギリシア傭兵一万は、五千にまで減っていたという。彼らはここでスパルタに雇われ、就職することができた。アナバシスが終わったのである。
なお、ソクラテスの刑死は紀元前399年。<アナバシス>中のクセノポンは、師ソクラテスの死に立ち会うことができなかった。
本書は平易明快な文体で書かれているため、古代ギリシア語・アッティカ方言の語学教材としても伝統的に読まれている。また、古代ギリシアの軍事(英語版)や小アジアについての史料にもなっている。
「アナバシス」という言葉は、原義は「進軍」「内陸行」だが、後世では本書の影響により「過酷な長旅」「脱出行」の比喩としても使われる。
本書第4巻で海に到達した傭兵の歓声「タラッタ!タラッタ!(英語版)」(海だ!海だ!、タラッタ=海)は名台詞として度々引用される。 | [
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] | 『アナバシス』は、古代ギリシアの軍人・著述家であるクセノポンの著作。クセノポンがペルシア王の子キュロスが雇ったギリシア傭兵に参加した時の顛末を記した書物である。 書名の「アナバシス」とは、ギリシア語で元来の意味である「上り」から派生した「進軍」「内陸行」といった意味。アッリアノスの『アレクサンドロス東征記』などでも、原題にこの語彙が用いられている。 | {{Otheruses|[[クセノポン]]の著作|[[アッリアノス]]の著作|アレクサンドロス東征記}}
{{Works of Xenophon}}
『'''アナバシス'''』({{lang-grc-short|Ἀνάβασις}})は、古代[[ギリシア]]の軍人・著述家である[[クセノポン]]の著作。クセノポンが[[ペルシア]]王の子[[小キュロス|キュロス]]が雇ったギリシア[[傭兵]]に参加した時の顛末を記した書物である。
書名の「アナバシス」とは、ギリシア語で元来の意味である「上り」から派生した「進軍」「内陸行」といった意味<ref>『アナバシス』松平千秋訳、筑摩書房、1985年。訳者解説</ref><ref name=":0">[https://kotobank.jp/word/アナバシス-26359 アナバシスとは] - [[コトバンク]]</ref>。[[アッリアノス]]の『[[アレクサンドロス東征記]]』などでも、原題にこの語彙が用いられている。
== 構成 ==
以下の全7巻から成る。
* '''第1巻''' - [[サルデイス]]から[[クナクサ]]まで。[[紀元前401年]]3月〜9月。全10章。
* '''第2巻''' - クナクサからザパタス河まで。同年9月〜10月。全6章。
* '''第3巻''' - ザパタス河からカルドゥコイ人の国まで。同年10月〜11月。全5章。
* '''第4巻''' - カルドゥコイ人、アルメニア人、タオコイ人、カリュベス人、スキュティノイ人、マクロネス人、コルキス人等の国を経て[[トラペズス]]に到着するまで。同年11月〜[[紀元前400年]]2月。全8章。
* '''第5巻''' - トラペズスから[[コテュオラ]]まで。同年3月〜5月。全8章。
* '''第6巻''' - コテュオラから[[クリュソポリス]]まで。同年5月〜6月。全6章。
* '''第7巻''' - [[ビュザンティオン]]。[[トラキア]]のセテウス王の元でのこと。ギリシア軍が[[ペルガモン]]で、[[スパルタ]]のティブロンの部隊に加わる。同年10月〜[[紀元前399年]]3月。全8章。
== あらすじ ==
[[画像:Persian Empire, 490 BC.gif|thumb|350px|アケメネス朝の版図(ただし小キュロスの当時エジプトは離反していた)。点線はキュロス軍の進路とギリシャ兵の退路]]
[[ペルシア]]王[[ダレイオス2世]]の子である[[小キュロス|キュロス]]と兄アルタクセルクセスの兄弟では、弟の方が優秀であった。キュロスは、共に育ったペルシア人の子供たちで最も優れており、武技・弓術・馬術に並々ならぬ腕前を示し、鍛錬を怠ることがなく、勇敢であった。長じて父から地方の総督に任命されたが、彼が心がけていたのは、嘘をつかないということであった。このため、個人からも諸都市からも信頼された。また、自分が窮地にあっても味方を見捨てない、不正を許さない、有能な人物を重く用いるなど、統治者としての才能も示したと、クセノポンは記している。
このようなキュロスだったが、兄が王位に就き[[アルタクセルクセス2世]]となると、反乱を計画していると讒言されたと、クセノポンは云う。兄はそれを信じてキュロスを殺そうとするが、母の嘆願により、かろうじて思いとどまった。兄弟の母は、兄よりも弟キュロスの方が気に入っていたのである。キュロスは謀反を考えるようになり、ひそかに兵を集め始めた。
このような経緯でキュロスが雇ったギリシア[[傭兵]]に、クセノポンは、キュロスと親しかった友人に誘われて参加した。時は[[紀元前401年]]。[[アテナイ]]が[[ペロポネソス戦争]]で敗れた[[紀元前404年]]から3年後のことである。
キュロスの軍は[[サルディス]]を出発([[紀元前401年]]3月)。行軍の後、[[バビロン]]近郊の[[クナクサ]]でペルシア王アルタクセルクセス2世の軍と戦った([[クナクサの戦い]]、[[紀元前401年]]9月)。キュロスは血気に逸って飛び出し、兄に手傷を負わせるも、結局討たれてしまう。このためキュロスの軍はあっけなく敗れてしまった。これによって彼に雇われていたギリシア傭兵一万は、給料も支給されぬまま、異国に放り出されることとなった。
一行はギリシアに向け帰還を開始するが、撤退早々ペルシア側との交渉に出て行った指揮官[[クレアルコス]]が、護衛兵と共に処刑される。傭兵軍団は、クセノポン他の数名を新たな指揮官として選んだ。手持ちの食料が乏しいため、各地の村々で焼き討ち、大掛かりな略奪、奴隷狩り、虐殺を繰り返し、メスピラにおいて住民の大半を虐殺。当然行く先々で敵視され、略奪の際の抵抗も強くなる。クセノポンをはじめとする傭兵軍団は、苦労を乗り越え無辜の民衆へ甚大な被害を与え続けた後、[[小アジア]]北西部の[[ペルガモン]]に辿り着く([[紀元前399年]]3月)。到着時には、ギリシア傭兵一万は、五千にまで減っていたという。彼らはここで[[スパルタ]]に雇われ、就職することができた。アナバシスが終わったのである。
なお、[[ソクラテス]]の刑死は[[紀元前399年]]。<アナバシス>中のクセノポンは、師ソクラテスの死に立ち会うことができなかった。
== 受容 ==
本書は平易明快な文体で書かれているため、[[古代ギリシア語]]・[[アッティカ方言]]の語学教材としても伝統的に読まれている<ref name=":0" /><ref>{{Citation|和書|title=古典ギリシア語文典|last=チエシュコ|year=2016|author-mask=マルティン・チエシュコ 著、平山 晃司 訳|publisher=[[白水社]]|isbn=9784560086964}}385頁。</ref>。また、{{仮リンク|古代ギリシアの戦争|en|Ancient Greek warfare|label=古代ギリシアの軍事}}や[[小アジア]]についての史料にもなっている<ref name=":0" />。
「アナバシス」という言葉は、原義は「進軍」「内陸行」だが、後世では本書の影響により「過酷な長旅」「脱出行」の比喩としても使われる<ref>大平陽一「[https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3702/ 第一波亡命ロシア人の回想と世代の問題]」『天理大学学報』67(1)、2015年。{{NAID|120005858580}}。30頁。</ref>。
本書第4巻で海に到達した傭兵の歓声「{{仮リンク|タラッタ!タラッタ!|en|Thalatta! Thalatta!}}」(海だ!海だ!、[[タラッサ|タラッタ]]=海)は名台詞として度々引用される。
== 日本語訳 ==
*『アナバシス』 [[松平千秋]]訳、[[筑摩書房]]、1985年 - 第37回[[読売文学賞]](翻訳研究部門)受賞
*『アナバシス-敵中横断6000キロ』 松平千秋訳、[[岩波文庫]]、1993年 - 新版
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[小キュロス]]
{{Normdaten}}
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[[Category:紀元前4世紀の歴史書]]
[[Category:古代ギリシアの書籍]]
[[Category:紀元前1千年紀の書籍]]
[[Category:アケメネス朝]]
[[Category:クセノポン]] | null | 2023-07-08T02:07:20Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%90%E3%82%B7%E3%82%B9 |
7,963 | 傭兵 | 傭兵(ようへい、英: mercenary)は、金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である。
「傭」という漢字が常用漢字および新聞漢字表に含まれないため、一部の新聞等の報道では「雇い兵」と表記される。
傭兵は現代でも存在しており、民間軍事会社のような新しい形態の傭兵も登場している。
直接利害関係のない第三者でも、大義、信念、信仰などに基づいており金銭が主要目的でないものは義勇兵と呼ぶが、両者の区別はさほど厳密ではない。また国軍の職業軍人は金銭で雇われているが、利害関係のある自国のために戦うため傭兵とは呼ばない。もっとも近代国家成立以前は、給料をもらう職業軍人はしばしば傭兵と称された。
19世紀の近代国民国家成立の以前においては、傭兵は、市民兵、封建兵、徴集兵、奴隷兵と並ぶ主要な兵の一つであった。17 - 18世紀、近世に入り各国で中央集権化が進むと、自国民から構成される常備軍が創設されるようになり、従来と比較すると傭兵の需要は減ったが、継続的に戦争が行われる中で傭兵も常備軍と並び、封建軍に置き換わる兵力として使用された(三十年戦争など)。しかし、ニッコロ・マキャヴェッリは『君主論』の中で、その当時のフィレンツェが傭兵に依存している状況を批判して市民軍を創設すべきであると主張し、また、実際に近代国家成立後に国民軍が作られるなどしており、傭兵は国家に忠誠を尽くさずに金銭のために戦争をする戦争屋であるとして、傭兵に頼ることが問題視されるようになり、また傭兵自体も戦争屋などとして非難されることがある。近代の帝国主義の時代には、非正規な軍事行動を母国の思惑に従って実施する私兵(民兵の一類型)組織が傭兵的に利用された。
現在では、傭兵は国際法上で戦闘員として認められていないが、アフリカの紛争では、民間軍事会社に雇われた事実上の傭兵が暗躍していると指摘されている。また、その他の地域の民族・宗教紛争などでも、義勇兵と傭兵の両要素をもった者が参加している例が多い。イラク戦争においては、アメリカ合衆国連邦政府が「民間軍事会社」を大々的に導入した。2007年10月現在、各社合わせて米正規軍を超える18万人が活動中といわれる。そのうちの少なからぬ部分が事実上の傭兵であると思われるが、業務の性質上詳細は公になっていない。
国家が傭兵を使用あるいは支援を禁止することを明文化した傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約は1989年に国際連合総会において採択され、2001年に発効したが、2008年11月現在締約国は32ヶ国にとどまっている。
歴史的に傭兵の雇用の困難は、解雇する場合に生じる場合が多い。紀元前240年の第一次ポエニ戦争終結時、カルタゴは解雇条件に不満を示した傭兵の反乱に悩まされ、ハミルカル・バルカに命じ鎮圧を行わせている。豊臣氏は大坂冬の陣において雇い入れた浪人の処断に難渋し、それが遠因となり大坂夏の陣を招いている。
一般的に傭兵は「金次第で雇主を裏切るならず者」、「規律を守らない乱暴者」、「一匹狼」といったイメージを持たれがちであるが、傭兵の受け入れの形態は当該組織や関連組織からの接触、もしくは過去の行動を共にした仲間からの紹介など(直接武装組織に接触して売り込みをかける方法もある)が大半であるため、技術は元より雇主や同業者からの信用や交渉・対人能力も求められており、悪質な者は排斥されるというのが実際である。ただし、それは雇用主に対しての場合であり、傭兵による敵側への略奪、残虐行為などが歴史的に少なからず記録されているのも事実である。軍事史家のクレーナーは、傭兵は戦争の当事者であると同時に犠牲者でもあると評している。
1977年のジュネーブ条約第一追加議定書第47条では「傭兵」を以下にあげる事柄を全て満たす場合と定義し、該当する傭兵にはジュネーブ条約第47条が規定する「戦闘員」としての待遇を認めていない。
傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約では、武力紛争目的以外として政府転覆目的や憲法秩序弱体化目的や領土保全妨害目的でも傭兵の対象としている。
徴兵制または志願制による国民軍の軍人も、その多くは報酬を受け取っているが、彼らを傭兵と呼ぶことはない。それは、その歴史的経緯に由来する。
元来、兵役は自己の属する共同体を維持するための義務であり無報酬であった。この事から兵役=血で贖う税という意味で血税という言葉が生まれている。「多くの国では初期にあっては装備品ですら各人の負担であった。しかし長期の戦争を戦い、国土を拡大、あるいは防衛するためには、兵役を務める者とその家族の生活を保障する必要がある。この生活保障の必要性から、兵役に報酬が支払われるようになったのである」
このように、国民軍の軍人は元来無報酬(義勇兵。現在でいうボランティア)であり、純粋な職業としてではなく、共同体に属する者としての義務を果たしているという性質上から、給与が支払われていてもこれを傭兵とは呼ぶことはない。
上記のように、国民軍を編成する方法以外に、もう一つ長期戦を戦う方法がある。それが傭兵である。国民軍が、一定の市民的義務を負う者によって編成されるのに対して、傭兵はこの様な義務を負わない、主として報酬を目的とする者であるという違いがあるのである。
傭兵は自らの肉体しか財産を持たない男性が就き得る数少ない職業でもあったため、その歴史は非常に古く、身分や職業が分化し始めた頃にはすでに戦争に従事して日々の糧を得る人々がいたと推測される。古代オリエントでは徴兵軍、傭兵軍、奴隷軍が軍隊の構成要素であった。
傭兵とその他の兵種の区別が容易になる古代以降では、兵のなり手の少ない文化程度の高い豊かな国(古代ギリシア、ローマ、東ローマ帝国、イタリア都市国家)が雇う例や、直属軍の少ない封建制国家の君主が、直属軍の補強として使う例がある。また、一般的に戦闘の際の臨時の援軍として使われた。
日本の武士も古い段階においては傭兵的要素を多分に有していたと言われている。律令制の衰微に伴って軍団に替わって設けられた健児も庸・調の免除を受けた上に兵粮などの名目で多額の金米が支給されていた。その後、軍団制が復活するものの、実態は徴兵制的なものから傭兵的制度に移行していく事になる。 例えば、天平12年に起きた藤原広嗣の乱において、戦闘の帰趨を決したのは徴兵で集めた軍団兵ではなく、隼人や私兵として郡司に雇われていた騎馬兵だった。
大同元年10月に、蝦夷の俘囚640人を太宰府に移動させて防人にしたのを始めとして、9世紀を通じて朝廷は東国で得た戦争捕虜を給養し、防人や海賊対策として西国で活用した。 大同4年6月11日の太政官符には京都の守備兵増員の際に、徴兵された者が「兵士料(兵士銭)」を納めてこれを免れ、代わりに兵士となるものを雇用している実態が明らかにされている。 また、元慶7年に新たな海賊対策として、募集で集めた浪人に官費で装備を与え、要害を守備させる「禦賊兵士の制度」を設けている。これらの職業軍人の募集は、10世紀に諸国の実力者が「諸家兵士」「諸国兵士」と呼ばれる私兵を蓄えて組織化していく傭兵制度の基となった。
また、地方官となった受領達には一般的には自分達を守る兵力を有していなかったために武芸に優れたものを一時的に「郎党」として雇い入れている事があった。『枕草子』には除目の際に受領の候補者とされる人の下に人が集まってきたが、受領になれなかったと聞いて散っていったという描写があるが、こうした人の中には「郎党」となってその経済的恩恵の分け前に与ろうとした人達も含まれていたと考えられている。『雲州消息』にも「参議藤原某より前将軍平某へ護衛の兵を借り受ける」書簡の文例が載せられているが、これもこうした傭兵的な慣習の存在を裏付けている。
中世以後の武士は土地との繋がりが密接だったほか、しばしば長期の平和で戦争が途絶えることがあったため、傭兵的要素は次第に失われていく事になるが、規模は小さかったものの南北朝時代には海賊衆と言われる水軍勢力や悪党・野伏・野武士と呼ばれる半農の武装集団や雑兵(広義的な足軽。中には、戦は二の次にして、乱妨取りばかり行うケースが多く存在した。)などが比較的ポピュラーであったほか、雑賀・根来などの鉄砲、伊賀・甲賀の忍術といった特殊技能集団が傭兵的に雇われた。応仁の乱には骨皮道賢に代表される京中悪党と呼ばれる集団は図屏風にも描かれている。
また、出自が卑しくても、当時「器用人」と呼ばれた有能な武士は主人を幾度も替え、自分の才能を売り込み、藤堂高虎のように大名にまで出世した者もおり、事実上の傭兵とも言える。彼らの目的は金銭的恩賞というよりは、むしろ功績に対して主君から出される感状にあり、これを受けることで、次の仕官において高い報酬を得ることが可能となった。また、身分の別なく、自らを戦力として大名に押し売りする者もいた。彼らは陣借りと言い、自ら武具や兵糧を用意して戦場に駆けつけ、戦に参加した。恩賞を確実に貰えたわけではないが、これによって名を上げた武士もいる。
このようなものの最も大規模な例は大坂の陣で大坂城に入城した浪人であろう。しかしこの戦で大坂方は負け、日本では徳川幕府による天下統一が成し遂げられた。
戦が無くなった国内に活動の余地がなくなり、日本の武士が多数海外に流出したのが当時の現象であった。浪人の中には、山田長政のようにアユタヤ・プノンペンなどに渡り現地の王朝に雇われる者も現れた。ピーター・ウォーレン・シンガーによるとイギリス東インド会社の傭兵の半数は日本人であったとのことである。また、アンボイナ事件において日本人傭兵が殺害される事件がおきている。こうしたことから海外での日本人傭兵の活動の片鱗をうかがうことができる。
近世になると、臨時雇い兵の雑兵は、足軽が大名に「常勤」による同心の身分として雇われることが多かったのと比較すると、不利な部分が多い下の中間、下人と呼ばれる身分は武家奉公人として必要時だけ雇われる「非正規雇用」の身分となることが多かった。
そして、明治維新を経て、武士集団は解体され近代国家として徴兵による国民軍が形成されるに至り、金銭で雇用される兵員という身分は日本からは消滅した。
古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する市民兵が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族やガリア人など、のちにゲルマン人の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、屯田兵のような形にすることが多くなった。またマラトンの戦いで重装歩兵の威力を知ったペルシア帝国においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある。兵士の不足したローマ帝国では市民権を得るために補助兵となる植民市民や属州民が多数存在したが、カラカラ帝によるアントニヌス勅令を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを同盟部族(フォエデラティ)や傭兵に頼ることとなった。
中世においては、西欧の戦闘の主力は騎士を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期にはノルマン人、後には王制の未発達なフランドル、スペイン、ブルゴーニュ、イタリア人などが多かった。ビザンティン帝国では主力としてフランク人、ノルマン人、アングロ・サクソン人傭兵が使われた。この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している。国家は傭兵個人とではなく複数の兵士が集まった傭兵団(フリーカンパニー)と契約していたが、傭兵団も補強のため正式に叙勲されていない自称騎士(黒騎士)やフリーランサーの傭兵を雇い入れていた。
中世の終わりから近世にかけてイタリアの都市国家は独立性を高め、傭兵の需要が伸びたため、シニョーレと呼ばれるイタリアの小君主が私兵ごと売り込んだ。これらの契約形態はコンドッティエーレと呼ばれる。
近世に入ると王権が強くなり、軍隊の維持能力のある国の王は傭兵部隊を中心とした直轄軍を拡大させるようになる(フランス王国におけるスイス傭兵等)。やがて常備軍は自国の兵が中心となるが、戦争が定常的に起こる中、傭兵も大きな役割を果たした(ドイツ傭兵ランツクネヒトなど)。オラニエ公ウィレムが率いたスペインに対する反乱軍も、初期はほとんどがドイツ人傭兵で占められていた。
海軍が大規模に常備されるようになる以前は、海戦の主力は臨時で雇われる海賊や海運業者たちであった。16世紀から18世紀に盛んになった私掠船も民間船に臨時の私掠免許を与えていただけで、海の傭兵ともいえる。
近代以降は、フランス革命により国民国家が創設されると、国民の愛国心に訴えた軍制である国民軍という発想が出てくる。国民軍は傭兵より維持費が安価で、大量動員できることや国家と国民との一体化を図ることができるなどの利点から、傭兵の重要性は低くなった。しかし、アジア、アフリカ、南アメリカ等の植民地化において、傭兵的性格の非正規軍(民兵)が利用された。英印軍のグルカ兵やシク教徒たちもその類だが、19世紀にはスイスが国民の傭兵活動を禁じたことからカナダ出身者の傭兵が多く、クリミア戦争をはじめイタリア統一戦争、南北戦争、メキシコ干渉にも多数参加していたという記録もある。また、フランスでは1831年に、実質上傭兵部隊である「フランス外人部隊」が創設され、現在に至っている。
ヨーロッパに傭兵の地位の低下が目立ってきた一方、17世紀には各国の東インド会社が自国の権益を現地人や他国の東インド会社から守るために会社軍を編成していた。これはヨーロッパ人の元士官を指揮官として迎え入れ、兵卒は臨時雇用した傭兵で構成されていた。躍した地域はインド亜大陸においてで、そのおもな構成員はドイツやスイスの傭兵部隊、そして現地で募ったスィパーヒー、グルカ兵などの傭兵であった。植民地主義が各国で興り、植民地経営が東インド会社から帝国へと移っても基本的に傭兵の使用に関しては変わらなかった。
この時代には近代的な軍隊(国民軍)を組織していたのはヨーロッパの先進国のみで、多くの国では臨時に編成した民兵部隊や傭兵を支配階級が指揮する旧来的な組織が残っていた。これらの国では軍の近代化のため、友好国から軍事顧問団を派遣してもらうこともあったが、一部では軍事教育を受けたヨーロッパの将校を指導教官として直接雇用することも行われた。雇われた将校は外国人であるため自国の軍人ではなく、『指南役として雇用した傭兵』であった。また火砲の取り扱いなど近代兵器の運用法を習得するため技術将校の招聘も行われており、例としてイギリス軍の技術将校(測量技師)だったウィリアム・ライトは、退役後にエジプト軍に砲撃指揮官として迎え入れられている。日本では幕府陸軍の創設時にヨーロッパへの視察などで独自研究を行ったほか、フランス軍事顧問団の指導を受け、幕府海軍はオランダ海軍から教官の派遣を受けたが、エジプトのように個人と直接契約することはなかった。ただし、フランス軍事顧問団の一部は義勇兵として戊辰戦争に参加した。
第二次世界大戦後に国際連合総会において、1960年に植民地独立付与宣言がなされると、こうした植民地保有国の直接的な植民地経営が困難となった。そのため各国は自国の兵ではなく間接的に、傭兵を使って自国の権益を守ろうとした。たとえば、コンゴから分離したカタンガ国のベルギーによる傭兵の派遣である。(またこの傭兵はビアフラ内戦においてもイギリスに雇われている。この時のイギリスの目的はイボ族の多い地域をビアフラ共和国として独立させることによる石油利権の獲得であった。)こうした傭兵の派遣は国連においても問題とされた。この問題が後の傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約につながる。(参考:安全保障理事会決議161、169など)
厳密に分類することはできず、実際には、以下のいくつかの特徴を兼ねている場合が多い。
20 - 21世紀の現代においても各地の戦争・紛争において傭兵は存在し、特に民族・宗教紛争などでは傭兵の存在がちらつく。これには当事者集団に近代戦を行なうだけの能力が不足していたり、敵対勢力より戦力上の優位を素早く獲得するため傭兵を雇うほうが便宜であるといった雇用者側の事情や、経済的な理由により危険はあるもののこれに応じようとする傭兵の成り手側の事情がある。しかし現代では 兵器類は自前で用意しなくてはならず 機密情報流出の懸念があったり そもそも兵器が高度化して 傭兵でも訓練が必要になったりと、少なくとも先進国においては下火となっている。
広義では、雇われて戦争に関する仕事を行う者全てを傭兵と呼ぶこともあるが、ジュネーブ諸条約第一追加議定書の傭兵の定義を要約すると、「主に金銭、利益を目的として雇用され、戦闘行為を行う第三国人、およびその集団で、紛争当事国の軍隊の構成員とならない者」に限定される。
従って、狭義の傭兵では、アフリカなどで活躍した「個人・小グループの傭兵」のみがあてはまる。
他の「傭兵に似たもの」としては以下のものが挙げられる。 正規軍として扱われる外人部隊についてはフランス外人部隊などを参照のこと。
バチカン市国のスイス人傭兵の例は、中世からの慣例に基づく儀仗兵である。現在、スイスの法律では傭兵となることを禁止しており、儀仗兵は唯一の例外とされている(バチカンの聖職者が自力で領域を守る事は出来ない)。
通常、著名な傭兵が雇い主と契約を交わし、その傭兵の元に以前からのグループやフリーランスの傭兵が集まるという形態を取る。現代の傭兵は金銭・利益のためだけではなく、しばしば自己の支持する主義・宗教などの側に立って戦うという点で、歴史的な傭兵とは違い、義勇兵的な側面を持っている。
これは、冷戦時代に数多く見られたケースで、航空機や艦艇の製造国である先進国のパイロットや技術者が、発展途上国の空軍や海軍に派遣されて技術指導や訓練ばかりでなく、実戦にも参加するケースである。現在の兵器が極めて精密緻密なために、高度な技術を保有しなければ運用・整備ができなくなっているためという事が大きい。
たとえば、リビア空軍やスーダン空軍、初期のエジプト空軍などでは旧ソビエト連邦から派遣されたパイロットが航空機を運用していた。また、第二次世界大戦以前のタイ海軍は外国人の海軍士官が多く存在しており、彼らが艦艇の運用とタイ人海軍兵士の訓練を担当していた。また、やはり第二次大戦中のアメリカが、日中戦争で中国支援の為の義勇部隊(空の賞金稼ぎ)「フライング・タイガース」を活動させようとしていた(結局、実際に部隊が戦闘に参加したのは日米開戦後になった)。この他、中華人民共和国やフランス、北朝鮮などがパイロットや教官を発展途上国に多く派遣しているといわれる。ベトナム戦争中にCIAが関わった「エア・アメリカ」もこの一と言えよう。
アフリカ諸国など発展途上国においては空軍は装備ばかりでなく訓練システムも貧弱であり、自国民のパイロットが育成できない場合も多い。この場合、内戦・クーデターなど緊急事態においては傭兵のパイロットが航空機の運用に関わる事がしばしばある。チャドの内戦においては、チャド空軍のA-1スカイレイダー攻撃機はもっぱらフランス人傭兵が運用していた。
この場合、契約は国家間もしくはそれにメーカーを加えたケースが多い。もっとも、国家間で協定がなされ専門家が派遣されるような場合に、実質的にそれをどこまでが傭兵であり、どこからが軍事支援・軍の派遣などであると捉えるかの線引きは、明らかなものではない。
さらに、先進諸国であっても、軍の合理化策として比較的機密事項の少ない輸送・訓練・支援(給油など)を民間企業(元軍人が経営する事が多い)に委託する事もあり、この点でも線引きは曖昧になりつつある。(詳しくは民間軍事会社を参照のこと。)
このタイプの傭兵については民間軍事会社 (PMC) の項も参照。
純粋な営利目的として内戦やクーデターに関わるという事で、歴史的な意味での傭兵にもっとも近いといえる。ただし、特殊作戦や航空作戦を除いて直接実戦に参加する事は少なく、顧問・教官という形で間接的に実戦に参加する。「雇用主」は正規の政府が多く、時には油田や鉱山などその国に利権を持つ大企業である場合もある。
こうした傭兵は元特殊部隊員などの軍人出身者(退役軍人)が多く、組織化されて企業化されている事もある。イギリス、アメリカ、南アフリカ(現在は非合法化)などにこうした企業が存在する。大手企業の一部には戦車、装甲兵員輸送車、榴弾砲、攻撃ヘリコプターといった、正規軍と大差ない装備を独自に保有している事もある。
ただし、表向きは「民間警備支援サービス」などと称する場合がほとんどである(更に、民間軍事会社所属の傭兵は、「警備員」「警備会社社員」と称すことも多い)。実際に、当初は発展途上国や治安の悪化している国においてオフィス・工場・鉱山などの警備をしていた者を、発展途上国の政府が見込んで依頼をしたというケースが多い。
需要者としては発展途上国に多い。これらの国の政府軍は技術・装備に乏しく、また士気に問題があることもあって兵士としての十分な行動に期待できない場合がある。特に内戦を抱える発展途上国は冷戦時代には各陣営から支援を受けて軍事力でそれを抑え込んでいたが、冷戦が終わりそれもなくなってしまうと、そうした発展途上国は反乱分子の鎮圧を民間軍事会社に頼るようになった。
さらに、内政不干渉の原則などにより正規軍兵士の身分を持つ者が関わる事が困難な任務も存在する。このような場合、政治的リスクが小さい傭兵を受け入れるという事になる。アフリカ諸国では旧宗主国の思惑がからむ場合も多く、例えば、アンゴラ内戦においては、冷戦期に敵であった南アフリカ軍の元兵士達を主力とする傭兵企業「エグゼクティブ・アウトカムズ」が、1990年代に政府軍の支援を行い、一定の成果を上げたといわれる。また、西側先進国政府が雇用主であることも多い。この場合、世論の動向から表立って軍事介入はできないが、国益やビジネスのためのかなり「ダーティー」な解決法として利用される。当然露見した場合のリスクはかなり高い。
さらに近年、軍事予算の削減や正規軍兵士の戦死が世論から非難を受けるという傾向を踏まえ、危険性の高い地域でのパトロール任務を民間「警備」会社に委託するケースも見受けられるようになっている。イラク戦争においても正規軍以外に要人警護や特殊任務に参加している「民間人」が確認されている。これらもこうした傭兵の一つと考えられる。
国家が編成した軍隊の外人部隊へ入隊した者は国が身分を保障するため、法的には傭兵ではなく正式な軍人として扱われる。一方で、企業や個人が雇用する傭兵の場合は、「非合法戦闘員」あるいは単なる犯罪者と解釈され、捕虜になったとしてもジュネーブ条約における捕虜の規定が適用されずに処罰される可能性が高い。また、自国の在外機関や軍の救難部隊の援助を求めることは困難である。さらに、後者で敵戦闘員やテロリスト等を殺害した場合、たとえ無事に帰国しても、殺人罪の国外犯として自国政府に罰せられる可能性がある。
国によっては傭兵になること自体を犯罪行為としている国もあり、マイク・ホアーやサイモン・マンのように反傭兵法で実刑を受けた例もある。反傭兵法では傭兵の雇用者や資金提供者も処罰の対象としており、2005年1月にマーガレット・サッチャーの長男であるマーク・サッチャーが赤道ギニアのクーデターを企んでいた傭兵のサイモン・マンへ資金援助を行った容疑で逮捕され反傭兵法で起訴有罪になっている。日本ではISILの戦闘員としてシリアに向かうことを計画した大学生に私戦予備罪・私戦陰謀罪の捜査対象とされた。
このように現代では法的な民間軍事会社の立場が非常に不明確であることが問題となり、2008年9月17日にモントルー文書として民間軍事会社の人員に対する指針が作成された。指針であり条約ではないため、批准国であっても守る義務は無いがどう扱うべきか判断する基準となっている。2009年9月現在、スイスのモントルーでモントルー文書を正規の条約とするための会議が行われている。
2010年代にリビアやナゴルノカラバフに送られたシリア人の傭兵の例では、月給3000ドルと死亡時の遺族補償金7万5000ドルで契約を行うものの、実際はブローカーの手により中抜きが行われ月給は800-1400ドルとなることが報告されている。とはいえ、遺族補償があるのは良心的で、有名なPMCのアメリカ人傭兵であっても、採用時には死亡補償は無いと警告されることが多い。 | [
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"text": "日本の武士も古い段階においては傭兵的要素を多分に有していたと言われている。律令制の衰微に伴って軍団に替わって設けられた健児も庸・調の免除を受けた上に兵粮などの名目で多額の金米が支給されていた。その後、軍団制が復活するものの、実態は徴兵制的なものから傭兵的制度に移行していく事になる。 例えば、天平12年に起きた藤原広嗣の乱において、戦闘の帰趨を決したのは徴兵で集めた軍団兵ではなく、隼人や私兵として郡司に雇われていた騎馬兵だった。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "大同元年10月に、蝦夷の俘囚640人を太宰府に移動させて防人にしたのを始めとして、9世紀を通じて朝廷は東国で得た戦争捕虜を給養し、防人や海賊対策として西国で活用した。 大同4年6月11日の太政官符には京都の守備兵増員の際に、徴兵された者が「兵士料(兵士銭)」を納めてこれを免れ、代わりに兵士となるものを雇用している実態が明らかにされている。 また、元慶7年に新たな海賊対策として、募集で集めた浪人に官費で装備を与え、要害を守備させる「禦賊兵士の制度」を設けている。これらの職業軍人の募集は、10世紀に諸国の実力者が「諸家兵士」「諸国兵士」と呼ばれる私兵を蓄えて組織化していく傭兵制度の基となった。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"text": "また、地方官となった受領達には一般的には自分達を守る兵力を有していなかったために武芸に優れたものを一時的に「郎党」として雇い入れている事があった。『枕草子』には除目の際に受領の候補者とされる人の下に人が集まってきたが、受領になれなかったと聞いて散っていったという描写があるが、こうした人の中には「郎党」となってその経済的恩恵の分け前に与ろうとした人達も含まれていたと考えられている。『雲州消息』にも「参議藤原某より前将軍平某へ護衛の兵を借り受ける」書簡の文例が載せられているが、これもこうした傭兵的な慣習の存在を裏付けている。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"text": "中世以後の武士は土地との繋がりが密接だったほか、しばしば長期の平和で戦争が途絶えることがあったため、傭兵的要素は次第に失われていく事になるが、規模は小さかったものの南北朝時代には海賊衆と言われる水軍勢力や悪党・野伏・野武士と呼ばれる半農の武装集団や雑兵(広義的な足軽。中には、戦は二の次にして、乱妨取りばかり行うケースが多く存在した。)などが比較的ポピュラーであったほか、雑賀・根来などの鉄砲、伊賀・甲賀の忍術といった特殊技能集団が傭兵的に雇われた。応仁の乱には骨皮道賢に代表される京中悪党と呼ばれる集団は図屏風にも描かれている。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"tag": "p",
"text": "また、出自が卑しくても、当時「器用人」と呼ばれた有能な武士は主人を幾度も替え、自分の才能を売り込み、藤堂高虎のように大名にまで出世した者もおり、事実上の傭兵とも言える。彼らの目的は金銭的恩賞というよりは、むしろ功績に対して主君から出される感状にあり、これを受けることで、次の仕官において高い報酬を得ることが可能となった。また、身分の別なく、自らを戦力として大名に押し売りする者もいた。彼らは陣借りと言い、自ら武具や兵糧を用意して戦場に駆けつけ、戦に参加した。恩賞を確実に貰えたわけではないが、これによって名を上げた武士もいる。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
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"paragraph_id": 22,
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"text": "このようなものの最も大規模な例は大坂の陣で大坂城に入城した浪人であろう。しかしこの戦で大坂方は負け、日本では徳川幕府による天下統一が成し遂げられた。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"text": "戦が無くなった国内に活動の余地がなくなり、日本の武士が多数海外に流出したのが当時の現象であった。浪人の中には、山田長政のようにアユタヤ・プノンペンなどに渡り現地の王朝に雇われる者も現れた。ピーター・ウォーレン・シンガーによるとイギリス東インド会社の傭兵の半数は日本人であったとのことである。また、アンボイナ事件において日本人傭兵が殺害される事件がおきている。こうしたことから海外での日本人傭兵の活動の片鱗をうかがうことができる。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "近世になると、臨時雇い兵の雑兵は、足軽が大名に「常勤」による同心の身分として雇われることが多かったのと比較すると、不利な部分が多い下の中間、下人と呼ばれる身分は武家奉公人として必要時だけ雇われる「非正規雇用」の身分となることが多かった。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
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"tag": "p",
"text": "そして、明治維新を経て、武士集団は解体され近代国家として徴兵による国民軍が形成されるに至り、金銭で雇用される兵員という身分は日本からは消滅した。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
{
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"text": "古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する市民兵が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族やガリア人など、のちにゲルマン人の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、屯田兵のような形にすることが多くなった。またマラトンの戦いで重装歩兵の威力を知ったペルシア帝国においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある。兵士の不足したローマ帝国では市民権を得るために補助兵となる植民市民や属州民が多数存在したが、カラカラ帝によるアントニヌス勅令を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを同盟部族(フォエデラティ)や傭兵に頼ることとなった。",
"title": "歴史上の傭兵"
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{
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"text": "中世においては、西欧の戦闘の主力は騎士を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期にはノルマン人、後には王制の未発達なフランドル、スペイン、ブルゴーニュ、イタリア人などが多かった。ビザンティン帝国では主力としてフランク人、ノルマン人、アングロ・サクソン人傭兵が使われた。この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している。国家は傭兵個人とではなく複数の兵士が集まった傭兵団(フリーカンパニー)と契約していたが、傭兵団も補強のため正式に叙勲されていない自称騎士(黒騎士)やフリーランサーの傭兵を雇い入れていた。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"paragraph_id": 28,
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"text": "中世の終わりから近世にかけてイタリアの都市国家は独立性を高め、傭兵の需要が伸びたため、シニョーレと呼ばれるイタリアの小君主が私兵ごと売り込んだ。これらの契約形態はコンドッティエーレと呼ばれる。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"paragraph_id": 29,
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"text": "近世に入ると王権が強くなり、軍隊の維持能力のある国の王は傭兵部隊を中心とした直轄軍を拡大させるようになる(フランス王国におけるスイス傭兵等)。やがて常備軍は自国の兵が中心となるが、戦争が定常的に起こる中、傭兵も大きな役割を果たした(ドイツ傭兵ランツクネヒトなど)。オラニエ公ウィレムが率いたスペインに対する反乱軍も、初期はほとんどがドイツ人傭兵で占められていた。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"paragraph_id": 30,
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"text": "海軍が大規模に常備されるようになる以前は、海戦の主力は臨時で雇われる海賊や海運業者たちであった。16世紀から18世紀に盛んになった私掠船も民間船に臨時の私掠免許を与えていただけで、海の傭兵ともいえる。",
"title": "歴史上の傭兵"
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{
"paragraph_id": 31,
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"text": "近代以降は、フランス革命により国民国家が創設されると、国民の愛国心に訴えた軍制である国民軍という発想が出てくる。国民軍は傭兵より維持費が安価で、大量動員できることや国家と国民との一体化を図ることができるなどの利点から、傭兵の重要性は低くなった。しかし、アジア、アフリカ、南アメリカ等の植民地化において、傭兵的性格の非正規軍(民兵)が利用された。英印軍のグルカ兵やシク教徒たちもその類だが、19世紀にはスイスが国民の傭兵活動を禁じたことからカナダ出身者の傭兵が多く、クリミア戦争をはじめイタリア統一戦争、南北戦争、メキシコ干渉にも多数参加していたという記録もある。また、フランスでは1831年に、実質上傭兵部隊である「フランス外人部隊」が創設され、現在に至っている。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "ヨーロッパに傭兵の地位の低下が目立ってきた一方、17世紀には各国の東インド会社が自国の権益を現地人や他国の東インド会社から守るために会社軍を編成していた。これはヨーロッパ人の元士官を指揮官として迎え入れ、兵卒は臨時雇用した傭兵で構成されていた。躍した地域はインド亜大陸においてで、そのおもな構成員はドイツやスイスの傭兵部隊、そして現地で募ったスィパーヒー、グルカ兵などの傭兵であった。植民地主義が各国で興り、植民地経営が東インド会社から帝国へと移っても基本的に傭兵の使用に関しては変わらなかった。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"text": "この時代には近代的な軍隊(国民軍)を組織していたのはヨーロッパの先進国のみで、多くの国では臨時に編成した民兵部隊や傭兵を支配階級が指揮する旧来的な組織が残っていた。これらの国では軍の近代化のため、友好国から軍事顧問団を派遣してもらうこともあったが、一部では軍事教育を受けたヨーロッパの将校を指導教官として直接雇用することも行われた。雇われた将校は外国人であるため自国の軍人ではなく、『指南役として雇用した傭兵』であった。また火砲の取り扱いなど近代兵器の運用法を習得するため技術将校の招聘も行われており、例としてイギリス軍の技術将校(測量技師)だったウィリアム・ライトは、退役後にエジプト軍に砲撃指揮官として迎え入れられている。日本では幕府陸軍の創設時にヨーロッパへの視察などで独自研究を行ったほか、フランス軍事顧問団の指導を受け、幕府海軍はオランダ海軍から教官の派遣を受けたが、エジプトのように個人と直接契約することはなかった。ただし、フランス軍事顧問団の一部は義勇兵として戊辰戦争に参加した。",
"title": "歴史上の傭兵"
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"text": "第二次世界大戦後に国際連合総会において、1960年に植民地独立付与宣言がなされると、こうした植民地保有国の直接的な植民地経営が困難となった。そのため各国は自国の兵ではなく間接的に、傭兵を使って自国の権益を守ろうとした。たとえば、コンゴから分離したカタンガ国のベルギーによる傭兵の派遣である。(またこの傭兵はビアフラ内戦においてもイギリスに雇われている。この時のイギリスの目的はイボ族の多い地域をビアフラ共和国として独立させることによる石油利権の獲得であった。)こうした傭兵の派遣は国連においても問題とされた。この問題が後の傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約につながる。(参考:安全保障理事会決議161、169など)",
"title": "歴史上の傭兵"
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{
"paragraph_id": 35,
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"text": "厳密に分類することはできず、実際には、以下のいくつかの特徴を兼ねている場合が多い。",
"title": "歴史上の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 36,
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"text": "20 - 21世紀の現代においても各地の戦争・紛争において傭兵は存在し、特に民族・宗教紛争などでは傭兵の存在がちらつく。これには当事者集団に近代戦を行なうだけの能力が不足していたり、敵対勢力より戦力上の優位を素早く獲得するため傭兵を雇うほうが便宜であるといった雇用者側の事情や、経済的な理由により危険はあるもののこれに応じようとする傭兵の成り手側の事情がある。しかし現代では 兵器類は自前で用意しなくてはならず 機密情報流出の懸念があったり そもそも兵器が高度化して 傭兵でも訓練が必要になったりと、少なくとも先進国においては下火となっている。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 37,
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"text": "広義では、雇われて戦争に関する仕事を行う者全てを傭兵と呼ぶこともあるが、ジュネーブ諸条約第一追加議定書の傭兵の定義を要約すると、「主に金銭、利益を目的として雇用され、戦闘行為を行う第三国人、およびその集団で、紛争当事国の軍隊の構成員とならない者」に限定される。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "従って、狭義の傭兵では、アフリカなどで活躍した「個人・小グループの傭兵」のみがあてはまる。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 39,
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"text": "他の「傭兵に似たもの」としては以下のものが挙げられる。 正規軍として扱われる外人部隊についてはフランス外人部隊などを参照のこと。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "バチカン市国のスイス人傭兵の例は、中世からの慣例に基づく儀仗兵である。現在、スイスの法律では傭兵となることを禁止しており、儀仗兵は唯一の例外とされている(バチカンの聖職者が自力で領域を守る事は出来ない)。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 41,
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"text": "通常、著名な傭兵が雇い主と契約を交わし、その傭兵の元に以前からのグループやフリーランスの傭兵が集まるという形態を取る。現代の傭兵は金銭・利益のためだけではなく、しばしば自己の支持する主義・宗教などの側に立って戦うという点で、歴史的な傭兵とは違い、義勇兵的な側面を持っている。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "これは、冷戦時代に数多く見られたケースで、航空機や艦艇の製造国である先進国のパイロットや技術者が、発展途上国の空軍や海軍に派遣されて技術指導や訓練ばかりでなく、実戦にも参加するケースである。現在の兵器が極めて精密緻密なために、高度な技術を保有しなければ運用・整備ができなくなっているためという事が大きい。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 43,
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"text": "たとえば、リビア空軍やスーダン空軍、初期のエジプト空軍などでは旧ソビエト連邦から派遣されたパイロットが航空機を運用していた。また、第二次世界大戦以前のタイ海軍は外国人の海軍士官が多く存在しており、彼らが艦艇の運用とタイ人海軍兵士の訓練を担当していた。また、やはり第二次大戦中のアメリカが、日中戦争で中国支援の為の義勇部隊(空の賞金稼ぎ)「フライング・タイガース」を活動させようとしていた(結局、実際に部隊が戦闘に参加したのは日米開戦後になった)。この他、中華人民共和国やフランス、北朝鮮などがパイロットや教官を発展途上国に多く派遣しているといわれる。ベトナム戦争中にCIAが関わった「エア・アメリカ」もこの一と言えよう。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "アフリカ諸国など発展途上国においては空軍は装備ばかりでなく訓練システムも貧弱であり、自国民のパイロットが育成できない場合も多い。この場合、内戦・クーデターなど緊急事態においては傭兵のパイロットが航空機の運用に関わる事がしばしばある。チャドの内戦においては、チャド空軍のA-1スカイレイダー攻撃機はもっぱらフランス人傭兵が運用していた。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "この場合、契約は国家間もしくはそれにメーカーを加えたケースが多い。もっとも、国家間で協定がなされ専門家が派遣されるような場合に、実質的にそれをどこまでが傭兵であり、どこからが軍事支援・軍の派遣などであると捉えるかの線引きは、明らかなものではない。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "さらに、先進諸国であっても、軍の合理化策として比較的機密事項の少ない輸送・訓練・支援(給油など)を民間企業(元軍人が経営する事が多い)に委託する事もあり、この点でも線引きは曖昧になりつつある。(詳しくは民間軍事会社を参照のこと。)",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "このタイプの傭兵については民間軍事会社 (PMC) の項も参照。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "純粋な営利目的として内戦やクーデターに関わるという事で、歴史的な意味での傭兵にもっとも近いといえる。ただし、特殊作戦や航空作戦を除いて直接実戦に参加する事は少なく、顧問・教官という形で間接的に実戦に参加する。「雇用主」は正規の政府が多く、時には油田や鉱山などその国に利権を持つ大企業である場合もある。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "こうした傭兵は元特殊部隊員などの軍人出身者(退役軍人)が多く、組織化されて企業化されている事もある。イギリス、アメリカ、南アフリカ(現在は非合法化)などにこうした企業が存在する。大手企業の一部には戦車、装甲兵員輸送車、榴弾砲、攻撃ヘリコプターといった、正規軍と大差ない装備を独自に保有している事もある。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "ただし、表向きは「民間警備支援サービス」などと称する場合がほとんどである(更に、民間軍事会社所属の傭兵は、「警備員」「警備会社社員」と称すことも多い)。実際に、当初は発展途上国や治安の悪化している国においてオフィス・工場・鉱山などの警備をしていた者を、発展途上国の政府が見込んで依頼をしたというケースが多い。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "需要者としては発展途上国に多い。これらの国の政府軍は技術・装備に乏しく、また士気に問題があることもあって兵士としての十分な行動に期待できない場合がある。特に内戦を抱える発展途上国は冷戦時代には各陣営から支援を受けて軍事力でそれを抑え込んでいたが、冷戦が終わりそれもなくなってしまうと、そうした発展途上国は反乱分子の鎮圧を民間軍事会社に頼るようになった。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "さらに、内政不干渉の原則などにより正規軍兵士の身分を持つ者が関わる事が困難な任務も存在する。このような場合、政治的リスクが小さい傭兵を受け入れるという事になる。アフリカ諸国では旧宗主国の思惑がからむ場合も多く、例えば、アンゴラ内戦においては、冷戦期に敵であった南アフリカ軍の元兵士達を主力とする傭兵企業「エグゼクティブ・アウトカムズ」が、1990年代に政府軍の支援を行い、一定の成果を上げたといわれる。また、西側先進国政府が雇用主であることも多い。この場合、世論の動向から表立って軍事介入はできないが、国益やビジネスのためのかなり「ダーティー」な解決法として利用される。当然露見した場合のリスクはかなり高い。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "さらに近年、軍事予算の削減や正規軍兵士の戦死が世論から非難を受けるという傾向を踏まえ、危険性の高い地域でのパトロール任務を民間「警備」会社に委託するケースも見受けられるようになっている。イラク戦争においても正規軍以外に要人警護や特殊任務に参加している「民間人」が確認されている。これらもこうした傭兵の一つと考えられる。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "国家が編成した軍隊の外人部隊へ入隊した者は国が身分を保障するため、法的には傭兵ではなく正式な軍人として扱われる。一方で、企業や個人が雇用する傭兵の場合は、「非合法戦闘員」あるいは単なる犯罪者と解釈され、捕虜になったとしてもジュネーブ条約における捕虜の規定が適用されずに処罰される可能性が高い。また、自国の在外機関や軍の救難部隊の援助を求めることは困難である。さらに、後者で敵戦闘員やテロリスト等を殺害した場合、たとえ無事に帰国しても、殺人罪の国外犯として自国政府に罰せられる可能性がある。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "国によっては傭兵になること自体を犯罪行為としている国もあり、マイク・ホアーやサイモン・マンのように反傭兵法で実刑を受けた例もある。反傭兵法では傭兵の雇用者や資金提供者も処罰の対象としており、2005年1月にマーガレット・サッチャーの長男であるマーク・サッチャーが赤道ギニアのクーデターを企んでいた傭兵のサイモン・マンへ資金援助を行った容疑で逮捕され反傭兵法で起訴有罪になっている。日本ではISILの戦闘員としてシリアに向かうことを計画した大学生に私戦予備罪・私戦陰謀罪の捜査対象とされた。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "このように現代では法的な民間軍事会社の立場が非常に不明確であることが問題となり、2008年9月17日にモントルー文書として民間軍事会社の人員に対する指針が作成された。指針であり条約ではないため、批准国であっても守る義務は無いがどう扱うべきか判断する基準となっている。2009年9月現在、スイスのモントルーでモントルー文書を正規の条約とするための会議が行われている。",
"title": "現代の傭兵"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2010年代にリビアやナゴルノカラバフに送られたシリア人の傭兵の例では、月給3000ドルと死亡時の遺族補償金7万5000ドルで契約を行うものの、実際はブローカーの手により中抜きが行われ月給は800-1400ドルとなることが報告されている。とはいえ、遺族補償があるのは良心的で、有名なPMCのアメリカ人傭兵であっても、採用時には死亡補償は無いと警告されることが多い。",
"title": "現代の傭兵"
}
] | 傭兵は、金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団である。 「傭」という漢字が常用漢字および新聞漢字表に含まれないため、一部の新聞等の報道では「雇い兵」と表記される。 傭兵は現代でも存在しており、民間軍事会社のような新しい形態の傭兵も登場している。 | {{複数の問題|脚注の不足=2018年8月|独自研究=2022年8月|雑多=2022年8月}}
[[ファイル:Löwendenkmal Luzern 20101115 1315 photo by Pcs34560.jpg|thumb|350px|[[スイス]]の[[ルツェルン]]に建てられている「嘆きのライオン」像。<br />[[フランス革命]]の際に国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の命令を守り、降伏後に市民に無抵抗のまま殺害された[[スイス傭兵|スイス人傭兵]]達の慰霊碑である。<br />国土の大半が[[山岳]]地帯であるため、[[農業]]や[[産業]]が育たない貧しい国だったかつてのスイスを支えていたのは「血の輸出」と呼ばれる傭兵業であった。]]
'''傭兵'''(ようへい、{{lang-en-short|mercenary}})は、[[金銭]]などの利益により雇われ、直接に利害関係の無い[[戦争]]に参加する[[兵]]またはその集団である。
「傭」という漢字が[[常用漢字]]および[[新聞漢字表]]に含まれないため、一部の新聞等の報道では「'''雇い兵'''」と表記される<ref>[https://www.ytv.co.jp/michiura/time/2011/02/post-685.html 新・ことば事情 4313「『傭兵』と『雇い兵』」]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]、[[道浦俊彦]]TIME、2011年2月23日)</ref>。
傭兵は現代でも存在しており、[[民間軍事会社]]のような新しい形態の傭兵も登場している。
== 概説 ==
[[ファイル:Jacques callot miseres guerre.gif|thumb|350px|[[三十年戦争]]の虐殺を描いた画。<br />戦争に参加した傭兵達が行った残虐な行動や略奪が原因となり、当時のドイツでは人口が激減した。<br />この惨禍を教訓に[[フーゴー・グローティウス]]が『戦争と平和の法』を著し国際法の基礎が築かれた。]]
直接利害関係のない第三者でも、大義、信念、信仰などに基づいており金銭が主要目的でないものは[[義勇兵]]と呼ぶが、両者の区別はさほど厳密ではない。また[[軍隊|国軍]]の[[職業軍人]]は金銭で雇われているが、利害関係のある自国のために戦うため傭兵とは呼ばない。もっとも[[近代国家]]成立以前は、給料をもらう職業軍人はしばしば傭兵と称された。
19世紀の[[国民国家|近代国民国家]]成立の以前においては、傭兵は、[[市民兵]]、[[封建兵]]、[[徴集兵]]、[[奴隷兵]]と並ぶ主要な兵の一つであった。17 - 18世紀、近世に入り各国で[[中央集権]]化が進むと、自国民から構成される[[常備軍]]が創設されるようになり、従来と比較すると傭兵の需要は減ったが、継続的に戦争が行われる中で傭兵も常備軍と並び、封建軍に置き換わる兵力として使用された([[三十年戦争]]など)。しかし、[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]は『[[君主論]]』の中で、その当時の[[フィレンツェ共和国|フィレンツェ]]が傭兵に依存している状況を批判して[[国民軍|市民軍]]を創設すべきであると主張し、また、実際に近代国家成立後に[[国民軍]]が作られるなどしており、傭兵は国家に忠誠を尽くさずに金銭のために戦争をする戦争屋であるとして、傭兵に頼ることが問題視されるようになり、また傭兵自体も戦争屋などとして非難されることがある。近代の[[帝国主義]]の時代には、非正規な軍事行動を母国の思惑に従って実施する[[私兵]]([[民兵]]の一類型)組織が傭兵的に利用された。
現在では、傭兵は[[国際法]]<!--ジュネーブ条約第一追加議定書第47条-->上で[[戦闘員]]として認められていないが、[[アフリカ]]の[[紛争]]では、[[民間軍事会社]]に雇われた事実上の傭兵が暗躍していると指摘されている<ref>{{Cite book|和書|author=ロバート・ヤング・ペルトン|authorlink=ロバート・ヤング・ペルトン|others=角敦子(訳)|title=ドキュメント 現代の傭兵たち|publisher=原書房|year=2006|isbn=4562040440}}</ref>。また、その他の地域の民族・宗教紛争などでも、[[義勇兵]]と傭兵の両要素をもった者が参加している例が多い。[[イラク戦争]]においては、[[アメリカ合衆国連邦政府]]が「民間軍事会社」を大々的に導入した。2007年10月現在、各社合わせて米正規軍を超える18万人{{要出典|date=2010年6月}}が活動中といわれる。そのうちの少なからぬ部分が事実上の傭兵であると思われるが、業務の性質上詳細は公になっていない。
国家が傭兵を使用あるいは支援を禁止することを明文化した[[傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約]]は1989年に[[国際連合総会]]において採択され、2001年に発効したが、2008年11月現在締約国は32ヶ国にとどまっている。
歴史的に傭兵の雇用の困難は、解雇する場合に生じる場合が多い。紀元前240年の[[第一次ポエニ戦争]]終結時、[[カルタゴ]]は解雇条件に不満を示した[[傭兵の乱 (カルタゴ)|傭兵の反乱]]に悩まされ、[[ハミルカル・バルカ]]に命じ鎮圧を行わせている<ref>{{Cite book|last=Wise|first=Terence|title=Armies of the Carthaginian Wars 265-146 BC|year=1982|publisher=Osprey Publishing|isbn=0850454301}}</ref>。豊臣氏は[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]において雇い入れた浪人の処断に難渋し、それが遠因となり[[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]を招いている<ref>{{Cite book|和書|author=二木謙一|authorlink=二木謙一|title=大坂の陣—証言・史上最大の攻防戦|year=1983|publisher=中央公論社|isbn=4121007115}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=笠谷和比古|authorlink=笠谷和比古|title=関ヶ原合戦と大坂の陣|publisher=吉川弘文館|year=2007|series=戦争の日本史|isbn=4642063277}}</ref>。
一般的に傭兵は「金次第で雇主を裏切るならず者」、「規律を守らない乱暴者」、「一匹狼」といったイメージを持たれがちであるが、傭兵の受け入れの形態は当該組織や関連組織からの接触、もしくは過去の行動を共にした仲間からの紹介など(直接武装組織に接触して売り込みをかける方法もある)が大半であるため、技術は元より雇主や同業者からの信用や交渉・対人能力も求められており、悪質な者は排斥されるというのが実際である。ただし、それは雇用主に対しての場合であり、傭兵による敵側への略奪、残虐行為などが歴史的に少なからず記録されているのも事実である。軍事史家のクレーナー{{誰|date=2023年2月11日 (土) 03:53 (UTC)}}は、傭兵は戦争の当事者であると同時に犠牲者でもあると評している<ref>{{Cite book|和書|author=鈴木直志|authorlink=鈴木直志 (歴史学者)|title=ヨーロッパの傭兵|publisher=[[山川出版社]]|year=2003|series=世界史リブレット|isbn=4634348004||pages=30-31}}</ref>。
== 定義 ==
1977年の[[ジュネーブ条約]]第一追加議定書第47条では「傭兵」を以下にあげる事柄を全て満たす場合と定義し、該当する傭兵にはジュネーブ条約第47条が規定する「戦闘員」としての待遇を認めていない。
* 武力紛争において戦うために現地又は国外で特別に採用されていること。
* 実際に敵対行為に直接参加していること。
* 主として私的な利益を得たいとの願望により敵対行為に参加し、並びに紛争当事者により又は紛争当事者の名において、当該紛争当事者の軍隊において類似の階級に属し及び類似の任務を有する戦闘員に対して約束され又は支払われる額を相当上回る物質的な報酬を実際に約束されていること。
* 紛争当事者の国民でなく、また、紛争当事者が支配している地域の居住者でないこと。
* 紛争当事者の軍隊の構成員でなく、また、紛争当事者でない国が自国の軍隊の構成員として公の任務で派遣した者でないこと。
傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約では、武力紛争目的以外として政府転覆目的や憲法秩序弱体化目的や領土保全妨害目的でも傭兵の対象としている。
== 国民軍との違い ==
[[徴兵制度|徴兵制]]または[[志願兵|志願制]]による[[国民軍]]の[[軍人]]も、その多くは報酬を受け取っているが、彼らを傭兵と呼ぶことはない。それは、その歴史的経緯に由来する。
元来、[[徴兵制度|兵役]]は自己の属する[[共同体]]を維持するための義務であり無報酬であった。この事から兵役=血で贖う税という意味で'''[[血税]]'''という言葉が生まれている。<br/>「多くの[[国]]では初期にあっては装備品ですら各人の負担であった。しかし長期の戦争を戦い、国土を拡大、あるいは防衛するためには、兵役を務める者とその家族の生活を保障する必要がある。この生活保障の必要性から、兵役に報酬が支払われるようになったのである」
{{See also|マリウスの軍制改革}}
このように、国民軍の軍人は元来無報酬(義勇兵。現在でいう[[ボランティア]])であり、純粋な職業としてではなく、共同体に属する者としての義務を果たしているという性質上から、給与が支払われていてもこれを傭兵とは呼ぶことはない。
上記のように、国民軍を編成する方法以外に、もう一つ長期戦を戦う方法がある。それが傭兵である。国民軍が、一定の市民的義務を負う者によって編成されるのに対して、傭兵はこの様な義務を負わない、主として報酬を目的とする者であるという違いがあるのである。
== 歴史上の傭兵 ==
傭兵は自らの肉体しか財産を持たない男性が就き得る数少ない職業でもあったため、その歴史は非常に古く、身分や職業が分化し始めた頃にはすでに戦争に従事して日々の糧を得る人々がいたと推測される。[[古代オリエント]]では徴兵軍、傭兵軍、奴隷軍が軍隊の構成要素であった。
傭兵とその他の[[兵種]]の区別が容易になる古代以降では、兵のなり手の少ない文化程度の高い豊かな国{{要出典|date=2010年5月}}([[古代ギリシア]]、[[ローマ帝国|ローマ]]、[[東ローマ帝国]]、イタリア[[都市国家]])が雇う例や、直属軍の少ない[[封建制]]国家の君主が、直属軍の補強として使う例がある。また、一般的に戦闘の際の臨時の援軍として使われた。
=== 日本 ===
[[File:Yamada-Nagamasa-Portrait-Shizuoka-Sengen-Shrine.png|thumb|200px|山田長政]]
日本の[[武士]]も古い段階においては傭兵的要素を多分に有していたと言われている。[[律令制]]の衰微に伴って[[軍団 (古代日本)|軍団]]に替わって設けられた[[健児]]も[[庸]]・[[調]]の免除を受けた上に[[兵粮]]などの名目で多額の金米が支給されていた。その後、[[軍団 (古代日本)|軍団]]制が復活するものの、実態は[[徴兵制]]的なものから傭兵的制度に移行していく事になる。
例えば、[[天平]]12年に起きた[[藤原広嗣の乱]]において、戦闘の帰趨を決したのは徴兵で集めた軍団兵ではなく、[[隼人]]や[[私兵]]として[[郡司]]に雇われていた騎馬兵だった<ref name="Fukuda">{{Cite book ja-jp|和書 |author= 福田豊彦|authorlink=福田豊彦 |title = いくさ |year = 1993 |chapter = 戦士とその集団 |publisher = 中央公論新社 |series = 中世を考える |editor=福田豊彦|editor-link=福田豊彦 |isbn = 4642027041 |ref = harv }} pp.72-81.</ref>。
[[大同 (日本)|大同]]元年10月に、[[蝦夷]]の[[俘囚]]640人を[[太宰府]]に移動させて[[防人]]にしたのを始めとして、9世紀を通じて朝廷は東国で得た戦争捕虜を給養し、防人や[[海賊]]対策として西国で活用した<ref name="Fukuda"/>。
大同4年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]]の[[太政官符]]には[[京都]]の守備兵増員の際に、徴兵された者が「兵士料(兵士銭)」を納めてこれを免れ、代わりに兵士となるものを雇用している実態が明らかにされている。
また、[[元慶]]7年に新たな海賊対策として、募集で集めた[[浪人]]に官費で装備を与え、要害を守備させる「禦賊兵士の制度」を設けている。これらの職業軍人の募集は、[[10世紀]]に諸国の実力者が「諸家兵士」「諸国兵士」と呼ばれる私兵を蓄えて組織化していく傭兵制度の基となった<ref name="Fukuda"/>。
また、地方官となった[[受領]]達には一般的には自分達を守る兵力を有していなかったために武芸に優れたものを一時的に「[[郎党]]」として雇い入れている事があった。『[[枕草子]]』には[[除目]]の際に受領の候補者とされる人の下に人が集まってきたが、受領になれなかったと聞いて散っていったという描写があるが、こうした人の中には「[[郎党]]」となってその経済的恩恵の分け前に与ろうとした人達も含まれていたと考えられている。『[[雲州消息]]』にも「参議藤原某より前将軍平某へ[[護衛]]の兵を借り受ける」書簡の文例が載せられているが、これもこうした傭兵的な慣習の存在を裏付けている。
中世以後の武士は土地との繋がりが密接だったほか、しばしば長期の平和で戦争が途絶えることがあったため、傭兵的要素は次第に失われていく事になるが、規模は小さかったものの[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には[[海賊衆]]と言われる[[水軍]]勢力や[[悪党]]・[[野伏]]・[[野武士]]と呼ばれる半農の武装集団や雑兵(広義的な[[足軽]]。中には、戦は二の次にして、[[乱妨取り]]ばかり行うケースが多く存在した。)などが比較的ポピュラーであったほか、[[雑賀衆|雑賀]]・[[根来衆|根来]]などの鉄砲、[[伊賀流|伊賀]]・[[甲賀流|甲賀]]の[[忍術]]といった特殊技能集団が傭兵的に雇われた。[[応仁の乱]]には[[骨皮道賢]]に代表される[[京中悪党]]と呼ばれる集団は図屏風にも描かれている。
また、出自が卑しくても、当時「[[器用人]]」と呼ばれた有能な[[武士]]は主人を幾度も替え、自分の才能を売り込み、[[藤堂高虎]]のように[[大名]]にまで出世した者もおり、事実上の傭兵とも言える。彼らの目的は金銭的恩賞というよりは、むしろ功績に対して主君から出される[[感状]]にあり、これを受けることで、次の仕官において高い報酬を得ることが可能となった。また、身分の別なく、自らを戦力として大名に押し売りする者もいた。彼らは[[陣借り]]と言い、自ら武具や兵糧を用意して戦場に駆けつけ、戦に参加した。恩賞を確実に貰えたわけではないが、これによって名を上げた武士もいる。
このようなものの最も大規模な例は[[大坂の陣]]で[[大坂城]]に入城した[[浪人]]であろう。しかしこの戦で大坂方は負け、日本では[[徳川幕府]]による天下統一が成し遂げられた。
戦が無くなった国内に活動の余地がなくなり、日本の[[武士]]が多数海外に流出したのが当時の現象であった。浪人の中には、[[山田長政]]のように[[アユタヤ王朝|アユタヤ]]・[[プノンペン]]などに渡り現地の王朝に雇われる者も現れた。[[P・W・シンガー|ピーター・ウォーレン・シンガー]]によると[[イギリス東インド会社]]の傭兵の半数は日本人であったとのことである。また、[[アンボイナ事件]]において日本人傭兵が殺害される事件がおきている。こうしたことから海外での日本人傭兵の活動の片鱗をうかがうことができる。
近世になると、臨時雇い兵の雑兵は、足軽が大名に「常勤」による[[同心]]の身分として雇われることが多かったのと比較すると、不利な部分が多い下の[[中間]]、[[下人]]と呼ばれる身分は[[武家奉公人]]として必要時だけ雇われる「[[非正規雇用]]」の身分となることが多かった。
そして、[[明治維新]]を経て、武士集団は解体され近代国家として徴兵による国民軍が形成されるに至り、金銭で雇用される兵員という身分は日本からは消滅した。
=== ヨーロッパ ===
[[Image:Il Condottiere.jpg|thumb|200px|「コンドッティエーレ」([[レオナルド・ダ・ヴィンチ]])]]
古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する[[市民兵]]が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族や[[ガリア人]]など、のちに[[ゲルマン人]]の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、[[屯田兵]]のような形にすることが多くなった。また[[マラトンの戦い]]で[[重装歩兵]]の威力を知った[[アケメネス朝|ペルシア帝国]]においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある<ref name="民間軍事会社の世界展開">{{Cite journal|和書|author=[[阿部琢磨]]|title=民間軍事会社の世界展開|journal=軍事研究2008年6月号|publisher=[[ジャパン・ミリタリー・レビュー]]|date=2008-06-01}}</ref>。兵士の不足したローマ帝国では[[ローマ市民権|市民権]]を得るために[[アウクシリア|補助兵]]となる植民市民や属州民が多数存在したが、[[カラカラ]]帝による[[アントニヌス勅令]]を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを同盟部族([[フォエデラティ]])や傭兵に頼ることとなった。
中世においては、西欧の戦闘の主力は[[騎士]]を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期には[[ノルマン人]]、後には王制の未発達な[[フランドル]]、[[スペイン]]、[[ブルゴーニュ]]、[[イタリア]]人などが多かった。ビザンティン帝国では主力として[[フランク人]]、[[ノルマン人]]、[[アングロ・サクソン人]]傭兵が使われた。この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している<ref name="民間軍事会社の世界展開"/>。国家は傭兵個人とではなく複数の兵士が集まった傭兵団([[フリーカンパニー]])と契約していたが、傭兵団も補強のため正式に叙勲されていない自称騎士([[黒騎士]])や[[フリーランサー]]の傭兵を雇い入れていた。
中世の終わりから近世にかけてイタリアの都市国家は独立性を高め、傭兵の需要が伸びたため、[[シニョーレ]]と呼ばれるイタリアの小君主が[[私兵]]ごと売り込んだ。これらの契約形態は[[コンドッティエーレ]]と呼ばれる。
近世に入ると王権が強くなり、軍隊の維持能力のある国の王は傭兵部隊を中心とした直轄軍を拡大させるようになる([[フランス]]王国における[[スイス傭兵]]等)。やがて常備軍は自国の兵が中心となるが、戦争が定常的に起こる中、傭兵も大きな役割を果たした(ドイツ傭兵[[ランツクネヒト]]など)。[[ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム]]が率いたスペインに対する反乱軍も、初期はほとんどがドイツ人傭兵で占められていた。
海軍が大規模に常備されるようになる以前は、海戦の主力は臨時で雇われる[[海賊]]や海運業者たちであった。16世紀から18世紀に盛んになった[[私掠船]]も民間船に臨時の[[私掠免許]]を与えていただけで、海の傭兵ともいえる。
[[近代]]以降は、[[フランス革命]]により[[国民国家]]が創設されると、国民の愛国心に訴えた軍制である[[国民軍]]という発想が出てくる。国民軍は傭兵より維持費が安価で、大量動員できることや国家と国民との一体化を図ることができるなどの利点から、傭兵の重要性は低くなった。しかし、アジア、アフリカ、南アメリカ等の[[植民地]]化において、傭兵的性格の非正規軍([[民兵]])が利用された。[[英印軍]]の[[グルカ兵]]や[[シク教徒]]たちもその類だが、19世紀にはスイスが国民の傭兵活動を禁じたことからカナダ出身者の傭兵が多く、[[クリミア戦争]]をはじめ[[イタリア統一戦争]]、[[南北戦争]]、[[メキシコ干渉]]にも多数参加していたという記録もある。また、フランスでは1831年に、実質上傭兵部隊である「[[フランス外人部隊]]」が創設され、現在に至っている。
=== 植民地経営と傭兵 ===
ヨーロッパに傭兵の地位の低下が目立ってきた一方、17世紀には各国の[[東インド会社]]が自国の権益を現地人や他国の[[東インド会社]]から守るために会社軍を編成していた。これはヨーロッパ人の元士官を指揮官として迎え入れ、兵卒は臨時雇用した傭兵で構成されていた。躍した地域はインド亜大陸においてで、そのおもな構成員はドイツやスイスの傭兵部隊、そして現地で募った[[スィパーヒー]]、[[グルカ兵]]などの傭兵であった。植民地主義が各国で興り、植民地経営が[[東インド会社]]から帝国へと移っても基本的に傭兵の使用に関しては変わらなかった<ref>[[#菊池]]</ref>。
この時代には近代的な軍隊(国民軍)を組織していたのはヨーロッパの先進国のみで、多くの国では臨時に編成した民兵部隊や傭兵を支配階級が指揮する旧来的な組織が残っていた。これらの国では軍の近代化のため、友好国から軍事顧問団を派遣してもらうこともあったが、一部では軍事教育を受けたヨーロッパの将校を指導教官として直接雇用することも行われた。雇われた将校は外国人であるため自国の軍人ではなく、『指南役として雇用した傭兵』であった。また火砲の取り扱いなど近代兵器の運用法を習得するため技術将校の招聘も行われており、例としてイギリス軍の技術将校(測量技師)だった[[ウィリアム・ライト]]は、退役後にエジプト軍に砲撃指揮官として迎え入れられている。日本では[[幕府陸軍]]の創設時にヨーロッパへの視察などで独自研究を行ったほか、[[フランス軍事顧問団 (1867-1868)|フランス軍事顧問団]]の指導を受け、[[幕府海軍]]は[[オランダ海軍]]から教官の派遣を受けたが、エジプトのように個人と直接契約することはなかった。ただし、フランス軍事顧問団の一部は義勇兵として[[戊辰戦争]]に参加した。
[[第二次世界大戦後]]に[[国際連合]][[総会]]において、1960年に[[植民地独立付与宣言]]がなされると、こうした植民地保有国の直接的な植民地経営が困難となった。そのため各国は自国の兵ではなく間接的に、傭兵を使って自国の権益を守ろうとした。たとえば、コンゴから分離した[[カタンガ共和国|カタンガ国]]のベルギーによる傭兵の派遣である。(またこの傭兵は[[ビアフラ内戦]]においても[[イギリス]]に雇われている。この時の[[イギリス]]の目的は[[イボ族]]の多い地域を[[ビアフラ共和国]]として独立させることによる[[石油]]利権の獲得であった<ref>[[#シンガー]]</ref>。)こうした傭兵の派遣は国連においても問題とされた。この問題が後の[[傭兵の募集、使用、資金供与及び訓練を禁止する条約]]につながる。(参考:安全保障理事会決議161、169など)
=== 著名な傭兵 ===
* [[西ローマ帝国]]を滅亡させた[[オドアケル]]
* [[ルネサンス]]期イタリアの傭兵隊長として、[[ウルビーノ]]の[[フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ]]や[[ミラノ]]の[[スフォルツァ家]](フランチェスコ・スフォルツァ、ルドヴィーコ・スフォルツァ)
* [[三十年戦争]]時の[[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]や[[アンブロジオ・スピノラ]]
* ギリシア人でありながらペルシア帝国の傭兵として活動した[[クセノポン]]や[[メムノン]]
* [[ウィリアム・ウォーカー]]は、自分の国を持つという野心をかなえるために傭兵部隊を率いて侵略行為を繰り返した。
* [[ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン]]は[[盗賊騎士]]として[[フェーデ]]という制度を悪用していた。また、[[ドイツ農民戦争]]で傭兵隊長として民衆に味方しており、史実の人物としてよりも美化された[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の戯曲の主人公として著名である。
=== 傭兵の分類 ===
厳密に分類することはできず、実際には、以下のいくつかの特徴を兼ねている場合が多い。
; [[ヴァイキング]]([[ノルマン人]])や[[ゲルマン人]]のように移動してきた、あるいは周辺の異民族
: 戦闘には勇猛であるが、土地を欲しがり、時には雇用主がのっとられたり、略奪される場合がある。辺境に土地を与えて[[屯田兵]]のように定住させることも多い。
; [[イタリア]]の小領主のように本拠地を持つもの
: 収入の補完として傭兵稼業を行う。統制は取れており、技術も高い。職業倫理もあり雇い主をあからさまに裏切ることは少ないが、政治的に裏取引を行ったり、手抜きをすることはある。またドイツの小領主のように、封建領主でありながら(つまり主君を持ちながら)複数の相手と参戦契約を結ぶ者もあった。
; [[強盗騎士]]、[[山賊]]、[[野盗]]のたぐい
: 領地の少ない(ほとんど無い)小貴族、騎士などをリーダーとした、あぶれ者([[アウトロー]])の集団。戦があるときは傭兵として雇われ、無くなると[[略奪]]、[[強盗]]などを行うため庶民の迷惑の元となった。
; 常備契約によるもの
: 決まった相手に定常的に雇用される職業軍人。[[教皇庁]]・[[フランス王国]]に雇われた[[スイス人傭兵]]など。[[常備軍]]の先駆ともいえるが、外国人であるがために疑いの目を向けられることも多く、立場は不安定であった。
; 自らの意志によらないもの
: [[三十年戦争]]時には傭兵軍の勢力維持のために、たびたび募兵が行われていたが、体格に恵まれた者は強制徴募されることも少なくなかった。また領主が領民を徴兵して「傭兵」として売り払うこともあった。
== 現代の傭兵 ==
===概要===
20 - 21世紀の現代においても各地の[[戦争]]・[[紛争]]において傭兵は存在し、特に民族・[[宗教紛争]]などでは傭兵の存在がちらつく。これには当事者集団に近代戦を行なうだけの能力が不足していたり、敵対勢力より戦力上の優位を素早く獲得するため傭兵を雇うほうが便宜であるといった雇用者側の事情や、経済的な理由により危険はあるもののこれに応じようとする傭兵の成り手側の事情がある。しかし現代では 兵器類は自前で用意しなくてはならず 機密情報流出の懸念があったり そもそも兵器が高度化して 傭兵でも訓練が必要になったりと、少なくとも先進国においては下火となっている。
広義では、雇われて戦争に関する仕事を行う者全てを傭兵と呼ぶこともあるが、[[ジュネーブ諸条約第一追加議定書]]の傭兵の定義を要約すると、「主に金銭、利益を目的として雇用され、戦闘行為を行う第三国人、およびその集団で、紛争当事国の軍隊の構成員とならない者<!-- 最後のが入らないとフランス外人部隊や紛争当事国の構成員として雇われた傭兵的活動を行う民間軍事会社社員が傭兵の定義に含まれてしまいます。-->」に限定される。
従って、狭義の傭兵では、アフリカなどで活躍した「個人・小グループの傭兵」のみがあてはまる。
====傭兵に似たもの====
他の「傭兵に似たもの」としては以下のものが挙げられる。
[[正規軍]]として扱われる[[外人部隊]]については[[フランス外人部隊]]などを参照のこと。
* 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ技術者タイプ
* 元軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「[[民間軍事会社]]」(個人を指すときはプライベートオペレーターという)タイプ
* [[フランス軍]]([[フランス外人部隊]])、[[スペイン軍]]([[スペイン外人部隊]])、[[イギリス軍]]([[グルカ兵]])などにおける正規軍部隊のひとつとしての外国人部隊
* [[バチカン市国]]における[[バチカンのスイス衛兵|スイス人傭兵]]による警護隊
* [[麻薬カルテル]]や独裁者など、反道徳的とされる人物らが雇った私設軍隊([[ロス・セタス]]や[[リビア]]のアフリカ系傭兵など)
====スイス人傭兵====
バチカン市国のスイス人傭兵の例は、中世からの慣例に基づく[[栄誉礼|儀仗兵]]である。現在、[[スイス]]の法律では傭兵となることを禁止しており、儀仗兵は唯一の例外とされている(バチカンの聖職者が自力で領域を守る事は出来ない)。
=== 個人または小グループの傭兵 ===
通常、著名な傭兵が雇い主と契約を交わし、その傭兵の元に以前からのグループや[[フリーランス]]の傭兵が集まるという形態を取る。現代の傭兵は金銭・利益のためだけではなく、しばしば自己の支持する主義・宗教などの側に立って戦うという点で、歴史的な傭兵とは違い、[[義勇軍|義勇兵]]的な側面を持っている。
<!-- ノート参照
基本的に傭兵の持つ武器は自前であり、ハイリスクローリターンのケースが多い。-->
[[File:Mercenary Commando Combat Unit 5, Wild Geese,.JPG|thumb|right|170px|アンゴラ内戦に参加した「ワイルドギース」第5コマンドのベレー帽]]
==== 傭兵が加わった主な紛争 ====
{{雑多|date=2022年8月|section=1}}
* [[コンゴ動乱]](1960年 - 1965年)
* [[ローデシア紛争]](1965年 - 1979年)
* [[ビアフラ戦争]](ナイジェリア内戦、1967年 - 1970年)
* [[アンゴラ内戦]](1975年 - 1979年)(1992年-1995年)
* [[セーシェル]](1978年 - 1982年)
* [[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]](1992年 - 1995年)
* [[シエラレオネ内戦]](1997年 - 1998年)
* [[コモロ]](継続的に[[クーデター]]が発生)
* [[2011年リビア騒乱]](詳細は[[2011年リビア騒乱#傭兵]]を参照)
* [[マリ北部紛争]](2012年) - リビアで傭兵をしていた[[トゥアレグ族]]が反政府勢力の中心となった。
==== 著名な傭兵 ====
{{雑多|date=2022年8月|section=1}}
; [[マイク・ホアー]](1919年 - 2020年)
: インド生まれの[[アイルランド人]]でイギリス軍人。第二次世界大戦中は[[ビルマの戦い|ビルマ戦線]]で[[日本軍]]と戦う。退役後、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]へ移住。1961年、第一次コンゴ動乱で白人傭兵企業インターナショナル・カンパニーを設立。第二次コンゴ動乱では第5コマンド「[[ワイルド・ギース]]」を率いて活躍。その後、コンゴでの経験から「無能」と思い込んでいたディナール(後述)が、コモロでクーデターに成功したことに刺激され、1981年のセーシェルのクーデターに参加するが失敗。脱出時に民間航空機を強奪したため、[[ハイジャック]]容疑、反傭兵法違反で10年の刑を受け、1988年に釈放される。自らをモデルとした映画『[[ワイルド・ギース]]』の監修もした。
; [[アリステアー・ウィックス]]
: イギリスで生まれ[[ローデシア]]に移住。ローデシア軍人。[[オックスフォード大学]]出身。第一次コンゴ動乱でインターナショナル・カンパニーに参加。[[第二次コンゴ動乱]]ではマイク・ホァーの副官を務める。マイク・ホァーはウィックスを最も信頼出来る副官と評している。コンゴ動乱終結後、[[ビアフラ戦争]]へビアフラ側として参加を画策するがジョン・ピータースの妨害によって失敗し、その後は行方不明。
; {{仮リンク|ロジャー・ファルケス|en|Roger Faulques}}(1924年 - 2011年)
: フランス人。レジスタンスとして[[第二次世界大戦]]を戦ってから[[サン・シール陸軍士官学校]]を卒業し、[[フランス外人部隊]]の士官としてインドシナやアルジェリアで戦う。軍を辞してからは傭兵となり、イエメンや[[カタンガ共和国]]で戦う。
; [[ジークフリート・ミュラー]](1920年 - 1983年)
: ドイツ人。[[第二次世界大戦]]には[[ドイツ国防軍]]の戦車猟兵として参加した。戦後、アメリカ陸軍の軍属や再軍備委員などを経てコンゴ動乱の折に傭兵となる。マイク・ホアーの元で戦った。後にいくつかの映画で登場人物のモデルにされた。
; [[ジョン・ピータース]]
: イギリスで生まれローデシアに移住。ローデシア軍人で[[ローデシア特殊空挺部隊|ローデシアSAS]]に所属。1964年、第5コマンドに入隊し、ホァーの右腕として活躍。1965年には、ホァーより第5コマンドの指揮権を引き継ぐ。その後、[[ビアフラ戦争]]に[[ナイジェリア]]政府側として参加を画策するが失敗し、行方不明。
; [[ボブ・ディナール]](1929年 - 2007年)
: フランス人。フランス軍人として[[インドシナ]]、[[モロッコ]]で戦う。以降、傭兵として[[ジンバブエ]]、[[イエメン]]、[[イラン]]、[[ナイジェリア]]、[[ベナン|ベニン]]、[[ガボン]]、[[アンゴラ]]、[[コンゴ民主共和国|ザイール]](現・コンゴ民主共和国)、[[コモロ]]で戦う(主に共産勢力と戦い、フランス政府の暗黙の支持があったと考えられている)。ディナールの指揮する第6コマンドの戦闘力には問題が多く、ホァーからは無能な指揮官と評されていたが、これは第6コマンドの任務が後方の治安維持が主のため、性質上、ホァーの部隊のような迅速な行動ができなかったうえに、そもそもディナールは中間管理職であり、指揮権はベルギー大使館の武官にあったことを知らなかった誤解からと思われる。ディナールに言わせれば、ホァーは(人質救出を急がねばならない事情もあるにせよ)慎重さを欠き、事実、第5コマンドは戦果と引き換えに死傷率は40%に上っている。決して無能な人物ではなく、大統領の警護隊長という立場で長く[[コモロ]]の実質的支配者となっていた。1995年、コモロで逮捕された後、フランスへ送還され、10ヶ月服役する。晩年は[[アルツハイマー病]]を患っていた。
; [[ジャン・シュラム]](1929年 - 1988年)
: [[ベルギー人]]でマイク・ホアー、ボブ・ディナールなどと共にコンゴで戦う。元々軍人ではなく、地元の裕福な農場主で実業家。第10コマンドの指揮官で「ブラック・ジャック」の異名を持つ。1967年7月、独裁化した[[モブツ・セセ・セコ|モブツ]]政権に、コンゴでの白人資産の接収を危惧し、また部下として苦楽を共にしてきたカタンガ人への迫害が現実のものとなったため、ディナールと組んで、カタンガの元首相チョンべを担ぎあげた傭兵による反乱を起こすが、チョンべが誘拐されて出ばなをくじかれ、反乱は失敗する。なお、ディナールはこの反乱のための武器を運ぶ際、流れ弾で負傷したり、アンゴラで騒動に巻き込まれて足止めされたりして、反乱には参加できなかった。1968年には[[ベルギー]]に帰国するが、コンゴでモブツに反乱計画を漏らそうとしたベルギー人を殺害したとされ、その容疑で逮捕される。保釈中の1969年にベルギーを出国しその後は行方不明となる。その後、1988年にブラジルで死去したと言われている。
; {{仮リンク|コスタス・ゲオルギウ|en|Costas Georgiou}}(1951年 - 1976年)
: キプロス人。「カラン大佐」の異名を持つ。イギリス陸軍の[[落下傘連隊 (イギリス陸軍)|落下傘連隊]]に所属し、部隊では射撃の名手として知られるも素行不良で除隊、銀行強盗で服役する。アンゴラ内戦で最初は看護士としてボランティア活動に参加し、この時は周囲からはかなり慕われていたようである。しかし[[アンゴラ民族解放戦線]]のために戦う傭兵部隊を率いるようになると、性格の異常さが明白になる。個人的には非常に勇敢であり、恐らく一人で100人以上の敵を倒しているが、指揮官としての能力不足と、残虐で独裁的な性格により、白人傭兵も含む100人以上の隊員を命令無視のかどで処刑しており、結局はこのことが原因で味方からも見限られ、敵中に孤立してしまった時に救援を得ることが出来ずにアンゴラ政府軍および顧問のキューバ軍に逮捕され、裁判の末に銃殺刑に処された。
; {{仮リンク|ピーター・マッカリース|en|Peter McAleese}}(1942年 - )
: イギリス人。イギリス軍では[[特殊空挺部隊|SAS]]に配属され、アンゴラ内戦に傭兵として参加した後ローデシアSAS、南アフリカ国防軍第44空挺部隊に参加する。その後COINセキュリティ・グループの一員としてコロンビアで[[メデジン・カルテル]]をスポンサーとする準軍事組織を訓練し、後に[[パブロ・エスコバル]]の暗殺作戦に参加。ロシアでは[[ボディーガード]]の養成を行った。その他アルジェリア、イラクでも活動した。
; [[ヤイール・クライン]]
: イスラエル人。イスラエル国防軍に所属後、スピアヘッド・リミテッドを設立。コロンビアのメデジン・カルテルの準軍事組織や右翼武装集団に武器や訓練サービスを提供した。その後[[革命統一戦線]]に武器を供給した容疑でシエラレオネ当局に拘束されるも脱走。2007年にコロンビアでのテロ支援容疑からインターポールより国際指名手配を受け、同年8月にロシアのモスクワで逮捕される。
; [[サイモン・マン]](1952年 - )
: イギリス人、イギリス軍人。裕福な家庭に生まれ、[[イートン校]]を卒業後、[[サンドハースト王立陸軍士官学校|陸軍士官学校]]に入学。近衛歩兵第三連隊に配属されるが、[[特殊空挺部隊|SAS]]に志願。軍を退役した後、傭兵になる。アンゴラと[[シエラレオネ]]で[[傭兵企業]]「[[エグゼクティブ・アウトカムズ]]」を派遣し、後に傭兵企業「[[サンドライン・インターナショナル]]」を設立。[[パプアニューギニア]]政府に雇われ[[ブーゲンビル島]]の反乱を鎮圧を依頼される。[[1997年]]、引退し南アフリカへ移住。近所には[[スペンサー伯爵]]や[[マーク・サッチャー]]([[マーガレット・サッチャー]]の息子)などのイギリス上流階級の邸宅が立ち並んでいた。[[2004年]]、ジンバブエで[[赤道ギニア]]のクーデターを計画した容疑で逮捕、7年の刑を受けた。この作戦はマーク・サッチャーが資金援助に加わったとされる。口は達者だが指導者としての能力はからっきしだと評判が悪い。
; [[ニック・ドゥトワ]]
: 南アフリカ人。軍時代は第32大隊と特殊部隊旅団に所属する。エグゼクティブ・アウトカムズの一員としてリベリア・アンゴラ・シエラレオネで戦い、武器売買やダイヤモンド取引などの事業にも関わるようになる。しかしその後、サイモン・マンのクーデター未遂事件で逮捕される。
; [[コバス・クラセンス]]
: 南アフリカ人。南アフリカ陸軍を除隊後エグゼクティブ・アウトカムズに所属。同社を去った後は警備会社を起業し、ヘリテージ・グループ社長が紛争地帯における鉱山利権に興味を示していたと発言する。映画「[[ブラッド・ダイアモンド]]」で[[レオナルド・ディカプリオ]]が演じていた元傭兵のモデルと言われている。
; {{仮リンク|フレッド・マラファノ|en|Fred Marafano}}(1940年 - 2013年)
: [[フィジー]]領の[[ロツマ島]]出身で、イギリス陸軍に入隊後SASの隊員となる。[[シエラレオネ内戦]]においては[[エグゼクティブ・アウトカムズ]]に入社した他、自警団[[カマジョー]]を率いて[[革命統一戦線]]と戦う。
; {{仮リンク|ニール・エリス|en|Neall Ellis}}(1949年 -)
: 南アフリカ人。ローデシア軍に所属し、その後南アフリカ空軍に所属。エグゼクティブ・アウトカムズとサンドライン・インターナショナルに所属して、40代半ばと比較的高齢だったにもかかわらず、シエラレオネでは、助手二人とともに、それぞれ国内にたった一機しかなかった飛行可能な[[Mi-24]]およびMi-8ヘリコプターを操縦して奮戦し、二度にわたってRUFの首都攻撃を阻止して、政府の崩壊を防いだ。この時の活躍で「ガンシップエース」の異名を取っている。その他、50代に入っても精力的に活動しており、イギリス[[特殊空挺部隊]]の[[シエラレオネ人質救出作戦|イギリス軍兵士救出作戦]]にも参加する。
; [[ボブ・マッケンジー]](1948年 - 1995年)
: アメリカ人。[[アメリカ陸軍]]の軍人として、[[ベトナム]]で戦う。その後ローデシアSASの隊員としてローデシアで戦い、以降、傭兵として[[エルサルバドル]]、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ|ボスニア]]、[[ブーゲンビル島]]などで活躍。1995年、[[シエラレオネ]]の反政府勢力の[[革命統一戦線]] (RUF) を[[ダイヤモンド]]鉱山などから追い払うため、「グルカ・セキュリティー・グループ」([[GSG]]) の司令官としてグルカ兵を引き連れて、シエラレオネに到着するが、到着後すぐにRUF軍の待ち伏せ攻撃に会い、RUFの[[ゲリラ]]との戦闘で死亡。遺体は見せしめとしてRUFの[[ゲリラ]]に食べられた。
; {{仮リンク|ロルフ・シュタイナー|en|Rolf Steiner}}(1933年 - )
: ドイツ人。[[第二次世界大戦]]時には[[ヒトラー・ユーゲント]]に参加したため、この世代のドイツ人としては当然のことなのだが、「ナチスの亡霊」呼ばわりされる。なお、国民突撃隊に参加したともいわれているが、それは誤解らしい。戦後、[[フランス外人部隊]]に加わり[[第一次インドシナ戦争]]や[[アルジェリア戦争]]に参加。[[除隊]]後傭兵となり、[[カタンガ国]]に雇われ[[コンゴ動乱]]にも関わる。フランス政府の紹介で[[ビアフラ共和国]]に雇われる。シュタイナーは傭兵とビアフラ兵で「シュタイナー軍団」と呼ばれた第4奇襲旅団を編成して大きな成果をあげるが、ストレスから精神にやや異常を来していたという。泥酔した状態でビアフラの指導者[[チュクエメカ・オジュク]]のところに押しかけて無礼を働いたとのことで、仲が悪くなって追放された。[[1969年]]には、[[スーダン]]内戦で、南部黒人反政府勢力を支援するが失敗。[[ウガンダ]]で怪我の療養をしていたところ、ウガンダ政府に拘束され、スーダン政府に身柄を引き渡される。死刑を宣告されたが、[[西ドイツ]]政府の尽力により、国外追放で西ドイツに帰国。体調を崩し、現役から引退した。[[フレデリック・フォーサイス]]の小説『[[戦争の犬たち]]』に同名の傭兵が登場し、そのモデルにもなっている。
; [[ジョン・バンクス]](1946年 - ?)
: イギリス人。[[イギリス空挺部隊]]に参加、除隊後傭兵になる。1975年、傭兵会社「[[インター・ナショナル・セキュリティー・オーガナイゼーション]]」を設立し、[[ローデシア]]で仕事をするために大々的な傭兵募集を行う。しかし、土壇場で[[金主]]がキャンセルしたため、募集は中止に追い込まれる。金主はイギリス政府で、ローデシアへの交渉圧力カードとして利用されたといわれている。その後、[[アンゴラ内戦]]に参加するが、行方不明となる。
; [[カール・グスタフ・フォン・ローゼン]](1909年 - 1977年)
: スウェーデン人。[[スウェーデン]]の貴族で、[[伯爵]]である。傭兵と言うよりも押しかけ[[義勇兵]]の性格が強い。[[ナチス・ドイツ]]の国家元帥[[ヘルマン・ゲーリング]]夫人[[カリン・ゲーリング|カリン・フォン・カンツォフ]]は実の姉。父[[エリック・フォン・ローゼン]]は[[1916年]]の[[フィンランド独立戦争]]に義勇兵として参戦し、その功績をたたえられてエリックが使用していた青い[[スワスチカ]]は[[国章]]として使用される。カールは民間航空会社のパイロットであったが、[[ビアフラ戦争]]で[[ビアフラ共和国]]への支援物資を運搬したことを契機に、ビアフラ空軍再建に関わり、自ら作戦指揮も執る。さらに、[[エチオピア内戦]]で飢餓に苦しむ難民に支援物資を投下する「エチオピアの爆撃」を行う。しかし、1977年にエチオピアで地上待機中に[[ソマリア人]]ゲリラに襲撃され死亡した。
; [[ウィリアム・アレクサンダー・モーガン]](1928年 - 1961年)
: キューバ革命勢力「[[7月26日運動]]」に参加したアメリカ人で、社会主義を目指したカストロ政権で、処刑される。
; [[ヤン・ズムバッハ]](1915年 - 1986年)
: [[ポーランド]]人。第二次世界大戦においては[[第303コシチュシコ戦闘機中隊 (イギリス空軍)|第303戦闘機中隊]]に所属したエースパイロット。戦後は[[ポーランド人民共和国|共産化した祖国]]に帰国できず、スイスに居住。コンゴ動乱やビアフラ戦争に関与する。
; [[毛利元貞]]
: [[自衛隊]]脱柵後、[[フランス外人部隊]]も脱走した、危機管理能力が高い元傭兵の軍事アドバイザー、作家。
; [[柘植久慶]]
: [[コンゴ動乱]]に参加。自称であり、事実であるかは不明。
; [[高部正樹]]
: アフガニスタン紛争にて初の実戦を経験。その後カレン族と共に戦い、また[[クロアチア]]傭兵部隊「ビッグ・エレファント」の一員として、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]に参戦した経験を持つ。著書<!--「傭兵の誇り」-->によると「日本で資金を集めて、(自分を鍛えるために)海外で戦う」がモットーである。高部によれば、[[戦線|前線]]の軍隊では自分の気に入らないものを銃殺する[[誤射]]を装った[[同士討ち]]が頻発しており、自分の命を守る上で重要なことは、軍隊内で[[敵]]を作らないことだという<ref name="youtube">{{Cite web|和書|date=2022-12-27|url=https://www.youtube.com/watch?v=-ISwva4LSpw|title=20年異国の戦場で戦った元日本人傭兵/ミサイル爆撃で瀕⚫︎/同僚が頭撃ち抜かれ即⚫︎/高部正樹|publisher=街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜|accessdate=2022-12-27}}</ref>。
; [[斎藤昭彦]](1961年1月5日 - 2005年5月)
: [[第1空挺団 (陸上自衛隊)|第1空挺団]]に所属する陸上自衛官であったが退職し、1983年6月から2004年12月までフランス外人部隊に在籍。部隊での最終的な肩書きは上級特務曹長。[[民間軍事会社]]「ハート・セキュリティ」社に傭兵として雇われイラクで活動していたところをイスラーム武装組織「[[アンサール・スンナ軍]]」に拉致され、殺害された。([[民間軍事会社]]の項も参照のこと)
; [[テッド・新井]](1931年 - 2007年2月5日)
: [[朝鮮戦争]]参加後、南アフリカの傭兵チーム「LBRT」に所属。その後射撃のインストラクターとなり、ボリビアに活動拠点を移した直後の観光旅行中に強盗に射殺される。
;傭兵企業と呼ばれた会社
:* [[エグゼクティブ・アウトカムズ]](1998年閉鎖)
:* [[サンドライン・インターナショナル]](2004年閉鎖)
:* [[GSG|グルカ・セキュリティ・ガード]]
:* [[インターナショナル・スペシャル・ガーディアンズ]]
:* [[ブラックウォーターUSA]](現Xe社<!-- イラクでの事件が下で改名 -->)
=== 航空機・艦艇などの操縦や整備、訓練を受け持つ専門家タイプ ===
{{独自研究|date=2022年8月|section=1}}
{{seealso|軍事顧問}}
これは、[[冷戦]]時代に数多く見られたケースで、航空機や艦艇の製造国である先進国のパイロットや技術者が、発展途上国の空軍や海軍に派遣されて技術指導や訓練ばかりでなく、実戦にも参加するケースである。現在の兵器が極めて精密緻密なために、高度な技術を保有しなければ運用・整備ができなくなっているためという事が大きい。
たとえば、[[リビア]]空軍や[[スーダン]]空軍、初期の[[エジプト]]空軍などでは旧[[ソビエト連邦]]から派遣されたパイロットが航空機を運用していた。また、第二次世界大戦以前の[[タイ王国海軍|タイ海軍]]は外国人の海軍士官が多く存在しており、彼らが艦艇の運用とタイ人海軍兵士の訓練を担当していた。また、やはり第二次大戦中のアメリカが、[[日中戦争]]で中国支援の為の義勇部隊(空の賞金稼ぎ)「[[フライング・タイガース]]」を活動させようとしていた(結局、実際に部隊が戦闘に参加したのは日米開戦後になった)。この他、[[中華人民共和国]]や[[フランス]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]などがパイロットや教官を発展途上国に多く派遣しているといわれる。[[ベトナム戦争]]中に[[中央情報局|CIA]]が関わった「[[エア・アメリカ]]」もこの一と言えよう。
アフリカ諸国など発展途上国においては空軍は装備ばかりでなく訓練システムも貧弱であり、自国民のパイロットが育成できない場合も多い。この場合、内戦・クーデターなど緊急事態においては傭兵のパイロットが航空機の運用に関わる事がしばしばある。[[チャド]]の[[内戦]]においては、チャド空軍の[[A-1 スカイレイダー|A-1スカイレイダー]][[攻撃機]]はもっぱらフランス人傭兵が運用していた。
この場合、契約は国家間もしくはそれにメーカーを加えたケースが多い。もっとも、国家間で協定がなされ専門家が派遣されるような場合に、実質的にそれをどこまでが傭兵であり、どこからが軍事支援・軍の派遣などであると捉えるかの線引きは、明らかなものではない。
さらに、先進諸国であっても、軍の合理化策として比較的機密事項の少ない輸送・訓練・支援(給油など)を民間企業(元軍人が経営する事が多い)に[[アウトソーシング|委託]]する事もあり、この点でも線引きは曖昧になりつつある。(詳しくは民間軍事会社を参照のこと。)
=== 退役軍人(特に特殊部隊員)を中心に構成される「民間軍事会社」タイプ ===
{{独自研究|date=2022年8月|section=1}}
このタイプの傭兵については[[民間軍事会社]] (PMC) の項も参照。
純粋な営利目的として[[内戦]]や[[クーデター]]に関わるという事で、歴史的な意味での傭兵にもっとも近いといえる。ただし、特殊作戦や航空作戦を除いて直接実戦に参加する事は少なく、顧問・教官という形で間接的に実戦に参加する。「雇用主」は正規の政府が多く、時には油田や鉱山などその国に利権を持つ大企業である場合もある。
こうした傭兵は元[[特殊部隊]]員などの軍人出身者([[退役軍人]])が多く、組織化されて企業化されている事もある。イギリス、アメリカ、南アフリカ(現在は非合法化)などにこうした企業が存在する。大手企業の一部には[[戦車]]、[[装甲兵員輸送車]]、[[榴弾砲]]、[[攻撃ヘリコプター]]といった、正規軍と大差ない装備を独自に保有している事もある。
ただし、表向きは「'''民間警備支援サービス'''」などと称する場合がほとんどである(更に、民間軍事会社所属の傭兵は、「'''[[警備員]]'''」「'''警備会社社員'''」と称すことも多い)。実際に、当初は発展途上国や治安の悪化している国においてオフィス・工場・鉱山などの警備をしていた者を、発展途上国の政府が見込んで依頼をしたというケースが多い。
需要者としては発展途上国に多い。これらの国の政府軍は技術・装備に乏しく、また士気に問題があることもあって兵士としての十分な行動に期待できない場合がある。特に内戦を抱える発展途上国は[[冷戦]]時代には各陣営から支援を受けて軍事力でそれを抑え込んでいたが、冷戦が終わりそれもなくなってしまうと、そうした発展途上国は反乱分子の鎮圧を民間軍事会社に頼るようになった。
さらに、[[内政不干渉の原則]]などにより正規軍兵士の身分を持つ者が関わる事が困難な任務も存在する。このような場合、政治的リスクが小さい傭兵を受け入れるという事になる。アフリカ諸国では旧宗主国の思惑がからむ場合も多く、例えば、[[アンゴラ内戦]]においては、冷戦期に敵であった南アフリカ軍の元兵士達を主力とする傭兵企業「[[エグゼクティブ・アウトカムズ]]」が、1990年代に政府軍の支援を行い、一定の成果を上げたといわれる{{要出典|date=2010年6月|title=なぜ旧宗主国の思惑の部分にアンゴラ内戦の例を挙げたのかわからないので出典を求めます。}}。また、西側先進国政府が雇用主であることも多い。この場合、世論の動向から表立って軍事介入はできないが、国益やビジネスのためのかなり「ダーティー」な解決法として利用される。当然露見した場合のリスクはかなり高い{{要出典|date=2010年6月|title=露見リスクについては日本国内ではあるかもしれませんが、普通に活動していたりするので露見リスクはないと思われます。}}。<!-- 石油地域の警護などがあげられる。またリスクの高いものとしては非人道的な国家や制裁地域における民間軍事会社の利用による利権の確保など。スーダンなどがあげられる。 -->
さらに近年、軍事予算の削減や正規軍兵士の戦死が世論から非難を受けるという傾向を踏まえ、危険性の高い地域でのパトロール任務を民間「警備」会社に委託するケースも見受けられるようになっている。[[イラク戦争]]においても正規軍以外に[[要人警護]]や特殊任務に参加している「民間人」が確認されている。これらもこうした傭兵の一つと考えられる。
=== 傭兵になった場合の法的問題 ===
{{独自研究|date=2022年8月|section=1}}
国家が編成した軍隊の[[外人部隊]]へ入隊した者は国が身分を保障するため、法的には傭兵ではなく正式な軍人として扱われる。<!-- "国家の軍隊構成員に組み入れられる"がより正しい気がします -->一方で、企業や個人が雇用する傭兵の場合は、「[[非合法戦闘員]]」あるいは単なる[[犯罪者]]と解釈され、捕虜になったとしてもジュネーブ条約における捕虜の規定が適用されずに処罰される可能性が高い。<!-- 傭兵には人道法の観点からあらゆる捕虜の権利を剥奪されるという見方もあるが、国際人権法による基本的な人権は与えられるというのが一般的のようです -->また、自国の在外機関や軍の救難部隊の援助を求めることは困難である。さらに、後者で敵戦闘員やテロリスト等を殺害した場合、たとえ無事に帰国しても、殺人罪の[[国外犯]]として自国政府に罰せられる可能性がある。
国によっては傭兵になること自体を犯罪行為としている国もあり、[[マイク・ホアー]]や[[サイモン・マン]]のように[[反傭兵法]]で実刑を受けた例もある。[[反傭兵法]]では傭兵の雇用者や資金提供者も処罰の対象としており、2005年1月に[[マーガレット・サッチャー]]の長男であるマーク・サッチャーが赤道ギニアのクーデターを企んでいた傭兵の[[サイモン・マン]]へ資金援助を行った容疑で逮捕され反傭兵法で起訴有罪になっている。日本では[[ISIL]]の戦闘員として[[シリア]]に向かうことを計画した大学生に[[国交に関する罪|私戦予備罪・私戦陰謀罪]]の捜査対象とされた<ref name="j-cast">{{Cite web|和書|title=「私戦予備および陰謀」とはどんな罪なのか イスラム国に参加計画の大学生を事情聴取、法曹関係者も驚く|publisher=J-CAST|date=2014-10-07|url=https://www.j-cast.com/2014/10/07217815.html?p=all|accessdate=2018-06-02}}</ref>。
このように現代では法的な民間軍事会社の立場が非常に不明確であることが問題となり、2008年9月17日に[[モントルー文書]]として民間軍事会社の人員に対する指針が作成された。指針であり条約ではないため、批准国であっても守る義務は無いがどう扱うべきか判断する基準となっている。2009年9月現在、スイスのモントルーで[[モントルー文書]]を正規の条約とするための会議が行われている。
=== 末端兵士の賃金 ===
2010年代に[[リビア]]や[[ナゴルノカラバフ]]に送られた[[シリア人]]の傭兵の例では、月給3000ドルと死亡時の遺族補償金7万5000ドルで契約を行うものの、実際はブローカーの手により中抜きが行われ月給は800-1400ドルとなることが報告されている<ref>{{Cite web|和書|author= |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3348943?cx_part=top_category&cx_position=1 |title=月給33万円のはずが…賃金を搾取されるシリア人傭兵 報告書 |publisher=AFP |date=2021-05-30 |accessdate=2021-05-30}}</ref>。とはいえ、遺族補償があるのは良心的で、有名なPMCのアメリカ人傭兵であっても、採用時には死亡補償は無いと警告されることが多い。
== 出典 ==
<references/>
== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2022年8月|section=1}}
* [http://www.rhodesia.jp/mercenary.html Institute of Rhodesian Army - アフリカの傭兵]
* {{Cite book|和書|author=P・W・シンガー|authorlink=P・W・シンガー|others=[[山崎淳]](訳)|title=戦争請負会社|publisher=NHK出版|year=2004|isbn=4140810106|ref=シンガー}}
* {{Cite book|和書|author=ロルフ・ユッセラー|others=[[下村由一]](訳)|title=戦争サービス業—民間軍事会社が民主主義を蝕む|publisher=日本経済評論社|year=2008|isbn=4818820164}}
* {{Cite book|和書|author=菊池良生|authorlink=菊池良生|title=傭兵の二千年史|publisher=講談社|year=2002|series=講談社現代新書|isbn=4061495879|ref=菊池}}
* {{Cite book|和書|author=菅原出|authorlink=菅原出|title=外注される戦争—民間軍事会社の正体|publisher=草思社|year=2007|isbn=4794215762}}
* {{Cite book|和書|author=松本利秋|authorlink=松本利秋|title=戦争民営化—10兆円ビジネスの全貌|publisher=祥伝社|year=2005|series=祥伝社新書|isbn=4396110189}}
== 関連項目 ==
{{関連項目過剰|section=1|date=2022年8月}}
* [[民兵]]
* [[グルカ兵]]
* [[ランツクネヒト]]
* [[フリーカンパニー]]
* [[スイス傭兵]]
* [[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]
* [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]](バルバロッサ)
* [[パヴィアの戦い]]
* [[ローマ略奪]]
* [[三十年戦争]]
* [[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン]]
* [[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)#評価|グスタフ・アドルフ]]
* [[フランス外人部隊]]
* [[ルイ2世 (モナコ大公)]]
* [[エルンスト・レーム]]
* [[ペダル1世]]
* [[民間軍事会社]](武装警備員)
* [[フリーランス]]
* [[東インド会社]]
* [[国際人道法]]
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{{デフォルトソート:ようへい}}
[[Category:軍事史]]
[[Category:軍隊]]
[[Category:傭兵|*]] | 2003-05-10T04:41:52Z | 2023-12-02T10:43:08Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%AD%E5%85%B5 |
7,964 | クナクサの戦い | クナクサの戦い(クナクサのたたかい, Battle of Cunaxa)は、紀元前401年9月3日、アケメネス朝ペルシアの時代に、バビロン近郊のクナクサで行われた戦い。ダレイオス2世の子、ペルシア王アルタクセルクセス2世が、弟キュロスの反乱軍を破った。キュロスの反乱軍にはクセノポンがギリシア傭兵の一員として参加しており、キュロス軍の出陣から、ギリシア傭兵のペルガモンへの帰還までの顛末を『アナバシス』に書き残した。
紀元前401年、兄アルタクセルクセス2世ではなく自分こそが王たるにふさわしいと考えていたキュロスは王に対して反乱を起こした。彼はギリシア人傭兵を雇い入れ、手持ちの軍と合わせてペルシアの心臓部へ向け、サルディスを発った。一方アルタクセルクセスも軍を動員し、迎撃に向かった。そして両者はバビロンの北70キロに位置するユーフラテス河畔のクナクサで対峙した。なお、『アナバシス』には両軍の兵力についての記述があるが、明らかに誇張を含んでいる(アルタクセルクセスの率いる軍は90万人以上とある)。
戦いはキュロス軍右翼のギリシア人傭兵部隊の突撃で始まった。ギリシア人傭兵部隊は前面のペルシア王軍左翼を圧倒し、それを追撃した。続いて他の部隊も交戦し、キュロスも麾下の騎兵600騎を率いて剣戟に身を晒して自ら戦った。当初キュロスは敵を圧倒したが、敵を追うあまり隊は分散してしまい、キュロスの周りが手薄になった。そのために彼は敵の槍を受け、戦死した。こうして司令官を失ったキュロス軍は退却に転じた。
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'''クナクサの戦い'''(クナクサのたたかい, Battle of Cunaxa)は、[[紀元前401年]][[9月3日]]、[[アケメネス朝]]ペルシアの時代に、[[バビロン]]近郊の[[クナクサ]]で行われた戦い。[[ダレイオス2世]]の子、ペルシア王[[アルタクセルクセス2世]]が、弟[[小キュロス|キュロス]]の反乱軍を破った。キュロスの反乱軍には[[クセノポン]]がギリシア傭兵の一員として参加しており、キュロス軍の出陣から、ギリシア傭兵の[[ペルガモン]]への帰還までの顛末を『[[アナバシス]]』に書き残した。
== 背景 ==
[[紀元前401年]]、兄[[アルタクセルクセス2世]]ではなく自分こそが王たるにふさわしいと考えていたキュロスは王に対して反乱を起こした。彼はギリシア人[[傭兵]]を雇い入れ、手持ちの軍と合わせてペルシアの心臓部へ向け、[[サルディス]]を発った。一方アルタクセルクセスも軍を動員し、迎撃に向かった。そして両者は[[バビロン]]の北70キロに位置する[[ユーフラテス]]河畔のクナクサで対峙した。なお、『[[アナバシス]]』には両軍の兵力についての記述があるが、明らかに誇張を含んでいる(アルタクセルクセスの率いる軍は90万人以上とある)。
== 会戦 ==
戦いはキュロス軍右翼のギリシア人傭兵部隊の突撃で始まった。ギリシア人傭兵部隊は前面のペルシア王軍左翼を圧倒し、それを追撃した。続いて他の部隊も交戦し、キュロスも麾下の騎兵600騎を率いて剣戟に身を晒して自ら戦った。当初キュロスは敵を圧倒したが、敵を追うあまり隊は分散してしまい、キュロスの周りが手薄になった。そのために彼は敵の槍を受け、戦死した。こうして司令官を失ったキュロス軍は退却に転じた。
== その後 ==
その後、残ったキュロス軍はペルシア王に恭順の姿勢を示したが、ギリシア人傭兵部隊はそうはせず、ギリシア本土へ帰ろうとした。
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7,965 | ペロポネソス戦争 | ペロポネソス戦争(ペロポネソスせんそう、古希: Πελοποννησιακός Πόλεμος、英: Peloponnesian War、紀元前431年 - 紀元前404年)は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。
紀元前435年、コリントス人により建設されたギリシア北西部の植民市ケルキュラ(当時は既にコリントスと離反)を母市とする植民市エピダムノスは打ち続く内紛と周辺民族との抗争のために疲弊し、内部の仲裁と兵隊の援助を母市ケルキュラに求めたがケルキュラ人は何の援助も与えなかった。困窮したエピダムノスはコリントスに救援を要請し、これに応じたコリントスが守備兵と施政官を派遣し植民者の公募を始めると、激昂したケルキュラ人はエピダムノスへ侵攻、エピダムノスを攻囲ののち陥落させ、各地のコリントス植民市に対して略奪を繰り返した。
報復の機会を窺うコリントスの軍備増強を恐れたケルキュラはアテナイに援助を求め、紀元前432年これを遠からず起こるだろう対ペロポネソス同盟戦の戦力増強の好機と見たアテナイが応じて援軍を送り戦闘となった(シュボタの海戦)。翌年、ギリシア北部にあるコリントス人の植民市ポテイダイアがアテナイの武装解除要求を拒否してデロス同盟からの脱退とペロポネソス同盟による保護と加盟を求めた事に関して、アテナイが軍を派遣して包囲、一部のコリントス人が個人的に救援した(ポティダイアの戦い)。これらの事件により、アテナイはコリントスと対立する事になる。
この頃、アテナイはデロス同盟の覇者としてエーゲ海に覇権を確立し、隷属市や軍事力を積極的に拡大していた。これに対し、自治独立を重んじるペロポネソス同盟は、アテナイの好戦的な拡張政策が全ギリシア世界に及ぶ事態を懸念していた。
これらを背景として、勃興する覇権主義勢力と旧来の自治独立のイデオロギー対立がポリス間の権益や帰結闘争と結びついた結果、「デロス同盟対ペロポネソス同盟」という代理戦争的構図が作られ、紀元前432年にペロポネソス同盟会議は、アテナイ軍のペロポネソス同盟市に対する略奪や侵略を和約の破棄と見なし、アテナイとの開戦を決議した。
翌紀元前431年5月、スパルタ王アルキダモス2世率いるペロポネソス同盟軍によるアッティカ侵攻が開始された。対するアテナイはペリクレスの提案によって、城塞外に居住する市民全てをアテナイとペイラエウス港及び両者を繋ぐ二重城壁の内側へ退避させる篭城策を取り、海上よりペロポネソス同盟の本国などを攻撃する作戦を取った。ところが、エジプト・リビア・ペルシャ領・エーゲ海東部で流行していた疫病がアテナイでも発生、市内の治安が乱れ盗賊が横行した、紀元前429年までに市民の約6分の1が病死した。
しかし、海上におけるアテナイ軍の優位は変わらず、紀元前425年のスファクテリアの戦い(英語版)において従来決して降伏しないとされていたスパルタ市民兵120人を含む292人を捕虜とする勝利を収めるなど多くの戦果を得ていた。ペロポネソス同盟軍側は停戦を申し入れたが、ペリクレス死後、好戦的な民衆を抑制出来る指導者を欠いたアテナイはこの申し出を拒否、戦争続行の構えをとった。しかし、戦局は次第にペロポネソス同盟側へ傾き始め、ペロポネソス同盟軍がボイオティアやトラキアにおいて勝利を収める。ところが、紀元前422年にスファクテリアの勝者で、アテナイの好戦的指導者クレオン、同じく主戦派のスパルタの将軍ブラシダスがトラキアのアンフィポリスの戦いで共に戦死した。
和平を望むアテナイの将軍ニキアス、同じく和平を望むスパルタ王プレイストアナクス主導の下で翌紀元前421年にアテナイ、ペロポネソス同盟間で和平が成立した(ニキアスの和約)。しかし、両国共に決定された領土の返還事項を守らず、ニキアスの和平が戦争を完全に終わらせるには至らなかった。
紀元前415年にアテナイは主戦論を唱えるアルキビアデスの主導でシケリア遠征を決定し、これによって戦争が再開されることとなった。しかし、シケリア遠征は彼我の距離を無視した無謀とも言える遠征であった。同年にシケリアの戦局がアテナイ側不利に傾き始めたのを機にペロポネソス同盟はアテナイへの穀物の供給地として重要なデケレイア(英語版)を占領した。大兵力を投入したアテナイ軍の2次に及ぶシケリア遠征軍が壊滅、失敗に終わったことにより、デロス同盟の被支配市から離反が相次ぎ、情勢はペロポネソス同盟優位に傾いていった。
アテナイは予想外の耐久力を発揮し、依然エーゲ海でペロポネソス同盟と渡り合った。アテナイはいくつかの海戦で勝利を収めるものの、大勢は決しており逆転するには至らなかった。紀元前405年、ケルソネソス半島(英語版)(今日のトルコ領ゲリボル半島)を流れるアイゴスポタモイ川(英語版)の河口付近でアイゴスポタモイの海戦が勃発した。この海戦では、食料調達のために上陸し、休息を取っていたアテナイ軍をリュサンドロス率いるペロポネソス同盟軍が急襲し勝利を収めた。この勝利により黒海方面の制海権を完全にペロポネソス同盟が掌握、同時にアテナイ市への食料供給路を断った。翌紀元前404年にはアテナイ市が包囲され、アテナイの降伏を以って戦争は終結した。
戦争の結果、デロス同盟は解放され、アテナイでは共和制が崩壊してスパルタ人指導の下に寡頭派政権(三十人政権)が発足し、恐怖政治による粛清を行なった。だが、9ヶ月でトラシュブロス率いる共和制派勢力が三十人政権を打倒し政権を奪取する。共和制政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや、三十人政権の指導者のクリティアスらが弟子であったことから、ソクラテスがアニュトスらによって糾弾され、公開裁判にかけられて刑死した。紀元前401年の同時期、アケメネス朝ペルシアではアルタクセルクセス2世と小キュロスの間で後継者争いのクナクサの戦いが起こった。この戦いに参加したクセノポンは『アナバシス』を記した。
アテナイはデロス同盟の支配者たる地位は失ったものの、有力ポリスとして存在し続けた。ペルシア帝国のギリシャ地方支配に対抗したスパルタに対して、ペルシャ帝国は敵対するアテナイやテーバイ、後にはコリントスなどのスパルタと敵対するポリスに資金支援を行い、諸ポリスが合従連衡を繰り返してスパルタに対抗した(例えばコリントス戦争、大王の和約)。紀元前379年にようやくスパルタがギリシャとエーゲ海における覇権を握ったが、海上交易のもたらす富が市民の間に貧富の差を生み、主に自作農から構成された兵役を担う自由市民が700名程度にまで減少したため、質実剛健を旨とするリュクルゴス制度(古代ギリシア語: Λυκούργος, 英語: Lycurgus)は打撃を受けた。
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なお、哲学者のソクラテスも一兵卒としてこの戦争に参加し、デリオンの戦いでは味方が総崩れになる中最後まで奮戦した。彼の奮戦の様子を弟子のプラトンは著作において述べている。だが、戦争への参加にもかかわらず、アルキビアデスやクリティアスを始めとする彼の弟子や関係者が戦争とその後の混乱の原因となったことで民衆の反発を招き、後の刑死の一因となった。
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] | ペロポネソス戦争は、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争である。 | {{脚注の不足|date=2018年4月}}
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| combatant2 = [[アテナイ]]を中心とする[[デロス同盟]]他
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| commander2 = [[アルキビアデス]]<br>[[クレオン (政治家)|クレオン]]<br>[[デモステネス (将軍)|デモステネス]]<br>[[ニキアス]]<br>[[ペリクレス]]他
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}}
[[画像:Alliances in the Pelopennesian War, 431 B.C. 1.JPG|サムネイル|ペロポネソス戦争の両陣営。赤が[[ペロポネソス同盟]]軍の進路、青が[[デロス同盟]]軍の進路]]
'''ペロポネソス戦争'''(ペロポネソスせんそう、{{lang-grc-short|Πελοποννησιακός Πόλεμος}}、{{lang-en-short|Peloponnesian War}}、[[紀元前431年]] - [[紀元前404年]]<ref>{{Cite book|和書 |author = 明石和康 |year = 2013 |title = ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり |publisher = [[岩波書店]] |page = 関連年表 |isbn = 978-4-00-500761-5}}</ref>)は、[[アテナイ]]を中心とする[[デロス同盟]]と[[スパルタ]]を中心とする[[ペロポネソス同盟]]との間に発生した、[[古代ギリシア]]世界全域を巻き込んだ[[戦争]]である。
== 背景 ==
{{See also|ペルシア戦争|[[:en:Second Persian invasion of Greece]]|第一次ペロポネソス戦争|{{仮リンク|30年不戦条約|en|Thirty Years' Peace}}}}
[[紀元前435年]]、[[コリントス]]人により建設された[[ギリシア]]北西部の[[植民地|植民市]][[ケルキュラ]](当時は既にコリントスと離反)を母市とする植民市[[エピダムノス]]は打ち続く内紛と周辺民族との抗争のために疲弊し、内部の仲裁と兵隊の援助を母市ケルキュラに求めたがケルキュラ人は何の援助も与えなかった。困窮したエピダムノスはコリントスに救援を要請し、これに応じたコリントスが守備兵と施政官を派遣し植民者の公募を始めると、激昂したケルキュラ人はエピダムノスへ侵攻、エピダムノスを攻囲ののち陥落させ、各地のコリントス植民市に対して略奪を繰り返した。
報復の機会を窺うコリントスの軍備増強を恐れたケルキュラはアテナイに援助を求め、[[紀元前432年]]これを遠からず起こるだろう対ペロポネソス同盟戦の戦力増強の好機と見たアテナイが応じて援軍を送り戦闘となった([[シュボタの海戦]])。翌年、ギリシア北部にあるコリントス人の植民市[[ポテイダイア]]がアテナイの武装解除要求を拒否して[[デロス同盟]]からの脱退とペロポネソス同盟による保護と加盟を求めた事に関して、アテナイが軍を派遣して包囲、一部のコリントス人が個人的に救援した([[ポティダイアの戦い]])。これらの事件により、アテナイはコリントスと対立する事になる。
この頃、アテナイはデロス同盟の覇者として[[エーゲ海]]に覇権を確立し、隷属市や軍事力を積極的に拡大していた。これに対し、自治独立を重んじるペロポネソス同盟は、アテナイの好戦的な拡張政策が全ギリシア世界に及ぶ事態を懸念していた。
これらを背景として、勃興する覇権主義勢力と旧来の自治独立の[[イデオロギー]]対立が[[ポリス]]間の権益や帰結闘争と結びついた結果、「デロス同盟対ペロポネソス同盟」という[[代理戦争]]的構図が作られ、[[紀元前432年]]にペロポネソス同盟会議は、アテナイ軍のペロポネソス同盟市に対する略奪や侵略を和約の破棄と見なし、アテナイとの開戦を決議した。
== 経過 ==
=== 十年戦争 ===
翌[[紀元前431年]]5月、[[スパルタ王]][[アルキダモス2世]]率いるペロポネソス同盟軍による[[アッティカ]]侵攻が開始された。対するアテナイはペリクレスの提案によって、城塞外に居住する市民全てをアテナイと[[ペイラエウス港]]及び両者を繋ぐ二重城壁の内側へ退避させる篭城策を取り、海上よりペロポネソス同盟の本国などを攻撃する作戦を取った。ところが、エジプト・リビア・ペルシャ領・エーゲ海東部で流行していた疫病がアテナイでも発生、市内の治安が乱れ盗賊が横行した、紀元前429年までに市民の約6分の1が病死した。
しかし、海上におけるアテナイ軍の優位は変わらず、[[紀元前425年]]の{{仮リンク|スファクテリアの戦い|en|Battle of Sphacteria}}において従来決して降伏しないとされていたスパルタ市民兵120人を含む292人を捕虜とする勝利を収めるなど多くの戦果を得ていた。ペロポネソス同盟軍側は停戦を申し入れたが、ペリクレス死後、好戦的な民衆を抑制出来る指導者を欠いたアテナイはこの申し出を拒否、戦争続行の構えをとった。しかし、戦局は次第にペロポネソス同盟側へ傾き始め、ペロポネソス同盟軍が[[ボイオティア]]や[[トラキア]]において勝利を収める。ところが、紀元前422年にスファクテリアの勝者で、アテナイの好戦的指導者[[クレオン (政治家)|クレオン]]、同じく主戦派のスパルタの将軍[[ブラシダス]]がトラキアの[[アンフィポリスの戦い]]で共に戦死した。
=== ニキアスの和約 ===
和平を望むアテナイの将軍[[ニキアス]]、同じく和平を望むスパルタ王[[プレイストアナクス]]主導の下で翌紀元前421年にアテナイ、ペロポネソス同盟間で和平が成立した([[ニキアスの和約]])。しかし、両国共に決定された領土の返還事項を守らず、ニキアスの和平が戦争を完全に終わらせるには至らなかった。
=== 第二次戦争 ===
[[紀元前415年]]にアテナイは主戦論を唱える[[アルキビアデス]]の主導で[[シケリア遠征]]を決定し、これによって戦争が再開されることとなった。しかし、シケリア遠征は彼我の距離を無視した無謀とも言える遠征であった。同年にシケリアの戦局がアテナイ側不利に傾き始めたのを機にペロポネソス同盟はアテナイへの穀物の供給地として重要な{{仮リンク|デケレイア|en|Decelea}}を占領した。大兵力を投入したアテナイ軍の2次に及ぶシケリア遠征軍が壊滅、失敗に終わったことにより、デロス同盟の被支配市から離反が相次ぎ、情勢はペロポネソス同盟優位に傾いていった。
アテナイは予想外の耐久力を発揮し、依然エーゲ海でペロポネソス同盟と渡り合った。アテナイはいくつかの海戦で勝利を収めるものの、大勢は決しており逆転するには至らなかった。[[紀元前405年]]、{{仮リンク|ケルソネソス (トラキア)|en|Thracian Chersonese<!-- リダイレクト先の「[[:en:Gallipoli]]」は、[[:ja:ガリポリ半島]] とリンク -->|label=ケルソネソス半島}}(今日の[[トルコ]]領[[ガリポリ半島|ゲリボル半島]])を流れる{{仮リンク|アイゴスポタモイ|en|Aegospotami|label=アイゴスポタモイ川}}の河口付近で[[アイゴスポタモイの海戦]]が勃発した。この海戦では、食料調達のために上陸し、休息を取っていたアテナイ軍を[[リュサンドロス (提督)|リュサンドロス]]率いるペロポネソス同盟軍が急襲し勝利を収めた。この勝利により[[黒海]]方面の[[制海権]]を完全にペロポネソス同盟が掌握、同時にアテナイ市への食料供給路を断った。翌[[紀元前404年]]にはアテナイ市が包囲され、アテナイの降伏を以って戦争は終結した。
== 影響 ==
=== ソクラテスの弁明とアナバシス ===
戦争の結果、デロス同盟は解放され、アテナイでは共和制が崩壊してスパルタ人指導の下に寡頭派政権([[三十人政権]])が発足し、[[恐怖政治]]による粛清を行なった。だが、9ヶ月で[[トラシュブロス (将軍)|トラシュブロス]]率いる共和制派勢力が三十人政権を打倒し政権を奪取する。共和制政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となった[[アルキビアデス]]や、三十人政権の指導者の[[クリティアス (三十人僭主)|クリティアス]]らが弟子であったことから、[[ソクラテス]]が[[アニュトス]]らによって糾弾され、公開裁判にかけられて刑死した<ref>この経緯は、[[クリティアス (三十人僭主)|クリティアス]]の従兄弟でソクラテスの弟子[[プラトン]]が四部作『[[エウテュプローン]]』、『[[ソクラテスの弁明]]』、『[[クリトン]]』、『[[パイドン]]』に記録し、後世に伝えられている。</ref>。[[紀元前401年]]の同時期、[[アケメネス朝]]ペルシアでは[[アルタクセルクセス2世]]と[[小キュロス]]の間で後継者争いの[[クナクサの戦い]]が起こった。この戦いに参加した[[クセノポン]]は『アナバシス』を記した。
=== ペルシア帝国の資金支援 ===
アテナイはデロス同盟の支配者たる地位は失ったものの、有力ポリスとして存在し続けた。ペルシア帝国のギリシャ地方支配に対抗したスパルタに対して、ペルシャ帝国は敵対するアテナイやテーバイ、後にはコリントスなどのスパルタと敵対するポリスに資金支援を行い、諸ポリスが[[合従連衡]]を繰り返してスパルタに対抗した(例えば[[コリントス戦争]]、[[アンタルキダスの和約|大王の和約]])。[[紀元前379年]]にようやくスパルタがギリシャとエーゲ海における覇権を握ったが、海上交易のもたらす富が市民の間に貧富の差を生み、主に自作農から構成された兵役を担う自由市民が700名程度にまで減少したため、質実剛健を旨とする[[スパルタのリュクルゴス|リュクルゴス制度]]({{lang-grc|Λυκούργος}}, {{lang-en|Lycurgus}})は打撃を受けた。
=== ボイオティア戦争 ===
{{main|{{仮リンク|ボイオティア戦争|en|Boeotian War}}}}
[[紀元前378年]]、アテナイがデロス同盟に代わる{{仮リンク|第二次海上同盟|en|Second Athenian Empire}}を再び結成した。ギリシア世界が{{仮リンク|ボイオティア戦争|en|Boeotian War}}で慢性的な戦争状態に陥り、徐々に衰退する一方で、アテナイは[[紀元前375年]]の{{仮リンク|ナクソス沖の海戦|en|Battle of Naxos}}でペルシア軍を打ち破り、海上の覇権を取り戻した。[[紀元前371年]]、スパルタ軍は[[レウクトラの戦い]]で[[エパメイノンダス]]に率いられた[[テーバイ]]軍に敗北し、ギリシアの[[覇権]]を失った。一時的に覇権を握ったテーバイも、[[紀元前362年]]に[[マンティネイアの戦い (紀元前362年)|マンティネイアの戦い]]でエパメイノンダスが戦死すると覇権を失った。
=== マケドニアの台頭 ===
{{main|{{仮リンク|マケドニアの台頭|en|Rise of Macedon}}}}
[[紀元前357年]]にテーバイを中心とする同盟市と第二次海上同盟を擁するアテナイの間で{{仮リンク|同盟市戦争 (紀元前357年-紀元前355年)|en|Social War (357–355 BC)|label=同盟市戦争}}が勃発し、[[紀元前356年]]にはテーバイを中心とする[[隣保同盟|アンフィクテュオニア評議会]](隣保同盟)と[[フォキダ県|フォキス]]を中心とするアテナイ・スパルタ連合軍の間で{{仮リンク|第三次神聖戦争|en|Third Sacred War}}が起こった。[[紀元前355年]]に同盟市戦争は同盟市の勝利におわり、第二次海上同盟は崩壊。[[紀元前346年]]に第三次神聖戦争も[[隣保同盟]]が勝利し、隣保同盟側に参戦したマケドニア王国のフィリッポス2世は影響力を強めた。[[紀元前347年]]に[[プラトン]]が死去し、[[アリストテレス]]が故郷のマケドニアに帰国して[[アレクサンドロス3世]]の家庭教師になったこともこの後の歴史に大きな影響を与えた。[[紀元前338年]]の[[カイロネイアの戦い]]で[[マケドニア王国]]にアテナイ・テーバイ連合軍は敗北し、マケドニアの覇権が成立した。こうしてギリシア世界はマケドニアの支配下に置かれることになったのである(スパルタだけはマケドニア主導の[[コリントス同盟|ヘラス同盟]](コリント同盟)に加わらず、後に[[アギス3世]]が反マケドニアの兵を起こすも、[[紀元前331年]]の[[メガロポリスの戦い]]で敗れた)。[[紀元前336年]]にフィリッポス2世が暗殺されると一時的にヘラス同盟は混乱に陥ったが、アレクサンドロスが権力を掌握。[[紀元前334年]]にアレクサンドロスは、[[ペルシア戦争]]以来のギリシア世界の宿敵ペルシアを倒すためにマケドニア軍を率いて東征に乗り出した({{仮リンク|アレキサンダー大王の戦争|en|Wars of Alexander the Great|label=アレキサンダーの東征}})。
== 年表 ==
*[[紀元前433年]]:[[シュボタの海戦]]。コリントスが勝利。
*[[紀元前432年]]:ペロポネソス同盟会議において、同盟諸市へのアテナイの侵略に対し和約違反を非難、開戦を決議。
*[[紀元前431年]]:ペロポネソス同盟軍による第一次アッティカ侵攻([[ポティダイアの戦い]])。アテナイ軍によるメガラ侵攻。自治権を要求するアテナイ傘下の都市アイギナに対しアテナイが軍を送り占領、全市民を追放。
*[[紀元前430年]]-[[紀元前429年]]:第二次アッティカ侵攻([[:en:Battle of Spartolos<!-- [[:ja:スパルトロスの戦い]] とリンク -->]])。
*紀元前429年:[[リオンの海戦]]、[[ナウパクトスの海戦]]。ともにアテナイが倍以上のペロポネソス艦隊を破る。
*[[紀元前428年]]-[[紀元前427年]]:ペロポネソス同盟軍による第三次アッティカ侵攻([[ミュティレネの反乱]])。レスボス島の諸市がアテナイから離反。短期間で鎮圧するが、その後も度々離反。
*[[紀元前427年]]:[[ミュティレネの反乱]]鎮圧。
*[[紀元前426年]]-[[紀元前424年]]:アテナイ軍による第一次シケリア遠征。[[タナグラの戦い (紀元前426年)]]、[[:en:Aetolian campaign]]、[[:en:Battle of Olpae]]、[[:en:Battle of Idomene]]。
*[[紀元前425年]]:ペロポネソス同盟軍とアテナイ軍による{{仮リンク|ピュロスの戦い|en|Battle of Pylos}}および{{仮リンク|スファクテリアの戦い|en|Battle of Sphacteria}}。アテナイ軍の勝利。
*[[紀元前424年]]:アテナイ軍が[[キュテラ島]]を占領。[[ブラシダス]]による[[トラキア]]遠征。アテナイ軍がメガラへ侵攻({{仮リンク|メガラの戦い (紀元前424年)|en|Battle of Megara|label=メガラの戦い}})。アテナイ軍とボイオティア軍によるペロポネソス戦争最大の会戦{{仮リンク|デリオンの戦い|en|Battle of Delium}}。ボイオティア軍の勝利。
*[[紀元前423年]]:1年間を期限とした和平条約の締結。
*[[紀元前422年]]:[[アンフィポリスの戦い]]。ペロポネソス同盟軍の勝利。両軍の指揮官クレオン、ブラシダスともに戦死。
*[[紀元前421年]]:アテナイとペロポネソス同盟による50年間を期限とした同盟条約の締結([[ニキアスの和約|ニーキアスの和平]])。
*[[紀元前420年]]:[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]、アテナイ、[[エーリス|エリス]]、[[マンティネイア]]による反スパルタ四ヶ国同盟の締結。
*[[紀元前418年]]:スパルタ軍とアルゴス軍による[[マンティネイアの戦い (紀元前418年)|マンティネイアの戦い]]。スパルタ軍の勝利。
*[[紀元前417年]]:スパルタ軍によるアルゴス侵攻。
*[[紀元前416年]]:アテナイ軍による[[メロス島|メロス]]攻略([[メロス包囲戦]])。
*[[紀元前415年]]:アテナイ軍による第二次[[シケリア遠征]]。
*[[紀元前414年]]:シュラクサイの要請を受けたスパルタが、シケリアにペロポネソス同盟軍を派遣。
*[[紀元前413年]]:第四次アッティカ侵攻。シケリアに派遣したアテナイ軍が降伏。[[アケメネス朝|ペルシア]]とペロポネソス同盟の同盟締結。
*[[紀元前412年]]:アテナイ市民は最後の準備資金を使って艦隊を編成。[[クラゾメナイ]]がアテナイに反乱を起こす。
*[[紀元前411年]]:ペロポネソス同盟艦隊とアテナイ艦隊による[[シュメの戦い|シュメの海戦]]、{{仮リンク|キュノスセマの海戦|en|Battle of Cynossema|label=キュノスセマの戦い}}。前者は引き分け、後者はアテナイ軍の勝利。
*[[紀元前410年]]:{{仮リンク|アビュドスの戦い|en|Battle of Abydos}}。ペロポネソス同盟艦隊とアテナイ艦隊による{{仮リンク|キュジコスの戦い|en|Battle of Cyzicus|label=キュジコスの海戦}}。アテナイ軍の勝利。ペロポネソス同盟艦隊が壊滅状態に陥る。
*[[紀元前407年]]:ペルシアの資金援助によりペロポネソス同盟艦隊が再建される。
*[[紀元前406年]]:ペロポネソス同盟艦隊とアテナイ艦隊による{{仮リンク|ノティオンの戦い|en|Battle of Notium|label=ノティオンの海戦}}。ペロポネソス同盟軍の勝利。
*紀元前406年:ペロポネソス同盟艦隊とアテナイ艦隊による{{仮リンク|アルギヌサイの戦い|en|Battle of Arginusae|label=アルギヌサイの海戦}}。アテナイ軍の勝利。
*[[紀元前405年]]:ペロポネソス同盟艦隊とアテナイ艦隊による[[アイゴスポタモイの海戦]]。ペロポネソス同盟軍の勝利。アテナイ艦隊が壊滅する。アテナイ市の包囲。
*[[紀元前404年]]:アテナイが降伏し、ペロポネソス戦争が終結する。
[[トゥキュディデス]]は[[アンフィポリス]]をめぐる戦いに指揮官として参加したが敗れ、責任を問われて20年の追放刑に処せられた。このためスパルタの支配地にも逗留したことがあり、双方を客観的に観察することができた。
なお、[[哲学者]]の[[ソクラテス]]も一兵卒としてこの戦争に参加し、デリオンの戦いでは味方が総崩れになる中最後まで奮戦した。彼の奮戦の様子を弟子の[[プラトン]]は著作において述べている。だが、戦争への参加にもかかわらず、アルキビアデスや[[クリティアス (三十人僭主)|クリティアス]]を始めとする彼の弟子や関係者が戦争とその後の混乱の原因となったことで民衆の反発を招き、後の刑死の一因となった。
[[紀元前362年]]の[[マンティネイアの戦い (紀元前362年)|マンティネイアの戦い]]以降の歴史は、[[シケリアのディオドロス|ディオドロス]]の『{{仮リンク|歴史叢書|en|Bibliotheca historica}}』や、[[アッリアノス]]の『[[アレクサンドロス東征記]]』({{lang-grc-short|Ἀλεξάνδρου ἀνάβασις}})等の記録から知ることが出来る。
== 脚注 ==
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== 出典・参考文献 ==
* トゥキュディデス 『トゥキュディデス 歴史(1.2)』 [[藤縄謙三]]・[[城江良和]]訳、[[京都大学学術出版会]]〈西洋古典叢書〉、2000年-2003年。
* クセノポン 『ギリシア史(1・2)』 [[根本英世]]訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年-1999年。
== 関連項目 ==
* [[アカルナイの人々]]、[[女の平和]] - ペロポネソス戦争を題材とした[[アリストパネス]]の喜劇
{{古代ギリシア・ローマの戦争}}
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[[Category:ペロポネソス戦争|*]]
[[Category:紀元前の戦争]]
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7,966 | アテナイ | アテナイ(アテーナイ、古希: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。
アカイア人分派のイオニア人がアッティカ地方に定住したのは紀元前2000年ころと推定され、紀元前1200年ころから紀元前1100年ころにかけてドーリス人の侵入をうけ周辺村落は次々と征服された。アテナイは、これを凌いで続く暗黒時代を通して王政(英語版)を維持しつつ存続した(もっとも、当時のアテナイは経済的に未熟で土地も肥沃ではないため、ドーリス人が攻略する価値を見出せなかった)。このころ代々の王家に代わって、移住者の子孫であるピュロス王家が成立する。
アテナイは立地条件を生かし、エーゲ海や黒海での海上交易を中心に、交易都市として発展していく。ソロンの改革によって経済的に活性化され、主に陶器の輸出や穀物や織物の輸入などが扱われていく。また、アイギナとコリントスの経済を巡る覇権争いでは、当初はアイギナ側に立ったが後にコリントス側に移ってその優位を助け、後にコリントスが衰退の気配を見せると並び立った。この動きに拍車をかけたのはラウリオン銀山(古希: Λαύριον, 古代ギリシア語ラテン翻字: Laurion)の存在である。その発掘の歴史はカルタゴのイベリア開発等と比べ遅れるものの、ギリシア世界では殆どとれなかった銀を唯一大量にとれる同銀山の本格的な採掘が開始されると、短期間のうちにその豊富な資金でアイギナ・コリントスに並ぶ存在となり、やがてギリシャ地方有数の都市となった。
海上交易への依存度が強かったアテナイを始めとしたギリシア諸ポリスは、小アジアにまで伸張する大国アケメネス朝ペルシアにエーゲ海の制海権を奪われた。こうした中、当時アケメネス朝の影響下におかれていた小アジアにおいて、イオニア植民市の反乱が勃発した。これをアテナイを中心とするアッティカ、イオニア系都市の一部が支持したことでアケメネス朝のダレイオス1世はギリシア地方の諸部族に対して強硬策を採り、ついにペルシア戦争が勃発した。これに対して圧倒的な国力と先進性を誇るペルシャを恐れ中立を保つポリスやペルシャ側へ付くポリスも多かったが、アテナイやスパルタを中心としたポリスは一致結束してギリシア連合軍を結成した。そしてマラトンの戦い、サラミスの海戦、プラタイアの戦いなどでギリシア側が勝利を収め、アケメネス朝ペルシアの侵攻を頓挫させた。
ペルシア戦争に勝利し海上交易における覇権的地位を確立したアテナイは、ギリシア第一のポリスとなり、軍事のみならず経済の中心都市としても発展した。また、前の戦争において市民による重装歩兵が都市の防衛の主役となったほか、海戦における軍艦の漕ぎ手として無産市民も活躍したことで彼らも政治的地位を向上させ、軍事民主制(民主主義)による政治体制が確立されていった。こうした状況下で、優れた政治的指導者であるペリクレス将軍統治の下、アテネは繁栄した。
外交面では、アテナイを盟主としてイオニア地方やエーゲ海のポリスまで含んだデロス同盟と称される軍事同盟が結成された。当初はアケメネス朝の再襲に備えたものであったが、アケメネス朝の脅威が減少するにつれ、徐々にアテナイが他のポリスを支配する道具になっていった。当初はデロス島に設置されていた金庫がアテナイに移されて以降、潤沢な資金はアテナイの為に流用され公共事業であるアテナイのアクロポリスでのパルテノン神殿建設や海軍増強などに注ぎ込まれた。
ペルシア戦争での威信を利用したアテナイが急激な軍備拡張と諸ポリスの占領・隷属化を進め、ギリシア最強の都市国家として拡張していく様子に対し、他の多くのポリスはアテナイの専横的かつ強圧的な振る舞いを苦々しく感じていた。アテナイが帝国主義的な振る舞いを加速するに連れデロス同盟内のポリスからも反発が起こるようになった。そして元々農業国でペルシア戦争のもう一つの戦勝功績国スパルタは、こうしたアテナイの拡張・侵略政策と相容れないポリスを支援して両者は激しく対立するようになる。
紀元前431年、アテナイとスパルタを中心とするペロポネソス同盟の間にペロポネソス戦争が開始された。陸戦に強いが国内に多くの農奴及び奴隷を抱えるスパルタ、海戦に強いが国内に多くの奴隷及び国外に多数の隷属都市を抱えるアテナイは、共に政治的な不安定さと国家組織の未発達から長期間の遠征が無理であったため、指導者ペリクレスは籠城戦を選択する。陸での決戦を避けて戦力を温存、強大な海軍と合わせ海外の植民地を維持し長期戦に耐える計画であった。
紀元前429年、アテナイ城内に蔓延した疫病(19世紀にはペスト説が有力であったが、実際は別の伝染病であったと考えられる)によってペリクレスを含めた多数の人間が死亡した後、漸次隷属させていた植民地が離反するなどしてアテナイは劣勢に立たされ、戦争は紀元前404年にスパルタの勝利の内に終結した。
スパルタに敗れた後のアテナイには三十人政権と呼ばれる寡頭制政権が成立し恐怖政治を敷いた。間もなくトラシュブロスによって寡頭制は崩壊し富裕市民の合議制に戻ったものの、海外領土および隷属都市を失ったアテナイの経済力は衰退し政治が大きく乱れた。コリントス戦争後、紀元前377年に再度海上同盟を結成するなど国力を回復したものの、かつての勢いを取り戻すことは二度と無かった。紀元前357年に起きた同盟市戦争(英語版)により同盟市に対して大幅な譲歩を強いられ、紀元前338年にカイロネイアの戦いでマケドニアのフィリッポス2世に降伏してからはデモステネスの抵抗も空しく政治的独立性を失いアレクサンドロス大王とそれに続くディアドコイの帝国に編入された。アレクサンドロス大王の死後反乱(ラミア戦争)を起こしたものの、短期間で鎮圧された。ローマの支配下となった後は文化都市として栄えたが、域内完結型のローマ経済圏において生産力の乏しさから徐々に衰退し、6世紀頃までには東ローマ帝国の一地方都市となった。
アテナイ成立の当初は王政だったとされるが、その実態は明らかではない。その後、王政から貴族政(寡頭政)へと移行していった。しかし、商工業の発展にともなって貧富の差の拡大が進むと、一部の富裕化した市民層は、自ら武装して重装歩兵部隊を編成することが可能になった。こうして、ポリスの防衛や略奪、侵略などに市民が活躍するようになると、彼らは政治的権利の拡大を要求し始め、相次ぐ戦争を通じて市民と貴族の区別を超えた権益共同体としてのアテナイが形成された。
紀元前8世紀頃、アテナイ中心部へ集住(シュノイキスモス)が行われ、これがアテナイの出発点となったと考えるのが一般的である。伝承によれば王政が打倒され、まもなく貴族制(寡頭制)へと移行したとされる。彼らはアレオパゴスから政治を支配した。当時、古代ギリシア人は各地に植民活動を行っており、植民市との間で次第に交易が行われるようになっていた。こうした中で商業の発展が促され、一部の市民の富裕化を招く一方、貧困層の困窮も深刻化していた。史料上最初の政治的事件は、前630年頃にキュロンが非合法的に権力掌握を図ったというものである。しかし失敗して殺害され、僭主の地位を手にすることはなかった。紀元前624年頃にドラコンによって慣習法が成文化されたとされる。これにより貴族による法知識の独占が崩された。
貧富の差の拡大は、アテナイ社会の深刻な問題となっていた。「六分の一(ヘクテモロイ)」と称される奴隷や農奴の上に位置した市民貧困層は債務奴隷となり他ポリスに売却されることもあったため、こうした事態がアテナイの弱体化につながる懸念もあった。一方、アテナイ成立の早期より、市民権を持つ富裕な市民は自弁して重装歩兵となりポリス防衛や略奪、敵対部族の撃滅などに活躍して発言力を強めており、身分により指導部が下した政治決定への意思表明機会に区別があることは、当時の兵役を請負う市民から不平不満が高まっていた。こうした状況を受け、紀元前594年にアルコンに就任したソロンは、市民の債務を帳消しにすると共に市民の債務奴隷化を禁止させ、アテナイ内に於けるアテナイ市民(もちろん奴隷や農奴に指導部が下した政治判断への投票参加は認められず、奴隷は人格も認められない)の地位を守ると共に、財産額によって市民を4等級に分け、その等級に応じて指導部が下した政治決定に賛否を表明する投票への参加を認めた。これにより家柄でなく財産の多寡が政治参加の度合いを決める事となった。
ところが、ソロンの改革を巡っては、古くからの特権を保持する貴族と改革支持派が対立し、それぞれの居住区から前者は平野党(Pediaei)、後者は海岸党(Paraloi)と呼ばれた。更に後者からは急進改革派である高地党(Hyperakrioi、後に山地党(Diakrioi)と改名)が分離して、ソロンが引退すると三派が激しく争った。紀元前561年に権力を掌握した僭主ペイシストラトスは、山地党の支持を受けて、中小農民の保護育成につとめ貴族に打撃を与えた。僭主を倒したクレイステネスは、紀元前508年に10部族制を創設し市民を再編して五百人評議会の設置とオストラキスモス(陶片追放)を採用した。
ペルシア戦争に勝利したアテナイは、サラミスの海戦などで三段櫂船の漕手として活躍した下層市民の発言権が強まり、ペリクレス時代には「五百人評議会(有力者層から成る)」の方針を討議する「民会」(参照:プニュクス)も設置された。一部の上級職(将軍職)を除いた全ての公職が市民に解放され、出自や能力に関係なく立候補が可能になった。また、経済的に任に堪えない市民(市民のみが兵役の義務を負う)に対しては「公職手当」が支給された。後世、ソクラテスやプラトンは「市民を怠け者にした」として、これを非難する。
公職は、毎年改選される将軍職を除いて、その地位を希望する市民に対して籤引きで決定された。籤引きは神による選択の現れとも信じられていて、アテナイ人はそれが純粋に民主的であると考えていた。これに対してソクラテスやアリストテレスは専門的知識が必要な決定ですらそれを持たない市民で決められてしまうと批判するが、こうした批判は正しいと言わざるを得ない、なぜなら後にソクラテスは専門的な法律知識を有する者が参加していない籤引きで選ばれた裁判官の私感によって、死刑判決が下されたからである。
アッティカ半島の土壌はオリーブとブドウ、すなわちオリーブ油とワインの生産に適していた。穀物は魚介類とあわせて食生活の中心となったが、アテナイの穀物資源は不足し、食糧供給のための穀物輸入が常に問題とされた。
初期のアテナイはギリシアでも後進地域であり、土地はやせ何の特産物も工芸品もない部族集落であった。暗黒時代に破壊を免れたのはアテナイのあまりの貧しさに侵略者であるドーリス人が攻撃の価値を見出せなかったから、という説もある。また、当然に独自の通貨を持つ技術も無く、アイギナの通貨・経済圏の下に組み込まれていた。
アテナイが経済的に注目されることになったのは、ソロンの改革以後である。ソロンはアテナイの産業不振の原因をアテナイ市民が商業や工芸の仕事を奴隷の仕事として卑しんでいるからだと考えて、故国を追われて亡命先を求める職人や貿易商人をアテナイに招聘できるように市民権獲得条件を緩和した。また、当時ギリシア最大の商業都市であったアイギナと商圏が重なる事から、アイギナの通貨圏から離脱してコリントス通貨圏に移った。これにより、東方から招き入れた職人達によって陶芸技術がアテナイに持ち込まれ、アテナイが陶器の産地になるとともに、アイギナ商人が及ばないコリントス経済圏に市場を広げる結果となった。
また、続くペイシストラトス時代にはマケドニアから来た鉱山技師によってラウリウム銀山の本格採掘が始まった。銀が採れないとされてきたギリシア地域で唯一本格的銀山を保有するアテナイは、これにより独自の通貨(ドラクマ銀貨)を生産する。そして食料自給率が推定で約3割から5割と低いアテナイにとって貴重な食料や船舶の材料である木材の輸入が可能となり、ギリシア世界の経済で優越した立場に立つ。銀山で働いていたのは奴隷達で、彼らの監督者はアテナイの財政を左右する要職として一流の市民が選ばれた。更にペルシア戦争最中の紀元前483年にラウリウム近くのマロネイアからも大規模な銀山が発見されると、当初は全市民に毎月産銀を分配する計画であったが、当時の指導者・テミストクレスの提案によって、その産銀を海軍予算に充てる事が了承された。アテナイがペルシアの侵攻を徒労に終わらせただけの海軍力を得たのも銀山のおかげであり、それは食料や木材の輸入量確保にとっても重要であった。
ペルシア戦争勝利後のアテナイはデロス同盟の支配者として各地へ侵略を繰り返し支配地域を拡大した。紀元前433年にケルキュラ(コルキュラ)を巡って対立したかつての盟友・コリントスを破り、2年後にはかつてのライバルアイギナをデロス同盟の頚木へ従えた。等々、アテナイはギリシア最強の軍事都市に上り詰める一方、デロス同盟参加国から徴収する年賦金を自国財政に全額流用、アイギアを始めとする各国の通貨鋳造権を取り上げアテナイ通貨の使用を強制した。
アテナイの市場には、ポリス内部の地域市場であるアゴラと対外用の市場であるエンポリウムが存在した。アゴラにはカペーロスという小売人が居住し、中央集権制度にかわって食料の再配分を行なうための制度として食品が売られた。エンポリウムにはエンポロスという対外交易者が居住し、ペイライエウスで取り引きを行なった。ペリクレスは自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進した。
台頭が遅かったため、隷属市の急拡大とは対照的に植民市の入植競争では他の都市に乗り遅れた。遅ればせながら植民市も創設して「クレールーキア(klèrouchia)」と呼ばれるアテナイ市民権の保証と引き換えに従属義務を負う契約を結んだ都市の建設に乗り出した。
陸軍大国スパルタと裕福なコリントスを中心とするペロポネソス同盟勢を敵に回したアテナイの指導者ペリクレスは籠城による長期戦を計画する。だが、籠城による人口過密からくる諸問題(都市の許容量を超えた人口の爆発的増加と治安の悪化、そして何より衛生環境の悪化による疫病の蔓延)が襲い始めた。ペリクレスは、アテナイの支配地域の農地は肥沃ではなく、食料自給率も低いので敵に農地を荒らされても食料は輸入で補えばいいという考えであったが、商工業を卑しむ傾向があったアテナイ市民には農園経営者が多く、またスパルタ軍のアテナイ領の略奪により、ペリクレスの生前より籠城の長期化による農地の荒廃に不満を抱くものが続出した。疫病に倒れたペリクレスの死後は好戦的デマゴーグが幅を利かせ、アテナイは積極策を採りペロポネソス同盟軍や離反した隷属都市との一進一退を繰り返す事になる。やがて、徒労に終わった1度目のシケリア遠征やその他多数の各地への侵略と同じ様に軽く考えて開始した2度目のシケリア遠征に国力を注ぎ込むが遠征軍は壊滅、アテナイはその国力と威信を大いに減退させた。その隙を突いたスパルタの海軍力強化、穀物の主要な輸入ルート上にあるデケレイアの占領、更にはアテナイの苛烈な政策(攻略した敵対都市の成人男子絶滅及び身分を問わない女子供の全奴隷化による都市の完全な解体や捕虜の殺害)によるラウレイオン・マロネイア両銀山における奴隷鉱夫の反乱逃亡とデロス同盟加盟国の離反によって、アテナイはその経済を支えてきた銀の生産・船舶・同盟年賦金といった全ての強みを失った。そして、紀元前405年のアイゴスポタモイの海戦でアテナイ艦隊を壊滅させてその制海権を奪い、黒海からアテナイへの穀物輸送ルートを押さえたスパルタ・コリントスなどのペロポネソス同盟海軍はアテナイの陸海からの封鎖に成功して、アテナイは飢餓状態に陥った。これによって、アテナイは降伏へと追い込まれた。
アテナイは、市民、外国人であるメトイコイ、奴隷の3つの身分に分かれていた。最盛期のアテナイは、3万人弱の市民(青年の男性。家族等を含めると約8万人強)、奴隷6万人強、商業や学芸などに従事するメトイコイ3,000~4,000が居住した。上流階層の男性は7歳になると、私学に通って読み書き、計算、体育、音楽を修得した。成人すれば戦争や民会などに参加し、平時にはアゴラ(αγορά)に集って体育に汗を流した。女性の地位は低く、家庭内の仕事や家内産業に従事し15歳くらいで親が決めた30歳くらいの男性と結婚した。
奴隷は例外的に解放されることもあったが、農作業、商売、鉱夫、職人、家内の雑用、公文書の保管、市中警備などあらゆる部門で非常に酷使され、過酷かつ不健康な状態に置かれた。4~5人家族であれば、男性の奴隷1名を公共工事に従事させて得る報酬で生活ができた。解放奴隷はメトイコイに属した。
ギリシア各地から学者、芸術家が集まり文化の花が開き、ギリシア哲学のソクラテス、プラトン、アリストテレス、劇作家のアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス(→ギリシャ悲劇)、アリストパネス(→ギリシャ喜劇)、彫刻家のペイディアス、歴史家のトゥキディデス、著述家のクセノポンらが輩出した。皮肉なことに彼らの多くがアテナイの没落を目にして役職の直接選挙制に否定的な思想を唱えた。
ギリシア神話では、アテナイはオリュンポス十二神の水神ポセイドンと女神アテナが、その当時まだ名前の無かったアテナイの領有権をめぐって争い、それにアテナが勝利したため、女神の名にちなんでアテナイと名づけられたとされている。その争いとは、アテナイ市民により有益なものを作り出したほうを勝者とするものであった。ポセイドンは馬を作り出して乗馬の方法を教え塩水の井戸を湧き出させた。他方アテナはオリーブの木を生み出し、これを見た神々がアテナの方が住民に有益であり、アッティカの守護者として相応しいとした。これに怒ったポセイドンは津波による洪水を起こしたという。 | [
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"text": "アテナイ(アテーナイ、古希: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。",
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"text": "アカイア人分派のイオニア人がアッティカ地方に定住したのは紀元前2000年ころと推定され、紀元前1200年ころから紀元前1100年ころにかけてドーリス人の侵入をうけ周辺村落は次々と征服された。アテナイは、これを凌いで続く暗黒時代を通して王政(英語版)を維持しつつ存続した(もっとも、当時のアテナイは経済的に未熟で土地も肥沃ではないため、ドーリス人が攻略する価値を見出せなかった)。このころ代々の王家に代わって、移住者の子孫であるピュロス王家が成立する。",
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"text": "アテナイは立地条件を生かし、エーゲ海や黒海での海上交易を中心に、交易都市として発展していく。ソロンの改革によって経済的に活性化され、主に陶器の輸出や穀物や織物の輸入などが扱われていく。また、アイギナとコリントスの経済を巡る覇権争いでは、当初はアイギナ側に立ったが後にコリントス側に移ってその優位を助け、後にコリントスが衰退の気配を見せると並び立った。この動きに拍車をかけたのはラウリオン銀山(古希: Λαύριον, 古代ギリシア語ラテン翻字: Laurion)の存在である。その発掘の歴史はカルタゴのイベリア開発等と比べ遅れるものの、ギリシア世界では殆どとれなかった銀を唯一大量にとれる同銀山の本格的な採掘が開始されると、短期間のうちにその豊富な資金でアイギナ・コリントスに並ぶ存在となり、やがてギリシャ地方有数の都市となった。",
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"text": "海上交易への依存度が強かったアテナイを始めとしたギリシア諸ポリスは、小アジアにまで伸張する大国アケメネス朝ペルシアにエーゲ海の制海権を奪われた。こうした中、当時アケメネス朝の影響下におかれていた小アジアにおいて、イオニア植民市の反乱が勃発した。これをアテナイを中心とするアッティカ、イオニア系都市の一部が支持したことでアケメネス朝のダレイオス1世はギリシア地方の諸部族に対して強硬策を採り、ついにペルシア戦争が勃発した。これに対して圧倒的な国力と先進性を誇るペルシャを恐れ中立を保つポリスやペルシャ側へ付くポリスも多かったが、アテナイやスパルタを中心としたポリスは一致結束してギリシア連合軍を結成した。そしてマラトンの戦い、サラミスの海戦、プラタイアの戦いなどでギリシア側が勝利を収め、アケメネス朝ペルシアの侵攻を頓挫させた。",
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"text": "ペルシア戦争に勝利し海上交易における覇権的地位を確立したアテナイは、ギリシア第一のポリスとなり、軍事のみならず経済の中心都市としても発展した。また、前の戦争において市民による重装歩兵が都市の防衛の主役となったほか、海戦における軍艦の漕ぎ手として無産市民も活躍したことで彼らも政治的地位を向上させ、軍事民主制(民主主義)による政治体制が確立されていった。こうした状況下で、優れた政治的指導者であるペリクレス将軍統治の下、アテネは繁栄した。",
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"text": "外交面では、アテナイを盟主としてイオニア地方やエーゲ海のポリスまで含んだデロス同盟と称される軍事同盟が結成された。当初はアケメネス朝の再襲に備えたものであったが、アケメネス朝の脅威が減少するにつれ、徐々にアテナイが他のポリスを支配する道具になっていった。当初はデロス島に設置されていた金庫がアテナイに移されて以降、潤沢な資金はアテナイの為に流用され公共事業であるアテナイのアクロポリスでのパルテノン神殿建設や海軍増強などに注ぎ込まれた。",
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"text": "ペルシア戦争での威信を利用したアテナイが急激な軍備拡張と諸ポリスの占領・隷属化を進め、ギリシア最強の都市国家として拡張していく様子に対し、他の多くのポリスはアテナイの専横的かつ強圧的な振る舞いを苦々しく感じていた。アテナイが帝国主義的な振る舞いを加速するに連れデロス同盟内のポリスからも反発が起こるようになった。そして元々農業国でペルシア戦争のもう一つの戦勝功績国スパルタは、こうしたアテナイの拡張・侵略政策と相容れないポリスを支援して両者は激しく対立するようになる。",
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"text": "紀元前431年、アテナイとスパルタを中心とするペロポネソス同盟の間にペロポネソス戦争が開始された。陸戦に強いが国内に多くの農奴及び奴隷を抱えるスパルタ、海戦に強いが国内に多くの奴隷及び国外に多数の隷属都市を抱えるアテナイは、共に政治的な不安定さと国家組織の未発達から長期間の遠征が無理であったため、指導者ペリクレスは籠城戦を選択する。陸での決戦を避けて戦力を温存、強大な海軍と合わせ海外の植民地を維持し長期戦に耐える計画であった。",
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"text": "紀元前429年、アテナイ城内に蔓延した疫病(19世紀にはペスト説が有力であったが、実際は別の伝染病であったと考えられる)によってペリクレスを含めた多数の人間が死亡した後、漸次隷属させていた植民地が離反するなどしてアテナイは劣勢に立たされ、戦争は紀元前404年にスパルタの勝利の内に終結した。",
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"text": "スパルタに敗れた後のアテナイには三十人政権と呼ばれる寡頭制政権が成立し恐怖政治を敷いた。間もなくトラシュブロスによって寡頭制は崩壊し富裕市民の合議制に戻ったものの、海外領土および隷属都市を失ったアテナイの経済力は衰退し政治が大きく乱れた。コリントス戦争後、紀元前377年に再度海上同盟を結成するなど国力を回復したものの、かつての勢いを取り戻すことは二度と無かった。紀元前357年に起きた同盟市戦争(英語版)により同盟市に対して大幅な譲歩を強いられ、紀元前338年にカイロネイアの戦いでマケドニアのフィリッポス2世に降伏してからはデモステネスの抵抗も空しく政治的独立性を失いアレクサンドロス大王とそれに続くディアドコイの帝国に編入された。アレクサンドロス大王の死後反乱(ラミア戦争)を起こしたものの、短期間で鎮圧された。ローマの支配下となった後は文化都市として栄えたが、域内完結型のローマ経済圏において生産力の乏しさから徐々に衰退し、6世紀頃までには東ローマ帝国の一地方都市となった。",
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"text": "陸軍大国スパルタと裕福なコリントスを中心とするペロポネソス同盟勢を敵に回したアテナイの指導者ペリクレスは籠城による長期戦を計画する。だが、籠城による人口過密からくる諸問題(都市の許容量を超えた人口の爆発的増加と治安の悪化、そして何より衛生環境の悪化による疫病の蔓延)が襲い始めた。ペリクレスは、アテナイの支配地域の農地は肥沃ではなく、食料自給率も低いので敵に農地を荒らされても食料は輸入で補えばいいという考えであったが、商工業を卑しむ傾向があったアテナイ市民には農園経営者が多く、またスパルタ軍のアテナイ領の略奪により、ペリクレスの生前より籠城の長期化による農地の荒廃に不満を抱くものが続出した。疫病に倒れたペリクレスの死後は好戦的デマゴーグが幅を利かせ、アテナイは積極策を採りペロポネソス同盟軍や離反した隷属都市との一進一退を繰り返す事になる。やがて、徒労に終わった1度目のシケリア遠征やその他多数の各地への侵略と同じ様に軽く考えて開始した2度目のシケリア遠征に国力を注ぎ込むが遠征軍は壊滅、アテナイはその国力と威信を大いに減退させた。その隙を突いたスパルタの海軍力強化、穀物の主要な輸入ルート上にあるデケレイアの占領、更にはアテナイの苛烈な政策(攻略した敵対都市の成人男子絶滅及び身分を問わない女子供の全奴隷化による都市の完全な解体や捕虜の殺害)によるラウレイオン・マロネイア両銀山における奴隷鉱夫の反乱逃亡とデロス同盟加盟国の離反によって、アテナイはその経済を支えてきた銀の生産・船舶・同盟年賦金といった全ての強みを失った。そして、紀元前405年のアイゴスポタモイの海戦でアテナイ艦隊を壊滅させてその制海権を奪い、黒海からアテナイへの穀物輸送ルートを押さえたスパルタ・コリントスなどのペロポネソス同盟海軍はアテナイの陸海からの封鎖に成功して、アテナイは飢餓状態に陥った。これによって、アテナイは降伏へと追い込まれた。",
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"text": "ギリシア神話では、アテナイはオリュンポス十二神の水神ポセイドンと女神アテナが、その当時まだ名前の無かったアテナイの領有権をめぐって争い、それにアテナが勝利したため、女神の名にちなんでアテナイと名づけられたとされている。その争いとは、アテナイ市民により有益なものを作り出したほうを勝者とするものであった。ポセイドンは馬を作り出して乗馬の方法を教え塩水の井戸を湧き出させた。他方アテナはオリーブの木を生み出し、これを見た神々がアテナの方が住民に有益であり、アッティカの守護者として相応しいとした。これに怒ったポセイドンは津波による洪水を起こしたという。",
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] | アテナイは、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。 | {{出典の明記|date=2014年1月8日 (水) 07:21 (UTC)}}
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[[ファイル:Map_ancient_athens.png|thumb|300px|アテナイの地図。中央北西に[[アテナイのアゴラ|アゴラ]]、中央南東に[[アテナイのアクロポリス|アクロポリス]]、間に[[アレオパゴス]]、西に[[プニュクス]]がある。]]
[[ファイル:AtheneOudheid.JPG|300px|thumb|アテナイと外港[[ペイライエウス]]。それぞれの都市は{{ill2|アテナイの市壁|en|City walls of Athens}}、Phalerian Wallに囲まれ、都市間は{{ill2|アテナイの長壁|en|Long Walls|label=長壁}}で接続された。]]
'''アテナイ'''(アテーナイ、{{lang-grc-short|Ἀθῆναι}}, Athēnai)は、[[ギリシャ|ギリシャ共和国]]の首都[[アテネ]]の古名<ref>{{Cite web|和書|url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/120500713/|title=ギリシャを偏愛したローマ皇帝、ハドリアヌス|publisher=ナショナルジオグラフィック日本版サイト|date=2020-12-13|accessdate=2021-02-05}}</ref>。中心部に[[パルテノン神殿]]がそびえる[[イオニア人]]の[[古代ギリシア]]の[[都市国家]]。名は[[ギリシア神話]]の女神[[アテーナー]]に由来する。[[アッティカ半島]]の西[[サロニコス湾]]に面し外港[[ペイライエウス]]を有していた。
== アテナイの歴史 ==
{{main|{{仮リンク|アテナイの歴史|en|History of Athens}}|ギリシャの歴史}}
=== アテナイの成立 ===
[[アカイア人]]分派の[[イオニア人]]がアッティカ地方に定住したのは紀元前2000年ころと推定され、紀元前1200年ころから紀元前1100年ころにかけて[[ドーリス人]]の侵入をうけ周辺村落は次々と征服された。アテナイは、これを凌いで続く[[暗黒時代 (古代ギリシア)|暗黒時代]]を通して{{ill2|アテナイの王族|en|List of kings of Athens|label=王政}}を維持しつつ存続した(もっとも、当時のアテナイは経済的に未熟で土地も肥沃ではないため、ドーリス人が攻略する価値を見出せなかった)。このころ代々の王家に代わって、移住者の子孫であるピュロス王家が成立する。
アテナイは立地条件を生かし、[[エーゲ海]]や[[黒海]]での海上交易を中心に、交易都市として発展していく。[[ソロン]]の改革によって経済的に活性化され、主に陶器の輸出や穀物や織物の輸入などが扱われていく。また、[[アイギナ]]と[[コリントス]]の経済を巡る覇権争いでは、当初はアイギナ側に立ったが後にコリントス側に移ってその優位を助け、後にコリントスが衰退の気配を見せると並び立った。この動きに拍車をかけたのは[[ラウリオン|ラウリオン銀山]]({{lang-grc-short|Λαύριον}}, {{lang-*-Latn|grc|Laurion}})の存在である。その発掘の歴史はカルタゴのイベリア開発等と比べ遅れるものの、ギリシア世界では殆どとれなかった[[銀]]を唯一大量にとれる同銀山の本格的な採掘が開始されると、短期間のうちにその豊富な資金でアイギナ・コリントスに並ぶ存在となり、やがてギリシャ地方有数の都市となった。
=== ペルシア戦争 ===
[[画像:Map Greco-Persian Wars-en.svg|thumb|right|300px|ペルシア戦争の展開]]
{{main|ペルシア戦争}}
海上交易への依存度が強かったアテナイを始めとしたギリシア諸ポリスは、小アジアにまで伸張する大国[[アケメネス朝]]ペルシアに[[エーゲ海]]の制海権を奪われた。こうした中、当時アケメネス朝の影響下におかれていた小アジアにおいて、イオニア植民市の反乱が勃発した。これをアテナイを中心とするアッティカ、イオニア系都市の一部が支持したことでアケメネス朝の[[ダレイオス1世]]はギリシア地方の諸部族に対して強硬策を採り、ついに[[ペルシア戦争]]が勃発した。これに対して圧倒的な国力と先進性を誇るペルシャを恐れ中立を保つポリスやペルシャ側へ付くポリスも多かったが、アテナイや[[スパルタ]]を中心とした[[ポリス]]は一致結束してギリシア連合軍を結成した。そして[[マラトンの戦い]]、[[サラミスの海戦]]、[[プラタイアの戦い]]などでギリシア側が勝利を収め、[[アケメネス朝|アケメネス朝ペルシア]]の侵攻を頓挫させた。
=== 全盛期のアテナイ ===
[[Image:Map athenian empire 431 BC-fr.svg|thumb|right|300px|デロス同盟(「アテネ帝国」)の勢力圏]]
[[ペルシア戦争]]に勝利し海上交易における覇権的地位を確立したアテナイは、[[ギリシャ|ギリシア]]第一の[[ポリス]]となり、軍事のみならず経済の中心都市としても発展した。また、前の戦争において[[市民]]による[[重装歩兵]]が都市の防衛の主役となったほか、海戦における軍艦の漕ぎ手として無産市民も活躍したことで彼らも政治的地位を向上させ、[[軍事民主制]]([[民主主義]])による政治体制が確立されていった。こうした状況下で、優れた政治的指導者である[[ペリクレス]]将軍統治の下、アテネは繁栄した。
外交面では、アテナイを盟主としてイオニア地方やエーゲ海のポリスまで含んだ[[デロス同盟]]と称される軍事同盟が結成された。当初はアケメネス朝の再襲に備えたものであったが、アケメネス朝の脅威が減少するにつれ、徐々にアテナイが他のポリスを支配する道具になっていった。当初はデロス島に設置されていた金庫がアテナイに移されて以降、潤沢な資金はアテナイの為に流用され公共事業である[[アテナイのアクロポリス]]での[[パルテノン神殿]]建設や海軍増強などに注ぎ込まれた。
=== ペロポネソス戦争 ===
{{main|ペロポネソス戦争}}
[[ペルシア戦争]]での威信を利用したアテナイが急激な軍備拡張と諸ポリスの占領・隷属化を進め、ギリシア最強の[[都市国家]]として拡張していく様子に対し、他の多くの[[ポリス]]はアテナイの専横的かつ強圧的な振る舞いを苦々しく感じていた。アテナイが帝国主義的な振る舞いを加速するに連れデロス同盟内の[[ポリス]]からも反発が起こるようになった。そして元々農業国で[[ペルシア戦争]]のもう一つの戦勝功績国[[スパルタ]]は、こうしたアテナイの拡張・侵略政策と相容れない[[ポリス]]を支援して両者は激しく対立するようになる。
紀元前431年、アテナイと[[スパルタ]]を中心とするペロポネソス同盟の間に[[ペロポネソス戦争]]が開始された。陸戦に強いが国内に多くの農奴及び奴隷を抱える[[スパルタ]]、海戦に強いが国内に多くの奴隷及び国外に多数の隷属都市を抱える'''アテナイ'''は、共に政治的な不安定さと国家組織の未発達から長期間の遠征が無理であったため、指導者[[ペリクレス]]は籠城戦を選択する。陸での決戦を避けて戦力を温存、強大な海軍と合わせ海外の植民地を維持し長期戦に耐える計画であった。
紀元前429年、アテナイ城内に蔓延した[[疫病]](19世紀には[[ペスト]]説が有力であったが、実際は別の伝染病であったと考えられる)によってペリクレスを含めた多数の人間が死亡した後、漸次隷属させていた植民地が離反するなどしてアテナイは劣勢に立たされ、戦争は紀元前404年にスパルタの勝利の内に終結した。
=== アテナイの衰退 ===
スパルタに敗れた後のアテナイには[[三十人政権]]と呼ばれる[[寡頭制]]政権が成立し恐怖政治を敷いた。間もなく[[トラシュブロス (将軍)|トラシュブロス]]によって寡頭制は崩壊し富裕市民の合議制に戻ったものの、海外領土および隷属都市を失ったアテナイの経済力は衰退し政治が大きく乱れた。[[コリントス戦争]]後、[[紀元前377年]]に再度海上同盟を結成するなど国力を回復したものの、かつての勢いを取り戻すことは二度と無かった。[[紀元前357年]]に起きた{{仮リンク|同盟市戦争 (紀元前357-355年)|en|Social War (357–355 BC)|label=同盟市戦争}}により同盟市に対して大幅な譲歩を強いられ、[[紀元前338年]]に[[カイロネイアの戦い]]で[[マケドニア王国|マケドニア]]の[[ピリッポス2世 (マケドニア王)|フィリッポス2世]]に降伏してからは[[デモステネス]]の抵抗も空しく政治的独立性を失い[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]とそれに続く[[ディアドコイ]]の帝国に編入された。アレクサンドロス大王の死後反乱([[ラミア戦争]])を起こしたものの、短期間で鎮圧された。[[古代ローマ|ローマ]]の支配下となった後は文化都市として栄えたが、域内完結型のローマ経済圏において生産力の乏しさから徐々に衰退し、6世紀頃までには[[東ローマ帝国]]の一地方都市となった。
== アテナイの政治 ==
アテナイ成立の当初は[[王政]]だったとされるが、その実態は明らかではない。その後、王政から[[貴族政]](寡頭政)へと移行していった。しかし、商工業の発展にともなって貧富の差の拡大が進むと、一部の富裕化した[[市民]]層は、自ら武装して[[重装歩兵]]部隊を編成することが可能になった。こうして、ポリスの防衛や略奪、侵略などに市民が活躍するようになると、彼らは政治的権利の拡大を要求し始め、相次ぐ[[戦争]]を通じて市民と貴族の区別を超えた権益共同体としてのアテナイが形成された。
=== 王政・貴族政 ===
紀元前8世紀頃、アテナイ中心部へ集住([[シュノイキスモス]])が行われ、これがアテナイの出発点となったと考えるのが一般的である。伝承によれば王政が打倒され、まもなく貴族制([[寡頭制]])へと移行したとされる。彼らは[[アレオパゴス]]から政治を支配した。当時、古代ギリシア人は各地に[[植民]]活動を行っており、植民市との間で次第に交易が行われるようになっていた。こうした中で商業の発展が促され、一部の市民の富裕化を招く一方、貧困層の困窮も深刻化していた。史料上最初の政治的事件は、前630年頃に[[キュロン]]が非合法的に権力掌握を図ったというものである。しかし失敗して殺害され、[[僭主]]の地位を手にすることはなかった。紀元前624年頃に[[ドラコン (立法者)|ドラコン]]によって慣習法が成文化されたとされる。これにより貴族による法知識の独占が崩された。
=== 軍事民主制の歩み ===
[[画像:Phalanx1.png|thumb|300px|right|ファランクス]]
貧富の差の拡大は、アテナイ社会の深刻な問題となっていた。「六分の一([[ヘクテモロイ]])」と称される奴隷や農奴の上に位置した市民貧困層は債務奴隷となり他ポリスに売却されることもあったため、こうした事態がアテナイの弱体化につながる懸念もあった。一方、アテナイ成立の早期より、市民権を持つ富裕な市民は自弁して[[重装歩兵]]となりポリス防衛や略奪、敵対部族の撃滅などに活躍して発言力を強めており、身分により指導部が下した政治決定への意思表明機会に区別があることは、当時の兵役を請負う市民から不平不満が高まっていた。こうした状況を受け、紀元前594年に[[アルコン]]に就任した[[ソロン]]は、市民の債務を帳消しにすると共に市民の債務奴隷化を禁止させ、アテナイ内に於けるアテナイ市民(もちろん奴隷や農奴に指導部が下した政治判断への投票参加は認められず、奴隷は人格も認められない)の地位を守ると共に、財産額によって市民を4等級に分け、その等級に応じて指導部が下した政治決定に賛否を表明する投票への参加を認めた。これにより家柄でなく財産の多寡が政治参加の度合いを決める事となった。
ところが、ソロンの改革を巡っては、古くからの特権を保持する貴族と改革支持派が対立し、それぞれの居住区から前者は平野党(Pediaei)、後者は海岸党(Paraloi)と呼ばれた。更に後者からは急進改革派である高地党(Hyperakrioi、後に山地党(Diakrioi)と改名)が分離して、ソロンが引退すると三派が激しく争った。紀元前561年に権力を掌握した[[僭主]][[ペイシストラトス]]は、山地党の支持を受けて、中小農民の保護育成につとめ貴族に打撃を与えた。僭主を倒した[[クレイステネス]]は、紀元前508年に10部族制を創設し市民を再編して[[五百人評議会]]の設置とオストラキスモス([[陶片追放]])を採用した。
=== 軍事民主制の発展と確立 ===
[[ペルシア戦争]]に勝利したアテナイは、[[サラミスの海戦]]などで[[三段櫂船]]の漕手として活躍した下層[[市民]]の発言権が強まり、[[ペリクレス]]時代には「[[五百人評議会]](有力者層から成る)」の方針を討議する「[[民会]]」(参照:[[プニュクス]])も設置された。一部の上級職(将軍職)を除いた全ての公職が[[市民]]に解放され、出自や能力に関係なく立候補が可能になった。また、経済的に任に堪えない市民(市民のみが兵役の義務を負う)に対しては「公職手当」が支給された。後世、[[ソクラテス]]や[[プラトン]]は「市民を怠け者にした」として、これを非難する。
公職は、毎年改選される[[将軍職 (アテナイ)|将軍職]]を除いて、その地位を希望する市民に対して籤引きで決定された。籤引きは神による選択の現れとも信じられていて、アテナイ人はそれが純粋に民主的であると考えていた。これに対してソクラテスや[[アリストテレス]]は専門的知識が必要な決定ですらそれを持たない市民で決められてしまうと批判するが、こうした批判は正しいと言わざるを得ない、なぜなら後にソクラテスは専門的な法律知識を有する者が参加していない籤引きで選ばれた裁判官の私感によって、[[死刑]]判決が下されたからである。
== アテナイの経済 ==
アッティカ半島の土壌は[[オリーブ]]と{{要出典範囲|[[ブドウ]]、すなわち[[オリーブ油]]と[[ワイン]]|title=ブドウの用途はワインに限りません。アッティカ半島の土壌がブドウの育成に適しているとしても、そのブドウがワイン用であったかについては、出典が示されなければ判断できません。よって、アッティカ半島で育成されていたブドウがワイン用であったと確定できる出展を示してください。お願い申し上げます。|date=2020年8月}}の生産に適していた。穀物は魚介類とあわせて食生活の中心となったが、アテナイの穀物資源は不足し、食糧供給のための穀物輸入が常に問題とされた。
=== 初期アテナイ経済 ===
初期のアテナイはギリシアでも後進地域であり、土地はやせ何の特産物も工芸品もない部族集落であった。暗黒時代に破壊を免れたのはアテナイのあまりの貧しさに侵略者であるドーリス人が攻撃の価値を見出せなかったから、という説もある。また、当然に独自の通貨を持つ技術も無く、アイギナの通貨・経済圏の下に組み込まれていた。
アテナイが経済的に注目されることになったのは、ソロンの改革以後である。ソロンはアテナイの産業不振の原因をアテナイ市民が商業や工芸の仕事を[[奴隷]]の仕事として卑しんでいるからだと考えて、故国を追われて[[亡命]]先を求める職人や貿易商人をアテナイに招聘できるように[[市民権]]獲得条件を緩和した。また、当時ギリシア最大の商業都市であったアイギナと商圏が重なる事から、アイギナの通貨圏から離脱してコリントス通貨圏に移った。これにより、東方から招き入れた職人達によって陶芸技術がアテナイに持ち込まれ、アテナイが陶器の産地になるとともに、アイギナ商人が及ばないコリントス経済圏に市場を広げる結果となった。
また、続くペイシストラトス時代には[[マケドニア王国|マケドニア]]から来た鉱山技師によってラウリウム銀山の本格採掘が始まった。銀が採れないとされてきたギリシア地域で唯一本格的銀山を保有するアテナイは、これにより独自の通貨([[ドラクマ#古代のドラクマ|ドラクマ]][[銀貨]])を生産する。そして食料自給率が推定で約3割から5割と低いアテナイにとって貴重な食料や[[船舶]]の材料である[[木材]]の輸入が可能となり、ギリシア世界の経済で優越した立場に立つ。[[銀山]]で働いていたのは[[奴隷]]達で、彼らの監督者はアテナイの財政を左右する要職として一流の市民が選ばれた。更にペルシア戦争最中の紀元前483年にラウリウム近くのマロネイアからも大規模な銀山が発見されると、当初は全市民に毎月産銀を分配する計画であったが、当時の指導者・[[テミストクレス]]の提案によって、その産銀を海軍予算に充てる事が了承された。アテナイがペルシアの侵攻を徒労に終わらせただけの海軍力を得たのも銀山のおかげであり、それは食料や木材の輸入量確保にとっても重要であった。
=== ギリシア世界での支配地域拡張 ===
ペルシア戦争勝利後のアテナイはデロス同盟の支配者として各地へ侵略を繰り返し支配地域を拡大した。紀元前433年に[[ケルキュラ]]([[コルキュラ]])を巡って対立したかつての盟友・コリントスを破り、2年後にはかつてのライバルアイギナをデロス同盟の頚木へ従えた。等々、アテナイはギリシア最強の軍事都市に上り詰める一方、デロス同盟参加国から徴収する年賦金を自国財政に全額流用、アイギアを始めとする各国の通貨鋳造権を取り上げアテナイ通貨の使用を強制した。
[[ファイル:Athens owl coin.jpg|thumb|300px|right|アテナイの[[テトラドラクマ]]銀貨 発行時期は紀元前454-415年。通称「ふくろう銀貨」と呼ばれるもの。アテナイはデロス同盟参加国から徴収した銀を用いて莫大な量の銀貨を発行した。]]
アテナイの市場には、ポリス内部の地域市場である[[アゴラ]]と対外用の市場である[[エンポリウム]]が存在した。アゴラには[[カペーロス]]という小売人が居住し、中央集権制度にかわって食料の[[再配分]]を行なうための制度として食品が売られた。エンポリウムには[[エンポロス]]という対外交易者が居住し、ペイライエウスで取り引きを行なった。[[ペリクレス]]は自ら積極的にアゴラで売買を行ない、アテナイは商業的なアゴラを推進した<ref>『人間の経済2』 第12章、第13章</ref>。
台頭が遅かったため、隷属市の急拡大とは対照的に[[植民市]]の入植競争では他の都市に乗り遅れた。遅ればせながら植民市も創設して「クレールーキア(klèrouchia)」と呼ばれるアテナイ市民権の保証と引き換えに従属義務を負う契約を結んだ都市の建設に乗り出した。
=== ペロポネソス戦争とアテナイ経済圏の崩壊 ===
陸軍大国スパルタと裕福なコリントスを中心とするペロポネソス同盟勢を敵に回したアテナイの指導者ペリクレスは籠城による長期戦を計画する。だが、籠城による人口過密からくる諸問題(都市の許容量を超えた人口の爆発的増加と治安の悪化、そして何より衛生環境の悪化による疫病の蔓延)が襲い始めた。ペリクレスは、アテナイの支配地域の農地は肥沃ではなく、[[食料自給率]]も低いので敵に農地を荒らされても食料は輸入で補えばいいという考えであったが、商工業を卑しむ傾向があったアテナイ市民には農園経営者が多く、またスパルタ軍のアテナイ領の略奪により、ペリクレスの生前より籠城の長期化による農地の荒廃に不満を抱くものが続出した。疫病に倒れたペリクレスの死後は好戦的[[デマゴーグ]]が幅を利かせ、アテナイは積極策を採りペロポネソス同盟軍や離反した隷属都市との一進一退を繰り返す事になる。やがて、徒労に終わった1度目のシケリア遠征やその他多数の各地への侵略と同じ様に軽く考えて開始した2度目の[[シケリア遠征]]に国力を注ぎ込むが遠征軍は壊滅、アテナイはその国力と威信を大いに減退させた。その隙を突いたスパルタの海軍力強化、穀物の主要な輸入ルート上にある[[デケレイア]]の占領、更にはアテナイの苛烈な政策(攻略した敵対都市の成人男子絶滅及び身分を問わない女子供の全奴隷化による都市の完全な解体や捕虜の殺害)による[[ラウレイオン]]・マロネイア両銀山における奴隷鉱夫の反乱逃亡とデロス同盟加盟国の離反によって、アテナイはその経済を支えてきた銀の生産・船舶・同盟年賦金といった全ての強みを失った。そして、[[紀元前405年]]の[[アイゴスポタモイの海戦]]でアテナイ艦隊を壊滅させてその制海権を奪い、黒海からアテナイへの穀物輸送ルートを押さえたスパルタ・コリントスなどのペロポネソス同盟海軍はアテナイの陸海からの封鎖に成功して、アテナイは[[飢餓]]状態に陥った。これによって、アテナイは降伏へと追い込まれた。
== アテナイの社会と文化 ==
アテナイは、市民、外国人である[[メトイコイ]]、[[奴隷]]の3つの身分に分かれていた。最盛期のアテナイは、3万人弱の市民(青年の男性。家族等を含めると約8万人強)、[[奴隷]]6万人強、商業や学芸などに従事するメトイコイ3,000~4,000が居住した。上流階層の男性は7歳になると、私学に通って読み書き、計算、体育、音楽を修得した。成人すれば戦争や民会などに参加し、平時には[[アゴラ]]({{lang|el|αγορά}})に集って体育に汗を流した。女性の地位は低く、家庭内の仕事や家内産業に従事し15歳くらいで親が決めた30歳くらいの男性と結婚した<ref>[[桜井万里子]]『古代ギリシアの女たち』中公文庫、2010年</ref>。
奴隷は例外的に解放されることもあったが、農作業、商売、鉱夫、職人、家内の雑用、公文書の保管、市中警備などあらゆる部門で非常に酷使され、過酷かつ不健康な状態に置かれた。4~5人家族であれば、男性の奴隷1名を公共工事に従事させて得る報酬で生活ができた。解放奴隷はメトイコイに属した。
ギリシア各地から学者、芸術家が集まり文化の花が開き、[[ギリシア哲学]]の[[ソクラテス]]、[[プラトン]]、[[アリストテレス]]、劇作家の[[アイスキュロス]]、[[ソポクレス]]、[[エウリピデス]](→[[ギリシャ悲劇]])、[[アリストパネス]](→[[ギリシャ喜劇]])、彫刻家の[[ペイディアス]]、歴史家の[[トゥキディデス]]、著述家の[[クセノポン]]らが輩出した。皮肉なことに彼らの多くがアテナイの没落を目にして役職の直接選挙制に否定的な思想を唱えた。
== 神話の中のアテナイ ==
ギリシア神話では、アテナイは[[オリュンポス十二神]]の水神[[ポセイドン]]と女神[[アテナ]]が、その当時まだ名前の無かったアテナイの領有権をめぐって争い、それにアテナが勝利したため、女神の名にちなんでアテナイと名づけられたとされている。その争いとは、アテナイ市民により有益なものを作り出したほうを勝者とするものであった。ポセイドンは馬を作り出して乗馬の方法を教え塩水の井戸を湧き出させた。他方アテナは[[オリーブ]]の木を生み出し、これを見た神々がアテナの方が住民に有益であり、アッティカの守護者として相応しいとした。これに怒ったポセイドンは津波による洪水を起こしたという<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3-133217 |title=ポセイドンとは - コトバンク |access-date=2022-06-14}}</ref>。<ref>『ポセイドンは白馬を出現させ、三叉鉾で地を打って塩水の泉を湧き出させた。いっぽうアテナはこの地方のもっとも小高い丘(アクロポリス)にオリーブの木を生じさせた。<u>住民はアテナの贈り物を選び</u>、その名にちなんで都市をアテナイと名付けた。』と書かれている。 「オリーブの歴史」ファブリーツィア・ランツァ著、原書房、2016/4/27、P.28</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=[[人間の経済]]2 交易・貨幣および市場の出現|year=2005|publisher=岩波書店〈岩波モダンクラシックス〉|author=カール・ポランニー|author-link=カール・ポランニー|translator=[[玉野井芳郎]]・中野忠}}
== 関連項目 ==
* [[カリストラトス]]
* [[イフィクラテース]]
* [[プニュクス]]
* [[ケラメイコス]]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あてない}}
[[Category:古代ギリシア都市]]
[[Category:民主主義]]
[[Category:海洋国家]]
[[Category:アテネ|*あてない]]
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[[Category:アテーナー]] | 2003-05-10T05:08:57Z | 2023-11-03T14:42:53Z | false | false | false | [
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7,967 | 宜保愛子 | 宜保 愛子(ぎぼ あいこ、1932年1月5日 - 2003年5月6日)は、日本の作家。タレントとしても活動していた。神奈川県横浜市生まれ。
1980年代にテレビで稀代の霊能者として取り上げられたことで一躍注目を浴びた。著書も多数出版され、ベストセラーも多数存在した。霊能力があるとして多数の信奉者を生み人気を集めた一方、その能力についての真贋論争も話題となった。
幼少時、懐疑主義者の父や母親からはその特異体質を非難されたが、兄だけは受け入れてくれていた。その為、兄の戦死はかなりの辛さだったといい、墜落した海に行った際には号泣し、「お兄ちゃん」と連呼していた程であった。また宜保の弟は飛び出した際に車に轢かれ死亡している。私生活では二男一女の母親であり主婦であった。
1961年(昭和36年)のテレビ出演を期に、人気が高まり、多くの講演会を行うようになる。1970年代中頃から、心霊研究家の放送作家新倉イワオと共に、日本テレビの『あなたの知らない世界』に出演、また女性週刊誌『女性自身』の有名人との対談連載などによって1980年代後半に話題となった。芸能人のみならず多くの文化人とも霊視対談を行った。1990年代に入ってから彼女の霊能をテーマとした多くの特番が組まれ、著書がベストセラーにもなった。しかし1993年(平成5年)には、その霊能力を疑問視する物理学者の大槻義彦や女性誌から批判を浴びた。
1995年(平成7年)のオウム真理教の事件の後、オカルト的な放送をすることに批判が高まる中で出演回数は低下し、約5年間テレビ界から遠ざかった。2001年から2003年までフジテレビ・『力の限りゴーゴゴー!!』のコーナーに出演。話題となった「力合わせてゴーゴゴー宜保スペシャル強力版」が最後のテレビ出演となった。
2003年5月6日、胃癌のため死去。71歳没。葬儀は本人の生前からの遺言で親族のみの密葬で行われた。霊能力に関して批判していた大槻義彦は、「霊感商法等により露骨な金儲けを行うような事は一切なかったところは評価できる。私は彼女の霊的現象について疑義を持っていろいろと批判、検証はしたが、彼女の人間性や人柄までは否定するつもりは一切なかった。」と追悼の言を述べた。霊視・霊能とは別に、宜保の人間性を評価する者も少なくなかった。
気さくさや上品さ、人や霊への隔てのない優しさを持つ人物であったが、出演番組では天然ボケな一面も披露していた。また、番組では遠隔霊視した建物などを絵に書く事も多かったが、描かれた絵を見るに絵は苦手だった事がうかがえる。
先天性の難聴により右耳の聴力を失っており、その右耳は霊の言葉を聞くことができたという。
また、4歳のとき、左目に火箸が落ちて失明寸前となり、1年ほど闘病生活を送ったが、それでも視力は回復せずほとんど見えなくなった。
本人によれば、6歳頃に、自分の中の霊能力を自覚したといい、蔵が燃える風景や自殺した人が飛び込む風景などが見えていたり、車にひかれた弟の身体から魂が抜けて上るのが見えたという。また、ハッキリと理解したのは幼なじみの友人が亡くなった後、宜保に「遊ぼう」と声をかけてきて、宜保が遊びに行こうとして親に友人が死んだ事を話された時だという。
宜保は相談者の守護霊の声が聞こえ、姿が見え、亡くなった人が守護霊になると、その人物の側に行ってもなんとなく温度を感じず、生きている人が守護霊だと体温のような温かさを感じるという。そして、相談者の亡くなった肉親の霊と話すことによりその肉親について他人が知り得ないことがらや、相談者の家の構造や家具の配置などを言い当てたとされる。また、守護霊や霊との会話はテレビに映る映像を見るようだと語り、耳元で囁いてくることもあると語っている。 なお、宜保によれば海外の人の守護霊や霊でも普通に上記のように映像を見ていたり会話したりしているらしいが、英語圏の場合だけは何故か英会話を行っているらしいと語っている。
また、霊能力の1つとして、霊視が可能で人の持ち物からその人物にまつわることを見たり(宜保本人によると浮かび上がってくる、知り合いなら人物特定も出来る可能性がある)、建物などの過去や過去にあったものを見る、遠隔(海外でも)霊視する力もあると主張していた。
元英語教師という事もあり、英語にも堪能で、通訳を介さずに撮影や能力解明に協力していた海外の人に霊や霊の話などを話したり、ユリ・ゲラーと会話を行ったことがある。
これらの批判的な意見が存在する中で、霊能力や霊視に対する科学的な説明として、「シャルル・ボネ症候群」に関連した神経学的な異常が「幻視」となって見えたのではと指摘する研究者もいる。 | [
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] | 宜保 愛子は、日本の作家。タレントとしても活動していた。神奈川県横浜市生まれ。 1980年代にテレビで稀代の霊能者として取り上げられたことで一躍注目を浴びた。著書も多数出版され、ベストセラーも多数存在した。霊能力があるとして多数の信奉者を生み人気を集めた一方、その能力についての真贋論争も話題となった。 | {{Infobox 人物
|氏名 = 宜保 愛子
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'''宜保 愛子'''(ぎぼ あいこ、[[1932年]][[1月5日]] - [[2003年]][[5月6日]])は、[[日本]]の[[作家]]。[[タレント]]としても活動していた。[[神奈川県]][[横浜市]]生まれ。
[[1980年代]]に[[テレビ]]で稀代の霊能者として取り上げられたことで一躍注目を浴びた。著書も多数出版され、[[ベストセラー]]も多数存在した。[[霊能力]]があるとして多数の信奉者を生み人気を集めた一方、その能力についての真贋論争も話題となった。
== 来歴 ==
幼少時、懐疑主義者の父や母親からはその特異体質を非難されたが、兄だけは受け入れてくれていた。その為、兄の戦死はかなりの辛さだったといい、墜落した海に行った際には号泣し、「お兄ちゃん」と連呼していた程であった。また宜保の弟は飛び出した際に車に轢かれ死亡している。私生活では二男一女の母親であり主婦であった。
[[1961年]](昭和36年)のテレビ出演を期に、人気が高まり、多くの講演会を行うようになる。[[1970年代]]中頃から、心霊研究家の[[放送作家]][[新倉イワオ]]と共に、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[あなたの知らない世界]]』に出演、また女性週刊誌『[[女性自身]]』の有名人との対談連載などによって[[1980年代]]後半に話題となった<ref name="oculhihan">[[呉智英]](監修)『オカルト徹底批判』 [[朝日新聞社]] [[1994年]]5月15日)</ref>。芸能人のみならず多くの文化人とも[[霊視]]対談を行った<ref name="reinousyaretuden"/>。[[1990年代]]に入ってから彼女の霊能をテーマとした多くの特番が組まれ、著書が[[ベストセラー]]にもなった。しかし[[1993年]](平成5年)には、その霊能力を疑問視する[[物理学者]]の[[大槻義彦]]や女性誌から批判を浴びた。
[[1995年]](平成7年)の[[オウム真理教]]の[[オウム事件|事件]]の後、[[オカルト]]的な放送をすることに批判が高まる中で出演回数は低下し、約5年間テレビ界から遠ざかった<ref name="nikkansports"/>。[[2001年]]から[[2003年]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・『[[力の限りゴーゴゴー!!]]』のコーナーに出演。話題となった「力合わせてゴーゴゴー宜保スペシャル強力版」が最後のテレビ出演となった。
2003年5月6日、[[胃癌]]のため死去。{{没年齢|1932|1|5|2003|5|6}}。[[葬儀]]は本人の生前からの遺言で親族のみの[[密葬]]で行われた<ref name="nikkansports"/>。霊能力に関して批判していた[[大槻義彦]]は、「[[霊感商法]]等により露骨な金儲けを行うような事は一切なかったところは評価できる。私は彼女の霊的現象について疑義を持っていろいろと批判、検証はしたが、彼女の人間性や人柄までは否定するつもりは一切なかった。」と追悼の言を述べた<ref name="reinousyaretuden"/>。霊視・霊能とは別に、宜保の人間性を評価する者も少なくなかった<ref name="reinousyaretuden"/>。
== 人物 ==
気さくさや上品さ、人や霊への隔てのない優しさを持つ人物であったが、出演番組では天然ボケな一面も披露していた。また、番組では遠隔霊視した建物などを絵に書く事も多かったが、描かれた絵を見るに絵は苦手だった事がうかがえる。
先天性の[[難聴]]により右耳の[[聴力]]を失っており、その右耳は霊の言葉を聞くことができたという。
また、4歳のとき、左目に[[火箸]]が落ちて[[失明]]寸前となり、1年ほど闘病生活を送った<ref name="reinousyaretuden">[[別冊宝島]]1199号 『日本「霊能者」列伝』([[宝島社]] [[2005年]]10月)ISBN 978-4796648066</ref>が、それでも[[視力]]は回復せずほとんど見えなくなった。
本人によれば、6歳頃に、自分の中の霊能力を自覚したといい<ref name="nikkansports">[https://www.nikkansports.com/ns/general/personal/2003/pe-030506.html 霊能力者の宜保愛子さんが胃がんのため死去](nikkkansports.com)</ref>、蔵が燃える風景や[[自殺]]した人が飛び込む風景などが見えていたり、車にひかれた弟の身体から魂が抜けて上るのが見えたという。また、ハッキリと理解したのは幼なじみの友人が亡くなった後、宜保に「遊ぼう」と声をかけてきて、宜保が遊びに行こうとして親に友人が死んだ事を話された時だという。
宜保は相談者の[[守護霊]]の声が聞こえ、姿が見え、亡くなった人が守護霊になると、その人物の側に行ってもなんとなく温度を感じず、生きている人が守護霊だと体温のような温かさを感じるという。そして、相談者の亡くなった[[肉親]]の[[霊魂|霊]]と話すことによりその肉親について他人が知り得ないことがらや、相談者の家の構造や家具の配置などを言い当てたとされる<ref name="reinousyaretuden"/>。また、守護霊や霊との会話はテレビに映る映像を見るようだと語り、耳元で囁いてくることもあると語っている。
なお、宜保によれば海外の人の守護霊や霊でも普通に上記のように映像を見ていたり会話したりしているらしいが、英語圏の場合だけは何故か英会話を行っているらしいと語っている。
また、霊能力の1つとして、霊視が可能で人の持ち物からその人物にまつわることを見たり(宜保本人によると浮かび上がってくる、知り合いなら人物特定も出来る可能性がある)、建物などの過去や過去にあったものを見る、遠隔(海外でも)霊視する力もあると主張していた。
元英語教師という事もあり、[[英語]]にも堪能で<ref name="reinousyaretuden"/>、[[通訳]]を介さずに撮影や能力解明に協力していた海外の人に霊や霊の話などを話したり、[[ユリ・ゲラー]]と会話を行ったことがある<ref>永瀬ほか(2006)『ギボギボ90分!』pp.55-57 には、[[永瀬唯]]による宜保の英語力についての説明があり、そこでは、1991年10月のTBS系特番「驚異の霊能者・宜保愛子 第3弾」で宜保が国際電話でユリ・ゲラーと英語で議論したことが紹介されていた。</ref>。
== 霊能力に関する議論 ==
; 批判的な見解
: 宜保の行った霊視の大半は調査や資料に当たることでわかるものであり、霊視の内容が事実と矛盾することもあるとして、その霊視は事前の調査によるものであるとの疑惑も報じられた<ref name="oculhihan"/>。
: 例えば、[[物理学者]]の[[大槻義彦]]は、「昔、私が対決した霊能者の宜保愛子は、6人のスタッフ(家族でスタッフを固めた「オフィスワン」という個人事務所)で事前調査をしていました」と語っている<ref>[https://www.j-cast.com/2008/02/10016502.html 「早大名誉教授の大槻義彦さんに聞く スピリチュアル番組問題(上)江原霊視は『事前調査の成果』 タレント情報をネットで検索?」](『[https://www.j-cast.com/ J-CASTニュース]』2008年2月10日)</ref>。当時大槻は、宜保が霊能力と称しているものはどれも何らかのトリックで説明がつくものだから、自分が実験に立ち会ってチェックさせてほしい<ref name="giwakuno">大槻義彦『疑惑の霊能者 宜保愛子の謎』([[悠飛社]]、[[1993年]]9月) ISBN 494644825X</ref>と宜保側に申し込み、テレビ番組での対決が具体化しかけたが、結果的には宜保側がキャンセルした<ref name="reinousyaretuden"/>。さらに、宜保の著書『宜保愛子の死後の世界』(日東書院 ISBN 4528007940)に大槻の[[プラズマ]]実験写真が「霊の写真」との説明で無断で使われていたことが発覚し問題となった<ref name="oculhihan"/> 。
: また、1993年12月30日に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]で放映された『新たなる挑戦II』において、[[ロンドン塔]]ブラディ・タワーの上階に置いてある天蓋付きのベッドに、[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]のふたりの王子、[[エドワード5世 (イングランド王)|エドワード5世]]と[[リチャード・オブ・シュルーズベリー (ヨーク公)|リチャード]]が座っていると霊視した。しかし、宜保が霊視をしたという兄弟が生きていた当時その階は存在せず、その1世紀以上も後に増築された場所であった。更に宜保の霊視内容は[[夏目漱石]]著作の小説『[[倫敦塔 (小説)|倫敦塔]]』の内容とほぼ一致していることが指摘されている<ref>『[[と学会#「トンデモ超常現象」シリーズ|新・トンデモ超常現象60の真相]]』(ISBN 9784903063072) 234-240頁</ref>。
: また、日本テレビで放映されたエジプトでの霊視番組における歴史事実との矛盾、どのような事前調査を行って霊視に見せかけていたのか、その手法が、[[永瀬唯]] 他『ギボギボ90分!―と学会レポート 』(楽工社 2006年11月 ISBN 4903063062)にて明かされている。
これらの批判的な意見が存在する中で、霊能力や霊視に対する科学的な説明として、「[[シャルル・ボネ症候群]]」に関連した神経学的な異常が「幻視」となって見えたのではと指摘する研究者もいる<ref>[https://web-mu.jp/paranormal/14460/ 霊能力の謎を解く「幻視」の秘密! 知られざる「シャルル・ボネ症候群」]、『webムー』(2021.11.18)</ref>。
== 主な著書 ==
=== かんき出版 ===
* '''宜保愛子の霊視の世界''' ―災いを招く霊幸せを呼ぶ霊 ISBN 4761251832 1986年刊
* あなたの運命を拓く '''愛の霊視の世界''' ISBN 4761251832 1987年刊
=== コスカ出版 ===
* '''ザ・会社霊大研究''' ツキを呼び込むビジネス成功術 ISBN 4876510075 出版年1987年刊
=== 角川書店 ===
* 宜保愛子が視た'''生霊の愛と憎''' ISBN 4047060771 1991年刊
* '''愛の霊供養''' 幸せのための第一歩 ISBN 4391113759 1991年刊
=== 学習研究社 ===
* '''宜保愛子の心霊教室''' ISBN 4051060403 1992年刊
=== 光文社 ===
* 供養法つき'''心霊写真の見分け方''' あなたのアルバムにも一枚はあるかもしれない!ISBN 4334900143 1987年刊
* '''あなたの愛の守護霊''' ISBN 4334900224 1991年刊
=== 講談社 ===
* '''霊能者として生まれて生きて''' ISBN 4061852973 1992年刊
* 霊能者として生まれて生きて ISBN 4062054035 1992年刊
* '''国際版あなたの守護霊''' ISBN 4062058138 1992年刊
* 宜保愛子の'''恐怖体験''' ISBN 4062059487 1992年刊
* 宜保愛子'''生まれ変わりの秘密''' ISBN 4062060256 1993年刊
* 宜保愛子'''愛と哀しみの霊たち''' ISBN 4062066157 1994年刊
* 宜保愛子'''鎮魂と供養''' ISBN 4062072092 1995年刊
* 英語版あなたの守護霊Findingyourguardianspirit ISBN 4770017308 講談社インターナショナル 出版年1992年刊
==== 漫画====
* 宜保愛子の私の恐怖体験
*#ISBN 406319342X 1992年刊
*# ISBN 4063194272 1993年刊
*# ISBN 4063194345 1993年刊
* KCデラックス 宜保愛子の学校のこわい話
*# ISBN 4063195635 1995年刊
*# ISBN 4063195929 1995年刊
*# ISBN 4063196062 1995年刊
=== 主婦と生活社 ===
* '''あなたの霊が見える''' しあわせを呼ぶ霊の招き方 ISBN 4391113759 1991年刊
* 運を好転させる!'''あなたの因縁霊''' 先祖の因縁が人生を決める暗を明に変える霊の招き方 ISBN 4391114585 1992年刊
* '''物にやどる霊''' あなたを守護する! ISBN 4391115360 1993年刊
* '''霊が喜ぶ開運家相''' 戸建てから集合住宅まで凶相でもこうすれば安心! ISBN 4391115964 1993年刊
* '''あなたに霊が囁いている'''―「夢の知らせ・虫の知らせ」で幸運をつかむ! ISBN 4391116561 1994年刊
=== 青林堂 ===
* '''因縁物語''' ISBN 4792603153 2000年刊
=== 説話社 ===
* '''宜保愛子の霊供養'''―こんなときどうする
*# ISBN 4916217195 2001年刊
*# ISBN 4916217225 2002年刊
* 宜保愛子がアドバイス '''色情因縁・地縛霊・物に宿る霊'''ISBN:491621725X 2002年刊
=== 大陸書房 ===
* 宜保愛子の'''霊視開運法''' これであなたも幸せになれる ISBN 4803311374 1987年刊
* 幸せを招く'''やさしい供養のしかた''' ISBN 4803327629 1990年刊
* 宜保愛子の'''世にも怪奇な心霊写真集''' ISBN 4803330220 1990年刊
* 宜保愛子の'''霊視の世界'''《文庫》 ISBN 4803332355 1991年刊
* 宜保愛子の'''幸せを呼ぶ守護霊''' ISBN 4803333823 1991年刊
==== 漫画 ====
* 宜保愛子の世にも怪奇な物語
*# ISBN 4803324662 1990年刊
*# ISBN 4803331405 1990年刊
*# ISBN 4803336873 1991年刊
==== ビデオソフト ====
* 宜保愛子 '''霊視の世界
*# ISBN 4803325065 1989年刊
*# ISBN 4803325073 1989年刊
==== カセットテープ ====
* '''死後の世界と先祖供養''' ISBN 4803333793 1991年刊
* '''守護霊と霊障幸せを呼ぶ供養のしかた''' ISBN 4803336873 1991年刊
=== 大和堂 ===
* '''不思議体験集''' ISBN 4810374564 1997年刊
=== 日東書院 ===
* 宜保愛子の幸せを招く
** '''先祖霊の祀り方''' ISBN 4528007851 1986年刊
** '''家相開運法''' ISBN 4528007894 1988年刊
** '''お墓と仏壇の祀り方''' ISBN 4528007916 1989年刊
** '''霊障供養のしかた''' 動物霊・植物霊もあなたを守ってくれる ISBN 4528007932 1990年刊
** '''霊視の世界''' ISBN 4528018616 2002年刊
* 宜保愛子の'''死後の世界''' ―霊から聞いた霊界の本当の姿 ISBN 4528007940 1991年刊
* まんが版'''世にも不思議な霊の話''' ISBN 4528007967 1990年刊
* '''私の猫は超能力者?'''―人間と猫の心あたたまるふれ合いストーリー ISBN 4528008092 1995年刊
* 宜保愛子の'''先祖霊があなたを守る''' ISBN 4528018624 2002年刊
* 宜保愛子の幸せを呼ぶ '''家相・インテリア開運''' ISBN 4528018632 2002年刊
* 宜保愛子の霊がよろこぶ '''法事・仏壇・お墓の供養''' ISBN 4528018640 2003年刊
* '''死ぬ瞬間(とき)から輪廻転生'''―宜保愛子の霊界からのメッセージ ISBN 4528018659 2003年刊
* '''霊に守られて'''―宜保愛子の最後のメッセージ ISBN 4528018667 2003年刊
* あなたの運命を拓く '''愛の霊視の世界''' ISBN 452800786X 1987年刊
=== 勁文社 ===
* '''さまよえる死霊の叫び''' ISBN 4766904214 1986年刊
* 戦慄の霊視シリーズ
*# '''恐怖の心霊体験''' ISBN 4766905601 1987年刊
*# '''戦慄の心霊写真集''' ISBN 4766905849 1987年刊
*# '''震撼!幽霊屋敷''' ISBN 4766905989 1987年刊
*# '''恐怖の心霊体験(2)''' ISBN 4766907302 1988年刊
*# 恐怖実体験コミック '''心霊写真の謎''' ISBN不明 1988年刊
*# '''実体験 地縛霊の恐怖''' ISBN 4766907744 1988年刊
* '''愛の心霊相談''' ISBN 4766908716 1988年刊
==== ケイブンシャ大百科シリーズ ====
* 232 恐怖の霊大百科 1985.9.10刊
* 258 恐怖の怨霊大百科2 1986.6.5刊
* 285 怪奇亡霊大百科 1986.6.5刊
* 296 心霊写真大百科 1987.5.25刊
* 305 恐怖の霊大百科2 1987.7.25刊
* 324 心霊写真大百科2 1988.2.15刊
* 342 心霊写真大百科3 1988.9.26刊
* 354 恐怖話大百科 1989.3.2刊
* 362 恐怖の心霊体験大百科 1989.4.28刊
* 368 宜保愛子の霊視大百科 1989.6.22刊
* 377 宜保愛子の心霊探検大百科 1989.8.24刊
* 380 霊能力入門大百科 1989.10.5刊
* 387 宜保愛子の心霊探検大百科2 1989.12.12刊
* 398 宜保愛子の恐怖話大百科2 1990.3.21刊
* 409 守護霊大百科 1990.6.19刊
* 411 心霊写真大百科4 1990.7.11刊
== トーク番組 ==
* [[パック2]]([[北海道放送]])不定期レギュラー - 北海道のローカルのワイドショー番組で、1980年代後半以降、北海道各地の霊場と言われる場所に出かけて霊視を行う企画がシリーズ化されていた。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
== 参考文献 ==
* [[ゆうむはじめ]] 『宜保愛子・霊能力の真相』[[データハウス]] 1991年9月 ISBN 488718106X
: (霊能は脳のメカニズムで説明できると解説)
* [[大槻義彦]] 『疑惑の霊能者 宜保愛子の謎』 [[悠飛社]] [[1993年]]9月 ISBN 494644825X
: (科学者の手による批判書)
* [[志水一夫_(作家)|志水一夫]] 『宜保愛子イジメを斬る!!―オカルト論争解明マニュアル』 [[スタジオシップ]] 1994年2月 ISBN 4883152820
: (大槻義彦の著書『宜保愛子の謎』に疑問を呈している)
* [[和栗隆史]] 『宜保愛子の証明―テレビマンが明かす宜保番組の作り方』データハウス 1994年2月 ISBN 4887182112
: (宜保番組を数多く手がけた放送作家の手記)
* [[皆神龍太郎]]他 『新・トンデモ超常現象56の真相』[[太田出版]] 2001年7月ISBN 4872335988
: (宜保のロンドン塔霊視が下調べに基づくものであったと結論)
* [[永瀬唯]]他 『ギボギボ90分!―と学会レポート 』 [[楽工社]] 2006年11月ISBN 4903063062
: (宜保の全盛期を代表する特番1本を集中的に検証。宜保愛子という人物に敬意を払いつつ彼女の仕事を分析する)
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7,968 | 正孔 | 正孔(せいこう)は別名をホール(Electron hole または単にhole)ともいい、 半導体において、真性半導体であれば電子で満たされているべき価電子帯の電子が不足した状態を表す。 この電子の不足の状態を存在するはずの電子が存在しないという意味で孔(hole)といい、 周辺の電荷分布から相対的に正の電荷を持っているように見えるため正孔という。
正孔(hole)が生成する原因は光や熱などで価電子が伝導帯側に遷移することである。
半導体以外に絶縁体でも生成確率は小さいながら正孔(hole)は存在する。
半導体結晶中においては、周囲の価電子が次々と正孔に落ち込み別の場所に新たな正孔が生じる、という過程を順次繰り返すことで結晶内を動き回ることができ、あたかも「正の電荷をもった電子」のように振舞うとともに電気伝導性に寄与する。なお、周囲の価電子ではなく、伝導電子(自由電子)が正孔に落ち込む場合には、伝導電子と価電子の間のエネルギー準位の差に相当するエネルギーを熱や光として放出し、電流の担体(通常キャリアと呼ぶ)としての存在は消滅する。このことをキャリアの再結合と呼ぶ。
正孔は、伝導電子と同様に、電荷担体として振舞うことができる。正孔による電気伝導性をp型という。半導体にアクセプターをドーピングすると、価電子が熱エネルギーによってアクセプタ準位に遷移し、正孔の濃度が大きくなる。また伝導電子の濃度に対して正孔の濃度が優越する半導体をp型半導体と呼ぶ。
一般に正孔のドリフト移動度(あるいは単に移動度)は自由電子のそれより小さく、シリコン結晶中では電子のおよそ1/3になる。なお、これによって決まるドリフト速度は個々の電子や正孔の持つ速度ではなく、平均の速度であることに注意が必要である。
価電子帯の頂上ではE-k空間上で形状の異なる複数のバンドが縮退しており、それに対応して正孔のバンドも有効質量の異なる重い正孔(heavy hole)と軽い正孔(light hole)のバンドに分かれる。またシリコンなどスピン軌道相互作用が小さい元素においてはスピン軌道スプリットオフバンド(スピン分裂バンド)もエネルギー的に近く(Δ=44meV)、独立に議論するのがその分難しくなる。移動度を特に重視する用途の半導体素子においては、結晶に歪みを導入することで、価電子帯頂上の縮退を解くと共に、量子準位を入れ換えて軽い正孔を主に用い、フォノン散乱やキャリアの実効有効質量の削減を図ることがある。
なお、正孔の意味で言う「ホール」とは「穴(hole)」の意味であり、ホール効果(Hall effect)の「ホール」(人名に由来)とは異なる。 | [
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| 名前 = 正孔
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'''正孔'''(せいこう)は別名を'''ホール'''(Electron hole または単に'''hole''')ともいい、
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この電子の不足の状態を存在するはずの電子が存在しないという意味で孔(hole)といい、
周辺の電荷分布から相対的に正の[[電荷]]を持っているように見えるため'''正孔'''という。
== 概説 ==
正孔(hole)が生成する原因は[[光]]や[[熱]]などで[[価電子]]が[[伝導帯]]側に[[遷移]]することである。
半導体以外に[[絶縁体]]でも生成確率は小さいながら正孔(hole)は存在する。
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正孔は、伝導電子と同様に、[[電荷担体]]として振舞うことができる。正孔による電気伝導性をp型という。半導体に[[アクセプター]]を[[ドープ|ドーピング]]すると、価電子が熱エネルギーによって[[アクセプタ準位]]に[[遷移]]し、正孔の濃度が大きくなる。また伝導電子の濃度に対して正孔の濃度が優越する半導体を[[p型半導体]]と呼ぶ。
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なお、正孔の意味で言う「ホール」とは「穴(hole)」の意味であり、[[ホール効果]](Hall effect)の「ホール」(人名に由来)とは異なる。
== 関連項目 ==
* [[キャリアの再結合]]-[[光電効果#内部光電効果|光電効果]]
* [[歪み超格子]]-[[歪みシリコン]]
* [[励起子]]
== 参考書籍 ==
* [[西澤潤一]]・[[御子柴宣夫]]「半導体の物理 改訂版」(培風館、1991年) ISBN 4-563-03299-9
== 外部リンク ==
* [http://kccn.konan-u.ac.jp/physics/semiconductor/top_frame.html 半導体/電子デバイス物理](甲南大学による半導体物性からの解説)
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7,969 | パルボックス | パルボックスは、株式会社メガハウスの事業部の一つ。オセロやルービックキューブなどの玩具開発、販売を行う。
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{{出典の明記|date=2023年1月11日 (水) 03:30 (UTC)}}
'''パルボックス'''は、株式会社[[メガハウス]]の事業部の一つ。[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]や[[ルービックキューブ]]などの玩具開発、販売を行う。
[[バンダイ]]傘下の企業である。前身は[[ツクダオリジナル]]。
== 歴史 ==
再編成前は、旧会社の記事を参照。
*[[2003年]][[3月1日]]、株式会社[[ツクダオリジナル]]が株式会社ワクイコーポレーションからの営業譲渡を受け、商号を'''株式会社パルボックス'''に改める。
*[[2005年]][[4月1日]]、株式会社[[メガハウス]]に一部営業譲渡し、同社の'''パルボックス事業部'''となる。
*[[2005年]][[5月1日]]、同社パルボックス事業部が第4事業部に改称。
*[[2007年]][[3月1日]]、同社第二事業部の一部となる
== 外部リンク ==
*[http://www.megahouse.co.jp/megatoy/ メガハウス第4事業部(megatoy-メガトイ)]
{{オセロ (ボードゲーム)}}
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7,970 | ソネット | ソネット(十四行詩、Sonnet)は、14行から成るヨーロッパの定型詩。ルネサンス期にイタリアで創始され、英語詩にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなった。
ソネットの形式には大きく3つのタイプがあり、それはイタリア風ソネット、イギリス風ソネット、スペンサー風ソネットである。イギリス風ソネットの中のウィリアム・シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれ、押韻構成は「ABAB CDCD EFEF GG」となる(「Shall I compare thee to a summer's day?」など)。
代表的なソネット作家には、ペトラルカ、シェイクスピア、ジョン・ミルトン、ウィリアム・ワーズワースなどがいる。
「sonnet」という用語はプロヴァンス語のsonetとイタリア語のsonettoに由来する。ともに「小さな歌」という意味である。13世紀には、それは厳格な押韻構成と特定の構造を持つ14行の詩を意味するようになった。ソネットに関する取り決めは歴史とともに進化した。ソネット作家のことをSonneteerと呼ぶことがあるが、それは嘲笑的に使うことができる。近現代のソネット作家たちは単純にsonnet writersと呼ばれることを選ぶ。ソネット作家で最も有名な人物は154篇のソネットを書いたウィリアム・シェイクスピアであろう。
伝統的に、英語詩では弱強五歩格を使ってソネットを書く。ロマンス諸語では、十一音節詩行とアレクサンドランが最も広く使われている韻律である。
イタリア風ソネット(Italian sonnet)またはペトラルカ風ソネット(Petrarchan sonnet)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の回りに集ったシチリア派(en:Sicilian School)のジャコモ・ダ・レンティーニ(en:Giacomo da Lentini)とEtterによって発明された。グイットーネ・ダレッツォ(en:Guittone d'Arezzo)がそれを再発見し、トスカーナに持ち込んだ。グイットーネはトスカーナの言葉に合わせて変え、新シチリア派(1235年 - 1294年)を設立した。グイットーネはおよそ300篇のソネットを書いた。当時のイタリアの詩人では他に、ダンテ・アリギエーリ(1265年 - 1321年)、グイード・カヴァルカンティ(1255年頃 - 1300年)がソネットを書いた。しかし初期のソネット詩人で最も有名な人物はペトラルカである。
イタリア風ソネットは2つの部分から成り立っている。前半部は八行連(2つの四行連)で問いを提起する。それに続く後半部は六行連(2つの三行連)で、答えを与える。典型的に、九行目は、問題提起から解答への移行を示す「ターン(volta)」となる。問題提起/解答の構造に厳格に従わないソネットでさえ、九行目は詩の口調、雰囲気、立場の移行を示す「ターン」であることが多い。
ジャコモ・ダ・レンティーニのソネットでは、八行連の押韻構成は「a-b-a-b, a-b-a-b」だったが、後には「a-b-b-a, a-b-b-a」となり、それがイタリア風ソネットの標準となった。六行連には、「c-d-e-c-d-e」か「c-d-c-c-d-c」の二つがあって、やがて、「c-d-c-d-c-d」という変化形も採用された。
英語詩のソネットを最初に書いたのは、サー・トマス・ワイアットとサリー伯ヘンリー・ハワードで、イタリアの押韻構成を用いた。同様にイタリア風ソネットを書いた詩人たちには、ジョン・ミルトン、トマス・グレイ、ウィリアム・ワーズワース、エリザベス・バレット・ブラウニングらがいる。18世紀初期のアメリカ合衆国の詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイもイタリア風ソネットを多く書いた。
16世紀初期にソネットをイングランドにもたらしたのはトーマス・ワイアットだった。ワイアットならびに同時代人のサリー伯のソネットは主としてイタリア語のペトラルカ、フランス語のピエール・ド・ロンサールの翻訳だった。ワイアットがソネットをイングランドに紹介している一方で、サリー伯は英語のソネットの特徴となる押韻構成、韻律、四行連への分割、などを行った。フィリップ・シドニーの『アストロフェルとステラ』(1591年)は、ソネット連作を大変流行させた。続く20年間に、シェイクスピア、エドマンド・スペンサー、マイケル・ドレイトン(en:Michael Drayton)、サミュエル・ダニエル(en:Samuel Daniel)、ブルック男爵フルク・グレヴィル(en:Fulke Greville, 1st Baron Brooke)、ウィリアム・ドラモンド・オブ・ホーソーンデン(en:William Drummond of Hawthornden)など多くの詩人たちがソネット連作を発表した。それらのソネットは基本的にペトラルカの伝統にインスパイアされていて、一般に詩人の女性への愛情を扱っていた。ただしシェイクスピアのソネット連作は例外だった。17世紀にはソネットは他のテーマのためにも書かれるようになり、たとえばジョン・ダンやジョージ・ハーバートは宗教的ソネットを、ジョン・ミルトンは瞑想的な詩としてソネットを使用した。シェイクスピアとペトラルカなどの押韻構成はこの時代を通して人気があった。
ソネットの流行は王政復古期には時代遅れになり、1670年からワーズワースの時代までソネットはほとんど書かれなくなった。ソネットが復活したのはフランス革命の時だった。ワーズワースは数篇のソネットを書き、その中でも最も有名なのが『The world is too much with us』(en:The world is too much with us)とミルトンに向けたソネットである。ワーズワースのソネットは基本的にミルトンのものを手本にしている。ジョン・キーツとパーシー・ビッシュ・シェリーもソネットを書いた。キーツのソネットは部分的にシェイクスピアにインスパイアされた公式かつ修辞的なパターンを用いた。一方シェリーはラディカルに革新し、『オジマンディアス』(en:Ozymandias)というソネットではシェリー独自の押韻構成(「ABABACDCEDEFEF」)を創造した。19世紀を通してソネットは書かれたが、エリザベス・バレット・ブラウニングの『Sonnets from the Portuguese』(en:Sonnets from the Portuguese)とダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのソネットの他には、成功した伝統的ソネットはあまりなかった。ジェラード・マンリ・ホプキンスも(しばしばスプラング・リズムで)ソネットを書いた。その中でも最良のものは『The Windhover』で、さらに10-1/2行のカータル・ソネット(後述)の『Pied Beauty』や、24行のコーデイト・ソネット(後述)の『That Nature is a Heraclitean Fire』などの変化形のソネットを書いた。19世紀の終わりになると、ソネットは柔軟性のある多目的形式に応用されるようになっていた。
この柔軟性は、20世紀にさらに広げられた。モダニストの時代の詩人では、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングスがソネットを書いた。ウィリアム・バトラー・イェイツも半韻を用いたソネット『Leda and the Swan』(en:Leda and the Swan#In poetry)を書いた。ウィルフレッド・オーエンのソネット『死すべき定めの若者のための賛歌』(en:Anthem for Doomed Youth)も20世紀初期のソネットである。W・H・オーデンはその生涯を通じて2つのソネット連作と数篇のソネットを書いて、押韻構成の幅を相当に広げた。また、オーデンの『The Secret Agent』(1928年)は英語で書かれた最初の押韻されていないソネットである。半韻、韻のない、さらには韻律のないソネットが1950年以降とても人気になった。そのジャンルでおそらく最も知られているのは、シェイマス・ヒーニーの『Glanmore Sonnets』と『Clearances』(両方とも半韻を使っている)と、ジェフリー・ミル(en:Geoffrey Hill)の中期のソネット連作『An Apology for the Revival of Christian Architecture in England』であろう。しかし、1990年代は形式主義者が復活したようで、ここ10年ほどは伝統的なソネットがいくつか書かれている。
ところでイタリア風ソネットの導入後まもなく、イングランドの詩人たちは完全にネイティヴな形式への発展をしはじめた。その詩人たちとは、サー・フィリップ・シドニー、マイケル・ドレイトン、サミュエル・ダニエル、サリー伯の甥にあたるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー、それにシェイクスピアなどである。この詩形はシェイクスピア風ソネットまたはシェイクスピア風十四行詩(Shakespearean sonnet)と呼ばれるが、シェイクスピアが最初にこの形式を作ったからではなく、シェイクスピアが有名な使い手だったからである。この詩形は3つの四行連と1つの二行連から成り立っている。三番目の四行連は一般に、予想できない急激なテーマの、あるいは、イマジスティックな「ターン(volta)」を提示する。一般的な押韻構成は「a-b-a-b, c-d-c-d, e-f-e-f, g-g」である。くわえて、弱強五歩格で書かれている。これは1行に10、もしくは11か9の音節があり、音節は1つおきにアクセントが弱く・強くなる(イアンボス参照)。ソネットは14行でなければならず、最後の2行は(例外があるかも知れないが)押韻された結末を持っている。シェイクスピアのソネットでは、二行連は普通詩のテーマを簡潔に述べるか、あるいは、そのテーマに新鮮な見方を提示する。
コーデイト・ソネット(caudate sonnet)はソネットの拡張ヴァージョン。ソネットの標準形式である14行の後に、コーダ(ラテン語:cauda、「尾」の意味)が続く。この名称はコーダから取られている。
この形式を発明したのはフランチェスコ・ベルニ(en:Francesco Berni)だと信じられている。『Princeton Encyclopedia of Poetry』によると、この形式は風刺にもっとも多く使われる。たとえば、ジョン・ミルトンの『On the New Forcers of Conscience Under the Long Parliament』がその顕著な例である。
ジェラード・マンリ・ホプキンスは『That Nature is a Heraclitean Fire』でこの形式を使ったが、風刺的な雰囲気は少なかった。この詩はホプキンスがソネット形式のヴァリエーションを実験した多くのものの1つである。しかし、curtal sonnetと違って、ホプキンスのコーデイト・ソネットはコーダ部分の6行が追加されている他は従来のソネット形式を変えてはいない。ホプキンスは14行目と15行目を句またがりにすることで、拡張の効果を引き立たせた。
ホプキンスはロバート・ブリッジス(en:Robert Bridges)との手紙のやりとりの中で、このようなコーダの可能性を探った。ブリッジスがこの形式のミルトンの例をホプキンスに教えた。目的はミルトンの風刺的使用とは異なるが、詩の終わりに安定を追加するコーダの効果は似通っている。
カータル・ソネット(curtal sonnet)は、ジェラード・マンリ・ホプキンスが発明した詩形で、ホプキンスは3つの詩でそれを使っている。
カータル・ソネットは11行、正確には10 1/2行から成るソネットである。イタリア風ソネット(ペトラルカ風ソネット)を、そのままの比率で、厳密に3/4に圧縮している。従来のソネットの前半の八行連はカータル・ソネットでは六行連に、従来の後半の六行連部は四行連プラス1/2行の「tail piece」に変換される。ホプキンスは最終行を1/2行と言ったが、実際にはホプキンスお得意のスプラング・ライン行の半分よりも短いかも知れない。『Poems』(1876年 - 1889年)の序文で、ホプキンスはイタリア風ソネットとカータル・ソネットの関係を数学的に表した。もし、イタリア風ソネットが、8+6=14としたら、次のようになる。
ホプキンスがこの詩形で作った詩は、『Pied Beauty』、『Peace』、『Ash Boughs』である。
文芸評論家たちは一般的にカータル・ソネットを、ホプキンスが信じていたほど、ソネット形式の解釈としての新しい詩形ではないと考えている。エリザベス・W・シュナイダーは、カータル・ソネットはすべてのソネットの数学的比率に対するホプキンスの真剣な興味を表していると述べている。ロイス・ピッチフォードはホプキンスの3つの詩に対して徹底的な分析を行っている。以降、カータル・ソネットは時々使われたこともあったが、もっぱら目新しさからで、ホプキンスの真面目な使い方とは対照的である。
crown of sonnetsまたはsonnet coronaは、連続するソネットで、通常、単一のテーマに関係する/あるいはしない特定の人物に宛てられる。
各々のソネットはテーマのある面を探り、前のソネットの最後の行と、後のソネットの最初の行を繰り返すことでリンクさせる。さらに、最後のソネットの最後の行が最初のソネットの最初の行に繰り返されることで、全体で円環を成す。ソネットは全部で7つから成っている。
有名な例はジョン・ダンの『冠(La Corona)』で、この形式の名称はその詩の題名に由来している。他には、レディー・メアリー・ロース(en:Lady Mary Wroth)の『A Crown of Sonnets Dedicated to Love』もある。
crown of sonnetsのより進歩した形式はsonnet redoubléまたはheroic crownと呼ばれ、15のソネットから成る。ソネット間のリンクは上記と同じだが、最後のソネットは直前のソネットの最終行を最初の行で繰り返した後に、他のソネットの最初の行を順番に並べた結合ソネットとなっている。ヤロスラフ・サイフェルトはプラハについて書いた感傷的なソネット『Věnec sonetů』でこの形式を使った。マリリン・ネルソンの児童書『A Wreath for Emmett Till』(2005年)も同じ形式で書かれている。他にも、マリリン・ハッカー(en:Marilyn Hacker)、Linda Beirds、Andrea Carter Brown、Robert Darling、Moira Egan、Jenny Factor、アンドレイ・クリロフ(en:Andrei Krylov (musician))、Julie Fay、Marie Ponsot、Marilyn Taylor、Kathrine Varnesなどが近年出版している。
オネーギン・スタンザ、オネーギン連(Onegin stanza)またはPushkin sonnetは、アレクサンドル・プーシキンが『エヴゲーニイ・オネーギン』で発明した詩形。『エヴゲーニイ・オネーギン』は小説だが、弱強四歩格の韻文で(ほとんど)書かれている。押韻構成は「aBaBccDDeFFeGG」で、小文字の部分は女性韻、大文字の部分は男性韻を示している。
イタリア風ソネット(ペトラルカ風ソネット)やシェイクスピア風ソネットのような伝統的詩形と違って、オネーギン・スタンザは四行連や二行連に細かくはっきりと分けることはできない。分割の方法はさまざまである。たとえば最初の4行は、四行連になることもあれば、続く2行を合わせて六行連になることもある。この柔軟性は作者に、決まった押韻構成によりもたらされる統一感を維持しつつも、意味上のセクションをソネットからソネットにどう分けるかを変更する自由をこれまで以上に与える。さらに弱強四歩格で書くことは、ソネットで多く使われている弱強五歩格以上の強い動感をスタンザに与える。
ジョン・ストールワージー(en:Jon Stallworthy)の『The Nutcracker』(1987年)や、ヴィクラム・セート(en:Vikram Seth)の小説『The Golden Gate』(1986年、en:The Golden Gate (novel))はオネーギン・スタンザを全面的に使って書かれている。
自由詩の出現で、ソネットはいささか時代遅れに見られ、詩人の各派の中でも使用されなくなった。しかし、ウィルフレッド・オーエン、ジョン・ベリマン(en:John Berryman)、エドウィン・モーガン(en:Edwin Morgan)、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングス、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、パブロ・ネルーダ、ジョアン・ブロッサ(en:Joan Brossa)、ライナー・マリア・リルケ、シェイマス・ヒーニーといった多くの20世紀の詩人たちがこの詩形を使い続けている。アメリカ合衆国の新形式主義(en:New Formalism)運動も現代のソネットへの関心に貢献した。
近代日本では蒲原有明が初めて紹介したが、音韻体系が全く異なる日本語とはうまく合わず、立原道造らが行数を取り入れたにとどまる。その後は福永武彦らのマチネ・ポエティクが本格的な日本語ソネットの創作を試みたが、三好達治による厳しい批判を受け、日本語ソネットの試みは頓挫した。 | [
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"text": "ソネット(十四行詩、Sonnet)は、14行から成るヨーロッパの定型詩。ルネサンス期にイタリアで創始され、英語詩にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなった。",
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"text": "ソネットの形式には大きく3つのタイプがあり、それはイタリア風ソネット、イギリス風ソネット、スペンサー風ソネットである。イギリス風ソネットの中のウィリアム・シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれ、押韻構成は「ABAB CDCD EFEF GG」となる(「Shall I compare thee to a summer's day?」など)。",
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"text": "代表的なソネット作家には、ペトラルカ、シェイクスピア、ジョン・ミルトン、ウィリアム・ワーズワースなどがいる。",
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"text": "「sonnet」という用語はプロヴァンス語のsonetとイタリア語のsonettoに由来する。ともに「小さな歌」という意味である。13世紀には、それは厳格な押韻構成と特定の構造を持つ14行の詩を意味するようになった。ソネットに関する取り決めは歴史とともに進化した。ソネット作家のことをSonneteerと呼ぶことがあるが、それは嘲笑的に使うことができる。近現代のソネット作家たちは単純にsonnet writersと呼ばれることを選ぶ。ソネット作家で最も有名な人物は154篇のソネットを書いたウィリアム・シェイクスピアであろう。",
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"text": "伝統的に、英語詩では弱強五歩格を使ってソネットを書く。ロマンス諸語では、十一音節詩行とアレクサンドランが最も広く使われている韻律である。",
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"text": "イタリア風ソネット(Italian sonnet)またはペトラルカ風ソネット(Petrarchan sonnet)は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の回りに集ったシチリア派(en:Sicilian School)のジャコモ・ダ・レンティーニ(en:Giacomo da Lentini)とEtterによって発明された。グイットーネ・ダレッツォ(en:Guittone d'Arezzo)がそれを再発見し、トスカーナに持ち込んだ。グイットーネはトスカーナの言葉に合わせて変え、新シチリア派(1235年 - 1294年)を設立した。グイットーネはおよそ300篇のソネットを書いた。当時のイタリアの詩人では他に、ダンテ・アリギエーリ(1265年 - 1321年)、グイード・カヴァルカンティ(1255年頃 - 1300年)がソネットを書いた。しかし初期のソネット詩人で最も有名な人物はペトラルカである。",
"title": "イタリア風ソネット"
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"text": "イタリア風ソネットは2つの部分から成り立っている。前半部は八行連(2つの四行連)で問いを提起する。それに続く後半部は六行連(2つの三行連)で、答えを与える。典型的に、九行目は、問題提起から解答への移行を示す「ターン(volta)」となる。問題提起/解答の構造に厳格に従わないソネットでさえ、九行目は詩の口調、雰囲気、立場の移行を示す「ターン」であることが多い。",
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"text": "ジャコモ・ダ・レンティーニのソネットでは、八行連の押韻構成は「a-b-a-b, a-b-a-b」だったが、後には「a-b-b-a, a-b-b-a」となり、それがイタリア風ソネットの標準となった。六行連には、「c-d-e-c-d-e」か「c-d-c-c-d-c」の二つがあって、やがて、「c-d-c-d-c-d」という変化形も採用された。",
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"text": "英語詩のソネットを最初に書いたのは、サー・トマス・ワイアットとサリー伯ヘンリー・ハワードで、イタリアの押韻構成を用いた。同様にイタリア風ソネットを書いた詩人たちには、ジョン・ミルトン、トマス・グレイ、ウィリアム・ワーズワース、エリザベス・バレット・ブラウニングらがいる。18世紀初期のアメリカ合衆国の詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイもイタリア風ソネットを多く書いた。",
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"text": "16世紀初期にソネットをイングランドにもたらしたのはトーマス・ワイアットだった。ワイアットならびに同時代人のサリー伯のソネットは主としてイタリア語のペトラルカ、フランス語のピエール・ド・ロンサールの翻訳だった。ワイアットがソネットをイングランドに紹介している一方で、サリー伯は英語のソネットの特徴となる押韻構成、韻律、四行連への分割、などを行った。フィリップ・シドニーの『アストロフェルとステラ』(1591年)は、ソネット連作を大変流行させた。続く20年間に、シェイクスピア、エドマンド・スペンサー、マイケル・ドレイトン(en:Michael Drayton)、サミュエル・ダニエル(en:Samuel Daniel)、ブルック男爵フルク・グレヴィル(en:Fulke Greville, 1st Baron Brooke)、ウィリアム・ドラモンド・オブ・ホーソーンデン(en:William Drummond of Hawthornden)など多くの詩人たちがソネット連作を発表した。それらのソネットは基本的にペトラルカの伝統にインスパイアされていて、一般に詩人の女性への愛情を扱っていた。ただしシェイクスピアのソネット連作は例外だった。17世紀にはソネットは他のテーマのためにも書かれるようになり、たとえばジョン・ダンやジョージ・ハーバートは宗教的ソネットを、ジョン・ミルトンは瞑想的な詩としてソネットを使用した。シェイクスピアとペトラルカなどの押韻構成はこの時代を通して人気があった。",
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"text": "ソネットの流行は王政復古期には時代遅れになり、1670年からワーズワースの時代までソネットはほとんど書かれなくなった。ソネットが復活したのはフランス革命の時だった。ワーズワースは数篇のソネットを書き、その中でも最も有名なのが『The world is too much with us』(en:The world is too much with us)とミルトンに向けたソネットである。ワーズワースのソネットは基本的にミルトンのものを手本にしている。ジョン・キーツとパーシー・ビッシュ・シェリーもソネットを書いた。キーツのソネットは部分的にシェイクスピアにインスパイアされた公式かつ修辞的なパターンを用いた。一方シェリーはラディカルに革新し、『オジマンディアス』(en:Ozymandias)というソネットではシェリー独自の押韻構成(「ABABACDCEDEFEF」)を創造した。19世紀を通してソネットは書かれたが、エリザベス・バレット・ブラウニングの『Sonnets from the Portuguese』(en:Sonnets from the Portuguese)とダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのソネットの他には、成功した伝統的ソネットはあまりなかった。ジェラード・マンリ・ホプキンスも(しばしばスプラング・リズムで)ソネットを書いた。その中でも最良のものは『The Windhover』で、さらに10-1/2行のカータル・ソネット(後述)の『Pied Beauty』や、24行のコーデイト・ソネット(後述)の『That Nature is a Heraclitean Fire』などの変化形のソネットを書いた。19世紀の終わりになると、ソネットは柔軟性のある多目的形式に応用されるようになっていた。",
"title": "イギリス風ソネット"
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"text": "この柔軟性は、20世紀にさらに広げられた。モダニストの時代の詩人では、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングスがソネットを書いた。ウィリアム・バトラー・イェイツも半韻を用いたソネット『Leda and the Swan』(en:Leda and the Swan#In poetry)を書いた。ウィルフレッド・オーエンのソネット『死すべき定めの若者のための賛歌』(en:Anthem for Doomed Youth)も20世紀初期のソネットである。W・H・オーデンはその生涯を通じて2つのソネット連作と数篇のソネットを書いて、押韻構成の幅を相当に広げた。また、オーデンの『The Secret Agent』(1928年)は英語で書かれた最初の押韻されていないソネットである。半韻、韻のない、さらには韻律のないソネットが1950年以降とても人気になった。そのジャンルでおそらく最も知られているのは、シェイマス・ヒーニーの『Glanmore Sonnets』と『Clearances』(両方とも半韻を使っている)と、ジェフリー・ミル(en:Geoffrey Hill)の中期のソネット連作『An Apology for the Revival of Christian Architecture in England』であろう。しかし、1990年代は形式主義者が復活したようで、ここ10年ほどは伝統的なソネットがいくつか書かれている。",
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"text": "ところでイタリア風ソネットの導入後まもなく、イングランドの詩人たちは完全にネイティヴな形式への発展をしはじめた。その詩人たちとは、サー・フィリップ・シドニー、マイケル・ドレイトン、サミュエル・ダニエル、サリー伯の甥にあたるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアー、それにシェイクスピアなどである。この詩形はシェイクスピア風ソネットまたはシェイクスピア風十四行詩(Shakespearean sonnet)と呼ばれるが、シェイクスピアが最初にこの形式を作ったからではなく、シェイクスピアが有名な使い手だったからである。この詩形は3つの四行連と1つの二行連から成り立っている。三番目の四行連は一般に、予想できない急激なテーマの、あるいは、イマジスティックな「ターン(volta)」を提示する。一般的な押韻構成は「a-b-a-b, c-d-c-d, e-f-e-f, g-g」である。くわえて、弱強五歩格で書かれている。これは1行に10、もしくは11か9の音節があり、音節は1つおきにアクセントが弱く・強くなる(イアンボス参照)。ソネットは14行でなければならず、最後の2行は(例外があるかも知れないが)押韻された結末を持っている。シェイクスピアのソネットでは、二行連は普通詩のテーマを簡潔に述べるか、あるいは、そのテーマに新鮮な見方を提示する。",
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"text": "コーデイト・ソネット(caudate sonnet)はソネットの拡張ヴァージョン。ソネットの標準形式である14行の後に、コーダ(ラテン語:cauda、「尾」の意味)が続く。この名称はコーダから取られている。",
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"text": "この形式を発明したのはフランチェスコ・ベルニ(en:Francesco Berni)だと信じられている。『Princeton Encyclopedia of Poetry』によると、この形式は風刺にもっとも多く使われる。たとえば、ジョン・ミルトンの『On the New Forcers of Conscience Under the Long Parliament』がその顕著な例である。",
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"text": "ホプキンスはロバート・ブリッジス(en:Robert Bridges)との手紙のやりとりの中で、このようなコーダの可能性を探った。ブリッジスがこの形式のミルトンの例をホプキンスに教えた。目的はミルトンの風刺的使用とは異なるが、詩の終わりに安定を追加するコーダの効果は似通っている。",
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"text": "カータル・ソネット(curtal sonnet)は、ジェラード・マンリ・ホプキンスが発明した詩形で、ホプキンスは3つの詩でそれを使っている。",
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"text": "自由詩の出現で、ソネットはいささか時代遅れに見られ、詩人の各派の中でも使用されなくなった。しかし、ウィルフレッド・オーエン、ジョン・ベリマン(en:John Berryman)、エドウィン・モーガン(en:Edwin Morgan)、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングス、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、パブロ・ネルーダ、ジョアン・ブロッサ(en:Joan Brossa)、ライナー・マリア・リルケ、シェイマス・ヒーニーといった多くの20世紀の詩人たちがこの詩形を使い続けている。アメリカ合衆国の新形式主義(en:New Formalism)運動も現代のソネットへの関心に貢献した。",
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] | ソネット(十四行詩、Sonnet)は、14行から成るヨーロッパの定型詩。ルネサンス期にイタリアで創始され、英語詩にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなった。 ソネットの形式には大きく3つのタイプがあり、それはイタリア風ソネット、イギリス風ソネット、スペンサー風ソネットである。イギリス風ソネットの中のウィリアム・シェイクスピアが用いた形式はシェイクスピア風ソネット、シェークスピア風十四行詩と呼ばれ、押韻構成は「ABAB CDCD EFEF GG」となる。 代表的なソネット作家には、ペトラルカ、シェイクスピア、ジョン・ミルトン、ウィリアム・ワーズワースなどがいる。 | {{Otheruses|定型詩|その他|ソネット (曖昧さ回避)}}
'''ソネット'''('''十四行詩'''、'''Sonnet''')は、14行から成る[[ヨーロッパ]]の[[定型詩]]。[[ルネサンス]]期に[[イタリア]]で創始され、[[英語]][[詩]]にも取り入れられ、代表的な詩形のひとつとなった。
ソネットの形式には大きく3つのタイプがあり、それは'''イタリア風ソネット'''、'''イギリス風ソネット'''、'''[[スペンサー風ソネット]]'''である。イギリス風ソネットの中の[[ウィリアム・シェイクスピア]]が用いた形式は'''シェイクスピア風ソネット'''、'''シェークスピア風十四行詩'''と呼ばれ、[[押韻構成]]は「ABAB CDCD EFEF GG」となる(「Shall I compare thee to a summer's day?」など)。
代表的なソネット作家には、[[ペトラルカ]]、シェイクスピア、[[ジョン・ミルトン]]、[[ウィリアム・ワーズワース]]などがいる。
==概論==
「sonnet」という用語は[[プロヴァンス語]]の'''sonet'''と[[イタリア語]]の'''sonetto'''に由来する。ともに「小さな歌」という意味である。[[13世紀]]には、それは厳格な[[押韻構成]]と特定の構造を持つ14行の詩を意味するようになった。ソネットに関する取り決めは歴史とともに進化した。ソネット作家のことを'''Sonneteer'''と呼ぶことがあるが、それは嘲笑的に使うことができる。近現代のソネット作家たちは単純に'''sonnet writers'''と呼ばれることを選ぶ。ソネット作家で最も有名な人物は154篇のソネットを書いたウィリアム・シェイクスピアであろう。
伝統的に、英語詩では[[弱強五歩格]]を使ってソネットを書く。[[ロマンス諸語]]では、[[十一音節詩#Endecasillabo|十一音節詩行]]と[[アレクサンドラン]]が最も広く使われている[[韻律 (韻文)|韻律]]である。
==イタリア風ソネット==
'''イタリア風ソネット'''('''Italian sonnet''')または'''ペトラルカ風ソネット'''('''Petrarchan sonnet''')は、[[フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世]]の回りに集ったシチリア派([[:en:Sicilian School]])のジャコモ・ダ・レンティーニ([[:en:Giacomo da Lentini]])とEtterによって発明された<ref>Ernest Hatch Wilkins, ''The invention of the sonnet, and other studies in Italian literature'' (Rome: Edizioni di Storia e letteratura, 1959), 11-39</ref>。グイットーネ・ダレッツォ([[:en:Guittone d'Arezzo]])がそれを再発見し、[[トスカーナ州|トスカーナ]]に持ち込んだ。グイットーネはトスカーナの言葉に合わせて変え、新シチリア派([[1235年]] - [[1294年]])を設立した。グイットーネはおよそ300篇のソネットを書いた。当時のイタリアの詩人では他に、[[ダンテ・アリギエーリ]]([[1265年]] - [[1321年]])、[[グイード・カヴァルカンティ]]([[1255年]]頃 - [[1300年]])がソネットを書いた。しかし初期のソネット詩人で最も有名な人物はペトラルカである。
イタリア風ソネットは2つの部分から成り立っている。前半部は[[八行連]](2つの[[四行連]])で問いを提起する。それに続く後半部は[[六行連]](2つの[[三行連]])で、答えを与える。典型的に、九行目は、問題提起から解答への移行を示す「ターン(volta)」となる。問題提起/解答の構造に厳格に従わないソネットでさえ、九行目は詩の口調、雰囲気、立場の移行を示す「ターン」であることが多い。
ジャコモ・ダ・レンティーニのソネットでは、八行連の押韻構成は「a-b-a-b, a-b-a-b」だったが、後には「a-b-b-a, a-b-b-a」となり、それがイタリア風ソネットの標準となった。六行連には、「c-d-e-c-d-e」か「c-d-c-c-d-c」の二つがあって、やがて、「c-d-c-d-c-d」という変化形も採用された。
英語詩のソネットを最初に書いたのは、サー・[[トマス・ワイアット]]とサリー伯[[ヘンリー・ハワード (サリー伯)|ヘンリー・ハワード]]で、イタリアの押韻構成を用いた。同様にイタリア風ソネットを書いた詩人たちには、ジョン・ミルトン、[[トマス・グレイ]]、ウィリアム・ワーズワース、[[エリザベス・バレット・ブラウニング]]らがいる。18世紀初期の[[アメリカ合衆国]]の詩人[[エドナ・ミレイ|エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ]]もイタリア風ソネットを多く書いた。
:When I consider how my light is spent (a)
:Ere half my days, in this dark world and wide, (b)
:And that one talent which death to hide, (b)
:Lodged with me useless, though my soul more bent (a)
:To serve therewith my Maker, and present (a)
:My true account, lest he returning chide; (b)
:"Doth God exact day-labor, light denied?" (b)
:I fondly ask; but Patience to prevent (a)
:That murmur, soon replies, "God doth not need (c)
:Either man's work or his own gifts; who best (d)
:Bear his mile yoke, they serve him best. His state (e)
:Is Kingly. Thousands at his bidding speed (c)
:And post o'er land and ocean without rest; (d)
:They also serve who only stand and wait." (e)
: -- ジョン・ミルトン『On His Blindness』
==イギリス風ソネット==
16世紀初期にソネットをイングランドにもたらしたのはトーマス・ワイアットだった。ワイアットならびに同時代人の[[ヘンリー・ハワード (サリー伯)|サリー伯]]のソネットは主としてイタリア語のペトラルカ、フランス語の[[ピエール・ド・ロンサール]]の翻訳だった。ワイアットがソネットをイングランドに紹介している一方で、サリー伯は英語のソネットの特徴となる押韻構成、韻律、四行連への分割、などを行った。[[フィリップ・シドニー]]の『アストロフェルとステラ』([[1591年]])は、[[ソネット連作]]を大変流行させた。続く20年間に、シェイクスピア、[[エドマンド・スペンサー]]、[[マイケル・ドレイトン]]([[:en:Michael Drayton]])、[[サミュエル・ダニエル]]([[:en:Samuel Daniel]])、ブルック男爵フルク・グレヴィル([[:en:Fulke Greville, 1st Baron Brooke]])、ウィリアム・ドラモンド・オブ・ホーソーンデン([[:en:William Drummond of Hawthornden]])など多くの詩人たちがソネット連作を発表した。それらのソネットは基本的にペトラルカの伝統にインスパイアされていて、一般に詩人の女性への愛情を扱っていた。ただしシェイクスピアのソネット連作は例外だった。[[17世紀]]にはソネットは他のテーマのためにも書かれるようになり、たとえば[[ジョン・ダン]]や[[ジョージ・ハーバート]]は宗教的ソネットを、ジョン・ミルトンは瞑想的な詩としてソネットを使用した。シェイクスピアとペトラルカなどの押韻構成はこの時代を通して人気があった。
ソネットの流行は[[王政復古#イギリス(イングランドおよびスコットランド)|王政復古]]期には時代遅れになり、[[1670年]]からワーズワースの時代までソネットはほとんど書かれなくなった。ソネットが復活したのは[[フランス革命]]の時だった。ワーズワースは数篇のソネットを書き、その中でも最も有名なのが『The world is too much with us』([[:en:The world is too much with us]])とミルトンに向けたソネットである。ワーズワースのソネットは基本的にミルトンのものを手本にしている。[[ジョン・キーツ]]と[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]もソネットを書いた。キーツのソネットは部分的にシェイクスピアにインスパイアされた公式かつ修辞的なパターンを用いた。一方シェリーはラディカルに革新し、『オジマンディアス』([[:en:Ozymandias]])というソネットではシェリー独自の押韻構成(「ABABACDCEDEFEF」)を創造した。[[19世紀]]を通してソネットは書かれたが、エリザベス・バレット・ブラウニングの『Sonnets from the Portuguese』([[:en:Sonnets from the Portuguese]])と[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]のソネットの他には、成功した伝統的ソネットはあまりなかった。[[ジェラード・マンリ・ホプキンス]]も(しばしば[[スプラング・リズム]]で)ソネットを書いた。その中でも最良のものは『The Windhover』で、さらに10-1/2行の'''カータル・ソネット'''(後述)の『Pied Beauty』や、24行の'''コーデイト・ソネット'''(後述)の『That Nature is a Heraclitean Fire』などの変化形のソネットを書いた。19世紀の終わりになると、ソネットは柔軟性のある多目的形式に応用されるようになっていた。
この柔軟性は、[[20世紀]]にさらに広げられた。モダニストの時代の詩人では、[[ロバート・フロスト]]、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、[[E・E・カミングス]]がソネットを書いた。[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]も[[半韻]]を用いたソネット『Leda and the Swan』([[:en:Leda and the Swan#In poetry]])を書いた。[[ウィルフレッド・オーエン]]のソネット『死すべき定めの若者のための賛歌』([[:en:Anthem for Doomed Youth]])も20世紀初期のソネットである。[[W・H・オーデン]]はその生涯を通じて2つのソネット連作と数篇のソネットを書いて、押韻構成の幅を相当に広げた。また、オーデンの『The Secret Agent』([[1928年]])は英語で書かれた最初の押韻されていないソネットである。半韻、韻のない、さらには韻律のないソネットが[[1950年]]以降とても人気になった。そのジャンルでおそらく最も知られているのは、[[シェイマス・ヒーニー]]の『Glanmore Sonnets』と『Clearances』(両方とも半韻を使っている)と、ジェフリー・ミル([[:en:Geoffrey Hill]])の中期のソネット連作『An Apology for the Revival of Christian Architecture in England』であろう。しかし、1990年代は形式主義者が復活したようで、ここ10年ほどは伝統的なソネットがいくつか書かれている。
===シェイクスピア風ソネット===
ところでイタリア風ソネットの導入後まもなく、イングランドの詩人たちは完全にネイティヴな形式への発展をしはじめた。その詩人たちとは、サー・フィリップ・シドニー、マイケル・ドレイトン、サミュエル・ダニエル、[[ヘンリー・ハワード (サリー伯)|サリー伯]]の甥にあたるオックスフォード伯[[エドワード・ド・ヴィアー (第17代オックスフォード伯)|エドワード・ド・ヴィアー]]、それにシェイクスピアなどである。この詩形は'''シェイクスピア風ソネット'''または'''シェイクスピア風十四行詩'''('''Shakespearean sonnet''')と呼ばれるが、シェイクスピアが最初にこの形式を作ったからではなく、シェイクスピアが有名な使い手だったからである。この詩形は3つの四行連と1つの二行連から成り立っている。三番目の四行連は一般に、予想できない急激なテーマの、あるいは、イマジスティックな「ターン(volta)」を提示する。一般的な押韻構成は「a-b-a-b, c-d-c-d, e-f-e-f, g-g」である。くわえて、弱強五歩格で書かれている。これは1行に10、もしくは11か9の音節があり、音節は1つおきにアクセントが弱く・強くなる([[イアンボス]]参照)。ソネットは14行でなければならず、最後の2行は(例外があるかも知れないが)押韻された結末を持っている。シェイクスピアのソネットでは、二行連は普通詩のテーマを簡潔に述べるか、あるいは、そのテーマに新鮮な見方を提示する。
:Let me not to the marriage of true minds (a)
:Admit impediments, love is not love (b)
:Which alters when it alteration finds, (a)
:Or bends with the remover to remove. (b)
:O no, it is an ever fixed mark (c)
:That looks on tempests and is never shaken; (d)
:It is the star to every wand'ring bark, (c)
:Whose worth's unknown although his height be taken. (d)
:Love's not time's fool, though rosy lips and cheeks (e)
:Within his bending sickle's compass come, (f)
:Love alters not with his brief hours and weeks, (e)
:But bears it out even to the edge of doom: (f)
:If this be error and upon me proved, (g)
:I never writ, nor no man ever loved. (g)
: -- シェイクスピア『[[ソネット集]]』116番
==スペンサー風ソネット==
{{リンクのみの節|date=2023年4月16日 (日) 04:26 (UTC)}}
{{Main|スペンサー風ソネット}}
==ソネットの変化形==
===コーデイト・ソネット===
{{wikisourcelang|en|That Nature is a Heraclitean Fire and of the comfort of the Resurrection}}
'''コーデイト・ソネット'''('''caudate sonnet''')はソネットの拡張ヴァージョン。ソネットの標準形式である14行の後に、[[コーダ (音楽)|コーダ]]([[ラテン語]]:cauda、「尾」の意味)が続く。この名称はコーダから取られている。
この形式を発明したのはフランチェスコ・ベルニ([[:en:Francesco Berni]])だと信じられている。『Princeton Encyclopedia of Poetry』によると、この形式は[[風刺]]にもっとも多く使われる。たとえば、ジョン・ミルトンの『On the New Forcers of Conscience Under the Long Parliament』がその顕著な例である<ref>"Caudate sonnet," ''The New Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics.'' Ed. Alex Preminger and T.V.F. Brogan. Princeton UP, 1993.</ref>。
ジェラード・マンリ・ホプキンスは『That Nature is a Heraclitean Fire』でこの形式を使ったが、風刺的な雰囲気は少なかった<ref>See the introduction and notes to "Heraclitean Fire" in ''The Poems of Gerard Manley Hopkins'', 4th edition, ed. W.H. Gardner and N.H. Mackenzie (Oxford UP, 1967).</ref>。この詩はホプキンスがソネット形式のヴァリエーションを実験した多くのものの1つである。しかし、curtal sonnetと違って、ホプキンスのコーデイト・ソネットはコーダ部分の6行が追加されている他は従来のソネット形式を変えてはいない。ホプキンスは14行目と15行目を[[句またがり]]にすることで、拡張の効果を引き立たせた。
ホプキンスはロバート・ブリッジス([[:en:Robert Bridges]])との手紙のやりとりの中で、このようなコーダの可能性を探った。ブリッジスがこの形式のミルトンの例をホプキンスに教えた<ref>Jennifer A. Wagner, "The Allegory of Form in Hopkins's Religious Sonnets," ''Nineteenth-Century Literature'', Vol. 47, No. 1. (Jun., 1992), 44-45.</ref>。目的はミルトンの風刺的使用とは異なるが、詩の終わりに安定を追加するコーダの効果は似通っている<ref>See Wagner (45), who quotes [[:en:Barbara Herrnstein Smith]] on the effect of the form.</ref>。
===カータル・ソネット===
'''カータル・ソネット'''('''curtal sonnet''')は、ジェラード・マンリ・ホプキンスが発明した詩形で、ホプキンスは3つの詩でそれを使っている。
カータル・ソネットは11行、正確には10 1/2行から成るソネットである。イタリア風ソネット(ペトラルカ風ソネット)を、そのままの比率で、厳密に3/4に圧縮している。従来のソネットの前半の八行連はカータル・ソネットでは六行連に、従来の後半の六行連部は四行連プラス1/2行の「tail piece」に変換される。ホプキンスは最終行を1/2行と言ったが、実際にはホプキンスお得意のスプラング・ライン行の半分よりも短いかも知れない。『Poems』(1876年 - 1889年)の序文で、ホプキンスはイタリア風ソネットとカータル・ソネットの関係を数学的に表した。もし、イタリア風ソネットが、8+6=14としたら、次のようになる<ref>Hopkins, Gerard Manley. ''The Poems of Gerard Manley Hopkins,'' 4th edition. Ed. W.H. Gardner and N.H. Mackenzie. Oxford UP, 1967.</ref>。
:<math>{12\over2}+{9\over2}={21\over2}=10{1\over2}</math>
ホプキンスがこの詩形で作った詩は、『Pied Beauty』、『Peace』、『Ash Boughs』である。
{|
|
:Glory be to God for dappled things—
::For skies of couple-colour as a brinded cow;
:::For rose-moles all in stipple upon trout that swim;
:Fresh-firecoal chestnut-falls; finches' wings;
::Landscape plotted and pieced—fold, fallow, and plough;
:::And áll trádes, their gear and tackle and trim.
|
<math>{12\over2}=6</math>
|-
|
:All things counter, original, spare, strange;
::Whatever is fickle, freckled (who knows how?)
:::With swift, slow; sweet, sour; adazzle, dim;
:He fathers-forth whose beauty is past change:
:::::::Praise him.
|
<math>{9\over2}=4{1\over2}</math>
|}
: -- 『Pied Beauty』(数字の部分はイタリア風ソネットの比例を示すもので、元々の詩にはない)
[[文芸評論]]家たちは一般的にカータル・ソネットを、ホプキンスが信じていたほど、ソネット形式の解釈としての新しい詩形ではないと考えている。エリザベス・W・シュナイダーは、カータル・ソネットはすべてのソネットの数学的比率に対するホプキンスの真剣な興味を表していると述べている<ref>Elisabeth W. Schneider, "The Wreck of the Deutschland: A New Reading," ''PMLA,'' Vol. 81, No. 1. (Mar., 1966), pp. 110-122.</ref>。ロイス・ピッチフォードはホプキンスの3つの詩に対して徹底的な分析を行っている<ref>Pitchford, "The Curtal Sonnets of Gerard Manley Hopkins." ''Modern Language Notes,'' Vol. 67, No. 3. (Mar., 1952), pp. 165-169.</ref>。以降、カータル・ソネットは時々使われたこともあったが、もっぱら目新しさからで、ホプキンスの真面目な使い方とは対照的である。
===crown of sonnets===
'''crown of sonnets'''または'''sonnet corona'''は、連続するソネットで、通常、単一のテーマに関係する/あるいはしない特定の人物に宛てられる。
各々のソネットはテーマのある面を探り、前のソネットの最後の行と、後のソネットの最初の行を繰り返すことでリンクさせる。さらに、最後のソネットの最後の行が最初のソネットの最初の行に繰り返されることで、全体で円環を成す。ソネットは全部で7つから成っている。
有名な例はジョン・ダンの『冠(La Corona)』<ref>[http://www.luminarium.org/sevenlit/donne/lacorona.htm "La Corona" at luminarium.org]</ref>で、この形式の名称はその詩の題名に由来している。他には、レディー・メアリー・ロース([[:en:Lady Mary Wroth]])の『A Crown of Sonnets Dedicated to Love』もある。
crown of sonnetsのより進歩した形式は'''sonnet redoublé'''または'''heroic crown'''と呼ばれ、15のソネットから成る。ソネット間のリンクは上記と同じだが、最後のソネットは直前のソネットの最終行を最初の行で繰り返した後に、他のソネットの最初の行を順番に並べた結合ソネットとなっている。[[ヤロスラフ・サイフェルト]]は[[プラハ]]について書いた感傷的なソネット『Věnec sonetů』でこの形式を使った<ref>[http://kresadlo.cz/seifert.htm a Wreath of Sonnets]。Jan Křesadlo([[:en:Jan Křesadlo]])Eva Stuckeによる英語訳。</ref>。マリリン・ネルソンの児童書『A Wreath for Emmett Till』(2005年)も同じ形式で書かれている<ref>http://www.teachingk-8.com/archives/author_interview/_marilyn_nelson_poetic_justice_by_katherine_pierpont_senior_editor.html</ref>。他にも、マリリン・ハッカー([[:en:Marilyn Hacker]])、Linda Beirds、Andrea Carter Brown、Robert Darling、Moira Egan、Jenny Factor、アンドレイ・クリロフ([[:en:Andrei Krylov (musician)]])、Julie Fay、Marie Ponsot、Marilyn Taylor、Kathrine Varnesなどが近年出版している。
===オネーギン・スタンザ===
'''オネーギン・スタンザ'''、'''オネーギン連'''('''Onegin stanza''')または'''Pushkin sonnet'''<ref>[http://www.thepoetsgarret.com/sonnet/pushkin.html]</ref>は、[[アレクサンドル・プーシキン]]が『[[エヴゲーニイ・オネーギン]]』で発明した[[詩形]]。『エヴゲーニイ・オネーギン』は[[小説]]だが、[[弱強四歩格]]の韻文で(ほとんど)書かれている。[[押韻構成]]は「aBaBccDDeFFeGG」で、小文字の部分は[[女性韻]]、大文字の部分は[[男性韻]]を示している。
イタリア風ソネット(ペトラルカ風ソネット)やシェイクスピア風ソネットのような伝統的詩形と違って、オネーギン・スタンザは四行連や二行連に細かくはっきりと分けることはできない。分割の方法はさまざまである。たとえば最初の4行は、四行連になることもあれば、続く2行を合わせて六行連になることもある。この柔軟性は作者に、決まった押韻構成によりもたらされる統一感を維持しつつも、意味上のセクションをソネットからソネットにどう分けるかを変更する自由をこれまで以上に与える。さらに弱強四歩格で書くことは、ソネットで多く使われている弱強五歩格以上の強い動感をスタンザに与える。
ジョン・ストールワージー([[:en:Jon Stallworthy]])の『The Nutcracker』([[1987年]])や、[[ヴィクラム・セート]]([[:en:Vikram Seth]])の小説『The Golden Gate』([[1986年]]、[[:en:The Golden Gate (novel)]])はオネーギン・スタンザを全面的に使って書かれている。<!--以下「要出典」が含まれるので省略します-->
==現代のソネット==
[[自由詩]]の出現で、ソネットはいささか時代遅れに見られ、詩人の各派の中でも使用されなくなった。しかし、ウィルフレッド・オーエン、[[ジョン・ベリマン]]([[:en:John Berryman]])、エドウィン・モーガン([[:en:Edwin Morgan]])、ロバート・フロスト、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、E・E・カミングス、[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]、[[パブロ・ネルーダ]]、[[ジョアン・ブロッサ]]([[:en:Joan Brossa]])、[[ライナー・マリア・リルケ]]、シェイマス・ヒーニーといった多くの20世紀の詩人たちがこの詩形を使い続けている。アメリカ合衆国の新形式主義([[:en:New Formalism]])運動も現代のソネットへの関心に貢献した。
近代[[日本]]では[[蒲原有明]]が初めて紹介したが、音韻体系が全く異なる[[日本語]]とはうまく合わず、[[立原道造]]らが行数を取り入れたにとどまる。その後は[[福永武彦]]らの[[マチネ・ポエティク]]が本格的な日本語ソネットの創作を試みたが、[[三好達治]]による厳しい批判を受け、日本語ソネットの試みは頓挫した。
==脚注==
{{Reflist}}
==関連項目==
*fourteener([[:en:Fourteener (poetry)]])
*Quatorzain([[:en:Quatorzain]])
*Sonnet cycle([[:en:Sonnet cycle]])
==外部リンク==
*[http://csonnet.com/ Contemporary Sonnet]
*[http://www.sonnets.org/ Sonnets.org]
*[http://www.poetrylifeandtimes.com/valrevw24.html Selective Historical Bibliography on the Sonnet]
*[http://www.nosweatshakespeare.com/sonnets.htm Shakespeare's sonnets in modern English]
*[http://www.sonnets.org/petrarch.htm Some English Translations of Petrarch]
*[http://www.elook.org/literature/shakespeare/poems/ Shakespeare Sonnets – searchable database]
===コーデイト・ソネット===
*[http://www.dartmouth.edu/~milton/reading_room/conscience/index.shtml Text of Milton's "On the New Forces of Conscience"]
===crown of sonnets===
* [http://www.volecentral.co.uk/vf/sonnet.htm#corona%20of%20sonnets Corona of sonnets] described on [http://www.volecentral.co.uk/vf/index.htm Guide to Verse forms]
* A sonnet redoublé [http://kresadlo.cz/ozenach.htm On Women] by Jan Křesadlo
* [http://www.ladymondegreen.com/batya/thegift.html The Gift] a sonnet redoublé by Seanan McGuire and Batya Wittenberg
* A collaborative sonnet crown [http://www.zinkville.com/zinkzine/ZinkZine9/WhatLips.htm What Lips]
===オネーギン・スタンザ===
*[http://www.tetrameter.com Tetrameter.com] A website featuring work written in tetrameter by various poets
**[http://www.tetrameter.com/nabokov.htm On Translating Eugene Onegin] [[ウラジーミル・ナボコフ]]がオネーギン・スタンザで書いた詩(英語)
**[http://www.tetrameter.com/seth.htm Selections from The Golden Gate]
==参考文献・図書案内==
*I. Bell, et al. ''A Companion to Shakespeare's Sonnets''. Blackwell Pub., 2006. ISBN 1405121556.
*T. W. H. Crosland. ''The English Sonnet''. Hesperides Press, 2006. ISBN 1406796913.
*J. Fuller. ''The Oxford Book of Sonnets''. Oxford Univ. Press, 2002. ISBN 0192803891.
*J. Fuller. ''The Sonnet.'' (The Critical Idiom: #26). Methuen & Co., 1972. ISBN 0416656900.
*J. Hollander. ''Sonnets: From Dante to the Present''. Everyman's Library, 2001. ISBN 0375411771.
*P. Levin. ''The Penguin Book of the Sonnet: 500 Years of a Classic Tradition in English''. Penguin, 2001. ISBN 0140589295.
*J. Phelan. ''The Nineteenth Century Sonnet''. Palgrave-Macmillan, 2005. ISBN 1403938040.
*S. Regan. ''The Sonnet''. Oxford Univ. Press, 2006. ISBN 0192893076.
*M. R. G. Spiller. ''The Development of the Sonnet: An Introduction''. Routledge, 1992. ISBN 0415087414.
*M. R. G. Spiller. ''The Sonnet Sequence: A Study of Its Strategies''. Twayne Pub., 1997. ISBN 0805709703.
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[[Category:イタリア語の語句]]
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7,971 | ほとんど自由な電子 | ほとんど自由な電子(ほとんどじゆうなでんし、英: nearly-free electron、NFE)とは、金属中の電子のバンド構造を考えるときに用いられる近似法の一種である。自由電子に対し、非常に弱い周期的なポテンシャルによる摂動を考える。この近似法は典型金属元素によくあてはまる。これと対照的な近似法に強束縛近似がある。
周期的なポテンシャルをU(r)として、ほとんど自由な電子の固有値(固有エネルギー)E(k)は、Uを摂動と考えると、
である(Vは系の体積)。一次摂動エネルギーの項は、
であり、二次摂動エネルギーの項の⟨k+q|U|k⟩は同様にして、
である(ポテンシャルの周期性から、q = Kn:Knは逆格子点)。以上から、固有値E(k)は次のように書き直せる。
Eは自由電子での固有値。
上式の右辺第三項の分母部分がゼロになる場合、つまりE(k)=E(k+Kn)となる場合(縮退)は、そのままでは第三項は非常に大きな寄与となり摂動項としての意味がなくなる。
縮退が起こるのは、k-|k+Kn|=0の時(ブラッグの反射条件に相当)で、これは|k|≒|k+Kn|→Kn=0, Kn = -Knから、以下の方程式(行列式となる)を得る。
cは固有関数に関しての係数で、更に、
である。これを解くと、
となる。更に、E1≒E2とすると、
解1: E ( k ) = E 1 + u ( K n ) {\displaystyle E({\boldsymbol {k}})=E_{1}+u({\boldsymbol {K}}_{n})}
解2: E ( k ) = E 1 − u ( K n ) {\displaystyle E({\boldsymbol {k}})=E_{1}-u({\boldsymbol {K}}_{n})}
を得る。これは、 | k | = | k + K n | {\displaystyle |{\boldsymbol {k}}|=|{\boldsymbol {k}}+{\boldsymbol {K}}_{n}|} (ブリュアンゾーンを構成する多面体の表面に相当)においての縮退が解けて、2u(Kn)のギャップが開くことを意味している。
NFE近似は、平面波による展開が非常に収束が悪いため、実際の計算においてあまり役に立たないことも多い。この困難を避ける方法として直交化された平面波 (OPW) 法などがある。 | [
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}
] | ほとんど自由な電子とは、金属中の電子のバンド構造を考えるときに用いられる近似法の一種である。自由電子に対し、非常に弱い周期的なポテンシャルによる摂動を考える。この近似法は典型金属元素によくあてはまる。これと対照的な近似法に強束縛近似がある。 | {{出典の明記|date=2015年7月}}
{{電子構造論}}
'''ほとんど自由な電子'''(ほとんどじゆうなでんし、{{lang-en-short|nearly-free electron}}、NFE)とは、[[金属]]中の[[電子]]の[[バンド構造]]を考えるときに用いられる[[近似]]法の一種である。[[自由電子]]に対し、非常に弱い周期的な[[ポテンシャル]]による[[摂動]]を考える。この近似法は[[典型元素|典型金属元素]]によくあてはまる。これと対照的な近似法に[[強結合近似|強束縛近似]]がある。
== 詳細 ==
周期的なポテンシャルを''U''('''''r''''')として、ほとんど自由な電子の[[固有値]](固有エネルギー)''E''('''''k''''')は、''U''を[[摂動]]と考えると、
:<math> E(\boldsymbol{k}) = \frac{\hbar^2 k^2}{2m} + \langle \boldsymbol{k} | U | \boldsymbol{k} \rangle + \sum_{\boldsymbol{q}} \frac{\langle \boldsymbol{k} + \boldsymbol{q} | U | \boldsymbol{k} \rangle \langle \boldsymbol{k} | U | \boldsymbol{k} + \boldsymbol{q} \rangle}{(\hbar^2/2m) (k^2 - | \boldsymbol{k} + \boldsymbol{q} |^2)} </math>
:となる。上式右辺第一項は、[[自由電子]]の固有値、第二項は一次の摂動エネルギー、第三項が二次の摂動エネルギーである。ここで|'''''k'''''⟩, ⟨'''''k'''''|は、自由電子での[[固有関数]](波動関数)で、
:<math> | \boldsymbol{k} \rangle = \frac{1}{{V}^{1/2}} e^{i \boldsymbol{k} \cdot \boldsymbol{r} }, \quad
\langle \boldsymbol{k} | = \frac{1}{V^{1/2}} e^{-i \boldsymbol{k} \cdot \boldsymbol{r} } </math>
である(''V''は系の体積)。一次摂動エネルギーの項は、
:<math> \langle \boldsymbol{k} | U | \boldsymbol{k} \rangle = \frac{1}{V} \int e^{-i \boldsymbol{k} \cdot \boldsymbol{r}} U(\boldsymbol{r}) e ^{i \boldsymbol{k} \cdot \boldsymbol{r}} d \boldsymbol{r} = u(\boldsymbol{q} = 0) = u(0) </math>
であり、二次摂動エネルギーの項の⟨'''''k'''''+'''''q'''''|U|'''''k'''''⟩は同様にして、
:<math> \langle\boldsymbol{k} + \boldsymbol{q}|U|\boldsymbol{k}\rangle \langle\boldsymbol{k}|U|\boldsymbol{k}+\boldsymbol{q}\rangle = |u(\boldsymbol{K}_n)|^2 </math>
である(ポテンシャルの周期性から、'''''q''''' = '''''K'''<sub>n</sub>'':'''''K'''<sub>n</sub>''は逆格子点)。以上から、固有値''E''('''''k''''')は次のように書き直せる。
:<math> E(\boldsymbol{k}) = \frac{\hbar^2 k^2}{2m} + u(0) + \sum_{\boldsymbol{K}_n \neq 0} \frac{|u(\boldsymbol{K}_n)|^2}{ E^{(0)}(\boldsymbol{k}) - E^{(0)}(\boldsymbol{k} + \boldsymbol{K}_n) } </math>
''E''<sup>(0)</sup>は自由電子での固有値。
=== 縮退のある場合 ===
上式の右辺第三項の分母部分がゼロになる場合、つまり''E''<sup>(0)</sup>('''''k''''')=''E''<sup>(0)</sup>('''''k'''''+'''''K'''<sub>n</sub>'')となる場合([[縮退]])は、そのままでは第三項は非常に大きな寄与となり摂動項としての意味がなくなる。
縮退が起こるのは、''k''<sup>2</sup>-|'''''k'''''+'''''K'''<sub>n</sub>''|<sup>2</sup>=0の時([[ブラッグの反射条件]]に相当)で、これは|'''''k'''''|≒|'''''k'''''+'''''K'''<sub>n</sub>''|→'''''K'''<sub>n</sub>''=0, '''''K'''<sub>n</sub>'' = -'''''K'''<sub>n</sub>''から、以下の方程式(行列式となる)を得る。
:<math>\begin{align}
(E(\boldsymbol{k}) - E_1(\boldsymbol{k})c(0) - u(\boldsymbol{K}_n)c(-\boldsymbol{K}_n) = 0 \\
- u(-\boldsymbol{K}_n)c(0) + (E(\boldsymbol{k}) - E_2(\boldsymbol{k})c(-\boldsymbol{K}_n) = 0
\end{align}</math>
''c''は固有関数に関しての係数で、更に、
:<math> E_1 = E_1(\boldsymbol{k}) = { {\hbar^2 k^2} \over {2m} } \qquad E_2 = E_2(\boldsymbol{k}) = { \hbar^2 \over {2m} } |\boldsymbol{k} - \boldsymbol{K}_n|^2 </math>
である。これを解くと、
:<math> E(\boldsymbol{k}) = \frac{1}{2} (E_1 + E_2) \pm \frac{1}{2} \left[ 4 | u(\boldsymbol{K}_n) |^2 - (E_1 - E_2)^2 \right]^{1/2} </math>
となる。更に、''E''<sub>1</sub>≒''E''<sub>2</sub>とすると、
解1: <math> E(\boldsymbol{k}) = E_1 + u(\boldsymbol{K}_n) </math>
解2: <math> E(\boldsymbol{k}) = E_1 - u(\boldsymbol{K}_n) </math>
を得る。これは、<math>|\boldsymbol{k}|=|\boldsymbol{k}+\boldsymbol{K}_n|</math>([[ブリュアンゾーン]]を構成する多面体の表面に相当)においての縮退が解けて、2''u''('''''K'''<sub>n</sub>'')のギャップが開くことを意味している。
== 問題点 ==
NFE近似は、平面波による展開が非常に収束が悪いため、実際の計算においてあまり役に立たないことも多い。この困難を避ける方法として[[直交化された平面波]] (OPW) 法などがある。
== 関連項目 ==
*[[物理学]]
*[[量子力学]]
*[[物性物理学]]
{{Atomic models}}
{{DEFAULTSORT:ほとんとしゆうなてんし}}
[[Category:量子力学]]
[[Category:バンド計算]]
[[Category:電子]]
[[Category:電子状態]] | null | 2017-05-05T04:05:19Z | false | false | false | [
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"Template:電子構造論",
"Template:Lang-en-short",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A9%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AA%E9%9B%BB%E5%AD%90 |
7,973 | ギリシア悲劇 | ギリシア悲劇(ギリシアひげき、古代ギリシャ語: τραγῳδία, tragōidia、トラゴーイディア)は、古代ギリシアで、アテナイのディオニューシア祭において上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。
ギリシア悲劇を意味する「トラゴーイディア」(τραγῳδία)は、「山羊」(ディオニューソスの象徴の1つ)を意味する「トラゴス」(τράγος tragos)と、「歌(頌歌)」を意味する「オーイデー」(ᾠδή ōidē)の合成語であり、「山羊の歌」の意味。英語の tragedy 等も、この語に由来する。
アリストテレスによれば、ギリシア悲劇はディオニューソスに捧げるディテュランボス(酒神讃歌)のコロス(合唱隊)と、その音頭取りのやり取りが発展して成立したものだという。
アテナイにおける悲劇の上演は競演の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇(三部作、トリロギア)と一つのサテュロス劇をひとまとめにして上演する必要があった。現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスのオレステイア三部作のみである。 いずれにしても、題材はギリシア神話やそれに類するものから取られる。聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていた。
最も有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスである。プラトンも最初は悲劇詩人を目指していた。古代ギリシアの喜劇詩人アリストパネスは、その作品「蛙」の中で三大詩人の批評をやって見せている。
ギリシア悲劇のほとんどは散逸しており、現存するのは
等のみである。
この現存作品32篇(+1篇)を、内容ごとに分類すると、以下のようになる。
悲劇は仮面をつけた俳優と舞踊合唱隊(コロス)の掛け合いによって進行する。コロスの登場する舞台をオルケストラといい、劇場は円形のオルケストラを底とする、すり鉢状の形を取った。現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構はエピダウロスに見られる。俳優は最初はひとりであったが、アイスキュロスが2人に増やした。これによってドラマチックな演出が可能となり、舞台芸能として大きく進歩したと言われる。その後にエウリピデスがもう1人増やして三人となった。
但し、ここで言うところの俳優とは台詞のある役を演ずる者のことである。実際には「黙役(だんまり役)」と言う台詞の無い役を演ずる俳優がそれ以外に登場することがある。また、当時既に子役俳優も存在したが、やはり「黙役」である。子供の役であっても台詞がある場合には大人の俳優がそれを演じる。
古代における悲劇論では、アリストテレスの『詩学』が、根本文献である。
近代でギリシア悲劇の成立について記した文献に、フリードリヒ・ニーチェの初期代表作『音楽の精髄からの悲劇の誕生 (悲劇の誕生)』があるが、ニーチェ自身の思想表明が多大で、文献学研究的には、発刊当時も今日もほぼ支持されていない。
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] | ギリシア悲劇は、古代ギリシアで、アテナイのディオニューシア祭において上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。 | {{Greek mythology}}
'''ギリシア悲劇'''(ギリシアひげき、{{翻字併記|grc|τραγῳδία|tragōidia|n}}、'''トラゴーイディア''')は、[[古代ギリシア]]で、[[アテナイ]]の[[ディオニューシア祭]]において上演されていた[[悲劇]]またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては[[古典古代]]および[[ルネサンス]]以降、詩文芸の範例とみなされる。
== 概要 ==
ギリシア悲劇を意味する「トラゴーイディア」({{lang|grc|τραγῳδία}})は、「[[山羊]]」([[ディオニューソス]]の象徴の1つ)を意味する「トラゴス」({{lang|grc|τράγος|tragos}})と、「歌([[頌歌]])」を意味する「オーイデー」({{lang|grc|ᾠδή|ōidē|n}})の合成語であり、「山羊の歌」の意味。英語の {{En|tragedy}} 等も、この語に由来する。
[[アリストテレス]]によれば、ギリシア悲劇は[[ディオニューソス]]に捧げる[[ディテュランボス]](酒神讃歌)の[[コロス]](合唱隊)と、その音頭取りのやり取りが発展して成立したものだという<ref>『[[詩学]]』第4章</ref>。
アテナイにおける悲劇の上演は競演の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇([[三部作]]、トリロギア)と一つの[[サテュロス劇]]をひとまとめにして上演する必要があった。現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、[[アイスキュロス]]の[[オレステイア]]三部作のみである。
いずれにしても、題材は[[ギリシア神話]]やそれに類するものから取られる。聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていた。
== 人物・作品 ==
=== 三大悲劇詩人 ===
最も有名な悲劇詩人は、'''三大悲劇詩人'''として知られているアテナイの[[アイスキュロス]]、[[ソポクレス]]、[[エウリピデス]]である。[[プラトン]]も最初は悲劇詩人を目指していた。[[古代ギリシア]]の喜劇詩人[[アリストパネス]]は、その作品「[[蛙 (喜劇)|蛙]]」の中で三大詩人の批評をやって見せている。
=== 現存作品 ===
ギリシア悲劇のほとんどは散逸しており、現存するのは
*[[アイスキュロス]]の作品中、7篇
*[[ソポクレス]]の作品中、7篇
*[[エウリピデス]]の作品中、18篇(+[[サテュロス劇]]『[[キュクロプス (エウリピデス)|キュクロプス]]』1篇)
等のみである。
=== 分類 ===
この現存作品32篇(+1篇)を、内容ごとに分類すると、以下のようになる。
*[[叙事詩環|トロイア圏]]・[[アガメムノーン]]・[[オデュッセウス]]関連 --- 15篇(+1篇)
**'''[[オレステイア]]'''
***[[アガメムノーン (アイスキュロス)|アガメムノーン]]
***[[コエーポロイ|供養する女たち]]
***[[エウメニデス (アイスキュロス)|慈しみの女神たち]]
**[[アイアース (ソポクレス)|アイアース]]
**[[エレクトラ (ソポクレス)|エレクトラ]](ソポクレス)
**[[ピロクテテス (ソポクレス)|ピロクテテス]]
**[[アンドロマケ (エウリピデス)|アンドロマケ]]
**[[ヘカベ (エウリピデス)|ヘカベ]]
**[[トロイアの女]]
**[[エレクトラ (エウリピデス)|エレクトラ]](エウリピデス)
**[[タウリケのイピゲネイア]]
**[[ヘレネ (エウリピデス)|ヘレネ]]
**[[オレステス (エウリピデス)|オレステス]]
**[[アウリスのイピゲネイア]]
**[[レソス (エウリピデス)|レソス]]
**([[キュクロプス (エウリピデス)|キュクロプス]]([[サテュロス劇]]))
*[[テーバイ圏]]・[[オイディプース]]関連 --- 7篇
**[[テーバイ攻めの七将]]
**[[アンティゴネ_(ソポクレス)|アンティゴネ]]
**[[オイディプス王]]
**[[コロノスのオイディプス]]
**[[救いを求める女たち (エウリピデス)|救いを求める女たち]](エウリピデス)
**[[フェニキアの女たち]]
**[[バッコスの信女]]
*[[ヘラクレス]]関連 --- 4篇
**[[トラキスの女たち]]
**[[アルケスティス (ギリシア悲劇)|アルケスティス]]
**[[ヘラクレスの子供たち]]
**[[ヘラクレス (エウリピデス)|ヘラクレス]]
*その他 --- 6篇
**[[ペルシア人_(アイスキュロス)|ペルシア人]]
**[[救いを求める女たち_(アイスキュロス)|救いを求める女たち]](アイスキュロス)
**[[縛られたプロメテウス]]
**[[メディア (ギリシア悲劇)|メデイア]]
**[[ヒッポリュトス (エウリピデス)|ヒッポリュトス]]
**[[イオン (エウリピデス)|イオン]]
== 演劇形態 ==
悲劇は仮面をつけた俳優と舞踊合唱隊([[コロス]])の掛け合いによって進行する。コロスの登場する舞台をオルケストラといい、劇場は円形のオルケストラを底とする、すり鉢状の形を取った。現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構は[[エピダウロス]]に見られる。俳優は最初はひとりであったが、アイスキュロスが2人に増やした。これによってドラマチックな演出が可能となり、舞台芸能として大きく進歩したと言われる。その後にエウリピデスがもう1人増やして三人となった。
但し、ここで言うところの俳優とは台詞のある役を演ずる者のことである。実際には「黙役(だんまり役)」と言う台詞の無い役を演ずる俳優がそれ以外に登場することがある<ref>『オイディプス王』のアンティゴネー役とイズメーネー役や、『縛られたプロメテウス』の暴力役、『エレクトラ(ソポクレスの)』のピュラデス役、そして『コロノスのオイディプス』の1095行〜1555行のイズメーネー役がそれに当たる。</ref><ref>テーバイ攻めの七将の1005行〜1078行について、イズメーネーに台詞が無いことを踏まえて「黙役」を絡めれば辻褄が合いそうに思えるが、舞台上で、しかも上演中にイズメーネー役の俳優が布告使に早変わりした上に、イズメーネー役の「黙役」俳優と咄嗟に入れ替わらなければならず、どだい無理がある。</ref>。また、当時既に子役俳優も存在したが、やはり「黙役」である<ref>例えば『トロイアの女』のアステュアナクス役がそれに当たる。</ref>。子供の役であっても台詞がある場合には大人の俳優がそれを演じる。
== 学問 ==
古代における悲劇論では、[[アリストテレス]]の『[[詩学]]』が、根本文献である。
近代でギリシア悲劇の成立について記した文献に、[[フリードリヒ・ニーチェ]]の初期代表作『音楽の精髄からの悲劇の誕生 ([[悲劇の誕生]])』があるが、ニーチェ自身の思想表明が多大で、文献学研究的には、発刊当時も今日もほぼ支持されていない。
イギリスの著名な女性の[[西洋古典学|古典学]]者、ジェーン・エレン・ハリスン(1850-1928)に、『古代芸術と祭式』がある。
== 日本語訳 ==
*『ギリシア悲劇全集』 全13巻 [[岩波書店]] [[1990年]]-[[1992年]]
*『ギリシア悲劇』 全4巻 [[筑摩書房]]([[ちくま文庫]]) [[1985年]]-[[1986年]]
*『ギリシア悲劇全集』 全4巻 [[人文書院]] [[1960年]]
*『ギリシャ悲劇全集』 全4巻 [[鼎出版会]] [[1977年]]-[[1979年]]
*『ソポクレース 希臘悲壯劇』 [[理想社]] [[1941年]]
*『アイスキュロス 悲壯劇』 [[生活社]] [[1943年]]
*『エウリーピデース 希臘悲壯劇』<ref>表紙及び背表紙には明記されてないが上巻である。奥付にはその旨明記されている。本来は中巻、下巻も刊行される予定だったが、中巻印刷中に版元が倒産し、その後の混乱で原稿が行方知れずとなったため、結果として上巻のみの刊行となった。</ref> [[世界文学社]] [[1949年]]<ref>レーソス、アルケースティス、メーデイア、ヒッポリュトス、ヘーラクレースの子供達、ヘカベー、アンドロマケー収載</ref>
*『古典劇大系 第一卷・希臘篇(1)』 [[近代社]] [[1925年]]<ref>アイスキュロス4曲(波斯人、アガメムノーン、コイフォロイ、エウメニデス)、ソポクレス4曲(アンティゴネー、オイディポス王、コローノスのオイディポス、エーレクトラ)収載。</ref>
*『古典劇大系 第二卷・希臘篇(2)』 近代社 1925年<ref>エウリピデス6曲(アルケースチス、ヒッポリュトス、メーデイヤ、アウリスのイフィゲネイヤ、タウロイのイフィゲネイヤ、バクカイ)収載。</ref>
*『世界戯曲全集 第一卷・希臘篇』 近代社<ref>正式には「近代社 [[世界戯曲全集刊行部]]」による</ref> [[1927年]]<ref>アイスキュロス5曲(波斯人、アガメムノーン、コエーポロイ、エウメニデス、縳られたプロメーテウス)、ソポクレス4曲(アンチゴネー、オイヂプース王、コロノスのオイヂプース、エーレクトラ)、エウリピデス6曲(アルケーチス、ヒッポリュトス、メーデイア、アウリスのイーフィゲネイア、タウロスのイーフィゲネイア、バクカイ)収載。</ref>
*『世界文學体系 2 ギリシア・ローマ古典劇集<ref>“朱版”“黒版”共に</ref>』 筑摩書房 [[1959年]]<ref>アイスキュロス3曲(アガメムノン、供養する女たち、慈しみの女神たち)、ソポクレス4曲(アンティゴネ、オイディプス王、コロノスのオイディプス、ピロクテテス)、エウリピデス3曲(メデイア、トロイアの女、バッコスの信女)収載。</ref>
*『ギリシア劇集』 [[新潮社]] [[1963年]]<ref>アイスキュロス2曲(アガメムノン、縛られたプロメーテウス)、ソポクレス3曲(オイディプス王、アンチゴネ、エレクトラ)、エウリピデス3曲(アウリスのイーピゲネイア、メーデイア、エレクトラ)収載。</ref>
*『世界古典文学全集 8 アイスキュロス・ソポクレス』 筑摩書房 [[1964年]]
*『世界古典文学全集 9 エウリピデス』 筑摩書房 [[1964年]]
== 参考文献 ==
*『ギリシア悲劇全集 別巻 ギリシア悲劇案内』 [[岩波書店]]、1992年
*『ギリシア悲劇名言集』全集編集部編、岩波書店、1993年、新版2015年。作品の断片集より
*ジェーン・ハリスン『古代芸術と祭式』([[佐々木理]]訳、[[筑摩書房|筑摩叢書]]→[[ちくま学芸文庫]]、1997年)
**別版『古代の芸術と祭祀』([[星野徹]]訳、[[法政大学出版局]]〈[[叢書・ウニベルシタス]]〉、初版1974年)
== 脚注 ==
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[ギリシア喜劇]]
* [[古代ギリシアの演劇]]
* 『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』([[アリストテレス]])
{{Theatre of ancient Greece}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:きりしあひけき}}
[[Category:ギリシア文学]]
[[Category:演劇のジャンル]] | 2003-05-10T07:57:59Z | 2023-12-21T06:34:52Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%82%B2%E5%8A%87 |
7,974 | サテュロス劇 | サテュロス劇(サテュロスげき、英: Satyr play)は、古代ギリシア時代に、ギリシア悲劇と共に上演されていた劇の一種。ギリシア神話の神ディオニューソスの従者といわれるサテュロスから成るコロス(合唱隊)を伴う滑稽な劇である。
完全な形で現在にまで残っているのは、エウリピデスの『キュクロプス』だけである。
ただし、パピルス断片が他の作品の一部を伝えている。一番の大断片はソポクレスの『イクネウタイ(英語版)』(追跡者たち)である。アイスキュロスの『漁網(あみ)を引く人々』『祭礼使節の人々』の2作品の断片も残されている。 | [
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] | サテュロス劇は、古代ギリシア時代に、ギリシア悲劇と共に上演されていた劇の一種。ギリシア神話の神ディオニューソスの従者といわれるサテュロスから成るコロス(合唱隊)を伴う滑稽な劇である。 | '''サテュロス劇'''(サテュロスげき、{{lang-en-short|Satyr play}})は、[[古代ギリシア]]時代に、[[ギリシア悲劇]]と共に上演されていた劇の一種。[[ギリシア神話]]の神[[ディオニューソス]]の従者といわれる[[サテュロス]]から成る[[コロス]](合唱隊)を伴う滑稽な劇である。
== 作品 ==
完全な形で現在にまで残っているのは、[[エウリピデス]]の『[[キュクロプス (エウリピデス)|キュクロプス]]』だけである。
ただし、パピルス断片が他の作品の一部を伝えている。一番の大断片は[[ソポクレス]]の『{{仮リンク|イクネウタイ|en|Ichneutae}}』(追跡者たち)である。[[アイスキュロス]]の『漁網(あみ)を引く人々』『祭礼使節の人々』の2作品の断片も残されている<ref>岩波『全集10』7頁。</ref><ref>{{citation|contribution=satyr play|title=[[Encyclopædia Britannica]]|contribution-url=https://www.britannica.com/art/satyr-play|access-date=2023-02-09}}</ref>。
==脚注・出典==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
*[[キュクロプス (エウリピデス)]]
*[[ギリシア悲劇]]
*[[古代ギリシアの演劇]]
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{{Theatre of ancient Greece}}
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{{デフォルトソート:さてゆろすけき}}
[[Category:古代ギリシアの演劇]]
[[Category:ギリシア文学]]
[[Category:サテュロス]] | null | 2023-02-09T07:22:02Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9%E5%8A%87 |
7,975 | 7 | 7(七、漆、質、柒、なな、しち、ひち、ななつ、なー)は、自然数また整数において、6の次で8の前の数である。
英語では、基数詞でseven (セブン)、序数詞ではseventh。
「七」の訓読みは「なな」、音読みは「しち」である。だが、「しち」という読みが言いにくく、また一(いち)、四(し)、八(はち)と聞き間違いをしやすいことから、他の数字なら音読みする文脈でも訓読みすることが多い(70〈ななじゅう〉など)。ただし、「7月(しちがつ)」、「7時(しちじ)」は、聞き間違いを意識的に排除する場合を除き、音読みされることが多い。名数では、他の数字同様、後に続く語が音読みか訓読みかによって読みが決まる(「七福神〈しちふくじん〉」「七草〈ななくさ〉」など)が、希に、後に音読みが続くにもかかわらず訓読みするものもある(「七不思議〈ななふしぎ〉」など)。
七(しち)を「ひち」と発音する方言もある。例えば岐阜県の「七宗町」の読みは「ひちそうちょう」と公式に定められている。
金銭証書などで間違いを防ぐため「漆」ないし「柒」を用いることがある。 | [
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{{整数|Decomposition=([[素数]])}}
[[ファイル:七-order.gif|thumb|100px|「七」の筆順]]
'''7'''('''七'''、'''漆'''、'''質'''、'''柒'''、なな、しち、ひち、ななつ、なー)は、[[自然数]]また[[整数]]において、[[6]]の次で[[8]]の前の数である。
[[英語]]では、[[基数詞]]でseven (セブン)、[[序数詞]]ではseventh。
== 読み ==
「七」の[[訓読み]]は「なな」、[[音読み]]は「しち」である。だが、「しち」という読みが言いにくく、また[[1|一]](いち)、[[四]](し)、[[8|八]](はち)と聞き間違いをしやすいことから、他の数字なら音読みする文脈でも訓読みすることが多い([[70]]〈ななじゅう〉など)。ただし、「[[7月]](しちがつ)」、「7時(しちじ)」は、聞き間違いを意識的に排除する場合を除き、音読みされることが多い。[[名数]]では、他の数字同様、後に続く語が音読みか訓読みかによって読みが決まる(「[[七福神]]〈しちふくじん〉」「[[七草]]〈ななくさ〉」など)が、希に、後に音読みが続くにもかかわらず訓読みするものもある(「[[七不思議]]〈ななふしぎ〉」など)。
七(しち)を「ひち」と発音する[[日本語の方言|方言]]もある。例えば[[岐阜県]]の「[[七宗町]]」の読みは「ひちそうちょう」と公式に定められている。
金銭証書などで間違いを防ぐため「漆」ないし「柒」を用いることがある。
== 性質 ==
*7 は4番目の[[素数]]である。1つ前は[[5]]、次は[[11]]。
**[[約数の和]]は[[8]]。
***約数の和が[[立方数]]になる2番目の数である。1つ前は[[1]]、次は[[102]]。
***約数の和が[[2の累乗数]]になる2番目の数である。1つ前は[[3]]、次は[[21]]。
**2番目の[[安全素数]]である。1つ前は5、次は11。
**素数を並べて数を作るとき(2, 23, 235, 2357, 235711, ...)、素数となる3番目の数である。1つ前は[[3]]、次は[[719]]。({{OEIS|A046284}})
* 7 = 7 + 0 × ''i'' (''i''は[[虚数単位]])
** a + 0 × ''i'' (a > 0)で表される2番目の[[ガウス整数#ガウス素数|ガウス素数]]。1つ前は3、次は11。
*7 = [[2]]{{sup|3}} − 1
**3番目の[[メルセンヌ数]]である。1つ前は[[3]]、次は[[15]]。
***2番目の[[メルセンヌ数|メルセンヌ素数]]である。1つ前は3、次は[[31]]。
** 7 = 2<sup>3</sup> − 1<sup>3</sup>
***''n'' = 2 のときの ''n''{{sup|3}} − (''n'' − 1){{sup|3}} の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[19]]。({{OEIS|A003215}})
***連続する[[立方数]]の差で表せる最小の素数である。次は[[19]]。
*** 7 = 2{{sup|2}} + 2 × 1 + 1{{sup|2}}
****1辺{{math|2a}}の[[立方体]]を1辺{{math|a}}の[[立方体]]8個を使って作ったとき、同時に見ることができる1辺1の[[立方体]]は最大7個である。
** 7 = 8 − 1
*** ''n'' = 1 のときの 8{{sup|''n''}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[1]]、次は[[62]]。({{OEIS|A024089}})
**** 8{{sup|''n''}} − ''n'' の形の最小の素数である。次は[[509]]。({{OEIS|A224469}})
*''p'' = 7 のときの 2{{sup|''p''}} − 1 で表される 2{{sup|7}} − 1 = [[127]] は4番目のメルセンヌ素数である。1つ前は[[5]]、次は[[13]]。
* 7 = 2{{sup|1}} × 3{{sup|1}} + 1
** 4番目の[[ピアポント素数]]である。1つ前は5、次は13。({{OEIS|A005109}})
*2番目の[[多角数|七角数]]である。1つ前は1、次は[[18]]。
*{{sfrac|1|7}} = 0.{{underline|142857}}… (下線部は[[循環節]]で長さは6)
**循環節の長さが ''n'' − 1 (全ての[[余り]]を巡回する)である数([[素数]]に限られる)のうち最小の数である、次は[[17]]。({{OEIS|A006883}})
**循環節の長さが6になる最小の数である、次は[[13]]。({{OEIS|A120100}})
**循環節が ''n'' になる最小の数である。1つ前の5は[[41]]、次の7は[[239]]。({{OEIS|A003060}})
*(5, 7) は2番目の[[双子素数]]。1つ前は(3, 5)、次は([[11]], [[13]])。
**(3, 5, 7) は唯一の (''p'' , ''p'' + 2 , ''p'' + 4) 型の[[三つ子素数]]。
**(5, 7, 11, 13) は最小の[[四つ子素数]]。次は(11, 13, 17, 19)。
*最小の 8''n'' − 1 型の素数である。この類の素数は ''x''{{sup|2}} − 2''y''{{sup|2}} と表せるが、7 = 3{{sup|2}} − 2 × 1{{sup|2}} である。次は[[23]]。
* 7 = 2{{sup|2}} + 3
** ''n'' = 2 のときの 2{{sup|''n''}} + 3 の値とみたとき1つ前は[[5]]、次は[[11]]。({{OEIS|A062709}})
*** 2{{sup|''n''}} + 3 の形の2番目の素数である。1つ前は[[5]]、次は[[11]]。({{OEIS|A057733}})
*7 = 2{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} + 1{{sup|2}} であり、4個の[[平方数]]の和で表せる。[[三個の平方数の和|3個以下の平方数の和]]では表せない最小の自然数である。
*5番目の[[フィボナッチ数#トリボナッチ数|トリボナッチ数]]である。1つ前は[[4]]、次は13。
*4番目の[[リュカ数]]である。1つ前は4、次は11。
*{{sfrac|22|7}} は[[円周率]]の比較的良い[[近似値]]である。値は 3.14285714… となる。これに関連して、[[7月22日]]は[[円周率の日#円周率近似値の日|円周率近似値の日]]となっている。
*[[平面]][[図形]]である[[七角形|正七角形]]は、[[折り紙]]による作図ができても[[定規とコンパスによる作図]]ができない最小の[[正多角形]]である。次は[[9|正九角形]]。({{OEIS|A004169}})
**正2<sup>''m''</sup>F<sub>''a''</sub>F<sub>''b''</sub>…F<sub>''c''</sub>角形(F<sub>''a''</sub> , F<sub>''b''</sub> , … ,F<sub>''c''</sub> は全て異なるフェルマー素数、''m'' は非負整数)は定規とコンパスのみで作図することができる。
*1から7までの7個全てで割り切れる、最小の数は[1,2,3,4,5,7] = [[420]] である。
*[[トーラス]](円環)上の図表は、7色で彩色可能である([[四色定理]])。
*最初の7つの素数の平方和は [[666]] になる。<br>2{{sup|2}} + 3{{sup|2}} + 5{{sup|2}} + 7{{sup|2}} + 11{{sup|2}} + 13{{sup|2}} + 17{{sup|2}} = 666
*7 を含む[[ピタゴラスの定理|ピタゴラス数]]は 7{{sup|2}} + 24{{sup|2}} = 25{{sup|2}} である。
*[[九九]]では 1 の段で 1 × 7 = 7(いんしちがしち)、7 の段で 7 × 1 = 7(しちいちがしち)と2通りの表し方がある。
*7 までの[[自然数]]の和は[[完全数]]28になる。1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 = 28
*[[ルネ・トム]]の提唱したの[[カタストロフィー理論|カタストロフ]]の種類は全部で7である。
*7! = 1 × 2 × 3 × 4 × 5 × 6 × 7 = [[5040]]
**7 × 8 × 9 × 10 = 5040 、7! は 7 から 10 の積に等しい。
**7[[階乗|!]] − 1 = 5039
*** ''n'' = 7 のときの ''n''! − 1 で表せる 7[[階乗|!]] − 1 は4番目の[[階乗素数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[12]]。({{OEIS|A002982}})
**7! + 1 = 5041 = 71{{sup|2}} より[[合成数]]である。
*** ''n''! + 1 が ''p''{{sup|2}} (''p'' は素数) の[[約数]]をもつ3番目の数である。1つ前は[[5]]、次は[[12]]。({{OEIS|A064237}})
**** ''n''! + 1 が[[平方数]]になる数で、2019年現在発見されている ''n'' の値は 4, 5, 7 である。<ref>『魅惑と驚きの「数」たち』 イアン・スチュアート著 P104</ref>
* 7# − 1 = 2 × 3 × 5 × 7 − 1 = 209 = 11 × 29 となり、初めて ''n''# − 1 の形において合成数となる ''n'' である。(''n''# は[[素数階乗]]、つまり ''n'' 以下の素数の[[総乗]])
* 7 = 2{{sup|0}} + 2{{sup|1}} + 2{{sup|2}}
** ''a'' = 2 のときの ''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の値とみたとき1つ前は[[3]]、次は[[13]]。
***''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の形で表せる2番目のメルセンヌ素数である。1つ前は[[3]]、次は[[31]]。
***''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の形で表せる2番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は3、次は[[21]]。
***''a''<sup>0</sup> + ''a''<sup>1</sup> + ''a''<sup>2</sup> の形で表せる2番目の[[素数]]である。1つ前は3、次は[[13]]。
**[[2]]の累乗和とみたとき1つ前は3、次は[[15]]。
*各位の和が7となる[[ハーシャッド数]]は[[100]]までに2個、[[1000]]までに6個、[[10000]]までに18個ある。
*7番目の[[ハーシャッド数]]である。1つ前は[[6]]、次は[[8]]。
**7を基とする最小のハーシャッド数である。次は[[70]]。
*各位の和([[数字和]])が7となる最小の数である。次は[[16]]。
**各位の和が7になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[43]]。({{OEIS|A062337}})
*各位の[[平方和]]が49になる最小の数である。次は[[70]]。({{OEIS|A003132}})
** 各位の平方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の48は[[444]]、次の50は[[17]]。({{OEIS|A055016}})
*各位の[[立方和]]が343になる最小の数である。次は[[70]]。({{OEIS|A055012}})
** 各位の立方和が ''n'' になる最小の数である。1つ前の342は[[156]]、次の344は[[17]]。({{OEIS|A165370}})
*各位の積が7になる最小の数である。次は[[17]]。({{OEIS|A034054}})
**各位の積が7になる数で[[素数]]になる最小の数である。次は[[17]]。({{OEIS|A107693}})
**各位の積と各位の和が等しくなる数で[[素数]]になる4番目の数である。1つ前は[[5]]、次は2141。({{OEIS|A066306}})
* 異なる[[平方数]]の和で表せない 31個の数の中で4番目の数である。1つ前は[[6]]、次は[[8]]。
* 約数の和が7になる数は1個ある。(4) 約数の和1個で表せる5番目の数である。1つ前は6、次は8。
**約数の和が奇数になる3番目の奇数である。1つ前は3、次は13。
*7 = 1 + 6
**[[倍積完全数]]の総和で表せる数である。1つ前は1、次は[[35]]。
* 連続してある数に対して[[約数の和]]を求めていった場合3個の数が7になる。7より小さい数で3個ある数はない。1つ前は[[4]] (2個)、次は[[8]] (4個)。いいかえると <math>\sigma^m(n)=7~(m\geqq 1)</math> を満たす ''n'' が3個あるということである (ただし ''σ'' は[[約数関数]])。(参照{{OEIS|A241954}})
*最初の 4''n'' + 3 型の素数である。次は[[11]]。
* [[幸運数]]となる3番目の数である。1つ前は3、次は9。({{OEIS|A000959}})
**唯一の幸運数かつ安全素数である。
**3番目の幸運数かつリュカ数の要素である。1つ前は3<!--、次は[[843]]-->。
**最小の 4''n'' + 3 型の幸運数である。次は[[15]]。
** 累乗数はもちろん1にもなり得ない2番目の幸運数である。1つ前は3、次は13。
* 7 = 4{{sup|2}} − 3{{sup|2}} = (4 + 3) × (4 − 3)
** ''n'' = 4 のときの (''n'' + 3)(''n'' − 3) の値とみたとき1つ前は[[0]]、次は[[16]]。({{OEIS|A028560}})
* 7 = 3{{sup|2}} − 2
** ''n'' = 2 のときの 3{{sup|''n''}} − ''n'' の値とみたとき1つ前は[[2]]、次は[[24]]。({{OEIS|A024024}})
*** 3{{sup|''n''}} − ''n'' の形の2番目の素数である。1つ前は[[2]]、次は6553。({{OEIS|A224420}})
* 以下のような[[多重根号#無限多重根号|無限多重根号]]の式で表せる。
*: <math>7 = \sqrt{42+\sqrt{42+\sqrt{42+\sqrt{42+\cdots}}}}</math> , <math> 7 = \sqrt{56-\sqrt{56-\sqrt{56-\sqrt{56-\cdots}}}}</math>
=== 7の倍数の見分け方 ===
* 「十の位以上の数 (10で除した商)」から「一の位の数 (10で除した剰余) の2倍を引いたもの」が7の倍数ならば、元の数は7の倍数である<ref>数学セミナー2003年3月号P59</ref>。例として693の場合、{{Math|1=693 = 69×10 + 3}} であり、{{Math|1=69 - 2×3 = 63}} が7の倍数であることから、7の倍数であると判定できる。実際、{{Math|1=693 = 7×99}} なので7の倍数である。
* [[十進法|十進数]]では、[[12]](=3×4)以下の数のうち、7の倍数だけが「一の位」「[[数字和]]」「下P桁がabc」「ゾロ目」のどれも使えず、「M×一桁数」で一の位が1になる数を探す方法になる。十進数では7×3=[[21]]なので、一の位に2を掛けて元数を10で割った商から減じ、1桁になるまで続ける。結果が 0 か 7 か −7<ref group="注">{{Citation|和書
|author = マーチン・ガードナー
|date = 1974
|title= 数学ゲーム II
|publisher = 講談社
|series = ブルーバックス
|id = B-249
}}−7 についての言及はないが、14 などが 7 で割れることから、含めておくべきであろう。</ref> なら、元数は7で割り切れる。
**例1:[[259]] → 25 - 9×2 = '''7''' → 259は7の倍数 (259 = 7 × 37)。
**例2:2023 → 202 - 3×2 = '''196''' <br>{{0000}}{{0}}196 → 19 - 6×2 = '''7''' → 2023、196はどちらも7の倍数 (2023 = 7 × 289、196 = 7 × 28)。
*桁数の多い十進数において、ある整数が7の倍数であるかどうかを判定する方法の一つとして、いくつか挙げられる
**[[1001]]が7の倍数であることを応用した方法
::1001 = 7 * 11 * 13 だから 1000 = 1001 - 1 = ( 7 * 11 * 13 ) - 1
::ここから、元の数を3桁ごとに区切り、得られた数を右から順に交互に加減算を行い、奇数番目の和と偶数番目の和の差を計算する。<br>差として得られた数を7で除した剰余が元の数を7で除した剰余に一致するので、この剰余が0であれば元の数が7の倍数であると判別できる。
::たとえば 元の数を1234567890123 とした場合、
::1234567890123 → 右から3桁ごとに「1」「234」「567」「890」「123」に分ける<br> → 奇数番目の和と偶数番目の和<br> {{0000}} (奇数番目) 1 + 567 + 123 = 691 、 (偶数番目) 234 + 890 = 1124<br> → 2つの差は 691 - 1124 = -433 = (-1) * ( 7 * 62 + 1 )<br> → '''元の数''' (1234567890123) '''を7で除した剰余は 1'''となり、7の倍数ではない。( 1234567890123 = 176366841446 × 7 + 1 )
::[[1000000|1,000,000]]と[[100]]を 7 で除した剰余がそれぞれ 1 と 2 であることを応用した方法
::まず、ある元の数を「下から7桁目以降の数」と「下から6桁の数」とに区切り、得られた2つの数字をそれぞれ「下2桁(C)」「中2桁 (3~4桁目、B)」「5桁目以降(A)」の3つに分け、「5桁目以降」の数字(A)同士、「中2桁」の数字(B)同士、「下2桁」の数字(C)同士、各々を加えた3つの数(AA、BB、CC)を求める。次に、この3つの数をそれぞれ7で除した"剰余"を求め、「AAの"剰余"の4倍、BBの"剰余"の2倍、CCの"剰余"、この3つを加えた和」の4つの数を求める。最後に得られた和を更に7で除し、その剰余を求めると、元の数を7で除した剰余に一致する。従って、この剰余が0であれば元の数が7の倍数であると判別できる。
::たとえば 元の数を1234567890123 とした場合、
::1234567890123 → 右から6桁ごとに「1234567」と「890123」に分ける<br> → 「下2桁(C)」「中2桁 (B)」「5桁目以降(A)」に分け、桁の大きい方から順(A,B,C の順)に「 123, 45, 67 」 と「89, 01, 23 」に区分けする<br> → それぞれ加える<br>{{0000}}(AA) 123 + 89 = 212, (BB) 45 + 01 = 46, (CC) 67 + 23 =90<br> → "剰余"を求める<br>{{0000}}(AA) 212 mod 7 = 2, (BB) 46 mod 7 = 4, (CC) 90 mod 7 = 6<br> → それぞれ指定の係数を掛けて足す
::{{0000}}2×4 + 4×2 + 6 = 22, ∴ 22 mod 7 = '''1'''<br>→ '''元の数''' (1234567890123) '''を7で除した剰余は 1'''となり、7の倍数ではない。( 1234567890123 = 176366841446 × 7 + 1 )
*[[十二進法|十二進数]]での[[5]]の倍数と7の倍数の判定も、十進数での7の倍数の判定と同様になる。十二進数では5×5=21、7×7=41なので、7の倍数の場合は一の位に4を掛けて元数を10で割った商から減じ、1桁になるまで続ける。
**例1:[[161|115]] → 5×4 = 18、11 - 18 = '''-7'''。
**例2:1054 → 4×4 = 14、105 - 14 = B1。B1 → 1×4 = 4、B - 4 = '''7'''。
<!--
{|class="wikitable"
|+7 の[[累乗]]
|-
|7{{sup|2}}||7{{sup|3}}||7{{sup|4}}||7{{sup|5}}||7{{sup|6}}||7{{sup|7}}||7{{sup|8}}||7{{sup|9}}||7{{sup|10}}||7{{sup|11}}
|-
|49||343||2,401||16,807||117,649||823,543||5,764,801||40,353,607||282,475,249||1,977,326,743
|}
7 の[[累乗]]値は、[[十進法]]に限り下2桁が 49 → 43 → 01 → 07 と巡回する。
=== 他の進数での性質 ===
;Nが7未満
*[[二進法]]= 111
*[[三進法]]= 21
*[[四進法]]= 13
*[[五進法]]= 12
*[[六進法]]= 11
;一般
* 六進法では、二桁すなわち55(= [[35]]{{sub|(10)}})までの7の倍数は[[ゾロ目]]になる。
* 7は[[6]](= [[2]]×[[3]])以降で最初の[[素数]]なので、6未満(2, 3, [[5]])の[[素因数]]で形成される[[位取り記数法|N進法]]では、[[1/7]]は割り切れない小数になる。
** 六進法では {{sfrac|1|11}} = 0.<u>05</u>05…(循環節の長さは2)、[[十進法]]では {{sfrac|1|7}} = 0.<u>142857</u>…(循環節の長さは6)、[[十二進法]]では {{sfrac|1|7}} = 0.<u>186A35</u>…(循環節の長さは6)、[[二十進法]]では {{sfrac|1|7}} = 0.<u>2H</u>2H…(循環節の長さは2)となる。
-->
{{clear}}
== その他 7 に関すること ==
{{See also|7 (曖昧さ回避)}}[[ファイル:seven111.jpg|thumb|right|筆記時、日本や台湾や韓国では1番のように書かれることが多い。その他の国では2番のように書くのが一般的で、数字の1との区別のために3番のように線を入れたりする。日本人が1を強調して書くときに、縦棒線の上にカギを付けることがあるが、その字形は欧米では7と認識される可能性がある。]]
[[ファイル:Digital77.svg|thumb|right|[[電卓]]やデジタル時計等の[[7セグメントディスプレイ]]での表記方法は2通りある]]
* [[タロット]]の[[大アルカナ]]で VII は、[[戦車 (タロット)|戦車]]。
* [[易占]]の[[六十四卦]]で第7番目の卦は、[[周易上経三十卦の一覧#師|地水師]]。
* 自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]の希望番号制で、「・・・7」は抽選対象番号。
* テレビのチャンネル番号
** [[テレビ愛知]]を除く[[テレビ東京]][[TXNネットワーク|系列局]]、[[三重テレビ放送]]([[全国独立UHF放送協議会|独立局]])、[[福井放送]]([[日本ニュースネットワーク|NNN]] と [[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]] の[[クロスネット局]])の[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル]][[リモコンキーID|リモコンID番号]]。
** [[BSテレビ東京|BSテレ東]]の[[BSデジタル]]リモコンID番号。
** [[NHK放送局|NHK広島]][[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]のアナログ親局、NHK尾道教育テレビのアナログ中継局チャンネル。
* [[ななちゃん (テレビせとうち)|ななちゃん]] - [[テレビせとうち]]のイメージキャラクター。同局が地デジの「7」チャンネルであることから。
* 中性の [[水素イオン指数|pH]](ピーエッチ)値あるいは[[水酸化物イオン指数|pOH]]値。
* [[日本]]では、[[震度7|震度の最大値]]。
* 親(片親)の威光を[[七光]](ななひかり)という。
* [[西洋音楽]]を初め、世界各地には1[[オクターブ]]内に7個の音を含む七音音階が見られる。西洋音楽の[[長音階]]、[[短音階]]は七音音階である。
*[[中国音楽学院|中国音楽]]には'''[[七声]]'''と呼ばれる物がある。
* [[日本の郵便番号]]は7桁である<ref group = "注">[[1998年]](平成10年)[[2月2日]]から。それまでは3桁または5桁であった。</ref>。
*[[七味唐辛子]]は[[唐辛子]]を含む7種類の材料で作られた[[調味料]]。
*[[7セグメントディスプレイ]](7セグ)は、7つの発光部の点灯・消灯で[[デジタル数字]]を表示するディスプレイ。なお、7セグで一般的な「7」の表示方法は右上の画像のように2通りある。
* [[野球]]の[[守備番号]]において、7は[[左翼手]]を意味する。
* [[水球]]の1チームは7人。
* [[フランス外人部隊]]の象徴は、7つの炎が噴き出す[[手榴弾]]である。
* [[オイラー]]が解決した[[一筆書き#ケーニヒスベルクの問題|ケーニヒスベルクの橋の問題]]では7つの橋がかかっていた。
*[[電卓]]で1.9129312の3乗を計算すると7と表示される機種がある。それは7の実立方根の[[絶対値]]の近似値であるため。
* JIS X 0401、[[ISO 3166-2:JP]]の[[都道府県コード]]の「07」は[[福島県]]。
=== 言語 ===
*7の接頭辞:sept(拉)、hepta(希)
** 7倍、7重を'''セプテュプル'''(セプタプル、septuple)という。
** '''[[七種競技]]''' (heptathlon) 等。
** 七重奏のことをセプテット (septet) と言う。
* 7を表す[[ヘブライ数字]]は[[ז|ザイン]]。
* '''24/7''' ([[:en:24/7 service|twenty-four seven]]) は、24時間・週7日間を意味し、転じて always(いつも)、24時間営業年中無休という意味を持つ。
=== 7番目のもの ===
*[[年始]]から数えて7日目は[[1月7日]]。
*[[原子番号]]7の[[元素]]は、[[窒素]] (N)。
*[[太陽系]]第7[[惑星]]は、[[天王星]]。
*第7代[[天皇]]は、[[孝霊天皇]]。
*7番目の元号は、霊亀<ref>{{Cite web|和書|title=年号一覧表 |url=http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/nengoui.html |website=www.kumamotokokufu-h.ed.jp |accessdate=2022-03-08}}</ref>。
*第7代[[内閣総理大臣]]は、[[伊藤博文]]。
*通算して第7代の[[征夷大将軍]]は、[[源頼家]](鎌倉幕府第2代将軍)。
*[[鎌倉幕府]]第7代将軍は、[[惟康親王]]。
*鎌倉幕府第7代[[執権]]は、[[北条政村]]。
*[[室町幕府]]第7代将軍は、[[足利義勝]]。
*[[江戸幕府]]第7代将軍は、[[徳川家継]]。
*[[大相撲]]第7代[[横綱]]は、[[稲妻雷五郎]]。
*[[アメリカ合衆国]]第7代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、[[アンドリュー・ジャクソン]]。
*第7代[[殷]]王は、[[小甲]]。
*第7代[[周]]王は、[[共王 (周)|共王]]。
*第7代[[教皇|ローマ教皇]]は[[シクストゥス1世 (ローマ教皇)|シクストゥス1世]](在位:[[116年]]? - [[125年]]?)である。
*[[7年|西暦7年]]
=== 宗教に関する7 ===
*[[新約聖書]]の[[ヨハネの黙示録|ヨハネの默示録]]では、7つの門が登場する。
*[[七つの大罪]]:[[キリスト教]]において人間を罪に導く可能性があるとされている欲望や感情である。
*[[キリスト教]]の[[七大天使]]
*[[アブラハムの宗教]]では1[[週]](7日)のうち1日は[[安息日|休息を取る日]]とされている。
*[[西洋]]では、7 は幸運の数とされる。[[ラッキーセブン]]。
*[[七人ミサキ]]:海で死んだ7人の幽霊。
*[[仏教]]:古代仏教より、[[初七日]]から[[七七日]]([[四十九日]])や、[[年忌]](「七回忌」以降は、日本独自)など、全てを満たす数字とされた。
*[[クルアーン]]における第7番目の[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]は[[高壁 (クルアーン)|高壁]]である。
*[[聖書]]では "3と4に分けることのできる7は完全数と考えられており、また7の半分3.5も同様な使い方をされている。" (聖書思想辞典 三省堂 p151)
*[[金神]]の忌を犯すと家族7人が殺されるという七殺の祟りがある。
=== 天文に関する7 ===
*1[[週]]は7[[日]]である。
*'''[[七曜]]'''は、[[太陽]](日)・[[月]]・[[火星]]・[[水星]]・[[木星]]・[[金星]]・[[土星]]の7個の[[天体|星]]の総称。
*'''[[北斗七星]]'''は、[[おおぐま座]]の一部である[[星座]]。
*昴([[プレアデス星団]])で明るく煇く星は7個あり、[[ギリシア神話]]の[[アトラース]]の7人の娘に喩えられる。
=== 遊びに関する7 ===
*6面[[サイコロ]]の向かい合った面の目の合計はどれも7である。
*[[囲碁]]の[[棋戦 (囲碁)|タイトル戦]]は7つある。2017年まで[[将棋]]の[[棋戦 (将棋)|タイトル戦]]も7つであったが[[叡王戦]]がタイトル戦になり8つになった。
*[[番勝負|七番勝負]]
*[[7並べ]]や[[セブンブリッジ]]、ハンゲーム内の[[ポーカー|ロイヤル7ポーカー]]は、[[トランプ]]の遊びの一種である。
**[[セブンブリッジ]]は、トランプ7枚で役を作り、残った1枚で場を上がる。[[中華人民共和国|中国]]発祥の卓上遊戯である'''[[麻雀]]'''からヒントを得た。
**ポーカーの[[セブンカード・スタッド]]や[[テキサス・ホールデム]]は、7枚から5枚を選んで役を作る。
*[[花札]]を用いて行われる[[ゲーム]]の1つ[[おいちょかぶ]]では、7 を「ナキ」と呼ぶ。
*[[麻雀]]には[[七対子]]という役がある。また[[麻雀牌#字牌|字牌]]は7種類。
*[[スロットマシン]]で 7 が揃うとフィーバー。7 の名称は「ジャックポット」。
*6面サイコロを2つ振った時、2個の合計は7になる確率が一番大きい。
**サイコロを2つ使ったゲームの[[クラップス]]では、7は非常に重要な数字となっている。カムアウトロールでは、この目が出ると勝ちとなり(ナチュラル)、ポイント決定後に出ると負けとなる(セブン・アウト)。
==== パズルに関する7 ====
* [[ポリフォーム]]の中で、片面型[[テトロミノ]]と[[ポリヘクス|テトラヘクス]]はそれぞれ7種類ある。
* [[タングラム]]・[[清少納言知恵の板]]・[[ラッキーパズル]]はいずれも7つのピースを並べる[[シルエットパズル]]である。
* [[ソーマキューブ]]は7つのピースを使って立方体を組み立てるパズルである。
* [[ウィリアム・ベリック|ベリック]]の『7つの7』とオドリングの『[[孤独の7]]』は、最初に提示された7を手掛かりにして解く[[虫食い算]]である。
* [[詰将棋]]において「七」は「王将以外の7種類の駒」を指すことがある。
** 「七色図式」は初形で王と7種類の駒を配置した問題である。詰め上りが3枚になる時は「七色[[煙詰|煙]]」と呼ばれることがある。
** 「[[七種合]]」は、解答手順中に7種類の[[合駒]]が登場する問題である。
=== その他 ===
* [[七人の侍]]
* [[荒野の七人]]
== 7個1組の概念 ==
*'''[[虹]]の色''':日本では虹の色は[[赤]]・[[オレンジ色|オレンジ]]・[[黄色]]・[[緑]]・[[水色]]・[[青]]・[[紫]]の7色とされている。
*'''[[七福神]]''':[[大黒天]]・[[えびす|恵比須]]・[[毘沙門天]]・[[弁才天]](弁財天)・[[福禄寿]]・[[寿老人]]・[[布袋]]。
* '''七賢''' [[ギリシャ七賢人]]、[[竹林の七賢]]など。
* [[七不思議]]
*'''[[七洋]]'''(七つの海):世界中の7箇所の[[海]]を指す。
**昔:[[南シナ海]]・[[ベンガル湾]]・[[アラビア海]]・[[ペルシア湾]]・[[紅海]]・[[地中海]]・[[大西洋]]。
**今:南[[太平洋]]、北太平洋、南[[大西洋]]、北大西洋、[[インド洋]]、[[北極海]]、[[南極海]]。
*'''[[七草]]''':7種類の[[植物]]。または、[[1月7日]]の朝に、春の七草が入った粥を食べる風習。
**[[春]]:[[セリ|芹]]・[[ナズナ|薺]]・[[カブ|蕪]]・[[ダイコン|大根]]・[[ハハコグサ|母子草]]・[[ハコベ|繁縷]](はこべ)・[[コオニタビラコ|小鬼田平子]]。
**[[秋]]:[[ハギ|萩]]・[[ススキ|薄]]・[[クズ|葛]]・[[ナデシコ|撫子]]・[[オミナエシ|女郎花]]・[[フジバカマ|藤袴]]・[[キキョウ|桔梗]]
*'''[[七王国]]''' (heptarchy):[[5世紀]]の[[イギリス]]に存在した、7つの小国家である。
*'''[[戦国七雄]]''':古代中国の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の有力7国。[[秦]]、[[魏 (戦国)|魏]]、[[韓 (戦国)|韓]]、[[趙 (戦国)|趙]]、[[燕 (春秋)|燕]]、[[田斉|斉]]、[[楚 (春秋)|楚]]
*七帝大・七大学:戦前に[[帝国大学]]として設立された大学の内、現在も日本国内にある7つの大学。[[東京大学]]・[[京都大学]]・[[東北大学]]・[[九州大学]]・[[北海道大学]]・[[大阪大学]]・[[名古屋大学]]。<!--順序は設立年度順です-->
**[[全国七大学総合体育大会]]:上の七大学が合同で開催する体育大会。
*'''[[G7]]''':日本、アメリカ、[[カナダ]]、[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[イギリス]]、[[イタリア]]。
*'''[[セブン・シスターズ]]'''
**7人の魔女の意。欧米では[[プレアデス星団]]の明るい7つの[[恒星]]を指す。
**七大国際石油メジャーの総称でもある。[[エクソン|Exxon]], [[ロイヤル・ダッチ・シェル|Royal Dutch Shell]], [[BP (企業)|BP]], [[モービル (ブランド)|Mobil]], Texaco, Gulf Oil, Soca。
*'''[[SI基本単位]]''':[[メートル]]・[[キログラム]]・[[秒]]・[[アンペア]]・[[ケルビン]]・[[カンデラ]]・[[モル]]
*'''[[七つ道具]]''':7種類の[[道具]]。
*テトリミノ:[[テトリス]]で使用される、4つの正方形を組み合わせて作られた片面型[[テトロミノ]]状のブロックピースの種類。I・O・S・Z・J・L・T。
*'''世界のビッグ7'''(世界七大戦艦):[[ワシントン海軍軍縮条約]]で16インチ砲の搭載が認められた[[大日本帝国]]の[[長門型戦艦]]([[長門 (戦艦)|長門]]、[[陸奥 (戦艦)|陸奥]])、[[大英帝国]]の[[ネルソン級戦艦]]([[ネルソン (戦艦)|ネルソン]]、[[ロドニー (戦艦)|ロドニー]])、[[アメリカ合衆国]]の[[コロラド級戦艦]]([[コロラド (戦艦)|コロラド]]、[[メリーランド (戦艦)|メリーランド]]、[[ウェストバージニア (戦艦)|ウェストバージニア]])
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==他の表現法==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
{{Commonscat|7 (number)}}
{{Wiktionarypar|7|七|なな}}
{{Wiktionarypar|seven|Ⅶ|ⅶ}}
*[[:Category:数]](数の一覧)
**[[0]] [[1]] [[2]] [[3]] [[4]] [[5]] [[6]] '''7''' [[8]] [[9]]
**[[10]] [[20]] [[30]] [[40]] [[50]] [[60]] [[70]] [[80]] [[90]] [[100]] ... [[1000]] ... [[10000]]
**[[-7|−7]]
**[[1/7|{{sfrac|1|7}}]]
*西暦[[7年]] [[紀元前7年]] [[2007年]] [[1907年]] [[7世紀]] [[1995年|平成7年]] [[1932年|昭和7年]] [[1918年|大正7年]] [[1874年|明治7年]] [[7月]]
*[[名数一覧]]
* [[地下鉄7号線]] (曖昧さ回避)
* [[第7王朝 (曖昧さ回避)]]
*[[ラッキーセブン]]
*[[7の平方根]]
== 外部リンク ==
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{{自然数}}
{{Normdaten}}
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[[Category:数字]]
[[Category:数学に関する記事|/7]] | 2003-05-10T08:02:38Z | 2023-11-24T12:37:57Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/7 |
7,977 | 1670年代 | 1670年代(せんろっぴゃくななじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1670年から1679年までの10年間を指す十年紀。 | [
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'''1670年代'''(せんろっぴゃくななじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1670年から1679年までの10年間を指す[[十年紀]]。
== できごと ==
* [[アイザック・ニュートン]]と[[ゴットフリート・ライプニッツ]]が独立に[[微分]]を発見。
=== 1670年 ===
{{main|1670年}}
* [[箱根町|箱根]][[芦ノ湖]]に[[箱根用水]](深良用水)が完成。
* [[ロシア]]:[[ステンカ・ラージンの乱]]( - 1671年)。
* [[カナダ]]:[[ハドソン湾会社]]設立。現存する最古の会社。
=== 1671年 ===
{{main|1671年}}
* [[陸奥国|陸奥]][[仙台藩]]の[[お家騒動]]・[[伊達騒動]]の中心となる寛文事件発生。
* [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]が[[土星]]の[[衛星]][[イアペトゥス (衛星)|イアペトゥス]]を発見。
* [[博物学者]][[ジョン・レイ (博物学者)|ジョン・レイ]]が、[[ギ酸|蟻酸]]の単離に成功。
=== 1672年 ===
{{main|1672年}}
* 第三次[[英蘭戦争]] (-1674年)。
* [[フランス王国|フランス]]:[[オランダ侵略戦争]]( - 1678年)。
* ジョヴァンニ・カッシーニが土星の衛星[[レア (衛星)|レア]]を発見。
=== 1673年 ===
{{main|1673年}}
* [[日本]]:[[元号]]を[[延宝]]に改元。
* [[三井高利]]が呉服店「越後屋」を開業(現在の[[三越]]の原点)。
* [[錦帯橋]]が完成(1674年に流失、同年再建)。
* [[中国]]:[[三藩の乱]]起こる( - [[1681年]])。
=== 1674年 ===
{{main|1674年}}
* 日本:[[寛永通宝]]4貫=金一[[両]]と定め、古銭の通用を停止する。[[江戸]]市中の[[非人]]を改める。
* [[アントニ・ファン・レーウェンフック]]が[[細菌]]を発見。
=== 1675年 ===
{{main|1675年}}
* [[スウェーデン]]([[バルト帝国]]):[[スコーネ戦争]]、[[スウェーデン・ブランデンブルク戦争]]( - 1679年)。
* [[イギリス]]:[[グリニッジ天文台]]完成。
* [[パリ]]に世界で最初の[[カフェ]]ができる。
* ジョヴァンニ・カッシーニが土星の環が複数の輪で構成されていることを発見。
=== 1676年 ===
{{main|1676年}}
* [[加賀藩]]が[[日本庭園]]「蓮池庭(れんちてい)」(後の[[兼六園]])を造園。
* [[オーレ・レーマー]]が初めて[[光速度]]を測定。
=== 1677年 ===
{{main|1677年}}
* [[美濃国|美濃]][[郡上藩]]の農民、[[江戸]]に越訴。郡上藩、増徴派と減租派の家中騒動始まる([[延宝郡上一揆]])。
=== 1678年 ===
{{main|1678年}}
* フランスの[[宣教師]]{{仮リンク|ルイ・エヌパン|en|Louis Hennepin}}が[[ナイアガラ滝]]を訪れる(これが[[ヨーロッパ]]人がナイアガラ滝を訪れた最初だとされる)。
* フランスとオランダが[[ナイメーヘンの和約]]([[オランダ侵略戦争]])。
=== 1679年 ===
{{main|1679年}}
* [[越後国|越後]][[高田藩]]にてお家騒動([[越後騒動]])。
* [[みなみじゅうじ座]](南十字星)が単独の[[星座]]として設定される。
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline}}
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[[Category:1670年代|*]] | 2003-05-10T08:23:48Z | 2023-10-27T09:12:56Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1670%E5%B9%B4%E4%BB%A3 |
7,978 | フリードリヒ・ニーチェ | フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。
現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。
なお、ドイツ語では「ニーチェ」(フリードリヒ [ˈfriːdrɪç] ヴィルヘルム [ˈvɪlhɛlm] ニーチェ [ˈniːtʃə])のみならず「ニーツシェ」[ˈniːtsʃə]とも発音される。
ニーチェは、1844年10月15日火曜日にプロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン(Provinz Sachsen - 現在はザクセン=アンハルト州など)、ライプツィヒ近郊の小村レッツェン・バイ・リュッケンに、父カール・ルートヴィヒと母フランツィスカの間に生まれた。父カールは、ルター派の裕福な牧師で元教師であった。同じ日に49回目の誕生日を迎えた当時のプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世にちなんで、「フリードリヒ・ヴィルヘルム」と名付けられた。なお、ニーチェは後にミドルネーム「ヴィルヘルム」を捨てている。
1846年には妹エリーザベトが、1848年には弟ルートヴィヒ・ヨーゼフが生まれている。しかし、ニーチェが4歳の時(1848年)8月、父カール・ルートヴィヒは近眼が原因で足元にいた小犬に気付かず、つまづき玄関先の石段を転げ落ちて頭を強く打ち付けた。ニーチェ5歳の時1849年4月30日にこの時の怪我が原因で死去した。また、それを追うように、1850年には2歳の弟ヨーゼフが、歯が原因とされる痙攣によって病死。また、父の死の日付に関しては、ニーチェ自身は、7月27日と語り、弟の死に関しては、1850年1月末の出来事と語る。
男手を失い、家計を保つ必要性があったことから、父方の祖母とその兄クラウゼ牧師を頼って故郷レッケンを去りナウムブルクに移住する。また、二人の伯母も家事や食事などに協力した。計6人でのナウムブルクでの生活が始まった。
その後ニーチェは、6歳になる前に、ナウムブルクの市立小学校に入学する。翌年、ウェーベル(ウェーバー)氏の私塾(予備校)に入った。数年そこで学び、1854年にナウムブルクのギムナジウムに入学する。
なお、私塾では、ギリシア語ラテン語の初歩教育を受け、ただ勉強を受けるだけではなく、外へ遠足へ出かけることもあり楽しかったとニーチェは語る。
ニーチェは、父が死ぬ前の幼い時代が幸せだったこと、その後父や弟が死んだ時の悲しみを、ギムナジウム時代に書いた自伝集で綴っている。また伯母や祖母の死もあったこと、そして、その他のいろんな困難を自分が乗り越えてきたことを語る。そして、それには神の導きのお陰があったと信じていた。神に関しては、この時代はまだ信仰していた事がわかる。
市立小学校時代のニーチェの性格をうかがわせるものとして、多くの解説書で語られる有名なエピソードがある。
まだニーチェが市立小学校に通っていた頃、帰りににわか雨が降ってきた。他の子供たちは傘がなく走って帰って来た。にも拘わらずニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰って来たという。心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と怒ったところ、ニーチェは「校則に帰りは走らず静かに帰れと書いてあるから」と、述べたという。このエピソードは、よくニーチェという人物の生真面目さと結び付けられて語られている。
エリーザベトが残した文からエリーザベトが兄への尊敬の念を持っていたことも分かっている。その理由は、兄の人格が誠実で嘘を憎むからであり、さらには活発で抑えのきかない自分に自制の心を教えてくれたからだという。
さらに、エリーザベトは6歳の頃から、兄の書いた文を集めていたことがわかっている。エリーザベトは、ニーチェ文庫を創設しており、彼女が集めた文書は兄の研究に大きく貢献した。一方で彼女は、兄の遺稿をめちゃくちゃに編集したり、ナチスに宣伝したりした。その理由は、自身の名誉のためという説が強いが、こうしたエリーザベトの兄への思いも考慮して、兄への尊敬の念が行き過ぎてしまっただけなのだという見方をする者もいる 。
ニーチェは、1854年からナウムブルクのギムナジウムへ通った。
ギムナジウムでは音楽と国語の優れた才能を認められていた。プフォルター学院に移る少し前、一人の伯母の死とそれに相次ぐ、祖母の死をきっかけにニーチェの母は移住することを決める。ニーチェの母は友達の牧師に家を借りる。ニーチェは勉強やスポーツに励み、友人であるピンデル(ピンダー)やクルークとの交流のおかげもあって芸術や作曲に長けていた。
その噂を聞いたドイツ屈指の名門校プフォルタ学院(ドイツ語版、英語版)の校長から給費生としての転学の誘いが届く。ドイツ屈指の名門校プフォルタ学院にニーチェは、母や妹とのしばしの別れを惜しみながらも入学する事を決心した。このとき、生まれて初めて、田舎の保守的なキリスト教精神から離れて暮らすこととなる。
1858年から1864年までは、古代ギリシアやローマの古典・哲学・文学等を全寮制・個別指導で鍛えあげられ、模範的な成績を残す。また、詩の執筆や作曲を手がけてみたり、パウル・ドイッセン(Paul Deussen)と友人になったりした。
またニーチェは、プフォルター学院時代に、詩や音楽を自作し互いに評価しあうグループ「ゲルマニア」を結成し、その中心人物として活動した。
1864年にプフォルター学院を卒業すると、ニーチェはボン大学へ進んで、神学部と哲学部に籍を置く。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になる事を願っていたための配慮だったと指摘される。しかし、ニーチェは徐々に哲学部での古典文献学の研究に強い興味を持っていく。
そして、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている(当時のドイツの田舎で、牧師の息子が信仰を放棄するというのは、大変珍しい事で、ましてや、夫を亡くした母にとっては、一家の一大事と考えた事も予測できる)。ニーチェのこの決断に大きな影響を及ぼしたのは、ダーヴィト・シュトラウスの著書『イエスの生涯』である。
ニーチェは、大学在学中に、友人ドイッセンとともに「フランコニア」というブルシェンシャフト(学生運動団体)に加わったが、最初の頃は楽しんでいたものの、徐々にニーチェはその騒がしさや野蛮さに嫌悪を抱いていったようであるその事は、友人ゲルスドルフに宛てた手紙から確認されている。
また、ボン大学では、古典文献学の研究で実証的・批判的なすぐれた研究を行ったフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版)と出会い、師事する。リッチュルは、当時大学1年生であったニーチェの類い稀な知性をいち早く見抜き、ただニーチェに受賞させるためだけに、懸賞論文の公募を行なうよう大学当局へもちかけている。
ニーチェは、このリッチュルのもとで文献学を修得している。そして、リッチュルがボン大学からライプツィヒ大学へ転属となったのに合わせて、自分もライプツィヒ大学へ転学する。このライプツィヒ大学では、ギリシア宗教史家エルヴィン・ローデ(英語版)と知り合い親友となる。彼は、後にイェーナ大学やハイデルベルク大学などで教鞭を執ることになる。また、1867年には、一年志願兵として砲兵師団へ入隊するが、1868年3月に落馬事故で大怪我をしたため除隊する。それから、再び学問へ没頭することになる。
ライプツィヒ大学在学中、ニーチェの思想を形成する上で大きな影響があったと指摘される出会いが、2つあった。ひとつは、1865年に古本屋の離れに下宿していたニーチェが、その店でショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』を偶然購入し、この書の虜となったことである。もうひとつは、1868年11月、リッチュルの紹介で、当時ライプツィヒに滞在していたリヒャルト・ヴァーグナーと面識を得られたことである。ローデ宛ての手紙の中で、ショーペンハウエルについてヴァーグナーと論じ合ったことや「音楽と哲学について語り合おう」と自宅へ招待されたことなどを興奮気味に伝えている。
1869年のニーチェは24歳で、博士号も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、バーゼル大学から古典文献学の教授として招聘された。バーゼルへ赴任するにあたり、ニーチェはスイス国籍の取得を考え、プロイセン国籍を放棄する(実際にスイス国籍を取得してはいない。これ以後、ニーチェは終生無国籍者として生きることとなる)。
本人は哲学の担当を希望したが受け入れられず、古代ギリシアに関する古典文献学を専門とすることとなる。講義は就任講演「ホメロスと古典文献学」に始まるが、自分にも学生にも厳しい講義のスタイルは当時話題となった。研究者としては、古代の詩における基本単位は音節の長さだけであり、近代のようなアクセントに基づく基本単位とは異なるということを発見した。終生の友人となる神学教授フランツ・オーヴァーベック(Franz Overbeck)と出会ったほか、古代ギリシアやルネサンス時代の文化史を講じていたヤーコプ・ブルクハルトとの親交が始まり、その講義に出席するなどして深い影響を受けたのもバーゼル大学でのことである。
1872年、ニーチェは第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『悲劇の誕生』と改題)を出版した。
しかしリッチュルや同僚をはじめとする文献学者の中には、厳密な古典文献学的手法を用いず哲学的な推論に頼ったこの本への賛意を表すものは一人とてなかった。特にウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは『未来の文献学』と題した(ヴァーグナーが自分の音楽を「未来の音楽」と称していたことにあてつけた題である)強烈な批判論文を発表し、まったくの主観性に彩られた『悲劇の誕生』は文献学という学問に対する裏切りであるとしてこの本を全否定した。好意をもってこの本を受け取ったのは、献辞を捧げられたヴァーグナーの他にはボン大学以来の友人ローデ(当時はキール大学教授)のみである。こうした悪評が響いたため同年冬学期のニーチェの講義からは古典文献学専攻の学生がすべて姿を消し、聴講者はわずかに2名(いずれも他学部)となってしまう。大学の学科内で完全に孤立したニーチェは哲学科への異動を希望するが認められなかった。
生涯を通じて音楽に強い関心をもっていたニーチェは学生時代から熱烈なヴァーグナーのファンであり、1868年にはすでにライプツィヒでヴァーグナーとの対面を果たしている。やがてヴァーグナーの妻コジマとも知遇を得て夫妻への賛美の念を深めたニーチェは、バーゼルへ移住してからというもの、同じくスイスのルツェルン市トリプシェンに住んでいたヴァーグナーの邸宅へ何度も足を運んだ(23回も通ったことが記録されている)。ヴァーグナーは31歳も年の離れたニーチェを親しい友人たちの集まりへ誘い入れ、バイロイト祝祭劇場の建設計画を語り聞かせてニーチェを感激させ、一方ニーチェは1870年のコジマの誕生日に『悲劇の誕生』の原型となった論文の手稿をプレゼントするなど、二人は年齢差を越えて親交を深めた。
近代ドイツの美学思想には、古代ギリシアを「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想するという、美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン以来の伝統があった。当時はまだそれほど影響力をもっていなかった音楽家であると同時に、ドイツ3月革命に参加した革命家でもあるヴァーグナーもまたこの系譜に属している。『芸術と革命』をはじめとする彼の論文では、この滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけギリシア悲劇)を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、とのロマン主義的思想が述べられている。そしてニーチェにとって(またヴァーグナー本人にとっても)、この革命を成し遂げる偉大な革命家こそヴァーグナーその人に他ならなかった。
ヴァーグナーに対するニーチェの心酔ぶりは、第一作『悲劇の誕生』(1872年)において古典文献学的手法をあえて踏み外しながらもヴァーグナーを(同業者から全否定されるまでに)きわめて好意的に取りあげ、ヴァーグナー自身を狂喜させるほどであったが、その後はヴァーグナー訪問も次第に形式的なものになっていった。
1876年、ついに落成したバイロイト祝祭劇場での第1回バイロイト音楽祭および主演目『ニーベルングの指環』初演を観に行くが、パトロンのバイエルン王ルートヴィヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世といった各国の国王や貴族に囲まれて得意の絶頂にあるヴァーグナーその人と自身とのあいだに著しい隔たりを感じたニーチェは、そこにいるのが市民社会の道徳や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとするかつての革命家ヴァーグナーでないこと、そこにあるのは古代ギリシア精神の高貴さではなくブルジョア社会の卑俗さにすぎないことなどを確信する。また肝心の『ニーベルングの指環』自体も出来が悪く(事実、新聞等で報じられた舞台評も散々なものであったためヴァーグナー自身ノイローゼに陥っている)、ニーチェは失望のあまり上演の途中で抜け出し、ついにヴァーグナーから離れていった。祝祭劇場から離れる際、ニーチェは妹のエリーザベトに対し、「これがバイロイトだったのだよ」と言った。
この一件と前後して書かれた『バイロイトにおけるヴァーグナー』ではまだ抑えられているが、ヴァーグナーへの懐疑や失望の念は深まってゆき、二人が顔を合わせるのはこの年が最後のこととなった。1878年、ニーチェはヴァーグナーから『パルジファル』の台本を贈られるが、ニーチェからみれば通俗的なおとぎ話にすぎない『聖杯伝説』を題材としたこの作品の構想を得意げに語るヴァーグナーへの反感はいよいよ募り、この年に書かれた『人間的な、あまりにも人間的な』でついに決別の意を明らかにし、公然とヴァーグナー批判を始めることとなる。ヴァーグナーからも反論を受けたこの書をもって両者は決別し、再会することはなかった。
しかし晩年、ニーチェは、ヴァーグナーとの話を好んでし、最後に必ず「私はヴァーグナーを愛していた」と付け加えていたという。また同じく発狂後、ヴァーグナー夫人コジマに宛てて「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と謎めいた愛の手紙を送っていることから、コジマへの横恋慕がヴァーグナーとの決裂に関係していたと見る向きもある。一方のコジマは、ニーチェを夫ヴァーグナーを侮辱した男と見ており、マイゼンブーグ充ての書簡では「あれほど惨めな男は見たことがありません。初めて会った時から、ニーチェは病に苦しむ病人でした」と書いている。
1873年から1876年にかけて、ニーチェは4本の長い評論を発表した。『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』(1873年)、『生に対する歴史の利害』(1874年)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874年)、『バイロイトにおけるヴァーグナー』(1876年)である。これらの4本(のちに『反時代的考察』(1876年)の標題のもとに一冊にまとめられる)はいずれも発展途上にあるドイツ文化に挑みかかる文明批評であり、その志向性はショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしている。死後に『ギリシア人の悲劇時代における哲学』として刊行される草稿をまとめはじめたのも1873年以降のことである。
またこの間にヴァーグナー宅での集まりにおいてマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークという女性解放運動に携わるリベラルな女性(ニーチェやレーにルー・ザロメ(後述)を紹介したのも彼女である)やコジマ・ヴァーグナーの前夫である音楽家ハンス・フォン・ビューロー、またパウル・レーらとの交友を深めている。特に1876年の冬にはマイゼンブークやレーともにイタリアのソレントにあるマイゼンブークの別荘まで旅行に行き、哲学的な議論を交わしたりなどしている(ここでの議論をもとに書かれたレーの著書『道徳的感覚の起源』をニーチェは高く評価していた。またソレント滞在中には偶然近くのホテルに宿泊していたヴァーグナーと邂逅しており、これが二人があいまみえた最後の機会となる)。レーとの交友やその思想への共感は、初期の著作に見られたショーペンハウエルに由来するペシミズムからの脱却に大きな影響を与えている。
1878年、『人間的な、あまりにも人間的な』出版。形而上学から道徳まで、あるいは宗教から性までの多彩な主題を含むこのアフォリズム集において、ついにヴァーグナーおよびショーペンハウエルからの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。また、初期ニーチェのよき理解者であったドイッセンやローデとの交友もこのころから途絶えがちになっている。
翌1879年、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の近眼で発作的に何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛に苦しめられるなど、子供のころからさまざまな健康上の問題を抱えており、その上1868年の落馬事故や1870年に患ったジフテリアなどの悪影響もこれに加わっていたのである。バーゼル大学での勤務中もこれらの症状は治まることがなく、仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職せざるをえず、以後は執筆活動に専念することとなった。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。
ニーチェは、病気の療養のために気候のよい土地を求めて、1889年までさまざまな都市を旅しながら、在野の哲学者として生活した。夏はスイスのグラウビュンデン州サンモリッツ近郊の村シルス・マリアで、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、あるいはフランスのニースといった都市で過ごした。
時折、ナウムブルクの家族のもとへも顔を出したが、エリーザベトとの間で衝突を繰り返すことが多かった。ニーチェは、バーゼル大学からの年金で生活していたが、友人から財政支援を受けることがあった。かつての生徒である音楽家ペーター・ガスト(本名はHeinrich Köselitzで、ペーター・ガストというペンネームは、ニーチェが与えたものである)が、ニーチェの秘書として勤めるようになっていた。ガストとオーヴァーベックは、ニーチェの生涯を通じて、誠実な友人であり続けた。
また、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークも、ニーチェがヴァーグナーのサークルを抜け出た後もニーチェに対して、母性的なパトロンでありつづけた。その他にも、音楽評論家のカール・フックスとも連絡を取り合うようになり、それなりの交友関係がまだニーチェには残されていた。そして、このころからニーチェの最も生産的な時期がはじまる。
1878年に『人間的な、あまりに人間的な』を刊行した。そして、それを皮切りにして、ニーチェは1888年まで毎年1冊の著作(ないしその主要部分)を出版することになる。特に、執筆生活最後となる1888年には、5冊もの著作を書き上げるという多産ぶりであった。1879年には、『人間的な』と同様のアフォリズム形式による『さまざまな意見と箴言』を、翌1880年には『漂泊者とその影』を出版した。これらは、いずれも『人間的な』の第2部として組み込まれるようになった。
ニーチェは1881年に『曙光:道徳的先入観についての感想』を、翌1882年には『悦ばしき知識』の第1部を発表した。『力への意志』として知られる著作の構想が芽生えたのもこの時期と言われる(草稿類の残っているのは84年頃から)。またこの年の春、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークとパウル・レーを通じてルー・ザロメと知り合った。
ニーチェは(しばしば付き添いとしてエリーザベトを伴いながら)5月にはスイスのルツェルンで、夏にはテューリンゲン州のタウテンブルクでザロメやレーとともに夏を過ごした。ルツェルンではレーとニーチェが馬車を牽き、ザロメが鞭を振り回すという悪趣味な写真をニーチェの発案で撮影している。ニーチェにとってザロメは対等なパートナーというよりは、自分の思想を語り聞かせ、理解しあえるかもしれない聡明な生徒であった。彼はザロメと恋に落ち、共通の友人であるレーをさしおいてザロメの後を追い回した。そしてついにはザロメに求婚するが、返ってきた返事はつれないものだった。
レーも同じころザロメに結婚を申し入れて同様に振られている。その後も続いたニーチェとレーとザロメの三角関係は1882年から翌年にかけての冬をもって破綻するが、これにはザロメに嫉妬してニーチェ・レー・ザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベトが、ニーチェとザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買っている。後年、自分に都合のよい虚偽に満ちたニーチェの伝記を執筆するエリーザベトは、この件に関しても兄の書簡を破棄あるいは偽造したりザロメのことを中傷したりなどして、均衡していた三角関係をかき乱したのである。結果として、ザロメとレーの二人はニーチェを置いてベルリンへ去り、同棲生活を始めることとなった。
失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐって母や妹と不和になったための孤独、自殺願望にとりつかれた苦悩などの一切から解放されるため、ニーチェはイタリアのラパッロへ逃れ、そこでわずか10日間のうちに『ツァラトゥストラはかく語りき』の第1部を書き上げる。
ショーペンハウアーとの哲学的つながりもヴァーグナーとの社会的つながりも断ち切ったあとでは、ニーチェにはごくわずかな友人しか残っていなかった。ニーチェはこの事態を甘受し、みずからの孤高の立場を堅持した。一時は詩人になろうかとも考えたがすぐにあきらめ、自分の著作がまったくといってよいほど売れないという悩みに煩わされることとなった。1885年には『ツァラトゥストラ』の第4部を上梓するが、これはわずか40部を印刷して、その内7冊を親しい友人へ献本する だけにとどめた。
1886年にニーチェは『善悪の彼岸』を自費出版した。この本と、1886年から1887年にかけて再刊したそれまでの著作(『悲劇の誕生』『人間的な、あまりに人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』)の第2版が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。事実、ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたものではあったが)高まりはじめていた。
メータ・フォン・ザーリス(ドイツ語版)やカール・シュピッテラー、ゴットフリート・ケラーと知り合ったのはこのころである。
1886年、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者のベルンハルト・フェルスターと結婚し、パラグアイに「ドイツ的」コロニーを設立するのだという(ニーチェにとっては噴飯物の)計画を立てて旅立った。書簡の往来を通じて兄妹の関係は対立と和解のあいだを揺れ動いたが、ニーチェの精神が崩壊するまで2人が顔を合わせることはなかった。
病気の発作が激しさと頻度を増したため、ニーチェは長い時間をかけて仕事をすることが不可能になったが、1887年には『道徳の系譜』を一息に書き上げた。同じ年、ニーチェはドストエフスキーの著作(『悪霊』『死の家の記録』など)を読み、その思想に共鳴している。
また、イポリット・テーヌやゲーオア・ブランデスとも文通を始めている。ブランデスはニーチェとキェルケゴールを最も早くから評価していた人物の一人であり、1870年代からコペンハーゲン大学でキェルケゴール哲学を講義していたが、1888年には同大学でニーチェに関するものとしては最も早い講義を行い、ニーチェの名を世に知らしめるのに一役買った批評家である。
ブランデスはニーチェにキェルケゴールを読んでみてはどうかとの手紙を書き送り、ニーチェは薦めにしたがってみようと返事をしている。
ニーチェは1888年に5冊の著作を書き上げた(著作一覧参照)。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、自分の著書(なかんずく『ヴァーグナーの場合』)に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。
ニーチェは、44歳の誕生日に、自伝『この人を見よ』の執筆を開始した。『偶像の黄昏』と『アンチクリスト』を脱稿して間もない頃であった。序文には「私の言葉を聞きたまえ!私はここに書かれているがごとき人間なのだから。そして何より、私を他の誰かと間違えてはならない」と、各章題には「なぜ私はかくも素晴らしい本を書くのか」「なぜ私は一つの運命であるのか」とまで書き記す。12月、ニーチェはストリンドベリとの文通を始める。また、このころのニーチェは国際的な評価を求め、過去の著作の版権を出版社から買い戻して外国語訳させようとも考えた。さらに『ニーチェ対ヴァーグナー』と『ディオニュソス賛歌』の合本を出版しようとの計画も立てた。また『力への意志』も精力的に加筆や推敲を重ねたが、結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告げる。
1889年1月3日、ニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。
数日後、ニーチェはコジマ・ヴァーグナーやブルクハルトほか何人かの友人に以下のような手紙を送っている。ブルクハルト宛の手紙では
と書き、またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では、
というものであった。
1月6日、ブルクハルトはニーチェから届いた手紙をオーヴァーベックに見せたが、翌日にはオーヴァーベックのもとにも同様の手紙が届いた。友人の手でニーチェをバーゼルへ連れ戻す必要があると確信したオーヴァーベックはトリノへ駆けつけ、ニーチェをバーゼルの精神病院へ入院させた。ニーチェの母フランツィスカはイェーナの病院で精神科医オットー・ビンスワンガー(Otto Binswanger)に診てもらうことに決めた。
1889年11月から1890年2月まで、医者のやり方では治療効果がないと主張したユリウス・ラングベーン(Julius Langbehn)が治療に当たった。彼はニーチェの扱いについて大きな影響力をもったが、やがてその秘密主義によって信頼を失った。フランツィスカは1890年3月にニーチェを退院させて5月にはナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。
この間にオーヴァーベックとガストはニーチェの未発表作品の扱いについて相談しあった。1889年1月にはすでに印刷・製本されていた『偶像の黄昏』を刊行、2月には『ニーチェ対ヴァーグナー』の私家版50部を注文する(ただし版元の社長C・G・ナウマンはひそかに100部印刷していた)。またオーヴァーベックとガストはその過激な内容のために『アンチクリスト』と『この人を見よ』の出版を見合わせた。
1893年、エリーザベトが帰国した。夫がパラグアイで「ドイツ的」コロニー経営に失敗し自殺したためであった。彼女は兄の著作を読み、かつ研究して徐々に原稿そのものや出版に関して支配力を揮うようになった。その結果オーヴァーベックは追い払われ、ガストはエリーザベトに従うことを選んだ。
1897年に母フランツィスカが亡くなったのち、兄妹はヴァイマールへ移り住み、エリーザベトは兄の面倒をみながら、訪ねてくる人々(その中にはルドルフ・シュタイナーもいた)に、もはや意思の疎通ができない兄と面会する許可を与えていた。
1900年8月25日、ニーチェは肺炎を患って55歳で亡くなった。エリーザベトの希望で、遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬された。ニーチェは「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との遺言を残していたが、エリーザベトは兄の友人に参列を許さず、葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれた。ガストは弔辞でこう述べている。
エリーザベトは兄の死後、遺稿を編纂して『力への意志』を刊行した。エリーザベトの恣意的な編集はのちに「ニーチェの思想はナチズムに通じるものだ」との誤解を生む原因となった(次節参照)。決定版全集ともいわれる『グロイター版ニーチェ全集』の編集者マッツィーノ・モンティナーリ(英語版)は「贋作」と言っている。
ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やアルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。先行の哲学者マックス・シュティルナーとの間に思想的類似点(ニーチェによる「超人」とシュティルナーによる「唯一者」との思想的類似点等々)を見出され、シュティルナーからの影響がしばしば指摘されるが、ニーチェによる明確な言及はない。そのことはフリードリヒ・ニーチェとマックス・シュティルナーとの関係性の記事に詳しい。
ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
ニーチェは、唯一の真実なるものはなく、解釈があるのみだと考えた。ニーチェにとって、解釈とは、価値、意味を創り出す行為である。そして、解釈は多様である。世界はどのようにも解釈される可能性があり、世界は無数の意味を持つ。 ニーチェがこのように考える背景には、従来的な認識・真理に対する懐疑があった。
ニーチェは、キリスト教が目標とするような彼岸的な世界を否定し、ただこの世界のみを考え、そしてこの世界を生成の世界と捉えた。永劫回帰(永遠回帰)とは、この世界は、全てのものにおいて、まったく同じことが永遠にくり返されるとする考え方である。
これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうキリスト教的世界観の悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。
彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。
それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。ニーチェ思想において力の貴族主義思想を廃することはできない。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。
すなわちニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値を手に入れることができない、流転する価値、生存の前提となる価値を、承認し続けなければならない悲劇的な存在(喜劇的な存在でもある)であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得したことであるとする。その流転する世界の中、流転する真理を直視することは全て「力への意志」と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。
ニーチェは『ヴェーダ』『ウパニシャッド』『マヌ法典』『スッタニパータ』などの古代インド思想に傾倒、ゴータマ・シッダールタを尊敬していた。度々、忌み嫌う西洋キリスト教文明と対比する形で仏教等の古代インド思想を礼賛し、「ヨーロッパはまだ仏教を受け入れるまでに成熟していない」と語っている。
書簡や著作等をみることによって、ニーチェが、いかにして古代インド思想や仏教について知るようになったかが分かる。
ニーチェの思想は妹のエリーザベトがニーチェのメモをナチスに売り渡した事でナチスのイデオロギーに利用されたが、そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いている。
また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛ての最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」と記している。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。
しかしながら、ルカーチ・ジェルジや戦後に刊行のトーマス・マンの、ニーチェをモデルにした小説『ファウストゥス博士』において、ニーチェをナチズムと結びつけて捉えるべきかのように示唆する観点をもつ研究者や作家も存在する。
とくにそれは優生学に基づいた政策を人間に当てはめることを肯定する態度に表れている。
ナチスはユダヤ人虐殺以前に、障害者を強制「断種」して、 その後、精神病院にガス室をつくって障害者を多数「安楽死」させていた。T4作戦も参照。上記のニーチェの思想はナチスの行為を正当化するものとの誤解を与えかねないものであった。
ニーチェの哲学がそれ以後の文学・哲学に与えた影響は多大なものがあり、影響を受けた人物をあげるだけでも相当な数になるが、彼から特に影響を受けた哲学者、思想家としてはハイデガー、ユンガー、バタイユ、フーコー、ドゥルーズ、デリダらがいる。1968年のフランス五月革命の民主化運動も、思想背景はニーチェだった。
当初の表題は『音楽の精神からの悲劇の誕生』(1886年の新版以降は『悲劇の誕生、あるいはギリシア精神とペシミズム』に改題)がある。これは、哲学書ではなく西洋古典学での文献学書である。
ニーチェにしてみれば、明朗快活な古代ギリシア時代という当時の常識を覆し、アポロン的―ディオニュソス的という斬新な概念を導入して、当時の世界観を説いた野心作であった。しかし、このような独断的な内容は、厳密に古典文献を精読するという当時の古典文献学の手法からすれば、暴挙に近いものだった。そのため、周囲からは学問的厳密さを欠く著作として受け取られ、ヴァーグナーや友人のローデを除いて、学界からは完全に黙殺された。
また、師匠のリッチュルも、単にヴァーグナーの音楽を賛美するために古典文献学を利用したと思い、「才気を失った酔っ払い」の書と酷評したため、リッチュルとの関係が悪化した。この書の評判が響いて、発表した1872年の冬学期のニーチェの講義を聞くものは、わずかに2名であった(古典文献学専攻の学生は皆無)。満を持してこの本を出版したニーチェは、大きなショックを受けた。
同時代の古典文献学者の中でほぼ唯一、ニーチェの考えを積極的に受容したのがイギリスのケンブリッジ儀礼学派の祖ジェーン・エレン・ハリソンであった。ハリソンは1903年の著書『Prolegomena to the Study of Greek Religion』において、ディオニュソス信仰とオルフェウス教の密儀によって古代ギリシア人のオリンポスの神々への信仰が「宗教」と呼べるものに転換していったと主張した。
そして、ニーチェは、自身の著作が受け容れられないのは、現代のキリスト教的価値観に囚われたままで古典を読解するという当時の古典文献学の方法にあると考え、やがて激しい古典文献学批判を行なう。そして、『悲劇の誕生』で説いたような、悲劇の精神から遊離し、生というものを見ず、俗物的日常性に埋没し、単に教養することに自己満足して、その教養を自身の生にまったく活用しようとしない、当時のドイツに蔓延していた風潮を、「教養俗物」(Bildungsphilister)と名づけ、それに対する辛辣な批判を後の『反時代的考察』で展開していくことになる。
これは、ヨーロッパ、特にドイツの文化の現状に関して、1873年から1876年にかけて執筆された4編(当初は13編のものとして構想された)からなる評論集である。
1878年に初版を刊行、1886年の第2版からは『さまざまな意見と箴言』(1879年)と『漂泊者とその影』(1880年)をそれぞれ第2巻第1部および第2部として増補、題名も『人間的な、あまりに人間的な ―― 自由精神のための書』と改めた。本書はニーチェの中期を代表する著作であり、ドイツ・ロマン主義およびワーグナーとの決別や明瞭な実証主義的傾向が見て取られる。
また、本書の形式にも注目する必要がある。体系的な哲学の構築を避け、短いものは1行、長いものでも1、2ページからなるアフォリズム数百篇によって構成するという中期以降のスタイルは、本書をもって嚆矢とする。この本では、ニーチェの思想の根本要素が垣間見られるとはいえ、何かを解釈するというよりは、真偽の定かでない前提の暴露を盛り合わせたものである。ニーチェは、「パースペクティヴィズム」と「力への意志」という概念を用いている。
『曙光』(1881年)において、ニーチェは、動因としての快楽主義の役割を斥けて「力の感覚」を強調する。また、道徳と文化の双方における相対主義とキリスト教批判が完成の域に達した。この明晰で穏やかで個人的な文体のアフォリズム集の中で、ニーチェが求めているのは、自分の見解に対する読者の理解よりも、自らが特殊な体験を得ることであるようにも見られる。この本でもまた、後年の思想の萌芽が散見される。
『悦ばしき知識』(1882年)は、ニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、引き続きアフォリズム形式をとりながら、他の諸作よりも多くの思索を含んでいる。中心となるテーマは、「悦ばしい生の肯定」と「生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭」である(タイトルはトルバドゥールの作詩法を表すプロヴァンス語からつけられたもの)。
たとえば、ニーチェは、有名な永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観と真っ向から対立するものである。
永劫回帰説もさることながら、『悦ばしき知識』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの自然主義的・美学的離別を決定づける「神は死んだ」という主張である。
NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ちむどんどん」において、この書に含まれた箴言の一つが、ヒロインが修行するレストランの名前の由来とされている。
『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ニーチェの主著であるとされており、またリヒャルト・シュトラウスに、同名の交響詩を作曲させるきっかけとなった。なお、ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教(拝火教)の開祖ザラスシュトラの名前のドイツ語形の一つであるが、歴史上の人物とは直接関係のない文脈で思想表現の器として利用されるにとどまっている。
ニーチェは、専門的な音楽教育を受けたわけではなかったが、13歳頃から20歳頃にかけて歌曲やピアノ曲などを作曲した。その後、作曲することはなくなったが、ヴァーグナーとの出会いを通して刺激を受け、バーゼル時代にもいくつかの曲を残している。「生涯で70を越す楽曲を作曲したそうである」。作風は前期ロマン派的であり、シューベルトやシューマンを思わせる。彼が後にまったく作曲をしなくなったのは、本業で忙しくなったという理由のほかに、自信作であった『マンフレッド瞑想曲』をハンス・フォン・ビューローに酷評されたことが理由として考えられる。
現在に至るまで、ニーチェが作曲家として認識されたことはほとんどないが、著名な哲学者の作曲した作品ということで、一部の演奏家が録音で取り上げるようになり、徐々に彼の「作曲もする哲学者」としての側面が明らかになっている。彼の作品は、すべて歌曲かピアノ曲のどちらかであるが、四手連弾の作品の中には『マンフレッド瞑想曲』交響詩『エルマナリヒ』など、オーケストラを念頭に置いて書かれたであろう作品も存在する。また、オペラのスケッチを残しており、2007年にジークフリート・マトゥスがそのスケッチを骨子としてオペラ『コジマ』を作曲した。
遺稿集には
※最近の主な「全集」は、校訂を一新したグロイター版を底本とする白水社版(第1期全12巻・第2期全12巻)と、それより古いクレーナー版・ムザリオン版・シュレヒタ版等に基づく筑摩書房「ちくま学芸文庫」版(全15巻、元版は理想社)。白水社版は多くの「遺された著作」「遺された断想」を含むが、第3期が未刊行となった。ちくま学芸文庫版は、上記の他に別巻4冊(書簡・詩集・遺稿集『生成の無垢』を収録)を刊行している。
文庫版は『ツァラトゥストラはこう言った』、『悲劇の誕生』、『道徳の系譜』、『善悪の彼岸』、『この人を見よ』など、岩波文庫・光文社古典新訳文庫、河出文庫などで刊行している。 | [
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"text": "フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。",
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"text": "現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版、ドイツ語版)に才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって以降はプロイセン国籍を離脱して無国籍者であった。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。",
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"text": "なお、ドイツ語では「ニーチェ」(フリードリヒ [ˈfriːdrɪç] ヴィルヘルム [ˈvɪlhɛlm] ニーチェ [ˈniːtʃə])のみならず「ニーツシェ」[ˈniːtsʃə]とも発音される。",
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"text": "ニーチェは、1844年10月15日火曜日にプロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセン(Provinz Sachsen - 現在はザクセン=アンハルト州など)、ライプツィヒ近郊の小村レッツェン・バイ・リュッケンに、父カール・ルートヴィヒと母フランツィスカの間に生まれた。父カールは、ルター派の裕福な牧師で元教師であった。同じ日に49回目の誕生日を迎えた当時のプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世にちなんで、「フリードリヒ・ヴィルヘルム」と名付けられた。なお、ニーチェは後にミドルネーム「ヴィルヘルム」を捨てている。",
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"text": "1846年には妹エリーザベトが、1848年には弟ルートヴィヒ・ヨーゼフが生まれている。しかし、ニーチェが4歳の時(1848年)8月、父カール・ルートヴィヒは近眼が原因で足元にいた小犬に気付かず、つまづき玄関先の石段を転げ落ちて頭を強く打ち付けた。ニーチェ5歳の時1849年4月30日にこの時の怪我が原因で死去した。また、それを追うように、1850年には2歳の弟ヨーゼフが、歯が原因とされる痙攣によって病死。また、父の死の日付に関しては、ニーチェ自身は、7月27日と語り、弟の死に関しては、1850年1月末の出来事と語る。",
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"text": "男手を失い、家計を保つ必要性があったことから、父方の祖母とその兄クラウゼ牧師を頼って故郷レッケンを去りナウムブルクに移住する。また、二人の伯母も家事や食事などに協力した。計6人でのナウムブルクでの生活が始まった。",
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"text": "その後ニーチェは、6歳になる前に、ナウムブルクの市立小学校に入学する。翌年、ウェーベル(ウェーバー)氏の私塾(予備校)に入った。数年そこで学び、1854年にナウムブルクのギムナジウムに入学する。",
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"text": "なお、私塾では、ギリシア語ラテン語の初歩教育を受け、ただ勉強を受けるだけではなく、外へ遠足へ出かけることもあり楽しかったとニーチェは語る。",
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"text": "ニーチェは、父が死ぬ前の幼い時代が幸せだったこと、その後父や弟が死んだ時の悲しみを、ギムナジウム時代に書いた自伝集で綴っている。また伯母や祖母の死もあったこと、そして、その他のいろんな困難を自分が乗り越えてきたことを語る。そして、それには神の導きのお陰があったと信じていた。神に関しては、この時代はまだ信仰していた事がわかる。",
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"text": "市立小学校時代のニーチェの性格をうかがわせるものとして、多くの解説書で語られる有名なエピソードがある。",
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"text": "まだニーチェが市立小学校に通っていた頃、帰りににわか雨が降ってきた。他の子供たちは傘がなく走って帰って来た。にも拘わらずニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰って来たという。心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と怒ったところ、ニーチェは「校則に帰りは走らず静かに帰れと書いてあるから」と、述べたという。このエピソードは、よくニーチェという人物の生真面目さと結び付けられて語られている。",
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"text": "エリーザベトが残した文からエリーザベトが兄への尊敬の念を持っていたことも分かっている。その理由は、兄の人格が誠実で嘘を憎むからであり、さらには活発で抑えのきかない自分に自制の心を教えてくれたからだという。",
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"text": "さらに、エリーザベトは6歳の頃から、兄の書いた文を集めていたことがわかっている。エリーザベトは、ニーチェ文庫を創設しており、彼女が集めた文書は兄の研究に大きく貢献した。一方で彼女は、兄の遺稿をめちゃくちゃに編集したり、ナチスに宣伝したりした。その理由は、自身の名誉のためという説が強いが、こうしたエリーザベトの兄への思いも考慮して、兄への尊敬の念が行き過ぎてしまっただけなのだという見方をする者もいる 。",
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"text": "ニーチェは、1854年からナウムブルクのギムナジウムへ通った。",
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"text": "ギムナジウムでは音楽と国語の優れた才能を認められていた。プフォルター学院に移る少し前、一人の伯母の死とそれに相次ぐ、祖母の死をきっかけにニーチェの母は移住することを決める。ニーチェの母は友達の牧師に家を借りる。ニーチェは勉強やスポーツに励み、友人であるピンデル(ピンダー)やクルークとの交流のおかげもあって芸術や作曲に長けていた。",
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"text": "その噂を聞いたドイツ屈指の名門校プフォルタ学院(ドイツ語版、英語版)の校長から給費生としての転学の誘いが届く。ドイツ屈指の名門校プフォルタ学院にニーチェは、母や妹とのしばしの別れを惜しみながらも入学する事を決心した。このとき、生まれて初めて、田舎の保守的なキリスト教精神から離れて暮らすこととなる。",
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"text": "1858年から1864年までは、古代ギリシアやローマの古典・哲学・文学等を全寮制・個別指導で鍛えあげられ、模範的な成績を残す。また、詩の執筆や作曲を手がけてみたり、パウル・ドイッセン(Paul Deussen)と友人になったりした。",
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"text": "またニーチェは、プフォルター学院時代に、詩や音楽を自作し互いに評価しあうグループ「ゲルマニア」を結成し、その中心人物として活動した。",
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"text": "1864年にプフォルター学院を卒業すると、ニーチェはボン大学へ進んで、神学部と哲学部に籍を置く。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になる事を願っていたための配慮だったと指摘される。しかし、ニーチェは徐々に哲学部での古典文献学の研究に強い興味を持っていく。",
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"text": "そして、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている(当時のドイツの田舎で、牧師の息子が信仰を放棄するというのは、大変珍しい事で、ましてや、夫を亡くした母にとっては、一家の一大事と考えた事も予測できる)。ニーチェのこの決断に大きな影響を及ぼしたのは、ダーヴィト・シュトラウスの著書『イエスの生涯』である。",
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"text": "ニーチェは、大学在学中に、友人ドイッセンとともに「フランコニア」というブルシェンシャフト(学生運動団体)に加わったが、最初の頃は楽しんでいたものの、徐々にニーチェはその騒がしさや野蛮さに嫌悪を抱いていったようであるその事は、友人ゲルスドルフに宛てた手紙から確認されている。",
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"text": "また、ボン大学では、古典文献学の研究で実証的・批判的なすぐれた研究を行ったフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル(英語版)と出会い、師事する。リッチュルは、当時大学1年生であったニーチェの類い稀な知性をいち早く見抜き、ただニーチェに受賞させるためだけに、懸賞論文の公募を行なうよう大学当局へもちかけている。",
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"text": "ニーチェは、このリッチュルのもとで文献学を修得している。そして、リッチュルがボン大学からライプツィヒ大学へ転属となったのに合わせて、自分もライプツィヒ大学へ転学する。このライプツィヒ大学では、ギリシア宗教史家エルヴィン・ローデ(英語版)と知り合い親友となる。彼は、後にイェーナ大学やハイデルベルク大学などで教鞭を執ることになる。また、1867年には、一年志願兵として砲兵師団へ入隊するが、1868年3月に落馬事故で大怪我をしたため除隊する。それから、再び学問へ没頭することになる。",
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"text": "ライプツィヒ大学在学中、ニーチェの思想を形成する上で大きな影響があったと指摘される出会いが、2つあった。ひとつは、1865年に古本屋の離れに下宿していたニーチェが、その店でショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』を偶然購入し、この書の虜となったことである。もうひとつは、1868年11月、リッチュルの紹介で、当時ライプツィヒに滞在していたリヒャルト・ヴァーグナーと面識を得られたことである。ローデ宛ての手紙の中で、ショーペンハウエルについてヴァーグナーと論じ合ったことや「音楽と哲学について語り合おう」と自宅へ招待されたことなどを興奮気味に伝えている。",
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"text": "1869年のニーチェは24歳で、博士号も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、バーゼル大学から古典文献学の教授として招聘された。バーゼルへ赴任するにあたり、ニーチェはスイス国籍の取得を考え、プロイセン国籍を放棄する(実際にスイス国籍を取得してはいない。これ以後、ニーチェは終生無国籍者として生きることとなる)。",
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"text": "本人は哲学の担当を希望したが受け入れられず、古代ギリシアに関する古典文献学を専門とすることとなる。講義は就任講演「ホメロスと古典文献学」に始まるが、自分にも学生にも厳しい講義のスタイルは当時話題となった。研究者としては、古代の詩における基本単位は音節の長さだけであり、近代のようなアクセントに基づく基本単位とは異なるということを発見した。終生の友人となる神学教授フランツ・オーヴァーベック(Franz Overbeck)と出会ったほか、古代ギリシアやルネサンス時代の文化史を講じていたヤーコプ・ブルクハルトとの親交が始まり、その講義に出席するなどして深い影響を受けたのもバーゼル大学でのことである。",
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"text": "1872年、ニーチェは第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『悲劇の誕生』と改題)を出版した。",
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"text": "しかしリッチュルや同僚をはじめとする文献学者の中には、厳密な古典文献学的手法を用いず哲学的な推論に頼ったこの本への賛意を表すものは一人とてなかった。特にウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフは『未来の文献学』と題した(ヴァーグナーが自分の音楽を「未来の音楽」と称していたことにあてつけた題である)強烈な批判論文を発表し、まったくの主観性に彩られた『悲劇の誕生』は文献学という学問に対する裏切りであるとしてこの本を全否定した。好意をもってこの本を受け取ったのは、献辞を捧げられたヴァーグナーの他にはボン大学以来の友人ローデ(当時はキール大学教授)のみである。こうした悪評が響いたため同年冬学期のニーチェの講義からは古典文献学専攻の学生がすべて姿を消し、聴講者はわずかに2名(いずれも他学部)となってしまう。大学の学科内で完全に孤立したニーチェは哲学科への異動を希望するが認められなかった。",
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"text": "生涯を通じて音楽に強い関心をもっていたニーチェは学生時代から熱烈なヴァーグナーのファンであり、1868年にはすでにライプツィヒでヴァーグナーとの対面を果たしている。やがてヴァーグナーの妻コジマとも知遇を得て夫妻への賛美の念を深めたニーチェは、バーゼルへ移住してからというもの、同じくスイスのルツェルン市トリプシェンに住んでいたヴァーグナーの邸宅へ何度も足を運んだ(23回も通ったことが記録されている)。ヴァーグナーは31歳も年の離れたニーチェを親しい友人たちの集まりへ誘い入れ、バイロイト祝祭劇場の建設計画を語り聞かせてニーチェを感激させ、一方ニーチェは1870年のコジマの誕生日に『悲劇の誕生』の原型となった論文の手稿をプレゼントするなど、二人は年齢差を越えて親交を深めた。",
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"text": "近代ドイツの美学思想には、古代ギリシアを「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想するという、美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン以来の伝統があった。当時はまだそれほど影響力をもっていなかった音楽家であると同時に、ドイツ3月革命に参加した革命家でもあるヴァーグナーもまたこの系譜に属している。『芸術と革命』をはじめとする彼の論文では、この滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけギリシア悲劇)を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、とのロマン主義的思想が述べられている。そしてニーチェにとって(またヴァーグナー本人にとっても)、この革命を成し遂げる偉大な革命家こそヴァーグナーその人に他ならなかった。",
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"text": "ヴァーグナーに対するニーチェの心酔ぶりは、第一作『悲劇の誕生』(1872年)において古典文献学的手法をあえて踏み外しながらもヴァーグナーを(同業者から全否定されるまでに)きわめて好意的に取りあげ、ヴァーグナー自身を狂喜させるほどであったが、その後はヴァーグナー訪問も次第に形式的なものになっていった。",
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"text": "1876年、ついに落成したバイロイト祝祭劇場での第1回バイロイト音楽祭および主演目『ニーベルングの指環』初演を観に行くが、パトロンのバイエルン王ルートヴィヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世といった各国の国王や貴族に囲まれて得意の絶頂にあるヴァーグナーその人と自身とのあいだに著しい隔たりを感じたニーチェは、そこにいるのが市民社会の道徳や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとするかつての革命家ヴァーグナーでないこと、そこにあるのは古代ギリシア精神の高貴さではなくブルジョア社会の卑俗さにすぎないことなどを確信する。また肝心の『ニーベルングの指環』自体も出来が悪く(事実、新聞等で報じられた舞台評も散々なものであったためヴァーグナー自身ノイローゼに陥っている)、ニーチェは失望のあまり上演の途中で抜け出し、ついにヴァーグナーから離れていった。祝祭劇場から離れる際、ニーチェは妹のエリーザベトに対し、「これがバイロイトだったのだよ」と言った。",
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"text": "この一件と前後して書かれた『バイロイトにおけるヴァーグナー』ではまだ抑えられているが、ヴァーグナーへの懐疑や失望の念は深まってゆき、二人が顔を合わせるのはこの年が最後のこととなった。1878年、ニーチェはヴァーグナーから『パルジファル』の台本を贈られるが、ニーチェからみれば通俗的なおとぎ話にすぎない『聖杯伝説』を題材としたこの作品の構想を得意げに語るヴァーグナーへの反感はいよいよ募り、この年に書かれた『人間的な、あまりにも人間的な』でついに決別の意を明らかにし、公然とヴァーグナー批判を始めることとなる。ヴァーグナーからも反論を受けたこの書をもって両者は決別し、再会することはなかった。",
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"text": "しかし晩年、ニーチェは、ヴァーグナーとの話を好んでし、最後に必ず「私はヴァーグナーを愛していた」と付け加えていたという。また同じく発狂後、ヴァーグナー夫人コジマに宛てて「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と謎めいた愛の手紙を送っていることから、コジマへの横恋慕がヴァーグナーとの決裂に関係していたと見る向きもある。一方のコジマは、ニーチェを夫ヴァーグナーを侮辱した男と見ており、マイゼンブーグ充ての書簡では「あれほど惨めな男は見たことがありません。初めて会った時から、ニーチェは病に苦しむ病人でした」と書いている。",
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"text": "1873年から1876年にかけて、ニーチェは4本の長い評論を発表した。『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』(1873年)、『生に対する歴史の利害』(1874年)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874年)、『バイロイトにおけるヴァーグナー』(1876年)である。これらの4本(のちに『反時代的考察』(1876年)の標題のもとに一冊にまとめられる)はいずれも発展途上にあるドイツ文化に挑みかかる文明批評であり、その志向性はショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしている。死後に『ギリシア人の悲劇時代における哲学』として刊行される草稿をまとめはじめたのも1873年以降のことである。",
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"text": "またこの間にヴァーグナー宅での集まりにおいてマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークという女性解放運動に携わるリベラルな女性(ニーチェやレーにルー・ザロメ(後述)を紹介したのも彼女である)やコジマ・ヴァーグナーの前夫である音楽家ハンス・フォン・ビューロー、またパウル・レーらとの交友を深めている。特に1876年の冬にはマイゼンブークやレーともにイタリアのソレントにあるマイゼンブークの別荘まで旅行に行き、哲学的な議論を交わしたりなどしている(ここでの議論をもとに書かれたレーの著書『道徳的感覚の起源』をニーチェは高く評価していた。またソレント滞在中には偶然近くのホテルに宿泊していたヴァーグナーと邂逅しており、これが二人があいまみえた最後の機会となる)。レーとの交友やその思想への共感は、初期の著作に見られたショーペンハウエルに由来するペシミズムからの脱却に大きな影響を与えている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "1878年、『人間的な、あまりにも人間的な』出版。形而上学から道徳まで、あるいは宗教から性までの多彩な主題を含むこのアフォリズム集において、ついにヴァーグナーおよびショーペンハウエルからの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。また、初期ニーチェのよき理解者であったドイッセンやローデとの交友もこのころから途絶えがちになっている。",
"title": "生涯"
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"text": "翌1879年、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の近眼で発作的に何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛に苦しめられるなど、子供のころからさまざまな健康上の問題を抱えており、その上1868年の落馬事故や1870年に患ったジフテリアなどの悪影響もこれに加わっていたのである。バーゼル大学での勤務中もこれらの症状は治まることがなく、仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職せざるをえず、以後は執筆活動に専念することとなった。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。",
"title": "生涯"
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"text": "ニーチェは、病気の療養のために気候のよい土地を求めて、1889年までさまざまな都市を旅しながら、在野の哲学者として生活した。夏はスイスのグラウビュンデン州サンモリッツ近郊の村シルス・マリアで、冬はイタリアのジェノヴァ、ラパッロ、トリノ、あるいはフランスのニースといった都市で過ごした。",
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"text": "時折、ナウムブルクの家族のもとへも顔を出したが、エリーザベトとの間で衝突を繰り返すことが多かった。ニーチェは、バーゼル大学からの年金で生活していたが、友人から財政支援を受けることがあった。かつての生徒である音楽家ペーター・ガスト(本名はHeinrich Köselitzで、ペーター・ガストというペンネームは、ニーチェが与えたものである)が、ニーチェの秘書として勤めるようになっていた。ガストとオーヴァーベックは、ニーチェの生涯を通じて、誠実な友人であり続けた。",
"title": "生涯"
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{
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"text": "また、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークも、ニーチェがヴァーグナーのサークルを抜け出た後もニーチェに対して、母性的なパトロンでありつづけた。その他にも、音楽評論家のカール・フックスとも連絡を取り合うようになり、それなりの交友関係がまだニーチェには残されていた。そして、このころからニーチェの最も生産的な時期がはじまる。",
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"text": "1878年に『人間的な、あまりに人間的な』を刊行した。そして、それを皮切りにして、ニーチェは1888年まで毎年1冊の著作(ないしその主要部分)を出版することになる。特に、執筆生活最後となる1888年には、5冊もの著作を書き上げるという多産ぶりであった。1879年には、『人間的な』と同様のアフォリズム形式による『さまざまな意見と箴言』を、翌1880年には『漂泊者とその影』を出版した。これらは、いずれも『人間的な』の第2部として組み込まれるようになった。",
"title": "生涯"
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"text": "ニーチェは1881年に『曙光:道徳的先入観についての感想』を、翌1882年には『悦ばしき知識』の第1部を発表した。『力への意志』として知られる著作の構想が芽生えたのもこの時期と言われる(草稿類の残っているのは84年頃から)。またこの年の春、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークとパウル・レーを通じてルー・ザロメと知り合った。",
"title": "生涯"
},
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"text": "ニーチェは(しばしば付き添いとしてエリーザベトを伴いながら)5月にはスイスのルツェルンで、夏にはテューリンゲン州のタウテンブルクでザロメやレーとともに夏を過ごした。ルツェルンではレーとニーチェが馬車を牽き、ザロメが鞭を振り回すという悪趣味な写真をニーチェの発案で撮影している。ニーチェにとってザロメは対等なパートナーというよりは、自分の思想を語り聞かせ、理解しあえるかもしれない聡明な生徒であった。彼はザロメと恋に落ち、共通の友人であるレーをさしおいてザロメの後を追い回した。そしてついにはザロメに求婚するが、返ってきた返事はつれないものだった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 44,
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"text": "レーも同じころザロメに結婚を申し入れて同様に振られている。その後も続いたニーチェとレーとザロメの三角関係は1882年から翌年にかけての冬をもって破綻するが、これにはザロメに嫉妬してニーチェ・レー・ザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベトが、ニーチェとザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買っている。後年、自分に都合のよい虚偽に満ちたニーチェの伝記を執筆するエリーザベトは、この件に関しても兄の書簡を破棄あるいは偽造したりザロメのことを中傷したりなどして、均衡していた三角関係をかき乱したのである。結果として、ザロメとレーの二人はニーチェを置いてベルリンへ去り、同棲生活を始めることとなった。",
"title": "生涯"
},
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"paragraph_id": 45,
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"text": "失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐって母や妹と不和になったための孤独、自殺願望にとりつかれた苦悩などの一切から解放されるため、ニーチェはイタリアのラパッロへ逃れ、そこでわずか10日間のうちに『ツァラトゥストラはかく語りき』の第1部を書き上げる。",
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"paragraph_id": 46,
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"text": "ショーペンハウアーとの哲学的つながりもヴァーグナーとの社会的つながりも断ち切ったあとでは、ニーチェにはごくわずかな友人しか残っていなかった。ニーチェはこの事態を甘受し、みずからの孤高の立場を堅持した。一時は詩人になろうかとも考えたがすぐにあきらめ、自分の著作がまったくといってよいほど売れないという悩みに煩わされることとなった。1885年には『ツァラトゥストラ』の第4部を上梓するが、これはわずか40部を印刷して、その内7冊を親しい友人へ献本する だけにとどめた。",
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},
{
"paragraph_id": 47,
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"text": "1886年にニーチェは『善悪の彼岸』を自費出版した。この本と、1886年から1887年にかけて再刊したそれまでの著作(『悲劇の誕生』『人間的な、あまりに人間的な』『曙光』『悦ばしき知識』)の第2版が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。事実、ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたものではあったが)高まりはじめていた。",
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"paragraph_id": 48,
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"text": "メータ・フォン・ザーリス(ドイツ語版)やカール・シュピッテラー、ゴットフリート・ケラーと知り合ったのはこのころである。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 49,
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"text": "1886年、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者のベルンハルト・フェルスターと結婚し、パラグアイに「ドイツ的」コロニーを設立するのだという(ニーチェにとっては噴飯物の)計画を立てて旅立った。書簡の往来を通じて兄妹の関係は対立と和解のあいだを揺れ動いたが、ニーチェの精神が崩壊するまで2人が顔を合わせることはなかった。",
"title": "生涯"
},
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"paragraph_id": 50,
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"text": "病気の発作が激しさと頻度を増したため、ニーチェは長い時間をかけて仕事をすることが不可能になったが、1887年には『道徳の系譜』を一息に書き上げた。同じ年、ニーチェはドストエフスキーの著作(『悪霊』『死の家の記録』など)を読み、その思想に共鳴している。",
"title": "生涯"
},
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"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "また、イポリット・テーヌやゲーオア・ブランデスとも文通を始めている。ブランデスはニーチェとキェルケゴールを最も早くから評価していた人物の一人であり、1870年代からコペンハーゲン大学でキェルケゴール哲学を講義していたが、1888年には同大学でニーチェに関するものとしては最も早い講義を行い、ニーチェの名を世に知らしめるのに一役買った批評家である。",
"title": "生涯"
},
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"paragraph_id": 52,
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"text": "ブランデスはニーチェにキェルケゴールを読んでみてはどうかとの手紙を書き送り、ニーチェは薦めにしたがってみようと返事をしている。",
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{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "ニーチェは1888年に5冊の著作を書き上げた(著作一覧参照)。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、自分の著書(なかんずく『ヴァーグナーの場合』)に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 54,
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"text": "ニーチェは、44歳の誕生日に、自伝『この人を見よ』の執筆を開始した。『偶像の黄昏』と『アンチクリスト』を脱稿して間もない頃であった。序文には「私の言葉を聞きたまえ!私はここに書かれているがごとき人間なのだから。そして何より、私を他の誰かと間違えてはならない」と、各章題には「なぜ私はかくも素晴らしい本を書くのか」「なぜ私は一つの運命であるのか」とまで書き記す。12月、ニーチェはストリンドベリとの文通を始める。また、このころのニーチェは国際的な評価を求め、過去の著作の版権を出版社から買い戻して外国語訳させようとも考えた。さらに『ニーチェ対ヴァーグナー』と『ディオニュソス賛歌』の合本を出版しようとの計画も立てた。また『力への意志』も精力的に加筆や推敲を重ねたが、結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告げる。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 55,
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"text": "1889年1月3日、ニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。",
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"paragraph_id": 56,
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"text": "数日後、ニーチェはコジマ・ヴァーグナーやブルクハルトほか何人かの友人に以下のような手紙を送っている。ブルクハルト宛の手紙では",
"title": "生涯"
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"text": "と書き、またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では、",
"title": "生涯"
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"tag": "p",
"text": "というものであった。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 59,
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"text": "1月6日、ブルクハルトはニーチェから届いた手紙をオーヴァーベックに見せたが、翌日にはオーヴァーベックのもとにも同様の手紙が届いた。友人の手でニーチェをバーゼルへ連れ戻す必要があると確信したオーヴァーベックはトリノへ駆けつけ、ニーチェをバーゼルの精神病院へ入院させた。ニーチェの母フランツィスカはイェーナの病院で精神科医オットー・ビンスワンガー(Otto Binswanger)に診てもらうことに決めた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 60,
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"text": "1889年11月から1890年2月まで、医者のやり方では治療効果がないと主張したユリウス・ラングベーン(Julius Langbehn)が治療に当たった。彼はニーチェの扱いについて大きな影響力をもったが、やがてその秘密主義によって信頼を失った。フランツィスカは1890年3月にニーチェを退院させて5月にはナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "この間にオーヴァーベックとガストはニーチェの未発表作品の扱いについて相談しあった。1889年1月にはすでに印刷・製本されていた『偶像の黄昏』を刊行、2月には『ニーチェ対ヴァーグナー』の私家版50部を注文する(ただし版元の社長C・G・ナウマンはひそかに100部印刷していた)。またオーヴァーベックとガストはその過激な内容のために『アンチクリスト』と『この人を見よ』の出版を見合わせた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 62,
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"text": "1893年、エリーザベトが帰国した。夫がパラグアイで「ドイツ的」コロニー経営に失敗し自殺したためであった。彼女は兄の著作を読み、かつ研究して徐々に原稿そのものや出版に関して支配力を揮うようになった。その結果オーヴァーベックは追い払われ、ガストはエリーザベトに従うことを選んだ。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 63,
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"text": "1897年に母フランツィスカが亡くなったのち、兄妹はヴァイマールへ移り住み、エリーザベトは兄の面倒をみながら、訪ねてくる人々(その中にはルドルフ・シュタイナーもいた)に、もはや意思の疎通ができない兄と面会する許可を与えていた。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 64,
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"text": "1900年8月25日、ニーチェは肺炎を患って55歳で亡くなった。エリーザベトの希望で、遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬された。ニーチェは「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との遺言を残していたが、エリーザベトは兄の友人に参列を許さず、葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれた。ガストは弔辞でこう述べている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 65,
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"text": "エリーザベトは兄の死後、遺稿を編纂して『力への意志』を刊行した。エリーザベトの恣意的な編集はのちに「ニーチェの思想はナチズムに通じるものだ」との誤解を生む原因となった(次節参照)。決定版全集ともいわれる『グロイター版ニーチェ全集』の編集者マッツィーノ・モンティナーリ(英語版)は「贋作」と言っている。",
"title": "生涯"
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"paragraph_id": 66,
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"text": "ニーチェはソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学やアルトゥル・ショーペンハウアーなどから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で西洋文明を革新的に解釈した。実存主義の先駆者、または生の哲学の哲学者とされる。先行の哲学者マックス・シュティルナーとの間に思想的類似点(ニーチェによる「超人」とシュティルナーによる「唯一者」との思想的類似点等々)を見出され、シュティルナーからの影響がしばしば指摘されるが、ニーチェによる明確な言及はない。そのことはフリードリヒ・ニーチェとマックス・シュティルナーとの関係性の記事に詳しい。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "ニーチェは、唯一の真実なるものはなく、解釈があるのみだと考えた。ニーチェにとって、解釈とは、価値、意味を創り出す行為である。そして、解釈は多様である。世界はどのようにも解釈される可能性があり、世界は無数の意味を持つ。 ニーチェがこのように考える背景には、従来的な認識・真理に対する懐疑があった。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "ニーチェは、キリスト教が目標とするような彼岸的な世界を否定し、ただこの世界のみを考え、そしてこの世界を生成の世界と捉えた。永劫回帰(永遠回帰)とは、この世界は、全てのものにおいて、まったく同じことが永遠にくり返されるとする考え方である。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "これは、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねてしまうキリスト教的世界観の悪癖を否定し、無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという超人思想につながる概念である。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『ツァラトゥストラ』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、西洋文明が始まって以来、特にソクラテス以降の哲学・道徳・科学を背後で支え続けた思想の死を告げた。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "それまで世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との社会・世界・超越者との関係について考察し、人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。ニーチェ思想において力の貴族主義思想を廃することはできない。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "すなわちニーチェは、クリスチャニズム、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた形而上学的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値を手に入れることができない、流転する価値、生存の前提となる価値を、承認し続けなければならない悲劇的な存在(喜劇的な存在でもある)であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得したことであるとする。その流転する世界の中、流転する真理を直視することは全て「力への意志」と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。",
"title": "思想"
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{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "ニーチェは『ヴェーダ』『ウパニシャッド』『マヌ法典』『スッタニパータ』などの古代インド思想に傾倒、ゴータマ・シッダールタを尊敬していた。度々、忌み嫌う西洋キリスト教文明と対比する形で仏教等の古代インド思想を礼賛し、「ヨーロッパはまだ仏教を受け入れるまでに成熟していない」と語っている。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "書簡や著作等をみることによって、ニーチェが、いかにして古代インド思想や仏教について知るようになったかが分かる。",
"title": "思想"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "ニーチェの思想は妹のエリーザベトがニーチェのメモをナチスに売り渡した事でナチスのイデオロギーに利用されたが、そもそもニーチェは、反ユダヤ主義に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていたベルンハルト・フェルスターと結婚したのち、1887年には次のような手紙を書いている。",
"title": "ナチズムへの利用"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "また、1889年1月6日ヤーコプ・ブルクハルト宛ての最後の書簡は、「ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」と記している。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。民族主義国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。",
"title": "ナチズムへの利用"
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{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "しかしながら、ルカーチ・ジェルジや戦後に刊行のトーマス・マンの、ニーチェをモデルにした小説『ファウストゥス博士』において、ニーチェをナチズムと結びつけて捉えるべきかのように示唆する観点をもつ研究者や作家も存在する。",
"title": "ナチズムへの利用"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "とくにそれは優生学に基づいた政策を人間に当てはめることを肯定する態度に表れている。",
"title": "ナチズムへの利用"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "ナチスはユダヤ人虐殺以前に、障害者を強制「断種」して、 その後、精神病院にガス室をつくって障害者を多数「安楽死」させていた。T4作戦も参照。上記のニーチェの思想はナチスの行為を正当化するものとの誤解を与えかねないものであった。",
"title": "ナチズムへの利用"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "ニーチェの哲学がそれ以後の文学・哲学に与えた影響は多大なものがあり、影響を受けた人物をあげるだけでも相当な数になるが、彼から特に影響を受けた哲学者、思想家としてはハイデガー、ユンガー、バタイユ、フーコー、ドゥルーズ、デリダらがいる。1968年のフランス五月革命の民主化運動も、思想背景はニーチェだった。",
"title": "それ以後の哲学・思想への影響"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "当初の表題は『音楽の精神からの悲劇の誕生』(1886年の新版以降は『悲劇の誕生、あるいはギリシア精神とペシミズム』に改題)がある。これは、哲学書ではなく西洋古典学での文献学書である。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "ニーチェにしてみれば、明朗快活な古代ギリシア時代という当時の常識を覆し、アポロン的―ディオニュソス的という斬新な概念を導入して、当時の世界観を説いた野心作であった。しかし、このような独断的な内容は、厳密に古典文献を精読するという当時の古典文献学の手法からすれば、暴挙に近いものだった。そのため、周囲からは学問的厳密さを欠く著作として受け取られ、ヴァーグナーや友人のローデを除いて、学界からは完全に黙殺された。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "また、師匠のリッチュルも、単にヴァーグナーの音楽を賛美するために古典文献学を利用したと思い、「才気を失った酔っ払い」の書と酷評したため、リッチュルとの関係が悪化した。この書の評判が響いて、発表した1872年の冬学期のニーチェの講義を聞くものは、わずかに2名であった(古典文献学専攻の学生は皆無)。満を持してこの本を出版したニーチェは、大きなショックを受けた。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "同時代の古典文献学者の中でほぼ唯一、ニーチェの考えを積極的に受容したのがイギリスのケンブリッジ儀礼学派の祖ジェーン・エレン・ハリソンであった。ハリソンは1903年の著書『Prolegomena to the Study of Greek Religion』において、ディオニュソス信仰とオルフェウス教の密儀によって古代ギリシア人のオリンポスの神々への信仰が「宗教」と呼べるものに転換していったと主張した。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "そして、ニーチェは、自身の著作が受け容れられないのは、現代のキリスト教的価値観に囚われたままで古典を読解するという当時の古典文献学の方法にあると考え、やがて激しい古典文献学批判を行なう。そして、『悲劇の誕生』で説いたような、悲劇の精神から遊離し、生というものを見ず、俗物的日常性に埋没し、単に教養することに自己満足して、その教養を自身の生にまったく活用しようとしない、当時のドイツに蔓延していた風潮を、「教養俗物」(Bildungsphilister)と名づけ、それに対する辛辣な批判を後の『反時代的考察』で展開していくことになる。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "これは、ヨーロッパ、特にドイツの文化の現状に関して、1873年から1876年にかけて執筆された4編(当初は13編のものとして構想された)からなる評論集である。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "1878年に初版を刊行、1886年の第2版からは『さまざまな意見と箴言』(1879年)と『漂泊者とその影』(1880年)をそれぞれ第2巻第1部および第2部として増補、題名も『人間的な、あまりに人間的な ―― 自由精神のための書』と改めた。本書はニーチェの中期を代表する著作であり、ドイツ・ロマン主義およびワーグナーとの決別や明瞭な実証主義的傾向が見て取られる。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "また、本書の形式にも注目する必要がある。体系的な哲学の構築を避け、短いものは1行、長いものでも1、2ページからなるアフォリズム数百篇によって構成するという中期以降のスタイルは、本書をもって嚆矢とする。この本では、ニーチェの思想の根本要素が垣間見られるとはいえ、何かを解釈するというよりは、真偽の定かでない前提の暴露を盛り合わせたものである。ニーチェは、「パースペクティヴィズム」と「力への意志」という概念を用いている。",
"title": "個々の著作の概要"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "『曙光』(1881年)において、ニーチェは、動因としての快楽主義の役割を斥けて「力の感覚」を強調する。また、道徳と文化の双方における相対主義とキリスト教批判が完成の域に達した。この明晰で穏やかで個人的な文体のアフォリズム集の中で、ニーチェが求めているのは、自分の見解に対する読者の理解よりも、自らが特殊な体験を得ることであるようにも見られる。この本でもまた、後年の思想の萌芽が散見される。",
"title": "個々の著作の概要"
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{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "『悦ばしき知識』(1882年)は、ニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、引き続きアフォリズム形式をとりながら、他の諸作よりも多くの思索を含んでいる。中心となるテーマは、「悦ばしい生の肯定」と「生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭」である(タイトルはトルバドゥールの作詩法を表すプロヴァンス語からつけられたもの)。",
"title": "個々の著作の概要"
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"paragraph_id": 92,
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"text": "たとえば、ニーチェは、有名な永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観と真っ向から対立するものである。",
"title": "個々の著作の概要"
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"text": "永劫回帰説もさることながら、『悦ばしき知識』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの自然主義的・美学的離別を決定づける「神は死んだ」という主張である。",
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"text": "NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「ちむどんどん」において、この書に含まれた箴言の一つが、ヒロインが修行するレストランの名前の由来とされている。",
"title": "個々の著作の概要"
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"text": "『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ニーチェの主著であるとされており、またリヒャルト・シュトラウスに、同名の交響詩を作曲させるきっかけとなった。なお、ツァラトゥストラとは、ゾロアスター教(拝火教)の開祖ザラスシュトラの名前のドイツ語形の一つであるが、歴史上の人物とは直接関係のない文脈で思想表現の器として利用されるにとどまっている。",
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"text": "ニーチェは、専門的な音楽教育を受けたわけではなかったが、13歳頃から20歳頃にかけて歌曲やピアノ曲などを作曲した。その後、作曲することはなくなったが、ヴァーグナーとの出会いを通して刺激を受け、バーゼル時代にもいくつかの曲を残している。「生涯で70を越す楽曲を作曲したそうである」。作風は前期ロマン派的であり、シューベルトやシューマンを思わせる。彼が後にまったく作曲をしなくなったのは、本業で忙しくなったという理由のほかに、自信作であった『マンフレッド瞑想曲』をハンス・フォン・ビューローに酷評されたことが理由として考えられる。",
"title": "作曲"
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"text": "現在に至るまで、ニーチェが作曲家として認識されたことはほとんどないが、著名な哲学者の作曲した作品ということで、一部の演奏家が録音で取り上げるようになり、徐々に彼の「作曲もする哲学者」としての側面が明らかになっている。彼の作品は、すべて歌曲かピアノ曲のどちらかであるが、四手連弾の作品の中には『マンフレッド瞑想曲』交響詩『エルマナリヒ』など、オーケストラを念頭に置いて書かれたであろう作品も存在する。また、オペラのスケッチを残しており、2007年にジークフリート・マトゥスがそのスケッチを骨子としてオペラ『コジマ』を作曲した。",
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"text": "遺稿集には",
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"text": "※最近の主な「全集」は、校訂を一新したグロイター版を底本とする白水社版(第1期全12巻・第2期全12巻)と、それより古いクレーナー版・ムザリオン版・シュレヒタ版等に基づく筑摩書房「ちくま学芸文庫」版(全15巻、元版は理想社)。白水社版は多くの「遺された著作」「遺された断想」を含むが、第3期が未刊行となった。ちくま学芸文庫版は、上記の他に別巻4冊(書簡・詩集・遺稿集『生成の無垢』を収録)を刊行している。",
"title": "著作"
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"text": "文庫版は『ツァラトゥストラはこう言った』、『悲劇の誕生』、『道徳の系譜』、『善悪の彼岸』、『この人を見よ』など、岩波文庫・光文社古典新訳文庫、河出文庫などで刊行している。",
"title": "著作"
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] | フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。 | {{redirect|ニーチェ}}
{{Infobox 哲学者
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| name = フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ<br />Friedrich Wilhelm Nietzsche
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'''フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ'''({{lang-de-short|Friedrich Wilhelm Nietzsche}}, [[1844年]][[10月15日]] - [[1900年]][[8月25日]])は、ドイツ・[[プロイセン王国]]出身の[[思想家]]であり[[文献学|古典文献学者]]。ニイチェと表記する場合も多い。
== 概要 ==
現代では[[実存主義]]の代表的な[[思想家]]の一人として知られる。古典文献学者{{仮リンク|フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル|en|Friedrich Wilhelm Ritschl|de|Friedrich Ritschl}}に才能を見出され、[[スイス]]の[[バーゼル大学]]古典文献学[[教授]]となって以降はプロイセン国籍を離脱して[[無国籍|無国籍者]]であった<ref name=hecker/><ref name=his/>。辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所に[[格言|アフォリズム]]を用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。
なお、[[ドイツ語]]では「ニーチェ」('''フリー'''ドリヒ {{IPA|ˈfriːdrɪç}} '''ヴィ'''ルヘルム {{IPA|ˈvɪlhɛlm}} '''ニー'''チェ {{IPA|ˈniːtʃə}})のみならず「ニーツシェ」{{IPA|ˈniːtsʃə}}とも[[発音]]される<ref>『現代独和辞典』三修社、1992年、第1354版による。</ref>。
== 生涯 ==
=== 少年時代 ===
ニーチェは、[[1844年]][[10月15日]]火曜日に[[プロイセン王国]]領プロヴィンツ・ザクセン(Provinz Sachsen - 現在は[[ザクセン=アンハルト州]]など)、[[ライプツィヒ]]近郊の小村レッツェン・バイ・リュッケンに、父カール・ルートヴィヒと母フランツィスカの間に生まれた。父カールは、[[ルーテル教会|ルター派]]の裕福な[[牧師]]で元[[教員|教師]]であった。同じ日に49回目の誕生日を迎えた当時のプロイセン国王[[フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム4世]]にちなんで、「フリードリヒ・ヴィルヘルム」と名付けられた。なお、ニーチェは後にミドルネーム「ヴィルヘルム」を捨てている。
[[1846年]]には妹[[エリーザベト・フェルスター=ニーチェ|エリーザベト]]が、[[1848年]]には弟ルートヴィヒ・ヨーゼフが生まれている。しかし、ニーチェが4歳の時([[1848年]])8月、父カール・ルートヴィヒは近眼が原因で足元にいた小犬に気付かず、つまづき玄関先の石段を転げ落ちて頭を強く打ち付けた。ニーチェ5歳の時[[1849年]][[4月30日]]にこの時の怪我が原因で死去した。また、それを追うように、[[1850年]]には2歳の弟ヨーゼフが、歯が原因とされる痙攣によって病死<ref>『人と思想22ニーチェ』第26刷p47-48</ref>。また、父の死の日付に関しては、ニーチェ自身は、7月27日と語り、弟の死に関しては、1850年1月末の出来事と語る<ref>『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168</ref>{{efn2|命日に関しては、他にも様々な主張がある。}}。
男手を失い、家計を保つ必要性があったことから、父方の祖母とその兄クラウゼ牧師を頼って故郷レッケンを去り[[ナウムブルク]]に移住する。また、二人の伯母も家事や食事などに協力した。計6人での[[ナウムブルク]]での生活が始まった。
その後ニーチェは、6歳になる前に、[[ナウムブルク]]の市立小学校に入学する。翌年、ウェーベル(ウェーバー)氏の私塾(予備校)に入った。数年そこで学び、1854年にナウムブルクの[[ギムナジウム]]に入学する<ref>『人と思想22ニーチェ』第26刷p50-51</ref>。
なお、私塾では、ギリシア語ラテン語の初歩教育を受け、ただ勉強を受けるだけではなく、外へ遠足へ出かけることもあり楽しかったとニーチェは語る<ref>『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.170-171</ref>。
ニーチェは、父が死ぬ前の幼い時代が幸せだったこと、その後父や弟が死んだ時の悲しみを、ギムナジウム時代に書いた自伝集で綴っている。また伯母や祖母の死もあったこと、そして、その他のいろんな困難を自分が乗り越えてきたことを語る。そして、それには神の導きのお陰があったと信じていた<ref>『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168,184-185,198</ref>。神に関しては、この時代はまだ信仰していた事がわかる。
==== ある雨の日の話 ====
市立小学校時代のニーチェの性格をうかがわせるものとして、多くの解説書で語られる有名なエピソードがある。
まだニーチェが市立小学校に通っていた頃、帰りににわか雨が降ってきた。他の子供たちは傘がなく走って帰って来た。にも拘わらずニーチェは一人雨の中を頭にハンカチを載せて歩いて帰って来たという。心配して途中まで来ていた母が「何故、走ってこないのか」と怒ったところ、ニーチェは「校則に帰りは走らず静かに帰れと書いてあるから」と、述べたという。このエピソードは、よくニーチェという人物の生真面目さと結び付けられて語られている。
==== エリーザベトの兄への思い ====
エリーザベトが残した文からエリーザベトが兄への尊敬の念を持っていたことも分かっている。その理由は、兄の人格が誠実で嘘を憎むからであり、さらには活発で抑えのきかない自分に自制の心を教えてくれたからだという。
さらに、エリーザベトは6歳の頃から、兄の書いた文を集めていたことがわかっている。エリーザベトは、ニーチェ文庫を創設しており、彼女が集めた文書は兄の研究に大きく貢献した。一方で彼女は、兄の遺稿をめちゃくちゃに編集したり、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]に宣伝したりした。その理由は、自身の名誉のためという説が強いが、こうしたエリーザベトの兄への思いも考慮して、兄への尊敬の念が行き過ぎてしまっただけなのだという見方をする者もいる<ref>『人と思想22ニーチェ』第26刷p52</ref>
。
=== 青年時代 ===
[[ファイル:Nietzsche1861.jpg|200px|thumb|1861年のニーチェ]]
ニーチェは、[[1854年]]からナウムブルクの[[ギムナジウム]]へ通った。
ギムナジウムでは[[音楽]]と[[国語]]の優れた才能を認められていた。プフォルター学院に移る少し前、一人の伯母の死とそれに相次ぐ、祖母の死をきっかけにニーチェの母は移住することを決める。ニーチェの母は友達の牧師に家を借りる。ニーチェは勉強やスポーツに励み、友人であるピンデル(ピンダー)やクルークとの交流のおかげもあって芸術や作曲に長けていた。
その噂を聞いたドイツ屈指の名門校{{仮リンク|プフォルタ学院|de|Landesschule Pforta|en|Pforta}}の校長から[[給費生]]としての転学の誘いが届く。ドイツ屈指の名門校プフォルタ学院に{{efn2|卒業生には、[[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、[[レオポルト・フォン・ランケ]]、[[シュレーゲル兄弟]]などがいる。}}ニーチェは、母や妹とのしばしの別れを惜しみながらも入学する事を決心した。このとき、生まれて初めて、田舎の保守的な[[キリスト教]]精神から離れて暮らすこととなる。
[[1858年]]から[[1864年]]までは、[[古代ギリシア]]や[[ローマ]]の古典・哲学・文学等を[[全寮制]]・[[個別指導]]で鍛えあげられ、模範的な成績を残す。また、[[詩]]の執筆や[[作曲]]を手がけてみたり、[[パウル・ドイッセン]]([[:en:Paul Deussen|Paul Deussen]])と友人になったりした。
またニーチェは、プフォルター学院時代に、詩や音楽を自作し互いに評価しあうグループ「ゲルマニア」を結成し、その中心人物として活動した。
=== 大学生時代 ===
[[ファイル:Nietzsche187b.jpg|180px|thumb|1868年のニーチェ。除隊する際に撮影]]
[[1864年]]にプフォルター学院を卒業すると、ニーチェは[[ボン大学]]へ進んで、[[神学部]]と[[哲学部]]に籍を置く。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になる事を願っていたための配慮だったと指摘される。しかし、ニーチェは徐々に哲学部での古典文献学の研究に強い興味を持っていく。
そして、最初の学期を終える頃には、信仰を放棄して神学の勉強も止めたことを母に告げ、大喧嘩をしている(当時のドイツの田舎で、牧師の息子が信仰を放棄するというのは、大変珍しい事で、ましてや、夫を亡くした母にとっては、一家の一大事と考えた事も予測できる)。ニーチェのこの決断に大きな影響を及ぼしたのは、[[ダーヴィト・シュトラウス]]の著書『イエスの生涯』である。
ニーチェは、大学在学中に、友人ドイッセンとともに「フランコニア」という[[ブルシェンシャフト]](学生運動団体)に加わったが、最初の頃は楽しんでいたものの、徐々にニーチェはその騒がしさや野蛮さに嫌悪を抱いていったようであるその事は、友人ゲルスドルフに宛てた手紙から確認されている<ref>『人と思想22ニーチェ』第26刷p63 - 64</ref>。
また、ボン大学では、古典文献学の研究で実証的・批判的なすぐれた研究を行った{{仮リンク|フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュル|en|Friedrich Wilhelm Ritschl}}と出会い、師事する。リッチュルは、当時大学1年生であったニーチェの類い稀な知性をいち早く見抜き、ただニーチェに受賞させるためだけに、懸賞論文の公募を行なうよう大学当局へもちかけている。
ニーチェは、このリッチュルのもとで[[文献学]]を修得している。そして、リッチュルが[[ボン大学]]から[[ライプツィヒ大学]]へ転属となったのに合わせて、自分もライプツィヒ大学へ転学する。このライプツィヒ大学では、ギリシア宗教史家{{仮リンク|エルヴィン・ローデ|en|Erwin Rohde}}と知り合い親友となる。彼は、後に[[イェーナ大学]]や[[ハイデルベルク大学]]などで教鞭を執ることになる。また、[[1867年]]には、[[一年志願兵 (ドイツ)|一年志願兵]]として[[砲兵]][[師団]]へ入隊するが、[[1868年]]3月に落馬事故で大怪我をしたため除隊する。それから、再び学問へ没頭することになる。
ライプツィヒ大学在学中、ニーチェの思想を形成する上で大きな影響があったと指摘される出会いが、2つあった。ひとつは、[[1865年]]に[[古書店|古本屋]]の離れに下宿していたニーチェが、その店で[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウエル]]の『[[意志と表象としての世界]]』を偶然購入し、この書の虜となったことである。もうひとつは、[[1868年]]11月、リッチュルの紹介で、当時ライプツィヒに滞在していた[[リヒャルト・ワーグナー|リヒャルト・ヴァーグナー]]と面識を得られたことである。ローデ宛ての手紙の中で、ショーペンハウエルについてヴァーグナーと論じ合ったことや「音楽と哲学について語り合おう」と自宅へ招待されたことなどを興奮気味に伝えている。
=== バーゼル大学教授時代 ===
[[ファイル:Franz und Ida Overbeck.JPG|200px|サムネイル|(左)フランツ・オーヴァーベック]]
[[ファイル:Rohde Gersdorff Nietzsche-2.JPG|200px|thumb|1871年、右からニーチェ、カール・フォン・ゲルスドルフ、エルヴィン・ローデ]]
[[1869年]]のニーチェは24歳で、[[博士号]]も教員資格も取得していなかったが、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、[[バーゼル大学]]から[[古典文献学]]の[[教授]]として招聘された。バーゼルへ赴任するにあたり、ニーチェはスイス国籍の取得を考え、プロイセン国籍を放棄する(実際にスイス国籍を取得してはいない。これ以後、ニーチェは終生無国籍者として生きることとなる<ref name=hecker>Hecker, Hellmuth: "Nietzsches Staatsangehörigkeit als Rechtsfrage", Neue Juristische Wochenschrift, Jg. 40, 1987, nr. 23, pp. 1388–91.</ref><ref name=his>His, Eduard: "Friedrich Nietzsches Heimatlosigkeit", Basler Zeitschrift für Geschichte und Altertumskunde, vol. 40, 1941, pp. 159-186</ref>{{efn2|ただし、[[普仏戦争]]([[1870年]] - [[1871年]])中の一時期だけはプロイセン軍に従軍し、トラウマにもなる経験をしたうえに[[ジフテリア]]や[[赤痢]]を患ったりもしている。}})。
本人は哲学の担当を希望したが受け入れられず、[[古代ギリシア]]に関する古典文献学を専門とすることとなる。講義は就任講演「[[ホメロス]]と古典文献学」に始まるが、自分にも学生にも厳しい講義のスタイルは当時話題となった。研究者としては、古代の詩における基本単位は音節の長さだけであり、近代のようなアクセントに基づく基本単位とは異なるということを発見した。終生の友人となる神学教授[[フランツ・オーヴァーベック]]([[:en:Franz Overbeck|Franz Overbeck]])と出会ったほか、古代ギリシアや[[ルネサンス]]時代の文化史を講じていた[[ヤーコプ・ブルクハルト]]との親交が始まり、その講義に出席するなどして深い影響を受けたのもバーゼル大学でのことである。
[[1872年]]、ニーチェは第一作『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(再版以降は『[[悲劇の誕生]]』と改題)を出版した。
しかしリッチュルや同僚をはじめとする文献学者の中には、厳密な古典文献学的手法を用いず哲学的な推論に頼ったこの本への賛意を表すものは一人とてなかった。特に[[ウルリヒ・フォン・ヴィラモーヴィッツ=メレンドルフ]]は『未来の文献学』と題した(ヴァーグナーが自分の音楽を「未来の音楽」と称していたことにあてつけた題である)強烈な批判論文を発表し、まったくの主観性に彩られた『悲劇の誕生』は文献学という学問に対する裏切りであるとしてこの本を全否定した。好意をもってこの本を受け取ったのは、献辞を捧げられたヴァーグナーの他にはボン大学以来の友人ローデ(当時はキール大学教授)のみである。こうした悪評が響いたため同年冬学期のニーチェの講義からは古典文献学専攻の学生がすべて姿を消し、聴講者はわずかに2名(いずれも他学部)となってしまう。大学の学科内で完全に孤立したニーチェは哲学科への異動を希望するが認められなかった。
==== ヴァーグナーへの心酔と決別 ====
[[ファイル:RichardWagner.jpg|200px|thumb|リヒャルト・ヴァーグナー]]
生涯を通じて音楽に強い関心をもっていたニーチェは学生時代から熱烈な[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]のファンであり、[[1868年]]にはすでにライプツィヒでヴァーグナーとの対面を果たしている。やがてヴァーグナーの妻[[コジマ・ワーグナー|コジマ]]とも知遇を得て夫妻への賛美の念を深めたニーチェは、[[バーゼル]]へ移住してからというもの、同じくスイスの[[ルツェルン]]市トリプシェンに住んでいたヴァーグナーの邸宅へ何度も足を運んだ(23回も通ったことが記録されている)。ヴァーグナーは31歳も年の離れたニーチェを親しい友人たちの集まりへ誘い入れ、[[バイロイト祝祭劇場]]の建設計画を語り聞かせてニーチェを感激させ、一方ニーチェは[[1870年]]のコジマの誕生日に『悲劇の誕生』の原型となった論文<!-- "The Genesis of the Tragic Idea" -->の手稿をプレゼントするなど、二人は年齢差を越えて親交を深めた。
近代ドイツの美学思想には、[[古代ギリシア]]を「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想するという、美術史家[[ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン]]以来の伝統があった。当時はまだそれほど影響力をもっていなかった音楽家であると同時に、[[1848年革命|ドイツ3月革命]]に参加した革命家でもあるヴァーグナーもまたこの系譜に属している。『芸術と革命』をはじめとする彼の論文では、この滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけ[[ギリシア悲劇]])を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、との[[ロマン主義]]的思想が述べられている。そしてニーチェにとって(またヴァーグナー本人にとっても)、この革命を成し遂げる偉大な革命家こそヴァーグナーその人に他ならなかった。
ヴァーグナーに対するニーチェの心酔ぶりは、第一作『[[悲劇の誕生]]』([[1872年]])において古典文献学的手法をあえて踏み外しながらもヴァーグナーを(同業者から全否定されるまでに)きわめて好意的に取りあげ、ヴァーグナー自身を狂喜させるほどであったが、その後はヴァーグナー訪問も次第に形式的なものになっていった。
[[1876年]]、ついに落成した[[バイロイト祝祭劇場]]での第1回[[バイロイト音楽祭]]および主演目『[[ニーベルングの指環]]』初演を観に行くが、パトロンのバイエルン王[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]やドイツ皇帝[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]といった各国の国王や貴族に囲まれて得意の絶頂にあるヴァーグナーその人と自身とのあいだに著しい隔たりを感じたニーチェは、そこにいるのが市民社会の[[道徳]]や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとするかつての革命家ヴァーグナーでないこと、そこにあるのは古代ギリシア精神の高貴さではなく[[ブルジョア]]社会の卑俗さにすぎないことなどを確信する。また肝心の『ニーベルングの指環』自体も出来が悪く(事実、新聞等で報じられた舞台評も散々なものであったためヴァーグナー自身ノイローゼに陥っている)、ニーチェは失望のあまり上演の途中で抜け出し、ついにヴァーグナーから離れていった。祝祭劇場から離れる際、ニーチェは妹のエリーザベトに対し、「これがバイロイトだったのだよ」と言った。
この一件と前後して書かれた『バイロイトにおけるヴァーグナー』ではまだ抑えられているが、ヴァーグナーへの懐疑や失望の念は深まってゆき、二人が顔を合わせるのはこの年が最後のこととなった。[[1878年]]、ニーチェはヴァーグナーから『[[パルジファル]]』の台本を贈られるが、ニーチェからみれば通俗的なおとぎ話にすぎない『[[聖杯伝説]]』を題材としたこの作品の構想を得意げに語るヴァーグナーへの反感はいよいよ募り、この年に書かれた『[[人間的な、あまりにも人間的な]]』でついに決別の意を明らかにし、公然とヴァーグナー批判を始めることとなる。ヴァーグナーからも反論を受けたこの書をもって両者は決別し、再会することはなかった。
しかし晩年、ニーチェは、ヴァーグナーとの話を好んでし、最後に必ず「私はヴァーグナーを愛していた」と付け加えていたという。また同じく発狂後、ヴァーグナー夫人[[コジマ・ワーグナー|コジマ]]に宛てて「[[アリアドネー|アリアドネ]]、余は御身を愛す、[[ディオニュソス]]」と謎めいた愛の手紙を送っていることから、コジマへの横恋慕がヴァーグナーとの決裂に関係していたと見る向きもある。一方のコジマは、ニーチェを夫ヴァーグナーを侮辱した男と見ており、マイゼンブーグ充ての書簡では「あれほど惨めな男は見たことがありません。初めて会った時から、ニーチェは病に苦しむ病人でした」と書いている。
[[ファイル:Nietzsche187a.jpg|200px|thumb|1875年、バーゼル大学教授時代のニーチェ]]
[[1873年]]から[[1876年]]にかけて、ニーチェは4本の長い評論を発表した。『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』(1873年)、『生に対する歴史の利害』([[1874年]])、『教育者としてのショーペンハウアー』([[1874年]])、『バイロイトにおけるヴァーグナー』(1876年)である。これらの4本(のちに『[[反時代的考察]]』(1876年)の標題のもとに一冊にまとめられる)はいずれも発展途上にあるドイツ文化に挑みかかる文明批評であり、その志向性はショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしている。死後に『ギリシア人の悲劇時代における哲学』として刊行される草稿をまとめはじめたのも1873年以降のことである。
またこの間にヴァーグナー宅での集まりにおいて[[マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク]]という[[フェミニズム|女性解放運動]]に携わるリベラルな女性(ニーチェやレーに[[ルー・アンドレアス・ザロメ|ルー・ザロメ]](後述)を紹介したのも彼女である)やコジマ・ヴァーグナーの前夫である音楽家[[ハンス・フォン・ビューロー]]、また[[パウル・レー]]らとの交友を深めている。特に1876年の冬にはマイゼンブークやレーともに[[イタリア]]の[[ソレント]]にあるマイゼンブークの別荘まで旅行に行き、哲学的な議論を交わしたりなどしている(ここでの議論をもとに書かれたレーの著書『道徳的感覚の起源』をニーチェは高く評価していた。またソレント滞在中には偶然近くのホテルに宿泊していたヴァーグナーと邂逅しており、これが二人があいまみえた最後の機会となる)。レーとの交友やその思想への共感は、初期の著作に見られたショーペンハウエルに由来する[[ペシミズム]]からの脱却に大きな影響を与えている。
[[ファイル:Luckhardt - Hans von Bülow (ÖNB 8410627).jpg|サムネイル|ハンス・フォン・ビューロー]]
[[1878年]]、『[[人間的な、あまりにも人間的な]]』出版。[[形而上学]]から[[道徳]]まで、あるいは[[宗教]]から[[人間の性|性]]までの多彩な主題を含むこの[[アフォリズム]]集において、ついにヴァーグナーおよび[[ショーペンハウエル]]からの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。また、初期ニーチェのよき理解者であったドイッセンやローデとの交友もこのころから途絶えがちになっている。
翌[[1879年]]、激しい[[頭痛]]を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の[[近眼]]で発作的に何も見えなくなったり、[[偏頭痛]]や激しい胃痛に苦しめられるなど、子供のころからさまざまな健康上の問題を抱えており、その上1868年の落馬事故や1870年に患った[[ジフテリア]]などの悪影響もこれに加わっていたのである。バーゼル大学での勤務中もこれらの症状は治まることがなく、仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職せざるをえず、以後は執筆活動に専念することとなった。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。
=== 在野の思想家として ===
ニーチェは、病気の療養のために[[気候]]のよい土地を求めて、[[1889年]]までさまざまな都市を旅しながら、在野の哲学者として生活した。夏は[[スイス]]の[[グラウビュンデン州]][[サンモリッツ]]近郊の村[[シルス・マリア]]で、冬は[[イタリア]]の[[ジェノヴァ]]、[[ラパッロ]]、[[トリノ]]、あるいは[[フランス]]の[[ニース]]といった都市で過ごした。
時折、ナウムブルクの家族のもとへも顔を出したが、エリーザベトとの間で衝突を繰り返すことが多かった。ニーチェは、バーゼル大学からの年金で生活していたが、友人から財政支援を受けることがあった。かつての生徒である音楽家[[ペーター・ガスト]](本名は[[:en:Heinrich Köselitz|Heinrich Köselitz]]で、ペーター・ガストというペンネームは、ニーチェが与えたものである)が、ニーチェの秘書として勤めるようになっていた。ガストとオーヴァーベックは、ニーチェの生涯を通じて、誠実な友人であり続けた。
また、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークも、ニーチェがヴァーグナーのサークルを抜け出た後もニーチェに対して、母性的なパトロンでありつづけた。その他にも、音楽評論家の[[カール・フックス]]とも連絡を取り合うようになり、それなりの交友関係がまだニーチェには残されていた。そして、このころからニーチェの最も生産的な時期がはじまる。
1878年に『[[人間的な、あまりに人間的な]]』を刊行した。そして、それを皮切りにして、ニーチェは[[1888年]]まで毎年1冊の著作(ないしその主要部分)を出版することになる。特に、執筆生活最後となる1888年には、5冊もの著作を書き上げるという多産ぶりであった。[[1879年]]には、『人間的な』と同様のアフォリズム形式による『[[さまざまな意見と箴言]]』を、翌[[1880年]]には『[[漂泊者とその影]]』を出版した。これらは、いずれも『人間的な』の第2部として組み込まれるようになった。
==== ルー・ザロメとの交友 ====
[[ファイル:Nietzsche paul-ree lou-von-salome188.jpg|200px|thumb|左からルー・ザロメ、パウル・レー、ニーチェ。1882年ルツェルンにて]]
ニーチェは[[1881年]]に『曙光:道徳的先入観についての感想』を、翌[[1882年]]には『[[悦ばしき知識]]』の第1部を発表した。『[[力への意志]]』として知られる著作の構想が芽生えたのもこの時期と言われる(草稿類の残っているのは84年頃から)。またこの年の春、マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークとパウル・レーを通じて[[ルー・アンドレアス・ザロメ|ルー・ザロメ]]と知り合った。
ニーチェは(しばしば付き添いとしてエリーザベトを伴いながら)5月には[[スイス]]の[[ルツェルン]]で、夏には[[テューリンゲン州]]のタウテンブルクでザロメやレーとともに夏を過ごした。ルツェルンではレーとニーチェが馬車を牽き、ザロメが鞭を振り回すという悪趣味な写真をニーチェの発案で撮影している。ニーチェにとってザロメは対等なパートナーというよりは、自分の思想を語り聞かせ、理解しあえるかもしれない聡明な生徒であった。彼はザロメと恋に落ち、共通の友人であるレーをさしおいてザロメの後を追い回した。そしてついにはザロメに求婚するが、返ってきた返事はつれないものだった。
レーも同じころザロメに結婚を申し入れて同様に振られている。その後も続いたニーチェとレーとザロメの三角関係は[[1882年]]から翌年にかけての冬をもって破綻するが、これにはザロメに嫉妬してニーチェ・レー・ザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベトが、ニーチェとザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買っている。後年、自分に都合のよい虚偽に満ちたニーチェの伝記を執筆するエリーザベトは、この件に関しても兄の書簡を破棄あるいは偽造したりザロメのことを中傷したりなどして、均衡していた[[三角関係]]をかき乱したのである。結果として、ザロメとレーの二人はニーチェを置いて[[ベルリン]]へ去り、[[同棲]]生活を始めることとなった。
[[失恋]]による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐって母や妹と不和になったための孤独、自殺願望にとりつかれた苦悩などの一切から解放されるため、ニーチェはイタリアの[[ラパッロ]]へ逃れ、そこでわずか10日間のうちに『[[ツァラトゥストラはこう語った|ツァラトゥストラはかく語りき]]』の第1部を書き上げる。
[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]との哲学的つながりも[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]との社会的つながりも断ち切ったあとでは、ニーチェにはごくわずかな友人しか残っていなかった。ニーチェはこの事態を甘受し、みずからの孤高の立場を堅持した。一時は詩人になろうかとも考えたがすぐにあきらめ、自分の著作がまったくといってよいほど売れないという悩みに煩わされることとなった。[[1885年]]には『ツァラトゥストラ』の第4部を上梓するが、これはわずか40部を印刷して、その内7冊を親しい友人へ献本する <ref>『人と思想22 ニーチェ』第26刷p108</ref>だけにとどめた。
[[1886年]]にニーチェは『[[善悪の彼岸]]』を[[自費出版]]した。この本と、1886年から[[1887年]]にかけて再刊したそれまでの著作(『[[悲劇の誕生]]』『[[人間的な、あまりに人間的な]]』『[[曙光]]』『[[悦ばしき知識]]』)の第2版が出揃ったのを見て、ニーチェはまもなく読者層が伸びてくるだろうと期待した。事実、ニーチェの思想に対する関心はこのころから(本人には気づかれないほど遅々としたものではあったが)高まりはじめていた。
{{仮リンク|メータ・フォン・ザーリス|de|Meta von Salis}}や[[カール・シュピッテラー]]{{efn2|[[1919年]]に[[ノーベル文学賞]]を受賞した作家。処女作『プロメテウスとエピメテウス』はしばしば『ツァラトゥストラ』からの影響が指摘される。}}、[[ゴットフリート・ケラー]]{{efn2|ニーチェはケラーの[[教養小説]]『[[緑のハインリヒ]]』を、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]作『ヴィルヘルム・マイスター』や[[アーダルベルト・シュティフター]]作『晩夏』とともにドイツ文学の中で最も高く評価している。}}と知り合ったのはこのころである。
1886年、妹のエリーザベトが[[反ユダヤ主義|反ユダヤ主義者]]の[[ベルンハルト・フェルスター]]と結婚し、[[パラグアイ]]に「ドイツ的」コロニーを設立するのだという(ニーチェにとっては噴飯物の)計画を立てて旅立った。書簡の往来を通じて兄妹の関係は対立と和解のあいだを揺れ動いたが、ニーチェの精神が崩壊するまで2人が顔を合わせることはなかった。
病気の発作が激しさと頻度を増したため、ニーチェは長い時間をかけて仕事をすることが不可能になったが、1887年には『[[道徳の系譜]]』を一息に書き上げた。同じ年、ニーチェは[[フョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー]]の著作(『[[悪霊 (ドストエフスキー)|悪霊]]』『[[死の家の記録]]』など)を読み、その思想に共鳴している。
また、[[イポリット・テーヌ]]{{efn2|ニーチェは1886年に『善悪の彼岸』をテーヌに寄贈し、後日テーヌから好意的な礼状を受け取っている。}}や[[ゲーオア・ブランデス]]{{efn2|『道徳の系譜』を寄贈されたことがニーチェとの交流の契機となった。}}とも文通を始めている。ブランデスはニーチェと[[セーレン・キェルケゴール|キェルケゴール]]を最も早くから評価していた人物の一人であり、1870年代から[[コペンハーゲン大学]]でキェルケゴール哲学を講義していたが、[[1888年]]には同大学でニーチェに関するものとしては最も早い講義を行い、ニーチェの名を世に知らしめるのに一役買った批評家である。
ブランデスはニーチェにキェルケゴールを読んでみてはどうかとの手紙を書き送り、ニーチェは薦めにしたがってみようと返事をしている{{efn2|キェルケゴールはニーチェが著述活動を始める前の[[1855年]]に亡くなっているうえ、ニーチェはこの後すぐに発狂してしまったため、ともに「実存主義の始祖」として知られる2人は互いの思想に触れることがなかったと長らく信じられてきた。しかし、その後の研究の結果、キェルケゴールの思想を解説・批評した[[二次資料]]のいくつかをニーチェが読んでいたことが明らかになっている。}}。
ニーチェは[[1888年]]に5冊の著作を書き上げた([[フリードリヒ・ニーチェ#著作|著作一覧]]参照)。健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、自分の著書(なかんずく『[[ヴァーグナーの場合]]』)に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。
ニーチェは、44歳の誕生日に、自伝『この人を見よ』の執筆を開始した。『[[偶像の黄昏]]』と『[[アンチクリスト]]』を脱稿して間もない頃であった。序文には「私の言葉を聞きたまえ!私はここに書かれているがごとき人間なのだから。そして何より、私を他の誰かと間違えてはならない」と、各章題には「なぜ私はかくも素晴らしい本を書くのか」「なぜ私は一つの運命であるのか」とまで書き記す。12月、ニーチェは[[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ|ストリンドベリ]]との文通を始める。また、このころのニーチェは国際的な評価を求め、過去の著作の版権を出版社から買い戻して外国語訳させようとも考えた。さらに『[[ニーチェ対ヴァーグナー]]』と『[[ディオニュソス賛歌]]』の合本を出版しようとの計画も立てた。また『力への意志』も精力的に加筆や推敲を重ねたが、結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告げる。
=== 狂気と死 ===
<!-->精神が崩壊したかどうかの具体的論拠が乏しいため、事実関係だけにしています。<!-->
[[ファイル:Nietzsche Olde 02.JPG|200px|thumb|晩年のニーチェ。[[ハンス・オルデ]]撮影、1899年]]
[[1889年]][[1月3日]]、ニーチェは[[トリノ]]市の往来で騒動を引き起し、二人の警察官の厄介になった。
数日後、ニーチェは[[コジマ・ワーグナー|コジマ・ヴァーグナー]]や[[ヤーコプ・ブルクハルト|ブルクハルト]]ほか何人かの友人に以下のような手紙を送っている。ブルクハルト宛の手紙では
{{Cquote|
「私は[[カイアファ]]を拘束させてしまいました。昨年には私自身もドイツの医師たちによって延々と[[磔]]にされました。[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム]]と[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」
}}
と書き、またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では、
{{Cquote|
「愛しの[[アリアドネー|アリアドネ]]姫へ。/私が人間であるというのは偏見です。しかし私はすでにしばしば人間の下で生きて、人間の体験できる最低のものから最高のものまで、すべてを知っています。私はインド人の下では[[釈迦|仏陀]]であったし、ギリシアでは[[ディオニュソス]]でした、――[[アレクサンドロス3世|アレクサンダー]]と[[ガイウス・ユリウス・カエサル|シーザー]]は私の化身であり、同じものでは[[シェイクスピア]]の作者[[フランシス・ベーコン (哲学者)|ベーコン卿]]に。しまいには私はさらに[[ヴォルテール]]と[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]でしたし、もしかしたらヴァーグナーでも……しかし今度は勝利に輝くディオニュソスとしてやってきて、地を祝祭日となすでしょう……私に多くの時間は無い……天は私がここいることを歓喜します……私は[[ナザレのイエス|十字架にもかけられ]]てしまった……」
}}
というものであった。
[[1月6日]]、ブルクハルトはニーチェから届いた手紙をオーヴァーベックに見せたが、翌日にはオーヴァーベックのもとにも同様の手紙が届いた。友人の手でニーチェをバーゼルへ連れ戻す必要があると確信したオーヴァーベックはトリノへ駆けつけ、ニーチェをバーゼルの精神病院へ入院させた。ニーチェの母フランツィスカは[[イェーナ]]の病院で精神科医[[オットー・ビンスワンガー]]([[:de:Otto Binswanger|Otto Binswanger]])に診てもらうことに決めた。
1889年11月から[[1890年]]2月まで、医者のやり方では治療効果がないと主張した[[ユリウス・ラングベーン]]([[:de:Julius Langbehn|Julius Langbehn]])が治療に当たった。彼はニーチェの扱いについて大きな影響力をもったが、やがてその秘密主義によって信頼を失った。フランツィスカは[[1890年]]3月にニーチェを退院させて5月にはナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。<!--{{要出典範囲|初期の解説者はしばしば[[梅毒]]への感染を精神崩壊の原因とみなしているが、ニーチェの示している徴候は梅毒の症例とは矛盾しているところも見られ、[[脳腫瘍]]と診断する向きもある。大方の解説者はニーチェの狂気と哲学を無関係なものと考えているが、[[ジョルジュ・バタイユ]]や[[ルネ・ジラール]]などのように、ニーチェの狂気は彼の哲学によってもたらされた精神的失調だと考える者もいる。|date=2013年7月}}-->
[[ファイル:Elisabeth förster 1894a.JPG|200px|thumb|エリーザベト・フェルスター=ニーチェ、1894年]]
この間にオーヴァーベックとガストはニーチェの未発表作品の扱いについて相談しあった。1889年1月にはすでに印刷・製本されていた『[[偶像の黄昏]]』を刊行、2月には『[[ニーチェ対ヴァーグナー]]』の私家版50部を注文する(ただし版元の社長C・G・ナウマンはひそかに100部印刷していた)。またオーヴァーベックとガストはその過激な内容のために『アンチクリスト』と『この人を見よ』の出版を見合わせた。
===エリーザベトと『力への意志』===
[[1893年]]、エリーザベトが帰国した。夫がパラグアイで「ドイツ的」コロニー経営に失敗し自殺したためであった。彼女は兄の著作を読み、かつ研究して徐々に原稿そのものや出版に関して支配力を揮うようになった。その結果オーヴァーベックは追い払われ、ガストはエリーザベトに従うことを選んだ。
[[1897年]]に母フランツィスカが亡くなったのち、兄妹はヴァイマールへ移り住み、エリーザベトは兄の面倒をみながら、訪ねてくる人々(その中には[[ルドルフ・シュタイナー]]もいた)に、もはや意思の疎通ができない兄と面会する許可を与えていた。
[[1900年]][[8月25日]]、ニーチェは肺炎を患って55歳で亡くなった。エリーザベトの希望で、遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬された。ニーチェは「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との遺言を残していたが、エリーザベトは兄の友人に参列を許さず、葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれた。ガストは弔辞でこう述べている。
{{Cquote|
―「未来のすべての世代にとって、あなたの名前が神聖なものであらんことを!」{{efn2|ニーチェ自身がいかに神聖視されたくないかを『この人を見よ』の中で語っていることに注意する必要がある。「私は聖者にはなりたくない。道化のほうがまだましだ」}}
}}
エリーザベトは兄の死後、遺稿を編纂して『[[力への意志]]』を刊行した。エリーザベトの恣意的な編集はのちに「ニーチェの思想は[[ナチズム]]に通じるものだ」との誤解を生む原因となった(次節参照)。決定版全集ともいわれる『グロイター版ニーチェ全集』の編集者{{仮リンク|マッツィーノ・モンティナーリ|en|Mazzino Montinari}}は「贋作」と言っている。
== 思想 ==
{{出典の明記|date=2013年7月|section=1}}
ニーチェは[[ソクラテス以前の哲学者]]も含む[[ギリシア哲学]]や[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]などから強く影響を受け、その幅広い読書に支えられた鋭い批評眼で[[西洋文明]]を革新的に解釈した。[[実存主義]]の先駆者、または[[生の哲学]]の哲学者とされる。先行の哲学者[[マックス・シュティルナー]]との間に思想的類似点(ニーチェによる「'''超人'''」とシュティルナーによる「'''唯一者'''」との思想的類似点等々)を見出され、シュティルナーからの影響がしばしば指摘されるが、ニーチェによる明確な言及はない。そのことは[[:en:Relationship between Friedrich Nietzsche and Max Stirner|フリードリヒ・ニーチェとマックス・シュティルナーとの関係性]]の記事に詳しい。
ニーチェは、[[神]]、[[真理]]、[[理性]]、[[価値]]、[[権力]]、[[自我]]などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、[[デカダンス]]、[[ニヒリズム]]、[[ルサンチマン]]、[[超人]]、[[永劫回帰]]、[[力への意志]]などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。
=== 解釈の多様性 ===
ニーチェは、唯一の真実なるものはなく、解釈があるのみだと考えた{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=207}}。ニーチェにとって、解釈とは、価値、意味を創り出す行為である{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=207}}。そして、解釈は多様である。世界はどのようにも解釈される可能性があり、世界は無数の意味を持つ{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=207}}。
ニーチェがこのように考える背景には、従来的な認識・真理に対する懐疑があった{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=208}}。
=== 永劫回帰 ===
{{main|永劫回帰}}
ニーチェは、[[キリスト教]]が目標とするような彼岸的な世界を否定し、ただこの世界のみを考え、そしてこの世界を生成の世界と捉えた{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=210}}。'''永劫回帰'''(永遠回帰)とは、この世界は、全てのものにおいて、まったく同じことが永遠にくり返されるとする考え方である{{Sfn|小坂国継,岡部英男 編著|2005|p=210}}。
これは、生存することの不快や苦悩を[[来世]]の解決に委ねてしまうキリスト教的世界観の悪癖を否定し、無限に繰り返し、[[意味]]のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜くという[[超人]]思想につながる概念である。
彼は、ソクラテス以前のギリシャに終生憧れ、『[[ツァラトゥストラはこう語った|ツァラトゥストラ]]』などの著作の中で「神は死んだ」と宣言し、[[西洋文明]]が始まって以来、特に[[ソクラテス]]以降の[[哲学]]・[[道徳]]・[[科学]]を背後で支え続けた思想の死を告げた。
=== 超人 ===
それまで[[世界]]や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。自己との[[社会]]・世界・[[超越者]]との関係について考察し、人間は[[理性的生物]]でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情('''ルサンチマン''')によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとした。ニーチェ思想において力の貴族主義思想を廃することはできない。さらには絶対的原理を廃し、次々と生まれ出る真理の中で、それに戯れ遊ぶ人間を超人とした。
すなわちニーチェは、[[クリスチャニズム]]、ルサンチマンに満たされた人間の持つ価値、及び長らく西洋思想を支配してきた[[形而上学]]的価値といったものは、現にここにある生から人間を遠ざけるものであるとする。そして人間は、合理的な基礎を持つ普遍的な価値を手に入れることができない、流転する価値、生存の前提となる価値を、承認し続けなければならない悲劇的な存在(喜劇的な存在でもある)であるとするのである。だが一方で、そういった悲劇的認識に達することは、既存の価値から離れ自由なる精神を獲得したことであるとする。その流転する世界の中、流転する真理を直視することは全て「力への意志」と言い換えられる。いわばニーチェの思想は、自身の中に(その瞬間では全世界の中に)自身の生存の前提となる価値を持ち、その世界の意志によるすべての結果を受け入れ続けることによって、現にここにある生を肯定し続けていくことを目指したものであり、そういった生の理想的なあり方として提示されたものが「超人」であると言える。
=== 古代インド思想 ===
ニーチェは『[[ヴェーダ]]』『[[ウパニシャッド]]』『[[マヌ法典]]』『[[スッタニパータ]]』などの古代インド思想に傾倒、[[ゴータマ・シッダールタ]]を尊敬していた。度々、忌み嫌う西洋キリスト教文明と対比する形で[[仏教]]等の古代インド思想を礼賛し、「ヨーロッパはまだ仏教を受け入れるまでに成熟していない」と語っている<ref>川鍋征行「[http://www.jacp.org/wp-content/uploads/2016/04/1981_08_hikaku_08_kawanabe.pdf ニーチェの仏教理解]」『[http://bauddha.dhii.jp/INBUDS/search.php?m=sch&od=6&uekey=%E6%AF%94%E8%BC%83%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AD%A6&ekey1=all&lim=20&offs=24& 比較思想研究] 』第8巻 pp.44-46 </ref>。
書簡や著作等をみることによって、ニーチェが、いかにして古代インド思想や仏教について知るようになったかが分かる。
{{Quotation|シュマイツナーの友人ヴィーデマン氏から仏教徒たちの聖典の一つとかいう『スッタ・ニパータ』の英語本を借りた。そして『スッタ』の確乎たる結句の一つを、つまり『犀の角のように、ただ独り歩め』という言葉を僕はもう普段の用語にしているのだ<ref>[[塚越敏]]訳、書簡集1、ニーチェ全集第一五巻。二九〇頁。</ref>。}}
{{Quotation|[[仏陀|ブッダ]]の〈宗教〉これは、キリスト教のようなあんな哀れむべきものと混同されない為には、宗教などと呼ばず、『[[衛生学]]』と呼んだ方がよいと思うが、とにかくブッダの〈宗教〉は、布教の手掛かりを[[ルサンチマン|怨恨感情]]の克服という点に置いている。つまり、魂を怨恨感情から解脱させること――これが快癒への第一歩なのだ。<br /><br />『敵意によって敵意が息むことはない、友愛によって敵意は息む{{efn2|{{Quotation|五、<br />世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし。|[[荻原雲来]]訳註<br />『[[法句経|法句經]]』<br />第一 雙敍の部}}}}』という言葉がブッダの説法の劈頭にあるのだが、こんな言い方をするのは決して[[道徳]]ではない。それは[[生理学]]だ<ref>[[川原栄峰]]訳『この人をみよ』ニーチェ全集第一四巻、理想社、三〇頁。</ref>。|『この人を見よ』}}
{{Quotation|仏教は、老成の人間達にとっての苦悩をあまりにも易々と感受するところの、善良な、温和な、極めて精神化されてしまった種族にとっての宗教である(――ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟してはいない――)。即ち、仏教はこのような人間達を平和と快活とへ連れ戻して精神的なものにおいては摂生を、肉体的なものにおいては或る種の鍛練を施しかえすのである。キリスト教は猛獣を支配しようと願うが、その手段はそれを病弱ならしめることである<ref>{{Harvnb|原佑|1980|Ref=CITEREF原佑1980|pp=165-166}}</ref>。|『反キリスト者』}}
{{Quotation|仏教はもはや『罪に対する闘争』ということを囗にせず、現実の権利を全面的にみとめながら『苦に対する闘争』を主張する。仏教は――これこそそれをキリスト教から深く分かつのだが――道徳概念の自己欺瞞を既に己の背後に置き去りにしている。仏教は、私の用語で言えば、善悪の彼岸に立っている<ref>{{Harvnb|原佑|1980|Ref=CITEREF原佑1980|pp=162-163}}</ref>。|『反キリスト者』}}
{{Quotation|仏教にとっての前提は、極めて温和な風土、習俗における大いなる柔和や寛大であって、[[軍国主義|ミリタリズム]]ではない。またそれは、この運動の発生地が[[上流階級]]や[[知識人|知識階級]]ですらあるということである。快活、静寂、無欲が最高の目標として目指され、しかもこの目標が達成される。仏教はただ、完全性の獲得をのみ熱望するような宗教ではない。即ち、完全性が常態なのである<ref>{{Harvnb|原佑|1980|Ref=CITEREF原佑1980|pp=164}}</ref>。|『反キリスト者』}}
{{Quotation|ニヒリズム的宗教の内部でもキリスト教のそれと仏教のそれとは依然として鋭く区別される必要がある。仏教のニヒリズム的宗教は、美しい夕を、完結した甘美や柔和を表現する<ref>[[原佑]]訳「権力への意志」ニーチェ全集一一巻、理想社、一五四。</ref>。|『力への意志』}}
{{Quotation|新しい闘い。<br />――[[末法|仏陀の死後]]も、尚幾世紀もの永い間に渡り、ある洞窟の中に彼の影が見られた<br />――巨大な怖るべき影が。[[神は死んだ]]。<br />――けれど人類の持ち前の然らしめるところ、恐らく尚幾千年の久しきに渡り、神の影の指し示される諸々の洞窟が存在するであろう。<br />――そして、我々は更にまた神の影をも克服しなければならなない!<ref>信太正三訳『悦ばしき知識』ニーチェ全集第八巻、理想社、第三、一〇八。</ref>|『悦ばしき知識』}}
{{Quotation|わたくしはヨーロッパのブッダになれるかもしれない。もちろん、[[釈迦|インドのブッダ]]の正反対ではあるけれども<ref>Sämtliceh Werke Kritische Studienausgabe. Band 10, Herausgegeben von Giorgio Colli und Maggino Montinari. p.109</ref>。}}
== ナチズムへの利用 ==
{{出典の明記|date=2019年12月|section=1}}
ニーチェの思想は妹のエリーザベトがニーチェのメモをナチスに売り渡した事で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]のイデオロギーに利用されたが、そもそもニーチェは、[[反ユダヤ主義]]に対しては強い嫌悪感を示しており、妹のエリーザベトが反ユダヤ主義者として知られていた[[ベルンハルト・フェルスター]]と結婚したのち、[[1887年]]には次のような手紙を書いている。
{{Cquote|お前はなんという途方もない愚行を犯したのか――おまえ自身に対しても、私に対してもだ! お前とあの反ユダヤ主義者グループのリーダーとの交際は、私を怒りと憂鬱に沈み込ませて止まない、私の生き方とは一切相容れない異質なものだ。……反ユダヤ主義に関して完全に潔白かつ明晰であるということ、つまりそれに反対であるということは私の名誉に関わる問題であるし、著書の中でもそうであるつもりだ。『letters and Anti-Semitic Correspondence Sheets』{{efn2|引用者訳注:ニーチェの思想を歪曲して利用したらしい反ユダヤ主義文書。}}は最近の私の悩みの種だが、私の名前を利用したいだけのこの党に対する嫌悪感だけは可能な限り決然と示しておきたい。}}
また、[[1889年]]1月6日[[ヤーコプ・ブルクハルト]]宛ての最後の書簡は、「[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム]]と[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」と記している。主著『善悪の彼岸』の「民族と祖国」ではドイツ的なるものを揶揄して、「善悪を超越した無限性」を持つユダヤ人にヨーロッパは感謝せねばならず、「全ての疑いを超えてユダヤ人こそがヨーロッパで最強で、最も強靭、最も純粋な民族である」などと絶賛し、さらには「反ユダヤ主義にも効能はある。[[民族主義]]国家の熱に浮かされることの愚劣さをユダヤ人に知らしめ、彼らをさらなる高みへと駆り立てられることだ」とまで書いている。にもかかわらずナチスに悪用されたことには、ナチスへ取り入ろうとした妹エリーザベトが、自分に都合のよい兄の虚像を広めるために非事実に基づいた伝記の執筆や書簡の偽造をしたり、遺稿『力への意志』が(ニーチェが標題に用いた「力」とは違う意味で)政治権力志向を肯定する著書であるかのような改竄をおこなって刊行したことなどが大きく影響している。
しかしながら、[[ルカーチ・ジェルジ]]や戦後に刊行の[[トーマス・マン]]の、ニーチェをモデルにした小説『[[ファウストゥス博士]]』において、ニーチェをナチズムと結びつけて捉えるべきかのように示唆する観点をもつ研究者や作家も存在する。
とくにそれは[[優生学]]に基づいた政策を人間に当てはめることを肯定する態度に表れている。
{{Quote|{{ruby|これもまた人間愛の戒律の一つ|}}。――子供を産むのが犯罪となるかもしれない場合がある。最強度の慢性疾患や神経衰弱症の場合である。どうしたらいいのか? (中略) 結局は、ここで果たすべき{{ruby|義務|﹅﹅}}は社会にある。これほど社会に対する切実で、根本的な要求はあまりない。社会は、生命の偉大な委任統治者として、あらゆる失敗した生命の責任を、生命自体に{{ruby|対して|﹅﹅﹅}}負うべきなのだ。――またその償いをしなければならない。{{ruby|したがって|﹅﹅﹅﹅﹅}}、社会はそうしたものを阻止しなければならない。社会は多数の場合に生殖行為を予防しなければならない。さらにまた、素{{ruby|姓|ママ}}、階級、知能を顧慮することなく、きわめて手きびしい強制処置、自由剥奪、場合によっては去勢手段にも訴える用意が要る。(中略) 生命そのものは、一有機体の健全な部分と退化変質した部分との間にいかなる連帯性も、いかなる「平等な権利」も認めない。変質した部分は{{ruby|切除|﹅﹅}}されなければならない。||Mp ⅩⅥ4d. Mp ⅩⅦ7. WⅡ7b. ZⅡ1b. WⅡ6c.{{Cite book|和書|author=フリードリッヒ・ニーチェ|translator=氷上英廣|title=ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)|publisher=[[白水社]]||date=1985-08-30|isbn=|pages=125-126}}{{efn2|元は『偶像の黄昏』の校正稿に入っていたものをニーチェが自分で抜き出した原稿<ref>{{Cite book|和書|author=フリードリッヒ・ニーチェ|translator=氷上英廣|title=ニーチェ全集 第II期第12巻 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)|publisher=[[白水社]]|date=1985-08-30|page=125}}</ref>。傍点は引用文献のまま。記号の意味については引用文献を参照のこと。}}{{efn2|エリーザベト・ニーチェが捏造した『力への意志』では734番に充てられている。734番はニーチェが『偶像の黄昏』校正稿から抜いた原稿と同じ内容である。『力への意志』日本語訳では次のように書かれている。{{Quote|{{ruby|人間愛のいま一つの命令|﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅}}。――子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。そのときにはどうしたらいいのか?(中略) 社会は、生の大受託者として、生自身に{{ruby|対して|﹅﹅﹅}}生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、――またそれを贖うべきである、したがってそれを防止す{{ruby|べき|﹅﹅}}である。しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、自由の剥奪、 事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。(後略)|フリードリッヒ・ニーチェ|{{Cite book|和書|author=フリードリッヒ・ニーチェ|editor=信太正三・原佑・吉沢伝三郎|translator=原佑|title=ニーチェ全集 権力への意志 (下) すべての価値の価値転換の試み|publisher=理想社|year=1962|pages=216-217}}傍点は原文のまま。}}}}}}
{{Quote|(前略) すべての生の廃棄物やごみ屑に対して{{ruby|憐れみを持たぬ|﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅}}こと、上昇する生に対するたんなる妨害物であり、毒物であり、陰謀であり、潜伏的な敵対者であるものの打倒を求める|フリードリッヒ・ニーチェ|Mp ⅩⅥ4d. Mp ⅩⅦ7. WⅡ7b. ZⅡ1b. WⅡ6c.{{Cite book|和書|author=フリードリッヒ・ニーチェ|translator=氷上英廣|title=ニーチェ全集 第12巻 (第II期) 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)|date=1985-08-30|isbn|page=140}}}}
ナチスはユダヤ人虐殺以前に、障害者を強制「断種」して、 その後、精神病院にガス室をつくって障害者を多数「安楽死」させていた。''[[T4作戦]]も参照''。上記のニーチェの思想はナチスの行為を正当化するものとの誤解を与えかねないものであった。
== それ以後の哲学・思想への影響 ==
ニーチェの哲学がそれ以後の[[文学]]・[[哲学]]に与えた影響は多大なものがあり、影響を受けた人物をあげるだけでも相当な数になるが、彼から特に影響を受けた哲学者、思想家としては[[マルティン・ハイデッガー|ハイデガー]]、[[エルンスト・ユンガー|ユンガー]]、[[ジョルジュ・バタイユ|バタイユ]]、[[ミシェル・フーコー|フーコー]]、[[ジル・ドゥルーズ|ドゥルーズ]]、[[ジャック・デリダ|デリダ]]らがいる。[[1968年]]の[[五月危機|フランス五月革命]]の民主化運動も、思想背景はニーチェだった。
== 個々の著作の概要 ==
{{出典の明記|date=2013年7月|section=1}}
===『悲劇の誕生』===
{{main|悲劇の誕生}}
当初の表題は『音楽の精神からの[[悲劇の誕生]]』([[1886年]]の新版以降は『悲劇の誕生、あるいは[[ギリシア]]精神と[[ペシミズム]]』に改題)がある。これは、哲学書ではなく[[西洋古典学]]での文献学書である。
ニーチェにしてみれば、明朗快活な[[古代ギリシア]]時代という当時の常識を覆し、[[アポロン]]的―[[ディオニュソス]]的という斬新な概念を導入して、当時の世界観を説いた野心作であった。しかし、このような独断的な内容は、厳密に古典文献を精読するという当時の古典文献学の手法からすれば、暴挙に近いものだった。そのため、周囲からは学問的厳密さを欠く著作として受け取られ、ヴァーグナーや友人のローデを除いて、学界からは完全に黙殺された。
また、師匠のリッチュルも、単にヴァーグナーの音楽を賛美するために[[古典文献学]]を利用したと思い、「才気を失った酔っ払い」の書と酷評したため、リッチュルとの関係が悪化した。この書の評判が響いて、発表した[[1872年]]の冬学期のニーチェの講義を聞くものは、わずかに2名であった(古典文献学専攻の学生は皆無)。満を持してこの本を出版したニーチェは、大きなショックを受けた。
同時代の古典文献学者の中でほぼ唯一、ニーチェの考えを積極的に受容したのがイギリスのケンブリッジ儀礼学派の祖[[ジェーン・エレン・ハリソン]]であった。ハリソンは1903年の著書『''Prolegomena to the Study of Greek Religion''』において、[[ディオニュソス]]信仰と[[オルフェウス教]]の密儀によって古代ギリシア人のオリンポスの神々への信仰が「宗教」と呼べるものに転換していったと主張した<ref>ハンス・キッペンベルク『宗教史の発見 宗教学と近代』158頁/166頁-169頁([[月本昭男]]、[[久保田浩]]、[[渡辺学]]共訳 [[岩波書店]]、2005年)</ref>。
そして、ニーチェは、自身の著作が受け容れられないのは、現代のキリスト教的価値観に囚われたままで古典を読解するという当時の[[古典文献学]]の方法にあると考え、やがて激しい古典文献学批判を行なう。そして、『悲劇の誕生』で説いたような、悲劇の精神から遊離し、生というものを見ず、俗物的日常性に埋没し、単に教養することに自己満足して、その教養を自身の生にまったく活用しようとしない、当時のドイツに蔓延していた風潮を、「教養俗物」(Bildungsphilister)と名づけ、それに対する辛辣な批判を後の『反時代的考察』で展開していくことになる。
=== 『反時代的考察』 ===
これは、ヨーロッパ、特に[[ドイツ]]の文化の現状に関して、[[1873年]]から[[1876年]]にかけて執筆された4編(当初は13編のものとして構想された)からなる評論集である。
#「ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家」([[1873年]]):これは、当時のドイツ思想を代表していた[[ダーフィト・シュトラウス]]の『古き信仰と新しき信仰: 告白』([[1871年]])への論駁である。ニーチェは、科学的に、すなわち歴史の進歩に基づく決然とした普遍的技法によって、シュトラウスの言う「新しい信仰」なるものが文化の頽廃にしか寄与しない低俗な概念に過ぎないことを喝破したばかりか、シュトラウス本人をも俗物と呼んで攻撃した。
#「生に対する歴史の利害」([[1874年]]):ここでは、単なる歴史に関する知識の蓄積をもってことが足りるとする従来の考え方を退け、「生」を主要な概念として、新たな歴史の読み方を提示し、さらにはそれが社会の健全さを高めもするであろうことを説明する。
#「教育者としてのショーペンハウアー」([[1874年]]):[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]の天才的な哲学が[[ドイツ]]文化の復興をもたらすであろうことが述べられる。ニーチェは、ショーペンハウアーの[[個人主義]]や誠実さ、不動の意志だけでなく、[[ペシミズム]]によって、この有名な哲学者の陽気さに注目している。
#「バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー」([[1876年]]):この論文では、[[リヒャルト・ワーグナー]]の心理学を探求している。当時のニーチェの心の中では、ワーグナーへの心酔と疑念が入り混じっていたため、対象となっている人物との親密さのわりには、追従めいたところがない。そのため、ニーチェはしばらく出版をためらっていたが、結局はワーグナーに対して批判的な文言の控えめな状態の原稿を出版した。にもかかわらず、この評論はやがて訪れる二人の決裂の兆しを見せている。
=== 『人間的な、あまりにも人間的な』 ===
[[1878年]]に初版を刊行、[[1886年]]の第2版からは『さまざまな意見と[[箴言]]』([[1879年]])と『漂泊者とその影』([[1880年]])をそれぞれ第2巻第1部および第2部として増補、題名も『人間的な、あまりに人間的な ''――'' [[自由精神]]のための書』と改めた。本書はニーチェの中期を代表する著作であり、[[ロマン主義|ドイツ・ロマン主義]]およびワーグナーとの決別や明瞭な[[実証主義]]的傾向が見て取られる。
また、本書の形式にも注目する必要がある。体系的な哲学の構築を避け、短いものは1行、長いものでも1、2ページからなる[[アフォリズム]]数百篇によって構成するという中期以降のスタイルは、本書をもって嚆矢とする。この本では、ニーチェの思想の根本要素が垣間見られるとはいえ、何かを解釈するというよりは、真偽の定かでない前提の暴露を盛り合わせたものである。ニーチェは、「[[パースペクティヴィズム]]」と「力への意志」という概念を用いている。
=== 『曙光』 ===
『曙光』([[1881年]])において、ニーチェは、動因としての[[快楽主義]]の役割を斥けて「力の感覚」を強調する。また、道徳と文化の双方における[[相対主義]]と[[キリスト教]]批判が完成の域に達した。この明晰で穏やかで個人的な文体の[[アフォリズム]]集の中で、ニーチェが求めているのは、自分の見解に対する読者の理解よりも、自らが特殊な体験を得ることであるようにも見られる。この本でもまた、後年の思想の萌芽が散見される。
=== 『悦ばしき知識』 ===
『悦ばしき知識』([[1882年]])は、ニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、引き続き[[アフォリズム]]形式をとりながら、他の諸作よりも多くの思索を含んでいる。中心となるテーマは、「悦ばしい生の肯定」と「生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭」である(タイトルは[[トルバドゥール]]の作詩法を表す[[プロヴァンス語]]からつけられたもの)。
たとえば、ニーチェは、有名な'''[[永劫回帰]]'''説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いる[[キリスト教]]的世界観と真っ向から対立するものである。
[[永劫回帰]]説もさることながら、『悦ばしき知識』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの[[自然主義]]的・[[美学]]的離別を決定づける「'''[[神は死んだ]]'''」という主張である。
[[NHK]][[連続テレビ小説]](朝ドラ)「ちむどんどん」において、この書に含まれた箴言の一つが、ヒロインが修行するレストランの名前の由来とされている{{efn2|第18週、90回、2022年8月12日放送。レストラン名はイタリア語 “alla fontana“ (「泉」、「泉にて」、「泉へ」)。箴言の題は、“Unverzagt“ (「意気盛ん」、「気後れせずに」、「臆することなく」)。箴言は4行であるが、番組ではその前半部がレストランのオーナー自身によって「汝の立つ処深く掘れ、/ そこに必ず泉あり」と紹介されている。なお、原文は „Wo du stehst, grab tief hinein! / Drunten ist die Quelle!“ Die fröhliche Wissenschaft (projekt-gutenberg.org) 2022年8月15日閲覧。信太正三訳(『ニーチェ全集』8 [[理想社]]1980年、20頁)では「ひるまずに」と題して「お前の立つところを 深く掘り下げよ! / その下に 泉がある!」と訳されている。その後には、「「下はいつも――地獄だ!」、と叫ぶのは、/ 黒衣の隠者流に まかせよう。」と続く。}}。
=== 『ツァラトゥストラはかく語りき』 ===
{{main|ツァラトゥストラはこう語った}}
『ツァラトゥストラはかく語りき』は、ニーチェの主著であるとされており、また[[リヒャルト・シュトラウス]]に、[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|同名の交響詩]]を作曲させるきっかけとなった。なお、ツァラトゥストラとは、[[ゾロアスター教]](拝火教)の開祖[[ザラスシュトラ]]の名前のドイツ語形の一つであるが、歴史上の人物とは直接関係のない文脈で思想表現の器として利用されるにとどまっている。
=== その他 ===
{{節スタブ}}
* 『[[善悪の彼岸]]』
* 『[[道徳の系譜]]』
* 『[[偶像の黄昏]]』
* 『[[ヴァーグナーの場合]]』
* 『[[アンチクリスト]]』(『[[反キリスト]]者』;独語[[:de:Der Antichrist|Der Antichrist]])
* 『[[この人を見よ (ニーチェ)|この人を見よ]]』
* 『[[ニーチェ対ヴァーグナー]]』
* 『[[力への意志]]』(ニーチェの死後、遺稿を元にエリーザベトが編集出版したもの。長らくニーチェの主著と見なされていた。)
== 作曲 ==
ニーチェは、専門的な音楽教育を受けたわけではなかったが、13歳頃から20歳頃にかけて[[歌曲]]や[[ピアノ]]曲などを作曲した。その後、作曲することはなくなったが、ヴァーグナーとの出会いを通して刺激を受け、バーゼル時代にもいくつかの曲を残している。「生涯で70を越す楽曲を作曲したそうである」<ref>井戸田総一郎「ニーチェーーピアノと文体」〔''Brunnen''. Juni 2023, Nr.530 Ikubundo([[郁文堂]])3-5頁、引用は3頁。〕</ref>。作風は前期ロマン派的であり、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]を思わせる。彼が後にまったく作曲をしなくなったのは、本業で忙しくなったという理由のほかに、自信作であった『[[マンフレッド]]瞑想曲』を[[ハンス・フォン・ビューロー]]に酷評されたことが理由として考えられる。
現在に至るまで、ニーチェが作曲家として認識されたことはほとんどないが、著名な哲学者の作曲した作品ということで、一部の演奏家が録音で取り上げるようになり、徐々に彼の「作曲もする哲学者」としての側面が明らかになっている。彼の作品は、すべて歌曲かピアノ曲のどちらかであるが、四手連弾の作品の中には『マンフレッド瞑想曲』[[交響詩]]『エルマナリヒ』など、[[オーケストラ]]を念頭に置いて書かれたであろう作品も存在する。また、[[オペラ]]のスケッチを残しており、[[2007年]]に[[ジークフリート・マトゥス]]がそのスケッチを骨子としてオペラ『[[コジマ・ワーグナー|コジマ]]』を作曲した。
* ニーチェ音楽関連年譜
*マンフレッド瞑想曲
*ニーチェ作品集
*新作オペラ『コジマ』
== 著作 ==
*『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』(『[[悲劇の誕生]]』)(''[[:de:Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik|Die Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik]],1872'')
*『反時代的考察』(以下の論文所収)(''Unzeitgemässe Betrachtungen, 1876'')
**「[[ダーヴィト・シュトラウス]]、告白者と著述家」(''David Strauss: der Bekenner und der Schriftsteller, 1873'')
**「生に対する歴史の利害」(''[[:de:Vom Nutzen und Nachteil der Historie für das Leben|Vom Nutzen und Nachteil der Historie für das Leben]], 1874'')
**「教育者としてのショーペンハウアー」(''Schopenhauer als Erzieher, 1874'')
**「バイロイトにおけるヴァーグナー」(''Richard Wagner in Bayreuth, 1876'')
*『人間的な、あまりにも人間的な』(''Menschliches, Allzumenschliches, 1878'')
*『曙光』(''Morgenröte, 1881'')
*『悦ばしき知識』(''[[:de:Die fröhliche Wissenschaft|Die fröhliche Wissenschaft]],1882'')
*『[[ツァラトゥストラはこう語った|ツァラトゥストラはかく語りき]]』(''[[:de:Also sprach Zarathustra|Also sprach Zarathustra]], 1885'')
*『[[善悪の彼岸]]』(''Jenseits von Gut und Böse, 1886'')
*『[[道徳の系譜]]』(''[[:de:Zur Genealogie der Moral|Zur Genealogie der Moral]], 1887'')
*『ヴァーグナーの場合』(''Der Fall Wagner, 1888'')
*『ニーチェ対ヴァーグナー』(''[[:de:Nietzsche contra Wagner|Nietzsche contra Wagner]], 1888'')
*『偶像の黄昏』(''Götzen-Dämmerung, 1888'')
*『アンチクリスト』(あるいは『反キリスト者』)(''[[:de:Der Antichrist|Der Antichrist]], 1888'')
*『[[この人を見よ (ニーチェ)|この人を見よ]]』(''[[:de:Ecce homo (Nietzsche)|Ecce homo]], 1888'')
遺稿集には
*『[[力への意志]]』(遺稿。妹が編纂)(''[[:de:Wille zur Macht|Wille zur Macht]], 1901'')
*『生成の無垢』(遺稿。アルフレート・ボイムラー編)(''Die Unshuld des Werdens, Alfred Kröner Verlag in Stuttgart, 1956'')
===日本語訳===
※最近の主な「全集」は、校訂を一新したグロイター版を底本とする[[白水社]]版(第1期全12巻・第2期全12巻)と、それより古いクレーナー版・ムザリオン版・シュレヒタ版等に基づく[[筑摩書房]]「[[ちくま学芸文庫]]」版(全15巻、元版は理想社)。<br>白水社版は多くの「遺された著作」「遺された断想」を含むが、第3期が未刊行となった。ちくま学芸文庫版は、上記の他に別巻4冊(書簡・詩集・遺稿集『生成の無垢』を収録)を刊行している<ref>[[渡邊二郎]]「ニーチェ全集の歴史」渡邊二郎・西尾幹二編『ニーチェを知る事典 その深淵と多面的世界』ちくま学芸文庫、2013年。[[三島憲一]]「さまざまなニーチェ全集について」『ニーチェ事典』弘文堂、1995年。</ref>。
文庫版は『ツァラトゥストラはこう言った』、『悲劇の誕生』、『道徳の系譜』、『善悪の彼岸』、『この人を見よ』など、[[岩波文庫]]・[[光文社古典新訳文庫]]、[[河出文庫]]などで刊行している。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*''"Nietzsche"'' (1961) 。[[マルティン・ハイデッガー]](Martin Heidegger)著
**『ニーチェ』 [[薗田宗人]]訳、白水社 (全3巻)、新装版2007年
**『ニーチェ〈1〉 美と永遠回帰』平凡社ライブラリー、1997年
**『ニーチェ〈2〉 ヨーロッパのニヒリズム』 平凡社ライブラリー、1997年
*''"Nietzsche et la philosophie"'' (1962) [[ジル・ドゥルーズ]] (Gilles Deleuze) 著 ISBN 2130532624 , ISBN 978-2130532620
**日本語訳『ニーチェと哲学』 [[足立和浩]]訳、国文社、1974年
**日本語訳『ニーチェと哲学』 江川隆男訳、[[河出文庫]]、2008年 ISBN 430946310X , ISBN 978-4309463100
*Löwith, Karl (1964). ''From Hegel to Nietzsche''. Columbia University Press. ISBN <bdi>0-231-07499-9</bdi>.
**日本語訳『ヘーゲルからニーチェへ 十九世紀思想における革命的断絶』[[三島憲一]]訳、岩波文庫(上・下) 2015年-2016年
*''"Nietzsche et le cercle vicieux"'' (1969)[[ピエール・クロソウスキー]](Pierre Klossowski) 著
**日本語訳『ニーチェと悪循環』 [[兼子正勝]]訳、哲学書房、1989年/[[筑摩書房]]〈[[ちくま学芸文庫]]〉、2004年
*''"Nietzsche Aujourd’hui?"''
**日本語訳『ニーチェは今日?』 リオタール、ドゥルーズ、ジャック・デリダ共著、[[林好雄]]・[[本間邦雄]]・[[森本和夫]]共訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002
* ジョージ・スタック『ニーチェ哲学の基礎』[[未知谷]]、2006年。
* マッツィーノ・モンティナーリ『全集編者の読むニーチェ グロイター版全集編纂の道程』 [[未知谷]]、2012年。
* [[ルー・ザロメ]]『ルー・ザロメ著作集〈3〉 ニーチェ 人と作品』以文社 1974年
* [[信太正三]]『ニイチェ研究 実存と革命』[[創文社]] 1956年
* [[川原栄峰]]『[[ニヒリズム]]』 [[講談社]]現代新書 1977年
* [[三島憲一]]『ニーチェ』[[岩波新書]]、1987年
* 三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』[[未來社]]、1990年、[[講談社学術文庫]]、1997年
* 三島憲一『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』岩波書店、2011年
* 三島憲一『ニーチェかく語りき』[[岩波現代文庫]]、2016年
* [[竹田青嗣]]『ニーチェ入門』ちくま新書、1994年
* 竹田青嗣・西研・藤野美奈子『知識ゼロからのニーチェ入門』幻冬舎、2013年
* [[工藤綏夫]] 『ニーチェ 人と思想22』 [[清水書院]]・センチュリーブックス、新装版2014年
* [[清水真木]]『ニーチェ入門』ちくま学芸文庫、2018年
* {{Cite book|和書|author=西部邁|title=思想の英雄たち 保守の源流をたずねて|year=2012|publisher=角川春樹事務所|series=ハルキ文庫|isbn=978-4-7584-3629-8|pages=73-87|chapter=近代に突き刺さった棘 フリードリッヒ・ニーチェ}}
* 橋本智津子『ニヒリズムと無』京都大学学術出版会、2004年。ISBN 4-87698-642-8
*{{Cite|和書|author=[[小坂国継]],岡部英男 編著|title=倫理学概説|publisher=[[ミネルヴァ書房]]|year=2005}}
*{{Cite|和書|author=[[原佑]]訳|title=ニーチェ全集第一三巻『偶像の黄昏・反キリスト者』|publisher=理想社|year=1980|ref=CITEREF原佑1980}}
== 関連項目 ==
{{Wikisourcelang|de|Friedrich Nietzsche|フリードリヒ・ニーチェ}}
* [[グノーシス]]
* [[生の哲学]]
* [[歴史主義]]
== 外部リンク ==
* http://www.lenahades.co.uk/#!portraits-of-friedrich-nietzsche/c1u64 - [[レナ・ハデス]]のフリードリヒニーチェの肖像画
* [http://www.nietzschesource.org/ Nietzsche Source - Digitale Kritische Gesamtausgabe (eKGWB)](コリ・モンティナリ版)
* [[ウィキソース]]:[https://de.wikisource.org/wiki/Friedrich_Nietzsche Friedrich Nietzsche]
* {{IMSLP|id=Nietzsche, Friedrich}}
* {{Kotobank|ニーチェ}}
* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/k_chizu_jp/nietzsche1.html |title=ニーチェ音楽関連年譜 |date=20090131202728}}
* [http://friedrich-nietzsche-manfred-meditation-mp3-download.kohit.net/_/191842 マンフレッド瞑想曲]
* [https://www.youtube.com/view_play_list?p=797E9F70FBB0A889 ニーチェ作品集]
* [http://teru.sub.jp/ofc/2007/02/post_670.html 新作オペラ『コジマ』]
* フリードリヒ・ニーチェ『[https://www.project-archive.org/0/023.html この人を見よ(最終章)]』(安倍能成訳) - ARCHIVE
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7 |
7,979 | 1820年 | 1820年(1820 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。 | [
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] | 1820年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。 | {{年代ナビ|1820}}
{{year-definition|1820}}
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚辰]]
* [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]])
** [[文政]]3年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2480年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]25年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]20年
** [[檀君紀元|檀紀]]4153年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[阮朝]] : [[明命]]元年
* [[仏滅紀元]] : 2362年 - 2363年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1235年3月15日 - 1236年3月25日
* [[ユダヤ暦]] : 5580年4月14日 - 5581年4月26日
* [[ユリウス暦]] : 1819年12月20日 - 1820年12月19日
* [[修正ユリウス日]](MJD) : -14200 - -13835
* [[リリウス日]](LD) : 86641 - 87006
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1820}}
== できごと ==
* [[1月1日]] - [[スペイン立憲革命]]勃発([[ラファエル・デル・リエゴ]]ら)
* [[1月28日]] - [[ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン|ベリングスハウゼン]]率いる露国探検隊が[[南極大陸]]を[[発見]]
* [[1月29日]] - 英国で[[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]が即位([[リージェンシー]]の終り)
* [[3月3日]] - 米国で[[ミズーリ協定]]成立
* [[3月6日]]-[[4月14日]] - イギリスで{{仮リンク|1820年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1820}}。リヴァプール伯爵内閣の与党[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]が多数派維持。
* [[3月15日]] - 米国で[[メーン州|メーン]]が23番目に州となる
* [[4月8日]] - [[ミロのヴィーナス]]が発見される
* [[4月21日]] - [[ハンス・クリスティアン・エルステッド|エルステッド]]が電流の磁気作用を発見
* [[5月11日]] - 英国で[[ビーグル (帆船)|ビーグル号]]が進水
* 7月 - [[ナポリ]]で[[秘密結社]]「[[カルボナリ]]」が一斉蜂起(ナポリ革命)
* [[12月3日]] - [[1820年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[ジェームズ・モンロー]]が再選
== 誕生 ==
{{see also|Category:1820年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月10日]](文政2年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[安藤信正]]、[[老中]]、陸奥国[[磐城平藩]]第5代藩主(+ [[1871年]])
* [[1月17日]] - [[アン・ブロンテ]]、[[小説家]](+ [[1849年]])
* [[2月14日]](文政3年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]])- [[清水次郎長]]、[[侠客]](+ [[1893年]])
* [[2月15日]] - [[スーザン・B・アンソニー]]、アメリカの[[女性参政権]]運動家・[[奴隷制]]反対運動家(+ [[1906年]])
* [[2月17日]] - [[アンリ・ヴュータン]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1881年]])
* [[3月14日]] - [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世]]、[[イタリア王国]]初代国王(+ [[1878年]])
* [[3月30日]] - [[アンナ・シュウエル]]、[[作家]](+ [[1878年]])
* [[4月17日]] - [[アレクサンダー・カートライト]]、[[野球]]考案者(+ [[1892年]])
* [[4月27日]] - [[ハーバート・スペンサー|スペンサー]]、イギリスの[[哲学者]]・[[社会学者]](+ [[1903年]])
* [[5月12日]] - [[フローレンス・ナイチンゲール|ナイチンゲール]]、イギリスの[[看護師]](+ [[1910年]])
* [[6月22日]] - [[ジェームス・ハチソン・スターリング]]、[[哲学者]](+ [[1909年]])
* [[7月24日]](文政3年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]])- [[濱口梧陵]]、[[実業家]]・社会事業家(+ [[1885年]])
* [[8月26日]] - [[ジェイムズ・ハーラン (内務長官)|ジェイムズ・ハーラン]]、第8代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1899年]])
* [[10月24日]] - [[ウジェーヌ・フロマンタン]]、[[小説家]]・[[画家]](+ [[1876年]])
* [[キャサリン・プランケット]] - [[アイルランド]]歴代最高齢者、[[スーパーセンテナリアン]] (+ [[1932年]])
* [[11月28日]] - [[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]、ドイツの[[哲学者]]・[[革命家]](+ [[1895年]])
* [[12月21日]] - [[興宣大院君|大院君]]、[[李氏朝鮮]]の国王[[高宗]]の父(+ [[1898年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1820年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月23日]] - [[エドワード・オーガスタス (ケント公)|エドワード・オーガスタス]]、[[ケント公]](* [[1767年]])
* [[1月29日]] - [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]、[[イギリス]]国王(* [[1738年]])
* [[2月13日]] - [[シャルル・フェルディナン・ダルトワ]]、[[ブルボン朝|フランス]]の王族(* [[1778年]])
* [[3月11日]] - [[ベンジャミン・ウエスト]]、[[画家]](* [[1738年]])
* 3月11日 - [[アレグザンダー・マッケンジー (探検家)|アレグザンダー・マッケンジー]]、[[探検家]](* [[1764年]])
* [[4月2日]]([[文政]]3年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[有栖川宮織仁親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1754年]])
* [[4月14日]] - [[レヴィ・リンカーン (1世)]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1749年]])
* [[6月19日]] - [[ジョゼフ・バンクス]]、[[博物学|博物学者]](* [[1743年]])
* [[7月12日]](文政3年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[南部利敬]]、第10代[[盛岡藩|盛岡藩主]](* [[1782年]])
* [[8月7日]] - [[エリザ・ボナパルト]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1777年]])
* [[8月18日]](文政3年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[市河寛斎]]、[[儒学者]]・[[漢詩|漢詩人]](* [[1749年]])
* [[9月3日]]([[嘉慶 (清)|嘉慶]]25年[[7月26日 (旧暦)|7月26日]]) - [[嘉慶帝]]、[[清]]第7代[[皇帝]](* [[1760年]])
* [[9月14日]] - [[フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル]]、[[ナポレオン戦争]]期の[[フランス軍]][[元帥]](* [[1755年]])
* [[9月15日]](文政3年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[岡田米山人]]、[[文人画|文人画家]](* [[1744年]])
* [[9月26日]] - [[ダニエル・ブーン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Daniel-Boone Daniel Boone American frontiersman] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、探検家・開拓者(* [[1734年]])
* [[9月29日]](文政3年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]]) - [[杜俊民]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1754年]])
* [[10月8日]] - [[アンリ・クリストフ]]、[[ハイチ王国|ハイチ王]](* [[1767年]])
* [[10月10日]](文政3年[[9月4日 (旧暦)|9月4日]]) - [[浦上玉堂]]、文人画家(* [[1745年]])
* [[12月13日]] - [[セーチェーニ・フェレンツ]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]の貴族(* [[1754年]])
* [[12月15日]] - [[ジョゼフ・フーシェ]]、[[フランス第一帝政]]・[[フランス復古王政|復古王政]]警察大臣(* [[1759年]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1820}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}}
{{デフォルトソート:1820ねん}}
[[Category:1820年]] | null | 2022-08-15T11:45:11Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1820%E5%B9%B4 |
7,980 | 1680年代 | 1680年代(せんろっぴゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1680年から1689年までの10年間を指す十年紀。 | [
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] | 1680年代(せんろっぴゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1680年から1689年までの10年間を指す十年紀。 | {{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 17 | 年代 = 1680 | 年 = 1680 }}
'''1680年代'''(せんろっぴゃくはちじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1680年から1689年までの10年間を指す[[十年紀]]。
== できごと ==
=== 1680年 ===
{{main|1680年}}
* [[徳川綱吉]]、[[江戸幕府]]5代[[征夷大将軍]]となる。
* この頃、[[ヨハン・パッヘルベル|パッヘルベル]]の[[カノン (パッヘルベル)|カノン]]作曲される。
=== 1681年 ===
{{main|1681年}}
* [[日本]]:[[元号]]を[[天和 (日本)|天和]]に改元。
* [[中国]]:[[三藩の乱]]終結([[1673年]]-)。
* [[インド洋]]の[[モーリシャス]]に生息していた[[飛べない鳥]][[ドードー]]が[[絶滅]]。
=== 1682年 ===
{{main|1682年}}
* [[井原西鶴]]の『[[好色一代男]]』発刊。
* [[ツァーリ|ロシア皇帝]][[フョードル3世]]が死去、[[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]と[[イヴァン5世]]が共同皇帝となる(-1689年)。
* [[ハレー彗星]]接近。
=== 1683年 ===
{{main|1683年}}
* [[江戸]]で[[火災]]([[天和の大火]])。
* [[八百屋お七]]が[[放火]]未遂事件(天和の大火)を起こし、処刑。
* [[台湾]]の[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]、[[清]]朝に降伏、滅亡。
* [[オスマン帝国]]、[[第二次ウィーン包囲]]。
=== 1684年 ===
{{main|1684年}}
* 日本:元号を[[貞享]]に改元。
* [[江戸幕府]]、[[天文方]]を設立([[東京大学]]・[[東京外国語大学]]の原点)。
* [[ジョヴァンニ・カッシーニ]]、[[土星]]の[[衛星]][[ディオネ (衛星)|ディオネ]]と[[テティス (衛星)|テティス]]を発見。
=== 1685年 ===
{{main|1685年}}
* [[フランス]]: [[ナントの勅令]]廃止([[フォンテーヌブローの勅令]]による)。
=== 1686年 ===
{{main|1686年}}
* [[服忌令]]を改訂(-[[1693年]])。
* [[アウクスブルク同盟]]結成(-[[1696年]])。
=== 1687年 ===
{{main|1687年}}
* 日本:[[生類憐れみの令]](この後、[[1708年]]まで繰り返し出される)。[[田畑永代売買禁令]]が再び出される。
* [[アイザック・ニュートン]]、『[[自然哲学の数学的諸原理]]』を刊行。[[重力]]概念を提唱。
=== 1688年 ===
{{main|1688年}}
* 日本:元号を[[元禄]]に改元。
* [[イギリス]]:[[名誉革命]]、[[大同盟戦争]](-[[1697年]])。[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]が退位し、[[イングランド]]と[[オランダ]]が[[同君連合]]。
=== 1689年 ===
{{main|1689年}}
* [[清]]と[[ロシア]]の国境が[[ネルチンスク条約]]で定まる。
* [[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]が、[[摂政]]を追放、共同皇帝[[イヴァン5世]]を廃位し、ロシア皇帝として単独即位。
* イギリス:[[権利の章典]]制定。
* [[ウィリアム王戦争]](-[[1697年]])
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline}}
{{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}}
{{History-stub}}
{{デフォルトソート:1680ねんたい}}
[[Category:1680年代|*]] | null | 2023-03-23T13:37:13Z | false | false | false | [
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"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:世紀と十年紀"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1680%E5%B9%B4%E4%BB%A3 |
7,981 | 1800年 | 1800年(1800 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。18世紀最後の年である。 | [
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"text": "1800年(1800 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。18世紀最後の年である。",
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] | 1800年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。18世紀最後の年である。 | {{年代ナビ|1800}}
{{year-definition|1800}}[[18世紀]]最後の年である<ref group="注釈">100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、[[閏年]]ではない([[グレゴリオ暦]]の規定による)。</ref>。
== 他の紀年法 ==
{{他の紀年法}}
* [[干支]] : [[庚申]]
* [[日本]]([[寛政暦]])
** [[寛政]]12年
** [[皇紀]]2460年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]5年
* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]24年
** [[檀君紀元|檀紀]]4133年
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
** [[西山朝]] : [[景盛]]8年
* [[仏滅紀元]] : 2342年 - 2343年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1214年 - 1215年
* [[ユダヤ暦]] : 5560年 - 5561年
* [[ユリウス暦]] : 1799年12月21日 - 1800年12月19日
* [[フランス革命暦]]:VIII年雪月11日 - IX年雪月10日
== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1800}}
== できごと ==
* [[1月18日]] - [[フランス銀行]]が設立。
* [[2月18日]] - [[フランス革命戦争]]: [[マルタ護送船団の海戦]]でイギリスが勝利。
* [[3月14日]] - [[ピウス7世 (ローマ教皇)|ピウス7世]]、[[ローマ教皇]]に選出される。
* [[4月24日]] - [[アメリカ議会図書館]]発足。
* [[6月14日]] - [[フランス革命戦争]]:[[マレンゴの戦い]]。
* [[10月1日]] - [[ルイジアナ州|ルイジアナ]]がスペインからフランスに返還される。
* [[ギリシャ人]]国家[[イオニア七島連邦国]]が成立。
* [[伊能忠敬]]、[[北海道|蝦夷]]を測量。
* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ホワイトハウス]]が完成する。[[フィラデルフィア]]から[[ワシントンD.C.]]へ首都が移る。
* [[アレッサンドロ・ボルタ]]、世界初の[[化学電池]]とされる「[[ボルタの電堆]]」を発明。
== 誕生 ==
{{see also|Category:1800年生}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月7日]] - [[ミラード・フィルモア]]、第13代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1874年]])
* [[1月14日]] - [[ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル]]、[[ケッヘル番号]]考案者(+ [[1877年]])
* [[2月12日]] - [[ジョン・エドワード・グレイ]]、[[動物学者]](+ [[1875年]])
* [[3月16日]]([[寛政]]12年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]])- [[仁孝天皇]]、第120代[[天皇]] (+ [[1846年]])
* [[4月4日]](寛政12年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]])- [[徳川斉昭]]、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]第9代藩主・[[徳川慶喜]]の父(+ [[1860年]])
* [[5月9日]] - [[ジョン・ブラウン (奴隷制度廃止運動家)|ブラウン]]、アメリカの[[奴隷制]]廃止論者(+ [[1859年]])
* [[6月17日]] - [[ウィリアム・パーソンズ (第3代ロス伯爵)|ウィリアム・パーソンズ]]、[[天文学者]](+ [[1867年]])
* [[7月31日]] - [[フリードリヒ・ヴェーラー]]、[[化学者]](+ [[1882年]])
* [[10月2日]] - [[ナット・ターナー]]、アメリカの[[黒人]][[奴隷]](+ [[1831年]])
* [[10月2日]] - [[フェリックス・シュヴァルツェンベルク|シュヴァルツェンベルク]]、[[オーストリア]]の[[政治家]]・[[軍人]]・[[外交官]](+ [[1852年]])
* [[10月3日]] - [[ジョージ・バンクロフト (歴史家)|バンクロフト]]、アメリカの[[歴史家]]・[[外交官]](+ [[1891年]])
* [[10月25日]] - [[トーマス・マコーリー|マコーリー]]、イギリスの[[政治家]]・[[歴史家]](+ [[1859年]])
* [[10月26日]] - [[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ|モルトケ]]、[[プロイセン]]の[[軍人]](+ [[1891年]])
== 死去 ==
{{see also|Category:1800年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月14日]](寛政11年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]])- [[徳川宗睦]]、[[尾張藩]]主(* [[1733年]])
* [[1月27日]](寛政12年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[柳原紀光]]、[[公卿]](* [[1746年]])
* [[4月27日]](寛政12年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[温仁親王]]、[[光格天皇]]第三皇子(* 1800年)
* [[5月18日]] - [[アレクサンドル・スヴォーロフ]]、[[ロシア帝国]][[大元帥]](* [[1729年]])
* [[8月16日]](寛政12年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]])- [[牧野康儔]]、[[信濃国|信濃]][[小諸藩]]主(* [[1773年]])
* [[8月18日]](正祖28年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]])- [[正祖]]、第22代[[李氏朝鮮|李氏朝鮮王]](* [[1752年]])
* [[8月23日]](寛政12年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]])- [[井上正棠]]、[[常陸国|常陸]][[下妻藩]]主(* [[1753年]])
* [[9月17日]](寛政12年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]])- [[松平親貞 (能見松平家)|松平親貞]]、[[豊後国|豊後]][[杵築藩]]主(* [[1751年]])
* [[10月27日]](寛政12年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]])- [[伊藤若冲]]、[[絵師]](* [[1716年]])
* [[11月3日]](寛政12年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]])- [[田沼意壱]]、[[陸奥国|陸奥]][[陸奥下村藩|下村藩]]主(* [[1780年]])
* [[11月6日]](寛政12年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]])- [[松平輝和]]、[[上野国|上野]][[高崎藩]]主・[[寺社奉行]]・[[大坂城代]](* [[1750年]])
* [[11月22日]] - [[ザーロモン・マイモン]]、[[思想家]](* [[1753年]])
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
{{Commonscat|1800}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->
{{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:1800ねん}}
[[Category:1800年|*]] | 2003-05-10T08:51:30Z | 2023-11-30T22:40:42Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1800%E5%B9%B4 |
7,982 | 白金 | 白金(はっきん、英: platinum [ˈplætɪnəm]、羅: platinum)は原子番号78の元素。元素記号は Pt。白金族元素の一つ。プラチナと呼ばれたりもする。
単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する。化学的に非常に安定であるため、装飾品に多く利用される一方、触媒としても自動車の排気ガスの浄化をはじめ多方面で使用されている。酸に対して強い耐食性を示し、金と同じく王水以外には溶けないことで知られている。
なお、同じく装飾品として使われるホワイトゴールド(白色金)は、金をベースとした合金であり、単体である白金(プラチナ)とは異なる。
スペイン人達は、白金を「ピント川の小さな銀 (西: platina del Pinto)」と呼んだ。これが元素名 platinum の語源である。
白金という言葉は、オランダ語の witgoud(wit = 白、goud = 金)の日本語訳である。江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵が著した化学書「遠西医方名物考補遺巻八」(えんせいいほうみょうぶつこうほい まきのはち)に、白金(一種銀色の金属、原名プラチナ)の訳語があり、榕庵が命名し日本で最初に使われた用語と言われている。尚、現代中国語ではこの元素に一文字の「鉑」という文字が当てられている。
これまでに人類によって産出された白金の総量は約4000トン、体積にして約200立方メートル(一辺が6メートル弱の立方体)ほどである。稀少な貴金属なため、「プラチナチケット」などのように、入手し難い貴重な物の比喩として使われることもある。
「白金」の表記は「白い金」と解釈されてしまう事、また英語に逐字訳すると「ホワイトゴールド」 (white gold) となることなどから、白金=ホワイトゴールドとされる事がよくあるが、これは誤りである。ホワイトゴールドは金をベースに割金としてパラジウム、銀、ニッケルといった白い金属を混ぜた合金であり、本項で言及している白金とは全く異なる金属である。
一方、「白金」を逐字訓読みしたかの様な「しろがね」は、漢字「銀」の訓読みであることから判る様に元素Agの大和言葉であり、やはり異なる金属である。
古くは古代エジプト第18王朝時代にファラオの装身具としてわずかながら利用されていた。
現存する最古の白金製品は、ルーブル美術館収蔵の、通称「テーベの小箱」である。これはエジプトのテーベにある女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱で、紀元前720年から紀元前659年頃のものと思われる。また、10世紀頃には、南米でも装身具として利用されていた。これは純度80 %以上もあるもので、当時すでに高度な精錬技術があったことを示す。ただ合金状のものでも融点まで加熱するのは当時の技術水準では不可能であったが、貴金属ゆえに酸素では酸化されない性質を利用し粉末状・粒状のものを現在の粉末冶金などと呼ばれる方法で成型していたものと考えられている。
スペイン人による南米への侵略の際に、当時ヨーロッパで珍重されていた銀と勘違いされて略奪され持ち帰られた。しかし、銀よりも融点が高い白金は銀用の加工設備では溶かすことができず、大量に廃棄された。
スペインの軍人、探検家、天文学者であるアントニオ・デ・ウジョーアが、フランス科学アカデミーによる子午線弧長の測量隊の一員として1735年にホルヘ・フワン(英語版)とともにペルーに渡り、1736年から1744年まで南米に留まっていた。この間に、コロンビアのピント川河畔で銀に似た白い金属を発見し、本国に帰国後、1748年にフワンとの共著として『南米諸王国紀行』を出版した際に、白金鉱石について記述している。これが白金の「再発見」となった。
純度を高めたものは金と同様に宝飾、通貨、投資対象としての利用がされる。また、触媒合金材料として利用されるほか、白金ナノ粒子に加工される事もある。
白金は貴金属商品であり、その地金には"XPT"というISO通貨コードが設定されている。これは「1トロイオンスの白金」を意味する。コイン、バー、インゴットの形態で取引されたり、収集されたりしている。白金は宝飾品にも使用されており、その場合、通常は90 - 95 %の合金として使用される。宝飾業界では、白金製品の価値を高めるために、経年使用による表面の微細な傷(これをパティナという)を好ましい特徴として提示することが推奨されている。
時計メーカー(英語版)では、ヴァシュロン・コンスタンタン、パテック・フィリップ、ロレックス、ブライトリングなどが白金を使用した限定モデルを製造している。時計メーカーは、(金には劣るものの)白金が持つ独特の特性を高く評価している。
経済が安定して成長が続く時期には、白金の価格は金よりも高くなる傾向があり、2倍程度にもなることもある。一方、経済が不安定な時期には、産業需要の減少により白金の価格が下がり、金の価格を下回る傾向がある。金は景気の変動の影響を受けないと考えられており、景気が低迷している時でも金の価格は安定している。金は工業用途、特に導電体として電子機器に使用されているが、その需要は白金ほどは工業用途の影響を受けない。
18世紀には、その希少性から、フランス国王ルイ15世は「白金は王にふさわしい唯一の金属」と宣言した。
主な産出国は南アフリカ共和国、ロシアである。南アフリカに偏在している。レアメタルのなかでも特に稀少で、地殻1トンあたり0.001グラムの産出である。1キログラムあたりの価格は4.2万ドル(2022年)。
白金はパラジウム (Pd) やロジウム (Rh) といった白金と化学的な性質の似た元素と一緒に鉱石に含まれている。これらの元素は白金を含めた6元素で「白金族元素」と呼ばれる。(白金 Pt、パラジウム Pd、ロジウム Rh、ルテニウム Ru、イリジウム Ir、オスミウム Os)
南アフリカのブッシュフェルトには、東西400キロメートル、南北300キロメートルの広大な岩体がある。その中に、白金族を多く含む厚さ数十センチメートルの地層が見つかっている。この地層には、白金族元素の中でも白金とロジウムが多く含まれている。
日本でも僅かであるが埋蔵されていることが確認されている。北海道の天塩川、石狩川の川砂中で認められた(砂白金の項を参照)他、新潟県で発見されている。
2004年の白金産出国ランキング上位6か国は下記のとおり。数値は産出量 (kg)、世界シェア(出典:アメリカ合衆国内務省「ミネラル・イヤーブック2004」)。
(世界産出計 214,000 kg)
白金鉱石を構成する鉱石鉱物には、次のようなものがある。
ISO 9202, JIS H 6309により、金、銀、パラジウム同様、ジュエリー用白金合金の純度(品位)は、千分率‰(パーミル)で表記する。この規格には Pt950, Pt900, Pt850 の3区分がある。日本国内では、宝飾品として販売される白金(合金)の品位は、上記のほか、Pt999(最低値をあらわすので999が正しい。2012年4月から造幣局も1000を999に変更)を加えた4区分が一般的である。ISOおよび一般社団法人日本ジュエリー協会は、プラチナジュエリーと呼称できるのは、Pt850 以上とさだめている。また、造幣局の品位証明区分もこの4区分を採用している。
しかし、地金価格高騰の影響を受け、実際には、K18 の品位にあたる Pt750、K14 にあたる Pt585、さらに Pt505 製品が市場に供給され、議論を巻き起こしている。これは、海外でも同じ傾向である。物品税(貴金属製品とされる Pt700 以上は15%課税)撤廃までは、少ないが Pt700 以下の製品も製造されていた。白金合金の品位の定義は千分率だが、他の金属などの百分率と混同されることがあり、この錯誤を意図的に誘発させる詐欺的な Pt100 製品もあるので注意が必要である。
ゴールドと同じく、白金単体では柔らくてジュエリーとしては強度不足であるため、割金にパラジウムやルテニウムを使うことが一般的である。特に、ルテニウムを使用した合金を「ハードプラチナ」と呼ぶ。
宝飾品へ打刻される、素材などを表す略号に関しては、現在では元素記号と共通の Pt という表記が使われるが、以前は Pm という表示が用いられることがあった。一説に Platinum metal の略であったという。「プラチナを使用しています」というほどの意味で、Pm900 のように純度を表す数字を添えるケースが多い。ただし信憑性には欠けるとされる。
東南アジアなどでは「白金」と打刻されることもある。なお、「Pm」「白金」ともにパラジウムの意味でも使われ、パラジウムが主体のジュエリー類にそのように打刻されることもあるので、注意が必要である。
キログラム(記号: kg)は、国際単位系 (SI) における質量の基本単位であり、2019年5月までは「国際キログラム原器の質量」として定義されていた。国際キログラム原器は化学的に安定な白金90 %とイリジウム10 %の合金で作られ、パリの国際度量衡局に、二重の気密容器で真空中に保護された状態で保管されている。
金属や宝石の名称を用いた順位では、金 (Au) やダイヤモンド(炭素〈C〉の同素体)よりも上の順位として「プラチナ」を用いることがある(ただし、ゴールドディスクやANAマイレージクラブに見られるように、ダイヤモンドがプラチナより上位ランクとされる例もある)。この場合、プラチナは希少な「特1級」の扱いで、金やダイヤモンドは「平1級」の扱いになる。 | [
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"text": "白金(はっきん、英: platinum [ˈplætɪnəm]、羅: platinum)は原子番号78の元素。元素記号は Pt。白金族元素の一つ。プラチナと呼ばれたりもする。",
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"text": "単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する。化学的に非常に安定であるため、装飾品に多く利用される一方、触媒としても自動車の排気ガスの浄化をはじめ多方面で使用されている。酸に対して強い耐食性を示し、金と同じく王水以外には溶けないことで知られている。",
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"text": "白金という言葉は、オランダ語の witgoud(wit = 白、goud = 金)の日本語訳である。江戸時代の蘭学者、宇田川榕庵が著した化学書「遠西医方名物考補遺巻八」(えんせいいほうみょうぶつこうほい まきのはち)に、白金(一種銀色の金属、原名プラチナ)の訳語があり、榕庵が命名し日本で最初に使われた用語と言われている。尚、現代中国語ではこの元素に一文字の「鉑」という文字が当てられている。",
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"text": "これまでに人類によって産出された白金の総量は約4000トン、体積にして約200立方メートル(一辺が6メートル弱の立方体)ほどである。稀少な貴金属なため、「プラチナチケット」などのように、入手し難い貴重な物の比喩として使われることもある。",
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"text": "「白金」の表記は「白い金」と解釈されてしまう事、また英語に逐字訳すると「ホワイトゴールド」 (white gold) となることなどから、白金=ホワイトゴールドとされる事がよくあるが、これは誤りである。ホワイトゴールドは金をベースに割金としてパラジウム、銀、ニッケルといった白い金属を混ぜた合金であり、本項で言及している白金とは全く異なる金属である。",
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"text": "一方、「白金」を逐字訓読みしたかの様な「しろがね」は、漢字「銀」の訓読みであることから判る様に元素Agの大和言葉であり、やはり異なる金属である。",
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"text": "現存する最古の白金製品は、ルーブル美術館収蔵の、通称「テーベの小箱」である。これはエジプトのテーベにある女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱で、紀元前720年から紀元前659年頃のものと思われる。また、10世紀頃には、南米でも装身具として利用されていた。これは純度80 %以上もあるもので、当時すでに高度な精錬技術があったことを示す。ただ合金状のものでも融点まで加熱するのは当時の技術水準では不可能であったが、貴金属ゆえに酸素では酸化されない性質を利用し粉末状・粒状のものを現在の粉末冶金などと呼ばれる方法で成型していたものと考えられている。",
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"text": "金属や宝石の名称を用いた順位では、金 (Au) やダイヤモンド(炭素〈C〉の同素体)よりも上の順位として「プラチナ」を用いることがある(ただし、ゴールドディスクやANAマイレージクラブに見られるように、ダイヤモンドがプラチナより上位ランクとされる例もある)。この場合、プラチナは希少な「特1級」の扱いで、金やダイヤモンドは「平1級」の扱いになる。",
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] | 白金は原子番号78の元素。元素記号は Pt。白金族元素の一つ。プラチナと呼ばれたりもする。 単体では、白い光沢(銀色)を持つ金属として存在する。化学的に非常に安定であるため、装飾品に多く利用される一方、触媒としても自動車の排気ガスの浄化をはじめ多方面で使用されている。酸に対して強い耐食性を示し、金と同じく王水以外には溶けないことで知られている。 なお、同じく装飾品として使われるホワイトゴールド(白色金)は、金をベースとした合金であり、単体である白金(プラチナ)とは異なる。 | {{Otheruses||[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の町名|白金 (東京都港区)|[[名古屋市]]の町名|白金 (名古屋市)}}
{{Redirect4|プラチナ|その他|白金 (曖昧さ回避)|プラチナ (曖昧さ回避)|プラチナム}}
{{混同|ホワイトゴールド}}
{{Elementbox
|name=platinum
|japanese name=白金
|number=78
|symbol=Pt
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|p|l|æ|t|.|n|.|əm}}<br>{{IPAc-en|ˈ|p|l|æ|t|.|n|əm}}
|left=[[イリジウム]]
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|series=遷移金属
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|image name=Platinum crystals.jpg
|appearance=銀白色
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|phase=固体
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|vapor pressure comment=
|crystal structure=face-centered cubic
|japanese crystal structure=[[面心立方格子構造]]
|oxidation states=6, 5, '''4''', 3 , 2, 1, -1, -2(弱[[塩基性酸化物]])
|electronegativity=2.28
|number of ionization energies=2
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|2nd ionization energy=1791
|atomic radius=[[1 E-10 m|139]]
|covalent radius=[[1 E-10 m|136±5]]
|Van der Waals radius=[[1 E-10 m|175]]
|magnetic ordering=[[常磁性]]
|electrical resistivity at 20=105 n
|thermal conductivity=71.6
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|speed of sound rod at r.t.=
|Tensile strength=125-240
|Young's modulus=168
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|Bulk modulus=230
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|Work function=5.12-5.93
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[白金190|190]] | sym=Pt
| na=0.014 [[%]] | hl=[[1 E19 s|6.5×10<sup>11</sup> y]]
| dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=3.18 | pn=[[オスミウム186|186]] | ps=[[オスミウム|Os]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[白金192|192]] | sym=Pt | na=0.782 % | hl=>6×10{{sup|16}} [[年|y]]
| dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=2.4181 | pn=[[オスミウム188|188]] | ps=[[オスミウム|Os]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[白金193|193]] | sym=Pt
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E9 s|50 y]]
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{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[白金194|194]] | sym=Pt | na=32.967 % | n=116}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[白金195|195]] | sym=Pt | na=33.832 % | n=117}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[白金196|196]] | sym=Pt | na=25.242 % | n=118}}
{{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[白金198|198]] | sym=Pt | na=7.356 % | hl=>3.2×10{{sup|14}} [[年|y]]
| dm1=[[アルファ崩壊|α]] |de1=0.0870 | pn1=[[オスミウム194|194]]| ps1=[[オスミウム|Os]]
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|isotopes comment=
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'''白金'''(はっきん、{{lang-en-short|platinum}} {{IPA-en|ˈplætɪnəm|}}、{{lang-la-short|platinum}}<ref>[http://www.encyclo.co.uk/webster/P/103 Encyclo - Webster's Revised Unabridged Dictionary (1913)]</ref>)は[[原子番号]]78の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Pt'''。[[白金族元素]]の一つ。'''プラチナ'''と呼ばれることもある。
[[単体]]では、白い[[光沢]](銀色)を持つ[[金属]]として存在する。化学的に非常に安定であるため、[[装飾品]]に多く利用される一方、[[触媒]]としても[[三元触媒|自動車の排気ガスの浄化]]をはじめ多方面で使用されている。[[酸]]に対して強い耐食性を示し、[[金]]と同じく[[王水]]以外には溶けないことで知られている。
なお、同じく装飾品として使われる[[ホワイトゴールド]](白色金)は、[[金]]をベースとした[[合金]]であり、単体である白金(プラチナ)とは異なる。
== 名称 ==
スペイン人達は、白金を「ピント川の小さな銀 ({{lang-es-short|platina del Pinto}})」と呼んだ。これが元素名 {{en|platinum}} の[[語源]]である{{efn|[[スペイン語]]で「[[銀]]」は ''plata''、これに[[縮小辞]]をつけたのが、プラチナの語源となった ''platina'' で、あえて意訳すれば“銀のようなもの”。物質名の慣例にあわせてこれを[[ラテン語]]・中性名詞化したのが ''platinum'' で、[[英語]]などではこのまま借用している。これの複数形は規則的に ''platina'' で、偶然にも語源と同じ -a の形。ちなみにスペイン語における「プラチナ」は ''platinum'' を自国語化した ''platino'' であり、''platina'' と呼ぶことはない。}}。
白金という言葉は、[[オランダ語]]の {{nl|witgoud}}({{nl|wit}} = 白、{{nl|goud}} = 金)の[[日本語]]訳である。江戸時代の蘭学者、[[宇田川榕庵]]が著した化学書「遠西医方名物考補遺巻八」(えんせいいほうみょうぶつこうほい まきのはち)に、白金(一種銀色の金属、原名プラチナ)の訳語があり、榕庵が命名し日本で最初に使われた用語と言われている。尚、現代中国語ではこの元素に一文字の「鉑」という文字が当てられている。
これまでに人類によって産出された白金の総量は約4000[[トン]]、体積にして約200[[立方メートル]](一辺が6[[メートル]]弱の[[立方体]])ほどである。稀少な貴金属なため、「[[チケット|プラチナチケット]]」などのように、入手し難い貴重な物の比喩として使われることもある。
=== 表記による誤解 ===
「白金」の表記は「白い金」と解釈されてしまう事、また英語に逐字訳すると「[[ホワイトゴールド]]」 ({{en|white gold}}) となることなどから、白金=ホワイトゴールドとされる事がよくあるが、これは誤りである。ホワイトゴールドは[[金]]をベースに割金としてパラジウム、銀、ニッケルといった白い金属を混ぜた[[合金]]であり、本項で言及している白金とは全く異なる金属である。
一方、「白金」を逐字訓読みしたかの様な「しろがね」は、漢字「[[銀]]」の訓読みであることから判る様に元素Agの大和言葉であり、やはり異なる金属である。
== 歴史 ==
古くは[[古代エジプト]]第18王朝時代に[[ファラオ]]の装身具としてわずかながら利用されていた。
現存する最古の白金製品は、[[ルーブル美術館]]収蔵の、通称「テーベの小箱」である。これはエジプトのテーベにある女性神官シェペヌペットの墓から出土した小箱で、[[紀元前720年]]から[[紀元前659年]]頃のものと思われる。また、[[10世紀]]頃には、[[南アメリカ|南米]]でも装身具として利用されていた。これは純度80{{nbsp}}[[%]]以上もあるもので、当時すでに高度な精錬技術があったことを示す。ただ合金状のものでも[[融点]]まで加熱するのは当時の技術水準では不可能であったが、貴金属ゆえに[[酸素]]では[[酸化]]されない性質を利用し粉末状・粒状のものを現在の[[粉末冶金]]などと呼ばれる方法で成型していたものと考えられている。
[[スペイン人]]による南米への侵略の際に、当時[[ヨーロッパ]]で珍重されていた[[銀]]と勘違いされて略奪され持ち帰られた。しかし、銀よりも融点が高い白金は銀用の加工設備では溶かすことができず、大量に廃棄された。
スペインの軍人、[[探検家]]、[[天文学者]]である[[アントニオ・デ・ウジョーア]]が、[[科学アカデミー (フランス)|フランス科学アカデミー]]による[[子午線弧]]長の[[測量]]隊の一員として[[1735年]]に{{仮リンク|ホルヘ・フワン|en|Jorge Juan y Santacilia}}とともに[[ペルー]]に渡り、[[1736年]]から[[1744年]]まで南米に留まっていた。この間に、[[コロンビア]]のピント川河畔で銀に似た白い金属を発見し、本国に帰国後、[[1748年]]にフワンとの共著として『南米諸王国紀行』を出版した際に、白金鉱石について記述している。これが白金の「再発見」となった。
== 用途 ==
純度を高めたものは金と同様に宝飾、通貨、投資対象としての利用がされる。また、触媒合金材料として利用されるほか、[[白金ナノ粒子]]に加工される事もある。
; [[触媒]]
: 触媒として高い活性を持ち、[[自動車]]には排気ガスの浄化触媒として多くの量が使用されており<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 317〜318|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>、さらにはその高い耐久性により同じく自動車の[[点火プラグ]]や排気センサーなど過酷な環境に晒される部品にも多用される。
: その他では[[化学工業]]でも[[水素化]]反応の触媒などとして利用されるほか、[[燃料電池]]への利用も盛んに行われている。なじみ深い所では [[ハクキンカイロ]]の発熱装置としても利用されている。[[過酸化水素]]を[[水]]と[[酸素]]に還元させる触媒作用もあり、これを応用してソフト[[コンタクトレンズ]]用過酸化水素消毒システム(商品名エーオーセプト)の中和用ディスクにも用いられている。
; 化学的安定性を要する分野:化学的に極めて安定しており酸化されにくいこと、融点が1,769 {{℃}}(理化学辞典)と高いことなどから、[[電極]]、[[るつぼ]]、[[白金耳]]などに利用されている。[[キログラム|キログラム原器]]や[[メートル原器]]も、白金90{{nbsp}}[[%]]と[[イリジウム]]10{{nbsp}}%からなる合金だった。
; 温度計:電気抵抗と温度との関係を利用し、[[白金抵抗温度計]]に使われている。13.81 - 1234.93 [[ケルビン]]までの範囲で標準温度計として利用されている。
; 磁性体:[[白金磁石]]など[[磁性体]]の材料としても有名である。[[マンガン]]との合金はGMR([[巨大磁気抵抗効果]])が磁気記録ヘッドに用いられているほか、[[鉄]]や[[コバルト]]との合金は、L1{{sub|0}} 規則相において非常に強い[[磁気異方性|結晶磁気異方性]]を示す。
; 通貨:[[カナダ王室造幣局]]からメイプルリーフプラチナ貨が、[[アメリカ合衆国造幣局]]からイーグルプラチナ貨が発行されている。
; 医療分野:[[アンモニア]]および[[塩化物イオン]]との化合物である''cis''-ジクロロジアンミン白金 (''cis''-{{math|[Pt(NH{{sub|3}}){{sub|2}}Cl{{sub|2}}]}}) が[[シスプラチン]]の名で[[抗癌剤|抗ガン剤]]として広く用いられている<ref name="sakurai" />。また、[[血管内治療]]では白金製のコイルが塞栓に用いられる。
===投資対象としての白金===
{{main|en:Platinum as an investment|en:Platinum coin}}
白金は[[貴金属]]商品であり、その地金には"XPT"という[[ISO通貨コード]]が設定されている。これは「1[[トロイオンス]]の白金」を意味する。コイン、バー、インゴットの形態で取引されたり、収集されたりしている。白金は[[宝飾品]]にも使用されており、その場合、通常は90 - 95{{nbsp}}[[%]]の合金として使用される。宝飾業界では、白金製品の価値を高めるために、経年使用による表面の微細な傷(これを[[パティナ]]という)を好ましい特徴として提示することが推奨されている<ref>{{cite web|url = http://www.professionaljeweler.com/archives/articles/2004/aug04/0804fys.html|title = Professional Jeweler's Magazine Archives, issue of August 2004|accessdate = 19 June 2011|url-status = live|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110928115918/http://www.professionaljeweler.com/archives/articles/2004/aug04/0804fys.html|archivedate = 28 September 2011|df = dmy-all}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.diamondcuttersintl.com/a-platinum-primer|title = Platinum primer|publisher = Diamond Cutters International|accessdate = 18 June 2011|url-status = live|archiveurl = https://web.archive.org/web/20110927045943/http://www.diamondcuttersintl.com/a-platinum-primer/|archivedate = 27 September 2011|df = dmy-all|date = 2008-12-12}}</ref>。
{{仮リンク|時計メーカー|en|Watchmaker}}では、[[ヴァシュロン・コンスタンタン]]、[[パテック・フィリップ]]、[[ロレックス]]、[[ブライトリング]]などが白金を使用した限定モデルを製造している。時計メーカーは、(金には劣るものの)白金が持つ独特の特性を高く評価している<ref>{{cite web|url = http://watches.infoniac.com/index.php?page=post&id=44|title = Unknown Facts about Platinum|publisher = watches.infoniac.com|accessdate = 9 September 2008|url-status = dead|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080921210250/http://watches.infoniac.com/index.php?page=post&id=44|archivedate = 21 September 2008|df = dmy-all}}</ref>。
経済が安定して成長が続く時期には、白金の価格は金よりも高くなる傾向があり、2倍程度にもなることもある。一方、経済が不安定な時期には、産業需要の減少により白金の価格が下がり、金の価格を下回る傾向がある<ref name="TheSpeculativeInvestor">{{cite web|title = Platinum versus Gold|publisher = The Speculative Invertor|url = http://www.speculative-investor.com/new/article150402.html|date = 14 April 2002|url-status = dead|archiveurl = https://web.archive.org/web/20081026073657/http://www.speculative-investor.com/new/article150402.html|archivedate = 26 October 2008|df = dmy-all|accessdate=2020-08-24}}</ref>。金は景気の変動の影響を受けないと考えられており、景気が低迷している時でも金の価格は安定している。金は工業用途、特に導電体として電子機器に使用されているが、その需要は白金ほどは工業用途の影響を受けない。
18世紀には、その希少性から、フランス国王[[ルイ15世]]は「白金は王にふさわしい唯一の金属」と宣言した<ref name="mineralszone">{{cite web |title=Platinum |publisher=Minerals Zone |url=http://www.mineralszone.com/minerals/platinum.html |accessdate=9 September 2008 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081012110510/http://www.mineralszone.com/minerals/platinum.html |archivedate=12 October 2008 |df=dmy-all }}</ref>。
<gallery widths="200px" heights="160px">
File:One litre of Platinum.jpg|1000[[立方センチメートル]]の99.9{{nbsp}}[[%]]の白金。2016年6月29日現在の価格は約69万6千米ドル<ref name=WolframAlpha>{{cite web|title=21.09kg Pt|url=http://www.wolframalpha.com/input/?i=21.09kg+Pt|publisher=WolframAlpha|accessdate=14 July 2012|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140823232339/http://www.wolframalpha.com/input/?i=21.09kg+Pt|archivedate=23 August 2014|df=dmy-all}}</ref>。
File:Pt price 92 12.jpg|1992年から2012年までの白金の平均価格(1トロイオンス当たりUS$)<ref>{{cite web|url = http://www.lppm.org.uk/statistics.aspx|title = Fixing Statistics|publisher = The London Platinum and Palladium Market|accessdate = 13 June 2010|url-status = dead|archiveurl = https://web.archive.org/web/20100125023638/http://www.lppm.org.uk/Statistics.aspx|archivedate = 25 January 2010|df = dmy-all}}</ref>。
</gallery>
== 産出 ==
主な産出国は[[南アフリカ共和国]]、[[ロシア]]である。南アフリカに偏在している。[[レアメタル]]のなかでも特に稀少で、[[地殻]]1[[トン]]あたり0.001[[グラム]]の産出である。1[[キログラム]]あたりの価格は4.2万ドル(2022年)。
白金は[[パラジウム]] (Pd) や[[ロジウム]] (Rh) といった白金と化学的な性質の似た元素と一緒に鉱石に含まれている。これらの元素は白金を含めた6元素で「[[白金族元素]]」と呼ばれる。(白金 Pt、パラジウム Pd、ロジウム Rh、[[ルテニウム]] Ru、[[イリジウム]] Ir、[[オスミウム]] Os)
南アフリカのブッシュフェルトには、東西400[[キロメートル]]、南北300キロメートルの広大な岩体がある。その中に、白金族を多く含む厚さ数十[[センチメートル]]の地層が見つかっている。この地層には、白金族元素の中でも白金とロジウムが多く含まれている<ref>「MCS2010」,アメリカ地質調査所 (USGS)</ref>。
日本でも僅かであるが埋蔵されていることが確認されている。[[北海道]]の[[天塩川]]、[[石狩川]]の川砂中で認められた([[砂白金]]の項を参照)他、[[新潟県]]で発見されている。
2004年の白金産出国ランキング上位6か国は下記のとおり。数値は産出量 (kg)、世界シェア(出典:アメリカ合衆国内務省「ミネラル・イヤーブック2004」)。
# [[南アフリカ共和国]] 160,013 (74.8 %)
# [[ロシア]] 36,000 (16.8 %)
# [[カナダ]] 7,000 (3.3 %)
# [[ジンバブエ]] 4,438 (2.1 %)
# [[アメリカ合衆国]] 4,040 (1.9 %)
# [[コロンビア]] 1,400 (0.7 %)
(世界産出計 214,000 kg)
=== 鉱山 ===
* ブッシュフェルト(南アフリカ)
* ウラル(ロシア)
* ノリルスク・タルナフ(ロシア)
* スティルウォーター(アメリカ)
* サドベリー(カナダ)
* グレートダイク(ジンバブエ)
* マムート(マレーシア)
* オケテディ(パプアニューギニア)
* ポルティモ(フィンランド)
* クッファーシーファ(ポーランド)
* ブレグイビベス(アルバニア)
* チョコ(コロンビア)
* カショエイラ鉱山(ブラジル)
=== 白金鉱石 ===
白金鉱石を構成する[[鉱石鉱物]]には、次のようなものがある。
* [[自然白金]] (Pt)
* [[砒白金鉱]] (PtAs{{sub|2}})
== 同位体 ==
{{See|白金の同位体}}
== その他 ==
=== 純度(品位) ===
ISO 9202, JIS H 6309により、金、銀、パラジウム同様、ジュエリー用白金合金の純度(品位)は、千分率[[パーミル|‰(パーミル)]]で表記する。この規格には Pt950, Pt900, Pt850 の3区分がある。日本国内では、宝飾品として販売される白金(合金)の品位は、上記のほか、Pt999(最低値をあらわすので999が正しい。2012年4月から造幣局も1000を999に変更)を加えた4区分が一般的である。ISOおよび一般社団法人日本ジュエリー協会は、プラチナジュエリーと呼称できるのは、Pt850 以上とさだめている。また、造幣局の品位証明区分もこの4区分を採用している。
しかし、地金価格高騰の影響を受け、実際には、K18 の品位にあたる Pt750、K14 にあたる Pt585、さらに Pt505 製品が市場に供給され、議論を巻き起こしている。これは、海外でも同じ傾向である。[[物品税]](貴金属製品とされる Pt700 以上は15%課税)撤廃までは、少ないが Pt700 以下の製品も製造されていた。白金合金の品位の定義は千分率だが、他の金属などの百分率と混同されることがあり、この錯誤を意図的に誘発させる詐欺的な Pt100 製品もあるので注意が必要である。
ゴールドと同じく、白金単体では柔らくてジュエリーとしては強度不足であるため、割金に[[パラジウム]]や[[ルテニウム]]を使うことが一般的である。特に、ルテニウムを使用した合金を「ハードプラチナ」と呼ぶ。
=== 宝飾品の刻印 ===
宝飾品へ打刻される、素材などを表す略号に関しては、現在では元素記号と共通の '''Pt''' という表記が使われるが、以前は '''Pm''' という表示が用いられることがあった。一説に '''P'''latinum '''m'''etal の略であったという。「プラチナを使用しています」というほどの意味で、Pm900 のように純度を表す数字を添えるケースが多い。ただし信憑性には欠けるとされる。
東南アジアなどでは「白金」と打刻されることもある。なお、「Pm」「白金」ともに[[パラジウム]]の意味でも使われ、パラジウムが主体のジュエリー類にそのように打刻されることもあるので、注意が必要である。
=== 国際キログラム原器 ===
'''[[キログラム]]'''(記号: '''kg''')は、[[国際単位系]] (SI) における[[質量]]の[[SI基本単位|基本単位]]であり、2019年5月までは「'''[[国際キログラム原器]]の質量'''」として定義されていた。国際キログラム原器は化学的に安定な白金90{{nbsp}}[[%]]と[[イリジウム]]10{{nbsp}}%の[[合金]]で作られ、パリの[[国際度量衡局]]に、二重の気密容器で真空中に保護された状態で保管されている。{{main|キログラム#国際キログラム原器(IPK)による定義|SI基本単位の再定義 (2019年)#キログラム}}{{see also|国際度量衡局#機能|日本のメートル法化#近代日本の度量衡とメートル条約}}
=== 順位 ===
[[金属]]や[[宝石]]の名称を用いた順位では、[[金]] (Au) や[[ダイヤモンド]](炭素〈C〉の[[同素体]])よりも上の順位として「プラチナ」を用いることがある(ただし、[[ゴールドディスク]]や[[ANAマイレージクラブ]]<ref>[https://www.ana.co.jp/ja/jp/amc/reference/premium/status/ 一年間のプレミアムポイント数で、翌年度のプレミアムステイタスが決まります。] ANAマイレージクラブ([[全日本空輸]])、2020年8月6日閲覧。</ref>に見られるように、ダイヤモンドがプラチナより上位ランクとされる例もある)。この場合、プラチナは希少な「'''特'''1級」の扱いで、金やダイヤモンドは「'''平'''1級」の扱いになる。
; 四段階評価
* [[銅メダル|青銅]](3級)→ [[銀メダル|銀]](2級)→ [[金メダル|金]](1級)→ プラチナ('''''特'''1級'')
; 記念祭
* 銀(25周年)→ [[ゴールデン・ジュビリー|金]](50周年)→ [[ダイヤモンド・ジュビリー|ダイヤモンド]](60周年)→ [[プラチナ・ジュビリー|プラチナ]](''70周年'')
===大量消費===
* [[第二次世界大戦]]末期、日本は[[ジェット戦闘機]]「[[秋水]]」の燃料用として[[過酸化水素]]の大量生産に乗り出した。電解装置の[[電極]]にはプラチナが用いられ、終戦まで1900[[キログラム]]もの大量のプラチナが消費されたとされている。消費された白金は1944年から始められた「白金供出運動」により収集されたものであった<ref>白金はロケット戦闘機「秋水」製造用に(昭和20年10月20日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p148 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|白金|プラチナ|platina|platína}}
{{Commons&cat|Platinum|Platinum}}
* [[白金ナノ粒子]]
* [[白金族元素]]
* [[パラジウム]]
* [[砂白金]]
* [[貴金属]]
* [[苫前鉱]] - 白金を主成分とする[[日本産新鉱物]]。[[北海道]][[苫前町]]で採集された砂白金から発見された。{{r|ISSP}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em|refs=
<ref name="ISSP">{{cite web2
| url = https://www.issp.u-tokyo.ac.jp/maincontents/news2.html?pid=16310
| url-status = live
| archiveurl = https://web.archive.org/20230207020305/issp.u-tokyo.ac.jp/maincontents/news2.html?pid=16310
| title = 北海道より「苫前鉱(とままえこう)」を発見 ―プラチナを主成分とする新鉱物―
| publisher = [[東京大学物性研究所]]
| date = 2022-09-08
| df = ja
| accessdate = 2023-07-14
| archivedate = 2023-02-07 }}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* {{ICSC|1393}}
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
{{白金の化合物}}
{{Normdaten}}
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[[Category:白金|*]]
[[Category:元素]]
[[Category:遷移金属]]
[[Category:第10族元素]]
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7,983 | 1690年代 | 1690年代(せんろっぴゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1690年から1699年までの10年間を指す十年紀。 | [
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'''1690年代'''(せんろっぴゃくきゅうじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1690年から1699年までの10年間を指す[[十年紀]]。
== できごと ==
=== 1690年 ===
{{main|1690年}}
* [[日本]]:この頃、[[浮世草子]]盛行する。
* [[ボイン川の戦い]]。
* [[ジョン・フラムスティード]]、後の[[天王星]]を初めて観測。この時は[[惑星]]と認識されず、[[恒星]]とされた。
=== 1691年 ===
{{main|1691年}}
* [[東北地方]]を中心に[[飢饉]]([[元禄の飢饉]]、 - 1695年)。
=== 1692年 ===
{{main|1692年}}
* [[日本]]と[[朝鮮]]の間で、竹島(現在の[[鬱陵島]])をめぐる領土問題発生([[竹島一件]]、 - 1696年)。
* [[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領]]成立。
* [[エドモンド・ハレー]]、[[地球空洞説]]を提唱。
* [[北アメリカ]]:マサチューセッツ湾[[植民地]]、[[セイラム (マサチューセッツ州)|セイラム]]の最初の[[魔女狩り|魔女裁判]]([[セイラム魔女裁判]])。
=== 1693年 ===
{{main|1693年}}
* [[イタリア]]:[[シチリア島]]で[[地震]]、死者8万人。
=== 1694年 ===
{{main|1694年}}
* [[高田馬場の決闘]]。後の[[赤穂浪士]][[堀部武庸]]が[[赤穂藩]]に招かれるきっかけとなる事件。
=== 1695年 ===
{{main|1695年}}
* [[ドニ・パパン]]が初めての[[蒸気機関]]エンジンを試作。
=== 1696年 ===
{{main|1696年}}
* [[ジャコバイト]]による[[イングランド]]王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]暗殺未遂事件。
* [[スコットランド銀行]]営業開始。
=== 1697年 ===
{{main|1697年}}
* [[仙台藩]]の[[お家騒動]]([[伊達騒動]])最後の事件となる[[伊達綱村]]隠居事件。
* [[レイスウェイク条約]]締結。これにより[[大同盟戦争]]([[1688年]] - )、[[ウィリアム王戦争]]([[1689年]] - )終結。
* [[スウェーデン]][[国王|王]][[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]即位。
* [[ロシア]]、[[シベリア]]東征の末に[[太平洋]]に到達。
* [[シャルル・ペロー]]版『[[長靴をはいた猫]]』出版(物語そのものは古くから[[ヨーロッパ]]に伝わる[[民話]]である)。
=== 1698年 ===
{{main|1698年}}
* [[江戸]]で[[火災|大火]]([[勅額火事]])。
* [[しし座流星群]]大出現。
=== 1699年 ===
{{main|1699年}}
* 日本:[[長崎奉行]]を四名に増員する。
* [[カルロヴィッツ条約]]締結。
* [[ヨーロッパ|北]][[東ヨーロッパ|東欧]]諸国が[[反スウェーデン同盟|北方同盟]]を結成。
<!--* 1700年
* 日本:[[徳川幕府]]、金銀銭三貨の比価(金一両=銀六十匁=銭四貫文)を定める。-->
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1690%E5%B9%B4%E4%BB%A3 |
7,984 | オレステイア | 『オレステイア』(希: Ὀρέστεια, 英: Oresteia)は、古代ギリシアの悲劇作家アイスキュロスの書いた、トロイア戦争におけるギリシア側総大将アガメムノーン一族についての悲劇作品三部作。
この呼称は作中に登場するアガメムノーンの息子オレステースにちなむ。
古代のギリシア悲劇は競作形式で、1日のうちに同じ入賞者による悲劇3本と悲喜劇(サテュロス劇)1本の計4本が併せて上演されたが、当初はその悲劇3本は連作の三部作形式をとっていた。その三部作が唯一完全な形で残されたのが、この『オレステイア』と呼ばれる三つの戯曲であり、
の三つの悲劇から構成される。これにサテュロス劇『プローテウス』を加えた計4作が、紀元前458年のアテナイのディオニューソス祭にて上演された。
なお、少々解釈の違うところはあるが、このオレステイア三部作の前日譚として、トロイア戦争出陣前、王女イーピゲネイアが神の生贄にされるまでを描いたエウリピデースによる悲劇『アウリスのイーピゲネイア』、後日譚として、生きていたイーピゲネイアとオレステースの姉弟再会を描いた同じくエウリピデースの『タウリケーのイーピゲネイア』がある。
ミュケーナイのアガメムノーンの宮の屋上にてトロイア戦争における勝利を伝えるのろしを長年待っている物見男のうんざりした独白の中、のろしが上がるところから物語は始まる。土地の長老からなるコーラス隊が物語のここまでの経緯を説明した歌を歌ったのち、イーリオス(トロイア)を陥落させたギリシア軍総大将アガメムノーンが、10年ぶりにミュケーナイに凱旋帰国する。コーラス隊がギリシア側の勝利を寿ぐ歌を歌う中、アガメムノーンの妃クリュタイムネーストラー(ヘレネーの姉)が出迎え、二人は宮内に入るが、捕虜として連れられてきたトロイアの王女カッサンドラーは、この宮には復讐の女神(エリーニュス)がとりついており、アガメムノーン家には大きな不幸が起こると予言する。やがてカッサンドラーが自らの運命も受け入れると心に決め、宮内に飛び込むと、アガメムノーンの悲鳴が宮内より聞こえてくる。宮門が開かれると、刃物を持ったクリュタイムネーストラーの足元にアガメムノーンとカッサンドラーが血まみれで倒れている光景が広がる。トロイア戦争へ出征する際、アガメムノーンは娘イーピゲネイアを女神への生贄として捧げた。これを怨んだクリュタイムネーストラーは、同じくアガメムノーンに恨みを抱いているアイギストスと深い仲になり、共謀して夫アガメムノーン、そして捕虜たるその愛人カッサンドラーを殺害したのだった。コーラス隊は妃とその愛人を非難し、剣を構えて対峙するが、クリュタイムネーストラーは娘の仇をとったことは正義に基づくものであり、今後はアイギストスと自分がこの国のすべての支配者であるのだと宣言する。
アガメムノーンの墓前に、アガメムノーンの息子オレステースが、親友で従兄弟のピュラデスを伴い、成人した証に切った髪の房を捧げるところから始まる。そこにオレステースの姉エーレクトラー(イーピゲネイアの妹)が宮に仕える女たちからなるコーラス隊を伴って登場。オレステースたちが隠れているあいだに、コーラス隊がアガメムノーンの悲劇を嘆く歌を歌ったあと、エーレクトラーが母に使用人同様に冷遇されていること、母への復讐、そして弟のオレステースの帰国を願っていることを語る。エーレクトラーが墓前に捧げられている髪の房に気づくと、オレステースが姿を現し、素性を明かす。オレステースは幼少時、父が殺害される前にミュケーナイから里子に出されていたので、エーレクトラーはすぐに信じないが、やがて髪の質と服とで弟であることを確信する。オレステースはアポローン神に導かれ父の仇をとるために帰って来たと告げ、姉から仇の相手を聞き知り、父の墓前で、母クリュタイムネーストラーと情夫のアイギストスへの復讐を誓う。
旅人に扮したオレステースは宮を訪ね、オレステースが既に死んだことをクリュタイムネーストラーに伝え、嘆き悲しむクリュタイムネーストラーに館に招き入れられる。オレステースはまずアイギストスを殺害する。旅人の正体がオレステースと知ったクリュタイムネーストラーは、かつて注いだ愛や、夫と別れて暮らす妻の孤独などを訴え命乞いをするが、オレステースは母を責め、これも殺害する。
オレステースはアポローンの命じた通り父の敵討ちという正義を果たしたことを(観客に)訴えるが、突然、恐ろしい怪物たち(復讐の女神たち(エリーニュス))が自分を襲ってくると言い出し、パニック状態となる。コーラス隊はオレステースに、デルポイのアポロンの信託所へ厄を落としに行けと言い、オレステースは復讐の女神たちから逃げるかのように退場する。
デルポイの巫女が神殿の前で、放浪の末にアポローンにすがってここに来たオレステースの眠っている姿を見て恐怖にかられるところから話が始まる。巫女が逃げるように退場すると、神殿の扉が開き、オレステースが復讐の女神たちからなるコーラス隊に囲まれて一緒に眠っている光景が現れる。アテーナイ(アテネ)に行って女神アテーナーの裁判を受けよというアポローンの指示により、ヘルメースがオレステースをその場から連れ出すが、オレステースがいなくなると、クリュタイムネーストラーの霊が現れ、復讐の女神たちを起こしてオレステースを追わせようとする。アポローンは復讐の女神たちをなだめるが彼女たちはまったく聞き入れず、オレステースを再度追いかけ出す。
復讐の女神たちはアテーナイのアクロポリスにある女神アテーナーの神殿でオレステースを捕まえてとり囲むと、復讐の歌を歌いながら踊り狂う。
やがてアテーナーが現れ、オレステースを弁護するアポローンと、オレステースを母親殺しとして告発する復讐の女神たちの間での裁判が始まる。陪審員の判決は、有罪・無罪が半々にわかれるが、裁判長のアテーナーがオレステースを支持したため、7対6でオレステースは無罪放免となる。若い神々がより古い神々である自分たちをないがしろにしたと復讐の女神たち(エリーニュス)は激昂するが、なだめられてアテーナイの慈しみの女神たち(エウメニデス)となるよう説得されると、この申し出を受け入れる。こうして、憎しみと復讐の連鎖はついに断ち切られ、アテーナーが守護するアテーナイの民主政治により、ギリシア世界に調和と安定がもたらされる。それは母権制と父権制の間の闘争として解釈し、アポローンとアテーナーによって代表される父権的な精神の法が最終的に勝利を納める。あるいは、母権制から父権制への発展を反映するとも言われている。 | [
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] | 『オレステイア』は、古代ギリシアの悲劇作家アイスキュロスの書いた、トロイア戦争におけるギリシア側総大将アガメムノーン一族についての悲劇作品三部作。 | 『'''オレステイア'''』({{lang-el-short|Ὀρέστεια}}, {{lang-en-short|Oresteia}})は、[[古代ギリシア]]の[[悲劇]]作家[[アイスキュロス]]の書いた、[[トロイア戦争]]におけるギリシア側総大将[[アガメムノーン]]一族についての悲劇作品三部作。
== 概要 ==
この呼称は作中に登場するアガメムノーンの息子[[オレステース]]にちなむ。
古代の[[ギリシア悲劇]]は競作形式で、1日のうちに同じ入賞者による悲劇3本と悲喜劇([[サテュロス劇]])1本の計4本が併せて上演されたが、当初はその悲劇3本は連作の三部作形式をとっていた。その三部作が唯一完全な形で残されたのが、この『オレステイア』と呼ばれる三つの戯曲であり、
*『[[アガメムノーン (アイスキュロス)|アガメムノーン]]』
*『[[コエーポロイ|供養する女たち]]』
*『[[エウメニデス (アイスキュロス)|慈しみの女神たち]]』
の三つの悲劇から構成される。これにサテュロス劇『[[プローテウス]]』を加えた計4作が、[[紀元前458年]]の[[アテナイ]]の[[ディオニューソス祭]]にて上演された<ref>『全集1』 岩波 p.269</ref>。
なお、少々解釈の違うところはあるが、このオレステイア三部作の前日譚として、トロイア戦争出陣前、王女イーピゲネイアが神の生贄にされるまでを描いた[[エウリピデース]]による悲劇『[[アウリスのイーピゲネイア]]』、後日譚として、生きていたイーピゲネイアとオレステースの姉弟再会を描いた同じくエウリピデースの<ref>このオレステイア三部作もそうだが、ギリシア悲劇は必ずしも悲劇的な結末ばかりではない。</ref>『[[タウリケーのイーピゲネイア]]』がある。
== 内容 ==
=== アガメムノーン ===
{{main|アガメムノーン (アイスキュロス)}}
[[ミュケーナイ]]のアガメムノーンの宮の屋上にて[[トロイア戦争]]における勝利を伝えるのろしを長年待っている物見男のうんざりした独白の中<ref>この物見の男は舞台背後のスケネと呼ばれる楽屋兼舞台背景となる建築物の上に上がって演技をする。意表をついたオープニングである。</ref>、のろしが上がるところから物語は始まる。土地の長老からなるコーラス隊が物語のここまでの経緯を説明した歌を歌ったのち、[[イーリオス]](トロイア)を陥落させた[[ギリシア]]軍総大将[[アガメムノーン]]が、10年ぶりにミュケーナイに凱旋帰国する。コーラス隊がギリシア側の勝利を寿ぐ歌を歌う中、アガメムノーンの妃[[クリュタイムネーストラー]]([[ヘレネー]]の姉)が出迎え、二人は宮内に入るが、捕虜として連れられてきたトロイアの王女[[カッサンドラー]]は、この宮には復讐の女神(エリーニュス)がとりついており、アガメムノーン家には大きな不幸が起こると予言する。やがてカッサンドラーが自らの運命も受け入れると心に決め、宮内に飛び込むと、アガメムノーンの悲鳴が宮内より聞こえてくる。宮門が開かれると、刃物を持ったクリュタイムネーストラーの足元にアガメムノーンとカッサンドラーが血まみれで倒れている光景が広がる<ref>開かれた門から台車に乗った移動式小舞台が出てくる演出だったと推定されている。</ref>。トロイア戦争へ出征する際、アガメムノーンは娘[[イーピゲネイア]]を女神への生贄として捧げた。これを怨んだクリュタイムネーストラーは、同じくアガメムノーンに恨みを抱いている[[アイギストス]]と深い仲になり、共謀して夫アガメムノーン、そして捕虜たるその愛人カッサンドラーを殺害したのだった。コーラス隊は妃とその愛人を非難し、剣を構えて対峙するが、クリュタイムネーストラーは娘の仇をとったことは正義に基づくものであり、今後はアイギストスと自分がこの国のすべての支配者であるのだと宣言する。
=== 供養する女たち ===
{{main|コエーポロイ}}
アガメムノーンの墓前に、アガメムノーンの息子オレステースが、親友で従兄弟のピュラデスを伴い、成人した証に切った髪の房を捧げるところから始まる。そこにオレステースの姉[[エーレクトラー]](イーピゲネイアの妹)が宮に仕える女たちからなるコーラス隊を伴って登場。オレステースたちが隠れているあいだに、コーラス隊がアガメムノーンの悲劇を嘆く歌を歌ったあと、エーレクトラーが母に使用人同様に冷遇されていること、母への復讐、そして弟のオレステースの帰国を願っていることを語る。エーレクトラーが墓前に捧げられている髪の房に気づくと、オレステースが姿を現し、素性を明かす。オレステースは幼少時、父が殺害される前にミュケーナイから里子に出されていたので、エーレクトラーはすぐに信じないが、やがて髪の質と服とで弟であることを確信する<ref>この部分はのちエウリピデースが説得力に欠けると批判している。</ref>。オレステースは[[アポローン]]神に導かれ父の仇をとるために帰って来たと告げ、姉から仇の相手を聞き知り、父の墓前で、母クリュタイムネーストラーと情夫のアイギストスへの復讐を誓う。
旅人に扮したオレステースは宮を訪ね、オレステースが既に死んだことをクリュタイムネーストラーに伝え<ref>この役割はピュラデスという説もある。</ref>、嘆き悲しむクリュタイムネーストラーに館に招き入れられる。オレステースはまずアイギストスを殺害する。旅人の正体がオレステースと知ったクリュタイムネーストラーは、かつて注いだ愛や、夫と別れて暮らす妻の孤独などを訴え命乞いをするが、オレステースは母を責め、これも殺害する。
オレステースはアポローンの命じた通り父の敵討ちという正義を果たしたことを(観客に)訴えるが、突然、恐ろしい怪物たち(復讐の女神たち([[エリーニュス]]))が自分を襲ってくると言い出し、パニック状態となる。コーラス隊はオレステースに、デルポイのアポロンの信託所へ厄を落としに行けと言い、オレステースは復讐の女神たちから逃げるかのように退場する。
=== 慈しみの女神たち ===
{{main|エウメニデス (アイスキュロス)}}
[[デルポイ]]の巫女が神殿の前で、放浪の末に[[アポローン]]にすがってここに来たオレステースの眠っている姿を見て恐怖にかられるところから話が始まる。巫女が逃げるように退場すると、神殿の扉が開き、オレステースが復讐の女神たちからなるコーラス隊に囲まれて一緒に眠っている光景が現れる。[[アテーナイ]](アテネ)に行って女神[[アテーナー]]の裁判を受けよというアポローンの指示により、[[ヘルメース]]がオレステースをその場から連れ出すが、オレステースがいなくなると、クリュタイムネーストラーの霊が現れ、復讐の女神たちを起こしてオレステースを追わせようとする。アポローンは復讐の女神たちをなだめるが彼女たちはまったく聞き入れず、オレステースを再度追いかけ出す。
復讐の女神たちはアテーナイの[[アテナイのアクロポリス|アクロポリス]]にある女神アテーナーの神殿でオレステースを捕まえてとり囲むと、復讐の歌を歌いながら踊り狂う。
やがてアテーナーが現れ、オレステースを弁護するアポローンと、オレステースを母親殺しとして告発する復讐の女神たちの間での裁判が始まる。陪審員の判決は、<ref>当時のアテーネーでは直接民主制が行われており、アテーナイ市民12名が[[陪審員]]として判決を左右した。</ref>有罪・無罪が半々にわかれるが、裁判長のアテーナーがオレステースを支持したため、7対6でオレステースは無罪放免となる。若い神々がより古い神々である自分たちをないがしろにしたと復讐の女神たち(エリーニュス)は激昂するが、なだめられてアテーナイの慈しみの女神たち([[エリーニュス|エウメニデス]])となるよう説得されると、この申し出を受け入れる。こうして、憎しみと復讐の連鎖はついに断ち切られ、アテーナーが守護するアテーナイの民主政治により、ギリシア世界に調和と安定がもたらされる。それは[[母権制]]と[[父権制]]の間の闘争として解釈し、アポローンとアテーナーによって代表される父権的な精神の法が最終的に勝利を納める<ref>『[[思想 (雑誌)|思想]]』第1-7期、[[岩波書店]]、2007年、p.97,101</ref>。あるいは、母権制から父権制への発展を反映するとも言われている<ref>[[宇都宮大学]]教育学部『宇都宮大学教育学部紀要』第33-34期、1983年、p.01</ref>。
== 日本語訳 ==
*『ギリシア悲劇全集1 アイスキュロス』 [[岩波書店]]、1990年。橋本隆夫・久保正彰訳
*『ギリシア悲劇Ⅰ アイスキュロス』 [[ちくま文庫]]、1985年。[[呉茂一]]訳
**元版『[[世界古典文学全集]]8 アイスキュロス』 [[筑摩書房]]、1964年
== この戯曲に基づく作品・翻案 ==
=== 音楽 ===
;[[セルゲイ・タネーエフ]]
:同名の[[オペラ]]。
;ユーリー・アレクサンドロヴィチ・ファリク {{enlink|Yuri Falik}}
:同名のバレエ音楽。
;[[ダリウス・ミヨー]]
:[[ポール・クローデル]]による三部作の[[劇付随音楽]](オペラとも)『アガメムノン』作品14、『コエフォール』作品24、『ウメニード(エウメニデス)』作品41
;[[エルンスト・クルシェネク]]
:オペラ『オレストの生涯』
;[[ヤニス・クセナキス]]
:同名の[[合唱曲]]
;{{仮リンク|フラーヴィオ・テスティ|en|Flavio Testi}}
:オペラ『オレステの怒り』
;[[ハリソン・バートウィッスル]]
:[[声楽曲]]『プロローグ』(『アガメムノーン』による)
;[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]
:[[オペラ・セリア]]『[[イドメネオ]]』(エーレクトラーを主要人物とする)
;[[リヒャルト・シュトラウス]]
:楽劇『[[エレクトラ (リヒャルト・シュトラウス)|エレクトラ]]』
=== 舞踏・バレエ ===
;[[マーサ・グレアム]]
:舞踏劇『クライタムニーストラ』。
=== 小説 ===
;[[ジョナサン・リテル]]
:小説『慈しみの女神たち』。
== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
{{Theatre of ancient Greece}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おれすていあ}}
[[Category:アイスキュロスの戯曲]]
[[Category:復讐を題材とした舞台作品]]
[[Category:トロイア戦争を題材とした古典文学]]
[[Category:三部作]] | null | 2023-07-06T00:13:18Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%A2 |
7,985 | 順序集合 | 数学において順序集合(じゅんじょしゅうごう、英: ordered set)とは、大小関係や血縁関係のような順序が定義された集合のことである。順序は一般に二項関係として定義されるが、その順序集合の任意の2つの元に対して必ず定まるとは限らない。
比較不能の場合を許容する順序集合として典型的なのは後述する半順序集合(partially ordered set; poset)である。特に、半順序集合で全ての2元が比較可能であるものを全順序集合(totally ordered set; toset)という。
全順序の最も簡単な例は、実数における大小関係である。
一方、全順序ではない半順序集合の例としては、正の整数全体の集合に整除関係で順序を入れたものや、(2つ以上元を含む)集合の冪集合において、包含関係を順序と見なしたものがある。例えば2元集合 S = {a, b} において {a} と {b} はいずれも他方を包含していないので S の冪集合は全順序ではない。
前順序、半順序、全順序を順に定義するために、まず以下の性質を考える。ここで P は集合であり、「≤」を P 上で定義された二項関係とする。
「≤」が全順序律を満たさない場合、「a ≤ b」でも「b ≤ a」でもないときがある。このとき a と b は比較不能 (incomparable) であるという。
P を集合とし、≤ を P 上で定義された二項関係とする。
≤ が前順序であるとき (P, ≤) を前順序集合という。同様に ≤ が半順序なら (P, ≤) は半順序集合、全順序なら (P, ≤) は全順序集合という。また集合 P は (P, ≤) の台集合 (underlying set) あるいは台 (support) と呼ばれる。紛れがなければ ≤ を省略し、P を(いずれかの意味で)順序集合という。
順序集合 (P, ≤) に対し、≤ を台 P 上の順序関係ともいう。なお多くの数学の分野では半順序集合を主に扱うので、単に順序あるいは順序集合といった場合はそれぞれ半順序、半順序集合を意味する場合が多いが、分野によっては、主な対象が半順序集合でなく前順序集合や全順序集合である場合があり、そのような分野では前順序集合や全順序集合の意味で「順序集合」という言葉が用いられることがあるので注意が必要である。
上では順序を記号 ≤ で表したが、必ずしもこの記号で表現する必要はない。実数の大小を表す記号 ≤ と区別するため、順序の記号として ≺ {\displaystyle \prec } や ≪ {\displaystyle \ll } を使うこともある。
全順序を線型順序ともいい、全順序集合を鎖と呼ぶこともある。また半順序集合の部分集合 A で A の任意の異なる2元が比較不能であるものを反鎖(英語版)という。半順序集合のことを部分順序集合と呼ぶこともあるが部分順序集合は順序集合の部分集合に自然な順序を入れたものも指す。
半順序集合の元 a が他の元 b によって被覆される(英語版) (a <: b) とは、a は b よりも真に小さく、かつそれらの間に別の元が入ることはないことをいう。つまり a <: b {\displaystyle a<:b} とは次の3つがすべて成り立つことである: a ≤ b , a ≠ b , ¬ [ ∃ c s.t. a < c < b ] . {\displaystyle a\leq b,\quad a\neq b,\quad \neg [\exists \ c\ {\text{s.t.}}\ a<c<b].}
上で述べた順序関係「≤」は直観的には左辺が右辺「よりも小さい、もしくは等しい」ことを意味しているが、逆に左辺が右辺「よりも大きい、もしくは等しい」順序関係や等しいことを許容しない順序関係を考えることもできる。
「大きい、もしくは等しい」ことを意味する順序関係は「≤」の逆順序と呼ばれ、
により定義される。
一方、等しいことを許容しない順序は狭義の(半)順序と呼ばれ、以下のように定義される:
狭義の逆順序「>」も同様に定義される。
狭義の順序「<」の対義語として、等しいことも許容する順序「≤」のことを広義の(半)順序(もしくは弱い意味 (weak) の(半)順序、反射的 (reflexive) な(半)順序)という。
(1) 式で定義された「<」を「≤」の反射的簡約 (reflexive reduction) という。
「≤」が半順序であるとき、その反射的簡約「<」は任意の a, b, c ∈ P に対して以下を満たす:
以上では広義の順序を定義してから狭義の順序を定義したが、逆に上の三性質(非対称性は非反射性と推移性より得られるので条件としては不要)を満たすものを狭義の順序として定義し、広義の順序を
により定義することもできる。この場合、(2) 式で定義された「≤」を「<」の反射閉包(英語版)という。「<」が前述の3条件を満たせば反射閉包「≤」が半順序であることを簡単に示すことができる。
(P, ≤) を順序集合とするとき、P 上の二項関係「 ≼ {\displaystyle \preccurlyeq } 」を
と定義する(すなわち「 ≼ {\displaystyle \preccurlyeq } 」は「≤」の逆順序を順序と見なしたものである)。すると、「 ≼ {\displaystyle \preccurlyeq } 」も P 上の順序になっていることが容易に分かる。 ( P , ≼ ) {\displaystyle (P,\preccurlyeq )} を (P, ≤) の双対順序集合という。
双対順序集合はその定義 ( P , ≼ ) {\displaystyle (P,\preccurlyeq )} よりもとの順序集合 (P, ≤) とは"大小が逆転"している。したがって (P, ≤) における上限、極大元、最大元(定義は後述)は ( P , ≼ ) {\displaystyle (P,\preccurlyeq )} ではそれぞれ下限、極小元、最小元に対応している。
P を有限集合とし、「<」を P 上の狭義の半順序とするとき、以下のようにして P を自然に単純有向グラフと見なせる:
この有向グラフを図示したものをハッセ図という。
ハッセ図を用いると、順序関係に関する基本的な概念が図示できる。例えばこの図で {x} と {x, y, z} は比較可能だが、{x} と {y} は比較不能である。また単集合の族 {{x}, {y}, {z}} は反鎖である。さらに {x} は {x, z} によって被覆されるが、{x, y, z} には被覆されない。
なお、有限半順序集合から前述の方法で作ったグラフは閉路を持たない。逆に (V, E) を閉路を持たない有限な単純有向グラフとすると、V 上に以下の順序を入れることで V を半順序集合と見なせる:
したがって有限半順序集合は閉路を持たない有限な単純有向グラフと自然に同一視できる。
P を半順序集合とし、A をその部分集合とし、x を P の元とする。このとき上界、上限、最大、極大の概念、およびこれらの双対概念である下界(かかい)、下限、最小、極小は以下のように定義される:
上界および上限の定義において、 x が必ずしも A の元であるとは限らない、ことには注意が必要である。左閉右開の半開区間 [ a , b ) {\displaystyle [a,b)} には最大元は存在しないが上界および上限は存在する(つまり、 b)。
極大元の概念と最大元の概念は以下の点で異なる。まず x が A の極大元であるとは、A の元は「x 以下である」か、もしくは「x とは大小が比較不能である」かのいずれかである事を意味する。一方 x が A の最大元であるとは A の元は常に x 以下である事を意味する(このとき x は A の任意の元と比較が可能である)。したがって最大元は必ず極大元であるが、極大元は必ずしも最大元であるとは限らない(下の具体例参照)。全順序集合においては必ず極大元は最大元に一致する。
さらに A が P の上方集合(英語版)(resp. 下方集合)であるとは、任意の a ∈ A と x > a (resp. x < a) を満たす任意の P の元に対しx ∈ A となることをいう。
正整数全体の成す集合を整除関係で順序付けるとき、1 は任意の正整数を割り切るという意味において 1 は最小元である。しかしこの半順序集合には最大元は存在しない(任意の正整数の倍数としての 0 を追加して考えたとするならば、それが最大元になる)。この半順序集合には極大元も存在しない。実際、任意の元 g はそれとは異なる。例えば 2g を割り切るから g は極大ではありえない。この半順序集合から最小元である 1 を除いて、順序はそのまま整除関係によって入れるならば、最小元は無くなるが、極小元として任意の素数をとることができる。この半順序に関して 60 は部分集合 {2, 3, 5, 10} の上界(上限ではない)を与えるが、1 は除かれているので下界は持たない。他方、2 の冪全体の成す部分集合に対して 2 はその下界(これは下限でもある)を与えるが、上界は存在しない。
順序に関する写像の概念に以下のものがある:
S, T を順序集合とし、f: S → T を写像とする。このとき
f: S → T が順序埋め込みであるとき、S は f によって T に(順序集合として)埋め込まれるという。 また順序同型 f: S → T が存在するとき、S と T は順序同型あるいは単に同型であるという。
上で述べた概念は以下の性質を満たす:
自然数全体が整除関係に関して成す半順序集合から、その冪集合が包含関係に関して成す半順序集合への写像 f: N → P(N) を各自然数にその素因数全体の成す集合を対応させることにより定まる。これは順序を保つ集合である(すなわち、x が y を割るならば x の各素因数は y の素因数にもなる)が単射ではない(例えば 12 も 6 もこの写像で {2, 3} に写る)し、順序を反映もしない(例えば 12 は 6 を割らない)。少し設定を変えて、各自然数にその素冪因子の集合を対応させる写像 g: N → P(N) を考えれば、これは順序を保ち、かつ順序を反映するから、従って順序埋め込みになる。一方、これは順序同型ではない(実際、たとえば単集合 {4} に移る数は無い)が終域を g の値域 g(N) に変更すれば順序同型にすることができる。このような冪集合の中への順序同型の構成は、より広汎な分配束(英語版)と呼ばれる半順序集合のクラスに対して一般化することができる(バーコフの表現定理(英語版)の項を参照)。
P を順序集合とし、a, b を P の元とするとき、閉区間 [a, b] と開区間 (a, b) を以下のように定義する:
さらに [a, b) および (a, b] を以下のように定義し、半開区間と呼ぶ:
文献によっては (a, b), [a, b), (a, b] のことを ]a, b[, [a, b[, ]a, b] と表す場合もある。
半順序集合が局所有限(英語版)であるとは、全ての区間が有限集合であることをいう。例えば、整数全体の成す集合は通常の大小関係による半順序に関して局所有限である(端点の無い無限区間のようなものは今考えていない)。
順序集合における区間の概念と、区間順序(英語版)として知られる特定の半順序の類いとを混同してはならない。
全順序集合 A に対し、無限半開区間
全体の集合を準開基とする位相を順序位相 (order topology) という。例えば、実数全体の集合 R {\displaystyle \mathbb {R} } を通常の大小関係 ≤ による全順序集合と見ると、その順序位相は通常の距離により定められる位相と同等になる。
全順序集合 A の部分集合 B には、B を全順序集合と見なした時の順序位相と A の順序位相から誘導される位相との2つの位相が入る。しかしこの2つの位相は一致するとは限らない。(B の順序位相における開集合は誘導位相でも開集合であるが逆は一般には成り立たない)。
例えば A を実数全体の集合とし、A の部分集合
を考えると、A からB に誘導される位相では一元集合 {2} は明らかに開集合であるが、B は順序集合としてみたときはそうではない。実際 B は(2を1に移す写像により) C = { x ∣ 0 < x ≤ 1 } {\displaystyle C=\{x\mid 0<x\leq 1\}} と順序同型だが、C の順序位相で {1} は開集合ではないので B の順序位相で{2} は開集合ではない。
単に「実数体上の位相」といった場合、前述の順序位相を指すがその他の位相を考えることも(主に反例として用いるために)できる。
実数体 R {\displaystyle \mathbb {R} } 上の上極限位相とは
全体の集合を開基とする位相のことであり、同様に R {\displaystyle \mathbb {R} } 上の下極限位相(英語版)とは逆向きの半開区間
全体の集合を開基とする位相のことである。
実数体に下極限位相を入れた空間はしばし R l {\displaystyle \mathbb {R} _{\ell }} と書かれ、ゾルゲンフライ直線と呼ばれる。またゾルゲンフライ直線2つの直積 R l × R l {\displaystyle \mathbb {R} _{\ell }\times \mathbb {R} _{\ell }} はゾルゲンフライ平面(英語版)と呼ばれる。
区間 [-1,1] 上の overlapping interval topology とは
を準開基とする位相である。
位相構造を持つ半順序集合P で以下の性質を満たすものを半順序空間(英語版)という:
(P の位相構造でこの性質を満たすものは1つとは限らないが、それらを全て半順序空間という。) なお、半順序空間と名前の似たposet topology(英語版)は別概念であるので注意が必要である。
定義より明らかに半順序空間は常にハウスドルフ性を満たす。
半順序空間では以下が成立する:
位相構造を持つ半順序集合P が半順序空間である必要十分条件は以下を満たすことである:
2つ半順序空間の間の順序を保つ連続写像のことをdimapという。
順序集合 P 上の以下の2つの位相は同一である事が簡単に示せる。以下のいずれか一方(したがって両方)の条件を満たす位相を上方位相(英語版)という。
下方位相も同様にして定義できる。
位相空間 P がアレクサンドロフ空間(英語版)であるとは、P 上の(有限または無限個の)任意の開集合の共通部分が必ず開集合になることである。
アレクサンドロフ空間は前順序集合と自然に1対1対応していることが知られている。 実際任意の前順序集合 P に対し、
により P に位相を入れたものはアレクサンドロフ空間になる。(この位相を P のアレクサンドロフ位相という。)
逆に任意のアレクサンドロフ空間 P に対し P 上の「specialization preorder(英語版)」を前順序とすることで P を前順序集合と見なすことができる。
ここで位相空間 P のspecialization preorderとは
で定義される前順序のことである。上式で { x } ̄ {\displaystyle {\overline {\{x\}}}} は一元集合{x} の閉包である。(なお、P がT0空間であればspecialization preorder は半順序であることが知られている。)
以上の対応関係により、集合P におけるアレクサンドロフ空間としての構造とP 上の前順序は1対1対応する。
specialization preorderはアレクサンドロフ空間でなくとも定義可能であるが、アレクサンドロフ空間でない位相空間上ではspecialization preorderに対して上方集合でない開集合も存在する。(なおこの場合でも開集合は常に上方集合である)。したがって前述したような、上方集合を開集合とする位相を考えても元の位相は復元できない。
実数体(に通常の順序をいれたもの)を前順序集合と見なすことで実数体にアレクサンドロフ位相を入れることができる。アレクサンドロフ位相における実数体上の開集合(すなわち上方集合)は以下のもののいずれかになる:
上で述べたようにアレクサンドロフ位相は [ a , ∞ ) {\displaystyle [a,\infty )} のような「下に閉じた」集合すらも開集合と見なしてしまう。アレクサンドロフ位相からこのような不自然さを取り除いたのがスコット位相である。順序集合 P 上のスコット位相 (Scott topology) とは、以下の2条件を満たす P の部分集合 O 全体の集合を開集合族とする位相である:
後者の条件は内点概念の点列による特徴づけ(O の内点x に収束する点列はO と共通部分を持つ)に類似しており、この条件が「下に閉じた」集合を排除する。
よって実数体にスコット位相を入れた際、実数体上の開集合は以下のもののいずれかになる:
スコット位相を入れた順序集合をスコット空間といい、スコット空間からスコット空間への連続写像をスコット連続 (Scott continuity) という。順序集合 P から順序集合Q への写像 f がスコット連続である必要十分条件は以下の性質が成り立つことであることが知られている:
スコット連続な関数は順序を保つ。実際、x ≥ y ⇒ sup{x , y } = x であるので、上述した条件よりsup{f (x ), f (y )}が存在し、しかも sup{f (x ), f (y )} = f (sup{x , y }) = f (x ) となる。これはf (x ) ≥ f (y ) を意味する。
なお、スコット位相と下方位相のいずれよりも強い位相構造の中で最弱のものをローソン位相(英語版)という。
位相空間の開集合全体の集合は包含関係により順序集合と見なせる。位相空間が「sober性」という弱い性質を満たす時はこの順序構造のみで位相空間の構造が特徴づけられることが知られている(ストーンの双対性定理)。したがってsober性を満たす空間に話を限定すれば、点集合論に頼らなくても順序構造のみで位相空間論を展開できる(ポイントレス位相空間論)。
2つの半順序集合(の台集合)の直積集合上の半順序としては次の三種類がある。
最後の順序は対応する狭義全順序の直積の反射閉包である。これらの三種類の半順序は、いずれも3個以上の半順序集合の直積に対しても同様に定義される。
体上の順序線型空間に対してこれらの構成を適用すれば、結果として得られる順序集合はいずれも再び順序線型空間となる。
任意の半順序集合(および前順序集合)は、任意の射集合が高々一つの元からなる圏と見なすことができる。具体的には、射の集合を x ≤ y ならば hom(x, y) = {(x, y)}(それ以外の場合は空集合)とし、(y, z)∘(x, y) = (x, z) と定義する。2つの半順序集合が圏として同値となるのは、それらが順序集合として同型であるときであり、かつその時に限る。半順序集合に最小元が存在すればそれは始対象であり、最大元が存在すればそれは終対象となる。また、任意の前順序集合はある半順序集合に圏同値であり、半順序集合の任意の部分圏は同型射について閉じて(英語版)いる。
半順序集合からの函手、すなわち半順序圏で添字付けられた図式は、可換図式である。 | [
{
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"text": "数学において順序集合(じゅんじょしゅうごう、英: ordered set)とは、大小関係や血縁関係のような順序が定義された集合のことである。順序は一般に二項関係として定義されるが、その順序集合の任意の2つの元に対して必ず定まるとは限らない。",
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"text": "比較不能の場合を許容する順序集合として典型的なのは後述する半順序集合(partially ordered set; poset)である。特に、半順序集合で全ての2元が比較可能であるものを全順序集合(totally ordered set; toset)という。",
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},
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"text": "全順序の最も簡単な例は、実数における大小関係である。",
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"tag": "p",
"text": "一方、全順序ではない半順序集合の例としては、正の整数全体の集合に整除関係で順序を入れたものや、(2つ以上元を含む)集合の冪集合において、包含関係を順序と見なしたものがある。例えば2元集合 S = {a, b} において {a} と {b} はいずれも他方を包含していないので S の冪集合は全順序ではない。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "前順序、半順序、全順序を順に定義するために、まず以下の性質を考える。ここで P は集合であり、「≤」を P 上で定義された二項関係とする。",
"title": "定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "「≤」が全順序律を満たさない場合、「a ≤ b」でも「b ≤ a」でもないときがある。このとき a と b は比較不能 (incomparable) であるという。",
"title": "定義"
},
{
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"tag": "p",
"text": "P を集合とし、≤ を P 上で定義された二項関係とする。",
"title": "定義"
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"tag": "p",
"text": "≤ が前順序であるとき (P, ≤) を前順序集合という。同様に ≤ が半順序なら (P, ≤) は半順序集合、全順序なら (P, ≤) は全順序集合という。また集合 P は (P, ≤) の台集合 (underlying set) あるいは台 (support) と呼ばれる。紛れがなければ ≤ を省略し、P を(いずれかの意味で)順序集合という。",
"title": "定義"
},
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"tag": "p",
"text": "順序集合 (P, ≤) に対し、≤ を台 P 上の順序関係ともいう。なお多くの数学の分野では半順序集合を主に扱うので、単に順序あるいは順序集合といった場合はそれぞれ半順序、半順序集合を意味する場合が多いが、分野によっては、主な対象が半順序集合でなく前順序集合や全順序集合である場合があり、そのような分野では前順序集合や全順序集合の意味で「順序集合」という言葉が用いられることがあるので注意が必要である。",
"title": "定義"
},
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"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "上では順序を記号 ≤ で表したが、必ずしもこの記号で表現する必要はない。実数の大小を表す記号 ≤ と区別するため、順序の記号として ≺ {\\displaystyle \\prec } や ≪ {\\displaystyle \\ll } を使うこともある。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "全順序を線型順序ともいい、全順序集合を鎖と呼ぶこともある。また半順序集合の部分集合 A で A の任意の異なる2元が比較不能であるものを反鎖(英語版)という。半順序集合のことを部分順序集合と呼ぶこともあるが部分順序集合は順序集合の部分集合に自然な順序を入れたものも指す。",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "半順序集合の元 a が他の元 b によって被覆される(英語版) (a <: b) とは、a は b よりも真に小さく、かつそれらの間に別の元が入ることはないことをいう。つまり a <: b {\\displaystyle a<:b} とは次の3つがすべて成り立つことである: a ≤ b , a ≠ b , ¬ [ ∃ c s.t. a < c < b ] . {\\displaystyle a\\leq b,\\quad a\\neq b,\\quad \\neg [\\exists \\ c\\ {\\text{s.t.}}\\ a<c<b].}",
"title": "定義"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "上で述べた順序関係「≤」は直観的には左辺が右辺「よりも小さい、もしくは等しい」ことを意味しているが、逆に左辺が右辺「よりも大きい、もしくは等しい」順序関係や等しいことを許容しない順序関係を考えることもできる。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "「大きい、もしくは等しい」ことを意味する順序関係は「≤」の逆順序と呼ばれ、",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
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"tag": "p",
"text": "により定義される。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "一方、等しいことを許容しない順序は狭義の(半)順序と呼ばれ、以下のように定義される:",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "狭義の逆順序「>」も同様に定義される。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "狭義の順序「<」の対義語として、等しいことも許容する順序「≤」のことを広義の(半)順序(もしくは弱い意味 (weak) の(半)順序、反射的 (reflexive) な(半)順序)という。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "(1) 式で定義された「<」を「≤」の反射的簡約 (reflexive reduction) という。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "「≤」が半順序であるとき、その反射的簡約「<」は任意の a, b, c ∈ P に対して以下を満たす:",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "以上では広義の順序を定義してから狭義の順序を定義したが、逆に上の三性質(非対称性は非反射性と推移性より得られるので条件としては不要)を満たすものを狭義の順序として定義し、広義の順序を",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
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"tag": "p",
"text": "により定義することもできる。この場合、(2) 式で定義された「≤」を「<」の反射閉包(英語版)という。「<」が前述の3条件を満たせば反射閉包「≤」が半順序であることを簡単に示すことができる。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "(P, ≤) を順序集合とするとき、P 上の二項関係「 ≼ {\\displaystyle \\preccurlyeq } 」を",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "と定義する(すなわち「 ≼ {\\displaystyle \\preccurlyeq } 」は「≤」の逆順序を順序と見なしたものである)。すると、「 ≼ {\\displaystyle \\preccurlyeq } 」も P 上の順序になっていることが容易に分かる。 ( P , ≼ ) {\\displaystyle (P,\\preccurlyeq )} を (P, ≤) の双対順序集合という。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
},
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"text": "双対順序集合はその定義 ( P , ≼ ) {\\displaystyle (P,\\preccurlyeq )} よりもとの順序集合 (P, ≤) とは\"大小が逆転\"している。したがって (P, ≤) における上限、極大元、最大元(定義は後述)は ( P , ≼ ) {\\displaystyle (P,\\preccurlyeq )} ではそれぞれ下限、極小元、最小元に対応している。",
"title": "逆順序、狭義の順序、双対順序"
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"text": "P を有限集合とし、「<」を P 上の狭義の半順序とするとき、以下のようにして P を自然に単純有向グラフと見なせる:",
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"text": "ハッセ図を用いると、順序関係に関する基本的な概念が図示できる。例えばこの図で {x} と {x, y, z} は比較可能だが、{x} と {y} は比較不能である。また単集合の族 {{x}, {y}, {z}} は反鎖である。さらに {x} は {x, z} によって被覆されるが、{x, y, z} には被覆されない。",
"title": "ハッセ図"
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"text": "なお、有限半順序集合から前述の方法で作ったグラフは閉路を持たない。逆に (V, E) を閉路を持たない有限な単純有向グラフとすると、V 上に以下の順序を入れることで V を半順序集合と見なせる:",
"title": "ハッセ図"
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"text": "上界および上限の定義において、 x が必ずしも A の元であるとは限らない、ことには注意が必要である。左閉右開の半開区間 [ a , b ) {\\displaystyle [a,b)} には最大元は存在しないが上界および上限は存在する(つまり、 b)。",
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"text": "極大元の概念と最大元の概念は以下の点で異なる。まず x が A の極大元であるとは、A の元は「x 以下である」か、もしくは「x とは大小が比較不能である」かのいずれかである事を意味する。一方 x が A の最大元であるとは A の元は常に x 以下である事を意味する(このとき x は A の任意の元と比較が可能である)。したがって最大元は必ず極大元であるが、極大元は必ずしも最大元であるとは限らない(下の具体例参照)。全順序集合においては必ず極大元は最大元に一致する。",
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"text": "さらに A が P の上方集合(英語版)(resp. 下方集合)であるとは、任意の a ∈ A と x > a (resp. x < a) を満たす任意の P の元に対しx ∈ A となることをいう。",
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"text": "正整数全体の成す集合を整除関係で順序付けるとき、1 は任意の正整数を割り切るという意味において 1 は最小元である。しかしこの半順序集合には最大元は存在しない(任意の正整数の倍数としての 0 を追加して考えたとするならば、それが最大元になる)。この半順序集合には極大元も存在しない。実際、任意の元 g はそれとは異なる。例えば 2g を割り切るから g は極大ではありえない。この半順序集合から最小元である 1 を除いて、順序はそのまま整除関係によって入れるならば、最小元は無くなるが、極小元として任意の素数をとることができる。この半順序に関して 60 は部分集合 {2, 3, 5, 10} の上界(上限ではない)を与えるが、1 は除かれているので下界は持たない。他方、2 の冪全体の成す部分集合に対して 2 はその下界(これは下限でもある)を与えるが、上界は存在しない。",
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"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "P を順序集合とし、a, b を P の元とするとき、閉区間 [a, b] と開区間 (a, b) を以下のように定義する:",
"title": "区間"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "さらに [a, b) および (a, b] を以下のように定義し、半開区間と呼ぶ:",
"title": "区間"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "文献によっては (a, b), [a, b), (a, b] のことを ]a, b[, [a, b[, ]a, b] と表す場合もある。",
"title": "区間"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "半順序集合が局所有限(英語版)であるとは、全ての区間が有限集合であることをいう。例えば、整数全体の成す集合は通常の大小関係による半順序に関して局所有限である(端点の無い無限区間のようなものは今考えていない)。",
"title": "区間"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "順序集合における区間の概念と、区間順序(英語版)として知られる特定の半順序の類いとを混同してはならない。",
"title": "区間"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "全順序集合 A に対し、無限半開区間",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "全体の集合を準開基とする位相を順序位相 (order topology) という。例えば、実数全体の集合 R {\\displaystyle \\mathbb {R} } を通常の大小関係 ≤ による全順序集合と見ると、その順序位相は通常の距離により定められる位相と同等になる。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "全順序集合 A の部分集合 B には、B を全順序集合と見なした時の順序位相と A の順序位相から誘導される位相との2つの位相が入る。しかしこの2つの位相は一致するとは限らない。(B の順序位相における開集合は誘導位相でも開集合であるが逆は一般には成り立たない)。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "例えば A を実数全体の集合とし、A の部分集合",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "を考えると、A からB に誘導される位相では一元集合 {2} は明らかに開集合であるが、B は順序集合としてみたときはそうではない。実際 B は(2を1に移す写像により) C = { x ∣ 0 < x ≤ 1 } {\\displaystyle C=\\{x\\mid 0<x\\leq 1\\}} と順序同型だが、C の順序位相で {1} は開集合ではないので B の順序位相で{2} は開集合ではない。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "単に「実数体上の位相」といった場合、前述の順序位相を指すがその他の位相を考えることも(主に反例として用いるために)できる。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "実数体 R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 上の上極限位相とは",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "全体の集合を開基とする位相のことであり、同様に R {\\displaystyle \\mathbb {R} } 上の下極限位相(英語版)とは逆向きの半開区間",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "全体の集合を開基とする位相のことである。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "実数体に下極限位相を入れた空間はしばし R l {\\displaystyle \\mathbb {R} _{\\ell }} と書かれ、ゾルゲンフライ直線と呼ばれる。またゾルゲンフライ直線2つの直積 R l × R l {\\displaystyle \\mathbb {R} _{\\ell }\\times \\mathbb {R} _{\\ell }} はゾルゲンフライ平面(英語版)と呼ばれる。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "区間 [-1,1] 上の overlapping interval topology とは",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "を準開基とする位相である。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "位相構造を持つ半順序集合P で以下の性質を満たすものを半順序空間(英語版)という:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "(P の位相構造でこの性質を満たすものは1つとは限らないが、それらを全て半順序空間という。) なお、半順序空間と名前の似たposet topology(英語版)は別概念であるので注意が必要である。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "定義より明らかに半順序空間は常にハウスドルフ性を満たす。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "半順序空間では以下が成立する:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "位相構造を持つ半順序集合P が半順序空間である必要十分条件は以下を満たすことである:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2つ半順序空間の間の順序を保つ連続写像のことをdimapという。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "順序集合 P 上の以下の2つの位相は同一である事が簡単に示せる。以下のいずれか一方(したがって両方)の条件を満たす位相を上方位相(英語版)という。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "下方位相も同様にして定義できる。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "位相空間 P がアレクサンドロフ空間(英語版)であるとは、P 上の(有限または無限個の)任意の開集合の共通部分が必ず開集合になることである。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "アレクサンドロフ空間は前順序集合と自然に1対1対応していることが知られている。 実際任意の前順序集合 P に対し、",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "により P に位相を入れたものはアレクサンドロフ空間になる。(この位相を P のアレクサンドロフ位相という。)",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "逆に任意のアレクサンドロフ空間 P に対し P 上の「specialization preorder(英語版)」を前順序とすることで P を前順序集合と見なすことができる。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "ここで位相空間 P のspecialization preorderとは",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "で定義される前順序のことである。上式で { x } ̄ {\\displaystyle {\\overline {\\{x\\}}}} は一元集合{x} の閉包である。(なお、P がT0空間であればspecialization preorder は半順序であることが知られている。)",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "以上の対応関係により、集合P におけるアレクサンドロフ空間としての構造とP 上の前順序は1対1対応する。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "specialization preorderはアレクサンドロフ空間でなくとも定義可能であるが、アレクサンドロフ空間でない位相空間上ではspecialization preorderに対して上方集合でない開集合も存在する。(なおこの場合でも開集合は常に上方集合である)。したがって前述したような、上方集合を開集合とする位相を考えても元の位相は復元できない。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "実数体(に通常の順序をいれたもの)を前順序集合と見なすことで実数体にアレクサンドロフ位相を入れることができる。アレクサンドロフ位相における実数体上の開集合(すなわち上方集合)は以下のもののいずれかになる:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "上で述べたようにアレクサンドロフ位相は [ a , ∞ ) {\\displaystyle [a,\\infty )} のような「下に閉じた」集合すらも開集合と見なしてしまう。アレクサンドロフ位相からこのような不自然さを取り除いたのがスコット位相である。順序集合 P 上のスコット位相 (Scott topology) とは、以下の2条件を満たす P の部分集合 O 全体の集合を開集合族とする位相である:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "後者の条件は内点概念の点列による特徴づけ(O の内点x に収束する点列はO と共通部分を持つ)に類似しており、この条件が「下に閉じた」集合を排除する。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "よって実数体にスコット位相を入れた際、実数体上の開集合は以下のもののいずれかになる:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "スコット位相を入れた順序集合をスコット空間といい、スコット空間からスコット空間への連続写像をスコット連続 (Scott continuity) という。順序集合 P から順序集合Q への写像 f がスコット連続である必要十分条件は以下の性質が成り立つことであることが知られている:",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "スコット連続な関数は順序を保つ。実際、x ≥ y ⇒ sup{x , y } = x であるので、上述した条件よりsup{f (x ), f (y )}が存在し、しかも sup{f (x ), f (y )} = f (sup{x , y }) = f (x ) となる。これはf (x ) ≥ f (y ) を意味する。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "なお、スコット位相と下方位相のいずれよりも強い位相構造の中で最弱のものをローソン位相(英語版)という。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "位相空間の開集合全体の集合は包含関係により順序集合と見なせる。位相空間が「sober性」という弱い性質を満たす時はこの順序構造のみで位相空間の構造が特徴づけられることが知られている(ストーンの双対性定理)。したがってsober性を満たす空間に話を限定すれば、点集合論に頼らなくても順序構造のみで位相空間論を展開できる(ポイントレス位相空間論)。",
"title": "順序構造と位相構造"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2つの半順序集合(の台集合)の直積集合上の半順序としては次の三種類がある。",
"title": "直積集合上の順序"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "最後の順序は対応する狭義全順序の直積の反射閉包である。これらの三種類の半順序は、いずれも3個以上の半順序集合の直積に対しても同様に定義される。",
"title": "直積集合上の順序"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "体上の順序線型空間に対してこれらの構成を適用すれば、結果として得られる順序集合はいずれも再び順序線型空間となる。",
"title": "直積集合上の順序"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "任意の半順序集合(および前順序集合)は、任意の射集合が高々一つの元からなる圏と見なすことができる。具体的には、射の集合を x ≤ y ならば hom(x, y) = {(x, y)}(それ以外の場合は空集合)とし、(y, z)∘(x, y) = (x, z) と定義する。2つの半順序集合が圏として同値となるのは、それらが順序集合として同型であるときであり、かつその時に限る。半順序集合に最小元が存在すればそれは始対象であり、最大元が存在すればそれは終対象となる。また、任意の前順序集合はある半順序集合に圏同値であり、半順序集合の任意の部分圏は同型射について閉じて(英語版)いる。",
"title": "圏としての順序集合"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "半順序集合からの函手、すなわち半順序圏で添字付けられた図式は、可換図式である。",
"title": "圏としての順序集合"
}
] | 数学において順序集合とは、大小関係や血縁関係のような順序が定義された集合のことである。順序は一般に二項関係として定義されるが、その順序集合の任意の2つの元に対して必ず定まるとは限らない。 比較不能の場合を許容する順序集合として典型的なのは後述する半順序集合である。特に、半順序集合で全ての2元が比較可能であるものを全順序集合という。 全順序の最も簡単な例は、実数における大小関係である。 一方、全順序ではない半順序集合の例としては、正の整数全体の集合に整除関係で順序を入れたものや、(2つ以上元を含む)集合の冪集合において、包含関係を順序と見なしたものがある。例えば2元集合 S = {a, b} において {a} と {b} はいずれも他方を包含していないので S の冪集合は全順序ではない。 | {{redirect|順序|その他|wikt:順序}}
{{複数の問題
|独自研究 = 2019-06
|参照方法 = 2019-06
}}
[[数学]]において'''順序集合'''(じゅんじょしゅうごう、{{Lang-en-short|ordered set}})とは、大小関係や血縁関係のような順序が定義された[[集合]]のことである。順序は一般に[[二項関係]]として定義されるが、その順序集合の任意の2つの[[元 (数学)|元]]に対して必ず定まるとは限らない。
比較不能の場合を許容する順序集合として典型的なのは後述する'''半順序集合'''({{en|partially ordered set; poset}})である。特に、半順序集合で全ての2元が比較可能であるものを'''全順序集合'''({{en|totally ordered set; toset}})という。
全順序の最も簡単な例は、[[実数]]における大小関係である。
一方、全順序ではない半順序集合の例としては、[[正の整数]]全体の集合に整除関係で順序を入れたものや、(2つ以上元を含む)集合の[[冪集合]]において、包含関係を順序と見なしたものがある。例えば2元集合 {{math2|''S'' {{=}} {{mset|''a'', ''b''}}}} において {{math|{{mset|''a''}}}} と {{math|{{mset|''b''}}}} はいずれも他方を包含していないので {{mvar|S}} の冪集合は全順序ではない。
== 定義 ==
前順序、半順序、全順序を順に定義するために、まず以下の性質を考える。ここで {{mvar|P}} は集合であり、「{{math|≤}}」を {{mvar|P}} 上で定義された[[二項関係]]とする。
*[[反射関係|'''反射律''']]:{{mvar|P}} の任意の元 {{mvar|a}} に対し、{{math|''a'' ≤ ''a''}} が成り立つ。
*[[推移関係|'''推移律''']]:{{mvar|P}} の任意の元 {{mvar|a}}, {{mvar|b}}, {{mvar|c}} に対し、{{math|''a'' ≤ ''b''}} かつ {{math|''b'' ≤ ''c''}} ならば {{math|''a'' ≤ ''c''}} が成り立つ。
*'''反対称律''':{{mvar|P}} の任意の元 {{math2|''a'', ''b''}} に対し、{{math|''a'' ≤ ''b''}} かつ {{math|''b'' ≤ ''a''}} ならば {{math|''a'' {{=}} ''b''}} が成り立つ。
*'''全順序律''':{{mvar|P}} の任意の元 {{math2|''a'', ''b''}} に対し、{{math2|''a'' ≤ ''b''}} または {{math2|''b'' ≤ ''a''}} が成り立つ。
「{{math|≤}}」が全順序律を満たさない場合、「{{math2|''a'' ≤ ''b''}}」でも「{{math2|''b'' ≤ ''a''}}」でもないときがある。このとき {{mvar|a}} と {{mvar|b}} は'''比較不能''' (incomparable) であるという。
=== {{anchors|前順序|半順序|全順序|前順序集合|半順序集合|全順序集合}}前順序・半順序・全順序 ===
{{mvar|P}} を集合とし、{{math|≤}} を {{mvar|P}} 上で定義された[[二項関係]]とする。
* {{math|≤}} が反射律と推移律を満たすとき、{{math|≤}} を {{mvar|P}} 上の'''{{仮リンク|前順序|en|Preorder|redirect=1}}''' ({{en|preorder}}) または'''擬順序''' ({{en|quasiorder}}) という。
* {{math|≤}} が前順序でありさらに反対称律を満たすとき、{{math|≤}} を {{mvar|P}} 上の'''半順序''' ({{en|partial order}}) という。
* {{math|≤}} が半順序でありさらに全順序律を満たすとき、{{math|≤}} を {{mvar|P}} 上の'''[[全順序]]''' ({{en|total order}}) という。
{{math|≤}} が前順序であるとき {{math|(''P'', ≤)}} を'''前順序集合'''という。同様に {{math|≤}} が半順序なら {{math|(''P'', ≤)}} は'''半順序集合'''、全順序なら {{math|(''P'', ≤)}} は'''全順序集合'''という。また集合 {{mvar|P}} は {{math|(''P'', ≤)}} の'''[[数学的構造#定義|台集合]]''' ({{en|underlying set}}) あるいは'''台''' {{en|(support)}} と呼ばれる。紛れがなければ {{math|≤}} を省略し、{{mvar|P}} を(いずれかの意味で)順序集合という。
順序集合 {{math|(''P'', ≤)}} に対し、{{math|≤}} を台 {{mvar|P}} 上の'''順序関係'''ともいう。なお多くの数学の分野では半順序集合を主に扱うので、単に'''順序'''あるいは'''順序集合'''といった場合はそれぞれ半順序、半順序集合を意味する場合が多いが、分野によっては、主な対象が半順序集合でなく前順序集合や全順序集合である場合があり、そのような分野では前順序集合や全順序集合の意味で「順序集合」という言葉が用いられることがあるので注意が必要である。
上では順序を記号 {{math|≤}} で表したが、必ずしもこの記号で表現する必要はない。実数の大小を表す記号 {{math|≤}} と区別するため、順序の記号として <math>\prec</math> や <math>\ll</math> を使うこともある。
全順序を'''線型順序'''ともいい、全順序集合を'''鎖'''と呼ぶこともある。また半順序集合の部分集合 {{mvar|A}} で {{mvar|A}} の任意の異なる2元が比較不能であるものを'''{{仮リンク|反鎖|en|Anti-chain}}'''という。{{要出典|半順序集合のことを部分順序集合と呼ぶこともある|date=2016-01}}が部分順序集合は順序集合の部分集合に自然な順序を入れたものも指す。
半順序集合の元 {{mvar|a}} が他の元 {{mvar|b}} によって{{仮リンク|被覆関係|en|Covering relation|label='''被覆される'''}} ({{math|''a'' <: ''b''}}) とは、{{mvar|a}} は {{mvar|b}} よりも'''真に小さく'''、かつそれらの間に別の元が入ることはないことをいう。つまり <math>a <: b</math> とは次の3つがすべて成り立つことである:<math>a \le b,\quad a \neq b,\quad \neg[\exists\ c\ \text{s.t.}\ a<c<b].</math>
=== 順序集合の例 ===
* [[実数]]全体の集合 {{mathbf|R}} およびその部分集合(例えば、[[自然数]]全体の集合 {{mathbf|N}}, [[整数]]全体の集合 {{mathbf|Z}}, [[有理数]]全体の集合 {{mathbf|Q}})は、通常の大小関係により全順序集合となる。しかし、[[複素数]]全体の集合 {{mathbf|C}} には複素数の乗法と"両立"する全順序は存在しない([[順序体]]でない)。単に全順序を入れるだけであれば、[[直積集合]] {{math|'''R''' × '''R'''}} に[[辞書式順序]]を定めることができる。
* [[自然数]]全体の成す集合は[[整除関係]]を順序として半順序集合である。
* 集合の[[冪集合]]に対して、包含関係による順序を入れると半順序集合となる。これはもとの集合の元の個数が2個以上であれば全順序でない。例えば {{math|{{mset|1, 2, 3}}}} の冪集合
::<math>\bigl\{\emptyset, \{1\}, \{2\}, \{3\}, \{1, 2\}, \{1, 3\}, \{2, 3\}, \{1, 2, 3\}\bigr\}</math>
:について、例えば {{math|{{mset|1, 2}}}} と {{math|{{mset|2, 3}}}} を考えれば、これらは比較不能であり({{math|{1, 2} ≤ {2, 3} }}でも {{math2|{2, 3} ≤ {1, 2} }}でもない)、全順序ではない。
* [[ベクトル空間|線形空間]]の部分空間全体は包含関係で順序付けられた半順序集合である。
* 半順序集合 {{mvar|P}} に対し、{{mvar|P}} の元の(自然数で添え字付けられた)列全体の成す集合は、列 {{math|1=''a'' = (''a{{sub|n}}''){{sub|''n''∈'''N'''}}}}, {{math|1=''b'' = (''b{{sub|n}}''){{sub|''n''∈'''N'''}}}} に対し、<div style="margin:1ex auto 1ex 2em"><math>a\le b \iff a_n \le b_n \;(\forall n \in \mathbb{N})</math></div> と定めると半順序集合となる。
* 集合 {{mvar|X}} と半順序集合 {{mvar|P}} に対し、{{mvar|X}} から {{mvar|P}} への写像全体の成す{{仮リンク|写像空間|en|function space}}は、2つの写像 {{math2|''f'', ''g''}} に対して、{{math|''f'' ≤ ''g''}} を {{mvar|X}} の任意の元 {{mvar|x}} に対して {{math|''f''(''x'') ≤ ''g''(''x'')}} となることとして定義すると、半順序集合になる。
* [[有向非巡回グラフ]]の頂点集合は、[[到達不可能性]]によって順序付けられる。
* 半順序集合における順序関係の向きが {{math2|''a'' < ''b'' > ''c'' < ''d'' …}} というように交互に入れ替わる列を{{仮リンク|フェンス (数学)|label=フェンス|en|Fence (mathematics)}}と呼ぶ。
== 逆順序、狭義の順序、双対順序 ==
上で述べた順序関係「{{math|≤}}」は直観的には左辺が右辺「よりも小さい、もしくは等しい」ことを意味しているが、逆に左辺が右辺「よりも大きい、もしくは等しい」順序関係や等しいことを許容しない順序関係を考えることもできる。
=== 逆順序 ===
「大きい、もしくは等しい」ことを意味する順序関係は「{{math|≤}}」の'''逆順序'''と呼ばれ、
: <math>a \ge b \iff b \le a</math>
により定義される。
=== 狭義の順序 ===
一方、等しいことを許容しない順序は'''狭義の(半)順序'''と呼ばれ、以下のように定義される:
: <math>a < b \iff (a \le b \land a \ne b)</math> …(1)
狭義の逆順序「{{math|>}}」も同様に定義される。
狭義の順序「{{math|<}}」の対義語として、等しいことも許容する順序「{{math|≤}}」のことを'''広義の(半)順序'''(もしくは'''弱い'''意味 {{lang|en|(''weak'')}} の(半)順序、'''反射的''' {{lang|en|(''reflexive'')}} な(半)順序)という。
(1) 式で定義された「{{math|<}}」を「{{math|≤}}」の'''反射的簡約''' {{lang|en|(reflexive reduction)}} という。
「{{math|≤}}」が半順序であるとき、その反射的簡約「{{math|<}}」は任意の {{math2|''a'', ''b'', ''c'' ∈ ''P''}} に対して以下を満たす:
*非反射性:{{math|¬(''a'' < ''a'')}};
*非対称性:{{math|''a'' < ''b''}} ならば {{math|¬(''b'' < ''a'')}}; (非反射性と推移性から従う)
*推移性:{{math|''a'' < ''b''}} かつ {{math|''b'' < ''c''}} ならば {{math|''a'' < ''c''}}
以上では広義の順序を定義してから狭義の順序を定義したが、逆に上の三性質(非対称性は非反射性と推移性より得られるので条件としては不要)を満たすものを狭義の順序として定義し、広義の順序を
: <math>a \le b \iff a < b \lor a = b</math> …(2)
により定義することもできる。この場合、(2) 式で定義された「{{math|≤}}」を「{{math|<}}」の{{仮リンク|反射閉包|en|Binary relation#Operations on binary relations}}という。「{{math|<}}」が前述の3条件を満たせば反射閉包「{{math|≤}}」が半順序であることを簡単に示すことができる。
=== 双対順序集合 ===
{{math|(''P'', ≤)}} を順序集合とするとき、''P'' 上の二項関係「<math>\preccurlyeq</math>」を
: <math>a \preccurlyeq b \iff b \le a</math>
と定義する(すなわち「<math>\preccurlyeq</math>」は「{{math|≤}}」の逆順序を順序と見なしたものである)。すると、「<math>\preccurlyeq</math>」も {{mvar|P}} 上の順序になっていることが容易に分かる。<math>(P,\preccurlyeq)</math> を {{math|(''P'', ≤)}} の'''双対順序集合'''という。
双対順序集合はその定義 <math>(P,\preccurlyeq)</math> よりもとの順序集合 {{math|(''P'', ≤)}} とは"大小が逆転"している。したがって {{math|(''P'', ≤)}} における上限、極大元、最大元(定義は後述)は <math>(P,\preccurlyeq)</math> ではそれぞれ下限、極小元、最小元に対応している。
== ハッセ図 ==
[[画像:Hasse diagram of powerset of 3.svg|150px|thumb|三元集合 {{math|{{mset|''x'', ''y'', ''z''}}}} の[[冪集合|部分集合の全体]]を包含関係を順序とする順序集合と見たときの[[ハッセ図]]]]
{{mvar|P}} を有限集合とし、「{{math|<}}」を {{mvar|P}} 上の狭義の半順序とするとき、以下のようにして {{mvar|P}} を自然に[[グラフ理論|単純有向グラフ]]と見なせる:
: 頂点:{{mvar|P}} の元
: {{math|''a'' ∈ ''P''}} から {{math|''b'' ∈ ''P''}} への辺がある {{math|⇔ ''a'' < ''b''}} であり、しかも {{math|''a'' < ''c'' < ''b''}} を満たす {{math|''c'' ∈ ''P''}} が存在しない
:(すなわち {{mvar|b}} は {{mvar|a}} を被覆している)
この有向グラフを図示したものを'''[[ハッセ図]]'''という。
ハッセ図を用いると、順序関係に関する基本的な概念が図示できる。例えばこの図で {{math|{{mset|''x''}}}} と {{math|{{mset|''x'', ''y'', ''z''}}}} は比較可能だが、{{math|{{mset|''x''}}}} と {{math|{{mset|''y''}}}} は比較不能である。また[[単集合]]の族 {{math|{{mset|{''x''}, {''y''}, {{mset|''z''}}}}}} は反鎖である。さらに {{math|{{mset|''x''}}}} は {{math|{{mset|''x'', ''z''}}}} によって被覆されるが、{{math|{{mset|''x'', ''y'', ''z''}}}} には被覆されない。
なお、有限半順序集合から前述の方法で作ったグラフは閉路を持たない。逆に {{math|(''V'', ''E'')}} を閉路を持たない有限な単純有向グラフとすると、{{mvar|V}} 上に以下の順序を入れることで {{mvar|V}} を半順序集合と見なせる:
: {{math|''a'' < ''b'' ⇔ ''a''}} から {{mvar|b}} への道がある
したがって有限半順序集合は閉路を持たない有限な単純有向グラフと自然に同一視できる。
== {{anchors|上界|下界|上限|下限|最大|最小|極大|極小}}上界、最大、極大、上限、上方集合 ==
{{mvar|P}} を[[#半順序集合|半順序集合]]とし、{{mvar|A}} をその[[部分集合]]とし、{{mvar|x}} を {{mvar|P}} の[[元 (数学)|元]]とする。このとき上界、上限、最大、極大の概念、およびこれらの[[双対]]概念である下界(かかい)、下限、最小、極小は以下のように定義される<ref>{{Cite web|和書|url=http://math.shinshu-u.ac.jp/~hanaki/edu/set/set20210122.pdf |title=集合論 信州大学理学部数学科 講義ノート 2020 年度後期 (2021/01/22) |author=花木 章秀 |date=2021-01-22 |accessdate=2022-03-17}}</ref>:
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''上界''' ({{lang|en|upper bound}}) であるとは、{{mvar|A}} の任意の元 {{mvar|y}} に対して {{math|''y'' ≤ ''x''}} となること。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''上限''' ({{lang|en|supremum}}) あるいは'''最小上界''' ({{lang|en|least upper bound}}) であるとは、{{mvar|x}} が {{mvar|A}} の上界全体の集合の最小元となること。これは存在すれば一意的に決まり、{{math|sup ''A''}} あるいは {{math|lub ''A''}} と表される。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''最大元''' ({{lang|en|maximum element}}) であるとは、{{mvar|x}} は {{mvar|A}} の元であり、かつ {{mvar|x}} は {{mvar|A}} の上界であること。これは存在すれば一意的に決まり、{{math|max ''A''}} で表される。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''極大元''' ({{lang|en|maximal element}}) であるとは、{{mvar|x}} は {{mvar|A}} の元であり、かつ {{math|''y'' > ''x''}} を満たす {{math|''y'' ∈ ''A''}} が存在しないこと。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''下界''' ({{lang|en|lower bound}}) であるとは、{{mvar|A}} の任意の元 {{mvar|y}} に対して {{math|''y'' ≥ ''x''}} となること。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''下限''' ({{lang|en|infimum}}) あるいは'''最大下界''' ({{lang|en|greatest lower bound}}) であるとは、{{mvar|x}} が {{mvar|A}} の下界全体の集合の最大元となること。これは存在すれば一意的に決まり、{{math|inf ''A''}} あるいは {{math|glb ''A''}} と表される。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''最小元''' ({{lang|en|minimum element}}) であるとは、{{mvar|x}} は {{mvar|A}} の元であり、かつ {{mvar|x}} は {{mvar|A}} の下界であること。これは存在すれば一意的に決まり、{{math|min ''A''}} で表される。
* {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の'''極小元''' ({{lang|en|minimal element}}) であるとは、{{mvar|x}} は {{mvar|A}} の元であり、かつ {{math|''y'' < ''x''}} を満たす {{math|''y'' ∈ ''A''}} が存在しないこと。
上界および上限の定義において、 {{mvar|x}} が必ずしも {{mvar|A}} の元であるとは限らない、ことには注意が必要である。左閉右開の半開区間 <math>[a, b)</math> には最大元は存在しないが上界および上限は存在する(つまり、 {{mvar|b}})。
極大元の概念と最大元の概念は以下の点で異なる。まず {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の極大元であるとは、{{mvar|A}} の元は「{{mvar|x}} 以下である」か、もしくは「{{mvar|x}} とは大小が比較不能である」かのいずれかである事を意味する。一方 {{mvar|x}} が {{mvar|A}} の最大元であるとは {{mvar|A}} の元は常に {{mvar|x}} 以下である事を意味する(このとき {{mvar|x}} は {{mvar|A}} の任意の元と比較が可能である)。したがって最大元は必ず極大元であるが、極大元は必ずしも最大元であるとは限らない(下の具体例参照)。全順序集合においては必ず極大元は最大元に一致する。
さらに {{mvar|A}} が {{mvar|P}} の'''{{仮リンク|上方集合|en|upper set}}'''(resp. '''下方集合''')であるとは、任意の {{math|''a'' ∈ ''A'' }} と {{math|''x'' > ''a'' }} (resp. {{math|''x'' < ''a''}}) を満たす任意の {{mvar|P}} の元に対し{{math|''x'' ∈ ''A''}} となることをいう。
=== 具体例 ===
{|
|[[画像:Hasse diagram of powerset of 3 no greatest or least.svg|x150px|thumb|三元集合の冪集合のハッセ図から最大元と最小元を取り除いたもの。この図の一番上の行にある各元がこの半順序の極大元であり、一番下の行の各元は極小元である。最大元と最小元はない。集合 {x, y} は元の族 {{x}, {y}} に対する上界を与える。]]
|[[画像:Infinite lattice of divisors.svg|x150px|thumb|整除性によって順序付けられた非負整数のハッセ図]]
|}
[[正整数]]全体の成す集合を整除関係で順序付けるとき、{{math|1}} は任意の正整数を割り切るという意味において {{math|1}} は最小元である。しかしこの半順序集合には最大元は存在しない(任意の正整数の倍数としての {{math|0}} を追加して考えたとするならば、それが最大元になる)。この半順序集合には極大元も存在しない。実際、任意の元 {{mvar|g}} はそれとは異なる。例えば {{math|2''g''}} を割り切るから {{mvar|g}} は極大ではありえない。この半順序集合から最小元である {{math|1}} を除いて、順序はそのまま整除関係によって入れるならば、最小元は無くなるが、極小元として任意の[[素数]]をとることができる。この半順序に関して {{math|60}} は部分集合 {{math|{{mset|2, 3, 5, 10}}}} の上界(上限ではない)を与えるが、{{math|1}} は除かれているので下界は持たない。他方、[[2の冪|{{math|2}} の冪]]全体の成す部分集合に対して {{math|2}} はその下界(これは下限でもある)を与えるが、上界は存在しない。
== 写像と順序 ==
順序に関する写像の概念に以下のものがある:
=== 定義 ===
{{math2|''S'', ''T''}} を順序集合とし、{{math|''f'': ''S'' → ''T''}} を写像とする。このとき
* {{math|''f'': ''S'' → ''T''}} が{{仮リンク|順序を保つ写像|label='''順序を保つ'''|en|order-preserving}}(order-preserving)('''同調''' (''isotone'') とも)とは、
::任意の {{math2|''x'', ''y'' ∈ ''S''}} に対して {{math|''x'' ≤ ''y'' ⇒ ''f''(''x'') ≤ ''f'' (''y'')}}
* {{math|''f'': ''S'' → ''T''}} が'''順序を逆にする'''({{仮リンク|order-reversing|en|order-reversing<!-- リダイレクト先の「[[:en:Monotonic function]]」は、[[:ja:単調写像]] とリンク -->}})とは、
::任意の {{math2|''x'', ''y'' ∈ ''S''}} に対して {{math|''x'' ≤ ''y'' ⇒ ''f'' (''x'') ≥ ''f'' (''y'')}}
* 上の2つを合わせて[[単調写像|単調]] (''monotone'') 写像という。
* {{mvar|f}} が'''順序を反映する''' (''order-reflecting'') とは、
::任意の {{math2|''x'', ''y'' ∈ ''S''}} に対して {{math|''f'' (''x'') ≤ ''f'' (''y'') ⇒ ''x'' ≤ ''y''}}
* {{mvar|f}} が'''{{仮リンク|順序埋め込み|en|order-embedding}}'''であるとは、
::任意の {{math2|''x'', ''y'' ∈ ''S''}} に対して {{math|''x'' ≤ ''y'' ⇔ ''f'' (''x'') ≤ ''f'' (''y'')}}
* {{mvar|f}} が'''{{仮リンク|順序同型|en|order isomorphism|label=順序同型写像}}'''であるとは、{{mvar|f}} が順序埋め込みな全単射であることをいう。
{{math|''f'': ''S'' → ''T''}} が順序埋め込みであるとき、{{mvar|S}} は {{mvar|f}} によって {{mvar|T}} に(順序集合として)'''埋め込まれる'''という。
また順序同型 {{math|''f'': ''S'' → ''T''}} が存在するとき、{{mvar|S}} と {{mvar|T}} は'''順序同型'''あるいは単に'''同型'''であるという。
=== 性質 ===
上で述べた概念は以下の性質を満たす:
* 順序を反映する写像は単射である。実際 {{math|1=''f''(''x'') = ''f''(''y'') ⇒''f''(''x'') ≤ ''f''(''y'')}} かつ {{math|''f''(''x'') ≥ ''f''(''y'') ⇒ ''x'' ≤ ''y''}} かつ {{math|1=''x'' ≥ ''y'' ⇒ ''x'' = ''y''}} である。
* {{mvar|f}} が順序埋め込みである必要十分条件は {{mvar|f}} が順序を保存し、しかも順序を反映することである。また全単射 {{math|''f'': ''S'' → ''T''}} とその逆関数 {{math|''f''{{sup|−1}}: ''T'' → ''S''}} が順序同型なら {{mvar|f}}, {{math|''f''{{sup|−1}}}} は順序同型である。
* 順序を保つ写像と順序を保つ写像の合成は順序を保つ。順序を反映する写像と順序を反映する写像の合成も順序を反映する。
=== 具体例 ===
{|
|[[画像:Monotonic but nonhomomorphic map between lattices.gif|x150px|thumb|順序を保つが順序を反映しない写像<br />{{math2|(''f''(''u'') ≤ ''f''(''v'')}} だが {{math2|''u'' ≤ ''v''}} でない)]]
|[[画像:Birkhoff120.svg|x150px|thumb|{{math2|120}} の[[約数]]全体の成す半順序集合(整除関係で順序を入れる)と {{math2|{{mset|2, 3, 4, 5, 8}}}} の整除関係で閉じた部分集合族(包含関係で順序を入れる)との間の順序同型]]
|}
自然数全体が整除関係に関して成す半順序集合から、その[[冪集合]]が包含関係に関して成す半順序集合への写像 {{math|''f'': '''N''' → ''P''('''N''')}} を各自然数にその[[素因数]]全体の成す集合を対応させることにより定まる。これは順序を保つ集合である(すなわち、{{mvar|x}} が {{mvar|y}} を割るならば {{mvar|x}} の各素因数は {{mvar|y}} の素因数にもなる)が単射ではない(例えば {{math|12}} も {{math|6}} もこの写像で {{math|{{mset|2, 3}}}} に写る)し、順序を反映もしない(例えば {{math|12}} は {{math|6}} を割らない)。少し設定を変えて、各自然数にその{{仮リンク|素冪|en|prime power|label=素冪因子}}の集合を対応させる写像 {{math|''g'': '''N''' → ''P''('''N''')}} を考えれば、これは順序を保ち、かつ順序を反映するから、従って順序埋め込みになる。一方、これは順序同型ではない(実際、たとえば[[単集合]] {{math|{{mset|4}}}} に移る数は無い)が[[終域]]を {{mvar|g}} の[[値域]] {{math|''g''('''N''')}} に変更すれば順序同型にすることができる。このような冪集合の中への順序同型の構成は、より広汎な{{仮リンク|分配束|en|distributive lattice}}と呼ばれる半順序集合のクラスに対して一般化することができる({{仮リンク|バーコフの表現定理|en|Birkhoff's representation theorem}}の項を参照)。
== 区間 ==
{{mvar|P}} を順序集合とし、{{math2|''a'', ''b''}} を {{mvar|P}} の元とするとき、'''[[閉区間]]''' {{math|[''a'', ''b'']}} と'''[[開区間]]''' {{math|(''a'', ''b'')}} を以下のように定義する:
: <math>[a,b]:=\{x\in P\mid a\le x\le b\}</math>
: <math>(a,b):=\{x\in P\mid a < x < b\}</math>
さらに {{math|[''a'', ''b'')}} および {{math|(''a'', ''b'']}} を以下のように定義し、'''[[半開区間]]'''と呼ぶ:
: <math>[a,b):=\{x\in P\mid a\le x< b\}</math>
: <math>(a,b]:=\{x\in P\mid a < x \le b\}</math>
文献によっては {{math|(''a'', ''b'')}}, {{math|[''a'', ''b'')}}, {{math|(''a'', ''b'']}} のことを {{math|]''a'', ''b''[}}, {{math|[''a'', ''b''[}}, {{math|]''a'', ''b'']}} と表す場合もある。
半順序集合が{{仮リンク|局所有限半順序集合|label=局所有限|en|Locally finite poset}}であるとは、全ての区間が有限集合であることをいう。例えば、[[整数]]全体の成す集合は通常の大小関係による半順序に関して局所有限である(端点の無い無限区間のようなものは今考えていない)。
順序集合における区間の概念と、{{仮リンク|区間順序|en|interval order}}として知られる特定の半順序の類いとを混同してはならない。
== 順序構造と位相構造 ==
{{内容過剰|section=1|date=2016-01}}
=== 全順序集合の位相 ===
==== 順序位相 ====
全順序集合 ''A'' に対し、無限半開区間
: <math>(-\infty,b)=\{x \in A \mid x< b\}</math>
: <math>(a,\infty)=\{x \in A \mid a< x\}</math>
全体の集合を[[準開基]]とする位相を'''順序位相''' ([[:en:order topology|order topology]]) という{{Efn2|原理的には半順序集合であっても同様の概念を定義できるが、本稿の英語版をはじめ、{{誰範囲|筆者|date=2019-06}}が調べた範囲{{Full citation needed|date=2019-06}}では全順序集合に対してのみ order topology を定義しているため、ここでは全順序のみに話を限定した。}}。例えば、実数全体の集合 <math>\mathbb{R}</math> を通常の大小関係 ≤ による全順序集合と見ると、その順序位相は通常の[[距離空間|距離]]により定められる位相と同等になる。
全順序集合 ''A'' の部分集合 ''B'' には、''B'' を全順序集合と見なした時の順序位相と ''A'' の順序位相から誘導される位相との2つの位相が入る。しかしこの'''2つの位相は一致するとは限らない'''。(''B'' の順序位相における開集合は誘導位相でも開集合であるが逆は一般には成り立たない)。
例えば ''A'' を実数全体の集合とし、''A'' の部分集合
: <math>B=\{x\mid 0<x<1\}\cup \{2\}</math>
を考えると、''A'' から''B'' に誘導される位相では一元集合 {{math|{{mset|2}}}} は明らかに開集合であるが、''B'' は順序集合としてみたときはそうではない。実際 ''B'' は(2を1に移す写像により)<math>C=\{x\mid 0<x\le 1\}</math> と順序同型だが、''C'' の順序位相で {{math|{{mset|1}}}} は開集合ではないので ''B'' の順序位相で{{math|{{mset|2}}}} は開集合ではない。
==== 上極限位相、下極限位相 ====
単に「実数体上の位相」といった場合、前述の順序位相を指すがその他の位相を考えることも(主に反例として用いるために)できる。
実数体 <math>\mathbb{R}</math> 上の'''上極限位相'''とは
: <math>(a,b] = \{x\in\mathbb{R}~:~a<x \le b \}</math>
全体の集合を[[位相空間#位相の比較、生成|開基]]とする位相のことであり、同様に <math>\mathbb{R}</math> 上の'''{{仮リンク|下極限位相|en|lower limit topology}}'''とは逆向きの半開区間
: <math>[a,b) = \{x\in\mathbb{R}~:~a \le x < b \}</math>
全体の集合を[[位相空間#位相の比較、生成|開基]]とする位相のことである{{Efn2|実数体でなくとも上極限位相と下極限位相を考えることができるが、これも実数体以外に対してこれらの位相を定義した文献が見つけられなかったので、ここでは実数体のみを対象にした。}}。
実数体に下極限位相を入れた空間はしばし <math>\mathbb{R}_{\ell}</math> と書かれ、'''ゾルゲンフライ直線'''と呼ばれる。またゾルゲンフライ直線2つの直積 <math>\mathbb{R}_{\ell}\times\mathbb{R}_{\ell}</math> は'''{{仮リンク|ゾルゲンフライ平面|en|Sorgenfrey plane}}'''と呼ばれる。
==== overlapping interval topology ====
区間 [-1,1] 上の '''[[:en:overlapping interval topology|overlapping interval topology]]''' とは
: <math>[-1,a)</math> for <math>0<a</math>
: <math>(b,1]</math> for <math>b<0</math>
を準開基とする位相である。
=== 半順序集合の位相 ===
==== 半順序空間 ====
位相構造を持つ半順序集合''P'' で以下の性質を満たすものを'''{{仮リンク|半順序空間|en|partially ordered space}}'''という:
: {{math|''a'' < ''b''}} を満たす任意の{{math|''a'', ''b'' ∈ ''P''}} に対し、''a'' の開近傍''U''で上方集合であるものと ''b'' の開近傍''V'' で下方集合であるものが存在することである。
(''P'' の位相構造でこの性質を満たすものは1つとは限らないが、それらを全て半順序空間という。)
なお、半順序空間と名前の似た{{仮リンク|poset topology|en|poset topology}}は別概念であるので注意が必要である。
定義より明らかに半順序空間は常に[[ハウスドルフ空間|ハウスドルフ性]]を満たす。
半順序空間では以下が成立する:
:{{math|''a{{sub|i}}'' → ''a'', ''b{{sub|i}}'' → ''b''}} かつ任意の ''i'' に対して {{math|''a{{sub|i}}'' ≤ ''b{{sub|i}}''}} ならば {{math|''a'' ≤ ''b''}} である<ref name="ward-1954">{{Cite journal |first=L. E. Jr |last=Ward |title=Partially Ordered Topological Spaces |journal=Proceedings of the American Mathematical Society|volume=5 |year=1954 |pages=144-161 |issue=1 |doi=10.1090/S0002-9939-1954-0063016-5}}</ref>
位相構造を持つ半順序集合''P'' が半順序空間である必要十分条件は以下を満たすことである:
: 半順序集合''P'' 上の位相構造として、{(''a'', ''b'') ∈ ''P'' × ''P'' | ''a'' ≤ ''b'' } が[[直積位相]]に関する[[閉集合|閉部分集合]]になる。
2つ半順序空間の間の順序を保つ連続写像のことを'''dimap'''という。
==== 上方位相、下方位相 ====
順序集合 ''P'' 上の以下の2つの位相は同一である事が簡単に示せる。以下のいずれか一方(したがって両方)の条件を満たす位相を'''{{仮リンク|上方位相|en|upper topology}}'''という。
# {''x'' ∈ ''P'' | x ≤ a} for {{math|''a'' ∈ ''P''}} を全て閉集合とする最弱の位相
# 任意の{{math|''a'' ∈ ''P''}} に対し、一点集合{{math|{{mset|''a''}}}} の閉包が{''x'' ∈ ''P'' | x ≤ a} と一致する最弱の位相
'''下方位相'''も同様にして定義できる。
==== アレクサンドロフ空間 ====
位相空間 ''P'' が'''{{仮リンク|アレクサンドロフ空間|en|Alexandroff space}}'''であるとは、''P'' 上の(有限または無限個の)任意の開集合の共通部分が必ず開集合になることである。
アレクサンドロフ空間は前順序集合と自然に1対1対応していることが知られている。
実際任意の前順序集合 ''P'' に対し、
: ''U'' が ''P'' の開集合 ⇔ ''U'' が ''P'' の上方集合
により ''P'' に位相を入れたものはアレクサンドロフ空間になる。(この位相を ''P'' の'''アレクサンドロフ位相'''という。)
逆に任意のアレクサンドロフ空間 ''P'' に対し ''P'' 上の「{{仮リンク|specialization preorder|en|specialization preorder}}」を前順序とすることで ''P'' を前順序集合と見なすことができる。
ここで位相空間 ''P'' の'''specialization preorder'''とは
: <math>x \le y \iff \overline{\{x\}} \subset \overline{\{y\}}</math>
で定義される前順序のことである。上式で<math>\overline{\{x\}}</math>は一元集合{{math|{{mset|''x''}}}} の[[閉包 (位相空間論)|閉包]]である。(なお、''P'' が[[コルモゴロフ空間|T{{sub|0}}空間]]であればspecialization preorder は半順序であることが知られている。)
以上の対応関係により、集合''P'' におけるアレクサンドロフ空間としての構造と''P'' 上の前順序は1対1対応する。
specialization preorderはアレクサンドロフ空間でなくとも定義可能であるが、アレクサンドロフ空間でない位相空間上ではspecialization preorderに対して上方集合でない開集合も存在する。(なおこの場合でも開集合は常に上方集合である)。したがって前述したような、上方集合を開集合とする位相を考えても元の位相は復元できない。
===== 実数体における例 =====
実数体(に通常の順序をいれたもの)を前順序集合と見なすことで実数体にアレクサンドロフ位相を入れることができる。アレクサンドロフ位相における実数体上の開集合(すなわち上方集合)は以下のもののいずれかになる:
* <math>(a,\infty)</math> for some ''a''
* <math>[a, \infty)</math> for some ''a''
* 空集合<math>\emptyset</math>、全体集合<math>\mathbb{R}</math>
==== スコット位相 ====
上で述べたようにアレクサンドロフ位相は <math>[a, \infty)</math> のような「下に閉じた」集合すらも開集合と見なしてしまう。アレクサンドロフ位相からこのような不自然さを取り除いたのがスコット位相である。順序集合 ''P'' 上の'''スコット位相''' ([[:en:Scott topology<!-- リダイレクト先の「[[:en:Scott continuity]]」は、[[:ja:スコット連続]] とリンク -->|Scott topology]]) とは、以下の2条件を満たす ''P'' の部分集合 ''O'' 全体の集合を開集合族とする位相である:
# ''O'' ⊂ ''P'' は上方集合である
# ''P'' の[[有向集合|有向部分集合]] ''A'' で(''A'' を自然に[[有向点族]]と見なしたときの)''A'' の極限が''O'' に入っていれば、''A'' の点で''O'' に含まれるものが存在する
後者の条件は内点概念の点列による特徴づけ(''O'' の内点''x'' に収束する点列は''O'' と共通部分を持つ)に類似しており、この条件が「下に閉じた」集合を排除する。
よって実数体にスコット位相を入れた際、実数体上の開集合は以下のもののいずれかになる:
* <math>(a,\infty)</math> for some ''a''
* 空集合 <math>\emptyset</math>、全体集合 <math>\mathbb{R}</math>
スコット位相を入れた順序集合を'''スコット空間'''といい、スコット空間からスコット空間への連続写像を'''[[スコット連続]]''' ([[:en:Scott continuity|Scott continuity]]) という。順序集合 ''P'' から順序集合''Q'' への写像 ''f'' がスコット連続である必要十分条件は以下の性質が成り立つことであることが知られている:
* ''P'' の任意の有向部分集合''A'' に対し、''A'' が''P'' 内の上限を持てば''f'' (''A'' )も''Q'' 内の上限を持ち、sup ''f'' (''A'') = ''f'' (sup ''A'' ) が成立する。
スコット連続な関数は順序を保つ。実際、''x'' ≥ ''y'' ⇒ sup{''x'' , ''y'' } = ''x'' であるので、上述した条件より{{math|sup{''f'' (''x'' ), ''f'' (''y'' )}}}が存在し、しかも sup{''f'' (''x'' ), ''f'' (''y'' )} = ''f'' (sup{''x'' , ''y'' }) = ''f'' (''x'' ) となる。これは{{math|''f'' (''x'' ) ≥ ''f'' (''y'' )}} を意味する。
なお、スコット位相と下方位相のいずれよりも強い位相構造の中で最弱のものを'''{{仮リンク|ローソン位相|en|Lawson topology}}'''という。
=== ストーン双対性 ===
位相空間の開集合全体の集合は包含関係により順序集合と見なせる。位相空間が「sober性」という弱い性質を満たす時はこの順序構造のみで位相空間の構造が特徴づけられることが知られている([[ストーン双対性|ストーンの双対性定理]])。したがってsober性を満たす空間に話を限定すれば、点集合論に頼らなくても順序構造のみで位相空間論を展開できる([[ストーン双対性|ポイントレス位相空間論]])。
== 直積集合上の順序 ==
2つの半順序集合(の台集合)の[[直積集合]]上の半順序としては次の三種類がある。
* [[辞書式順序]]:<math>(a, b) \le (c, d) \iff a < c \lor (a = c \land b \le d)</math>
* [[積順序]]:<math>(a, b) \le (c, d) \iff a \le c \land b \le d</math>
* <math>(a, b) \le (c, d) \iff (a < c \land b < d) \lor (a = c \land b = d)</math>
最後の順序は対応する狭義全順序の[[関係の直積|直積]]の反射閉包である。これらの三種類の半順序は、いずれも3個以上の半順序集合の直積に対しても同様に定義される。
[[可換体|体]]上の[[順序線型空間]]に対してこれらの構成を適用すれば、結果として得られる順序集合はいずれも再び順序線型空間となる。
<gallery>
Strict product order on pairs of natural numbers.svg|{{math|'''N''' × '''N'''}} 上の直積狭義順序の反射閉包
N-Quadrat, gedreht.svg| {{math|'''N''' × '''N'''}} 上の積順序
Lexicographic order on pairs of natural numbers.svg| {{math|'''N''' × '''N'''}} 上の辞書式順序
</gallery>
== 圏としての順序集合 ==
任意の半順序集合(および前順序集合)は、任意の射集合が高々一つの元からなる[[圏 (数学)|圏]]と見なすことができる。具体的には、射の集合を {{math|''x'' ≤ ''y''}} ならば {{math|1=hom(''x'', ''y'') = {{mset|(''x'', ''y'')}}}}(それ以外の場合は空集合)とし、{{math|1=(''y'', ''z'')∘(''x'', ''y'') = (''x'', ''z'')}} と定義する。2つの半順序集合が[[圏同値|圏として同値]]となるのは、それらが順序集合として同型であるときであり、かつその時に限る。半順序集合に最小元が存在すればそれは[[始対象]]であり、最大元が存在すればそれは[[終対象]]となる。また、任意の前順序集合はある半順序集合に圏同値であり、半順序集合の任意の部分圏は{{仮リンク|同型射閉圏|label=同型射について閉じて|en|isomorphism-closed}}いる。
半順序集合からの函手、すなわち半順序圏で添字付けられた[[図式 (圏論)|図式]]は、[[可換図式]]である。
== その他 ==<!--
[[画像:poset6.jpg|250px|thumb|Partially ordered set of [[power set|set of all subsets]] of a six-element set {a, b, c, d, e, f}, ordered by the subset relation.]]-->
* ('''半順序関係の総数'''){{mvar|n}} 個の元からなる集合上の半順序の総数(狭義半順序の総数も同じ)は {{math2|1, 1, 3, 19, 219, 4231, …}} ({{OEIS|A001035}})。<!-- {{Number of relations}} -->[[違いを除いて|同型を除いた]]総数は {{math2|1, 1, 2, 5, 16, 63, 318, …}} ({{OEIS|A000112}})。
* ('''線型順序拡大''')半順序集合 {{mvar|P}} の全順序集合への埋め込みを'''{{仮リンク|線型順序拡大|en|linear extension}}''' (linear extension) という。任意の半順序は全順序に拡張することができる({{仮リンク|順序拡大原理|en|order-extension principle}}<ref>{{Cite book |last=Jech |first=Thomas |title=The Axiom of Choice |year=2008 |origyear=originally published in 1973 |publisher=[[Dover Publications]] |isbn=0-486-46624-8}}</ref>)。[[計算機科学]]において([[有向非循環グラフ]]の{{仮リンク|到達可能性|en|reachability}}順序として表現される)半順序の線型拡張を求めるアルゴリズムは[[位相ソート]] {{lang|en|(topological sorting)}} と呼ばれる。
== 関連項目 ==
{{colbegin|3}}
* {{仮リンク|反マトロイド|en|antimatroid}}: 半順序集合よりも一般の順序付けの族を許すような、集合上の順序付けの一般化
* [[因果集合]]
* {{仮リンク|比較可能グラフ|en|comparability graph}}
* [[有向集合]]
* {{仮リンク|次数付き順序集合|en|graded poset}}
* [[半束]]
* [[束 (束論)]]
* [[順序群]]
* {{仮リンク|準順序|en|semiorder}} (semiorder)
* {{仮リンク|直並列半順序|en|series-parallel partial order}}
* {{仮リンク|狭義弱順序|en|strict weak ordering}}: "''a'' < ''b'' または ''b'' < ''a'' の何れかが成り立つ" という関係が推移的となるような狭義半順序 "<"
* [[完備半順序]] (cpo)
* [[ツォルンの補題]]
* [[コンパクト要素]]
{{colend}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{No footnotes|date=2016-01|section=1}}
* {{Cite book|和書 |author=松坂和夫|authorlink=松坂和夫 |date=1968-06-10 |title=集合・位相入門 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=4-00-005424-4 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書 |author=斎藤正彦|authorlink=斎藤正彦 |date=2002-08-01 |title=数学の基礎 集合・数・位相 |series=基礎数学14 |publisher=[[東京大学出版会]] |isbn=978-4-13-062909-6 |ref=harv}}
* {{Cite journal |first=Jayant V. |last=Deshpande |title=On Continuity of a Partial Order |journal=Proceedings of the American Mathematical Society |volume=19 |year=1968 |pages=383-386 |issue=2 |doi=10.1090/S0002-9939-1968-0236071-7 |postscript=.}}
* {{Cite book |first=Bernd S. W. |last=Schröder |title=Ordered Sets: An Introduction |publisher=Birkhäuser, Boston|year=2003}}
* {{Cite book |first=Richard P.|last=Stanley |authorlink=Richard P. Stanley |title=Enumerative Combinatorics 1 |series=Cambridge Studies in Advanced Mathematics |volume=49 |publisher=Cambridge University Press |isbn=0-521-66351-2}}
== 外部リンク ==
{{Commons|Hasse diagram|Hasse diagram}}
* {{OEIS|A001035}}: Number of posets with ''n'' labeled elements in the [[On-Line Encyclopedia of Integer Sequences|OEIS]]
* {{OEIS|A000112}}: Number of posets with ''n'' unlabeled elements in the OEIS
{{DEFAULTSORT:しゆんしよしゆうこう}}
[[Category:順序構造|*]]
[[Category:数学に関する記事]] | 2003-05-10T09:18:53Z | 2023-12-04T20:43:48Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%BA%8F%E9%9B%86%E5%90%88 |
7,986 | ジョージ・セル | ジョージ・セル(George Szell、1897年6月7日 - 1970年7月30日)は、ハンガリーのブダペストに生まれ、アメリカ合衆国クリーヴランドに没した指揮者、ピアニスト。ハンガリー語でセーッル・ジェルジ(Széll György)、ジェルジ・エンドレ・セール(György Endre Szél)、ドイツ語でゲオルク・セル(Georg Szell)とも呼ばれる。
ハンガリー人の父と、スロバキア人の母の間に生まれ、3歳で一家ともどもユダヤ教からカトリックに改宗する。幼くしてピアノ演奏に才能を示し、「神童」と呼ばれた。わずか3歳からウィーン音楽院でピアノ、指揮、作曲(教師はマックス・レーガーなど)を学んだ。10歳半でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番と自作を弾いてまずピアニストとしてデビューし、次いで16歳でウィーン交響楽団を指揮して指揮者としてもデビューする。さらにベルリンの王立音楽アカデミーで行われたブリュートナー管弦楽団にもピアニスト・指揮者・作曲家として顔を出すようになった。セルは青年期までは作曲家としての作品も数多く残したが、最終的には指揮者の道を選び、リヒャルト・シュトラウスの教えを受け、そのアシスタントを経た後、1917年ごろからストラスブールの歌劇場をはじめドイツ各地の歌劇場でキャリアを積んだ。1924年には当時ベルリン国立歌劇場に君臨していたエーリヒ・クライバーの下で第1指揮者を務め、その後プラハのドイツ歌劇場音楽総監督に就任した。しかし、ナチの台頭に脅威を感じてイギリスに移動し、活動を続けた。1939年、オーストラリア・アメリカへの演奏旅行中に第二次世界大戦が勃発したため、帰国をあきらめ、そのままアメリカに定住した。トスカニーニの援助で彼のNBC交響楽団の客演指揮者として迎えられた後、メトロポリタン歌劇場でも指揮した。
1946年、ラインスドルフの後任としてクリーヴランド管弦楽団の常任指揮者に就任した。これは1945-46年のシーズンに客演した際に大好評だったから招聘されたといわれている。このとき、セルは地元の代議士トーマス・セルドーの後援を受けて、経営陣から一切のマネジメントの権限を手に入れ、管弦楽団の改革に大なたを振るう。こうして、一旦はアルトゥール・ロジンスキ(ラインスドルフの前任)が鍛えたものの、決して一流とは言えなかった同楽団をさらに鍛えぬいた結果、程なく全米の「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる第一級のオーケストラのひとつ として高い評価を得るに至った。
1960年代にはウィーン、ベルリン、ロンドンなどでも客演指揮を行なった。1970年5月13日から5月27日にかけてクリーヴランド管弦楽団とともに日本万国博覧会を記念した企画の一環として来日公演(ピエール・ブーレーズが一部分担したので、セルは15、16、20、21、22、23、25、26日の8回)を行い、日本でも極めて高い評価を受け、多くの聴衆に感銘を与えたが、帰国後まもなく多発性骨髄腫のため急逝した。73歳没。
ジョージ・セルは厳しい練習により、クリーヴランド管弦楽団を世界最高のアンサンブルと称えられる合奏力に高めた。その正確な演奏をベースに端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を構築し、1950年代以前は主流であったロマン派的、主観的な感情移入を行わず作品のもつ魅力を引き出した。ハプスブルク帝国に生を受け、3歳から36歳までをドイツ圏で暮らした彼にとってドイツ系レパートリーは自家薬籠中のものである。ハンガリー、スラヴ物にも優れていたが、一方でフランス、イタリア系のレパートリーは多くない。特にハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンら古典派の作品における完成美は評価が高い。さらに、優れたオーケストラ合奏によりロマン派の演奏でもいくつかの傑出した演奏を行なった。レコード録音に残るシューベルト、シューマン、ブラームス、R.シュトラウス、ドヴォルザークなどの演奏は特に優れたものといえる。
反面、あまりに精密かつ禁欲的で客観的な演奏はしばしば冷たいと評されることもあり、マーラーやブルックナーなどの演奏でそうした批判も聴かれた。セルは良くも悪くも「完璧主義者」と評されることがしばしばある。
セルは戦前から没年まで幅広くレコーディング活動を行った。
戦前に行われた主な録音は以下のとおりである。
しかし、戦前期においては往年の巨匠がひしめき合っており、新進の若手であったセルの評価は必ずしも高くはなかった。「新世界」については、雑誌『ディスク』昭和14年(1939年)1月号で次のように評価されている。
手兵のクリーヴランド管とのレコーディングで、モノラル時代のものは意外と少ない。しかし、その数少ないクリーヴランド管のモノラル録音に、セルの管弦楽編曲によるベドルジハ・スメタナの弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」(1949年)が残されている。
ステレオ時代にはいると、セルとクリーヴランド管弦楽団は大量の録音を行い、世界的にその名をとどろかせた。なお、ロベール・カサドシュと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の録音に「コロンビア交響楽団」とクレジットされているものがあるが、これは契約上の都合によるクリーヴランド管弦楽団の変名である。
晩年の名演として、ウォルター・レッグと行なったEMI録音、例えばドヴォルザークの交響曲第8番や、シューベルトの交響曲ハ長調「グレート」、ブラームスのヴァイオリン協奏曲や二重協奏曲(ダヴィッド・オイストラフとムスティスラフ・ロストロポーヴィチとの共演)、マーラーやR.シュトラウスの歌曲(シュヴァルツコップとフィッシャー=ディースカウとの共演)などが挙げられる。特にマーラーの録音は4人の完璧主義者(4人目とはプロデューサーのレッグである)が最善を尽くした力作である。
ザルツブルク音楽祭でのものを中心に、ソニーやオルフェオからリリースされている。セルのライヴ録音が多く出回るようになったのはCD時代に入ってからであるが、修正可能なスタジオ録音とは違って一発勝負の演奏ゆえ、前述のセルの(ある種紋切り型な)イメージからかけ離れた演奏を聴くことができる。むしろ、多くのライヴ録音のリリースにより「セルの演奏=完璧だが冷たい」という評価が以前ほど聞かれなくなったとも言える。というのも、残されたライヴ録音の中には、オーケストラがテンポに乗り切れないのが気になったセルが思わず指揮台を踏み鳴らしてテンポを上げさせたり(1954年6月17日録音のウィーン交響楽団とのライヴ盤、オルフェオ)、物凄いテンポで演奏するもの(1958年8月8日録音のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ盤、オルフェオ)があるからである。とはいえ、そういう場合でも決定的に演奏が崩壊しないのがセルのセルたる所以であり、セルのバランス感覚が優れていたことの証拠でもある。
特記なき場合はクリーヴランド管弦楽団、ステレオ録音
前述のように、第二次世界大戦後はアメリカを本拠としたセルであったが、それでも毎シーズン、ヨーロッパに戻って客演指揮活動を行っていた。その中でも、1949年に初出演したザルツブルク音楽祭とは、死の前年の1969年までほぼ密接な関係を続けた。1949年は恩師であるリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」などを指揮した。シュトラウスはこの時、ウィーン・フィルを通じてセルにプライヴェートな手紙を託していたが、音楽祭終了後の9月8日に死去した。その後もオペラ、オーケストラ双方で活躍した。
なお、ザルツブルク音楽祭での一連のオペラ指揮が、セルにとってオペラを指揮する最後となった。
若いころは作曲家としても活躍していたが、現在はほとんどの作品が忘れ去られている。日本のピアニスト白石光隆によって、『3つの小品』という作品のみが録音されている。
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] | ジョージ・セルは、ハンガリーのブダペストに生まれ、アメリカ合衆国クリーヴランドに没した指揮者、ピアニスト。ハンガリー語でセーッル・ジェルジ、ジェルジ・エンドレ・セール、ドイツ語でゲオルク・セルとも呼ばれる。 | {{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = ジョージ・セル<br />George Szell
| Img = George Szell (1965).jpg
| Img_capt = 1965年
| Img_size = 250px<!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = classic
| Birth_name =
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| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = [[ウィーン国立音楽大学|ウィーン音楽院]]
| Born = {{生年月日と年齢|1897|6|7|no}}
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1897|6|7|1970|7|30}}<br />{{USA}}<br>[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーヴランド]]
| Origin = {{AUT1867}}<br />[[ブダペスト]]
| Instrument = 指揮・[[ピアノ]]
| Genre = [[クラシック音楽]]
| Occupation = [[指揮者]]・ピアニスト
| Years_active = [[1913年]] - [[1970年]]
| Label = [[エピック・レコード|EPIC]]、[[コロムビア・レコード|COLOMBIA]]、[[EMI]]
| Production =
| Associated_acts =
| Influences =
| URL =
| Notable_instruments =
}}
{{portal クラシック音楽}}
'''ジョージ・セル'''(George Szell、[[1897年]][[6月7日]] - [[1970年]][[7月30日]])は、[[ハンガリー]]の[[ブダペスト]]に生まれ、[[アメリカ合衆国]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーヴランド]]に没した[[指揮者]]、ピアニスト。[[ハンガリー語]]でセーッル・ジェルジ(Széll György)、ジェルジ・エンドレ・セール(György Endre Szél)、[[ドイツ語]]でゲオルク・セル(Georg Szell)とも呼ばれる。
== 人物・来歴 ==
[[ハンガリー人]]の父と、[[スロバキア]]人の母の間に生まれ、3歳で一家ともども[[ユダヤ教]]から[[カトリック教会|カトリック]]に改宗する。幼くしてピアノ演奏に才能を示し、「神童」と呼ばれた。わずか3歳から[[ウィーン国立音楽大学|ウィーン音楽院]]でピアノ、指揮、作曲(教師は[[マックス・レーガー]]など)を学んだ。10歳半でモーツァルトのピアノ協奏曲第23番と自作を弾いてまずピアニストとしてデビューし、次いで16歳で[[ウィーン交響楽団]]を指揮して指揮者としてもデビューする。さらにベルリンの王立音楽アカデミーで行われたブリュートナー管弦楽団にもピアニスト・指揮者・作曲家として顔を出すようになった。セルは青年期までは作曲家としての作品も数多く残したが、最終的には指揮者の道を選び、[[リヒャルト・シュトラウス]]の教えを受け、そのアシスタントを経た後、[[1917年]]ごろから[[ストラスブール]]の歌劇場をはじめ[[ドイツ]]各地の歌劇場でキャリアを積んだ。[[1924年]]には当時[[ベルリン国立歌劇場]]に君臨していた[[エーリヒ・クライバー]]の下で第1指揮者を務め、その後[[プラハ国立歌劇場|プラハのドイツ歌劇場]][[音楽監督|音楽総監督]]に就任した。しかし、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]の台頭に脅威を感じて[[イギリス]]に移動し、活動を続けた。[[1939年]]、[[オーストラリア]]・アメリカへの演奏旅行中に[[第二次世界大戦]]が勃発したため、帰国をあきらめ、そのままアメリカに定住した。[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]の援助で彼の[[NBC交響楽団]]の客演指揮者として迎えられた後、[[メトロポリタン歌劇場]]でも指揮した。
[[1946年]]、[[エーリヒ・ラインスドルフ|ラインスドルフ]]の後任として[[クリーヴランド管弦楽団]]の常任指揮者に就任した。これは1945-46年のシーズンに客演した際に大好評だったから招聘されたといわれている。このとき、セルは地元の代議士トーマス・セルドーの後援を受けて、経営陣から一切のマネジメントの権限を手に入れ、管弦楽団の改革に大なたを振るう。こうして、一旦は[[アルトゥール・ロジンスキ]](ラインスドルフの前任)が鍛えたものの、決して一流とは言えなかった同楽団をさらに鍛えぬいた結果、程なく全米の「[[アメリカ五大オーケストラ|ビッグ・ファイブ]]」と呼ばれる第一級のオーケストラのひとつ<ref>他の4楽団は、[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]([[レナード・バーンスタイン]])、[[フィラデルフィア管弦楽団]]([[ユージン・オーマンディ]])、[[ボストン交響楽団]]([[シャルル・ミュンシュ]]およびラインスドルフ)、そして[[シカゴ交響楽団]]([[フリッツ・ライナー]]および[[ジャン・マルティノン]]、[[ゲオルク・ショルティ]])である(括弧内は1960年代の常任指揮者)。</ref> として高い評価を得るに至った。
[[1960年代]]には[[ウィーン]]、[[ベルリン]]、[[ロンドン]]などでも客演指揮を行なった。[[1970年]][[5月13日]]から[[5月27日]]にかけてクリーヴランド管弦楽団とともに[[日本万国博覧会]]を記念した企画の一環として来日公演([[ピエール・ブーレーズ]]が一部分担したので、セルは15、16、20、21、22、23、25、26日の8回)を行い、日本でも極めて高い評価を受け、多くの聴衆に感銘を与えたが、帰国後まもなく[[多発性骨髄腫]]のため急逝した。{{没年齢|1897|6|7|1970|7|30}}。
== 芸風 ==
ジョージ・セルは厳しい練習により、[[クリーヴランド管弦楽団]]を世界最高の[[アンサンブル]]と称えられる[[合奏]]力に高めた。その正確な演奏をベースに端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を構築し、1950年代以前は主流であったロマン派的、主観的な感情移入を行わず作品のもつ魅力を引き出した。ハプスブルク帝国に生を受け、3歳から36歳までをドイツ圏で暮らした彼にとってドイツ系レパートリーは自家薬籠中のものである。ハンガリー、スラヴ物にも優れていたが、一方でフランス、イタリア系のレパートリーは多くない。特に[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]や[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]ら[[古典派音楽|古典派]]の作品における完成美は評価が高い。さらに、優れたオーケストラ合奏により[[ロマン派音楽|ロマン派]]の演奏でもいくつかの傑出した演奏を行なった。レコード録音に残る[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]などの演奏は特に優れたものといえる。
反面、あまりに精密かつ禁欲的で客観的な演奏はしばしば冷たいと評されることもあり、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]や[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]などの演奏でそうした批判も聴かれた。セルは良くも悪くも「完璧主義者」と評されることがしばしばある。
== 録音活動 ==
セルは戦前から没年まで幅広くレコーディング活動を行った。
=== 戦前期 ===
戦前に行われた主な録音は以下のとおりである。
*[[ヨハン・シュトラウス2世]]:「[[皇帝円舞曲]]」(ウィーン・フィル)
*[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]:[[チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲]]([[パブロ・カザルス]]、[[チェコ・フィルハーモニー管弦楽団|チェコ・フィル]])
*[[エドゥアール・ラロ|ラロ]]:「[[スペイン交響曲]]」:([[ブロニスラフ・フーベルマン]]、ウィーン・フィル)
*ドヴォルザーク:[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|交響曲第9番「新世界」]](チェコ・フィル)
しかし、戦前期においては往年の巨匠がひしめき合っており、新進の若手であったセルの評価は必ずしも高くはなかった。「新世界」については、雑誌『ディスク』昭和14年(1939年)1月号で次のように評価されている。
{{Quote|今回のものはその指揮に於て何の特色も、また、洗練された仕上げもなく、甚だ平凡であり、オーケストラも欧米に於ては二流どころもしくは第三流に下るかも知れない程度の素質で、甚だふるはない。唯、生真面目な演奏と素朴なる指揮を多とするにすぎない。}}
=== 戦後期 ===
手兵のクリーヴランド管とのレコーディングで、モノラル時代のものは意外と少ない。しかし、その数少ないクリーヴランド管のモノラル録音に、セルの管弦楽編曲による[[ベドルジハ・スメタナ]]の[[弦楽四重奏曲第1番 (スメタナ)|弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」]]([[1949年]])が残されている。
[[ステレオ]]時代にはいると、セルとクリーヴランド管弦楽団は大量の録音を行い、世界的にその名をとどろかせた。なお、[[ロベール・カサドシュ]]と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の録音に「[[コロンビア交響楽団]]」とクレジットされているものがあるが、これは契約上の都合によるクリーヴランド管弦楽団の変名である。
晩年の名演として、[[ウォルター・レッグ]]と行なったEMI録音、例えばドヴォルザークの[[交響曲第8番 (ドヴォルザーク)|交響曲第8番]]や、シューベルトの[[交響曲第8番 (シューベルト)|交響曲ハ長調「グレート」]]、ブラームスの[[ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)|ヴァイオリン協奏曲]]や[[ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ブラームス)|二重協奏曲]]([[ダヴィッド・オイストラフ]]と[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]との共演)、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]や[[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]の歌曲([[エリーザベト・シュヴァルツコップ|シュヴァルツコップ]]と[[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ|フィッシャー=ディースカウ]]との共演)などが挙げられる。特にマーラーの録音は4人の完璧主義者(4人目とはプロデューサーのレッグである)が最善を尽くした力作である。
=== ライヴ録音 ===
[[ザルツブルク音楽祭]]でのものを中心に、ソニーや[[オルフェオ (レーベル)|オルフェオ]]からリリースされている。セルのライヴ録音が多く出回るようになったのはCD時代に入ってからであるが、修正可能なスタジオ録音とは違って一発勝負の演奏ゆえ、前述のセルの(ある種紋切り型な)イメージからかけ離れた演奏を聴くことができる。むしろ、多くのライヴ録音のリリースにより「セルの演奏=完璧だが冷たい」という評価が以前ほど聞かれなくなったとも言える。というのも、残されたライヴ録音の中には、オーケストラがテンポに乗り切れないのが気になったセルが思わず指揮台を踏み鳴らしてテンポを上げさせたり([[1954年]][[6月17日]]録音のウィーン交響楽団とのライヴ盤、オルフェオ)、物凄いテンポで演奏するもの([[1958年]][[8月8日]]録音の[[ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団|アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団]]とのライヴ盤、オルフェオ)があるからである。とはいえ、そういう場合でも決定的に演奏が崩壊しないのがセルのセルたる所以であり、セルのバランス感覚が優れていたことの証拠でもある。
== 主要な録音 ==
特記なき場合はクリーヴランド管弦楽団<ref>ロベール・カサドシュと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲のオーケストラが「[[覆面オーケストラ|コロンビア交響楽団]]」となっているが、これは契約上の都合によるものであり、オーケストラの実態はクリーヴランド管弦楽団である。</ref>、ステレオ録音
*[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]:
*:[[交響曲第92番 (ハイドン)|交響曲第92番「オックスフォード」]](1961)、[[交響曲第94番 (ハイドン)|交響曲第94番「驚愕」]](1967)、[[交響曲第96番 (ハイドン)|交響曲第96番「奇跡」]](1968)
*[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]:
*:[[交響曲第28番 (モーツァルト)|交響曲第28番]](1965)、[[交響曲第33番 (モーツァルト)|交響曲第33番]](1962)、[[交響曲第34番 (モーツァルト)|交響曲第34番]](アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1966)、[[交響曲第35番 (モーツァルト)|交響曲第35番「ハフナー」]](1960)、[[交響曲第39番 (モーツァルト)|交響曲第39番]](1960)、[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]](北ドイツ放送交響楽団、1959)、同(1967)、同(1970〈東京ライヴ〉)、[[交響曲第41番 (モーツァルト)|交響曲第41番「ジュピター」]](1963)、「[[フィガロの結婚]]」序曲(1957)、[[アイネ・クライネ・ナハトムジーク]](1968)、[[エクスルターテ・ユビラーテ]](ジュディス・ラスキン、1964)、[[ポストホルン]](1969)、[[ピアノ協奏曲第15番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第15番]](ロベール・カサドシュ、1968)、[[ピアノ協奏曲第17番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第17番]](カサドシュ、1968)、[[ピアノ協奏曲第21番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第21番]](カサドシュ、1961)、[[ピアノ協奏曲第22番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第22番]](コロンビア交響楽団、カサドシュ、1959)、[[ピアノ協奏曲第23番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第23番]](ウィーン・フィル、クリフォード・カーゾン、1964)、同(コロンビア交響楽団、カサドシュ、1969)、[[ピアノ協奏曲第24番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第24番]](カサドシュ、1961)、[[ピアノ協奏曲第25番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第25番]](フライシャー、1959)、[[ピアノ協奏曲第26番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第26番]](コロンビア交響楽団、カサドシュ、1962)、[[ピアノ協奏曲第27番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第27番]](コロンビア交響楽団、カサドシュ、1962)、同(ウィーン・フィル、カーゾン、1964)、[[クラリネット協奏曲 (モーツァルト)|クラリネット協奏曲]](ロバート・マーセラス、1961)、[[ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 (モーツァルト)|協奏交響曲K.364]](ラファエル・ドルイアン、エイブラハム・スカーニック、1963)、歌劇「[[魔笛]]」全曲(ウィーン・フィル、レオポルト・シモノー、リザ・デラ・カーザ、クルト・ベーメ、1959)
*[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]:
*:[[交響曲第1番 (ベートーヴェン)|交響曲第1番]](1964)、[[交響曲第2番 (ベートーヴェン)|交響曲第2番]](1964)、[[交響曲第3番 (ベートーヴェン)|交響曲第3番「英雄」]](1957)、[[交響曲第4番 (ベートーヴェン)|交響曲第4番]](1963)、[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番「運命」]](1963)、同(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1964)、同(ウィーン・フィル、1969)、[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|交響曲第6番「田園」]](1962)、[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]](1959)、[[交響曲第8番 (ベートーヴェン)|交響曲第8番]](1961)、[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番「合唱」]](1961)、劇音楽「[[エグモント (劇音楽)|エグモント]]」(ウィーン・フィル、1969)、「エグモント」序曲(1966)、同(ウィーン・フィル、1969)、「シュテファン王」序曲(1966)、「[[フィデリオ]]」序曲(1967)、[[ピアノ協奏曲第1番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第1番]](エミール・ギレリス、1968)、[[ピアノ協奏曲第2番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第2番]](ギレリス、1968)、[[ピアノ協奏曲第3番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第3番]](レオン・フライシャー、1961)、同(エミール・ギレリス、1968)、同(ウィーン・フィル、ギレリス、1969)、[[ピアノ協奏曲第4番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第4番]](フライシャー、1959)、同(ギレリス、1968)、[[ピアノ協奏曲第5番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第5番「皇帝」]](フライシャー、1961)、同(ギレリス、1968)
*[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]:
*:[[ラーコーツィ行進曲]](1970〈東京ライヴ〉)
*[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]:
*:歌劇「[[オベロン (オペラ)|オベロン]]」序曲(1970〈東京ライヴ〉)
*[[ウィリアム・ウォルトン|ウォルトン]]:
*:オーケストラのためのパルティータ(1959)
*[[ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール|オベール]]:
*:「[[フラ・ディアヴォロ]]」序曲(1957)
*[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]:
*:[[交響曲第7番 (シューベルト)|交響曲第8番「未完成」]](1960)、[[交響曲第8番 (シューベルト)|交響曲第9番「グレイト」]](1957)、同(1970)、劇音楽「[[キプロスの女王ロザムンデ|ロザムンデ]]」抜粋(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1957)
*[[ロベルト・シューマン|シューマン]]:
*:[[交響曲第1番 (シューマン)|交響曲第1番「春」]](1958)、[[交響曲第2番 (シューマン)|交響曲第2番]](1960)、[[交響曲第1番 (シューマン)|交響曲第3番「ライン」]](1960)、[[交響曲第4番 (シューマン)|交響曲第4番]](1960)、[[ピアノ協奏曲 (シューマン)|ピアノ協奏曲]](レオン・フライシャー、1960)
*[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]:
*:[[交響曲第4番 (メンデルスゾーン)|交響曲第4番「イタリア」]](1961)、「[[夏の夜の夢 (メンデルスゾーン)|真夏の夜の夢]]」抜粋(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1966)、同(1967)、[[フィンガルの洞窟 (メンデルスゾーン)|フィンガルの洞窟]](1957)
*[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]:
*:管弦楽曲集(1962、1968)
*[[ヨーゼフ・シュトラウス|ヨゼフ・シュトラウス]]:
*:ワルツ「[[うわごと]]」(1962)
*[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]:
*:[[交響曲第1番 (ブラームス)|交響曲第1番]](1968)、[[交響曲第2番 (ブラームス)|交響曲第2番]](1967)、[[交響曲第3番 (ブラームス)|交響曲第3番]](アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1951、モノラル)、同(1964)、[[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]](1966)、同(北ドイツ放送交響楽団、1959)、[[大学祝典序曲]](1966)、[[ハイドンの主題による変奏曲]](1964)、[[悲劇的序曲]](1966)、[[ピアノ協奏曲第1番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲第1番]](レオン・フライシャー、1958)、同(ロンドン交響楽団、クリフォード・カーゾン、1962)、同(ルドルフ・ゼルキン、1968)、[[ピアノ協奏曲第2番 (ブラームス)|ピアノ協奏曲第2番]](レオン・フライシャー、1962)、同(ルドルフ・ゼルキン、1966)、[[ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)|ヴァイオリン協奏曲]](ダヴィッド・オイストラフ、1969)、[[ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ブラームス)|二重協奏曲]](オイストラフ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、1969)
*[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]:
*:[[交響曲第3番 (ブルックナー)|交響曲第3番]](1966)、[[交響曲第7番 (ブルックナー)|交響曲第7番]](ウィーン・フィル、1968)、[[交響曲第8番 (ブルックナー)|交響曲第8番]](1969)
*[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]:
*:「[[アルジェのイタリア女]]」序曲(1967)
*[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:
*:[[交響曲第4番 (チャイコフスキー)|交響曲第4番]](ロンドン交響楽団、1962)、[[交響曲第5番 (チャイコフスキー)|交響曲第5番]](ケルン放送交響楽団、1966)、[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]](ガリー・グラフマン、1969)
*[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]:
*:[[交響曲第7番 (ドヴォルザーク)|交響曲第7番]](1960)、[[交響曲第8番 (ドヴォルザーク)|交響曲第8番]](アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1951、モノラル)、同(1958)、同(1970)、[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|交響曲第9番「新世界より」]](1959)、「[[自然と人生と愛|謝肉祭]]」序曲(1963)、[[スラヴ舞曲|スラヴ舞曲集]](1970)、[[チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲]](チェコ・フィル、パブロ・カザルス、モノラル)、同(ベルリン・フィル、ピエール・フルニエ、1962)
*[[ベドルジハ・スメタナ|スメタナ]]:
*:「[[わが祖国 (スメタナ)|モルダウ]]」(1963)、「[[売られた花嫁]]」序曲(1958)・3つの舞曲(1962)
*[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]:
*:「[[海 (ドビュッシー)|海]]」(ケルン放送交響楽団、1962)
*[[グスタフ・マーラー|マーラー]]:
*:[[交響曲第10番 (マーラー)#クルシェネク版|交響曲第10番(クルシェネク版)]]より第1楽章アダージョ、第3楽章プルガトリオ(1958)、[[少年の魔法の角笛 (マーラー)|子供の不思議な角笛]](ロンドン交響楽団、シュヴァルツコップ、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ、1968)
*[[レオシュ・ヤナーチェク|ヤナーチェク]]:
*:[[シンフォニエッタ (ヤナーチェク)|シンフォニエッタ]](1965)
*[[エドヴァルド・グリーグ|グリーグ]]:
*:[[ピアノ協奏曲 (グリーグ)|ピアノ協奏曲]](レオン・フライシャー、1960)
*[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]:
*:[[交響曲第2番 (シベリウス)|交響曲第2番]](アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、1964)、同(1970〈東京ライヴ〉)
*[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]:
*:[[交響曲第5番 (プロコフィエフ)|交響曲第5番]](1959)
*[[リヒャルト・シュトラウス|R・シュトラウス]]:
*:[[4つの最後の歌 (リヒャルト・シュトラウス)|4つの最後の歌]]、他5歌曲(ベルリン放送交響楽団、エリーザベト・シュヴァルツコップ、1965、[[ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら]](1957)、[[ドン・キホーテ (交響詩)|ドン・キホーテ]](1960)、[[ドン・ファン (交響詩)|ドン・ファン]](1957)、[[家庭交響曲]](1964)、歌曲7曲(ロンドン交響楽団、シュヴァルツコップ、1968)、[[死と変容]](1957)
*[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]:
*:[[管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)|管弦楽のための協奏曲]](1965)
*[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]:
*:「[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]](1919年版)」(1961)
== ザルツブルク音楽祭とセル ==
前述のように、第二次世界大戦後はアメリカを本拠としたセルであったが、それでも毎シーズン、ヨーロッパに戻って客演指揮活動を行っていた。その中でも、[[1949年]]に初出演したザルツブルク音楽祭とは、死の前年の[[1969年]]までほぼ密接な関係を続けた。1949年は恩師であるリヒャルト・シュトラウスの「[[ばらの騎士]]」などを指揮した。シュトラウスはこの時、ウィーン・フィルを通じてセルにプライヴェートな手紙を託していたが、音楽祭終了後の[[9月8日]]に死去した。その後もオペラ、オーケストラ双方で活躍した。
なお、ザルツブルク音楽祭での一連のオペラ指揮が、セルにとってオペラを指揮する最後となった。
;ザルツブルク音楽祭でのセルの演奏曲目<ref>1995年発売のCD『ザルツブルク音楽祭のセル』などに基づく。</ref>
*1949年
*:リヒャルト・シュトラウス:「ばらの騎士」
*:ウィーン・フィル:ハイドン/[[交響曲第92番 (ハイドン)|交響曲第92番「オックスフォード」]]、R・シュトラウス/「[[ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら]]」、シューベルト/[[交響曲第7番 (シューベルト)|交響曲第8番「未完成」]]
*1952年
*:ウィーン・フィル:ベートーヴェン/[[交響曲第6番 (ベートーヴェン)|交響曲第6番「田園」]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]/[[交響曲第1番 (ブラームス)|交響曲第1番]]
*1954年
*:[[ロルフ・リーバーマン]]:「ペネロペ」(世界初演)
*:ウィーン・フィル:ハイドン/[[交響曲第93番 (ハイドン)|交響曲第93番]]、[[ボリス・ブラッハー|ブラッハー]]/パガニーニの主題による変奏曲、ブラームス/[[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]]
*1955年
*:[[ヴェルナー・エック]]:「アイルランドの伝説」(世界初演)
*1956年
*:モーツァルト:「[[後宮からの誘拐]]」
*:ウィーン・フィル:モーツァルト/[[交響曲第40番 (モーツァルト)|交響曲第40番]]、[[ピアノ協奏曲第23番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第23番]](セル)、[[交響曲第41番 (モーツァルト)|交響曲第41番「ジュピター」]]
*1957年
*:リーバーマン:「女の学校」(ドイツ語版初演)
*:ベルリン・フィル:モーツァルト/[[交響曲第29番 (モーツァルト)|交響曲第29番]]、[[ピアノ協奏曲第25番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第25番]]([[レオン・フライシャー]])、交響曲第40番
*1958年
*:8月6日/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団:モーツァルト/[[交響曲第33番 (モーツァルト)|交響曲第33番]]、[[ピアノ協奏曲第9番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」]]([[ルドルフ・フィルクスニー]])、交響曲第41番「ジュピター」
*:8月8日/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団:[[ゴットフリート・フォン・アイネム|アイネム]]/バラード(ヨーロッパ初演)、[[ウィリアム・ウォルトン|ウォルトン]]/パルティータ(ヨーロッパ初演)、[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]/[[交響曲第5番 (プロコフィエフ)|交響曲第5番]]
*1959年
*:モーツァルト:「[[魔笛]]」
*:8月3日/[[フランス国立管弦楽団|フランス国立放送管弦楽団]]:モーツァルト/[[交響曲第35番 (モーツァルト)|交響曲第35番「ハフナー」]]、[[ヴァイオリン協奏曲第5番 (モーツァルト)|ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」]]([[エリカ・モリーニ]])、ハイドン/交響曲第92番「オックスフォード」
*1961年
*:[[シュターツカペレ・ドレスデン]]:ベートーヴェン/「[[コリオラン]]」序曲、[[ピアノ協奏曲第5番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第5番「皇帝」]]([[ニキタ・マガロフ]])、[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]
*1963年
*:8月4日/チェコ・フィル:ベートーヴェン/「[[エグモント (劇音楽)|エグモント]]序曲、[[ピアノ協奏曲第3番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第3番]](フィルクスニー)、[[交響曲第3番 (ベートーヴェン)|交響曲第3番「英雄」]]
*1964年
*:8月10日/ベルリン・フィル:[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]/「アルチェステ」序曲、モーツァルト/[[ピアノ協奏曲第27番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第27番]]([[クリフォード・カーゾン]])、R・シュトラウス/「[[家庭交響曲]]」
*1965年
*:8月2日/シュターツカペレ・ドレスデン:ベートーヴェン/「エグモント」序曲、[[ピアノ協奏曲第4番 (ベートーヴェン)|ピアノ協奏曲第4番]](カーゾン)、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]/[[交響曲第3番 (ブルックナー)|交響曲第3番(1889年稿)]]<ref>セルはこの演奏では基本的に1889年稿に基づいた楽譜を使用しているが、藤田由之の指摘では「エーザー版からも示唆を得、さらにまた、一部で独自のオーケストラ処理も見せている」としている。</ref>
*1966年
*:ベルリン・フィル:[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]/「[[魔弾の射手]]」序曲、モーツァルト/[[ピアノ協奏曲第24番 (モーツァルト)|ピアノ協奏曲第24番]]([[ロベール・カサドシュ]])、ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
*1967年
*:クリーヴランド管弦楽団:ウェーバー/「[[オベロン (オペラ)|オベロン]]」序曲、R・シュトラウス/交響詩「[[ドン・ファン (交響詩)|ドン・ファン]]」、ベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」
*:クリーヴランド管弦楽団:ブラームス/[[交響曲第2番 (ブラームス)|交響曲第2番]]、モーツァルト/交響曲第40番、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]/「[[ダフニスとクロエ (ラヴェル)|ダフニスとクロエ第2組曲]]」
*1968年
*:ベルリン・フィル:ハイドン/交響曲第93番、モーツァルト/交響曲第29番、ベートーヴェン/[[交響曲第8番 (ベートーヴェン)|交響曲第8番]]
*:8月21日/ウィーン・フィル:ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(カーゾン)、ブルックナー/[[交響曲第7番 (ブルックナー)|交響曲第7番]]
*1969年
*:8月24日/ウィーン・フィル:ベートーヴェン/「[[エグモント (劇音楽)|エグモント]]」序曲、ピアノ協奏曲第3番([[エミール・ギレリス]])、交響曲第5番
== 作曲 ==
若いころは作曲家としても活躍していたが、現在はほとんどの作品が忘れ去られている。日本のピアニスト[[白石光隆]]によって、『3つの小品』という作品のみが録音されている。
渡米して間もないころ、自作の交響曲を指揮したことがある。
== 逸話 ==
* セルはトスカニーニ同様、オーケストラにとっては厳しい注文をつけることで恐れられた。クリーヴランド管弦楽団就任後の1シーズンで楽員の2/3が入れ替わったという。ある者は彼が馘首し、別の者は自ら去ったのである。
** たとえば、相手が[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]のような世界トップ・ランクのオーケストラの首席奏者であったとしても、自分の要求に満たないと考えた場合には「君の音は外れている。直したまえ!」といった辛辣かつ直截な言葉を投げつけた。
** しかし、セルとトスカニーニとでは注文の仕方が全く異なった。トスカニーニ自身は、セルのリハーサルを辛気臭いものと考えていたし、実際にセルのリハーサルに立ち会った際にはあまりの辛気臭さに耐え切れず、たまらずセルを叱り付けている。また、トスカニーニの有名な怒りは一時の嵐のようなものであったが、セルは執拗であったという。しかし「セルは執拗に楽員を締め上げている。性格が悪い」という陰口を聞きつけたトスカニーニは「私も性格は悪いのだが…」と自身を引き合いに出してセルを擁護している。
* ただ、演奏会中に大失敗をしてしまいショックで落ち込む楽員を、知人の医者に診せ立ち直らせたということもあった。クリーヴランド管の楽員曰く、「セルはハートを持っているが、いつもはそれを隠しているのです」(以上、レヴァント『健忘症患者の回想録』)。
* 演奏する曲をことごとく暗譜し、ピアノで弾くことが出来るなど、セルの普段の研究熱心さは際立っていた。リハーサルでも、オーケストラをパートごとに分けて合奏させ、アンサンブルをチェックするやり方を行った。トスカニーニに頼まれて[[NBC交響楽団]]でそのやり方のリハーサルをした時、あまりの徹底ぶりにトスカニーニは「私の音を壊さないでくれ!」とぼやいた。
* [[リヒャルト・シュトラウス]]の曲の録音に際して、作曲者が遅刻したためセルが替わりに指揮した。後半部にシュトラウスが来て振ったが、できあがった音は全くの破綻がなく、シュトラウスは「このままでよい」と感心した。
* セルの厳しいトレーニングはプラハ時代から行われていて、名歌手[[キルステン・フラグスタート]]は来演の際、あまりのスパルタぶりに舞台に上がるのが怖くなったという。
* 来日公演には作曲家の[[ピエール・ブーレーズ]]が同行し、3回公演を受け持った。病状の進行を知っていた(とされる)セルも同意して、いざとなれば代役も務めるつもりであった可能性もある。ブーレーズはクリーヴランドで[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]の『[[春の祭典]]』などの録音を行っており、馴染みの指揮者であったばかりか、完璧主義者という点でも価値観をともにしていたという。
* セルはピアニストの[[ルドルフ・ゼルキン]]と音楽院時代の学友で、クリーヴランド時代も何度か共演を行った。レコードでもブラームスの2曲のピアノ協奏曲の録音がある。しかし、[[1968年]]に行われたブラームスの[[ピアノ協奏曲第1番 (ブラームス)|協奏曲第1番]]のレコーディングでは意見が合わず、そのレコーディングが2人の最後の顔合わせとなった。
* セル自身優れたピアニストでもあり、[[ブダペスト弦楽四重奏団]]員(ヴァイオリン:ジョゼフ・ロイスマン、ヴィオラ:ボリス・クロイト、チェロ:ミッシャ・シュナイダー)とモーツァルトの[[ピアノ四重奏曲]]2曲([[ピアノ四重奏曲第1番 (モーツァルト)|K.478]]、[[ピアノ四重奏曲第1番 (モーツァルト)|K.493]])の録音がある。その演奏は彼の指揮スタイルを彷彿とさせるものだった。
* [[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]はセルを非常に尊敬していた。しかし実際に顔をあわせると、身長の差(セルはカラヤンよりも10cm以上身長が高く182cmあった)もあって緊張し、セルがカラヤンに意見を求めても、カラヤンは「はい、マエストロ」と小声で言うのが精一杯だったという。また、1967年のザルツブルク音楽祭にクリーヴランド管を引き連れて出演した際、カラヤンにもクリーヴランド管を指揮させている(この組み合わせは、同年の[[ルツェルン音楽祭]]でも公演している)。
* 相当な[[食通]]でもあり、特に[[ワイン]]に関する知識については[[ウィリアム・ウォルトン]]が舌を巻くほどだったという。
* ニューヨークの[[マネス音楽大学]]で教鞭を執ったこともある。教え子には[[ジョージ・ロックバーグ]]、[[ジェームズ・レヴァイン]]、マイケル・チャリーなどがいる。
* 音楽だけでなく、良い環境を求めてプログラムの書き方やコンサート案内のやり方、果ては舞台のワックスのかけ方にまで、ことごとく執拗な注文を出した。とくに演奏会場のセヴェランス・ホールの音響の改善には力を入れ、理事会に働きかけるや、建築の専門家や同じく音響にうるさい[[レオポルド・ストコフスキー|ストコフスキー]]などと論議し、分厚いカーペットや豪華な内装を実用本位のそれに替えた。こうして1958年に改装されたホールは見た目こそ無機質になったが、その分最高の音響が醸し出され、第一級のスタジオとしても使用できるほど面目を一新した。
== 脚注 ==
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=== 注釈・出典 ===
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== 参考文献 ==
*[[三浦淳史]]「ジョージ・セル 完全主義者であり無用の装飾をかなぐり捨てた古典主義者」『クラシック 不滅の巨匠たち』[[音楽之友社]]、1993年
*[[浅里公三]]「ザルツブルク音楽祭のジョージ・セル」『モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
*[[藤田由之]]「このディスクによせて」『ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
*[[吉井亜彦]]「セルのモーツァルトについて」『モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
*[[柴田龍一]]「このアルバムのこと」『ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」他 ライナーノーツ』ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
*[[歌崎和彦]]『証言/日本洋楽レコード史(戦前編)』音楽之友社、1998年
*[[満津岡信育]]「海外盤試聴記 比類のないバランス感覚 セルのザルツブルク音楽祭ライヴ」『レコード芸術』2007年12月号 音楽之友社、2007年
*山田真一『オーケストラ大国アメリカ』集英社文庫0589F [[集英社]] 2011年
*マイケル・チャーリー(伊藤氏貴 訳)『ジョージ・セル─音楽の生涯─』鳥影社、2022年
{{ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団首席指揮者|1937年 - 1939年}}
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7,988 | 銅 | 銅(どう、英語: copper、ラテン語: cuprum)は、原子番号29の元素。元素記号は Cu。周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。金属資源として人類に古くから利用され、生産量・消費量がともに多いことからコモンメタル、ベースメタルの一つに位置づけられる。歴史的にも硬貨や表彰メダルなどで金銀に次ぐ存在とされてきた。
ラテン語では cuprum と言い、元素記号Cuはラテン語の読み、さらに cyprium aes(キプロス島の真鍮)に由来し、キプロスにフェニキアの銅採掘場があったことに由来する。
英語の copper はラテン語の cuprum に由来し、「カッパー」ないし「コッパー」と呼ばれる。しばしば銅を意味すると誤解される bronze(ブロンズ)は、正確には青銅を指す。銅メダルの素材は確かに青銅であり、Bronze Medal(ブロンズメダル)というのは正しい。
日本で初めて銅が使われたのは、紀元前300年の弥生時代といわれている。国内で銅鉱石を初めて産出したのは698年(文武2年)で、因幡国(鳥取県)から銅鉱を朝廷に献じたと伝えられてる。また708年(慶雲5年)に、武蔵国(埼玉県)秩父から献上された銅を用いて貨幣(和同開珎)がつくられ、元号も和銅と改められたとなっている。
7世紀後半の飛鳥池遺跡から発見された「富本銭」は、その鋳造が700年以前に遡ることが確認された他、遺跡からの溶銅の大量出土は、7世紀後半の産銅量が既に一定の水準に達していたことを物語っている。その色あいから銅と呼ばれた。
江戸時代の元禄時代には、精錬技術が発展して純度の高い銅ができ、長崎から中国、ベトナム、インド、インドネシアやヨーロッパまで運ばれた。この銅は棹銅と呼ばれた。
明治19年までは一般的には「あかがね」と呼んでいたが、明治の初めの金工家である加納夏雄は、素材としての銅を「あか」と呼んでいた。また、明治30年に発刊された「鏨迺花」には銅を素銅(すあか)と記述していて、その後の刀剣社会のみ、銅を素銅と呼ぶようになった。現代では銅と呼んでいる。
単結晶の銅は軟らかく、電気伝導度および展延性が高い金属であり、これは同じ第11族元素である銀や金と共通した性質である。これは閉殻構造を取るd軌道の外側にs軌道の電子が1つだけ存在しているという、第11族元素の電子配置に起因している。このような電子配置であるためにd軌道の電子の多くは原子間の相互作用に寄与せず、原子同士を結び付ける金属結合はs軌道の電子によって支配される。そのためこれらの元素は、d軌道が閉殻でなくd軌道の電子が結合に寄与する他の金属元素と比較して共有結合性が弱く金属結合性が強い結合が形成されることとなり、高い電気伝導度や延展性といった金属結合に起因する性質が強く現れる。巨視的なスケールにおいては、結晶格子に結晶粒界のような拡張欠陥が発生して硬度が増すため、負荷応力下での流動性の妨げとなる。そのため、通常銅は単結晶形よりも強度の高い多結晶微粒子の形で供給される。
銅は室温において、純粋な金属の中で2番目に高い電気伝導性 (59.6×10 S/m)および熱伝導率 (386 W⋅m⋅K)を有する。室温における金属中での電気伝導の抵抗の大部分は結晶格子の熱振動によって電子が拡散されることに起因しており、銅のような軟らかい金属ではこの熱振動が比較的弱いということが、その原因の1つとなっている。空気中における銅の最大許容電流密度はおよそ3.1×10 A/mであり、それ以上になると過熱する。銅は他の金属と同様に、他の金属と接触することで電気腐食(英語版)を起こす。
青みがかった色のオスミウム、黄色いセシウム、黄色の金と共に、銅は自然の色が灰色もしくは銀色以外の色である3つの金属元素のうちの1つである。銅は赤橙色をした金属であるが、空気中に曝されると赤みがかった色に退色する。この特徴的な銅の色は、満たされている3d軌道と半分空になっている4s軌道の間での電子遷移に起因し、これらの電子軌道のエネルギー差が赤橙色の光と一致するためにこのような色を示す。これは金が特徴的な金色を示すメカニズムと同一のものである。
銅は+1(第一銅)および+2(第二銅)の酸化数を取り、豊富な種類の化合物を形成する。銅は水とは反応しないものの、空気中の酸素とは徐々に反応して黒褐色をした酸化銅の被膜を形成する。生じた錆によって全体が酸化されてしまう鉄とは対照的に、銅の表面に形成される酸化被膜はさらなる酸化の進行を防止する。湿った条件下では二酸化炭素の作用により緑青(水酸化炭酸銅)を生じ、この緑色の層は、自由の女神像や高徳院の阿弥陀如来像(鎌倉大仏)などのような古い銅の建造物などにおいてしばしば見られる。硫化水素および硫化物は銅と反応して、その表面に様々な形の硫化銅を形成する。硫黄化合物を含んだ空気に曝された際に見られるように、硫化物との反応においては銅は腐食される。赤熱下では酸化銅(II)を生成し、さらなる加熱により酸化銅(I)となる。酸素と塩酸によって塩化銅が、酸性条件下で過酸化水素によって2価の銅塩が形成されるように、酸素を含んだアンモニア水は銅の水溶性錯体を与える。塩化銅(II)は銅と均化(英語版)して塩化銅(I)となる。
銅はイオン化傾向が小さいため塩酸や希硫酸といった酸とは反応しないが、硝酸、熱濃硫酸のような酸化力の強い酸や、塩酸と過酸化水素の混合物とは反応する。
溶融銅は酸素および水素ガスを吸収し、これらの気体を吸蔵した銅は脆性が高い。そこでリチウム、リン、ケイ素が脱酸剤として用いられ、このような処理をした銅を脱酸銅と呼ぶ。
銅には29の同位体があり、CuおよびCuは安定同位体である。天然銅のおよそ69 %がCu、31 %がCuであり、共に3/2のスピン角運動量を持つ。銅の他の同位体は放射性同位体であり、最も安定なものは半減期61.83時間のCuである。7つの準安定同位体が明らかとなっており、最も長命なもので半減期3.8分のCuがある。質量数が64以上の同位体ではβ崩壊によって崩壊し、64以下のものはβ崩壊によって崩壊する。半減期12.7時間のCuは、β崩壊とβ崩壊の両方法で崩壊する。
CuおよびCuには重要な用途がある。CuはX線写真の造影剤として利用され、Cuのキレート錯体は癌の放射線療法に対して用いられる。CuはCu(II)-pyruvaldehyde-bis(N-methyl-thiosemicarbazone) (Cu-PTSM) の形でポジトロン断層法における放射性トレーサーとして利用される。
銅と他の元素との化合物のうち、最も単純なものは二元化合物である。主要なものは酸化物、硫化物およびハロゲン化物である。1価および2価の銅の両方の酸化物が知られている。多数の銅の硫化物の間で重要なものの例として硫化銅(I)および硫化銅(II)が含まれる。
1価の銅のハロゲン化物は塩素、臭素およびヨウ素とのものが知られており、2価の銅のハロゲン化物はフッ素、塩素および臭素とのものが知られている。2価の銅とヨウ素を反応させてもヨウ化銅(II)は合成されず、ヨウ化銅(I)とヨウ素が得られる。
銅は他の金属と同様に配位子との間で錯体を形成する。水溶液中において2価の銅は[Cu(H2O)6]の形で存在している。遷移金属の金属アコ錯体(英語版)に対する配位水の交換速度は最も早い。水酸化ナトリウム溶液を加えることで明青色の水酸化銅(II)が沈降する。
アンモニア水を加えた場合も同様に沈殿を生じるが、アンモニア水の添加量が過剰になるとテトラアンミン銅(II)イオンを形成して沈殿が再溶解する。
多くのオキソアニオンは銅イオンとの間に錯体を形成し、それには酢酸銅(II)や硝酸銅(II)などが含まれる。硫酸銅(II)は青色の結晶の5水和物を形成し、それは研究室において最も一般的な銅化合物である。それはボルドー液と呼ばれる殺菌剤として用いられる。
複数のヒドロキシ基を含むポリオールは一般的に2価の銅塩と相互作用を示す。例えば、銅塩は還元糖の検出に用いられる。特に、ベネジクト液およびフェーリング液を用いた糖の検出は、青色の2価の銅が赤色の1価の酸化銅(I)に還元される際の色変化によって識別される。シュバイツァー試薬およびエチレンジアミンや他のアミン類との錯体はセルロースを分解する。アミノ酸は2価の銅との間で非常に安定なキレート錯体を形成する。銅イオンに関する多くの湿式反応が存在し、例えば銅イオンを含む溶液にフェロシアン化カリウムを加えることで茶色の銅(II)塩の沈殿が生じる反応がある。
炭素-銅結合を含む化合物は有機銅化合物として知られている。それは酸素に対する反応性が非常に高く酸化銅(I)を形成し、化学において有機銅試薬として多くの用途が存在する(有機銅試薬の反応(英語版))。それは1価の銅化合物をグリニャール試薬もしくは末端アルキン、アルキルリチウムで処理することで合成され、特にアルキルリチウムとの反応ではギルマン試薬が合成される。これらはハロゲン化アルキルによって置換反応を起こしてカップリング生成物を形成し、それらは有機合成化学の分野で重要である。炭化銅(I)は衝撃に非常に敏感であるが、カディオ・ホトキェヴィチカップリング や薗頭カップリング のような反応の中間体である。エノンへの求核共役付加反応 およびアルキンのカルボメタル化(英語版)もまた有機銅化合物を用いることで実現された。1価の銅はアルケンおよび一酸化炭素との間で様々な弱い錯体を形成し、それは特にアミン配位子の存在下において顕著である。
3価の銅化合物は有機銅化合物の反応において中間体としてしばしば見られる。ジ銅のオキソ錯体もまた3価の銅であることを特徴とする。非常に基本的なフッ化物の配位子は高酸化状態の金属イオンを安定化させ、3価および4価の銅化合物にはK3CuF6やCs2CuF6 のようなフッ化物との錯塩がある。紫色をした3価の銅の化合物である、ジおよびトリペプチドは脱プロトン化されたアミド配位子によって高酸化状態が安定化されている。
溶液中の銅の定性分析としては、水酸化ナトリウムを加えた際に生じる水酸化銅(II)の沈殿や、ヘキサシアノ鉄(III)カリウムを加えた際に生じるフェロシアン化銅の赤褐色沈殿、硫化ナトリウムを加えた際に生じる硫化銅(II)の黒色沈殿などを観察する方法がある。微量な銅イオンの定性方法としてはアンモニアを加えた際に生じるアンミン錯体の青色を検出する方法が用いられ、この方法による検出限界は60 ppmである。妨害元素としては銅と同じ青色のアンミン錯体を形成するNiがあり、Coなどのアンミン錯体も呈色によって銅錯体の青色を検出を困難にする。またアンモニア塩基性で沈殿を生じる元素が共存していると銅が共沈してしまうため、こちらも妨害要因となる。さらに感度の高い方法としてジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムとの反応によって生じる黄褐色化合物を検出する方法があり、この方法による検出限界は10 ppmである。妨害元素の多くはEDTAの添加によってマスキングすることができるが、Biが200 ppm以上共存していると銅と同様の反応を起こして妨害となる。Cuはほとんどの化合物が難溶性であり溶液中に存在することが希である。
銅は青緑色の炎色反応を示すため、炎色反応の観察によっても定性分析をすることが可能である。その青緑色の輝線の波長は530–550 nmの幅を持つブロードなスペクトルである。
銅の定量分析法のうち、古典的なものとして重量分析法と比色分析法がある。重量分析法では、試料を溶解させた溶液を処理して酸化銅(II)や硫化銅(II)、チオシアン酸銅(II)などの溶解度の極めて低い銅化合物を生成させて分離し、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量するという方法が利用される。例えば酸化銅(II)を生成させる方法では、試料を酸性溶液に溶解させた後に水酸化ナトリウムなどを加えて塩基性とした状態で加熱することで水酸化銅(II)の沈殿を生成させ、これに臭素水などを加えてさらに過熱することで水酸化銅(II)を酸化させて酸化銅(II)とする。こうして得られた酸化銅(II)をるつぼに入れて強熱した後、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量することができる。酸化銅(II)を用いる方法は比較的分析精度が高いものの高濃度試料の分析には適さず、チオシアン酸銅(II)を用いる方法は様々な夾雑元素を分離できるため銅鉱石のような試料の分析に適している。また比較的新しい方法としては、試料を溶解させた溶液を電気分解して金属銅を析出させ、その重量を測定する電解重量法も銅の重量分析法として用いられる。電解重量法は国際標準化機構によるISO 1553:1976, ISO 1554:1976および、日本産業規格による対応規格であるJIS H 1051:2005において銅および銅合金中の銅定量方法として規格されている。この方法では、電解させた後の溶液中に銅が残存してしまうため電解残液中の銅を別の方法で測定する必要があり、その方法としてはオキザリルジヒドラジド吸光光度法や原子吸光光度法、誘導結合プラズマ発光分析法が規定されている。比色分析法では、定性分析として用いられる銅のアンミン錯体が呈する青色の発色の程度が銅濃度に比例することを利用して、目視 もしくは分光光度計を利用した分光光度法によって銅濃度を定量することができる。銅を発色させる試薬は様々な種類のものが研究されており、2,9-ジメチル-4,7-ジフェニル-1,10-フェナントロリン(バソクプロイン)を用いる方法では溶液中の銅濃度2 μg/Lという検出限界が達成されている。
容量分析法もまた、銅の定量分析法として用いられる。このような方法としては、銅のアンミン錯体が青色でありシアノ錯体は無色であることを利用した錯滴定法や、酢酸酸性条件において銅がヨウ化カリウムと反応することで遊離するヨウ素をチオ硫酸ナトリウムで滴定する酸化還元滴定法などがある。また、重量分析法で利用されるチオシアン酸銅(II)は水酸化ナトリウム溶液中で加熱すると水酸化銅(II)とチオシアン酸ナトリウムが生成されるため、このチオシアン酸ナトリウムを濃度既知の過マンガン酸カリウム溶液で酸化還元滴定をすることによっても銅を定量することができる。
溶液中に含まれる微量な銅の定量分析には、原子吸光光度法 (AAS) や誘導結合プラズマ発光分析法 (ICP-AES)などの機器分析が利用される。試料中の銅濃度が低く検出できない場合や共存する元素によって分析結果に誤差が生じるような場合には、前処理としてジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムを用いて銅錯体を形成させ、酢酸ブチルを有機層として溶媒抽出することで銅を分離、濃縮する操作が行われる。AASでは通常アセチレン-空気炎を用いて324.8 nmの吸収波長で測定され、試料の原子化に黒炭炉を用いた黒炭炉原子吸光分析を利用することで分析感度を向上させることができる。ICP-AESでは324.754 nmの発光波長で測定され、夾雑元素によるスペクトル干渉を受けやすい。また、蛍光X線元素分析法 (XRF)やイオン電極、ストリッピングボルタンメトリーなどによる定量分析も利用される。
銅は自然銅として自然中に存在しており、最初期の文明のいくつかにおいても知られ先史時代から使われてきた金属である。銅の使用には少なくとも1万年の歴史があり、紀元前9000年の中東で利用され始めたと推測されている。イラク北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われている。金および隕鉄(ただし鉄の溶融はできていない)だけが、人類が銅より前に使用していたという証拠がある。銅の冶金学の歴史は、1. 自然銅の冷間加工、2. 焼きなまし、3. 製錬および4. インベストメント鋳造の順序に続いて発展したと考えられる。東南アナトリアにおいては、これら4つの冶金技術はおよそ紀元前7500年頃の新石器時代の初めに若干重複して現れる。農業が世界中のいくつかの地域(パキスタン、中国およびアメリカ大陸を含む)でそれぞれ独立して発明されたのと同様に、銅の溶錬もいくつかの異なる地域で発明された。それはおそらく、紀元前2800年頃の中国、西暦600年頃の中央アメリカ、および西暦9から10世紀頃の西アフリカでそれぞれ独立して発明された。インベストメント鋳造は紀元前4500から4000年頃に東南アジアで発明され、また、放射性炭素年代測定によって英国チェシャーのアルダリー・エッジ(英語版)にある銅鉱山が紀元前2280年から紀元前1890年のものであると確かめられた。紀元前3300年から紀元前3200年頃のものと見られるミイラのアイスマンは、純度99.7 %の純銅製の斧の頭とともに発見された。彼の髪に高純度のヒ素が見られたことから、彼が銅精錬に関わっていたのではないかと考えられている。ミシガンおよびウィスコンシンのオールドカッパー文化(英語版)(古代北米におけるネイティブ・アメリカンの社会。銅製の武器や道具を広く利用していた)における銅の生産は紀元前6000年から紀元前3000年の間の年代を示している。これらのような銅と関わった経験が他の金属の利用の発展の助けとなり、特に、銅の溶錬から鉄の溶錬(塊鉄炉(英語版))の発見に至った。
銅とスズとの合金である青銅の製造は銅の溶錬法の発見からおよそ4000年後に初めて行われ、その2000年後には自然銅の一般的な用途となった。シュメールの都市から発見された青銅製品や、古代エジプトの都市から発見された銅および青銅製品は紀元前3000年頃のものと見られている。青銅器時代は東南ヨーロッパで紀元前3700年から紀元前3300年頃に始まり、北ヨーロッパでは紀元前2500年頃から始まった。青銅器はまた古代のエジプトや中国(殷王朝)などでも使われるようになり、世界各地で青銅器文明が花開いた。それは鉄器時代の始まり(中東では紀元前2000年から紀元前1000年頃、北ヨーロッパでは紀元前600年頃)によって終了した。新石器時代から青銅器時代への移行期は、石器とともに銅器が使われ始めた時代であることから、以前は銅石器時代と呼ばれていた(「銅器時代」も参照)。この用語は、世界の一部の地域では新石器時代と銅石器時代の境界が重なっているために徐々に使われなくなっていった。銅と亜鉛の合金である真鍮の起源はずっと新しい。それはギリシャ人には知られており、ローマ帝国期の青銅の不足を補う重要な合金となった。
ギリシャでは、銅はカルコス(χαλκός、chalkos)として知られていた。それはギリシャ人、ローマ人および他の民族にとって重要な資源であった。ローマ時代にはキュプリウム・アエス(aes Cyprium、キプロス島の銅)として知られており、アエス (aes)は多くの銅が採掘されたキプロス島からの銅合金および銅鉱石を示す一般的なラテン語の用語である。キュプリウム・アエスというフレーズはクプルム (cuprum)と一般化され、そこから英語で銅を示すカッパー (copper)となった。銅の光沢の美しさや、古代には鏡の生産に銅が用いられていたこと、および女神を崇拝していたキプロスとの関係から、女神であるアプロディーテーおよびウェヌスは神話と錬金術において銅の象徴とされた。古代に知られていた7つの惑星は、古代に知られていた7つの金属と関連付けられ、金星は銅に帰されていた。
イギリスでの真鍮の初めての使用は紀元前3世紀から2世紀頃に起こった。北アメリカ大陸での銅鉱山はネイティブ・アメリカンによって周辺部の採掘から始まった。自然銅は800年から1600年までの間に、原始的な石器によってアイル・ロイヤル国立公園から採掘されていたことが知られている。銅の冶金学は南アメリカ大陸、特に1000年頃のペルーにおいてで盛んであった。アメリカ大陸における銅の利用の発展は他の大陸よりも非常に遅く進行した。15世紀から銅の埋葬品が見られるようになったが、金属の商業生産は20世紀前半まで始まらなかった。
銅の文化的な役割は、特に流通において重要だった(銅貨)。紀元前6世紀から紀元前3世紀までを通して、古代ローマでは銅の塊をお金として利用していた。初めは銅自体が価値を持っていたが、徐々に銅の形状と見た目が重要視されるようになっていった。ガイウス・ユリウス・カエサルは真鍮製のコインを作り、一方でアウグストゥスのコインは銅-鉛-スズ合金から作られた。当時の銅の年間生産量は15000トンと推定されており、ローマの銅採掘および溶錬活動(ローマにおける冶金(英語版))は産業革命の時まで凌駕されない規模に達していた。最も熱心に採掘された属州はヒスパニア、キプロスおよび中央ヨーロッパであった。現代の日本の硬貨においても、5円硬貨が黄銅、10円硬貨が青銅、50円硬貨、100円硬貨、旧500円硬貨が白銅、新500円玉がニッケル黄銅という銅の合金が用いられている。
日本では弥生時代より銅鐸、銅剣、銅鏡などの青銅器が鋳造されていたが、その原材料は大陸からの輸入品であった。国産の銅は698年に産出したものが始まりとされる(スズは700年)。
エルサレム神殿の門は色揚げ(英語版)によって作られたコリント青銅(英語版)が使われた。それは錬金術が始まったと考えられるアレクサンドリアで一般的なものであった。古代インドにおいて銅は、医療体系であるアーユルヴェーダにおいて外科用器具および他の医療用器具のために用いられた。紀元前2400年の古代エジプト人は傷や飲料水の殺菌のために銅を利用し、後には頭痛、火傷、かゆみにも用いられるようになった。はんだ付けされた銅製のシリンダーを持つバグダッド電池はガルバニ電池に類似している。年代は紀元前248年から西暦226年に遡り、これが初めての電池であるように人々に考えられているが、この主張は実証されていない。
スウェーデンのファールンにある大銅山(英語版)は10世紀から1992年まで操業された銅鉱山である。大銅山は17世紀のヨーロッパの銅需要の2/3を満たし、その期間にスウェーデンが行っていた戦争において戦費の大きな助けとなった。それは国の金庫と呼ばれ、スウェーデンは銅に裏打ちされた通貨を有していた(スウェーデンにおける銅貨の歴史(英語版))。
また同時代の主要な銅産出国としては他に、17世紀に発見された足尾銅山や別子銅山などによって銅生産が活発になっていた江戸時代の日本が挙げられる。1680年代中頃には50の銅山から年間およそ5400トンの銅が産出され、ピーク時の1697年における年間およそ6000トンという産出量は、世界一であったと推測されている。
生産された銅のおよそ1/2から2/3は、長崎貿易で世界へと輸出されており、当時の日本にとって重要な輸出品目であったが、その後、日本の銅生産量は減少の一途をたどり、18世紀中旬には産業革命を迎えたイギリス帝国に抜かれて2位となった。
明治時代には、新規産業技術の導入や機械化によって、日本の銅生産は持ち直したが、チリやアメリカ、アフリカの大規模鉱山の開発が始まると、そちらが世界の主流となっていった。日本の銅山はその後、公害や採算性の悪化により、1970年代頃から閉山が相次ぎ、1994年に日本最後の銅鉱山が閉山した。
近現代における銅生産量の増加は、銅精錬の際の副産物である亜硫酸ガスの大量放出にもつながり、例えば16–17世紀にはスウェーデンの大銅山において、亜硫酸ガスの排出による影響で、周辺森林の樹木が枯死し、全滅するという大規模公害が、長期間にわたって続いていたことが記録されている。
このような亜硫酸ガスによる公害は、世界中の銅山で発生していたものと推測されている。このような状況は産業革命以降加速し、イギリスのコーニッシュ銅山では「もし悪魔がここを通りかかったら我が家に帰ったと、錯覚するだろう」と言われるほどの深刻な公害が引き起こされ、主要な銅産出国であった日本においても、明治以降の近代化に伴い、足尾鉱毒事件が起こっている。
銅は芸術においても利用されていた。ルネサンス期の彫刻や、ダゲレオタイプとして知られる写真技術、自由の女神像 (ニューヨーク)などで用いられた。船体への銅めっき(英語版)および銅包板(英語版)の利用は広範囲におよび、クリストファー・コロンブスの船はこれを備えた最初期のものの1つであった。
1876年、ノルドドイチェ・アフィネリー(英語版)社はハンブルクで最初の現代的な電気めっき工場による生産を始めた。1830年、ドイツの科学者であるゴットフリート・オサン(英語版)が金属の原子量を測定していた際に粉末冶金が発明された。その前後に、スズのような銅合金の構成元素の量と種類によってベル・トーンに影響を及ぼすことが発見された。
自溶炉製錬はフィンランドのオウトクンプ(英語版)社によって開発され、1949年にハルハヴァルタ(英語版)で初めて用いられた。自溶炉はエネルギー効率が良く、世界の主要な銅生産の50 %を占めている。
1967年、石油における石油輸出国機構 (OPEC)と類似した役目を担うことを目的として、チリ、ペルー、ザイール、ザンビアによって銅輸出国政府間協議会が設立された。しかしながら、当時世界2位の銅生産国であるアメリカ合衆国がメンバーに加わらなかったため、OPECのような影響力を持つことができずに、1988年に解散した。
2009年において、世界における銅の全生産量のうち50–60 %が斑岩銅鉱床より産出されている。斑岩銅鉱床からは銅の他にモリブデンやロジウムなどが併産される。斑岩銅鉱床はプレートの沈み込みに関連して形成されるため、南米のアンデス山脈や東南アジアのフィリピン、インドネシア周辺などプレートの周辺部に偏在している。
斑岩銅鉱床から産出される鉱石の銅含有量は、およそ0.2–1.0 %ほどである。斑岩銅鉱床から採掘される銅鉱山の例として、チリのチュキカマタ鉱山やアメリカ合衆国ユタ州のビンガムキャニオン鉱山(英語版)などが挙げられる。斑岩銅鉱床に次いで産出量が多いのは堆積鉱染型鉱床で、銅の全生産量の20 %を占める。
堆積鉱染型の銅鉱床からは銀が併産され、中央アフリカのものではコバルトも併産される。堆積鉱染型鉱床は岩石の風化および堆積によって形成される堆積岩によるものであるため大陸部に偏在する。このタイプの鉱床としては、中央アフリカのザンビアからコンゴ民主共和国にかけて伸びるカッパーベルトが最大のものであり、他にポーランドのルビン鉱山などがある。
その他にも、熱水鉱床の一種である銅スカルン鉱床や火山性塊状硫化物鉱床、海底噴気堆積鉱床など様々な種類の銅鉱床が知られている。これらの銅鉱山では、主に露天掘りによる採掘が行われている。
他の方法として、採掘抗を掘り進める坑内採鉱や、希硫酸を鉱床に注入して銅を溶解抽出する原位置抽出法(英語版)も行われている。坑内採鉱では費用や安全性の問題が、原位置抽出法では採用可能な地質条件が限られているため、主流にはなっていない。
世界の10大銅山のうちの5つはチリにあり、(エスコンディーダ(英語版)、コデルコ・ノルテ(チュキカマタ鉱山を含む)、コジャワシ、エル・テニエンテ)、ロス・ペランブレス(スペイン語版))、2つがインドネシア(グラスベルグ鉱山、バツビジャウ鉱山(英語版))、1つがアメリカ(モレンシ鉱山、アリゾナ州モレンシ)、ロシア(タイミル半島)およびペルー(アンタミナ(スペイン語版))に存在する。
かつて日本は、日本三大銅山の足尾銅山、別子銅山、日立銅山と、多くの鉱山をかかえた輸出国であったが、現在は全て廃鉱となり、銅を100 %輸入に頼っている。
銅鉱石中の銅濃度は平均して0.6 %ほどでしかなく、商業利用される鉱石の大部分は硫化物(特に黄銅鉱 CuFeS2、少ない範囲では輝銅鉱 Cu2S)である。これらの鉱石は粉砕され、泡沫浮選もしくはバイオリーチング(英語版)によって10–15 %程度にまで銅濃度が高められる。こうして銅が濃縮された鉱石に燃料としてのコークスのほか融剤として石灰石とケイ砂を加えて乾式精錬(溶錬炉で溶融)することで、黄銅鉱中の鉄の大部分はスラグとして除去される。この方法は鉄の硫化物が銅の硫化物よりも酸化されやすい性質を利用しており、銅よりも先に鉄がケイ砂と反応してケイ酸スラグを形成し、低比重のケイ酸スラグが溶融原料上に浮上してくることで鉄が分離される。また、ケイ砂と石灰石からケイ酸カルシウムが生成し、これが融剤として銅の融点を下げる。
その結果得られた硫化銅から成る銅鈹(マット(英語版))を空気酸化しながら焙焼することで、銅鈹中の硫化物は酸化物へと変換され、硫黄は酸化除去される。
得られた酸化第一銅は2000 °Cを越える高温で加熱されることで還元され、粗銅(銅含有率は約98 %)となる。
サドバリー鉱山で用いられているマット法では、硫化物の半分だけを酸化物とした後、酸化銅を酸素源として硫化銅と反応させることで硫黄を除去する方法が用いられている。このようにして得られた粗銅は電解精錬によって精製され、副生する陽極泥からは金や白金が回収される。この工程は銅の還元されやすさが利用され、このように電解精錬によって得られた銅は電気銅とも呼ばれる。
そこからさらに不純物を除いて純銅を生産するための方法としては、電気銅をシャフト炉で溶解製錬を行う(タフピッチ銅)、リンなどの脱酸剤を加えて残留酸素を除去する(脱酸銅)、高真空中で溶解させることで酸素を除去する(無酸素銅)などの方法が挙げられる。
2005年の銅の生産量は世界全体で1501万トンであった。その内訳はチリが35 %と大半を占め、以下アメリカ合衆国7.5 %、インドネシア7.1 %、ペルー6.7 %、オーストラリア6.1 %、中華人民共和国5.0 %、ロシア4.6 %と続く。2011年の生産量は1610万トンとなり、チリが542万トンと世界生産量の1/3以上を占めており、それにペルー、中華人民共和国が続いている。2005年の製錬銅の生産量は世界全体で1658万トンであり、そのうち38 %は中華人民共和国および日本を中心とするアジア諸国が占めていた。
出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022
銅は少なくとも一万年前から人類によって利用されてきたが、これまでに採掘、製錬された全ての銅の95 %以上は1900年以降に抽出されたものである。アメリカ地質調査所の2005年版Mineral Commodity Summariesを元にした経済産業省東北経済産業局の報告書によれば、地球上の銅の確認埋蔵量はおよそ9億4000万トン、可産鉱量はおよそ4億7000万トンである。また、2011年版Mineral Commodity Summariesでは可産鉱量は6億9000万トンに増加しており、国別ではチリの1億9000万トンが最も多く全体の28 %を占めており、2位のペルーが9000万トン(13 %)とそれに続いている。鉱業的に利用可能な銅の可産年数の様々な推定データは、銅生産量の成長率などの主な要素の仮定によって25年から60年の間で変動し、2005年のデータを元に単純に可産鉱量を年間生産量で割り可産年数を算出すると32年となる。そのため、銅は2040年頃に枯渇すると言われることがある。
出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022
銅は鉄、アルミニウムに次いで世界で3番目に多く消費される金属であり、銅の世界貿易で年間およそ300億ドルが動く重要な貿易品目でもある。
世界の銅需要は、国際銅協会 (ICA) によれば2020年に2500万トンである。またICAは2018年時点では、2050年に1億トン以上に増えると予測していた。しかし2022年時点の予測では、2050年の世界需要を5000万トンとしている。
出典: World Copper Factbook 2007
銅の主要な産出国では、銅鉱石および製錬銅の両方を輸出している。主な輸入国は先進工業国であり、日本、中華人民共和国、インド、大韓民国およびドイツでは鉱石として、アメリカ合衆国、ドイツ、中華人民共和国、イタリア、中華民国は製錬銅として輸入している。
銅取引はロンドン金属取引所(英語版)(LME)、ニューヨーク・マーカンタイル取引所、上海金属取引所の3つの主要な国際市場がある。これらの市場で日々、銅相場や先物価格が決定される。銅の価格は歴史的に不安定であり、銅のキログラム単価は1999年6月の1.32USドルから2006年5月の8.27USドルまでおよそ5倍に上昇した。2004年の銅価格の高騰は中華人民共和国をはじめとした新興国の需要の増加によるものであり、電気インフラへのリスクが生じるような銅製品(特に銅ケーブル、電線)の盗難の波が世界中で引き起こされた。それは2007年2月に5.29USドルまで下落し、そして2007年4月に7.71USドルまで反発した。2009年2月には、前年の高値から一転して世界需要の後退と物価の急な下落によって3.32USドルまで下落した。
2010年代においても、銅相場は大消費国である中国の景気の先行きを反映しやすいことから、医師にたとえて「ドクター・カッパー」の異名を持つ。
リサイクルは主要な銅の資源となっている。銅はアルミニウムのように、原料のままの状態であっても製品中に含まれている状態であっても関係なく、品質の損失なしに100 %リサイクルすることが可能である。そのため銅製品に使われている銅がリサイクルされたものかどうかを判別するのは不可能であり、銅は古来からリサイクルされてきた素材の1つである。銅をリサイクルする方法は大まかに言えば銅を抽出する方法と同じであるが、必要な工程は抽出よりも少ない。高純度の銅スクラップは炉で溶融、還元された後ビレットおよびインゴットに鋳造され、低純度のスクラップは硫酸浴中で電解製錬される。銅のリサイクルにはこのような製造工程の他にもリサイクル元となる原料の収集や分別といった作業が必要となるが、それでもリサイクルに必要となるエネルギー量は鉱石から銅を抽出、製錬する場合の25 %に過ぎない。大規模な銅のリサイクルの例としては、2002年に欧州連合加盟国のうち12か国が通貨をユーロに切り替えた際に旧通貨となった硬貨のリサイクルが挙げられる。この通貨切り替えによっておよそ147496トンの銅が含まれた約260000トンの硬貨が流通停止となり、これらの硬貨に含まれる銅は溶融させてリサイクルされ、新しい硬貨から様々な工業製品まで広い範囲で再利用された。
リサイクルの効率は、製品設計のような技術的要因や銅の経済的価値、持続可能な開発への社会意識の向上といった要因に依存し、また、法律も重要な要因である。現在、家電製品や電話、自動車などの銅を含有した製品における最終的なライフサイクルの責任ある管理を推進するために、140以上の国内もしくは国際的な法律、規制、政令およびガイドラインが定められている。電気・電子機器の廃棄に関する欧州議会及び理事会指令(2002/96/CE、RAEEもしくはWaste Electrical and Electronic EquipmentからWEEE指令)は、廃棄物の発生が少ない製品を生産する生産者に対するインセンティブによって産業廃棄物および一般ごみを義務的かつ大幅に削減することを含んだ、廃棄物最小化を推進する政策である。
2004年の銅需要のうち9 %はリサイクルされた銅によって賄われており、鉱石から銅を生産し、製錬する過程で生じた廃棄物からの銅の回収も「リサイクル」であるとするならば、リサイクルされた銅の割合は全世界で31 %、欧州に限れば41 %にも上る。国際資源パネル(英語版)のMetal Stocks in Society reportによると、社会で使用中の銅を備蓄と捉えて算出した世界1人あたりの銅備蓄量は35–55 kgである。これらの大部分は途上国(1人当たり30–40 kg)よりもむしろ先進国(1人あたり140–300 kg)に存在している。
日本においては、廃棄された電気製品から銅を含む金属を回収する取り組みを都市鉱山と呼んでいる。
銅鉱石を構成する鉱石鉱物には、次のようなものがある。
銅は古代から人類とのかかわりが深く、重要な金属として扱われていた。日本でも、銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められた事例がある。
銅は、金属製品や硬貨の材料として、多くの文明で使用された。現代でも様々な場で使用されており、鉄に次いで重要な金属材料といえる。銅の主要な用途として電線 (60 %)、屋根ふき材および配管 (20 %)、産業機械 (15 %)が挙げられる。
銅の大部分は金属銅として利用されるが、より高硬度が求められる用途に際しては、他の元素を加えて真鍮や青銅のような合金が作られる。このように合金とされる銅は全体のおよそ5 %である。銅供給量のうちの少量は、栄養補助食品や農業における殺菌剤のための銅化合物の生産に用いられる。銅の機械加工は可能であるが、通常複雑な部品を作るための良好な被削性能を得るには合金を用いる必要がある。また銅はイオン化傾向の小さい金属であるが、耐腐食性を増すため金メッキやエナメル皮膜をされることもある。
銅は工業をはじめ幅広い用途に広く用いられ、特に電気器具の配線、変圧器、電磁石のようなデバイス、銅線(英語版)などの材料として用いられる。これは銅が銀に次いで電気抵抗が少なく電気伝導性に優れ、常温における伝導率が銀の94 %と遜色がない一方で、銀より価値が格段に低いためである。
また優れた電気伝導性により、希少金属の価格高騰や伝導性の改善のために、集積回路やプリント基板において金や銀、アルミニウム配線の代替としても銅が用いられる。しかしながらニッケルやコバルトと比較しても他のプロセスへの汚染度が激しいため、同一のチャンバーやラインを使用することによる銅汚染が問題となる。また、銅装置に触れた器具や工具はもとより、エンジニアやオペレーターを介した汚染もある。そのため、半導体製造工程上は、銅が他のプロセスへの影響が出ないように隔離した状態で製造するため若干の費用がかかる。
銅は比較的高い熱伝導率を持つため熱放散能力に優れており、かつ加工性にも優れているためヒートシンクや熱交換器のような廃熱・放熱部分にも銅が用いられる。真空管およびブラウン管、電子レンジにおけるマグネトロン、マイクロ波以上を伝送するための導波管にも銅が用いられている。
銅は、他の金属の電気伝導率を測る国際軟銅線標準(英語版)(IACS)としても使われ、温度20 °C、長さ1 m、断面積1 mmの条件における電気抵抗が0.017241 Ωとなる「万国標準軟銅 (IACS)」の伝導率が基準値 (100 %)とされる。
銅は他の金属材料と比較して優れた電気伝導性を有しているため、電動機の電気エネルギー効率を向上させる。電動機および電動機の駆動システムによる電気消費は世界の全電気使用量の43–46 %、工業では69 %を占めているため、電動機のエネルギー効率は重要な問題である。コイル内で銅の質量と断面積を増大させることで発動機の電気エネルギー効率は向上する。エネルギー節約を主要な目的とする電動機設計の新技術である銅製回転子 は、NEMAによるプレミアム効率(英語版)規格を達成し、さらに上回る多目的誘導電動機の実現を可能にする。
銅はその防水性および防食性、外観の美しさために古代から多くの建物で屋根葺として用いられてきた銅瓦葺きと呼ばれる。これらの建物の屋根に見られる緑色は長期の化学反応によるものである。
銅ははじめ酸化銅(II)に酸化された後、第一銅および第二銅の硫化物を経て最終的に緑青と呼ばれる塩基性炭酸銅となり、この緑青は、酸化腐食に対する高い耐久性を有している。この用途における銅はリンによって脱酸されたリン脱酸銅 (Cu-DHP)として供される。
銅は他の屋根材と比べると高価なため、現代の日本では高級住宅や寺社建築などに限られる。現在では酸性雨の影響もあり、「半永久的な」耐腐食性の建材というわけではない。
避雷針は、主な建築物が破壊される代わりに電流を地面へとそらすための方法として銅が用いられる。銅は、優れたろう付け性能及びはんだ付け特性を有しており、溶接することができ、最良の結果はマグ溶接によって得られる。
銅包板はフジツボやイガイ、フナクイムシなど固着性の水生生物から船底を保護するための静生物性(微生物が成長、増殖するのを抑制する性質。バイオスタティック)物質として長く用いられてきた。初期には純銅が用いられていたが、その後マンツメタル(英語版)に代替された。
銅は静生物性を有しているため、銅の表面上では菌類や細菌やウイルスなどの微生物は生育することができない。同様に、銅合金は極限状態においても抗菌性および生物付着(英語版)防止性を有しており、また構造材としての強さと防腐性を持つという特性を海洋環境において示すため、養殖業において重要な金属材料となった(養殖業における銅合金(英語版))。
近現代に到っても薬莢(黄銅)、銃弾の被覆、雷管のケーシング、砲弾の弾帯、成形炸薬弾のライナーなど、弾薬で重要である。鋳鉄よりも鋳造品質が安定していることから大砲は近世期まで主に青銅製であった。掃海艇は鋼鉄の帯びる磁気に反応する機雷を起爆させないよう船体は木造やFRP、エンジンは銅合金製である。
銅は花火の着色料としても用いられる。これは銅の化合物が炎色反応を示すことを利用したもので、青色を得るのに用いられる。炎色反応は青緑色である。また、オリンピックをはじめ、様々な大会やコンクールで、金、銀に次ぐ3位のメダル色として使われる。
熱伝導と加工のしやすさから、板金状の銅を金鎚で叩いて変形させ、加熱調理用器具(鍋やフライパンなど)に応用することもできる。正確に加工された工業品は高級調理器具としても普及している。ただし、電磁調理器においては使用自体はできるが鉄鋼材に比べ加熱効率が劣る。
銅は精子を殺す能力があることから子宮内避妊器具(IUD)に用いられ、その効果は卵管結紮(英語版)に匹敵する。
液体状態における銅化合物は木の防腐剤に用いられ、特に乾腐(英語版)による損傷を修復している間に構造の元の部分を取扱う際に利用される。亜鉛と共に銅のワイヤーはコケの成長を阻害するため、被導電性の屋根材量の上に置かれることがある。抗菌性の紡織線維を作るために銅が用いられる。銅は細い導線を容易に作成できるため、繊維に織り込んで絨毯やマットなどに使用されている。また、このような絨毯は銅の高い導電性により静電気の発生を抑制する効果も得られる。同様に銅イオンの持つ殺菌作用を利用した用途として、抗菌仕様の靴下や靴の中敷などにも利用され、陶磁器の釉薬やステンドグラス、楽器などにも用いられる。
電気メッキにおいては、ニッケルのような他の金属をメッキする際の下地として銅が用いられる。
銅は鉛、銀と共に、博物館材料の保管試験であるオディ試験(英語版)と呼ばれる試験方法に用いられる3つの金属のうちの1つである。この試験において、銅は塩化物、酸化物および硫化物を検出するために用いられる。
銅は化合物または触媒としても用途が広い。代表的な銅の化合物としては塩化銅(II)・酸化銅(II)・硫酸銅(II)などがあり、各種触媒や、防腐剤、殺虫剤、顔料などに用いられている。
銅はまた装飾品にも使われる。民間療法では銅のブレスレットは関節炎を和らげるとされるが、その証明はされていない。また、銅鉱石のうち孔雀石などはその外観の美しさから宝石としても利用される。
銅はコバルト、マンガンに次ぎ、(鉄よりも)硫黄と結合をする性質が強い。そのために硫黄架橋が存在するゴムを侵すことがある(一般に(ゴムに関しての)銅害、と呼ぶ。ゴムに存在する硫黄のS-S架橋より強く自らと結合する性質があるので、このために硫黄架橋は切断され、ゴムの組織が分解・剥離することになる。このため、銅合金製のフックに輪ゴムをかけておくと輪ゴムがすぐに使えなくなったり、銅イオンを含む水が流れるパイプではEPDMなどの加硫がされたパッキンが急速に劣化して水が汚染されたり、銅の近くにゴム製品を置いておくと表面が溶けたりする。)。この性質を用いて、物質から硫黄を吸着することが可能であるが、この応用は医療・美容分野においては銅クロロフィル(クロロフィル中のマグネシウムを銅に置き換えたもの)などに見ることができる(銅クロロフィルにより、口腔などに存在する硫黄化合物を銅に吸着させて清掃することが可能である)。
純粋な銅は降伏強度が非常に低く (33 MPa)、軟らかい(モース硬度3、ビッカース硬さ50)といった機械的に弱い物理的性質を有しているため、機械加工部品材料としては使用しにくい。このような銅の機械的な弱さとは対照的に、他の金属と合金化して銅合金とすることで非常に優れた機械的強さを示すようになるため、銅の欠点を補い利点を伸ばす銅合金としての用途も幅広い。主要な銅合金として青銅や黄銅があり、ベリリウムやカドミウムなど少量の元素を添加した高純度銅合金なども開発されている。銅はまた、銀や金の合金、宝石業界で用いられるろう材の成分として最も重要なもののうちの1つでもあり、色調の補正や、硬度や融点の調節に利用される。
これらの多様な銅合金は一般的にISO 1190-1:1982もしくはそのISO規格に対応するローカル規格(例えばスペイン国家規格 UNE 37102:1984)によって分類され、これらの規格における各合金の標準規格番号はUNS番号(英語版)が使用される。
銅と亜鉛の合金は一般に黄銅とよばれる。亜鉛の含有率を変化させることで連続的に引っ張り強さや硬さが増大する性質を有しており、銅と亜鉛の比率によって7/3黄銅や6/4黄銅などとよばれそれぞれの性質に合わせて異なる用途に用いられる。金管楽器や仏具などに使われる真鍮は黄銅の1つである。真鍮は錆びにくく、色が黄金色で美しいことから模造金や装飾具などとしてもよく見かける金属である。
黄銅は海水などの塩類を多く含む溶液との接触によって亜鉛が溶出する脱亜鉛現象と呼ばれる腐食が起こる。このような脱亜鉛現象を防ぐためには黄銅へのスズの添加が有効である。6/4黄銅にスズを0.7–1.5 %ほど加えたネーバル黄銅とよばれるスズ入り黄銅は特に海水に強いため、船舶部品などに利用される。スズ入り黄銅のように他の元素を微量に加えた黄銅を特殊黄銅とよび、鉛を加えて切削性を向上させた快削黄銅や、マンガンおよび微量のアルミニウム、鉄、ニッケル、スズを加えて強度や耐食性、耐摩耗性を高めた高力黄銅(またはマンガン青銅とも)などがある。快削黄銅では、鉛の環境負荷に配慮して鉛の代わりにビスマスやセレンが用いられることもある。
古代から武器や通貨などとして用いられた青銅はスズと銅の合金であり、現在でもブロンズ像など、彫刻の材料である。また、アルミニウム青銅などのように、高強度、高硬度、防錆性を有するスズ以外との銅合金も総称して青銅とよばれる。青銅はスズの割合と温度によって多様な相を取り、それぞれ異なった性質を示す。例えば、スズの含有率が少ないものは加工性が良好であるが、スズの含有率が増加するとともに加工性が低下するため、スズ量の少ないもの (10 %以下) は加工用、多いものは鋳造用として利用される。
黄銅と同様に、他の元素を微量に加えた青銅を特殊青銅と呼ぶ。リンを加えて冷間加工性やばね性を向上させたリン青銅や、軸受けに用いられる鉛青銅、リンおよび鉛を加えて切削性を向上させた快削リン青銅、ケイ素を加えて耐酸性を向上させたケイ素青銅などがある。
銅に6–11 %のアルミニウムを加えた合金は、スズを含んでいないもののアルミニウム青銅とよばれる。アルミニウム青銅は機械的な強度が高く耐食、耐熱、耐摩耗性にも優れた合金であり、機械部品や船舶部品などに用いられる。銅とニッケルの合金も同じくスズを含んでいないもののニッケル青銅とよばれる。銅とニッケルはどのような混合比でも合金化するため、銅に10–30 %のニッケルを加えた白銅や、60 %のニッケルを加えたモネルといった幅広い組成比の合金が作られている。白銅は高温での耐食性に優れているため復水器や化学工業用の部材として利用され、貨幣にも使われる。モネルは銅、ニッケルの他に3 %ほどの鉄が含まれており、耐食性および耐熱性に優れている。ニッケル含有量が45 %のニッケル青銅はコンスタンタンとよばれ、標準抵抗線や熱電対に利用される。
銅、ニッケルおよび亜鉛の合金は洋白もしくは洋銀と呼ばれ、その組成は銅が50–70 %、ニッケルおよび亜鉛がそれぞれ13–25 %である。洋白はその白銀色の外観から銀の代用として食器などに利用され、良好なばね特性を有しているためばね材やバイメタルにも用いられる。また、洋白に1–2 %のタングステンを加えた白色の合金はプラチノイドと呼ばれ、電気抵抗線に用いられる。
主な工業用の合金として、高純度銅合金や純銅と呼ばれる極めて高い純度の銅にごくわずかな添加物を加えた合金がある。代表的な高純度銅合金にはカドミウム銅、クロム銅、テルル銅、ベリリウム銅などがあり、工業的には機械工業を初めとした分野で銀含有銅、ヒ素銅、快削銅などが利用される。
また、銅に金、銀を加えた合金である赤銅は工芸材料として用いられる。
銅は微生物においてはそうでないが、動植物においては重要な微量元素である。銅タンパク質は生体内における電子伝達や酸素の輸送、Cu(I)とCu(II)の簡単な相互変換を利用したプロセスといった多様な役割を有している。銅の生物学的役割は、地球の大気における酸素の出現とともに始まった。銅の役割としては、ヘモグロビンを合成するために不可欠である元素であることが知られているが、ヘモグロビンそのものには銅は存在しない。銅が活性中心である酸素結合タンパク質であるヘモシアニンは哺乳類におけるヘモグロビンに相当し、ほとんどの軟体動物と、カブトガニのような多くの節足動物において酸素輸送の役目を担う。ヘモシアニンは酸素と結合して青色を呈するため、これらの生物の血は青色をしており、酸素輸送をヘモグロビンに頼る生物のような赤い血は見られない。構造的にヘモシアニンはラッカーゼおよびモノフェノールモノオキシゲナーゼと関係している。これらのタンパク質では、ヘモシアニンが酸素と可逆的な結合を形成する代わりに、ラッカーの形成における役割のように基質を酸化する。
銅はまた、酸素の処理に関わる他のタンパク質の活性中心でもある。酸素を使う細胞呼吸に必要なシトクロムcオキシダーゼはミトコンドリアにおける呼吸鎖に関連しており、酸素の還元のために銅と鉄が協働する。コラーゲン合成に必須なモノアミンオキシダーゼやリジルオキシダーゼの活性中心も銅であり、さらにスーパーオキシドアニオンを酸素と過酸化水素に不均化することによって分解して無毒化するスーパーオキシドディスムターゼの活性中心も銅でもある。
青色銅タンパク質のようないくつかの銅タンパク質は直接基質とは反応しないため、それらは酵素ではない。それらのタンパク質は、電子移動反応とよばれるプロセスによって電子を中継する。
2001年に出されたアメリカの報告書 によると、銅成分なしの輸液では一日あたり250–1850 μgの銅が失われる。また銅の損失をゼロ(0)とするには一日あたり510 μgの銅を補給することが(計算上)必要としている。
人体には体重1 kgあたりおよそ1.4–2.1 mgの銅が含まれている。銅は腸で吸収され、その後、肝臓に輸送されてアルブミンと結合する。肝臓で処理された後の銅は第二段階として他の組織に分散される。ここの銅輸送プロセスでは、大多数の銅を血液中に輸送するセルロプラスミンが関与している。セルロプラスミンはまた、乳中に排出される銅を運搬し、特に銅源として効率よく吸収される。一日あたりおよそ1 mgの銅が食品から摂取および排出されるのに対して、体内では通常一日あたりおよそ5 mgの銅が肝臓から運び出されて腸で再吸収される腸肝循環によって循環しており、必要であれば胆汁を通じて過剰な銅を体外へと排出できる。
膜輸送体が鉄を細胞に取り込むためには、銅による還元が必要である。このため銅の欠乏によって鉄の吸収量が低下し、貧血のような症状や好中球減少、骨の異常、低色素沈着、成長障害、感染症の発病率増加、骨粗鬆症、甲状腺機能亢進症、ブドウ糖とコレステロールの代謝異常などがもたらされる。しかし、銅は要求量がそれほど多くなく、食品中に豊富に存在するためそのようなことは稀である。ただし、特に反芻動物は銅に対して敏感な性質を持つため、家畜などにおいては銅の不足により神経障害や貧血、下痢などが発生することがある。これは飼料に銅を含んだミネラル分を添加することで改善される。また、亜鉛の過剰摂取は小腸細胞において金属結合性タンパク質であるメタロチオネインが誘導され、銅がこのタンパク質にトラップされる結果、銅の摂取が阻害される。例えば、ウサギの健康な成長のために必要な最低限の銅摂取量は、少なくともエサ中に3 ppmは必要であることが報告されている。
ヒトにおいては、体内の銅の吸収と排出を管理する銅の輸送システムのために、銅の過剰症は通常起こらない。しかしながら、銅の輸送タンパク質における常染色体の劣性突然変異によってこの輸送システムが働かなくなるため、このような欠陥遺伝子対を遺伝した人において肝硬変や銅の蓄積を伴うウィルソン病が、あるいは銅欠乏となるメンケス病(英語版)を発症することがある。また、グラム単位の様々な銅塩は人体に対して深刻な毒性を示すため自殺目的に用いられ、その機序はおそらく酸化還元サイクルおよび、DNAに損傷を与える活性酸素種の生成によると考えられている。銅換算で体重1 kgあたり30 mgに相当する量の銅塩は動物に対して毒性を示すように、多くの動物にとって慢性的に過剰な銅の摂取は毒である。反芻動物では銅の過多により肝硬変や発育不全、黄疸、などが起こりうる。例えば、ウサギのエサ中の銅濃度が100 ppm、200 ppm、500 ppmとより高濃度になると、飼料要求率(英語版)や成長率、枝肉の歩留まりに有意な影響がある可能性が示唆されている。無脊椎動物の多くは過剰供給となって代謝異常を起こす閾値が脊椎動物よりも低い。例えば水槽内で海産魚を飼育する時に、魚病薬として硫酸銅の水溶液を少量飼育水に添加することがあるが、この処置をいったん行った水槽は、飼育水中に微量の銅イオンが溶け出すため、もはや海産無脊椎動物の飼育には不適当といわれている。
著しい銅の欠乏は血漿もしくは血清銅濃度の低下(セルロプラスミン濃度の低下)および、赤血球スーパーオキシドディスムターゼ濃度の低下の検査によって発見することができるが、これらの検査は低濃度の銅に対する感度が高くない。「白血球および血小板のシトクロムcオキシダーゼ活性」は欠乏のもう一つの要因として提示されたが、その結果は反復試験によって確かめられなかった。
銅による食中毒例として、2020年、やかんの水にスポーツドリンクを溶かして摂取した高齢者が吐き気や下痢を訴えた例がある。やかんはステンレス製のものであったが、長年、水道水に含まれる銅が水垢として堆積し、酸性のスポーツドリンクにより溶け出したという極端な原因であった。保健所が調査したところ、飲料から1 Lあたり200 mgの銅が検出されている。
植物における銅の役割としては、生体内における数種類の酸化還元反応にかかわる酵素を活性化する働きや、光合成に必要なクロロフィルに銅が結合しており、クロロフィルの合成に肥料として銅が不可欠であるということが分かっている。しかし、クロロフィルの合成段階において銅がどのような役割を担っているのかなど詳しいことについては未だ判っていない。銅の欠乏によって黄白化、光合成能力の低下、種子の形成異常あるいは枯死などが起こる。銅の過剰供給もまた植物に対して毒性を示し、そのような環境下では銅イオン耐性の強い特殊な植物が繁茂する。例えば、寺社の銅屋根を伝った水が滴るような場所には銅イオン耐性の強いホンモンジゴケが優占することがよく知られている。下等植物の生育や増殖に少量の銅が不可欠であることが知られている。
多くの抗菌効果の研究において、A型インフルエンザウイルスやアデノウイルス、菌類だけでなく、広範囲にわたる細菌を殺菌するための銅の有効性について、10年以上研究されてきた。研究の結果、建物内の給水管に使用した場合、表面に生成される酸化膜や塩素化合物の影響により、短期間に不活化能力が低下する現象のほか、残留塩素の低減作用が明らかとなっており、実用上の課題として認識されている。
銅合金の表面には広範囲の微生物を不活化する固有の能力があり、例えば腸管出血性大腸菌やメチシリン耐性黄色ブドウ球菌 (MRSA)、ブドウ球菌、クロストリジウム・ディフィシル、A型インフルエンザウイルス、アデノウイルスなどを不活化する。約355の銅合金において、定期的に洗浄していれば2時間以内に病原菌の99.9 %以上が不活化されると証明された。
アメリカ合衆国環境保護庁 (EPA)は「公的医療による抗菌性材料」としてこれらの銅合金の登録を承認し、登録された抗菌性銅合金で製造された、製品の明確な公衆衛生効果の主張を合法的に行うことが許可された。さらにEPAは、横木、手摺、蛇口、ドアノブ、洗面所、ハードウェア、キーボード (コンピュータ)、スポーツクラブの器具など、抗菌性銅から作られた抗菌性銅製品の長い一覧を承認した(全品目はen:Antimicrobial copper-alloy touch surfaces#Approved products参照)。
銅製のドアノブは、病院で院内感染を防ぐために用いられ、レジオネラ症は配管システムに銅管を用いることで抑制することができる。抗菌性銅合金製品はイギリス、アイルランド、日本、韓国、フランス、デンマークおよびブラジルにおいて、医療施設に用いられている。また、南米チリのサンティアゴでは、地下鉄輸送システムにおいて銅-亜鉛合金製の手摺が、2011年から2014年の間に約30の鉄道駅に取り付けられることになっている。 | [
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"text": "銅(どう、英語: copper、ラテン語: cuprum)は、原子番号29の元素。元素記号は Cu。周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。金属資源として人類に古くから利用され、生産量・消費量がともに多いことからコモンメタル、ベースメタルの一つに位置づけられる。歴史的にも硬貨や表彰メダルなどで金銀に次ぐ存在とされてきた。",
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"text": "ラテン語では cuprum と言い、元素記号Cuはラテン語の読み、さらに cyprium aes(キプロス島の真鍮)に由来し、キプロスにフェニキアの銅採掘場があったことに由来する。",
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"text": "英語の copper はラテン語の cuprum に由来し、「カッパー」ないし「コッパー」と呼ばれる。しばしば銅を意味すると誤解される bronze(ブロンズ)は、正確には青銅を指す。銅メダルの素材は確かに青銅であり、Bronze Medal(ブロンズメダル)というのは正しい。",
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"text": "日本で初めて銅が使われたのは、紀元前300年の弥生時代といわれている。国内で銅鉱石を初めて産出したのは698年(文武2年)で、因幡国(鳥取県)から銅鉱を朝廷に献じたと伝えられてる。また708年(慶雲5年)に、武蔵国(埼玉県)秩父から献上された銅を用いて貨幣(和同開珎)がつくられ、元号も和銅と改められたとなっている。",
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"text": "7世紀後半の飛鳥池遺跡から発見された「富本銭」は、その鋳造が700年以前に遡ることが確認された他、遺跡からの溶銅の大量出土は、7世紀後半の産銅量が既に一定の水準に達していたことを物語っている。その色あいから銅と呼ばれた。",
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"text": "江戸時代の元禄時代には、精錬技術が発展して純度の高い銅ができ、長崎から中国、ベトナム、インド、インドネシアやヨーロッパまで運ばれた。この銅は棹銅と呼ばれた。",
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"text": "明治19年までは一般的には「あかがね」と呼んでいたが、明治の初めの金工家である加納夏雄は、素材としての銅を「あか」と呼んでいた。また、明治30年に発刊された「鏨迺花」には銅を素銅(すあか)と記述していて、その後の刀剣社会のみ、銅を素銅と呼ぶようになった。現代では銅と呼んでいる。",
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"text": "単結晶の銅は軟らかく、電気伝導度および展延性が高い金属であり、これは同じ第11族元素である銀や金と共通した性質である。これは閉殻構造を取るd軌道の外側にs軌道の電子が1つだけ存在しているという、第11族元素の電子配置に起因している。このような電子配置であるためにd軌道の電子の多くは原子間の相互作用に寄与せず、原子同士を結び付ける金属結合はs軌道の電子によって支配される。そのためこれらの元素は、d軌道が閉殻でなくd軌道の電子が結合に寄与する他の金属元素と比較して共有結合性が弱く金属結合性が強い結合が形成されることとなり、高い電気伝導度や延展性といった金属結合に起因する性質が強く現れる。巨視的なスケールにおいては、結晶格子に結晶粒界のような拡張欠陥が発生して硬度が増すため、負荷応力下での流動性の妨げとなる。そのため、通常銅は単結晶形よりも強度の高い多結晶微粒子の形で供給される。",
"title": "性質"
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"text": "銅は室温において、純粋な金属の中で2番目に高い電気伝導性 (59.6×10 S/m)および熱伝導率 (386 W⋅m⋅K)を有する。室温における金属中での電気伝導の抵抗の大部分は結晶格子の熱振動によって電子が拡散されることに起因しており、銅のような軟らかい金属ではこの熱振動が比較的弱いということが、その原因の1つとなっている。空気中における銅の最大許容電流密度はおよそ3.1×10 A/mであり、それ以上になると過熱する。銅は他の金属と同様に、他の金属と接触することで電気腐食(英語版)を起こす。",
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"text": "青みがかった色のオスミウム、黄色いセシウム、黄色の金と共に、銅は自然の色が灰色もしくは銀色以外の色である3つの金属元素のうちの1つである。銅は赤橙色をした金属であるが、空気中に曝されると赤みがかった色に退色する。この特徴的な銅の色は、満たされている3d軌道と半分空になっている4s軌道の間での電子遷移に起因し、これらの電子軌道のエネルギー差が赤橙色の光と一致するためにこのような色を示す。これは金が特徴的な金色を示すメカニズムと同一のものである。",
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"text": "銅は+1(第一銅)および+2(第二銅)の酸化数を取り、豊富な種類の化合物を形成する。銅は水とは反応しないものの、空気中の酸素とは徐々に反応して黒褐色をした酸化銅の被膜を形成する。生じた錆によって全体が酸化されてしまう鉄とは対照的に、銅の表面に形成される酸化被膜はさらなる酸化の進行を防止する。湿った条件下では二酸化炭素の作用により緑青(水酸化炭酸銅)を生じ、この緑色の層は、自由の女神像や高徳院の阿弥陀如来像(鎌倉大仏)などのような古い銅の建造物などにおいてしばしば見られる。硫化水素および硫化物は銅と反応して、その表面に様々な形の硫化銅を形成する。硫黄化合物を含んだ空気に曝された際に見られるように、硫化物との反応においては銅は腐食される。赤熱下では酸化銅(II)を生成し、さらなる加熱により酸化銅(I)となる。酸素と塩酸によって塩化銅が、酸性条件下で過酸化水素によって2価の銅塩が形成されるように、酸素を含んだアンモニア水は銅の水溶性錯体を与える。塩化銅(II)は銅と均化(英語版)して塩化銅(I)となる。",
"title": "性質"
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"text": "銅はイオン化傾向が小さいため塩酸や希硫酸といった酸とは反応しないが、硝酸、熱濃硫酸のような酸化力の強い酸や、塩酸と過酸化水素の混合物とは反応する。",
"title": "性質"
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"text": "溶融銅は酸素および水素ガスを吸収し、これらの気体を吸蔵した銅は脆性が高い。そこでリチウム、リン、ケイ素が脱酸剤として用いられ、このような処理をした銅を脱酸銅と呼ぶ。",
"title": "性質"
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"text": "銅には29の同位体があり、CuおよびCuは安定同位体である。天然銅のおよそ69 %がCu、31 %がCuであり、共に3/2のスピン角運動量を持つ。銅の他の同位体は放射性同位体であり、最も安定なものは半減期61.83時間のCuである。7つの準安定同位体が明らかとなっており、最も長命なもので半減期3.8分のCuがある。質量数が64以上の同位体ではβ崩壊によって崩壊し、64以下のものはβ崩壊によって崩壊する。半減期12.7時間のCuは、β崩壊とβ崩壊の両方法で崩壊する。",
"title": "性質"
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"text": "CuおよびCuには重要な用途がある。CuはX線写真の造影剤として利用され、Cuのキレート錯体は癌の放射線療法に対して用いられる。CuはCu(II)-pyruvaldehyde-bis(N-methyl-thiosemicarbazone) (Cu-PTSM) の形でポジトロン断層法における放射性トレーサーとして利用される。",
"title": "性質"
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"text": "銅と他の元素との化合物のうち、最も単純なものは二元化合物である。主要なものは酸化物、硫化物およびハロゲン化物である。1価および2価の銅の両方の酸化物が知られている。多数の銅の硫化物の間で重要なものの例として硫化銅(I)および硫化銅(II)が含まれる。",
"title": "化合物"
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"text": "1価の銅のハロゲン化物は塩素、臭素およびヨウ素とのものが知られており、2価の銅のハロゲン化物はフッ素、塩素および臭素とのものが知られている。2価の銅とヨウ素を反応させてもヨウ化銅(II)は合成されず、ヨウ化銅(I)とヨウ素が得られる。",
"title": "化合物"
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"text": "銅は他の金属と同様に配位子との間で錯体を形成する。水溶液中において2価の銅は[Cu(H2O)6]の形で存在している。遷移金属の金属アコ錯体(英語版)に対する配位水の交換速度は最も早い。水酸化ナトリウム溶液を加えることで明青色の水酸化銅(II)が沈降する。",
"title": "化合物"
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"text": "アンモニア水を加えた場合も同様に沈殿を生じるが、アンモニア水の添加量が過剰になるとテトラアンミン銅(II)イオンを形成して沈殿が再溶解する。",
"title": "化合物"
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{
"paragraph_id": 19,
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"text": "多くのオキソアニオンは銅イオンとの間に錯体を形成し、それには酢酸銅(II)や硝酸銅(II)などが含まれる。硫酸銅(II)は青色の結晶の5水和物を形成し、それは研究室において最も一般的な銅化合物である。それはボルドー液と呼ばれる殺菌剤として用いられる。",
"title": "化合物"
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{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "複数のヒドロキシ基を含むポリオールは一般的に2価の銅塩と相互作用を示す。例えば、銅塩は還元糖の検出に用いられる。特に、ベネジクト液およびフェーリング液を用いた糖の検出は、青色の2価の銅が赤色の1価の酸化銅(I)に還元される際の色変化によって識別される。シュバイツァー試薬およびエチレンジアミンや他のアミン類との錯体はセルロースを分解する。アミノ酸は2価の銅との間で非常に安定なキレート錯体を形成する。銅イオンに関する多くの湿式反応が存在し、例えば銅イオンを含む溶液にフェロシアン化カリウムを加えることで茶色の銅(II)塩の沈殿が生じる反応がある。",
"title": "化合物"
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"paragraph_id": 21,
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"text": "炭素-銅結合を含む化合物は有機銅化合物として知られている。それは酸素に対する反応性が非常に高く酸化銅(I)を形成し、化学において有機銅試薬として多くの用途が存在する(有機銅試薬の反応(英語版))。それは1価の銅化合物をグリニャール試薬もしくは末端アルキン、アルキルリチウムで処理することで合成され、特にアルキルリチウムとの反応ではギルマン試薬が合成される。これらはハロゲン化アルキルによって置換反応を起こしてカップリング生成物を形成し、それらは有機合成化学の分野で重要である。炭化銅(I)は衝撃に非常に敏感であるが、カディオ・ホトキェヴィチカップリング や薗頭カップリング のような反応の中間体である。エノンへの求核共役付加反応 およびアルキンのカルボメタル化(英語版)もまた有機銅化合物を用いることで実現された。1価の銅はアルケンおよび一酸化炭素との間で様々な弱い錯体を形成し、それは特にアミン配位子の存在下において顕著である。",
"title": "化合物"
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"paragraph_id": 22,
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"text": "3価の銅化合物は有機銅化合物の反応において中間体としてしばしば見られる。ジ銅のオキソ錯体もまた3価の銅であることを特徴とする。非常に基本的なフッ化物の配位子は高酸化状態の金属イオンを安定化させ、3価および4価の銅化合物にはK3CuF6やCs2CuF6 のようなフッ化物との錯塩がある。紫色をした3価の銅の化合物である、ジおよびトリペプチドは脱プロトン化されたアミド配位子によって高酸化状態が安定化されている。",
"title": "化合物"
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "溶液中の銅の定性分析としては、水酸化ナトリウムを加えた際に生じる水酸化銅(II)の沈殿や、ヘキサシアノ鉄(III)カリウムを加えた際に生じるフェロシアン化銅の赤褐色沈殿、硫化ナトリウムを加えた際に生じる硫化銅(II)の黒色沈殿などを観察する方法がある。微量な銅イオンの定性方法としてはアンモニアを加えた際に生じるアンミン錯体の青色を検出する方法が用いられ、この方法による検出限界は60 ppmである。妨害元素としては銅と同じ青色のアンミン錯体を形成するNiがあり、Coなどのアンミン錯体も呈色によって銅錯体の青色を検出を困難にする。またアンモニア塩基性で沈殿を生じる元素が共存していると銅が共沈してしまうため、こちらも妨害要因となる。さらに感度の高い方法としてジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムとの反応によって生じる黄褐色化合物を検出する方法があり、この方法による検出限界は10 ppmである。妨害元素の多くはEDTAの添加によってマスキングすることができるが、Biが200 ppm以上共存していると銅と同様の反応を起こして妨害となる。Cuはほとんどの化合物が難溶性であり溶液中に存在することが希である。",
"title": "分析"
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{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "銅は青緑色の炎色反応を示すため、炎色反応の観察によっても定性分析をすることが可能である。その青緑色の輝線の波長は530–550 nmの幅を持つブロードなスペクトルである。",
"title": "分析"
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"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "銅の定量分析法のうち、古典的なものとして重量分析法と比色分析法がある。重量分析法では、試料を溶解させた溶液を処理して酸化銅(II)や硫化銅(II)、チオシアン酸銅(II)などの溶解度の極めて低い銅化合物を生成させて分離し、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量するという方法が利用される。例えば酸化銅(II)を生成させる方法では、試料を酸性溶液に溶解させた後に水酸化ナトリウムなどを加えて塩基性とした状態で加熱することで水酸化銅(II)の沈殿を生成させ、これに臭素水などを加えてさらに過熱することで水酸化銅(II)を酸化させて酸化銅(II)とする。こうして得られた酸化銅(II)をるつぼに入れて強熱した後、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量することができる。酸化銅(II)を用いる方法は比較的分析精度が高いものの高濃度試料の分析には適さず、チオシアン酸銅(II)を用いる方法は様々な夾雑元素を分離できるため銅鉱石のような試料の分析に適している。また比較的新しい方法としては、試料を溶解させた溶液を電気分解して金属銅を析出させ、その重量を測定する電解重量法も銅の重量分析法として用いられる。電解重量法は国際標準化機構によるISO 1553:1976, ISO 1554:1976および、日本産業規格による対応規格であるJIS H 1051:2005において銅および銅合金中の銅定量方法として規格されている。この方法では、電解させた後の溶液中に銅が残存してしまうため電解残液中の銅を別の方法で測定する必要があり、その方法としてはオキザリルジヒドラジド吸光光度法や原子吸光光度法、誘導結合プラズマ発光分析法が規定されている。比色分析法では、定性分析として用いられる銅のアンミン錯体が呈する青色の発色の程度が銅濃度に比例することを利用して、目視 もしくは分光光度計を利用した分光光度法によって銅濃度を定量することができる。銅を発色させる試薬は様々な種類のものが研究されており、2,9-ジメチル-4,7-ジフェニル-1,10-フェナントロリン(バソクプロイン)を用いる方法では溶液中の銅濃度2 μg/Lという検出限界が達成されている。",
"title": "分析"
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"tag": "p",
"text": "容量分析法もまた、銅の定量分析法として用いられる。このような方法としては、銅のアンミン錯体が青色でありシアノ錯体は無色であることを利用した錯滴定法や、酢酸酸性条件において銅がヨウ化カリウムと反応することで遊離するヨウ素をチオ硫酸ナトリウムで滴定する酸化還元滴定法などがある。また、重量分析法で利用されるチオシアン酸銅(II)は水酸化ナトリウム溶液中で加熱すると水酸化銅(II)とチオシアン酸ナトリウムが生成されるため、このチオシアン酸ナトリウムを濃度既知の過マンガン酸カリウム溶液で酸化還元滴定をすることによっても銅を定量することができる。",
"title": "分析"
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"tag": "p",
"text": "溶液中に含まれる微量な銅の定量分析には、原子吸光光度法 (AAS) や誘導結合プラズマ発光分析法 (ICP-AES)などの機器分析が利用される。試料中の銅濃度が低く検出できない場合や共存する元素によって分析結果に誤差が生じるような場合には、前処理としてジエチルジチオカルバミン酸ナトリウムを用いて銅錯体を形成させ、酢酸ブチルを有機層として溶媒抽出することで銅を分離、濃縮する操作が行われる。AASでは通常アセチレン-空気炎を用いて324.8 nmの吸収波長で測定され、試料の原子化に黒炭炉を用いた黒炭炉原子吸光分析を利用することで分析感度を向上させることができる。ICP-AESでは324.754 nmの発光波長で測定され、夾雑元素によるスペクトル干渉を受けやすい。また、蛍光X線元素分析法 (XRF)やイオン電極、ストリッピングボルタンメトリーなどによる定量分析も利用される。",
"title": "分析"
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"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "銅は自然銅として自然中に存在しており、最初期の文明のいくつかにおいても知られ先史時代から使われてきた金属である。銅の使用には少なくとも1万年の歴史があり、紀元前9000年の中東で利用され始めたと推測されている。イラク北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われている。金および隕鉄(ただし鉄の溶融はできていない)だけが、人類が銅より前に使用していたという証拠がある。銅の冶金学の歴史は、1. 自然銅の冷間加工、2. 焼きなまし、3. 製錬および4. インベストメント鋳造の順序に続いて発展したと考えられる。東南アナトリアにおいては、これら4つの冶金技術はおよそ紀元前7500年頃の新石器時代の初めに若干重複して現れる。農業が世界中のいくつかの地域(パキスタン、中国およびアメリカ大陸を含む)でそれぞれ独立して発明されたのと同様に、銅の溶錬もいくつかの異なる地域で発明された。それはおそらく、紀元前2800年頃の中国、西暦600年頃の中央アメリカ、および西暦9から10世紀頃の西アフリカでそれぞれ独立して発明された。インベストメント鋳造は紀元前4500から4000年頃に東南アジアで発明され、また、放射性炭素年代測定によって英国チェシャーのアルダリー・エッジ(英語版)にある銅鉱山が紀元前2280年から紀元前1890年のものであると確かめられた。紀元前3300年から紀元前3200年頃のものと見られるミイラのアイスマンは、純度99.7 %の純銅製の斧の頭とともに発見された。彼の髪に高純度のヒ素が見られたことから、彼が銅精錬に関わっていたのではないかと考えられている。ミシガンおよびウィスコンシンのオールドカッパー文化(英語版)(古代北米におけるネイティブ・アメリカンの社会。銅製の武器や道具を広く利用していた)における銅の生産は紀元前6000年から紀元前3000年の間の年代を示している。これらのような銅と関わった経験が他の金属の利用の発展の助けとなり、特に、銅の溶錬から鉄の溶錬(塊鉄炉(英語版))の発見に至った。",
"title": "歴史"
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"tag": "p",
"text": "銅とスズとの合金である青銅の製造は銅の溶錬法の発見からおよそ4000年後に初めて行われ、その2000年後には自然銅の一般的な用途となった。シュメールの都市から発見された青銅製品や、古代エジプトの都市から発見された銅および青銅製品は紀元前3000年頃のものと見られている。青銅器時代は東南ヨーロッパで紀元前3700年から紀元前3300年頃に始まり、北ヨーロッパでは紀元前2500年頃から始まった。青銅器はまた古代のエジプトや中国(殷王朝)などでも使われるようになり、世界各地で青銅器文明が花開いた。それは鉄器時代の始まり(中東では紀元前2000年から紀元前1000年頃、北ヨーロッパでは紀元前600年頃)によって終了した。新石器時代から青銅器時代への移行期は、石器とともに銅器が使われ始めた時代であることから、以前は銅石器時代と呼ばれていた(「銅器時代」も参照)。この用語は、世界の一部の地域では新石器時代と銅石器時代の境界が重なっているために徐々に使われなくなっていった。銅と亜鉛の合金である真鍮の起源はずっと新しい。それはギリシャ人には知られており、ローマ帝国期の青銅の不足を補う重要な合金となった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "ギリシャでは、銅はカルコス(χαλκός、chalkos)として知られていた。それはギリシャ人、ローマ人および他の民族にとって重要な資源であった。ローマ時代にはキュプリウム・アエス(aes Cyprium、キプロス島の銅)として知られており、アエス (aes)は多くの銅が採掘されたキプロス島からの銅合金および銅鉱石を示す一般的なラテン語の用語である。キュプリウム・アエスというフレーズはクプルム (cuprum)と一般化され、そこから英語で銅を示すカッパー (copper)となった。銅の光沢の美しさや、古代には鏡の生産に銅が用いられていたこと、および女神を崇拝していたキプロスとの関係から、女神であるアプロディーテーおよびウェヌスは神話と錬金術において銅の象徴とされた。古代に知られていた7つの惑星は、古代に知られていた7つの金属と関連付けられ、金星は銅に帰されていた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 31,
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"text": "イギリスでの真鍮の初めての使用は紀元前3世紀から2世紀頃に起こった。北アメリカ大陸での銅鉱山はネイティブ・アメリカンによって周辺部の採掘から始まった。自然銅は800年から1600年までの間に、原始的な石器によってアイル・ロイヤル国立公園から採掘されていたことが知られている。銅の冶金学は南アメリカ大陸、特に1000年頃のペルーにおいてで盛んであった。アメリカ大陸における銅の利用の発展は他の大陸よりも非常に遅く進行した。15世紀から銅の埋葬品が見られるようになったが、金属の商業生産は20世紀前半まで始まらなかった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "銅の文化的な役割は、特に流通において重要だった(銅貨)。紀元前6世紀から紀元前3世紀までを通して、古代ローマでは銅の塊をお金として利用していた。初めは銅自体が価値を持っていたが、徐々に銅の形状と見た目が重要視されるようになっていった。ガイウス・ユリウス・カエサルは真鍮製のコインを作り、一方でアウグストゥスのコインは銅-鉛-スズ合金から作られた。当時の銅の年間生産量は15000トンと推定されており、ローマの銅採掘および溶錬活動(ローマにおける冶金(英語版))は産業革命の時まで凌駕されない規模に達していた。最も熱心に採掘された属州はヒスパニア、キプロスおよび中央ヨーロッパであった。現代の日本の硬貨においても、5円硬貨が黄銅、10円硬貨が青銅、50円硬貨、100円硬貨、旧500円硬貨が白銅、新500円玉がニッケル黄銅という銅の合金が用いられている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "日本では弥生時代より銅鐸、銅剣、銅鏡などの青銅器が鋳造されていたが、その原材料は大陸からの輸入品であった。国産の銅は698年に産出したものが始まりとされる(スズは700年)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 34,
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"text": "エルサレム神殿の門は色揚げ(英語版)によって作られたコリント青銅(英語版)が使われた。それは錬金術が始まったと考えられるアレクサンドリアで一般的なものであった。古代インドにおいて銅は、医療体系であるアーユルヴェーダにおいて外科用器具および他の医療用器具のために用いられた。紀元前2400年の古代エジプト人は傷や飲料水の殺菌のために銅を利用し、後には頭痛、火傷、かゆみにも用いられるようになった。はんだ付けされた銅製のシリンダーを持つバグダッド電池はガルバニ電池に類似している。年代は紀元前248年から西暦226年に遡り、これが初めての電池であるように人々に考えられているが、この主張は実証されていない。",
"title": "歴史"
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"text": "スウェーデンのファールンにある大銅山(英語版)は10世紀から1992年まで操業された銅鉱山である。大銅山は17世紀のヨーロッパの銅需要の2/3を満たし、その期間にスウェーデンが行っていた戦争において戦費の大きな助けとなった。それは国の金庫と呼ばれ、スウェーデンは銅に裏打ちされた通貨を有していた(スウェーデンにおける銅貨の歴史(英語版))。",
"title": "歴史"
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"text": "また同時代の主要な銅産出国としては他に、17世紀に発見された足尾銅山や別子銅山などによって銅生産が活発になっていた江戸時代の日本が挙げられる。1680年代中頃には50の銅山から年間およそ5400トンの銅が産出され、ピーク時の1697年における年間およそ6000トンという産出量は、世界一であったと推測されている。",
"title": "歴史"
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{
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"tag": "p",
"text": "生産された銅のおよそ1/2から2/3は、長崎貿易で世界へと輸出されており、当時の日本にとって重要な輸出品目であったが、その後、日本の銅生産量は減少の一途をたどり、18世紀中旬には産業革命を迎えたイギリス帝国に抜かれて2位となった。",
"title": "歴史"
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"text": "明治時代には、新規産業技術の導入や機械化によって、日本の銅生産は持ち直したが、チリやアメリカ、アフリカの大規模鉱山の開発が始まると、そちらが世界の主流となっていった。日本の銅山はその後、公害や採算性の悪化により、1970年代頃から閉山が相次ぎ、1994年に日本最後の銅鉱山が閉山した。",
"title": "歴史"
},
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"text": "近現代における銅生産量の増加は、銅精錬の際の副産物である亜硫酸ガスの大量放出にもつながり、例えば16–17世紀にはスウェーデンの大銅山において、亜硫酸ガスの排出による影響で、周辺森林の樹木が枯死し、全滅するという大規模公害が、長期間にわたって続いていたことが記録されている。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "このような亜硫酸ガスによる公害は、世界中の銅山で発生していたものと推測されている。このような状況は産業革命以降加速し、イギリスのコーニッシュ銅山では「もし悪魔がここを通りかかったら我が家に帰ったと、錯覚するだろう」と言われるほどの深刻な公害が引き起こされ、主要な銅産出国であった日本においても、明治以降の近代化に伴い、足尾鉱毒事件が起こっている。",
"title": "歴史"
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"text": "銅は芸術においても利用されていた。ルネサンス期の彫刻や、ダゲレオタイプとして知られる写真技術、自由の女神像 (ニューヨーク)などで用いられた。船体への銅めっき(英語版)および銅包板(英語版)の利用は広範囲におよび、クリストファー・コロンブスの船はこれを備えた最初期のものの1つであった。",
"title": "歴史"
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"tag": "p",
"text": "1876年、ノルドドイチェ・アフィネリー(英語版)社はハンブルクで最初の現代的な電気めっき工場による生産を始めた。1830年、ドイツの科学者であるゴットフリート・オサン(英語版)が金属の原子量を測定していた際に粉末冶金が発明された。その前後に、スズのような銅合金の構成元素の量と種類によってベル・トーンに影響を及ぼすことが発見された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "自溶炉製錬はフィンランドのオウトクンプ(英語版)社によって開発され、1949年にハルハヴァルタ(英語版)で初めて用いられた。自溶炉はエネルギー効率が良く、世界の主要な銅生産の50 %を占めている。",
"title": "歴史"
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{
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"tag": "p",
"text": "1967年、石油における石油輸出国機構 (OPEC)と類似した役目を担うことを目的として、チリ、ペルー、ザイール、ザンビアによって銅輸出国政府間協議会が設立された。しかしながら、当時世界2位の銅生産国であるアメリカ合衆国がメンバーに加わらなかったため、OPECのような影響力を持つことができずに、1988年に解散した。",
"title": "歴史"
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{
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"tag": "p",
"text": "2009年において、世界における銅の全生産量のうち50–60 %が斑岩銅鉱床より産出されている。斑岩銅鉱床からは銅の他にモリブデンやロジウムなどが併産される。斑岩銅鉱床はプレートの沈み込みに関連して形成されるため、南米のアンデス山脈や東南アジアのフィリピン、インドネシア周辺などプレートの周辺部に偏在している。",
"title": "生産"
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{
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"tag": "p",
"text": "斑岩銅鉱床から産出される鉱石の銅含有量は、およそ0.2–1.0 %ほどである。斑岩銅鉱床から採掘される銅鉱山の例として、チリのチュキカマタ鉱山やアメリカ合衆国ユタ州のビンガムキャニオン鉱山(英語版)などが挙げられる。斑岩銅鉱床に次いで産出量が多いのは堆積鉱染型鉱床で、銅の全生産量の20 %を占める。",
"title": "生産"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "堆積鉱染型の銅鉱床からは銀が併産され、中央アフリカのものではコバルトも併産される。堆積鉱染型鉱床は岩石の風化および堆積によって形成される堆積岩によるものであるため大陸部に偏在する。このタイプの鉱床としては、中央アフリカのザンビアからコンゴ民主共和国にかけて伸びるカッパーベルトが最大のものであり、他にポーランドのルビン鉱山などがある。",
"title": "生産"
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{
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"text": "その他にも、熱水鉱床の一種である銅スカルン鉱床や火山性塊状硫化物鉱床、海底噴気堆積鉱床など様々な種類の銅鉱床が知られている。これらの銅鉱山では、主に露天掘りによる採掘が行われている。",
"title": "生産"
},
{
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"tag": "p",
"text": "他の方法として、採掘抗を掘り進める坑内採鉱や、希硫酸を鉱床に注入して銅を溶解抽出する原位置抽出法(英語版)も行われている。坑内採鉱では費用や安全性の問題が、原位置抽出法では採用可能な地質条件が限られているため、主流にはなっていない。",
"title": "生産"
},
{
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"tag": "p",
"text": "世界の10大銅山のうちの5つはチリにあり、(エスコンディーダ(英語版)、コデルコ・ノルテ(チュキカマタ鉱山を含む)、コジャワシ、エル・テニエンテ)、ロス・ペランブレス(スペイン語版))、2つがインドネシア(グラスベルグ鉱山、バツビジャウ鉱山(英語版))、1つがアメリカ(モレンシ鉱山、アリゾナ州モレンシ)、ロシア(タイミル半島)およびペルー(アンタミナ(スペイン語版))に存在する。",
"title": "生産"
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"text": "かつて日本は、日本三大銅山の足尾銅山、別子銅山、日立銅山と、多くの鉱山をかかえた輸出国であったが、現在は全て廃鉱となり、銅を100 %輸入に頼っている。",
"title": "生産"
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{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "銅鉱石中の銅濃度は平均して0.6 %ほどでしかなく、商業利用される鉱石の大部分は硫化物(特に黄銅鉱 CuFeS2、少ない範囲では輝銅鉱 Cu2S)である。これらの鉱石は粉砕され、泡沫浮選もしくはバイオリーチング(英語版)によって10–15 %程度にまで銅濃度が高められる。こうして銅が濃縮された鉱石に燃料としてのコークスのほか融剤として石灰石とケイ砂を加えて乾式精錬(溶錬炉で溶融)することで、黄銅鉱中の鉄の大部分はスラグとして除去される。この方法は鉄の硫化物が銅の硫化物よりも酸化されやすい性質を利用しており、銅よりも先に鉄がケイ砂と反応してケイ酸スラグを形成し、低比重のケイ酸スラグが溶融原料上に浮上してくることで鉄が分離される。また、ケイ砂と石灰石からケイ酸カルシウムが生成し、これが融剤として銅の融点を下げる。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "その結果得られた硫化銅から成る銅鈹(マット(英語版))を空気酸化しながら焙焼することで、銅鈹中の硫化物は酸化物へと変換され、硫黄は酸化除去される。",
"title": "生産"
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "得られた酸化第一銅は2000 °Cを越える高温で加熱されることで還元され、粗銅(銅含有率は約98 %)となる。",
"title": "生産"
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{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "サドバリー鉱山で用いられているマット法では、硫化物の半分だけを酸化物とした後、酸化銅を酸素源として硫化銅と反応させることで硫黄を除去する方法が用いられている。このようにして得られた粗銅は電解精錬によって精製され、副生する陽極泥からは金や白金が回収される。この工程は銅の還元されやすさが利用され、このように電解精錬によって得られた銅は電気銅とも呼ばれる。",
"title": "生産"
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{
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"text": "そこからさらに不純物を除いて純銅を生産するための方法としては、電気銅をシャフト炉で溶解製錬を行う(タフピッチ銅)、リンなどの脱酸剤を加えて残留酸素を除去する(脱酸銅)、高真空中で溶解させることで酸素を除去する(無酸素銅)などの方法が挙げられる。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 57,
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"text": "2005年の銅の生産量は世界全体で1501万トンであった。その内訳はチリが35 %と大半を占め、以下アメリカ合衆国7.5 %、インドネシア7.1 %、ペルー6.7 %、オーストラリア6.1 %、中華人民共和国5.0 %、ロシア4.6 %と続く。2011年の生産量は1610万トンとなり、チリが542万トンと世界生産量の1/3以上を占めており、それにペルー、中華人民共和国が続いている。2005年の製錬銅の生産量は世界全体で1658万トンであり、そのうち38 %は中華人民共和国および日本を中心とするアジア諸国が占めていた。",
"title": "生産"
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"text": "出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 59,
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"text": "銅は少なくとも一万年前から人類によって利用されてきたが、これまでに採掘、製錬された全ての銅の95 %以上は1900年以降に抽出されたものである。アメリカ地質調査所の2005年版Mineral Commodity Summariesを元にした経済産業省東北経済産業局の報告書によれば、地球上の銅の確認埋蔵量はおよそ9億4000万トン、可産鉱量はおよそ4億7000万トンである。また、2011年版Mineral Commodity Summariesでは可産鉱量は6億9000万トンに増加しており、国別ではチリの1億9000万トンが最も多く全体の28 %を占めており、2位のペルーが9000万トン(13 %)とそれに続いている。鉱業的に利用可能な銅の可産年数の様々な推定データは、銅生産量の成長率などの主な要素の仮定によって25年から60年の間で変動し、2005年のデータを元に単純に可産鉱量を年間生産量で割り可産年数を算出すると32年となる。そのため、銅は2040年頃に枯渇すると言われることがある。",
"title": "生産"
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"text": "出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 61,
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"text": "銅は鉄、アルミニウムに次いで世界で3番目に多く消費される金属であり、銅の世界貿易で年間およそ300億ドルが動く重要な貿易品目でもある。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 62,
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"text": "世界の銅需要は、国際銅協会 (ICA) によれば2020年に2500万トンである。またICAは2018年時点では、2050年に1億トン以上に増えると予測していた。しかし2022年時点の予測では、2050年の世界需要を5000万トンとしている。",
"title": "生産"
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"text": "出典: World Copper Factbook 2007",
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"text": "銅の主要な産出国では、銅鉱石および製錬銅の両方を輸出している。主な輸入国は先進工業国であり、日本、中華人民共和国、インド、大韓民国およびドイツでは鉱石として、アメリカ合衆国、ドイツ、中華人民共和国、イタリア、中華民国は製錬銅として輸入している。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 65,
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"text": "銅取引はロンドン金属取引所(英語版)(LME)、ニューヨーク・マーカンタイル取引所、上海金属取引所の3つの主要な国際市場がある。これらの市場で日々、銅相場や先物価格が決定される。銅の価格は歴史的に不安定であり、銅のキログラム単価は1999年6月の1.32USドルから2006年5月の8.27USドルまでおよそ5倍に上昇した。2004年の銅価格の高騰は中華人民共和国をはじめとした新興国の需要の増加によるものであり、電気インフラへのリスクが生じるような銅製品(特に銅ケーブル、電線)の盗難の波が世界中で引き起こされた。それは2007年2月に5.29USドルまで下落し、そして2007年4月に7.71USドルまで反発した。2009年2月には、前年の高値から一転して世界需要の後退と物価の急な下落によって3.32USドルまで下落した。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "2010年代においても、銅相場は大消費国である中国の景気の先行きを反映しやすいことから、医師にたとえて「ドクター・カッパー」の異名を持つ。",
"title": "生産"
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"text": "",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "リサイクルは主要な銅の資源となっている。銅はアルミニウムのように、原料のままの状態であっても製品中に含まれている状態であっても関係なく、品質の損失なしに100 %リサイクルすることが可能である。そのため銅製品に使われている銅がリサイクルされたものかどうかを判別するのは不可能であり、銅は古来からリサイクルされてきた素材の1つである。銅をリサイクルする方法は大まかに言えば銅を抽出する方法と同じであるが、必要な工程は抽出よりも少ない。高純度の銅スクラップは炉で溶融、還元された後ビレットおよびインゴットに鋳造され、低純度のスクラップは硫酸浴中で電解製錬される。銅のリサイクルにはこのような製造工程の他にもリサイクル元となる原料の収集や分別といった作業が必要となるが、それでもリサイクルに必要となるエネルギー量は鉱石から銅を抽出、製錬する場合の25 %に過ぎない。大規模な銅のリサイクルの例としては、2002年に欧州連合加盟国のうち12か国が通貨をユーロに切り替えた際に旧通貨となった硬貨のリサイクルが挙げられる。この通貨切り替えによっておよそ147496トンの銅が含まれた約260000トンの硬貨が流通停止となり、これらの硬貨に含まれる銅は溶融させてリサイクルされ、新しい硬貨から様々な工業製品まで広い範囲で再利用された。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "リサイクルの効率は、製品設計のような技術的要因や銅の経済的価値、持続可能な開発への社会意識の向上といった要因に依存し、また、法律も重要な要因である。現在、家電製品や電話、自動車などの銅を含有した製品における最終的なライフサイクルの責任ある管理を推進するために、140以上の国内もしくは国際的な法律、規制、政令およびガイドラインが定められている。電気・電子機器の廃棄に関する欧州議会及び理事会指令(2002/96/CE、RAEEもしくはWaste Electrical and Electronic EquipmentからWEEE指令)は、廃棄物の発生が少ない製品を生産する生産者に対するインセンティブによって産業廃棄物および一般ごみを義務的かつ大幅に削減することを含んだ、廃棄物最小化を推進する政策である。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 70,
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"text": "2004年の銅需要のうち9 %はリサイクルされた銅によって賄われており、鉱石から銅を生産し、製錬する過程で生じた廃棄物からの銅の回収も「リサイクル」であるとするならば、リサイクルされた銅の割合は全世界で31 %、欧州に限れば41 %にも上る。国際資源パネル(英語版)のMetal Stocks in Society reportによると、社会で使用中の銅を備蓄と捉えて算出した世界1人あたりの銅備蓄量は35–55 kgである。これらの大部分は途上国(1人当たり30–40 kg)よりもむしろ先進国(1人あたり140–300 kg)に存在している。",
"title": "生産"
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"text": "日本においては、廃棄された電気製品から銅を含む金属を回収する取り組みを都市鉱山と呼んでいる。",
"title": "生産"
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"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "銅鉱石を構成する鉱石鉱物には、次のようなものがある。",
"title": "生産"
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{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "銅は古代から人類とのかかわりが深く、重要な金属として扱われていた。日本でも、銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められた事例がある。",
"title": "用途"
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"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "銅は、金属製品や硬貨の材料として、多くの文明で使用された。現代でも様々な場で使用されており、鉄に次いで重要な金属材料といえる。銅の主要な用途として電線 (60 %)、屋根ふき材および配管 (20 %)、産業機械 (15 %)が挙げられる。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "銅の大部分は金属銅として利用されるが、より高硬度が求められる用途に際しては、他の元素を加えて真鍮や青銅のような合金が作られる。このように合金とされる銅は全体のおよそ5 %である。銅供給量のうちの少量は、栄養補助食品や農業における殺菌剤のための銅化合物の生産に用いられる。銅の機械加工は可能であるが、通常複雑な部品を作るための良好な被削性能を得るには合金を用いる必要がある。また銅はイオン化傾向の小さい金属であるが、耐腐食性を増すため金メッキやエナメル皮膜をされることもある。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "銅は工業をはじめ幅広い用途に広く用いられ、特に電気器具の配線、変圧器、電磁石のようなデバイス、銅線(英語版)などの材料として用いられる。これは銅が銀に次いで電気抵抗が少なく電気伝導性に優れ、常温における伝導率が銀の94 %と遜色がない一方で、銀より価値が格段に低いためである。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "また優れた電気伝導性により、希少金属の価格高騰や伝導性の改善のために、集積回路やプリント基板において金や銀、アルミニウム配線の代替としても銅が用いられる。しかしながらニッケルやコバルトと比較しても他のプロセスへの汚染度が激しいため、同一のチャンバーやラインを使用することによる銅汚染が問題となる。また、銅装置に触れた器具や工具はもとより、エンジニアやオペレーターを介した汚染もある。そのため、半導体製造工程上は、銅が他のプロセスへの影響が出ないように隔離した状態で製造するため若干の費用がかかる。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "銅は比較的高い熱伝導率を持つため熱放散能力に優れており、かつ加工性にも優れているためヒートシンクや熱交換器のような廃熱・放熱部分にも銅が用いられる。真空管およびブラウン管、電子レンジにおけるマグネトロン、マイクロ波以上を伝送するための導波管にも銅が用いられている。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "銅は、他の金属の電気伝導率を測る国際軟銅線標準(英語版)(IACS)としても使われ、温度20 °C、長さ1 m、断面積1 mmの条件における電気抵抗が0.017241 Ωとなる「万国標準軟銅 (IACS)」の伝導率が基準値 (100 %)とされる。",
"title": "用途"
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{
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"tag": "p",
"text": "銅は他の金属材料と比較して優れた電気伝導性を有しているため、電動機の電気エネルギー効率を向上させる。電動機および電動機の駆動システムによる電気消費は世界の全電気使用量の43–46 %、工業では69 %を占めているため、電動機のエネルギー効率は重要な問題である。コイル内で銅の質量と断面積を増大させることで発動機の電気エネルギー効率は向上する。エネルギー節約を主要な目的とする電動機設計の新技術である銅製回転子 は、NEMAによるプレミアム効率(英語版)規格を達成し、さらに上回る多目的誘導電動機の実現を可能にする。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "銅はその防水性および防食性、外観の美しさために古代から多くの建物で屋根葺として用いられてきた銅瓦葺きと呼ばれる。これらの建物の屋根に見られる緑色は長期の化学反応によるものである。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "銅ははじめ酸化銅(II)に酸化された後、第一銅および第二銅の硫化物を経て最終的に緑青と呼ばれる塩基性炭酸銅となり、この緑青は、酸化腐食に対する高い耐久性を有している。この用途における銅はリンによって脱酸されたリン脱酸銅 (Cu-DHP)として供される。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "銅は他の屋根材と比べると高価なため、現代の日本では高級住宅や寺社建築などに限られる。現在では酸性雨の影響もあり、「半永久的な」耐腐食性の建材というわけではない。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "避雷針は、主な建築物が破壊される代わりに電流を地面へとそらすための方法として銅が用いられる。銅は、優れたろう付け性能及びはんだ付け特性を有しており、溶接することができ、最良の結果はマグ溶接によって得られる。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "銅包板はフジツボやイガイ、フナクイムシなど固着性の水生生物から船底を保護するための静生物性(微生物が成長、増殖するのを抑制する性質。バイオスタティック)物質として長く用いられてきた。初期には純銅が用いられていたが、その後マンツメタル(英語版)に代替された。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "銅は静生物性を有しているため、銅の表面上では菌類や細菌やウイルスなどの微生物は生育することができない。同様に、銅合金は極限状態においても抗菌性および生物付着(英語版)防止性を有しており、また構造材としての強さと防腐性を持つという特性を海洋環境において示すため、養殖業において重要な金属材料となった(養殖業における銅合金(英語版))。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "近現代に到っても薬莢(黄銅)、銃弾の被覆、雷管のケーシング、砲弾の弾帯、成形炸薬弾のライナーなど、弾薬で重要である。鋳鉄よりも鋳造品質が安定していることから大砲は近世期まで主に青銅製であった。掃海艇は鋼鉄の帯びる磁気に反応する機雷を起爆させないよう船体は木造やFRP、エンジンは銅合金製である。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "銅は花火の着色料としても用いられる。これは銅の化合物が炎色反応を示すことを利用したもので、青色を得るのに用いられる。炎色反応は青緑色である。また、オリンピックをはじめ、様々な大会やコンクールで、金、銀に次ぐ3位のメダル色として使われる。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "熱伝導と加工のしやすさから、板金状の銅を金鎚で叩いて変形させ、加熱調理用器具(鍋やフライパンなど)に応用することもできる。正確に加工された工業品は高級調理器具としても普及している。ただし、電磁調理器においては使用自体はできるが鉄鋼材に比べ加熱効率が劣る。",
"title": "用途"
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{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "銅は精子を殺す能力があることから子宮内避妊器具(IUD)に用いられ、その効果は卵管結紮(英語版)に匹敵する。",
"title": "用途"
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"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "液体状態における銅化合物は木の防腐剤に用いられ、特に乾腐(英語版)による損傷を修復している間に構造の元の部分を取扱う際に利用される。亜鉛と共に銅のワイヤーはコケの成長を阻害するため、被導電性の屋根材量の上に置かれることがある。抗菌性の紡織線維を作るために銅が用いられる。銅は細い導線を容易に作成できるため、繊維に織り込んで絨毯やマットなどに使用されている。また、このような絨毯は銅の高い導電性により静電気の発生を抑制する効果も得られる。同様に銅イオンの持つ殺菌作用を利用した用途として、抗菌仕様の靴下や靴の中敷などにも利用され、陶磁器の釉薬やステンドグラス、楽器などにも用いられる。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "電気メッキにおいては、ニッケルのような他の金属をメッキする際の下地として銅が用いられる。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "銅は鉛、銀と共に、博物館材料の保管試験であるオディ試験(英語版)と呼ばれる試験方法に用いられる3つの金属のうちの1つである。この試験において、銅は塩化物、酸化物および硫化物を検出するために用いられる。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "銅は化合物または触媒としても用途が広い。代表的な銅の化合物としては塩化銅(II)・酸化銅(II)・硫酸銅(II)などがあり、各種触媒や、防腐剤、殺虫剤、顔料などに用いられている。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "銅はまた装飾品にも使われる。民間療法では銅のブレスレットは関節炎を和らげるとされるが、その証明はされていない。また、銅鉱石のうち孔雀石などはその外観の美しさから宝石としても利用される。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "銅はコバルト、マンガンに次ぎ、(鉄よりも)硫黄と結合をする性質が強い。そのために硫黄架橋が存在するゴムを侵すことがある(一般に(ゴムに関しての)銅害、と呼ぶ。ゴムに存在する硫黄のS-S架橋より強く自らと結合する性質があるので、このために硫黄架橋は切断され、ゴムの組織が分解・剥離することになる。このため、銅合金製のフックに輪ゴムをかけておくと輪ゴムがすぐに使えなくなったり、銅イオンを含む水が流れるパイプではEPDMなどの加硫がされたパッキンが急速に劣化して水が汚染されたり、銅の近くにゴム製品を置いておくと表面が溶けたりする。)。この性質を用いて、物質から硫黄を吸着することが可能であるが、この応用は医療・美容分野においては銅クロロフィル(クロロフィル中のマグネシウムを銅に置き換えたもの)などに見ることができる(銅クロロフィルにより、口腔などに存在する硫黄化合物を銅に吸着させて清掃することが可能である)。",
"title": "用途"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "純粋な銅は降伏強度が非常に低く (33 MPa)、軟らかい(モース硬度3、ビッカース硬さ50)といった機械的に弱い物理的性質を有しているため、機械加工部品材料としては使用しにくい。このような銅の機械的な弱さとは対照的に、他の金属と合金化して銅合金とすることで非常に優れた機械的強さを示すようになるため、銅の欠点を補い利点を伸ばす銅合金としての用途も幅広い。主要な銅合金として青銅や黄銅があり、ベリリウムやカドミウムなど少量の元素を添加した高純度銅合金なども開発されている。銅はまた、銀や金の合金、宝石業界で用いられるろう材の成分として最も重要なもののうちの1つでもあり、色調の補正や、硬度や融点の調節に利用される。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "これらの多様な銅合金は一般的にISO 1190-1:1982もしくはそのISO規格に対応するローカル規格(例えばスペイン国家規格 UNE 37102:1984)によって分類され、これらの規格における各合金の標準規格番号はUNS番号(英語版)が使用される。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "銅と亜鉛の合金は一般に黄銅とよばれる。亜鉛の含有率を変化させることで連続的に引っ張り強さや硬さが増大する性質を有しており、銅と亜鉛の比率によって7/3黄銅や6/4黄銅などとよばれそれぞれの性質に合わせて異なる用途に用いられる。金管楽器や仏具などに使われる真鍮は黄銅の1つである。真鍮は錆びにくく、色が黄金色で美しいことから模造金や装飾具などとしてもよく見かける金属である。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 100,
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"text": "黄銅は海水などの塩類を多く含む溶液との接触によって亜鉛が溶出する脱亜鉛現象と呼ばれる腐食が起こる。このような脱亜鉛現象を防ぐためには黄銅へのスズの添加が有効である。6/4黄銅にスズを0.7–1.5 %ほど加えたネーバル黄銅とよばれるスズ入り黄銅は特に海水に強いため、船舶部品などに利用される。スズ入り黄銅のように他の元素を微量に加えた黄銅を特殊黄銅とよび、鉛を加えて切削性を向上させた快削黄銅や、マンガンおよび微量のアルミニウム、鉄、ニッケル、スズを加えて強度や耐食性、耐摩耗性を高めた高力黄銅(またはマンガン青銅とも)などがある。快削黄銅では、鉛の環境負荷に配慮して鉛の代わりにビスマスやセレンが用いられることもある。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "古代から武器や通貨などとして用いられた青銅はスズと銅の合金であり、現在でもブロンズ像など、彫刻の材料である。また、アルミニウム青銅などのように、高強度、高硬度、防錆性を有するスズ以外との銅合金も総称して青銅とよばれる。青銅はスズの割合と温度によって多様な相を取り、それぞれ異なった性質を示す。例えば、スズの含有率が少ないものは加工性が良好であるが、スズの含有率が増加するとともに加工性が低下するため、スズ量の少ないもの (10 %以下) は加工用、多いものは鋳造用として利用される。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "黄銅と同様に、他の元素を微量に加えた青銅を特殊青銅と呼ぶ。リンを加えて冷間加工性やばね性を向上させたリン青銅や、軸受けに用いられる鉛青銅、リンおよび鉛を加えて切削性を向上させた快削リン青銅、ケイ素を加えて耐酸性を向上させたケイ素青銅などがある。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 103,
"tag": "p",
"text": "銅に6–11 %のアルミニウムを加えた合金は、スズを含んでいないもののアルミニウム青銅とよばれる。アルミニウム青銅は機械的な強度が高く耐食、耐熱、耐摩耗性にも優れた合金であり、機械部品や船舶部品などに用いられる。銅とニッケルの合金も同じくスズを含んでいないもののニッケル青銅とよばれる。銅とニッケルはどのような混合比でも合金化するため、銅に10–30 %のニッケルを加えた白銅や、60 %のニッケルを加えたモネルといった幅広い組成比の合金が作られている。白銅は高温での耐食性に優れているため復水器や化学工業用の部材として利用され、貨幣にも使われる。モネルは銅、ニッケルの他に3 %ほどの鉄が含まれており、耐食性および耐熱性に優れている。ニッケル含有量が45 %のニッケル青銅はコンスタンタンとよばれ、標準抵抗線や熱電対に利用される。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 104,
"tag": "p",
"text": "銅、ニッケルおよび亜鉛の合金は洋白もしくは洋銀と呼ばれ、その組成は銅が50–70 %、ニッケルおよび亜鉛がそれぞれ13–25 %である。洋白はその白銀色の外観から銀の代用として食器などに利用され、良好なばね特性を有しているためばね材やバイメタルにも用いられる。また、洋白に1–2 %のタングステンを加えた白色の合金はプラチノイドと呼ばれ、電気抵抗線に用いられる。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "主な工業用の合金として、高純度銅合金や純銅と呼ばれる極めて高い純度の銅にごくわずかな添加物を加えた合金がある。代表的な高純度銅合金にはカドミウム銅、クロム銅、テルル銅、ベリリウム銅などがあり、工業的には機械工業を初めとした分野で銀含有銅、ヒ素銅、快削銅などが利用される。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 106,
"tag": "p",
"text": "また、銅に金、銀を加えた合金である赤銅は工芸材料として用いられる。",
"title": "銅合金"
},
{
"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "銅は微生物においてはそうでないが、動植物においては重要な微量元素である。銅タンパク質は生体内における電子伝達や酸素の輸送、Cu(I)とCu(II)の簡単な相互変換を利用したプロセスといった多様な役割を有している。銅の生物学的役割は、地球の大気における酸素の出現とともに始まった。銅の役割としては、ヘモグロビンを合成するために不可欠である元素であることが知られているが、ヘモグロビンそのものには銅は存在しない。銅が活性中心である酸素結合タンパク質であるヘモシアニンは哺乳類におけるヘモグロビンに相当し、ほとんどの軟体動物と、カブトガニのような多くの節足動物において酸素輸送の役目を担う。ヘモシアニンは酸素と結合して青色を呈するため、これらの生物の血は青色をしており、酸素輸送をヘモグロビンに頼る生物のような赤い血は見られない。構造的にヘモシアニンはラッカーゼおよびモノフェノールモノオキシゲナーゼと関係している。これらのタンパク質では、ヘモシアニンが酸素と可逆的な結合を形成する代わりに、ラッカーの形成における役割のように基質を酸化する。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 108,
"tag": "p",
"text": "銅はまた、酸素の処理に関わる他のタンパク質の活性中心でもある。酸素を使う細胞呼吸に必要なシトクロムcオキシダーゼはミトコンドリアにおける呼吸鎖に関連しており、酸素の還元のために銅と鉄が協働する。コラーゲン合成に必須なモノアミンオキシダーゼやリジルオキシダーゼの活性中心も銅であり、さらにスーパーオキシドアニオンを酸素と過酸化水素に不均化することによって分解して無毒化するスーパーオキシドディスムターゼの活性中心も銅でもある。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 109,
"tag": "p",
"text": "青色銅タンパク質のようないくつかの銅タンパク質は直接基質とは反応しないため、それらは酵素ではない。それらのタンパク質は、電子移動反応とよばれるプロセスによって電子を中継する。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 110,
"tag": "p",
"text": "2001年に出されたアメリカの報告書 によると、銅成分なしの輸液では一日あたり250–1850 μgの銅が失われる。また銅の損失をゼロ(0)とするには一日あたり510 μgの銅を補給することが(計算上)必要としている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "人体には体重1 kgあたりおよそ1.4–2.1 mgの銅が含まれている。銅は腸で吸収され、その後、肝臓に輸送されてアルブミンと結合する。肝臓で処理された後の銅は第二段階として他の組織に分散される。ここの銅輸送プロセスでは、大多数の銅を血液中に輸送するセルロプラスミンが関与している。セルロプラスミンはまた、乳中に排出される銅を運搬し、特に銅源として効率よく吸収される。一日あたりおよそ1 mgの銅が食品から摂取および排出されるのに対して、体内では通常一日あたりおよそ5 mgの銅が肝臓から運び出されて腸で再吸収される腸肝循環によって循環しており、必要であれば胆汁を通じて過剰な銅を体外へと排出できる。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 112,
"tag": "p",
"text": "膜輸送体が鉄を細胞に取り込むためには、銅による還元が必要である。このため銅の欠乏によって鉄の吸収量が低下し、貧血のような症状や好中球減少、骨の異常、低色素沈着、成長障害、感染症の発病率増加、骨粗鬆症、甲状腺機能亢進症、ブドウ糖とコレステロールの代謝異常などがもたらされる。しかし、銅は要求量がそれほど多くなく、食品中に豊富に存在するためそのようなことは稀である。ただし、特に反芻動物は銅に対して敏感な性質を持つため、家畜などにおいては銅の不足により神経障害や貧血、下痢などが発生することがある。これは飼料に銅を含んだミネラル分を添加することで改善される。また、亜鉛の過剰摂取は小腸細胞において金属結合性タンパク質であるメタロチオネインが誘導され、銅がこのタンパク質にトラップされる結果、銅の摂取が阻害される。例えば、ウサギの健康な成長のために必要な最低限の銅摂取量は、少なくともエサ中に3 ppmは必要であることが報告されている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 113,
"tag": "p",
"text": "ヒトにおいては、体内の銅の吸収と排出を管理する銅の輸送システムのために、銅の過剰症は通常起こらない。しかしながら、銅の輸送タンパク質における常染色体の劣性突然変異によってこの輸送システムが働かなくなるため、このような欠陥遺伝子対を遺伝した人において肝硬変や銅の蓄積を伴うウィルソン病が、あるいは銅欠乏となるメンケス病(英語版)を発症することがある。また、グラム単位の様々な銅塩は人体に対して深刻な毒性を示すため自殺目的に用いられ、その機序はおそらく酸化還元サイクルおよび、DNAに損傷を与える活性酸素種の生成によると考えられている。銅換算で体重1 kgあたり30 mgに相当する量の銅塩は動物に対して毒性を示すように、多くの動物にとって慢性的に過剰な銅の摂取は毒である。反芻動物では銅の過多により肝硬変や発育不全、黄疸、などが起こりうる。例えば、ウサギのエサ中の銅濃度が100 ppm、200 ppm、500 ppmとより高濃度になると、飼料要求率(英語版)や成長率、枝肉の歩留まりに有意な影響がある可能性が示唆されている。無脊椎動物の多くは過剰供給となって代謝異常を起こす閾値が脊椎動物よりも低い。例えば水槽内で海産魚を飼育する時に、魚病薬として硫酸銅の水溶液を少量飼育水に添加することがあるが、この処置をいったん行った水槽は、飼育水中に微量の銅イオンが溶け出すため、もはや海産無脊椎動物の飼育には不適当といわれている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 114,
"tag": "p",
"text": "著しい銅の欠乏は血漿もしくは血清銅濃度の低下(セルロプラスミン濃度の低下)および、赤血球スーパーオキシドディスムターゼ濃度の低下の検査によって発見することができるが、これらの検査は低濃度の銅に対する感度が高くない。「白血球および血小板のシトクロムcオキシダーゼ活性」は欠乏のもう一つの要因として提示されたが、その結果は反復試験によって確かめられなかった。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 115,
"tag": "p",
"text": "銅による食中毒例として、2020年、やかんの水にスポーツドリンクを溶かして摂取した高齢者が吐き気や下痢を訴えた例がある。やかんはステンレス製のものであったが、長年、水道水に含まれる銅が水垢として堆積し、酸性のスポーツドリンクにより溶け出したという極端な原因であった。保健所が調査したところ、飲料から1 Lあたり200 mgの銅が検出されている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 116,
"tag": "p",
"text": "植物における銅の役割としては、生体内における数種類の酸化還元反応にかかわる酵素を活性化する働きや、光合成に必要なクロロフィルに銅が結合しており、クロロフィルの合成に肥料として銅が不可欠であるということが分かっている。しかし、クロロフィルの合成段階において銅がどのような役割を担っているのかなど詳しいことについては未だ判っていない。銅の欠乏によって黄白化、光合成能力の低下、種子の形成異常あるいは枯死などが起こる。銅の過剰供給もまた植物に対して毒性を示し、そのような環境下では銅イオン耐性の強い特殊な植物が繁茂する。例えば、寺社の銅屋根を伝った水が滴るような場所には銅イオン耐性の強いホンモンジゴケが優占することがよく知られている。下等植物の生育や増殖に少量の銅が不可欠であることが知られている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 117,
"tag": "p",
"text": "多くの抗菌効果の研究において、A型インフルエンザウイルスやアデノウイルス、菌類だけでなく、広範囲にわたる細菌を殺菌するための銅の有効性について、10年以上研究されてきた。研究の結果、建物内の給水管に使用した場合、表面に生成される酸化膜や塩素化合物の影響により、短期間に不活化能力が低下する現象のほか、残留塩素の低減作用が明らかとなっており、実用上の課題として認識されている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 118,
"tag": "p",
"text": "銅合金の表面には広範囲の微生物を不活化する固有の能力があり、例えば腸管出血性大腸菌やメチシリン耐性黄色ブドウ球菌 (MRSA)、ブドウ球菌、クロストリジウム・ディフィシル、A型インフルエンザウイルス、アデノウイルスなどを不活化する。約355の銅合金において、定期的に洗浄していれば2時間以内に病原菌の99.9 %以上が不活化されると証明された。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 119,
"tag": "p",
"text": "アメリカ合衆国環境保護庁 (EPA)は「公的医療による抗菌性材料」としてこれらの銅合金の登録を承認し、登録された抗菌性銅合金で製造された、製品の明確な公衆衛生効果の主張を合法的に行うことが許可された。さらにEPAは、横木、手摺、蛇口、ドアノブ、洗面所、ハードウェア、キーボード (コンピュータ)、スポーツクラブの器具など、抗菌性銅から作られた抗菌性銅製品の長い一覧を承認した(全品目はen:Antimicrobial copper-alloy touch surfaces#Approved products参照)。",
"title": "生体内での働きと毒性"
},
{
"paragraph_id": 120,
"tag": "p",
"text": "銅製のドアノブは、病院で院内感染を防ぐために用いられ、レジオネラ症は配管システムに銅管を用いることで抑制することができる。抗菌性銅合金製品はイギリス、アイルランド、日本、韓国、フランス、デンマークおよびブラジルにおいて、医療施設に用いられている。また、南米チリのサンティアゴでは、地下鉄輸送システムにおいて銅-亜鉛合金製の手摺が、2011年から2014年の間に約30の鉄道駅に取り付けられることになっている。",
"title": "生体内での働きと毒性"
}
] | 銅は、原子番号29の元素。元素記号は Cu。周期表では金、銀と同じく11族に属する遷移金属である。金属資源として人類に古くから利用され、生産量・消費量がともに多いことからコモンメタル、ベースメタルの一つに位置づけられる。歴史的にも硬貨や表彰メダルなどで金銀に次ぐ存在とされてきた。 | {{otheruses}}
{{Elementbox
|name=copper
|japanese name=銅
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|k|ɒ|p|ər}} {{respell|KOP|ər}}
|number=29
|symbol=Cu
|left=[[ニッケル]]
|right=[[亜鉛]]
|above=-
|below=[[銀|Ag]]
|series=遷移金属
|series comment=
|group=11
|period=4
|block=d
|series color=
|phase color=
|appearance=光沢のある橙赤色
|image name=NatCopper.jpg
|image size=
|image name comment=[[自然銅]](約4 cm)
|image name 2=
|image name 2 comment=
|atomic mass=63.546
|atomic mass 2=3
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[アルゴン|Ar]]] 3d<sup>10</sup> 4s<sup>1</sup>
|electrons per shell=2, 8, 18, 1
|color=
|phase=固体
|phase comment=
|density gplstp=
|density gpcm3nrt=8.94
|density gpcm3nrt 2=
|density gpcm3mp=8.02
|melting point K=1357.77
|melting point C=1084.62
|melting point F=1984.32
|boiling point K=2835
|boiling point C=2562
|boiling point F=4643
|triple point K=
|triple point kPa=
|critical point K=
|critical point MPa=
|heat fusion=13.26
|heat fusion 2=
|heat vaporization=300.4
|heat capacity=24.440
|vapor pressure 1=1509
|vapor pressure 10=1661
|vapor pressure 100=1850
|vapor pressure 1 k=2089
|vapor pressure 10 k=2404
|vapor pressure 100 k=2834
|vapor pressure comment=
|crystal structure=face-centered cubic
|japanese crystal structure=[[面心立方]]
|oxidation states=4, 3, '''2''', 1
|oxidation states comment=弱[[塩基性酸化物]]
|electronegativity=1.90
|number of ionization energies=4
|1st ionization energy=745.5
|2nd ionization energy=1957.9
|3rd ionization energy=3555
|atomic radius=[[1 E-10 m|128]]
|atomic radius calculated=
|covalent radius=[[1 E-10 m|132±4]]
|Van der Waals radius=[[1 E-10 m|140]]
|magnetic ordering=[[反磁性]]
|electrical resistivity=
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20=16.78 n
|thermal conductivity=401
|thermal conductivity 2=
|thermal diffusivity=
|thermal expansion=
|thermal expansion at 25=16.5
|speed of sound=
|speed of sound rod at 20=
|speed of sound rod at r.t.=(annealed) 3810
|Young's modulus=110–128
|Shear modulus=48
|Bulk modulus=140
|Poisson ratio=0.34
|Mohs hardness=3.0
|Vickers hardness=369
|Brinell hardness=874
|CAS number=7440-50-8
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[銅63|63]] | sym=Cu | na=69.15 % | n=34}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[銅65|65]] | sym=Cu | na=30.85 % | n=36}}
|isotopes comment=
}}
'''銅'''(どう、{{lang-en|copper}}、{{lang-la|cuprum}})は、[[原子番号]]29の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Cu'''。[[周期表]]では[[金]]、[[銀]]と同じく[[第11族元素|11族]]に属する[[遷移金属]]である。[[金属]][[資源]]として人類に古くから利用され、生産量・消費量がともに多いことから[[コモンメタル]]、[[卑金属|ベースメタル]]の一つに位置づけられる{{efn|ただし、[[イオン化傾向]]が比較的低く、ジュエリー加工に用いられるといった点から、[[貴金属]]の一種として扱われることもある。}}<ref>[http://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/anzenhosho/koubutsusigen.html 世界の産業を支える鉱物資源について知ろう][[資源エネルギー庁]](2018年12月8日閲覧)。</ref>。歴史的にも[[硬貨]]や表彰[[メダル]]などで金銀に次ぐ存在とされてきた。
== 名称 ==
=== 語源 ===
[[ラテン語]]では {{lang|la|''cuprum''}} と言い、元素記号Cuはラテン語の読み、さらに {{lang|la|''cyprium aes''}}([[キプロス島]]の[[真鍮]])に由来し、[[キプロス]]に[[フェニキア]]の銅採掘場があったことに由来する<ref>桜井弘『元素111の新知識』(講談社[[ブルーバックス]])160ページ</ref>。
英語の {{lang|en|copper}} はラテン語の {{lang|la|cuprum}} に由来し、「カッパー」ないし「コッパー」と呼ばれる。しばしば銅を意味すると誤解される {{lang|en|'''bronze'''}}'''(ブロンズ)'''は、正確には'''[[青銅]]'''を指す。[[銅メダル]]の素材は確かに青銅であり、{{lang|en|'''Bronze Medal'''}}'''(ブロンズメダル)'''というのは正しい{{efn|ただし、[[オリンピックメダル]]の銅メダルは、[[2014年ソチオリンピック]](銅97 %、[[亜鉛]]2.5 %、錫0.5 %)、[[2016年リオデジャネイロオリンピック]](銅95 %、亜鉛5 %)、[[2018年平昌オリンピック]](銅90 %、亜鉛10 %)、[[2020年東京オリンピック]](銅95 %、亜鉛5 %)など、青銅ではなく[[黄銅]]([[丹銅]])の採用例が増えている。}}。
=== 日本での名称 ===
日本で初めて銅が使われたのは、紀元前300年の[[弥生時代]]といわれている。国内で銅鉱石を初めて産出したのは[[698年]]([[文武]]2年)で、[[因幡国]]([[鳥取県]])から銅鉱を朝廷に献じたと伝えられてる。また[[708年]]([[慶雲]]5年)に、[[武蔵国]]([[埼玉県]])秩父から献上された銅を用いて[[貨幣]]([[和同開珎]])がつくられ、[[元号]]も[[和銅]]と改められたとなっている。
7世紀後半の飛鳥池遺跡から発見された「富本銭」は、その鋳造が700年以前に遡ることが確認された他、遺跡からの溶銅の大量出土は、7世紀後半の産銅量が既に一定の水準に達していたことを物語っている。その色あいから{{ルビ|銅|あかがね}}と呼ばれた。
[[江戸時代]]の元禄時代には、[[精錬]]技術が発展して純度の高い銅ができ、長崎から中国、ベトナム、インド、インドネシアやヨーロッパまで運ばれた。この銅は{{ルビ|棹銅|さおどう}}と呼ばれた。
明治19年までは一般的には「あかがね」と呼んでいたが、明治の初めの金工家である加納夏雄は、素材としての銅を「あか」と呼んでいた。また、明治30年に発刊された「鏨迺花」には銅を素銅(すあか)と記述していて、その後の刀剣社会のみ、銅を{{ルビ|素銅|すあか}}と呼ぶようになった。現代では{{ルビ|銅|どう}}と呼んでいる。
== 性質 ==
=== 物理的性質 ===
[[File:Cu-Scheibe.JPG|thumb|left|150px|[[連続鋳造]]および[[ウェットエッチング]]によって作られた純度99.95 %の銅ディスク]]
[[File:Copper just above its melting point.jpg|left|150px|thumb|融点以上の温度に保持された溶融銅。白熱したオレンジ色と共にピンク色の[[光沢]]が見られる。]]
[[単結晶]]の銅は軟らかく、[[電気伝導度]]および[[展延性]]が高い金属であり、これは同じ[[第11族元素]]である[[銀]]や[[金]]と共通した性質である。これは閉殻構造を取る[[d軌道]]の外側に[[s軌道]]の[[電子]]が1つだけ存在しているという、第11族元素の[[電子配置]]に起因している。このような電子配置であるためにd軌道の電子の多くは[[原子]]間の相互作用に寄与せず、原子同士を結び付ける[[金属結合]]はs軌道の電子によって支配される。そのためこれらの元素は、d軌道が閉殻でなくd軌道の電子が結合に寄与する他の金属元素と比較して[[共有結合]]性が弱く金属結合性が強い結合が形成されることとなり、高い電気伝導度や延展性といった金属結合に起因する性質が強く現れる<ref name=b1>{{cite book|author1=George L. Trigg|author2=Edmund H. Immergut|title=Encyclopedia of applied physics|date=1 November 1992|publisher=VCH Publishers|isbn=978-3-527-28126-8|pages=267–272|volume=4: Combustion to Diamagnetism}}</ref>。巨視的なスケールにおいては、結晶格子に[[結晶粒界]]のような拡張欠陥が発生して硬度が増すため、負荷応力下での流動性の妨げとなる。そのため、通常銅は単結晶形よりも強度の高い多結晶微粒子の形で供給される<ref>{{cite book|author = Smith, William F. and Hashemi, Javad |title = Foundations of Materials Science and Engineering|page = 223|publisher = McGraw-Hill Professional|year= 2003|isbn = 0-07-292194-3}}</ref>。
銅は[[室温#自然科学における室温|室温]]において、純粋な金属の中で2番目に高い電気伝導性 ({{Val|59.6|e = 6|ul = S|upl = m}})および[[熱伝導率]] ({{Val|386|u = W.m-1.K-1}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanwa-ent.co.jp/sanwahps/datasheet/metal_spec.pdf|title=各種物質の性質 金属(固体)|publisher=サンワ・エンタープライズ|accessdate=2012-04-07}}</ref>)を有する<ref name=CRC>{{cite book|author = Hammond, C. R.|title = The Elements, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition|publisher =CRC press|isbn = 0-8493-0485-7|year = 2004}}</ref>。室温における金属中での電気伝導の抵抗の大部分は結晶格子の[[熱振動]]によって電子が拡散されることに起因しており、銅のような軟らかい金属ではこの熱振動が比較的弱いということが、その原因の1つとなっている<ref name=b1/>。空気中における銅の最大許容[[電流密度]]はおよそ{{Val|3.1|ul = A|upl = m2|e = 6}}であり、それ以上になると[[ジュール熱|過熱]]する<ref>{{cite book|last=Resistance Welding Manufacturing Alliance |title=Resistance Welding Manual|year=2003|publisher=Resistance Welding Manufacturing Alliance|isbn=0-9624382-0-0|edition=4th|pages=18–12}}</ref>。銅は他の金属と同様に、他の金属と接触することで{{仮リンク|電気腐食|en|Galvanic corrosion}}を起こす<ref>{{cite web|title=Galvanic Corrosion|url=http://www.corrosion-doctors.org/Forms-galvanic/galvanic-corrosion.htm|work=Corrosion Doctors|accessdate=29 April 2011}}</ref>。
青みがかった色の[[オスミウム]]、黄色い[[セシウム]]、黄色の[[金]]と共に、銅は自然の色が灰色もしくは銀色以外の色である3つの金属元素のうちの1つである<ref>{{Cite book|last = Chambers|first = William|last2 = Chambers|first2 = Robert|title = Chambers's Information for the People|publisher = W. & R. Chambers|year = 1884|volume = L|page = 312|edition = 5th|url = https://books.google.co.jp/books?id=eGIMAAAAYAAJ&redir_esc=y&hl=ja|isbn = 0-665-46912-8}}</ref>。銅は赤橙色をした金属であるが、空気中に曝されると赤みがかった色に退色する。この特徴的な銅の色は、満たされている3d軌道と半分空になっている4s軌道の間での電子遷移に起因し、これらの電子軌道のエネルギー差が赤橙色の光と一致するためにこのような色を示す。これは金が特徴的な金色を示すメカニズムと同一のものである<ref name=b1/>。
=== 化学的性質 ===
銅は+1(第一銅)および+2(第二銅)の[[酸化数]]を取り、豊富な種類の[[化合物]]を形成する<ref name="Holleman">{{cite book |last1=Holleman |first1=A. F. |last2=Wiberg |first2=N. |title=Inorganic Chemistry |year=2001 |publisher=Academic Press |location=San Diego |isbn=978-0-12-352651-9}}</ref>。銅は水とは反応しないものの、空気中の[[酸素]]とは徐々に反応して黒褐色をした[[酸化銅]]の被膜を形成する。生じた[[錆]]によって全体が[[酸化]]されてしまう[[鉄]]とは対照的に、銅の表面に形成される[[不動態|酸化被膜はさらなる酸化の進行を防止]]する。湿った条件下では[[二酸化炭素]]の作用により[[緑青]]([[水酸化炭酸銅]])を生じ、この緑色の層は、[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]や[[高徳院]]の[[阿弥陀如来]]像([[鎌倉]][[大仏]])などのような古い銅の建造物などにおいてしばしば見られる<ref>{{cite web|title=Copper.org: Education: Statue of Liberty: Reclothing the First Lady of Metals – Repair Concerns|url=http://www.copper.org/education/liberty/liberty_reclothed1.html|work=Copper.org|accessdate=11 April 2011}}</ref><ref name=Cotton>F.A. コットン、G. ウィルキンソン著、中原 勝儼訳『コットン・ウィルキンソン無機化学』培風館、1987年</ref>。[[硫化水素]]および[[硫化物]]は銅と反応して、その表面に様々な形の[[硫化銅]]を形成する。硫黄化合物を含んだ空気に曝された際に見られるように、硫化物との反応においては銅は腐食される<ref>{{cite journal|last1=Rickett|first1=B. I.|last2=Payer|first2=J. H.|title=Composition of Copper Tarnish Products Formed in Moist Air with Trace Levels of Pollutant Gas: Hydrogen Sulfide and Sulfur Dioxide/Hydrogen Sulfide|journal=Journal of the Electrochemical Society|year=1995|volume=142|issue=11|pages=3723–3728|doi=10.1149/1.2048404}}</ref>。赤熱下では[[酸化銅(II)]]を生成し、さらなる加熱により[[酸化銅(I)]]となる<ref name=Cotton/>。酸素と[[塩酸]]によって[[塩化銅]]が、酸性条件下で[[過酸化水素]]によって2価の銅塩が形成されるように、酸素を含んだ[[アンモニア]]水は銅の水溶性錯体を与える。[[塩化銅(II)]]は銅と{{仮リンク|均化|en|Comproportionation}}して[[塩化銅(I)]]となる<ref>{{cite book|last=Richardson|first=Wayne|title=Handbook of copper compounds and applications|year=1997|publisher=Marcel Dekker|location=New York|isbn=978-0-585-36449-0|oclc=47009854}}</ref>。
銅は[[イオン化傾向]]が小さいため[[塩酸]]や[[希硫酸]]といった酸とは反応しないが、[[硝酸]]、[[熱濃硫酸]]のような[[酸化力]]の強い酸や、[[塩酸]]と[[過酸化水素]]の混合物とは反応する。
* 希硝酸との反応
: <chem>3Cu + 8HNO3 -> 3Cu(NO3)2 + 4H2O + 2NO (^)</chem>
* 濃硝酸との反応
: <chem>Cu + 4HNO3 -> Cu(NO3)2 + 2H2O + 2NO2 (^)</chem>
* 熱濃硫酸との反応
: <chem>Cu + 2H2SO4 -> CuSO4 + 2H2O + SO2</chem>
溶融銅は酸素および[[水素]]ガスを吸収し、これらの気体を吸蔵した銅は[[脆性]]が高い。そこで[[リチウム]]、[[リン]]、[[ケイ素]]が脱酸剤として用いられ、このような処理をした銅を脱酸銅と呼ぶ<ref name=nishikawa>西川精一『新版金属工学入門』アグネ技術センター、2001年</ref>。
=== 同位体 ===
{{Main|銅の同位体}}
銅には29の[[同位体]]があり、<sup>63</sup>Cuおよび<sup>65</sup>Cuは安定同位体である。天然銅のおよそ69 %が<sup>63</sup>Cu、31 %が<sup>65</sup>Cuであり、共に3/2の[[スピン角運動量]]を持つ<ref name="nubase">{{cite journal|title=Nubase2003 Evaluation of Nuclear and Decay Properties|journal=Nuclear Physics A|volume=729|page=3|publisher=Atomic Mass Data Center|year=2003|doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001|author=Audi, G|bibcode=2003NuPhA.729....3A}}</ref>。銅の他の同位体は[[放射性同位体]]であり、最も安定なものは[[半減期]]61.83時間の<sup>67</sup>Cuである<ref name="nubase"/>。7つの[[核異性体|準安定同位体]]が明らかとなっており、最も長命なもので半減期3.8分の<sup>68m</sup>Cuがある。質量数が64以上の同位体では[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>崩壊]]によって崩壊し、64以下のものはβ<sup>+</sup>崩壊によって崩壊する。半減期12.7時間の<sup>64</sup>Cuは、β<sup>−</sup>崩壊とβ<sup>+</sup>崩壊の両方法で崩壊する<ref>{{cite web |url=http://www.nndc.bnl.gov/chart/reCenter.jsp?z=29&n=35 |title=Interactive Chart of Nuclides |work=National Nuclear Data Center |accessdate=2011-04-08}}</ref>。
<sup>62</sup>Cuおよび<sup>64</sup>Cuには重要な用途がある。<sup>64</sup>CuはX線写真の[[造影剤]]として利用され、<sup>64</sup>Cuのキレート錯体は[[悪性腫瘍|癌]]の[[放射線療法]]に対して用いられる。<sup>62</sup>CuはCu(II)-pyruvaldehyde-bis(N<sup>4</sup>-methyl-thiosemicarbazone) (<sup>62</sup>Cu-PTSM) の形で[[ポジトロン断層法]]における[[放射性トレーサー]]として利用される<ref>{{Cite journal |author=Okazawa, Hidehiko ''et al.''|year=1994 |title=Clinical Application and Quantitative Evaluation of Generator-Produced Copper-62-PTSM as a Brain Perfusion Tracer for PET |journal=Journal of Nuclear Medicine |volume=35 |issue=12 |pages=1910–1915 |url=http://jnm.snmjournals.org/cgi/reprint/35/12/1910.pdf|pmid=7989968 |format=PDF}}</ref>。
== 化合物 ==
[[File:CopperIoxide.jpg|thumb|[[酸化銅(I)]]の試料]]
=== 二元化合物 ===
銅と他の元素との化合物のうち、最も単純なものは[[二元化合物]]である。主要なものは[[酸化物]]、[[硫化物]]および[[ハロゲン化物]]である。1価および2価の銅の両方の酸化物が知られている。多数の銅の硫化物の間で重要なものの例として硫化銅(I)および硫化銅(II)が含まれる。
1価の銅のハロゲン化物は[[塩素]]、[[臭素]]および[[ヨウ素]]とのものが知られており、2価の銅のハロゲン化物は[[フッ素]]、塩素および臭素とのものが知られている。2価の銅とヨウ素を反応させてもヨウ化銅(II)は合成されず、ヨウ化銅(I)とヨウ素が得られる<ref name="Holleman"/>。
:<chem>2 Cu^2+ + 4 I^- -> 2 CuI + I2</chem>
=== 錯体化学 ===
[[File:Tetramminkupfer(II)-sulfat-Monohydrat Kristalle.png|thumb|2価の銅はアンモニアを配位子とすることで濃青色の錯化合物を与える。この写真は{{仮リンク|硫酸テトラアンミン銅(II)|en|tetramminecopper(II) sulfate}}である。]]
銅は他の金属と同様に[[配位子]]との間で[[錯体]]を形成する。[[水溶液]]中において2価の銅は{{chem|[Cu(H|2|O)|6|]|2+}}の形で存在している。[[遷移金属]]の{{仮リンク|金属アコ錯体|en|Metal aquo complex}}に対する配位水の交換速度は最も早い。[[水酸化ナトリウム]]溶液を加えることで明青色の[[水酸化銅(II)]]が沈降する。
: <chem>Cu^2+ + 2OH^- -> Cu(OH)2</chem>
[[水酸化アンモニウム|アンモニア水]]を加えた場合も同様に[[沈殿]]を生じるが、アンモニア水の添加量が過剰になるとテトラアンミン銅(II)イオンを形成して沈殿が再溶解する。
: <chem>Cu(H2O)4(OH)2 + 4NH3 -> [Cu(H2O)2(NH3)4]^2+ + 2H2O + 2OH^-</chem>
多くの[[オキソアニオン]]は銅イオンとの間に錯体を形成し、それには[[酢酸銅(II)]]や[[硝酸銅(II)]]などが含まれる。[[硫酸銅(II)]]は青色の結晶の5[[水和物]]を形成し、それは研究室において最も一般的な銅化合物である。それは[[ボルドー液]]と呼ばれる[[殺菌剤 (農薬その他)|殺菌剤]]として用いられる<ref name="Boux">{{cite book|url = https://books.google.com/books?id=cItuoO9zSjkC&pg=PA623|page = 623|chapter = Nonsystematic (Contact) Fungicides|title = Ullmann's Agrochemicals|isbn = 978-3-527-31604-5|author1 = Wiley-Vch,|date = 2007-04-02}}</ref>。
[[File:Tetraamminediaquacopper(II)-3D-balls.png|thumb|right|200px|<chem>\ [Cu(NH3)4(H2O)2]^2+</chem>錯体の[[球棒モデル]]。銅(II)に典型的な[[八面体形|八面体形分子構造]]を示す。]]
複数の[[ヒドロキシ基]]を含む[[ポリオール]]は一般的に2価の銅塩と相互作用を示す。例えば、銅塩は[[還元糖]]の検出に用いられる。特に、[[ベネジクト液]]および[[フェーリング液]]を用いた糖の検出は、青色の2価の銅が赤色の1価の酸化銅(I)に還元される際の色変化によって識別される<ref>Ralph L. Shriner, Christine K. F. Hermann, Terence C. Morrill, David Y. Curtin, Reynold C. Fuson "The Systematic Identification of Organic Compounds" 8th edition, J. Wiley, Hoboken. ISBN 0-471-21503-1</ref>。[[シュバイツァー試薬]]および[[エチレンジアミン]]や他の[[アミン]]類との錯体は[[セルロース]]を分解する<ref>Kay Saalwächter, Walther Burchard, Peter Klüfers, G. Kettenbach, and Peter Mayer, Dieter Klemm, Saran Dugarmaa "Cellulose Solutions in Water Containing Metal Complexes" Macromolecules 2000, 33, 4094–4107. {{DOI|10.1021/ma991893m}}</ref>。[[アミノ酸]]は2価の銅との間で非常に安定なキレート錯体を形成する。銅イオンに関する多くの湿式反応が存在し、例えば銅イオンを含む溶液に[[フェロシアン化カリウム]]を加えることで茶色の銅(II)塩の沈殿が生じる反応がある。
=== 有機銅化合物 ===
炭素-銅結合を含む化合物は[[有機銅化合物]]として知られている。それは酸素に対する反応性が非常に高く酸化銅(I)を形成し、化学において有機銅[[試薬]]として多くの用途が存在する({{仮リンク|有機銅試薬の反応|en|Reactions of organocopper reagents}})。それは1価の銅化合物を[[グリニャール試薬]]もしくは末端[[アルキン]]、[[アルキルリチウム]]で処理することで合成され<ref>"Modern Organocopper Chemistry" Norbert Krause, Ed., Wiley-VCH, Weinheim, 2002. ISBN 978-3-527-29773-3.</ref>、特にアルキルリチウムとの反応では[[ギルマン試薬]]が合成される。これらは[[ハロゲン化アルキル]]によって[[置換反応]]を起こして[[カップリング反応|カップリング生成物]]を形成し、それらは[[有機合成化学]]の分野で重要である。[[炭化銅(I)]]は衝撃に非常に敏感であるが、[[カディオ・ホトキェヴィチカップリング]]<ref>{{cite journal|last1=Berná|first1=José|last2=Goldup|first2=Stephen|last3=Lee|first3=Ai-Lan|last4=Leigh|first4=David|last5=Symes|first5=Mark|last6=Teobaldi|first6=Gilberto|last7=Zerbetto|first7=Fransesco|title=Cadiot–Chodkiewicz Active Template Synthesis of Rotaxanes and Switchable Molecular Shuttles with Weak Intercomponent Interactions|journal=Angewandte Chemie|date=May 26, 2008|volume=120|issue=23|pages=4464–4468|doi=10.1002/ange.200800891}}</ref> や[[薗頭カップリング]]<ref>{{cite journal|title = The Sonogashira Reaction: A Booming Methodology in Synthetic Organic Chemistry|author = Rafael Chinchilla and Carmen Nájera|journal = [[Chemical Reviews]]|year = 2007|volume = 107|issue = 3|pages = 874–922|doi = 10.1021/cr050992x|pmid = 17305399}}</ref> のような反応の中間体である。[[エノン]]への[[求核共役付加反応]]<ref>{{cite journal |year=1986 |title=An Addition of an Ethylcopper Complex to 1-Octyne: (E)-5-Ethyl-1,4-Undecadiene |journal=[[Organic Syntheses]] |volume=64 |page=1 |url=http://www.orgsyn.org/orgsyn/pdfs/CV7P0236.pdf |format=PDF}}</ref> およびアルキンの{{仮リンク|カルボメタル化|en|Carbometalation}}もまた有機銅化合物を用いることで実現された。1価の銅は[[アルケン]]および[[一酸化炭素]]との間で様々な弱い錯体を形成し、それは特にアミン配位子の存在下において顕著である<ref>{{cite journal|author=Sadako Imai et al.|title= <sup>63</sup>Cu NMR Study of Copper(I) Carbonyl Complexes with Various Hydrotris(pyrazolyl)borates: Correlation between 63Cu Chemical Shifts and CO Stretching Vibrations|journal= Inorg. Chem.|year= 1998| volume =37|pages=3066–3070|doi=10.1021/ic970138r|issue=12}}</ref>。
=== 3価および4価の銅化合物 ===
3価の銅化合物は有機銅化合物の反応において中間体としてしばしば見られる。ジ銅のオキソ錯体もまた3価の銅であることを特徴とする<ref>{{cite journal |last1=Lewis |first1=E. A. |last2=Tolman |first2=W. B. |year=2004 |title=Reactivity of Dioxygen-Copper Systems |journal=Chemical Reviews |volume=104 |pages=1047–1076 |doi=10.1021/cr020633r |issue=2 |pmid=14871149}}</ref>。非常に基本的なフッ化物の配位子は高酸化状態の金属イオンを安定化させ、3価および4価の銅化合物にはK<sub>3</sub>CuF<sub>6</sub>やCs<sub>2</sub>CuF<sub>6</sub><ref name=Holleman/> のようなフッ化物との錯塩がある。紫色をした3価の銅の化合物である、ジおよびトリ[[ペプチド]]は脱プロトン化された[[アミド]]配位子によって高酸化状態が安定化されている<ref>{{cite journal |last1=McDonald |first1=M. R. |last2=Fredericks |first2=F. C. |last3=Margerum |first3=D. W. |year=1997 |title=Characterization of Copper(III)-Tetrapeptide Complexes with Histidine as the Third Residue |journal=Inorganic Chemistry |volume=36 |pages=3119–3124|doi=10.1021/ic9608713|pmid=11669966 |issue=14}}</ref>。
=== 主な銅の化合物 ===
* [[硫化銅]] (CuS)
* [[塩化銅]](I) (CuCl)
* [[塩化銅]](II) (CuCl<sub>2</sub>)
* [[酸化銅(I)]] (Cu<sub>2</sub>O)
* [[酸化銅(II)]] (CuO)
* [[硫酸銅]] (CuSO<sub>4</sub>)
== 分析 ==
=== 定性分析 ===
溶液中の銅の[[定性分析]]としては、水酸化ナトリウムを加えた際に生じる水酸化銅(II)の[[沈殿]]や、ヘキサシアノ鉄(III)カリウムを加えた際に生じるフェロシアン化銅の赤褐色沈殿、硫化ナトリウムを加えた際に生じる硫化銅(II)の黒色沈殿などを観察する方法がある<ref name=analysis>{{Cite book|和書|title=分析科学|author=萩中淳|year=2007|series=ベーシック薬学教科書シリーズ|pages=112-114|publisher=化学同人|isbn=4759812520}}</ref>。微量な銅イオンの定性方法としては[[アンモニア]]を加えた際に生じる[[アンミン錯体]]の青色を検出する方法が用いられ、この方法による検出限界は60 ppmである。妨害元素としては銅と同じ青色のアンミン錯体を形成するNi<sup>2+</sup>があり、Co<sup>2+</sup>などのアンミン錯体も呈色によって銅錯体の青色を検出を困難にする。またアンモニア塩基性で沈殿を生じる元素が共存していると銅が共沈してしまうため、こちらも妨害要因となる。さらに感度の高い方法として[[ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム]]との反応によって生じる黄褐色化合物を検出する方法があり、この方法による検出限界は10 ppmである。妨害元素の多くは[[エチレンジアミン四酢酸|EDTA]]の添加によってマスキングすることができるが、Bi<sup>3+</sup>が200 ppm以上共存していると銅と同様の反応を起こして妨害となる<ref name=charlot381>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 381頁。</ref>。Cu<sup>+</sup>はほとんどの化合物が難溶性であり溶液中に存在することが希である<ref>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 375頁。</ref>。
銅は青緑色の[[炎色反応]]を示すため、炎色反応の観察によっても定性分析をすることが可能である。その青緑色の輝線の波長は530–550 nmの幅を持つブロードな[[スペクトル]]である<ref name=analysis/>。
=== 定量分析 ===
銅の定量分析法のうち、古典的なものとして[[重量分析]]法と[[比色分析]]法がある<ref name=ehc2321>[[#ehc200|Environmental Health Criteria (1998)]] 2.3.2.1 Gravimetric and colorimetric methods</ref>。重量分析法では、試料を溶解させた溶液を処理して酸化銅(II)や硫化銅(II)、チオシアン酸銅(II)などの溶解度の極めて低い銅化合物を生成させて分離し、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量するという方法が利用される<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 188-191頁。</ref>。例えば酸化銅(II)を生成させる方法では、試料を酸性溶液に溶解させた後に[[水酸化ナトリウム]]などを加えて塩基性とした状態で加熱することで水酸化銅(II)の沈殿を生成させ、これに臭素水などを加えてさらに過熱することで水酸化銅(II)を酸化させて酸化銅(II)とする。こうして得られた酸化銅(II)をるつぼに入れて強熱した後、その重量を測定することで試料中の銅濃度を定量することができる<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 188-189頁。</ref>。酸化銅(II)を用いる方法は比較的分析精度が高いものの高濃度試料の分析には適さず、チオシアン酸銅(II)を用いる方法は様々な夾雑元素を分離できるため銅鉱石のような試料の分析に適している<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 190-191頁。</ref>。また比較的新しい方法としては、試料を溶解させた溶液を電気分解して金属銅を析出させ、その重量を測定する電解重量法も銅の重量分析法として用いられる<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 195-198頁。</ref>。電解重量法は[[国際標準化機構]]によるISO 1553:1976, ISO 1554:1976および、[[日本産業規格]]による対応規格であるJIS H 1051:2005において銅および銅合金中の銅定量方法として規格されている。この方法では、電解させた後の溶液中に銅が残存してしまうため電解残液中の銅を別の方法で測定する必要があり、その方法としてはオキザリルジヒドラジド吸光光度法や[[原子吸光|原子吸光光度法]]、[[誘導結合プラズマ|誘導結合プラズマ発光分析法]]が規定されている<ref name=JISH1051>{{Cite jis|H|1051|2005}} 付属書2 JISと対応する国際規格との対比</ref>。比色分析法では、定性分析として用いられる銅のアンミン錯体が呈する青色の発色の程度が銅濃度に比例することを利用して、目視<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 198-199頁。</ref> もしくは分光光度計を利用した分光光度法によって銅濃度を定量することができる<ref>{{Cite web|和書|title=比色分析(分光光度分析)|url=http://www.ek.u-tokai.ac.jp/dl/%E6%AF%94%E8%89%B2%E5%88%86%E6%9E%90_%E6%94%B9.pdf|page=4|publisher=東海大学工学部応用化学科|accessdate=2012-07-18}}</ref>。銅を発色させる試薬は様々な種類のものが研究されており、2,9-ジメチル-4,7-ジフェニル-1,10-フェナントロリン([[バソクプロイン]])を用いる方法では溶液中の銅濃度2 μg/Lという検出限界が達成されている<ref name=ehc2321/>。
容量分析法もまた、銅の定量分析法として用いられる。このような方法としては、銅のアンミン錯体が青色でありシアノ錯体は無色であることを利用した錯滴定法や、酢酸酸性条件において銅が[[ヨウ化カリウム]]と反応することで遊離するヨウ素を[[チオ硫酸ナトリウム]]で滴定する酸化還元滴定法などがある<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 191-194頁。</ref>。また、重量分析法で利用されるチオシアン酸銅(II)は水酸化ナトリウム溶液中で加熱すると水酸化銅(II)と[[チオシアン酸ナトリウム]]が生成されるため、このチオシアン酸ナトリウムを濃度既知の[[過マンガン酸カリウム]]溶液で酸化還元滴定をすることによっても銅を定量することができる<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 190、195頁。</ref>。
溶液中に含まれる微量な銅の定量分析には、[[原子吸光|原子吸光光度法]] (AAS) や[[誘導結合プラズマ|誘導結合プラズマ発光分析法]] (ICP-AES)などの機器分析が利用される<ref>[[#NIES|国立環境研究所 (2001)]] 93、95頁。</ref>。試料中の銅濃度が低く検出できない場合や共存する元素によって分析結果に誤差が生じるような場合には、前処理として[[ジエチルジチオカルバミン酸ナトリウム]]を用いて銅錯体を形成させ、酢酸ブチルを有機層として[[溶媒抽出法|溶媒抽出]]することで銅を分離、濃縮する操作が行われる<ref>[[#NIES|国立環境研究所 (2001)]] 73、93頁。</ref>。AASでは通常アセチレン-空気炎を用いて324.8 nmの吸収波長で測定され<ref>[[#NIES|国立環境研究所 (2001)]] 93頁。</ref>、試料の原子化に黒炭炉を用いた黒炭炉原子吸光分析を利用することで分析感度を向上させることができる<ref name=ehcjp1/>。ICP-AESでは324.754 nmの発光波長で測定され、夾雑元素によるスペクトル干渉を受けやすい<ref>[[#NIES|国立環境研究所 (2001)]] 94頁。</ref>。また、[[蛍光X線|蛍光X線元素分析法]] (XRF)やイオン電極、[[ボルタンメトリー|ストリッピングボルタンメトリー]]などによる定量分析も利用される<ref name=ehcjp1>[[#ehc200jp|国際環境クライテリア (2002)]] 1頁。</ref>。
== 歴史 ==
=== 銅器時代 ===
{{main|銅器時代}}
[[File:Minoan copper ingot from Zakros, Crete.jpg|thumb|[[クレタ島]]の{{仮リンク|ザクロス|en|Zakros}}遺跡から発見された腐食した銅の[[インゴット]]。当時、典型的だった動物の毛皮状の成型がされている。]]
銅は[[自然銅]]として自然中に存在しており、最初期の文明のいくつかにおいても知られ[[先史時代]]から使われてきた金属である。銅の使用には少なくとも1万年の歴史があり、紀元前9000年の[[中東]]で利用され始めたと推測されている<ref name=discovery>{{cite web|url=http://www.csa.com/discoveryguides/copper/overview.php|title=CSA – Discovery Guides, A Brief History of Copper|publisher=Csa.com|accessdate=2008-09-12}}</ref>。[[イラク]]北部で紀元前8700年と年代決定された銅のペンダントが出土しており、これは確認される最古の銅だと言われている<ref>桜井弘『元素111の新知識』(講談社ブルーバックス)159ページ</ref><ref>{{cite book|page = 56|title = Jewelrymaking through History: an Encyclopedia|publisher= Greenwood Publishing Group|year = 2007|isbn = 0-313-33507-9|author = Rayner W. Hesse}}</ref>。金および[[隕鉄]](ただし鉄の溶融はできていない)だけが、人類が銅より前に使用していたという証拠がある<ref name=vander>{{cite web|url=http://elements.vanderkrogt.net/element.php?sym=Cu|title=Copper|publisher=Elements.vanderkrogt.net|accessdate=2008-09-12}}</ref>。銅の[[冶金]]学の歴史は、1. [[自然銅]]の[[冷間加工]]、2. [[焼きなまし]]、3. [[製錬]]および4. [[インベストメント鋳造]]の順序に続いて発展したと考えられる。東南[[アナトリア半島|アナトリア]]においては、これら4つの冶金技術はおよそ紀元前7500年頃の新石器時代の初めに若干重複して現れる<ref name="Renfrew1990">{{cite book|last=Renfrew|first=Colin|authorlink=コーリン・レンフリュー<!-- en:Colin Renfrew, Baron Renfrew of Kaimsthorn --> |title=Before civilization: the radiocarbon revolution and prehistoric Europe|url=https://books.google.co.jp/books?id=jJhHPgAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=21 December 2011|year=1990|publisher=Penguin|isbn=978-0-14-013642-5}}</ref>。農業が世界中のいくつかの地域([[パキスタン]]、[[中国]]および[[アメリカ大陸]]を含む)でそれぞれ独立して発明されたのと同様に、銅の溶錬もいくつかの異なる地域で発明された。それはおそらく、紀元前2800年頃の中国、西暦600年頃の[[中央アメリカ]]、および西暦9から10世紀頃の[[西アフリカ]]でそれぞれ独立して発明された<ref>{{cite news|author = Cowen, R. |url = http://www.geology.ucdavis.edu/~cowen/~GEL115/115CH3.html|title = Essays on Geology, History, and People, Chapter 3: "Fire and Metals: Copper|accessdate =2009-07-07}}</ref>。[[インベストメント鋳造]]は紀元前4500から4000年頃に[[東南アジア]]で発明され<ref name=discovery/>、また、[[放射性炭素年代測定]]によって[[イギリス|英国]][[チェシャー]]の{{仮リンク|アルダリー・エッジ|en|Alderley Edge}}にある銅鉱山が紀元前2280年から紀元前1890年のものであると確かめられた<ref>{{cite book|author = Timberlake, S. and Prag A.J.N.W.|year = 2005|title = The Archaeology of Alderley Edge: Survey, excavation and experiment in an ancient mining landscape|location = Oxford|publisher = John and Erica Hedges Ltd.|page = 396 |doi=10.30861/9781841717159}}</ref>。紀元前3300年から紀元前3200年頃のものと見られる[[ミイラ]]の[[アイスマン]]は、純度99.7 %の純銅製の[[斧]]の頭とともに発見された。彼の髪に高純度の[[ヒ素]]が見られたことから、彼が銅精錬に関わっていたのではないかと考えられている<ref name=CSA>{{cite web|title=CSA – Discovery Guides, A Brief History of Copper|url=http://www.csa.com/discoveryguides/copper/overview.php|work=CSA Discovery Guides|accessdate=29 April 2011}}</ref>。[[ミシガン州|ミシガン]]および[[ウィスコンシン州|ウィスコンシン]]の{{仮リンク|オールドカッパー文化|en|Old Copper Complex}}(古代北米における[[アメリカ州の先住民族|ネイティブ・アメリカン]]の社会。銅製の武器や道具を広く利用していた)における銅の生産は紀元前6000年から紀元前3000年の間の年代を示している<ref name=occ>Pleger, Thomas C. "A Brief Introduction to the Old Copper Complex of the Western Great Lakes: 4000–1000 BC", ''[https://books.google.co.jp/books?id=6NUQNQAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja Proceedings of the Twenty-seventh Annual Meeting of the Forest History Association of Wisconsin]'', Oconto, Wisconsin, October 5, 2002, pp. 10–18.</ref><ref>Emerson, Thomas E. and McElrath, Dale L. ''[https://books.google.co.jp/books?id=awsA08oYoskC&pg=PA709&redir_esc=y&hl=ja Archaic Societies: Diversity and Complexity Across the Midcontinent]'', SUNY Press, 2009 ISBN 1-4384-2701-8.</ref>。これらのような銅と関わった経験が他の金属の利用の発展の助けとなり、特に、銅の溶錬から鉄の溶錬({{仮リンク|塊鉄炉|en|Bloomery}})の発見に至った<ref name=CSA />。
=== 青銅器時代 ===
{{main|青銅器時代}}
[[File:Pu with openwork interlaced dragons design.jpg|thumb|[[春秋時代]]の青銅器]]
銅と[[スズ]]との合金である[[青銅]]の製造は銅の溶錬法の発見からおよそ4000年後に初めて行われ、その2000年後には自然銅の一般的な用途となった。[[シュメール]]の都市から発見された青銅製品や、[[古代エジプト]]の都市から発見された銅および青銅製品は紀元前3000年頃のものと見られている<ref name=hist>{{cite book|pages = 13, 48–66|title = Encyclopaedia of the History of Technology|author = McNeil, Ian |publisher = Routledge|year = 2002|location = London ; New York|isbn = 0-203-19211-7}}</ref>。[[青銅器時代]]は東南ヨーロッパで紀元前3700年から紀元前3300年頃に始まり、[[北ヨーロッパ]]では紀元前2500年頃から始まった。青銅器はまた古代のエジプトや[[中国]]([[殷]]王朝)などでも使われるようになり、世界各地で[[青銅器時代|青銅器文明]]が花開いた。それは[[鉄器時代]]の始まり([[中東]]では紀元前2000年から紀元前1000年頃、北ヨーロッパでは紀元前600年頃)によって終了した。[[新石器時代]]から青銅器時代への移行期は、[[石器]]とともに銅器が使われ始めた時代であることから、以前は銅石器時代と呼ばれていた(「[[銅器時代]]」も参照)。この用語は、世界の一部の地域では新石器時代と銅石器時代の境界が重なっているために徐々に使われなくなっていった。銅と[[亜鉛]]の[[合金]]である[[真鍮]]の起源はずっと新しい。それは[[古代ギリシア|ギリシャ人]]には知られており、[[ローマ帝国]]期の青銅の不足を補う重要な合金となった<ref name=hist/>。
=== 古代および中世 ===
[[File:Venus symbol.svg|thumb|left|100px|[[錬金術]]において銅のシンボル(恐らくは枠にはめた鏡)はまた女神および[[金星]]のシンボルでもある。]]
[[File:TimnaChalcolithicMine.JPG|thumb|[[ティムナ・バレー]](イスラエル、[[ネゲヴ]])にある銅石器時代の銅鉱山]]
ギリシャでは、銅はカルコス({{Lang|el|χαλκός}}、chalkos)として知られていた。それはギリシャ人、ローマ人および他の民族にとって重要な資源であった。ローマ時代にはキュプリウム・アエス(aes Cyprium、キプロス島の銅)として知られており、アエス (aes)は多くの銅が採掘されたキプロス島からの銅合金および銅鉱石を示す一般的な[[ラテン語]]の用語である。キュプリウム・アエスというフレーズはクプルム (cuprum)と一般化され、そこから英語で銅を示すカッパー (copper)となった。銅の[[光沢]]の美しさや、古代には鏡の生産に銅が用いられていたこと、および女神を崇拝していたキプロスとの関係から、女神である[[アプロディーテー]]および[[ウェヌス]]は[[神話]]と[[錬金術]]において銅の象徴とされた。古代に知られていた7つの[[惑星]]は、古代に知られていた7つの金属と関連付けられ、[[金星]]は銅に帰されていた<ref>{{cite journal|title = The Nomenclature of Copper and its Alloys|author = Rickard, T. A. |journal = The Journal of the Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland|volume = 62|year = 1932|page=281|jstor = 2843960|doi = 10.2307/2843960|publisher = The Journal of the Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland, Vol. 62}}</ref>。
イギリスでの真鍮の初めての使用は紀元前3世紀から2世紀頃に起こった。[[北アメリカ大陸]]での銅鉱山は[[ネイティブ・アメリカン]]によって周辺部の採掘から始まった。自然銅は800年から1600年までの間に、原始的な石器によって[[アイル・ロイヤル国立公園]]から採掘されていたことが知られている<ref>{{cite journal|title = The State of Our Knowledge About Ancient Copper Mining in Michigan|journal = The Michigan Archaeologist|volume = 41|page = 119|author = Martin, Susan R. |year = 1995|url = http://www.ramtops.co.uk/copper.html|issue =2–3}}</ref>。銅の冶金学は[[南アメリカ大陸]]、特に1000年頃の[[ペルー]]においてで盛んであった。アメリカ大陸における銅の利用の発展は他の大陸よりも非常に遅く進行した。15世紀から銅の埋葬品が見られるようになったが、金属の商業生産は20世紀前半まで始まらなかった。
銅の文化的な役割は、特に流通において重要だった([[銅貨]])。紀元前6世紀から紀元前3世紀までを通して、[[古代ローマ]]では銅の塊をお金として利用していた。初めは銅自体が価値を持っていたが、徐々に銅の形状と見た目が重要視されるようになっていった。[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]は真鍮製のコインを作り、一方で[[アウグストゥス]]のコインは銅-鉛-スズ合金から作られた。当時の銅の年間生産量は{{gaps|15|000}}トンと推定されており、ローマの銅採掘および溶錬活動({{仮リンク|ローマにおける冶金|en|Roman metallurgy}})は[[産業革命]]の時まで凌駕されない規模に達していた。最も熱心に採掘された[[属州]]は[[ヒスパニア]]、キプロスおよび中央ヨーロッパであった<ref>{{cite journal|doi = 10.1126/science.272.5259.246|title = History of Ancient Copper Smelting Pollution During Roman and Medieval Times Recorded in Greenland Ice|pages = 246–249 (247f.)|year = 1996|last1 = Hong|first1 = S.|last2 = Candelone|first2 = J.-P.|issue = 5259|last3 = Patterson|first3 = C. C.|last4 = Boutron|first4 = C. F.|journal = Science|volume = 272|bibcode = 1996Sci...272..246H }}</ref><ref>{{cite journal|last = de Callataÿ|first = François|year = 2005|title = The Graeco-Roman Economy in the Super Long-Run: Lead, Copper, and Shipwrecks|journal = Journal of Roman Archaeology|volume = 18|pages = 361–372 (366–369)}}</ref>。現代の日本の硬貨においても、[[五円硬貨|5円硬貨]]が[[黄銅]]、[[十円硬貨|10円硬貨]]が青銅、[[五十円硬貨|50円硬貨]]、[[百円硬貨|100円硬貨]]、旧[[五百円硬貨|500円硬貨]]が[[白銅]]、新500円玉が[[ニッケル黄銅]]という銅の合金が用いられている。
日本では[[弥生時代]]より[[銅鐸]]、[[銅剣]]、[[銅鏡]]などの青銅器が鋳造されていたが、その原材料は大陸からの輸入品であった。国産の銅は[[698年]]に産出したものが始まりとされる(スズは[[700年]])。
[[エルサレム神殿]]の門は{{仮リンク|色揚げ|en|depletion gilding}}によって作られた{{仮リンク|コリント青銅|en|Corinthian bronze}}が使われた。それは錬金術が始まったと考えられる[[アレクサンドリア]]で一般的なものであった<ref>{{cite journal|url = http://www.goldbulletin.org/downloads/JACOB_2_33.PDF|title = Corinthian Bronze and the Gold of the Alchemists|author6 = Sudhölter, Ernst J. R.|author5 = Zuilhof, Han|author4 = van Dijk, Marinus|journal = Macromolecules|author3 = Barentsen, Helma M.|issue = 2|author2 = Warman, John M.|volume = 33|first = D. M.|last = Jacobson|year = 2000|page=60|doi = 10.1021/ma9904870|bibcode = 2000MaMol..33...60S}}</ref>。古代[[インド]]において銅は、医療体系である[[アーユルヴェーダ]]において外科用器具および他の医療用器具のために用いられた。紀元前2400年の古代エジプト人は傷や飲料水の殺菌のために銅を利用し、後には頭痛、火傷、かゆみにも用いられるようになった。[[はんだ]]付けされた銅製の[[シリンダー]]を持つ[[バグダッド電池]]は[[ガルバニ電池]]に類似している。年代は紀元前248年から西暦226年に遡り、これが初めての電池であるように人々に考えられているが、この主張は実証されていない<ref>{{cite web|title=World Mysteries – Strange Artifacts, Baghdad Battery|url=http://www.world-mysteries.com/sar_11.htm|work=World-Mysteries.com|accessdate=22 April 2011}}</ref>。
=== 近現代 ===
[[File:AngleseyCopperStream.jpg|right|thumb|廃坑となった{{仮リンク|パレース・マウンテン|en|Parys Mountain}}の銅鉱山から流出し、影響を及ぼしている{{仮リンク|酸性鉱山排水|en|Acid mine drainage}}]]
[[スウェーデン]]の[[ファールン]]にある{{仮リンク|大銅山|en|Great Copper Mountain}}は10世紀から1992年まで操業された銅鉱山である。大銅山は17世紀のヨーロッパの銅需要の2/3を満たし、その期間にスウェーデンが行っていた戦争において戦費の大きな助けとなった<ref>{{cite book|url = https://books.google.co.jp/books?id=4yp-x3TzDnEC&pg=PA60&redir_esc=y&hl=ja|page = 60|title = Mining in World History|isbn = 978-1-86189-173-0|author1 = Lynch, Martin|date = 2004-04-15}}</ref>。それは国の金庫と呼ばれ、スウェーデンは銅に裏打ちされた通貨を有していた({{仮リンク|スウェーデンにおける銅貨の歴史|en|History of copper currency in Sweden}})<ref name="Karen A. Mingst 1976 263–287">{{cite journal |author=Karen A. Mingst |year=1976 |title=Cooperation or illusion: an examination of the intergovernmental council of copper exporting countries |journal=International Organization |volume=30 |issue=2 |pages=263–287 |doi=10.1017/S0020818300018270}}</ref>。
また同時代の主要な銅産出国としては他に、17世紀に発見された[[足尾銅山]]や[[別子銅山]]などによって銅生産が活発になっていた[[江戸時代]]の日本が挙げられる<ref name=osawa18>[[#大澤2010|大澤 (2010)]] 18頁。</ref><ref name=sako6>[[#sako2006|酒匂 (2006)]] 6頁。</ref>。1680年代中頃には50の銅山から年間およそ5400トンの銅が産出され<ref>[[#JOGMEC2006|石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (2006)]] 52頁。</ref>、ピーク時の1697年における年間およそ6000トンという産出量は、世界一であったと推測されている<ref name=osawa18/>。
生産された銅のおよそ1/2から2/3は、[[長崎貿易]]で[[世界]]へと[[輸出]]されており、当時の日本にとって重要な輸出品目であったが、その後、日本の銅生産量は減少の一途をたどり、18世紀中旬には[[産業革命]]を迎えた[[イギリス帝国]]に抜かれて2位となった<ref name=sako6/><ref>[[#JOGMEC2006|石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (2006)]] 53-54頁。</ref>。
[[明治]]時代には、新規産業技術の導入や機械化によって、日本の銅生産は持ち直したが<ref>[[#JOGMEC2006|石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (2006)]] 57頁。</ref>、チリやアメリカ、アフリカの大規模鉱山の開発が始まると、そちらが世界の主流となっていった<ref>[[#sako2006|酒匂 (2006)]] 7、11頁。</ref>。日本の銅山はその後、[[公害]]や採算性の悪化により、1970年代頃から閉山が相次ぎ、1994年に日本最後の銅鉱山が閉山した<ref>[[#JOGMEC2006|石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (2006)]] 67頁。</ref>。
近現代における銅生産量の増加は、銅精錬の際の副産物である[[亜硫酸]]ガスの大量放出にもつながり、例えば16–17世紀にはスウェーデンの大銅山において、亜硫酸ガスの排出による影響で、周辺森林の樹木が枯死し、全滅するという大規模[[公害]]が、長期間にわたって続いていたことが記録されている<ref name=ooba>{{Cite book|和書|author=大場英樹|title=環境問題と世界史|year=1979|publisher=公害対策技術同友会|page=179|isbn=4874890032}}</ref>。
このような亜硫酸ガスによる公害は、世界中の銅山で発生していたものと推測されている<ref name=ooba/>。このような状況は産業革命以降加速し、イギリスのコーニッシュ銅山では「もし[[悪魔]]がここを通りかかったら我が家に帰ったと、錯覚するだろう<ref>[[#sako2006|酒匂 (2006)]] 8頁からの引用。</ref>」と言われるほどの深刻な公害が引き起こされ<ref>[[#sako2006|酒匂 (2006)]] 7-8頁。</ref>、主要な銅産出国であった日本においても、明治以降の近代化に伴い、[[足尾鉱毒事件]]が起こっている<ref>[[#sako2006|酒匂 (2006)]] 9-10頁。</ref>。
銅は芸術においても利用されていた。[[ルネサンス]]期の彫刻や、[[ダゲレオタイプ]]として知られる写真技術、[[自由の女神像 (ニューヨーク)]]などで用いられた。船体への{{仮リンク|銅めっき|en|Copper plating}}および{{仮リンク|銅包板|en|Copper sheathing}}の利用は広範囲におよび、[[クリストファー・コロンブス]]の船はこれを備えた最初期のものの1つであった<ref>{{cite web|title = Copper History|url = http://www.copperinfo.com/aboutcopper/history.html|accessdate = 2008-09-04}}</ref>。
1876年、{{仮リンク|ノルドドイチェ・アフィネリー|en|Norddeutsche Affinerie}}社は[[ハンブルク]]で最初の現代的な[[電気めっき]]工場による生産を始めた<ref>{{cite journal|doi = 10.1002/adem.200400403|title = Process Optimization in Copper Electrorefining|year = 2004|author = Stelter, M.|journal = Advanced Engineering Materials|volume = 6|issue = 7|page=558|last2 = Bombach|first2 = H.}}</ref>。1830年、ドイツの科学者である{{仮リンク|ゴットフリート・オサン|en|Gottfried Osann}}が金属の原子量を測定していた際に[[粉末冶金]]が発明された。その前後に、スズのような銅合金の構成元素の量と種類によってベル・トーンに影響を及ぼすことが発見された。
[[自溶炉製錬]]は[[フィンランド]]の{{仮リンク|オウトクンプ|en|Outokumpu}}社によって開発され、1949年に{{仮リンク|ハルハヴァルタ|en|Harjavalta}}で初めて用いられた。自溶炉はエネルギー効率が良く、世界の主要な銅生産の50 %を占めている<ref>{{cite web|url = http://www.outokumpu.com/files/Technology/Documents/Newlogobrochures/FlashSmelting.pdf |title = Outokumpu Flash Smelting |publisher = Outokumpu |page = 2 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110615125447/http://www.outokumpu.com/files/Technology/Documents/Newlogobrochures/FlashSmelting.pdf |archivedate=2011-06-15 |accessdate=2009-05-06<!-- |deadlinkdate=2012-05-25 -->}}</ref>。
1967年、[[石油]]における[[石油輸出国機構]] (OPEC)と類似した役目を担うことを目的として、[[チリ]]、[[ペルー]]、[[ザイール]]、[[ザンビア]]によって[[銅輸出国政府間協議会]]が設立された。しかしながら、当時世界2位の銅生産国である[[アメリカ合衆国]]がメンバーに加わらなかったため、OPECのような影響力を持つことができずに、1988年に解散した<ref name="Karen A. Mingst 1976 263–287"/>。
== 生産 ==
[[File:Chuquicamata-002.jpg|thumb|世界最大規模の[[露天掘り]]銅鉱山の1つである[[チリ]]の[[チュキカマタ]]鉱山。]]
{{Main|銅山}}
2009年において、世界における銅の全生産量のうち50–60 %が{{仮リンク|斑岩銅鉱床|en|Porphyry copper deposit}}より産出されている。斑岩銅鉱床からは銅の他に[[モリブデン]]や[[ロジウム]]などが併産される。斑岩銅鉱床は[[プレート]]の沈み込みに関連して形成されるため、南米の[[アンデス山脈]]や東南アジアの[[フィリピン]]、[[インドネシア]]周辺などプレートの周辺部に偏在している。
斑岩銅鉱床から産出される鉱石の銅含有量は、およそ0.2–1.0 %ほどである。斑岩銅鉱床から採掘される銅鉱山の例として、[[チリ]]の[[チュキカマタ]]鉱山や[[アメリカ合衆国]][[ユタ州]]の{{仮リンク|ビンガムキャニオン鉱山|en|Bingham Canyon Mine}}などが挙げられる。斑岩銅鉱床に次いで産出量が多いのは堆積鉱染型鉱床で、銅の全生産量の20 %を占める。
堆積鉱染型の銅鉱床からは[[銀]]が併産され、中央アフリカのものでは[[コバルト]]も併産される。堆積鉱染型鉱床は岩石の風化および堆積によって形成される[[堆積岩]]によるものであるため大陸部に偏在する。このタイプの鉱床としては、中央アフリカの[[ザンビア]]から[[コンゴ民主共和国]]にかけて伸びる[[カッパーベルト]]が最大のものであり、他に[[ポーランド]]のルビン鉱山などがある<ref name=BGS34>[[#HannisLusty2009|Hannis, Lusty (2009)]] pp. 3-4</ref>。
その他にも、[[熱水鉱床]]の一種である銅スカルン鉱床や火山性塊状硫化物鉱床、海底噴気堆積鉱床など様々な種類の銅鉱床が知られている<ref name=BGS3>[[#HannisLusty2009|Hannis, Lusty (2009)]] p. 3</ref>。これらの銅鉱山では、主に[[露天掘り]]による採掘が行われている。
他の方法として、採掘抗を掘り進める坑内採鉱や、希硫酸を鉱床に注入して銅を溶解抽出する{{仮リンク|原位置抽出法|en|In-situ leach}}も行われている。坑内採鉱では費用や安全性の問題が、原位置抽出法では採用可能な地質条件が限られているため、主流にはなっていない<ref name=BGS7>[[#HannisLusty2009|Hannis, Lusty (2009)]] p. 7</ref>。
世界の10大銅山のうちの5つはチリにあり、({{仮リンク|エスコンディーダ|en|Escondida}}、[[コデルコ|コデルコ・ノルテ]]([[チュキカマタ|チュキカマタ鉱山]]を含む)、[[コジャワシ]]、[[エル・テニエンテ]])、{{仮リンク|ロス・ペランブレス|es|Los Pelambres}})、2つがインドネシア([[グラスベルグ鉱山]]、{{仮リンク|バツビジャウ鉱山|en|Batu Hijau mine}})、1つがアメリカ(モレンシ鉱山、[[アリゾナ州]]モレンシ)、ロシア([[タイミル半島]])およびペルー({{仮リンク|アンタミナ|es|Antamina}})に存在する<ref name="Factbook">International Copper Study Group (2007), ''[http://www.icsg.org/images/stories/pdfs/2007worldcopperfactbook.pdf The World Copper Factbook 2007]'' (en inglés)</ref>。
かつて日本は、日本三大銅山の[[足尾銅山]]、[[別子銅山]]、[[日立鉱山|日立銅山]]と、多くの[[鉱山]]をかかえた輸出国であったが、現在は全て廃鉱となり、銅を100 %輸入に頼っている。<!--福舟鉱山が操業中?←1976廃鉱、操業しているのは鉱毒処理施設-->
=== 製錬 ===
銅鉱石中の銅濃度は平均して0.6 %ほどでしかなく、商業利用される鉱石の大部分は硫化物(特に[[黄銅鉱]] CuFeS<sub>2</sub>、少ない範囲では[[輝銅鉱]] Cu<sub>2</sub>S)である<ref name=G&E>{{Greenwood&Earnshaw2nd}}</ref>。これらの鉱石は粉砕され、[[泡沫浮選]]もしくは{{仮リンク|バイオリーチング|en|Bioleaching}}によって10–15 %程度にまで銅濃度が高められる<ref>{{cite journal|last=Watling|first=H. R.|title=The bioleaching of sulphide minerals with emphasis on copper sulphides — A review|journal=Hydrometallurgy|year=2006|volume=84|issue=1, 2|pages=81–108|url=http://infolib.hua.edu.vn/Fulltext/ChuyenDe/ChuyenDe07/CDe53/59.pdf|format=PDF|doi=10.1016/j.hydromet.2006.05.001}}</ref>。こうして銅が濃縮された鉱石に燃料としての[[コークス]]のほか[[融剤]]として[[石灰石]]と[[珪砂|ケイ砂]]を加えて[[乾式精錬]](溶錬炉で溶融)することで、黄銅鉱中の鉄の大部分は[[スラグ]]として除去される。この方法は鉄の硫化物が銅の硫化物よりも酸化されやすい性質を利用しており、銅よりも先に鉄がケイ砂と反応してケイ酸スラグを形成し、低比重のケイ酸スラグが溶融原料上に浮上してくることで鉄が分離される。また、ケイ砂と石灰石から[[ケイ酸カルシウム]]が生成し、これが融剤として銅の融点を下げる。
: <chem>4CuFeS2 + 9O2 -> 2Cu2S + 2Fe2O3 + 6SO2</chem>
: <chem>2Fe2O3 + C + 4SiO2 -> 4FeSiO3 + CO2</chem>
: <chem>SiO2 + CaCO_3 -> CaSiO3 + CO2</chem>
その結果得られた硫化銅から成る銅鈹({{仮リンク|マット (冶金学)|en|Matte (metallurgy)|label=マット}})を空気酸化しながら焙焼することで、銅鈹中の硫化物は酸化物へと変換され<ref name=G&E/>、[[硫黄]]は酸化除去される。
: <chem>2Cu2S + 3O2 -> 2Cu2O + 2SO2</chem>
得られた酸化第一銅は2000 {{℃}}を越える高温で加熱されることで[[還元]]され、粗銅(銅含有率は約98 %)となる。
: <chem>2Cu2O -> 4Cu + O2</chem>
[[サドバリー (オンタリオ州)|サドバリー]]鉱山で用いられているマット法では、硫化物の半分だけを酸化物とした後、酸化銅を酸素源として硫化銅と反応させることで硫黄を除去する方法が用いられている。このようにして得られた粗銅は[[電解精錬]]によって精製され、副生する[[陽極泥]]からは金や白金が回収される。この工程は銅の還元されやすさが利用され、このように電解精錬によって得られた銅は'''電気銅'''とも呼ばれる。
: <chem>Cu^{2+}{} + 2\mathit{e}^- -> Cu</chem>
そこからさらに不純物を除いて純銅を生産するための方法としては、電気銅をシャフト炉で溶解製錬を行う([[タフピッチ銅]])、リンなどの脱酸剤を加えて残留酸素を除去する([[脱酸銅]])、高[[真空]]中で溶解させることで酸素を除去する([[無酸素銅]])などの方法が挙げられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kansaicenter.imr.tohoku.ac.jp/_userdata/kinzoku_copper.pdf|title=ものづくり基礎講座 金属の魅力をみなおそう 第二回 銅|author=正橋直哉、千星聡|publisher=東北大学金属材料研究所|date=2012-02-08|page=3|format=pdf|accessdate=2012-06-10}}</ref>。
=== 生産量 ===
[[File:2005copper (mined).PNG|thumb|2005年の銅生産量]]
[[File:Copper - world production trend.svg|thumb|世界の生産動向]]
2005年の銅の生産量は世界全体で1501万トンであった<ref name=BGS13>[[#HannisLusty2009|Hannis, Lusty (2009)]] p. 13</ref>。その内訳は[[チリ]]が35 %と大半を占め<ref name=BGS13/>、以下[[アメリカ合衆国]]7.5 %、[[インドネシア]]7.1 %、[[ペルー]]6.7 %、[[オーストラリア]]6.1 %、[[中華人民共和国]]5.0 %、[[ロシア]]4.6 %と続く。2011年の生産量は1610万トンとなり、チリが542万トンと世界生産量の1/3以上を占めており、それにペルー、中華人民共和国が続いている<ref name="United States Geological Survey (USGS)">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/copper/mcs-2012-coppe.pdf|title = La producción de cobre en el mundo en 2011|author = United States Geological Survey (USGS)|date = 2012-01|work = Mineral Commodity Summaries 2012|accessdate=2012-06-10}}</ref>。2005年の製錬銅の生産量は世界全体で1658万トンであり、そのうち38 %は中華人民共和国および[[日本]]を中心とするアジア諸国が占めていた<ref name=BGS14>[[#HannisLusty2009|Hannis, Lusty (2009)]] p. 14</ref>。
{{main|銅生産量の国別一覧}}
{| class="wikitable"
|+ 2021年 銅生産量
! 順位
! 国
! 生産量(2021年){{efn|2021年の世界全体の生産量は2100万トンであった<ref name="United States Geological Survey (USGS)2022"/>。}}<br />(万トン/年)
|-
| align="center" | 1 || {{Flagicon|チリ}} [[チリ]] ||align="center"| 560
|-
| align="center" | 2 || {{Flagicon|ペルー}} [[ペルー]] ||align="center"| 220
|-
| align="center" | 3 || {{Flagicon|中国}} [[中華人民共和国]] ||align="center"| 180
|-
| align="center" | 4 || {{Flagicon|コンゴ民主共和国}} [[コンゴ民主共和国]]||align="center"| 180
|-
| align="center" | 5 || {{Flagicon|アメリカ}} [[アメリカ合衆国]] ||align="center"| 120
|-
| align="center" | 6 || {{Flagicon|オーストラリア}} [[オーストラリア]] ||align="center"| 90
|-
| align="center" | 7 || {{Flagicon|ザンビア}} [[ザンビア]] ||align="center"| 83
|-
| align="center" | 8 || {{Flagicon|ロシア}} [[ロシア]] ||align="center"| 82
|-
| align="center" | 9 || {{Flagicon|インドネシア}} [[インドネシア]] ||align="center"| 81
|-
| align="center" | 10 || {{Flagicon|メキシコ}} [[メキシコ]] ||align="center"| 72
|-
| align="center" | 11 || {{Flagicon|カナダ}} [[カナダ]] ||align="center"| 59
|-
| align="center" | 12 || {{Flagicon|カザフスタン}} [[カザフスタン]] ||align="center"| 52
|-
| align="center" | 13 || {{Flagicon|ポーランド}} [[ポーランド]]||align="center"| 39
|}
出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022<ref name="United States Geological Survey (USGS)2022">{{cite web|url = https://pubs.usgs.gov/periodicals/mcs2022/mcs2022-copper.pdf|title = Mineral Commodity Summaries 2022-copper|author = United States Geological Survey (USGS)|date = 2022-01|work = Mineral Commodity Summaries 2022|accessdate=2022-09-06}}</ref>
=== 埋蔵量 ===
銅は少なくとも一万年前から人類によって利用されてきたが、これまでに採掘、[[製錬]]された全ての銅の95 %以上は1900年以降に抽出されたものである。[[アメリカ地質調査所]]の2005年版''Mineral Commodity Summaries''を元にした[[経済産業省]][[東北地方|東北]][[経済産業局]]の報告書によれば、地球上の銅の確認埋蔵量はおよそ9億4000万トン、可産鉱量はおよそ4億7000万トンである<ref name=tohoku>{{Cite web|和書|url=http://www.tohoku.meti.go.jp/2008/kankyo/recycle/date/1.pdf|title=我が国における鉱種別 需給/リサイクル/用途等 資料2.1 銅 (Cu)|work=東北非鉄振興プラン報告書|publisher=東北経済産業局|accessdate=2012-04-14}}</ref>。また、2011年版''Mineral Commodity Summaries''では可産鉱量は6億9000万トンに増加しており、国別ではチリの1億9000万トンが最も多く全体の28 %を占めており、2位のペルーが9000万トン(13 %)とそれに続いている<ref name="United States Geological Survey (USGS)"/>。鉱業的に利用可能な銅の可産年数の様々な推定データは、銅生産量の成長率などの主な要素の仮定によって25年から60年の間で変動し<ref>{{cite book|author=Brown, Lester|title=Plan B 2.0: Rescuing a Planet Under Stress and a Civilization in Trouble|publisher=New York: W.W. Norton|year=2006|page=109|isbn=0-393-32831-7}}</ref>、2005年のデータを元に単純に可産鉱量を年間生産量で割り可産年数を算出すると32年となる<ref name=tohoku/>。そのため、銅は2040年頃に枯渇すると言われることがある<ref>[[物質・材料研究機構]] 材料ラボによるレポート</ref>。
{| class="wikitable"
|+ 2021年 銅可産埋蔵量
! 順位
! 国
! 世界の銅埋蔵量(2021年){{efn|2021年の世界全体の埋蔵量は88000万トンであった<ref name="United States Geological Survey (USGS)2022"/>。}}<br />(万トン)
! 割合
|-
| align="center" | 1 || {{Flagicon|チリ}} [[チリ]] ||align="center"| 20000 ||align="center"| 23 %
|-
| align="center" | 2 || {{Flagicon|オーストラリア}} [[オーストラリア]] ||align="center"| 9300 ||align="center"| 11 %
|-
| align="center" | 3 || {{Flagicon|ペルー}} [[ペルー]] ||align="center"| 7700 ||align="center"| 9 %
|-
| align="center" | 4 || {{Flagicon|ロシア}} [[ロシア]] ||align="center"| 6200 ||align="center"| 7 %
|-
| align="center" | 5 || {{Flagicon|メキシコ}} [[メキシコ]] ||align="center"| 5300 ||align="center"| 6 %
|-
| align="center" | 6 || {{Flagicon|アメリカ}} [[アメリカ合衆国]] ||align="center"| 4800 ||align="center"| 5 %
|-
| align="center" | 7 || {{Flagicon|ポーランド}} [[ポーランド]] ||align="center"| 3100 ||align="center"| 4 %
|-
| align="center" | 8 || {{Flagicon|コンゴ民主共和国}} [[コンゴ民主共和国]] ||align="center"| 3100 ||align="center"| 4 %
|-
| align="center" | 9 || {{Flagicon|中国}} [[中華人民共和国]] ||align="center"| 2600 ||align="center"| 3 %
|-
| align="center" | 10 || {{Flagicon|インドネシア}} [[インドネシア]] ||align="center"| 2400 ||align="center"| 3 %
|-
| align="center" | 11 || {{Flagicon|ザンビア}} [[ザンビア]] ||align="center"| 2100 ||align="center"| 2 %
|-
| align="center" | 12 || {{Flagicon|カザフスタン}} [[カザフスタン]] ||align="center"| 2000 ||align="center"| 2 %
|-
| align="center" | 13 || {{Flagicon|カナダ}} [[カナダ]] ||align="center"| 980 ||align="center"| 1 %
|}
出典: U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2022<ref name="United States Geological Survey (USGS)2022"/>
=== 貿易と消費 ===
銅は[[鉄]]、[[アルミニウム]]に次いで世界で3番目に多く消費される金属であり<ref>{{cite web|url = http://www.nymex.com/cop_pre_agree.aspx|title = NYMEX.com: Copper|accessdate = 3 de mayo de 2008}}</ref>、銅の世界貿易で年間およそ300億[[USドル|ドル]]が動く重要な貿易品目でもある<ref name="Codelco_Zona">{{cite web|url = http://www.codelco.cl/comercio-mercado-del-cobre/prontus_codelco/2011-06-03/223339.html|title = Comercio: mercado del cobre|author=|publisher = [[コデルコ]]|accessdate=2012-06-10}}</ref>。
世界の銅需要は、[[国際銅協会]] (ICA) によれば2020年に2500万トンである<ref name="ICA_NetZero2023" />。またICAは2018年時点では、2050年に1億トン以上に増えると予測していた<ref>{{Cite newspaper |title=銅需要、50年までに4倍超 / 国際銅協会 リー会長に聞く / 中国堅調、EV向け増える |newspaper=[[日経産業新聞]] |date=2018-12-06 |at=環境・エネルギー・素材面}}</ref>。しかし2022年時点の予測では、2050年の世界需要を5000万トンとしている<ref>{{Cite news|和書 |title=世界の産銅大手、2050年までに温室効果ガス実質ゼロ化計画 |url=https://jp.reuters.com/article/copper-ica-emissions-idJPKBN2VA06E |work=ロイター通信 |date=2023-03-08 |access-date=2023-03-15 |language=ja}}</ref><ref name="ICA_NetZero2023">{{Cite web |url=https://copperalliance.org/wp-content/uploads/2023/02/ICA-GlobalDecarbonization-202301-Final-singlepgs.pdf |title=Copper—The Pathway to Net Zero |access-date=2023-03-25 |publisher=International Copper Association |author=International Copper Association |year=2023 |month=3 |page=9 |language=en |archive-url=https://web.archive.org/web/20230308141916/https://copperalliance.org/wp-content/uploads/2023/02/ICA-GlobalDecarbonization-202301-Final-singlepgs.pdf |archive-date=2023-03-08 |url-status=live |quote=Source: MineSpans Copper Demand Model Q3 2021)}} ([https://copperalliance.org/resource/copper-pathway-to-net-zero/ Copper—The Pathway to Net Zero]内)</ref>。
{| class="wikitable"
|+ 2006年 銅消費量
! 順位
! 国
! 製錬銅の消費量<br />(万トン/年)
|-
| align="center" | 1 || {{Flagicon|EU}} [[欧州連合]] ||align="right"| 432
|-
| align="center" | 2 || {{Flagicon|中国}} [[中華人民共和国]] ||align="right"| 367
|-
| align="center" | 3 || {{Flagicon|アメリカ}} [[アメリカ合衆国]] ||align="right"| 213
|-
| align="center" | 4 || {{Flagicon|日本}} [[日本]] ||align="right"| 128
|-
| align="center" | 5 || {{Flagicon|大韓民国}} [[大韓民国]] ||align="right"| 81
|-
| align="center" | 6 || {{Flagicon|ロシア}} [[ロシア]] ||align="right"| 68
|-
| align="center" | 7 || {{Flagicon|台湾}} [[中華民国]] ||align="right"| 64
|-
| align="center" | 8 || {{Flagicon|インド}} [[インド]] ||align="right"| 44
|-
| align="center" | 9 || {{Flagicon|ブラジル}} [[ブラジル]] ||align="right"| 34
|-
| align="center" | 10 || {{Flagicon|メキシコ}} [[メキシコ]] ||align="right"| 30
|}
出典: World Copper Factbook 2007<ref name="Factbook" />
銅の主要な産出国では、銅鉱石および製錬銅の両方を輸出している。主な輸入国は先進工業国であり、日本、中華人民共和国、インド、[[大韓民国]]およびドイツでは鉱石として、アメリカ合衆国、ドイツ、中華人民共和国、[[イタリア]]、[[中華民国]]は製錬銅として輸入している<ref name="Factbook" />。
[[File:Copper Price History USD.png|thumb|2003–2011の銅価格([[アメリカ合衆国ドル|USD]]/トン)]]
銅取引は{{仮リンク|ロンドン金属取引所|en|London Metal Exchange}}(LME)、[[ニューヨーク・マーカンタイル取引所]]、[[上海]]金属取引所の3つの主要な国際市場がある。これらの市場で日々、銅相場や[[先物取引|先物価格]]が決定される<ref name="Codelco_Zona"/>。銅の価格は歴史的に不安定であり<ref>{{cite journal|last=Schmitz|first=Christopher|title=The Rise of Big Business in the World, Copper Industry 1870–1930|journal=Economic History Review|year=1986|volume=39|series=2|issue=3|pages=392–410|jstor=2596347}}</ref>、銅のキログラム単価は1999年6月の1.32USドルから2006年5月の8.27USドルまでおよそ5倍に上昇した。2004年の銅価格の高騰は中華人民共和国をはじめとした新興国の需要の増加によるものであり<ref>[http://www.fernandoflores.cl/node/1233 Las causas del alto precio del cobre], traducción de un artículo del Wall Street Journal de marzo de 2006. Web consultada el 4 de mayo de 2008.</ref>、電気[[インフラストラクチャー|インフラ]]へのリスクが生じるような銅製品(特に銅[[ケーブル]]、[[電線]])の盗難の波が世界中で引き起こされた<ref>{{cite web|url = http://www.diariosur.es/prensa/20070306/portada/alto-precio-cobre-multiplica_20070306.html|title= = El alto precio del cobre multiplica los robos de cable|accessdate = 4 de mayo de 2008|date = 2006-03|editor = Diario Sur, de Málaga (España)}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.elagoradechihuahua.com/Urgente-campana-vs-robo-de-cobre,3924.html|title = Urgente campaña vs robo de cobre|accessdate = 4 de mayo de 2008|date = 2008-03|editor = El Ágora, de Chihuahua (México)}}</ref><ref>{{cite web|url = http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4176/is_20060721/ai_n16672358|title = Copper robbers hit building site|accessdate = 4 de mayo de 2008|date = 2006-07|editor = Oakland Tribune, de California (EE.UU.)}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.nst.com.my/Saturday/National/2230176/Article/index_html|title = Robbers escape with five tonnes of copper|accessdate = 4 de mayo de 2008|date = 2008-05| editor = [[ニュー・ストレーツ・タイムズ|New Straits Times]], de Malaca (Malaysia)}}</ref>。それは2007年2月に5.29USドルまで下落し、そして2007年4月に7.71USドルまで反発した<ref>{{cite web|url = http://metalspotprice.com/copper-trends/|title =Copper Trends: Live Metal Spot Prices|accessdate=2012-05-14}}</ref>。2009年2月には、前年の高値から一転して世界需要の後退と物価の急な下落によって3.32USドルまで下落した<ref>{{cite news|url = http://www.forbes.com/2009/02/04/copper-frontera-southern-markets-equity-0205_china_51.html|title = A Bottom In Sight For Copper|author = Ackerman, R. |date = 02-04-2009|publisher = Forbes}}</ref>。
2010年代においても、銅相場は大消費国である中国の[[景気]]の先行きを反映しやすいことから、医師にたとえて「ドクター・カッパー」の異名を持つ<ref>{{Cite newspaper|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43370520V00C19A4SHA000/|title=【チャートは語る】Dr.カッパーの憂鬱 銅が映す中国景気の浮沈|newspaper=日本経済新聞|edition=朝刊|date=2019年4月7日|page=1|access-date=2019年4月10日}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |title=銅の価格 “ドクター・カッパー”が世界経済の変調をいち早く診断?|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220722/k10013728661000.html |website=NHKニュース |date=2022年7月24日|access-date=2023-03-27}}</ref>。
=== リサイクル ===
[[リサイクル]]は主要な銅の資源となっている<ref name=Leonard2006>{{cite web|url=http://www.salon.com/tech/htww/2006/03/02/peak_copper/index.html|title=Peak copper?|publisher=Salon – How the World Works|author=Leonard, Andrew |date=2006-03-02|accessdate=2008-03-23}}</ref>。銅は[[アルミニウム]]のように、原料のままの状態であっても製品中に含まれている状態であっても関係なく、品質の損失なしに100 %リサイクルすることが可能である<ref>{{cite web|url=http://www.copperinfo.com/environment/recycling.html |title=International Copper Association |accessdate=2009-07-22<!-- |deadlinkdate=2012-05-15 --> |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110721210839/http://www.copperinfo.com/environment/recycling.html |archivedate=2011-07-21}}</ref>。そのため銅製品に使われている銅がリサイクルされたものかどうかを判別するのは不可能であり、銅は古来からリサイクルされてきた素材の1つである<ref name="EuroCopper">[http://www.eurocopper.org/files/presskit/dp_cuivreetdeveloppementdurable_13-03-07_fr.pdf Les atouts du cuivre pour construire un avenir durable], en el sitio de EuroCopper (en francés). Consultada el 20 de abril de 2008.</ref>。銅をリサイクルする方法は大まかに言えば銅を抽出する方法と同じであるが、必要な工程は抽出よりも少ない。高純度の銅スクラップは炉で溶融、還元された後[[ビレット]]および[[インゴット]]に鋳造され、低純度の[[スクラップ]]は硫酸浴中で[[電解製錬]]される<ref>[http://www.copper.org/publications/newsletters/innovations/1998/06/recycle_overview.html "Overview of Recycled Copper" ''Copper.org'']. Copper.org (2010-08-25). Retrieved on 2011-11-08.</ref>。銅のリサイクルにはこのような製造工程の他にもリサイクル元となる原料の収集や分別といった作業が必要となるが、それでもリサイクルに必要となるエネルギー量は鉱石から銅を抽出、製錬する場合の25 %に過ぎない<ref name="EuroTour">{{cite web|url = http://www.eurocopper.org/doc/uploaded/File/SPANISH%20RECYCLING%20PAPER.pdf |title = Las naciones de la Eurozona están reciclando sus monedas nacionales |accessdate = 2008-05-28 |editor = European Copper Institute}}</ref>。大規模な銅のリサイクルの例としては、2002年に[[欧州連合]]加盟国のうち12か国が通貨を[[ユーロ]]に切り替えた際に旧通貨となった[[硬貨]]のリサイクルが挙げられる。この通貨切り替えによっておよそ{{gaps|147|496}}トンの銅が含まれた約{{gaps|260|000}}トンの硬貨が流通停止となり、これらの硬貨に含まれる銅は溶融させてリサイクルされ、新しい硬貨から様々な工業製品まで広い範囲で再利用された<ref name="EuroTour" />。
リサイクルの効率は、製品設計のような技術的要因や銅の経済的価値、[[持続可能な開発]]への社会意識の向上といった要因に依存し、また、法律も重要な要因である。現在、家電製品や電話、自動車などの銅を含有した製品における最終的な[[ライフサイクルアセスメント|ライフサイクル]]の責任ある管理を推進するために、140以上の国内もしくは国際的な法律、規制、[[政令]]およびガイドラインが定められている<ref name="Factbook"/>。[[WEEE指令|電気・電子機器の廃棄に関する欧州議会及び理事会指令]](2002/96/CE、RAEEもしくはWaste Electrical and Electronic EquipmentからWEEE指令)は、廃棄物の発生が少ない製品を生産する生産者に対する[[インセンティブ (経済学)|インセンティブ]]によって産業廃棄物および一般ごみを義務的かつ大幅に削減することを含んだ、廃棄物最小化を推進する政策である<ref>''[http://eur-lex.europa.eu/Notice.do?val=283952:cs&lang=es&list=454034:cs,283952:cs,&pos=2&page=1&nbl=2&pgs=10&hwords= Directiva 2002/96/CE del Parlamento Europeo y del Consejo, de 27 de enero de 2003, sobre residuos de aparatos eléctricos y electrónicos (RAEE)]'', Diario Oficial de la Unión Europea L 37 (13/2/2003)</ref>。
2004年の銅需要のうち9 %はリサイクルされた銅によって賄われており、鉱石から銅を生産し、製錬する過程で生じた廃棄物からの銅の回収も「リサイクル」であるとするならば、リサイクルされた銅の割合は全世界で31 %、欧州に限れば41 %にも上る<ref name="EuroCopper"/>。{{仮リンク|国際資源パネル|en|International Resource Panel}}の''Metal Stocks in Society report''によると、社会で使用中の銅を備蓄と捉えて算出した世界1人あたりの銅備蓄量は{{val|35|-|55|u=kg}}である。これらの大部分は途上国(1人当たり{{val|30|-|40|u=kg}})よりもむしろ先進国(1人あたり{{val|140|-|300|u=kg}})に存在している。
日本においては、廃棄された電気製品から銅を含む金属を回収する取り組みを[[都市鉱山]]と呼んでいる<ref>[https://www.env.go.jp/guide/info/ecojin/issues/17-11/17-11d/tokusyu/2.html 小型家電を集めて、メダルへ][[環境省]]『エコジン』VOLUME.61(2017年11・12月号)2018年12月8日閲覧。</ref>。
=== 銅鉱石 ===
[[File:Cuivre Michigan.jpg|thumb|280px|right|[[自然銅]]、米国ミシガン州]]
銅鉱石を構成する[[鉱石鉱物]]には、次のようなものがある。
* [[自然銅]] (Cu)
* [[輝銅鉱]] (Cu<sub>2</sub>S)
* [[斑銅鉱]] (Cu<sub>5</sub>FeS<sub>4</sub>)
* [[銅藍]](コベリン)(CuS)
* [[黄銅鉱]] (CuFeS<sub>2</sub>)
* [[硫砒銅鉱]] (Cu<sub>3</sub>AsS<sub>4</sub>)
* [[安四面銅鉱]] ((Cu,Fe,Zn)<sub>12</sub>Sb<sub>4</sub>S<sub>13</sub>)
* [[赤銅鉱]] (Cu<sub>2</sub>O)
* [[黒銅鉱]] (CuO)
* [[藍銅鉱]] (Cu<sub>3</sub>(CO<sub>3</sub>)<sub>2</sub>(OH)<sub>2</sub>)
* [[孔雀石]] (Cu<sub>2</sub>(CO<sub>3</sub>)(OH)<sub>2</sub>)
== 用途 ==
[[File:Kupferfittings 4062.jpg|thumb|[[銅管]]の[[継手]]]]
銅は[[古代]]から[[人類]]とのかかわりが深く、重要な金属として扱われていた。[[日本]]でも、銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、[[年号]]が[[慶雲]]から[[和銅]]に改められた事例がある<ref>[[#大澤2010|大澤 (2010)]] 17頁。</ref>。
銅は、金属製品や[[硬貨]]の材料として、多くの文明で使用された。現代でも様々な場で使用されており、鉄に次いで重要な金属材料といえる。銅の主要な用途として電線 (60 %)、[[屋根]]ふき材および[[配管]] (20 %)、[[産業機械]] (15 %)が挙げられる。
銅の大部分は金属銅として利用されるが、より高硬度が求められる用途に際しては、他の元素を加えて[[真鍮]]や[[青銅]]のような[[合金]]が作られる。このように合金とされる銅は全体のおよそ5 %である<ref name=emsley>{{cite book|author=Emsley, John|title=Nature's building blocks: an A-Z guide to the elements|url=https://books.google.co.jp/books?id=j-Xu07p3cKwC&pg=PA123&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=2 May 2011|date=11 August 2003|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-850340-8|pages=121–125}}</ref>。銅供給量のうちの少量は、栄養補助食品や[[農業]]における[[殺菌剤 (農薬その他)|殺菌剤]]のための銅化合物の生産に用いられる<ref name="Boux"/><ref name="Applications for Copper">{{cite web|title = Copper|publisher = American Elements|year = 2008|url = http://www.americanelements.com/cu.html|accessdate = 2008-07-12}}</ref>。銅の[[機械加工]]は可能であるが、通常複雑な部品を作るための良好な被削性能を得るには合金を用いる必要がある。また銅はイオン化傾向の小さい金属であるが、耐腐食性を増すため金メッキやエナメル皮膜をされることもある。
=== 電子工学と関連デバイス ===
[[File:Busbars.jpg|thumb|left|電力を大きな建物に分配する銅製の{{仮リンク|バスバー|en|Busbar}}]]
銅は工業をはじめ幅広い用途に広く用いられ、特に[[電気器具]]の[[配線]]、[[変圧器]]、[[電磁石]]のような[[デバイス]]、{{仮リンク|銅線|en|Copper wire and cable}}などの材料として用いられる。これは銅が[[銀]]に次いで[[電気抵抗]]が少なく[[電気伝導性]]に優れ、[[常温]]における伝導率が銀の94 %と遜色がない一方で、銀より価値が格段に低いためである。
また優れた電気伝導性により、希少金属の価格高騰や伝導性の改善のために、[[集積回路]]や[[プリント基板]]において金や銀、アルミニウム配線の代替としても銅が用いられる。しかしながら[[ニッケル]]や[[コバルト]]と比較しても他のプロセスへの汚染度が激しいため、同一の[[チャンバー]]やラインを使用することによる銅汚染が問題となる。また、銅装置に触れた器具や工具はもとより、エンジニアやオペレーターを介した汚染もある。そのため、[[半導体]]製造工程上は、銅が他のプロセスへの影響が出ないように隔離した状態で製造するため若干の費用がかかる。
銅は比較的高い[[熱伝導率]]を持つため熱放散能力に優れており、かつ加工性にも優れているため[[ヒートシンク]]や[[熱交換器]]のような廃熱・放熱部分にも銅が用いられる。[[真空管]]および[[ブラウン管]]、[[電子レンジ]]における[[マグネトロン]]、[[マイクロ波]]以上を伝送するための[[導波管]]にも銅が用いられている<ref>{{cite web|title=Accelerator: Waveguides (SLAC VVC)|url=http://www2.slac.stanford.edu/vvc/accelerators/waveguide.html|work=SLAC Virtual Visitor Center|accessdate=29 April 2011}}</ref>。
銅は、他の金属の電気伝導率を測る{{仮リンク|国際軟銅線標準|en|International Annealed Copper Standard}}(IACS)としても使われ、温度20 °C、長さ1 m、断面積1 mm<sup>2</sup>の条件における電気抵抗が{{val|0.017241|ul=Ω}}となる「万国標準軟銅 (IACS)」の伝導率が基準値 (100 %)とされる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hitachi-cable.co.jp/catalog/h-001/pdf/2011_tech.pdf|title=電線・ケーブル総合ガイドブック|page=336|format=pdf|publisher=日立ケーブル|accessdate=2012-05-30}}</ref>。
=== 電気モーター ===
銅は他の金属材料と比較して優れた電気伝導性を有しているため、[[電動機]]の電気エネルギー効率を向上させる<ref>IE3 energy-saving motors, Engineer Live, http://www.engineerlive.com/Design-Engineer/Motors_and_Drives/IE3_energy-saving_motors/22687/</ref>。電動機および電動機の駆動システムによる電気消費は世界の全電気使用量の43–46 %、工業では69 %を占めているため、電動機のエネルギー効率は重要な問題である<ref>Energy‐efficiency policy opportunities for electric motor‐driven systems, International Energy Agency, 2011 Working Paper in the Energy Efficiency Series, by Paul Waide and Conrad U. Brunner, OECD/IEA 2011</ref>。[[コイル]]内で銅の質量と断面積を増大させることで発動機の電気エネルギー効率は向上する。エネルギー節約を主要な目的とする電動機設計の新技術である銅製[[回転子]]<ref>Fuchsloch, J. and E.F. Brush, (2007), “Systematic Design Approach for a New Series of Ultra‐NEMA Premium Copper Rotor Motors”, in EEMODS 2007 Conference Proceedings, 10‐15 June,Beijing.</ref><ref>Copper motor rotor project; Copper Development Association; http://www.copper.org/applications/electrical/motor-rotor</ref> は、[[アメリカ電機工業会|NEMA]]による{{仮リンク|プレミアム効率|en|Premium efficiency}}規格を達成し、さらに上回る多目的[[誘導電動機]]の実現を可能にする<ref>NEMA Premium Motors, The Association of Electrical Equipment and Medical Imaging Manufacturers; http://www.nema.org/gov/energy/efficiency/premium/</ref>。
=== 建築及び工業 ===
[[File:A Japanese small shrine with a copper sheeting roof at Shinjuku Tokyo 2020 6 25.jpg|thumb|[[新宿住友ビル]]の銅葺きの屋外社殿]]
[[File:Minneapolis City Hall.jpg|thumb|{{仮リンク|ミネアポリス市庁舎|en|Minneapolis City Hall}}の[[緑青]]で覆われた銅の屋根]]
[[File:Copper utensils Jerusalem.jpg|left|thumb|イスラエルのレストランの古い銅製器具]]
{{main|{{ill2|建築での銅利用|en|Copper in architecture}}}}
銅はその防水性および防食性、外観の美しさために古代から多くの建物で屋根葺として用いられてきた銅瓦葺きと呼ばれる<ref>{{kotobank|銅瓦葺き}}</ref>。これらの建物の屋根に見られる緑色は長期の化学反応によるものである。
銅ははじめ酸化銅(II)に酸化された後、第一銅および第二銅の硫化物を経て最終的に緑青と呼ばれる[[塩基性炭酸銅]]となり、この緑青は、酸化腐食に対する高い耐久性を有している<ref>{{cite web|last = Berg|first = Jan|title = Why did we paint the library's roof?|url = http://www.deforest.lib.wi.us/FAQS.htm|accessdate = 2007-09-20 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20070625065039/http://www.deforest.lib.wi.us/FAQS.htm |archivedate = 2007-06-25}}</ref>。この用途における銅は[[リン]]によって脱酸されたリン脱酸銅 (Cu-DHP)として供される<ref>[[ASTM]] B 152, ''Standard Specification for Copper Sheet, Strip, Plate, and Rolled Bar.''</ref>。
銅は他の屋根材と比べると高価なため、現代の日本では高級住宅や寺社建築などに限られる。現在では[[酸性雨]]の影響もあり、「半永久的な」耐腐食性の建材というわけではない。
[[避雷針]]は、主な建築物が破壊される代わりに電流を地面へとそらすための方法として銅が用いられる<ref>{{cite book|title = Physics 1, Jacaranda Science. 3rd Ed.|year =2009}}</ref>。銅は、優れた[[ろう付け]]性能及び[[はんだ付け]]特性を有しており、[[溶接]]することができ、最良の結果は[[マグ溶接]]によって得られる<ref>{{cite book|author = Davis, Joseph R. |title = Copper and Copper Alloys|pages = 3–6, 266|publisher = ASM International|year = 2001|isbn = 0-87170-726-8}}</ref>。
=== 生物付着防止や殺菌作用 ===
銅包板は[[フジツボ]]や[[イガイ]]、[[フナクイムシ]]など固着性の水生生物から船底を保護するための静生物性([[微生物]]が成長、増殖するのを抑制する性質。バイオスタティック)物質として長く用いられてきた。初期には純銅が用いられていたが、その後{{仮リンク|マンツメタル|en|Muntz metal}}に代替された。
銅は静生物性を有しているため、銅の表面上では[[菌類]]や[[細菌]]や[[ウイルス]]などの微生物は生育することができない。同様に、銅合金は極限状態においても{{仮リンク|抗菌性|en|Antimicrobial}}および{{仮リンク|生物付着|en|Biofouling}}防止性を有しており<ref name="autogenerated1995">Edding, Mario E., Flores, Hector, and Miranda, Claudio, (1995), Experimental Usage of Copper-Nickel Alloy Mesh in Mariculture. Part 1: Feasibility of usage in a temperate zone; Part 2: Demonstration of usage in a cold zone; Final report to the International Copper Association Ltd.</ref>、また構造材としての強さと[[腐食|防腐性]]を持つ<ref>[http://www.copper.org/applications/cuni/pdf/marine_aquaculture.pdf Corrosion Behaviour of Copper Alloys used in Marine Aquaculture]. (PDF) . copper.org. Retrieved on 2011-11-08.</ref>という特性を海洋環境において示すため、[[養殖業]]において重要な金属材料となった({{仮リンク|養殖業における銅合金|en|Copper alloys in aquaculture}})。
=== 武器・兵器 ===
近現代に到っても[[薬莢]]([[黄銅]])、[[銃弾]]の被覆、[[銃用雷管|雷管]]のケーシング、[[砲弾]]の[[弾帯]]、[[成形炸薬弾]]のライナーなど、[[弾薬]]で重要である。鋳鉄よりも鋳造品質が安定していることから[[大砲]]は近世期まで主に青銅製であった。[[掃海艇]]は鋼鉄の帯びる磁気に反応する[[機雷]]を起爆させないよう船体は木造やFRP、エンジンは銅合金製である。
=== その他 ===
[[File:Flametest--Cu.swn.jpg|150px|right|thumb|銅の炎色反応の様子]]
銅は[[花火]]の着色料としても用いられる。これは銅の化合物が[[炎色反応]]を示すことを利用したもので、青色を得るのに用いられる。炎色反応は青緑色である。また、[[近代オリンピック|オリンピック]]をはじめ、様々な大会やコンクールで、金、銀に次ぐ3位のメダル色として使われる。
熱伝導と加工のしやすさから、板金状の銅を金鎚で叩いて変形させ、加熱調理用器具(鍋やフライパンなど)に応用することもできる。正確に加工された工業品は高級調理器具としても普及している。ただし、[[電磁調理器]]においては使用自体はできるが鉄鋼材に比べ加熱効率が劣る。
銅は[[殺精子剤|精子を殺す]]能力があることから[[子宮内避妊器具]](IUD)に用いられ、その効果は{{仮リンク|卵管結紮|en|Tubal ligation}}に匹敵する。
液体状態における銅化合物は木の防腐剤に用いられ、特に{{仮リンク|乾腐|en|Dry rot}}による損傷を修復している間に構造の元の部分を取扱う際に利用される。亜鉛と共に銅のワイヤーは[[コケ]]の成長を阻害するため、被導電性の屋根材量の上に置かれることがある。抗菌性の紡織線維を作るために銅が用いられる<ref>{{cite web|title = Antimicrobial Products that Shield Against Bacteria and Fungi|publisher = Cupron, Inc.|year = 2008|url = http://www.cupron.com/|accessdate = 2008-07-13}}</ref>。銅は細い導線を容易に作成できるため、繊維に織り込んで[[絨毯]]や[[マット]]などに使用されている。また、このような絨毯は銅の高い導電性により[[静電気]]の発生を抑制する効果も得られる。同様に銅イオンの持つ殺菌作用を利用した用途として、抗菌仕様の靴下や靴の中敷などにも利用され、陶磁器の[[釉薬]]や[[ステンドグラス]]、[[楽器]]などにも用いられる。
電気メッキにおいては、[[ニッケル]]のような他の金属をメッキする際の下地として銅が用いられる。
銅は[[鉛]]、銀と共に、博物館材料の保管試験である{{仮リンク|オディ試験|en|Oddy test}}と呼ばれる試験方法に用いられる3つの金属のうちの1つである。この試験において、銅は塩化物、酸化物および硫化物を検出するために用いられる。
銅は[[化合物]]または[[触媒]]としても用途が広い。代表的な銅の化合物としては[[塩化銅(II)]]・[[酸化銅(II)]]・[[硫酸銅(II)]]などがあり、各種触媒や、[[防腐剤]]、[[殺虫剤]]、[[顔料]]などに用いられている。
銅はまた装飾品にも使われる。[[民間療法]]では銅の[[ブレスレット]]は関節炎を和らげるとされるが、その証明はされていない<ref>{{cite journal|last1=Walker|first1=W. R.|last2=Keats|first2=D. M.|title=An investigation of the therapeutic value of the 'copper bracelet'-dermal assimilation of copper in arthritic/rheumatoid conditions|journal=Agents Actions|year=1976|volume=6|issue=4|pages=454–459|pmid=961545}}</ref>。また、銅鉱石のうち[[孔雀石]]などはその外観の美しさから[[宝石]]としても利用される<ref>{{Cite book|和書|title=宝石のみかた|author=崎川範行|year=1980|pages=75-76|publisher=保育社|isbn=4586505001}}</ref>。
銅は[[コバルト]]、[[マンガン]]に次ぎ、([[鉄]]よりも)[[硫黄]]と結合をする性質が強い。そのために硫黄[[架橋]]が存在する[[ゴム]]を侵すことがある(一般に(ゴムに関しての)銅害、と呼ぶ。ゴムに存在する硫黄のS-S架橋より強く自らと結合する性質があるので、このために硫黄架橋は切断され、ゴムの組織が分解・剥離することになる。このため、銅合金製のフックに輪ゴムをかけておくと輪ゴムがすぐに使えなくなったり、銅イオンを含む水が流れるパイプでは[[EPDM]]などの加硫がされたパッキンが急速に劣化して水が汚染されたり、銅の近くにゴム製品を置いておくと表面が溶けたりする。)<ref>{{PDFLink|[http://www.cerij.or.jp/cerinews/cn_pdf/cerinews_053.pdf CERI NEWS No.53 2006 May 有機化学と物理化学と]}}</ref>。この性質を用いて、物質から硫黄を吸着することが可能であるが、この応用は医療・美容分野においては銅クロロフィル([[クロロフィル]]中のマグネシウムを銅に置き換えたもの)などに見ることができる(銅クロロフィルにより、口腔などに存在する硫黄化合物を銅に吸着させて清掃することが可能である)。
== 銅合金 ==
純粋な銅は[[強度#降伏強さ|降伏強度]]が非常に低く (33 MPa)、軟らかい([[モース硬度]]3、[[ビッカース硬さ]]50)といった機械的に弱い物理的性質を有しているため<ref name="Matweb Cu">{{cite web|url=http://www.matweb.com/search/DataSheet.aspx?MatID=28&ckck=1 |title=''Copper annealed''|publisher=matweb|accessdate=2 de mayo de 2008}}</ref>、機械加工部品材料としては使用しにくい。このような銅の機械的な弱さとは対照的に、他の金属と[[合金]]化して銅合金とすることで非常に優れた機械的強さを示すようになるため、銅の欠点を補い利点を伸ばす銅合金としての用途も幅広い。主要な銅合金として[[青銅]]や[[黄銅]]があり<ref name=takayuki>{{Cite book|和書|author=高行男|title=自動車材料入門|year=2009|page=104|publisher=東京電機大学出版局|isbn=4501417803}}</ref>、[[ベリリウム]]や[[カドミウム]]など少量の元素を添加した[[高純度銅合金]]なども開発されている<ref>[[#冨士2009|冨士 (2009)]] 112頁。</ref>。銅はまた、銀や金の合金、宝石業界で用いられるろう材の成分として最も重要なもののうちの1つでもあり、色調の補正や、硬度や融点の調節に利用される<ref name=goldalloys>{{cite web|url = http://www.utilisegold.com/jewellery_technology/colours/colour_alloys/|accessdate = 2009-06-06|title = Gold Jewellery Alloys|publisher = World Gold Council}}</ref>。
これらの多様な銅合金は一般的にISO 1190-1:1982もしくはその[[国際標準化機構|ISO規格]]に対応するローカル規格(例えばスペイン国家規格 UNE 37102:1984)によって分類され<ref>{{cite book|author=Coca Cebollero, P. y Rosique Jiménez, J.|title= Ciencia de Materiales. Teoría - ensayos- tratamientos|year=2000| edition = Ediciones Pirámide|isbn=84-368-0404-X}}</ref>、これらの規格における各合金の標準規格番号は{{仮リンク|UNS番号|en|Unified numbering system}}が使用される<ref>[http://www.matweb.com/search/SearchUNS.aspx Metal Alloy UNS Number Search] (en inglés), Matweb</ref>。
=== 黄銅 ===
[[File:Jug Egypt Louvre OA7436.jpg|thumb|[[エジプト]]の黄銅製の[[花瓶]]([[ルーヴル美術館]]、[[パリ]])。]]
{{main|黄銅}}
銅と[[亜鉛]]の合金は一般に[[黄銅]]とよばれる<ref name=fuji114>[[#冨士2009|冨士 (2009)]] 114頁。</ref>。亜鉛の含有率を変化させることで連続的に引っ張り強さや硬さが増大する性質を有しており<ref name=fuji114/>、銅と亜鉛の比率によって7/3黄銅や6/4黄銅などとよばれそれぞれの性質に合わせて異なる用途に用いられる<ref>[[#打越2001|打越 (2001)]] 182頁。</ref>。<!--色彩が変化し[[融点]]が低下する。-->[[金管楽器]]や[[仏具]]などに使われる[[真鍮]]は黄銅の1つである。真鍮は錆びにくく、色が黄金色で美しいことから[[模造金]]や[[装身具|装飾具]]などとしてもよく見かける金属である。
黄銅は[[海水]]などの塩類を多く含む溶液との接触によって亜鉛が溶出する脱亜鉛現象と呼ばれる腐食が起こる<ref>[[#大澤2010|大澤 (2010)]] 112頁。</ref>。このような脱亜鉛現象を防ぐためには黄銅へのスズの添加が有効である。6/4黄銅にスズを0.7–1.5 %ほど加えたネーバル黄銅とよばれるスズ入り黄銅は特に海水に強いため、船舶部品などに利用される<ref name="冨士 2009 117頁。">[[#冨士2009|冨士 (2009)]] 117頁。</ref><ref name=uchikoshi183>[[#打越2001|打越 (2001)]] 183頁。</ref>。スズ入り黄銅のように他の元素を微量に加えた黄銅を特殊黄銅とよび、鉛を加えて切削性を向上させた快削黄銅や、[[マンガン]]および微量のアルミニウム、[[鉄]]、ニッケル、スズを加えて強度や耐食性、耐摩耗性を高めた高力黄銅(またはマンガン青銅とも)などがある<ref name=uchikoshi183/>。快削黄銅では、鉛の環境負荷に配慮して鉛の代わりに[[ビスマス]]や[[セレン]]が用いられることもある<ref name=takayuki/>。
=== 青銅 ===
[[File:Augustins - David by Antonin Mercié (D 2005 1).jpg|left|thumb|青銅製の聖[[ダビデ像]]]]
{{main|青銅}}
古代から[[武器]]や通貨などとして用いられた[[青銅]]は[[スズ]]と銅の合金であり、現在でもブロンズ像など、[[彫刻]]の材料である。また、[[アルミニウム青銅]]などのように、高強度、高硬度、防錆性を有するスズ以外との銅合金も総称して青銅とよばれる<ref name="冨士 2009 117頁。"/><ref name=uchikoshi183/>。青銅はスズの割合と温度によって多様な相を取り、それぞれ異なった性質を示す。例えば、スズの含有率が少ないものは加工性が良好であるが、スズの含有率が増加するとともに加工性が低下するため、スズ量の少ないもの (10 %以下) は加工用、多いものは[[鋳造]]用として利用される<ref name=uchikoshi183/>。
黄銅と同様に、他の元素を微量に加えた青銅を特殊青銅と呼ぶ。リンを加えて冷間加工性やばね性を向上させたリン青銅や、軸受けに用いられる鉛青銅、リンおよび鉛を加えて切削性を向上させた快削リン青銅、ケイ素を加えて耐酸性を向上させたケイ素青銅などがある<ref name=fuji118>[[#冨士2009|冨士 (2009)]] 118頁。</ref><ref>[[#打越2001|打越 (2001)]] 184頁。</ref>。
銅に6–11 %のアルミニウムを加えた合金は、スズを含んでいないものの[[アルミニウム青銅]]とよばれる<ref name=fuji118/>。アルミニウム青銅は機械的な強度が高く耐食、耐熱、耐摩耗性にも優れた合金であり、機械部品や船舶部品などに用いられる<ref name=fuji118/>。銅とニッケルの合金も同じくスズを含んでいないものの[[ニッケル青銅]]とよばれる<ref name=uchikoshi186>[[#打越2001|打越 (2001)]] 186頁。</ref>。銅とニッケルはどのような混合比でも合金化するため、銅に10–30 %のニッケルを加えた白銅や、60 %のニッケルを加えた[[モネル]]といった幅広い組成比の合金が作られている<ref name=fuji118/><ref name=uchikoshi186/>。白銅は高温での耐食性に優れているため復水器や化学工業用の部材として利用され<ref name=fuji118/>、[[貨幣]]にも使われる<ref name=tanaka168/>。モネルは銅、ニッケルの他に3 %ほどの鉄が含まれており、耐食性および耐熱性に優れている<ref>{{cite book|author=P.Coca Rebollero y J. Rosique Jiménez|title= Ciencia de Materiales Teoría- Ensayos- Tratamientos|year=2000|publisher= Ediciones Pirámide|isbn= 84-368-0404-X}}</ref>。ニッケル含有量が45 %のニッケル青銅は[[コンスタンタン]]とよばれ、標準抵抗線や[[熱電対]]に利用される<ref>[[#大澤2010|大澤 (2010)]] 128頁。</ref>。
=== 洋白 ===
[[File:EierbecherWMF.jpg|thumb|洋白製の[[ゆで卵]]置き]]
{{main|洋白}}
銅、ニッケルおよび亜鉛の合金は洋白もしくは洋銀と呼ばれ、その組成は銅が50–70 %、ニッケルおよび亜鉛がそれぞれ13–25 %である<ref>Gandara Mario, ''[http://www.raulybarra.com/notijoya/archivosnotijoya8/8plata_alemana_alpaca.htm Plata alemana]'', Biblioteca de Joyería Ybarra. [5-4-2008]</ref>。洋白はその白銀色の外観から銀の代用として食器などに利用され、良好なばね特性を有しているためばね材や[[バイメタル]]にも用いられる<ref>[[#冨士2009|冨士 (2009)]] 119-120頁。</ref><ref>[[#大澤2010|大澤 (2010)]] 129頁。</ref>。また、洋白に1–2 %の[[タングステン]]を加えた白色の合金はプラチノイドと呼ばれ、[[電気抵抗]]線に用いられる<ref>Gandara Mario [http://www.raulybarra.com/notijoya/archivosnotijoya8/8plata_alemana_alpaca.htm Plata alemana] Biblioteca de joyería[5-4-2008]</ref><ref>{{Cite web|和書|title=電気用合金|url=http://ebw.eng-book.com/pdfs/ad14ea3cffa1cab9458e86a8b3066053.pdf|publisher=兵神装備 技術データ集|accessdate=2012-07-10}}</ref>。
=== その他の銅合金 ===
主な工業用の合金として、[[高純度銅合金]]や[[純銅]]と呼ばれる極めて高い[[純度]]の銅にごくわずかな添加物を加えた合金がある。代表的な高純度銅合金には[[カドミウム銅]]、[[クロム銅]]、[[テルル銅]]、[[ベリリウム銅]]などがあり、工業的には機械工業を初めとした分野で[[銀含有銅]]、[[ヒ素銅]]、[[快削銅]]などが利用される。
また、銅に金、銀を加えた合金である[[赤銅 (合金)|赤銅]]は工芸材料として用いられる<ref name=tanaka168>{{Cite book|和書|author=田中和明|title=図解入門 よくわかる最新金属の基本と仕組み―性質、加工、生産、表面処理の基礎知識 初歩から学ぶ金属の常識|year=2006|page=168|publisher=秀和システム|isbn= 4798014869}}</ref>。<!--[[アルミニウム]]との合金である[[アルミニウム青銅]]は[[展延性|延性]]に富んだ黄金色であるため[[金箔]]の代わりとして使われるなどされている。青銅や黄銅と呼ばれる銅合金で代表的なものには、[[光輝黄銅]]、[[工業用青銅]]、[[赤色黄銅]]、[[ジュエリー青銅]]、[[低濃度黄銅]]、[[カートリッジ黄銅]]、[[黄色黄銅]]、[[ムンツメタル]]、[[鉛黄銅]]、[[リン青銅]]、[[シリコン青銅]]、[[アルミニウム青銅]]、[[洋白|洋銀(洋白)]]などがあり、その性質は様々で利用分野においても簡単に分別できないほど多岐にわたっている。-->
== 生体内での働きと毒性 ==
[[File:Thylakoid membrane.png|thumb|440px|光合成は[[チラコイド]]膜の範囲内での精巧な電子伝達の連鎖によって機能する。この連鎖を結びつける中心は青色銅タンパク質と呼ばれる[[プラストシアニン]]である。]]
銅は[[微生物]]においてはそうでないが、動植物においては重要な[[微量元素#生物学における微量元素|微量元素]]である。[[銅タンパク質]]は生体内における電子伝達や酸素の輸送、Cu(I)とCu(II)の簡単な相互変換を利用したプロセスといった多様な役割を有している<ref name="Lippard">[[スティーブン・リパード]], J. M. Berg “Principles of bioinorganic chemistry” University Science Books: Mill Valley, CA; 1994. ISBN 0-935702-73-3.</ref>。銅の生物学的役割は、[[地球の大気]]における酸素の出現とともに始まった<ref>{{cite journal|pmid=10821735|author=Decker, H. and Terwilliger, N. |title=COPs and Robbers: Putative evolution of copper oxygen-binding proteins|journal= Journal of Experimental Biology |volume=203|pages=1777–1782 |year=2000|issue=Pt 12}}</ref>。銅の役割としては、[[ヘモグロビン]]を合成するために不可欠である元素であることが知られているが、ヘモグロビンそのものには銅は存在しない。銅が活性中心である酸素結合タンパク質である[[ヘモシアニン]]は[[哺乳類]]におけるヘモグロビンに相当し、ほとんどの[[軟体動物]]と、[[カブトガニ]]のような多くの[[節足動物]]において酸素輸送の役目を担う<ref name=NOAA>{{cite web|title = Fun facts|work = Horseshoe crab|publisher = University of Delaware|url = http://www.ocean.udel.edu/horseshoecrab/funFacts.html|accessdate = 2008-07-13}}</ref>。ヘモシアニンは酸素と結合して青色を呈するため、これらの生物の血は青色をしており、酸素輸送を[[ヘモグロビン]]に頼る生物のような赤い血は見られない。構造的にヘモシアニンは[[ラッカーゼ]]および[[モノフェノールモノオキシゲナーゼ]]と関係している。これらのタンパク質では、ヘモシアニンが酸素と可逆的な結合を形成する代わりに、[[ラッカー]]の形成における役割のように基質を酸化する<ref name="Lippard"/>。
銅はまた、酸素の処理に関わる他のタンパク質の活性中心でもある。酸素を使う[[細胞呼吸]]に必要な[[シトクロムcオキシダーゼ]]は[[ミトコンドリア]]における[[呼吸鎖]]に関連しており、酸素の還元のために銅と鉄が協働する。[[コラーゲン]]合成に必須な[[モノアミンオキシダーゼ]]や[[リジルオキシダーゼ]]の活性中心も銅であり、さらに[[スーパーオキシドアニオン]]を酸素と[[過酸化水素]]に[[不均化]]することによって分解して無毒化する[[スーパーオキシドディスムターゼ]]の活性中心も銅でもある。
:<chem>2 HO2 -> H2O2\ + O2</chem>
青色銅タンパク質のようないくつかの銅タンパク質は直接[[基質 (化学)|基質]]とは反応しないため、それらは[[酵素]]ではない。それらのタンパク質は、[[電子移動反応]]とよばれるプロセスによって電子を中継する<ref name="Lippard"/>。
=== 摂取 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|+ 銅の食事摂取基準<br/>(日本、2015)<ref>{{cite report|
|title=「日本人の食事摂取基準」(2015年版)
|url=https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/eiyou/syokuji_kijyun.html
|publisher=厚生労働省
}}</ref>
|-
!属性!!推奨量(RDA)<br/>mg/日!!耐容上限量(UL)<br/>mg/日
|-
|男性(18歳以上)||0.9–1.0||10
|-
|女性(18歳以上)||0.8||10
|}
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|+ 銅の食事摂取基準<br/>(米国、2001)<ref name="DRI2001">{{cite book
|title=Dietary Reference Intakes for Vitamin A, Vitamin K, Arsenic, Boron, Chromium, Copper, Iodine, Iron, Manganese, Molybdenum, Nickel, Silicon, Vanadium, and Zinc.
|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK222312/
|publisher=Institute of Medicine (US) Panel on Micronutrients.Washington (DC): National Academies Press (US)
|year=2001
}}</ref>
|-
!属性!!推奨量(RDA)<br/>mg/日!!耐容上限量(UL)<br/>mg/日!![[NOAEL]]<br/>mg/日
|-
|男性(19歳以上)||0.9||10||10
|-
|女性(19歳以上)||0.9||10||10
|}
2001年に出されたアメリカの報告書<ref name="DRI2001"/> によると、銅成分なしの[[輸液]]では一日あたり250–1850 μgの銅が失われる。また銅の損失をゼロ(0)とするには一日あたり510 μgの銅を補給することが(計算上)必要としている。
=== 吸収、循環、排出 ===
[[File:ARS copper rich foods.jpg|thumb|銅の豊富な食品としては[[カキ (貝)|カキ]]、[[牛]]や[[ラム (子羊)|ラム]]の[[肝臓]]、ブラジルナッツ、[[糖蜜#廃糖蜜|廃糖蜜]]、[[ココア]]、黒[[コショウ]]がある。良い補給源としては[[ロブスター]]、[[種実類|ナッツ]]や[[ヒマワリ]]の種、グリーン[[オリーブ]]、[[アボカド]]、[[小麦]]の[[糠]]がある。]]
人体には体重1 kgあたりおよそ1.4–2.1 mgの銅が含まれている<ref name="copper.org">{{cite web|url = http://www.copper.org/consumers/health/papers/cu_health_uk/cu_health_uk.html|title = Amount of copper in the normal human body, and other nutritional copper facts|accessdate = April 3, 2009}}</ref>。銅は[[腸]]で吸収され、その後、[[肝臓]]に輸送されて[[アルブミン]]と結合する<ref>{{cite journal|last1=Adelstein|first1=S. J.|last2=Vallee|first2=B. L.|title=Copper metabolism in man|journal=New England Journal of Medicine|year=1961|volume=265|pages=892–897|doi=10.1056/NEJM196111022651806|issue=18}}</ref>。肝臓で処理された後の銅は第二段階として他の組織に分散される。ここの銅輸送プロセスでは、大多数の銅を血液中に輸送する[[セルロプラスミン]]が関与している。セルロプラスミンはまた、[[乳]]中に排出される銅を運搬し、特に銅源として効率よく吸収される<ref>{{cite journal | url = http://www.ajcn.org/content/67/5/965S.abstract | title = Copper transport | pmid = 9587137 | date = 1998-05-01 | author1 = M C Linder | journal = The American Journal of Clinical Nutrition | volume = 67 | issue = 5 | pages = 965S–971S | last2 = Wooten | first2 = L | last3 = Cerveza | first3 = P | last4 = Cotton | first4 = S | last5 = Shulze | first5 = R | last6 = Lomeli | first6 = N }}</ref>。一日あたりおよそ1 mgの銅が食品から摂取および排出されるのに対して、体内では通常一日あたりおよそ5 mgの銅が肝臓から運び出されて腸で再吸収される[[腸肝循環]]によって循環しており、必要であれば[[胆汁]]を通じて過剰な銅を体外へと排出できる<ref>{{cite journal | jstor =20170553 | pmid = 775938 | year =1976 | last1 =Frieden | first1 =E | last2 =Hsieh | first2 =HS | title =Ceruloplasmin: The copper transport protein with essential oxidase activity | volume =44 | pages =187–236 | journal =Advances in enzymology and related areas of molecular biology}}</ref><ref>{{cite journal | url =http://ajpcell.physiology.org/content/258/1/C140 | pmid =2301561 | title =Copper transport from ceruloplasmin: Characterization of the cellular uptake mechanism | date =1990-01-01 | author1 =S. S. Percival | journal =American Journal of Physiology - Cell Physiology | volume =258 | issue =1 | pages =C140–6 | last2 =Harris | first2 =ED}}</ref>。
=== 銅による障害 ===
[[膜輸送体]]が鉄を細胞に取り込むためには、銅による還元が必要である。このため[[銅欠乏症|銅の欠乏]]によって鉄の吸収量が低下し、[[貧血]]のような症状や[[好中球減少]]、骨の異常、[[低色素沈着]]、[[成長障害]]、感染症の発病率増加、[[骨粗鬆症]]、[[甲状腺機能亢進症]]、[[ブドウ糖]]と[[コレステロール]]の[[代謝]]異常などがもたらされる。しかし、銅は要求量がそれほど多くなく、食品中に豊富に存在するためそのようなことは稀である。ただし、特に[[反芻動物]]は銅に対して敏感な性質を持つため、家畜などにおいては銅の不足により[[神経障害]]や[[貧血]]、[[下痢]]などが発生することがある。これは[[飼料]]に銅を含んだ[[ミネラル]]分を添加することで改善される。また、[[亜鉛]]の過剰摂取は小腸細胞において金属結合性タンパク質である[[メタロチオネイン]]が誘導され、銅がこのタンパク質にトラップされる結果、銅の摂取が阻害される。例えば、[[ウサギ]]の健康な成長のために必要な最低限の銅摂取量は、少なくともエサ中に3 ppmは必要であることが報告されている<ref>{{cite journal|author=Hunt, Charles E. and William W. Carlton |pmid=5841854 |year=1965|title=Cardiovascular Lesions Associated with Experimental Copper Deficiency in the Rabbit|journal=Journal of Nutrition |volume=87|pages=385–394|issue=4}}</ref>。
{| class="wikitable" style="float: right;"
|-
! style="background:#f90;"|NFPA 704
|-
| style="text-align:left;"|{{NFPA 704|Health = 2|Flammability = 0|Reactivity = 0|Other =}}
|-
| style="width:80pt;"|金属銅に対する[[NFPA 704|ファイア・ダイアモンド]]表示
|}
ヒトにおいては、体内の銅の吸収と排出を管理する銅の輸送システムのために、銅の過剰症は通常起こらない。しかしながら、銅の輸送タンパク質における[[常染色体]]の劣性突然変異によってこの輸送システムが働かなくなるため、このような欠陥遺伝子対を遺伝した人において[[肝硬変]]や銅の蓄積を伴う[[肝レンズ核変性症|ウィルソン病]]が<ref name="copper.org"/>、あるいは銅欠乏となる{{仮リンク|メンケス病|en|Menkes disease}}を発症することがある。また、グラム単位の様々な銅塩は人体に対して深刻な毒性を示すため自殺目的に用いられ、その機序はおそらく酸化還元サイクルおよび、[[デオキシリボ核酸|DNA]]に損傷を与える[[活性酸素]]種の生成によると考えられている<ref>{{cite journal|last1=Li|first1=Yunbo|last2=Trush|first2=Michael|last3=Yager|first3=James|title=DNA damage caused by reactive oxygen species originating from a copper-dependent oxidation of the 2-hydroxy catechol of estradiol|journal=Carcinogenesis|year=1994|volume=15|issue=7|pages=1421–1427|doi=10.1093/carcin/15.7.1421|pmid=8033320}}</ref>。銅換算で体重1 kgあたり30 mgに相当する量の銅塩は動物に対して毒性を示すように<ref>{{cite web|title = Pesticide Information Profile for Copper Sulfate|url = http://pmep.cce.cornell.edu/profiles/extoxnet/carbaryl-dicrotophos/copper-sulfate-ext.html|publisher = Cornell University|accessdate=2008-07-10}}</ref>、多くの[[動物]]にとって慢性的に過剰な銅の摂取は毒である。反芻動物では銅の過多により[[肝硬変]]や発育不全、[[黄疸]]、などが起こりうる。例えば、ウサギのエサ中の銅濃度が100 ppm、200 ppm、500 ppmとより高濃度になると、{{仮リンク|飼料要求率|en|Feed conversion ratio}}や成長率、枝肉の歩留まりに有意な影響がある可能性が示唆されている<ref>{{cite journal|url=http://riunet.upv.es/handle/10251/10503?locale-attribute=en|author=Ayyat M.S., Marai I.F.M., Alazab A.M. |year=1995|title=Copper-Protein Nutrition of New Zealand White Rabbits under Egyptian Conditions|journal= World Rabbit Science |volume=3|pages=113–118}}</ref>。[[無脊椎動物]]の多くは過剰供給となって代謝異常を起こす[[しきい値|閾値]]が[[脊椎動物]]よりも低い。例えば水槽内で海産魚を飼育する時に、魚病薬として硫酸銅の水溶液を少量飼育水に添加することがあるが、この処置をいったん行った水槽は、飼育水中に微量の銅イオンが溶け出すため、もはや海産無脊椎動物の飼育には不適当といわれている。
著しい銅の欠乏は血漿もしくは血清銅濃度の低下(セルロプラスミン濃度の低下)および、赤血球スーパーオキシドディスムターゼ濃度の低下の検査によって発見することができるが、これらの検査は低濃度の銅に対する感度が高くない。「白血球および血小板のシトクロムcオキシダーゼ活性」は欠乏のもう一つの要因として提示されたが、その結果は反復試験によって確かめられなかった<ref name=Bonhametal2002>{{cite journal|author=Bonham, M. ''et al.''|year=2002|title=The immune system as a physiological indicator of marginal copper status? |journal=British Journal of Nutrition|doi=10.1079/BJN2002558|pmid=12010579|volume=87|issue=5|pages=393–403}}</ref>。
銅による[[食中毒]]例として、2020年、やかんの水に[[スポーツドリンク]]を溶かして摂取した高齢者が吐き気や下痢を訴えた例がある。やかんは[[ステンレス]]製のものであったが、長年、水道水に含まれる銅が[[水垢]]として堆積し、酸性のスポーツドリンクにより溶け出したという極端な原因であった。[[保健所]]が調査したところ、飲料から1 Lあたり200 mgの銅が検出されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN864F2FN7QUTIL04M.html|title= やかんの水あかで "食中毒"、水道水に含まれる銅が蓄積。学者「普通は考えられない」|publisher=朝日新聞デジタル|date=2020-08-08|accessdate=2022-03-22}}</ref>。
=== 植物における銅 ===
植物における銅の役割としては、生体内における数種類の[[酸化還元反応]]にかかわる[[酵素]]を活性化する働きや、[[光合成]]に必要な[[クロロフィル]]に銅が結合しており、クロロフィルの合成に[[肥料]]として銅が不可欠であるということが分かっている。しかし、クロロフィルの合成段階において銅がどのような役割を担っているのかなど詳しいことについては未だ判っていない。銅の欠乏によって黄白化、光合成能力の低下、[[種子]]の形成異常あるいは枯死などが起こる。銅の過剰供給もまた植物に対して毒性を示し、そのような環境下では銅イオン耐性の強い特殊な植物が繁茂する。例えば、[[寺社]]の銅屋根を伝った水が滴るような場所には銅イオン耐性の強い[[ホンモンジゴケ]]が優占することがよく知られている。[[下等植物]]の生育や増殖に少量の銅が不可欠であることが知られている。
=== 抗菌性 ===
多くの[[抗菌]]効果の研究において、[[A型インフルエンザウイルス]]や[[アデノウイルス]]、[[菌類]]だけでなく、広範囲にわたる細菌を[[殺菌]]するための銅の有効性について、10年以上研究されてきた<ref name="Copper Touch Surfaces"/>。研究の結果、建物内の給水管に使用した場合、表面に生成される酸化膜や塩素化合物の影響により、短期間に不活化能力が低下する現象のほか、残留塩素の低減作用が明らかとなっており、実用上の課題として認識されている<ref>[https://doi.org/10.11236/jph.60.9_579 銅を用いた水中の微生物の不活化技術の現状と課題] 『日本公衆衛生雑誌』 Vol.60 (2013) No.9 p.579-585</ref>。
銅合金の表面には広範囲の微生物を不活化する固有の能力があり、例えば[[腸管出血性大腸菌]]や[[メチシリン]]耐性[[黄色ブドウ球菌]] ([[メチシリン耐性黄色ブドウ球菌|MRSA]])、[[ブドウ球菌]]、[[クロストリジウム・ディフィシル]]、[[A型インフルエンザウイルス]]、[[アデノウイルス]]などを不活化する<ref name="Copper Touch Surfaces">[http://coppertouchsurfaces.org/antimicrobial/bacteria/index.html Copper Touch Surfaces]. Copper Touch Surfaces. Retrieved on 2011-11-08.</ref><ref>岸田直裕, 島崎大, 小坂浩司 ほか、[https://doi.org/10.11236/jph.60.9_579 銅を用いた水中の微生物の不活化技術の現状と課題] 『日本公衆衛生雑誌』 2013年 60巻 9号 p.579-585, {{doi|10.11236/jph.60.9_579}}</ref>。約355の銅合金において、定期的に洗浄していれば2時間以内に病原菌の99.9 %以上が不活化されると証明された<ref name="epa.gov">[http://www.epa.gov/pesticides/factsheets/copper-alloy-products.htm EPA registers copper-containing alloy products], May 2008</ref>。
[[アメリカ合衆国環境保護庁]] (EPA)は「公的医療による抗菌性材料」としてこれらの銅合金の登録を承認し<ref name="epa.gov" />、登録された抗菌性銅合金で製造された、製品の明確な公衆衛生効果の主張を合法的に行うことが許可された。さらにEPAは、横木、[[手摺]]、[[蛇口]]、[[ドアノブ]]、[[洗面|洗面所]]、[[ハードウェア]]、[[キーボード (コンピュータ)]]、[[スポーツクラブ]]の器具など、抗菌性銅から作られた抗菌性銅製品の長い一覧を承認した(全品目は[[:en:Antimicrobial copper-alloy touch surfaces#Approved products]]参照)。
銅製のドアノブは、病院で院内感染を防ぐために用いられ、[[レジオネラ]]症は配管システムに銅管を用いることで抑制することができる<ref>{{cite journal|last1=Biurrun|first1=Amaya|last2=Caballero|first2=Luis|last3=Pelaz|first3=Carmen|last4=León|first4=Elena|last5=Gago|first5=Alberto|title=Treatment of a Legionella pneumophila‐Colonized Water Distribution System Using Copper‐Silver Ionization and Continuous Chlorination|journal=Infection Control and Hospital Epidemiology|year=1999|volume=20|issue=6|pages=426–428|doi=10.1086/501645|jstor=30141645|pmid=10395146}}</ref>。抗菌性銅合金製品は[[イギリス]]、[[アイルランド]]、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[フランス]]、[[デンマーク]]および[[ブラジル]]において、医療施設に用いられている。また、南米チリの[[サンティアゴ (チリ)|サンティアゴ]]では、[[地下鉄]]輸送システムにおいて銅-亜鉛合金製の手摺が、2011年から2014年の間に約30の[[鉄道駅]]に取り付けられることになっている<ref>[http://www.rail.co/2011/07/22/chilean-subway-protected-with-antimicrobial-copper Chilean subway protected with Antimicrobial Copper – Rail News from]. rail.co. Retrieved on 2011-11-08.</ref><ref>[http://construpages.com.ve/nl/noticia_nl.php?id_noticia=3032&language=en Codelco to provide antimicrobial copper for new metro lines (Chile)]. Construpages.com.ve. Retrieved on 2011-11-08.</ref><ref>[http://www.antimicrobialcopper.com/media/149689/pr811-chilean-subway-installs-antimicrobial-copper.pdf PR 811 Chilean Subway Installs Antimicrobial Copper]. (PDF). antimicrobialcopper.com. Retrieved on 2011-11-08.</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite web|title=Commodity Profile: Copper|author=S D Hannis, P A J Lusty|editor=A G Gunn|publisher=[[英国地質調査所]]|year=2009|url=http://nora.nerc.ac.uk/7977/1/OR09041.pdf|format=pdf|ref=HannisLusty2009|accessdate=2012-05-14}}
*{{Cite book|和書|author=打越二彌|title=図解機械材料|year=2001|publisher=東京電機大学出版局|isbn=4501415304|ref=打越2001}}
*{{Cite book|和書|author=大澤直|title=よくわかる最新「銅」の基本と仕組み|year=2010|publisher=秀和システム|isbn=4798026727|ref=大澤2010}}
*{{Cite book|和書|author=加藤虎郎|year=1932|title=標準定量分析法|publisher=[[丸善]]|ref=katou1932}}
*{{Cite journal|url=http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/020.pdf|title=銅精錬技術の系統化調査|journal=国立科学博物館技術の系統化調査報告|volume=6|publisher=国立科学博物館|format=pdf|author=酒匂幸雄|date=2006|ref=sako2006|accessdate=2012-07-23}}
*{{Cite book|和書|author=G. シャルロー|others=曽根興二、田中元治 訳|title=定性分析化学II ―溶液中の化学反応|year=1974|edithion=改訂版|publisher=[[共立出版]]|ref=charlot1974}}
*{{Cite book|和書|author=冨士明良|title=工業材料入門|year=2009|publisher=東京電機大学出版局|isbn=4501418001|ref=冨士2009}}
*{{Cite web|和書|title=環境保健クライテリア No.200 銅|url=https://www.nihs.go.jp/hse/ehc/sum3/ehc200/ehc200.pdf|year=2002|publisher=[[世界保健機関]]、[[国連環境計画]]、[[国際労働機関]]、[[国立医薬品食品衛生研究所]](訳)|accessdate=2012-07-18|ref=ehc200jp}}(抄訳)
**{{Cite web|title=Environmental Health Criteria No.200 Copper|url=https://inchem.org/documents/ehc/ehc/ehc200.htm|year=1998|publisher=[[世界保健機関]]、[[国連環境計画]]、[[国際労働機関]]|accessdate=2012-07-18|ref=ehc200}}(原文)
*{{Cite web|和書|title=底質調査方法|work=5.3 銅|url=http://db-out3.nies.go.jp/emdb/pdfs/water/teisitutyousa/II5.01-12Metal.pdf|year=2001|publisher=[[国立環境研究所]]|accessdate=2012-07-18|ref=NIES|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130521131814/http://db-out3.nies.go.jp/emdb/pdfs/water/teisitutyousa/II5.01-12Metal.pdf|archivedate=2013-05-21}}
*{{Cite web|和書|url=http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2006-08/chapter2.pdf|title=銅ビジネスの歴史 第2章 我が国の銅の需給状況の歴史と変遷|date=2006-08-01|format=pdf|publisher=石油天然ガス・金属鉱物資源機構 金属企画調査部|page=52|accessdate=2012-07-23|ref=JOGMEC2006}}
== 関連項目 ==
{{Sisterlinks|commons=Category:Copper}}
* [[銅山]]
* [[赤銅]]
* [[黄銅]]
* [[青銅]]
* [[白銅]]
* [[緑青]]
* [[足尾鉱毒事件]]
* [[ヘモシアニン]]
* [[銅欠乏症]]
== 外部リンク ==
* [https://mric.jogmec.go.jp/ 金属資源情報] - 石油天然ガス・金属鉱物資源機構
* {{PaulingInstitute|mic/minerals/copper Copper}}
* {{hfnet|674|銅解説}}
* {{hfnet|582|nolink=yes}}
* {{Kotobank}}
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[[Category:銅|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85 |
7,989 | 白金 (曖昧さ回避) | 白金(はっきん)
白金、白銀(しろがね、しろかね、しらかね)
その他 | [
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] | 白金(はっきん) 白金(はっきん)- 白い光沢を放つ貴金属の一種。プラチナ。
白金を主成分とする元素鉱物については自然白金を参照のこと。
白金(はっきん)- プラチナと金の合金の通称。歯科医療に用いる白金加金合金 白金(しろがね)- 銀のこと。 五金の一つ。
白銀(しろがね)- 銀のこと。 白い光沢を放つ貴金属の一種。
白金 (東京都港区)(しろかね) - 東京都港区にある地名。
白金 (名古屋市)(しらかね) - 名古屋市昭和区にある地名。
白金 (福岡市)(しろがね) - 福岡市中央区にある地名。 その他 ホワイトゴールド - 金と銀、銅、亜鉛などとの合金 | '''白金'''(はっきん)
* [[白金]](はっきん)- 白い光沢を放つ[[貴金属]]の一種。プラチナ。
** 白金を主成分とする[[元素鉱物]]については[[自然白金]]を参照のこと。
* 白金(はっきん)- プラチナと金の合金の通称。歯科医療に用いる[[白金加金合金]](PGA, Platinum Gold Alloy)。
'''白金、白銀'''(しろがね、しろかね、しらかね)
* 白金(しろがね)- [[銀]]のこと。 [[五金]]の一つ。
* [[白銀]](しろがね)- [[銀]]のこと。 白い光沢を放つ[[貴金属]]の一種。
* [[白金 (東京都港区)]](しろかね) - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]にある地名。
*[[白金 (名古屋市)]](しらかね) - [[名古屋市]][[昭和区]]にある地名。
* [[白金 (福岡市)]](しろがね) - [[福岡市]][[中央区 (福岡市)|中央区]]にある地名。
'''その他'''
* [[ホワイトゴールド]] - [[金]]と銀、銅、亜鉛などとの合金
{{aimai}} | null | 2023-05-07T11:04:15Z | true | false | false | [
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7,991 | 吸着 | 吸着(きゅうちゃく、adsorption)とは、物体の界面において、濃度が周囲よりも増加する現象のこと。気相/液相、液相/液相、気相/固相、液相/固相の各界面で生じうる。
反対に、吸着していた物質が界面から離れることを脱着または脱離(desorption)と呼ぶ。
界面の原子は、物質内部の原子のように周囲と結合していないため、自由エネルギーが大きくなる(界面自由エネルギー)。このため、界面原子は近接した分子やイオンなどの化学種を結合し、自由エネルギーを小さくしようとする。この現象を吸着という。
吸着現象には、ファンデルワールス力による物理吸着と、共有結合による化学吸着がある。物理吸着は比較的弱く、温度や圧力の制御で可逆的に吸脱着できる。化学吸着は強固で、吸着質の電子状態が変化するため、触媒反応などを進行させることもある。
吸着される物質を吸着剤(adsorbent)、吸着する物質を吸着質(adsorbate)と呼ぶ。吸着質の量は、モノレイヤ又はラングミュア等の単位を用いるか、表面への吸着が無視できる高温低圧状態での吸着剤質量を基準とした質量比(wt%)で表される。
吸着する表面が平らな場合にも吸着現象は起こるが、工業的には小さな孔(細孔)をたくさん持つ素材、すなわち多孔体が用いられることが多い。
熱力学的には、吸着反応では吸着質が界面に束縛され自由度が低下するため、一般にエントロピーは低下する。
したがって、吸着反応が自発的に進行するためには(すなわち、自由エネルギー変化 Δ G = Δ H − T Δ S < 0 {\displaystyle \Delta G=\Delta H-T\Delta S<0} となるためには)、エンタルピーが大きく低下しなければならない。
このため、一般に吸着反応は発熱反応となる。
吸着剤が一定量の吸着質を吸着して安定である状態は、実際には吸着と脱着が等速な動的平衡状態にある。この平衡状態での吸着量は、吸着質の濃度(気体の場合は分圧)と温度に依存する。一般に、吸着量の評価は温度一定の条件下で濃度または圧力を変えて調べた吸着等温線 (adsorption isotherm) が用いられる。
吸着現象を顕微鏡やその他の測定装置で観察するのは難しいため、吸着等温線からそれを推測することがよく行われる。新しく生成された吸着剤に対して挙動のよくわかった吸着質(窒素など)を吸着させ吸着剤の構造を調べることは新規吸着剤開発において重要であり、吸着等温線は吸着剤の特性を知る上で最も重要な情報である。
吸着状態をモデル化し吸着等温線を数式で表現したものが吸着等温式である。ラングミュアやBET吸着等温式によって吸着現象の分子的描像が得られるようになった。また、吸着を工業的に利用する上で吸着等温式は重要な役割を占めている。
吸着速度は、吸着剤の流体境膜における拡散、吸着剤細孔内での拡散、細孔内表面での吸着、の3段階の速度で決定される。吸着質と吸着剤の物性により、律速段階は異なる。
油水界面の不安定性を和らげる界面活性剤の役割も吸着の一様式とみなせる。
家庭においては活性炭による冷蔵庫の脱臭、中空紡糸を用いた浄水器、シリカゲルによる脱湿などが吸着を利用した現象である。
液相吸着の工業利用例は、ショ糖の脱色、石油精製、生活廃水処理、浄水処理などがある。イオン交換膜などによるイオン交換操作も、化学工学的には、吸着と同様の単位操作として取り扱うことが出来る。
気相吸着の工業利用例は、自動車等の塗装によって空気中に放散される溶剤蒸気(揮発性有機化合物)の回収や、圧力スイング吸着法(Pressure Swing Adsorption)を用いた工業排気の分離などがある。
触媒機能を多孔体に与え、吸着を活用して化学反応を促進することも行われる。この方法として、触媒そのものを多孔体にする場合と、アルミナなどに担持させる場合がある。
また、将来的に期待されているものとして、燃料電池自動車用の水素貯蔵や、天然ガスをより安価に輸送するためのメタン貯蔵、あるいは二酸化炭素の分離・固定化などの実用化が挙げられる。 | [
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] | 吸着(きゅうちゃく、adsorption)とは、物体の界面において、濃度が周囲よりも増加する現象のこと。気相/液相、液相/液相、気相/固相、液相/固相の各界面で生じうる。 反対に、吸着していた物質が界面から離れることを脱着または脱離(desorption)と呼ぶ。 | [[File:Absorbimento e adsorbimento.svg|thumb|300px|吸着のイメージ。(左)気相/液相界面では、界面に溶質が集合する。(右)液/固界面では、固体表面に溶質が結合する。]]
'''吸着'''(きゅうちゃく、adsorption)とは、[[物体]]の[[界面]]において、[[濃度]]が[[周囲]]よりも増加する現象のこと<ref>[http://goldbook.iupac.org/A00155.html IUPAC Gold Book - adsorption]</ref>。[[気相]]/[[液相]]、液相/液相、気相/[[固相]]、液相/固相の各界面で生じうる。
反対に、吸着していた物質が界面から離れることを'''脱着'''または'''脱離'''(desorption)と呼ぶ<ref>[http://goldbook.iupac.org/D01620.html IUPAC Gold Book - desorption]</ref>。
== 概要 ==
[[界面]]の原子は、物質内部の原子のように周囲と[[結合]]していないため、[[自由エネルギー]]が大きくなる(界面自由エネルギー)。このため、界面原子は近接した[[分子]]や[[イオン]]などの化学種を結合し、自由エネルギーを小さくしようとする。この現象を吸着という。
吸着現象には、[[ファンデルワールス力]]による'''[[物理吸着]]'''と、[[共有結合]]による'''[[化学吸着]]'''がある。物理吸着は比較的弱く、温度や圧力の制御で[[可逆的]]に吸脱着できる。化学吸着は強固で、吸着質の電子状態が変化するため、[[触媒反応]]などを進行させることもある。
吸着される物質を'''吸着剤'''(adsorbent)、吸着する物質を'''吸着質'''(adsorbate)と呼ぶ。吸着質の量は、[[モノレイヤ]]又は[[ラングミュア]]等の単位を用いるか、表面への吸着が無視できる高温低圧状態での吸着剤質量を基準とした質量比(wt%)で表される。
吸着する表面が平らな場合にも吸着現象は起こるが、工業的には小さな孔([[細孔]])をたくさん持つ素材、すなわち[[多孔体]]が用いられることが多い。
== 理論 ==
[[File:Freundlich izoterma.png|thumb|240px|[[一酸化炭素]]が[[活性炭]]へ吸着する場合の[[吸着等温線]]。横軸は圧力、縦軸は吸着体積である。温度が高くなると、同じ圧力での吸着量は減少する。]]
[[熱力学]]的には、吸着反応では吸着質が界面に束縛され[[自由度]]が低下するため、一般に[[エントロピー]]は低下する。
:<math>\Delta S < 0</math>
したがって、吸着反応が自発的に進行するためには(すなわち、[[自由エネルギー]]変化<math>\Delta G = \Delta H - T \Delta S < 0</math>となるためには)、[[エンタルピー]]が大きく低下しなければならない。
:<math>\Delta H < 0</math>
このため、一般に吸着反応は[[発熱反応]]となる。
吸着剤が一定量の吸着質を吸着して安定である状態は、実際には吸着と脱着が等速な[[動的平衡]]状態にある。この[[平衡状態]]での吸着量は、吸着質の濃度(気体の場合は[[分圧]])と温度に依存する。一般に、吸着量の評価は温度一定の条件下で濃度または圧力を変えて調べた[[吸着等温線]] (adsorption isotherm) が用いられる。
吸着現象を[[顕微鏡]]やその他の測定装置で観察するのは難しいため、吸着等温線からそれを推測することがよく行われる。新しく生成された吸着剤に対して挙動のよくわかった吸着質([[窒素]]など)を吸着させ吸着剤の構造を調べることは新規吸着剤開発において重要であり、吸着等温線は吸着剤の特性を知る上で最も重要な情報である。
吸着状態をモデル化し吸着等温線を数式で表現したものが[[吸着等温式]]である。[[ラングミュア]]やBET吸着等温式によって吸着現象の分子的描像が得られるようになった。また、吸着を工業的に利用する上で吸着等温式は重要な役割を占めている。
吸着速度は、吸着剤の流体境膜における拡散、吸着剤細孔内での拡散、細孔内表面での吸着、の3段階の速度で決定される。吸着質と吸着剤の物性により、律速段階は異なる。
== 利用 ==
油水界面の不安定性を和らげる[[界面活性剤]]の役割も吸着の一様式とみなせる。
家庭においては[[活性炭]]による[[冷蔵庫]]の[[脱臭]]、中空紡糸を用いた[[浄水器]]、[[シリカゲル]]による脱湿などが吸着を利用した現象である。
液相吸着の工業利用例は、[[ショ糖]]の脱色、[[石油精製]]、生活[[廃水処理]]、[[浄水処理]]などがある。[[イオン交換膜]]などによるイオン交換操作も、[[化学工学]]的には、吸着と同様の[[単位操作]]として取り扱うことが出来る。
気相吸着の工業利用例は、[[自動車]]等の塗装によって空気中に放散される溶剤蒸気([[揮発性有機化合物]])の回収や、[[圧力スイング吸着法]](Pressure Swing Adsorption)を用いた工業排気の分離などがある。
[[触媒]]機能を多孔体に与え、吸着を活用して化学反応を促進することも行われる。この方法として、触媒そのものを多孔体にする場合と、[[アルミナ]]などに担持させる場合がある。
また、将来的に期待されているものとして、[[燃料電池自動車]]用の[[水素貯蔵]]や、[[天然ガス]]をより安価に輸送するための[[メタン]]貯蔵、あるいは[[二酸化炭素]]の分離・固定化などの実用化が挙げられる。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[ハインリヒ・カイザー]] - 「吸着」(独: Adsorption)という新語を造った。
* [[日本吸着学会]]
* [[アロフェン]]
* [[活性炭]]
* [[ゼオライト]]
* [[シリカゲル]]
* [[メソポーラスシリカ]]
* [[カーボンナノチューブ]]
* [[カーボンナノホーン]]
* [[備長炭]]
* [[木炭]]
* [[解離吸着]]
* [[収着]]
* [[吸収 (化学)|吸収]] - 多くのヨーロッパの言語では、よく一字違いの「吸着(英語:[[w:en:Adsorption | Adsorption]])」と「「吸収(英語:[[w:en:Absorption | Absorption]])」が、勘違いされることが多い。
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[[Category:界面化学]]
[[Category:表面科学]]
[[Category:化学工学]]
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[[Category:ハインリヒ・カイザー]] | 2003-05-10T15:07:37Z | 2023-08-10T17:44:34Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E7%9D%80 |
7,992 | 水銀 | 水銀(すいぎん、英: mercury、羅: hydrargyrum)は、原子番号80の元素。元素記号は Hg。汞(みずがね)とも書く。第12族元素に属す。常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素で、銀のような白い光沢を放つことからこの名がついている。
硫化物である辰砂 (HgS) 及び単体である自然水銀 (Hg) として主に産出する。
水銀には、三方晶系のα-Hgと、正方晶系のβ-Hgの2種の同素体がある。
元素記号の Hg は、古代ギリシア語: ὕδράργυρος (hydrargyros ; < ὕδωρ 「水」 + άργυρος 「銀」)に由来する ラテン語: hydrargyrum の略。また、古くは ラテン語: argentum vivum (「生きている銀」、流動する点を「生きている」と表現した)ともいい、この言い方は 英語: quicksilver(古語。なお形容詞 quick は古くは「生きている」の意味であった)、ドイツ語: Quecksilberなどへ翻訳借用された。
古来の日本語(大和言葉)では「みづかね」と呼ぶ。漢字では古来「汞」(拼音: gǒng)の字をあて、標準中国語(普通話)でもこの表記が正式である(中国では「水銀」は通称として用いられる)。
英語名 mercury は14世紀から用例があり、占星術や錬金術の分野で最初用いられたものである。これは、天球上をせわしなく移動する水星を流動する水銀に結びつけたものとも、また、液体で金属であるという流動性が、神々の使者として天地を自由に駆け巡ったヘルメース(ギリシア神話の神で、ローマ神話のメルクリウス(Mercurius)と同一視される)の性格と関連づけられたためともいわれる。
水銀は、各種の金属と混和し、アマルガムと呼ばれる合金をつくる。これは水銀が大半を占める場合には液体、水銀の量が少なければ固体となる。従来は広く歯の治療に使われていた。白金、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、タングステンとは合金を形成しないので、水銀の保存には鉄の容器が用いられる。
生物に対して毒性が強いため、使用が控えられている金属である。 また、その特異な性質から様々な科学者の興味の対象となり、多くの現象の発見にかかわっている。
7種の安定同位体が存在する。同位体は、中性子の数が異なることから、僅かに質量が異なる。従って、同じ元素であっても物理学的な特性に違いを持つ。この特性を利用し、環境中に蓄積された水銀の同位対比を精密に測定する事で、水銀の循環を解明することが可能になる。
古代においては、辰砂(シンシャ。主成分は硫化水銀:鮮血色をしている)などの水銀化合物は、その特性や外見から不死の薬や船底の防腐剤として珍重され、また辰砂の一種である朱砂(スサ)は赤色塗料として使用された。特に中国の皇帝に愛用されており、不老不死の薬、「仙丹」の原料と信じられていた(錬丹術)。
しかし現代から見ればまさに毒を飲んでいるに等しい。中世以降、水銀は毒として認知されるようになった。日本では辰砂の産地は丹生と呼ばれ丹生神社が建てられており、水銀中毒事件が神社社伝に記録されている場合がある。
世界中において有機水銀はかつて農薬として広く使われ、1970年代にイラクでは、メチル水銀で消毒した小麦の種を食用に流用したパンによって有機水銀中毒で400人以上が死亡する事件が起きた。そして、その毒性から現在は使用が禁止され、代わりに無機水銀などが使われるようになった。さらに、水銀化合物自体の使用が環境汚染につながるとして忌避されるようにもなった。
2001年にアメリカ合衆国では「乳児の際に受けた予防接種中のチメロサール(エチル水銀チオサリチル酸ナトリウム・ワクチンの防腐剤として使用される)によって自閉症になった」として製薬会社に対する訴訟が発生した。三種混合ワクチン、日本脳炎ワクチン、インフルエンザワクチン、B型肝炎ワクチンなどの保存剤としてチメロサールが使われていたためである。そのためチメロサールを使わないか低濃度のものに替えるなど規制が強化されたが、その後の大規模調査で自閉症との関連は否定され、関連を示唆した発端の論文は科学的不正があったとして撤回されている。
有機水銀は無機水銀に比べ毒性が非常に強い。特にメチル水銀の中枢神経系(脳)に対する毒性は強力で、日本で起きた水俣病(熊本県八代海)や、阿賀野川流域(新潟県)での工場排水に起因する有機水銀中毒(第二水俣病)の原因物質である。
地球上においては地殻などに水銀が比較的豊富に存在する。これら自然界に存在する水銀は水圏において非酵素的反応や微生物の作用によって有機水銀に変化し、食物連鎖を通じて、大形魚類や、深海魚、海洋動物に蓄積される(生物濃縮)。日本の厚生労働省はキンメダイやカジキ、マグロなどの魚類、クジラ、イルカなどの海棲哺乳類に含まれる水銀が胎児の発育に影響を及ぼす恐れがあるとして、妊娠中かその可能性のある女性は、魚介類の摂取量や回数を制限するように注意を喚起している。
食物に占める魚介類の割合が多い日本では、メチル水銀の摂取量が他国と比較して高いことが知られている。メチル水銀の摂取量の地域的特徴は、マグロ類の消費傾向とよく一致し、関東地方などを中心とする東日本で高く、中国地方から九州北部にかけて比較的低くなっている。一方、発育途中にある胎児の神経系は、メチル水銀の影響を最も受けやすいと考えられる。魚介類にはある種の不飽和脂肪酸など、胎児の発育などにも有効な成分も多く含まれており、魚介類中に含まれる微量のメチル水銀が、胎児の発達にどれほどの影響を及ぼしているかは、研究者によっても見解が分かれるところである。
欧米の政府機関は、基準を設けて、マグロやカジキなどの摂取制限を行っている。特に妊婦や妊娠する可能性のある女性は、メチル水銀を多く含む大形食魚やイルカ、キンメダイなどの魚介類などを、基準より食べ過ぎないよう注意するとよい。なお、マグロなどの魚介類はセレンを含んでおり、これがメチル水銀の毒性を軽減させているとの可能性も指摘されているが、詳細は不明である。
自然界では無機水銀及び有機水銀を処理して、金属状態の水銀に変化させる菌が存在する。この菌は通称水銀耐性菌と呼ばれ、水俣病の発生した地域の土壌から単離された。水銀耐性菌において無機水銀及び有機水銀を金属水銀に代謝するのは、この菌の産生するタンパク質によるものであることが遺伝子工学的な解析により判明しており、その担当遺伝子の解析も行われている(メタロチオネインも参考のこと)。環境汚染の浄化技術として、いわゆるバイオレメディエーションへの応用も行われている。
体温計に使われている水銀は金属水銀なので安全だと言われていた。金属水銀は間違って飲み込んだとしても、消化管からはほとんど吸収されないので、急性中毒を起こすことはないと思われていたからである(ただし、一部が腸内細菌叢により酸化されたり、有機水銀に転換されて吸収される余地が示唆されている)。しかし、水銀は20°Cで気化し、気化した場合には肺から吸収されやすく、体内に吸収された場合にはヘモグロビンや血清アルブミンと結合して毒性を示す。このため水銀を含有する物(蛍光灯・体温計・血圧計、ボタン型電池、朱肉など)を焼却することは危険である。
これら水銀を含有する使用済み物品は分別回収の対象であるが、一般ゴミに紛れて焼却炉に入れられることもあり、東京都清掃センター水銀排ガス事件が起きている。
水銀体温計1本が混じったゴミを燃やすと、排気の水銀濃度は1立方メートル当たり数千マイクログラムに達する。日本では、新設のゴミ処理施設では排気の水銀濃度を1時間平均で1立方メートル当たり30マイクログラムまでとする規制が実施された。このため既存施設を含めて、排気の分析と活性炭などによる浄化が行われている。
許容摂取量は、国際専門家会議 (JECFA) において、胎児を保護するため、暫定的耐容量 (PTWI) 1.6 μg/kgと定められており諸外国、においても、妊婦等への摂食制限の啓蒙や規制強化が行われている。
水銀の外部環境への排出抑制は取組が進んでいるが、過去に排出された水銀や現在でも水銀を含む農薬が許可されている国域では、河口や湖などの底質に蓄積されていることがある。日本国については産業技術総合研究所で全国の河川の底質を分析して、日本の地球化学図としてそのデータを公開している。また環境省は基準値以上の水銀化合物を含む底質を除去するように政令で通達している。
水銀の鉱山としては、スペインのシウダ・レアルにある世界遺産の国営アルマデン鉱山が有名。古代ローマの紀元前372年からイスラム帝国時代、そして2004年7月の生産停止に至るまで辰砂及び自然水銀を産出していた。日本では、佐世保市相浦の佐世保層群相浦層、北海道留辺蘂町にあったイトムカ鉱山(自然水銀の産出が多いことでも有名)や古代から産出記録がある丹生鉱山が知られている。
辰砂を空気中で約600°Cまで加熱することで水銀地金が単離する。水銀地金は液体であるため、アマルガムを生じさせない素材の容器に入れて流通させる。国際市場では34.5kgの鉄製容器(フラスコやボンベと呼ばれる。近年は腐食による水銀の漏出を防ぐため容器の両面を樹脂で表面処理する事が多い)に充填して流通する事が慣習となっている。ただし、国内向けや小口向けでは他の試薬同様、ガラス製や樹脂製の瓶に入れて出荷される事が多い。
水銀鉱石を構成する鉱石鉱物には次のようなものがある。
商業的には辰砂及び自然水銀が主要な鉱石となっている。
「我が国の水銀に関するマテリアルフロー(2010年度ベース)」によれば、以下の通り。
水銀は常温で容易に気化するため、分析法は還元気化原子吸光法が主である。測定機器としては原子吸光分析装置のバーナヘッド部を石英セルに置き換えるほか、水銀測定専用の装置が市販されている。有機水銀の場合は試料を分解せず溶媒抽出後、ガスクロマトグラフィーで分離して電子捕獲検出器や質量分析装置で検出する場合もある。
総水銀の分析手順は概ね次のようなものである。詳細は成書を参照されたい。
日本において水銀を含む物質や製品等を処分、廃棄する際には、環境省が示す水銀廃棄物ガイドラインに沿って適切に保管、廃棄することが求められる。
2018年には、実験に使った水銀を排水に流すなどの不適切な扱いを続けていた元大学教授に対し、水銀の除去費用として1550万円の支払いを命じる判決が言い渡された例がある。
水銀(IV)の化合物は存在が予言されるにとどまっていたが、2007年に初めて HgF4 の合成が報告された。固体 Ar または Ne マトリクス中の極低温下で水銀と F2 との反応により合成された。 | [
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"text": "欧米の政府機関は、基準を設けて、マグロやカジキなどの摂取制限を行っている。特に妊婦や妊娠する可能性のある女性は、メチル水銀を多く含む大形食魚やイルカ、キンメダイなどの魚介類などを、基準より食べ過ぎないよう注意するとよい。なお、マグロなどの魚介類はセレンを含んでおり、これがメチル水銀の毒性を軽減させているとの可能性も指摘されているが、詳細は不明である。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "自然界では無機水銀及び有機水銀を処理して、金属状態の水銀に変化させる菌が存在する。この菌は通称水銀耐性菌と呼ばれ、水俣病の発生した地域の土壌から単離された。水銀耐性菌において無機水銀及び有機水銀を金属水銀に代謝するのは、この菌の産生するタンパク質によるものであることが遺伝子工学的な解析により判明しており、その担当遺伝子の解析も行われている(メタロチオネインも参考のこと)。環境汚染の浄化技術として、いわゆるバイオレメディエーションへの応用も行われている。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "体温計に使われている水銀は金属水銀なので安全だと言われていた。金属水銀は間違って飲み込んだとしても、消化管からはほとんど吸収されないので、急性中毒を起こすことはないと思われていたからである(ただし、一部が腸内細菌叢により酸化されたり、有機水銀に転換されて吸収される余地が示唆されている)。しかし、水銀は20°Cで気化し、気化した場合には肺から吸収されやすく、体内に吸収された場合にはヘモグロビンや血清アルブミンと結合して毒性を示す。このため水銀を含有する物(蛍光灯・体温計・血圧計、ボタン型電池、朱肉など)を焼却することは危険である。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "これら水銀を含有する使用済み物品は分別回収の対象であるが、一般ゴミに紛れて焼却炉に入れられることもあり、東京都清掃センター水銀排ガス事件が起きている。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "水銀体温計1本が混じったゴミを燃やすと、排気の水銀濃度は1立方メートル当たり数千マイクログラムに達する。日本では、新設のゴミ処理施設では排気の水銀濃度を1時間平均で1立方メートル当たり30マイクログラムまでとする規制が実施された。このため既存施設を含めて、排気の分析と活性炭などによる浄化が行われている。",
"title": "毒性"
},
{
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"tag": "p",
"text": "許容摂取量は、国際専門家会議 (JECFA) において、胎児を保護するため、暫定的耐容量 (PTWI) 1.6 μg/kgと定められており諸外国、においても、妊婦等への摂食制限の啓蒙や規制強化が行われている。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "水銀の外部環境への排出抑制は取組が進んでいるが、過去に排出された水銀や現在でも水銀を含む農薬が許可されている国域では、河口や湖などの底質に蓄積されていることがある。日本国については産業技術総合研究所で全国の河川の底質を分析して、日本の地球化学図としてそのデータを公開している。また環境省は基準値以上の水銀化合物を含む底質を除去するように政令で通達している。",
"title": "毒性"
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{
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"tag": "p",
"text": "水銀の鉱山としては、スペインのシウダ・レアルにある世界遺産の国営アルマデン鉱山が有名。古代ローマの紀元前372年からイスラム帝国時代、そして2004年7月の生産停止に至るまで辰砂及び自然水銀を産出していた。日本では、佐世保市相浦の佐世保層群相浦層、北海道留辺蘂町にあったイトムカ鉱山(自然水銀の産出が多いことでも有名)や古代から産出記録がある丹生鉱山が知られている。",
"title": "生産"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "辰砂を空気中で約600°Cまで加熱することで水銀地金が単離する。水銀地金は液体であるため、アマルガムを生じさせない素材の容器に入れて流通させる。国際市場では34.5kgの鉄製容器(フラスコやボンベと呼ばれる。近年は腐食による水銀の漏出を防ぐため容器の両面を樹脂で表面処理する事が多い)に充填して流通する事が慣習となっている。ただし、国内向けや小口向けでは他の試薬同様、ガラス製や樹脂製の瓶に入れて出荷される事が多い。",
"title": "生産"
},
{
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"text": "水銀鉱石を構成する鉱石鉱物には次のようなものがある。",
"title": "生産"
},
{
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"tag": "p",
"text": "商業的には辰砂及び自然水銀が主要な鉱石となっている。",
"title": "生産"
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{
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"tag": "p",
"text": "「我が国の水銀に関するマテリアルフロー(2010年度ベース)」によれば、以下の通り。",
"title": "国内水銀利用量"
},
{
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"text": "水銀は常温で容易に気化するため、分析法は還元気化原子吸光法が主である。測定機器としては原子吸光分析装置のバーナヘッド部を石英セルに置き換えるほか、水銀測定専用の装置が市販されている。有機水銀の場合は試料を分解せず溶媒抽出後、ガスクロマトグラフィーで分離して電子捕獲検出器や質量分析装置で検出する場合もある。",
"title": "分析法"
},
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"text": "総水銀の分析手順は概ね次のようなものである。詳細は成書を参照されたい。",
"title": "分析法"
},
{
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"tag": "p",
"text": "日本において水銀を含む物質や製品等を処分、廃棄する際には、環境省が示す水銀廃棄物ガイドラインに沿って適切に保管、廃棄することが求められる。",
"title": "処分・廃棄"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "2018年には、実験に使った水銀を排水に流すなどの不適切な扱いを続けていた元大学教授に対し、水銀の除去費用として1550万円の支払いを命じる判決が言い渡された例がある。",
"title": "処分・廃棄"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "水銀(IV)の化合物は存在が予言されるにとどまっていたが、2007年に初めて HgF4 の合成が報告された。固体 Ar または Ne マトリクス中の極低温下で水銀と F2 との反応により合成された。",
"title": "化合物"
}
] | 水銀は、原子番号80の元素。元素記号は Hg。汞(みずがね)とも書く。第12族元素に属す。常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素で、銀のような白い光沢を放つことからこの名がついている。 硫化物である辰砂 (HgS) 及び単体である自然水銀 (Hg) として主に産出する。 水銀には、三方晶系のα-Hgと、正方晶系のβ-Hgの2種の同素体がある。 | {{Elementbox
|name=mercury
|japanese name=水銀
|number=80
|symbol=Hg
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|m|ɜr|k|j|ər|i}}<br />{{IPAc-en|ˈ|m|ɜr|k|ər|i}} {{respell|MER|k(y)ə-ree}}<br />alternatively {{IPAc-en|ˈ|k|w|ɪ|k|s|ɪ|l|v|ər}}<br />{{IPAc-en|h|aɪ|ˈ|d|r|ɑr|dʒ|ɨ|r|əm}} {{respell|hye|DRAR|ji-rəm}}
|left=[[金]]
|right=[[タリウム]]
|above=[[カドミウム|Cd]]
|below=[[コペルニシウム|Cn]]
|series=ポスト遷移金属
|series comment=
|group=12
|period=6
|block=d
|series color=
|phase color=
|appearance=銀白色
|image name=Pouring liquid mercury bionerd.jpg
|image size=249px
|image name comment=
<!--
|image name 2=Mercury Spectra.jpg
|image size 2=
|image name 2 comment=水銀のスペクトル線
-->
|atomic mass=200.59
|atomic mass 2=2
|atomic mass comment=
|electron configuration=[[[キセノン|Xe]]] 4f<sup>14</sup> 5d<sup>10</sup> 6s<sup>2</sup>
|electrons per shell=2, 8, 18, 32, 18, 2
|color=
|phase=液体
|phase comment=
|density gplstp=
|density gpcm3nrt={{#expr:13.534}}
|density gpcm3nrt 2=
|density gpcm3nrt 3=
|melting point K=234.32
|melting point C=-38.83
|melting point F=-37.89
|melting point pressure=
|sublimation point K=
|sublimation point C=
|sublimation point F=
|sublimation point pressure=
|boiling point K=629.88
|boiling point C=356.73
|boiling point F=674.11
|boiling point pressure=
|triple point K=
|triple point kPa=
|triple point K 2=
|triple point kPa 2=
|critical point K=1750
|critical point MPa=172.00
|heat fusion=2.29
|heat fusion 2=
|heat fusion pressure=
|heat vaporization=59.11
|heat vaporization pressure=
|heat capacity=27.983
|heat capacity pressure=
|vapor pressure 1=315
|vapor pressure 10=350
|vapor pressure 100=393
|vapor pressure 1 k=449
|vapor pressure 10 k=523
|vapor pressure 100 k=629
|vapor pressure comment=
|crystal structure=rhombohedral
|japanese crystal structure=[[菱面体晶系]]
|oxidation states= 4, '''2''' (Hg<sup>2+</sup>), 1 (Hg<sub>2</sub><sup>2+</sup>)
|oxidation states comment=[[塩基性酸化物]]
|electronegativity=2.00
|number of ionization energies=3
|1st ionization energy=1007.1
|2nd ionization energy=1810
|3rd ionization energy=3300
|atomic radius=[[1 E-10 m|151]]
|atomic radius calculated=
|covalent radius=[[1 E-10 m|132±5]]
|Van der Waals radius=[[1 E-10 m|155]]
|magnetic ordering=反磁性
|electrical resistivity=(25 {{℃}}) 961n
|electrical resistivity at 0=
|electrical resistivity at 20=
|thermal conductivity=8.30
|thermal conductivity 2=
|thermal diffusivity=
|thermal expansion=
|thermal expansion at 25=60.4
|speed of sound=(液体, 20 {{℃}}) 1451.4
|speed of sound rod at 20=
|speed of sound rod at r.t.=
|Tensile strength=
|Young's modulus=
|Shear modulus=
|Bulk modulus=
|Poisson ratio=
|Mohs hardness=
|Vickers hardness=
|Brinell hardness=
|CAS number=7439-97-6
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[水銀194|194]] | sym=Hg
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E10 s|444 y]]
| dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.040 | pn=[[金194|194]] | ps=[[金|Au]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[水銀195|195]] | sym=Hg
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E4 s|9.9 h]]
| dm=[[電子捕獲|ε]] | de=1.510 | pn=[[金195|195]] | ps=[[金|Au]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[水銀196|196]] | sym=Hg | na=0.15% | hl=>2.5×10<sup>18</sup> [[年|y]]
| dm1=[[アルファ崩壊|α]] | de1=2.0273 | pn1=192 | ps1=[[白金|Pt]]
| dm2=[[二重ベータ崩壊|β+β+]] | de2=0.8197 | pn2=196 | ps2=[[白金|Pt]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[水銀197|197]] | sym=Hg
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|64.14 h]]
| dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.600 | pn=[[金197|197]] | ps=[[金|Au]]}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀198|198]] | sym=Hg | na=9.97 % | n=118}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀199|199]] | sym=Hg | na=16.87 % | n=119}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀200|200]] | sym=Hg | na=23.1 % | n=120}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀201|201]] | sym=Hg | na=13.18 % | n=121}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀202|202]] | sym=Hg | na=29.86 % | n=122}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[水銀203|203]] | sym=Hg
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|46.612 d]]
| dm=[[ベータ崩壊|β]]<sup>-</sup> | de=0.492 | pn=[[タリウム203|203]] | ps=[[タリウム|Tl]]}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[水銀204|204]] | sym=Hg | na=6.87 % | n=124}}
|isotopes comment=
}}
'''水銀'''(すいぎん、{{lang-en-short|mercury}}、{{lang-la-short|hydrargyrum}})は、[[原子番号]]80の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Hg'''。'''汞(みずがね)'''とも書く。[[第12族元素]]に属す。[[常温]]、[[常圧]]で[[凝固]]しない唯一の[[金属元素]]{{efn|常温常圧付近で液体状態をとりうる金属としては他に[[ガリウム]](融点30℃)、[[ルビジウム]](融点39℃)、[[セシウム]](融点28℃)、[[フランシウム]](融点27℃(理論推定))などがあるが、融点が常温より十分に低いものは現在発見されている金属元素の中では水銀が唯一である。}}で、[[銀]]のような白い[[光沢]]を放つことからこの名がついている。
[[硫化物]]である[[辰砂]] (HgS) 及び単体である[[自然水銀]] (Hg) として主に産出する。
水銀には、三方晶系のα-Hgと、正方晶系のβ-Hgの2種の同素体がある。
== 名称 ==
元素記号の '''Hg''' は、{{lang-grc|ὕδράργυρος}} (hydrargyros ; < {{lang|grc|ὕδωρ}} 「水」 + {{lang|grc|άργυρος}} 「銀」)に由来する {{lang-la|'''hydrargyrum'''}} の略。また、古くは {{lang-la|argentum vivum}} (「生きている銀」、流動する点を「生きている」と表現した)ともいい、この言い方は {{lang-en|quicksilver}}(古語。なお形容詞 {{lang|en|quick}} は古くは「生きている」の意味であった<ref>[http://www.etymonline.com/index.php?term=quick&allowed_in_frame=0 Online Etymology Dictionary]</ref>)、{{lang-de|Quecksilber}}などへ[[翻訳借用]]された。
古来の日本語([[大和言葉]])では「'''みづかね'''」と呼ぶ。漢字では古来「{{lang|zh|'''汞'''}}」({{ピンイン|gǒng}})の字をあて、標準中国語([[普通話]])でもこの表記が正式である(中国では「{{lang|zh|水銀}}」は通称として用いられる)。
英語名 {{lang|en|mercury}} は14世紀から用例があり<ref name="oel"/>、[[西洋占星術|占星術]]や[[錬金術]]の分野で最初用いられたものである<ref name="oel">[http://www.etymonline.com/index.php?term=mercury&allowed_in_frame=0 Online Etymology Dictionary]</ref>。これは、天球上をせわしなく移動する[[水星]]を流動する水銀に結びつけたもの<ref name="oel"/>とも、また、液体で金属であるという流動性が、神々の使者として天地を自由に駆け巡った[[ヘルメース]]([[ギリシア神話]]の神で、[[ローマ神話]]の[[メルクリウス]]({{lang|la|Mercurius}})と同一視される)の性格と関連づけられたためともいわれる<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 326-327|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。
== 性質 ==
水銀は、各種の金属と混和し、[[アマルガム]]と呼ばれる[[合金]]をつくる。これは水銀が大半を占める場合には液体、水銀の量が少なければ固体となる。従来は広く[[歯]]の治療に使われていた。[[白金]]、[[マンガン]]、[[鉄]]、[[コバルト]]、[[ニッケル]]、[[タングステン]]とは[[合金]]を形成しないので、水銀の保存には鉄の容器が用いられる。
生物に対して[[毒|毒性]]が強いため、使用が控えられている金属である。
また、その特異な性質から様々な[[科学者]]の興味の対象となり、多くの[[現象]]の発見にかかわっている。
* [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ|トリチェリー]]の実験では水銀柱が用いられ、[[圧力]]の[[単位]]「[[トル]]」(Torr、別名:[[水銀柱ミリメートル]] mmHg)の基準となった。
* [[超伝導]]は水銀の冷却中に初めて発見された現象である(そのため、かつては超伝導材として使用されていたが、現在ではほとんど使われていない)。
* [[電気化学]]に重要な発展をもたらした[[ポーラログラフィー]]では、水銀が[[電極]]として使用される。
* [[電気抵抗]]の単位である[[オーム]]の値の由来となったのは、水銀の抵抗値を元にした[[ジーメンス水銀単位]]であった(現在の定義には用いられていない)。
* [[酸素]]の発見は水銀と酸素がある温度以下では[[酸化水銀]]に、ある温度以上では[[単体]]に分離する性質によるものである。
=== 同位体 ===
{{Main|水銀の同位体}}
7種の安定同位体が存在する。同位体は、中性子の数が異なることから、僅かに質量が異なる。従って、同じ元素であっても物理学的な特性に違いを持つ。この特性を利用し、環境中に蓄積された水銀の同位対比を精密に測定する事で、水銀の循環を解明することが可能になる<ref>{{Cite journal|和書|author=武内章記 |author2=柴田康行 |author3=田中敦 |title=水銀同位体生物地球化学 |date=2009-03-17 |publisher=日本環境化学会 |journal=環境化学 |volume=19 |number=1 |naid=10024803660 |pages=1-11 |doi=10.5985/jec.19.1 |ref=harv}}</ref>。
== 毒性 ==
{{Main|水銀中毒}}
[[古代]]においては、[[辰砂]](シンシャ。主成分は硫化水銀:鮮血色をしている)などの水銀化合物は、その特性や外見から不死の[[薬]]や船底の防腐剤として珍重され、また辰砂の一種である朱砂(スサ)は赤色塗料として使用された。特に[[中国]]の[[皇帝 (中国)|皇帝]]に愛用されており、[[不老不死]]の薬、「[[仙丹]]」の原料と信じられていた([[錬丹術]])。
しかし現代から見ればまさに[[毒]]を飲んでいるに等しい。中世以降、水銀は毒として認知されるようになった。日本では辰砂の産地は丹生と呼ばれ丹生神社が建てられており、水銀中毒事件が神社社伝に記録されている場合がある<ref>{{Cite journal| 和書| last =岡部| first =富久市| author =岡部富久市| authorlink =岡部富久市| year =2007| month =11| date =| title =八満宇佐宮もう一つの謎| journal =大分縣地方史| volume =201| issue =| page =| pages =30- 49| publisher =| location =| issn =| doi =| naid =| pmid =| id =| url =http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=kc20102| format =| accessdate =| quote =| ref=harv}}。</ref>。
世界中において[[メチル水銀|有機水銀]]はかつて[[農薬]]として広く使われ、[[1970年代]]に[[イラク]]では、メチル水銀で消毒した小麦の種を食用に流用した[[パン]]によって有機水銀中毒で400人以上が死亡する事件が起きた。そして、その[[毒性]]から現在は使用が禁止され、代わりに[[無機水銀]]などが使われるようになった。さらに、水銀化合物自体の使用が環境汚染につながるとして忌避されるようにもなった。
[[2001年]]に[[アメリカ合衆国]]では「[[乳児]]の際に受けた[[予防接種]]中の[[チメロサール]](エチル水銀チオサリチル酸ナトリウム・ワクチンの防腐剤として使用される)によって[[自閉症]]になった」として製薬会社に対する訴訟が発生した。三種混合[[ワクチン]]、[[日本脳炎]]ワクチン、[[インフルエンザ]]ワクチン、[[B型肝炎]]ワクチンなどの保存剤としてチメロサールが使われていたためである。そのためチメロサールを使わないか低濃度のものに替えるなど規制が強化されたが、その後の大規模調査で自閉症との関連は否定され<ref>{{PDFlink|[http://www.nimd.go.jp/kenkyu/review/h19_mercury_analysis_review.pdf メチル水銀ばく露による健康被害に関する国際的レビュー]}}有村公良</ref>、関連を示唆した発端の論文は科学的不正があったとして撤回されている。
有機水銀は無機水銀に比べ毒性が非常に強い。特にメチル水銀の[[中枢神経系]]([[脳]])に対する毒性は強力で、日本で起きた[[水俣病]]([[熊本県]][[八代海]])や、[[阿賀野川]]流域([[新潟県]])での[[工場排水]]に起因する有機水銀中毒([[第二水俣病]])の原因物質である{{efn|水俣市の工場は元横浜陪審裁判所[[裁判官|判事]]・元[[官僚]]で[[チッソ|日本窒素]]の重役[[中橋徳五郎]]によって建設されたものである。}}。
地球上においては[[地殻]]などに水銀が比較的豊富に存在する。これら[[自然界]]に存在する水銀は[[水圏]]において非酵素的反応や[[微生物]]の作用によって有機水銀に変化し、[[食物連鎖]]を通じて、大形魚類や、[[深海魚]]、海洋動物に蓄積される([[生物濃縮]])。日本の[[厚生労働省]]は[[キンメダイ]]や[[カジキ]]、[[マグロ]]などの魚類、[[クジラ]]、[[イルカ]]などの海棲哺乳類に含まれる水銀が胎児の発育に影響を及ぼす恐れがあるとして、妊娠中かその可能性のある女性は、[[魚介類]]の摂取量や回数を制限するように注意を喚起している<ref>[https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/suigin/index.html 厚生労働省・魚介類等に含まれる水銀について]</ref>。
食物に占める魚介類の割合が多い日本では、メチル水銀の摂取量が他国と比較して高いことが知られている。メチル水銀の摂取量の地域的特徴は、マグロ類の消費傾向とよく一致し、[[関東地方]]などを中心とする[[東日本]]で高く、[[中国地方]]から[[九州]]北部にかけて比較的低くなっている。一方、発育途中にある胎児の神経系は、メチル水銀の影響を最も受けやすいと考えられる。魚介類にはある種の[[不飽和脂肪酸]]など、胎児の発育などにも有効な成分も多く含まれており、魚介類中に含まれる微量のメチル水銀が、胎児の発達にどれほどの影響を及ぼしているかは、研究者によっても見解が分かれるところである。
欧米の政府機関は、基準を設けて、[[マグロ]]や[[カジキ]]などの摂取制限を行っている<ref>[https://web.archive.org/web/20080224041957/http://www2.sala.or.jp/~bandaikw/child/metal/merucu.htm 水銀] 渡辺和男氏(浜松医大)</ref>。特に妊婦や妊娠する可能性のある女性は、メチル水銀を多く含む大形食魚や[[イルカ]]、キンメダイなどの魚介類などを、基準より食べ過ぎないよう注意するとよい<ref>[https://web.archive.org/web/20090831045411/http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/index.html 水俣病からメチル水銀中毒症へ] [[熊本大学]]</ref>。なお、マグロなどの魚介類は[[セレン]]を含んでおり、これがメチル水銀の毒性を軽減させているとの可能性も指摘されているが、詳細は不明である。
自然界では無機水銀及び有機水銀を処理して、金属状態の水銀に変化させる[[菌類|菌]]が存在する。この菌は通称[[水銀耐性菌]]と呼ばれ、水俣病の発生した地域の土壌から単離された。水銀耐性菌において無機水銀及び有機水銀を金属水銀に[[代謝]]するのは、この菌の産生する[[タンパク質]]によるものであることが[[遺伝子工学]]的な解析により判明しており、その担当[[遺伝子]]の解析も行われている([[メタロチオネイン]]も参考のこと)。環境汚染の浄化技術として、いわゆる[[バイオレメディエーション]]への応用も行われている。
[[体温計]]に使われている水銀は金属水銀なので安全だと言われていた。{{要出典|date=2022年1月}}金属水銀は間違って飲み込んだとしても、[[消化管]]からはほとんど[[吸収]]されないので、[[急性中毒]]を起こすことはないと思われていたからである(ただし、一部が[[腸内細菌|腸内細菌叢]]により[[酸化]]されたり、有機水銀に[[転換]]されて吸収される余地が示唆されている)。しかし、水銀は'''20℃'''で気化し、[[気化]]した場合には[[肺]]から吸収されやすく、体内に吸収された場合には[[ヘモグロビン]]や[[アルブミン|血清アルブミン]]と[[結合]]して毒性を示す。このため水銀を含有する物([[蛍光灯]]・[[体温計]]・[[血圧計]]、[[ボタン型電池]]、[[朱肉]]など)を[[焼却]]することは危険である。
これら水銀を含有する使用済み物品は分別回収の対象であるが、一般ゴミに紛れて[[焼却炉]]に入れられることもあり、[[東京都清掃センター水銀排ガス事件]]が起きている。
水銀体温計1本が混じったゴミを燃やすと、排気の水銀濃度は1立方メートル当たり数千マイクログラムに達する。日本では、新設のゴミ処理施設では排気の水銀濃度を1時間平均で1立方メートル当たり30マイクログラムまでとする規制が実施された。このため既存施設を含めて、排気の分析と[[活性炭]]などによる浄化が行われている<ref>【注目クリーン技術】排ガスの水銀 効率除去([[JFEエンジニアリング|JFEエンジ]])ゴミ焼却施設、分析計工夫『[[日経産業新聞]]』2019年2月5日(環境・エネルギー・素材面)。</ref>。
=== 許容摂取量 ===
許容摂取量は、国際専門家会議 ([[JECFA]]) において、[[胎児]]を保護するため、暫定的耐容量 (PTWI) 1.6 μg/kgと定められており<ref>[https://web.archive.org/web/20070701040253/http://www.efsa.europa.eu/en/science/contam/contam_opinions/259.html Opinion of the CONTAM Panel related to mercury and methylmercury in food] JECFA</ref>諸外国<ref>[https://web.archive.org/web/20090104215934/http://www.cfsan.fda.gov/~frf/sea-mehg.html Mercury Levels in Commercial Fish and Shellfish] [[アメリカ合衆国]] [[アメリカ食品医薬品局|FDA]]</ref>、においても、[[妊婦]]等への摂食制限の啓蒙や規制強化が行われている<ref> [https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/suigin/051102-2.html 妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項] [[日本国]] [[厚生労働省]]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080223185823/http://www.fda.gov/bbs/topics/ANSWERS/2001/ANS01065.html FDA ANNOUNCES ADVISORY ON METHYL MERCURY IN FISH] アメリカ合衆国 FDA</ref>。
=== 底質における水銀の蓄積 ===
水銀の外部環境への排出抑制は取組が進んでいるが、過去に排出された水銀や現在でも水銀を含む農薬が許可されている国域では、河口や湖などの[[底質]]に蓄積されていることがある。日本国については[[産業技術総合研究所]]で全国の河川の底質を分析して、日本の地球化学図としてそのデータを公開している<ref>[http://riodb02.ibase.aist.go.jp/geochemmap/index.htm 日本の地球化学図]</ref>。また[[環境省]]は基準値以上の水銀化合物を含む底質を除去するように[[政令]]で通達している<ref>[http://www.env.go.jp/hourei/syousai.php?id=5000037 法令・告示・通達>底質の暫定除去基準について] [[日本国]] [[環境省]]</ref>。
== 水銀の基準 ==
* [[環境基準]]としては0.0005 mg/L以下とされており、[[地下水]]や[[公共用水域]]の水銀の濃度が定められている。
* [[土壌汚染対策法]]における土壌含有量基準は15 mg/kg以下と定められている。
* [[底質暫定除去基準]]は河川及び湖沼においては25 ppm=mg/kg以上と定められている。<!--しかし、[[底質]]は[[食物連鎖]]を通して人が[[健康被害]]の[[リスク]]があるにもかかわらず、土壌含有量基準より高いことは[[健康リスク]]を基にした[[環境法]]規制の矛盾が顕著に現れている。参考までに[[ダイオキシン類]]の底質環境基準は土壌含有基準の6分の1以下である。なお、底質暫定除去基準は[[1975年]]に制定された古い基準であり水銀の[[底質環境基準]]制定が必要とされている。-->
== 生産 ==
水銀の[[鉱山]]としては、[[スペイン]]の[[シウダ・レアル]]にある[[世界遺産]]の国営[[水銀の遺産アルマデンとイドリヤ|アルマデン鉱山]]が有名。[[古代ローマ]]の[[紀元前372年]]から[[イスラム帝国]]時代、そして[[2004年]][[7月]]の生産停止に至るまで[[辰砂]]及び[[自然水銀]]を産出していた。日本では、[[佐世保市]]相浦の佐世保層群相浦層<ref>{{cite|和書|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/ganko1941/25/1/25_1_29/_pdf| title=九州の水銀礦床| author=木下龜城 | author-link=木下亀城 | journal=岩石鉱物鉱床学会誌 | year=1941 | volume=25 | issue=1 | pages=29-36 | doi=10.2465/ganko1941.25.29}}</ref><ref>{{cite|和書| journal=地域地質研究報告(5万分の1地質図幅) | url=https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_14068_1989_D.pdf | title=佐世保地域の地質 | author=松井和典・古川俊太郎・沢村孝之助 | year=1989 | publisher=地質調査所}}</ref>、[[北海道]][[留辺蘂町]]にあった[[イトムカ鉱山]](自然水銀の産出が多いことでも有名)や古代から産出記録がある[[丹生鉱山]]が知られている。
辰砂を空気中で約600℃まで加熱することで水銀地金が単離する。水銀[[地金]]は液体であるため、アマルガムを生じさせない素材の容器に入れて流通させる。国際市場では34.5kgの鉄製容器([[フラスコ]]や[[ボンベ]]と呼ばれる。近年は腐食による水銀の漏出を防ぐため容器の両面を樹脂で[[表面処理]]する事が多い)に充填して流通する事が慣習となっている。ただし、国内向けや小口向けでは他の試薬同様、ガラス製や樹脂製の瓶に入れて出荷される事が多い。
=== 水銀鉱石 ===
水銀鉱石を構成する[[鉱石鉱物]]には次のようなものがある。
* [[自然水銀]] (Hg)
* [[辰砂]] (HgS)(三方晶系)
* [[黒辰砂]] (HgS)(等軸晶系)
* [[リビングストン鉱]] (HgSb<sub>4</sub>S<sub>8</sub>)
商業的には辰砂及び自然水銀が主要な鉱石となっている。
== 国内水銀利用量 ==
「我が国の水銀に関するマテリアルフロー(2010年度ベース)」によれば、以下の通り<ref>{{PDFlink|[https://www.env.go.jp/council/05hoken/y0512-01b/mat03.pdf 水銀に関する国内外の状況]}}環境庁 2014年5月</ref><ref>[https://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=21803&hou_id=16475 水銀に関するマテリアルフロー(2010年度ベース)の検討結果] 環境庁</ref>。
* ランプ類 38.1%
** 蛍光ランプ
** 冷陰極蛍光ランプ (CCFL)
** [[HIDランプ]]
* 医療用計測器 23.8%
** 水銀式血圧計
** 水銀式体温計
* 無機薬品 14.7%
** 銀朱/硫化水銀(II)
** 水銀化合物
* ボタン電池 12.5%
** 空気亜鉛
** 酸化銀
** アルカリボタン
* 工業用計量器 10.6%
** ガラス製水銀温度計
** 水銀充満式温度計
** 高温用ダイヤフラムシール圧力計
** 液柱型[[水銀気圧計]]
** 基準液柱型圧力計
* 歯科用水銀 0.3%
== 用途 ==
=== 産業用、研究用 ===
* かつてはスイッチに水銀が使われていた([[水銀スイッチ]])。
* 大電力用の[[整流器]]([[水銀整流器]])や、高速動作用[[継電器|リレー]]用の[[接点]]材料としても重宝されていた。<!-- 更にはポーラログラフ用滴下[[電極]]用にも[[高純度]]水銀が使用される。 -->
* 砂金の採掘では金を含む砂に水銀を通し、砂中の金を溶け込ませた後に水銀を回収・蒸発させて金を回収するという手法がとられることがある。このような採掘方法はしばしば設備の整っていない環境で行なわれるため、水銀汚染が問題になる<ref>[http://www.nimd.go.jp/archives/tenji/d_corner/d04.html 世界の水銀汚染問題(世界の水銀汚染研究の現状)]</ref>。
* [[金]]との[[アマルガム]]は、金の[[採掘]]や[[精錬]]、金[[メッキ]]に用いられることがある{{efn|[[東大寺盧舎那仏像]](奈良の大仏)の金めっきは金アマルガムを大仏に塗った後、加熱して水銀を[[蒸発]]させることにより行われた。一説には、この際起こった水銀汚染が[[平城京]]から[[長岡京]]への[[遷都]]の契機となったという。しかし2013年、[[東京大学]]大気海洋研究所が現地で当時の土壌を採取調査をしたところ、現代の環境基準よりはるかに低かったという<ref>[http://www.asahi.com/tech_science/update/0529/TKY201305290452.html 朝日新聞デジタル版2013年6月1日0時24分])</ref>。}}。
* [[灯台]]の[[投光機]]に使用され、水銀が満たされた器に[[レンズ]]を付けた台を浮かし、回転を滑らかにしていた。近年、[[地震]]などで水銀がこぼれることが問題視され、水銀を使わない投光機へと置き換えが進んでいる。
* [[気圧]]([[気圧計]])、[[真空度]]([[真空計]])の測定に広く用いられている([[気圧計#液柱型水銀気圧計|液柱型水銀気圧計]]、[[U字管マノメーター]]、[[マクラウド真空計]]など)。
* 研究機関の[[化学]][[実験]]室などにおいて、[[ガスパイプライン]]を一定以上の[[圧力]]に保つために水銀を入れた管に[[気体|ガス]]をバブリングさせることがある。
* 殺菌に使われる[[殺菌灯]]に水銀が使われている。近年は水銀を用いない[[深紫外線LED]]も登場し始めた。
* [[電解法#塩化ナトリウムの電解|塩化ナトリウムの電解]]に水銀を使う手法がある(水銀法)。かつては[[ソーダ工業]]の主要な手法であったが、水銀公害が問題視され全廃となった。
* かつて[[雷酸水銀(II)]]が雷管の起爆剤(点火薬)として使われていた。
* [[液体鏡式望遠鏡]]の対物鏡(主鏡)に使用されている。毒性があるため、コストが高いが替わりに[[ガリウム]]が使用される場合もある。
=== 医療用など ===
* [[単体]]の水銀は[[熱膨張率|熱膨張性]]の良さと、温度に対する膨張係数が線形に近いことから[[体温計]]に用いられる。現在ではデジタル式に押されて廃れつつある。
* [[血圧計]]では、水銀柱を利用して圧を読みとるものが伝統的であり、医療現場や医療教育で広く使われている。しかし、現在は都立病院などで電子式の血圧計が普及してきている(医療用の電子式血圧計ならば、聴診法にも対応している)<ref>{{PDFlink|[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2012/02/DATA/20m2n200.pdf 水銀の処理等に関する検討会 とりまとめ]}}東京都 2012年2月</ref>。ちなみに血圧の単位は、[[国際単位系]]の例外として、[[mmHg]](水銀柱ミリメートル)を用いる。
* [[銀]]・[[スズ]]・[[銅]]などとのアマルガムは、[[歯科]]治療において歯を削った後の詰め物として一般に用いられていた時期がある。これは[[アマルガム修復]]と呼ばれる手法で、該当金属粉末と水銀を混合した直後はアマルガム化が進んでいないためにシャーベット状であり、アマルガムが形成されて全体が固化するまでにしばらく時間がかかることを利用していた。
* 日本において、かつては[[消毒薬]][[マーキュロクロム液|マーキュロクロム]] (C<sub>20</sub>H<sub>8</sub>Br<sub>2</sub>HgNa<sub>2</sub>O<sub>6</sub>) (赤チン)の材料として使用されていたが、2020年12月25日に赤チンの生産が終了した。<ref>[https://www.sanei-pharm.jp/company/history.html 三栄製薬株式会社・沿革]</ref>
* [[性病]]の治療に[[水銀軟膏]]が用いられていた。
* [[硫黄#硫黄の化合物|硫化物]]は[[辰砂]]と呼ばれ、催眠、鎮静効果のある[[生薬]]として[[漢方]]の処方に用いられることがある。
* 密かに[[人工妊娠中絶|堕胎薬]]としても使われた(無論極めて危険である){{efn|川柳に「水銀(みずかね)で心の曇りを研いでおき」などと詠まれている。}}。
* 有機水銀の[[チメロサール]]は、ワクチンの防腐剤として使用される<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/eiken/idsc/disease/thimerosal1.html チメロサールとワクチンについて] 横浜市感染症情報センター(2005年12月16日)</ref>。
=== その他の日用品など ===
* [[蛍光灯]]や[[水銀灯]]などでは、水銀蒸気が電子放出物質として使用されている。
* [[辰砂]]は[[朱色]]の[[顔料]]や[[岩絵具]]としても用いられる。ただし、そのまま用いるケースは稀となり、金属水銀から工業的に製造された[[朱色#銀朱|銀朱]](バーミリオン。硫化水銀の一種)が用いられるようになった。この銀朱は、今のところ代替品が見つからないので、銀朱を用いた絵画や工芸品などの修繕・修復に使用されている。
* かつては[[電池]]([[乾電池]]、[[水銀電池]]など)の亜鉛と混合しアマルガム化することによって負極の化学反応抑制用として使用された。現在国内では[[酸化銀電池]]、アルカリボタン電池等に使用されているのみである。なお、日本で[[マンガン電池]]の水銀が0使用になったのは1991年(平成3年)、[[アルカリ電池]]では1992年(平成4年)であり、古い電池の破棄には注意を要する(各市町村の処分方法に従うこと)。
* 鏡が銅などの金属を磨いて作られていた時代には、鏡の表面にアマルガムを形成させることで鏡研ぎの仕上げとしていた。
== 分析法 ==
水銀は常温で容易に気化するため、[[分析]]法は還元気化[[原子吸光]]法が主である。測定機器としては[[原子吸光分析]]装置のバーナヘッド部を[[石英]][[セル]]に置き換えるほか、水銀測定専用の装置が市販されている。有機水銀の場合は試料を分解せず[[溶媒]][[抽出]]後、[[ガスクロマトグラフィー]]で[[分離]]して[[ガスクロマトグラフ#検出器|電子捕獲検出器]]や[[質量分析法|質量分析装置]]で検出する場合もある。
総水銀の分析手順は概ね次のようなものである。詳細は成書を参照されたい。
# 試料を[[強酸]]で分解する。[[硝酸]]-[[過塩素酸]]、硝酸-過塩素酸-[[硫酸]]、硝酸-硫酸の系がよく用いられる。
# さらに[[ペルオキソ二硫酸カリウム]]、[[過マンガン酸カリウム]]等で有機水銀と残余の有機物を完全に[[酸化]][[分解]]する。
# 分解液を[[還元]]気化装置の容器に採り、[[還元剤]]を加え[[通気]]する。
# 水銀イオンが水銀原子に還元され、[[気相]]中に[[パージ]]されてくる。
# 水銀原子の[[波長]]253.7 nmにおける[[吸光度]]を[[測定]]する。
== 処分・廃棄 ==
日本において水銀を含む物質や製品等を処分、廃棄する際には、[[環境省]]が示す水銀廃棄物ガイドライン<ref>{{Cite web|和書|date=2017年6月 |url=https://www.env.go.jp/recycle/waste/mercury-disposal/h2906_guide1.pdf |title=水銀廃棄物ガイドライン |format=PDF |publisher=環境省 |accessdate=2018-12-27}} </ref>に沿って適切に保管、廃棄することが求められる。
2018年には、[[実験]]に使った水銀を排水に流すなどの不適切な扱いを続けていた元大学[[教授]]に対し、水銀の除去費用として1550万円の支払いを命じる判決が言い渡された例がある<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-12-26|url=https://web.archive.org/web/20181227181517/https://this.kiji.is/450600016425190497 |title=実験で使った水銀、そのまま流す 京都工繊大元教授に賠償命令 |publisher= 『京都新聞』|accessdate=2018-12-27}}</ref>。
== 化合物 ==
* [[塩化水銀(I)]](甘汞)(Hg<sub>2</sub>Cl<sub>2</sub>)
* [[塩化水銀(II)]](昇汞)(HgCl<sub>2</sub>)
* [[酸化水銀]] (HgO)
* [[メチル水銀]] (CH<sub>3</sub>HgX)
* [[雷酸水銀]] (Hg(ONC)<sub>2</sub>)
* [[硫化水銀(I)]] (Hg<sub>2</sub>S)
* [[辰砂#硫化水銀|硫化水銀(II)]] (HgS)
* [[辰砂]](硫化水銀(II)の鉱物)
水銀(IV)の化合物は存在が予言されるにとどまっていたが、2007年に初めて [[フッ化水銀(IV)|HgF<sub>4</sub>]] の合成が報告された。固体 Ar または Ne マトリクス中の極低温下で水銀と F<sub>2</sub> との反応により合成された<ref>{{cite journal|last1=Wang|first1=Xuefang|last2=Andrews|first2=Lester|last3=Riedel|first3=Sebastian|last4=Kaupp|first4=Martin|title=Mercury Is a Transition Metal: The First Experimental Evidence for HgF4|journal=Angewandte Chemie International Edition|volume=46|issue=44|year=2007|pages=8371–8375|issn=14337851|doi=10.1002/anie.200703710}}</ref>。
== Unicodeの符号位置 ==
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!記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|Mercury (element)|Mercury}}
{{Wiktionary|水銀|汞|みずがね|mercury}}
* [[海洋汚染]]
* [[バーゼル条約]]
* [[水銀に関する水俣条約]] - 水銀の使用や輸出入などを国際的に規制する条約
* [[水銀遅延線]]
* [[丹生鉱山]]
* [[ワクチン]]
* [[環境基準]]、[[底質汚染]]、[[底質暫定除去基準]]
* [[水質汚濁防止法]]、[[地下水汚染]]
* [[土壌汚染]]、[[土壌汚染対策法]]
* [[有害物質]]
* [[ガリンスタン]]、[[NaK]](水銀を含まない常温で液体の合金)
* [[RoHS]]
* [[水銀の遺産アルマデンとイドリヤ]]
* [[水俣病]]
* [[梅毒の歴史]]
* [[水銀弾]]
== 外部リンク ==
* [https://www.env.go.jp/chemi/tmms/husigi-sk/husigi_sk_all.pdf 不思議な水銀の話(環境省)]
* [https://www.env.go.jp/chemi/tmms/kokunaitaisaku.html 国内水銀対策の概要(環境省)]
* [https://gbank.gsj.jp/geochemmap/data/pdf/Hg.pdf 日本の水銀の地球化学図] - [https://gbank.gsj.jp/geochemmap/ 海と陸の地球化学図]([[地質調査総合センター]])
* {{Wayback |url=http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2011fy/E001480.pdf |title=経済産業省製造産業局 化学物質管理課委託調査 平成22年度環境対応技術開発等(水銀含有製品需給マテリアルフロー等に関する調査)|date=20160527140705 }}
* [https://www.atsdr.cdc.gov/toxprofiles/tp46-c1-b.pdf Public Health Statement for Mercury]{{en icon}}([[アメリカ疾病予防管理センター]])
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
{{水銀の化合物}}
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[[Category:水銀|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%8A%80 |
7,993 | 鉛 | 鉛(なまり、英: Lead、独: Blei、羅: Plumbum、仏: Plomb)とは、典型元素の中の金属元素に分類される、原子番号が82番の元素である。元素記号は Pb である。
日本語名称の「鉛(なまり)」は「生(なま)り」=「やわらかい金属」からとの説がある。元素記号はラテン語での名称 plumbum に由来する。大和言葉では「青金(あおがね)」という。
炭素族元素の1つ。原子量は約207.19、比重は11.34である。錆で覆われた表面は鉛色と呼ばれる青灰色となる。人類の文明とともに広く使われてきた代表的な重金属である。主に、鉛の硫化鉱物である方鉛鉱の形で産出する。
全元素中で最も質量数の大きい安定同位体を持つ元素としてビスマスが挙げられることも多いものの、長らくビスマスの唯一の安定同位体だと信じられてきたBiは、実際には安定同位体ではなかったことが確認された。このため、通常、鉛が全元素中で最も質量数の大きい安定同位体を持つ元素として挙げられ、鉛の同位体の1つであるPbが、最も質量数の大きい安定同位体と言われている。また、ウランやトリウムなどの鉛よりも原子番号の大きな放射性元素が壊変すると、一般的に、最終的には鉛の同位体のうち、PbかPbかPbを生じるとされている。しかし、実は鉛にも安定同位体は1つも存在しないのではないかとも言われ始めている。事実、長らく安定同位体と信じられてきたPbも、実は安定同位体ではなかった。
なお、元になった親核種により最終的に生成する鉛の同位体が異なるため(崩壊系列を参照)、鉛の同位体組成は産地ごとに違った特徴を持つ。つまり、ウランやトリウムが集まりやすい場所で産出した鉛は、これらが崩壊した結果生成する同位体を多く含む。これを利用して、出土品や汚染物質の起源を推定することができる。
他の金属と比べると錆びやすく、見かけ上すぐに黒ずむが、酸化とともに表面に酸化皮膜が形成されるため、腐食が内部に進みにくい。また、多くの無機塩が水に不溶であるため水中でも腐蝕しにくい。
ハロゲンおよびカルコゲンなどと加熱により直接反応して化合物を生成する。希塩酸および希硫酸とは表面に難溶性塩を生じて反応しにくいが、硝酸とは容易に反応する。酢酸イオンとの親和力が比較的強く、空気(酸素)の存在下において酢酸水溶液にも溶解して酢酸鉛を生成する。
2 Pb + 4 CH 3 COOH + O 2 ⟶ 2 Pb ( CH 3 COO ) 2 + 2 H 2 O {\displaystyle {\ce {2Pb + 4 CH3COOH + O2 -> 2Pb(CH3COO)2 + 2H2O}}}
また鉛は軟らかい金属であり、紙などに擦り付けると文字が書けるため、古代ローマ人は羊皮紙に鉛で線および文字を書き、これが鉛筆 (lead pencil) の名称の起源となった。
低融点で柔らかく加工しやすいこと、高比重であること、比較的製錬が容易であることなどから、古代から広く利用されてきた。しかし、生物に対して毒性と蓄積性があるために、近年は利用が避けられる傾向が強い。この問題を解決すべくRoHS指令が成立し、製造者や利用者の保護を確保している。電気回路で用いられるはんだなどでもRoHS指令に対応した「鉛フリー」と銘打った製品が多く市販されている。
7.2Kにおいて超伝導転移を示し、この転移温度が20GPa程度までの印加圧力にほぼ比例して低下していくため、高圧物理学においては鉛の超伝導転移温度から圧力を決定するのに使用されることがある。
地球の地殻における鉛の含有率は約8 ppmと推定されており、これは決して多いとは言えない。しかし、硫化鉱物として広く存在し、採掘および製錬が比較的容易なことから亜鉛と同様に安価な金属である。
単体の自然鉛として存在することは稀であり、硫化物の方鉛鉱として広く分布し、黒鉱鉱床など銅、亜鉛などと共存することが多い。また方鉛鉱が酸化した硫酸鉛鉱、炭酸塩である白鉛鉱、クロム酸塩である紅鉛鉱なども産出する。また火成岩中、特に花崗岩に微量含まれ、イオン半径が近い長石中のカリウムを置換している。
鉛鉱石を構成する鉱石鉱物には、方鉛鉱(PbS)などがあげられる。
原料は方鉛鉱が最も重要であり、焙焼工程および還元を経て粗鉛が取り出され、ついで湿式法または乾式法により精錬される。 まず選鉱により純度を高めた方鉛鉱を焙焼により酸化鉛とし、ついでコークスにより還元して粗鉛を得る。
2 PbS + 3 O 2 ⟶ 2 PbO + 2 SO 2 {\displaystyle {\ce {2PbS + 3O2 -> 2PbO + 2SO2}}}
PbO + C ⟶ Pb + CO {\displaystyle {\ce {PbO + C -> Pb + CO}}}
PbO + CO ⟶ Pb + CO 2 {\displaystyle {\ce {PbO + CO -> Pb + CO2}}}
また直接製錬法では、焙焼により一部を酸化鉛とし、これを残りの硫化鉛と反応させるもので、エネルギー的に有利な反応であるが選鉱の度合いを高める必要がある。
2 PbO + PbS ⟶ 3 Pb + SO 2 {\displaystyle {\ce {2PbO + PbS -> 3Pb + SO2}}}
湿式法は電解精錬によるもので、電解液にヘキサフルオロケイ酸水溶液、陽極に粗鉛、陰極に純鉛を使用して電気分解を行う。鉛よりイオン化傾向が小さいヒ素、アンチモン、ビスマス、銅、銀、金などの不純物はスライム状の陽極泥として沈殿する。
Pb ⟶ Pb 2 + + 2 e − {\displaystyle {\ce {Pb->Pb^{2}+{}+2{\mathit {e}}^{-}}}} (陽極)
Pb 2 + + 2 e − ⟶ Pb {\displaystyle {\ce {Pb^{2}+{}+2{\mathit {e}}^{-}->Pb}}} (陰極)
酸化還元電位の接近している不純物であるスズは電解精錬では分離しにくいため、鎔融状態で水酸化ナトリウムで処理しスズの除去を行う。これにより99.99 %程度の純度の地金が得られる。
粗鉛を鎔融状態として脱銅→柔鉛→脱銀→脱亜鉛→脱ビスマス→仕上げ精製の順序による工程で不純物が除去される。
鉛の現在の用途は、鉛蓄電池の電極、金属の快削性向上のための合金成分、鉛ガラス(光学レンズやクリスタルガラス)、美術工芸品(例えばステンドグラスの縁)、防音・制振シートや免震用ダンパー、銃弾、電子材料(チタン酸鉛)などである。
また、金属の中では比較的比重が大きいので放射線遮蔽材として鉛ガラスや鉛シートなどの形で用いられる。例えば核戦争を想定した戦車の内壁や、X線撮影施設の窓ガラス、ブラウン管用ガラスには鉛が含まれている。
また、釣りなどで用いられるおもり(シンカー)の材料としても鉛は用いられている。しかし、近年鉛の毒性が問題となったために、鉛に代わるおもりの素材としてタングステンなどの導入が進められている。それでも、加工のしやすさやコストの面から、未だにこの用途での鉛の需要は根強い。
その質量と柔らかい特性を活かし、ピアノの鍵盤のウエイトに用いられている。鍵盤の側面に穴を開け鉛を差し込み、叩くことで鉛が広がり固定される。
意外なところでは、三味線を演奏するときに使う「木バチ」の重りとしても使われている。このため「木バチ」を処分する際は、鉛を取り出す必要がある。 ※取り出さずにゴミとして処分すると、焼却炉の中で溶けて重大な汚染を生じる危険性がある。
この他、灯油やホワイトガソリンなどの液体燃料を加圧・気化して燃焼させるポータブルストーブやブロートーチ、ランタンでは、気密性と耐熱性の高さから継ぎ目のガスケットに現在でも鉛が用いられる。さらに、路面表示用白色塗料としても利用されている。
金属線を結節して圧着し、壊さずに金属線をほどくことができない封印としても古くから用いられている。
なお、かつては水道管やはんだ、おしろいなどに用いられた顔料についても鉛は大量に利用されていたものの、鉛を用いないものへの置き換えが進められている。この事情については無鉛化の項目も参照のこと。
鉛とスズの合金としてはんだが知られ、低融点などの利点を持つため、古くから金属同士の接合に多用されてきた。
合金としてのアンチモニーは、鉛80%〜90%にアンチモン10%〜20%、このほか用途により錫(スズ)を少々混ぜた金属のことをいう。小皿、優勝カップ、トロフィー、メダルなどに利用される。なお、日本語でアンチモニーという場合には元素のアンチモン(英語名)のことを指す場合もある。
無機鉛化合物は水に溶けにくいものが多いため急性中毒を起こす事は稀だが、テトラエチル鉛のような脂溶性の有機物質は細胞膜を通過して直接取り込まれるため、非常に危険である。長期的に見た場合、鉛は自然な状態の食物にも僅かに含まれるため常時摂取されており、一定量ならば尿中などに排泄されるので鉛に対して必要以上に神経質になる必要は無いとされる。しかし、有機化合物を摂取してしまったり、排泄を上回る鉛を長期間摂取すると体内に蓄積されて毒性を持つ。
生物に対する毒性としては、体表や消化器官に対する曝露(接触・定着)により腹痛・嘔吐・伸筋麻痺・感覚異常症など様々な中毒症状を起こすほか、血液に作用すると溶血性貧血・ヘム合成系障害・免疫系の抑制・腎臓への影響なども引き起こす。遺伝毒性も報告されている。主に呼吸器系からの吸引と、水溶性の鉛化合物の消化器系からの吸収によって体内に入り、骨に最も多く定着する。生体に取り込まれた鉛の生物学的な半減期は資料によって異なるが、一例として生体全体で5年、骨に注目すると10年という値が示されている。呼吸器からの吸引に対しては、鉛を扱う工場や、鉛を含む塗料や顔料を扱う作業などに多く、職業病としての側面がある。
鉛が原因でもたらされる鉛疝痛に関する最初の記述は、古代ギリシャのヒポクラテスによってなされている。古代ローマ時代は膨大な量の鉛が生産され、陶磁器の上薬、料理器具、配管などにも使われていたために、ローマ人には死産、奇形、脳障害といった鉛中毒が普通に見られたと言われていた。しかしこの件は、現在では俗説扱いされている。かつて西洋では鉛は「灰吹き法」など、金・銀・銅などを製錬するための媒介としてもさかんに利用された。
古代ローマでも、貴族たちが鉛製のコップでワインを飲むのを好んだため、鉛中毒者が続出したといわれる。17世紀ごろから、ワインによる鉛中毒が論じられるようになってきたが、当時はワインを甘くする目的で、酢酸鉛が添加されていた。例えば、ワインを愛飲していたベートーヴェンの毛髪からは、後の調査によって通常の100倍近い量の鉛が検出されたことから、その晩年にほぼ耳が聞こえなくなってしまった原因として、現在では鉛中毒が有力視されている。
鉛害問題の対策として、次のような例がある。
西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では土星を象徴するが、これは(錆を生じて)黒く重い鉛が、肉眼で確認できる惑星のなかで最も暗く動きの遅い土星と相似していると考えられたためである。また、魂の牢獄としての肉体、老化、鈍さなども象徴する。
インド錬金術で最も階層の低い金属とされる鉛は、ヴァースキの精子でできているとされ、ナーガ(蛇)と呼ばれる。また、金が死後、転生したものが鉛であるとされている。 | [
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"text": "鉛(なまり、英: Lead、独: Blei、羅: Plumbum、仏: Plomb)とは、典型元素の中の金属元素に分類される、原子番号が82番の元素である。元素記号は Pb である。",
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"text": "日本語名称の「鉛(なまり)」は「生(なま)り」=「やわらかい金属」からとの説がある。元素記号はラテン語での名称 plumbum に由来する。大和言葉では「青金(あおがね)」という。",
"title": "名称"
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"text": "炭素族元素の1つ。原子量は約207.19、比重は11.34である。錆で覆われた表面は鉛色と呼ばれる青灰色となる。人類の文明とともに広く使われてきた代表的な重金属である。主に、鉛の硫化鉱物である方鉛鉱の形で産出する。",
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"text": "全元素中で最も質量数の大きい安定同位体を持つ元素としてビスマスが挙げられることも多いものの、長らくビスマスの唯一の安定同位体だと信じられてきたBiは、実際には安定同位体ではなかったことが確認された。このため、通常、鉛が全元素中で最も質量数の大きい安定同位体を持つ元素として挙げられ、鉛の同位体の1つであるPbが、最も質量数の大きい安定同位体と言われている。また、ウランやトリウムなどの鉛よりも原子番号の大きな放射性元素が壊変すると、一般的に、最終的には鉛の同位体のうち、PbかPbかPbを生じるとされている。しかし、実は鉛にも安定同位体は1つも存在しないのではないかとも言われ始めている。事実、長らく安定同位体と信じられてきたPbも、実は安定同位体ではなかった。",
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"text": "なお、元になった親核種により最終的に生成する鉛の同位体が異なるため(崩壊系列を参照)、鉛の同位体組成は産地ごとに違った特徴を持つ。つまり、ウランやトリウムが集まりやすい場所で産出した鉛は、これらが崩壊した結果生成する同位体を多く含む。これを利用して、出土品や汚染物質の起源を推定することができる。",
"title": "同位体"
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"text": "他の金属と比べると錆びやすく、見かけ上すぐに黒ずむが、酸化とともに表面に酸化皮膜が形成されるため、腐食が内部に進みにくい。また、多くの無機塩が水に不溶であるため水中でも腐蝕しにくい。",
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"text": "ハロゲンおよびカルコゲンなどと加熱により直接反応して化合物を生成する。希塩酸および希硫酸とは表面に難溶性塩を生じて反応しにくいが、硝酸とは容易に反応する。酢酸イオンとの親和力が比較的強く、空気(酸素)の存在下において酢酸水溶液にも溶解して酢酸鉛を生成する。",
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"text": "2 Pb + 4 CH 3 COOH + O 2 ⟶ 2 Pb ( CH 3 COO ) 2 + 2 H 2 O {\\displaystyle {\\ce {2Pb + 4 CH3COOH + O2 -> 2Pb(CH3COO)2 + 2H2O}}}",
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"text": "また鉛は軟らかい金属であり、紙などに擦り付けると文字が書けるため、古代ローマ人は羊皮紙に鉛で線および文字を書き、これが鉛筆 (lead pencil) の名称の起源となった。",
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"text": "低融点で柔らかく加工しやすいこと、高比重であること、比較的製錬が容易であることなどから、古代から広く利用されてきた。しかし、生物に対して毒性と蓄積性があるために、近年は利用が避けられる傾向が強い。この問題を解決すべくRoHS指令が成立し、製造者や利用者の保護を確保している。電気回路で用いられるはんだなどでもRoHS指令に対応した「鉛フリー」と銘打った製品が多く市販されている。",
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"text": "7.2Kにおいて超伝導転移を示し、この転移温度が20GPa程度までの印加圧力にほぼ比例して低下していくため、高圧物理学においては鉛の超伝導転移温度から圧力を決定するのに使用されることがある。",
"title": "性質"
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"text": "地球の地殻における鉛の含有率は約8 ppmと推定されており、これは決して多いとは言えない。しかし、硫化鉱物として広く存在し、採掘および製錬が比較的容易なことから亜鉛と同様に安価な金属である。",
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"text": "単体の自然鉛として存在することは稀であり、硫化物の方鉛鉱として広く分布し、黒鉱鉱床など銅、亜鉛などと共存することが多い。また方鉛鉱が酸化した硫酸鉛鉱、炭酸塩である白鉛鉱、クロム酸塩である紅鉛鉱なども産出する。また火成岩中、特に花崗岩に微量含まれ、イオン半径が近い長石中のカリウムを置換している。",
"title": "天然における存在"
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"text": "鉛鉱石を構成する鉱石鉱物には、方鉛鉱(PbS)などがあげられる。",
"title": "天然における存在"
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"text": "原料は方鉛鉱が最も重要であり、焙焼工程および還元を経て粗鉛が取り出され、ついで湿式法または乾式法により精錬される。 まず選鉱により純度を高めた方鉛鉱を焙焼により酸化鉛とし、ついでコークスにより還元して粗鉛を得る。",
"title": "製錬"
},
{
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"text": "2 PbS + 3 O 2 ⟶ 2 PbO + 2 SO 2 {\\displaystyle {\\ce {2PbS + 3O2 -> 2PbO + 2SO2}}}",
"title": "製錬"
},
{
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"text": "PbO + C ⟶ Pb + CO {\\displaystyle {\\ce {PbO + C -> Pb + CO}}}",
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"text": "PbO + CO ⟶ Pb + CO 2 {\\displaystyle {\\ce {PbO + CO -> Pb + CO2}}}",
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"text": "また直接製錬法では、焙焼により一部を酸化鉛とし、これを残りの硫化鉛と反応させるもので、エネルギー的に有利な反応であるが選鉱の度合いを高める必要がある。",
"title": "製錬"
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"text": "2 PbO + PbS ⟶ 3 Pb + SO 2 {\\displaystyle {\\ce {2PbO + PbS -> 3Pb + SO2}}}",
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"text": "湿式法は電解精錬によるもので、電解液にヘキサフルオロケイ酸水溶液、陽極に粗鉛、陰極に純鉛を使用して電気分解を行う。鉛よりイオン化傾向が小さいヒ素、アンチモン、ビスマス、銅、銀、金などの不純物はスライム状の陽極泥として沈殿する。",
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"text": "Pb ⟶ Pb 2 + + 2 e − {\\displaystyle {\\ce {Pb->Pb^{2}+{}+2{\\mathit {e}}^{-}}}} (陽極)",
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"text": "Pb 2 + + 2 e − ⟶ Pb {\\displaystyle {\\ce {Pb^{2}+{}+2{\\mathit {e}}^{-}->Pb}}} (陰極)",
"title": "製錬"
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"text": "酸化還元電位の接近している不純物であるスズは電解精錬では分離しにくいため、鎔融状態で水酸化ナトリウムで処理しスズの除去を行う。これにより99.99 %程度の純度の地金が得られる。",
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"text": "粗鉛を鎔融状態として脱銅→柔鉛→脱銀→脱亜鉛→脱ビスマス→仕上げ精製の順序による工程で不純物が除去される。",
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"text": "鉛の現在の用途は、鉛蓄電池の電極、金属の快削性向上のための合金成分、鉛ガラス(光学レンズやクリスタルガラス)、美術工芸品(例えばステンドグラスの縁)、防音・制振シートや免震用ダンパー、銃弾、電子材料(チタン酸鉛)などである。",
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"text": "また、金属の中では比較的比重が大きいので放射線遮蔽材として鉛ガラスや鉛シートなどの形で用いられる。例えば核戦争を想定した戦車の内壁や、X線撮影施設の窓ガラス、ブラウン管用ガラスには鉛が含まれている。",
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"text": "また、釣りなどで用いられるおもり(シンカー)の材料としても鉛は用いられている。しかし、近年鉛の毒性が問題となったために、鉛に代わるおもりの素材としてタングステンなどの導入が進められている。それでも、加工のしやすさやコストの面から、未だにこの用途での鉛の需要は根強い。",
"title": "用途"
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"text": "その質量と柔らかい特性を活かし、ピアノの鍵盤のウエイトに用いられている。鍵盤の側面に穴を開け鉛を差し込み、叩くことで鉛が広がり固定される。",
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"text": "意外なところでは、三味線を演奏するときに使う「木バチ」の重りとしても使われている。このため「木バチ」を処分する際は、鉛を取り出す必要がある。 ※取り出さずにゴミとして処分すると、焼却炉の中で溶けて重大な汚染を生じる危険性がある。",
"title": "用途"
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"text": "この他、灯油やホワイトガソリンなどの液体燃料を加圧・気化して燃焼させるポータブルストーブやブロートーチ、ランタンでは、気密性と耐熱性の高さから継ぎ目のガスケットに現在でも鉛が用いられる。さらに、路面表示用白色塗料としても利用されている。",
"title": "用途"
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"text": "金属線を結節して圧着し、壊さずに金属線をほどくことができない封印としても古くから用いられている。",
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"text": "なお、かつては水道管やはんだ、おしろいなどに用いられた顔料についても鉛は大量に利用されていたものの、鉛を用いないものへの置き換えが進められている。この事情については無鉛化の項目も参照のこと。",
"title": "用途"
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"text": "鉛とスズの合金としてはんだが知られ、低融点などの利点を持つため、古くから金属同士の接合に多用されてきた。",
"title": "用途"
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"text": "合金としてのアンチモニーは、鉛80%〜90%にアンチモン10%〜20%、このほか用途により錫(スズ)を少々混ぜた金属のことをいう。小皿、優勝カップ、トロフィー、メダルなどに利用される。なお、日本語でアンチモニーという場合には元素のアンチモン(英語名)のことを指す場合もある。",
"title": "用途"
},
{
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"text": "無機鉛化合物は水に溶けにくいものが多いため急性中毒を起こす事は稀だが、テトラエチル鉛のような脂溶性の有機物質は細胞膜を通過して直接取り込まれるため、非常に危険である。長期的に見た場合、鉛は自然な状態の食物にも僅かに含まれるため常時摂取されており、一定量ならば尿中などに排泄されるので鉛に対して必要以上に神経質になる必要は無いとされる。しかし、有機化合物を摂取してしまったり、排泄を上回る鉛を長期間摂取すると体内に蓄積されて毒性を持つ。",
"title": "毒性"
},
{
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"tag": "p",
"text": "生物に対する毒性としては、体表や消化器官に対する曝露(接触・定着)により腹痛・嘔吐・伸筋麻痺・感覚異常症など様々な中毒症状を起こすほか、血液に作用すると溶血性貧血・ヘム合成系障害・免疫系の抑制・腎臓への影響なども引き起こす。遺伝毒性も報告されている。主に呼吸器系からの吸引と、水溶性の鉛化合物の消化器系からの吸収によって体内に入り、骨に最も多く定着する。生体に取り込まれた鉛の生物学的な半減期は資料によって異なるが、一例として生体全体で5年、骨に注目すると10年という値が示されている。呼吸器からの吸引に対しては、鉛を扱う工場や、鉛を含む塗料や顔料を扱う作業などに多く、職業病としての側面がある。",
"title": "毒性"
},
{
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"text": "鉛が原因でもたらされる鉛疝痛に関する最初の記述は、古代ギリシャのヒポクラテスによってなされている。古代ローマ時代は膨大な量の鉛が生産され、陶磁器の上薬、料理器具、配管などにも使われていたために、ローマ人には死産、奇形、脳障害といった鉛中毒が普通に見られたと言われていた。しかしこの件は、現在では俗説扱いされている。かつて西洋では鉛は「灰吹き法」など、金・銀・銅などを製錬するための媒介としてもさかんに利用された。",
"title": "毒性"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "古代ローマでも、貴族たちが鉛製のコップでワインを飲むのを好んだため、鉛中毒者が続出したといわれる。17世紀ごろから、ワインによる鉛中毒が論じられるようになってきたが、当時はワインを甘くする目的で、酢酸鉛が添加されていた。例えば、ワインを愛飲していたベートーヴェンの毛髪からは、後の調査によって通常の100倍近い量の鉛が検出されたことから、その晩年にほぼ耳が聞こえなくなってしまった原因として、現在では鉛中毒が有力視されている。",
"title": "毒性"
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{
"paragraph_id": 39,
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"text": "鉛害問題の対策として、次のような例がある。",
"title": "毒性"
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"text": "西洋占星術や錬金術などの神秘主義哲学では土星を象徴するが、これは(錆を生じて)黒く重い鉛が、肉眼で確認できる惑星のなかで最も暗く動きの遅い土星と相似していると考えられたためである。また、魂の牢獄としての肉体、老化、鈍さなども象徴する。",
"title": "神秘学"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "インド錬金術で最も階層の低い金属とされる鉛は、ヴァースキの精子でできているとされ、ナーガ(蛇)と呼ばれる。また、金が死後、転生したものが鉛であるとされている。",
"title": "神秘学"
}
] | 鉛とは、典型元素の中の金属元素に分類される、原子番号が82番の元素である。元素記号は Pb である。 | {{出典の明記|date=2007年12月}}
{{Elementbox
|number=82
|symbol=Pb
|name=lead
|japanese name=鉛
|pronounce={{IPAc-en|ˈ|l|ɛ|d}} {{respell|led}}
|left=[[タリウム]]
|right=[[ビスマス]]
|above=[[スズ|Sn]]
|below=[[フレロビウム|Fl]]
|series=貧金属
|series comment=
|group=14
|period=6
|block=p
|image name=Lead electrolytic and 1cm3 cube.jpg
|image name comment=
|appearance=銀白色
|atomic mass=207.2
|electron configuration=[[[キセノン|Xe]]] 4f<sup>14</sup> 5d<sup>10</sup> 6s<sup>2</sup> 6p<sup>2</sup>
|electrons per shell=2, 8, 18, 32, 18, 4
|phase=固体
|density gpcm3nrt=11.34
|density gpcm3mp=10.66
|melting point K=600.61
|melting point C=327.46
|melting point F=621.43
|boiling point K=2022
|boiling point C=1749
|boiling point F=3180
|heat fusion=4.77
|heat vaporization=179.5
|heat capacity=26.650
|vapor pressure 1=978
|vapor pressure 10=1088
|vapor pressure 100=1229
|vapor pressure 1 k=1412
|vapor pressure 10 k=1660
|vapor pressure 100 k=2027
|vapor pressure comment=
|crystal structure=面心立方
|oxidation states=4, '''2'''([[両性酸化物]])
|electronegativity=2.33
|number of ionization energies=3
|1st ionization energy=715.6
|2nd ionization energy=1450.5
|3rd ionization energy=3081.5
|atomic radius=175
|covalent radius=146 ± 5
|Van der Waals radius=202
|magnetic ordering=[[反磁性]]
|electrical resistivity at 20= 208 n
|thermal conductivity=35.3
|thermal expansion at 25=28.9
|speed of sound rod at r.t.=
|Young's modulus=16
|Shear modulus=5.6
|Bulk modulus=46
|Poisson ratio=0.44
|Mohs hardness=1.5
|Brinell hardness=38.3
|CAS number=7439-92-1
|isotopes=
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=204 | sym=Pb
| na=1.4 % | hl=> 1.4 × 10<sup>17</sup> [[年|y]]
| dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=2.186 | pn=200 | ps=[[水銀|Hg]]}}
{{Elementbox_isotopes_decay | mn=205 | sym=Pb
| na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=1.53 × 10<sup>7</sup> [[年|y]]
| dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.051 | pn=205 | ps=[[タリウム|Tl]]}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=206 | sym=Pb | na=24.1 % | n=124}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=207 | sym=Pb | na=22.1 % | n=125}}
{{Elementbox_isotopes_stable | mn=208 | sym=Pb | na=52.4 % | n=126}}
{{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=210 | sym=Pb
| na=[[微量放射性同位体|trace]] | hl=22.3 y
| dm1=[[アルファ崩壊|α]] | de1=3.792 | pn1=206 | ps1=[[水銀|Hg]]
| dm2=[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>]] | de2=0.064 | pn2=210 | ps2=[[ビスマス|Bi]]}}
|isotopes comment=
}}
'''鉛'''(なまり、{{lang-en-short|Lead}}、{{lang-de-short|Blei}}、{{lang-la-short|Plumbum}}、{{lang-fr-short|Plomb}})とは、[[典型元素]]の中の[[金属元素]]に分類される、[[原子番号]]が82番の[[元素]]である。[[元素記号]]は '''Pb''' である。
== 名称 ==
[[日本語]]名称の「鉛(なまり)」は「生(なま)り」=「やわらかい[[金属]]」からとの説がある。元素記号は[[ラテン語]]での名称 ''plumbum'' に由来する。[[大和言葉]]では「[[青金]](あおがね)」という。
== 特徴 ==
[[File:Lead ingots.JPG|thumb|left|[[ローマ帝国]][[属州]][[ブリタンニア]]時代の鉛の[[地金]]]]
[[炭素族元素]]の1つ。[[原子量]]は約207.19、[[比重]]は11.34である。錆で覆われた表面は[[鉛色]]と呼ばれる青灰色となる。人類の文明とともに広く使われてきた代表的な[[重金属]]である。主に、鉛の硫化鉱物である[[方鉛鉱]]の形で産出する。
== 同位体 ==
{{main|鉛の同位体}}
全元素中で最も[[質量数]]の大きい[[安定同位体]]を持つ元素として[[ビスマス]]が挙げられることも多いものの、長らくビスマスの唯一の安定同位体だと信じられてきた[[ビスマス209|<sup>209</sup>Bi]]は、実際には安定同位体ではなかったことが確認された。このため、通常、鉛が全元素中で最も質量数の大きい安定同位体を持つ元素として挙げられ、鉛の同位体の1つである<sup>208</sup>Pbが、最も質量数の大きい安定同位体と言われている。また、[[ウラン]]や[[トリウム]]などの鉛よりも原子番号の大きな[[放射性元素]]が壊変すると、一般的に、最終的には鉛の同位体のうち、<sup>206</sup>Pbか<sup>207</sup>Pbか<sup>208</sup>Pbを生じるとされている。しかし、実は鉛にも安定同位体は1つも存在しないのではないかとも言われ始めている。事実、長らく安定同位体と信じられてきた<sup>204</sup>Pbも、実は安定同位体ではなかった。
なお、元になった親核種により最終的に生成する鉛の同位体が異なるため([[崩壊系列]]を参照)、鉛の同位体組成は産地ごとに違った特徴を持つ。つまり、ウランやトリウムが集まりやすい場所で産出した鉛は、これらが崩壊した結果生成する同位体を多く含む。これを利用して、出土品や汚染物質の起源を推定することができる。
== 性質 ==
他の金属と比べると錆びやすく、見かけ上すぐに黒ずむが、酸化とともに表面に[[酸化皮膜]]が形成されるため、[[腐食]]が内部に進みにくい。また、多くの[[無機塩]]が水に不溶であるため水中でも腐蝕しにくい。
[[ハロゲン]]および[[カルコゲン]]などと加熱により直接反応して化合物を生成する。希[[塩酸]]および希[[硫酸]]とは表面に難溶性塩を生じて反応しにくいが、[[硝酸]]とは容易に反応する。[[酢酸]]イオンとの親和力が比較的強く、空気([[酸素]])の存在下において酢酸水溶液にも溶解して[[酢酸鉛]]を生成する<ref name="daijiten">『化学大辞典』 共立出版、1993年</ref>。
{{Indent|<chem>2Pb + 4 CH3COOH + O2 -> 2Pb(CH3COO)2 + 2H2O</chem>}}
また鉛は軟らかい金属であり、紙などに擦り付けると文字が書けるため、[[古代ローマ]]人は[[羊皮紙]]に鉛で線および文字を書き、これが[[鉛筆]] (lead pencil) の名称の起源となった<ref name="nishikawa">西川精一 『新版金属工学入門』 アグネ技術センター、2001年</ref>。
低融点で柔らかく加工しやすいこと、高比重であること、比較的[[製錬]]が容易であることなどから、古代から広く利用されてきた。しかし、生物に対して毒性と蓄積性があるために、近年は利用が避けられる傾向が強い。この問題を解決すべく[[RoHS]]指令が成立し、製造者や利用者の保護を確保している。電気回路で用いられる[[はんだ]]などでも[[RoHS]]指令に対応した「鉛フリー」と銘打った製品が多く市販されている。
7.2[[ケルビン|K]]において超伝導転移を示し、この転移温度が20GPa程度までの印加圧力にほぼ比例して低下していくため、高圧物理学においては鉛の超伝導転移温度から圧力を決定するのに使用されることがある。
== 天然における存在 ==
[[File:MV-Type and clastic sediment-hosted lead-zinc deposits.svg|thumb|left|世界の鉛、および亜鉛の分布図([[アメリカ地質調査所]]の調査による)]]
地球の[[地殻]]における鉛の含有率は約8 [[ppm]]と推定されており<ref>Taylor & McLennan, 1985</ref>、これは決して多いとは言えない。しかし、硫化鉱物として広く存在し、採掘および製錬が比較的容易なことから[[亜鉛]]と同様に安価な金属である。
単体の[[自然鉛]]として存在することは稀であり、[[硫化物]]の[[方鉛鉱]]として広く分布し、[[黒鉱]]鉱床など[[銅]]、亜鉛などと共存することが多い。また方鉛鉱が酸化した[[硫酸鉛鉱]]、[[炭酸塩]]である[[白鉛鉱]]、[[クロム酸]]塩である[[紅鉛鉱]]なども産出する。また[[火成岩]]中、特に[[花崗岩]]に微量含まれ、[[イオン半径]]が近い[[長石]]中の[[カリウム]]を置換している<ref name="mason">松井義人、一国雅巳 訳 『メイスン 一般地球化学』 岩波書店、1970年</ref>。
=== 鉛鉱石 ===
鉛鉱石を構成する鉱石鉱物には、[[方鉛鉱]](PbS)などがあげられる。
== 製錬 ==
原料は方鉛鉱が最も重要であり、[[焙焼]]工程および[[還元]]を経て粗鉛が取り出され、ついで湿式法または乾式法により[[精錬]]される<ref name="nishikawa" />。
まず[[選鉱]]により純度を高めた方鉛鉱を焙焼により酸化鉛とし、ついで[[コークス]]により還元して粗鉛を得る。
{{Indent|<chem>2PbS + 3O2 -> 2PbO + 2SO2</chem>}}
{{Indent|<chem>PbO + C -> Pb + CO</chem>}}
{{Indent|<chem>PbO + CO -> Pb + CO2</chem>}}
また直接製錬法では、焙焼により一部を酸化鉛とし、これを残りの硫化鉛と反応させるもので、エネルギー的に有利な反応であるが選鉱の度合いを高める必要がある。
{{Indent|<chem>2PbO + PbS -> 3Pb + SO2</chem>}}
=== 湿式法 ===
湿式法は[[電解精錬]]によるもので、電解液に[[ヘキサフルオロケイ酸]]水溶液、[[陽極]]に粗鉛、[[陰極]]に純鉛を使用して[[電気分解]]を行う。鉛より[[イオン化傾向]]が小さい[[ヒ素]]、[[アンチモン]]、[[ビスマス]]、銅、[[銀]]、[[金]]などの不純物はスライム状の[[陽極泥]]として沈殿する。
{{Indent|<chem>Pb -> Pb^2+{} + 2 \mathit{e}^-</chem>(陽極)}}
{{Indent|<chem>Pb^2+{} + 2 \mathit{e}^- -> Pb</chem>(陰極)}}
[[酸化還元電位]]の接近している不純物である[[スズ]]は電解精錬では分離しにくいため、鎔融状態で[[水酸化ナトリウム]]で処理しスズの除去を行う。これにより99.99 %程度の純度の地金が得られる。
=== 乾式法 ===
粗鉛を鎔融状態として脱銅→柔鉛→脱銀→脱亜鉛→脱ビスマス→仕上げ精製の順序による工程で不純物が除去される。
; 脱銅
: 鎔融粗鉛を350 {{℃}}に保つと鎔融鉛に対する[[溶解度]]が低い銅が浮上分離する。さらに[[硫黄]]を加えて撹拌し、[[硫化銅]]として分離する。この工程により銅は0.05 - 0.005 %まで除去される。
; 柔鉛
: 700 - 800 {{℃}}で鎔融粗鉛に圧縮空気を吹き込むと、より酸化されやすいスズ、アンチモン、ヒ素が酸化物として浮上分離する。
; 柔鉛(ハリス法)
: 500℃程度の鎔融粗鉛に水酸化ナトリウムを加えて撹拌すると不純物がスズ酸ナトリウム {{chem|Na|2|SnO|3}}、ヒ酸ナトリウム {{chem|Na|3|AsO|4}}、アンチモン酸ナトリウム {{chem|NaSbO|3}} になり分離される。
; 脱銀(パークス法)
: 450 - 520 {{℃}}に保った鎔融粗鉛に少量の亜鉛を加え撹拌した後、340 {{℃}}に冷却すると、金および銀は亜鉛と[[金属間化合物]]を生成し、これは鎔融鉛に対する溶解度が極めて低いため浮上分離する。この工程により銀は0.0001 %まで除去される。鎔融鉛中に0.5 %程度残存する亜鉛は空気または[[塩素]]で酸化され除去される。
; 脱ビスマス
: 鎔融粗鉛に少量のマグネシウムおよびカルシウムを加えるとビスマスはこれらの元素と金属間化合物 {{chem|CaMg|2|Bi|2}} を生成し浮上分離する。この工程によりビスマスは0.002 %まで除去される。
== 用途 ==
[[File:Lead shielding.jpg|thumb|鉛レンガは、放射線の遮蔽材として用いられる]]
[[File:DSC00125 - Tubi di piombo romani - Foto di G. Dall'Orto.jpg|thumb|ローマ帝国の水道管には鉛が使用されていた]]
[[File:Yuasa WaveRunner Battery.jpg|thumb|鉛蓄電池 (バイクなどの用途)の電極に使用]]
鉛の現在の用途は、[[鉛蓄電池]]の[[電極]]、金属の快削性向上のための[[合金]]成分、[[鉛ガラス]](光学[[レンズ]]や[[クリスタルガラス]])、美術工芸品(例えば[[ステンドグラス]]の縁)、防音・制振シートや[[免震|免震用ダンパー]]、[[銃弾]]、電子材料([[チタン酸鉛]])などである。
また、金属の中では比較的比重が大きいので[[放射線]]遮蔽材として鉛ガラスや鉛シートなどの形で用いられる。例えば核戦争を想定した[[戦車]]の内壁や、X線撮影施設の窓ガラス、[[ブラウン管]]用ガラスには鉛が含まれている。
また、[[釣り]]などで用いられる[[おもり]](シンカー)の材料としても鉛は用いられている。しかし、近年鉛の毒性が問題となったために、鉛に代わるおもりの素材として[[タングステン]]などの導入が進められている。それでも、加工のしやすさやコストの面から、未だにこの用途での鉛の需要は根強い。
その質量と柔らかい特性を活かし、ピアノの鍵盤のウエイトに用いられている。鍵盤の側面に穴を開け鉛を差し込み、叩くことで鉛が広がり固定される。
意外なところでは、[[三味線]]を演奏するときに使う「木バチ」の重りとしても使われている。このため「木バチ」を処分する際は、鉛を取り出す必要がある。
※取り出さずにゴミとして処分すると、焼却炉の中で溶けて重大な汚染を生じる危険性がある。
この他、[[灯油]]や[[ホワイトガソリン]]などの液体燃料を加圧・気化して燃焼させる[[ポータブルストーブ]]や[[ブロートーチ]]、[[ランタン]]では、気密性と耐熱性の高さから継ぎ目のガスケットに現在でも鉛が用いられる。さらに、路面表示用白色塗料としても利用されている。
金属線を結節して圧着し、壊さずに金属線をほどくことができない封印としても古くから用いられている。
なお、かつては[[水道管]]や[[はんだ]]、[[おしろい]]などに用いられた[[顔料]]についても鉛は大量に利用されていたものの、鉛を用いないものへの置き換えが進められている。この事情については[[無鉛化]]の項目も参照のこと。
=== はんだ ===
鉛と[[スズ]]の[[合金]]として[[はんだ]]が知られ、低融点などの利点を持つため、古くから金属同士の接合に多用されてきた。
=== アンチモニー ===
合金としてのアンチモニーは、鉛80%〜90%に[[アンチモン]]10%〜20%、このほか用途により[[スズ|錫]](スズ)を少々混ぜた金属のことをいう<ref name="松野">{{Cite web|和書|author=松野建一、丹治明| url=http://sokeizai.or.jp/japanese/publish/200706/200707matsuno.pdf | title=アンチモニー産業の歴史と生産技術 - 外貨獲得に貢献した東京の地場産業 - | publisher=一般財団法人素形材センター | accessdate=2021-01-10}}</ref>。小皿、優勝カップ、トロフィー、メダルなどに利用される<ref name="松野" />。なお、日本語で'''アンチモニー'''という場合には元素のアンチモン(英語名)のことを指す場合もある<ref name="松野" />。
{{main|アンチモン#アンチモニー}}
== 毒性 ==
{{See_also|鉛中毒}}
無機鉛化合物は水に溶けにくいものが多いため[[急性中毒]]を起こす事は稀だが、[[テトラエチル鉛]]のような[[脂溶性]]の有機物質は[[細胞膜]]を通過して直接取り込まれるため、非常に危険である。長期的に見た場合、鉛は自然な状態の食物にも僅かに含まれるため常時摂取されており、一定量ならば尿中などに排泄されるので鉛に対して必要以上に神経質になる必要は無いとされる。しかし、有機化合物を摂取してしまったり、排泄を上回る鉛を長期間摂取すると体内に蓄積されて毒性を持つ。
生物に対する毒性としては、体表や消化器官に対する曝露(接触・定着)により腹痛・嘔吐・伸筋麻痺・感覚異常症など様々な[[鉛中毒|中毒症状]]を起こすほか、[[血液]]に作用すると溶血性貧血・[[ヘム合成]]系障害・[[免疫]]系の抑制・[[腎臓]]への影響なども引き起こす。[[遺伝毒性]]も報告されている。主に[[呼吸器]]系からの吸引と、水溶性の鉛化合物の[[消化器]]系からの吸収によって体内に入り、骨に最も多く定着する。生体に取り込まれた鉛の生物学的な[[半減期]]は資料によって異なるが、一例として生体全体で5年、骨に注目すると10年という値が示されている。呼吸器からの吸引に対しては、鉛を扱う工場や、鉛を含む塗料や顔料を扱う作業などに多く、職業病としての側面がある<ref>「医学大辞典 第18版」南山堂、2004年、1540頁</ref><ref name="CERIJP_PB">[http://qsar.cerij.or.jp/SHEET/F2001_09.pdf 化学物質安全性(ハザード)評価シート 酸化鉛]</ref><ref>[https://www.nihs.go.jp/hse/ehc/sum2/ehc165/ehc165.html 環境保健クライテリア 165 無機鉛 (国立医薬品食品衛生研究所による日本語抄訳)]</ref>。
=== 鉛中毒の歴史 ===
鉛が原因でもたらされる鉛疝痛に関する最初の記述は、[[古代ギリシャ]]の[[ヒポクラテス]]によってなされている<ref name="Hernberg">Hernberg S. Lead poisoning in a historical perspective. Am J Ind Med. 2000;38:244-54.</ref>。[[古代ローマ]]時代は膨大な量の鉛が生産され、陶磁器の上薬、料理器具、配管などにも使われていたために、ローマ人には死産、奇形、脳障害といった鉛中毒が普通に見られたと言われていた。しかしこの件は<ref name="Hernberg" />、現在では俗説扱いされている。かつて西洋では鉛は「[[灰吹き法]]」など、金・銀・銅などを製錬するための媒介としてもさかんに利用された。
古代ローマでも、貴族たちが鉛製のコップでワインを飲むのを好んだため、鉛中毒者が続出したといわれる<ref name="Hernberg" />。17世紀ごろから、ワインによる鉛中毒が論じられるようになってきたが、当時はワインを甘くする目的で、酢酸鉛が添加されていた<ref name="Pearce">Pearce JM. Burton's line in lead poisoning. Eur Neurol. 2007;57:118-9.</ref>。例えば、ワインを愛飲していた[[ベートーヴェンの死#鉛毒の過剰摂取|ベートーヴェン]]の毛髪からは、後の調査によって通常の100倍近い量の鉛が検出されたことから、その晩年にほぼ耳が聞こえなくなってしまった原因として、現在では鉛中毒が有力視されている<ref>{{cite journal|author=M. H. Stevens|title=Lead and the deafness of Ludwig van Beethoven|journal=The Laryngoscope|volume=123|issue=11|year=2013|pages=2854–2858|doi=10.1002/lary.24120|pmid=23686526}}</ref>。
=== 鉛害問題の対策 ===
{{出典の明記|section=1|date=2023-3}}
鉛害問題の対策として、次のような例がある。
* はんだは電気回路の組み立てなどに多用されてきたが、近年では鉛を含まない「[[鉛フリーはんだ]]」に置き換えられつつある。
* [[欧州連合]] (EU) では、[[RoHS]]指令により、2006年7月1日以降、高温溶融はんだなどの例外を除き、電気・電子製品への鉛の使用が原則として禁止された。このため、日本のメーカーでも鉛を含有しない部材の使用を原則としつつあるが、代替ハンダの強度不足・融点上昇の問題に起因する電気製品の製造不良(部品の中には熱に弱い物もあり、融点が上がった分ハンダ付けの際により高温に曝され部品が壊れる)が問題となっている。
* [[ガソリン]]の[[オクタン価]]向上及び吸排気バルブと周辺部品の保護に[[テトラエチル鉛]] {{chem|(C|2|H|5|)|4|Pb}} が添加されていたが、排気中に鉛が含まれてしまうことから汚染源となって問題視された。現在では鉛を含まない添加剤によるオクタン価向上策が選択されるようになり、日本など先進諸国では法的規制により[[有鉛ガソリン]]は使われなくなった。しかし日本自動車工業会<ref>{{Cite press release |和書 |title=世界主要自動車産業界による燃料品質に関する提言(WWFC)第3版 |publisher=社団法人 日本自動車工業会 |date=2002-12-19 |url=http://release.jama.or.jp/sys/news/detail.pl?item_id=195 |accessdate=2023-08-26 }}</ref>によると、およそ50か国で有鉛ガソリンの使用が認められており、今なお有鉛ガソリンの問題は終結していない。また、航空機の[[レシプロエンジン]]にも有鉛ガソリン (Avgas) が多用されている。
* 鉛は、[[狩猟]]や[[クレー射撃]]に使われる[[散弾銃|散弾]]にも使われてきた。環境中に鉛の粒をばらまくものであり、土壌汚染を引きこしたり、散弾を受けたが逃げたり発見されないなどして回収されなかったものを食べた鳥獣が鉛中毒を引き起こすなどしたため、デメリットはあるものの汚染の少ない鉄、銅散弾への切り替えが進められている。
*[[拳銃]]や[[小銃|ライフル]]の弾丸も、主に[[硬鉛]]などと呼ばれる鉛合金で作られている。射撃場等、弾頭部が地中に残りやすい箇所に隣接する河川等で高濃度の鉛の成分が検出される事も多く、近年では廃弾の回収や射場の改修工事などで周辺に鉛による被害が出ないように対策されている事もあるが、軍隊や法執行機関にも膨大に配備されているこれらの銃弾そのものについては、鉛ほど安価で高密度な素材がなく、より軽量な金属に置き換えると空気抵抗の影響を強く受け有効射程が低下してしまうため、長らく規制や代替材料の目処が立っていなかった。2010年代後半に到ってアメリカ軍が[[5.56x45mm NATO弾|主力小銃弾]]にスチールコアのM855A1の採用を開始する等、鉛フリー化の動きが見え始めている<ref>{{Cite web|和書|url= https://news.militaryblog.jp/web/USMC-to-adapt-Armys-M855A1/556mm-Rounds-from-2018.html |title= アメリカ海兵隊 陸軍のM855A1 5.56mm弾を2018年から導入 |work= ミリブロNews |website= ミリタリーブログ |publisher= 田村装備開発株式会社 |date= 2017-12-26 |accessdate= 2023-08-26 }}</ref>。
* 鉛製水道管については、2005年7月時点の[[厚生労働省]]調査で約547万世帯に残っているが、本管から分かれた引き込み管については、水道メーターを除き個人の所有とされていることから交換費用は自己負担となり、交換は進んでいない。
* [[印刷]]に用いる[[活字]]の素材([[活字合金]])の主成分は鉛である。近年では印刷技術の革新により活字そのものの使用量が減少している。
* 安価な鋳造の[[ペンダント]]、[[メダル]]、[[バッジ]]、[[ネックレス]]などの[[装身具|アクセサリー]]には、低融点・低価格であることから鉛を含む[[スズ|錫]]合金(ホワイトメタルと通称される)が用いられる場合がある<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/02/s0216-5.html |title= 鉛含有金属製アクセサリー類等の安全対策に関する検討会報告書について |publisher= 厚生労働省 |date= 2007-02-16 |accessdate= 2023-08-26 }}</ref>。また、金属小物のベースに使われる[[黄銅]]には切削性を良くする目的で鉛が添加されているものがある<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.daiomfg.co.jp/environment/rohs.html |title= 有害物質問題への取組 |publisher= 株式会社大王製作所 |accessdate= 2023-08-26 }}</ref>。近年、先進国では鉛への規制が強くなり上記のような素材は利用される事が少なくなったが、安価な輸入玩具にはいまだ利用されている場合があり、これらを子供が口に含んだりすることで健康被害が起こる可能性が指摘されている。
* 産業の副産物である[[スラグ]](鉱滓)には鉛を含んでいるものが存在しており、スラグからの溶出する場合がある。そのため、建材試験センターの土工用製鋼スラグ砕石の規格には溶出量と含有量を規定した環境基準が設けられている<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.jtccm.or.jp/library/jtccm/public/mokuji08/kikansi/0811_kikakukijyun.pdf |title= -建材試験センター規格- JSTM H 8001(土工用製鋼スラグ砕石)の制定について |work= 建材試験情報 |publisher= 建材試験センター |date= 2008-11 |accessdate= 2023-08-26 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20160304141731/http://www.jtccm.or.jp/library/jtccm/public/mokuji08/kikansi/0811_kikakukijyun.pdf |archivedate= 2016-03-04 }}</ref>。
* 鉛を含む[[農薬]]、[[ヒ酸水素鉛(II)|砒酸鉛]]は[[殺虫剤]]として広く世界で使用された古典的な農薬の一つであり、日本でも[[1948年]]に農薬として登録(登録番号1番)されて使用されてきた。しかしながら鉛を含むことから安全性に疑念がもたれるようになり、[[1956年]]には[[残留農薬|農薬残留許容量]]が日本国内で最も早く設定されたほか<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mac.or.jp/mail/101101/01.shtml |title=ますます注目される食品中の鉛規制 |publisher=食品分析開発センター |date=2010-11 |accessdate=2022-06-15}}</ref>、[[1968年]]には鉛そのものも残留基準が食品四品目([[リンゴ]]、[[ブドウ]]、[[キュウリ]]、[[トマト]])において設定された<ref>残留農薬から食卓守る 四食品に許容量『朝日新聞』1968年(昭和48年)3月21日夕刊 3版 11面</ref>。砒酸鉛の農薬の登録は[[1978年]]に失効したが、21世紀においてもなお10種の野菜・果実に対して農薬としての鉛の残留基準が1.0または5.0 ppmで設定されている。
== 化合物 ==
{{See_also|Category:鉛の化合物}}
=== 酸化物 ===
* [[一酸化鉛]] (PbO)
* [[二酸化鉛]] ({{chem|PbO|2}})
* [[四酸化三鉛]] ({{chem|Pb|3|O|4}}) - [[赤|赤色]][[顔料]]・[[鉛丹]](光明丹)として使用される
* [[クロム酸鉛(II)|クロム酸鉛]] ({{chem|PbCrO|4}}) - [[黄色]]顔料・[[黄鉛]](クロムイエロー)として使用される
* [[チタン酸ジルコン酸鉛]] ({{chem|Pb(Zr|x|, Ti|1-x|)O|3}}) - 代表的な[[圧電|圧電材料]]
=== その他 ===
* [[アジ化鉛]] ({{chem|Pb(N|3|)|2}})
* [[酢酸鉛(II)]] ({{chem|Pb(OCOCH|3|)|2}})
* [[酢酸鉛(IV)]] ({{chem|Pb(OCOCH|3|)|4}})
* [[テトラエチル鉛]] ({{chem|(C|2|H|5|)|4|Pb}})
* [[砒酸水素鉛|砒酸鉛]] ({{chem|Pb|2|As|2|O|7}})
* [[塩化鉛]] ({{chem|PbCl|2}}, {{chem|PbCl|4|}})
* [[ペロブスカイト太陽電池]] ({{chem|CH|3|NH|3|PbI|3}} など)
== 神秘学 ==
[[西洋占星術]]や[[錬金術]]などの神秘主義哲学では[[土星]]を象徴するが、これは(錆を生じて)黒く重い鉛が、肉眼で確認できる[[惑星]]のなかで最も暗く動きの遅い[[土星]]と相似していると考えられたためである。また、魂の牢獄としての肉体、老化、鈍さなども象徴する。
インド[[錬金術]]で最も階層の低い金属とされる鉛は、[[ヴァースキ]]の精子でできているとされ、[[ナーガ]](蛇)と呼ばれる。また、[[金]]が死後、転生したものが鉛であるとされている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|40em}}
==関連文献==
*{{Cite journal |和書|author =大澤直|title =鉛|date =1995|publisher =エレクトロニクス実装学会|journal =SHM会誌|volume =11|issue =3|doi =10.5104/jiep1993.11.3_2|pages =2-8 |ref = }}
== 関連項目 ==
* [[海洋投棄規制条約]]
* [[鉛中毒]]
* [[ごみ公害]]
* [[耐食合金]]
* [[バーゼル条約]]
* [[非鉄金属]]
* [[RoHS]]
* [[グラファイト|黒鉛]] - [[炭素]]の結晶であり'''鉛とは無関係'''。これを主原料とする[[鉛筆]]も同様。
* [[環境基準]]
* [[配管工]] - 英語の"Plumber"は、[[ラテン語]]の「鉛」に由来する。
* [[契島]] - 日本国内で現在鉛鉱石から精錬を行う唯一の精錬所がある。
== 外部リンク ==
{{Commons|Lead}}
{{Wiktionary|なまり|鉛}}
* [http://mric.jogmec.go.jp 金属資源情報]([[石油天然ガス・金属鉱物資源機構]])
* [http://riodb02.ibase.aist.go.jp/geochemmap/zenkoku/japanPb.htm 鉛の地球化学図]
* {{Kotobank}}
{{元素周期表}}
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{{大気汚染}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:なまり}}
[[Category:鉛|*]]
[[Category:元素]]
[[Category:第14族元素]]
[[Category:第6周期元素]]
[[Category:卑金属]]
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[[Category:毒]] | 2003-05-10T15:18:57Z | 2023-12-03T22:23:53Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%9B |
7,994 | 実空間 | 実空間(じつくうかん、Real space)
特に物性物理学では、単位格子ベクトルを用いて周期性を持つ結晶を表現することが多く、その単位格子ベクトルで構成される空間をいう。またその周期性を利用したほうが便利であるので、逆格子空間を用いる
実空間表示とは、座標で表示することである。 | [
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] | 実空間 現実の空間、実在する空間のこと。
要素が実数である実ベクトルによって構成される空間のこと。実数空間。 特に物性物理学では、単位格子ベクトルを用いて周期性を持つ結晶を表現することが多く、その単位格子ベクトルで構成される空間をいう。またその周期性を利用したほうが便利であるので、逆格子空間を用いる 実空間表示とは、座標で表示することである。 | '''実空間'''(じつくうかん、'''Real space''')
#[[現実]]の[[空間]]、[[実在]]する空間のこと。
#成分が[[実数]]である実[[空間ベクトル|ベクトル]]によって構成される空間のこと。[[実数空間]]。
特に[[物性物理学]]では、[[単位格子]]ベクトルを用いて周期性を持つ[[結晶]]を表現することが多く、その単位格子ベクトルで構成される空間をいう。またその周期性を利用したほうが便利であるので、[[逆格子空間]]を用いる
実空間表示とは、[[座標]]で表示することである。
==関連項目==
*[[逆格子空間]]
*[[仮想空間]]
*[[実空間法]]
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[[Category:物理数学]]
[[Category:固体物理学]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:空間]] | 2003-05-10T15:20:22Z | 2023-11-12T17:20:30Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E7%A9%BA%E9%96%93 |
7,996 | アテネ | アテネ(現代ギリシア語: Αθήνα; Athína; [aˈθina] ( 音声ファイル); カサレヴサ: Ἀθῆναι, Athinai; 古代ギリシア語: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。
アテネはアッティカ地方にあり、世界最古の都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオン があり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことが知られている。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し、UBSの調査では25番目に物価が高い都市 に位置している。
アテネ市の人口は655,780人(2004年は796,442人)、市域面積は39 km (15 sq mi) である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し、都市的地域の面積は412 km (159 sq mi) である。ユーロスタットによれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ) (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。
古典ギリシアの文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャや東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都になった以降に建設された国会議事堂や「三部作」(Trilogy)と呼ばれるギリシア国立図書館(英語版)、アテネ大学、アテネアカデミー(英語版)が含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。
古代ギリシア語では、アテネ市は Ἀθῆναι アテーナイ(Athēnai、[a.thɛ̂ː.nai̯])と呼ばれていた。このアテーナイは複数形であり、単数形の Ἀθήνη アテーネー(Athēnē)はホメロスの詩文など古代ギリシア語以前(en)にみることができるが、のちに Θῆβαι テーバイや Μυκῆναι ミュケーナイ同様複数形に変わった。アテネの語源はおそらくギリシア語でも印欧語系でさえもなく、この都市と常に結びついている女神アテナの語源がそうであるように、アッティカ地方にギリシア語が入り込む以前に存在した言語(en)に遡ると考えられている。中世にはこの都市の名前はふたたび単数形の Ἀθήνα となり、以来一貫してこの名が用いられてきたが、書き言葉では古体が尊ばれたため、1970年代にカサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで同市の公式名称は Ἀθῆναι アシネ([aˈθine])であった。カサレヴサ廃止以降は Ἀθήνα アシナとなり現在に至る。
また、かつて19世紀には上記とは異なる語源も唱えられた。ドイツの古典学者 Lobeck は「花」を意味する ἄθος (athos)ないし ἄνθος (anthos)をアテネの語源として提唱し、アテネの名を「花ざかりの都」と解したほか、同じくドイツの文献学者 Döderlein は動詞 θάω (thaō)「吸う」の語幹 θη- (thē-)を語源と考え、肥沃な土壌から滋養を汲み取ることに関連付けている。
アテネ市がアテネと呼ばれるようになった経緯を語る起源神話は古代のアテネ市民に広く知られており、パルテノン神殿の西面のペディメント彫刻のモチーフともなっている。智慧の女神アテナと海神ポセイドンはさまざまな諍いや争いを重ねるが、その1つがこの都市の守護神の座をめぐるものであった。人々を従わせようとポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で地を突き海水を湧き出させたが、アテナがオリーヴの木(平和と繁栄の象徴)を生い立たせると、国王ケクロプス以下の住民はオリーヴの木を択び、アテナの名を都市の名として押し戴いた。
アテネ市はギリシア語で τὸ κλεινὸν ἄστυ 「栄光の都」と呼ばれることがあるほか、単に η πρωτεύουσα 「首都」とも呼ばれる。文学的表現としては、古代ギリシアの詩人ピンダロスが ἰοστέφανοι Ἀθᾶναι と呼んで以来、「紫冠の都」(en:City of the Violet Crown)と呼び習わされてきた。
現在のところ、アテネにおける最古の人類の痕跡は同市を象徴するアクロポリスの下部にあいた片岩地質(Athens Schist)の洞窟内から発見されたもので、時期は前6000年から前11000年と推定されている。アテネでは少なくとも7000年間継続して定住が行われている。前1400年にはこの地の集落はミケーネ文明における中心的地域の1つとなっており、アクロポリスはミケーネ市にとっての主要な砦であった。この砦の遺構は特徴的なキュクロプス式(英語版)の城壁に今でもうかがうことができる。ミケーネやピュロスといったミケーネ文明の他の中心地と異なり、アテネが前1200年ごろ滅亡を被ったかどうかはわかっていない。東地中海全域を襲ったこの危機は、ミケーネ文明に関してはドリス人の侵略にその咎が帰せられることが多いが、アテネ人はドリス的要素の混ざらない純粋なイオニア人であることにこだわりつづけた。いずれにせよアテネも他の多くの集落同様に、以後150年ほど経済的停滞に沈んでいる。
鉄器時代に入ると、ケラメイコスの墓地をはじめとして多人数を収める墓地が少なからず設けられており、前900年以降アテネがギリシアにおける交易と繁栄の先進的中心地の1つとなっていたことがわかる。アテネの先進的地位は、ギリシア世界の中心に位置したこと、アクロポリスの砦を擁し防衛に優れたこと、海上交通の便が良いことから享受できたと考えられる。特に第3の点はテバイやスパルタといった内陸の競合相手に対し天与の利点となった。
前6世紀にはギリシア世界に広まった不穏な社会情勢からソロンの改革に至り、この改革は結果的に前508年のクレイステネスによる民主政の導入を招来した。この時期以降アテネは大艦隊を保有する一大海軍力となり、ペルシアの支配に抗するイオニア諸都市を支援することとなる。その後に勃発したペルシアとの戦争では、アテネはスパルタとともにギリシア諸都市の連合を率いて戦い、ついにはペルシアを撃退している(前490年のマラトンの戦い・前480年のサラミス海戦の勝利が決定的となった)。とはいえ、最終的に勝利こそしたものの、レオニダス1世麾下のスパルタ兵が英雄的に敗北した際と、ボイオティアとアッティカがともにペルシアの手に落ちた際との都合2度、アテネはペルシアによる占領と略奪を受けることを余儀なくされている。
ペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代(en)として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の西洋文明の礎となった。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスといった劇作家、歴史家のヘロドトスとトゥキディデス、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であったペリクレスは諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、デロス同盟を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張はペロポネソス戦争(前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。
前4世紀半ばには北方のギリシャ系国家であるマケドニア王国がアテネ周辺へも影響力を及ぼしはじめ、前338年にはピリッポス2世率いるマケドニア軍がアテネとテバイを中核とする都市同盟軍をカイロネイアの戦いで打ち破っている。この敗戦の結果アテネの独立には終止符が打たれることとなった。のち、ローマが地中海世界の覇権を握ると、アカデメイアに代表される市内の名高い学校のためアテネは自由都市の地位を与えられた。2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは図書館、競技場、水道橋(現役)、寺院など宗教施設をいくつかと橋を建設したほか、ゼウス神殿完成のため予算をつけている。
古代末にはアテネも衰退していく。東ローマ帝国の下でもしばらくは学芸の中心であったが、6世紀後半になるとスラヴ人やアヴァール人の侵略を受けるようになり、529年にキリストの教え以外が禁じられるとアカデメイアも閉鎖に至った。その後、9世紀から10世紀には回復を見、十字軍時代にはイタリアとの交易から利益を得てある程度繁栄する。1040年に東ローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧され、1147年にはシチリア王国軍の略奪により大きな被害を受けている。第4回十字軍後の1205年にはアテネ公国が建国された。1458年アテネ公国はオスマン帝国に征服され、アテネは長い停滞の時代に入った。
ギリシア独立戦争を経てギリシア王国が成立すると、1834年にアテネはこの新生独立国の首都に選ばれている(なお近代ギリシア初の首都はナフプリオとされる)。アテネが同国の首都に選ばれたのは、主として歴史的栄光と国民感情を鑑みたものであり、この当時のアテネはアクロポリスの裾野を取り巻く小規模な町に過ぎなかった。初代国王オソン1世は建築家クレアンティス(en)とシャウベルト(en)の両人に命じて一国の首都にふさわしい都市計画をデザインさせている。
ギリシア初の近代都市は、アクロポリス、ケラメイコスの古代墓地、国王の新宮殿(現・国会議事堂)を頂点とする三角形としてデザインされ、古代から現在までの連続性を強調するものとなっている。この時代の国際標準であった新古典主義はまさに古代アテネをはじめとする古典古代に範をとるものだが、この新古典主義に基づき各国の建築家が主要公共施設の設計に腕を揮った。なお、新古典主義は西欧ではほどなく衰えるが、ギリシアでは「古代ギリシアの復興」という理念から1920年代まで新古典主義による建築が続いた。1896年には近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催されている。1920年代の希土戦争の際にはアナトリア半島から追い立てられた大量のギリシア難民がアテネになだれこみ人口がふくれあがった。もっとも、人口増大のピークは第2次大戦後の1950年代から1960年代にかけてであり、この時期に市域は拡大を続けた。
1980年代には、工場からの排ガス、かつてなく増えた自動車、人口過密による利用可能な空間の減少から、アテネは非常に深刻な課題に直面することとなった。1990年代の市当局による汚染対策事業とインフラの抜本的改善(自動車道(en)の建設・地下鉄の拡充・国際空港の新設)によって、汚染はかなり軽減されアテネは従来に比べずっと機能的な都市に生まれ変わった。2004年にはふたたび夏季オリンピックが開催される。2010年代初頭以降ギリシアは経済的な困難に見舞われており、その対策が今後の課題となっている。アテネ市を対象とするものとしては、アテネ近郊の経済特区設定 や、アテネメトロの路線拡張などのインフラ整備 が経済対策として検討されている。
アテネはアッティカ中央部の平野に広がり、アッティカ盆地(Λεκανοπέδιο Αττικής)と呼ばれる。平野の周辺部は4つの山に囲まれた範囲で、西側はエガレオ山(Αιγάλεω)、北側はパルニサ山(英語版)(Πάρνηθα)、北東側にはペンテリ山(Πεντέλη)、東側にはイミトス山(Υμηττός)がそびえる。エガレオ山を超えてスリアシアン平野(英語版)が広がり、西へ中央部の平野の広がりを形成している。パルニサ山は4つの山の中では一番高く標高1,413 m (4,636 ft)で 、国立公園に指定されている。アテネは周辺部の丘陵地に築かれている。リカヴィトスの丘(Λυκαβηττός)は市内では一番高い丘の一つで、アッティカ平野を一望することが出来る。アテネの地形は周辺部の山々の影響により、世界でも最も複雑な地形で、逆転層現象が起こりそれと並びギリシャ政府の産業や人口の統制政策の失敗により大気汚染の問題にアテネは現在直面している。この問題はアテネだけの問題ではなく、ロサンゼルスやメキシコシティなど似たような地形の都市では逆転層現象の問題を抱えている。
アテネの気候はケッペンの気候区分では高温ステップ気候(BSh)に当たる。従来は亜熱帯西岸気候の地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)に属していたが、1981年-2010年の平年値ではステップ気候に変わった。いずれにしても数値の変化はわずかで、温帯と乾燥帯の境界線上に位置していると言える。アテネの気候の特徴は長く続く暑くて乾燥した夏の気候から穏やかで湿気がある冬である。年平均降水量は414.1mmで、これはほとんどが10月から4月にかけて記録されるものである。7月や8月は乾燥した月で雷雨が月に1、2回、ときたま発生する。冬は冷涼で、雨が降り1月の平均気温はアテネ北郊のネア・フィラデルフィア(英語版)(Νέα Φιλαδέλφεια)で8.9°C、エリニコン(英語版)で 10.3°Cである。
アテネで吹雪は滅多に起こらないが、発生した場合は大きな混乱に陥る。降雪はアテネ北郊では良く見られる。パルニサ山はアテネの街に雨蔭を作り、その結果他のバルカン地域よりも降水量が少ない状況を作り出す。例えばアルバニアのティラナではアテネの3倍、シュコドラでは5倍以上の降水量がある。7月の日々の平均最高気温(1955–2004)は観測所があるネア・フィラデルフィアでは33.7°Cであるが、他の市内ではこれよりも暑くとくに西側の地区は産業化や主にいくつかの自然的な理由により暑い。気温はしばしば、38°Cを超えアテネは熱波で知られる。
アテネは都市活動によりヒートアイランド現象の影響を多くの地区で受け、気温は周辺の田園地域とは異なり 冷却のために必要なエネルギーの使用や 健康に悪影響がある。都市のヒートアイランドには特定のアテネの気象観測所の気候学的な気温の時系列変化の一部に原因が見い出せる。一方で、国立庭園やシセイオ気象観測所などの特定の観測所では若干かまったくヒートアイランド現象の影響が見られない。
アテネは世界気象機関のヨーロッパでの最高気温の記録を保持しており48°Cを1977年7月10日にエレウシスとタトイの観測所で記録している。
下段はアテネ北郊のネア・フィラデルフィアの観測所のデータである。
アテネ市内には様々な異なった建築様式の建物が含まれ、その範囲は古代ギリシャ・ローマ世界や新古典主義建築、現代建築と幅広い。これらは同一の地区で見ることが出来、アテネでは建築様式に一貫性があるわけではない。アテネでもっとも多くを占めている建築物にはグレコ・ローマンや新古典主義建築のスタイルである。いくつかの新古典主義建築の建物は19世紀半ばに公共的な建物として、テオフィル・ハンセン(英語版)やエルンスト・ツィラー(ドイツ語版)らの指導の下建てられた。新古典様式建築の中にはアテネアカデミー(英語版)、アテネ市庁舎、国会議事堂、アテネ旧議会議事堂(英語版)(1835-1832、現在のアテネ国立博物館)、アテネ大学、ザッペイオンホールなどが含まれる。
1920年代には近代建築が興り、その中にはバウハウスやアール・デコが含まれほとんど全てのギリシャの建築家に影響を与え多くの公共や民間の両方の建築物は一致してこのような建築様式で建てられた。近隣では非常に多くの近代的な建築が見られ、コロナキ(英語版)や他のアテネ中心部の地区も含まれておりこの時代に開発されたキプセリ(英語版)も含まれる。
1950年代から1960年代の期間はアテネは大きな開発により都市が拡大した時期で、他の新しい動きとしてインターナショナル・スタイルが大きな役割を演じていた。アテネの中心部は大規模な建て直しが行われ多くの新古典様式の建物が取り壊されている。インターナショナル・スタイル時代の建築家は建築材にガラスや大理石、アルミニウムを用いクラシカルな要素と多く融合させている。第二次世界大戦後、国際的に知られた建築家でアテネ市内の建築や設計に携わった人物にはアメリカ大使館を手掛けたヴァルター・グロピウスや現在あるアテネ国際空港以前のエリニコン国際空港(英語版)の東旅客ターミナルを手掛けたエーロ・サーリネンが含まれる。
1930年代から1960年代にかけての著名なギリシャの建築家や都市計画家にはコンスタンティノス・ドキシアディス 、ディミトリス・ピキオニス(英語版)、ペリキリス・セキレリオス(英語版)、アリス・コンスタンティニディス(英語版)などがいる。
アテネ首都圏の中心部であるアテネ市は以下のような地区に分けられている。
Omonoia, Syntagma, Exarcheia, Agios Nikolaos, Neapolis, Lykavittos, Lofos Strefi, Lofos Finopoulou, Lofos Filopappou, Pedion Areos, Metaxourgeio, Aghios Kostantinos, Larissa Station, Kerameikos, Psiri, Monastiraki, Gazi, Thission, Kapnikarea, Aghia Irini, Aerides, Anafiotika, Plaka, Acropolis, Pnyx, Makrygianni, Lofos Ardittou, Zappeion, Aghios Spyridon, Pangrati, Kolonaki, Dexameni, Evaggelismos, Gouva, Aghios Ioannis, Neos Kosmos, Koukaki, Kynosargous, Fix, Ano Petralona, Kato Petralona, Rouf, Votanikos, Profitis Daniil, Akadimia Platonos, Kolonos, Kolokynthou, Attikis Square, Lofos Skouze, Sepolia, Kypseli, Aghios Meletios, Nea Kypseli, Gyzi, Polygono, Ampelokipoi, Panormou-Gerokomeio, Pentagono, Ellinorosson, Kato Filothei, Ano Kypseli, Tourkovounia-Lofos Patatsou, Lofos Elikonos, Koliatsou, Thymarakia, Kato Patisia, Treis Gefyres, Aghios Eleftherios, Ano Patissia, Kypriadou, Prompona, Aghios Panteleimonas, Pangrati, Goudi, Ilisia, Kaisariani
アテネ首都圏はアッティカ地方の島嶼部の自治体を除いた58の人口が密集した自治体で構成されていたが、2011年以降の行政改革により自治体間の合併が進んでいる。これらは中心部のアテネ市のすべての周辺部に広がっており、アテネ市との地理的な位置関係により郊外は4つの地域に分けられる。北郊にはエカリ(英語版)、ネア・エリトリア(英語版)、アギオス・ステファノス(英語版)、ドロシア(英語版)、ディオニューソス、キオネリ(英語版)、キフィシア(英語版)、マルーシ(英語版)、ペフキ(英語版)、リコヴリシ(英語版)、ヘラクリオ、グリカ・ネラ(英語版)、ヴリリッシア(英語版)、マルーシ(英語版)、ペンテリコ山、ハランドリ(英語版)、アギア・パラスカヴィ(英語版)、シヒコ(英語版)、フィロセイ(英語版)が、南郊にはアリモス(英語版)、ネア・ズミルニ(英語版)、アギオス・ディミトリオス(英語版)、パライオ・ファリロ(英語版)、エリニコ(英語版)、グリファダ(英語版)、ヴーラ(英語版)、アリゲロポリ(英語版)、イリオポリ(英語版)、最南端の郊外ヴォウリアグメニ(英語版)、東郊にはアハルネス(英語版)、ゾグラフォウ(英語版)、ケサラニアニ(英語版)、ホレロゴーシュ(英語版)、パパーゴー(英語版)、西郊にはペリステーリ(英語版)、イリオン (自治体)(英語版)、ペトロポリ(英語版)、ニカイア (自治体)(英語版)がある。アテネ都市圏の海岸線は主要な商業港があるピレウスから最南部のヴァルキザ(英語版)まで 25 km (20 mi)続き アテネの中心部とはトラムで結ばれている。
北郊のマルーシには アップグレードされたメイン会場であったアテネオリンピックスポーツコンプレックス(OAKA)がありスカイラインを占めている。スポーツコンプレックスはスペインの建築家サンティアゴ・カラトラヴァにより設計され、鋼のアーチや美しい庭園、噴水、未来的なガラス、また画期的な新青ガラス屋根がメインスタジアムに加えられた。二つ目のオリンピックの複合施設はカリテアのビーチの隣にあり、モダンな競技施設と店舗や高い位置の遊歩道を特徴とする。エルニコン国際空港と呼ばれた古いアテネの空港は現在公園に転換中で、完成すると欧州最大規模の公園エルニコン都市公園(英語版)になる予定である。アテネ南郊のアリモスやパライオ・ファリオ、エリニコン、ヴォーラ、ヴォウリアグメニ、ヴァルキザなどには多くのビーチがあり、ギリシャ政府観光局(英語版)により運営されておりほとんどの場合は若干の入場料が必要となる。
パルニサ国立公園は散策路や泉、峡谷、保護地域に点在する洞窟により特徴付けられる。ハイキングやマウンテンバイクにとってアテネ周辺部の4つの山すべてはアテネ市民にとってポピュラーなアウトドア活動の場となっている。アテネ国立庭園は1840年に竣工し、15.5ヘクタールの緑地が保護されている。国立庭園は国会議事堂とザッペイオンの間にあり、後者は独自に7ヘクタールの庭園がある。2012年現在、ギリシャの経済は不透明な状況にあるが中心部では「アテネの遺跡の統一」 Unification of Archeological Sites of Athensと呼ばれる再開発の基本計画があり、計画を強化するために欧州連合から資金を集めている。ディオニシウ・アレオパギドゥ通りはランドマークとなる歩行者用の通りで景色の良い通りとなっている。通りはゼウス神殿のあるヴァッシリッシス・オルガス通り(Vasilissis Olgas)からアクロポリスの麓の南斜面近くのプラカ(英語版)へ続き、 ティシオ(英語版)のヘーパイストス神殿の先へ達している。賑やかな中心部から離れたこの通りは全体がパルテノン神殿やアテネの古代アゴラなどの景色を観光客に楽しませている。アテネの丘陵地は緑地の空間となっている。リカヴィトスの丘やフィロパポスの丘(英語版)をはじめプニュクスを含め、松や他の種類の樹木が生えており典型的な都市の都市の緑地と言うよりは小さな森林といった趣になっている。アテネ国立考古学博物館の近くには27.7ヘクタールの公園ペディオン・トゥ・アレオス(英語版)を見付けることが出来る。
アテネ最大の動物園はアッティカ動物公園(英語版)で20ヘクタールあり、郊外のスパタにある。園内には400種2,000の動物がおり、365日開園している。小規模な動物園は国立庭園などの公共の庭園や公園内にある。
アテネがギリシャの首都になったのは1829年にナフプリオに一時的な首都が置かれた後の1834年のことである。アテネ市はアッティカ地域の主都でもある。「アテネ」は自治体としてのアテネそのものかアテネの都市的地域どちらかを言及しており、アテネの都市はアッティカ盆地に広がっている。
アテネ大都市圏地域は2,928.717 km (1,131 sq mi)の範囲で広がり、その範囲は3,808 km (1,470 sq mi) のアッティカ地方の域内である。アテッティカ地方はギリシャでは最も人口が多い地域で2011年現在、3,812,330人に達するが、ギリシャでは一番小さな地域(広域自治体のペリフェリアとして)である。
アッティカ地方自体は8つの県で構成され、そのうち4つが大アテネを構成しピレウス県は大ピレウスを構成している。大アテネと大ピレウスにより隣接した都市的地域であるアテネ首都圏を構成し、 412 km (159 sq mi)の範囲で広がる。
2010年まで、最初の4つの県は共に廃止されたアテネ県(英語版)(大アテネとも呼ばれた)を構成したもっとも人口が多いギリシャの県であった。2001年の国勢調査による人口は2,664,776人で 面積は361 km (139 sq mi)であった。
アテネ市の人口は2011年現在、655,780人でギリシャでは一番人口が多い自治体で、市域面積は39 km (15 sq mi) である。2003年1月から2006年2月まで、保守派新民主主義党のドラ・バコヤンニが市長を務めた。彼女はアテネ史上初の女性市長であり、オリンピック開催都市の首長が女性であったのも、2004年のアテネが初めてであった。その後、2007年1月に新民主主義党のニキタス・カクラマニスが就任した後、2009年にはイオルゴス・カミニス(英語版)(Γεώργιος Καμίνης)が市長に就任した。アテネ市は7つの行政区域に分けられており、行政上の目的に利用されている。アテネ市はパグラティ(英語版)(Παγκράτι)やアベロキピ(英語版)、イリッシア(英語版)(Ιλίσια)、ペトラロナ(英語版)(Πετράλωνα)、コカーキ(英語版)(Κουκάκι)、キプセリ(英語版)(Κυψέλη)など独特な歴史と特徴を持った住区に分かれている。
アテネはテッサロニキ以前に経済的にギリシャでは最も重要な都市ある。主にサービス産業の多くの企業が、市内に本社または主要なオフィスを構えている。本社がしばしば租税回避地に位置しているものの、商船はギリシャとっては未だに重要であるが、再びピレウスなど近隣都市で見つけることが出来る。ギリシャの経済活動はアテネおよびその周辺地域に集中している。アテネ首都圏にある大企業にはコングロマリットで冶金やエネルギー関連のミティリネオスホールディング(英語版)(Μυτιληναίος Α.Ε.)や鉱業や重工業関連のヴィオファルコ(英語版)(Βιοχάλκο Α.Ε.)、世界的な飲料メーカーコカ・コーラのギリシャ法人ギリシャ・コカ・コーラ(英語版)(Coca-Cola Ελληνική Εταιρεία Εμφιαλώσεως Α.Ε.)、建築原材料メーカーのタイタン・セメント(英語版)(Τσιμέντα Titan)や投資会社のマフィン・インベストメントグループ(英語版)(Marfin Α.Ε.Π.Ε.Υ.)などがある。20の大企業はアテネ証券取引所のFTSE / Athexにリストされている。製造業の意義はアテネでは失われてしまっているが、今でもアテネ首都圏ではギリシャの総生産の50%前後を占める。伝統的な工業品には陶器や繊維産業であるが現在ではあまり意義がなくなっている。良く知られた商品にはフェージのヨーグルト、Metaxaのブランデー、チョコレート、化粧品などがある。2005年には年間600万人の海外からの観光客が訪れ、アテネにとって観光収入は無視できない収入源となっている。ドイツからの訪問客も多くいるが、現在ではギリシャに関して否定的な報道もあるため落ち込む場合もあり、最近では東アジアでもとくに中国からの訪問客が増加している。なお、日本からギリシャへの観光客数は2005年以降、変動幅が大きい。
4つの県により大アテネが構成され合計人口は2,625,090人に達する。ピレウス県(大ピレウス)と共に密度が高いアテネの都市的地域が形成され2011年現在の人口は3,074,160人にである。古代のアテネの中心はアクロポリスの岩の多い丘であった。古代のピレウスの港は都市とは分離されていたが、現代ではアテネの都市的地域に吸収されている。アテネの都市は急速に拡大し、その傾向は現在でも続いておりとくに1950年代から1960年代にギリシャの経済が農業から工業化された先進国へ変化する過程で起こった。都市の拡大は現在、特に東側や北東側に向かっておりこれは高速道路(Attiki Odos)の整備や新しい国際空港の整備と関連している。この過程はアッティカの多くの以前からの郊外や村も覆い、続いている。長い歴史を通じて、アテネは多くの異なった人口レベルを経験している。以下の表は19世紀以降のアテネの人口を示したものである。
アテネの中心部はギリシャの首都であり直接、アテネ市の範囲に含まれギリシャの都市では最大の人口である。ピレウスもまた大きな中心部を形成し、アテネの都市的地域に含まれ都市圏では2番目に人口が多い自治体でその後にペリステーリ(英語版)(Περιστέρι)とカリテア(Καλλιθέα)が続く。アテネ都市圏は今日、35の自治体に400万人が居住し「大アテネの自治体」とも呼ばれる北アテネ県、西アテネ県、中央アテネ県、南アテネ県とさらに「大ピレウスの自治体」と呼ばれるピレウス県の自治体で構成されている。アテネの都市的地域は 412 km (159 sq mi) の範囲でアッティカ盆地に広がり人口は2011年現在3,074,160人である。
アテネ大都市圏は2,928.717 km (1,131 sq mi) の範囲でこれはアッティカ地方に属する58の自治体が含まれ先の5つの県に東アッティカ県、西アッティカ県を合わせた7つの県で構成され人口は2011年現在、3,737,550人である。アテネとピレウスはアテネ大都市圏地域の2つの都市圏の中心都市である。いくつかの自治体は自治体間の特定の地域の中心地の役割を果たしている。マルーシ(英語版)(Μαρούσι)、キフィシア(英語版)(Κηφισιά)、グリファダ(英語版)はそれぞれ北やさらに北、アテネ南郊のそれぞれの中心地でペリステーリは西郊の中心である。
アテネは古代から旅行者にとりポピュラーな目的地である。ここ10年間でアテネの都市インフラや都市の快適性は改善されてきており、2004年のアテネオリンピックの招致にも成功している。ギリシャ政府が欧州連合の援助を受けて大規模なインフラプロジェクトであるアテネ国際空港 やアテネ地下鉄の拡張、新しい高速道路Attiki Odosの整備が進められた。昨今の厳しい経済状況からアテネ国際空港の旅客数は減り続けている。
アテネは考古学調査の世界的な中心である。アテネ大学やアテネ考古学学会のような国家的な機関、アテネ国立考古学博物館やキクラデス芸術ゴーラドリス美術館(英語版)、金石学博物館、ビザンティン博物館、古代のアゴラ、アクロポリス博物館、ケラメイコスなどの考古学に関する博物館が含まれる。アテネには考古学科学(英語版)のデモクリトス研究所やギリシャ文化省(英語版)を構成する地域や国の考古学に関する機関がある。これに加えて、17の海外の考古学に関する機関がありそれぞれの国の出身の研究者により研究が促進されている。その結果、アテネでは多くの考古学図書館や3つの考古学に特化した研究所があり、会議やセミナー、多くの展示会も毎年開催されている。催しが開かれる時には多くの国際的な学者や研究者がアテネに集まる。
アテネ考古学博物館はギリシャでは最大の考古学に関する博物館で、国際的にも重要な位置を占めている。収蔵品には幅広いコレクションがあり、5,000年以上前の新石器時代からローマ帝国支配下のギリシャの時代の遺産を網羅している。ベナキ博物館(英語版)はいくつかの分野のコレクションが含まれ、古代やビザンティン、オスマン時代、中国美術など様々である。ビザンティン・クリスチャン博物館(英語版)はビザンティン美術に関してもっとも重要な博物館である。アテネ貨幣博物館は豊富な古代や現代の硬貨のコレクションが収蔵されている。キクラデス芸術ゴーラドリス美術館(英語版)はキクラデス芸術(英語版)に関する幅広いコレクションが収蔵され、この中には白い大理石で出来た像が含まれる。アクロポリス博物館は2009年に開館し、アクロポリスの古い博物館を置き換えている。新しい博物館はかなりの人気ぶりを証明し、2009年6月から10月までの夏の期間には100万人の来場者があった。アテネには多くの小規模なものや私立のギリシャの文化に焦点を当てた博物館があり美術館もある。
アテネには148の演劇ステージがあり、世界のどの都市よりも有名な古代からのヘロディス・アッティコス音楽堂がありアテネ祭が毎年10月に開催される。
多くの大規模な複合施設があり、アテネはロマンティックな野外劇の会場にもなっている。また、幅広い多くのコンサート会場もありその中にはアテネコンサートホール(英語版)(Megaron Moussikis)も含まれ世界中の著名なアーティストを年中集めている。アテネプラネタリウム はアンドリュー通りにあり世界でも最大規模のデジタルプラネタリウムである。
アテネには長いスポーツとスポーツイベントの歴史がありギリシャのスポーツには重要な役割を担うスポーツクラブや競技施設が集まっている。アテネでは誰もが知る有名な国際的なスポーツの祭典も多く開催されている。夏季オリンピックは1896年と2004年の2度開催されている。2004年の夏季オリンピック開催時にはアテネ・オリンピックスタジアムの大改修が必要になり、それ以来世界でももっとも美しいスタジアムの一つであるという評判を得ており、興味が惹かれる現代のモニュメントの一つである。ギリシャで一番大きなスタジアムとしてUEFAチャンピオンズリーグでは1994年と2007年に2度の決勝が行われている。アテネの都市圏で他に大きなスタジアムはピレウスにあるスタディオ・ヨルギオス・カライスカキスで2004年に改修されている。1971年にはUEFAカップウィナーズカップが開催されている。2004年にはサッカーギリシャ代表がUEFA EURO 2004の決勝でポルトガルに1-0で勝利している。
ユーロリーグの決勝は3度開催され、最初は1985年に開催され2度目は1993年に開催され両方とも通称SEFで知られる平和友好スタジアム(英語版)で開かれている。このスタジアムはヨーロッパでも最大規模で魅力的な室内競技場の一つである。3度目は2006-07年のシーズンにオリンピック・インドアホール(英語版)で開催された。この他にも陸上競技やバレーボール、水球など多くのスポール競技の大会がアテネを会場としている。
アテネは様々な地形が含まれており、周辺部の丘陵地や山はとくに知られヨーロッパの主要な首都の街としては唯一、山が交わっている。周辺部の地形から多種多様な、スキー、ロッククライミング、ハンググライダー、ウィンドサーフィンなどの野外スポーツを楽しむことが出来る。
アテネを本拠地とするスポーツクラブとして、以下のチームがある。
パネピスティミーウ通り(英語版)には古いアテネ大学のキャンパスがあり、ギリシャ国立図書館(英語版)やアテネアカデミー(英語版)はアテネ三部作"Athens Trilogy"を形作り、19世紀半ばに建てられた。ほとんどの大学の運営は東郊のゾグラフォウ(英語版)のより大きな近代的なキャンパスに移転している。アテネ第2の高等教育機関である、アテネ工科大学(英語版)はパティシオン通りにある。1973年11月17日に、13人の学生が死亡し多数のけが人が出たアテネポリテクニック暴動(英語版)が学内で発生している。この暴動は1967年4月21日から1974年7月23日の、トルコのキプロス侵攻まで続いたギリシャ軍事政権に抵抗するものであった。アテネ首都圏には11の国立の高等教育や職業専門校などの機関がある。設立が古い順にアテネ美術学校(英語版)(1837)、アテネ工科大学(1837)、アテネ大学(1837)、アテネ農業大学(英語版)(1920)、アテネ経済商科大学(英語版)(1920)、パンティオン大学(英語版)(1927)、ピレウス大学(英語版)(1938)、ピレウス技術教育研究所(英語版)、アテネ技術教育研究所(英語版)(1983)、ヘロコピポ大学(英語版)(1990)、教育法・技術教育大学(英語版) (2002)である。ギリシャでは私立の大学の設立が憲法により禁止されているが、いくつかのカレッジと呼ばれる私立の教育機関はある。それらの多くは外国の大学により設立され、ギリシャアメリカンカレッジ(英語版)、インディアナポリス大学(英語版)が運営するインディアナポリス大学・アテネキャンパス(英語版)がある。
1970年代後半まで、アテネの公害は有害なものになっておりギリシャ文化省の大臣(英語版)コンスタンティノ・トリパニス(Constantine Trypanis)によれば「エレクテイオンの5つの女像柱の細部の退化が深刻で、一方パルテノン西側の騎手の顔はほとんど消失している」とされる。1990年代に行われた一連の市当局による厳しい措置により大気汚染は改善され、スモッグ(アテネではネフォスnefosと呼ばれることも)の発生は少なくなった。ギリシャ当局により大気汚染改善の措置は1990年代を通じて広範囲に行われ、空気の質はアッティカ平原全体で改善されている。それでもやはり、アテネでは大気汚染の問題はとくに暑い夏の日の期間には残っている。2007年6月後半 にアッティカ地域はでは多くの山火事 が発生し、火災の延焼箇所にはパルニサ山の国立公園内の森林の多くの部分が含まれており、森林は年間を通じてアテネの空気の質を維持する為に重要と考えられている。大きな排出管理の努力は残りの10年で実施され、プラントの整備などによりサロニク湾やアテネ首都圏沿岸部の水質は改善され、現在では再びスイマーなどが訪れることが出来るようになっている。2007年1月にアテネは郊外のアノ・リオシア(英語版)の最終処分場が満杯になる排出管理の問題に直面している。危機は1月半ば当局により一時的な最終処分場にゴミを処分することにより緩和された。
アテネの交通は様々な交通機関により提供されており、ギリシャでは最大の大量輸送システムを形成している。アテネの大量輸送機関は特にバスやトロリーバスで構成され主にアテネ中心部をカバーしている。地下鉄や通勤鉄道も運行され、トラムの路線網は南郊と中心部を結んでいる。
Etaireia Thermikon Leoforeion(ΕΘΕΛ)やThermalバス会社がアテネにおける主たる路線バス事業者である。300路線によりネットワークが構成され、路線はアテネ大都市圏地域に広がっており、5,327人のスタッフにより1,839台のバスが運行されている。1,839台のバスのうち、416台は圧縮天然ガスが使われ、ヨーロッパでは最大の天然ガスを燃料とするバス車両で構成されている。
バスの車両は天然ガスと並んでディーゼルエンジンのバスが使われており、アテネ都市圏ではトロリーバスも使われ運行会社の名称が呼ばれている。トロリーバスはアテネとピレウス地域でILPAP(英語版)により22の路線が1,137人のスタッフにより運行されている。全部で366台のトロリーバスの車両があり、これらは停電など何らかの不具合があった場合にはディーゼルエンジンで走行が可能である。
アテネには2箇所の長距離バスターミナルがある。ペロポネソス半島方面を中心にギリシャ全土への長距離バスが発着するキフィソウ通りバスターミナル(通称、ターミナル A)と、バルカン半島方面への短・中距離バスが発着するリオシオン=バスターミナル(通称、ターミナル B)である。ターミナルAと市内中心部との交通機関は市内バス51系統であり、地下鉄2号線メタクスルギオ駅やオモニア駅付近との間を結んでいる。また、ターミナルBは地下鉄1号線アギオス・ニコラオス駅の500m北西にある。また、アテネ国際空港とターミナルAおよびBを結ぶ空港バスX93系統も運行されている。アルバニア、ブルガリア、マケドニア、ルーマニア方面へのバスがアテネから運行されている。地下鉄2号線メタクスルギオ駅とギリシャ国鉄アテネ駅を結ぶテオドリアス・ディミトリアス通り沿いに、国際バスを運行する民間会社のオフィスがある。バスはオフィス前あるいは会社が指定する乗降場所から出発する。
アテネ地下鉄はギリシャではより一般的にはアッティカメトロ (ギリシア語: Αττικό Mετρό)として知られアテネ都市圏地域をカバーする公共交通機関として運行されている。大量輸送機関としての目的が主であるが、建設時に発見されたギリシャの遺跡も収容している。アテネメトロは387人のスタッフにより2つの路線が運行され、2号線が赤、3号線が青とそれぞれの路線は色で区別されている。最初の区間は2000年1月に運行が開始された。すべての区間が現在地下で、42編成252両の車両で全路線が運行され、1日あたりの旅客数は550,000人である。
アテネに地下鉄会社がなかった頃はISAP (ギリシア語: ΗΣΑΠ) が長年アテネの主要な都市圏鉄道の機能を担っていた。今日ではグリーンライン(1号線)と呼ばれアテネメトロの路線図に表示されるが、他の地下鉄路線と異なりISAPは大部分の区間が地上を走っている。この路線はピレウスからキフィシアまでの22駅 25.6kmの営業距離 を730人のスタッフと44編成243両の車両で運行している。1日あたりの旅客数は600,000人である。アテネメトロはISAPとアッティカメトロの異なった2社により運営されている。
アテネの通勤鉄道はプロアスティアコス(Προαστιακός)と呼ばれアテネ国際空港とコリントスの80kmとアテネの西からラリッサ駅を経由してピレウス港とを結ぶ。4つ目のアテネメトロの路線と見なされる時もある。現在のアテネ通勤鉄道の路線網は120kmで、2010年までに281kmまで路線が延伸されると予想されていた。
アテネトラム会社により35編成の車両と 48の駅、345人のスタッフによりトラム路線が運行されている。1日あたりの旅客数は65,000人である。トラムの路線網は27kmで10のアテネ郊外部をカバーしている。トラムの路線はシンタグマ広場から南西部郊外のパレオ・ファリオ(英語版)を結び二つの支線に別れ、一つはアテネの沿岸部を走り南郊のヴーラ(英語版)に達し、もう一方はピレウスのネオ・ファリオに達する。路線網の大部分はサロニクの沿岸部をカバーしている。さらにピレウス港まで延ばす計画もあり、12の新しい駅を含む5.4kmの路線延長計画がある。
アテネはギリシャ国鉄の輸送拠点で、ギリシャの主要都市の他、イスタンブールやソフィア、ブカレストなど国際的な連絡もあったが金融危機の影響により2011年以来休止されている。ピレウス港からはエーゲ海の島々とを結ぶ航路が就航し、夏には多くのフェリーが発着する他多くのクルーズ船もやって来る。
リカヴィトスの丘には観光路線のリカヴィトス・ケーブルカーが運行されている。
アテネには最高水準の空港であるアテネ国際空港(エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際空港,AIA)がメッソギハ平原の東側でアテネから35km離れた郊外の町スパタ(英語版)にある。この空港は"European Airport of the Year 2004"を受賞しており、南東ヨーロッパのハブ空港として22億ユーロをかけ51ヶ月の工期で完成している。14,000人が空港のスタッフとして雇用されている。
空港にはアテネメトロ、郊外鉄道の他ピレウス港やアテネ中心部や郊外からは路線バスが乗り入れタクシーも利用できる。アテネ国際空港は1時間当たり65回の離着陸が出来、24の搭乗橋 と144のチェックインカウンターと15万m2のメインターミナル、7000m2の商業エリアを備え免税店や小さなミュージアムも備える。2007年には1,653万8,390人の旅客数があり前年の2006年より9.7%増加した。このうち、595万5,387人 は国内線利用者で1,058万3,003人は国際線の利用者であった。2007年には205,294回の離着陸回数があり、毎日562機が利用していた。2012年現在ではギリシャの経済危機の影響により旅客数は大きく落ち込んでいる。
二つの主要な高速道路がアテネを起点としている。A1/E75号線はピレウスからアテネ都市圏を通り、ギリシャ第二の都市テッサロニキへ向かう。A8/E94は西側のパトラス方向に向かい国道のGR-8Aと統合されている。完成するまではGR-1やGR-8が多く使われていた。さらにアテネ首都圏では規格が良い 高速道路Attiki Odosが整備されている。主となる区間は西郊の産業地区エレウシスからアテネ国際空港まで二つの環状道路はアイガレオ環状道路(A65)とイメットゥス環状道路(A64)と名付けられ、それぞれアテネの西側と東側で供用されている。Attiki Odosの総延長は65kmで これはギリシャの都市圏高速道路では最大である。
アテネは以下の姉妹都市を有している:
また、以下の都市とは協力協定を結んでいる。 | [
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"text": "アテネ(現代ギリシア語: Αθήνα; Athína; [aˈθina] ( 音声ファイル); カサレヴサ: Ἀθῆναι, Athinai; 古代ギリシア語: Ἀθῆναι, Athēnai)は、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。",
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"text": "アテネはアッティカ地方にあり、世界最古の都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオン があり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことが知られている。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し、UBSの調査では25番目に物価が高い都市 に位置している。",
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"text": "アテネ市の人口は655,780人(2004年は796,442人)、市域面積は39 km (15 sq mi) である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し、都市的地域の面積は412 km (159 sq mi) である。ユーロスタットによれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ) (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。",
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"text": "古典ギリシアの文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャや東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都になった以降に建設された国会議事堂や「三部作」(Trilogy)と呼ばれるギリシア国立図書館(英語版)、アテネ大学、アテネアカデミー(英語版)が含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。",
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"text": "古代ギリシア語では、アテネ市は Ἀθῆναι アテーナイ(Athēnai、[a.thɛ̂ː.nai̯])と呼ばれていた。このアテーナイは複数形であり、単数形の Ἀθήνη アテーネー(Athēnē)はホメロスの詩文など古代ギリシア語以前(en)にみることができるが、のちに Θῆβαι テーバイや Μυκῆναι ミュケーナイ同様複数形に変わった。アテネの語源はおそらくギリシア語でも印欧語系でさえもなく、この都市と常に結びついている女神アテナの語源がそうであるように、アッティカ地方にギリシア語が入り込む以前に存在した言語(en)に遡ると考えられている。中世にはこの都市の名前はふたたび単数形の Ἀθήνα となり、以来一貫してこの名が用いられてきたが、書き言葉では古体が尊ばれたため、1970年代にカサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで同市の公式名称は Ἀθῆναι アシネ([aˈθine])であった。カサレヴサ廃止以降は Ἀθήνα アシナとなり現在に至る。",
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"text": "また、かつて19世紀には上記とは異なる語源も唱えられた。ドイツの古典学者 Lobeck は「花」を意味する ἄθος (athos)ないし ἄνθος (anthos)をアテネの語源として提唱し、アテネの名を「花ざかりの都」と解したほか、同じくドイツの文献学者 Döderlein は動詞 θάω (thaō)「吸う」の語幹 θη- (thē-)を語源と考え、肥沃な土壌から滋養を汲み取ることに関連付けている。",
"title": "名称"
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"paragraph_id": 6,
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"text": "アテネ市がアテネと呼ばれるようになった経緯を語る起源神話は古代のアテネ市民に広く知られており、パルテノン神殿の西面のペディメント彫刻のモチーフともなっている。智慧の女神アテナと海神ポセイドンはさまざまな諍いや争いを重ねるが、その1つがこの都市の守護神の座をめぐるものであった。人々を従わせようとポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で地を突き海水を湧き出させたが、アテナがオリーヴの木(平和と繁栄の象徴)を生い立たせると、国王ケクロプス以下の住民はオリーヴの木を択び、アテナの名を都市の名として押し戴いた。",
"title": "名称"
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"text": "アテネ市はギリシア語で τὸ κλεινὸν ἄστυ 「栄光の都」と呼ばれることがあるほか、単に η πρωτεύουσα 「首都」とも呼ばれる。文学的表現としては、古代ギリシアの詩人ピンダロスが ἰοστέφανοι Ἀθᾶναι と呼んで以来、「紫冠の都」(en:City of the Violet Crown)と呼び習わされてきた。",
"title": "名称"
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"text": "現在のところ、アテネにおける最古の人類の痕跡は同市を象徴するアクロポリスの下部にあいた片岩地質(Athens Schist)の洞窟内から発見されたもので、時期は前6000年から前11000年と推定されている。アテネでは少なくとも7000年間継続して定住が行われている。前1400年にはこの地の集落はミケーネ文明における中心的地域の1つとなっており、アクロポリスはミケーネ市にとっての主要な砦であった。この砦の遺構は特徴的なキュクロプス式(英語版)の城壁に今でもうかがうことができる。ミケーネやピュロスといったミケーネ文明の他の中心地と異なり、アテネが前1200年ごろ滅亡を被ったかどうかはわかっていない。東地中海全域を襲ったこの危機は、ミケーネ文明に関してはドリス人の侵略にその咎が帰せられることが多いが、アテネ人はドリス的要素の混ざらない純粋なイオニア人であることにこだわりつづけた。いずれにせよアテネも他の多くの集落同様に、以後150年ほど経済的停滞に沈んでいる。",
"title": "歴史"
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"text": "鉄器時代に入ると、ケラメイコスの墓地をはじめとして多人数を収める墓地が少なからず設けられており、前900年以降アテネがギリシアにおける交易と繁栄の先進的中心地の1つとなっていたことがわかる。アテネの先進的地位は、ギリシア世界の中心に位置したこと、アクロポリスの砦を擁し防衛に優れたこと、海上交通の便が良いことから享受できたと考えられる。特に第3の点はテバイやスパルタといった内陸の競合相手に対し天与の利点となった。",
"title": "歴史"
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"text": "前6世紀にはギリシア世界に広まった不穏な社会情勢からソロンの改革に至り、この改革は結果的に前508年のクレイステネスによる民主政の導入を招来した。この時期以降アテネは大艦隊を保有する一大海軍力となり、ペルシアの支配に抗するイオニア諸都市を支援することとなる。その後に勃発したペルシアとの戦争では、アテネはスパルタとともにギリシア諸都市の連合を率いて戦い、ついにはペルシアを撃退している(前490年のマラトンの戦い・前480年のサラミス海戦の勝利が決定的となった)。とはいえ、最終的に勝利こそしたものの、レオニダス1世麾下のスパルタ兵が英雄的に敗北した際と、ボイオティアとアッティカがともにペルシアの手に落ちた際との都合2度、アテネはペルシアによる占領と略奪を受けることを余儀なくされている。",
"title": "歴史"
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"text": "ペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代(en)として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の西洋文明の礎となった。アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスといった劇作家、歴史家のヘロドトスとトゥキディデス、医師ヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であったペリクレスは諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、デロス同盟を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張はペロポネソス戦争(前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。",
"title": "歴史"
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"text": "前4世紀半ばには北方のギリシャ系国家であるマケドニア王国がアテネ周辺へも影響力を及ぼしはじめ、前338年にはピリッポス2世率いるマケドニア軍がアテネとテバイを中核とする都市同盟軍をカイロネイアの戦いで打ち破っている。この敗戦の結果アテネの独立には終止符が打たれることとなった。のち、ローマが地中海世界の覇権を握ると、アカデメイアに代表される市内の名高い学校のためアテネは自由都市の地位を与えられた。2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスは図書館、競技場、水道橋(現役)、寺院など宗教施設をいくつかと橋を建設したほか、ゼウス神殿完成のため予算をつけている。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 13,
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"text": "古代末にはアテネも衰退していく。東ローマ帝国の下でもしばらくは学芸の中心であったが、6世紀後半になるとスラヴ人やアヴァール人の侵略を受けるようになり、529年にキリストの教え以外が禁じられるとアカデメイアも閉鎖に至った。その後、9世紀から10世紀には回復を見、十字軍時代にはイタリアとの交易から利益を得てある程度繁栄する。1040年に東ローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧され、1147年にはシチリア王国軍の略奪により大きな被害を受けている。第4回十字軍後の1205年にはアテネ公国が建国された。1458年アテネ公国はオスマン帝国に征服され、アテネは長い停滞の時代に入った。",
"title": "歴史"
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"tag": "p",
"text": "ギリシア独立戦争を経てギリシア王国が成立すると、1834年にアテネはこの新生独立国の首都に選ばれている(なお近代ギリシア初の首都はナフプリオとされる)。アテネが同国の首都に選ばれたのは、主として歴史的栄光と国民感情を鑑みたものであり、この当時のアテネはアクロポリスの裾野を取り巻く小規模な町に過ぎなかった。初代国王オソン1世は建築家クレアンティス(en)とシャウベルト(en)の両人に命じて一国の首都にふさわしい都市計画をデザインさせている。",
"title": "歴史"
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"text": "ギリシア初の近代都市は、アクロポリス、ケラメイコスの古代墓地、国王の新宮殿(現・国会議事堂)を頂点とする三角形としてデザインされ、古代から現在までの連続性を強調するものとなっている。この時代の国際標準であった新古典主義はまさに古代アテネをはじめとする古典古代に範をとるものだが、この新古典主義に基づき各国の建築家が主要公共施設の設計に腕を揮った。なお、新古典主義は西欧ではほどなく衰えるが、ギリシアでは「古代ギリシアの復興」という理念から1920年代まで新古典主義による建築が続いた。1896年には近代オリンピックの第1回大会がアテネで開催されている。1920年代の希土戦争の際にはアナトリア半島から追い立てられた大量のギリシア難民がアテネになだれこみ人口がふくれあがった。もっとも、人口増大のピークは第2次大戦後の1950年代から1960年代にかけてであり、この時期に市域は拡大を続けた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "1980年代には、工場からの排ガス、かつてなく増えた自動車、人口過密による利用可能な空間の減少から、アテネは非常に深刻な課題に直面することとなった。1990年代の市当局による汚染対策事業とインフラの抜本的改善(自動車道(en)の建設・地下鉄の拡充・国際空港の新設)によって、汚染はかなり軽減されアテネは従来に比べずっと機能的な都市に生まれ変わった。2004年にはふたたび夏季オリンピックが開催される。2010年代初頭以降ギリシアは経済的な困難に見舞われており、その対策が今後の課題となっている。アテネ市を対象とするものとしては、アテネ近郊の経済特区設定 や、アテネメトロの路線拡張などのインフラ整備 が経済対策として検討されている。",
"title": "歴史"
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"text": "アテネはアッティカ中央部の平野に広がり、アッティカ盆地(Λεκανοπέδιο Αττικής)と呼ばれる。平野の周辺部は4つの山に囲まれた範囲で、西側はエガレオ山(Αιγάλεω)、北側はパルニサ山(英語版)(Πάρνηθα)、北東側にはペンテリ山(Πεντέλη)、東側にはイミトス山(Υμηττός)がそびえる。エガレオ山を超えてスリアシアン平野(英語版)が広がり、西へ中央部の平野の広がりを形成している。パルニサ山は4つの山の中では一番高く標高1,413 m (4,636 ft)で 、国立公園に指定されている。アテネは周辺部の丘陵地に築かれている。リカヴィトスの丘(Λυκαβηττός)は市内では一番高い丘の一つで、アッティカ平野を一望することが出来る。アテネの地形は周辺部の山々の影響により、世界でも最も複雑な地形で、逆転層現象が起こりそれと並びギリシャ政府の産業や人口の統制政策の失敗により大気汚染の問題にアテネは現在直面している。この問題はアテネだけの問題ではなく、ロサンゼルスやメキシコシティなど似たような地形の都市では逆転層現象の問題を抱えている。",
"title": "地理"
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{
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"text": "アテネの気候はケッペンの気候区分では高温ステップ気候(BSh)に当たる。従来は亜熱帯西岸気候の地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)に属していたが、1981年-2010年の平年値ではステップ気候に変わった。いずれにしても数値の変化はわずかで、温帯と乾燥帯の境界線上に位置していると言える。アテネの気候の特徴は長く続く暑くて乾燥した夏の気候から穏やかで湿気がある冬である。年平均降水量は414.1mmで、これはほとんどが10月から4月にかけて記録されるものである。7月や8月は乾燥した月で雷雨が月に1、2回、ときたま発生する。冬は冷涼で、雨が降り1月の平均気温はアテネ北郊のネア・フィラデルフィア(英語版)(Νέα Φιλαδέλφεια)で8.9°C、エリニコン(英語版)で 10.3°Cである。",
"title": "地理"
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"text": "アテネで吹雪は滅多に起こらないが、発生した場合は大きな混乱に陥る。降雪はアテネ北郊では良く見られる。パルニサ山はアテネの街に雨蔭を作り、その結果他のバルカン地域よりも降水量が少ない状況を作り出す。例えばアルバニアのティラナではアテネの3倍、シュコドラでは5倍以上の降水量がある。7月の日々の平均最高気温(1955–2004)は観測所があるネア・フィラデルフィアでは33.7°Cであるが、他の市内ではこれよりも暑くとくに西側の地区は産業化や主にいくつかの自然的な理由により暑い。気温はしばしば、38°Cを超えアテネは熱波で知られる。",
"title": "地理"
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{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "アテネは都市活動によりヒートアイランド現象の影響を多くの地区で受け、気温は周辺の田園地域とは異なり 冷却のために必要なエネルギーの使用や 健康に悪影響がある。都市のヒートアイランドには特定のアテネの気象観測所の気候学的な気温の時系列変化の一部に原因が見い出せる。一方で、国立庭園やシセイオ気象観測所などの特定の観測所では若干かまったくヒートアイランド現象の影響が見られない。",
"title": "地理"
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{
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"tag": "p",
"text": "アテネは世界気象機関のヨーロッパでの最高気温の記録を保持しており48°Cを1977年7月10日にエレウシスとタトイの観測所で記録している。",
"title": "地理"
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"text": "下段はアテネ北郊のネア・フィラデルフィアの観測所のデータである。",
"title": "地理"
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{
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"tag": "p",
"text": "アテネ市内には様々な異なった建築様式の建物が含まれ、その範囲は古代ギリシャ・ローマ世界や新古典主義建築、現代建築と幅広い。これらは同一の地区で見ることが出来、アテネでは建築様式に一貫性があるわけではない。アテネでもっとも多くを占めている建築物にはグレコ・ローマンや新古典主義建築のスタイルである。いくつかの新古典主義建築の建物は19世紀半ばに公共的な建物として、テオフィル・ハンセン(英語版)やエルンスト・ツィラー(ドイツ語版)らの指導の下建てられた。新古典様式建築の中にはアテネアカデミー(英語版)、アテネ市庁舎、国会議事堂、アテネ旧議会議事堂(英語版)(1835-1832、現在のアテネ国立博物館)、アテネ大学、ザッペイオンホールなどが含まれる。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "1920年代には近代建築が興り、その中にはバウハウスやアール・デコが含まれほとんど全てのギリシャの建築家に影響を与え多くの公共や民間の両方の建築物は一致してこのような建築様式で建てられた。近隣では非常に多くの近代的な建築が見られ、コロナキ(英語版)や他のアテネ中心部の地区も含まれておりこの時代に開発されたキプセリ(英語版)も含まれる。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "1950年代から1960年代の期間はアテネは大きな開発により都市が拡大した時期で、他の新しい動きとしてインターナショナル・スタイルが大きな役割を演じていた。アテネの中心部は大規模な建て直しが行われ多くの新古典様式の建物が取り壊されている。インターナショナル・スタイル時代の建築家は建築材にガラスや大理石、アルミニウムを用いクラシカルな要素と多く融合させている。第二次世界大戦後、国際的に知られた建築家でアテネ市内の建築や設計に携わった人物にはアメリカ大使館を手掛けたヴァルター・グロピウスや現在あるアテネ国際空港以前のエリニコン国際空港(英語版)の東旅客ターミナルを手掛けたエーロ・サーリネンが含まれる。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "1930年代から1960年代にかけての著名なギリシャの建築家や都市計画家にはコンスタンティノス・ドキシアディス 、ディミトリス・ピキオニス(英語版)、ペリキリス・セキレリオス(英語版)、アリス・コンスタンティニディス(英語版)などがいる。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "アテネ首都圏の中心部であるアテネ市は以下のような地区に分けられている。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "Omonoia, Syntagma, Exarcheia, Agios Nikolaos, Neapolis, Lykavittos, Lofos Strefi, Lofos Finopoulou, Lofos Filopappou, Pedion Areos, Metaxourgeio, Aghios Kostantinos, Larissa Station, Kerameikos, Psiri, Monastiraki, Gazi, Thission, Kapnikarea, Aghia Irini, Aerides, Anafiotika, Plaka, Acropolis, Pnyx, Makrygianni, Lofos Ardittou, Zappeion, Aghios Spyridon, Pangrati, Kolonaki, Dexameni, Evaggelismos, Gouva, Aghios Ioannis, Neos Kosmos, Koukaki, Kynosargous, Fix, Ano Petralona, Kato Petralona, Rouf, Votanikos, Profitis Daniil, Akadimia Platonos, Kolonos, Kolokynthou, Attikis Square, Lofos Skouze, Sepolia, Kypseli, Aghios Meletios, Nea Kypseli, Gyzi, Polygono, Ampelokipoi, Panormou-Gerokomeio, Pentagono, Ellinorosson, Kato Filothei, Ano Kypseli, Tourkovounia-Lofos Patatsou, Lofos Elikonos, Koliatsou, Thymarakia, Kato Patisia, Treis Gefyres, Aghios Eleftherios, Ano Patissia, Kypriadou, Prompona, Aghios Panteleimonas, Pangrati, Goudi, Ilisia, Kaisariani",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "アテネ首都圏はアッティカ地方の島嶼部の自治体を除いた58の人口が密集した自治体で構成されていたが、2011年以降の行政改革により自治体間の合併が進んでいる。これらは中心部のアテネ市のすべての周辺部に広がっており、アテネ市との地理的な位置関係により郊外は4つの地域に分けられる。北郊にはエカリ(英語版)、ネア・エリトリア(英語版)、アギオス・ステファノス(英語版)、ドロシア(英語版)、ディオニューソス、キオネリ(英語版)、キフィシア(英語版)、マルーシ(英語版)、ペフキ(英語版)、リコヴリシ(英語版)、ヘラクリオ、グリカ・ネラ(英語版)、ヴリリッシア(英語版)、マルーシ(英語版)、ペンテリコ山、ハランドリ(英語版)、アギア・パラスカヴィ(英語版)、シヒコ(英語版)、フィロセイ(英語版)が、南郊にはアリモス(英語版)、ネア・ズミルニ(英語版)、アギオス・ディミトリオス(英語版)、パライオ・ファリロ(英語版)、エリニコ(英語版)、グリファダ(英語版)、ヴーラ(英語版)、アリゲロポリ(英語版)、イリオポリ(英語版)、最南端の郊外ヴォウリアグメニ(英語版)、東郊にはアハルネス(英語版)、ゾグラフォウ(英語版)、ケサラニアニ(英語版)、ホレロゴーシュ(英語版)、パパーゴー(英語版)、西郊にはペリステーリ(英語版)、イリオン (自治体)(英語版)、ペトロポリ(英語版)、ニカイア (自治体)(英語版)がある。アテネ都市圏の海岸線は主要な商業港があるピレウスから最南部のヴァルキザ(英語版)まで 25 km (20 mi)続き アテネの中心部とはトラムで結ばれている。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "北郊のマルーシには アップグレードされたメイン会場であったアテネオリンピックスポーツコンプレックス(OAKA)がありスカイラインを占めている。スポーツコンプレックスはスペインの建築家サンティアゴ・カラトラヴァにより設計され、鋼のアーチや美しい庭園、噴水、未来的なガラス、また画期的な新青ガラス屋根がメインスタジアムに加えられた。二つ目のオリンピックの複合施設はカリテアのビーチの隣にあり、モダンな競技施設と店舗や高い位置の遊歩道を特徴とする。エルニコン国際空港と呼ばれた古いアテネの空港は現在公園に転換中で、完成すると欧州最大規模の公園エルニコン都市公園(英語版)になる予定である。アテネ南郊のアリモスやパライオ・ファリオ、エリニコン、ヴォーラ、ヴォウリアグメニ、ヴァルキザなどには多くのビーチがあり、ギリシャ政府観光局(英語版)により運営されておりほとんどの場合は若干の入場料が必要となる。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "パルニサ国立公園は散策路や泉、峡谷、保護地域に点在する洞窟により特徴付けられる。ハイキングやマウンテンバイクにとってアテネ周辺部の4つの山すべてはアテネ市民にとってポピュラーなアウトドア活動の場となっている。アテネ国立庭園は1840年に竣工し、15.5ヘクタールの緑地が保護されている。国立庭園は国会議事堂とザッペイオンの間にあり、後者は独自に7ヘクタールの庭園がある。2012年現在、ギリシャの経済は不透明な状況にあるが中心部では「アテネの遺跡の統一」 Unification of Archeological Sites of Athensと呼ばれる再開発の基本計画があり、計画を強化するために欧州連合から資金を集めている。ディオニシウ・アレオパギドゥ通りはランドマークとなる歩行者用の通りで景色の良い通りとなっている。通りはゼウス神殿のあるヴァッシリッシス・オルガス通り(Vasilissis Olgas)からアクロポリスの麓の南斜面近くのプラカ(英語版)へ続き、 ティシオ(英語版)のヘーパイストス神殿の先へ達している。賑やかな中心部から離れたこの通りは全体がパルテノン神殿やアテネの古代アゴラなどの景色を観光客に楽しませている。アテネの丘陵地は緑地の空間となっている。リカヴィトスの丘やフィロパポスの丘(英語版)をはじめプニュクスを含め、松や他の種類の樹木が生えており典型的な都市の都市の緑地と言うよりは小さな森林といった趣になっている。アテネ国立考古学博物館の近くには27.7ヘクタールの公園ペディオン・トゥ・アレオス(英語版)を見付けることが出来る。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "アテネ最大の動物園はアッティカ動物公園(英語版)で20ヘクタールあり、郊外のスパタにある。園内には400種2,000の動物がおり、365日開園している。小規模な動物園は国立庭園などの公共の庭園や公園内にある。",
"title": "都市景観"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "アテネがギリシャの首都になったのは1829年にナフプリオに一時的な首都が置かれた後の1834年のことである。アテネ市はアッティカ地域の主都でもある。「アテネ」は自治体としてのアテネそのものかアテネの都市的地域どちらかを言及しており、アテネの都市はアッティカ盆地に広がっている。",
"title": "行政"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "アテネ大都市圏地域は2,928.717 km (1,131 sq mi)の範囲で広がり、その範囲は3,808 km (1,470 sq mi) のアッティカ地方の域内である。アテッティカ地方はギリシャでは最も人口が多い地域で2011年現在、3,812,330人に達するが、ギリシャでは一番小さな地域(広域自治体のペリフェリアとして)である。",
"title": "行政"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "アッティカ地方自体は8つの県で構成され、そのうち4つが大アテネを構成しピレウス県は大ピレウスを構成している。大アテネと大ピレウスにより隣接した都市的地域であるアテネ首都圏を構成し、 412 km (159 sq mi)の範囲で広がる。",
"title": "行政"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2010年まで、最初の4つの県は共に廃止されたアテネ県(英語版)(大アテネとも呼ばれた)を構成したもっとも人口が多いギリシャの県であった。2001年の国勢調査による人口は2,664,776人で 面積は361 km (139 sq mi)であった。",
"title": "行政"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "アテネ市の人口は2011年現在、655,780人でギリシャでは一番人口が多い自治体で、市域面積は39 km (15 sq mi) である。2003年1月から2006年2月まで、保守派新民主主義党のドラ・バコヤンニが市長を務めた。彼女はアテネ史上初の女性市長であり、オリンピック開催都市の首長が女性であったのも、2004年のアテネが初めてであった。その後、2007年1月に新民主主義党のニキタス・カクラマニスが就任した後、2009年にはイオルゴス・カミニス(英語版)(Γεώργιος Καμίνης)が市長に就任した。アテネ市は7つの行政区域に分けられており、行政上の目的に利用されている。アテネ市はパグラティ(英語版)(Παγκράτι)やアベロキピ(英語版)、イリッシア(英語版)(Ιλίσια)、ペトラロナ(英語版)(Πετράλωνα)、コカーキ(英語版)(Κουκάκι)、キプセリ(英語版)(Κυψέλη)など独特な歴史と特徴を持った住区に分かれている。",
"title": "行政"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "アテネはテッサロニキ以前に経済的にギリシャでは最も重要な都市ある。主にサービス産業の多くの企業が、市内に本社または主要なオフィスを構えている。本社がしばしば租税回避地に位置しているものの、商船はギリシャとっては未だに重要であるが、再びピレウスなど近隣都市で見つけることが出来る。ギリシャの経済活動はアテネおよびその周辺地域に集中している。アテネ首都圏にある大企業にはコングロマリットで冶金やエネルギー関連のミティリネオスホールディング(英語版)(Μυτιληναίος Α.Ε.)や鉱業や重工業関連のヴィオファルコ(英語版)(Βιοχάλκο Α.Ε.)、世界的な飲料メーカーコカ・コーラのギリシャ法人ギリシャ・コカ・コーラ(英語版)(Coca-Cola Ελληνική Εταιρεία Εμφιαλώσεως Α.Ε.)、建築原材料メーカーのタイタン・セメント(英語版)(Τσιμέντα Titan)や投資会社のマフィン・インベストメントグループ(英語版)(Marfin Α.Ε.Π.Ε.Υ.)などがある。20の大企業はアテネ証券取引所のFTSE / Athexにリストされている。製造業の意義はアテネでは失われてしまっているが、今でもアテネ首都圏ではギリシャの総生産の50%前後を占める。伝統的な工業品には陶器や繊維産業であるが現在ではあまり意義がなくなっている。良く知られた商品にはフェージのヨーグルト、Metaxaのブランデー、チョコレート、化粧品などがある。2005年には年間600万人の海外からの観光客が訪れ、アテネにとって観光収入は無視できない収入源となっている。ドイツからの訪問客も多くいるが、現在ではギリシャに関して否定的な報道もあるため落ち込む場合もあり、最近では東アジアでもとくに中国からの訪問客が増加している。なお、日本からギリシャへの観光客数は2005年以降、変動幅が大きい。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "4つの県により大アテネが構成され合計人口は2,625,090人に達する。ピレウス県(大ピレウス)と共に密度が高いアテネの都市的地域が形成され2011年現在の人口は3,074,160人にである。古代のアテネの中心はアクロポリスの岩の多い丘であった。古代のピレウスの港は都市とは分離されていたが、現代ではアテネの都市的地域に吸収されている。アテネの都市は急速に拡大し、その傾向は現在でも続いておりとくに1950年代から1960年代にギリシャの経済が農業から工業化された先進国へ変化する過程で起こった。都市の拡大は現在、特に東側や北東側に向かっておりこれは高速道路(Attiki Odos)の整備や新しい国際空港の整備と関連している。この過程はアッティカの多くの以前からの郊外や村も覆い、続いている。長い歴史を通じて、アテネは多くの異なった人口レベルを経験している。以下の表は19世紀以降のアテネの人口を示したものである。",
"title": "統計"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "アテネの中心部はギリシャの首都であり直接、アテネ市の範囲に含まれギリシャの都市では最大の人口である。ピレウスもまた大きな中心部を形成し、アテネの都市的地域に含まれ都市圏では2番目に人口が多い自治体でその後にペリステーリ(英語版)(Περιστέρι)とカリテア(Καλλιθέα)が続く。アテネ都市圏は今日、35の自治体に400万人が居住し「大アテネの自治体」とも呼ばれる北アテネ県、西アテネ県、中央アテネ県、南アテネ県とさらに「大ピレウスの自治体」と呼ばれるピレウス県の自治体で構成されている。アテネの都市的地域は 412 km (159 sq mi) の範囲でアッティカ盆地に広がり人口は2011年現在3,074,160人である。",
"title": "統計"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "アテネ大都市圏は2,928.717 km (1,131 sq mi) の範囲でこれはアッティカ地方に属する58の自治体が含まれ先の5つの県に東アッティカ県、西アッティカ県を合わせた7つの県で構成され人口は2011年現在、3,737,550人である。アテネとピレウスはアテネ大都市圏地域の2つの都市圏の中心都市である。いくつかの自治体は自治体間の特定の地域の中心地の役割を果たしている。マルーシ(英語版)(Μαρούσι)、キフィシア(英語版)(Κηφισιά)、グリファダ(英語版)はそれぞれ北やさらに北、アテネ南郊のそれぞれの中心地でペリステーリは西郊の中心である。",
"title": "統計"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "アテネは古代から旅行者にとりポピュラーな目的地である。ここ10年間でアテネの都市インフラや都市の快適性は改善されてきており、2004年のアテネオリンピックの招致にも成功している。ギリシャ政府が欧州連合の援助を受けて大規模なインフラプロジェクトであるアテネ国際空港 やアテネ地下鉄の拡張、新しい高速道路Attiki Odosの整備が進められた。昨今の厳しい経済状況からアテネ国際空港の旅客数は減り続けている。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "アテネは考古学調査の世界的な中心である。アテネ大学やアテネ考古学学会のような国家的な機関、アテネ国立考古学博物館やキクラデス芸術ゴーラドリス美術館(英語版)、金石学博物館、ビザンティン博物館、古代のアゴラ、アクロポリス博物館、ケラメイコスなどの考古学に関する博物館が含まれる。アテネには考古学科学(英語版)のデモクリトス研究所やギリシャ文化省(英語版)を構成する地域や国の考古学に関する機関がある。これに加えて、17の海外の考古学に関する機関がありそれぞれの国の出身の研究者により研究が促進されている。その結果、アテネでは多くの考古学図書館や3つの考古学に特化した研究所があり、会議やセミナー、多くの展示会も毎年開催されている。催しが開かれる時には多くの国際的な学者や研究者がアテネに集まる。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "アテネ考古学博物館はギリシャでは最大の考古学に関する博物館で、国際的にも重要な位置を占めている。収蔵品には幅広いコレクションがあり、5,000年以上前の新石器時代からローマ帝国支配下のギリシャの時代の遺産を網羅している。ベナキ博物館(英語版)はいくつかの分野のコレクションが含まれ、古代やビザンティン、オスマン時代、中国美術など様々である。ビザンティン・クリスチャン博物館(英語版)はビザンティン美術に関してもっとも重要な博物館である。アテネ貨幣博物館は豊富な古代や現代の硬貨のコレクションが収蔵されている。キクラデス芸術ゴーラドリス美術館(英語版)はキクラデス芸術(英語版)に関する幅広いコレクションが収蔵され、この中には白い大理石で出来た像が含まれる。アクロポリス博物館は2009年に開館し、アクロポリスの古い博物館を置き換えている。新しい博物館はかなりの人気ぶりを証明し、2009年6月から10月までの夏の期間には100万人の来場者があった。アテネには多くの小規模なものや私立のギリシャの文化に焦点を当てた博物館があり美術館もある。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "アテネには148の演劇ステージがあり、世界のどの都市よりも有名な古代からのヘロディス・アッティコス音楽堂がありアテネ祭が毎年10月に開催される。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "多くの大規模な複合施設があり、アテネはロマンティックな野外劇の会場にもなっている。また、幅広い多くのコンサート会場もありその中にはアテネコンサートホール(英語版)(Megaron Moussikis)も含まれ世界中の著名なアーティストを年中集めている。アテネプラネタリウム はアンドリュー通りにあり世界でも最大規模のデジタルプラネタリウムである。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "アテネには長いスポーツとスポーツイベントの歴史がありギリシャのスポーツには重要な役割を担うスポーツクラブや競技施設が集まっている。アテネでは誰もが知る有名な国際的なスポーツの祭典も多く開催されている。夏季オリンピックは1896年と2004年の2度開催されている。2004年の夏季オリンピック開催時にはアテネ・オリンピックスタジアムの大改修が必要になり、それ以来世界でももっとも美しいスタジアムの一つであるという評判を得ており、興味が惹かれる現代のモニュメントの一つである。ギリシャで一番大きなスタジアムとしてUEFAチャンピオンズリーグでは1994年と2007年に2度の決勝が行われている。アテネの都市圏で他に大きなスタジアムはピレウスにあるスタディオ・ヨルギオス・カライスカキスで2004年に改修されている。1971年にはUEFAカップウィナーズカップが開催されている。2004年にはサッカーギリシャ代表がUEFA EURO 2004の決勝でポルトガルに1-0で勝利している。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "ユーロリーグの決勝は3度開催され、最初は1985年に開催され2度目は1993年に開催され両方とも通称SEFで知られる平和友好スタジアム(英語版)で開かれている。このスタジアムはヨーロッパでも最大規模で魅力的な室内競技場の一つである。3度目は2006-07年のシーズンにオリンピック・インドアホール(英語版)で開催された。この他にも陸上競技やバレーボール、水球など多くのスポール競技の大会がアテネを会場としている。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "アテネは様々な地形が含まれており、周辺部の丘陵地や山はとくに知られヨーロッパの主要な首都の街としては唯一、山が交わっている。周辺部の地形から多種多様な、スキー、ロッククライミング、ハンググライダー、ウィンドサーフィンなどの野外スポーツを楽しむことが出来る。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "アテネを本拠地とするスポーツクラブとして、以下のチームがある。",
"title": "文化・観光"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "パネピスティミーウ通り(英語版)には古いアテネ大学のキャンパスがあり、ギリシャ国立図書館(英語版)やアテネアカデミー(英語版)はアテネ三部作\"Athens Trilogy\"を形作り、19世紀半ばに建てられた。ほとんどの大学の運営は東郊のゾグラフォウ(英語版)のより大きな近代的なキャンパスに移転している。アテネ第2の高等教育機関である、アテネ工科大学(英語版)はパティシオン通りにある。1973年11月17日に、13人の学生が死亡し多数のけが人が出たアテネポリテクニック暴動(英語版)が学内で発生している。この暴動は1967年4月21日から1974年7月23日の、トルコのキプロス侵攻まで続いたギリシャ軍事政権に抵抗するものであった。アテネ首都圏には11の国立の高等教育や職業専門校などの機関がある。設立が古い順にアテネ美術学校(英語版)(1837)、アテネ工科大学(1837)、アテネ大学(1837)、アテネ農業大学(英語版)(1920)、アテネ経済商科大学(英語版)(1920)、パンティオン大学(英語版)(1927)、ピレウス大学(英語版)(1938)、ピレウス技術教育研究所(英語版)、アテネ技術教育研究所(英語版)(1983)、ヘロコピポ大学(英語版)(1990)、教育法・技術教育大学(英語版) (2002)である。ギリシャでは私立の大学の設立が憲法により禁止されているが、いくつかのカレッジと呼ばれる私立の教育機関はある。それらの多くは外国の大学により設立され、ギリシャアメリカンカレッジ(英語版)、インディアナポリス大学(英語版)が運営するインディアナポリス大学・アテネキャンパス(英語版)がある。",
"title": "教育"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1970年代後半まで、アテネの公害は有害なものになっておりギリシャ文化省の大臣(英語版)コンスタンティノ・トリパニス(Constantine Trypanis)によれば「エレクテイオンの5つの女像柱の細部の退化が深刻で、一方パルテノン西側の騎手の顔はほとんど消失している」とされる。1990年代に行われた一連の市当局による厳しい措置により大気汚染は改善され、スモッグ(アテネではネフォスnefosと呼ばれることも)の発生は少なくなった。ギリシャ当局により大気汚染改善の措置は1990年代を通じて広範囲に行われ、空気の質はアッティカ平原全体で改善されている。それでもやはり、アテネでは大気汚染の問題はとくに暑い夏の日の期間には残っている。2007年6月後半 にアッティカ地域はでは多くの山火事 が発生し、火災の延焼箇所にはパルニサ山の国立公園内の森林の多くの部分が含まれており、森林は年間を通じてアテネの空気の質を維持する為に重要と考えられている。大きな排出管理の努力は残りの10年で実施され、プラントの整備などによりサロニク湾やアテネ首都圏沿岸部の水質は改善され、現在では再びスイマーなどが訪れることが出来るようになっている。2007年1月にアテネは郊外のアノ・リオシア(英語版)の最終処分場が満杯になる排出管理の問題に直面している。危機は1月半ば当局により一時的な最終処分場にゴミを処分することにより緩和された。",
"title": "環境問題"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "アテネの交通は様々な交通機関により提供されており、ギリシャでは最大の大量輸送システムを形成している。アテネの大量輸送機関は特にバスやトロリーバスで構成され主にアテネ中心部をカバーしている。地下鉄や通勤鉄道も運行され、トラムの路線網は南郊と中心部を結んでいる。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "Etaireia Thermikon Leoforeion(ΕΘΕΛ)やThermalバス会社がアテネにおける主たる路線バス事業者である。300路線によりネットワークが構成され、路線はアテネ大都市圏地域に広がっており、5,327人のスタッフにより1,839台のバスが運行されている。1,839台のバスのうち、416台は圧縮天然ガスが使われ、ヨーロッパでは最大の天然ガスを燃料とするバス車両で構成されている。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "バスの車両は天然ガスと並んでディーゼルエンジンのバスが使われており、アテネ都市圏ではトロリーバスも使われ運行会社の名称が呼ばれている。トロリーバスはアテネとピレウス地域でILPAP(英語版)により22の路線が1,137人のスタッフにより運行されている。全部で366台のトロリーバスの車両があり、これらは停電など何らかの不具合があった場合にはディーゼルエンジンで走行が可能である。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "アテネには2箇所の長距離バスターミナルがある。ペロポネソス半島方面を中心にギリシャ全土への長距離バスが発着するキフィソウ通りバスターミナル(通称、ターミナル A)と、バルカン半島方面への短・中距離バスが発着するリオシオン=バスターミナル(通称、ターミナル B)である。ターミナルAと市内中心部との交通機関は市内バス51系統であり、地下鉄2号線メタクスルギオ駅やオモニア駅付近との間を結んでいる。また、ターミナルBは地下鉄1号線アギオス・ニコラオス駅の500m北西にある。また、アテネ国際空港とターミナルAおよびBを結ぶ空港バスX93系統も運行されている。アルバニア、ブルガリア、マケドニア、ルーマニア方面へのバスがアテネから運行されている。地下鉄2号線メタクスルギオ駅とギリシャ国鉄アテネ駅を結ぶテオドリアス・ディミトリアス通り沿いに、国際バスを運行する民間会社のオフィスがある。バスはオフィス前あるいは会社が指定する乗降場所から出発する。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "アテネ地下鉄はギリシャではより一般的にはアッティカメトロ (ギリシア語: Αττικό Mετρό)として知られアテネ都市圏地域をカバーする公共交通機関として運行されている。大量輸送機関としての目的が主であるが、建設時に発見されたギリシャの遺跡も収容している。アテネメトロは387人のスタッフにより2つの路線が運行され、2号線が赤、3号線が青とそれぞれの路線は色で区別されている。最初の区間は2000年1月に運行が開始された。すべての区間が現在地下で、42編成252両の車両で全路線が運行され、1日あたりの旅客数は550,000人である。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "アテネに地下鉄会社がなかった頃はISAP (ギリシア語: ΗΣΑΠ) が長年アテネの主要な都市圏鉄道の機能を担っていた。今日ではグリーンライン(1号線)と呼ばれアテネメトロの路線図に表示されるが、他の地下鉄路線と異なりISAPは大部分の区間が地上を走っている。この路線はピレウスからキフィシアまでの22駅 25.6kmの営業距離 を730人のスタッフと44編成243両の車両で運行している。1日あたりの旅客数は600,000人である。アテネメトロはISAPとアッティカメトロの異なった2社により運営されている。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "アテネの通勤鉄道はプロアスティアコス(Προαστιακός)と呼ばれアテネ国際空港とコリントスの80kmとアテネの西からラリッサ駅を経由してピレウス港とを結ぶ。4つ目のアテネメトロの路線と見なされる時もある。現在のアテネ通勤鉄道の路線網は120kmで、2010年までに281kmまで路線が延伸されると予想されていた。",
"title": "交通"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "アテネトラム会社により35編成の車両と 48の駅、345人のスタッフによりトラム路線が運行されている。1日あたりの旅客数は65,000人である。トラムの路線網は27kmで10のアテネ郊外部をカバーしている。トラムの路線はシンタグマ広場から南西部郊外のパレオ・ファリオ(英語版)を結び二つの支線に別れ、一つはアテネの沿岸部を走り南郊のヴーラ(英語版)に達し、もう一方はピレウスのネオ・ファリオに達する。路線網の大部分はサロニクの沿岸部をカバーしている。さらにピレウス港まで延ばす計画もあり、12の新しい駅を含む5.4kmの路線延長計画がある。",
"title": "交通"
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"text": "アテネはギリシャ国鉄の輸送拠点で、ギリシャの主要都市の他、イスタンブールやソフィア、ブカレストなど国際的な連絡もあったが金融危機の影響により2011年以来休止されている。ピレウス港からはエーゲ海の島々とを結ぶ航路が就航し、夏には多くのフェリーが発着する他多くのクルーズ船もやって来る。",
"title": "交通"
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"text": "リカヴィトスの丘には観光路線のリカヴィトス・ケーブルカーが運行されている。",
"title": "交通"
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"text": "アテネには最高水準の空港であるアテネ国際空港(エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際空港,AIA)がメッソギハ平原の東側でアテネから35km離れた郊外の町スパタ(英語版)にある。この空港は\"European Airport of the Year 2004\"を受賞しており、南東ヨーロッパのハブ空港として22億ユーロをかけ51ヶ月の工期で完成している。14,000人が空港のスタッフとして雇用されている。",
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"text": "空港にはアテネメトロ、郊外鉄道の他ピレウス港やアテネ中心部や郊外からは路線バスが乗り入れタクシーも利用できる。アテネ国際空港は1時間当たり65回の離着陸が出来、24の搭乗橋 と144のチェックインカウンターと15万m2のメインターミナル、7000m2の商業エリアを備え免税店や小さなミュージアムも備える。2007年には1,653万8,390人の旅客数があり前年の2006年より9.7%増加した。このうち、595万5,387人 は国内線利用者で1,058万3,003人は国際線の利用者であった。2007年には205,294回の離着陸回数があり、毎日562機が利用していた。2012年現在ではギリシャの経済危機の影響により旅客数は大きく落ち込んでいる。",
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"text": "二つの主要な高速道路がアテネを起点としている。A1/E75号線はピレウスからアテネ都市圏を通り、ギリシャ第二の都市テッサロニキへ向かう。A8/E94は西側のパトラス方向に向かい国道のGR-8Aと統合されている。完成するまではGR-1やGR-8が多く使われていた。さらにアテネ首都圏では規格が良い 高速道路Attiki Odosが整備されている。主となる区間は西郊の産業地区エレウシスからアテネ国際空港まで二つの環状道路はアイガレオ環状道路(A65)とイメットゥス環状道路(A64)と名付けられ、それぞれアテネの西側と東側で供用されている。Attiki Odosの総延長は65kmで これはギリシャの都市圏高速道路では最大である。",
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"text": "アテネは以下の姉妹都市を有している:",
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"text": "また、以下の都市とは協力協定を結んでいる。",
"title": "姉妹都市"
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] | アテネは、ギリシャ共和国の首都で同国最大の都市である。 アテネはアッティカ地方にあり、世界最古の都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネであるアテナイは強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、プラトンが創建したアカデメイアやアリストテレスのリュケイオン があり、西洋文明の揺籃や民主主義の発祥地として広く言及されており、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことが知られている。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し、UBSの調査では25番目に物価が高い都市 に位置している。 アテネ市の人口は655,780人(2004年は796,442人)、市域面積は39 km2 (15 sq mi) である。アテネの都市的地域(大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し、都市的地域の面積は412 km2 (159 sq mi) である。ユーロスタットによれば大都市圏地域 (en) の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。 古典ギリシアの文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものにはパルテノン神殿があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネにはローマ帝国支配下のギリシャや東ローマ帝国の遺跡もあり同様に少数のオスマン帝国の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産がありアテナイのアクロポリスと中世のダフニ修道院がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都になった以降に建設された国会議事堂や「三部作」(Trilogy)と呼ばれるギリシア国立図書館、アテネ大学、アテネアカデミーが含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックであるアテネオリンピックと、その108年後に開催されたアテネオリンピック (2004年)の2度のオリンピックの舞台である。アテネにはアテネ国立考古学博物館があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成したアクロポリス博物館もある。ギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は正教会に属し、クレタ島を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、ディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロセイ。1985年には欧州文化首都に選ばれた。 | {{Otheruseslist|ギリシャの首都|古代ギリシアのポリス|アテナイ|ギリシャ神話の神|アテーナー}}
{{redirect|雅典|「雅典」(まさのり)の名を持つ人物|{{intitle|雅典}}}}
{{混同|典雅}}
{{世界の市
|正式名称 =アテネ <!--必須-->
|公用語名称 ={{Lang|el|Αθήνα}} <!--必須-->
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|画像 =Athens Montage L.png
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|画像の見出し =上左から[[アクロポリス]]、[[国会議事堂 (ギリシャ)|国会議事堂]]、[[ザッペイオン]]、[[アクロポリス博物館]]、モナスティラキ広場、山側から海へと俯瞰したアテネ
|市旗 =
|市章 =Insigne Athenarum.svg
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|位置図B ={{location map|Athens central#Athens#Greece#Balkans#Europe|relief=1|float=center|label=アテネ}}
|位置図2B = {{Maplink2|zoom=13|frame=yes|plain=yes|frame-align=center|frame-width=250|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|frame-latitude=37.983|frame-longitude=23.725}}
|緯度度 =37 |緯度分 =58 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N
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|規模 =市 <!--必須-->
|最高行政執行者称号 =市長
|最高行政執行者名 =[[:en:Kostas Bakoyannis|Kostas Bakoyannis]]<ref>{{Cite web|url=https://www.themayor.eu/sl/greece/athens/mayor/kostas-bakoyannis|title=Kostas Bakoyannis|accessdate=2020-02-17|publisher=TheMayor.EU|language=en}}</ref>
|最高行政執行者所属党派 =[[新民主主義党]]
|総面積(平方キロ) =38.964
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|陸上面積(平方マイル) =
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|水面面積比率 =
|市街地面積(平方キロ) =411.717
|市街地面積(平方マイル) =159
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|都市圏面積(平方マイル) =1,131
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|標高(フィート) =
|人口の時点 =2011年
|人口に関する備考 =
|総人口 =655,780
|人口密度(平方キロ当たり) =16,830
|人口密度(平方マイル当たり) =43,591
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|市街地人口密度(平方マイル) =19,325
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|等時帯 =[[東ヨーロッパ時間]]
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|郵便番号の区分 =郵便番号
|郵便番号 =10x xx, 11x xx, 120 xx
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|ISOコード =
|公式ウェブサイト =http://www.cityofathens.gr/
|備考 =
}}
'''アテネ'''([[ギリシア語|現代ギリシア語]]: {{lang|el|Αθήνα}}; ''Athína''; {{IPA-el|aˈθina||el-Αθήνα.ogg}}; [[カサレヴサ]]: {{lang|el|Ἀθῆναι}}, ''Athinai''; [[古代ギリシア語]]: {{lang|grc|Ἀθῆναι}}, ''Athēnai'')は、[[ギリシャ|ギリシャ共和国]]の首都で同国最大の都市である。
== 概要 ==
アテネは[[アッティカ]]地方にあり、世界最古の都市の一つで約3,400年の歴史がある。古代のアテネである[[アテナイ]]は強力な都市国家であったことで知られる。芸術や学問、哲学の中心で、[[プラトン]]が創建した[[アカデメイア]]や[[アリストテレス]]の[[リュケイオン]]<ref>{{cite web|publisher=www.yppo.gr|title=Contents and Principles of the Programme of Unification of the Archaeological Sites of Athens|work=Hellenic Ministry of Culture|url=http://www.yppo.gr/4/e4000.jsp?obj_id=90&lhmma_id=3817|accessdate=2020-02-17|deadlinkdate=2020-02-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160821134233/http://www.yppo.gr/4/e4000.jsp?obj_id=90&lhmma_id=3817|archivedate=2016-08-21}}</ref><ref>{{cite news |title=Greece uncovers 'holy grail' of Greek archeology |author=CNN & Associated Press |publisher=CNN |url=http://www.cnn.com/WORLD/9701/16/greece.lyceum/index.html |date=16 January 1997 |accessdate=28 March 2007 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071206113529/http://www.cnn.com/WORLD/9701/16/greece.lyceum/index.html |archivedate=6 December 2007}}</ref> があり、[[西洋文明]]の揺籃や[[民主主義]]の発祥地として広く言及されており<ref>{{cite web |url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/40773/Athens |title=Athens |quote=Ancient Greek Athenai, historic city and capital of Greece. Many of classical civilization’s intellectual and artistic ideas originated there, and the city is generally considered to be the birthplace of Western civilization|accessdate=31 December 2008}}</ref><ref>[http://www.bbc.co.uk/history/ancient/greeks/greekdemocracy_01.shtml BBC History on Greek Democracy] – Accessed on 26 January 2007</ref>、その大部分は紀元前4-5世紀の文化的、政治的な功績により後の世紀にヨーロッパに大きな影響を与えたことが知られている<ref>[https://web.archive.org/web/20090129202226/http://encarta.msn.com/encyclopedia_1741501460/Ancient_Greece.html Encarta Ancient Greece] from the Internet Archive– Retrieved on 28 February 2012. [https://webcitation.org/5kwKobzGL Archived] 31 October 2009.</ref>。今日の現代的なアテネは世界都市としてギリシャの経済、金融、産業、政治、文化生活の中心である。2008年にアテネは世界で32番目に富める都市に位置し<ref>{{cite web |url=http://www.citymayors.com/economics/usb-purchasing-power.html |title=City Mayors: World's richest cities by purchasing power |publisher=[[City Mayors]] |accessdate=12 May 2008 |year=2008| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080506064245/http://www.citymayors.com/economics/usb-purchasing-power.html| archivedate= 6 May 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>、[[UBS]]の調査では25番目に物価が高い都市<ref>{{cite web |url=http://www.citymayors.com/features/cost_survey.html |title=City Mayors: Cost of living – The world's most expensive cities |publisher=[[City Mayors]] |accessdate=26 December 2008 |year=2008| archiveurl= https://web.archive.org/web/20081224033730/http://www.citymayors.com/features/cost_survey.html| archivedate= 24 December 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref> に位置している。
アテネ市の人口は655,780人<ref name="population">Hellenic Statistical Authority [http://www.statistics.gr/portal/page/portal/ESYE/BUCKET/General/A1602_SAM01_DT_DC_00_2011_01_F_EN.pdf " PRESS RELEASE:Publication of provisional results of the 2011 Population Census"], ''Hellenic Statistical Authority (EL.STAT.)'', 22 July 2011. Retrieved 14 August 2011.</ref>(2004年は796,442人)<ref name="Athens view">{{cite web |url=http://www.aviewoncities.com/athens/athensfacts.htm?tab=population |title=Athens Facts & Figures |first=|last=Athens Facts|work=aviewoncities.com |year=2011 [last update] |quote=796 442 |accessdate=17 June 2011}}</ref>、市域面積は{{convert|39|km2|sqmi|0|abbr=on}}<ref name=area>{{cite web |url=http://www.ypes.gr/topiki.htm |title=Characteristics |work=Hellenic Interior Ministry |publisher=www.ypes.gr |accessdate=6 January 2007 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070104231706/http://www.ypes.gr/topiki.htm |archivedate=4 January 2007}}</ref> である。アテネの[[都市的地域]](大アテネや大ピラエウス)は市域を超えて広がっており、人口は2011年現在3,074,160人に達し<ref name="statistics1">{{cite web |url=http://www.statistics.gr/portal/page/portal/ESYE/BUCKET/General/A1602_SAM01_DT_DC_00_2011_01_F_GR.pdf |title=ΕΛΣΤΑΤ Απογραφη 2011 |publisher=www.statistics.gr |accessdate=22 August 2011}}</ref>、都市的地域の面積は{{convert|412|km2|sqmi|0|abbr=on}}<ref name=area/> である。[[ユーロスタット]]によれば大都市圏地域(Larger Urban Zones,LUZ){{enlink|Larger Urban Zones|a=on}}の人口は欧州連合域内では7番目に大きい。
[[古典期#古代ギリシア|古典ギリシア]]の文化的遺産は今でもはっきりとしており、多くの古代遺跡や芸術作品が象徴している。もっとも有名で代表的なものには[[パルテノン神殿]]があり初期の西洋文明の鍵となるランドマークと見なされる場合もある。アテネには[[ローマ帝国支配下のギリシャ]]や[[東ローマ帝国]]の遺跡もあり同様に少数の[[オスマン帝国]]の遺跡も残されているなど、何世紀にもわたる長い歴史を投影するモニュメントとなっている。アテネには2つのユネスコの世界遺産があり[[アテナイのアクロポリス]]と中世の[[ダフニ修道院]]がそうである。現代のランドマークはギリシアが1833年に独立国となりアテネが首都になった以降に建設された[[国会議事堂 (ギリシャ)|国会議事堂]]や「三部作」(Trilogy)と呼ばれる{{仮リンク|ギリシア国立図書館|en|National Library of Greece}}、[[アテネ大学]]、{{仮リンク|アテネアカデミー|en|Academy of Athens (modern)}}が含まれる。アテネは、最初の近代オリンピックである[[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]]と、その108年後に開催された[[アテネオリンピック (2004年)]]の2度のオリンピックの舞台である<ref name=oly>{{cite news |title=Sentiment a factor as Athens gets 2004 Olympics |url=http://sportsillustrated.cnn.com/olympics/news/1997/09/05/athens_update/ |author=CNN & Sports Illustrated |publisher=sportsillustrated.cnn.com |date=5 September 1997 |accessdate=28 March 2007}}</ref>。アテネには[[アテネ国立考古学博物館]]があり、世界最大の古代ギリシアの遺品の収蔵を特徴とし新しい2008年に完成した[[アクロポリス博物館]]もある。[[ギリシャ正教会]]の首長であるアテネ大主教が所在し、精神的な中心地でもある(ギリシャ正教会は[[正教会]]に属し、[[クレタ島]]を除くギリシャ一国を管轄する)。正教会の定めるアテネの守護聖人は、[[ディオニシオス・オ・アレオパギティス]]、イェロテオス、[[フィロセイ]]。1985年には[[欧州文化首都]]に選ばれた。
==名称==
[[File:Athena Varvakeion - MANA - Fidias.jpg|thumb|left|150px|アテネの守護神である[[アテーナー|アテナ]]]]
[[古代ギリシア語]]では、アテネ市は {{lang|grc|Ἀθῆναι}} アテーナイ(Athēnai、{{IPA-el|a.tʰɛ̂ː.nai̯|}})と呼ばれていた。このアテーナイは複数形であり、単数形の {{lang|grc|Ἀθήνη}} アテーネー(Athēnē)は[[ホメロス]]の詩文など古代ギリシア語以前([[:en:Homeric Greek|en]])にみることができるが<ref>たとえば [http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Hom.+Od.+7&fromdoc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0135 Od.7.80] を参照</ref>、のちに {{lang|grc|Θῆβαι}} [[ティーヴァ|テーバイ]]や {{lang|grc|Μυκῆναι}} [[ミケーネ|ミュケーナイ]]同様複数形に変わった。アテネの語源はおそらくギリシア語でも[[印欧語]]系でさえもなく、この都市と常に結びついている女神[[アテーナー|アテナ]]の語源がそうであるように<ref group="注釈">女神アテナの名は古代ギリシア語の各方言では次のようになる。[[アッティカ方言]]:{{lang|grc|Ἀθηνᾶ}} (Athēnā)、[[ギリシア語イオニア方言|イオニア方言]]:{{lang|grc|Ἀθήνη}} (Athēnē)、ドーリス方言([[:en:Doric Greek|en]]):{{lang|grc|Ἀθάνα}} (Athānā)</ref>、[[アッティカ地方]]にギリシア語が入り込む以前に存在した言語([[:en:Pre-Greek substrate|en]])に遡ると考えられている<ref>[[:en:Robert S. P. Beekes|R. S. P. Beekes]], ''Etymological Dictionary of Greek'', Brill, 2009, p. 29 (''s.v.'' "Ἀθήνη").</ref>。中世にはこの都市の名前はふたたび単数形の {{lang|el|Ἀθήνα}} となり、以来一貫してこの名が用いられてきたが、書き言葉では古体が尊ばれたため、1970年代に[[カサレヴサ]](文語)の使用が停止されるまで同市の公式名称は {{lang|el|Ἀθῆναι}} アシネ({{IPA-el|aˈθine|}})であった。カサレヴサ廃止以降は {{lang|el|Ἀθήνα}} アシナとなり現在に至る。
また、かつて19世紀には上記とは異なる語源も唱えられた。ドイツの古典学者 [[:en:Christian Lobeck|Lobeck]] は「花」を意味する {{lang|grc|ἄθος}} (athos)ないし {{lang|grc|ἄνθος}} (anthos)をアテネの語源として提唱し、アテネの名を「花ざかりの都」と解したほか、同じくドイツの文献学者 [[:en:Johann Christoph Wilhelm Ludwig Döderlein|Döderlein]] は動詞 {{lang|grc|θάω}} (thaō)「吸う」の語幹 {{lang|grc|θη-}} (thē-)を語源と考え、肥沃な土壌から滋養を汲み取ることに関連付けている<ref>''[[:en:Great Greek Encyclopedia|Great Greek Encyclopedia]]'', vol. II, page 30, Athens, 1927</ref>。
アテネ市がアテネと呼ばれるようになった経緯を語る[[創設神話|起源神話]]は古代のアテネ市民に広く知られており、[[パルテノン神殿]]の西面のペディメント彫刻のモチーフともなっている。智慧の女神[[アテーナー|アテナ]]と海神[[ポセイドーン|ポセイドン]]はさまざまな諍いや争いを重ねるが、その1つがこの都市の守護神の座をめぐるものであった。人々を従わせようとポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で地を突き海水を湧き出させたが、アテナが[[オリーヴ]]の木(平和と繁栄の象徴)を生い立たせると、国王[[ケクロプス]]以下の住民はオリーヴの木を択び、アテナの名を都市の名として押し戴いた。
アテネ市はギリシア語で {{lang|grc|τὸ κλεινὸν ἄστυ}} 「栄光の都」と呼ばれることがあるほか、単に {{lang|el|η πρωτεύουσα}} 「首都」とも呼ばれる。文学的表現としては、古代ギリシアの詩人[[ピンダロス]]が {{lang|grc|ἰοστέφανοι Ἀθᾶναι}} と呼んで以来、「紫冠の都」([[:en:City of the Violet Crown]])と呼び習わされてきた。
==歴史==
{{main|{{仮リンク|アテネの歴史|en|History of Athens}}|アテナイ}}
{{wide image|View of the Acropolis Athens (pixinn.net).jpg|600px|<center>[[アテネのアクロポリス]]</center>}}
[[File:View of Acropolis from Monastiraki.jpg|thumb|left|古代から近代までの変遷が収められた風景。アクロポリスの神殿と手前の円柱は古代を、丸屋根の教会は中世を、新古典様式の家々は近代を代表する。]]
現在のところ、アテネにおける最古の人類の痕跡は同市を象徴するアクロポリスの下部にあいた片岩地質(Athens Schist)の洞窟内から発見されたもので、時期は前6000年から前11000年と推定されている<ref>{{cite web|url=http://www.ethnos.gr/article.asp?catid=11380&subid=2&tag=8796&pubid=2530782|title=v4.ethnos.gr – Οι πρώτοι... Αθηναίοι – τεχνες, πολιτισμος|publisher=Ethnos.gr|accessdate=25 January 2010|deadlinkdate=2020-02-17}}</ref>。アテネでは少なくとも7000年間継続して定住が行われている<ref>S. Immerwahr, The Athenian Agora XIII: the Neolithic and Bronze Ages, Princeton 1971</ref><ref name=tung>{{cite book |last=Tung |first=Anthony |chapter=The City the Gods Besieged |title=Preserving the World's Great Cities: The Destruction and Renewal of the Historic Metropolis |year=2001 |location=New York |publisher=Three Rivers Press |isbn=0-609-80815-X |page=266}}</ref>。前1400年にはこの地の集落は[[ミケーネ文明]]における中心的地域の1つとなっており、アクロポリスは[[ミケーネ|ミケーネ市]]にとっての主要な砦であった。この砦の遺構は特徴的な{{仮リンク|キュクロプス式石積み|en|Cyclopean masonry|label=キュクロプス式}}の城壁に今でもうかがうことができる<ref>Iakovides, S. 1962. 'E mykenaïke akropolis ton Athenon'. Athens.</ref>。ミケーネや[[ピュロス (ギリシャ)|ピュロス]]といったミケーネ文明の他の中心地と異なり、アテネが前1200年ごろ滅亡を被ったかどうかはわかっていない。東地中海全域を襲った[[前1200年のカタストロフ|この危機]]は、ミケーネ文明に関しては[[ドリス人]]の侵略にその咎が帰せられることが多いが、アテネ人はドリス的要素の混ざらない純粋な[[イオニア人]]であることにこだわりつづけた。いずれにせよアテネも他の多くの集落同様に、以後150年ほど経済的停滞に沈んでいる。
[[鉄器時代]]に入ると、[[ケラメイコス]]の墓地をはじめとして多人数を収める墓地が少なからず設けられており、前900年以降アテネがギリシアにおける交易と繁栄の先進的中心地の1つとなっていたことがわかる<ref>Osborne, R. 1996, 2009. ''Greece in the Making 1200 – 479 BC''.</ref>。アテネの先進的地位は、ギリシア世界の中心に位置したこと、アクロポリスの砦を擁し防衛に優れたこと、海上交通の便が良いことから享受できたと考えられる。特に第3の点は[[テバイ]]や[[スパルタ]]といった内陸の競合相手に対し天与の利点となった。
前6世紀にはギリシア世界に広まった不穏な社会情勢から[[ソロン]]の改革に至り、この改革は結果的に前508年の[[クレイステネス]]による民主政の導入を招来した。この時期以降アテネは大艦隊を保有する一大海軍力となり、[[アケメネス朝|ペルシア]]の支配に抗する[[イオニアの反乱|イオニア諸都市]]を支援することとなる。その後に勃発した[[ペルシア戦争|ペルシアとの戦争]]では、アテネはスパルタとともにギリシア諸都市の連合を率いて戦い、ついにはペルシアを撃退している(前490年の[[マラトンの戦い]]・前480年の[[サラミス海戦]]の勝利が決定的となった)。とはいえ、最終的に勝利こそしたものの、[[レオニダス1世]]麾下のスパルタ兵が英雄的に敗北した際と<ref>{{cite web|url=https://books.google.nl/books?id=BHe0KeXyL_AC&pg=PA34&dq=persians+sack+athens&hl=nl&sa=X&ei=e0GaVI3CBsWzUdykg6gL&ved=0CDgQ6AEwAw#v=onepage&q=persians%20sack%20athens&f=false|title=Nothing Less than Victory: Decisive Wars and the Lessons of History|accessdate=24 December 2014}}</ref>、[[ボイオティア]]と[[アッティカ]]がともにペルシアの手に落ちた際との都合2度、アテネはペルシアによる占領と略奪を受けることを余儀なくされている。
[[File:Map athenian empire 431 BC-en.svg|thumb|ペロポネソス戦争勃発直前のデロス同盟(前431年)。]]
ペルシア戦争後の数十年は、民主政アテネの黄金時代([[:en:Fifth-century Athens|en]])として知られる。前5世紀のこの時代、アテネは古代ギリシア世界の先頭を走り、さまざまな文化的達成は以後の[[西洋文明]]の礎となった。[[アイスキュロス]]、[[ソポクレス]]、[[エウリピデス]]といった劇作家、歴史家の[[ヘロドトス]]と[[トゥキディデス]]、医師[[ヒポクラテス]]、哲学者[[ソクラテス]]がこの時期のアテネで活躍している。優れた指導者であった[[ペリクレス]]は諸芸の振興と民主主義の庇護をこととしたが、この指導者のもとでアテネは野心的計画に乗り出し、パルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの壮観と、[[デロス同盟]]を通じた帝国の樹立を見ることとなった。デロス同盟はもともとはペルシアへの抵抗を継続するギリシアの諸都市が相互に結んだ同盟関係というべきものであったが、ほどなくアテネの帝国的野望のための手段となった。このアテネの傲岸がもたらした緊張は[[ペロポネソス戦争]](前431年 - 前404年)の開戦を招き、宿敵スパルタに敗北したアテネはギリシアにおける覇権を失った。
前4世紀半ばには北方のギリシャ系国家である[[マケドニア王国]]がアテネ周辺へも影響力を及ぼしはじめ、前338年には[[ピリッポス2世 (マケドニア王)|ピリッポス2世]]率いるマケドニア軍がアテネとテバイを中核とする都市同盟軍を[[カイロネイアの戦い]]で打ち破っている。この敗戦の結果アテネの独立には終止符が打たれることとなった。のち、[[古代ローマ|ローマ]]が地中海世界の覇権を握ると、アカデメイアに代表される市内の名高い学校のためアテネは自由都市の地位を与えられた。2世紀のローマ皇帝[[ハドリアヌス]]は図書館、競技場、水道橋(現役)、寺院など宗教施設をいくつかと橋を建設したほか、[[ゼウス神殿]]完成のため予算をつけている。
[[古代末期|古代末]]にはアテネも衰退していく。[[東ローマ帝国]]の下でもしばらくは学芸の中心であったが、6世紀後半になると[[スラヴ人]]や[[アヴァール人]]の侵略を受けるようになり、529年にキリストの教え以外が禁じられるとアカデメイアも閉鎖に至った<ref>「医学の歴史」p99 梶田昭 講談社 2003年9月10日第1刷</ref>。その後、9世紀から10世紀には回復を見、[[十字軍]]時代にはイタリアとの交易から利益を得てある程度繁栄する。1040年に東ローマ帝国に反乱を起こすも鎮圧され、1147年には[[シチリア王国]]軍の略奪により大きな被害を受けている。[[第4回十字軍]]後の1205年には[[アテネ公国]]が建国された。1458年アテネ公国は[[オスマン帝国]]に征服され、アテネは長い停滞の時代に入った。
[[ギリシア独立戦争]]を経て[[ギリシア王国]]が成立すると、1834年にアテネはこの新生独立国の首都に選ばれている(なお近代ギリシア初の首都は[[ナフプリオ]]とされる)。アテネが同国の首都に選ばれたのは、主として歴史的栄光と国民感情を鑑みたものであり、この当時のアテネはアクロポリスの裾野を取り巻く小規模な町に過ぎなかった。初代国王[[オソン1世]]は建築家クレアンティス([[:en:Stamatios Kleanthis|en]])とシャウベルト([[:en:Eduard Schaubert|en]])の両人に命じて一国の首都にふさわしい都市計画をデザインさせている。
ギリシア初の近代都市は、アクロポリス、ケラメイコスの古代墓地、国王の新宮殿(現・国会議事堂)を頂点とする三角形としてデザインされ、古代から現在までの連続性を強調するものとなっている。この時代の国際標準であった[[新古典主義]]はまさに古代アテネをはじめとする古典古代に範をとるものだが、この新古典主義に基づき各国の建築家が主要公共施設の設計に腕を揮った。なお、新古典主義は西欧ではほどなく衰えるが、ギリシアでは「古代ギリシアの復興」という理念から1920年代まで新古典主義による建築が続いた<ref>「ギリシア都市の歩き方」pp196-198 勝又俊雄 角川書店 平成12年9月5日発行</ref>。1896年には[[近代オリンピック]]の[[アテネオリンピック (1896年)|第1回大会]]がアテネで開催されている。1920年代の[[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]]の際には[[アナトリア半島]]から追い立てられた大量のギリシア難民がアテネになだれこみ人口がふくれあがった。もっとも、人口増大のピークは第2次大戦後の1950年代から1960年代にかけてであり、この時期に市域は拡大を続けた。
1980年代には、工場からの排ガス、かつてなく増えた自動車、人口過密による利用可能な空間の減少から、アテネは非常に深刻な課題に直面することとなった。1990年代の市当局による汚染対策事業とインフラの抜本的改善(自動車道([[:en:Attiki Odos|en]])の建設・[[アテネ地下鉄|地下鉄]]の拡充・[[アテネ国際空港|国際空港]]の新設)によって、汚染はかなり軽減されアテネは従来に比べずっと機能的な都市に生まれ変わった。2004年にはふたたび[[アテネオリンピック (2004年)|夏季オリンピック]]が開催される。2010年代初頭以降ギリシアは経済的な困難に見舞われており、その対策が今後の課題となっている。アテネ市を対象とするものとしては、アテネ近郊の経済特区設定<ref>[http://www.ft.com/intl/cms/s/0/4158a744-f128-11e1-b7b9-00144feabdc0.html#axzz26Ui9Q57N Greece in talks on economic zones] ft.com By Kerin Hope August 28, 2012 5:33 pm</ref> や、アテネメトロの路線拡張などのインフラ整備<ref>[http://online.wsj.com/article/BT-CO-20120828-709989.html Greece to Boost Growth With Infrastructure Projects] wsj.com August 28, 2012, 11:33 a.m. ET</ref> が経済対策として検討されている。
{{wide image|Acropolis-panorama-night.jpg|700px|<center>アクロポリスに建つパルテノン神殿</center>}}
=== 略年表 ===
* [[紀元前14世紀|前14世紀]]初頭 - このころには[[ミケーネ文明]]の主要都市となっていた。
* [[紀元前12世紀|前12世紀]] - ミケーネ文明を含む[[エーゲ文明]]が滅亡。アテネも経済的に衰退する。
* [[紀元前9世紀|前9世紀]] - 通商により栄える。
* [[紀元前6世紀|前6世紀]]前半 - 経済格差の拡大など従来の社会システムの行き詰まりから[[ソロン]]による改革が行われる。
* [[紀元前561年|前561年]] - 貧民の支持を得て台頭した[[ペイシストラトス]]が[[僭主]]として君臨する。
* [[紀元前510年|前510年]] - ペイシストラトスの子で僭主の[[ヒッピアス (僭主)|ヒッピアス]]が追放される。
* [[紀元前508年|前508年]] - [[クレイステネス]]により[[民主政]]が導入される。
* [[紀元前498年|前498年]] - [[イオニア]]の諸都市とともに[[アケメネス朝|ペルシア]]の支配に抵抗するが敗れる([[イオニアの反乱]])。
* [[紀元前490年|前490年]] - マラトンにおいてアテネを主力とするギリシア[[重装歩兵]]がペルシアを敗る([[マラトンの戦い]])。
* [[紀元前480年|前480年]] - サラミス島近海において[[テミストクレス]]率いるギリシア艦隊がペルシア艦隊を撃破([[サラミスの海戦]])。
* [[紀元前479年|前479年]] - プラタイアにおいてギリシアがペルシアに圧勝([[プラタイアの戦い]])。ペルシア勢力がギリシアから一掃される。
* [[紀元前477年|前477年]] - ペルシア再侵攻に備えて、アテネを盟主とする軍事同盟([[デロス同盟]])が結ばれる。
* [[紀元前5世紀|前5世紀]]半ば - このころ指導者[[ペリクレス]]のもとで全盛期を迎えるも、デロス同盟の私物化によりギリシア世界の緊張が高まる。
* [[紀元前431年|前431年]] - スパルタを盟主とするペロポネソス同盟がアテネの覇権を危ぶんで宣戦、[[ペロポネソス戦争]]が勃発する。
* [[紀元前5世紀|前5世紀]]前半 - このころからいわゆる[[衆愚政治]]に陥る。
* [[紀元前404年|前404年]] - アテネの降伏でペロポネソス戦争が終結。アテネはデロス同盟の盟主としての地位を失う。
* [[紀元前338年|前338年]] - 北方に興った[[マケドニア王国]]にカイロネイアで敗れる([[カイロネイアの戦い]])。戦後、マケドニアを盟主とする[[コリントス同盟]]に加わることとなり独立を失う。
* [[紀元前168年|前168年]] - [[共和政ローマ|ローマ]]がマケドニア王国を滅ぼす。以後ギリシアはローマの支配に服する。
* 紀元後からは文化都市としても衰退をはじめる。
* [[395年]] - [[ローマ帝国]]の東西分裂。なお、アテネは[[東ローマ帝国]]に属する。
* [[6世紀]]後半 - [[スラヴ人]]や[[アヴァール人]]の侵略を受ける。
* [[529年]] - 皇帝[[ユスティニアヌス1世]]の異端排斥政策の一環として[[アカデメイア]]が閉鎖される。
* 十字軍時代にはイタリアとの交易により繁栄する。
* [[1205年]] - 十字軍の騎士により[[アテネ公国]]が建国される。
* [[1453年]] - 東ローマ帝国が[[オスマン帝国]]により滅ぼされる。
* [[1456年]] - アテネ公国もオスマン帝国により滅ぼされ、アテネはオスマン帝国に編入される。
* [[1832年]] - [[ギリシア独立戦争]]を経て、[[ギリシャ王国]]がオスマン帝国から独立する。
* [[1834年]] - ギリシャ王国の首都にアテネが選定される。
* [[1896年]] - [[近代オリンピック]]の[[アテネオリンピック (1896年)|第1回大会]]が開かれる。
* [[2004年]] - [[アテネオリンピック (2004年)|夏季オリンピック第28回大会]]が開催される。
== 地理 ==
=== 地勢 ===
アテネはアッティカ中央部の平野に広がり、アッティカ盆地({{lang|el|Λεκανοπέδιο Αττικής}})と呼ばれる。平野の周辺部は4つの山に囲まれた範囲で、西側はエガレオ山({{lang|el|Αιγάλεω}})、北側は{{仮リンク|パルニサ山|en|Parnitha}}({{lang|el|Πάρνηθα}})、北東側にはペンテリ山({{lang|el|Πεντέλη}})、東側には[[イミトス山]]({{lang|el|Υμηττός}})がそびえる<ref name="Focus on Athens">{{cite web|url=http://www.urbanheatisland.info/images/newsletter/UHI_newsletter_Issue_1.pdf |title=Focus on Athens|accessdate=18 March 2011 |work=UHI Quarterly Newsletter, Issue 1, May 2009, page 2|publisher=www.urbanheatisland.info}}</ref>。エガレオ山を超えて{{仮リンク|スリアシアン平野|en|Thriasian plain}}が広がり、西へ中央部の平野の広がりを形成している。パルニサ山は4つの山の中では一番高く標高{{convert|1413|m|ft|0|abbr=on}}で<ref>{{cite web|url=http://www.parnitha-np.gr/welcome.htm |title=Welcome!!! |publisher=Parnitha-np.gr |accessdate=10 June 2009}}</ref> 、国立公園に指定されている。アテネは周辺部の丘陵地に築かれている。[[リカヴィトスの丘]]({{lang|el|Λυκαβηττός}})は市内では一番高い丘の一つで、アッティカ平野を一望することが出来る。アテネの地形は周辺部の山々の影響により、世界でも最も複雑な地形で、[[逆転層]]現象が起こりそれと並びギリシャ政府の産業や人口の統制政策の失敗により大気汚染の問題にアテネは現在直面している<ref name=tung/><ref>{{cite web|url=http://www.minenv.gr/1/12/122/12204/e1220400.html|work=Hellenic Ministry of the Environment and Public Works|title=Daily Report on Air Pollution Levels|accessdate=26 January 2007|publisher=www.minenv.gr|deadlinkdate=2020-02-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140912025422/http://env.ypeka.gr/deltia/e1220400.html|archivedate=2014-12-18}}</ref>。この問題はアテネだけの問題ではなく、[[ロサンゼルス]]や[[メキシコシティ]]など似たような地形の都市では逆転層現象の問題を抱えている<ref name=tung/>。
=== 気候 ===
アテネの気候は[[ケッペンの気候区分]]では[[ステップ気候|高温ステップ気候]](BSh)に当たる。従来は亜熱帯西岸気候の[[地中海性気候]](ケッペンの気候区分ではCsa)に属していたが、[[1981年]]-[[2010年]]の[[平年値]]ではステップ気候に変わった<ref>[https://www.teikokushoin.co.jp/q_and_a/geo/#q38 社会科Q & A − 地図・地理 Q38:地球温暖化などにより世界の気候区分が変わったと聞きましたが、どうなっていますか?] - [[帝国書院]]</ref>。いずれにしても数値の変化はわずかで、温帯と乾燥帯の境界線上に位置していると言える。アテネの気候の特徴は長く続く暑くて乾燥した夏の気候から穏やかで湿気がある冬である<ref>Founda D. (2011). "Evolution of the air temperature in Athens and evidence of climatic change: A review". Advances in Building Energy Research, 5,1, 7–41, http://www.ingentaconnect.com/content/earthscan/aber/2011/00000005/00000001/art00001.</ref>。年平均降水量は414.1mmで、これはほとんどが10月から4月にかけて記録されるものである。7月や8月は乾燥した月で雷雨が月に1、2回、ときたま発生する。冬は冷涼で、雨が降り1月の平均気温はアテネ北郊の{{仮リンク|ネア・フィラデルフィア|en|Nea Filadelfeia}}({{lang|el|Νέα Φιλαδέλφεια}})で8.9℃、{{仮リンク|エリニコン|en|Hellinikon}}で 10.3℃である。
アテネで吹雪は滅多に起こらないが、発生した場合は大きな混乱に陥る。降雪はアテネ北郊では良く見られる<ref>{{Cite web|url=https://www.bbc.com/news/world-europe-12674491|title=Greece snow: Bad weather brings chaos to Athens roads|accessdate=2020-02-17|publisher=BBC([[BBC]])|date=2012-03-12}}</ref>。パルニサ山はアテネの街に[[雨蔭]]を作り、その結果他のバルカン地域よりも降水量が少ない状況を作り出す。例えば[[アルバニア]]の[[ティラナ]]ではアテネの3倍、[[シュコドラ]]では5倍以上の降水量がある。7月の日々の平均最高気温(1955–2004)は観測所があるネア・フィラデルフィアでは33.7℃であるが<ref>http://www.hnms.gr/hnms/greek/climatology/heat_wave.pdf</ref>、他の市内ではこれよりも暑くとくに西側の地区は産業化や主にいくつかの自然的な理由により暑い<ref>Κωνσταντίνος Μαυρογιάννης, Αθήναι (1981).''Παρατηρήσεις επί του κλίματος των Αθηνών και της ενεργείας αυτού επί της ζωϊκής οικονομίας'' σελ 29.</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.eib.org/attachments/pipeline/20090584_eia_el.pdf|title=ΕΡΓΟ ΕΚΣΥΓΧΡΟΝΙΣΜΟΥ-ΑΝΑΒΑΘΜΙΣΗΣ∆ΙΥΛΙΣΤΗΡΙΟΥ ΕΛΕΥΣΙΝΑΣ|accessdate=2020-02-17|publisher=|language=el|format=PDF}}</ref><ref>Giannopoulou K., Livada I., Santamouris M., Saliari M., Assimakopoulos M., Caouris Y.G. (2011). "On the characteristics of the summer urban heat island in Athens, Greece". Sustainable Cities and Society, 1, pp. 16–28.</ref>。気温はしばしば、38℃を超えアテネは熱波で知られる<ref name="Focus on Athens"/><ref>{{cite web|url=http://esciencenews.com/articles/2009/08/29/esa.helps.make.summer.city.more.bearable|title=European Space Agency to help Athens become bearable in summer |accessdate=17 April 2010| archiveurl= https://web.archive.org/web/20100411003922/http://esciencenews.com/articles/2009/08/29/esa.helps.make.summer.city.more.bearable| archivedate= 11 April 2010 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。
アテネは都市活動により[[ヒートアイランド]]現象の影響を多くの地区で受け<ref>Giannakopoulos C., Hatzai M., Kostopoulou E., McCarty M., Goodess C. (2010). "The impact of climate change and urban heat islands on the occurrence of extreme events in cities. The Athens case". Proc. of the 10th International Conference on Meteorology, Climatology and Atmospheric Physics, Patras, Greece, 25th–28 May 2010, pp. 745–752.</ref><ref name="esciencenews.com">{{cite web|url=http://esciencenews.com/articles/2009/08/29/esa.helps.make.summer.city.more.bearable|title=European Space Agency ESA helps make summer in the city more bearable|accessdate=7 November 2010| archiveurl= https://web.archive.org/web/20101122031053/http://esciencenews.com/articles/2009/08/29/esa.helps.make.summer.city.more.bearable| archivedate= 22 November 2010 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>、気温は周辺の田園地域とは異なり<ref name="Katsoulis B.D. 1985">Katsoulis B.D., Theoharatos G.A. (1985). "Indications of the Urban Heat Island in Athens, Greece". Journal of Applied Meteorology, vol. 24, Issue 12, pp.1296–1302</ref><ref>Stathopoulou M., Cartalis C., Andritsos A. (2005)."Assessing the thermal environment of major cities in Greece". International Conference "Passive and Low Energy Cooling for the Built Environment", May 2005, Santorini, Greece, pp. 108–112.</ref><ref>Kassomenos P.A. and Katsoulis B.D. (2006). "Mesoscale and macroscale aspects of the morning Urban Heat Island around Athens, Greece", Meteorology and Atmospheric Physics, 94, pp. 209–218.</ref><ref>Santamouris M., Papanikolaou N., Livada I., Koronakis I., Georgakis A., Assimakopoulos D.N. (2001). "On the impact of urban climate on the energy consumption of buildings". Solar Energy, 70 (3): pp. 201–216.</ref> 冷却のために必要なエネルギーの使用や<ref>Santamouris M. (1997). "Passive Cooling and Urban Layout". Interim Report, POLIS Research Project, European Commission, Directorate General for Science, Research and Development.> and human wellbeing and health.</ref><ref>Santamouris M., Papanikolaou I., Livada I., Koronakis C., Georgakis C, Assimakopoulos D.N. (2001). "On the impact of Urban Climate to the Energy Consumption of Buildings". Solar Energy, 70, 3, pp. 201–216.</ref> 健康に悪影響がある<ref name="esciencenews.com"/>。都市のヒートアイランドには特定のアテネの気象観測所の気候学的な気温の時系列変化の一部に原因が見い出せる<ref>{{cite journal |last=Katsoulis |first=B. |year=1987 |title=Indications of change of climate from the Analysis of air temperature time series in Athens, Greece |journal=Climatic Change |volume=10 |issue=1 |pages=67–79 |doi=10.1007/BF00140557 }}</ref><ref>{{cite paper |last=Repapis |first=C. C. |last2=Metaxas |first2=D. A. |year=1985 |title=The Possible influence of the urbanization in Athens city on the air temperature climatic fluctuations at the National Observatory |work=Proc. of the 3rd Hellenic-British Climatological Congress, Athens, Greece 17–21 April 1985 |pages=188–195 |doi= }}</ref><ref>{{cite journal |last=Philandras |first=C. M. |last2=Metaxas |first2=D. A. |last3=Nastos |first3=P. T. |year=1999 |title=Climate variability and Urbanization in Athens |journal=Theoretical and Applied Climatology |volume=63 |issue=1–2 |pages=65–72 |doi=10.1007/s007040050092 }}</ref><ref>{{cite paper |last=Philandras |first=C. M. |last2=Nastos |first2=P. T. |year=2002 |title=The Athens urban effect on the air temperature time series of the National Observatory of Athens and New Philadelphia stations |work=Proc. of the 6th Hellenic Conference on Meteorology, Climatology and Atmospheric Physics, Ioannina Greece, 25–28 September 2002 |pages=501–506 }}</ref><ref>{{cite journal |last=Repapis |first=C. C. |last2=Philandras |first2=C. M. |last3=Kalabokas |first3=P. D. |last4=Zerefos |first4=C. S. |year=2007 |title=Is the last years abrupt warming in the National Observatory of Athens records a Climate Change Manifestation? |journal=Global NEST Journal |volume=9 |issue=2 |pages=107–116 |doi= }}</ref>。一方で、国立庭園やシセイオ気象観測所などの特定の観測所では若干かまったくヒートアイランド現象の影響が見られない<ref name="Katsoulis B.D. 1985"/><ref>{{cite journal |last=Livada |first=I. |last2=Santamouris |first2=M. |last3=Niachou |first3=K. |last4=Papanikolaou |first4=N. |last5=Mihalakakou |first5=G. |year=2002 |title=Determination of places in the great Athens area where the heat island effect is observed |journal=Theoretical and Applied Climatology |volume=71 |issue=3–4 |pages=219–230 |doi=10.1007/s007040200006 }}</ref>。
アテネは[[世界気象機関]]のヨーロッパでの最高気温の記録を保持しており48℃を1977年7月10日に[[エレウシス]]とタトイの観測所で記録している<ref>{{cite web |url=http://wmo.asu.edu/europe-highest-temperature|title=Europe's highest temperature |accessdate=3 April 2009}}</ref>。
{{Weather box|location=アテネ国立気象台 (Thiseio), 海抜107 m (1971–2000 気温; 1961–1990 降雨量)
|metric first=Yes
|single line=yes
|Jan high C=13.3
|Jan mean C=10.0
|Feb high C=12.7
|Feb mean C=9.4
|Mar high C=14.4
|Mar mean C=11.1
|Apr high C=18.3
|Apr mean C=13.8
|May high C=22.7
|May mean C=17.7
|Jun high C=30.6
|Jun mean C=25.5
|Jul high C=33.1
|Jul mean C=28.0
|Aug high C=32.8
|Aug mean C=27.7
|Sep high C=30.5
|Sep mean C=25.0
|Oct high C=25.5
|Oct mean C=20.5
|Nov high C=20.0
|Nov mean C=16.1
|Dec high C=16.1
|Dec mean C=12.7
|year high C=
|Jan low C=6.7
|Feb low C=6.8
|Mar low C=8.2
|Apr low C=11.6
|May low C=16.0
|Jun low C=20.4
|Jul low C=22.8
|Aug low C=22.5
|Sep low C=19.4
|Oct low C=15.1
|Nov low C=11.2
|Dec low C=8.2
|year low C=
|Jan rain mm=44.6
|Feb rain mm=48.3
|Mar rain mm=42.6
|Apr rain mm=28.2
|May rain mm=17.2
|Jun rain mm=9.7
|Jul rain mm=4.2
|Aug rain mm=4.6
|Sep rain mm=11.9
|Oct rain mm=47.7
|Nov rain mm=50.6
|Dec rain mm=66.6
|source 1=National Observatory of Athens<ref name="Thiseio">
"Monthly bulletins",
N.O.A, web:
[http://cirrus.meteo.noa.gr/forecast/bolam/index.htm].</ref>
|date=November 2011}}
下段はアテネ北郊のネア・フィラデルフィアの観測所のデータである。
{{Weather box|location=アテネ
|metric first=yes
|single line=yes
|Jan high C=12.5
|Feb high C=13.5
|Mar high C=15.7
|Apr high C=20.2
|May high C=26.0
|Jun high C=31.1
|Jul high C=33.5
|Aug high C=33.2
|Sep high C=29.2
|Oct high C=23.3
|Nov high C=18.1
|Dec high C=14.1
|year high C=22.5
|Jan mean C=8.9
|Feb mean C=9.5
|Mar mean C=11.2
|Apr mean C=14.9
|May mean C=20.0
|Jun mean C=24.7
|Jul mean C=27.2
|Aug mean C=27.0
|Sep mean C=23.3
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|Dec mean C=10.5
|year mean C=17.4
|Jan low C=5.2
|Feb low C=5.4
|Mar low C=6.7
|Apr low C=9.6
|May low C=13.9
|Jun low C=18.2
|Jul low C=20.8
|Aug low C=20.7
|Sep low C=17.3
|Oct low C=13.4
|Nov low C=9.8
|Dec low C=6.8
|year low C=12.3
|Jan rain mm=56.9
|Feb rain mm=46.7
|Mar rain mm=40.7
|Apr rain mm=30.8
|May rain mm=22.7
|Jun rain mm=10.6
|Jul rain mm=5.8
|Aug rain mm=6.0
|Sep rain mm=13.9
|Oct rain mm=52.6
|Nov rain mm=58.3
|Dec rain mm=69.1
|year rain mm=414.1
|Jan rain days=12.6
|Feb rain days=10.4
|Mar rain days=10.2
|Apr rain days=8.1
|May rain days=6.2
|Jun rain days=3.7
|Jul rain days=1.9
|Aug rain days=1.7
|Sep rain days=3.3
|Oct rain days=7.2
|Nov rain days=9.7
|Dec rain days=12.1
|year rain days=87.1
|Jan humidity=74.5
|Feb humidity=72.2
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|Aug humidity=45.3
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|Sep sun=276.0
|Oct sun=207.7
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|Dec sun=127.1
|year sun=2778.2
|source 1=[[世界気象機関]] ([[国際連合|国連]]),<ref>[http://www.worldweather.org/063/c00177.htm Weather Information for Athens]</ref> [[香港天文台]]<ref>[http://www.weather.gov.hk/wxinfo/climat/world/eng/europe/gr_tu/athens_e.htm "Climatological Information for Athens, Greece"] – Hong Kong Observatory</ref> <small>for data of sunshine hours</small>
|date=August 2010}}
== 都市景観 ==
{{wide image|Athens panorama from Melissia.jpg|1500px|<center> メリッシアからのアテネ市街の眺め}}
=== 建築物 ===
アテネ市内には様々な異なった建築様式の建物が含まれ、その範囲は[[古代ギリシャ・ローマ世界]]や[[新古典主義建築]]、現代建築と幅広い。これらは同一の地区で見ることが出来、アテネでは建築様式に一貫性があるわけではない。アテネでもっとも多くを占めている建築物にはグレコ・ローマンや新古典主義建築のスタイルである。いくつかの新古典主義建築の建物は19世紀半ばに公共的な建物として、{{仮リンク|テオフィル・ハンセン|en|Theophil Hansen}}や{{仮リンク|エルンスト・ツィラー|de|Ernst Ziller}}らの指導の下建てられた。新古典様式建築の中には{{仮リンク|アテネアカデミー|en|Academy of Athens (modern)}}、アテネ市庁舎、[[国会議事堂 (ギリシャ)|国会議事堂]]、{{仮リンク|アテネ旧議会議事堂|en|Old Parliament House, Athens}}(1835-1832、現在のアテネ国立博物館)<ref>[http://www.culture.gr/h/2/eh251.jsp?obj_id=1761 Hellenic Ministry of Culture: The Old Parliament Building]{{リンク切れ|date=June 2011}} – Retrieved 16 February 2007</ref>、[[アテネ大学]]、[[ザッペイオン]]ホールなどが含まれる。
1920年代には[[近代建築]]が興り、その中には[[バウハウス]]や[[アール・デコ]]が含まれほとんど全てのギリシャの建築家に影響を与え多くの公共や民間の両方の建築物は一致してこのような建築様式で建てられた。近隣では非常に多くの近代的な建築が見られ、{{仮リンク|コロナキ|en|Kolonaki}}や他のアテネ中心部の地区も含まれておりこの時代に開発された{{仮リンク|キプセリ|en|Kypseli, Athens}}も含まれる<ref>Fessa-Emmanouil, Eleni. ''Greek Architectural Society; Architects of the 20th Century: Members of the Society'', Potamos, Athens, 2009, p. XXV and p. XXI, ISBN 960-6691-38-1</ref>。
1950年代から1960年代の期間はアテネは大きな開発により都市が拡大した時期で、他の新しい動きとして[[インターナショナル・スタイル]]が大きな役割を演じていた。アテネの中心部は大規模な建て直しが行われ多くの新古典様式の建物が取り壊されている。インターナショナル・スタイル時代の建築家は建築材にガラスや大理石、アルミニウムを用いクラシカルな要素と多く融合させている<ref>Fessa-Emmanouil, Eleni. ''Greek Architectural Society; Architects of the 20th Century: Members of the Society'', Potamos, Athens, 2009, p. XXXI, ISBN 960-6691-38-1</ref>。第二次世界大戦後、国際的に知られた建築家でアテネ市内の建築や設計に携わった人物にはアメリカ大使館を手掛けた[[ヴァルター・グロピウス]]や現在あるアテネ国際空港以前の{{仮リンク|エリニコン国際空港|en|Ellinikon International Airport}}の東旅客ターミナルを手掛けた[[エーロ・サーリネン]]が含まれる。
1930年代から1960年代にかけての著名なギリシャの建築家や都市計画家には[[コンスタンティノス・ドキシアディス]] 、{{仮リンク|ディミトリス・ピキオニス|en|Dimitris Pikionis}}、{{仮リンク|ペリキリス・セキレリオス|en|Pericles A. Sakellarios}}、{{仮リンク|アリス・コンスタンティニディス|en|Aris Konstantinidis}}などがいる。
=== 地区 ===
[[File:Athens - Mount Lycabettus - 20080729a.jpg|thumb|夜のリカベッテウス山]]
アテネ首都圏の中心部であるアテネ市は以下のような地区に分けられている。
Omonoia, Syntagma, Exarcheia, Agios Nikolaos, Neapolis, Lykavittos, Lofos Strefi, Lofos Finopoulou, Lofos Filopappou, Pedion Areos, Metaxourgeio, Aghios Kostantinos, Larissa Station, Kerameikos, Psiri, Monastiraki, Gazi, Thission, Kapnikarea, Aghia Irini, Aerides, Anafiotika, Plaka, Acropolis, Pnyx, Makrygianni, Lofos Ardittou, Zappeion, Aghios Spyridon, Pangrati, Kolonaki, Dexameni, Evaggelismos, Gouva, Aghios Ioannis, Neos Kosmos, Koukaki, Kynosargous, Fix, Ano Petralona, Kato Petralona, Rouf, Votanikos, Profitis Daniil, Akadimia Platonos, Kolonos, Kolokynthou, Attikis Square, Lofos Skouze, Sepolia, Kypseli, Aghios Meletios, Nea Kypseli, Gyzi, Polygono, Ampelokipoi, Panormou-Gerokomeio, Pentagono, Ellinorosson, Kato Filothei, Ano Kypseli, Tourkovounia-Lofos Patatsou, Lofos Elikonos, Koliatsou, Thymarakia, Kato Patisia, Treis Gefyres, Aghios Eleftherios, Ano Patissia, Kypriadou, Prompona, Aghios Panteleimonas, Pangrati, Goudi, Ilisia, Kaisariani
[[File:Athens1 tango7174.jpg|thumb|シンタグマ広場]]
[[File:Panepistimiou Numismatic Museum Athens.JPG|thumb|パネピスティミオ通り]]
[[File:20100410 athina152.JPG|thumb|プラカ通り]]
[[File:20100410 athina008.JPG|thumb|19世紀の新古典主義の邸宅。アール・ヌーヴォーと折衷主義の要素が含まれる。マクリギアンニ地区]]
* '''オモニア''',{{仮リンク|オモニア広場|en|Omonoia Square}} ({{lang-el|Πλατεία Ομονοίας}}) はアテネでは一番古い広場で周辺部にはホテルやファーストフード店が立地しており、アテネメトロや電鉄の駅である[[オモニア駅]]がある。オモニア広場はギリシャが優勝したEuro 2004やEurobasket 2005 トーナメントの祝賀で注目を集めた。
* '''メタクスルギオ''' ({{lang-el|Μεταξουργείο}}) はアテネの地区のうちの一つで、コロノスの東、ケラメイコスの西、ガジの北にある。メタクスルギオは過渡期にある地域であると描写され20世紀後半は長い期間見捨てられていたが、美術館や博物館、レストランやカフェがオープンしてからは芸術的でファッショナブルな地域であるという評判を得ている。地元の美化や活気づける努力により、共同体の意識と芸術的表現を確固たるものとした。無名のアート作品が英語と古代ギリシャ語両方のセンテンス「芸術のための芸術」({{lang|el|Τέχνη τέχνης χάριν}}) が取り込まれて引用され地区のあちこちに広がっている。[[花ゲリラ]]も地域の美化を助けている。
* '''{{仮リンク|プシリ|en|Psyri}}''' ({{lang-el|Ψυρρή}}) はアテネの「精肉地区」として知られ以前の邸宅がアーティストのスペースや小さな美術館に刷新され点在している。多くの建物は改修されファッショナブルなバーとなり、ここ数十年でアテネの街でも活発な場所となりギリシャの音楽[[レベティコ]]に因んだ音楽レストラン "rebetadika"などが知られ、1920年代から1960年代にかけてシロスやアテネで開花した独特な音楽の形で、見付けることができる。 レベティコは多くの人々によって賞賛され、結果としてレベタディカではしばしば、歌ったり踊ったりして夜明けまで飲まれ、すべての年齢層の人々が所狭しと楽しんでいる。
* '''ガジ''' ({{lang-el|Γκάζι}}) は最近全面的に再開発された地区の一つで周辺には歴史的なガス工場があった。現在ではテクノポリスや文化複合施設、アーティスト地区、小さなクラブやバー、レストランに転換されアテネの[[ゲイ・タウン]]として芽生えつつある。地下鉄は市の西郊まで2007年春に延伸されアクセスし易くなり、現在ではガジにはブルーラインのケラメイコス駅がある。
* '''シンタグマ''', [[シンタグマ広場]]({{lang-el|Σύνταγμα}}/憲法広場)は首都の中央広場でアテネ一広い広場である。周辺部には[[国会議事堂 (ギリシャ)|国会議事堂]](旧王宮)やアテネでもっとも有名なホテルグランドブルターニュがある。エルモウ通りは約1kmの歩行者用の通りでシンタグマ広場からモナスティラキを結びアテネ市民や観光客両方の買い物客にとって憩いの場となっている。ファッションの店やショッピングモールが揃っており、ほとんどの国際的なブランドが販売を促進しており、現在では欧州でも五指に入る高級なショッピングストリートに入り、世界でも10番目に高級なショッピングストリートに入る<ref>{{cite web|url=http://www.cushwake.com/cwglobal/jsp/newsDetail.jsp?repId=c7800055p&LanId=EN&LocId=GLOBAL|title=Cushman & Wakefield – Global real estate solutions – News & Events|publisher=Cushwake.com|date=25 October 2006|accessdate=21 March 2009|archivedate=2011-07-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110708213653/http://www.cushwake.com/cwglobal/jsp/newsDetail.jsp?repId=c7800055p&LanId=EN&LocId=GLOBAL|deadlinkdate=2020-02-17}}</ref>。近くの刷新されたパネピスティミオウ通りの軍の建物にはアッティカデパートやいくつかの高級指向のデザイナーストアーが入っている。
* '''プラカ, モナスティラキ, ティシオ''' – {{仮リンク|プラカ|en|Plaka}} ({{lang-el|Πλάκα}})はアクロポリスの丁度真下にあり、豊富な新古典様式の建築物で知られアテネでもっとも美しい地区の一つを構成している。主要な観光地として[[タヴェルナ (飲食店)|タヴェルナ]]やライブパフォーマンス、露店が残っている。近くのモナスティラキ ({{lang-el|Μοναστηράκι}}) は小さな店舗や市場が連なっていることで知られ、賑やかな蚤の市や[[スブラキ]]専門のタヴェルナなどでも知られている。他の地区では学生が多いスタイリッシュなカフェがモナスティラキの西側のティシオ ({{lang-el|Θησείο}}) にある。ティシオにはヘファイストス神殿があり、小さな丘の上にある。この地区は絵のように美しい11世紀のビザンティンの教会だけでなく、15世紀のオスマンのモスクもある。
* '''{{仮リンク|エクサルヒア|en|Exarcheia}}''' ({{lang-el|Εξάρχεια}}) はコロナキの北側に位置しカファやバー、書店があるアナーキストや学生の地区である。{{仮リンク|アテネ国立技術大学|en|Exarcheia}}や[[アテネ国立考古学博物館]]などが周辺にある。
* '''{{仮リンク|コロナキ|en|Kolonaki}}''' ({{lang-el|Κολωνάκι}}) は[[リカヴィトスの丘]]の南にある地区で、高級ブティックやファッショナブルなバー、レストランが多くある他、美術館や博物館がある。アテネでは評判が高い地区の一つと考えられている。
{{wide image|KOLONAKI PANO.jpg|550px|<center>コロナキ広場</center>}}
=== 郊外 ===
[[File:Χολαργός 3 Greece.jpg|thumb|right|典型的なアテネの郊外地区 (Cholargos)]]
アテネ首都圏はアッティカ地方の島嶼部の自治体を除いた58の人口が密集した自治体で構成されていたが、2011年以降の行政改革により自治体間の合併が進んでいる。これらは中心部のアテネ市のすべての周辺部に広がっており、アテネ市との地理的な位置関係により郊外は4つの地域に分けられる。北郊には{{仮リンク|エカリ|en|Ekali}}、{{仮リンク|ネア・エリトリア|en|Nea Erythraia}}、{{仮リンク|アギオス・ステファノス|en|Agios Stefanos, Attica}}、{{仮リンク|ドロシア|en|Drosia}}、ディオニューソス、{{仮リンク|キオネリ|en|Kryoneri, Attica}}、{{仮リンク|キフィシア|en|Kifisia}}、{{仮リンク|マルーシ|en|Marousi}}、{{仮リンク|ペフキ|en|Pefki}}、{{仮リンク|リコヴリシ|en|Lykovrysi}}、ヘラクリオ、{{仮リンク|グリカ・ネラ|en|Glyka Nera}}、{{仮リンク|ヴリリッシア|en|Vrilissia}}、{{仮リンク|マルーシ|en|Melissia}}、[[ペンテリコ山]]、{{仮リンク|ハランドリ|en|Chalandri}}、{{仮リンク|アギア・パラスカヴィ|en|Agia Paraskevi}}、{{仮リンク|シヒコ|en|Psychiko}}、{{仮リンク|フィロセイ (ギリシャ)|label=フィロセイ|en|Filothei}}が、南郊には{{仮リンク|アリモス|en|Alimos}}、{{仮リンク|ネア・ズミルニ|en|Nea Smyrni}}、{{仮リンク|アギオス・ディミトリオス|en|Agios Dimitrios}}、{{仮リンク|パライオ・ファリロ|en|Palaio Faliro}}、{{仮リンク|エリニコ|en|Elliniko}}、{{仮リンク|グリファダ|en|Glyfada}}、{{仮リンク|ヴーラ|en|Voula}}、{{仮リンク|アリゲロポリ|en|Argyroupoli}}、{{仮リンク|イリオポリ|en|Ilioupoli}}、最南端の郊外{{仮リンク|ヴォウリアグメニ|en|Vouliagmeni}}、東郊には{{仮リンク|アハルネス|en|Acharnes}}、{{仮リンク|ゾグラフォウ|en|Zografou}}、{{仮リンク|ケサラニアニ|en|Kaisariani}}、{{仮リンク|ホレロゴーシュ|en|Cholargos}}、{{仮リンク|パパーゴー|en|Papagou}}、西郊には{{仮リンク|ペリステーリ|en|Peristeri}}、{{仮リンク|イリオン (自治体)|en|Ilio, Greece}}、{{仮リンク|ペトロポリ|en|Petroupoli}}、{{仮リンク|ニカイア (自治体)|en|Nikaia, Attica}}がある。アテネ都市圏の海岸線は主要な商業港があるピレウスから最南部の{{仮リンク|ヴァルキザ|en|Varkiza}}まで {{convert|25|km|mi|-1|abbr=on}}続き<ref>{{cite web|url=http://distancecalculator.globefeed.com/Greece_Distance_Result.asp?fromplace=Piraeus%20(Attiki)&toplace=Varkiza%20(Piraios%20Nomos)&fromlat=37.9474464019929&tolat=37.8185988001751&fromlng=23.6370849609375&tolng=23.7987041473389 |title=Distance between Piraeus (Attiki) and Varkiza (Piraios Nomos) (Greece) |publisher=Distancecalculator.globefeed.com |date=9 December 2007 |accessdate=9 June 2009}}</ref> アテネの中心部とはトラムで結ばれている。
北郊のマルーシには アップグレードされたメイン会場であった[[アテネオリンピックスポーツコンプレックス]](OAKA)がありスカイラインを占めている。スポーツコンプレックスはスペインの建築家[[サンティアゴ・カラトラヴァ]]により設計され、鋼のアーチや美しい庭園、噴水、未来的なガラス、また画期的な新青ガラス屋根がメインスタジアムに加えられた。二つ目のオリンピックの複合施設はカリテアのビーチの隣にあり、モダンな競技施設と店舗や高い位置の遊歩道を特徴とする。エルニコン国際空港と呼ばれた古いアテネの空港は現在公園に転換中で、完成すると欧州最大規模の公園{{仮リンク|エルニコン都市公園|en|Hellenikon Metropolitan Park}}になる予定である<ref>{{cite web |url=http://www.minenv.gr/hellenikon-competition/oa/en/main.htm |work=Hellenic Ministry of the Environment and Public Works |title=Hellenikon Metropolitan Park Competition |accessdate=3 January 2007 |publisher=www.minenv.gr}} {{リンク切れ|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>。アテネ南郊のアリモスやパライオ・ファリオ、エリニコン、ヴォーラ、ヴォウリアグメニ、ヴァルキザなどには多くのビーチがあり、{{仮リンク|ギリシャ政府観光局|en|Greek National Tourism Organization}}により運営されておりほとんどの場合は若干の入場料が必要となる。
{{wide image|2009-02-19 Yachthafen Glyfada 03.jpg|550px|パライオ・ファリロの沿岸}}
=== 公園・動物園 ===
[[File:20100411 athina100.JPG|thumb|right|190px|国立庭園]]
[[File:20100410 athina112.JPG|thumb|300px|left|アゴラからのアクロポリスの丘の眺め]]
パルニサ国立公園は散策路や泉、峡谷、保護地域に点在する洞窟により特徴付けられる。ハイキングやマウンテンバイクにとってアテネ周辺部の4つの山すべてはアテネ市民にとってポピュラーなアウトドア活動の場となっている。[[アテネ国立庭園]]は1840年に竣工し、15.5ヘクタールの緑地が保護されている。国立庭園は[[国会議事堂 (ギリシャ)|国会議事堂]]と[[ザッペイオン]]の間にあり、後者は独自に7ヘクタールの庭園がある。2012年現在、ギリシャの経済は不透明な状況にあるが中心部では「アテネの遺跡の統一」 ''Unification of Archeological Sites of Athens''と呼ばれる再開発の基本計画があり、計画を強化するために欧州連合から資金を集めている<ref name=EUfund/><ref>{{cite web|url=http://www.astynet.gr/ |title=Eaxa :: Ενοποιηση Αρχαιολογικων Χωρων Αθηνασ Α.Ε |publisher=Astynet.gr |accessdate=21 March 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090228090100/http://www.astynet.gr/| archivedate= 28 February 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。ディオニシウ・アレオパギドゥ通りはランドマークとなる歩行者用の通りで景色の良い通りとなっている。通りは[[ゼウス神殿]]のあるヴァッシリッシス・オルガス通り(Vasilissis Olgas)からアクロポリスの麓の南斜面近くの{{仮リンク|プラカ|en|Plaka}}へ続き、
{{仮リンク|ティシオ|en|Thiseio}}の[[ヘーパイストス神殿]]の先へ達している。賑やかな中心部から離れたこの通りは全体が[[パルテノン神殿]]や[[アテナイのアゴラ|アテネの古代アゴラ]]などの景色を観光客に楽しませている。アテネの丘陵地は緑地の空間となっている。[[リカヴィトスの丘]]や{{仮リンク|フィロパポスの丘|en|Philopappos Monument}}をはじめ[[プニュクス]]を含め、松や他の種類の樹木が生えており典型的な都市の都市の緑地と言うよりは小さな森林といった趣になっている。アテネ国立考古学博物館の近くには27.7ヘクタールの公園{{仮リンク|ペディオン・トゥ・アレオス|en|Pedion tou Areos}}を見付けることが出来る。
アテネ最大の動物園は{{仮リンク|アッティカ動物公園|en|Attica Zoological Park}}で20ヘクタールあり、郊外のスパタにある。園内には400種2,000の動物がおり、365日開園している。小規模な動物園は国立庭園などの公共の庭園や公園内にある。
== 行政 ==
[[File:Prefectures of Attica athens.png|thumb|青い部分が以前のアテネ県。グレーの部分がアッティカ地方の範囲]]
アテネがギリシャの首都になったのは1829年に[[ナフプリオ]]に一時的な首都が置かれた後の1834年のことである。アテネ市は[[アッティカ]]地域の主都でもある。「アテネ」は自治体としてのアテネそのものかアテネの都市的地域どちらかを言及しており、アテネの都市はアッティカ盆地に広がっている。
=== アッティカ地方 ===
アテネ大都市圏地域は{{convert|2,928.717|km2|sqmi|0|abbr=on}}の範囲で広がり、その範囲は{{convert|3808|km2|sqmi|0|abbr=on}} のアッティカ地方の域内である。アテッティカ地方はギリシャでは最も人口が多い地域で2011年現在、3,812,330人に達するが<ref name=population/>、ギリシャでは一番小さな地域(広域自治体のペリフェリアとして)である。
アッティカ地方自体は8つの県で構成され、そのうち4つが大アテネを構成しピレウス県は大ピレウスを構成している。大アテネと大ピレウスにより隣接した都市的地域であるアテネ首都圏を構成し、 {{convert|412|km2|sqmi|0|abbr=on}}の範囲で広がる<ref name=Kallikratis>{{PDFlink|1=[http://www.kedke.gr/uploads2010/FEKB129211082010_kallikratis.pdf Kallikratis reform law text]}}</ref>。
*{{仮リンク|北アテネ県|en|North Athens}}(都市的地域)
*{{仮リンク|西アテネ県|en|West Athens (regional unit)}}(都市的地域)
*{{仮リンク|中央アテネ県|en|Central Athens}} (都市的地域)
*{{仮リンク|南アテネ県|en|South Athens (regional unit)}} (都市的地域)
*[[ピレウス県]] (都市的地域)
*[[東アッティカ県]] (大都市圏地域)
*[[西アッティカ県]] (大都市圏地域)
*[[諸島県]]
2010年まで、最初の4つの県は共に廃止された{{仮リンク|アテネ県|en|Athens Prefecture}}(大アテネとも呼ばれた)を構成したもっとも人口が多いギリシャの県であった。2001年の国勢調査による人口は2,664,776人で<ref name=population/> 面積は{{convert|361|km2|sqmi|0|abbr=on}}であった<ref name=area/>。
=== アテネ市(自治体)===
[[File:Athens dimotiko diamerisma.PNG|thumb|アテネ市の7つの行政区]]
アテネ市の人口は2011年現在、655,780人でギリシャでは最も人口が多い自治体で<ref name=population/>、市域面積は{{convert|39|km2|sqmi|0|abbr=on}}<ref name=area/> である<ref name=area/>。[[2003年]]1月から[[2006年]]2月まで、保守派[[新民主主義党]]の[[ドラ・バコヤンニ]]が市長を務めた。彼女はアテネ史上初の女性市長であり、オリンピック開催都市の首長が女性であったのも、[[2004年]]のアテネが初めてであった。その後、2007年1月に新民主主義党の[[ニキタス・カクラマニス]]が就任した後、2009年には{{仮リンク|イオルゴス・カミニス|en|Georgios Kaminis}}({{lang|el|Γεώργιος Καμίνης}})が市長に就任した。アテネ市は7つの行政区域に分けられており、行政上の目的に利用されている。アテネ市は{{仮リンク|パグラティ|en|Pangrati}}({{lang|el|Παγκράτι}})や{{仮リンク|アベロキピ|en|Ampelokipoi, Athens}}、{{仮リンク|イリッシア|en|Ilissia}}({{lang|el|Ιλίσια}})、{{仮リンク|ペトラロナ|en|Petralona}}({{lang|el|Πετράλωνα}})、{{仮リンク|コカーキ|en|Koukaki}}({{lang|el|Κουκάκι}})、{{仮リンク|キプセリ|en|Kypseli, Athens}}({{lang|el|Κυψέλη}})など独特な歴史と特徴を持った住区に分かれている。
{|class="wikitable"
|+ '''大アテネの自治体'''
|-
|style="text-align:center;" colspan="3"|
{|style="width: 100%; font-size: 80%;"
|-
|[[中央アテネ県]]: ||1. [[アテネ市]] ||2. [[ダフニ・イミットス]] ||3. [[イリオポリ]] ||4. [[ヴィロナス]] ||5. [[ケサリアニ]] ||6. [[ゾグラフー]] ||7. [[ガーラツィ]] ||8. [[フィラデルフィア・ハルキドナ]]
|}
|-
|style="text-align:center;"|
{|style="width: 100%; font-size: 80%;"
|-
|[[西アテネ県]]:
|-
|29. [[エガレオ]]
|-
|30. [[アギア・ヴァルヴァラ]]
|-
|31. [[フェイダリ]]
|-
|32. [[ペリステーリ]]
|-
|33. [[ペトロポリ]]
|-
|34. [[イリオン (ギリシャ)|イリオン]]
|-
|35. [[アイゲーナ・アルゲリ]] – [[カマテロ]]
|}
|style="text-align:center;"|[[File:Athens Municipalities g2.jpg|470px|Athens]]
|style="text-align:center;"|
{|style="width: 100%; font-size: 80%;"
|-
|[[北アテネ県]]:
|-
|9. [[ネア・イオニア]]
|-
|10. [[イラクレイオ]]
|-
|11. [[メタモルフォシ]]
|-
|12. [[リコヴォリス]] – [[ペフキ]]
|-
|13. [[キフィシア]]
|-
|14. [[ペンテリ]] - [[メッリシア]]
|-
|15. [[マルーシ]]
|-
|16. [[ヴリーシア]]
|-
|17. [[アギア・パラスカビ]]
|-
|18. [[ホレルゴーシュ]] – [[パパーゴー]]
|-
|19. [[ハランドリ]]
|-
|20. [[フィロセイ (自治体)|フィロセイ]] – [[シヒコ]]
|}
|-
|style="text-align:center;" colspan="3"|
{|style="width: 100%; font-size: 80%;"
|-
|[[南アテネ県]]:||21. [[グリファダ]] ||22. [[エリニコ・アリゲロポリ]] ||23. [[アリモス]] ||24. [[アギオス・ディミトリオス]] ||25. [[ネア・ズミルニ]] ||26. [[パライオ・ファリロ]] ||27. [[カリテア]] ||28. [[モスカート・タヴローシュ]]
|}
|}
== 経済 ==
[[image:GDP of Attica, Thessaloniki and the rest of Greece.svg|thumb|ギリシャのGDPに占めるアッティカ地方の割合]]
アテネは[[テッサロニキ]]以前に経済的にギリシャでは最も重要な都市ある。主にサービス産業の多くの企業が、市内に本社または主要なオフィスを構えている。本社がしばしば租税回避地に位置しているものの、商船はギリシャとっては未だに重要であるが、再びピレウスなど近隣都市で見つけることが出来る。ギリシャの経済活動はアテネおよびその周辺地域に集中している。アテネ首都圏にある大企業には[[コングロマリット]]で冶金やエネルギー関連の{{仮リンク|ミティリネオスホールディング|en|Pangrati}}({{lang|el|Μυτιληναίος Α.Ε.}})や鉱業や重工業関連の{{仮リンク|ヴィオファルコ|en|Viohalco}}({{lang|el|Βιοχάλκο Α.Ε.}})、世界的な飲料メーカー[[コカ・コーラ]]のギリシャ法人{{仮リンク|ギリシャ・コカ・コーラ|en|Coca-Cola Hellenic}}(Coca-Cola {{lang|el|Ελληνική Εταιρεία Εμφιαλώσεως Α.Ε.}})、建築原材料メーカーの{{仮リンク|タイタン・セメント|en|Titan Cement}}({{lang|el|Τσιμέντα}} Titan)や投資会社の{{仮リンク|マフィン・インベストメントグループ|en|Marfin Investment Group}}(Marfin {{lang|el|Α.Ε.Π.Ε.Υ.}})などがある。20の大企業は[[アテネ証券取引所]]のFTSE / Athexにリストされている。製造業の意義はアテネでは失われてしまっているが、今でもアテネ首都圏ではギリシャの総生産の50%前後を占める。伝統的な工業品には陶器や繊維産業であるが現在ではあまり意義がなくなっている。良く知られた商品にはフェージのヨーグルト、Metaxaのブランデー、チョコレート、化粧品などがある。2005年には年間600万人の海外からの観光客が訪れ、アテネにとって観光収入は無視できない収入源となっている。ドイツからの訪問客も多くいるが、現在ではギリシャに関して否定的な報道もあるため落ち込む場合もあり、最近では東アジアでもとくに中国からの訪問客が増加している<ref>gtai.de: ''[http://www.gtai.de/fdb-SE,MKT201008028008,Google.html Griechenland: Krise im griechischen Tourismus weitet sich aus]'', Zugriff am 30. April 2011</ref>。なお、日本からギリシャへの観光客数は2005年以降、変動幅が大きい<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/greece/data.html</ref>。
== 統計 ==
[[File:Η Αθήνα από ψηλά.jpg|right|thumb|250px|アッティカ盆地内のアテネの都市的地域]]
[[File:Population Density in Athens.PNG|thumb|250px|アテネの人口分布]]
4つの県により大アテネが構成され合計人口は2,625,090人に達する。ピレウス県(大ピレウス)と共に密度が高いアテネの都市的地域が形成され2011年現在の人口は3,074,160人にである<ref name="statistics1"/>。古代のアテネの中心は[[アクロポリス]]の岩の多い丘であった。古代のピレウスの港は都市とは分離されていたが、現代ではアテネの都市的地域に吸収されている。アテネの都市は急速に拡大し、その傾向は現在でも続いておりとくに1950年代から1960年代にギリシャの経済が農業から工業化された先進国へ変化する過程で起こった<ref>[http://www.gto.gr/athens/athens/athens.html Greek Tourist Organizer] – Retrieved on 6 January 2007</ref>。都市の拡大は現在、特に東側や北東側に向かっておりこれは高速道路(Attiki Odos)の整備や新しい国際空港の整備と関連している。この過程はアッティカの多くの以前からの郊外や村も覆い、続いている。長い歴史を通じて、アテネは多くの異なった人口レベルを経験している。以下の表は19世紀以降のアテネの人口を示したものである。
{|class="wikitable"
|-
! 年 !! アテネ市の人口 !! 都市的地域の人口 !! 大都市圏の人口
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|1833 ||4,000<ref name=tung2>{{cite book |last=Tung |first=Anthony |year=2001 |title=Preserving the World's Great Cities:The Destruction and Renewal of the Historic Metropolis |location=New York |publisher=Three Rivers Press |isbn=0-609-80815-X |pages=260, 263, 265 |chapter=The City of the Gods Besieged}}</ref> ||– ||–
|-
|1870 ||44,500<ref name=tung2/> ||– ||–
|-
|1896 ||123,000<ref name=tung2/> ||– ||–
|-
|1921(人口交換前) ||473,000<ref name=tung/> ||– ||–
|-
|1921(トルコとギリシャの人口交換後)||718,000<ref name=tung2/> ||– ||–
|-
|1971 ||867,023<ref>{{cite web |url=http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gpro&lng=en&dat=32&geo=-92&srt=2pnn&col=aohdq&pt=c&va=&geo=460748373 |title=World Gazetter City Pop:Athens |publisher=www.world-gazetter.com |accessdate=16 June 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110622001933/http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gpro&lng=en&dat=32&geo=-92&srt=2pnn&col=aohdq&pt=c&va=&geo=460748373| archivedate= 22 June 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref> ||– ||–
|-
|1981 ||885,737 ||– ||–
|-
|1991 ||772,072 ||– ||3,444,358<ref>{{cite web |url=http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gpro&lng=en&dat=32&geo=460748373&srt=2pnn&col=aohdq&geo=-1048919 |title=World Gazetter Metro Pop:Athens |publisher=www.world-gazetter.com |accessdate=16 June 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110622001926/http://www.world-gazetteer.com/wg.php?x=&men=gpro&lng=en&dat=32&geo=460748373&srt=2pnn&col=aohdq&geo=-1048919| archivedate= 22 June 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
|-
|2001 ||745,514<ref name=pop>{{cite web |url=http://www.statistics.gr/Main_eng.asp |title=Population of Greece |work=General Secretariat Of National Statistical Service Of Greece |publisher=www.statistics.gr |accessdate=2 August 2007 |year=2001 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070701001022/http://www.statistics.gr/Main_eng.asp |archivedate=1 July 2007}}</ref> ||3,165,823<ref name=pop/> ||3,761,810<ref name=pop/>
|-
|2011 ||655,780 ||3,074,160 ||3,737,550<ref name="statistics1"/>
|}
アテネの中心部はギリシャの首都であり直接、アテネ市の範囲に含まれギリシャの都市では最多の人口である。ピレウスもまた大きな中心部を形成し、アテネの都市的地域に含まれ都市圏では2番目に人口が多い自治体でその後に{{仮リンク|ペリステーリ|en|Peristeri}}({{lang|el|Περιστέρι}})と[[カリテア]]({{lang|el|Καλλιθέα}})が続く。アテネ都市圏は今日、35の自治体に400万人が居住し「大アテネの自治体」とも呼ばれる[[北アテネ県]]、[[西アテネ県]]、[[中央アテネ県]]、[[南アテネ県]]とさらに「大ピレウスの自治体」と呼ばれる[[ピレウス県]]の自治体で構成されている。アテネの都市的地域は {{convert|412|km2|sqmi|0|abbr=on}}<ref name=area/> の範囲でアッティカ盆地に広がり人口は2011年現在3,074,160人である。
アテネ大都市圏は{{convert|2,928.717|km2|sqmi|0|abbr=on}} の範囲でこれは[[アッティカ地方]]に属する58の自治体が含まれ先の5つの県に[[東アッティカ県]]、[[西アッティカ県]]を合わせた7つの県で構成され人口は2011年現在、3,737,550人である。アテネとピレウスはアテネ大都市圏地域の2つの都市圏の中心都市である<ref>[http://nstatic.doldigital.net/taneawebstatic/napdf/7902835_%CE%A1%CE%A5%CE%98%CE%9C%CE%99%CE%A3%CE%A4%CE%99%CE%9A%CE%9F%20%CE%94%CE%9F%CE%9C%CE%97%CE%A3%CE%97.pdf] Ta Nea newspaper, Master Plan for Attica map</ref><ref>[http://www.ypeka.gr/LinkClick.aspx?fileticket=UfCMqBJHswQ%3d&tabid=367&language=el-GR] MASTER PLAN FOR ATHENS AND ATTICA 2021, pg 13, 24, 27, 33, 36, 89</ref>。いくつかの自治体は自治体間の特定の地域の中心地の役割を果たしている。{{仮リンク|マルーシ|en|Maroussi}}({{lang|el|Μαρούσι}})、{{仮リンク|キフィシア|en|Kifisia}}({{lang|el|Κηφισιά}})、{{仮リンク|グリファダ|en|Glyfada}}はそれぞれ北やさらに北、アテネ南郊のそれぞれの中心地でペリステーリは西郊の中心である。
== 文化・観光 ==
[[File:Athens Roman Agora 4-2004 3.JPG|thumb|left|ローマのアゴラ]]
[[File:Athènes Acropole Caryatides.JPG|thumb|[[カリアティード]]のポーチ エレクテイオン]]
[[File:Panagía Gorgoepíkoös 2010 2.jpg|thumb|聖エレフェリオス教会。ビザンティンの教会で[[生神女福音大聖堂 (アテネ)|生神女福音大聖堂]]の隣]]
アテネは古代から旅行者にとりポピュラーな目的地である。ここ10年間でアテネの都市インフラや都市の快適性は改善されてきており、2004年の[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]の招致にも成功している。ギリシャ政府が欧州連合の援助を受けて大規模なインフラプロジェクトである[[アテネ国際空港]]<ref>{{cite web |url=http://www.aia.gr/UserFiles/File/235956_Englishl.pdf |title=AIA: Finance |publisher=www.AIA.gr |work=Athens International Airport, S.A. |accessdate=5 April 2007}}</ref> や[[アテネ地下鉄]]の拡張<ref name=EUfund>{{cite web |url=http://ec.europa.eu/regional_policy/themes/olympe/pages/focus_en.htm |title=Olympic Games 2004: five major projects for Athens |publisher=ec.europa.eu |work=European Union Regional Policy |accessdate=5 April 2007| archiveurl= https://web.archive.org/web/20070520043310/http://ec.europa.eu/regional_policy/themes/olympe/pages/focus_en.htm| archivedate= 20 May 2007 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}{{リンク切れ|date=February 2012}}</ref>、新しい高速道路''Attiki Odos''の整備が進められた<ref name=EUfund/>。昨今の厳しい経済状況からアテネ国際空港の旅客数は減り続けている<ref>[http://greece.greekreporter.com/2012/08/28/passenger-traffic-at-athens-international-airport-drops/ Passenger Traffic at Athens International Airport Drops] By A. Papapostolou on August 28, 2012</ref>。
=== 考古学の中心 ===
アテネは考古学調査の世界的な中心である。[[アテネ大学]]やアテネ考古学学会のような国家的な機関、[[アテネ国立考古学博物館]]や{{仮リンク|キクラデス芸術ゴーラドリス美術館|en|Goulandris Museum of Cycladic Art}}、[[金石学]]博物館、[[東ローマ帝国|ビザンティン]]博物館、[[アテナイのアゴラ|古代のアゴラ]]、[[アクロポリス博物館]]、[[ケラメイコス]]などの考古学に関する博物館が含まれる。アテネには{{仮リンク|考古学科学|en|Archaeological science}}の[[デモクリトス]]研究所や{{仮リンク|ギリシャ文化省|en|Minister for Culture (Greece)}}を構成する地域や国の考古学に関する機関がある。これに加えて、17の海外の考古学に関する機関がありそれぞれの国の出身の研究者により研究が促進されている。その結果、アテネでは多くの考古学図書館や3つの考古学に特化した研究所があり、会議やセミナー、多くの展示会も毎年開催されている。催しが開かれる時には多くの国際的な学者や研究者がアテネに集まる。
=== 博物館 ===
[[File:Nat arc mus ath 09.jpg|thumb|アテネ中心部にある[[アテネ国立考古学博物館]]]]
アテネ考古学博物館はギリシャでは最大の考古学に関する博物館で、国際的にも重要な位置を占めている。収蔵品には幅広いコレクションがあり、5,000年以上前の新石器時代から[[ローマ帝国支配下のギリシャ]]の時代の遺産を網羅している。{{仮リンク|ベナキ博物館|en|Benaki Museum}}はいくつかの分野のコレクションが含まれ、古代やビザンティン、オスマン時代、中国美術など様々である。{{仮リンク|ビザンティン・クリスチャン博物館|en|Byzantine & Christian Museum}}は[[ビザンティン美術]]に関してもっとも重要な博物館である。[[アテネ貨幣博物館]]は豊富な古代や現代の硬貨のコレクションが収蔵されている。{{仮リンク|キクラデス芸術ゴーラドリス美術館|en|Goulandris Museum of Cycladic Art}}は{{仮リンク|キクラデス芸術|en|Cycladic art}}に関する幅広いコレクションが収蔵され、この中には白い大理石で出来た像が含まれる。[[アクロポリス博物館]]は2009年に開館し、アクロポリスの古い博物館を置き換えている。新しい博物館はかなりの人気ぶりを証明し、2009年6月から10月までの夏の期間には100万人の来場者があった。アテネには多くの小規模なものや私立のギリシャの文化に焦点を当てた博物館があり美術館もある。
[[ファイル:Acropolis of Athens 01361.JPG|thumb|200px|[[パルテノン神殿]]]]
=== エンターテイメント・舞台芸術 ===
[[File:Athen Odeon Herodes Atticus BW 2017-10-09 13-12-44.jpg|thumb|ヘロドス・アッティクス音楽堂]]
[[File:Show at the Athens Planetarium.jpg|thumb|アテネプラネタリウム]]
アテネには148の演劇ステージがあり、世界のどの都市よりも有名な古代からの[[ヘロディス・アッティコス音楽堂]]がありアテネ祭が毎年10月に開催される<ref>{{cite web|url=http://www.urbanaudit.org |title=Home Page |publisher=Urban Audit |accessdate=21 March 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090206144738/http://urbanaudit.org/| archivedate= 6 February 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.greekfestival.gr/?lang=en |title=Athens – Epidaurus Festival 2008 |publisher=Greekfestival.gr |accessdate=21 March 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090222165312/http://www.greekfestival.gr/?lang=en| archivedate= 22 February 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。
多くの大規模な複合施設があり、アテネはロマンティックな野外劇の会場にもなっている。また、幅広い多くのコンサート会場もありその中には{{仮リンク|アテネコンサートホール|en|Athens Concert Hall}}(''Megaron Moussikis'')も含まれ世界中の著名なアーティストを年中集めている<ref>{{cite web|url=http://www.megaron.gr/megaro/programeng/top.htm |title=Megaron Events Chart |publisher=Megaron.gr |date=26 October 1997 |accessdate=21 March 2009}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>。アテネプラネタリウム<ref>{{cite web|url=http://www.eugenfound.edu.gr |title=Ίδρυμα Ευγενίδου. Εκπαιδευτικό Κοινωφελές Ίδρυμα |language={{el icon}} |publisher=Eugenfound.edu.gr |accessdate=21 March 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090307210501/http://www.eugenfound.edu.gr/| archivedate= 7 March 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref> はアンドリュー通りにあり世界でも最大規模のデジタルプラネタリウムである<ref>{{cite web|url=http://www.eugenfound.edu.gr/frontoffice/portal.asp?cpage=node&cnode=21 |title=ΙΔΡΥΜΑ ΕΥΓΕΝΙΔΟΥ 1954 / Ιστορικό |language={{el icon}} |publisher=Eugenfound.edu.gr |accessdate=25 October 2009}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.barco.com/reference/2484 |title=Athens Eugenides Planetarium|publisher=Barco|accessdate=16 June 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110707220221/http://www.barco.com/reference/2484| archivedate= 7 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。
=== スポーツ ===
アテネには長いスポーツとスポーツイベントの歴史がありギリシャのスポーツには重要な役割を担うスポーツクラブや競技施設が集まっている。アテネでは誰もが知る有名な国際的なスポーツの祭典も多く開催されている。[[夏季オリンピック]]は[[アテネオリンピック (1896年)|1896年]]と[[アテネオリンピック (2004年)|2004年]]の2度開催されている。2004年の夏季オリンピック開催時には[[アテネ・オリンピックスタジアム]]の大改修が必要になり、それ以来世界でももっとも美しいスタジアムの一つであるという評判を得ており、興味が惹かれる現代のモニュメントの一つである<ref>{{cite web |url=http://www.athens-today.com/e-olimpica_stadio.htm |title=Athens 21st Century – Athens Olympic Stadium |accessdate=26 December 2008 |publisher=Athens-today.com}}</ref>。ギリシャで一番大きなスタジアムとして[[UEFAチャンピオンズリーグ]]では1994年と[[UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07 決勝|2007年]]に2度の決勝が行われている。アテネの都市圏で他に大きなスタジアムは[[ピレウス]]にある[[スタディオ・ヨルギオス・カライスカキス]]で2004年に改修されている。1971年には[[UEFAカップウィナーズカップ]]が開催されている。2004年には[[サッカーギリシャ代表]]が[[UEFA EURO 2004]]の決勝で[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]に1-0で勝利している。
[[ユーロリーグ]]の決勝は3度開催され、最初は1985年に開催され2度目は1993年に開催され両方とも通称SEFで知られる{{仮リンク|平和友好スタジアム|en|Peace and Friendship Stadium}}で開かれている。このスタジアムはヨーロッパでも最大規模で魅力的な室内競技場の一つである<ref>{{cite web |url=http://www.athens-today.com/e-olimpica_faliro.htm |title=Athens 21st Century – The Olympic Coastal Complex |accessdate=26 December 2008 |publisher=Athens-today.com}}</ref>。3度目は2006-07年のシーズンに{{仮リンク|オリンピック・インドアホール|en|Olympic Indoor Hall}}で開催された。この他にも陸上競技やバレーボール、水球など多くのスポール競技の大会がアテネを会場としている。
アテネは様々な地形が含まれており、周辺部の丘陵地や山はとくに知られヨーロッパの主要な首都の街としては唯一、山が交わっている。周辺部の地形から多種多様な、スキー、ロッククライミング、ハンググライダー、ウィンドサーフィンなどの野外スポーツを楽しむことが出来る。
[[ファイル:Olympic flame at opening ceremony.jpg|thumb|[[2004年]][[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]開会式の聖火]]
====プロリーグ====
アテネを本拠地とするスポーツクラブとして、以下のチームがある。
* サッカー([[ギリシャリーグ]])
** [[パナシナイコスFC|パナシナイコス]] - アテネ中心部やダウンタウンを中心に人気があるクラブ。特に富裕層に支持されている。
** [[AEKアテネ]] - アテネ北部を中心に人気のあるクラブ。特にユダヤ系に人気。
** [[パニオニオスNFC]] - アテネ南部を中心にギリシャで一番古い名門クラブ。
** [[アトロミトスFC]] - アテネ西部を中心とするクラブ。
** [[エガレオ]] - アテネ西部、[[エガレオ]]地区を中心とするクラブ。
** [[エスニコス・アフナFC]] - アテネ東部を中心としたクラブ。
** [[イリシアコス]] - アテネ西部[[ゾクラフウ]]地区を中心としたクラブ。
** [[カリテアFC]] - アテネ南部[[カリテア]]地区を中心としたクラブ。
** [[アギア・パラスケヴィFC]] - アテネ東部の[[アギア・パラスケヴィ]]地区を中心とするクラブ。
** [[アギオス・ディミトリオスFC]] - アテネ南部[[アギオス・ディミトリオス]]地区を中心とするクラブ。
** [[ハイダリFC]] - アテネ西部[[ハイダリ]]地区を中心とするクラブ。
** [[イリオポリFC]] - アテネ南部[[イリオポリ]]地区を中心とするクラブ。
** [[オリンピアコスFC|オリンピアコス]]([[ピレウス]]) - アテネ市の南の港町、[[ピレウス]]が本拠地の庶民派人気クラブ。
* バスケットボール([[ギリシャバスケットボールリーグ]])
** [[パナシナイコス]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
** [[AEKアテネ]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
** [[エガレオ]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
** [[マルーシ]] - [[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]のメーン会場となった地区を中心とするクラブ。
** [[パネリニオス]] - アテネ中部[[キプセリ]]地区を中心とするクラブ。
** [[パニオニオス]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
** [[AOダフニ]] - アテネ南部にある[[ダフニ]]地区を中心とするクラブ。
** [[イリシアコス]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
** [[AOニアー・イースト]] - アテネ東部、[[ケサリアニ]]地区を中心とするクラブ。
** [[AOパグラティ]]
** [[オリンピアコス]]([[ピレウス]]) - サッカー同様、総合スポーツクラブのバスケット部門。
* バレーボール([[:en:A1 Ethniki Volleyball|A1]][[ギリシャバレーボールリーグ]])
** [[パナシナイコス]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバレーボール部門。
** [[AEKアテネ]] - サッカー同様、総合スポーツクラブのバレーボール部門。
** [[パネリニオス]] - バスケットボール同様、総合スポーツクラブのバレーボール部門。
** [[キフィシア]] - アテネ北部[[キフィシア]]地区を中心とするクラブ。
** [[オリンピアコス]]([[ピレウス]]) - サッカー同様、総合スポーツクラブのバレーボール部門。
* ウォーターポロ(水球)([[A1 Ethniki Water Polo|A1]][[ギリシャ水球リーグ]])
** [[オリンピアコス]]([[ピレウス]]) - サッカー同様、総合スポーツクラブの水球部門。
** [[エスニコス・ピレウス・ウォーターポロクラブ]]([[ピレウス]]) - 水球の強豪クラブ。
== 教育 ==
[[ファイル:Mk01n101.jpg|thumb|アテネアカデミー]]
[[File:Propylea-athens.jpg|thumb|left|デンマーク人建築家テオフィル・ハンセンによる記念館(Propylaea)。式典会場やアテネ大学のレクトリーに使われる。]]
[[File:National library of greece athens.jpg|thumb|ギリシャ国立図書館エントランス]]
{{仮リンク|パネピスティミーウ通り|en|Panepistimiou Street}}には古い[[アテネ大学]]のキャンパスがあり、{{仮リンク|ギリシャ国立図書館|en|Panepistimiou Street}}や{{仮リンク|アテネアカデミー|en|Academy of Athens (modern)}}はアテネ三部作"Athens Trilogy"を形作り、19世紀半ばに建てられた。ほとんどの大学の運営は東郊の{{仮リンク|ゾグラフォウ|en|Zografou}}のより大きな近代的なキャンパスに移転している。アテネ第2の高等教育機関である、{{仮リンク|アテネ工科大学|en|National Technical University of Athens}}はパティシオン通りにある。1973年11月17日に、13人の学生が死亡し多数のけが人が出た{{仮リンク|アテネポリテクニック暴動|en|Athens Polytechnic uprising}}が学内で発生している<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/november/25/newsid_2546000/2546297.stm |title=1973: Army deposes 'hated' Greek president |work=BBC News |accessdate=22 March 2009|date=25 November 1973}}</ref>。この暴動は1967年4月21日から1974年7月23日の、[[トルコのキプロス侵攻]]まで続いた[[ギリシャ軍事政権]]に抵抗するものであった。アテネ首都圏には11の国立の高等教育や職業専門校などの機関がある。設立が古い順に{{仮リンク|アテネ美術学校|en|Athens School of Fine Arts}}(1837)、アテネ工科大学(1837)、アテネ大学(1837)、{{仮リンク|アテネ農業大学|en|Agricultural University of Athens}}(1920)、{{仮リンク|アテネ経済商科大学|en|Athens University of Economics and Business}}(1920)、{{仮リンク|パンティオン大学|en|Panteion University}}(1927)、{{仮リンク|ピレウス大学|en|University of Piraeus}}(1938)、{{仮リンク|ピレウス技術教育研究所|en|Agricultural University of Athens}}、{{仮リンク|アテネ技術教育研究所|en|Technological Educational Institute of Athens}}(1983)、{{仮リンク|ヘロコピポ大学|en|Harokopio University}}(1990)、{{仮リンク|教育法・技術教育大学|en|School of Pedagogical and Technological Education}} (2002)である。ギリシャでは私立の大学の設立が憲法により禁止されているが、いくつかのカレッジと呼ばれる私立の教育機関はある。それらの多くは外国の大学により設立され、{{仮リンク|ギリシャアメリカンカレッジ|en|American College of Greece}}、{{仮リンク|インディアナポリス大学|en|University of Indianapolis}}が運営する{{仮リンク|インディアナポリス大学・アテネキャンパス|en|University of Indianapolis – Athens Campus}}がある。
== 環境問題 ==
[[File:Athens recycling plateia-kotzia.JPG|thumb|left|アテネのリサイクル回収機]]
1970年代後半まで、アテネの公害は有害なものになっており{{仮リンク|ギリシャ文化省の大臣|en|Minister for Culture (Greece)}}コンスタンティノ・トリパニス(Constantine Trypanis)によれば「[[エレクテイオン]]の5つの女像柱の細部の退化が深刻で、一方パルテノン西側の騎手の顔はほとんど消失している」とされる<ref>{{cite news |url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,918645,00.html |title=Acropolis: Threat of Destruction |publisher=Time.com |work=Time Magazine |date=31 January 1977 |accessdate=3 April 2007}}</ref>。1990年代に行われた一連の市当局による厳しい措置により大気汚染は改善され、スモッグ(アテネではネフォス''nefos''と呼ばれることも)の発生は少なくなった。ギリシャ当局により大気汚染改善の措置は1990年代を通じて広範囲に行われ、空気の質はアッティカ平原全体で改善されている。それでもやはり、アテネでは大気汚染の問題はとくに暑い夏の日の期間には残っている。2007年6月後半<ref name=outraged>{{cite news |url=http://www.iht.com/articles/2007/07/16/news/greece.php |title=As forest fires burn, suffocated Athens is outraged |first=Niki |last=Kitsantonis |date=16 July 2007 |accessdate=3 February 2008 |work=International Herald Tribune}}</ref> にアッティカ地域はでは多くの[[2007年ギリシャ山林火災|山火事]]<ref name=outraged/> が発生し、火災の延焼箇所にはパルニサ山の国立公園内の森林の多くの部分が含まれており<ref name=ypexode>{{cite press release |title=Συνέντευξη Τύπου Γ. Σουφλιά για την Πάρνηθα |publisher=Hellenic Ministry for the Environment, Physical Planning, & Public Works |date=18 July 2007 |url=http://www.minenv.gr/download/2007-07-18.sinenteksi.typoy.Parnitha.doc |format=.doc |language=Greek |accessdate=15 January 2008 |quote=Συνολική καμένη έκταση πυρήνα Εθνικού Δρυμού Πάρνηθας: 15.723 (Σύνολο 38.000)| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080216035359/http://www.minenv.gr/download/2007-07-18.sinenteksi.typoy.Parnitha.doc| archivedate= 16 February 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>、森林は年間を通じてアテネの空気の質を維持する為に重要と考えられている<ref name=outraged/>。大きな排出管理の努力は残りの10年で実施され、プラントの整備などによりサロニク湾やアテネ首都圏沿岸部の水質は改善され、現在では再びスイマーなどが訪れることが出来るようになっている。2007年1月にアテネは郊外の{{仮リンク|アノ・リオシア|en|Ano Liosia}}の[[最終処分場]]が満杯になる排出管理の問題に直面している<ref name=overflow>{{cite news |url=http://www.redorbit.com/news/science/819945/rot_sets_in_as_athenss_trash_problem_mounts/index.html |title=Rot sets in as Athens's trash problem mounts |date=30 January 2007 |accessdate=10 February 2008}}</ref>。危機は1月半ば当局により一時的な最終処分場にゴミを処分することにより緩和された<ref name=overflow/>。
== 交通 ==
アテネの交通は様々な交通機関により提供されており、ギリシャでは最大の大量輸送システムを形成している。アテネの大量輸送機関は特にバスやトロリーバスで構成され主にアテネ中心部をカバーしている。地下鉄や[[通勤列車|通勤鉄道]]も運行され<ref>{{cite web|url=http://www.proastiakos.gr |title=Προαστιακός |publisher=Proastiakos.gr |accessdate=21 March 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090324032333/http://www.proastiakos.gr/| archivedate= 24 March 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>、トラムの路線網は南郊と中心部を結んでいる<ref>{{cite web|url=http://www.tramsa.gr/index.cfm?page_id=192&category=learn&lang_id=1 |title=Tram Sa |publisher=Tramsa.gr |accessdate=5 January 2009| archiveurl= https://web.archive.org/web/20090114071740/http://www.tramsa.gr/index.cfm?page_id=192&category=learn&lang_id=1| archivedate= 14 January 2009 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。
=== バス交通 ===
''Etaireia Thermikon Leoforeion''({{lang|el|ΕΘΕΛ}})や''Thermal''バス会社がアテネにおける主たる路線バス事業者である。300路線によりネットワークが構成され、路線はアテネ大都市圏地域に広がっており<ref>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 5 |accessdate=28 January 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>、5,327人のスタッフにより1,839台のバスが運行されている<ref name=AB>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 6 |accessdate=28 January 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>。1,839台のバスのうち、416台は[[圧縮天然ガス]]が使われ<ref name=AB/>、ヨーロッパでは最大の天然ガスを燃料とするバス車両で構成されている<ref>{{cite news |title=New, Post-Olympics Athens |url=http://www.minpress.gr/minpress/aboutbrandgreece_low-res-9-tatsiopoulos.pdf |accessdate=23 August 2008 |page=79 |author=Ilias Tatsiopoulos & Georgios Tziralis |work=www.minpress.gr |publisher=Secretariat General of Communication – Secretariat General of Information |format=PDF| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080909201644/http://www.minpress.gr/minpress/aboutbrandgreece_low-res-9-tatsiopoulos.pdf| archivedate= 9 September 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}} {{リンク切れ|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>。
バスの車両は天然ガスと並んでディーゼルエンジンのバスが使われており、アテネ都市圏ではトロリーバスも使われ運行会社の名称が呼ばれている。トロリーバスはアテネと[[ピレウス]]地域で{{仮リンク|ILPAP|en|ILPAP}}により22の路線が1,137人のスタッフにより運行されている<ref name=CD>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 11 |accessdate=28 January 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>。全部で366台のトロリーバスの車両があり、これらは停電など何らかの不具合があった場合にはディーゼルエンジンで走行が可能である<ref name=CD/>。
アテネには2箇所の長距離バスターミナルがある。[[ペロポネソス半島]]方面を中心にギリシャ全土への長距離バスが発着する[[キフィソウ通りバスターミナル]](通称、ターミナル A)と、[[バルカン半島]]方面への短・中距離バスが発着する[[リオシオン=バスターミナル]](通称、ターミナル B)である。ターミナルAと市内中心部との交通機関は市内バス51系統であり、[[アテネ地下鉄2号線|地下鉄2号線]][[メタクスルギオ駅]]や[[オモニア駅]]付近との間を結んでいる。また、ターミナルBは[[アテネ地下鉄1号線|地下鉄1号線]][[アギオス・ニコラオス駅]]の500m北西にある。また、アテネ国際空港とターミナルAおよびBを結ぶ空港バスX93系統も運行されている。[[アルバニア]]、[[ブルガリア]]、[[マケドニア共和国|マケドニア]]、[[ルーマニア]]方面へのバスがアテネから運行されている。地下鉄2号線メタクスルギオ駅とギリシャ国鉄[[アテネ駅]]を結ぶテオドリアス・ディミトリアス通り沿いに、国際バスを運行する民間会社のオフィスがある。バスはオフィス前あるいは会社が指定する乗降場所から出発する。
=== アテネメトロ ===
{{Main|アテネ地下鉄}}
アテネ地下鉄はギリシャではより一般的にはアッティカメトロ ({{lang-el|Αττικό Mετρό}})として知られアテネ都市圏地域をカバーする公共交通機関として運行されている。大量輸送機関としての目的が主であるが、建設時に発見されたギリシャの遺跡も収容している<ref>{{cite web |url=http://www.culture.gr/2/21/211/21103a/e211ca09.html |work=Hellenic Ministry of Culture |title=Athens Metro |accessdate=26 January 2007 |publisher=www.culture.gr |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061207072925/http://www.culture.gr/2/21/211/21103a/e211ca09.html |archivedate=7 December 2006}}</ref>。アテネメトロは387人のスタッフにより2つの路線が運行され、2号線が赤、3号線が青とそれぞれの路線は色で区別されている。最初の区間は2000年1月に運行が開始された。すべての区間が現在地下で、42編成252両の車両で全路線が運行され<ref name=xyz>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 15 |accessdate=4 February 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>、1日あたりの旅客数は550,000人である<ref name=xyz/>。
*'''レッドライン'''(2号線)はアギオス・アントニオス({{lang|el|Άγιος Αντώνιος}})からアギオス・ディミトリス({{lang|el|Άγιος Δημήτριος}})までの営業距離11.6km<ref name=xyz/>。現在、それぞれの方向に延伸工事中で西側はピレウス、南側は旧エリニコン国際空港、さらにエリニコンメトロポリタン公園まで。
*'''ブルーライン'''(3号線)は西郊のエガレオから中心部のモナスティラキ({{lang|el|Μοναστηράκι}})とシンタグマ駅、北東部郊外のハランディのドゥキシス・プラケンティアス駅までの16kmをカバーし<ref name=xyz/>、その後地上区間に入り郊外鉄道のインフラを利用し[[アテネ国際空港]]まで乗り入れている。これを含めると営業距離は39kmになる<ref name=xyz/>。
==== 電鉄 (ISAP)====
[[File:Metro Train in the Agora.jpg|thumb|アテネ中心部のアッタロスの下を行くISAPの電車]]
アテネに地下鉄会社がなかった頃はISAP ({{lang-el|ΗΣΑΠ}}) が長年アテネの主要な都市圏鉄道の機能を担っていた。今日では'''グリーンライン'''(1号線)と呼ばれアテネメトロの路線図に表示されるが、他の地下鉄路線と異なりISAPは大部分の区間が地上を走っている。この路線はピレウスからキフィシアまでの22駅<ref name=isa/> 25.6kmの営業距離<ref name=isa>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 9 |accessdate=4 February 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref> を730人のスタッフと44編成243両の車両で運行している<ref name=isa/>。1日あたりの旅客数は600,000人である<ref name=isa/>。アテネメトロはISAPとアッティカメトロの異なった2社により運営されている。
[[ファイル:Public transport map of Athens.png|thumb|left|アテネメトロの路線網]]
[[File:20070523-4124-NERATZIOTISA.jpg|thumb|left|郊外鉄道]]
=== 通勤・郊外鉄道 (プロアスティアコス)===
アテネの通勤鉄道は[[プロアスティアコス]]({{lang|el|Προαστιακός}})と呼ばれアテネ国際空港と[[コリントス]]の80kmとアテネの西からラリッサ駅を経由してピレウス港とを結ぶ。4つ目のアテネメトロの路線と見なされる時もある。現在のアテネ通勤鉄道の路線網は120kmで<ref name=proastiakos>{{cite web|url=http://www.proastiakos.gr/en/?tid=3&aid=0 |title=Proastiakos |publisher=www.proastiakos.gr |accessdate=9 June 2009}}{{リンク切れ|date=February 2012}}</ref>、2010年までに281kmまで路線が延伸されると予想されていた<ref name=proastiakos/>。
[[File:Athens Tram Peace and Friendship terminal.jpg|thumb|right|モダンなアテネトラムの車両と電停]]
=== トラム ===
アテネトラム会社により35編成の車両と<ref name=athenstram>{{cite web|url=http://www.tramsa.gr/index.cfm?page_id=207&category=learn&lang_id=1 |title=Tram Sa |publisher=Tramsa.gr |accessdate=25 October 2009}}</ref> 48の駅<ref name=athenstram/>、345人のスタッフによりトラム路線が運行されている。1日あたりの旅客数は65,000人である<ref name=athenstram/>。トラムの路線網は27kmで10のアテネ郊外部をカバーしている。トラムの路線は[[シンタグマ広場]]から南西部郊外の{{仮リンク|パレオ・ファリオ|en|Palaio Faliro}}を結び二つの支線に別れ、一つはアテネの沿岸部を走り南郊の{{仮リンク|ヴーラ|en|Voula}}に達し、もう一方はピレウスのネオ・ファリオに達する。路線網の大部分はサロニクの沿岸部をカバーしている<ref name=EF>{{cite web |url=http://www.oasa.gr/pdf/FactsAndFigures_en.pdf |title=Athens Urban Transport Network in Facts and Figures (pdf) page 13 |accessdate=28 January 2007 |work=OASA |publisher=www.oasa.gr}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>。さらにピレウス港まで延ばす計画もあり<ref name=athenstram/>、12の新しい駅を含む5.4kmの路線延長計画がある<ref>{{cite web|url=http://www.tramsa.gr/index.cfm?page_id=156&lang_id=1 |title=Tram Sa |publisher=Tramsa.gr |accessdate=25 October 2009}}</ref>。
=== 鉄道・フェリー ===
アテネは[[ギリシャ国鉄]]の輸送拠点で、ギリシャの主要都市の他、イスタンブールやソフィア、ブカレストなど国際的な連絡もあったが金融危機の影響により2011年以来休止されている。ピレウス港からは[[エーゲ海]]の島々とを結ぶ航路が就航し、夏には多くのフェリーが発着する他多くのクルーズ船もやって来る。
=== その他の鉄道 ===
[[リカヴィトスの丘]]には観光路線の[[リカヴィトス・ケーブルカー]]が運行されている。
[[File:El-Venizelos7.jpg|thumb|left|エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際空港のチェックインエリア]]
=== 空港 ===
アテネには最高水準の空港である[[アテネ国際空港]](エレフテリオス・ ヴェニゼロス国際空港,AIA)がメッソギハ平原の東側でアテネから35km離れた郊外の町{{仮リンク|スパタ (ギリシャ)|en|Spata|label=スパタ}}にある<ref name=aia>{{cite web |url=http://www.aia.gr/contact.asp?langid=2 |title=Athens International Airport: Facts and Figures |accessdate=11 February 2007 |work=Athens International Airport |publisher=www.aia.gr}}</ref>。この空港は"European Airport of the Year 2004"を受賞しており、南東ヨーロッパのハブ空港として22億ユーロをかけ51ヶ月の工期で完成している。14,000人が空港のスタッフとして雇用されている<ref name=pro>{{cite web |url=http://www.aia.gr/pages.asp?pageid=15&langid=2 |title=Athens International Airport: Airport Profile |accessdate=11 February 2007 |work=Athens International Airport |publisher=www.aia.gr}}</ref>。
空港にはアテネメトロ、郊外鉄道の他ピレウス港やアテネ中心部や郊外からは路線バスが乗り入れタクシーも利用できる。アテネ国際空港は1時間当たり65回の離着陸が出来<ref name=aia/>、24の搭乗橋<ref name=aia/> と144のチェックインカウンターと15万m2のメインターミナル、7000m2の商業エリアを備え免税店や小さなミュージアムも備える。2007年には1,653万8,390人の旅客数があり前年の2006年より9.7%増加した<ref name=airstats>{{cite web |url=http://www.aia.gr/UserFiles/File/4/163815_2007_Passengers_EN.pdf |title=Athens International Airport: Passenger Traffic Development 2007 |accessdate=6 February 2008 |work=Athens International Airport |publisher=}}</ref>。このうち、595万5,387人<ref name=airstats/> は国内線利用者で1,058万3,003人は国際線の利用者であった<ref name=airstats/>。2007年には205,294回の離着陸回数があり、毎日562機が利用していた<ref>{{cite web |url=http://www.aia.gr/UserFiles/File/4/163952_2007_Flights_EN.pdf |title=Athens International Airport: Air Traffic Movements Development 2007 |accessdate=6 February 2008 |work=Athens International Airport}}</ref>。2012年現在ではギリシャの経済危機の影響により旅客数は大きく落ち込んでいる<ref>[http://www.bloomberg.com/news/2012-08-27/passenger-traffic-at-greece-s-biggest-airport-drops-through-july.html Passenger Traffic At Greece’s Biggest Airport Drops Through July] bloomberg.com By Natalie Weeks - Aug 27, 2012 6:33 PM GMT+0900</ref>。
=== 幹線道路 ===
[[File:Attiki-odos1.jpg|thumb|right|''Attiki Odos'' のインター、空港入口]]
二つの主要な高速道路がアテネを起点としている。A1/[[E75号線]]はピレウスからアテネ都市圏を通り、ギリシャ第二の都市テッサロニキへ向かう。A8/E94は西側のパトラス方向に向かい国道のGR-8Aと統合されている。完成するまではGR-1やGR-8が多く使われていた。さらにアテネ首都圏では規格が良い 高速道路''Attiki Odos''が整備されている。主となる区間は西郊の産業地区エレウシスからアテネ国際空港まで二つの環状道路はアイガレオ環状道路(A65)とイメットゥス環状道路(A64)と名付けられ、それぞれアテネの西側と東側で供用されている。''Attiki Odos''の総延長は65kmで<ref>[http://www.aodos.gr/article.asp?catid=12069&tag=7275 Aodos.gr]{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref> これはギリシャの都市圏高速道路では最大である。
*高速道路:
**'''A1/E75 N''' ''([[ラミア (ギリシャ)|ラミア]], [[ラリサ]], [[テッサロニキ]], [[マケドニア共和国]])''
**'''A8(GR-8A)/E94 W''' ''([[エレウシス]], [[コリントス]], [[パトラ|パトラス]])''
**'''A6 W''' ''(エレウシス)'' '''E''' ''([[アテネ国際空港]])''
*国道
**'''GR-1 Ν''' ''([[ラミア (ギリシャ)|ラミア]], [[ラリサ]], [[テッサロニキ]])''
**'''GR-8 W''' ''([[コリントス]], [[パトラ|パトラス]])''
**'''GR-3 N''' ''([[エレウシス]], [[ラミア (ギリシャ)|ラミア]], [[ラリサ]])''
== 姉妹都市 ==
アテネは以下の[[姉妹都市]]を有している:
{|class="wikitable"
|- valign="top"
|
*{{flagicon|United States}} [[アセンズ (ジョージア州)|アセンズ]], [[アメリカ合衆国]]
*{{flagicon|Spain}} [[バルセロナ]], [[スペイン]] (1999)<ref name="Barcelona">{{cite web|url=http://w3.bcn.es/XMLServeis/XMLHomeLinkPl/0,4022,229724149_257215678_1,00.html|title=Barcelona internacional – Ciutats agermanades|publisher=© 2006–2009 [http://www.bcn.es/catala/copyright/welcome2.htm Ajuntament de Barcelona]|language=Spanish|accessdate=13 July 2009}}</ref>
*{{flagicon|People's Republic of China}} [[北京市|北京]], [[中華人民共和国]] (2005)<ref>{{cite web |url=http://www.ebeijing.gov.cn/Sister_Cities/Sister_City/ |title=Beijing Sister Cities |accessdate=3 January 2007 |work=City of Beijing |publisher=www.ebeijing.gov.cn}}</ref>
*{{flagicon|Lebanon}} [[ベイルート]], [[レバノン]]<ref>{{cite web |url=http://www.beirut.gov.lb/MCMSTest/Menu-Pages/SisterCitiesEN.aspx?NRMODE=Published&NRORIGINALURL=%2fwww%2ebeirut%2egov%2elb%2fMCMSEN%2fTwinning%2bthe%2bCities%2f&NRNODEGUID=%7b18839037-0140-436E-A1AF-7F8F3693C3E6%7d&NRCACHEHINT=NoModifyGuest# |title=Twinnings of the city |accessdate=25 January 2008 |work=City of Beirut |publisher=www.beirut.gov.lb| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080221055403/http://www.beirut.gov.lb/MCMSTest/Menu-Pages/SisterCitiesEN.aspx?NRMODE=Published&NRORIGINALURL=%2Fwww%2Ebeirut%2Egov%2Elb%2FMCMSEN%2FTwinning%2Bthe%2BCities%2F&NRNODEGUID=%7B18839037-0140-436E-A1AF-7F8F3693C3E6%7D&NRCACHEHINT=NoModifyGuest| archivedate= 21 February 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>
*{{flagicon|Palestine}} [[ベツレヘム]], [[パレスチナ]] (1986)<ref>{{cite web |url=http://www.twinningwithpalestine.net/groupsinternational.html |title=Twinning with Palestine |work=Twinning With Palestine |accessdate=26 January 2008| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080201065556/http://www.twinningwithpalestine.net/groupsinternational.html| archivedate= 1 February 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref><ref name="BethlehemTwinning">{{cite web |url=http://www.bethlehem-city.org/Twining.php |title=::Bethlehem Municipality:: |publisher=www.bethlehem-city.org |accessdate=10 October 2009}}</ref>
*{{flagicon|Romania}} [[ブカレスト]], [[ルーマニア]]<ref>{{cite web |url=http://www.ase.ro/engleza/life_bucharest/history.asp |title=Academy of Economic Studies – Short History of Bucharest |accessdate=1 August 2008 |work=Bucharest University of Economics}} {{リンク切れ|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>
*{{flagicon|USA}} [[シカゴ]], [[アメリカ合衆国]](1997)<ref>{{cite web |url=http://www.chicagosistercities.com/index.php |title=Chicago Sister Cities |accessdate=3 January 2007 |work=City of Chicago |publisher=www.chicagosistercities.com}}</ref>
*{{flagicon|Peru}} [[クスコ]], [[ペルー]] (1991)<ref>{{cite web |url=http://www.municusco.gob.pe/ver.php?id=6 |title=Ciudades Hermanas |language=Spanish |work=Municipalidad del Cusco |publisher=www.municusco.gob.pe |accessdate=25 January 2008}}{{リンク切れ|date=February 2012}}</ref>
*{{flagicon|Turkey}} [[イスタンブール]], [[トルコ]]<ref>{{cite news |url=http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=94185 |publisher=Radikal |language=Turkish |date=3 November 2003 |title=İstanbul'a 49 kardeş |last=Erdem |first=Selim Efe |accessdate=25 January 2008 |work=Radikal}}</ref>
||
*{{flagicon|USA}} [[ロサンゼルス]], [[アメリカ合衆国]] (1984)<ref>{{cite web |url=http://www.lacity.org/sistercities/ |title=Los Angeles Sister Cities |accessdate=3 January 2007 |work=City of Los Angeles |publisher=www.lacity.org| archiveurl= https://web.archive.org/web/20070104020957/http://www.lacity.org/sistercities/| archivedate= 4 January 2007 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
*{{flagicon|Russia}} [[モスクワ]], [[ロシア]]<ref>{{cite web |url=http://www.mos.ru/wps/portal/!ut/p/c1/04_SB8K8xLLM9MSSzPy8xBz9CP0os3izECfXQHMPIwODQFMTAyMXFwNnFydvYwN3I6B8pFm8AQ7gaEBAdzjIPtwqDAwg8njM9_PIz03VL8iNMMgycVQEANg5rCU!/dl2/d1/L3dJVkkvd0xNQUJrQUVrQSEhL1lCcHhKRjFOQUEhIS82XzZUQkVRN0gyMDBRNTQwMkREMENEQkszMDA1LzdfNlRCRVE3SDIwMFE1NDAyREQwQ0RCSzMwODc!?nID=6_6TBEQ7H200Q5402DD0CDBK30G2&cID=6_6TBEQ7H200Q5402DD0CDBK30G2&documentId=102289#7_6TBEQ7H200Q5402DD0CDBK3087 |title=Moscow International Relations |month=June|year=2007 |accessdate=31 July 2008 |work=Moscow City Government}}{{リンク切れ|date=June 2011}}</ref>
*{{flagicon|Italy}} [[ナポリ]], [[イタリア]]<ref>{{cite web |url=http://www.comune.napoli.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/IT/IDPagina/5931 |title=Gemellaggi |language=Italian |work=Comune di Napoli |accessdate=1 September 2008| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080926161857/http://www.comune.napoli.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/IT/IDPagina/5931| archivedate= 26 September 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
*{{flagicon|Cyprus}} [[ニコシア]], [[キプロス]] (1988)<ref>{{cite web |title=Nicosia:Twin Cities |url=http://www.nicosia.org.cy/english/lefkosia_twins_athens.shtm |accessdate=25 January 2008 |work=Nicosia Municipality |publisher=www.nicosia.org.cy}}</ref>
*{{flagicon|South Korea}} [[ソウル特別市|ソウル]], [[大韓民国|韓国]] (2006)<ref>{{cite web |url=http://english.seoul.go.kr/gover/cooper/coo_02sis.html |title=International Cooperation: Sister Cities |accessdate=26 January 2008 |work=Seoul Metropolitan Government |publisher=www.seoul.go.kr |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071210175055/http://english.seoul.go.kr/gover/cooper/coo_02sis.html |archivedate=10 December 2007}}</ref>
*{{flagicon|Albania}} [[ティラナ]], [[アルバニア]]<ref>{{cite web |url=http://www.tirana.gov.al/common/images/International%20Relations.pdf |title=Twinning Cities: International Relations |accessdate=25 January 2008 |work=Municipality of Tirana |publisher=www.tirana.gov.al| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080216035358/http://www.tirana.gov.al/common/images/International%20Relations.pdf| archivedate= 16 February 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
*{{flagicon|USA}} [[ワシントンD.C.]], [[アメリカ合衆国]] (2000)<ref>{{cite web |title=Protocol and International Affairs: Sister-City Agreements |url=http://os.dc.gov/os/cwp/view,a,1206,q,522336.asp#sister |accessdate=25 January 2008 |work=District of Columbia |publisher=os.dc.gov| archiveurl= https://web.archive.org/web/20080129074421/http://www.os.dc.gov/os/cwp/view,a,1206,q,522336.asp| archivedate= 29 January 2008 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
*{{flagicon|ARM}} [[エレバン]], [[アルメニア]] (1993)<ref>{{cite web |url=http://www.yerevan.am/index.php?page=athina&lang=eng |title=International Cooperation: Sister Cities: Athens |accessdate=26 January 2008 |work=Yerevan Municipality |publisher=www.yerevan.am}}</ref>
*{{flagicon|Slovenia}} [[リュブリャナ]], [[スロベニア]]
|}
===協力協定===
また、以下の都市とは協力協定を結んでいる。
{|class="wikitable"
|- valign="top"
|
*{{flagicon|SRB}} [[ベオグラード]], [[セルビア]] (1966)<ref>{{cite web |url=http://www.beograd.rs/cms/view.php?id=1225698 |title=International Cooperation |accessdate=26 January 2008 |work=Grad Beograd |publisher=www.beograd.rs}}</ref>
*{{flagicon|France}} [[パリ]], [[フランス]] (2000)<ref>{{cite web |url=http://www.v1.paris.fr/EN/city_government/international/special_partners.asp |title=International: Special partners |work=Mairie de Paris |publisher=www.paris.fr |accessdate=26 January 2008}} {{リンク切れ|date=September 2010|bot=H3llBot}}</ref>
*{{flagicon|Colombia}} [[サンティアゴ・デ・カリ]], [[コロンビア]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|25em}}
== 関連項目 ==
* [[ピレウス]]
* [[スパルタ]]
* [[ピリッポス2世 (マケドニア王)]]
* [[デマゴーゴス]]
* [[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2006]]
* [[生神女福音大聖堂 (アテネ)|生神女福音大聖堂]] - [[ギリシャ正教会]]の[[首座主教]]である、[[アテネ大主教]]の[[主教座聖堂]]。
* [[フィロセイ]] - アテネの守護聖人の一人
* [[欧州文化首都]]
* [[エディンバラ]] - 「北のアテネ」
* [[プニュクス]]
* [[ケラメイコス]]
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Αθήνα|Athens}}
; 公式
* [http://www.cityofathens.gr/ アテネ市公式サイト] {{el icon}}
; 日本政府
* [https://www.gr.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在ギリシャ日本国大使館] {{ja icon}}
; 観光その他
* [http://www.athenstourism.gr/Greek/index.html アテネ観光経済開発局] {{el icon}}{{en icon}}
* [http://www.visitgreece.jp/athene/index.html ギリシャ政府観光局 - アテネ] {{ja icon}}
* [http://www.imaginas.gr/gallery/index.php?fID=36/ Pictures of Athens]
* [http://www.photopassport.gr/index_238.html アテネの空中写真]
* [http://www.flickr.com/photos/rfrumbao/sets/72157627268623809/ アテナ 1973]
* {{Kotobank|アテネ(ギリシア)}}
{{夏季オリンピック開催都市}}
{{夏季パラリンピック開催都市}}
{{世界陸上競技選手権大会開催都市}}
{{使徒パウロの第二回伝道旅行}}
{{欧州連合加盟国の首都}}
{{ヨーロッパの首都}}
{{世界歴史都市連盟加盟都市}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:あてね}}
[[Category:アテネ|*]]
[[Category:ヨーロッパの首都]]
[[Category:ギリシャの都市]]
[[Category:ギリシャの県都]]
[[Category:ギリシャの古都]]
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7,997 | オセロー | 『オセロー』(Othello)は、ウィリアム・シェイクスピア作(1602年)の悲劇で5幕の作品。シェイクスピアの四大悲劇の一つ。副題は「ヴェニスのムーア人」(The Moor of Venice)。
ヴェニスの軍人であるオセローが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻デズデモーナの貞操を疑い殺すが、のち真実を知ったオセローは自殺する、という話。最も古い上演の記録は1604年11月1日にロンドンのホワイトホール宮殿で行われたものである。登場人物の心理が非常に明快であり、シェイクスピアの四大悲劇中、最も平明な構造をもつ。ボードゲームのオセロの名前の由来である。
ヴェニスの軍人でムーア人であるオセローは、デズデモーナと愛し合い、デズデモーナの父ブラバンショーの反対を押し切って駆け落ちする。オセローを嫌っている旗手イアーゴーは、自分をさしおいて昇進した同輩キャシオーがデズデモーナと密通していると、オセローに讒言する。嘘の真実味を増すために、イアーゴーは、オセローがデズデモーナに贈ったハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置く。
イアーゴーの作り話を信じてしまったオセローは嫉妬に苦しみ怒り、イアーゴーにキャシオーを殺すように命じ、自らはデズデモーナを殺してしまう。だが、イアーゴーの妻のエミリアは、ハンカチを盗んだのは夫であることを告白し、イアーゴーはエミリアを刺し殺して逃げる。イアーゴーは捕らえられるが、オセローはデズデモーナに口づけをしながら自殺をする。
『オセロー』のもとは、ツィンツィオ(英語版)の『百物語』(Gli Hecatommithi)第3篇第7話にある。デズデモーナはギリシャ語で「不運な」という意味で、この話の中では、デズデモーナは事故死に見せかけてオセローが殺す。後に錯乱し、イアーゴーを解職したが、オセローはこの罪を問われ追放され、デズデモーナの親戚に殺される。イアーゴーはこのことが知られ、拷問の末に死亡する、という筋で、このほかは非常によく似ている。この話の中で名前で呼ばれているのはデズデモーナのみで、ほかはムーア人、旗手、などと呼ばれている。
表題の人物であるオセローは気高いムーア人(北アフリカのムスリム)であり、キプロスの軍隊の指揮官である。オセローはムーア人であるにもかかわらず、同情的に描かれている。これはムーア人のようなムスリムが悪役として描かれることが多かったシェイクスピアの時代のイギリス文学においては珍しいことである。ただしこれは個人的・道徳的に捉えた場合で、オセローに対するイアーゴーの同性愛――あるいは女より男を盲信するホモソーシャリティ――を認識するなら、純粋な背理者、欲望の実行(成功)者はオセローのみとなり、その当時のムーア人社会が男色者達の集団・男色社会として扱われていたことを踏まえると、イングランドはそれを許容しないというテーマ、すなわち悪はオセロー=ムーア人社会だけになる。オセローが黒人であるかアラブ人であるかについては研究者の間でも議論があるが、一般には前者と解釈されている。シェイクスピアは劇中でイスラム教についてほとんど触れていない。
他に、坪内逍遥、木下順二、平井正穂、三神勲らの訳がある。 | [
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] | 『オセロー』(Othello)は、ウィリアム・シェイクスピア作(1602年)の悲劇で5幕の作品。シェイクスピアの四大悲劇の一つ。副題は「ヴェニスのムーア人」。 ヴェニスの軍人であるオセローが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻デズデモーナの貞操を疑い殺すが、のち真実を知ったオセローは自殺する、という話。最も古い上演の記録は1604年11月1日にロンドンのホワイトホール宮殿で行われたものである。登場人物の心理が非常に明快であり、シェイクスピアの四大悲劇中、最も平明な構造をもつ。ボードゲームのオセロの名前の由来である。 | {{otheruses|シェイクスピアの作品|その他のオセロ|オセロ}}
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2023年6月27日 (火) 05:17 (UTC)
| 更新 = 2023年6月27日 (火) 05:17 (UTC)
}}[[ファイル:Othello and Desdemona in Venice by Théodore Chassériau.jpg|サムネイル|オセローとデズデモーナ]]
{{Portal|文学}}{{Portal|舞台芸術}}
『'''オセロー'''』(''Othello'')は、[[ウィリアム・シェイクスピア]]作([[1602年]])の[[悲劇]]で5幕の作品。シェイクスピアの四大悲劇の一つ。[[副題]]は「ヴェニスのムーア人」(''The Moor of Venice'')。
[[ヴェネツィア共和国|ヴェニス]]の軍人であるオセローが、旗手イアーゴーの奸計にかかり、妻[[デズデモーナ]]の貞操を疑い殺すが、のち真実を知ったオセローは自殺する、という話。最も古い上演の記録は1604年11月1日に[[ロンドン]]の[[ホワイトホール宮殿]]で行われたものである。登場人物の心理が非常に明快であり、シェイクスピアの四大悲劇中、最も平明な構造をもつ。ボードゲームの[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]の名前の由来である。
== あらすじ ==
ヴェニスの軍人で[[ムーア人]]であるオセローは、デズデモーナと愛し合い、デズデモーナの父ブラバンショーの反対を押し切って駆け落ちする。オセローを嫌っている旗手イアーゴーは、自分をさしおいて昇進した同輩キャシオーがデズデモーナと[[密通]]していると、オセローに讒言する。嘘の真実味を増すために、イアーゴーは、オセローがデズデモーナに贈った[[ハンカチ]]を盗み、キャシオーの部屋に置く。
イアーゴーの作り話を信じてしまったオセローは[[嫉妬妄想|嫉妬に苦しみ]]怒り、イアーゴーにキャシオーを殺すように命じ、自らはデズデモーナを殺してしまう。だが、イアーゴーの妻のエミリアは、ハンカチを盗んだのは夫であることを告白し、イアーゴーはエミリアを刺し殺して逃げる。イアーゴーは捕らえられるが、オセローはデズデモーナに口づけをしながら自殺をする。
== 原典 ==
『オセロー』のもとは、{{仮リンク|ツィンツィオ|en|Giovanni Battista Giraldi}}の『百物語』(Gli Hecatommithi)第3篇第7話にある。デズデモーナは[[ギリシャ語]]で「不運な」という意味で、この話の中では、デズデモーナは事故死に見せかけてオセローが殺す。後に錯乱し、イアーゴーを解職したが、オセローはこの罪を問われ追放され、デズデモーナの親戚に殺される。イアーゴーはこのことが知られ、[[拷問]]の末に死亡する、という筋で、このほかは非常によく似ている。この話の中で名前で呼ばれているのはデズデモーナのみで、ほかはムーア人、旗手、などと呼ばれている。
== 作品解説 ==
表題の人物であるオセローは気高いムーア人(北アフリカの[[ムスリム]])であり、[[キプロス]]の軍隊の指揮官である。オセローはムーア人であるにもかかわらず、同情的に描かれている。これはムーア人のようなムスリムが悪役として描かれることが多かったシェイクスピアの時代の[[イギリス文学]]においては珍しいことである。ただしこれは個人的・道徳的に捉えた場合で、オセローに対するイアーゴーの同性愛――あるいは女より男を盲信するホモソーシャリティ――を認識するなら、純粋な背理者、欲望の実行(成功)者はオセローのみとなり、その当時のムーア人社会が男色者達の集団・男色社会として扱われていたことを踏まえると、イングランドはそれを許容しないというテーマ、すなわち悪はオセロー=ムーア人社会だけになる。オセローが[[黒人]]であるか[[アラブ人]]であるかについては研究者の間でも議論があるが、一般には前者と解釈されている。シェイクスピアは劇中で[[イスラム教]]についてほとんど触れていない。
== 日本語訳 ==
*『オセロウ』[[岩波文庫]]、[[菅泰男]]訳
*『オセロー』[[新潮文庫]]、[[福田恆存]]訳
*『新訳 オセロー』[[角川文庫]]、[[河合祥一郎]]訳
*『オセロー』(シェイクスピア全集 13)[[ちくま文庫]]、[[松岡和子]]訳
*『オセロー』(シェイクスピア全集 27)白水Uブックス、[[小田島雄志]]訳
*『オセロー』 (真訳 シェイクスピア 四大悲劇) 河出書房新社、[[石井美樹子]]訳
他に、[[坪内逍遥]]、[[木下順二]]、[[平井正穂]]、[[三神勲]]らの訳がある。
== 映像化作品 ==
=== 映画 ===
*オセロ(1922年) - [[エミール・ヤニングス]]主演の[[サイレント映画]]。
*[[オセロ (1951年の映画)|オセロ]] (1951年) - [[オーソン・ウェルズ]]監督・主演。
*オセロ(1955年) - [[セルゲイ・ボンダルチュク]]、[[イリーナ・スコブツェワ]]出演。
*[[オセロ (1965年の映画)|オセロ]](1965年) - [[ローレンス・オリヴィエ]]、[[マギー・スミス]]出演。
*オセロ(1986年) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の[[オペラ]]『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』の映画化。[[フランコ・ゼッフィレッリ]]監督、[[プラシド・ドミンゴ]]主演。
*[[オセロ (1995年の映画)|オセロ]](1995年) - [[ケネス・ブラナー]]、[[イレーヌ・ジャコブ]]、[[ローレンス・フィッシュバーン]]出演。
*[[O (映画)|O]](2001年) - [[メキ・ファイファー]]、[[ジュリア・スタイルズ]]、[[ジョシュ・ハートネット]]出演。舞台は現代のアメリカのハイスクール。
*Omkara(2006年) - 舞台は現代の[[インド]]・[[ムンバイ]]。アジャイ・デーヴガン、サイフ・アリー・カーン、カリーナ・カプール出演。
=== テレビドラマ化 ===
*[[未来世紀シェイクスピア]](2008年) - [[AAA_(音楽グループ)|AAA(トリプル・エー)]]主演ドラマ([[関西テレビ放送|関西テレビ]])。
<!---
=== 舞台 ===
*[[The Lost Glory 〜美しき幻影〜]](2014年) - [[轟悠]]、[[柚希礼音]]、[[夢咲ねね]]出演。(モチーフとしていますが、オセロの舞台作品ではない)
--->
== 『オセロー』を元にした音楽作品 ==
*[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]] - ヴェルディのオペラ。オテロ(オテッロ、Otello)はオセローのイタリア語名。
*[[オテロ (ロッシーニ)|オテロ]] - [[ジョアキーノ・ロッシーニ]]のオペラ。
*序曲「オセロ」 - [[アントニン・ドヴォルザーク]]の序曲三部作『[[自然と人生と愛]]』の第3曲。
*[[威風堂々 (行進曲)|威風堂々]] - [[エドワード・エルガー]]の[[行進曲]]集。原題 ''Pomp and Circumstance'' はオセロの台詞から採られた。
*[[オセロ (リード)|オセロ]] - [[アルフレッド・リード]]が戯曲の上演のための[[付随音楽]]を作曲しており、後に演奏会用の[[吹奏楽曲]]としてまとめられている。
== 『オセロー』に由来して命名された事物 ==
*[[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]] (詳しくは[[オセロ (ボードゲーム)#歴史]]を参照)
*[[デズデモーナ (衛星)|デズデモーナ]](天王星の衛星)
*[[デズデモーナ (小惑星)|デズデモーナ]](小惑星)
*[[オセロ症候群]](病名)
== 関連項目 ==
* [[アブドゥルワーヒド・ブン・マスウード・ブン・ムハンマド・アンヌーリー]] - 『オセロー』が書かれる直前の1600年に[[モロッコ]]から[[イングランド]]に派遣された外交官
== 外部リンク ==
{{Commonscat||オセロー}}
* [https://web.archive.org/web/20040812150027/http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/othello/othello-toc.html 坪内逍遙訳 オセロー] - [[物語倶楽部]]の[[インターネットアーカイブ]]。
*[https://dl.ndl.go.jp/pid/962511/ オセロオ](国立国会図書館デジタルコレクション)[[久米正雄]]訳、新潮社
{{シェイクスピア}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:おせろお}}
[[Category:オセロー|*]]
[[Category:シェイクスピアの悲劇]]
[[Category:不倫を題材とした戯曲]]
[[Category:1600年代の戯曲]]
[[Category:ヴェネツィアを舞台とした作品]]
[[Category:西アジアを舞台とした作品]]<!--キプロス-->
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%BC |
8,003 | 二項演算 | 数学において、二項演算(にこうえんざん、英: binary operation)は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法(にこうさんぽう)、結合などともいう。
集合 A 上で定義される 2 変数の写像
を A 上の二項演算あるいは乗法などと呼び、集合 A を二項演算 μ の台集合 (underlying set) などと呼ぶ。A の 2 元 x, y に対し、順序対 (x, y) の二項演算 μ による像 μ(x, y) を x と y の積あるいは結合などと呼んで、多くの場合に中置記法に則って x μ y のように記す(混乱のおそれの無い場合には、しばしば xy と略記する)。
また、A × A 上の写像 g が A 上の二項演算を与えるとき、A は g について閉じているあるいは g は A において閉じているという。
1つまたは複数の二項演算に結合律、可換律あるいは分配律などといった条件が成立するかどうかを考えることで、二項演算やそれらの関係を分類することができる。
台集合 A {\displaystyle A} とその上の二項演算 μ {\displaystyle \mu } がなす組 ( A , μ ) {\displaystyle (A,\mu )} をマグマという。マグマが持つ二項演算に課せられた条件に基づいて半群や環、アーベル群など、様々な代数的構造が見いだされる。
ベクトル空間におけるベクトルのスカラー倍のようなものを二項演算と考える流儀もある。一般に、集合 A, B に対し、B の A への作用、つまり
の形で与えられる写像 μ を外部二項演算と呼んで二項演算の仲間に入れることがある。このとき、元の意味での二項演算を内部二項演算と呼んで区別する。外部二項演算 μ が与えられたとき、適当な写像
を用いると、B の各元 b において A 上の作用素、つまり
を満たす A 上の単項演算
が得られるので、外部二項演算 μ を A 上の単項演算の族 {αb}b∈B と見なすことができる。これは、これらの単項演算が A の内部での演算になっているので、代数系の構造論を考える立場からは自然な見方である。なお一般の場合として、集合 A, B, C に対し 2 変数の写像
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] | 数学において、二項演算は、数の四則演算(加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。二項算法(にこうさんぽう)、結合などともいう。 | {{出典の明記|date=2017年5月}}
[[数学]]において、'''二項演算'''(にこうえんざん、{{lang-en-short|''binary operation''}})は、数の[[四則演算]](加減乗除)などの 「二つの数から新たな数を決定する規則」 を一般化した概念である。'''二項算法'''(にこうさんぽう)、結合などともいう。
== 定義 ==
[[集合]] ''A'' 上で定義される 2 変数の[[写像]]
:<math>\mu\colon A \times A \to A;\ (x,y) \mapsto \mu(x,y)</math>
を ''A'' 上の'''二項演算'''あるいは'''乗法'''などと呼び、集合 ''A'' を二項演算 μ の'''台集合''' (<span lang=en>underlying set</span>) などと呼ぶ。''A'' の 2 元 ''x'', ''y'' に対し、[[順序対]] (''x'', ''y'') の二項演算 μ による像 μ(''x'', ''y'') を ''x'' と ''y'' の'''積'''あるいは'''結合'''などと呼んで、多くの場合に[[中置記法]]に則って ''x'' μ ''y'' のように記す(混乱のおそれの無い場合には、しばしば ''xy'' と略記する)。
また、''A'' × ''A'' 上の写像 ''g'' が ''A'' 上の二項演算を与えるとき、''A'' は ''g'' について'''[[閉性|閉じている]]'''あるいは {{mvar|g}} は {{mvar|A}} において閉じているという。
: {{mvar|A}} の任意の二つの対象から、第三の対象を与える「二項演算」の手続きのみが与えられていて、その手続きの値域がふたたび {{mvar|A}} に含まれるかどうか(第三の対象が {{mvar|A}} の対象となるか)が問題となるとき、この演算が閉じているかどうかを検討することが求められる。
: そのような例として、ある集合 {{mvar|S}} がより大きな集合 {{mvar|A}} の部分集合であって、{{mvar|A}} が特定の[[代数的構造]]を備えた代数系であるとき、{{mvar|S}} が {{mvar|A}} の[[部分代数系]]となること(すなわち、{{mvar|A}} の各演算を {{mvar|S}} に制限した演算を考えるとき {{mvar|S}} 自身が同じ代数的構造を持つこと)は、各演算が {{mvar|S}} において閉じていることが必要十分である。
== 諸概念 ==
1つまたは複数の二項演算に[[結合法則|結合律]]、[[交換法則|可換律]]あるいは[[分配法則|分配律]]などといった条件が成立するかどうかを考えることで、二項演算やそれらの関係を分類することができる。
台集合 <math>A</math> とその上の二項演算 <math>\mu</math> がなす組 <math>(A, \mu)</math> を[[マグマ (数学)|マグマ]]という。マグマが持つ二項演算に課せられた条件に基づいて[[半群]]や[[環論|環]]、[[アーベル群]]など、様々な[[代数的構造]]が見いだされる。
== 外部二項演算 ==
[[ベクトル空間]]におけるベクトルの[[スカラー倍]]のようなものを二項演算と考える流儀もある。一般に、集合 ''A'', ''B'' に対し、''B'' の ''A'' への[[作用 (数学)|作用]]、つまり
:<math>\mu\colon B \times A \to A;\ (b, a) \mapsto b \mathop{\,\mu\,} a</math>
の形で与えられる写像 μ を'''外部'''二項演算と呼んで二項演算の仲間に入れることがある。このとき、元の意味での二項演算を'''内部'''二項演算と呼んで区別する。外部二項演算 μ が与えられたとき、適当な写像
:<math>\alpha\colon B \to A^A;\ b \mapsto \alpha_b</math>
を用いると、''B'' の各元 ''b'' において ''A'' 上の作用素、つまり
:<math>\alpha_b(a) = b \mathop{\,\mu\,} a</math>
を満たす ''A'' 上の単項演算
:<math>\alpha_b\colon A \to A;\ a \mapsto b \mathop{\,\mu\,} a</math>
が得られるので、外部二項演算 μ を ''A'' 上の単項演算の族 {α<sub>''b''</sub>}<sub>''b''∈''B''</sub> と見なすことができる。これは、これらの単項演算が ''A'' の内部での演算になっているので、代数系の構造論を考える立場からは自然な見方である。なお一般の場合として、集合 ''A'', ''B'', ''C'' に対し 2 変数の写像
:<math>f\colon A \times B \to C</math>
を形式にこだわらずに二項演算とか積などと呼ぶ場合もある。この立場では例えばベクトルの[[内積]]などが二項演算の仲間に含まれる。
== 関連項目 ==
*[[算法]]
*[[代数的構造]]
{{二項演算}}
{{Abstract-algebra-stub}}
{{DEFAULTSORT:にこうえんさん}}
[[Category:二項演算|*]]
[[Category:数学に関する記事]] | null | 2023-06-09T19:43:17Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%A0%85%E6%BC%94%E7%AE%97 |
8,005 | デルポイ | デルポイ(古代ギリシア語: Δελφοι)は、古代ギリシアのポーキス地方にあった聖域。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそ(中心)と信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていた。古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
日本語では「デルフォイ」「デルファイ」と表記されることも多い。英語表記(Delphi)、フランス語表記(Delphes)や現代ギリシア語発音に基づく「デルフィ」も用いられる。遺跡の西にはデルフィの名をもつ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。
デルポイはパルナッソス山の西南麓に位置し、ギリシアの首都アスィーナ(古名: アテナイ)から西北へ122kmの距離にある。ティーヴァ(古名: テーバイ)からは西北西へ約75km、スパルティ(古名: スパルタ)からは北へ約157kmである。
デルポイの遺跡は、アポローン神殿を中心とする神域と、プロナオス・競技場(スタディオン)からなる。神域に隣接して、有力な諸ポリスの宝庫も築かれていた。デルポイのアポローン神殿の壁には1000を超す碑銘が記されている。奴隷の解放がその主な内容である。
デルポイはギリシア最古の神託所の一つである。デルポイの神託はすでにギリシア神話の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、オイディプース伝説がある。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる。
神がかりになったデルポイの巫女(ピューティアーやシビュッラ)によって謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には賄賂を使って、デルポイの神託を左右する一種の情報戦もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに宝庫を築いた。こうしたことから、デルポイは国際会議場の役割を果たしたとも考えられる。
史実において有名なデルポイの神託には、ヘロドトスの『歴史』が伝えるアテナイへの二つの神託がある。ペルシア戦争時にアテナイは初め滅亡を暗示する神託を得たのち、再び使者を立て、以下の神託を得た。
これをアテナイ市街を焼き払って当時は木造の壁に守られていたアクロポリスに籠城すると解釈するものがあったが、テミストクレスは「木の壁」を船を指すものと解釈し、三段櫂船を造らせて、サラミスの海戦でペルシア軍を破った。
またソクラテスの友人はデルポイで「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託を籤で得てその哲学的探求を促した。この神託に疑問を持ったソクラテスは、当時知者とされた人々を訪ねて回った。その結果、「知っていると思っている」人ばかりがいることを見出し、真の知者はいないが「知らないと思っている」(無知の知)という点でわずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到ったと、プラトンの『ソクラテスの弁明』などの古代の証言は伝えている。
その後、ギリシアの政治的地位の低下と伝統的宗教の衰微とともに、キリスト教の隆盛を待たずしてデルポイの神託はその地位を失っていった。カイロネイアの人でデルポイの神官も務めた伝記作家プルタルコスは、デルポイの神託について、その衰微を中心として数篇の著作を残している。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。 | [
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] | デルポイは、古代ギリシアのポーキス地方にあった聖域。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそ(中心)と信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていた。古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 日本語では「デルフォイ」「デルファイ」と表記されることも多い。英語表記(Delphi)、フランス語表記(Delphes)や現代ギリシア語発音に基づく「デルフィ」も用いられる。遺跡の西にはデルフィの名をもつ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。 | {{Otheruses|古代の地名・遺跡・世界遺産|現代の都市|デルフィ|その他のDelphi|デルファイ}}
{{世界遺産概要表
|site_img = File:Delphi Composite.jpg
|site_img_capt = 劇場跡
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|ja_name = デルフィの考古遺跡
|en_name = Archaeological Site of Delphi
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|}}
'''デルポイ'''({{lang-grc|Δελφοι}}<ref>{{lang-*-Latn|grc|Delphoi}}</ref>)は、[[古代ギリシア]]の[[フォキス|ポーキス]]地方にあった聖域。[[パルナッソス山]]のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界の[[へそ]](中心)と信じられており、[[ポイボス]]・[[アポローン]]を祀る神殿で下される「'''デルポイの[[神託]]'''」で知られていた。古代デルポイの遺跡は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]](文化遺産)に登録されている。
日本語では「'''デルフォイ'''」「'''デルファイ'''」と表記されることも多い。英語表記({{lang|en|Delphi}})、フランス語表記({{lang|fr|Delphes}})や[[現代ギリシア語]]発音に基づく「'''デルフィ'''」も用いられる。遺跡の西には[[デルフィ]]の名をもつ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。
== 地理 ==
デルポイは[[パルナッソス山]]の西南麓に位置し、ギリシアの首都[[アテネ|アスィーナ]](古名: [[アテナイ]])から西北へ122kmの距離にある。[[ティーヴァ]](古名: [[テーバイ]])からは西北西へ約75km、[[スパルティ]](古名: [[スパルタ]])からは北へ約157kmである。
[[File:Delphi Temple of Apollo.jpg|thumb|アポローン神殿の遺構]]
デルポイの遺跡は、[[アポローン]][[神殿]]を中心とする神域と、プロナオス・競技場(スタディオン)からなる。神域に隣接して、有力な諸ポリスの宝庫も築かれていた。デルポイのアポローン神殿の壁には1000を超す碑銘が記されている。奴隷の解放がその主な内容である。
== デルフィの神託 ==
[[File:Delphi stadium DSC06305.jpg|thumb|[[ピューティア大祭]]で使用された競技場跡]]
デルポイはギリシア最古の神託所の一つである。デルポイの神託はすでに[[ギリシア神話]]の中にも登場し、人々の運命を左右する役割を演じる。デルポイの神託が登場する神話には、[[オイディプース]]伝説がある。神殿入口には、神託を聞きに来た者に対する3つの格言が刻まれていたとされる<ref>Plato, ''Charmides'' 164d-165a.</ref><ref>http://polylogos.org/hs002.html</ref>。
* {{lang|grc|γνῶθι σεαυτόν}}({{lang|grc-Latn|gnōthi seauton}}) - 「[[汝自身を知れ]]」
* {{lang|grc|μηδὲν ἄγαν}}({{lang|grc-Latn|mēden agan}}) - 「過剰の無」(過ぎたるは及ばざるがごとし、多くを求めるな、度を越すなかれ)
* {{lang|grc|ἐγγύα πάρα δ᾽ ἄτη}}({{lang|grc-Latn|engua para d' atē}}) - 「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)
神がかりになったデルポイの[[巫女]]([[ピューティアー]]や[[シビュラ|シビュッラ]])によって謎めいた詩の形で告げられるその託宣は、神意として古代ギリシアの人々に尊重され、ポリスの政策決定にも影響を与えた。また時には[[賄賂]]を使って、デルポイの神託を左右する一種の[[情報戦]]もあったといわれる。デルポイに献納する便のために、ギリシアの各都市はデルポイに宝庫を築いた。こうしたことから、デルポイは国際会議場の役割を果たしたとも考えられる。
史実において有名なデルポイの神託には、[[ヘロドトス]]の『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』が伝えるアテナイへの二つの神託がある。[[ペルシア戦争]]時にアテナイは初め滅亡を暗示する神託を得たのち、再び使者を立て、以下の神託を得た。
{{quotation|されど[[アイギス]]保つ[[ゼウス]]の[[アテナイ|御娘]]は、木の壁のみを守りとて[[アカイア人]]に与え給う。|ヘロドトス『歴史』}}
これをアテナイ市街を焼き払って当時は木造の壁に守られていた[[アテナイのアクロポリス|アクロポリス]]に籠城すると解釈するものがあったが、[[テミストクレス]]は「木の壁」を船を指すものと解釈し、[[三段櫂船]]を造らせて、[[サラミスの海戦]]でペルシア軍を破った。
また[[ソクラテス]]の友人はデルポイで「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託を籤で得てその[[哲学]]的探求を促した。この神託に疑問を持ったソクラテスは、当時知者とされた人々を訪ねて回った。その結果、「知っていると思っている」人ばかりがいることを見出し、真の知者はいないが「知らないと思っている」([[無知#無知の自覚と知ある無知|無知の知]])という点でわずかに自らがそれらの人々より賢いと思うに到ったと、[[プラトン]]の『[[ソクラテスの弁明]]』などの古代の証言は伝えている。
その後、ギリシアの政治的地位の低下と伝統的宗教の衰微とともに、[[キリスト教]]の隆盛を待たずしてデルポイの神託はその地位を失っていった。カイロネイアの人でデルポイの神官も務めた伝記作家[[プルタルコス]]は、デルポイの神託について、その衰微を中心として数篇の著作を残している。
== その他 ==
* アテネより高速バスで3時間。
* 現在は[[遺跡保護]]のため、パルナッソス山の斜面と[[オリーブ]]畑エリアでの[[建築]]は禁止されている<ref>{{Cite web |title=Archaeological Site of Delphi |url=https://whc.unesco.org/en/list/393/ |website=UNESCO World Heritage Centre |access-date=2023-04-28 |language=en}}</ref>。
== 登録基準 ==
{{世界遺産基準|1|2|3|4|6}}
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Delphi}}
* [[Delphi]]
* [[ヒュペルボレイオス]]
* [[コンスタンティノープル競馬場]] - デルポイにあった「蛇の柱」が運ばれた。
* [[隣保同盟]]
* [[神聖戦争]]
* [[オンパロス]]
* {{ill2|デルポイの三脚鼎|en|Sacrificial tripod}} - 神託を下すのに使用された祭器
* {{ill2|蛇の柱|en|Serpent Column}} - かつて黄金の三脚鼎と大釜(共に所在不明)が祀られていた台座。ヘロドトスによると、ペルシア戦争時の兵器を溶かし作られた青銅製の3匹の蛇が絡まった柱。現在はイスタンブールに置かれている。
* [[デルファイ法]] - 予測分析手法。
* [[デルフィック格言]]
*[[エフォロイ]]
== 外部リンク ==
* [https://skydrive.live.com/view.aspx?cid=E39B50D7D9EA3235&resid=E39B50D7D9EA3235%21121&app=WordPdf The ¨ E ¨ of Delphi and the "Know thyself"]
* [https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%A4-101904#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デルフォイ(デルフォイ)とは] - [[コトバンク]]
{{ギリシャの世界遺産}}
{{Coord|38|29|N|22|30|E|type:landmark_region:GR|display=title}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てるほい でるぽい}}
[[Category:古代ギリシア都市]]
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[[Category:中央ギリシャ]]
[[Category:アポローン]]
[[Category:1987年登録の世界遺産]] | null | 2023-04-28T05:27:40Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4 |
8,006 | ワード | ワード(英: word)は、データ量あるいは情報量の単位である。バイト同様に場合によりまちまちな単位であるが、1980年頃には8ビットに落ち着いたバイトと異なり、現在もまちまちに使われている。場合によってはサイズを固定せずに「データのひとかたまり」を意味していることもある(「可変長ワード」)。
たとえばコンピュータのプロセッサの場合、そのプロセッサの汎用レジスタのサイズをワードとし、その倍長を「ダブルワード」、半分を「ハーフワード」などと呼ぶものもある。System/360に始まる32ビットマシンの時代が長く続いたので32ビットを1ワードとする文化があり、あるいは32ビットはミニコンピュータのベストセラーVAXの文化でもある。一方でパーソナルコンピュータには、x86の初代である8086における1ワードである16ビットが最初に基準となったことによる命名規則による文化もある。近年はマイクロプロセッサも64ビット化し、あるいはSIMDなどで128ビットなどのワードも現れている。
歴史的には、System/360(バイトマシンの確立)より前のマシンでは、「オクテットの2倍か4倍のサイズをワードとする」という設計にする動機が薄く、12ビット~36ビット程度のワードの扱いを得意とする設計とした「ワードマシン」か、6ビット程度の「字」の扱いを得意とする「キャラクタマシン」の、どちらかの設計とすることが多かった。マイコン時代にも、東芝のTLCS-12Aという12ビットワードのマシンの例がある。 | [
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{{N-bit}}
'''ワード'''({{lang-en-short|word}})は、[[データ]]量あるいは[[情報量]]の[[単位]]である。[[バイト (情報)|バイト]]同様に場合によりまちまちな単位であるが、1980年頃には[[8ビット]]に落ち着いたバイトと異なり、現在もまちまちに使われている。場合によってはサイズを固定せずに「データのひとかたまり」を意味していることもある(「可変長ワード」)。
たとえば[[コンピュータ]]の[[プロセッサ]]の場合、そのプロセッサの汎用[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]のサイズをワードとし、その倍長を「ダブルワード」、半分を「ハーフワード」などと呼ぶものもある。[[System/360]]に始まる[[32ビット]]マシンの時代が長く続いたので32ビットを1ワードとする文化があり、あるいは32ビットは[[ミニコンピュータ]]のベストセラー[[VAX]]の文化でもある<ref>[http://catb.org/jargon/html/V/vaxocentrism.html vaxocentrism]の13番目を参照。</ref>。一方で[[パーソナルコンピュータ]]には、[[x86]]の初代である[[Intel 8086|8086]]における1ワードである16ビットが最初に基準となったことによる命名規則による文化もある。近年は[[マイクロプロセッサ]]も[[64ビット]]化し、あるいは[[SIMD]]などで[[128ビット]]などのワードも現れている。
歴史的には、[[System/360]]([[バイトマシン]]の確立)より前のマシンでは、「[[オクテット (コンピュータ)|オクテット]]の2倍か4倍のサイズをワードとする」という設計にする動機が薄く、12ビット~36ビット程度のワードの扱いを得意とする設計とした「[[ワードマシン]]」か、6ビット程度の「字」の扱いを得意とする「[[キャラクタマシン]]」の、どちらかの設計とすることが多かった。マイコン時代にも、東芝の[[TLCS-12A]]という12ビットワードのマシンの例がある。
== 出典 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[データ量の比較]]
{{データ型}}
{{デフォルトソート:わあと}}
[[Category:情報の単位]]
[[Category:コンピュータの算術]] | 2003-05-10T19:14:31Z | 2023-12-28T01:31:57Z | false | false | false | [
"Template:Otheruses",
"Template:N-bit",
"Template:Lang-en-short",
"Template:データ型"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89 |
8,007 | ピピンアットマーク | ピピンアットマーク(Pippin atmark、Pippin @.)とは、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがApple Computer(現:Apple)と共同開発したMacintosh互換のマルチメディア機。名前の「ピピン」はリンゴの一品種からとられている。
Classic Mac OS (7.5.x) と互換性を持つpippinOSとCD-ROMドライブを搭載し、ピピンアットマーク用ゲームの他にMacintosh用ゲームも遊べる。ハードディスクは有さず、代わりにフラッシュメモリを記憶装置として搭載していた。また、標準でモデムを搭載し、ダイヤルアップ接続でインターネットに接続できていた。
1996年3月から日本とアメリカで発売された。このうち、アメリカではpippin@WORLD(ピピンアットワールド)という名称で販売されている。
しかし、後述するように様々な理由で成功せず、莫大な損失を生み出して商業的には大失敗に終わった。当時は販売不振とされる家庭用ゲーム機でも数十万台から数百万台以上を販売していたが、ピピンアットマークは50万台を製造してわずか4万2千台しか販売できず、「世界で最も売れなかったゲーム機」とされている。
本製品は、1996年3月から日本およびアメリカ合衆国にて販売された。当初は電話注文か、加盟店での販売のみで、1996年6月15日からはモデムを別売りにした廉価版が、各種周辺機器と同時に一般店舗で販売された。
本製品は家電量販店での販売を想定していたにもかかわらず、家電業界の商習慣に反してリベートを一切支払わないという条件が立てられた。本製品の販売部門の課長に就任した川口勝は、家電製品の営業実績がなかったこともあって困惑したものの、Appleのブランド力をもって交渉を推し進めるしかなかった。
また、量販店による値引き販売を防ぐため、バンダイ側が一括で在庫を管理し、店側には発注書を渡した上で、客がバンダイに送った発注書の数に応じて手数料がバンダイに支払われるという仕組みが作られた。この仕組みは、Apple側の担当者である原田泳幸により、デジタル・ディストリビュート・システムと名付けられた。
さらに、漫画雑誌『月刊少年ギャグ王』にて大々的な販売告知キャンペーンがおこなわれた。
発売前の千人枠のモニターに10万4千人が応募したものの、実際に店頭で発注書を手に取った客は少なかった。コンセプトが当時のゲーム機の領域を超えたため、小売店の理解を思ったほど得られなかった。 累計の損失額は約260億円となった。本製品の開発責任者である鵜之澤伸はUniteTokyo2019のセッションにて、損失額が268億円であると発言している。1998年3月13日付で事業担当子会社(BDE:バンダイ・デジタル・エンタテインメント)を解散し、予定していた次世代機も出ないまま事実上撤退した。最終的に全世界で4万2千台を出荷したという。そういったことから、後年にはバンダイの黒歴史の1つとしても挙げられている。
失敗の主な原因として、下記のような点が挙げられている。
1990年代前半の開発された当時としては先進的なオンラインコミュニティーやボイスチャット機能の開発も行われていた。しかし、日本国内ではダイヤルQ2によるツーショットダイヤルが社会問題化していたことから、「(子供向けの製品が主力の)バンダイの製品がアダルト系サービスに利用されかねない」と危惧した当時の社長・山科誠の判断により、それらの機能は開発中止となっている。バンダイによるユーザーサポートは、2002年12月31日まで続けられていた。
Appleの代表的な失敗例として、Newtonと共にピピンアットマークの名前が取り上げられることがある。しかしApple自体は、ゲーム開発やネットワークのインフラ提供、バンダイDEの販売戦略などに関わっていたわけではなく、Appleの方からも「あれはうちと名前の似た別の会社が作った物で、その会社はこの失敗で倒産して消えた」と否定している。
撤退後、ピピンのネットワーク機能のために用意された数百台ものサーバー機器は、バンダイで携帯向けコンテンツの提供のために転用され、新会社「バンダイネットワークス」が立ち上げられ、結果的にバンダイに大きな利益をもたらしたという。
マルチメディアアーキテクチャ、Pippinに準じた設計になっている。また、アメリカで販売されたバージョンは本体とコントローラーの色がダークグレーとなっているほか、パッケージも非常に簡素なものとなっている。
ほか | [
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"text": "ピピンアットマーク(Pippin atmark、Pippin @.)とは、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがApple Computer(現:Apple)と共同開発したMacintosh互換のマルチメディア機。名前の「ピピン」はリンゴの一品種からとられている。",
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"text": "Appleの代表的な失敗例として、Newtonと共にピピンアットマークの名前が取り上げられることがある。しかしApple自体は、ゲーム開発やネットワークのインフラ提供、バンダイDEの販売戦略などに関わっていたわけではなく、Appleの方からも「あれはうちと名前の似た別の会社が作った物で、その会社はこの失敗で倒産して消えた」と否定している。",
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"text": "マルチメディアアーキテクチャ、Pippinに準じた設計になっている。また、アメリカで販売されたバージョンは本体とコントローラーの色がダークグレーとなっているほか、パッケージも非常に簡素なものとなっている。",
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] | ピピンアットマークとは、バンダイ・デジタル・エンタテイメントがApple Computerと共同開発したMacintosh互換のマルチメディア機。名前の「ピピン」はリンゴの一品種からとられている。 | {{Infobox_コンシューマーゲーム機
|名称 = ピピンアットマーク
|ロゴ = [[File:PIPPIN.svg|120px]]
|画像 = [[File:Pippin-Atmark-Console-Set.png|320px]]
|画像コメント = ピピンアットマーク
|メーカー = [[Apple|Apple Computer]]<br />[[バンダイ]]
|種別 = [[マルチメディア機]]
|世代 = [[ゲーム機|第5世代]]
|発売日 = {{flagicon|Japan}} [[1996年]][[3月28日]]<br />{{flagicon|United States}} 1996年[[9月1日]]
|CPU = [[PowerPC|PowerPC 603]] 66MHz
|GPU =
|メディア = [[CD-ROM]]
|ストレージ = フラッシュ
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|外部接続 = [[モデム]]: 14,400[[ビット毎秒|bps]]
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|最高売上ソフト =
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|前世代ハード = [[プレイディア]]
|次世代ハード =
}}
'''ピピンアットマーク'''(''Pippin atmark''、''Pippin @.'')とは、[[バンダイ|バンダイ・デジタル・エンタテイメント]]がApple Computer(現:[[Apple]])と共同開発した[[Macintosh]]互換の[[マルチメディア機]]。名前の「ピピン」は[[リンゴ]]の一品種からとられている。
== 概要 ==
[[Classic Mac OS]] (7.5.x) と互換性を持つpippinOSと[[CD-ROM]]ドライブを搭載し、ピピンアットマーク用[[ゲームソフト|ゲーム]]の他にMacintosh用ゲームも遊べる。[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]は有さず、代わりに[[フラッシュメモリ]]を記憶装置として搭載していた。また、標準でモデムを搭載し、[[ダイヤルアップ接続]]で[[インターネット]]に接続できていた。
[[1996年]]3月から[[日本]]<ref name="PCwatch19960528">{{cite news|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960528/pipin.htm|title=ピピンアットマーク、店頭販売開始|newspaper=PC Watch|publisher=インプレス|date=1996-05-28|accessdate=2020-01-04}}</ref><ref name="ITMedia20191204" />と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で発売された。このうち、アメリカでは'''pippin@WORLD'''(ピピンアットワールド)という名称で販売されている。
しかし、後述するように様々な理由で成功せず、莫大な損失を生み出して商業的には大失敗に終わった。当時は販売不振とされる家庭用ゲーム機でも数十万台から数百万台以上を販売していたが、ピピンアットマークは50万台を製造してわずか4万2千台しか販売できず、'''「世界で最も売れなかったゲーム機」'''とされている<ref>{{Cite web|和書|author=[[:en:PC World|PCWorld]] |date=2007-05-07 |url=https://gigazine.net/news/20070507_worst_selling_consoles/ |title=世界中で売れなかったゲーム機ワースト10 |publisher=[[GIGAZINE]] |accessdate=2021-03-26}}</ref><ref name="4gamer_20210311039">{{Cite news|url=https://www.4gamer.net/games/999/G999903/20210311039/|title=世界で最も売れなかったゲーム機「ピピンアットマーク」に迫る。NHK BSプレミアム「神田伯山のこれがわが社の黒歴史」第1回が3月19日放映|newspaper=4Gamer.net|publisher=aetas|date=2021-03-11|accessdate=2021-05-29}}</ref>。
== 歴史 ==
{{節スタブ}}
=== 販売 ===
本製品は、[[1996年]]3月から[[日本]]{{R|PCwatch19960528}}<ref name="ITMedia20191204">{{Cite web|和書|title=『ジャンプ』伝説の編集長が、『ドラゴンボール』のゲーム化で断ち切った「クソゲーを生む悪循環」|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1912/05/news014_2.html|website=ITmedia ビジネスオンライン|accessdate=2020-01-04|date=2019年12月04日}}</ref>および[[アメリカ合衆国]]にて販売された。当初は電話注文か、加盟店での販売のみで、1996年6月15日からは[[モデム]]を別売りにした廉価版が、各種周辺機器と同時に一般店舗で販売された<ref>[https://web.archive.org/web/19970627105348/http://www.bdec.co.jp/ja/f_new.html ピピン@アットマーク店頭販売、単体販売開始!! 6月15日より「ピピン@アットマーク」の店頭販売を開始します。] バンダイ・デジタル・エンタテイメント (waybackmachine)</ref>。
本製品は家電量販店での販売を想定していたにもかかわらず、家電業界の商習慣に反してリベートを一切支払わないという条件が立てられた。本製品の販売部門の課長に就任した川口勝は、家電製品の営業実績がなかったこともあって困惑したものの、Appleのブランド力をもって交渉を推し進めるしかなかった<ref name="nikkei20170606" />。
また、量販店による値引き販売を防ぐため、バンダイ側が一括で在庫を管理し、店側には発注書を渡した上で、客がバンダイに送った発注書の数に応じて手数料がバンダイに支払われるという仕組みが作られた<ref name="nikkei20170606" />。この仕組みは、Apple側の担当者である[[原田泳幸]]により、'''デジタル・ディストリビュート・システム'''と名付けられた<ref name="nikkei20170606" />。
さらに、漫画雑誌『[[月刊少年ギャグ王]]』にて大々的な販売告知キャンペーンがおこなわれた<ref name="nikkei20170606" />。
=== 反響と失敗 ===
発売前の千人枠のモニターに10万4千人が応募したものの、実際に店頭で発注書を手に取った客は少なかった<ref name="nikkei20170606" />。コンセプトが当時のゲーム機の領域を超えたため、小売店の理解を思ったほど得られなかった<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20200601101/|title = “世界で最も売れなかったゲーム機”ピピンアットマークの真実とは。「黒川塾 七十六(76)」聴講レポート|website = www.4gamer.net|publisher = www.4gamer.net|date = |accessdate = 2020-09-07}}</ref>。
'''累計の損失額は約260億円'''となった<ref name="nikkei20170606">{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXZZO19087590R20C17A7000000|title=「私の課長時代」 川口勝|publisher=日本経済新聞|date=2017年6月6日|accessdate=2020-01-04}}</ref>。本製品の開発責任者である[[鵜之澤伸]]はUniteTokyo2019のセッションにて、損失額が268億円であると発言している<ref name="ITMedia20191204" />。[[1998年]][[3月13日]]付で事業担当子会社(BDE:バンダイ・デジタル・エンタテインメント)を解散し、予定していた次世代機も出ないまま事実上撤退した。最終的に'''全世界で4万2千台'''を出荷したという<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980227/bandai.htm バンダイ、ピピンから撤退。BDE清算]、PC watch、1998年2月27日</ref>。そういったことから、後年にはバンダイの[[黒歴史]]の1つとしても挙げられている{{R|4gamer_20210311039}}。
失敗の主な原因として、下記のような点が挙げられている。
* インターネット接続によるマルチメディア機能の将来像や、具体的なユーザーの利益がまったく提示できなかったこと。
* 49,800円と高過ぎたこと<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960528/pipin.htm ピピン@アットマーク、店頭販売開始] PC Watch 1996年5月27日</ref><ref name="nikkei20170606" />。
* Appleの無理解。
* 当初同時期のマッキントッシュ用CD-ROMのソフトウェアとの互換性を掲げていたが実現できず、専用ソフトの発売も少数となり、本体を牽引する人気作品が登場しなかったこと。
* ブラウン管モニターは解像度が低く、提供しようとしていた年賀状アプリなどがまったく視認できなかったこと。
1990年代前半の開発された当時としては先進的なオンラインコミュニティーやボイスチャット機能の開発も行われていた。しかし、日本国内では[[ダイヤルQ2]]による[[ツーショットダイヤル]]が社会問題化していたことから、「(子供向けの製品が主力の)バンダイの製品がアダルト系サービスに利用されかねない」と危惧した当時の社長・[[山科誠]]の判断により、それらの機能は開発中止となっている。バンダイによるユーザーサポートは、2002年12月31日まで続けられていた。
Appleの代表的な失敗例として、[[Apple Newton|Newton]]と共にピピンアットマークの名前が取り上げられることがある。しかしApple自体は、ゲーム開発やネットワークのインフラ提供、バンダイDEの販売戦略などに関わっていたわけではなく、Appleの方からも「'''あれはうちと名前の似た別の会社が作った物で、その会社はこの失敗で倒産して消えた'''」と否定している。{{要出典|date=2023年6月}}
撤退後、ピピンのネットワーク機能のために用意された数百台ものサーバー機器は、バンダイで携帯向けコンテンツの提供のために転用され、新会社「[[バンダイネットワークス]]」が立ち上げられ、結果的にバンダイに大きな利益をもたらしたという<ref>「講談師・神田伯山が企業の黒歴史を語る!おもちゃ会社バンダイが社運をかけた新商品「ピピンアットマーク」」番組上において。</ref>。
== インターネット接続サービス ==
* バンダイ・デジタル・エンタテインメント運営の「アットマークチャネル」に入会することで、ピピンアットマークを使用してインターネット、各通信サービスの利用が可能であった。
* 基本料金:2,000円(ただし、1月間に10時間以上利用した以降は1分毎に10円の超過料金が掛かる。また、最寄りのアクセスポイントまでの電話料金は別途必要)
* [[キャプテンシステム]]へも接続できた。
== ハードウェア仕様 ==
マルチメディアアーキテクチャ、Pippinに準じた設計になっている。また、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で販売されたバージョンは本体とコントローラーの色がダークグレーとなっているほか、パッケージも非常に簡素なものとなっている。
[[ファイル:Bandai-Apple-Pippin-Console-Back.jpg|サムネイル|本体背面]]
* [[CPU]]:[[PowerPC]]603 66[[MHz]]
* [[Random Access Memory|RAM]]:6MB(最大13MBまで拡張可能・1MBはビデオ表示([[VRAM]])に使用)
* CD-ROMドライブ:4倍速
* 出力:[[Video Graphics Array|VGA]],[[NTSC]],[[PAL]]
* モデム:14,400[[ビット毎秒|bps]]
* ROM:4MB
* RAMスロット:1基
* 拡張スロット:[[Peripheral Component Interconnect|PCI]]準拠スロット、メモリー拡張スロット
* インターフェイス:[[VGA端子|VGA]]出力、[[S端子|S映像]]出力、[[コンポジット映像信号|ビデオ]]出力、ステレオサウンド[[入出力]](L/R)、プリンターポート、[[モデム]]ポート([[GeoPort]])、ステレオPHONE端子、[[Apple Desktop Bus|P-ADB端子]]
* 映像サイズ:640×480ドット(最大3万2768色)
* サウンド:16ビットステレオ入出力
* サイズ:H89×W228×D257(mm)
* 重さ:約3.5kg
; 特別ネットワークセット¥64,800(税別)
: 本体、付属コントローラー、専用モデム、Pippin用CD-ROMソフト4本
; ピピン@アットマークセット¥49,800(税別)
: 本体、付属コントローラー、Pippin用CD-ROM(テレビワークス、PEASE)
== 周辺機器 ==
[[ファイル:Bandai-Apple-Pippin-Modem.jpg|サムネイル|ATMARKモデム]]
* ATMARKモデム(¥12,800):データ転送速度 14,400[[ビット毎秒|bps]](サイズ:H26×W71×D91/重さ:約0.3kg)
** [[:en:GeoPort|GeoPort]]を利用する外付けモデム。後期モデル(PiPPiN@WORLD MODEM含む)は、33,600bps<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=BDE、Macでも使えるピピン用ワイヤレスコントローラなどを発売|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/961118/pipin.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2021-03-16}}</ref>。
* ATMARKキーボード(¥9,800):A6サイズのタブレット付き専用ボード(サイズ:H24×W270×D330/重さ:約1.1kg)
* ATMARKフロッピーユニット(¥12,000):1.44MB高密度FDD内蔵(サイズ:H45×W271×D280/重さ:約2.0kg)
* ATMARKコントローラ(¥5,800):追加コントローラー(サイズ:H51×W157×D95/重さ:約0.3kg)
* ATMARKワイヤレスコントローラ(¥11,800)[[IrDA|赤外線]]によるもの<ref name=":0" />
* ATMARKアダプタ
** ATMARKアダプタA(¥2,000):ATMARK→ADB
** ATMARKアダプタB(¥2,000):ADB→ATMARK
*** [[Apple_Desktop_Bus|ADB]]規格対応のキーボードやマウス等が相互接続可能な変換アダプタ
* ATMARKメモリーカード:拡張容量2MB(¥11,800)/4MB(¥?)/8MB(¥21,800)(サイズ:H6×W51×D51/重さ:0.1kg)
* DOCKING TURBO(¥49,800)[[オリンパス]]製230Mバイト/128Mバイト対応3.5インチ[[光磁気ディスク|MO]]ドライブ<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960924/pipin.htm オリンパス、ピピンアットマーク用MOドライブを発表](「PCウォッチ」[[1996年]][[9月24日]])
</ref>
* 対応プリンタ:Apple [[Color StyleWriter]] 1500, 2200, 2400, 2500 Apple StyleWriter II, 1200
** 作成したテキストやイラストをプリントアウト可能。
== 対応ソフト ==
* [[たまごっち]] CD-ROM Pippin/Macintosh版(育成シミュレーション)
* Racing Days for Pippin([[レーシング]])
* GUNDAM VIRTUAL MODELER LIGHT(デジタルホビー)
* [[GUNDAM TACTICS MOBILITY FLEET0079]](シミュレーション)
* [[GUNDAM 0079 THE WAR FOR EARTH]](シミュレーション)
* 機動戦士ガンダム 第13独立部隊 ホワイトベース(シミュレーション)
* [[SDガンダム外伝 (Pipin)|SDガンダム外伝]](カードバトルゲーム)
* ジオン軍ミリタリーファイル(デジタルホビー)
* SDガンダム ウォーズ(シミュレーション)
* [[森高千里]]CD-ROM [[渡良瀬橋 (曲)|渡良瀬橋]](音楽)
* [[EGWORD]] PURE for Pippin(実用)
* Tunin'Glue(音楽)
* アニメデザイナー[[ドラゴンボールZ]](エンタテインメント)
* Victorian Park(エンタテインメント)
* AI将棋(エンタテインメント)
* ごきげんママのおまかせダイアリー(実用)
* SeesawC1(エデュテインメント)
* LULU(エンタテインメント)
* [[アンパンマン]]とあそぼう!1(エンタテイメント)
* アンパンマンとあそぼう!2(エンタテイメント)
* アンパンマンのあいうえお~ん(エンタテイメント)
* [[ウルトラマン ]]デジタルボードゲーム
* ウルトラマンクイズ王(キング)
ほか
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Apple Pippin}}
*[[FM TOWNS マーティー]]
*[[RX-78 (パソコン)|RX-78]]
*[[プレイディア]]
*[[宮河恭夫]]:ピピンアットマークの開発リーダー。
*[[川口勝]]:ピピンアットマークの販売リーダー。
== 外部リンク ==
*[http://www.catkicking.com/pippin/ pippin@web]
*[http://apple.ism.excite.co.jp/page/Pippin+atmark%E3%80%80%EF%BC%88Pippin+%40%E3%80%80%E3%83%94%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%EF%BC%89.html Pippin atmark (Pippin @ ピピンアットマーク) - エキサイトism Appleウィキ]
{{家庭用ゲーム機/その他}}
{{DEFAULTSORT:ひひんあつとまあく}}
[[Category:Appleのハードウェア]]
[[Category:バンダイのハードウェア]]
[[Category:マルチメディア]]
[[Category:ゲーム機]]
[[Category:1996年のコンピュータゲーム|*ひひんあつとまあく]]
[[Category:1990年代の玩具]] | 2003-05-10T19:38:12Z | 2023-10-24T10:23:27Z | false | false | false | [
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"Template:Cite web",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF |
8,008 | テラドライブ | テラドライブは、
テラドライブ(TERADRIVE)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガ)が日本IBMと共同開発し、1991年5月に発売した、PC/ATパソコン「IBM PC」とゲーム機「メガドライブ」の複合機。
テラドライブはメガドライブと同じ黒基調のデスクトップ筐体にパーソナルコンピュータとメガドライブの同居するIBM製マザーボードを搭載している。前面にあるスイッチでPCかメガドライブかを選択して起動できるほか、同時に稼動させることもできた。表示には専用モニタを用いるか、またはPC用モニタとビデオモニタを併用することもできる。OSにはIBM DOSバージョンJ4.0/V(いわゆるDOS/V)が採用されていた。
単にパソコンとメガドライブを一つの箱に入れただけでなく、80286とメガドライブのMC68000は互いのバスが結ばれており、連携できることを特徴としていた。当時それぞれDOS/Windows機とMacintoshで採用されていた2大CPUの併用という大胆な構成は話題を呼んだが、PC部のCPUはあくまで80286であり、当時のMacintoshのOSである漢字Talkが動作するわけではない。
またPC部は単なる互換機にとどまらずIBM純正PCの性格を持ち、ROM DOSや漢字ROM、専用メニューなど、当時のIBM製PCに相当する機能を備えていた。ただし発売元はあくまでセガである。コンシューマーゲーム機のバリエーションとしては非常に高価である一方で、PCとして見た場合は(当時としては)非常に安価に提供されていた。しかし発売当時としてもマシンパワーが低く、陳腐化も早かった。今後の標準として「Windows (V3.0)対応」も謳われていたが、マイクロソフト製Windows 3.1日本語版以降には対応していない。
ここでは主としてPC側のハードウェアについて述べる。メガドライブ側のハードウェアにも本機特有の仕様がいくつかあるが、それ以外の部分はメガドライブを参照。
このほか専用キーボード(HTR-2106)も後に(補修部品が)単独で一部流通した例があるが、これはもともとカタログに記載が無く、製品ラインナップとして用意されていたものではなかった。PS/2接続であるため事実上の汎用品ではあるが、建前上はあくまでパソコン本体の一部分のような扱いだった。
テラドライブは家庭でのマルチメディア(旧ニューメディア)環境の本格的な普及を目指し、実売価格10万円を意図して開発された意欲的な製品だったが、価格を抑えるためPCjr並みにPCとしての性能と拡張性が低かったことから普及には至らず、後継機種、上位機種とも発売されなかった。当時のIBM製高級機と差別化するためにわざと性能を落としたという評価もある。
1991年発売のテラドライブはWindowsには非力だが、初代DOS/Vを搭載した厳密な意味での「DOS/V機」である。しかし一般に広くDOS/V機の名が普及したのは翌1992年のコンパック・ショック以降だった。それ以前に開発されたテラドライブは、安価でも高性能というDOS/V機としての利点を生かしきれていなかった。ただし、それでも当時主流だったNEC機と比べればコストパフォーマンスは高いほうだった。1993年になると国内メーカーも追従して下位機種にもi486を搭載するようになり、その頃に登場したマイクロソフト製Windows 3.1日本語版も80286には非対応になった。結果的に多くのDOS/V機が「Windows機」として使われた中、テラドライブは急速に時代に取り残されていくかたちとなった。
しかし使用されている部品は当時のIBMの高級機と同等の品質であり、周辺機器の接続もVGA端子やPS/2コネクタであることから流用ができた。後日放出されたテラドライブ用106キーボード(本来は本体の一部)はIBM純正と同様な品質を保ちながら非常に安価だった。またCRTモニタは15/31kHzの両スキャンモードに対応していたため、コモドール社のAmigaと相性が良かったほか、曲がりなりにもSVGAが映ることから当時高価だったWindows用高解像度ディスプレイ(マルチスキャンモニタ)の代替としても利用価値があった。専用マウスも黒でカラーリングの合うことから、CRT、キーボードと共にThinkPad 220の活用本でも紹介されていた。なお余ったテラドライブ本体もビデオ出力が可能なので、パッドだけ繋げばメガドライブとして利用することができる。しかし一般にキーボード欠品のメーカー製PCはジャンク扱いとなり中古買取では大幅に減額される。テラドライブはその話題性から一部のショップの店頭を飾ったが、売れなかったこともあり、まともな中古品はあまり出回らなかった。 | [
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"text": "テラドライブは家庭でのマルチメディア(旧ニューメディア)環境の本格的な普及を目指し、実売価格10万円を意図して開発された意欲的な製品だったが、価格を抑えるためPCjr並みにPCとしての性能と拡張性が低かったことから普及には至らず、後継機種、上位機種とも発売されなかった。当時のIBM製高級機と差別化するためにわざと性能を落としたという評価もある。",
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] | テラドライブは、 単体もしくはRAID化により合計容量がテラバイトクラスの容量を持つハードディスクドライブ装置、およびそれに対応したUSBストレージ・NAS等の外部記憶装置やドライブケース製品を指す通称。
セガと日本IBMが共同開発したメガドライブ内蔵パソコンの製品名。メガの上を行くという意味で「テラ」と名付けられた。本稿で解説。
コンピューターゲーム『セガガガ』に登場する架空のスーパーコンピュータ。 テラドライブ(TERADRIVE)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガ)が日本IBMと共同開発し、1991年5月に発売した、PC/ATパソコン「IBM PC」とゲーム機「メガドライブ」の複合機。 | '''テラドライブ'''は、
* 単体もしくは[[RAID]]化により合計容量が[[テラバイト|'''テラ'''バイト]]クラスの容量を持つ[[ハードディスクドライブ|ハードディスク'''ドライブ''']]装置、およびそれに対応したUSBストレージ・[[ネットワークアタッチトストレージ|NAS]]等の[[補助記憶装置|外部記憶装置]]や'''ドライブ'''ケース製品を指す[[通称#物品|通称]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.watch.impress.co.jp/akiba/tmp/blog/20060923/spop7.jpg|title=テラドライブ現る!|format=JPG|publisher=[[Impress Watch|AKIBA PC Hotline!]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070319195010/http://www.watch.impress.co.jp/akiba/tmp/blog/20060923/spop7.jpg|daedlinkdate=2019-05-23|archivedate=2007-03-19|date=2006-09-23|accessdate=2019-05-23}}</ref>。
* [[セガ]]と[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]が共同開発した[[メガドライブ]]内蔵[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の製品名。メガの上を行くという意味で「テラ」と名付けられた。本稿で解説。
* コンピューターゲーム『[[セガガガ]]』に登場する架空の[[スーパーコンピュータ]]。
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{{Infobox コンシューマーゲーム機
|名称 = テラドライブ
|画像 = [[File:Teradrive-2007-05-19-front.jpg|320px]]
|画像コメント = テラドライブの本体(キーボード部分を除く)
|メーカー = [[セガゲームス|セガ・エンタープライゼス]]<br/>[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]
|種別 = [[マルチメディア機]]
|世代 = [[ゲーム機#第4世代|第4世代]]
|発売日 = {{Flagicon|JPN}} [[1991年]][[5月]]
|CPU = 16-bit [[MC68000|Motorola 68000]]<br />[[Z80]]<br />[[Intel 80286|80286]]
|GPU =
|メディア = [[ロムカセット]]
|ストレージ = [[バッテリーバックアップ]]
|コントローラ = ケーブル
|外部接続端子 =
|オンラインサービス =
|売上台数 =
|最高売上ソフト =
|互換ハード = [[メガドライブ]]
|前世代ハード =
|次世代ハード =
}}
'''テラドライブ'''(''TERADRIVE'')は、セガ・エンタープライゼス(後の[[セガ]])が[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]と共同開発し、[[1991年]][[5月]]に発売した、[[PC/AT互換機|PC/ATパソコン]]「[[IBM PC]]」と[[ゲーム機]]「[[メガドライブ]]」の複合機。
== 概要 ==
テラドライブは[[メガドライブ]]と同じ黒基調のデスクトップ筐体に[[パーソナルコンピュータ]]とメガドライブの同居するIBM製マザーボードを搭載している。前面にあるスイッチでPCかメガドライブかを選択して起動できるほか、同時に稼動させることもできた。表示には専用モニタを用いるか、またはPC用モニタとビデオモニタを併用することもできる。[[オペレーティングシステム|OS]]にはIBM DOSバージョンJ4.0/V(いわゆる[[DOS/V]])が採用されていた。
単にパソコンとメガドライブを一つの箱に入れただけでなく、[[Intel 80286|80286]]とメガドライブの[[MC68000]]は互いのバスが結ばれており、[[#PCとメガドライブの併用と連携|連携できること]]を特徴としていた。当時それぞれDOS/Windows機と[[Macintosh]]で採用されていた2大CPUの併用という大胆な構成は話題を呼んだが、PC部のCPUはあくまで80286であり、当時のMacintoshの[[オペレーティングシステム|OS]]である[[漢字Talk]]が動作するわけではない。
またPC部は単なる[[互換機]]にとどまらずIBM純正PCの性格を持ち、ROM DOSや漢字ROM、専用メニューなど、当時のIBM製PCに相当する機能を備えていた。ただし発売元はあくまでセガである。コンシューマーゲーム機のバリエーションとしては非常に高価である一方で、PCとして見た場合は(当時としては)非常に安価に提供されていた。しかし発売当時としてもマシンパワーが低く、陳腐化も早かった。今後の標準として「[[Microsoft Windows|Windows]] (V3.0)対応」も謳われていたが、マイクロソフト製[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]日本語版以降には対応していない<!--(IBM版のWindows 3.1日本語版には対応?)-->。
== ハードウェア ==
ここでは主としてPC側のハードウェアについて述べる。メガドライブ側のハードウェアにも本機特有の仕様がいくつかあるが、それ以外の部分は[[メガドライブ]]を参照。
;筐体
:全体的に黒い色調で統一され、電源スイッチやLEDなど、ごく一部にオレンジが使われている。専用モニタを載せた形状は一見すると当時のデスクトップ・パソコンとして一般的な横置きの直方体だが、モニタを除く本体のカタログ寸法は幅36 cm×奥行き33.4 cmと正方形に近く、高さは足(1 cm厚)を含めても8 cmと薄い。いわゆるピザボックス型の[[省スペースパソコン]]である。
:フロントパネルは、前面向かって左にはメガドライブのカートリッジを挿入するスロットが、右にはFDの挿入口が付いている。中央部はモデルによって形状が若干異なり、MODEL2では2台目のFDDが、MODEL3ではHDDが搭載されている。
;CPU
:テラドライブのPC側に使われているCPUは[[Intel 80286|80286]]/10MHzである。当時は[[Intel 80386|386SX]]の登場で32ビット機が急速に普及しつつあったものの、安価な下位機種には[[NEC Vシリーズ|V30HL]]などの16ビットCPUがまだ使われていた時代であり、テラドライブでは同じ16ビットでも機能面で有利な80286を採用していた。これは[[DOS/V]]が80286以上を前提としたOSであることから当然の仕様ではあったが、当時話題となっていた[[Microsoft Windows|MS-Windows]](v3.0)をスタンダードモードで動作させることができる最低ラインのCPUでもあり、Windows対応も売り文句のひとつになっていた。しかし動作[[クロック]]は当時の最低クラスだったうえ、ソケットを介さずマザーボード直付けで交換も困難だった。また[[FPU|数値演算]]用[[コプロセッサ]]を利用することもできなかった。
:'''80286'''とメガドライブの'''MC68000'''は同じ基板上で動いており、内部で共有ポートを介し接続され、連携できるようになっていた。また後述のようにPCとメガドライブを別個に同時に稼動させることもできたが、この場合、MC68000自体も通常のメガドライブより高いクロック周波数で動作させることができた。
:さらにメガドライブと同様に'''[[Z80]]'''も搭載しており、マニュアルでは合計40bitとも表現されている。これらのCPUは[[セカンドソース]]品が使用され、コストダウンがはかられていた。
;画面表示
:主としてPC時に31kHz、メガドライブ時に15kHzの画面出力が使われる。また[[VGA端子]]と[[AV端子]]([[RCA端子|RCA]])の2系統の出力を持ち、背面に切替スイッチがある。AV出力はメガドライブのような専用ケーブルではなく、汎用のRCAケーブルが使用可能。一般的なビデオモニタはAV端子からの31kHz入力には対応していないが、AV出力設定時はPC画面もデフォルト(英語モード)では320x200 (15kHz) の画面モードになるのでAV端子にもPC画面の表示が可能(一般的な日本語モードは31kHz以上のため不可)。VGA端子にはどちらの周波数も出力できるため、15kHz/31kHzの両方に対応した専用のパソコン用ディスプレイ(HTR-2200)も用意された。専用ディスプレイが無くても通常のミニD-sub15ピン接続のPC用モニタと、家庭用テレビなどのビデオモニタを併用することで一通りの機能は利用できた。ただしS端子やD端子に出力する手段は無いため、メガドライブ画面にAV端子以上の画質を求めるのであれば、15kHz入力に対応したVGAモニタが必要となる。
{| class="wikitable" style="margin:0 auto" border="1"
|+ '''デフォルトの画面出力一覧'''
! 動作切替<br />スイッチ !! 出力切替<br />スイッチ !! 動作状態 !! AV出力 !! VGA出力
|-
! rowspan="4" style="background:#CCFFD9; " | PC側 !! rowspan="2" |AV側 !! 英語モード
| style="color:blue; text-align:center; background:#CCFFD9; " colspan="2" | PC画面(15kHz)
|-
! DOS/V時
| rowspan="2" style="text-align:center" | 実質<br />不可 || rowspan="3" style="text-align:center; background:#CCFFD9; " |PC画面<br />(31kHz)
|-
! rowspan="2" | VGA側 !! 通常時
|-
! 併用時
| style="background:#EFE7B8; border-bottom-style:none; border-bottom:hidden;" | <!-- ←ブラウザによって挙動が異なるので下側の罫線にnoneとhiddenの両方を指定しています。 -->
|-
! style="background:#EFE7B8; " | MD側 !! colspan="2" | (無関係)
| style="color:blue; border-top-style:none; text-align:center; background:#EFE7B8; " colspan="2" | メガドライブ(15kHz)
|-
| colspan="5" style="text-align:center" |{{color|blue|15kHz}}は現在のPC専用モニタの多くは対応していない。
|}
:オンボード[[Video Graphics Array|VGA]]の表示能力は640x480x16色または320x200x256色。実際には[[Super Video Graphics Array|SVGA]]モードを持つ[[チップセット]]を搭載しているが、標準ではSVGA機能は利用できなくなっている。これは当時のPS/55シリーズの一部機種と同様であり、これらの機種でもSVGAモードを復活させることができれば800x600の画面を利用できる可能性があるとされている<ref>[[ソフマップ]]タイムス1992年1月号News flash「快適なWindows 3.0を目指して」。</ref>(実際そのようなフリーソフトも存在した)。
:この場合、SVGAは35kHz程度の低周波数で出力でき、多くの場合は専用モニタHTR-2200でも映ることが知られている。しかし専用モニタを他のPCに利用する場合はVGA(15/31kHz)以外ではうまく映るとは限らず、あくまで非公式な使い方である。
:専用モニタ自体はD-sub 9ピンのソケットが採用されており<ref>{{Cite web|和書|url=http://hp.vector.co.jp/authors/VA018718/towns/connect/pinasgn.htm#RGB_TERAMONITOR|title=ぴんあさいんのへや - SEGA TERADRIVE OPTION TERA MONITOR (HTR-2200) アナログRGBコネクタ|publisher=[[ベクター (企業)|ベクター]]作者ページ|accessdate=2019-05-23}}</ref>、PCへの接続ケーブルを介してVGA15ピンに変換されている。
:また、拡張スロット (ISA) 用の[[ビデオカード|グラフィックカード]]を利用する場合などに、オンボードVGAはマザーボード上のジャンパピンで無効に設定することもできる。
;メモリ
:主記憶用[[SIMM]]スロットは30ピンのソケットが2本しかなく、モデルごとに異なる容量のSIMMが標準で搭載されている。交換は同容量2枚1組で行うが、高位アドレスが配線されていなかったため、(無改造では)最大1MBのSIMMまでしか利用できない。マザーボード上のRAMは512KBであるため、合計2.5MBまで増設できる。
{| class="wikitable" style="margin:0 auto" border="1"
! !! オンボード !! SIMM !! 合計 !! 最大
|-
! model 1
| rowspan="3" | 512KB || 64KB x2<!--未検証--> || 640KB || rowspan="3" style="border-left-style:none;" | 2.5MB
|-
! model 2
| 256KB x2 || 1MB
|-
! model 3
| 1MB x2 || style="border-right-style:none;" |
|}
;拡張スロット
:PC側の拡張スロットは[[Industry Standard Architecture|ISA]]1本と不足しており、本来-12Vが供給されているべき端子に電源が来ておらず<ref name="RGBHOSPICE">{{Cite web|和書|url=http://dempa.jp/rgb/heaven/g_td.html|title=●テラドライブ|publisher=TOKYO RGB HOSPICE|date=2003-05-12|accessdate=2019-05-23}}</ref>、サウンドボードの[[Sound Blaster]]などが動作しない(有償での改造サービス有り)。なおカタログスペック上はISAとは書いておらず、ハーフサイズのATバス[[準拠]]ということになっている。
:メガドライブ側の拡張用スロットは天板を突き抜けて上面にある。ROMカートリッジ用スロットは前面にあり、メガドライブ2と同様にカセットのロック機構は無い。ゲームカートリッジはシール面を上向きにしてセットするため、シールの文字が上下逆になる。どちらも物理的な形状の問題があり、(無改造では)[[メガアダプタ]]・[[メガCD]]・[[スーパー32X]]などが接続できない。
;ストレージ
:内蔵3.5インチFDDは1.44MB/720KBの2モードで、いわゆる[[PC-9800シリーズ]]等に使われた1.25MBのフォーマットには非対応。このドライブは一般的なAT互換機のものと互換性は無く、他機種に流用するにはある程度の改造が必要になる。またベゼルはフロントパネルと形状の合う専用品である。
:MODEL3には30MBのHDDが内蔵されているが、ハードディスクのインタフェースが一般的なIDEではなくIBM独自であるうえ、筐体内部には4ピンの電源ケーブルも存在しないため、交換や流用は困難だった。増設する場合は拡張スロットに[[Small Computer System Interface|SCSI]]などのインターフェースを別途搭載し、外付けする形となる。
:また[[メガCD]]と互換性のある専用[[CD-ROM]]ドライブも企画されていたようだが、発売されることはなかった。
:メガCD用ソフトが遊べないという問題自体は後にROMカートリッジ用スロットへ接続する同人ハードウェア「MegaSD」により解決した<ref>{{Twitter status|terraonion|1140707527027580928|Terraonion 公式アカウント、2019年6月18日の発言}} </ref>。
;キーボード
:専用キーボードはPS/2接続の外付け106キーボードであり、コンパクトなPC筐体とは対照的に、通常サイズのフルキーボードが採用されている。「SEGA」のロゴが入っていることを除けば実質的には当時のIBM PCのキーボードの廉価版に相当し、押下したときにカチンという感触のあるメカニカルなキーが使われている。PC機能を利用するときにはキーボードの接続が必須であるが、逆にメガドライブ機能だけ利用するときはキーボードやマウスを取外してPS/2ポートの蓋を閉じておくこともできる。とはいえ本機は本体と専用キーボードが両方揃って1個体であり、片方だけでは中古売買の際にパーツ相当品(ジャンク)となることに留意が生じるケースもある。カタログ上は主な付属品の欄に電源ケーブルやメガドライブ用パッドの記載はあっても、キーボードという記述は無い。すなわちキーボードは「付属品」というより、建前上はパソコン本体の一部分のような扱いになっている。市販のPS/2接続のAT互換機用キーボードも使用できないわけではないが、BIOSメニューにはNumロックの初期状態を指定する項目が存在せず、テンキーレスのコンパクトキーボードは想定されていない。<!--AUTOEXEC.BATに組み込んでNumロック状態を強制指定するフリーソフトもあるが、後述のTERAメニューの段階では環境設定自体ができない。-->
;その他のハードウエア
:PC側の音源は(標準では)[[ビープ音#コンピュータにおけるビープ音|BEEP]]のみだが、メガドライブのゲームと同様に、本体前面にあるヘッドホン端子(ステレオ)に出力させることができる。スピーカー(モノラル)も内蔵しており、ヘッドホンを繋がない場合はそちらから出力される。背面のAV端子のオーディオ出力はステレオに対応した赤と白のRCA端子が用意されている。<!--初代メガドライブのAV出力はモノラルだった。-->なお初期のロットではメガドライブのヘッドホン出力が左右逆<!--(PCのBEEPはモノラルなので関係無い)-->という不具合もあり、これも改修サービスの対象だった<ref name="RGBHOSPICE"></ref>。
:カレンダ用バッテリはPC用としては一般的なCR2032が採用されている<ref name="HIBIZE">[https://famicom-stream.com/?tag=テラドライブ テラドライブ | 日々是ファミコン]{{出典無効|date=2019-05-23|title=リンク先は一般的な個人サイトのように見え、Wikipediaの外部リンクとして適した典拠かどうか判断できません。}}</ref>。
:キーボード・マウスは[[PS/2コネクタ]]接続、ゲームや内蔵メニューの操作にはメガドライブと同じゲームパッドを用いる。これらはいずれも前面にソケットがあり、フロントパネル側から脱着できる。使用しないときは取り外して蓋を閉じておける構造になっている。なおUSBマウスなどからのPS/2変換では動かない場合があり、ネイティブなPS/2デバイスを使うほうが確実である。
:このほか背面には[[パラレルポート|プリンタポート]]・[[シリアルポート]]・メガドライブ外部コントロール端子を備えている。プリンタポートは一般的な[[IEEE 1284|セントロニクス規格]]に準拠しているが、双方向モードが普及する以前だったため、パラレルポート接続のCD-ROMドライブなどが動作しないことがある。
=== 内蔵ソフトウェア ===
;セットアップメニュー
:PCモードで起動時にF1キーを押すとBIOSメニューに入り、TERAメニューにおける国別キーボードの選択や起動音の有無などが設定できる。
;TERAメニュー
:PCモードで電源を入れるとまず[[リードオンリーメモリ|ROM]]ドライブからTERAメニューが立ち上がり、テキストファイルの閲覧(英語のみ)・FDの[[フォーマット (ストレージ)|フォーマット]]・ディスクコピー・日付/時刻設定といった操作を行うことができる。
:さらにTERAメニューは別途OSなしでDOS用プログラムを直接実行できる機能を持つが、これはROMドライブ上の英語版PC DOS3.3環境を利用したものであり、[[CONFIG.SYS]]で環境を設定することはできない。<!--なおキーボード種別はBIOSメニューでの設定が適用されるため、キーボードドライバは基本的に不要。-->ROMドライブの存在はTERAメニュー上には表示されないが、当時のDOSでBIOS認識できるHDD用ドライブレター(C:またはD:)のうち片方をROMドライブが占有するため、TERAメニューでは既存のHDDは1つまでしか参照できない。またPC DOS3.3の制限で約32MBを超える[[パーティション]]もTERAメニューからは認識できない。<!--AT互換機で32MB以上のHDDに対応するDOSバージョンは4.0以上である。-->
:メニューからDOSを選ぶとROMドライブが消え、PCが再起動して任意のOSを走らせることができる。なおTERAメニュー(ROMドライブ)を優先的に起動するかどうかはマザーボード上のジャンパピンで変更できる。
;OS
:各モデルともIBM DOS J4.0/VのFDが[[バンドル|添付]]され、HDD内蔵モデルでは[[プリインストール]]されていた。Windowsについては標準搭載したモデルは無く、別売だった。バージョン4.0のDOSは空きメモリが少ないという欠点でも知られるが、前述のようにROM内に英語版PC DOS 3.3も内蔵しているため、目的に応じてそちらも利用できた。ただしこちらはTERAメニューに必要な最低限のファイルしか備えていない。FORMATコマンドは用意されているため、"/S"オプションでFDやHDDにシステムを移せばROMドライブと違ってCONFIG.SYSで環境を設定すること<!--(フリーソフトによるDOS3/V化など)-->も可能になる。
:[[ROM-BASIC]]は当時のIBM製PCと同様にBASIC.COMやBASICA.COMでDOS上から呼び出すことができる。ただし詳しい文法の解説書は別売であるなど、本機はBASICよりもDOSでの利用が想定された構成になっている。
;漢字ROM
:当時のPS/55シリーズと同様に、漢字のフォントデータがROM内に用意されている。これに対応したDOS/V用フォントドライバ<!--もしくは相当のフリーウエア-->を用いることで、DOS/V上の日本語フォントに利用できる。
=== PCとメガドライブの併用と連携 ===
;同時使用
:PCモードでVGA出力に設定されているときにF2キーを押しながら起動するか、またはPC起動後にソフトウエア的な手段でビデオ側にメガドライブの画面が出力されるようになり、PCとメガドライブが独立して別個に使用できる状態になる。ただし本来8MHz動作であるメガドライブ側もPC側と同じクロックに連動して10MHzの高速動作となるほか、PC側をリセットするとメガドライブ側も強制終了される。なお本体前面のリセットボタンはメガドライブ用であり、メガドライブ側をリセットしてもPC側はリセットされない。
;TERAメニューでの連携機能
:TERAメニューではPCとメガドライブの機能が連携されており、裏でメガドライブが動いていないときであればメガドライブ側のコントローラでもメニューを操作できるという特徴を持つ。
:さらにTERAメニュー上からプログラムファイルを実行する際にはキーボードエミュレータ機能が利用でき、メガドライブのパッドに任意のPCのキー(一部を除く)を割り当ててアプリケーションから利用できる。ただしWindowsのように独自のキーボード制御を行うプログラムでは無効。
;その他の連携ソフト
:専用ソフトは『パズルコンストラクション』が発売された程度である。
:80286と68000を連携させるための[[ソフトウェア開発キット|SDK]]は公開されなかったが、セガから公式に[[パソコン通信]]の場(TERA-NET)が提供され、ユーザー同士で情報交換が行われた。フリーソフトではROMカートリッジのセーブデータやメガCDのバックアップRAMカートリッジにPCからアクセスするもの<ref name="HIBIZE"></ref>や、メガドライブのパッドにPCソフト([[MS-DOS Shell|DOSシェル]]や[[FD (ファイル管理ソフト)|FD]])の操作キーを割り当てるもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vector.co.jp/soft/dos/util/se002782.html|title=TERADRIVE用ツール集|publisher=ベクター|accessdate=2019-05-23}}</ref>などが存在した。
== 仕様 ==
{{Empty section|date=2022年1月}}
== バリエーション ==
;本体
* MODEL1: メインRAM640KB、3.5インチFDD1基搭載。148,000円
* MODEL2: メインRAM1MB、3.5インチFDD2基搭載。188,000円
* MODEL3: メインRAM2.5MB、3.5インチFDD1基+30MB HDD1基搭載。248,000円
;オプション
* 専用ディスプレイ(HTR-2200): 14インチ、ドットピッチ0.31mm。79,800円
* 専用マウス(HTR-2300): ボール式、200カウント/インチ。6,800円
このほか専用キーボード(HTR-2106)も後に(補修部品が)単独で一部流通した例があるが、これはもともとカタログに記載が無く、製品ラインナップとして用意されていたものではなかった。[[PS/2コネクタ|PS/2接続]]であるため事実上の汎用品ではあるが、建前上はあくまでパソコン本体の一部分のような扱いだった。
== 発売後の状況 ==
テラドライブは家庭での[[マルチメディア]](旧[[ニューメディア]])環境の本格的な普及を目指し、実売価格10万円を意図して開発された意欲的な製品だったが、価格を抑えるため[[IBM PCjr|PCjr]]並みにPCとしての性能と拡張性が低かったことから普及には至らず、後継機種、上位機種とも発売されなかった。当時のIBM製高級機と差別化するためにわざと性能を落としたという評価もある。
1991年発売のテラドライブはWindowsには非力だが、初代DOS/Vを搭載した厳密な意味での「DOS/V機」である<!--(純正品の性格を持つ点では、むしろ互換機という呼び方に疑問が残る)-->。しかし一般に広くDOS/V機の名が普及したのは翌1992年の[[コンパック#日本での活動(コンパック・ショック)|コンパック・ショック]]以降だった。それ以前に開発されたテラドライブは、安価でも高性能というDOS/V機としての利点を生かしきれていなかった。ただし、それでも当時主流だった[[PC-9800シリーズ|NEC機]]と比べればコストパフォーマンスは高いほうだった。1993年になると国内メーカーも追従して下位機種にも[[Intel 486|i486]]を搭載するようになり、その頃に登場したマイクロソフト製Windows 3.1日本語版も80286には非対応になった。結果的に多くのDOS/V機が「Windows機」として使われた中、テラドライブは急速に時代に取り残されていくかたちとなった。
しかし使用されている部品は当時のIBMの高級機と同等の品質であり、周辺機器の接続も[[VGA端子]]や[[PS/2コネクタ]]であることから流用ができた。後日放出されたテラドライブ用106キーボード(本来は本体の一部)はIBM純正と同様な品質を保ちながら非常に安価だった。またCRTモニタは15/31kHzの両スキャンモードに対応していたため、コモドール社の[[Amiga]]と相性が良かったほか、曲がりなりにもSVGAが映ることから当時高価だったWindows用高解像度ディスプレイ(マルチスキャンモニタ)の代替としても利用価値があった。専用マウスも黒でカラーリングの合うことから、CRT、キーボードと共に[[ThinkPad 220]]の活用本でも紹介されていた。なお余ったテラドライブ本体もビデオ出力が可能なので、パッドだけ繋げばメガドライブとして利用することができる。しかし一般にキーボード欠品のメーカー製PCはジャンク扱いとなり中古買取では大幅に減額される。テラドライブはその話題性から一部のショップの店頭を飾ったが、売れなかったこともあり、まともな中古品はあまり出回らなかった。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[セガガガ]] - 同名のスーパーコンピュータが登場
* [[レンタヒーロー]] - '''オテラドライブ'''というテラドライブのパロディPCが登場
* [[ムシキング・テリー]] - テラドライブ、ジェネシス等のセガに関連した名前の技を持つ[[プロレスラー]]
* [[メガドライブのバリエーション#アムストラッド・メガPC|Amstrad Mega PC]] - イギリスのPCメーカー[[アムストラッド]]社からリリースされたメガドライブ搭載PC/AT互換機
** 本機に似たコンセプトのマシンであるが、PCとメガドライブの連携は考慮されていない。またPC側は互換機であるため本機のようなIBM製のROMデータに起因する付加機能も無い。詳細は[[:en:Amstrad Mega PC|英語版]]を参照。
== 外部リンク ==
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* [https://sega.jp/history/hard/megadrive/devices.html セガハード大百科 - テラドライブ]
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