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スカラー電磁波
スカラー電磁波(スカラーでんじは)は、ニコラ・テスラが発見したというテスラ波をもとにトーマス・ベアデン(1930年 -、サイコトロニクス協会、ニコラ・テスラ協会に所属)が「Gravitobiology: A New Biophysics(1991年)」で提唱した(仮説的な)電磁波の一種。その名の通り方向の概念を持たない。ただし具体的な実証はなく、もっぱら疑似科学において使用されている用語。現在科学で裏付けられている電磁波はスカラー波ではなくベクトル波である。 2003年に白装束集団として話題を集めたパナウェーブ研究所は、共産ゲリラがスカラー電磁波を発していると主張し、これを遮断するためとして、白い綿布をまとった。
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スカラー電磁波(スカラーでんじは)は、ニコラ・テスラが発見したというテスラ波をもとにトーマス・ベアデンが「Gravitobiology: A New Biophysics(1991年)」で提唱した(仮説的な)電磁波の一種。その名の通り方向の概念を持たない。ただし具体的な実証はなく、もっぱら疑似科学において使用されている用語。現在科学で裏付けられている電磁波はスカラー波ではなくベクトル波である。 2003年に白装束集団として話題を集めたパナウェーブ研究所は、共産ゲリラがスカラー電磁波を発していると主張し、これを遮断するためとして、白い綿布をまとった。
{{千乃正法}} '''スカラー電磁波'''(スカラーでんじは)は、[[ニコラ・テスラ]]が発見したという[[テスラ波]]をもとに[[トーマス・ベアデン]]([[1930年]] -、[[サイコトロニクス]]協会、ニコラ・テスラ協会に所属)が「Gravitobiology: A New Biophysics(1991年)」<ref name="T. E. Bearden">T. E. Bearden, ''Gravitobiology: A New Biophysics'', 1991, Tesla Book Co, ISBN 978-0914119074</ref>で提唱した(仮説的な)[[電磁波]]の一種。その名の通り方向の概念を持たない。ただし具体的な実証はなく、もっぱら[[疑似科学]]において使用されている用語。現在科学で裏付けられている電磁波は[[スカラー波]]ではなく[[ベクトル波]]である。 [[2003年]]に白装束集団として話題を集めた[[パナウェーブ研究所]]は、[[共産主義|共産]][[ゲリラ]]がスカラー電磁波を発していると主張し、これを遮断するためとして、白い綿布をまとった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author = |others = 横山信雄・加藤整弘監修 |title = フリーエネルギーの挑戦 : 理論と技術の全面公開 |year = 1992 |publisher = [[たま出版]] |series = ニューパラダイムシリーズ |isbn = 4-88481-275-1 }} <!-- == 関連項目 == --> <!-- == 外部リンク == --> {{Sci-stub}} {{DEFAULTSORT:すからあてんしは}} [[Category:疑似科学]] [[Category:千乃正法]]
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重水素
重水素(じゅうすいそ、英: heavy hydrogen)またはデューテリウム (英: deuterium) とは、水素の安定同位体のうち、原子核が陽子1つと中性子1つとで構成されるものをいう。重水素は H と表記するが、 D(deuteriumの頭文字)と表記することもある。例えば重水の分子式を D2O と表記することがある。 原子核が陽子1つと中性子2つとで構成される水素 (H) は三重水素またはトリチウムと呼ばれる。重水素、三重水素に対して普通の水素(原子核が陽子1つのもの)は軽水素 (H) と呼ばれる。 1931年にアメリカの化学者ハロルド・ユーリーが発見した(ユーリーはこの功績で1934年のノーベル化学賞を受賞した)。 軽水素 (H) の原子核が陽子1つであるのに対して、重水素の原子核は陽子1つと中性子1つから構成される。なお、この重水素の原子核は、重陽子 (英: deuteron) とも呼ばれる。 地球上の水素全体の中での存在割合は、軽水素が99.985 %、二重水素が0.015 %である。三重水素の割合はごく僅かである。 なお、H と H(三重水素)の両方を併せて、重水素 (heavy hydrogen) と呼ぶこともあるので、H(三重水素)と区別するために、H を二重水素と呼ぶこともある。三重水素は、存在比がごく僅かであり、時間が経つと He(ヘリウム3)に変わる放射性同位体であり、この H を含めずに安定同位体である H のみを指して「重水素」(deuterium) と呼ぶ場合が多い。 重水素原子が2つ結合した分子 (D2) も重水素と呼ぶ。常温、常圧で無色無臭の気体。融点 18.7 ケルビン (K)、沸点 23.8 Kで、軽水素の分子 H2 の値(融点 14.0 K、沸点 20.6 K) に比べ高い。これは重水素原子が軽水素原子のほぼ2倍の質量があるためで、他の物理的性質も軽水素と異なり、また化学反応のしやすさも異なることがある(重水素効果)。例えば水を電気分解すると H2 の方が発生しやすいので重水が濃縮され、この方法で100 %の重水を製造することができる。なお一般に植物は軽水を吸収しやすい性質があるため、種類によっては7割近くまで重水を濃縮することが可能である。 その他にも、重水の方が軽水よりも1°C沸点が高い事を利用した分別蒸留法 (fractional distillation)や重水素をHDの形で含んだ水素ガスを水にとおすと重水素が水の分子に置換する(ただし触媒が必要である)ことを利用した交換反応法 (catalytic exchange)などがある。 重水素原子2個を原子核融合させると H や He が生成されると共に莫大なエネルギーが放出され(D-D反応)、恒星の初期の核融合反応がこれに当たる。なお、褐色矮星と準褐色矮星は、D-D反応が起こるか起こらないかで区別されている。また、核融合発電の実験や水素爆弾では、主にD-D反応より反応温度条件の低い、重水素と三重水素の核融合反応(D-T反応)が用いられる。重水素は海水中に大量に存在するため、核融合燃料として有望視されている。 核融合燃料としての利用の他、原子核反応での中性子の減速剤、化学や生物学では同位体効果の研究に使用されている。また、NMR溶媒として重水素原子で置換された溶媒(重水や重クロロホルムなど、重溶媒と呼ばれる)が用いられている。また、生物における水 (H2O) の代謝研究やアミノ酸代謝研究の際のトレーサーとして用いられる。 製薬業界では、既存の薬の軽水素原子を重水素原子に置換することで、新薬として特許出願する手法がある。重水素効果のために反応性が低下し、代謝分解されるまでの時間が長くなるため、従来品に比べ薬効が高くなることが実際に確認された例もある。しかし、進歩性、新規性に欠けるために特許化が困難な場合もある。2017年4月、ハンチントン病の治療薬テトラベナジン(英語版)(コレアジン)の、2つのメトキシ基の水素を重水素に置換したデューテトラベナジン(英語版)(商標名Austedo)がFDAにより認可された。本薬は、初めて認可された重水素化医薬品となる。 日本では岩谷産業が2018年、重水素ガスの商業生産を国内で初めて開始したと発表した。従来はアメリカ合衆国などから輸入していた。通常の水素ガスより半導体材料と結合しやすく、耐久性を高めるために使われる。
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重水素(じゅうすいそ、英: heavy hydrogen)またはデューテリウム (英: deuterium) とは、水素の安定同位体のうち、原子核が陽子1つと中性子1つとで構成されるものをいう。重水素は 2H と表記するが、 D(deuteriumの頭文字)と表記することもある。例えば重水の分子式を D2O と表記することがある。 原子核が陽子1つと中性子2つとで構成される水素 (3H) は三重水素またはトリチウムと呼ばれる。重水素、三重水素に対して普通の水素(原子核が陽子1つのもの)は軽水素 (1H) と呼ばれる。
{{Infobox 同位体 |background = #F99<!-- |text_color = blue --> |isotope_name = 重水素 |isotope_filename = |alternate_names = デューテリウム |mass_number = 2 |symbol = H or D |num_neutrons = 1 |num_protons = 1 |abundance = 0.015% |mass = 2.01410178 |spin = 1{{sup|+}} |excess_energy = 13135.720 |error1 = 0.001 |binding_energy = 2224.52 |error2 = 0.20 |image = Hydrogen-2.svg |image_caption = [[核種の一覧]]における重水素の位置 }} [[ファイル:Deuterium discharge tube.jpg|サムネイル|250x250ピクセル|[[ガス封入管]]に入ったプラズマ状態の重水素]] '''重水素'''(じゅうすいそ、{{lang-en-short|heavy hydrogen}})または'''デューテリウム''' (英: {{en|deuterium}}) とは、[[水素]]の安定[[同位体]]のうち、[[原子核]]が[[陽子]]1つと[[中性子]]1つとで構成されるものをいう。重水素は '''{{sup|2}}H''' と表記するが、 '''D'''(deuteriumの[[頭文字]])と表記することもある。例えば[[重水]]の分子式を D{{sub|2}}O と表記することがある。 [[原子核]]が[[陽子]]1つと[[中性子]]2つとで構成される水素 ({{sup|3}}H) は[[三重水素]]または'''トリチウム'''と呼ばれる。重水素、三重水素に対して普通の[[水素]]([[原子核]]が[[陽子]]1つのもの)は[[軽水素]] ({{sup|1}}H) と呼ばれる。 == 概要 == [[1931年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[化学者]][[ハロルド・ユーリー]]が発見した(ユーリーはこの功績で[[1934年]]の[[ノーベル化学賞]]を受賞した)。 軽水素 ({{chem|1|H}}) の原子核が陽子1つであるのに対して、重水素の原子核は陽子1つと中性子1つから構成される。なお、この重水素の原子核は、'''重陽子''' (英: {{en|deuteron}}) とも呼ばれる。 地球上の水素全体の中での存在割合は、軽水素が99.985{{nbsp}}[[%]]、二重水素が0.015{{nbsp}}%である。三重水素の割合はごく僅かである。 なお、{{chem|2|H}} と [[三重水素|{{chem|3|H}}(三重水素)]]の両方を併せて、重水素 (heavy hydrogen) と呼ぶこともあるので、{{chem|3|H}}(三重水素)と区別するために、{{chem|2|H}} を'''二重水素'''と呼ぶこともある。[[三重水素]]は、存在比がごく僅かであり、時間が経つと [[ヘリウム3|{{chem|3|He}}(ヘリウム3)]]に変わる[[放射性同位体]]であり、この {{chem|3|H}} を含めずに[[安定同位体]]である {{chem|2|H}} のみを指して「重水素」(deuterium) と呼ぶ場合が多い。 == 性質・製法 == 重水素原子が2つ結合した分子 ('''D{{sub|2}}''') も重水素と呼ぶ。常温、常圧で無色無臭の[[気体]]。[[融点]] 18.7 [[ケルビン|ケルビン{{nbsp}}(K)]]、[[沸点]] 23.8 Kで、軽水素の分子 '''H{{sub|2}}''' の値(融点 14.0 K、沸点 20.6 K) に比べ高い。これは重水素原子が軽水素原子のほぼ2倍の質量があるためで、他の物理的性質も軽水素と異なり、また[[化学反応]]のしやすさも異なることがある('''重水素効果''')。例えば[[水]]を[[電気分解]]すると {{chem|1|H|2}} の方が発生しやすいので[[重水]]が濃縮され、この方法で100 %の重水を製造することができる。なお一般に[[植物]]は[[軽水]]を吸収しやすい性質があるため、種類によっては7割近くまで重水を濃縮することが可能である。 [[Image:Hydrogen Deuterium Tritium Nuclei Schmatic-ja-textpath.svg|right|300px|thumb|水素、重水素、三重水素のモデル]] その他にも、重水の方が軽水よりも1°C沸点が高い事を利用した分別蒸留法 (fractional distillation){{efn|この原理にもとづいた重水の分離工場が duPont 社によって1944年に事業として操業された。}}や重水素をHDの形で含んだ水素ガスを水にとおすと重水素が水の分子に置換する(ただし触媒が必要である)ことを利用した交換反応法 (catalytic exchange){{efn|この原理にもとづいた重水の分離工場は Consolidated Mining and Smelting 社が British Columbia Trail に建設したことがある。}}などがある<ref>[[#Ray(1955)|原子核工学(1955)]] pp.70-71</ref>。 重水素原子2個を[[原子核融合]]させると {{chem|3|H}} や {{chem|3|He}} が生成されると共に莫大なエネルギーが放出され(D-D反応)、[[恒星]]の初期の核融合反応がこれに当たる。なお、[[褐色矮星]]と[[準褐色矮星]]は、D-D反応が起こるか起こらないかで区別されている。また、[[核融合炉|核融合発電]]の実験や[[水素爆弾]]では、主にD-D反応より反応温度条件の低い、重水素と三重水素の核融合反応(D-T反応)が用いられる。重水素は海水中に大量に存在するため、核融合燃料として有望視されている<ref>狐崎晶雄、[https://doi.org/10.11458/tsj1973.18.16 核融合炉開発の展望] 『ターボ機械』 Vol.18 (1990) No.1 P.16-23, {{doi|10.11458/tsj1973.18.16}}</ref>。 == 用途 == [[核融合]]燃料としての利用の他、[[原子核反応]]での[[中性子]]の減速剤、[[化学]]や[[生物学]]では[[同位体効果]]の研究に使用されている。また、[[核磁気共鳴|NMR]][[溶媒]]として重水素原子で置換された溶媒(重水や[[重水素化クロロホルム|重クロロホルム]]など、[[重溶媒]]と呼ばれる)が用いられている。また、生物における水 (H{{sub|2}}O) の代謝研究<ref>馬場茂雄、[https://doi.org/10.3999/jscpt.4.279 安定同位体トレーサー法によるヒトにおける代謝研究法] 『臨床薬理』 1973年 4巻 3-4号 p.279-287, {{doi|10.3999/jscpt.4.279}}</ref><ref>都築廣久ほか、[https://doi.org/10.3769/radioisotopes.44.12_929 重水素標識化合物の合成法と抗かぴ剤への応用] RADIOISOTOPES Vol.44 (1995) No.12 P.929-930, {{doi|10.3769/radioisotopes.44.12_929}}</ref>やアミノ酸代謝研究<ref>五郎丸毅 ほか、[https://doi.org/10.1248/yakushi1947.101.6_544 重水素標識アミノピリンの代謝における同位体効果] 『YAKUGAKU ZASSHI』 Vol.101 (1981) No.6 P.544-547, {{doi|10.1248/yakushi1947.101.6_544}}</ref><ref>寒川喜三郎、秋森伯美、[https://doi.org/10.3769/radioisotopes.26.12_891 発芽トウモロコシの胚盤における重水素標識アミノ酸の挙動] 『RADIOISOTOPES』 Vol.26 (1977) No.12 P.891-894, {{doi|10.3769/radioisotopes.26.12_891}}</ref>の際のトレーサーとして用いられる。 [[製薬]]業界では、既存の薬の軽水素原子を重水素原子に置換することで、新薬として特許出願する手法がある{{r|特許公開2007-119489|特許公開2008-222724}}。重水素効果のために反応性が低下し、[[代謝]]分解されるまでの時間が長くなるため、従来品に比べ薬効が高くなることが実際に確認された例もある<ref>"Big interest in heavy drugs", ''Nature'' '''2009'''. {{doi|10.1038/458269a}}</ref>。しかし、[[進歩性]]、[[新規性]]に欠けるために特許化が困難な場合もある<ref>特許公開2005-343904(拒絶査定)</ref>。[[2017年]]4月、[[ハンチントン病]]の治療薬{{仮リンク|テトラベナジン|en|Tetrabenazine}}(コレアジン)の、2つの[[メトキシ基]]の[[水素]]を重水素に置換した'''{{仮リンク|デューテトラベナジン|en|Deutetrabenazine}}'''(商標名Austedo)が[[アメリカ食品医薬品局|FDA]]により認可された<ref>[https://yakuyomi.jp/manner_technique/%E7%AC%AC35%E5%9B%9E%E3%80%80%E9%87%8D%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E5%8C%96%E5%8C%BB%E8%96%AC%E5%93%81%E3%81%AE%E8%A1%9D%E6%92%83/ 重水素化医薬品の衝撃]、[[佐藤健太郎 (フリーライター)|佐藤健太郎]]、薬読、2017年9月7日</ref>。本薬は、初めて認可された重水素化医薬品となる。 日本では[[岩谷産業]]が2018年、重水素ガスの商業生産を国内で初めて開始したと発表した。従来は[[アメリカ合衆国]]などから輸入していた。通常の水素ガスより[[半導体]]材料と結合しやすく、耐久性を高めるために使われる<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32418900Z20C18A6LKA000/ 「重水素ガスの商業生産開始」]『[[日経産業新聞]]』2018年7月4日(先端技術面)2018年7月15日閲覧。</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|refs= <ref name="特許公開2007-119489">{{Cite web|和書 | title = 特許公開2007-119489「重水素化シクロスポリンアナログおよび免疫調節剤としてのそれらの使用」 | url = 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十六元数
抽象代数学における十六元数(じゅうろくげんすう、英: sedenion)は、全体として実数体 R 上16次元の(双線型な乗法を持つベクトル空間という意味での)非結合的分配多元環を成す代数的な対象で、その全体はしばしば S で表される。八元数にケーリー=ディクソンの構成法を使って得られる対合的二次代数である。 「十六元数」という用語は、他の十六次元代数構造、例えば四元数の複製二つのテンソル積や実数体上の四次正方行列環などに対しても用いられ、Smith (1995) で調べられている。 ケーリーの八元数と同様に十六元数の乗法は可換でも結合的でもない。そして、ケーリーの八元数環 O と明確に違うことに、十六元数の全体 S は交代代数にもならない。十六元数についていえることは冪結合性(英語版)を持っているということである。これは S の元 x に対して、冪 x は矛盾なく定義可能で、それらが柔軟(英語版)であることを意味する。 任意の十六元数は、R-ベクトル空間としての S の基底を成す16個の単位十六元数 e0 = 1, e1, e2, e3, ..., e15 の実係数線型結合になっている。 十六元数は乗法に関する単位元を持ち、多くの元がその逆元を持つが、多元体とはならない。これは零因子の存在による。つまり、それ自体は零ではないが掛けると零になるような十六元数の組があるのだが、簡単な例としては (e3 + e10) × (e6 − e15) などを挙げることができる。十六元数からケーリー=ディクソンの構成法を元にして作られるどの超複素数系も零因子を含む。 単位十六元数の乗積表は次のようなものである。 一般の十六元数の積は基底における乗法を(分配法則が成り立つように)線型に拡張することで得られる。 十六元数の全体 S は共軛元をとる主対合 によってノルム の定まる二次代数 (S, N) であるが、これはノルムが乗法的でない。 Moreno (1998) はノルム 1 の十六元数からなる掛けて 0 となる対の全体が、例外型リー群 G2 のコンパクト型に同型であることを示した。
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抽象代数学における十六元数は、全体として実数体 R 上16次元の(双線型な乗法を持つベクトル空間という意味での)非結合的分配多元環を成す代数的な対象で、その全体はしばしば S で表される。八元数にケーリー=ディクソンの構成法を使って得られる対合的二次代数である。 「十六元数」という用語は、他の十六次元代数構造、例えば四元数の複製二つのテンソル積や実数体上の四次正方行列環などに対しても用いられ、Smith (1995) で調べられている。
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[http://arxiv.org/abs/math/0412390] * Kivunge, Benard M. and Smith, Jonathan D. H: "[http://www.emis.de/journals/CMUC/pdf/cmuc0402/kivunge.pdf Subloops of sedenions]", Comment.Math.Univ.Carolinae 45,2 (2004)295–302. *{{Citation | last1=Moreno | first1=Guillermo | title=The zero divisors of the Cayley-Dickson algebras over the real numbers | arxiv=q-alg/9710013 | mr=1625585 | year=1998 | journal=Sociedad Matemática Mexicana. Boletí n. Tercera Serie | volume=4 | issue=1 | pages=13–28}} *{{Citation | last1=Smith | first1=Jonathan D. H. | title=A left loop on the 15-sphere | doi=10.1006/jabr.1995.1237 | mr=1345298 | year=1995 | journal=[[Journal of Algebra]] | volume=176 | issue=1 | pages=128–138}} {{Number systems}} {{DEFAULTSORT:しゆうろくけんすう}} [[Category:超複素数系]] [[Category:非結合代数]] [[Category:数学に関する記事]]
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生物工学
生物工学(せいぶつこうがく、英語: biological engineering)は、生物学の知見を元にし、実社会に有用な利用法をもたらす技術の総称である。ただし定義は明確ではなく、バイオテクノロジー(英語: biotechnlogy)やバイオニクス(英語: bionics)の訳語として使われる場合が多く、この両方を含んだ学問の領域と捉えることに矛盾しない。また、特に遺伝子操作をする場合には、遺伝子工学と呼ばれる場合もある。 具体的には醸造、発酵の分野から、再生医学や創薬、農作物の品種改良など様々な技術を包括する言葉で、農学、薬学、医学、歯学、理学、獣医学、工学、衛生、福祉、栄養学、看護、介護と密接に関連する。金融経済市場などで、これらを取り扱う企業活動などを説明する際に頻用される言葉である。 分子生物学や生物化学などの基礎生物学の発展とともに、応用生物学としての生物工学も、近年めざましい発展を遂げており、クローン生物など従来SFに登場した様々な空想が現実のものとなりつつある。 また、クローン技術や遺伝子組み換え作物などでは、倫理的な側面や自然環境との関係において、多くの議論が必要とされている分野でもあり、遺伝子操作や細胞融合などの技術に関してさまざまな規制が行われている。 現在、日本ではバイオテクノロジー人材の供給過剰が深刻な社会問題になっている(バイオ産業#日本のバイオ産業を参照)。 生物工学の利用される分野は医療、農業、環境、化学工業など多岐にわたる。 生物工学が広く利用されている分野のひとつが医療である。その中でも再生医療で生物工学が利用されている。再生医療の例として造血幹細胞を利用した細胞移植がある。血液のもととなる造血幹細胞を血液のがんである白血病などの難治性の血液疾患に対して移植し、血液をそっくり提供者由来の細胞に入れかえるという治療法である。再生医療には他にも肺のような大きな臓器の再生も可能にしている。再生に成功しているのは、骨、皮膚、肺といった単純な構造を有する臓器で、それらは実用化が近いといえる。一方で肝臓や腎臓といった複雑な機能を担う臓器の再生はうまくできていないため、実用化には遠い現状にある。再生医療は生物工学の中の組織工学という分野のアプローチの上で成り立っている。再生医療の最も大きな利点は、患者と完全に遺伝的な一致がある状況で組織や臓器を交換することができるため、生命を脅かすような免疫拒絶反応の心配がないことである。 遺伝子組み換え技術を用いて商業生産された初めての医薬品は、1982年に発売されたインスリンである。その後、さまざまな医薬品が生物工学を用いて大量生産されるようになった。2021年ではこれらの技術を生かしてホルモン製剤や抗体医薬品、遺伝子治療薬、ワクチンなどあらゆる種類のバイオ医薬品の生産が行われている。 農業は生物工学が広く利用されている分野のひとつである。遺伝子組み換え作物は1984年に誕生し、1996年以降主にアメリカで栽培が開始されて急速に普及した。遺伝子組み換えによって除草剤や殺虫剤への耐性をつけた作物が栽培されており、またビタミンAを付与したゴールデンライスのように遺伝子工学によって栄養を強化した作物も存在する。一方で、とくに食用作物に対する遺伝子工学の使用には警戒感が強く、いくつかの国では強い規制が敷かれている。遺伝子組み換えが広く利用される作物は主にダイズ、綿花、トウモロコシ、油糧作物などである。また、2004年にサントリーフラワーズとフロリジーンによって開発された青いバラのように、遺伝子工学を用いた園芸作物の開発も行われている。このほか、植物の成長点にはウイルスが侵入することができないため、成長点である茎の先端を切り取って培養する茎頂培養を行えばウイルスに汚染されていない苗を大量生産することができ、農業において広く活用されている。また、葯培養による純系の作出や胚培養による雑種の創出も行われている。 微生物や植物などを用いて土壌や地下水などの有害物質を除去し汚染を浄化する技術はバイオレメディエーションと呼ばれ、主にタンカー事故などによる石油の流出や、溶剤や重金属による地下水・土壌汚染などに使用される。 環境変化に伴う絶滅からの遺伝資源の保護も重要であり、スヴァールバル世界種子貯蔵庫に代表される種子銀行や遺伝子銀行も世界各地に設立されている。絶滅危惧種や絶滅種のクローンを作成し、種の復活を目指す動きも起きている。 微生物を利用して工業原料やさまざまな物質を工業的に生産することは広く行われている。またいくつかの微生物からはポリマーが生産され、これを用いたバイオプラスチックの生産も行われている。こうしたバイオプラスチックの多くは生分解性プラスチックであり、海洋における大量のプラスチックゴミやマイクロプラスチックの問題が取り沙汰されるなかで、現在主流である生分解されないプラスチックに代わる材料としての需要が高まっている。また、石油などの化石燃料の枯渇や環境汚染を防ぐため、バイオエタノールやバイオディーゼルといったバイオ燃料の開発が進められ、実用化も行われている。 遺伝子組み換え技術については、安全性への不安や生物多様性への悪影響などさまざまな懸念が存在する。このうち、生物多様性への悪影響については、生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書(カルタヘナ議定書)が2003年6月に締結され、日本ではこれに基づき「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(遺伝子組換え生物等規制法、遺伝子組換え規制法、カルタヘナ法)が2004年2月に施行され、遺伝子組換え生物等の使用が規制されている。 近代的な生物学が成立するはるか以前から、人類は生物の持つさまざまな機能を利用し、また時には生物そのものを改変することすら行ってきた。すでに有史以前に、人類は穀物に目をつけて栽培化する過程で選抜を繰り返し、やがて栽培穀物は穂が熟しても種子の脱落しない非脱落性や可食部分の肥大化を獲得し、植物自体の性質が変化していった。また微生物の利用も有史以前からのものであり、どの古代文明も醸造技術は保持していて酒の製造を行っていた。古代エジプトでは発酵パンもすでに知られていた。発酵食品は幅広く世界中に分布しており、パンや酒の他にもチーズやヨーグルトなどの乳製品や、酢や醤油、味噌といった調味料、各種の漬物など種類も非常に多様である。
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生物工学は、生物学の知見を元にし、実社会に有用な利用法をもたらす技術の総称である。ただし定義は明確ではなく、バイオテクノロジーやバイオニクスの訳語として使われる場合が多く、この両方を含んだ学問の領域と捉えることに矛盾しない。また、特に遺伝子操作をする場合には、遺伝子工学と呼ばれる場合もある。
{{出典の明記|date=2011年6月}} '''生物工学'''(せいぶつこうがく、{{Lang-en|biological engineering}})は、[[生物学]]の知見を元にし、実社会に有用な利用法をもたらす[[技術]]の総称である。ただし定義は明確ではなく、'''バイオテクノロジー'''({{lang-en|biotechnlogy}})や'''[[バイオニクス]]'''({{lang-en|bionics}})の訳語として使われる場合が多く、この両方を含んだ[[学問]]の領域と捉えることに矛盾しない{{sfn|大島|1995|p=726}}。また、特に[[遺伝子]]操作をする場合には、'''[[遺伝子工学]]'''と呼ばれる場合もある。 == 概要 == 具体的には[[醸造]]、[[発酵]]の分野から、[[再生医学]]や[[創薬]]、[[農作物]]の[[品種改良]]など様々な技術を包括する言葉で、[[農学]]、[[薬学]]、[[医学]]、[[歯学]]、[[理学]]、[[獣医学]]、[[工学]]、[[衛生]]、[[福祉]]、[[栄養学]]、[[看護]]、[[介護]]と密接に関連する。[[金融]][[経済]][[市場]]などで、これらを取り扱う企業活動などを説明する際に頻用される言葉である。 [[分子生物学]]や[[生物化学]]などの基礎生物学の発展とともに、応用生物学としての生物工学も、近年めざましい発展を遂げており、[[クローン]]生物など従来[[サイエンス・フィクション|SF]]に登場した様々な空想が現実のものとなりつつある。 また、[[クローン]]技術や[[遺伝子組み換え作物]]などでは、倫理的な側面や自然[[環境]]との関係において、多くの議論が必要とされている分野でもあり、遺伝子操作や細胞融合などの技術に関してさまざまな規制が行われている。 現在、日本ではバイオテクノロジー人材の供給過剰が深刻な社会問題になっている([[バイオ産業#日本のバイオ産業]]を参照)。 == 利用 == 生物工学の利用される分野は医療、農業、環境、化学工業など多岐にわたる。 {{節スタブ|各分野における実用例|date=2020年1月}} ===医療=== {{See also|医用生体工学|[[:en:pharmaceutical_engineering|医薬品工学]]}} 生物工学が広く利用されている分野のひとつが医療である。その中でも再生医療で生物工学が利用されている。再生医療の例として造血幹細胞を利用した細胞移植がある。血液のもととなる[[造血幹細胞]]を血液のがんである白血病などの難治性の血液疾患に対して移植し、血液をそっくり提供者由来の細胞に入れかえるという治療法である。再生医療には他にも肺のような大きな臓器の再生も可能にしている。再生に成功しているのは、[[骨]]、[[皮膚]]、[[肺]]といった単純な構造を有する臓器で、それらは実用化が近いといえる。一方で肝臓や腎臓といった複雑な機能を担う臓器の再生はうまくできていないため、実用化には遠い現状にある。再生医療は生物工学の中の組織工学という分野のアプローチの上で成り立っている。再生医療の最も大きな利点は、患者と完全に遺伝的な一致がある状況で組織や臓器を交換することができるため、生命を脅かすような免疫拒絶反応の心配がないことである。 遺伝子組み換え技術を用いて商業生産された初めての医薬品は、1982年に発売された[[インスリン]]である。その後、さまざまな医薬品が生物工学を用いて大量生産されるようになった<ref>「改訂第2版 年表付き バイオテクノロジーの流れ」p222 (財)バイオインダストリー協会 バイオテクノロジーの流れ編集委員会編 化学工業日報社 2002年3月25日2版第1刷発行</ref>。2021年ではこれらの技術を生かしてホルモン製剤や抗体医薬品、遺伝子治療薬、ワクチンなどあらゆる種類の[[バイオ医薬品]]の生産が行われている。 ===農業=== {{See also|農業工学}} 農業は生物工学が広く利用されている分野のひとつである。遺伝子組み換え作物は1984年に誕生し、1996年以降主にアメリカで栽培が開始されて急速に普及した。遺伝子組み換えによって除草剤や殺虫剤への耐性をつけた作物が栽培されており、またビタミンAを付与した[[ゴールデンライス]]のように遺伝子工学によって栄養を強化した作物も存在する。一方で、とくに食用作物に対する遺伝子工学の使用には警戒感が強く、いくつかの国では強い規制が敷かれている<ref>「食料の世界地図」p42-45 エリック・ミルストーン、ティム・ラング著 中山里美・高田直也訳 大賀圭治監訳 丸善 平成17年10月30日発行</ref>。遺伝子組み換えが広く利用される作物は主に[[ダイズ]]、[[綿花]]、[[トウモロコシ]]、[[油糧作物]]などである<ref>「食 90億人が食べていくために」(サイエンス・パレット025)p161-162 John Krebs著 伊藤佑子・伊藤俊洋訳 丸善出版 平成27年6月25日発行</ref>。また、2004年に[[サントリーフラワーズ]]と[[フロリジーン]]によって開発された[[青いバラ (サントリーフラワーズ)|青いバラ]]のように、遺伝子工学を用いた[[園芸作物]]の開発も行われている<ref>https://www.suntory.co.jp/sic/research/s_bluerose/story/ 「開発ストーリー」サントリー 2021年8月25日閲覧</ref>。このほか、植物の[[成長点]]には[[ウイルス]]が侵入することができないため、成長点である[[茎]]の先端を切り取って培養する[[茎頂培養]]を行えばウイルスに汚染されていない[[苗]]を大量生産することができ、農業において広く活用されている。また、[[葯培養]]による純系の作出や[[胚培養]]による[[雑種]]の創出も行われている<ref>「食物科学概論 改訂版」(生活環境学ライブラリー4)p123-124 的場輝佳編著 朝倉書店 2014年3月25日改訂版第1刷発行</ref>。 ===環境=== 微生物や植物などを用いて[[土壌]]や[[地下水]]などの有害物質を除去し汚染を浄化する技術は[[バイオレメディエーション]]と呼ばれ、主に[[タンカー]]事故などによる[[石油]]の流出や、[[溶剤]]や[[重金属]]による地下水・[[土壌汚染]]などに使用される<ref>{{Cite web|和書|title=バイオレメディエーション - 環境技術解説|url=https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=53|website=環境展望台|accessdate=2021-08-24|publisher=国立環境研究所|year=2009}}</ref>。 環境変化に伴う[[絶滅]]からの[[遺伝資源]]の保護も重要であり、[[スヴァールバル世界種子貯蔵庫]]に代表される[[種子銀行]]や遺伝子銀行も世界各地に設立されている。[[絶滅危惧種]]や[[絶滅種]]の[[クローン]]を作成し、[[種 (分類学)|種]]の復活を目指す動きも起きている{{sfn|Dehlinger|2017|pp=133-135}}。 ===工業=== 微生物を利用して工業原料やさまざまな物質を工業的に生産することは広く行われている{{sfn|Dehlinger|2017|pp=73-74}}。またいくつかの微生物からは[[ポリマー]]が生産され、これを用いた[[バイオプラスチック]]の生産も行われている。こうしたバイオプラスチックの多くは[[生分解性プラスチック]]であり、[[海洋]]における大量の[[プラスチック]]ゴミや[[マイクロプラスチック]]の問題が取り沙汰されるなかで、現在主流である生分解されないプラスチックに代わる材料としての需要が高まっている{{sfn|Dehlinger|2017|pp=79-81}}。また、[[石油]]などの[[化石燃料]]の枯渇や環境汚染を防ぐため、[[バイオエタノール]]や[[バイオディーゼル]]といった[[バイオ燃料]]の開発が進められ、実用化も行われている{{sfn|Dehlinger|2017|pp=135-137}}。 == 規制 == 遺伝子組み換え技術については、安全性への不安や[[生物多様性]]への悪影響などさまざまな懸念が存在する<ref>「地球環境論 緑の地球と共に生きる」p153-154 山田悦編著 電気書院 2014年4月10日第1版第1刷発行</ref>。このうち、生物多様性への悪影響については、[[生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書]](カルタヘナ議定書)が2003年6月に締結され、日本ではこれに基づき「[[遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律]]」(遺伝子組換え生物等規制法、遺伝子組換え規制法、カルタヘナ法)が2004年2月に施行され、遺伝子組換え生物等の使用が規制されている<ref>https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/about/ 「カルタヘナ法とは」日本国農林水産省 令和4年3月 2022年7月22日閲覧</ref>。 == 歴史 == 近代的な生物学が成立するはるか以前から、人類は生物の持つさまざまな機能を利用し、また時には生物そのものを改変することすら行ってきた。すでに有史以前に、人類は[[穀物]]に目をつけて[[栽培化]]する過程で選抜を繰り返し、やがて栽培穀物は穂が熟しても種子の脱落しない非脱落性や可食部分の肥大化を獲得し、植物自体の性質が変化していった<ref>「新訂 食用作物」p5 国分牧衛 養賢堂 2010年8月10日第1版</ref>。また微生物の利用も有史以前からのものであり、どの古代文明も[[醸造]]技術は保持していて[[酒]]の製造を行っていた。古代エジプトでは発酵[[パン]]もすでに知られていた。[[発酵食品]]は幅広く世界中に分布しており、パンや酒の他にも[[チーズ]]や[[ヨーグルト]]などの[[乳製品]]や、[[酢]]や[[醤油]]、[[味噌]]といった[[調味料]]、各種の[[漬物]]など種類も非常に多様である{{sfn|Dehlinger|2017|pp=150-151}}。 * [[1944年]] - [[デオキシリボ核酸|PTA]]による肺炎双球菌[[形質転換]]([[オズワルド・アベリー|エイヴリー]]) * [[1945年]] - [[ファージ]]のPTA組換え([[マックス・デルブリュック|デルブリュック]]) * [[1953年]] - DNAの[[二重らせん]]構造発見 * [[1956年]] - [[センダイウイルス]]による動物細胞融合([[岡田善雄]]) * [[1967年]] - [[DNAリガーゼ]]の発見 * [[1968年]] - [[制限酵素]]の発見 * [[1970年]] - [[大腸菌]]へのDNA導入(マンデル、比嘉昭子) * [[1973年]] - 人工的遺伝子組換え技術(コーエン、ボイヤー) * [[1974年]] - [[ポリエチレングリコール]]による細胞融合 * [[1975年]] - [[モノクローナル抗体]]([[ジョルジュ・J・F・ケーラー|ケーラー]]、[[ミルスタイン]]) * [[1977年]] - PTA[[塩基配列]]決定法([[フレデリック・サンガー|サンガー]]法) * [[1977年]] - ヒト[[ソマトスタチン]]遺伝子を大腸菌で発現 * [[1982年]] - 組換え[[インスリン]]認可 * [[1985年]] - [[ポリメラーゼ連鎖反応]]発明([[キャリー・マリス]]) * [[1990年]] - ヒト[[遺伝子治療]]開始([[アメリカ国立衛生研究所|NIH]]) * [[1994年]] - [[Flavr Savr]](遺伝子組換え[[トマト]])市販 * [[1996年]] - [[ドリー (羊)|クローン羊ドリー]]誕生 * [[1998年]] - ヒト[[ES細胞]]作製 * [[2000年]] - ヒト[[ゲノム]]の概要解読 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 参考文献 == * {{Citation|和書|title = 生化学辞典第2版|edition = 第2版第6刷|year = 1995|publisher = [[東京化学同人]]|isbn = 4-8079-0340-3|page = |last=大島|first=泰郎}} * {{Citation|和書|title=新 バイオの扉: 未来を拓く生物工学の世界|url=https://www.worldcat.org/oclc/855411165|publisher=[[裳華房]]|isbn=978-4-7853-5225-7|oclc=855411165|last=高木|first=正道|year=2013|editor-last=池田|editor-first=友久}} *{{Citation|和書|title=ビジュアル・バイオテクノロジー|url=https://www.worldcat.org/oclc/983776461|publisher=[[化学同人]]|location=京都|isbn=978-4-7598-1920-5|oclc=983776461|first=Carolyn A.|last=Dehlinger|translator=福井希一・内山進・松田史生|edition=初|publication-date=2017-04-10|year=2017|version=第1刷}} == 関連項目 == {{Div col|rules=2}} *[[バイオ産業]] *[[遺伝子組み換え技術]] *[[クローン]] *[[細胞培養]] *[[形質転換]] *[[生物学]] **[[分子生物学]] **[[生体工学]] *[[生体認証]] *[[生物兵器]] *[[バイオレメディエーション]] *[[バイオ技術者認定試験]] *[[バイオハザード]] *[[iPS細胞]] *[[抗精神病薬]] *[[抗がん剤]] *[[放射線療法]] *[[発酵食品]] {{Div col end}} == 外部リンク == *{{Wayback|url=https://www.kantei.go.jp/jp/singi/bt/link/link.html |title=首相官邸 |date=20040610212327}}バイオテクノロジー情報リンク集 *[https://www.nite.go.jp/nbrc/ 独立行政法人 製品評価技術基盤機構] *[https://www.sbj.or.jp/ 日本生物工学会](旧・日本醗酵工学会) *[https://www.engineer.or.jp/c_dpt/bio/ (公社)日本技術士会 生物工学部会] *[https://integbio.jp/dbcatalog/?lang=ja Integbio データベースカタログ] - 科学技術振興機構が運営する、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省による生命科学系データベースの統合化に向けた合同ポータルサイト *[https://dbsearch.biosciencedbc.jp/?lang=ja 生命科学データベース横断検索] - 国立研究開発法人 科学技術振興機構 バイオサイエンスデータベースセンターが提供する特許や文献情報とあわせて一括して検索できるサービス *[https://www.jba.or.jp/top/bioschool/ みんなのバイオ学園] - 経済産業省の委託より、バイオインダストリー協会が運営する、バイオテクノロジーが学べるサイト。 *[https://web.archive.org/web/20041116152257/http://www.north.ad.jp/~yosikawa/bio&bac/bio&bac-fr.htm バイオ&微生物の世界] * {{Kotobank}} {{Engineering fields}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はいおてくのろしい}} [[Category:工学の分野]] [[Category:バイオテクノロジー|*]] [[Category:生物工学|*]] [[Category:農学]] [[Category:農業技術]] [[Category:医学研究]]
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9,698
マンガン
マンガン(満俺、独: Mangan、英: manganese、羅: manganum)は原子番号25の元素。元素記号はMn。 ギリシャのマグネシア地方で発見された Mágnes の石に由来するラテン語で「磁石」を意味するmagnesにちなむ。 日本では満俺とも書く。 銀白色の金属で、比重は7.2(体心立方類似構造)、融点は1246 °C。マンガン族元素に属する遷移元素。温度によりいくつかの同素体が存在し、常温常圧で安定な構造は立方晶系である。これは硬く非常に脆い。空気中では酸化被膜を生じて内部が保護され、赤みがかった灰白色となる。酸(希酸)には易溶であり、淡桃色の2価のマンガンイオン Mn(aq) を生成する。 比較的反応性の高い金属で粉末状にすると空気中の酸素、水などとも反応する。化合物は2–7価までの原子価を取り得る(+2、+3、+4、+6、+7 が安定)。地球上には比較的豊富に存在するが、単体では産出しない。二酸化マンガンを触媒とする過酸化水素の水と酸素への分解反応は、日本の義務教育課程で触媒の実験の題材とされるため非常に有名である。 単体マンガン自体は常磁性であるが、合金にはホイスラー合金など強磁性を示すものがあり、さらに化合物にはさまざまな磁気的性質を示すものがある。ビスマスとの合金は強磁性体として知られるほか、フェライトに添加することでさまざまな特性を付加する。 スウェーデンのカール・ヴィルヘルム・シェーレ(C. W. Scheele)が1774年に発見、同年ヨハン・ゴットリーブ・ガーン(J. G. Gahn)が単体を単離した。 一番有名な用途は、二酸化マンガンがマンガン乾電池やアルカリ乾電池の正極に使われる。また、リチウム電池の正極にも用いられ、リチウムイオン二次電池の正極材料として研究されている。また、磁性材料として、マンガン、亜鉛、鉄を含む金属酸化物であるMnZnフェライトがインダクタやトランスのコア材料として用いられている。 マンガン単体が金属材料として用いられることはほとんどなく、合金として、マンガン鋼の原料や、フェロマンガンとして鋼材の脱酸素剤・脱硫黄剤などに使用される。鉄鋼用途で耐磨耗性、耐食性、靭性を付加するために、マンガン合金(フェロマンガン)や金属マンガンとしてマンガン分が添加される。 また、生物の必須元素としても知られており、硫酸マンガンなどの化合物は肥料としても用いられる。 マンガンは単体としては産出せず、軟マンガン鉱(MnO2)、菱マンガン鉱(MnCO3)などとして産出する。 戦前では日本国内でも製鉄用に採掘され、第二次世界大戦中にはおもに乾電池用としてマンガンを採掘する鉱山が多数開発された。とくに後者は日本各地で見られ、京都府中部(丹波地方)を中心に近畿地方に零細鉱山が集中して存在していた。しかし、1950年代以降の鉱物資源の輸入自由化によって激しい競争に晒され、すべての鉱山が1970年代までに閉山に追い込まれた。前者は東日本に多く(北海道上国鉱山、同大江鉱山など)、規模が比較的大きいことから1980年代まで存続したが、現在では岩手県の野田玉川鉱山において宝飾品材料としてバラ輝石が限定的・間欠的に採掘されているほかは皆無である。 この金属は、日本国内において産業上重要性が高いものの、産出地に偏りがあり供給構造が脆弱である。日本では国内で消費する鉱物資源の多くを他国からの輸入で支えている実情から、万一の国際情勢の急変に対する安全保障策として国内消費量の最低60日分を国家備蓄すると定められている。 深海底には、マンガン、鉄などの金属水酸化物の塊であるマンガン団塊(マンガンノジュール)として存在しているが、コストの関係で試験的な採取に留まっている。 2011年における国別の産出量は以下の通りである。 マンガンは温度により4つの相を持つ。 人体にとっての必須元素。骨の形成や代謝に関係し、消化などを助ける働きもある。一部では活性酸素対策としての必須ミネラルに挙げるものもいる。 不足すると成長異常、平衡感覚異常、疲れやすくなる、糖尿病(インスリンの合成能力が低下するため)、骨の異常(脆くなるなど)、傷が治りにくくなる、生殖能力の低下や生殖腺機能障害などが起こる。しかしマンガンは川など天然の水などに含まれ、上水道水としては多すぎてむしろ除去する場合があるなど、普通に生活していてマンガンが不足することはまずない。 労働安全衛生法の第2類特定化学物質に指定されている。 マンガン鉱石精錬所作業員・れんが職人・鋼管製造業者など、過剰に曝露されるとマンガン中毒を起こす。 頭痛・関節痛・易刺激性・眠気などを起こし、やがて情動不安定・錯乱に至る。大脳基底核や錐体路も障害し、パーキンソン症候群・ジストニア・平衡覚障害を引き起こすほか、無関心・抑うつなどの精神症状も報告されている。マンガン曝露から離れれば、3–4か月で症状は消える。 マンガンは脱酸素剤として使用されるように強い酸素吸着作用があるため、十分に酸化されていない天然マンガンが多い地層の洞窟や井戸などでは、貧酸素化した地下水を経由して内部の空気の酸素が欠乏し、そこへ十分な換気を行わず奥へ入った場合は酸素欠乏症になり最悪の場合死亡するおそれがある。また肥料の撒きすぎによる土壌の酸化などで土中のマンガンが還元されたり、湖などの水底に溜まったマンガンが貧酸素水などで還元され、結果としてマンガンが酸欠状態を保持したり流れに乗って移動させてしまう現象などもある。
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マンガンは原子番号25の元素。元素記号はMn。
{{Otheruses|元素|[[麻雀の点]]の満貫|麻雀の得点計算}} {{Elementbox |name=manganese |japanese name=マンガン |pronounce={{IPAc-en|ˈ|m|æ|ŋ|ɡ|ən|iː|z}} {{respell|MANG|gən-neez}} |number=25 |symbol=Mn |left=[[クロム]] |right=[[鉄]] |above=- |below=[[テクネチウム|Tc]] |series=遷移金属 |series comment= |group=7 |period=4 |block=d |series color= |phase color= |appearance=銀白色 |image name=Mangan 1-crop.jpg |image size= |image alt=A rough fragment of lustrous silvery metal |image name comment= |image name 2= |image name 2 comment= |atomic mass=54.938045 |atomic mass 2=5 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[アルゴン|Ar]]&#93; 4s<sup>2</sup> 3d<sup>5</sup> |electrons per shell=2, 8, 13, 2 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt=7.21 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp=5.95 |melting point K=1519 |melting point C=1246 |melting point F=2275 |boiling point K=2334 |boiling point C=2061 |boiling point F=3742 |triple point K= |triple point kPa= |critical point K= |critical point MPa= |heat fusion=12.91 |heat fusion 2= |heat vaporization=221 |heat capacity=26.32 |vapor pressure 1=1228 |vapor pressure 10=1347 |vapor pressure 100=1493 |vapor pressure 1 k=1691 |vapor pressure 10 k=1955 |vapor pressure 100 k=2333 |vapor pressure comment= |crystal structure=body-centered cubic |japanese crystal structure=[[体心立方]] |oxidation states='''7''', 6, 5, '''4''', 3, '''2''', 1, &minus;1, &minus;2, &minus;3 |oxidation states comment=[[酸性酸化物]]、[[塩基性酸化物]]、[[両性酸化物]] |electronegativity=1.55 |number of ionization energies=4 |1st ionization energy=717.3 |2nd ionization energy=1509.0 |3rd ionization energy=3248 |atomic radius=[[1 E-10 m|127]] |atomic radius calculated= |covalent radius=[[1 E-10 m|139±5(低スピン), 161±8(高スピン)]] |Van der Waals radius= |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20=1.44 &mu; |thermal conductivity=7.81 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25=21.7 |speed of sound= |speed of sound rod at 20=5150 |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus=198 |Shear modulus= |Bulk modulus=120 |Poisson ratio= |Mohs hardness=6.0 |Vickers hardness= |Brinell hardness=196 |CAS number=7439-96-5 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay3 | mn=[[マンガン52|52]] | sym=Mn | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|5.591 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[クロム52|52]] | ps1=[[クロム|Cr]] | dm2=[[陽電子放出|β<sup>+</sup>]] | de2=0.575 | pn2=[[クロム52|52]] | ps2=[[クロム|Cr]] | dm3=[[ガンマ崩壊|γ]] | de3=0.7, 0.9, 1.4 | pn3= | ps3=-}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[マンガン53|53]] | sym=Mn | na=[[微量放射性同位体|trace]] | hl=[[1 E14 s|3.74×10<sup>6</sup> y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=- | pn=[[クロム53|53]] | ps=[[クロム|Cr]]}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[マンガン54|54]] | sym=Mn | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E7 s|312.3 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=1.377 | pn1=[[クロム54|54]] | ps1=[[クロム|Cr]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.834 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[マンガン55|55]] | sym=Mn | na=100% | n=30}} |isotopes comment= }} '''マンガン'''(満俺<ref name="p.2672"/>、{{lang-de-short|Mangan}}、{{lang-en-short|manganese}}、{{lang-la-short|manganum}})は[[原子番号]]25の[[元素]]。[[元素記号]]は'''Mn'''。 == 名称 == ギリシャのマグネシア地方で発見された Mágnes の石に由来する<ref>寄与者:池田黎太郎, 市毛みゆき, 杉田克生, 『[https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/100517/ 元素名語源集]』 2014年, 千葉大学教育学部養護教育講座, {{doi|10.20776/B9784903328164}}, {{ISBN2|9784903328164}}</ref>ラテン語で「磁石」を意味するmagnesにちなむ<ref name="p.2672">新村出編『[[広辞苑]] 第六版』岩波書店、2008年、2672頁。</ref>。 日本では'''満俺'''とも書く<ref name="p.2672"/>。 == 性質 == 銀白色の[[金属]]で、比重は7.2([[体心立方格子構造|体心立方]]類似構造)、[[融点]]は1246&nbsp;&deg;C。[[マンガン族元素]]に属する[[遷移元素]]。温度によりいくつかの[[同素体]]が存在し、常温常圧で安定な構造は[[立方晶系]]である。これは硬く非常に脆い。空気中では酸化被膜を生じて内部が保護され、赤みがかった灰白色となる。酸(希酸)には易溶であり、淡桃色の2価のマンガンイオン Mn<sup>2+</sup>(aq) を生成する。 比較的反応性の高い金属で粉末状にすると空気中の酸素、水などとも反応する。化合物は2&ndash;7価までの原子価を取り得る(+2、+3、+4、+6、+7 が安定)。地球上には比較的豊富に存在するが、単体では産出しない。[[二酸化マンガン]]を[[触媒]]とする[[過酸化水素]]の[[水]]と[[酸素]]への分解反応は、日本の義務教育課程で触媒の実験の題材とされるため非常に有名である。 単体マンガン自体は[[常磁性]]であるが、合金には[[ホイスラー合金]]など[[強磁性]]を示すものがあり、さらに化合物にはさまざまな磁気的性質を示すものがある。ビスマスとの合金は強磁性体として知られるほか、[[フェライト (磁性材料)|フェライト]]に添加することでさまざまな特性を付加する。 == 歴史 == [[スウェーデン]]の[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]](C. W. Scheele)が1774年に発見、同年[[ヨハン・ゴットリーブ・ガーン]](J. G. Gahn)が[[単体]]を単離した<ref>{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 139~140|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。 == 用途 == 一番有名な用途は、二酸化マンガンが[[マンガン乾電池]]や[[アルカリ乾電池]]の正極に使われる。また、[[リチウム電池]]の正極にも用いられ、[[リチウムイオン二次電池]]の正極材料として研究されている。また、磁性材料として、マンガン、[[亜鉛]]、[[鉄]]を含む金属酸化物であるMnZn[[フェライト (磁性材料)|フェライト]]が[[インダクタ]]や[[変圧器|トランス]]のコア材料として用いられている。 マンガン単体が金属材料として用いられることはほとんどなく、合金として、マンガン鋼の原料や、[[フェロマンガン]]として鋼材の脱酸素剤・脱硫黄剤などに使用される。鉄鋼用途で耐磨耗性、耐食性、靭性を付加するために、マンガン合金(フェロマンガン)や金属マンガンとしてマンガン分が添加される。 また、生物の[[必須元素]]としても知られており、[[硫酸マンガン]]などの化合物は肥料としても用いられる。 == 産出 == マンガンは単体としては産出せず、[[軟マンガン鉱]](MnO<sub>2</sub>)、[[菱マンガン鉱]](MnCO<sub>3</sub>)などとして産出する。 戦前では日本国内でも製鉄用に採掘され、[[第二次世界大戦]]中にはおもに乾電池用としてマンガンを採掘する鉱山が多数開発された。とくに後者は日本各地で見られ、[[京都府]]中部([[丹波国|丹波]]地方)を中心に[[近畿地方]]に零細鉱山が集中して存在していた。しかし、[[1950年]]代以降の鉱物資源の輸入自由化によって激しい競争に晒され、すべての鉱山が[[1970年]]代までに閉山に追い込まれた。前者は東日本に多く([[北海道]][[上国鉱山]]、同[[大江鉱山]]など)、規模が比較的大きいことから[[1980年]]代まで存続したが、現在では[[岩手県]]の[[野田玉川鉱山]]において[[宝飾品]]材料として[[バラ輝石]]が限定的・間欠的に採掘されているほかは皆無である。 この金属は、[[日本]]国内において[[産業]]上重要性が高いものの、産出地に偏りがあり供給構造が脆弱である。日本では国内で消費する[[鉱物]][[資源]]の多くを他国からの[[輸入]]で支えている実情から、万一の国際情勢の急変に対する[[安全保障]]策として国内消費量の最低60[[日]]分を[[国家備蓄]]すると定められている。 深海底には、マンガン、鉄などの金属水酸化物の塊である[[マンガン団塊]](マンガンノジュール)として存在しているが、コストの関係で試験的な採取に留まっている。 ===国別の産出量=== 2011年における国別の産出量は以下の通りである<ref>{{Cite book |和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |translator= |year=2014 |title=地理 統計要覧 2014年版 |publisher=二宮書店 |page=96 |id= |isbn=978-4-8176-0382-1 |quote= }}</ref>。 {| class="wikitable" |- !順位 !国 !マンガン鉱<br>の産出量<br>(万トン) !全世界での割合(%) |- |1 |[[南アフリカ共和国]] |340 |21.3 |- |2 |[[オーストラリア]] |320 |20.0 |- |3 |[[中華人民共和国]] |280 |17.5 |- |4 |[[ガボン]] |185.8 |11.6 |- |5 |[[ブラジル]] |120.9 |7.6 |} == 結晶構造 == マンガンは温度により4つの相を持つ<ref>{{Cite book |和書 |last=太田 |first=恵造 |author= |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1973 |title=磁気工学の基礎 I |publisher=共立出版 |page= |id= |isbn=4-320-00200-8 |quote= }}</ref>。 ; αマンガン:742&nbsp;&deg;C以下で安定。[[単位胞]]あたり58個の原子を含む複雑な[[立方晶]]([[体心立方格子]]類似構造)。原子の位置により4種類の異なる[[スピン角運動量|スピン]]を持ち、全体としては[[磁気モーメント]]を持たない、広義の[[反強磁性|反強磁性体]]であると考えられている(詳細はいまだ明らかになっていない)。 ; βマンガン:{{val|742|-|1095|u=degC}}で安定。単位胞あたり20個の原子を含む複雑な立方晶。[[常磁性体]]である。 ; γマンガン:{{val|1095|-|1134|u=degC}}で安定。[[面心立方構造]]。反強磁性体である。 ; δマンガン:{{val|1134|-|1245|u=degC}}(融点)で安定。体心立方構造。常磁性体である。 == おもな化合物 == * [[過マンガン酸カリウム]](KMnO<sub>4</sub>) - [[酸化剤]] * [[二酸化マンガン]](MnO<sub>2</sub>) - [[触媒]] == 同位体 == {{Main|マンガンの同位体}} == 人体への影響 == === 摂取基準 === {|class = "wikitable" style="text-align:center;" |+マンガンの食事摂取基準<br/>(日本、2015年)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/eiyou/syokuji_kijyun.html 日本人の食事摂取基準(2015年版)]</ref> |- !属性!!目安量(AI)<br/>(mg/日)!!耐容上限量(UL)<br/>(mg/日) |- |男性(18歳以上)||4.0|| rowspan="2" |11 |- |女性(18歳以上)||3.5 |} {|class = "wikitable" style="text-align:center;" |+マンガンの食事摂取基準<br/>(米国、2001年)<ref>{{cite book |title=Dietary Reference Intakes for Vitamin A, Vitamin K, Arsenic, Boron, Chromium, Copper, Iodine, Iron, Manganese, Molybdenum, Nickel, Silicon, Vanadium, and Zinc. |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK222332/ |publisher=Institute of Medicine (US) Panel on Micronutrients.Washington (DC): National Academies Press (US) |year=2001 }}</ref> |- !属性!!目安量(AI)<br/>(mg/日)!!耐容上限量(UL)<br/>(mg/日)!![[NOAEL]]<br/>mg/日 |- |男性(19歳以上)||2.3|| colspan="2" rowspan="4" |11 |- |女性(19歳以上)||1.8 |- |女性(妊娠)||2.0 |- |女性(授乳)||2.6 |} === 生理作用 === 人体にとっての必須元素。[[骨]]の形成や[[代謝]]に関係し、[[消化]]などを助ける働きもある。一部では活性酸素対策としての[[ミネラル|必須ミネラル]]に挙げるものもいる。 不足すると成長異常、[[平衡感覚#平衡機能障害|平衡感覚異常]]、疲れやすくなる、糖尿病(インスリンの合成能力が低下するため)、骨の異常(脆くなるなど)、傷が治りにくくなる、生殖能力の低下や生殖腺機能障害などが起こる。しかしマンガンは川など天然の水などに含まれ、[[上水道]]水としては多すぎてむしろ除去する場合があるなど、普通に生活していてマンガンが不足することはまずない。 === 中毒 === [[労働安全衛生法]]の[[特定化学物質#第2類物質|第2類特定化学物質]]に指定されている。 マンガン鉱石精錬所作業員・れんが職人・鋼管製造業者など、過剰に曝露されるとマンガン[[中毒]]を起こす。 [[頭痛]]・関節痛・易刺激性・眠気などを起こし、やがて情動不安定・錯乱に至る。[[大脳基底核]]や[[錐体路]]も障害し、[[パーキンソン症候群]]・[[ジストニア]]・平衡覚障害を引き起こすほか、無関心・抑うつなどの精神症状も報告されている。マンガン曝露から離れれば、3&ndash;4か月で症状は消える。 === 酸素欠乏 === マンガンは[[脱酸素剤]]として使用されるように強い酸素吸着作用があるため、十分に酸化されていない天然マンガンが多い地層の洞窟や井戸などでは、貧酸素化した地下水を経由して内部の空気の酸素が欠乏し、そこへ十分な換気を行わず奥へ入った場合は[[酸素欠乏症]]になり最悪の場合死亡するおそれがある。また肥料の撒きすぎによる土壌の酸化などで土中のマンガンが還元されたり、湖などの水底に溜まったマンガンが貧酸素水などで還元され、結果としてマンガンが酸欠状態を保持したり流れに乗って移動させてしまう現象などもある。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Manganese}} * [[陶試紅]](マンガンを含む[[ピンク]]の[[顔料]]) * [[鉱物の一覧]] * [[鉱石]] * [[オンネトー]](オンネトー湯の滝マンガン酸化物生成地) * [[マンガン欠乏症]] * [[外角直樹]] * [[カタラーゼ]]([[酵素]]) == 外部リンク == * {{PaulingInstitute|mic/minerals/manganese Manganese}} * {{Hfnet|591|マンガン}} * {{Hfnet|681|マンガン解説|nolink=yes}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{マンガンの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:まんかん}} [[Category:マンガン|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第7族元素]] [[Category:第4周期元素]] [[Category:必須ミネラル]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%B3
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H-IIロケット5号機
H-IIロケット5号機は、宇宙開発事業団(NASDA)のH-IIロケットで6番目に打上げたものである。1998年2月21日に種子島宇宙センターから通信放送技術衛星(COMETS)「かけはし」を搭載して打ち上げたが、2段目エンジンのLE-5Aの燃焼が予定より早く停止し、衛星を静止トランスファ軌道へ投入するのに失敗した。 なお、打上げ順番の変更で、6号機を先に打ち上げたため機体番号と打上げ順番はずれている。 1段目および2段目の第1回燃焼は予定通り終了した。しかし、ペイロードを静止トランスファ軌道に乗せるための第2回燃焼は計画通り打上げ後23分30秒から開始されたものの、予定の190秒間に対し47秒間で燃焼を停止した。その後衛星の切り放しが、計画した時刻に近い打上げ後27分18秒に自動的に行われた。 この燃焼時間不足の結果として、衛星は静止トランスファ軌道には到達できず、近地点約250km、遠地点約1,900km、軌道傾斜角約30度の低軌道に投入された。 テレメータデータ解析から、2段目エンジンのLE-5Aの早期停止の原因は、 という段階が起こったと推定された。 ペイロードの通信放送技術衛星(COMETS)の打上げ目的は、以下の技術開発とそれらの実験・実証を行うものであった。 到達した低軌道から静止トランスファ軌道を経て静止軌道へ投入することは、この衛星のアポジモーターの推力と燃料だけでは不可能であった。このため、当初予定した通信実験ミッションのうちいくつかを断念した。実施可能な実験を行うための軌道に移す7回の軌道変更が行われ、最終的には1998年5月30日遠地点高度約17,700km、近地点高度約473km、軌道傾斜角約30度の2日9周回の準回帰軌道に落ち着いた。 その後、地上の模擬衛星局を通信相手にした通信実験などが行われ、全実験が終了した1999年8月6日をもって運用を終了、衛星は動作を停止された。 以後打ち上げる予定であった7号機については、LE-5Aエンジンのより精密な非破壊検査を行い、ろう付け部の欠陥が無いことを確認した上で使用することになった。また、H-IIロケット8号機はH-IIAロケットと同じLE-5Bエンジンを使用しており、構造が異なるため同部位では同様な事故は起こらないが、他のろう付け部分に関しての検査を行うことになった。 打ち上げは8号機が先に行われたが、5号機と異なる部位(一段のLE-7)の不具合による指令破壊になったため、成果を発揮する前にその役目を終えた。また、5号機と8号機の連続失敗を受けて7号機の打ち上げは中止された。
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H-IIロケット5号機は、宇宙開発事業団(NASDA)のH-IIロケットで6番目に打上げたものである。1998年2月21日に種子島宇宙センターから通信放送技術衛星(COMETS)「かけはし」を搭載して打ち上げたが、2段目エンジンのLE-5Aの燃焼が予定より早く停止し、衛星を静止トランスファ軌道へ投入するのに失敗した。 なお、打上げ順番の変更で、6号機を先に打ち上げたため機体番号と打上げ順番はずれている。
{{出典の明記|date=2023年2月26日 (日) 09:17 (UTC)}} '''H-IIロケット5号機'''は、[[宇宙開発事業団]](NASDA)の[[H-IIロケット]]で6番目に打上げたものである。[[1998年]][[2月21日]]に種子島宇宙センターから通信放送技術衛星(COMETS)「[[かけはし]]」を搭載して打ち上げたが、2段目エンジンの[[LE-5A]]の燃焼が予定より早く停止し、衛星を[[静止トランスファ軌道]]へ投入するのに失敗した。 なお、打上げ順番の変更で、6号機を先に打ち上げたため機体番号と打上げ順番はずれている。 == 打上げの経過 == 1段目および2段目の第1回燃焼は予定通り終了した。しかし、[[ペイロード (航空宇宙)|ペイロード]]を静止トランスファ軌道に乗せるための第2回燃焼は計画通り打上げ後23分30秒から開始されたものの、予定の190秒間に対し47秒間で燃焼を停止した。その後衛星の切り放しが、計画した時刻に近い打上げ後27分18秒に自動的に行われた。 この燃焼時間不足の結果として、衛星は静止トランスファ軌道には到達できず、近地点約250km、遠地点約1,900km、軌道傾斜角約30度の[[低軌道]]に投入された。 == 事故の原因 == テレメータデータ解析から、2段目エンジンのLE-5Aの早期停止の原因は、 #燃焼室下部の、ノズルスカートを冷却する冷却管相互をろう付けした部分が破断 #破断部から高温の燃焼ガスが側面に漏出 #漏出したガスの熱でエンジン制御電子装置の電源配線が溶断 #電源断によりエンジンに燃料を送り込む配管の電磁弁が閉鎖してエンジン停止 という段階が起こったと推定された。 == 失敗の影響 == === 衛星 === ペイロードの通信放送技術衛星(COMETS)の打上げ目的は、以下の技術開発とそれらの実験・実証を行うものであった。 *高度移動体衛星通信技術 *衛星間通信技術 *高度衛星放送技術 *多周波数帯インテグレーション技術 *大型静止衛星の高性能化技術 到達した低軌道から静止トランスファ軌道を経て静止軌道へ投入することは、この衛星の[[アポジキックモーター|アポジモーター]]の推力と燃料だけでは不可能であった。このため、当初予定した通信実験ミッションのうちいくつかを断念した。実施可能な実験を行うための軌道に移す7回の軌道変更が行われ、最終的には1998年5月30日遠地点高度約17,700km、近地点高度約473km、軌道傾斜角約30度の2日9周回の準回帰軌道に落ち着いた。 その後、地上の模擬衛星局を通信相手にした通信実験などが行われ、全実験が終了した1999年8月6日をもって運用を終了、衛星は動作を停止された。 === H-IIおよびH-IIAロケット === 以後打ち上げる予定であった7号機については、LE-5Aエンジンのより精密な非破壊検査を行い、ろう付け部の欠陥が無いことを確認した上で使用することになった。また、[[H-IIロケット8号機]]は[[H-IIAロケット]]と同じ[[LE-5B]]エンジンを使用しており、構造が異なるため同部位では同様な事故は起こらないが、他のろう付け部分に関しての検査を行うことになった。 打ち上げは8号機が先に行われたが、5号機と異なる部位(一段の[[LE-7]])の不具合による指令破壊になったため、成果を発揮する前にその役目を終えた。また、5号機と8号機の連続失敗を受けて7号機の打ち上げは中止された。 == 関連記事 == *[[宇宙開発事業団]] *[[H-IIロケット]] *[[H-IIロケット8号機]] *[[H-IIAロケット6号機]] *[[ロケット]] *[[宇宙開発]] == 外部リンク == * [http://www.nasda.go.jp/press/1998/06/comets_980611_j.html 事故報告書(NASDA)]1999年6月11日、宇宙開発委員会での報告 * [http://www.nasda.go.jp/projects/sat/comets/index_j.html 「かけはし」の公式ページ] {{DEFAULTSORT:H-II005}} [[Category:日本のロケット]] [[Category:宇宙事故]] [[Category:1998年の宇宙飛行]] [[Category:1998年の日本]] [[Category:1998年2月]]
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中野駅 (東京都)
中野駅(なかのえき)は、東京都中野区中野五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。 旅客営業においては、JR東日本と東京メトロの共同使用駅で、JR東日本が駅を管轄している。 JR東日本・JR貨物の中央本線(旅客営業を行うJR東日本が第一種鉄道事業者、貨物営業を行うJR貨物が第二種鉄道事業者)と、東京メトロの東西線が乗り入れ、接続駅となっている。 乗り入れているJR東日本の路線は中央本線のみであるが、運転系統としては、急行線を走る中央線快速電車、および緩行線を走る中央線各駅停車の2系統が停車する。このうち各駅停車の一部は東京メトロ東西線と相互直通運転を行っている。また、JRの特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。 平日の快速は当駅以西は各駅に停車する。当駅 - 三鷹駅間の所要時間は各駅停車とほぼ同等となる(なお、通過を伴う土休日の快速でも大差はない)。 直営駅(駅長配置)で管理駅として東中野駅を管理する。また、当駅、高円寺駅、阿佐ケ谷駅、荻窪駅、西荻窪駅からなる当駅駅長がセンター長を兼任する中野営業統括センターの所在駅であり、中央線の東中野駅 - 西荻窪駅を統括する。東京メトロとしては、飯田橋駅務管区高田馬場地域の被管理駅である。島式ホーム4面8線を有する高架駅である。当駅では、中央線(各駅停車)と東京メトロ東西線が相互直通運転を行っており、のりばと改札を共用している。このため、JR東日本と東京メトロの乗り換えは中間改札なしで可能である。ホーム下には南口と北口の2つの改札口がある(後述)。1番線の南側には電留線が1本敷設されている。 トイレは北口寄りが改札正面の6番線下付近、南口が改札を入ってすぐ右(コンコースからは階段を降りて左)にある。2010年4月より南口改札のトイレが現在地に移転し、同時にユニバーサルデザインの一環として多機能トイレ(オストメイト対応)も設置された。 エレベーターは設置されていないが、改札フロアとホーム(3・4番線では3号車付近)を連絡するエスカレーターが上下両方向1本ずつ東中野・落合寄りにあり、車椅子にも対応している。改札フロアとホームを結ぶ階段は3・4番線では5号車付近となる。南口は改札を入ってすぐに数段の階段がある。改札を入って右側の南口階段脇には車椅子専用の昇降機がある。北口は従来は高架下の改札口を入ってすぐに数段の階段があったが、2012年5月に歩行者広場としてコンコースと同じ高さで改修・整備された駅前広場に面した位置に改札口が移設され、段差がなくなった。北口広場からは同年7月に中野通りをまたぐ東西連絡橋が整備され、エスカレーターとエレベーターが設置され、区役所や警察病院跡地に開発された中野四季の都市(まち)方面に至る動線がバリアフリー化された。2020年から駅全体の改良工事に着工しており、2026年には駅西側に橋上駅舎と西口改札、南北通路が完成する予定である。 乗り換え専用通路はホームの新宿寄り(3・4番線では1号車付近)にあり、階段を経由して他のホームへ移動できる。 2006年3月18日のダイヤ改正を前にホーム上の掲示時刻表のフォーマットデザインが一新され、奇数時間帯・偶数時間帯がそれぞれ水色(平日)・桃色(土曜・休日)と白で色分けされたものになった(3・4番線を除く)。 3・4番線ホームは東京メトロの乗り場である。2004年頃からJR東日本仕様の発車標が設置されていたが、東西線の信号保安システムの更新に合わせ、2007年3月から東京メトロ仕様の行先と発車時刻を表示する発車標に更新され、到着・発車などの案内に東京メトロ仕様の自動放送が行われるようになった。これに伴い、それまで設置されていたJR東日本仕様の発車標は撤去された。なお、コンコースの発車標は従来通りJR東日本仕様のものが使用されている(表示形式は中央線と異なる)。列車非常停止警報装置の操作ボタンも、東京メトロのものではなくJR東日本のものを使用している。また、当駅では快速の通過待ち案内放送は流れない。 会社別に改札・ホーム・設備が分離されている西船橋駅と違い、当駅はホームもJR・東京メトロで混在しており、駅設備も含めほとんどがJR東日本の設備になっている。変わった点としては、3・4番線ホームの駅名標(JR東日本のフォーマット)の線の色が通常のJR東日本のコーポレートカラーである緑ではなく東西線のラインカラーである水色で、3・4番線の発車メロディがJR東日本仕様のメロディではなく東京メトロ仕様のブザー(通称:営団ブザー)になっていること、中央緩行線から東西線へ直通する列車は5番線から発車するため、東京メトロの車掌がJRの発車メロディスイッチを操作し(唯一の例)、逆に3番線からの三鷹行ではJRの車掌がブザースイッチを操作すること、などが挙げられる。ただし、発車ブザーのスイッチはJR東日本仕様のものが使われている。また、JR東日本仕様の発車標を設置していた頃はJR東日本仕様の放送と営団ブザーという組み合わせであった。 3・4番線以外のホームではATOS型自動放送が使われており、英語の案内放送も流れる。現在は、3・4番線ホームも東京メトロ仕様の駅自動放送に英語の案内放送が流れ、全てのホームで英語の案内放送が流れるようになった。 3・4番線の駅名標は東西線における両隣の駅(片方は落合駅、もう片方は中央緩行線の高円寺駅)を表しているが、JRグループが定める特定都区市内に関する区(東京23区内の駅の意味)が表記されている。なお、方面案内標も現行のものに更新されるまでは日本国有鉄道(国鉄)時代のフォーマットで帝都高速度交通営団(営団地下鉄)のサインシステム書体と同じゴシック体のものが設置されていた。 (出典:JR東日本:駅構内図・東京メトロ:構内図) 駅構内は複雑な配線となっているため、時間帯や列車によって発着ホームが異なる場合が多い。1本乗り遅れたら違うホームに移動する必要が生じる場合もある。また、相互直通運転を実施しているものの、中央線の各駅停車と東西線の列車で三鷹行/発と当駅止まり/始発との相互間の乗り換えは同一ホーム上では不可能で、相互の接続なども行わない場合が多い。 中央線各駅停車と東西線の発着ホームを方向別にまとめると、以下のようになる。備考の色は車体の帯の色。 自動改札機と自動精算機はJR東日本のものが設置されている。また、自動券売機は会社別に設置されている。 2007年3月18日よりICカード「PASMO」の使用を開始した。Suicaとは当初から相互利用可能だが、当駅では西船橋駅と異なり、JRと東京メトロとの連絡改札を設けていないため、交通系ICカードのSF利用で東京メトロ東西線・総武線 西船橋駅(下総中山駅方面および武蔵野線・京葉線は同駅の連絡改札を経由するため、当該駅は船橋駅以東のみ)、東京メトロ千代田線・常磐線 北千住・綾瀬の各駅以遠のJRの駅から途中で改札を通らず東京メトロ線を経由して当駅以遠のJR線まで乗車した場合でも、東日本旅客鉄道株式会社ICカード乗車券取扱規則第63条(2)の規定により全線で東京メトロの運賃ではなく、JRの運賃が適用される。なお、北千住・綾瀬以遠のJR線 - 当駅間、当駅以遠のJR線 - 北千住・綾瀬間の場合は、経由によらず最安となる運賃が適用される。当駅 - 北千住・綾瀬間であれば、東京メトロの運賃が適用される。 当駅では東京メトロ線の定期券は当駅を発駅または着駅とするものを磁気券のみ発売する。なお、JR・東京メトロ線相互間の連絡定期券はSuicaでの発券が可能である。 中野駅での東京メトロ「一日乗車券」の取り扱いは、当日券のみ東京メトロの券売機で発売される。なお「東京フリーきっぷ」は、JRの券売機、指定席券売機、みどりの窓口で発売される。 近年の1日平均乗降人員推移は下表の通り(JRを除く)。 近年の1日平均乗車人員推移は下表の通り。 当駅を発着する定期貨物列車の設定はないが、東京メトロ・東葉高速鉄道発着の甲種車両輸送列車が当駅を経由する。 2008年度の車扱貨物の取扱量は、発送400トン、到着なしであった。近年の年間発着トン数は下表の通り。 駅の真下を東京都道420号鮫洲大山線(中野通り)が貫いている。もともと駅前は将軍家の鷹場跡地で、徳川綱吉は鷹狩を禁止して野犬保護地に替えたが、徳川吉宗は鷹狩を復活し桃園も造った。明治時代には駅北側に軍の施設が多数造られ、第二次大戦中には陸軍中野学校があった。 中野通りを跨ぐペデストリアンデッキが完成し、中野四季の都市方面へ横断歩道を渡らずに行き来が可能となった。 北口(ガード下・サンプラザ前)・南口双方にのりばと、北口に関東バス案内所、南口に京王バス案内所がある。 2011年9月に北口駅前広場の再整備工事が行われ、これまで駅前に乗り入れていたバスが中野サンプラザ付近への発着に変更になった。その後、2012年7月1日の東西連絡路開通により、中野通りの横断歩道を渡らずに駅からバス乗り場などへ行くことができるようになった。2016年9月12日より中野駅地区第二期整備事業の進展によりバス乗り場が再編された。 北口に関しては「中野区役所」停留所も利用可能。なお、のりば番号はいずれも付記されておらず、関東バスナビに表記されている番号である。
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中野駅(なかのえき)は、東京都中野区中野五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。 旅客営業においては、JR東日本と東京メトロの共同使用駅で、JR東日本が駅を管轄している。
{{出典の明記|date=2012年10月|ソートキー=駅}} {{駅情報 |社色 = #008000 |文字色 = |駅名 = 中野駅 |画像 = Tokyo Nakano Station North Entrance 20120728.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 北口(2012年7月) |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|42|21|N|139|39|56|E}}}} |よみがな = なかの |ローマ字 = Nakano |電報略号 = カノ |所属事業者 = {{Plainlist| * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) * [[日本貨物鉄道]](JR貨物) * [[東京地下鉄]](東京メトロ)}} |所在地 = [[東京都]][[中野区]][[中野 (中野区)|中野]]五丁目31-1 |座標 = {{coord|35|42|21|N|139|39|56|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}} |開業年月日 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]] |駅構造 = [[高架駅]] |ホーム = 4面8線 |廃止年月日 = |乗車人員 = {{Smaller|(JR東日本)-2022年-}}<br />119,846 |乗降人員 = {{Smaller|(東京メトロ)-2021年-}}<br /><ref group="メトロ" name="me2022" />125,787<ref group="*">直通連絡人員含む。</ref> |乗入路線数 = 3 |所属路線1 = {{color|#f15a22|■}}[[中央線快速|中央線(快速)]](JR東日本)<br />(線路名称上は[[中央本線]]) |前の駅1 = JC 05 [[新宿駅|新宿]] |駅間A1 = 4.4 |駅間B1 = 1.4 |次の駅1 = [[高円寺駅|高円寺]] JC 07 |駅番号1 = {{駅番号r|JC|06|#f15a22|1}} |キロ程1 = 4.4&nbsp;km([[新宿駅|新宿]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から14.7 |起点駅1 = |所属路線2 = {{color|#ffd400|■}}[[中央・総武緩行線|中央・総武線(各駅停車)]](JR東日本)<ref group="*" name="T-JB"/><br />(線路名称上は中央本線) |前の駅2 = JB 08 [[東中野駅|東中野]] |駅間A2 = 1.9 |駅間B2 = 1.4 |次の駅2 = 高円寺 JB 06 |駅番号2 = {{駅番号r|JB|07|#ffd400|1}} |キロ程2 = 中央線(快速)に同じ<br />[[千葉駅|千葉]]から50.8 |起点駅2 = |所属路線3 = {{color|#009bbf|●}}<ref name="tokyosubway">[https://www.tokyometro.jp/ 東京地下鉄] 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)</ref>[[東京メトロ東西線]]<ref group="*" name="T-JB">両線で[[直通運転|相互直通運転]]実施。</ref> |隣の駅3 = |前の駅3 = |駅間A3 = |駅間B3 = 2.0 |次の駅3 = [[落合駅 (東京都)|落合]] T 02 |キロ程3 = 0.0 |駅番号3 = {{駅番号r|T|01|#009bbf|4}}<ref name="tokyosubway"/> |起点駅3 = 中野 |備考 = {{Plainlist| * [[共同使用駅]](JR東日本の管轄駅) * [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]) * [[みどりの窓口]] 有 * [[File:JR area KU.svg|15px|区]] [[特定都区市内|東京都区内]]駅}} |備考全幅 = {{Reflist|group="*"}} }} [[File:Tokyo Nakano Station (South Entrance).jpg|thumb|南口(2006年12月)]] '''中野駅'''(なかのえき)は、[[東京都]][[中野区]][[中野 (中野区)|中野]]五丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[日本貨物鉄道]](JR貨物)・[[東京地下鉄]](東京メトロ)の[[鉄道駅|駅]]である。 旅客営業においては、JR東日本と東京メトロの[[共同使用駅]]で、JR東日本が駅を管轄している。 == 乗り入れ路線 == JR東日本・JR貨物の[[中央本線]](旅客営業を行うJR東日本が[[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]、貨物営業を行うJR貨物が[[鉄道事業者|第二種鉄道事業者]])と、東京メトロの[[東京メトロ東西線|東西線]]が乗り入れ、接続駅となっている。 * JR東日本:各線(後述) * 東京メトロ:[[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|15px|T]] 東西線 - 当駅を起点としている。[[駅ナンバリング|駅番号]]「'''T 01'''」 乗り入れているJR東日本の路線は[[中央本線]]のみであるが、運転系統としては、[[急行線]]を走る[[中央線快速|中央線快速電車]]、および[[急行線|緩行線]]を走る[[中央・総武緩行線|中央線各駅停車]]の2系統が停車する。このうち各駅停車の一部は東京メトロ東西線と[[直通運転|相互直通運転]]を行っている。また、JRの[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」に属する。 * [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] [[中央線快速|中央線(快速)]]:[[急行線]]を走行する中央本線の近距離電車。八王子駅・高尾駅方面の列車の他に、[[立川駅]]から[[青梅線]]へ直通する列車も運行している。 - 駅番号「'''JC 06'''」 * [[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] [[中央・総武緩行線|中央・総武線(各駅停車)]]:[[急行線|緩行線]]を走行する中央本線の近距離電車。新宿駅を経由する中央・総武線の他に、当駅から[[東京メトロ東西線|地下鉄東西線]]へ直通する列車も運行。東京メトロ東西線直通列車は西船橋駅から[[東葉高速鉄道東葉高速線|東葉高速線]]への直通運転を行っている他、平日の朝夕ラッシュ時のみ[[津田沼駅]]まで総武線(各駅停車)への直通も行っている。 - 駅番号「'''JB 07'''」 平日の快速は当駅以西は各駅に停車する。当駅 - 三鷹駅間の所要時間は各駅停車とほぼ同等となる(なお、通過を伴う土休日の快速でも大差はない)。 == 歴史 == [[File:Nakano Station 1950s.jpg|thumb|right|南口(1950年頃)]] [[File:Nakano Station.19630626.jpg|thumb|right|中野駅周辺の白黒空中写真(1963年6月26日撮影)<br />{{国土航空写真}}]] * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]]:新宿駅 - 立川駅間開通と同時に[[甲武鉄道]]の駅として開業。旅客および貨物の取り扱いを開始。現在の駅舎の位置より100[[メートル|m]]ほど西側にあった。当初は現在の[[中野坂上駅]]の位置に開業する予定であった。 * [[1904年]](明治37年)[[8月21日]]:[[飯田町駅]] - 当駅間で電車運転開始<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、22頁</ref>。 * [[1906年]](明治39年)[[10月1日]]:甲武鉄道の[[鉄道国有法|国有化]]により、[[鉄道省|官設鉄道]]の駅となる<ref name="sone05-23">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 号]]、23頁</ref>。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|線路名称]]制定により中央東線(1911年から中央本線)の所属となる{{R|sone05-23}}。 * [[1929年]]([[昭和]]4年):現在地に移転。その際、現在の駅の西側にある通り(中野通り)を掘り下げ、南北の通行を可能にした。 * [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、25頁</ref>。 * [[1963年]](昭和38年)[[5月16日]]:貨物の取り扱いを廃止。 * [[1966年]](昭和41年)[[3月16日]]:営団地下鉄東西線の駅が開業。 ** 東西線開業前は、現在の1・2番線が中央線(各駅停車)ホーム、3・4番線が中央線(快速)ホームであった<ref name="Tozai-Const380">[[#Tozai-Const|東京地下鉄道東西線建設史]]、pp.380 - 383。</ref>。東西線建設に伴い、北側の貨物設備と北口広場を縮小して5・6、7・8番線ホームを新設し、中央線(快速)を移設させ、3・4番線ホームを東西線用に転用した<ref name="Tozai-Const380"/>。 * [[1987年]](昭和62年) ** [[3月31日]]:貨物の取り扱いを再開。ただし、車両輸送に限り定期貨物列車の設定はない。 ** [[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、中央本線の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)と日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、27頁</ref>。 * [[1992年]]([[平成]]4年)[[3月17日]]:自動改札機を設置し、使用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1992-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '92年版 |chapter=JR年表 |page=182 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-113-9}}</ref>。 * [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-27|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。 * [[2004年]](平成16年)4月1日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)民営化に伴い、東西線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/s2004/2004-06.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060708164650/https://www.tokyometro.jp/news/s2004/2004-06.html|language=日本語|title=「営団地下鉄」から「東京メトロ」へ|publisher=営団地下鉄|date=2004-01-27|accessdate=2020-03-25|archivedate=2006-07-08}}</ref>。 * [[2007年]](平成19年)[[3月18日]]:東京メトロでICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-05|archivedate=2020-05-01}}</ref>。 * [[2019年]]([[令和]]元年)[[8月31日]]:[[びゅうプラザ]]の営業を終了<ref>{{Cite web|和書|url=http://jrtu-tokyo.sakura.ne.jp/job/jobfiles/2019eigyou_no1.html|title=2019年度営業関係施策(その1)について」提案を受ける|accessdate=2019-11-15|publisher=東日本ユニオン東京地本|archivedate=2019-08-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190824110244/http://jrtu-tokyo.sakura.ne.jp/job/jobfiles/2019eigyou_no1.html}}</ref>。 * [[2024年]](令和6年)[[1月31日]]:東京メトロの定期乗車券の取扱を終了(予定)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/info/files/nakanoteihatus_syuryo.pdf|title=東京メトロ東西線 中野駅 東京メトロ線定期乗車券取扱終了のお知らせ|format=PDF|publisher=東京メトロ|accessdate=2023-12-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231221133615/https://www.tokyometro.jp/info/files/nakanoteihatus_syuryo.pdf|archivedate=2023-12-21}}</ref>。 == 駅構造 == [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[駅長]]配置)で管理駅として[[東中野駅]]を管理する。また、当駅、[[高円寺駅]]、[[阿佐ケ谷駅]]、[[荻窪駅]]、[[西荻窪駅]]からなる当駅駅長がセンター長を兼任する中野営業統括センターの所在駅であり、中央線の東中野駅 - 西荻窪駅を統括する。東京メトロとしては、[[飯田橋駅|飯田橋]]駅務管区[[高田馬場駅|高田馬場]]地域の被管理駅である<ref>{{Citejournal|和書|author=関田崇(東京地下鉄経営企画本部経営管理部)|title=総説:東京メトロ|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2016-12-10|volume=66|issue=第12号(通巻926号)|page=17|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。[[島式ホーム]]4面8線を有する[[高架駅]]である。当駅では、中央線(各駅停車)と東京メトロ東西線が相互直通運転を行っており、のりばと改札を共用している。このため、JR東日本と東京メトロの乗り換えは中間改札なしで可能である。ホーム下には南口と北口の2つの[[改札|改札口]]がある([[#乗車券類の扱い|後述]])。1番線の南側には[[停車場#側線|電留線]]が1本敷設されている。 [[便所|トイレ]]は北口寄りが改札正面の6番線下付近、南口が改札を入ってすぐ右([[コンコース]]からは階段を降りて左)にある。[[2010年]]4月より南口改札のトイレが現在地に移転し、同時に[[ユニバーサルデザイン]]の一環として多機能トイレ([[オストメイト]]対応)も設置された。 [[エレベーター]]は設置されていないが、改札フロアとホーム(3・4番線では3号車付近)を連絡する[[エスカレーター]]が上下両方向1本ずつ東中野・落合寄りにあり、[[車椅子]]にも対応している。改札フロアとホームを結ぶ[[階段]]は3・4番線では5号車付近となる。南口は改札を入ってすぐに数段の階段がある。改札を入って右側の南口階段脇には車椅子専用の昇降機がある。北口は従来は高架下の改札口を入ってすぐに数段の階段があったが、[[2012年]]5月に歩行者広場としてコンコースと同じ高さで改修・整備された駅前広場に面した位置に改札口が移設され、段差がなくなった。北口広場からは同年7月に中野通りをまたぐ東西連絡橋が整備され、エスカレーターとエレベーターが設置され、区役所や警察病院跡地に開発された中野四季の都市(まち)方面に至る動線がバリアフリー化された。2020年から駅全体の改良工事に着工しており、2026年には駅西側に橋上駅舎と西口改札、南北通路が完成する予定である。 乗り換え専用通路はホームの新宿寄り(3・4番線では1号車付近)にあり、階段を経由して他のホームへ移動できる。 [[2006年]][[3月18日]]の[[2001年以降のJRダイヤ改正|ダイヤ改正]]を前にホーム上の掲示[[時刻表]]のフォーマットデザインが一新され、奇数時間帯・偶数時間帯がそれぞれ水色(平日)・桃色(土曜・休日)と白で色分けされたものになった(3・4番線を除く)。 3・4番線ホームは東京メトロの乗り場である。[[2004年]]頃からJR東日本仕様の[[発車標]]が設置されていたが、東西線の信号保安システムの更新に合わせ、[[2007年]]3月から東京メトロ仕様の行先と発車時刻を表示する発車標に更新され、到着・発車などの案内に東京メトロ仕様の自動放送が行われるようになった。これに伴い、それまで設置されていたJR東日本仕様の発車標は撤去された。なお、コンコースの発車標は従来通りJR東日本仕様のものが使用されている(表示形式は中央線と異なる)。[[列車非常停止警報装置]]の操作ボタンも、東京メトロのものではなくJR東日本のものを使用している。また、当駅では快速の通過待ち案内放送は流れない。 会社別に改札・ホーム・設備が分離されている[[西船橋駅]]と違い、当駅はホームもJR・東京メトロで混在しており、駅設備も含めほとんどがJR東日本の設備になっている。変わった点としては、3・4番線ホームの[[駅名標]](JR東日本のフォーマット)の線の色が通常のJR東日本の[[コーポレートカラー]]である緑ではなく東西線の[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]である水色で、3・4番線の[[発車メロディ]]がJR東日本仕様のメロディではなく東京メトロ仕様のブザー(通称:営団ブザー)になっていること、中央緩行線から東西線へ直通する列車は5番線から発車するため、東京メトロの車掌がJRの発車メロディスイッチを操作し(唯一の例)、逆に3番線からの三鷹行ではJRの車掌がブザースイッチを操作すること、などが挙げられる。ただし、発車ブザーのスイッチはJR東日本仕様のものが使われている<ref group="注釈">[[綾瀬駅]]にもJR東日本仕様のスイッチが設置されており、東京メトロの車掌が操作するが(駅管理が東京メトロであるため)ブザーが鳴る。なお、東京メトロ仕様のスイッチも設置されており、こちらはJRの車掌が東京メトロ仕様のスイッチを操作する唯一の例となっている。</ref>。また、JR東日本仕様の発車標を設置していた頃はJR東日本仕様の放送と営団ブザーという組み合わせであった。 3・4番線以外のホームでは[[駅自動放送|ATOS型自動放送]]が使われており、英語の案内放送も流れる。現在は、3・4番線ホームも東京メトロ仕様の駅自動放送に英語の案内放送が流れ、全てのホームで英語の案内放送が流れるようになった。 3・4番線の駅名標は東西線における両隣の駅(片方は[[落合駅 (東京都)|落合駅]]、もう片方は中央緩行線の[[高円寺駅]])を表しているが、JRグループが定める特定都区市内に関する<span style="color:white;background-color:black">区</span>(東京23区内の駅の意味)が表記されている。なお、方面案内標も現行のものに更新されるまでは[[日本国有鉄道]](国鉄)時代のフォーマットで[[帝都高速度交通営団]](営団地下鉄)の[[サインシステム]]書体と同じゴシック体のものが設置されていた。 === のりば === <!--方面表記は、東西線以外はJR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠--> {|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" class="wikitable" !番線!!事業者!!路線!!方向!!行先!!備考 |- !1 |rowspan="3" style="text-align:center"|JR東日本 |rowspan="3"|[[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] 中央・総武線(各駅停車) |style="text-align:center"|西行 |[[高円寺駅|高円寺]]・[[荻窪駅|荻窪]]・[[三鷹駅|三鷹]]方面 |新宿方面から(早朝の一部は当駅始発)の電車 |- !2 |style="text-align:center"|東行 |[[東中野駅|東中野]]・[[新宿駅|新宿]]・[[千葉駅|千葉]]方面 |当駅始発(平日朝1本は1番線発) |- !3 |style="text-align:center"|西行 |高円寺・荻窪・三鷹方面 |[[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|15px|T]] 東西線からの直通 |- !3・4 |rowspan="2" style="text-align:center"|東京メトロ |rowspan="2"|[[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|15px|T]] 東西線 |rowspan="2" style="text-align:center"| - |rowspan="2"|[[西船橋駅|西船橋]]・[[津田沼駅|津田沼]]・[[東葉勝田台駅|東葉勝田台]]方面<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/station/nakano/timetable/tozai/a/index.html |title=中野駅時刻表 西船橋・津田沼・東葉勝田台方面 平日 |publisher=東京メトロ |accessdate=2023-06-03}}</ref> |当駅始発 |- !nowrap rowspan="2"|5 |三鷹方面からの直通 |- |rowspan="3" style="text-align:center"|JR東日本 |[[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] 中央・総武線(各駅停車) |style="text-align:center"|東行 |東中野・新宿・千葉方面 |三鷹方面からの電車 |- !6 |nowrap rowspan="2"|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線(快速) |style="text-align:center"|下り |[[武蔵小金井駅|武蔵小金井]]・[[立川駅|立川]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]・[[大月駅|大月]]方面 | |- !7・8 |style="text-align:center"|上り |新宿・[[東京駅|東京]]方面 |7番線は一部列車 |} (出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1104.html JR東日本:駅構内図]・[https://www.tokyometro.jp/station/nakano/index.html 東京メトロ:構内図]) * 当駅では中央急行線(中央線快速)を「中央線」、中央緩行線(日中の中央・総武線各駅停車および東西線直通の中央線各駅停車)を「総武線」として案内した表記が多い。実例としては、3番線は、東西線からの中央線直通電車(各駅停車三鷹行)が停車するが、実際の番線標には「{{Color|#ffd400|■}}総武線 三鷹方面」と表記されている。また、乗り換え案内標にも単に「{{Color|#ffd400|■}}総武線」と表記されているものがある。ただし、後年追加されたコンコース案内標では他の駅と同様に「中央・総武線(各駅停車)」・「中央線(快速)」の表現が使われているものもある。一方、発車標には「中央線各駅停車」や「総武・中央線」と表記しているものもある。(現在、案内標および発車標は全て「 [[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] 中央・総武線(各駅停車)」の表記に交換されている。) * 中央線快速下り6番線の[[駅自動放送|ATOS型自動放送]]でも、土休日の快速に対して「この電車は、高円寺・阿佐ケ谷・西荻窪には停車いたしません。'''総武線'''、各駅停車の電車を、ご利用ください。」、特別快速(中央特快・青梅特快・ホリデー快速)に対しても「この電車は、三鷹まで停車いたしません。'''総武線'''、各駅停車の電車を、ご利用ください。」と案内していた。のちにこの案内は「(略)'''中央線'''、各駅停車の電車(略)」と改められた。 * 2020年3月14日より、総武線直通各駅停車の千葉方面行は三鷹始発が5番線進入、当駅始発が2番線使用に統一された。なお、終電間際の三鷹始発当駅止まりは2番線に到着する。このほか、ダイヤ乱れなどで三鷹始発東西線直通電車が東西線に直通せず当駅打ち切りとなるなどの非常時も2番線を使用し、東中野方の引き上げ線を使用してのちに1番線を経由して旧中野電車区の留置線あるいは三鷹方面に折り返す。2020年3月13日までは早朝・深夜に三鷹方面発総武線直通も2番線を使用する時間帯があった。 * 2022年3月のダイヤ改正現在も、平日の早朝6時台に1番線から新宿・御茶ノ水・千葉方面へ行く定期列車が1本存在するが、中野電車区から高円寺側の引き上げ線に入線後、1番線に入線して発車する当駅始発の千葉行の電車である。 * 2020年3月13日まで運行されていた早朝・深夜の東京駅発着(一部は当駅始発・終点)の各駅停車は1・2番線を使用していた。過去に新宿駅南側の[[甲州街道]][[跨線橋]]架け替えに伴う配線変更工事で全列車が各駅停車で運転した場合は、発着方面に関係なく下りは1番線、上りは2番線が当駅折り返し、5番線が三鷹方面からの電車となっていた(東西線は中央線との直通運転を中止し、すべて当駅3・4番線で折り返し)。 * 2020年3月13日までは、深夜下りに武蔵小金井・立川・八王子・高尾方面行き電車が各駅停車(緩行線経由)・快速(急行線経由、平日の当駅から各駅停車も含む)の双方とも運転されていた。この時間帯には、1・6番線双方の電光掲示板にて発車時刻を確認する必要があった。 * 快速用の編成のうち2本が、高尾発当駅止まりの各駅停車として運行され(上り東京行終了後の2本)、翌朝4時台に当駅始発として出庫していた(下り・上りとも1本)。快速用の編成による当駅始発および当駅止まりの運用はこの2本ずつのみであった。2016年3月25日までは、東京発当駅止まりの各駅停車があったが、翌26日の改正で、立川方面行きに延長された。同時に、当駅始発立川・八王子・高尾方面行きの2本目は、武蔵小金井行きに見直され、使用車両も総武線各駅停車用の車両に改められた。 * 当駅は中距離列車の停車駅には含まれていないため、原則として特急列車([[あずさ (列車)|「スーパーあずさ」「あずさ」]]「[[かいじ (列車)|かいじ]]」)は停車しないが、過去に特急が甲州街道跨線橋架け替えに伴う配線変更工事で新宿駅構内に入線できない場合などに当駅が臨時で始発・終着駅となることがあった。その際は6番線は使用休止とされ、7・8番線が特急専用ホームとなり高円寺側に仮設用のホームが建設された。工事が実施される際には中央線は特急以外の全列車を各駅停車(御茶ノ水駅 - 三鷹駅間は緩行線使用)とし、御茶ノ水駅 - 当駅間の急行線の使用も休止し、当駅 - 三鷹駅間の急行線は特急専用となり、側面[[方向幕|行先表示器]]にも「中野」の表示が用意されている。 ** JR中央線は、[[2020年代]]前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに快速電車に2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行う。そのため6 - 8番線は、12両編成の列車が停車できるようにホームを延長する改築工事が実施される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190924030537/https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2015-02-04|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-09-24}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324011255/https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|title=JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期|newspaper=産経新聞|date=2017-03-24|accessdate=2020-11-29|archivedate=2017-03-24}}</ref>。 * [[2008年]][[4月]]に運転された[[特急]][[成田エクスプレス|ウイングエクスプレス]]は当駅にも停車していた。その際は7番線が使用され、[[2013年]][[3月12日]]時点では乗車位置ステッカーを見ることができたが、[[2018年]]現在は撤去されている。 * 駅の南東に隣接して[[中野電車区]]があり、終日にわたり出・入庫があるが、国鉄末期に車両の配置はなくなっている。 * 7番線からの快速東京行は平日のみで、朝ラッシュ時と夜のみである。2018年3月17日改正までは昼過ぎにも設定があった。 * 7番線は折り返し可能であり、臨時列車の回送や、総武線の車輪添削回送では、三鷹方面から来た列車が7番線で折り返すことがある。また、新宿方面からの進入も可能であり、新宿からきた特急列車の回送列車が7番線で停車し、その後三鷹方面へ発車するという光景も見られる。 <gallery> JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station North Gates.jpg|北口改札(2019年9月) JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station South Gates.jpg|南口改札(2019年9月) JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station Platform 1・2 (20210418).jpg|1・2番線(中央総武線)ホーム(2021年4月) JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station Platform 3・4 (20210418).jpg|3・4番線(中央総武線・地下鉄東西線)ホーム(2021年4月) Former departure display of 3rd platform of Nakano Station.JPG|かつて3・4番線ホームで使用されていたJR東日本仕様の発車標(2003年5月) JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station Platform 5・6.jpg|5・6番線(中央総武線/地下鉄東西線・中央快速線)ホーム(2019年9月) JR Chuo-Main-Line・Tokyo Metro Tozai-Line Nakano Station Platform 7・8.jpg|7・8番線(中央快速線)ホーム(2019年9月) A station sign at Nakano Station Tokyo.jpg|[[駅ナンバリング]]は、JRと東京メトロで2つ貼付されている。(2017年3月) </gallery> === 駅構内 === 駅構内は複雑な配線となっているため、時間帯や列車によって発着ホームが異なる場合が多い。1本乗り遅れたら違うホームに移動する必要が生じる場合もある。また、相互直通運転を実施しているものの、中央線の各駅停車と東西線の列車で三鷹行/発と当駅止まり/始発との相互間の乗り換えは同一ホーム上では不可能で、相互の接続なども行わない場合が多い。 中央線各駅停車と東西線の発着ホームを方向別にまとめると、以下のようになる。備考の色は車体の帯の色。 {|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" class="wikitable" !事業者!!路線!!方向!!行先!!番線!!備考 |- |rowspan="4" style="text-align:center"|JR東日本 |rowspan="4"|[[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] 中央線(各駅停車) |rowspan="2" style="text-align:center"|西行 |rowspan="2"|三鷹方面 !1 |{{Color|#ffd400|■}}新宿方面からの電車(一部当駅始発) |- !3 |{{Color|#00a7db|■}}東西線からの直通電車 |- |rowspan="2" style="text-align:center"|東行 |rowspan="2"|新宿・千葉方面 !2 |{{Color|#ffd400|■}}当駅始発の総武線直通電車(一部1番線) |- !5 |{{Color|#ffd400|■}}三鷹方面発の総武線直通電車 |- |rowspan="2" style="text-align:center"|東京メトロ |rowspan="2"|[[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|15px|T]] 東西線 |rowspan="2" style="text-align:center"|A線 |rowspan="2"|大手町・東陽町・西船橋方面 !3・4 |当駅始発 |- !5 |三鷹始発 |} ==== 備考 ==== * 中央線の三鷹方面行きは、平日ダイヤでは{{Color|#f15a22|■}}中央線快速電車('''6番線'''発車)は当駅から先は各駅に停車(臨時は例外あり)するので「各駅停車」と案内され、[[JR東日本E233系電車|E233系]]では「快速」表示も行われない。なお、土曜・休日は吉祥寺から各駅に停車する。 * 東西線の当駅始発電車には、中央線快速と類似した橙色の帯を持つ{{Color|#f15a22|■}}[[東葉高速鉄道]]所有の車両も用いられている。 * 5番線からの西船橋行・津田沼行には、中央線・総武線経由の場合と東西線経由の場合があるなど、同じホームに経路の異なる同じ行先の列車が複数発着していることも多々ある。なお、この例では発車案内に経由する路線名の記載もあり、東西線直通電車は「東西線」、新宿・御茶ノ水方面行総武線直通電車は「総武線」と表示されており、駅自動放送でもそれぞれ「○○線直通」、発車時も東西線直通列車は「5番線の地下鉄東西線、ドアが閉まります。」、新宿方面は「5番線の総武線各駅停車、ドアが閉まります。」と案内される。また、{{Color|#ffd400|■}}中央・総武線は黄色帯の車両、{{Color|#00a7db|■}}東西線は水色帯の車両(JR車両・東京メトロ車両いずれもほぼ同じ色)である。 === 鉄道配線図 === {{駅配線図 |image = Rail Tracks map Nakano Station Tokyo.svg |title = JR東日本・東京メトロ 中野駅構内配線略図 |width = 400px |up = |up-align = |left = [[新宿駅|新宿]]・[[東京駅|東京]]・<br />[[秋葉原駅|秋葉原]]・[[西船橋駅|西船橋]]・<br />[[津田沼駅|津田沼]]・[[千葉駅|千葉]] 方面 |left-valign = middle |right = [[三鷹駅|三鷹]]・[[武蔵小金井駅|武蔵小金井]]<br />・[[立川駅|立川]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]・<br />[[青梅駅|青梅]] 方面 |right-valign = middle |down = [[大手町駅 (東京都)|大手町]]・[[東陽町駅|東陽町]]・<br />西船橋・津田沼・<br />[[東葉勝田台駅|東葉勝田台]] 方面 |down-align = left |source = 以下を参考に作成<br />* 祖田圭介、「特集 短絡線ミステリー8」、『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』、第46巻1号 通巻第537号 2006年1月号、[[交友社]]、32頁。<br />* [http://www.jreast.co.jp/estation/stations/1104.html JR東日本公式ホームページ 駅構内図(中野駅)](のりば番号) |note = {{small|※図中{{Color|#00a7db|'''▲'''}}は当駅以東東西線を走行する列車、{{Color|#ffd400|'''▲'''}}は中央総武緩行線を走行する列車を表す。}}}} === 乗車券類の扱い === [[自動改札機]]と[[自動精算機]]はJR東日本のものが設置されている。また、[[自動券売機]]は会社別に設置されている。 2007年[[3月18日]]より[[ICカード]]「[[PASMO]]」の使用を開始した。[[Suica]]とは当初から相互利用可能だが、当駅では西船橋駅と異なり、JRと東京メトロとの連絡改札を設けていないため、交通系ICカードのSF利用で東京メトロ東西線・総武線 西船橋駅([[下総中山駅]]方面および[[武蔵野線]]・[[京葉線]]は同駅の連絡改札を経由するため、当該駅は[[船橋駅]]以東のみ)、[[東京メトロ千代田線]]・[[常磐線]] [[北千住駅|北千住]]・[[綾瀬駅|綾瀬]]の各駅以遠のJRの駅から途中で改札を通らず東京メトロ線を経由して当駅以遠のJR線まで乗車した場合でも、東日本旅客鉄道株式会社ICカード乗車券取扱規則第63条(2)の規定により全線で東京メトロの運賃ではなく、JRの運賃が適用される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/suica/use/auto_pay/others/sf.html#anchor-6|title=Suica > PASMOエリアの鉄道会社線を利用する場合 > ルール6 直通列車のご利用等により、改札機を通過することなく「JR東日本線~東京メトロ線~JR東日本線」と乗り継ぐ場合|accessdate=2020-04-22|publisher=東日本旅客鉄道|language=日本語}}</ref>。なお、北千住・綾瀬以遠のJR線 - 当駅間、当駅以遠のJR線 - 北千住・綾瀬間の場合は、経由によらず最安となる運賃が適用される。当駅 - 北千住・綾瀬間であれば、東京メトロの運賃が適用される。 当駅では東京メトロ線の[[定期乗車券|定期券]]は当駅を発駅または着駅とするものを磁気券のみ発売する。なお、JR・東京メトロ線相互間の[[連絡運輸#連絡乗車券|連絡定期券]]はSuicaでの発券が可能である。 中野駅での東京メトロ「一日乗車券」の取り扱いは、当日券のみ東京メトロの券売機で発売される。なお「[[東京フリーきっぷ]]」は、JRの券売機、指定席券売機、みどりの窓口で発売される。 == 利用状況 == * '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''119,846人'''である<ref group="利用客数">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。 *: 同社の駅の中では[[西船橋駅]]に次いで第16位。 *: 中央・総武線の駅の中では新宿駅・秋葉原駅に次いで第3位。 *: 中央本線(JR東日本)の駅の中では新宿駅・東京駅・立川駅に次いで第4位。 *: 東京都区内に属し[[東京山手線内]]でない駅としては北千住駅に次いで2番目に多い。 * '''東京メトロ''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''125,787人'''である<ref group="メトロ" name="me2022" />。 *: この値には直通連絡人員を含む。 === 年度別1日平均乗降人員 === 近年の1日平均'''乗降'''人員推移は下表の通り(JRを除く)。 <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります--> {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗降人員<ref group="統計" name="nakano">[http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d015274.html 中野区統計書] - 中野区</ref><ref group="統計">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref> !rowspan=2|年度 !colspan=2|営団 / 東京メトロ |- !1日平均<br />乗降人員 !増加率 |- |2000年(平成12年) |116,598 | |- |2001年(平成13年) |115,216 |&minus;1.2% |- |2002年(平成14年) |113,860 |&minus;1.1% |- |2003年(平成15年) |112,654 |&minus;2.2% |- |2004年(平成16年) |111,549 |&minus;1.0% |- |2005年(平成17年) |111,084 |&minus;0.4% |- |2006年(平成18年) |113,093 |1.8% |- |2007年(平成19年) |132,742 |17.4% |- |2008年(平成20年) |135,924 |2.4% |- |2009年(平成21年) |135,702 |&minus;0.2% |- |2010年(平成22年) |135,706 |0.0% |- |2011年(平成23年) |133,919 |&minus;1.3% |- |2012年(平成24年) |136,994 |2.3% |- |2013年(平成25年) |143,802 |5.0% |- |2014年(平成26年) |147,773 |2.8% |- |2015年(平成27年) |153,746 |4.0% |- |2016年(平成28年) |157,499 |2.4% |- |2017年(平成29年) |160,270 |1.8% |- |2018年(平成30年) |163,908 |2.3% |- |2019年(令和元年) |163,466 |&minus;0.3% |- |2020年(令和{{0}}2年) |<ref group="メトロ" name="me2020">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/corporate/enterprise/passenger_rail/transportation/passengers/2020.html|archiveurl=|title=各駅の乗降人員ランキング(2020年度)|archivedate=|page=|accessdate=2023-06-27|publisher=東京地下鉄|format=|language=日本語}}</ref>109,528 |&minus;33.0% |- |2021年(令和{{0}}3年) |<ref group="メトロ" name="me2021">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/corporate/enterprise/passenger_rail/transportation/passengers/2021.html|archiveurl=|title=各駅の乗降人員ランキング(2021年度)|archivedate=|page=|accessdate=2023-06-27|publisher=東京地下鉄|format=|language=日本語}}</ref>113,089 |3.3% |- |2022年(令和{{0}}4年) |<ref group="メトロ" name="me2022">{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/corporate/enterprise/passenger_rail/transportation/passengers/index.html|archiveurl=|title=各駅の乗降人員ランキング|archivedate=|page=|accessdate=2023-06-27|publisher=東京地下鉄|format=|language=日本語}}</ref>125,787 |11.2% |} === 年度別1日平均乗車人員(1880年代 - 1930年代) === 近年の1日平均'''乗車'''人員推移は下表の通り。 {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗車人員 !年度 !甲武鉄道<br/>/ 国鉄 !出典 |- |1889年(明治22年) |<ref group="備考">1889年4月11日開業。</ref> | |- |1890年(明治23年) |35 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806570/139?viewMode= 明治23年]</ref> |- |1891年(明治24年) |36 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806572/139?viewMode= 明治25年]</ref> |- |1893年(明治26年) |37 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806573/209?viewMode= 明治26年]</ref> |- |1895年(明治28年) |86 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806575/134?viewMode= 明治28年]</ref> |- |1896年(明治29年) |147 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806576/153?viewMode= 明治29年]</ref> |- |1897年(明治30年) |271 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806577/135?viewMode= 明治30年]</ref> |- |1898年(明治31年) |384 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806578/147?viewMode= 明治31年]</ref> |- |1899年(明治32年)<!--1899年度は1900年が100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく平年となるので365日間で集計--> |418 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806579/168?viewMode= 明治32年]</ref> |- |1900年(明治33年) |439 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806580/165?viewMode= 明治33年]</ref> |- |1901年(明治34年) |423 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806581/188?viewMode= 明治34年]</ref> |- |1902年(明治35年) |462 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806582/185?viewMode= 明治35年]</ref> |- |1903年(明治36年) |429 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806583/183?viewMode= 明治36年]</ref> |- |1904年(明治37年) |638 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806584/213?viewMode= 明治37年]</ref> |- |1905年(明治38年) |870 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806585/196?viewMode= 明治38年]</ref> |- |1907年(明治40年) |1,232 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806587/191?viewMode= 明治40年]</ref> |- |1908年(明治41年) |1,427 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806589/103?viewMode= 明治41年]</ref> |- |1909年(明治42年) |1,525 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806591/106?viewMode= 明治42年]</ref> |- |1911年(明治44年) |2,056 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972667/131?viewMode= 明治44年]</ref> |- |1912年(大正元年) |2,392 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972670/134?viewMode= 大正元年]</ref> |- |1913年(大正{{0}}2年) |2,434 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972675/127?viewMode= 大正2年]</ref> |- |1914年(大正{{0}}3年) |2,338 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972677/386?viewMode= 大正3年]</ref> |- |1915年(大正{{0}}4年) |1,886 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972678/348?viewMode= 大正4年]</ref> |- |1916年(大正{{0}}5年) |2,021 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972679/383?viewMode= 大正5年]</ref> |- |1919年(大正{{0}}8年) |3,609 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972680/266?viewMode= 大正8年]</ref> |- |1920年(大正{{0}}9年) |4,526 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972681/301?viewMode= 大正10年]</ref> |- |1922年(大正11年) |8,819 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972682/303?viewMode= 大正11年]</ref> |- |1923年(大正12年) |11,521 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972683/294?viewMode= 大正12年]</ref> |- |1924年(大正13年) |15,503 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972684/292?viewMode= 大正13年]</ref> |- |1925年(大正14年) |16,138 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448121/326?viewMode= 大正14年]</ref> |- |1926年(昭和元年) |16,375 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448138/316?viewMode= 昭和元年]</ref> |- |1927年(昭和{{0}}2年) |16,223 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448164/314?viewMode= 昭和2年]</ref> |- |1928年(昭和{{0}}3年) |16,140 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448188/346?viewMode= 昭和3年]</ref> |- |1929年(昭和{{0}}4年) |16,035 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448218/334?viewMode= 昭和4年]</ref> |- |1930年(昭和{{0}}5年) |15,888 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448245/339?viewMode= 昭和5年]</ref> |- |1931年(昭和{{0}}6年) |16,237 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448278/342?viewMode= 昭和6年]</ref> |- |1932年(昭和{{0}}7年) |16,268 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448259/315?viewMode= 昭和7年]</ref> |- |1933年(昭和{{0}}8年) |17,382 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446322/333?viewMode= 昭和8年]</ref> |- |1934年(昭和{{0}}9年) |18,715 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446161/341?viewMode= 昭和9年]</ref> |- |1935年(昭和10年) |19,962 |<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446276/339?viewMode= 昭和10年]</ref> |} === 年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年) === <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります--> {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗車人員 !年度 !国鉄 /<br />JR東日本 !営団 !出典 |- |1953年(昭和28年) |51,779 |rowspan=12 style="text-align:center"|未開業 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1953/tn53qa0009.pdf 昭和28年]}} - 11ページ</ref> |- |1954年(昭和29年) |54,781 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1954/tn54qa0009.pdf 昭和29年]}} - 9ページ</ref> |- |1955年(昭和30年) |56,705 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1955/tn55qa0009.pdf 昭和30年]}} - 9ページ</ref> |- |1956年(昭和31年) |59,752 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1956/tn56qa0009.pdf 昭和31年]}} - 9ページ</ref> |- |1957年(昭和32年) |62,413 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1957/tn57qa0009.pdf 昭和32年]}} - 9ページ</ref> |- |1958年(昭和33年) |66,528 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1958/tn58qa0009.pdf 昭和33年]}} - 9ページ</ref> |- |1959年(昭和34年) |69,641 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1959/tn59qyti0510u.htm 昭和34年]</ref> |- |1960年(昭和35年) |75,292 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1960/tn60qyti0510u.htm 昭和35年]</ref> |- |1961年(昭和36年) |75,259 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1961/tn61qyti0510u.htm 昭和36年]</ref> |- |1962年(昭和37年) |75,954 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1962/tn62qyti0510u.htm 昭和37年]</ref> |- |1963年(昭和38年) |80,664 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1963/tn63qyti0510u.htm 昭和38年]</ref> |- |1964年(昭和39年) |81,405 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1964/tn64qyti0510u.htm 昭和39年]</ref> |- |1965年(昭和40年) |81,336 |<ref group="備考">1966年3月16日開業。開業日から同年3月31日までの計16日間を集計したデータ。</ref>4,814 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1965/tn65qyti0510u.htm 昭和40年]</ref> |- |1966年(昭和41年) |84,219 |14,146 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1966/tn66qyti0510u.htm 昭和41年]</ref> |- |1967年(昭和42年) |87,008 |29,377 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1967/tn67qyti0510u.htm 昭和42年]</ref> |- |1968年(昭和43年) |88,718 |42,965 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1968/tn68qyti0510u.htm 昭和43年]</ref> |- |1969年(昭和44年) |81,803 |58,694 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1969/tn69qyti0510u.htm 昭和44年]</ref> |- |1970年(昭和45年) |82,058 |65,293 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1970/tn70qyti0510u.htm 昭和45年]</ref> |- |1971年(昭和46年) |87,650 |67,293 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1971/tn71qyti0510u.htm 昭和46年]</ref> |- |1972年(昭和47年) |88,896 |67,932 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1972/tn72qyti0510u.htm 昭和47年]</ref> |- |1973年(昭和48年) |93,041 |63,452 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1973/tn73qyti0510u.htm 昭和48年]</ref> |- |1974年(昭和49年) |148,145 |65,315 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1974/tn74qyti0510u.htm 昭和49年]</ref> |- |1975年(昭和50年) |141,377 |64,093 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1975/tn75qyti0510u.htm 昭和50年]</ref> |- |1976年(昭和51年) |142,805 |66,027 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1976/tn76qyti0510u.htm 昭和51年]</ref> |- |1977年(昭和52年) |144,296 |67,345 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1977/tn77qyti0510u.htm 昭和52年]</ref> |- |1978年(昭和53年) |138,279 |61,085 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref> |- |1979年(昭和54年) |134,740 |60,604 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref> |- |1980年(昭和55年) |128,364 |59,830 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref> |- |1981年(昭和56年) |132,482 |61,162 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref> |- |1982年(昭和57年) |132,586 |62,452 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref> |- |1983年(昭和58年) |131,303 |62,249 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref> |- |1984年(昭和59年) |137,014 |62,132 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref> |- |1985年(昭和60年) |138,315 |63,384 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref> |- |1986年(昭和61年) |141,805 |63,948 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref> |- |1987年(昭和62年) |137,486 |64,585 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref> |- |1988年(昭和63年) |124,071 |65,395 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref> |- |1989年(平成元年) |125,121 |65,425 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qyti0510u.htm 平成元年]</ref> |- |1990年(平成{{0}}2年) |125,477 |65,688 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 平成2年]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |127,754 |63,115 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 平成3年]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |129,953 |67,575 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |129,471 |67,570 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |128,175 |66,326 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |126,137 |64,237 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |125,567 |62,682 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |122,176 |61,318 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref> |- |1998年(平成10年) |119,400 |60,279 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref> |- |1999年(平成11年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>118,219 |58,776 |<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref> |- |2000年(平成12年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>117,090 |58,359 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref> |} === 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) === {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗降人員<ref group="統計" name="nakano" /> !年度 !JR東日本 !営団 /<br />東京メトロ !出典 |- |2001年(平成13年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>115,907 |57,748 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref> |- |2002年(平成14年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>115,227 |57,112 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref> |- |2003年(平成15年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>114,459 |56,363 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref> |- |2004年(平成16年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>113,324 |55,718 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref> |- |2005年(平成17年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>113,569 |55,477 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref> |- |2006年(平成18年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>115,176 |56,608 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref> |- |2007年(平成19年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>123,022 |67,265 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref> |- |2008年(平成20年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>124,625 |69,063 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref> |- |2009年(平成21年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>124,494 |69,003 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref> |- |2010年(平成22年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>123,968 |69,123 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 平成22年]</ref> |- |2011年(平成23年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>122,846 |68,066 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 平成23年]</ref> |- |2012年(平成24年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>125,025 |69,507 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref> |- |2013年(平成25年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>138,467 |72,858 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref> |- |2014年(平成26年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>140,587 |74,904 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref> |- |2015年(平成27年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>144,916 |77,984 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref> |- |2016年(平成28年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>146,400 |79,847 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref> |- |2017年(平成29年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>148,789 |81,258 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref> |- |2018年(平成30年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>150,886 |83,041 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref> |- |2019年(令和元年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>150,907 |82,617 |<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>103,284 | | |- |2021年(令和{{0}}3年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>108,524 | | |- |2022年(令和{{0}}4年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>119,846 | | |} ;備考 {{Reflist|group="備考"}} == 貨物取扱 == 当駅を発着する定期[[貨物列車]]の設定はないが、東京メトロ・[[東葉高速鉄道]]発着の[[車両輸送|甲種車両輸送列車]]が当駅を経由する。 2008年度の車扱貨物の取扱量は、発送400トン、到着なしであった。近年の年間発着トン数は下表の通り。 {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" !rowspan=2|年度 !colspan=2|総数 !colspan=2|車扱貨物 !colspan=2|コンテナ貨物 !rowspan=2|出典 |- !rowspan|発送トン数 !rowspan|到着トン数 !rowspan|発送トン数 !rowspan|到着トン数 !rowspan|発送トン数 !rowspan|到着トン数 |- |1990年 | || | || | || |<ref>第42回東京都統計年鑑 222ページ</ref> |- |1991年 | || | || | || |<ref>第43回東京都統計年鑑 228ページ</ref> |- |1992年 | ||800 | ||800 | || |<ref>第44回東京都統計年鑑 222ページ</ref> |- |1993年 | ||1,200 | ||1,200 | || |<ref>第45回東京都統計年鑑 232ページ</ref> |- |1994年 | || | || | || |<ref>第46回東京都統計年鑑 218ページ</ref> |- |1995年 | || | || | || |<ref>第47回東京都統計年鑑 236ページ</ref> |- |1996年 | || | || | || |<ref>第48回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |1997年 | || | || | || |<ref>第49回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |1998年 | ||400 | ||400 | || |<ref>第50回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |1999年 | ||1,200 | ||1,200 | || |<ref>第51回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2000年 | || | || | || |<ref>第52回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2001年 | ||1,200 | ||1,200 | || |<ref>第53回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2002年 | || | || | || |<ref>第54回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2003年 | ||1,200 | ||1,200 | || |<ref>第55回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2004年 | ||2,800 | ||2,800 | || |<ref>第56回東京都統計年鑑 248ページ</ref> |- |2005年 | ||1,600 | ||1,600 | || |<ref>第57回東京都統計年鑑 266ページ</ref> |- |2006年 |2,000||3,200 |2,000||3,200 | || |<ref>第58回東京都統計年鑑 253ページ</ref> |- |2007年 |400|| |400|| | || |<ref>第59回東京都統計年鑑 252ページ</ref> |- |2008年 |400|| |400|| | || |<ref>第60回東京都統計年鑑 257ページ</ref> |- |2009年 | || | || | || | |} == 駅周辺 == 駅の真下を[[東京都道420号鮫洲大山線]](中野通り)が貫いている。もともと駅前は将軍家の[[鷹場]]跡地で、[[徳川綱吉]]は鷹狩を禁止して[[犬小屋_(江戸幕府)#中野の犬小屋|野犬保護地]]に替えたが、[[徳川吉宗]]は鷹狩を復活し桃園も造った<ref name=mitsui>[https://smtrc.jp/town-archives/city/koenji/p02.html 徳川ゆかりの地が陸軍施設へ]三井住友トラスト不動産</ref>。明治時代には駅北側に軍の施設が多数造られ、[[第二次大戦]]中には[[陸軍中野学校]]があった<ref name=mitsui/>。 {{See also|中野 (中野区)|中央 (中野区)|野方 (中野区)|新井 (中野区)}} <gallery> Nakano Sunplaza 200903.jpg|中野サンプラザ Tokyo Nakano City Office.jpg|中野区役所 Nakano Zero.jpg|もみじ山文化センター・なかのZERO NTT docomo Nakano Bldg 2009.jpg|NTTドコモ中野ビル Marui head office nakano 2009.JPG|丸井本社ビル 中野お囲いの犬の像2.JPG|中野お囲いの犬の像 </gallery> === 北口(中野通り西側)=== [[File:中野駅北口コンコースから臨む中野通り.JPG|thumb|夜の中野通り(駅前)]] 中野通りを跨ぐ[[ペデストリアンデッキ]]が完成し、[[中野四季の都市]]方面へ横断歩道を渡らずに行き来が可能となった。 {{columns-list|2| * [[NTTドコモ]]中野ビル(旧:電電公社中野ビル) * [[中野サンプラザ]] * [[中野区役所]] ** [[東京都建設局|東京都第三建設事務所]] ** [[関東バス]]中野駅北口案内所 ** 囲町(かこいちょう)犬屋敷跡 * 中野税務署 * [[中野四季の都市]] ** 中野区立中野四季の森公園 ** NAKANO CENTRAL PARK EAST(中野セントラルパーク東棟) *** [[栗田工業]]本社 *** [[日本無線]]本社 ** NAKANO CENTRAL PARK SOUTH(中野セントラルパーク南棟) *** [[キリンホールディングス]]本社 *** [[麒麟麦酒|キリンビール]]本社 *** [[キリンビバレッジ]]本社 ** [[明治大学]] ** [[帝京平成大学]] ** [[早稲田大学]] ** [[東京警察病院]] * [[野方警察署]] * [[中央労働金庫]]中野支店 * なかのサンクォーレ ** [[丸井グループ]]本社ビル *** 丸井グループ本社 *** [[丸井]]本社 ** 中野サンクォーレ内郵便局([[ゆうちょ銀行]]の取扱店番号は'''00001''') ** [[ヨーク (小売業)|ヨークフーズWITHザ・ガーデン自由が丘]] 中野店 ** [[ブックファースト]] 中野店 ** [[ゴールドジム]] ウエスト東京フィットネスクラブ ** サンクォーレタワー([[マンション]]) * 東京都中野都税事務所 * [[西武信用金庫]]中野北口支店 * [[東京法務局]]中野出張所 * [[東京コロニー|中野区中野福祉作業所]] * [[平和の森公園 (中野区)|中野区立平和の森公園]] ** [[中野区立総合体育館]] * [[矯正協会]] * [[豊多摩刑務所|旧中野刑務所正門]] |}} === 北口(中野通り東側)=== [[File:中野駅北口旧広場.JPG|thumb|中野駅北口の古くからのバスロータリー付近。(再開発で新生した広場とは異なる)]] [[File:中野駅北口.JPG|thumb|中野駅北口の夜間の様子]] {{columns-list|2| * [[三井住友信託銀行]]中野支店 * [[三井住友銀行]]中野支店 * [[中野サンモール商店街]] **[[サンドラッグ]]中野北口店 * [[ライフ (チェーンストア)|ライフ]]中野駅前店 * A-01ビル ** 中野公証役場 ** [[いちよし証券]]中野支店 * [[中野ブロードウェイ]] ** [[まんだらけ]] ** [[西友]]中野店 ** [[明屋書店]]東京中野BW店 * スマイルなかの ** なかの芸能小劇場 * [[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]中野駅前店 * 中野五郵便局 * [[ケンコー・トキナー]]本社(KT中野ビル) * [[青山商事|洋服の青山]]中野本店 * [[みずほ銀行]]中野北口支店 * [[巣鴨信用金庫]]中野支店 * [[梅照院]](新井薬師) |}} === 南口 === [[File:中野駅南口(マルイ前).JPG|thumb|中野通り沿いにある中野マルイ前の横断歩道]] {{columns-list|2| * [[丸井#出店形態|中野マルイ]](旧本店) * レンガ坂 ** [[三菱UFJ信託銀行]]中野支店 * [[三菱UFJ銀行]]中野駅前支店・中野駅南口支店・中野支店{{Refnest|group="注釈"|中野駅南口支店は2007年3月5日より中野駅前支店と共同店舗となり、中野支店は2020年9月14日より中野駅前・中野駅南口支店内に移転した<ref name=“mufg”>{{Cite web|和書|title=店舗統合・移転のお知らせ|url=https://map.bk.mufg.jp/b/bk_mufg/?t=itentogo|website=三菱UFJ銀行公式ホームページ|accessdate=2020-11-5|language=ja}}</ref>。}} * [[東京都水道局]]中野営業所 * 中野区勤労福祉会館 ** 中野区男女共同参画センター アンサンブル * 中野区保健所 * 中野区桃園区民活動センター * [[紅葉山公園 (中野区)|紅葉山公園]] * [[もみじ山文化センター]](なかのZERO) ** [[中野区立中央図書館]] * 中野社会保険事務所 * [[東京医療生活協同組合中野総合病院]] * 中野三郵便局 * [[中野郵便局]] ** [[ゆうちょ銀行]]中野店 * [[中野ツインマークタワー]] * [[りそな銀行]]中野支店 * 西武信用金庫本店 * ノイビル ** [[ティップネス]]中野店 * [[島忠]]中野店 * 東京CPA会計学院 |}} == バス路線 == [[File:Keio Bus (Local).jpg|thumb|「中92」の車両(京王バス・中野営業所、[[日産ディーゼル・JP]])現在は北口発着]] 北口(ガード下・サンプラザ前)・南口双方にのりばと、北口に関東バス案内所、南口に京王バス案内所がある。 === 北口 === [[2011年]]9月に北口駅前広場の再整備工事が行われ、これまで駅前に乗り入れていたバスが中野サンプラザ付近への発着に変更になった。その後、[[2012年]][[7月1日]]の東西連絡路開通により、中野通りの横断歩道を渡らずに駅からバス乗り場などへ行くことができるようになった<ref group="新聞">{{Cite web|和書|url=https://style.nikkei.com/article/DGXBZO43069630X20C12A6000000|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190627190219/https://style.nikkei.com/article/DGXBZO43069630X20C12A6000000/|title=オタクの街・中野が大変身 早稲田・キリン進出、サンプラザ解体へ|date=2012-06-29|publisher=日経BP社|work=NIKKEI STYLE|accessdate=2020-05-23|archivedate=2019-06-27}}</ref>。2016年9月12日より中野駅地区第二期整備事業の進展によりバス乗り場が再編された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanto-bus.co.jp/upload/service2/25LNW55-service2_file.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190721143103/https://www.kanto-bus.co.jp/upload/service2/25LNW55-service2_file.pdf|title=お知らせ 中野駅地区第2期整備事業に伴うバスのりばの変更について|archivedate=2019-07-21|accessdate=2020-05-23|publisher=関東バス|format=PDF|language=日本語}}</ref>。 <!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。--> {| class="wikitable" style="font-size:80%;" !のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考 |- !colspan="4"|中野サンプラザ南側 |- !0 |rowspan="6" style="text-align:center;"|[[関東バス]] |{{Unbulleted list|[[関東バス丸山営業所#茂呂線|'''中10'''・'''中45''']]:[[関東バス丸山営業所|丸山営業所]]|'''中12'''・'''中41''':[[江古田駅]]}} |{{Unbulleted list|「中10」は終車後の1本のみ運行|「中45」は深夜バスとして運行}} |- !1 |{{Unbulleted list|[[関東バス丸山営業所#練馬線|'''中27''']]:[[江古田の森公園|江古田の森]]|'''中28''':江古田駅}} |「中28」は運行休止中 |- !2 |{{Unbulleted list|'''中13''':[[新井薬師前駅]]|[[関東バス丸山営業所#練馬線|'''中20''']]:丸山営業所}} |「中13」は運行休止中 |- !3 |{{Unbulleted list|[[関東バス阿佐谷営業所#中野線|'''K01''']]:八成小学校|'''K02''':[[井草]]一丁目}} |&nbsp; |- !10 |[[関東バス阿佐谷営業所#野方線|'''中01'''・'''中02'''・'''宿05''']]:[[野方駅]] |&nbsp; |- !11 |{{Unbulleted list|'''中03''':[[練馬駅]]|[[関東バス阿佐谷営業所#東原線|'''阿45''']]:[[阿佐ケ谷駅]]|[[関東バス阿佐谷営業所|阿佐谷営業所]]}} |&nbsp; |- !colspan="4"|中野サンプラザ東側 |- !5 |rowspan="2" style="text-align:center;"|[[京王電鉄バス#京王バス|京王バス]] |[[京王バス中野営業所#練馬線|'''中91''']]:新井四丁目 / 中野区立総合体育館 |新井四丁目行は平日朝2本のみ運行。中野区立総合体育館行は土日祝日のみ運行。 |- !7 |'''中92''':練馬駅 / 豊玉中二丁目 / 南蔵院 |豊玉中二丁目行は平日朝2本のみ運行。南蔵院行は深夜のみ運行。 |- !rowspan="2"|8 |style="text-align:center;"|関東バス |[[関東バス丸山営業所#新宿線|'''宿08''']]:[[新宿駅のバス乗り場|新宿駅西口]] |&nbsp; |- |style="text-align:center;"|[[東京空港交通]] |'''リムジンバス''':[[東京国際空港|羽田空港]] |&nbsp; |- !rowspan="2"|9 |style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|関東バス|[[国際興業バス]]}} |[[関東バス丸山営業所#池袋線|'''池11''']]:[[池袋駅]]西口 |&nbsp; |- |style="text-align:center;"|関東バス |'''中20''':丸山営業所 |&nbsp; |- !colspan="4"|ガード下 |- !降車場 |style="text-align:center;"|京王バス |'''中91'''・'''中92''':降車専用 |&nbsp; |- !rowspan="3"|6 |style="text-align:center;"|関東バス |'''宿04'''・'''宿05''':新宿駅西口 |&nbsp; |- |style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|関東バス|[[豊鉄バス]]}} |[[ほの国号#新宿豊橋線|'''ほの国号''']]:[[三河田原駅|田原駅前]] |&nbsp; |} === 南口 === <!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。--> {| class="wikitable" style="font-size:80%;" !のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考 |- !1 |rowspan="3" style="text-align:center;"|京王バス |{{Unbulleted list|[[京王バス中野営業所#新宿線|'''宿45''']]:[[新宿駅のバス乗り場|新宿駅西口]]|[[京王バス中野営業所#幡代線・代田橋循環線|'''渋63''']]:[[渋谷駅]]|'''中81''':[[代田橋駅|代田橋]]循環|[[京王バス中野営業所|中野車庫]]}} |&nbsp; |- !2 |[[京王バス中野営業所#初台線|'''渋64''']]:渋谷駅 / 中野車庫 |中野車庫行は入庫便として運行。 |- !3 |{{Unbulleted list|[[京王バス中野営業所#大宮線|'''中71''']]:[[永福町駅|永福町]]|[[京王バス中野営業所#中野新橋線|'''中84''']]:峰|[[京王バス中野営業所#中野新橋線|'''中85''']]:峰・永福町}} |&nbsp; |- !5 |rowspan="2" style="text-align:center;"|関東バス |{{Unbulleted list|[[関東バス五日市街道営業所#成宗線|'''中35''']]:[[関東バス五日市街道営業所|五日市街道営業所]]|'''中36''':[[吉祥寺駅]]}} |「中35」は土・休日の昼間は運休 |- !降車場 |'''宿05''':降車専用 |降車取扱後、北口10番のりばへ移動し乗車取扱 |} === 停留所について付記 === 北口に関しては「'''中野区役所'''」停留所も利用可能。なお、のりば番号はいずれも付記されておらず、関東バスナビに表記されている番号である<ref group="注釈" name="kantobusnavi">[http://www2.kanto-bus.co.jp/blsys/navi 関東バスナビ] によるのりば位置番号</ref>。 * のりば2向かい(区役所南側)に設置された'''のりば1'''は宿05:新宿駅西口行(のちにガード下の中野駅のりば6へ移動)と中野駅までのK01・池11・中30の各系統が停車。関東バスの案内所もこの場所に設置<ref>[https://www.kanto-bus.co.jp/regular/network.html 本社・営業所・案内所のご案内] - 関東バス株式会社 2017年10月25日閲覧</ref> されている。 * サンプラザ東側(のりば7・8・9向かい)に設置された'''のりば3'''は中野駅までの中10・中12・中13・中20・中24・中25・中27・中28・中41・中43・中91・中92の各系統が停車する。 * K01系統・K02系統は中野駅北口のりば3を出た後、区役所北側にある'''のりば2'''にも停車する。 == 隣の駅 == ; 東日本旅客鉄道(JR東日本) : [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線(快速) :: {{Color|#ff0066|■}}通勤特快(平日上りのみ) :::; 通過 :: {{Color|#0099ff|■}}特別快速「[[ホリデー快速おくたま]]」<!-- おくたまは定期列車扱い -->(土休日のみ)・{{Color|#0033ff|■}}中央特快・{{Color|#339966|■}}青梅特快 ::: [[新宿駅]] (JC 05) - '''中野駅 (JC 06)''' - [[三鷹駅]] (JC 12) :: {{Color|#990099|■}}通勤快速(平日下りのみ)・{{Color|#f15a22|■}}快速(土曜・休日<ref>年末年始期間中([[12月30日]] - [[1月3日]]間)も含む。</ref>) ::: 新宿駅 (JC 05) - '''中野駅 (JC 06)''' - [[荻窪駅]] (JC 09) :: {{Color|#f15a22|■}}快速(平日、下り高尾方面は「各駅停車」扱い) ::: 新宿駅 (JC 05) - '''中野駅 (JC 06)''' - [[高円寺駅]] (JC 07) : [[File:JR JB line symbol.svg|15px|JB]] 中央・総武線(各駅停車) ::: [[東中野駅]] (JB 08) - '''中野駅 (JB 07)''' - 高円寺駅 (JB 06) ; 東京地下鉄(東京メトロ) : [[File:Logo of Tokyo Metro Tōzai Line.svg|15px|T]] 東西線([[東陽町駅|東陽町]]以西は全列車が各駅に停車) ::: 高円寺駅 (JB 06・中央線) - '''中野駅 (T 01)''' - [[落合駅 (東京都)|落合駅]] (T 02) ::* いずれの種別も中央線内では各駅に停車する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注釈"}} ==== 出典 ==== {{Reflist|2}} ===== 報道発表資料 ===== {{Reflist|group="報道"}} ===== 新聞記事 ===== {{Reflist|group="新聞"}} === 利用状況 === ;JR・地下鉄の1日平均利用客数 {{Reflist|group="利用客数"}} ;JR東日本の1999年度以降の乗車人員 {{Reflist|group="JR"|22em}} ; 東京地下鉄の1日平均利用客数 {{Reflist|group="メトロ"|22em}} ;JR・地下鉄の統計データ {{Reflist|group="統計"}} ;東京府統計書 {{Reflist|group="東京府統計"|16em}} ;東京都統計年鑑 {{Reflist|group="東京都統計"|16em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|url=https://metroarchive.jp/content/ebook_touzai.html/|date=1978-07-31|title=東京地下鉄道東西線建設史|publisher=帝都高速度交通営団|ref=Tozai-Const}} * {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=5 |title=中央本線 |date=2009-08-09 |ref=sone05 }} == 関連項目 == {{commonscat|Nakano Station (Tokyo)}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[中野電車区]] * [[中野車掌区]] == 外部リンク == * {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1104|name=中野}} * [https://www.tokyometro.jp/station/nakano/ 中野駅/T01 | 路線・駅の情報 | 東京メトロ] {{鉄道路線ヘッダー}} {{中央線快速}} {{総武・中央緩行線}} {{東京メトロ東西線}} {{鉄道路線フッター}} {{デフォルトソート:なかのえき}} [[Category:中野区の鉄道駅|なかの]] [[Category:日本の鉄道駅 な|かの]] [[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅|なかの]] [[Category:日本貨物鉄道の鉄道駅|なかの]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅|なかの]] [[Category:中央線快速]] [[Category:中央・総武緩行線]] [[Category:甲武鉄道の鉄道駅]] [[Category:東京地下鉄の鉄道駅|なかの]] [[Category:1889年開業の鉄道駅|なかの]] [[Category:中野]]
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課金
課金(かきん)とは、料金を課することである。 価値あるものの対価を求める際に課金という言葉を用いる場合、現代では、無形のもの特にデータやサービスなどをネット配信など通信により販売する際の、対価回収手段のことを指す。インターネットさらにパソコンの普及以前は、メインフレームに代表される高価であった情報処理システムそのものの利用に課せられることが多かったが、その対象は時代とともに変化してきている。
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課金(かきん)とは、料金を課することである。
{{半保護}} {{Redirectlist|料金|[[商品]]・[[サービス]]の金額|価格|[[公共サービス]]の料金|公共料金|[[交通]][[機関 (法)|機関]]の料金・運賃|運賃|[[ゆうちょ銀行]]で利用される[[用語]]としての「料金」|手数料}} {{出典の明記|date= 2012年6月}} '''課金'''(かきん)とは、料金を課することである。 == 概要 == [[価値]]あるものの対価を求める際に''課金''という[[自然言語|言葉]]を用いる場合、[[現代 (時代区分)|現代]]では、無形のもの特に[[データ]]や[[サービス]]などを[[ネット配信]]など[[通信]]により販売する際の、対価回収手段のことを指す。[[インターネット]]さらに[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の[[流通|普及]]以前は、[[メインフレーム]]に代表される高価であった[[情報処理]]システムそのものの[[使用 (法律)|利用]]に課せられることが多かったが、その対象は[[時代]]とともに変化してきている。 <!-- 前払いや後払い、[[クレジットカード]]の利用や[[電子マネー]]の導入など実際の課金手段については様々な手法があるが、通信における課金システムの根本的な問題点は、以下にある。 * いかに課金するか ** 何をもって課金対象とするか ** 課金対象がユーザーの手元に渡ったことをいかに認識・検知するか ** その検知をいかに正確なものにできるか * 課金相手であるユーザー個人からいかに対価を徴収するか ** 本人の使用であることをいかに特定するか ** 本人の支払い手段に応じた情報をいかにやりとりするか ** 本人のプライバシー情報をいかに秘匿するか ** 支払い手段におけるユーザーの信頼性をいかに事前に把握するか * どれくらいの金額が妥当であるか ** コストを回収できる額であるか ** データの内容や価値に見合った額であるか ** ユーザーが支払える妥当な額であるか --> == 課金制度の種類 == ; [[従量制]] : 利用量や利用時間に応じて料金が決まる課金[[制度]]。多くの場合、[[電気料金]]・[[水道料金]]・[[ガス料金]]・[[電話料金]]・一部の[[インターネット接続サービス]]などの各月の支払額は、一定額の[[基本料金]]と従量制料金の合計額となる。基本料金がない従量制料金制度を特に'''完全従量制'''とも呼ぶ。 ; [[定額制]] : '''固定制'''とも呼ばれる。利用量・利用時間に拘らず料金が一定である課金制度。インターネット接続サービスなど。 ; [[定額従量制]] : 従量制と定額制の[[中間]]にあたる課金制度。決められた量・時間内の利用であれば料金が一定であるが、利用量・利用時間が決められた値を超過した場合、その超過分の料金は従量制となる。[[携帯電話]]の[[電話料金|通話料]]など。 ; [[従量課金上限制]] : '''[[キャップ制]]'''とも呼ばれる。定額従量制とは逆に、利用量・利用時間が決められた値に満たない場合は従量制を適用し、それを超過した場合は定額制を適用する課金制度。携帯電話の[[パケット定額制]]など。 ; [[コンテンツ課金]] : [[画像]]や[[音楽]]など、一つひとつのコンテンツを利用する際にその都度料金を課す方式。[[利用者]]は自分の利用したいコンテンツにだけ料金を支払えばよい反面、利用の仕方によっては金額が[[青天井]]に増えてしまう問題もある。[[音楽配信|オンライン音楽配信サービス]]など。 == 関連項目 == * [[定額課金制]] * [[アイテム課金]] * [[着信課金電話番号]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かきん}} [[Category:流通]] [[Category:料金システム]]
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シンボル
シンボル(象徴、symbol)は、記号 (sign) を分類した1つの種類である。その厳密な定義は1つではないが、記号のうちその対象との関係が非本来的・隠然的であるものがシンボルとされる。「象徴記号」と訳されることもある。"symbol"の語源は古代ギリシャ語の"symbolon"(σύμβολον) に由来し、syn-が「一緒に」、boleが「投げる」や「飛ばす」を意味し、合わせて、「一緒にする」や、二つに割ったものをつき合わせて同一の物と確認する「割符」や「合言葉」を意味する。 記号論(semiotics)の祖チャールズ・サンダース・パースによれば、シンボルは記号(この文脈ではsemiosis)のうち「約定性」により対象を表すものとして定義される。 シンボル以外の記号にはイコン (icon) とインデックス (index) がある。イコンは「類似性」により対象を表す、つまり、対象そのものを象った記号である。インデックスは「因果性」により対象を表す、つまり、対象と時間的または空間的に結びついた物を使った記号である。 それらに対しシンボルは、書き手と読み手(あるいは話し手と聞き手)の間の約束事による記号である。純粋なシンボルは、記号自体にはイコンやインデックスのような対象を表す要素はない。ただし実際のシンボルには、イコンやインデックスの性質を併せて持つものも多い。 典型的なシンボルとして言語がある。旗や紋章なども、基本的にはシンボルである。 記号を、特定的・実践的なシグナル (signal) と、普遍的・観念的なシンボルとに分けることもある。 会社、団体、個人、作品などを象徴するためにシンボルが使われる。 家紋、紋章、ロゴマークのように特にシンボルとなる記号又は図柄のことをシンボルマークと呼ぶ。例えば、刀が、武士のシンボルとされるように、あるものから、別のあるものへと思い起こされるもの。また、企業を表すためにニューヨーク証券取引所で採用される、4文字の記号からなるティッカーシンボルのように、そのための特徴的な図案、意匠のようなものをシンボルとして用いることも多い。地方公共団体、企業、学校、大学、スポーツ、国際見本市、国際会議などでは、シンボルとしてのマスコットキャラクターが採用されたり、学生を選ぶコンテストが行なわれたりすることも多い(ミスキャンパス・ミスターキャンパス)。 この節では、コンピュータ科学や関連分野における専門用語としての「シンボル」を解説する。これは人文学分野におけるシンボル(象徴)とは意味が異なるため注意を要する。 ここでは「シンボル」とは、データに含まれるひとかたまりの記号や、プログラミングで用いられる「名前」のことであり、その名前から実体のデータを得るデータ構造をシンボルテーブルと言う。例えばコンパイラはソースコードからオブジェクトコードを生成する際、関数であればその「実体」を構成する一連の機械語命令列(「コード片」などとも言う)だけでなく、その関数の関数名からそれを指す「シンボル」を、シンボルテーブルに追加する。ビルドプロセスでは、コンパイルの次のリンクの段階で、リンカが複数のモジュールからそれぞれのシンボルテーブルを参照し、実行ファイルやライブラリのリンクを解決する。近年のコンパイラが複雑な方法を用いてシンボルを生成することに関しては名前修飾を参照されたい。 Lispや、その影響を受けたSmalltalkやRubyなどにあるSymbolは、interning(en:String interning)された文字列である(外部資料を参照)。また特にLispでは、その処理系における伝統的な手法の一つである shallow access の実装においても重要である。 人工知能分野では、1990年にStevan HarnadがThe Symbol Grounding Problemで提起したsymbol grounding(記号接地あるいは記号着地などと訳されることもある)問題などといった話題に代表される「シンボル」がある。ここでの「シンボル」とは、コンピュータによる情報処理システムが扱っている符号化された情報といったような意味で、究極的にはチューリングマシンがそのテープに読み書きする「記号」のことであり、それを自律ロボットのような人工知能システムがいかに「意味」に結びつけ(接地し)物事を理解させるのか、といったことが論点である。 情報理論では、情報源アルファベットや符号アルファベットの元をシンボルという。
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シンボル(象徴、symbol)は、記号 (sign) を分類した1つの種類である。その厳密な定義は1つではないが、記号のうちその対象との関係が非本来的・隠然的であるものがシンボルとされる。「象徴記号」と訳されることもある。"symbol"の語源は古代ギリシャ語の"symbolon"(σύμβολον) に由来し、syn-が「一緒に」、boleが「投げる」や「飛ばす」を意味し、合わせて、「一緒にする」や、二つに割ったものをつき合わせて同一の物と確認する「割符」や「合言葉」を意味する。
{{Otheruses}} {{出典の明記|date=2012年2月}} [[ファイル:Ceremonial South Pole.jpg|thumb|200px|国のシンボルとして[[国旗]]が掲げられる。<br/>([[南極点]]の[[南極条約]]加盟国の旗)]] [[ファイル:ReligijneSymbole.svg|thumb|200px|各種[[宗教]]のシンボル。]] '''シンボル'''('''象徴'''、{{en|symbol}})は、[[記号]] ({{en|sign}}) を分類した1つの種類である。その厳密な[[定義]]は1つではないが、記号のうちその[[対象]]との関係が非本来的<ref>『[[広辞苑]]』第5版 (1998)「シンボル」(3)</ref>・隠然的であるものがシンボルとされる。「[[象徴]]記号」と訳されることもある。"symbol"の語源は[[古代ギリシャ語]]の"symbolon"({{lang|el|σύμβολον}}) に由来し、syn-が「一緒に」、boleが「投げる」や「飛ばす」を意味し、合わせて、「一緒にする」や、二つに割ったものをつき合わせて同一の物と確認する「[[割符]]」や「[[合言葉]]」を意味する。 == 定義 == === イコン/インデックス/シンボル === [[記号論]](semiotics)の祖[[チャールズ・サンダース・パース]]によれば、シンボルは記号(この文脈ではsemiosis)のうち「約定性」により対象を表すものとして定義される。 シンボル以外の記号には[[アイコン|イコン]] ({{Lang|en|icon}}) と[[指標記号|インデックス]] ({{Lang|en|index}}) がある。イコンは「類似性」により対象を表す、つまり、対象そのものを象った記号である。インデックスは「因果性」により対象を表す、つまり、対象と時間的または空間的に結びついた物を使った記号である。 それらに対しシンボルは、書き手と読み手(あるいは話し手と聞き手)の間の約束事による記号である。純粋なシンボルは、記号自体にはイコンやインデックスのような対象を表す要素はない。ただし実際のシンボルには、イコンやインデックスの性質を併せて持つものも多い。 典型的なシンボルとして[[言語]]がある。[[旗]]や[[紋章]]なども、基本的にはシンボルである。 {|class="wikitable" style="text-align:center; background:white; white-space:noerap" |+ 「日本」のシンボルの例 |- | [[日本語]]表記 | [[英語]]の音声 | [[国旗]] | [[ISO 3166-1]] | [[サッカー日本代表|サッカー代表]] [[ナショナルカラー]] |- | [[ファイル:JapanKanji.svg|100px|日本]] | [[ファイル:En-us-Japanese.ogg|100px|Japan]] | [[ファイル:Flag of Japan.svg|100x100px|border|日の丸]] | style="width:100px" |<span style="font-size:48px">392</span> | style="width:100px; background:#1082cb" | |} {|class="wikitable" style="text-align:center; background:white" |+ 純粋なシンボルでない国旗の例 |- | + イコン | + インデックス |- | [[ファイル:Flag of Cyprus.svg|100x100px|border|キプロス国旗]] | [[ファイル:Flag of Cambodia.svg|100x100px|border|カンボジア国旗]] |} === シグナル/シンボル === 記号を、特定的・実践的なシグナル ({{Lang|en|signal}}) と、普遍的・観念的なシンボルとに分けることもある。 == 団体等のシンボル == [[会社]]、[[団体]]、[[個人]]、作品などを象徴するためにシンボルが使われる。 [[家紋]]、[[紋章]]、[[ロゴタイプ|ロゴ]]マークのように特にシンボルとなる記号又は図柄のことを'''[[シンボルマーク]]'''と呼ぶ。例えば、[[刀]]が、[[武士]]のシンボルとされるように、あるものから、別のあるものへと思い起こされるもの。また、企業を表すために[[ニューヨーク証券取引所]]で採用される、4文字の記号からなる[[ティッカーシンボル]]のように、そのための特徴的な図案、意匠のようなものをシンボルとして用いることも多い。[[地方公共団体]]、[[企業]]、[[学校]]、[[大学]]、[[スポーツ]]、[[国際見本市]]、国際会議などでは、シンボルとしての[[マスコットキャラクター]]が採用されたり、学生を選ぶコンテストが行なわれたりすることも多い([[ミスキャンパス]]・[[ミスターキャンパス]])。 == コンピュータ科学関連分野における「シンボル」 == この節では、[[コンピュータ科学]]や関連分野における[[専門用語]]としての「シンボル」を解説する。これは[[人文学]]分野におけるシンボル(象徴)とは意味が異なるため注意を要する。 === シンボルテーブル === {{see|シンボルテーブル}} ここでは「シンボル」とは、データに含まれるひとかたまりの記号や、[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]で用いられる「名前」のことであり、その名前から実体のデータを得るデータ構造を[[シンボルテーブル]]と言う。例えば[[コンパイラ]]は[[ソースコード]]から[[オブジェクトコード]]を生成する際、関数であればその「実体」を構成する一連の[[機械語]]命令列(「コード片」などとも言う)だけでなく、その関数の関数名からそれを指す「シンボル」を、シンボルテーブルに追加する。ビルドプロセスでは、コンパイルの次のリンクの段階で、[[リンケージエディタ|リンカ]]が複数の[[モジュール]]からそれぞれのシンボルテーブルを参照し、[[実行ファイル]]やライブラリのリンクを解決する。近年のコンパイラが複雑な方法を用いてシンボルを生成することに関しては[[名前修飾]]を参照されたい。 === 唯一性のある名前として === [[Lisp]]や、その影響を受けた[[Smalltalk]]や[[Ruby_(代表的なトピック)|Ruby]]などにあるSymbolは、interning([[:en:String interning]])された文字列である(外部資料<ref>https://sumim.hatenablog.com/entry/20051029/p1</ref>を参照)。また特にLispでは、その処理系における伝統的な手法の一つである shallow access の実装においても重要である。 === 人工知能分野 === {{seealso|シンボルグラウンディング問題}} [[人工知能]]分野では、1990年にStevan Harnadが''The Symbol Grounding Problem''で提起したsymbol grounding(記号接地あるいは記号着地などと訳されることもある)問題などといった話題に代表される「シンボル」がある。ここでの「シンボル」とは、コンピュータによる情報処理システムが扱っている符号化された情報といったような意味で、究極的には[[チューリングマシン]]がそのテープに読み書きする「記号」のことであり<ref group="注">従って、[[記号学]]における議論の多くに関係するような側面は、前提の時点で捨象されている。</ref>、それを自律[[ロボット]]のような人工知能[[システム]]がいかに「[[意味]]」に結びつけ(接地し)物事を理解させるのか、といったことが論点である。 === 情報理論 === [[情報理論]]では、[[情報源アルファベット]]や[[符号アルファベット]]の[[元 (数学)|元]]をシンボルという。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionary}} {{Commonscat|Symbols}} * [[偶像]] * [[象徴主義]] * [[大聖堂]] * [[ピクトグラム]] * [[マーク]] == シンボル == * [[携帯電話の絵文字]] * {{仮リンク|宗教のシンボル|en|Religious symbol}} *[[LGBTQのシンボル]] {{コミュニケーション学}} {{Culture-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しんほる}} [[Category:シンボル|*]] [[Category:概念]]
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東京ダービー (競馬)
東京ダービー(とうきょうダービー)は南関東公営競馬の3歳クラシック三冠の第2冠として、特別区競馬組合が大井競馬場ダート2000メートルで施行する地方競馬の重賞競走である。南関東グレードはSI。 副賞は、特別区競馬組合管理者賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞、東京都馬主会理事長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞(2023年)。 1955年に春の鞍として創設。1964年より東京都ダービーと名称が変更となり、1966年から現在の名称となった。1967年より2400メートルとなったが1996年に行われた南関東クラシックのアメリカンスタイルへの移行後の距離見直しに伴い、1999年に2000メートルに戻った。なお本競走の上位2着までに入った馬にはジャパンダートダービーの優先出走権が付与される。 2006年から2023年まではダービーシリーズ(旧・ダービーWeek)が設けられその3 - 4戦目(年度によって多少左右される。2008年から2010年までは3年連続で4戦目)となっており、通常のGIファンファーレではなくダービーWeekオリジナルファンファーレが演奏された。また騎手の町田直希は18歳2か月でビービートルネードに騎乗して勝利し、同競走の最年少勝利記録を更新した。また、南関東以外の所属騎手としては金沢競馬場所属の吉原寛人が過去2度制覇している。 その一方で大井競馬場において通算21回リーディングジョッキーとなった的場文男が2021年まで過去39回挑戦して2着は10回あるもののいまだに勝利しておらず、これについては「大井の七不思議の1つ」とまで言われている。 また、2011年から種牡馬の次年度の配合権利が、優勝馬の馬主に副賞として贈られるようになっている(ダービーWeek#スタリオン賞を参照)。 ダートグレード競走ではない地方競馬単独開催の重賞競走としては古馬混合競走を含めて国内最高賞金額のレースであり、他の地方競馬場においては実力がありながらも賞金が低いが故に、また中央競馬においても現時点でダートの3歳路線が確立されていないこともあって、このレースを目標に大井を初めとする南関東地区に移籍してくる馬も少なくない。 2024年度から3歳ダート路線改革の一環として羽田盃とともにダートグレード競走としてJRA、他地区所属馬に解放、3歳ダート三冠競走のひとつとなりJpnIに格付けされる予定となった。出走資格も中央・地方所属を問わず3歳牡馬・牝馬限定となる(せん馬の出走ができなくなる)予定。1着賞金も1億円となり、2022年時点でJBCクラシック、東京大賞典とならび地方競馬の最高額賞金であり、JRA含めたダートの重賞競走としてはともにGIであるフェブラリーステークス及びチャンピオンズカップの1億2000万円に次ぐものである。 なお、初年度である2024年においては、フルゲート16頭に対してJRA4頭、地方12頭の割り当てとして施行される。 以下は2023年の本競走の優先出走権が得られる競走である。いずれもダートでの施行。 東京湾カップは2004年及び2006年以降に優先出走権が付与されるようになり、2011年からは2着馬にも優先出走権が付与されるようになった 。 東京ダービートライアルは2010年から実施。2010年は距離1800m、2着までに優先出走権が与えられていたが、2011年からは東京ダービーと同距離になり、優先出走権も優勝馬のみに付与される形に変更された。 クラシックトライアルは2017年から実施。 2024年は以下の競走で優先出走権が得られる予定である。 以下の競走については優先出走権ではないが、出走馬選定において優先されるものである。 クラシックトライアルは羽田盃の優先出走権が得られる競走となる。 JRAから南関東への転入馬については2019年より東京ダービー出走時に限り、JRAの収得賞金を含めた番組賞金ではなく、南関東を含む地方競馬所属時の番組賞金を基に出走予定馬の選定を行う方式に変更された(即ち、JRAでの収得賞金はカウントされなくなった)ことから、(例として)2016年の優勝馬・バルダッサーレのようなJRAでデビューした馬が転厩初戦でいきなり東京ダービーに出走することは事実上不可能となった。これにより、出走するためには転入後に羽田盃ほかのトライアル競走で優先出走権を得るか、本競走に出走できるだけの収得賞金を予め加算しておく必要がある。 なお、2024年度から実施の3歳ダート三冠競走においてもこのルールは継続適用され、 旨が決定・公表されている。 また、他地区における東京ダービー指定競走が東日本地区においては盛岡競馬場(時期・実施距離・レース名未定)にて、西日本地区においては園田競馬場(5月上旬・距離1870m・レース名未定)にて施行される。 第1回から第12回及び第45回以降はダート2000m、第13回から第44回まではダート2400mにて施行。 ※タイム:第1〜5回 1/5秒表示、第6回〜 1/10秒表示 過去に1組の父仔制覇の例がある。 69回終了時点
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "東京ダービー(とうきょうダービー)は南関東公営競馬の3歳クラシック三冠の第2冠として、特別区競馬組合が大井競馬場ダート2000メートルで施行する地方競馬の重賞競走である。南関東グレードはSI。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "副賞は、特別区競馬組合管理者賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞、東京都馬主会理事長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞(2023年)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1955年に春の鞍として創設。1964年より東京都ダービーと名称が変更となり、1966年から現在の名称となった。1967年より2400メートルとなったが1996年に行われた南関東クラシックのアメリカンスタイルへの移行後の距離見直しに伴い、1999年に2000メートルに戻った。なお本競走の上位2着までに入った馬にはジャパンダートダービーの優先出走権が付与される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2006年から2023年まではダービーシリーズ(旧・ダービーWeek)が設けられその3 - 4戦目(年度によって多少左右される。2008年から2010年までは3年連続で4戦目)となっており、通常のGIファンファーレではなくダービーWeekオリジナルファンファーレが演奏された。また騎手の町田直希は18歳2か月でビービートルネードに騎乗して勝利し、同競走の最年少勝利記録を更新した。また、南関東以外の所属騎手としては金沢競馬場所属の吉原寛人が過去2度制覇している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "その一方で大井競馬場において通算21回リーディングジョッキーとなった的場文男が2021年まで過去39回挑戦して2着は10回あるもののいまだに勝利しておらず、これについては「大井の七不思議の1つ」とまで言われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "また、2011年から種牡馬の次年度の配合権利が、優勝馬の馬主に副賞として贈られるようになっている(ダービーWeek#スタリオン賞を参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ダートグレード競走ではない地方競馬単独開催の重賞競走としては古馬混合競走を含めて国内最高賞金額のレースであり、他の地方競馬場においては実力がありながらも賞金が低いが故に、また中央競馬においても現時点でダートの3歳路線が確立されていないこともあって、このレースを目標に大井を初めとする南関東地区に移籍してくる馬も少なくない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2024年度から3歳ダート路線改革の一環として羽田盃とともにダートグレード競走としてJRA、他地区所属馬に解放、3歳ダート三冠競走のひとつとなりJpnIに格付けされる予定となった。出走資格も中央・地方所属を問わず3歳牡馬・牝馬限定となる(せん馬の出走ができなくなる)予定。1着賞金も1億円となり、2022年時点でJBCクラシック、東京大賞典とならび地方競馬の最高額賞金であり、JRA含めたダートの重賞競走としてはともにGIであるフェブラリーステークス及びチャンピオンズカップの1億2000万円に次ぐものである。 なお、初年度である2024年においては、フルゲート16頭に対してJRA4頭、地方12頭の割り当てとして施行される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "以下は2023年の本競走の優先出走権が得られる競走である。いずれもダートでの施行。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "東京湾カップは2004年及び2006年以降に優先出走権が付与されるようになり、2011年からは2着馬にも優先出走権が付与されるようになった 。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "東京ダービートライアルは2010年から実施。2010年は距離1800m、2着までに優先出走権が与えられていたが、2011年からは東京ダービーと同距離になり、優先出走権も優勝馬のみに付与される形に変更された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "クラシックトライアルは2017年から実施。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2024年は以下の競走で優先出走権が得られる予定である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "以下の競走については優先出走権ではないが、出走馬選定において優先されるものである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "クラシックトライアルは羽田盃の優先出走権が得られる競走となる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "JRAから南関東への転入馬については2019年より東京ダービー出走時に限り、JRAの収得賞金を含めた番組賞金ではなく、南関東を含む地方競馬所属時の番組賞金を基に出走予定馬の選定を行う方式に変更された(即ち、JRAでの収得賞金はカウントされなくなった)ことから、(例として)2016年の優勝馬・バルダッサーレのようなJRAでデビューした馬が転厩初戦でいきなり東京ダービーに出走することは事実上不可能となった。これにより、出走するためには転入後に羽田盃ほかのトライアル競走で優先出走権を得るか、本競走に出走できるだけの収得賞金を予め加算しておく必要がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "なお、2024年度から実施の3歳ダート三冠競走においてもこのルールは継続適用され、", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "旨が決定・公表されている。 また、他地区における東京ダービー指定競走が東日本地区においては盛岡競馬場(時期・実施距離・レース名未定)にて、西日本地区においては園田競馬場(5月上旬・距離1870m・レース名未定)にて施行される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "第1回から第12回及び第45回以降はダート2000m、第13回から第44回まではダート2400mにて施行。", "title": "歴代優勝馬" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "※タイム:第1〜5回 1/5秒表示、第6回〜 1/10秒表示", "title": "歴代優勝馬" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "過去に1組の父仔制覇の例がある。", "title": "歴代優勝馬" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "69回終了時点", "title": "歴代優勝馬" } ]
東京ダービー(とうきょうダービー)は南関東公営競馬の3歳クラシック三冠の第2冠として、特別区競馬組合が大井競馬場ダート2000メートルで施行する地方競馬の重賞競走である。南関東グレードはSI。 副賞は、特別区競馬組合管理者賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞、東京都馬主会理事長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞(2023年)。
{{混同|東京優駿}} {{競馬の競走 |馬場 = ダート |画像 = [[ファイル:The 56th Tokyo Derby 20100602R1.jpg|230px]] |画像説明 = 第56回東京ダービー |競走名 = 東京ダービー |開催国 = {{Flagicon|JPN}}[[日本の競馬|日本]] |主催者 = [[特別区競馬組合]]([[南関東公営競馬|南関東公営]]) |開催地 = [[大井競馬場]] |年次 = 2023 |格付け = SI |1着賞金 = 5000万円 |距離 = 2000[[メートル|m]] |条件 = [[サラブレッド]]系3歳オープン・[[南関東公営競馬|南関東]]所属 |負担重量 = 定量(56[[キログラム|kg]]、[[牝馬]]54kg、南半球産2kg減) |創設 = [[1955年]][[5月15日]] |出典 = <ref name="bangumi">{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.tokyocitykeiba.com/race/wp-content/uploads/sites/3/2023/05/kettei_r05_04.pdf|title=令和5年度第4回大井競馬競走番組表(決定)|publisher=東京シティ競馬 : TOKYO CITY KEIBA|accessdate=2023-12-02}}</ref> }} '''東京ダービー'''(とうきょうダービー)は[[南関東公営競馬]]の3歳クラシック[[三冠 (競馬)|三冠]]の第2冠として、特別区競馬組合が[[大井競馬場]]ダート2000メートルで施行する[[地方競馬]]の重賞[[競馬の競走|競走]]である。南関東グレードはSI。 副賞は、特別区競馬組合管理者賞、全国公営競馬主催者協議会会長賞、東京都馬主会理事長賞、日本地方競馬馬主振興協会会長賞(2023年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keiba.go.jp/KeibaWeb/TodayRaceInfo/DebaTable?k_raceDate=2023%2f06%2f07&k_raceNo=11&k_babaCode=20|title=出馬表 地方競馬情報サイト|publisher=地方競馬全国協会|accessdate=2023-12-02}}</ref>。 == 概要 == [[1955年]]に'''春の鞍'''として創設。[[1964年]]より'''東京都ダービー'''と名称が変更となり、[[1966年]]から現在の名称となった。[[1967年]]より2400メートルとなったが[[1996年]]に行われた南関東クラシックのアメリカンスタイルへの移行後の距離見直しに伴い、[[1999年]]に2000メートルに戻った。なお本競走の上位2着までに入った馬には[[ジャパンダートダービー]]の優先出走権が付与される<ref name="bangumi"/>。 [[2006年]]から2023年までは[[ダービーシリーズ]](旧・ダービーWeek)が設けられその3 - 4戦目(年度によって多少左右される。[[2008年の日本競馬|2008年]]から[[2010年の日本競馬|2010年]]までは3年連続で4戦目)となっており、通常のGIファンファーレではなくダービーWeekオリジナルファンファーレが演奏された。また騎手の[[町田直希]]は18歳2か月でビービートルネードに騎乗して勝利し、同競走の最年少勝利記録を更新した。また、南関東以外の所属騎手としては[[金沢競馬場]]所属の[[吉原寛人]]が過去2度制覇している。 その一方で大井競馬場において通算21回リーディングジョッキーとなった[[的場文男]]が2021年まで過去39回挑戦して2着は10回あるもののいまだに勝利しておらず<ref name="68th">{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.tokyocitykeiba.com/data/wp-content/uploads/sites/5/2022/05/6ebf7ea083826cd187e3c9d20a68c805.pdf|title=■東京ダービー(SI)アラカルト(過去全 67 回の分析)|website=東京シティ競馬 : TOKYO CITY KEIBA|accessdate=2022-6-6}}</ref>、これについては「大井の[[七不思議]]の1つ」とまで言われている。 また、2011年から種牡馬の次年度の配合権利が、優勝馬の馬主に副賞として贈られるようになっている([[ダービーWeek#スタリオン賞]]を参照)。 [[ダートグレード競走]]ではない地方競馬単独開催の重賞競走としては古馬混合競走を含めて国内最高賞金額のレースであり、他の地方競馬場においては実力がありながらも賞金が低いが故に、また中央競馬においても現時点でダートの3歳路線が確立されていないこともあって、このレースを目標に大井を初めとする南関東地区に移籍してくる馬も少なくない<ref>2023年現在の1着賞金は5000万円だが、[[1991年]]は1着6000万円、[[1992年|1992]] - [[1993年]]は1着6800万円、その後[[2000年]]に至るまで1着賞金が6000万円を超えるなど、ダートグレードJpnI競走と同等、且つ[[中央競馬]]の殆どのGII競走の1着賞金に匹敵していた時期もある。</ref>。 === ダートグレード競走へ === 2024年度から3歳ダート路線改革の一環として[[羽田盃]]とともにダートグレード競走としてJRA、他地区所属馬に解放、[[3歳ダート三冠]]競走のひとつとなりJpnIに格付けされる予定となった<ref name="nar20220620">{{Cite news|url=https://www.keiba.go.jp/topics/2022/06/2015003324361.html|publisher=地方競馬全国協会|title=3歳ダート三冠競走を中心とした2・3歳馬競走の体系整備について|date=2022-06-20|accessdate=2022-06-20}}</ref>。出走資格も中央・地方所属を問わず3歳牡馬・牝馬限定となる(せん馬の出走ができなくなる)予定。1着賞金も1億円となり、2022年時点で[[JBCクラシック]]、[[東京大賞典]]とならび地方競馬の最高額賞金であり、JRA含めたダートの重賞競走としてはともにGIである[[フェブラリーステークス]]及び[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|チャンピオンズカップ]]の1億2000万円に次ぐものである。<br/> なお、初年度である2024年においては、フルゲート16頭に対してJRA4頭、地方12頭の割り当てとして施行される。 === 条件・賞金等(2023年) === ;出走資格 :サラブレッド系3歳、南関東所属。 ;負担重量 :定量。56kg、牝馬54kg(南半球産2kg減)。 ;賞金等 :賞金額は1着5000万円、2着1750万円、3着1000万円、4着500万円、5着250万円<ref name="bangumi"/>、着外手当25万円<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.tokyocitykeiba.com/race/wp-content/uploads/sites/3/2023/03/keiba_bangumi_2023.pdf#page=28|title=令和2年度大井競馬番組|publisher=特別区競馬組合|page=28|accessdate=2023-12-02}}</ref>。 :ダービーシリーズに指定されており、[[クリソベリル_(競走馬)|クリソベリル]]の配合権利が優勝馬馬主への副賞となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keiba.go.jp/raceseries/ds2022/outline.html |title=シリーズ概要 |publisher=地方競馬全国協会 |accessdate=2022-07-13}}</ref>。 ;優先出走権付与 :上位2着までに入った馬にジャパンダートダービーの優先出走権が付与される。 ==== トライアル競走 ==== 以下は2023年の本競走の優先出走権が得られる競走である<ref name="bangumi"/>。いずれもダートでの施行。 {| class="wikitable" !競走名!!格付!!施行競馬場!!施行距離!!優先出走権獲得条件 |- |[[羽田盃]]||南関東SI||大井競馬場||1800m||5着馬まで |- |[[東京湾カップ]]||南関東SII||[[船橋競馬場]]||1700m||2着馬まで |- |東京ダービートライアル||特別競走||大井競馬場||2000m||1着馬 |- |クラシックトライアル||特別競走||大井競馬場||1800m||1着馬 |} 東京湾カップは[[2004年]]及び[[2006年]]以降に優先出走権が付与されるようになり、2011年からは2着馬にも優先出走権が付与されるようになった<ref name="南関魂_20110504">[http://nankandamasii.jugem.jp/?eid=2673 東京湾カップが行われます。] - 南関東4競馬公式サイト『南関魂 高橋華代子の南関東競馬ブログ』 [[2011年]][[5月4日]]閲覧</ref> 。 東京ダービートライアルは[[2010年]]から実施。2010年は距離1800m、2着までに優先出走権が与えられていたが、2011年からは東京ダービーと同距離になり、優先出走権も優勝馬のみに付与される形に変更された。 クラシックトライアルは2017年から実施。 2024年は以下の競走で優先出走権が得られる予定である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keiba.go.jp/dirtgraderace/newroad/ |title=新ダート競走体系特設ページ|publisher=地方競馬全国協会|accessdate=2023年12月2日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyocitykeiba.com/news/wp-content/uploads/sites/2/2023/03/bf00cb351a688e7a81fb26bd7f109a56.pdf|title=3歳ダート三冠競走等における地方所属馬の出走馬選定方法|publisher=特別区競馬組合|accessdate=2023-05-24}}</ref>。 {| class="wikitable" !競走名!!格付!!施行競馬場!!施行距離!!優先出走権獲得条件 |- |[[羽田盃]]||JpnI||大井競馬場||1800m||中央所属馬は5着以内の上位3頭、地方所属馬は上位3頭 |- |[[クラウンカップ]]||南関東SIII||[[川崎競馬場]]||1600m||1着馬 |- |[[ユニコーンステークス]]||GIII||[[京都競馬場]]||1900m||2着以内の中央所属馬、地方所属馬各1頭 |- |[[東京湾カップ]]||南関東SII||[[船橋競馬場]]||1700m||1着馬 |} 以下の競走については優先出走権ではないが、出走馬選定において優先されるものである。 {| class="wikitable" !競走名!!格付!!施行競馬場!!施行距離!!条件 |- |東京ダービートライアル||特別競走||大井競馬場||2000m||1着馬 |- |指定競走(競走名未定)||未定||[[盛岡競馬場]]||未定||1着馬 |- |指定競走(競走名未定)||未定||[[園田競馬場]]||1870m||1着馬 |} クラシックトライアルは羽田盃の優先出走権が得られる競走となる。 ==== その他 ==== JRAから南関東への転入馬については2019年より東京ダービー出走時に限り、JRAの収得賞金を含めた番組賞金ではなく、南関東を含む地方競馬所属時の番組賞金を基に出走予定馬の選定を行う方式に変更された(即ち、JRAでの収得賞金はカウントされなくなった)ことから、(例として)2016年の優勝馬・バルダッサーレのようなJRAでデビューした馬が転厩初戦でいきなり東京ダービーに出走することは事実上不可能となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyocitykeiba.com/news/40390/|title=平成31年度以降の東京ダービー競走出走予定馬の決定方法について|publisher=特別区競馬組合|accessdate=2021-6-7}}</ref><ref>ただし、地方競馬でデビューしJRA移籍ののち南関東へ移籍するケースでは、JRA移籍前の収得賞金額によっては出走可能となるケースはある。</ref>。これにより、出走するためには転入後に羽田盃ほかのトライアル競走で優先出走権を得るか、本競走に出走できるだけの収得賞金を予め加算しておく必要がある。 なお、2024年度から実施の3歳ダート三冠競走においてもこのルールは継続適用され、 * 出走馬の選定にあたっては、地方所属時における総収得賞金(着内賞金の総額)順を基本とする。 * 中央(JRA)からの転入馬については ** 中央所属時に獲得した賞金については、上記の総収得賞金には加算しない。 ** 中央(JRA)からの転入初戦馬は、3歳ダート三冠競走には出走できない。 旨が決定・公表されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyocitykeiba.com/news/wp-content/uploads/sites/2/2023/03/bf00cb351a688e7a81fb26bd7f109a56.pdf|title=3歳ダート三冠競走等における地方所属馬の出走馬選定方法|publisher=特別区競馬組合|accessdate=2023-4-6}}</ref>。<br/> また、他地区における東京ダービー指定競走が東日本地区においては[[盛岡競馬場]](時期・実施距離・レース名未定)にて、西日本地区においては[[園田競馬場]](5月上旬・距離1870m・レース名未定)にて施行される<ref>[http://www.sonoda-himeji.jp/news/detail.html?id=O66pXr 東京ダービー指定競走(西日本)の実施について] 兵庫県競馬組合、2023年3月30日、2023年4月13日閲覧</ref><ref>[https://www.iwatekeiba.or.jp/news/230330i01 東京ダービー指定競走(東日本)の実施について] 岩手県競馬組合、2023年3月30日、2023年5月12日閲覧</ref>。 == 歴史 == === 年表 === * 1955年 - 4歳の競走馬による重賞競走「'''春の鞍'''」の名称で創設、大井競馬場・ダート2000mで第1回が施行された。 * 1964年 - 名称を「'''東京都ダービー'''」に変更。 * 1966年 - 名称を「'''東京ダービー'''」に変更。 * 1967年 - 施行距離をダート2400mに変更。 * 1975年 - 1着賞金が3000万円に増額。 * 1976年 - 1着賞金が3500万円に増額。 * 1980年 - 1着賞金が3800万円に増額。 * 1984年 - 1着賞金が3500万円に減額。 * 1985年 - 1着賞金が3400万円に減額。 * 1988年 - 1着賞金が4000万円に増額。 * 1989年 - 1着賞金が4500万円に増額。 * 1990年 - 1着賞金が5200万円に増額。 * 1991年 - 1着賞金が6000万円に増額。 * 1992年 - 1着賞金が6800万円に増額。 * 1994年 - 1着賞金が6500万円に減額。 * 1995年 - 南関東地区のグレード制施行により、G1に格付け。 * 1997年 - 1着賞金が6600万円に増額。 * 1999年 ** 施行距離をダート2000mに変更。 ** 1着賞金が6500万円に減額。 * 2001年 ** [[馬齢]]表記を国際基準へ変更したのに伴い、競走条件を「4歳」から「3歳」に変更。 ** 1着賞金が5500万円に減額。 * 2003年 - 1着賞金が5000万円に減額。 * 2005年 - 1着賞金が4500万円に減額。 * 2006年 - ダービーWeekに参加。 * 2007年 - 日本のパートI国昇格に伴い、格付表記をSIに変更。 * 2011年 - 1着賞金が4200万円に減額。 * 2021年 - 1着賞金が5000万円に増額。 * 2024年 ** 3歳ダートグレード競走の再整備によりダートグレード競走とし、JpnIに格付け。 ** 競走条件を「3歳牡馬・牝馬」に変更。 ** 1着賞金が1億円に増額され、1994年度以来30年ぶりに東京大賞典と同額となる。地方競馬単独開催の重賞として史上最高額となる予定。 == 歴代優勝馬 == 第1回から第12回及び第45回以降はダート2000m、第13回から第44回まではダート2400mにて施行。<br/> {| class="wikitable" !回数!!施行日!!優勝馬!!style="white-space:nowrap"|性齢!!style="white-space:nowrap"|所属!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主 |- |style="text-align:center"|第1回||style="white-space:nowrap"|[[1955年]][[5月15日]]||ローヤルレザー||牝3||[[大井競馬場|大井]]||style="white-space:nowrap"|2:10 1/5||style="white-space:nowrap"|朝倉文四郎||水島角太郎||水島角太郎 |- |style="text-align:center"|第2回||[[1956年]]5月15日||オートネ||牡3||大井||2:10 0/5||栗田武||[[栗田金吾]]||井門昭二 |- |style="text-align:center"|第3回||[[1957年]]5月15日||ハツユキ||牡3||大井||2:10 3/5||永井繁||栗田金吾||大久保常吉 |- |style="text-align:center"|第4回||[[1958年]]5月15日||[[ダイニコトブキ]]||牡3||[[船橋競馬場|船橋]]||2:10 3/5||[[須田茂]]||[[出川己代造]]||出川日出 |- |style="text-align:center"|第5回||[[1959年]][[5月8日]]||セイシヨウ||牡3||大井||2:11 0/5||吉田実||田村勝男||山田章 |- |style="text-align:center"|第6回||[[1960年]][[5月12日]]||ダイサンコトブキ||牡3||船橋||2:10.6||[[矢熊寿]]||出川己代造||出川日出 |- |style="text-align:center"|第7回||[[1961年]][[5月10日]]||ヤグチホープ||牡3||大井||2:10.9||矢熊寿||矢熊寿||近藤丈一 |- |style="text-align:center"|第8回||[[1962年]]5月10日||セルコール||牡3||船橋||2:09.5||須田茂||出川己代造||安達保多 |- |style="text-align:center"|第9回||[[1963年]]5月10日||シンニツケイ||牡3||大井||2:08.4||小筆昌||須田明雄||金井セイ |- |style="text-align:center; white-space:nowrap"|第10回||[[1964年]][[5月14日]]||パールマウンテン||牡3||[[川崎競馬場|川崎]]||2:08.5||大和田五郎||style="white-space:nowrap"|長谷川蓮太郎||小尾洸 |- |style="text-align:center"|第11回||[[1965年]][[6月3日]]||ヒガシユリ||牝3||川崎||2:07.1||[[佐々木竹見]]||青野四郎||坂本清五郎 |- |style="text-align:center"|第12回||[[1966年]][[6月9日]]||シンオウ||牡3||大井||2:07.6||高柳恒男||武森辰己||米林徳蔵 |- |style="text-align:center"|第13回||[[1967年]][[6月5日]]||[[ヒカルタカイ]]||牡3||大井||2:34.8||竹山隆||鏑木文一郎||高井正子 |- |style="text-align:center"|第14回||[[1968年]][[6月2日]]||ウエルスダイバー||牡3||大井||2:34.1||[[高橋三郎 (競馬)|高橋三郎]]||遠間波満行||椙岡ひて |- |style="text-align:center"|第15回||[[1969年]][[6月19日]]||ヤマノタイヨウ||牡3||大井||2:32.3||田畑勝男||田村勝男||山口米吉 |- |style="text-align:center"|第16回||[[1970年]]6月9日||リユウトキツ||牡3||川崎||2:33.3||佐々木吉郷||新貝一雄||新貝友三郎 |- |style="text-align:center"|第17回||[[1971年]][[6月25日]]||フジプリンス||牡3||船橋||2:33.2||溝邉正||出川己代造||出川日出 |- |style="text-align:center"|第18回||[[1972年]][[6月19日]]||トキワタイヨウ||牡3||大井||2:32.1||[[赤間清松]]||竹内美喜男||小宮喜美子 |- |style="text-align:center"|第19回||[[1973年]][[6月11日]]||ヨウコウザン||牡3||大井||2:34.5||岡部正道||岡部猛||岡部公 |- |style="text-align:center"|第20回||[[1974年]][[6月22日]]||ダイエイモンド||牡3||大井||2:33.2||高橋三郎||秋谷元次||大栄興業(株) |- |style="text-align:center"|第21回||[[1975年]][[6月12日]]||ゴールデンリボー||牡3||大井||2:35.2||赤間清松||竹内美喜男||滝沢チイ |- |style="text-align:center"|第22回||[[1976年]][[6月14日]]||ロツキライン||牡3||船橋||2:30.8||角田次男||熊坂明||安西競走馬(有) |- |style="text-align:center"|第23回||[[1977年]][[6月7日]]||サンコーモンド||牡3||大井||2:32.3||赤間清松||竹内美喜男||(有)兼正商事 |- |style="text-align:center"|第24回||[[1978年]][[6月13日]]||[[ハツシバオー]]||牡3||大井||2:30.8||[[宮浦正行]]||大山末治||佐久間有寿 |- |style="text-align:center"|第25回||[[1979年]]6月12日||ソウルシヤトー||牡3||大井||2:32.6||赤間清松||竹内美喜男||(有)兼正商事 |- |style="text-align:center"|第26回||[[1980年]]6月12日||タカフジミノル||牡3||大井||2:32.3||赤間清松||斎藤義行||(株)高藤 |- |style="text-align:center"|第27回||[[1981年]]7月2日||スズユウ||牡3||大井||2:34.0||[[早田秀治|武井秀治]]||朝倉文四郎||鈴木榮治 |- |style="text-align:center"|第28回||[[1982年]][[6月8日]]||ダイシンシラユキ||牡3||船橋||2:33.4||田部和廣||出川己代造||高橋金次 |- |style="text-align:center"|第29回||[[1983年]][[6月1日]]||[[サンオーイ]]||牡3||大井||2:33.0||赤間清松||秋谷元次||酒巻仁五郎 |- |style="text-align:center"|第30回||[[1984年]][[6月6日]]||style="white-space:nowrap"|[[キングハイセイコー]]||牡3||[[浦和競馬場|浦和]]||2:34.5||高橋三郎||横山栄次郎||井上丑松 |- |style="text-align:center"|第31回||[[1985年]]6月5日||ミルコウジ||牡3||川崎||2:35.2||[[本間茂 (騎手)|本間茂]]||津久井巌||不動商事(有) |- |style="text-align:center"|第32回||[[1986年]][[6月4日]]||ハナキオー||牡3||大井||2:35.6||[[堀千亜樹]]||武森辰己||笠井忠一 |- |style="text-align:center"|第33回||[[1987年]]6月3日||ジヨージレツクス||牡3||大井||2:38.0||本間茂||赤間清松||須原秀晴 |- |style="text-align:center"|第34回||[[1988年]]6月7日||[[ウインドミル (競走馬)|ウインドミル]]||牡3||大井||2:38.4||石川綱夫||朝倉文四郎||岩崎成雄 |- |style="text-align:center"|第35回||[[1989年]]6月8日||[[ロジータ]]||牝3||川崎||2:40.9||野崎武司||福島幸三郎||加藤富保 |- |style="text-align:center"|第36回||[[1990年]]6月7日||アウトランセイコー||牡3||浦和||2:38.3||高橋三郎||廣瀬龍夫||山口克 |- |style="text-align:center"|第37回||[[1991年]]6月6日||アポロピンク||牝3||大井||2:37.2||[[鈴木啓之 (競馬)|鈴木啓之]]||小筆昌||(有)馬の友舎 |- |style="text-align:center"|第38回||[[1992年]]6月5日||グレイドシヨウリ||牡3||大井||2:36.5||[[石崎隆之]]||大山二三夫||[[中村和夫 (実業家)|中村和夫]] |- |style="text-align:center"|第39回||[[1993年]]6月4日||プレザント||牡3||船橋||2:36.0||[[桑島孝春]]||高松弘之||北條傳三 |- |style="text-align:center"|第40回||[[1994年]]6月10日||カネショウゴールド||牡3||川崎||2:35.2||一ノ瀬亨||照沼一二||清水政治 |- |style="text-align:center"|第41回||[[1995年]]6月8日||ジョージタイセイ||牡3||大井||2:35.0||藤村和生||武森辰己||齊藤哲重 |- |style="text-align:center"|第42回||[[1996年]][[7月4日]]||セントリック||牡3||大井||2:36.3||宮浦正行||岡部盛雄||吉岡善吾 |- |style="text-align:center"|第43回||[[1997年]][[7月10日]]||[[サプライズパワー]]||牡3||船橋||2:35.7||石崎隆之||[[川島正行]]||[[舛添要一]] |- |style="text-align:center"|第44回||[[1998年]][[7月9日]]||[[アトミックサンダー]]||牡3||船橋||2:34.3||[[張田京]]||川島正行||舛添要一 |- |style="text-align:center"|第45回||[[1999年]]6月9日||[[オリオンザサンクス]]||牡3||大井||2:07.7||早田秀治||赤間清松||日浦桂子 |- |style="text-align:center"|第46回||[[2000年]]6月7日||ヒノデラスタ||牡3||船橋||2:06.9||桑島孝春||[[出川克己]]||(有)ホースマン日の出 |- |style="text-align:center"|第47回||[[2001年]]6月7日||[[トーシンブリザード]]||牡3||船橋||2:07.5||石崎隆之||[[佐藤賢二]]||稲垣博信 |- |style="text-align:center"|第48回||[[2002年]][[5月30日]]||キングセイバー||牡3||川崎||2:08.0||[[酒井忍]]||八木仁||木曽敏彦 |- |style="text-align:center"|第49回||[[2003年]]6月11日||[[ナイキアディライト]]||牡3||船橋||2:08.9||石崎隆之||[[出川龍一]]||小野スミ |- |style="text-align:center"|第50回||[[2004年]]6月3日||[[アジュディミツオー]]||牡3||船橋||2:05.2||[[佐藤隆 (競馬)|佐藤隆]]||川島正行||織戸眞男 |- |style="text-align:center"|第51回||[[2005年]]6月8日||[[シーチャリオット]]||牡3||船橋||2.05.3||[[内田博幸]]||川島正行||[[ダーレー・ジャパン#ダーレー・ジャパン・レーシング有限会社|ダーレー・ジャパン・レーシング]](有) |- |style="text-align:center"|第52回||[[2006年]]6月7日||ビービートルネード||牡3||川崎||2.07.5||[[町田直希]]||[[武井榮一]]||(有)[[坂東牧場]] |- |style="text-align:center"|第53回||[[2007年]]6月6日||[[アンパサンド (競走馬)|アンパサンド]]||牡3||川崎||2:05.0||[[戸崎圭太]]||[[池田孝]]||[[伊達秀和]] |- |style="text-align:center"|第54回||[[2008年]]6月4日||ドリームスカイ||牡3||川崎||2:06.5||戸崎圭太||[[内田勝義]]||(株)ドリームターフ |- |style="text-align:center"|第55回||[[2009年]]6月3日||[[サイレントスタメン]]||牡3||川崎||2:06.7||[[金子正彦]]||[[足立勝久]]||宮澤静雄 |- |style="text-align:center"|第56回||[[2010年]]6月2日||[[マカニビスティー]]||牡3||大井||2:06.7||戸崎圭太||[[松浦備]]||備前島敏子 |- |style="text-align:center"|第57回||[[2011年]]6月8日||[[クラーベセクレタ]]||牝3||船橋||2:06.5||戸崎圭太||川島正行||(有)[[サンデーレーシング]] |- |style="text-align:center"|第58回||[[2012年]]6月6日||プレティオラス||牡3||大井||2:06.8||[[本橋孝太]]||森下淳平||伊達泰明 |- |style="text-align:center"|第59回||[[2013年]]6月5日||インサイドザパーク||牡3||船橋||2:07.2||[[左海誠二]]||[[林正人 (競馬)|林正人]]||山口裕介 |- |style="text-align:center"|第60回||[[2014年]]6月4日||[[ハッピースプリント]]||牡3||大井||2:05.9||[[吉原寛人]]||森下淳平||(有)[[辻牧場]] |- |style="text-align:center"|第61回||[[2015年]]6月3日||[[ラッキープリンス]]||牡3||浦和||2:07.5||[[今野忠成]]||[[小久保智]]||国田正忠 |- |style="text-align:center"|第62回||[[2016年]]6月8日||バルダッサーレ||牡3||大井||2:06.9||吉原寛人||中道啓二||伊達敏明 |- |style="text-align:center"|第63回||[[2017年]]6月7日||[[ヒガシウィルウィン]]||牡3||船橋||2:06.9||[[森泰斗]]||佐藤賢二||(株)MMC |- |style="text-align:center"|第64回||[[2018年]]6月6日||ハセノパイロ||牡3||船橋||2:06.7||[[矢野貴之]]||佐藤賢二||長谷川文夫 |- |style="text-align:center"|第65回||[[2019年]]6月5日||[[ヒカリオーソ]]||牡3||川崎||2:09.4||[[山崎誠士]]||岩本洋||[[西森鶴]] |- |style="text-align:center"|第66回||[[2020年]]6月3日||[[エメリミット]]||牡3||船橋||2:06.9||[[山口達弥]]||林正人||(有)太盛 |- |第67回||[[2021年]]6月9日||[[アランバローズ]]||牡3||船橋||2:06.6||左海誠二||林正人||[[猪熊広次]] |- |第68回||[[2022年]]6月8日||カイル||牡3||浦和||2:07.1||本橋孝太||小久保智||[[島川隆哉]] |- |第69回||[[2023年]]6月7日||[[ミックファイア]]||牡3||大井||2:04.8||[[御神本訓史]]||[[渡邉和雄]]||[[星加浩一]] |} ※タイム:第1〜5回 1/5秒表示、第6回〜 1/10秒表示 === 父仔制覇 === 過去に1組の父仔制覇の例がある。 {| class="wikitable" !組!!父馬名!!優勝回!!仔馬名!!優勝回 |- |1組目||ミルコウジ||第31回||セントリック||第42回 |} === 記録 === ;最多優勝騎手 :6勝(赤間清松) ;最多優勝調教師 :5勝(川島正行、出川己代造) 69回終了時点<ref name="68th"/> === 参考記録 === ;[[東京優駿|日本ダービー]](JRA)とのダブル制覇した馬主 :(有)[[サンデーレーシング]]…2011年日本ダービー:[[オルフェーヴル]]、2011年東京ダービー:クラーベセクレタ :猪熊広次…2019年日本ダービー:[[ロジャーバローズ]]、2021年東京ダービー:アランバローズ == 脚注 == === 参考文献 === === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist |refs= }} === 各回結果の出典 === *[https://www.nankankeiba.com/win_uma/10.do 南関東4競馬場公式「東京ダービー競走優勝馬」] == 関連項目 == * [[3歳ダート三冠]] - 2024年より実施予定の新体系。 * [[羽田盃]] * [[ジャパンダートダービー]] * [[東京王冠賞]] * [[東京湾カップ]] - 本競走への優先出走権が与えられる南関東重賞競走。 * [[クラウンカップ]] * [[アラブダービー]] - かつて存在したアラブの東京ダービー。創設当初は「春の特別」。 == 外部リンク == * [https://www.tokyocitykeiba.com/race/grade_race/2023-06-07/ TCK公式サイト「レースと日程」]より(2023年版) {{南関東公営競馬の重賞競走}} {{ダービーWeek}} {{DEFAULTSORT:とうきようたひ}} [[Category:地方競馬の競走]] [[Category:大井競馬場の競走]]
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高々 (数学)
数学において、高々(たかだか)という表現は、英語の at most に対応した厳密な意味を持つ学術用語である。 「多くとも」、「以下」と同義であるが、文脈によってはこれらよりも好まれる場合もある(例:「高々可算」とは言うが「可算以下」とは言わない。) 例えば、「xは高々2である」という表現は「xは多くとも2である」こと、すなわち「x≦2」を意味する。同様に「高々可算(at most countable)」は「有限個(1つもないというケースを含む)または可算無限個である」ということを意味する。これについては通常「可算以下」といった表現はしない。単に「可算」と言った場合も、数え上げることができるという意味で「高々可算」と同じ意味である場合もあるが、「可算」が可算無限のみを意味する場合もあるので、有限個でもよいということを明確に示したい場合に「高々可算」という表現が好まれる。 また、「高々有限個」は「有限個あるいは0個」であることを意味する。0も有限の値であるから、単に「有限個」あるいは「無限個ではない」と言うのと同じ意味であるが、0個の場合もあるということを明確に示したい場合に「高々有限個」という表現が好まれる。 日常語での「高々」は、「あまり多くはない」というニュアンスを持つが、数学における「高々」は、「高々可算」の用例があるように無限に存在する場合でさえ用いられ、否定的なニュアンスはほとんどない。また、日常語ではそのニュアンスを重視するため、数学における厳密な意味を持たない場合もある。例えば、1000人収容の会場に「客は高々100人だろう」と予想したとして、実際の客の入りが101人であれば、日常的には非常によい予想だったと受け止められるが、数学的には偽の命題とされる。逆に、「今日の最高気温は高々28°Cだろう」と予想したとして、実際の最高気温が30°Cであれば、日常的にも数学的にも、ともに偽の命題とされる。
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数学において、高々(たかだか)という表現は、英語の at most に対応した厳密な意味を持つ学術用語である。 「多くとも」、「以下」と同義であるが、文脈によってはこれらよりも好まれる場合もある
{{出典の明記|date=2012年12月}} [[数学]]において、'''高々'''(たかだか)という表現は、[[英語]]の at most に対応した厳密な意味を持つ[[学術用語]]である。 「多くとも」、「以下」と同義であるが、文脈によってはこれらよりも好まれる場合もある(例:「高々[[可算集合|可算]]」とは言うが「可算以下」とは言わない。) == 意味 == 例えば、「xは高々2である」という表現は「xは多くとも2である」こと、すなわち「x≦2」を意味する。同様に「高々[[可算集合|可算]](at most countable)」は「有限個(1つもないというケースを含む)または可算無限個である」ということを意味する<ref>岩波書店 青本和彦ら編 数学入門辞典 ISBN 4-00-080209-7 p.99, p.379 2005</ref>。これについては通常「可算以下」といった表現はしない。単に「可算」と言った場合も、数え上げることができるという意味で「高々可算」と同じ意味である場合もあるが、「可算」が可算無限のみを意味する場合もあるので、有限個でもよいということを明確に示したい場合に「高々可算」という表現が好まれる。 また、「高々有限個」は「有限個あるいは0個」であることを意味する。0も有限の値であるから、単に「有限個」あるいは「無限個ではない」と言うのと同じ意味であるが、0個の場合もあるということを明確に示したい場合に「高々有限個」という表現が好まれる。 == 使用例 == * [[可換体|体]]上の ''n'' 次[[方程式]]の解は、高々 ''n'' 個である。 * [[有界]]な[[関数 (数学)|関数]] (''a'', ''b'') → '''R''' が[[積分法#リーマン積分|リーマン可積分]]であるための[[必要十分条件]]は、[[連続 (数学)|不連続]]点が高々可算個であることである。 == 日常語との差異 == 日常語での「高々」は、「あまり多くはない」というニュアンスを持つが、数学における「高々」は、「高々可算」の用例があるように無限に存在する場合でさえ用いられ、否定的なニュアンスはほとんどない。また、日常語ではそのニュアンスを重視するため、数学における厳密な意味を持たない場合もある。例えば、1000人収容の会場に「客は高々100人だろう」と予想したとして、実際の客の入りが101人であれば、日常的には非常によい予想だったと受け止められるが、数学的には偽の命題とされる。逆に、「今日の最高気温は高々28℃だろう」と予想したとして、実際の最高気温が30℃であれば、日常的にも数学的にも、ともに偽の命題とされる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[違いを除いて]] *[[ほとんど (数学)]] {{DEFAULTSORT:たかたか}} [[Category:数学の慣用表現]] [[Category:数学に関する記事]]
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岩波文庫
岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。 1927年(昭和2年)7月10日に、当時の教養・啓蒙主義のもと、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本である。国内外の古典的価値を持つ文学作品や学術書などを幅広く収めており、最初の刊行作品は『こゝろ』、『五重塔』、『にごりえ・たけくらべ』、『戦争と平和 第一巻』(米川正夫訳)、『櫻の園』(同訳)など22点であった。 第二次世界大戦前は『岩波英和辞典』編集者の島村盛助訳によるエドウィン・アーノルドの抒情詩『亜細亜の光』などが刊行され、戦中には賀茂真淵『語意・書意』や本居宣長『直毘霊』などの国学文献のほか、『軍隊の服従と偉大』などが発行されたが、1938年2月7日、社会科学関係書目28点などが自発的休刊を強いられる。戦後は『きけ わだつみのこえ』や社長吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』などが発行された。 1991年(平成3年)に活字を大きくしたワイド版(B6判)を創刊。概ね評価が定着した作品を収録する。該当しない書目は、岩波現代文庫(2000年(平成12年) - )に収録されている(旧版は、岩波同時代ライブラリー(1990年(平成2年) - 1998年(平成10年))、現代文庫から岩波文庫への移行再刊もある。 古くからの読者には馴染みが深いが、定価は金額ではなく星印(★)で示しており、★1つ○円などと、星の数で値段を計算していた。値上げの際には、1973年(昭和48年)に★1つあたりの値段を70円に値上げするまでは、★単価の改訂で告知していた。しかし、1975年(昭和50年)の定価改定時に、☆マークを導入し、★の在庫品に関しては当時の★1つ70円という旧価格で販売し、新刊・重版時に☆マークに切り替え、☆1つ100円とした。さらに、1979年(昭和54年)からは、★マークを50円として設定しなおし、100円の☆マークと併用して50円刻みの価格設定を行った。この方式は1989年(平成元年)の消費税導入時に総額表示が行われるまで続いた。 岩波文庫には原則として絶版はなく、品切れがあるのみで、1982年(昭和57年)から定期的に、リクエストの多い過去の刊行物の復刊を行っている。重版も毎月3〜4冊と、数十冊の一斉重版も年に1〜2度している。 創刊当初は、カバーではなく、活版印刷・糸かがり・天アンカット・スピン(栞ひも)付き・グラシンのカバー掛け等の造本で、本体の背が現在のものより1センチ高く作られていた。1960年代頃から他社の文庫はカバー導入を行ったが、岩波文庫でのカバー導入は遅く、カバー付文庫版の初登場は1982年(昭和57年)10月であった。 1987年(昭和62年)7月の新刊からは全てにカバーをかけ、背表紙の帯色で分野明示となった。1990年(平成2年)から年2回の一括復刊にもカバーをかけている。製本工程において天部(本の上部)を化粧裁ちしていない。 カバーの背表紙下側(かつては帯)の色によって大きく5つのジャンルに分けられている。1974年(昭和49年)までは、下位分類は刊行順を基礎とするものであったが、1974年(昭和49年)から著者番号によって小さなジャンルに分けられる方式を採用した。しかし、当初は移行期ということで、帯の背には旧来の刊行順の番号を付けていた。全面的に著者番号を導入したのは1976年(昭和51年)からであり、帯にも著者別番号を記載することになった。 また、本体には、1974年(昭和49年)までは通算した星の数が、番号として記載されていたが、1974年(昭和49年)の新刊・重版からは著者番号に統一された。これは6ケタの数字で構成されるのが基本となっている。 小さなジャンルでは著者番号が原則99人分しか確保されていないことになるが、既に満席となった赤帯500番台のフランス文学や青帯100番台の近代日本思想などでは、著者番号の前に「N」を付けることで著者数が拡張されている。 この他、解説総目録や文学案内などの別冊(35)がある。 なお、赤・青・白間で時期によって収録作品の分類が変わっていることがある。 佐藤正午の直木賞受賞作『月の満ち欠け』は「岩波文庫に収めるには新しすぎる」という理由により「岩波文庫的」というレーベルで似た装丁の文庫版が出版された。 岩波文庫のISBNコードは、上記の著者別分類番号の6ケタをそのまま転用しているものが基本であるが、古典文学の注釈者や外国作品の翻訳者が異なるもの(つまり、同一の校訂者や翻訳者による改訂・改訳の領域を超えているもの)であっても、岩波文庫では同じ著者別番号を使用するとともに、ISBNコードを使い回すことがあった。 たとえば、佐佐木信綱 編の新訂『新訓 万葉集』上巻のISBN‐10は「ISBN 4-00-300051-X」である。新日本古典文学大系を文庫版にした佐竹昭広、山田英雄、工藤力男、大谷雅夫、山崎福之『万葉集(一)』のISBN‐13は「ISBN 978-4-00-300051-9」である。ISBN‐10の「ISBN 4-00-300051-X」をISBN‐13に変換すると「ISBN 978-4-00-300051-9」になるので、ISBNコードは同じものを使っているということになる。両者とも『黄5-1』という分類番号が与えられ、表紙には『30-005-1』と横書きで、背表紙には『黄五-一』と縦書きで表示されている。 そこで、大学図書館の検索システムなどでは、国立情報学研究所が付与したNII書誌ID(NCID)(これは非常に粒度が細かい番号付けを行っている)を用いて、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻にはNCID BN02932172を、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版〉にはNCID BA30109498を、後者の『万葉集(一)』にはNCID BB11320467を、(新訂ではない)改訂再版『新訓 萬葉集』にはNCID BN01004385を割り当てるなどして区別している。 ISBNコードはその書物のユニーク性を維持する目的で定められているので、このようにISBNコードを使い回すような運用は本来、行ってはならないルールになっている。 インターネット上の古書市場において、商品の識別にISBNコードに由来する値を用いているシステムを運用していると、それまでの旧版と、全く訳注者が異なる新版とが、同一の番号にひも付けされ、両者を区別して登録することができなくなる。出品者・購入希望者共に留意が必要である。公共図書館の蔵書検索システムや店頭書店の在庫管理システムでISBNコードのみを用いた場合も同様の結果となるので、著者名・校注者名・翻訳者名などもあわせて確認する必要がある。 なお、『万葉集』に関しては、第2巻には『黄5-2』と著者別分類は旧のものを維持しながらも、ISBNコードは〈ISBN 978-4-00-300055-7〉という、いままでの刊本にはなかった番号があたえられ、第3巻以降と『原本 万葉集』は新しい番号となっている。 また、2016年から以後の改版や、古典作品の新版では、いずれも著者別分類は同じであっても新しいISBNコードを付与している。 1989年(平成元年)2月に出版された岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)は、原書の全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部が省かれている。訳者あとがきでは、「原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と述べている。 岩波文庫版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満洲が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満洲国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている。 岩波文庫の旧訳版は、多数の誤訳や不適切な訳文が指摘された。以後は「在庫なし」の状況となり、入手困難だったが、2011年(平成23年)11月に新訳版が出版された。 1994年(平成6年)4月23日のわだつみ会総会で、副理事長の高橋武智が理事長に就任し、第4次わだつみ会が発足する。第4次わだつみ会は1995年(平成7年)に岩波文庫から『新版「きけ わだつみのこえ」』を出版したが、遺族や関係者から「誤りが多い」「遺族所有の原本を確認していない」「遺稿が歪められている」「遺稿に無い文が付け加えられている」「訂正を申し入れたのに増刷でも反映されなかった」といった批判を浴びる。1998年(平成10年)、遺族は中村克郎・中村猛夫・西原若菜が発起人となって、第4次わだつみ会とは全く別に「わだつみ遺族の会」を結成。うち中村克郎と西原若菜が遺族代表として、わだつみ会と岩波書店に対して「勝手に原文を改変し、著作権を侵害した」として「新版の出版差し止め」と「精神的苦痛に対する慰謝料」を求める訴訟を起こす。原告が提出した原本と新版第一刷の対照データをもとに岩波書店が修正した第8刷を1999年(平成11年)11月に出版し提出した結果、翌12月、原告は「要求のほとんどが認められた」として訴えを取り下げた。 科学者でもない翻訳者福田宏年の誤った解説を、何ら検証することなく掲載し、読者に重大な誤解を与えた。 岩波文庫は世界の古典をかなり網羅しているが、収録された事がない古典もある。2021年時点での例をあげる。
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岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。
{{基礎情報 書籍 |title = 岩波文庫 |orig_title = |image = |image_size = |image_caption = |author = <!-- 著者 --> |translator = <!-- 訳者 --> |illustrator = <!-- イラスト --> |published = [[1927年]]([[昭和]]2年)[[7月10日]] |genre = 古典的価値を持つ書物 |country = {{JPN}} |pages = <!-- ページ数 --> |preceded_by = <!-- 前作 --> |followed_by = <!-- 次作 --> |id = <!-- コード --> |portal1 = 書籍 |portal2 = 古典 }} '''岩波文庫'''(いわなみぶんこ)は、株式会社[[岩波書店]]が発行する[[文庫本]]レーベル。 == 概要 == [[1927年]]([[昭和]]2年)[[7月10日]]<ref>『岩波書店七十年』(1987年3月27日、岩波書店発行)43頁。</ref>に、当時の[[教養主義|教養]]・[[啓蒙思想|啓蒙主義]]のもと、[[ドイツ]]の[[レクラム文庫]]を模範とし、[[書物]]を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊{{Refnest|group="注"|文庫巻末に掲載されている発刊の辞「[[#岩波1927|読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して]]」に、「かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことは常に進取的なる民衆の切なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。」とある。なお、起草者は[[三木清]]で、当時の社長であった[[岩波茂雄]]の名で発表された。}}された日本初の文庫本である<ref name="hikidashi-bunkobon" />。国内外の[[古典]]的価値を持つ[[文学]]作品や[[学術]]書などを幅広く収めており、最初の刊行作品は『[[こゝろ]]』、『[[五重塔 (小説)|五重塔]]』、『[[にごりえ]]・[[たけくらべ]]』、『[[戦争と平和|戦争と平和 第一巻]]』([[米川正夫]]訳)、『[[桜の園|櫻の園]]』(同訳)など22点{{Refnest|group="注"|その他の刊行書目として、『おらが春・我春集』、『病牀六尺』、『仰臥漫録』、『北村透谷集』(島崎藤村編)、『號外 他六篇』(國木田獨歩著)、『藤村詩抄』(自選)、『幸福者』、『出家とその弟子』、『賢者ナータン』(大庭米治郎訳)、『闇の力』(トルストイ著,米川正夫訳)、『生ける屍』(同著,同訳)、『叔父ワーニャ』(同訳)、『父』(小宮豊隆訳)、『令嬢ユリェ』(茅野蕭々訳)、『プラトン ソクラテスの弁明・クリトン』(久保勉・阿部次郎訳)、『認識の対象』(リッケルト著,山内得立訳)、『科学の価値』(ポアンカレ著,田邊元訳)。[[7月15日]]には『實践理性批判』(波多野精一・宮本和吉訳)が刊行された。}}であった。 第二次世界大戦前は『岩波英和辞典』編集者の[[島村盛助]]訳による[[エドウィン・アーノルド]]の抒情詩『亜細亜の光』などが刊行され、戦中には[[賀茂真淵]]『語意・書意』や[[本居宣長]]『直毘霊』などの[[国学]]文献のほか、『軍隊の服従と偉大』などが発行されたが、[[1938年]][[2月7日]]、社会科学関係書目28点などが自発的休刊を強いられる<ref>岩波書店五十年</ref>。戦後は『きけ わだつみのこえ』や社長[[吉野源三郎]]の『君たちはどう生きるか』などが発行された。 [[1991年]](平成3年)に活字を大きくしたワイド版(B6判)を創刊{{Refnest|group="注"|2015年3月刊で休止}}。概ね評価が定着した作品を収録する。該当しない書目は、[[岩波現代文庫]](2000年(平成12年) - )に収録されている(旧版は、岩波同時代ライブラリー([[1990年]](平成2年) - [[1998年]](平成10年))、現代文庫から岩波文庫への移行再刊もある。 古くからの読者には馴染みが深いが、定価は金額ではなく星印(★)で示しており、★1つ○円などと、星の数で値段を計算していた{{Refnest|group="注"|[[1927年]](昭和2年)の創刊当初は★1つで20銭であった。}}。値上げの際には、[[1973年]](昭和48年)に★1つあたりの値段を70円に値上げするまでは、★単価の改訂で告知していた。しかし、[[1975年]](昭和50年)の定価改定時に、☆マークを導入し、★の在庫品に関しては当時の★1つ70円という旧価格で販売し、新刊・重版時に☆マークに切り替え、☆1つ100円とした。さらに、[[1979年]](昭和54年)からは、★マークを50円として設定しなおし、100円の☆マークと併用して50円刻みの価格設定を行った。この方式は[[1989年]](平成元年)の[[消費税]]導入時に総額表示が行われるまで続いた。 岩波文庫には原則として絶版はなく{{Refnest|group="注"|例外として「翻訳が新しくなったとき」などには、旧約のものを絶版にすることがある。}}、品切れがあるのみで、[[1982年]](昭和57年)から定期的{{Refnest|group="注"|かつては春と秋であったが、現在は春のみ。}}に、リクエストの多い過去の刊行物の復刊を行っている。重版も毎月3〜4冊と、数十冊の一斉重版も年に1〜2度している。 == 製本 == [[File:天アンカット本.jpg|thumb|左は岩波文庫で、天アンカットで製本されている。右は比較用の三方裁ちで製本された文庫本([[講談社学術文庫]])。]] 創刊当初は、[[ブックカバー|カバー]]ではなく、[[活版印刷]]・糸かがり・[[アンカット本#天アンカット|天アンカット]]・[[スピン (本)|スピン]](栞ひも{{Refnest|group="注"|[[1970年]]に廃止された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/3500210/top.html|title=岩波文庫の80年|accessdate=2020-06-29|publisher=岩波文庫}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=文庫豆知識|url=http://www.iwanami.co.jp/news/n15821.html|website=岩波書店|accessdate=2020-06-29|language=ja}}</ref>}})付き・[[グラシン]]のカバー掛け等の造本で<ref name="hikidashi-bunkobon">{{Cite web|和書|url=http://sei-hon.jp/glossary/words/%95%B6%8C%C9%96%7B.html|title=文庫本|work=製本のひきだし 製本用語集|publisher=東京都製本工業会|accessdate=2020-06-29}}</ref>、本体の背が現在のものより1センチ高く作られていた。1960年代頃から他社の文庫はカバー導入を行ったが、岩波文庫でのカバー導入は遅く、カバー付文庫版の初登場は[[1982年]](昭和57年)10月であった。 [[1987年]](昭和62年)7月の新刊からは全てにカバーをかけ、背表紙の帯色で分野明示となった。[[1990年]](平成2年)から年2回の一括復刊にもカバーをかけている。製本工程において天部(本の上部)を化粧裁ちしていない{{Refnest|group="注"|この体裁を採用したのは「[[アンカット本|フランス装]]風の洒落た雰囲気を出すため」とされるが<ref name=":1" />、現在一般的になった三方裁ちに比べると製本上手間がかかる。なお、岩波文庫と同様に天の部分を化粧裁ちしていない文庫として[[新潮文庫]]があるが、その理由は本の上部に栞を付けているためである。}}。 == 分類 == [[ブックカバー|カバー]]の背表紙下側(かつては帯)の色によって大きく5つのジャンルに分けられている。[[1974年]](昭和49年)までは、下位分類は刊行順を基礎とするものであったが、[[1974年]](昭和49年)から著者番号によって小さなジャンルに分けられる方式を採用した。しかし、当初は移行期ということで、帯の背には旧来の刊行順の番号を付けていた。全面的に著者番号を導入したのは[[1976年]](昭和51年)からであり、帯にも著者別番号を記載することになった。 また、本体には、[[1974年]](昭和49年)までは通算した星の数が、番号として記載されていた{{Refnest|group="注"|定価を改訂して星の数が増えたときは、aを追加していた。}}が、[[1974年]](昭和49年)の新刊・重版からは著者番号に統一された。これは6ケタの数字で構成されるのが基本となっている{{Refnest|group="注"|例えば『黄1-1』の『[[古事記]]』ならば、〈'''30-001-1'''〉のように記載される。}}。 小さなジャンルでは著者番号が原則99人分しか確保されていないことになるが、既に満席となった赤帯500番台のフランス文学や青帯100番台の近代日本思想などでは、著者番号の前に「N」を付けることで著者数が拡張されている。 {| class="wikitable" |+ 分類表 ! 帯の色 !! 著者番号 !! ジャンル |- ! rowspan="10" style="background-color:aqua" | 青帯(33) | 1-99 || [[日本思想]](前近代) |- | 100-199 || 日本思想(明治以降) |- | 201-299 || [[東洋哲学|東洋思想]] |- | 301-399 || [[仏教]] |- | 401-499 || [[歴史]]・[[地理]] |- | 501-599 || [[音楽]]・[[美術]] |- | 601-699 || [[哲学]] |- | 701-799 || [[教育]] |- | 801-899 || [[宗教]] |- | 901-999 || [[自然科学]] |- ! style="background-color:yellow" | 黄帯(30) | colspan="2" | 日本の古典文学。[[江戸時代]]まで。 |- ! style="background-color:lime" | 緑帯(31) | colspan="2" | 日本の近現代文学 |- ! rowspan="3" style="background-color:white" | 白帯(34) | 1-99 || [[法律]]・[[政治]] |- | 101-199 || [[経済]] |- | 201-299 || [[社会]] |- ! rowspan="9" style="background-color:red" | 赤帯(32) | colspan="2" | 外国文学 |- | 1-99 || 東洋文学 |- | 101-199 || [[ギリシア文学|ギリシア]]・[[ラテン文学]] |- | 201-299 || [[イギリス文学]] |- | 301-399 || [[アメリカ文学]] |- | 401-499 || [[ドイツ文学]] |- | 501-599 || [[フランス文学]] |- | 601-699 || [[ロシア文学]] |- | 701-799 || 南北ヨーロッパ文学 その他 |} この他、解説総目録や文学案内などの別冊(35)がある。 なお、赤・青・白間で時期によって収録作品の分類が変わっていることがある{{Refnest|group="注"|例えばルソー『告白』『孤独な夢想者の散歩』は赤から青に移籍した。}}。 [[佐藤正午]]の[[直木賞]]受賞作『月の満ち欠け』は「岩波文庫に収めるには新しすぎる」という理由により「岩波文庫的」というレーベルで似た装丁の文庫版が出版された。 === ISBNコード使い回し問題 === 岩波文庫のISBNコードは、上記の著者別分類番号の6ケタをそのまま転用しているものが基本であるが、古典文学の注釈者や外国作品の翻訳者が異なるもの(つまり、同一の校訂者や翻訳者による改訂・改訳の領域を超えているもの)であっても、岩波文庫では同じ著者別番号を使用するとともに、[[ISBN]]コードを使い回すことがあった。 たとえば、[[佐佐木信綱]] 編の新訂『新訓 万葉集』上巻のISBN‐10は「{{ISBN2|4-00-300051-X}}」である。「新[[日本古典文学大系]]」を文庫版にした『万葉集(一)』([[佐竹昭広]]、[[山田英雄 (日本史学者)|山田英雄]]、[[工藤力男]]、[[大谷雅夫]]、山崎福之 編)のISBN‐13は「{{ISBN2|978-4-00-300051-9}}」である。<br>ISBN‐10の「{{ISBN2|4-00-300051-X}}」をISBN‐13に変換すると「{{ISBN2|978-4-00-300051-9}}」になるので、ISBNコードは同じものを使っているということになる。両者とも『黄5-1』という分類番号が与えられ、表紙には『30-005-1』と横書きで、背表紙には『黄五-一』と縦書きで表示されている。 そこで、大学図書館の検索システムなどでは、[[国立情報学研究所]]が付与した[[NII書誌ID]]([[NCID]])(これは非常に粒度が細かい番号付けを行っている)を用いて、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻には{{NCID|BN02932172}}を、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版、1997年刊〉には{{NCID|BA30109498}}を、後者の『万葉集(一)』には{{NCID|BB11320467}}を、(新訂ではない)改訂再版『新訓 萬葉集』には{{NCID|BN01004385}}を割り当てるなどして区別している。 {| class="wikitable" |+ NII書誌ID(NCID)の例 ! 番号 !! 編著者 !! 書名 !! ISBN !! NII書誌ID(NCID) |- ! 1 | 佐佐木信綱 編 || 新訂『新訓 万葉集』上巻 || {{ISBN2|4-00-300051-X}}||{{NCID|BN02932172}} |- ! 2 | 佐佐木信綱 編 || 新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版〉 || 不明 || {{NCID|BA30109498}} |- ! 3 | 佐竹昭広ほか 校注 || 『万葉集(一)』 || {{ISBN2|978-4-00-300051-9}}||{{NCID|BB11320467}} |- ! 4 | 佐佐木信綱 編 || 改訂再版『新訓 萬葉集』 || 不明 || {{NCID|BN01004385}} |} ISBNコードはその書物のユニーク(個別)性を維持・識別可能する目的で定められているので、このようにISBNコードを使い回した登録は本来、行ってはならないルールになっている<ref> [http://www.isbn-center.jp/guide/02.html ISBNと日本図書コードのルール<運用のガイド-資料集<日本図書コード管理センター]{{リンク切れ|date=2022年3月}}</ref>。 インターネット上の古書市場(「[[日本の古本屋]]」やAmazonほか)で、商品の識別にISBNコードに由来する値を用いているシステムで運用すると、それまでの旧版と、全く訳者・注解者が異なる新版とが、同一の番号にひも付けされ、両者を区別して登録することができなくなる。出品者・購入希望者共に留意が必要である。公共図書館の蔵書検索システムや店頭書店の在庫管理システムでISBNコードのみを用いた場合も同様の結果となるので、著者名・校注者名・翻訳者名などもあわせて確認する必要がある。 なお、『万葉集』に関しては、第2巻には『黄5-2』と著者別分類は旧のものを維持しながらも、ISBNコードは〈{{ISBN2|978-4-00-300055-7}}〉という、いままでの刊本にはなかった番号があたえられ、第3巻以降と『原本 万葉集』は新しい番号となっている。 また2016年以後刊行の改版や、古典作品の新版では、いずれも著者別分類は同じであっても新しいISBNコードを付与している{{Refnest|group="注"|[[森鷗外]]の『青年』や[[泉鏡花]]の『[[歌行燈]]』、[[野間宏]]の『真空地帯』の改版の際や、『[[源氏物語]]』の新版など。}}。 == 収録作品における諸問題への批判 == === 『紫禁城の黄昏』抄訳問題 === {{main|紫禁城の黄昏}} 1989年(平成元年)2月に出版された岩波文庫版([[入江曜子]]・[[春名徹]]訳)は、原書の全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部が省かれている{{Refnest|group="注"|全分量の約半分に該当する。}}。訳者あとがきでは、「原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と述べている。 岩波文庫版で省略された章には、当時の中国人が[[共和制]]を望んでおらず[[清朝]]を認めていたこと、[[満洲]]が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝([[溥儀]])が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が[[満洲国]]皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている<ref>{{cite news|title=出版インサイド『紫禁城の黄昏』岩波文庫版は何を隠したか|author=[[桑原聡]]|newspaper=産経新聞|publisher=産経新聞社|date=2005-04-18|url=http://blogs.yahoo.co.jp/juliamn1/1636434.html|accessdate=2014-03-22|ref={{Harvid|桑原|2005}}}}</ref>。 === 旧版『危機の二十年』誤訳問題 === {{main|危機の二十年}} 岩波文庫の旧訳版は、多数の誤訳や不適切な訳文が指摘された<ref>{{Cite journal|和書|author=[[山田侑平]]|year=2002|month=4|title=岩波文庫 あの名著は誤訳だらけ――大学生必読「国際政治学の古典」は全く意味不明|journal=文藝春秋|volume=80|issue=(4号)2002年4月号|pages=202-209|publisher=文藝春秋|ref={{harvid|山田|2002}}}}</ref>。以後は「在庫なし」の状況となり、入手困難だったが、2011年(平成23年)11月に新訳版が出版された。 === 『きけ わだつみのこえ』改変問題 === {{main|きけ わだつみのこえ#岩波書店『きけわだつみのこえ』改変事件裁判}} [[1994年]](平成6年)4月23日の[[わだつみ会]]総会で、副理事長の[[高橋武智]]が理事長に就任し、第4次わだつみ会が発足する。第4次わだつみ会は[[1995年]](平成7年)に岩波文庫から『[[きけ わだつみのこえ#日本戦没学生記念会編1995c|新版「きけ わだつみのこえ」]]』を出版したが、遺族や関係者から「誤りが多い」「遺族所有の原本を確認していない」「遺稿が歪められている」「遺稿に無い文が付け加えられている」「訂正を申し入れたのに増刷でも反映されなかった」といった批判を浴びる。[[1998年]](平成10年)、遺族は[[中村克郎]]・中村猛夫・西原若菜が発起人となって、第4次わだつみ会とは全く別に「わだつみ遺族の会」を結成。うち中村克郎と西原若菜が遺族代表として、わだつみ会と[[岩波書店]]に対して「勝手に原文を改変し、著作権を侵害した<ref name="kiroku">{{Cite web|和書|url=http://www31.ocn.ne.jp/~jucccopyright/trial/trial-1999-2.html|title=『きけわだつみのこえ』改変事件|work=裁判の記録1999下|publisher=日本ユニ著作権センター|accessdate=2011-04-05}}</ref>」として「新版の出版差し止め」と「精神的苦痛に対する慰謝料」を求める訴訟を起こす<ref>[[きけ わだつみのこえ#保阪1999|保阪(1999)]]、第7章</ref>。原告が提出した原本と新版第一刷の対照データをもとに岩波書店が修正した第8刷を[[1999年]](平成11年)11月に出版し提出した結果、翌12月、原告は「要求のほとんどが認められた」として訴えを取り下げた<ref name="kiroku" />。 === 『さまよえる湖』誤解説問題 === {{main|[[ロプノール#「1600年周期」という誤解]]}} 科学者でもない翻訳者[[福田宏年]]の誤った解説を、何ら検証することなく掲載し、読者に重大な誤解を与えた。 <!-- ===『純粋理性批判』翻訳問題=== [[篠田英雄]]によるカント『純粋理性批判』の翻訳で、現在では「超越論的」と訳す"transzendental"を「先天的」と訳したままになっていると言われる。 --> ===収録された事のない古典=== 岩波文庫は世界の古典をかなり網羅しているが、収録された事がない古典もある。2021年時点での例をあげる。 *『[[ギルガメシュ叙事詩]]』他、古代オリエントの作品 *『[[書経]]』『[[礼記]]』 *『[[墨子]]』 *『[[戦国策]]』 *[[司馬遷]]『[[史記]]』のうち「本紀」「表」 *『[[ウパニシャッド]]』『[[マハーバーラタ]]』『[[ラーマーヤナ]]』 *[[玄奘]]『[[大唐西域記]]』 *『[[貞観政要]]』 *『[[エッダ]]』 *[[マルコ・ポーロ]]『[[東方見聞録]]』 *[[イブン・バットゥータ]]『[[三大陸周遊記]]』あるいは『[[旅行記 (イブン・バットゥータ)|大旅行記]]』 *[[ペトラルカ]]『[[:it:Canzoniere|叙情詩集]]』 *[[ルドヴィーコ・アリオスト|アリオスト]]『[[狂えるオルランド]]』 *『[[十八史略]]』 *『[[封神演義]]』 *[[太田牛一]]『[[信長公記]]』 *[[リヒャルト・ワーグナー]]『[[ニーベルングの指輪]]』 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=岩波文庫編集部|date=1987-07-16|title=岩波文庫総目録 1927-1987|publisher=岩波書店|isbn=4-00-009827-6|url=http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/6/0098270.html|ref=岩波文庫編集部1987}} == 関連項目 == * [[岩波現代文庫]] * [[岩波新書]] * [[講談社学術文庫]] * [[ちくま学芸文庫]] * [[光文社古典新訳文庫]] * [[角川ソフィア文庫]] * [[平凡社ライブラリー]] * [[中公文庫]] * [[中公クラシックス]] - 2020年以降未刊 * [[名著講義]] * [[改造文庫]] * [[文庫レーベル一覧]] == 外部リンク == {{wikisource|讀書子に寄す——岩波文庫發刊に際して——}} * [https://www.iwanami.co.jp/bun/ 岩波文庫] * {{Anchors|岩波1927}}{{青空文庫|001119|42753|新字新仮名|読書子に寄す ――岩波文庫発刊に際して――}} * [https://www.facebook.com/iwanamibunko.1927/ 岩波文庫編集部 | Facebook] {{DEFAULTSORT:いわなみふんこ}}<!--カテゴリの50音順--> [[Category:岩波書店の叢書]] [[Category:菊池寛賞受賞者]] [[Category:岩波書店の思想系叢書]] [[Category:文庫本]] [[Category:1927年刊行開始の刊行物]]
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古生物
古生物(こせいぶつ、英語: Prehistoric life)は、地質時代(地球の誕生から人類の歴史以前の時代)に生存したと想定される生物の総称。次のように大別できる。 過去に生存していた生物は、普通は化石によってのみ、その存在を知ることができる。ただし、化石からその生物のことがすべてわかるわけではない。化石等を元に、生物の生きていたときの様子を再現する試みのことを復元という。 しかし、化石に残るのが、その生物のごく一部分であることはごく普通で、運良く全身が残っていたとしても、そこからすぐにその生物のことがわかるわけではない。多くの場合、できる限りの証拠を集めて、その生物の生きていたときの様子を考えようとしても、様々な仮定の上に立ったものしかできない。新たな証拠が発見されることで、それまでの復元像が完全に改められる場合も多い。 有名な例として、化石が多いことで知られるハルキゲニアがある。全身が残ってはいたものの、各部にさして特徴が無く、どちらが前か、どちら上かも判断がつけにくい時期が続いた。初期の復元では体の細長い端を尾部とし、対になった棘を足のようにして立ち、背中から触手を伸ばす動物として復元された。これは後に研究が進み、棘は背面から上に突き出し、背面の触手と考えたものが爪のある脚で、細長い端から頭部の特徴である口と眼が見つかり、上下・前後とも逆さまに誤解釈されることが判明した。 また、断片が最初に発見され、それぞれ無関係の生物と誤解釈された例もあり、これはラディオドンタ類のアノマロカリス、ペイトイアとフルディアが代表的である。これらの古生物は全身を解明される以前では、歯(ペイトイアとフルディア)はクラゲ、前部付属肢(アノマロカリス)と甲皮(フルディア)はコノハエビ、胴体(ペイトイア)はナマコと考えられた。
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古生物は、地質時代(地球の誕生から人類の歴史以前の時代)に生存したと想定される生物の総称。次のように大別できる。 古生物(かつて地球上に存在した生物種)…約10億種以上(?) 化石種(化石として発見された種)…約13万種 現生種(現在生存している種)…人類が発見した現生種は約150万種、未確認は数千万種とされる。 シーラカンス等 絶滅種(現在絶滅している種) アンモナイト、三葉虫、恐竜
{{出典の明記|date = 2021年8月}} '''古生物'''(こせいぶつ、{{Lang-en|Prehistoric life}})は、[[地質時代]]([[地球]]の誕生から[[人類]]の歴史以前の時代)に生存したと想定される[[生物]]の総称。次のように大別できる。 * 古生物(かつて[[地球]]上に存在した生物種)…約10億種以上(?) ** [[化石種]](化石として発見された種)…約13万種 *** [[現生種]](現在生存している種)…人類が発見した現生種は約150万種、未確認は数千万種とされる。 **** [[シーラカンス]]等 *** [[絶滅|絶滅種]](現在絶滅している種) **** [[アンモナイト]]、[[三葉虫]]、[[恐竜]] == 復元 == [[過去]]に生存していた生物は、普通は[[化石]]によってのみ、その存在を知ることができる。ただし、化石からその生物のことがすべてわかるわけではない。化石等を元に、生物の生きていたときの様子を再現する試みのことを[[復元]]という。 しかし、化石に残るのが、その生物のごく一部分であることはごく普通で、運良く全身が残っていたとしても、そこからすぐにその生物のことがわかるわけではない。多くの場合、できる限りの[[証拠]]を集めて、その生物の生きていたときの様子を考えようとしても、様々な仮定の上に立ったものしかできない。新たな証拠が発見されることで、それまでの復元像が[[完全]]に改められる場合も多い。 有名な例として、化石が多いことで知られる[[ハルキゲニア]]がある。全身が残ってはいたものの、各部にさして特徴が無く、どちらが前か、どちら上かも判断がつけにくい時期が続いた。初期の復元では体の細長い端を尾部とし、対になった棘を足のようにして立ち、背中から[[触手]]を伸ばす動物として復元された<ref>CONWAY MORRIS, S. 1977. [https://www.palass.org/publications/palaeontology-journal/archive/20/3/article_pp623-640 A new metazoan from the Burgess Shale of British Columbia]. Palaeontology, 20: 623-640.</ref>。これは後に研究が進み、棘は背面から上に突き出し、背面の触手と考えたものが爪のある脚で、細長い端から頭部の特徴である口と眼が見つかり、上下・前後とも逆さまに誤解釈されることが判明した<ref>{{Cite journal|last=Smith|first=Martin R.|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|date=2015-07|title=Hallucigenia’s head and the pharyngeal armature of early ecdysozoans|url=https://www.nature.com/articles/nature14573|journal=Nature|volume=523|issue=7558|pages=75–78|language=en|doi=10.1038/nature14573|issn=1476-4687}}</ref>。 また、断片が最初に発見され、それぞれ無関係の生物と誤解釈された例もあり、これは[[ラディオドンタ類]]の[[アノマロカリス]]、[[ペイトイア]]と[[フルディア]]が代表的である。これらの古生物は全身を解明される以前では、[[ラディオドンタ類#口と歯|歯]](ペイトイアとフルディア)は[[クラゲ]]、[[ラディオドンタ類#前部付属肢|前部付属肢]](アノマロカリス)と[[ラディオドンタ類#頭部の甲皮|甲皮]](フルディア)は[[コノハエビ]]、胴体(ペイトイア)は[[ナマコ]]と考えられた<ref>{{Cite journal|last=Whittington|first=Harry Blackmore|last2=Briggs|first2=Derek Ernest Gilmor|date=1985-05-14|title=The largest Cambrian animal, Anomalocaris, Burgess Shale, British-Columbia|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.1985.0096|journal=Philosophical Transactions of the Royal Society of London. B, Biological Sciences|volume=309|issue=1141|pages=569–609|doi=10.1098/rstb.1985.0096}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Collins|first=Desmond|date=1996-03|title=The “evolution” of Anomalocaris and its classification in the arthropod class Dinocarida (nov.) and order Radiodonta (nov.)|url=https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-paleontology/article/abs/evolution-of-anomalocaris-and-its-classification-in-the-arthropod-class-dinocarida-nov-and-order-radiodonta-nov/BBC7E5F260A34413AD31BBDE89207870|journal=Journal of Paleontology|volume=70|issue=2|pages=280–293|language=en|doi=10.1017/S0022336000023362|issn=0022-3360}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Daley|first=Allison C.|last2=Budd|first2=Graham E.|last3=Caron|first3=Jean-Bernard|last4=Edgecombe|first4=Gregory D.|last5=Collins|first5=Desmond|date=2009-03-20|title=The Burgess Shale Anomalocaridid Hurdia and Its Significance for Early Euarthropod Evolution|url=https://www.science.org/doi/abs/10.1126/science.1169514|journal=Science|language=EN|doi=10.1126/science.1169514}}</ref>。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == {{Wiktionary|古生物}} * [[古生物学]] * [[絶滅した植物一覧]] * [[絶滅した動物一覧]] * [[生きている化石]] * [[恐竜]] * [[恐竜の一覧]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Paleo-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こせいふつ}} [[Category:古生物|*]] [[Category:地球史]]
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絶滅した動物一覧
絶滅した動物一覧(ぜつめつしたどうぶついちらん、List of extinct animals)は、地球上から絶滅した動物のリストである。野生個体の絶滅である「野生絶滅」も扱う。 (注意: このリストに掲載されている動物以外にも絶滅した動物は多く存在する) 現生種に至る側系統群とされるものは「*」で示す。 ホモ属 ホモ属 ホモ属 一旦は何らかの形で絶滅が確定したと思われていたものの、その後生存が確認されたものを挙げる(絶滅確定年から再発見まで50年以上のもの)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "絶滅した動物一覧(ぜつめつしたどうぶついちらん、List of extinct animals)は、地球上から絶滅した動物のリストである。野生個体の絶滅である「野生絶滅」も扱う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "(注意: このリストに掲載されている動物以外にも絶滅した動物は多く存在する)", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "現生種に至る側系統群とされるものは「*」で示す。", "title": "絶滅した分類群(目階級以上)" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ホモ属", "title": "新生代" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ホモ属", "title": "新生代" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ホモ属", "title": "新生代" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一旦は何らかの形で絶滅が確定したと思われていたものの、その後生存が確認されたものを挙げる(絶滅確定年から再発見まで50年以上のもの)。", "title": "再発見されたもの" } ]
絶滅した動物一覧は、地球上から絶滅した動物のリストである。野生個体の絶滅である「野生絶滅」も扱う。
[[File:Extinct animals cemetery.jpg|thumb|世界絶滅動物墓地。中国北京{{ill2|瀛州生態公園|en|Yingzhou Ecological Park}}。また、世界中で人間によって絶滅した生物の慰霊碑{{ill2|ライフ・ケルン|en|Life Cairn}}が建てられている。]] '''絶滅した動物一覧'''(ぜつめつしたどうぶついちらん、List of extinct animals)は、[[地球]]上から[[絶滅]]した[[動物]]のリストである。野生個体の絶滅である「[[野生絶滅]]」も扱う。 (注意: このリストに掲載されている動物以外にも絶滅した動物は多く存在する) == 絶滅した分類群([[目 (分類学)|目]]階級以上) == [[現世 (地球科学)|現生]]種に至る[[側系統群]]とされるものは「*」で示す。 === [[脱皮動物]] === * (和訳なし)[[:en:Palaeoscolecida|Palaeoscolecida]]([[基盤的]]な[[鰓曳動物]]?<ref>{{Cite journal|last=Harvey|first=Thomas H. P.|last2=Dong|first2=Xiping|last3=Donoghue|first3=Philip C. J.|date=2010|title=Are palaeoscolecids ancestral ecdysozoans?|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1525-142X.2010.00403.x|journal=Evolution & Development|volume=12|issue=2|pages=177–200|language=en|doi=10.1111/j.1525-142X.2010.00403.x|issn=1525-142X}}</ref>):[[カンブリア紀]] - [[シルル紀]] * [[葉足動物]] [[:en:Lobopodia|Lobopodia]]*<ref group="注釈">[[有爪動物]]・[[緩歩動物]]・[[節足動物]]を除いた側系統群とされる。</ref><ref name=":0">{{Cite journal|date=2019-06-17|title=The Phylogeny and Evolutionary History of Arthropods|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982219304865|journal=Current Biology|volume=29|issue=12|pages=R592–R602|language=en|doi=10.1016/j.cub.2019.04.057|issn=0960-9822}}</ref><ref name=":1">{{Cite journal|last=Edgecombe|first=Gregory D.|date=2020-11-02|title=Arthropod Origins: Integrating Paleontological and Molecular Evidence|url=https://www.annualreviews.org/doi/10.1146/annurev-ecolsys-011720-124437|journal=Annual Review of Ecology, Evolution, and Systematics|volume=51|issue=1|pages=1–25|language=en|doi=10.1146/annurev-ecolsys-011720-124437|issn=1543-592X}}</ref>([[汎節足動物]]):[[カンブリア紀]] - [[石炭紀]] ==== [[節足動物]] ==== *(和訳なし){{Sname||Archaeostraca}}([[甲殻類]]、[[軟甲類]]):[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]]<ref>{{Cite journal|last=Collette|first=Joseph H.|last2=Hagadorn|first2=James W.|date=2010-09|title=Early Evolution of Phyllocarid Arthropods: Phylogeny and Systematics of Cambrian-Devonian Archaeostracans|url=https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-paleontology/article/abs/early-evolution-of-phyllocarid-arthropods-phylogeny-and-systematics-of-cambriandevonian-archaeostracans/83F828F9D47F6E5C43BFB5CF5A853DF7|journal=Journal of Paleontology|volume=84|issue=5|pages=795–820|language=en|doi=10.1666/09-092.1|issn=0022-3360}}</ref><ref name=":31">{{Citation|title=The Fossil Record of the Pancrustacea|last=Hegna|first=Thomas A.|last2=Luque|first2=Javier|last3=Wolfe|first3=Joanna M.|date=2020|year=|url=https://www.researchgate.net/publication/340983983|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-063784-2|doi=10.1093/oso/9780190637842.003.0002|accessdate=2022-03-21}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Poschmann|first=Markus J.|date=2021-03-01|title=A new phyllocarid (Crustacea, Archaeostraca) from the Early Devonian (late Emsian) Heckelmann Mill Fossil-Lagerstätte (Lahn Syncline, Rhineland-Palatinate, SW-Germany)|url=https://doi.org/10.1007/s12542-020-00535-6|journal=PalZ|volume=95|issue=1|pages=27–36|language=en|doi=10.1007/s12542-020-00535-6|issn=1867-6812}}</ref> *(和訳なし)[[:en:Artiopoda|Artiopoda]]<ref>{{Cite journal|last=Ortega‐Hernández|first=Javier|last2=Legg|first2=David A.|last3=Braddy|first3=Simon J.|date=2013|title=The phylogeny of aglaspidid arthropods and the internal relationships within Artiopoda|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1096-0031.2012.00413.x|journal=Cladistics|volume=29|issue=1|pages=15–45|language=en|doi=10.1111/j.1096-0031.2012.00413.x|issn=1096-0031}}</ref><ref name=":4">{{Cite journal|last=Lerosey-Aubril|first=Rudy|last2=Zhu|first2=Xuejian|last3=Ortega-Hernández|first3=Javier|date=2017-09-11|title=The Vicissicaudata revisited – insights from a new aglaspidid arthropod with caudal appendages from the Furongian of China|url=https://www.nature.com/articles/s41598-017-11610-5|journal=Scientific Reports|volume=7|issue=1|pages=11117|language=en|doi=10.1038/s41598-017-11610-5|issn=2045-2322|pmid=28894246|pmc=5593897}}</ref>:[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]] **(和訳なし)[[:en:Conciliterga|Conciliterga]]:[[カンブリア紀]] **(和訳なし)[[:en:Nektaspida|Nektaspida]]:[[カンブリア紀]] - [[シルル紀]] **(和訳なし)[[:en:Petalopleura|Petalopleura]]:[[カンブリア紀]] **[[ケロニエロン類]] [[:en:Cheloniellida|Cheloniellida]]:[[オルドビス紀]] - [[デボン紀]] **[[光楯類]]/[[アグラスピス類]]<ref name=":13">{{Cite book|title=ぞわぞわした生きものたち: 古生代の巨大節足動物|url=https://www.worldcat.org/title/zowazowashita-ikimonotachi-koseidai-no-kyodai-sessoku-dobutsu/oclc/816905375|publisher=ソフトバンククリエイティブ|date=2012|location=東京|isbn=978-4-7973-4411-0|oclc=816905375|language=Japanese|first=隆一|last=金子}}</ref> [[:en:Aglaspidida|Aglaspidida]]:[[カンブリア紀]] - [[オルドビス紀]] **[[三葉虫]] [[:en:Trilobita|Trilobita]]:[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]] *(和訳なし)[[:en:Cyclida|Cyclida]](旧称 Cycloidea、[[甲殻類]]?<ref>{{Cite journal|last=Schädel|first=Mario|last2=Haug|first2=Joachim T.|date=2020/05|title=A new interpretation of the enigmatic fossil arthropod ''Anhelkocephalon handlirschi'' Bill, 1914 – important insights in the morphology of Cyclida|url=https://bioone.org/journals/Palaeodiversity/volume-13/issue-1/pale.v13.a7/A-new-interpretation-of-the-enigmatic-fossil-arthropod-Anhelkocephalon-handlirschi/10.18476/pale.v13.a7.full|journal=Palaeodiversity|volume=13|issue=1|pages=69–81|doi=10.18476/pale.v13.a7|issn=1867-6294}}</ref><ref name=":31" />):[[石炭紀]] - [[白亜紀]] *[[恐蟹類]]<ref>{{Cite book|和書|title=知りたい!サイエンス カンブリア爆発の謎:チェンジャンモンスターが残した進化の足跡|url=https://www.worldcat.org/oclc/676421739|publisher=技術評論社|date=2008|location=東京|isbn=978-4-7741-3417-8|oclc=676421739|others=|author=宇佐見義之}}</ref> [[:en:Dinocaridida|Dinocaridida]]*<ref group="注釈">[[真節足動物]]を除いた側系統群とされる。</ref>(Dinocarida とも、基盤的な[[節足動物]]<ref name=":0" /><ref name=":1" />):[[カンブリア紀]] - [[デボン紀]] **[[ラディオドンタ類]]<ref name=":14">{{Cite book|title=古生物|url=https://www.worldcat.org/title/koseibutsu/oclc/992701133|publisher=学研プラス|date=2017|location=東京|isbn=978-4-05-204576-9|oclc=992701133|language=Japanese|last=加藤太一}}</ref><ref name=":15">{{Cite book|title=アノマロカリス解体新書|url=https://www.worldcat.org/title/anomarokarisu-kaitai-shinsho/oclc/1141813539|date=2020|isbn=978-4-89308-928-1|oclc=1141813539|language=Japanese|first=健|last=土屋|first2=しゅんいち|last2=かわさき|first3=源吾|last3=田中}}</ref><ref name=":16">{{Cite book|title=大むかしの生きもの|url=https://www.worldcat.org/title/omukashi-no-ikimono/oclc/1163637303|publisher=講談社|date=2020|location=東京|isbn=978-4-06-518985-6|oclc=1163637303|language=Japanese|last=群馬県立自然史博物館}}</ref><ref name=":17">{{Cite book|title=ゼロから楽しむ古生物: 姿かたちの移り変わり|url=https://www.worldcat.org/title/zero-kara-tanoshimu-koseibutsu-sugata-katachi-no-utsurikawari/oclc/1262176890|date=2021|isbn=978-4-297-12228-7|oclc=1262176890|language=Japanese|first=健|last=土屋|first2=香|last2=土屋|first3=暁彦|last3=芝原}}</ref>/[[放射歯類]]<ref name=":13" /> [[:en:Radiodonta|Radiodonta]](旧称 [[アノマロカリス類]]<ref name=":18">{{Cite book|title=大昔の生きもの|url=https://www.worldcat.org/title/omukashi-no-ikimono/oclc/883613863|publisher=ポプラ社|date=2014|location=東京|isbn=978-4-591-14071-0|oclc=883613863|language=Japanese|last=小林快次}}</ref><ref name=":19">{{Cite book|title=生命史図譜 = History of life|url=https://www.worldcat.org/title/seimeishi-zufu-history-of-life/oclc/995843160|date=2017|isbn=978-4-7741-9075-4|oclc=995843160|last=土屋健|last2=群馬県立自然史博物館}}</ref>):[[カンブリア紀]] - [[デボン紀]] *(和訳なし)[[:en:Enantiopoda|Enantiopoda]]([[甲殻類]]、[[ムカデエビ類]]):[[石炭紀]]<ref>{{Cite journal|last=Neiber|first=Marco T.|last2=Hartke|first2=Tamara R.|last3=Stemme|first3=Torben|last4=Bergmann|first4=Alexandra|last5=Rust|first5=Jes|last6=Iliffe|first6=Thomas M.|last7=Koenemann|first7=Stefan|date=2011-05-19|title=Global Biodiversity and Phylogenetic Evaluation of Remipedia (Crustacea)|url=https://doi.org/10.1371/journal.pone.0019627|journal=PLoS ONE|volume=6|issue=5|pages=e19627|doi=10.1371/journal.pone.0019627|issn=1932-6203|pmid=21625553|pmc=3098257}}</ref> *(和訳なし)[[:en:Hymenocarina|Hymenocarina]]([[大顎類]])<ref name=":5">{{Cite journal|last=Aria|first=Cédric|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|date=2017-05|title=Burgess Shale fossils illustrate the origin of the mandibulate body plan|url=https://www.nature.com/articles/nature22080|journal=Nature|volume=545|issue=7652|pages=89–92|language=en|doi=10.1038/nature22080|issn=1476-4687}}</ref>:[[カンブリア紀]] *(和訳なし)[[:en:Kazacharthra|Kazacharthra]]([[甲殻類]]、[[鰓脚類]])<ref name=":31" />:[[三畳紀]] - [[ジュラ紀]] *(和訳なし)[[:en:Phosphatocopina|Phosphatocopina]](基盤的な[[大顎類]]?)<ref>{{Cite journal|last=Legg|first=David A.|last2=Sutton|first2=Mark D.|last3=Edgecombe|first3=Gregory D.|date=2013-12|title=Arthropod fossil data increase congruence of morphological and molecular phylogenies|url=https://www.researchgate.net/publication/257205419|journal=Nature Communications|volume=4|issue=1|pages=2485|language=en|doi=10.1038/ncomms3485|issn=2041-1723}}</ref>:[[カンブリア紀]] *[[アースロプレウラ類]] [[:en:Arthropleuridea|Arthropleuridea]]([[多足類]]、[[ヤスデ]]<ref name=":28">{{Cite journal|last=Wilson|first=Heather M.|last2=Shear|first2=William A.|date=2000|title=Microdecemplicida, a new order of minute arthropleurideans (Arthropoda: Myriapoda) from the Devonian of New York State, U.S.A.|url=https://www.cambridge.org/core/journals/earth-and-environmental-science-transactions-of-royal-society-of-edinburgh/article/abs/microdecemplicida-a-new-order-of-minute-arthropleurideans-arthropoda-myriapoda-from-the-devonian-of-new-york-state-usa/D08D276AF517F289926F7F4543E4488A|journal=Earth and Environmental Science Transactions of The Royal Society of Edinburgh|volume=90|issue=4|pages=351–375|language=en|doi=10.1017/S0263593300002674|issn=1473-7116}}</ref>):[[シルル紀]] - [[石炭紀]] *[[イソキシス類]] [[:en:Isoxyda|Isoxyda]]:[[カンブリア紀]] *[[ウミサソリ]]/[[広翼類]] [[:en:Eurypterida|Eurypterida]]([[鋏角類]]):[[オルドビス紀]] - [[ペルム紀]]<ref name=":2" /> *[[ウララネイダ類]]<ref name=":13" /> [[:en:Uraraneida|Uraraneida]]([[鋏角類]]、[[クモガタ類]]):[[デボン紀]] - [[ペルム紀]]<ref name=":2" /> *[[オオトンボ目|オオトンボ類]] [[:en:Meganisoptera|Meganisoptera]](旧称 原トンボ類 Protodonata、[[昆虫]]):[[石炭紀]] - [[ペルム紀]] *[[カスマタスピス類]]<ref name=":13" /> [[:en:Chasmataspidida|Chasmataspidida]]([[鋏角類]]):[[オルドビス紀]] - [[デボン紀]]<ref name=":2">Dunlop, J. A., Penney, D. & Jekel, D. 2020. [https://wsc.nmbe.ch/resources/fossils/Fossils20.5.pdf A summary list of fossil spiders and their relatives]. In World Spider Catalog. Natural History Museum Bern, online at <nowiki>http://wsc.nmbe.ch</nowiki>, version 20.5</ref> *[[奇泳類]] [[:en:Aeschronectida|Aeschronectida]]([[甲殻類]]、[[軟甲類]])<ref>{{Cite journal|last=Haug|first=Joachim T|last2=Haug|first2=Carolin|last3=Maas|first3=Andreas|last4=Kutschera|first4=Verena|last5=Waloszek|first5=Dieter|date=2010|title=Evolution of mantis shrimps (Stomatopoda, Malacostraca) in the light of new Mesozoic fossils|url=http://bmcevolbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/1471-2148-10-290|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=10|issue=1|pages=290|language=en|doi=10.1186/1471-2148-10-290|issn=1471-2148|pmid=20858249|pmc=2955030}}</ref>:[[石炭紀]] *[[嚢頭類]]/[[ティラコセファルス類]]<ref name=":14" /> [[:en:Thylacocephala|Thylacocephala]]([[甲殻類]]?<ref name=":31" />):[[シルル紀]] - [[白亜紀]]<ref name=":31" /> *[[ハベリア類]] [[:en:Habeliida|Habeliida]](基盤的な[[鋏角類]]<ref name=":6">{{Cite journal|last=Aria|first=Cédric|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|date=2017-12|title=Mandibulate convergence in an armoured Cambrian stem chelicerate|url=https://bmcevolbiol.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12862-017-1088-7|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=17|issue=1|pages=261|language=en|doi=10.1186/s12862-017-1088-7|issn=1471-2148|pmid=29262772|pmc=5738823}}</ref><ref name=":3">{{Cite journal|last=Aria|first=Cédric|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|date=2019-09|title=A middle Cambrian arthropod with chelicerae and proto-book gills|url=https://www.nature.com/articles/s41586-019-1525-4|journal=Nature|volume=573|issue=7775|pages=586–589|language=en|doi=10.1038/s41586-019-1525-4|issn=1476-4687}}</ref><ref name=":1" />):[[カンブリア紀]] *[[ハラフシカブトガニ類]]/[[共剣尾類]] [[:en:Synziphosurina|Synziphosurina]]*<ref group="注釈">狭義の[[カブトガニ類]]・[[カスマタスピス類]]・[[ウミサソリ]]類・[[クモガタ類]]を除いた側系統群とされる。</ref>([[鋏角類]]):[[オルドビス紀]] - [[石炭紀]]<ref name=":2" /><ref>{{Cite journal|last=Bicknell|author=|first=Russell D. C.|last2=Pates|first2=Stephen|year=|date=2020-07-09|title=Pictorial Atlas of Fossil and Extant Horseshoe Crabs, With Focus on Xiphosurida|url=https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/feart.2020.00098/full|journal=Frontiers in Earth Science|volume=8|page=|pages=98|doi=10.3389/feart.2020.00098|issn=2296-6463}}</ref> *[[パレオカリス類]] {{Sname||Palaeocaridacea}}([[甲殻類]]、[[軟甲類]]):[[石炭紀]] - [[ペルム紀]]<ref name=":31" /> *[[フーシェンフイア類]] [[:en:Fuxianhuiida|Fuxianhuiida]]:[[カンブリア紀]] *[[ブラドリア類]] [[:en:Bradoriida|Bradoriida]]:[[カンブリア紀]] *[[マーレロモルフ類]]/[[マルレロモルフ類]]<ref name=":14" /><ref name=":16" /> [[:en:Marrellomorpha|Marrellomorpha]]:[[カンブリア紀]] - [[デボン紀]] *[[ムカシアミバネムシ]]<ref name=":16" />/[[パレオディクティオプテラ]]<ref name=":13" /> [[:en:Palaeodictyoptera|Palaeodictyoptera]]([[昆虫]]):[[石炭紀]] - [[ペルム紀]] *[[短腹類]]/[[ムカシザトウムシ]] [[:en:Phalangiotarbi|Phalangiotarbi]](Phalangiotarbidaとも、[[鋏角類]]、[[クモガタ類]]):[[デボン紀]] - [[ペルム紀]]<ref name=":2" /> *[[メガケイラ類]]<ref name=":14" /> [[:en:Megacheira|Megacheira]]:[[カンブリア紀]] - [[デボン紀]] *[[モリソニア類]] [[:en:Mollisoniida|Mollisoniida]](基盤的な[[鋏角類]]<ref name=":3" /><ref name=":1" />):[[カンブリア紀]] - [[オルドビス紀]]<ref>{{Cite journal|last=Lerosey-Aubril|first=Rudy|last2=Skabelund|first2=Jacob|last3=Ortega-Hernández|first3=Javier|date=2020-04-09|title=Revision of the mollisoniid chelicerate(?) Thelxiope, with a new species from the middle Cambrian Wheeler Formation of Utah|url=https://peerj.com/articles/8879|journal=PeerJ|volume=8|pages=e8879|language=en|doi=10.7717/peerj.8879|issn=2167-8359|pmid=32296605|pmc=7151752}}</ref> *[[ユーシカルシノイド類]]<ref name=":14" /> [[:en:Euthycarcinoidea|Euthycarcinoidea]](基盤的な[[多足類]]?<ref>{{Cite journal|last=Edgecombe|first=Gregory D.|last2=Strullu-Derrien|first2=Christine|last3=Góral|first3=Tomasz|last4=Hetherington|first4=Alexander J.|last5=Thompson|first5=Christine|last6=Koch|first6=Markus|date=2020-04-21|title=Aquatic stem group myriapods close a gap between molecular divergence dates and the terrestrial fossil record|url=https://www.pnas.org/content/117/16/8966|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences|volume=117|issue=16|pages=8966–8972|language=en|doi=10.1073/pnas.1920733117|issn=0027-8424|pmid=32253305}}</ref>):[[カンブリア紀]] - [[三畳紀]] *[[ワレイタムシ]]/[[割板類]]<ref name=":20">{{Cite book|title=節足動物の多様性と系統|url=https://www.worldcat.org/title/sessoku-dobutsu-no-tayosei-to-keito/oclc/676535371|publisher=裳華房|date=2008|location=東京|isbn=978-4-7853-5829-7|oclc=676535371|language=Japanese|first=邦男|last=岩槻|first2=峻輔|last2=馬渡|first3=良輔|last3=石川}}</ref> [[:en:Trigonotarbida|Trigonotarbida]]([[鋏角類]]、[[クモガタ類]]):[[シルル紀]] - [[ペルム紀]]<ref name=":2" /> === [[冠輪動物]] === * (和訳なし)[[:en:Machaeridia|Machaeridia]]([[環形動物]]<ref>{{Cite journal|last=Vinther|first=Jakob|last2=Van Roy|first2=Peter|last3=Briggs|first3=Derek E. G.|date=2008-01|title=Machaeridians are Palaeozoic armoured annelids|url=https://www.nature.com/articles/nature06474|journal=Nature|volume=451|issue=7175|pages=185–188|language=en|doi=10.1038/nature06474|issn=1476-4687}}</ref>):[[オルドビス紀]] - [[石炭紀]] *[[ヒオリテス]] [[:en:Hyolitha|Hyolitha]]([[触手冠動物]]?、基盤的な[[腕足動物]]?<ref>{{Cite journal|last=Moysiuk|first=Joseph|last2=Smith|first2=Martin R.|last3=Caron|first3=Jean-Bernard|date=2017-01|title=Hyoliths are Palaeozoic lophophorates|url=http://www.nature.com/articles/nature20804|journal=Nature|volume=541|issue=7637|pages=394–397|language=en|doi=10.1038/nature20804|issn=0028-0836}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Sun|first=Haijing|last2=Smith|first2=Martin R.|last3=Zeng|first3=Han|last4=Zhao|first4=Fangchen|last5=Li|first5=Guoxiang|last6=Zhu|first6=Maoyan|date=2018-09-26|title=Hyoliths with pedicles illuminate the origin of the brachiopod body plan|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2018.1780|journal=Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=285|issue=1887|pages=20181780|language=en|doi=10.1098/rspb.2018.1780|issn=0962-8452|pmid=30257914|pmc=6170810}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Liu|first=Fan|last2=Skovsted|first2=Christian B|last3=Topper|first3=Timothy P|last4=Zhang|first4=Zhifei|last5=Shu|first5=Degan|date=2020-02-01|title=Are hyoliths Palaeozoic lophophorates?|url=https://doi.org/10.1093/nsr/nwz161|journal=National Science Review|volume=7|issue=2|pages=453–469|doi=10.1093/nsr/nwz161|issn=2095-5138|pmid=34692060|pmc=8289160}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Li|first=Luoyang|last2=Skovsted|first2=Christian B.|last3=Yun|first3=Hao|last4=Betts|first4=Marissa J.|last5=Zhang|first5=Xingliang|date=2020-08-26|title=New insight into the soft anatomy and shell microstructures of early Cambrian orthothecids (Hyolitha)|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2020.1467|journal=Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=287|issue=1933|pages=20201467|doi=10.1098/rspb.2020.1467|pmid=32811320|pmc=7482263}}</ref>):[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]] ==== [[軟体動物]] ==== *(和訳なし)[[:en:Halwaxiida|Halwaxiida]](基盤的な[[軟体動物]]<ref>{{Cite journal|last=Morris|first=S. C.|last2=Caron|first2=J.-B.|date=2007-03-02|title=Halwaxiids and the Early Evolution of the Lophotrochozoans|url=https://www.sciencemag.org/lookup/doi/10.1126/science.1137187|journal=Science|volume=315|issue=5816|pages=1255–1258|language=en|doi=10.1126/science.1137187|issn=0036-8075}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Caron|first=Jean-Bernard|last2=Scheltema|first2=Amélie|last3=Schander|first3=Christoffer|last4=Rudkin|first4=David|date=2006-07|title=A soft-bodied mollusc with radula from the Middle Cambrian Burgess Shale|url=http://www.nature.com/articles/nature04894|journal=Nature|volume=442|issue=7099|pages=159–163|language=en|doi=10.1038/nature04894|issn=0028-0836}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Smith|first=Martin R.|date=2012-10-22|title=Mouthparts of the Burgess Shale fossils Odontogriphus and Wiwaxia: implications for the ancestral molluscan radula|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3441091/|journal=Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=279|issue=1745|pages=4287–4295|doi=10.1098/rspb.2012.1577|issn=0962-8452|pmid=22915671|pmc=3441091}}</ref>):[[カンブリア紀]] * [[アンモナイト]]/[[菊石]] [[:en:Ammonoidea|Ammonoidea]] ([[頭足類]]):[[デボン紀]] - [[白亜紀]] * [[チョッカクガイ]] [[:en:Orthocerida|Orthocerida]] ([[頭足類]]):[[オルドビス紀]] - [[三畳紀]] * [[ヘルシオネラ綱|ヘルシオネラ類]] [[:en:Helcionelloida|Helcionelloida]]:[[カンブリア紀]] - [[オルドビス紀]] *[[厚歯二枚貝]]/馬尾貝 [[:en:Hippuritida|Hippuritida]]([[二枚貝]]):[[ジュラ紀]] - [[白亜紀]] *[[吻殻類]] [[:en:Rostroconchia|Rostroconchia]]:[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]] === [[後口動物]] === *[[フデイシ]]/[[グラプトライト]] [[:en:Graptolithina|Graptolithina]]([[半索動物]]):[[カンブリア紀]] - [[石炭紀]] ==== [[棘皮動物]] ==== * [[ウミツボミ]] [[:en:Blastoidea|Blastoidea]]:[[オルドビス紀]] - [[ペルム紀]] * [[ウミリンゴ]] [[:en:Cystoidea|Cystoidea]]:[[オルドビス紀]] - [[デボン紀]] * [[エドリオブラストイド]] [[:en:Edrioblastoidea|Edrioblastoidea]]<ref>{{Cite web|title=Fossilworks: Edrioasteroidea|url=http://fossilworks.org/bridge.pl?a=taxonInfo&taxon_no=30743|website=fossilworks.org|accessdate=2020-12-07}}</ref>:[[オルドビス紀]] * [[パラブラストイド]] [[:en:Parablastoidea|Parablastoidea]]<ref>{{Cite web|title=Fossilworks: Parablastoidea|url=http://fossilworks.org/bridge.pl?a=taxonInfo&taxon_no=30933|website=fossilworks.org|accessdate=2020-12-07}}</ref>:[[オルドビス紀]] * [[エオクリノイド]] [[:en:Eocrinoidea|Eocrinoidea]]:[[カンブリア紀]] - [[シルル紀]] * [[パラクリノイド綱|パラクリノイド]] [[:en:Paracrinoidea|Paracrinoidea]]:[[オルドビス紀]] - [[シルル紀]] * [[円盤綱|円盤類]] [[:en:Cyclocystoidea|Cyclocystoidea]]:[[オルドビス紀]] - [[デボン紀]]<ref>{{Cite web|title=Mindat.org|url=https://www.mindat.org/taxon-P103243.html|website=www.mindat.org|accessdate=2020-12-07}}</ref> * [[座ヒトデ]] [[:en:Edrioasteroidea|Edrioasteroidea]]:[[カンブリア紀]] - [[ペルム紀]] * [[蛇函綱|蛇函類]] [[:en:Ophiocistioidea|Ophiocistioidea]]:[[オルドビス紀]] - [[三畳紀]] * [[螺板綱|螺板類]] [[:en:Helicoplacoidea|Helicoplacoidea]]:[[カンブリア紀]] ==== [[脊索動物]] ==== * [[コノドント]] [[:en:Conodonta|Conodonta]]([[脊椎動物]]、[[無顎類]]):[[カンブリア紀]] - [[三畳紀]] *[[棘魚類]] [[:en:Acanthodii|Acanthodii]]([[脊椎動物]]、[[魚類]]):[[シルル紀]] - [[ペルム紀]] * [[魚竜]] [[:en:Ichthyosauria|Ichthyosauria]]([[脊椎動物]]、[[爬虫類]]):[[三畳紀]] - [[白亜紀]] * [[恐竜]] [[:en:Dinosauria|Dinosauria]]*<ref group="注釈">[[鳥類]]を含む場合は現生群と言える。非鳥類型恐竜(non-avian dinosaur)の場合は絶滅群で、鳥類を除いた側系統群とされる。</ref>([[脊椎動物]]、[[爬虫類]]):[[三畳紀]] - [[白亜紀]] * [[古虫動物]] [[:en:Vetulicolia|Vetulicolia]]:[[カンブリア紀]] * [[板皮類]] [[:en:Placodermi|Placodermi]]*<ref group="注釈">本群以外の[[顎口類]]を除いた側系統群とされる。</ref>([[脊椎動物]]、[[魚類]]):[[シルル紀]] - [[デボン紀]] * [[翼竜]] [[:en:Pterosauria|Pterosauria]]([[脊椎動物]]、[[爬虫類]]):[[三畳紀]] - [[白亜紀]] === その他動物 === * (和訳なし)[[:en:Scleroctenophora|Scleroctenophora]]([[有櫛動物]]):[[カンブリア紀]] *(和訳なし)[[:en:Petalonamae|Petalonamae]]/[[ランゲオモルフ]] [[:en:Rangeomorpha|Rangeomorpha]](基盤的な[[真正後生動物]]?<ref>{{Cite journal|last=Hoyal Cuthill|first=Jennifer F.|last2=Han|first2=Jian|editor-last=Álvaro|editor-first=Javier|date=2018-11|title=Cambrian petalonamid Stromatoveris phylogenetically links Ediacaran biota to later animals|url=http://doi.wiley.com/10.1111/pala.12393|journal=Palaeontology|volume=61|issue=6|pages=813–823|language=en|doi=10.1111/pala.12393}}</ref>):[[エディアカラ紀]] * [[古杯動物]]/古杯類 [[:en:Archaeocyatha|Archaeocyatha]]([[海綿動物]]?):[[カンブリア紀]] * [[三裂動物]] [[:en:Trilobozoa|Trilobozoa]]([[真正後生動物]]?):[[エディアカラ紀]] * [[盾状動物]] [[:en:Proarticulata|Proarticulata]]([[左右相称動物]]?):[[エディアカラ紀]] == [[先カンブリア時代]](46億~5億4,200万年前) == * [[エディアカラ生物群]](エディアカラ動物群) ** [[イナリア]]({{Snamei||Inaria}} [[花虫綱]]?) ** [[エルニエッタ]] ({{Snamei||Ernietta}} <!-- Petalonamae/Erniettomorpha ? -->) ** [[カルニオディスクス]]({{Snamei||Charniodiscus}} <!-- Petalonamae/Arboreomorph ? -->) ** [[キンベレラ]] ({{Snamei||Kimberella}} [[左右相称動物]] [[軟体動物]]?) ** [[シクロメデューサ]] ({{Snamei||Cyclomedusa}} ) ** [[スプリッギナ]] ({{Snamei||Spriggina}} [[盾状動物]]) ** [[チャルニア]]({{Snamei||Charnia}} [[ランゲオモルフ]]) ** [[ディッキンソニア]] ({{Snamei||Dickinsonia}} [[盾状動物]]) ** [[トリブラキディウム]] ({{Snamei||Tribrachidium}} [[三裂動物]]) ** [[ヨルギア]]({{Snamei||Yorgia}} [[盾状動物]]) * その他の動物 {{疑問点|date=2021年9月|title=パルバンコリナ はエディアカラ生物群なのでは?}} **[[エディアカリア]] ({{Snamei||Ediacaria}} [[刺胞動物]]?) **[[パルバンコリナ]]({{Snamei||Parvancorina}} [[節足動物]]?) == [[古生代]] == === [[カンブリア紀]](5億4,200万~4億8,830万年前) === * [[澄江動物群]] ** [[アカントメリディオン]]({{snamei||Acanthomeridion}} [[節足動物]]、Artiopoda類)<ref>{{Cite journal|last=Hou|first=Xianguang|last2=Williams|first2=Mark|last3=Gabbott|first3=Sarah|last4=Siveter|first4=David J.|last5=Siveter|first5=Derek J.|last6=Cong|first6=Peiyun|last7=Ma|first7=Xiaoya|last8=Sansom|first8=Robert|date=2017-09-02|title=A new species of the artiopodan arthropod Acanthomeridion from the lower Cambrian Chengjiang Lagerstätte, China, and the phylogenetic significance of the genus|url=https://doi.org/10.1080/14772019.2016.1229695|journal=Journal of Systematic Palaeontology|volume=15|issue=9|pages=733–740|doi=10.1080/14772019.2016.1229695|issn=1477-2019}}</ref> ** [[アノマロカリス]]({{snamei||Anomalocaris}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref name=":12">{{Cite journal|author=Wu, Yu; Ma, Jiaxin; Lin, Weiliang; Sun, Ao; Zhang, Xingliang; Fu, Dongjing|year=2021-03|title=New anomalocaridids (Panarthropoda: Radiodonta) from the lower Cambrian Chengjiang Lagerstätte: Biostratigraphic and paleobiogeographic implications|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0031018221001188|journal=Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology|volume=569|pages=110333|language=en|doi=10.1016/j.palaeo.2021.110333|issn=0031-0182}}</ref> ** [[アラルコメネウス]]({{Snamei||Alalcomenaeus}} [[アラルコメナエウス]]とも、[[節足動物]]、[[メガケイラ類]])<ref>{{Cite journal|last=Tanaka|first=Gengo|last2=Hou|first2=Xianguang|last3=Ma|first3=Xiaoya|last4=Edgecombe|first4=Gregory D.|last5=Strausfeld|first5=Nicholas J.|date=2013-10|title=Chelicerate neural ground pattern in a Cambrian great appendage arthropod|url=https://www.researchgate.net/publication/257889028|journal=Nature|volume=502|issue=7471|pages=364–367|language=en|doi=10.1038/nature12520|issn=1476-4687}}</ref> **[[アンテナカンソポディア]]<ref name=":25">{{Cite book|title=生きている化石図鑑: すばらしき「名品」生物たち : 優秀生物たちのスペック公開Living Fossil|url=https://www.worldcat.org/title/ikite-iru-kaseki-zukan-subarashiki-meihin-seibutsutachi-yushu-seibutsutachi-no-supekku-kokai-rivingu-fosshiru/oclc/1257518161|date=2021|isbn=978-4-7730-6134-5|oclc=1257518161|language=Japanese|first=健|last=土屋|first2=暁彦|last2=芝原}}</ref>({{snamei||Antennacanthopodia}} [[葉足動物]]) **[[アンプレクトベルア]]<ref name=":21">{{Cite book|title=大むかしの生物|last2=冨田|last5=真鍋|first5=真|last4=大花|first4=民子|last3=籔本|first3=美孝|first2=幸光|url=https://www.worldcat.org/title/omukashi-no-seibutsu/oclc/1006953894|last=平野|first=弘道|language=Japanese|oclc=1006953894|isbn=978-4-09-217212-8|date=2004|last6=日本古生物学会}}</ref><ref name=":13" /><ref name=":22">{{Cite book|title=カンブリアンモンスター図鑑 = An Illustrated Book of cambrian monsters: カンブリア爆発の不思議な生き物たち : 図說|url=https://www.worldcat.org/title/kanburian-monsuta-zukan-kanburia-bakuhatsu-no-fushigi-na-ikimonotachi-zusetsu/oclc/931927642|publisher=秀和システム|date=2015|location=東京|isbn=978-4-7980-4459-0|oclc=931927642|language=Japanese|first=達也|last=千崎|first2=健男|last2=左卷}}</ref><ref name=":18" />({{snamei||Amplectobelua}} [[アムプレクトベルア]]<ref name=":14" /><ref name=":19" /><ref name=":15" /><ref name=":16" /><ref name=":17" />とも、[[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Cong|first=Peiyun|last2=Daley|first2=Allison C.|last3=Edgecombe|first3=Gregory D.|last4=Hou|first4=Xianguang|date=2017-08-30|title=The functional head of the Cambrian radiodontan (stem-group Euarthropoda) Amplectobelua symbrachiata|url=https://doi.org/10.1186/s12862-017-1049-1|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=17|issue=1|pages=208|doi=10.1186/s12862-017-1049-1|issn=1471-2148|pmid=28854872|pmc=5577670}}</ref> ** [[イソキシス]]<ref name=":19" />({{snamei||Isoxys}} [[イソクシス]]<ref name=":18" />とも、[[節足動物]]、[[イソキシス類]]) ** [[インノヴァティオカリス]]({{snamei||Innovatiocaris}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Zeng|first=Han|last2=Zhao|first2=Fangchen|last3=Zhu|first3=Maoyan|date=2022-09-07|title=''Innovatiocaris'' , a complete radiodont from the early Cambrian Chengjiang Lagerstätte and its implications for the phylogeny of Radiodonta|url=https://doi.org/10.1144/jgs2021-164|journal=Journal of the Geological Society|doi=10.1144/jgs2021-164|issn=0016-7649}}</ref> ** [[ウロコディア]]({{Snamei||Urokodia}} [[節足動物]]、[[モリソニア類]])<ref>{{Cite journal|last=Zhang|first=Xingliang|last2=Han|first2=Jian|last3=Shu|first3=Degan|date=2002-01-01|title=New occurrence of the Burgess Shale arthropod ''Sidneyia'' in the Early Cambrian Chengjiang Lagerstätte (South China), and revision of the arthropod ''Urokodia''|url=https://doi.org/10.1080/03115510208619239|journal=Alcheringa: An Australasian Journal of 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[[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]]?)<ref>{{Cite journal|last=Xian‐Guang|first=Hou|last2=Bergström|first2=Jan|last3=Ahlberg|first3=Per|date=1995-09-01|title=Anomalocaris and other large animals in the lower Cambrian Chengjiang fauna of southwest China|url=https://www.researchgate.net/publication/233050167|journal=GFF|volume=117|issue=3|pages=163–183|doi=10.1080/11035899509546213|issn=1103-5897}}</ref> ** [[サペリオン]]({{snamei||Saperion}} [[節足動物]]、Conciliterga類) ** [[ジェンフェンギア]]({{snamei||Jiangfengia}}、[[節足動物]]、[[メガケイラ類]])<ref name=":9">{{Cite journal|last=Aria|first=Cédric|last2=Zhao|first2=Fangchen|last3=Zeng|first3=Han|last4=Guo|first4=Jin|last5=Zhu|first5=Maoyan|date=2020-01-08|title=Fossils from South China redefine the ancestral euarthropod body plan|url=https://doi.org/10.1186/s12862-019-1560-7|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=20|issue=1|pages=4|doi=10.1186/s12862-019-1560-7|issn=1471-2148|pmid=31914921|pmc=6950928}}</ref> ** [[シダズーン]]({{snamei||Xidazoon}} [[脊索動物]]、[[古虫動物]]) ** [[シャウカリス]]({{snamei||Xiaocaris}} [[節足動物]]、[[フーシェンフイア類]])<ref>{{Cite journal|last=Liu|first=Yu|last2=Ortega-Hernández|first2=Javier|last3=Chen|first3=Hong|last4=Mai|first4=Huijuan|last5=Zhai|first5=Dayou|last6=Hou|first6=Xianguang|date=2020-06-01|title=Computed tomography sheds new light on the affinities of the enigmatic euarthropod Jianshania furcatus from the early Cambrian Chengjiang biota|url=https://doi.org/10.1186/s12862-020-01625-4|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=20|issue=1|pages=62|doi=10.1186/s12862-020-01625-4|issn=1471-2148|pmid=32487135|pmc=7268425}}</ref> **[[シャンコウイア]]({{snamei||Shankouia}} [[節足動物]]、[[フーシェンフイア類]]、[[リャンワンシャニア]] {{snamei||Liangwangshania}} のシノニムともされる)<ref>{{Cite journal|last=Waloszek|first=Dieter|last2=Chen|first2=Junyuan|last3=Maas|first3=Andreas|last4=Wang|first4=Xiuqiang|date=2005-04-01|title=Early Cambrian arthropods—new insights into arthropod head and structural evolution|url=https://www.researchgate.net/publication/222299948|journal=Arthropod 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** [[オットイア]]({{snamei||Ottoia}} [[鰓曳動物]]) ** [[オドントグリフス]]({{snamei||Odontogriphus}} [[軟体動物]]、Halwaxiida類) ** [[オパビニア]]({{snamei||Opabinia}} [[節足動物]]、[[恐蟹類]]) ** [[オヴァティオヴェーミス]]({{snamei||Ovatiovermis}} [[葉足動物]]) ** [[カナダスピス]]({{snamei||Canadaspis}} [[節足動物]]、Hymenocarina類)<ref name=":5" /> ** [[カナディア (カンブリア紀)|カナディア]] (''[[:en:Canadia (annelid)|Canadia]]'' [[環形動物]]) ** [[カリョシントリプス]]({{snamei||Caryosyntrips}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref name=":11" /><ref>{{Cite journal|last=Pates|first=Stephen|last2=Daley|first2=Allison C.|date=2017|title=Caryosyntrips: a radiodontan from the Cambrian of Spain, USA and Canada|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/spp2.1084|journal=Papers in Palaeontology|volume=3|issue=3|pages=461–470|language=en|doi=10.1002/spp2.1084|issn=2056-2802}}</ref> ** [[カンブロラスター]]({{snamei||Cambroraster}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref name=":10" /> ** [[コリンソヴェーミス]]({{snamei||Collinsovermis}} [[葉足動物]]) ** [[サロトロセルクス]]({{snamei||Sarotrocercus}} [[サロトロケルクス]]とも、[[節足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Haug|first=J.T.|last2=Maas|first2=A.|last3=Haug|first3=C.|last4=Waloszek|first4=D.|date=2011-11-01|title=''Sarotrocercus oblitus'' - Small arthropod with great impact on the understanding of arthropod evolution?|url=https://doi.org/10.3140/bull.geosci.1283|journal=Bulletin of Geosciences|pages=725–736|doi=10.3140/bull.geosci.1283|issn=1802-8225}}</ref> ** [[サンクタカリス]]({{snamei||Sanctacaris}} [[節足動物]]、[[ハベリア類]])<ref name=":6" /> ** [[シダズーン]]({{snamei||Xidazoon}} [[古虫動物]]) ** [[シドネイア]]({{snamei||Sidneyia}} [[節足動物]]、Artiopoda類)<ref name=":4" /> ** [[シファッソークタム]]({{snamei||Siphusauctum}}) ** [[スタンレイカリス]]({{snamei||Stanleycaris}} [[スタンレーカリス]]とも、[[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Pates|author=|first=Stephen|last2=Daley|first2=Allison C.|last3=Ortega-Hernández|first3=Javier|year=|date=2018-03-03|title=Reply to Comment on "Aysheaia prolata from the Utah Wheeler Formation (Drumian, Cambrian) is a frontal appendage of the radiodontan 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[[ハーペトガスター]]({{snamei||Herpetogaster}} [[水腔動物]]) ** [[ハプロフレンティス]]({{snamei||Haplophrentis}} [[触手冠動物]]、[[ヒオリテス]]類) ** [[ハベリア]]({{snamei||Habelia}} [[節足動物]] 、[[ハベリア類]])<ref name=":6" /> ** [[ハルキエリア]]({{snamei||Halkieria}} [[軟体動物]]、Halwaxiida類) ** [[ハルキゲニア]]({{snamei||Hallucigenia}} [[葉足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Smith|author=|first=Martin R.|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|year=|date=2015-07|title=''Hallucigenia''’s head and the pharyngeal armature of early ecdysozoans|url=https://www.nature.com/articles/nature14573|journal=Nature|volume=523|issue=7558|page=|pages=75–78|language=en|doi=10.1038/nature14573|issn=1476-4687}}</ref><ref name=":8" /> ** [[バルフティカリス]]({{snamei||Balhuticaris}} [[節足動物]]、Hymenocarina類)<ref>{{Cite journal|last=Izquierdo-López|first=Alejandro|last2=Caron|first2=Jean-Bernard|date=2022-07|title=Extreme multisegmentation in a giant bivalved arthropod from the Cambrian Burgess 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**[[ペルスピカリス]]({{Snamei||Perspicaris}} [[節足動物]]、Hymenocarina類)<ref name=":5" /> **[[マーレラ]]<ref name=":22" />({{snamei||Marrella}} [[マルレラ]]<ref name=":21" /><ref name=":18" /><ref name=":14" /><ref name=":16" /><ref name=":13" /><ref name=":17" />とも、[[節足動物]] 、[[マーレロモルフ類]])<ref>{{Cite journal|last=García-Bellido|first=Diego C|last2=Collins|first2=Desmond H|date=2006-06-01|title=A new study of ''Marrella splendens'' (Arthropoda, Marrellomorpha) from the Middle Cambrian Burgess Shale, British Columbia, Canada|url=https://www.researchgate.net/publication/237169357|journal=Canadian Journal of Earth Sciences|volume=43|issue=6|pages=721–742|language=en|doi=10.1139/e06-012|issn=0008-4077}}</ref> ** [[メタスプリッギナ]]({{snamei||Metaspriggina}} [[脊索動物]]) ** [[メタルデテス]]({{snamei||Metaldetes}} [[古杯動物]]) ** [[モリソニア]]<ref name=":23">{{Cite book|title=ワンダフル・ライフ: 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[[タミシオカリス]]({{snamei||Tamisiocaris}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Vinther|first=Jakob|last2=Stein|first2=Martin|last3=Longrich|first3=Nicholas R.|last4=Harper|first4=David A. 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C.|last3=Butterfield|first3=Nicholas J.|date=2019-06-11|title=First report of paired ventral endites in a hurdiid radiodont|url=https://doi.org/10.1186/s40851-019-0132-4|journal=Zoological Letters|volume=5|issue=1|pages=18|doi=10.1186/s40851-019-0132-4|issn=2056-306X|pmid=31210962|pmc=6560863}}</ref> ** [[エリプソケファルス]]({{Snamei||Ellipsocephalus}} [[棘皮動物]]) ** [[オーステノトゥブルス]]({{snamei||Orstenotubulus}} [[葉足動物]])<ref name=":8" /> ** [[カンブロピクノゴン]]({{Snamei||Cambropycnogon}} [[節足動物]]、既知最古の[[ウミグモ]])<ref>{{Cite journal|last=Waloszek|first=Dieter|last2=Dunlop|first2=Jason A.|date=2002-05|title=A Larval Sea Spider (Arthropoda: Pycnogonida) from the Upper Cambrian 'orsten' of Sweden, and the Phylogenetic Position of Pycnogonids|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/1475-4983.00244|journal=Palaeontology|volume=45|issue=3|pages=421–446|language=en|doi=10.1111/1475-4983.00244|issn=0031-0239}}</ref> ** [[クリペカリス]]({{Snamei||Clypecaris}} [[節足動物]]、Hymenocarina類?)<ref>{{Cite 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[[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|date=2020-11-15|title=A new middle Cambrian radiodont from North China: Implications for morphological disparity and spatial distribution of hurdiids|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0031018220303928|journal=Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology|volume=558|pages=109947|language=en|doi=10.1016/j.palaeo.2020.109947|issn=0031-0182}}</ref> ** [[コトゥルノキスティス]]({{snamei||Cothurnocystis}} [[棘皮動物]]) ** [[コリンシウム]]({{snamei||Collinsium}} [[葉足動物]])<ref name=":8" /> ** [[シベリオン]]({{snamei||Siberion}} [[葉足動物]])<ref name=":8" /> ** [[トライトニクス]]({{snamei||Tritonychus}} [[葉足動物]])<ref name=":8" /> ** [[ネッタペゾウラ]]<ref name=":19" />({{snamei||Nettapezoura}} [[節足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Hendricks|first=Jonathan R.|last2=Lieberman|first2=Bruce S.|date=2008-05|title=New Phylogenetic Insights into the Cambrian Radiation of Arachnomorph Arthropods|url=https://www.researchgate.net/publication/250070967|journal=Journal of Paleontology|volume=82|issue=3|pages=585–594|doi=10.1666/07-017.1|issn=0022-3360}}</ref> ** [[パーヴァンティア]]({{snamei||Pahvantia}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Lerosey-Aubril|first=Rudy|last2=Pates|first2=Stephen|date=2018-09-14|title=New suspension-feeding radiodont suggests evolution of microplanktivory in Cambrian macronekton|url=https://www.nature.com/articles/s41467-018-06229-7|journal=Nature Communications|volume=9|issue=1|pages=3774|language=en|doi=10.1038/s41467-018-06229-7|issn=2041-1723}}</ref> ** [[パラドキシデス]] ({{snamei||Paradoxides}} [[節足動物]]、[[三葉虫]]) ** [[パラノマロカリス]]({{snamei||Paranomalocaris}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Wang|author=|first=YuanYuan|last2=Huang|first2=DiYing|last3=Hu|first3=ShiXue|year=|date=2013-11-01|title=New anomalocardid frontal appendages from the Guanshan biota, eastern Yunnan|url=https://www.researchgate.net/publication/257689210|journal=Chinese Science Bulletin|volume=58|issue=32|page=|pages=3937–3942|language=en|doi=10.1007/s11434-013-5908-x|issn=1861-9541}}</ref> ** [[ピクノドキアトゥス]]([[古杯動物]]) ** [[ブッカスピネア]]({{snamei||Buccaspinea}} [[節足動物]]、[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Pates|first=Stephen|last2=Lerosey-Aubril|first2=Rudy|last3=Daley|first3=Allison C.|last4=Kier|first4=Carlo|last5=Bonino|first5=Enrico|last6=Ortega-Hernández|first6=Javier|date=2021-01-19|title=The diverse radiodont fauna from the Marjum Formation of Utah, USA (Cambrian: Drumian)|url=https://peerj.com/articles/10509|journal=PeerJ|volume=9|pages=e10509|language=en|doi=10.7717/peerj.10509|issn=2167-8359}}</ref> **[[プレクトロノセラス]]({{Snamei||Plectronoceras}} [[軟体動物]]) ** [[ヘバーテラ]]([[触手冠動物]]) ** [[ベックウィジア]]({{snamei||Beckwithia}} [[節足動物]]、[[光楯類]]) ** [[ペロノプシス]]({{snamei||Peronopsis}} [[節足動物]]、[[三葉虫]]) ** [[ユタウロラ]]<ref>{{Cite book|和書|title=カラー図説 生命の大進化40億年史 古生代編 生命はいかに誕生し、多様化したのか|publisher=講談社|date=2022-06-16|first=健|last=土屋|ASIN=B0B38XJ176|author2=群馬県立自然史博物館}}</ref>({{snamei||Utaurora}} [[節足動物]]、[[恐蟹類]])<ref>{{Cite journal|last=Pates|first=Stephen|last2=Wolfe|first2=Joanna|last3=Lerosey-Aubril|first3=Rudy|last4=Daley|first4=Allison|last5=Ortega-Hernández|first5=Javier|date=2022-02-09|title=New opabiniid diversifies the weirdest wonders of the euarthropod stem group|url=https://www.researchgate.net/publication/358469075|journal=Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=289|pages=20212093|doi=10.1098/rspb.2021.2093}}</ref> ** [[ラトウケラ]] ({{snamei||Latouchella}} [[軟体動物]]) **[[リフアカリス]]({{snamei||Lihuacaris}} [[節足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Jiao|first=De-guang|last2=Pates|first2=Stephen|last3=Lerosey-Aubril|first3=Rudy|last4=Ortega-Hernández|first4=Javier|last5=Yang|first5=Jie|last6=Lan|first6=Tian|last7=Zhang|first7=Xi-guang|year=2021-11-10|title=New multipodomerous appendages of stem-group euarthropods from the Cambrian (Stage 4) Guanshan Konservat-Lagerstätte|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsos.211134|journal=Royal Society Open Science|volume=8|issue=11|pages=211134|doi=10.1098/rsos.211134}}</ref> ** [[ゼヌシオン]]<ref name=":13" />({{snamei||Xenusion}} [[葉足動物]])<ref name=":8" /> === [[オルドビス紀]](4億8,830万~4億4,370万年前)・[[シルル紀]](4億4,370万~4億1,600万年前) === * [[アキュティラムス]]<ref name=":13" />(''[[:en:Acutiramus|Acutiramus]]'' [[アクチラムス]]<ref name=":14" /><ref name=":19" /><ref name=":16" />''とも、'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[アサフス]](''[[:en:Asaphus|Asaphus]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[アストラスピス]](''[[:en:Astraspis|Astraspis]]'' [[無顎類]]) * [[アランダスピス]](''[[:en:Arandaspis|Arandaspis]]'' [[無顎類]]) * [[ヴェヌストゥルス]](''[[:en:Venustulus|Venustulus]]'' [[節足動物]]、[[ハラフシカブトガニ類]])<ref name=":2" /> * [[エーギロカシス]](''[[:en:Aegirocassis|Aegirocassis]]'' [[節足動物]] 、既知最大の[[ラディオドンタ類]])<ref>{{Cite journal|last=Van Roy|first=Peter|last2=Daley|first2=Allison C.|last3=Briggs|first3=Derek E. G.|date=2015-06|title=Anomalocaridid trunk limb homology revealed by a giant filter-feeder with paired flaps|url=https://www.nature.com/articles/nature14256|journal=Nature|volume=522|issue=7554|pages=77–80|language=en|doi=10.1038/nature14256|issn=1476-4687}}</ref> *[[エオアースロプレウラ]](''[[:en:Eoarthropleura|Eoarthropleura]]''<ref name=":29">William Shear & Paul Selden (1995). “[http://www.paulselden.net/uploads/7/5/3/2/7532217/eoarthropleura.pdf ''Eoarthropleura'' (Arthropoda, Arthropleurida) from the Silurian of Britain and the Devonian of North America]” ([[Portable Document Format|PDF]]). ''Neues Jahrbuch für Geologie und Paläontologie, Abhandlungen'' '''196''' (3): 347–375.</ref> [[節足動物]]、[[ヤスデ]]、[[アースロプレウラ類]])<ref name=":28" /> *[[エオドゥスリア]](''[[:en:Eoduslia|Eoduslia]]'' [[節足動物]]、[[ケロニエロン類]]) *[[エリエオプテルス]](''[[:en:Erieopterus|Erieopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[エレトプテルス]](''[[:en:Erettopterus|Erettopterus]] [[エレットプテルス]]とも''<ref name=":13" />''、'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[エンクリヌルス]](''[[:en:Encrinurus|Encrinurus]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) * [[オファコルス]]<ref name=":18" /><ref name=":14" /><ref name=":16" />(''[[:en:Offacolus|Offacolus]]'' [[オッファコルス]]<ref name=":19" />、[[オーファコルス]]<ref>{{Cite book|title=眼の誕生: カンブリア紀大進化の謎を解く|url=https://www.worldcat.org/title/me-no-tanjo-kanburiaki-daishinka-no-nazo-o-toku/oclc/675381389|publisher=草思社|date=2006|location=東京|isbn=978-4-7942-1478-2|oclc=675381389|language=Japanese|first=Andrew|last=Parker|first2=政隆|last2=渡辺|first3=康子|last3=今西}}</ref>とも、[[節足動物]]、[[鋏角類]])<ref name=":2" /> *[[オニコプテレラ]](''[[:en:Onychopterella|Onychopterella]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[オピペウター]](''[[:en:Opipeuterella|Opipeuterella]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[オルトセラス]](''[[:en:Orthoceras|Orthoceras]]'' [[軟体動物]]、[[チョッカクガイ]]) *[[オンニア]](''[[:en:Onnia (trilobite)|Onnia]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) * [[カスマタスピス]]<ref name=":13" />(''[[:en:Chasmataspis|Chasmataspis]]'' [[ネジムシ]]<ref name=":20" />とも、[[節足動物]]、[[カスマタスピス類]])<ref name=":2" /> *[[カリメネ]] (''[[:en:Calymene|Calymene]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) * [[カルシコルデート]](''[[:en:calcichordate|calcichordate]]'' [[棘皮動物]]) *[[カルシノソマ]](''[[:en:Carcinosoma|Carcinosoma]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[カルバリア]](''[[:en:Kalbarria|Kalbarria]]'' [[節足動物]]、[[ユーシカルシノイド類]]) *[[カメラステラ]]([[軟体動物]]) * [[キシロコリス]]<ref name=":14" /><ref name=":16" /><ref name=":19" /><ref name=":17" />(''[[:en:Xylokorys|Xylokorys]]'' [[節足動物]]、[[マーレロモルフ類]]) *[[キャモセファルス]](''[[:en:Cyamocephlus|Cyamocephlus]]'' [[節足動物]]、[[ハラフシカブトガニ類]])<ref name=":2" /> * [[クサリサンゴ]](''[[:en:Halysites|Halysites]]'' [[刺胞動物]]、[[床板サンゴ類]]<ref name=":24">ただし、この[[系統学|系統]]のサンゴは[[ペルム紀大絶滅]]により全て絶滅した。現在のサンゴは異なる系統から現れたとされる。</ref>) * [[クリマティウス]](''[[:en:Climatius|Climatius]]'' [[棘魚類]]) * [[ケファラスピス]](''[[:en:Cephalaspis|Cephalaspis]]'' [[無顎類]]) *[[ココモプテルス]](''[[:en:Kokomopterus|Kokomopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[サカバンバスピス]](''[[:en:Sacabambaspis|Sacabambaspis]]'' [[無顎類]]) *[[シウルコプテルス]](''[[:en:Ciurcopterus|Ciurcopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ストロビロプテルス]](''[[:en:Strobilopterus|Strobilopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[スリモニア]](''[[:en:Slimonia|Slimonia]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[シュードニスクス]](''[[:en:Pseudoniscus|Pseudoniscus]]'' [[節足動物]]、[[ハラフシカブトガニ類]]) *[[セレノペルティス]] (''[[:en:Selenopeltis|Selenopeltis]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[タナヒタ]](''[[:en:Thanahita|Thanahita]]'' [[葉足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Siveter|first=Derek J.|last2=Briggs|first2=Derek E. G.|last3=Siveter|first3=David J.|last4=Sutton|first4=Mark D.|last5=Legg|first5=David|title=A three-dimensionally preserved lobopodian from the Herefordshire (Silurian) Lagerstätte, UK|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/full/10.1098/rsos.172101|journal=Royal Society Open Science|volume=5|issue=8|pages=172101|doi=10.1098/rsos.172101}}</ref> *[[ダイバステリウム]]<ref name=":18" />(''[[:en:Dibasterium|Dibasterium]]'' [[節足動物]]、[[鋏角類]])<ref name=":2" /> *[[ダルトムティア]](''[[:en:Dartmuthia|Dartmuthia]]'' [[無顎類]]) * [[テロドゥス]](''[[:en:Thelodus|Thelodus]]'' [[無顎類]]) * [[ディプロアスピス]]<ref name=":13" />(''[[:en:Diploaspis|Diploaspis]]'' [[節足動物]]、[[カスマタスピス類]]) * [[トリアルツルス]] (''[[:en:Triarthrus|Triarthrus]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[トレマタスピス]](''[[:en:Tremataspis|Tremataspis]]'' [[無顎類]]) *[[トムリンソヌス]]({{Snamei||Tomlinsonus}} [[節足動物]]、[[マーレロモルフ類]])<ref>{{Cite journal|last=Moysiuk|first=Joseph|last2=Izquierdo-López|first2=Alejandro|last3=Kampouris|first3=George E.|last4=Caron|first4=Jean-Bernard|date=2022-03-24|title=A new marrellomorph arthropod from southern Ontario: a rare case of soft-tissue preservation on a Late Ordovician open marine shelf|url=https://www.cambridge.org/core/journals/journal-of-paleontology/article/abs/new-marrellomorph-arthropod-from-southern-ontario-a-rare-case-of-softtissue-preservation-on-a-late-ordovician-open-marine-shelf/2842CB067540110E7212E88AE26BA1B0|journal=Journal of Paleontology|pages=1–16|language=en|doi=10.1017/jpa.2022.11|issn=0022-3360}}</ref> *[[ドリコプテルス]](''[[:en:Dolichopterus|Dolichopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ドゥスリア]](''[[:en:Duslia|Duslia]]'' [[節足動物]]、[[ケロニエロン類]]) *[[ナラオイア]](''[[:en:Naraoia|Naraoia]]'' [[節足動物]]、Nektaspida類) *[[ネオアサフス・コワレフスキー|ネオアサフス]](''[[:en:Neoasaphus|Neoasaphus]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]、アサフスに含まれるともされる) * [[ハリエステス]](''[[:en:Haliestes|Haliestes]]'' [[節足動物]]、[[ウミグモ類]])<ref name=":2" /> *[[パラスティロヌルス]](''[[:en:Parastylonurus|Parastylonurus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[パリオスコーピオ]]<ref name=":25" />(''[[:en:Parioscorpio|Parioscorpio]]'' 所属不明の[[節足動物]]<ref>{{Cite journal|last=Anderson|first=Evan P.|last2=Schiffbauer|first2=James D.|last3=Jacquet|first3=Sarah M.|last4=Lamsdell|first4=James C.|last5=Kluessendorf|first5=Joanne|last6=Mikulic|first6=Donald G.|date=2021|title=Stranger than a scorpion: a reassessment of Parioscorpio venator, a problematic arthropod from the Llandoverian Waukesha Lagerstätte|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/pala.12534|journal=Palaeontology|volume=64|issue=3|pages=429–474|language=en|doi=10.1111/pala.12534|issn=1475-4983}}</ref>) *[[ビルケニア]](''[[:en:Birkenia|Birkenia]]'' [[無顎類]]) *[[フグミレリア]](''[[:en:Hughmilleria|Hughmilleria]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ファコプス]](''[[:en:Phacops|Phacops]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[ファリンゴレピス]](''[[:en:Pharyngolepis|Pharyngolepis]]'' [[無顎類]]) * [[プテリゴトゥス]](''[[:en:Pterygotus|Pterygotus]]'' [[プテリゴートゥス]]<ref name=":22" /><ref name=":26">{{Cite book|title=とても巨大な絶滅せいぶつ図鑑|url=https://www.worldcat.org/title/totemo-kyodai-na-zetsumetsu-seibutsu-zukan/oclc/1104794344|publisher=世界文化社|date=2019|location=東京|isbn=978-4-418-19213-7|oclc=1104794344|language=Japanese|last=田中源吾}}</ref>とも、[[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[プロスコルピウス]](''[[:en:Proscorpius|Proscorpius]]'' [[節足動物]]、[[クモガタ類]]、[[サソリ]])<ref name=":2" /> * [[ヘバーテラ]]([[触手冠動物]]) *[[リムロイデス]](''[[:en:Limuloides|Limuloides]]'' [[節足動物]]、[[ハラフシカブトガニ類]])<ref name=":2" /> *[[ルナタスピス]](''[[:en:Lunataspis|Lunataspis]]'' [[節足動物]]、既知最古の[[カブトガニ類]])<ref name=":2" /> * [[ペンテコプテルス]](''[[:en:Pentecopterus|Pentecopterus]]'' [[節足動物]]、既知最古の[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[ミエリテリン]]({{snamei||Mieridduryn}} [[節足動物]]、[[恐蟹類]])<ref>{{Cite journal|last=Pates|first=Stephen|last2=Botting|first2=Joseph P.|last3=Muir|first3=Lucy A.|last4=Wolfe|first4=Joanna M.|date=2022-11-15|title=Ordovician opabiniid-like animals and the role of the proboscis in euarthropod head evolution|url=https://www.nature.com/articles/s41467-022-34204-w|journal=Nature Communications|volume=13|issue=1|pages=6969|language=en|doi=10.1038/s41467-022-34204-w|issn=2041-1723}}</ref> * [[ミクソプテルス]](''[[:en:Mixopterus|Mixopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[メガログラプトゥス]](''[[:en:Megalograptus|Megalograptus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[モリソニア]]<ref name=":23" />(''[[:en:Mollisonia|Mollisonia]]'' [[節足動物]]、[[モリソニア類]])<ref>{{Cite journal|last=Lerosey-Aubril|first=Rudy|last2=Skabelund|first2=Jacob|last3=Ortega-Hernández|first3=Javier|date=2020-04-09|title=Revision of the mollisoniid chelicerate(?) Thelxiope, with a new species from the middle Cambrian Wheeler Formation of Utah|url=https://peerj.com/articles/8879|journal=PeerJ|volume=8|pages=e8879|language=en|doi=10.7717/peerj.8879|issn=2167-8359}}</ref> *[[ユーリプテルス]](''[[:en:Eurypterus|Eurypterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> === [[デボン紀]](4億1,600万~3億5,920万年前) === * [[アカントーデス]](''[[:en:Acanthodes|Acanthodes]]'' [[棘魚類]]) * [[アカントステガ]](''[[:en:Acanthostega|Acanthostega]]'' 初期の[[四肢動物]]) *[[アキュティラムス]]<ref name=":13" />(''[[:en:Acutiramus|Acutiramus]]'' [[アクチラムス]]<ref name=":14" /><ref name=":19" /><ref name=":16" />''とも、''[[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> * [[イクチオステガ]](''[[:en:Ichthyostega|Ichthyostega]]'' [[両生類]]) * [[ウィンガートシェリクス]]({{Snamei||Wingertshellicus}}、=[[デヴォノヘキサポドゥス]] {{Snamei||Devonohexapodus}}、所属不明の[[節足動物]])<ref>{{Cite journal|last=Kühl|first=Gabriele|last2=Rust|first2=Jes|date=2009-08-25|title=''Devonohexapodus bocksbergensis'' is a synonym of ''Wingertshellicus backesi'' (Euarthropoda) – no evidence for marine hexapods living in the Devonian Hunsrück Sea|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1439609209000191|journal=Organisms Diversity & Evolution|volume=9|issue=3|pages=215–231|language=en|doi=10.1016/j.ode.2009.03.002|issn=1439-6092}}</ref> * [[ウェインベルギナ]](''[[:en:Weinbergina|Weinbergina]]'' [[節足動物]]、[[ハラフシカブトガニ類]])<ref name=":2" /> *[[ヴァコニシア]]<ref name=":14" /><ref name=":16" /><ref name=":19" />(''[[:en:Vachonisia|Vachonisia]]'' [[節足動物]]、[[マーレロモルフ類]]<ref>{{Cite journal|last=Kühl|first=Gabriele|last2=Bergström|first2=Jan|last3=Rust|first3=Jes|date=2008-12-12|title=Morphology, Palaeobiology and Phylogenetic Position of ''Vachonisia rogeri'' (Arthropoda) from the Lower Devonian Hunsrück Slate (Germany)|url=https://www.schweizerbart.de/papers/pala/detail/286/86473/Morphology_Palaeobiology_and_Phylogenetic_Position?af=crossref|journal=Palaeontographica Abteilung A|pages=123–157|language=en|doi=10.1127/pala/286/2008/123}}</ref>) * [[エアストマノステウス]](''[[:en:Eastmanosteus|Eastmanosteus]]'' [[板皮類]]) * [[エオアースロプレウラ]](''[[:en:Eoarthropleura|Eoarthropleura]]''<ref name=":29">William Shear & Paul Selden (1995). “[http://www.paulselden.net/uploads/7/5/3/2/7532217/eoarthropleura.pdf ''Eoarthropleura'' (Arthropoda, Arthropleurida) from the Silurian of Britain and the Devonian of North America]” ([[Portable Document Format|PDF]]). ''Neues Jahrbuch für Geologie und Paläontologie, Abhandlungen'' '''196''' (3): 347–375.</ref> [[節足動物]]、[[ヤスデ]])<ref name=":28" /> *[[エリエオプテルス]](''Erieopterus'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[エルギネルペトン]](''[[:en:Elginerpeton|Elginerpeton]]'' [[両生類]]) *[[エレトプテルス]](''[[:en:Erettopterus|Erettopterus]]'' [[エレットプテルス]]とも<ref name=":13" />''、''[[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[エウステノプテロン]](''[[:en:Eusthenopteron|Eusthenopteron]]'' ユーステノプテロンとも、[[硬骨魚綱|硬骨魚類]]) * [[オステオレピス]](''[[:en:Osteolepis|Osteolepis]]'' [[硬骨魚綱|硬骨魚類]]) * [[オルタカントゥス]] (''[[:en:Orthacanthus|Orthacanthus]]'' [[軟骨魚綱|軟骨魚類]]) * [[クサリサンゴ]](''[[:en:Halysites|Halysites]]'' [[刺胞動物]]、[[床板サンゴ類]]<ref name=":24" />) * [[クプレッソクリニテス]](''[[:en:Cupressocrinites|Cupressocrinites]]'' [[棘皮動物]]) * [[クラドセラケ]](''[[:en:Cladoselache|Cladoselache]]'' クラドセラキー<ref>[[沖山宗雄]] 他、『ニューワイド学研の図鑑・魚』、[[学習研究社]]、2000年、148などではクラドセラキーと書かれている。</ref>とも、[[軟骨魚綱|軟骨魚類]]、古代の[[サメ]]) * [[クリマティウス]](''[[:en:Climatius|Climatius]]'' [[棘魚類]]) * [[ケイロレピス]](''[[:en:Cheirolepis|Cheirolepis]]'' [[硬骨魚綱|硬骨魚類]]) *[[ケロニエロン]]<ref name=":23" />(''[[:en:Cheloniellon|Cheloniellon]]'' [[チェロニエロン]]<ref name=":13" />とも、[[節足動物]]、[[ケロニエロン類]])<ref>{{Cite journal|last=Stürmer|author=|first=Wilhelm|last2=Bergström|first2=Jan|year=|date=1978-06-01|title=The arthropod Cheloniellon from the devonian hunsrück shale|url=https://doi.org/10.1007/BF03006730|journal=Paläontologische Zeitschrift|volume=52|issue=1|page=|pages=57–81|language=en|doi=10.1007/BF03006730}}</ref> * [[ゲムエンディナ]](''[[:en:Gemuendina|Gemuendina]]'' [[板皮類]]) *[[ゲラストス]](''[[:en:Gerastos|Gerastos]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) * [[コッコステウス]](''[[:en:Coccosteus|Coccosteus]]'' [[板皮類]]) * [[シンダーハンネス]](''[[:en:Schinderhannes bartelsi|Schinderhannes]]'' [[節足動物]]、既知最晩期の[[ラディオドンタ類]])<ref name=":10" /> *[[イェーケロプテルス]](''[[:en:Jaekelopterus|Jaekelopterus]]'' [[ジェケロプテルス]]<ref name=":13" />、[[ヤエケロプテルス]]<ref name=":26" />とも、[[節足動物]]、既知最大の[[ウミサソリ]]<ref>{{Cite journal|last=Braddy|first=Simon J|last2=Poschmann|first2=Markus|last3=Tetlie|first3=O. Erik|date=2008-02-23|title=Giant claw reveals the largest ever arthropod|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2412931/|journal=Biology Letters|volume=4|issue=1|pages=106–109|doi=10.1098/rsbl.2007.0491|issn=1744-9561|pmid=18029297|pmc=2412931}}</ref>)<ref name=":2" /> * [[ステタカントゥス]](''[[:en:Stethacanthus|Stethacanthus]]'' ステタカンサスとも、[[軟骨魚綱|軟骨魚類]]、古代の[[サメ]]) *[[スティロヌルス]](''[[:en:Stylonurus|Stylonurus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ストロビロプテルス]](''[[:en:Strobilopterus|Strobilopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ダンクルオステウス]](''[[:en:Dunkleosteus|Dunkleosteus]]'' [[板皮類]]) * [[ディプノリンクス]](''[[:en:Dipnorhynchus|Dipnorhynchus]]'' [[硬骨魚綱|硬骨魚類]]、[[ハイギョ]]) * [[ドリアスピス]](''[[:en:Doryaspis|Doryaspis]]'' [[無顎類]]) * [[ドレパナスピス]](''[[:en:Drepanaspis|Drepanaspis]]'' [[無顎類]]) *[[パレオイソプス]](''[[:en:Palaeoisopus|Palaeoisopus]]'' [[節足動物]]、[[ウミグモ類]])<ref name=":2" /> * [[パレオカリヌス]](''[[:en:Palaeocharinus|Palaeocharinus]]'' =[[パレオカリノイデス]] ''Palaeocharinoides''、[[節足動物]]、[[クモ綱|クモガタ類]]、[[ワレイタムシ]])<ref name=":2" /> *[[パレオパントプス]](''[[:en:Paleopantopus|Paleopantopus]]'' [[節足動物]]、[[ウミグモ類]])<ref name=":2" /> *[[ヒベルトプテルス]](''[[:en:Hibbertopterus|Hibbertopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[ファコプス]](''[[:en:Phacops|Phacops]]'' [[節足動物]]、[[三葉虫]]) *[[ブロントスコルピオ]](''[[:en:Brontoscorpio|Brontoscorpio]]'' [[節足動物]]、[[クモガタ類]]、[[サソリ]])<ref name=":2" /> *[[プテラスピス]](''[[:de:Pteraspis|Pteraspis]]'' [[無顎類]]) * [[プテリゴトゥス]](''[[:en:Pterygotus|Pterygotus]]'' [[プテリゴートゥス]]<ref name=":22" /><ref name=":26" />とも、[[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[プロトカルス]](''[[:en:Protocarus|Protocarus]]'' [[節足動物]]、[[クモ綱|クモガタ類]]、[[ダニ]])<ref name=":2" /> * [[ヘバーテラ]]([[触手冠動物]]) * [[ヘテロクラニア]](''[[:en:Heterocrania|Heterocrania]]'' [[節足動物]]、[[ユーシカルシノイド類]]) *[[ヘミキクラスピス]](''[[:en:Hemicyclaspis|Hemicyclaspis]]'' [[無顎類]]) *[[ボトリオレピス]](''[[:en:Bothriolepis|Bothriolepis]]'' [[板皮類]]) * [[ポロプチキウス]]([[硬骨魚綱|硬骨魚類]]) *[[マテルピスキス]] ([[板皮類]]) *[[ミクロディケンプレクス]](''[[:en:Microdecemplex|Microdecemplex]]'' [[節足動物]]、[[ヤスデ]]、[[アースロプレウラ類]])<ref name=":28" /> *[[ミメタスター]](''[[:en:Mimetaster|Mimetaster]]'' [[節足動物]]、[[マーレロモルフ類]]) *[[モセロプテルス]](''[[:en:Moselopterus|Moselopterus]]'' [[節足動物]]、[[ウミサソリ]])<ref name=":2" /> *[[リニエラ]](''[[:en:Rhyniella|Rhyniella]]'' [[節足動物]]、[[トビムシ目|トビムシ]]、既知最古の[[六脚類]]の1つ) * [[ルナスピス]](''[[:en:Lunaspis|Lunaspis]]'' [[板皮類]]) === [[石炭紀]](3億5,920万~2億9,900万年前) === * [[アースロプレウラ]](''[[:en:Arthropleura|Arthropleura]]'' [[コダイオオヤスデ]]とも、既知最大の[[節足動物]]<ref name=":30">{{Cite journal|last=Davies|first=Neil S.|last2=Garwood|first2=Russell J.|last3=McMahon|first3=William J.|last4=Schneider|first4=Joerg W.|last5=Shillito|first5=Anthony P.|date=2021-12-21|title=The largest arthropod in Earth history: insights from newly discovered Arthropleura remains (Serpukhovian Stainmore Formation, Northumberland, England)|url=https://jgs.lyellcollection.org/content/early/2021/11/19/jgs2021-115|journal=Journal of the Geological Society|language=en|doi=10.1144/jgs2021-115|issn=0016-7649}}</ref>、[[ヤスデ]]、[[アースロプレウラ類]]<ref>{{Cite book|title=Treatise on Zoology - Anatomy, Taxonomy, Biology. The Myriapoda, Volume 2|url=https://books.google.com.tw/books?id=bqW8CgAAQBAJ&pg=PA339&lpg=PA339&dq=Arthropleuridea&source=bl&ots=PAMcz0SWkU&sig=ACfU3U2udO_iiH2uhw61M_cZgw6pMVhoRg&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwioqszNueXoAhWMMN4KHckxCGkQ6AEwAnoECAcQOg#v=snippet&q=Arthropleuridea&f=false|publisher=BRILL|date=2015-10-01|isbn=978-90-04-18827-3|language=en|first=Alessandro|last=Minelli}}</ref>) * [[アカントーデス]](''[[:en:Acanthodes|Acanthodes]]'' [[棘魚類]]) * [[アルケオキダリス]]([[棘皮動物]]、[[ウニ]]) * [[アーケオシリス]](''[[:en:Archaeothyris|Archaeothyris]]'' [[単弓類]]) * [[アルトロリコーサ]]([[節足動物]]) * [[イアンタサウルス]](''[[:en:Ianthasaurus|Ianthasaurus]]'' [[単弓類]]) * [[ウェストロティアナ]](''[[:en:Westlothiana|Westlothiana]]'' [[爬虫類]]) * [[エキネルペトン]]([[単弓類]]) * [[エスコニテス]](''[[:en:Esconites|Esconites]]'' [[環形動物]]、[[多毛類]]) * [[エオギリヌス]](''[[:en:Pholiderpeton|Pholiderpeton]]''とも [[両生類]]) * [[オフィダペトン]](''[[:en:Edaphosaurus|Edaphosaurus]]'' [[両生類]]) * [[エダフォサウルス]]([[単弓類]]) * [[エトブラッティナ]] ([[節足動物]]) * [[エリオプス]](''[[:en:Eryops|Eryops]]'' [[両生類]]) * [[カーボトゥブルス]](''[[:en:Carbotubulus|Carbotubulus]]'' 既知最晩期の[[葉足動物]])<ref name=":8" /> *[[カリデクテス]](''[[:en:Kallidecthes|Kallidecthes]]'' [[節足動物]]、[[甲殻類]]、[[十脚目|十脚類]]) * [[キセナカントゥス]](''[[:en:Xenacanthus|Xenacanthus]]'' [[軟骨魚綱|軟骨魚類]]、古代の[[サメ]]) * [[クサリサンゴ]](''[[:en:Halysites|Halysites]]'' [[刺胞動物]]、[[床板サンゴ類]]<ref name=":24" />) * [[ゲラルス]] ([[節足動物]]、[[昆虫]]) * [[コクリオダス]]([[軟骨魚綱|軟骨魚類]]) *[[プレシオシロ]](''[[:en:Plesiosiro|Plesiosiro]]'' [[コスリイムシ]]''とも、''[[節足動物]]、[[クモガタ類]])<ref name=":2" /> * [[シムモリウム]](''[[:en:Symmorium|Symmorium]]'' [[軟骨魚綱|軟骨魚類]]、古代の[[サメ]]) * [[ステタカントゥス]](''[[:en:Stethacanthus|Stethacanthus]]'' [[軟骨魚綱|軟骨魚類]]、古代の[[サメ]]) *[[ステノディクティア]](''[[:en:Stenodictya|Stenodictya]]'' [[節足動物]]、[[昆虫]]、[[ムカシアミバネムシ]]) * [[ディアデクテス]](''[[:en:Diadectes|Diadectes]]'' [[両生類]]) * [[デルトプティキウス]](''[[:en:Deltoptychius|Deltoptychius]]'' [[軟骨魚綱|軟骨魚類]]) * [[トゥプス]](''[[:en:Tupus|Tupus]]'' [[節足動物]]、[[昆虫]]、[[オオトンボ目|オオトンボ]]) * [[トゥリモンストゥルム]](''[[:en:Tullimonstrum|Tullimonstrum]]'' タリモンストラムとも、所属不明の[[左右相称動物]]) * 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new microinvertebrate with features of mites and tardigrades in Dominican amber|url=https://www.researchgate.net/publication/336116706|journal=Invertebrate Biology|volume=138|issue=4|pages=e12265|language=en|doi=10.1111/ivb.12265|issn=1744-7410}}</ref> ==== [[軟体動物]] ==== * [[ビカリア]]([[巻貝]]) * [[ビカリエラ]]([[巻貝]]) * [[カガミホタテガイ]](貝類/イタヤガイ類) * [[アキタニシキ]](貝類/イタヤガイ類) * [[アラカワニシキ]](貝類/イタヤガイ類) * [[イズラチサラガイ]](貝類/イタヤガイ類) * [[イタヤガイ]](''[[:en:Pecten albicans|Pecten albicans]]'' 貝類/イタヤガイ類) * [[イワサキホタテ]](貝類/イタヤガイ類) * [[ウゴホタテガイ]](貝類/イタヤガイ類) *[[タカハシホタテ]] (貝類/イタヤガイ類) ==== [[節足動物]] ==== * [[ティタノミルマ]]([[ハチ目|膜翅目]]、巨大な[[アリ]]) ==== [[魚類]] ==== * [[メガロドン]]([[サメ]]) ==== [[爬虫類]]・[[両生類]] ==== * [[ギガントフィス]]([[ヘビ目]]、巨大なヘビの祖先) *[[シモエドサウルス]] (ワニに似た爬虫類) * [[スチュペンデミス]]([[カメ目]]) * [[チャンプソサウルス]](ワニに似た爬虫類) *[[ティタノボア]] ([[ヘビ目]]、巨大なヘビの祖先) * [[パレオバトラクス]](''[[:en:Palaeobatrachus|Palaeobatrachus]]'' カエル) * [[プルスサウルス]](巨大な[[ワニ]]) * [[ランフォスクス]](''[[:en:Rhamphosuchus|Rhamphosuchus]]'' 巨大な[[ワニ]]) ==== [[鳥類]] ==== * 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*[[レプティクティディウム]] ([[レプティクティス類]]、[[レプティクティス科]]) * [[レプトメリックス]](''[[:en:Leptomeryx|Leptomeryx]]'' [[ウシ目]]) * [[レミングトノケトゥス]]([[クジラ目]]、原クジラ類) * [[ロドケトゥス]](''[[:en:Rodhocetus|Rodhocetus]]'' [[クジラ目]]、原クジラ類) * [[ロフィアレステス]]([[ウマ目]] バク上科) ===== [[ヒト科]] ===== * [[アウストラロピテクス属]]({{snamei||Australopithecus}} [[猿人]]) ** [[アウストラロピテクス・アナメンシス]]({{snamei|en|Australopithecus anamensis|A. anamensis}} [[アナム猿人]]) ** [[アウストラロピテクス・アファレンシス]]({{snamei|en|Australopithecus afarensis|A. afarensis}} [[アファール猿人]]) ** [[アウストラロピテクス・アフリカヌス]]({{snamei|en|Australopithecus africanus|A. africanus}} [[アフリカヌス猿人]]) ** [[アウストラロピテクス・ガルヒ]]({{snamei|en|Australopithecus garhi|A. garhi}} [[ガルヒ猿人]]) ** [[アウストラロピテクス・バーレルガザリ]]({{snamei|en|Australopithecus bahrelghazali|A. bahrelghazali}}) * [[アルディピテクス属]]({{snamei||Ardipithecus}} 猿人) ** [[アルディピテクス・カダッバ]]({{snamei|en|Ardipithecus kadabba|A. kadabba}} [[カダバ猿人]]) ** [[アルディピテクス・ラミドゥス]]({{snamei|en|Ardipithecus ramidus|A. ramidus}} [[ラミドゥス猿人]]) * オロリン属({{snamei||Orrorin}}) ** [[オロリン・トゥゲネンシス]]({{snamei|en|Orrorin tugenensis|O. tugenensis}} 猿人) * ケニアントロプス属({{snamei||Kenyanthropus}} 猿人) ** [[ケニアントロプス・プラティオプス]]({{snamei|en|Kenyanthropus platyops|K. platyops}}) * [[サヘラントロプス属]]({{snamei||Sahelanthropus}}) ** [[サヘラントロプス・チャデンシス]]({{snamei|en|Sahelanthropus tchadensis|S. tchadensis}} [[トゥーマイ猿人]]。最古の人類である可能性) * [[パラントロプス属]]({{snamei||Paranthropus}} 猿人) ** [[パラントロプス・エチオピクス]]({{snamei|en|Paranthropus aethiopicus|P. aethiopicus}} [[エチオピクス猿人]]) ** [[パラントロプス・ボイセイ]]({{snamei|en|Paranthropus boisei|P. boisei}} [[ボイセイ猿人]]) ** [[パラントロプス・ロブストス]]({{snamei|en|Paranthropus robstus|P. robustus}} [[ロブストゥス猿人]]) ** [[プロプリオピテクス]] === [[第四紀]](258万年前~現代):17世紀前 === ====[[軟体動物]]==== *[[トウキョウホタテ]] (貝類/イタヤガイ類) ==== 爬虫類 ==== * [[コロッソケリス]](''[[:en:Megalochelys|Megalochelys]]'' [[カメ|カメ目]]) * [[マチカネワニ]]([[ワニ|ワニ目]]) * [[メイオラニア]]([[カメ|カメ目]]) * [[メガラニア]]([[有鱗目 (爬虫類)|有鱗目]] [[オオトカゲ科]]) ==== 鳥類 ==== *[[オルニメガロニクス]] ([[フクロウ目]]) * [[テラトルニスコンドル]] * [[:en:Shiriyanetta|Shiriyanetta hasegawai]] - 日本固有種の[[アイサ族]]。<ref name="Watanabe et al 2015">{{cite journal |last=Watanabe |first=Junya |last2=Matsuoka |first2=Hiroshige |title=Flightless diving duck (Aves, Anatidae) from the Pleistocene of Shiriya, northeast Japan |journal=Journal of Vertebrate Paleontology|volume=35|issue=6||date= 2015|url=https://doi.org/10.1080/02724634.2014.994745 }}</ref> ==== 魚類 ==== * ディプロドセラケ[https://it.wikipedia.org/wiki/File:Diplodoselache_woodi.jpg]([[サメ]]) ==== 哺乳類 ==== * {{仮リンク|アームブラスターオオカミ|en|Armbruster's wolf}}(アームブラスターズウルフ。[[ネコ目]] [[イヌ科]]) * [[マストドン#種|アメリカマストドン]]([[ゾウ目]]) * {{仮リンク|アメリカライオン (化石種)|en|American lion|label=アメリカライオン}}([[ネコ目]]) * [[エレファス・アンティクウス]]([[ゾウ目]]) * [[ギガンテウスオオツノジカ]]([[シカ目]]) * [[ギガントピテクス]]([[サル目]] [[ヒト上科]]) * [[エラスモテリウム]]([[ウマ目]] [[サイ|サイ科]]) * [[グリプトドン]]([[アリクイ目]]。[[アルマジロ]]の近縁種。6000年前に絶滅) * [[グロッソテリウム]]([[アリクイ目]]。[[ナマケモノ]]の近縁種) * [[ケブカサイ]]([[ウマ目]]、[[サイ|サイ科]]) * [[ゴルゴプスカバ|ヒッポポタマス・ゴルゴプス]](''[[:en:Hippopotamus gorgops|Hippopotamus gorgops]]'' [[ウシ目]]。カバの先祖) * [[ゴンフォテリウム]](ゴンフォテリウム。[[ゾウ目]]。1600年前絶滅) * [[シバテリウム]]([[ウシ目]]。キリンの近縁種) * [[バイソン属|ジャイアントバイソン]](''[[:en:Bison latifrons|Bison latifrons]]'' [[ウシ目]] [[ウシ科]]) * [[スミロドン]]([[ネコ目]]。[[剣歯虎|サーベルタイガー]]の一種) * [[セバルシス]]([[ウシ目]]、[[シカ科]]) * [[ダイアウルフ|ダイアオオカミ]](ダイアウルフ。[[ネコ目]] [[イヌ科]]) * [[ディケロリヌス]]([[ウマ目]]、[[サイ|サイ科]]) * [[ティタノティロプス]]([[ウシ目]][[ラクダ科]]) * [[ディプロトドン]]([[有袋類|フクロネズミ目]]) * [[ティラコレオ]]([[有袋類|フクロネズミ目]] フクロライオン科) * [[ホラアナグマ|ドウクツグマ]]([[ネコ目]]。クマの祖先) * [[ドエディクルス]]([[アリクイ目]][[グリプトドン|グリプトドン科]]) * [[ナウマンゾウ]]([[ゾウ目]]) * [[ネオヘロス]] * [[パノクトゥス]](アルマジロの先祖) * [[パラエオロキソドン]](''[[:en:Palaeoloxodon|Palaeoloxodon]]'' [[ゾウ目]]) *[[ファルコネリゾウ]] ([[ゾウ目]]) * [[フェリス・レオ・スペラエウス]]([[ネコ目]]。ライオンの先祖) * [[フリテリウム]](''[[:en:Hulitherium]]'' [[双前歯目|カンガルー目]]) * [[ペロロヴィス]](''[[:en:Pelorovis|Pelorovis]]'' [[ウシ目]] [[ウシ科]]) * [[ホモテリウム]](''[[:en:Homotherium|Homotherium]]'' [[ネコ目]]) * [[マクラウケニア]]([[滑距目]]) * [[マストドン]](''[[:en:Mastodon\Mastodon]]''[[ゾウ目]]) * [[マンモス]](マンムートゥス。[[ゾウ目]]) ** [[ケナガマンモス]] ** [[コロンビアマンモス]] ** 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[[レユニオンドードー]](実際には[[ペリカン目]][[トキ科]]に属するという説が有力) * [[1726年]] - [[ロドリゲスクイナ]] * [[1761年]] - [[ロドリゲスドードー]](ドードーの[[ロドリゲス島]][[亜種]]) * [[1768年]] - [[ステラーカイギュウ]](ステラーダイカイギュウ) * [[1770年]]頃 **[[ジャイアントモア]]([[モア]]、史上最大の鳥類) **[[ハーストイーグル]] * [[1774年]]‐[[サルジニアナキウサギ]] * [[1777年]] - [[タヒチシギ]] * [[1800年]] - [[ブルーバック (動物)|ブルーバック]](青灰色の毛皮を持った[[ウシ科]]の哺乳類) * [[1806年]] - [[ロードハウセイケイ]] * [[1826年]] - [[モーリシャスルリバト]]([[モーリシャスルリバト|ブルーピジョン]]) * [[1827年]]-[[ハワイミツスイ]] (オアフ島のオーオー) * [[1828年]] ** [[オガサワラマシコ]] ** [[オガサワラガビチョウ]] * [[1840年]] ** [[エピオルニス]] ** [[チャタムシマクイナ]] * [[1844年]] - [[オオウミガラス]] * [[1851年]] - [[キムネカカ]](ノーフォークカカ) * [[1852年]] - [[メガネウ]] * [[1865年]] - [[ケープライオン]] * [[1867年]] - [[シマバンディクート]] * [[1870年]] ** [[オキナワオオコウモリ]] **[[アトラスヒグマ]] * [[1875年]] - [[ニュージーランドウズラ]] * [[1878年]] - [[カササギガモ]] * [[1880年]] ** [[ターパン]] ** [[フォークランドオオカミ]] * [[1883年]] - [[クアッガ]]([[シマウマ]]の一種) * [[1885年]] - [[ミイロコンゴウインコ]] * [[1889年]] - [[オガサワラカラスバト]] * [[1893年]] - [[ハワイクイナ]] * [[1894年]] ** [[ウミベミンク]] ** [[スチーフンイワサザイ]] * [[1900年]] ** 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[[ボリエリアボア]] ** [[ルイジアナハタネズミ]] * [[1975年]] - [[ニホンアシカ]] * [[1979年]]? - [[ニホンカワウソ]](2012年絶滅認定) * [[1980年]] ** [[ジャワトラ]] ** [[アカガゼル]] * [[1981年]] - [[カナリアミヤコドリ]] * [[1983年]] - [[カモノハシガエル]] * [[1987年]] ** [[オオオビハシカイツブリ]]([[:en:Atitlán grebe|Atitlán grebe]]) ** [[ポリネシアマイマイ]] ** [[ススイロハマヒメドリ]] * [[1988年]] - [[シロアシフサオネズミ]] * [[1989年]]? - [[ナイジェリアコビトカバ]] * [[1990年]] - [[オレンジヒキガエル]] * [[1996年]] - [[ザンジバルヒョウ]] * [[2000年]] - [[ピレネーアイベックス]]([[:en:Pyrenean ibex|Pyrenean ibex]]) * [[2003年]] - [[テイオウキツツキ]]([[:en:Imperial woodpecker|Imperial woodpecker]]) * [[2006年]] - [[ヨウスコウカワイルカ]] * [[2008年]]‐ [[サウジガゼル]] ([[w:SaudiGaselle|Saudi Gaselle]]) * [[2009年]]‐ [[クリスマスアブラコウモリ]] ([[w:Christmas Island Pipistelle|Christmas Island Pipistelle]]) * [[2010年]] - [[ワキアカカイツブリ]](''[[w:Alaotra grebe|Alaotra grebe]]'') * [[2012年]] **[[ピンタゾウガメ]] **[[ミヤココキクガシラコウモリ]] **[[ダイトウノスリ]] *[[2013年]]-[[ウンピョウ|タイワンウンピョウ]] *[[2016年]]-[[ブランブルケイメロミス]](2019年に絶滅宣言) *[[2018年]] **[[キタシロサイ]] **[[シマハヤブサ]] * [[2020年]] **[[スムース・ハンドフィッシュ]]([[:en:Smooth handfish|Smooth handfish]]) ** [[オガサワラシジミ]] *[[2022年]] ** [[ハシナガチョウザメ]](有力な目撃情報は2003年の釣果が最後) == 地域個体群の絶滅([[野生絶滅]]を含む) == === 日本産 === * [[12世紀]]頃 - [[ヒレナガゴンドウ]] 北海道、[[礼文島]]や千葉県などから化石が発掘されている。現在、同種は北太平洋には生息していない。なお、可能性上では[[コビレゴンドウ]]がヒレナガゴンドウの[[ニッチ]]に入り込みつつあり北方化および大型化し、「タッパナガ」と呼ばれる独自の亜種になりつつある。<ref>{{cite journal|author=天野雅男|year=2012|title=みちのくの海のイルカたち(特集 みちのくの海と水族館の海棲哺乳類)|url=http://www7b.biglobe.ne.jp/~masaoamano/Masao_Amanos/text_files/michinoku.pdf.|journal=勇魚 (56), 60-65, 2012-06|publisher=[[長崎大学]][[水産学部]], 勇魚会|format=PDF|accessdate=2015年01月14日}}</ref> * [[1889年]] - [[ハシブトゴイ]] [[小笠原諸島]]生息の個体。他地域の亜種は現存。 * [[1920年]] - [[キタタキ]] 日本産絶滅後の1923年に[[天然記念物]]指定された鳥。[[朝鮮半島]]には現存。 * [[1924年]] - [[マミジロクイナ]] [[火山列島]]に生息していた個体。他地域の亜種は現存。 * [[1986年]] - [[コウノトリ]] 日本国内繁殖野生個体群は絶滅。 * [[2003年]] - [[トキ]] 日本産野生個体の絶滅。現在は中国からの移入もしくはそれらの繁殖個体のみ。 * [[2012年]] - [[ニホンカワウソ]]および[[エゾカワウソ]] 日本産野生個体の絶滅。 === 世界 === * [[17世紀]] - [[コククジラ]] [[大西洋]]で絶滅されたとされている。2000年代に東太平洋個体群から50頭を空輸して再導入する計画が持ち上がったが、2014年1月現在の時点で実行される予定はない。2010年に[[地中海]]、[[イスラエル]]と[[バルセロナ]]沖で一個体が観察されたが、大西洋個体群の残存ではなく温暖化によって開けた北極海を通ってきた太平洋個体群からの迷入と思われる。2013年には、[[ナミビア]]でも確認され、同種が南半球で発見されたのは歴史上初めてであった。 * [[19世紀]] - [[シフゾウ]] 学術的に記載された当時、すでに[[清朝]]皇帝の狩猟地にのみ生息していた。現存するものはすべてこの狩猟地に生息した個体の子孫で、現在は[[江蘇省]]の[[自然保護区]]でも生息している。 * [[1980年]] - [[モウコノウマ]] 体高120〜146cm。[[アルタイ山脈]]周辺の[[モンゴル]]平原に生息していた。家畜の[[ウマ]]の祖先の一つ。[[多摩動物公園]]など世界各地の[[動物園]]や[[新疆ウイグル自治区]]の自然保護区にて現存。 == 再発見されたもの == 一旦は何らかの形で絶滅が確定したと思われていたものの、その後生存が確認されたものを挙げる(絶滅確定年から再発見まで50年以上のもの)。 === 哺乳類 === * [[アリゾナジャガー]] - 1905年(もしくは1960年代)絶滅と推定されたが、2005年に再発見。 * [[スマトラホエジカ]] - 1920年代絶滅と推定されたが、2008年に再発見。 * [[ギルバートネズミカンガルー]] - 1900年代に絶滅したと思われたが、2001年に再発見。絶滅寸前と推定された。 * [[バーチェルサバンナシマウマ]] - [[1910年]]絶滅確定、[[2004年]]再発見。 * [[バーバリライオン]] - [[1922年]]絶滅確定、[[1996年]]再発見。その後、モロッコの先々代国王[[ムハンマド5世 (モロッコ王)|ムハンマド5世]]の私的動物園で飼育されていた個体群が存命であることが判明し、[[2013年]]現在60頭前後がモロッコの[[ラバト動物園]]など世界各地で飼育されている。 * [[ピグミーメガネザル]] - [[1921年]]を最後に目撃情報が途絶える。[[2000年]]にスラウェシ島でネズミのわなにかかって死んでいるのが発見され、2008年にインドネシアで3匹生存が確認され発信器を付けて逃がされた。 * [[アスエロチュウベイクモザル]] - 1990年代に絶滅したと思われたが、後に再発見。 *[[ネグロスケナシフルーツコウモリ]] 1964年以降目撃されていないため絶滅していたと考えられていたが、2001年に再発見。 === 鳥類 === * [[オオハシヨシキリ]] - [[1867年]]絶滅確定、[[2006年]]再発見。標本が一体だけであったために存在そのものを疑われていた。 * [[ダイトウウグイス]] - [[1922年]]絶滅確定、[[2008年]]5月に[[鹿児島県]]の[[喜界島]]にて再発見。 * タスマンアオツラカツオドリ - 19世紀前半に絶滅と推定されたが、[[2009年]]にDNAおよび骨格について調査したところ実際には[[アオツラカツオドリ]]と全く同一の種であることが判明し、これまでの「近縁種」という説を覆した。 * [[ハジロシャクケイ]] - ペルー固有種。1876年に発見後、1977年まで発見例がなかったため絶滅したと考えられていた。その後に複数の地域で発見例があるものの多くの地域でペアはいないと考えられている。分布域の一部を保護区に指定したり、飼育下の個体を繁殖させ再導入する試みが進められている。再発見時における生息数は少なくとも54-68羽、多くても数百羽、1980年代後半における生息数は200羽未満と推定されている。 * [[バミューダミズナギドリ]] - [[1631年]]に絶滅と推定されたが、[[1931年]]に灯台に衝突した個体が回収され、DNA鑑定によりバミューダミズナギドリであることがわかった。絶滅したと推定されていた期間はおよそ300年にも渡った。 * [[ヒメフクロウインコ]] - [[1921年]]以降、発見例がなかったため絶滅と推定されたが、[[1979年]]に再発見された。そして、[[2013年]]にはこの種では初めてとなる写真と映像での記録が残された。 === 爬虫類 === * [[オウカンミカドヤモリ]] - [[1866年]]頃絶滅と推定されたが、[[1994年]]に再発見され現在ではペットとしても飼育されている。 === 両生類 === *[[エレガントトロピカルフロッグ]](英名:[[w:Elegant tropical frog|Elegant tropical frog]]、学名:{{Snamei||Micrixalus elegans}})‐最後の目撃は1937年でそれ以降、途絶えていたため、絶滅したと考えられていた<ref name="natio"/>。2011年に、インドで再発見<ref name="natio">[http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/3823/ インドのアカガエル、絶滅両生類再発見]ナショナルジオグラフィックニュース</ref>。 * [[パレスチナイロワケガエル]] - 1955年以降絶滅したと考えられていたが、2011年、絶滅両生類10種を世界規模で探索するプロジェクトが再発見した。[[国際自然保護連合]]([[IUCN]])のレッドリスト2012年版では、絶滅危惧IA類(絶滅寸前)に分類された。 === 魚類 === * [[クニマス]] - 原産地である[[田沢湖]]では酸性水([[玉川温泉 (秋田県)#玉川毒水|玉川毒水]])の流入で[[1940年]]に絶滅したが、それ以前に卵が放流された記録のある[[西湖 (富士五湖)|西湖]]に生息していることが[[2010年]]に確認された。 === 軟体動物 === * [[ヒョウタンハダカカメガイ]] ({{Snamei||Thliptodon akatukai}}) - [[クリオネ]]と同じ[[裸殻翼足類]]で1950年に一度論文に発表されスケッチが残されたのみの種。発見以降標本も採取されなかったために命名もされておらず[[2009年]]の再発見時に名前が付いた。 === 節足動物 === * [[ブータンシボリアゲハ]] ({{Snamei||Bhutanitis ludlowi}}) - [[1933年]]に新種として報告され、イギリスに標本が保存されるが、その後永らく再発見に至らなかった。[[2011年]]に日本の調査隊が再発見に成功。NHK取材班による空を飛ぶ映像も撮影された。 * [[ロードハウナナフシ]] ({{Snamei||Dryococelus australis}}) - 1930年に絶滅とされ、2001年に再発見。名前の由来となった[[ロード・ハウ島]]では絶滅していたが、近隣にある孤島の[[ボールズ・ピラミッド]]で30個体以下の個体群が発見された<ref>{{Cite journal|last=Priddel|first=David|last2=Carlile|first2=Nicholas|last3=Humphrey|first3=Margaret|last4=Fellenberg|first4=Stephen|last5=Hiscox|first5=Dean|date=2003-07-01|title=Rediscovery of the ‘extinct’ Lord Howe Island stick-insect (''Dryococelus australis'' (Montrouzier)) (Phasmatodea) and recommendations for its conservation|url=https://doi.org/10.1023/A:1023625710011|journal=Biodiversity & Conservation|volume=12|issue=7|pages=1391–1403|language=en|doi=10.1023/A:1023625710011|issn=1572-9710}}</ref>。 * [[キイロネクイハムシ]] ({{Snamei||Macroplea japana}}) - 1962年に福岡県で確認されたのを最後に目撃情報が途絶えるも、2022年に滋賀県の琵琶湖に生息していることが判明し、60年ぶりの再発見となった<ref>{{Cite journal|last=Kato|first=Makoto|last2=Sota|first2=Teiji|date=2022-09|title=Rediscovery of ''Macroplea japana'' (Coleoptera: Chrysomelidae: Donaciinae), an aquatic leaf beetle once thought to be extinct in Japan|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/ens.12517|journal=Entomological Science|volume=25|issue=3|language=en|doi=10.1111/ens.12517|issn=1343-8786}}</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 関連項目 == {{Commonscat|Fossil Animalia|化石動物}} * [[古生物]] * [[化石]] * [[生きている化石]] * [[化石人類]] * [[絶滅した植物一覧]] * [[絶滅危惧種]] * [[野生絶滅]] * [[恐竜の一覧]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せつめつしたとうふついちらん}} [[Category:Extinct|*とうふついちらん]] [[Category:古生物|*せつめつしたとうふついちらん]] [[Category:地球史]] [[Category:動物関連の一覧]] [[Category:地球科学の一覧]]
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動物
動物(どうぶつ、羅: animalia、英: animal)は、 本項では1. の意味を解説し、特に断りのない限り、後生動物を指すものとする。 動物を扱う学問を動物学といい、動物の生物学的側面に加え、動物と人とのかかわりが対象とされる。動物の研究史についてはこの「動物学」も参照。 動物は、哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類、魚類といった脊椎動物はもちろん、貝類、昆虫、サナダムシ、カイメンなど、幅広い種類の生物を含んだ系統群である。 20世紀末の分子遺伝学の知見を踏まえると、生物は真正細菌、古細菌、真核生物の3つに分かれるが(3ドメイン説)、そのうち動物は植物、菌類(キノコやカビ)、原生生物とともに真核生物に属する。なお、原生生物の一部である原生動物(ゾウリムシ、ミドリムシ、アメーバなど)は本項で言う動物(後生動物)とは系統上の位置が異なり、それ自身も多系統である事が判明している。 なお、日本の初等教育では3ドメイン説以前の二界説(2011年まで)ないし五界説(2012年以降)に基づいて生物の分類を説明している。二界説での「動物」は原生動物を含み、3ドメイン説での知見を反映しない。一方、五界説での動物は3ドメイン説のものと基本的に同じであり、原生動物は原生生物として動物とは区別されている。 動物は、真核生物の中でもオピストコンタ(後方鞭毛生物、Opisthokonta)という単系統性が強く支持される系統群に属し、ここには動物以外に菌類や一部の真核生物が属する。オピストコンタに属する生物は、後ろ側にある1本の鞭毛で進むという共有形質を持ち、動物の精子やツボカビの胞子が持つ鞭毛がこれにあたる。オピストコンタはアメボゾア Amoebozoaとともにアモルフェア Amorphea というクレードにまとめられる。 さらにオピストコンタにはホロゾア Holozoa というクレードと、ホロマイコータ Holomycota というクレードがあり、動物は前者、菌類は後者に属する。なお動物の起源とされる(後述)襟鞭毛虫もホロゾアに属する。前述の通り後生動物を動物界として扱うこと が多いが、このホロゾアを動物界と見なす試みもある。 また、Adl et al. (2019)では、後生動物 Metazoa Haeckel, 1874 emend. Adl et al., 2005を正規のランクとし、動物 Animalia Linnaeus, 1758 および真正後生動物 Eumetazoa Bütschli, 1910と同義(後生動物のシノニム)として海綿動物、平板動物、刺胞動物、有櫛動物を含めながらもそれらを除いた左右相称動物を界に相当する階級とした。 動物の学名は国際動物命名規約にて運用される。現行の規約は2000年1月1日に発効した第4版である。この命名規約では「動物」という語は本項で示す後生動物を指すが、原生生物であっても研究者によって動物(原生動物)として扱われる場合は命名法上は「動物」として扱われ、この命名規約が適用される。(真核生物の命名規約には、国際動物命名規約と国際藻類・菌類・植物命名規約があり、このどちらかに則らなければ学名と見なされない。) 動物命名法の起点はカール・フォン・リンネ (1758)の Systema Naturae 『自然の体系 第10版』およびカール・アレクサンダー・クラーク (Carl Alexander Clerck) (1757)の Aranei Svecici であり、ともに1758年1月1日に出版されたとみなされる。 動物は一般的に以下のような共通する形質を持つ。 また、動物の体制(ボディプラン、bodyplan、Bauplan)を比較する上で、細胞の単複(多細胞化)、組織や器官の有無(器官分化)、そして体軸の対称性、胚葉性と体腔が重視されてきた。 胚が形成される過程で、体軸という体の向きが決定がなされ、その向きには前後軸(頭尾軸)、背腹軸、左右軸の3つの基本的な軸がある。動物のパターン形成において、体軸の決定など細胞に位置情報を与える機能をもつ物質をモルフォゲンと呼ぶ。 前後軸(antero-posterior axis、頭尾軸、一次軸、吻尾軸)は動物の体制の基本となる軸で、明瞭な背腹軸のない刺胞動物にも見られ、頭部(口)から尾部(肛門)を貫いている。前後軸の形成にはほとんどの動物(例えば、脊椎動物やコオロギ(節足動物)やプラナリア(扁形動物)から刺胞動物まで)で Wntリガンド(細胞外分泌性因子)が関わっており、尾部側で Wnt、頭部側で Wnt 拮抗因子が発現している。ただし、ショウジョウバエ(節足動物)では、初期胚において細胞膜の存在しない合胞体として発生する(表割)ため、Wnt のような分泌性因子の濃度勾配ではなくビコイド (bicoid)というホメオドメインを持つ転写因子が蛋白質レベルで頭尾軸に沿って濃度勾配を形成し、形態形成が行われる。また、前後軸に沿った分節の形成にもホメオドメインと呼ばれるDNA結合ドメインを共通に持っている Hox クラスター遺伝子が働いており、胚発生が進むにつれ、遺伝子座の 3'-側から順に前後軸に沿って分節的に発現することで前後軸に沿ったそれぞれの位置に固有な形態が形成される。Hox 遺伝子群は海綿動物をのぞくほぼすべての後生動物が持っている。 背腹軸(dorso-ventral axis)も同様に左右相称動物で認められる動物の体制の基本となる体軸である。扁形動物、節足動物、棘皮動物、脊椎動物など多くの動物で、細胞外に放出される BMP(骨形成因子)というリガンドと Chordin などの BMP拮抗因子によってつくられるBMP活性の濃度勾配によって背腹軸が形成される。外胚葉はBMP活性が高いと表皮に、低いと神経に分化するが、19世紀前半から脊椎動物と他の動物では背腹軸に沿った器官配置が反転していることが指摘されており、実際に脊椎動物でBMP が腹側で発現し、背側で Chordin などが発現するのに対し、節足動物(ショウジョウバエ)では背側で BMP に相同な分子 (Dpp, Decapentaplegic) が、腹側で BMP拮抗因子(同、Sog)が発現していることが分かっている。逆にショウジョウバエにおける腹側を決めるのは dorsal 遺伝子で、細胞性胞胚期において腹側に転写因子ドーサル蛋白質 (Dorsal)が多く分布し、背側への分化を抑制する。胚発生時から背腹軸が決まっている節足動物とは異なり、両生類(脊椎動物)では、受精の際に精子の侵入と反対側に灰色三日月環が形成され、そこから原腸陥入が起こって Wnt シグナル伝達系のディシェベルド (Dsh, Dishevelled) が活性化して他の因子を活性化し、反応の下流でオーガナイザーを誘導することで背側となる。 さらに、脊椎動物の神経管の背腹軸は、胚の背腹軸形成の完成後に進行するが、神経管の腹側領域(フロアプレート)や脊索で Shh (sonic hedgehog) 蛋白質、Wnt 拮抗因子、BMP拮抗因子が発現し、これらの濃度勾配によって神経管内で下流標的因子の発現活性が活性化または抑制されることで種々の神経細胞が分化する。これらの発現パターンは左右相称動物の中枢神経系で広く保存されている。 左右軸は動物の3体軸のうち最後に決まる軸で、左右非対称性が生じるメカニズムは進化的に多様である。脊椎動物ではまず胚の中央部(ノード)で繊毛の回転により左右対称性が破られ、左側の中胚葉で Nodal および Leftyといったシグナル分子が活性化し、腹腔内で臓器が非対称な形と位置で形成される。それに対し、ショウジョウバエ(節足動物)では、細胞の形態のゆがみに起因して消化管が非対称な形態をとる。腹足類(軟体動物)では殻の巻く方向が発生初期の卵割様式に依存して Nodal や Pitx2 などの因子の制御により左巻きか右巻きかが変化する。 受精卵が卵割を繰り返し形成される細胞の層を胚葉(はいよう、germ layer)と呼ぶ。個体発生の過程では、上皮細胞の層に囲まれ体内と体外の区別がつく胞胚の状態から、原腸陥入によって内胚葉(ないはいよう、endoderm)と外胚葉(がいはいよう、ectoderm)が形成され、二胚葉性の嚢胚(原腸胚)となる。そこからさらに内外両胚葉の何れかから中に細胞が零れ落ち、中胚葉(ちゅうはいよう、mesoderm)が形成される。外胚葉由来の中胚葉を外中胚葉(がいちゅうはいよう、ectomesoderm)、内胚葉由来の中胚葉を内中胚葉(ないちゅうはいよう、entomesoderm)と呼ぶこともある。外中胚葉からなる細胞は全て間充織細胞 (mesenchyme)としてできるが、棘皮動物や箒虫動物など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものもある。 系統進化の仮説において、多細胞化して細胞同士の密着により体内と外界を隔離するようになった動物が、口と消化管を生じ、内胚葉と外胚葉の区別がなされるようになった二胚葉動物(ディプロブラスティカ、Diploblastica)となり、それが更に中胚葉ができて三胚葉動物(トリプロブラスティカ、Triploblastica)となったと考えられている。海綿動物以外の動物は(二次的に喪失したものを除き)胚葉の分化がみられ、真正後生動物と呼ばれる。刺胞動物および有櫛動物は内中胚葉を持たないため、かつては二胚葉動物と見なされてきたが、内胚葉と外胚葉の間に外中胚葉による間充織細胞を持つため、結合組織に細胞がみられないヒドロ虫類を除き、三胚葉性であるとみなされることが多い(それぞれの動物門については#現生の動物の系統も参照)。平板動物も中胚葉を欠くとされるが、前者には上皮の下に細胞がみられる。二胚動物および直泳動物にも中胚葉がなく、後生動物ですらない中生動物とされていたが、現在では退化的に単純な体制になったと解釈されている。 外胚葉と内胚葉の間隙に中胚葉が筒状の細胞層を形成したものを体腔(たいこう、coelom)と呼ぶ。 三胚葉性動物は体腔の構造により、体腔のない無体腔動物(むたいこうどうぶつ、acoelomates)、体腔が上皮性の細胞で裏打ちされていない偽体腔動物(ぎたいこうどうぶつ、pseudocoelomates)、上皮性の細胞で裏打ちされた体腔をもつ真体腔動物(しんたいこうどうぶつ、coelomates, eucoelomates)に大別されてきた。偽体腔は胞胚腔(原体腔、primary body cavity)が体腔として残ったもので大きな体腔を作ることができないのに対し、真体腔はしっかりとした大きな体腔を作ることができる。偽体腔動物は従来、袋形動物という一つの動物門に含められていた。また、真体腔はでき方により腸体腔(ちょうたいこう、enterocoel)および裂体腔(れったいこう、schizocoel)に分けられる。前者は腸体腔嚢と呼ばれる腸管にできる膨らみが括れて切れて形成されるのに対し、後者は中胚葉性の細胞塊の内部に空所が形成される。主に前口動物(担輪動物 + 脱皮動物)では裂体腔、後口動物(新口動物)では腸体腔となる(#現生の動物の系統も参照)。かつて後口動物として扱われていた毛顎動物や腕足動物も腸体腔を持つ。 古くは無体腔動物から偽体腔動物、そして偽体腔動物が真体腔動物に進化してきたと解釈されていたが、ロレンツェン (1985)は間隙生活などで不必要になった真体腔が偽体腔に退化した可能性を示唆しており、さらに分子系統解析の結果でもこれが支持され、無体腔や偽体腔は真体腔が退化的に変化したものである考えがなされている。 また、軟体動物、節足動物、尾索動物などでは、血液(血リンパ)に満たされた血体腔(けったいこう、hemocoel)と呼ばれる腔所(原体腔)を持つ。血体腔を持つ動物は開放血管系を持つ。 動物の細胞は、全ての真核生物の細胞に共通した以下の構造を持つ。 典型的な動物細胞には、以下のような細胞小器官がある(番号は図のものと対応): 動物の細胞はコラーゲンと伸縮性のある糖タンパク質からなる特徴的な細胞外マトリックスで囲まれている。細胞外マトリックスは細胞外の空間を充填する物質であると同時に、骨格的役割(石灰化による骨、貝殻、海綿骨針といった組織の形成 )、細胞接着における足場の役割(例:基底膜やフィブロネクチン)、細胞増殖因子などの保持・提供する役割(例:ヘパラン硫酸に結合する細胞増殖因子FGF)などを担う。また動物細胞は、密着結合、ギャップ結合、接着斑などにより細胞結合・細胞接着している。 海綿動物や平板動物のような少数の例外を除き、動物の体は組織に分化しており、組織としては例えば筋肉や神経がある。 一部の例外を除き動物は何らかの形で有性生殖を行う。有性生殖では、減数分裂により一倍体の大小2種類の配偶子が作られる。2つの配偶子が融合する事で新しい個体が生まれるが、この場合小さくて運動性がある配偶子を精子、大きくて運動性を持たない配偶子を卵(卵子)といい、配偶子が融合する過程を受精 (fertilization)、受精の結果できあがった細胞を受精卵 (fertilized egg)という。また精子を作る性機能を雄、卵を作る性機能を雌という。雌雄の性機能を別々の個体が担うことを雌雄異体、1つの個体が両方の性機能をもつ場合は雌雄同体であるという。 有性生殖に対し、無性生殖も哺乳類を除いたほとんどの分類群で行われている。無性生殖は生殖コストが低く、短期間で増殖するメリットはあるが、多様性が作りづらく有害遺伝子の排除が困難であり、後戻りできない糸車に喩えマラーのラチェット仮説でそのデメリットが説明される。そのようなデメリットがありながらもほとんどの動物群で無性生殖が行われることは無性生殖のパラドクスと呼ばれている。配偶子を必要としない栄養生殖型の無性生殖では、出芽や横分裂、断片化などの自切現象ののち、失った部分を再生することによって新しい個体を生み出す。この型の無性生殖は海綿動物、刺胞動物、扁形動物、環形動物、苔虫動物、内肛動物、棘皮動物、半索動物、脊索動物などほとんどの分類群で行われる。特にヒドラ(刺胞動物)やプラナリア(扁形動物)は分化多能性幹細胞をもち、自切後の再生に関与している。群体ホヤ(尾索動物)では、上皮組織から多能性を持った細胞が脱分化して再生を行う。 配偶子を必要とする単為生殖型の無性生殖を行う動物も存在し、ミツバチ・アブラムシ(節足動物)やワムシ(輪形動物)、魚類・両生類・爬虫類(脊椎動物)でみられる。卵の形成過程により、体細胞分裂で卵が形成されるアポミクシス(クローンによる生殖)、減数分裂前に染色体が倍加するエンドミクシス、減数分裂後に染色体が倍加するオートミクシスに分けられる。また、精子が介在する「偽の受精 pseudogamy」によっておこる単為生殖では、精子によって賦活され発生が開始されるが雄性前核が受精卵から除去される雌性生殖や、淡水生のシジミ(軟体動物)で見られるように精子による賦活後雄性前核が除去され精子由来のゲノム情報で発生が行われる雄性生殖がある。ヒルガタワムシ類(輪形動物)では数千万年間アポミクシスのみで繁殖しており、DNAの変異の蓄積で新規遺伝子が獲得されるという考え(メセルソン効果)が提唱されている。哺乳類では、ゲノムインプリンティングというエピジェネティックな単為生殖防御機構が働いている。 受精卵や無性生殖におけるなんらかの細胞塊が成体に到達する過程のことを発生 (development)と呼ぶ。有性生殖では、一倍体である精子と卵(未受精卵)が受精する事で、二倍体の受精卵が形成され、発生が開始する。精子由来のミトコンドリアは酵素により分解されるので、ミトコンドリアなどの細胞小器官や母性因子と呼ばれるmRNA、機能タンパク質は卵細胞のみから受精卵に伝わり、子の表現型は母親の影響を受ける母性効果 (materal effect)が現れる。胚発生以前から卵には極性(軸性、polarity)があり、卵前核に近い方の極を動物極 (animal pole)、そうでない極を植物極 (vegetal pole)と呼ぶ。前者は幼生の中でも運動や感覚に関する部分、後者は消化器系となり、これらがかつてそれぞれ動物的機能と植物的機能と呼ばれていたためこれらの名がある。 発生が進行すると、胚のそれぞれの部分は特定の組織になるが、その決められた先を予定運命 (presumptive fate)と呼ぶ。ある動物において、初期の発生(2細胞期や4細胞期)では等しい分化能力(全能性)を持ち、すべての組織や器官を形成し得る。ウニの2細胞期の各割球を分けると、それぞれ受精卵と同様に発生が進行する。逆に、4細胞期の環形動物や軟体動物の割球は完全な胚にならない。発生運命が不可逆的に決まることを決定 (determination)といい、前者のような状態を「未決定である」(indeterminate, adj.)、後者のような状態を「決定している」(determinate, adj.)と表現する。胚発生における発生運命の限定には可逆的に限定された指定 (specification)と不可逆的な決定があり、普通は指定ののちに決定が起こる。Conklin は胚発生の初期において、予定運命の決定が早い段階で起こるものをモザイク卵 (mosaic egg)、発生運命が未決定で、各部が影響を及ぼしあいながら順次決まっていくものを調整卵 (regulative egg)と呼んだ。前者には有櫛動物、紐形動物、線形動物、環形動物、節足動物、軟体動物、尾索動物が、後者には刺胞動物、紐形動物、棘皮動物、腸鰓類(半索動物)、脊椎動物などが挙げられる。 受精卵は卵割 (cleavage)という体細胞分裂を繰り返す事で多細胞からなる胚を形成する。一般的た体細胞分裂とは異なり、卵割の際は核は複製されるが細胞質は卵細胞のものを分割して使うという特徴がある。卵割は分裂溝 (cleavage furrow)により細胞が2つの割球 (blastomere)と呼ばれる細胞に分割されておこる。卵割という用語は受精卵の最初の数回の分割に対して使われる。 卵割様式は卵黄の蓄積部位の影響を受ける。棘皮動物・毛顎動物のように卵黄が等しく分布する等黄卵 (homolecithal egg)の場合は、ウニのように等割 (equal cleavage)を行うか、環形動物や多くの軟体動物のように不等割 (unequal cleavage)となる。これらは卵割面が割球同士を完全に仕切るため全割と呼ばれる。それに対し、端黄卵 (telolecithal egg)では分裂溝が卵黄の少ない動物極から現れるため、ハート形分裂(クラゲ型分裂;刺胞動物)の時期を経る。クラゲ型分裂がより極端になると、頭足類(軟体動物)のように最初の分裂溝が植物極に達しないまま次の分裂溝が動物極に現れる盤割 (discoidal cleavage)を行う。節足動物やイソギンチャク(のように多量の卵が中央にたまっている心黄卵 (centrolecithal egg)では、表割 (superficial cleavage)が行われる。第3分裂(4細胞期から8細胞期)では、不等割を行うものでは動物極側のものは小さく、植物極側のものは大きいため、それぞれ小割球 (micromere)と大割球 (macromere)と呼ばれる。 また、卵割では分裂ごとに紡錘体のとる位置や方向が定まっているためそれぞれの分裂方向が一定しており、大きく分けて放射卵割 (radial cleavage)と螺旋卵割 (spiral cleavage)の2つの卵割配置 (cleavage pattern)がある。放射卵割では、各分裂の分裂面がその前の分裂に対して直角に起こり、分裂面は卵軸に対して平行か直角に規則正しく起こる。8細胞期以降は不規則な分裂が混ざってくるものが多い。分類群としては、刺胞動物、有櫛動物、箒虫動物、ウニ類(棘皮動物)、毛顎動物、腕足動物 が挙げられる。螺旋卵割では4細胞期から8細胞期(第3分裂)に紡錘体が卵軸に対し45°の角度をなして斜めに位置する。その後の各分裂はだいたい互いに直角に行われるが、初めの分裂面が卵軸に対し傾いているため、以降の分裂面もすべて卵軸に対して角度をなして交わり、螺旋状に並ぶ。分類群としては、扁形動物、環形動物、軟体動物 に代表され、紐形動物、内肛動物 など少なくとも8つの門が螺旋卵割を行う。なお、環形動物および軟体動物の一部では極体放出および卵割と同期して植物極の細胞質が縊り出され、無核の極葉形成 (polar lobe formation)が起こる。極葉は一方の割球と合併され、その細胞質は将来の中胚葉となる。8細胞期で大割球から縊り出された4個一組の小割球は第一クオテット(第一四つ組、1st quartette)と呼ばれる。また、4細胞期の各細胞からつながる細胞系譜を持つそれぞれの系統をクアドラント(四分区、quadrant)と呼ぶ。なお、節足動物などではこのどちらにも当てはまらない。 卵割が進み、細胞が小さくなって胚表面が上皮的に滑らかになると卵割期から胞胚期に移行したとみなされる。この時期の胚は1層の細胞層で囲まれた球形で、胞胚 (blastula)と呼ばれる。初期胚の内部には卵割腔が形成されるが、細胞数が増加することで細胞同士が密着結合を形成すると、卵割腔内にNaやClといったイオンが能動輸送され、浸透圧が上昇して内部から水が浸入し胞胚腔液で満たされる大きな胞胚腔 (blastocoel)が形成される。卵割腔(胞胚腔)をもつ胞胚を特に中空胞胚 (coeloblastula)と呼び、不等割を行う胚では胞胚の内部は卵黄を含んだ植物極側の大きな細胞で満たされるため中実胞胚 (stereoblastula)と呼ばれる。卵黄量の多い盤割をするものでは細胞は動物極側に偏った胚盤 (blatodisc)を形成し、そのような胞胚を盤胞胚 (discoblastula)と呼ぶ。また表割を行う胞胚では細胞形成は胚の外周でのみ行われるため、囲胞胚 (periblastula)と呼ばれる。 なお、昆虫や両生類など多くの動物では、卵割期の細胞増殖を急激に行うために通常の細胞分裂で行われる一部の過程(G1期とG2期の過程)が省略され早い細胞分裂が続くが、胞胚中期になるとこの省略が終わり、形態形成に必要な転写、細胞の移動や誘導が始まる中期胞胚遷移(中期胞胚転移、中期胞胚変移)が起こる。それに対し哺乳類では分裂速度が遅く、2細胞期から既に転写が始まる。 胞胚は内胚葉が外胚葉から分画される嚢胚形成(原腸胚形成、gastrulation)を経て嚢胚(原腸胚、gastrula)期に至る。嚢胚は内外二重の細胞層からなり、胚葉の区別が現れる。嚢胚を形成する方法は分類群により異なり、最も一般的なものは陥入(invagination、まくれこみ emboly)である。陥入では植物極側の細胞層が胞胚腔に向かって折れ曲がり、内胚葉となる。内胚葉のつくられた盲管状の部分を原腸 (archenteron)、その入口を原口 (blastopore)と呼ぶ。この嚢胚形成の方法は棘皮動物などに典型的で、棘皮動物では原腸の両壁には広い胞胚腔が残されているが、箒虫動物では原腸の壁に外肺葉が密着し、胞胚腔を残さない。以降に示す被いかぶせや内展も陥入の変形とみられている。環形動物や軟体動物では被いかぶせ (epiboly)という方法で嚢胚形成が行われる。胞胚における動物極側の小割球の分裂が先に進行して、卵黄に富んだ植物極側の大割球を包囲することによって嚢胚ができる。小割球由来の外側の細胞が外胚葉層となり、内側の大割球群が内胚葉となる。被いかぶせでは、胞胚腔はかなり縮小している。また、内胚葉細胞塊ははじめ原腸を形成しないため、外胚葉に覆われていない部分を原口と呼んでいるが、発生の進行に伴って原腸を形成し、原口と連絡する。この場合、原口から落ち込んだ外胚葉の細胞層を、口陥 (stomodaeum)と呼ぶ。盤胞胚を形成する頭足類では、胚盤葉の一端がその下に折れ込んで前方に延長する内展 (involution)によって内胚葉が形成される。 もう一方の嚢胚形成の方法は葉裂法 (delamination)と呼ばれ、主に刺胞動物にみられる。狭義の葉裂法はカラカサクラゲ類 Geryoniidae にのみ見られ、中空胞胚において外壁を作る細胞が一様に胞胚腔に向かって分裂すると、胞胚腔内に出た細胞は規則正しく配列して内胚葉の嚢を作る。ヒドラなどが行う方法は多極法 (multiopolar proliferation)と呼ばれ、胞胚法を形成している細胞が各所で胞胚腔内にすべり落ち、それが内胚葉の嚢を形成する。それに対し、ウミコップ属 Clytiaでは植物極のみから細胞がすべり落ちるため、単極法 (uniopolar proliferation)と呼ばれ、多極法と併せて極増法 (polarization)と呼ばれる。葉裂法を行う嚢胚の多くは中実嚢胚 (stereogastrula)で、発生が進行するまで原腸も原口も持たない。 左右相称動物では、内胚葉および外胚葉とは別に、体腔と関連して中胚葉の形成が起こる。刺胞動物や有櫛動物では外肺葉から細胞が零れ落ち、外中胚葉性の間充織細胞を作る。棘皮動物や箒虫動物など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものはあるが、内中胚葉は普通表皮の形をとる。 螺旋動物では、まず第二クオテットまたは第三クオテットから外中胚葉性の間充織細胞が形成される。その後、D四分区の 4d細胞(中胚葉帯端細胞、mesoblastic teloblast)から内胚葉由来の中胚葉が生まれる。第四クオテットの他の細胞(4a, 4b, 4c)は内胚葉となる。かつては 4d細胞の系統にある子孫細胞は全て中胚葉になると考えられていたが、内胚葉も含んでいる。4d細胞は胞胚腔内に落ちると左右に分裂し、胚の分化に伴い肛門になる部分の左右前方に位置しながら前方に細胞を送り、中胚葉帯 (mesoderm band)を作る。これを「端細胞による中胚葉形成法 telobblstic method」と呼ぶ。環形動物などでは、この中胚葉帯内に体腔が形成され、これが裂体腔と呼ばれる。 節足動物でも、中胚葉は1対の細胞帯として出現する。しかし螺旋動物のように特定の細胞ではなく、原口の周囲の細胞群に由来している。 腸体腔をもつ後口動物および毛顎動物、腕足動物などでは、原腸壁の一部が胞胚腔に向かって膨出 (evagination)し、そこから分離して胞胚腔内で独立した体腔嚢 (coelomic vesicle)を形成する。こうしてできた体腔は腸体腔であり、それを囲む壁が中胚葉である。脊椎動物においては、両生類(無羊膜類)では中胚葉の形成と原腸の形成が同時に起こるが、羊膜類(鳥類や哺乳類)では、中胚葉の形成が先に行われ、その後卵黄嚢と連続する内胚葉の一部が中胚葉に包み込まれるようにしてくびれ、原腸の形成が行われる。 脊椎動物などでは、組織や器官を形成するため、胚細胞が特定の機能を持った細胞に変化する(細胞分化)。この際、基本的な細胞機能の維持に必要な遺伝子(ハウスキーピング遺伝子)の機能は残しつつ、特定の機能に必要な遺伝子を新たに発現し、逆に分化後には不必要になる遺伝子をDNAメチル化により不活性化する。 脊椎動物などでは原腸胚期の後、神経管が形成される神経胚期へと進む。例えばニワトリでは、外胚葉に神経板という領域ができ、それが胚の内側に丸まる事で神経管ができ、さらに直下に脊索が形成される。神経管の前方には前脳、中脳、後脳という3つの膨らみが形成され、これらが将来脳になる。脊索の両側の沿軸中胚葉から体節が形成され、体節と隣接した外側の中間中胚葉からは腎節が形成される。体節はやがて皮節、筋節、硬節に分かれ、これらはそれぞれ皮膚の真皮層、骨格筋、椎骨などが形成され、腎節からは腎臓や生殖腺が形成される。中間中胚葉のさらに外側には予定心臓中胚葉という、将来心臓関連の組織になる部分があり、これは壁側中胚葉と臓側中胚葉に転移する。前者からは体腔を覆う胸膜や腹膜が形成され、後者からは心筋、平滑筋、血管、血球などが形成される。心臓は生命の維持に不可欠なので、発生の早い段階で中胚葉から形成される。なお、予定心臓中胚葉は中胚葉の正中線を隔てた両側に2つ存在するが、これら2つは移動して胚の前方で合流して心臓を形成する。脊椎動物では外胚葉と中胚葉の相互作用で四肢が形成される。ヒトの手足は水鳥と違い、指の間に水かきがないが、これはアポトーシスの作用で水かき部分の細胞を「自殺」させている為である。 動物の起源については、単細胞生物の襟鞭毛虫が集まって多細胞化する事で海綿動物のような動物になっていったと考えられる。これをガストレア説(群体繊毛虫仮説)と呼ぶ。ヘッケルは動物の初期発生に基づき、襟鞭毛虫のような原生動物から、胞胚に相当する1層の細胞層を持つ中空の祖先型動物ブラステア (Blastea)が生じ、次に嚢胚に相当する二重の細胞層からなる袋状のガストレア(腸祖動物、Gastraea)が生じたと想定した。 なお従来は、上述した襟鞭毛虫類から進化したとするヘッケルの説と繊毛虫類から進化したとするハッジの説(多核体繊毛虫仮説、合胞体繊毛虫仮説)が対立していたが、分子遺伝学の成果によれば、18SrDNAに基づいた解析などにより、動物は襟鞭毛虫類を姉妹群に持つ単系統な群であることが示されており、ヘッケルの説が有力とされている。ハッジの説は生態学的な視野のもと、多核繊毛虫から無腸動物のような原始的な左右相称動物が生じたと考え、後生動物の起源を左右相称動物に求めた。 この多細胞化が起こった仮説として、現在までに様々なものが提案されてきた。複雑な多細胞生物の出現は、生物圏の酸化が進むまで妨げられたという説が広く受け入れられてきた。ほかにも動物が多様化するきっかけとしてとして、クライオジェニアンやエディアカラ期の全球凍結の環境的制約から後生動物の祖先が解放されたこと、宇宙放射線の影響、極移動、大陸の分断、硫化水素の毒性、塩分、微量金属の栄養塩の不足、海に栄養塩をもたらす大陸風化の周期、地球温暖化、または活発になった捕食者と捕食者の軍拡競争などが考えられるが、必ずしも相互に排他的なものではない。なおこれらの仮説は、多少なりとも、後生動物の多様化との因果関係につながるが、結局推定される時間的な一致に依存しており、地球規模の海の大酸化は後生動物が進化した原因ではなく、後生動物の出現による結果であると主張されている。 30億年以上前に地球上初めての生物が誕生したと考えられており、真核生物の最古の化石(グリパニア Grypania)は21億年前の地層から発見されている。 確実な化石記録により較正した分子時計から、クラウングループとしての後生動物は新原生代クライオジェニアン(8億3300万年前-6億5000万年前)に誕生したと推定されている。 最古の化石記録に関しては議論があり、異論の余地がない確実な動物化石の証拠は顕生代に入ってからに限られている。また左右相称動物の動物門の確固たる証拠はカンブリア紀になるまでない。とはいえ、動物の進化は先カンブリア時代からの歴史があるという見方が一般的になってきている。 動物のものかもしれない最古の化石は2012年にナミビアの7億6000万年前、クライオジェニアンの地層 (Okakuyu Formation) で発見されたオタヴィア・アンティクア Otavia antiqua)である。これは0.3–5 mm(ミリメートル)程度のかりんとうのように細長い歪な卵形をしたリン酸カルシウムからなる化石で、海綿動物だと考えられている。海綿動物だとすると表面に空いている多数の細孔から微小なプランクトンを濾過摂食したものと考えられる。なお、オタヴィアは7億6000万年前だけでなく、6億3500万年前、5億4800万年前(エディアカラ紀)の地層からも見つかっている。またオーストラリアの南オーストラリア州からは6億6500万年のTrezona Formationという地層からも、初期の海綿動物ではないかと考えられている化石も見つかっている。クライオジェニアン(約6億3500万年前)からカンブリア紀初期までの約100年にわたり連続して普通海綿の存在を示しているとされたバイオマーカーは、現在では共生細菌に由来するものだろうとされている。 全球凍結直後、約6億3000万年前の陡山沱の動物の胚化石(ドウシャントゥオの胚化石、Doushantuo embryos)とされていたものは、現在では原生生物や硫黄細菌ではないかと解釈されている。 分子時計によれば、続くエディアカラ紀(エディアカラン)に左右相称動物のほとんどの門が多様化したと考えられている。また、エディアカラ紀の5億7500万年前から5億4100万年前にかけてはエディアカラ生物群と呼ばれる生物群が多く見つかっている。エディアカラ生物群とカンブリア紀以降の動物との類縁関係は未だはっきりしていないが、その形態からランゲオモルフ Rangeomorpha、Dickinsoniomorpha、Erniettomorphaに分けられる。エディアカラ生物群は新原生代クライオジェニアン紀の全球凍結(スノーボールアース、全地球凍結)の後、5億7500万年前から5億6500万年前の間に放散(Evolutionary radiation)したと考えられ、それを「アヴァロンの爆発 Avalon explosion」と呼ぶ。エディアカラ生物群のうち、ディッキンソニア Dickinsonia、Andiva、ヨルギア Yorgiaとランゲオモルフは左右相称動物であったとする研究もある ほか、海綿動物(Eocyathispongia qiania)、軟体動物(キンベレラ Kimberella quadrata)、そして無数の刺胞動物(Haootia quadriformis)、節足動物(パルヴァンコリナ Parvancorina)とみられるものもあり、真正後生動物や左右相称動物のグレードにあると推定されている動物の痕跡も見つかっている。 エディアカラ紀末期の5億4900万年前ごろには、硬組織を獲得していたクロウディナ Cloudina と呼ばれる化石が発見されており、現生の動物との類縁関係が分からず、古杯動物と呼ばれる。この少し前の約5億6000万年前から約5億5000億年前のエディアカラ生物群の中にも硬組織を持つコロナコリナ Coronacollina aculaが見つかっている。 古生代カンブリア紀初期 (Nemakyt-Daldynian)、約5億4200万年前には珪酸塩や炭酸塩、リン酸塩からなる骨片(硬組織)をもつ微小有殻化石群 (SSFs, Small Shelly Fossils) が見られる。化石に残る硬組織を獲得し、急速に多様な動物が出現したため、「カンブリア爆発」(カンブリア大爆発)と呼ばれる。海綿動物、軟体動物、腕足動物、節足動物、棘皮動物、環形動物、脊索動物など、現在の動物門のほとんどをしめる30余りの動物門が化石記録に残っている。かつては現在とは無縁で現生動物よりも多数の動物群が突然出現したと考えられていたが、カンブリア紀以前の動物化石が発見されたり、カンブリア紀の生物群と現生の動物との類縁関係が判明してきたため、現在ではカンブリア爆発は複雑な器官(眼、触手、脚)を獲得したことよる活発な行動様式の発達および硬組織の発達による左右相称動物の多様化であると捉えられている。5億3200万年前には Aldanella yanjiahensis と呼ばれる軟体動物の化石が見つかっている。約5億2100万年前(トモティアン)になると、動物は眼を獲得し、それまで意味を持たなかった硬組織が防御や捕食に有利になり、それが軍拡競争として働いて多様な姿を持つ動物群が現れたと考えられている(光スイッチ説)。また分子時計の解析から遺伝子レベルの生物の爆発的多様化はこれより数億年早いと考えられる。カンブリア紀からオルドビス紀初頭にみられる大不整合の研究から、カンブリア爆発の原因は海洋中の化学成分(Mg、Na、K、Ca、Feなどのイオン)が増加した影響が指摘されている。カンブリア爆発は2000万年 から2500万年 続いた。 前期オルドビス紀にはカンブリア紀までに登場した動物門が大きく適応放散し、これはGOBE (The Great Ordovician Biodiversification Event)と呼ばれる。 オルドビス紀末に大量絶滅(O-S境界)があったが、無顎類(顎の無い脊椎動物)は生き残り、シルル紀に多様化し、顎のある脊椎動物も登場した。デボン紀には硬骨魚類が多様化し、石炭紀には両生類が繁栄、ペルム紀には爬虫類が繁栄した。 シルル紀には最古の陸上動物の化石である節足動物多足類が登場し、デボン紀に節足動物が多様化、石炭紀には翅を持つ昆虫類が登場した。 ペルム紀末には地球史上最大の大量絶滅(P-T境界)が起こり、中生代三畳紀には海洋生物が大量に絶滅。哺乳類が登場した。 ジュラ紀には恐竜が繁栄し、鳥類も登場した。また、軟体動物の殻を破るカニ類や硬骨魚類が進化し、これに対抗して厚い殻をもつ軟体動物が進化した(中生代の海洋変革)。白亜紀までには現生の昆虫類のほとんどが登場。 白亜紀末には巨大隕石の衝突による大量絶滅がおこる(K-Pg境界)。 新生代は哺乳類が優勢になり、鳥類、昆虫類、真骨魚類も適応放散し、現在と同様の動物相が形成された。新生代の後半にあたる第四紀には人類も出現した。 化石動物について、上記の分類される現存動物門のいずれにも属さないとして、新たな動物門が提唱されることがある。以下に主要なもののみ挙げる。 以下に『動物学の百科事典』(2018)で認められている分類体系における動物の門を示す。著者名は巌佐ほか (2013)による。各動物門どうしの系統関係などの詳細については異説もあるため、ここでは省略し、次節以降を参照。研究の進展により廃止された門については#かつて存在した動物門を参照。また、門の詳細に関しては各項を参照。 1990年代以前は左右相称動物は原腸が口になるか否かで前口動物、後口動物に分類され、さらに体腔が無体腔、偽体腔、真体腔のいずれであるかにより分類されていた。しかし1990年代の18S rRNA遺伝子の解析により、体腔の違いは進化とは関係ない事が判明し、上述の意味での後口動物は単系統でない事が示されたので、いくつかの動物門を新口動物から外し(後述)、前口動物に移した。このような変更を施した後の前口動物が単系統であることが支持されている。 下記は主に ギリベ (2016)の系統仮説に基づく系統樹に、ラーマーら (2019)による分子系統解析の結果を加えて、動物界の系統樹を門レベルまで描いたものである。ただし、2018年現在、分子系統解析が進展中ということもあり、完全に合意がなされたものではない。本項はこの系統樹に基づき以下の小節にて解説を行う。 海綿動物門、平板動物門、刺胞動物門、有櫛動物門の4つは左右相称動物に含まれない動物門で、体の左右相称性がなく、これらをまとめて便宜的に「前左右相称動物」と呼ぶこともある。分子系統解析から、このうち海綿動物か有櫛動物の何れかが後生動物で最も系統の基部に位置すると考えられている。しかし、海綿動物が系統の最も基部に位置するか、有櫛動物が系統の最も基部に位置するか は分子系統解析においてもデータが分かれている。 現在の多様性は単純なものから複雑なものに進化してきたとする考え方のもと、かつては最も単純な平板動物から、細胞の種類がより多い海綿動物、そして神経を持つ刺胞動物、最後に神経系に加え筋系ももつ有櫛動物が進化してきたと考えられた。ただし、襟鞭毛虫との類似から海綿動物のほうがより原始的な姿に近いとする考えもあった。この進化的な仮説は形態に基づく分岐学的解析においても一時は支持された。しかし、分子系統学が導入された初期にはもう平板動物は二次的に退化したより派生的なグループであることが明らかになり、有櫛動物は刺胞動物より系統の基部に位置することが明らかになった。それだけでなく、有櫛動物はほかのすべての後生動物よりも基部に分岐したとする結果が得られた。海綿動物は相称性や胚葉がなく体制が単純であるため、最も初期に分岐した後生動物として直感的に受け入れられやすいのに対し、有櫛動物は放射相称、神経系と筋系をもつため、有櫛動物より後に海綿動物が分岐したと考えると筋系や神経系が有櫛動物と Parahoxozoa(有櫛動物と海綿動物以外の後生動物)で2回独立に獲得したと考えるか、海綿動物でどちらも1回完全に喪失したと考えなければならないため、大いに議論を呼んだ。系統誤差の影響を軽減することで、再び海綿動物が最も初期に分岐したと考えられる結果が得られている。 海綿動物 Poriferaは相称性がなく胚葉がないなど最も単純なボディプランを持つ。海綿動物の細胞は分化するものの、組織を形成することはなく、複雑な器官をもたない。そういったことから海綿動物は側生動物 Parazoa Sollas, 1884と呼ばれることもある。 刺胞動物と有櫛動物の体は放射相称性を持ち、唯一の腔所である胃腔の開口は口と肛門を兼ねる。これらの動物門の細胞は組織に分化しているものの、器官を形成していない。中胚葉が形成されない二胚葉性の動物であるとされるが、細胞性である間充織を中胚葉とみなし、ヒドロ虫綱以外の刺胞動物と全ての有櫛動物を三胚葉性とみなす事も多い。 刺胞動物は触手に物理的または化学的刺激により毒を含む刺糸を発射する刺胞と呼ばれる細胞器官を持つ。漂泳性(クラゲ型)と付着性(ポリプ型)という生活様式の異なる2つの型を持ち雌雄異体である。かつては単細胞生物とも考えられていた寄生性のミクソゾアは分子系統解析により刺胞動物に内包されている。 それに対し有櫛動物は1個の細胞が変形してできた膠胞を持ち、中胚葉性の真の筋肉細胞を持つほか、全てクラゲ型であり、二放射相称で雌雄同体である。 平板動物は神経細胞も筋肉細胞も持たず、体細胞は6種類しかなく器官や前後左右軸をもたない、自由生活を行う動物として最も単純な体制を持つ。しかし2008年にセンモウヒラムシ Trichoplax adherens のゲノム解読がなされ、シグナル伝達系、神経やシナプス、細胞結合などに関する多くの遺伝子の存在が報告された。 4つの門を除いた全ての動物門が左右相称動物である。左右相称動物は完全な三胚葉性で、体が左右相称である。外見上は左右対称であるが、内部の臓器は限られた空間の中に各臓器を互いの連結を保ちながら機能的に配置するために、位置や形が左右非対称となっている。 左右相称動物は口と肛門、およびこれらをつなぐ消化管をもち、体内に体腔ないし偽体腔(線形動物、輪形動物など)を持つ。左右相称動物のボディプランは、前方(運動のとき体の進む方向)と後方の区別、腹側と背側の区別がある傾向があり、したがって左側と右側の区別も可能である。運動のとき体の前方へと進むので、進行方向にあるものを識別する感覚器や餌を食べる口が前方に集まる傾向にある(頭化という)。多くの左右相称動物は環状筋と縦走筋のペアを持つので、ミミズのような体が柔らかい動物では水力学的骨格 Hydrostatic skeletonの蠕動により動く事ができる。また多くの左右相称動物には繊毛で泳ぐことができる幼生の時期がある。 以上の特徴は例外も多い。例えば棘皮動物の成体は(幼生とは違い)放射相称であるし、寄生虫の中には極端に単純化された体の構造をもつものも多い。 珍無腸動物門(珍無腸形動物門) Xenacoelomorpha は珍渦虫と無腸動物からなる左右相称動物であり、その単系統性は分子系統解析から強く支持されている。その系統的位置に関しては、左右相称動物の最も初期に分岐したとする説 と後口動物の一員であるとする説 がある。前者の考えを支持する場合、珍無腸動物以外の全ての門を含む左右相称動物は有腎動物 Nephrozoaと呼ばれる。 珍渦虫 Xenoturbella は1878年に発見され、1949年に報告されたが、その分類は長らく謎で、渦虫の珍しい仲間だと思われていた。しかし2006年以降、分子系統解析により、後口動物に入ることが示唆され、独立した珍渦虫動物門 Xenoturbellida が設立された。 無腸動物 Acoelomorphaは無腸類と皮中神経類からなり、それぞれ扁形動物門の無腸目および皮中神経類に分類されていたが、1999年の分子系統解析によって初期に分岐した左右相称動物であることが示唆された。Jaume Baguñà と Marta Riutort によって左右相称動物の新しい門として分離された。 2011年、Philippe や中野裕昭らは分子系統解析により珍渦虫動物と無腸動物をともに珍無腸動物門という動物門を構成することを提唱した。そして、チンウズムシの自然産卵による卵と胚の観察結果を報告し、摂食性の幼生期を経ない直接発生型であるなどの共通点を指摘した。珍無腸動物門は設立当初新口動物に分類されたが、その後の研究により当時知られていた左右相称動物のサブクレード、後口動物・脱皮動物・冠輪動物(螺旋動物)のいずれにも属さず、これら3つ(有腎動物)の姉妹群となる最も初期に分岐した左右相称動物とされた。しかし2019年に再び長枝誘因などの系統誤差の影響を軽減することで、珍無腸動物は後口動物の水腔動物との姉妹群であることが支持された。 毛顎動物はヤムシと総称される動物で、かつては成体の口が原口に由来しないという発生様式から後口動物とされてきた。しかし、主な中枢神経が腹側にあることや顎毛(餌の捕獲器官)にキチン質をもつことなど、前口動物の特徴も持つことは古くから知られてきた。分子系統学による解析が始まってから、後口動物ではないことが明らかになった(この頃の解析では後口動物・前口動物のさらに基部の系統に位置した)。 18S rRNA、ミトコンドリアDNA、Hox遺伝子群およびESTデータを用いた近年の分子系統解析では、前口動物であることが明らかになっている。例えば、Laumer et al. (2019)では、前口動物の螺旋動物のうち担顎動物に近縁であるとされる。これは、発生過程における初期卵割のパターンが螺旋卵割であることや、頭部の背側にある繊毛環がトロコフォア幼生の口後繊毛環と共通していることからも支持される。しかしその中でもどの系統的位置に来るかはまだ異説が多い。この理由として、重複遺伝子を多く保有することからゲノム重複が起こった可能性があることや、集団内での遺伝的多型が多いことから突然変異率が高い可能性があることが指摘されている。例えば、長枝誘引による悪影響として脱皮動物中の節足動物の枝の中に"mongrel assemblage"という集合ができてしまった結果がある。この中には多足類のコムカデ類とエダヒゲムシ類だけでなく、脱皮動物の中でも有爪動物の Hanseniella と Allopuropus、冠輪動物である軟体動物頭足類のコウモリダコ Vampyroteuthis およびオウムガイ Nautilus、そして毛顎動物の Sagitta が含まれていた。また、この集合はCG-rich(グアニンおよびシトシンが多い)であった。このように、毛顎動物の系統関係を特定するのは困難である。 体を覆うクチクラの脱皮を行うという共通の特徴を持ち、糸形動物(広義の線形動物)、有棘動物、汎節足動物の3つに分類がなされている。 糸形動物(広義の線形動物) Nematozoa または Nematoida はカイチュウ、ギョウチュウ、アニサキスなどからなる線形動物門とハリガネムシ目と遊線虫目(オヨギハリガネムシ類)からなる類線形動物門により構成される。例に挙げられた線形動物は寄生性であるが、自由生活を送る線形動物も存在し、一部の自由生活種のみ眼点を持つ。糸形動物は硬いクチクラで覆われ、細い体で、循環器や環状筋を欠き、偽体腔で螺旋卵割を行い、鞭毛のない精子を持つなど、多くの形質を共有する。線形動物は種数や個体数が非常に多いと考えられており、少なくとも数万の未知種を有すると考えられている。線形動物は左右相称であると同時に左右および背側の三放射相称でもある。 有棘動物 Scalidophora(頭吻動物 Cephalorhyncha)は動吻動物門、鰓曳動物門、胴甲動物門をまとめたグループで、冠棘という主に頭部に数列ある環状に並ぶ棘を持つという形質を共有することから名付けられた。冠棘に加え、花状器官という感覚器を持つという形質、頭部が反転可能である形質、偽体腔を持つという形質も共有する。しかし、分子系統解析による検証は十分になされていない。胴甲動物は鰓曳動物のロリケイト幼生と形態が類似していることから近縁であると考えられてきたが、近年の分子系統解析では他の脱皮動物に近縁である可能性が示されている。 汎節足動物 Panarthropodaは、動物界最大の門である節足動物を含む系統群である。汎節足動物は体節と、それに対応する付属肢や神経節を持つ事を特徴とする。環形動物もこの性質を持つため、21世紀以前では環形動物は汎節足動物に近縁である(ともに体節動物 Articulata をなす)と考えられていたが、21世紀以降では分子系統解析により、近縁性が否定され(収斂)、環形動物は別系統である冠輪動物に分類されている。 節足動物は関節に分かれた外骨格を持つ体節と付属肢(関節肢)を特徴とする。現生種は鋏角類(クモ・サソリ・カブトガニなど)・多足類(ムカデ・ヤスデなど)・甲殻類(カニ・エビ類・フジツボ類・ミジンコ類など)・六脚類(昆虫など)の4亜門に分かれ、2010年代中期以降の主流な系統関係は以下のようになっている: 他にも三葉虫類やメガケイラ類など、絶滅種のみ含む節足動物の分類群はいくつか知られるが、現生群との類縁関係ははっきりしない。六脚類は広義の昆虫類で内顎類(トビムシ類・カマアシムシ類・コムシ類、非単系統群)と外顎類(狭義の昆虫類)に分かれる。六脚類は21世紀以前では頭部と呼吸器に共通点の多い多足類に近縁と考えられてきたが、21世紀以降では分子系統解析により、甲殻類と単系統群の汎甲殻類をなし、側系統群の甲殻類から分岐した説が主流となっている。汎甲殻類における六脚類の系統位置は議論の的となり、2000年代の分子系統解析では鰓脚類に近縁ともされていたが、2010年代中期以降では更なる全面的な解析により、脳の構造に共通性を持つムカデエビ類の方が六脚類に最も近縁な甲殻類として有力視されている。 汎節足動物は節足動物門以外には緩歩動物門と有爪動物門を含む。絶滅した群まで範囲を広げると葉足動物と呼ばれる古生物をも含む。緩歩動物門に属する動物はクマムシと呼ばれる動物であり、ゆっくり歩く事からその名が名付けられた。陸上に生息する種では、クリプトビオシスという極限状態に耐えられる休眠状態になる事が知られている。有爪動物門に属する動物はカギムシと呼ばれ、現生種は真有爪目のみ。 カンブリア紀に多様化した葉足動物は、一見して現生の有爪動物に似て、かつては全般的に有爪動物のみに近縁と考えられた。しかし1990年代後期以降では、節足動物と緩歩動物的性質をもつ葉足動物の発見に否定的とされる。葉足動物は有爪動物のみでなく、むしろ全体的に現生汎節足動物の3つの動物門(節足動物・緩歩動物・有爪動物)の最も近い共通祖先と、それぞれの初期系統(ステムグループ)を含んだ側系統群と考えられるようになり、葉足動物と有爪動物の多くの共通点は、汎節足動物の共有原始形質に過ぎない。 このクレードに属するほとんどが、胚発生において4細胞期から8細胞期に有糸分裂紡錘体が動物極-植物極軸と45°ずれる螺旋卵割を行うという共有派生形質をもつため、螺旋動物(らせんどうぶつ)もしくは螺旋卵割動物(らせんらんかつどうぶつ) Spiraliaと呼ばれる。これを指して冠輪動物 Lophotrochozoa s.l. と呼ぶ場合もあるが、本項を含め、「冠輪動物」の名称を螺旋動物のサブクレードに用いるケースもあるので注意が必要である。 螺旋動物は担顎動物(たんがくどうぶつ、Gnathifera)、吸啜動物(きゅうてつどうぶつ、Rouphozoa)、冠輪動物(かんりんどうぶつ、Lophotrochozoa)という3つの系統を含む。冠輪動物は上記の螺旋動物を指すこともあるため、担輪動物(たんりんどうぶつ、Trochozoa)とも呼ぶ。前者2つを合わせたものを扁平動物 Platyzoa と呼ぶこともあるが、ギリベ (2016)などでは採用されていない。逆に他の解析では担顎動物を除く吸啜動物と冠輪動物がクレードをなすことがあり、その場合、それらを合わせて Platytrochozoa と呼ばれる。 担顎動物(有顎動物)は微小な体で、クチクラの中にオスミウム酸親和性のある物質が詰まった棒状構造からなる顎を持つという形質を共有する。顎口動物は咽頭に複雑な顎を持つ動物で、体表面の単繊毛上皮によって移動する。微顎動物は複雑な顎を備え、体の腹面に繊毛を持つ。輪形動物は単生殖巣類、ヒルガタワムシ類、ウミヒルガタワムシ類からなり、ウミヒルガタワムシ類と鉤頭動物が姉妹群をなす。鉤頭動物は独立した門とされていたが、そのような系統関係から輪形動物に内包されるか、輪形動物とともに共皮類(多核皮動物) Syndermata としてまとめられる。微顎動物および鉤頭動物は体内受精ののちに螺旋卵割を行う。 吸啜動物に含まれる扁形動物と腹毛動物はともにメイオファウナの重要な構成種で、2つの腺により吸着する (duo-gland adhesive system)形質がその共有派生形質ではないかと考えられている。 冠輪動物(担輪動物)のうち環形動物と軟体動物はトロコフォア型の幼生を持つという共有派生形質を持つ。紐形動物は翻出する吻を持ち、かつては無体腔と考えられたが、現在では吻が収納される吻腔が裂体腔であると考えられている。冠輪動物のうち、箒虫動物・苔虫動物(外肛動物)・腕足動物は何れも触手冠と呼ばれる構造を持つため触手冠動物 Lophophorataと呼ばれ、分子系統解析でも支持されることがある。冠輪動物はもともと担輪動物と触手冠動物の2つの系統を合わせて呼ばれるようになった語である。分子系統解析の結果、苔虫動物は内肛動物と姉妹群をなす(広義の苔虫動物)とされ否定されたこともあったが、ラーマーら (2019)などでは単系統性が示されている。また、有輪動物は内肛動物と姉妹群をなすことが示唆されている。 冠輪動物に属する軟体動物門は節足動物門に次いで既知種の大きい門で、骨格を持たず、体節がない軟体からなる。体腔は真体腔であるが退化的で、体内の腔所は組織の間隙を血液が流れるだけの血体腔である。一般的には体は頭部、内臓塊、足からなり、外套膜が内臓塊を覆っている。外套膜が分泌した石灰質の貝殻を持つ事が多い。卵割は普通全割の螺旋卵割であるが、頭足類では胚盤をもつ盤割となる。 軟体動物の分類は系統解析により一部修正が施され2018年現在は体全体を覆う大きな殻がある有殻類と石灰質の棘を持つ有棘類に大きく分かれるという仮説が有力視されている。 軟体動物の綱は以下のように分類される: 有殻類は綱レベルの単系統性は多くの場合保証されているが、各綱の系統関係は2018年現在一致を見ていない。 環形動物は環帯類(貧毛綱(=ミミズ)とヒル綱)、多毛類(=ゴカイ)、スイクチムシ類を含む門である。かつては独立した門だと思われていた有鬚動物(ゆうしゅどうぶつ、現シボグリヌム科)、ユムシ動物、星口動物を含むことが分子系統解析から分かり、多毛類がそれらの分類群をすべて内包し、多系統である事もわかった。 Rouse and Fauchald (1997)による形態に基づく従来の系統関係は次の通りである: 分子系統解析に基づく系統樹は次の通りである: 分子系統解析から、かつて中生動物とされていた二胚動物および直泳動物はともに螺旋動物に属することが支持されている。ただし、その中でも、二胚動物と直泳動物は姉妹群「中生動物」となり、さらにそれが吸啜動物と姉妹群をなすという結果もあれば、直泳動物は環形動物に内包され、環形動物の極端に退化した形と考えられることもあり、まだ決着はついていない。 後口動物(新口動物)は棘皮動物門、半索動物門、脊索動物を含み、新口動物とも呼ばれる。ヘッケルは新口動物の共通祖先から脊索動物が進化した過程を論じた際、棘皮動物の幼生 と半索動物のトルナリア幼生が共有する形質を合わせて、それらの祖先型として、ディプリュールラ幼生 (Dipleurula)という仮想的な幼生を考えた。ディプリュールラ幼生はトロコフォア幼生と同様に口から肛門に至る消化管、頂器官に感覚器としての長い繊毛、口を中心とした繊毛帯(または繊毛環)、体後端部の端部繊毛帯を持つが、ディプリュールラ幼生では3部性の体腔(原体腔・中脳腔・後脳腔)を持つことおよび繊毛帯の走り方が異なる。 2018年現在、棘皮動物と半索動物が姉妹群をなすという説が大勢を締めており、これら2つをあわせて水腔動物 Coelomoporaという。 後口動物は胚発生において陥入によってできた原口が口になる前口動物に対し、原口が口にならず新たに口が開く動物であり、かつては現在後口動物とされる棘皮動物、半索動物、脊索動物だけでなく、触手冠動物としてまとめられる箒虫動物、苔虫動物(外肛動物)、腕足動物、そして毛顎動物を含んでいた。これはブルスカとブルスカ (1990)、メルグリッチとシュラム (1991)などによる形態形質に基づく系統解析でも、原口に由来しない口を持つだけでなく、原腸由来の中胚葉を持つことや腸体腔を持つことなどの形質からも支持されていた。ほかにも、放射卵割を行うなど、後口動物としての性質を多く持っている。しかし分子系統解析の進展により、触手冠動物および毛顎動物は前口動物に属すると考えられるようになった。この変更以降も「後口動物」という系統群名を用いるが 、毛顎動物や腕足動物のような原口が口にならない動物も前口動物に含まれ、単純に原口の有無が系統を反映しているわけではない。 水腔動物 Coelomopora( 歩帯動物 Ambulacraria)は幼生の形態、三体腔性、軸器官などの形質を共有する。 棘皮動物は、成体が五放射相称、三胚葉性で、内胚葉由来の中胚葉(内中胚葉)を持つ。腸体腔性の体腔で、体腔に由来する水管系と呼ばれる独自の構造をもつ。神経系は中枢神経を持たず、神経環と放射神経からなるが、ウミユリ綱では神経節を持つ。ウミユリ綱、ヒトデ綱、クモヒトデ綱、ナマコ綱、ウニ綱からなり、分子系統解析によりこれらのうちウミユリ綱が最も祖先的だと考えられている。ウニ綱のうちタコノマクラ類やブンブク類では五放射相称が歪み左右相称性を示す。 現生の半索動物はギボシムシ綱(腸鰓綱)とフサカツギ綱(翼鰓綱)からなり、化石ではフデイシ綱が置かれる。どちらも体は前体・中体・後体の3つの部分に分かれるという共通した形質を持ち、前者では吻・襟・体幹と呼ばれ、後者では頭盤・頸・体幹と呼ばれる。ギボシムシ綱では腸体腔と裂体腔をもつとされるが、体腔形成には不明な点も多い。ギボシムシ綱は側系統で、ギボシムシ綱のハリマニア科がフサカツギ綱と姉妹群をなし、フサカツギ綱はギボシムシ綱から小型化によって体が二次的に単純化したと考えられる。半索動物は脊索動物と同様に鰓裂を持つ。かつては口盲管という器官が脊索の一種と考えられたこともあったが、口盲管と脊索との関係を支持する発生遺伝学的研究結果はなく、現在では脊索を持たないとされる。 脊索動物 Chordata は頭索動物・尾索動物(被嚢動物)・脊椎動物を含むクレードで、一生のうち少なくとも一時期に鰓裂・脊索およびその背側に背側神経管を持つという形質を共有する。脊索は膨らませた細長い風船に喩えられる中軸器官で、脊索鞘という繊維質の頑強な膜に脊索細胞が包まれている。頭索動物および尾索動物がもつ内柱は脊椎動物における甲状腺と相同で、甲状腺は内柱の変化したものと考えられている。発生はさまざまであるが発生の一時期には肛門の後方に筋肉により運動する尾状部分があり、オタマジャクシ型幼生(tadpole larva)を経る。 脊索動物は脊索と背側神経管という共通する二つの特徴をもつことから1つの門に置かれ、その中の3群は亜門に置かれてきたが、佐藤矩行・西川輝昭 (2014)により、分子系統学的解析および3群がそれぞれ特徴的な形質を持つことに基づいて脊索動物をより高次の上門に置き、3群を門に格上げする考えが提唱された。 以下の3つに分類される: 尾索動物と頭索動物はかつてまとめて原索動物と呼ばれていた。ホヤ類と頭索動物はともに囲鰓腔を持ち濾過摂食を行うが、後者は肛門が独立して体外に開くことと雌雄異体であることで異なる。 脊椎動物から四肢動物を除いたグループは伝統的に魚類と呼ばれ、分岐分類学的には四肢動物は硬骨魚類に含まれるため、側系統群となる。同様に四肢動物は両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類からなるが、このうち爬虫類は羊膜類から鳥類と哺乳類を除いた側系統群である。 伝統的に諸民族で、生物は植物と動物に大別されてきた。古代ギリシアのアリストテレスは『動物誌 Περὶ Τὰ Ζῷα Ἱστορίαι』などの著作において動物と植物の中間的存在を認めつつこの区分を採用し、感覚と運動の能力は動物にだけ見られるとし、霊魂の質的差異によって理論的に説明しようとした。さらに動物を赤い血を持つ有血動物(ἐναίμος、現代の「脊椎動物」に相当)とそうでない無血動物(ἀναίμος、現代の「無脊椎動物」に相当)に二分し、発生様式と足の数を主要な基準として体系的に細分した。アリストテレスはリンネ式階層分類とは異なり、全ての上位分類に「類 γένος」を用い、有血動物を人類・胎生四足類・卵生四足類・鳥類・魚類に、無血動物を軟体類(μαλάκια、現在の頭足類)・軟殻類(軟甲類、μαλακόστρακα、現在の軟甲類 Malacostracaに相当)・有節類(ἔντομα、現在の節足動物から甲殻類を除いた概念)・殻皮類(ὀστρακόδερμα、現代の貝類に加え、ウニ類、ホヤ類を含む)に分けた。 動物界には、上記のような動物門が置かれるが、これはカール・フォン・リンネの『自然の体系 第10版』(1758)において、属より高次の階級として置いた「綱」に由来するとされる。リンネは『自然の体系 初版』(1735)で動物を四足綱 Quadrupedia、鳥綱 Aves、両生綱 Amphibia、魚綱 Pisces、昆虫綱 Insecta、蠕虫綱 Vermesに分けた。第10版では、初版の魚綱に含まれていたクジラを四足綱に加え、哺乳綱 Mammaliaとしただけでなく、ヤツメウナギやサメなどが両生綱に含められた。 このリンネが動物を分けた綱はジョルジュ・キュヴィエ (1812)により "embranchement" (以下門と訳す)とされ、階級としての綱はその下位の階級名として残された。キュヴィエの分類体系では動物を大きく脊椎動物門・軟体動物門・体節動物門・放射動物門の4群に分けた。この階級を「門 Phylum」としたのはエルンスト・ヘッケル (1866)で、脊椎動物門・体節動物門・軟体動物門・棘皮動物門・腔腸動物門の5門を認めた。 研究の進行、特に分子系統解析の台頭により解体または他の動物門の下位に吸収された動物門も多く存在する。詳細は各項を参照。 1960年以降に提唱され、現在も用いられている動物門を挙げる。詳細は各項を参照。 馬など人間が使役に利用する動物を使役動物という。西欧の動物保護法は使役動物の保護から出発した。 人間が畜産に利用する動物を畜産動物という。イギリスの動物の福祉の考え方はもともと畜産動物を対象として出発した。 愛玩動物とは、一般に家庭などで愛玩のために飼育されている動物で、特に愛玩飼育を目的として改良・繁殖が行われてきた動物をいう。 展示動物とは、動物園で展示されている動物のように展示を目的として飼育されている動物をいう。 実験動物とは、ラットやサルなど実験を目的として飼育されている動物をいう。 記事冒頭の通り、動物界(後生動物)を「動物」として扱うことが一般的であるが、「動物」の語は学術的な場面でもほかの語義を持つことがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "動物(どうぶつ、羅: animalia、英: animal)は、", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本項では1. の意味を解説し、特に断りのない限り、後生動物を指すものとする。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "動物を扱う学問を動物学といい、動物の生物学的側面に加え、動物と人とのかかわりが対象とされる。動物の研究史についてはこの「動物学」も参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "動物は、哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類、魚類といった脊椎動物はもちろん、貝類、昆虫、サナダムシ、カイメンなど、幅広い種類の生物を含んだ系統群である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "20世紀末の分子遺伝学の知見を踏まえると、生物は真正細菌、古細菌、真核生物の3つに分かれるが(3ドメイン説)、そのうち動物は植物、菌類(キノコやカビ)、原生生物とともに真核生物に属する。なお、原生生物の一部である原生動物(ゾウリムシ、ミドリムシ、アメーバなど)は本項で言う動物(後生動物)とは系統上の位置が異なり、それ自身も多系統である事が判明している。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "なお、日本の初等教育では3ドメイン説以前の二界説(2011年まで)ないし五界説(2012年以降)に基づいて生物の分類を説明している。二界説での「動物」は原生動物を含み、3ドメイン説での知見を反映しない。一方、五界説での動物は3ドメイン説のものと基本的に同じであり、原生動物は原生生物として動物とは区別されている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "動物は、真核生物の中でもオピストコンタ(後方鞭毛生物、Opisthokonta)という単系統性が強く支持される系統群に属し、ここには動物以外に菌類や一部の真核生物が属する。オピストコンタに属する生物は、後ろ側にある1本の鞭毛で進むという共有形質を持ち、動物の精子やツボカビの胞子が持つ鞭毛がこれにあたる。オピストコンタはアメボゾア Amoebozoaとともにアモルフェア Amorphea というクレードにまとめられる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "さらにオピストコンタにはホロゾア Holozoa というクレードと、ホロマイコータ Holomycota というクレードがあり、動物は前者、菌類は後者に属する。なお動物の起源とされる(後述)襟鞭毛虫もホロゾアに属する。前述の通り後生動物を動物界として扱うこと が多いが、このホロゾアを動物界と見なす試みもある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、Adl et al. (2019)では、後生動物 Metazoa Haeckel, 1874 emend. Adl et al., 2005を正規のランクとし、動物 Animalia Linnaeus, 1758 および真正後生動物 Eumetazoa Bütschli, 1910と同義(後生動物のシノニム)として海綿動物、平板動物、刺胞動物、有櫛動物を含めながらもそれらを除いた左右相称動物を界に相当する階級とした。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "動物の学名は国際動物命名規約にて運用される。現行の規約は2000年1月1日に発効した第4版である。この命名規約では「動物」という語は本項で示す後生動物を指すが、原生生物であっても研究者によって動物(原生動物)として扱われる場合は命名法上は「動物」として扱われ、この命名規約が適用される。(真核生物の命名規約には、国際動物命名規約と国際藻類・菌類・植物命名規約があり、このどちらかに則らなければ学名と見なされない。)", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "動物命名法の起点はカール・フォン・リンネ (1758)の Systema Naturae 『自然の体系 第10版』およびカール・アレクサンダー・クラーク (Carl Alexander Clerck) (1757)の Aranei Svecici であり、ともに1758年1月1日に出版されたとみなされる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "動物は一般的に以下のような共通する形質を持つ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また、動物の体制(ボディプラン、bodyplan、Bauplan)を比較する上で、細胞の単複(多細胞化)、組織や器官の有無(器官分化)、そして体軸の対称性、胚葉性と体腔が重視されてきた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "胚が形成される過程で、体軸という体の向きが決定がなされ、その向きには前後軸(頭尾軸)、背腹軸、左右軸の3つの基本的な軸がある。動物のパターン形成において、体軸の決定など細胞に位置情報を与える機能をもつ物質をモルフォゲンと呼ぶ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "前後軸(antero-posterior axis、頭尾軸、一次軸、吻尾軸)は動物の体制の基本となる軸で、明瞭な背腹軸のない刺胞動物にも見られ、頭部(口)から尾部(肛門)を貫いている。前後軸の形成にはほとんどの動物(例えば、脊椎動物やコオロギ(節足動物)やプラナリア(扁形動物)から刺胞動物まで)で Wntリガンド(細胞外分泌性因子)が関わっており、尾部側で Wnt、頭部側で Wnt 拮抗因子が発現している。ただし、ショウジョウバエ(節足動物)では、初期胚において細胞膜の存在しない合胞体として発生する(表割)ため、Wnt のような分泌性因子の濃度勾配ではなくビコイド (bicoid)というホメオドメインを持つ転写因子が蛋白質レベルで頭尾軸に沿って濃度勾配を形成し、形態形成が行われる。また、前後軸に沿った分節の形成にもホメオドメインと呼ばれるDNA結合ドメインを共通に持っている Hox クラスター遺伝子が働いており、胚発生が進むにつれ、遺伝子座の 3'-側から順に前後軸に沿って分節的に発現することで前後軸に沿ったそれぞれの位置に固有な形態が形成される。Hox 遺伝子群は海綿動物をのぞくほぼすべての後生動物が持っている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "背腹軸(dorso-ventral axis)も同様に左右相称動物で認められる動物の体制の基本となる体軸である。扁形動物、節足動物、棘皮動物、脊椎動物など多くの動物で、細胞外に放出される BMP(骨形成因子)というリガンドと Chordin などの BMP拮抗因子によってつくられるBMP活性の濃度勾配によって背腹軸が形成される。外胚葉はBMP活性が高いと表皮に、低いと神経に分化するが、19世紀前半から脊椎動物と他の動物では背腹軸に沿った器官配置が反転していることが指摘されており、実際に脊椎動物でBMP が腹側で発現し、背側で Chordin などが発現するのに対し、節足動物(ショウジョウバエ)では背側で BMP に相同な分子 (Dpp, Decapentaplegic) が、腹側で BMP拮抗因子(同、Sog)が発現していることが分かっている。逆にショウジョウバエにおける腹側を決めるのは dorsal 遺伝子で、細胞性胞胚期において腹側に転写因子ドーサル蛋白質 (Dorsal)が多く分布し、背側への分化を抑制する。胚発生時から背腹軸が決まっている節足動物とは異なり、両生類(脊椎動物)では、受精の際に精子の侵入と反対側に灰色三日月環が形成され、そこから原腸陥入が起こって Wnt シグナル伝達系のディシェベルド (Dsh, Dishevelled) が活性化して他の因子を活性化し、反応の下流でオーガナイザーを誘導することで背側となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "さらに、脊椎動物の神経管の背腹軸は、胚の背腹軸形成の完成後に進行するが、神経管の腹側領域(フロアプレート)や脊索で Shh (sonic hedgehog) 蛋白質、Wnt 拮抗因子、BMP拮抗因子が発現し、これらの濃度勾配によって神経管内で下流標的因子の発現活性が活性化または抑制されることで種々の神経細胞が分化する。これらの発現パターンは左右相称動物の中枢神経系で広く保存されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "左右軸は動物の3体軸のうち最後に決まる軸で、左右非対称性が生じるメカニズムは進化的に多様である。脊椎動物ではまず胚の中央部(ノード)で繊毛の回転により左右対称性が破られ、左側の中胚葉で Nodal および Leftyといったシグナル分子が活性化し、腹腔内で臓器が非対称な形と位置で形成される。それに対し、ショウジョウバエ(節足動物)では、細胞の形態のゆがみに起因して消化管が非対称な形態をとる。腹足類(軟体動物)では殻の巻く方向が発生初期の卵割様式に依存して Nodal や Pitx2 などの因子の制御により左巻きか右巻きかが変化する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "受精卵が卵割を繰り返し形成される細胞の層を胚葉(はいよう、germ layer)と呼ぶ。個体発生の過程では、上皮細胞の層に囲まれ体内と体外の区別がつく胞胚の状態から、原腸陥入によって内胚葉(ないはいよう、endoderm)と外胚葉(がいはいよう、ectoderm)が形成され、二胚葉性の嚢胚(原腸胚)となる。そこからさらに内外両胚葉の何れかから中に細胞が零れ落ち、中胚葉(ちゅうはいよう、mesoderm)が形成される。外胚葉由来の中胚葉を外中胚葉(がいちゅうはいよう、ectomesoderm)、内胚葉由来の中胚葉を内中胚葉(ないちゅうはいよう、entomesoderm)と呼ぶこともある。外中胚葉からなる細胞は全て間充織細胞 (mesenchyme)としてできるが、棘皮動物や箒虫動物など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものもある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "系統進化の仮説において、多細胞化して細胞同士の密着により体内と外界を隔離するようになった動物が、口と消化管を生じ、内胚葉と外胚葉の区別がなされるようになった二胚葉動物(ディプロブラスティカ、Diploblastica)となり、それが更に中胚葉ができて三胚葉動物(トリプロブラスティカ、Triploblastica)となったと考えられている。海綿動物以外の動物は(二次的に喪失したものを除き)胚葉の分化がみられ、真正後生動物と呼ばれる。刺胞動物および有櫛動物は内中胚葉を持たないため、かつては二胚葉動物と見なされてきたが、内胚葉と外胚葉の間に外中胚葉による間充織細胞を持つため、結合組織に細胞がみられないヒドロ虫類を除き、三胚葉性であるとみなされることが多い(それぞれの動物門については#現生の動物の系統も参照)。平板動物も中胚葉を欠くとされるが、前者には上皮の下に細胞がみられる。二胚動物および直泳動物にも中胚葉がなく、後生動物ですらない中生動物とされていたが、現在では退化的に単純な体制になったと解釈されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "外胚葉と内胚葉の間隙に中胚葉が筒状の細胞層を形成したものを体腔(たいこう、coelom)と呼ぶ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "三胚葉性動物は体腔の構造により、体腔のない無体腔動物(むたいこうどうぶつ、acoelomates)、体腔が上皮性の細胞で裏打ちされていない偽体腔動物(ぎたいこうどうぶつ、pseudocoelomates)、上皮性の細胞で裏打ちされた体腔をもつ真体腔動物(しんたいこうどうぶつ、coelomates, eucoelomates)に大別されてきた。偽体腔は胞胚腔(原体腔、primary body cavity)が体腔として残ったもので大きな体腔を作ることができないのに対し、真体腔はしっかりとした大きな体腔を作ることができる。偽体腔動物は従来、袋形動物という一つの動物門に含められていた。また、真体腔はでき方により腸体腔(ちょうたいこう、enterocoel)および裂体腔(れったいこう、schizocoel)に分けられる。前者は腸体腔嚢と呼ばれる腸管にできる膨らみが括れて切れて形成されるのに対し、後者は中胚葉性の細胞塊の内部に空所が形成される。主に前口動物(担輪動物 + 脱皮動物)では裂体腔、後口動物(新口動物)では腸体腔となる(#現生の動物の系統も参照)。かつて後口動物として扱われていた毛顎動物や腕足動物も腸体腔を持つ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "古くは無体腔動物から偽体腔動物、そして偽体腔動物が真体腔動物に進化してきたと解釈されていたが、ロレンツェン (1985)は間隙生活などで不必要になった真体腔が偽体腔に退化した可能性を示唆しており、さらに分子系統解析の結果でもこれが支持され、無体腔や偽体腔は真体腔が退化的に変化したものである考えがなされている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また、軟体動物、節足動物、尾索動物などでは、血液(血リンパ)に満たされた血体腔(けったいこう、hemocoel)と呼ばれる腔所(原体腔)を持つ。血体腔を持つ動物は開放血管系を持つ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "動物の細胞は、全ての真核生物の細胞に共通した以下の構造を持つ。", "title": "動物の細胞" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "典型的な動物細胞には、以下のような細胞小器官がある(番号は図のものと対応):", "title": "動物の細胞" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "動物の細胞はコラーゲンと伸縮性のある糖タンパク質からなる特徴的な細胞外マトリックスで囲まれている。細胞外マトリックスは細胞外の空間を充填する物質であると同時に、骨格的役割(石灰化による骨、貝殻、海綿骨針といった組織の形成 )、細胞接着における足場の役割(例:基底膜やフィブロネクチン)、細胞増殖因子などの保持・提供する役割(例:ヘパラン硫酸に結合する細胞増殖因子FGF)などを担う。また動物細胞は、密着結合、ギャップ結合、接着斑などにより細胞結合・細胞接着している。", "title": "動物の細胞" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "海綿動物や平板動物のような少数の例外を除き、動物の体は組織に分化しており、組織としては例えば筋肉や神経がある。", "title": "動物の細胞" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "一部の例外を除き動物は何らかの形で有性生殖を行う。有性生殖では、減数分裂により一倍体の大小2種類の配偶子が作られる。2つの配偶子が融合する事で新しい個体が生まれるが、この場合小さくて運動性がある配偶子を精子、大きくて運動性を持たない配偶子を卵(卵子)といい、配偶子が融合する過程を受精 (fertilization)、受精の結果できあがった細胞を受精卵 (fertilized egg)という。また精子を作る性機能を雄、卵を作る性機能を雌という。雌雄の性機能を別々の個体が担うことを雌雄異体、1つの個体が両方の性機能をもつ場合は雌雄同体であるという。", "title": "生殖" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "有性生殖に対し、無性生殖も哺乳類を除いたほとんどの分類群で行われている。無性生殖は生殖コストが低く、短期間で増殖するメリットはあるが、多様性が作りづらく有害遺伝子の排除が困難であり、後戻りできない糸車に喩えマラーのラチェット仮説でそのデメリットが説明される。そのようなデメリットがありながらもほとんどの動物群で無性生殖が行われることは無性生殖のパラドクスと呼ばれている。配偶子を必要としない栄養生殖型の無性生殖では、出芽や横分裂、断片化などの自切現象ののち、失った部分を再生することによって新しい個体を生み出す。この型の無性生殖は海綿動物、刺胞動物、扁形動物、環形動物、苔虫動物、内肛動物、棘皮動物、半索動物、脊索動物などほとんどの分類群で行われる。特にヒドラ(刺胞動物)やプラナリア(扁形動物)は分化多能性幹細胞をもち、自切後の再生に関与している。群体ホヤ(尾索動物)では、上皮組織から多能性を持った細胞が脱分化して再生を行う。", "title": "生殖" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "配偶子を必要とする単為生殖型の無性生殖を行う動物も存在し、ミツバチ・アブラムシ(節足動物)やワムシ(輪形動物)、魚類・両生類・爬虫類(脊椎動物)でみられる。卵の形成過程により、体細胞分裂で卵が形成されるアポミクシス(クローンによる生殖)、減数分裂前に染色体が倍加するエンドミクシス、減数分裂後に染色体が倍加するオートミクシスに分けられる。また、精子が介在する「偽の受精 pseudogamy」によっておこる単為生殖では、精子によって賦活され発生が開始されるが雄性前核が受精卵から除去される雌性生殖や、淡水生のシジミ(軟体動物)で見られるように精子による賦活後雄性前核が除去され精子由来のゲノム情報で発生が行われる雄性生殖がある。ヒルガタワムシ類(輪形動物)では数千万年間アポミクシスのみで繁殖しており、DNAの変異の蓄積で新規遺伝子が獲得されるという考え(メセルソン効果)が提唱されている。哺乳類では、ゲノムインプリンティングというエピジェネティックな単為生殖防御機構が働いている。", "title": "生殖" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "受精卵や無性生殖におけるなんらかの細胞塊が成体に到達する過程のことを発生 (development)と呼ぶ。有性生殖では、一倍体である精子と卵(未受精卵)が受精する事で、二倍体の受精卵が形成され、発生が開始する。精子由来のミトコンドリアは酵素により分解されるので、ミトコンドリアなどの細胞小器官や母性因子と呼ばれるmRNA、機能タンパク質は卵細胞のみから受精卵に伝わり、子の表現型は母親の影響を受ける母性効果 (materal effect)が現れる。胚発生以前から卵には極性(軸性、polarity)があり、卵前核に近い方の極を動物極 (animal pole)、そうでない極を植物極 (vegetal pole)と呼ぶ。前者は幼生の中でも運動や感覚に関する部分、後者は消化器系となり、これらがかつてそれぞれ動物的機能と植物的機能と呼ばれていたためこれらの名がある。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "発生が進行すると、胚のそれぞれの部分は特定の組織になるが、その決められた先を予定運命 (presumptive fate)と呼ぶ。ある動物において、初期の発生(2細胞期や4細胞期)では等しい分化能力(全能性)を持ち、すべての組織や器官を形成し得る。ウニの2細胞期の各割球を分けると、それぞれ受精卵と同様に発生が進行する。逆に、4細胞期の環形動物や軟体動物の割球は完全な胚にならない。発生運命が不可逆的に決まることを決定 (determination)といい、前者のような状態を「未決定である」(indeterminate, adj.)、後者のような状態を「決定している」(determinate, adj.)と表現する。胚発生における発生運命の限定には可逆的に限定された指定 (specification)と不可逆的な決定があり、普通は指定ののちに決定が起こる。Conklin は胚発生の初期において、予定運命の決定が早い段階で起こるものをモザイク卵 (mosaic egg)、発生運命が未決定で、各部が影響を及ぼしあいながら順次決まっていくものを調整卵 (regulative egg)と呼んだ。前者には有櫛動物、紐形動物、線形動物、環形動物、節足動物、軟体動物、尾索動物が、後者には刺胞動物、紐形動物、棘皮動物、腸鰓類(半索動物)、脊椎動物などが挙げられる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "受精卵は卵割 (cleavage)という体細胞分裂を繰り返す事で多細胞からなる胚を形成する。一般的た体細胞分裂とは異なり、卵割の際は核は複製されるが細胞質は卵細胞のものを分割して使うという特徴がある。卵割は分裂溝 (cleavage furrow)により細胞が2つの割球 (blastomere)と呼ばれる細胞に分割されておこる。卵割という用語は受精卵の最初の数回の分割に対して使われる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "卵割様式は卵黄の蓄積部位の影響を受ける。棘皮動物・毛顎動物のように卵黄が等しく分布する等黄卵 (homolecithal egg)の場合は、ウニのように等割 (equal cleavage)を行うか、環形動物や多くの軟体動物のように不等割 (unequal cleavage)となる。これらは卵割面が割球同士を完全に仕切るため全割と呼ばれる。それに対し、端黄卵 (telolecithal egg)では分裂溝が卵黄の少ない動物極から現れるため、ハート形分裂(クラゲ型分裂;刺胞動物)の時期を経る。クラゲ型分裂がより極端になると、頭足類(軟体動物)のように最初の分裂溝が植物極に達しないまま次の分裂溝が動物極に現れる盤割 (discoidal cleavage)を行う。節足動物やイソギンチャク(のように多量の卵が中央にたまっている心黄卵 (centrolecithal egg)では、表割 (superficial cleavage)が行われる。第3分裂(4細胞期から8細胞期)では、不等割を行うものでは動物極側のものは小さく、植物極側のものは大きいため、それぞれ小割球 (micromere)と大割球 (macromere)と呼ばれる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "また、卵割では分裂ごとに紡錘体のとる位置や方向が定まっているためそれぞれの分裂方向が一定しており、大きく分けて放射卵割 (radial cleavage)と螺旋卵割 (spiral cleavage)の2つの卵割配置 (cleavage pattern)がある。放射卵割では、各分裂の分裂面がその前の分裂に対して直角に起こり、分裂面は卵軸に対して平行か直角に規則正しく起こる。8細胞期以降は不規則な分裂が混ざってくるものが多い。分類群としては、刺胞動物、有櫛動物、箒虫動物、ウニ類(棘皮動物)、毛顎動物、腕足動物 が挙げられる。螺旋卵割では4細胞期から8細胞期(第3分裂)に紡錘体が卵軸に対し45°の角度をなして斜めに位置する。その後の各分裂はだいたい互いに直角に行われるが、初めの分裂面が卵軸に対し傾いているため、以降の分裂面もすべて卵軸に対して角度をなして交わり、螺旋状に並ぶ。分類群としては、扁形動物、環形動物、軟体動物 に代表され、紐形動物、内肛動物 など少なくとも8つの門が螺旋卵割を行う。なお、環形動物および軟体動物の一部では極体放出および卵割と同期して植物極の細胞質が縊り出され、無核の極葉形成 (polar lobe formation)が起こる。極葉は一方の割球と合併され、その細胞質は将来の中胚葉となる。8細胞期で大割球から縊り出された4個一組の小割球は第一クオテット(第一四つ組、1st quartette)と呼ばれる。また、4細胞期の各細胞からつながる細胞系譜を持つそれぞれの系統をクアドラント(四分区、quadrant)と呼ぶ。なお、節足動物などではこのどちらにも当てはまらない。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "卵割が進み、細胞が小さくなって胚表面が上皮的に滑らかになると卵割期から胞胚期に移行したとみなされる。この時期の胚は1層の細胞層で囲まれた球形で、胞胚 (blastula)と呼ばれる。初期胚の内部には卵割腔が形成されるが、細胞数が増加することで細胞同士が密着結合を形成すると、卵割腔内にNaやClといったイオンが能動輸送され、浸透圧が上昇して内部から水が浸入し胞胚腔液で満たされる大きな胞胚腔 (blastocoel)が形成される。卵割腔(胞胚腔)をもつ胞胚を特に中空胞胚 (coeloblastula)と呼び、不等割を行う胚では胞胚の内部は卵黄を含んだ植物極側の大きな細胞で満たされるため中実胞胚 (stereoblastula)と呼ばれる。卵黄量の多い盤割をするものでは細胞は動物極側に偏った胚盤 (blatodisc)を形成し、そのような胞胚を盤胞胚 (discoblastula)と呼ぶ。また表割を行う胞胚では細胞形成は胚の外周でのみ行われるため、囲胞胚 (periblastula)と呼ばれる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "なお、昆虫や両生類など多くの動物では、卵割期の細胞増殖を急激に行うために通常の細胞分裂で行われる一部の過程(G1期とG2期の過程)が省略され早い細胞分裂が続くが、胞胚中期になるとこの省略が終わり、形態形成に必要な転写、細胞の移動や誘導が始まる中期胞胚遷移(中期胞胚転移、中期胞胚変移)が起こる。それに対し哺乳類では分裂速度が遅く、2細胞期から既に転写が始まる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "胞胚は内胚葉が外胚葉から分画される嚢胚形成(原腸胚形成、gastrulation)を経て嚢胚(原腸胚、gastrula)期に至る。嚢胚は内外二重の細胞層からなり、胚葉の区別が現れる。嚢胚を形成する方法は分類群により異なり、最も一般的なものは陥入(invagination、まくれこみ emboly)である。陥入では植物極側の細胞層が胞胚腔に向かって折れ曲がり、内胚葉となる。内胚葉のつくられた盲管状の部分を原腸 (archenteron)、その入口を原口 (blastopore)と呼ぶ。この嚢胚形成の方法は棘皮動物などに典型的で、棘皮動物では原腸の両壁には広い胞胚腔が残されているが、箒虫動物では原腸の壁に外肺葉が密着し、胞胚腔を残さない。以降に示す被いかぶせや内展も陥入の変形とみられている。環形動物や軟体動物では被いかぶせ (epiboly)という方法で嚢胚形成が行われる。胞胚における動物極側の小割球の分裂が先に進行して、卵黄に富んだ植物極側の大割球を包囲することによって嚢胚ができる。小割球由来の外側の細胞が外胚葉層となり、内側の大割球群が内胚葉となる。被いかぶせでは、胞胚腔はかなり縮小している。また、内胚葉細胞塊ははじめ原腸を形成しないため、外胚葉に覆われていない部分を原口と呼んでいるが、発生の進行に伴って原腸を形成し、原口と連絡する。この場合、原口から落ち込んだ外胚葉の細胞層を、口陥 (stomodaeum)と呼ぶ。盤胞胚を形成する頭足類では、胚盤葉の一端がその下に折れ込んで前方に延長する内展 (involution)によって内胚葉が形成される。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "もう一方の嚢胚形成の方法は葉裂法 (delamination)と呼ばれ、主に刺胞動物にみられる。狭義の葉裂法はカラカサクラゲ類 Geryoniidae にのみ見られ、中空胞胚において外壁を作る細胞が一様に胞胚腔に向かって分裂すると、胞胚腔内に出た細胞は規則正しく配列して内胚葉の嚢を作る。ヒドラなどが行う方法は多極法 (multiopolar proliferation)と呼ばれ、胞胚法を形成している細胞が各所で胞胚腔内にすべり落ち、それが内胚葉の嚢を形成する。それに対し、ウミコップ属 Clytiaでは植物極のみから細胞がすべり落ちるため、単極法 (uniopolar proliferation)と呼ばれ、多極法と併せて極増法 (polarization)と呼ばれる。葉裂法を行う嚢胚の多くは中実嚢胚 (stereogastrula)で、発生が進行するまで原腸も原口も持たない。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "左右相称動物では、内胚葉および外胚葉とは別に、体腔と関連して中胚葉の形成が起こる。刺胞動物や有櫛動物では外肺葉から細胞が零れ落ち、外中胚葉性の間充織細胞を作る。棘皮動物や箒虫動物など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものはあるが、内中胚葉は普通表皮の形をとる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "螺旋動物では、まず第二クオテットまたは第三クオテットから外中胚葉性の間充織細胞が形成される。その後、D四分区の 4d細胞(中胚葉帯端細胞、mesoblastic teloblast)から内胚葉由来の中胚葉が生まれる。第四クオテットの他の細胞(4a, 4b, 4c)は内胚葉となる。かつては 4d細胞の系統にある子孫細胞は全て中胚葉になると考えられていたが、内胚葉も含んでいる。4d細胞は胞胚腔内に落ちると左右に分裂し、胚の分化に伴い肛門になる部分の左右前方に位置しながら前方に細胞を送り、中胚葉帯 (mesoderm band)を作る。これを「端細胞による中胚葉形成法 telobblstic method」と呼ぶ。環形動物などでは、この中胚葉帯内に体腔が形成され、これが裂体腔と呼ばれる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "節足動物でも、中胚葉は1対の細胞帯として出現する。しかし螺旋動物のように特定の細胞ではなく、原口の周囲の細胞群に由来している。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "腸体腔をもつ後口動物および毛顎動物、腕足動物などでは、原腸壁の一部が胞胚腔に向かって膨出 (evagination)し、そこから分離して胞胚腔内で独立した体腔嚢 (coelomic vesicle)を形成する。こうしてできた体腔は腸体腔であり、それを囲む壁が中胚葉である。脊椎動物においては、両生類(無羊膜類)では中胚葉の形成と原腸の形成が同時に起こるが、羊膜類(鳥類や哺乳類)では、中胚葉の形成が先に行われ、その後卵黄嚢と連続する内胚葉の一部が中胚葉に包み込まれるようにしてくびれ、原腸の形成が行われる。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "脊椎動物などでは、組織や器官を形成するため、胚細胞が特定の機能を持った細胞に変化する(細胞分化)。この際、基本的な細胞機能の維持に必要な遺伝子(ハウスキーピング遺伝子)の機能は残しつつ、特定の機能に必要な遺伝子を新たに発現し、逆に分化後には不必要になる遺伝子をDNAメチル化により不活性化する。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "脊椎動物などでは原腸胚期の後、神経管が形成される神経胚期へと進む。例えばニワトリでは、外胚葉に神経板という領域ができ、それが胚の内側に丸まる事で神経管ができ、さらに直下に脊索が形成される。神経管の前方には前脳、中脳、後脳という3つの膨らみが形成され、これらが将来脳になる。脊索の両側の沿軸中胚葉から体節が形成され、体節と隣接した外側の中間中胚葉からは腎節が形成される。体節はやがて皮節、筋節、硬節に分かれ、これらはそれぞれ皮膚の真皮層、骨格筋、椎骨などが形成され、腎節からは腎臓や生殖腺が形成される。中間中胚葉のさらに外側には予定心臓中胚葉という、将来心臓関連の組織になる部分があり、これは壁側中胚葉と臓側中胚葉に転移する。前者からは体腔を覆う胸膜や腹膜が形成され、後者からは心筋、平滑筋、血管、血球などが形成される。心臓は生命の維持に不可欠なので、発生の早い段階で中胚葉から形成される。なお、予定心臓中胚葉は中胚葉の正中線を隔てた両側に2つ存在するが、これら2つは移動して胚の前方で合流して心臓を形成する。脊椎動物では外胚葉と中胚葉の相互作用で四肢が形成される。ヒトの手足は水鳥と違い、指の間に水かきがないが、これはアポトーシスの作用で水かき部分の細胞を「自殺」させている為である。", "title": "発生" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "動物の起源については、単細胞生物の襟鞭毛虫が集まって多細胞化する事で海綿動物のような動物になっていったと考えられる。これをガストレア説(群体繊毛虫仮説)と呼ぶ。ヘッケルは動物の初期発生に基づき、襟鞭毛虫のような原生動物から、胞胚に相当する1層の細胞層を持つ中空の祖先型動物ブラステア (Blastea)が生じ、次に嚢胚に相当する二重の細胞層からなる袋状のガストレア(腸祖動物、Gastraea)が生じたと想定した。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "なお従来は、上述した襟鞭毛虫類から進化したとするヘッケルの説と繊毛虫類から進化したとするハッジの説(多核体繊毛虫仮説、合胞体繊毛虫仮説)が対立していたが、分子遺伝学の成果によれば、18SrDNAに基づいた解析などにより、動物は襟鞭毛虫類を姉妹群に持つ単系統な群であることが示されており、ヘッケルの説が有力とされている。ハッジの説は生態学的な視野のもと、多核繊毛虫から無腸動物のような原始的な左右相称動物が生じたと考え、後生動物の起源を左右相称動物に求めた。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "この多細胞化が起こった仮説として、現在までに様々なものが提案されてきた。複雑な多細胞生物の出現は、生物圏の酸化が進むまで妨げられたという説が広く受け入れられてきた。ほかにも動物が多様化するきっかけとしてとして、クライオジェニアンやエディアカラ期の全球凍結の環境的制約から後生動物の祖先が解放されたこと、宇宙放射線の影響、極移動、大陸の分断、硫化水素の毒性、塩分、微量金属の栄養塩の不足、海に栄養塩をもたらす大陸風化の周期、地球温暖化、または活発になった捕食者と捕食者の軍拡競争などが考えられるが、必ずしも相互に排他的なものではない。なおこれらの仮説は、多少なりとも、後生動物の多様化との因果関係につながるが、結局推定される時間的な一致に依存しており、地球規模の海の大酸化は後生動物が進化した原因ではなく、後生動物の出現による結果であると主張されている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "30億年以上前に地球上初めての生物が誕生したと考えられており、真核生物の最古の化石(グリパニア Grypania)は21億年前の地層から発見されている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "確実な化石記録により較正した分子時計から、クラウングループとしての後生動物は新原生代クライオジェニアン(8億3300万年前-6億5000万年前)に誕生したと推定されている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "最古の化石記録に関しては議論があり、異論の余地がない確実な動物化石の証拠は顕生代に入ってからに限られている。また左右相称動物の動物門の確固たる証拠はカンブリア紀になるまでない。とはいえ、動物の進化は先カンブリア時代からの歴史があるという見方が一般的になってきている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "動物のものかもしれない最古の化石は2012年にナミビアの7億6000万年前、クライオジェニアンの地層 (Okakuyu Formation) で発見されたオタヴィア・アンティクア Otavia antiqua)である。これは0.3–5 mm(ミリメートル)程度のかりんとうのように細長い歪な卵形をしたリン酸カルシウムからなる化石で、海綿動物だと考えられている。海綿動物だとすると表面に空いている多数の細孔から微小なプランクトンを濾過摂食したものと考えられる。なお、オタヴィアは7億6000万年前だけでなく、6億3500万年前、5億4800万年前(エディアカラ紀)の地層からも見つかっている。またオーストラリアの南オーストラリア州からは6億6500万年のTrezona Formationという地層からも、初期の海綿動物ではないかと考えられている化石も見つかっている。クライオジェニアン(約6億3500万年前)からカンブリア紀初期までの約100年にわたり連続して普通海綿の存在を示しているとされたバイオマーカーは、現在では共生細菌に由来するものだろうとされている。 全球凍結直後、約6億3000万年前の陡山沱の動物の胚化石(ドウシャントゥオの胚化石、Doushantuo embryos)とされていたものは、現在では原生生物や硫黄細菌ではないかと解釈されている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "分子時計によれば、続くエディアカラ紀(エディアカラン)に左右相称動物のほとんどの門が多様化したと考えられている。また、エディアカラ紀の5億7500万年前から5億4100万年前にかけてはエディアカラ生物群と呼ばれる生物群が多く見つかっている。エディアカラ生物群とカンブリア紀以降の動物との類縁関係は未だはっきりしていないが、その形態からランゲオモルフ Rangeomorpha、Dickinsoniomorpha、Erniettomorphaに分けられる。エディアカラ生物群は新原生代クライオジェニアン紀の全球凍結(スノーボールアース、全地球凍結)の後、5億7500万年前から5億6500万年前の間に放散(Evolutionary radiation)したと考えられ、それを「アヴァロンの爆発 Avalon explosion」と呼ぶ。エディアカラ生物群のうち、ディッキンソニア Dickinsonia、Andiva、ヨルギア Yorgiaとランゲオモルフは左右相称動物であったとする研究もある ほか、海綿動物(Eocyathispongia qiania)、軟体動物(キンベレラ Kimberella quadrata)、そして無数の刺胞動物(Haootia quadriformis)、節足動物(パルヴァンコリナ Parvancorina)とみられるものもあり、真正後生動物や左右相称動物のグレードにあると推定されている動物の痕跡も見つかっている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "エディアカラ紀末期の5億4900万年前ごろには、硬組織を獲得していたクロウディナ Cloudina と呼ばれる化石が発見されており、現生の動物との類縁関係が分からず、古杯動物と呼ばれる。この少し前の約5億6000万年前から約5億5000億年前のエディアカラ生物群の中にも硬組織を持つコロナコリナ Coronacollina aculaが見つかっている。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "古生代カンブリア紀初期 (Nemakyt-Daldynian)、約5億4200万年前には珪酸塩や炭酸塩、リン酸塩からなる骨片(硬組織)をもつ微小有殻化石群 (SSFs, Small Shelly Fossils) が見られる。化石に残る硬組織を獲得し、急速に多様な動物が出現したため、「カンブリア爆発」(カンブリア大爆発)と呼ばれる。海綿動物、軟体動物、腕足動物、節足動物、棘皮動物、環形動物、脊索動物など、現在の動物門のほとんどをしめる30余りの動物門が化石記録に残っている。かつては現在とは無縁で現生動物よりも多数の動物群が突然出現したと考えられていたが、カンブリア紀以前の動物化石が発見されたり、カンブリア紀の生物群と現生の動物との類縁関係が判明してきたため、現在ではカンブリア爆発は複雑な器官(眼、触手、脚)を獲得したことよる活発な行動様式の発達および硬組織の発達による左右相称動物の多様化であると捉えられている。5億3200万年前には Aldanella yanjiahensis と呼ばれる軟体動物の化石が見つかっている。約5億2100万年前(トモティアン)になると、動物は眼を獲得し、それまで意味を持たなかった硬組織が防御や捕食に有利になり、それが軍拡競争として働いて多様な姿を持つ動物群が現れたと考えられている(光スイッチ説)。また分子時計の解析から遺伝子レベルの生物の爆発的多様化はこれより数億年早いと考えられる。カンブリア紀からオルドビス紀初頭にみられる大不整合の研究から、カンブリア爆発の原因は海洋中の化学成分(Mg、Na、K、Ca、Feなどのイオン)が増加した影響が指摘されている。カンブリア爆発は2000万年 から2500万年 続いた。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "前期オルドビス紀にはカンブリア紀までに登場した動物門が大きく適応放散し、これはGOBE (The Great Ordovician Biodiversification Event)と呼ばれる。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "オルドビス紀末に大量絶滅(O-S境界)があったが、無顎類(顎の無い脊椎動物)は生き残り、シルル紀に多様化し、顎のある脊椎動物も登場した。デボン紀には硬骨魚類が多様化し、石炭紀には両生類が繁栄、ペルム紀には爬虫類が繁栄した。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "シルル紀には最古の陸上動物の化石である節足動物多足類が登場し、デボン紀に節足動物が多様化、石炭紀には翅を持つ昆虫類が登場した。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ペルム紀末には地球史上最大の大量絶滅(P-T境界)が起こり、中生代三畳紀には海洋生物が大量に絶滅。哺乳類が登場した。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ジュラ紀には恐竜が繁栄し、鳥類も登場した。また、軟体動物の殻を破るカニ類や硬骨魚類が進化し、これに対抗して厚い殻をもつ軟体動物が進化した(中生代の海洋変革)。白亜紀までには現生の昆虫類のほとんどが登場。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "白亜紀末には巨大隕石の衝突による大量絶滅がおこる(K-Pg境界)。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "新生代は哺乳類が優勢になり、鳥類、昆虫類、真骨魚類も適応放散し、現在と同様の動物相が形成された。新生代の後半にあたる第四紀には人類も出現した。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "化石動物について、上記の分類される現存動物門のいずれにも属さないとして、新たな動物門が提唱されることがある。以下に主要なもののみ挙げる。", "title": "起源と進化" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "以下に『動物学の百科事典』(2018)で認められている分類体系における動物の門を示す。著者名は巌佐ほか (2013)による。各動物門どうしの系統関係などの詳細については異説もあるため、ここでは省略し、次節以降を参照。研究の進展により廃止された門については#かつて存在した動物門を参照。また、門の詳細に関しては各項を参照。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1990年代以前は左右相称動物は原腸が口になるか否かで前口動物、後口動物に分類され、さらに体腔が無体腔、偽体腔、真体腔のいずれであるかにより分類されていた。しかし1990年代の18S rRNA遺伝子の解析により、体腔の違いは進化とは関係ない事が判明し、上述の意味での後口動物は単系統でない事が示されたので、いくつかの動物門を新口動物から外し(後述)、前口動物に移した。このような変更を施した後の前口動物が単系統であることが支持されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "下記は主に ギリベ (2016)の系統仮説に基づく系統樹に、ラーマーら (2019)による分子系統解析の結果を加えて、動物界の系統樹を門レベルまで描いたものである。ただし、2018年現在、分子系統解析が進展中ということもあり、完全に合意がなされたものではない。本項はこの系統樹に基づき以下の小節にて解説を行う。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "海綿動物門、平板動物門、刺胞動物門、有櫛動物門の4つは左右相称動物に含まれない動物門で、体の左右相称性がなく、これらをまとめて便宜的に「前左右相称動物」と呼ぶこともある。分子系統解析から、このうち海綿動物か有櫛動物の何れかが後生動物で最も系統の基部に位置すると考えられている。しかし、海綿動物が系統の最も基部に位置するか、有櫛動物が系統の最も基部に位置するか は分子系統解析においてもデータが分かれている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "現在の多様性は単純なものから複雑なものに進化してきたとする考え方のもと、かつては最も単純な平板動物から、細胞の種類がより多い海綿動物、そして神経を持つ刺胞動物、最後に神経系に加え筋系ももつ有櫛動物が進化してきたと考えられた。ただし、襟鞭毛虫との類似から海綿動物のほうがより原始的な姿に近いとする考えもあった。この進化的な仮説は形態に基づく分岐学的解析においても一時は支持された。しかし、分子系統学が導入された初期にはもう平板動物は二次的に退化したより派生的なグループであることが明らかになり、有櫛動物は刺胞動物より系統の基部に位置することが明らかになった。それだけでなく、有櫛動物はほかのすべての後生動物よりも基部に分岐したとする結果が得られた。海綿動物は相称性や胚葉がなく体制が単純であるため、最も初期に分岐した後生動物として直感的に受け入れられやすいのに対し、有櫛動物は放射相称、神経系と筋系をもつため、有櫛動物より後に海綿動物が分岐したと考えると筋系や神経系が有櫛動物と Parahoxozoa(有櫛動物と海綿動物以外の後生動物)で2回独立に獲得したと考えるか、海綿動物でどちらも1回完全に喪失したと考えなければならないため、大いに議論を呼んだ。系統誤差の影響を軽減することで、再び海綿動物が最も初期に分岐したと考えられる結果が得られている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "海綿動物 Poriferaは相称性がなく胚葉がないなど最も単純なボディプランを持つ。海綿動物の細胞は分化するものの、組織を形成することはなく、複雑な器官をもたない。そういったことから海綿動物は側生動物 Parazoa Sollas, 1884と呼ばれることもある。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "刺胞動物と有櫛動物の体は放射相称性を持ち、唯一の腔所である胃腔の開口は口と肛門を兼ねる。これらの動物門の細胞は組織に分化しているものの、器官を形成していない。中胚葉が形成されない二胚葉性の動物であるとされるが、細胞性である間充織を中胚葉とみなし、ヒドロ虫綱以外の刺胞動物と全ての有櫛動物を三胚葉性とみなす事も多い。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "刺胞動物は触手に物理的または化学的刺激により毒を含む刺糸を発射する刺胞と呼ばれる細胞器官を持つ。漂泳性(クラゲ型)と付着性(ポリプ型)という生活様式の異なる2つの型を持ち雌雄異体である。かつては単細胞生物とも考えられていた寄生性のミクソゾアは分子系統解析により刺胞動物に内包されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "それに対し有櫛動物は1個の細胞が変形してできた膠胞を持ち、中胚葉性の真の筋肉細胞を持つほか、全てクラゲ型であり、二放射相称で雌雄同体である。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "平板動物は神経細胞も筋肉細胞も持たず、体細胞は6種類しかなく器官や前後左右軸をもたない、自由生活を行う動物として最も単純な体制を持つ。しかし2008年にセンモウヒラムシ Trichoplax adherens のゲノム解読がなされ、シグナル伝達系、神経やシナプス、細胞結合などに関する多くの遺伝子の存在が報告された。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "4つの門を除いた全ての動物門が左右相称動物である。左右相称動物は完全な三胚葉性で、体が左右相称である。外見上は左右対称であるが、内部の臓器は限られた空間の中に各臓器を互いの連結を保ちながら機能的に配置するために、位置や形が左右非対称となっている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "左右相称動物は口と肛門、およびこれらをつなぐ消化管をもち、体内に体腔ないし偽体腔(線形動物、輪形動物など)を持つ。左右相称動物のボディプランは、前方(運動のとき体の進む方向)と後方の区別、腹側と背側の区別がある傾向があり、したがって左側と右側の区別も可能である。運動のとき体の前方へと進むので、進行方向にあるものを識別する感覚器や餌を食べる口が前方に集まる傾向にある(頭化という)。多くの左右相称動物は環状筋と縦走筋のペアを持つので、ミミズのような体が柔らかい動物では水力学的骨格 Hydrostatic skeletonの蠕動により動く事ができる。また多くの左右相称動物には繊毛で泳ぐことができる幼生の時期がある。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "以上の特徴は例外も多い。例えば棘皮動物の成体は(幼生とは違い)放射相称であるし、寄生虫の中には極端に単純化された体の構造をもつものも多い。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "珍無腸動物門(珍無腸形動物門) Xenacoelomorpha は珍渦虫と無腸動物からなる左右相称動物であり、その単系統性は分子系統解析から強く支持されている。その系統的位置に関しては、左右相称動物の最も初期に分岐したとする説 と後口動物の一員であるとする説 がある。前者の考えを支持する場合、珍無腸動物以外の全ての門を含む左右相称動物は有腎動物 Nephrozoaと呼ばれる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "珍渦虫 Xenoturbella は1878年に発見され、1949年に報告されたが、その分類は長らく謎で、渦虫の珍しい仲間だと思われていた。しかし2006年以降、分子系統解析により、後口動物に入ることが示唆され、独立した珍渦虫動物門 Xenoturbellida が設立された。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "無腸動物 Acoelomorphaは無腸類と皮中神経類からなり、それぞれ扁形動物門の無腸目および皮中神経類に分類されていたが、1999年の分子系統解析によって初期に分岐した左右相称動物であることが示唆された。Jaume Baguñà と Marta Riutort によって左右相称動物の新しい門として分離された。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "2011年、Philippe や中野裕昭らは分子系統解析により珍渦虫動物と無腸動物をともに珍無腸動物門という動物門を構成することを提唱した。そして、チンウズムシの自然産卵による卵と胚の観察結果を報告し、摂食性の幼生期を経ない直接発生型であるなどの共通点を指摘した。珍無腸動物門は設立当初新口動物に分類されたが、その後の研究により当時知られていた左右相称動物のサブクレード、後口動物・脱皮動物・冠輪動物(螺旋動物)のいずれにも属さず、これら3つ(有腎動物)の姉妹群となる最も初期に分岐した左右相称動物とされた。しかし2019年に再び長枝誘因などの系統誤差の影響を軽減することで、珍無腸動物は後口動物の水腔動物との姉妹群であることが支持された。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "毛顎動物はヤムシと総称される動物で、かつては成体の口が原口に由来しないという発生様式から後口動物とされてきた。しかし、主な中枢神経が腹側にあることや顎毛(餌の捕獲器官)にキチン質をもつことなど、前口動物の特徴も持つことは古くから知られてきた。分子系統学による解析が始まってから、後口動物ではないことが明らかになった(この頃の解析では後口動物・前口動物のさらに基部の系統に位置した)。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "18S rRNA、ミトコンドリアDNA、Hox遺伝子群およびESTデータを用いた近年の分子系統解析では、前口動物であることが明らかになっている。例えば、Laumer et al. (2019)では、前口動物の螺旋動物のうち担顎動物に近縁であるとされる。これは、発生過程における初期卵割のパターンが螺旋卵割であることや、頭部の背側にある繊毛環がトロコフォア幼生の口後繊毛環と共通していることからも支持される。しかしその中でもどの系統的位置に来るかはまだ異説が多い。この理由として、重複遺伝子を多く保有することからゲノム重複が起こった可能性があることや、集団内での遺伝的多型が多いことから突然変異率が高い可能性があることが指摘されている。例えば、長枝誘引による悪影響として脱皮動物中の節足動物の枝の中に\"mongrel assemblage\"という集合ができてしまった結果がある。この中には多足類のコムカデ類とエダヒゲムシ類だけでなく、脱皮動物の中でも有爪動物の Hanseniella と Allopuropus、冠輪動物である軟体動物頭足類のコウモリダコ Vampyroteuthis およびオウムガイ Nautilus、そして毛顎動物の Sagitta が含まれていた。また、この集合はCG-rich(グアニンおよびシトシンが多い)であった。このように、毛顎動物の系統関係を特定するのは困難である。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "体を覆うクチクラの脱皮を行うという共通の特徴を持ち、糸形動物(広義の線形動物)、有棘動物、汎節足動物の3つに分類がなされている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "糸形動物(広義の線形動物) Nematozoa または Nematoida はカイチュウ、ギョウチュウ、アニサキスなどからなる線形動物門とハリガネムシ目と遊線虫目(オヨギハリガネムシ類)からなる類線形動物門により構成される。例に挙げられた線形動物は寄生性であるが、自由生活を送る線形動物も存在し、一部の自由生活種のみ眼点を持つ。糸形動物は硬いクチクラで覆われ、細い体で、循環器や環状筋を欠き、偽体腔で螺旋卵割を行い、鞭毛のない精子を持つなど、多くの形質を共有する。線形動物は種数や個体数が非常に多いと考えられており、少なくとも数万の未知種を有すると考えられている。線形動物は左右相称であると同時に左右および背側の三放射相称でもある。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "有棘動物 Scalidophora(頭吻動物 Cephalorhyncha)は動吻動物門、鰓曳動物門、胴甲動物門をまとめたグループで、冠棘という主に頭部に数列ある環状に並ぶ棘を持つという形質を共有することから名付けられた。冠棘に加え、花状器官という感覚器を持つという形質、頭部が反転可能である形質、偽体腔を持つという形質も共有する。しかし、分子系統解析による検証は十分になされていない。胴甲動物は鰓曳動物のロリケイト幼生と形態が類似していることから近縁であると考えられてきたが、近年の分子系統解析では他の脱皮動物に近縁である可能性が示されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "汎節足動物 Panarthropodaは、動物界最大の門である節足動物を含む系統群である。汎節足動物は体節と、それに対応する付属肢や神経節を持つ事を特徴とする。環形動物もこの性質を持つため、21世紀以前では環形動物は汎節足動物に近縁である(ともに体節動物 Articulata をなす)と考えられていたが、21世紀以降では分子系統解析により、近縁性が否定され(収斂)、環形動物は別系統である冠輪動物に分類されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "節足動物は関節に分かれた外骨格を持つ体節と付属肢(関節肢)を特徴とする。現生種は鋏角類(クモ・サソリ・カブトガニなど)・多足類(ムカデ・ヤスデなど)・甲殻類(カニ・エビ類・フジツボ類・ミジンコ類など)・六脚類(昆虫など)の4亜門に分かれ、2010年代中期以降の主流な系統関係は以下のようになっている:", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "他にも三葉虫類やメガケイラ類など、絶滅種のみ含む節足動物の分類群はいくつか知られるが、現生群との類縁関係ははっきりしない。六脚類は広義の昆虫類で内顎類(トビムシ類・カマアシムシ類・コムシ類、非単系統群)と外顎類(狭義の昆虫類)に分かれる。六脚類は21世紀以前では頭部と呼吸器に共通点の多い多足類に近縁と考えられてきたが、21世紀以降では分子系統解析により、甲殻類と単系統群の汎甲殻類をなし、側系統群の甲殻類から分岐した説が主流となっている。汎甲殻類における六脚類の系統位置は議論の的となり、2000年代の分子系統解析では鰓脚類に近縁ともされていたが、2010年代中期以降では更なる全面的な解析により、脳の構造に共通性を持つムカデエビ類の方が六脚類に最も近縁な甲殻類として有力視されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "汎節足動物は節足動物門以外には緩歩動物門と有爪動物門を含む。絶滅した群まで範囲を広げると葉足動物と呼ばれる古生物をも含む。緩歩動物門に属する動物はクマムシと呼ばれる動物であり、ゆっくり歩く事からその名が名付けられた。陸上に生息する種では、クリプトビオシスという極限状態に耐えられる休眠状態になる事が知られている。有爪動物門に属する動物はカギムシと呼ばれ、現生種は真有爪目のみ。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "カンブリア紀に多様化した葉足動物は、一見して現生の有爪動物に似て、かつては全般的に有爪動物のみに近縁と考えられた。しかし1990年代後期以降では、節足動物と緩歩動物的性質をもつ葉足動物の発見に否定的とされる。葉足動物は有爪動物のみでなく、むしろ全体的に現生汎節足動物の3つの動物門(節足動物・緩歩動物・有爪動物)の最も近い共通祖先と、それぞれの初期系統(ステムグループ)を含んだ側系統群と考えられるようになり、葉足動物と有爪動物の多くの共通点は、汎節足動物の共有原始形質に過ぎない。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "このクレードに属するほとんどが、胚発生において4細胞期から8細胞期に有糸分裂紡錘体が動物極-植物極軸と45°ずれる螺旋卵割を行うという共有派生形質をもつため、螺旋動物(らせんどうぶつ)もしくは螺旋卵割動物(らせんらんかつどうぶつ) Spiraliaと呼ばれる。これを指して冠輪動物 Lophotrochozoa s.l. と呼ぶ場合もあるが、本項を含め、「冠輪動物」の名称を螺旋動物のサブクレードに用いるケースもあるので注意が必要である。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "螺旋動物は担顎動物(たんがくどうぶつ、Gnathifera)、吸啜動物(きゅうてつどうぶつ、Rouphozoa)、冠輪動物(かんりんどうぶつ、Lophotrochozoa)という3つの系統を含む。冠輪動物は上記の螺旋動物を指すこともあるため、担輪動物(たんりんどうぶつ、Trochozoa)とも呼ぶ。前者2つを合わせたものを扁平動物 Platyzoa と呼ぶこともあるが、ギリベ (2016)などでは採用されていない。逆に他の解析では担顎動物を除く吸啜動物と冠輪動物がクレードをなすことがあり、その場合、それらを合わせて Platytrochozoa と呼ばれる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "担顎動物(有顎動物)は微小な体で、クチクラの中にオスミウム酸親和性のある物質が詰まった棒状構造からなる顎を持つという形質を共有する。顎口動物は咽頭に複雑な顎を持つ動物で、体表面の単繊毛上皮によって移動する。微顎動物は複雑な顎を備え、体の腹面に繊毛を持つ。輪形動物は単生殖巣類、ヒルガタワムシ類、ウミヒルガタワムシ類からなり、ウミヒルガタワムシ類と鉤頭動物が姉妹群をなす。鉤頭動物は独立した門とされていたが、そのような系統関係から輪形動物に内包されるか、輪形動物とともに共皮類(多核皮動物) Syndermata としてまとめられる。微顎動物および鉤頭動物は体内受精ののちに螺旋卵割を行う。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "吸啜動物に含まれる扁形動物と腹毛動物はともにメイオファウナの重要な構成種で、2つの腺により吸着する (duo-gland adhesive system)形質がその共有派生形質ではないかと考えられている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "冠輪動物(担輪動物)のうち環形動物と軟体動物はトロコフォア型の幼生を持つという共有派生形質を持つ。紐形動物は翻出する吻を持ち、かつては無体腔と考えられたが、現在では吻が収納される吻腔が裂体腔であると考えられている。冠輪動物のうち、箒虫動物・苔虫動物(外肛動物)・腕足動物は何れも触手冠と呼ばれる構造を持つため触手冠動物 Lophophorataと呼ばれ、分子系統解析でも支持されることがある。冠輪動物はもともと担輪動物と触手冠動物の2つの系統を合わせて呼ばれるようになった語である。分子系統解析の結果、苔虫動物は内肛動物と姉妹群をなす(広義の苔虫動物)とされ否定されたこともあったが、ラーマーら (2019)などでは単系統性が示されている。また、有輪動物は内肛動物と姉妹群をなすことが示唆されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "冠輪動物に属する軟体動物門は節足動物門に次いで既知種の大きい門で、骨格を持たず、体節がない軟体からなる。体腔は真体腔であるが退化的で、体内の腔所は組織の間隙を血液が流れるだけの血体腔である。一般的には体は頭部、内臓塊、足からなり、外套膜が内臓塊を覆っている。外套膜が分泌した石灰質の貝殻を持つ事が多い。卵割は普通全割の螺旋卵割であるが、頭足類では胚盤をもつ盤割となる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "軟体動物の分類は系統解析により一部修正が施され2018年現在は体全体を覆う大きな殻がある有殻類と石灰質の棘を持つ有棘類に大きく分かれるという仮説が有力視されている。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "軟体動物の綱は以下のように分類される:", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "有殻類は綱レベルの単系統性は多くの場合保証されているが、各綱の系統関係は2018年現在一致を見ていない。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "環形動物は環帯類(貧毛綱(=ミミズ)とヒル綱)、多毛類(=ゴカイ)、スイクチムシ類を含む門である。かつては独立した門だと思われていた有鬚動物(ゆうしゅどうぶつ、現シボグリヌム科)、ユムシ動物、星口動物を含むことが分子系統解析から分かり、多毛類がそれらの分類群をすべて内包し、多系統である事もわかった。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "Rouse and Fauchald (1997)による形態に基づく従来の系統関係は次の通りである:", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "分子系統解析に基づく系統樹は次の通りである:", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "分子系統解析から、かつて中生動物とされていた二胚動物および直泳動物はともに螺旋動物に属することが支持されている。ただし、その中でも、二胚動物と直泳動物は姉妹群「中生動物」となり、さらにそれが吸啜動物と姉妹群をなすという結果もあれば、直泳動物は環形動物に内包され、環形動物の極端に退化した形と考えられることもあり、まだ決着はついていない。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "後口動物(新口動物)は棘皮動物門、半索動物門、脊索動物を含み、新口動物とも呼ばれる。ヘッケルは新口動物の共通祖先から脊索動物が進化した過程を論じた際、棘皮動物の幼生 と半索動物のトルナリア幼生が共有する形質を合わせて、それらの祖先型として、ディプリュールラ幼生 (Dipleurula)という仮想的な幼生を考えた。ディプリュールラ幼生はトロコフォア幼生と同様に口から肛門に至る消化管、頂器官に感覚器としての長い繊毛、口を中心とした繊毛帯(または繊毛環)、体後端部の端部繊毛帯を持つが、ディプリュールラ幼生では3部性の体腔(原体腔・中脳腔・後脳腔)を持つことおよび繊毛帯の走り方が異なる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "2018年現在、棘皮動物と半索動物が姉妹群をなすという説が大勢を締めており、これら2つをあわせて水腔動物 Coelomoporaという。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "後口動物は胚発生において陥入によってできた原口が口になる前口動物に対し、原口が口にならず新たに口が開く動物であり、かつては現在後口動物とされる棘皮動物、半索動物、脊索動物だけでなく、触手冠動物としてまとめられる箒虫動物、苔虫動物(外肛動物)、腕足動物、そして毛顎動物を含んでいた。これはブルスカとブルスカ (1990)、メルグリッチとシュラム (1991)などによる形態形質に基づく系統解析でも、原口に由来しない口を持つだけでなく、原腸由来の中胚葉を持つことや腸体腔を持つことなどの形質からも支持されていた。ほかにも、放射卵割を行うなど、後口動物としての性質を多く持っている。しかし分子系統解析の進展により、触手冠動物および毛顎動物は前口動物に属すると考えられるようになった。この変更以降も「後口動物」という系統群名を用いるが 、毛顎動物や腕足動物のような原口が口にならない動物も前口動物に含まれ、単純に原口の有無が系統を反映しているわけではない。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "水腔動物 Coelomopora( 歩帯動物 Ambulacraria)は幼生の形態、三体腔性、軸器官などの形質を共有する。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "棘皮動物は、成体が五放射相称、三胚葉性で、内胚葉由来の中胚葉(内中胚葉)を持つ。腸体腔性の体腔で、体腔に由来する水管系と呼ばれる独自の構造をもつ。神経系は中枢神経を持たず、神経環と放射神経からなるが、ウミユリ綱では神経節を持つ。ウミユリ綱、ヒトデ綱、クモヒトデ綱、ナマコ綱、ウニ綱からなり、分子系統解析によりこれらのうちウミユリ綱が最も祖先的だと考えられている。ウニ綱のうちタコノマクラ類やブンブク類では五放射相称が歪み左右相称性を示す。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "現生の半索動物はギボシムシ綱(腸鰓綱)とフサカツギ綱(翼鰓綱)からなり、化石ではフデイシ綱が置かれる。どちらも体は前体・中体・後体の3つの部分に分かれるという共通した形質を持ち、前者では吻・襟・体幹と呼ばれ、後者では頭盤・頸・体幹と呼ばれる。ギボシムシ綱では腸体腔と裂体腔をもつとされるが、体腔形成には不明な点も多い。ギボシムシ綱は側系統で、ギボシムシ綱のハリマニア科がフサカツギ綱と姉妹群をなし、フサカツギ綱はギボシムシ綱から小型化によって体が二次的に単純化したと考えられる。半索動物は脊索動物と同様に鰓裂を持つ。かつては口盲管という器官が脊索の一種と考えられたこともあったが、口盲管と脊索との関係を支持する発生遺伝学的研究結果はなく、現在では脊索を持たないとされる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "脊索動物 Chordata は頭索動物・尾索動物(被嚢動物)・脊椎動物を含むクレードで、一生のうち少なくとも一時期に鰓裂・脊索およびその背側に背側神経管を持つという形質を共有する。脊索は膨らませた細長い風船に喩えられる中軸器官で、脊索鞘という繊維質の頑強な膜に脊索細胞が包まれている。頭索動物および尾索動物がもつ内柱は脊椎動物における甲状腺と相同で、甲状腺は内柱の変化したものと考えられている。発生はさまざまであるが発生の一時期には肛門の後方に筋肉により運動する尾状部分があり、オタマジャクシ型幼生(tadpole larva)を経る。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "脊索動物は脊索と背側神経管という共通する二つの特徴をもつことから1つの門に置かれ、その中の3群は亜門に置かれてきたが、佐藤矩行・西川輝昭 (2014)により、分子系統学的解析および3群がそれぞれ特徴的な形質を持つことに基づいて脊索動物をより高次の上門に置き、3群を門に格上げする考えが提唱された。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "以下の3つに分類される:", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "尾索動物と頭索動物はかつてまとめて原索動物と呼ばれていた。ホヤ類と頭索動物はともに囲鰓腔を持ち濾過摂食を行うが、後者は肛門が独立して体外に開くことと雌雄異体であることで異なる。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "脊椎動物から四肢動物を除いたグループは伝統的に魚類と呼ばれ、分岐分類学的には四肢動物は硬骨魚類に含まれるため、側系統群となる。同様に四肢動物は両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類からなるが、このうち爬虫類は羊膜類から鳥類と哺乳類を除いた側系統群である。", "title": "現生の動物の系統" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "伝統的に諸民族で、生物は植物と動物に大別されてきた。古代ギリシアのアリストテレスは『動物誌 Περὶ Τὰ Ζῷα Ἱστορίαι』などの著作において動物と植物の中間的存在を認めつつこの区分を採用し、感覚と運動の能力は動物にだけ見られるとし、霊魂の質的差異によって理論的に説明しようとした。さらに動物を赤い血を持つ有血動物(ἐναίμος、現代の「脊椎動物」に相当)とそうでない無血動物(ἀναίμος、現代の「無脊椎動物」に相当)に二分し、発生様式と足の数を主要な基準として体系的に細分した。アリストテレスはリンネ式階層分類とは異なり、全ての上位分類に「類 γένος」を用い、有血動物を人類・胎生四足類・卵生四足類・鳥類・魚類に、無血動物を軟体類(μαλάκια、現在の頭足類)・軟殻類(軟甲類、μαλακόστρακα、現在の軟甲類 Malacostracaに相当)・有節類(ἔντομα、現在の節足動物から甲殻類を除いた概念)・殻皮類(ὀστρακόδερμα、現代の貝類に加え、ウニ類、ホヤ類を含む)に分けた。", "title": "分類の歴史" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "動物界には、上記のような動物門が置かれるが、これはカール・フォン・リンネの『自然の体系 第10版』(1758)において、属より高次の階級として置いた「綱」に由来するとされる。リンネは『自然の体系 初版』(1735)で動物を四足綱 Quadrupedia、鳥綱 Aves、両生綱 Amphibia、魚綱 Pisces、昆虫綱 Insecta、蠕虫綱 Vermesに分けた。第10版では、初版の魚綱に含まれていたクジラを四足綱に加え、哺乳綱 Mammaliaとしただけでなく、ヤツメウナギやサメなどが両生綱に含められた。", "title": "分類の歴史" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "このリンネが動物を分けた綱はジョルジュ・キュヴィエ (1812)により \"embranchement\" (以下門と訳す)とされ、階級としての綱はその下位の階級名として残された。キュヴィエの分類体系では動物を大きく脊椎動物門・軟体動物門・体節動物門・放射動物門の4群に分けた。この階級を「門 Phylum」としたのはエルンスト・ヘッケル (1866)で、脊椎動物門・体節動物門・軟体動物門・棘皮動物門・腔腸動物門の5門を認めた。", "title": "分類の歴史" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "研究の進行、特に分子系統解析の台頭により解体または他の動物門の下位に吸収された動物門も多く存在する。詳細は各項を参照。", "title": "分類の歴史" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "1960年以降に提唱され、現在も用いられている動物門を挙げる。詳細は各項を参照。", "title": "分類の歴史" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "馬など人間が使役に利用する動物を使役動物という。西欧の動物保護法は使役動物の保護から出発した。", "title": "人間との関わりによる区分" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "人間が畜産に利用する動物を畜産動物という。イギリスの動物の福祉の考え方はもともと畜産動物を対象として出発した。", "title": "人間との関わりによる区分" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "愛玩動物とは、一般に家庭などで愛玩のために飼育されている動物で、特に愛玩飼育を目的として改良・繁殖が行われてきた動物をいう。", "title": "人間との関わりによる区分" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "展示動物とは、動物園で展示されている動物のように展示を目的として飼育されている動物をいう。", "title": "人間との関わりによる区分" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "実験動物とは、ラットやサルなど実験を目的として飼育されている動物をいう。", "title": "人間との関わりによる区分" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "記事冒頭の通り、動物界(後生動物)を「動物」として扱うことが一般的であるが、「動物」の語は学術的な場面でもほかの語義を持つことがある。", "title": "後生動物以外の学術的な用法" } ]
動物は、 生物学における生物(特に真核生物)の分類群の一つ。かつて生物は、感覚と運動能力によって植物と動物に大別されていたが、動物はヘッケルにより多細胞性の後生動物と単細胞性の原生動物 に分けられた。ホイッタカーによる五界説ではこの後生動物のみを動物界 Animaliaとして扱い、これを「動物」として扱うことが一般的である。 日常語において、動物とは1. の意味の動物のうち、ヒト以外のもの。特に哺乳類に属する生物を指す事が多い。 本項では1. の意味を解説し、特に断りのない限り、後生動物を指すものとする。 動物を扱う学問を動物学といい、動物の生物学的側面に加え、動物と人とのかかわりが対象とされる。動物の研究史についてはこの「動物学」も参照。
{{生物分類表 |名称 = 動物界<br>Animalia |fossil_range = [[エディアカラ紀]] - [[現世]]{{fossilrange|610|0|}} |色 = 動物界 |画像 = [[File:Animal diversity.png|300px]] |画像キャプション = 各画像説明{{refn|group="注釈"|左上から順に、1段目:[[ヒトデ]]の一種([[棘皮動物門]][[星形動物亜門]][[ヒトデ綱]])、[[クダカイメン]] {{snamei||Aplysina fistularis}}([[海綿動物門]])、[[セイヨウダンゴイカ]] {{snamei||Sepiola atlantica}}([[軟体動物門]][[頭足綱]])、<br />2段目:[[ミズクラゲ]] {{snamei||Aurelia aurita}}([[刺胞動物門]][[鉢虫綱]])、[[ガ]]の一種 {{snamei||Hypercompe scribonia}}([[節足動物門]][[六脚亜門]][[昆虫綱]])、[[ゴカイ]]の一種 {{snamei||Nereis succinea}}([[環形動物門]][[多毛綱]])、<br />3段目:[[ヒレジャコ]] {{snamei||Tridacna squamosa}}([[軟体動物門]][[二枚貝綱]])、[[シベリアトラ]]([[脊索動物門]][[脊椎動物亜門]][[哺乳綱]])、[[ホヤ]]の一種{{snamei||Polycarpa aurata}}([[脊索動物門]][[尾索動物亜門]][[ホヤ綱]])、<br />4段目:[[クマムシ]]の一種([[緩歩動物門]][[異クマムシ綱]])、淡水産[[コケムシ]]の一種([[外肛動物門]][[掩喉綱]])、[[ウツボ]]の一種 {{snamei||Enchelycore anatina}}([[脊索動物門]][[脊椎動物亜門]][[条鰭綱]])、<br />5段目:[[カニ]]の一種 {{snamei||Liocarcinus vernalis}}([[節足動物門]][[甲殻亜門]][[軟甲綱]])、[[鉤頭動物]]の一種 {{snamei||Corynosoma wegeneri}}([[輪形動物門]][[古鉤頭虫綱]])、[[アオカケス]]([[脊索動物門]][[脊椎動物亜門]][[鳥綱]])、<br />6段目:[[ハエトリグモ]]の一種([[節足動物門]][[鋏角亜門]][[蛛形綱]])、[[ヒラムシ]]の一種[[プセウドセロス・ディミディアートゥス]] {{snamei||Pseudoceros dimidiatus}}([[扁形動物門]][[渦虫綱]])、[[ホウキムシ]]類のアクチノトロカ幼生([[箒虫動物門]])}} |ドメイン = [[真核生物]] {{sname||Eukaryota}} |ドメイン階級なし ={{生物分類表/階級なし複数 |[[アモルフェア]] {{sname||Amorphea}} |(和名なし) {{sname||Obazoa}} |[[後方鞭毛生物]] {{sname||Opisthokonta}} |[[ホロゾア]] {{sname||Holozoa}} |[[フィロゾア]] {{sname||Filozoa}}<ref>{{AUY|Shalchian-Tabrizi ''et al.''|2008}}</ref><ref group="注釈" name="adl">ただし、真核生物の2019年最新の分類である{{Harvtxt|Adl ''et al.''|2019}}では採用されていない。</ref> |[[コアノゾア]] {{sname||Choanozoa}}<ref group="注釈" name="adl"/>}} |界 = '''動物界''' {{Sname||Animalia}} |学名 = {{sname|Animalia}}<br />{{small|{{AUY|Linnaeus|1758}}}} |和名 = 動物 |シノニム= * {{sname||Metazoa}} {{small|{{AUY|Haeckel|1874}} [[emend.]] {{AUY|{{Taxonomist|Adl}} ''et al.''|2005}}}}([[後生動物]]) <!-- * {{sname||Eumetazoa}} {{small|{{AUY|Bütschli|1910}}}}([[真正後生動物]]) --> |下位分類名 = 下位分類 |下位分類 = * [[海綿動物]] * [[真正後生動物]] }} '''動物'''(どうぶつ、{{lang-la-short|animalia}}<ref group="注釈">[[古典ラテン語]]の中性第三活用(i音幹)名詞 {{lang|la|[[:wikt:animal#ラテン語|animal]], [[:wikt:animalis|is]]}}, ''[[中性名詞|n]]''の[[数 (文法)|複数]]形[[主格]]。</ref>、{{lang-en-short|animal}})は、 # [[生物学]]における[[生物]](特に[[真核生物]])の[[分類群]]の一つ。かつて生物は、感覚と運動能力によって[[植物]]と動物に大別されていたが{{refn|group="注釈"|[[明治]]以前の日本では、中国[[本草学]]の影響により生物各群を草・虫・魚・獣などと並列的に扱うことが一般的であり、生物を動物と植物に大別することは西欧の学問の流入以降に普及した考えである{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}。}}、動物は[[エルンスト・ヘッケル|ヘッケル]]により多細胞性の[[後生動物]]と単細胞性の[[原生動物]]<ref group="注釈">原生動物は[[進化|進化的]]に異なる雑多な生物をまとめたグループ([[多系統群]])であり、[[ミニステリア]]などの一部の生物を除き後生動物とは系統的に遠縁である。</ref> に分けられた{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}。[[ロバート・ホイッタカー|ホイッタカー]]による[[五界説]]ではこの後生動物のみを'''動物界''' {{sname||Animalia}}として扱い、これを「動物」として扱うことが一般的である{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}。 # 日常語において、動物とは1. の意味の動物のうち、[[ヒト]]以外のもの<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%8B%95%E7%89%A9-104095|title=動物(どうぶつ)とは|accessdate=2018-07-18|publisher=[[コトバンク]]}}より『デジタル大辞泉』の解説。</ref>。特に[[哺乳類]]に属する生物を指す事が多い<ref name="kotobank" />。 本項では1. の意味を解説し、特に断りのない限り、後生動物を指すものとする。 動物を扱う学問を[[動物学]]といい、動物の生物学的側面に加え、動物と人とのかかわりが対象とされる<ref>{{cite |author=八杉貞夫|chapter=動物学の歴史 {{small|―2000年の動物学史のエッセンス}}|date=2018|page=2}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。動物の研究史についてはこの「[[動物学]]」も参照。 == 分類 == [[File:Eukaryote Tree of Life 2020.svg|thumb|450px|2020年現在判明している真核生物の系統樹。<br />図中青字の<span style="color:blue">{{Sname|OPISTHOKONTA}}([[オピストコンタ]])</span>に含まれる <span style="color:blue">{{sname|Metazoa}}</span> が後生動物(本項の示す'''動物''')で、 <span style="color:blue">{{sname|Fungi}}</span> が[[菌類]]。<span style="color:blue">{{sname||Ichthyosporea}}</span> と動物をまとめた枝が[[ホロゾア]]で、菌類と <span style="color:blue">{{sname|Nucleariida}}</span> をまとめた枝が[[ホロマイコータ]]である。]] 動物は、[[哺乳類]]、[[爬虫類]]、[[鳥類]]、[[両生類]]、[[魚類]]といった[[脊椎動物]]はもちろん、[[貝類]]、[[昆虫]]、[[サナダムシ]]、[[海綿動物|カイメン]]など、幅広い種類の生物を含んだ[[系統群]]である。 === 上位分類 === [[20世紀]]末の[[分子遺伝学]]の知見を踏まえると、生物は[[真正細菌]]、[[古細菌]]、[[真核生物]]の3つに分かれるが([[生物の分類|3ドメイン説]])<ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.91</ref><ref>{{Cite book|author=Lisa A. Urry|title=キャンベル生物学 原書11版|date=2018-3-20|publisher=丸善出版|isbn=978-4621302767|page=655|translator=池内昌彦、[[伊藤元己]]、箸本春樹 、道上達男|author2=Michael L. Cain|author3=Steven A. Wasserman|author4=Peter V. Minorsky|author5=Jane B. Reece}}</ref><ref>{{Cite book|author=P. レーヴン|title=レーヴン ジョンソン 生物学〈下〉(原書第7版)|date=2007-05-01|publisher=培風館|page=518|author2=J. ロソス|author3=S. シンガー|author4=G. ジョンソン}}</ref>、そのうち動物は[[植物]]、[[菌類]](キノコやカビ)、[[原生生物]]とともに[[真核生物]]に属する。なお、[[原生生物]]の一部である[[原生動物]]([[ゾウリムシ]]、[[ミドリムシ]]、[[アメーバ]]など)は本項で言う動物([[後生動物]])とは系統上の位置が異なり、それ自身も多系統である事が判明している。 なお、日本の初等教育では3ドメイン説以前の[[生物の分類|二界説]](2011年まで)ないし[[生物の分類|五界説]](2012年以降)に基づいて生物の分類を説明している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/j-scie/q_a/life1_06.html|title=中学校理科教科書「未来へ広がるサイエンス」|accessdate=2018-07-11|publisher=[[啓林館]]}}</ref>。二界説での「動物」は原生動物を含み、3ドメイン説での知見を反映しない。一方、五界説での動物は3ドメイン説のものと基本的に同じであり、原生動物は原生生物として動物とは区別されている。{{要校閲|date=2021年10月|title=真核生物の中の系統のことも 3ドメイン説(の知見)というのでしょうか? ここで「3ドメイン説」と言う必要があるのかは疑問。}}  動物は、真核生物の中でも[[オピストコンタ]](後方鞭毛生物、{{sname||Opisthokonta}})という[[単系統]]性が強く支持される系統群に属し、ここには動物以外に[[菌類]]や一部の真核生物が属する。オピストコンタに属する生物は、後ろ側にある1本の鞭毛で進むという共有形質を持ち、動物の[[精子]]や[[ツボカビ]]の[[胞子]]が持つ[[鞭毛]]がこれにあたる。オピストコンタは[[アメボゾア]] {{sname||Amoebozoa}}とともに[[アモルフェア]] {{Sname||Amorphea}} という[[クレード]]にまとめられる{{Sfn|Adl ''et al.''|2019|pp=4-119}}<ref name="shimano">{{cite journal|author=矢﨑裕規・島野智之|date=2020|title=真核生物の高次分類体系の改訂 ―Adl ''et al.'' (2019)について―|journal=タクサ|volume=48|pages=71-83}}</ref>。 さらにオピストコンタには[[ホロゾア]] {{sname||Holozoa}} というクレードと、[[ホロマイコータ]] {{sname||Holomycota}} というクレードがあり、動物は前者、菌類は後者に属する{{Sfn|Adl ''et al.''|2019|pp=4-119}}。なお動物の起源とされる(後述)[[襟鞭毛虫]]もホロゾアに属する{{Sfn|Adl ''et al.''|2019|pp=4-119}}<ref name="Kakui">{{cite|author=角井敬知|chapter=動物界の分類群・系統 {{small|―いまだに解けない古い関係}}|date=2018|pages=54-57}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。前述の通り後生動物を動物界として扱うこと<ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.99</ref><ref>{{cite journal|first1=Michael A. |last1=Ruggiero|first2= Dennis P. |last2=Gordon|first3= Thomas M. |last3=Orrell|first4= Nicolas |last4=Bailly|first5=Thierry |last5=Bourgoin|first6= Richard C. |last6=Brusca|first7= Thomas |last7=Cavalier-Smith|author-link7=トーマス・キャバリエ=スミス|first8= Michael D. |last8=Guiry|first9= Paul M. |last9=Kirk|title=A Higher Level Classification of All Living Organisms|journal=PLoS ONE |volume=10|issue=4|pages=1-60|doi=10.1371/journal.pone.0119248}}</ref><ref name="Tedersoo">{{cite journal|first1=Leho |last1=Tedersoo|first2=Santiago |last2=Sánchez-Ramírez|first3=Urmas |last3=Kõljalg|first4=Mohammad |last4=Bahram|first5=Markus |last5=DÖring|first6=Dmitry |last6=Schigel|first7=Tom |last7=May|first8= Martin |last8=Ryberg|first9=Kessy |last9=Abarenkov|title=High-level classification of the Fungi and a tool for evolutionary ecological analyses|journal=Fungal Diversity|date=2018|volume=90|pages=135-159|doi=10.1007/s13225-018-0401-0}}</ref> が多いが、このホロゾアを動物界と見なす試み{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1552}}もある。 また、{{Harvtxt|Adl ''et al.''|2019}}では、後生動物 {{sname||Metazoa}} {{AUY|Haeckel|1874}} [[emend.]] {{AUY|Adl ''et al.''|2005}}を正規のランク{{refn|group="注釈"|この「ランク」は流動的な分類群の実情に合わせ、[[階級 (生物学)|リンネ式階層分類]]のように絶対的な階層をもたない<ref name="shimano"/>。}}とし、動物 {{sname||Animalia}} {{AUY|Linnaeus|1758}} および[[真正後生動物]] {{sname||Eumetazoa}} {{AUY|Bütschli|1910}}と同義(後生動物の[[シノニム]]<!-- 同義の分類群を示す用語 -->)として海綿動物、平板動物、刺胞動物、有櫛動物を含めながらもそれらを除いた[[左右相称動物]]を[[界 (分類学)|界]]に相当する階級とした{{Sfn|Adl ''et al.''|2019|pp=4-119}}。 === 学名と命名法 === 動物の学名は[[国際動物命名規約]]にて運用される{{Sfn|動物命名法国際審議会|2005|loc=条1}}。現行の規約は[[2000年]][[1月1日]]に発効した第4版である{{Sfn|動物命名法国際審議会|2005|loc=表紙}}。この命名規約では「動物」という語は本項で示す[[後生動物]]を指すが、[[原生生物]]であっても研究者によって動物([[原生動物]])として扱われる場合は命名法上は「動物」として扱われ、この命名規約が適用される{{Sfn|動物命名法国際審議会|2005|loc=条1.1.1}}{{Sfn|動物命名法国際審議会|2005|loc=用語集}}。(真核生物の命名規約には、[[国際動物命名規約]]と[[国際藻類・菌類・植物命名規約]]があり、このどちらかに則らなければ学名と見なされない。) 動物命名法の起点は[[カール・フォン・リンネ]] (1758)の ''{{lang|la|[[:en:Systema Naturae|Systema Naturae]]}}'' 『自然の体系 第10版』および[[カール・アレクサンダー・クラーク]] {{small|([[:en:Carl Alexander Clerck|Carl Alexander Clerck]])}} (1757)の ''[[:en:Aranei Svecici|Aranei Svecici]]'' であり、ともに1758年1月1日に出版されたとみなされる<ref>{{cite |author=中野隆文|chapter=種と学名,高次分類群 {{small|―動物の名称と名称に関するルール}}|date=2018|pages=46-47}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。 == 特徴 == 動物は一般的に以下のような共通する形質を持つ。 * [[多細胞生物|多細胞]]の[[真核生物]]である<ref name="Avila1995">{{cite book|author=Avila, Vernon L.|title=Biology: Investigating Life on Earth|url=https://books.google.com/books?id=B_OOazzGefEC&pg=PA767|year=1995|publisher=Jones & Bartlett Learning|isbn=978-0-86720-942-6|pages=767–}}</ref><ref name="palaeos">{{cite web|url=http://palaeos.com/metazoa/metazoa.html|title=Palaeos:Metazoa|accessdate=25 February 2018|website=Palaeos}}</ref>。 * [[従属栄養生物]]である<ref name="palaeos" /><ref name="Windows">{{cite web|url=http://www.windows.ucar.edu/tour/link=/earth/Life/heterotrophs.html&edu=high|title=Heterotrophs|accessdate=30 September 2007|last=Bergman|first=Jennifer|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070829051950/http://www.windows.ucar.edu/tour/link%3D/earth/Life/heterotrophs.html%26edu%3Dhigh|archivedate=29 August 2007|deadurl=no}}</ref>。すなわち[[植物]]のような[[独立栄養生物]]と違い、無機物から自力で栄養源を得る事はできない。 * 非常に少数の例外的な動物を除き、[[呼吸|好気呼吸]]する<ref name="oxygen">{{cite journal|last1=Mentel|first1=Marek|last2=Martin|first2=William|year=2010|title=Anaerobic animals from an ancient, anoxic ecological niche|journal=BMC Biology|volume=8|pages=32|doi=10.1186/1741-7007-8-32|pmid=20370917|pmc=2859860}}</ref>。すなわち[[酸素]]を使った[[細胞呼吸]]をする。 * [[運動性]]がある<ref name="Concepts">{{cite web|url=http://employees.csbsju.edu/SSAUPE/biol116/Zoology/digestion.htm|title=Concepts of Biology|accessdate=30 September 2007|last=Saupe|first=S. G.}}</ref>。すなわち、自発的に体を動かす事ができる。ただし生涯の途中で[[付着生物]]と化すなど、運動性がない時期がある動物もいる。 * ほとんどの動物には、[[胚発生]]の初期に[[胞胚]]という段階がある<ref>{{cite book|last=Minkoff|first=Eli C.|title=Barron's EZ-101 Study Keys Series: Biology|edition=2nd, revised|year=2008|publisher=Barron's Educational Series|isbn=978-0-7641-3920-8|page=48}}</ref>。 また、動物の'''[[ボディプラン|体制]]'''(ボディプラン、{{lang|en|bodyplan}}、{{lang|de|Bauplan}})を比較する上で、細胞の単複(多細胞化)、[[組織]]や[[器官]]の有無(器官分化)、そして'''体軸'''の対称性、'''[[胚葉]]性'''と'''[[体腔]]'''が重視されてきた<ref name="shirayama-1-3-2">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統{{small|(1-3-2 動物界の門レベルの多様性)}}|date=2000|pages=14-25}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref><ref name="bodyplan">[[#藤田 2010|藤田 2010]], pp.102-106</ref>。 === 体軸 === {{See also|体軸}} 胚が形成される過程で、'''体軸'''という体の向きが決定がなされ、その向きには前後軸(頭尾軸)、背腹軸、左右軸の3つの基本的な軸がある<ref>[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.49</ref><ref name="hamada">{{cite |author=濱田博司|chapter=左右軸形成 {{small|―なぜ心臓や胃は左に?}}|date=2018|pages=308-309}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。動物のパターン形成において、体軸の決定など細胞に位置情報を与える機能をもつ物質を[[モルフォゲン]]と呼ぶ{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1401}}。 '''前後軸'''({{lang|en|antero-posterior axis}}、頭尾軸、一次軸、吻尾軸)は動物の体制の基本となる軸で、明瞭な背腹軸のない刺胞動物にも見られ、頭部([[口]])から尾部([[肛門]])を貫いている<ref name="matsuo">{{cite |author=松尾勲|chapter=頭尾軸・背腹軸形成 {{small|―動物界に共通する普遍的な体制}}|date=2018|pages=304-307}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。前後軸の形成にはほとんどの動物(例えば、脊椎動物や[[コオロギ]]{{small|([[節足動物]])}}や[[プラナリア]]{{small|([[扁形動物]])}}から[[刺胞動物]]まで)で Wnt[[リガンド]](細胞外分泌性因子)が関わっており、尾部側で Wnt、頭部側で Wnt 拮抗因子が発現している<ref name="matsuo"/>。ただし、[[ショウジョウバエ]](節足動物)では、初期胚において細胞膜の存在しない合胞体として発生する(表割)ため、Wnt のような分泌性因子の濃度勾配ではなく[[ビコイド]] ({{lang|en|bicoid}})というホメオドメインを持つ[[転写因子]]が蛋白質レベルで頭尾軸に沿って濃度勾配を形成し、形態形成が行われる<ref name="matsuo"/>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1401}}。また、前後軸に沿った分節の形成にも[[ホメオドメイン]]と呼ばれる[[DNA結合ドメイン]]を共通に持っている [[ホメオティック遺伝子|''Hox'' クラスター遺伝子]]が働いており、胚発生が進むにつれ、遺伝子座の 3'-側から順に前後軸に沿って分節的に発現することで前後軸に沿ったそれぞれの位置に固有な形態が形成される<ref name="matsuo"/><ref name="Sato30">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], pp.30-37</ref>。''Hox'' 遺伝子群は海綿動物をのぞくほぼすべての後生動物が持っている<ref name="Sato30"/>。 '''背腹軸'''({{lang|en|dorso-ventral axis}})も同様に左右相称動物で認められる動物の体制の基本となる体軸である<ref name="matsuo"/>。扁形動物、節足動物、棘皮動物、脊椎動物など多くの動物で、細胞外に放出される [[骨形成タンパク質|BMP]](骨形成因子<ref name="Sato38">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], pp.38-41</ref>)というリガンドと Chordin などの BMP拮抗因子によってつくられるBMP活性の濃度勾配によって背腹軸が形成される<ref name="matsuo"/>。外胚葉はBMP活性が高いと表皮に、低いと神経に分化するが、[[19世紀]]前半から脊椎動物と他の動物では背腹軸に沿った器官配置が反転していることが指摘されており、実際に脊椎動物でBMP が腹側で発現し、背側で Chordin などが発現するのに対し、節足動物(ショウジョウバエ)では背側で BMP に相同な分子 (Dpp, {{lang|en|Decapentaplegic}}) が、腹側で BMP拮抗因子(同、Sog)が発現していることが分かっている<ref name="matsuo"/><ref name="Sato38"/>。逆にショウジョウバエにおける腹側を決めるのは ''dorsal'' 遺伝子で、細胞性胞胚期において腹側に転写因子[[ドーサル蛋白質]] ({{lang|en|Dorsal}})が多く分布し、背側への分化を抑制する<ref name="Sato38"/>。胚発生時から背腹軸が決まっている節足動物とは異なり、両生類(脊椎動物)では、受精の際に精子の侵入と反対側に[[灰色三日月環]]が形成され、そこから原腸陥入が起こって Wnt [[シグナル伝達]]系の[[ディシェベルド]] (Dsh, {{lang|en|Dishevelled}}) が活性化して他の因子を活性化し、反応の下流で[[オーガナイザー]]を誘導することで背側となる<ref name="Sato38"/>。 さらに、脊椎動物の神経管の背腹軸は、胚の背腹軸形成の完成後に進行するが、神経管の腹側領域(フロアプレート)や脊索で Shh ({{lang|en|sonic hedgehog}}) 蛋白質、Wnt 拮抗因子、BMP拮抗因子が発現し、これらの濃度勾配によって神経管内で下流標的因子の発現活性が活性化または抑制されることで種々の神経細胞が分化する{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1401}}<ref name="matsuo"/>。これらの発現パターンは左右相称動物の[[中枢神経系]]で広く保存されている<ref name="matsuo"/>。 '''左右軸'''は動物の3体軸のうち最後に決まる軸で、左右非対称性が生じるメカニズムは進化的に多様である<ref name="hamada"/>。脊椎動物ではまず胚の中央部(ノード)で繊毛の回転により左右対称性が破られ、左側の中胚葉で Nodal および Leftyといったシグナル分子が活性化し、腹腔内で臓器が非対称な形と位置で形成される<ref name="hamada"/>。それに対し、ショウジョウバエ(節足動物)では、細胞の形態のゆがみに起因して消化管が非対称な形態をとる<ref name="hamada"/>。腹足類(軟体動物)では殻の巻く方向が発生初期の卵割様式に依存して Nodal や Pitx2 などの因子の制御により左巻きか右巻きかが変化する<ref name="hamada"/>。 === 胚葉性 === {{Seealso|#発生}} 受精卵が卵割を繰り返し形成される細胞の層を[[胚葉]](はいよう、{{lang|en|germ layer}})と呼ぶ<ref name="derm">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統{{small|(1-3-2 動物界の門レベルの多様性)}}|date=2000|pages=16-17}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。[[個体発生]]の過程では、上皮細胞の層に囲まれ体内と体外の区別がつく[[胞胚]]の状態から、[[原腸陥入]]によって'''[[内胚葉]]'''(ないはいよう、{{lang|en|endoderm}})と'''外胚葉'''(がいはいよう、{{lang|en|ectoderm}})が形成され、'''二胚葉性'''の[[嚢胚]](原腸胚)となる<ref name="bodyplan"/><ref name="derm"/>。そこからさらに内外両胚葉の何れかから中に細胞が零れ落ち、'''中胚葉'''(ちゅうはいよう、{{lang|en|mesoderm}})が形成される<ref name="bodyplan"/><ref name="derm"/>。外胚葉由来の中胚葉を'''外中胚葉'''(がいちゅうはいよう、{{lang|en|ectomesoderm}}{{refn|group="注釈"|幼生中胚葉 ({{lang|en|larval mesoderm}})または中外胚葉 ({{lang|en|mesectoderm}})とも呼ばれる<ref name="mesoderm">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|pages=35-37}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。}})、内胚葉由来の中胚葉を'''内中胚葉'''(ないちゅうはいよう、{{lang|en|entomesoderm}}{{refn|group="注釈"|真の中胚葉 ({{lang|en|true mesoderm}})または中内胚葉 ({{lang|en|mesendoderm}})とも呼ばれる<ref name="mesoderm"/>}})と呼ぶこともある<ref name="derm"/><ref name="mesoderm"/>。外中胚葉からなる細胞は全て[[間充織細胞]] ({{lang|en|mesenchyme}})としてできるが、[[棘皮動物]]や[[箒虫動物]]など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものもある<ref name="mesoderm"/>。 [[系統進化]]の仮説において、[[多細胞]]化して細胞同士の密着により体内と外界を隔離するようになった動物が、口と[[消化管]]を生じ、[[内胚葉]]と[[外胚葉]]の区別がなされるようになった二胚葉動物(ディプロブラスティカ<ref name="sato-11">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], p.11</ref>、{{lang|la|Diploblastica}})となり、それが更に[[中胚葉]]ができて三胚葉動物(トリプロブラスティカ<ref name="sato-11"/>、{{lang|la|Triploblastica}})となったと考えられている<ref name="bodyplan"/>。[[海綿動物]]以外の動物は(二次的に喪失したものを除き)胚葉の分化がみられ、[[真正後生動物]]と呼ばれる<ref name="komazaki">{{cite|author=駒崎伸二・浅島誠|chapter=胚葉形成 {{small|―動物の体をつくる基本作業}}|date=2018|pages=296-299}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。[[刺胞動物]]および[[有櫛動物]]は内中胚葉を持たないため、かつては二胚葉動物と見なされてきたが、内胚葉と外胚葉の間に外中胚葉による間充織細胞を持つため、[[結合組織]]に細胞がみられない[[ヒドロ虫]]類を除き、三胚葉性であるとみなされることが多い(それぞれの動物門については[[#現生の動物の系統]]も参照)<ref name="derm"/><ref name="mesoderm"/>。[[平板動物]]も中胚葉を欠くとされるが、前者には[[上皮]]の下に細胞がみられる<ref name="derm"/>{{要校閲|date=2021年10月|title=「前者」とは?}}。[[二胚動物]]および[[直泳動物]]にも中胚葉がなく、後生動物ですらない[[中生動物]]とされていたが、現在では退化的に単純な体制になったと解釈されている<ref name="derm"/>。 === 体腔 === [[File:Figure 27 02 05.jpg|thumb|400px|左から無体腔、真体腔、偽体腔の断面の模式図。]] 外胚葉と内胚葉の間隙に中胚葉が筒状の細胞層を形成したものを[[体腔]](たいこう、{{lang|en|coelom}})と呼ぶ<ref name="coelom">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統{{small|(1-3-2 動物界の門レベルの多様性)}}|date=2000|pages=19-20}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。 三胚葉性動物は体腔の構造により、体腔のない'''無体腔動物'''(むたいこうどうぶつ、{{lang|en|acoelomates}})、体腔が上皮性の細胞で裏打ちされていない'''偽体腔動物'''(ぎたいこうどうぶつ、{{lang|en|pseudocoelomates}})、上皮性の細胞で裏打ちされた体腔をもつ'''真体腔動物'''(しんたいこうどうぶつ、{{lang|en|coelomates, eucoelomates}})に大別されてきた<ref name="coelom"/>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=848}}。偽体腔は[[胞胚腔]]('''原体腔'''、{{lang|en|primary body cavity}})が体腔として残ったもので大きな体腔を作ることができないのに対し、真体腔はしっかりとした大きな体腔を作ることができる<ref name="bodyplan"/><ref name="mesoderm"/>。偽体腔動物は従来、[[袋形動物]]という一つの動物門に含められていた<ref name="coelom"/>。また、真体腔はでき方により'''腸体腔'''(ちょうたいこう、{{lang|en|enterocoel}})および'''裂体腔'''(れったいこう、{{lang|en|schizocoel}})に分けられる<ref name="bodyplan"/><ref name="coelom"/>。前者は腸体腔嚢と呼ばれる腸管にできる膨らみが括れて切れて形成されるのに対し、後者は中胚葉性の細胞塊の内部に空所が形成される<ref name="bodyplan"/><ref name="coelom"/>。主に[[前口動物]](担輪動物 + 脱皮動物)では裂体腔、[[後口動物]](新口動物)では腸体腔となる([[#現生の動物の系統]]も参照)<ref name="bodyplan"/>。かつて後口動物として扱われていた毛顎動物や腕足動物も腸体腔を持つ<ref name="mesoderm"/>。 古くは無体腔動物から偽体腔動物、そして偽体腔動物が真体腔動物に進化してきたと解釈されていたが、ロレンツェン (1985)は間隙生活などで不必要になった真体腔が偽体腔に退化した可能性を示唆しており、さらに分子系統解析の結果でもこれが支持され、無体腔や偽体腔は真体腔が退化的に変化したものである考えがなされている<ref name="bodyplan"/><ref name="komazaki"/><ref name="coelom"/>。 また、[[軟体動物]]、[[節足動物]]、[[尾索動物]]などでは、[[血液]]([[血リンパ]])に満たされた'''血体腔'''(けったいこう、{{lang|en|hemocoel}})と呼ばれる腔所(原体腔)を持つ<ref name="Kozloff-7">[[#Kozloff 1990|Kozloff 1990]], pp.7-8</ref>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=405}}。血体腔を持つ動物は[[開放血管系]]を持つ<ref name="Kozloff-7"/>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=405}}。 == 動物の細胞 == 動物の[[細胞]]は、全ての真核生物の細胞に共通した以下の構造を持つ。 * [[細胞膜]]:細胞を包んでいる膜<ref name="Matsu47">{{Cite book|和書|ref=松本ら 1993|author=松本信二、船越浩海、玉野井逸朗|editor=|title=細胞の増殖と生体システム|edition=初版|year=1993|publisher=[[学会出版センター]]|isbn=4-7622-6737-6|page=}} pp.47-50、3.細胞の微細構造とその機能、3.1.細胞と膜</ref>。内部は生体物質を含む[[水溶液]]があり[[代謝]]の場となっている。[[リボソーム]]、[[細胞質]]([[原形質]])といった共通の構成要素を持っている。 * [[DNA]]:[[塩基配列]]または遺伝暗号 (genetic code)と言うヌクレオチドの塩基部分が並ぶ構造を持ち<ref name="Take14">{{Cite book|和書|ref=武村 2012|author=武村政春|editor=|title=DNAを操る分子たち|edition=初版第1刷|year=2012|publisher=[[技術評論社]]|isbn=978-4-7741-4998-1|page=}} pp.14-24、第1章 エピジェネティクスを理解するための基礎知識、1-1 DNAとセントラルドグマ</ref>、遺伝情報の継承と発現を担う。真核細胞のDNAは、一本または複数本の分子から構成される直線状で原核生物よりも多く<ref name="Matsu53">{{Cite book|和書|ref=松本ら 1993|author=松本信二、船越浩海、玉野井逸朗|editor=|title=細胞の増殖と生体システム|edition=初版|year=1993|publisher=[[学会出版センター]]|isbn=4-7622-6737-6|page=}}、pp.53-56、3.細胞の微細構造とその機能、3.3.真核生物、3.3.1真核生物の構造と機能概説</ref>、[[染色体]]と呼ばれる<ref name="Ide65">{{Cite book|和書|ref=井出 2006|author=井出利憲|editor=|title=細胞の運命Ⅳ細胞の老化|edition=初版|year=2006|publisher=[[サイエンス社]]|isbn=4-7819-1127-7|page=}} pp.65-75、第6章 テロメアとは何か</ref>。 * [[細胞質]]:細胞の細胞膜で囲まれた部分である原形質のうち、細胞核以外の領域のこと。真核細胞の細胞質には[[細胞骨格]](サイトスケルトン)と呼ばれる微小な管やフィラメント状がつくる網目もしくは束状をした3次元構造<ref name="SeikagakuDic534-8">{{Cite book|和書|author = |title = 生化学辞典第2版|edition = 第2版第6刷|year = 1995|publisher = [[東京化学同人]]|isbn = 4-8079-0340-3|page = |ref = 生化学辞典 (2版)}}、p.534 【細胞骨格タンパク質】</ref> がある。これが特に発達した動物の細胞では、細胞骨格が各細胞の形を決定づける。 === 細胞小器官 === {{main|細胞小器官}} 典型的な動物細胞には、以下のような細胞小器官がある(番号は図のものと対応): [[ファイル:Biological cell.svg|thumb|350px|典型的な動物細胞の模式図]] # [[核小体]](仁):細胞核の中に存在する、分子密度の高い領域で、[[rRNA]]の転写やリボソームの構築が行われる。 # [[細胞核]]:細胞の遺伝情報の保存と伝達を行う。 # [[リボソーム]]:[[mRNA]]の遺伝情報を読み取って[[タンパク質]]へと変換する機構である翻訳が行われる。 # [[小胞]]:[[細胞]]内にある膜に包まれた袋状の構造で、細胞中に物質を貯蔵したり、細胞内外に物質を輸送するために用いられる。代表的なものに、[[液胞]]や[[リソソーム]]がある。 # [[粗面小胞体]]:[[リボソーム]]が付着している[[小胞体]]の総称。 # [[ゴルジ体]]:へん平な袋状の膜構造が重なっており、細胞外へ[[分泌]]される[[蛋白質|タンパク質]]の糖鎖修飾や、[[リボソーム]]を構成するタンパク質のプロセシングに機能する。 # [[微小管]]:[[細胞]]中に見いだされる直径約 25&nbsp;nm の[[管]]状の[[構造]]であり、主に[[チューブリン]]と呼ばれる[[タンパク質]]からなる。[[細胞骨格]]の一種。細胞分裂の際に形成される分裂装置([[星状体]]・[[紡錘体]]・[[染色体]]をまとめてこう呼ぶ)の主体。 # [[滑面小胞体]]:[[リボソーム]]が付着していない[[小胞体]]の総称。通常細管上の網目構造をとる。[[粗面小胞体]]と[[ゴルジ体|ゴルジ複合体]]シス網との移行領域、粗面小胞体との連続部位に存在する。[[トリグリセリド]]、[[コレステロール]]、[[ステロイドホルモン]]など[[脂質]]成分の合成やCa<sup>2+</sup>の貯蔵などを行う。 # [[ミトコンドリア]]:二重の[[生体膜]]からなり、独自の[[DNA]]([[ミトコンドリアDNA]]=mtDNA)を持ち、分裂、増殖する。mtDNAは[[アデノシン三リン酸|ATP]]合成以外の生命現象にも関与する。[[酸素呼吸]]([[好気呼吸]])の場として知られている。また、細胞の[[アポトーシス]]においても重要な役割を担っている。mtDNAとその[[遺伝子]]産物は一部が細胞表面にも局在し突然変異は自然免疫系が特異的に排除<ref>林純一「ミトコンドリアDNAに突然変異をもつ細胞は自然免疫により排除されることを発見」筑波大学生命科学研究科発表 「Journal of Experimental Medicine」電子版 2011.Oct.12</ref> する。ミトコンドリアは好気性細菌で[[リケッチア]]に近いα[[プロテオバクテリア]]が[[真核細胞]]に[[共生]]することによって獲得されたと考えられている<ref name="ミトコンドリアはどこからきたか">黒岩常祥『ミトコンドリアはどこからきたか』日本放送出版、2000年6月30日第1刷発行。ISBN 4140018879。</ref>。 # [[液胞]]:電子顕微鏡で観察したときのみ、動物細胞内にもみられる。主な役割として、ブドウ糖のような代謝産物の貯蔵、無機塩類のようなイオンを用いた[[浸透圧]]の調節・[[リゾチーム]]を初めとした分解酵素が入っており不用物の細胞内消化、不用物の貯蔵がある。 # [[細胞質基質]]:[[細胞質]]から[[細胞内小器官]]を除いた部分のこと。[[真核生物]]では細胞質基質はどちらかと言えば細胞の基礎的な代謝機能の場となっている。 # [[リソソーム]]:[[生体膜]]につつまれた構造体で細胞内消化の場。 # [[中心体]]:[[細胞分裂]]の際、中心的な役割を果たす。 === 細胞外マトリックス === 動物の細胞は[[コラーゲン]]と伸縮性のある[[糖タンパク質]]からなる特徴的な[[細胞外マトリックス]]で囲まれている<ref name="Alberts">{{cite book|last1=Alberts|first1=Bruce|title=Molecular Biology of the Cell|url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK26810/|edition=4th|year=2002|publisher=Garland Science|isbn=0-8153-3218-1|last2=Johnson|first2=Alexander|last3=Lewis|first3=Julian|last4=Raff|first4=Martin|last5=Roberts|first5=Keith|last6=Walter|first6=Peter}}</ref>。細胞外マトリックスは細胞外の空間を充填する物質であると同時に、骨格的役割(石灰化による[[骨]]、[[貝殻]]、海綿骨針といった組織の形成<ref name="Sangwal-212">{{cite book|last=Sangwal|first=Keshra|title=Additives and crystallization processes: from fundamentals to applications|year=2007|publisher=John Wiley and Sons|isbn=978-0-470-06153-4|page=212}}</ref> )、[[細胞接着]]における足場の役割(例:[[基底膜]]や[[フィブロネクチン]])、[[細胞増殖因子]]などの保持・提供する役割(例:[[ヘパラン硫酸]]に結合する細胞増殖因子FGF)などを担う。また動物細胞は、[[密着結合]]、[[ギャップ結合]]、[[接着斑]]などにより[[細胞結合]]・[[細胞接着]]している<ref name="Magloire-45">{{cite book|last=Magloire|first=Kim|title=Cracking the AP Biology Exam, 2004–2005 Edition|year=2004|publisher=The Princeton Review|isbn=978-0-375-76393-9|page=45}}</ref>。 [[海綿動物]]や[[平板動物]]のような少数の例外を除き、動物の体は[[組織 (生物学)|組織]]に分化しており<ref name="Starr-362,365">{{cite book|last=Starr|first=Cecie|title=Biology: Concepts and Applications without Physiology|url=https://books.google.com/?id=EXNFwB-O-WUC&pg=PA362|date=2007-09-25|publisher=Cengage Learning|isbn=0495381500|pages=362, 365}}</ref>、組織としては例えば[[筋肉]]や[[神経]]がある。 == 生殖 == [[ファイル:Odonata_copulation.jpg|thumb|[[トンボ]]の交尾]] === 有性生殖 === 一部の例外を除き動物は何らかの形で[[有性生殖]]を行う<ref>{{cite book|last=Knobil|first=Ernst|title=Encyclopedia of reproduction, Volume 1|year=1998|publisher=Academic Press|isbn=978-0-12-227020-8|page=315}}</ref><ref name="Kobayashi">{{cite|author=小林一也|chapter=有性生殖と無性生殖 {{small|―生殖戦略の多様性}}|date=2018|pages=274-275}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。有性生殖では、[[減数分裂]]により[[倍数性|一倍体]]の大小2種類の[[配偶子]]が作られる<ref name="Kobayashi"/>。2つの配偶子が融合する事で新しい個体が生まれるが、この場合小さくて運動性がある配偶子を[[精子]]、大きくて運動性を持たない配偶子を[[卵細胞|卵]](卵子)といい、配偶子が融合する過程を[[受精]] ({{lang|ena|fertilization}})、受精の結果できあがった細胞を[[受精卵]] ({{lang|ena|fertilized egg}})という<ref name="Hamilton-55">{{cite book|last=Hamilton|first=Matthew B.|title=Population genetics|year=2009|publisher=Wiley-Blackwell|isbn=978-1-4051-3277-0|page=55}}</ref>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=638}}{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=744}}。また精子を作る性機能を[[雄]]、卵を作る性機能を[[雌]]という{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=744}}。雌雄の性機能を別々の個体が担うことを雌雄異体、1つの個体が両方の性機能をもつ場合は[[雌雄同体]]であるという{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=744}}。 === 無性生殖 === 有性生殖に対し、[[無性生殖]]も哺乳類を除いたほとんどの分類群で行われている<ref name="Kobayashi"/>。無性生殖は生殖コストが低く、短期間で増殖するメリットはあるが、多様性が作りづらく有害遺伝子の排除が困難であり、後戻りできない糸車に喩え[[マラーのラチェット仮説]]でそのデメリットが説明される<ref name="Kobayashi"/>。そのようなデメリットがありながらもほとんどの動物群で無性生殖が行われることは無性生殖のパラドクスと呼ばれている<ref name="Kobayashi"/>。配偶子を必要としない[[栄養生殖]]型の'''無性生殖'''では、[[出芽]]や[[横分裂]]、断片化などの[[自切]]現象ののち、失った部分を[[再生]]することによって新しい個体を生み出す<ref name="Kobayashi"/>。この型の無性生殖は[[海綿動物]]、[[刺胞動物]]、[[扁形動物]]、[[環形動物]]、[[苔虫動物]]、[[内肛動物]]、[[棘皮動物]]、[[半索動物]]、[[脊索動物]]などほとんどの分類群で行われる<ref name="Kobayashi"/>。特に[[ヒドラ]](刺胞動物)や[[プラナリア]](扁形動物)は[[分化多能性]][[幹細胞]]をもち、自切後の再生に関与している<ref name="Kobayashi"/>。群体ホヤ(尾索動物)では、上皮組織から多能性を持った細胞が脱分化して再生を行う<ref name="Kobayashi"/>。 配偶子を必要とする'''[[単為生殖]]'''型の無性生殖を行う動物も存在し、[[ミツバチ]]・[[アブラムシ]]([[節足動物]])や[[ワムシ]]([[輪形動物]])、[[魚類]]・[[両生類]]・[[爬虫類]]([[脊椎動物]])でみられる<ref name="Kobayashi"/>。卵の形成過程により、体細胞分裂で卵が形成される[[アポミクシス]]([[クローン]]による生殖)、減数分裂前に染色体が倍加する[[エンドミクシス]]、減数分裂後に染色体が倍加する[[オートミクシス]]に分けられる<ref name="Kobayashi"/>。また、精子が介在する「偽の受精 {{lang|en|pseudogamy}}」によっておこる単為生殖では、精子によって賦活され発生が開始されるが雄性前核が受精卵から除去される[[雌性生殖]]や、淡水生の[[シジミ]](軟体動物)で見られるように精子による賦活後雄性前核が除去され精子由来のゲノム情報で発生が行われる[[雄性生殖]]がある<ref name="Kobayashi"/>。[[ヒルガタワムシ類]](輪形動物)では数千万年間アポミクシスのみで繁殖しており、DNAの変異の蓄積で新規遺伝子が獲得されるという考え([[メセルソン効果]])が提唱されている<ref name="Kobayashi"/>。哺乳類では、[[ゲノムインプリンティング]]という[[エピジェネティック]]な単為生殖防御機構が働いている<ref name="Kobayashi"/>。 == 発生 == [[File:Animal growth and development (1960) (17575567213).jpg|thumb|400px|脊索動物の初期発生。1: 受精卵、2: 2細胞期、3: 4細胞期、4: 8細胞期、5: [[桑実胚期]]、6: 胞胚期<br />A(左):頭索動物の卵割(等黄卵)<br />B(中):両生類の卵割(中黄卵)<br />C(右):鳥類の卵割(盤割)<br />]] 受精卵や無性生殖におけるなんらかの細胞塊が成体に到達する過程のことを'''[[胚発生|発生]]''' ({{lang|en|development}})と呼ぶ{{Sfn|巌佐ほか|2013|pp=1105-1106}}。有性生殖では、一倍体である精子と卵(未受精卵)が受精する事で、二倍体の受精卵が形成され、発生が開始する{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=638}}。精子由来の[[ミトコンドリア]]は酵素により分解されるので<ref name="Asa-Koma-33">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.33</ref>、ミトコンドリアなどの[[細胞小器官]]や母性因子と呼ばれる[[mRNA]]、[[機能タンパク質]]は卵細胞のみから受精卵に伝わり<ref name="asashima">{{cite|author=浅島誠・駒崎伸二|chapter=さまざまな動物の発生 {{small|―卵から形づくりの始まり}}|date=2018|pages=270-273}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>、子の表現型は母親の影響を受ける[[母性効果]] ({{lang|en|materal effect}})が現れる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1313}}。胚発生以前から卵には極性(軸性、{{lang|en|polarity}})があり、卵前核に近い方の極を[[動物極]] ({{lang|en|animal pole}})、そうでない極を[[植物極]] ({{lang|en|vegetal pole}})と呼ぶ<ref name="polarity">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|page=371}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。前者は幼生の中でも運動や感覚に関する部分、後者は消化器系となり、これらがかつてそれぞれ動物的機能と植物的機能と呼ばれていたためこれらの名がある<ref name="polarity"/>。 発生が進行すると、胚のそれぞれの部分は特定の組織になるが、その決められた先を'''予定運命''' ({{lang|en|presumptive fate}})と呼ぶ{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1430}}。ある動物において、初期の発生(2細胞期や4細胞期)では等しい分化能力([[全能性]])を持ち、すべての組織や器官を形成し得る<ref name="komazaki"/><ref name="Kozloff-4"/>。ウニの2細胞期の各割球を分けると、それぞれ受精卵と同様に発生が進行する<ref name="Kozloff-4"/>。逆に、4細胞期の環形動物や軟体動物の割球は完全な胚にならない<ref name="Kozloff-4"/>。発生運命が不可逆的に決まることを'''決定''' ({{lang|en|determination}})といい、前者のような状態を「未決定である」({{lang|en|indeterminate}}, [[形容詞|adj.]])、後者のような状態を「決定している」({{lang|en|determinate}}, [[形容詞|adj.]])と表現する<ref name="Kozloff-4"/>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=406}}<ref name="forming">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|pages=39-40}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。胚発生における発生運命の限定には可逆的に限定された'''指定''' ({{lang|en|specification}})と不可逆的な決定があり、普通は指定ののちに決定が起こる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=406}}。Conklin は胚発生の初期において、予定運命の決定が早い段階で起こるものを'''モザイク卵''' ({{lang|en|mosaic egg}})、発生運命が未決定で、各部が影響を及ぼしあいながら順次決まっていくものを'''調整卵''' ({{lang|en|regulative egg}})と呼んだ<ref name="forming"/>。前者には[[有櫛動物]]、[[紐形動物]]、[[線形動物]]、[[環形動物]]、[[節足動物]]、[[軟体動物]]、[[尾索動物]]が{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1397}}、後者には[[刺胞動物]]、[[紐形動物]]、[[棘皮動物]]、[[腸鰓類]]([[半索動物]])、[[脊椎動物]]などが挙げられる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=923}}。 === 卵割 === {{see also|卵割}} 受精卵は'''卵割''' ({{lang|en|cleavage}})という体細胞分裂を繰り返す事で多細胞からなる胚を形成する<ref name="Asa-Koma-33" /><ref name="cleavage">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|pages=28-31}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1443}}。一般的た体細胞分裂とは異なり、卵割の際は核は複製されるが細胞質は卵細胞のものを分割して使うという特徴がある<ref name="Asa-Koma-33" />。卵割は[[分裂溝]] ({{lang|en|cleavage furrow}})により細胞が2つの[[割球]] ({{lang|en|blastomere}})と呼ばれる細胞に分割されておこる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1443}}。卵割という用語は受精卵の最初の数回の分割に対して使われる<ref name="Kozloff-3">[[#Kozloff 1990|Kozloff 1990]], p.3</ref>。 卵割様式は[[卵黄]]の蓄積部位の影響を受ける<ref name="cleavage"/><ref name="lecithal">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|page=5}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。[[棘皮動物]]・[[毛顎動物]]のように卵黄が等しく分布する等黄卵 ({{lang|en|homolecithal egg}}{{refn|group="注釈"|[[哺乳類]]のように卵黄が僅かな場合は無黄卵 {{lang|en|alecithal egg}}と呼ばれる<ref name="lecithal"/>。}})の場合は、ウニのように[[等割]] ({{lang|en|equal cleavage}})を行うか、[[環形動物]]や多くの[[軟体動物]]のように[[不等割]] ({{lang|en|unequal cleavage}})となる<ref name="cleavage"/><ref name="lecithal"/>。これらは卵割面が割球同士を完全に仕切るため'''全割'''と呼ばれる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1443}}。それに対し、[[端黄卵]] ({{lang|en|telolecithal egg}})では分裂溝が卵黄の少ない動物極から現れるため、ハート形分裂(クラゲ型分裂;[[刺胞動物]])の時期を経る<ref name="cleavage"/><ref name="lecithal"/>。クラゲ型分裂がより極端になると、[[頭足類]]([[軟体動物]])のように最初の分裂溝が植物極に達しないまま次の分裂溝が動物極に現れる[[盤割]] ({{lang|en|discoidal cleavage}})を行う<ref name="cleavage"/>。[[節足動物]]や[[イソギンチャク]](のように多量の卵が中央にたまっている[[心黄卵]]{{refn|group="注釈"|中黄卵と呼ぶこともあるが、この語は中位の卵黄量を持つ {{lang|en|mesolecithal}} にも用いられる<ref name="lecithal"/>。}} ({{lang|en|centrolecithal egg}})では、[[表割]] ({{lang|en|superficial cleavage}})が行われる<ref name="cleavage"/><ref name="lecithal"/>{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1443}}。第3分裂(4細胞期から8細胞期)では、不等割を行うものでは[[動物極]]側のものは小さく、[[植物極]]側のものは大きいため、それぞれ'''小割球''' ({{lang|en|micromere}})と'''大割球''' ({{lang|en|macromere}})と呼ばれる<ref name="Kozloff-3"/><ref name="pattern"/>。 また、卵割では分裂ごとに紡錘体のとる位置や方向が定まっているためそれぞれの分裂方向が一定しており、大きく分けて'''放射卵割''' ({{lang|en|radial cleavage}})と'''螺旋卵割''' ({{lang|en|spiral cleavage}})の2つの卵割配置 ({{lang|en|cleavage pattern}})がある<ref name="Kozloff-3"/><ref name="pattern">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|pages=31-33}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。放射卵割では、各分裂の分裂面がその前の分裂に対して直角に起こり、分裂面は卵軸に対して平行か直角に規則正しく起こる<ref name="pattern"/>。8細胞期以降は不規則な分裂が混ざってくるものが多い<ref name="pattern"/>。分類群としては、[[刺胞動物]]<ref name="Kozloff-3"/>、[[有櫛動物]]<ref name="Kozloff-3"/>、[[箒虫動物]]<ref name="Kozloff-3"/>、[[ウニ類]]([[棘皮動物]])<ref name="Kozloff-3"/>、[[毛顎動物]]<ref name="spiral"/>、[[腕足動物]]<ref name="spiral"/> が挙げられる。螺旋卵割では4細胞期から8細胞期(第3分裂)に紡錘体が卵軸に対し45°の角度をなして斜めに位置する<ref name="Kozloff-3"/><ref name="spiral">{{cite journal|first1=José M.|last1=Martín-Durán|first2=Ferdinand|last2=Marlétaz|title=Unravelling spiral cleavage|journal=Development|date=2020|volume=147|pages=1-7|doi=10.1242/dev.181081}}</ref>。その後の各分裂はだいたい互いに直角に行われるが、初めの分裂面が卵軸に対し傾いているため、以降の分裂面もすべて卵軸に対して角度をなして交わり<ref name="pattern"/>、螺旋状に並ぶ<ref name="Kozloff-3"/>。分類群としては、[[扁形動物]]<ref name="Kozloff-3"/><ref name="spiral"/>、[[環形動物]]<ref name="Kozloff-3"/><ref name="spiral"/>、[[軟体動物]]<ref name="Kozloff-3"/><ref name="spiral"/> に代表され、[[紐形動物]]<ref name="spiral"/>、[[内肛動物]]<ref name="spiral"/> など少なくとも8つの門が螺旋卵割を行う<ref name="spiral"/>。なお、環形動物および軟体動物の一部では極体放出および卵割と同期して植物極の細胞質が縊り出され、無核の極葉形成 ({{lang|en|polar lobe formation}})が起こる<ref name="cleavage"/>。極葉は一方の割球と合併され、その細胞質は将来の中胚葉となる<ref name="cleavage"/>。8細胞期で大割球から縊り出された4個一組の小割球は'''第一クオテット'''(第一四つ組、{{lang|en|1st quartette}})と呼ばれる<ref name="pattern"/>。また、4細胞期の各細胞からつながる細胞系譜を持つそれぞれの系統を'''クアドラント'''(四分区、{{lang|en|quadrant}})と呼ぶ<ref name="pattern"/>。なお、[[節足動物]]などではこのどちらにも当てはまらない<ref name="Ueno">{{cite|author=上野秀一|chapter=卵割 {{small|―大きな卵はなぜ速く分裂するのか}}|date=2018|pages=294-295}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。 === 胞胚期 === 卵割が進み、細胞が小さくなって胚表面が上皮的に滑らかになると卵割期から胞胚期に移行したとみなされる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1443}}。この時期の胚は1層の細胞層で囲まれた球形で、'''[[胞胚]]''' ({{lang|en|blastula}})と呼ばれる<ref name="blastula">{{cite|author=久米・團|date=1957|title=総説|pages=33-35}} [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref>。初期胚の内部には卵割腔が形成されるが、細胞数が増加することで細胞同士が[[密着結合]]を形成すると、卵割腔内にNa<sup>+</sup>やCl<sup>-</sup>といったイオンが能動輸送され、浸透圧が上昇して内部から水が浸入し胞胚腔液で満たされる大きな[[胞胚腔]] ({{lang|en|blastocoel}}{{refn|group="注釈"|卵割腔も {{lang|en|blastocoel}}と呼ばれ、区別されない<ref name="blastula"/>。}})が形成される<ref name="asashima"/>。卵割腔(胞胚腔)をもつ胞胚を特に中空胞胚 ({{lang|en|coeloblastula}})と呼び、不等割を行う胚では胞胚の内部は卵黄を含んだ植物極側の大きな細胞で満たされるため中実胞胚 ({{lang|en|stereoblastula}})と呼ばれる<ref name="blastula"/>。卵黄量の多い盤割をするものでは細胞は動物極側に偏った胚盤 ({{lang|en|blatodisc}})を形成し、そのような胞胚を盤胞胚 ({{lang|en|discoblastula}})と呼ぶ<ref name="blastula"/>。また表割を行う胞胚では細胞形成は胚の外周でのみ行われるため、囲胞胚 ({{lang|en|periblastula}})と呼ばれる<ref name="blastula"/>。 なお、[[昆虫]]や[[両生類]]など多くの動物では、卵割期の細胞増殖を急激に行うために通常の細胞分裂で行われる一部の過程([[G1期|G<sub>1</sub>期]]と[[G2期|G<sub>2</sub>期]]の過程)が省略され早い細胞分裂が続くが<ref name="Ueno"/><ref>[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.39</ref>、胞胚中期になるとこの省略が終わり、形態形成に必要な転写、細胞の移動や誘導が始まる'''中期胞胚遷移'''(中期胞胚転移、中期胞胚変移)が起こる<ref name="Ueno"/><ref name="Asa-Koma-42">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.42</ref>。それに対し[[哺乳類]]では分裂速度が遅く、2細胞期から既に転写が始まる<ref name="Ueno"/>。 === 嚢胚形成 === [[File:БСЭ1. Гаструла 3.jpg|thumb|被いかぶせによる嚢胚形成。<br/>1, 4: 外胚葉、2, 5: 内胚葉、3: 胞胚腔、6: 原口]] 胞胚は[[内胚葉]]が[[外胚葉]]から分画される'''嚢胚形成'''(原腸胚形成<ref name="asashima"/>、{{lang|en|gastrulation}})を経て'''嚢胚'''([[原腸胚]]<ref name="asashima"/>、{{lang|en|gastrula}})期に至る<ref name="Kozloff-4">[[#Kozloff 1990|Kozloff 1990]], pp.4-5</ref><ref name="blastula"/>。嚢胚は内外二重の細胞層からなり、胚葉の区別が現れる<ref name="blastula"/>。嚢胚を形成する方法は分類群により異なり、最も一般的なものは'''陥入'''({{lang|en|invagination}}、まくれこみ {{lang|en|emboly}})である<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。陥入では植物極側の細胞層が胞胚腔に向かって折れ曲がり、内胚葉となる<ref name="blastula"/>。内胚葉のつくられた盲管状の部分を'''原腸''' ({{lang|en|archenteron}})、その入口を'''[[原口 (生物学)|原口]]''' ({{lang|en|blastopore}})と呼ぶ<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。この嚢胚形成の方法は[[棘皮動物]]などに典型的で<ref name="Kozloff-4"/>、棘皮動物では原腸の両壁には広い胞胚腔が残されているが、箒虫動物では原腸の壁に外肺葉が密着し、胞胚腔を残さない<ref name="blastula"/>。以降に示す被いかぶせや内展も陥入の変形とみられている<ref name="blastula"/>。環形動物や軟体動物では'''被いかぶせ''' ({{lang|en|epiboly}})という方法で嚢胚形成が行われる<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。胞胚における動物極側の小割球の分裂が先に進行して、卵黄に富んだ植物極側の大割球を包囲することによって嚢胚ができる<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。小割球由来の外側の細胞が外胚葉層となり、内側の大割球群が内胚葉となる<ref name="blastula"/>。被いかぶせでは、胞胚腔はかなり縮小している<ref name="Kozloff-4"/>。また、内胚葉細胞塊ははじめ原腸を形成しないため、外胚葉に覆われていない部分を原口と呼んでいるが、発生の進行に伴って原腸を形成し、原口と連絡する<ref name="blastula"/>。この場合、原口から落ち込んだ外胚葉の細胞層を、口陥 ({{lang|en|[[:en:stomodeum|stomodaeum]]}})と呼ぶ<ref name="blastula"/>。盤胞胚を形成する頭足類では、胚盤葉の一端がその下に折れ込んで前方に延長する'''内展''' ({{lang|en|involution}})によって内胚葉が形成される<ref name="blastula"/>。 もう一方の嚢胚形成の方法は'''葉裂法''' ({{lang|en|delamination}})と呼ばれ、主に刺胞動物にみられる<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。狭義の葉裂法は[[カラカサクラゲ]]類 {{sname||Geryoniidae}} にのみ見られ、中空胞胚において外壁を作る細胞が一様に胞胚腔に向かって分裂すると、胞胚腔内に出た細胞は規則正しく配列して内胚葉の嚢を作る<ref name="blastula"/>。[[ヒドラ]]などが行う方法は'''多極法''' ({{lang|en|multiopolar proliferation}})と呼ばれ、胞胚法を形成している細胞が各所で胞胚腔内にすべり落ち、それが内胚葉の嚢を形成する<ref name="blastula"/>。それに対し、[[ウミコップ属]] {{snamei|en|Clytia (hydrozoan)|Clytia}}では植物極のみから細胞がすべり落ちるため、'''単極法''' ({{lang|en|uniopolar proliferation}})と呼ばれ、多極法と併せて'''極増法''' ({{lang|en|polarization}})と呼ばれる<ref name="blastula"/>。葉裂法を行う嚢胚の多くは'''中実嚢胚''' ({{lang|en|stereogastrula}})で、発生が進行するまで原腸も原口も持たない<ref name="Kozloff-4"/><ref name="blastula"/>。 === 中胚葉形成 === {{see also|#胚葉性|#体腔}} 左右相称動物では、内胚葉および外胚葉とは別に、[[体腔]]と関連して中胚葉の形成が起こる<ref name="Kozloff-5">[[#Kozloff 1990|Kozloff 1990]], pp.5-7</ref>。刺胞動物や有櫛動物では外肺葉から細胞が零れ落ち、外中胚葉性の間充織細胞を作る<ref name="mesoderm"/>。[[棘皮動物]]や[[箒虫動物]]など、内中胚葉でも間充織細胞として形成されるものはあるが、内中胚葉は普通表皮の形をとる<ref name="mesoderm"/>。 [[螺旋動物]]では、まず第二クオテットまたは第三クオテットから[[外中胚葉]]性の間充織細胞が形成される<ref name="blastula"/>。その後、D四分区の ''4d''細胞(中胚葉帯端細胞、{{lang|en|mesoblastic teloblast}})から内胚葉由来の中胚葉が生まれる<ref name="mesoderm"/>。第四クオテットの他の細胞(''4a, 4b, 4c'')は内胚葉となる<ref name="mesoderm"/>。かつては ''4d''細胞の系統にある子孫細胞は全て中胚葉になると考えられていたが、内胚葉も含んでいる<ref name="mesoderm"/>。''4d''細胞は胞胚腔内に落ちると左右に分裂し、胚の分化に伴い肛門になる部分の左右前方に位置しながら前方に細胞を送り、'''中胚葉帯''' ({{lang|en|mesoderm band}})を作る<ref name="mesoderm"/>。これを「端細胞による中胚葉形成法 {{lang|en|telobblstic method}}」と呼ぶ<ref name="mesoderm"/>。環形動物などでは、この中胚葉帯内に体腔が形成され、これが裂体腔と呼ばれる<ref name="mesoderm"/>。 節足動物でも、中胚葉は1対の細胞帯として出現する。しかし螺旋動物のように特定の細胞ではなく、原口の周囲の細胞群に由来している<ref name="mesoderm"/>。 腸体腔をもつ後口動物および毛顎動物、腕足動物などでは、原腸壁の一部が胞胚腔に向かって膨出 ({{lang|en|evagination}}<ref name="Kozloff-5"/>)し、そこから分離して胞胚腔内で独立した体腔嚢 ({{lang|en|coelomic vesicle}})を形成する<ref name="mesoderm"/>。こうしてできた体腔は腸体腔であり、それを囲む壁が中胚葉である<ref name="mesoderm"/>。脊椎動物においては、両生類([[無羊膜類]])では中胚葉の形成と原腸の形成が同時に起こるが、[[羊膜類]](鳥類や哺乳類)では、中胚葉の形成が先に行われ、その後卵黄嚢と連続する内胚葉の一部が中胚葉に包み込まれるようにしてくびれ、原腸の形成が行われる<ref name="asashima"/><ref name="浅島・駒崎 2011, p.126">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.126</ref>。 === 細胞分化と器官形成 === 脊椎動物などでは、組織や器官を形成するため、胚細胞が特定の機能を持った細胞に変化する([[細胞分化]])<ref name="Asa-Koma-108">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.108</ref>。この際、基本的な細胞機能の維持に必要な遺伝子([[ハウスキーピング遺伝子]])の機能は残しつつ、特定の機能に必要な遺伝子を新たに発現し、逆に分化後には不必要になる遺伝子を[[DNAメチル化]]により不活性化する<ref name="Asa-Koma-108" />。 脊椎動物などでは原腸胚期の後、[[神経管]]が形成される[[神経胚]]期へと進む。例えば[[ニワトリ]]では、外胚葉に[[神経板]]という領域ができ、それが胚の内側に丸まる事で[[神経管]]ができ、さらに直下に[[脊索]]が形成される<ref name="ReferenceA">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], pp.72-73</ref>。神経管の前方には[[前脳]]、[[中脳]]、[[後脳]]という3つの膨らみが形成され、これらが将来[[脳]]になる<ref name="ReferenceA"/>。脊索の両側の沿軸中胚葉から[[体節]]が形成され、体節と隣接した外側の中間中胚葉からは[[腎節]]が形成される<ref name="Asa-Koma-115">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.115</ref>。体節はやがて[[皮節]]、[[筋節]]、[[硬節]]に分かれ、これらはそれぞれ皮膚の[[真皮層]]、[[骨格筋]]、[[椎骨]]などが形成され<ref name="Asa-Koma-115" />、腎節からは腎臓や生殖腺が形成される<ref name="Asa-Koma-115" />。中間中胚葉のさらに外側には予定心臓中胚葉という、将来[[心臓]]関連の組織になる部分があり、これは壁側中胚葉と臓側中胚葉に転移する<ref name="Asa-Koma-110">[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.110</ref>。前者からは体腔を覆う[[胸膜]]や[[腹膜]]が形成され、後者からは[[心筋]]、[[平滑筋]]、[[血管]]、[[血球]]などが形成される<ref>[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], pp.115-117</ref>。心臓は生命の維持に不可欠なので、発生の早い段階で中胚葉から形成される<ref name="Asa-Koma-110" />。なお、予定心臓中胚葉は中胚葉の[[正中線]]を隔てた両側に2つ存在するが、これら2つは移動して胚の前方で合流して心臓を形成する<ref name="Asa-Koma-110" />。脊椎動物では外胚葉と中胚葉の相互作用で四肢が形成される<ref>[[#浅島・駒崎 2011|浅島・駒崎 2011]], p.119</ref>。[[ヒト]]の手足は水鳥と違い、指の間に水かきがないが、これは[[アポトーシス]]の作用で水かき部分の[[プログラム細胞死|細胞を「自殺」]]させている為である<ref name="浅島・駒崎 2011, p.126"/>。 == 起源と進化 == === 起源 === 動物の起源については、単細胞生物の[[襟鞭毛虫]]が集まって多細胞化する事で[[海綿動物]]のような動物になっていったと考えられる{{Sfn|藤田|2010|pp=99-101}}。これを'''ガストレア説'''(群体繊毛虫仮説)と呼ぶ{{Sfn|藤田|2010|pp=99-101}}。ヘッケルは動物の初期発生に基づき、襟鞭毛虫のような原生動物から、胞胚に相当する1層の細胞層を持つ中空の祖先型動物ブラステア ({{lang|en|Blastea}})が生じ、次に嚢胚に相当する二重の細胞層からなる袋状のガストレア(腸祖動物、{{lang|en|Gastraea}})が生じたと想定した<ref name="gastraea">{{cite |author=[[古屋秀隆]]|chapter=後生動物の起源|date=2000|pages=106-107}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。 なお従来は、上述した[[襟鞭毛虫]]類から進化したとする[[エルンスト・ヘッケル|ヘッケル]]の説と[[繊毛虫]]類から進化したとするハッジの説(多核体繊毛虫仮説、合胞体繊毛虫仮説)が対立していたが、分子遺伝学の成果によれば、18SrDNAに基づいた解析などにより、動物は[[襟鞭毛虫]]類を姉妹群に持つ[[単系統]]な群であることが示されており、ヘッケルの説が有力とされている{{Sfn|藤田|2010|pp=99-101}}<ref name="gastraea"/>。ハッジの説は生態学的な視野のもと、多核繊毛虫から無腸動物のような原始的な左右相称動物が生じたと考え、後生動物の起源を左右相称動物に求めた<ref name="gastraea"/>。 この多細胞化が起こった仮説として、現在までに様々なものが提案されてきた{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。複雑な多細胞生物の出現は、[[生物圏]]の[[酸化]]が進むまで妨げられたという説が広く受け入れられてきた{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。ほかにも動物が多様化するきっかけとしてとして、クライオジェニアンやエディアカラ期の全球凍結の環境的制約から後生動物の祖先が解放されたこと、宇宙放射線の影響、極移動、大陸の分断、[[硫化水素]]の毒性、塩分、微量金属の栄養塩の不足、海に栄養塩をもたらす大陸風化の周期、地球温暖化、または活発になった捕食者と捕食者の軍拡競争などが考えられるが、必ずしも相互に排他的なものではない{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。なおこれらの仮説は、多少なりとも、後生動物の多様化との因果関係につながるが、結局推定される時間的な一致に依存しており、地球規模の海の大酸化は後生動物が進化した原因ではなく、後生動物の出現による結果であると主張されている{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。 === 古生物 === ==== 先カンブリア時代 ==== {{先カンブリア時代}} [[File:Otavia antiqua.jpg|thumb|left|250px|オタヴィアの化石]] 30億年以上前に地球上初めての生物が誕生したと考えられており、真核生物の最古の化石([[グリパニア]] {{snamei||Grypania}})は21億年前の地層から発見されている{{Sfn|藤田|2010|p=92}}{{Sfn|土屋|2013|pp=11-12}}。 確実な化石記録により較正した[[分子時計]]から、[[クラウングループ]]としての後生動物は[[新原生代]][[クライオジェニアン]](8億3300万年前-6億5000万年前)に誕生したと推定されている{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。 最古の化石記録に関しては議論があり、異論の余地がない確実な動物化石の証拠は[[顕生代]]に入ってからに限られている{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}<ref>{{cite journal|last1=Erwin |first1=D.H. |last2=Laflamme |first2=M. |last3=Tweedt |first3=S.M. |last4=Sperling |first4=E.A. |last5=Pisani |first5=D. |last6=Peterson |first6=K.J. |date=2011 |title=The Cambrian conundrum: early divergence and later ecological success in the early history of animals |journal=Science |volume=334|pages=1091-1097}}</ref>。また左右相称動物の動物門の確固たる証拠はカンブリア紀になるまでない<ref>{{cite journal|last=Budd |first=G.E. |date=2008 |title=The earliest fossil record of the animals and its significance|journal=Philos. Trans. R. Soc. Lond. B Biol. Sci. |volume=363 |pages=1425-1434}}</ref><ref name="Maloof">{{cite journal|last1=Maloof |first1=A.C. |last2=Porter |first2=S.M. |last3=Moore |first3=J.L. |last4=Dudas |first4=F.O. |last5=Bowring |first5=S.A. |last6=Higgins |first6=J.A. |last7=Fike |first7=D.A. |last8=Eddy |first8=M.P. |date=2010 |title=The earliest Cambrian record of animals and ocean geochemical change |journal=Geol. Soc. Am. Bull.|volume=122 |issue=11–12 |pages=1731–1774 |doi=10.1130/B30346.1 |bibcode=2010GSAB..122.1731M}}</ref>。とはいえ、動物の進化は先カンブリア時代からの歴史があるという見方が一般的になってきている{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。 動物のものかもしれない最古の化石は[[2012年]]に[[ナミビア]]の7億6000万年前、[[クライオジェニアン]]の[[地層]] ({{lang|en|Okakuyu Formation}}) で発見された[[オタヴィア・アンティクア]] {{snamei|Otavia antiqua}})である{{Sfn|土屋|2013|pp=12-13}}<ref name="brain">{{cite journal|first1=C.K. |last1=Brain|first2=Anthony R. |last2=Prave|first3=Karl-Heinz |last3=Hoffmann|first4=Anthony E. |last4=Fallick |first5=Andre |last5=Botha|first6=Donald A. |last6=Herd|first7=Craig |last7=Sturrock|first8=Iain |last8=Young|first9=Daniel J. |last9=Condon|first10=Stuart G. |last10=Allison|title=The first animals: ca. 760-million-year-old sponge-like fossils from Namibia|journal=S Afr J Sci. |date=2012|volume=108|issue=1/2|pages=1-8|doi=10.4102/sajs.v108i1/2.658}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=ナショナル ジオグラフィック にわかには信じがたい本当にあったこと|date=2019年3月25日|publisher=日経ナショナル ジオグラフィック|page=299}}</ref>。これは0.3–5&nbsp;mm{{small|([[ミリメートル]])}}程度の[[かりんとう]]のように細長い歪な卵形をした[[リン酸カルシウム]]からなる化石で、[[海綿動物]]だと考えられている{{Sfn|土屋|2013|pp=12-13}}<ref name="brain"/>。海綿動物だとすると表面に空いている多数の細孔から微小な[[プランクトン]]を[[濾過摂食]]したものと考えられる{{Sfn|土屋|2013|pp=12-13}}<ref>[[#松本 2015|松本 2015]], p.3</ref>。なお、オタヴィアは7億6000万年前だけでなく、6億3500万年前、5億4800万年前(エディアカラ紀)の地層からも見つかっている{{Sfn|土屋|2013|pp=12-13}}<ref name="brain"/>。また[[オーストラリア]]の[[南オーストラリア州]]からは6億6500万年の[[:en:Trezona Formation|Trezona Formation]]という地層からも、初期の[[海綿動物]]ではないかと考えられている化石も見つかっている<ref name="roseMaloof">{{cite journal |title=Possible animal-body fossils in pre-Marinoan limestones from South Australia |journal=Nature Geoscience |volume=3 |pages=653–659 |date=17 August 2010 |url=http://www.nature.com/ngeo/journal/v3/n9/full/ngeo934.html |doi=10.1038/ngeo934 |issue=9 |bibcode=2010NatGe...3..653M |last1=Maloof |first1=Adam C. |last2=Rose |first2=Catherine V. |last3=Beach |first3=Robert |last4=Samuels |first4=Bradley M. |last5=Calmet |first5=Claire C. |last6=Erwin |first6=Douglas H. |last7=Poirier |first7=Gerald R. |last8=Yao |first8=Nan |last9=Simons |first9=Frederik J.}}</ref>。クライオジェニアン(約6億3500万年前)からカンブリア紀初期までの約100年にわたり連続して[[普通海綿]]の存在を示しているとされた[[バイオマーカー]]は<ref>{{cite journal|last1=Love |first1=G.D. |last2=Grosjean |first2=E. |last3=Stalvies |first3=C. |last4=Fike |first4=D.A. |last5=Grotzinger |first5=J.P. |last6=Bradley |first6=A.S. |last7=Kelly |first7=A.E. |last8=Bhatia |first8=M. |last9=Meredith |first9=W. ''et al.'' |date=2009 |title= Fossil steroids record the appearance of Demospongiae during the Cryogenian period |journal=Nature |volume=457 |pages=718-721|doi=10.1038/nature0767}}</ref>、現在では共生細菌に由来するものだろうとされている<ref>{{cite journal |last1=Siegl|first1=A. |last2=Kamke |first2=J. |last3=Hochmuth |first3=T. |last4=Piel |first4=J. |last5=Richter |first5=M. |last6=Liang |first6=C. |last7=Dandekar |first7=T. |last8=Hentschel|first8=U. |date=2011|title=Single-cell genomics reveals the lifestyle of ''Poribacteria, a candidate phylum symbiotically associated with marine sponges|journal=ISME J. |volume=5|pages=61-70}}</ref>。 [[全球凍結]]直後、約6億3000万年前の{{lang|zh|陡山沱}}の動物の胚化石(ドウシャントゥオの胚化石、{{lang|en|Doushantuo embryos}})とされていたものは{{Sfn|土屋|2013|pp=13-18}}<ref>{{cite journal|last1=Xiao|first1= S.|last2= Zhang|first2= Y.|last3= Knol|date=1998|title=Three-dimensional preservation of algae and animal embryos in a Neoproterozoic phosphorite|journal=Nature |volume=391|pages= 553-558|doi=10.1038/35318}}</ref>、現在では[[原生生物]]や[[硫黄細菌]]ではないかと解釈されている<ref>{{cite journal|last=Butterfield|first= N.J. |Date=2011|title=Paleontology. Terminal developments in Ediacaran embryology|journal=Science |volume=334|pages=1655-1656}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Huldtgren|first1= T.|last2= Cunningham|first2= J.A.|last3= Yin|first3= C.|last4= Stampanoni|first4= M.|last5= Marone|first5= F.|last6= Donoghue|first6= P.C.J.|last7= Bengtson|first7= S. |date=2011|title=Fossilized nuclei and germination structures identify Ediacaran "animal embryos" as encysting protists|journal=Science |volume=334|pages=1696-1699}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Zhang|first1=X.-G.|last2=Pratt|first2=B.R.|date=2014|title=Possible algal origin and life cycle of Ediacaran Doushantuo microfossils with dextral spiral structure|journal= J. Paleontol.|volume=88|pages=92-98}}</ref>。 [[File:DickinsoniaCostata.jpg|thumb|300px|[[エディアカラ生物群]]の一つである[[ディッキンソニア]]]] 分子時計によれば、続く[[エディアカラ紀]](エディアカラン)に[[左右相称動物]]のほとんどの門が多様化したと考えられている{{Sfn|土屋|2013|p=164}}{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。また、エディアカラ紀の5億7500万年前から5億4100万年前にかけては'''[[エディアカラ生物群]]'''と呼ばれる生物群が多く見つかっている<ref name="Dunn-Ediacaran">{{cite journal|first1=Frances S. |last1=Dunn|first2=Alexander G. |last2=Liu |first3=Philip C. J. |last3=Donoghue|title=Ediacaran developmental biology|journal=Biol. Rev. |date=2018 |volume=93 |pages=914-932 |doi= 10.1111/brv.12379}}</ref>{{Sfn|土屋|2013|pp=21-40}}。エディアカラ生物群とカンブリア紀以降の動物との類縁関係は未だはっきりしていないが{{Sfn|藤田|2010|p=92}}{{Sfn|土屋|2013|pp=21-40}}、その形態から[[ランゲオモルフ]]{{Sfn|土屋|2013|p=28}} {{sname||Rangeomorpha}}、{{sname||Dickinsoniomorpha}}、{{sname||Erniettomorpha}}に分けられる<ref name="Dunn-Ediacaran"/>。エディアカラ生物群は[[新原生代]][[クライオジェニアン]]紀の[[スノーボールアース|全球凍結]](スノーボールアース、全地球凍結)の後、5億7500万年前から5億6500万年前の間に放散({{lang|en|[[:en:Evolutionary radiation|Evolutionary radiation]]}})したと考えられ、それを「[[アヴァロンの爆発]] {{lang|en|[[:en:Avalon explosion|Avalon explosion]]}}」と呼ぶ<ref>[https://www.sciencedaily.com/releases/2008/01/080103144451.htm Two Explosive Evolutionary Events Shaped Early History Of Multicellular Life]</ref><ref>{{cite journal | last1=Shen | first1=Bing | last2=Dong | first2=Lin | last3=Xiao | first3=Shuhai | last4=Kowalewski | first4=Michał | year=2008 | title=The Avalon Explosion: Evolution of Ediacara Morphospace | url=http://www.sciencemag.org/content/319/5859/81.short | journal=Science | volume=319 | issue=5859| pages=81–84 | doi=10.1126/science.1150279 | pmid=18174439|bibcode=2008Sci...319...81S }}</ref>{{Sfn|土屋|2013|pp=21-40}}。エディアカラ生物群のうち、[[ディッキンソニア]] {{snamei||Dickinsonia}}、{{snamei||Andiva}}、[[ヨルギア]] {{snamei||Yorgia}}とランゲオモルフは左右相称動物であったとする研究もある<ref name="Dunn-Ediacaran"/> ほか、[[海綿動物]]({{snamei||Eocyathispongia qiania}})<ref>{{Cite journal|last1=Yin |first1=Z. |last2=Zhu |first2=M. |last3=Davidson |first3=E.H. |last4=Bottjer |first4=D.J. |last5=Zhao |first5=F. |last6=Tafforeau |first6=P.|date=2015|title=Sponge grade body fossil with cellular resolution dating 60 Myrbefore the Cambrian |journal=Proc. Natl. Acad. Sci. USA |volume=112 |pages=E1453-E1460|doi=10.1073/pnas.1414577112}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Antcliffe |first1=J.B. |last2=Callow |first2=R.H. |last3=Brasier |first3=M.D. |date=2014 |title=Giving the early fossil record of sponges a squeeze |journal=Biol. Rev. Camb. Philos. Soc. |volume=89 |pages=972-1004}}</ref>、[[軟体動物]]([[キンベレラ]] {{snamei||Kimberella quadrata}})<ref>{{cite journal|last1=Fedonkin |first1=M.A. |last2=Simonetta |first2=A. |last3=Ivantsov |first3=A.Y. |date=2007 |title=New data on ''Kimberella'', the Vendian mollusc-like organism (White Sea region, Russia): palaeoecological and evolutionary implications |journal= Geol. Soc. Lond. Spec. Publ.|volume= 286 |pages=157–179}}</ref>、そして無数の[[刺胞動物]]({{snamei||Haootia quadriformis}})<ref>{{cite journal|last1=Liu |first1=A.G. |last2=Matthews |first2=J.J. |last3=Menon |first3=L.R. |last4=McIlroy |first4=D. |last5=Brasier |first5=M.D. |date=2014 |title=''Haootia quadriformis'' n. gen., n. sp., interpreted as a muscular cnidarian impression from the Late Ediacaran period (approx. 560 Ma)|journal=Proc. Biol. Sci. |volume=281, 20141202|doi=10.1098/rspb.2014.1202}}</ref>{{Sfn|土屋|2013|pp=33-35}}、[[節足動物]]([[パルヴァンコリナ]] {{snamei||Parvancorina}}){{Sfn|土屋|2013|pp=35-36}}とみられるものもあり、[[真正後生動物]]や左右相称動物のグレード<!-- grade -->にあると推定されている動物の痕跡も見つかっている<ref>{{cite journal|last1=Carbone |first1=C. |last2=Narbonne |first2=G.M. |date=2014 |title=When life got smart: the evolution of behavioral complexity through the Ediacaran and Early Cambrian of NW Canada |journal=J. Paleontol. |volume=88 |pages=309-330}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Mángano |first1=M.G. |last2=Buatois |first2=L.A. |date=2014 |title=Decoupling of body-plan diversification and ecological structuring during the Ediacaran-Cambrian transition: evolutionary and geobiological feedbacks |journal=Proc. Biol. Sci. |volume=281, 20140038}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Liu |first1=A.G. |last2=Mcllroy |first2=D. |last3=Brasier |first3=M.D. |date=2010 |title=First evidence for locomotion in the Ediacara biota from the 565 Ma Mistaken Point Formation, Newfoundland |journal=Geology |volume=38 |pages123-126}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Rogov |first1=V.I. |last2=Marusin |first2=V. |last3=Bykova |first3=N. |last4=Goy |first4=Y. |last5=Nagovitsin |first5=K.E. |last6=Kochnev |first6=B.B. |last7=Karlova |first7=G.A. |last8=Grazhdankin |first8=D. |date=2012 |title=The oldest evidence of bioturbation on Earth |journal=Geology |volume=40 |pages=395-398}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Pecoits |first1=E. |last2=Konhauser |first2=K.O. |last3=Aubet |first3=N.R. |last4=Heaman |first4=L.M. |last5=Veroslavsky |first5=G. |last6=Stern |first6=R.A. |last7=Gingras |first7=M.K. |date=2012 |title=Bilaterian burrows and grazing behavior at >585 million years ago |journal=Science |volume=336 |pages=1693-1696}}</ref>。 エディアカラ紀末期の5億4900万年前ごろには、硬組織を獲得していた[[クロウディナ]] {{snamei||Cloudina}} と呼ばれる化石が発見されており、現生の動物との類縁関係が分からず、[[古杯動物]]と呼ばれる{{Sfn|土屋|2013|pp=165-166}}。この少し前の約5億6000万年前から約5億5000億年前のエディアカラ生物群の中にも硬組織を持つ[[コロナコリナ]] {{snamei||Coronacollina acula}}が見つかっている{{Sfn|土屋|2013|pp=166-167}}。 ==== 古生代 ==== {{顕生代}} [[File:20191203_Anomalocaris_canadensis.png|thumb|300px|[[カンブリア紀]]の生物[[アノマロカリス]]の復元図]] [[古生代]][[カンブリア紀]]初期 ({{lang|en|Nemakyt-Daldynian}})、約5億4200万年前には[[珪酸]]塩や[[炭酸]]塩、[[リン酸]]塩からなる[[骨片]](硬組織)をもつ[[微小有殻化石群]] (SSFs, {{lang|en|Small Shelly Fossils}}) が見られる{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}{{Sfn|土屋|2013|pp=169-171}}<ref name="Maloof"/><ref name="UCSB">{{cite web |title=New Timeline for Appearances of Skeletal Animals in Fossil Record Developed by UCSB Researchers |url=http://www.ia.ucsb.edu/pa/display.aspx?pkey=2364 |publisher=The Regents of the University of California |accessdate=2021-08-28 |date=2010-11-10}}</ref>。化石に残る硬組織を獲得し、急速に多様な動物が出現したため、「'''[[カンブリア爆発]]'''」(カンブリア大爆発)と呼ばれる{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}{{Sfn|土屋|2013|pp=164-165}}{{Sfn|土屋|2013|pp=171-174}}<ref name="UCSB"/>。[[海綿動物]]、[[軟体動物]]、[[腕足動物]]、[[節足動物]]、[[棘皮動物]]、[[環形動物]]、[[脊索動物]]など、現在の動物門のほとんどをしめる30余りの動物門{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}が化石記録に残っている。かつては現在とは無縁で現生動物よりも多数の動物群が突然出現したと考えられていたが、カンブリア紀以前の動物化石が発見されたり、カンブリア紀の生物群と現生の動物との類縁関係が判明してきたため、現在ではカンブリア爆発は複雑な器官(眼、触手、脚)を獲得したことよる活発な行動様式の発達および硬組織の発達による左右相称動物の多様化であると捉えられている{{Sfn|土屋|2013|pp=171-174}}{{Sfn|Conway-Morris|2003|pp=505-515}}。5億3200万年前には {{snamei||Aldanella yanjiahensis}} と呼ばれる軟体動物の化石が見つかっている{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}。約5億2100万年前([[カンブリア紀第二期|トモティアン]])になると、動物は眼を獲得し、それまで意味を持たなかった硬組織が防御や捕食に有利になり、それが軍拡競争として働いて多様な姿を持つ動物群が現れたと考えられている([[光スイッチ説]]){{Sfn|土屋|2013|pp=171-174}}。また分子時計の解析から遺伝子レベルの生物の爆発的多様化はこれより数億年早いと考えられる{{Sfn|dos Reis ''et al.''|2015|pp=2939-2950}}{{Sfn|土屋|2013|pp=171-174}}{{refn|group="注釈"|藤田 (2010)では、分子系統解析によればこれらの動物門は最古の化石より10億年以上遡ると推測されている{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}とあるが、これは正しくない。}}。カンブリア紀からオルドビス紀初頭にみられる大[[不整合]]の研究から、カンブリア爆発の原因は海洋中の化学成分(Mg<sup>2+</sup>、Na<sup>+</sup>、K<sup>+</sup>、Ca<sup>2+</sup>、Fe<sup>2+</sup>などの[[イオン]])が増加した影響が指摘されている{{Sfn|土屋|2013|pp=179-181}}。カンブリア爆発は2000万年<ref name="dev.biologists.org">{{cite journal|last1=Valentine |first1=JW |last2=Jablonski|first2=D |last3=Erwin |first3=DH|title=Fossils, molecules and embryos: new perspectives on the Cambrian explosion |journal=Development|year=1999 |volume=126 |issue=5 |pages=851–9 |pmid=9927587 |url=http://dev.biologists.org/content/126/5/851.long}}</ref><ref>{{cite journal |last1=Budd |first1=Graham|title=At the origin of animals: the revolutionary cambrian fossil record |journal=Current Genomics |year=2013 |volume=14 |issue=6 |pages=344–354 |doi=10.2174/13892029113149990011|pmid=24396267|pmc=3861885}}</ref> から2500万年<ref>{{cite journal | last1=Erwin | first1=D. H. | last2=Laflamme | first2=M. | last3=Tweedt | first3=S. M. | last4=Sperling | first4=E. A. | last5=Pisani | first5=D. | last6=Peterson | first6=K. J. | year=2011 | title=The Cambrian conundrum: early divergence and later ecological success in the early history of animals | journal=Science | volume=334 | issue=6059| pages=1091–1097 | doi=10.1126/science.1206375 | pmid=22116879|bibcode=2011Sci...334.1091E }}</ref><ref>{{cite journal | last1=Kouchinsky | first1=A. | last2=Bengtson | first2=S. | last3=Runnegar | first3=B. N. | last4=Skovsted | first4=C. B. | last5=Steiner | first5=M. | last6=Vendrasco | first6=M. J. | year=2012 | title=Chronology of early Cambrian biomineralization | journal=Geological Magazine | volume=149 | issue=2| pages=221–251 | doi=10.1017/s0016756811000720| bibcode=2012GeoM..149..221K }}</ref> 続いた。 前期[[オルドビス紀]]にはカンブリア紀までに登場した動物門が大きく[[適応放散]]し{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}、これは'''[[GOBE]]''' ({{lang|en|The Great Ordovician Biodiversification Event}})と呼ばれる<ref>{{cite journal|last1=Servais|first1=T.|last2=Harper|first2=D.A.T.|date=2018|title=The Great Ordovician Biodiversification Event (GOBE): definition, concept and duration|journal=Lethaia|volume=51|pages=151-164}}</ref>。 オルドビス紀末に[[大量絶滅]]([[O-S境界]])があったが、[[無顎類]](顎の無い[[脊椎動物]])は生き残り、[[シルル紀]]に多様化し、顎のある脊椎動物も登場した{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。[[デボン紀]]には[[硬骨魚類]]が多様化し、[[石炭紀]]には[[両生類]]が繁栄、[[ペルム紀]]には[[爬虫類]]が繁栄した{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。 シルル紀には最古の陸上動物の化石である節足動物[[多足類]]が登場し、[[デボン紀]]に節足動物が多様化、[[石炭紀]]には翅を持つ[[昆虫類]]が登場した{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。 ==== 中生代 ==== [[ファイル:LA-Triceratops_mount-2.jpg|サムネイル|[[トリケラトプス]]の骨格[[化石]]]] ペルム紀末には地球史上最大の大量絶滅([[P-T境界]])が起こり、[[中生代]][[三畳紀]]には海洋生物が大量に絶滅{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。[[哺乳類]]が登場した{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。 [[ジュラ紀]]には[[恐竜]]が繁栄し、[[鳥類]]も登場した{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。また、軟体動物の殻を破る[[カニ|カニ類]]や[[硬骨魚類]]が進化し、これに対抗して厚い殻をもつ軟体動物が進化した(中生代の海洋変革){{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。[[白亜紀]]までには現生の昆虫類のほとんどが登場{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。 白亜紀末には巨大[[隕石]]の衝突による大量絶滅がおこる([[K-Pg境界]]){{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。 ==== 新生代 ==== [[新生代]]は哺乳類が優勢になり、鳥類、昆虫類、[[真骨魚類]]も[[適応放散]]し、現在と同様の動物相が形成された{{Sfn|藤田|2010|pp=92-98}}。新生代の後半にあたる[[第四紀]]には人類も出現した。 === 化石動物についての動物門 === 化石動物について、上記の分類される現存動物門のいずれにも属さないとして、新たな動物門が提唱されることがある。以下に主要なもののみ挙げる。 * †三裂動物門 {{sname||Trilobozoa}} {{AUY|Fedonkin|1985}} *: [[トリブラキディウム]]などが属する。三放射相称の体制をもつ。 * †盾状動物門 {{sname||Proarticulata}} {{AUY|Fedonkin|1985}} *: [[ディッキンソニア]]、[[ヨルギア]]などのヴェンド生物が属する。左右相互に対称する体制をもつ。 * †[[古虫動物]]門 {{sname||Vetulicolia}} {{AUY|Shu ''et al''.|2001}} *:[[ウェツリコラ]]などが属する。その後は[[脊索動物]]とされ、その1亜門(古虫動物亜門)になる<ref name="Paterson2014">{{cite journal|last1=García-Bellido|first1=Diego C|last2=Paterson|first2=John R|year=2014|title=A new vetulicolian from Australia and its bearing on the chordate affinities of an enigmatic Cambrian group|url=http://www.biomedcentral.com/1471-2148/14/214/abstract#|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=14|page=214|doi=10.1186/s12862-014-0214-z|pmid=25273382|pmc=4203957}}</ref>。 * †[[葉足動物]]門 {{sname||Lobopodia}} {{AUY|Snodgrass|1938}} *:[[アイシュアイア]]、[[ハルキゲニア]]などが属する。[[汎節足動物]]であり、現生汎節足動物の各動物門([[有爪動物]]・[[緩歩動物]]・[[節足動物]])の[[最も近い共通祖先]]から、それぞれの初期系統([[ステムグループ]])の一部まで含んだ[[側系統群]]であると考えられる<ref name=":0">{{Cite journal|last=Smith|first=Martin R.|last2=Ortega-Hernández|first2=Javier|date=2014-08-17|title=Hallucigenia’s onychophoran-like claws and the case for Tactopoda|url=https://doi.org/10.1038/nature13576|journal=Nature|volume=514|issue=7522|pages=363–366|language=En|doi=10.1038/nature13576|issn=0028-0836}}</ref><ref name=":1">{{Cite journal|last=Hernández|first=Javier Ortega|title=Lobopodians|url=http://www.academia.edu/16933971/Lobopodians|language=en}}</ref>。 === 絶滅した動物 === {{See|絶滅した動物一覧}} == 現生の動物の系統 == === 下位分類 === {{Imageframe | content ={{image array|perrow = 3 | width = 150 | height = 100 | image1 = Aplysina fistularis (Yellow tube sponge).jpg | caption1 =[[カイメン]]<ref group="種名">[[クダカイメン]] {{snamei||Aplysina fistularis}}</ref><br />(海綿動物門) | image2 = Venus_Flower_Basket.jpg | caption2 = [[カイロウドウケツ]]<ref group="種名">[[カイロウドウケツ]] {{snamei||Euplectella aspergillum}}</ref><br />(海綿動物門) | image3 = Ctenophore_-_Bolinopsis_infundibulum.jpg | caption3 = [[クシクラゲ]]<ref group="種名">[[キタカブトクラゲ]] {{snamei||Bolinopsis infundibulum}}</ref><br />(有櫛動物門) | image4 = Jelly_Monterey.jpg | caption4 =[[クラゲ]]<ref group="種名">[[アトランティックシーネットル]] {{snamei||Chrysaora quinquecirrha}}</ref><br />(刺胞動物門) | image5 = Coral_Outcrop_Flynn_Reef.jpg | caption5 = [[サンゴ]]<ref group="種名">複数種([[イシサンゴ目]])</ref><br />(刺胞動物門) | image6 = Trichoplax_mic.jpg | caption6 = [[センモウヒラムシ]]<ref group="種名">[[センモウヒラムシ]] {{snamei||Trichoplax adherens}}</ref><br /> (平板動物門) | image7 = Waminoa_on_Plerogyra.jpg | caption7 = [[無腸類]]<ref group="種名">{{snamei||Waminoa}} sp.</ref><br />(珍無腸動物門) | image8 = Xenoturbella_japonica.jpg | caption8 = [[チンウズムシ]]<ref group="種名">[[ニッポンチンウズムシ]] {{snamei||Xenoturbella japonica}}</ref><br />(珍無腸動物門) | image9 = Certonardoa_semiregularis_ja01.jpg | caption9 =[[ヒトデ]]<ref group="種名">[[アカヒトデ]] {{snamei||Certonardoa semiregularis}}</ref><br />(棘皮動物門) | image10 = Holothuria leucospilota Réunion.jpg | caption10 = [[ナマコ]]<ref group="種名">[[ニセクロナマコ]] {{snamei||Holothuria leucospilota}}</ref><br />(棘皮動物門) | image11 = Echinometra_mathaei_MHNT_Philippines.jpg | caption11 =[[ウニ]]<ref group="種名">[[ナガウニ]] {{snamei||Echinometra mathaei}}</ref><br />(棘皮動物門) | image12 = Eichelwurm.jpg | caption12 = [[ギボシムシ]]<ref group="種名">[[腸鰓綱]]の一種(未同定)</ref><br />(半索動物門) | image13 = Branchiostoma_lanceolatum.jpg | caption13 =[[ナメクジウオ]]<ref group="種名">[[ナメクジウオ]] {{snamei||Branchiostoma lanceolatum}}</ref><br />(頭索動物門) | image14 = Symplegma_rubra.jpg | caption14 =[[ホヤ]]<ref group="種名">{{snamei||Symplegma rubra}}</ref><br />(尾索動物門) | image15 = Koe_zijaanzicht_2.JPG | caption15 =[[哺乳類]]<ref group="種名">[[ウシ]] {{snamei||Bos taurus}}</ref><br />(脊椎動物門) | image16 = Chaetoblack.png | caption16 =[[ヤムシ]]<ref group="種名">[[イソヤムシ]] {{snamei||Spadella cephaloptera}}</ref><br />(毛顎動物門) | image17 = Echinoderes hwiizaa.jpg | caption17 =[[トゲカワ]]<ref group="種名">[[ヤギツノトゲカワ]] {{snamei||Echinoderes hwiizaa}}</ref><br />(動吻動物門) | image18 = Priapulus_caudatus.jpg | caption18 =[[エラヒキムシ]]<ref group="種名">[[エラヒキムシ]] {{snamei||Priapulus caudatus}}</ref><br />(鰓曳動物門) | image19 = Pliciloricus_enigmatus.jpg | caption19 =[[コウラムシ]]<ref group="種名">{{snamei||Pliciloricus enigmatus}}</ref><br />(胴甲動物門) | image20 = Ascaris_lumbricoides.jpeg | caption20 =[[回虫]]<ref group="種名">[[ヒトカイチュウ]] {{snamei||Ascaris_lumbricoides}}</ref><br />(線形動物門) | image21 = Paragordius_tricuspidatus.jpeg | caption21 =[[ハリガネムシ]]<ref group="種名">{{snamei||Paragordius tricuspidatus}}</ref><br />(類線形動物門) | image22 = Waterbear.jpg | caption22 =[[クマムシ]]<ref group="種名">{{snamei||Hypsibius dujardini}}</ref><br />(緩歩動物門) | image23 = Peripatoides indigo.jpg | caption23 = [[カギムシ]]<ref group="種名">{{snamei||Peripatoides indigo}}</ref><br />(有爪動物門) | image24 = European_wasp_white_bg02.jpg | caption24 = [[昆虫類]]<ref group="種名">[[ヨーロッパクロスズメバチ]] {{snamei||Vespula germanica}}</ref><br />(節足動物門) | image25 = Chionoecetes_bairdi.jpg | caption25 = [[甲殻類]]<ref group="種名">[[オオズワイガニ]] {{snamei||Chionoecetes bairdi}}</ref><br />(節足動物門) | image26 = EB1911 Mesozoa - Rhopalura giardii.jpg | caption26 =[[チョクエイチュウ]]<ref group="種名">{{snamei||Rhopalura ophiocomae}}</ref><br />(直泳動物門) | image27 = Dicyema japonicum.png | caption27 = [[ニハイチュウ]]<ref group="種名">[[ヤマトニハイチュウ]] {{snamei||Dicyema japonicum}}</ref><br />(二胚動物門) | image28 = Feeding stage and attached Prometheus larva of Symbion pandora.jpg | caption28 =[[シンビオン|パンドラムシ]]<ref group="種名">[[シンビオン|パンドラムシ]] {{snamei||Symbion pandora}}</ref><br />(有輪動物門) | image29 = Gnathostomula_paradoxa_Sylt.tif | caption29 =<div style="white-space:nowrap;">[[グナトストムラ]]{{refn|group="注釈"|[[ガッコウチュウ]]と呼ばれることもあるが<ref name="NEO"/>、[[顎口虫]]は線形動物の[[寄生虫]] {{snamei||Gnathostoma}} にも用いられる{{Sfn|藤田|2010|p=127}}。}}<ref group="種名">{{snamei||Gnathostomula paradoxa}}</ref><br /></div>(顎口動物門) | image30 = Limnonathia,_drawing.tif | caption30 =[[リムノグナシア]]{{refn|group="種名"|[[コアゴムシ]]<ref name="NEO"/> {{snamei||Limnognathia maerski}} }}<br />(微顎動物門) | image31 = Mikrofoto.de-Brachionus quadridentatus 6.jpg | caption31 = [[ワムシ]]<ref group="種名">[[カドツボワムシ]] {{snamei||Brachionus quadridentatus}}</ref><br />(輪形動物門) | image32 = Lepidodermella squamatum (cropped).jpg | caption32 = [[イタチムシ目|イタチムシ]]<ref group="種名">{{snamei||Lepidodermella squamata}}</ref><br />(腹毛動物門) | image33 = Smed.jpg | caption33 = [[プラナリア]]<ref group="種名">{{snamei||Schmidtea mediterranea}}</ref><br />(扁形動物門) | image35 = Taenia_saginata_adult_5260_lores.jpg | caption35 = [[条虫]]<ref group="種名">[[無鉤条虫]] {{snamei||Taenia saginata}}</ref><br />(扁形動物門) | image36 = Japan_sea_animal,_Ezo_giant_scallop_(Mizuhopecten_yessoensis)_(15152229484).jpg | caption36 = [[二枚貝]]<ref group="種名">[[ホタテガイ]] {{snamei||Mizuhopecten yessoensis}}</ref><br />(軟体動物門) | image37 = Loligo_vulgaris.jpg | caption37 = [[頭足類]]<ref group="種名">[[ヨーロッパヤリイカ]] {{snamei||Loligo vulgaris}}</ref><br />(軟体動物門) | image38 = Lumbricus terrestris (26559560801).jpg | caption38 = [[ミミズ]]<ref group="種名">[[オウシュウツリミミズ]] {{snamei||Lumbricus terrestris}}</ref><br />(環形動物門) | image39 = Hediste diversicolor (YPM IZ 080469) 001.jpeg | caption39 = [[ゴカイ]]<ref group="種名">[[セイヨウカワゴカイ]] {{snamei||Hediste diversicolor}}</ref><br />(環形動物門) | image40 = Echiura_in_Korea1.jpg | caption40 = [[ユムシ]]<ref group="種名">[[ユムシ]] {{snamei||Urechis unicinctus}}</ref><br />(環形動物門) | image41 = Sipunculus nudus.jpeg | caption41 = [[ホシムシ]]<ref group="種名">[[スジホシムシ]]{{snamei||Sipunculus nudus}}</ref><br />(環形動物門) | image42 = Lineus_geniculatus_misakihmms01.JPG | caption42 = [[ヒモムシ]]<ref group="種名">[[ミサキヒモムシ]] {{snamei||Notospermus geniculatus}}</ref><br />(紐形動物門) | image43 = Lingula anatina.jpg | caption43 = [[シャミセンガイ]]<ref group="種名">[[ミドリシャミセンガイ]] {{snamei||Lingula anatina}}</ref><br />(腕足動物門) | image44 = Phoronis hippocrepia Wright, 1856 1.jpg | caption44 = [[ホウキムシ]]<ref group="種名">[[ホウキムシ]] {{snamei||Phoronis hippocrepia}}</ref><br />(箒虫動物門) | image45 = Pectinatella magnifica 8568.jpg | caption45 = [[コケムシ]]<ref group="種名">[[オオマリコケムシ]] {{snamei||Pectinatella magnifica}}</ref><br />(苔虫動物門) | image46 =Barentsa_discreta_suzukokemusi01.JPG | caption46 = [[スズコケムシ]]<ref group="種名">[[スズコケムシ]] {{snamei||Barentsia discreta}}</ref><br />(内肛動物門) }} |thumb|caption=各動物門に含まれる代表的な動物の例(和名は総称、詳細は「種名」を参照)}} 以下に[[#日本動物学会 2018|『動物学の百科事典』(2018)]]で認められている分類体系における動物の門を示す。[[著者名の引用 (動物学)|著者名]]は{{Harvtxt|巌佐ほか|2013}}による。各動物門どうしの系統関係などの詳細については異説もあるため、ここでは省略し、次節以降を参照。研究の進展により廃止された門については[[#かつて存在した動物門]]を参照。また、門の詳細に関しては各項を参照。 # [[海綿動物門]] {{sname|Porifera}} {{AUY|[[:en:Robert Edmond Grant|Grant]]|1836}} # [[有櫛動物門]] {{sname|Ctenophora}} {{AUY|Eschscholtz|1829}}{{refn|name="shihou"|group="注釈"|[[刺胞動物]]と[[有櫛動物]]は外見が類似しているので[[腔腸動物|腔腸動物門]]としてまとめられていたが、有櫛動物は刺胞がなく、上皮細胞が多繊毛性であり、決定性卵割であるといった刺胞動物との決定的違いがあり、しかも分子系統解析により腔腸動物が単系統とならないことがわかったので両者は別の門として分けられている<ref name="藤田 2010, p.119">[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.119</ref>}} # [[刺胞動物門]] {{sname|Cnidaria}} {{AUY|Verrill|1865}}<ref name="shihou" group="注釈"/> # [[平板動物門]] {{sname|Placozoa}} {{AUY|K.G. Grell|1971}}(板形動物) # [[珍無腸動物門]] {{sname||Xenacoelomorpha}} {{AUY|Philippe ''et al.''|2011}}{{refn|group="注釈"|かつて扁形動物門に分類されていた[[珍渦虫]]と[[無腸動物]]を新たな門として立てたもの<ref name="Xen"/>。その系統的位置に関しては、左右相称動物の最も初期に分岐したとする説<ref name="Cannon"/><ref name="Rouse"/> と後口動物の一員であるとする説<ref name="Philippe2011"/><ref name="Philippe2019"/> がある。}} # [[棘皮動物門]] {{sname||Echinodermata}} {{AUY|Leuckart|1854}} # [[半索動物門]] {{sname||Hemichordata}} {{AUY|Bateson|1885}} # [[頭索動物門]] {{sname||Cephalochordata}} {{AUY|Lankester|1877}}{{refn|name="chordata"|group="注釈"|脊椎動物・頭索動物・尾索動物の3門を亜門とし、まとめて脊索動物門とすることも多い。詳しくは[[#脊索動物]]を参照}} # [[尾索動物門]] {{sname||Urochordata}} {{AUY|Lankester|1877}}<ref name="chordata" group="注釈"/> # [[脊椎動物門]] {{sname||Vertebrata}} {{AUY|[[ジャン=バティスト・ラマルク|J-B. Lamarck]]|1801}}([[有頭動物]] {{sname||Craniata}} {{AUY|Lankester|1877}})<ref name="chordata" group="注釈"/> # [[毛顎動物門]] {{sname||Chaetognatha}} {{AUY|Leuckart|1854}} # [[胴甲動物門]] {{sname||Loricifera}} {{AUY|Kristensen|1983}} # [[動吻動物門]] {{sname||Kinorhyncha}} {{AUY|Reinhard|1887}} # [[鰓曳動物門]] {{sname||Priapulida}} {{AUY|Théel|1906}} # [[線形動物門]] {{sname||Nematoda}} {{AUY|Diesing|1861}}({{Sname||Nemata}} {{AUY|Cobb|1919}}) # [[類線形動物門]] {{sname||Nematomorpha}} {{AUY|Vejedovsky|1886}}({{sname||Gordiacea}} {{AUY|von Siebold|1843}}) # [[緩歩動物門]] {{sname||Tardigrada}} {{AUY|Spallanzani|1777}} # [[節足動物門]] {{sname||Arthropoda}} {{AUY|Siebold & Stannius|1845}} # [[有爪動物門]] {{sname||Onychophora}} {{AUY|Grube|1853}} # [[直泳動物門]] {{sname||Orthonectida}} {{AUY|Giard|1877}}<ref name="chuusei" group="注釈"/> # [[二胚動物門]] {{sname||Dicyemida}} {{AUY|van Beneden|1876}}(菱形動物<ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.124</ref> {{sname||Rhombozoa}} {{AUY|van Beneden|1882}}){{refn|name="chuusei"|group="注釈"|直泳動物門と二胚動物門はかつて[[中生動物|中生動物門]]とされており{{Sfn|藤田|2010|p=113}}、[[原生動物]]から後生動物に進化する過程であると過去には見られていたが、2010年現在では[[寄生]]生活により退化した後生動物(螺旋動物)であると見られている{{Sfn|藤田|2010|p=122}}}} # [[有輪動物門]] {{Sname||Cycliophora}} {{AUY|Funch & Kristensen|1995}} # [[顎口動物門]] {{sname||Gnathostomulida}} {{AUY|Ax|1956}} # [[微顎動物門]] {{sname||Micrognathozoa}} {{AUY|Kristensen & Funch|2000}} # [[輪形動物門]] {{sname||Rotifera}} {{AUY|Cuvier|1798}}{{refn|group="注釈"|[[鉤頭動物]] {{sname||Acanthocephala}}は輪形動物に内包され、狭義の輪形動物は側系統となる。狭義の輪形動物および鉤頭動物を門として残し、広義の輪形動物を共皮類 {{sname||Syndermata}} とすることもある<ref name="Kajihara">{{cite|author=柁原宏|chapter=腹毛動物・扁形動物・顎口動物・微顎動物・輪形動物・紐形動物 {{small|―人目に触れないマイナー分類群}}|date=2018|pages=62-63}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。}} # [[腹毛動物門]] {{sname||Gastrotricha}} {{AUY|Metschnikoff|1864}} # [[扁形動物門]] {{sname||Platyhelminthes}} {{AUY|Hyman|1951}}({{sname||Plathelminthes}} {{AUY|Schneider|1873}}) # [[外肛動物|苔虫動物門]] {{sname||Bryozoa}} {{AUY||}}(外肛動物 {{sname||Ectoprocta}} {{AUY|Nitche|1870}}) # [[内肛動物門]] {{sname||Entoprocta}} {{AUY|Nitche|1869}}(曲形動物 {{Sname||Kamptozoa}} {{AUY|Cori|1921}}) # [[箒虫動物門]] {{sname||Phoronida}} {{AUY|Hatschek|1888}} # [[腕足動物門]] {{sname||Brachiopoda}} {{AUY|[[アンドレ・マリー・コンスタン・デュメリル|A.M.C. Duméril]]|1806}} # [[紐形動物門]] {{sname||Nemertea}} {{AUY|Quatrefages|1846}}({{sname||Rhynchocoela}} {{AUY|Schultze|1851}}) # [[軟体動物門]] {{sname||Mollusca}} {{AUY|Cuvier|1797}} # [[環形動物門]] {{sname||Annelida}} {{AUY|[[ジャン=バティスト・ラマルク|J-B. Lamarck]]|1809}}{{refn|group="注釈"|[[星口動物]]・[[ユムシ|ユムシ動物]]・[[有鬚動物]]は過去には門として立てられていた事もあるが、2018年現在は環形動物門の一部とみなされている<ref>{{cite|author=田中正敦|chapter=環形動物(有鬚動物・ユムシ・星口動物を含む) {{small|―誤解されていた系統関係}}|date=2018|pages=70-71}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。}} === 系統樹 === 1990年代以前は左右相称動物は[[原腸]]が口になるか否かで[[前口動物]]、後口動物に分類され、さらに[[体腔]]が無体腔、偽体腔、真体腔のいずれであるかにより分類されていた。しかし1990年代の18S rRNA遺伝子の解析により、体腔の違いは進化とは関係ない事が判明し、上述の意味での後口動物は単系統でない事が示されたので、いくつかの動物門を新口動物から外し([[#後口動物|後述]])、前口動物に移した<ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.106</ref>。このような変更を施した後の前口動物が[[単系統]]であることが支持されている<ref name="Cannon" /><ref>{{Cite journal|last=Dunn|first=Casey W.|last2=Hejnol|first2=Andreas|last3=Matus|first3=David Q.|last4=Pang|first4=Kevin|last5=Browne|first5=William E.|last6=Smith|first6=Stephen A.|last7=Seaver|first7=Elaine|last8=Rouse|first8=Greg W.|last9=Obst|first9=Matthias|date=2008-03-05|title=Broad phylogenomic sampling improves resolution of the animal tree of life|url=http://www.nature.com/doifinder/10.1038/nature06614|journal=Nature|volume=452|issue=7188|pages=745–749|language=En|doi=10.1038/nature06614|issn=0028-0836}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Egger|first=Bernhard|last2=Steinke|first2=Dirk|last3=Tarui|first3=Hiroshi|last4=Mulder|first4=Katrien De|last5=Arendt|first5=Detlev|last6=Borgonie|first6=Gaëtan|last7=Funayama|first7=Noriko|last8=Gschwentner|first8=Robert|last9=Hartenstein|first9=Volker|date=2009-05-11|title=To Be or Not to Be a Flatworm: The Acoel Controversy|url=http://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0005502|journal=PLOS ONE|volume=4|issue=5|pages=e5502|language=en|doi=10.1371/journal.pone.0005502|issn=1932-6203|pmid=19430533|pmc=2676513}}</ref>。 下記は主に [[#Giribet 2016|ギリベ (2016)]]の系統仮説に基づく系統樹に、[[#Laumer et al. 2019|ラーマーら (2019)]]による分子系統解析の結果を加えて、動物界の系統樹を門レベルまで描いたものである<ref name="Kakui"/><ref name="Giribet">[[#Giribet 2016|Giribet 2016]], pp.14-21</ref><ref name="laumer"/>{{refn|group="注釈"|[[#Giribet 2016|ギリベ (2016)]]における系統仮説では有輪動物の系統位置が不明であり前口動物内に曖昧さをもって置かれるが、[[#Laumer et al. 2019|ラーマーら (2019)]]でははっきりと内肛動物との単系統性を示すため、これを反映した。また、ギリベ (2016)における系統仮説では苔虫動物と内肛動物が姉妹群をなすが、ラーマーら (2019)では苔虫動物と箒虫動物が姉妹群となり、それに腕足動物を加えた単系統群({{lang|en|lophophorate clade}}<ref name="laumer"/>、触手冠動物<ref name="Kakui"/>)が強く支持され、内肛動物はそれと姉妹群をなす結果はあるもののそうでない結果もあることから、ラーマーら (2019)の系統樹を優先して変更した。}}。ただし、2018年現在、分子系統解析が進展中ということもあり、完全に合意がなされたものではない。本項はこの系統樹に基づき以下の小節にて解説を行う。 <br /> {{clade |label1=[[後生動物]] |sublabel1={{sname||Metazoa}} |1={{clade |1= [[海綿動物]]門 {{sname||Porifera}} |2= [[有櫛動物]]門 {{sname||Ctenophora}} |label3= |sublabel3={{sname||ParaHoxozoa}} |3={{clade |1= [[刺胞動物]]門 {{sname||Cnidaria}} |2= [[平板動物]]門 {{sname||Placozoa}} |label3=[[左右相称動物]] |sublabel3={{sname||Bilateria}} |3={{clade |1=[[珍無腸動物]]門 {{sname||Xenacoelomorpha}}{{refn|group="注釈"|後口動物の水腔動物と姉妹群をなすという結果もある<ref name="Philippe2019"/>。}} |label2=[[有腎動物]] |sublabel2={{Sname||Nephrozoa}} |2={{clade |label1=[[後口動物]] |sublabel1={{sname||Deuterostomia}} |1={{clade |label1=[[水腔動物]] |sublabel1={{sname||Coelomopora}} |1={{clade |1=[[棘皮動物]]門 {{sname||Echinodermata}} |2=[[半索動物]]門 {{sname||Hemichordata}} }} |label2=[[脊索動物]] |sublabel2={{sname||Chordata}} |2={{clade |1=[[頭索動物]]門 {{sname||Cephalochordata}} |2={{clade |1=[[尾索動物]]門 {{sname||Urochordata}} |2=[[脊椎動物]]門 {{sname||Vertebrata}} }} }} }} |label2=[[前口動物]] |sublabel2={{Sname||Protostomia}} |2={{clade |1=[[毛顎動物]]門 {{sname||Chaetognatha}}{{refn|group="注釈"|前口動物内での位置は未確定<ref name="Kakui"/><ref name="Giribet"/> だが、担顎動物に近縁という結果がある<ref name="laumer"/>。}} |label2=[[脱皮動物]] |sublabel2={{sname||Ecdysozoa}} |2={{clade |grouplabel1=? [[有棘動物]] {{sname||Scalidophora}} |barbegin1=black |1=[[動吻動物]]門 {{sname||Kinorhyncha}} |bar2=black |2=[[鰓曳動物]]門 {{sname||Priapulida}} |3=[[胴甲動物]]門 {{sname||Loricifera}} |barend3=black |label4=[[糸形動物]] |sublabel4={{sname||Nematoida}} |4={{clade |1=[[線形動物]]門 {{sname||Nematoda}} |2=[[類線形動物]]門 {{sname||Nematomorpha}} }} |label5=[[汎節足動物]] |sublabel5={{sname||Panarthropoda}} |5={{clade |1=[[緩歩動物]]門 {{sname||Tardigrada}} |2={{clade |1=[[有爪動物]]門 {{sname||Onychophora}} |2=[[節足動物]]門 {{sname||Arthropoda}} }} }} }} |3=[[直泳動物]]門 {{sname||Orthonectida}}{{refn|group="注釈"|前口動物内での位置は未確定<ref name="Kakui"/><ref name="Giribet"/> だが、吸啜動物に近縁<ref name="dicyemid-spiralia"/> または環形動物に内包される<ref name="orthonectid"/> という結果がある。}} |4=[[二胚動物]]門 {{sname||Dicyemida}}{{refn|group="注釈"|前口動物内での位置は未確定<ref name="Kakui"/><ref name="Giribet"/> だが、吸啜動物に近縁という結果がある<ref name="dicyemid-spiralia"/>。}} |label5=[[冠輪動物|螺旋動物]]{{refn|name="kanrin"|group="注釈"|螺旋動物は冠輪動物と呼ばれる事もある<ref name="Kakui"/>。その場合本項の系統樹に登場する冠輪動物は担輪動物と呼び変えられる<ref name="Kakui"/>}} |sublabel5={{sname||Spiralia}} |5={{clade |label1=[[担顎動物]] |sublabel1={{sname||Gnathifera}} |1={{clade |1=[[顎口動物]]門 {{sname||Gnathostomulida}} |2= {{clade |1=[[微顎動物]]門 {{sname||Micrognathozoa}} |2=[[輪形動物]]門 {{sname||Rotifera}} }} }} |label2=[[吸啜動物]] |sublabel2={{sname||Rouphozoa}} |2={{clade |1=[[腹毛動物]]門 {{sname||Gastrotricha}} |2=[[扁形動物]]門 {{sname||Platyhelminthes}} }} |label3=[[担輪動物|冠輪動物]]<ref name="kanrin" group="注釈" /> |sublabel3={{sname||Lophotrochozoa}} |3={{clade |1=[[軟体動物]]門 {{sname||Mollusca}} |2=[[環形動物]]門 {{sname||Annelida}} |3=[[紐形動物]]門 {{sname||Nemertea}} |4={{clade |1=[[内肛動物]]門 {{sname||Entoprocta}} |2=[[有輪動物]]門 {{sname||Cycliophora}} }} |label5=[[触手冠動物]] |sublabel5={{sname||Lophophorata}} |5={{clade |1=[[腕足動物]]門 {{sname||Brachiopoda}} |2={{clade |1=[[箒虫動物]]門 {{sname||Phoronida}} |2=[[外肛動物|苔虫動物]]門 {{sname||Bryozoa}} }} }} }} }} }} }} }} }}}} }} === 前左右相称動物 === {{cladogram |title= |align= right |caption=海綿動物を最も基部とする分子系統樹の例<ref name="laumer"/> |cladogram= {{clade| style=width:30em;font-size:100%;line-height:100% |label1=動物界 |1={{clade |1=海綿動物 |label2= |2={{clade |1=有櫛動物 |label2= |2={{clade |1={{clade |1=刺胞動物 |2=平板動物 }} |2=左右相称動物 }} }} }} }} }} {{cladogram |title= |align= right |caption=有櫛動物を最も基部とする分子系統樹の例<ref name="laumer"/> |cladogram= {{clade| style=width:30em;font-size:100%;line-height:100% |label1=動物界 |1={{clade |1=有櫛動物 |label2= |2={{clade |1=海綿動物 |label2= |2={{clade |1=平板動物 |2={{clade |1=刺胞動物 |2=左右相称動物 }} }} }} }} }} }} 海綿動物門、平板動物門、刺胞動物門、有櫛動物門の4つは左右相称動物に含まれない動物門で、体の左右相称性がなく、これらをまとめて便宜的に「前左右相称動物」と呼ぶこともある{{Sfn|藤田|2010|p=114}}。分子系統解析から、このうち[[海綿動物]]か[[有櫛動物]]の何れかが後生動物で最も系統の基部に位置すると考えられている<ref name="Kakui"/><ref name="laumer"/>。しかし、海綿動物が系統の最も基部に位置するか<ref name="laumer"/><ref name="Pisani2015">{{cite journal|last=Pisani|first=Davide|last2=Pett|first2=Walker|last3=Dohrmann|first3=Martin|last4=Feuda|first4=Roberto|last5=Rota-Stabelli|first5=Omar|last6=Philippe|first6=Hervé|last7=Lartillot|first7=Nicolas|last8=Wörheide|first8=Gert|date=15 December 2015|title=Genomic data do not support comb jellies as the sister group to all other animals|url=http://www.pnas.org/content/112/50/15402|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences|volume=112|issue=50|pages=15402–15407|doi=10.1073/pnas.1518127112|pmid=26621703|pmc=4687580}}</ref><ref name="Simion2017">{{cite journal|last=Simion|first=Paul|last2=Philippe|first2=Hervé|last3=Baurain|first3=Denis|last4=Jager|first4=Muriel|last5=Richter|first5=Daniel J.|last6=Franco|first6=Arnaud Di|last7=Roure|first7=Béatrice|last8=Satoh|first8=Nori|last9=Quéinnec|first9=Éric|date=3 April 2017|title=A Large and Consistent Phylogenomic Dataset Supports Sponges as the Sister Group to All Other Animals|url=https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.02.031|journal=Current Biology|volume=27|issue=7|pages=958–967|doi=10.1016/j.cub.2017.02.031|pmid=28318975}}</ref><ref name="Feuda2017">{{cite journal|last=Feuda|first=Roberto|last2=Dohrmann|first2=Martin|last3=Pett|first3=Walker|last4=Philippe|first4=Hervé|last5=Rota-Stabelli|first5=Omar|last6=Lartillot|first6=Nicolas|last7=Wörheide|first7=Gert|last8=Pisani|first8=Davide |year=2017|title=Improved Modeling of Compositional Heterogeneity Supports Sponges as Sister to All Other Animals|url=http://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S0960982217314537|journal=Current Biology|volume=27|issue=24|pages=3864|doi=10.1016/j.cub.2017.11.008|pmid=29199080}}</ref><ref name="Laumer2018">{{cite journal|last=Laumer|first=Christopher E.|last2=Gruber-Vodicka|first2=Harald|last3=Hadfield|first3=Michael G.|last4=Pearse|first4=Vicki B.|last5=Riesgo|first5=Ana|last6=Marioni|first6=John C.|last7=Giribet|first7=Gonzalo|year=2018|title=Support for a clade of Placozoa and Cnidaria in genes with minimal compositional bias|doi=10.7554/eLife.36278|journal=eLIFE|date=2018|volume=7:e36278|pages=1-19}}</ref>、有櫛動物が系統の最も基部に位置するか<ref name="Dunn"/><ref name="Henjol"/><ref name="Whelan2015">{{cite journal|first1=Nathan V.|last1=Whelan|first2=Kevin M. |last2=Kocot|first3=Leonid L. |last3=Moroz|first4=Kenneth M. |last4=Halanych|title=Error, signal, and the placement of Ctenophora sister to all other animals|journal=PNAS|date=2015|volume=112|issue=18|pages=5773-5778|doi=10.1073/pnas.1503453112}}</ref><ref name="Whelan2017">{{cite journal|last=Whelan|first=Nathan V.|last2=Kocot|first2=Kevin M.|last3=Moroz|first3=Tatiana P.|last4=Mukherjee|first4=Krishanu|last5=Williams|first5=Peter|last6=Paulay|first6=Gustav|last7=Moroz|first7=Leonid L.|last8=Halanych|first8=Kenneth M.|year=2017|title=Ctenophore relationships and their placement as the sister group to all other animals|url=http://www.nature.com/articles/s41559-017-0331-3|journal=Nature Ecology & Evolution|volume=1|issue=11|pages=1737|doi=10.1038/s41559-017-0331-3}}</ref> は分子系統解析においてもデータが分かれている。 現在の多様性は単純なものから複雑なものに進化してきたとする考え方のもと、かつては最も単純な平板動物から、細胞の種類がより多い海綿動物、そして神経を持つ刺胞動物、最後に神経系に加え筋系ももつ有櫛動物が進化してきたと考えられた<ref name="Kakui"/><ref name="Giribet"/>。ただし、[[襟鞭毛虫]]との類似から海綿動物のほうがより原始的な姿に近いとする考えもあった<ref name="Giribet"/>。この進化的な仮説は形態に基づく分岐学的解析においても一時は支持された<ref name="Giribet"/>。しかし、分子系統学が導入された初期にはもう平板動物は二次的に退化したより派生的なグループであることが明らかになり、有櫛動物は刺胞動物より系統の基部に位置することが明らかになった<ref name="Giribet"/><ref>{{cite journal|first1=Patricia O. |last1=Wainright|first2=Gregory |last2=Hinkle|first3= Mitchell L. |last3=Sogin|first4=Shawn K. |last4=Stickel|title=Monophyletic Origins of the Metazoa: An Evolutionary Link with Fungi|journal=[[Science]] New Series|volume=260|issue=5106|date=1993|pages=340-342}}</ref>。それだけでなく、有櫛動物はほかのすべての後生動物よりも基部に分岐したとする結果が得られた<ref name="Dunn">{{cite journal|last=Dunn|first=Casey W.|last2=Hejnol|first2=Andreas|last3=Matus|first3=David Q.|last4=Pang|first4=Kevin|last5=Browne|first5=William E.|last6=Smith|first6=Stephen A.|last7=Seaver|first7=Elaine|last8=Rouse|first8=Greg W.|last9=Obst|first9=Matthias|year=2008|title=Broad phylogenomic sampling improves resolution of the animal tree of life|url=http://www.nature.com/doifinder/10.1038/nature06614|journal=Nature|volume=452|issue=7188|pages=745–749|bibcode=2008Natur.452..745D|doi=10.1038/nature06614|pmid=18322464}}</ref><ref name="Henjol">{{cite journal |last=Henjol|first=Andreas |last2=Matthias|first2=Obst |last3=Stamatakis|first3=Alexandros |last4=Ott|first4=Michael |last5=Rouse|first5=Greg W. |last6=Edgecombe|first6=Gregory D.|last7=Martinez|first7=Pedro|last8=Jaume|first8=Baguñà|last9=Bailly|first9=Xabier ''et al.''|year=2009|title=Assessing the root of bilaterian animals with scalable phylogenomic methods|journal=Proc. R. Soc. B|volume=276|pages=4261-4270|doi=10.1098/rspb.2009.0896}}</ref>。海綿動物は相称性や胚葉がなく体制が単純であるため{{Sfn|藤田|2010|p=114}}、最も初期に分岐した後生動物として直感的に受け入れられやすいのに対し、有櫛動物は放射相称、神経系と筋系をもつため、有櫛動物より後に海綿動物が分岐したと考えると筋系や神経系が有櫛動物と {{sname|Parahoxozoa}}(有櫛動物と海綿動物以外の後生動物)で2回独立に獲得したと考えるか、海綿動物でどちらも1回完全に喪失したと考えなければならないため、大いに議論を呼んだ<ref name="Kakui"/>。系統誤差の影響を軽減することで、再び海綿動物が最も初期に分岐したと考えられる結果が得られている<ref name="laumer"/><ref name="Laumer2018"/>。 [[海綿動物]] {{sname|Porifera}}は相称性がなく胚葉がないなど最も単純なボディプランを持つ{{Sfn|藤田|2010|p=114}}。海綿動物の細胞は分化するものの、組織を形成することはなく<ref>{{cite book|last=Jessop|first=Nancy Meyer|title=Biosphere; a study of life|year=1970|publisher=Prentice-Hall|page=428}}</ref>、複雑な器官をもたない<ref>{{cite book|last=Sumich|first=James L.|title=Laboratory and Field Investigations in Marine Life|year=2008|publisher=Jones & Bartlett Learning|isbn=978-0-7637-5730-4|page=67}}</ref>。そういったことから海綿動物は[[側生動物]] {{sname||Parazoa}} {{AUY|Sollas|1884}}と呼ばれることもある{{Sfn|Adl ''et al.''|2019|pp=4-119}}<ref name="sato-11"/>。 [[刺胞動物]]と[[有櫛動物]]の体は放射相称性を持ち、唯一の腔所である胃腔の開口は口と肛門を兼ねる{{Sfn|藤田|2010|pp=117-120}}。これらの動物門の細胞は組織に分化しているものの、器官を形成していない<ref>{{cite book|last=Safra|first=Jacob E.|title=The New Encyclopædia Britannica, Volume 16|year=2003|publisher=Encyclopædia Britannica|isbn=978-0-85229-961-6|page=523}}</ref>。中胚葉が形成されない二胚葉性の動物であるとされるが、細胞性である間充織を中胚葉とみなし、[[ヒドロ虫綱]]以外の[[刺胞動物]]と全ての[[有櫛動物]]を三胚葉性とみなす事も多い<ref>[[動物#CITEREF藤田2010|藤田 2010]], p.122</ref><ref name="nonbilateria">{{cite|author=中野裕昭|chapter=刺胞動物・有櫛動物・平板動物・海綿動物 {{small|―左右相称でない動物たち}}|date=2018|pages=58-59}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。 刺胞動物は触手に物理的または化学的刺激により毒を含む刺糸を発射する[[刺胞]]と呼ばれる細胞器官を持つ{{Sfn|藤田|2010|pp=117-120}}。漂泳性([[クラゲ|クラゲ型]])と付着性([[ポリプ|ポリプ型]])という生活様式の異なる2つの型を持ち雌雄異体である{{Sfn|藤田|2010|pp=117-120}}。かつては単細胞生物とも考えられていた寄生性の[[ミクソゾア]]は分子系統解析により刺胞動物に内包されている<ref name="nonbilateria"/>。 それに対し有櫛動物は1個の細胞が変形してできた膠胞を持ち、中胚葉性の真の筋肉細胞を持つほか、全てクラゲ型であり、二放射相称で雌雄同体である{{Sfn|藤田|2010|pp=120-121}}<ref name="kubota"/>。 [[平板動物]]は神経細胞も筋肉細胞も持たず、体細胞は6種類しかなく器官や前後左右軸をもたない、自由生活を行う動物として最も単純な体制を持つ<ref name="nonbilateria"/>。しかし2008年にセンモウヒラムシ {{snamei|Trichoplax adherens}} のゲノム解読がなされ、[[シグナル伝達]]系、[[神経]]や[[シナプス]]、[[細胞結合]]などに関する多くの遺伝子の存在が報告された<ref name="nonbilateria"/>。 === 左右相称動物 === {{see also|左右相称動物}} 4つの門を除いた全ての動物門が左右相称動物である。左右相称動物は完全な三胚葉性で{{Sfn|藤田|2010|pp=122-132}}、体が[[左右相称]]である{{Sfn|藤田|2010|pp=122-132}}。外見上は左右対称であるが、内部の臓器は限られた空間の中に各臓器を互いの連結を保ちながら機能的に配置するために、位置や形が[[左右非対称]]となっている<ref name="hamada"/>。 左右相称動物は[[口]]と[[肛門]]、およびこれらをつなぐ消化管をもち、体内に[[体腔]]ないし[[偽体腔]](線形動物、輪形動物など)を持つ。左右相称動物のボディプランは、前方(運動のとき体の進む方向)と後方の区別、腹側と背側の区別がある傾向があり、したがって左側と右側の区別も可能である<ref name="Minelli20092">{{cite book|author=Minelli, Alessandro|title=Perspectives in Animal Phylogeny and Evolution|url=https://books.google.com/books?id=jIASDAAAQBAJ&pg=PA53|year=2009|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-856620-5|page=53}}</ref><ref name="Brusca20162">{{Cite book|last=Brusca|first=Richard C.|title=Introduction to the Bilateria and the Phylum Xenacoelomorpha {{!}} Triploblasty and Bilateral Symmetry Provide New Avenues for Animal Radiation|url=http://www.sinauer.com/media/wysiwyg/samples/Brusca3e_Chapter_9.pdf|date=2016|publisher=Sinauer Associates|isbn=978-1605353753|pages=345–372|work=Invertebrates}}</ref>。運動のとき体の前方へと進むので、進行方向にあるものを識別する[[感覚器]]や餌を食べる口が前方に集まる傾向にある([[頭化]]という)。多くの左右相称動物は[[環状筋]]と[[縦走筋]]のペアを持つので<ref name="Brusca20162" />、ミミズのような体が柔らかい動物では[[水力学的骨格]] {{lang|en|[[:en:Hydrostatic skeleton|Hydrostatic skeleton]]}}の[[蠕動]]により動く事ができる<ref name="Quillin2">{{cite journal|author=Quillin, K. J.|date=May 1998|title=Ontogenetic scaling of hydrostatic skeletons: geometric, static stress and dynamic stress scaling of the earthworm lumbricus terrestris|url=https://journals.biologists.com/jeb/cgi/pmidlookup|journal=The Journal of Experimental Biology|volume=201|issue=12|pages=1871–83|pmid=9600869}}</ref>。また多くの左右相称動物には[[繊毛]]で泳ぐことができる[[幼生]]の時期がある。 以上の特徴は例外も多い。例えば[[棘皮動物]]の成体は(幼生とは違い)放射相称であるし、[[寄生虫]]の中には極端に単純化された体の構造をもつものも多い<ref name="Minelli20092" /><ref name="Brusca20162" />。 === 珍無腸動物 === {{See also|珍無腸動物}} [[珍無腸動物]]門(珍無腸形動物門) {{sname|Xenacoelomorpha}} は[[珍渦虫]]と[[無腸動物]]からなる左右相称動物であり、その単系統性は分子系統解析から強く支持されている<ref name="Kakui"/><ref name="Xen">{{cite|author=中野裕昭|chapter=珍無腸形動物 {{small|―左右相称動物の祖先に迫る?}}|date=2018|pages=86-87}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。その系統的位置に関しては、左右相称動物の最も初期に分岐したとする説<ref name="Cannon"/><ref name="Rouse"/> と後口動物の一員であるとする説<ref name="Philippe2011"/><ref name="Philippe2019"/><ref name="Giribet"/> がある。前者の考えを支持する場合、珍無腸動物以外の全ての門を含む左右相称動物は[[有腎動物]] {{sname||Nephrozoa}}と呼ばれる<ref name="Kakui"/><ref name="Cannon"/><ref name="Henjol"/>。 [[珍渦虫]] {{Snamei||Xenoturbella}} は[[1878年]]に発見され、[[1949年]]に報告されたが、その分類は長らく謎で、[[渦虫]]の珍しい仲間だと思われていた<ref>{{cite journal|last=Westblad|first=E.|date=1949|title=''Xenoturbella bocki'' n. g., n. sp., a peculiar, primitive Turbellarian type|journal=Arkiv för Zoologi|volume=1|pages=3–29}}</ref>。しかし2006年以降、分子系統解析により、後口動物に入ることが示唆され、独立した[[珍渦虫動物]]門 {{sname|Xenoturbellida}} が設立された<ref>{{cite journal|last1=Bourlat|first1=S. ''et al.''|title=Deuterostome phylogeny reveals monophyletic chordates and the new phylum Xenoturbellida|journal=Nature|volume=444|pages=85-88|date=2006}}</ref><ref name="Perseke20072">{{cite journal |last1=Perseke|first1=M. |last2=Hankeln|first2=T. |last3=Weich|first3=B. |last4=Fritzsch|first4=G. |last5=Stadler|first5=P.F. |last6=Israelsson|first6=O. |last7=Bernhard|first7=D. |last8=Schlegel|first8=M.|date=August 2007|title=The mitochondrial DNA of Xenoturbella bocki: genomic architecture and phylogenetic analysis|url=http://www.bioinf.uni-leipzig.de/Publications/PREPRINTS/07-009.pdf|journal=Theory Biosci|volume=126|issue=1|pages=35–42|doi=10.1007/s12064-007-0007-7|pmid=18087755}}</ref>。 [[無腸動物]] {{sname|Acoelomorpha}}は無腸類と皮中神経類からなり、それぞれ[[扁形動物門]]の無腸目および皮中神経類に分類されていたが、1999年の分子系統解析によって初期に分岐した左右相称動物であることが示唆された<ref name="Xen"/>。Jaume Baguñà と Marta Riutort によって[[左右相称動物]]の新しい門として分離された<ref>{{cite journal|last1=Baguñà|first1=J|last2=Riutort|first2=M|date=2004|title=Molecular phylogeny of the Platyhelminthes|journal=Can J Zool|volume=82|pages=168-193}}</ref>。 2011年、Philippe や[[中野裕昭]]らは分子系統解析により珍渦虫動物と無腸動物をともに珍無腸動物門という動物門を構成することを提唱した<ref name="Philippe2011">{{cite journal|last=Philippe|first=H.|last2=Brinkmann|first2=H.|last3=Copley|first3=R. R.|last4=Moroz|first4=L. L.|last5=Nakano|first5=H.|last6=Poustka|first6=A. J.|last7=Wallberg|first7=A.|last8=Peterson|first8=K. J.|last9=Telford|first9=M. J.|date=2011|title=Acoelomorph flatworms are deuterostomes related to ''Xenoturbella''|journal=[[ネイチャー|Nature]]|volume=470|issue=7333|pages=255–258|doi=10.1038/nature09676|pmid=21307940|pmc=4025995}}</ref>。そして、[[チンウズムシ]]の自然産卵による卵と胚の観察結果を報告し、摂食性の幼生期を経ない直接発生型であるなどの共通点を指摘した<ref name="Nakano2013">{{cite journal|last1=Nakano|first1=H.|last2=Lundin|first2=K.|last3=Bourlat|first3=S.J.|last4=Telford|first4=M.J.|last6=Funch|first6=P.|last7=Nyengaard|first7=J.R.|last8=Obst|first8=M.|last9=Thorndyke|first9=M.C.|date=2013|title=''Xenoturbella bocki'' exhibits direct development with similarities to Acoelomorpha|journal=[[ネイチャー|Nature]] Communications|volume=4|issue=1|pages=1537|doi=10.1038/ncomms2556}}</ref>。珍無腸動物門は設立当初新口動物に分類されたが<ref name="Xen"/><ref name="Philippe2019"/><ref name=":馬渡2013-27-29">[[#馬渡 2013|馬渡 2013]], pp.27-29</ref>、その後の研究により当時知られていた左右相称動物のサブクレード、後口動物・脱皮動物・冠輪動物(螺旋動物)のいずれにも属さず、これら3つ(有腎動物)の姉妹群となる最も初期に分岐した左右相称動物とされた<ref name="Cannon">{{cite journal|last=Cannon|first=Johanna T.|last2=Vellutini|first2=Bruno C.|last3=Smith III|first3=Julian.|last4=Ronquist|first4=Frederik|last5=Jondelius|first5=Ulf|last6=Hejnol|first6=Andreas|date=3 February 2016|title=Xenacoelomorpha is the sister group to Nephrozoa|url=http://www.nature.com/nature/journal/v530/n7588/full/nature16520.html|journal=Nature|volume=530|issue=7588|pages=89–93|publisher=|bibcode=2016Natur.530...89C|doi=10.1038/nature16520|pmid=26842059|access-date=3 February 2016}}</ref><ref name="Rouse">{{Cite journal|last=Rouse|first=Greg W.|last2=Wilson|first2=Nerida G.|last3=Carvajal|first3=Jose I.|last4=Vrijenhoek|first4=Robert C.|date=2016-02|title=New deep-sea species of Xenoturbella and the position of Xenacoelomorpha|url=http://www.nature.com/articles/nature16545|journal=Nature|volume=530|issue=7588|pages=94–97|language=En|doi=10.1038/nature16545|issn=0028-0836}}</ref>。しかし2019年に再び長枝誘因などの系統誤差の影響を軽減することで、珍無腸動物は後口動物の[[水腔動物]]との姉妹群であることが支持された<ref name="Philippe2019">{{cite journal|last=Philippe|first=H.|first2=Albert J.|last2=Poustka|first3=Marta|last3=Chiodin|first4=Katharina|last4=J.Hoff|first5=Christophe|last5=Dessimoz|first6=Bartlomiej|last6=Tomiczek|first7=Philipp H.|last7=Schiffer|first8=Steven|last8=Müller|last9=Domman |first9=Daryl ''et al.''|title=Mitigating Anticipated Effects of Systematic Errors Supports Sister-Group Relationship between Xenacoelomorpha and Ambulacraria|journal=Current Biology|volume=29|issue=11|date=2019|pages=1818-1826|doi=10.1016/j.cub.2019.04.009}}</ref><ref>{{Cite press release |和書|author=筑波大学|title=珍渦虫はもともと単純か複雑か ―まだ続く珍無腸動物門の系統樹上の放浪―|url=https://www.tsukuba.ac.jp/journal/images/pdf/190527nakano-2.pdf|date=2019-05-27|accessdate=2021-08-20}}</ref>。 === 毛顎動物 === {{see also|毛顎動物}} [[毛顎動物]]は[[ヤムシ]]と総称される動物で、かつては成体の口が[[原口 (生物学)|原口]]に由来しないという発生様式から[[後口動物]]とされてきた<ref>{{cite |author=後藤太一郎|chapter=31. 毛顎動物門 Phylum CHAETOGNATHA|date=2000|pages=235-237}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref><ref name="encyclo-chaeto">{{cite|author=後藤太一郎|chapter=毛顎動物 {{small|―謎に包まれた系統的位置}}|date=2018|pages=84-85}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。しかし、主な中枢神経が腹側にあることや顎毛(餌の捕獲器官)に[[キチン質]]をもつことなど、[[前口動物]]の特徴も持つことは古くから知られてきた<ref name="encyclo-chaeto"/>。分子系統学による解析が始まってから、後口動物ではないことが明らかになった(この頃の解析では後口動物・前口動物のさらに基部の系統に位置した)<ref>{{cite journal|first1=Maximilian J.|last1=Telford|first2=P. W. H. |last2=Holland|date=1993|title=The Phylogenetic Affinities of the Chaetognaths: A Molecular Analysis|journal=Mol. Biol. Evol.|volume=10|issue=3|pages=660-676}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Wada|first1=Hiroshi|author-link1=和田洋|last2=Satoh|first2=Noriyuki|author-link2=佐藤矩行|title=Details of the evolutionary history from invertebrates to vertebrates, as deduced from the sequences of 18S rDNA|journal=Proc. Natl. Acad. Sci. |volume=91|issue=5|pages=1801-1804|doi=10.1073/pnas.91.5.1801}}</ref>。 [[18S rRNA]]、[[ミトコンドリアDNA]]、[[Hox遺伝子]]群および[[発現配列タグ|ESTデータ]]を用いた近年の分子系統解析では、[[前口動物]]であることが明らかになっている<ref name="encyclo-chaeto"/>。例えば、[[#Laumer et al. 2019|Laumer ''et al.'' (2019)]]では、前口動物の[[螺旋動物]]のうち[[担顎動物]]に近縁であるとされる<ref name="laumer">[[#Laumer et al. 2019|Laumer ''et al.'' 2019]], pp.1-10</ref>。これは、発生過程における初期卵割のパターンが[[螺旋卵割]]であることや、頭部の背側にある繊毛環が[[トロコフォア幼生]]の口後繊毛環と共通していることからも支持される<ref name="encyclo-chaeto"/>。しかしその中でもどの系統的位置に来るかはまだ異説が多い<ref name="encyclo-chaeto"/>。この理由として、[[重複遺伝子]]を多く保有することから[[ゲノム重複]]が起こった可能性があることや、集団内での[[遺伝的多型]]が多いことから[[突然変異]]率が高い可能性があることが指摘されている<ref name="encyclo-chaeto"/>。例えば、[[長枝誘引]]による悪影響として脱皮動物中の節足動物の枝の中に"mongrel assemblage"という集合ができてしまった結果がある<ref name="mallatt">{{cite journal|first1=Jon|last1=Mallatt|first2=Catherine Waggoner|Last2=Craig|first3=Matthew J. |last3=Yoder|title=Nearly complete rRNA genes assembled from across the metazoan animals: Effects of more taxa, a structure-based alignment, and paired-sites evolutionary models on phylogeny reconstruction|journal=Molecular Phylogenetics and Evolution |volume=55 |date=2010|pages=1-17|doi=10.1016/j.ympev.2009.09.028}}</ref>。この中には[[多足類]]の[[コムカデ]]類と[[エダヒゲムシ]]類だけでなく、脱皮動物の中でも[[有爪動物]]の {{snamei||Hanseniella}} と {{snamei||Allopuropus}}、[[冠輪動物]]である軟体動物[[頭足類]]の[[コウモリダコ]] {{snamei||Vampyroteuthis}} および[[オウムガイ]] {{snamei||Nautilus}}、そして[[毛顎動物]]の {{snamei||Sagitta}} が含まれていた<ref name="mallatt"/>。また、この集合は[[GC含量|CG-rich]]([[グアニン]]および[[シトシン]]が多い)であった<ref name="mallatt"/>。このように、毛顎動物の系統関係を特定するのは困難である<ref name="encyclo-chaeto"/>。 === 脱皮動物 === {{see also|脱皮動物}} [[ファイル:Cercopoidea_moulting.jpg|代替文=|サムネイル|307x307ピクセル|[[アワフキムシ]]の脱皮]] 体を覆う[[クチクラ]]の[[脱皮]]を行うという共通の特徴を持ち{{Sfn|藤田|2010|pp=122-123}}{{Sfn|藤田|2010|p=108}}<ref>{{cite book|last=Dawkins|first=Richard|authorlink=リチャード・ドーキンス|title=The Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution|year=2005|publisher=Houghton Mifflin Harcourt|isbn=978-0-618-61916-0|page=381}}</ref>、[[糸形動物]](広義の線形動物)、[[有棘動物]]、[[汎節足動物]]の3つに分類がなされている{{Sfn|藤田|2010|pp=122-123}}。 [[糸形動物]]<ref name="Kakui"/>{{small|(広義の線形動物<ref name="taxonomy">[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.150</ref>)}} {{sname||Nematozoa}}<ref name="Kakui"/><ref name="taxonomy"/> {{small|または}} {{sname|Nematoida}}<ref name="Kakui"/> は[[カイチュウ]]、[[ギョウチュウ]]、[[アニサキス]]などからなる[[線形動物門]]と[[ハリガネムシ|ハリガネムシ目]]と[[遊線虫目]](オヨギハリガネムシ類)からなる[[類線形動物門]]により構成される<ref name="shimada">{{cite|author=嶋田大輔|chapter=線形動物・類線形動物 {{small|―昆虫に匹敵する多様性の持ち主?}}|date=2018|pages=72-73}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。例に挙げられた線形動物は[[寄生生物|寄生性]]であるが、自由生活を送る線形動物も存在し、一部の自由生活種のみ[[眼点]]を持つ<ref name="shimada"/><ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], pp.150-152</ref>。糸形動物は硬いクチクラで覆われ、細い体で、循環器や環状筋を欠き、偽体腔で螺旋卵割を行い、鞭毛のない精子を持つなど、多くの形質を共有する<ref name="shimada"/>。線形動物は種数や個体数が非常に多いと考えられており、少なくとも数万の未知種を有すると考えられている<ref name="shimada"/>。線形動物は左右相称であると同時に左右および背側の三放射相称でもある<ref name="shimada"/>。 [[有棘動物]] {{sname||Scalidophora}}(頭吻動物 {{Sname||Cephalorhyncha}})は[[動吻動物]]門、[[鰓曳動物]]門、[[胴甲動物]]門をまとめたグループで、冠棘という主に頭部に数列ある環状に並ぶ棘を持つという形質を共有することから名付けられた<ref name=":2">[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.153</ref><ref name="yamasaki">{{cite|author=山崎博史|chapter=鰓曳動物・胴甲動物・動吻動吻 {{small|―棘に覆われた頭部をもつ動物たち}}|date=2018|pages=74-75}} in [[#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。冠棘に加え、花状器官という感覚器を持つという形質、頭部が反転可能である形質、偽体腔を持つという形質も共有する<ref name=":2" /><ref>{{cite book|author1=Miller, Stephen A.|title=Zoology|url=https://books.google.com/books?id=BWZFAQAAIAAJ|year=2006|publisher=McGraw-Hill Higher Education|page=173|author2=Harley, John P.}}</ref>。しかし、分子系統解析による検証は十分になされていない<ref name="Kakui"/>。胴甲動物は鰓曳動物のロリケイト幼生と形態が類似していることから近縁であると考えられてきたが、近年の分子系統解析では他の脱皮動物に近縁である可能性が示されている<ref name="yamasaki"/>。 ==== 汎節足動物 ==== {{Main|汎節足動物|葉足動物|節足動物}} [[汎節足動物]] {{sname||Panarthropoda}}は、動物界最大の門である[[節足動物]]を含む系統群である。汎節足動物は[[体節]]と、それに対応する[[付属肢]]や[[神経節]]を持つ事を特徴とする<ref>{{Cite journal|last=Telford|first=Maximilian J|last2=Bourlat|first2=Sarah J|last3=Economou|first3=Andrew|last4=Papillon|first4=Daniel|last5=Rota-Stabelli|first5=Omar|date=2008-04-27|title=The evolution of the Ecdysozoa|url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.2007.2243|journal=Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences|volume=363|issue=1496|pages=1529–1537|doi=10.1098/rstb.2007.2243|pmid=18192181|pmc=2614232}}</ref><ref name=":3">[[#藤田 2010|藤田 2010]], pp.155-156</ref>。[[環形動物]]もこの性質を持つため、21世紀以前では環形動物は汎節足動物に近縁である(ともに[[体節動物]] [[:en:Articulata hypothesis|Articulata]] をなす)と考えられていたが、21世紀以降では[[分子系統解析]]により、近縁性が否定され([[収斂進化|収斂]])、環形動物は別系統である[[冠輪動物]]に分類されている<ref name=":3" /><ref>{{Cite journal|last=Giribet|first=Gonzalo|last2=Edgecombe|first2=Gregory D.|date=2017-09-01|title=Current Understanding of Ecdysozoa and its Internal Phylogenetic Relationships|url=https://doi.org/10.1093/icb/icx072|journal=Integrative and Comparative Biology|volume=57|issue=3|pages=455–466|doi=10.1093/icb/icx072|issn=1540-7063}}</ref>。 節足動物は[[関節]]に分かれた[[外骨格]]を持つ体節と付属肢([[関節肢]])を特徴とする<ref name=":9" />。現生種は[[鋏角類]]([[クモ]]・[[サソリ]]・[[カブトガニ類|カブトガニ]]など)・[[多足類]]([[ムカデ]]・[[ヤスデ]]など)・[[甲殻類]]([[十脚目|カニ・エビ類]]・[[蔓脚類|フジツボ類]]・[[ミジンコ目|ミジンコ類]]など)・[[六脚類]]([[昆虫]]など)の4[[門 (分類学)|亜門]]に分かれ、2010年代中期以降の主流な系統関係は以下のようになっている<ref>{{cite|author=島野智之|date=2018|pages=78-79|chapter=節足動物(多足類・鋏角類) {{small|―いまだ系統が解明されていない2つの大きな分類群}}}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref><ref name=":9" /><ref name="arthropods">{{cite journal|author=大塚攻・田中隼人|date=2020|title=顎脚類(甲殻類)の分類と系統に関する研究の最近の動向|journal=タクサ|volume=48|pages=49-62}}</ref>: {{clade |label1=[[節足動物]]|sublabel1={{sname||Arthropoda}}|1={{clade |label1='''[[鋏角類]]'''|sublabel1='''{{sname||Chelicerata}}'''|1={{clade |1= [[ウミグモ]]類 {{sname||Pycnogonida}}{{refn|group="注釈"|2000年代の一部の[[分子系統解析]](Giribet et al. (2001) など)では、[[ウミグモ類]]は[[真鋏角類]]と[[大顎類]](ともに幹性類 {{Sname||Cormogonida}} をなす)より早期に分岐したとされる<ref name=":9" />。}} |label2=[[真鋏角類]]|sublabel2={{sname||Euchelicerata}}|2=[[カブトガニ類]] {{Sname||Xiphosura}}・[[クモガタ類]](蛛形類){{Sname||Arachnida}}{{refn|group="注釈"|Sharma & Ballesteros (2019) などの分子系統解析により、[[クモガタ類]]は[[カブトガニ類]]に対して[[多系統]]の可能性が示唆される<ref name=":9" />。}} }} |label2=[[大顎類]]|sublabel2={{sname||Mandibulata}}|2={{clade |label1='''[[多足類]]'''|sublabel1='''{{sname||Myriapoda}}'''|1={{clade |1=[[ムカデ]]類 {{Sname||Chilopoda}} |label2=[[前性類]]|sublabel2={{Sname||Progoneata}}|2={{clade |1=[[コムカデ]]類 {{Sname||Pauropoda}} |label2=[[双顎類]]|sublabel2={{Sname||Dignatha}}|2={{clade |1=[[エダヒゲムシ]]類 {{Sname||Symphyla}} |2=[[ヤスデ]]類 {{Sname||Diplopoda}} }} }} }} |label2=[[汎甲殻類]]|sublabel2={{sname||Pancrustacea}}|2={{clade |grouplabel1=「'''[[甲殻類]]'''」</span><br />"'''{{sname||Crustacea}}'''" |label1=[[貧甲殻類]]|sublabel1={{sname||Oligostraca}}|1={{clade |label1=[[ウオヤドリエビ綱|ウオヤドリエビ類]]|sublabel1={{Sname||Ichthyostraca}}|1={{clade |1=[[鰓尾類]] {{Sname||Branchiura}}|barbegin1=red |2=[[シタムシ]]類 {{Sname||Pentastomida}}|bar2=red }} |2=[[貝虫]]類 {{Sname||Ostracoda}}|bar2=red |3=[[ヒゲエビ]]類 {{Sname||Mystacocarida}}|bar3=red }} |sublabel2={{sname||Altocrustacea}}|2={{clade |label1=[[多甲殻類]]|sublabel1={{sname||Multicrustacea}}|1={{clade |1=[[カイアシ類]] {{Sname||Copepoda}}|bar1=red |2=[[鞘甲類]] {{Sname||Thecostraca}}|bar2=red |3=[[軟甲類]] {{Sname||Malacostraca}}|bar3=red }} |label2=[[異エビ類]]|sublabel2={{sname||Allotriocarida}}|2={{clade |1=[[カシラエビ類]] {{sname||Cephalocarida}}{{refn|name="Pancrustacea2000s"|group="注釈"|この系統位置は2010年代中期以降の主流な解析結果(Oakley ''et al.'' (2013)、Schwentner ''et al.'' (2017, 2018)、Lozano-Fernandez ''et al.'' (2019) など)に基づくものである。それ以前の Regier ''et al.'' (2005, 2010) では[[鰓脚類]]は[[多甲殻類]]とともに[[真甲殻類]] {{sname||Vericrustacea}}、[[カシラエビ類]]は[[ムカデエビ類]]とともに[[奇エビ類]] {{sname||Xenocarida}} をなしている<ref name=":9" /><ref name="arthropods"/>。}}|bar1=red |2={{clade |1=[[鰓脚類]] {{sname||Branchiopoda}}<ref name="Pancrustacea2000s" group="注釈" />|bar1=red |2={{clade |1=[[ムカデエビ類]] {{sname||Remipedia}}<ref name="Pancrustacea2000s" group="注釈" />|barend1=red |label2='''[[六脚類]]'''|sublabel2='''{{sname||Hexapoda}}'''|2={{clade |1={{clade |1=[[トビムシ目|トビムシ]]類 {{Sname||Collembola}} |2=[[カマアシムシ]]類 {{Sname||Protura}} }} |2={{clade |1=[[コムシ]]類 {{Sname||Diplura}} |2=[[昆虫]]類(外顎類){{Sname||Insecta}} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} 他にも[[三葉虫]]類や[[メガケイラ類]]など、[[絶滅]]種のみ含む節足動物の分類群はいくつか知られるが、現生群との類縁関係ははっきりしない<ref name=":9" />。六脚類は広義の昆虫類で[[内顎類]]([[トビムシ目|トビムシ]]類・[[カマアシムシ]]類・[[コムシ]]類、非単系統群)と[[昆虫|外顎類]](狭義の昆虫類)に分かれる<ref name=":7">[[動物#CITEREF藤田2010|藤田 2010]], p.168</ref>。六脚類は21世紀以前では頭部と呼吸器に共通点の多い多足類に近縁と考えられてきたが、21世紀以降では分子系統解析により、甲殻類と[[単系統群]]の[[汎甲殻類]]をなし、[[側系統群]]の甲殻類から分岐した説が主流となっている<ref name=":9" />。汎甲殻類における六脚類の系統位置は議論の的となり<ref name=":9">{{Cite journal|last=Giribet|first=Gonzalo|last2=Edgecombe|first2=Gregory D.|date=2019-06-17|title=The Phylogeny and Evolutionary History of Arthropods|url=http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982219304865|journal=Current Biology|volume=29|issue=12|pages=R592–R602|doi=10.1016/j.cub.2019.04.057|issn=0960-9822}}</ref>、2000年代の分子系統解析では[[鰓脚類]]に近縁ともされていたが、2010年代中期以降では更なる全面的な解析により、脳の構造に共通性を持つ<ref name=":7" />[[ムカデエビ類]]の方が六脚類に最も近縁な甲殻類として有力視されている<ref name=":9" /><ref>{{Cite journal|last=Olesen|first=Jørgen|last2=Pisani|first2=Davide|last3=Iliffe|first3=Thomas M.|last4=Legg|first4=David A.|last5=Palero|first5=Ferran|last6=Glenner|first6=Henrik|last7=Thomsen|first7=Philip Francis|last8=Vinther|first8=Jakob|last9=Chen|first9=Albert|date=2019-08-01|title=Pancrustacean Evolution Illuminated by Taxon-Rich Genomic-Scale Data Sets with an Expanded Remipede Sampling|url=https://academic.oup.com/gbe/article/11/8/2055/5528088|journal=Genome Biology and Evolution|volume=11|issue=8|pages=2055–2070|language=en|doi=10.1093/gbe/evz097}}</ref>。 汎節足動物は節足動物門以外には[[緩歩動物門]]と[[有爪動物門]]を含む。絶滅した群まで範囲を広げると[[葉足動物]]と呼ばれる[[古生物]]をも含む。緩歩動物門に属する動物は[[クマムシ]]と呼ばれる動物であり<ref name=":4">[[動物#CITEREF藤田2010|藤田 2010]], p.157</ref>、ゆっくり歩く事からその名が名付けられた。陸上に生息する種では、[[クリプトビオシス]]という極限状態に耐えられる休眠状態になる事が知られている<ref name=":4" />。有爪動物門に属する動物は[[カギムシ]]と呼ばれ、現生種は真有爪目のみ<ref>[[動物#CITEREF藤田2010|藤田 2010]], pp.157-158</ref>。 [[カンブリア紀]]に多様化した葉足動物は、一見して現生の有爪動物に似て、かつては全般的に有爪動物のみに近縁と考えられた<ref name=":1" /><ref>{{Cite journal|last=Ramsköld|first=L.|last2=Xianguang|first2=Hou|date=1991-05|title=New early Cambrian animal and onychophoran affinities of enigmatic metazoans|url=https://www.nature.com/articles/351225a0|journal=Nature|volume=351|issue=6323|pages=225–228|language=En|doi=10.1038/351225a0|issn=0028-0836}}</ref>。しかし1990年代後期以降では、節足動物と緩歩動物的性質をもつ葉足動物の発見<ref>{{Cite journal|last=BUDD|first=GRAHAM E.|date=1996-03|title=The morphology of Opabinia regalis and the reconstruction of the arthropod stem-group|url=https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1502-3931.1996.tb01831.x|journal=Lethaia|volume=29|issue=1|pages=1–14|language=en|doi=10.1111/j.1502-3931.1996.tb01831.x|issn=0024-1164}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Budd|first=Graham E.|date=1998/ed|title=The morphology and phylogenetic significance of Kerygmachela kierkegaardi Budd (Buen Formation, Lower Cambrian, N Greenland)|url=https://www.cambridge.org/core/journals/earth-and-environmental-science-transactions-of-royal-society-of-edinburgh/article/abs/morphology-and-phylogenetic-significance-of-kerygmachela-kierkegaardi-budd-buen-formation-lower-cambrian-n-greenland/AF165229724342F0BD90933A037CB05F|journal=Earth and Environmental Science Transactions of The Royal Society of Edinburgh|volume=89|issue=4|pages=249–290|language=en|doi=10.1017/S0263593300002418|issn=1473-7116}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Budd|first=Graham E.|date=2001-01|title=Tardigrades as ‘Stem-Group Arthropods’: The Evidence from the Cambrian Fauna|url=https://doi.org/10.1078/0044-5231-00034|journal=Zoologischer Anzeiger - A Journal of Comparative Zoology|volume=240|issue=3-4|pages=265–279|doi=10.1078/0044-5231-00034|issn=0044-5231}}</ref><ref>Jianni Liu, Degan Shu, Jian Han, Zhifei Zhang, and Xingliang Zhang (2006-06). “[https://www.researchgate.net/publication/237675765 A large xenusiid lobopod with complex appendages from the Lower Cambrian Chengjiang Lagerstätte]”. ''Acta Palaeontologica Polonica'' '''51''' (2).</ref><ref>{{Cite journal|author=Liu, J; Shu, D; Han, Jian; Zhang, Zhifei; Zhang, Xingliang|date=2007-09-26|title=Morpho-anatomy of the lobopod ''Magadictyon'' cf. ''haikouensis'' from the Early Cambrian Chengjiang Lagerstätte, South China|url=https://www.researchgate.net/publication/293346517|journal=Acta Zoologica|volume=89|issue=2|pages=183–183|language=en|doi=10.1111/j.1463-6395.2007.00307.x}}</ref>に否定的とされる。葉足動物は有爪動物のみでなく、むしろ全体的に現生汎節足動物の3つの動物門(節足動物・緩歩動物・有爪動物)の[[最も近い共通祖先]]と、それぞれの初期系統([[ステムグループ]])を含んだ[[側系統群]]と考えられるようになり、葉足動物と有爪動物の多くの共通点は、汎節足動物の[[共有原始形質]]に過ぎない<ref>{{Cite journal|last=Edgecombe|first=Gregory D.|date=2009-06|title=Palaeontological and Molecular Evidence Linking Arthropods, Onychophorans, and other Ecdysozoa|url=https://evolution-outreach.biomedcentral.com/articles/10.1007/s12052-009-0118-3|journal=Evolution: Education and Outreach|volume=2|issue=2|pages=178–190|language=en|doi=10.1007/s12052-009-0118-3|issn=1936-6434}}</ref><ref name=":0" /><ref name=":1" /><ref name="Thanahita">{{Cite journal|last=Siveter|first=Derek J.|last2=Briggs|first2=Derek E. G.|last3=Siveter|first3=David J.|last4=Sutton|first4=Mark D.|last5=Legg|first5=David|date=2018-08-01|title=A three-dimensionally preserved lobopodian from the Herefordshire (Silurian) Lagerstätte, UK|url=http://rsos.royalsocietypublishing.org/content/5/8/172101|journal=Open Science|volume=5|issue=8|pages=172101|language=en|doi=10.1098/rsos.172101|issn=2054-5703}}</ref>。 === 螺旋動物 === {{see also|冠輪動物}} {| style="margin:0 auto" |+ 螺旋動物の系統関係 !ラーマーら (2019)に基づく分子系統樹の例<ref name="spiral"/><ref name="laumer"/> !! Marlétaz ''et al.'' (2019)に基づく分子系統樹の例<ref name="spiral"/> |- | {{clade| style=width:32em;font-size:80%;line-height:100% |label1=螺旋動物 |1={{clade |1={{clade |barbegin1=black |grouplabel1=担顎動物 {{sname||Gnathifera}} |1=[[毛顎動物]] |2={{clade |bar1=black |1=[[顎口動物]] |barend2=black |2={{clade |1=[[微顎動物]] |2=[[輪形動物]] }} }} }} |2={{clade |1={{clade |1={{clade<!--begin 触手冠・環形・軟体・紐形--> |1={{clade<!--begin 触手冠・環形--> |1={{clade<!--begin 触手冠--> |barbegin1=blue |grouplabel1=触手冠動物 {{sname||Lophophorata}} |1=[[腕足動物]] |barend2=blue |2={{clade |1=[[箒虫動物]] |2=[[苔虫動物]] }} }}<!--end 触手冠--> |2=[[環形動物]] }}<!--end 触手冠・環形--> |2={{clade<!--begin 軟体・紐形--> |1=[[軟体動物]] |2=[[紐形動物]] }}<!--end 軟体・紐形--> }}<!--end 触手冠・環形・軟体・紐形--> |2={{clade<!--begin 内肛・有輪--> |1=[[有輪動物]] |2=[[内肛動物]] }}<!--end 内肛・有輪--> }} |2={{clade |barbegin1=purple |grouplabel1= 吸啜動物 {{sname||Rouphozoa}} |1=[[扁形動物]] |barend2=purple |2=[[腹毛動物]] }} }} }} }} || {{clade|style=width:32em;font-size:80%;line-height:100% |label1=螺旋動物 |1={{clade |1={{clade |barbegin1=black |grouplabel1=担顎動物 {{sname||Gnathifera}} |1=[[毛顎動物]] |2={{clade |bar1=black |1=[[顎口動物]] |barend2=black |2={{clade |1=[[微顎動物]] |2=[[輪形動物]] }} }} }} |2={{clade |1={{clade |1={{clade<!--begin 腹毛・触手冠--> |barbegin1=blue |grouplabel1=触手冠動物 {{sname||Lophophorata}} |1={{clade<!--begin 触手冠--> |1=[[腕足動物]] |2={{clade<!--begin 箒虫・苔虫--> |1=[[箒虫動物]] |2=[[苔虫動物]] }}<!--end 箒虫・苔虫--> }}<!--end 触手冠--> |barend1=blue |2=[[腹毛動物]] }}<!--end 腹毛・触手冠--> |2={{clade<!--begin 環形・扁形・紐形--> |1=[[環形動物]] |2={{clade |barbegin1=green |grouplabel1={{sname||Parenchymia}} |1=[[紐形動物]] |barend2=green |2=[[扁形動物]] }} }}<!--end 環形・扁形・紐形--> }} |2={{clade<!--begin 軟体・内肛--> |barbegin1=red |grouplabel1=[[Tetraneuralia]] |1=[[軟体動物]] |barend2=red |2=[[内肛動物]] }}<!--end 軟体・内肛--> }} }} }} |} [[ファイル:Spiral_cleavage_in_Trochus.png|thumb|300px|[[ニシキウズガイ属]](軟体動物[[腹足類]])の胚の[[螺旋卵割]]]] この[[クレード]]に属するほとんどが、胚発生において4細胞期から8細胞期に有糸分裂[[紡錘体]]が動物極-植物極軸と45°ずれる[[螺旋卵割]]を行うという共有派生形質をもつため{{refn|group="注釈"|ただし、螺旋動物のうち、触手冠動物の腕足動物などでは放射卵割を行い<ref name="spiral"/>、脱皮動物でも線形動物のように螺旋卵割を行うものも存在する<ref name="shirayama-1-5-4"/>。かつては前口動物の持つ形質だとみなされていたが、おそらく螺旋動物の持つ共有派生形質である<ref name="spiral"/>。}}、'''螺旋動物'''<ref name="Kakui"/>(らせんどうぶつ)もしくは'''螺旋卵割動物'''<ref name="Kajihara"/>(らせんらんかつどうぶつ) {{sname|Spiralia}}と呼ばれる<ref name="spiral"/><ref name="Struck">{{Cite journal |last=Struck |first=Torsten H. |last2=Wey-Fabrizius |first2=Alexandra R. |last3=Golombek |first3=Anja |last4=Hering |first4=Lars |last5=Weigert |first5=Anne|last6=Bleidorn |first6=Christoph |last7=Klebow |first7=Sabrina |last8=Iakovenko |first8=Nataliia |last9=Hausdorf |first9=Bernhard|date=2014 |title=Platyzoan Paraphyly Based on Phylogenomic Data Supports a Noncoelomate Ancestry of Spiralia |journal=Molecular Biology and Evolution |volume=31 |issue=7 |pages=1833-1849 |doi=10.1093/molbev/msu143 |pmid=24748651}}</ref><ref name="Shankland">{{cite journal|last1=Shankland|first1=M.|last2=Seaver|first2=E. C.|year=2000|title=Evolution of the bilaterian body plan: What have we learned from annelids?|journal=Proceedings of the National Academy of Sciences|volume=97|issue=9|pages=4434–7|bibcode=2000PNAS...97.4434S|doi=10.1073/pnas.97.9.4434|jstor=122407|pmid=10781038|pmc=34316}}</ref>。これを指して冠輪動物 {{sname|Lophotrochozoa}} ''{{lang|la|[[sensu|s.l.]]}}'' と呼ぶ場合もあるが<ref name="spiral"/>、本項を含め、「冠輪動物」の名称を螺旋動物のサブクレードに用いるケースもあるので注意が必要である<ref name="kanrin" group="注釈" />。 螺旋動物は'''担顎動物'''(たんがくどうぶつ、{{sname||Gnathifera}})、'''吸啜動物'''(きゅうてつどうぶつ、{{sname||Rouphozoa}})、'''冠輪動物'''(かんりんどうぶつ、{{sname||Lophotrochozoa}})という3つの系統を含む<ref name="Kajihara"/>。冠輪動物は上記の螺旋動物を指すこともあるため、'''担輪動物'''(たんりんどうぶつ、{{sname||Trochozoa}})とも呼ぶ<ref name="Kakui"/>。前者2つを合わせたものを[[扁平動物]] {{sname||Platyzoa}} と呼ぶこともあるが{{Sfn|藤田|2010|p=113}}<ref name="Henjol"/>、[[#Giribet 2016|ギリベ (2016)]]などでは採用されていない。逆に他の解析では担顎動物を除く吸啜動物と冠輪動物がクレードをなすことがあり、その場合、それらを合わせて {{sname||Platytrochozoa}} と呼ばれる<ref name="Struck"/>。 担顎動物(有顎動物<ref name="NEO">{{cite book|author=白山義久・久保田信・駒井智幸・西川輝昭・月井雄二・加藤哲哉・窪寺恒己・齋藤寛・長谷川和範・藤田敏彦・土田真二|title=水の生物|series=小学館の図鑑 NEO|date=2005-03-20|isbn=4092172079}}</ref>)は微小な体で、クチクラの中に[[オスミウム酸]]親和性のある物質が詰まった棒状構造からなる顎を持つという形質を共有する{{Sfn|藤田|2010|pp=130-131}}<ref name="NEO"/>。[[顎口動物]]は咽頭に複雑な顎を持つ動物で、体表面の単繊毛上皮によって移動する{{Sfn|藤田|2010|pp=127-128}}。[[微顎動物]]は複雑な顎を備え、体の腹面に繊毛を持つ<ref name="NEO"/><ref name="Kajihara"/>。[[輪形動物]]は[[単生殖巣類]]、[[ヒルガタワムシ類]]、[[ウミヒルガタワムシ類]]からなり、ウミヒルガタワムシ類と鉤頭動物が姉妹群をなす<ref name="Kajihara"/>。[[鉤頭動物]]は独立した門とされていたが、そのような系統関係から輪形動物に内包されるか、輪形動物とともに'''共皮類'''(多核皮動物{{Sfn|藤田|2010|pp=130-131}}) {{sname||Syndermata}} としてまとめられる<ref name="Kajihara"/>。微顎動物および鉤頭動物は体内受精ののちに螺旋卵割を行う{{Sfn|藤田|2010|pp=127-128}}{{Sfn|藤田|2010|pp=130-131}}。 吸啜動物に含まれる扁形動物と腹毛動物はともに[[メイオファウナ]]の重要な構成種で、2つの腺により吸着する ({{lang|en|duo-gland adhesive system}})形質がその共有派生形質ではないかと考えられている<ref>{{cite journal|first1=Maria |last1=Balsamo |first2=Tom |last2=Artois |first3=Julian P. S. |last3=Smith III |first4=M. Antonio |last4=Todaro |first5=Loretta |last5=Guidi |first7=Brian S. |last7=Leander |first8=Niels W. L. |last8=Van Steenkiste|title=The curious and neglected soft-bodied meiofauna: Rouphozoa (Gastrotricha and Platyhelminthes)|journal=Hydrobiologia|date=2020|volume=847|pages=2613-2644}}</ref>。 冠輪動物(担輪動物)のうち環形動物と軟体動物は[[トロコフォア]]型の[[幼生]]を持つという共有派生形質を持つ{{Sfn|藤田|2010|pp=135-136}}。[[紐形動物]]は翻出する吻を持ち、かつては無体腔と考えられたが、現在では吻が収納される吻腔が裂体腔であると考えられている{{Sfn|藤田|2010|pp=135-136}}。冠輪動物のうち、箒虫動物・苔虫動物(外肛動物)・腕足動物は何れも触手冠と呼ばれる構造を持つため'''触手冠動物''' {{sname||Lophophorata}}と呼ばれ、分子系統解析でも支持されることがある<ref name="Kakui"/><ref name="laumer"/><ref name="Lophophorata">[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.132</ref>。冠輪動物はもともと担輪動物と触手冠動物の2つの系統を合わせて呼ばれるようになった語である{{Sfn|藤田|2010|pp=122-132}}。分子系統解析の結果、苔虫動物は[[内肛動物]]と姉妹群をなす(広義の苔虫動物)とされ否定されたこともあったが<ref name="Kakui"/><ref name="Lophophorata"/>、[[#Laumer et al. 2019|ラーマーら (2019)]]などでは単系統性が示されている<ref name="laumer"/>。また、[[有輪動物]]は[[内肛動物]]と姉妹群をなすことが示唆されている<ref name="laumer"/><ref name="mallatt"/>。 ==== 軟体動物 ==== {{see also|軟体動物}} [[File:Haliotis_asinina_trochophore.jpg|thumb|250px|受精から9時間の海洋性の[[腹足類]] {{snamei||Haliotis asinina}} のトロコフォア]] 冠輪動物に属する軟体動物門は節足動物門に次いで既知種の大きい門で、骨格を持たず、体節がない軟体からなる{{Sfn|藤田|2010|pp=136-137}}。体腔は真体腔であるが退化的で、体内の腔所は組織の間隙を血液が流れるだけの血体腔である{{Sfn|藤田|2010|pp=136-137}}。一般的には体は頭部、内臓塊、足からなり、[[外套膜]]が内臓塊を覆っている{{Sfn|藤田|2010|pp=136-137}}。外套膜が分泌した石灰質の貝殻を持つ事が多い{{Sfn|藤田|2010|pp=136-137}}。卵割は普通[[全割]]の螺旋卵割であるが、頭足類では胚盤をもつ[[盤割]]となる{{Sfn|藤田|2010|pp=136-137}}。 軟体動物の分類は系統解析により一部修正が施され2018年現在は体全体を覆う大きな殻がある有殻類と石灰質の棘を持つ有棘類に大きく分かれるという仮説が有力視されている<ref name=":5">{{cite|author=佐々木猛智|chapter=軟体動物 {{small|―900 kgのイカ,0.01 g の巻貝}}|date=2018|pages=68-69}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。 軟体動物の綱は以下のように分類される<ref name=":5"/>: {{clade |label1=軟体動物|1= {{clade |label1=[[有殻類]] |sublabel1={{sname|Conchifera}} |1=[[腹足綱]]、[[単板綱]]、[[頭足類]]、[[掘足綱]]、[[二枚貝|二枚貝綱]] |label2=[[有棘類]] |sublabel2={{sname|Aculifera}} |2=[[尾腔綱]]、[[溝腹綱]]、[[多板綱]] }} }} 有殻類は綱レベルの単系統性は多くの場合保証されているが、各綱の系統関係は2018年現在一致を見ていない<ref name=":5" />。 ==== 環形動物 ==== {{see also|環形動物}} 環形動物は[[環帯類]]([[ミミズ|貧毛綱(=ミミズ)]]と[[ヒル (動物)|ヒル綱]])、[[多毛類|多毛類(=ゴカイ)]]、[[スイクチムシ類]]を含む門である。かつては独立した門だと思われていた'''有鬚動物'''(ゆうしゅどうぶつ、現[[シボグリヌム科]])、'''[[ユムシ動物]]'''、'''[[星口動物]]'''を含むことが分子系統解析から分かり、多毛類がそれらの分類群をすべて内包し、多系統である事もわかった<ref name="Kakui"/><ref name="annelids"/>。 Rouse and Fauchald (1997)による形態に基づく従来の系統関係は次の通りである<ref name="annelids">{{cite journal|first1=Anne |last1=Weigert|first2=Christoph |last2=Bleidorn|title=Current status of annelid phylogeny|journal=Org Divers Evol|date=2016|volume=16|pages=345-362|doi=10.1007/s13127-016-0265-7}}</ref>{{refn|group="注釈"|和名は『岩波生物学辞典 第5版』(2013)に基づく{{Sfn|巌佐ほか|2013|pp=1584-1586}}。}}: {{clade |1='''[[星口動物]] {{sname||Sipuncula}}''' |2={{clade |1='''[[ユムシ動物]] {{sname||Echiura}}''' |2={{clade |1={{clade |1=[[有爪動物]] {{sname||Onychophora}} |2=[[節足動物]] {{sname||Euarthropoda}} }} |label2=狭義の'''環形動物''' |sublabel2= '''{{sname||Annelida}}''' |2={{clade |1= '''[[環帯類]] {{sname||Clitellata}}''' |label2=[[多毛類]] |sublabel2={{sname||Polychaeta}} |2={{clade |1= [[頭節綱]] {{sname||Scolecida}}:[[ヒトエラゴカイ目]] {{sname||Cossurida}}・[[ホコサキゴカイ目]] {{sname||Orbiniida}}・[[オフェリアゴカイ目]] {{sname||Opheliida}}・[[イトゴカイ目]] {{sname||Capitellida}} |2={{clade |1= [[足刺綱]] {{sname||Aciculata}}:[[イソメ目]] {{sname||Eunicida}}・[[サシバゴカイ目]] {{sname||Phyllodcida}} |2= [[溝副触手綱]] {{sname||Canalipalpata}}:[[ケヤリ目]] {{sname||Sabellida}}('''[[シボグリヌム科]] {{sname||Siboglinidae}}'''を含む)・[[フサゴカイ目]] {{sname||Terebellida}}・[[スピオ目]] {{sname||Spionida}} }} }} }} }} }} }} 分子系統解析に基づく系統樹は次の通りである<ref name="annelids"/>{{refn|group="注釈"|多くが科名の列記になっているのはそれらをまとめた高次分類群は未だ命名されていないためである<ref name="annelids"/>。}}: {{clade |label1='''環形動物''' |sublabel1= '''{{sname||Annelida}}''' |1={{clade |1={{sname||Palaeoannelida}}:[[チマキゴカイ科]] {{sname||Oweniidae}}・[[モロテゴカイ科]] {{sname||Magelonidae}} |2={{clade |1=[[ツバサゴカイ科]] {{sname||Chaetopteridae}} |2={{clade |1={{clade |1='''[[星口動物]] {{sname||Sipuncula}}''' |2= [[ウミケムシ科]] {{sname||Amphinomidae}} }} |sublabel2={{sname||Pleistoannelida}} |2={{clade |label1=[[遊在類]] |sublabel1={{sname||Errantia}} |1= {{clade |1= '''[[スイクチムシ]]類 {{sname||Myzostomida}}''' |2= [[プロトドリロイデス科]] {{sname||Protodriloidae}}・[[プロトドリルス科]] {{sname||Protodrilidae}}・[[ムカシゴカイ科]] {{sname||Saccocirridae}}・[[イイジマムカシゴカイ科]] {{sname||Polygordiidae}} |3= [[足刺類]] {{sname||Aciculata}}(上図足刺綱に対応) }} |label2=[[定在類]] |sublabel2={{sname||Sedentaria}} |2={{clade |1={{clade |1= '''[[環帯類]] {{sname||Clitellata}}'''・[[フサゴカイ亜目]] {{sname||Terebelliformia}}・[[タマシキゴカイ科]] {{sname||Arenicolidae}}・[[タケフシゴカイ科]] {{sname||Maldanidae}} |2= '''[[ユムシ動物]] {{sname||Echiura}}'''・[[イトゴカイ科]] {{sname||Capitellidae}}・[[オフェリアゴカイ科]] {{sname||Opheliidae}} }} |2= [[スピオ科]] {{sname||Spionidae}}・[[カンムリゴカイ科]] {{sname||Sabellariidae}}・[[カンザシゴカイ科]] {{sname||Serpulidae}}・{{sname||Fabriciidae}}・[[ケヤリ科]] {{sname||Sabellidae}} |3= '''[[シボグリヌム科]] {{sname||Siboglinidae}}'''(有鬚動物)・[[ミズヒキゴカイ亜目]] {{sname||Cirratuliformia}} |4= [[ホコサキゴカイ科]] {{sname||Orbiniidae}}・[[パレルゴドリルス科]] {{sname||Parergodrilidae}}・[[ディウロドリルス科]] {{sname||Diurodrilidae}}・[[ウジムカシゴカイ科]] {{sname||Dinophilidae}}・[[ホラアナゴカイ科]] {{sname||Nerillidae}} }} }} }} }} }}}} === 二胚動物・直泳動物 === {{cladogram |title= |align= right |caption=二胚動物と直泳動物を吸啜動物の姉妹群とする分子系統樹の例<ref name="dicyemid-spiralia"/> |cladogram= {{clade| style=width:30em;font-size:100%;line-height:100% |1={{clade |label1=吸啜動物 |lsubabel1={{sname|Rouphozoa}} |1={{clade |1=腹毛動物 |2=扁形動物 }} |label2=「中生動物」 |sublabel2="{{sname||Mesozoa}}" |2={{clade |1=二胚動物 |2=直泳動物 }} }} }} }} 分子系統解析から、かつて[[中生動物]]とされていた[[二胚動物]]および[[直泳動物]]はともに螺旋動物に属することが支持されている。ただし、その中でも、二胚動物と直泳動物は姉妹群「中生動物」となり、さらにそれが吸啜動物と姉妹群をなすという結果もあれば<ref name="dicyemid-spiralia">{{cite journal|last1=Lu|first1=Tsai-Ming|last2=Kanda|first2=Miyuki|last3=Satoh|first3=Noriyuki|author-link3=佐藤矩行|last4=Furuya|first4=Hidetaka|author-link4=古屋秀隆|title=The phylogenetic position of dicyemid mesozoans offers insights into spiralian evolution|journal=Zoological Letters|date=2017|volume=3|issue=6||pages=1-9|doi=10.1186/s40851-017-0068-5}}</ref>、直泳動物は環形動物に内包され、環形動物の極端に退化した形と考えられることもあり<ref name="orthonectid">{{cite journal|last1=Schiffer|first1=Philipp H.|last2=Robertson|first2=Helen E.|last3=Telford|first3=Maximilian J.|date=2018|title=Orthonectids Are Highly Degenerate Annelid Worms|journal=Current Biology|volume=28|issue=12|pages=1970-1974|doi=10.1016/j.cub.2018.04.088}}</ref>、まだ決着はついていない。 === 後口動物 === {{see also|後口動物}} [[ファイル:Protovsdeuterostomes.svg|right|thumb|前口動物(上図、{{lang|en|Protostomes}})と後口動物(下図、{{lang|en|Deuterostomes}})の発生。<br />8細胞期 ({{lang|en|Eight-cell stage}})では前者は螺旋卵割 ({{lang|en|spiral cleavage}})、後者は放射卵割 ({{lang|en|radial cleavage}})を行う。原腸陥入 ({{lang|en|gastrulation}})においても体腔 ({{lang|en|Coelum}})のできる位置が異なることが多く、前者では基本的に裂体腔で後者では基本的に腸体腔である<ref group="注釈">例外も多く、例えば尾索動物では後口動物ながら真体腔は裂体腔的に生じる。</ref>。また、名の由来の通り前者では原口 ({{lang|en|Blastopore}})が口 ({{lang|en|Mouth}})となるのに対し、後者では原口が肛門 ({{lang|en|Anus}})となる。]] [[File:Britannica Echinoderma 6.jpg|thumb|300px|ディプリュールラ幼生。[[トロコフォア幼生]]と対置される。]] 後口動物(新口動物)は[[棘皮動物|棘皮動物門]]、[[半索動物|半索動物門]]、[[脊索動物]]を含み、新口動物とも呼ばれる{{Sfn|藤田|2010|p=113}}{{Sfn|藤田|2010|pp=104-105}}。[[エルンスト・ヘッケル|ヘッケル]]は新口動物の共通祖先から脊索動物が進化した過程を論じた際、棘皮動物の幼生<ref group="注釈">[[ドリオラリア幼生]]([[ウミユリ]]、ナマコ)、[[オーリクラリア幼生]]([[ナマコ]])、[[ビピンナリア幼生]]([[ヒトデ]])、[[オフィオプルテウス幼生]]([[クモヒトデ]])、[[プルテウス幼生]](エキノプルテウス、[[ウニ]])などがあり、ドリオラリア型やオーリクラリア型のものが原始的であると考えられている</ref> と半索動物の[[トルナリア幼生]]が共有する形質を合わせて、それらの祖先型として、'''ディプリュールラ幼生''' ({{lang|la|Dipleurula}})という仮想的な幼生を考えた<ref name="dipleurula">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], pp.63-64</ref>。ディプリュールラ幼生はトロコフォア幼生と同様に口から肛門に至る消化管、頂器官に感覚器としての長い繊毛、口を中心とした繊毛帯(または繊毛環)、体後端部の端部繊毛帯を持つが、ディプリュールラ幼生では3部性の体腔(原体腔・中脳腔・後脳腔)を持つことおよび繊毛帯の走り方が異なる<ref name="dipleurula"/><ref>[[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]], p.23</ref><ref name="shirayama-1-3-2-8">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統{{small|(1-3-2 動物界の門レベルの多様性)}}|date=2000|pages=21-23}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。 2018年現在、棘皮動物と半索動物が姉妹群をなすという説が大勢を締めており<ref name="Kakui"/>{{Sfn|藤田|2010|p=169}}、これら2つをあわせて水腔動物 {{sname||Coelomopora}}という<ref name="Kakui"/>。 後口動物は胚発生において陥入によってできた[[原口 (生物学)|原口]]が口になる[[前口動物]]に対し、原口が口にならず新たに口が開く動物であり、かつては現在後口動物とされる棘皮動物、半索動物、脊索動物だけでなく、[[触手冠動物]]としてまとめられる[[箒虫動物]]、[[苔虫動物]](外肛動物)、[[腕足動物]]、そして[[毛顎動物]]を含んでいた{{Sfn|藤田|2010|pp=104-105}}<ref name="shirayama-1-3-1">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統(1-3-1 漸進的進化思想と分子系統樹)|date=2000|pages=3-14}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。これはブルスカとブルスカ (1990)、メルグリッチとシュラム (1991)などによる形態形質に基づく系統解析でも、原口に由来しない口を持つだけでなく、原腸由来の中胚葉を持つことや腸体腔を持つことなどの形質からも支持されていた<ref name="shirayama-1-3-1"/>。ほかにも、放射卵割を行うなど<ref name="spiral"/>、後口動物としての性質を多く持っている。しかし分子系統解析の進展により、触手冠動物および毛顎動物は前口動物に属すると考えられるようになった<ref name="spiral"/><ref name="shirayama-1-5-4">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統{{small|(1-5-4 分子系統学)}}|date=2000|pages=34-45}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref><ref>[[動物#CITEREF藤田2010|藤田 2010]] p.108</ref>。この変更以降も「後口動物」という系統群名を用いるが<ref>{{cite journal|last1=Edgecombe|first1=Gregory D.|last2=Giribet|first2=Gonzalo|last3=Dunn|first3=Casey W.|last4=Hejnol|first4=Andreas|last5=Kristensen|first5=Reinhardt M.|last6=Neves|first6=Ricardo C.|last7=Rouse|first7=Greg W.|last8=Worsaae|first8=Katrine|last9=Sørensen|first9=Martin V.|date=June 2011|title=Higher-level metazoan relationships: recent progress and remaining questions|journal=Organisms, Diversity & Evolution|volume=11|issue=2|pages=151–172|doi=10.1007/s13127-011-0044-4}}</ref><ref name="Fröbius">{{Cite journal|last=Fröbius|first=Andreas C.|last2=Funch|first2=Peter|date=2017-04-04|title=Rotiferan Hox genes give new insights into the evolution of metazoan bodyplans|url=http://www.nature.com/articles/s41467-017-00020-w|journal=Nature Communications|volume=8|issue=1|bibcode=2017NatCo...8....9F|doi=10.1038/s41467-017-00020-w}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Smith|first=Martin R.|last2=Ortega-Hernández|first2=Javier|year=2014|title=Hallucigenia’s onychophoran-like claws and the case for Tactopoda|url=https://doi.org/10.1038/nature13576|journal=Nature|volume=514|issue=7522|pages=363–366|bibcode=2014Natur.514..363S|doi=10.1038/nature13576}}</ref><ref name="Palaeos Metazoa: Ecdysozoa">{{Cite web|url=http://palaeos.com/metazoa/ecdysozoa/ecdysozoa.html|title=Palaeos Metazoa: Ecdysozoa|access-date=2017-09-02|website=palaeos.com}}</ref><ref name="Palaeos Metazoa: Ecdysozoa" /><ref>{{Cite journal|last=Yamasaki|first=Hiroshi|last2=Fujimoto|first2=Shinta|last3=Miyazaki|first3=Katsumi|date=June 2015|title=Phylogenetic position of Loricifera inferred from nearly complete 18S and 28S rRNA gene sequences|url=https://doi.org/10.1186/s40851-015-0017-0|journal=Zoological Letters|volume=1|pages=18|doi=10.1186/s40851-015-0017-0}}</ref><ref>{{cite book|last=Nielsen|first=C.|title=Animal Evolution: Interrelationships of the Living Phyla|edition=2nd|year=2002|publisher=Oxford University Press|isbn=0-19-850682-1}}</ref><ref>{{cite web|url=http://tolweb.org/Bilateria/2459|title=Bilateria|accessdate=August 11, 2014|date=2001|website=Tree of Life Web Project}}</ref> 、毛顎動物や腕足動物のような原口が口にならない動物も前口動物に含まれ<ref name="spiral"/>、単純に原口の有無が系統を反映しているわけではない。 ====水腔動物==== '''[[水腔動物]]''' {{sname||Coelomopora}}( '''歩帯動物''' {{sname||Ambulacraria}})は幼生の形態、三体腔性、軸器官などの形質を共有する{{Sfn|藤田|2010|p=169}}<ref name="Kakui"/>。 [[棘皮動物]]は、成体が五放射相称、三胚葉性で、内胚葉由来の中胚葉(内中胚葉)を持つ{{Sfn|藤田|2010|pp=169-173}}。腸体腔性の体腔で、体腔に由来する[[水管系]]と呼ばれる独自の構造をもつ{{Sfn|藤田|2010|pp=169-173}}<ref name="Echino">{{cite|author=藤田敏彦|chapter=棘皮動物 {{small|―星形の体をもつ海のスター}}|date=2018|pages=88-89}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。神経系は中枢神経を持たず、神経環と放射神経からなるが、ウミユリ綱では神経節を持つ{{Sfn|藤田|2010|pp=169-173}}。[[ウミユリ綱]]、[[ヒトデ綱]]、[[クモヒトデ綱]]、[[ナマコ綱]]、[[ウニ綱]]からなり、分子系統解析によりこれらのうちウミユリ綱が最も祖先的だと考えられている{{Sfn|藤田|2010|pp=169-173}}<ref name="Echino"/>。ウニ綱のうち[[タコノマクラ]]類やブンブク類では五放射相称が歪み左右相称性を示す<ref name="Echino"/>。 現生の[[半索動物]]はギボシムシ綱(腸鰓綱)とフサカツギ綱(翼鰓綱)からなり、化石では[[フデイシ綱]]が置かれる{{Sfn|藤田|2010|p=-173}}<ref name="Nishikawa">{{cite|author=西川輝昭|chapter=頭索動物・尾索動物・半索動物 {{small|―脊椎動物のルーツを探る}}|date=2018|pages=90-91}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。どちらも体は前体・中体・後体の3つの部分に分かれるという共通した形質を持ち、前者では吻・襟・体幹と呼ばれ、後者では頭盤・頸・体幹と呼ばれる{{Sfn|藤田|2010|p=-173}}。ギボシムシ綱では腸体腔と裂体腔をもつとされるが、体腔形成には不明な点も多い{{Sfn|藤田|2010|p=-173}}。ギボシムシ綱は側系統で、ギボシムシ綱のハリマニア科がフサカツギ綱と姉妹群をなし、フサカツギ綱はギボシムシ綱から小型化によって体が二次的に単純化したと考えられる{{Sfn|藤田|2010|p=-173}}。半索動物は脊索動物と同様に鰓裂を持つ<ref name="Nishikawa"/><ref name="Sato117">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], pp.117</ref>。かつては口盲管という器官が脊索の一種と考えられたこともあったが{{Sfn|藤田|2010|p=-173}}、口盲管と脊索との関係を支持する発生遺伝学的研究結果はなく<ref name="Sato117"/>、現在では脊索を持たないとされる<ref name="Nishikawa"/>。 ====脊索動物==== {{see also|脊索動物}} [[脊索動物]] {{sname||Chordata}} は[[頭索動物]]・[[尾索動物]](被嚢動物)・[[脊椎動物]]を含むクレードで、一生のうち少なくとも一時期に[[鰓裂]]・[[脊索]]およびその背側に背側[[神経管]]を持つという形質を共有する<ref name="Nishikawa"/>{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}。脊索は膨らませた細長い風船に喩えられる中軸器官で、脊索鞘という繊維質の頑強な膜に脊索細胞が包まれている<ref name="Nishikawa"/>。頭索動物および尾索動物がもつ[[内柱]]は脊椎動物における[[甲状腺]]と相同で、甲状腺は内柱の変化したものと考えられている{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}。発生はさまざまであるが発生の一時期には肛門の後方に筋肉により運動する尾状部分があり、オタマジャクシ型幼生({{lang|en|tadpole larva}})を経る{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}。 脊索動物は脊索と背側神経管という共通する二つの特徴をもつことから1つの門に置かれ、その中の3群は亜門に置かれてきたが、[[佐藤矩行]]・[[西川輝昭]] (2014)により、分子系統学的解析および3群がそれぞれ特徴的な形質を持つことに基づいて脊索動物をより高次の上門に置き、3群を門に格上げする考えが提唱された<ref name="Nishikawa"/><ref>{{Cite press release |和書|title=|publisher=[[沖縄科学技術大学院大学]]・[[東邦大学]]|date=2014-09-17|url=https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/16643|accessdate=2021-08-08}}</ref><ref>{{cite journal|last1=Satoh|first1=Noriyuki|first2=Daniel|last2=Rokhsar|first3=Teruaki|last3=Nishikawa|title=Chordate evolution and the three-phylum system|journal=Proceedings of Royal Society B|date=2014|volume=281|issue= 1794|pages=1-10|doi=10.1098/rspb.2014.1729}}</ref>。 以下の3つに分類される<ref name="Kakui"/>{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}<ref name="Nishikawa"/>: {{clade|{{clade |1=[[頭索動物]]:一生、全体長に渡って脊索を持つ。ナメクジウオの仲間 |label2=[[オルファクトレス]] |sublabel2={{sname||Olfactores}}|2={{clade |1=尾索動物:一生(オタマボヤ綱)ないし一時期に尾部に脊索を持つ。[[ホヤ綱]]{{refn|group="注釈"|ただしホヤ綱は残りの両者を内部の別のクレードに含む側系統群<ref name="Nishikawa"/>。}}、[[オタマボヤ綱]]、[[タリア綱]]([[ヒカリボヤ]]、[[ウミタル]]、[[サルパ]]など)からなる。 |2=[[脊椎動物]]:脊索の周囲に脊椎が形成される。[[無顎類]]{{small|([[ヌタウナギ類]]・[[ヤツメウナギ類]])}}、[[軟骨魚類]]、[[硬骨魚類]]([[条鰭類]]・[[肉鰭類]]{{small|([[シーラカンス目]]・[[ハイギョ目]]・[[四肢動物]])}})からなる。 }} }}|label1=[[脊索動物]]}} 尾索動物と頭索動物はかつてまとめて[[原索動物]]と呼ばれていた<ref name="shirayama-1-5-4"/>。ホヤ類と頭索動物はともに囲鰓腔を持ち濾過摂食を行うが、後者は肛門が独立して体外に開くことと雌雄異体であることで異なる<ref name="Nishikawa"/>。 脊椎動物から[[四肢動物]]を除いたグループは伝統的に[[魚類]]と呼ばれ、[[分岐分類学]]的には四肢動物は硬骨魚類に含まれるため、[[側系統群]]となる{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}<ref name="Kai">{{cite|author=甲斐嘉晃|chapter=脊椎動物(魚類) {{small|―水中で多様に進化した分類群}}|date=2018|pages=92-95}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。同様に四肢動物は[[両生類]]、[[爬虫類]]、[[鳥類]]、[[哺乳類]]からなるが{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}<ref name="Kai"/>、このうち爬虫類は[[羊膜類]]から鳥類と哺乳類を除いた側系統群である{{Sfn|藤田|2010|pp=174-180}}<ref>{{cite|author=栗田和紀|chapter=脊椎動物(爬虫類) {{small|―陸に卵を産み始めた脊椎動物}}|date=2018|pages=98-99}} in [[動物#日本動物学会 2018|日本動物学会 2018]]</ref>。 == 分類の歴史 == === アリストテレスの分類 === 伝統的に諸民族で、生物は植物と動物に大別されてきた{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}。古代ギリシアの[[アリストテレス]]は『[[動物誌 (アリストテレス)|動物誌]] {{lang|grc|Περὶ Τὰ Ζῷα Ἱστορίαι}}』などの著作において動物と植物の中間的存在を認めつつこの区分を採用し、感覚と運動の能力は動物にだけ見られるとし、霊魂の質的差異によって理論的に説明しようとした{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}<ref name="sato-aristotle">[[#佐藤ほか 2004|佐藤ほか 2004]], p.196</ref>。さらに動物を赤い血を持つ'''有血動物'''({{lang|grc|ἐναίμος}}、現代の「脊椎動物」に相当)とそうでない'''無血動物'''({{lang|grc|ἀναίμος}}、現代の「[[無脊椎動物]]」に相当)に二分し、発生様式と足の数を主要な基準として体系的に細分した{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}<ref name="suzuki-aristotle">{{Cite journal|和書|author=鈴木大地 |url=https://hdl.handle.net/2241/120807 |title=アリストテレス『動物発生論』の現代生物学・科学哲学的検討Ⅰ : 第1巻第1章~第16章 |journal=古典古代学 |ISSN=1883-7352 |publisher=筑波大学大学院人文社会科学研究科古典古代学研究室 |year=2013 |issue=6 |pages=1-23 |naid=120005373271 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。アリストテレスは[[リンネ式階層分類]]とは異なり、全ての上位分類に「類 {{lang|grc|γένος}}」を用い<ref name="suzuki-aristotle"/>、有血動物を人類・[[胎生]]四足類・[[卵生]]四足類・[[鳥類]]・[[魚類]]に、無血動物を軟体類({{lang|grc|μαλάκια}}、現在の[[頭足類]])・軟殻類(軟甲類、{{lang|grc|μαλακόστρακα}}、現在の[[軟甲類]] {{sname||Malacostraca}}に相当)・有節類({{lang|grc|ἔντομα}}、現在の[[節足動物]]から[[甲殻類]]を除いた概念)・殻皮類({{lang|grc|ὀστρακόδερμα}}、現代の[[貝類]]に加え、[[ウニ]]類、[[ホヤ]]類を含む)に分けた<ref name="sato-aristotle"/><ref name="suzuki-aristotle"/>。 === リンネの分類 === 動物界には、上記のような動物[[門 (分類学)|門]]が置かれるが、これは[[カール・フォン・リンネ]]の『自然の体系 第10版』(1758)において、属より高次の階級として置いた「[[綱 (分類学)|綱]]」に由来するとされる<ref name="Kakui"/>。リンネは『自然の体系 初版』(1735)で動物を四足綱 {{sname||Quadrupedia}}、鳥綱 {{sname||Aves}}、両生綱 {{sname||Amphibia}}、魚綱 {{sname||Pisces}}、昆虫綱 {{sname||Insecta}}、蠕虫綱 {{sname||Vermes}}に分けた<ref name="systema">[[#松浦 2009|松浦 2009]], pp.17-18</ref>。第10版では、初版の魚綱に含まれていた[[クジラ]]を四足綱に加え、哺乳綱 {{sname||Mammalia}}としただけでなく、[[ヤツメウナギ]]や[[サメ]]などが両生綱に含められた<ref name="systema"/>。 {| class="wikitable" !『自然の体系 初版』(1735)<ref name="systema"/> !! 『自然の体系 第10版』(1758)<ref name="systema"/> |- | * [[四足綱]] {{sname||Quadrupedia}} ** ヒト形目 {{sname||Anthropomorpha}} ** 猛獣目 {{sname||Ferae}} ** ヤマネ目 {{sname||Glires}} ** 大獣目 {{sname||Jumenta}} ** 畜獣目 {{sname||Pecora}} | * [[哺乳綱]] {{sname||Mammalia}} ** 霊長目 {{sname||Primate}} ** 鈍獣目 {{sname||Bruta}} ** 猛獣目 {{sname||Ferae}} ** 吻獣目 {{sname||Bestiae}} ** ヤマネ目 {{sname||Glires}} ** 畜獣目 {{sname||Pecora}} ** 蹄獣目 {{sname||Belluae}} ** 鯨目 {{sname||Cete}} |- | * [[鳥綱]] {{sname||Aves}} ** ワシタカ目 {{sname||Accipetres}} ** キツツキ目 {{sname||Picae}} ** 大嘴目 {{sname||Macrorhynchae}} ** ガンカモ目 {{sname||Anseres}} ** シギ目 {{sname||Scolopages}} ** キジ目 {{sname||Gallinae}} ** スズメ目 {{sname||Passers}} | * 鳥綱 {{sname||Aves}} ** ワシタカ目 {{sname||Accipetres}} ** キツツキ目 {{sname||Picae}} ** ガンカモ目 {{sname||Anseres}} ** コウノトリ目 {{sname||Grallae}} ** キジ目 {{sname||Gallinae}} ** スズメ目 {{sname||Passers}} |- | * [[両生綱]] {{sname||Amphibia}} ** [[ヘビ目]] {{sname||Serpentia}} | * 両生綱 {{sname||Amphibia}} ** 爬虫目 {{sname||Reptiles}} ** ヘビ目 {{sname||Serpentes}} ** 遊泳目 {{sname||Nantes}} |- | * [[魚綱]] {{sname||Pisces}} ** 平尾目 {{sname||Plagiuri}} ** 軟骨鰭目 {{sname||Chondropterygii}} ** 鰓条目 {{sname||Branchiostegi}} ** 棘鰭目 {{sname||Achanthopterygii}} ** 軟鰭目 {{sname||Malacopterygii}} | * 魚綱 {{sname||Pisces}} ** 無足目 {{sname||Apodes}} ** 喉位目 {{sname||Jugulares}} ** 胸位目 {{sname||Thoracici}} ** 腹位目 {{sname||Abdominales}} ** 鰓条目 {{sname||Branchiostegi}} |- | * [[昆虫綱]] {{sname||Insecta}} ** 顕翅目 {{sname||Angioptera}} ** [[半翅目]] {{sname||Hemiptera}} ** [[無翅目]] {{sname||Aptera}} | * 昆虫綱 {{sname||Insecta}} ** [[鞘翅目]] {{Sname||Coleoptera}} ** 半翅目 {{sname||Hemiptera}} ** [[鱗翅目]] {{Sname||Lepidoptera}} ** [[脈翅目]] {{Sname||Neuroptera}} ** [[膜翅目]] {{sname||Hymenoptera}} ** [[双翅目]] {{Sname||Diptera}} ** 無翅目 {{sname||Aptera}} |- | * 蠕虫綱 {{sname||Vermes}} ** 爬行目 {{sname||Reptilia}} ** 有殻目 {{sname||Testacea}} ** 植虫目 {{Sname||Zoophyta}} | * 蠕虫綱 {{sname||Vermes}} ** 腸虫目 {{sname||Intestina}} ** 軟体目 {{sname||Mollusca}} ** 有殻目 {{sname||Testacea}} ** 植石目 {{Sname||Lithophyta}} ** 植虫目 {{Sname||Zoophyta}} |} === リンネ以降 === このリンネが動物を分けた綱は[[ジョルジュ・キュヴィエ]] (1812)により "{{lang|fr|embranchement}}" (以下門と訳す)とされ、階級としての綱はその下位の[[階級 (生物学)|階級]]名として残された<ref name="Kakui"/>。キュヴィエの分類体系では動物を大きく[[脊椎動物]]門・[[軟体動物]]門・[[体節動物]]門・[[放射動物]]門の4群に分けた<ref>[[#松浦 2009|松浦 2009]], pp.20-21</ref>。この階級を「門 {{lang|la|Phylum}}」としたのは[[エルンスト・ヘッケル]] (1866)で、脊椎動物門・体節動物門・軟体動物門・棘皮動物門・[[腔腸動物]]門の5門を認めた<ref name="Kakui"/>。 === かつて存在した動物門 === [[File:Myxobolus spinacurvatura.jpg|thumb|200px|粘液胞子虫の一種 {{Snamei||Myxobolus spinacurvatura}}(ミクソゾア動物)]] [[File:Corynosoma cetaceum.jpg|thumb|200px|[[古鉤頭虫綱]]の一種 {{snamei||Corynosoma cetaceum}}(鉤頭動物)]] [[File:Colony of Lamellibrachia satsuma.png|thumb|300px|[[サツマハオリムシ]] {{snamei||Lamellibrachia satsuma}}(有鬚動物;ハオリムシ動門)]] [[File:Linguatula.jpg|thumb|200px|[[イヌシタムシ]] {{snamei||Linguatula serrata}}(舌形動物)]] 研究の進行、特に分子系統解析の台頭により解体または他の動物門の下位に吸収された動物門も多く存在する。詳細は各項を参照。 ; [[腔腸動物]]門 {{sname||Coelenterata}} {{AUY|Hatschek|1888}} : 現在は[[刺胞動物]]門および[[有櫛動物]]門に分割されている。かつては胃水管系を[[腔腸]] ({{lang|en|coelenteron}})と呼び、腔腸動物としてまとめられていた<ref name="kubota">{{cite |author=久保田信|title=有櫛動物と刺胞動物の関係|pages=116-117|date=2000}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。また[[放射相称動物]] {{sname||Radiata}} と呼ばれることもあった<ref name="sato-11"/>。有櫛動物は、細胞器官である刺胞の代わりに1個の細胞が変形してできた膠胞を持つことや、上皮細胞の各細胞が2本以上の繊毛を備える多繊毛性であること、中胚葉性の真の筋肉細胞を持つこと、卵割は決定性卵割であること、複数の感覚器が放射相称的に配置される刺胞動物とは異なり1個のみを反口側に持つことなど、刺胞動物と大きく異なっており、しかも分子系統解析により腔腸動物が単系統とならないことがわかったので両者は別の門として分けられている<ref name="藤田 2010, p.119">[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.119</ref><ref name="kubota"/>。 ; [[ミクソゾア]]門 {{sname||Myxozoa}} {{AUY|Grassé|1970}} : 原生動物の一群として扱われることもあったが、極糸が入った極嚢という構造が刺胞に似ており、分子系統解析の結果、現在では刺胞動物に含められる<ref name="nonbilateria"/><ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], pp.119-120</ref><ref name="Ueshima">{{cite |author=上島励|title=ミクソゾアの系統学的位置|page=93|date=2000}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。後生動物特有の細胞間接着構造や動物のみに存在する''Hox'' 型[[ホメオティック遺伝子]]を持ち、寄生性の獲得により二次的に退化した体制となったと考えられている<ref name="Ueshima"/>。 ; [[中生動物]]門 {{sname||Mesozoa}} {{AUY|van Beneden|1876}} : 現在は[[二胚動物]]門および[[直泳動物]]門に分割されている。[[:en:Edouard Van Beneden|Édouard van Beneden]] ([[1876年|1876]])により[[原生動物]]と[[後生動物]]の中間に位置をする動物群として、ニハイチュウ(二胚動物)のみを含む群として設立され、のちにvan Beneden (1882)にチョクエイチュウ(直泳動物)がこれに含められた<ref name="furuya">{{cite journal|author=古屋秀隆|title=中生動物研究の現状|date=2004|publisher=[[日本動物分類学会]]|journal=タクサ|number=16|pages=1-9}}</ref>。その後様々な生物が含められたがその正体が[[渦鞭毛藻]]や[[ミクソゾア]]であることがわかり、除かれた<ref name="furuya"/>。Kozloff (1990)は、あるステージのニハイチュウ類はチョクエイチュウ類のそれに表面的には似ているが、それ以外の点においては明確に異なっているとして、これらを独立の門に置いた<ref>[[#Kozloff 1990|Kozloff 1990]], pp.212-216</ref>。 ; [[一胚葉動物]]門 {{sname||Monoblastozoa}} {{AUY|R. Blackwelder|1963}} : 1982年にアルゼンチンの岩塩から発見された1層の体皮細胞からなる生物であるが、存在が疑問視されている<ref>[[#藤田 2010|藤田 2010]], p.125</ref>。 ; [[袋形動物]]門 {{sname||Aschelminthes}} ''{{lang|la|taxon [[:wikt:en:inquirendum|inquirendum]]}}'' : 偽体腔をもつ動物をまとめた「ごみ箱分類群 wastebasket taxon」で、現在は[[輪形動物]]・[[鉤頭動物]]・[[腹毛動物]]・[[線形動物]]・[[類線形動物]]・[[動吻動物]]・[[胴甲動物]]・[[鰓曳動物]]・[[内肛動物]]に分割されている<ref name="coelom"/>。鉤頭動物・線形動物・類線形動物は[[円形動物]]としてまとめられたこともあった。 ; [[前肛動物]]門 {{sname||Prosopygii}} {{AUY|Lang|1888}} : [[箒虫動物]]、[[苔虫動物]]、[[腕足動物]]、ほかにも[[星口動物]]および[[フサカツギ類]]などはかつてまとめて前肛動物と呼ばれ1門に置かれていた<ref>{{cite|author=久米又三・織田秀実|date=1957|title=外肛動物|pages=171-198}} in [[#久米・團 1957|久米・團 1957]]</ref><ref>{{Cite journal|和書 |author=馬渡静夫 |title=触手動物の系統 |journal=哺乳類科学 |ISSN=0385-437X |publisher=日本哺乳類学会 |year=1970 |volume=10 |issue=2 |pages=61-68 |naid=130000884220 |doi=10.11238/mammalianscience.10.2_61 |url=https://doi.org/10.11238/mammalianscience.10.2_61 |accessdate=2021-10-01}}</ref>。箒虫動物・苔虫動物・腕足動物の3分類群は現在でも触手冠動物として門より高次の分類群をなすことがある<ref name="Kakui"/>。 ; [[鉤頭動物]]門 {{sname||Acanthocephala}} {{AUY|Kohlreuther|1771}} : 現在は輪形動物に内包され、かつての狭義の輪形動物は側系統となる<ref name="Kajihara"/>。狭義の輪形動物および鉤頭動物を門として残し、現在の広義の輪形動物を[[共皮類]](多核皮動物{{Sfn|藤田|2010|pp=130-131}}) {{sname||Syndermata}} とすることもある<ref name="Kajihara"/>。 ; [[有鬚動物]]門 {{sname||Pogonophora}} {{AUY|Johansson|1937}} : 現在は[[環形動物]]門に内包されている<ref name="new"/>。狭義の有鬚動物(ヒゲムシ)と下記のハオリムシは体後端の体節構造および成体での消化管の喪失などの共有派生形質をもち、まとめて有鬚動物とする考えが主流であった<ref name="new"/>。[[溝副触手綱]] {{sname||Canalipalpata}} [[ケヤリ目]] {{sname||Sabellida}}に含まれる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=1585}}1科、[[シボグリヌム科]] {{sname||Siboglinidae}}となっている。 ; [[ハオリムシ]]動物門 {{sname||Vestimentifera}} {{AUY|Webb|1969}} : 現在は[[環形動物]]門に内包されている<ref name="new"/>。もともと上記の有鬚動物に含められていたが、ジョーンズ (1985)は体腔の構造の違いを重視し、独立した門に置いた<ref name="new">{{cite |author=白山義久|chapter=総合的観点から見た無脊椎動物の多様性と系統|date=2000|pages=27-30}} in [[#岩槻・馬渡 2000|岩槻・馬渡 2000]]</ref>。しかし、当時よりSouthward (1988)のように反対意見も多く、上記のような共有派生形質を持つことから以降も有鬚動物とされることが多かった<ref name="new"/>。現在は上記のシボグリヌム科に含められる。 ; [[星口動物]]門 {{sname||Sipuncula}} {{AUY|Rafinesque|1814}} : 現在は[[環形動物]]門に内包されている{{Sfn|藤田|2010|p=145}}。分子系統解析により[[フサゴカイ目]]と姉妹群をなすことが分かった{{Sfn|藤田|2010|p=145}}。 ; [[ユムシ動物]]門 {{sname||Echiura}} {{AUY|Newby|1940}} : 現在は[[環形動物]]門に内包されている{{Sfn|藤田|2010|p=145}}。分子系統解析により[[イトゴカイ目]]に内包されることが分かった{{Sfn|藤田|2010|p=145}}。 ; [[舌形動物]]門 {{sname||Pentastomida}} {{AUY|Diesing|1836}} : 現在は[[節足動物]]門に内包されている。魚類の外部[[寄生虫]]である[[鰓尾類]]と近縁であることがわかり{{Sfn|藤田|2010|p=163}}、21世紀以降は[[ウオヤドリエビ綱]]の中の1亜綱、[[舌虫亜綱]] {{sname||Pentastomida}} {{AUY|Diesing|1836}} とされる<ref name="arthropods"/>。 ; [[単肢動物]]門 {{sname||Uniramia}}<ref name="Barnes">{{Cite book|和書|author=R.S.K.バーンズ 他|translator=本川達雄 監訳|title=図説無脊椎動物学|date=2009-06-25|isbn=978-4-254-17132-7}}</ref> : 現在は[[節足動物]]門に内包されている。[[昆虫類]]および[[多足類]]を共通の性質を持つとして合わせ、[[鋏角類]]や[[甲殻類]]とともに独立した門とされることもあった<ref name="Barnes"/>。しかし21世紀以降、昆虫は甲殻類と単系統群の[[汎甲殻類]]をなすことが明らかになっており<ref name=":9" />、もはや用いられない。 === 新しい動物門 === 1960年以降に提唱され、現在も用いられている動物門を挙げる。詳細は各項を参照。 ; [[平板動物]]門 {{Sname|Placozoa}} {{AUY|Grell|1971}} : 1883年にオーストラリアの水族館で発見されたが、採集方法が確立し詳細な形態観察できるまで存在が認められなかった<ref name="new"/>。1971年に平板動物門が設立された{{Sfn|藤田|2010|p=122}}。 ; [[顎口動物]]門 {{Sname|Gnathostomulida}} {{AUY|Ax|1956}} : アックス (1956)によって発見され扁形動物の1目として記載されたが、リードゥル (1969)により独立の動物門に移された<ref name="Kajihara"/><ref name="new"/>。 ; [[胴甲動物]]門 {{Sname|Loricifera}} {{AUY|Kristensen|1983}} : クリステンセン (1983)により記載された<ref name="new"/>。 ; [[有輪動物]]門 {{Sname|Cycliophora}} {{AUY|Funch & Kristensen|1995}} : Funch & Kristensen (1995)により記載された<ref name="new"/>{{Sfn|藤田|2010|p=150}}。 ; [[微顎動物]]門 {{Sname|Micrognathozoa}} {{AUY|Kristensen & Funch|2000}} : 2000年にグリーンランドの湧水から発見され、[[担顎動物]]門の一綱として記載された{{Sfn|藤田|2010|p=130}}。 ; [[珍無腸動物]]門 {{Sname|Xenacoelomorpha}} {{AUY|Philippe ''et al.''|2011}} : 無腸類と皮中神経類を含む無腸動物とチンウズムシの仲間を合わせたクレードである<ref name="Xen"/>。 == 人間との関わりによる区分 == === 使役動物 === [[ウマ|馬]]など人間が使役に利用する動物を使役動物という<ref name="mat04">{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/arikata/h16_01/mat04.pdf |title=資料4 「動物の愛護管理の歴史的変遷」 |publisher=環境省 |accessdate=2019-12-26}}</ref>。西欧の動物保護法は使役動物の保護から出発した<ref name="mat04" />。 === 畜産動物 === 人間が畜産に利用する動物を畜産動物という。イギリスの[[動物福祉|動物の福祉]]の考え方はもともと畜産動物を対象として出発した<ref name="mat04" />。 === 愛玩動物 === [[愛玩動物]]とは、一般に家庭などで愛玩のために飼育されている動物で、特に愛玩飼育を目的として改良・繁殖が行われてきた動物をいう<ref name="Seisakujouhou-10900000">{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000155023.pdf |title=愛玩動物の衛生管理の徹底に関するガイドライン2006 |publisher=厚生労働省 |accessdate=2019-12-26}}</ref>。 === 展示動物 === 展示動物とは、動物園で展示されている動物のように展示を目的として飼育されている動物をいう<ref name="Seisakujouhou-10900000" />。 === 実験動物 === [[実験動物]]とは、[[ラット]]や[[サル]]など実験を目的として飼育されている動物をいう<ref name="Seisakujouhou-10900000" />。 == 後生動物以外の学術的な用法 == 記事冒頭の通り、動物界(後生動物)を「動物」として扱うことが一般的であるが{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=994}}、「動物」の語は学術的な場面でもほかの語義を持つことがある。 ; [[原生動物]]({{lang|en|protozoans}}) : 捕食や移動など、動物的な特徴を持った単細胞や群体性真核生物(非単系統群)に対する慣用名{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=424f}}。[[二界説]]の時代に動物界における原生動物門(または原生動物亜界 ){{sname||Protozoa}} とされ、[[鞭毛虫]]類、[[肉質虫]]類、[[胞子虫]]類、[[繊毛虫]]類に細分されていた{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=424f}}。 ; [[動物プランクトン]]({{lang|en|zooplankton}}) : [[プランクトン]]のうち、[[鞭毛]]などにより運動性と持つもので、[[原生動物]]、[[節足動物]]([[橈脚類]]・[[鰓脚類]])、[[輪形動物]]を主とする{{Sfn|水野|1977|p=266}}。 ; [[動物性機能]]({{lang|en|animal function}}) : 生体の持つ機能のうち、[[運動]]・[[感覚]]・[[神経]]相関の3つを指し、この働きに携わる器官を'''動物性器官'''({{lang|en|animal organ}})と呼ぶ{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995h}}。古くから人体[[生理学]]において、[[栄養]]・[[成長]]・[[生殖]]・[[呼吸]]・[[血液循環]]・[[排出]]などの[[植物性機能]]に対し、生体の対外的・能動的働きかけとしての[[行動]]系を実現することが多いため、「動物」の名を冠し呼ばれる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995h}}。植物でも動物性機能は多く見られるが、[[医学]]では現在でも用いられている{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995h}}。 ; [[動物極]]({{lang|en|animal pole}}) : 動物の卵細胞や初期胚において、[[極体]]の生じる極、または重力と平衡な環境において上方に位置する極を指す{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995a}}。これらは一致しないこともある{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995a}}。この極の付近から上記の動物性器官(神経系・感覚器官・運動器官)が生じると考えられたためこの名があるが、そうでない場合もある{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=995a}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 種名 === {{Reflist|group=種名|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == <!-- A --> * {{Cite journal |last=Adl |first=Sina M. |last2=Bass |first2=David |last3=Lane |first3=Christopher E. |last4=Lukeš |first4=Julius |last5=Schoch |first5=Conrad L. |last6=Smirnov |first6=Alexey |date=2019 |title=Revisions to the Classification, Nomenclature, and Diversity of Eukaryote |journal=Journal of Eukaryotic Microbiology |volume=66 |pages=4-119 |ref={{SfnRef|Adl ''et al.''|2019}} |DOI=10.1111/jeu.12691 |doi=10.1111/jeu.12691 |author7=Agatha, Sabine; Berney, Cedric ''et al.''}} <!-- C --> * {{Cite journal |last=Conway-Morris |first=S. |year=2003 |title=The Cambrian "explosion" of metazoans and molecular biology: would Darwin be satisfied? |url=http://www.ijdb.ehu.es/web/paper.php?doi=14756326 |journal=The International journal of developmental biology |volume=47 |issue=7–8 |pages=505–515 |ref={{SfnRef|Conway-Morris|2003}} |PMID=14756326 |pmid=14756326 |authorlink=:en:Simon Conway Morris}} <!-- G --> * {{Cite journal |last=Giribet |first=Gonzalo |date=2016 |title=Genomicas and the animal tree of life: conflicts and future prospects |journal=Zoologica Scripta |volume=45 |issue=s1 |pages=14-21 |ref=Giribet 2016 |DOI=10.1111/zsc.12215 |doi=10.1111/zsc.12215}} <!-- K --> * {{Cite book |ref=Kozloff 1990 |last=Kozloff |first=Eugene N. |author-link=:en:Eugene N. Kozloff |title=Invertebrates |date=1990 |publisher=Saunders College Publishing |isbn=0030462045}} <!-- L --> * {{Cite journal |last=Laumer |first=Christopher E. |first2=Rosa Fernández |last3=Lemer |first3=Sarah |last4=Combosch |first4=David |last5=Kocot |first5=Kevin M. |last6=Riesgo |first6=Ana |last7=Andrade |first7=Sónia C. S. |last8=Sterrer |first8=Wolfgang |date=2019 |title=Revisiting metazoan phylogeny with genomic sampling of all phyla |journal=Proc. R. Soc. B |volume=286 |pages=1-10 |ref=Laumer et al. 2019 |DOI=10.1098/rspb.2019.0831 |doi=10.1098/rspb.2019.0831 |coauthors=Sørensen,Martin V. and Giribet, Gonzalo}} <!-- R --> * {{Cite journal |last=dos Reis |first=Mario |last2=Thawornwattana |first2=Yuttapong |last3=Angelis |first3=Konstantinos |last4=Telford |first4=Maximilian J. |last5=Donoghue |first5=Philip C.J. |last6=Yang |first6=Ziheng |date=2015 |title=Uncertainty in the Timing of Origin of Animals and the Limits of Precision in Molecular Timescales |journal=Current Biology |volume=25 |pages=2939-2950 |ref={{SfnRef|dos Reis ''et al.''|2015}} |DOI=10.1016/j.cub.2015.09.066 |doi=10.1016/j.cub.2015.09.066}} <!-- あ --> * {{Cite book |和書 |ref=浅島・駒崎 2011 |author=浅島誠 |editor=太田次郎、赤坂甲治、浅島誠、長田敏行 |title=動物の発生と分化 |series=新・生命科学シリーズ |date=2011-09-21 |publisher=裳華房 |isbn=978-4785358495 |author2=駒崎伸二}} <!-- い --> * {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|巌佐ほか|2013}} |author=巌佐庸 |title=岩波生物学辞典 第5版 |date=2013-02-26 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=9784000803144 |author2=倉谷滋 |author3=斎藤成也 |author3-link=斎藤成也 |author4=塚谷裕一 |author4-link=塚谷裕一}} * {{Cite book |和書 |ref=岩槻・馬渡 2000 |author=岩槻邦男・馬渡峻輔監修 |editor=白山義久編集 |title=無脊椎動物の多様性と系統 |series=バイオディバーシティ・シリーズ |date=2000-11-30 |publisher=裳華房 |isbn=4785358289}} <!-- く --> * {{Cite book |和書 |ref=久米・團 1957 |author=久米又三 |author-link=久米又三 |title=無脊椎動物発生学 |date=1957-09-30 |publisher=培風館 |author2=團勝磨 |author2-link=團勝磨}} <!-- さ --> * {{Cite book |和書 |ref=佐藤ほか 2004 |author=佐藤矩行 |author-link=佐藤矩行 |title=発生と進化 |series=シリーズ 進化学 |date=2004-06-08 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=4000069241 |author2=野地澄晴 |author2-link=野地澄晴 |author3=倉谷滋 |author3-link=倉谷滋 |author4=長谷部光泰 |author4-link=長谷部光泰}} <!-- つ --> * {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|土屋|2013}} |author=土屋健 |author-link=土屋健 (サイエンスライター) |editor=群馬県立自然史博物館 |editor-link=群馬県立自然史博物館 |title=エディアカラ紀・カンブリア紀の生物 |series=生物ミステリーPRO |date=2013-12-15 |publisher=技術評論社 |isbn=978-4774160849}} <!-- と・ど --> * {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|動物命名法国際審議会|2005}} |author=動物命名法国際審議会 |editor=野田泰一・西川輝昭 |title=国際動物命名規約 第4版 日本語版 [追補] |url=http://ujssb.org/iczn/index.html |date=2005-10 |publisher=日本分類学会連合 |isbn=4-9980895-1-X |location=東京}} <!-- に --> * {{Cite book |和書 |ref=日本動物学会 2018 |author=公益社団法人 日本動物学会 |title=動物学の百科事典 |date=2018-09-28 |publisher=丸善出版 |isbn=978-4621303092}} <!-- ふ --> * {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|藤田|2010}} |author=藤田敏彦 |editor=太田次郎、赤坂甲治、浅島誠、長田敏行 |title=動物の系統分類と進化 |series=新・生命科学シリーズ |date=2010-04-28 |publisher=裳華房 |isbn=978-4785358426}} <!-- ま --> * {{Cite book |和書 |ref=松浦 2009 |author=松浦啓一 |title=動物分類学 |date=2009-04-06 |publisher=東京大学出版会 |isbn=978-4130622165}} * {{Cite book |和書 |ref=松本 2015 |author=松本忠夫 |editor=太田次郎、赤坂甲治、浅島誠、長田敏行 |title=動物の生態: 脊椎動物の進化生態を中心に |series=新・生命科学シリーズ |date=2015-02-21 |publisher=裳華房 |isbn=978-4785358624}} * {{Cite book |和書 |ref=馬渡 2013 |author=馬渡峻輔 |title=動物の多様性30講 |edition=初版 |series=図説生物学30講〔環境編〕 |date=2013-05-25 |publisher=朝倉書店 |isbn=978-4-254-17723-7 |volume=3}} <!-- み --> * {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|水野|1977}} |author=水野壽彦 |title=日本淡水プランクトン図鑑 |edition=改訂 |date=1977-11-01 |publisher=[[保育社]] |isbn=4586300388}} == 関連項目 == {{Commonscat|Animalia}} {{Wikispecies|Animalia|動物界}} * [[動物園]] * [[獣医師]] * 動物の行動 ** {{hlist|class=hlist-hyphen|[[本能]]|[[反射 (生物学)|反射]]|[[走性]]|[[学習]]([[刷り込み]])|[[条件反射]]|[[知能]]|{{ill2|採餌|en|Foraging}}}} * [[畜生]] - [[仏教]]において動物を意味する * {{ill2|動物輸送|en|Transportation of animals}} - 人間による移送。害獣・保護動物の遠隔地での放獣、ペットや家畜の移動など。 * {{ill2|外見に非対称性を持つ生物|en|List of animals featuring external asymmetry}} ‐ 片方の爪が大型の[[シオマネキ]]、くちばしが曲がった[[ハシマガリチドリ]]など。左右対称の動物は、[[左右相称動物]]と呼ばれる分類となる。 == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{自然}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とうふつ}} [[Category:動物|*]] [[Category:生物]] [[Category:オピストコンタ]] [[Category:後生動物|*]]
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微化石
微化石(びかせき)とは、主に顕微鏡でしか同定できない、大きさが数mm以下の特に小さい化石のことである。大型化石(普通の肉眼サイズでそれをわかる化石)の対語ではあるが、厳密な区別は無い。一般にはあまり知られていないが、産出する数としては化石の中で最も多い。 地球上に存在した全ての生物の死骸は全て化石になる可能性があるが、実際に化石になることができるものは少ない。大抵の生物は、地上ないし水中で死亡した後、そのまま風化したり、或いは他の生物に食べられたり、菌類や細菌類により分解されたりして、その痕跡を残さない。運良く風成層や火山灰等に埋没、あるいは海底や湖底に沈み、堆積物として地層形成のプロセスに加わり保存された場合でも、後に変成作用を受けて分解されたり砕けたりしてしまう。特に造山運動の活発な地域では、化石になるまで地層が安定している保証はない。また生物側の問題として、粗い砂の上に沈んだクラゲのような脆弱な構造物が、その痕跡を砂岩の上に留められる可能性も0に近い。 しかし、放散虫や有孔虫などの微小な生物や花粉等は、それ自体が堆積岩の粒子(砂や泥)の一部として堆積するため、より大型の生物遺骸が堆積した場合に比べて変形・破壊される可能性が少なく、化石として残りやすい。また材質的にも、珪酸や石灰質でできた硬い殻を持ったものが数多く、そのために成層過程を経てもなお極めて良好に原形を留めているものが多い。従って、一見化石が含まれていないように見える試料中にも微化石が発見できる可能性がある。それらの微化石を研究する事で貴重な情報を得ることができる。 こうした短所を補う技術として、試料中の粒子が微化石かどうかや、微化石である場合はその種類を人工知能(AI)で短時間に判定できるシステムが、日本の産業技術総合研究所やNECなどにより開発されている。 現在知られている微化石は、プランクトンなどの微生物と、多細胞生物の一部分(花粉や骨針など)とに大別される。普通の化石同様、微化石として残るのは主に珪酸質や石灰質といった硬質部分である。 微化石はそのサイズゆえ、大型化石のように槌やたがねで切り出すわけにはいかない。物理的に超音波を用いたり振盪したりする事もあるが、試薬を用いて化学的な処理を行うのが普通である(ただし、石灰質殻の微化石の抽出に酸は使わない)。以下にナフサ(揮発油の一種)を用いた処理例を示す。 ナフサ法は、比較的軟らかい岩石を母岩とする場合に用いられる方法である。 これらは表面や個体そのものが溶解するなど、採取される標本を傷つける恐れもある。 母岩から分離された微化石はプレパラートを作成するなどして、光学顕微鏡や電子顕微鏡で観察可能な形に整える。
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微化石(びかせき)とは、主に顕微鏡でしか同定できない、大きさが数mm以下の特に小さい化石のことである。大型化石(普通の肉眼サイズでそれをわかる化石)の対語ではあるが、厳密な区別は無い。一般にはあまり知られていないが、産出する数としては化石の中で最も多い。
{{出典の明記|date=2016年4月}} [[ファイル:Makroforaminiferoak.jpg|right|250px|thumb|代表的な微化石、有孔虫。写真のものは微化石としては大型の部類に入る。]] '''微化石'''(びかせき)とは、主に[[顕微鏡]]でしか同定できない、大きさが数mm以下の特に小さい[[化石]]のことである。大型化石(普通の肉眼サイズでそれをわかる化石)の対語ではあるが、厳密な区別は無い。一般にはあまり知られていないが、産出する数としては化石の中で最も多い。 == 特徴 == [[File:Diatomaceous Earth BrightField.jpg|thumb|300px|[[珪藻土]]は[[単細胞生物]]である[[珪藻]]の被殻の微化石から構成された、[[珪酸]]質の柔らかな[[堆積岩]]である。このサンプルは中心珪藻と羽状珪藻の混合物から構成された水中の珪藻土粒子を撮影したものであり、スケールは6.236 ピクセル/[[μm]]、画像全体の実際のサイズはおよそ1.13×0.69 [[ミリメートル|mm]]である。]] 地球上に存在した全ての生物の死骸は全て化石になる可能性があるが、実際に化石になることができるものは少ない。大抵の[[生物]]は、地上ないし水中で死亡した後、そのまま[[風化]]したり、或いは他の生物に食べられたり、[[菌類]]や[[細菌|細菌類]]により分解されたりして、その痕跡を残さない。運良く風成層や[[火山灰]]等に埋没、あるいは海底や湖底に沈み、[[堆積物]]として[[地層]]形成のプロセスに加わり保存された場合でも、後に[[変成作用]]を受けて分解されたり砕けたりしてしまう。特に[[造山運動]]の活発な地域では、化石になるまで地層が安定している保証はない。また生物側の問題として、粗い砂の上に沈んだ[[クラゲ]]のような脆弱な構造物が、その痕跡を[[砂岩]]の上に留められる可能性も0に近い。 しかし、[[放散虫]]や[[有孔虫]]などの微小な生物や[[花粉]]等は、それ自体が堆積岩の粒子([[砂]]や[[泥]])の一部として堆積するため、より大型の生物遺骸が堆積した場合に比べて変形・破壊される可能性が少なく、化石として残りやすい。また材質的にも、[[ケイ酸|珪酸]]や[[炭酸カルシウム|石灰質]]でできた硬い殻を持ったものが数多く、そのために成層過程を経てもなお極めて良好に原形を留めているものが多い。従って、一見化石が含まれていないように見える試料中にも微化石が発見できる可能性がある。それらの微化石を研究する事で貴重な情報を得ることができる。 ; 通常の化石と比較した場合の長所 :* 化石として産出する頻度が高い。 :* 構造物全体が破損せずに残存する可能性が高い。 :* 単位試料あたりの個体数が大きい。 : ; 微化石の短所 :* 化石の発見に注意を要する。 :* 解釈が難しい。 :* 一個体当たりの情報量が少ない。 こうした短所を補う技術として、試料中の粒子が微化石かどうかや、微化石である場合はその種類を[[人工知能]](AI)で短時間に判定できるシステムが、[[日本]]の[[産業技術総合研究所]]や[[NEC]]などにより開発されている<ref>[https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00499929 「AIで化石鑑定 ロボが分取/地層堆積物中 高速作業/産総研などシステム」]『[[日刊工業新聞]]』2018年12月18日(科学技術・大学面)2019年5月27日閲覧。</ref>。 == 種別 == 現在知られている微化石は、[[プランクトン]]などの[[微生物]]と、[[多細胞生物]]の一部分(花粉や骨針など)とに大別される。普通の化石同様、微化石として残るのは主に珪酸質や[[石灰]]質といった硬質部分である。 ; 珪酸質の殻を持つ微生物 :* [[放散虫]](Radiolaria) :* [[珪藻]](Diatoms) :* [[珪質鞭毛藻]](Silicoflagellates) : ; 石灰質の殻を持つ微生物 :* [[有孔虫]](Foraminifera) :* [[石灰質ナノプランクトン]]([[渦鞭毛藻]]の[[シスト]]、[[円石藻]]等) :* [[貝虫]]類([[:en:Ostracoda|Ostracoda]]) : ; 有機質の殻を持つ微生物 :* [[渦鞭毛藻]](hystrichosphereを含む) : ; 多細胞生物由来 :* [[花粉]] :* [[海綿動物|海綿]]骨針 :* [[プラントオパール]] :* [[コノドント]]([[:en:Conodont|Conodont]]) : ; 由来不明 :* [[アクリターク]]([[:en:Acritarchs|Acritarch]]) :* [[キチノゾア]] == 微化石の用途 == ; 示準化石 : [[放射年代測定]]等の手段により出現年代が特定されていて、かつ発見される時代の幅が狭い種は、同じ化石を含む他の地層の年代を特定するために利用される。これを[[示準化石]]という。 ; 示相化石 : 生息する環境が限られており、しかもその環境状態を推測できる生物の化石は、その場所の過去の環境(古環境)を復元するのに役立つ。これを[[示相化石]]という。特に花粉では、新しい時代のものは現生種との直接比較が可能である場合が多く、細かい分類群まで確定できるなど得られる情報量が大きい。 == 微化石の処理 == 微化石はそのサイズゆえ、大型化石のように[[槌]]や[[たがね]]で切り出すわけにはいかない。物理的に[[超音波]]を用いたり振盪したりする事もあるが、[[試薬]]を用いて化学的な処理を行うのが普通である(ただし、石灰質殻の微化石の抽出に酸は使わない)。以下に[[ナフサ]](揮発油の一種)を用いた処理例を示す。 === ナフサ法 === ナフサ法は、比較的軟らかい岩石を母岩とする場合に用いられる方法である。 # '''標本採取''' #: 地層から、目的の化石を含む岩石標本を採取する。標本は適当な大きさに砕き、適量を試料を取り出す。取り出した試料はよく洗った[[ビーカー]]等に入れる。処理する試料はある程度の量を確保した方が良いが、後の手間や試薬の消費を考えると多すぎてもいけない。試料は他の試料と混じらないよう慎重に管理する。微化石の処理では[[コンタミネーション]]は致命的である。例えば石灰質の微化石を扱う前には主要な器具を酸洗浄するなど、処理試料の徹底的な隔離を図らねばならない。 # '''乾燥''' #: ビーカーに試料を入れたまま、恒温槽で数時間乾燥させる。 # '''ナフサの浸透''' #: 充分乾燥した試料の入ったビーカーにナフサを注ぎ、よく浸してナフサをしみこませる。数時間浸した後、ナフサは捨てる。普通は再利用のため、濾紙などを通してナフサを回収する。この時、試料が流出しないよう気を付ける。 # '''煮沸''' #: ナフサを捨てた後の試料に水を注ぎ、ビーカーごと[[焜炉|コンロ]]で煮沸する。この際、残ったナフサや試料が破裂することがあるので、周囲の安全に十分配慮する。通常は、有害な気体を回収する設備を備えるドラフト機器内に然るべき機材(サンドバスなど)を設置して行う。 # '''洗浄''' #: 煮沸した試料が冷めるまで待った後、試料を[[篩|ふるい]]の上にあけて、よく水で洗い流す。洗った末にふるいの上に残った試料を、再びビーカーに回収する。この時のふるいは、試料中の余分な細かい粒子(泥分)を洗い流しつつも微化石はふるいの上に残るような大きさのメッシュを選ぶ。研究の対象や目的によって異なり、例えば小型の有孔虫を対象とする場合は75&mu;m程度が用いられる。 # 上記'''乾燥'''から'''洗浄'''までを繰り返す。 #: 乾燥や煮沸により、浸透させた水やナフサが膨張する力を利用して試料を砕くのである。この過程に限らないが、試料の流失や他の試料の混入などが無いよう、特に注意を払う。 # '''試料の保管''' #: 充分砕かれて砂や[[シルト]]などの集まりとなった試料を、別の容器に移して保管する。 === その他の処理法 === ; 物理的処理 :* 煮沸:堆積物が特に柔らかい場合に用いられる。 :* 凍結と乾燥の繰り返し:岩石の膨張や収縮による結合の緩みを利用。 :* [[硫酸ナトリウム]]処理:試薬の浸透と[[結晶]]成長による乖離力を利用したもの。過飽和させた水溶液を用いる。ナフサ法の前段階の処理として併用されることも多:い。 :* [[ヘキサメタリン酸ナトリウム]]処理:同上。 : ; 化学的処理 :* [[過酸化水素]]水処理:石灰質殻を有する微化石に対して用いられる処理。化石を含む堆積物が柔らかい時に用いられる。 :* [[フッ化水素]]処理:珪酸質殻を有する微化石に対して用いられる処理。 :* その他の[[酸]]や[[塩基]]による溶解処理 これらは表面や個体そのものが溶解するなど、採取される標本を傷つける恐れもある。 === 検鏡用の処理 === 母岩から分離された微化石は[[プレパラート]]を作成するなどして、[[光学顕微鏡]]や[[電子顕微鏡]]で観察可能な形に整える。 ; 微化石の選別 : 試料を適当な量だけとって[[シャーレ]]などに移し、ルーペや実体[[顕微鏡]]で試料を観察しながら微化石を拾い上げる。試料の中から微化石を拾い上げるには、水で濡らした面相筆の先で拾うなどの方法がある。 ; 光学顕微鏡観察 : そのまま実体顕微鏡で観察したり、水に懸濁して観察したりする。石灰質ナノプランクトンでは偏光顕微鏡による観察が行われる場合が多い。 ; [[走査型電子顕微鏡]]観察 :# カーボンテープやカーボンコロイドなど、導電性の接着剤を用いて試料台に接着する。 :# [[金]]や[[白金]][[パラジウム]]合金などを[[蒸着]]する。 :# 観察。 : ; [[透過型電子顕微鏡]]観察 : 微化石をそのまま観察する場合もあるが、化石に[[炭素]]を蒸着した後で化石本体を溶かす[[カーボンレプリカ法]]なども用いられる。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author = 掛川武|coauthors = 海保邦夫|year = 2011|title = 地球と生命-地球環境と生物圏進化-|publisher = 共立出版|isbn = 978-4-320-04723-5}} == 関連項目 == * [[化石]] * [[岡村長之助]] {{DEFAULTSORT:ひかせき}} [[Category:化石]] [[Category:地質調査]]
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JISキーボード
JISキーボード(ジスキーボード、JIS配列キーボード)は、日本産業規格 (JIS) が制定している標準規格『JIS X 6002 情報処理系けん盤配列』に準拠するキー配列をもつコンピュータ用キーボードである。 日本産業規格が制定している『JIS X 6002-1980(旧JIS C 6233-1980)情報処理系けん盤配列 (Keyboard layout for information processing using the JIS 7 bit coded character set) 』はJIS X 0201(旧JIS C 6220)で規定される7ビット符号を用いるシステムを想定したものであるため、漢字の入力は考慮されていない。また、コンピューター各機種の機能に合わせて制御文字キーや機能キーなどを追加・変更する場合が多いため、一般的にはアルファベット、かな、記号等の文字キーの配列が規格に準拠していればJISキーボードと呼ばれる。PC/AT互換機で主流のOADG 109キーボード(日本語109キーボードとも言う)、Macintoshの大半の日本語キーボードや、過去のPC-9800シリーズ、マルチステーション5550、FMRシリーズなどはJISキーボードである。 英語キーボードで主流のASCIIキーボードとは、アルファベットの配列は同じであるが、特殊記号などの配列が異なる。米国での主流は101キーボードである。なおJ-3100(ダイナブック)やAXは、ASCII配列をベースに日本語化していた。 JIS X 6004-1986では かな配列が改良された新JISキーボードが規格化されたが、普及しなかったため1999年に廃止された。 なお、JISキーボード上のかな鍵盤部分についてはかな入力も参照のこと。 1964年に一般事務・会計機械用のカナタイプライターのキー配列を定める標準規格『JIS B 9509-1964 カナ・ローマ字タイプライタのケン盤配列』が制定された。このキー配列は日本生産性本部が組織した標準化団体で決定されたもので、1922年に山下芳太郎が米国のメーカーに発注したカナ文字タイプライターを起源とするものであった。JIS B 9509では2種類のキー配列が制定され、このうち後のJISキーボードと類似する『配列2』のキー配列は以下のようになっていた。 1965年に日本アイ・ビー・エムが発表した『IBM 029型カタカナ穿孔機』では、同年に発表した文字コード EBCDIK(EBCDICにカタカナを追加) に対応するため、JIS B 9509の2段シフト43キーを3段シフト47キーに改めた。この時、シフト側に入っていたカタカナ(ヌ、ム、ロ)と半濁点は別のキーに移された。1970年に日本電信電話公社(電電公社)が加入データ通信サービス (DRESS) を開始するにあたって策定した『データ通信標準キー配列』では、英数記号キー配列はテレタイプ ASR-33をベースに、カナキー配列はIBM 029型カタカナ穿孔機をベースに少しの変更が加えられた。データ通信(コンピューター端末)用キーボードのJIS規格化はこの配列をベースに進められた。これに並行してデータ通信用文字コードのJIS規格化も進められ、こちらは1969年にJIS X 0201(旧JIS C 6220)になった。 以下は1968年時点でのJISキーボードの草案に掲げられたキー配列例である。 キーボードの機構や回路を簡略化することに配慮し、文字キーを除くシフト入力の組み合わせはJIS X 0201でのロジカル・ビット・ペアリング (en:Bit-paired keyboard) を考慮した配列になっている。例えば、コロン (:) の文字コードは0111010(2進数値)、そのシフト位置はアスタリスク (*) で文字コードは0101010。同じく、ハイフンマイナス (-) の文字コードは0111101(2進数値)、そのシフト位置はプラス記号 (+) で文字コードは0101101。どちらもシフト・非シフト時に第5ビットのみが変化して他は共通なので、これらのキー入力を文字コードの信号に変換するとき、シフト操作ではこのビットだけ変わるように設計すれば良いということになる。しかし、カナ文字キーについてはロジカル・ビット・ペアリングになっておらず、これが問題として指摘された。 1972年、情報通信端末用キー配列の標準規格 JIS C 6233 が正式に制定された。第1次規格で策定されたキー配列は以下のようになっていた。 このうち英数字と記号の配列は、国際標準化機構 (ISO) が当時策定中にあったISO 646に対応するキー配列の標準規格 ISO 2530 のドラフトと整合性が図られた。この配列はASR-33などで使われていたロジカル・ビット・ペアリングのQWERTY配列をベースにしていたが、IBMが使用していたタイプライター・ペアリングのQWERTY配列がセレクトリック・タイプライターやIBM PCの成功を受けて米国で広まり、1980年代以降にデファクトスタンダードになった米国英語キー配列と記号キーに差異が生じることになった。 1980年の改正では電気式のシフトキーロックに対応したキー配列が追加された。また、復改キー(後のエンターキーと同等)とシフトキーの幅が広く取れる配置になった。CAN(取り消し)キーや上段の制御文字キーは再配置や削除、別のキーとの入れ替えを自由とした。 JISキーボードのカナ文字キー配列は効率より覚えやすさを重視するため50音配列としたことが起源となっており、またキー列を4段使うためタッチタイピングの高速化を妨げている問題があった。そのため、キー列を3段としてカナの並びも最適化した新しいキー配列が JIS X 6004-1986(旧JIS C 6236-1986) 仮名漢字変換形日本文入力装置用けん盤配列 として標準化された。しかし、パソコンユーザーの初心者など入力効率を重視しない者からは覚えにくい新配列は嫌われたため、普及は進まなかった。 1980年代には多種多様な機種に合わせて多くのJISキーボード準拠キー配列が存在したが、1990年代以降PC/AT互換機への統一が進むと、OADGが標準化したOADG 109Aキーボードが主流になった。 1987年、日本アイ・ビー・エムは同社の企業向けパソコンPS/55用のキーボード 5576-002型鍵盤 を発表した。これはマルチステーション5550用JISキーボードとシステムアプリケーション体系で規定されたキー配列(PC/ATの101キーボード相当)との互換性を合わせ持つものであった。以下は5576-002型鍵盤の写真である。 1991年、日本アイ・ビー・エムが5576-A01型鍵盤を発表し、OADG標準のキーボードとなった。後にこれにWindowsキー(Macintoshはコマンドキー)を追加したものがOADG 109キーボードとして追加された。 以下はOADG 109キーボードの配列である。 OADGキーボードは、従来の5576-002型鍵盤と比較して、「漢字」「前面キー」と表示されていたキーはAltキーとなり、テンキーには方向キーなどの機能が割り当てられるなど、キー表記や配列が101キーボードにより近いものになり、101キーボードやそれに合わせて開発されたアプリケーションとの親和性が向上した。 なお日本語109キーボードには当初の配列(OADG 109型)と、Windowsでの利用にあわせて刻印を変えたキーボード(OADG 109A型)の2種類があり、~(チルダ)の刻印位置などが若干異なる。以下はその比較である。 2000年代に入るとデスクトップパソコンの省スペース化やノートパソコンの普及、メーカーによる製品差別化のため、キー配列に独自の工夫が凝らされるようになり、 文字キーの配列やスキャンコードがOADGの規格に一致するのみとなった。
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JISキーボード(ジスキーボード、JIS配列キーボード)は、日本産業規格 (JIS) が制定している標準規格『JIS X 6002 情報処理系けん盤配列』に準拠するキー配列をもつコンピュータ用キーボードである。
[[ファイル:NEC PC-9800 series keyboard.jpg|サムネイル|1980年代に日本で広く使われた[[PC-9800シリーズ]]のJISキーボード]] '''JISキーボード'''(ジスキーボード、JIS配列キーボード)は、[[日本産業規格]] (JIS) が制定している標準規格『'''JIS X 6002 情報処理系けん盤配列'''』に準拠する[[キー配列]]をもつコンピュータ用[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]である。 == 概要 == 日本産業規格が制定している『JIS X 6002-1980(旧JIS C 6233-1980)情報処理系けん盤配列 ({{En|1=Keyboard layout for information processing using the JIS 7 bit coded character set}}) 』は[[JIS X 0201]](旧JIS C 6220)で規定される7ビット符号を用いるシステムを想定したものであるため、[[漢字]]の入力は考慮されていない。また、コンピューター各機種の機能に合わせて[[制御文字]]キーや[[ファンクションキー|機能キー]]などを追加・変更する場合が多いため、一般的には[[アルファベット]]、[[仮名 (文字)|かな]]、[[記号]]等の文字キーの配列が規格に準拠していれば'''JISキーボード'''と呼ばれる。[[PC/AT互換機]]で主流のOADG 109キーボード(日本語109キーボードとも言う)、[[Macintosh]]の大半の日本語キーボードや、過去の[[PC-9800シリーズ]]、[[マルチステーション5550]]、[[FMRシリーズ]]などはJISキーボードである。 英語キーボードで主流の[[ASCII]]キーボードとは、[[アルファベット]]の配列は同じであるが、特殊記号などの配列が異なる。米国での主流は[[キー配列#101キーボード|101キーボード]]である。なお[[J-3100シリーズ|J-3100]]([[ダイナブック (東芝)|ダイナブック]])や[[AX]]は、ASCII配列をベースに日本語化していた。 JIS X 6004-1986では かな配列が改良された[[新JIS配列|新JISキーボード]]が規格化されたが、普及しなかったため1999年に廃止された。 なお、JISキーボード上のかな鍵盤部分については[[かな入力]]も参照のこと。 == キー配列 == <gallery widths="350" caption="JISとANSIの文字キー配列の比較"> ファイル:JIS keyboard character layout US ANSI comparison.svg|JIS X 6002-1980 ファイル:US ANSI keyboard character layout JIS comparison.svg| ANSI INCITS 154-1988(101キーボード) </gallery> == 歴史 == === カナ文字タイプライターからコンピューター端末用キーボードへ === 1964年に一般事務・会計機械用の[[カナモジカイ#カナタイプ|カナタイプライター]]のキー配列を定める標準規格『[[JIS B 9509]]-1964 カナ・ローマ字タイプライタのケン盤配列』が制定された。このキー配列は[[日本生産性本部]]が組織した標準化団体で決定されたもので、1922年に[[山下芳太郎]]が米国のメーカーに発注したカナ文字タイプライターを起源とするものであった。JIS B 9509では2種類のキー配列が制定され、このうち後のJISキーボードと類似する『配列2』のキー配列は以下のようになっていた。<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=安岡 孝一|year=2003|title=キー配列の規格制定史日本編 : JISキー配列の制定に至るまで|url=https://doi.org/10.11509/isciesci.47.12_559 |journal=システム/制御/情報|volume=47|issue=12|page=|pages=7-12|publisher=システム制御情報学会 |doi=10.11509/isciesci.47.12_559}}</ref> [[ファイル:JIS B 9509 1964 keyboard layout 2.svg|フレームなし|460x460ピクセル]] 1965年に[[日本アイ・ビー・エム]]が発表した『[[キーパンチ|IBM 029]]型カタカナ穿孔機』では、同年に発表した文字コード EBCDIK([[EBCDIC]]にカタカナを追加) に対応するため、JIS B 9509の2段シフト43キーを3段シフト47キーに改めた。この時、シフト側に入っていたカタカナ(ヌ、ム、ロ)と[[半濁点]]は別のキーに移された。1970年に[[日本電信電話公社]](電電公社)が加入データ通信サービス ([[DEMOS|DRESS]]) を開始するにあたって策定した『データ通信標準キー配列』では、英数記号キー配列は[[テレタイプ (企業)|テレタイプ]] [[ASR-33]]をベースに、カナキー配列はIBM 029型カタカナ穿孔機をベースに少しの変更が加えられた。データ通信(コンピューター端末)用キーボードのJIS規格化はこの配列をベースに進められた。これに並行してデータ通信用文字コードのJIS規格化も進められ、こちらは1969年に[[JIS X 0201]](旧JIS C 6220)になった。<ref name=":0" /> 以下は1968年時点でのJISキーボードの草案に掲げられたキー配列例である<ref name=":1">{{Cite book|和書|author=|title=行政における電子計算機の共同利用に関する調査研究報告書|date=|year=1968|accessdate=|publisher=行政事務機械化研究協会|pages=108-113|chapter=4-2.符号と鍵盤配列|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。 [[ファイル:JIS C 6233 draft 1968 keyboard layout.svg|フレームなし|520x520ピクセル]] キーボードの機構や回路を簡略化することに配慮し、文字キーを除くシフト入力の組み合わせはJIS X 0201での[[ロジカル・ビット・ペアリング]] ([[:en:Bit-paired keyboard]]) を考慮した配列になっている<ref name=":1" />。例えば、コロン (:) の[[文字コード]]は0111010([[二進法|2進数]]値)、そのシフト位置は[[アスタリスク]] (*) で文字コードは0101010。同じく、[[ハイフンマイナス]] (-) の文字コードは0111101(2進数値)、そのシフト位置はプラス記号 (+) で文字コードは0101101。どちらもシフト・非シフト時に第5ビットのみが変化して他は共通なので、これらのキー入力を文字コードの信号に変換するとき、シフト操作ではこのビットだけ変わるように設計すれば良いということになる。しかし、カナ文字キーについてはロジカル・ビット・ペアリングになっておらず、これが問題として指摘された<ref name=":1" />。 === JISキーボードの策定 === 1972年、情報通信端末用キー配列の標準規格 JIS C 6233 が正式に制定された<ref name=":0" />。第1次規格で策定されたキー配列は以下のようになっていた。 [[ファイル:JIS C 6233 1972 keyboard layout.svg|フレームなし|520x520px]] このうち英数字と記号の配列は、[[国際標準化機構]] (ISO) が当時策定中にあった[[ISO/IEC 646|ISO 646]]に対応するキー配列の標準規格 [[ISO 2530]] のドラフトと整合性が図られた。この配列はASR-33などで使われていたロジカル・ビット・ペアリングの[[QWERTY配列]]をベースにしていたが、[[IBM]]が使用していたタイプライター・ペアリングのQWERTY配列が[[IBM Selectric typewriter|セレクトリック・タイプライター]]や[[IBM PC]]の成功を受けて米国で広まり、1980年代以降にデファクトスタンダードになった米国英語キー配列と記号キーに差異が生じることになった。<ref>{{Cite book|和書|author=安岡孝一、安岡素子|title=キーボード配列 QWERTYの謎|date=|year=2008|accessdate=|publisher=[[NTT出版]]|isbn=978-4-7571-4176-6|pages=178-185|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref> 1980年の改正では電気式の[[シフトキー]]ロックに対応したキー配列が追加された。また、復改キー(後の[[エンターキー]]と同等)とシフトキーの幅が広く取れる配置になった。CAN(取り消し)キーや上段の制御文字キーは再配置や削除、別のキーとの入れ替えを自由とした。<ref>{{Cite book|和書|author=|title=JISハンドブック 情報処理 1982|date=|year=1982|accessdate=|publisher=日本規格協会|pages=528-534|chapter=情報処理系けん盤配列 C 6233-1980|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref> [[ファイル:JIS C 6233 1980 keyboard layout.svg|フレームなし|520x520px]] === カナ文字キー配列の問題と新JISキーボード === JISキーボードのカナ文字キー配列は効率より覚えやすさを重視するため50音配列としたことが起源となっており、またキー列を4段使うため[[タッチタイピング]]の高速化を妨げている問題があった。そのため、キー列を3段としてカナの並びも最適化した新しいキー配列が JIS X 6004-1986(旧JIS C 6236-1986) 仮名漢字変換形日本文入力装置用けん盤配列 として標準化された。しかし、パソコンユーザーの初心者など入力効率を重視しない者からは覚えにくい新配列は嫌われたため、普及は進まなかった。<ref>{{Cite book|和書|author=森田正典|title=改訂版 これが日本語に最適なキーボードだ|date=|year=1994|accessdate=|publisher=[[日本経済新聞社]]|pages=15-21|chapter=第2章 : キーボードの現状と問題点|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref> {{Main|新JIS配列}} === PC/AT互換機の普及とOADG標準 === 1980年代には多種多様な機種に合わせて多くのJISキーボード準拠キー配列が存在したが、1990年代以降[[PC/AT互換機]]への統一が進むと、[[PCオープン・アーキテクチャー推進協議会|OADG]]が標準化したOADG 109Aキーボードが主流になった。 1987年、日本アイ・ビー・エムは同社の企業向けパソコン[[PS/55]]用のキーボード 5576-002型鍵盤 を発表した<ref>{{Cite journal|和書|author=[[日本アイ・ビー・エム]]|year=1987|title=省スペースを追求 IBMパーソナルシステム/55 新モデルを発表|journal=情報科学|volume=23|page=|pages=146-148}}</ref>。これはマルチステーション5550用JISキーボードと[[Systems Application Architecture|システムアプリケーション体系]]で規定されたキー配列(PC/ATの[[キー配列#101キーボード|101キーボード]]相当)との互換性を合わせ持つものであった<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本語 DOS バージョン K3.3 をお使いになる前に|date=|year=1988|accessdate=|publisher=日本アイ・ビー・エム|page=参-19|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|id=SC18-2194-1}}</ref>。以下は5576-002型鍵盤の写真である。 [[ファイル:IBM 5576 002 Keyboard.jpg|フレームなし|700x700ピクセル]] 1991年、日本アイ・ビー・エムが5576-A01型鍵盤を発表し、OADG標準のキーボードとなった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www-06.ibm.com/jp/press/pdf/archive_1991.pdf|title=1991年5月7日 20万円を切った低価格DOS/V専用パソコン登場 : 1991年のプレスリリース一覧|accessdate=2018-06-01|format=PDF|publisher=IBM}}</ref>。後にこれに[[Windowsキー]](Macintoshは[[コマンドキー]])を追加したものがOADG 109キーボードとして追加された。 以下はOADG 109キーボードの配列である<ref>{{Cite book|author=|title=OADGテクニカル・リファレンス(ハードウェア)|url=http://www.oadg.or.jp:80/techref/download.cgi|date=|year=2000|accessdate=|publisher=PCオープン・アーキテクチャー推進協議会|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041018151651/http://www.oadg.or.jp:80/techref/download.cgi|archivedate=2014-10-18}}</ref>。 [[ファイル:109keyboard.svg|700px|JISキー配列]] OADGキーボードは、従来の5576-002型鍵盤と比較して、「漢字」「前面キー」と表示されていたキーは[[Altキー]]となり、[[テンキー]]には[[方向キー]]などの機能が割り当てられるなど、キー表記や配列が101キーボードにより近いものになり、101キーボードやそれに合わせて開発されたアプリケーションとの親和性が向上した<ref>{{Cite journal|和書|author=|year=|date=1991-06-24|title=新製品レビュー PS/55Zモデル5510Z、同5510T 価格性能比に優れるDOS/Vデスクトップ|journal=[[日経パソコン]]|volume=|page=|pages=138-139|publisher=[[日経BP]]}}</ref>。 なお日本語109キーボードには当初の配列(OADG 109型)と、[[Microsoft Windows|Windows]]での利用にあわせて刻印を変えたキーボード(OADG 109A型)の2種類があり、~([[チルダ]])の刻印位置などが若干異なる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanwa.co.jp/product/ex/keyswitch.html|title=109A配列・キースイッチとは - サンワサプライ株式会社|accessdate=2018-06-13|website=www.sanwa.co.jp}}</ref>。以下はその比較である。 [[ファイル:OADG109.png|109/109A比較]] [[ファイル:Logicool K380 Japanese bluetooth keyboard.jpg|サムネイル|省スペース型日本語キーボードの一例]] [[File:MacBook Pro Touchbar JIS keyboard.jpg|thumb|Touch Bar搭載MacBook Proに搭載されている、JISキーボード]] 2000年代に入ると[[デスクトップパソコン]]の省スペース化や[[ノートパソコン]]の普及、メーカーによる製品差別化のため、キー配列に独自の工夫が凝らされるようになり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.airnet.ne.jp/saka/hardware/keyboard/index.html|title=OADG109キーボードの拡張|accessdate=2018-06-13|date=2001-01-10|website=www3.airnet.ne.jp|publisher=|language=ja}}</ref>、 文字キーの配列や[[スキャンコード]]がOADGの規格に一致するのみとなった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{PDFlink|[http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/%7Eyasuoka/publications/ISCIE2003.pdf キー配列の規格制定史 日本編 ―― JISキー配列の制定に至るまで (安岡 孝一)]}} * [http://www2d.biglobe.ne.jp/~msyk/keyboard/layout/mac-jiskbd.html Macintosh JIS配列キーボード] {{DEFAULTSORT:しすきいほおと}} [[Category:各言語のキー配列|JISきいほおと]] [[Category:JIS]]
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9,731
歯科
歯科(しか)とは、歯または歯に関連した組織に関する疾患を扱う診療科である。歯科処置の大半は人体に侵襲を伴う外科行為である。一般歯科、矯正歯科、口腔外科、小児歯科の区分があり、それらを総称して歯科と呼ぶことがあるそうだ。 診療科としての一般的な歯科は、齲蝕や歯周病を中心とした口腔内の疾病を受け持っている。診療形態の大半は診療所であり、行われる処置もエプーリス除去やインプラント埋入術など、入院を伴わない小手術や、歯牙に限局した疾病であることが多い。 日本においては、医師と歯科医師で免許が分かれているため、法的には医師が歯科医業を行なうことが出来ない。ただし、治療状況によって医業との判別が困難になる場合や、歯科医業であると同時に医業となる場合もあるが、主として大学病院や総合病院の口腔外科で行われることが多いそう。 医療法によって規定される、歯科で標榜出来る診療科目は以下の4つである。 そのほか、審美歯科、美容歯科、補綴科、保存科、歯周科、高齢者歯科、障害者歯科、歯科麻酔科、歯科放射線科、訪問歯科、口腔内科などの科を持つ歯科医院や大学病院があるのだそう。 歯科には歯科医師の他に、歯科予防処置、診断・治療の補助や患者指導などを行う歯科衛生士、歯冠修復物などの各種技工物を作製する歯科技工士、雑務を受け持つ歯科助手などが従事する。 歯科大学付属病院や病院の口腔外科などでは看護師や放射線技師や、言語聴覚士が従事する場合もある。なお、歯科に従事する人で、歯科医師以外を特にコ・デンタルと呼ぶことがある。
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歯科(しか)とは、歯または歯に関連した組織に関する疾患を扱う診療科である。歯科処置の大半は人体に侵襲を伴う外科行為である。一般歯科、矯正歯科、口腔外科、小児歯科の区分があり、それらを総称して歯科と呼ぶことがあるそうだ。 診療科としての一般的な歯科は、齲蝕や歯周病を中心とした口腔内の疾病を受け持っている。診療形態の大半は診療所であり、行われる処置もエプーリス除去やインプラント埋入術など、入院を伴わない小手術や、歯牙に限局した疾病であることが多い。 日本においては、医師と歯科医師で免許が分かれているため、法的には医師が歯科医業を行なうことが出来ない。ただし、治療状況によって医業との判別が困難になる場合や、歯科医業であると同時に医業となる場合もあるが、主として大学病院や総合病院の口腔外科で行われることが多いそう。
{{唯一の出典|date=2022年3月}}{{日本の医療機関}} '''歯科'''(しか)とは、[[ヒトの歯|歯]]または歯に関連した組織に関する疾患を扱う診療科である。歯科処置の大半は人体に侵襲を伴う[[外科学|外科]]行為である。一般歯科、[[矯正歯科]]、[[口腔外科]]、[[小児歯科]]の区分があり、それらを総称して歯科と呼ぶことがある。 診療科としての一般的な歯科は、[[う蝕|齲蝕]]や[[歯周病]]を中心とした口腔内の疾病を受け持っている。診療形態の大半は[[診療所]]であり、行われる処置も[[エプーリス]]除去や[[デンタルインプラント|インプラント]]埋入術など、入院を伴わない小手術や、歯牙に限局した疾病であることが多い。 日本においては、[[医師]]と[[歯科医師]]で免許が分かれているため、法的には医師が[[歯科医業]]を行なうことが出来ない。ただし、治療状況によって[[医業]]との判別が困難になる場合や、歯科医業であると同時に医業となる場合もあるが、主として[[大学病院]]や[[総合病院]]の口腔外科で行われることが多い。 == 診療科 == 医療法によって規定される、歯科で標榜出来る[[診療科目]]は以下の4つである。 *'''歯科''' *[[矯正歯科]] *[[小児歯科]] *[[口腔外科|歯科口腔外科]] そのほか、[[審美歯科]]、美容歯科、[[補綴科]]、[[保存科]]、歯周科、[[高齢者歯科]]、障害者歯科、歯科麻酔科、歯科放射線科、訪問歯科、[[口腔内科]]などの科を持つ歯科医院や大学病院がある。 == 従事者 == 歯科には[[歯科医師]]の他に、歯科予防処置、診断・治療の補助や患者指導などを行う[[歯科衛生士]]、歯冠修復物などの各種技工物を作製する[[歯科技工士]]、雑務を受け持つ[[歯科助手]]などが従事する。 [[大学病院|歯科大学付属病院]]や病院の[[口腔外科]]などでは[[看護師]]や[[診療放射線技師|放射線技師]]や、[[言語聴覚士]]が従事する場合もある。なお、歯科に従事する人で、歯科医師以外を特に[[コ・デンタル]]と呼ぶことがある。 == 歴史 == {{main|歯学史}} ;日本 :701年の[[大宝律令]]で耳目口歯科が置かれた。[[平安時代]]末期(1160年頃)に、耳目科と口歯科に徐々に別れた。安土桃山時代(1580年頃)に、口歯科の専門医は口中医と呼ばれた<ref name=kou>{{Cite web|和書|url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoms/65/11/65_707/_article/-char/ja/ |title=「口腔科の歩みと将来~離れつつある医学と歯学~」 |access-date=2022-05-10 |date=2019-11-20 |website=Japanese Journal of Oral and Maxillofacial Surgery |pages=707–707 |language=en |doi=10.5794/jjoms.65.707}}</ref>。 :1874年(明治7年)8月に[[医制]]が公布され、医療制度が西洋式に整えられ、歯科が置かれるようになった。米国人歯科医師セント・ジョージ・エリオットから歯科学を学んだ[[小幡英之助]]が日本最初の歯科医師となった<ref name=kou/>。 ;ヨーロッパ :12世紀ごろから18世紀ごろまで、出血を伴う医療は主に[[理髪外科医]]が行っており、地域などによっては医者が行っていた。18世紀になると現代歯科学の父[[ピエール・フォシャール]]が、代表作『 Le Chirurgien Dentiste 』(外科歯科医の意)を執筆し、医学界に大きな影響を与え、歯科医は専門医として再編された。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[歯]]/[[セメント質]]/[[象牙質]]/[[エナメル質]]/[[歯髄]]/[[歯肉]]/[[歯肉溝]]/[[歯槽骨]]/[[歯根]]/[[歯根膜]]/[[骨]]/[[口腔]] * [[う蝕]]/[[歯周病]]/[[病気とリダイレクトの一覧|病名一覧]] * [[医療]]/[[看護]]/[[保健]]/[[健康]]/[[福祉]] * [[歯学]]/[[小児歯科]]/[[口腔外科]]/[[矯正歯科]]/[[審美歯科]]/[[補綴科]]/[[ブリッジ (歯科)]]/[[クラウン (歯科)]]/[[高齢者歯科]] * [[口腔診断学]]/[[保存修復学]]/[[歯周治療学]]/[[歯内療法学]]/[[口腔外科学]]/[[小児歯科学]] / [[歯科麻酔学]]/[[高齢者歯科学]] * [[歯学部]]/[[医学部]] * [[歯科医師]]/[[医師]]/[[専門医]] * [[歯科衛生士]]/[[歯科技工士]]/[[看護師]]/[[臨床検査技師]]/[[診療放射線技師]]/[[医療資格一覧]]/[[歯科助手]]/[[コ・メディカル]]/[[コ・デンタル]] * [[歯科医師国家試験]]/[[歯科医師法]]/[[日本歯科医師会]] * [[8020運動]]/[[歯ブラシ]]/[[歯磨き]]/[[マウスガード]]/[[歯科用レーザー]] * [[日本医師会]]/[[日本歯科医師会]] * [[ドックベストセメント]] * [[歯科用サクション]] ==外部リンク== *[http://www.jda.or.jp/ 公益社団法人 日本歯科医師会] *[http://www.kokuhoken.or.jp/ 一般財団法人 口腔保健協会] {{Dentistry-stub}} {{DEFAULTSORT:しか}} [[Category:歯学]] [[Category:歯科医療]] [[Category:診療科]]
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9,732
レスリー・チャン
レスリー・チャン(張 國榮 、1956年9月12日 - 2003年4月1日)は、香港出身の歌手・俳優。愛称は「哥哥(お兄さん)」。身長174cm。血液型O型。 香港の裕福な家庭に生まれ、10人兄弟の10番目なので幼名は“十仔”(姉1人と兄2人は夭折しているため、実質は7人兄弟)。父はハリウッドスターなどを顧客に持つ有名テーラーで紡績工場の経営者。母は事業に忙しく、レスリーは祖母の家に預けられ、“六姐”と呼ばれる乳母に育てられる。 1969年、13歳になると数学で単位を落とし、英国東部のノーフォークに留学。その後リーズ大学に入学しテキスタイルを専攻するが、父が病に倒れ学業半ばで香港に帰る。中国語の学力を心配した母の勧めで中学5年クラスに編入。その後しばらく父のコネで入った弁護士事務所や、自分で見つけた販売員の職などを転々とし、家族とは離れて暮らす。 1976年、友人と共にテレビ局主催の歌謡コンテストに出場し『American Pie』を歌い準優勝。翌1977年から歌手として芸能活動を開始するが、しばらくは下積み生活に甘んじる。また、このころ親しくしていた女性の裏切りにより生活はすさみ、金銭的にも精神的にも苦難の日々が続く。 1983年に『風継続吹』(山口百恵『さよならの向う側』のカバー)がヒット。1985年には『Monica』(吉川晃司『モニカ』のカバー)が大ヒット。一躍トップアイドルに踊り出た。1989年に歌手引退宣言し、カナダへ移住する。しかし半年後に香港に戻り、芸能界に俳優として復帰。 俳優としては、1982年にパトリック・タム監督の『レスリー・チャン 嵐の青春』に出演し、後のウォン・カーウァイらニューウェーブに影響を与える。その後はいわゆる「アイドル映画」に出演。そして1986年に『男たちの挽歌』、1987年には『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』など、数々の大ヒット作に出演。1990年、ウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』で香港電影金像奨主演男優賞受賞。1993年には中国のチェン・カイコー監督の『さらば、わが愛/覇王別姫』に出演、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。1997年のウォン・カーウァイ監督『ブエノスアイレス』は、日本の単館上映記録を塗り替える大ヒットとなる。 1994年、ピーター・チャン監督の『君さえいれば/金枝玉葉』出演を切っ掛けに楽壇復帰。2000年に開催されたコンサート『PASSION』は、衣装設計をジャン=ポール・ゴルチエに依頼。そのファッション性で成功を収めた。 そして念願だった映画監督になるべく、多くのミュージッククリップやTVドラマ、短編フィルムなどを撮影した。監督デビューは1996年『夢翔る人/色情男女』での劇中ポルノ映画『色情男女』。 『覇王別姫』や『ブエノスアイレス』等、同性愛者を演じることが多かった。自身、決して公言はしなかったが、同性愛者であることを匂わせる発言は数多い。 2003年4月1日、香港の最高級ホテル「マンダリン・オリエンタル香港」より飛び降り自殺。46歳没。 自殺の原因については、一年ほど前から鬱病を患っていたとされている。遺書が残されており、長年姉と慕った、沈殿霞(リディア・サン)への感謝とお詫びが記されていた。自殺の現場になった「マンダリン・オリエンタル香港」の門前にはファンによって多数の花束と死を悼むメッセージカードがささげられ、同ホテルの門前は黒山の人だかりになった。葬儀には香港の芸能関係者のほとんどとファンが参列したという。 2005年11月8日に香港郵政は記念切手「香港流行歌星 Hong Kong Pop Singers」を発行した。切手には香港音楽史に足跡を残し、若くして亡くなったロマン・タム(羅文)、アニタ・ムイ(梅艶芳)、ウォン・カークイ(黄家駒)、ダニー・チャン(陳百強)と共に起用され、レスリーは3ドル切手に登場した。 2007年12月に日比谷公園に熱心なファン120人の賛同により「レスリー・チャンの思い出ベンチ」が設置された。ベンチのメッセージには、賛同者120人からのレスリーへの思いが込められている。
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レスリー・チャンは、香港出身の歌手・俳優。愛称は「哥哥(お兄さん)」。身長174cm。血液型O型。
{{出典の明記|date=2013年7月}} {{Infobox Chinese-language singer and actor | name = レスリー・チャン | image = [[File:Leslie Cheung.jpg|240px]] | caption = 1999年、コンサート会場にて | tradchinesename = 張國榮 | simpchinesename = 张国荣 | hakchinesename = Zong Gwet Win | jyutpingchinesename = Zoeng<sup>1</sup> Gwok<sup>3</sup>wing<sup>4</sup> | ancestry = {{CHN}}[[広東省]][[梅県]] | nationality = {{HKG}} 、{{CAN}} | birthdate = {{生年月日と年齢|1956|9|12|no}} | birthplace = [[File:Flag of Hong Kong (1955–1959).svg|25px]] [[イギリス領香港]][[九龍]] | deathdate = {{死亡年月日と没年齢|1956|9|12|2003|4|1}} | deathplace = {{HKG}}[[中環]][[マンダリン・オリエンタル香港]] | restingplace = | restingplacecoordinates = | othername = 哥哥 | english = Leslie Cheung | origin = | occupation = 歌手、俳優 | genre = [[香港ポップス]] | instrument = | voicetype = | label = Polydor Cinepoly Apex Music Universal | yearsactive = 1977年 – 2003年 | spouse = | partner = | children = | parents = 張活海 | influences = | influenced = | website = | hongkongfilmwards = 第10回 主演男優賞『[[欲望の翼]]』 | goldenbauhiniaawards 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Pie』を歌い準優勝。翌[[1977年]]から歌手として芸能活動を開始するが、しばらくは下積み生活に甘んじる。また、このころ親しくしていた女性の裏切りにより生活はすさみ、金銭的にも精神的にも苦難の日々が続く。 [[1983年]]に『風継続吹』([[山口百恵]]『[[さよならの向う側]]』のカバー)がヒット。[[1985年]]には『Monica』([[吉川晃司]]『[[モニカ (曲)|モニカ]]』のカバー)が大ヒット。一躍トップアイドルに踊り出た。[[1989年]]に歌手引退宣言し、[[カナダ]]へ移住する。しかし半年後に香港に戻り、芸能界に俳優として復帰。 === 俳優への道 === 俳優としては、[[1982年]]にパトリック・タム監督の『[[レスリー・チャン 嵐の青春]]』に出演し、後の[[ウォン・カーウァイ]]らニューウェーブに影響を与える。その後はいわゆる「アイドル映画」に出演。そして[[1986年]]に『[[男たちの挽歌]]』、[[1987年]]には『[[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー]]』など、数々の大ヒット作に出演。[[1990年]]、ウォン・カーウァイ監督の『[[欲望の翼]]』で[[香港電影金像奨]]主演男優賞受賞。[[1993年]]には中国の[[チェン・カイコー]]監督の『[[さらば、わが愛/覇王別姫]]』に出演、[[カンヌ国際映画祭]]パルムドールを受賞。[[1997年]]のウォン・カーウァイ監督『[[ブエノスアイレス (映画)|ブエノスアイレス]]』は、日本の単館上映記録を塗り替える大ヒットとなる。 [[1994年]]、[[陳可辛|ピーター・チャン]]監督の『[[君さえいれば/金枝玉葉]]』出演を切っ掛けに楽壇復帰。[[2000年]]に開催されたコンサート『PASSION』は、衣装設計を[[ジャン=ポール・ゴルチエ]]に依頼。そのファッション性で成功を収めた。 そして念願だった映画監督になるべく、多くのミュージッククリップやTVドラマ、短編フィルムなどを撮影した。監督デビューは[[1996年]]『[[夢翔る人/色情男女]]』での劇中ポルノ映画『色情男女』。 『覇王別姫』や『ブエノスアイレス』等、同性愛者を演じることが多かった。自身、決して公言はしなかったが、同性愛者であることを匂わせる発言は数多い。 === 自殺 === [[2003年]][[4月1日]]、香港の最高級[[ホテル]]「[[マンダリン・オリエンタル香港]]」より[[飛び降り]][[自殺]]。46歳没。 [[ファイル:HK LeslieCheung 60401.jpg|thumb|レスリー・チャンの命日に集うファン(2006年4月1日撮影)。]] 自殺の原因については、一年ほど前から[[鬱病]]を患っていたとされている。遺書が残されており、長年姉と慕った、[[沈殿霞]](リディア・サン)への感謝とお詫びが記されていた。自殺の現場になった「マンダリン・オリエンタル香港」の門前にはファンによって多数の花束と死を悼むメッセージカードがささげられ、同ホテルの門前は黒山の人だかりになった。葬儀には香港の芸能関係者のほとんどとファンが参列したという。 2005年11月8日に[[香港郵政]]は記念切手「香港流行歌星 Hong Kong Pop Singers」を発行した。切手には香港音楽史に足跡を残し、若くして亡くなった[[ロマン・タム]](羅文)、[[アニタ・ムイ]](梅艶芳)、[[ウォン・カークイ]](黄家駒)、[[ダニー・チャン]](陳百強)と共に起用され、レスリーは3[[香港ドル|ドル]]切手に登場した<ref>{{Cite news |title=Former greats of Canto-pop stamp their soul on Hong Kong |newspaper=[[サウスチャイナ・モーニング・ポスト|South China Morning Post]] |date=18 Oct, 2005 |author=Norma Connolly |url=https://www.scmp.com/article/520974/former-greats-canto-pop-stamp-their-soul-hong-kong |accessdate=2020-07-03}}</ref>。 2007年12月に[[日比谷公園]]に熱心なファン120人の賛同により「レスリー・チャンの思い出ベンチ」が設置された。ベンチのメッセージには、賛同者120人からのレスリーへの思いが込められている。 {{squote|bg=#FFF9D1|<poem align="center">Leslie Cheung 1956,9,12 私達を魅了し続ける 愛すべき張國榮の 音楽と映画、人生のすべてに 感謝を込めて Leslie Cheung Fans 有志120人</poem>}} == 主な出演作品 == === ビデオ === * ティーンエイジャーズ * 死の絆 * 十字路 * アイランド ストーリー * 歳月河山 === テレビドラマ === * 鰐魚淚 Crocodile tears(1978年) * 浣花洗劍錄 The Spirit of the Sword(1979年)……[[方宝兒]] 役 * 大内群英續集 Dynasty II(1980年)……[[方世玉]] 役 * 浮生六劫 Gone with the wind(1980年)……[[車穗生]] 役 * 小小心願 Make a Wish(1980年) * 珠海梟雄(1981年) * 遊俠張三豐 Tai Chi Master II(1981年)……[[懿文太子朱標]] 役 * 對對糊 Pairing(1981年) * [[レスリー・チャン 青春の季節]](1981年) * [[レスリー・チャン 凹凸私立探偵社]](1982年) * [[フォーエバー・ラヴァーズ]](1984年) * [[武林世家]](1985年) === 映画 === * [[君に逢いたくて 紅樓春上春]](1978年 香港)監督:[[カム・シン]] * 狗咬狗骨(1978年 香港)監督:[[シッ・ガーイン]] * 喝彩 Encore(1980年 香港) 監督:[[クリフォード・サイ]] * 失業生(1981年 香港) * [[レスリー・チャン 青春の光と影]](1981年 香港) * [[レスリー・チャン 嵐の青春]](1982年 香港)監督:[[パトリック・タム (映画監督)|パトリック・タム]] * [[レスリー・チャンの青春白書]](1982年 香港) * [[レスリー・チャンの神鳥英雄伝]](1982年 香港) * 衝激21 Energetic 21(1982年 香港) * [[レスリー・チャン 愛しのドラマー]](1983年 香港) * 第一次 First Time(1983年 香港) * [[君が好きだから (映画)|君が好きだから]](1984年 香港) * 三文治 Double Decker(1984年 香港) * [[メリー・クリスマス (映画)|メリー・クリスマス]](1984年 香港) * 驚情(1985年 香港) * 求愛反鬥星 Crazy Romance(1985年 香港) * [[レスリー・チャン あの日にかえりたい]](1985年 香港) * [[レスリー・チャン 君の瞳に恋してる]](1985年 香港) * [[男たちの挽歌]](1986年 香港)監督:[[ジョン・ウー]] * 偶然 Last Song In Paris (1986年 香港) * [[ルージュ (1987年の映画)|ルージュ]](1987年 香港)監督:[[スタンリー・クワン]] * [[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー]](1987年 香港)監督:[[チン・シウトン]] * [[男たちの挽歌II]](1987年 香港)監督:[[ジョン・ウー]] * 殺之戀(1988年 香港)監督:梁普智 * [[悪漢探偵5 最後のミッション]](1989年 香港) * 日落巴黎(1989年 香港) * [[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2]](1989年 香港)監督:[[チン・シウトン]] * [[欲望の翼]](1990年 香港)監督:[[ウォン・カーウァイ]] * 豪門夜宴 The Banquet (1991年 香港) * [[狼たちの絆]](1991年 香港) * 藍江傳之反飛組風雲 Arrest the Restless (1992年 香港) * [[ハッピー・ブラザー]](1992年 香港) * [[恋はマジック (映画)|恋はマジック]](1993年 香港) * [[大英雄]](1993年 香港) * [[さらば、わが愛/覇王別姫]](1993年 中国・香港)監督:[[チェン・カイコー]] * [[キラーウルフ 白髪魔女伝]](1993年 香港) * [[白髮魔女伝2]](1993年 香港) * [[幸せはイブの夜に]](1994年 香港) * [[楽園の瑕]](1994年 香港)監督:[[ウォン・カーウァイ]] * [[君さえいれば/金枝玉葉]](1994年 香港)監督:[[陳可辛|ピーター・チャン]] * [[レスリー・チャンの恋はあせらず]](1994年 香港) * 記得香蕉成熟時II初戀情人 Over the Rainbow Under the Skirt (1994年 香港) * [[金玉満堂/決戦!炎の料理人]](1995年 中国・香港)監督:[[ツイ・ハーク]] * [[夜半歌聲/逢いたくて、逢えなくて]](1995年 香港) * [[ボクらはいつも恋してる! 金枝玉葉2]](1996年 香港)監督:[[陳可辛|ピーター・チャン]] * [[恋する天使]](1996年 香港) * [[上海グランド#映画|上海グランド]](1996年 香港) * [[男生女相]](1996年 香港)監督:[[スタンリー・クワン]] * [[花の影]](1996年 中国・香港)監督:[[チェン・カイコー]] * [[夢翔る人/色情男女]](1996年 香港)監督:[[イー・トンシン]] * [[ブエノスアイレス (映画)|ブエノスアイレス]](1997年 香港)監督:[[ウォン・カーウァイ]] * [[ラッキー・ファミリー]](1997年 香港) * [[歌って恋して]](1998年 香港) * [[アンナ・マデリーナ]](1998年 日本・香港) * 左右情緣 Left Right Love Destiny(1999年 香港) * [[追憶の上海]](1999年 香港) * [[流星 (映画)|流星]](1999年 香港) * [[もういちど逢いたくて/星月童話]](1999年 日本・香港)常盤貴子と共演 * [[ブエノスアイレス 摂氏零度]](1999年 香港) * [[恋戦。OKINAWA Rendez-vous]](2000年 香港) * [[ダブルタップ]](2000年 香港) * [[アッシュズ トゥ アッシュズ]](2000年 香港) * [[カルマ (映画)|カルマ]](2002年 香港) * [[楽園の瑕|楽園の瑕 終極版]](2008年 香港)……『楽園の瑕』の別編集バージョン == 主なアルバム == * DayDream(1977年)デビューアルバム。英語曲中心。 * 風繼續吹(1983年)山口百恵「さよならの向こう側」カバー収録アルバム。 * LESLIE(MONICA)(1984年)吉川晃司『モニカ』カバー収録。 * 愛慕(1986年)西城秀樹『追憶の瞳〜Lola〜』カバー収録。 * 張國榮(1986年)本人出演映画「男たちの挽歌」主題歌「當年情」収録。 * SUMMER ROMANCE(1987年)1987年に香港で最も売れたアルバム。 * Virgin Snow(1988年)本人主演映画「男たちの挽歌II」主題歌「奔向末來日子」収録。 * SALUTE(1989年)香港の往年のヒット曲を自ら歌ったアルバム。 * 寵愛(1995年)本人が出演した映画の主題歌を自ら歌ったアルバム。 * 紅(1996年)歌手本格復帰アルバム。 * Gift(1998年)収録曲マシュマロは[[CHAGE]]の提供曲。ボーカルプロデュースは[[花崎雅芳]]。 * 大熱(2000年)[[フェイ・ウォン]]と共演した映画「恋戦。OKINAWA」主題歌とそのミュージック・ビデオを収録。 == 主なシングル == * 終始会行運(1984年)『[[鹿鼎記 (1984年のテレビドラマ)|鹿鼎記]]』オープニングテーマ * Monica(1985年)[[吉川晃司]]『[[モニカ (曲)|モニカ]]』カバー == 関連書籍 == * 『レスリー : レスリー・チャンのすべて』([[清永安雄]]著、[[産業編集センター]]、1999年) ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{commonscat|Leslie Cheung}} {{Portal_LGBT}} * {{allcinema name|45091|レスリー・チャン}} * {{Kinejun name|52637|レスリー・チャン}} * {{imdb name|0002000|Leslie Cheung}} * [https://ameblo.jp/lcing/ レスリー・チャン(張國榮)スマイル] {{ja icon}} * [http://www.lesliecheung.com/ Leslie Cheung Internet Fan Club] {{en icon}} * [http://www.leslie-cheung.info/ 哥哥香港網站] {{zh icon}} * [http://www.leslieclub.com/index.htm LeslieClub] {{zh icon}} * [http://www.lesliecheung.cc/ Leslie Chueng Cyberworld] {{zh icon}} * [http://www.leslie-cheung.com/ Leslie Chueng Artist Studies] {{zh icon}} * [http://leslietong.com/ 聚榮堂] {{zh icon}} {{金針奨受賞者}} {{香港電影金像奨最優秀主演男優賞}} {{演芸動力大奨最も著名な映画男優}} {{演芸動力大奨最も著名な男性歌手}} {{勁歌金曲頒奨典礼一番人気男性歌手}} {{叱咤楽壇流行榜男性歌手金賞}} {{Authority control}} {{デフォルトソート:ちやん れすりい}} [[Category:レスリー・チャン|*]] [[Category:香港の男優]] [[Category:香港の男性歌手]] [[Category:香港電影金像奨受賞者]] [[Category:LGBTの俳優]] [[Category:バイセクシュアルの音楽家]] [[Category:バイセクシュアルの男性]] [[Category:香港出身のLGBTの音楽家]] [[Category:客家人]] [[Category:香港出身の人物]] [[Category:自殺したLGBTの人物]] [[Category:自殺した中国の人物]] [[Category:20世紀の俳優]] [[Category:21世紀の俳優]] [[Category:20世紀の音楽家]] [[Category:21世紀の音楽家]] [[Category:1956年生]] [[Category:2003年没]] [[Category:香港のカナダへの移民]]
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数理論理学
数理論理学(すうりろんりがく、英 : mathematical logic)または現代論理学、記号論理学、数学基礎論、超数学は、数学の分野の一つであり、「数学の理論を展開する際にその骨格となる論理の構造を研究する分野」を指す。数理論理学(数学基礎論)と密接に関連している分野としてはコンピュータ科学(計算機科学)や理論コンピュータ科学(理論計算機科学)などがある。 数理論理学の主な目的は形式論理の数学への応用の探求や数学的な解析などであり、共通課題としては形式的体系の表現力や形式証明系の演繹の能力の研究が含まれる。 数理論理学はしばしば集合論、モデル理論、再帰理論、証明論の4つの領域に分類される。これらの領域はロジックのとくに一階述語論理や定義可能性に関する結果を共有している。計算機科学(とくにACM Classification(英語版)に現れるもの)における数理論理学の役割の詳細はこの記事には含まれていない。詳細は計算機科学におけるロジック(英語版)を参照。 この分野が始まって以来、数理論理学は数学基礎論の研究に貢献し、また逆に動機付けられてきた。数学基礎論は幾何学、代数学、解析学に対する公理的枠組みの開発とともに19世紀末に始まった。20世紀初頭、数学基礎論は、ヒルベルトのプログラムによって、数学の基礎理論の無矛盾性を証明するものとして形成された。クルト・ゲーデルとゲルハルト・ゲンツェンによる結果やその他は、プログラムの部分的な解決を提供しつつ、無矛盾性の証明に伴う問題点を明らかにした。集合論における仕事は殆ど全ての通常の数学を集合の言葉で形式化できることを示した。しかしながら、集合論に共通の公理からは証明することができない幾つかの命題が存在することも知られた。むしろ現代の数学基礎論では、全ての数学を展開できる公理系を見つけるよりも、数学の一部がどのような特定の形式的体系で形式化することが可能であるか(逆数学のように)ということに焦点を当てている。 Handbook of Mathematical Logic は数理論理学を大まかに次の4つの領域に分類している: それぞれの領域は異なる焦点を持っているものの、多くの技法や結果はそれら複数の領域の間で共有されている。これらの領域を分かつ境界線や、数理論理学と他の数学の分野とを分かつ境界線は、必ずしも明確ではない。ゲーデルの不完全性定理は再帰理論と証明論のマイルストーンであるだけではなく、様相論理におけるレープの定理(英語版)を導く。強制法の手法は集合論、モデル理論、再帰理論のほか直観主義的数学の研究などでも用いられる。 圏論の分野では多くの形式公理的方法を用いる。それには圏論的論理(英語版)の研究も含まれる。しかし圏論は普通は数理論理学の下位分野とは見做されない。圏論の応用性は多様な数学の分野に亙っているため、ソーンダース・マックレーンなどの数学者らは、集合論とは独立な数学のための基礎体系としての圏論を提案している。これはトポスと呼ばれる古典または非古典論理に基づく集合論の成す圏に類似の性質を持つ圏を基礎に置く方法である。 数理論理学は、19世紀の中頃、伝統的論理学とは独立な数学の下位分野として登場した(Ferreirós 2001, p. 443)。これが登場する以前、論理学は修辞学また哲学とともに、三段論法を通じて研究されていた。20世紀の前半は数学の基礎に関する活発な議論とともに、基本的な多くの結果が見られる。 論理に関する理論は多くの文化と歴史の中で発展してきた。その中には中国、インド、ギリシャ、イスラーム世界が含まれる。18世紀のヨーロッパでは、形式論理の演算子を記号的または代数的な方法の中で取り扱おうという試みが、哲学的数学者によってなされた。その中にはゴットフリート・ライプニッツとランベルトが含まれる。しかしライプニッツらの仕事は孤立して残っているばかりでよく知られていない。 19世紀半ば、ジョージ・ブールとオーガスタス・ド・モルガンは体系的で数学的な論理の取り扱いを与えた。ブールらの仕事は、ジョージ・ピーコックなどの代数学者の仕事の上に打ち立てられたものであり、アリストテレスの伝統的論理学を、数学基礎論を十分に研究できる枠組みに拡張した(Katz 1998, p. 686)。 チャールズ・サンダース・パースは、1870年から1885年の自身の論文において、ブールの研究の上に関係と量化子のための論理体系を作り上げた。 ゴットロープ・フレーゲは1879年に発表した自身の概念記法において、量化子を含む論理の独自の開発を提示した。この仕事は論理の歴史における特徴的な転換点であると一般に考えられている。フレーゲの仕事は、この世紀の変わり目にバートランド・ラッセルが宣伝するまで日の目を見なかった。フレーゲの2次元的な表記法は広くは受け入れられず同時代のテキストでも使用されていない。 1890年から1905年、エルンスト・シュレーダーは Vorlesungen über die Algebra der Logik を3つの巻に出版した。シュレーダーの仕事はブール、ド・モルガン、パースらの仕事をまとめ、拡張し、19世紀終わりに理解されていた記号論理学の包括的な手引書となった。 数学が正確な基礎の上に築かれていなかったことへの不安が、算術、解析、幾何のような数学の基礎的な領域に対する公理系の開発をもたらした。 論理学において、算術とは自然数の理論を意味する。ジュゼッペ・ペアノ(1889)は後に彼の名前が付けられた算術の公理系(ペアノの公理)を発表した。これはブールとシュレーダーの論理体系の変種を用いているが、量化記号が追加されている点で異なる。ペアノはこのときフレーゲの仕事を知らなかった。同時期にリヒャルト・デデキントは、自然数の全体はそれらの帰納法の性質によって一意的に特徴づけられることを示した。デデキント(1888)は別の特徴付けを提案した。その特徴付けは、ペアノの公理にあったような形式論理的な性格を欠いていたが、ペアノの公理においては到達できない定理を証明するものであった。それには自然数の集合の(同型を除いた)一意性と、加法と乗法の後者関数と数学的帰納法に基づく再帰的定義が含まれる。 19世紀中頃、ユークリッドの幾何学の公理の欠陥が世に知られるようになった (Katz 1998, p. 774)。1826年にニコライ・ロバチェフスキーによって確立された平行線公準の独立性 (Lobachevsky 1840) に加え、数学者達は、ユークリッドが明らかと考えていた幾つかの定理が、実際にはユークリッドの公理からは証明できないことを発見した。それらの中には、直線は少なくとも二点を含むという定理や、同じ半径を持ち中心が半径と同じ距離だけ離れている二つの円は交わらねばならないという定理がある。ヒルベルト (1899) はパッシュの先行研究 (1882) のもとに、完全な幾何学の公理(英語版)の集合を開発した。幾何学の公理化の成功はヒルベルトに他の数学の分野(自然数や数直線など)の完全な公理化を探求するよう動機付けた。これが20世紀前半の主要な研究領域となることが分かる。 20世紀の最初の10年における研究の主領域は集合論と形式論理であった。非形式的な集合論におけるパラドックスの発見は、数学それ自身が無矛盾であるのかを疑わせるものであり、無矛盾性の証明の必要に迫られた。 1900年、ダフィット・ヒルベルトはヒルベルトの23の問題の幾つかを次の世紀へと提出した。その最初の2つは連続体仮説の解決と初等算術(実数論)の無矛盾性の証明であった。第10番は整数上の多変数多項式からなる方程式(ディオファントス方程式)が解を持つかを決定する手続きを求めるものであった。これらの問題を解くための次なる仕事によって、数理論理学の方向性が決定づけられ、1928年に提出されたヒルベルトのEntscheidungsproblem(英語版)(決定問題)を解決する努力へと向かうことになった。この問題は与えられた形式化された数学的言明について、それが真か偽かを決定する手続きを問うものである。 エルンスト・ツェルメロ(1904)は任意の集合が整列可能であることの証明を与えた。この結果はゲオルク・カントールには得ることができなかったものである。ツェルメロはその証明を完成させるために選択公理を導入した。これは数学者と集合論の先駆者達の間の激しい論戦と研究を引き起こすことになる。即座に浴びた批判から、ツェルメロは自身の結果の第2の解説を出版した(Zermelo 1908a)。この論文はツェルメロの証明に対する批判に直接対処するものであり、これによって数学界において選択公理が広く受け入れられることになった。 選択公理に関する疑念は最近の素朴集合論におけるパラドックスの発見により強化された。集合論のパラドックスについて初めて述べたのはチェザーレ・ブラリ・フォルティ(1897)である:ブラリ=フォルティのパラドックスは全ての順序数からなる集まりが集合を成さないことを示す。その直後に、バートランド・ラッセルは1901年にラッセルのパラドックスを、ジュール・リシャール(1905)はリシャールのパラドックスを発見した。 ツェルメロ(1908b)は集合論に対する最初の公理化を与えた。ツェルメロの公理にアドルフ・フレンケルによる置換公理を加えたものは今日ではツェルメロ=フレンケル集合論(ZF)の名で知られる。ツェルメロの公理にはラッセルのパラドックスを回避するためのサイズの制限の原理が組み込まれた。 1910年にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルによる プリンキピア・マテマティカ の第一巻が出版された。この重要な著作は、関数と基数に関する理論を型理論の完全に形式的な枠組みの中で展開した。型理論はパラドックスを回避するラッセルとホワイトヘッドの努力のもとに開発されたものである。型理論の枠組みは数学の基礎理論として普及しなかったが(Ferreirós 2001, p. 445)、プリンキピア・マテマティカ は20世紀の最も影響力のある研究のひとつと見做されている。 フレンケル(1922)は、選択公理が原子(英語版)付きツェルメロ集合論の残りの公理からは証明できないことを証明した。後のポール・コーエン(1966)による仕事は、(その証明には)原子の追加が不要であって、選択公理はZFにおいて証明不可能であることを示した。コーエンの証明は強制法の手法を生み、今日では集合論における独立性結果(英語版)を確立するための重要なツールとなっている。 レオポルト・レーヴェンハイム(英語版)(1915)とトアルフ・スコーレム(1920)はレーヴェンハイム-スコーレムの定理を得た。これは一階述語論理は無限構造の濃度を制御できないことを述べる。スコーレムは、この定理を一階で形式化された集合論へ適用でき、そのいかなる形式化も可算モデルを持つことが導かれる、ということに気付いた。この直観に反する結果はスコーレムのパラドックスとして知られることになった。 ゲーデルは自身の博士論文(1929)において完全性定理を示した。これは一階論理における構文論と意味論の間の対応を確立する。ゲーデルは完全性定理をコンパクト性定理の証明に用いた。これは一階の論理的帰結の有限性を立証する。これらの結果は一階論理を数学者にとって支配的な論理として確立することを助けた。 1931年、ゲーデルはプリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系において形式的に決定不可能な命題について(英語版)を出版した。ここでは、十分に強く、実効的な一階理論が不完全(完全性定理のそれとは異なる意味である)であることを示されている。この結果はゲーデルの不完全性定理として知られ、数学の公理的基礎の厳密な限界を示すものであり、ヒルベルト・プログラムに大きな打撃を与えた。これは算術の無矛盾性をいかなる算術の形式理論においても証明できないことを示している。しかしながら、ヒルベルトは、不完全性定理の重要性を、あるときまで認めなかった。 ゲーデルの定理は十分に強く、実効的な公理系の無矛盾性の証明はそれが無矛盾である限り、それ自身からもそれよりも弱い体系からも得られないことを示す。これはいま考えている体系で形式化できないような無矛盾性証明の可能性については未解決のまま残す。ゲンツェン(1936)は算術の無矛盾性を超限帰納法の原理を持つ有限的な体系を用いて証明した。ゲンツェンの結果はカット除去と証明論的順序数の概念を生み出し、これらは証明論における主要な道具となった。ゲーデル(1958)は別の無矛盾性証明を与えた。これは古典算術の無矛盾性を高階直観主義算術の無矛盾性に還元することで為された。 アルフレッド・タルスキはモデル理論の基礎を発展させた。 1935年初頭、著名な数学者らは網羅的な数学の教科書のシリーズを出版するためにニコラ・ブルバキというペンネームで集結した。これらの教科書は禁欲的かつ公理的に記述されており、厳格な記述と集合論的な基礎を強調した。これらの教科書から生まれた用語、例えば全単射、単射、全射や、教科書で採用された集合論的な基礎は、広く数学に採用された。 計算可能性の研究は再帰理論として知られるようになった。これはゲーデルとクリーネによる計算可能性の初期の定式化が関数の再帰的定義に基づいていたことによる。それらの定義がチューリングによるチューリング機械を用いた定式化と同値であることが示されたことで、計算可能関数という新しい概念が見出され、またこの定義が多数の独立な特徴付けを許すようなロバスト性を持つことが明らかになった。1931年の不完全性定理に関するゲーデルの仕事では、実効的な形式的体系の厳格な概念(規定)を欠いていた。ゲーデルは計算可能性の新しい定義が不完全性定理の設定の一般化に使えることに気付いた。 再帰理論における多くの結果は1940年代にスティーヴン・コール・クリーネとエミール・ポストによって得られた。クリーネ(1943)は相対的計算可能性と算術的階層の概念を導入した。前者はチューリング(1939)で暗示されていたものである。クリーネは後に再帰理論を高階汎関数へ一般化した。クリーネとクライゼルは形式的な直観主義数学、とくに再帰理論の文脈でのそれを研究した。 数理論理学の中心では形式論理体系を用いて表現された数学の概念を取り扱う。それらの体系は、多くの細部の差異はあるが、固定した形式言語で記述されるという共通の性質がある。命題論理と一階述語論理の体系は今日では最も広く研究されている。それは数学基礎論への応用可能性とそれらの望ましい証明論的な性質の故である。より強い古典論理、例えば二階述語論理や無限論理もまた直観主義論理とともに研究されている。 一階論理は特定の形式的体系である。その構文論(証明論)は有限個の表現―構文的に正しい(well-formed)式だけからなるが、その意味論は量化子を固定された議論領域への制限として特徴付けられる。 形式論理の初期の結果は一階論理の限界を明らかにした。レーヴェンハイム=スコーレムの定理(1919)は、可算な一階の言語における文の集合が無限モデルを持つならば、それは任意の濃度のモデルを少なくともひとつ持つことを示した。これは一階論理の公理系によって、自然数、実数ほか、いかなる無限構造も同型を除いて特徴づけることができないことを示している。初期の基礎論的研究の目標が数学の全部分の公理的理論を生み出すことであったから、この限界はとりわけ冷徹なものであった。 ゲーデルの完全性定理 (Gödel 1929) は一階論理の論理的帰結に対する構文論的定義と意味論的定義の同値性を確立した。これは、もしある特定の文が、ある特定の公理の集合を満たすあらゆるモデルで真であるならば、それらの公理からその文への有限な演繹が存在することを示している。 一階述語論理の他にも多くの論理体系が考えられている。それらのうちには無限の長さの証明や論理式を許す無限論理や、意味論に集合論の一部分を直接含むような高階述語論理も含まれる。 最もよく調べられている無限論理は L ω 1 , ω {\displaystyle L_{\omega _{1},\omega }} である。この論理においては、一階述語論理のように量化子の入れ子の深さは有限(つまり深さ ω {\displaystyle \omega } 未満)だけを許すが、論理式は有限または可算無限(つまり長さ ω 1 {\displaystyle \omega _{1}} 未満)の連言や選言をその内に含むことを許す。すると、例えば、ある対象が自然数であるという性質を L ω 1 , ω {\displaystyle L_{\omega _{1},\omega }} の論理式によって次のように書ける: 高階述語論理は議論領域の要素だけではなく議論領域の部分集合(述語)、議論領域の冪集合の部分集合(述語の述語)、さらに高階の対象に対する量化を許した論理である。その意味論は、それぞれの高階型の量化子に対して独立した議論領域を割り当てるよりは、量化子は適切な型の全ての対象に及ぶように定義される。現在の形の一階述語論理が開発される以前に研究されていた論理、例えばフレーゲの論理など、は集合論的な側面を持っていた。高階述語論理はより表現力が高く、自然数の構造の完全な公理化すら可能であるけれども、一階述語論理における完全性やコンパクト性定理に対応する性質を高階述語論理は持たない。また一階述語論理の持つ証明論的なよい性質の多くは高階述語論理では失われている。 他のタイプの論理としては不動点論理があり、これは原始帰納的関数の記述に使われるような帰納的定義を許す。 様相論理は追加の様相演算子を含む論理である。様相演算子とは例えば必然的に真である、真である可能性があるといった意味を持つ演算子である。しかしながら、様相論理は大抵は数学の公理化のために使われることはなく、一階述語論理の証明可能性(Solovay 1976)や集合論的な強制法(Hamkins and Löwe 2007)の研究などに用いられる。 直観主義論理はブラウワーの直観主義(ブラウワー自身はその形式化を避けたが)のプログラムの研究からハイティングによって形式化・発展せられたものである。直観主義論理は排中律、すなわち任意の文が真または偽であるという原理を、明確に含まない論理である。クリーネの直観主義論理の証明論に関する仕事は、直観主義的な証明からは構成的な情報が復元できることを示している。例えば、直観主義的算術のいかなる証明可能全域関数も計算可能である。このことはペアノ算術のような算術の古典理論においては成立しない。 代数的論理学は形式論理の意味論の研究に抽象代数学の手法を用いる。基本的な例としては、古典命題論理の真理値の表現にブール代数を用いたり、直観主義命題論理の真理値の表現にハイティング代数を用いたりすることが挙げられる。もっと強い論理、例えば一階述語論理や高階述語論理についても、筒状代数(英語版)のようなもっと複雑な代数的構造が用いられる。 モデル理論は様々な形式理論のモデルを研究する。ここで理論(英語版)とは特定の形式論理に於ける論理式とシグネチャ(英語版)からなる集まりで、モデル(英語版)とはその理論の具体的な解釈を与える構造である。モデル理論は普遍代数と代数幾何学に密接に関係しているが、モデル理論の手法は他の分野よりも論理的な考察に重きを置いている。 特定の理論の全てのモデルからなる集合は初等クラスと呼ばれる;古典モデル理論は特定の初等クラスの性質を決定しようとしたり、あるいは構造からなる或るクラスが初等クラスとなるか否かを決定しようとする。 量化記号消去の手法は特定の理論における定義可能集合がそこまで複雑ではないことを示すことに使える。タルスキ(1948)は実閉体の量化記号消去(これは実数体の理論が決定可能であることをも示す結果である)を確立した。(彼はまた自身の手法が任意の標数の代数閉体にもそのまま適用可能であることを指摘した。)ここから発展した現代的な副分野は順序極小構造(英語版)に関わる。 マイケル・D・モーレイ(英語版)(1965)によって証明されたモーレイの範疇性定理(英語版)は、もし可算言語上の一階理論が或る非可算濃度について範疇的(つまりその濃度を持つ全てのモデルが同型)ならば、全ての非可算濃度で範疇的となることを述べる。 連続体仮説からの自明な帰結として、連続体濃度個未満の互いに非同型な可算モデルを持つような完全理論はそれ(非同型モデル)をちょうど可算個だけ持つこと、がある。ロバート・ローソン・ヴォート(英語版)に因むヴォート予想(英語版)はこれが連続体仮説とは無関係に真であることを主張する。この予想は多くの特別なケースについて確立されている。 再帰理論(計算可能性理論とも呼ばれる)は計算可能関数とチューリング次数(これは計算不可能関数を同じレベルの計算不可能性を持つ集合に分ける)の性質を研究する。再帰理論はまた一般計算可能性と定義可能性の研究を含む。再帰理論はアロンゾ・チャーチとアラン・チューリングによる1930年代の仕事(これはクリーネとポストによって1940年代に大きく拡張された)から生まれた。 古典再帰理論は自然数から自然数への関数の計算可能性に着目する。基本的な結果は、チューリング機械やラムダ計算やその他のシステムなど、多数の独立だが同値な特徴づけを持つ、ロバストかつカノニカルな計算可能関数のクラスを確立したことである。より高度な結果はチューリング次数の構造や帰納的可算集合の成す束に関するものである。 一般再帰理論は再帰理論の諸概念をもはや有限ではないような計算へと拡張する。そこには高階の型の計算可能性の研究や超算術的理論(英語版)やアルファ再帰理論(英語版)などの分野を同様に含む。 再帰理論の現代的研究には、純粋な再帰理論の新しい結果と同様に、その応用研究(例えばアルゴリズム的ランダム性、計算可能モデル理論(英語版)、逆数学など)が含まれる。 再帰理論の重要な部分領域ではアルゴリズム的に非可解な問題が研究される;決定問題または関数問題がアルゴリズム的に非可解(英: algorithmically unsolvable)あるいは決定不可能(英: undecidable)とは、任意の合法な入力に対して正しい解を返すような計算可能なアルゴリズムが存在しないことをいう。決定不可能性に関する最初の結果は、1936年にチャーチとチューリングによって独立に得られたもので、一階述語論理の決定問題がアルゴリズム的に非可解であるというものである。チュ―リングはこれを停止性問題の決定不可能性を示すことによって証明した。この結果は再帰理論と計算機科学の双方に広範な示唆を与えるものである。 通常の数学においても多くの決定不可能問題の例が知られている。群の語の問題は1955年のピョートル・ノビコフと1959年のW.ボーンによって独立に証明せられた。ビジービーバー問題は1962年にTibor Radóによって与えられた別のよく知られた例である。 ヒルベルトの第10問題は多変数整数係数代数方程式(ディオファントス方程式)が整数解を持つか否かを決定するアルゴリズムの存在を問うものである。部分的な解答はジュリア・ロビンソン、マーティン・デイビス、ヒラリー・パトナムらによって与えられた。この問題のアルゴリズム的非可解性はユーリ・マチャセヴィッチによって1970年に証明された(Davis 1973)。 証明論は様々な論理推論体系における形式的証明の研究である。それら形式的証明は形式的な数学的対象であるから、それらの解析は数学的手法を用いて行うことができる。ヒルベルト流の体系、自然演繹の体系、ゲンツェンによって開発されたシークエント計算などを含む、いくつかの推論体系はよく考察される 数理論理学の文脈において、構成的数学の研究は、可述的体系の研究のような、非古典論理の体系の研究を含む。可述主義の初期の支持者はヘルマン・ワイルである。彼は実解析の大部分を可述的な方法だけを用いて展開できることを示した(Weyl 1918)。 形式的証明は完全に有限的なものであるが、構造における真理性はそうでないことから、構成的数学での作業では証明可能性を強調することが多い。古典(または非構成的)体系における証明可能性と直観主義(または構成的)体系での証明可能性との間の関係はとりわけ関心が持たれる。ゲーデル・ゲンツェン変換のような結果は古典論理を直観主義論理に埋め込む(翻訳する)ことが可能であることを示している。直観主義的証明に関するある性質は古典論理の証明に関するそれに逆翻訳できる。 最近の証明論における発展にはUlrich Kohlenbachによるproof miningの研究やMichael Rathjenによる証明論的順序数の研究が含まれる。 計算機科学における計算可能性理論の研究は数理論理学における計算可能性の研究と密接に関係している。ただしその重視されている点に違いがある。計算機科学者はしばしば具体的なプログラミング言語と実際的計算可能性に焦点を当てるが、数理論理学における研究者達は理論的な概念としての計算可能性と計算不可能性に焦点を当てる。 プログラミング言語の意味論の理論はプログラム検証(とくにモデル検査)などモデル理論に関係する。証明とプログラムの間のカリー・ハワード対応は証明論のとくに直観主義論理に関係する。ラムダ計算やコンビネータ論理のような形式計算は理想化されたプログラミング言語として研究される。 計算機科学はまた自動定理証明や論理プログラミングのような自動検証や証明探索の技術の開発によって数学に寄与している。 記述計算量理論は論理と計算量を関係づける。この領域での最初の重要な結果であるフェイギンの定理(1974)はNPがexistencialな二階述語論理の論理式で表現可能な言語の成す集合とちょうど一致することを示す。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "数理論理学(すうりろんりがく、英 : mathematical logic)または現代論理学、記号論理学、数学基礎論、超数学は、数学の分野の一つであり、「数学の理論を展開する際にその骨格となる論理の構造を研究する分野」を指す。数理論理学(数学基礎論)と密接に関連している分野としてはコンピュータ科学(計算機科学)や理論コンピュータ科学(理論計算機科学)などがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "数理論理学の主な目的は形式論理の数学への応用の探求や数学的な解析などであり、共通課題としては形式的体系の表現力や形式証明系の演繹の能力の研究が含まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "数理論理学はしばしば集合論、モデル理論、再帰理論、証明論の4つの領域に分類される。これらの領域はロジックのとくに一階述語論理や定義可能性に関する結果を共有している。計算機科学(とくにACM Classification(英語版)に現れるもの)における数理論理学の役割の詳細はこの記事には含まれていない。詳細は計算機科学におけるロジック(英語版)を参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "この分野が始まって以来、数理論理学は数学基礎論の研究に貢献し、また逆に動機付けられてきた。数学基礎論は幾何学、代数学、解析学に対する公理的枠組みの開発とともに19世紀末に始まった。20世紀初頭、数学基礎論は、ヒルベルトのプログラムによって、数学の基礎理論の無矛盾性を証明するものとして形成された。クルト・ゲーデルとゲルハルト・ゲンツェンによる結果やその他は、プログラムの部分的な解決を提供しつつ、無矛盾性の証明に伴う問題点を明らかにした。集合論における仕事は殆ど全ての通常の数学を集合の言葉で形式化できることを示した。しかしながら、集合論に共通の公理からは証明することができない幾つかの命題が存在することも知られた。むしろ現代の数学基礎論では、全ての数学を展開できる公理系を見つけるよりも、数学の一部がどのような特定の形式的体系で形式化することが可能であるか(逆数学のように)ということに焦点を当てている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "Handbook of Mathematical Logic は数理論理学を大まかに次の4つの領域に分類している:", "title": "下位分野" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "それぞれの領域は異なる焦点を持っているものの、多くの技法や結果はそれら複数の領域の間で共有されている。これらの領域を分かつ境界線や、数理論理学と他の数学の分野とを分かつ境界線は、必ずしも明確ではない。ゲーデルの不完全性定理は再帰理論と証明論のマイルストーンであるだけではなく、様相論理におけるレープの定理(英語版)を導く。強制法の手法は集合論、モデル理論、再帰理論のほか直観主義的数学の研究などでも用いられる。", "title": "下位分野" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "圏論の分野では多くの形式公理的方法を用いる。それには圏論的論理(英語版)の研究も含まれる。しかし圏論は普通は数理論理学の下位分野とは見做されない。圏論の応用性は多様な数学の分野に亙っているため、ソーンダース・マックレーンなどの数学者らは、集合論とは独立な数学のための基礎体系としての圏論を提案している。これはトポスと呼ばれる古典または非古典論理に基づく集合論の成す圏に類似の性質を持つ圏を基礎に置く方法である。", "title": "下位分野" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "数理論理学は、19世紀の中頃、伝統的論理学とは独立な数学の下位分野として登場した(Ferreirós 2001, p. 443)。これが登場する以前、論理学は修辞学また哲学とともに、三段論法を通じて研究されていた。20世紀の前半は数学の基礎に関する活発な議論とともに、基本的な多くの結果が見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "論理に関する理論は多くの文化と歴史の中で発展してきた。その中には中国、インド、ギリシャ、イスラーム世界が含まれる。18世紀のヨーロッパでは、形式論理の演算子を記号的または代数的な方法の中で取り扱おうという試みが、哲学的数学者によってなされた。その中にはゴットフリート・ライプニッツとランベルトが含まれる。しかしライプニッツらの仕事は孤立して残っているばかりでよく知られていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "19世紀半ば、ジョージ・ブールとオーガスタス・ド・モルガンは体系的で数学的な論理の取り扱いを与えた。ブールらの仕事は、ジョージ・ピーコックなどの代数学者の仕事の上に打ち立てられたものであり、アリストテレスの伝統的論理学を、数学基礎論を十分に研究できる枠組みに拡張した(Katz 1998, p. 686)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "チャールズ・サンダース・パースは、1870年から1885年の自身の論文において、ブールの研究の上に関係と量化子のための論理体系を作り上げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ゴットロープ・フレーゲは1879年に発表した自身の概念記法において、量化子を含む論理の独自の開発を提示した。この仕事は論理の歴史における特徴的な転換点であると一般に考えられている。フレーゲの仕事は、この世紀の変わり目にバートランド・ラッセルが宣伝するまで日の目を見なかった。フレーゲの2次元的な表記法は広くは受け入れられず同時代のテキストでも使用されていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1890年から1905年、エルンスト・シュレーダーは Vorlesungen über die Algebra der Logik を3つの巻に出版した。シュレーダーの仕事はブール、ド・モルガン、パースらの仕事をまとめ、拡張し、19世紀終わりに理解されていた記号論理学の包括的な手引書となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "数学が正確な基礎の上に築かれていなかったことへの不安が、算術、解析、幾何のような数学の基礎的な領域に対する公理系の開発をもたらした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "論理学において、算術とは自然数の理論を意味する。ジュゼッペ・ペアノ(1889)は後に彼の名前が付けられた算術の公理系(ペアノの公理)を発表した。これはブールとシュレーダーの論理体系の変種を用いているが、量化記号が追加されている点で異なる。ペアノはこのときフレーゲの仕事を知らなかった。同時期にリヒャルト・デデキントは、自然数の全体はそれらの帰納法の性質によって一意的に特徴づけられることを示した。デデキント(1888)は別の特徴付けを提案した。その特徴付けは、ペアノの公理にあったような形式論理的な性格を欠いていたが、ペアノの公理においては到達できない定理を証明するものであった。それには自然数の集合の(同型を除いた)一意性と、加法と乗法の後者関数と数学的帰納法に基づく再帰的定義が含まれる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "19世紀中頃、ユークリッドの幾何学の公理の欠陥が世に知られるようになった (Katz 1998, p. 774)。1826年にニコライ・ロバチェフスキーによって確立された平行線公準の独立性 (Lobachevsky 1840) に加え、数学者達は、ユークリッドが明らかと考えていた幾つかの定理が、実際にはユークリッドの公理からは証明できないことを発見した。それらの中には、直線は少なくとも二点を含むという定理や、同じ半径を持ち中心が半径と同じ距離だけ離れている二つの円は交わらねばならないという定理がある。ヒルベルト (1899) はパッシュの先行研究 (1882) のもとに、完全な幾何学の公理(英語版)の集合を開発した。幾何学の公理化の成功はヒルベルトに他の数学の分野(自然数や数直線など)の完全な公理化を探求するよう動機付けた。これが20世紀前半の主要な研究領域となることが分かる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "20世紀の最初の10年における研究の主領域は集合論と形式論理であった。非形式的な集合論におけるパラドックスの発見は、数学それ自身が無矛盾であるのかを疑わせるものであり、無矛盾性の証明の必要に迫られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1900年、ダフィット・ヒルベルトはヒルベルトの23の問題の幾つかを次の世紀へと提出した。その最初の2つは連続体仮説の解決と初等算術(実数論)の無矛盾性の証明であった。第10番は整数上の多変数多項式からなる方程式(ディオファントス方程式)が解を持つかを決定する手続きを求めるものであった。これらの問題を解くための次なる仕事によって、数理論理学の方向性が決定づけられ、1928年に提出されたヒルベルトのEntscheidungsproblem(英語版)(決定問題)を解決する努力へと向かうことになった。この問題は与えられた形式化された数学的言明について、それが真か偽かを決定する手続きを問うものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "エルンスト・ツェルメロ(1904)は任意の集合が整列可能であることの証明を与えた。この結果はゲオルク・カントールには得ることができなかったものである。ツェルメロはその証明を完成させるために選択公理を導入した。これは数学者と集合論の先駆者達の間の激しい論戦と研究を引き起こすことになる。即座に浴びた批判から、ツェルメロは自身の結果の第2の解説を出版した(Zermelo 1908a)。この論文はツェルメロの証明に対する批判に直接対処するものであり、これによって数学界において選択公理が広く受け入れられることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "選択公理に関する疑念は最近の素朴集合論におけるパラドックスの発見により強化された。集合論のパラドックスについて初めて述べたのはチェザーレ・ブラリ・フォルティ(1897)である:ブラリ=フォルティのパラドックスは全ての順序数からなる集まりが集合を成さないことを示す。その直後に、バートランド・ラッセルは1901年にラッセルのパラドックスを、ジュール・リシャール(1905)はリシャールのパラドックスを発見した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ツェルメロ(1908b)は集合論に対する最初の公理化を与えた。ツェルメロの公理にアドルフ・フレンケルによる置換公理を加えたものは今日ではツェルメロ=フレンケル集合論(ZF)の名で知られる。ツェルメロの公理にはラッセルのパラドックスを回避するためのサイズの制限の原理が組み込まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1910年にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルによる プリンキピア・マテマティカ の第一巻が出版された。この重要な著作は、関数と基数に関する理論を型理論の完全に形式的な枠組みの中で展開した。型理論はパラドックスを回避するラッセルとホワイトヘッドの努力のもとに開発されたものである。型理論の枠組みは数学の基礎理論として普及しなかったが(Ferreirós 2001, p. 445)、プリンキピア・マテマティカ は20世紀の最も影響力のある研究のひとつと見做されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "フレンケル(1922)は、選択公理が原子(英語版)付きツェルメロ集合論の残りの公理からは証明できないことを証明した。後のポール・コーエン(1966)による仕事は、(その証明には)原子の追加が不要であって、選択公理はZFにおいて証明不可能であることを示した。コーエンの証明は強制法の手法を生み、今日では集合論における独立性結果(英語版)を確立するための重要なツールとなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "レオポルト・レーヴェンハイム(英語版)(1915)とトアルフ・スコーレム(1920)はレーヴェンハイム-スコーレムの定理を得た。これは一階述語論理は無限構造の濃度を制御できないことを述べる。スコーレムは、この定理を一階で形式化された集合論へ適用でき、そのいかなる形式化も可算モデルを持つことが導かれる、ということに気付いた。この直観に反する結果はスコーレムのパラドックスとして知られることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ゲーデルは自身の博士論文(1929)において完全性定理を示した。これは一階論理における構文論と意味論の間の対応を確立する。ゲーデルは完全性定理をコンパクト性定理の証明に用いた。これは一階の論理的帰結の有限性を立証する。これらの結果は一階論理を数学者にとって支配的な論理として確立することを助けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1931年、ゲーデルはプリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系において形式的に決定不可能な命題について(英語版)を出版した。ここでは、十分に強く、実効的な一階理論が不完全(完全性定理のそれとは異なる意味である)であることを示されている。この結果はゲーデルの不完全性定理として知られ、数学の公理的基礎の厳密な限界を示すものであり、ヒルベルト・プログラムに大きな打撃を与えた。これは算術の無矛盾性をいかなる算術の形式理論においても証明できないことを示している。しかしながら、ヒルベルトは、不完全性定理の重要性を、あるときまで認めなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ゲーデルの定理は十分に強く、実効的な公理系の無矛盾性の証明はそれが無矛盾である限り、それ自身からもそれよりも弱い体系からも得られないことを示す。これはいま考えている体系で形式化できないような無矛盾性証明の可能性については未解決のまま残す。ゲンツェン(1936)は算術の無矛盾性を超限帰納法の原理を持つ有限的な体系を用いて証明した。ゲンツェンの結果はカット除去と証明論的順序数の概念を生み出し、これらは証明論における主要な道具となった。ゲーデル(1958)は別の無矛盾性証明を与えた。これは古典算術の無矛盾性を高階直観主義算術の無矛盾性に還元することで為された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "アルフレッド・タルスキはモデル理論の基礎を発展させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1935年初頭、著名な数学者らは網羅的な数学の教科書のシリーズを出版するためにニコラ・ブルバキというペンネームで集結した。これらの教科書は禁欲的かつ公理的に記述されており、厳格な記述と集合論的な基礎を強調した。これらの教科書から生まれた用語、例えば全単射、単射、全射や、教科書で採用された集合論的な基礎は、広く数学に採用された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "計算可能性の研究は再帰理論として知られるようになった。これはゲーデルとクリーネによる計算可能性の初期の定式化が関数の再帰的定義に基づいていたことによる。それらの定義がチューリングによるチューリング機械を用いた定式化と同値であることが示されたことで、計算可能関数という新しい概念が見出され、またこの定義が多数の独立な特徴付けを許すようなロバスト性を持つことが明らかになった。1931年の不完全性定理に関するゲーデルの仕事では、実効的な形式的体系の厳格な概念(規定)を欠いていた。ゲーデルは計算可能性の新しい定義が不完全性定理の設定の一般化に使えることに気付いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "再帰理論における多くの結果は1940年代にスティーヴン・コール・クリーネとエミール・ポストによって得られた。クリーネ(1943)は相対的計算可能性と算術的階層の概念を導入した。前者はチューリング(1939)で暗示されていたものである。クリーネは後に再帰理論を高階汎関数へ一般化した。クリーネとクライゼルは形式的な直観主義数学、とくに再帰理論の文脈でのそれを研究した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "数理論理学の中心では形式論理体系を用いて表現された数学の概念を取り扱う。それらの体系は、多くの細部の差異はあるが、固定した形式言語で記述されるという共通の性質がある。命題論理と一階述語論理の体系は今日では最も広く研究されている。それは数学基礎論への応用可能性とそれらの望ましい証明論的な性質の故である。より強い古典論理、例えば二階述語論理や無限論理もまた直観主義論理とともに研究されている。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一階論理は特定の形式的体系である。その構文論(証明論)は有限個の表現―構文的に正しい(well-formed)式だけからなるが、その意味論は量化子を固定された議論領域への制限として特徴付けられる。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "形式論理の初期の結果は一階論理の限界を明らかにした。レーヴェンハイム=スコーレムの定理(1919)は、可算な一階の言語における文の集合が無限モデルを持つならば、それは任意の濃度のモデルを少なくともひとつ持つことを示した。これは一階論理の公理系によって、自然数、実数ほか、いかなる無限構造も同型を除いて特徴づけることができないことを示している。初期の基礎論的研究の目標が数学の全部分の公理的理論を生み出すことであったから、この限界はとりわけ冷徹なものであった。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ゲーデルの完全性定理 (Gödel 1929) は一階論理の論理的帰結に対する構文論的定義と意味論的定義の同値性を確立した。これは、もしある特定の文が、ある特定の公理の集合を満たすあらゆるモデルで真であるならば、それらの公理からその文への有限な演繹が存在することを示している。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一階述語論理の他にも多くの論理体系が考えられている。それらのうちには無限の長さの証明や論理式を許す無限論理や、意味論に集合論の一部分を直接含むような高階述語論理も含まれる。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "最もよく調べられている無限論理は L ω 1 , ω {\\displaystyle L_{\\omega _{1},\\omega }} である。この論理においては、一階述語論理のように量化子の入れ子の深さは有限(つまり深さ ω {\\displaystyle \\omega } 未満)だけを許すが、論理式は有限または可算無限(つまり長さ ω 1 {\\displaystyle \\omega _{1}} 未満)の連言や選言をその内に含むことを許す。すると、例えば、ある対象が自然数であるという性質を L ω 1 , ω {\\displaystyle L_{\\omega _{1},\\omega }} の論理式によって次のように書ける:", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "高階述語論理は議論領域の要素だけではなく議論領域の部分集合(述語)、議論領域の冪集合の部分集合(述語の述語)、さらに高階の対象に対する量化を許した論理である。その意味論は、それぞれの高階型の量化子に対して独立した議論領域を割り当てるよりは、量化子は適切な型の全ての対象に及ぶように定義される。現在の形の一階述語論理が開発される以前に研究されていた論理、例えばフレーゲの論理など、は集合論的な側面を持っていた。高階述語論理はより表現力が高く、自然数の構造の完全な公理化すら可能であるけれども、一階述語論理における完全性やコンパクト性定理に対応する性質を高階述語論理は持たない。また一階述語論理の持つ証明論的なよい性質の多くは高階述語論理では失われている。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "他のタイプの論理としては不動点論理があり、これは原始帰納的関数の記述に使われるような帰納的定義を許す。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "様相論理は追加の様相演算子を含む論理である。様相演算子とは例えば必然的に真である、真である可能性があるといった意味を持つ演算子である。しかしながら、様相論理は大抵は数学の公理化のために使われることはなく、一階述語論理の証明可能性(Solovay 1976)や集合論的な強制法(Hamkins and Löwe 2007)の研究などに用いられる。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "直観主義論理はブラウワーの直観主義(ブラウワー自身はその形式化を避けたが)のプログラムの研究からハイティングによって形式化・発展せられたものである。直観主義論理は排中律、すなわち任意の文が真または偽であるという原理を、明確に含まない論理である。クリーネの直観主義論理の証明論に関する仕事は、直観主義的な証明からは構成的な情報が復元できることを示している。例えば、直観主義的算術のいかなる証明可能全域関数も計算可能である。このことはペアノ算術のような算術の古典理論においては成立しない。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "代数的論理学は形式論理の意味論の研究に抽象代数学の手法を用いる。基本的な例としては、古典命題論理の真理値の表現にブール代数を用いたり、直観主義命題論理の真理値の表現にハイティング代数を用いたりすることが挙げられる。もっと強い論理、例えば一階述語論理や高階述語論理についても、筒状代数(英語版)のようなもっと複雑な代数的構造が用いられる。", "title": "形式論理体系" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "モデル理論は様々な形式理論のモデルを研究する。ここで理論(英語版)とは特定の形式論理に於ける論理式とシグネチャ(英語版)からなる集まりで、モデル(英語版)とはその理論の具体的な解釈を与える構造である。モデル理論は普遍代数と代数幾何学に密接に関係しているが、モデル理論の手法は他の分野よりも論理的な考察に重きを置いている。", "title": "モデル理論" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "特定の理論の全てのモデルからなる集合は初等クラスと呼ばれる;古典モデル理論は特定の初等クラスの性質を決定しようとしたり、あるいは構造からなる或るクラスが初等クラスとなるか否かを決定しようとする。", "title": "モデル理論" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "量化記号消去の手法は特定の理論における定義可能集合がそこまで複雑ではないことを示すことに使える。タルスキ(1948)は実閉体の量化記号消去(これは実数体の理論が決定可能であることをも示す結果である)を確立した。(彼はまた自身の手法が任意の標数の代数閉体にもそのまま適用可能であることを指摘した。)ここから発展した現代的な副分野は順序極小構造(英語版)に関わる。", "title": "モデル理論" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "マイケル・D・モーレイ(英語版)(1965)によって証明されたモーレイの範疇性定理(英語版)は、もし可算言語上の一階理論が或る非可算濃度について範疇的(つまりその濃度を持つ全てのモデルが同型)ならば、全ての非可算濃度で範疇的となることを述べる。", "title": "モデル理論" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "連続体仮説からの自明な帰結として、連続体濃度個未満の互いに非同型な可算モデルを持つような完全理論はそれ(非同型モデル)をちょうど可算個だけ持つこと、がある。ロバート・ローソン・ヴォート(英語版)に因むヴォート予想(英語版)はこれが連続体仮説とは無関係に真であることを主張する。この予想は多くの特別なケースについて確立されている。", "title": "モデル理論" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "再帰理論(計算可能性理論とも呼ばれる)は計算可能関数とチューリング次数(これは計算不可能関数を同じレベルの計算不可能性を持つ集合に分ける)の性質を研究する。再帰理論はまた一般計算可能性と定義可能性の研究を含む。再帰理論はアロンゾ・チャーチとアラン・チューリングによる1930年代の仕事(これはクリーネとポストによって1940年代に大きく拡張された)から生まれた。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "古典再帰理論は自然数から自然数への関数の計算可能性に着目する。基本的な結果は、チューリング機械やラムダ計算やその他のシステムなど、多数の独立だが同値な特徴づけを持つ、ロバストかつカノニカルな計算可能関数のクラスを確立したことである。より高度な結果はチューリング次数の構造や帰納的可算集合の成す束に関するものである。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "一般再帰理論は再帰理論の諸概念をもはや有限ではないような計算へと拡張する。そこには高階の型の計算可能性の研究や超算術的理論(英語版)やアルファ再帰理論(英語版)などの分野を同様に含む。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "再帰理論の現代的研究には、純粋な再帰理論の新しい結果と同様に、その応用研究(例えばアルゴリズム的ランダム性、計算可能モデル理論(英語版)、逆数学など)が含まれる。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "再帰理論の重要な部分領域ではアルゴリズム的に非可解な問題が研究される;決定問題または関数問題がアルゴリズム的に非可解(英: algorithmically unsolvable)あるいは決定不可能(英: undecidable)とは、任意の合法な入力に対して正しい解を返すような計算可能なアルゴリズムが存在しないことをいう。決定不可能性に関する最初の結果は、1936年にチャーチとチューリングによって独立に得られたもので、一階述語論理の決定問題がアルゴリズム的に非可解であるというものである。チュ―リングはこれを停止性問題の決定不可能性を示すことによって証明した。この結果は再帰理論と計算機科学の双方に広範な示唆を与えるものである。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "通常の数学においても多くの決定不可能問題の例が知られている。群の語の問題は1955年のピョートル・ノビコフと1959年のW.ボーンによって独立に証明せられた。ビジービーバー問題は1962年にTibor Radóによって与えられた別のよく知られた例である。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ヒルベルトの第10問題は多変数整数係数代数方程式(ディオファントス方程式)が整数解を持つか否かを決定するアルゴリズムの存在を問うものである。部分的な解答はジュリア・ロビンソン、マーティン・デイビス、ヒラリー・パトナムらによって与えられた。この問題のアルゴリズム的非可解性はユーリ・マチャセヴィッチによって1970年に証明された(Davis 1973)。", "title": "再帰理論" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "証明論は様々な論理推論体系における形式的証明の研究である。それら形式的証明は形式的な数学的対象であるから、それらの解析は数学的手法を用いて行うことができる。ヒルベルト流の体系、自然演繹の体系、ゲンツェンによって開発されたシークエント計算などを含む、いくつかの推論体系はよく考察される", "title": "証明論と構成的数学" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "数理論理学の文脈において、構成的数学の研究は、可述的体系の研究のような、非古典論理の体系の研究を含む。可述主義の初期の支持者はヘルマン・ワイルである。彼は実解析の大部分を可述的な方法だけを用いて展開できることを示した(Weyl 1918)。", "title": "証明論と構成的数学" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "形式的証明は完全に有限的なものであるが、構造における真理性はそうでないことから、構成的数学での作業では証明可能性を強調することが多い。古典(または非構成的)体系における証明可能性と直観主義(または構成的)体系での証明可能性との間の関係はとりわけ関心が持たれる。ゲーデル・ゲンツェン変換のような結果は古典論理を直観主義論理に埋め込む(翻訳する)ことが可能であることを示している。直観主義的証明に関するある性質は古典論理の証明に関するそれに逆翻訳できる。", "title": "証明論と構成的数学" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "最近の証明論における発展にはUlrich Kohlenbachによるproof miningの研究やMichael Rathjenによる証明論的順序数の研究が含まれる。", "title": "証明論と構成的数学" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "計算機科学における計算可能性理論の研究は数理論理学における計算可能性の研究と密接に関係している。ただしその重視されている点に違いがある。計算機科学者はしばしば具体的なプログラミング言語と実際的計算可能性に焦点を当てるが、数理論理学における研究者達は理論的な概念としての計算可能性と計算不可能性に焦点を当てる。", "title": "計算機科学との関係" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "プログラミング言語の意味論の理論はプログラム検証(とくにモデル検査)などモデル理論に関係する。証明とプログラムの間のカリー・ハワード対応は証明論のとくに直観主義論理に関係する。ラムダ計算やコンビネータ論理のような形式計算は理想化されたプログラミング言語として研究される。", "title": "計算機科学との関係" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "計算機科学はまた自動定理証明や論理プログラミングのような自動検証や証明探索の技術の開発によって数学に寄与している。", "title": "計算機科学との関係" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "記述計算量理論は論理と計算量を関係づける。この領域での最初の重要な結果であるフェイギンの定理(1974)はNPがexistencialな二階述語論理の論理式で表現可能な言語の成す集合とちょうど一致することを示す。", "title": "計算機科学との関係" } ]
数理論理学または現代論理学、記号論理学、数学基礎論、超数学は、数学の分野の一つであり、「数学の理論を展開する際にその骨格となる論理の構造を研究する分野」を指す。数理論理学(数学基礎論)と密接に関連している分野としてはコンピュータ科学(計算機科学)や理論コンピュータ科学(理論計算機科学)などがある。 数理論理学の主な目的は形式論理の数学への応用の探求や数学的な解析などであり、共通課題としては形式的体系の表現力や形式証明系の演繹の能力の研究が含まれる。 数理論理学はしばしば集合論、モデル理論、再帰理論、証明論の4つの領域に分類される。これらの領域はロジックのとくに一階述語論理や定義可能性に関する結果を共有している。計算機科学における数理論理学の役割の詳細はこの記事には含まれていない。詳細は計算機科学におけるロジックを参照。 この分野が始まって以来、数理論理学は数学基礎論の研究に貢献し、また逆に動機付けられてきた。数学基礎論は幾何学、代数学、解析学に対する公理的枠組みの開発とともに19世紀末に始まった。20世紀初頭、数学基礎論は、ヒルベルトのプログラムによって、数学の基礎理論の無矛盾性を証明するものとして形成された。クルト・ゲーデルとゲルハルト・ゲンツェンによる結果やその他は、プログラムの部分的な解決を提供しつつ、無矛盾性の証明に伴う問題点を明らかにした。集合論における仕事は殆ど全ての通常の数学を集合の言葉で形式化できることを示した。しかしながら、集合論に共通の公理からは証明することができない幾つかの命題が存在することも知られた。むしろ現代の数学基礎論では、全ての数学を展開できる公理系を見つけるよりも、数学の一部がどのような特定の形式的体系で形式化することが可能であるか(逆数学のように)ということに焦点を当てている。
'''数理論理学'''(すうりろんりがく、[[英語|英]] : mathematical logic)または'''現代[[論理学]]'''<ref name="nipponica">[https://kotobank.jp/word/%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6-153697#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 『日本大百科全書』]</ref><ref name="worldEnc2nd">[https://kotobank.jp/word/%E8%A8%98%E5%8F%B7%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6-50279#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 『世界大百科事典 第2版』]</ref>、'''記号論理学'''<ref name="nipponica" /><ref name="worldEnc2nd" />、'''[[数学基礎論]]'''{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=297}}、'''[[超数学]]'''{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=294}}は、[[数学]]の分野の一つであり{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=294}}、「[[数学]]の[[理論]]を展開する際にその骨格となる[[論理]]の構造を研究する分野」を指す{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=297}}{{Efn2|以下、『岩波 数学入門辞典』からの引用{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=297}}。{{Quotation| '''数理論理学'''<br> '''mathematical logic'''<br>  数学の理論を展開する際にその骨格となる論理の構造を研究する分野をいう.数学基礎論とほぼ同義である.{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=297}}}}}}。数理論理学(数学基礎論)と密接に関連している分野としては[[計算機科学|コンピュータ科学(計算機科学)]]{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=294}}や[[理論計算機科学|理論コンピュータ科学(理論計算機科学)]]などがある{{Efn2|以下、『岩波 数学入門辞典』からの引用{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=294}}。{{Quotation| '''数学基礎論'''<br> '''foundations of mathematics'''<br>  数理論理学や超数学とほぼ同じ意味で,論理を扱う数学の一分野である. … [[ゲーデルの不完全性定理]]は[[形式主義_(数学)|有限の立場(形式主義)]]で数学の[[無矛盾性]]を証明することはできないことを示した.[[:en:Gentzen's consistency proof|ゲンツェン(Gentzen)]]は,有限の立場より緩い制限のもとで自然数論の無矛盾性を証明した.<br> 数学基礎論は[[計算機科学]]{{Interp|コンピュータ科学|原文では「計算機科学とも密接に … 」|和文=1}}とも密接に結びついている.{{Sfn|青本|上野|加藤|神保|2005|p=294}}}}}}{{Efn2|学部の教科書には Boolos, Burgess and Jeffrey [[数理論理学#CITEREFBoolosBurgessJeffrey2002|(2002)]]、 [[Herbert Enderton|Enderton]] [[数理論理学#CITEREFEnderton2001|(2001)]]、Mendelson [[数理論理学#CITEREFMendelson1997|(1997)]]がある。Shoenfield [[数理論理学#CITEREFShoenfield2001|(2001)]] による古典的な大学院の教科書は1967年に誕生した。}}。 {{Main2|前現代の論理学については「[[伝統的論理学]]」を}} 数理論理学の主な目的は[[形式論理]]の数学への応用の探求や数学的な解析などであり、共通課題としては[[形式的体系]]の表現力や形式[[証明 (数学)|証明]]系の[[演繹]]の能力の研究が含まれる。 数理論理学はしばしば[[集合論]]、[[モデル理論]]、[[再帰理論]]、[[証明論]]の4つの領域に分類される。これらの領域はロジックのとくに[[一階述語論理]]や[[定義可能性]]に関する結果を共有している。計算機科学(とくに{{仮リンク|ACM Classification|en|ACM Computing Classification System}}に現れるもの)における数理論理学の役割の詳細はこの記事には含まれていない。詳細は{{仮リンク|計算機科学におけるロジック|en|Logic in computer science}}を参照。 この分野が始まって以来、数理論理学は[[数学基礎論]]の研究に貢献し、また逆に動機付けられてきた。数学基礎論は[[幾何学]]、[[代数学]]、[[解析学]]に対する[[公理]]的枠組みの開発とともに19世紀末に始まった。20世紀初頭、数学基礎論は、[[ダフィット・ヒルベルト|ヒルベルト]]の[[ヒルベルトプログラム|プログラム]]によって、数学の基礎理論の無矛盾性を証明するものとして形成された。[[クルト・ゲーデル]]と[[ゲルハルト・ゲンツェン]]による結果やその他は、プログラムの部分的な解決を提供しつつ、無矛盾性の証明に伴う問題点を明らかにした。集合論における仕事は殆ど全ての通常の数学を集合の言葉で形式化できることを示した。しかしながら、集合論に共通の公理からは証明することができない幾つかの命題が存在することも知られた。むしろ現代の数学基礎論では、全ての数学を展開できる公理系を見つけるよりも、数学の一部がどのような特定の形式的体系で形式化することが可能であるか([[逆数学]]のように)ということに焦点を当てている。 ==下位分野== ''Handbook of Mathematical Logic'' は数理論理学を大まかに次の4つの領域に分類している: #[[集合論]] #[[モデル理論]] #[[再帰理論]] #[[証明論]]と[[構成的数学]] (これらはひとつの領域の2つの部分と見做される) それぞれの領域は異なる焦点を持っているものの、多くの技法や結果はそれら複数の領域の間で共有されている。これらの領域を分かつ境界線や、数理論理学と他の数学の分野とを分かつ境界線は、必ずしも明確ではない。[[ゲーデルの不完全性定理]]は再帰理論と証明論のマイルストーンであるだけではなく、[[様相論理]]における{{仮リンク|レープの定理|en|Löb's theorem}}を導く。[[強制法]]の手法は集合論、モデル理論、再帰理論のほか[[直観主義的数学]]の研究などでも用いられる。 [[圏論]]の分野では多くの形式公理的方法を用いる。それには{{仮リンク|圏論的論理|en|categorical logic}}の研究も含まれる。しかし圏論は普通は数理論理学の下位分野とは見做されない。圏論の応用性は多様な数学の分野に亙っているため、[[ソーンダース・マックレーン]]などの数学者らは、集合論とは独立な数学のための基礎体系としての圏論を提案している。これは[[トポス (数学)|トポス]]と呼ばれる古典または非古典論理に基づく集合論の成す圏に類似の性質を持つ圏を基礎に置く方法である。 ==歴史== 数理論理学は、19世紀の中頃、[[伝統的論理学]]とは独立な数学の下位分野として登場した([[#CITEREFFerreir.C3.B3s2001|Ferreirós 2001]], p.&nbsp;443)。これが登場する以前、論理学は[[修辞学]]また[[哲学]]とともに、[[三段論法]]を通じて研究されていた。20世紀の前半は数学の基礎に関する活発な議論とともに、基本的な多くの結果が見られる。 === 初期の歴史 === {{See also|論理学の歴史}} 論理に関する理論は多くの文化と歴史の中で発展してきた。その中には[[中国における論理学|中国]]、[[インド論理学|インド]]、[[論理学の歴史|ギリシャ]]、[[イスラーム哲学#論理学|イスラーム世界]]が含まれる。18世紀のヨーロッパでは、形式論理の演算子を記号的または代数的な方法の中で取り扱おうという試みが、哲学的数学者によってなされた。その中には[[ゴットフリート・ライプニッツ]]と[[ヨハン・ハインリヒ・ランベルト|ランベルト]]が含まれる。しかしライプニッツらの仕事は孤立して残っているばかりでよく知られていない。 === 19世紀 === <!-- symbolic logic --> 19世紀半ば、[[ジョージ・ブール]]と[[オーガスタス・ド・モルガン]]は体系的で数学的な論理の取り扱いを与えた。ブールらの仕事は、[[ジョージ・ピーコック]]などの代数学者の仕事の上に打ち立てられたものであり、アリストテレスの伝統的論理学を、[[数学基礎論]]を十分に研究できる枠組みに拡張した([[#CITEREFKatz1998|Katz 1998]], p.&nbsp;686)。 [[チャールズ・サンダース・パース]]は、1870年から1885年の自身の論文において、ブールの研究の上に関係と量化子のための論理体系を作り上げた。 [[ゴットロープ・フレーゲ]]は1879年に発表した自身の[[概念記法]]において、量化子を含む論理の独自の開発を提示した。この仕事は論理の歴史における特徴的な転換点であると一般に考えられている。フレーゲの仕事は、この世紀の変わり目に[[バートランド・ラッセル]]が宣伝するまで日の目を見なかった。フレーゲの2次元的な表記法は広くは受け入れられず同時代のテキストでも使用されていない。<!-- 一方、 T proves A を意味する記号 \infer や、否定記号 \neg はフレーゲの記法を変形したものとして、現代でも使用されている。 --> 1890年から1905年、[[エルンスト・シュレーダー]]は ''Vorlesungen über die Algebra der Logik'' を3つの巻に出版した。シュレーダーの仕事はブール、ド・モルガン、パースらの仕事をまとめ、拡張し、19世紀終わりに理解されていた記号論理学の包括的な手引書となった。 ==== 基礎理論 ==== 数学が正確な基礎の上に築かれていなかったことへの不安が、算術、解析、幾何のような数学の基礎的な領域に対する公理系の開発をもたらした。 <!-- arithmetic --> 論理学において、''算術''とは[[自然数]]の理論を意味する{{Efn2|これに反して[[ヒルベルトの23の問題#第24問題|ヒルベルトの第2問題]]における「算術」は実数論のことであって自然数論のことではない。}}。[[ジュゼッペ・ペアノ]]([[#CITEREFPeano1889|1889]])は後に彼の名前が付けられた算術の公理系([[ペアノの公理]])を発表した。これはブールとシュレーダーの論理体系の変種を用いているが、量化記号が追加されている点で異なる。ペアノはこのときフレーゲの仕事を知らなかった。同時期に[[リヒャルト・デデキント]]は、自然数の全体はそれらの[[数学的帰納法|帰納法]]の性質によって一意的に特徴づけられることを示した。デデキント([[#CITEREFDedekind1888|1888]])は別の特徴付けを提案した。その特徴付けは、ペアノの公理にあったような形式論理的な性格を欠いていたが、ペアノの公理においては到達できない定理を証明するものであった。それには自然数の集合の(同型を除いた)一意性と、加法と乗法の[[後者関数]]と数学的帰納法に基づく再帰的定義が含まれる。 <!-- geometry --> 19世紀中頃、ユークリッドの幾何学の公理の欠陥が世に知られるようになった ([[#CITEREFKatz1998|Katz 1998]], p.&nbsp;774)。1826年に[[ニコライ・ロバチェフスキー]]によって確立された[[平行線公準]]の独立性 ([[#CITEREFLobachevsky1840|Lobachevsky 1840]]) に加え、数学者達は、ユークリッドが明らかと考えていた幾つかの定理が、実際にはユークリッドの公理からは証明できないことを発見した。それらの中には、直線は少なくとも二点を含むという定理や、同じ半径を持ち中心が半径と同じ距離だけ離れている二つの円は交わらねばならないという定理がある。ヒルベルト ([[#CITEREFHilbert1899|1899]]) は[[パッシュの公理|パッシュの先行研究]] ([[#CITEREFPasch1882|1882]]) のもとに、完全な{{仮リンク|幾何学の公理|en|Hilbert's axioms}}の集合を開発した。幾何学の公理化の成功はヒルベルトに他の数学の分野(自然数や[[数直線]]など)の完全な公理化を探求するよう動機付けた。これが20世紀前半の主要な研究領域となることが分かる。 <!-- The 19th century saw great advances in the theory of [[real analysis]], including theories of convergence of functions and [[Fourier series]]. Mathematicians such as [[Karl Weierstrass]] began to construct functions that stretched intuition, such as [[Continuous, nowhere differentiable function|nowhere-differentiable continuous functions]]. Previous conceptions of a function as a rule for computation, or a smooth graph, were no longer adequate. Weierstrass began to advocate the [[arithmetization of analysis]], which sought to axiomatize analysis using properties of the natural numbers. The modern [[(ε, δ)-definition of limit]] and [[continuous function]]s was already developed by [[Bernard Bolzano|Bolzano]] in 1817 ([[#CITEREFFelscher2000|Felscher 2000]]), but remained relatively unknown. [[Cauchy]] in 1821 defined continuity in terms of [[infinitesimal]]s (see Cours d'Analyse, page 34). In 1858, Dedekind proposed a definition of the real numbers in terms of [[Dedekind cuts]] of rational numbers [[#CITEREFDedekind1872|(Dedekind 1872)]], a definition still employed in contemporary texts. [[Georg Cantor]] developed the fundamental concepts of infinite set theory. His early results developed the theory of [[cardinality]] and [[Cantor's first uncountability proof|proved]] that the reals and the natural numbers have different cardinalities (Cantor 1874). Over the next twenty years, Cantor developed a theory of [[transfinite number]]s in a series of publications. In 1891, he published a new proof of the uncountability of the real numbers that introduced the [[Cantor's diagonal argument|diagonal argument]], and used this method to prove [[Cantor's theorem]] that no set can have the same cardinality as its [[powerset]]. Cantor believed that every set could be [[well-ordered]], but was unable to produce a proof for this result, leaving it as an open problem in 1895 ([[#CITEREFKatz1998|Katz 1998, p.&nbsp;807]]). --> === 20世紀 === 20世紀の最初の10年における研究の主領域は集合論と形式論理であった。非形式的な集合論におけるパラドックスの発見は、数学それ自身が無矛盾であるのかを疑わせるものであり、無矛盾性の証明の必要に迫られた。 1900年、[[ダフィット・ヒルベルト]]は[[ヒルベルトの23の問題]]の幾つかを次の世紀へと提出した。その最初の2つは[[連続体仮説]]の解決と初等算術(実数論)の無矛盾性の証明であった。第10番は整数上の多変数多項式からなる方程式([[ディオファントス方程式]])が解を持つかを決定する手続きを求めるものであった。これらの問題を解くための次なる仕事によって、数理論理学の方向性が決定づけられ、1928年に提出されたヒルベルトの{{仮リンク|Entscheidungsproblem|en|Entscheidungsproblem}}(決定問題)を解決する努力へと向かうことになった。この問題は与えられた形式化された数学的言明について、それが真か偽かを決定する手続きを問うものである。 ==== 集合論とパラドックス ==== [[エルンスト・ツェルメロ]]([[#CITEREFZermelo1904|1904]])は任意の集合が整列可能であることの証明を与えた。この結果は[[ゲオルク・カントール]]には得ることができなかったものである。ツェルメロはその証明を完成させるために[[選択公理]]を導入した。これは数学者と集合論の先駆者達の間の激しい論戦と研究を引き起こすことになる。即座に浴びた批判から、ツェルメロは自身の結果の第2の解説を出版した([[#CITEREFZermelo1908a|Zermelo 1908a]])。この論文はツェルメロの証明に対する批判に直接対処するものであり、これによって数学界において選択公理が広く受け入れられることになった。 選択公理に関する疑念は最近の素朴集合論におけるパラドックスの発見により強化された。集合論のパラドックスについて初めて述べたのは[[チェザーレ・ブラリ・フォルティ]]([[#CITEREFBurali-Forti1897|1897]])である:[[ブラリ=フォルティのパラドックス]]は全ての[[順序数]]からなる集まりが集合を成さないことを示す。<!-- 訳注:これはZFCにおいて解釈した場合である。もとは素朴集合論の矛盾を指摘したものである。 -->その直後に、[[バートランド・ラッセル]]は1901年に[[ラッセルのパラドックス]]を、[[ジュール・リシャール]]([[#CITEREFRichard1905|1905]])は[[リシャールのパラドックス]]を発見した。 ツェルメロ([[#CITEREFZermelo1908b|1908b]])は集合論に対する最初の公理化を与えた。ツェルメロの公理に[[アドルフ・フレンケル]]による[[置換公理]]を加えたものは今日では[[ツェルメロ=フレンケル集合論]](ZF)の名で知られる。ツェルメロの公理にはラッセルのパラドックスを回避するための[[サイズの制限]]の原理が組み込まれた。 1910年に[[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]と[[バートランド・ラッセル]]による ''[[プリンキピア・マテマティカ]]'' の第一巻が出版された。この重要な著作は、関数と基数に関する理論を[[型理論]]の完全に形式的な枠組みの中で展開した。型理論はパラドックスを回避するラッセルとホワイトヘッドの努力のもとに開発されたものである。型理論の枠組みは数学の基礎理論として普及しなかったが([[#CITEREFFerreir.C3.B3s2001|Ferreirós 2001]], p.&nbsp;445)、''プリンキピア・マテマティカ'' は20世紀の最も影響力のある研究のひとつと見做されている。 フレンケル([[#CITEREFFraenkel1922|1922]])は、選択公理が{{仮リンク|原子 (数理論理学)|en|urelement|label=原子}}付きツェルメロ集合論の残りの公理からは証明できないことを証明した。後の[[ポール・コーエン (数学者)|ポール・コーエン]]([[#CITEREFCohen1966|1966]])による仕事は、(その証明には)原子の追加が不要であって、選択公理はZFにおいて証明不可能であることを示した。コーエンの証明は[[強制法]]の手法を生み、今日では集合論における{{仮リンク|独立性結果|en|Independence (mathematical logic)}}を確立するための重要なツールとなっている{{Efn2|{{harvnb|Cohen|2008}}を参照}}。 ==== 記号論理 ==== {{仮リンク|レオポルト・レーヴェンハイム|en| Leopold Löwenheim |preserve=1}}([[#CITEREFL.C3.B6wenheim1915|1915]])と[[トアルフ・スコーレム]]([[#CITEREFSkolem1920|1920]])は[[レーヴェンハイム-スコーレムの定理]]を得た。これは一階述語論理は無限構造の濃度を制御できないことを述べる。スコーレムは、この定理を一階で形式化された集合論へ適用でき、そのいかなる形式化も[[可算]][[数理モデル|モデル]]を持つことが導かれる、ということに気付いた。この直観に反する結果は[[スコーレムのパラドックス]]として知られることになった。 ゲーデルは自身の博士論文([[#CITEREFGödel1929|1929]])において[[完全性定理]]を示した。これは[[一階述語論理|一階論理]]における構文論と意味論の間の対応を確立する。<!-- 正確には証明可能性と真理性の間の対応というべきであろう。証明体系は論理式という形式言語を証明可能性という尺度で分類するものであり、これは意味論に分類される作業である。(モデル論的意味論はモデルにおける真理性という尺度で論理式を分類するわけである。)他方、そこで扱われる形式的証明は構文論「的」な対象であり、その扱いは記号操作に基づく構文論「的」なものであるから、証明体系による論理式の分類という作業は構文論「的」である。元々の文章における構文論と意味論という言葉を、形容詞的に解釈するならばそのままの表現でも問題はないが、名詞的に解釈するならば問題がある。-->ゲーデルは完全性定理を[[コンパクト性定理]]の証明に用いた。これは一階の[[論理的帰結]]の有限性を立証する。これらの結果は一階論理を数学者にとって支配的な論理として確立することを助けた。 1931年、ゲーデルは''{{仮リンク|プリンキピア・マテマティカとそれに関連する体系において形式的に決定不可能な命題について|en|On Formally Undecidable Propositions of Principia Mathematica and Related Systems}}''を出版した。ここでは、十分に強く、実効的な一階理論<!-- 原文ママ。ゲーデルの論文ではこのような設定のもとでは証明されていないはず。例えばプリンキピア・マテマティカ(をゲーデルが簡単化した体系)は一階論理ではない。要修正。 -->が不完全(完全性定理のそれとは異なる意味である)であることを示されている。この結果は[[ゲーデルの不完全性定理]]として知られ、数学の公理的基礎の厳密な限界を示すものであり、ヒルベルト・プログラムに大きな打撃を与えた。これは算術の無矛盾性をいかなる算術の形式理論においても証明できないことを示している。<!-- 原文ママ。この書き方だと、ペアノ算術にある構成的順序数までの超限帰納法(ゲンツェン)や、その他の組合せ論的原理を追加した体系からも、ペアノ算術の無矛盾性は証明できないかのように読めてしまう。いかなる(ある程度強力な)算術の形式理論もそれ自身の無矛盾性を証明できない、と書いた方がよい。-->しかしながら、ヒルベルトは、不完全性定理の重要性を、あるときまで認めなかった。 ゲーデルの定理は十分に強く、実効的な公理系の無矛盾性の証明はそれが無矛盾である限り、それ自身からもそれよりも弱い体系からも得られないことを示す。これはいま考えている体系で形式化できないような無矛盾性証明の可能性については未解決のまま残す。ゲンツェン([[#CITEREFGentzen1936|1936]])は算術の無矛盾性を<!-- ある構成的順序数(<math>\varepsilon_{0}</math>)までの -->[[超限帰納法]]の原理を持つ有限的な体系を用いて証明した。ゲンツェンの結果は[[カット除去定理|カット除去]]と[[証明論的順序数]]の概念を生み出し、これらは証明論における主要な道具となった。ゲーデル([[#CITEREFGödel1958|1958]])は別の無矛盾性証明を与えた。これは古典算術の無矛盾性を高階直観主義算術の無矛盾性に還元することで為された。<!-- ダイアレクティカ解釈 --> ====他の分科の始まり==== [[アルフレッド・タルスキ]]は[[モデル理論]]の基礎を発展させた。 1935年初頭、著名な数学者らは網羅的な数学の教科書のシリーズを出版するために[[ニコラ・ブルバキ]]というペンネームで集結した。これらの教科書は禁欲的かつ公理的に記述されており、厳格な記述と集合論的な基礎を強調した。これらの教科書から生まれた用語、例えば[[全単射]]、[[単射]]、[[全射]]や、教科書で採用された集合論的な基礎は、広く数学に採用された。 計算可能性の研究は再帰理論として知られるようになった。これはゲーデルとクリーネによる計算可能性の初期の定式化が関数の再帰的定義に基づいていたことによる{{Efn2|この用語に関する詳しいサーベイはSoare ([[#CITEREFSoare1996|1996]])による。}}。それらの定義がチューリングによるチューリング機械を用いた定式化と同値であることが示されたことで、[[計算可能関数]]という新しい概念が見出され、またこの定義が多数の独立な特徴付けを許すようなロバスト性を持つことが明らかになった。1931年の不完全性定理に関するゲーデルの仕事では、実効的な形式的体系の厳格な概念(規定)を欠いていた。ゲーデルは計算可能性の新しい定義が不完全性定理の設定の一般化に使えることに気付いた。 再帰理論における多くの結果は1940年代に[[スティーヴン・コール・クリーネ]]と[[エミール・ポスト]]によって得られた。クリーネ([[#CITEREFKleene1943|1943]])は相対的計算可能性と[[算術的階層]]の概念を導入した。前者はチューリング([[#CITEREFTuring1939|1939]])で暗示されていたものである。クリーネは後に再帰理論を高階汎関数へ一般化した。クリーネと[[ゲオルク・クライゼル|クライゼル]]は形式的な直観主義数学、とくに再帰理論の文脈でのそれを研究した。 <!-- 恐らくこの歴史は1950年辺りで止めるのがよい --> == 形式論理体系 == 数理論理学の中心では形式論理体系を用いて表現された数学の概念を取り扱う。それらの体系は、多くの細部の差異はあるが、固定した形式言語で記述されるという共通の性質がある。[[命題論理]]と[[一階述語論理]]の体系は今日では最も広く研究されている。それは[[数学基礎論]]への応用可能性とそれらの望ましい証明論的な性質の故である{{Efn2|Ferreirós ([[#CITEREFFerreir.C3.B3s2001|2001]]) は、20世紀初頭の他の形式論理に対する一階論理の進歩をまとめている。}}。より強い古典論理、例えば[[二階述語論理]]や[[無限論理]]もまた[[直観主義論理]]とともに研究されている。 === 一階述語論理 === {{Main|一階述語論理}} '''一階論理'''は特定の[[論理体系|形式的体系]]である。その[[統語論 (論理学)|構文論]](証明論)は有限個の表現―構文的に正しい(well-formed)式だけからなるが、その[[意味論 (論理学)|意味論]]は[[量化子]]を固定された[[議論領域]]への制限として特徴付けられる。 形式論理の初期の結果は一階論理の限界を明らかにした。[[レーヴェンハイム=スコーレムの定理]](1919)は、可算な一階の言語における文の集合が無限モデルを持つならば、それは任意の濃度のモデルを少なくともひとつ持つことを示した。これは一階論理の公理系によって、自然数、実数ほか、いかなる無限構造も[[同型]]を除いて特徴づけることができないことを示している。初期の基礎論的研究の目標が数学の全部分の公理的理論を生み出すことであったから、この限界はとりわけ冷徹なものであった。 [[ゲーデルの完全性定理]] ([[#CITEREFG.C3.B6del1929|Gödel 1929]]) は一階論理の[[論理的帰結]]に対する構文論的定義と意味論的定義の同値性を確立した。これは、もしある特定の文が、ある特定の公理の集合を満たすあらゆるモデルで真であるならば、それらの公理からその文への有限な演繹が存在することを示している。<!-- The [[compactness theorem]] first appeared as a lemma in Gödel's proof of the completeness theorem, and it took many years before logicians grasped its significance and began to apply it routinely. It says that a set of sentences has a model [[if and only if]] every finite subset has a model, or in other words that an inconsistent set of formulas must have a finite inconsistent subset. The completeness and compactness theorems allow for sophisticated analysis of logical consequence in first-order logic and the development of [[model theory]], and they are a key reason for the prominence of first-order logic in mathematics. [[Gödel's incompleteness theorems]] ([[#CITEREFG.C3.B6del1931|Gödel 1931]]) establish additional limits on first-order axiomatizations. The '''first incompleteness theorem''' states that for any sufficiently strong, effectively given logical system there exists a statement which is true but not provable within that system. Here a logical system is effectively given if it is possible to decide, given any formula in the language of the system, whether the formula is an axiom. A logical system is sufficiently strong if it can express the [[Peano axioms]]. When applied to first-order logic, the first incompleteness theorem implies that any sufficiently strong, consistent, effective first-order theory has models that are not [[elementary substructure|elementarily equivalent]], a stronger limitation than the one established by the Löwenheim–Skolem theorem. The '''second incompleteness theorem''' states that no sufficiently strong, consistent, effective axiom system for arithmetic can prove its own consistency, which has been interpreted to show that Hilbert's program cannot be completed. --> === 他の古典論理 === 一階述語論理の他にも多くの論理体系が考えられている。それらのうちには無限の長さの証明や論理式を許す[[無限論理]]や、意味論に集合論の一部分を直接含むような[[高階述語論理]]も含まれる。 最もよく調べられている無限論理は <math>L_{\omega_1,\omega}</math> である。この論理においては、一階述語論理のように量化子の入れ子の深さは有限(つまり深さ <math>\omega</math> 未満)だけを許すが、論理式は有限または可算無限(つまり長さ <math>\omega_1</math> 未満)の連言や選言をその内に含むことを許す。すると、例えば、ある対象が自然数であるという性質を <math>L_{\omega_1,\omega}</math> の論理式によって次のように書ける: :<math>(x = 0) \lor (x = 1) \lor (x = 2) \lor \cdots.</math> 高階述語論理は議論領域の要素だけではなく議論領域の部分集合(述語)、議論領域の冪集合の部分集合(述語の述語)、さらに高階の対象に対する量化を許した論理である。その意味論は、それぞれの高階型の量化子に対して独立した議論領域を割り当てるよりは、量化子は適切な型の全ての対象に及ぶように定義される。現在の形の一階述語論理が開発される以前に研究されていた論理、例えばフレーゲの論理など、は集合論的な側面を持っていた。高階述語論理はより表現力が高く、自然数の構造の完全な公理化すら可能であるけれども、一階述語論理における[[完全性定理|完全性]]や[[コンパクト性定理]]に対応する性質を高階述語論理は持たない。また一階述語論理の持つ証明論的なよい性質の多くは高階述語論理では失われている。 他のタイプの論理としては[[不動点論理]]があり、これは[[原始帰納的関数]]の記述に使われるような[[帰納的定義]]を許す。 <!-- One can formally define an extension of first-order logic &mdash; a notion which encompasses all logics in this section because they behave like first-order logic in certain fundamental ways, but does not encompass all logics in general, e.g. it does not encompass intuitionistic, modal or [[fuzzy logic]]. [[Lindström's theorem]] implies that the only extension of first-order logic satisfying both the [[compactness theorem]] and the Downward [[Löwenheim–Skolem theorem]] is first-order logic. --> === 非古典論理と様相論理 === [[様相論理]]は追加の様相演算子を含む論理である。様相演算子とは例えば必然的に真である、真である可能性があるといった意味を持つ演算子である。しかしながら、様相論理は大抵は数学の公理化のために使われることはなく、一階述語論理の証明可能性([[#CITEREFSolovay1976|Solovay 1976]])や集合論的な強制法([[#CITEREFHamkinsL.C3.B6we|Hamkins and Löwe 2007]])の研究などに用いられる。 [[直観主義論理]]は[[ライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー|ブラウワー]]の直観主義(ブラウワー自身はその形式化を避けたが)のプログラムの研究から[[アレン・ハイティング|ハイティング]]によって形式化・発展せられたものである。直観主義論理は[[排中律]]、すなわち任意の文が真または偽であるという原理を、明確に含まない論理である。[[スティーヴン・コール・クリーネ|クリーネ]]の直観主義論理の証明論に関する仕事は、直観主義的な証明からは構成的な情報が復元できることを示している。例えば、直観主義的算術のいかなる証明可能全域関数も[[計算可能関数|計算可能]]である。<!-- 明らかに誤りである。どんな算術の形式的体系であろうと、その体系が再帰的公理化可能である限り、全ての証明可能全域関数は計算可能である。次のように改めるべきである:直観主義算術において <math>\forall x \exists y \varphi(x,y)</math> が示されたならば、その証明から <math>\varphi(n, f(n))</math> を満たす関数 <math>f</math> を計算するプログラムを抽出することができる。-->このことは[[ペアノ算術]]のような算術の古典理論においては成立しない。 === 代数的論理学 === [[代数的論理学]]は形式論理の意味論の研究に[[抽象代数学]]の手法を用いる。基本的な例としては、古典命題論理の[[真理値]]の表現に[[ブール代数]]を用いたり、直観主義命題論理の真理値の表現に[[ハイティング代数]]を用いたりすることが挙げられる。もっと強い論理、例えば一階述語論理や高階述語論理についても、{{仮リンク|筒状代数|en|cylindric algebra}}のようなもっと複雑な代数的構造が用いられる。 == 集合論 == {{Main|集合論}} <!-- '''[[Set theory]]''' is the study of [[Set (mathematics)|sets]], which are abstract collections of objects. Many of the basic notions, such as ordinal and cardinal numbers, were developed informally by Cantor before formal axiomatizations of set theory were developed. The first such axiomatization, due to Zermelo ([[#CITEREFZermelo1908b|1908b]]), was extended slightly to become [[Zermelo–Fraenkel set theory]] (ZF), which is now the most widely used foundational theory for mathematics. Other formalizations of set theory have been proposed, including [[von Neumann–Bernays–Gödel set theory]] (NBG), [[Morse–Kelley set theory]] (MK), and [[New Foundations]] (NF). Of these, ZF, NBG, and MK are similar in describing a [[cumulative hierarchy]] of sets. New Foundations takes a different approach; it allows objects such as the set of all sets at the cost of restrictions on its set-existence axioms. The system of [[Kripke–Platek set theory]] is closely related to generalized recursion theory. Two famous statements in set theory are the [[axiom of choice]] and the [[continuum hypothesis]]. The axiom of choice, first stated by Zermelo ([[#CITEREFZermelo1904|1904]]), was proved independent of ZF by Fraenkel ([[#CITEREFFraenkel1922|1922]]), but has come to be widely accepted by mathematicians. It states that given a collection of nonempty sets there is a single set ''C'' that contains exactly one element from each set in the collection. The set ''C'' is said to "choose" one element from each set in the collection. While the ability to make such a choice is considered obvious by some, since each set in the collection is nonempty, the lack of a general, concrete rule by which the choice can be made renders the axiom nonconstructive. [[Stefan Banach]] and [[Alfred Tarski]] (1924) showed that the axiom of choice can be used to decompose a solid ball into a finite number of pieces which can then be rearranged, with no scaling, to make two solid balls of the original size. This theorem, known as the [[Banach–Tarski paradox]], is one of many counterintuitive results of the axiom of choice. The continuum hypothesis, first proposed as a conjecture by Cantor, was listed by David Hilbert as one of his 23 problems in 1900. Gödel showed that the continuum hypothesis cannot be disproven from the axioms of Zermelo–Fraenkel set theory (with or without the axiom of choice), by developing the [[constructible universe]] of set theory in which the continuum hypothesis must hold. In 1963, [[Paul Cohen (mathematician)|Paul Cohen]] showed that the continuum hypothesis cannot be proven from the axioms of Zermelo–Fraenkel set theory ([[#CITEREFCohen1966|Cohen 1966]]). This independence result did not completely settle Hilbert's question, however, as it is possible that new axioms for set theory could resolve the hypothesis. Recent work along these lines has been conducted by [[W. Hugh Woodin]], although its importance is not yet clear ([[#CITEREFWoodin2001|Woodin 2001]]). Contemporary research in set theory includes the study of [[large cardinal]]s and [[determinacy]]. Large cardinals are [[cardinal numbers]] with particular properties so strong that the existence of such cardinals cannot be proved in ZFC. The existence of the smallest large cardinal typically studied, an [[inaccessible cardinal]], already implies the consistency of ZFC. Despite the fact that large cardinals have extremely high [[cardinality]], their existence has many ramifications for the structure of the real line. ''Determinacy'' refers to the possible existence of winning strategies for certain two-player games (the games are said to be ''determined''). The existence of these strategies implies structural properties of the real line and other [[Polish space]]s. --> == モデル理論 == {{Main|モデル理論}} '''[[モデル理論]]'''は様々な形式理論のモデルを研究する。ここで{{仮リンク|理論 (数理論理学)|en|theory (mathematical logic)|label=理論}}とは特定の形式論理に於ける論理式と{{仮リンク|シグネチャ (論理学)|en|Signature (logic)|label=シグネチャ}}からなる集まりで、{{仮リンク|モデル (数理論理学)|en|Structure (mathematical logic)|label=モデル}}とはその理論の具体的な解釈を与える構造である。モデル理論は[[普遍代数]]と[[代数幾何学]]に密接に関係しているが、モデル理論の手法は他の分野よりも論理的な考察に重きを置いている。 特定の理論の全てのモデルからなる集合は[[初等クラス]]と呼ばれる;古典モデル理論は特定の初等クラスの性質を決定しようとしたり、あるいは構造からなる或るクラスが初等クラスとなるか否かを決定しようとする。 [[量化記号消去]]の手法は特定の理論における定義可能集合がそこまで複雑ではないことを示すことに使える。タルスキ([[#CITEREFTarski1948|1948]])は[[実閉体]]の量化記号消去(これは実数体の理論が[[決定可能]]であることをも示す結果である)を確立した。(彼はまた自身の手法が任意の標数の代数閉体にもそのまま適用可能であることを指摘した。)ここから発展した現代的な副分野は{{仮リンク|順序極小構造|en|o-minimal theory}}に関わる。 {{仮リンク|マイケル・D・モーレイ|en|Michael D. Morley}}(1965)によって証明された{{仮リンク|モーレイの範疇性定理|en|Morley's categoricity theorem}}は、もし可算言語上の一階理論が或る非可算濃度について範疇的(つまりその濃度を持つ全てのモデルが同型)ならば、全ての非可算濃度で範疇的となることを述べる。 [[連続体仮説]]からの自明な帰結として、連続体濃度個未満の互いに非同型な可算モデルを持つような完全理論はそれ(非同型モデル)をちょうど可算個だけ持つこと、がある。{{仮リンク|ロバート・ローソン・ヴォート|en|Robert Lawson Vaught}}に因む{{仮リンク|ヴォート予想|en|Vaught conjecture}}はこれが連続体仮説とは無関係に真であることを主張する。<!-- 訳注:つまり非可算個の可算モデル(の同型類)を持つ完全理論は存在しない -->この予想は多くの特別なケースについて確立されている。 == 再帰理論 == {{Main|再帰理論}} '''[[再帰理論]]'''('''[[計算可能性理論]]'''とも呼ばれる)は[[計算可能関数]]と[[チューリング次数]](これは計算不可能関数を同じレベルの計算不可能性を持つ集合に分ける)の性質を研究する。再帰理論はまた一般計算可能性と定義可能性の研究を含む。再帰理論は[[アロンゾ・チャーチ]]と[[アラン・チューリング]]による1930年代の仕事(これは[[スティーヴン・コール・クリーネ|クリーネ]]と[[エミール・レオン・ポスト|ポスト]]によって1940年代に大きく拡張された)から生まれた。 古典再帰理論は自然数から自然数への関数の計算可能性に着目する。基本的な結果は、[[チューリング機械]]や[[ラムダ計算]]やその他のシステムなど、多数の独立だが同値な特徴づけを持つ、ロバストかつカノニカルな計算可能関数のクラスを確立したことである。より高度な結果はチューリング次数の構造や[[帰納的可算集合]]の成す[[束 (束論)|束]]に関するものである。 一般再帰理論は再帰理論の諸概念をもはや有限ではないような計算へと拡張する。そこには高階の型の計算可能性の研究や{{仮リンク|超算術的理論|en|hyperarithmetical theory}}や{{仮リンク|アルファ再帰理論|en|alpha recursion theory}}などの分野を同様に含む。 再帰理論の現代的研究には、純粋な再帰理論の新しい結果と同様に、その応用研究(例えば[[アルゴリズム的ランダムな無限列|アルゴリズム的ランダム性]]、{{仮リンク|計算可能モデル理論|en|Computable model theory}}、[[逆数学]]など)が含まれる。 === アルゴリズム的に非可解な問題 === 再帰理論の重要な部分領域ではアルゴリズム的に非可解な問題が研究される;[[決定問題]]または[[関数問題]]が'''アルゴリズム的に非可解'''({{lang-en-short|algorithmically unsolvable}})あるいは'''決定不可能'''({{lang-en-short|undecidable}})とは、任意の合法な入力に対して正しい解を返すような計算可能なアルゴリズムが存在しないことをいう。決定不可能性に関する最初の結果は、1936年に[[アロンゾ・チャーチ|チャーチ]]と[[アラン・チューリング|チューリング]]によって独立に得られたもので、[[Entscheidungsproblem|一階述語論理の決定問題]]がアルゴリズム的に非可解であるというものである。チュ―リングはこれを[[停止性問題]]の決定不可能性を示すことによって証明した。この結果は再帰理論と計算機科学の双方に広範な示唆を与えるものである。 通常の数学においても多くの決定不可能問題の例が知られている。[[群の語の問題]]は1955年の[[ピョートル・ノビコフ]]と1959年のW.ボーンによって独立に証明せられた。[[ビジービーバー]]問題は1962年に[[Tibor Radó]]によって与えられた別のよく知られた例である。 [[ヒルベルトの第10問題]]は多変数整数係数代数方程式([[ディオファントス方程式]])が整数解を持つか否かを決定するアルゴリズムの存在を問うものである。部分的な解答は[[ジュリア・ロビンソン]]、[[マーティン・デイビス]]、[[ヒラリー・パトナム]]らによって与えられた。この問題のアルゴリズム的非可解性は[[ユーリ・マチャセビッチ|ユーリ・マチャセヴィッチ]]によって1970年に証明された(Davis 1973)。 == 証明論と構成的数学 == {{Main|証明論}} '''[[証明論]]'''は様々な論理推論体系における形式的証明の研究である。それら形式的証明は形式的な数学的対象であるから、それらの解析は数学的手法を用いて行うことができる。[[ヒルベルト流の体系]]、[[自然演繹]]の体系、ゲンツェンによって開発された[[シークエント計算]]などを含む、いくつかの推論体系はよく考察される 数理論理学の文脈において、''構成的数学''の研究は、[[可述的]]体系の研究のような、非古典論理の体系の研究を含む。可述主義の初期の支持者は[[ヘルマン・ワイル]]である。彼は実解析の大部分を可述的な方法だけを用いて展開できることを示した(Weyl 1918)。 形式的証明は完全に有限的なものであるが、構造における真理性はそうでないことから、構成的数学での作業では証明可能性を強調することが多い。古典(または非構成的)体系における証明可能性と直観主義(または構成的)体系での証明可能性との間の関係はとりわけ関心が持たれる。[[ゲーデル・ゲンツェン変換]]のような結果は古典論理を直観主義論理に埋め込む(翻訳する)ことが可能であることを示している。直観主義的証明に関するある性質は古典論理の証明に関するそれに逆翻訳できる。 最近の証明論における発展には[[Ulrich Kohlenbach]]による[[proof mining]]の研究や[[Michael Rathjen]]による[[証明論的順序数]]の研究が含まれる。 ==計算機科学との関係== [[計算可能性理論 (計算機科学)|計算機科学における計算可能性理論]]の研究は数理論理学における計算可能性の研究と密接に関係している。ただしその重視されている点に違いがある。計算機科学者はしばしば具体的なプログラミング言語と[[実際的計算可能性]]に焦点を当てるが、数理論理学における研究者達は理論的な概念としての計算可能性と計算不可能性に焦点を当てる。 [[プログラム意味論|プログラミング言語の意味論]]の理論は[[プログラム検証]](とくに[[モデル検査]])など[[モデル理論]]に関係する。証明とプログラムの間の[[カリー・ハワード対応]]は[[証明論]]のとくに[[直観主義論理]]に関係する。[[ラムダ計算]]や[[コンビネータ論理]]のような形式計算は理想化された[[プログラミング言語]]として研究される。 計算機科学はまた[[自動定理証明]]や[[論理プログラミング]]のような自動検証や証明探索の技術の開発によって数学に寄与している。 [[記述計算量|記述計算量理論]]は論理と[[計算量]]を関係づける。この領域での最初の重要な結果である[[フェイギンの定理]](1974)は[[NP]]がexistencialな二階述語論理の論理式で表現可能な言語の成す集合とちょうど一致することを示す。 == 数学基礎論 == {{Main|数学基礎論}} <!-- In the 19th century, mathematicians became aware of logical gaps and inconsistencies in their field. It was shown that [[Euclid]]'s axioms for geometry, which had been taught for centuries as an example of the axiomatic method, were incomplete. The use of [[infinitesimal]]s, and the very definition of [[Function (mathematics)|function]], came into question in analysis, as pathological examples such as Weierstrass' nowhere-[[differentiable]] continuous function were discovered. Cantor's study of arbitrary infinite sets also drew criticism. [[Leopold Kronecker]] famously stated "God made the integers; all else is the work of man," endorsing a return to the study of finite, concrete objects in mathematics. Although Kronecker's argument was carried forward by constructivists in the 20th century, the mathematical community as a whole rejected them. [[David Hilbert]] argued in favor of the study of the infinite, saying "No one shall expel us from the Paradise that Cantor has created." Mathematicians began to search for axiom systems that could be used to formalize large parts of mathematics. In addition to removing ambiguity from previously naive terms such as function, it was hoped that this axiomatization would allow for consistency proofs. In the 19th century, the main method of proving the consistency of a set of axioms was to provide a model for it. Thus, for example, [[non-Euclidean geometry]] can be proved consistent by defining ''point'' to mean a point on a fixed sphere and ''line'' to mean a [[great circle]] on the sphere. The resulting structure, a model of [[elliptic geometry]], satisfies the axioms of plane geometry except the parallel postulate. With the development of formal logic, Hilbert asked whether it would be possible to prove that an axiom system is consistent by analyzing the structure of possible proofs in the system, and showing through this analysis that it is impossible to prove a contradiction. This idea led to the study of [[proof theory]]. Moreover, Hilbert proposed that the analysis should be entirely concrete, using the term ''finitary'' to refer to the methods he would allow but not precisely defining them. This project, known as [[Hilbert's program]], was seriously affected by Gödel's incompleteness theorems, which show that the consistency of formal theories of arithmetic cannot be established using methods formalizable in those theories. Gentzen showed that it is possible to produce a proof of the consistency of arithmetic in a finitary system augmented with axioms of [[transfinite induction]], and the techniques he developed to do so were seminal in proof theory. A second thread in the history of foundations of mathematics involves [[nonclassical logic]]s and [[constructive mathematics]]. The study of constructive mathematics includes many different programs with various definitions of ''constructive''. At the most accommodating end, proofs in ZF set theory that do not use the axiom of choice are called constructive by many mathematicians. More limited versions of constructivism limit themselves to [[natural numbers]], [[number-theoretic function]]s, and sets of natural numbers (which can be used to represent real numbers, facilitating the study of [[mathematical analysis]]). A common idea is that a concrete means of computing the values of the function must be known before the function itself can be said to exist. [plz add ref "Varieties of constructive mathematics"] In the early 20th century, [[Luitzen Egbertus Jan Brouwer]] founded [[intuitionism]] as a philosophy of mathematics. This philosophy, poorly understood at first, stated that in order for a mathematical statement to be true to a mathematician, that person must be able to ''intuit'' the statement, to not only believe its truth but understand the reason for its truth. A consequence of this definition of truth was the rejection of the [[law of the excluded middle]], for there are statements that, according to Brouwer, could not be claimed to be true while their negations also could not be claimed true. Brouwer's philosophy was influential, and the cause of bitter disputes among prominent mathematicians. Later, Kleene and Kreisel would study formalized versions of intuitionistic logic (Brouwer rejected formalization, and presented his work in unformalized natural language). With the advent of the [[BHK interpretation]] and [[Kripke model]]s, intuitionism became easier to reconcile with classical mathematics. --> == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}} {{ウィキポータルリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics-p.svg|34px|Portal:数学]]}} {{Portal|Logic}} * [[数学基礎論]] * [[計算可能性理論]] - [[計算科学]] ** [[計算論]]/計算理論 * [[再帰理論]] * [[集合論]] * [[証明論]] * [[非古典論理]] * [[モデル理論]] * [[:Category:研究の計算分野]] ** [[計算言語学]] - [[計算論的哲学]] == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist2}} === 引用 === {{Reflist}} ==参考文献== === 学部教科書 === *{{Citation|和書 |last1 = 青本 |first1 = 和彦(編) |last2 = 上野 |first2 = 健爾(編) |last3 = 加藤 |first3 = 和也(編) |last4 = 神保 |first4 = 道夫(編) |last5 = 砂田 |first5 = 利一(編) |last6 = 高橋 |first6 = 陽一郎(編) |last7 = 深谷 |first7 = 賢治(編) |last8 = 俣野 |first8 = 博(編) |last9 = 室田 |first9 = 一雄(編) |authorlink1 = 青本和彦 |authorlink2 = 上野健爾 |authorlink3 = 加藤和也_(数学者) |authorlink4 = 神保道夫 |date = 2005-09-29 |title = 岩波 数学入門辞典 |edition = 第1刷 |publisher = 岩波書店 |isbn = 978-4000802093 |ref = harv}} * {{Citation |last1=Walicki |first1=Michał |title=Introduction to Mathematical Logic |publisher=[[World Scientific Publishing]] |location=Singapore |isbn=978-981-4343-87-9 |year=2011}}. * {{Citation |last1=Boolos |first1=George |author1-link=:en:George Boolos |last2=Burgess |first2=John |last3=Jeffrey |first3=Richard |author3-link=:en:Richard Jeffrey |title=Computability and Logic |publisher=[[Cambridge University Press]] |location=Cambridge |edition=4th |isbn=978-0-521-00758-0 |year=2002}}. * {{citation | last1=Crossley | first1=J.N. | last2=Ash | first2=C.J. | last3=Brickhill | first3=C.J. | last4=Stillwell | first4=J.C. | last5=Williams | first5=N.H. | title=What is mathematical logic? | zbl=0251.02001 | location=London-Oxford-New York | publisher=[[Oxford University Press]] | year=1972 | isbn=0-19-888087-1 }}. * {{Citation |last1=Enderton |first1=Herbert |title=A mathematical introduction to logic |publisher=[[Academic Press]] |location=Boston, MA |edition=2nd |isbn=978-0-12-238452-3 |year=2001}}. * {{Citation |last1=Hamilton |first1=A.G. |title=Logic for Mathematicians |publisher=Cambridge University Press |location=Cambridge |edition=2nd |isbn=978-0-521-36865-0 |year=1988}}. *{{Citation |last1=Ebbinghaus |first1=H.-D. |last2=Flum |first2=J. |last3=Thomas |first3=W. |doi= |title=Mathematical Logic |url=http://www.springer.com/mathematics/book/978-0-387-94258-2 |publisher=[[Springer Science+Business Media|Springer]] |location=[[ニューヨーク|New York]] |edition=2nd |isbn=0-387-94258-0 |year=1994}}. * {{Citation |last1=Katz |first1=Robert |title=Axiomatic Analysis |publisher=[[D. 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Covers logics in close relation with [[computability theory]] and [[Computational complexity theory|complexity theory]] === 大学院教科書 === * {{Citation | last1=Andrews | first1=Peter B. | title=An Introduction to Mathematical Logic and Type Theory: To Truth Through Proof | publisher=Kluwer Academic Publishers | location=Boston | edition=2nd | isbn=978-1-4020-0763-7 | year=2002}}. * {{Citation | editor1-last=Barwise | editor1-first=Jon | title=Handbook of Mathematical Logic | publisher=[[Elsevier|North Holland]] | series=Studies in Logic and the Foundations of Mathematics | isbn=978-0-444-86388-1 | year=1989}}. * {{Citation | last1=Hodges | first1=Wilfrid | author1-link=Wilfrid Hodges | title=A shorter model theory | publisher=[[Cambridge University Press]] | location=Cambridge | isbn=978-0-521-58713-6 | year=1997}}. * {{Citation | last1=Jech | first1=Thomas | author1-link=:en:Thomas Jech | title=Set Theory: Millennium Edition | publisher=[[Springer-Verlag]] | location=Berlin, New York | series=Springer Monographs in Mathematics | isbn=978-3-540-44085-7 | year=2003}}. * {{Citation | last1=Shoenfield | first1=Joseph R. | title=Mathematical Logic | origyear=1967 | publisher=[[A K Peters]] | edition=2nd | isbn=978-1-56881-135-2 | year=2001}}. * {{Citation | last1=Troelstra | first1=Anne Sjerp | author1-link=:en:A. S. Troelstra | last2=Schwichtenberg | first2=Helmut | title=Basic Proof Theory | publisher=Cambridge University Press | location=Cambridge | edition=2nd | series=Cambridge Tracts in Theoretical Computer Science | isbn=978-0-521-77911-1 | year=2000}}. === 研究論文、モノグラフ、教科書、サーベイ === * {{Citation | last1=Cohen | first1=P. J. | title=Set Theory and the Continuum Hypothesis | publisher=W. A. 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[http://links.jstor.org/sici?sici=0002-9890%28197303%2980%3A3%3C233%3AHTPIU%3E2.0.CO%3B2-E JStor] *{{Citation | title=Bolzano, Cauchy, Epsilon, Delta | first1=Walter | last1=Felscher |journal=The American Mathematical Monthly | volume = 107 | year = 2000 | pages = 844&ndash;862 | doi=10.2307/2695743 | issue = 9 | publisher=The American Mathematical Monthly, Vol. 107, No. 9 | jstor=2695743}}. [http://links.jstor.org/sici?sici=0002-9890(200011)107%3A9%3C844%3ABCED%3E2.0.CO%3B2-L JSTOR] *{{Citation | last1=Ferreirós | first1=José | title=The Road to Modern Logic-An Interpretation |journal=Bulletin of Symbolic Logic |volume=7 |year=2001 |pages=441&ndash;484 | doi=10.2307/2687794 |issue=4 | publisher=The Bulletin of Symbolic Logic, Vol. 7, No. 4 | jstor=2687794}}. [http://links.jstor.org/sici?sici=1079-8986%28200112%297%3A4%3C441%3ATRTMLI%3E2.0.CO%3B2-O JStor] * {{Citation | last1 = Hamkins | first1 = Joel David | first2 = | last2 = [[Benedikt Löwe]] | title = The modal logic of forcing | journal = Transactions of the American Mathematical Society}}, to appear. [http://www.ams.org/tran/0000-000-00/S0002-9947-07-04297-3/home.html Electronic posting by the journal] * {{Citation | last1=Katz | first1=Victor J. | title = A History of Mathematics | year = 1998 | publisher = Addison–Wesley | isbn = 0-321-01618-1}}. * {{Citation | last1=Morley | first1=Michael | author1-link=Michael D. 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English translation of title: "Completeness of the logical calculus". * {{Citation | last1=Gödel | first1=Kurt | year = 1930 | title = Die Vollständigkeit der Axiome des logischen Funktionen-kalküls | journal = Monatshefte für Mathematik und Physik | volume = 37 | pages = 349&ndash;360 | doi=10.1007/BF01696781}}. English translation of title: "The completeness of the axioms of the calculus of logical functions". * {{Citation | last1=Gödel | first1=Kurt | title=Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I | year=1931 | journal=Monatshefte für Mathematik und Physik | volume=38 | issue=1 | pages=173–198 | doi=10.1007/BF01700692}}, see [[On Formally Undecidable Propositions of Principia Mathematica and Related Systems]] for details on English translations. *{{Citation | last1=Gödel | first1=Kurt | title=Über eine bisher noch nicht benützte Erweiterung des finiten Standpunktes | year=1958 | journal=Dialectica. 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Oxford University Press, 1990.{{Specify|date=September 2009}} *{{citation | editor-first=Jean | editor-last=van Heijenoort | editor-link=Jean van Heijenoort | title = From Frege to Gödel: A Source Book in Mathematical Logic, 1879–1931 | edition = 3rd | publisher = Harvard University Press | location = Cambridge, Mass | year = 1967, 1976 3rd printing with corrections | id = (pbk.) | isbn=0-674-32449-8}} *{{citation | last1=Hilbert | first1=David | year = 1899 | title = Grundlagen der Geometrie | publisher = Teubner | location = Leipzig}}, English 1902 edition (''The Foundations of Geometry'') republished 1980, Open Court, Chicago. *{{Citation |first1=Hilbert |last1=David |year=1929 |title=Probleme der Grundlegung der Mathematik |journal=Mathematische Annalen|volume=102|pages=1&ndash;9 |url=http://gdz.sub.uni-goettingen.de/index.php?id=11&PPN=GDZPPN002273500&L=1 |doi=10.1007/BF01782335}}. Lecture given at the International Congress of Mathematicians, 3 September 1928. Published in English translation as "The Grounding of Elementary Number Theory", in Mancosu 1998, pp.&nbsp;266&ndash;273. * {{Citation | last1=Kleene | first1=Stephen Cole | author1-link=:en:Stephen Kleene | title=Recursive Predicates and Quantifiers | year=1943 | journal=American Mathematical Society Transactions | volume=54 | issue=1 | pages=41–73 | doi=10.2307/1990131 | publisher=Transactions of the American Mathematical Society, Vol. 53, No. 1 | jstor=1990131}}. * {{Citation | first1 = Nikolai | last1 = Lobachevsky | authorlink = Nikolai Lobachevsky | title = Geometrishe Untersuchungen zur Theorie der Parellellinien | year = 1840}} (German). Reprinted in English translation as "Geometric Investigations on the Theory of Parallel Lines" in ''Non-Euclidean Geometry'', Robert Bonola (ed.), Dover, 1955. ISBN 0-486-60027-0 * {{Citation | last1=Löwenheim | first1=Leopold | author1-link=:en:Leopold Löwenheim | title=Über Möglichkeiten im Relativkalkül | year=1915 | journal=Mathematische Annalen | issn=0025-5831 | volume=76 | pages=447–470 | url=http://gdz.sub.uni-goettingen.de/index.php?id=11&PPN=GDZPPN002266121&L=1 | doi=10.1007/BF01458217 | issue=4}} (German). Translated as "On possibilities in the calculus of relatives" in [[Jean van Heijenoort]], 1967. ''A Source Book in Mathematical Logic, 1879–1931''. Harvard Univ. Press: 228–251. *{{Citation |editor-last=Mancosu |editor-first=Paolo |editor-link=Paolo Mancosu |year=1998 |title=From Brouwer to Hilbert. The Debate on the Foundations of Mathematics in the 1920s |publisher=Oxford University Press|publication-place=Oxford}}. *{{citation |last1=Pasch |first1=Moritz |title=Vorlesungen über neuere Geometrie |year=1882}}. *{{citation |first1=Giuseppe |last1=Peano |year=1889 |title=[[Arithmetices principia, nova methodo exposita]]}} (Latin), excerpt reprinted in English stranslation as "The principles of arithmetic, presented by a new method", van Heijenoort 1976, pp.&nbsp;83&nbsp;97. * {{Citation |first1=Jules |last1=Richard |year=1905 |title=Les principes des mathématiques et le problème des ensembles |journal=Revue générale des sciences pures et appliquées |volume=16 |pages=541}} (French), reprinted in English translation as "The principles of mathematics and the problems of sets", van Heijenoort 1976, pp.&nbsp;142&ndash;144. * {{Citation | last1=Skolem | first1=Thoralf | author1-link=Thoralf Skolem | title=Logisch-kombinatorische Untersuchungen über die Erfüllbarkeit oder Beweisbarkeit mathematischer Sätze nebst einem Theoreme über dichte Mengen | year=1920 | journal=Videnskapsselskapet Skrifter, I. Matematisk-naturvidenskabelig Klasse | volume=6 | pages=1–36}}. * {{Citation | last1=Tarski | first1=Alfred | author1-link=Alfred Tarski | title=A decision method for elementary algebra and geometry | publisher=[[RAND Corporation]] | location=Santa Monica, California | year=1948}} *{{Citation | last1=Turing | first1=Alan M. | author1-link=A. M. Turing | title=Systems of Logic Based on Ordinals | year=1939 | journal=[[Proceedings of the London Mathematical Society]] | volume=45 | issue=2 | pages=161–228 | doi=10.1112/plms/s2-45.1.161}} * {{Citation |first1=Ernst |last1=Zermelo |year=1904 |title=Beweis, daß jede Menge wohlgeordnet werden kann |journal=Mathematische Annalen|volume=59|pages=514&ndash;516 |url=http://gdz.sub.uni-goettingen.de/index.php?id=11&PPN=GDZPPN002260018&L=1 |doi=10.1007/BF01445300 |issue=4}} (German), reprinted in English translation as "Proof that every set can be well-ordered", van Heijenoort 1976, pp.&nbsp;139&ndash;141. * {{Citation |first1=Ernst |last1=Zermelo |year=1908a |title=Neuer Beweis für die Möglichkeit einer Wohlordnung |journal=[[Mathematische Annalen]] |volume=65 |pages=107–128 |url=http://gdz.sub.uni-goettingen.de/index.php?id=11&PPN=GDZPPN002261952&L=1 |doi=10.1007/BF01450054 |issn=0025-5831}} (German), reprinted in English translation as "A new proof of the possibility of a well-ordering", van Heijenoort 1976, pp.&nbsp;183&ndash;198. * {{Citation | last1=Zermelo | first1=Ernst | year=1908b | title=Untersuchungen über die Grundlagen der Mengenlehre | journal=Mathematische Annalen | volume=65 | pages=261–281 | url=http://gdz.sub.uni-goettingen.de/index.php?id=11&PPN=PPN235181684_0065&DMDID=DMDLOG_0018&L=1 | doi=10.1007/BF01449999 | issue=2}}. == 外部リンク == * {{SpringerEOM|title=Mathematical logic|urlname=Mathematical_logic}}{{en icon}} * [http://www.quantrelog.se/pvlmatrix/index_main.htm Polyvalued logic and Quantity Relation Logic]{{en icon}} * ''[http://www.fecundity.com/logic/ forall x: an introduction to formal logic]''{{en icon}}, a free textbook by {{nowrap|P. D. Magnus}}. * ''[http://euclid.trentu.ca/math/sb/pcml/ A Problem Course in Mathematical Logic]''{{en icon}}, a free textbook by Stefan Bilaniuk. * Detlovs, Vilnis, and Podnieks, Karlis (University of Latvia), ''[http://www.ltn.lv/~podnieks/mlog/ml.htm Introduction to Mathematical Logic.]''{{en icon}} (hyper-textbook). * In the [[Stanford Encyclopedia of Philosophy]]: *: [http://plato.stanford.edu/entries/logic-classical/ Classical Logic]{{en icon}} by [[Stewart Shapiro]]. *: [http://plato.stanford.edu/entries/modeltheory-fo/ First-order Model Theory]{{en icon}} by [[Wilfrid Hodges]]. * In the [http://www.ucl.ac.uk/philosophy/LPSG/ London Philosophy Study Guide]{{リンク切れ|date=2021年10月}}: *: [http://www.ucl.ac.uk/philosophy/LPSG/MathLogic.htm Mathematical Logic]{{リンク切れ|date=2021年10月}} *: [http://www.ucl.ac.uk/philosophy/LPSG/SetTheory.htm Set Theory & Further Logic]{{リンク切れ|date=2021年10月}} *: [http://www.ucl.ac.uk/philosophy/LPSG/PhilMath.htm Philosophy of Mathematics]{{リンク切れ|date=2021年10月}} {{Mathematical logic}} {{数学}} {{Logic}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すうりろんりかく}} [[Category:数理論理学|*]] [[Category:数学基礎論]] [[Category:アルゴリズム]] [[Category:計算機科学]] [[Category:理論計算機科学]] [[Category:論理学]] [[Category:数学に関する記事]]
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命題
命題(、英語: proposition)とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質(真理値)をもつもの。また数学で、真偽の判断の対象となる文章または式、定理、問題のこと。西周による訳語の一つ。 厳密な意味での「命題」の存在について、「意味」の存在と同様に疑問を投げかける哲学者もいる。デイヴィド・ルイスは「『命題』という語からわれわれが連想する概念は、それぞれ差しさわりがありながら、それぞれが差し迫った必要性(desiderata)(から定義された複数のもの)がごちゃまぜになった、何ものか」であると言い、この概念を一貫した定義のなかで捉えることの困難さを指摘している。 命題という語は明治の初期には一覧表などを作成する際に標記する「項目名」などと同じような意味で使用されており、「命題」は「題命」すなわち「題名」とほぼ同義である。坪内逍遥「小説神髄」には「宜しく応分の新工夫を命題にもまた費やすべし」とある。小学館デジタル大辞典では「題号をつけること。また、その題。名題」と説明する。この場合命題の命は「命(いのち)」の意味ではなく名づけること(あるいは名づけられていること)を意味する。典籍では程端礼(1271-1345)「程氏家塾読書分季(年)日程」において「命題」「題命」をtitleの趣旨で使用していることが確認できる。一方岩波国語辞典は論理学の用法を正用とし、この用法について「誤って俗に、題目・課題の意にも使う」と注記する。論理学用語としては判断をことばであらわしたものを意味するpropositionの邦訳として西周が考案したものであり、西「百学連環」(1870-1871)ではpropositionを「命題」、syllogismを「演題」と邦訳している。 英語propositionという語は、ラテン語prōpositiōを祖としており、これは動詞prōponōの名詞形である。prōponōはprō-とpōnōから成り、prō-は「前に」「出す」、 pōnōは「置く(put)」「据え置く(place)」に相当する。propositionは動詞proposeの名詞形である。英和対訳袖珍辞書には「proposition、言ヒ顕ハシ、題」とある。 論理学で言う「命題」とは真偽が確定した言明のことであり、例えば「1は偶数である」「2は偶数である」などは命題である。これに対して「Xは偶数である」のように不定のXが入ったものを「述語」と言う。 アリストテレス論理学において命題は、主題の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文である。アリストテレス的命題は「全ての人間は死ぬ」「ソクラテスは人間である」というような形を取る。 数理論理学において命題(英: propositional formula, statement forms)は量化子を含まない言明であり、それはまた原子論理式と五つの論理結合子(選言、連言、否定、含意、双条件)およびグループ化記号のみから構成される論理式の合成である。命題論理は完全かつ健全である。すなわち、命題論理において任意の定理は真であり、任意の真なる言明が証明可能である。命題論理の体系に変項と量化子を加えて拡張したものが述語論理である。 数学においては、例えば確率は命題の確からしさを表すなど、命題の存在を基本的前提として出発する場合がある 。 現在では、論争や存在論的な含みを持つことを避けるため、ある解釈の下で(真か偽のいずれであるかという)真理の担い手となる記号列自体について述べる時は、「命題」という代わりに「文 (sentence)」という術語を用いる。ストローソンは「言明 ("statement")」 という術語を用いることを提唱した。 ある肯定的判断・命題を立てること、また立てられた肯定的判断・命題のことを定立(テーゼ)と呼び、ヘーゲル弁証法では、三段階発展の最初の段階を指す語として使用される。カントの二律背反では、同等の権利をもって語ることのできる、世界についての根本主張の最初の肯定的なほう、たとえば「自由は存在する」が定立であり、反定立は「自由は存在しない」である。フィヒテは、自我と非自我の対立を、両者をともに可能にする第三者の内に総合する立場を、「定立-反定立-総合」と定式化した。 「至上命題」という語については至上命令から派生した語であり本来は誤用との指摘がある。「至上命題」の用例は1926年刊「ニイチエ全集-偶像の薄明;他」(生田長江訳)、国民新聞1938年5月13日-5月22日報に利用があり、国会議事録では昭和21年に使用例を発見することができ、「至上の命題」は1941年刊行「宗教研究」(第24巻、宗教研究会刊)や1943年刊行「週報」(第341号、内閣情報部)に発見することができる。 上述のように命題とは真か偽かがはっきり定まる形式をもつ文(断言する文)のことを言うが、数学書において「命題」と見出しをつけて書かれている命題は、公理と定義を元にして定理の体系を作り上げていく過程で必要とされる「真の命題」を指し、そのなかでとくに重要なものが定理と呼ばれ、「定理」と見出しが付けられる。数学書で「定理」「命題」「補題」「系」と見出しを付けて書かれた文は、正しいことが証明された(あるいはその数学書でこれから正しいことが証明される)命題である。
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命題(めいだい、とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの。また数学で、真偽の判断の対象となる文章または式、定理、問題のこと。西周による訳語の一つ。 厳密な意味での「命題」の存在について、「意味」の存在と同様に疑問を投げかける哲学者もいる。デイヴィド・ルイスは「『命題』という語からわれわれが連想する概念は、それぞれ差しさわりがありながら、それぞれが差し迫った必要性がごちゃまぜになった、何ものか」であると言い、この概念を一貫した定義のなかで捉えることの困難さを指摘している。
{{Otheruseslist|論理学、哲学の用語|「'''命題'''」の語義|wikt:命題|数学(特に数理論理学以外の分野)での定理の一種|定理}} {{未検証|date=2009年3月}} {{読み仮名|'''命題'''|めいだい|{{lang-en|proposition}}}}とは、論理学において判断を言語で表したもので、真または偽という性質([[真理値]])をもつもの<ref>小学館デジタル大辞泉「[https://kotobank.jp/word/%E5%91%BD%E9%A1%8C-141120 命題]」'''2'''</ref><ref group="注釈">たとえば「雨が降っている」はこのままでは真偽の判断を下せないので命題ではない。場所や時間を特定すれば真偽が判断できるので命題になる[http://web.agr.ehime-u.ac.jp/~kishou/Lecture/math2f/090415math2f/Chap2_log.pdf]{{DL|date=2023-01}}</ref>。また数学で、真偽の判断の対象となる文章または式、定理<ref>詳しくは[[#類語等|数学書における「命題」]]項目を参照</ref>、問題のこと<ref>小学館デジタル大辞泉「[https://kotobank.jp/word/%E5%91%BD%E9%A1%8C-141120 命題]」'''3'''</ref>。[[西周 (啓蒙家)|西周]]による訳語の一つ<ref>{{Cite journal|和書|author=山川 偉也|date=1994-03-30|title=西周『致知啓蒙』に見る西洋形式論理学の本邦への導入について(共同研究 : ことばと理論(II))|url=https://stars.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=67&item_id=8660&item_no=1|journal=総合研究所紀要|volume=19|issue=3|pages=35–46|language=ja}}</ref><ref>三省堂・大辞林(第三版)「[https://kotobank.jp/word/%E5%91%BD%E9%A1%8C-141120 命題]」『②英語propositionの訳語として西周が考案。「百学連環」(1870-71年)にある』</ref>。 厳密な意味での「命題」の存在について、「意味」の存在と同様に疑問を投げかける哲学者もいる。[[デイヴィド・ルイス]]は「『命題』という語からわれわれが連想する概念は、それぞれ差しさわりがありながら、それぞれが差し迫った必要性(desiderata)(から定義された複数のもの)がごちゃまぜになった、何ものか」<ref>“the conception we associate with the word ‘proposition’ may be something of a jumble of conflicting desiderata,”Lewis, David K.,1986, On the Plurality of Worlds, Oxford: Blackwell. p. 54</ref>であると言い、この概念を一貫した定義のなかで捉えることの困難さを指摘している<ref>"Propositions" McGrath, Matthew and Devin Frank, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2020 Edition), [https://plato.stanford.edu/entries/propositions/]</ref>。 ==命題という語== 命題という語は明治の初期には一覧表などを作成する際に標記する「項目名」などと同じような意味で使用されており、「命題」は「題命」すなわち「題名」とほぼ同義である。[[坪内逍遥]]「[[小説神髄]]」には「宜しく応分の新工夫を命題にもまた費やすべし」とある<ref>小説神髄(上)文体論。小学館日本国語大辞書「命題」</ref>。小学館デジタル大辞典では「題号をつけること。また、その題。名題」と説明する。この場合命題の命は「命(いのち)」の意味ではなく名づけること(あるいは名づけられていること)を意味する<ref>精選版日本国語大辞典「命(めい)」③、あるいは小学館デジタル大辞泉「命(めい)」漢字項目2.3.5[https://kotobank.jp/word/%E5%91%BD-435448]</ref><ref group="注釈">[[説文解字]]注によれば「命」とは口と令により成り立ち、口も令も発号することであり、「使」すなわち令ないし従と同じ意味とある。「使命」は与えられた発号、あるいはその発号に従うこと。</ref>。典籍では[[:zh:程端礼|程端礼]](1271-1345)「[[:zh:s:讀書分年日程|程氏家塾読書分季(年)日程]]」において「命題」「題命」をtitleの趣旨で使用していることが確認できる。一方岩波国語辞典は論理学の用法を正用とし、この用法について「誤って俗に、題目・課題の意にも使う」と注記する。論理学用語としては判断をことばであらわしたものを意味するpropositionの邦訳として[[西周 (啓蒙家)|西周]]が考案したものであり、西「[[百学連環]]」(1870-1871)ではpropositionを「命題」、syllogismを「演題」と邦訳している<ref>精選版日本語大辞典(小学館)「[https://kotobank.jp/word/%E5%91%BD%E9%A1%8C-141120 命題]」。なお[[井上哲次郎]]・[[有賀長雄]]ら編「[[哲学字彙]]」(1881)では「演題」は「推測式」に改訳されたが「命題」はそのまま取り入れられ、明治20年(1887)以降に一般化したとする。</ref>。 ===propositionという語=== 英語propositionという語は、ラテン語prōpositiōを祖としており、これは動詞prōponōの名詞形である。prōponōはprō-とpōnōから成り、prō-は「前に」「出す」、 pōnōは「置く(put)」「据え置く(place)」に相当する。propositionは動詞proposeの名詞形である。[[英和対訳袖珍辞書]]には「proposition、言ヒ顕ハシ、題」<ref>[[堀達之助]]「[[英和対訳袖珍辞書]]」改正増補(明治2、出版:蔵田屋清右衛門)P.322、国立国会図書館蔵[https://dl.ndl.go.jp/pid/870101/1/322]</ref>とある。 ==論理学における「命題」== 論理学で言う「命題」とは真偽が確定した[[wikt:言明|言明]]のことであり、例えば「1は偶数である」<ref group="注釈">偽の命題([[真理値]]が偽の命題)</ref>「2は偶数である」<ref group="注釈">真の命題([[真理値]]が真の命題)</ref>などは命題である<ref>高崎金久『数理論理学入門』「Ⅲ.命題論理の意味論(その1)」1.1.1 命題とは何か[http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~kanehisa.takasaki/edu/logic/logic3.html]</ref>。これに対して「Xは偶数である」のように不定のXが入ったものを「[[述語論理|述語]]」と言う<ref>高崎金久『数理論理学入門』「Ⅲ.命題論理の意味論(その1)」1.1.1 命題とは何か[http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~kanehisa.takasaki/edu/logic/logic3.html]</ref>。 == 解釈 == [[アリストテレス論理学]]において命題は、[[主題 (哲学)|主題]]の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文である。アリストテレス的命題は「全ての人間は死ぬ」「ソクラテスは人間である」というような形を取る。 [[数理論理学]]において命題({{lang-en-short|''propositional formula'', ''statement forms''}})は[[量化子]]を含まない[[言明]]であり、それはまた[[原子論理式]]と五つの[[論理結合子]](選言、連言、否定、含意、双条件)およびグループ化記号のみから構成される[[論理式 (数学)|論理式]]の合成である。[[命題論理]]は完全かつ健全である。すなわち、命題論理において任意の定理は真であり、任意の真なる言明が証明可能である<ref>A. G. Hamilton, ''Logic for Mathematicians'', Cambridge University Press, 1980, ISBN 0521292913</ref>。命題論理の体系に[[変項]]と[[量化子]]を加えて拡張したものが[[述語論理]]である。 数学においては、例えば確率は命題の確からしさを表すなど、命題の存在を基本的前提として出発する場合がある<ref>[[伏見康治]]「[https://ismrepo.ism.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=33836&item_no=1&page_id=13&block_id=21 確率論及統計論]」1942年、河出書房、第I章 数学的補助手段 6節 命題算、集合算 p.50 {{ISBN2| 9784874720127}} 2022-05-01閲覧。</ref> 。 ==類語等== ===言い換え=== 現在では、論争や[[存在論]]的な含みを持つことを避けるため、ある解釈の下で(真か偽のいずれであるかという)真理の担い手となる記号列自体について述べる時は、「命題」という代わりに「文 {{lang|en|(sentence)}}」という術語を用いる。[[ピーター・フレデリック・ストローソン |ストローソン]]は「言明 {{lang|en|("statement")}}」 という術語を用いることを提唱した。 ===定立=== ある肯定的判断・命題を立てること、また立てられた肯定的判断・命題のことを定立(テーゼ)と呼び、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]弁証法では、三段階発展の最初の段階を指す語として使用される<ref>小学館・デジタル大辞泉「[https://dictionary.goo.ne.jp/word/定立/ 定立]」</ref>。[[イマヌエル・カント|カント]]の二律背反では、同等の権利をもって語ることのできる、世界についての根本主張の最初の肯定的なほう、たとえば「自由は存在する」が定立であり、反定立は「自由は存在しない」である。[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ|フィヒテ]]は、自我と非自我の対立を、両者をともに可能にする第三者の内に総合する立場を、「定立-反定立-総合」と定式化した<ref>小学館・日本大百科全書「[https://kotobank.jp/word/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%BC-574947 テーゼ]」加藤尚武(ニッポニカ)</ref>。 ===至上命題=== 「至上命題」という語については至上命令から派生した語であり本来は誤用との指摘がある<ref>高井一「[http://www.tokai-tv.com/kuugenzetsugo/20091127_takai03_7043.php 空言舌言 百七十三、至上命題]」2009/11/27</ref>。「至上命題」の用例は1926年刊「ニイチエ全集-偶像の薄明;他」([[生田長江]]訳)<ref>新潮社、大正15年11月5日発行、P.65、この他P.195には「最上の命題」の用例あり。</ref>、国民新聞1938年5月13日-5月22日報に利用があり<ref>神戸大学新聞記事文庫[{{新聞記事文庫|url|0100139456|title=わが大陸政策の動向 (一〜完)|oldmeta=00464356}}]</ref>、国会議事録では昭和21年に使用例を発見することができ<ref>第90回衆議院本会議(昭和21年6月24日)中野四郎</ref>、「至上の命題」は1941年刊行「宗教研究」(第24巻、宗教研究会刊)や1943年刊行「週報」(第341号、内閣情報部)に発見することができる。 ===数学書における「命題」=== 上述のように命題とは真か偽かがはっきり定まる形式をもつ文(断言する文)のことを言うが、数学書において「命題」と見出しをつけて書かれている命題は、公理と定義を元にして定理の体系を作り上げていく過程で必要とされる「真の命題」を指し、そのなかでとくに重要なものが定理と呼ばれ、「定理」と見出しが付けられる<ref>竹山美宏「数学書の読み方」(森北出版、2022.3.8)P.P.7-8</ref>。数学書で「定理」「命題」「補題」「系」と見出しを付けて書かれた文は、正しいことが証明された(あるいはその数学書でこれから正しいことが証明される)命題である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[論理的帰結]] * [[推論]] * [[前提]] * [[言明]] * [[文]] * [[仮説]] * [[真理の担い手]] * [[定理]] == 参考文献 == * 伏見康治「確率論及統計論」第I章 数学的補助手段 6節 命題算、集合算 p.50 ISBN 9784874720127 == 外部リンク == {{Wiktionary|命題}} * {{PhilP|6240|Proposition}} *[[Stanford Encyclopedia of Philosophy]] articles on: **[http://plato.stanford.edu/entries/propositions/ Propositions], by Matthew McGrath **[http://plato.stanford.edu/entries/propositions-singular/ Singular Propositions], by Greg Fitch **[http://plato.stanford.edu/entries/propositions-structured/ Structured Propositions], by Jeffrey C. King {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:めいたい}} [[Category:命題|*]] [[Category:論理式]] [[Category:仮定 (論理学)]] [[Category:ステートメント]] [[Category:哲学の和製漢語]] [[Category:論理学の概念]] [[Category:科学哲学の概念]] [[Category:言語哲学の概念]] [[Category:数学に関する記事]]
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論理和
数理論理学において論理和(ろんりわ、英: logical disjunction)とは、与えられた複数の命題のいずれか少なくとも一つが真であることを示す命題を作る論理演算である。離接(りせつ)、選言(せんげん)とも呼ぶ。 二つの命題 P, Q に対する論理和は記号 ∨ を用いて P ∨ Q と表せる。この記号はラテン語で(非排他的)論理和を意味する vel の頭文字に由来する。 の二つの命題の論理和は、 となる。この論理和が真となるのは のいずれかである。論理和が偽となるのは以下の場合である。 P ∨ Q は否定と論理積を用いた ¬(¬P ∧ ¬Q) と同じである。従って、論理和は否定と論理積で表せる。 また、論理積は論理和と否定で表せる。 この二つをド・モルガンの法則という。 論理和の真理値表 命題 P ∨ Q はしばしば「P または Q」と読まれる。この用語「または」は一般語としての用法より意味が限定的である。 日常会話において「または」と言った場合、例えば P と Q のいずれか一方のみが成り立つことを意味することがある(排他的論理和)。具体例として、レストランにおいて「コーヒーまたは紅茶が付きます」と言えばコーヒーと紅茶のどちらか一方のみが付くことを意味し、両方が付くことは含意しない。 排他的論理和と明確に区別するために、通常の論理和を「包含的論理和」(inclusive OR)と呼ぶこともある。 論理和(OR) は、中置記法により表記される。 ∨ {\displaystyle \lor } を使用して P ∨ Q {\displaystyle P\lor Q} と書く。 + 記号を使用して A + B {\displaystyle A+B} と書く。 C言語などでは、単なる論理和は||、ビット単位の論理和は|で表され、 のように使用される。(注:2|4 の値は 6 である一方、2||4 の値は 1 である。) Perlでも、単なる論理和は||、ビット単位の論理和は|で表され、 のように使用される。(注: 2|4 の値は 6 である一方、 2||4 の値は C言語の場合とは異なり 2 である。) VBScriptでは、「Or」で表され、 のように使用される。 各プログラミング言語における論理和の表記と意味は、短絡評価と密接な関係がある。
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数理論理学において論理和とは、与えられた複数の命題のいずれか少なくとも一つが真であることを示す命題を作る論理演算である。離接(りせつ)、選言(せんげん)とも呼ぶ。 二つの命題 P, Q に対する論理和は記号 ∨ を用いて P ∨ Q と表せる。この記号はラテン語で(非排他的)論理和を意味する vel の頭文字に由来する。
[[ファイル:Venn-Diagram-OR.png|thumb|{{math|1=''P'' &or; ''Q''}} の[[ベン図]]による表現]] [[数理論理学]]において'''論理和'''(ろんりわ、{{lang-en-short|logical disjunction}})とは、与えられた複数の[[命題]]のいずれか少なくとも一つが真であることを示す命題を作る[[論理演算]]である。'''離接'''(りせつ)、'''選言'''(せんげん)とも呼ぶ。 二つの命題 {{math|''P'', ''Q''}} に対する論理和は記号 {{math|&or;}} を用いて {{math|''P'' &or; ''Q''}} と表せる。この記号は[[ラテン語]]で(非排他的)論理和を意味する vel の頭文字に由来する<ref>{{cite book |和書 |author=山下正男 |authorlink=山下正男 |title=論理学史 |series=[[岩波全書]] |publisher=[[岩波書店]] |year=1983 |page=69 }}</ref>。また {{math|''P'' &or; ''Q''}} の形をした命題を'''選言命題'''({{lang|en|disjunctive proposition}})、その中に現れる命題 {{mvar|P}} や {{mvar|Q}} を'''選言肢'''({{lang|en|disjunct}})という<ref>{{cite book |和書 |author1=近藤洋逸 |authorlink1=近藤洋逸 |author2=好並英司 |title=論理学概論 |publisher=岩波書店 |year=1964 |page=32 |id={{NDLDC|2969913|format=NDLJP}} }}</ref>。 == 例 == *「私の身長は {{val|160|u=cm}} 以上である」 *「私の体重は {{val|50|u=kg}} 以上である」 の二つの命題の論理和は、 *「私の身長は {{val|160|u=cm}} 以上か、または、私の体重は {{val|50|u=kg}} 以上である」 となる。この論理和が真となるのは * 「私」の身長は {{val|160|u=cm}} 以上で、体重は {{val|50|u=kg}} 以上 * 「私」の身長は {{val|160|u=cm}} 以上で、体重は {{val|50|u=kg}} より軽い * 「私」の身長は {{val|160|u=cm}} より低く、体重は {{val|50|u=kg}} 以上 のいずれかである。論理和が偽となるのは以下の場合である。 * 「私」の身長は {{val|160|u=cm}} より低く、体重は {{val|50|u=kg}} より軽い == 性質 == ''P'' &or; ''Q'' は[[否定]]と[[論理積]]を用いた &not;(&not;''P'' &and; &not;''Q'') と同じである。従って、論理和は否定と論理積で表せる。 : ''P'' &or; ''Q'' &hArr; &not;(&not;''P'' &and; &not;''Q'') また、論理積は論理和と否定で表せる。 : ''P'' &and; ''Q'' &hArr; &not;(&not;''P'' &or; &not;''Q'') この二つを[[ド・モルガンの法則]]という。 === 真理値表 === 論理和の[[真理値表]] {| border=1 cellpadding=2 cellspacing=0 |- style="background-color:#ccc" !命題 ''P'' !! 命題 ''Q'' !! ''P'' &#8744; ''Q'' |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{yes2|真}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{no2|偽}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{yes2|真}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{no2|偽}}|| {{no2|'''偽'''}} |} == 一般語との乖離 == 命題 {{math|1=''P'' &or; ''Q''}} はしばしば「{{mvar|P}} または {{mvar|Q}}」と読まれる。この用語「または」は一般語としての用法より意味が限定的である。 日常会話において「または」と言った場合、例えば {{mvar|P}} と {{mvar|Q}} のいずれか一方のみが成り立つことを意味することがある([[排他的論理和]])。具体例として、レストランにおいて「コーヒーまたは紅茶が付きます」と言えばコーヒーと紅茶のどちらか一方のみが付くことを意味し、両方が付くことは含意しない。 排他的論理和と明確に区別するために、通常の論理和を「包含的論理和」({{en|inclusive OR}})と呼ぶこともある。 == 表記法 == '''論理和(OR)''' は、[[中置記法]]により表記される。 === 論理学 === <math>\lor</math>を使用して <math>P \lor Q</math> と書く。 === 電子工学 ===  '''+''' 記号を使用して <math>A + B</math> と書く。 {{seealso|論理回路}} === プログラミング言語 === [[C言語]]などでは、単なる論理和は<code>||</code>、ビット単位の論理和は<code>|</code>で表され、 :<code>z = x | y;</code> のように使用される。(注:<code>2|4</code> の値は <code>6</code> である一方、<code>2||4</code> の値は <code>1</code> である。) [[Perl]]でも、単なる論理和は<code>||</code>、ビット単位の論理和は<code>|</code>で表され、 :<code>$z = $x | $y;</code> のように使用される。(注: <code>2|4</code> の値は <code>6</code> である一方、 <code>2||4</code> の値は C言語の場合とは異なり <code>2</code> である。) [[VBScript]]では、「<code>Or</code>」で表され、 :<code>z = x Or y</code> のように使用される。 各プログラミング言語における論理和の表記と意味は、[[短絡評価]]と密接な関係がある。 ==符号位置== {|class="wikitable" style="text-align:center" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|8744|2228|-|論理和|or}} |} ==注釈== {{reflist}} == 関連項目 == *[[論理積]] *[[ORゲート]] *[[否定論理和]] (NOR) *[[真理値]] *[[真理値表]] *[[ブール代数]] *[[ブール論理]] *[[ブール関数]] *[[ベン図]] *[[選言標準形]] *[[論理回路]] *[[加算器]] *[[選言三段論法]] *[[選言肯定]] *[[マスク (情報工学)]] {{論理演算}} {{Common logical symbols}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろんりわ}} [[Category:論理結合子]] [[Category:数学に関する記事]]
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論理積
数理論理学において論理積(ろんりせき、英: logical conjunction)とは、与えられた複数の命題のいずれもが例外なく真であることを示す論理演算である。合接(ごうせつ)、連言(れんげん、れんごん)とも呼び、ANDとよく表す。 二つの命題 P, Q に対する論理積を P ∧ Q と書き、「P かつ Q」や「P そして Q」などと読む。 の二つの命題の論理積は、 論理積は、否定と論理和を用いて表すことができる(ド・モルガンの法則)。 逆に、否定と論理積を用いて論理和を表すこともできる。 論理積の真理値表 ∧ {\displaystyle \land } を使用して P ∧ Q {\displaystyle P\land Q} と書く。 ⋅ {\displaystyle \cdot } 記号を使用して A ⋅ B {\displaystyle A\cdot B} と書く。論理回路のページを参照。 C言語やPerlなどでは、ビット単位の論理積は&で表され、 のように使用される。 単なる論理積は&&で表され のように使用される。 VBScriptではAndで表され、 のように使用される。 Lispでは だが、さらに可変長で のように記述できる。 各プログラミング言語における論理積の表記と意味は、短絡評価とも密接な関係がある。
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数理論理学において論理積とは、与えられた複数の命題のいずれもが例外なく真であることを示す論理演算である。合接(ごうせつ)、連言(れんげん、れんごん)とも呼び、ANDとよく表す。 二つの命題 P, Q に対する論理積を P ∧ Q と書き、「P かつ Q」や「P そして Q」などと読む。
{{Redirect|∧|類似字形の[[ダイアクリティカルマーク]]|サーカムフレックス|[[校正]]記号|キャレット|ギリシア文字の「ラムダ」|Λ}} [[数理論理学]]において'''論理積'''(ろんりせき、{{lang-en-short|logical conjunction}})とは、与えられた複数の[[命題]]のいずれもが例外なく真であることを示す[[論理演算]]である。'''合接'''(ごうせつ)、'''連言'''(れんげん、れんごん)とも呼び、'''AND'''とよく表す。 二つの命題 ''P'', ''Q'' に対する論理積を ''P'' &and; ''Q'' と書き、「''P'' かつ ''Q''」や「''P'' そして ''Q''」などと読む。また ''P'' &and; ''Q'' の形をした命題を'''連言命題'''({{lang|en|conjunctive proposition}})、その中に現れる命題 ''P'' や ''Q'' を'''連言肢'''({{lang|en|conjunct}})という<ref>{{cite book |和書 |author1=近藤洋逸 |authorlink1=近藤洋逸 |author2=好並英司 |title=論理学概論 |publisher=岩波書店 |year=1964 |page=47 |id={{NDLDC|2969913|format=NDLJP}} }}</ref>。 [[画像:Venn-Diagram-AND.png|thumb|[[ベン図]]による<br>論理積<math>P \wedge Q</math> の表現]] == 例 == *「私の身長は 160 cm 以上である」 *「私の体重は 50 kg 以上である」 の二つの命題の論理積は、 *「私の身長は 160 cm 以上であり、かつ私の体重は 50 kg 以上である」 == 性質 == 論理積は、[[否定]]と[[論理和]]を用いて表すことができる([[ド・モルガンの法則]])。 : ''P'' &and; ''Q'' = &not;(&not;''P'' &or; &not;''Q'') 逆に、否定と論理積を用いて論理和を表すこともできる。 : ''P'' &or; ''Q'' = &not;(&not;''P'' &and; &not;''Q'') === 真理値表 === 論理積の[[真理値表]] {| border=1 cellpadding=2 cellspacing=0 |- style="background-color:#ccc" ! 命題 ''P'' !! 命題 ''Q'' !! ''P'' &#8743; ''Q'' |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{yes2|真}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{no2|偽}}|| {{no2|'''偽'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{yes2|真}}|| {{no2|'''偽'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{no2|偽}}|| {{no2|'''偽'''}} |} == 表記法 == === 論理学 === <math>\and</math>を使用して <math>P \and Q</math> と書く。 === 電子工学 ===  '''<math>\cdot</math>''' 記号を使用して <math>A \cdot B</math> と書く。[[論理回路]]のページを参照。 === プログラミング言語 === [[C言語]]や[[Perl]]などでは、ビット単位の論理積は<code>&</code>で表され、 :<code>z = x & y;</code> :<code>$z = $x & $y;</code> のように使用される。 単なる論理積は<code>&&</code>で表され :<code>if (x==0 && y==0) ;</code> のように使用される。 [[VBScript]]では<code>And</code>で表され、 :<code>z = x And y</code> のように使用される。 [[Lisp]]では :<code>(and x y)</code> だが、さらに可変長で :<code>(and x0 x1 ...)</code> のように記述できる。 各プログラミング言語における論理積の表記と意味は、[[短絡評価]]とも密接な関係がある。 == 関連項目 == *[[論理和]] *[[ANDゲート]] *[[否定論理積]] (NAND) *[[真理値]] *[[真理値表]] *[[ブール代数]] *[[ブール論理]] *[[ブール関数]] *[[ベン図]] *[[連言標準形]] *[[論理回路]] *[[加算器]] *[[マスク (情報工学)]] == 符号位置 == {|class="wikitable" style="text-align:center" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|8743|2227|-|論理積|and}} |} ==注釈== {{reflist}} {{論理演算}} {{Common logical symbols}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろんりせき}} [[Category:論理結合子]] [[Category:命題]] [[Category:数学に関する記事]]
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否定
数理論理学において否定 (ひてい、英: Negation) とは、命題の真と偽を反転する論理演算である。否定は英語で Not であるが、Invert とも言われ論理演算ではインバージョン(Inversion)、論理回路では Not回路やインバータ回路(Inverter)とも呼ばれ入力に対して出力が反転する。 命題 P に対する否定を ¬P, P, !P などと書いて、「P でない」とか「P の否定」、「P 以外の場合」などと読む。 の命題の否定は、 である。 他の論理演算と違い、対象となる命題が一つという事から、単項演算であることがわかる。 否定の真理値表 命題 p の否定は、以下のように複数の表記がなされる。 Aの否定は、 A ̄ {\displaystyle {\overline {A}}} と書く。 C言語などでは! で表され、 のように使用される。また、ビット単位の否定は~で表され のように使用される。 VBScriptではNotで表され、 のように使用される。 Perlでは、!やnotで表され、 のように使用される。 Schemeでは、notで表され、 のように使用される。 ある対象に関する命題で、対象すべてに関する否定を全否定、一部に関する否定を部分否定という。これらは、述語論理において、次のように表現される。 これらは、述語論理に関するド・モルガンの法則によって、次のように書き換えることができる。 つまり、全否定「すべての x について、「P(x) でない」」は、「「ある x について P(x)」ということはない」と言い換えることができ、部分否定「「すべての x について P(x)」というわけではない」は、「ある x については「P(x) ではない」」と言い換えることができる。 全否定命題の否定は部分肯定、部分否定命題の否定は全肯定である。 否定をさらに他の観念と組み合わせて考えることもできる。可能性「~でありうる」、必然性「~にちがいない」などを論理学の枠組として扱うのが様相論理学であり、ここではそれらに対する否定が基本的法則(公理)として必要とされる。 例えば意味としては(言語形式上とは異なる) と考えられる。様相論理は一般には古典論理に必然性演算子と可能性演算子を導入して形式化され、「可能性演算子つきの命題」は、「命題の否定に必然性演算子をつけた命題の否定」として定義される。例えば「「彼がそれをしていないに違いない」というわけではない」は、「彼がそれをした可能性がある」と同値である。 自然言語において、否定は極性表現の一種である。否定を表す言語表現は文否定と構成素否定に分けられる。 文否定は、英語や日本語の のように、述語に否定標識を付与することによって否定命題を表現する方法である。 構成素否定は、英語の のように、述語以外の構成素に否定標識を付与することで否定命題を表現する方法である。日本語では「ない袖を振る」のように修飾語を否定しても否定文にはならない(「袖を振らない」の意味にはならない)。 文否定も構成素否定も、どちらもほぼ同じ意味を表すことができるが、文否定の方が一般的である。 述語の形を変化させることで否定を表す。例えば日本語の動詞の否定では否定の接尾辞が用いられ、ペルシャ語では接頭辞が使われる。 他の屈折要素と融合している場合もある。例えばナナイ語では否定節で特別な時制標識を用いる。 一般には文法的な法の一種として「否定法」とされる。 また否定形が肯定形と全く異なる形態をしている場合もある。例えば日本語「ある」-「ない」など(文語体や関西弁は「あらず」、「あらへん」という否定形を使う)。 日本語では動詞に対しては未然形に助動詞「ない」・「ぬ」が接続した形で否定する。「ない」・「ぬ」は独立性のない接尾辞と考えるのが適切である(助詞「は」が介入した場合「*書か-は-ない」でなく「書き-は-しない」と言う)。一方形容詞・形容動詞の否定には「ない」を使うが、これは学校文法では助動詞でなく補助形容詞と呼び、「赤く-は-ない」というように独立性があり、またこの「ない」には本来の意味が残っている(「ない」を肯定形の「ある」に入れ替え「赤くはある」とすることもできる)。 このほか、動詞や形容詞を単独に否定することができず「...であるということはない」のように文(節)を否定する言語もある。 言語における否定で注意すべき点として、否定を他の法観念(可能・必然・許可・義務など、話者の判断が介入する)と組み合わせた場合には、意味的な否定(論理的否定)と形式的な否定が一致しない場合もある。意味的な否定は上記の様相論理学における否定として扱うことができ、例えば許可「...してよい」の意味的否定は不許可=禁止「...してはならない」、義務「...しなければならない」の意味的否定は否定の許可「...しなくてよい」である。しかし英語で must not は「...してはならない」または「...はありえない」を表す。つまり not によって、助動詞(あるいは文自体)を否定する(外部否定)のではなく、動詞不定詞を否定するのだ(内部否定)と考えるべきである。それに対し cannot は can の否定(不可能「...できない」または「...はありえない」:外部否定)と考えてよい。may not は場合によって意味が異なり、禁止「...してはならない」(must not とほぼ同じ意味;ただし発話で not を強調すると「...しなくてよい」の意味にもなる)、または否定の可能(不可能ではない)「...でないかもしれない」になる。 上記のような明らかな否定語以外にも、意味的に否定に近い語・表現もある。英語でいえば、"only~"(文脈による)、"few"、"scarcely"などがある。これらに相当する日本語表現では「~しかない」「ほとんど~ない」「滅多に~ない」と否定を明示することが多い。 時制・アスペクト・ムードなどによって、異なる否定の不変化詞や接辞を用いる言語もある。例えば、否定の命令文(禁止)に否定平叙文と別の手段を使う言語や、存在の否定に特別の方法を持っている言語は数多くある。 いくつかの言語で否定表現が歴史的に、次のような一定の傾向で変化することが知られており、発見者イェスペルセンに因みイェスペルセン周期(英語版)と呼ばれる。 これが典型的に見られるのはフランス語である。現代文語では本来の否定詞neと、本来は強調のために追加された副詞pasで動詞句をはさむ。しかし口語ではneを省略しpasだけで否定を表すのが普通である。つまり現代フランス語は3から5の段階にある(フランス語の否定文参照)。英語の否定詞not、ドイツ語のnichtなどは、元来は否定標識と強調の副詞の融合形であり、つまり5段階にある。 またこの他にも、否定の強調表現が通常の否定表現として用いられるようになった例は多くの言語で見られる。例えば英語の「do not 動詞」構文(古くは動詞の後にnotを付けるだけでよかった)、近畿方言の助動詞「へん」(「・・・はせぬ」から転じた)など。 日常生活で用いられる否定は論理としては異なり、結論だけを言い争う誹謗中傷となっている、 論証が存在しないために、 相手を言い負かす目的で中傷する、 詭弁と化してしまう、 結論だけを言うのみで、 なぜそういう結論に至ったか? 答えが暴力的であったり、 相手に危害を加える内容が多い、 論理の形成なしで相手の悪口を言うため、 哲学においての「否定」は正当な論証が必要不可欠で、 こちらは算術とは異なる否定である。
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数理論理学において否定 とは、命題の真と偽を反転する論理演算である。否定は英語で Not であるが、Invert とも言われ論理演算ではインバージョン(Inversion)、論理回路では Not回路やインバータ回路(Inverter)とも呼ばれ入力に対して出力が反転する。 命題 P に対する否定を ¬P, P, !P などと書いて、「P でない」とか「P の否定」、「P 以外の場合」などと読む。
{{see Wiktionary}} {{出典の明記|date=2023年12月}} [[数理論理学]]において'''否定''' (ひてい、{{lang-en-short|''Negation''}}) とは、[[命題]]の[[真理値|真と偽]]を反転する[[論理演算]]である。否定は[[英語]]で Not であるが、Invert とも言われ[[論理演算]]ではインバージョン(Inversion)、[[論理回路]]では Not回路やインバータ回路(Inverter)とも呼ばれ入力に対して出力が反転する。 命題 ''P'' に対する否定を &not;''P'', <span style="text-decoration:overline">''P''</span>, !''P'' などと書いて、「''P'' でない」とか「''P'' の否定」、「''P'' 以外の場合」などと読む。このような形をした命題を否定命題({{lang|en|negative proposition}})という<ref>{{cite book |和書 |author1=近藤洋逸 |authorlink1=近藤洋逸 |author2=好並英司 |title=論理学概論 |publisher=岩波書店 |year=1964 |page=31 |id={{NDLDC|2969913|format=NDLJP}} }}</ref>。 命題 ''P'' の否定は[[論理包含|含意]] → と[[矛盾]] ⊥ を用いた命題 ''P'' → ⊥ として定義されることもある([[束 (束論)#補元と擬補元|擬補元]]も参照)。 [[画像:Venn-Diagram-NOT.png|thumb|[[ベン図]]による論理否定(NOT)]] == 例 == * 「私の身長は 160 cm 以上である」 の命題の否定は、 * 「私の身長は 160 cm 未満である」 である。 == 性質 == 他の論理演算と違い、対象となる命題が一つという事から、[[単項演算]]であることがわかる。 * [[ド・モルガンの法則]] === 真理値表 === 否定の[[真理値表]] {| border=1 cellpadding=2 cellspacing=0 |- style="background-color:#ccc" ! 命題 ''P'' !! &not;''P'' |- align="center" | {{yes2|真}} || {{no2|'''偽'''}} |- align="center" | {{no2|偽}} || {{yes2|'''真'''}} |} ==表記法== === 論理学 === 命題 ''p'' の否定は、以下のように複数の表記がなされる。 {| class="wikitable" |- style="background:paleturquoise" ! style="text-align:center" | 表記法 ! 読み方 |- | style="text-align:center" | ¬''p'' | ノット''p''、<br />''p'' の否定、<br />''p'' でない |- | style="text-align:center" | −''p'' | ''p''バー |- | style="text-align:center" | ~''p'' | ノット''p''、<br / >チルダ''p'' |- | style="text-align:center" | <math>p'\!</math> | ''p'' プライム |- | style="text-align:center" | <math>\bar{p}</math> | ''p'' バー、<br />バー ''p'' |- | style="text-align:center" | <math>!p\!</math> | ノット''p''、<br />[[エクスクラメーションマーク|bang]] p |} === 電子工学 === Aの否定は、<math>\overline{A}</math> と書く。 === プログラミング言語 === [[C言語]]などでは<code>!</code> で表され、 :<code>if (!z) ;</code> のように使用される。<br>また、ビット単位の否定は<code>~</code>で表され : <code>y = ~x;</code> のように使用される。 [[VBScript]]では<code>Not</code>で表され、 :<code>z = Not x</code> のように使用される。 [[Perl]]では、<code>!</code>や<code>not</code>で表され、 :<code>if (!$f) {}</code> :<code>if (not $f) {}</code> のように使用される。 [[Scheme]]では、<code>not</code>で表され、 :<code>(not s)</code> :<code>(map not (map odd? lst))</code> のように使用される。 == {{anchors|全否定|部分否定}}全否定と部分否定 == ある対象に関する命題で、対象すべてに関する否定を'''全否定'''、一部に関する否定を'''部分否定'''という。これらは、[[述語論理]]において、次のように表現される。 ;全否定 :&forall; ''x'' &not; ''A''(''x'') 「すべての ''x'' について、「''A''(''x'') でない」」あるいは「絶対に ''A''(''x'') ではない」 :すべての ''x'' に対して、命題 ''A''(''x'') の否定を主張する命題。 ;部分否定 :&not; &forall; ''x'' ''A''(''x'') 「「すべての ''x'' について ''A''(''x'')」というわけではない」あるいは「必ずしも ''A''(''x'') ではない」 :「すべての ''x'' に対して命題 ''A''(''x'') が真である」という命題を否定する命題。 これらは、述語論理に関する[[ド・モルガンの法則]]によって、次のように書き換えることができる。 ;全否定 :&forall; ''x'' &not; ''A''(''x'') = &not; &exist; ''x'' ''A''(''x'') ;部分否定 :&not; &forall; ''x'' ''A''(''x'') = &exist; ''x'' &not; ''A''(''x'') つまり、全否定「すべての ''x'' について、「''P''(''x'') でない」」は、「「ある ''x'' について ''P''(''x'')」ということはない」と言い換えることができ、部分否定「「すべての ''x'' について ''P''(''x'')」というわけではない」は、「ある ''x'' については「''P''(''x'') ではない」」と言い換えることができる。 全否定命題の否定は部分肯定、部分否定命題の否定は全肯定である。 == その他の論理的否定 == 否定をさらに他の観念と組み合わせて考えることもできる。可能性「~でありうる」、必然性「~にちがいない」などを論理学の枠組として扱うのが[[様相論理学]]であり、ここではそれらに対する否定が基本的法則([[公理]])として必要とされる。 例えば意味としては(言語形式上とは異なる) *「{{~}}しなければならない(命令)」の否定は「{{~}}しなくてよい(免除)」 *「{{~}}であるにちがいない」の否定は「{{~}}でないかもしれない」 *「{{~}}してよい(許可)」の否定は「{{~}}してはならない(禁止)」 *「{{~}}であるかもしれない」の否定は「{{~}}でないにちがいない<!--はありえない-->」 と考えられる。様相論理は一般には古典論理に必然性演算子と可能性演算子を導入して形式化され、「可能性演算子つきの命題」は、「命題の否定に必然性演算子をつけた命題の否定」として定義される。例えば「「彼がそれをしていないに違いない」というわけではない」は、「彼がそれをした可能性がある」と同値である。 == 自然言語における否定 == {{詳細記事|極性 (言語学)}} 自然言語において、否定は極性表現の一種である。否定を表す言語表現は'''文否定'''と'''構成素否定'''に分けられる。 文否定は、英語や日本語の * I '''do not''' have a pen. * 私はペンを持って'''いない'''。 のように、述語に否定標識を付与することによって否定命題を表現する方法である。 構成素否定は、英語の * I have no pens. のように、述語以外の構成素に否定[[標識 (言語学)|標識]]を付与することで否定命題を表現する方法である。日本語では「'''ない'''袖を振る」のように修飾語を否定しても否定文にはならない(「袖を振らない」の意味にはならない)。 文否定も構成素否定も、どちらもほぼ同じ意味を表すことができるが、文否定の方が一般的である。 ===語形変化による否定表現=== 述語の形を変化させることで否定を表す。例えば日本語の動詞の否定では否定の接尾辞が用いられ、[[ペルシャ語]]では接頭辞が使われる。 {|class="infobox" style="float: none; white-space: nowrap;" !colspan="2"|語形変化による否定の例 |- | {| !colspan="3"|接頭辞([[ペルシア語]]) |- |colspan="3"|نخرم |- |na-||xar||-am |- |'''NEG'''-||買う||-1SG |- |colspan="3"|「私は買わない」 |} | {| !colspan="3"|接尾辞([[日本語]]) |- |colspan="3"|買わない |- |kaw||-ana||-i |- |買う||-'''NEG'''||-NPST |} |} 他の屈折要素と融合している場合もある。例えば[[ナナイ語]]では否定節で特別な時制標識を用いる。 {|class="infobox" style="float: none; white-space: nowrap;" !colspan="2"|語形変化による否定の例([[ナナイ語]]) |- | {| !colspan="3"|肯定・現在 |- |xola||-j||-si |- |読む||-PRS||-2SG |- |colspan="3"|「あなたは読んでいる」 |} | {| !colspan="3"|肯定・過去 |- |xola||-xa||-si |- |読む||-PST||-2SG |- |colspan="3"|「あなたは読んでいた」 |} |- | {| !colspan="3"|否定・現在 |- |xolā||-si||-si |- |読む||-'''NEG'''.PRS||-2SG |- |colspan="3"|「あなたは読んでいない」 |} | {| !colspan="3"|否定・過去 |- |xolā||-ci||-si |- |読む||-'''NEG'''.PST||-2SG |- |colspan="3"|「あなたは読んでいなかった」 |} |} 一般には文法的な[[法 (文法)|法]]の一種として「否定法」とされる。 また否定形が肯定形と全く異なる形態をしている場合もある。例えば日本語「ある」-「ない」など(文語体や関西弁は「あらず」、「あらへん」という否定形を使う)。 [[日本語]]では動詞に対しては[[未然形]]に[[助動詞 (国文法)|助動詞]]「ない」・「ぬ」が接続した形で否定する。「ない」・「ぬ」は独立性のない[[接尾辞]]と考えるのが適切である([[助詞]]「は」が介入した場合「*書か-は-ない」でなく「書き-は-しない」と言う)。一方[[形容詞]]・[[形容動詞]]の否定には「ない」を使うが、これは学校文法では助動詞でなく[[補助形容詞]]と呼び、「赤く-は-ない」というように独立性があり、またこの「ない」には本来の意味が残っている(「ない」を肯定形の「ある」に入れ替え「赤くはある」とすることもできる)。 このほか、動詞や形容詞を単独に否定することができず「…であるということはない」のように文(節)を否定する言語もある。 言語における否定で注意すべき点として、否定を他の法観念(可能・必然・許可・義務など、話者の判断が介入する)と組み合わせた場合には、意味的な否定(論理的否定)と形式的な否定が一致しない場合もある。意味的な否定は上記の様相論理学における否定として扱うことができ、例えば許可「…してよい」の意味的否定は不許可=禁止「…してはならない」、義務「…しなければならない」の意味的否定は否定の許可「…しなくてよい」である。しかし英語で must not は「…してはならない」または「…はありえない」を表す。つまり not によって、助動詞(あるいは文自体)を否定する(外部否定)のではなく、動詞不定詞を否定するのだ(内部否定)と考えるべきである。それに対し cannot は can の否定(不可能「…できない」または「…はありえない」:外部否定)と考えてよい。may not は場合によって意味が異なり、禁止「…してはならない」(must not とほぼ同じ意味;ただし発話で not を強調すると「…しなくてよい」の意味にもなる)、または否定の可能(不可能ではない)「…でないかもしれない」になる。 上記のような明らかな否定語以外にも、意味的に否定に近い語・表現もある。英語でいえば、"only~"(文脈による)、"few"、"scarcely"などがある。これらに相当する日本語表現では「~しかない」「ほとんど~ない」「滅多に~ない」と否定を明示することが多い。 ===さまざまな否定=== [[時制]]・[[相 (言語学)|アスペクト]]・ムードなどによって、異なる否定の[[不変化詞]]や[[接辞]]を用いる言語もある。例えば、否定の命令文(禁止)に否定平叙文と別の手段を使う言語や、存在の否定に特別の方法を持っている言語は数多くある。 {|class="infobox" style="float: none; white-space: nowrap;" !colspan="3"|無標の否定・存在の否定・禁止の例([[北京官話]]) |- | {| !colspan="4"|無標の否定 |- |colspan="4"|{{lang|zh|他不喝酒}} |- |tā||bu||hē||jiǔ |- |彼||NEG||飲む||酒 |- |colspan="4"|「彼は酒を飲まない」 |} | {| !colspan="4"|存在の否定 |- |colspan="4"|{{lang|zh|他没有哥哥}} |- |tā||méi||yǒu||gēge |- |彼||NEG||ある||兄 |- |colspan="4"|「彼には兄がいない」 |} | {| !colspan="2"|禁止 |- |colspan="2"|別走 |- |bié||zǒu |- |NEG.IMP||行く |- |colspan="2"|「行かないで!」 |} |} ===否定表現の歴史的変化=== いくつかの言語で否定表現が歴史的に、次のような一定の傾向で変化することが知られており、発見者[[イェスペルセン]]に因み{{仮リンク|イェスペルセン周期|en|Jespersen's Cycle}}と呼ばれる。 #否定は否定[[標識 (言語学)|標識]]で表される。 #否定標識が弱化し、強調の[[副詞]]が付け加えられる。 #強調の副詞が義務化(強調の意義は希薄化)して否定副詞に変化し、否定は2語で表されるようになる。 #否定標識と副詞が離れている場合には、否定は否定副詞で表され、元来の否定標識は任意になる。否定標識と副詞が隣接する場合には、否定標識と副詞が融合する。 #否定は否定副詞(または融合形)だけで表される。 #否定副詞(または融合形)が否定標識として使われる。 #1に戻る。 これが典型的に見られるのは[[フランス語]]である。現代文語では本来の否定詞neと、本来は強調のために追加された副詞pasで動詞句をはさむ。しかし口語ではneを省略しpasだけで否定を表すのが普通である。つまり現代フランス語は3から5の段階にある([[フランス語の否定文]]参照)。[[英語]]の否定詞not、[[ドイツ語]]のnichtなどは、元来は否定標識と強調の副詞の融合形であり、つまり5段階にある。 またこの他にも、否定の強調表現が通常の否定表現として用いられるようになった例は多くの言語で見られる。例えば英語の「do not 動詞」構文(古くは動詞の後にnotを付けるだけでよかった)、[[近畿方言]]の助動詞「へん」(「・・・はせぬ」から転じた)など。 == 道徳における否定 == 日常生活で用いられる否定は論理としては異なり、結論だけを言い争う誹謗中傷となっている、 論証が存在しないために、 相手を言い負かす目的で中傷する、 詭弁と化してしまう、 結論だけを言うのみで、 なぜそういう結論に至ったか? 答えが暴力的であったり、 相手に危害を加える内容が多い、 論理の形成なしで相手の悪口を言うため、 哲学においての「否定」は正当な論証が必要不可欠で、 こちらは算術とは異なる否定である。 == 関連項目 == *[[NOTゲート]] *[[肯定]] *[[真理値]] *[[真理値表]] *[[ブール代数]] *[[ブール論理]] *[[ベン図]] *[[二重否定の除去]](論理における二重否定) *[[負論理]] *[[二重否定 (言語学)]](言語における二重否定) *[[極性 (言語学)]] *[[虚辞]](虚辞のne) *[[否定動詞]] *[[否定記号]] {{math|&not;}} {{論理演算}} {{Common logical symbols}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひてい}} [[Category:論理結合子]] [[Category:文法]] [[Category:数学に関する記事]] [[category:和製漢語]] [[Category:哲学の和製漢語]]
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Super Audio CD
スーパーオーディオCD(スーパーオーディオシーディー、Super Audio CD, SACD, SA-CD)は、1999年にソニー(初代法人、現・ソニーグループ)とフィリップスにより規格化された、次世代CD規格の1つ。製品の発売日は1999年5月21日。 CDと同じサイズの120mm光ディスクに、オーディオデータをCD以上の高音質で記録したものである。規格書はその表紙の色からScarlet Book(スカーレットブック)と呼ばれる。 CDと同様に直径120mm、厚さ1.2mmの円盤である。スーパーオーディオCDには2層分の記録領域があり、このうち1層を通常のCD-DAとすることもできる(SACD/CDハイブリッド仕様)。1層でSACDプレーヤーのみで再生できるソフトや、2層ともSACD層で構成された長時間SACDも製作可能。SACD層の1層あたりの容量は4.7GBで、物理的な構造ではCDよりはDVDのそれに近い。 リニアPCMではなく、ΔΣ変調による低bit高速標本化方式で、サンプリングレートは1bit 2.8224MHz(=2822.4kHz)。これをダイレクトストリームデジタル(Direct Stream Digital, DSD)フォーマットと呼ぶ。 SACDに記録された1bit 2.8224MHzのデジタル信号は原理的にはローパスフィルタを通すだけでアナログ音声信号に変換することができる。 ステレオ(2.0ch)とサラウンド(最高5.1chサラウンドまで)をサポートする。ステレオおよびマルチチャネルにはそれぞれ最大255のトラックを納めることが可能であり、各トラックには最大255のインデックスを付与することが可能となっている。5.1chサラウンドはオプション扱いで、一部のプレーヤーでは再生不能。2.0chステレオに機能を絞ったプレーヤーは音質重視の高級機種が多い。 約2倍のロスレス圧縮が行われるため、2chステレオ録音の場合、片面1層でも4時間以上の収録が可能であり、長大なオペラなども1枚に収められる。ただし、CDフォーマットとのハイブリッド盤の場合、そちらの収録時間(1枚70分余り)に合わせることになる。 スーパーオーディオCDは、コンテンツを再生させるまでに、電子透かし(ウォーターマーク)以外にも、二重三重のデータ保護機構(コピーガード)が採用されている。デジタルデータを複写できても、それだけでは再生できないようにし、録音データを保護するのである。 当初は著作権保護のため、S/PDIFなどからのデジタル出力が許可されていなかったが、これではD/Aコンバーター分離型プレーヤーすら製作できないことから、2005年にはデノンやアキュフェーズといったオーディオ機器メーカーが、各社独自の方式でデジタル出入力が可能な機器を発売、伝送にはi.LINKを用いた機種が多く登場した。HDMI 1.2a以降では、DSDデータの転送が可能となっている。 スーパーオーディオCDは著作権保護の関係から基本的にPC上で使用することは不可能であり、市販のソフトのコピーなどはできないようになっている。 しかしながら、CD-DAやDVDビデオ、BDMVなどと同様に、自分たちで作詞、作曲、演奏などを手がけてSACDとは規格は異なるものの、同じ信号形式のDSDで記録したディスクを制作することは可能である。 ティアックから「タスカム」ブランドで、そうしたユーザー向けにDSD録音対応のDVDレコーダー「DV-RA1000HD」が発売されている。最大の特長は、一般的なDVDレコーダーとは異なり、最大24bit/192kHzのリニアPCM形式での録音に加え、スーパーオーディオCDなどで利用されるDSD形式での録音が可能なこと。このレコーダー単体では、スーパーオーディオCDやDVDオーディオ形式のディスクは作成できないが、録音モードとしてBWF(リニアPCM)、DSIDIFF(DSD)、CD-DAの3種類が搭載されている。このため、このレコーダーで作成したDVDデータディスクをマスターとしてプレス業者に委託すれば、オリジナルのスーパーオーディオCDソフトやDVDオーディオソフトを制作することが可能である。なお、一般的な音楽CD(CD-DA形式)であれば、このレコーダー単体で作成可能である。 ソニーのノートPC「VAIO」に搭載されているSonicStage Mastering Studioなどのソフトウェアを用いることで、DSD形式の音楽をDVDメディアに書き込んだ擬似的なSACDを作成することができるので、小ロットのディスク制作には向いている。ただし、VAIOの他にこの方法で作ったDSDディスクを再生可能な機器は、一部のスーパーオーディオCDプレーヤーとPlayStation 3(スーパーオーディオCD再生非対応モデルを含む)のみである。 複数の映像・音声規格が再生できるユニバーサルプレーヤーが登場し、その価格が大きく下落したため、実売2万円以下のクラスからスーパーオーディオCDの再生機を購入できる状況になってきている。 しかし、レーベルが積極的に発売しないこと、コンパクトディスク(CD)と比較して選択できる機種が限られることや、過剰なコピーガードの為にパソコンでの取り込みどころか再生すらできないこと、CD以上の特性を十分に発揮するために一定水準以上のオーディオが必要なこと、多くの消費者は現行のCD(あるいはそれ以下のMP3、WMA、AAC等の圧縮音声)でも音質に不満が少ないとされていること等から、スーパーオーディオCDはCDを代替する程には普及していない。 このためSACDは、CD規格のPCM録音に満足できないハイエンドユーザーを対象とした録音フォーマットとみなされることが多い。発売されているソフトはロックやポップスから歌謡曲まで様々なジャンルあるが、クラシック音楽・ジャズなどが発売されるソフトの大部分を占める。2008年6月現在で約5300タイトルが発売されている。 2003年11月に、ソニーからSACDを標準対応としたミニコンポ「Listen」を発売し、実売価格が4万円強からと普及価格であったものの、僅か1年半程度で終焉している。 2006年に発売されたPlayStation 3は日本国内でSACDが再生できるのは初期型である60GB/CECHA00と20GB/CECHB00のみである。ファームウェア・バージョン2.00で光デジタル音声端子からの出力が可能になった。5.1chサラウンドを収録したソフトについてはDTS5.1chサラウンド(48kHz/24bit)に変換して出力されたが、直後に出たバージョン2.01において、デジタル光出力ではリニアPCM2.0chステレオ(44.1kHz/16bit)のみ出力可能、DTS5.1chサラウンドでは出力されなくなった。ただし、HDMI端子接続ではリニアPCMに変換することで、2.0chステレオ(176.4kHz/24bit)と5.1chサラウンド(176.4kHz/24bit)のハイサンプリング&ハイビットで出力可能である。なお、DSDのビットストリーム出力には対応していない。 DVD規格の一つであるDVD-Audioは、ハイエンドユーザーを対象としている点では、スーパーオーディオCDと競合する規格である。DVDオーディオはリニアPCM形式(非圧縮または可逆圧縮)を採用。DVDビデオとの互換性を活かして映像との融合・低価格機種への展開などが見られるが、ソフト数ではスーパーオーディオCDの方が多い。 一時はベータマックス・VHS規格の対立のような規格争いが指摘されてきたが、その後オーディオ専業メーカーを中心にスーパーオーディオCD・DVDオーディオの両規格が再生可能なユニバーサルプレーヤーが普及し、規格提唱メーカー(ソニーはスーパーオーディオCD専用、松下電器産業(テクニクスブランド。現・パナソニック)と日本ビクターはDVDオーディオ専用、パイオニア(ホームAV機器事業部。後のオンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック)とオンキヨー(旧法人。後のオンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック)からもそれぞれスーパーオーディオCD専用プレーヤーが発売された)以外はほぼその方向に向かった。しかしその後DVDオーディオは普及せず、SACD/CDが再生可能な機種が目立つようになってきた。 2010年6月、ユニバーサル ミュージック ジャパンはSHM-CDと同じく液晶パネル用ポリカーボネート素材を用いた「SA-CD ~SHM仕様~」の発売も開始した。 2010年代に入ると、DVDオーディオで採用されたCD-DAスペックを超えたリニアPCMやFLAC、スーパーオーディオCDで採用されたDSDが、共にインターネット経由で本格的に音楽配信されるようになり、ハイレゾリューションオーディオ媒体としての特別な優位性はなくなっている。
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"ステレオ(2.0ch)とサラウンド(最高5.1chサラウンドまで)をサポートする。ステレオおよびマルチチャネルにはそれぞれ最大255のトラックを納めることが可能であり、各トラックには最大255のインデックスを付与することが可能となっている。5.1chサラウンドはオプション扱いで、一部のプレーヤーでは再生不能。2.0chステレオに機能を絞ったプレーヤーは音質重視の高級機種が多い。", "title": "オーディオフォーマット" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "約2倍のロスレス圧縮が行われるため、2chステレオ録音の場合、片面1層でも4時間以上の収録が可能であり、長大なオペラなども1枚に収められる。ただし、CDフォーマットとのハイブリッド盤の場合、そちらの収録時間(1枚70分余り)に合わせることになる。", "title": "オーディオフォーマット" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "スーパーオーディオCDは、コンテンツを再生させるまでに、電子透かし(ウォーターマーク)以外にも、二重三重のデータ保護機構(コピーガード)が採用されている。デジタルデータを複写できても、それだけでは再生できないようにし、録音データを保護するのである。", "title": "著作権保護" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "当初は著作権保護のため、S/PDIFなどからのデジタル出力が許可されていなかったが、これではD/Aコンバーター分離型プレーヤーすら製作できないことから、2005年にはデノンやアキュフェーズといったオーディオ機器メーカーが、各社独自の方式でデジタル出入力が可能な機器を発売、伝送にはi.LINKを用いた機種が多く登場した。HDMI 1.2a以降では、DSDデータの転送が可能となっている。", "title": "著作権保護" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "スーパーオーディオCDは著作権保護の関係から基本的にPC上で使用することは不可能であり、市販のソフトのコピーなどはできないようになっている。", "title": 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スーパーオーディオCDは、1999年にソニー(初代法人、現・ソニーグループ)とフィリップスにより規格化された、次世代CD規格の1つ。製品の発売日は1999年5月21日。 CDと同じサイズの120mm光ディスクに、オーディオデータをCD以上の高音質で記録したものである。規格書はその表紙の色からScarlet Book(スカーレットブック)と呼ばれる。
{{出典の明記|date=2017年6月}} {{pathnav|メディア (媒体)|記録媒体|光ディスク|frame=1}} {{ディスクメディア |名称=Super Audio CD |略称=SACD |ロゴ= [[File:SACDlogo.svg|200px]] |画像=[[ファイル:SACD_02.jpg|200px]] |画像コメント=SACDディスクとプレーヤー |種類=光ディスク |容量=4.7GB |フォーマット= |コーデック=2822.4kHz [[Direct Stream Digital|DSD]]2.0ch[[ステレオ]]<br/>2822.4kHz DSD5.1ch[[サラウンド]](オプション) |回転速度= |読み取り方法= |読み込み速度= |回転制御= |策定=[[ソニー]]、[[フィリップス]] |用途=音声 |ディスク径=12cm |大きさ=120×120×1.2mm |重さ= |上位= |下位=[[コンパクトディスク]] |関連= }} '''スーパーオーディオCD'''(スーパーオーディオシーディー、''Super Audio CD'', '''SACD''', '''SA-CD''')は、[[1999年]]に[[ソニー]](初代法人、現・[[ソニーグループ]])と[[フィリップス]]により規格化された、次世代[[コンパクトディスク|CD]]規格の1つ。製品の発売日は1999年5月21日。 CDと同じサイズの120mm[[光ディスク]]に、オーディオデータをCD以上の高音質で記録したものである。規格書はその表紙の色からScarlet Book(スカーレットブック)と呼ばれる<ref>{{Cite web |url=https://www.lscdweb.com/ordering/sacd_products.html |title=Specification Books (SACD) Orders |publisher=フィリップス |accessdate=2020-08-08}}</ref><ref group="注">規格の元となった[[CD-DA]]の規格書がRed Book(レッドブック)と呼ばれていたことから、同じ赤系の色名を採用したものと思われる。</ref>。 == ディスクの構造 == [[ファイル:Sacd.svg|thumb|SACDの2層構造]] CDと同様に直径120mm、厚さ1.2mmの円盤である。スーパーオーディオCDには2層分の記録領域があり、このうち1層を通常の[[CD-DA]]とすることもできる(SACD/CDハイブリッド仕様)。1層でSACDプレーヤーのみで再生できるソフトや、2層ともSACD層で構成された長時間SACDも製作可能。SACD層の1層あたりの容量は4.7GBで、物理的な構造ではCDよりは[[DVD]]のそれに近い。 == オーディオフォーマット == [[リニアPCM]]ではなく、[[ΔΣ変調]]による低bit高速[[標本化]]方式で、サンプリングレートは1bit 2.8224MHz(=2822.4kHz)。これをダイレクトストリームデジタル([[Direct Stream Digital]], DSD)フォーマットと呼ぶ。 SACDに記録された1bit 2.8224MHzのデジタル信号は原理的にはローパスフィルタを通すだけでアナログ音声信号に変換することができる。 [[ステレオ]](2.0ch)と[[サラウンド]](最高5.1chサラウンドまで)をサポートする。ステレオおよびマルチチャネルにはそれぞれ最大255のトラックを納めることが可能であり、各トラックには最大255のインデックスを付与することが可能となっている。5.1chサラウンドはオプション扱いで、一部のプレーヤーでは再生不能。2.0chステレオに機能を絞ったプレーヤーは音質重視の高級機種が多い。 約2倍のロスレス圧縮が行われるため、2chステレオ録音の場合、片面1層でも4時間以上の収録が可能であり、長大なオペラなども1枚に収められる。ただし、CDフォーマットとのハイブリッド盤の場合、そちらの収録時間(1枚70分余り)に合わせることになる。 == 著作権保護 == スーパーオーディオCDは、コンテンツを再生させるまでに、[[電子透かし]]([[ウォーターマーク]])以外にも、二重三重のデータ保護機構([[コピーガード]])が採用されている。デジタルデータを[[複写]]できても、それだけでは再生できないようにし、録音データを保護するのである。 当初は著作権保護のため、[[S/PDIF]]などからのデジタル出力が許可されていなかったが、これでは[[デジタル-アナログ変換回路|D/Aコンバーター]]分離型プレーヤーすら製作できないことから、[[2005年]]には[[デノン]]や[[アキュフェーズ]]といったオーディオ機器メーカーが、各社独自の方式でデジタル出入力が可能な機器を発売、伝送には[[i.LINK]]を用いた機種が多く登場した。[[HDMI]] 1.2a以降では、DSDデータの転送が可能となっている。 == スーパーオーディオCDを自主制作する場合 == スーパーオーディオCDは著作権保護の関係から基本的にPC上で使用することは不可能であり、市販のソフトのコピーなどはできないようになっている。 しかしながら、[[CD-DA]]や[[DVD-Video|DVDビデオ]]、[[BDMV]]などと同様に、自分たちで[[作詞]]、[[作曲]]、[[演奏]]などを手がけてSACDとは規格は異なるものの、同じ信号形式のDSDで記録したディスクを制作することは可能である。 [[ティアック]]から「タスカム」ブランドで、そうした[[エンドユーザー|ユーザー]]向けにDSD録音対応の[[DVDレコーダー]]「DV-RA1000HD」が発売されている<ref>[http://tascam.jp/product/dv-ra1000hd/ DV-RA1000HD]</ref>。最大の特長は、一般的なDVDレコーダーとは異なり、最大24bit/192kHzの[[リニアPCM]]形式での録音に加え、スーパーオーディオCDなどで利用されるDSD形式での録音が可能なこと。このレコーダー単体では、スーパーオーディオCDやDVDオーディオ形式のディスクは作成できないが、録音モードとしてBWF([[リニアPCM]])、DSIDIFF([[Direct Stream Digital|DSD]])、[[CD-DA]]の3種類が搭載されている。このため、このレコーダーで作成した[[DVD]]データディスクをマスターとしてプレス業者に委託すれば、オリジナルのスーパーオーディオCDソフトやDVDオーディオソフトを制作することが可能である。なお、一般的な音楽CD([[CD-DA]]形式)であれば、このレコーダー単体で作成可能である。 [[ソニー]]のノートPC「[[VAIO]]」に搭載されている[[SonicStage Mastering Studio]]などのソフトウェアを用いることで、DSD形式の音楽を[[DVD]]メディアに書き込んだ擬似的なSACDを作成することができるので、小ロットのディスク制作には向いている。ただし、VAIOの他にこの方法で作ったDSDディスクを再生可能な機器は、一部のスーパーオーディオCDプレーヤーと[[PlayStation 3]](スーパーオーディオCD再生非対応モデルを含む)のみである。 == 普及 == 複数の映像・音声規格が再生できる[[ユニバーサルプレーヤー]]が登場し、その価格が大きく下落したため、実売2万円以下のクラスから<!--その一例として2006年5月にパイオニアから発売されたDVDオーディオ/SACDプレーヤー「DV-696AV」が挙げられる-->スーパーオーディオCDの再生機を購入できる状況になってきている。 しかし、レーベルが積極的に発売しないこと、[[コンパクトディスク]](CD)と比較して選択できる機種が限られることや、過剰なコピーガードの為にパソコンでの取り込みどころか再生すらできないこと、CD以上の特性を十分に発揮するために一定水準以上のオーディオ機器が必要なこと、多くの消費者は現行のCD(あるいはそれ以下の[[MP3]]、[[Windows Media Audio|WMA]]、[[AAC]]等の圧縮音声)でも音質に不満が少ないとされていること等から、スーパーオーディオCDはCDを代替する程には普及していない。 このためSACDは、CD規格のPCM録音に満足できない[[ハイエンド]]ユーザーを対象とした録音フォーマットとみなされることが多い。発売されているソフトは[[ロック (音楽)|ロック]]や[[ポップ・ミュージック|ポップス]]から[[歌謡曲]]まで様々なジャンルあるが、[[クラシック音楽]]・[[ジャズ]]などが発売されるソフトの大部分を占める。2008年6月現在で約5300タイトルが発売されている。 2003年11月に、ソニーからSACDを標準対応としたミニコンポ「[[Listen]]」を発売し、実売価格が4万円強からと普及価格であったものの、僅か1年半程度で終焉している。 [[2006年]]に発売された[[PlayStation 3]]は日本国内でSACDが再生できるのは初期型である60GB/CECHA00と20GB/CECHB00のみである。ファームウェア・バージョン2.00で光デジタル音声端子からの出力が可能になった。<!--ただし、2.0chステレオのソフトについては、リニアPCM2.0chステレオ(44.1kHz/16bit)を出力{{要出典|date=2007年11月}}。-->5.1chサラウンドを収録したソフトについてはDTS5.1chサラウンド(48kHz/24bit)に変換して出力されたが、直後に出たバージョン2.01において、デジタル光出力ではリニアPCM2.0chステレオ(44.1kHz/16bit)のみ出力可能、DTS5.1chサラウンドでは出力されなくなった。ただし、HDMI端子接続ではリニアPCMに変換することで、2.0chステレオ(176.4kHz/24bit)と5.1chサラウンド(176.4kHz/24bit)のハイサンプリング&ハイビットで出力可能である。なお、DSDのビットストリーム出力には対応していない。 [[DVD]]規格の一つである[[DVD-Audio]]は、ハイエンドユーザーを対象としている点では、スーパーオーディオCDと競合する規格である。DVDオーディオは[[パルス符号変調#種類|リニアPCM]]形式(非圧縮または[[可逆圧縮]])を採用。DVDビデオとの互換性を活かして映像との融合・低価格機種への展開などが見られるが、ソフト数ではスーパーオーディオCDの方が多い。 一時は[[ベータマックス]]・[[VHS]]規格の対立のような[[規格争い]]が指摘されてきたが、その後オーディオ専業メーカーを中心にスーパーオーディオCD・DVDオーディオの両規格が再生可能な[[ユニバーサルプレーヤー]]が普及し、規格提唱メーカー(ソニーはスーパーオーディオCD専用、松下電器産業([[Technics|テクニクス]]ブランド。現・[[パナソニック]])と日本ビクターはDVDオーディオ専用、[[パイオニア]](ホームAV機器事業部。後の[[オンキヨーホームエンターテイメント]]→[[オンキヨーテクノロジー]]/ティアック)と[[オンキヨー]](旧法人。後のオンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック)からもそれぞれスーパーオーディオCD専用プレーヤーが発売された<ref group="注">もっとも、パイオニアは当初DVDオーディオ陣営であったが、[[2001年]]以降に発売された新規機種からスーパーオーディオCD対応のDVDオーディオプレーヤーを発売している経緯がある(2008年度に発売された製品まで)。</ref>)以外はほぼその方向に向かった。しかしその後DVDオーディオは普及せず、SACD/CDが再生可能な機種が目立つようになってきた。 2010年6月、[[ユニバーサル ミュージック ジャパン]]は[[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]]と同じく[[液晶ディスプレイ|液晶パネル]]用[[ポリカーボネート]]素材を用いた「SA-CD ~SHM仕様~」の発売も開始した。 [[2010年代]]に入ると、DVDオーディオで採用されたCD-DAスペックを超えたリニアPCMや[[FLAC]]、スーパーオーディオCDで採用されたDSDが、共に[[インターネット]]経由で本格的に[[音楽配信]]されるようになり、[[ハイレゾリューションオーディオ]]媒体としての特別な優位性はなくなっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[Direct Stream Digital]] * [[音響機器]] * [[ハイレゾリューションオーディオ]] * [[DVD-Audio]] * 同様に過剰な[[コピーガード]]が普及を妨げ衰退したオーディオ規格 ** [[コピーコントロールCD]] ** [[セキュアCD]] ** [[SD-Audio]] == 外部リンク == * [https://www.sony.jp/CorporateCruise/Press/199904/99-002/ スーパーオーディオCDプレリリース] {{ja icon}} * [https://www.sony.jp/audio/technology/tech_SACD_f.html スーパーオーディオCDテクノロジー] {{ja icon}} * {{Wayback|url=http://www.super-audiocd.com/|title=スーパーオーディオCDのサイト|date=20181127011355}} {{ja icon}} * {{Wayback|url=http://www.superaudio-cd.com/|title=スーパーオーディオCDのサイト|date=20051231060944}} {{en icon}} * [http://www.ps3sacd.com/faq.html PlayStation 3 スーパーオーディオCD FAQ] {{en icon}} * {{Cite journal|和書|author=海老塚伸一 |title=スーパーオーディオ |url=https://doi.org/10.3169/itej.55.1588 |journal=映像情報メディア学会誌 |publisher=映像情報メディア学会 |year=2001 |month=dec |volume=55 |issue=12 |pages=1588-1592 |naid=110003692916 |doi=10.3169/itej.55.1588 |issn=13426907}} * {{Cite journal|和書|author=鈴木弘明, 前田宗泰 |title=音声用光ディスク |url=https://doi.org/10.3169/itej.55.806 |journal=映像情報メディア学会誌 |publisher=映像情報メディア学会 |year=2001 |month=jun |volume=55 |issue=6 |pages=806-809 |naid=110003685818 |doi=10.3169/itej.55.806 |issn=13426907}} {{CD規格}} {{光ディスク}} {{Audio formats}} {{音楽}} {{DEFAULTSORT:Super Audio CD}} [[Category:コンパクトディスク]] [[Category:12センチディスク]] [[Category:登録商標]]
2003-06-05T13:46:56Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Super_Audio_CD
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ルビジウム
ルビジウム(ラテン語: rubidium 英語発音: [rʉˈbɪdiəm])は原子番号 37 の元素記号 Rb で表される元素である。アルカリ金属元素の1つで、柔らかい銀白色の典型元素であり、原子量は85.4678。ルビジウム単体は、例えば空気中で急速に酸化されるなど非常に反応性が高く、他のアルカリ金属に似た特性を有している。ルビジウムの安定同位体は Rb ただ1つのみである。自然界に存在するルビジウムのおよそ28%を占める同位体の Rb は放射能を有しており、半減期はおよそ490億年である。この半減期の長さは、推定された宇宙の年齢の3倍以上の長さである。 1861年に、ドイツの化学者ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフが新しく開発されたフレーム分光法によってルビジウムを発見した。ルビジウムの化合物は化学および電子の分野で利用されている。金属ルビジウムは容易に気化し、利用しやすいスペクトルの吸収域を有しているため、原子のレーザ操作のための標的としてしばしば用いられる。ルビジウムの生体に対する必要性は知られていない。しかし、ルビジウムイオンはセシウムのように、カリウムイオンと類似した方法で植物や生きた動物の細胞によって活発に取り込まれる。 発光スペクトルで赤色の光線を示すことから、ラテン語で暗赤色を表す rubidus よりルビジウムと名付けられた。 銀白色の極めて軟らかい金属で、非放射性アルカリ金属元素の中で2番目に電気陰性度が小さい。比重は1.53、融点は39.3 °C。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC)。化合物中の原子価は+1で、ルビジウムの気体(沸点700 °C)は青色である。 他のアルカリ金属類と類似した性質を有し、ナトリウム、カリウムより反応性は強く、空気中で酸化され過酸化物 Rb2O2 および超酸化物 RbO2 を生成する。ハロゲン元素と激しく反応し、水とは反応によって水素が発生し、さらに発生した水素を点火するのに十分な量の反応熱が生じるため爆発的に反応する。 ルビジウムは他のアルカリ金属類と同様に、空気中で自然発火する。そのため、日本では消防法により自然発火性物質として危険物指定されている物質である。 水銀には発熱的に溶解してアマルガムを形成し、金、カルシウム、ナトリウム、カリウム、セシウムとは合金を作る。ルビジウムのイオン化エネルギーは非常に低く、わずか406 kJ/molである。炎色反応では、カリウムに似た暗赤色を示す。 ルビジウムは地殻中に23番目に多く存在する元素である(地殻中の元素の存在度も参照)。おおよそ亜鉛と同程度に豊富であり、いくぶんか銅よりも普遍的である。自然での産出は、白榴石(英語版)、ポルサイト、カーナライト、チンワルド雲母などの鉱石に、酸化物として最大で1%ほど含有されている。リチア雲母は0.3%から3.5%のルビジウムを含み、商用ベースのルビジウム源として利用されている。いくつかのカリウム鉱石や塩化カリウムも、商業的に重要な量のルビジウムを含んでいる。 海水中には、平均して1 L当たり125 μgのルビジウムが含まれている。同族の他の元素と比較すると、1 L当たり408 mg含まれるカリウムより大幅に少なく、1 L当たり0.3 μg含まれるセシウムよりは大幅に多い量である。 ルビジウムはそれなりに大きなイオン半径を有しているため、「不適合元素」の1つである。マグマの結晶分化の間、ルビジウムはルビジウムより重く類似した性質を持つセシウムと共に液相に濃縮され、最後に結晶化する。したがってルビジウムおよびセシウムは、これらの濃縮過程によって形成されるペグマタイト鉱物に堆積する。ルビジウムはマグマの結晶化においてカリウムと置換するため、セシウムの場合ほど効果的には濃縮されない。ポルサイトのようにセシウム鉱床とするに十分な量のセシウムを含むペグマタイト鉱石や、リチウム鉱石であるリチア雲母は、副生物としてのルビジウム源でもある。 2つのルビジウムの重要な産出源は、カナダのマニトバ州にあるバーニック湖の豊富なポルサイト鉱床および、イタリアのエルバ島で産出されるルビジウムを17.5%含んだルビジウム微斜長石(英語版) ((Rb, K)AlSi3O8) である。これらはセシウムの産出源でもある。 ルビジウムは地殻中においてセシウムより豊富に存在するが、用途が限られていることやルビジウムを豊富に含む鉱石の不足から、ルビジウム化合物の年間生産量は2から4トン程度である。カリウムからルビジウムおよびセシウムを分離するにはいくつかの方法がある。ルビジウムセシウムミョウバン (Cs, Rb)Al(SO4)2•12H2O からの分別晶出によって純粋なルビジウムミョウバンが得られる。2つの他の方法の報告では、塩化スズ法およびフェロシアン酸塩法の文献がある。1950年代および60年代の数年間は、Alkarb と呼ばれるカリウム製品の副産物がルビジウムの主要な産出源であった。Alkarb には21%のルビジウムとごくわずかなセシウムが含まれ、残りはカリウムである。現在ルビジウムは、例えばカナダのマニトバ州にあるタンコ鉱山のようなセシウムの大きな生産者によって、ポルサイトからの副産物として生産されている。 ルビジウム87(同位体)は、半減期488億年の放射性同位体であり、ベータ崩壊してストロンチウム87となる。これを使って、年代測定が可能である(ルビジウム-ストロンチウム法)。炭酸ルビジウム (Rb2CO3) を原料に混ぜたガラスは丈夫で電気絶縁性に優れているため、ブラウン管用ガラスとして用いられる。 光で励起したルビジウムは原子時計に用いられている。セシウム原子時計に比べ正確さは劣るが、小型で低価格であるため、ルビジウム原子時計は広く利用されている。 通常、ルビジウムは土壌中において非常に低濃度である反面、植物によって吸収されやすく、カリウムに似た挙動を示す。このため、トレーサとして既知濃度のルビジウム水溶液を土壌に注入、一定期間後に植物体を収獲しルビジウム濃度を測定することで、その時点における根の活性を推定できる(ルビジウムトレーサ法)。また、農作物害虫の生態調査における標識として用いられた事例もある。 ルビジウム化合物は時折、花火に紫の色を付けるために用いられる。 ルビジウムは磁気流体力学の原理を応用した熱電変換材料への使用が検討されている。高温の熱でルビジウムをイオン化し磁場を通過させることによって、それらは電気を伝導し、発電機の電機子のように働くことで電流が発生する。 ルビジウム、特に気化された Rb は、レーザー冷却やボース=アインシュタイン凝縮の用途において、最も一般的に使用される原子種の1つである。この用途における望ましい性質は、関連した波長における安価な半導体レーザーがいつでも利用できる点および、適度な温度で十分な蒸気圧を得ることのできる点である。 ルビジウムは、核スピンを一定の方向に整列させた大量の磁化 He ガスを生産する際に、He にスピン偏極を与えるために用いられる。ルビジウムの蒸気は、レーザーによる光ポンピングによってスピンが偏極し、それが超微細構造に影響を与えることで He の核スピンを一定の方向に整列させる。スピンが偏極化した He は、中性子偏極測定やその他の用途のための偏極中性子ビームを発生させる用途に一般化されてきている。 ルビジウムは、セル・サイト送信機や他の電子的な送信機、情報網および試験装置における周波数の精度を保つための二次周波数標準器の主要部品である(ルビジウム発振機)。このルビジウム標準器は GPS において、より正確でセシウム標準器よりも安価な「一次周波数標準器」を製造するためにしばしば用いられる。ルビジウム標準機は、データ通信産業のために大量生産されている。 ルビジウムの他の可能性もしくは現在の用途としては、蒸気タービンにおける作動流体や真空管における残留ガスの吸着剤(ゲッター(英語版))、光検出器の部品などがある。ルビジウムのエネルギー準位の超微細構造を利用して原子時計の共鳴元素に用いられる。ルビジウムはまた、特殊ガラスの成分や酸素雰囲気下での燃焼によって生じる超過酸化物の生産、生物学におけるカリウムイオンチャネルの研究、原子磁気センサーの蒸気の発生などに用いられる。Rbは現在、スピン偏極の緩和レートを小さくした状態を利用した磁気センサー (SERF; spin exchange relaxation-free (SERF) magnetometer) の開発において、他のアルカリ金属類とともに使用されている。 Rb は陽電子放射断層撮影に用いられている。ルビジウムはカリウムと非常に似ているため、カリウムを多く含んだ生体細胞は放射性ルビジウムも蓄積する。主要な用途の1つは心筋灌流イメージング(英語版)である。76秒という非常に短い半減期のため、患者の近くで Sr の崩壊によって Rb を生み出す必要がある。脳腫瘍において、血液脳関門でのルビジウムとカリウムの置換の結果、ルビジウムは通常の脳組織よりも脳腫瘍の部分に多く集まるため、シンチグラフィによって放射性同位元素のRbを検出することで、脳腫瘍を画像化することができる。 ルビジウムの双極性障害やうつ病に対する影響についての試験が行われている。透析患者にはルビジウムの消耗が見られ、したがってルビジウムのサプリメントは憂うつを助けるかもしれない。いくつかの試験において、ルビジウムは最高720 mgの塩化ルビジウムとして与えられた。 1861年にロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフにより、ドイツのハイデルベルクにおいて鉱石のリチア雲母から分光器を用いることでルビジウムは発見された。 ルビジウムはリチア雲母に少量含まれる物質として存在する。キルヒホフとブンゼンは、酸化ルビジウム (Rb2O) をわずかに0.24%のみ含むリチア雲母を150 kg処理した。カリウムおよびルビジウムは、ヘキサクロリド白金(IV)酸によって不溶性の塩を与えるが、これらの塩類は温水中で可溶性にわずかな差を示す。その結果、ヘキサクロリド白金(IV)酸カリウムよりも溶解度の低いヘキサクロリド白金酸ルビジウムが分別晶出によって得られた。水素によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、炭酸塩のアルコールに対する溶解度の差によってルビジウムの分離に成功した。このプロセスによって更なる研究に用いるための塩化ルビジウムが0.51 g得られた。セシウムとルビジウムの初めての大規模な分離は、キルヒホフとブンゼンによって44,000 Lのミネラルウォーターから行われ、7.3 gの塩化セシウムと9.2 gの塩化ルビジウムが分離された。ルビジウムは、キルヒホフとブンゼンによって分光器が発明されてからわずか1年後、セシウムの直後に発見された第2の元素であった。 キルヒホフとブンゼンは、新しい元素の原子量を推定するために、このようにして得られた塩化ルビジウムを用い、その結果ルビジウムの原子量は85.47であると見積もられた(現在一般に認められている値は85.47である)。彼らは溶融させた塩化ルビジウムの電気分解によってルビジウムの単体を得ようとし、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質を得た。彼らはそれを亜塩化物 (Rb2Cl) であるとしたが、それは恐らく金属ルビジウムと塩化ルビジウムとの、コロイド状の混合物である。金属ルビジウムを得るための2回目の実験においてブンゼンは、酒石酸ルビジウムの焼成によってルビジウムを還元することができた。蒸留されたルビジウムは発火性の物質であったが、ルビジウムの密度と融点を明らかにすることができた。1860年代に行われた研究の品質は、現在一般に認められている数値と比較して、密度の違いが0.1 g/cm未満であり、融点の違いも1度未満であることから、評価されている。 1908年、ルビジウムのわずかな放射能が発見されたが、1910年代に同位体元素の理論が確立する前であり、10年を超える長い半減期のために活性が低いため、その説明は困難であった。現在証明された、ベータ崩壊によって安定な Sr となる Rb の崩壊は、1940年代後期にはまだ議論中であった。 ルビジウムは、1920年代以前にはごくわずかな産業的価値しかなかった。以降のルビジウムの最も重要な用途は、主に化学および電子の分野における研究開発用途であった。1995年、E. A. コーネル (Eric A. Cornell) とC. E. ワイマン (Carl E. Wieman) は Rb を用いてルビジウム原子のボース=アインシュタイン凝縮に成功した。この功績により、彼らは2001年度のノーベル物理学賞を受賞した(W. ケターレ (Wolfgang Ketterle) と共同受賞)。 ルビジウムの定性分析には発光スペクトル分析が利用され、420から428 nmに紫色の二重線の発光が観察される。また、簡便な方法として炎色反応によるすみれ色の炎色の観察も行われる。 ルビジウムの重量分析法はカリウムやセシウムと同様の方法が利用される。代表的な方法として、ルビジウム溶液に過剰量の硫酸を加えて蒸発乾固させ、得られた残渣に炭酸アンモニウムを加えて重量既知の白金坩堝で強熱することによって硫酸ルビジウムとし、その重量を秤量することでルビジウム濃度が分析される。また、硫酸の代わりに濃塩酸を加えて塩化ルビジウムとして分析することもできる。ナトリウムまたはリチウムを含んでいるものでは、ヘキサクロリド白金酸もしくは亜硝酸コバルチナトリウムまたは過塩素酸を加えて、ヘキサクロリド白金酸ルビジウムもしくは亜硝酸コバルチルビジウムまたは過塩素酸ルビジウムの沈殿を生じさせる方法が用いられる。これらの方法は、エタノールで洗浄することによってエタノールに溶解するリチウムおよびナトリウムの塩を除去することができる利点があり、亜硝酸コバルチナトリウムを用いた方法は特に多量の塩類が含まれる溶液の分析に有用である。しかし、このようなルビジウムの挙動はカリウムと類似しているためカリウムを含む試料の重量分析は困難である。古典的な手法として、ヘキサクロリド白金酸カリウムとヘキサクロリド白金酸ルビジウムのわずかな溶解度の差を利用してカリウムとルビジウムを分離する方法や、カリウムとルビジウムの混合物の全量を塩化物として重量分析し、さらに硝酸銀溶液を用いてこの混合塩化物中の塩素量の定量を行い、重量と塩素量の連立方程式を立てて算出する方法などがある。 分析機器を用いたルビジウムの定量分析には原子吸光法 (AAS) または炎光分析法が最も簡便であり、それらの測定において最も高感度な吸収波長は780.027 nmである。AASにおいては、通常は空気-アセチレン炎を用いたフレーム原子吸光法が用いられるが、グラファイト炉原子吸光法を用いることで、検出限界1.6 pgという高感度な分析が可能となる。ルビジウムはそのイオン化エネルギーの低さに起因してフレーム中でのイオン化が激しく、分析結果に負の誤差が生じて定量値が低くなるため、試料液にイオン化抑制剤として高濃度のカリウムやセシウム等のイオン化されやすい元素を加えて分析を行う。また、他の元素を原子吸光法によって測定する際にルビジウムが共存していると、ルビジウムのイオン化しやすい性質によってイオン化干渉が生じて分析結果の誤差要因となる。 植物体中のルビジウム分析法の例を示す。 植物体中のルビジウムは希酸で大部分が抽出されるため、高濃度試料では塩酸抽出でも十分であるが、微量かつ全量分析の場合は強酸分解が望ましい。なお、イオン化抑制剤としてセシウムを用いた場合は、同時にカリウムの分析も可能である。 塩化ルビジウムは、恐らく最も使われているルビジウム化合物である。生化学において、細胞から DNA を取り出すのに用いられ、少量で容易に生体に取り込まれてカリウムと置換するため生物指標としても用いられている。他の通常のルビジウム化合物としては腐食性の水酸化ルビジウム (RbOH) があり、これは光学ガラスに用いられる炭酸ルビジウム (RbCO3) やルビジウム硫酸銅 (Rb2SO4•CuSO4•6H2O) など、大部分のルビジウムをベースとした化学反応の出発原料として用いられている。ヨウ化銀ルビジウム (RbAg4I5) は、他のどんな既知のイオン結晶よりも高い室温伝導率を有し、薄膜バッテリーなどの用途に利用されている。 ルビジウムは、金属ルビジウムが空気に曝されることで酸化ルビジウム Rb2O や Rb6O、Rb9O2 などを含むいくつかの酸化物を生成し、過剰な酸素雰囲気下では超酸化物 RbO2 を生成する。Rb9O2のような非化学量論的な酸化物は亜酸化物と呼ばれ、アルカリ金属元素の化合物としては珍しくルビジウム元素同士の共有結合を有した金属的な外観を持つ化合物である。ルビジウムはイオン半径が大きいため格子エネルギー効果によって不安定な陰イオンとも安定なイオン性塩を形成することができ、その代表例として超酸化ルビジウムがある。ルビジウムはハロゲンと反応してフッ化ルビジウム (RbF)、塩化ルビジウム (RbCl)、臭化ルビジウム (RbBr) およびヨウ化ルビジウム (RbI) を生成する。 自然に存在するルビジウムは、安定同位体である Rb (72.2%) および放射性同位体である Rb (27.8%) の2つの同位体元素から成っている。このようなルビジウムは1 g当たりおよそ670 Bqの固有の放射能を有しており、110日で写真フィルムを著しく感光させるのに十分な強さである。ルビジウムの同位体は24種類あり、Rb と Rb 以外のものは半減期が3か月未満である。それらのほとんどは非常に強い放射能があり、用途はほとんどない。 Rb の半減期は4.88 × 10年であり、それは13.75 ± 0.11 ×10年である宇宙の年齢の3倍以上である。Rb は原生核種(英語版)の1つである。ルビジウムは鉱石において容易にカリウムと置換するため、地球上の至る所に存在している。そのため、ルビジウムは放射年代測定に広範囲で用いられている。Rb はベータ粒子 (β) を放出して安定した Sr に崩壊する。マグマの結晶分化の間、Sr は斜長石に集まる傾向があり、Rb は液相に残る。ゆえに、マグマ残液中の Rb / Sr の比率は時間とともに増加し、漸進的分化によって Rb / Sr 比の高い石が形成される。この比率が最も高いものでは、10以上になるペグマタイトがある。ストロンチウムの初期量が知られているか、もしくは添加することができれば、ルビジウムとストロンチウムの濃度比および、Sr と Sr の比をそれぞれ測定することで年代を決定することができる。この方法は、その後石が変化していない場合においてのみ鉱石の正確な年齢を示す(ルビジウム-ストロンチウム年代測定法(英語版))。 自然に存在しない同位体の1つである Rb は、半減期が25.36日である Sr の電子捕獲(β崩壊の一種)によって生み出される。半減期が76秒である Rb のそれ以降の崩壊は陽電子放出(β崩壊の一種)によって引き起こされ、安定した Kr を生み出す。 ルビジウムは水と激しく反応するため、火災を引き起こす危険がある。安全性と純度を確保するため、この金属は乾いた鉱油中で保存され、通常は不活性雰囲気のガラス製アンプル中に封入される。ルビジウムは鉱油中の少量の空気への露出でさえ過酸化物を形成するため、金属カリウムの保管と類似した過酸化物形成の予防措置が取られる。 ルビジウムはナトリウムやカリウムのように、水に溶解しているときには+1価の酸化状態を取り、これは全ての生体中での状態も含む。人体は Rb イオンをカリウムイオンとして処理する傾向があるため、ルビジウムは体の細胞内液、すなわち細胞の内部に蓄積する。ルビジウムイオンは特に有毒ではない。70 kgの人間は平均0.36 gのルビジウムを含んでおり、この量を50から100倍に増加させても被験者に悪影響は見られなかった。人体における生物学的半減期は、31から46日である。しかし、ルビジウムによるカリウムの部分的な置換は起こり得ることであり、筋組織においてカリウムの50%以上がルビジウムに置換されたネズミは死亡した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ルビジウム(ラテン語: rubidium 英語発音: [rʉˈbɪdiəm])は原子番号 37 の元素記号 Rb で表される元素である。アルカリ金属元素の1つで、柔らかい銀白色の典型元素であり、原子量は85.4678。ルビジウム単体は、例えば空気中で急速に酸化されるなど非常に反応性が高く、他のアルカリ金属に似た特性を有している。ルビジウムの安定同位体は Rb ただ1つのみである。自然界に存在するルビジウムのおよそ28%を占める同位体の Rb は放射能を有しており、半減期はおよそ490億年である。この半減期の長さは、推定された宇宙の年齢の3倍以上の長さである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1861年に、ドイツの化学者ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフが新しく開発されたフレーム分光法によってルビジウムを発見した。ルビジウムの化合物は化学および電子の分野で利用されている。金属ルビジウムは容易に気化し、利用しやすいスペクトルの吸収域を有しているため、原子のレーザ操作のための標的としてしばしば用いられる。ルビジウムの生体に対する必要性は知られていない。しかし、ルビジウムイオンはセシウムのように、カリウムイオンと類似した方法で植物や生きた動物の細胞によって活発に取り込まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "発光スペクトルで赤色の光線を示すことから、ラテン語で暗赤色を表す rubidus よりルビジウムと名付けられた。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "銀白色の極めて軟らかい金属で、非放射性アルカリ金属元素の中で2番目に電気陰性度が小さい。比重は1.53、融点は39.3 °C。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC)。化合物中の原子価は+1で、ルビジウムの気体(沸点700 °C)は青色である。", "title": "単体の性質" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "他のアルカリ金属類と類似した性質を有し、ナトリウム、カリウムより反応性は強く、空気中で酸化され過酸化物 Rb2O2 および超酸化物 RbO2 を生成する。ハロゲン元素と激しく反応し、水とは反応によって水素が発生し、さらに発生した水素を点火するのに十分な量の反応熱が生じるため爆発的に反応する。", "title": "単体の性質" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ルビジウムは他のアルカリ金属類と同様に、空気中で自然発火する。そのため、日本では消防法により自然発火性物質として危険物指定されている物質である。", "title": "単体の性質" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "水銀には発熱的に溶解してアマルガムを形成し、金、カルシウム、ナトリウム、カリウム、セシウムとは合金を作る。ルビジウムのイオン化エネルギーは非常に低く、わずか406 kJ/molである。炎色反応では、カリウムに似た暗赤色を示す。", "title": "単体の性質" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ルビジウムは地殻中に23番目に多く存在する元素である(地殻中の元素の存在度も参照)。おおよそ亜鉛と同程度に豊富であり、いくぶんか銅よりも普遍的である。自然での産出は、白榴石(英語版)、ポルサイト、カーナライト、チンワルド雲母などの鉱石に、酸化物として最大で1%ほど含有されている。リチア雲母は0.3%から3.5%のルビジウムを含み、商用ベースのルビジウム源として利用されている。いくつかのカリウム鉱石や塩化カリウムも、商業的に重要な量のルビジウムを含んでいる。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "海水中には、平均して1 L当たり125 μgのルビジウムが含まれている。同族の他の元素と比較すると、1 L当たり408 mg含まれるカリウムより大幅に少なく、1 L当たり0.3 μg含まれるセシウムよりは大幅に多い量である。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ルビジウムはそれなりに大きなイオン半径を有しているため、「不適合元素」の1つである。マグマの結晶分化の間、ルビジウムはルビジウムより重く類似した性質を持つセシウムと共に液相に濃縮され、最後に結晶化する。したがってルビジウムおよびセシウムは、これらの濃縮過程によって形成されるペグマタイト鉱物に堆積する。ルビジウムはマグマの結晶化においてカリウムと置換するため、セシウムの場合ほど効果的には濃縮されない。ポルサイトのようにセシウム鉱床とするに十分な量のセシウムを含むペグマタイト鉱石や、リチウム鉱石であるリチア雲母は、副生物としてのルビジウム源でもある。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2つのルビジウムの重要な産出源は、カナダのマニトバ州にあるバーニック湖の豊富なポルサイト鉱床および、イタリアのエルバ島で産出されるルビジウムを17.5%含んだルビジウム微斜長石(英語版) ((Rb, K)AlSi3O8) である。これらはセシウムの産出源でもある。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ルビジウムは地殻中においてセシウムより豊富に存在するが、用途が限られていることやルビジウムを豊富に含む鉱石の不足から、ルビジウム化合物の年間生産量は2から4トン程度である。カリウムからルビジウムおよびセシウムを分離するにはいくつかの方法がある。ルビジウムセシウムミョウバン (Cs, Rb)Al(SO4)2•12H2O からの分別晶出によって純粋なルビジウムミョウバンが得られる。2つの他の方法の報告では、塩化スズ法およびフェロシアン酸塩法の文献がある。1950年代および60年代の数年間は、Alkarb と呼ばれるカリウム製品の副産物がルビジウムの主要な産出源であった。Alkarb には21%のルビジウムとごくわずかなセシウムが含まれ、残りはカリウムである。現在ルビジウムは、例えばカナダのマニトバ州にあるタンコ鉱山のようなセシウムの大きな生産者によって、ポルサイトからの副産物として生産されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ルビジウム87(同位体)は、半減期488億年の放射性同位体であり、ベータ崩壊してストロンチウム87となる。これを使って、年代測定が可能である(ルビジウム-ストロンチウム法)。炭酸ルビジウム (Rb2CO3) を原料に混ぜたガラスは丈夫で電気絶縁性に優れているため、ブラウン管用ガラスとして用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "光で励起したルビジウムは原子時計に用いられている。セシウム原子時計に比べ正確さは劣るが、小型で低価格であるため、ルビジウム原子時計は広く利用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "通常、ルビジウムは土壌中において非常に低濃度である反面、植物によって吸収されやすく、カリウムに似た挙動を示す。このため、トレーサとして既知濃度のルビジウム水溶液を土壌に注入、一定期間後に植物体を収獲しルビジウム濃度を測定することで、その時点における根の活性を推定できる(ルビジウムトレーサ法)。また、農作物害虫の生態調査における標識として用いられた事例もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ルビジウム化合物は時折、花火に紫の色を付けるために用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ルビジウムは磁気流体力学の原理を応用した熱電変換材料への使用が検討されている。高温の熱でルビジウムをイオン化し磁場を通過させることによって、それらは電気を伝導し、発電機の電機子のように働くことで電流が発生する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ルビジウム、特に気化された Rb は、レーザー冷却やボース=アインシュタイン凝縮の用途において、最も一般的に使用される原子種の1つである。この用途における望ましい性質は、関連した波長における安価な半導体レーザーがいつでも利用できる点および、適度な温度で十分な蒸気圧を得ることのできる点である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ルビジウムは、核スピンを一定の方向に整列させた大量の磁化 He ガスを生産する際に、He にスピン偏極を与えるために用いられる。ルビジウムの蒸気は、レーザーによる光ポンピングによってスピンが偏極し、それが超微細構造に影響を与えることで He の核スピンを一定の方向に整列させる。スピンが偏極化した He は、中性子偏極測定やその他の用途のための偏極中性子ビームを発生させる用途に一般化されてきている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ルビジウムは、セル・サイト送信機や他の電子的な送信機、情報網および試験装置における周波数の精度を保つための二次周波数標準器の主要部品である(ルビジウム発振機)。このルビジウム標準器は GPS において、より正確でセシウム標準器よりも安価な「一次周波数標準器」を製造するためにしばしば用いられる。ルビジウム標準機は、データ通信産業のために大量生産されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ルビジウムの他の可能性もしくは現在の用途としては、蒸気タービンにおける作動流体や真空管における残留ガスの吸着剤(ゲッター(英語版))、光検出器の部品などがある。ルビジウムのエネルギー準位の超微細構造を利用して原子時計の共鳴元素に用いられる。ルビジウムはまた、特殊ガラスの成分や酸素雰囲気下での燃焼によって生じる超過酸化物の生産、生物学におけるカリウムイオンチャネルの研究、原子磁気センサーの蒸気の発生などに用いられる。Rbは現在、スピン偏極の緩和レートを小さくした状態を利用した磁気センサー (SERF; spin exchange relaxation-free (SERF) magnetometer) の開発において、他のアルカリ金属類とともに使用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "Rb は陽電子放射断層撮影に用いられている。ルビジウムはカリウムと非常に似ているため、カリウムを多く含んだ生体細胞は放射性ルビジウムも蓄積する。主要な用途の1つは心筋灌流イメージング(英語版)である。76秒という非常に短い半減期のため、患者の近くで Sr の崩壊によって Rb を生み出す必要がある。脳腫瘍において、血液脳関門でのルビジウムとカリウムの置換の結果、ルビジウムは通常の脳組織よりも脳腫瘍の部分に多く集まるため、シンチグラフィによって放射性同位元素のRbを検出することで、脳腫瘍を画像化することができる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ルビジウムの双極性障害やうつ病に対する影響についての試験が行われている。透析患者にはルビジウムの消耗が見られ、したがってルビジウムのサプリメントは憂うつを助けるかもしれない。いくつかの試験において、ルビジウムは最高720 mgの塩化ルビジウムとして与えられた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1861年にロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフにより、ドイツのハイデルベルクにおいて鉱石のリチア雲母から分光器を用いることでルビジウムは発見された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ルビジウムはリチア雲母に少量含まれる物質として存在する。キルヒホフとブンゼンは、酸化ルビジウム (Rb2O) をわずかに0.24%のみ含むリチア雲母を150 kg処理した。カリウムおよびルビジウムは、ヘキサクロリド白金(IV)酸によって不溶性の塩を与えるが、これらの塩類は温水中で可溶性にわずかな差を示す。その結果、ヘキサクロリド白金(IV)酸カリウムよりも溶解度の低いヘキサクロリド白金酸ルビジウムが分別晶出によって得られた。水素によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、炭酸塩のアルコールに対する溶解度の差によってルビジウムの分離に成功した。このプロセスによって更なる研究に用いるための塩化ルビジウムが0.51 g得られた。セシウムとルビジウムの初めての大規模な分離は、キルヒホフとブンゼンによって44,000 Lのミネラルウォーターから行われ、7.3 gの塩化セシウムと9.2 gの塩化ルビジウムが分離された。ルビジウムは、キルヒホフとブンゼンによって分光器が発明されてからわずか1年後、セシウムの直後に発見された第2の元素であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "キルヒホフとブンゼンは、新しい元素の原子量を推定するために、このようにして得られた塩化ルビジウムを用い、その結果ルビジウムの原子量は85.47であると見積もられた(現在一般に認められている値は85.47である)。彼らは溶融させた塩化ルビジウムの電気分解によってルビジウムの単体を得ようとし、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質を得た。彼らはそれを亜塩化物 (Rb2Cl) であるとしたが、それは恐らく金属ルビジウムと塩化ルビジウムとの、コロイド状の混合物である。金属ルビジウムを得るための2回目の実験においてブンゼンは、酒石酸ルビジウムの焼成によってルビジウムを還元することができた。蒸留されたルビジウムは発火性の物質であったが、ルビジウムの密度と融点を明らかにすることができた。1860年代に行われた研究の品質は、現在一般に認められている数値と比較して、密度の違いが0.1 g/cm未満であり、融点の違いも1度未満であることから、評価されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1908年、ルビジウムのわずかな放射能が発見されたが、1910年代に同位体元素の理論が確立する前であり、10年を超える長い半減期のために活性が低いため、その説明は困難であった。現在証明された、ベータ崩壊によって安定な Sr となる Rb の崩壊は、1940年代後期にはまだ議論中であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ルビジウムは、1920年代以前にはごくわずかな産業的価値しかなかった。以降のルビジウムの最も重要な用途は、主に化学および電子の分野における研究開発用途であった。1995年、E. A. コーネル (Eric A. Cornell) とC. E. ワイマン (Carl E. Wieman) は Rb を用いてルビジウム原子のボース=アインシュタイン凝縮に成功した。この功績により、彼らは2001年度のノーベル物理学賞を受賞した(W. ケターレ (Wolfgang Ketterle) と共同受賞)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ルビジウムの定性分析には発光スペクトル分析が利用され、420から428 nmに紫色の二重線の発光が観察される。また、簡便な方法として炎色反応によるすみれ色の炎色の観察も行われる。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ルビジウムの重量分析法はカリウムやセシウムと同様の方法が利用される。代表的な方法として、ルビジウム溶液に過剰量の硫酸を加えて蒸発乾固させ、得られた残渣に炭酸アンモニウムを加えて重量既知の白金坩堝で強熱することによって硫酸ルビジウムとし、その重量を秤量することでルビジウム濃度が分析される。また、硫酸の代わりに濃塩酸を加えて塩化ルビジウムとして分析することもできる。ナトリウムまたはリチウムを含んでいるものでは、ヘキサクロリド白金酸もしくは亜硝酸コバルチナトリウムまたは過塩素酸を加えて、ヘキサクロリド白金酸ルビジウムもしくは亜硝酸コバルチルビジウムまたは過塩素酸ルビジウムの沈殿を生じさせる方法が用いられる。これらの方法は、エタノールで洗浄することによってエタノールに溶解するリチウムおよびナトリウムの塩を除去することができる利点があり、亜硝酸コバルチナトリウムを用いた方法は特に多量の塩類が含まれる溶液の分析に有用である。しかし、このようなルビジウムの挙動はカリウムと類似しているためカリウムを含む試料の重量分析は困難である。古典的な手法として、ヘキサクロリド白金酸カリウムとヘキサクロリド白金酸ルビジウムのわずかな溶解度の差を利用してカリウムとルビジウムを分離する方法や、カリウムとルビジウムの混合物の全量を塩化物として重量分析し、さらに硝酸銀溶液を用いてこの混合塩化物中の塩素量の定量を行い、重量と塩素量の連立方程式を立てて算出する方法などがある。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "分析機器を用いたルビジウムの定量分析には原子吸光法 (AAS) または炎光分析法が最も簡便であり、それらの測定において最も高感度な吸収波長は780.027 nmである。AASにおいては、通常は空気-アセチレン炎を用いたフレーム原子吸光法が用いられるが、グラファイト炉原子吸光法を用いることで、検出限界1.6 pgという高感度な分析が可能となる。ルビジウムはそのイオン化エネルギーの低さに起因してフレーム中でのイオン化が激しく、分析結果に負の誤差が生じて定量値が低くなるため、試料液にイオン化抑制剤として高濃度のカリウムやセシウム等のイオン化されやすい元素を加えて分析を行う。また、他の元素を原子吸光法によって測定する際にルビジウムが共存していると、ルビジウムのイオン化しやすい性質によってイオン化干渉が生じて分析結果の誤差要因となる。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "植物体中のルビジウム分析法の例を示す。 植物体中のルビジウムは希酸で大部分が抽出されるため、高濃度試料では塩酸抽出でも十分であるが、微量かつ全量分析の場合は強酸分解が望ましい。なお、イオン化抑制剤としてセシウムを用いた場合は、同時にカリウムの分析も可能である。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "塩化ルビジウムは、恐らく最も使われているルビジウム化合物である。生化学において、細胞から DNA を取り出すのに用いられ、少量で容易に生体に取り込まれてカリウムと置換するため生物指標としても用いられている。他の通常のルビジウム化合物としては腐食性の水酸化ルビジウム (RbOH) があり、これは光学ガラスに用いられる炭酸ルビジウム (RbCO3) やルビジウム硫酸銅 (Rb2SO4•CuSO4•6H2O) など、大部分のルビジウムをベースとした化学反応の出発原料として用いられている。ヨウ化銀ルビジウム (RbAg4I5) は、他のどんな既知のイオン結晶よりも高い室温伝導率を有し、薄膜バッテリーなどの用途に利用されている。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ルビジウムは、金属ルビジウムが空気に曝されることで酸化ルビジウム Rb2O や Rb6O、Rb9O2 などを含むいくつかの酸化物を生成し、過剰な酸素雰囲気下では超酸化物 RbO2 を生成する。Rb9O2のような非化学量論的な酸化物は亜酸化物と呼ばれ、アルカリ金属元素の化合物としては珍しくルビジウム元素同士の共有結合を有した金属的な外観を持つ化合物である。ルビジウムはイオン半径が大きいため格子エネルギー効果によって不安定な陰イオンとも安定なイオン性塩を形成することができ、その代表例として超酸化ルビジウムがある。ルビジウムはハロゲンと反応してフッ化ルビジウム (RbF)、塩化ルビジウム (RbCl)、臭化ルビジウム (RbBr) およびヨウ化ルビジウム (RbI) を生成する。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "自然に存在するルビジウムは、安定同位体である Rb (72.2%) および放射性同位体である Rb (27.8%) の2つの同位体元素から成っている。このようなルビジウムは1 g当たりおよそ670 Bqの固有の放射能を有しており、110日で写真フィルムを著しく感光させるのに十分な強さである。ルビジウムの同位体は24種類あり、Rb と Rb 以外のものは半減期が3か月未満である。それらのほとんどは非常に強い放射能があり、用途はほとんどない。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "Rb の半減期は4.88 × 10年であり、それは13.75 ± 0.11 ×10年である宇宙の年齢の3倍以上である。Rb は原生核種(英語版)の1つである。ルビジウムは鉱石において容易にカリウムと置換するため、地球上の至る所に存在している。そのため、ルビジウムは放射年代測定に広範囲で用いられている。Rb はベータ粒子 (β) を放出して安定した Sr に崩壊する。マグマの結晶分化の間、Sr は斜長石に集まる傾向があり、Rb は液相に残る。ゆえに、マグマ残液中の Rb / Sr の比率は時間とともに増加し、漸進的分化によって Rb / Sr 比の高い石が形成される。この比率が最も高いものでは、10以上になるペグマタイトがある。ストロンチウムの初期量が知られているか、もしくは添加することができれば、ルビジウムとストロンチウムの濃度比および、Sr と Sr の比をそれぞれ測定することで年代を決定することができる。この方法は、その後石が変化していない場合においてのみ鉱石の正確な年齢を示す(ルビジウム-ストロンチウム年代測定法(英語版))。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "自然に存在しない同位体の1つである Rb は、半減期が25.36日である Sr の電子捕獲(β崩壊の一種)によって生み出される。半減期が76秒である Rb のそれ以降の崩壊は陽電子放出(β崩壊の一種)によって引き起こされ、安定した Kr を生み出す。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ルビジウムは水と激しく反応するため、火災を引き起こす危険がある。安全性と純度を確保するため、この金属は乾いた鉱油中で保存され、通常は不活性雰囲気のガラス製アンプル中に封入される。ルビジウムは鉱油中の少量の空気への露出でさえ過酸化物を形成するため、金属カリウムの保管と類似した過酸化物形成の予防措置が取られる。", "title": "予防措置と生物学的影響" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ルビジウムはナトリウムやカリウムのように、水に溶解しているときには+1価の酸化状態を取り、これは全ての生体中での状態も含む。人体は Rb イオンをカリウムイオンとして処理する傾向があるため、ルビジウムは体の細胞内液、すなわち細胞の内部に蓄積する。ルビジウムイオンは特に有毒ではない。70 kgの人間は平均0.36 gのルビジウムを含んでおり、この量を50から100倍に増加させても被験者に悪影響は見られなかった。人体における生物学的半減期は、31から46日である。しかし、ルビジウムによるカリウムの部分的な置換は起こり得ることであり、筋組織においてカリウムの50%以上がルビジウムに置換されたネズミは死亡した。", "title": "予防措置と生物学的影響" } ]
ルビジウムは原子番号 37 の元素記号 Rb で表される元素である。アルカリ金属元素の1つで、柔らかい銀白色の典型元素であり、原子量は85.4678。ルビジウム単体は、例えば空気中で急速に酸化されるなど非常に反応性が高く、他のアルカリ金属に似た特性を有している。ルビジウムの安定同位体は 85Rb ただ1つのみである。自然界に存在するルビジウムのおよそ28%を占める同位体の 87Rb は放射能を有しており、半減期はおよそ490億年である。この半減期の長さは、推定された宇宙の年齢の3倍以上の長さである。 1861年に、ドイツの化学者ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフが新しく開発されたフレーム分光法によってルビジウムを発見した。ルビジウムの化合物は化学および電子の分野で利用されている。金属ルビジウムは容易に気化し、利用しやすいスペクトルの吸収域を有しているため、原子のレーザ操作のための標的としてしばしば用いられる。ルビジウムの生体に対する必要性は知られていない。しかし、ルビジウムイオンはセシウムのように、カリウムイオンと類似した方法で植物や生きた動物の細胞によって活発に取り込まれる。
{{Elementbox |name=rubidium |japanese name=ルビジウム |pronounce={{IPAc-en|r|ʉ|ˈ|b|ɪ|d|i|əm}} {{respell|roo|BID|ee-əm}} |number=37 |symbol=Rb |left=[[クリプトン]] |right=[[ストロンチウム]] |above=[[カリウム|K]] |below=[[セシウム|Cs]] |series=アルカリ金属 |series comment= |group=1 |period=5 |block=s |series color= |phase color= |appearance=銀白色 |image name=Rb5.JPG |image size= |image name comment= |image name 2= |image size 2= |image name 2 comment= |atomic mass=85.4678 |atomic mass 2=3 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 5s<sup>1</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 8, 1 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt=1.532 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3nrt 3= |density gpcm3mp=1.46 |melting point K=312.46 |melting point C=39.31 |melting point F=102.76 |melting point pressure= |sublimation point K= |sublimation point C= |sublimation point F= |sublimation point pressure= |boiling point K=961 |boiling point C=688 |boiling point F=1270 |boiling point pressure= |triple point K= |triple point kPa= |triple point K 2= |triple point kPa 2= |critical point K=(推定)2093 |critical point MPa=16 |heat fusion=2.19 |heat fusion 2= |heat fusion pressure= |heat vaporization=75.77 |heat vaporization pressure= |heat capacity=31.060 |heat capacity pressure= |vapor pressure 1=434 |vapor pressure 10=486 |vapor pressure 100=552 |vapor pressure 1 k=641 |vapor pressure 10 k=769 |vapor pressure 100 k=958 |vapor pressure comment= |crystal structure=体心立方 |oxidation states=1(強[[塩基性酸化物]]) |oxidation states comment= |electronegativity=0.82 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=403 |2nd ionization energy=2632.1 |3rd ionization energy=3859.4 |atomic radius=248 |atomic radius calculated= |covalent radius=220±9 |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|303]] |magnetic ordering=[[常磁性]]<ref name=magnet>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120112012253/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf |date=2012年1月12日 }}, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20=128 n |thermal conductivity=58.2 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25= |speed of sound= |speed of sound rod at 20=1300 |speed of sound rod at r.t.= |Tensile strength= |Young's modulus=2.4 |Shear modulus= |Bulk modulus=2.5 |Poisson ratio= |Mohs hardness=0.3 |Vickers hardness= |Brinell hardness=0.216 |CAS number=7440-17-7 |isotopes={{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=83 | sym=Rb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=86.2 [[日|d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=83 | ps1=[[クリプトン|Kr]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.52, 0.53,<br />0.55 | pn2= | ps2=- }} {{Elementbox_isotopes_decay4 | mn=84 | sym=Rb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=32.9 d | dm1=ε | de1=- | pn1=84 | ps1=[[クリプトン|Kr]] | dm2=[[陽電子放出|β<sup>+</sup>]] | de2=1.66, 0.78 | pn2=84 | ps2=[[クリプトン|Kr]] | dm3=γ | de3=0.881 | pn3= | ps3=- | dm4=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de4=0.892 | pn4=84 | ps4=[[ストロンチウム|Sr]] }} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=85 | sym=Rb | na=72.168% | n=48 }} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=86 | sym=Rb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=18.65 d | dm1=β<sup>-</sup> | de1=1.775 | pn1=86 | ps1=[[ストロンチウム|Sr]] | dm2=γ | de2=1.0767 | pn2= | ps2=- }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=87 | sym=Rb | na=27.835% | hl=4.88 {{e|10}} [[年|y]] | dm=β<sup>-</sup> | de=0.283 | pn=87 | ps=[[ストロンチウム|Sr]] }} |isotopes comment= }} '''ルビジウム'''({{lang-la|rubidium}}<ref>http://www.encyclo.co.uk/webster/R/100</ref> {{IPA-en|rʉˈbɪdiəm}})は[[原子番号]] 37 の[[元素記号]] '''Rb''' で表される[[元素]]である。[[アルカリ金属]]元素の1つで、柔らかい銀白色の[[典型元素]]であり、[[原子量]]は85.4678。ルビジウム単体は、例えば空気中で急速に酸化されるなど非常に反応性が高く、他のアルカリ金属に似た特性を有している。ルビジウムの安定[[同位体]]は <sup>85</sup>Rb ただ1つのみである。自然界に存在するルビジウムのおよそ28%を占める同位体の <sup>87</sup>Rb は[[放射能]]を有しており、[[半減期]]はおよそ490億[[年]]である。この半減期の長さは、推定された[[宇宙の年齢]]の3倍以上の長さである。 [[1861年]]に、[[ドイツ]]の化学者[[ロベルト・ブンゼン]]と[[グスタフ・キルヒホフ]]が新しく開発された[[フレーム分光法]]によってルビジウムを発見した。ルビジウムの[[化合物]]は[[化学]]および[[電子工学|電子]]の分野で利用されている。金属ルビジウムは容易に気化し、利用しやすいスペクトルの吸収域を有しているため、原子のレーザ操作のための標的としてしばしば用いられる。ルビジウムの生体に対する必要性は知られていない。しかし、ルビジウムイオンは[[セシウム]]のように、カリウムイオンと類似した方法で植物や生きた動物の細胞によって活発に取り込まれる。 == 名称 == 発光スペクトルで赤色の光線を示すことから、[[ラテン語]]で暗赤色を表す rubidus よりルビジウムと名付けられた<ref name="BuKi1861">{{citation|title = Chemische Analyse durch Spectralbeobachtungen |pages = 337–381 |first1 = G.|last1 = Kirchhoff, |first2 = R.|last2 = Bunsen|doi = 10.1002/andp.18611890702 |journal = Annalen der Physik|Annalen der Physik und Chemie |volume = 189 |issue = 7|year = 1861}}</ref><ref name="Weeks">{{citation|title = The discovery of the elements. XIII. Some spectroscopic discoveries |pages = 1413–1434|last = Weeks|first = Mary Elvira|doi=10.1021/ed009p1413|journal = Journal of Chemical Education |volume =9 |issue =8 |year = 1932}}</ref>。 == 単体の性質 == 銀白色の極めて軟らかい[[金属]]で<ref name="Ohly">{{citation | chapter = Rubidium | title = Analysis, detection and commercial value of the rare metals | last = Ohly | first = Julius | publisher = Mining Science Pub. Co. | year = 1910 | url = https://books.google.co.jp/books?id=dGUuAQAAIAAJ&redir_esc=y&hl=ja}}</ref>、非放射性アルカリ金属元素の中で2番目に[[電気陰性度]]が小さい。比重は1.53、[[融点]]は39.3 {{℃}}。常温、常圧で安定な結晶構造は[[体心立方構造]] (BCC)。化合物中の原子価は+1で、ルビジウムの[[気体]](沸点700 {{℃}})は青色である。 他のアルカリ金属類と類似した性質を有し、[[ナトリウム]]、[[カリウム]]より反応性は強く、空気中で酸化され[[過酸化物]] Rb<sub>2</sub>O<sub>2</sub> および[[超酸化物]] RbO<sub>2</sub> を生成する。[[ハロゲン元素]]と激しく反応し、[[水]]とは反応によって[[水素]]が発生し、さらに発生した水素を点火するのに十分な量の[[反応熱]]が生じるため爆発的に反応する<ref name="HollemanAF"/>。 : <chem> 2 Rb + 2 H2O -> 2 RbOH + H2</chem> ルビジウムは他のアルカリ金属類と同様に、空気中で[[自然発火]]する<ref name="Ohly"/>。そのため、[[日本]]では[[消防法]]により[[自然発火性物質]]として[[危険物]]指定されている物質である。 [[水銀]]には発熱的に溶解して[[アマルガム]]を形成し、[[金]]、[[カルシウム]]、ナトリウム、カリウム、セシウムとは合金を作る<ref name="HollemanAF">{{citation|publisher = Walter de Gruyter|year = 1985|edition = 91–100|pages = 953–955|isbn = 3-11-007511-3|title = Lehrbuch der Anorganischen Chemie|first1 = Arnold F.|last1 = Holleman|last2 = Wiberg|first2 = Egon |last3 =Wiberg|first3 = Nils|chapter = Vergleichende Übersicht über die Gruppe der Alkalimetalle| language = German}}</ref><ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 250、253頁。</ref>。ルビジウムの[[イオン化エネルギー]]は非常に低く、わずか406 kJ/molである<ref>{{citation | url = https://books.google.de/books?id=ZOm8L9oCwLMC&pg=PA259&hl=de | page =259 | title = Principles of Chemistry: The Molecular Science | isbn = 9780495390794 | author1 = Moore, John W | author2 = Stanitski, Conrad L | author3 = Jurs, Peter C | date = 2009-01-21}}</ref>。[[炎色反応]]では、カリウムに似た暗赤色を示す。 == 存在 == [[File:Lepidolite-76774.jpg|thumb|left|150px|alt=リシア雲母のサンプル|ルビジウム源である[[リチア雲母]]]] ルビジウムは[[地殻]]中に23番目に多く存在する元素である([[地殻中の元素の存在度]]も参照)。おおよそ[[亜鉛]]と同程度に豊富であり、いくぶんか[[銅]]よりも普遍的である<ref name=USGS>{{cite web|url = http://pubs.usgs.gov/of/2003/of03-045/of03-045.pdf |format = PDF|publisher = United States Geological Survey|accessdate = 2010-12-04|title = Mineral Commodity Profile: Rubidium|first1 = William C.|last1 = Butterman|first2 = William E.|last2 = Brooks|first3 = Robert G.|last3 = Reese, Jr.|year=2003}}</ref>。自然での産出は、{{仮リンク|白榴石|en|Leucite}}、[[ポルサイト]]、[[カーナライト]]、[[チンワルド雲母]]などの鉱石に、酸化物として最大で1[[パーセント|%]]ほど含有されている。リチア雲母は0.3%から3.5%のルビジウムを含み、商用ベースのルビジウム源として利用されている<ref>{{citation|title =Trace element chemistry of lithium-rich micas from rare-element granitic pegmatites|volume = 55 | issue = 13|year = 1995|doi = 10.1007/BF01162588|pages = 203–215|journal = Mineralogy and Petrology|first = M. A.|last = Wise}}</ref>。いくつかのカリウム鉱石や塩化カリウムも、商業的に重要な量のルビジウムを含んでいる。 [[海水]]中には、平均して1 [[リットル|L]]当たり125 [[マイクログラム|μg]]のルビジウムが含まれている。同族の他の元素と比較すると、1 L当たり408 [[ミリグラム|mg]]含まれるカリウムより大幅に少なく、1 L当たり0.3 μg含まれるセシウムよりは大幅に多い量である<ref>{{citation|last1 = Bolter|first1 = E|last2 = Turekian|first2 = K|last3 = Schutz|first3 = D|title = The distribution of rubidium, cesium and barium in the oceans|journal = Geochimica et Cosmochimica Acta|volume = 28|issue = 9|pages = 1459|year = 1964|doi = 10.1016/0016-7037(64)90161-9}}</ref>。 ルビジウムはそれなりに大きな[[イオン半径]]を有しているため、「[[不適合元素]]」の1つである<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=385nPZOXmYAC&pg=PA224&redir_esc=y&hl=ja |page = 224|title = Cosmochemistry|isbn = 9780521878623|author1 = McSween, Harry Y|author2 = Jr,|author3 = Huss, Gary R|year = 2010}}</ref>。[[マグマ]]の結晶分化の間、ルビジウムはルビジウムより重く類似した性質を持つセシウムと共に液相に濃縮され、最後に結晶化する。したがってルビジウムおよびセシウムは、これらの濃縮過程によって形成される[[ペグマタイト]]鉱物に堆積する。ルビジウムはマグマの結晶化においてカリウムと置換するため、セシウムの場合ほど効果的には濃縮されない。ポルサイトのようにセシウム鉱床とするに十分な量のセシウムを含むペグマタイト鉱石や、[[リチウム]]鉱石であるリチア雲母は、副生物としてのルビジウム源でもある<ref name=USGS/>。 2つのルビジウムの重要な産出源は、[[カナダ]]の[[マニトバ州]]にある[[バーニック湖]]の豊富なポルサイト鉱床および、[[イタリア]]の[[エルバ島]]で産出されるルビジウムを17.5%含んだ{{仮リンク|ルビジウム微斜長石|en|Rubicline}} ((Rb, K)AlSi<sub>3</sub>O<sub>8</sub>)<ref>{{citation|url = http://ammin.geoscienceworld.org/cgi/content/abstract/83/11-12_Part_1/1335| title = Rubicline, a new feldspar from San Piero in Campo, Elba, Italy|journal = American Mineralogist|volume = 83|issue = 11–12 Part 1|pages = 1335–1339|last1 = Teertstra|first1 = David K.|first2 = Petr |last2 = Cerny|first3 = Frank C. |last3 = Hawthorne|first4 = Julie |last4 = Pier|first5 = Lu-Min |last5 = Wang |first6 = Rodney C.|last6 =Ewing|year = 1998}}</ref> である。これらはセシウムの産出源でもある。 == 生産 == ルビジウムは地殻中においてセシウムより豊富に存在するが、用途が限られていることやルビジウムを豊富に含む鉱石の不足から、ルビジウム化合物の年間生産量は2から4トン程度である<ref name=USGS/>。カリウムからルビジウムおよびセシウムを分離するにはいくつかの方法がある。ルビジウムセシウム[[ミョウバン]] (Cs, Rb)Al(SO<sub>4</sub>)<sub>2</sub>•12H<sub>2</sub>O からの分別晶出によって純粋なルビジウムミョウバンが得られる。2つの他の方法の報告では、[[塩化スズ]]法およびフェロシアン酸塩法の文献がある<ref name=USGS/><ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=1ikjAQAAIAAJ&q=ferrocyanide+rubidium&dq=ferrocyanide+rubidium&redir_esc=y&hl=ja|publisher = United States. Bureau of Mines|title = bulletin 585|year = 1995}}</ref>。1950年代および60年代の数年間は、Alkarb と呼ばれるカリウム製品の副産物がルビジウムの主要な産出源であった。Alkarb には21%のルビジウムとごくわずかなセシウムが含まれ、残りはカリウムである<ref>{{citation|title = Cesium and Rubidium Hit Market|journal = Chemical & Engineering News |volume = 37|issue = 22|pages = 50|year = 1959|doi = 10.1021/cen-v037n022.p050}}</ref>。現在ルビジウムは、例えばカナダのマニトバ州にある[[タンコ鉱山]]のようなセシウムの大きな生産者によって、ポルサイトからの副産物として生産されている<ref name=USGS/>。 == 用途 == [[File:USNO rubidium fountain.jpg|thumb|left|ルビジウムを用いた[[原子時計]]([[アメリカ海軍天文台]])]] ルビジウム87([[同位体]])は、[[半減期]]488億年<ref>杉村新、中村保夫、井田喜明 『図説地球科学』 岩波書店、1988年、Rb-Sr法による放射年代測定法</ref>の[[放射性同位体]]であり、[[ベータ崩壊]]して[[ストロンチウム|ストロンチウム87]]となる。これを使って、年代測定が可能である(ルビジウム-ストロンチウム法)。炭酸ルビジウム (Rb<sub>2</sub>CO<sub>3</sub>) を原料に混ぜた[[ガラス]]は丈夫で電気絶縁性に優れているため、[[ブラウン管]]用ガラスとして用いられる。 光で励起したルビジウムは[[原子時計]]に用いられている。[[セシウム]]原子時計に比べ正確さは劣るが、小型で低価格であるため、ルビジウム原子時計は広く利用されている。 通常、ルビジウムは[[土壌]]中において非常に低[[濃度]]である反面、[[植物]]によって[[吸収]]されやすく、[[カリウム]]に似た挙動を示す。このため、[[トレーサ]]として既知[[濃度]]のルビジウム[[水溶液]]を土壌に注入、一定期間後に植物体を収獲しルビジウム濃度を[[測定]]することで、その時点における[[根]]の活性を推定できる(ルビジウムトレーサ法)。また、[[農作物]][[害虫]]の[[生態]]調査における[[標識]]として用いられた事例もある。 ルビジウム化合物は時折、[[花火]]に紫の色を付けるために用いられる<ref>{{citation|first = E.-C.|last = Koch|title = Special Materials in Pyrotechnics, Part II: Application of Caesium and Rubidium Compounds in Pyrotechnics|journal = Journal Pyrotechnics|year = 2002|volume = 15|pages = 9–24|url=http://www.jpyro.com/wp/?p=179}}</ref>。 ルビジウムは[[磁気流体力学]]の原理を応用した熱電変換材料への使用が検討されている<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=59XvAAAAMAAJ&q=%22rubidium%22+%22magnetohydrodynamic%22&dq=%22rubidium%22+%22magnetohydrodynamic%22&redir_esc=y&hl=ja|page = 193|title = Chemical principles|isbn = 9780060408084|author1 = Boikess, Robert S|author2 = Edelson, Edward|year = 1981}}</ref>。高温の熱でルビジウムをイオン化し[[磁場]]を通過させることによって、それらは電気を伝導し、発電機の[[電機子]]のように働くことで電流が発生する。 ルビジウム、特に気化された <sup>87</sup>Rb は、[[レーザー冷却]]や[[ボース=アインシュタイン凝縮]]の用途において、最も一般的に使用される原子種の1つである。この用途における望ましい性質は、関連した波長における安価な[[半導体レーザー]]がいつでも利用できる点および、適度な温度で十分な蒸気圧を得ることのできる点である<ref>{{citation|journal = Journal of Research of the National Institute of Standards and Technology|url =http://nvl.nist.gov/pub/nistpubs/jres/101/4/cnt101-4.htm|year = 1996|volume = 101|issue = 4|pages = 419–618}}</ref>{{要出典|title=この論文の号には20の記事があるが、どれが該当しているのか?|date=2011-3}}。 ルビジウムは、核スピンを一定の方向に整列させた大量の磁化 <sup>3</sup>[[ヘリウム|He]] ガスを生産する際に、<sup>3</sup>He に[[スピン偏極]]を与えるために用いられる。ルビジウムの蒸気は、レーザーによる[[光ポンピング]]によってスピンが偏極し、それが[[超微細構造]]に影響を与えることで <sup>3</sup>He の核スピンを一定の方向に整列させる<ref>{{citation| url=http://nvl.nist.gov/pub/nistpubs/jres/110/3/j110-3gen.pdf|journal=Journal of Research of the National Institute of Standards and Technology |title=Polarized <sup>3</sup>He spin filters for slow neutron physics| volume=100 |pages=299–304|first1 = T. R.|last1 = Gentile|first2= W. C.|last2= Chen |first3= G. L. |last3 =Jones |first4= E. |last4= Babcock |first5 = T. G.|last5= Walker}}</ref>。スピンが偏極化した <sup>3</sup>He は、中性子偏極測定やその他の用途のための偏極中性子ビームを発生させる用途に一般化されてきている<ref>{{Cite web| url=http://www.ncnr.nist.gov/AnnualReport/FY2002_html/pages/neutron_spin.htm |publisher=NIST Center for Neutron Research 2002 Annual Report|title=Neutron spin filters based on polarized helium-3 |accessdate=2008-01-11}}</ref>。 ルビジウムは、セル・サイト送信機や他の電子的な送信機、情報網および試験装置における周波数の精度を保つための二次周波数標準器の主要部品である(ルビジウム発振機)。このルビジウム標準器は [[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]] において、より正確でセシウム標準器よりも安価な「一次周波数標準器」を製造するためにしばしば用いられる<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=jmfkJYdEANEC&pg=PA32&redir_esc=y&hl=ja|page = 32|chapter = GPS|title = Measurement, control, and communication using IEEE 1588|isbn = 9781846282508|author1 = Eidson, John C|date = 2006-04-11}}</ref><ref name="Clock">{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=ttYt5bZqX0AC&pg=PA300&redir_esc=y&hl=ja|page = 300|chapter = Rubidium and crystal oscillators|title = Data network engineering|isbn = 9780792385943|author1 = King, Tim|author2 = Newson, Dave|date = 1999-07-31}}</ref>。ルビジウム標準機は、データ通信産業のために大量生産されている<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=LesrjSVQMPQC&pg=PA72&redir_esc=y&hl=ja|chapter = Rubidium Vapor Cell|title = Advances in electronics and electron physics|isbn = 9780120146444|author1 = Marton, L|date = 1977-01-01}}</ref>。 ルビジウムの他の可能性もしくは現在の用途としては、蒸気タービンにおける作動流体や[[真空管]]における残留ガスの吸着剤({{仮リンク|ゲッター|en|Getter}})、[[光検出器]]の部品などがある<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=GEVt3kpFw64C&pg=PA274&redir_esc=y&hl=ja|page = 274|title = Introduction To Nuclear And Particle Physics|isbn = 9788120336100|author1 = Mittal}}</ref>。ルビジウムの[[エネルギー準位]]の超微細構造を利用して原子時計の共鳴元素に用いられる<ref name="Clock"/>。ルビジウムはまた、特殊ガラスの成分や酸素雰囲気下での燃焼によって生じる超過酸化物の生産、生物学におけるカリウム[[イオンチャネル]]の研究、原子磁気センサーの蒸気の発生などに用いられる<ref name="MAG">{{citation|title=Parametric modulation of an atomic magnetometer|journal=Applied Physics Letters| volume=89| year=2006|issue=13 |pages=134105 |doi=10.1063/1.2357553 |last1=Li |first1=Zhimin |last2=Wakai |first2=Ronald T. |last3=Walker |first3=Thad G.}}</ref>。<sup>87</sup>Rbは現在、スピン偏極の緩和レートを小さくした状態を利用した磁気センサー ({{仮リンク|SERF|en|SERF}}; spin exchange relaxation-free (SERF) magnetometer) の開発において、他のアルカリ金属類とともに使用されている<ref name="MAG"/>。 <sup>82</sup>Rb は[[陽電子放射断層撮影]]に用いられている。ルビジウムはカリウムと非常に似ているため、カリウムを多く含んだ生体細胞は放射性ルビジウムも蓄積する。主要な用途の1つは{{仮リンク|心筋灌流イメージング|en|Myocardial perfusion imaging}}である。76秒という非常に短い半減期のため、患者の近くで <sup>82</sup>Sr の崩壊によって <sup>82</sup>Rb を生み出す必要がある<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=FhkLE8MC71IC&pg=PA59&redir_esc=y&hl=ja|page = 59|chapter = Rubidium-82|title = Clinical PET and PET/CT|isbn = 9781852338381|last1= Jadvar|first1= H.|last2 = Anthony Parker | first = J.|year = 2005}}</ref>。[[脳腫瘍]]において、[[血液脳関門]]でのルビジウムとカリウムの置換の結果、ルビジウムは通常の脳組織よりも脳腫瘍の部分に多く集まるため、[[シンチグラフィ]]によって放射性同位元素の<sup>82</sup>Rbを検出することで、脳腫瘍を画像化することができる<ref>{{citation|last1 = Yen|first1 = CK|last2 = Yano|first2 = Y|last3 = Budinger|first3 = TF|last4 = Friedland|first4 = RP|last5 = Derenzo|first5 = SE|last6 = Huesman|first6 = RH|last7 = O'Brien|first7 = HA|title = Brain tumor evaluation using Rb-82 and positron emission tomography.|journal = Journal of nuclear medicine : official publication, Society of Nuclear Medicine|volume = 23|issue = 6|pages = 532–7|year = 1982|pmid = 6281406}}</ref>。 ルビジウムの[[双極性障害]]や[[うつ病]]に対する影響についての試験が行われている<ref name="manic">{{citation|last1 = Paschalis|first1 = C|last2 = Jenner| first2 = F A|last3 = Lee|first3 = C R|title = Effects of rubidium chloride on the course of manic-depressive illness.|journal = J R Soc Med. |volume = 71|issue = 9|pages = 343–352|year = 1978 |pmid = 349155|pmc = 1436619}}</ref><ref>{{citation|last1 = Malekahmadi|first1 = P|title = Rubidium in psychiatry: Research implications|journal = Pharmacology Biochemistry and Behavior|volume = 21|pages = 49|year = 1984|doi = 10.1016/0091-3057(84)90162-X}}</ref>。[[人工透析|透析]]患者にはルビジウムの消耗が見られ、したがってルビジウムのサプリメントは憂うつを助けるかもしれない<ref>{{citation| last1 = Canavese| first1 = Caterina| last2 = Decostanzi| first2 = Ester| last3 = Branciforte| first3 = Lino| last4 = Caropreso| first4 = Antonio| last5 = Nonnato| first5 = Antonello| last6 = Sabbioni| first6 = Enrico| title = Depression in dialysis patients: Rubidium supplementation before other drugs and encouragement?| journal = Kidney International| volume = 60| issue = 3| pages = 1201–1201| year = 2001| doi = 10.1046/j.1523-1755.2001.0600031201.x}}</ref>。いくつかの試験において、ルビジウムは最高720 mgの塩化ルビジウムとして与えられた<ref name="isbn1-58890-299-4">{{citation| last = Lake | first = James A. | title = Textbook of Integrative Mental Health Care | publisher = Thieme Medical Publishers | location = New York | year = 2006 | pages = | isbn = 1-58890-299-4 | oclc = | doi = | url = https://books.google.co.jp/books?id=Bt5euqMwbpYC&lpg=PA164&pg=PA165&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q=}}</ref>。 == 歴史 == 1861年にロベルト・ブンゼンと[[グスタフ・キルヒホフ]]により、[[ドイツ]]の[[ハイデルベルク]]において[[鉱石]]の[[リチア雲母]]から[[分光器]]を用いることでルビジウムは発見された<ref name="BuKi1861">{{citation|title = Chemische Analyse durch Spectralbeobachtungen |pages = 337–381 |first1 = G.|last1 = Kirchhoff, |first2 = R.|last2 = Bunsen|doi = 10.1002/andp.18611890702 |journal = Annalen der Physik|Annalen der Physik und Chemie |volume = 189 |issue = 7|year = 1861}}</ref><ref name="Weeks">{{citation|title = The discovery of the elements. XIII. Some spectroscopic discoveries |pages = 1413–1434|last = Weeks|first = Mary Elvira|doi=10.1021/ed009p1413|journal = Journal of Chemical Education |volume =9 |issue =8 |year = 1932}}</ref>。 [[File:Kirchhoff Bunsen Roscoe.jpg|thumb|left|グスタフ・キルヒホフ(左)とロベルト・ブンゼン(中央)は分光器によってルビジウムを発見した。右側の人物は[[ヘンリー・エンフィールド・ロスコー]]。| alt= Three middle-aged men, with the one in the middle sitting down. All wear long jackets, and the shorter man on the left has a beard.]] ルビジウムはリチア雲母に少量含まれる物質として存在する。キルヒホフとブンゼンは、酸化ルビジウム (Rb<sub>2</sub>O) をわずかに0.24%のみ含むリチア雲母を150 [[キログラム|kg]]処理した。カリウムおよびルビジウムは、[[ヘキサクロリド白金(IV)酸]]によって不溶性の塩を与えるが、これらの塩類は温水中で可溶性にわずかな差を示す。その結果、[[ヘキサクロリド白金(IV)酸カリウム]]よりも溶解度の低い[[ヘキサクロリド白金酸ルビジウム]]が分別晶出によって得られた。[[水素]]によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、炭酸塩のアルコールに対する溶解度の差によってルビジウムの分離に成功した。このプロセスによって更なる研究に用いるための[[塩化ルビジウム]]が0.51 g得られた。セシウムとルビジウムの初めての大規模な分離は、キルヒホフとブンゼンによって44,000 Lの[[ミネラルウォーター]]から行われ、7.3 gの[[塩化セシウム]]と9.2 gの塩化ルビジウムが分離された<ref name="BuKi1861"/><ref name="Weeks"/>。ルビジウムは、キルヒホフとブンゼンによって分光器が発明されてからわずか1年後、セシウムの直後に発見された第2の元素であった<ref name="autogenerated1">{{cite web|url=http://pubs.acs.org/cen/80th/print/rubidium.html |title=C&EN: It's Elemental: The Periodic Table – Cesium |publisher=American Chemical Society|accessdate=2010-02-25|first=Stephen K.|last = Ritter |year = 2003}}</ref>。 キルヒホフとブンゼンは、新しい元素の[[原子量]]を推定するために、このようにして得られた塩化ルビジウムを用い、その結果ルビジウムの原子量は85.47であると見積もられた(現在一般に認められている値は85.47である)<ref name="BuKi1861"/>。彼らは溶融させた塩化ルビジウムの電気分解によってルビジウムの[[単体]]を得ようとし、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質を得た。彼らはそれを亜塩化物 (Rb<sub>2</sub>Cl) であるとしたが、それは恐らく金属ルビジウムと塩化ルビジウムとの、[[コロイド]]状の混合物である<ref>{{citation|last=Zsigmondy|first=Richard |title=Colloids and the Ultra Microscope|publisher=Read books|year=2007|isbn=978-1-4067-5938-9|page=69|url=https://books.google.co.jp/books?id=Ac2mGhqjgUkC&pg=PAPA69&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=2010-09-26}}</ref>。金属ルビジウムを得るための2回目の実験においてブンゼンは、酒石酸ルビジウムの焼成によってルビジウムを還元することができた。蒸留されたルビジウムは発火性の物質であったが、ルビジウムの密度と融点を明らかにすることができた。[[1860年代]]に行われた研究の品質は、現在一般に認められている数値と比較して、密度の違いが0.1 [[グラム毎立方センチメートル|g/cm<sup>3</sup>]]未満であり<!--1.52-->、融点の違いも1度未満である<!--38.5°C-->ことから、評価されている<ref>{{citation|last1 = Bunsen|first1 = R.|title = Ueber die Darstellung und die Eigenschaften des Rubidiums.|journal = Annalen der Chemie und Pharmacie|volume = 125|issue = 3|pages = 367|year = 1863|doi = 10.1002/jlac.18631250314}}</ref>。 1908年、ルビジウムのわずかな[[放射能]]が発見されたが、[[1910年代]]に[[同位体]]元素の理論が確立する前であり、10<sup>10</sup>年を超える長い[[半減期]]のために活性が低いため、その説明は困難であった。現在証明された、[[ベータ崩壊]]によって安定な <sup>87</sup>Sr となる <sup>87</sup>Rb の崩壊は、[[1940年代]]後期にはまだ議論中であった<ref>{{citation| doi = 10.1080/14786441008520248}}</ref><ref>{{citation | unused_data= Proceedings of the Cambridge Philosophical Society | last1= Campell| first1 = N. R.| last2= Wood | first2= A. | year = 1908 | volume = 14 | page = 15}}</ref>。 ルビジウムは、[[1920年代]]以前にはごくわずかな産業的価値しかなかった<ref>{{cite web|title = Mineral Commodity Profiles Rubidium|first1 = W.C.|last1 = Butterman|first2 = R.G.|last2 = Reese, Jr.|url = http://pubs.usgs.gov/of/2003/of03-045/of03-045.pdf|accessdate = 2010-10-13|publisher =United States Geological Survey}}</ref>。以降のルビジウムの最も重要な用途は、主に化学および電子の分野における研究開発用途であった。[[1995年]]、E. A. コーネル (Eric A. Cornell) とC. E. ワイマン (Carl E. Wieman) は <sup>87</sup>Rb を用いてルビジウム原子の[[ボース=アインシュタイン凝縮]]に成功した<ref>{{Cite web|title = Press Release: The 2001 Nobel Prize in Physics|url = https://www.nobelprize.org/prizes/physics/2001/press-release/|accessdate = 2010-02-01}}</ref>。この功績により、彼らは[[2001年]]度の[[ノーベル物理学賞]]を受賞した(W. ケターレ (Wolfgang Ketterle) と共同受賞)<ref>{{Cite web|last = Levi|first = Barbara Goss|title = Cornell, Ketterle, and Wieman Share Nobel Prize for Bose-Einstein Condensates|work = Search & Discovery|publisher = Physics Today online|year = 2001|url = http://www.physicstoday.org/pt/vol-54/iss-12/p14.html|accessdate = 2008-01-26|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071024134547/http://www.physicstoday.org/pt/vol-54/iss-12/p14.html|archivedate = 2007年10月24日|deadlinkdate = 2017年9月}}</ref>。 == 分析 == === 定性分析 === ルビジウムの[[定性分析]]には発光[[スペクトル]]分析が利用され、420から428 nmに紫色の二重線の発光が観察される。また、簡便な方法として[[炎色反応]]によるすみれ色の炎色の観察も行われる<ref>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 274頁。</ref>。 === 定量分析 === ==== 重量分析法 ==== ルビジウムの[[重量分析]]法はカリウムやセシウムと同様の方法が利用される<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 34、38頁。</ref>。代表的な方法として、ルビジウム溶液に過剰量の[[硫酸]]を加えて蒸発乾固させ、得られた残渣に[[炭酸アンモニウム]]を加えて重量既知の白金坩堝で強熱することによって硫酸ルビジウムとし、その重量を秤量することでルビジウム濃度が分析される<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 3、34頁。</ref>。また、硫酸の代わりに濃塩酸を加えて塩化ルビジウムとして分析することもできる<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 2、34頁。</ref>。ナトリウムまたはリチウムを含んでいるものでは、ヘキサクロリド白金酸もしくは[[亜硝酸コバルチナトリウム]]または[[過塩素酸]]を加えて、ヘキサクロリド白金酸ルビジウムもしくは亜硝酸コバルチルビジウムまたは過塩素酸ルビジウムの沈殿を生じさせる方法が用いられる。これらの方法は、[[エタノール]]で洗浄することによってエタノールに溶解するリチウムおよびナトリウムの塩を除去することができる利点があり、亜硝酸コバルチナトリウムを用いた方法は特に多量の塩類が含まれる溶液の分析に有用である<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 3-7、34頁。</ref>。しかし、このようなルビジウムの挙動はカリウムと類似しているためカリウムを含む試料の重量分析は困難である。古典的な手法として、ヘキサクロリド白金酸カリウムとヘキサクロリド白金酸ルビジウムのわずかな溶解度の差を利用してカリウムとルビジウムを分離する方法や、カリウムとルビジウムの混合物の全量を塩化物として重量分析し、さらに[[硝酸銀]]溶液を用いてこの混合塩化物中の塩素量の定量を行い、重量と塩素量の連立方程式を立てて算出する方法などがある<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 30、35-37頁。</ref>。 ==== 機器分析法 ==== 分析機器を用いたルビジウムの定量分析には[[原子吸光]]法 (AAS) または炎光分析法が最も簡便であり<ref name=terashima470>[[#terashima1973|寺島 (1973)]] 470頁。</ref>、それらの測定において最も高感度な吸収波長は780.027 nmである<ref name=Bernhard128>{{Cite book|author=Bernhard Welz, Helmut Becker-Ross, Stefan Florek, Uwe Heitmann|year=2006|title=High-Resolution Continuum Source AAS: The Better Way to Do Atomic Absorption Spectrometry|publisher=John Wiley & Sons|isbn=9783527606375}}</ref>。AASにおいては、通常は空気-[[アセチレン]]炎を用いたフレーム原子吸光法が用いられるが、グラファイト炉原子吸光法を用いることで、検出限界1.6 pgという高感度な分析が可能となる<ref name=Bernhard128/><ref>{{Cite journal|title=グラファイト炉原子吸光法による岩石試料中の微量元素の分析|author=永石一弥、石川剛志|year=1999|journal=静岡大学地球科学研究報告|page=54|volume=26|publisher=静岡大学|url=http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/364/1/KJ00000102442.pdf|accessdate=2012-01-9}}</ref>。ルビジウムはその[[イオン化エネルギー]]の低さに起因してフレーム中でのイオン化が激しく、分析結果に負の[[誤差]]が生じて[[定量]]値が低くなるため、試料液にイオン化抑制剤として高濃度の[[カリウム]]や[[セシウム]]等のイオン化されやすい元素を加えて分析を行う<ref name=terashima479>[[#terashima1973|寺島 (1973)]] 479頁。</ref><ref name=Bernhard128/>。また、他の元素を原子吸光法によって測定する際にルビジウムが共存していると、ルビジウムのイオン化しやすい性質によってイオン化干渉が生じて分析結果の誤差要因となる<ref>{{Cite book|和書|author=日本分析化学会近畿支部|title=ベーシック機器分析化学|page=106|publisher=化学同人|isbn=4759811443}}</ref>。 植物体中のルビジウム分析法の例を示す。 植物体中のルビジウムは希[[酸]]で大部分が[[抽出]]されるため、高濃度試料では[[塩酸]]抽出でも十分であるが、微量かつ全量分析の場合は[[強酸]][[分解]]が望ましい。なお、イオン化抑制剤としてセシウムを用いた場合は、同時にカリウムの分析も可能である。 # 植物体の乾燥粉砕試料を採る。 # [[希塩酸]]を加え 振とう抽出する。 # 乾燥[[ろ紙]]でろ過、ろ液を適宜希釈する。 # 希釈液に規定量のセシウムを加える。 # 原子吸光で780 [[ナノメートル|nm]]の吸光度を測定する。または炎光光度計で780 nmの発光強度を測定する。 == 化合物 == [[塩化ルビジウム]]は、恐らく最も使われているルビジウム化合物である。[[生化学]]において、[[細胞]]から [[DNA]] を取り出すのに用いられ、少量で容易に生体に取り込まれてカリウムと置換するため[[生物指標]]としても用いられている。他の通常のルビジウム化合物としては腐食性の[[水酸化ルビジウム]] (RbOH) があり、これは光学ガラスに用いられる[[炭酸ルビジウム]] (RbCO<sub>3</sub>) や[[ルビジウム硫酸銅]] (Rb<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>•CuSO<sub>4</sub>•6H<sub>2</sub>O) など、大部分のルビジウムをベースとした化学反応の出発原料として用いられている。[[ヨウ化銀ルビジウム]] (RbAg<sub>4</sub>I<sub>5</sub>) は、他のどんな既知の[[イオン結晶]]よりも高い室温[[伝導率]]を有し、[[薄膜バッテリー]]などの用途に利用されている<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=pVw98i6gtwMC&pg=PA176&redir_esc=y&hl=ja|title = Solid state chemistry: an introduction|chapter = RbAg<sub>4</sub>I<sub>5</sub>|first = Lesley|last = Smart|coauthor =Moore, Elaine|publisher = CRC Press|year = 1995|isbn = 9780748740680|pages = 176–177}}</ref><ref>{{citation|title = Relationship of structure and ionic mobility in solid MAg<sub>4</sub>I<sub>5</sub>|first = J. N.|last = Bradley|coauthor = Greene, P. D.|journal = Trans. Faraday Soc.|year = 1967|volume = 63|pages = 2516|doi = 10.1039/TF9676302516}}</ref>。 ルビジウムは、金属ルビジウムが空気に曝されることで[[酸化ルビジウム]] Rb<sub>2</sub>O や Rb<sub>6</sub>O、Rb<sub>9</sub>O<sub>2</sub> などを含むいくつかの酸化物を生成し、過剰な酸素雰囲気下では[[超酸化物]] RbO<sub>2</sub> を生成する。Rb<sub>9</sub>O<sub>2</sub>のような非化学量論的な酸化物は亜酸化物と呼ばれ、アルカリ金属元素の化合物としては珍しくルビジウム元素同士の共有結合を有した金属的な外観を持つ化合物である<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 249頁。</ref>。ルビジウムはイオン半径が大きいため格子エネルギー効果によって不安定な陰イオンとも安定なイオン性塩を形成することができ、その代表例として超酸化ルビジウムがある<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 255、257頁。</ref>。ルビジウムはハロゲンと反応して[[フッ化ルビジウム]] (RbF)、塩化ルビジウム (RbCl)、[[臭化ルビジウム]] (RbBr) および[[ヨウ化ルビジウム]] (RbI) を生成する。 == 同位体 == {{main|ルビジウムの同位体}} 自然に存在するルビジウムは、安定同位体である <sup>85</sup>Rb (72.2%) および放射性同位体である <sup>87</sup>Rb (27.8%) の2つの同位体元素から成っている<ref name="Audi">{{citation| last = Audi|first = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties|journal = Nuclear Physics A|volume = 729| issue = 1|pages = 3–128| publisher = Atomic Mass Data Center|year = 2003| doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001}}</ref>。このようなルビジウムは1 g当たりおよそ670 [[ベクレル|Bq]]の固有の放射能を有しており、110日で写真フィルムを著しく感光させるのに十分な強さである<!--CRC ruber bibleでは30日から60日とされているが、文献ソースが見つけられない--><ref>{{citation | last1 = Strong | first1 = W. W. | title = On the Possible Radioactivity of Erbium, Potassium and Rubidium | journal = Physical Review (Series I) | volume = 29 | issue = 2 | pages = 170–173 | year = 1909 | doi = 10.1103/PhysRevSeriesI.29.170}}</ref><ref>{{citation | url = https://books.google.de/books?id=6khCAQAAIAAJ&hl=de | pages = 4–25 | title = CRC handbook of chemistry and physics: a ready-reference book of chemical and physical data | isbn = 9780849304767 | author1 = Lide, David R | author2 = Frederikse, H. P. R | date = 1995-06}}</ref>。ルビジウムの同位体は24種類あり、<sup>85</sup>Rb と <sup>87</sup>Rb 以外のものは半減期が3か月未満である。それらのほとんどは非常に強い放射能があり、用途はほとんどない。 <sup>87</sup>Rb の半減期は4.88 × 10<sup>10</sup>年であり、それは13.75 ± 0.11 ×10<sup>9</sup>年である[[宇宙の年齢]]の3倍以上である<ref name="NASA">{{cite web | title = Seven-Year Wilson Microwave Anisotropy Probe (WMAP) Observations: Sky Maps, Systematic Errors, and Basic Results | url = http://lambda.gsfc.nasa.gov/product/map/dr4/pub_papers/sevenyear/basic_results/wmap_7yr_basic_results.pdf|format=PDF|publisher=nasa.gov|accessdate=2011-02-01}} (see p. 39 for a table of best estimates for various cosmological parameters)</ref>。<sup>87</sup>Rb は{{仮リンク|原生核種|en|Primordial nuclide}}の1つである。ルビジウムは[[鉱石]]において容易にカリウムと置換するため、地球上の至る所に存在している。そのため、ルビジウムは[[放射年代測定]]に広範囲で用いられている。<sup>87</sup>Rb は[[ベータ粒子]] (β<sup>-</sup>) を放出して安定した <sup>87</sup>[[ストロンチウム|Sr]] に崩壊する。マグマの結晶分化の間、Sr は[[斜長石]]に集まる傾向があり、Rb は液相に残る。ゆえに、マグマ残液中の Rb / Sr の比率は時間とともに増加し、漸進的分化によって Rb / Sr 比の高い石が形成される。この比率が最も高いものでは、10以上になる[[ペグマタイト]]がある。ストロンチウムの初期量が知られているか、もしくは添加することができれば、ルビジウムとストロンチウムの濃度比および、<sup>87</sup>Sr と <sup>86</sup>Sr の比をそれぞれ測定することで年代を決定することができる。この方法は、その後石が変化していない場合においてのみ鉱石の正確な年齢を示す({{仮リンク|ルビジウム-ストロンチウム年代測定法|en|Rubidium-strontium dating}})<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=k90iAnFereYC&pg=PA162&redir_esc=y&hl=ja|chapter = Rubidium-Strontium Dating|title = Isotopes in the Earth Sciences|first1 = H. -G.|last1 = Attendorn|first2 = Robert|last2 = Bowen|publisher = Springer|year = 1988|isbn = 9780412537103| pages = 162–165}}</ref><ref>{{citation|url =https://books.google.co.jp/books?id=cYWNAZbPhMYC&pg=PA383&redir_esc=y&hl=ja|title = Essentials of geochemistry|first1 =John Victor|last1 =Walther|publisher =Jones & Bartlett Learning| year = 1988 2009|isbn =9780763759223| chapter =Rubidium-Strontium Systematics| pages = 383–385}}</ref>。 自然に存在しない同位体の1つである <sup>82</sup>Rb は、半減期が25.36日である <sup>82</sup>Sr の[[電子捕獲]](β崩壊の一種)によって生み出される。半減期が76秒である <sup>82</sup>Rb のそれ以降の崩壊は[[陽電子放出]](β崩壊の一種)によって引き起こされ、安定した <sup>82</sup>[[クリプトン|Kr]] を生み出す<ref name="Audi"/>。 == 予防措置と生物学的影響 == [[File:RbMetal.JPG|thumb|right|アンプルに封入された金属ルビジウム]] ルビジウムは水と激しく反応するため、火災を引き起こす危険がある。安全性と純度を確保するため、この金属は乾いた鉱油中で保存され、通常は不活性雰囲気のガラス製アンプル中に封入される。ルビジウムは鉱油中の少量の空気への露出でさえ過酸化物を形成するため、金属カリウムの保管と類似した過酸化物形成の予防措置が取られる<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=vKBqqiCTB7MC&pg=PA215&redir_esc=y&hl=ja|page = 215|chapter = Rubidium|title = Chemical risk analysis: a practical handbook|isbn = 9781903996652|author1 = Martel, Bernard|author2 = Cassidy, Keith|date = 2004-07-01}}</ref>。 ルビジウムはナトリウムやカリウムのように、水に溶解しているときには+1価の[[酸化]]状態を取り、これは全ての生体中での状態も含む。人体は Rb<sup>+</sup> イオンをカリウムイオンとして処理する傾向があるため、ルビジウムは体の[[細胞内液]]、すなわち細胞の内部に蓄積する<ref>{{citation|last1 = Relman|first1 = AS|title =The physiological behavior of rubidium and cesium in relation to that of potassium|url = http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/13409924|journal = The Yale journal of biology and medicine|volume = 29|issue = 3|pages = 248–62|year = 1956| pmid = 13409924|pmc = 2603856}}</ref>。ルビジウムイオンは特に有毒ではない。70 kgの人間は平均0.36 gのルビジウムを含んでおり、この量を50から100倍に増加させても被験者に悪影響は見られなかった<ref>{{citation|last1 = Fieve|first1 = Ronald R.|last2 = Meltzer|first2 = Herbert L.|last3 = Taylor|first3 = Reginald M.|title = Rubidium chloride ingestion by volunteer subjects: Initial experience|journal = Psychopharmacologia|volume = 20|issue = 4|pages = 307|year = 1971|pmid = 5561654|doi = 10.1007/BF00403562}}</ref>。人体における生物学的半減期は、31から46日である<ref name="manic"/>。しかし、ルビジウムによるカリウムの部分的な置換は起こり得ることであり、筋組織においてカリウムの50%以上がルビジウムに置換されたネズミは死亡した<ref>{{citation | last1 = Meltzer | first1 = HL | title = A pharmacokinetic analysis of long-term administration of rubidium chloride. | url = http://jcp.sagepub.com/content/31/2/179 | journal = Journal of clinical pharmacology | volume = 31 | issue = 2 | pages = 179–84 | year = 1991 | pmid = 2010564 | archiveurl = https://archive.is/20120709223213/http://jcp.sagepub.com/content/31/2/179 | archivedate = 2012年7月9日 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref><ref>{{citation|author = Follis, Richard H., Jr.|title = Histological Effects in rats resulting from adding Rubidium or Cesium to a diet deficient in potassium|url = http://ajplegacy.physiology.org/cgi/pdf_extract/138/2/246|journal = AJP – Legacy|volume = 138|issue = 2|pages = 246|year = 1943|archiveurl = https://archive.is/20120711191640/http://ajplegacy.physiology.org/cgi/pdf_extract/138/2/246|archivedate = 2012年7月11日|deadlinkdate = 2017年9月}}</ref>。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=加藤虎郎|year=1932|title=標準定量分析法|publisher=丸善|ref=katou1932}} * {{cite book|和書|author=F.A. コットン, G. ウィルキンソン|others=中原 勝儼|title=コットン・ウィルキンソン無機化学(上)|publisher=培風館|year=1987|edition=原書第4版|isbn=4563041920|ref=CW1987}} * {{Cite book|和書|author=G. シャルロー|others=曽根興二、田中元治 訳|title=定性分析化学II ―溶液中の化学反応|year=1974|edithion=改訂版|publisher=共立出版|ref=charlot1974}} * {{Cite journal|author=寺島滋|year=1973|title=原子吸光法による岩石中のBe,V,Ba,Rbの定量と炎光法によるRbの定量|journal=地質調査所月報|volume=24|issue=9|pages=469-485|publisher=[[産業技術総合研究所]] 地質調査総合センター|url=http://www.gsj.jp/Pub/Bull/vol_24/24-09_03.pdf|ref=terashima1973}} == 関連項目 == {{Commons|Rubidium}} == 外部リンク == * {{YouTube|Ft4E1eCUItI|Alkali metals in water ( Not the braniac version )}}{{en icon}} - ルビジウムと水の爆発反応 * {{EoE|Rubidium|Rubidium}} * {{Kotobank|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}} {{元素周期表}} {{ルビジウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:るひしうむ}} [[Category:ルビジウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:アルカリ金属]] [[Category:第5周期元素]]
2003-06-05T14:26:06Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0
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ド・モルガンの法則
ド・モルガンの法則(ド・モルガンのほうそく、英: De Morgan's laws)は、ブール論理や集合の代数学において、論理和と論理積と否定(集合のことばでは、合併と共通部分と補集合)の間に成り立つ規則性である。名前は数学者オーガスタス・ド・モルガン(Augustus de Morgan, 1806–1871)にちなむ。 この規則性(論理のことばで言うと「真と偽を入れ替え、論理和と論理積を入れ替えた論理体系」)は、元の論理体系と同一視できる、ということであるので、ド・モルガンの双対性(英: De Morgan's duality)と呼ばれることもある。 任意の命題 P , Q ∈ { ⊥ , ⊤ } {\displaystyle P,Q\in \{\bot ,\top \}} に対して が成り立つ。これをド・モルガンの法則という。 より一般的な法則として、任意の n 個の命題 P 1 , P 2 , ⋯ , P n ∈ { ⊥ , ⊤ } {\displaystyle P_{1},P_{2},\cdots ,P_{n}\in \{\bot ,\top \}} に対して が成り立つ。 次の命題 の否定、すなわち は、ド・モルガンの法則によれば、次の命題と等しい。 同じようにして の否定は になる。 D を空でない任意の対象領域とする。任意の 1 変数の述語 F : D → { ⊥ , ⊤ } {\displaystyle F:D\to \{\bot ,\top \}} に対して が成り立つ。これをド・モルガンの法則という。 D = { a 1 , a 2 , ⋯ , a n } {\displaystyle D=\{a_{1},a_{2},\cdots ,a_{n}\}} (有限集合)である場合は、これは と変形できる。 F(x) を変数 x についての言明とすると と表現できる。具体例を挙げると、 などである。また、後述するように部分否定や全否定の言い換えも述語論理におけるド・モルガンの法則を表現していると考えられる。 全否定や部分否定をどう言い換えるかという問題は(述語論理における)ド・モルガンの法則が扱う問題と本質的には同じである。 例えば x が本を表す変数として、「本 x が好きだ」という言明を A(x) と書くことにすると、肯定文「すべての本が好きだ」は「全ての x に対し A(x)」となる。 この文の部分否定「すべての本を好きだというわけではない」は「全ての x に対し A(x)」の否定であり、ド・モルガンの法則によって「ある x に対し ¬A(x)」、すなわち「好きでない本もある」となる。全否定の文「すべての本が嫌いだ」は「全ての x に対し ¬A(x)」と表せ、ド・モルガンの法則によって「ある x に対し A(x)」の否定、「好きな本はない」ということになる。 L を任意のブール代数とする。任意の x , y ∈ L {\displaystyle x,y\in L} に対して が成り立つ。これをド・モルガンの法則という。 { a λ | λ ∈ Λ } {\displaystyle \{a_{\lambda }|\lambda \in \Lambda \}} を L の任意の部分集合とする。 sup λ ∈ Λ a λ {\displaystyle \textstyle \sup _{\lambda \in \Lambda }a_{\lambda }} が存在するとき、 inf λ ∈ Λ a λ c {\displaystyle \textstyle \inf _{\lambda \in \Lambda }a_{\lambda }^{c}} も存在し、 が成り立つ。また、 inf λ ∈ Λ a λ {\displaystyle \textstyle \inf _{\lambda \in \Lambda }a_{\lambda }} が存在するとき、 sup λ ∈ Λ a λ c {\displaystyle \textstyle \sup _{\lambda \in \Lambda }a_{\lambda }^{c}} も存在し、 が成り立つ。これをド・モルガンの一般法則という。 二元集合 L = { ⊥ , ⊤ } {\displaystyle L=\{\bot ,\top \}} をブール代数、 ⊥ {\displaystyle \bot } を最小元とすれば、 ⊤ {\displaystyle \top } は最大元となる。そのとき、最小元 ⊥ {\displaystyle \bot } は偽な命題、最大元 ⊤ {\displaystyle \top } は真な命題、結び ∪ は論理和 ∨、交わり ∩ は 論理積 ∧ 、補元 c は否定 ¬ を表すことになる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、命題論理に関するド・モルガンの法則を導くことができる。 また、空でない任意の集合(対象領域)D を一つ固定して考えれば、D から L への写像は 1 変数の述語となり、全称作用素 ∀ x {\displaystyle \forall x} や存在作用素 ∃ x {\displaystyle \exists x} を定義することができる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、述語論理に関するド・モルガンの法則を導くことができる。 直観主義論理においてはド・モルガンの法則は必ずしも成り立たない。しかし、直観主義論理(LJ)においても以下のシークエントは証明可能である。 一般的な集合代数では、 となる(ただし、 ̄は全体集合に対する補集合を表している)。ベン図を用いると第一式が正しいことが次のようにして分かる。
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ド・モルガンの法則は、ブール論理や集合の代数学において、論理和と論理積と否定(集合のことばでは、合併と共通部分と補集合)の間に成り立つ規則性である。名前は数学者オーガスタス・ド・モルガンにちなむ。 この規則性(論理のことばで言うと「真と偽を入れ替え、論理和と論理積を入れ替えた論理体系」)は、元の論理体系と同一視できる、ということであるので、ド・モルガンの双対性と呼ばれることもある。
{{混同|ド・モアブルの定理}}{{出典の明記| date = 2018年6月}} [[File:Demorganlaws.svg|thumb|ド・モルガンの法則のベン図による表現。図1、図2のそれぞれの場合において、等式の両辺の集合は青い領域で図示される。]] '''ド・モルガンの法則'''(ド・モルガンのほうそく、{{Lang-en-short|De Morgan's laws}})は、[[ブール論理]]や[[集合の代数学]]において、[[論理和]]と[[論理積]]と[[否定]](集合のことばでは、[[和集合|合併]]と[[共通部分 (数学)|共通部分]]と[[補集合]])の間に成り立つ規則性である。名前は数学者[[オーガスタス・ド・モルガン]](Augustus de Morgan, 1806–1871)にちなむ。 この規則性(論理のことばで言うと「真と偽を入れ替え、論理和と論理積を入れ替えた論理体系」)は、元の論理体系と同一視できる、ということであるので、'''ド・モルガンの[[双対性]]'''({{Lang-en-short|links=no|De Morgan's duality}})と呼ばれることもある。 == 命題論理における法則 == 任意の[[ブール領域|命題]] <math>P, Q \in \{ \bot, \top \}</math> に対して {{NumBlk|:|<math>\neg (P \lor Q) = \neg P \land \neg Q \, ,</math>| |RawN=.}} {{NumBlk|:|<math>\neg (P \land Q) = \neg P \lor \neg Q</math>| |RawN=.}} が成り立つ。これを'''ド・モルガンの法則'''という{{Sfn|前原|2010}}。 より一般的な法則として、任意の ''n'' 個の命題 <math>P_{1}, P_{2}, \cdots, P_{n}\in \{ \bot, \top \}</math> に対して {{NumBlk|:|<math>\neg \left ( \bigvee_{i=1}^{n}P_{i} \right ) = \bigwedge_{i=1}^{n} \neg P_{i} \, , \quad \neg \left ( \bigwedge_{i=1}^{n}P_{i} \right ) = \bigvee_{i=1}^{n} \neg P_{i}</math>| |RawN=.}} が成り立つ{{Sfn|前原|2010}}。 === 例 === 次の命題 :「私の身長は160cm以上であり、'''かつ'''私の体重は50kg以上である」 の否定、すなわち :「「私の身長は160cm以上であり、'''かつ'''私の体重は50kg以上である」では'''ない'''」 は、ド・モルガンの法則によれば、次の命題と等しい。 :「私の身長は160cm未満である、'''または'''私の体重は50kg未満である」 同じようにして :「このボールは青いか、'''または'''赤い」 の否定は :「このボールは青くなく、'''かつ'''赤くない」 になる。 == 述語論理における法則 == D を空でない任意の[[議論領域|対象領域]]とする。任意の 1 変数の[[ブール値関数|述語]] <math>F : D \to \{ \bot, \top \}</math> に対して {{NumBlk|:|<math>\neg \, \forall x \, F(x) \, = \, \exists x \, \neg \, F(x) \, ,</math>| |RawN=.}} {{NumBlk|:|<math>\neg \, \exists x \, F(x) \, = \, \forall x \, \neg \, F(x)</math>| |RawN=.}} が成り立つ。これを'''ド・モルガンの法則'''という{{Sfn|前原|2010}}。 <math>D = \{ a_{1}, a_{2}, \cdots, a_{n} \}</math>(有限集合)である場合は、これは {{NumBlk|:|<math>\neg \left ( \bigwedge_{i=1}^{n} F(a_{i}) \right ) = \bigvee_{i=1}^{n} \neg \, F(a_{i}) \, , \quad \neg \left ( \bigvee_{i=1}^{n} F(a_{i}) \right ) = \bigwedge_{i=1}^{n} \neg \, F(a_{i})</math>| |RawN=.}} と変形できる{{Sfn|前原|2010}}。 === 例 === F(x) を変数 x についての言明とすると * 「全ての x に対し F(x)」の否定は「ある x が存在して ¬F(x)」 * 「ある x が存在して F(x)」の否定は「全ての x に対し ¬F(x)」 と表現できる。具体例を挙げると、 * 「全ての人が冷蔵庫を持っている」の否定は「ある人は冷蔵庫を持っていない」(すなわち、「冷蔵庫を持っていない人が少なくとも一人いる」) * 「ある人が冷蔵庫を持っている」(すなわち、「冷蔵庫を持っている人が少なくとも一人いる」)の否定は「全ての人が冷蔵庫を持っていない」(すなわち、「誰ひとりとして冷蔵庫を持っていない」) などである。また、後述するように部分否定や全否定の言い換えも述語論理におけるド・モルガンの法則を表現していると考えられる。 === 全否定と部分否定 === [[全否定]]や[[部分否定]]をどう言い換えるかという問題は(述語論理における)ド・モルガンの法則が扱う問題と本質的には同じである。 例えば x が本を表す変数として、「本 x が好きだ」という言明を A(x) と書くことにすると、肯定文「'''すべての本が好きだ'''」は「全ての x に対し A(x)」となる。 この文の部分否定「'''すべての本を好きだというわけではない'''」は「全ての x に対し A(x)」の否定であり、ド・モルガンの法則によって「ある x に対し ¬A(x)」、すなわち「'''好きでない本もある'''」となる。全否定の文「'''すべての本が嫌いだ'''」は「全ての x に対し ¬A(x)」と表せ、ド・モルガンの法則によって「ある x に対し A(x)」の否定、「'''好きな本はない'''」ということになる。 == 束論における法則 == L を任意の[[ブール代数]]とする。任意の <math>x,y \in L</math> に対して {{NumBlk|:|<math>(x \cup y)^{c} = x^{c} \cap y^{c} \, ,</math>| |RawN=.}} {{NumBlk|:|<math>(x \cap y)^{c} = x^{c} \cup y^{c}</math>| |RawN=.}} が成り立つ。これを'''ド・モルガンの法則'''という{{Sfn|前原|2010}}。 <math>\{ a_{\lambda} | \lambda \in \Lambda \}</math> を L の任意の[[部分集合]]とする。<math>\textstyle \sup_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}</math> が存在するとき、<math>\textstyle \inf_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}^{c}</math> も存在し、 {{NumBlk|:|<math>\left ( \sup_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda} \right )^{c} = \inf_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}^{c}</math>| |RawN=.}} が成り立つ。また、<math>\textstyle \inf_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}</math> が存在するとき、<math>\textstyle \sup_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}^{c}</math> も存在し、 {{NumBlk|:|<math>\left ( \inf_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda} \right )^{c} = \sup_{\lambda \in \Lambda} a_{\lambda}^{c}</math>| |RawN=.}} が成り立つ。これを'''ド・モルガンの一般法則'''という{{Sfn|前原|2010}}。 === 例 === 二元集合 <math>L = \{ \bot, \top \}</math> をブール代数、<math>\bot</math> を[[最大と最小|最小元]]とすれば、<math>\top</math> は[[最大と最小|最大元]]となる。そのとき、最小元 <math>\bot</math> は偽な命題、最大元 <math>\top</math> は真な命題、結び ∪ は[[論理和]] ∨、交わり ∩ は [[論理積]] ∧ 、補元 c は[[否定]] ¬ を表すことになる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、[[ド・モルガンの法則#命題論理における法則|命題論理に関するド・モルガンの法則]]を導くことができる{{Sfn|前原|2010}}。 また、空でない任意の集合(対象領域)D を一つ固定して考えれば、D から L への[[写像]]は 1 変数の述語となり、[[全称命題|全称作用素]] <math>\forall x</math> や[[存在記号|存在作用素]] <math>\exists x</math> を定義することができる。そして、ブール代数に関するド・モルガンの一般法則から、[[ド・モルガンの法則#述語論理における法則|述語論理に関するド・モルガンの法則]]を導くことができる{{Sfn|前原|2010}}。 == 直観主義論理における法則 == [[直観主義論理]]においてはド・モルガンの法則は必ずしも成り立たない。しかし、直観主義論理([[シークエント計算#LJ|LJ]])においても以下の[[シークエント計算|シークエント]]は証明可能である{{Sfn|前原|2010}}。 * <math>\, \neg (\mathfrak{A} \lor \mathfrak{B}) \, \rightarrow \, \neg \mathfrak{A} \land \neg \mathfrak{B}</math> * <math>\, \neg \mathfrak{A} \land \neg \mathfrak{B} \, \rightarrow \, \neg (\mathfrak{A} \lor \mathfrak{B})</math> * <math>\, \neg \mathfrak{A} \lor \neg \mathfrak{B} \, \rightarrow \, \neg (\mathfrak{A} \land \mathfrak{B})</math> * <math>\, \neg \, \exists x \, \mathfrak{F}(x) \, \rightarrow \, \forall x \, \neg \, \mathfrak{F}(x)</math> * <math>\, \forall x \, \neg \, \mathfrak{F}(x) \, \rightarrow \, \neg \, \exists x \, \mathfrak{F}(x)</math> * <math>\, \exists x \, \neg \, \mathfrak{F}(x) \, \rightarrow \, \neg \, \forall x \, \mathfrak{F}(x)</math> == 集合論における法則 == 一般的な[[集合の代数学|集合代数]]では、 : <math>\overline{(P\cup Q)}=\overline{P}\cap \overline{Q}</math> : <math>\overline{(P\cap Q)}=\overline{P}\cup \overline{Q}</math> となる(ただし、 ̄は全体集合に対する[[差集合#補集合|補集合]]を表している)。[[ベン図]]を用いると第一式が正しいことが次のようにして分かる。 <gallery> Image:Venn-Diagram-OR.png|<math>P\cup Q</math> Image:Venn-Diagram-NOR.png|<math>\overline{(P\cup Q)}</math> </gallery> <gallery> Image:Venn-Diagram-NOT-P.png|<math>\overline{P}</math> Image:Venn-Diagram-NOT-Q.png|<math>\overline{Q}</math> Image:Venn-Diagram-NOR.png|<math>\overline{P} \cap \overline{Q}</math> </gallery> {{Main|差集合#ド・モルガンの法則}} == 出典 == {{Reflist}} ==参考文献== * {{Cite book|和書|last=前原 |first=昭二 |year=2010 |title=復刊 数理論理学序説 |publisher=共立出版 |isbn=9784320019430 |ref=harv }} == 関連項目 == * [[負論理]] * [[真理関数]] == 外部リンク == *{{Kotobank|ド・モルガンの法則|2=世界大百科事典}} *{{MathWorld|title=de Morgan's Laws|urlname=deMorgansLaws}} *{{MathWorld|title=de Morgan's Duality Law|urlname=deMorgansDualityLaw}} {{Mathematical logic}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ともるかんのほうそく}} [[Category:推論規則]] [[Category:命題論理の定理]] [[Category:オーガスタス・ド・モルガン]] [[Category:数学のエポニム]] [[Category:数学に関する記事]]
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オイラーの式
オイラーの式(オイラーのしき)は、レオンハルト・オイラーの名を冠する数式。以下のように多数の公式や方程式が存在する。
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オイラーの式(オイラーのしき)は、レオンハルト・オイラーの名を冠する数式。以下のように多数の公式や方程式が存在する。
'''オイラーの式'''(オイラーのしき)は、[[レオンハルト・オイラー]]の名を冠する数式。以下のように多数の公式や方程式が存在する。 ==数学== ===関数=== * '''[[オイラーの公式]]''' &nbsp;([[:en:Euler's formula|Euler's formula]]) - [[指数関数]]と[[三角関数]]の関係式。 ::<math>e^{i\theta} = \cos \theta + i\sin \theta </math> * '''[[オイラーの等式]]''' &nbsp;([[:en:Euler's identity|Euler's identity]]) - 上記の関係式で <math>\theta=\pi</math> のときに導かれる等式。 ::<math>e^{i\pi}+1=0</math> ===代数=== *'''[[オイラーの四平方恒等式]]''' &nbsp;([[:en:Euler's four-square identity|Euler's four-square identity]]) ===級数=== * オイラー多項式(Euler poynomial)<ref>『数学公式ハンドブック』p.49</ref> ::<math>E_{n}(x)=\sum_{k=0}^{n}{n \choose k}\frac{E_{k}}{2^k} \left(x-\frac{1}{2}\right)^{n-k}</math> * '''[[オイラーの和公式]]''' - オイラー=マクローリンの和の公式([[:en:Euler–Maclaurin formula|Euler–Maclaurin summation formula]])とも呼ばれる。 ::<math>\sum_{j=0}^{n-1}f(j)=\int_{0}^{n}f(x)dx+\sum_{k=1}^{m}\frac{B_{k}}{k!}\left(f^{(k-1)}(n)-f^{(k-1)}(0)\right)+R_{m}</math> ===幾何学=== * オイラーの多面体定理 - [[多面体]]を参照。 ==物理学== ===流体力学=== * [[オイラー方程式 (流体力学)]] &nbsp;([[:en:Euler equations (fluid dynamics)|Euler equations (fluid dynamics)]]) - [[完全流体]]に関する[[運動方程式]]。 ::<math>\frac{D \boldsymbol{v}}{D t} = \boldsymbol{K} - \frac{1}{\rho} \, \mathrm{grad} \, p</math>  <math>\left( \frac{D \boldsymbol{v}}{D t} = \frac{\partial}{\partial t} + \boldsymbol{v} \cdot \nabla \right)</math> *流体に関するオイラーの連続の方程式 ⇒[[連続の方程式]]を参照。 ::<math>\frac{\partial \rho}{\partial t} + \mathrm{div} (\rho \boldsymbol{v})=0</math> ===剛体の力学=== * [[オイラーの運動方程式]] &nbsp;([[:en:Euler's equations (rigid body dynamics)|Euler's equations (rigid body dynamics)]]) - [[剛体]]の[[回転]]に関する運動方程式。 ===解析力学=== * オイラー方程式 &nbsp; - [[変分法]]による運動方程式。[[解析力学]]の[[基礎方程式]]でもあり、[[オイラー=ラグランジュ方程式]] &nbsp;([[:en:Euler–Lagrange equation|Euler–Lagrange equation]])とも呼ばれる。 ::<math>\frac{\partial L}{\partial q_i} -\frac{d}{dt} \left( \frac{\partial L}{\partial\dot{q}_i} \right) =0</math> ==工学== * オイラーの式 - [[座屈]]に関する公式。 == 注釈 == {{Reflist|1}} ==関連項目== *[[:en:List of things named after Leonhard Euler]](レオンハルト・オイラーにちなんで名づけられたものの一覧) {{Aimai}} {{デフォルトソート:おいらあのしき}}
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黒川 (那珂川水系)
黒川(くろかわ)は、福島県および栃木県を流れる那珂川水系余笹川支流の一級河川である。 福島県西白河郡西郷村大字小田倉の赤面山の南にある栃木県との県境の標高約1,250mの地点に源を発する。福島県と栃木県の境をなして南東に流れ、JR東日本東北本線橋梁より南東の下流方向約300mの所で完全に栃木県域に入り南西に向きを変える。JR豊原駅付近では、路線とほぼ平行して流れ、栃木県那須郡那須町大字沼野井付近で余笹川に合流する。 全般的に細く特に下流の方は蛇行が激しくなる。上流には那須どうぶつ王国、マウントジーンズスキーリゾート那須があり、下流の方はキャンプ場や入浴施設がある。 JR豊原駅と白坂駅の間の県境を流れる川である黒川をまたぐ鉄橋は絶好の撮影地となっている。
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黒川(くろかわ)は、福島県および栃木県を流れる那珂川水系余笹川支流の一級河川である。
{{Infobox 河川 |名称=黒川 |画像=[[画像:Image-request.png|150px]] |画像説明= |水系等級=[[一級水系]] |水系=[[那珂川]] |種別=[[一級河川]] |延長=42.7 |標高=1,701 |流量=-- |観測所= |流域面積=-- |水源=[[赤面山]](福島県[[西郷村]]) |河口=[[余笹川]](栃木県[[那須町]]) |流域=[[福島県]]、[[栃木県]] |脚注= |出典= }} '''黒川'''(くろかわ)は、[[福島県]]および[[栃木県]]を流れる[[那珂川]][[水系]][[余笹川]]支流の[[一級河川]]である。 == 地理 == 福島県[[西白河郡]][[西郷村]]大字小田倉の[[赤面山]]の南にある栃木県との県境の標高約1,250mの地点に源を発する。福島県と栃木県の境をなして南東に流れ、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[東北本線]]橋梁より南東の下流方向約300mの所で完全に栃木県域に入り南西に向きを変える。JR[[豊原駅]]付近では、路線とほぼ平行して流れ、栃木県[[那須郡]][[那須町]]大字沼野井付近で[[余笹川]]に[[合流]]する。 全般的に細く特に下流の方は蛇行が激しくなる。上流には[[那須どうぶつ王国]]、[[マウントジーンズスキーリゾート那須]]があり、下流の方はキャンプ場や入浴施設がある。 JR[[豊原駅]]と[[白坂駅]]の間の県境を流れる川である'''黒川'''をまたぐ鉄橋は絶好の撮影地となっている。 == 河川施設 == * [[千振ダム]] * [[矢の目ダム]] * [[黒森ダム]] == 関連項目 == * [[黒川 (曖昧さ回避)]] == 外部リンク == * [http://www.pref.tochigi.jp/town/kasen/kaishu/resources/nakagawajyoryu-keikaku.pdf 河川データ出典(那珂川上流圏域河川整備計画・栃木県河川課)] {{river-stub|pref=福島県|pref2=栃木県}} {{DEFAULTSORT:くろかわ}} [[Category:福島県の河川]] [[Category:栃木県の河川]] [[Category:那珂川水系]]
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アインシュタインの式
ここではアルベルト・アインシュタインが考え出した公式の代表的なものについて列挙する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ここではアルベルト・アインシュタインが考え出した公式の代表的なものについて列挙する。", "title": null } ]
ここではアルベルト・アインシュタインが考え出した公式の代表的なものについて列挙する。 E = mc2 エネルギーと質量の等価性を示すアインシュタインの関係式。詳細は特殊相対性理論及び E = mc² の項目を参照。 E = hν, p = hν/c 光量子仮説に関するアインシュタインの関係式。詳細は光子及び光の項目を参照。 ΔE = hν − W 光電効果に関するアインシュタインの関係式。詳細は該当項目を参照。 D = μkBT ブラウン運動に関するアインシュタインの関係式。詳細は該当項目を参照。 CV = 3Rx2ex/(ex − 1)2 物性論におけるアインシュタインの比熱式。詳細はデバイ模型の項目を参照。 Rμν − 1/2Rgμν + Λgμν = κTμν 一般相対性理論のアインシュタイン方程式(重力場の方程式)。詳細は該当項目を参照。
ここでは[[アルベルト・アインシュタイン]]が考え出した[[公式]]の代表的なものについて列挙する。 * {{math|''E'' {{=}} ''mc''{{Sup|2}}}} *: [[エネルギー]]と[[質量]]の等価性を示す'''アインシュタインの関係式'''。詳細は[[特殊相対性理論]]及び [[E=mc2|{{math|''E'' {{=}} ''mc''²}}]] の項目を参照。 * {{math|''E'' {{=}} ''h&nu;'', ''p'' {{=}} {{Sfrac|''h&nu;''|''c''}}}} *: 光量子仮説に関する'''アインシュタインの関係式'''。詳細は[[光子]]及び[[光]]の項目を参照。 * {{math|&Delta;''E'' {{=}} ''h&nu;'' &minus; ''W''}} *: [[光電効果]]に関する'''アインシュタインの関係式'''。詳細は該当項目を参照。 * {{math|''D'' {{=}} ''&mu;k''{{Sub|B}}''T''}} *: [[ブラウン運動]]に関する'''[[アインシュタインの関係式 (速度論)|アインシュタインの関係式]]'''。詳細は該当項目を参照。 * {{math|''C''{{Sub|''V''}} {{=}} 3''Rx''{{Sup|2}}{{Sfrac|e{{Sup|''x''}}|(e{{Sup|''x''}} &minus; 1){{Sup|2}}}} (&#8757; ''x'' {{=}} {{Sfrac|''h&nu;''|''k''{{Sub|B}}''T''}})}} *: [[物性物理学|物性論]]における'''[[アインシュタイン模型|アインシュタインの比熱式]]'''。詳細は[[デバイ模型#デバイvs.アインシュタイン|デバイ模型]]の項目を参照。 * {{math|''R''{{Sub|''&mu;&nu;''}} &minus; {{Sfrac|1|2}}''Rg''{{Sub|''&mu;&nu;''}} + &Lambda;''g''{{Sub|''&mu;&nu;''}} {{=}} ''&kappa;T''{{Sub|''&mu;&nu;''}}}} *: [[一般相対性理論]]の'''[[アインシュタイン方程式]]'''([[重力場]]の[[方程式]])。詳細は該当項目を参照。 ==関連項目== * [[アインシュタインの定数]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:あいんしゆたいんのしき}} [[Category:物理学のエポニム]]
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叙事詩
叙事詩(じょじし、英語: epic、epic poem、epic poetry、epos、epopee)とは、物事や出来事を記述する形の韻文のこと。ある程度の長さを持つもので、一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。大岡昇平はさらに「戦争を内容とする」ものとしている(「常識的文学論」)。 口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。 対義語は叙情詩。 現存する最古の文学作品と呼ばれる『ギルガメシュ叙事詩』もその名の示すとおり叙事詩である。西欧文学の古典で叙事詩と言われるものには、古代において『イリアス』や『オデュッセイア』『労働と日々』、中世において『ベーオウルフ』、『ニーベルンゲンの歌』、『ローランの歌』などがある。アジアでは『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』など。民族叙事詩として有名なものには、『シャー・ナーメ』(イラン)、『ウズ・ルジアダス』(ポルトガル)、『カレワラ』(フィンランド)、『マナス』(キルギス)、『ナルト叙事詩』(オセット)、『ユーカラ』(アイヌ)などがある。文献学者のエーリヒ・アウエルバッハは古代の叙事詩文体として、ホメーロスの『オデュッセイア』と旧約聖書のイサクの燔祭の2つをあげて比較した。 散文で書かれる時に叙事詩から小説へ変化するとされ、西洋では1世紀のペトロニウスの『サテュリコン』、2世紀の『ダフニスとクロエ』で既に散文化が見られる。 ダンテの『神曲』は形式上は叙事詩だが、英雄譚と異なって筋を持たない。 日本文学では、古来に上代日本語を基礎とする古事記、日本書紀、万葉集が有り、その他に『平家物語』などの軍記物や、アイヌのユーカラのような英雄の冒険譚も多くあるが、それらを韻文とする学説は、定かになっていない。 「厳密な意味で、日本に叙事詩が存在しない」との説もあり、代わりに和歌を含みこんだ『歌物語』が成立したと考えられ、『源氏物語』なども和歌を含んでいることから、一級文芸として評価されたとの説がある。 小西甚一は、著作の『日本文藝史』で、「日本は、英雄叙事詩を持たない」と述べている。
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叙事詩とは、物事や出来事を記述する形の韻文のこと。ある程度の長さを持つもので、一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。大岡昇平はさらに「戦争を内容とする」ものとしている(「常識的文学論」)。 口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。 対義語は叙情詩。
{{出典の明記|date=2018年1月9日 (火) 22:13 (UTC)}} [[画像:Indonésien, Bali Sanur 245.jpg|thumb|320 px|多くの演劇の題材に用いられるアジアの代表的叙事詩『[[ラーマーヤナ]]』<br />(インドネシア、サヌール海岸)]] {{multiple image | direction = horizontal | align = right | width = | image1 = Karwar Pictures - Yogesa 19.JPG | width1 = 320 | caption1 = 『マハーバーラタ』の作者ヴィヤーサが象神ガネーシャに神話を語る現代的な表現<br />([[インド]]、[[カルナータカ州]]) | image2 = Shahnameh3-1.jpg | width2 = 173 | caption2 = ペルシア語で作詩されたイラン最大の民族叙事詩『シャー・ナーメ』 }} '''叙事詩'''(じょじし、{{lang-en|epic}}、{{En|epic poem}}、{{En|epic poetry}}、{{En|epos}}、{{En|epopee}})とは、物事や出来事を記述する形の[[韻文]]のこと。ある程度の長さを持つもので、一般的には[[民族]]の英雄や[[神話]]、民族の[[歴史]]として語り伝える価値のある事件を出来事の[[物語]]として語り伝えるものをさす。[[大岡昇平]]はさらに「[[軍事史|戦争]]を内容とする」ものとしている(「常識的文学論」)。 [[口承文芸]]として、[[吟遊詩人]]や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の[[教養]]の根幹を成したり、[[教育]]の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、[[歴史資料]]に保存されることになったものが多い。 対義語は[[叙情詩]]。 [[画像:Kalevala1.jpg|thumb|160 px|[[エリアス・リョンロート]]による[[フィンランド]]の叙事詩「[[カレワラ]]」の初版(1835年)]] == 各国の叙事詩 == 現存する最古の文学作品と呼ばれる『[[ギルガメシュ叙事詩]]』もその名の示すとおり叙事詩である。西欧文学の古典で叙事詩と言われるものには、古代において『[[イリアス]]』や『[[オデュッセイア]]』『[[労働と日々]]』、中世において『[[ベーオウルフ]]』、『[[ニーベルンゲンの歌]]』、『[[ローランの歌]]』などがある。アジアでは『[[マハーバーラタ]]』、『[[ラーマーヤナ]]』など。[[民族叙事詩]]として有名なものには、『[[シャー・ナーメ]]』(イラン)、『[[ウズ・ルジアダス]]』(ポルトガル)、『[[カレワラ]]』([[フィンランド]])、『[[マナス]]』([[キルギス]])、『[[ナルト叙事詩]]』([[オセット]])、『[[ユーカラ]]』([[アイヌ]])などがある。文献学者の[[エーリヒ・アウエルバッハ]]は古代の叙事詩文体として、[[ホメーロス]]の『オデュッセイア』と[[旧約聖書]]の[[イサクの燔祭]]の2つをあげて比較した。 [[散文]]で書かれる時に叙事詩から小説へ変化するとされ、西洋では[[1世紀]]の[[ペトロニウス]]の『[[サテュリコン]]』、[[2世紀]]の『[[ダフニスとクロエ (ロンゴス)|ダフニスとクロエ]]』で既に散文化が見られる。 [[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』は形式上は叙事詩だが、英雄譚と異なって筋を持たない。 === 日本 === [[日本文学]]では、古来に[[上代日本語]]を基礎とする[[古事記]]、[[日本書紀]]、[[万葉集]]が有り、その他に『[[平家物語]]』などの軍記物や、[[アイヌ]]の[[ユーカラ]]のような英雄の冒険譚も多くあるが、それらを[[韻文]]とする学説は、定かになっていない。 ==== 日本に叙事詩は存在しない説 ==== 「厳密な意味で、日本に叙事詩が存在しない」との説もあり、代わりに和歌を含みこんだ『[[歌物語]]』が成立したと考えられ、『[[源氏物語]]』なども和歌を含んでいることから、一級文芸として評価されたとの説がある。 [[小西甚一]]は、著作の『日本文藝史』で、「日本は、英雄叙事詩を持たない」と述べている。 == 参考文献 == * [[エーリヒ・アウエルバッハ]] 『[[ミメーシス (アウエルバッハ)|ミメーシス―ヨーロッパ文学における現実描写]]』  [[篠田一士]]・[[川村二郎]]訳、[[筑摩書房]]〈筑摩叢書〉、1967・69年 / [[ちくま学芸文庫]]、[[1994年]]。 * [[小西甚一]] 『日本文藝史』 [[講談社]]、[[1985年]]。 * [[大岡昇平]]全集第15巻(「常識的文学論」掲載。P50)筑摩書房、[[1996年]]。 == 関連項目 == * [[叙事詩的映画]](Epic Film) * [[叙事詩環]](Epic Cycle) * [[サガ]] * [[マナス]] * [[物語詩]] * [[カリオペー]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Authority control}} {{デフォルトソート:しよしし}} [[Category:叙事詩|*]] [[Category:詩のジャンル]] [[Category:歴史文学]]
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オデュッセウス
オデュッセウス(古代ギリシャ語: Ὀδυσσεύς,Λαερτιάδης、ラテン文字転写: Odysseus)は、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。 ラテン語でUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)ともいい、これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっている。 オデュッセウスはトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。 イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。なお、シーシュポスが父とする説もある。 トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後はその武具を大アイアースと争って勝利した。また、木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。 オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅にちなみ、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。 オデュッセウスが難破して裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者も存在する。 誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。 この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源はギリシャ語ではなく、インド・ヨーロッパ語族以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている。 テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた。 ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスはかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ。 オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。 しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。 トロイの木馬を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打った。トロイの木馬には、ネオプトレモス、メネラーオス、オデュッセウス、ディオメーデース、ピロクテーテース、小アイアースなどの猛将たちが乗り込んだ。木馬の準備が完了すると、アカイア軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くためにシノーンだけを残して、近くのテネドス島へと待機した。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問にかけられるが「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導した。この計画は、木馬を怪しんだラーオコーンとカッサンドラーによって見破られそうになるが、アカイア勢に味方するポセイドーンが海蛇を送り込んでラーオコーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなった。 城門は、木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、アテーナーの神殿に奉納した。その後、トロイア人は、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。守衛さえも手薄になっていた。市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、計画通り松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。その後、ギリシア勢は、イーリオス市内で暴れ回った。酔って眠りこけていたトロイア人たちは、反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて討たれてしまった。トロイアの王プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。 トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、激しい嵐に見舞われて遥か南のリビアの方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、ホメロスの『オデュッセイア』で語られるところである。以下では『オデュッセイア』を下に記述する。 リュビアーの西部に住んでいたロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなるという効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航した。 オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取った。これに気をよくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。 ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。 オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって予言されていたという。 ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神アイオロスの島であるアイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。 風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くてなかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。 多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島へと立ち寄った。この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。その途中でヘルメスから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。 キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約一年の間この島に留まることとなった。 一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言した。また、冥界へと行く方法も伝授した。 キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王ハーデースの館の前で儀式を行い、預言者テイレシアスを召喚した。テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、しかし、それを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれた。オデュッセウスは更に、母の霊に妻子の消息を訊ねたり、アキレウスやアガメムノンの霊と出会って幾多の話を聞いたりした。その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還した。キルケーは戻った彼に対しセイレーンに気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発した。 セイレーンは美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥であった。セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けた。1人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した。 セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には、渦潮を起こして船を沈没させるカリュブディスの潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らうスキュラの棲息する海峡か、どちらかを選ばねばならなかった。キルケーの助言では、スキュラを選ぶべきである、ということであった。理由としては、カリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまうが、スキュラなら6人が死ぬだけだからだ。キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになった。この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできなかった。 スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島に辿り着いた。この島では太陽神ヘリオスが家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも危険であるから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」と忠告されていた。しかし、部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方が無く休息の為に上陸することになってしまった。この時、嵐によって一ヶ月も出航できなくなってしまい、食料が尽きてしまった。空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出してしまい、立派な牛を殺して食べてしまった。 これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼んだ。ゼウスは嵐を呼び、やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕した。船は裂け、船員たちは海に投げ出された。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみついた。すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃した。カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、九日間も海を漂流する運命になった。部下は全員死亡した。 漂流して十日目に、海の女神カリュプソーの住まう島にオデュッセウスは流れ着いた。そこは故郷からは途方も無く遠い場所だった。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、彼に愛情を注ぎ、七年の間オデュッセウスと共に暮らした。カリュプソーと愛を育みながらも、オデュッセウスは故郷への思いを捨てきれず、毎日涙を流す日々であった。 このことを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるべく行動を開始した。カリュプソーの元を訪れ、オデュッセウスをイタケーへと帰すように促した。オデュッセウスのことを愛していたカリュプソーは悲しむが、オリュンポスに住まう神々の意志ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送った。 ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進めるオデュッセウスを視認すると、怒りで胸を焦がした。息子であるポリュペーモスの眼を潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を巻き起こしてオデュッセウスの船を破壊した。大波に呑み込まれたオデュッセウスは死を覚悟するが、海の女神レウコテアーがこれを哀れみ、着けたものは決して溺死することのない魔法のスカーフを彼に授けた。オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごした。ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいった。 オデュッセウスは浜辺へと打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女であるナウシカアと出会った。彼女はオデュッセウスをパイエケス人の王宮へと招き入れた。アテーナーの手引きもあって、パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、競技会や酒宴を開いた。そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、オデュッセウスは思わず涙を流してしまう。オデュッセウスは自らの名や身分を明かし、今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めるのであった。 パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することができた。故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちはオデュッセウスをもはや亡き者として扱い、彼の領地をさんざんに荒していた。オデュッセウスはすぐに正体を明かすことをせず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えた。ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきたが、それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせた。老人に変身していたオデュッセウスはこれを利用して求婚者たちを罰しようと考えた。 求婚者たちは矢を射ろうとするが、あまりにも強い弓だったため、弦を張ることすらできなかった。しかし、老人に変身したオデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させた。そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにした。求婚者たちも武装して対抗しようとしたが、歯が立たなかった。こうして、求婚者たちは死に、その魂はヘルメスに導かれて冥界へと下って行った。 ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスのことを本物かどうか疑っていたが、彼がオデュッセウスしか知りえないことを発言すると、本物だと安心して泣き崩れた。こうして、二人は再会することができたのである。 『オデュッセイア』の続編として作られた『テーレゴネイアー』では、オデュッセイアの後日談が語られている。『テーレゴネイアー』のあらすじは以下のとおりである。オデュッセウスがアイアイエー島を訪れた際、2人の間にはテーレゴノスが生まれた。テーレゴノスは成長するとオデュッセウスに会いにイタケー島に赴いたが、父オデュッセウスを間違えて殺めた。殺した男が自分の父であったことを知ったテーレゴノスは大いに嘆き、父の遺体をペーネロペーに見せた後、彼女と異母兄テーレマコスを伴ってアイアイエー島に戻った。そこでキルケ―はテーレマコスと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した。 実際には『テーレゴネイア』は現在では散逸してしまっており、そのあらすじは主にプロクロスの文学便覧(The Chrestomathy)にて語られるのみである。また、同様の神話はアポロドーロスの『ギリシア神話(ビブリオテーケー』)やヒュギーヌスの『ギリシャ神話集』においても断片的に伝えられている。 またオデュッセウスは冥界にてテイレシアースから「海からは離れたところで安らかな死が訪れる」と予言を受けているため、テーレゴネイアの内容はそれとは矛盾している。テーレゴネイアにおいては「海からは離れたところで(ex halos)」を「海から」と解することでテーレゴノスから殺害される予言としているが、これはテーレゴネイアを頭に入れた上での解釈である。これらの理由により岩波文庫版『オデュッセイア』を翻訳した松平千秋は、テーレゴネイアにおける最期を「安らかな死」を迎えるテイレシアースの予言とは似ても似つかぬとして「言語道断、漫画的とでも評するほかない結着」と酷評している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "オデュッセウス(古代ギリシャ語: Ὀδυσσεύς,Λαερτιάδης、ラテン文字転写: Odysseus)は、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ラテン語でUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)ともいい、これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "オデュッセウスはトロイ攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神アテーナーの寵厚い英雄として書かれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "イタケー王ラーエルテースとアンティクレイアの子で、妻はペーネロペー、息子はテーレマコスである。なお、シーシュポスが父とする説もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "トロイア戦争ではパラメーデースの頓智でアカイア勢に加勢させられ、アキレウスの死後はその武具を大アイアースと争って勝利した。また、木馬の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "オデュッセウスの貴種流離譚である長い帰還の旅にちなみ、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、テオドール・アドルノ/マックス・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」でも取り上げられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "オデュッセウスが難破して裸体でスケリア島に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女ナウシカアに対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者も存在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源はギリシャ語ではなく、インド・ヨーロッパ語族以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスはかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。", "title": "トロイア戦争以前" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": 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"トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、激しい嵐に見舞われて遥か南のリビアの方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、ホメロスの『オデュッセイア』で語られるところである。以下では『オデュッセイア』を下に記述する。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "リュビアーの西部に住んでいたロートパゴス族は、ロートスの木というナツメに似た木の果実を食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなるという効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航した。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていたワインをキュクロープスの1人ポリュペーモスに飲ませて機嫌を取った。これに気をよくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって予言されていたという。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神アイオロスの島であるアイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風ゼピュロスを詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くてなかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "多くの部下を失ったオデュッセウスは、イタリア西海岸にあるアイアイエー島へと立ち寄った。この島には魔女キルケーの館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。その途中でヘルメスから魔法を無効化する薬(モーリュと呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "キルケーはキュケオンという飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約一年の間この島に留まることとなった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。その際、「冥界にいるテイレシアスという預言者の亡霊と話すように」と助言した。また、冥界へと行く方法も伝授した。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王ハーデースの館の前で儀式を行い、預言者テイレシアスを召喚した。テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、しかし、それを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれた。オデュッセウスは更に、母の霊に妻子の消息を訊ねたり、アキレウスやアガメムノンの霊と出会って幾多の話を聞いたりした。その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還した。キルケーは戻った彼に対しセイレーンに気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発した。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "セイレーンは美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥であった。セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けた。1人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には、渦潮を起こして船を沈没させるカリュブディスの潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らうスキュラの棲息する海峡か、どちらかを選ばねばならなかった。キルケーの助言では、スキュラを選ぶべきである、ということであった。理由としては、カリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまうが、スキュラなら6人が死ぬだけだからだ。キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになった。この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできなかった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島に辿り着いた。この島では太陽神ヘリオスが家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも危険であるから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」と忠告されていた。しかし、部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方が無く休息の為に上陸することになってしまった。この時、嵐によって一ヶ月も出航できなくなってしまい、食料が尽きてしまった。空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出してしまい、立派な牛を殺して食べてしまった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼んだ。ゼウスは嵐を呼び、やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕した。船は裂け、船員たちは海に投げ出された。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみついた。すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃した。カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、九日間も海を漂流する運命になった。部下は全員死亡した。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "漂流して十日目に、海の女神カリュプソーの住まう島にオデュッセウスは流れ着いた。そこは故郷からは途方も無く遠い場所だった。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、彼に愛情を注ぎ、七年の間オデュッセウスと共に暮らした。カリュプソーと愛を育みながらも、オデュッセウスは故郷への思いを捨てきれず、毎日涙を流す日々であった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "このことを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるべく行動を開始した。カリュプソーの元を訪れ、オデュッセウスをイタケーへと帰すように促した。オデュッセウスのことを愛していたカリュプソーは悲しむが、オリュンポスに住まう神々の意志ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送った。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進めるオデュッセウスを視認すると、怒りで胸を焦がした。息子であるポリュペーモスの眼を潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を巻き起こしてオデュッセウスの船を破壊した。大波に呑み込まれたオデュッセウスは死を覚悟するが、海の女神レウコテアーがこれを哀れみ、着けたものは決して溺死することのない魔法のスカーフを彼に授けた。オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごした。ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "オデュッセウスは浜辺へと打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女であるナウシカアと出会った。彼女はオデュッセウスをパイエケス人の王宮へと招き入れた。アテーナーの手引きもあって、パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、競技会や酒宴を開いた。そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、オデュッセウスは思わず涙を流してしまう。オデュッセウスは自らの名や身分を明かし、今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めるのであった。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することができた。故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちはオデュッセウスをもはや亡き者として扱い、彼の領地をさんざんに荒していた。オデュッセウスはすぐに正体を明かすことをせず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えた。ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきたが、それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせた。老人に変身していたオデュッセウスはこれを利用して求婚者たちを罰しようと考えた。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "求婚者たちは矢を射ろうとするが、あまりにも強い弓だったため、弦を張ることすらできなかった。しかし、老人に変身したオデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させた。そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにした。求婚者たちも武装して対抗しようとしたが、歯が立たなかった。こうして、求婚者たちは死に、その魂はヘルメスに導かれて冥界へと下って行った。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスのことを本物かどうか疑っていたが、彼がオデュッセウスしか知りえないことを発言すると、本物だと安心して泣き崩れた。こうして、二人は再会することができたのである。", "title": "トロイア戦争以後" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "『オデュッセイア』の続編として作られた『テーレゴネイアー』では、オデュッセイアの後日談が語られている。『テーレゴネイアー』のあらすじは以下のとおりである。オデュッセウスがアイアイエー島を訪れた際、2人の間にはテーレゴノスが生まれた。テーレゴノスは成長するとオデュッセウスに会いにイタケー島に赴いたが、父オデュッセウスを間違えて殺めた。殺した男が自分の父であったことを知ったテーレゴノスは大いに嘆き、父の遺体をペーネロペーに見せた後、彼女と異母兄テーレマコスを伴ってアイアイエー島に戻った。そこでキルケ―はテーレマコスと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した。", "title": "『オデュッセイア』以外におけるオデュッセウス" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "実際には『テーレゴネイア』は現在では散逸してしまっており、そのあらすじは主にプロクロスの文学便覧(The Chrestomathy)にて語られるのみである。また、同様の神話はアポロドーロスの『ギリシア神話(ビブリオテーケー』)やヒュギーヌスの『ギリシャ神話集』においても断片的に伝えられている。", "title": "『オデュッセイア』以外におけるオデュッセウス" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "またオデュッセウスは冥界にてテイレシアースから「海からは離れたところで安らかな死が訪れる」と予言を受けているため、テーレゴネイアの内容はそれとは矛盾している。テーレゴネイアにおいては「海からは離れたところで(ex halos)」を「海から」と解することでテーレゴノスから殺害される予言としているが、これはテーレゴネイアを頭に入れた上での解釈である。これらの理由により岩波文庫版『オデュッセイア』を翻訳した松平千秋は、テーレゴネイアにおける最期を「安らかな死」を迎えるテイレシアースの予言とは似ても似つかぬとして「言語道断、漫画的とでも評するほかない結着」と酷評している。", "title": "『オデュッセイア』以外におけるオデュッセウス" } ]
オデュッセウスは、ギリシア神話の英雄で、イタケーの王(バシレウス)であり、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公でもある。 ラテン語でUlixes(ウリクセス)あるいはUlysseus (ウリュッセウス)ともいい、これが英語のUlysses(ユリシーズ)の原型になっている。
{{otheruseslist|ギリシア神話の登場人物|小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の登場兵器|機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイの登場兵器#オデュッセウスガンダム|クレーター|オデュッセウス (クレーター)}} {{出典の明記|date=2020-01-31}} [[Image:Head Odysseus MAR Sperlonga.jpg|thumb|200px|オデュッセウスの頭像 from Roman period Hellenistic marble group representing Odysseus blinding Polyphemus, found at the villa of Tiberius at Sperlonga]] {{Greek mythology}} '''オデュッセウス'''({{翻字併記|grc|Ὀδυσσεύς,Λαερτιάδης|Odysseus|区=、}})は、[[ギリシア神話]]の英雄で、[[イタケー]]の王([[バシレウス]])であり、[[ホメーロス]]の[[叙事詩]]『[[オデュッセイア]]』の主人公でもある。 ラテン語で{{Lang|la|Ulixes}}(ウリクセス)あるいは{{Lang|la|Ulysseus}} (ウリュッセウス)ともいい、これが英語の{{en|Ulysses}}([[ユリシーズ (曖昧さ回避)|ユリシーズ]])の原型になっている。 == 概要 == オデュッセウスは[[トロイ]]攻めに参加した他の英雄たちが腕自慢の豪傑たちであるのに対して頭を使って勝負するタイプの知将とされ、「足の速いオデュッセウス」「策略巧みなオデュッセウス」と呼ばれる。ホメーロス以来、女神[[アテーナー]]の寵厚い英雄として書かれる。 イタケー王[[ラーエルテース]]と[[アンティクレイア]]の子で、妻は[[ペーネロペー]]、息子は[[テーレマコス]]である。なお、[[シーシュポス]]が父とする説もある。 [[トロイア戦争]]では[[パラメーデース]]の頓智で[[アカイア人|アカイア]]勢に加勢させられ、[[アキレウス]]の死後はその武具を[[大アイアース]]と争って勝利した。また、[[トロイアの木馬|木馬]]の策を立案し、アカイア勢を勝利に導いた。 オデュッセウスの[[貴種流離譚]]である長い帰還の旅にちなみ、長い苦難の旅路を「オデュッセイ、オデュッセイア」という修辞で表すこともある。啓蒙や理性の奸智の代名詞のようにもいわれ、[[テオドール・アドルノ]]/[[マックス・ホルクハイマー]]の「[[啓蒙の弁証法]]」でも取り上げられる。 オデュッセウスが難破して裸体で[[スケリア島]]に漂着したところを助けた、純粋無垢の代表としての清らかな王女[[ナウシカア]]に対置されることもある。姦計としての理性対愛という対立構造で近世市民社会の論理を語るのに、オデュッセウスとナウシカアを対置させた哲学者も存在する。 == トロイア戦争以前 == 誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父[[アウトリュコス]]が孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第19歌、p194</ref>。 この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源は[[ギリシャ語]]ではなく、[[インド・ヨーロッパ語族]]以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている<ref>[http://paleoglot.blogspot.de/2009/11/pre-greek-name-for-odysseus.html 『A Pre-Greek name for Odysseus』Glen Gordon2009年11月]</ref>。 [[テュンダレオース]]の娘[[ヘレネー]]の結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた<ref>アポロドーロス、3巻10・8-10・9。</ref>。 ヘレネーが[[パリス]]に連れ去られたことで、[[メネラオス]]はかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。[[パラメーデース]]は、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子[[テーレマコス]]を置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ<ref>アポロドーロス、高津春繁訳、pp.182-183</ref>。 オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、[[スキュロス]]に赴き、[[アキレウス]]を仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母[[テティス]]は、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。 しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。 === トロイの木馬 === [[File:The Procession of the Trojan Horse in Troy by Giovanni Domenico Tiepolo (cropped).jpg|thumb|Detail from 『トロイアの木馬の行進』、ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ画]] [[トロイアの木馬|トロイの木馬]]を立案し、これによって10年間続いたトロイア戦争に終止符を打った。トロイの木馬には、[[ネオプトレモス]]、[[メネラーオス]]、オデュッセウス、[[ディオメーデース]]、[[ピロクテーテース]]、[[小アイアース]]などの猛将たちが乗り込んだ。木馬の準備が完了すると、アカイア軍は、陣営を焼き払って撤退を装い、敵を欺くために[[シノーン]]だけを残して、近くのテネドス島へと待機した。シノーンはトロイア人に捕まり、拷問にかけられるが「ギリシア人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。そして、なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシア人が負けると予言者カルカースに予言されたためである」と説明してトロイア人を欺き通し、木馬を戦利品として城内に運び込むように誘導した。この計画は、木馬を怪しんだ[[ラーオコオーン|ラーオコーン]]と[[カッサンドラー]]によって見破られそうになるが、アカイア勢に味方する[[ポセイドーン]]が海蛇を送り込んでラーオコーンとその息子たちを殺したため、神罰を恐れて木馬を破壊しようとする者はいなくなった。 城門は、木馬を通すには狭かったので、一部を破壊して通し、[[アテーナー]]の神殿に奉納した。その後、トロイア人は、市を挙げて宴会を開き、全市民が酔いどれ眠りこけた。守衛さえも手薄になっていた。市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきて、計画通り松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れた。その後、ギリシア勢は、イーリオス市内で暴れ回った。酔って眠りこけていたトロイア人たちは、反撃することができず、[[アイネイアース]]などの例外を除いて討たれてしまった。トロイアの王[[プリアモス]]もネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。 == トロイア戦争以後 == トロイア戦争に勝利したオデュッセウスは故国イタケーを目指して航海を開始したが、トロイア戦争よりも長く辛い旅路が彼を待ち受けていた。本来彼は北に航路を取るべきだったが、激しい嵐に見舞われて遥か南の[[リビア]]の方へと流されてしまった。これが苦難の始まりであり、ホメロスの『オデュッセイア』で語られるところである。以下では『オデュッセイア』を下に記述する。 === ロートパゴス族 === リュビアーの西部に住んでいた[[ロートパゴス族]]は、[[ロートスの木]]というナツメに似た木の果実を食べて生活していた。漂着した土地を探索していたオデュッセウスの部下たちはロートパゴス族と遭遇し、彼らからロートスの果実(一説には花)をもらって食した。すると、ロートスがあまりに美味だったので、それを食べた部下はみなオデュッセウスの命令も望郷の念も忘れてしまい、この土地に住みたいと思うようになった。ロートスの果実には食べた者を夢の世界に誘い、眠ること以外何もしたくなくなるという効力があった。このためオデュッセウスは嫌がる部下たちを無理やり船まで引きずって行き、他の部下がロートスを食べないうちに出航した<ref>ホメロス、松平千秋訳、第9歌、pp.222-223</ref>。 === キュクロープスの島 === [[File:Jakob Jordaens 009.jpg|thumb|ポリュフェモスの洞窟にいる'''オデュッセウス'''、[[ヤーコブ・ヨルダーンス]]、17世紀初頭]] オデュッセウス一行が1つ目の巨人キュクロープスたちの住む島に来た時、彼らはキュクロープスたちによって洞窟に閉じ込められた。部下たちが2人ずつ食べられていくうち、オデュッセウスは持っていた[[ワイン]]をキュクロープスの1人[[ポリュペーモス]]に飲ませて機嫌を取った。これに気をよくしたポリュペーモスは、オデュッセウスの名前を尋ね、オデュッセウスが「ウーティス」(「誰でもない」の意)と名乗ると、ポリュペーモスは「おまえを最後に食べてやろう」と言った。 ポリュペーモスが酔い潰れて眠り込んだところ、オデュッセウスは部下たちと協力してポリュペーモスの眼を潰した。ポリュペーモスは大きな悲鳴を上げ、それを聞いた仲間のキュクロープスたちが集まってきたが、誰にやられたと聞かれてポリュペーモスが「ウーティス(誰でもない)」と答えるばかりであったため、キュクロープスたちは皆帰ってしまった。 オデュッセウスたちは羊の腹の下に隠れて洞窟を脱出し、船に戻って島から離れた。この時、興奮したオデュッセウスが本当の名を明かしてキュクロープスを嘲笑したため、ポリュペーモスはオデュッセウスに罰を与えるよう父ポセイドーンに祈り、以後ポセイドーンはオデュッセウスの帰還を何度も妨害することになった。ポリュペーモスがオデュッセウスによって眼を潰されることは、エウリュモスの子テーレモスによって[[予言]]されていたという<ref>ホメロス、松平千秋訳、第9歌、pp.223-243</ref>。 === アイオロスの島 === ポセイドーンによって嵐を送り込まれ、オデュッセウスは風の神[[アイオロス]]の島であるアイオリア島に漂着した。アイオロスは彼を歓待し、無事に帰還できるように西風[[ゼピュロス]]を詰めた革袋を与えた。航海の邪魔になる荒ぶる逆風たちは別の革袋に封じ込めてくれた。西風のおかげでオデュッセウスは順調に航海することができたが、部下が逆風を封じ込めた革袋を空けてしまい、再びアイオリア島に戻ってしまった。今度はアイオロスは「神々の怒りを受けている」とし、オデュッセウスを冷酷に追い返してしまった。 === ライストリュゴネス人 === 風の力を失ったので、オデュッセウス一行は自ら漕いで進まねばならなかった。部下たちは疲れ切り、休ませようと近くの島に寄港することにした。そこは入り江がとても狭く、入ることも出ることも容易ではなかった。部下たちの船は入り江の内側に繋いだが、オデュッセウスの船は入り江の外側に繋いだ。この島は夜が極端に短く、更に巨大で腕力もあるライストリュゴネス人が住んでいた。この巨人は難破した船や寄港した船の船員たちを食べる恐ろしい怪物であった。ライストリュゴネス人は大岩を投げ付けて船を壊し、部下たちを次々と丸呑みにしていった。残った船が出航して逃げようにも入り江が狭くてなかなか抜け出せず、もたもたしている内に大岩を当てられて大破してしまった。この島から逃げ切ることができたのは入り江の外側に繋いでいたオデュッセウスの船だけであり、ライストリュゴネス人によって多くの部下を失った。 === 魔女キルケーの住む島 === 多くの部下を失ったオデュッセウスは、[[イタリア]]西海岸にある[[アイアイエー島]]へと立ち寄った。この島には魔女[[キルケー]]の館があり、強力な魔力を誇る彼女が支配していた。キルケーは妖艶な美女であり、美しい声で男を館に招き入れては、その魔法で動物に変身させていた。偵察に出掛けたオデュッセウスの部下も例外ではなく、オデュッセウスは部下の救出に向かわねばならなかった。その途中で[[ヘルメス]]から魔法を無効化する薬([[モーリュ]]と呼ばれ、花は乳白色、根は漆黒の薬草で、人間には掘り当てることが難しい魔法の薬草であった)を授かり、それを飲んでキルケーの館へと臨んだ。 キルケーは[[キュケオン]]という飲み物と恐るべき薬を調合してオデュッセウスに差し出し、彼を動物へと変貌させようとしたが、モーリュの効力により魔法は全て無効化され、動物へと変身することはなかった。魔法の効かないオデュッセウスに驚き、好意を抱いたキルケーは、動物に変じていた部下たちを元の姿に戻し、侍女たちに食事や酒を用意させて心から歓待した。疲れ切っていたオデュッセウス一行もそれを受け入れ、約一年の間この島に留まることとなった。 一年後、故国イタケへの思いが再び起こり、オデュッセウス一行は旅立つことを決意した。キルケーは悲しんだが、強い思いを持つ彼らを送り出すことにした。その際、「冥界にいる[[テイレシアス]]という預言者の亡霊と話すように」と助言した。また、冥界へと行く方法も伝授した。 === テイレシアスの亡霊 === キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王[[ハーデース]]の館の前で儀式を行い、預言者テイレシアスを召喚した。テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、しかし、それを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれた。オデュッセウスは更に、母の霊に妻子の消息を訊ねたり、アキレウスやアガメムノンの霊と出会って幾多の話を聞いたりした。その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還した。キルケーは戻った彼に対し[[セイレーン]]に気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発した。 === セイレーンの歌 === [[File:John William Waterhouse - Ulysses and the Sirens (1891).jpg|thumb|280px|right|セイレーンに襲われるオデュッセウス一行]] [[セイレーン]]は美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥であった。セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けた。1人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第12歌、pp.312-320</ref>。 === スキュラの海峡 === セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には、渦潮を起こして船を沈没させる[[カリュブディス]]の潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らう[[スキュラ]]の棲息する海峡か、どちらかを選ばねばならなかった。キルケーの助言では、スキュラを選ぶべきである、ということであった。理由としては、カリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまうが、スキュラなら6人が死ぬだけだからだ。キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになった。この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできなかった。 === ヘリオスの怒り === スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島に辿り着いた。この島では太陽神[[ヘリオス]]が家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも危険であるから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」と忠告されていた。しかし、部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方が無く休息の為に上陸することになってしまった。この時、嵐によって一ヶ月も出航できなくなってしまい、食料が尽きてしまった。空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出してしまい、立派な牛を殺して食べてしまった。 これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼んだ。ゼウスは嵐を呼び、やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕した。船は裂け、船員たちは海に投げ出された。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみついた。すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃した。カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、九日間も海を漂流する運命になった。部下は全員死亡した<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第12歌、pp.322-330</ref>。 === カリュプソーの島 === 漂流して十日目に、海の女神[[カリュプソー]]の住まう島にオデュッセウスは流れ着いた。そこは故郷からは途方も無く遠い場所だった。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、彼に愛情を注ぎ、七年の間オデュッセウスと共に暮らした。カリュプソーと愛を育みながらも、オデュッセウスは故郷への思いを捨てきれず、毎日涙を流す日々であった。 このことを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるべく行動を開始した。カリュプソーの元を訪れ、オデュッセウスをイタケーへと帰すように促した。オデュッセウスのことを愛していたカリュプソーは悲しむが、[[オリュンポス]]に住まう神々の意志ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送った。 === ポセイドーンの怒り === ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進めるオデュッセウスを視認すると、怒りで胸を焦がした。息子であるポリュペーモスの眼を潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を巻き起こしてオデュッセウスの船を破壊した。大波に呑み込まれたオデュッセウスは死を覚悟するが、海の女神[[レウコテアー]]がこれを哀れみ、着けたものは決して溺死することのない魔法のスカーフを彼に授けた。オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごした。ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいった<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第5歌</ref>。 === ナウシカアとの出会い === [[File:Gleyre ulysseetNausicaa.jpg|thumb|right|280px|オデュッセウスとナウシカア]] オデュッセウスは浜辺へと打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女である[[ナウシカア]]と出会った。彼女はオデュッセウスをパイエケス人の王宮へと招き入れた。アテーナーの手引きもあって、パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、競技会や酒宴を開いた。そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、オデュッセウスは思わず涙を流してしまう。オデュッセウスは自らの名や身分を明かし、今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めるのであった<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第6歌~第8歌</ref>。 === 帰国 === パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することができた。故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちはオデュッセウスをもはや亡き者として扱い、彼の領地をさんざんに荒していた。オデュッセウスはすぐに正体を明かすことをせず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えた。ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきたが、それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせた。老人に変身していたオデュッセウスはこれを利用して求婚者たちを罰しようと考えた。 求婚者たちは矢を射ろうとするが、あまりにも強い弓だったため、弦を張ることすらできなかった。しかし、老人に変身したオデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させた。そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにした。求婚者たちも武装して対抗しようとしたが、歯が立たなかった。こうして、求婚者たちは死に、その魂はヘルメスに導かれて冥界へと下って行った。 ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスのことを本物かどうか疑っていたが、彼がオデュッセウスしか知りえないことを発言すると、本物だと安心して泣き崩れた。こうして、二人は再会することができたのである<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、第22歌・第23歌</ref>。 == 『オデュッセイア』以外におけるオデュッセウス == 『オデュッセイア』の続編として作られた『[[テーレゴネイアー]]』では、オデュッセイアの後日談が語られている。『テーレゴネイアー』のあらすじは以下のとおりである。オデュッセウスがアイアイエー島を訪れた際、2人の間には[[テーレゴノス]]が生まれた。テーレゴノスは成長するとオデュッセウスに会いにイタケー島に赴いたが、父オデュッセウスを間違えて殺めた。殺した男が自分の父であったことを知ったテーレゴノスは大いに嘆き、父の遺体をペーネロペーに見せた後、彼女と異母兄テーレマコスを伴ってアイアイエー島に戻った。そこでキルケ―はテーレマコスと、テーレゴノスはペーネロペーと結婚した。 実際には『テーレゴネイア』は現在では散逸してしまっており、そのあらすじは主にプロクロスの文学便覧(The Chrestomathy)にて語られるのみである<ref>岡道男、1976年、pp.246-259</ref>。また、同様の神話は[[アポロドーロス]]の『ギリシア神話([[ビブリオテーケー]]』)や[[ヒュギーヌス]]の『[[ギリシャ神話集]]』においても断片的に伝えられている。 またオデュッセウスは冥界にてテイレシアースから「海からは離れたところで安らかな死が訪れる」と予言を受けているため、テーレゴネイアの内容はそれとは矛盾している。テーレゴネイアにおいては「海からは離れたところで(ex halos)」を「海から」と解することでテーレゴノスから殺害される予言としているが、これはテーレゴネイアを頭に入れた上での解釈である。これらの理由により岩波文庫版『オデュッセイア』を翻訳した[[松平千秋]]は、テーレゴネイアにおける最期を「安らかな死」を迎えるテイレシアースの予言とは似ても似つかぬとして「言語道断、漫画的とでも評するほかない結着」と酷評している<ref>ホメロス、松平千秋訳、1994年、p.376</ref>。 == 系図 == ;父方 {{オデュッセウスの系図}} ;母方 {{ヘオースポロスの系図}} == 登場作品 == *『オデュッセウスの冒険-サトクリフ・オリジナル〈5〉』 、[[ローズマリー・サトクリフ]]、[[山本史郎]]訳 挿絵アラン・リー、[[原書房]]、ISBN 4562034319 *『ホメロス物語.第2章「オデュッセイア物語」』 G.シャンドン、有田潤訳、[[白水社]] *『オデュッセウス物語』 バーナード・エヴスリン、小林稔訳、[[現代教養文庫]] *『オデュッセウスの冒険』 [[吉田敦彦]]、[[安彦良和]]画、[[青土社]]、ISBN 4791764889 *『オデュッセウスの航海 マンガギリシア神話8』 [[里中満智子]]、[[中央公論新社]]のち[[中公文庫]] *『[[ユリシーズ (1954年の映画)|ユリシーズ]]』 1954年のイタリア映画。『[[オデュッセイア]]』の映画化。 *『[[英雄ユリシーズ]]』 [[クリーム (バンド)|クリーム]]が1967年に発表した楽曲、[[カラフル・クリーム]]に収録 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * [[ホメロス]] 『[[オデュッセイア]]』 [[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](全2巻)、1994年 ほか * [[アポロドーロス]]『[[ビブリオテーケー|ギリシア神話]]』 高津春繁訳、岩波文庫、1953年、改版1978年 * [[岡道男]]「[https://hdl.handle.net/2433/72993 ホメロスと叙事詩の環]」『京都大学文学部研究紀要』、16号、1976年、p.55-238, 京都大學文學部, {{naid|110000056877}} == 関連項目 == * [[オデュッセウス (小惑星)]] * [[ユリシーズ (小惑星)]] == 外部リンク == * {{Commons-inline|Odysseus}} {{ギリシア神話}} {{イーリアスの登場人物}} {{オデュッセイアの登場人物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おてゆつせうす}} [[Category:ギリシア神話の人物]] [[Category:イーリアスの登場人物]] [[Category:オデュッセイアの登場人物]] [[Category:イタキ島]] [[Category:アテーナー]]
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ンデベレ語
ンデベレ語 (ンデベレご、Ndebele) は、ジンバブエの北ンデベレ人(英語版)(クマロ人(英語版))と南アフリカ共和国の南ンデベレ人(英語版)が話す言語の総称である。ニジェール・コンゴ語族、バントゥー語群、ングニ諸語に属する。
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ンデベレ語 (ンデベレご、Ndebele) は、ジンバブエの北ンデベレ人(クマロ人)と南アフリカ共和国の南ンデベレ人が話す言語の総称である。ニジェール・コンゴ語族、バントゥー語群、ングニ諸語に属する。 北ンデベレ語 : ジンバブエ 南ンデベレ語 : 南アフリカ共和国
'''ンデベレ語''' (ンデベレご、Ndebele) は、[[ジンバブエ]]の{{仮リンク|北ンデベレ人|en|Northern Ndebele people}}({{仮リンク|クマロ|en|Khumalo|label=クマロ人}})と[[南アフリカ共和国]]の{{仮リンク|南ンデベレ人|en|South Ndebele people}}が話す言語の総称である。[[ニジェール・コンゴ語族]]、[[バントゥー語群]]、[[ングニ諸語]]に属する。 * [[北ンデベレ語]] : ジンバブエ * [[南ンデベレ語]] : 南アフリカ共和国 {{DEFAULTSORT:んてへれこ}} [[Category:バントゥー語群]] {{aimai}} [[de:Ndebele]]
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黒川温泉
黒川温泉(くろかわおんせん)は、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉である。 阿蘇山の北に位置し、南小国温泉郷の一つを構成する。広義の阿蘇温泉郷に含む場合もある。 全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、温泉地としては異例の二つ星で掲載された。なお「黒川温泉」の名称は2006年に地域団体商標として商標登録(地域ブランド)されている。 田の原川の渓谷の両側に24軒のこぢんまりとした和風旅館が建ち並ぶ。温泉街としては川の流れに沿って、東西に延伸しつつある。 渓谷にある温泉地であることから収容人数は少なく、旅館組合の主導で歓楽的要素や派手な看板を廃して統一的な町並みを形成する方策を採っているため、落ち着いた雰囲気を見せる。 温泉街には2軒の共同浴場が存在する。 黒川温泉では1986年(昭和61年)に黒川温泉観光旅館協同組合が「入湯手形」を導入した。入湯手形は地元産のヒノキを輪切りにしたもので、裏面の3枚のシールを露天風呂の利用時に1枚ずつ渡す仕組みになっている。 2022年(令和4年)6月26日(露天風呂の日)から温泉街にある飲食店や小売店も入湯手形の対象に加わり、3枚のシールのうち2枚は露天風呂の入浴用、残り1枚が入浴か温泉街にある飲食店や小売店で物品と交換できるものに変更される。デザインも一新され温泉マークと「巡」の字を組み合わせたものに変更される。 温泉としての歴史は古く、以下の伝説がある。 もともと阿蘇外輪山に位置する山あいのひなびた湯治場であり、旅館の経営体も20数軒で農家兼業が多かった。1964年に南小国温泉の一部として国民保養温泉地に指定され、かつやまなみハイウェイが開通したことで一時的に盛り上がりを見せた。農業など異業種からの参入も含めて、現在も営業している旅館のいくつかがこの前後に開業。 しかし、休日以外は客足は伸びず、温泉地でありながら湯を楽しむ客よりも宴会客中心の状況が続いた。さらに、ブームは数年しか続かず、増築をした旅館の多くは多額の借金をかかえ混迷が続いた。そんな時代でも1軒だけ客足の絶えない宿があったが、それが黒川温泉の父ともいわれる後藤哲也の経営する新明館であり、現在の黒川温泉の骨子となっている宿泊施設である。 当時24歳の後藤は裏山にノミ1本で洞窟を掘り始めた。「風呂に魅力がなければ客は来ない」と考えていた後藤は3年半の歳月をかけ、間口2m、奥行き30mの洞窟を完成させ、そこへ温泉を引き洞窟風呂として客に提供した。さらに、後藤は裏山から何の変哲もない多くの雑木を運び入れ、あるがままの自然を感じさせる露天風呂を造った。他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、噂を聞いた女性客が続々と訪れだしたため、後藤を奇人変人扱いし白眼視していた他の経営者たちも彼を師匠と仰ぎ、そのノウハウを請い、実践に移した。 後藤のテーマはただひとつ「自然の雰囲気」であり、現在の黒川温泉の共通理念となっている。温泉は自然に出るのだから、作りも自然にしなければならない、自然を生かすにはどうすればいいのか、客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索したその答えが、露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策を練った。その他、様々な案が浮かび上がっては消えるなど試行錯誤の連続であったが、後藤の指導の下、すべての旅館で自然を感じさせる露天風呂を造ることにした。その中で、露天風呂を造れない旅館があったため、「それならいっそのこと、すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があった。1986年(昭和61年)、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去した。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には鄙びた湯の町情緒が蘇った。 この企画も大々的なPRを行わず、口コミによる観光客増加を待つのみであった。またこの頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていたが、これが結果的に奏功し、リピーター確保につながっている。また、熊本新聞など地元メディアに情報を発信したり、福岡市でPRを行ったりもしている。こうした地道な努力の甲斐もあり、1978年(昭和53年)頃からは旅館への養子縁組やUターンで若者が入り始めた。 「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」、いつしかこの言葉が黒川温泉のキャッチフレーズとなった。 口コミはインターネットなどでも広がり、ゴーストタウン同然だった当温泉街が人気温泉へと変貌を遂げた。1998年に福岡の旅行情報誌「じゃらん九州発」の人気観光地調査で第1位となった。 全国の温泉経営者や旅館組合関係者がノウハウを見学、視察に訪れるようになり、温泉手形による湯巡りは全国至る温泉地で模倣されるなど各地で同様の試みがなされている。
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黒川温泉(くろかわおんせん)は、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉である。 阿蘇山の北に位置し、南小国温泉郷の一つを構成する。広義の阿蘇温泉郷に含む場合もある。 全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、温泉地としては異例の二つ星で掲載された。なお「黒川温泉」の名称は2006年に地域団体商標として商標登録(地域ブランド)されている。
{{otheruses|熊本県にある温泉|兵庫県にある同名の温泉|黒川温泉 (兵庫県)}} {{日本の温泉地 |名称 = 黒川温泉 |画像 = Kurokawa Onsen -温泉街.jpg |コメント = 温泉街 |所在地 = [[熊本県]][[阿蘇郡]][[南小国町]] |交通アクセス = [[熊本市]]、[[別府市]]よりバス<br />[[福岡 - 黒川温泉線|福岡市より高速バス]] |泉質 = [[硫黄泉]] |泉温 = 80 - 98 |湧出量 = |pH = |液性の分類 = |浸透圧の分類 = |宿泊施設数 = |総収容人員数 = |年間浴客数 = |統計年度 = |外部リンク = http://www.kurokawaonsen.or.jp/ |特記事項 = }} {{Location map many | Japan Kumamoto | width = 250 | float = right | label = '''黒川温泉''' | pos = left | mark = Hot springs 001.svg | mark1size = 15 | lat1_deg =33 | lat1_min = 04 | lat1_sec = 41 | lon1_deg = 131 | lon1_min = 08 | lon1_sec = 30 | label2 = <small>[[熊本市]]</small> | pos2 = bottom | mark2size = 9 | lat2_deg = 32 | lat2_min = 48 | lat2_sec = 10.8 | lon2_deg = 130 | lon2_min = 42 | lon2_sec = 28.3 | caption = '''黒川温泉'''の位置 | alt = 黒川温泉の位置 }} '''黒川温泉'''(くろかわおんせん)は、[[熊本県]][[阿蘇郡]][[南小国町]]にある[[温泉]]である。 [[阿蘇山]]の北に位置し、[[日本の温泉地一覧#熊本県|南小国温泉郷]]の一つを構成する。広義の[[阿蘇温泉郷]]に含む場合もある。 全国屈指の人気温泉地として知られ、2009年版ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで、温泉地としては異例の二つ星で掲載された<ref>''Michelin Travel Guide Japan'', 2009, p.369, ISBN 9781906261948 フランス語版は ''Michelin - Le Guide vert Japon'', ISBN 978-2067139466</ref>。なお「黒川温泉」の名称は[[2006年]]<!--10月27日-->に[[地域団体商標]]として商標登録([[地域ブランド]])されている。 == 泉質 == * [[硫黄泉]] - 温泉街の比較的浅い(20メートルとも)地層から80度 - 98度の[[源泉]]が湧いている。 == 温泉街 == === 旅館街 === [[ファイル:黒川温泉 (268553622).jpg|thumb|240px|共同浴場・穴湯]] {{右|<gallery> ファイル:Kurokawa Onsen-1.jpg|杉の木で作られた「2000年記念入湯手形」(2012年10月14日撮影) ファイル:Kurokawa Onsen-2.jpg|同左、裏面に「新明館」「やまびこ旅館」「山みず木」の印がある(2012年10月14日撮影) </gallery>}} [[田の原川]]の渓谷の両側に24軒のこぢんまりとした和風[[旅館]]が建ち並ぶ。温泉街としては川の流れに沿って、東西に延伸しつつある。 渓谷にある温泉地であることから収容人数は少なく、旅館組合の主導で歓楽的要素や派手な看板を廃して統一的な町並みを形成する方策を採っているため、落ち着いた雰囲気を見せる。 === 共同浴場 === 温泉街には2軒の[[共同浴場]]が存在する。 * 地蔵湯 * 穴湯 === 入湯手形 === 黒川温泉では[[1986年]](昭和61年)に黒川温泉観光旅館協同組合が「[[温泉手形|入湯手形]]」を導入した<ref name="kumanichi20220618">{{Cite web|和書|title=「入湯手形」お店も巡って 南小国町の黒川温泉 初の刷新、利用先増える|url=https://kumanichi.com/articles/692714|work=熊本日日新聞|date=2022-06-18|accessdate=2022-06-18}}</ref>。入湯手形は地元産のヒノキを輪切りにしたもので、裏面の3枚のシールを露天風呂の利用時に1枚ずつ渡す仕組みになっている<ref name="kumanichi20220618" />。 2022年(令和4年)6月26日(露天風呂の日)から温泉街にある飲食店や小売店も入湯手形の対象に加わり、3枚のシールのうち2枚は露天風呂の入浴用、残り1枚が入浴か温泉街にある飲食店や小売店で物品と交換できるものに変更される<ref name="kumanichi20220618" />。デザインも一新され温泉マークと「巡」の字を組み合わせたものに変更される<ref name="kumanichi20220618" />。 {{See also|湯めぐり周遊券#黒川温泉「入湯手形」}} == 歴史 == === 伝承 === 温泉としての歴史は古く、以下の伝説がある。 : ある日、[[豊後国]]の甚吉という男は、瓜を盗んだことで首を刎ねられそうになったが、それを免れた。身代わりに信仰していた地蔵の首が刎ねられてしまう。そこで、村人はそれを甚吉地蔵として崇拝するようになった。ところが細川藩士の中にこの地蔵を持ち去ろうとした男がいた。だが、ある場所に辿り着くや、突如として地蔵が重くなり動かなくなる。男は諦め、地蔵をその場に放置すると、村人は岩場に奉祀することにした。すると、その岩の裂け目から湯が噴き出、村人の浴場となったという。このいで湯こそ黒川温泉の発祥であり、今も地蔵湯と地蔵の首が残っている。<ref>野口冬人著『全国温泉大事典』黒川温泉の項目より</ref> === 黎明期 === もともと阿蘇外輪山に位置する山あいのひなびた湯治場であり、旅館の経営体も20数軒で農家兼業が多かった。[[1964年]]に<!--[[6月11日]]-->南小国温泉の一部として[[国民保養温泉地]]に指定され、かつ[[やまなみハイウェイ]]が開通したことで一時的に盛り上がりを見せた。[[農業]]など異業種からの参入も含めて、現在も営業している旅館のいくつかがこの前後に開業。 === 衰退と復活 === [[ファイル:Kurokawa-onsen.jpg|thumb|260px|自然を感じさせる露天風呂を全旅館に採用したことが人気を呼んだ]] しかし、休日以外は客足は伸びず、温泉地でありながら湯を楽しむ客よりも宴会客中心の状況が続いた。さらに、ブームは数年しか続かず、増築をした旅館の多くは多額の借金をかかえ混迷が続いた。そんな時代でも1軒だけ客足の絶えない宿があったが、それが黒川温泉の父ともいわれる[[後藤哲也]]の経営する新明館であり、現在の黒川温泉の骨子となっている宿泊施設である。 当時24歳の後藤は裏山に[[ノミ]]1本で[[洞窟]]を掘り始めた。「[[風呂]]に魅力がなければ客は来ない」と考えていた後藤は3年半の歳月をかけ、間口2m、奥行き30mの[[洞窟]]を完成させ、そこへ温泉を引き洞窟風呂として客に提供した。さらに、後藤は裏山から何の変哲もない多くの[[雑木]]を運び入れ、あるがままの自然を感じさせる[[露天風呂]]を造った。他の旅館の経営者が後藤の教えに倣って露天風呂を造ってみたところ、噂を聞いた女性客が続々と訪れだしたため、後藤を奇人変人扱いし白眼視していた他の経営者たちも彼を師匠と仰ぎ、そのノウハウを請い、実践に移した。 後藤のテーマはただひとつ「自然の雰囲気」であり、現在の黒川温泉の共通理念となっている。温泉は自然に出るのだから、作りも自然にしなければならない、自然を生かすにはどうすればいいのか、客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索したその答えが、露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策を練った。その他、様々な案が浮かび上がっては消えるなど試行錯誤の連続であったが、後藤の指導の下、すべての旅館で自然を感じさせる露天風呂を造ることにした。その中で、露天風呂を造れない旅館があったため、「それならいっそのこと、すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があった。[[1986年]](昭和61年)、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「[[温泉手形|入湯手形]]」を1枚1000円で発行し、[[1983年]]から[[入湯手形]]による各旅館の露天風呂巡りが実施される<ref>この発案は、野沢温泉の外湯巡りを参考にしている</ref>。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して[[雑木林]]をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての[[看板]]約200本を撤去した。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には鄙びた湯の町情緒が蘇った。 この企画も大々的なPRを行わず、[[口コミ]]による観光客増加を待つのみであった。またこの頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていたが、これが結果的に奏功し、リピーター確保につながっている。また、[[熊本新聞]]など地元メディアに情報を発信したり、福岡市でPRを行ったりもしている。こうした地道な努力の甲斐もあり、[[1978年]](昭和53年)頃からは旅館への[[養子縁組]]や[[Uターン]]で若者が入り始めた。 「'''街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室'''」、いつしかこの言葉が黒川温泉の[[キャッチフレーズ]]となった。 口コミは[[インターネット]]などでも広がり<ref>[[じゃらんnet]]の口コミ記事が代表的である。サイト公開当初から由布院、草津らと共に温泉部門で高順位を付けていたことで、女性を中心に注目を浴びることになった</ref>、[[ゴーストタウン]]同然だった当温泉街が人気温泉へと変貌を遂げた。[[1998年]]に福岡の旅行情報誌「[[じゃらん#九州じゃらん|じゃらん九州]]発」の人気観光地調査で第1位となった。 全国の温泉経営者や旅館組合関係者がノウハウを見学、視察に訪れるようになり、温泉手形による湯巡りは全国至る温泉地で模倣されるなど<ref>それまでは、黒川温泉のほか、三谷温泉など一部温泉地が行っている程度であった</ref>各地で同様の試みがなされている。 <!--以下、過去の記事。適宜、記事を抜萃するなど調整してください ただ、この時期は将来の展望が開けていたわけではなく、休日以外はお客らしい客はなく、不安を抱えていた。当時、温泉地でありながら湯を楽しむ客よりも宴会客中心であり、旅館主の最大の仕事は九州各地へのバスのハンドルを握ってのお客の送迎であった。 :1983年(昭和58年)、ふもと旅館の松崎氏が現職に反旗を翻す形で南小国町長選挙に出馬したが、落選。松崎氏は失意のうちに亡くなったが、後に尾を引くことになった。 *露天風呂に活路 :新明館の後藤哲也氏は、当時まだ旅館経営の実権は握っていなかったが、人々に「癒し」と「くつろぎ」を求めたいというニーズ、自然の中で解放されたいという欲求があることを見抜き、それには露天風呂が最も適していると確信を持つ。一人露天風呂を作ろうと決意。旅館敷地内の山肌に向かい、洞窟風呂の製作に着手し3年で完成させた。 :もう一つは樹を植えたこと。作り込んだ日本庭園ではなく、野の山を再現しようとした。 :やがてこれが評判になり、新明館は盛況となる。しかし、当時、他の旅館主の受け止め方は「あそこは立地がよいから・・・」という程度の認識であり、依然宴会客中心であった。 :こうした盛況を見て、「辰巳屋」の婿養子が、後藤氏に教えを乞う。(婿養子ならではのフットワークのよさとカメラ店を経営していた経歴から、気軽に聞くことができたのが幸いしたといわれている) :1983年6月、「辰巳屋」に女性専用[[露天風呂]]を開設、「美人の湯」として女性に評判になる。以後、各旅館に露天風呂の開設が相次いだ。 *湯めぐり手形というヒット :客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索した結果、候補として挙がったのが露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策も練られるようになった。その他、様々な案が浮かび上がっては消え、試行錯誤の連続であったが、1983年から[[入湯手形]]による各旅館の露天風呂巡りが実施される。もっとも、この企画も大々的なPRを行わず、後は[[口コミ]]による観光客増加を待つのみであった。また、この頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていた。そういった地道な活動の結果、今に見る隆盛に漕ぎ着けたのである。 : 総ての旅館の協力のもと、「入湯手形」により、日帰客も含めて、何処の露天風呂も入れるという仕組みは、画期的であった。この企画が大ヒット、話題となって、黒川温泉が人気温泉地として飛躍するきっかけとなった。今や黒川温泉といえば、「入湯手形」だが、その誕生のきっかけは次のとおりである。 :1985年(昭和60年)7月、組合で[[野沢温泉]]を視察、[[外湯めぐり]]にヒントを得る。 :一軒のみどうしても露天風呂が作れない旅館があり、「共生」を理念とした湯めぐりの発想が湧く。 :1986年(昭和61年)「[[入湯手形]]」をスタート。ただ、旅館組合でも確たる見通しがあって始めたわけではない。実際、開始当初は「手形」が捌けず、各旅館に割り当てて引き取ってもらうことすら考えた。 :同年秋頃から全国的に[[秘湯]]ブームとなり、次第に軌道に乗った。 :1986年12月の[[熊本日日新聞]]の広告企画で、熊本県内でブームになった。この時に、それまでそれぞれの露天風呂に「○○の湯」という愛称をつけることにした。 :1987年(昭和62年)2月、個々の旅館の広告看板を撤去、マスコミを招き報道してもらう。 :以後、福岡地区等でキャンペーンを図る。 :旅館組合にも「入湯手形」の販売により、一定の収入が入る仕組みになっており、組合の財政を潤し、それがさらなる環境整備、キャンペーン費用に充当できるなど、好循環を形成している。 *ブレイクは情報誌 :1998年に福岡の情報誌旅行情報誌「じゃらん九州発」の人気観光地調査でトップに立った。それまで知る人ぞ知るという存在であったが、一気に人気温泉地として全国的に注目を集める存在となった。 :今日における黒川温泉の爆発的ヒットの一大要因として[[インターネット]]が挙げられる。というのも、テレビや雑誌などで頻繁に採り上げられる数年前には、もう一部の温泉ファンの間で「熊本の黒川温泉が一押し」と叫ばれて、掲示板のアンケートでは常に上位を占め、知る人には知る名湯となっていたからである。 *癒しの温泉郷として :黒川温泉のまちづくりのスタンスは明確である。都会の生活に疲れ、温泉に「癒し」を求めて来る観光客にくつろぎを与え、リフレッシュしてもらうためにできる限りの演出を行うというものである。その手段として、「露天風呂」の整備や「樹を植える」「看板を取り去る」ことによる環境整備がある。一般論的にいうと、「癒しの里」というコンセプトを打ち立て、それにあわせた露天風呂等の大道具・小道具を配したうえ、「入湯手形」などの「ソフト」を活用するということになる。 *新たな課題 :現在地には拡張が困難な施設が多いことから、さらに川を上った東の地区等へ新たな施設を開設する等の事例がみられる。 :現在では、「手形」による日帰り客で休日を中心に混雑し、本来のお客である泊まり客がゆっくり入れない等の問題も生じている。このため、立ち寄り型の旅行会社のツアー客には「手形」を販売しないという方針を打ち出すに至っている。 【百科事典に乗せる温泉記事には不要と思われる】 == 特記 == === 成功の要因 === *後藤氏を得たこと :コンセプトをつくりあげた(正確には、つくりあげたコンセプトの成功に賛同し、他の旅館が同調した)後藤氏が旅館後継者として居た。当初は相当「変わり者」として見られたようだが、弾き飛ばされることはなかった。後藤氏は旅館の三代目で先代が実権を握っていたことから、旅館組合運営への参画はかなり後になってのことらしいが、結局は後藤氏の確立した「露天風呂」をつくり「樹を植える」ことにより「まち全体が癒しの空間を形成する」というセオリーにしたがってまちづくりを行った。 *時代の波に乗った :後藤氏の慧眼があったとはいえ、温泉に癒し・情緒・雰囲気を求める時代の風に乗った。風に乗ってからも、マスコミの活用等、組合内に人材を得た。 *手付かずであったこと :他の巨大温泉郷のように、高度成長期に部屋数拡張のための設備投資に走り、コンクリート構造物だらけ、そして巨額の借入金を抱えるということはなかった。このため、看板を除去するとした手入れはあったが、温泉地としての基本的な情緒・雰囲気が保たれていた。今日、低層でかつ20室程度までの旅館がお客に目が届き、食事・湯の案内等適切なサービスを提供できる規模といわれているが、ちょうどこの規模の旅館が多い。巨大設備を抱えていると売り上げを確保するため、客室定員の「回転」「稼働率向上」が求められ、必然的にエージェント依存にならざるを得ないといわれている。根本対策は、適正規模へのダウンサイジング(規模縮小)であろうが、巨額の借入金を抱えていると、壊すに壊せず、返済のために営業を続けるという矛盾から抜け出せない。お客の満足度を維持するためには絶えざる改修が必要で、そのために借入が発生する。・・・いつまでたっても借入返済のための営業という本末転倒の悪循環から抜け出せない。 :なお、渓谷に面した温泉地であり、広い空き地がなく、大きな建物を建てにくかったことが、今にしてみれば幸いしている。 :当時は全国的にも露天風呂自体が珍しかったこと。 *若手の存在 :黒川温泉には婿養子が多く、昭和50年代はじめから他の地で育ってきた、行動力のある人材が複数入り込んだ。こじんまりとした温泉地ゆえ、そうした人材相互の交流が自然発生した。彼らが旅館組合を通じた改革の原動力となった。折しも各旅館は世代交代の時であり、若い経営者らが一致団結し、温泉街を盛り上げようとしたのも、功を奏したといえる。 *外部資本の不存在=まとまりのよさ :渓谷の温泉地であり、土地が少なく、他の地から外部資本が入って来づらかった。その裏返しとして、同業者の結束は堅い。 ::(逆に、突出した存在・行動を許さないという一種の護送船団方式につながる弱さを内包しているといえなくもない) ===行政との関係=== 黒川温泉は従来から「民主導」であり、町行政とは一定の距離を置いてきた。活性化の過程においても、「官」としての[[南小国町]]行政の姿は見出し難い。黒川温泉では頼み事があると、むしろ熊本県を頼った。[[細川護熙]]知事(当時)の日本一づくり運動に触発された面も大きい。とはいえ、決して県へよりかかっていったわけではない。 南小国というよりも、「黒川」のほうがはるかに高名である。 町レベルの観光政策予算では観光パンフレットの作成等で大半は費やされてしまうが、いまや全国区となった黒川温泉にとって、その程度では不十分であり、南小国町に頼ることはしていない。 ただ、温泉組合の事務所兼案内所「風の舎」の用地は町が購入し、組合に貸与していることなど、必ずしも町と疎遠な関係ではない。 おわり--> == アクセス == *[[JR九州]][[豊肥本線]][[阿蘇駅]]から[[九州産交バス]]杖立温泉ゆきに乗車し「ゆうステーション」下車。[[小国郷循環バス]]などに乗り換え「黒川」下車。 *[[熊本駅]]・[[熊本桜町バスターミナル]]から[[九州横断バス]]に乗車し「黒川温泉」下車。 *[[西鉄天神高速バスターミナル]]・[[博多バスターミナル]]から[[福岡 - 黒川温泉線]]([[九州産交バス]]と[[日田バス]]による運行)に乗車し「黒川温泉」下車。 *[[九州自動車道]][[熊本インターチェンジ]]より[[国道57号]]、[[大分県道・熊本県道11号別府一の宮線|やまなみハイウェイ]]、[[国道442号]]経由で62㎞。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 文献 == {{ウィキポータルリンク|温泉|[[画像:Hot springs 001.svg|34px|Portal:温泉]]}} * 『黒川温泉-急成長を読む』熊本日日新聞社、2000年 * 『黒川温泉 観光経営講座』光文社新書、2005年 * 『黒川温泉のドン後藤哲也の「再生」の法則』朝日新聞社、2005年 * 「愛する故郷を救え! 黒川温泉再生の決断」([[経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断|ルビコンの決断]]、2009年5月7日放送) * 旅行読売出版社刊『全国温泉大事典』 野口冬人著 == 関連項目 == {{Commonscat|Kurokawa Onsen (Kumamoto)}} * [[観光カリスマ]] - 後藤哲也(新明館代表取締役)が観光カリスマ百選に選ばれた。 * [[ハンセン病元患者宿泊拒否事件]] == 外部リンク == * [http://www.kurokawaonsen.or.jp 黒川温泉ホームページ] {{温泉}}{{土木学会デザイン賞}}{{Gマーク環境}} [[Category:グッドデザイン賞]] {{coord|name=黒川温泉観光旅館協同組合|33.078058|131.141715|format=dms|display=title|type:landmark_region:JP-43}} {{DEFAULTSORT:くろかわおんせん}} [[Category:熊本県の温泉]] [[Category:国民保養温泉地]] [[Category:地域団体商標]] [[Category:南小国町]]
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南小国町
南小国町(みなみおぐにまち)は、熊本県の阿蘇地方にある町。阿蘇郡に属す。 農林業を主産業とする。観光地として黒川温泉などの温泉地や、「熊本緑の百景」第1位に選ばれた瀬の本高原などがある。2023年にはBooking.comの「Traveller Review Awards 2023」にて日本で「最も居心地の良い場所」第1位にも選ばれている。 阿蘇北外輪山外側の標高430m~945mの高原地帯で、隣の小国町とともに小国郷と呼ばれる。東には九州本土の最高峰である大分県の九重山を望み、九州最大の河川・筑後川の源流域でもある。一部は阿蘇くじゅう国立公園に属する。 熊本県 大分県 (前町長:河津修司) (前々町長:橋本公) 米・高冷地野菜・畜産などの農業および小国杉・ヒノキなどの林業、温泉・アウトドアなどの観光が主な産業。2004年(平成16年)度町内総生産170億円。 たかな漬け、しいたけ、まいたけ、ジャージー牛乳などが特産品。 町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を使用する場合の最寄り駅は、JR九州豊肥本線阿蘇駅。 飲食による観光振興を目的に南小国町の飲食店7店舗で始まった、訪問客に昼食を少しずつ食べ歩いてもらうという取り組み。こわけランチ手形を1500円で購入することで加盟店舗のうち任意に選んだ3件で、通常のメニューには無い「量が少なめ」なランチを食べることが出来る。黒川温泉を有する南小国町が始めた。阿蘇のあか牛丼やそば街道の蕎麦といった郷土色豊かなものだけでなく、ラーメンや唐揚げと言った地元住民が通う店も参画している。また、2015年2月からは黒川温泉の飲食店もこの取組に参画し、店舗数が14店舗に拡大している。 南小国町は、熊本県のブランド牛として知られるあか牛を使用した"あか牛丼"の普及に積極的である。
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南小国町(みなみおぐにまち)は、熊本県の阿蘇地方にある町。阿蘇郡に属す。 農林業を主産業とする。観光地として黒川温泉などの温泉地や、「熊本緑の百景」第1位に選ばれた瀬の本高原などがある。2023年にはBooking.comの「Traveller Review Awards 2023」にて日本で「最も居心地の良い場所」第1位にも選ばれている。
{{出典の明記|date=2014年11月6日 (木) 04:45 (UTC)}} {{日本の町村 | 画像 = Kurokawa onsen 001.JPG | 画像の説明 = [[黒川温泉]] | 旗 = [[ファイル:Flag of Minamioguni Kumamoto.jpg|100px|南小国町旗]] | 旗の説明 = 南小国[[市町村旗|町旗]] | 紋章 = [[ファイル:Minamioguni Kumamoto chapter.JPG|100px|南小国町章]] | 紋章の説明 = 南小国[[市町村章|町章]] | 自治体名 = 南小国町 | 区分 = 町 | 都道府県 = 熊本県 | 郡 = [[阿蘇郡]] | コード = 43423-0 | 隣接自治体 = [[阿蘇市]]、[[阿蘇郡]][[小国町 (熊本県)|小国町]]、[[産山村]]<br />[[大分県]]:[[日田市]]、[[竹田市]]、[[玖珠郡]][[九重町]] | 木 = [[スギ]] | 花 = [[リンドウ]] | シンボル名 = 町の鳥 | 鳥など = [[ウグイス]] | 郵便番号 = 869-2492 | 所在地 = 阿蘇郡南小国町大字赤馬場143番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-43|display=inline,title}}<br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=250|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=町役場位置}}<br />[[ファイル:Minamioguni town hall.JPG|250px]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|43|423|image=Minamioguni in Kumamoto Prefecture Ja.svg|村の色分け=yes}} | 特記事項 = }} [[ファイル:Kurokawa Onsen -温泉街.jpg|thumb|280px|黒川温泉街]] [[ファイル:Manganji.jpg|thumb|280px|満願寺]] [[ファイル:Manganji onsen.jpg|thumb|280px|満願寺温泉]] '''南小国町'''(みなみおぐにまち)は、[[熊本県]]の[[阿蘇]]地方にある[[市町村|町]]。[[阿蘇郡]]に属す。 農林業を主産業とする。観光地として[[黒川温泉]]などの温泉地や、「熊本緑の百景」第1位に選ばれた[[瀬の本高原]]などがある。2023年には[https://news.booking.com/ja/traveller-review-awards-2023-most-welcoming-city/ Booking.comの「Traveller Review Awards 2023」]にて'''日本で「最も居心地の良い場所」第1位'''にも選ばれている。 == 地理 == [[阿蘇山|阿蘇]]北[[外輪山]]外側の標高430m~945mの高原地帯で、隣の[[小国町 (熊本県)|小国町]]とともに'''小国郷'''と呼ばれる。東には九州本土の最高峰である[[大分県]]の[[九重山]]を望み、九州最大の河川・[[筑後川]]の源流域でもある。一部は[[阿蘇くじゅう国立公園]]に属する。 <!--*山:[[○○山]]、[[○○山]] * 河川:[[○○川]]、[[○○川]] * 湖沼:[[○○湖]]、[[○○湖]] --> === 気候 === {{Weather box|location=南小国(1991年 - 2020年)|single line=Y|metric first=Y|Jan record high C=18.8|Feb record high C=22.7|Mar record high C=24.6|Apr record high C=30.1|May record high C=32.5|Jun record high C=34.9|Jul record high C=36.1|Aug record high C=36.5|Sep record high C=33.7|Oct record high C=31.4|Nov record high C=25.5|Dec record high C=21.7|year record high C=36.5|Jan high C=7.6|Feb high C=9.6|Mar high C=13.5|Apr high C=19.2|May high C=23.9|Jun high C=25.8|Jul high C=29.4|Aug high C=30.5|Sep high C=26.9|Oct high C=21.8|Nov high C=16.0|Dec high C=10.0|year high C=19.5|Jan mean C=1.8|Feb mean C=3.2|Mar mean C=6.8|Apr mean C=12.0|May mean C=16.9|Jun mean C=20.5|Jul mean C=24.2|Aug mean C=24.5|Sep mean C=20.9|Oct mean C=14.8|Nov mean C=9.0|Dec mean C=3.6|year mean C=13.2|Jan low C=-2.8|Feb low C=-2.1|Mar low C=0.9|Apr low C=5.3|May low C=10.7|Jun low C=16.2|Jul low C=20.3|Aug low C=20.3|Sep low C=16.3|Oct low C=9.4|Nov low C=3.5|Dec low C=-1.3|year low C=8.1|Jan record low C=-12.9|Feb record low C=-13.8|Mar record low C=-8.9|Apr record low C=-5.1|May record low C=-0.6|Jun record low C=5.0|Jul record low C=10.1|Aug record low C=12.5|Sep record low C=2.9|Oct record low C=-2.4|Nov record low C=-5.4|Dec record low C=-9.7|year record low C=-13.8|Jan precipitation mm=73.8|Feb precipitation mm=107.6|Mar precipitation mm=161.8|Apr precipitation mm=165.8|May precipitation mm=197.5|Jun precipitation mm=518.2|Jul precipitation mm=490.5|Aug precipitation mm=235.0|Sep precipitation mm=206.0|Oct precipitation mm=102.0|Nov precipitation mm=92.8|Dec precipitation mm=70.7|year precipitation mm=2421.5|unit precipitation days=1.0 mm|Jan precipitation days=8.4|Feb precipitation days=9.5|Mar precipitation days=12.1|Apr precipitation days=11.1|May precipitation days=10.7|Jun precipitation days=15.5|Jul precipitation days=15.6|Aug precipitation days=12.6|Sep precipitation days=10.9|Oct precipitation days=8.3|Nov precipitation days=8.5|Dec precipitation days=8.3|year precipitation days=131.5|source 1=[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php Japan Meteorological Agency ]|source 2=[[気象庁]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=86&block_no=0833&year=&month=&day=&view= |title=南小国 過去の気象データ検索 |accessdate=2023-08-22 |publisher=気象庁}}</ref>|Dec sun=118.2|Nov sun=135.8|Oct sun=159.7|Aug sun=156.7|Sep sun=131.7|Jun sun=107.8|Jul sun=135.9|Apr sun=168.0|May sun=175.3|Jan sun=111.8|Feb sun=120.9|Mar sun=148.8|year sun=1672.6}} === 隣接する市町村 === '''熊本県''' * 阿蘇郡[[小国町 (熊本県)|小国町]]・[[産山村]] * [[阿蘇市]] '''[[大分県]]''' * [[日田市]] * [[竹田市]] * [[玖珠郡]][[九重町]] === 地名 === * 赤馬場 * 中原 * 満願寺 == 歴史 == === 沿革 === * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] 町村制施行により赤馬場村・満願寺村・中原村が合併し南小国村が発足。 * [[1945年]](昭和20年)[[5月5日]] B29一機が空中戦で墜落。(NHK 市民たちの戦争 2010年8月) * [[1969年]](昭和44年)[[11月1日]] 町制施行。南小国町となる。 == 行政 == * 町長:髙橋 周二 (前町長:河津修司) (前々町長:橋本公) == 経済 == [[米]]・高冷地野菜・[[畜産]]などの農業および小国[[杉]]・[[ヒノキ]]などの林業、温泉・アウトドアなどの観光が主な産業。[[2004年]](平成16年)度町内総生産170億円。 [[タカナ|たかな]]漬け、[[しいたけ]]、[[まいたけ]]、[[ジャージー種|ジャージー牛乳]]などが特産品。 == 姉妹都市・提携都市 == === 国内 === * [[日本で最も美しい村連合|「日本で最も美しい村」連合]] ** [[北海道]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[美瑛町]] ** 北海道[[余市郡]][[赤井川村]] ** [[山形県]][[最上郡]][[大蔵村]] ** [[岐阜県]][[大野郡]][[白川村]] ** [[長野県]][[下伊那郡]][[大鹿村]] ** [[徳島県]][[勝浦郡]][[上勝町]] ** [[宮崎県]][[西諸県郡]][[高原町]] ** 長野県[[木曽郡]][[木曽町]][[開田高原]] ** 北海道[[標津郡]][[標津町]] ** [[岐阜県]][[下呂市]][[馬瀬]] ** 北海道[[阿寒郡]][[鶴居村]] ** 北海道[[虻田郡]][[京極町]] ** 山形県[[西置賜郡]][[飯豊町]] ** 長野県[[上伊那郡]][[中川村]] ** 長野県木曽郡[[南木曽町]] ** [[京都府]][[与謝郡]][[伊根町]] ** [[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[馬路村]] == 地域 == <!--===健康=== *平均年齢--> === 人口 === {{人口統計|code=43423|name=南小国町|image=Population distribution of Minamioguni, Kumamoto, Japan.svg}} === 教育 === ==== 小中学校 ==== ;町立 * 南小国中学校 * [[南小国町立中原小学校|中原小学校]] * りんどうヶ丘小学校 * [[南小国町立市原小学校|市原小学校]] == 交通 == === 鉄道 === 町内を鉄道路線は通っていない。鉄道を使用する場合の最寄り駅は、[[九州旅客鉄道|JR九州]][[豊肥本線]][[阿蘇駅]]。 === バス路線 === * [[九州産交バス|産交バス]] - 隣の小国町と南小国町内各地を結ぶ路線や、南小国町を経由して阿蘇市と小国町を結ぶ路線がある。 * [[小国郷循環バス]](コミュニティーバス「にじバス」) - [[小国町 (熊本県)|小国町]]と共同で運行するコミュニティバス。ゆうステーションを起点に、小国町・南小国町の主要集落や温泉地を経由して一周する。実際の運行業務は産交バスに委託している。 * 高速バス[[福岡 - 黒川温泉線]] - [[福岡市]]と南小国町の中心部や主な温泉地を結ぶ。九州産交バス・日田バスが運行する。 === 道路 === ==== 一般国道 ==== * [[国道212号]] * [[国道442号]] ==== 主要地方道 ==== * [[大分県道・熊本県道11号別府一の宮線|熊本県道11号別府一の宮線]] * [[熊本県道40号南小国波野線]] ==== 一般県道 ==== * [[熊本県道・大分県道134号南小国上津江線|熊本県道134号南小国上津江線]] * [[熊本県道317号満願寺黒川線]] == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 == * [[瀬の本高原]] * [[清流の森]] * [[押戸石の丘]] * [[満願寺 (熊本県南小国町)]] === 温泉 === * [[黒川温泉]] * [[満願寺温泉]] * [[田の原温泉]] * [[白川温泉 (熊本県)|白川温泉]] * [[小田温泉]] * [[湯田温泉 (熊本県)|湯田温泉]] * [[扇温泉]] === こわけランチ === 飲食による観光振興を目的に南小国町の飲食店7店舗で始まった、訪問客に昼食を少しずつ食べ歩いてもらうという取り組み。こわけランチ手形を1500円で購入することで加盟店舗のうち任意に選んだ3件で、通常のメニューには無い「量が少なめ」なランチを食べることが出来る<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.walker47.jp/article/detail/2_201408261117322091 | title = 南小国のこわけランチ始まります! | publisher = Walker47 | date = 2014-08-26 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141224070943/http://www.walker47.jp/article/detail/2_201408261117322091 | archivedate = 2014年12月24日 | accessdate = 2017-01-07 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>。黒川温泉を有する南小国町が始めた。阿蘇のあか牛丼やそば街道の蕎麦といった郷土色豊かなものだけでなく、ラーメンや唐揚げと言った地元住民が通う店も参画している。また、2015年2月からは黒川温泉の飲食店もこの取組に参画し、店舗数が14店舗に拡大している。 === あか牛丼 === 南小国町は、熊本県のブランド牛として知られる[[褐毛和種|あか牛]]を使用した"あか牛丼"の普及に積極的である<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.walkerplus.com/article/51544/ | title = 熊本のご当地グルメ、阿蘇「あか牛丼」は絶品! | publisher = 福岡ウォーカー | date = 2014-10-23 | accessdate = 2017-01-07 }}</ref>。 == 南小国町出身の著名人 == * [[北里俊夫]] (1913-1980) - [[劇作家]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[作詞家]](『[[小国セレナーデ]]』作詞) * [[琴香]] - プロレスラー * [[常田富士男]] (1937-2018) - 俳優、ナレーター(出生は[[長野県]]。) * [[エスパー伊東]] - お笑い芸人(本籍地が南小国町) * [[佐藤勇 (漫画家)|佐藤勇]] - 漫画家 * [[宇都宮章吾]] - コメットハンター(彗星捜索家) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{Official website}} * [http://www.minamioguni.com/ 南小国町観光協会] * [http://www.minamioguni.com/kowakelunch 「南小国のこわけランチ」ホームページ] * {{ウィキトラベル インライン|南小国町|南小国町}} * {{Osmrelation|4000309}} * {{Googlemap|南小国町}} {{熊本県の自治体}} {{日本で最も美しい村連合}} {{Normdaten}} {{Japan-area-stub}} {{デフォルトソート:みなみおくにまち}} [[Category:熊本県の市町村]] [[Category:阿蘇郡]] [[Category:南小国町|*]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]]
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阿蘇温泉郷
阿蘇温泉郷(あそおんせんきょう)は、熊本県阿蘇郡(旧国肥後国)の阿蘇山周辺にある温泉の総称(温泉郷)。何れも火山起源の温泉で、湯量が豊富である。 ※場合によっては南小国温泉郷(黒川温泉、満願寺温泉ほか)や杖立温泉等を含むこともある。
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阿蘇温泉郷(あそおんせんきょう)は、熊本県阿蘇郡(旧国肥後国)の阿蘇山周辺にある温泉の総称(温泉郷)。何れも火山起源の温泉で、湯量が豊富である。
'''阿蘇温泉郷'''(あそおんせんきょう)は、[[熊本県]][[阿蘇郡]](旧国[[肥後国]])の[[阿蘇山]]周辺にある[[温泉]]の総称([[温泉郷]])。何れも[[火山]]起源の温泉で、湯量が豊富である。 == 郷内の温泉 == * [[阿蘇内牧温泉]] * [[阿蘇赤水温泉]] * 白水温泉 * 栃木温泉(とちのき) * [[垂玉温泉]] * [[地獄温泉]] * 湯の谷温泉 ※場合によっては南小国温泉郷([[黒川温泉]]、[[満願寺温泉]]ほか)や[[杖立温泉]]等を含むこともある。 == 関連項目 == * [[温泉]]、[[温泉街]]、[[日本の温泉地一覧]] == 外部リンク == * [http://www.aso.ne.jp/~aso/ 阿蘇市観光協会] {{デフォルトソート:あそおんせんきよう}} [[Category:温泉郷]] [[Category:熊本県の温泉]]
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南阿蘇ルナ天文台
南阿蘇ルナ天文台(みなみあそルナてんもんだい)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある公開天文台。1996年設立。 民間による私設天文台であり、ペンションも併設されている。天体望遠鏡は、九州最大級となる口径82cmのカセグレン式望遠鏡のほか、口径28cmシュミットカセグレン式望遠鏡を保有している。プラネタリウムも設置。宿泊施設「オーベルジュ森のアトリエ」を併設しており、星を見たあとに滞在できるため、「泊まれる天文台」を標榜している。日経なんでもランキング「秋の夜長を星降る宿で」において1位を獲得した(2017年)。 日本公開天文台協会(JAPOS)設立当時からのメンバー施設である。
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南阿蘇ルナ天文台(みなみあそルナてんもんだい)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある公開天文台。1996年設立。 民間による私設天文台であり、ペンションも併設されている。天体望遠鏡は、九州最大級となる口径82cmのカセグレン式望遠鏡のほか、口径28cmシュミットカセグレン式望遠鏡を保有している。プラネタリウムも設置。宿泊施設「オーベルジュ森のアトリエ」を併設しており、星を見たあとに滞在できるため、「泊まれる天文台」を標榜している。日経なんでもランキング「秋の夜長を星降る宿で」において1位を獲得した(2017年)。 日本公開天文台協会(JAPOS)設立当時からのメンバー施設である。
'''南阿蘇ルナ天文台'''(みなみあそルナてんもんだい)は、[[熊本県]][[阿蘇郡]][[南阿蘇村]]にある公開[[天文台]]。1996年設立<ref name="luna_observatory">{{Cite web|和書|url=https://via.co.jp/ |website=南阿蘇ルナ天文台・オーベルジュ森のアトリエ公式サイト |access-date=12月10日 2022年|title=南阿蘇ルナ天文台}}</ref>。 民間による私設天文台であり、[[ペンション]]も併設されている。[[天体望遠鏡]]は、[[九州]]最大級となる口径82cmの[[カセグレン式望遠鏡]]のほか、口径28cm[[シュミットカセグレン式望遠鏡]]を保有している。[[プラネタリウム]]も設置。宿泊施設「オーベルジュ森のアトリエ」を併設しており、星を見たあとに滞在できるため、「泊まれる天文台」を標榜している<ref name="luna_observatory" />。日経なんでもランキング「秋の夜長を星降る宿で」において1位を獲得した(2017年)<ref>{{Cite web|和書|title=秋の夜長に泊まりたい 「星空」が美しい宿10選|トラベル|NIKKEI STYLE |url=https://style.nikkei.com/article/DGXMZO20869260X00C17A9W03000?channel=ASH11000 |website=NIKKEI STYLE |access-date=2023-01-06 |language=ja |last=日本経済新聞社・日経BP社}}</ref>。 日本公開天文台協会(JAPOS)設立当時からのメンバー施設である<ref name="japos">{{Cite web|和書|url=https://koukaitenmondai.jp/ |website=日本公開天文台協会(JAPOS)公式サイト |access-date=12月10日 2022年|title=日本公開天文台協会(JAPOS)}}</ref>。 == 関連項目 == * [[公開天文台一覧]] == 脚注 == {{reflist}} == 外部リンク == * [http://via.co.jp/ 南阿蘇ルナ天文台の公式サイト] * [https://www.koukaitenmondai.jp/ 日本公開天文台協会の公式サイト] {{日本の公開天文台}} {{デフォルトソート:みなみあそるなてんもんたい}} [[Category:日本の天文台]] [[Category:日本のプラネタリウム]] [[Category:南阿蘇村の建築物]] [[Category:天文学に関する記事]] [[Category:1996年開業の施設]] {{astro-stub}}
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クリストファー・ドイル
クリストファー・ドイル(Christopher Doyle, 1952年5月2日 - )は、オーストラリアの撮影監督、映画監督、俳優。アジア映画を中心に活躍し、杜可風という中国名を名乗っている。 シドニー出身。幼年期に日本文学を多読し、18歳から商船員、石油採掘などの仕事に就いた後、台湾・香港にて映画撮影の仕事を始める。ウォン・カーウァイ監督とは名コンビとして知られ『欲望の翼』から『愛の神、エロス』まで大半の作品を担当したほか、エドワード・ヤン、チェン・カイコー、チャン・イーモウなど、中華圏を代表する監督たちと仕事をしている。1999年『孔雀 KUJAKU』で映画監督デビュー。ハリウッドにも進出し、ガス・ヴァン・サントやM・ナイト・シャマランらと組んでいる。日本の映画人とも縁が深く、特に浅野忠信やオダギリジョーとは何度もコラボレーションしている。 手持ちカメラを主体とした激しいカメラワークと、スタイリッシュな画面構成や色彩構成を得意とする。
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クリストファー・ドイルは、オーストラリアの撮影監督、映画監督、俳優。アジア映画を中心に活躍し、杜可風という中国名を名乗っている。
{{ActorActress | 芸名 = Christopher Doyle | ふりがな = クリストファー・ドイル | 画像ファイル =Christopher Doyle.jpg | 画像サイズ = 300px | 画像コメント =2005年8月、ロンドンにて | 本名 = Christopher Doyle | 別名義 = 杜可風 | 出生地 = {{AUS}} [[シドニー]] | 死没地 = | 国籍 = {{AUS}} | 身長 = | 血液型 = | 生年 =1952 | 生月 =5 | 生日 =2 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[撮影監督]] | 活動期間 = 1983年- | 配偶者 = | 著名な家族 = | 事務所 = | 公式サイト = | 主な作品 =『[[欲望の翼]]』/『[[恋する惑星]]』<br>『[[楽園の瑕]]』/『[[天使の涙]]』<br>『[[ブエノスアイレス]]』<br>『[[サイコ]]』(1998年)<br>『[[花様年華]]』/『[[HERO]]』<br>『[[愛の落日]]』/『[[2046]]』<br>『[[レディ・イン・ザ・ウォーター]]』<br>『[[パラノイド・パーク]]』<br>『[[ある船頭の話]]』/『[[ばるぼら]]』 | カンヌ国際映画祭 = '''[[カンヌ国際映画祭 バルカン賞|フランス映画高等技術委員会賞]]'''<br />[[第53回カンヌ国際映画祭|2000年]]『[[花様年華]]』 | ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[金オゼッラ賞|金オゼッラ賞(撮影賞)]]'''<br />[[第51回ヴェネツィア国際映画祭|1994年]]『[[楽園の瑕]]』 | 全米映画批評家協会賞 = '''撮影賞'''<br />[[2001年]]『[[花様年華]]』<br />[[2005年]]『[[2046]]』 | ニューヨーク映画批評家協会賞 = '''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 撮影賞|撮影賞]]'''<br />[[第67回ニューヨーク映画批評家協会賞|2001年]]『[[花様年華]]』<br />[[第70回ニューヨーク映画批評家協会賞|2004年]]『[[HERO (2002年の映画)|HERO]]』<br />[[第71回ニューヨーク映画批評家協会賞|2005年]]『[[2046]]』 }} '''クリストファー・ドイル'''('''Christopher Doyle''', [[1952年]][[5月2日]] - )は、[[オーストラリア]]の[[撮影監督]]、[[映画監督]]、[[俳優]]。アジア映画を中心に活躍し、'''杜可風'''という[[中国]]名を名乗っている。 == 来歴 == [[シドニー]]出身。幼年期に[[日本文学]]を多読し、18歳から商船員、石油採掘などの仕事に就いた後、[[台湾]]・[[香港]]にて映画撮影の仕事を始める。[[ウォン・カーウァイ]]監督とは名コンビとして知られ『[[欲望の翼]]』から『[[愛の神、エロス]]』まで大半の作品を担当したほか、[[エドワード・ヤン]]、[[チェン・カイコー]]、[[チャン・イーモウ]]など、中華圏を代表する監督たちと仕事をしている。1999年『[[孔雀 KUJAKU]]』で映画監督デビュー。[[ハリウッド]]にも進出し、[[ガス・ヴァン・サント]]や[[M・ナイト・シャマラン]]らと組んでいる。日本の映画人とも縁が深く、特に[[浅野忠信]]や[[オダギリジョー]]とは何度もコラボレーションしている。 手持ちカメラを主体とした激しい[[カメラワーク]]と、スタイリッシュな画面構成や色彩構成を得意とする。 == 主な作品 == *[[海辺の一日]] ''海滩的 一天'' (1983) *[[欲望の翼]] ''阿飞正传'' (1990) *[[恋する惑星]] ''重慶森林'' (1994) *[[楽園の瑕]] ''東邪西毒'' (1994) *[[天使の涙]] ''堕落天使'' (1995) *[[男生女相]] ''Yang±Yin: Gender in Chinese Cinema'' (1996) *[[花の影]] ''風月''(1996) *[[wkw/tk/1996@/7'55"hk.net]] ''wkw/tk/1996@/7'55"hk.net'' (1996) *[[ブエノスアイレス (映画)|ブエノスアイレス]] ''春光乍洩'' (1997) *[[初恋 (1997年の映画)|初恋]] ''初纏恋后的2人世界'' (1997) *[[モーテルカクタス]] ''Motel Seoninjang'' (1997) *タイフーン・シェルター(1997年、フジテレビ) *[[孔雀 KUJAKU]] ''三条人'' (1998)(脚本・監督) *[[サイコ (1998年の映画)|サイコ]] ''Psycho'' (1998) *[[リバティ・ハイツ]] ''Liberty Heights''(1999) *[[花様年華]] ''花様年華'' (2000) *[[裸足の1500マイル]] ''Rabbit-Proof Fence'' (2002) *[[THREE/臨死]] ''三更'' (2002、オムニバス(「going home」を担当)) *[[HERO (2002年の映画)|HERO]] ''英雄'' (2002) *[[地球で最後のふたり]] ''Ruang rak noi nid mahasan''(2003) *[[緑茶 (映画)|緑茶]] ''綠茶'' (2003) *[[愛の落日]] ''The Quiet American'' (2003) *[[2046 (映画)|2046]] ''2046'' (2004) *DVD版『[[「月刊」シリーズ|月刊 三浦理恵子]]』(2004) *[[愛の神、エロス]] ''Eros'' (2004、オムニバス(「エロスの純愛〜若き仕立屋の恋」を担当)) *[[若き仕立屋の恋 Long version]] ''愛神 手'' (2004)……「エロスの純愛〜若き仕立屋の恋」のロング・バージョン。 *[[美しい夜、残酷な朝]] ''三更2 Three... Extremes'' (2005、オムニバス(「dumplings」を担当)) *[[上海の伯爵夫人]] ''The White Countess'' (2005) *[[ウィンター・ソング]] ''如果・愛''(2005) *[[レディ・イン・ザ・ウォーター]] ''Lady in the Water''(2006) *[[インビジブル・ウェーブ]] ''Invisible Waves''(2006) *[[パリ、ジュテーム]] ''Paris, je t'aime''(2006)(脚本・監督、オムニバス(「ショワジー門(13区)」を担当)) *[[パラノイドパーク]] ''Paranoid Park''(2007) *[[リミッツ・オブ・コントロール]] ''The Limits of Control''(2009) *[[オンディーヌ 海辺の恋人]] ''Ondine''(2009) *[[海洋天堂]] ''海洋天堂''(2010) *[[ラビット・ホラー3D]](2011) *[[UNDERWATER LOVE -おんなの河童-]](2011) *[[最愛 (映画)|最愛]] ''最愛''(2011) *[[アメリカン・ドリーム・イン・チャイナ]] ''中國合夥人''(2013) *[[縁〜THE BRIDE OF IZUMO〜]](2015) *[[エンドレス・ポエトリー]] (2016)  *[[ある船頭の話]](2019) * [[ばるぼら#映画|ばるぼら]](2020) == 出演作品 == *[[ラヴソング (映画)|ラヴソング]] ''甜蜜蜜'' (1996) *[[アンドロメディア]] (1998) *''春田花花同學會'' (2006)(日本未公開) == 写真集 == *『バックリット・バイ・ザ・ムーン』 (1996年、[[リトル・モア]]) *1997(1996年、[[ロッキング・オン]]) ISBN 978-4947599452 写真集。返還間近の[[香港]]で[[緒川たまき]]を撮影。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{allcinema name|4601|クリストファー・ドイル}} * {{Kinejun name|58179|クリストファー・ドイル}} * {{IMDb name|0236313|Christopher Doyle}} {{毎日映画コンクール撮影賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:といる くりすとふああ}} [[Category:オーストラリアの撮影監督]] [[Category:香港の撮影監督]] [[Category:シドニー出身の人物]] [[Category:1952年生]] [[Category:存命人物]]
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スペランカー
『スペランカー』 (Spelunker) は、1983年にアメリカ合衆国のマイクロ・グラフィック・イメージ(英語版)から発売されたAtari 8ビット・コンピュータ用横スクロールアクションゲーム。 開発者はティム・マーティン。1980年代前半に北米においてコモドール64にも移植された。 日本では、ブローダーバンド社からライセンスを受けたアイレムが、1985年12月7日にファミリーコンピュータ用ソフトとして発売した。 1986年には同社によりアーケードゲームとして稼働された他、MSXにも移植された。後に続編となるアーケードゲーム『スペランカーII 23の鍵 』(1986年)が稼働された他、ファミリーコンピュータ用ソフト『スペランカーII 勇者への挑戦』(1987年)が発売された。以降開発の主導はアイレムに移り、続編・リメイクがいくつか出されている。2011年までアイレムが、半ば自社の看板キャラクターとして扱っていた。 ファミリーコンピュータ版はバーチャルコンソール対応ソフトとして2007年にWii、2012年にニンテンドー3DS、2013年にWii Uにてそれぞれ配信された他、2009年には携帯電話アプリゲームとしてiアプリ、S!アプリにて配信された。MSX版は2009年にWindows用ソフトとしてプロジェクトEGGにて配信された。また、Atari8ビット版とファミリーコンピュータ版、アーケード版は後にPlayStation 3およびPlayStation Vita用ソフト『スペランカーコレクション』(2013年)に収録された。 現在のスペランカーの権利は、かつてファミコン版『スペランカー』を開発したアイレム社員であり、ティム・マーティン本人とも知己であるスコット津村が後に設立したTozai Gamesが保有しており、『みんなでスペランカー』(2009年)などの続編もそこから配信されている。 Atari 2600用のゲームを開発していたGames By Apollo(英語版)矢が1982年末にアタリショックに巻き込まれて倒産した後、ティム・マーティンを中心とするメンバーが独立してマイクロ・グラフィック・イメージ社を設立した。マーティンらは1983年のCESに自ら出向いてブローダーバンド社やCBSと言った大手パブリッシャーとデベロッパー契約を結び、独立の担保とした。1983年、独立後のゲーム第一弾として満を持して発売したのが元祖『Spelunker』である。 元々マーティンは趣味でニューメキシコ州の鉱山などを探検しており、これが『Spelunker』のヒントとなった。たとえば、主人公がちょっとしたことで死ぬという仕様は、マーティンの実体験を持ち込んだ結果である。 1977年発売の低性能なAtari 2600プラットホームでは『スペランカー』のようなリッチなゲームが開発できなかったため、対応プラットホームをATARI 400やATARI 800などのAtari 8ビット・コンピュータ用として開発されたが、アタリショックの余波はATARI-8bitプラットホームにも影響し、新興の弱小企業であるマイクロ・グラフィック・イメージ社の製品を問屋が扱ってくれないという状況に陥る。マイクロ・グラフィック・イメージ社は資金繰りが悪化したため自社での販売を諦め、デベロッパーとして以前より顔を売っていたブローダーバンド社に全ての権利を委譲し、業務を停止した。 その後ティム・マーティンを初めとするマイクロ・グラフィック・イメージ社のメンバーはブローダーバンド社の下請けとなり、オリジナルのAtari 8ビット・コンピュータ版は若干のリメイクの上で再発売、その後当時のアメリカのトップハードとなったコモドール64版の移植も担当した。 ティム・マーティンが実際に制作に関与しているのはコモドール64版までだが、以降の版にも原作者として「by Tim Martin」の名が冠されている。 原作者のティム・マーティンは2010年現在も本作品に大きな自信を持っており、ブローダーバンド社からの独立後もAmiga用ソフトウェア事業やインターネットプロバイダ事業など数々のスペランキングを成し遂げて来た自身をspelunkerguyと称しており、TwitterやYouTubeでのアカウント名としても用いている。 また、スコット津村はアイレム社員時にファミコン版『スペランカー』やアーケード版『ロードランナー』を担当したことが縁となり、ブローダーバンド社との協業のために渡米、アメリカ国籍を得てTozai Gamesを設立、アイレムとティム・マーティンより権利の委譲を受け『みんなでスペランカー』制作などの「スペランキング」を経験することとなり「ロードランナーとスペランカーによって人生が変わった」と証言している。 ヘルメットをつけた洞窟探検家を操作し、エレベーター・トロッコ・ボートなどを乗り継いで洞窟最下層にある秘宝の山をめざす。 本作の探検家はある程度の高さから落下しただけで1ミスになるというシビアさで知られ、この探検家はコンピューターゲーム史上最弱の主人公の筆頭に挙がるほど。画面上部にはエネルギーゲージが設定されており、時間経過やブラスターを打つことにより減っていくため、アイテムを取って回復しながら進むことが求められる。他に、ぶつかるとミスになる障害物が多数存在したり、鍵を取得しないと開かない扉もあったりと難解な要素もある。 隠しアイテムとして、特定の場所でジャンプすることで出現する1UP・得点2倍(一定時間)・無敵(一定時間。ただし段差からの落下やエネルギー切れには効果無し)・赤い薬(一定時間スピードとジャンプの飛距離がアップ)と、壁を爆弾で爆破することで現れるダイヤがある。 また、ミラクルと呼ばれるアイテムは、取ると何らかのアイテムが増える。ランダムではなく、内部的にフレーム毎で決まった変化をしている。 敵キャラは探検家を追跡するゴーストと、糞を落とす蝙蝠の2種。それぞれ、エネルギーゲージを消費して放つブラスターと呼ばれる銃の様な武器と、アイテムの取得で使用可能になるフラッシュで退治できる。 ELEVATOR(エレベーター面)、ROPES(ロープ面)、FALLS(滝面)、PYRAMID(ピラミッド面)、TRESURE(財宝面)の5面構成である。各面のオープニングで「NOW ENTERING THE ROPES」などと表示され、得点の加算と1アップのボーナスがある。 ファミコン版(NES版)・MSX版では秘宝の山にたどり着くと開始地点まで戻り難易度が上がる。以降はこれを繰り返す。 これまでに6つのバージョンが確認されている。なお、日本で2013年1月17日にリリースされたPS3用ダウンロード専売ソフト『スペランカーコレクション』にはAtari版とファミコン版・アーケード版が収録されており、各バージョンの差異を簡単に確認できる。 1983年にマイクロ・グラフィック・イメージ社としてのゲーム第一弾として発売したもの、及び1984年にブローダーバンド社から再発売されたもの。 後者は若干遊びやすくなっており、クレジットが1984年となっている、ブローダーバンド社の名前が入っている、などの細かい違いがある。後述の『スペランカーコレクション』の発売に際してTozai Gamesのスコット津村が原作者のティム・マーティンに尋ねたところ、ティムはブローダーバンド社版の方が好きとのことで、『スペランカーコレクション』に収録の「オリジナル版」ではブローダーバンド社版が移植された。 2013年のPS3用の『スペランカーコレクション』では『コレクション』では1984年版を“オリジナル版”として収録。 1984年発売。ティム・マーティンが実際に関与した最後の『スペランカー』となっている。 Atari 8ビット版のオープニングテーマであったモデスト・ムソルグスキーの『展覧会の絵』に代わってティム・マーティン作曲のオリジナルのオープニングテーマが採用されており、このテーマ曲はファミコン版以降、四半世紀後のリメイクである『みんなでスペランカー』に至るまで踏襲されている。他はAtari 8bit版の完全移植に近い。この版が日本を除く世界各国で最も普及したスペランカーであり、アメリカのみならずブローダーバンド社が販路を持つ世界各国でも販売された。 1985年に日本のゲーム会社アイレムがブローダーバンドよりライセンスを取得し、当時日本でトップハードであったファミリーコンピュータ用ソフトとして移植、販売した。移植を担当したのは、当時アーケード版『ロードランナー』なども担当しており、後にTozai Gamesとして『みんなでスペランカー』を制作するスコット津村。 『スクーン』(1986年)など当時のアイレム発売の他のファミリーコンピュータ用カートリッジと同様、前部に取り付けられた赤い発光ダイオードで電源のオン/オフが確認できる。また少数だが、発光ダイオードの無いカートリッジも存在する。なお、カセットにLEDが搭載されている理由は、製作者が「電源が入っているのにカセットを抜いてしまうことがよくあったので、LEDでそれが分かるようにした」ためである。 コモドール64版をほぼ踏襲しているが、オリジナルとはキャラクターのグラフィックや色が異なっている(肥満体であったスペランカーも痩せ気味に改変されている)、マップの段差などの再調整、ゲーム中に流れるBGMが追加されている、クリアした後に2周目以降がある、などの違いがある。5面構成の各面の区切りは赤い扉で代用されており、これを鍵で開くことで得点の加算と1アップが行われる。日本で大ヒットし、ティム・マーティンはアイレムからのライセンス料によってマイクロ・グラフィック・イメージ社の負債を返済することができた。 自分の身長の高さを落下しただけでミスとなる(身長は16ドットであり、14ドットより大きい落下でミス)シビアな操作性が特徴で、クリア周回を重ねるとクリアに必要なアイテムが見えなくなるなど、2周目から6周目にかけて元々高い難易度がさらに上昇するため、どこまで続けられるかというやり込み要素となった。6周目以降は、6周目と同じ内容となる。そして、256周目は1周目とほぼ同じだがカギが表示されず、257周目は1周目と全く同じになる。 難易度の高さに関しては賛否両論があったが、製作者はチャレンジ精神が旺盛なプレイヤーに対してチャレンジを促す意味合いがあったのと、また「難しさがゲームの特徴の一つにもなるかな」と気を使った結果、あのような難易度になったことを証言している。 後に様々なゲーム機に移植された。 1985年にアイレムが開発、発売。「by Tim Martin」の名が冠されてはいるが大幅なアレンジが施された。 残機+バイタリティ制を採用、段差からの転落やガスなどの障害物への接触でもダメージは受けるがすぐ死ぬことはない。バイタリティが充分に残っていれば、身長の20倍以上の高さから落下しても平気であり、難易度はファミリーコンピュータ版より低い。しかし、何もしなくても時間の経過でバイタリティが少しずつ減っていくために、回復アイテムを取りながら進む必要がある。パワーアップアイテムを取りすぎるとスピードアップしすぎてかえって死にやすくなる傾向にある。エネルギーガンによる攻撃は、持続式から単発式に変更されている。 ステージ進行については、前述の内容と同様に洞窟の深層部を目指し、財宝を探し当てることが目的。画面右上には、どこまで潜っているかを示す深度計がメートル単位で表示されている(約7000メートル近くまである)。途中、高得点アイテムのある財宝が安置されている大扉がいくつかあり、それぞれがステージ中間を兼ねている。ステージ中にあるギミックを作動させることで、床が消えたりロープが出現したりする。深層部の大扉を開けると別の洞窟への入り口が開かれ、再び0メートルから開始するループとなる。 2013年、PS3用の『スペランカーコレクション』に続編『スペランカーII 23の鍵』と共に家庭用ゲーム機に初移植された。 1986年にアイレムからリリースされた。ゲーム内容的にはファミコン版と同様であるが、ハードの性能のためスムーズなスクロールができない。 2009年4月28日よりプロジェクトEGGにて販売されている。 ファミコン版『スペランカー』が1987年にNES版としてアメリカでも発売された。 アーケード、ファミリーコンピュータ共に続編がある。どちらもアイレムが開発、販売しているが、ゲームシステムは両者で全く別物である。 また、『みんなでスペランカー』以降の作品は直接的な続編では無いが、ファミコン版『スペランカー』と同一人物によって制作されたものである。 上述のアイレムの4コマ漫画『スペランカー先生』を原作としたFLASHムービーアニメ。2011年3月16日発売。 『舞台「スペランカー」』として上野ストアハウスにて2014年2月19日から2月23日まで公演。公演の模様はDVD化された。
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"ファミコン版(NES版)・MSX版では秘宝の山にたどり着くと開始地点まで戻り難易度が上がる。以降はこれを繰り返す。", "title": "ゲーム内容" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これまでに6つのバージョンが確認されている。なお、日本で2013年1月17日にリリースされたPS3用ダウンロード専売ソフト『スペランカーコレクション』にはAtari版とファミコン版・アーケード版が収録されており、各バージョンの差異を簡単に確認できる。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1983年にマイクロ・グラフィック・イメージ社としてのゲーム第一弾として発売したもの、及び1984年にブローダーバンド社から再発売されたもの。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "後者は若干遊びやすくなっており、クレジットが1984年となっている、ブローダーバンド社の名前が入っている、などの細かい違いがある。後述の『スペランカーコレクション』の発売に際してTozai Gamesのスコット津村が原作者のティム・マーティンに尋ねたところ、ティムはブローダーバンド社版の方が好きとのことで、『スペランカーコレクション』に収録の「オリジナル版」ではブローダーバンド社版が移植された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2013年のPS3用の『スペランカーコレクション』では『コレクション』では1984年版を“オリジナル版”として収録。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1984年発売。ティム・マーティンが実際に関与した最後の『スペランカー』となっている。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Atari 8ビット版のオープニングテーマであったモデスト・ムソルグスキーの『展覧会の絵』に代わってティム・マーティン作曲のオリジナルのオープニングテーマが採用されており、このテーマ曲はファミコン版以降、四半世紀後のリメイクである『みんなでスペランカー』に至るまで踏襲されている。他はAtari 8bit版の完全移植に近い。この版が日本を除く世界各国で最も普及したスペランカーであり、アメリカのみならずブローダーバンド社が販路を持つ世界各国でも販売された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1985年に日本のゲーム会社アイレムがブローダーバンドよりライセンスを取得し、当時日本でトップハードであったファミリーコンピュータ用ソフトとして移植、販売した。移植を担当したのは、当時アーケード版『ロードランナー』なども担当しており、後にTozai Gamesとして『みんなでスペランカー』を制作するスコット津村。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『スクーン』(1986年)など当時のアイレム発売の他のファミリーコンピュータ用カートリッジと同様、前部に取り付けられた赤い発光ダイオードで電源のオン/オフが確認できる。また少数だが、発光ダイオードの無いカートリッジも存在する。なお、カセットにLEDが搭載されている理由は、製作者が「電源が入っているのにカセットを抜いてしまうことがよくあったので、LEDでそれが分かるようにした」ためである。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "コモドール64版をほぼ踏襲しているが、オリジナルとはキャラクターのグラフィックや色が異なっている(肥満体であったスペランカーも痩せ気味に改変されている)、マップの段差などの再調整、ゲーム中に流れるBGMが追加されている、クリアした後に2周目以降がある、などの違いがある。5面構成の各面の区切りは赤い扉で代用されており、これを鍵で開くことで得点の加算と1アップが行われる。日本で大ヒットし、ティム・マーティンはアイレムからのライセンス料によってマイクロ・グラフィック・イメージ社の負債を返済することができた。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "自分の身長の高さを落下しただけでミスとなる(身長は16ドットであり、14ドットより大きい落下でミス)シビアな操作性が特徴で、クリア周回を重ねるとクリアに必要なアイテムが見えなくなるなど、2周目から6周目にかけて元々高い難易度がさらに上昇するため、どこまで続けられるかというやり込み要素となった。6周目以降は、6周目と同じ内容となる。そして、256周目は1周目とほぼ同じだがカギが表示されず、257周目は1周目と全く同じになる。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "難易度の高さに関しては賛否両論があったが、製作者はチャレンジ精神が旺盛なプレイヤーに対してチャレンジを促す意味合いがあったのと、また「難しさがゲームの特徴の一つにもなるかな」と気を使った結果、あのような難易度になったことを証言している。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "後に様々なゲーム機に移植された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1985年にアイレムが開発、発売。「by Tim Martin」の名が冠されてはいるが大幅なアレンジが施された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "残機+バイタリティ制を採用、段差からの転落やガスなどの障害物への接触でもダメージは受けるがすぐ死ぬことはない。バイタリティが充分に残っていれば、身長の20倍以上の高さから落下しても平気であり、難易度はファミリーコンピュータ版より低い。しかし、何もしなくても時間の経過でバイタリティが少しずつ減っていくために、回復アイテムを取りながら進む必要がある。パワーアップアイテムを取りすぎるとスピードアップしすぎてかえって死にやすくなる傾向にある。エネルギーガンによる攻撃は、持続式から単発式に変更されている。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ステージ進行については、前述の内容と同様に洞窟の深層部を目指し、財宝を探し当てることが目的。画面右上には、どこまで潜っているかを示す深度計がメートル単位で表示されている(約7000メートル近くまである)。途中、高得点アイテムのある財宝が安置されている大扉がいくつかあり、それぞれがステージ中間を兼ねている。ステージ中にあるギミックを作動させることで、床が消えたりロープが出現したりする。深層部の大扉を開けると別の洞窟への入り口が開かれ、再び0メートルから開始するループとなる。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2013年、PS3用の『スペランカーコレクション』に続編『スペランカーII 23の鍵』と共に家庭用ゲーム機に初移植された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1986年にアイレムからリリースされた。ゲーム内容的にはファミコン版と同様であるが、ハードの性能のためスムーズなスクロールができない。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2009年4月28日よりプロジェクトEGGにて販売されている。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ファミコン版『スペランカー』が1987年にNES版としてアメリカでも発売された。", "title": "他機種版" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "アーケード、ファミリーコンピュータ共に続編がある。どちらもアイレムが開発、販売しているが、ゲームシステムは両者で全く別物である。", "title": "続編" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "また、『みんなでスペランカー』以降の作品は直接的な続編では無いが、ファミコン版『スペランカー』と同一人物によって制作されたものである。", "title": "続編" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "上述のアイレムの4コマ漫画『スペランカー先生』を原作としたFLASHムービーアニメ。2011年3月16日発売。", "title": "関連作品" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『舞台「スペランカー」』として上野ストアハウスにて2014年2月19日から2月23日まで公演。公演の模様はDVD化された。", "title": "関連作品" } ]
『スペランカー』 (Spelunker) は、1983年にアメリカ合衆国のマイクロ・グラフィック・イメージから発売されたAtari 8ビット・コンピュータ用横スクロールアクションゲーム。 開発者はティム・マーティン。1980年代前半に北米においてコモドール64にも移植された。 日本では、ブローダーバンド社からライセンスを受けたアイレムが、1985年12月7日にファミリーコンピュータ用ソフトとして発売した。 1986年には同社によりアーケードゲームとして稼働された他、MSXにも移植された。後に続編となるアーケードゲーム『スペランカーII 23の鍵 』(1986年)が稼働された他、ファミリーコンピュータ用ソフト『スペランカーII 勇者への挑戦』(1987年)が発売された。以降開発の主導はアイレムに移り、続編・リメイクがいくつか出されている。2011年までアイレムが、半ば自社の看板キャラクターとして扱っていた。 ファミリーコンピュータ版はバーチャルコンソール対応ソフトとして2007年にWii、2012年にニンテンドー3DS、2013年にWii Uにてそれぞれ配信された他、2009年には携帯電話アプリゲームとしてiアプリ、S!アプリにて配信された。MSX版は2009年にWindows用ソフトとしてプロジェクトEGGにて配信された。また、Atari8ビット版とファミリーコンピュータ版、アーケード版は後にPlayStation 3およびPlayStation Vita用ソフト『スペランカーコレクション』(2013年)に収録された。 現在のスペランカーの権利は、かつてファミコン版『スペランカー』を開発したアイレム社員であり、ティム・マーティン本人とも知己であるスコット津村が後に設立したTozai Gamesが保有しており、『みんなでスペランカー』(2009年)などの続編もそこから配信されている。
{{コンピュータゲーム | Title = スペランカー | Genre = [[アクションゲーム|横スクロールアクション]] | Plat = [[Atari 8ビット・コンピュータ|ATARI-8bit]] (A8){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[コモドール64]] (C64)<br />[[ファミリーコンピュータ]] (FC)<br />[[アーケードゲーム|アーケード]] (AC)<br />[[MSX]]<br />[[Wii]]<br />[[iアプリ]]<br />[[S!アプリ]]<br />[[Microsoft Windows|Windows]] (Win)<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Wii U]]}} | Dev = {{仮リンク|マイクロ・グラフィック・イメージ|en|MicroGraphic Image}} | Pub = マイクロ・グラフィック・イメージ | producer = | director = | designer = ティム・マーティン | writer = | programmer = | composer = | artist = | license = | series = スペランカーシリーズ | Ver = | Play = 1 - 2人(交互プレイ) | Media = [[フロッピーディスク]] | Date = {{vgrelease new|NA|1983年}}{{Collapsible list |title = 発売日一覧 |1 = '''C64'''<br />{{vgrelease new|NA|1984年}}'''FC'''<br />{{vgrelease new|JP|1985-12-07|NA|September 1987}}'''AC'''<br />{{vgrelease new|JP|February 1986}}'''MSX'''<br />{{vgrelease new|JP|1986-06-10}}'''Wii'''<br />{{vgrelease new|JP|2007-08-28|NA|2008-03-17|EU|2008-09-05}}'''iアプリ'''<br 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ファミリーコンピュータ版は[[バーチャルコンソール]]対応ソフトとして[[2007年]]に[[Wii]]、[[2012年]]に[[ニンテンドー3DS]]、[[2013年]]に[[Wii U]]にてそれぞれ配信された他、[[2009年]]には携帯電話アプリゲームとして[[iアプリ]]、[[S!アプリ]]にて配信された。MSX版は2009年に[[Microsoft Windows|Windows]]用ソフトとして[[プロジェクトEGG]]にて配信された。また、Atari8ビット版とファミリーコンピュータ版、アーケード版は後に[[PlayStation 3]]および[[PlayStation Vita]]用ソフト『[[スペランカーコレクション]]』(2013年)に収録された。 現在のスペランカーの権利は、かつてファミコン版『スペランカー』を開発したアイレム社員であり、ティム・マーティン本人とも知己である[[スコット津村]]が後に設立した[[Tozai Games]]が保有しており、『[[みんなでスペランカー]]』([[2009年]])などの続編もそこから配信されている<ref name="4gamer">[https://www.4gamer.net/games/074/G007497/20120713064/index_2.html 4Gamer.net ― ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃] [[2012年]][[7月23日]]</ref>。 == 開発 == === 経緯 === [[Atari 2600]]用のゲームを開発していた{{仮リンク|Games By Apollo|en|Games By Apollo}}矢が[[1982年]]末に[[アタリショック]]に巻き込まれて倒産した後、ティム・マーティンを中心とするメンバーが独立してマイクロ・グラフィック・イメージ社を設立した<ref name="4Gamer.net20150207">{{Cite web|和書|title=歴代スペランカー開発者が,最新作「みんなでスペランカーZ」のために集結。3氏が語る新旧開発エピソードとゲームへの思い |url=https://www.4gamer.net/games/289/G028965/20150204115/ |website=4Gamer.net |access-date=2023-10-09 |publisher=Aetas |date=2015/02/07}}</ref>。マーティンらは1983年の[[CES]]に自ら出向いて[[ブローダーバンド]]社や[[CBS]]と言った大手パブリッシャーとデベロッパー契約を結び、独立の担保とした。1983年、独立後のゲーム第一弾として満を持して発売したのが元祖『Spelunker』である。 元々マーティンは趣味でニューメキシコ州の鉱山などを探検しており、これが『Spelunker』のヒントとなった<ref name="4Gamer.net20150207"/>。たとえば、主人公がちょっとしたことで死ぬという仕様は、マーティンの実体験を持ち込んだ結果である<ref name="4Gamer.net20150207"/>。 1977年発売の低性能なAtari 2600プラットホームでは『スペランカー』のようなリッチなゲームが開発できなかったため、対応プラットホームをATARI 400やATARI 800などの[[Atari 8ビット・コンピュータ]]用として開発されたが、[[アタリショック]]の余波はATARI-8bitプラットホームにも影響し、新興の弱小企業であるマイクロ・グラフィック・イメージ社の製品を問屋が扱ってくれないという状況に陥る。マイクロ・グラフィック・イメージ社は資金繰りが悪化したため自社での販売を諦め、デベロッパーとして以前より顔を売っていたブローダーバンド社に全ての権利を委譲し、業務を停止した。 その後ティム・マーティンを初めとするマイクロ・グラフィック・イメージ社のメンバーは[[ブローダーバンド]]社の下請けとなり、オリジナルのAtari 8ビット・コンピュータ版は若干のリメイクの上で再発売、その後当時のアメリカのトップハードとなった[[コモドール64]]版の移植も担当した。 ティム・マーティンが実際に制作に関与しているのはコモドール64版までだが、以降の版にも原作者として「'''by Tim Martin'''」の名が冠されている。 === 主な作者に関する評価 === 原作者のティム・マーティンは2010年現在も本作品に大きな自信を持っており、ブローダーバンド社からの独立後も[[Amiga]]用ソフトウェア事業や[[インターネットプロバイダ]]事業など数々のスペランキングを成し遂げて来た自身をspelunkerguyと称しており、TwitterやYouTubeでのアカウント名としても用いている。 また、[[スコット津村]]はアイレム社員時にファミコン版『スペランカー』やアーケード版『ロードランナー』を担当したことが縁となり、ブローダーバンド社との協業のために渡米、アメリカ国籍を得てTozai Gamesを設立、アイレムとティム・マーティンより権利の委譲を受け『みんなでスペランカー』制作などの「スペランキング」を経験することとなり「ロードランナーとスペランカーによって人生が変わった」と証言している。 == ゲーム内容 == ヘルメットをつけた洞窟探検家を操作し、エレベーター・トロッコ・ボートなどを乗り継いで洞窟最下層にある秘宝の山をめざす。 本作の探検家はある程度の高さから落下しただけで1ミスになるというシビアさで知られ{{Refnest|group="注釈"|その貧弱さは多大なインパクトを与え、このことから現代でも怪我をしやすいスポーツ選手は「スペランカー」あるいは「スペ体質」などと呼ばれる<ref>{{Cite book|和書|series=M.B.MOOK|title=懐かしファミコンパーフェクトガイド|publisher=[[マガジンボックス]]|date=2016-04-21|page=36|ISBN=9784906735891}}</ref>。}}<ref group="注釈">バージョン(機種)によって違うので、後述の各機種版の節を参照</ref>、この探検家は[[コンピューターゲーム]]史上最弱の主人公の筆頭に挙がるほど<ref name="muri200">マイウェイ出版『死ぬ前にクリアしたい200の無理ゲー ファミコン&スーファミ』 (ISBN 9784865119855、2018年10月10日発行)、9ページ</ref>。画面上部にはエネルギーゲージが設定されており、時間経過やブラスターを打つことにより減っていくため、アイテムを取って回復しながら進むことが求められる。他に、ぶつかるとミスになる障害物が多数存在したり、鍵を取得しないと開かない扉もあったりと難解な要素もある。 隠しアイテムとして、特定の場所でジャンプすることで出現する1UP・得点2倍(一定時間)・無敵(一定時間。ただし段差からの落下やエネルギー切れには効果無し)・赤い薬(一定時間スピードとジャンプの飛距離がアップ)と、壁を爆弾で爆破することで現れるダイヤがある。 また、ミラクルと呼ばれるアイテムは、取ると何らかのアイテムが増える。ランダムではなく、内部的にフレーム毎で決まった変化をしている。 敵キャラは探検家を追跡するゴーストと、糞を落とす蝙蝠の2種。それぞれ、エネルギーゲージを消費して放つブラスターと呼ばれる銃の様な武器と、アイテムの取得で使用可能になるフラッシュで退治できる。 ELEVATOR(エレベーター面)、ROPES(ロープ面)、FALLS(滝面)、PYRAMID(ピラミッド面)、TRESURE(財宝面)の5面構成である。各面のオープニングで「NOW ENTERING THE ROPES」などと表示され、得点の加算と1アップのボーナスがある。 ファミコン版(NES版)・MSX版では秘宝の山にたどり着くと開始地点まで戻り難易度が上がる。以降はこれを繰り返す。 == 他機種版 == これまでに6つのバージョンが確認されている。なお、[[日本]]で[[2013年]][[1月17日]]にリリースされた[[PlayStation 3|PS3]]用ダウンロード専売ソフト『スペランカーコレクション』にはAtari版とファミコン版・アーケード版が収録されており、各バージョンの差異を簡単に確認できる。 === 一覧 === {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! No. ! タイトル ! 発売日 ! 対応機種 ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 備考 ! 出典 |- | style="text-align:right" |1 ! Spelunker | {{vgrelease new|NA|1984年}} | [[コモドール64]] | マイクロ・グラフィック・イメージ | [[ブローダーバンド]] | [[フロッピーディスク]] | - | | |- | style="text-align:right" |2 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|1985-12-07|NA|September 1987}} | [[ファミリーコンピュータ]] | タムテックス<br />[[トーセ]] | {{vgrelease new|JP|[[アイレムソフトウェアエンジニアリング|アイレム]]<ref name="muri200"/>|NA|ブローダーバンド}} | 320[[キロビット]][[ロムカセット]]<ref name="famimaga52">{{Cite journal |和書 |author = |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |page = 52 |ref = harv}}</ref> | {{vgrelease new|JP|IF-03|NA|NES-SU-USA}} | 売り上げ本数:{{vgrelease new|JP|約42万本}} | {{vgrelease new|JP|<ref name="muri200"/>}} |- | style="text-align:right" |3 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|February 1986}} | [[アーケードゲーム|アーケード]] | アイレム | アイレム | [[アーケードゲーム基板|業務用基板]] | - | アイレムM62システム使用 | |- | style="text-align:right" |4 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|1986-06-10}} | [[MSX]] | アイレム | アイレム | 256キロビットロムカセット | IM-01 | | |- | style="text-align:right" |5 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2007-08-28|NA|2008-03-17|EU|2008-09-05}} | [[Wii]] | アイレム | アイレム | [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />([[バーチャルコンソール]]) | - | ファミリーコンピュータ版の移植 | {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web|和書|author=中野信二 |date=2007-07-27 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20070727/vc.htm |title=任天堂、「バーチャルコンソール」配信リストを更新。8月はFC「スペランカー」、SFC「弟切草」など |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-13}}</ref>|NA|<ref name="mobygames_Wiirelease">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/wii/spelunker/release-info |title=Spelunker (2007) Wii release dates |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-12-31}}</ref>|EU|<ref name="mobygames_Wiirelease"/>}} |- | style="text-align:right" |6 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2009-07-06}} | [[iアプリ]] | アイレム | [[イマジニア]] | ダウンロード | - | ファミリーコンピュータ版の移植 | <ref name="gamewatch20090501">{{Cite web|和書|author=鬼頭世浪 |date=2009-05-01 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/167949.html |title=イマジニア、iモード/Yahoo! ケータイ「スペランカー」を今夏配信 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |language= [[日本語]] |accessdate=2018-12-31}}</ref> |- | style="text-align:right" |7 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2009-08-03}} | [[Yahoo!ケータイ]]<br />([[S!アプリ]]) | アイレム | イマジニア | ダウンロード | - | ファミリーコンピュータ版の移植 | <ref name="gamewatch20090501"/> |- | style="text-align:right" |8 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2009-04-28}} | [[Microsoft Windows|Windows]] | タムテックス<br />トーセ | アイレム | ダウンロード<br />([[プロジェクトEGG]]) | - | MSX版の移植 | <ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-03-31 |url=https://www.4gamer.net/games/008/G000896/20090331040/ |title=アイレムが「プロジェクトEGG」へ! 第1弾はMSX版「スペランカー」 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2019-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-04-28 |url=https://www.4gamer.net/games/008/G000896/20090428011/ |title=弱過ぎる主人公が復活。プロジェクトEGG,「スペランカー」を発売 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2019-07-06}}</ref> |- | style="text-align:right" |9 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2012-12-19|NA|2013-06-27|EU|2013-07-18}} | [[ニンテンドー3DS]] | タムテックス<br />トーセ | アイレム | ダウンロード | - | ファミリーコンピュータ版の移植 | {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web|和書|author=船津稔 |date=2012-12-12 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/578428.html |title=ファミリーコンピュータ用「スペランカー」が3DSでプレイ可能に |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2012-12-12 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/571/571545/ |title=今度は3DSで探検だ! 『スペランカー』が3DS用バーチャルコンソールに登場 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-07-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=宮崎紘輔 |date=2012-12-12 |url=https://www.inside-games.jp/article/2012/12/12/62155.html |title=ゲーム史上「最弱」の男、ニンテンドー3DSに登場!VC『スペランカー』12月19日配信 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-07-06}}</ref>|NA|<ref name="mobygames_3DSrelease">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/3ds/spelunker/release-info |title=Spelunker (2012) Nintendo 3DS release dates |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-12-31}}</ref>|EU|<ref name="mobygames_3DSrelease"/>}} |- | style="text-align:right" |10 ! [[スペランカーコレクション]] | {{vgrelease new|JP|2013-04-27|NA|2013-06-27}} | [[PlayStation 3]]<br />[[PlayStation Vita]]<br />([[PlayStation Network]]) | [[M2 (ゲーム会社)|M2]] | Tozai Games | ダウンロード | - | | |- | style="text-align:right" |11 ! スペランカー | {{vgrelease new|JP|2013-04-27|NA|2013-06-06}} | [[Wii U]] | タムテックス<br />トーセ | Tozai Games | ダウンロード<br />(バーチャルコンソール) | - | | {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2013-04-26 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/04/26/65992.html |title=Wii Uバーチャルコンソール、日本は4月27日より展開 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-13}}</ref>|NA|<ref name="mobygames_WiiUrelease">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/wii-u/spelunker/release-info |title=Spelunker (2013) Wii release dates |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-12-31}}</ref>}} |} === Atari 8ビット・コンピュータ版 === [[1983年]]にマイクロ・グラフィック・イメージ社としてのゲーム第一弾として発売したもの、及び1984年にブローダーバンド社から再発売されたもの。 後者は若干遊びやすくなっており、クレジットが[[1984年]]となっている、ブローダーバンド社の名前が入っている、などの細かい違いがある。後述の『スペランカーコレクション』の発売に際してTozai Gamesのスコット津村が原作者のティム・マーティンに尋ねたところ、ティムはブローダーバンド社版の方が好きとのことで、『スペランカーコレクション』に収録の「オリジナル版」ではブローダーバンド社版が移植された<ref>[https://www.4gamer.net/games/199/G019965/20130322021/ 4Gamer.net ― Tozai Inc.のスコット津村氏が再来日。「スペランカーコレクション」にまつわるとっておきの裏話を4Gamerだけに聞かせてくれた] 2013/03/30閲覧</ref>。 [[2013年]]のPS3用の『スペランカーコレクション』では『コレクション』では1984年版を“オリジナル版”として収録。 === コモドール64版 === [[1984年]]発売。ティム・マーティンが実際に関与した最後の『スペランカー』となっている。 Atari 8ビット版のオープニングテーマであった[[モデスト・ムソルグスキー]]の『[[展覧会の絵]]』に代わってティム・マーティン作曲のオリジナルのオープニングテーマが採用されており、このテーマ曲はファミコン版以降、四半世紀後のリメイクである『みんなでスペランカー』に至るまで踏襲されている。他はAtari 8bit版の完全移植に近い。この版が日本を除く世界各国で最も普及したスペランカーであり、アメリカのみならずブローダーバンド社が販路を持つ世界各国でも販売された。 === ファミリーコンピュータ版 === [[1985年]]に日本のゲーム会社アイレムがブローダーバンドよりライセンスを取得し、当時日本でトップハードであった[[ファミリーコンピュータ]]用ソフトとして移植、販売した。移植を担当したのは、当時アーケード版『[[ロードランナー]]』なども担当しており、後にTozai Gamesとして『みんなでスペランカー』を制作するスコット津村。 『[[スクーン]]』(1986年)など当時のアイレム発売の他のファミリーコンピュータ用カートリッジと同様、前部に取り付けられた赤い[[発光ダイオード]]で電源のオン/オフが確認できる。また少数だが、発光ダイオードの無いカートリッジも存在する。なお、カセットにLEDが搭載されている理由は、製作者が「電源が入っているのにカセットを抜いてしまうことがよくあったので、LEDでそれが分かるようにした」ためである<ref name=4gamer />。 コモドール64版をほぼ踏襲しているが、オリジナルとはキャラクターのグラフィックや色が異なっている(肥満体であったスペランカーも痩せ気味に改変されている)、マップの段差などの再調整、ゲーム中に流れるBGMが追加されている、クリアした後に2周目以降がある、などの違いがある。5面構成の各面の区切りは赤い扉で代用されており、これを鍵で開くことで得点の加算と1アップが行われる。日本で大ヒットし、ティム・マーティンはアイレムからのライセンス料によってマイクロ・グラフィック・イメージ社の負債を返済することができた。 自分の身長の高さを落下しただけでミスとなる(身長は16ドットであり、14ドットより大きい落下でミス)シビアな操作性が特徴で、クリア周回を重ねるとクリアに必要なアイテムが見えなくなるなど、2周目から6周目にかけて元々高い難易度がさらに上昇するため、どこまで続けられるかという[[やり込み]]要素となった。6周目以降は、6周目と同じ内容となる。そして、256周目は1周目とほぼ同じだがカギが表示されず、257周目は1周目と全く同じになる。 難易度の高さに関しては賛否両論があったが、製作者はチャレンジ精神が旺盛なプレイヤーに対してチャレンジを促す意味合いがあったのと、また「難しさがゲームの特徴の一つにもなるかな」と気を使った結果、あのような難易度になったことを証言している<ref name=4gamer />。 後に様々なゲーム機に移植された。 *[[2007年]][[8月28日]]から[[Wii]]の[[バーチャルコンソール]]で配信されている。アイレムのコンシューマ事業縮小に伴い[[2012年]][[3月30日]]で配信終了する予定だったが、その後も配信が継続されることになった。他にアイレムが関わったソフトは同日までに全て配信終了したため、本作が唯一のアイレム製ソフトになった。 *2012年[[12月19日]]から、Tozai Gamesにより[[ニンテンドー3DS]]のバーチャルコンソールで配信中。携帯ゲーム機に初移植された。 *[[2013年]]のPS3用の『スペランカーコレクション』では“コンソール版”と呼称。 *2013年[[4月27日]]から、Tozai Gamesにより[[Wii U]]のバーチャルコンソールで配信中。 === アーケード版 === [[1985年]]にアイレムが開発、発売。「by Tim Martin」の名が冠されてはいるが大幅なアレンジが施された。 残機+バイタリティ制を採用、段差からの転落やガスなどの障害物への接触でもダメージは受けるがすぐ死ぬことはない。バイタリティが充分に残っていれば、身長の20倍以上の高さから落下しても平気であり、難易度はファミリーコンピュータ版より低い。しかし、何もしなくても時間の経過でバイタリティが少しずつ減っていくために、回復アイテムを取りながら進む必要がある。パワーアップアイテムを取りすぎるとスピードアップしすぎてかえって死にやすくなる傾向にある。エネルギーガンによる攻撃は、持続式から単発式に変更されている。 ステージ進行については、前述の内容と同様に洞窟の深層部を目指し、財宝を探し当てることが目的。画面右上には、どこまで潜っているかを示す深度計がメートル単位で表示されている(約7000メートル近くまである)。途中、高得点アイテムのある財宝が安置されている大扉がいくつかあり、それぞれがステージ中間を兼ねている。ステージ中にあるギミックを作動させることで、床が消えたりロープが出現したりする。深層部の大扉を開けると別の洞窟への入り口が開かれ、再び0メートルから開始するループとなる。 [[2013年]]、PS3用の『スペランカーコレクション』に続編『スペランカーII 23の鍵』と共に家庭用ゲーム機に初移植された。 === MSX版 === [[1986年]]にアイレムからリリースされた。ゲーム内容的にはファミコン版と同様であるが、ハードの性能のためスムーズなスクロールができない。 [[2009年]][[4月28日]]より[[プロジェクトEGG]]にて販売されている。 === NES版 === ファミコン版『スペランカー』が[[1987年]]にNES版としてアメリカでも発売された。 == 評価 == {{コンピュータゲームレビュー |title = |IGN = 2.5/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/13582/spelunker/ |title=Spelunker for Wii (2007) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-05-05}}</ref> |NLife = 2/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/> |rev1 = [[:en:Zzap!64|Zzap!64]] |rev1Score = 79% (C64)<ref name="mobygames_C64">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/13582/spelunker/ |title=Spelunker for Commodore 64 (1984) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-05-05}}</ref> |rev2 = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |rev2Score = 18.12/30点 (FC)<ref name="famimaga52"/> |rev3 = [[:en:Eurogamer|Eurogamer.net]] |rev3Score = 5/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/> }} {|class="wikitable floatright" style="font-size:70%; text-align:center; width:25%" |+ 「ゲーム通信簿」評価 |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.19 || 3.43 || 2.23 || 3.10 || 2.82 || 3.35 ! 18.12 |} ;コモドール64版 :『ZZAP!64』(イギリスのゲーム雑誌)[[1985年]]6月号のレビューでも79点とかなりの高評価を得ており、各レビュアーに絶賛された<ref>[http://www.gb64.com/oldsite/gameofweek/2/gotw_spelunker.htm 「ZZAP!64」によるSpelunkerのレビュー]</ref>。旧世代機であるAtari 8-bit用ゲームの移植であり、ファミコン版以降とは違ってゲーム中のBGMも無く、また「主人公が肥満体」「こうもりの鳴き声がうるさい」など細かい指摘が付けられたものの、洞窟の広大さとゲームの中毒性によって「それらを相殺する感触がある」と評され、「何度死んでもジョイスティックを置けない不可解な魅力がある」とまとめられている。 ;ファミリーコンピュータ版 :ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り18.12点(満30点)となっている<ref name="famimaga52"/>。 {{Clear}} == 続編 == アーケード、ファミリーコンピュータ共に続編がある。どちらもアイレムが開発、販売しているが、ゲームシステムは両者で全く別物である。 また、『みんなでスペランカー』以降の作品は直接的な続編では無いが、ファミコン版『スペランカー』と同一人物によって制作されたものである。 ;『スペランカーII 23の鍵』 :アーケード版スペランカーの続編として[[1986年]]に発売された。前作を踏襲したゲームシステムで、地底のプリンセスを目指して最下層まで進むアクションゲームである。水に潜ったり、スケートボードに乗ったりできる。仕掛けも、氷の床と壁などが登場している。 :[[2013年]][[1月17日]]にリリースされたPS3用ダウンロード専売ソフト『スペランカーコレクション』の中の1つとして家庭用ゲーム機に初移植された。この際、Tozai Gamesの『コレクション』サイトにおいて本作のプランナー兼デザイナーが外園靖美(現在の姓は「乾」。現・[[ディンプス]]社主任)と公表された。 ;『スペランカーII 勇者への挑戦』 :ファミリーコンピュータ版スペランカーの続編として[[1987年]][[9月18日]]に発売された。[[コンピュータRPG|RPG]]要素がある。探検家・エスパー・聖職者の3人のうち誰かを操作し謎を解いていくという内容でヒットポイントや魔法(のようなもの)が存在する。尚、アイレム発売のファミリーコンピュータ用カートリッジとしては前部に取り付けられた赤い発光ダイオードが搭載された最後の作品である<ref group="注釈">次作の『[[快傑ヤンチャ丸]]』以降は発光ダイオードが廃止された</ref>。 ;『[[みんなでスペランカー]]』 :PS3ダウンロード専用ソフト『みんなでスペランカー』が[[2009年]][[3月26日]]から配信開始。制作はTozai Games、発売はアイレム。 :キャッチフレーズは「みんなでいこう!愉快な洞窟探検!」である。多人数プレイが可能。グラフィックは近代的なものに変わっているが、ファミコン準拠のクラシックモードも用意されている。スペランカー発売25周年を記念して、ステージ数はオリジナルの25倍である100ステージが用意されており、ファミコン版のプレイヤーが驚くほど巨大な敵キャラや罠など新しい要素が追加されている。特にクラシックモードは音楽、グラフィックなどファミコン版の雰囲気そのままで楽しむことができ、多人数で協力しながらプレイできるように十分な配慮がされている。 :アイレムのコンシューマ事業縮小に伴い、[[2012年]]以降はTozai Games自らが発売を担当することとなり、そのためにプロデューサーの坂野拓也を代表取締役として日本法人である株式会社Tozai Gamesが設立された。 ;『みんなでスペランカー ブラック』 :PS3ダウンロード専用ソフト『[[みんなでスペランカー]]』の続編として[[2010年]][[1月]]から配信開始。スペランカーの周囲が真っ暗になるなど、よりシビアな難易度を楽しめる仕様になっている。 ;『スペランカーコレクション』 :[[日本]]で[[2013年]][[1月17日]]にリリースされたPS3用ダウンロード専用ソフト。制作は[[M2 (ゲーム会社)|M2]]、発売はTozai Games。日本初公開となる初代Atari版『スペランカー』の他、ファミコン版『スペランカー』、アーケード版『スペランカー』、『スペランカーII 23の鍵』の移植が収録されている。また、タイムアタックなどのチャレンジモードが搭載されたほか、当時の貴重な資料なども収録されている。 ;『[[みんなでスペランカーZ]]』 :[[日本]]で[[2015年]]3月19日にリリースされたPS4用ダウンロード専用ソフト。制作はTozai Games、発売は[[スクウェア・エニックス]]。基本プレイ無料のアイテム課金タイトルとなっているが、課金の対象はコンティニュー費用やランダムでアイテムを獲得できる「ここほれワンワン」であり、ステージをプレーすること自体は(それに伴うスタミナ的な要素という意味で)課金の対象になっていない。 :1月31日にはオリジナル版開発者のティム・マーティン、ファミコン版開発者のスコット津村、『みんなでスペランカー』開発者の坂野拓也が一堂に会して発表会が行われた。 :5月21日にはPlayStation Vita版もリリースされている。データはPS4版と共通で、PS4版とPS Vita版でのオンライン協力プレイも可能。また、PS Vita版のリリースに伴い、PS4版も6月にオンライン協力プレイにPlayStation Plusが不要になるようアップデートされた。日本以外でもリリースされており、日本でも他地域とのマッチングが可能になる機能を追加するアップデートが2015年9月17日に行われた。 ;『みんなでワイワイ!スペランカー』 :PS4、PlayStation Vita用ダウンロード専用ソフト『みんなでスペランカーZ』をベースに、[[Nintendo Switch]]用ソフトとして[[2017年]][[4月20日]]発売のソフト。制作は『みんなでスペランカーZ』同様Tozai Games、発売はスクウェア・エニックス。 :ソフトの配給はダウンロード版とパッケージ版が用意される。パッケージ版の販売はファミリーコンピュータ用ソフト『スペランカー2 勇者への挑戦』以来で任天堂の据置型ゲームとして限定してもいずれも約30年ぶりとなる。 :TVモード、テーブルモード、携帯モードと3つのプレイスタイルに対応しオンライン協力プレイも可能。 == 関連作品 == === サウンドトラック === *『ファミコン 20TH アニバーサリー オリジナル・サウンド・トラックス VOL.2』 ** [[2004年]][[3月24日]]、[[サイトロン・デジタルコンテンツ]]より発売されたCD内の一作品として収録されている。 === コミカライズ === * スペランカー先生(出版社 :[[エンターブレイン]]、{{ISBN2|978-4-75774-990-0}}、[[2009年]][[7月1日]]発売) ** アイレムソフトウェアエンジニアリング株式会社が公式ページで『ふる里4コマ小唄』のひとつとして10年以上連載していたの4コマ漫画。<br />学校の先生になったものの日常生活でもすぐに死ぬことで好評を博した<ref>[https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1299135064 最弱の主人公・ついにアニメに!フラッシュアニメDVD『スペランカー先生』2011年3月16日に発売&キャスト陣からコメントが到着!] 2011/03/03配信</ref>。<br>本作以外の作品も収録して、『'''スペランカー先生 -アイレム発 特撰ふる里4コマ小唄-'''』のタイトルで単行本化。 * スペランカー [[アンソロジーコミック]](出版社 :[[ジャイブ]]、{{ISBN2|978-4-86176-748-7}}、[[2010年]][[2月6日]]発売) ** 『[[月刊コミックラッシュ]]』[[2009年]]10月号より[[2010年]]3月号までが毎号、異なる作家の連作形式で連載されていた。<br />追加原稿を収録の上、単行本化。 === ノベライズ === * スペランカー —不死身の勇者と王国の謎—(出版社 : [[桜ノ杜ぶんこ]]、著者 : [[宮村優]]、カバー・挿絵 : [[HACCAN]]、{{ISBN2|978-4-89199-205-7}}、[[2013年]][[10月5日]]発売) === フラッシュアニメDVD === 上述のアイレムの4コマ漫画『スペランカー先生』を原作としたFLASHムービーアニメ。[[2011年]][[3月16日]]発売。 ; スタッフ : 監督:[[芦名みのる]] : 作画監督:たけはらみのる : 音楽:ミッキー三木 : 作画:小笠原心平、他 : 制作プロデューサー:服部健太郎 : アニメーション制作:スタジオぷYUKAI : 制作協力:株式会社メディクリエ : 制作プロダクション:合同会社indeprox : 発売元:エンターブレイン ; キャスト : スペランカー先生:[[杉田智和]] : 女性教員:[[植田佳奈]] : 体育教師:[[黒田崇矢]] : 不良生徒:[[日野聡]] : 男子生徒、他:[[市来光弘]] : 女子生徒、他:[[鹿野優以]] : ナレーション:[[若本規夫]] ; 主題歌 ; オープニングテーマ「risk my life」(原曲『スペランカー』BGM) : 作詞:ミッキー三木 : 作曲:ミッキー三木 : 編曲:飯田孝太郎 : 歌:[[光吉猛修]] : オープニング楽曲協力:株式会社[[セガ]]、中山雅弘 ; エンディングテーマ「恋は探検」(原曲『スペランカー』BGM) : 作詞:ミッキー三木 : 作曲:ミッキー三木 : 編曲:飯田孝太郎 : 歌:女先生(CV:[[植田佳奈]]) === 舞台 === 『'''舞台「スペランカー」'''』として上野ストアハウスにて[[2014年]][[2月19日]]から[[2月23日]]まで公演。公演の模様はDVD化された。 ; スタッフ : 脚本・演出:[[吉谷光太郎]] : 振付:MAMORU : 製作:レトロゲームシアター(クリエイティヴ零) ; キャスト(AかBと書かれているのは[[ダブルキャスト]]) : マーティン:鶴田亮介 : イーサン:[[紅葉美緒]] : アレクサンダー:風太 : クリストファー:[[小林涼]]  : リドル:加藤光大(A)、わたなべいつき(B) : マキムラ:[[輝山立]](A)、重友健治(B) : マリア:[[横山可奈子]](A)、[[中村裕香里]](B) : ソフィア:高坂夏乃(A)、綾部りさ(B) : 幽霊達 他 :: 橋本顕(A)、高山哲平(A)、[[林瑞貴]](A)、春川真広(A) :: 佐藤優次(B)、向優貴(B)、井口雅斗(B)、和久井大城(B) : コーラス隊 他 :: [[長橋有沙]](A)、水野奈月(A)、あおい未央(A)、木村若菜(A)、永井理沙(A)、加藤美結(A) :: 河野奈々(B)、木内文香(B)、金子静(B)、谷川智美(B)、古世佳南(B)、氏家仁子(B) : ローガン:[[林修司]] : アイザック:[[汐崎アイル]] : ワイアット:[[髙木俊]] : オーウェン:[[南翔太]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[アピエス]] - 1997年、アイレムソフトウエアエンジニアリング株式会社にゲーム開発部門を譲渡。 * [[アイレムソフトウェアエンジニアリング]] * [[Tozai Games]] - ファミコン版『スペランカー』製作者が設立し、『みんなでスペランカー』などを開発しているゲーム会社。 * [[太鼓の達人]] - [[バンダイナムコゲームス]]の音楽ゲームで、FC版スペランカーのBGMメドレーを収録。 * [[多村仁志]] - [[横浜DeNAベイスターズ]]の元[[外野手]]。ケガの多さから、スペランカーと呼ばれるようになった元祖の選手。 * [[諸積兼司]] - [[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]の元外野手。ヒッティングマーチとして一時FC版のBGMが使用されていた。 * [[3Dドットゲームヒーローズ]] - [[フロム・ソフトウェア]]販売のゲームで、スペランカーを主人公として操作できる。 * [[Spelunky]] - 『スペランカー』と同じくスペランキングをテーマとしたゲーム == 外部リンク == *[http://tozaigames.co.jp/spelunker/ スペランカー公式サイト] *[http://www.apies.co.jp/ 株式会社アピエス]{{リンク切れ|date=2020年9月}} *[http://www.irem.co.jp/ アイレムソフトウェアエンジニアリング株式会社] *{{Wiiバーチャルコンソール|sl}} *{{3DSバーチャルコンソール|tbnj}} *{{Wii Uバーチャルコンソール|fasj}} *[https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=996 スペランカー for MSX(プロジェクトEGG)] *[http://strategywiki.org/wiki/Spelunker STRATEGY WIKI : Spelunker] - [[Atari 8ビット・コンピュータ]]版、[[コモドール64]]版のパッケージ、スクリーンショットを掲載 *[http://tozaigames.co.jp/products/minnadespelunker/index.html みんなでスペランカー] - Tozai Gamesに引き継がれる *[http://www.jp.square-enix.com/waiwai/ みんなでワイワイ! スペランカー] *{{Twitter|tozai_spelunker|Tozai Games公式}} *{{Twitter|spelunkerguy|Tim Martin}}(原作者のspelunkerguyことTim Martinの公式Twitter) *[http://www.youtube.com/user/spelunkerguy YouTube - spelunkerguy さんのチャンネル] - Tim Martinの公式Youtubeチャンネル *[http://www.spelunker.jp/ クソゲー処理概論] - スペランカーの詳細な攻略・解析、開発者インタビューなどを掲載 *[http://www.enterbrain.co.jp/cp/spelunker/ スペランカー先生DVD公式ホームページ] * {{MobyGames|id=/13582/spelunker/|name=Spelunker}} {{スペランカー}} {{電撃マオウ連載中}} {{スタジオぷYUKAI}} {{デフォルトソート:すへらんかあ}} {{Video-game-stub}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |collapse= |header= |redirect1=みんなでワイワイ!スペランカー |1-1=Nintendo Switch用ソフト |1-2=Unity製ゲーム }} [[Category:1983年のパソコンゲーム]] [[Category:ファミリーコンピュータ用ソフト]] [[Category:1986年のアーケードゲーム]] [[Category:Atari 8ビット・コンピュータ用ゲームソフト]] [[Category:MSX/MSX2用ソフト]] [[Category:Nintendo Switch用ソフト]] [[Category:Wii用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:Wii U用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:アイレムのゲームソフト]] [[Category:アメリカで開発されたコンピュータゲーム]] [[Category:携帯電話アプリゲーム]] [[Category:コモドール64用ゲームソフト]] [[Category:ニンテンドー3DS用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:ブローダーバンドのゲームソフト]] [[Category:プロジェクトEGG対応ソフト]] [[Category:横スクロールアクションゲーム]] [[Category:地下を舞台としたコンピュータゲーム]]
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ホメーロス
ホメーロス(古代ギリシャ語: Ὅμηρος、Hómēros、羅: Homerus、英: Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロス、あるいは現代語式の発音でオミロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。現在のギリシアではオミロスと発音されている。古代人はホメーロスを「詩人」(ὁ Ποιητής、ho Poiêtếs)というシンプルな異名で呼んでいた。 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペーの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されている。 当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なホメーロスの言語(フランス語版)は紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は長短短六歩格(フランス語版)(ダクテュロスのヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。 古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、詩としての価値をさらに高めた。 伝承では、ホメーロスは、盲目であったとしている。第一に、『オデュッセイア』でトロイア戦争を歌うために登場するアオイドスのデーモドコスが盲目である――ムーサはデーモドコスから「目を取り去ったが、甘美な歌を与えた」。第二に、『ホメーロス讃歌』のデロス島のアポローン讃歌の作者が自分自身について「石ころだらけのキオスに住む盲人」と語っている。この一節はトゥキディデスが、ホメーロスが自分自身について語った部分として引用している。 「盲目の吟遊詩人」というイメージは、ギリシア文学の紋切り型であった。ディオン・クリュソストモスの弁論の登場人物の一人は、「これらの詩人たちは全て盲目であり、彼らは盲目であることなしに詩人となることは不可能だと信じていた」と指摘した。ディオンは、詩人たちがこの特殊性を一種の眼病のようにして伝えていったと答えている。事実、抒情詩人ロクリスのクセノクリトスは、生まれつき盲目だったとされている。エレトリアのアカイオス(フランス語版)は、ムーサイの象徴である蜜蜂に刺されて盲目となった。ステシコロスは、スパルタのヘレネーを貶したために視力を失った。デモクリトスは、より良く見るために自ら失明した。 全ての詩人が盲目だったわけではないが、盲目は頻繁に詩と結び付けられる。マーチン・P・ニルソンは、スラヴの一部地域では、吟遊詩人は儀礼的に「盲目」として扱われていると指摘している――アリストテレスが既に主張していたように、視力の喪失は記憶力を高めると考えられる。加えて、ギリシアでは非常に頻繁に、盲目と予知能力を結び付けて考えた。テイレシアース、メッセネのオピオネー、アポロニアのエヴェニオス、 ピネハスといった予言者たちは皆盲目であった。より散文的には、アオイドスは古代ギリシアのような社会で盲人が就けた数少ない職業の1つだった。 イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がホメーロスの出身地の座を争っている。『デロス島のアポローン讃歌』ではキオスに言及しており、シモーニデースは『イーリアス』の最も有名な詩行の1つ「人の生まれなどというのは木の葉の生まれと同じようなもの」を「キオスの男」のものであるとしており、この詩行は古典時代の諺ともなった。ルキアノス(120-180頃)は、ホメーロスを人質としてギリシアへ送られたバビロン人だとした(ὅμηροςは「人質」を意味する)。128年に、ハドリアヌス帝にこの件を問われたデルポイの神託は、ホメーロスはイタケーの生まれでテーレマコスとポリュカステーの息子であると答えた。碩学の哲学者プロクロス(412-485)は著書『ホメーロスの生涯』において、ホメーロスはなによりもまず「世界市民」であったと、この論争を結論づけた。 実際のところ、ホメーロスの生涯については分かっていない。8つの古代の伝記が伝わっており、これらは誤ってプルタルコスとヘロドトスの作とされている。これは恐らくギリシアの伝記作者の「空白恐怖」によって説明されうる。これらの伝記のうち最も古いものはヘレニズム時代に遡り、貴重だが信憑性に乏しい詳細に満ちており、そうした詳細のうちには古典時代からのものも含まれている。それらによるとホメーロスはスミルナで生まれ、キオスに暮らし、キクラデス諸島のイオス島で死んだことになる。本名はメレシゲネス――父はメレス川の神、母はニュンペーのクレテイスであった。また同時に、ホメーロスはオルペウスの子孫、従弟、もしくは単なる同時代の音楽家であったという。 近年になり、アングロサクソンの作家たちは『オデュッセイア』が紀元前7世紀のシチリアの女性によって書かれたとする仮説を打ち出し、『オデュッセイア』に登場するナウシカアーは、ある種の自画像だという。最初にこのアイデアを打ち出したのはイギリスの作家サミュエル・バトラーの『オデュッセイアの女性作家』(1897年)であった。詩人ロバート・グレーヴスが小説『ホメーロスの娘』でこの説を扱ったほか、2006年9月にも大学教員アンドリュー・ドルビー(英語版)が評論『ホメーロス再発見(英語版)』で取り上げている。 また、ホメーロスの実在を疑問視する者もある。ホメーロスという名前自体にも問題がある――ヘレニズム時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた。この名前は「人質」を意味しており、さまざまな物語がホメーロスがかくかくしかじかの都市から人質として渡されたのであると、この名前の由来を説明しようとしている。しかし、この語は通常は中性複数で現れるのであり(ὅμηρα)男性形では現れないと反論されている。紀元前4世紀の歴史家キュメのエポロスは、キュメの方言ではこの語は「盲目」を意味し、盲目であったために詩人にこの名が与えられたと説明した。その目的は、ホメーロスが同郷人であると示すことだった。しかしながら、この語は他では証言されておらず、また「盲目」の語はコグノーメン(第3の名)として見られることはあっても、単独の名前としては付けられない。加えて、叙事詩については匿名が一般的であり、作者の名前が添えられるのは例外であったとも強調されている。 こうしたことから、ホメーロスの存在そのものが「作り事」だという可能性も考えられる。マーチン・リッチフィールド・ウエスト(英語版)は、ホメーロスという人物はアテナイの学識者たちによって紀元前6世紀に作られたとしている。バーバラ・グラジオーシは、これらはむしろ全ギリシア的な運動だったのであり、ギリシア全土の吟遊詩人たちの表現に結び付いているとしている。 『イーリアス』と『オデュッセイア』は紀元前6世紀以降、ホメーロスの作品とされている。これら二大英雄叙事詩の他に、『キュプリア』『アイティオピス』『小イーリアス』『イーリオスの陥落』『帰国物語』『テーレゴニアー』が伝統的にホメーロス作と見なされてきた。『イーリアス』のパロディである喜劇的叙事詩『蛙鼠合戦』や、『ホメーロス讃歌』と呼ばれる叙事的な神々への讃歌33編の作者ともされているが、明らかにホメーロスの作品ではない。 さらに、古代においては、ヘーシオドスがあらゆる形の教育的な詩の代名詞となっていたのと同様に、ホメーロスの名は事実上全ての叙事的な詩の代名詞となっていた。よって、ホメーロスの名は叙事詩環の叙事詩の題名にしばしば結び付けられた。パロスのアルキロコスはホメーロスが喜劇的作品『マルギーテース』を書いたと考えた。ヘロドトスは、「ホメーロスの詩」がアルゴスへの言及のためにシキュオンのクレイステネス によって追放されたと伝えている ――このことはテーバイ圏もまたホメーロスのものと考えられていたことを推測させる。ヘロドトス自身もまた『エピゴノイ』と『キュプリア』の作者がホメーロスであるかには疑問を呈している。『オイカリアーの陥落(フランス語版)』をホメーロスの作とする者もある。また、多くの古典期の作者たちが、『イーリアス』にも『オデュッセイア』にも出現しない詩行をホメーロスのものであるとして引用した――シモーニデース、ピンダロスなど。 『イーリアス』と『オデュッセイア』のみをホメーロスの作とするようになったのはプラトンとアリストテレス以降であるが、それでも16世紀になってなお、デジデリウス・エラスムスは『蛙鼠合戦』がホメーロスの作であると信じていた。 古代・中世のギリシア人たちは、一部例外を除いて、『イーリアス』と『オデュッセイア』がホメーロスの作である事を疑わなかったが、近代になり、異論が唱えられるようになった。例えば、ホメーロスがもし『イリアス』の作者なら『オデュッセイア』はそれより少し後代の別人、あるいは複数の詩人になるものではないかという推測である。ホメーロスについての情報がわずかであるため、その存在自体を疑う者もある。今日では、両詩の原型はホメーロス(と仮に呼ぶ)1人によって、それ以前の口承文学を引用しつつ創造されたという説が有力であるが、問題は未解決である。ホメーロスとは誰なのか、1人なのか複数なのか、両叙事詩の作者なのか、文字の助けを借りて創造したのか、何時なのか、何処でなのか、こういった諸問題を称して「ホメーロス問題」と呼ぶ。 この疑問は古代にまで遡る――セネカによれば、「オデュッセイアの漕手が何人だったか、『イーリアス』は『オデュッセイア』より前に書かれたのか、これら2つの詩は同じ作者なのかといったことを知りたがるのはギリシア人の病気であった。」 今日「ホメーロス問題」と呼ばれているものは、オービニャック師の許で生まれたもののようである。彼は同時代人たちのホメーロスへの畏敬に逆行し、1670年頃に『学術的推測』を書き、そこでホメーロスの作品を批判するだけでなく、詩人の存在そのものにも疑問を投げかけた。オービニャックにとって、『イーリアス』と『オデュッセイア』は昔のラプソドスたちのテクストの集積にしか過ぎなかった。これとほぼ同時代に、リチャード・ベントレー(英語版)は著書『思考の自由論に関する考察』の一節で、ホメーロスは存在はしたかもしれないが、ずっと後になって叙事詩の形にまとめられた歌やラプソディアの作者であったに過ぎないと判断した。ジャンバッティスタ・ヴィーコもまたホメーロスは決して実在せず、『イーリアス』と『オデュッセイア』は文字通りギリシアの人々全体による作品であると考えた。 フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフは著書『ホメーロスへの序論』(1795)において、ホメーロスが文盲であったという仮説を初めて導入した。ヴォルフによれば、詩人はこの2つの作品を紀元前950年頃の、ギリシア人がまだ筆記を知らなかった時代に作ったのである。原始的な形の歌であったものは口承によって伝達され、その過程で進化・発展を遂げ、それは紀元前6世紀のペイシストラトスの校訂によって固定されるまで続いた。ここから2つの派閥が生まれた――「統一主義者」と「分析主義者」である。 カール・ラッハマンのような「分析主義者」は、ホメーロス自身によるもとの詩を後世の追加や挿入(フランス語版)などから分離しようと試み、テクストの不整合や構成の誤りを強調した。例えば、トロイアの英雄ピュライメネースは第5歌で殺されるが、それより後の第8歌で再び登場する。さらにはアキレウスは第11歌で、帰らせたばかりの使者が来るのを待っている。これはホメーロス言語にも当てはまり、これに関してだけ言うなら、ホメーロス言語は様々な方言(主にイオニア方言とアイオリス方言)や様々な時代の言い回しの寄せ集めからなっている。こうしたアプローチは、ホメーロスのテクストを確立したアレクサンドリア人たちに既にあったものである(後述)。 「統一主義者」はこれとは逆に、非常に長い(『イーリアス』が15,337行、『オデュッセイア』が12,109行)詩であるにもかかわらず見られる構成と文体の統一性を強調し、作者ホメーロスがその時代に存在していたさまざまな素材から我々が今日知っている詩を構成したのだという説を擁護した。2つの詩の間の差異は、作者の若い時と歳を取った時とでの変化や、ホメーロス自身とその後継者との間の違いによって説明される。 今日では、批評家の大部分は、ホメーロスの詩が口頭での創作と継承の文化から筆記の文化へと移行する過渡期において、それより前の要素を再利用して構成されたと考えている。ある1人(もしくは2人)の作者が介在したことはほとんど疑いがないが、先行する詩が存在し、それらの中にはホメーロスの作品に含められたものがあることもほとんど疑いがない。木馬のエピソードを語った者たちのように、含められなかったものもあった可能性がある。『イーリアス』が先に、紀元前8世紀前半頃に創作され、『オデュッセイア』が後に、紀元前7世紀末頃に創作された可能性もある。 ホメーロスのテクストは、長期にわたり口承によって伝えられていた。ミルマン・パリーはその高名な論文『ホメーロスにおける伝統的な形容辞』において、「俊足のアキレウス」や「白き腕の女神ヘーラー」のような(原文では)「固有名詞+形容辞」の形の数多くの決まり文句は、アオイドスの仕事を容易にするリズム形式に従っていると示した。1つの半句(フランス語版)を簡単に出来合いの半句で埋めることができる。ホメーロスの詩でしか見られないこの方式は、口承による詩に特有とされる。(詩#歴史も参照) パリーとその弟子のアルバート・ロード(英語版)は、セルビアのノヴィ・パザル地方の吟遊詩人が文盲であるにもかかわらず、こうした種類のリズム形式を用いて完全な韻文による長詩を暗唱できる例も示している。これらの叙事詩を記録してから数年後にロードが再び訪れた時も、吟遊詩人たちが詩にもたらした変更はごく僅かなものであった。詩法は口承文化においてテクストのよりよい伝承を確保する手段でもある。 ペイシストラトスは、紀元前6世紀に最初の公的な蔵書を創設した。キケロは、アテナイの僭主(ペイシストラトス)の命令により、2つの叙事的な物語が初めて文字に書き起こされたと報告した。ペイシストラトスはアテナイを通過する歌手や吟遊詩人に対して、知る限りのホメーロスの作品をアテナイの筆記者のために朗唱することを義務付ける法を発布した。筆記者たちはそれぞれのバージョンを記録して1つにまとめ、それが今日『イーリアス』と『オデュッセイア』と呼ばれるものとなった。選挙運動の時にはペイシストラトスに反対したソロンのような学者たちも、この仕事に参加した。プラトンのものとされる対話篇『ヒッパルコス』によれば、ペイシストラトスの息子ヒッパルコス(フランス語版)はパンアテナイア祭で毎年この写本を朗唱するように命じた。 ホメーロスのテクストは羊皮紙もしくはパピルスの巻物「ヴォルメン」("volume"の語源)に書かれ、読まれた。これらの巻物は、まとまった形では現存していない。エジプトで発見された唯一の断片群の中には紀元前3世紀に遡るものもある。その中の1つ、「ソルボンヌ目録255」は、それまでの常識とは矛盾する以下のような事実を示した―― 最初にホメーロスのテクストの校訂版を作成したのは、アレクサンドリアの文法家たちだった。アレクサンドリア図書館の最初の司書であったゼーノドトス(フランス語版)が作業に着手し、後継のビュザンティオンのアリストパネース(フランス語版)がテクストの句読法を確立した。アリストパネースを引き継いだサモトラケのアリスタルコスが『イーリアス』と『オデュッセイア』の注釈を書き、またペイシストラトスの命により確立されたアッティカのテクストと、ヘレニズム時代になされた追加部分とを区別しようと試みた。 3世紀に、ローマ人は地中海沿岸一帯に「コデックス」の使用を広めた。これは今日で言う仮綴じ本に近いものをさす。この形式による写本で最古のものは10世紀に遡り、これらはビュザンティオンの工房による仕事であった。この一例として、現存する写本で最良のものの1つであるウェネトゥス 454A(英語版)があり、これを基に1788年にフランス人ジャン=バプティスト=ガスパール・ダンス・ド・ヴィヨワゾン(フランス語版)は『イーリアス』の最良の版の1つを確立した。12世紀には、碩学テッサロニケのエウスタティウス(英語版)がアレクサンドリアの注釈を集成した。サモトラケのアリスタルコスによって確立された874の訂正のうち、エウスタティウスは80しか取り上げなかった。1488年に、両作品の「初版」がフィレンツェで出版された。 ホメーロスの言語(フランス語版)は叙事詩で用いられた言語であり、紀元前8世紀には既に古風なもので、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。ただし、固定が行われる前に、古風な表現の一部は置き換えられ、テクストにはアッティカ語法(フランス語版)も入り込んだ。 長短短六歩格の韻律は、当初の形を復元できる場合があり、またある種の言い回しが行われる理由も説明できることがある。この例として、紀元前1千年紀のうちに消滅した音素であるディガンマ(Ϝ /w/)が、ホメーロスにおいては依然として韻律上の問題の解消のために表記も発音もされないながらも用いられたことがある。例えば『イーリアス』の第1歌108行は―― 古風な-οιοとより新しい-ουの2種の属格や、また2種の複数与格(-οισιと-οις)が競合して用いられることは、アオイドスが自分の意向で古風・新風の活用形を切り替えられたことを示している――「ホメーロス言語は、通常は決して同時に用いられることのなかった様々な時代の形式の混淆物であり、これらの組み合わせは純粋に文学的な自由さに属するものであった。」(ジャクリーヌ・ド・ロミリ(フランス語版)) その上、ホメーロス言語は異なった方言も組み合わせる。アッティカ語法や、テクストの固定の際の変化は取り除くことができる。イオニア方言とアイオリス方言の2つが残り、それらの特徴の一部は読者にも明白である――例えば、イオニア人はアッティカ=イオニア人が長音のアルファ(ᾱ)を用いるところでエータ(η)を用い、よって古典的な「アテーナー」や「ヘーラー」の代わりに「アテーネー」ヤ「ヘーレー」と言う。こうした2つの方言の「還元不可能な共在」(ピエール・シャントレーヌ(フランス語版)の表現)は、様々な方法で説明しうる―― 実際のところ、ホメーロス言語は詩人たちにとってしか存在しなかった混合言語であり、現実には話されず、そのことが叙事詩が日常の現実との間に作り出す断絶を強めている。ホメーロスの時代よりもずっと後になると、ギリシアの作家たちはまさに「文学らしくする」ためにこホメーロス的な語法を模倣するようになる。 古代の作家たちは ホメーロスが本当に存在した出来事を歌ったのであり、 トロイア戦争は本当に起きたのだと考えていた。彼らはオデュッセウスがアオイドスのデーモドコスにかけた言葉を信じていた―― 19世紀に、ハインリヒ・シュリーマンが小アジアで発掘調査を実施したのも叙事詩に描かれた場所を再発見するためであった。シュリーマンがまずトロイアと呼ばれる都市を、それからミケーネの諸都市を発見した時、これでホメーロスの物語の真実性が証明されたと考えられた。アガメムノーンの顔を象ったマスク、大アイアースの楯、ネストールの杯などが次々と発見されたと思われ、彼らもまた実在したと考えられた。アオイドスによって描かれた社会をミケーネ文明と同一視したのである。 この文明に関する諸々の発見(とりわけ線文字Bの解読)により、この説は急速に疑問視されるようになった。アカイアの社会は、戦士たちによる国体なき貴族政治というよりもメソポタミア文明に近い、行政・官僚支配によるものだった。ジャクリーヌ・ド・ロミリ(フランス語版)はこう説明している――「最近発見された諸文書と、詩に書かれた内容との間には、『ローランの歌』と、ローランの時代の公正証書との間にあるのと変わらぬぐらいの繋がりしかない。」 モーゼス・フィンリーは『オデュッセイアの世界』(1969) において、描かれている社会は、多少の時代錯誤はあるにせよ、本当に存在したのだと断言した――ミケーネ文明と、紀元前8世紀の都市国家の時代との中間に位置する紀元前10-9世紀頃の「暗黒時代」だったのである。フィンリーは「暗黒時代とホメーロスの詩」(『古代ギリシア』、1971年)でこう書いている―― フィンリーの立場もまた今日では疑問に付されており、これは紀元前8-7世紀の特徴を見せる時代錯誤による部分が大きい。まず、『イーリアス』はファランクスに似た3つの記述を含んでいる―― ファランクスの導入時期には論争があるが、大部分の論者は紀元前675年頃であったとしている。 戦車(二輪馬車)も、辻褄の合わない使われ方をしている――英雄たちは戦車に乗って出発し、飛び降りて足で立って戦っている。詩人はミケーネ人が戦車を使っていたことは知っていたが、当時の使用法は知らず(戦車対戦車で、投げ槍を用いていた)、同時代の馬の用法(戦場まで馬に乗って赴き、降りて立って戦闘していた)を当時の戦車に移し替えたのである。 物語は青銅器時代のただなかで進行しており、英雄たちの武具は実際に青銅でできていた。しかしホメーロスは英雄たちに「鉄の心臓」を与え、『オデュッセイア』では鍛冶場で焼きを入れられた鉄斧の立てる音のことを語っている。 こうした異なった時代から発している慣習の存在は、ホメーロス言語と同様に、ホメーロス世界もそれ自体としては存在しなかったことを示している。オデュッセイアの旅程の地理関係もそうであるように、これは混淆による詩的な世界を表している。 ホメーロスが実在したか、あるいは1つの人格であるのかといった問題はさておき、ホメーロスが古代ギリシアにとって、最初の最も高名な詩人であり、古代ギリシアは文化と教養の多くを彼に負っていると言っても誇張ではない。また「西洋文学の父」として、古代ギリシアの古典期、ヘレニズム時代、ローマ時代、(西欧でギリシア語の知識が部分的に失われた中世は除く。この時代、ホメーロスの文学はギリシア人が支配階層となった東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)に受け継がれ、東ローマの官僚・知識人の間ではホメーロスの詩を暗誦できるのが常識とされていた)、ルネサンスから現代に至るまで、ホメーロスは西洋文学において論じられている。 文学 絵画 彫刻
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ホメーロス(古代ギリシャ語: Ὅμηρος、Hómēros、羅: Homerus、英: Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロス、あるいは現代語式の発音でオミロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。現在のギリシアではオミロスと発音されている。古代人はホメーロスを「詩人」(ὁ Ποιητής、ho Poiêtếs)というシンプルな異名で呼んでいた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペーの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なホメーロスの言語(フランス語版)は紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は長短短六歩格(フランス語版)(ダクテュロスのヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、詩としての価値をさらに高めた。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "伝承では、ホメーロスは、盲目であったとしている。第一に、『オデュッセイア』でトロイア戦争を歌うために登場するアオイドスのデーモドコスが盲目である――ムーサはデーモドコスから「目を取り去ったが、甘美な歌を与えた」。第二に、『ホメーロス讃歌』のデロス島のアポローン讃歌の作者が自分自身について「石ころだらけのキオスに住む盲人」と語っている。この一節はトゥキディデスが、ホメーロスが自分自身について語った部分として引用している。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": 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"イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がホメーロスの出身地の座を争っている。『デロス島のアポローン讃歌』ではキオスに言及しており、シモーニデースは『イーリアス』の最も有名な詩行の1つ「人の生まれなどというのは木の葉の生まれと同じようなもの」を「キオスの男」のものであるとしており、この詩行は古典時代の諺ともなった。ルキアノス(120-180頃)は、ホメーロスを人質としてギリシアへ送られたバビロン人だとした(ὅμηροςは「人質」を意味する)。128年に、ハドリアヌス帝にこの件を問われたデルポイの神託は、ホメーロスはイタケーの生まれでテーレマコスとポリュカステーの息子であると答えた。碩学の哲学者プロクロス(412-485)は著書『ホメーロスの生涯』において、ホメーロスはなによりもまず「世界市民」であったと、この論争を結論づけた。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "実際のところ、ホメーロスの生涯については分かっていない。8つの古代の伝記が伝わっており、これらは誤ってプルタルコスとヘロドトスの作とされている。これは恐らくギリシアの伝記作者の「空白恐怖」によって説明されうる。これらの伝記のうち最も古いものはヘレニズム時代に遡り、貴重だが信憑性に乏しい詳細に満ちており、そうした詳細のうちには古典時代からのものも含まれている。それらによるとホメーロスはスミルナで生まれ、キオスに暮らし、キクラデス諸島のイオス島で死んだことになる。本名はメレシゲネス――父はメレス川の神、母はニュンペーのクレテイスであった。また同時に、ホメーロスはオルペウスの子孫、従弟、もしくは単なる同時代の音楽家であったという。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "近年になり、アングロサクソンの作家たちは『オデュッセイア』が紀元前7世紀のシチリアの女性によって書かれたとする仮説を打ち出し、『オデュッセイア』に登場するナウシカアーは、ある種の自画像だという。最初にこのアイデアを打ち出したのはイギリスの作家サミュエル・バトラーの『オデュッセイアの女性作家』(1897年)であった。詩人ロバート・グレーヴスが小説『ホメーロスの娘』でこの説を扱ったほか、2006年9月にも大学教員アンドリュー・ドルビー(英語版)が評論『ホメーロス再発見(英語版)』で取り上げている。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、ホメーロスの実在を疑問視する者もある。ホメーロスという名前自体にも問題がある――ヘレニズム時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた。この名前は「人質」を意味しており、さまざまな物語がホメーロスがかくかくしかじかの都市から人質として渡されたのであると、この名前の由来を説明しようとしている。しかし、この語は通常は中性複数で現れるのであり(ὅμηρα)男性形では現れないと反論されている。紀元前4世紀の歴史家キュメのエポロスは、キュメの方言ではこの語は「盲目」を意味し、盲目であったために詩人にこの名が与えられたと説明した。その目的は、ホメーロスが同郷人であると示すことだった。しかしながら、この語は他では証言されておらず、また「盲目」の語はコグノーメン(第3の名)として見られることはあっても、単独の名前としては付けられない。加えて、叙事詩については匿名が一般的であり、作者の名前が添えられるのは例外であったとも強調されている。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "こうしたことから、ホメーロスの存在そのものが「作り事」だという可能性も考えられる。マーチン・リッチフィールド・ウエスト(英語版)は、ホメーロスという人物はアテナイの学識者たちによって紀元前6世紀に作られたとしている。バーバラ・グラジオーシは、これらはむしろ全ギリシア的な運動だったのであり、ギリシア全土の吟遊詩人たちの表現に結び付いているとしている。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "『イーリアス』と『オデュッセイア』は紀元前6世紀以降、ホメーロスの作品とされている。これら二大英雄叙事詩の他に、『キュプリア』『アイティオピス』『小イーリアス』『イーリオスの陥落』『帰国物語』『テーレゴニアー』が伝統的にホメーロス作と見なされてきた。『イーリアス』のパロディである喜劇的叙事詩『蛙鼠合戦』や、『ホメーロス讃歌』と呼ばれる叙事的な神々への讃歌33編の作者ともされているが、明らかにホメーロスの作品ではない。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "さらに、古代においては、ヘーシオドスがあらゆる形の教育的な詩の代名詞となっていたのと同様に、ホメーロスの名は事実上全ての叙事的な詩の代名詞となっていた。よって、ホメーロスの名は叙事詩環の叙事詩の題名にしばしば結び付けられた。パロスのアルキロコスはホメーロスが喜劇的作品『マルギーテース』を書いたと考えた。ヘロドトスは、「ホメーロスの詩」がアルゴスへの言及のためにシキュオンのクレイステネス によって追放されたと伝えている ――このことはテーバイ圏もまたホメーロスのものと考えられていたことを推測させる。ヘロドトス自身もまた『エピゴノイ』と『キュプリア』の作者がホメーロスであるかには疑問を呈している。『オイカリアーの陥落(フランス語版)』をホメーロスの作とする者もある。また、多くの古典期の作者たちが、『イーリアス』にも『オデュッセイア』にも出現しない詩行をホメーロスのものであるとして引用した――シモーニデース、ピンダロスなど。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "『イーリアス』と『オデュッセイア』のみをホメーロスの作とするようになったのはプラトンとアリストテレス以降であるが、それでも16世紀になってなお、デジデリウス・エラスムスは『蛙鼠合戦』がホメーロスの作であると信じていた。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "古代・中世のギリシア人たちは、一部例外を除いて、『イーリアス』と『オデュッセイア』がホメーロスの作である事を疑わなかったが、近代になり、異論が唱えられるようになった。例えば、ホメーロスがもし『イリアス』の作者なら『オデュッセイア』はそれより少し後代の別人、あるいは複数の詩人になるものではないかという推測である。ホメーロスについての情報がわずかであるため、その存在自体を疑う者もある。今日では、両詩の原型はホメーロス(と仮に呼ぶ)1人によって、それ以前の口承文学を引用しつつ創造されたという説が有力であるが、問題は未解決である。ホメーロスとは誰なのか、1人なのか複数なのか、両叙事詩の作者なのか、文字の助けを借りて創造したのか、何時なのか、何処でなのか、こういった諸問題を称して「ホメーロス問題」と呼ぶ。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "この疑問は古代にまで遡る――セネカによれば、「オデュッセイアの漕手が何人だったか、『イーリアス』は『オデュッセイア』より前に書かれたのか、これら2つの詩は同じ作者なのかといったことを知りたがるのはギリシア人の病気であった。」", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "今日「ホメーロス問題」と呼ばれているものは、オービニャック師の許で生まれたもののようである。彼は同時代人たちのホメーロスへの畏敬に逆行し、1670年頃に『学術的推測』を書き、そこでホメーロスの作品を批判するだけでなく、詩人の存在そのものにも疑問を投げかけた。オービニャックにとって、『イーリアス』と『オデュッセイア』は昔のラプソドスたちのテクストの集積にしか過ぎなかった。これとほぼ同時代に、リチャード・ベントレー(英語版)は著書『思考の自由論に関する考察』の一節で、ホメーロスは存在はしたかもしれないが、ずっと後になって叙事詩の形にまとめられた歌やラプソディアの作者であったに過ぎないと判断した。ジャンバッティスタ・ヴィーコもまたホメーロスは決して実在せず、『イーリアス』と『オデュッセイア』は文字通りギリシアの人々全体による作品であると考えた。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフは著書『ホメーロスへの序論』(1795)において、ホメーロスが文盲であったという仮説を初めて導入した。ヴォルフによれば、詩人はこの2つの作品を紀元前950年頃の、ギリシア人がまだ筆記を知らなかった時代に作ったのである。原始的な形の歌であったものは口承によって伝達され、その過程で進化・発展を遂げ、それは紀元前6世紀のペイシストラトスの校訂によって固定されるまで続いた。ここから2つの派閥が生まれた――「統一主義者」と「分析主義者」である。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "カール・ラッハマンのような「分析主義者」は、ホメーロス自身によるもとの詩を後世の追加や挿入(フランス語版)などから分離しようと試み、テクストの不整合や構成の誤りを強調した。例えば、トロイアの英雄ピュライメネースは第5歌で殺されるが、それより後の第8歌で再び登場する。さらにはアキレウスは第11歌で、帰らせたばかりの使者が来るのを待っている。これはホメーロス言語にも当てはまり、これに関してだけ言うなら、ホメーロス言語は様々な方言(主にイオニア方言とアイオリス方言)や様々な時代の言い回しの寄せ集めからなっている。こうしたアプローチは、ホメーロスのテクストを確立したアレクサンドリア人たちに既にあったものである(後述)。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「統一主義者」はこれとは逆に、非常に長い(『イーリアス』が15,337行、『オデュッセイア』が12,109行)詩であるにもかかわらず見られる構成と文体の統一性を強調し、作者ホメーロスがその時代に存在していたさまざまな素材から我々が今日知っている詩を構成したのだという説を擁護した。2つの詩の間の差異は、作者の若い時と歳を取った時とでの変化や、ホメーロス自身とその後継者との間の違いによって説明される。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "今日では、批評家の大部分は、ホメーロスの詩が口頭での創作と継承の文化から筆記の文化へと移行する過渡期において、それより前の要素を再利用して構成されたと考えている。ある1人(もしくは2人)の作者が介在したことはほとんど疑いがないが、先行する詩が存在し、それらの中にはホメーロスの作品に含められたものがあることもほとんど疑いがない。木馬のエピソードを語った者たちのように、含められなかったものもあった可能性がある。『イーリアス』が先に、紀元前8世紀前半頃に創作され、『オデュッセイア』が後に、紀元前7世紀末頃に創作された可能性もある。", "title": "ホメーロス問題" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ホメーロスのテクストは、長期にわたり口承によって伝えられていた。ミルマン・パリーはその高名な論文『ホメーロスにおける伝統的な形容辞』において、「俊足のアキレウス」や「白き腕の女神ヘーラー」のような(原文では)「固有名詞+形容辞」の形の数多くの決まり文句は、アオイドスの仕事を容易にするリズム形式に従っていると示した。1つの半句(フランス語版)を簡単に出来合いの半句で埋めることができる。ホメーロスの詩でしか見られないこの方式は、口承による詩に特有とされる。(詩#歴史も参照)", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "パリーとその弟子のアルバート・ロード(英語版)は、セルビアのノヴィ・パザル地方の吟遊詩人が文盲であるにもかかわらず、こうした種類のリズム形式を用いて完全な韻文による長詩を暗唱できる例も示している。これらの叙事詩を記録してから数年後にロードが再び訪れた時も、吟遊詩人たちが詩にもたらした変更はごく僅かなものであった。詩法は口承文化においてテクストのよりよい伝承を確保する手段でもある。", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ペイシストラトスは、紀元前6世紀に最初の公的な蔵書を創設した。キケロは、アテナイの僭主(ペイシストラトス)の命令により、2つの叙事的な物語が初めて文字に書き起こされたと報告した。ペイシストラトスはアテナイを通過する歌手や吟遊詩人に対して、知る限りのホメーロスの作品をアテナイの筆記者のために朗唱することを義務付ける法を発布した。筆記者たちはそれぞれのバージョンを記録して1つにまとめ、それが今日『イーリアス』と『オデュッセイア』と呼ばれるものとなった。選挙運動の時にはペイシストラトスに反対したソロンのような学者たちも、この仕事に参加した。プラトンのものとされる対話篇『ヒッパルコス』によれば、ペイシストラトスの息子ヒッパルコス(フランス語版)はパンアテナイア祭で毎年この写本を朗唱するように命じた。", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ホメーロスのテクストは羊皮紙もしくはパピルスの巻物「ヴォルメン」(\"volume\"の語源)に書かれ、読まれた。これらの巻物は、まとまった形では現存していない。エジプトで発見された唯一の断片群の中には紀元前3世紀に遡るものもある。その中の1つ、「ソルボンヌ目録255」は、それまでの常識とは矛盾する以下のような事実を示した――", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "最初にホメーロスのテクストの校訂版を作成したのは、アレクサンドリアの文法家たちだった。アレクサンドリア図書館の最初の司書であったゼーノドトス(フランス語版)が作業に着手し、後継のビュザンティオンのアリストパネース(フランス語版)がテクストの句読法を確立した。アリストパネースを引き継いだサモトラケのアリスタルコスが『イーリアス』と『オデュッセイア』の注釈を書き、またペイシストラトスの命により確立されたアッティカのテクストと、ヘレニズム時代になされた追加部分とを区別しようと試みた。", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "3世紀に、ローマ人は地中海沿岸一帯に「コデックス」の使用を広めた。これは今日で言う仮綴じ本に近いものをさす。この形式による写本で最古のものは10世紀に遡り、これらはビュザンティオンの工房による仕事であった。この一例として、現存する写本で最良のものの1つであるウェネトゥス 454A(英語版)があり、これを基に1788年にフランス人ジャン=バプティスト=ガスパール・ダンス・ド・ヴィヨワゾン(フランス語版)は『イーリアス』の最良の版の1つを確立した。12世紀には、碩学テッサロニケのエウスタティウス(英語版)がアレクサンドリアの注釈を集成した。サモトラケのアリスタルコスによって確立された874の訂正のうち、エウスタティウスは80しか取り上げなかった。1488年に、両作品の「初版」がフィレンツェで出版された。", "title": "ホメーロスのテクストの伝播" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ホメーロスの言語(フランス語版)は叙事詩で用いられた言語であり、紀元前8世紀には既に古風なもので、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。ただし、固定が行われる前に、古風な表現の一部は置き換えられ、テクストにはアッティカ語法(フランス語版)も入り込んだ。", "title": "ホメーロス言語" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "長短短六歩格の韻律は、当初の形を復元できる場合があり、またある種の言い回しが行われる理由も説明できることがある。この例として、紀元前1千年紀のうちに消滅した音素であるディガンマ(Ϝ /w/)が、ホメーロスにおいては依然として韻律上の問題の解消のために表記も発音もされないながらも用いられたことがある。例えば『イーリアス』の第1歌108行は――", "title": "ホメーロス言語" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "古風な-οιοとより新しい-ουの2種の属格や、また2種の複数与格(-οισιと-οις)が競合して用いられることは、アオイドスが自分の意向で古風・新風の活用形を切り替えられたことを示している――「ホメーロス言語は、通常は決して同時に用いられることのなかった様々な時代の形式の混淆物であり、これらの組み合わせは純粋に文学的な自由さに属するものであった。」(ジャクリーヌ・ド・ロミリ(フランス語版))", "title": "ホメーロス言語" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "その上、ホメーロス言語は異なった方言も組み合わせる。アッティカ語法や、テクストの固定の際の変化は取り除くことができる。イオニア方言とアイオリス方言の2つが残り、それらの特徴の一部は読者にも明白である――例えば、イオニア人はアッティカ=イオニア人が長音のアルファ(ᾱ)を用いるところでエータ(η)を用い、よって古典的な「アテーナー」や「ヘーラー」の代わりに「アテーネー」ヤ「ヘーレー」と言う。こうした2つの方言の「還元不可能な共在」(ピエール・シャントレーヌ(フランス語版)の表現)は、様々な方法で説明しうる――", "title": "ホメーロス言語" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "実際のところ、ホメーロス言語は詩人たちにとってしか存在しなかった混合言語であり、現実には話されず、そのことが叙事詩が日常の現実との間に作り出す断絶を強めている。ホメーロスの時代よりもずっと後になると、ギリシアの作家たちはまさに「文学らしくする」ためにこホメーロス的な語法を模倣するようになる。", "title": "ホメーロス言語" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "古代の作家たちは ホメーロスが本当に存在した出来事を歌ったのであり、 トロイア戦争は本当に起きたのだと考えていた。彼らはオデュッセウスがアオイドスのデーモドコスにかけた言葉を信じていた――", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "19世紀に、ハインリヒ・シュリーマンが小アジアで発掘調査を実施したのも叙事詩に描かれた場所を再発見するためであった。シュリーマンがまずトロイアと呼ばれる都市を、それからミケーネの諸都市を発見した時、これでホメーロスの物語の真実性が証明されたと考えられた。アガメムノーンの顔を象ったマスク、大アイアースの楯、ネストールの杯などが次々と発見されたと思われ、彼らもまた実在したと考えられた。アオイドスによって描かれた社会をミケーネ文明と同一視したのである。", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "この文明に関する諸々の発見(とりわけ線文字Bの解読)により、この説は急速に疑問視されるようになった。アカイアの社会は、戦士たちによる国体なき貴族政治というよりもメソポタミア文明に近い、行政・官僚支配によるものだった。ジャクリーヌ・ド・ロミリ(フランス語版)はこう説明している――「最近発見された諸文書と、詩に書かれた内容との間には、『ローランの歌』と、ローランの時代の公正証書との間にあるのと変わらぬぐらいの繋がりしかない。」", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "モーゼス・フィンリーは『オデュッセイアの世界』(1969) において、描かれている社会は、多少の時代錯誤はあるにせよ、本当に存在したのだと断言した――ミケーネ文明と、紀元前8世紀の都市国家の時代との中間に位置する紀元前10-9世紀頃の「暗黒時代」だったのである。フィンリーは「暗黒時代とホメーロスの詩」(『古代ギリシア』、1971年)でこう書いている――", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "フィンリーの立場もまた今日では疑問に付されており、これは紀元前8-7世紀の特徴を見せる時代錯誤による部分が大きい。まず、『イーリアス』はファランクスに似た3つの記述を含んでいる――", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ファランクスの導入時期には論争があるが、大部分の論者は紀元前675年頃であったとしている。", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "戦車(二輪馬車)も、辻褄の合わない使われ方をしている――英雄たちは戦車に乗って出発し、飛び降りて足で立って戦っている。詩人はミケーネ人が戦車を使っていたことは知っていたが、当時の使用法は知らず(戦車対戦車で、投げ槍を用いていた)、同時代の馬の用法(戦場まで馬に乗って赴き、降りて立って戦闘していた)を当時の戦車に移し替えたのである。", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "物語は青銅器時代のただなかで進行しており、英雄たちの武具は実際に青銅でできていた。しかしホメーロスは英雄たちに「鉄の心臓」を与え、『オデュッセイア』では鍛冶場で焼きを入れられた鉄斧の立てる音のことを語っている。", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "こうした異なった時代から発している慣習の存在は、ホメーロス言語と同様に、ホメーロス世界もそれ自体としては存在しなかったことを示している。オデュッセイアの旅程の地理関係もそうであるように、これは混淆による詩的な世界を表している。", "title": "ホメーロスは歴史家か?" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ホメーロスが実在したか、あるいは1つの人格であるのかといった問題はさておき、ホメーロスが古代ギリシアにとって、最初の最も高名な詩人であり、古代ギリシアは文化と教養の多くを彼に負っていると言っても誇張ではない。また「西洋文学の父」として、古代ギリシアの古典期、ヘレニズム時代、ローマ時代、(西欧でギリシア語の知識が部分的に失われた中世は除く。この時代、ホメーロスの文学はギリシア人が支配階層となった東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)に受け継がれ、東ローマの官僚・知識人の間ではホメーロスの詩を暗誦できるのが常識とされていた)、ルネサンスから現代に至るまで、ホメーロスは西洋文学において論じられている。", "title": "後世の芸術作品への影響" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "文学", "title": "後世の芸術作品への影響" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "絵画", "title": "後世の芸術作品への影響" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "彫刻", "title": "後世の芸術作品への影響" } ]
ホメーロスは、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロス、あるいは現代語式の発音でオミロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する。現在のギリシアではオミロスと発音されている。古代人はホメーロスを「詩人」というシンプルな異名で呼んでいた。 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、女神カリオペーの子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されている。 当時の叙事詩というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『イーリアス』と『オデュッセイア』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『蛙鼠合戦』や、ホメーロス讃歌の作者とも見做されるようになった。主にイオニア方言などからなる混成的なホメーロスの言語は紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は長短短六歩格(ダクテュロスのヘクサメトロス)で歌われており、ホメーロス言語はこの韻律と密接に結び付いている。 古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において叙事詩というジャンルを確立した文学的創造、詩としての価値をさらに高めた。
{{Infobox 作家 |name = ホメーロス<br />Ὅμηρος <!--|image = Homeros MFA Munich 272.jpg--> |image = Homeros Glyptothek Munich 273.jpg |image_size = 200px |caption = {{small|「[[エピメニデス]]型」のホメーロスの肖像<br/>紀元前5世紀ギリシアのオリジナルからのローマの複製<br/>[[グリュプトテーク]]所蔵}} |birth_date = [[紀元前8世紀]]? |birth_place = |death_date = 不詳 |death_place = |occupation = [[アオイドス]] |language = [[古代ギリシア語]] |nationality = |period = |genre = [[叙事詩]] |subject = |movement = |notable_works = 『[[イーリアス]]』、『[[オデュッセイア]]』 |awards = |debut_works = }} '''ホメーロス'''({{翻字併記|grc|Ὅμηρος|Hómēros|n|区=、}}、{{lang-la-short|Homerus}}、{{lang-en-short|Homer}})は、[[紀元前8世紀]]末の[[アオイドス]]([[吟遊詩人]])であったとされる人物を指す。'''ホメロス'''、あるいは現代語式の発音で'''オミロス'''とも。西洋[[文学]]最初期の2つの作品、『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する<ref>{{Cite book |author= |last=Chantraine |first=Pierre |year=1999 |title=Dictionnaire étymologique de la langue grecque, vol.II |publisher=Klincksieck |location=Paris |language=フランス語|volume=II <!-- 和書でないと出ないらしい --> |pages=797 |isbn=2-252-03277-4 }} </ref>。現在のギリシアでは''オミロス''と発音されている。古代人はホメーロスを「[[詩人]]」({{翻字併記|grc|ὁ Ποιητής|''ho Poiêtếs''|N|区=、}})というシンプルな異名で呼んでいた。 <!-- == 概要 == :概要節を作るかは好みの問題なのでどちらでも。cf.[[WP:LS#概要文]] --> 今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しい。それでも、[[イオニア]]の多くの都市([[キオス県|キオス]]、[[イズミル|スミルナ]]、[[コロポーン]]など)がこのアオイドスの出身地の座を争っており、また伝承ではしばしばホメーロスは[[盲目]]であったとされ、人格的な個性が与えられている。しかし、彼が実在の人物であったとしても、生きていた時代はいつ頃なのかも定まっていない。もっとも信じられている伝説では、紀元前8世紀とされている。また、その出生についても、[[女神]][[カリオペー]]の子であるという説や私生児であったという説などがありはっきりしない。さらに、彼は、[[キュクラデス諸島]]の[[イオス島]]で没したと伝承されている<ref>フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編、樺山紘一監修『図説 世界史人物百科』Ⅰ古代ー中世 原書房 2004年 29ページ</ref>。 当時の[[叙事詩]]というジャンルを1人で代表するホメーロスが古代ギリシア文学に占める位置は極めて大きい。紀元前6世紀以降、『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』はホメーロスの作品と考えられるようになり、また叙事詩のパロディである『[[蛙鼠合戦]]』や、[[ホメーロス風讃歌|ホメーロス讃歌]]の作者とも見做されるようになった。主に[[ギリシア語イオニア方言|イオニア方言]]などからなる混成的な{{仮リンク|ホメーロス言語|fr|langue homérique|label=ホメーロスの言語}}は紀元前8世紀には既に古風なものであり、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。両叙事詩は{{仮リンク|長短短六歩格|fr|hexamètre dactylique}}([[ダクテュロス]]の[[ヘクサメトロス]])で歌われており、ホメーロス言語はこの[[韻律 (韻文)|韻律]]と密接に結び付いている。<!--両叙事詩の間に大きな言語的・文芸的な区別は存在しない。--> 古代において、ホメーロスの作品に与えられていた史料としての価値は、今日では極めて低いものと見做されている。このことは同時に、西洋において[[叙事詩]]というジャンルを確立した文学的創造、[[詩]]としての価値をさらに高めた。 == 伝記 == === 古代人から見たホメーロス === [[Image:William-Adolphe Bouguereau (1825-1905) - Homer and his Guide (1874).jpg|thumb|right|upright|[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]『ホメーロスと案内人』(1874)]] 伝承では、ホメーロスは、盲目であったとしている。第一に、『[[オデュッセイア]]』で[[トロイア戦争]]を歌うために登場する[[アオイドス]]の[[デーモドコス]]が盲目である――[[ムーサ]]はデーモドコスから「目を取り去ったが、甘美な歌を与えた」<ref>『オデュッセイア』VIII, 63-64.</ref>。第二に、『[[ホメーロス風讃歌|ホメーロス讃歌]]』の[[デロス島]]の[[アポローン]]讃歌の作者が自分自身について「石ころだらけの[[キオス県|キオス]]に住む盲人」<ref group="注釈">« {{lang|grc|τυφλὸς ἀνήρ, οἰκεῖ δὲ Χίῳ ἔνι παιπαλοέσσῃ}} », vers 172. 讃歌は、紀元前7世紀中葉から紀元前6世紀初頭の間に作られたものである。</ref>と語っている。この一節は[[トゥキディデス]]が、ホメーロスが自分自身について語った部分として引用している<ref>『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史]]』 III, 104.</ref>。 「[[目の見えない音楽家|盲目の吟遊詩人]]」というイメージは、ギリシア文学の紋切り型であった。[[ディオン・クリュソストモス]]の弁論の登場人物の一人は、「これらの詩人たちは全て盲目であり、彼らは盲目であることなしに詩人となることは不可能だと信じていた」と指摘した。ディオンは、詩人たちがこの特殊性を一種の眼病のようにして伝えていったと答えている<ref>Dion Chrysostome, ''Discours'', XXXVI, 10-11.</ref>。事実、抒情詩人ロクリスのクセノクリトスは、生まれつき盲目だったとされている<ref>''FHG'' II, 221.</ref>。{{仮リンク|エレトリアのアカイオス|fr|Achaïos d'Érétrie}}は、ムーサイの象徴である蜜蜂に刺されて盲目となった<ref>Snell, ''TrGF'' I 20 Achaeus I, T 3a+b.</ref>。[[ステシコロス]]は、[[スパルタ]]の[[ヘレネー]]を貶したために視力を失った<ref>Platon, ''Phèdre'', 243a.</ref>。[[デモクリトス]]は、より良く見るために自ら失明した<ref>Diels, II, 88-89.</ref>。 全ての詩人が盲目だったわけではないが、盲目は頻繁に詩と結び付けられる。マーチン・P・ニルソンは、[[スラヴ]]の一部地域では、吟遊詩人は儀礼的に「盲目」として扱われていると指摘している<ref>M. P. Nilsson, ''Homer and Mycenæ'', Londres, 1933 p.201.</ref>――[[アリストテレス]]が既に主張していたように<ref>Aristote, ''Éthique à Eudème'', 1248b.</ref>、視力の喪失は記憶力を高めると考えられる。加えて、ギリシアでは非常に頻繁に、盲目と予知能力を結び付けて考えた。[[テイレシアース]]、メッセネの{{訳語疑問点範囲|オピオネー|date=2010年4月|Ophionée|cand_prefix=原文}}、アポロニアの{{訳語疑問点範囲|エヴェニオス|date=2010年4月|nios|cand_prefix=原文}}、 [[ピネハス]]といった予言者たちは皆盲目であった。より散文的には、アオイドスは古代ギリシアのような社会で盲人が就けた数少ない職業の1つだった<ref>R. G. A. Buxton, « Blindness and Limits: Sophokles and the Logic of Myth », ''JHS'' 100 (1980), p.29 [22-37.</ref>。 [[イオニア]]の多くの都市([[キオス県|キオス]]、[[イズミル|スミルナ]]、[[コロポーン]]など)がホメーロスの出身地の座を争っている。『デロス島のアポローン讃歌』ではキオスに言及しており、[[シモーニデース]]は<ref>Simonide, frag.&nbsp;19 W² = [[:fr:Jean de Stobée|Stobée]], ''Florilège'', s.v. {{lang|grc|Σιμωνίδου}}.</ref>『イーリアス』の最も有名な詩行の1つ「人の生まれなどというのは木の葉の生まれと同じようなもの」<ref>イーリアス(VI, 146).</ref>を「キオスの男」のものであるとしており、この詩行は古典時代の諺ともなった。[[ルキアノス]](120-180頃)は、ホメーロスを人質としてギリシアへ送られた[[バビロン]]人だとした({{lang|grc|ὅμηρος}}は「人質」を意味する)<ref>Lucien, ''Histoire vraie'' (II, 20).</ref>。128年に、[[ハドリアヌス]]帝にこの件を問われた[[デルポイ]]の神託は、ホメーロスは[[イタキ島|イタケー]]の生まれで[[テーレマコス]]と[[ポリュカステー]]の息子であると答えた<ref>『[[ギリシア詞華集|パラチヌス詞華集]]』(XIV, 102).</ref>。碩学の哲学者[[プロクロス]](412-485)は著書『ホメーロスの生涯』において、ホメーロスはなによりもまず「世界市民」であったと、この論争を結論づけた。 実際のところ、ホメーロスの生涯については分かっていない。8つの古代の伝記が伝わっており、これらは誤って[[プルタルコス]]と[[ヘロドトス]]の作とされている。これは恐らくギリシアの伝記作者の「空白恐怖」によって説明されうる<ref>Kirk, p.1.</ref>。これらの伝記のうち最も古いものは[[ヘレニズム]]時代に遡り、貴重だが信憑性に乏しい詳細に満ちており、そうした詳細のうちには古典時代からのものも含まれている。それらによるとホメーロスは[[イズミル|スミルナ]]で生まれ、キオスに暮らし、[[キクラデス諸島]]の[[イオス島]]で死んだことになる。本名はメレシゲネス――父はメレス川の神、母は[[ニュンペー]]のクレテイスであった<ref group="注釈">『{{仮リンク|ハルポクラチオン|en|Harpocration}}』によれば、メレスとクレテイスの物語は紀元前5世紀には既に[[ヘラニコス]]が疑問視していた<!--discuté-->という。[[フィロストラトス]]の『{{訳語疑問点範囲|映像|date=2010年4月|Images|cand_prefix=原文}}』にもこの話が現れる。([http://remacle.org/bloodwolf/erudits/philostrate/images.htm 『Images』のフランス語訳])</ref>。また同時に、ホメーロスは[[オルペウス]]の子孫、従弟、もしくは単なる同時代の音楽家であったという。 === ホメーロスは歴史上の人物か? === 近年になり、[[アングロ・サクソン人|アングロサクソン]]<!--英語圏-->の作家たちは『オデュッセイア』が紀元前7世紀の[[シチリア]]の女性によって書かれたとする仮説を打ち出し、『オデュッセイア』に登場する[[ナウシカアー]]は、ある種の自画像だという。最初にこのアイデアを打ち出したのはイギリスの作家[[サミュエル・バトラー]]の『オデュッセイアの女性作家』(1897年)であった。詩人[[ロバート・グレーヴス]]が小説『ホメーロスの娘』でこの説を扱ったほか、2006年9月にも大学教員{{仮リンク|アンドリュー・ドルビー|en|Andrew Dalby}}が評論『{{仮リンク|ホメーロス再発見|en|Rediscovering Homer}}』で取り上げている。 また、ホメーロスの実在を疑問視する者もある。ホメーロスという名前自体にも問題がある――[[ヘレニズム]]時代以前には他にこの名前を持つ人物は誰一人として知られておらず、ローマ時代となってもこの名前は稀で、主に解放奴隷が名乗っていた<ref>M.L. West, « The Invention of Homer », ''CQ'' 49/2 (1999), p.366 [364-382].</ref>。この名前は「人質」を意味しており、さまざまな物語がホメーロスがかくかくしかじかの都市から人質として渡されたのであると、この名前の由来を説明しようとしている。しかし、この語は通常は中性複数で現れるのであり({{lang|grc|ὅμηρα}})男性形では現れないと反論されている。紀元前4世紀の歴史家[[エポロス|キュメのエポロス]]は、キュメの方言ではこの語は「盲目」を意味し、盲目であったために詩人にこの名が与えられたと説明した。その目的は、ホメーロスが同郷人であると示すことだった<ref>Éphore, ''FGrHist'' 70 F 1.</ref>。しかしながら、この語は他では証言されておらず、また「盲目」の語は[[コグノーメン]](第3の名)として見られることはあっても、単独の名前としては付けられない<ref>West, p. 367</ref>。加えて、叙事詩については匿名が一般的であり、作者の名前が添えられるのは例外であったとも強調されている<ref>West, p.365-366.</ref>。 こうしたことから、ホメーロスの存在そのものが「作り事」だという可能性も考えられる。{{仮リンク|マーチン・リッチフィールド・ウエスト|en|Martin Litchfield West}}は、ホメーロスという人物はアテナイの学識者たちによって紀元前6世紀に作られたとしている。バーバラ・グラジオーシは、これらはむしろ全ギリシア的な運動だったのであり、ギリシア全土の吟遊詩人たちの表現に結び付いているとしている。 == 作品 == [[Image:Beginning Iliad.svg|thumb|『[[イーリアス]]』冒頭の7詩行]] 『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』は紀元前6世紀以降、ホメーロスの作品とされている。これら二大英雄叙事詩の他に、『キュプリア』『アイティオピス』『小イーリアス』『イーリオスの陥落』『帰国物語』『テーレゴニアー』が伝統的にホメーロス作と見なされてきた。『イーリアス』のパロディである喜劇的叙事詩『[[蛙鼠合戦]]』や、『[[ホメーロス風讃歌|ホメーロス讃歌]]』と呼ばれる叙事的な神々への讃歌33編の作者ともされているが、明らかにホメーロスの作品ではない。 さらに、古代においては、[[ヘーシオドス]]があらゆる形の教育的な詩の代名詞となっていたのと同様に、ホメーロスの名は事実上全ての叙事的な詩の代名詞となっていた。よって、ホメーロスの名は[[叙事詩環]]の叙事詩の題名にしばしば結び付けられた。[[アルキロコス|パロスのアルキロコス]]はホメーロスが喜劇的作品『[[マルギーテース]]』を書いたと考えた。[[ヘロドトス]]は、「ホメーロスの詩」が[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]への言及のために[[シキュオンのクレイステネス]] <!-- [[クレイステネス]]の祖父。リンク注意 -->によって追放されたと伝えている<ref>『[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]』(V, 67)</ref> ――このことは[[テーバイ圏]]もまたホメーロスのものと考えられていたことを推測させる。ヘロドトス自身もまた『[[エピゴノイ]]』<ref name="Hérodote IV, 32">Hérodote (IV, 32).</ref>と『[[キュプリア]]』<ref name="Hérodote IV, 32"/>の作者がホメーロスであるかには疑問を呈している。『{{仮リンク|オイカリアーの陥落|fr|Prise d'Œchalie}}』をホメーロスの作とする者もある。また、多くの古典期の作者たちが、『イーリアス』にも『オデュッセイア』にも出現しない詩行をホメーロスのものであるとして引用した――[[シモーニデース]]<ref>Simonide, frag. 564 PMG.</ref>、[[ピンダロス]]<ref>『ピティア祝勝歌』 (IV, 277-278).</ref>など。 『イーリアス』と『オデュッセイア』のみをホメーロスの作とするようになったのは[[プラトン]]と[[アリストテレス]]以降であるが、それでも16世紀になってなお、[[デジデリウス・エラスムス]]は『蛙鼠合戦』がホメーロスの作であると信じていた。 == ホメーロス問題 == [[Image:Jean_Auguste_Dominique_Ingres,_Apotheosis_of_Homer,_1827.jpg|thumb|right|[[ドミニク・アングル]]『{{仮リンク|ホメーロスの神格化|fr|L'Apothéose d'Homère}}』(1827年、[[ルーヴル美術館]]蔵)]] {{main|ホメーロス問題}} 古代・中世の[[ギリシャ人|ギリシア人]]たちは、一部例外を除いて、『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』がホメーロスの作である事を疑わなかったが、近代になり、異論が唱えられるようになった。例えば、ホメーロスがもし『イリアス』の作者なら『オデュッセイア』はそれより少し後代の別人、あるいは複数の詩人になるものではないかという推測である。ホメーロスについての情報がわずかであるため、その存在自体を疑う者もある。今日では、両詩の原型はホメーロス(と仮に呼ぶ)1人によって、それ以前の[[口承]]文学を引用しつつ創造されたという説が有力であるが、問題は未解決である。ホメーロスとは誰なのか、1人なのか複数なのか、両叙事詩の作者なのか、文字の助けを借りて創造したのか、何時なのか、何処でなのか、こういった諸問題を称して「'''[[ホメーロス問題]]'''」と呼ぶ。 この疑問は[[古代]]にまで遡る――[[ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]によれば、「オデュッセイアの<!--船の-->漕手が何人だったか、『イーリアス』は『オデュッセイア』より前に書かれたのか、これら2つの詩は同じ作者なのかといったことを知りたがるのはギリシア人の病気であった。」<ref>[[ルキウス・アンナエウス・セネカ|Sénèque]], ''De la brièveté de la vie'' (XIII, 2).([http://www.ac-nice.fr/philo/textes/Seneque-Brievete.htm 仏訳原文])</ref> 今日「ホメーロス問題」と呼ばれているものは、{{訳語疑問点範囲|オービニャック師|date=2010年4月|l'abbé d'Aubignac|cand_prefix=原文}}<!-- フランソワ・エデラン -->の許で生まれたもののようである<ref name="ParXII">Parry, p. XII.</ref>。彼は同時代人たちのホメーロスへの畏敬に逆行し、1670年頃に『学術的推測』を書き、そこでホメーロスの作品を批判するだけでなく、詩人の存在そのものにも疑問を投げかけた。オービニャックにとって、『イーリアス』と『オデュッセイア』は昔の[[ラプソドス]]たちのテクストの集積にしか過ぎなかった<ref name="ParXII" />。これとほぼ同時代に、{{仮リンク|リチャード・ベントレー|en|Richard Bentley}}は著書『思考の自由論に関する考察』の一節で、ホメーロスは存在はしたかもしれないが、ずっと後になって叙事詩の形にまとめられた歌やラプソディアの作者であったに過ぎないと判断した。[[ジャンバッティスタ・ヴィーコ]]もまたホメーロスは決して実在せず、『イーリアス』と『オデュッセイア』は文字通りギリシアの人々全体による作品であると考えた<ref>Parry, p.&nbsp;XIII.</ref>。 [[フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフ]]は著書『ホメーロスへの序論』(1795)において、ホメーロスが文盲であったという仮説を初めて導入した。ヴォルフによれば、詩人はこの2つの作品を紀元前950年頃の、ギリシア人がまだ筆記を知らなかった時代に作ったのである。原始的な形の歌であったものは口承によって伝達され、その過程で進化・発展を遂げ、それは紀元前6世紀のペイシストラトスの校訂によって固定されるまで続いた<ref>Parry, p.&nbsp;XIV-XV.</ref>。ここから2つの派閥が生まれた――{{訳語疑問点範囲|「統一主義者」と「分析主義者」|date=2010年4月|es ''unitaristes'' et les ''analystes''|cand_prefix=原文}}である。 [[カール・ラハマン|カール・ラッハマン]]のような「分析主義者」は、ホメーロス自身によるもとの詩を後世の追加や{{仮リンク|挿入 (文献学)|fr|interpolation (philologie)|label=挿入}}などから分離しようと試み、テクストの不整合や構成の誤りを強調した。例えば、[[イリオス|トロイア]]の英雄[[ピュライメネース]]は第5歌で殺されるが<ref>『イーリアス』 (V, 576-579).</ref>、それより後の第8歌で再び登場する<ref>''Iliade'' (XIII, 658-659).</ref>。さらには[[アキレウス]]は第11歌で、帰らせたばかりの使者が来るのを待っている{{要出典|date=2010年4月}}。これはホメーロス言語にも当てはまり、これに関してだけ言うなら、ホメーロス言語は様々な方言(主にイオニア方言とアイオリス方言)や様々な時代の言い回しの寄せ集めからなっている。こうしたアプローチは、ホメーロスのテクストを確立したアレクサンドリア人たちに既にあったものである(後述)。 「統一主義者」はこれとは逆に、非常に長い(『イーリアス』が15,337行、『オデュッセイア』が12,109行)詩であるにもかかわらず見られる構成と文体の統一性を強調し、作者ホメーロスがその時代に存在していたさまざまな素材から我々が今日知っている詩を構成したのだという説を擁護した{{要出典|date=2010年4月}}<!-- シャーデヴァルト? -->。2つの詩の間の差異は、作者の若い時と歳を取った時とでの変化や、ホメーロス自身とその後継者との間の違いによって説明される。 今日では、批評家の大部分は、ホメーロスの詩が口頭での創作と継承の文化から筆記の文化へと移行する過渡期において、それより前の要素を再利用して構成されたと考えている。ある1人(もしくは2人)の作者が介在したことはほとんど疑いがないが、先行する詩が存在し、それらの中にはホメーロスの作品に含められたものがあることもほとんど疑いがない。木馬のエピソードを語った者たちのように、含められなかったものもあった可能性がある<ref>E Lasserre, ''L'Iliade'', Introduction, éd. Garnier-Flammarion.</ref>。『イーリアス』が先に、紀元前8世紀前半頃に創作され、『オデュッセイア』が後に、紀元前7世紀末頃に創作された可能性もある。 == ホメーロスのテクストの伝播 == === 口承による伝播 === ホメーロスのテクストは、長期にわたり[[口承]]によって伝えられていた。[[ミルマン・パリー]]はその高名な論文『ホメーロスにおける伝統的な形容辞』において、「俊足のアキレウス」や「白き腕の女神ヘーラー」のような(原文では<!--日本語だと逆になってしまうので-->)「固有名詞+形容辞」の形の数多くの決まり文句は、アオイドスの仕事を容易にするリズム形式に従っていると示した。1つの{{仮リンク|半句|fr|hémistiche}}を簡単に出来合いの半句で埋めることができる。<!--当時の西洋古典詩では?-->ホメーロスの詩でしか見られないこの方式は、口承による詩に特有とされる。([[詩#歴史]]も参照) <!-- ないです。とりあえず[[詩#歴史]]でお茶を濁しておきます… ({{仮リンク|ホメーロスの形容辞|en|Epithets in Homer}}、{{仮リンク|口承理論|fr|théorie de l'oralité}}を参照。) --> パリーとその弟子の{{仮リンク|アルバート・ロード|en|Albert Lord}}は、[[セルビア]]の[[ノヴィ・パザル]]地方の吟遊詩人が文盲であるにもかかわらず、こうした種類のリズム形式を用いて完全な韻文による長詩を暗唱できる例も示している。これらの叙事詩を記録してから数年後にロードが再び訪れた時も、吟遊詩人たちが詩にもたらした変更はごく僅かなものであった。詩法は口承文化においてテクストのよりよい伝承を確保する手段でもある。 === ペイシストラトスからアレクサンドリアまで === [[Image:Rembrandt Harmensz. van Rijn 013.jpg|thumb|right|[[レンブラント・ファン・レイン|レンブラント]]『ホメーロスの胸像を前にしたアリストテレス』(1653年、[[メトロポリタン美術館]]蔵)]] [[ペイシストラトス]]は、紀元前6世紀に最初の{{訳語疑問点範囲|公的な蔵書|date=2010年4月|bliothèque publique. |cand_prefix=原文}}を創設した。[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は、[[アテナイ]]の[[僭主]](ペイシストラトス)の命令により、2つの叙事的な物語が初めて文字に書き起こされたと報告した<ref>''De oratore'', III, 40.</ref>。ペイシストラトスはアテナイを通過する歌手や吟遊詩人に対して、知る限りのホメーロスの作品をアテナイの筆記者のために朗唱することを義務付ける法を発布した。筆記者たちはそれぞれのバージョンを記録して1つにまとめ、それが今日『イーリアス』と『オデュッセイア』と呼ばれるものとなった。選挙運動の時にはペイシストラトスに反対した[[ソロン]]のような学者たちも、この仕事に参加した。[[プラトン]]のものとされる対話篇『ヒッパルコス』によれば、ペイシストラトスの息子{{仮リンク|ヒッパルコス (僭主)|fr|Hipparque (tyran)|label=ヒッパルコス}}は[[パナテナイア祭|パンアテナイア]]祭で毎年この写本を朗唱するように命じた。 ホメーロスのテクストは[[羊皮紙]]もしくは[[パピルス]]の巻物「ヴォルメン」("volume"の語源)に書かれ、読まれた。これらの巻物は、まとまった形では現存していない。[[エジプト]]で発見された唯一の断片群の中には紀元前3世紀に遡るものもある。その中の1つ、「{{訳語疑問点範囲|ソルボンヌ目録255|date=2010年4月|Sorbonne inv. 255|cand_prefix=原文}}」は、それまでの常識とは矛盾する以下のような事実を示した―― *作品を24の歌に分け、イオニアのアルファベット24文字による通し番号を付けたのは[[ヘレニズム]]時代のアレクサンドリアの文法家たちの仕事よりも前だった。 *歌の分割は、(1つの巻物に1歌という)実用的な必要性とは対応していない。 最初にホメーロスのテクストの校訂版を作成したのは、[[アレクサンドリア]]の文法家たちだった。[[アレクサンドリア図書館]]の最初の司書であった{{仮リンク|ゼーノドトス|fr|Zénodote}}が作業に着手し、後継の{{仮リンク|ビュザンティオンのアリストパネース|fr|Aristophane de Byzance}}がテクストの句読法を確立した。アリストパネースを引き継いだ[[サモトラケのアリスタルコス]]が『イーリアス』と『オデュッセイア』の注釈を書き、また[[ペイシストラトス]]の命により確立されたアッティカのテクストと、ヘレニズム時代になされた追加部分とを区別しようと試みた。 === ビュザンティオンから印刷所まで === 3世紀に、ローマ人は{{訳語疑問点範囲|地中海沿岸一帯|date=2010年4月|bassin méditerranéen|cand_prefix=原文}}に「コデックス」の使用を広めた。これは今日で言う仮綴じ本に近いものをさす。この形式による写本で最古のものは10世紀に遡り、これらは[[ビュザンティオン]]の工房による仕事であった。この一例として、現存する写本で最良のものの1つである{{仮リンク|ウェネトゥスA|en|Venetus A|label=ウェネトゥス 454A}}があり、これを基に1788年にフランス人{{仮リンク|ジャン=バプティスト=ガスパール・ダンス・ド・ヴィヨワゾン|fr|Jean-Baptiste-Gaspard d'Ansse de Villoison}}は『イーリアス』の最良の版の1つを確立した。12世紀には、碩学{{仮リンク|テッサロニケのエウスタティウス|en|Eustathius of Thessalonica}}がアレクサンドリアの注釈を集成した。サモトラケのアリスタルコスによって確立された874の訂正のうち、エウスタティウスは80しか取り上げなかった。1488年に、両作品の「初版」が[[フィレンツェ]]で出版された。 == ホメーロス言語 == [[Image:Homer_by_Philippe-Laurent_Roland_(Louvre_2004_134_cor).jpg|thumb|{{仮リンク|フィリップ=ローラン・ロラン|fr|Philippe-Laurent Roland}}『ホメーロス』(1812年、[[ルーヴル美術館]]蔵)]] {{仮リンク|ホメーロス言語|fr|langue homérique|label=ホメーロスの言語}}は叙事詩で用いられた言語であり、紀元前8世紀には既に古風なもので、テクストが固定された紀元前6世紀にはなおのことそうであった。ただし、固定が行われる前に、古風な表現の一部は置き換えられ、テクストには{{仮リンク|アッティカ語法|fr|atticisme}}<!-- アッティカ方言(attique)ではない -->も入り込んだ。 長短短六歩格の[[韻律 (韻文)|韻律]]は、当初の形を復元できる場合があり<!--脱落した部分を韻律から推定できたりという話-->、またある種の言い回しが行われる理由も説明できることがある。この例として、紀元前1千年紀のうちに消滅した[[音素]]である[[ディガンマ]]({{lang|grc|Ϝ}} /w/)が、ホメーロスにおいては依然として韻律上の問題の解消のために表記も発音もされないながらも用いられたことがある。例えば『イーリアス』の第1歌108行は<ref group="注釈">ディガンマがなければ[[ヒアートゥス]]となる。</ref>―― {{Cquote|1={{lang|grc|ἐσθλὸν δ’ οὔτέ τί πω [Ϝ]εἶπες [Ϝ]έπος οὔτ’ ἐτέλεσσας}}<br /> (汝、好事を口にせず、はた又之を行はず。〔[https://web.archive.org/web/20040920053517/http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/iliad/iliad-1.html 土井晩翠訳]〕)}} 古風な{{lang|grc|-οιο}}とより新しい<!-- moderne -->{{lang|grc|-ου}}の2種の[[属格]]や、また2種の複数[[与格]]({{lang|grc|-οισι}}と{{lang|grc|-οις}})が競合して用いられることは、アオイドスが自分の意向で古風・新風の活用形を切り替えられたことを示している――「ホメーロス言語は、通常は決して同時に用いられることのなかった様々な時代の形式の混淆物であり、これらの組み合わせは純粋に文学的な自由さに属するものであった。」({{仮リンク|ジャクリーヌ・ド・ロミリ|fr|Jacqueline de Romilly}}) その上、ホメーロス言語は異なった方言も組み合わせる。アッティカ語法や、テクストの固定の際の変化は取り除くことができる。イオニア方言とアイオリス方言の2つが残り、それらの特徴の一部は読者にも明白である――例えば、[[イオニア人]]は{{訳語疑問点範囲|アッティカ=イオニア人|date=2010年4月|l'ionien-attique|cand_prefix=原文}}が長音のアルファ({{lang|grc|ᾱ}})を用いるところでエータ({{lang|grc|η}})を用い、よって古典的な「アテーナー」や「ヘーラー」の代わりに「アテーネー」ヤ「ヘーレー」と言う。こうした2つの方言の「還元不可能な共在」({{仮リンク|ピエール・シャントレーヌ|fr|Pierre Chantraine}}の表現)は、様々な方法で説明しうる―― *アイオリスで創作され、イオニアへと渡った。 *2つの方言の両方が用いられていた地域で創作された。 *異なる時代の形式の混淆と同様に、主に韻律などのためにアオイドスが自由な選択を行なった。 実際のところ、ホメーロス言語は詩人たちにとってしか存在しなかった混合言語であり、現実には話されず、そのことが叙事詩が日常の現実との間に作り出す断絶を強めている。ホメーロスの時代よりもずっと後になると、ギリシアの作家たちはまさに「[[文学]]らしくする」ためにこホメーロス的な語法<!-- homérismes -->を模倣するようになる。 == ホメーロスは歴史家か? == [[Image:MaskeAgamemnon.JPG|thumb|right|[[ミケーネ]]で発掘された金製の『[[アガメムノンのマスク]]』。現在は[[アテネ国立考古学博物館]]蔵]] [[古代]]の作家たちは ホメーロスが本当に存在した出来事を歌ったのであり、 [[トロイア戦争]]は本当に起きたのだと考えていた。彼らは[[オデュッセウス]]がアオイドスの[[デーモドコス]]にかけた言葉を{{訳語疑問点範囲|信じていた|date=2010年4月|“Ils faisaient leur la remarque d'Ulysse à l'aède Démodocos” leurとlaの間に何かが抜けている?|cand_prefix=注記}}―― {{Cquote|1=<poem> アカイア軍の運命とアカイア軍の行動と、 その成功と受難とをいみじく君は述べ歌ふ、 さながら之を見し如く、或は他より聞く如く。</poem>|4=『[[オデュッセイア]]』第8歌489-491 [https://web.archive.org/web/20040623121704/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/odyssey/odyssey-8.html 土井晩翠訳]}} <!-- 仏語版Argien(アルゴスの)となっているがアカイアの誤りか λίην γὰρ κατὰ κόσμον Ἀχαιῶν οἶτον ἀείδεις, ὅσσ' ἕρξαν τ' ἔπαθόν τε καὶ ὅσσ' ἐμόγησαν Ἀχαιοί, ὥς τέ που ἢ αὐτὸς παρεὼν ἢ ἄλλου ἀκούσας. アカイア軍の運命とアカイア軍の行動と、 その成功と受難とをいみじく君は述べ歌ふ、 さながら之を見し如く、或は他より聞く如く。 --> 19世紀に、[[ハインリヒ・シュリーマン]]が[[アナトリア半島|小アジア]]で発掘調査を実施したのも叙事詩に描かれた場所を再発見するためであった。シュリーマンがまず[[イリオス|トロイア]]と呼ばれる都市を、それから[[ミケーネ]]の諸都市を発見した時、これでホメーロスの物語の真実性が証明されたと考えられた。[[アガメムノーン]]の顔を象ったマスク、[[大アイアース]]の楯、[[ネストール]]の杯などが次々と発見されたと思われ、彼らもまた実在したと考えられた。アオイドスによって描かれた社会を[[ミケーネ文明]]と同一視したのである。 この文明に関する諸々の発見(とりわけ[[線文字B]]の解読)により、この説は急速に疑問視されるようになった。アカイアの社会は、戦士たちによる国体なき貴族政治というよりも[[メソポタミア文明]]に近い、行政・官僚支配によるものだった。{{仮リンク|ジャクリーヌ・ド・ロミリ|fr|Jacqueline de Romilly}}はこう説明している――「最近発見された諸文書と、詩に書かれた内容との間には、『[[ローランの歌]]』と、ローランの時代の公正証書との間にあるのと変わらぬぐらいの繋がりしかない。」<ref>Jacqueline de Romilly, ''Homère'', 1999.</ref> [[モーゼス・フィンリー]]は『オデュッセイアの世界』(1969) において、描かれている社会は、多少の[[時代錯誤]]はあるにせよ、本当に存在したのだと断言した――ミケーネ文明と、紀元前8世紀の都市国家の時代との中間に位置する紀元前10-9世紀頃の「[[暗黒時代 (古代ギリシア)|暗黒時代]]」だったのである。フィンリーは「暗黒時代とホメーロスの詩」(『古代ギリシア』、1971年)でこう書いている―― {{Cquote|1=吟遊詩人たちの懐古趣味的な意志が部分的には成功を収めたかのようである。ミケーネ社会の記憶はほぼ全て失われてしまっていたにせよ、吟遊詩人たちは、暗黒時代の(終わり頃よりも)始め頃をある程度は正確に描くために自分たちの時代より遅れたままに留まっていた――片やミケーネの残滓、片や同時代の表現という時代錯誤の断片を常に残存させて。}} [[Image:Greek Phalanx.jpg|thumb|200px|[[マケドニア]]の[[ファランクス]]]] フィンリーの立場もまた今日では疑問に付されており、これは紀元前8-7世紀の特徴を見せる<!--懐古ではなく未来方向の-->[[時代錯誤]]による部分が大きい。まず、『イーリアス』は[[ファランクス]]に似た3つの記述を含んでいる―― {{Cquote|1=<poem> かくて彼らは兜と円き楯を整えた。 楯、兜、そして人が互いにひしめきあい、 彼らが身を屈めると、馬の髪に覆われた兜が 隣の見事な飾冠にぶつかる、さほどに彼らは密集していた。</poem><ref>''Iliade'' (XVI, 215–217), extrait de la traduction de Frédéric Mugler. Voir aussi ''Iliade'' (XII, 105 ; XIII, 130-134) et peut-être ''Iliade'' (IV, 446-450 = VIII, 62-65).</ref>}} <!-- 土井先生訳なかった… --> ファランクスの導入時期には論争があるが、大部分の論者は紀元前675年頃であったとしている。 [[チャリオット|戦車]](二輪馬車)も、辻褄の合わない使われ方をしている――英雄たちは戦車に乗って出発し、飛び降りて足で立って戦っている。詩人はミケーネ人が戦車を使っていたことは知っていたが、当時の使用法は知らず(戦車対戦車で、投げ槍を用いていた)、同時代の馬の用法(戦場まで馬に乗って赴き、降りて立って戦闘していた)を当時の戦車に移し替えたのである。 物語は[[青銅器時代]]のただなかで進行しており、英雄たちの武具は実際に青銅でできていた。しかしホメーロスは英雄たちに「鉄の心臓」を与え、『オデュッセイア』では鍛冶場で焼きを入れられた鉄斧の立てる音のことを語っている<ref>''Odyssée'' (IX, 390–395).</ref>。 こうした異なった時代から発している慣習の存在は、ホメーロス言語と同様に、ホメーロス世界もそれ自体としては存在しなかったことを示している。[[オデュッセイア]]の旅程の地理関係もそうであるように、これは混淆による詩的な世界を表している。 == 後世の芸術作品への影響 == [[Image:Lafond Sappho and Homer.jpg|thumb|240px|ラフォン『ホメーロスのために歌うサッポー』(1824)]] [[Image:Auguste Leloir - Homère.jpg|thumb|240px|ルロワール『ホメーロス』(1841)]] [[Image:Relief Homer cour Carree Louvre.jpg|thumb|180px|アントワーヌ=ドニ・ショーデ『ホメーロス』(1806)]] ホメーロスが実在したか、あるいは1つの人格であるのかといった問題はさておき、ホメーロスが古代ギリシアにとって、最初の最も高名な詩人であり、古代ギリシアは文化と教養の多くを彼に負っていると言っても誇張ではない。また「西洋文学の父」として、古代ギリシアの古典期、ヘレニズム時代、[[ローマ時代]]、(西欧でギリシア語の知識が部分的に失われた中世は除く。この時代、ホメーロスの文学は[[ギリシア人]]が支配階層となった[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)に受け継がれ、東ローマの[[官僚]]・[[知識人]]の間ではホメーロスの詩を暗誦できるのが常識とされていた<ref>{{Cite book|和書|author=井上浩一|authorlink=井上浩一 (歴史学者)|title=生き残った帝国ビザンティン|publisher=[[講談社学術文庫]]|year=2008}}p152-153</ref>)、[[ルネサンス]]から現代に至るまで、ホメーロスは西洋文学において論じられている。 '''文学''' <!-- 改善の余地あり--> *[[ヴィクトル・ユーゴー]]は『ウィリアム・シェイクスピア』においてホメーロスのことをこう書いた――「世界が生まれ、ホメーロスが歌う。この夜明けの鳥である。」 *[[オノレ・ド・バルザック]]はホメーロスを極めて高く位置付けてこう書いた――「その国に一人のホメーロスを与えるというのは、神の領域への侵犯ではないか?」<ref>''[[:fr:La Fille aux yeux d'or]]'', édition [[:fr:Charles Furne|Furne]], 1845, vol.IX, p.2.(『{{仮リンク|金色の眼の娘|fr|La Fille aux yeux d'or}}』)</ref> *ホメーロスは盲目の詩人であり、身体的な障害を詩的な天分が埋め合わせたのだと当初は考えられていた。このため、後世の数多くの高名な詩人や作家たちが盲目であるためにホメーロスに結び付けて考えられた。例を挙げれば、叙事詩『[[失楽園]]』の著者[[ジョン・ミルトン]]、セルビアの{{訳語疑問点範囲|[[:en:guzlar|guzlar]]|date=2010年4月|グスラー}}の{{訳語疑問点範囲|[[:en:Filip Višnjić|Filip Višnjić]]|date=2010年4月|フィリップ・ヴィシュニック}}、[[ドゴン族]]の狩人{{訳語疑問点範囲|Ogotemmêli|date=2010年4月}}、さらに最近ではアルゼンチンの作家・詩人[[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]]などである。 *[[ルキアノス]]は多くの対話篇においてホメーロスを登場させている。 *[[イスマイル・カダレ]]の『{{仮リンク|Hに関する書類|fr|Le Dossier H.}}』<!-- 邦題不明。エロ本みたいになってしまった-->は、ホメーロス問題を解決する野望を持ち[[ラプソドス]]たちの口承叙事詩を記録すべくアルバニアを訪れた2人のホメーロス学者の物語である。 '''絵画''' *[[レンブラント・ファン・レイン]]『ホメーロスの胸像を前にしたアリストテレス』(1653) *シャルル・ニコラ・ラファエル・ラフォン『ホメーロスのために歌うサッポー』(1824) *[[ドミニク・アングル]]『{{仮リンク|ホメーロスの神格化|fr|L'Apothéose d'Homère}}』(1827) *オーギュスト・ルロワール『ホメーロス』(1841) *[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]『ホメーロスと案内人』(1874) '''彫刻''' *[[アントワーヌ=ドニ・ショーデ]]『ホメーロス』(1806) *{{仮リンク|フィリップ=ローラン・ロラン|fr|Philippe-Laurent Roland}}『ホメーロス』(1812) {{-}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == *{{en icon}} Geoffrey S. Kirk, « The making of the ''Iliad'': preliminary considerations » dans ''The Iliad: a Commentary'', vol. I (chants 1-4), Cambridge University Press, Cambridge, 1985 ISBN 0-521-28171-7. *{{en icon}} Adam Parry, « Introduction » dans ''The Making of Homeric Verse. The Collected Papers of Milman Parry'', Oxford University Press, Oxford, 1971 ISBN 0-19-520560-X. == 書誌 == <!-- === 校訂本 ==== *{{Voir référence auteur|Référence:Œuvres (Homère)}}. === Éditions anciennes === Le [[philologue]] [[Allemagne|allemand]] [[Gottfried Hermann]] publia en [[1806]] une édition des ''[[Hymnes homériques|Hymnes]]''. --> === 概説書 === *{{Cite book |author=Philippe Brunet |year=1997 |title=La Naissance de la littérature dans la Grèce ancienne |publisher=Le Livre de Poche |location=Paris |isbn=2-253-90530-5}} *Pierre Carlier, ''Homère'', Fayard, 1999. *Jacqueline de Romilly, ''Homère'', PUF, coll. « Que sais-je ? » n°&nbsp;2218, 1999 (4<sup>e</sup> édition). **ジャクリーヌ・ド・ロミーイ 『ホメロス』 有田潤訳、[[白水社]]〈[[文庫クセジュ]]〉、2001年 *Monique Trédé-Boulmer, ''La Littérature grecque d'Homère à Aristote'', PUF, coll. « Que sais-je ? » n°&nbsp;227, 1992 (2<sup>e</sup> éd.). === ホメーロス世界 === *『古代ホメロス論集』 [[内田次信]]訳、[[京都大学学術出版会]]〈[[西洋古典叢書]]〉、2013年。[[プルタルコス]]ほか *クイントス・スミュルナイオス 『ホメロス後日譚』 北見紀子訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2018年 *『ホメロス外典/叙事詩逸文集』 [[中務哲郎]]訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2020年 *« La Méditerranée d'Homère. De la guerre de Troie au retour d'Ulysse », ''Les collections de L'Histoire'', n°&nbsp;24, juillet-septembre 2004. *Moses Finley, ''Le monde d'Ulysse'', Maspéro, 1969. **[[モーゼス・フィンリー]] 『オデュッセウスの世界』 下田立行訳、[[岩波文庫]]、1994年 *Pierre Vidal-Naquet, ''Le monde d'Homère'', Perrin, 2000. *[[藤縄謙三]] 『ホメロスの世界』 [[新潮選書]]、1996年/魁星出版、2006年 === 作品解釈=== *[[久保正彰 (西洋古典文学者)|久保正彰]] 『オデュッセイア 伝説と叙事詩』 岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、1983年 *[[川島重成]] 『イーリアス ギリシア英雄叙事詩の世界』 岩波書店〈岩波セミナーブックス〉、1991年/新版・岩波人文書セレクション、2014年 *ルチャーノ・デ・クレシェンツォ 『『オデュッセイア』を楽しく読む』 草皆伸子訳、[[白水社]]、1998年 *西村賀子 『ホメロス『オデュッセイア』 〈戦争〉を後にした英雄の歌』 岩波書店〈書物誕生・あたらしい古典入門〉、2012年 *安達正 『ホメロス英雄叙事詩とトロイア戦争 『イリアス』と『オデュッセイア』を読む』 [[彩流社]]、2012年 *[[吉田敦彦]] 『オデュッセウスの冒険』 [[青土社]]、2009年 === 専門的研究 === *Louis Bardollet, ''Les Mythes, les dieux et l'homme. Essai sur la poésie homérique'', Belles Lettres, coll. « Vérité des mythes », 1997. *Pierre Chantraine, ''Grammaire homérique'', Klincksieck, coll. « Tradition de l'humanisme », t. I et II, 2002. *{{en icon}} Geoffrey S. Kirk, ''The Songs of Homer'', Cambridge University Press, Cambridge, 2005 (1<sup>re</sup> édition 1962) ISBN 0521619181. *Gregory Nagy : **{{en icon}} ''Homer's Text And Language'', University of Illinois Press, 2004, **{{en icon}} ''Homeric Responses'', University of Texas Press, 2004. *{{en icon}} Adam Parry (éd.), ''The Making of Homeric Verse: The Collected Papers of Milman Parry'', [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], 1971. *Jacqueline de Romilly, ''Les Perspectives actuelles de l'épopée homérique'', PUF, coll. « Essais et conférences », 1983 (cours professé au [[:fr:Collège de France|Collège de France]]). === その他 === *[[エリック・ハヴロック]] 『プラトン序説』 [[村岡晋一]]訳、[[新書館]]、1997年 == 関連項目 == {{Commonscat|Homer}} {{Wikisourcelang|el|Όμηρος}} {{Wikisource author||英訳テクスト}} {{Wikiquote|ホメロス}} <!--{{ウィキポータルリンクS|文学|[[画像:Open book 01.svg|none|34px]]}}--> *[[ギリシア神話]] *[[ハインリヒ・シュリーマン]] *[[古代ギリシア]] *[[ギリシア文学]] *[[叙事詩環]] *[[ギリシア語]] *[[トロイア戦争]] *[[ウェルギリウス]] *[[ビザンティン文化]] *[[ヘレン・ケラー]] - 自伝''The Story of My Life''で、書斎の壁にホメロスのレリーフ像を飾っていると記している。 == 外部リンク == *{{青空文庫著作者|1098|ホメロス}} *{{青空文庫著作者|1099|ホーマー}} *[http://expositions.bnf.fr/homere/ バーチャル展示「オデュッセウスの行跡で辿るホメーロス」] {{fr icon}} - [[フランス国立図書館]] *[http://www.u-grenoble3.fr/homerica/ Homerica, ホメーロス研究センター] {{fr icon}} - [http://www.u-grenoble3.fr/stendhal/ スタンダール大学] (Grenoble-III). *[http://homere.iliadeodyssee.free.fr/traducteur/accueilinterprete/traducteurinterprete.htm 『イーリアス』と『オデュッセイア』のフランス語への翻訳者とイラストレーターの一覧] {{fr icon}} - 全てに書誌に関する紹介文付き * {{Kotobank|ホメロス}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほめえろす}} [[Category:ホメーロス|*]] [[Category:紀元前8世紀の詩人]] [[Category:古代ギリシアの詩人]] [[Category:視覚障害を持つ人物]] [[Category:神話・伝説の人物]] [[Category:正体不明の人物]] [[Category:生没年不詳]]
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トロンボーン
トロンボーンは、金管楽器の一種である。語源はトランペットを意味するイタリア語trombaに、「大きい」を意味する接尾語 (-one) を付けたものであり、「大きなトランペット」という意味である。 通常、「トロンボーン」と呼称する場合はテナートロンボーンのことを指す。アルトトロンボーンはテナートロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。バストロンボーンは同属楽器ではあるものの、明確に違う楽器として取り扱われる。 標準的には変ロ調 (B♭) の調性を持ち、スライドと呼ばれる伸縮管(音程を微調整するためのチューニングスライドとは異なる)を操作して音階を得る。スライドの他に1個ないしは2個のバルブと迂回管を持つもの(B管アタッチメント付きアルトトロンボーン、F管アタッチメント付きテナートロンボーン(テナーバストロンボーン)、バストロンボーン)もあり、今日ではこちらの方が主流である。追加のバルブと迂回管を持つことにより、スライドを伸ばすのが譜面上困難な場合、迂回管を使ったポジション(いわゆる変えポジション)を用いたり(奏者界では、7ポジションが限界だという)、管長が足りず構造上出すことのできない低音域を拡張することが出来る。いずれも、迂回管を使う際はロータリー式レバーを操作して切り替える。また、替えポジションによる効率的なスライドワークや、トリル奏法、ハーフバルブ奏法などにも利用される。バルブを持たないものは、前後の重量の均衡を取るための「バランサー」と呼ばれるおもりを、後方のU字管付近の支柱に取り付ける場合がある。 スライドは内管と外管を重ね合わせた構造なので、内外のスライドが重なっている長さが、近いポジションでは長く、遠いポジションでは短くなる。このため1900年代初頭までの楽器には、近いポジションの時には摩擦抵抗が大きいため微調整が難しく、遠いポジションでは抵抗が小さいため微調整時にずれやすいという問題があった。また、重なりが短くなる遠いポジションの時ほど息もれが激しくなるという問題もあった。これらは後に、内管の先端を微妙に太くした「ストッキング」という部分で外管内面と接するよう改良したことによっていずれも解決され、楽器としての性能が向上した。 収納の際はベル側のU字管とスライド側のU字管とに分割できる。まれに、ホルンに見られるようにベルにネジ山を切って分割できるようにしたデタッチャブル・ベルの楽器もある。 構造上、任意の周波数の音を出すことが可能であり、ピアノ等では出すことのできない微分音も出すことができる。 左手で楽器の重量を支える。中指・薬指・小指で楽器を握る。親指は支柱かバルブのレバーに掛ける。人差し指はスライド内管の支柱上部又はマウスピースレシーバーに添える。1個のバルブがある場合、そのレバーは左手親指で操作する。2個のバルブがある場合は、2個のレバーの一方を親指で操作し、他方を中指で操作するものが一般的であるが、20世紀の楽器には両方ともに親指で操作するものもある。自由な右手でスライドを軽く持って操作する。楽器に装着したマウスピースが口に当たる位置に構えて、舌を引く動きをきっかけ(タンギング)に息を吐きながら唇を振動させる。 スライドには、最も手前の第1ポジションから、最も遠くまで右手を伸ばしたところにある第7ポジションまでがある。ポジションが1つ遠ざかると半音下がる。この仕組みと各ポジションで得られる倍音の組み合わせで音階を作ることができる。そのため、バルブと迂回管を持たない楽器では第1倍音と第2倍音のEs~Hまでの音階(アルトトロンボーンではAs~E)が得られない。迂回管を1本持つ楽器では、第8~11ポジション相当の管長が得られる。第12ポジション相当の管長を得るためには、迂回管のチューニングスライドを限界まで伸ばすか、2本目の迂回管を利用する。 ギターのフレットに当たるような特別な目印はないため、奏者は自分の感覚でポジションを定めて音程を得る。そのため初心者にとっては正しい音程での演奏は難しいが、熟練すればスライドの微調整によって正確なハーモニーを得ることが出来る。またスライドはグリッサンド奏法の演奏を容易にしている。 スラーを演奏する際は、音の区分がはっきりしないスライドの性質を考慮して、ソフトタンギングをするか、リップスラーやバルブを利用して替えポジションを使用して行う。 広く使われる特殊奏法としては、隣り合った倍音同士を高速に移動するリップトリル、巻き舌で演奏するフラッタータンギング、演奏しながら声帯を振動させる重音などが挙げられる。 他の金管楽器と同様に、音色を変える目的で種々の弱音器(ミュート)が使われる。 非常に古い歴史を持つ楽器であり、起源はトランペットと共通である。ドイツのハンス・ノイシェルが現在の形に完成させ、それから約500年以上もの間、基本的な構造が変わっていない、古い種類の楽器である。地域によっては、古くはサックバットと呼ばれた。15世紀頃にスライド・トランペットの一種から発生したと考えられており、基本的な構造は昔の姿をそのまま留めている。ただし、細部のデザインは異なり、奏法も現代のトロンボーン奏法とはかなり異なる。 トロンボーンの音域は成人男性の声域に近い。またスライドによって音程をスムーズに調整できる事から得られるハーモニーの美しさなどから「神の楽器」といわれ、教会音楽に重用された。古くからカソリックのミサにおける聖歌の合唱等の伴奏楽器に使われ、オラトリオ(ハイドンの天地創造など)やレクイエム等にも多用されているが、世俗的な音楽においては使用を自重する風潮があり、さらにプロテスタント圏のドイツ地域では使用されない傾向があった(プロテスタント地域で活動したバッハやテレマンの宗教曲ではトロンボーンはほとんど使われていない)。 交響曲で最初にトロンボーンを使ったのはベートーヴェンで、交響曲第5番の第4楽章で用いた。これは当時「世俗」的と考えられていた交響曲に、教会で使われていた「神聖」な楽器を使ったという点で画期的なことであった。大編成のオーケストラに定席を得たのはロマン派の時代である。 19世紀、おそらく1820年代にはバルブ(ロータリー)の追加が行われた。これ以降各地のオーケストラでは、スライドを廃してトランペットのように3本のピストンによる操作をするバルブトロンボーンが盛んに使われたが、19世紀中葉から第一次世界大戦前後にかけて徐々にスライド式の楽器が復権していった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団では1880年頃までバルブ式だったと言われている。 バルブ(ロータリー)の改良はさらに進み、円錐形のセイヤー・バルブ、円柱を横倒しにした形のハグマン・ロータリー、ヤマハの細長いVバルブをはじめ、トラディショナルロータリーを各社が改良したものなど、様々な機構が開発されている。 楽器の調性は音域による分類に後述されるとおりB♭やE♭、Fなど様々だが、楽譜はピアノなどと同じく実音で書かれる。低音部譜表が一般的だが、高音のパートではテナー譜表・アルト譜表も使われる。オーケストラでは曲中で譜表が変わることは少なく、1番がアルトまたはテナー譜表、2番がテナー譜表、3番(バス)が低音部譜表というのが一般的である。吹奏楽においては基本的に低音部譜表に記され、高音部分に稀にテナー譜表が用いられる。英国式ブラスバンドではバストロンボーンのパート以外は移調楽器として扱われ、実音に対し長9度高いト音譜表で記譜される。ヨーロッパの吹奏楽譜においても移調楽器として扱われ、実音に対し長9度高いト音譜表、あるいは長2度高いヘ音譜表で記譜されていることも少なくない。 トロンボーンは、その音域・機能などによって以下の様に分けることができる。また、テナートロンボーンは管の内径(ボアサイズ)によって太管、中細管、細管と細かく呼び分けることもある。ドイツ式トロンボーンではWeiteという単位で区分する。スライドのマウスパイプ側とジョイント側で異なるボアサイズを組み合わせたものはデュアルボアと通称される。 スライドではなく、3個以上のバルブを備えたものである。ピストン式が多いが、ロータリー式のものも存在する。スライド式の楽器と同様に色々な音域のものがある。19世紀前半の金管楽器のバルブ機構の発明に合わせて誕生したため、19世紀から20世紀初頭にかけてはイタリアやフランス、中欧地域を中心に広く(一時はスライド式以上に)用いられた。ロッシーニの楽曲等にその名残を見出すことが出来る。 その後、スライド式が楽器や演奏技術の向上によって復権を果たすと廃れていったが、一方ではジャズなどポピュラー音楽の世界で使われるようになり(ファン・ティゾール、ボブ・ブルックマイヤーなどが著名な奏者としてあげられ)、クラシックの分野でも20世紀終盤以降はピリオド奏法の一環として、また現代曲で再び使用が試みられるようになった。 ドイツ管とも呼ばれる、やや大きめのベルを持つ楽器で、均一化が進んだ他の地域のトロンボーンとは一線を画している。やや細目のボアと響きを抑える為のクランツと呼ばれる金属片が縁についた比較的大きなベルを持ち、弱音時の円錐管に近い柔らかい響きと、強音時の鋭く割れた響きが特徴的である。現代ではほとんど使われないが、稀にクラシック音楽でドイツ系の楽曲を演奏する際に使われることがある。 日本人奏者については ミュージックトレード社刊・管楽器価格一覧表の最新版を基に記載 日本 アメリカ ドイツ フランス(ドイツ) イギリス オーストリア チェコ スイス スペイン 台湾 中国
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"スライドには、最も手前の第1ポジションから、最も遠くまで右手を伸ばしたところにある第7ポジションまでがある。ポジションが1つ遠ざかると半音下がる。この仕組みと各ポジションで得られる倍音の組み合わせで音階を作ることができる。そのため、バルブと迂回管を持たない楽器では第1倍音と第2倍音のEs~Hまでの音階(アルトトロンボーンではAs~E)が得られない。迂回管を1本持つ楽器では、第8~11ポジション相当の管長が得られる。第12ポジション相当の管長を得るためには、迂回管のチューニングスライドを限界まで伸ばすか、2本目の迂回管を利用する。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ギターのフレットに当たるような特別な目印はないため、奏者は自分の感覚でポジションを定めて音程を得る。そのため初心者にとっては正しい音程での演奏は難しいが、熟練すればスライドの微調整によって正確なハーモニーを得ることが出来る。またスライドはグリッサンド奏法の演奏を容易にしている。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "スラーを演奏する際は、音の区分がはっきりしないスライドの性質を考慮して、ソフトタンギングをするか、リップスラーやバルブを利用して替えポジションを使用して行う。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "広く使われる特殊奏法としては、隣り合った倍音同士を高速に移動するリップトリル、巻き舌で演奏するフラッタータンギング、演奏しながら声帯を振動させる重音などが挙げられる。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "他の金管楽器と同様に、音色を変える目的で種々の弱音器(ミュート)が使われる。", "title": "奏法" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": 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"スライドではなく、3個以上のバルブを備えたものである。ピストン式が多いが、ロータリー式のものも存在する。スライド式の楽器と同様に色々な音域のものがある。19世紀前半の金管楽器のバルブ機構の発明に合わせて誕生したため、19世紀から20世紀初頭にかけてはイタリアやフランス、中欧地域を中心に広く(一時はスライド式以上に)用いられた。ロッシーニの楽曲等にその名残を見出すことが出来る。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "その後、スライド式が楽器や演奏技術の向上によって復権を果たすと廃れていったが、一方ではジャズなどポピュラー音楽の世界で使われるようになり(ファン・ティゾール、ボブ・ブルックマイヤーなどが著名な奏者としてあげられ)、クラシックの分野でも20世紀終盤以降はピリオド奏法の一環として、また現代曲で再び使用が試みられるようになった。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ドイツ管とも呼ばれる、やや大きめのベルを持つ楽器で、均一化が進んだ他の地域のトロンボーンとは一線を画している。やや細目のボアと響きを抑える為のクランツと呼ばれる金属片が縁についた比較的大きなベルを持ち、弱音時の円錐管に近い柔らかい響きと、強音時の鋭く割れた響きが特徴的である。現代ではほとんど使われないが、稀にクラシック音楽でドイツ系の楽曲を演奏する際に使われることがある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "日本人奏者については", "title": "日本人奏者" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ミュージックトレード社刊・管楽器価格一覧表の最新版を基に記載", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "日本", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "アメリカ", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ドイツ", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "フランス(ドイツ)", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "イギリス", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "オーストリア", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "チェコ", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "スイス", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "スペイン", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "台湾", "title": "主なメーカー" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "中国", "title": "主なメーカー" } ]
トロンボーンは、金管楽器の一種である。語源はトランペットを意味するイタリア語trombaに、「大きい」を意味する接尾語 (-one) を付けたものであり、「大きなトランペット」という意味である。 通常、「トロンボーン」と呼称する場合はテナートロンボーンのことを指す。アルトトロンボーンはテナートロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。バストロンボーンは同属楽器ではあるものの、明確に違う楽器として取り扱われる。
{{pp-vandalism|small=yes}} <!-- null --> {{Infobox 楽器 |楽器名 = トロンボーン |その他の名称 =神の楽器 |英語名 = trombone |ドイツ語名 = Posaune |フランス語名 = trombone |イタリア語名 = trombone |ロシア語名 = Тромбон |中国語名 = 長号(長號) |台湾語名 = 捽仔喇叭(sut-á lá-pah) |画像 = File:Posaune.gif |画像サイズ = 240px |画像の説明 = テナートロンボーン |分類 = [[金管楽器]] |音域 = [[ファイル:Range trombone.png|160px]] |関連楽器 = |演奏者 = |製作者 = |関連項目 = }} '''トロンボーン'''は、[[金管楽器]]の一種である。語源は[[トランペット]]を意味する[[イタリア語]]{{lang|it|tromba}}に、「大きい」を意味する[[接尾辞|接尾語]] ([[wikt:-one#イタリア語|-one]]) を付けたものであり、「大きなトランペット」という意味である。 通常、「トロンボーン」と呼称する場合はテナートロンボーンのことを指す。アルトトロンボーンはテナートロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。バストロンボーンは同属楽器ではあるものの、明確に違う楽器として取り扱われる。 == 構造 == [[画像:Trombone01.jpg|サムネイル|240px| 1.チューニング管 2.バランサー(おもり) 3.ベル(朝顔) 4.支柱 5.[[マウスピース (楽器)|マウスピース]](歌口、唄口) 6.スライド]] 標準的には変ロ調 (B♭) の調性を持ち、[[金管楽器#スライド|スライド]]と呼ばれる伸縮管(音程を微調整するためのチューニングスライドとは異なる)を操作して音階を得る。スライドの他に1個ないしは2個の[[金管楽器#バルブ|バルブ]]と迂回管を持つもの(B管アタッチメント付きアルトトロンボーン、F管アタッチメント付きテナートロンボーン(テナーバストロンボーン)、[[バストロンボーン]])もあり、今日ではこちらの方が主流である。追加のバルブと迂回管を持つことにより、スライドを伸ばすのが譜面上困難な場合、迂回管を使ったポジション(いわゆる変えポジション)を用いたり(奏者界では、7ポジションが限界だという)、管長が足りず構造上出すことのできない低音域を拡張することが出来る。いずれも、迂回管を使う際はロータリー式レバーを操作して切り替える。また、替えポジションによる効率的なスライドワークや、トリル奏法、ハーフバルブ奏法などにも利用される。バルブを持たないものは、前後の重量の均衡を取るための「バランサー」と呼ばれるおもりを、後方のU字管付近の支柱に取り付ける場合がある。 スライドは内管と外管を重ね合わせた構造なので、内外のスライドが重なっている長さが、近いポジションでは長く、遠いポジションでは短くなる。このため1900年代初頭までの楽器には、近いポジションの時には摩擦抵抗が大きいため微調整が難しく、遠いポジションでは抵抗が小さいため微調整時にずれやすいという問題があった。また、重なりが短くなる遠いポジションの時ほど息もれが激しくなるという問題もあった。これらは後に、内管の先端を微妙に太くした「ストッキング」という部分で外管内面と接するよう改良したことによっていずれも解決され、楽器としての性能が向上した。 収納の際はベル側のU字管とスライド側のU字管とに分割できる。まれに、[[ホルン]]に見られるようにベルにネジ山を切って分割できるようにしたデタッチャブル・ベルの楽器もある。 構造上、任意の周波数の音を出すことが可能であり、ピアノ等では出すことのできない[[微分音]]も出すことができる。 <gallery> ファイル:Trombone cases 2.JPG|ケースに収められた状態 ファイル:Trombone démonté.jpg|スライド(内管/外管)や抜差し管などを取り外した状態 ファイル:Ustniki-cr-tr-pz-tba.png|マウスピースのサイズ比較(左から、[[ホルン]]、[[トランペット]]、トロンボーン、[[チューバ]]) </gallery> == 奏法 == {{See also|[[:de:File:Zugpositionen Posaune.png]]}} [[画像:トロンボーンの弱音器001.jpg|サムネイル|ミュート]] 左手で楽器の重量を支える。中指・薬指・小指で楽器を握る。親指は支柱かバルブのレバーに掛ける。人差し指はスライド内管の支柱上部又はマウスピースレシーバーに添える。1個のバルブがある場合、そのレバーは左手親指で操作する。2個のバルブがある場合は、2個のレバーの一方を親指で操作し、他方を中指で操作するものが一般的であるが、20世紀の楽器には両方ともに親指で操作するものもある。自由な右手でスライドを軽く持って操作する。楽器に装着したマウスピースが口に当たる位置に構えて、舌を引く動きをきっかけ(タンギング)に息を吐きながら唇を振動させる。 スライドには、最も手前の第1ポジションから、最も遠くまで右手を伸ばしたところにある第7ポジションまでがある。ポジションが1つ遠ざかると半音下がる。この仕組みと各ポジションで得られる[[倍音]]の組み合わせで音階を作ることができる。そのため、バルブと迂回管を持たない楽器では[[倍音#各倍音と倍音列|第1倍音]]と第2倍音のEs~Hまでの音階(アルトトロンボーンではAs~E)が得られない。迂回管を1本持つ楽器では、第8~11ポジション相当の管長が得られる。第12ポジション相当の管長を得るためには、迂回管のチューニングスライドを限界まで伸ばすか、2本目の迂回管を利用する。 [[ギター]]の[[フレット]]に当たるような特別な目印はないため、奏者は自分の感覚でポジションを定めて音程を得る。そのため初心者にとっては正しい音程での演奏は難しいが、熟練すればスライドの微調整によって正確なハーモニーを得ることが出来る。またスライドは[[グリッサンド]]奏法の演奏を容易にしている。 [[スラー]]を演奏する際は、音の区分がはっきりしないスライドの性質を考慮して、ソフトタンギングをするか、リップスラーやバルブを利用して替えポジションを使用して行う。 広く使われる特殊奏法としては、隣り合った倍音同士を高速に移動するリップトリル、巻き舌で演奏するフラッタータンギング、演奏しながら[[声帯]]を振動させる重音などが挙げられる。 他の金管楽器と同様に、音色を変える目的で種々の[[弱音器]](ミュート)が使われる。 == 歴史 == 非常に古い歴史を持つ楽器であり、起源は[[トランペット]]と共通である。[[ドイツ]]のハンス・ノイシェルが現在の形に完成させ、それから約500年以上もの間、基本的な構造が変わっていない、古い種類の楽器である。地域によっては、古くはサックバットと呼ばれた。15世紀頃にスライド・トランペットの一種から発生したと考えられており、基本的な構造は昔の姿をそのまま留めている。ただし、細部のデザインは異なり、奏法も現代のトロンボーン奏法とはかなり異なる。 トロンボーンの音域は成人男性の声域に近い。またスライドによって音程をスムーズに調整できる事から得られるハーモニーの美しさなどから「神の楽器」といわれ、[[教会音楽]]に重用された。古くから[[カトリック教会|カソリック]]の[[ミサ]]における[[聖歌]]の合唱等の伴奏楽器に使われ、[[オラトリオ]]([[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]の[[天地創造 (ハイドン)|天地創造]]など)や[[レクイエム]]等にも多用されているが、世俗的な音楽においては使用を自重する風潮があり、さらに[[プロテスタント]]圏のドイツ地域では使用されない傾向があった(プロテスタント地域で活動した[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]や[[ゲオルク・フィリップ・テレマン|テレマン]]の宗教曲ではトロンボーンはほとんど使われていない)<ref>『名曲の暗号 : 楽譜の裏に隠された真実を暴く』[[佐伯茂樹]]([[音楽之友社]] 2013.12)p107</ref>。 交響曲で最初にトロンボーンを使ったのは[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]で、[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]の第4楽章で用いた。これは当時「世俗」的と考えられていた交響曲に、教会で使われていた「神聖」な楽器を使ったという点で画期的なことであった。大編成の[[オーケストラ]]に定席を得たのは[[ロマン派音楽|ロマン派]]の時代である。 [[19世紀]]、おそらく1820年代にはバルブ(ロータリー)の追加が行われた。これ以降各地のオーケストラでは、スライドを廃してトランペットのように3本のピストンによる操作をするバルブトロンボーンが盛んに使われたが、19世紀中葉から[[第一次世界大戦]]前後にかけて徐々にスライド式の楽器が復権していった。[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]では1880年頃までバルブ式だったと言われている。 バルブ(ロータリー)の改良はさらに進み、円錐形のセイヤー・バルブ、円柱を横倒しにした形のハグマン・ロータリー、[[ヤマハ]]の細長いVバルブをはじめ、トラディショナルロータリーを各社が改良したものなど、様々な機構が開発されている。 == 記譜 == 楽器の調性は[[#音域による分類|音域による分類]]に後述されるとおりB♭やE♭、Fなど様々だが、楽譜はピアノなどと同じく実音で書かれる。[[音部記号#ヘ音記号|低音部譜表]]が一般的だが、高音のパートでは[[音部記号#ハ音記号|テナー譜表・アルト譜表]]も使われる。オーケストラでは曲中で譜表が変わることは少なく、1番がアルトまたはテナー譜表、2番がテナー譜表、3番(バス)が低音部譜表というのが一般的である。[[吹奏楽]]においては基本的に低音部譜表に記され、高音部分に稀にテナー譜表が用いられる。[[英国式ブラスバンド]]ではバストロンボーンのパート以外は[[移調楽器]]として扱われ、実音に対し長9度高い[[音部記号#ト音記号|ト音譜表]]で記譜される。ヨーロッパの吹奏楽譜においても移調楽器として扱われ、実音に対し長9度高いト音譜表、あるいは長2度高いヘ音譜表で記譜されていることも少なくない。 == 種類 == トロンボーンは、その音域・機能などによって以下の様に分けることができる。また、[[テナートロンボーン]]は管の内径([[ボア (管楽器)|ボア]]サイズ)によって太管、中細管、細管と細かく呼び分けることもある。ドイツ式トロンボーンではWeiteという単位で区分する。スライドのマウスパイプ側とジョイント側で異なるボアサイズを組み合わせたものはデュアルボアと通称される。 === 音域による分類 === ; ピッコロトロンボーン (piccolo trombone) :テナートロンボーンより2オクターヴ高いB♭管の楽器で、管長は[[ピッコロトランペット]]と同じである。非常に珍しい楽器で、使われる機会はほとんどない。 ; ソプラノトロンボーン (soprano trombone) :テナートロンボーンよりも1オクターヴ高いB♭管の楽器で、B♭管のトランペットと管長が同じである。そのためトロンボーンというよりはスライド式のトランペットといった趣きだが、メーカーによってはスライドトランペットと区別して、ボアやベル、用いる[[マウスピース (楽器)|マウスピース]]が大きく設定されていることがある。現代ではほとんど使われないが、稀に大編成のブラスアンサンブルで使用されることがある。 ; [[アルトトロンボーン]] (alto trombone) :テナートロンボーンよりも小ぶりで、標準的には4度高いE♭管である。5度高いF管、さらにはD管の楽器も存在する。B♭管の迂回管や、トリルキィと呼ばれる半音分の迂回管を持つものもある。人の声とよく溶け合い、前期ロマン派までのオーケストラ曲や、トロンボーンアンサンブル曲などで用いられることが多い。専門の奏者はおらず、テナートロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。標準的な設計は存在しないが、11.9 - 12.5 mm程度のボアと、6.5 - 7[[インチ]]程度のベルを持つことが多い。マウスピースは細管テナートロンボーン用のものと共通で、特にカップが浅い物を使用する。リム径は奏者によって様々である。 ; [[テナートロンボーン]](tenor trombone、テノール・トロンボーンとも) :最も基本的な構造をした、トロンボーンの代表格。B♭管で、音域的には、'''男性の声'''と最も近い。主に軽音楽の分野で使われるほか、ソロ曲の演奏時やオーケストラの第1奏者が使用することがある。低音域に構造上出せない音があったり、操作性に劣るため、クラシック奏者は後述のF管アタッチメント付テナートロンボーンを使用するのが主流である。F管アタッチメント付テナートロンボーンと区別するときには、ストレート・テナートロンボーンと呼称する。太管では13.9 mm(0.547インチ)のボアと、216 mm(8.5インチ)のベルが標準。細管は太管のように標準的な設計は存在しないが、12.2 - 12.9 mmのボアと、7〜8インチ程度のベルを持つことが多い。 [[File:Yamaha Tenor trombone YSL-620.tif|thumb|300px|F管アタッチメント付テナートロンボーンの例(ヤマハ・YSL-620)]] ; F管アタッチメント付テナートロンボーン :テナートロンボーンに1つの迂回管(F管)とバルブを持たせた楽器である。迂回管を使用する事により、第1倍音と第2倍音のスライドのみで出せる最低音(E)の長3度下のCまで音域が広がる。迂回管のレイアウトはメーカー各社によって様々である。一部の日本のメーカーでは国内向けに「テナーバストロンボーン」という呼称をすることがあるが、これは日本でしか用いられない呼び方で、いわば俗名である。 ; [[バストロンボーン]](bass trombone、ベース・トロンボーンとも) :テナートロンボーンより太いボアと大きなベルを持ち、1つまたは2つの迂回管とバルブを備える。ボアは14.28 mm(0.562インチ)、ベルは241 mm(9.5インチ)が標準である。1本目の迂回管はテナートロンボーン同様にF管である。2本目はGes管が標準的だが、稀にG管を持つものもある。迂回管を2本とも使うと管長はD管(第2バルブがG管の場合はEs管)になる。2つの迂回管を持つ場合、2つめのバルブが主管側に(主管に対して直列に)配置されたものをインライン、F管側に(主管に対して並列に)配置されたものをオフセットと呼ぶ。バスと名が付くが、音域はテナートロンボーンと同一である。テナートロンボーンより低音域での操作性に優れる他、太く暖かな音色を持つ。マウスピースはテナートロンボーンと異なり、より大きいリムと深いカップを持った物を使用し、奏法も全く異なる。オーケストラや吹奏楽では3番トロンボーンと指定のある曲はバストロンボーンが演奏する。これらの編成では音楽的役割もテナートロンボーンとは異なり、トロンボーンセクションの一員としてだけではなく、ベースセクションの一員としての役割が期待される。詳細は[[バストロンボーン]]の項を参照。 ; コントラバストロンボーン (contrabass trombone) :バストロンボーンよりも3度から5度低い楽器で、標準的にはF管である。2つの迂回管とバルブを持つ。迂回管の調性はメーカーにより様々であり、標準は存在しない。長いスライドを操作するためのハンドルを備えることがある。また、一部のメーカーでは2重のスライドを持ち、バストロンボーンより1オクターヴ低いB♭管の楽器を指すことがある。後期ロマン派の4管編成の楽曲や、大編成のトロンボーンアンサンブル等でバストロンボーン奏者が持ち替えて演奏する。詳細は[[バストロンボーン]]の項を参照。 :これに非常に近い楽器として[[#チンバッソ|チンバッソ(後述)]]も存在する。 === バルブトロンボーン === [[ファイル:Yamaha Valve trombone YSL-354 V rotated.jpg|thumb|バルブトロンボーン]] スライドではなく、3個以上の[[バルブ]]を備えたものである。ピストン式が多いが、ロータリー式のものも存在する。スライド式の楽器と同様に色々な音域のものがある。19世紀前半の金管楽器のバルブ機構の発明に合わせて誕生したため、19世紀から20世紀初頭にかけてはイタリアやフランス、[[中央ヨーロッパ|中欧]]地域を中心に広く(一時はスライド式以上に)用いられた。ロッシーニの楽曲等にその名残を見出すことが出来る。 その後、スライド式が楽器や演奏技術の向上によって復権を果たすと廃れていったが、一方ではジャズなどポピュラー音楽の世界で使われるようになり(ファン・ティゾール、ボブ・ブルックマイヤーなどが著名な奏者としてあげられ)、クラシックの分野でも20世紀終盤以降はピリオド奏法の一環として、また現代曲で再び使用が試みられるようになった。 === ドイツ式トロンボーン === ドイツ管とも呼ばれる、やや大きめのベルを持つ楽器で、均一化が進んだ他の地域のトロンボーンとは一線を画している。やや細目のボアと響きを抑える為のクランツと呼ばれる金属片が縁についた比較的大きなベルを持ち、弱音時の円錐管に近い柔らかい響きと、強音時の鋭く割れた響きが特徴的である。現代ではほとんど使われないが、稀にクラシック音楽でドイツ系の楽曲を演奏する際に使われることがある。 === 特殊なトロンボーン === [[画像:Cimbasso in F.jpg|サムネイル|F管チンバッソ]] ; {{Anchors|チンバッソ}}チンバッソ ([[:en:Cimbasso|cimbasso]]) : {{main|チンバッソ}}「チンバッソ」という語は19世紀のイタリアにおいて低音の金管楽器全般を指すのに用いられており、楽譜にチンバッソと書かれていたからといって必ずしも特定の種類の楽器を指したわけではない。[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]はテナーより1オクターブ低いB{{flat}}管のバルブ式トロンボーンを特注し、これを晩年の『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』と『[[ファルスタッフ]]』で使用した。また[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]もこの楽器を使用した。現代においてこれらの作品を演奏するために「チンバッソ」と呼ばれる楽器が使われることがあるが、これはF管で4-5個のバルブがあるトロンボーンであり、ヴェルディが使ったものとは異なっている<ref>{{cite journal|url=http://www.yeodoug.com/articles/Yeo_Brass_Herald_cimbasso_2005.pdf|author=Douglas Yeo|title=Some Clarity About the Cimbasso|journal=The Brass Herald|year=2005|pages=56-57}}</ref><ref>{{citation|url=http://www.jamesgourlay.com/downloads/james_gourlay_cimbasso_paper.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070702183012/http://www.jamesgourlay.com/downloads/james_gourlay_cimbasso_paper.pdf|archivedate=2007-07-02|title=The Cimbasso: Perspectives on Low Brass performance practise in Verdi's music|author=James Gourlay}}</ref>。 ; スーパーボーン : ピストンとスライドの両方を備えたトロンボーン。通常左手でピストン、右手でスライドを操作する。トランペット奏者の[[メイナード・ファーガソン]]が考案した。ホルトン社の登録商標となっている。 ; マーチング・トロンボーン : 外見はトロンボーンというよりは大型の[[コルネット]]、あるいは前方に構える[[ユーフォニアム]]のようである。スライドではなくバルブを備え、屋外のパレードなどで使用される。 ; プラスチックトロンボーン : プラスチック製のトロンボーン。pboneとtigerが有名。 === 歴史上のトロンボーン === ; サックバット ([[:en:Sackbut|sackbut]]) : トロンボーンの祖となった古楽器である。現代のトロンボーンと酷似しているが、全体にベルが小さく、ベルの開き方も比較的ゆるやかである。現代のトロンボーンよりずっと軽量で、大きな音は望めないが柔らかな音色を持ち、小編成の合奏・オーケストラや声楽とのアンサンブルに向く。[[アルト]]・[[テナー]]・[[バス (声域)|バス]]・[[コントラバス]]の各サイズの楽器がある。エッガー社製が有名。 ; ビュサン ([[:en:Buccin|buccin]]) : ベル自体が龍の頭をかたどった形をしている。19世紀に考案され、フランスやベルギーで使われた。 ;[[アドルフ・サックス]]のトロンボーン :サックスは、劇場のピットや軍隊で使うための、3〜6本のバルブ式を備えたテナーやアルトのトロンボーンを色々製作した。普通にイメージするスライド式のトロンボーンとは形が異なる。馬に乗りながら演奏出来るようにした形状のものや、ベルを7つ持つタイプなどがある。 <gallery> Saqueboute.jpg|サックバット([[:en:Sackbut|sackbut]]) Buccin, 2.jpg|ビュサン([[:en:Buccin|buccin]]) Trombone a six pistons-IMG 0853-black.jpg|6ピストン Trombone with seven bells by Adolphe Sax (1876, Paris) - MIM Brussels (2015-05-30 07.22.00 by chibicode).jpg|7ベル </gallery> == トロンボーンが活躍する楽曲 == ===トロンボーン協奏曲=== {{See|トロンボーン協奏曲}} ===管弦楽曲=== * [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]:『[[レクイエム (モーツァルト)|レクイエム]]』 - 第4曲 ''Tuba mirum'' *[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]:[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]、[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第9番]] *[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]:『[[葬送と勝利の大交響曲]]』 - 第2楽章 *[[ロベルト・シューマン|シューマン]]:[[交響曲第3番 (シューマン)|交響曲第3番]] *[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]:『[[ワルキューレの騎行]]』([[歌劇]]『[[ニーベルングの指環]]』より) *[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]:[[交響曲第7番 (ブルックナー)|交響曲第7番]],[[交響曲第8番 (ブルックナー)|第8番]] *[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]:[[交響曲第2番 (ブラームス)|交響曲第2番]] *[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]:[[交響曲第3番 (チャイコフスキー)|交響曲第3番]] - 第4楽章 *[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー=コルサコフ:]][[シェヘラザード (リムスキー=コルサコフ)|交響組曲《シェヘラザード》]] *[[グスタフ・マーラー|マーラー]]:[[交響曲第1番 (マーラー)|交響曲第1番]]、[[交響曲第2番 (マーラー)|第2番]],[[交響曲第3番 (マーラー)|第3番]] *[[ジャン・シベリウス|シベリウス]]:[[交響曲第7番 (シベリウス)|交響曲第7番]] *[[グスターヴ・ホルスト|ホルスト]]:[[惑星 (組曲)|組曲『惑星』]] * [[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]:『[[ボレロ (ラヴェル)|ボレロ]]』 *[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]:[[中国の不思議な役人]] *[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]:『[[プルチネルラ|プルチネッラ]]』、『[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]]』 ===その他=== * [[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]:カヴァティーナ 作品144 * [[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]]:トロンボーンとピアノのためのソナタ * [[武満徹]]:「ファンタズマ/カントス II」「[[ジェモー]]」(トロンボーン、オーボエと2群のオーケストラのための) * [[レナード・バーンスタイン]]:トロンボーンのための独奏曲「ミッピイIIのためのエレジー」 * [[ルチアーノ・ベリオ|ベリオ]]:「[[セクエンツァ (ベリオ)|セクエンツァ V]]」 * [[クセナキス・ヤニス|クセナキス]]:「[[ケレン(クセナキス)|ケレン]]」 == 著名な奏者 == {{See also|[[バストロンボーン]]}} * [[フレッド・ウェズリー]] (Fred Wesley)<ref>[http://www.parisdjs.com/index.php/post/The-Apples-Kings Review of ''Kings'']; www.parisdjs.com. Wesley contributes to the tracks "Howlin' With Fred"</ref> * [[カーティス・フラー]] (Curtis Fuller) * [[J・J・ジョンソン]](J.J.Johnson/James Louis Johnson, 1924年 - 2001年) * [[グレン・ミラー]](Glenn Miller, 1904年 - 1944年) * [[トミー・ドーシー]](Tommy Dorsey, 1905年 - 1956年) * [[カール・フォンタナ]](Carl Fontana, 1928年 - 2003年) * [[ビル・ワトラス]] (Bill Watrous) * [[ジム・ピュー]] (James Pugh) *[[アキレス・リアルマコプーロス]] (Achilles Liarmakopoulos) *[[アルミン・ロジン]] (Armin Rosin) *[[ブラニミール・スローカー]] (Branimir Slokar) *[[クリスティアン・リンドベルイ]] (Christian Lindberg) *[[ファブリス・ミリシェー]] (Fabrice Millischer) *[[ジョルジュ・ジビチャーン]] (Gyorgy Gyivicsan) *[[ホーカン・ビョルクマン]] (Hakan Bjorkman) *[[イアン・バウスフィールド]] (Ian Bousfield) *[[ジャック・モージェ]] (Jacques Mauger) *[[イェスパー・ユール・ソレンセン]] (Jesper Juul Sorensen) *[[マーク・ローレンス]] (Mark Laurence) *[[ミッシェル・ベッケ]] (Michel Becquet) *[[ニッツァン・ハロズ]] (Nitzan Haroz) *[[オラフ・オット]] (Olaf Ott) *[[ピーター・ムーア]] (Peter Moore) *[[ラルフ・ザウアー]] (Ralph Sauer) *[[トビー・オフト]] (Toby Oft) == 日本人奏者 == 日本人奏者については{{See also|[[日本のトロンボーン奏者の一覧]]}} == 著名なアンサンブル団体 == * ハイブリッドトロンボーン四重奏団 * パリ・トロンボーン四重奏団 * [[ミリエール・トロンボーン四重奏団]] * スローカー・トロンボーン四重奏団 * [[トリトン・トロンボーン四重奏団]] * ウィーン・トロンボーン四重奏団 * ミュンヘン・トロンボーン四重奏団 * 東京トロンボーン四重奏団 * 東京メトロポリタン・トロンボーン四重奏団 *ワールド・トロンボーン四重奏団 *スライド・モンスターズ *セゲド・トロンボーン・アンサンブル *ニュー・トロンボーン・コレクティヴ == 主なメーカー == ミュージックトレード社刊・管楽器価格一覧表の最新版を基に記載 '''日本''' *[[ヤマハ]] (YAMAHA) '''アメリカ''' *[[コーン・セルマー]] (Conn-Selmer, Steinway) ** [[ヴィンセント・バック・コーポレーション|ヴィンセント・バック]] (Vincent Bach)はコーン・セルマー社の一ブランド **[[コーン・セルマー#ブランド|コーン]]([[:en:Conn-Selmer#Brands|C. G. Conn]])はコーン・セルマー社の一ブランド **[[コーン・セルマー#ブランド|キング]]([[:en:Conn-Selmer#Brands|King]])はコーン・セルマー社の一ブランド *[[コーン・セルマー#ブランド|ホルトン]]([[:en:Conn-Selmer#Brands|Holton]])はコーン・セルマー社の一ブランドだが、野中貿易での取り扱いは現在中止されている *[[レノルド・シルキー|シルキー]]([[:de:Schilke Music Products|Schilke]],[[レノルド・シルキー]]を参照) **グリーンホー([[Greenhoe]])はシルキー社の一ブランド *ゲッツェン ([[Getzen]]) **エドワーズ ([[Edwards Instruments]])はゲッツェン社の子会社 *ピー・ボーン ([[pBone]]) *エム・アンド・ダブリュー (M&W) '''ドイツ''' *トローヤ ([[Throja]]) *タイン ([[Thein]]) *レッチェ ([[Latzsch|H.Latzsch]]) *クロマト ([[Kromat|H.Kromat]]) *ヘルマン・シュミット ([[Hermann Schumidt]]) *ミラフォン ([[Miraphone]]) *ユルゲン・フォークト ([[Jurgen Voigt]]) '''フランス(ドイツ)''' *ビュッフェ・クランポン ([[Buffet Clampon]]) **[https://www.a-courtois.com/ja/ アントワーヌ・クルトワ] ([[:fr:Antoine Courtois|Antoine Courtois]]) *:ビュッフェ・グループの一ブランドであるため企業国籍はフランスだが、アンボワーズ工場閉鎖以降はB&Sやマイネル・ウェストン等と同じ工場で生産されており、楽器自体はドイツ製である **ビー・アンド・エス ([[:de:JA Musik|B&S]]) *:元々ドイツで創業したメーカーだが、現在はフランス国籍のビュッフェ・グループの一ブランドになっている。楽器自体は旧来からのドイツ国内工場製。 '''イギリス''' *マイケル・ラス ([[Michael Rath]]) '''オーストリア''' *シャガール ([[Schagerl]]) '''チェコ''' *アマティ ([[Amati]]) *チェルベニー ([[Cherveny|V.F.Cherveny]]) '''スイス''' *エッガー ([[Egger]]) *ウィルソン ([[Wilson]]) '''スペイン''' *ストンビ ([[Stomvi]]) '''台湾''' *ジュピター ([[:en:Jupiter Band Instruments|Jupiter]]) **エックスオー(XO)はグローバル社が設計し、ジュピター社が製造している楽器のブランド '''中国''' *イーストマン ([[Eastman Winds]]) **シャイアーズ ([[S.E.Shires]])はイーストマン社のブランドの一つ *マイケル ([[J.Michael]]) **ブラスパイア ([[Brasspire]])はマイケルのブランドの一つ *ケルントナー ([[Kaerntner]]) *マルカート ([[Marcato]]) *アミューズ (Amuse) **キド・マ・コット ([[quido ma cotto]])はアミューズのブランドの一つ。キド・マコト氏が携わる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[管楽器]] * [[金管楽器の一覧]] * [[バズィング]] * [[アンブシュア]] == 外部リンク == {{Commons|Trombone}} * [https://www.yamaha.com/ja/musical_instrument_guide/trombone/ YAMAHA楽器解体全書] * [http://www.jat-home.jp/ 日本トロンボーン協会公式ウェブサイト] * [http://trombone-index.jp/ Trombone index] * [http://www.trombone-usa.com/ Trombone Page of the U.S.] {{オーケストラの楽器}} {{Normdaten}} {{Musical-instrument-stub}} {{DEFAULTSORT:とろんほおん}} [[Category:金管楽器]] [[Category:トロンボーン|*]]
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シンチグラフィ
シンチグラフィ(英: scintigraphy)・シンチグラムは、体内に投与した放射性同位体から放出される放射線を検出し、その分布を画像化したもの。画像診断法の一つ。 腫瘍(がん)や各種臓器の機能の診断に使われる。また、核種の組織親和性を利用して、異所性胃粘膜の検出、甲状腺や唾液腺の検査にも使われる。 医療現場では、画像化したものについても包括して「シンチグラム」と呼ばれることも多く、診療報酬点数表でも「シンチグラム」と表記される。 なお、一般的にはシンチグラフィとRI検査とはほぼ同義語として使われるが、RI検査はシンチグラフィよりも範囲が広く、画像化を伴わないシンチグラムや、ラジオアイソトープを使った体外からの計測によらない検査(循環血液量測定など)も含まれる。 注)英語では検査法をscintigraphy、得られた図(画像)をscintigramと区別している。 123I-IMP、99mTc-HMPAO(英語版)、99mTc-ECD、133Xeといったトレーサーがよく用いられる。133Xeは吸入ガスを用いるため特別な設備が必要となるため近年はあまり行われない傾向がある。スクリーニングとしては123I-IMPまたは99mTc-ECDがよく用いられる。脳梗塞の超急性期にはすぐに合成可能な99mTc-HMPAOが用いられる。脳血管障害の急性期から亜急性期には治療方針の決定には定量性の優れた123I-IMPや133Xeが優れている。また責任病巣を同定する目的では高分解能が得られる99mTc製剤が有効である。99mTc-ECDは代謝を反映することから組織のviabilityの評価が可能とされる。慢性期脳血管障害、特に脳主幹動脈閉塞症における血行再建術の適応決定にて123I-IMPあるいは133Xe吸入法による安静時およびアセタゾラミド負荷後の脳血流定量測定の有効性が示されている。 SPM(statistical parametric mapping)を基本モジュールとし異なるSPECT機種による画像間差をファントムで補正する機能を有している。 炭酸脱水素酵素阻害薬であるアセタゾラミドは選択的かつ強力な脳血管拡張作用を有し、正常組織では局所脳血流が50~80%ほど増加する。これは毛細血管レベルの炭酸ガス蓄積によるものと考えられている。この負荷の目的は脳の抵抗血管を生理的な最大限まで強制的に拡張させることにより脳循環予備能を測定することである。副作用としては頭痛、ふらつき、口唇周囲や四肢末梢のしびれ感などがよく出現し、1時間~半日ほど持続する。小児では脳血流の増加による脳圧亢進で嘔吐することもある。血管拡張作用に基づく脳内盗血現象がおこるため脳梗塞急性期では投与を避けるべきとされている。無尿や乏尿でも投与は禁忌である。JET研究では最終発作から3週間以上経過したあとに行なっている。 アセタゾラミドの投与方法は別日法と分割投与法(1日法)が知られている。別日法はその名のとおり、安静時とアセタゾラミド負荷日を別にして撮影を行う。脳血流の生理的変動を捉えてしまう可能性がある。脳の位置を合わせるのは統計処理画像をもちいれば比較的容易である。分割投与法はトレーサーを同量ずつ2回に分割する。それぞれ条件をかえて連続した2回の撮影を行う。1時間程度で2条件の撮影ができるためアセタゾラミド負荷ではよく用いられる。ECD-RVR法(ECD-resting and vascular reserve法)とIMPをもちいたDTARG(dual table sutoradiography)が知られている。 アセタゾラミド負荷後の心不全、肺水腫による死亡例が報告されていることから適正使用指針 (PDF) が公開されている。 patlak plot法により全脳血流を定量することが特徴である。高血流領域でECDは直線的に増加しないためLassenの補正を用いる。 標準入力関数と1点動脈採血を用いたARG法を発展させ、分割投与法に応用したものである。ARG法と異なりダイナミック撮影で行う。 脳梗塞ではSPECT検査はアテローム血栓性脳梗塞における血行力学的脳虚血の重症度を評価することができる。脳梗塞の再発率の高いサブグループを見出すことができる。脳血行再建術により血行力学的脳虚血の重症度の改善を証明できる。前述のサブグループにおける脳梗塞再発予防効果を検討できるとされている。特に重要なのがSTA-MCAバイパス術の適応を検討することである。1985年の国際共同研究の結果ではSTA-MCAバイパスは脳梗塞の再発予防効果はないとされていた。しかし、その後血行力学的脳虚血の定量的重症度判定により血行再建術が有効なサブグループ、貧困灌流あるいはstageIIが見出された。日本で行われたJET研究での定義をまとめる。JET研究ではDTARG法を最終発作から3週間以上経過してから用いている。脳循環予備能は(アセタゾラミド負荷時の脳血流/安静時脳血流-1)×100とし、作図では横軸を安静時脳血流、縦軸をアセタゾラミド負荷時血流(ml/100g/min)でプロットする。stage0は脳循環予備能が30%より大きい場合である。stageIは脳循環予備能が10~30%の範囲内または、脳循環予備能が10%以下かつ安静時脳血流が正常平均値の80%より大きい場合である。stageIIは脳循環予備能が10%以下でありかつ安静時血流量が80%以下の場合である。最終発作から3週間以上経過した後のstageIIが貧困灌流と考えられ、慢性期のSTA-MCAバイパスが脳循環予備能を改善し、血行力学的脳虚血の軽症化が認められ脳梗塞再発予防効果も明らかになっている。脳循環予備能<0%の場合は盗血現象が起こっていると考えられているが他の貧困灌流と予後に差はないとされている。統計解析はSEE解析がされる場合が多い。 また脳循環予備能の低下はCEAやCASの過灌流症候群のリスクファクターであることも判明しており術後管理にも役立つ。 IMPシンチグラフィーでは3D-SSPでECDシンチグラフィーはeZISで統計解析されることが多い。帯状回後部と楔前部はアルツハイマー型認知症で最初に血流・代謝が低下する部位である。またまた大脳皮質連合野のうち頭頂連合野である縁上回と角回からなる下頭頂小葉はアルツハイマー型認知症の初期から血流・代謝が低下する領域である。軽度の左右差がよく認められるがどちらが優位とはいえない。進行しても側性は保たれ、頭頂連合野から側頭連合野さらには前頭連合野にも血流・代謝低下が出現する。アルツハイマー型認知症で血流・代謝低下が起こらない保持領域が知られている。それは中心溝周囲の一次感覚野、一次運動野、後頭部内側部の一次視覚野、側頭葉上部の一次聴覚野、基底核、視床、小脳などである。eZISでは3つの項目が計算されるそれは血流低下の程度(severity)、血流低下の割合(extent)、血流低下の比(ratio)である。 ドパミントランスポーター(DAT)は神経終末の細胞膜に存在する細胞膜型トランスポーターで、他のモノアミントランスポーターなどとともにSLC6(soluble carrier6)とよばれる遺伝子ファミリーを形成している。ドパミントランスポーターは主に黒質線条体ドパミン終末部が存在する尾状核および被殻に発現している。黒質線条体ドパミン神経終末から放出されたドパミンを速やかに再取込しシナプス伝達を終結させるとともに、神経伝達物質の過剰作用から神経細胞を保護する役割をもつ。イオフルパン(I-FP-CIT)はコカイン類似物質でありDATに高い結合親和性をもつ。イオフルパンを用いたDAT SPECTは黒質ドパミン神経脱落の有無、程度を正確に示す検査となる。すなわちパーキンソン症候群を示す疾患のうち黒質ドパミン細胞が脱落する疾患(パーキンソン病や多系統萎縮症、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、レビー小体型認知症)とドパミン細胞脱落を伴わない血管性パーキンソン症候群や薬剤性パーキンソン症候群、アルツハイマー型認知症を鑑別することができる検査である。またドパミン神経障害の進行を経時的に評価することも可能である。 イオフルパンはエタノールを5%含むため飲酒に対し強い反応を示す患者には注意が必要である。パーキンソン病治療薬は検査時に休薬の必要はない。SSRIは線条体におけるDATの結合を10%ほど上昇させる可能性があるため注意が必要である。SSRIは可能ならば5~7日程の休薬をして検査することが望ましい。DATに結合して再取り込みを阻害するコカイン、アンフェタミン、メチルフェニデート、モダフィニルはイオフルパンのDAT結合を強く低下させる。マジンドール、フェンタニル、ケタミンもイオフルパンのDAT結合を低下させることがある。 パーキンソン病では運動症状発現の5~10年前からDAT減少が始まっており、DATが正常の半分になると運動症状が出現する。パーキンソン病初期と専門医に診断された症例でDAT SPECTでドパミントランスポーターの低下が認められない場合はSWEDDsの可能性がある。ドパミントランスポーターの低下が認められるが、自律神経障害や初期から易転倒性やすくみが目立つなど多系統萎縮症や進行性核上性麻痺を示唆する所見がある場合はMIBGシンチグラフィーにて鑑別するべきである。 テクネシウム製剤など血流シンチグラフィーの他、脂肪酸代謝イメージングや交感神経イメージングが知られている。 交感神経イメージングとしてはMIBGシンチグラフィが知られている。MIBGはノルアドレナリンの生理的アナログである。交感神経終末でノルアドレナリンと同様に摂取、貯蔵、放出が行われる。節後性交感神経の機能を評価できるため、各種心疾患の局所的交感神経障害、神経変性疾患の自律神経障害、糖尿病の自律神経障害の評価に用いられる。 評価はH/M比とwashout rateによって行われる。心臓(H)と上縦隔(M)のROIの平均カウントの比率を計算する。正常値は施設によって異なるが低エネルギーコリメーターを使用している場合は後期相で2.0~2.6程度であり、中エネルギーコリメーターを使用している場合は2.6~3.4である。WRは早期相心臓ROIカウントと後期相心臓ROIカウントをもとに計算され、交感神経機能の指標と考えられている。H/M比の低下はレビー小体病であるパーキンソン病、びまん性レビー小体病、純粋自律神経機能不全(PAF)などで認められる。通常ROIは前期相の方が低いものの、レビー小体病では後期相の方が低くWRの亢進を伴っている。通常は後期相H/M比を結果とする。検査の標準化のためsmartMIBGなどのソフトウェアが開発されている。smartMIBGは金沢大学と富士フイルムRIファーマの共同開発で2022年現在はPDRファーマ株式会社で取り扱っている。 パーキンソン病ではMIBG集積低下が起立性低血圧、圧反射異常、心拍変動異常に先立って出現するため早期診断で重要である。多系統萎縮症などでは自律神経障害は認められるが節後線維障害ではない(間脳や脊髄中間外側核)ため、H/M比の低下は認められていない。また拡張型心筋症においてΒ遮断薬の効果の事前予測のも用いられる。iLBD(生前パーキンソン症候群は明らかではないが剖検時に偶然にレビー小体が認められる例で、発症前のPDあるいはDLBと考えられる)が60歳以上の正常剖検例の8~17%の頻度で存在するため注意が必要である。 MIBG集積に影響をおよぼす薬剤についてはさまざまなものがあげられているが、臨床的に問題になるのはノルアドレナリントランスポーターをブロックする三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬、SNRI、レセルピン(顆粒モノアミントランスポーターをブロックする)である。これらの薬剤は検査前に休薬する必要がある。パーキンソン病治療薬の中でセレギレンは検査に影響するという報告もあるが通常の容量ではほぼ影響しないと考えられている。 心疾患や糖尿病性神経障害はMIBGシンチに影響をおよぼす。しかし虚血性心疾患ではSPECT画像で局所的な低下は認められても一般的なプラナー正面像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。心不全では典型的には早期像に比べ後期像の強い低下が認められる、しかしNYHAIやIIではプラナー正面像の早期像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。糖尿病では糖尿病性神経障害を合併しなければMIBG集積低下はなく、少なくともプラナー正面像で無集積になることはない。 Gaの炎症部位への集積機序ははっきりと解明されていない。炎症組織での血流増加、毛細血管の透過性亢進によるGaの運搬、細胞間質への結合など様々な機序が同時に関与していると推測されている。悪性リンパ腫やサルコイドーシスで用いられる。サルコイドーシスでは右上縦隔と両側肺門リンパ節集積によるラムダサインや両側耳下腺、両側涙腺の左右対称性の集積亢進をパンダサインといいサルコイドーシスに特徴的な所見と考えられている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "シンチグラフィ(英: scintigraphy)・シンチグラムは、体内に投与した放射性同位体から放出される放射線を検出し、その分布を画像化したもの。画像診断法の一つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "腫瘍(がん)や各種臓器の機能の診断に使われる。また、核種の組織親和性を利用して、異所性胃粘膜の検出、甲状腺や唾液腺の検査にも使われる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "医療現場では、画像化したものについても包括して「シンチグラム」と呼ばれることも多く、診療報酬点数表でも「シンチグラム」と表記される。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお、一般的にはシンチグラフィとRI検査とはほぼ同義語として使われるが、RI検査はシンチグラフィよりも範囲が広く、画像化を伴わないシンチグラムや、ラジオアイソトープを使った体外からの計測によらない検査(循環血液量測定など)も含まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "注)英語では検査法をscintigraphy、得られた図(画像)をscintigramと区別している。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "123I-IMP、99mTc-HMPAO(英語版)、99mTc-ECD、133Xeといったトレーサーがよく用いられる。133Xeは吸入ガスを用いるため特別な設備が必要となるため近年はあまり行われない傾向がある。スクリーニングとしては123I-IMPまたは99mTc-ECDがよく用いられる。脳梗塞の超急性期にはすぐに合成可能な99mTc-HMPAOが用いられる。脳血管障害の急性期から亜急性期には治療方針の決定には定量性の優れた123I-IMPや133Xeが優れている。また責任病巣を同定する目的では高分解能が得られる99mTc製剤が有効である。99mTc-ECDは代謝を反映することから組織のviabilityの評価が可能とされる。慢性期脳血管障害、特に脳主幹動脈閉塞症における血行再建術の適応決定にて123I-IMPあるいは133Xe吸入法による安静時およびアセタゾラミド負荷後の脳血流定量測定の有効性が示されている。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "SPM(statistical parametric mapping)を基本モジュールとし異なるSPECT機種による画像間差をファントムで補正する機能を有している。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "炭酸脱水素酵素阻害薬であるアセタゾラミドは選択的かつ強力な脳血管拡張作用を有し、正常組織では局所脳血流が50~80%ほど増加する。これは毛細血管レベルの炭酸ガス蓄積によるものと考えられている。この負荷の目的は脳の抵抗血管を生理的な最大限まで強制的に拡張させることにより脳循環予備能を測定することである。副作用としては頭痛、ふらつき、口唇周囲や四肢末梢のしびれ感などがよく出現し、1時間~半日ほど持続する。小児では脳血流の増加による脳圧亢進で嘔吐することもある。血管拡張作用に基づく脳内盗血現象がおこるため脳梗塞急性期では投与を避けるべきとされている。無尿や乏尿でも投与は禁忌である。JET研究では最終発作から3週間以上経過したあとに行なっている。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "アセタゾラミドの投与方法は別日法と分割投与法(1日法)が知られている。別日法はその名のとおり、安静時とアセタゾラミド負荷日を別にして撮影を行う。脳血流の生理的変動を捉えてしまう可能性がある。脳の位置を合わせるのは統計処理画像をもちいれば比較的容易である。分割投与法はトレーサーを同量ずつ2回に分割する。それぞれ条件をかえて連続した2回の撮影を行う。1時間程度で2条件の撮影ができるためアセタゾラミド負荷ではよく用いられる。ECD-RVR法(ECD-resting and vascular reserve法)とIMPをもちいたDTARG(dual table sutoradiography)が知られている。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "アセタゾラミド負荷後の心不全、肺水腫による死亡例が報告されていることから適正使用指針 (PDF) が公開されている。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "patlak plot法により全脳血流を定量することが特徴である。高血流領域でECDは直線的に増加しないためLassenの補正を用いる。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "標準入力関数と1点動脈採血を用いたARG法を発展させ、分割投与法に応用したものである。ARG法と異なりダイナミック撮影で行う。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "脳梗塞ではSPECT検査はアテローム血栓性脳梗塞における血行力学的脳虚血の重症度を評価することができる。脳梗塞の再発率の高いサブグループを見出すことができる。脳血行再建術により血行力学的脳虚血の重症度の改善を証明できる。前述のサブグループにおける脳梗塞再発予防効果を検討できるとされている。特に重要なのがSTA-MCAバイパス術の適応を検討することである。1985年の国際共同研究の結果ではSTA-MCAバイパスは脳梗塞の再発予防効果はないとされていた。しかし、その後血行力学的脳虚血の定量的重症度判定により血行再建術が有効なサブグループ、貧困灌流あるいはstageIIが見出された。日本で行われたJET研究での定義をまとめる。JET研究ではDTARG法を最終発作から3週間以上経過してから用いている。脳循環予備能は(アセタゾラミド負荷時の脳血流/安静時脳血流-1)×100とし、作図では横軸を安静時脳血流、縦軸をアセタゾラミド負荷時血流(ml/100g/min)でプロットする。stage0は脳循環予備能が30%より大きい場合である。stageIは脳循環予備能が10~30%の範囲内または、脳循環予備能が10%以下かつ安静時脳血流が正常平均値の80%より大きい場合である。stageIIは脳循環予備能が10%以下でありかつ安静時血流量が80%以下の場合である。最終発作から3週間以上経過した後のstageIIが貧困灌流と考えられ、慢性期のSTA-MCAバイパスが脳循環予備能を改善し、血行力学的脳虚血の軽症化が認められ脳梗塞再発予防効果も明らかになっている。脳循環予備能<0%の場合は盗血現象が起こっていると考えられているが他の貧困灌流と予後に差はないとされている。統計解析はSEE解析がされる場合が多い。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また脳循環予備能の低下はCEAやCASの過灌流症候群のリスクファクターであることも判明しており術後管理にも役立つ。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "IMPシンチグラフィーでは3D-SSPでECDシンチグラフィーはeZISで統計解析されることが多い。帯状回後部と楔前部はアルツハイマー型認知症で最初に血流・代謝が低下する部位である。またまた大脳皮質連合野のうち頭頂連合野である縁上回と角回からなる下頭頂小葉はアルツハイマー型認知症の初期から血流・代謝が低下する領域である。軽度の左右差がよく認められるがどちらが優位とはいえない。進行しても側性は保たれ、頭頂連合野から側頭連合野さらには前頭連合野にも血流・代謝低下が出現する。アルツハイマー型認知症で血流・代謝低下が起こらない保持領域が知られている。それは中心溝周囲の一次感覚野、一次運動野、後頭部内側部の一次視覚野、側頭葉上部の一次聴覚野、基底核、視床、小脳などである。eZISでは3つの項目が計算されるそれは血流低下の程度(severity)、血流低下の割合(extent)、血流低下の比(ratio)である。", "title": "脳血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ドパミントランスポーター(DAT)は神経終末の細胞膜に存在する細胞膜型トランスポーターで、他のモノアミントランスポーターなどとともにSLC6(soluble carrier6)とよばれる遺伝子ファミリーを形成している。ドパミントランスポーターは主に黒質線条体ドパミン終末部が存在する尾状核および被殻に発現している。黒質線条体ドパミン神経終末から放出されたドパミンを速やかに再取込しシナプス伝達を終結させるとともに、神経伝達物質の過剰作用から神経細胞を保護する役割をもつ。イオフルパン(I-FP-CIT)はコカイン類似物質でありDATに高い結合親和性をもつ。イオフルパンを用いたDAT SPECTは黒質ドパミン神経脱落の有無、程度を正確に示す検査となる。すなわちパーキンソン症候群を示す疾患のうち黒質ドパミン細胞が脱落する疾患(パーキンソン病や多系統萎縮症、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、レビー小体型認知症)とドパミン細胞脱落を伴わない血管性パーキンソン症候群や薬剤性パーキンソン症候群、アルツハイマー型認知症を鑑別することができる検査である。またドパミン神経障害の進行を経時的に評価することも可能である。", "title": "ドパミントランスポーターシンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "イオフルパンはエタノールを5%含むため飲酒に対し強い反応を示す患者には注意が必要である。パーキンソン病治療薬は検査時に休薬の必要はない。SSRIは線条体におけるDATの結合を10%ほど上昇させる可能性があるため注意が必要である。SSRIは可能ならば5~7日程の休薬をして検査することが望ましい。DATに結合して再取り込みを阻害するコカイン、アンフェタミン、メチルフェニデート、モダフィニルはイオフルパンのDAT結合を強く低下させる。マジンドール、フェンタニル、ケタミンもイオフルパンのDAT結合を低下させることがある。", "title": "ドパミントランスポーターシンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "パーキンソン病では運動症状発現の5~10年前からDAT減少が始まっており、DATが正常の半分になると運動症状が出現する。パーキンソン病初期と専門医に診断された症例でDAT SPECTでドパミントランスポーターの低下が認められない場合はSWEDDsの可能性がある。ドパミントランスポーターの低下が認められるが、自律神経障害や初期から易転倒性やすくみが目立つなど多系統萎縮症や進行性核上性麻痺を示唆する所見がある場合はMIBGシンチグラフィーにて鑑別するべきである。", "title": "ドパミントランスポーターシンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "テクネシウム製剤など血流シンチグラフィーの他、脂肪酸代謝イメージングや交感神経イメージングが知られている。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "交感神経イメージングとしてはMIBGシンチグラフィが知られている。MIBGはノルアドレナリンの生理的アナログである。交感神経終末でノルアドレナリンと同様に摂取、貯蔵、放出が行われる。節後性交感神経の機能を評価できるため、各種心疾患の局所的交感神経障害、神経変性疾患の自律神経障害、糖尿病の自律神経障害の評価に用いられる。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "評価はH/M比とwashout rateによって行われる。心臓(H)と上縦隔(M)のROIの平均カウントの比率を計算する。正常値は施設によって異なるが低エネルギーコリメーターを使用している場合は後期相で2.0~2.6程度であり、中エネルギーコリメーターを使用している場合は2.6~3.4である。WRは早期相心臓ROIカウントと後期相心臓ROIカウントをもとに計算され、交感神経機能の指標と考えられている。H/M比の低下はレビー小体病であるパーキンソン病、びまん性レビー小体病、純粋自律神経機能不全(PAF)などで認められる。通常ROIは前期相の方が低いものの、レビー小体病では後期相の方が低くWRの亢進を伴っている。通常は後期相H/M比を結果とする。検査の標準化のためsmartMIBGなどのソフトウェアが開発されている。smartMIBGは金沢大学と富士フイルムRIファーマの共同開発で2022年現在はPDRファーマ株式会社で取り扱っている。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "パーキンソン病ではMIBG集積低下が起立性低血圧、圧反射異常、心拍変動異常に先立って出現するため早期診断で重要である。多系統萎縮症などでは自律神経障害は認められるが節後線維障害ではない(間脳や脊髄中間外側核)ため、H/M比の低下は認められていない。また拡張型心筋症においてΒ遮断薬の効果の事前予測のも用いられる。iLBD(生前パーキンソン症候群は明らかではないが剖検時に偶然にレビー小体が認められる例で、発症前のPDあるいはDLBと考えられる)が60歳以上の正常剖検例の8~17%の頻度で存在するため注意が必要である。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "MIBG集積に影響をおよぼす薬剤についてはさまざまなものがあげられているが、臨床的に問題になるのはノルアドレナリントランスポーターをブロックする三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬、SNRI、レセルピン(顆粒モノアミントランスポーターをブロックする)である。これらの薬剤は検査前に休薬する必要がある。パーキンソン病治療薬の中でセレギレンは検査に影響するという報告もあるが通常の容量ではほぼ影響しないと考えられている。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "心疾患や糖尿病性神経障害はMIBGシンチに影響をおよぼす。しかし虚血性心疾患ではSPECT画像で局所的な低下は認められても一般的なプラナー正面像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。心不全では典型的には早期像に比べ後期像の強い低下が認められる、しかしNYHAIやIIではプラナー正面像の早期像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。糖尿病では糖尿病性神経障害を合併しなければMIBG集積低下はなく、少なくともプラナー正面像で無集積になることはない。", "title": "心筋血流シンチグラフィー" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "Gaの炎症部位への集積機序ははっきりと解明されていない。炎症組織での血流増加、毛細血管の透過性亢進によるGaの運搬、細胞間質への結合など様々な機序が同時に関与していると推測されている。悪性リンパ腫やサルコイドーシスで用いられる。サルコイドーシスでは右上縦隔と両側肺門リンパ節集積によるラムダサインや両側耳下腺、両側涙腺の左右対称性の集積亢進をパンダサインといいサルコイドーシスに特徴的な所見と考えられている。", "title": "ガリウムシンチグラフィー" } ]
シンチグラフィ・シンチグラムは、体内に投与した放射性同位体から放出される放射線を検出し、その分布を画像化したもの。画像診断法の一つ。 腫瘍(がん)や各種臓器の機能の診断に使われる。また、核種の組織親和性を利用して、異所性胃粘膜の検出、甲状腺や唾液腺の検査にも使われる。 医療現場では、画像化したものについても包括して「シンチグラム」と呼ばれることも多く、診療報酬点数表でも「シンチグラム」と表記される。 なお、一般的にはシンチグラフィとRI検査とはほぼ同義語として使われるが、RI検査はシンチグラフィよりも範囲が広く、画像化を伴わないシンチグラムや、ラジオアイソトープを使った体外からの計測によらない検査(循環血液量測定など)も含まれる。 注)英語では検査法をscintigraphy、得られた図(画像)をscintigramと区別している。
[[画像:99mTc-HMDP bone scintigraphy 01.jpg|thumb|280px|<sup>99m</sup>Tc-HMDPによる'''骨シンチグラフィ'''の例。<br>左側2つの写真(前側と後側から撮ったもの)[[大腸癌]]からの骨転移が左側の[[肋骨]]に見える。化学療法後の右側2つの写真では骨転移が抑えられているのがわかる。]] '''シンチグラフィ'''(英: '''scintigraphy''')・'''シンチグラム'''は、[[体内]]に[[投与]]した[[放射性同位体]]から放出される[[放射線]]を検出し、その分布を画像化したもの。[[画像診断]]法の一つ。 [[腫瘍]]([[悪性腫瘍|がん]])や各種[[臓器]]の機能の[[診断]]に使われる。また、[[核種]]の[[組織親和性]]を利用して、異所性胃粘膜の検出、[[甲状腺]]や[[唾液腺]]の検査にも使われる。 医療現場では、画像化したものについても包括して「シンチグラム」と呼ばれることも多く、[[診療報酬|診療報酬点数表]]でも「シンチグラム」と表記される。 なお、一般的にはシンチグラフィと[[RI検査]]とはほぼ[[同義語]]として使われるが、RI検査はシンチグラフィよりも範囲が広く、画像化を伴わないシンチグラムや、[[放射性同位体|ラジオアイソトープ]]を使った体外からの計測によらない検査(循環血液量測定など)も含まれる。 注)英語では検査法をscintigraphy、得られた図(画像)をscintigramと区別している。<ref>http://medical-dictionary.thefreedictionary.com/scintigram</ref> == 種類 == {| class="wikitable" |- |脳血流シンチグラフィ||[[テクネチウム99m]](<sup>99m</sup>Tc)、[[ヨウ素123]](<sup>123</sup>I) |- |脳脊髄腔シンチグラフィ||[[インジウム111]](<sup>111</sup>In) |- |ガリウムシンチグラフィ||[[ガリウム67]](<sup>67</sup>Ga) |- |骨シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc) |- |心筋血流シンチグラフィ||[[タリウム201]](<sup>201</sup>Tl)、テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc) |- |肺血流シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc) |- |肺換気シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc)、[[キセノン133]](<sup>133</sup>Xe)、[[クリプトン81m]](<sup>81m</sup>Kr) |- |甲状腺シンチグラフィ||ヨウ素123(<sup>123</sup>I)、テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc)、タリウム201(<sup>201</sup>Tl) |- |副甲状腺シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc)、タリウム201(<sup>201</sup>Tl) |- |肝シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc) |- |肝胆道シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc) |- |腎シンチグラフィ||テクネチウム99m(<sup>99m</sup>Tc)、[[ヨウ素131]](<sup>131</sup>I) |- |副腎シンチグラフィ||ヨウ素131(<sup>131</sup>I)他 |} == 脳血流シンチグラフィー == 123I-IMP、{{仮リンク|99mTc-HMPAO|en|HMPAO}}、99mTc-ECD、133Xeといったトレーサーがよく用いられる。133Xeは吸入ガスを用いるため特別な設備が必要となるため近年はあまり行われない傾向がある。スクリーニングとしては123I-IMPまたは99mTc-ECDがよく用いられる。脳梗塞の超急性期にはすぐに合成可能な99mTc-HMPAOが用いられる。脳血管障害の急性期から亜急性期には治療方針の決定には定量性の優れた123I-IMPや133Xeが優れている。また責任病巣を同定する目的では高分解能が得られる99mTc製剤が有効である。99mTc-ECDは代謝を反映することから組織のviabilityの評価が可能とされる。慢性期脳血管障害、特に脳主幹動脈閉塞症における血行再建術の適応決定にて123I-IMPあるいは133Xe吸入法による安静時およびアセタゾラミド負荷後の脳血流定量測定の有効性が示されている。 === 統計解析 === ;eZIS(easy Z-score Imaging System) SPM(statistical parametric mapping)を基本モジュールとし異なる[[SPECT]]機種による画像間差を[[人体模型#ファントム|ファントム]]で補正する機能を有している。 ;3D-SSP(three-dimensinal stereotactic surface projiction) === 負荷脳血流シンチグラフィー === ;アセタゾラミド負荷 炭酸脱水素酵素阻害薬であるアセタゾラミドは選択的かつ強力な脳血管拡張作用を有し、正常組織では局所脳血流が50~80%ほど増加する。これは毛細血管レベルの炭酸ガス蓄積によるものと考えられている。この負荷の目的は脳の抵抗血管を生理的な最大限まで強制的に拡張させることにより'''脳循環予備能'''を測定することである。副作用としては頭痛、ふらつき、口唇周囲や四肢末梢のしびれ感などがよく出現し、1時間~半日ほど持続する。小児では脳血流の増加による脳圧亢進で嘔吐することもある。血管拡張作用に基づく脳内盗血現象がおこるため脳梗塞急性期では投与を避けるべきとされている。無尿や乏尿でも投与は禁忌である。JET研究では最終発作から3週間以上経過したあとに行なっている。 アセタゾラミドの投与方法は別日法と分割投与法(1日法)が知られている。別日法はその名のとおり、安静時とアセタゾラミド負荷日を別にして撮影を行う。脳血流の生理的変動を捉えてしまう可能性がある。脳の位置を合わせるのは統計処理画像をもちいれば比較的容易である。分割投与法はトレーサーを同量ずつ2回に分割する。それぞれ条件をかえて連続した2回の撮影を行う。1時間程度で2条件の撮影ができるためアセタゾラミド負荷ではよく用いられる。ECD-RVR法(ECD-resting and vascular reserve法)とIMPをもちいたDTARG(dual table sutoradiography)が知られている。 アセタゾラミド負荷後の心不全、肺水腫による死亡例が報告されていることから{{PDFlink|[http://www.jsts.gr.jp/img/acetazolamide.pdf 適正使用指針]}}が公開されている。 ;ECD-RVR法 patlak plot法により全脳血流を定量することが特徴である。高血流領域でECDは直線的に増加しないためLassenの補正を用いる。 ;DTARG法 標準入力関数と1点動脈採血を用いたARG法を発展させ、分割投与法に応用したものである。ARG法と異なりダイナミック撮影で行う。 === 脳梗塞におけるSPECT検査 === [[脳梗塞]]ではSPECT検査はアテローム血栓性脳梗塞における血行力学的脳虚血の重症度を評価することができる。脳梗塞の再発率の高いサブグループを見出すことができる。脳血行再建術により血行力学的脳虚血の重症度の改善を証明できる。前述のサブグループにおける脳梗塞再発予防効果を検討できるとされている。特に重要なのがSTA-MCAバイパス術の適応を検討することである。1985年の国際共同研究<ref>N Engl J Med. 1985 Nov 7;313(19):1191-200.</ref>の結果ではSTA-MCAバイパスは脳梗塞の再発予防効果はないとされていた。しかし、その後血行力学的脳虚血の定量的重症度判定により血行再建術が有効なサブグループ、貧困灌流あるいはstageⅡが見出された。日本で行われたJET研究での定義をまとめる。JET研究ではDTARG法を最終発作から3週間以上経過してから用いている。脳循環予備能は(アセタゾラミド負荷時の脳血流/安静時脳血流-1)×100とし、作図では横軸を安静時脳血流、縦軸をアセタゾラミド負荷時血流(ml/100g/min)でプロットする。stage0は脳循環予備能が30%より大きい場合である。stageⅠは脳循環予備能が10~30%の範囲内または、脳循環予備能が10%以下かつ安静時脳血流が正常平均値の80%より大きい場合である。stageⅡは脳循環予備能が10%以下でありかつ安静時血流量が80%以下の場合である。最終発作から3週間以上経過した後のstageⅡが貧困灌流と考えられ、慢性期のSTA-MCAバイパスが脳循環予備能を改善し、血行力学的脳虚血の軽症化が認められ脳梗塞再発予防効果も明らかになっている。脳循環予備能<0%の場合は盗血現象が起こっていると考えられているが他の貧困灌流と予後に差はないとされている。統計解析はSEE解析がされる場合が多い。 また脳循環予備能の低下はCEAやCASの[[過灌流症候群]]のリスクファクターであることも判明しており<ref>J Cereb Blood Flow Metab. 2006 Jul;26(7):878-84.{{PMID|16280980}}.AJNR Am J Neuroradiol. 2004 Sep;25(8):1403-8.{{PMID|15466341}}. </ref>術後管理にも役立つ。 === 認知症におけるSPECT検査 === {| class="wikitable" !nowrap|病名!!nowrap|略称!!nowrap|特徴的所見 |- |[[アルツハイマー型認知症]]||AD||頭頂側頭連合野の血流低下。喫前部、後部帯状回の血流低下。進行すると前頭葉の血流低下も認められる。 |- |[[血管性認知症]]||VaD||血管障害の病巣に応じた様々なパターンあり。 |- |[[レビー小体型認知症]]||DLB||頭頂葉、後頭葉の血流低下。特に後頭葉一次視覚野の血流低下が特徴的である。 |- |[[前頭側頭型認知症]]||FTD||前頭葉皮質と側頭葉皮質の血流低下。 |- |[[進行性核上性麻痺]]||PSP||前頭葉皮質の血流低下。 |- |[[大脳皮質基底核変性症]]||CBD||前頭葉皮質と頭頂葉皮質の左右差のある血流低下。 |} ==== アルツハイマー型認知症 ==== IMPシンチグラフィーでは[[3D-SSP]]でECDシンチグラフィーは[[eZIS]]で統計解析されることが多い。[[帯状回後部]]と[[楔前部]]は[[アルツハイマー型認知症]]で最初に血流・代謝が低下する部位である。またまた大脳皮質連合野のうち頭頂連合野である[[縁上回]]と[[角回]]からなる下頭頂小葉はアルツハイマー型認知症の初期から血流・代謝が低下する領域である。軽度の左右差がよく認められるがどちらが優位とはいえない。進行しても側性は保たれ、頭頂連合野から側頭連合野さらには前頭連合野にも血流・代謝低下が出現する。アルツハイマー型認知症で血流・代謝低下が起こらない保持領域が知られている。それは中心溝周囲の一次感覚野、一次運動野、後頭部内側部の一次視覚野、側頭葉上部の一次聴覚野、[[基底核]]、[[視床]]、[[小脳]]などである。eZISでは3つの項目が計算されるそれは血流低下の程度(severity)、血流低下の割合(extent)、血流低下の比(ratio)である。 == ドパミントランスポーターシンチグラフィー == [[ドパミントランスポーター]](DAT)は神経終末の細胞膜に存在する細胞膜型[[トランスポーター]]で、他のモノアミントランスポーターなどとともにSLC6(soluble carrier6)とよばれる遺伝子ファミリーを形成している。ドパミントランスポーターは主に黒質線条体ドパミン終末部が存在する[[尾状核]]および[[被殻]]に発現している。黒質線条体ドパミン神経終末から放出されたドパミンを速やかに再取込しシナプス伝達を終結させるとともに、神経伝達物質の過剰作用から神経細胞を保護する役割をもつ。[[イオフルパン]](<sup>123</sup>I-FP-CIT)は[[コカイン]]類似物質でありDATに高い結合親和性をもつ。イオフルパンを用いたDAT SPECTは黒質ドパミン神経脱落の有無、程度を正確に示す検査となる。すなわち[[パーキンソン症候群]]を示す疾患のうち黒質ドパミン細胞が脱落する疾患([[パーキンソン病]]や[[多系統萎縮症]]、大脳皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、[[レビー小体型認知症]])とドパミン細胞脱落を伴わない血管性パーキンソン症候群や薬剤性パーキンソン症候群、アルツハイマー型認知症を鑑別することができる検査である。またドパミン神経障害の進行を経時的に評価することも可能である。 ;検査の注意点 イオフルパンはエタノールを5%含むため飲酒に対し強い反応を示す患者には注意が必要である。パーキンソン病治療薬は検査時に休薬の必要はない。SSRIは線条体におけるDATの結合を10%ほど上昇させる可能性があるため注意が必要である。SSRIは可能ならば5~7日程の休薬をして検査することが望ましい。DATに結合して再取り込みを阻害する[[コカイン]]、[[アンフェタミン]]、[[メチルフェニデート]]、[[モダフィニル]]はイオフルパンのDAT結合を強く低下させる。[[マジンドール]]、[[フェンタニル]]、[[ケタミン]]もイオフルパンのDAT結合を低下させることがある。 ;重要な疾患 パーキンソン病では運動症状発現の5~10年前からDAT減少が始まっており、DATが正常の半分になると運動症状が出現する。パーキンソン病初期と専門医に診断された症例でDAT SPECTでドパミントランスポーターの低下が認められない場合はSWEDDsの可能性がある。ドパミントランスポーターの低下が認められるが、自律神経障害や初期から易転倒性やすくみが目立つなど多系統萎縮症や進行性核上性麻痺を示唆する所見がある場合はMIBGシンチグラフィーにて鑑別するべきである。 == 心筋血流シンチグラフィー == テクネシウム製剤など血流シンチグラフィーの他、脂肪酸代謝イメージングや交感神経イメージングが知られている。 === 交感神経イメージング === 交感神経イメージングとしては{{仮リンク|MIBG|en|MIBG}}シンチグラフィが知られている。MIBGは[[ノルアドレナリン]]の生理的アナログである。交感神経終末でノルアドレナリンと同様に摂取、貯蔵、放出が行われる。節後性交感神経の機能を評価できるため、各種心疾患の局所的交感神経障害、神経変性疾患の自律神経障害、糖尿病の自律神経障害の評価に用いられる。 ;H/M比とwashout rate(WR) 評価はH/M比とwashout rateによって行われる。心臓(H)と上縦隔(M)のROIの平均カウントの比率を計算する。正常値は施設によって異なるが低エネルギーコリメーターを使用している場合は後期相で2.0~2.6程度であり、中エネルギーコリメーターを使用している場合は2.6~3.4である。WRは早期相心臓ROIカウントと後期相心臓ROIカウントをもとに計算され、交感神経機能の指標と考えられている。H/M比の低下は[[レビー小体病]]である[[パーキンソン病]]、[[びまん性レビー小体病]]、[[純粋自律神経機能不全]](PAF)などで認められる。通常ROIは前期相の方が低いものの、レビー小体病では後期相の方が低くWRの亢進を伴っている。通常は後期相H/M比を結果とする。検査の標準化のためsmartMIBGなどのソフトウェアが開発されている。smartMIBGは[[金沢大学]]と[[富士フイルム富山化学|富士フイルムRIファーマ]]の共同開発で2022年現在はPDRファーマ株式会社で取り扱っている。 ;検査意義 パーキンソン病ではMIBG集積低下が起立性低血圧、圧反射異常、心拍変動異常に先立って出現するため早期診断で重要である。多系統萎縮症などでは自律神経障害は認められるが節後線維障害ではない(間脳や脊髄中間外側核)ため、H/M比の低下は認められていない。また[[拡張型心筋症]]において[[Β遮断薬]]の効果の事前予測のも用いられる。iLBD(生前パーキンソン症候群は明らかではないが剖検時に偶然にレビー小体が認められる例で、発症前のPDあるいはDLBと考えられる)が60歳以上の正常剖検例の8~17%の頻度で存在する<ref>Arch Neurol. 2009 66 1114-1119. {{PMID|19752300}}</ref>ため注意が必要である。 ;服用薬剤の影響 MIBG集積に影響をおよぼす薬剤についてはさまざまなものがあげられている<ref>Eur Rev Med Pharmacol Sci. 2013 May;17(10):1326-33. {{PMID|23740445}}</ref>が、臨床的に問題になるのはノルアドレナリントランスポーターをブロックする三環系[[抗うつ薬]]、四環系抗うつ薬、SNRI<ref>Psychiatry Clin Neurosci. 2014 Mar;68(3):169-75. {{PMID|24895731}}</ref>、レセルピン(顆粒モノアミントランスポーターをブロックする)である。これらの薬剤は検査前に休薬する必要がある。パーキンソン病治療薬の中で[[セレギレン]]は検査に影響するという報告もあるが通常の容量ではほぼ影響しないと考えられている。 ;合併症 心疾患や糖尿病性神経障害はMIBGシンチに影響をおよぼす。しかし虚血性心疾患ではSPECT画像で局所的な低下は認められても一般的なプラナー正面像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。心不全では典型的には早期像に比べ後期像の強い低下が認められる、しかしNYHAⅠやⅡではプラナー正面像の早期像でレビー小体病で認められるような無集積は認められない。糖尿病では糖尿病性神経障害を合併しなければMIBG集積低下はなく、少なくともプラナー正面像で無集積になることはない。 == ガリウムシンチグラフィー == <sup>67</sup>Gaの炎症部位への集積機序ははっきりと解明されていない。炎症組織での血流増加、毛細血管の透過性亢進によるGaの運搬、細胞間質への結合など様々な機序が同時に関与していると推測されている<ref>[https://www.j-circ.or.jp/cms/wp-content/uploads/2020/02/JCS2016_terasaki_h.pdf 心臓サルコイドーシスの診療ガイドライン]</ref>。[[悪性リンパ腫]]や[[サルコイドーシス]]で用いられる。サルコイドーシスでは右上縦隔と両側肺門リンパ節集積によるラムダサインや両側耳下腺、両側涙腺の左右対称性の集積亢進をパンダサインといいサルコイドーシスに特徴的な所見と考えられている<ref>J Nucl Med. 1990 Dec;31(12):1909-14. {{PMID|2266386}}</ref><ref>Eur Respir J. 2013 Mar;41(3):743-51. {{PMID|23018903}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考文献 == *最新脳SPECT/PETの臨床 第3版 ISBN 9784758308496 *神経内科 vol.82 no.2 == 関連項目 == *[[放射線療法|核医学]] *[[放射線学]] *[[放射線診断学]] *[[ラジオアイソトープ検査]] *[[ポジトロン断層法|PET]] *[[放射線療法|放射線治療学]] *[[医用画像処理]] *[[ミルキング]] {{Medical-stub}} {{DEFAULTSORT:しんちくらふい}} [[Category:画像診断]] [[Category:放射線医学]]
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本能寺の変
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した事件である。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主の信忠も襲われ、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、やはり建物に火を放って自害した。信長と信忠の死によって織田政権は瓦解するが、光秀もまた6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れて命を落とした。事件は秀吉が台頭して豊臣政権を構築する契機となり、戦国乱世は終焉に向かった。 光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説がある(各説については変の要因を参照) 天正10年(1582年)3月11日に武田勝頼・信勝親子を天目山に追い詰めて自害させた織田信長は、3月27日、2日に名城・高遠城を攻略した信忠に、褒美と共に「天下支配の権も譲ろう」との言葉も贈って褒め称えた。信長は甲府より返礼に来た信忠を諏訪に残して軍勢を現地解散すると、僅かな供廻りだけをつれて甲斐から東海道に至る道を富士山麓を眺めながら悠々と帰国の途に就いた。 4月3日には新府城の焼け跡を見物。かつての敵、信玄の居館・躑躅ヶ崎館跡の上に建てられた仮御殿にしばらく滞在し、4月10日に甲府を出立した。長年の宿敵を倒し、立派な後継者の目途もついて、信長にとって大変満足な凱旋となった。 天下を展望すると、東北地方においては、伊達氏・最上氏・蘆名氏といった主な大名が信長に恭順する姿勢を見せていた。関東では、後北条氏がすでに天正8年(1580年)には同盟の傘下に入っていて、佐竹氏とも以前より外交関係があったので、東国で表だって信長に逆らうのは北陸の上杉氏を残すのみとなった。 北条氏政・氏直父子は共同で甲州へ出陣する約束をしていたが、戸倉城を攻略した後は何ら貢献できなかったので、3月21日に酒・白鳥徳利を、26日には諏訪に米俵千俵を献じ、4月2日には雉500羽、4日には馬13頭と鷹3羽と、短期間で立て続けに献上品を送って誼を厚くしようとした。しかし、この時の馬と鷹はどれも信長が気に入らずに返却されている。他方で、信長は長年の同盟者である徳川家康には駿河一国を贈り、これ対する返礼で、家康は領国を通過する信長一行を万全の配慮で接待して、下士に至るまで手厚くもてなしたので、信長を大いに感心させた。これら信長の同盟者はもはや次の標的とされるよりも、その威に服して従属するという姿勢を鮮明にしていた。 西に目を転じると、中国地方では、毛利輝元を惣領とする毛利氏との争いが続き、四国でも長宗我部元親が信長の指図を拒否したことから長宗我部氏と交戦状態に入った(詳細は後述)が、九州においては大友氏と信長は友好関係にあり、島津氏とも外交が持たれていて、前年6月には准三宮近衛前久を仲介者として両氏を和睦させたことで、島津義久より貢物を受けている。 信長は天正9年(1581年)8月13日、「信長自ら出陣し、東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、西国勢をことごとく討ち果たし、日本全国残るところなく信長の支配下に置く決意である」と、その意向を繰り返し表明していたが、上月城での攻防の際は重臣が反対し、鳥取城攻めの際には出陣の機会がなかった。その間に伊賀平定を終えて(高野山を除く)京都を中心とした畿内全域を完全に掌握したことから、次こそ第3次信長包囲網を打倒し、西国最大の大名である毛利氏を討つという意気込みを持っていた。 他方で信長は、天正6年(1578年)4月9日に右大臣・右近衛大将の官位を辞して以来、無官・散位のままであった。正親町天皇とは誠仁親王への譲位を巡って意見を異にし、天正9年3月に信長は譲位を条件として左大臣の受諾を一旦は了承したが、天皇が金神を理由に譲位を中止したことで、信長の任官の話もそのまま宙に浮いていたからである。そこで朝廷は、甲州征伐の戦勝を機に祝賀の勅使として勧修寺晴豊(誠仁親王の義兄)を下し、晴豊は信長が凱旋した2日後の天正10年4月23日に安土に到着した。『晴豊公記』によれば、4月25日に信長を太政大臣か関白か征夷大将軍かに推挙するという、いわゆる「三職推任」を打診し、5月4日には誠仁親王の親書を添えた2度目の勅使が訪問したと云う。2度の勅使に困惑した信長が、森成利(蘭丸)を晴豊のもとに遣わせて朝廷の意向を伺わせると、「信長を将軍に推任したいという勅使だ」と晴豊は答えた。しかし信長は、6日、7日と勅使を饗応したが、この件について返答をしなかった。そのうちに、5月17日に備中の羽柴秀吉より、毛利輝元が間もなく出陣する旨が知らされるとともに、信長への出馬要請が届いた。これを受けて、信長は出陣を決意し、三職推任の問題はうやむやのまま、本能寺で受難することになった。(続き) これより前、土佐統一を目指していた長宗我部元親は、信長に砂糖などを献上して所領を安堵された。信長は元親の嫡男弥三郎の烏帽子親になって信の字の偏諱を与えるなど友誼を厚くし、「四国の儀は元親手柄次第に切取候へ」と書かれた朱印状を出していた。信長も当時は阿波・讃岐・河内に勢力を張る三好一党や伊予の河野氏と結ぶ毛利氏と対峙しており、敵の背後を脅かす目的で長宗我部氏の伸長を促したのである。その際に取次役となったのが明智光秀であり、明智家重臣の斎藤利三の兄頼辰は、奉公衆石谷光政(空然)の婿養子で、光政のもう1人の娘が元親の正室(信親生母)であるという関係性にあった。 ところが、その後三好勢は凋落し、信長の脅威ではなくなった。天正3年(1575年)、河内の高屋城で籠城していた三好康長(笑岩)は、投降するとすぐに松井友閑を介して名器「三日月」を献上して信長に大変喜ばれ、一転して家臣として厚遇されるようになる。同じころに土佐を統一した長宗我部氏は、天正8年6月には砂糖三千斤を献じるなど信長に誼を通じる意思を示していた一方で、阿波・讃岐にまで大きく勢力を伸ばして、笑岩の子・康俊を降誘し、甥の十河存保を攻撃していて、信長の陪臣が攻められる状態ともなっていた。 笑岩は羽柴秀吉に接近して、その姉の子三好信吉を養嗣子に貰い受けることで、織田家の重臣である羽柴氏と誼を結んで長宗我部氏に対抗した。笑岩の本領である阿波美馬・三好の2郡が長宗我部氏に奪われると、天正9年、信長に旧領回復を訴えて織田家の方針が撤回されるように働きかけた。信長は三好勢と長宗我部氏の調停と称して、元親に阿波の占領地半分を返還するように通告したが、元親はこれを不服とした。 天正10年正月、信長は光秀を介して、長宗我部に土佐1国と南阿波2郡以外は返上せよという内容の新たな朱印状を出して従うように命じ、斎藤利三も石谷空然を通して説得を試みていたが、いずれも不調に終わる。この際、光秀は滅亡を避けるためにも信長の判断に従うようにと最後の説得を試みたが、元親の返答を待たずに、ついに信長は三男の神戸信孝を総大将とする四国征伐を命令し、本能寺の変の翌日に当たる6月3日、四国に渡ることになっていた。信長の四国政策の変更は、取次役としての明智光秀の面目を潰した。 早くも前年秋の段階で阿波・淡路での軍事活動を開始していた節のある笑岩は、2月9日に信長より四国出陣を命じられ、5月には織田勢の先鋒に任命されて勝瑞城に入った。三好勢が一宮城・夷山城を落すと、岩倉城に拠る康俊は再び寝返って織田側に呼応した。変の直前、三好勢は阿波半国の奪還に成功した状態で、目前に迫った信孝の出陣を待っていた。元親は利三との5月21日付けの書状で、一宮城・夷山城・畑山城からの撤退を了承するも土佐国の入口にあたる海部城・大西城については確保したいという意向を示し、阿波・讃岐から全面撤退せよと態度を硬化させた信長との間で瀬戸際外交が続けられていた。 全国平定の戦略が各地で着実に実を結びつつあったこの時期に、織田家の重臣に率いられた軍団は西国・四国・北陸・関東に出払っており、畿内に残って遊撃軍のような役割を果たしていた明智光秀の立場は、特殊なものとなっていたと現代の史家は考えている。 近畿地方の一円に政治的・軍事的基盤を持っていた光秀は、近江・丹波・山城に直属の家臣を抱え、さらに与力大名(組下大名)として、丹後宮津城の長岡藤孝・忠興親子、大和郡山城の筒井順慶、摂津有岡城の池田恒興、茨木城の中川清秀、高槻城の高山右近を従えていた。 高柳光寿は著書『明智光秀』の中で「光秀は師団長格になり、近畿軍の司令官、近畿の管領になったのである。近畿管領などという言葉はないが、上野厩橋へ入った滝川一益を関東管領というのを認めれば、この光秀を近畿管領といっても少しも差支えないであろう」と述べて、初めてそれを「近畿管領」と表現した。桑田忠親も(同時期の光秀を)「近畿管領とも称すべき地位に就くことになった」として同意している。津本陽は光秀の立場を「織田軍団の近畿軍管区司令官兼近衛師団長であり、CIA長官を兼務していた」と書いている。光秀は、領国である北近江・丹波、さらには与力として丹後、若狭、大和、摂津衆を従えて出陣するだけでなく、甲州征伐では信長の身辺警護を行い、すでに京都奉行の地位からは離れていたとしても公家を介して依然として朝廷とも交流を持っており、(諜報機関を兼ねる)京都所司代の村井春長軒(貞勝)と共に都の行政に関わり、二条御新造の建築でも奉行をするなど、多岐に渡る仕事をこなしていた。 天正9年の馬揃えで光秀が総括責任者を務めたのはこうした職務から必然であり、(この時、羽柴秀吉は不在であったが)織田軍団の中で信長に次ぐ「ナンバーツーのポスト」に就いたという自負も目覚めていたと、野望説論者の永井路子は考えている。しかも、特定の管轄を持たなかった重臣、滝川一益と丹羽長秀が、相次いで関東に派遣されたり、四国征伐の準備や家康の接待に忙殺されている状況においては、機動的に活動が可能だったのは「近畿管領」たる光秀ただ1人であった。後述するように動機については諸説あって判然とはしないが、僅かな供廻りで京に滞在する信長と信忠を襲う手段と機会が、光秀だけにあったのである。 本能寺の変が起こる直前までの織田家諸将および徳川家康の動向を以下にまとめる。 ※主な出典は『信長公記』、『史料綜覧』、『史籍集覧』 天正10年(1582年)5月14日、織田信長は(『兼見卿記』によれば)安土城に下向した長岡藤孝に命じ、明智光秀を在荘として軍務を解くから翌日に安土を訪れる予定の徳川家康の饗応役を務めるようにと指示した。そこで光秀は京・堺から珍物を沢山取り揃えて、15日より3日間、武田氏との戦いで長年労のあった徳川家康や、金2,000枚を献じて所領安堵された穴山梅雪らの一行をもてなした。 ところが、17日、備中高松城攻囲中の羽柴秀吉から、毛利輝元・小早川隆景・吉川元春の後詰が現れたので応援を要請するという旨の手紙が届いたため、信長は「今、安芸勢と間近く接したことは天が与えた好機である。自ら出陣して、中国の歴々を討ち果たし、九州まで一気に平定してしまおう」と決心して、堀秀政を使者として備中に派遣し、光秀とその与力衆(長岡藤孝・池田恒興・高山右近・中川清秀・塩川長満)には援軍の先陣を務めるように命じた。ただし『川角太閤記』では、単なる秀吉への援軍ではなく光秀の出陣の目的は毛利領国である伯耆・出雲に乱入して後方を撹乱することにあったとしている。ともかく、光秀は急遽17日中に居城坂本城に戻り、出陣の準備を始めた。 19日、信長は摠見寺で幸若太夫に舞をまわせ、家康、近衛前久、梅雪、楠長譜、長雲、松井友閑に披露させた。信長は大変に上機嫌で、舞が早く終わったので翌日の出し物だった能を今日やるようにと丹波田楽の梅若太夫に命じたが、見る見るうちに機嫌が悪くなり、不出来で見苦しいといって梅若太夫を厳しく叱責した。その後、幸若太夫に舞を再びまわせ、ようやく信長は機嫌を直したと云う。20日、家康の饗応役を新たに、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、菅屋長頼の4名に命じた。信長は家康に京・大坂・奈良・堺をゆるりと見物するように勧めたので、21日、家康と梅雪は京に出立し長谷川秀一が案内役として同行した。長秀と津田信澄は大坂に先に行って家康をもてなす準備をするよう命じられた。 同日、信長の嫡男信忠も上洛して、一門衆、母衣衆などを引き連れて妙覚寺に入った。信忠がこの時期に上洛した理由はよくわかっていないが、家康が大坂・堺へ向かうのに同行するためとも、弟神戸信孝の四国征伐軍の陣中見舞いをする予定で信長と一緒に淡路に行くつもりだったとも言う。いずれにしても、信忠はこの日から変の日まで妙覚寺に長逗留した。 26日、坂本城を発した光秀は、別の居城である丹波亀山城に移った。27日、光秀は亀山の北に位置する愛宕山に登って愛宕権現に参拝し、その日は参籠(宿泊)した。(『信長公記』によると)光秀は思うところあってか太郎坊の前で二度、三度とおみくじを引いたそうである。28日(異説では24日)、光秀は威徳院西坊で連歌の会(愛宕百韻)を催し、28日中に亀山に帰城した。(『川角太閤記』によると)山崎長門守と林亀之助が伝えたところによれば、光秀は翌29日に弓鉄砲の矢玉の入った長持などの百個の荷物を運ぶ輜重隊を西国へ先発させていたと云う。 29日、信長は安土城を留守居衆と御番衆に託すと、「戦陣の用意をして待機、命令あり次第出陣せよ」と命じて、供廻りを連れずに小姓衆のみを率いて上洛し、同日、京での定宿であった本能寺に入った。信長の上洛の理由もよくわかっていないが、勧修寺晴豊の『日々記』や信孝朱印状によると、実現はしなかったものの6月4日に堺から淡路へ訪れる予定であったと云い、このことから毛利攻めの中国出陣は早くとも5日以降であったと推測され、安土より38点の名器をわざわざ京に運ばせていたことから道具開きの茶会を開いて披露するのが直接的な目的だったと考えられる。博多の豪商島井宗室が所持する楢柴肩衝が目当てで、信長は何とかこれを譲らせようと思っていたとも言われるが、別の説によればそれはついでで、作暦大権(尾張暦採用問題)など朝廷と交渉するための上洛だったとも云う。 6月1日、信長は、近衛前久・信基父子、二条昭実、勧修寺晴豊、甘露寺経元などの公卿・僧侶ら40名を招き、本能寺で茶会を開いた。名物びらきの茶事が終わると酒宴となり、妙覚寺より信忠が来訪して信長・信忠親子は久しぶりに酒を飲み交わした。深夜になって信忠が帰った後も、信長は寂光寺にて本因坊算砂と鹿塩利賢の囲碁の対局を見て、しばらく後に就寝した。 本能寺は現在とは場所が異なり、東は西洞院大路、西は油小路通、南は四条坊門小路(現蛸薬師通)、北は六角通に囲まれた4町々(1町)の区画内にあって、東西約120メートル南北約120メートルという敷地に存在した。本能寺は天正8年(1580年)2月に本堂や周辺の改築が施された。堀の幅が約2メートルから4メートルで深さが約1メートルの堀、0.8メートルの石垣とその上の土居が周囲にあって、防御面にも配慮された城塞のような城構えを持っていたことが、平成19年(2007年)の本能寺跡の発掘調査でも確認されている。当時、敷地の東には(後年は暗渠となる)西洞院川があり、西洞院大路の路地とは接せずに土居が川まで迫り出していて、西洞院川は堀川のような役割を果たしていたようである。調査では本能寺の変と同時期のものと見られる大量の焼け瓦、土器、護岸の石垣を施した堀の遺構などが見つかっている。河内将芳は「信長が本能寺に、信忠が妙覚寺に、それぞれいることが判明しなければ、光秀は襲撃を決行しなかっただろう」という見解を述べているが、同じ京都二条には明智屋敷もあり、動静は把握されていたと考えられる。 6月1日、光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣した。(『川角太閤記』によれば)「京の森成利(蘭丸)より飛脚があって、中国出陣の準備ができたか陣容や家中の馬などを信長様が検分したいとのお達しだ」と物頭たちに説明して、午後4時ごろ(申の刻)より準備ができ次第、逐次出発した。亀山の東の柴野に到着して、斎藤利三に命じて1万3,000人を勢ぞろいさせたのは、午後6時ごろ(酉の刻)のことであった。 光秀はそこから1町半ほど離れた場所で軍議を開くと、明智秀満(弥平次)に重臣達を集めるように指示した。明智滝朗の『光秀行状記』によると、この場所は篠村八幡宮であったという伝承があるそうである。秀満、明智光忠(次右衛門)、利三、藤田行政(伝五)、溝尾茂朝が集まったところで、ここで初めて謀反のことが告げられ、光秀と重臣達は「信長を討果し天下の主となるべき調儀」を練った。また(『当代記』によれば)この5名には起請文を書かせ、人質を取ったということである。 亀山から西国への道は南の三草山を越えるのが当時は普通であったが、光秀は「老の山(老ノ坂)を上り、山崎を廻って摂津の地を進軍する」と兵に告げて軍を東に向かわせた。駒を早めて老ノ坂峠を越えると、沓掛で休息を許し、夜中に兵糧を使い、馬を休ませた。沓掛は京への道と西国への道の分岐点であったが(『川角太閤記』によれば)信長に注進する者が現れて密事が漏れないように、光秀は家臣天野源右衛門(安田国継)を呼び出し、先行して疑わしい者は斬れと命じた。夏で早朝から畑に瓜を作る農民がいたが、殺気立った武者が急ぎ来るのに驚いて逃げたので、天野はこれを追い回して20、30人斬り殺した。なお、大軍であるため別隊が京へ続くもう一つの山道、唐櫃越から四条街道を用いたという「明智越え」の伝承もある。 6月2日未明、桂川に到達すると、光秀は触をだして、馬の沓を切り捨てさせ、徒歩の足軽に新しく足半(あしなか)の草鞋に替えるように命じ、火縄を一尺五寸に切って火をつけ、五本ずつ火先を下にして掲げるように指示した。これは戦闘準備を意味した。 明智軍に従軍していた本城惣右衛門による『本城惣右衛門覚書』には「(家康が上洛していたので)いゑやすさまとばかり存候」という記述があり、家臣たちは御公儀様(信長)の命令で徳川家康を討ち取ると思っていたとされ、真の目的が知らされていなかったことを示している。ルイス・フロイスの『日本史』にも「或者は是れ或は信長の内命によりて、其の親類たる三河の君主(家康)を掩殺する為めではないかと、疑惑した」という記述があり、有無を言わせず、相手を知らせることなく兵を攻撃に向かわせたと書かれている。一方で『川角太閤記』では触で「今日よりして天下様に御成りなされ候」と狙いが信長であることを婉曲的に告げたとし、兵は「出世は手柄次第」と聞いて喜んだとしている。 なお、このときに光秀が「敵は本能寺にあり」と宣言したという話が有名であるが、これは江戸時代前期の元禄年間頃に成立した『明智軍記』にある「敵は四条本能寺・二条城にあり」や、寛永18年(1641年)に成立したとされる林羅山の『織田信長譜』で、大江山の出来事として「光秀曰敵在本能寺於是衆始知其有叛心(光秀曰く、敵は本能寺にあり。これを於いて衆はその叛心有るを知る)」という記述を出典として変化した俗説である。江戸時代後期の文政10年(1827年)に頼山陽が様々な歴史書から引用して書き上げた『日本外史』では、桂川を渡る際に「吾敵在本能寺矣(我が敵は本能寺に在り)」と述べたという記述になった。しかし同時代史料には光秀の言葉は一切残っていない。 桂川を越えた辺りで夜が明けた。先鋒の斎藤利三は、市中に入ると、町々の境にあった木戸を押し開け、潜り戸を過ぎるまでは幟や旗指物を付けないこと、本能寺の森・さいかちの木・竹藪を目印にして諸隊諸組で思い思いに分進して、目的地に急ぐように下知した。 6月2日曙(午前4時ごろ)、明智勢は本能寺を完全に包囲し終えた。寄手の人数に言及する史料は少ないが、『祖父物語』ではこれを3,000余騎としている。南門から突入した本城惣右衛門の回想によれば、寺内にはほとんど相手はおらず、門も開きっぱなしであったという。 『信長公記』によれば、信長や小姓衆はこの喧噪は最初下々の者の喧嘩だと思っていたが、しばらくすると明智勢は鬨の声を上げて、御殿に鉄砲を撃ち込んできた。信長は「さては謀反だな、誰のしわざか(こは謀反か。如何なる者の企てぞ)」と蘭丸に尋ねて物見に行かせたところ「明智の軍勢と見受けます(明智が者と見え申し候)」と報告するので、信長は「やむをえぬ(是非に及ばず)」と一言いったと云う。通説では、この言葉は、光秀の謀叛であると聞いた信長が、彼の性格や能力から脱出は不可能であろうと悟ったものと解釈されている。また異説であるが、『三河物語』では信長が「城之介がべつしんか」と尋ねてまず息子である信忠(秋田城介)の謀叛(別心)を疑ったということになって、蘭丸によって「あけちがべつしんと見へ申」と訂正されたことになっている。スペイン人貿易商アビラ・ヒロンが書いた『日本王国記』では、噂によると、信長は明智が包囲していることを知らされると、口に指をあてて、「余は余自ら死を招いたな」と言ったということである。 明智勢が四方より攻め込んできたので、御堂に詰めていた御番衆も御殿の小姓衆と合流して一団となって応戦した。矢代勝介(屋代勝助)ら4名は厩から敵勢に斬り込んだが討死し、厩では中間衆など24人が討死した。御殿では台所口で高橋虎松が奮戦してしばらく敵を食い止めたが、結局、24人が尽く討死した。湯浅直宗と小倉松寿は町内の宿舎から本能寺に駆け込み、両名とも斬り込んで討死にした。 信長は初め弓を持って戦ったが、どの弓もしばらくすると弦が切れたので、次に槍を取って敵を突き伏せて戦うも(右の)肘に槍傷を受けて内に退いた。信長はそれまで付き従っていた女房衆に「女はくるしからず、急罷出よ」と逃げるよう指示した。『当代記』によれば三度警告し、避難を促したと云う。すでに御殿には火がかけられていて、近くまで火の手が及んでいたが、信長は殿中の奥深くに篭り、内側から納戸を締めて切腹した。『信長公記』ではこの討ち入りが終わったのが午前8時(辰の刻)前とする。(続き) 近年、光秀は本能寺の現場には行かず、襲撃は部下に実行させていたとする学説が出てきた。光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見の日記に「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」と記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘され、果たして本能寺の変のときに光秀本人がどこにいたのかは、研究者の間でも議論されてきた。江戸時代前期の加賀藩の兵学者・関屋政春の著書『乙夜之書物(いつやのかきもの)』には、光秀の重臣・斎藤利三の三男で本能寺の変当時16歳で自らも変に関わった斎藤利宗が、甥で加賀藩士の井上清左衛門に語った内容が収録されているが、富山市郷土博物館主査学芸員の萩原大輔は同書を読解して、重臣の利三と秀満が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と光秀は寺から約8km南の鳥羽に控えていたとし、奥書(書き入れ)に政春が息子のために書き残したもので他人に見せることは厳禁と書かれていることなどから、萩原は信頼性が高い記述であると判断している。本郷和人は、光秀が本能寺に行かなかったことについて、「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話している。 一方、本能寺南側から僅か1街(約254メートル)離れた場所に南蛮寺(教会)があったので、イエズス会宣教師達がこれの一部始終を遠巻きに見ていた。彼らの証言を書き記したものが、天正11年の『イエズス会日本年報』にある。 この日、フランシスコ・カリオン司祭が早朝ミサの準備をしていると、キリシタン達が慌てて駆け込んできて、危ないから中止するように勧めた。その後、銃声がして、火の手が上がった。また別の者が駆け込んで来て、これは喧嘩などではなく明智が信長に叛いて包囲したものだという報せが届いた。本能寺では謀叛を予期していなかったので、明智の兵たちは怪しまれること無く難なく寺に侵入した。信長は起床して顔や手を清めていたところであったが、明智の兵は背後から弓矢を放って背中に命中させた。信長は矢を引き抜くと、薙刀という鎌のような武器を振り回して腕に銃弾が当たるまで奮戦したが、奥の部屋に入り、戸を閉じた。或人は、日本の大名にならい割腹して死んだと云い、或人は、御殿に放火して生きながら焼死したと云う。だが火事が大きかったので、どのように死んだかはわかっていない。いずれにしろ「諸人がその声ではなく、その名を聞いたのみで戦慄した人が、毛髪も残らず塵と灰に帰した」としめている。 戦後、明智勢は信長の遺体をしばらく探したが見つからなかった。光秀も不審に思って捕虜に色々と尋ねてみたが、結局、行方は分からずじまいだった。(『祖父物語』によれば)光秀が信長は脱出したのではないかと不安になって焦燥しているところ、これを見かねた斎藤利三が(光秀を安心させるために)合掌して火の手の上がる建物奥に入っていくのを見ましたと言ったので、光秀はようやく重い腰を上げて二条御新造の攻撃に向かった。 後世、光秀が信長と信忠の首を手に出来ずに生存説を否定できなかったために、本能寺の変以後、信長配下や同盟国の武将が明智光秀の天下取りの誘いに乗らなかったのであるという説がある。後の中国大返しの際に羽柴秀吉は多くの武将に対して「上様ならびに殿様いづれも御別儀なく御切り抜けなされ候。膳所が崎へ御退きなされ候」との虚報を伝え広めたが、数日間は近江近在でも信長生存の情報が錯綜し、光秀が山岡景隆のような小身の与力武将にすら協力を拒まれたところを見ると、それが明智勢に不利に働いたことは否めない。 日本の木造の大きな建物が焼け落ちた膨大な残骸の中からは、当時の調査能力では特定の人物の遺骸は見つけられなかったであろうと、未発見の原因を説明する指摘もある。『祖父物語』によれば、蘭丸は信長の遺骸の上に畳を5、6帖を覆いかぶせたと云い、前述の宣教師の話のように遺体が灰燼に帰してしまうことはあり得ることである。 また異説として、信長が帰依していたとする阿弥陀寺(上立売通大宮)の縁起がある。変が起きた時、大事を聞きつけた玉誉清玉上人は僧20名と共に本能寺に駆けつけたが、門壁で戦闘中であって近寄ることができなかった。しかし、裏道堀溝に案内する者があり、裏に回って生垣を破って寺内に入ったが、寺院にはすでに火がかけられ、信長も切腹したと聞いて落胆する。ところが墓の後ろの藪で10名あまりの武士が葉を集めて火をつけていたのを見つけ、彼らに信長のことを尋ねると、遺言で遺骸を敵に奪われて首を敵方に渡すことがないようにと指示されたが、四方を敵に囲まれて遺骸を運び出せそうにもないので、火葬にして隠してその後切腹しようとしているところだと答えた。上人はこれを聞いて生前の恩顧に報いる幸運である、火葬は出家の役目であるから信長の遺骸を渡してくれれば火葬して遺骨を寺に持ち帰り懇ろに弔って法要も欠かさないと約束すると言うと、武士は感謝してこれで表に出て敵を防ぎ心静かに切腹できると立ち去った。上人らは遺骸を荼毘に付して信長の遺灰を法衣に詰め、本能寺の僧衆が立ち退くのを装って運び出し、阿弥陀寺に持ち帰り、塔頭の僧だけで葬儀をして墓を築いたと云う。また二条御新造で亡くなった信忠についても、遺骨(と思しき骨)を上人が集めて信長の墓の傍に信忠の墓を作ったと云う。さら上人は光秀に掛け合って変で亡くなった全ての人々を阿弥陀寺に葬る許可を得たとしている。秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事領300石があてられたが、上人はこれを度々拒否したので、秀吉の逆鱗に触れ、大徳寺総見院を織田氏の宗廟としてしまったので、阿弥陀寺は廃れ無縁寺になったという。この縁起「信長公阿弥陀寺由緒之記録」は古い記録が焼けたため、享保16年に記憶を頼りに作り直したと称するもので史料価値は高くはないという説もあるが、この縁で阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存する。ただし阿弥陀寺と墓は天正15年に上京区鶴山町に移転している。 また別の異説として、作家安部龍太郎と歴史家山口稔によれば、西山本門寺(静岡県富士宮市)寺伝に本能寺の変の時に信長の供をしていた原宗安(志摩守)が本因坊算砂の指示で信長の首を寺に運んで供養したという記載があるという。 『崇福寺文書』によると、信長の側室の1人である小倉氏(お鍋の方)が、6月6日、美濃の崇福寺に信長・信忠の霊牌(霊代を祭る木札)を持ち込んだとあり、同寺にも織田信長公父子廟があるが(前述の非公認を除けば)最初の墓であった。 北北東に1.2キロ離れた場所にあった妙覚寺(旧地・上妙覚寺町)の信忠は、光秀謀反の報を受けて本能寺に救援に向かおうと出たが、村井貞勝(春長軒)ら父子3名が駆け付けて制止した。村井邸(三条京極・旧春長寺)は現在の本能寺門前にあったが、当時の本能寺は場所が異なるため、東に約1キロ離れた所にあった。前述のように本能寺は全周を水堀で囲まれて、特に西洞院川に遮られる東側からの接近は困難であり、四門を明智勢に囲まれた後では容易に入る事はできなかった。そこで彼らは二条通の方に向かって、妙覚寺に馳せ参じたのである。 (『信長公記』によれば)春長軒が「本能寺はもはや敗れ、御殿も焼け落ちました。敵は必ずこちらへも攻めてくるでしょう。二条の御新造は構えが堅固で、立て籠もるのによいでしょう(本能寺は早落去仕、御殿も焼落候、定而是へ取懸申すべく候間、二條新御所者、御構よく候、御楯籠然るべし)」と言うので、信忠はこれに従って隣の二条御新造(二条新御所)に移った。信忠は、二条御新造の主である東宮・誠仁親王と、若宮・和仁王(後の後陽成天皇)に、戦場となるからと言ってすぐに内裏へ脱出するように促した。春長軒が交渉して一時停戦し、明智勢は輿を使うのを禁止したが、徒歩での脱出を許可した。脱出したものの街頭で途方に暮れていた親王一家を心配し、町衆である連歌師里村紹巴が粗末な荷輿を持ってきて内裏へ運んだ。阿茶局や二宮、御付きの公卿衆や女官衆もすべて脱出したのを見届けた上で、信忠は軍議を始めた。側近の中には「退去なさいませ」と脱出して安土へ向かうことを進言する者もあったが、信忠は「これほどの謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい。雑兵の手にかかって死ぬのは、後々までの不名誉、無念である。ここで腹を切ろう(か様之謀叛によものがし候はじ、雑兵之手にかゝり候ては、後難無念也。ここに而腹を切るべし)」と神妙に言った。(『当代記』によれば)信忠が毛利良勝、福富秀勝、菅屋長頼と議論している間に、明智勢は御新造の包囲も終えて、脱出は不可能となった。 正午ごろ(午の刻)、明智勢1万が御新造に攻め寄せてきた。信忠の手勢は500名余で、さらにこれに在京の信長の馬廻衆が馳せ参じて1,000から1,500名ほどになっていた。信忠の手勢には、腕に覚えのある母衣衆が何名もおり、獅子奮迅の戦いを見せた。1時間以上戦い続け(『蓮成院記録』によると)信忠勢は門を開けて打って出て、三度まで寄手を撃退したほど奮戦した。小澤六郎三郎は町屋に寄宿していたが、信長がすでに自害したと聞き、周囲が止めるのも聞かずに急いで信忠の御座所に駆けつけて、明智勢を装って包囲網を潜り抜けると、信忠に挨拶をしてから門の防戦に加わった。梶原景久の子松千代は町屋で病で伏せていたが、急を聞きつけて家人の又右衛門と共に御新造に駆けつけた。信忠は感激して長刀を授け、両名とも奮戦して討死した。明智勢は近衛前久邸の屋根に登って弓鉄砲で狙い打ったので、信忠側の死傷者が多くなり、戦う者が少なくなった。明智勢はついに屋内に突入して、建物に火を放った。 信忠は、切腹するから縁の板を外して遺骸は床下に隠せと指示し、鎌田新介に介錯を命じた。一門衆や近習、郎党は尽く枕を並べて討死しており、死体が散乱する状況で、火がさらに迫ってきたので、信忠は自刃し、鎌田は是非もなく首を打ち落して、指示に従って遺体を隠した。(『当代記』によれば)鎌田は自分は追腹をするべきだと思ったが、どうした事かついに切らずじまいだった。(御新造が焼け落ちたことで)信忠の遺体も「無常の煙」となった。 妙覚寺には、一門衆や赤母衣衆が多数滞在していた。彼らは信忠と共に二条御新造に移って上記のように奮戦したが、衆寡敵せず、斎藤利治(新五)を中心に福富秀勝・菅屋長頼・猪子兵助・団忠正らが火を放ちよく防いでいる間に信忠は自刃した。側近たちもそれぞれ討ち死を遂げた。『南北山城軍記』には「班久勇武記するに遑あらず且諸記に明らけし、終に忠志を全ふして天正十壬午六月二日未刻、京師二条城中において潔く討死して、君恩を泉下に報じ、武名を日域に輝かせり」とある。 家人も忠義を尽くした。安藤守就の家臣に松野平介と云うものがあり、安藤が追放された時に松野だけは信長によって召し抱えられたために大恩があったが、変の起こったときに遠方にいて妙顕寺に着いたときにはすべてが終わっていた。松野は斎藤利三の知り合いで明智家に出仕するように誘われたが、主人の危機に際して遅参した上に敵に降参するのは無念であると言って、信長の後を追って自害した。土方次郎兵衛というものも、同じく変に間に合わなかったことを無念に思って、追腹をして果てた。 ※1 本能寺では上記以外に、中間衆24名が死亡したという。 ※2 松野一忠と土方次郎兵衛は変後に追腹をした。 ※3 『信長公記』には見られないが、『祖父物語』にある。鷹匠頭と云う。 ※4 岡部以言(又右衛門) と岡部以俊にはこのとき本能寺で戦死したという説がある。 本能寺に滞在していた女性たちは、信長に「女どもは苦しからず。さあ」として脱出を促されたほか、誠仁親王と側近の公家衆や女衆も織田・明智両勢の協議により脱出を許されており、寺には僧侶などもいたため、かなりの数の生存者がいた。多くの家臣が戦って討ち死した一方で、一部の家臣には逃げ出した者もいた。 信長の弟・織田長益(源五、後の有楽斎)は、妙覚寺に滞在していて、信忠に従って二条御新造に籠もったが、臣たちを欺いて脱出し、難を逃れたという。『武家事紀』によると、長益も下人に薪を積ませて自決の準備をさせていたが、周囲に敵兵がいないのに気付いて、ここで死ぬのは犬死と思い脱出したと云う。『当代記』には「織田源五被遁出ケリ、時人令悪」とあり、長益の脱出を当時の人は悪しき行いであると批判したといい、『義残後覚』では、長益が信忠にとにかく早く自害するようにと勧めたとされており、200余の郎党の多くも討死したのに対して、当の長益は自害せずに逃げ出したことを「哀れ」とする。さらに京童が嘲笑って、「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて われは安土へ逃げるゝ源五 六月二日に大水出て 織田の源なる名を流す」と不名誉を皮肉った落首が流れたとしている。長益は無事に安土城を経て岐阜へと逃れた。 また刈谷城主の水野忠重(宗兵衛)も、長益同様に信忠に従って妙覚寺から二条御新造に移ったが、難を逃れて、しばらく京都に潜伏位した後、脱出している。『三河物語』によれば、長益だけでなく、山内康豊(一豊の弟)も狭間をくぐって脱出したと云う。 前田玄以も、京都から脱出して岐阜に逃れ、遺命に従って(岐阜城にいた)信忠の子三法師を守って、さらに清須に退いた。 また、二条御新造の戦闘では、黒人の家臣・弥助も戦ったと云う。弥助はもともと、宣教師との謁見の際に信長の要望で献上された黒人の奴隷であるが、弥助は捕虜となった後も殺されずに生き延びた。しかしその後の消息は不明である。 古典史料・古典作品には下記の本能寺の変に関係したよく知られた逸話が登場する。これらは後節で述べる諸説の根拠とされるが、史料の大半が江戸時代以降に書かれているために、全てについて信憑性に問題があり、幾つかは完全な創作と判断されている。以下、内容と共に信憑性についても説明する。 『祖父物語(朝日物語)』『川角太閤記』に見られる逸話で、甲州征伐を終えた後に諏訪で「我らが苦労した甲斐があった」と祝賀を述べた光秀に対して、「おのれは何の功があったか」と信長が激怒し、光秀の頭を欄干に打ち付けて侮辱した。衆人の前で恥をかかされた光秀は血相を変えたと云う。 『祖父物語』は伝聞形式の軍記物で、比較的古い寛永年間ごろに書かれた。いわゆる、巷説を集めたもので信憑性は玉石混淆であって、登場する逸話の信憑性の判断は難しい。『信長公記』には3月19日に諏訪法花寺を本陣としたという記録があって符合する点もあり、後述のルイス・フロイスの書簡などにも信長が光秀を殴打したという話があるため、荒唐無稽の作り話と否定できないが、元和年間(元和7年から9年ごろ)の『川角太閤記』の記述を『祖父物語』が加筆して膨らませたという説もあり、内容には疑問が残る。いずれにしても二次、三次的な史料である。ただしこの逸話は、光秀が朝廷工作を行って正親町天皇から「東夷武田を討て」との武田討伐の大義名分となる勅命を拝領したという功績を、信長が価値のないものとして踏み躙ったわけであるから、怨恨説の根拠の1つとしてよく引用されてきた。 明智光秀が徳川家康の饗応役を命じられながらも、その手際の悪さから突然解任されたとする話が『川角太閤記』にある。織田信長は検分するために光秀邸を訪れたが、一歩門を入ると魚肉の腐った臭いが鼻を付いたので、怒ってそのまま台所に向かって行き、「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えた。赤恥をかいた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ棄て、その悪臭が安土の町にふきちらされたと云う。 『常山紀談』にも「東照宮御上京の時、光秀に馳走の事を命ぜらる。種々饗禮の設しけるに、信長鷹野の時立寄り見て、肉の臭しけるを、草鞋にて踏み散らされけり。光秀又新に用意しける處に、備中へ出陣せよと、下知せられしかば、光秀忍び兼ねて叛きしと云へり」とある。 『川角太閤記』は太閤秀吉の伝記ではあるが、史料としても一定の価値があると見なされた時期があり、この話は江戸・明治時代には史実と捉えられていて、怨恨説の根拠の1つとされた。同記では光秀が決起の理由を、信長に大身に取り立ててもらった恩はあるが、3月3日の節句に大名高家の前で岐阜で恥をかかされ、諏訪で折檻され、饗応役を解任されて面目を失ったという3つの遺恨が我慢ならないので、(家臣賛同が得られなくても)本能寺に1人でも乱入して討入り、腹切る覚悟だと述べている。これに対して、明智秀満が進み出て、もはや秘密に出来ず「一旦口にした以上、決行するしかない」という趣旨の意見を表明し、続いて斎藤利三、溝尾勝兵衛が打ち明けられた信頼に感謝して「明日より上様と呼ばれるようになるでしょう」と賛同したという話となっているのである。 しかし、上記の文章内でも言及されている『信長公記(信長紀)』には、そもそも家康の宿舎は光秀邸でも秀政邸でもなく大宝坊という別の屋敷で、光秀は饗応役を3日間務めたと違う話が書かれており、解任の話は見られない。これは『川角太閤記』における光秀が謀反をした理由の核心部分であり、こういった事実がないということになれば信憑性を失う。むしろ怨恨説を説明する逸話として後世創作され、付け足された物語ではないかと考えられ、小和田哲男は、解任された可能性がないわけではないとしつつも、光秀の不手際による解任ではなく最初から3日間の任務であり、ここから光秀が信長に恨みを抱くという必然性は見いだせないとする。また江戸中期の元文年間に書かれた『常山紀談』に関しては、出典の異なる多数の逸話を雑然と(しかもやや改変して)一つにまとめて載せたという二次、三次史料であり、信憑性はそもそも期待できない。 『明智軍記』に、信長の出陣命令を受けて居城に戻る際に光秀のもとに上使として青山輿三が訪れ、「(まだ敵の所領である)出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」と伝えたという話があり、それを聞いた光秀主従が怒り落胆して謀反を決断したと云う。 この話は怨恨説の有力な根拠と江戸時代はされていたが、『明智軍記』は軍記物であってもともと信憑性が薄く、徳富蘇峰は「之は立派な小説である」と断じ、小和田も「事実だったとは思えない」と言っている。国替えについては史料的根拠も残っていない。現代の歴史学者はたとえそれが事実であったと仮定しても、所領の宛行(あてがい)はよくあったことで、この場合は形式的にも栄転・加増であって、家を追われるような類のものではなく、恨みを抱くような主旨のものではなかったと考えている。小和田は山陰という場所が「近畿管領」からの左遷にあたると思った可能性があるのではないかと秀吉ライバル視説に通じると推測するものの、「理不尽な行為とうけとるのは間違っている」とも指摘する。しかも転封先の出雲には出雲大社、石見には石見銀山があり銀山という経済基盤を手に入れる事ができるなら左遷ではなく栄転の可能性もあるとされる。 『信長公記』にも、亀山城出陣を前にして愛宕権現に参籠した光秀が翌日、威徳院西坊で連歌の会を催したとある。この連歌は「愛宕百韻」あるいは「明智光秀張行百韻」として有名であるが、光秀の発句「ときは今 天が下知る 五月哉」の意味は、通説では、「とき(時)」は源氏の流れをくむ土岐氏の一族である光秀自身を示し、「天が下知る」は「天(あめ)が下(した)治る(しる)」であり、すなわち「今こそ、土岐氏の人間である私が天下を治める時である」という大望を示したものと解釈される。光秀の心情を吐露したものとして、野望説の根拠の1つとされる。『改正三河後風土記』では、光秀は連歌会の卒爾に本能寺の堀の深さを問うと云い、もう一泊した際に同宿した里村紹巴によれば、光秀は終夜熟睡せず嘆息ばかりしていて紹巴に訝しげられて佳句を案じていると答えたと云うが、これはすでに信長が本能寺に投宿するのを予想して謀反を思案していたのではないかとした。 『常山紀談』にも「天正10年5月28日、光秀愛宕山の西坊にて百韻の連歌しける。ときは今あめが下しる五月かな 光秀。水上(みなかみ)まさる庭のなつ山 西坊。花おつる流れの末をせきとめて 紹巴。明智土岐姓なれば、時と土岐を読みを通わせてハ天下を取るの意を含めり」とある。秀吉は光秀を討取った後、連歌を聞いて怒って、紹巴を呼んで問い詰めたが、紹巴は発句は「天が下なる」であり「天が下しる」は訂正されたものであると涙を流して詭弁を言ったので、秀吉は許したと云う。 百韻は神前奉納されて写本記録も多く史料の信憑性も高いが、一方で連歌の解釈については異論が幾つかある。そもそもこれは連歌であり、上の句と下の句を別の人が詠み、さらに次の人と百句繋げていくというものであって、その一部に過ぎない句を取り出して解釈することに対する批判が早くからあった。桑田忠親は「とき=時=土岐」と解釈するのは「後世の何びとかのこじつけ」で明智氏の本姓土岐であることが有名になったのはこのこじつけ発であるとした。明智憲三郎は句は「天が下なる」の誤記であり、「今は五月雨が降りしきる五月である」という捻りの無いそのままの意味であったと主張する。 他方で、津田勇は『歴史群像』誌上「愛宕百韻に隠された光秀の暗号―打倒信長の密勅はやはりあった」で、連歌がの古典の一節を踏まえて詠まれたものであると指摘。発句と脇句は『延慶本平家物語』の一文を、次の紹巴は『源氏物語花散里』の一文を、その他にも『太平記』『増鏡』など多く読み込まれている作意は、朝敵や平氏を討ち源氏を台頭させるという寓意が込められているとし、(発句の通説解釈は間違いかもしれないが)百韻は連衆の一致した意見として織田信長を討つという趣旨で、通説の構図は間違っていないと主張する。これらは全体としては朝廷守護説や源平交代説などに通じるものである。また立花京子は、「まつ山」ではなく「夏山」である場合であるが、脇句が細川幽斎が以前に詠んだ句との類似を指摘している。 『総見記』『絵本太閤記』『常山紀談』などに在る話。天正7年(1569年)6月、光秀は自身の母親を人質として出し、丹波八上城主波多野秀治・秀尚兄弟や従者11人を、本目の城(神尾山城か)での酒宴に誘って、彼らを伏兵で生け捕りにして安土に移送したが、秀治はこの時の戦傷がもとで死に、秀尚以下全員は信長の命令で磔にされた。激怒した八上城の家臣は光秀の母親を磔にして殺害したと云うもの。 光秀天正七年六月、修験者を遣して、丹波の波多野右衛門大夫秀治が許に、光秀が母を質に出し謀りければ、秀治其弟遠江守秀尚、共に本目の城に来りけるを、酒宴して饗し、兵を伏せ置きて、兄弟を始め従者十一人を生捕り、安土に遣しけり。秀治は伏兵と散々に戦ひし時、 この話は怨恨説のうちでも、とりわけ有名であるが、『総見記』や『柏崎物語』は、光秀の「調略」による波多野兄弟の誘降に関する記録を恣意的に解釈したもので、事実とはほど遠く、創作であり、信じるに足りない。 『信長公記』によると、長期の包囲により八上城内は飢餓状態に追い込まれ、草や木をも食用とし、最後には牛や馬を食べたが、ついに口にするものがなくなり、城外に出たところを包囲軍に切り捨てられたとされ、頃合を見計らって光秀は、調略をもって秀治を捕らえたとされる。この場合の調略は、秀治の家臣を誘降し、彼らの手で城主の波多野兄弟を捕らえさせ、降伏させたという説があるから、人質交換の余地など、全く見当たらない。戦況からして、八上城の落城は確実であったわけであるから、光秀としても、あえて母親を人質とする必要に迫られることはなかったのである。 文禄年間に書かれた雑話集『義残後覚』に、庚申待の際に小用で黙って退出しようとした光秀が、酔った信長から槍を首筋に突きつけられ「如何にきんか頭何とて立破るぞ」と凄まれる話がある。光秀は平謝りして許され、頭髪を乱して全身から冷や汗をかいた。これを発展させた話が『常山紀談』にあり、「又信長ある時、酒宴して七盃入り盃をもて光秀に強ひらるゝ。光秀思ひも寄らずと辞し申せば、信長脇差を抽き、此白刃を呑むべきか、酒を飲むべきか、と怒られしかば酒飲みてけり」と、これでは無理矢理飲まされたように加筆されている。似たような話が江戸後期の随筆『翁草』にも収録されているが、これらは共に信憑性は薄い。フロイスの『日本史』には信長自身が酒を飲まなかったとあり、信長が酒を嗜まなかったという話は同時代の医師ルイス・デ・アルメイダの書簡にも見られるので事実と考えられており、信長が酔って絡むといった話はそもそもあり得ないことだった。 『川角太閤記』などのある話。斎藤利三はもともと稲葉一鉄の被官(家来)であったが、故あって離れ、光秀のもとに身を寄せて家臣として高禄で召し仕えられたので、一鉄が信長に訴え、信長は利三を一鉄のもとへ返すよう命じた。光秀はこれを拒否して「畢竟は君公の恩に奉ぜんが為」といったが、信長は激怒して光秀の髷を掴んで引き摺りまわし、脇差に手までかけた。光秀は涙を流して憤怒に堪えたとする。 『常山紀談』では「其後稲葉伊予守家人を、明智多くの禄を与へ呼び出せしを、稲葉求むれ共戻さず。信長戻せと下知せられしをも肯はず。信長怒って明智が髪を捽み引き伏せて責めらるゝ。光秀國を賜り候へども、身の為に致すことなく、士を養ふを、第一とする由答へければ、信長怒りながらさて止みけり」とある。その他、『明智軍記』『柏崎物語』などにも同種の話があり、怨恨説の根拠の1つとされる。 『信長公記』に、天正10年(1582年)4月3日、甲州征伐で武田氏が滅亡した後に恵林寺(甲州市塩山)に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠が、織田元秀・長谷川与次・関長安・赤座永兼に命じて寺を焼き討ちさせた。僧150人が殺され、住職快川紹喜は身じろぎもせずに焼け死んだ。有名な「心頭滅却すれば火もまた涼し」は紹喜の辞世の句の下の句という。 以上が史実であったが、『絵本太閤記』等ではこれに加えて、光秀が強く反対し、制止しようとして信長の逆鱗に触れ、折檻してさらには手打ちにしようとしたと云う、これまで見てきたものと似たような展開とされている。しかし、そもそも焼討を命じたのは信忠であり、同日、信長は甲府にいた。他方で、快川紹喜は土岐氏の出身で、光秀も内心穏やかではなかったのではないかという説もあり、(光秀が制止したという創作は除いて)諸説の補強説明に利用されることがある。 信長が寂光寺にて観戦した算砂と利玄の対局は三コウが現れ無勝負で終わったが、その直後に信長が討ち取られたことから、三コウは不吉の前兆とされるようになった。この対局の棋譜は128手目まで残されているが、三コウが出現したところまでの手順は残っていない。128手目では白を持っていた算砂が勝勢であったとするのが長年の形勢判断であり、故に有利な算砂が三コウによる無勝負を受け入れる理由がないため、後世の創作であるとされてきた。2022年になり、プロ棋士の桑本晋平が残された棋譜を精査した結果、白の勝勢が決してはおらず、黒と白が最善を尽くした上でなお三コウへと至る手順が存在しうることを発表した。 本能寺の変は当時最大の権力者であった信長が死亡し、時代の大きな転換点となった事件であり、小和田哲男は戦国時代における最後の下剋上と評している。信長を討った光秀がその動機を明らかにした史料はなく、また光秀の重臣も短期間でほとんど討たれてしまったため、その動機が明らかにされることはなかった。更に光秀が送った手紙等も後難を恐れてほとんど隠蔽されてしまったため、本能寺の変の動機を示す資料は極めて限定されている。小和田は「日本史の謎」と表現している。「永遠のミステリー」といった表現が行われることもある。 明治以降、本能寺の変というテーマは何度も研究家に取り上げられ、通史の中で触れられてきた。東京帝国大学教官の田中義成、渡辺世祐、花見朔巳、牧野信之助などのほか、近世日本国民史の著者である徳富蘇峰も持論を述べている。しかし、織豊期・日本中世史の研究者が謀反の動機を究明する動きは一貫して低調であった。呉座勇一によれば、現在の日本史学会においては光秀が謀反を起こした理由は重要な研究テーマと見られておらず、日本中世史を専門とする大学教授が本能寺の変を主題とした単著は極めて少ない。呉座は該当する単著は藤田達生の『謎とき本能寺の変』ぐらいであろうとしているが、この本も信長権力の評価に重点が置かれている。本能寺の変の歴史的意義としては信長が死んだことと秀吉が台頭したことであり、光秀の動機が何であれ、黒幕がいたとしても後世の歴史に何の影響も与えておらず、日本中世史学会において光秀の動機や黒幕を探る議論は「キワモノ」であると見なされている。 在野史家の桐野作人はそのような学会での評価を踏まえた上で、本能寺の変の真相を究明することで織田権力内部における固有の矛盾の有り様や織田権力末期の実態を解明できるかもしれないとしている。 しかし、史料が存在しないということは、裏返すと個人の推理や憶測といった想像を働かせる余地が大きいということであり、中世史研究家ではない「素人」でも参入しやすい。このため、在野の研究家のみならず、専門の中世史研究家ではない小説家・作家といった多くの人々が自説を展開してきた。呉座はこれほど多くの説が乱立している日本史上の陰謀は他にないと評している。 なぜ光秀は信長を討ったのか。「これが定説だ」とか「通説になっている」というものは現在のところ存在しない。変の要因については、江戸時代から明治・大正を経て昭和40年代ごろまでの「主流中の主流」の考えは、野望説と怨恨説であった。「光秀にも天下を取りたいという野望があった」とする野望説は、謀反や反逆というものは下克上の戦国時代には当たり前の行為であったとするこのころの認識から容易く受け入れられ、古典史料に記述がある信長が光秀に加えた度重なる理不尽な行為こそが原因であったとする怨恨説と共に、史学会でも長らく揺らぐことはなかった。これは講談・軍記物など俗書が広く流布されていたことに加えて、前節著名な逸話で述べたように、二次、三次的な古典史料に対して考証的検証が不十分だったことに起因する。2説以外には、頼山陽が主張した自衛のために謀反を起こしたとする説など、受動的な動機を主張するものの総称である不安説(焦慮説/窮鼠説)もあったが、怨恨が恐怖に復讐が自衛に置き換わっただけで論拠に本質的な違いはなかった。 戦後には実証史学に基づく研究が進んだが、この分野で先鞭をつけた高柳光寿は野望説論者で、昭和33年(1958年)に著書『明智光秀』を発表してそれまで比較的有力視されてきた怨恨説の根拠を一つひとつ否定した。怨恨説論者である桑田忠親がこれに反論して、両氏は比較的良質な一次史料の考証に基づいた議論を戦わせたが、桑田は昭和48年(1973年)に同名の著書『明智光秀』を発表して、単純な怨恨説(私憤説)ではなく武道の面目を立てるために主君信長を謀殺したという論理で説を展開したので、それが近年には義憤説、多種多様な名分存在説に発展している。信長非道阻止説の小和田哲男もこの系譜に入る。また野望説は、変後の光秀の行動・計画の支離滅裂さが批判されたことから、天下を取りたいという動機を同じにしながらも事前の計画なく信長が無防備に本能寺にいることを見て発作的に変を起こしたという突発説(偶発説)という亜種に発展した。しかし考証的見地からの研究で判明したことは、結局、どの説にも十分な根拠がないということであり、それがどの説も未だに定説に至らない理由となっている。 野望説も怨恨説も不安説等も光秀が自らの意思で決起したことを前提とする光秀単独犯説(光秀主犯説)であったが、これとは全く異なる主張も現れた。作家八切止夫は、昭和42年(1967年)に著書『信長殺し、光秀ではない』を発表して主犯別在説(いわゆる、陰謀論の一種)の口火を切った。八切は「濃姫が斎藤利三と共謀して本能寺に兵を向けさせた。その際、四国侵攻準備中の織田軍をマカオ侵略と誤認した宣教師が、爆薬を投げ込んで信長を殺害したもの」で「光秀自身はまったく関与していない」と書き、光秀無罪という奇想天外な主張をしたので、歴史家には無視されたものの、史料の取捨選択と独自解釈について一石を投じるものとなった。 また、昭和43年(1968年)に岩沢愿彦が「本能寺の変拾遺 ―『日々記』所収天正十年夏記について」という論文を発表して勧修寺晴豊の『日々記』を活字で復刻したことをきっかけにして公家衆の日記の研究が進み、平成3年(1991年)に立花京子は『晴豊公記』の新解釈に基づく論文「信長への三職推任について」を、平成4年(1992年)には今谷明が著書『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』を発表して注目を集めた。平成ごろになって史学会では朝廷黒幕説(朝廷関与説)が脚光を浴びて、有力な説の1つのように見なされるようになった。従来より黒幕説は登場人物を自由に動かして“物語”を書きやすいことから作家に好まれたものであり、数えきれないほどの人物が黒幕として取り上げられていたが、そういった創作分野に史学が混ざったことで一層触発されて、現在も主犯存在説と黒幕存在説(共謀説)の2系統、そして複合説と呼ばれる複数の説を混ぜたものが増え続けている。平成21年(2009年)に明智憲三郎が発表した著書『本能寺の変 427年目の真実』は共謀説に分類される。 こうして光秀単独犯説が定番だったものが、光秀を背後で操る黒幕がいたとか、陰謀があったとか、共謀者がいたとかいう雑説が増えていくと、黒幕説(謀略説)には何の史料的根拠もなく空中楼閣に過ぎないという当然の反論や批判が登場した。平成18年(2006年)に鈴木眞哉と藤本正行は共著『信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』で黒幕など最初からいないとして、黒幕説には以下の共通する5つの問題があると指摘した。 藤本は平成22年(2010年)に発表した著書『本能寺の変―信長の油断・光秀の殺意』でも朝廷黒幕説を含めた各種の黒幕説を批判している。 また平成26年(2014年)の石谷(いしがい)家文書の公表によって、近年は四国征伐回避説(四国説)も着目されているが、この説の取り扱いについては後述する。 本能寺の変の謎については結局は肝心の動機がわからず定説が存在しないため、さまざまな諸説・空説が登場し、歴史家・作家だけでなく歴史愛好家も自らの主張を展開して、百家争鳴という現状であるが、平成6年(1994年)に歴史アナリスト後藤敦が別冊歴史読本(『完全検証信長襲殺 : 天正十年の一番長い日』)誌上で、これらの諸説を整理して大きく3つに分けてさらに50に細分化して分類した。下表はそれに別資料の8つ、その他を加えて59にまとめたものである。これらには一部が重複するあるいは複合する内容や同じことを別の表現で言っているものがあるために、それぞれが全く異なる説であるというわけではない。表の中身には研究と創作とが混ざっており、中には何ら史料的裏付けがなく、全くの憶測で説が提唱されている場合もあり、すべて同等に扱うのは適切ではないが、全体像を明らかにするために一覧として示した。 ※ 無罪説という分類もあるが、分類の都合上除き、本文中に記した。 明智光秀が自らの意思で決起して本能寺の変を起したという説の総称。単独犯行説や光秀主犯説、光秀単独謀反説など幾つか同義の言い方がある。 光秀が自らの意思で能動的に決起したという説の総称。 謀反は光秀の本意ではなく、何らかの理由があって止むを得ずに決起したという説の総称。 光秀が謀反を起こした理由を、野望や怨恨、恐怖といった感情面に求めるのではなく、信長を討つにはそれだけの大義名分があったとする説の総称。光秀が自ら決起したことを前提にして私的制裁(狭義の私憤説)を否定し、時には個人的な野心すらも否定する。大義名分が何であったか、大義(もしくは正義)の内容によって諸説が派生した。史料的論拠が不十分でも大義という論理に基づいた行動は説得力があるように見えるので歴史学者が好んで用いて、近年多くの説が発表されている。義憤説、理想相違説など様々な呼び方がある。 幾つかの説を組み合わせて、内容を取捨選択、補完して説を形成しているものの総称。説として史料的に論証されたものは存在しない。そもそも根拠が示されていないものも多く、論証することは余り考慮されていない。幾つかの状況証拠の点と線を結び付けて説を構成するのに便利なために作家・歴史愛好家が良く用いる。 主犯存在説(主犯別在説)は、実行者や主犯となるべき人物が光秀以外の他の別人であるという説の総称。無罪説とも言う。 従犯存在説は、光秀を主犯にあるいは主犯を特定せずに、謀反を幇助した従犯の存在に着目して、本能寺の変の全像の一部を解説しようという説の総称。黒幕説を補完するだけのものもあるが、必ずしも黒幕説や陰謀論に与するものだけではなく、変の要因の背景に着目するものも含まれる。 信長を討ったのは光秀自身の意思ではなく、何らかの黒幕の存在を想定してその者の意向が背景にあったとする説の総称。黒幕を複数と想定するものは黒幕複数説に分類され、黒幕説、共謀説と云う。複合説も参照。 信長の朝廷政策については、従来より研究者の間で見解が分かれており、結論はでていない。本能寺の変と朝廷との関係についていろいろと憶測する説があるが、この結論がでないことには、前提が成り立つのかどうかすらはっきりしないということを意味する。 信長自らの行為が本能寺の変を直接招いたという説の総称。 平成17年(2005年)に作家円堂晃が著書に書いた説もこれに当たる。毛利氏との決戦を控えていたが毛利方はよくまとまり、亡命した足利義昭を擁して大義名分を持っていた。そのため、信長は状況打破のため征夷大将軍に任官および義昭の将軍解任を朝廷に求めていたが、朝廷はなかなか認めようとしなかった。そこで信長自身が光秀の軍勢を二条御新造に差し向けて、朝廷を威嚇して要求を強引に認めさせようとしたが、それを光秀に利用されて謀反を起こされたという説を唱えた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した事件である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "信長は寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主の信忠も襲われ、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、やはり建物に火を放って自害した。信長と信忠の死によって織田政権は瓦解するが、光秀もまた6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れて命を落とした。事件は秀吉が台頭して豊臣政権を構築する契機となり、戦国乱世は終焉に向かった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説がある(各説については変の要因を参照)", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)3月11日に武田勝頼・信勝親子を天目山に追い詰めて自害させた織田信長は、3月27日、2日に名城・高遠城を攻略した信忠に、褒美と共に「天下支配の権も譲ろう」との言葉も贈って褒め称えた。信長は甲府より返礼に来た信忠を諏訪に残して軍勢を現地解散すると、僅かな供廻りだけをつれて甲斐から東海道に至る道を富士山麓を眺めながら悠々と帰国の途に就いた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "4月3日には新府城の焼け跡を見物。かつての敵、信玄の居館・躑躅ヶ崎館跡の上に建てられた仮御殿にしばらく滞在し、4月10日に甲府を出立した。長年の宿敵を倒し、立派な後継者の目途もついて、信長にとって大変満足な凱旋となった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "天下を展望すると、東北地方においては、伊達氏・最上氏・蘆名氏といった主な大名が信長に恭順する姿勢を見せていた。関東では、後北条氏がすでに天正8年(1580年)には同盟の傘下に入っていて、佐竹氏とも以前より外交関係があったので、東国で表だって信長に逆らうのは北陸の上杉氏を残すのみとなった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "北条氏政・氏直父子は共同で甲州へ出陣する約束をしていたが、戸倉城を攻略した後は何ら貢献できなかったので、3月21日に酒・白鳥徳利を、26日には諏訪に米俵千俵を献じ、4月2日には雉500羽、4日には馬13頭と鷹3羽と、短期間で立て続けに献上品を送って誼を厚くしようとした。しかし、この時の馬と鷹はどれも信長が気に入らずに返却されている。他方で、信長は長年の同盟者である徳川家康には駿河一国を贈り、これ対する返礼で、家康は領国を通過する信長一行を万全の配慮で接待して、下士に至るまで手厚くもてなしたので、信長を大いに感心させた。これら信長の同盟者はもはや次の標的とされるよりも、その威に服して従属するという姿勢を鮮明にしていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "西に目を転じると、中国地方では、毛利輝元を惣領とする毛利氏との争いが続き、四国でも長宗我部元親が信長の指図を拒否したことから長宗我部氏と交戦状態に入った(詳細は後述)が、九州においては大友氏と信長は友好関係にあり、島津氏とも外交が持たれていて、前年6月には准三宮近衛前久を仲介者として両氏を和睦させたことで、島津義久より貢物を受けている。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "信長は天正9年(1581年)8月13日、「信長自ら出陣し、東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、西国勢をことごとく討ち果たし、日本全国残るところなく信長の支配下に置く決意である」と、その意向を繰り返し表明していたが、上月城での攻防の際は重臣が反対し、鳥取城攻めの際には出陣の機会がなかった。その間に伊賀平定を終えて(高野山を除く)京都を中心とした畿内全域を完全に掌握したことから、次こそ第3次信長包囲網を打倒し、西国最大の大名である毛利氏を討つという意気込みを持っていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "他方で信長は、天正6年(1578年)4月9日に右大臣・右近衛大将の官位を辞して以来、無官・散位のままであった。正親町天皇とは誠仁親王への譲位を巡って意見を異にし、天正9年3月に信長は譲位を条件として左大臣の受諾を一旦は了承したが、天皇が金神を理由に譲位を中止したことで、信長の任官の話もそのまま宙に浮いていたからである。そこで朝廷は、甲州征伐の戦勝を機に祝賀の勅使として勧修寺晴豊(誠仁親王の義兄)を下し、晴豊は信長が凱旋した2日後の天正10年4月23日に安土に到着した。『晴豊公記』によれば、4月25日に信長を太政大臣か関白か征夷大将軍かに推挙するという、いわゆる「三職推任」を打診し、5月4日には誠仁親王の親書を添えた2度目の勅使が訪問したと云う。2度の勅使に困惑した信長が、森成利(蘭丸)を晴豊のもとに遣わせて朝廷の意向を伺わせると、「信長を将軍に推任したいという勅使だ」と晴豊は答えた。しかし信長は、6日、7日と勅使を饗応したが、この件について返答をしなかった。そのうちに、5月17日に備中の羽柴秀吉より、毛利輝元が間もなく出陣する旨が知らされるとともに、信長への出馬要請が届いた。これを受けて、信長は出陣を決意し、三職推任の問題はうやむやのまま、本能寺で受難することになった。(続き)", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "これより前、土佐統一を目指していた長宗我部元親は、信長に砂糖などを献上して所領を安堵された。信長は元親の嫡男弥三郎の烏帽子親になって信の字の偏諱を与えるなど友誼を厚くし、「四国の儀は元親手柄次第に切取候へ」と書かれた朱印状を出していた。信長も当時は阿波・讃岐・河内に勢力を張る三好一党や伊予の河野氏と結ぶ毛利氏と対峙しており、敵の背後を脅かす目的で長宗我部氏の伸長を促したのである。その際に取次役となったのが明智光秀であり、明智家重臣の斎藤利三の兄頼辰は、奉公衆石谷光政(空然)の婿養子で、光政のもう1人の娘が元親の正室(信親生母)であるという関係性にあった。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ところが、その後三好勢は凋落し、信長の脅威ではなくなった。天正3年(1575年)、河内の高屋城で籠城していた三好康長(笑岩)は、投降するとすぐに松井友閑を介して名器「三日月」を献上して信長に大変喜ばれ、一転して家臣として厚遇されるようになる。同じころに土佐を統一した長宗我部氏は、天正8年6月には砂糖三千斤を献じるなど信長に誼を通じる意思を示していた一方で、阿波・讃岐にまで大きく勢力を伸ばして、笑岩の子・康俊を降誘し、甥の十河存保を攻撃していて、信長の陪臣が攻められる状態ともなっていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "笑岩は羽柴秀吉に接近して、その姉の子三好信吉を養嗣子に貰い受けることで、織田家の重臣である羽柴氏と誼を結んで長宗我部氏に対抗した。笑岩の本領である阿波美馬・三好の2郡が長宗我部氏に奪われると、天正9年、信長に旧領回復を訴えて織田家の方針が撤回されるように働きかけた。信長は三好勢と長宗我部氏の調停と称して、元親に阿波の占領地半分を返還するように通告したが、元親はこれを不服とした。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "天正10年正月、信長は光秀を介して、長宗我部に土佐1国と南阿波2郡以外は返上せよという内容の新たな朱印状を出して従うように命じ、斎藤利三も石谷空然を通して説得を試みていたが、いずれも不調に終わる。この際、光秀は滅亡を避けるためにも信長の判断に従うようにと最後の説得を試みたが、元親の返答を待たずに、ついに信長は三男の神戸信孝を総大将とする四国征伐を命令し、本能寺の変の翌日に当たる6月3日、四国に渡ることになっていた。信長の四国政策の変更は、取次役としての明智光秀の面目を潰した。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "早くも前年秋の段階で阿波・淡路での軍事活動を開始していた節のある笑岩は、2月9日に信長より四国出陣を命じられ、5月には織田勢の先鋒に任命されて勝瑞城に入った。三好勢が一宮城・夷山城を落すと、岩倉城に拠る康俊は再び寝返って織田側に呼応した。変の直前、三好勢は阿波半国の奪還に成功した状態で、目前に迫った信孝の出陣を待っていた。元親は利三との5月21日付けの書状で、一宮城・夷山城・畑山城からの撤退を了承するも土佐国の入口にあたる海部城・大西城については確保したいという意向を示し、阿波・讃岐から全面撤退せよと態度を硬化させた信長との間で瀬戸際外交が続けられていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "全国平定の戦略が各地で着実に実を結びつつあったこの時期に、織田家の重臣に率いられた軍団は西国・四国・北陸・関東に出払っており、畿内に残って遊撃軍のような役割を果たしていた明智光秀の立場は、特殊なものとなっていたと現代の史家は考えている。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "近畿地方の一円に政治的・軍事的基盤を持っていた光秀は、近江・丹波・山城に直属の家臣を抱え、さらに与力大名(組下大名)として、丹後宮津城の長岡藤孝・忠興親子、大和郡山城の筒井順慶、摂津有岡城の池田恒興、茨木城の中川清秀、高槻城の高山右近を従えていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "高柳光寿は著書『明智光秀』の中で「光秀は師団長格になり、近畿軍の司令官、近畿の管領になったのである。近畿管領などという言葉はないが、上野厩橋へ入った滝川一益を関東管領というのを認めれば、この光秀を近畿管領といっても少しも差支えないであろう」と述べて、初めてそれを「近畿管領」と表現した。桑田忠親も(同時期の光秀を)「近畿管領とも称すべき地位に就くことになった」として同意している。津本陽は光秀の立場を「織田軍団の近畿軍管区司令官兼近衛師団長であり、CIA長官を兼務していた」と書いている。光秀は、領国である北近江・丹波、さらには与力として丹後、若狭、大和、摂津衆を従えて出陣するだけでなく、甲州征伐では信長の身辺警護を行い、すでに京都奉行の地位からは離れていたとしても公家を介して依然として朝廷とも交流を持っており、(諜報機関を兼ねる)京都所司代の村井春長軒(貞勝)と共に都の行政に関わり、二条御新造の建築でも奉行をするなど、多岐に渡る仕事をこなしていた。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "天正9年の馬揃えで光秀が総括責任者を務めたのはこうした職務から必然であり、(この時、羽柴秀吉は不在であったが)織田軍団の中で信長に次ぐ「ナンバーツーのポスト」に就いたという自負も目覚めていたと、野望説論者の永井路子は考えている。しかも、特定の管轄を持たなかった重臣、滝川一益と丹羽長秀が、相次いで関東に派遣されたり、四国征伐の準備や家康の接待に忙殺されている状況においては、機動的に活動が可能だったのは「近畿管領」たる光秀ただ1人であった。後述するように動機については諸説あって判然とはしないが、僅かな供廻りで京に滞在する信長と信忠を襲う手段と機会が、光秀だけにあったのである。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "本能寺の変が起こる直前までの織田家諸将および徳川家康の動向を以下にまとめる。", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "※主な出典は『信長公記』、『史料綜覧』、『史籍集覧』", "title": "背景" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "天正10年(1582年)5月14日、織田信長は(『兼見卿記』によれば)安土城に下向した長岡藤孝に命じ、明智光秀を在荘として軍務を解くから翌日に安土を訪れる予定の徳川家康の饗応役を務めるようにと指示した。そこで光秀は京・堺から珍物を沢山取り揃えて、15日より3日間、武田氏との戦いで長年労のあった徳川家康や、金2,000枚を献じて所領安堵された穴山梅雪らの一行をもてなした。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ところが、17日、備中高松城攻囲中の羽柴秀吉から、毛利輝元・小早川隆景・吉川元春の後詰が現れたので応援を要請するという旨の手紙が届いたため、信長は「今、安芸勢と間近く接したことは天が与えた好機である。自ら出陣して、中国の歴々を討ち果たし、九州まで一気に平定してしまおう」と決心して、堀秀政を使者として備中に派遣し、光秀とその与力衆(長岡藤孝・池田恒興・高山右近・中川清秀・塩川長満)には援軍の先陣を務めるように命じた。ただし『川角太閤記』では、単なる秀吉への援軍ではなく光秀の出陣の目的は毛利領国である伯耆・出雲に乱入して後方を撹乱することにあったとしている。ともかく、光秀は急遽17日中に居城坂本城に戻り、出陣の準備を始めた。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "19日、信長は摠見寺で幸若太夫に舞をまわせ、家康、近衛前久、梅雪、楠長譜、長雲、松井友閑に披露させた。信長は大変に上機嫌で、舞が早く終わったので翌日の出し物だった能を今日やるようにと丹波田楽の梅若太夫に命じたが、見る見るうちに機嫌が悪くなり、不出来で見苦しいといって梅若太夫を厳しく叱責した。その後、幸若太夫に舞を再びまわせ、ようやく信長は機嫌を直したと云う。20日、家康の饗応役を新たに、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、菅屋長頼の4名に命じた。信長は家康に京・大坂・奈良・堺をゆるりと見物するように勧めたので、21日、家康と梅雪は京に出立し長谷川秀一が案内役として同行した。長秀と津田信澄は大坂に先に行って家康をもてなす準備をするよう命じられた。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "同日、信長の嫡男信忠も上洛して、一門衆、母衣衆などを引き連れて妙覚寺に入った。信忠がこの時期に上洛した理由はよくわかっていないが、家康が大坂・堺へ向かうのに同行するためとも、弟神戸信孝の四国征伐軍の陣中見舞いをする予定で信長と一緒に淡路に行くつもりだったとも言う。いずれにしても、信忠はこの日から変の日まで妙覚寺に長逗留した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "26日、坂本城を発した光秀は、別の居城である丹波亀山城に移った。27日、光秀は亀山の北に位置する愛宕山に登って愛宕権現に参拝し、その日は参籠(宿泊)した。(『信長公記』によると)光秀は思うところあってか太郎坊の前で二度、三度とおみくじを引いたそうである。28日(異説では24日)、光秀は威徳院西坊で連歌の会(愛宕百韻)を催し、28日中に亀山に帰城した。(『川角太閤記』によると)山崎長門守と林亀之助が伝えたところによれば、光秀は翌29日に弓鉄砲の矢玉の入った長持などの百個の荷物を運ぶ輜重隊を西国へ先発させていたと云う。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "29日、信長は安土城を留守居衆と御番衆に託すと、「戦陣の用意をして待機、命令あり次第出陣せよ」と命じて、供廻りを連れずに小姓衆のみを率いて上洛し、同日、京での定宿であった本能寺に入った。信長の上洛の理由もよくわかっていないが、勧修寺晴豊の『日々記』や信孝朱印状によると、実現はしなかったものの6月4日に堺から淡路へ訪れる予定であったと云い、このことから毛利攻めの中国出陣は早くとも5日以降であったと推測され、安土より38点の名器をわざわざ京に運ばせていたことから道具開きの茶会を開いて披露するのが直接的な目的だったと考えられる。博多の豪商島井宗室が所持する楢柴肩衝が目当てで、信長は何とかこれを譲らせようと思っていたとも言われるが、別の説によればそれはついでで、作暦大権(尾張暦採用問題)など朝廷と交渉するための上洛だったとも云う。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "6月1日、信長は、近衛前久・信基父子、二条昭実、勧修寺晴豊、甘露寺経元などの公卿・僧侶ら40名を招き、本能寺で茶会を開いた。名物びらきの茶事が終わると酒宴となり、妙覚寺より信忠が来訪して信長・信忠親子は久しぶりに酒を飲み交わした。深夜になって信忠が帰った後も、信長は寂光寺にて本因坊算砂と鹿塩利賢の囲碁の対局を見て、しばらく後に就寝した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "本能寺は現在とは場所が異なり、東は西洞院大路、西は油小路通、南は四条坊門小路(現蛸薬師通)、北は六角通に囲まれた4町々(1町)の区画内にあって、東西約120メートル南北約120メートルという敷地に存在した。本能寺は天正8年(1580年)2月に本堂や周辺の改築が施された。堀の幅が約2メートルから4メートルで深さが約1メートルの堀、0.8メートルの石垣とその上の土居が周囲にあって、防御面にも配慮された城塞のような城構えを持っていたことが、平成19年(2007年)の本能寺跡の発掘調査でも確認されている。当時、敷地の東には(後年は暗渠となる)西洞院川があり、西洞院大路の路地とは接せずに土居が川まで迫り出していて、西洞院川は堀川のような役割を果たしていたようである。調査では本能寺の変と同時期のものと見られる大量の焼け瓦、土器、護岸の石垣を施した堀の遺構などが見つかっている。河内将芳は「信長が本能寺に、信忠が妙覚寺に、それぞれいることが判明しなければ、光秀は襲撃を決行しなかっただろう」という見解を述べているが、同じ京都二条には明智屋敷もあり、動静は把握されていたと考えられる。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "6月1日、光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣した。(『川角太閤記』によれば)「京の森成利(蘭丸)より飛脚があって、中国出陣の準備ができたか陣容や家中の馬などを信長様が検分したいとのお達しだ」と物頭たちに説明して、午後4時ごろ(申の刻)より準備ができ次第、逐次出発した。亀山の東の柴野に到着して、斎藤利三に命じて1万3,000人を勢ぞろいさせたのは、午後6時ごろ(酉の刻)のことであった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "光秀はそこから1町半ほど離れた場所で軍議を開くと、明智秀満(弥平次)に重臣達を集めるように指示した。明智滝朗の『光秀行状記』によると、この場所は篠村八幡宮であったという伝承があるそうである。秀満、明智光忠(次右衛門)、利三、藤田行政(伝五)、溝尾茂朝が集まったところで、ここで初めて謀反のことが告げられ、光秀と重臣達は「信長を討果し天下の主となるべき調儀」を練った。また(『当代記』によれば)この5名には起請文を書かせ、人質を取ったということである。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "亀山から西国への道は南の三草山を越えるのが当時は普通であったが、光秀は「老の山(老ノ坂)を上り、山崎を廻って摂津の地を進軍する」と兵に告げて軍を東に向かわせた。駒を早めて老ノ坂峠を越えると、沓掛で休息を許し、夜中に兵糧を使い、馬を休ませた。沓掛は京への道と西国への道の分岐点であったが(『川角太閤記』によれば)信長に注進する者が現れて密事が漏れないように、光秀は家臣天野源右衛門(安田国継)を呼び出し、先行して疑わしい者は斬れと命じた。夏で早朝から畑に瓜を作る農民がいたが、殺気立った武者が急ぎ来るのに驚いて逃げたので、天野はこれを追い回して20、30人斬り殺した。なお、大軍であるため別隊が京へ続くもう一つの山道、唐櫃越から四条街道を用いたという「明智越え」の伝承もある。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "6月2日未明、桂川に到達すると、光秀は触をだして、馬の沓を切り捨てさせ、徒歩の足軽に新しく足半(あしなか)の草鞋に替えるように命じ、火縄を一尺五寸に切って火をつけ、五本ずつ火先を下にして掲げるように指示した。これは戦闘準備を意味した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "明智軍に従軍していた本城惣右衛門による『本城惣右衛門覚書』には「(家康が上洛していたので)いゑやすさまとばかり存候」という記述があり、家臣たちは御公儀様(信長)の命令で徳川家康を討ち取ると思っていたとされ、真の目的が知らされていなかったことを示している。ルイス・フロイスの『日本史』にも「或者は是れ或は信長の内命によりて、其の親類たる三河の君主(家康)を掩殺する為めではないかと、疑惑した」という記述があり、有無を言わせず、相手を知らせることなく兵を攻撃に向かわせたと書かれている。一方で『川角太閤記』では触で「今日よりして天下様に御成りなされ候」と狙いが信長であることを婉曲的に告げたとし、兵は「出世は手柄次第」と聞いて喜んだとしている。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "なお、このときに光秀が「敵は本能寺にあり」と宣言したという話が有名であるが、これは江戸時代前期の元禄年間頃に成立した『明智軍記』にある「敵は四条本能寺・二条城にあり」や、寛永18年(1641年)に成立したとされる林羅山の『織田信長譜』で、大江山の出来事として「光秀曰敵在本能寺於是衆始知其有叛心(光秀曰く、敵は本能寺にあり。これを於いて衆はその叛心有るを知る)」という記述を出典として変化した俗説である。江戸時代後期の文政10年(1827年)に頼山陽が様々な歴史書から引用して書き上げた『日本外史』では、桂川を渡る際に「吾敵在本能寺矣(我が敵は本能寺に在り)」と述べたという記述になった。しかし同時代史料には光秀の言葉は一切残っていない。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "桂川を越えた辺りで夜が明けた。先鋒の斎藤利三は、市中に入ると、町々の境にあった木戸を押し開け、潜り戸を過ぎるまでは幟や旗指物を付けないこと、本能寺の森・さいかちの木・竹藪を目印にして諸隊諸組で思い思いに分進して、目的地に急ぐように下知した。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "6月2日曙(午前4時ごろ)、明智勢は本能寺を完全に包囲し終えた。寄手の人数に言及する史料は少ないが、『祖父物語』ではこれを3,000余騎としている。南門から突入した本城惣右衛門の回想によれば、寺内にはほとんど相手はおらず、門も開きっぱなしであったという。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "『信長公記』によれば、信長や小姓衆はこの喧噪は最初下々の者の喧嘩だと思っていたが、しばらくすると明智勢は鬨の声を上げて、御殿に鉄砲を撃ち込んできた。信長は「さては謀反だな、誰のしわざか(こは謀反か。如何なる者の企てぞ)」と蘭丸に尋ねて物見に行かせたところ「明智の軍勢と見受けます(明智が者と見え申し候)」と報告するので、信長は「やむをえぬ(是非に及ばず)」と一言いったと云う。通説では、この言葉は、光秀の謀叛であると聞いた信長が、彼の性格や能力から脱出は不可能であろうと悟ったものと解釈されている。また異説であるが、『三河物語』では信長が「城之介がべつしんか」と尋ねてまず息子である信忠(秋田城介)の謀叛(別心)を疑ったということになって、蘭丸によって「あけちがべつしんと見へ申」と訂正されたことになっている。スペイン人貿易商アビラ・ヒロンが書いた『日本王国記』では、噂によると、信長は明智が包囲していることを知らされると、口に指をあてて、「余は余自ら死を招いたな」と言ったということである。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "明智勢が四方より攻め込んできたので、御堂に詰めていた御番衆も御殿の小姓衆と合流して一団となって応戦した。矢代勝介(屋代勝助)ら4名は厩から敵勢に斬り込んだが討死し、厩では中間衆など24人が討死した。御殿では台所口で高橋虎松が奮戦してしばらく敵を食い止めたが、結局、24人が尽く討死した。湯浅直宗と小倉松寿は町内の宿舎から本能寺に駆け込み、両名とも斬り込んで討死にした。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "信長は初め弓を持って戦ったが、どの弓もしばらくすると弦が切れたので、次に槍を取って敵を突き伏せて戦うも(右の)肘に槍傷を受けて内に退いた。信長はそれまで付き従っていた女房衆に「女はくるしからず、急罷出よ」と逃げるよう指示した。『当代記』によれば三度警告し、避難を促したと云う。すでに御殿には火がかけられていて、近くまで火の手が及んでいたが、信長は殿中の奥深くに篭り、内側から納戸を締めて切腹した。『信長公記』ではこの討ち入りが終わったのが午前8時(辰の刻)前とする。(続き)", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "近年、光秀は本能寺の現場には行かず、襲撃は部下に実行させていたとする学説が出てきた。光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見の日記に「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」と記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘され、果たして本能寺の変のときに光秀本人がどこにいたのかは、研究者の間でも議論されてきた。江戸時代前期の加賀藩の兵学者・関屋政春の著書『乙夜之書物(いつやのかきもの)』には、光秀の重臣・斎藤利三の三男で本能寺の変当時16歳で自らも変に関わった斎藤利宗が、甥で加賀藩士の井上清左衛門に語った内容が収録されているが、富山市郷土博物館主査学芸員の萩原大輔は同書を読解して、重臣の利三と秀満が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と光秀は寺から約8km南の鳥羽に控えていたとし、奥書(書き入れ)に政春が息子のために書き残したもので他人に見せることは厳禁と書かれていることなどから、萩原は信頼性が高い記述であると判断している。本郷和人は、光秀が本能寺に行かなかったことについて、「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話している。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "一方、本能寺南側から僅か1街(約254メートル)離れた場所に南蛮寺(教会)があったので、イエズス会宣教師達がこれの一部始終を遠巻きに見ていた。彼らの証言を書き記したものが、天正11年の『イエズス会日本年報』にある。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "この日、フランシスコ・カリオン司祭が早朝ミサの準備をしていると、キリシタン達が慌てて駆け込んできて、危ないから中止するように勧めた。その後、銃声がして、火の手が上がった。また別の者が駆け込んで来て、これは喧嘩などではなく明智が信長に叛いて包囲したものだという報せが届いた。本能寺では謀叛を予期していなかったので、明智の兵たちは怪しまれること無く難なく寺に侵入した。信長は起床して顔や手を清めていたところであったが、明智の兵は背後から弓矢を放って背中に命中させた。信長は矢を引き抜くと、薙刀という鎌のような武器を振り回して腕に銃弾が当たるまで奮戦したが、奥の部屋に入り、戸を閉じた。或人は、日本の大名にならい割腹して死んだと云い、或人は、御殿に放火して生きながら焼死したと云う。だが火事が大きかったので、どのように死んだかはわかっていない。いずれにしろ「諸人がその声ではなく、その名を聞いたのみで戦慄した人が、毛髪も残らず塵と灰に帰した」としめている。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "戦後、明智勢は信長の遺体をしばらく探したが見つからなかった。光秀も不審に思って捕虜に色々と尋ねてみたが、結局、行方は分からずじまいだった。(『祖父物語』によれば)光秀が信長は脱出したのではないかと不安になって焦燥しているところ、これを見かねた斎藤利三が(光秀を安心させるために)合掌して火の手の上がる建物奥に入っていくのを見ましたと言ったので、光秀はようやく重い腰を上げて二条御新造の攻撃に向かった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "後世、光秀が信長と信忠の首を手に出来ずに生存説を否定できなかったために、本能寺の変以後、信長配下や同盟国の武将が明智光秀の天下取りの誘いに乗らなかったのであるという説がある。後の中国大返しの際に羽柴秀吉は多くの武将に対して「上様ならびに殿様いづれも御別儀なく御切り抜けなされ候。膳所が崎へ御退きなされ候」との虚報を伝え広めたが、数日間は近江近在でも信長生存の情報が錯綜し、光秀が山岡景隆のような小身の与力武将にすら協力を拒まれたところを見ると、それが明智勢に不利に働いたことは否めない。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本の木造の大きな建物が焼け落ちた膨大な残骸の中からは、当時の調査能力では特定の人物の遺骸は見つけられなかったであろうと、未発見の原因を説明する指摘もある。『祖父物語』によれば、蘭丸は信長の遺骸の上に畳を5、6帖を覆いかぶせたと云い、前述の宣教師の話のように遺体が灰燼に帰してしまうことはあり得ることである。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "また異説として、信長が帰依していたとする阿弥陀寺(上立売通大宮)の縁起がある。変が起きた時、大事を聞きつけた玉誉清玉上人は僧20名と共に本能寺に駆けつけたが、門壁で戦闘中であって近寄ることができなかった。しかし、裏道堀溝に案内する者があり、裏に回って生垣を破って寺内に入ったが、寺院にはすでに火がかけられ、信長も切腹したと聞いて落胆する。ところが墓の後ろの藪で10名あまりの武士が葉を集めて火をつけていたのを見つけ、彼らに信長のことを尋ねると、遺言で遺骸を敵に奪われて首を敵方に渡すことがないようにと指示されたが、四方を敵に囲まれて遺骸を運び出せそうにもないので、火葬にして隠してその後切腹しようとしているところだと答えた。上人はこれを聞いて生前の恩顧に報いる幸運である、火葬は出家の役目であるから信長の遺骸を渡してくれれば火葬して遺骨を寺に持ち帰り懇ろに弔って法要も欠かさないと約束すると言うと、武士は感謝してこれで表に出て敵を防ぎ心静かに切腹できると立ち去った。上人らは遺骸を荼毘に付して信長の遺灰を法衣に詰め、本能寺の僧衆が立ち退くのを装って運び出し、阿弥陀寺に持ち帰り、塔頭の僧だけで葬儀をして墓を築いたと云う。また二条御新造で亡くなった信忠についても、遺骨(と思しき骨)を上人が集めて信長の墓の傍に信忠の墓を作ったと云う。さら上人は光秀に掛け合って変で亡くなった全ての人々を阿弥陀寺に葬る許可を得たとしている。秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事領300石があてられたが、上人はこれを度々拒否したので、秀吉の逆鱗に触れ、大徳寺総見院を織田氏の宗廟としてしまったので、阿弥陀寺は廃れ無縁寺になったという。この縁起「信長公阿弥陀寺由緒之記録」は古い記録が焼けたため、享保16年に記憶を頼りに作り直したと称するもので史料価値は高くはないという説もあるが、この縁で阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存する。ただし阿弥陀寺と墓は天正15年に上京区鶴山町に移転している。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "また別の異説として、作家安部龍太郎と歴史家山口稔によれば、西山本門寺(静岡県富士宮市)寺伝に本能寺の変の時に信長の供をしていた原宗安(志摩守)が本因坊算砂の指示で信長の首を寺に運んで供養したという記載があるという。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "『崇福寺文書』によると、信長の側室の1人である小倉氏(お鍋の方)が、6月6日、美濃の崇福寺に信長・信忠の霊牌(霊代を祭る木札)を持ち込んだとあり、同寺にも織田信長公父子廟があるが(前述の非公認を除けば)最初の墓であった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "北北東に1.2キロ離れた場所にあった妙覚寺(旧地・上妙覚寺町)の信忠は、光秀謀反の報を受けて本能寺に救援に向かおうと出たが、村井貞勝(春長軒)ら父子3名が駆け付けて制止した。村井邸(三条京極・旧春長寺)は現在の本能寺門前にあったが、当時の本能寺は場所が異なるため、東に約1キロ離れた所にあった。前述のように本能寺は全周を水堀で囲まれて、特に西洞院川に遮られる東側からの接近は困難であり、四門を明智勢に囲まれた後では容易に入る事はできなかった。そこで彼らは二条通の方に向かって、妙覚寺に馳せ参じたのである。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "(『信長公記』によれば)春長軒が「本能寺はもはや敗れ、御殿も焼け落ちました。敵は必ずこちらへも攻めてくるでしょう。二条の御新造は構えが堅固で、立て籠もるのによいでしょう(本能寺は早落去仕、御殿も焼落候、定而是へ取懸申すべく候間、二條新御所者、御構よく候、御楯籠然るべし)」と言うので、信忠はこれに従って隣の二条御新造(二条新御所)に移った。信忠は、二条御新造の主である東宮・誠仁親王と、若宮・和仁王(後の後陽成天皇)に、戦場となるからと言ってすぐに内裏へ脱出するように促した。春長軒が交渉して一時停戦し、明智勢は輿を使うのを禁止したが、徒歩での脱出を許可した。脱出したものの街頭で途方に暮れていた親王一家を心配し、町衆である連歌師里村紹巴が粗末な荷輿を持ってきて内裏へ運んだ。阿茶局や二宮、御付きの公卿衆や女官衆もすべて脱出したのを見届けた上で、信忠は軍議を始めた。側近の中には「退去なさいませ」と脱出して安土へ向かうことを進言する者もあったが、信忠は「これほどの謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい。雑兵の手にかかって死ぬのは、後々までの不名誉、無念である。ここで腹を切ろう(か様之謀叛によものがし候はじ、雑兵之手にかゝり候ては、後難無念也。ここに而腹を切るべし)」と神妙に言った。(『当代記』によれば)信忠が毛利良勝、福富秀勝、菅屋長頼と議論している間に、明智勢は御新造の包囲も終えて、脱出は不可能となった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "正午ごろ(午の刻)、明智勢1万が御新造に攻め寄せてきた。信忠の手勢は500名余で、さらにこれに在京の信長の馬廻衆が馳せ参じて1,000から1,500名ほどになっていた。信忠の手勢には、腕に覚えのある母衣衆が何名もおり、獅子奮迅の戦いを見せた。1時間以上戦い続け(『蓮成院記録』によると)信忠勢は門を開けて打って出て、三度まで寄手を撃退したほど奮戦した。小澤六郎三郎は町屋に寄宿していたが、信長がすでに自害したと聞き、周囲が止めるのも聞かずに急いで信忠の御座所に駆けつけて、明智勢を装って包囲網を潜り抜けると、信忠に挨拶をしてから門の防戦に加わった。梶原景久の子松千代は町屋で病で伏せていたが、急を聞きつけて家人の又右衛門と共に御新造に駆けつけた。信忠は感激して長刀を授け、両名とも奮戦して討死した。明智勢は近衛前久邸の屋根に登って弓鉄砲で狙い打ったので、信忠側の死傷者が多くなり、戦う者が少なくなった。明智勢はついに屋内に突入して、建物に火を放った。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "信忠は、切腹するから縁の板を外して遺骸は床下に隠せと指示し、鎌田新介に介錯を命じた。一門衆や近習、郎党は尽く枕を並べて討死しており、死体が散乱する状況で、火がさらに迫ってきたので、信忠は自刃し、鎌田は是非もなく首を打ち落して、指示に従って遺体を隠した。(『当代記』によれば)鎌田は自分は追腹をするべきだと思ったが、どうした事かついに切らずじまいだった。(御新造が焼け落ちたことで)信忠の遺体も「無常の煙」となった。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "妙覚寺には、一門衆や赤母衣衆が多数滞在していた。彼らは信忠と共に二条御新造に移って上記のように奮戦したが、衆寡敵せず、斎藤利治(新五)を中心に福富秀勝・菅屋長頼・猪子兵助・団忠正らが火を放ちよく防いでいる間に信忠は自刃した。側近たちもそれぞれ討ち死を遂げた。『南北山城軍記』には「班久勇武記するに遑あらず且諸記に明らけし、終に忠志を全ふして天正十壬午六月二日未刻、京師二条城中において潔く討死して、君恩を泉下に報じ、武名を日域に輝かせり」とある。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "家人も忠義を尽くした。安藤守就の家臣に松野平介と云うものがあり、安藤が追放された時に松野だけは信長によって召し抱えられたために大恩があったが、変の起こったときに遠方にいて妙顕寺に着いたときにはすべてが終わっていた。松野は斎藤利三の知り合いで明智家に出仕するように誘われたが、主人の危機に際して遅参した上に敵に降参するのは無念であると言って、信長の後を追って自害した。土方次郎兵衛というものも、同じく変に間に合わなかったことを無念に思って、追腹をして果てた。", "title": "経緯" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "", "title": "討死、自害した人物" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "※1 本能寺では上記以外に、中間衆24名が死亡したという。 ※2 松野一忠と土方次郎兵衛は変後に追腹をした。 ※3 『信長公記』には見られないが、『祖父物語』にある。鷹匠頭と云う。 ※4 岡部以言(又右衛門) と岡部以俊にはこのとき本能寺で戦死したという説がある。", "title": "討死、自害した人物" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "本能寺に滞在していた女性たちは、信長に「女どもは苦しからず。さあ」として脱出を促されたほか、誠仁親王と側近の公家衆や女衆も織田・明智両勢の協議により脱出を許されており、寺には僧侶などもいたため、かなりの数の生存者がいた。多くの家臣が戦って討ち死した一方で、一部の家臣には逃げ出した者もいた。", "title": "生存者" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "信長の弟・織田長益(源五、後の有楽斎)は、妙覚寺に滞在していて、信忠に従って二条御新造に籠もったが、臣たちを欺いて脱出し、難を逃れたという。『武家事紀』によると、長益も下人に薪を積ませて自決の準備をさせていたが、周囲に敵兵がいないのに気付いて、ここで死ぬのは犬死と思い脱出したと云う。『当代記』には「織田源五被遁出ケリ、時人令悪」とあり、長益の脱出を当時の人は悪しき行いであると批判したといい、『義残後覚』では、長益が信忠にとにかく早く自害するようにと勧めたとされており、200余の郎党の多くも討死したのに対して、当の長益は自害せずに逃げ出したことを「哀れ」とする。さらに京童が嘲笑って、「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて われは安土へ逃げるゝ源五 六月二日に大水出て 織田の源なる名を流す」と不名誉を皮肉った落首が流れたとしている。長益は無事に安土城を経て岐阜へと逃れた。", "title": "生存者" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また刈谷城主の水野忠重(宗兵衛)も、長益同様に信忠に従って妙覚寺から二条御新造に移ったが、難を逃れて、しばらく京都に潜伏位した後、脱出している。『三河物語』によれば、長益だけでなく、山内康豊(一豊の弟)も狭間をくぐって脱出したと云う。", "title": "生存者" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "前田玄以も、京都から脱出して岐阜に逃れ、遺命に従って(岐阜城にいた)信忠の子三法師を守って、さらに清須に退いた。", "title": "生存者" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "また、二条御新造の戦闘では、黒人の家臣・弥助も戦ったと云う。弥助はもともと、宣教師との謁見の際に信長の要望で献上された黒人の奴隷であるが、弥助は捕虜となった後も殺されずに生き延びた。しかしその後の消息は不明である。", "title": "生存者" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "古典史料・古典作品には下記の本能寺の変に関係したよく知られた逸話が登場する。これらは後節で述べる諸説の根拠とされるが、史料の大半が江戸時代以降に書かれているために、全てについて信憑性に問題があり、幾つかは完全な創作と判断されている。以下、内容と共に信憑性についても説明する。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "『祖父物語(朝日物語)』『川角太閤記』に見られる逸話で、甲州征伐を終えた後に諏訪で「我らが苦労した甲斐があった」と祝賀を述べた光秀に対して、「おのれは何の功があったか」と信長が激怒し、光秀の頭を欄干に打ち付けて侮辱した。衆人の前で恥をかかされた光秀は血相を変えたと云う。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "『祖父物語』は伝聞形式の軍記物で、比較的古い寛永年間ごろに書かれた。いわゆる、巷説を集めたもので信憑性は玉石混淆であって、登場する逸話の信憑性の判断は難しい。『信長公記』には3月19日に諏訪法花寺を本陣としたという記録があって符合する点もあり、後述のルイス・フロイスの書簡などにも信長が光秀を殴打したという話があるため、荒唐無稽の作り話と否定できないが、元和年間(元和7年から9年ごろ)の『川角太閤記』の記述を『祖父物語』が加筆して膨らませたという説もあり、内容には疑問が残る。いずれにしても二次、三次的な史料である。ただしこの逸話は、光秀が朝廷工作を行って正親町天皇から「東夷武田を討て」との武田討伐の大義名分となる勅命を拝領したという功績を、信長が価値のないものとして踏み躙ったわけであるから、怨恨説の根拠の1つとしてよく引用されてきた。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "明智光秀が徳川家康の饗応役を命じられながらも、その手際の悪さから突然解任されたとする話が『川角太閤記』にある。織田信長は検分するために光秀邸を訪れたが、一歩門を入ると魚肉の腐った臭いが鼻を付いたので、怒ってそのまま台所に向かって行き、「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えた。赤恥をかいた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ棄て、その悪臭が安土の町にふきちらされたと云う。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "『常山紀談』にも「東照宮御上京の時、光秀に馳走の事を命ぜらる。種々饗禮の設しけるに、信長鷹野の時立寄り見て、肉の臭しけるを、草鞋にて踏み散らされけり。光秀又新に用意しける處に、備中へ出陣せよと、下知せられしかば、光秀忍び兼ねて叛きしと云へり」とある。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "『川角太閤記』は太閤秀吉の伝記ではあるが、史料としても一定の価値があると見なされた時期があり、この話は江戸・明治時代には史実と捉えられていて、怨恨説の根拠の1つとされた。同記では光秀が決起の理由を、信長に大身に取り立ててもらった恩はあるが、3月3日の節句に大名高家の前で岐阜で恥をかかされ、諏訪で折檻され、饗応役を解任されて面目を失ったという3つの遺恨が我慢ならないので、(家臣賛同が得られなくても)本能寺に1人でも乱入して討入り、腹切る覚悟だと述べている。これに対して、明智秀満が進み出て、もはや秘密に出来ず「一旦口にした以上、決行するしかない」という趣旨の意見を表明し、続いて斎藤利三、溝尾勝兵衛が打ち明けられた信頼に感謝して「明日より上様と呼ばれるようになるでしょう」と賛同したという話となっているのである。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "しかし、上記の文章内でも言及されている『信長公記(信長紀)』には、そもそも家康の宿舎は光秀邸でも秀政邸でもなく大宝坊という別の屋敷で、光秀は饗応役を3日間務めたと違う話が書かれており、解任の話は見られない。これは『川角太閤記』における光秀が謀反をした理由の核心部分であり、こういった事実がないということになれば信憑性を失う。むしろ怨恨説を説明する逸話として後世創作され、付け足された物語ではないかと考えられ、小和田哲男は、解任された可能性がないわけではないとしつつも、光秀の不手際による解任ではなく最初から3日間の任務であり、ここから光秀が信長に恨みを抱くという必然性は見いだせないとする。また江戸中期の元文年間に書かれた『常山紀談』に関しては、出典の異なる多数の逸話を雑然と(しかもやや改変して)一つにまとめて載せたという二次、三次史料であり、信憑性はそもそも期待できない。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "『明智軍記』に、信長の出陣命令を受けて居城に戻る際に光秀のもとに上使として青山輿三が訪れ、「(まだ敵の所領である)出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」と伝えたという話があり、それを聞いた光秀主従が怒り落胆して謀反を決断したと云う。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "この話は怨恨説の有力な根拠と江戸時代はされていたが、『明智軍記』は軍記物であってもともと信憑性が薄く、徳富蘇峰は「之は立派な小説である」と断じ、小和田も「事実だったとは思えない」と言っている。国替えについては史料的根拠も残っていない。現代の歴史学者はたとえそれが事実であったと仮定しても、所領の宛行(あてがい)はよくあったことで、この場合は形式的にも栄転・加増であって、家を追われるような類のものではなく、恨みを抱くような主旨のものではなかったと考えている。小和田は山陰という場所が「近畿管領」からの左遷にあたると思った可能性があるのではないかと秀吉ライバル視説に通じると推測するものの、「理不尽な行為とうけとるのは間違っている」とも指摘する。しかも転封先の出雲には出雲大社、石見には石見銀山があり銀山という経済基盤を手に入れる事ができるなら左遷ではなく栄転の可能性もあるとされる。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "『信長公記』にも、亀山城出陣を前にして愛宕権現に参籠した光秀が翌日、威徳院西坊で連歌の会を催したとある。この連歌は「愛宕百韻」あるいは「明智光秀張行百韻」として有名であるが、光秀の発句「ときは今 天が下知る 五月哉」の意味は、通説では、「とき(時)」は源氏の流れをくむ土岐氏の一族である光秀自身を示し、「天が下知る」は「天(あめ)が下(した)治る(しる)」であり、すなわち「今こそ、土岐氏の人間である私が天下を治める時である」という大望を示したものと解釈される。光秀の心情を吐露したものとして、野望説の根拠の1つとされる。『改正三河後風土記』では、光秀は連歌会の卒爾に本能寺の堀の深さを問うと云い、もう一泊した際に同宿した里村紹巴によれば、光秀は終夜熟睡せず嘆息ばかりしていて紹巴に訝しげられて佳句を案じていると答えたと云うが、これはすでに信長が本能寺に投宿するのを予想して謀反を思案していたのではないかとした。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "『常山紀談』にも「天正10年5月28日、光秀愛宕山の西坊にて百韻の連歌しける。ときは今あめが下しる五月かな 光秀。水上(みなかみ)まさる庭のなつ山 西坊。花おつる流れの末をせきとめて 紹巴。明智土岐姓なれば、時と土岐を読みを通わせてハ天下を取るの意を含めり」とある。秀吉は光秀を討取った後、連歌を聞いて怒って、紹巴を呼んで問い詰めたが、紹巴は発句は「天が下なる」であり「天が下しる」は訂正されたものであると涙を流して詭弁を言ったので、秀吉は許したと云う。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "百韻は神前奉納されて写本記録も多く史料の信憑性も高いが、一方で連歌の解釈については異論が幾つかある。そもそもこれは連歌であり、上の句と下の句を別の人が詠み、さらに次の人と百句繋げていくというものであって、その一部に過ぎない句を取り出して解釈することに対する批判が早くからあった。桑田忠親は「とき=時=土岐」と解釈するのは「後世の何びとかのこじつけ」で明智氏の本姓土岐であることが有名になったのはこのこじつけ発であるとした。明智憲三郎は句は「天が下なる」の誤記であり、「今は五月雨が降りしきる五月である」という捻りの無いそのままの意味であったと主張する。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "他方で、津田勇は『歴史群像』誌上「愛宕百韻に隠された光秀の暗号―打倒信長の密勅はやはりあった」で、連歌がの古典の一節を踏まえて詠まれたものであると指摘。発句と脇句は『延慶本平家物語』の一文を、次の紹巴は『源氏物語花散里』の一文を、その他にも『太平記』『増鏡』など多く読み込まれている作意は、朝敵や平氏を討ち源氏を台頭させるという寓意が込められているとし、(発句の通説解釈は間違いかもしれないが)百韻は連衆の一致した意見として織田信長を討つという趣旨で、通説の構図は間違っていないと主張する。これらは全体としては朝廷守護説や源平交代説などに通じるものである。また立花京子は、「まつ山」ではなく「夏山」である場合であるが、脇句が細川幽斎が以前に詠んだ句との類似を指摘している。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "『総見記』『絵本太閤記』『常山紀談』などに在る話。天正7年(1569年)6月、光秀は自身の母親を人質として出し、丹波八上城主波多野秀治・秀尚兄弟や従者11人を、本目の城(神尾山城か)での酒宴に誘って、彼らを伏兵で生け捕りにして安土に移送したが、秀治はこの時の戦傷がもとで死に、秀尚以下全員は信長の命令で磔にされた。激怒した八上城の家臣は光秀の母親を磔にして殺害したと云うもの。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "光秀天正七年六月、修験者を遣して、丹波の波多野右衛門大夫秀治が許に、光秀が母を質に出し謀りければ、秀治其弟遠江守秀尚、共に本目の城に来りけるを、酒宴して饗し、兵を伏せ置きて、兄弟を始め従者十一人を生捕り、安土に遣しけり。秀治は伏兵と散々に戦ひし時、", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "この話は怨恨説のうちでも、とりわけ有名であるが、『総見記』や『柏崎物語』は、光秀の「調略」による波多野兄弟の誘降に関する記録を恣意的に解釈したもので、事実とはほど遠く、創作であり、信じるに足りない。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "『信長公記』によると、長期の包囲により八上城内は飢餓状態に追い込まれ、草や木をも食用とし、最後には牛や馬を食べたが、ついに口にするものがなくなり、城外に出たところを包囲軍に切り捨てられたとされ、頃合を見計らって光秀は、調略をもって秀治を捕らえたとされる。この場合の調略は、秀治の家臣を誘降し、彼らの手で城主の波多野兄弟を捕らえさせ、降伏させたという説があるから、人質交換の余地など、全く見当たらない。戦況からして、八上城の落城は確実であったわけであるから、光秀としても、あえて母親を人質とする必要に迫られることはなかったのである。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "文禄年間に書かれた雑話集『義残後覚』に、庚申待の際に小用で黙って退出しようとした光秀が、酔った信長から槍を首筋に突きつけられ「如何にきんか頭何とて立破るぞ」と凄まれる話がある。光秀は平謝りして許され、頭髪を乱して全身から冷や汗をかいた。これを発展させた話が『常山紀談』にあり、「又信長ある時、酒宴して七盃入り盃をもて光秀に強ひらるゝ。光秀思ひも寄らずと辞し申せば、信長脇差を抽き、此白刃を呑むべきか、酒を飲むべきか、と怒られしかば酒飲みてけり」と、これでは無理矢理飲まされたように加筆されている。似たような話が江戸後期の随筆『翁草』にも収録されているが、これらは共に信憑性は薄い。フロイスの『日本史』には信長自身が酒を飲まなかったとあり、信長が酒を嗜まなかったという話は同時代の医師ルイス・デ・アルメイダの書簡にも見られるので事実と考えられており、信長が酔って絡むといった話はそもそもあり得ないことだった。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "『川角太閤記』などのある話。斎藤利三はもともと稲葉一鉄の被官(家来)であったが、故あって離れ、光秀のもとに身を寄せて家臣として高禄で召し仕えられたので、一鉄が信長に訴え、信長は利三を一鉄のもとへ返すよう命じた。光秀はこれを拒否して「畢竟は君公の恩に奉ぜんが為」といったが、信長は激怒して光秀の髷を掴んで引き摺りまわし、脇差に手までかけた。光秀は涙を流して憤怒に堪えたとする。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "『常山紀談』では「其後稲葉伊予守家人を、明智多くの禄を与へ呼び出せしを、稲葉求むれ共戻さず。信長戻せと下知せられしをも肯はず。信長怒って明智が髪を捽み引き伏せて責めらるゝ。光秀國を賜り候へども、身の為に致すことなく、士を養ふを、第一とする由答へければ、信長怒りながらさて止みけり」とある。その他、『明智軍記』『柏崎物語』などにも同種の話があり、怨恨説の根拠の1つとされる。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "『信長公記』に、天正10年(1582年)4月3日、甲州征伐で武田氏が滅亡した後に恵林寺(甲州市塩山)に逃げ込んだ佐々木次郎(六角義定)の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠が、織田元秀・長谷川与次・関長安・赤座永兼に命じて寺を焼き討ちさせた。僧150人が殺され、住職快川紹喜は身じろぎもせずに焼け死んだ。有名な「心頭滅却すれば火もまた涼し」は紹喜の辞世の句の下の句という。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "以上が史実であったが、『絵本太閤記』等ではこれに加えて、光秀が強く反対し、制止しようとして信長の逆鱗に触れ、折檻してさらには手打ちにしようとしたと云う、これまで見てきたものと似たような展開とされている。しかし、そもそも焼討を命じたのは信忠であり、同日、信長は甲府にいた。他方で、快川紹喜は土岐氏の出身で、光秀も内心穏やかではなかったのではないかという説もあり、(光秀が制止したという創作は除いて)諸説の補強説明に利用されることがある。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "信長が寂光寺にて観戦した算砂と利玄の対局は三コウが現れ無勝負で終わったが、その直後に信長が討ち取られたことから、三コウは不吉の前兆とされるようになった。この対局の棋譜は128手目まで残されているが、三コウが出現したところまでの手順は残っていない。128手目では白を持っていた算砂が勝勢であったとするのが長年の形勢判断であり、故に有利な算砂が三コウによる無勝負を受け入れる理由がないため、後世の創作であるとされてきた。2022年になり、プロ棋士の桑本晋平が残された棋譜を精査した結果、白の勝勢が決してはおらず、黒と白が最善を尽くした上でなお三コウへと至る手順が存在しうることを発表した。", "title": "著名な逸話" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "本能寺の変は当時最大の権力者であった信長が死亡し、時代の大きな転換点となった事件であり、小和田哲男は戦国時代における最後の下剋上と評している。信長を討った光秀がその動機を明らかにした史料はなく、また光秀の重臣も短期間でほとんど討たれてしまったため、その動機が明らかにされることはなかった。更に光秀が送った手紙等も後難を恐れてほとんど隠蔽されてしまったため、本能寺の変の動機を示す資料は極めて限定されている。小和田は「日本史の謎」と表現している。「永遠のミステリー」といった表現が行われることもある。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "明治以降、本能寺の変というテーマは何度も研究家に取り上げられ、通史の中で触れられてきた。東京帝国大学教官の田中義成、渡辺世祐、花見朔巳、牧野信之助などのほか、近世日本国民史の著者である徳富蘇峰も持論を述べている。しかし、織豊期・日本中世史の研究者が謀反の動機を究明する動きは一貫して低調であった。呉座勇一によれば、現在の日本史学会においては光秀が謀反を起こした理由は重要な研究テーマと見られておらず、日本中世史を専門とする大学教授が本能寺の変を主題とした単著は極めて少ない。呉座は該当する単著は藤田達生の『謎とき本能寺の変』ぐらいであろうとしているが、この本も信長権力の評価に重点が置かれている。本能寺の変の歴史的意義としては信長が死んだことと秀吉が台頭したことであり、光秀の動機が何であれ、黒幕がいたとしても後世の歴史に何の影響も与えておらず、日本中世史学会において光秀の動機や黒幕を探る議論は「キワモノ」であると見なされている。 在野史家の桐野作人はそのような学会での評価を踏まえた上で、本能寺の変の真相を究明することで織田権力内部における固有の矛盾の有り様や織田権力末期の実態を解明できるかもしれないとしている。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "しかし、史料が存在しないということは、裏返すと個人の推理や憶測といった想像を働かせる余地が大きいということであり、中世史研究家ではない「素人」でも参入しやすい。このため、在野の研究家のみならず、専門の中世史研究家ではない小説家・作家といった多くの人々が自説を展開してきた。呉座はこれほど多くの説が乱立している日本史上の陰謀は他にないと評している。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "なぜ光秀は信長を討ったのか。「これが定説だ」とか「通説になっている」というものは現在のところ存在しない。変の要因については、江戸時代から明治・大正を経て昭和40年代ごろまでの「主流中の主流」の考えは、野望説と怨恨説であった。「光秀にも天下を取りたいという野望があった」とする野望説は、謀反や反逆というものは下克上の戦国時代には当たり前の行為であったとするこのころの認識から容易く受け入れられ、古典史料に記述がある信長が光秀に加えた度重なる理不尽な行為こそが原因であったとする怨恨説と共に、史学会でも長らく揺らぐことはなかった。これは講談・軍記物など俗書が広く流布されていたことに加えて、前節著名な逸話で述べたように、二次、三次的な古典史料に対して考証的検証が不十分だったことに起因する。2説以外には、頼山陽が主張した自衛のために謀反を起こしたとする説など、受動的な動機を主張するものの総称である不安説(焦慮説/窮鼠説)もあったが、怨恨が恐怖に復讐が自衛に置き換わっただけで論拠に本質的な違いはなかった。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "戦後には実証史学に基づく研究が進んだが、この分野で先鞭をつけた高柳光寿は野望説論者で、昭和33年(1958年)に著書『明智光秀』を発表してそれまで比較的有力視されてきた怨恨説の根拠を一つひとつ否定した。怨恨説論者である桑田忠親がこれに反論して、両氏は比較的良質な一次史料の考証に基づいた議論を戦わせたが、桑田は昭和48年(1973年)に同名の著書『明智光秀』を発表して、単純な怨恨説(私憤説)ではなく武道の面目を立てるために主君信長を謀殺したという論理で説を展開したので、それが近年には義憤説、多種多様な名分存在説に発展している。信長非道阻止説の小和田哲男もこの系譜に入る。また野望説は、変後の光秀の行動・計画の支離滅裂さが批判されたことから、天下を取りたいという動機を同じにしながらも事前の計画なく信長が無防備に本能寺にいることを見て発作的に変を起こしたという突発説(偶発説)という亜種に発展した。しかし考証的見地からの研究で判明したことは、結局、どの説にも十分な根拠がないということであり、それがどの説も未だに定説に至らない理由となっている。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "野望説も怨恨説も不安説等も光秀が自らの意思で決起したことを前提とする光秀単独犯説(光秀主犯説)であったが、これとは全く異なる主張も現れた。作家八切止夫は、昭和42年(1967年)に著書『信長殺し、光秀ではない』を発表して主犯別在説(いわゆる、陰謀論の一種)の口火を切った。八切は「濃姫が斎藤利三と共謀して本能寺に兵を向けさせた。その際、四国侵攻準備中の織田軍をマカオ侵略と誤認した宣教師が、爆薬を投げ込んで信長を殺害したもの」で「光秀自身はまったく関与していない」と書き、光秀無罪という奇想天外な主張をしたので、歴史家には無視されたものの、史料の取捨選択と独自解釈について一石を投じるものとなった。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "また、昭和43年(1968年)に岩沢愿彦が「本能寺の変拾遺 ―『日々記』所収天正十年夏記について」という論文を発表して勧修寺晴豊の『日々記』を活字で復刻したことをきっかけにして公家衆の日記の研究が進み、平成3年(1991年)に立花京子は『晴豊公記』の新解釈に基づく論文「信長への三職推任について」を、平成4年(1992年)には今谷明が著書『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』を発表して注目を集めた。平成ごろになって史学会では朝廷黒幕説(朝廷関与説)が脚光を浴びて、有力な説の1つのように見なされるようになった。従来より黒幕説は登場人物を自由に動かして“物語”を書きやすいことから作家に好まれたものであり、数えきれないほどの人物が黒幕として取り上げられていたが、そういった創作分野に史学が混ざったことで一層触発されて、現在も主犯存在説と黒幕存在説(共謀説)の2系統、そして複合説と呼ばれる複数の説を混ぜたものが増え続けている。平成21年(2009年)に明智憲三郎が発表した著書『本能寺の変 427年目の真実』は共謀説に分類される。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "こうして光秀単独犯説が定番だったものが、光秀を背後で操る黒幕がいたとか、陰謀があったとか、共謀者がいたとかいう雑説が増えていくと、黒幕説(謀略説)には何の史料的根拠もなく空中楼閣に過ぎないという当然の反論や批判が登場した。平成18年(2006年)に鈴木眞哉と藤本正行は共著『信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』で黒幕など最初からいないとして、黒幕説には以下の共通する5つの問題があると指摘した。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "藤本は平成22年(2010年)に発表した著書『本能寺の変―信長の油断・光秀の殺意』でも朝廷黒幕説を含めた各種の黒幕説を批判している。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "また平成26年(2014年)の石谷(いしがい)家文書の公表によって、近年は四国征伐回避説(四国説)も着目されているが、この説の取り扱いについては後述する。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "本能寺の変の謎については結局は肝心の動機がわからず定説が存在しないため、さまざまな諸説・空説が登場し、歴史家・作家だけでなく歴史愛好家も自らの主張を展開して、百家争鳴という現状であるが、平成6年(1994年)に歴史アナリスト後藤敦が別冊歴史読本(『完全検証信長襲殺 : 天正十年の一番長い日』)誌上で、これらの諸説を整理して大きく3つに分けてさらに50に細分化して分類した。下表はそれに別資料の8つ、その他を加えて59にまとめたものである。これらには一部が重複するあるいは複合する内容や同じことを別の表現で言っているものがあるために、それぞれが全く異なる説であるというわけではない。表の中身には研究と創作とが混ざっており、中には何ら史料的裏付けがなく、全くの憶測で説が提唱されている場合もあり、すべて同等に扱うのは適切ではないが、全体像を明らかにするために一覧として示した。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "※ 無罪説という分類もあるが、分類の都合上除き、本文中に記した。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "明智光秀が自らの意思で決起して本能寺の変を起したという説の総称。単独犯行説や光秀主犯説、光秀単独謀反説など幾つか同義の言い方がある。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "光秀が自らの意思で能動的に決起したという説の総称。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "謀反は光秀の本意ではなく、何らかの理由があって止むを得ずに決起したという説の総称。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "光秀が謀反を起こした理由を、野望や怨恨、恐怖といった感情面に求めるのではなく、信長を討つにはそれだけの大義名分があったとする説の総称。光秀が自ら決起したことを前提にして私的制裁(狭義の私憤説)を否定し、時には個人的な野心すらも否定する。大義名分が何であったか、大義(もしくは正義)の内容によって諸説が派生した。史料的論拠が不十分でも大義という論理に基づいた行動は説得力があるように見えるので歴史学者が好んで用いて、近年多くの説が発表されている。義憤説、理想相違説など様々な呼び方がある。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "幾つかの説を組み合わせて、内容を取捨選択、補完して説を形成しているものの総称。説として史料的に論証されたものは存在しない。そもそも根拠が示されていないものも多く、論証することは余り考慮されていない。幾つかの状況証拠の点と線を結び付けて説を構成するのに便利なために作家・歴史愛好家が良く用いる。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "主犯存在説(主犯別在説)は、実行者や主犯となるべき人物が光秀以外の他の別人であるという説の総称。無罪説とも言う。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "従犯存在説は、光秀を主犯にあるいは主犯を特定せずに、謀反を幇助した従犯の存在に着目して、本能寺の変の全像の一部を解説しようという説の総称。黒幕説を補完するだけのものもあるが、必ずしも黒幕説や陰謀論に与するものだけではなく、変の要因の背景に着目するものも含まれる。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "信長を討ったのは光秀自身の意思ではなく、何らかの黒幕の存在を想定してその者の意向が背景にあったとする説の総称。黒幕を複数と想定するものは黒幕複数説に分類され、黒幕説、共謀説と云う。複合説も参照。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "信長の朝廷政策については、従来より研究者の間で見解が分かれており、結論はでていない。本能寺の変と朝廷との関係についていろいろと憶測する説があるが、この結論がでないことには、前提が成り立つのかどうかすらはっきりしないということを意味する。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "信長自らの行為が本能寺の変を直接招いたという説の総称。", "title": "変の要因" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "平成17年(2005年)に作家円堂晃が著書に書いた説もこれに当たる。毛利氏との決戦を控えていたが毛利方はよくまとまり、亡命した足利義昭を擁して大義名分を持っていた。そのため、信長は状況打破のため征夷大将軍に任官および義昭の将軍解任を朝廷に求めていたが、朝廷はなかなか認めようとしなかった。そこで信長自身が光秀の軍勢を二条御新造に差し向けて、朝廷を威嚇して要求を強引に認めさせようとしたが、それを光秀に利用されて謀反を起こされたという説を唱えた。", "title": "変の要因" } ]
本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した事件である。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主の信忠も襲われ、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦したが、やはり建物に火を放って自害した。信長と信忠の死によって織田政権は瓦解するが、光秀もまた6月13日の山崎の戦いで羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れて命を落とした。事件は秀吉が台頭して豊臣政権を構築する契機となり、戦国乱世は終焉に向かった。 光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説がある(各説については変の要因を参照)
{{Battlebox | battle_name = 本能寺の変 | campaign = 織田信長の戦闘 | image = [[image:Honnoj.jpg|310px]] | caption = 「本能寺焼討之図」([[明治時代]]、[[楊斎延一]]画) | conflict = [[安土桃山時代]] | date = [[天正]]10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1582年]][[6月21日]]) | place = [[山城国]][[京都]]の[[本能寺]]と[[二条新御所|二条御新造]] | result = 明智軍の勝利<br/>織田信長・信忠の父子は自害 | combatant1 = [[画像:Oda emblem.svg|20px]] 織田軍 | combatant2 = [[画像:Tokikikyo.svg|20px]] 明智軍 | commander1 = [[画像:Oda emblem.svg|20px]] [[織田信長]]{{KIA}}<br/>[[画像:Mori shi kamon tsuru.JPG|20px]] [[森成利]](蘭丸){{KIA}}<br/>[[画像:Oda emblem.svg|20px]] [[織田信忠]]{{KIA}}<br/>[[image:Maru ni Ageha.png|20px]] [[村井貞勝]]{{KIA}}<br/>[[画像:Oda emblem.svg|20px]] [[菅屋長頼]]{{KIA}}<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[福富秀勝]]{{KIA}}<br/>[[ファイル:Nadeshiko.png|20px]] [[斎藤利治]]{{KIA}} | commander2 =[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[明智光秀]]<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[明智秀満]]<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[明智光忠]]<br/>[[画像:Nadeshiko.png|20px]] [[斎藤利三]]<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[藤田行政]]<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[安田国継]]<br/>[[画像:Tokikikyo.svg|20px]] [[溝尾茂朝]]<br/>{{Refnest|group="注釈"|『明智軍記』によれば、明智勢は三陣あり、第一陣の大将は明智秀満で、[[四王天政孝]]、[[妻木広忠]]、[[柴田勝定]]を従え、兵四千。第二陣の大将は明智光忠で、藤田行政、溝尾茂朝、伊勢貞興、並河易家を従え、同じく兵四千。第三陣の大将が総大将の明智光秀で、斎藤利三、[[御牧兼顕]](景重)、[[荒木氏綱]]を従え、兵五千だったとする<ref>{{Harvnb|工藤|2014|pp=17-18}}</ref>。その内容は史料で確認できないが、講談話の元となっている。}} | strength1 = '''本能寺''':信長・御小姓衆(諸説あり:20-30<ref name="ncP313"/>から150-160<ref name="toP43"/>)<br />'''二条御新造''':信忠・母衣衆(諸説あり:数百、500-1,500<ref group="注釈">『惟任退治記』によると、信忠の手勢が500名で、京都に滞在していた馬廻りで、馳せ参じた者が1,000騎余とする。</ref><ref>{{Harvnb|工藤|2014|p=25}}</ref><ref>{{Harvnb|塙保己一|1925|p=243|ref=kore}}</ref>) | strength2 = 1万3,000名<ref name="v3P409"/><br />(2万<ref>{{Harvnb|塙保己一|1925|p=242|ref=kore}}</ref>や3万<ref name="v3P430"/>など異説もあり) | casualties1 = '''本能寺''':57名ほど<ref group="注釈">『信長公記』に登場する死者の合計。</ref><br/>'''二条御新造''':63名<ref name="toP44">『当代記』より。{{Harvnb|国書刊行会|1912|p=44}}</ref>や430名<ref>『明智軍記』より。{{Harvnb|桐野|2014|p=21}}</ref>など諸説あり * [[#討死、自害した人物|死亡者]]を参照 | casualties2 = 不明 * 『惟任退治記』では、[[明智孫十郎]]、松生三右衛門、加成清次ほか168名<ref name="koreP244">{{Harvnb|塙保己一|1925|p=244|ref=kore}}</ref> |}} '''本能寺の変'''(ほんのうじのへん)は、[[天正]]10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]([[1582年]][[6月21日]])早朝、[[明智光秀]]が[[謀反]]を起こし、[[京都]][[本能寺]]に滞在する主君・[[織田信長]]を襲撃した事件である<ref name="atarimae1">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=407-420, 427-434}}。{{Harvnb|小和田|2014|pp=132-138|ref=owada}}。{{Harvnb|工藤|2014|pp=17-25}}。{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=314-315}}。{{Harvnb|西村|坪内逍遥(監)|1932|pp=304-309}}</ref>。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたことを悟ると、寺に火を放ち、[[自殺|自害]]して果てた<ref name="atarimae1"/>。信長の嫡男で[[織田氏|織田家]]当主の[[織田信忠|信忠]]も襲われ、宿泊していた[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]から[[二条新御所|二条御新造]]に移って抗戦したが、やはり建物に火を放って自害した<ref name="atarimae2">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=420-427}}。{{Harvnb|小和田|2014|pp=138-139|ref=owada}}。{{Harvnb|工藤|2014|p=25}}。{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=315-317}}</ref>。信長と信忠の死によって[[織田政権]]は瓦解するが、光秀もまた[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]の[[山崎の戦い]]で[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]](後の豊臣秀吉)に敗れて命を落とした。事件は秀吉が台頭して[[豊臣政権]]を構築する契機となり、戦国乱世は終焉に向かった。 光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、多種多様な説がある(各説については[[#変の要因|変の要因]]を参照) == 背景 == [[天正]]10年([[1582年]])[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]に[[武田勝頼]]・[[武田信勝|信勝]]親子を[[天目山]]に追い詰めて自害<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=295}}</ref><ref group="注釈">[[武田氏]]の惣領信勝の死後、穴山信君の嫡男[[穴山勝千代|勝千代]]が家督を継ぎ、穴山氏は信長によって本領安堵された。さらに勝千代の早世後も、徳川家康の5男[[武田信吉|信吉]]が養子に入って継いだので、名目上は武田氏は滅亡しておらず続いている。</ref>させた[[織田信長]]は、[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]、2日に名城・[[高遠城]]を攻略した信忠に、褒美と共に「天下支配の権も譲ろう」<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=300}}</ref><ref group="注釈">原文は「天下の儀も御与奪なさるべき旨、仰せらる」(信長公記)</ref>との言葉も贈って褒め称えた。信長は甲府より返礼に来た信忠を諏訪に残して軍勢を現地解散すると、僅かな供廻りだけをつれて甲斐から[[東海道]]に至る道を[[富士山]]麓を眺めながら悠々と帰国の途に就いた。 [[4月3日 (旧暦)|4月3日]]には[[新府城]]の焼け跡を見物。かつての敵、[[武田信玄|信玄]]の居館・[[躑躅ヶ崎館]]跡の上に建てられた仮御殿にしばらく滞在し、[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]に甲府を出立した<ref name="ncP299-305">{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=299-305}}</ref>。長年の宿敵を倒し、立派な後継者{{Refnest|group="注釈"|織田家の家督は、『信長公記』によりば、これより6年も前の天正3年11月28日に信忠に譲っていた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=166}}</ref>。}}の目途もついて、信長にとって大変満足な凱旋となった。 [[image:Oda Nobunaga 2.jpg|thumb|太平記英勇伝壹:織田上総介信長([[落合芳幾]]作)]] 天下を展望すると、[[東北地方]]においては、[[伊達氏]]{{Refnest|group="注釈"|天正3年に信長に名馬・鷹を献上して以来<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=162}}</ref>、[[伊達輝宗]]は一貫して信長への従属を表明していた。本能寺直前の5月22日にも馬を贈っている<ref name="史p279">{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=279}}</ref>。}}・[[最上氏]]<ref>{{Citation |和書|last=誉田|first=慶恩|year=1967|title=奥羽の驍将 : 最上義光|publisher=人物往来社}}</ref>・[[蘆名氏]]<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=249, 279}}</ref>といった主な大名が信長に恭順する姿勢を見せていた。[[関東]]では、[[後北条氏]]がすでに天正8年([[1580年]])には同盟の傘下に入っていて{{Refnest|group="注釈"|天正8年3月10日に使者[[笠原康勝]]が口上を述べて、織田・後北条は盟約を結んだ<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=242}}</ref>。天正10年になると氏政の従属的な立場がより強まり、上記の様に頻繁に献上品が見られ、3月26日には氏政が伊豆三社神社で信長との誼が厚くなるようにという祈願をしたという記録までもある<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=249}}</ref>。}}、[[佐竹氏]]<ref>{{Citation |和書|last=福島|first=正義|year=1966|title=佐竹義重|publisher=人物往来社}}</ref>とも以前より外交関係があったので、[[東国]]で表だって信長に逆らうのは[[北陸地方|北陸]]の[[上杉氏]]を残すのみとなった<ref name="siba" group="情勢"/>。 [[北条氏政]]・[[北条氏直|氏直]]父子は共同で甲州へ出陣する約束をしていたが、[[戸倉城 (伊豆国)|戸倉城]]を攻略した後は何ら貢献できなかったので、3月21日に酒・白鳥徳利を、26日には諏訪に米俵千俵を献じ、4月2日には雉500羽、4日には馬13頭と鷹3羽と、短期間で立て続けに献上品を送って誼を厚くしようとした。しかし、この時の馬と鷹はどれも信長が気に入らずに返却されている<ref name="ncP299-305"/>。他方で、信長は長年の同盟者である[[徳川家康]]には[[駿河国|駿河]]一国を贈り、これ対する返礼で、家康は領国を通過する信長一行を万全の配慮で接待して、下士に至るまで手厚くもてなしたので、信長を大いに感心させた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=305-308}}</ref>。これら信長の同盟者はもはや次の標的とされるよりも、その威に服して従属するという姿勢を鮮明にしていた<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=339-343}}</ref>。{{see also|甲州征伐|清洲同盟}} 西に目を転じると、[[中国地方]]では、[[毛利輝元]]を惣領とする[[毛利氏]]との争いが続き<ref name="chuu" group="情勢"/>、[[四国]]でも[[長宗我部元親]]が信長の指図を拒否したことから[[長宗我部氏]]と交戦状態に入った<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=314-315, 321}}</ref>([[#四国・長宗我部問題|詳細は後述]])が、[[九州]]においては[[大友氏]]と信長は友好関係にあり、[[島津氏]]とも外交が持たれていて、前年6月には[[准三宮]][[近衛前久]]<ref group="注釈">反[[足利義昭]]の元[[関白]][[左大臣]]。島津氏との外交のために2度も薩摩に赴いている。天正10年2月に太政大臣となった。</ref>を仲介者として両氏を和睦させたことで、[[島津義久]]より貢物を受けている<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=245}}</ref><ref group="注釈">龍造寺氏との信長の外交状態についてはよくわかっていない。ただしこのころ、龍造寺氏と毛利氏は同盟関係にあった。</ref>。 信長は天正9年([[1581年]])8月13日、「信長自ら出陣し、東西の軍勢がぶつかって合戦を遂げ、[[西国]]勢をことごとく討ち果たし、日本全国残るところなく信長の支配下に置く決意である」<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=273}}</ref>と、その意向を繰り返し表明していたが、[[上月城]]での攻防<ref name="ncP190">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=190}}</ref>の際は重臣が反対し、[[鳥取城]]攻めの際には出陣の機会がなかった。その間に[[天正伊賀の乱|伊賀平定]]を終えて([[紀州征伐|高野山]]を除く)[[京都]]を中心とした[[畿内]]全域を完全に掌握したことから、次こそ[[信長包囲網|第3次信長包囲網]]<ref group="注釈">信長包囲網は、京を追われた将軍[[足利義昭]]の主導するものであり、三職推任問題などでも将軍が依然として存在する事実は障害となっており、義昭を匿う毛利氏を打倒することは信長が名実共に天下平定を宣言するために必要不可欠となっていた。</ref>を打倒し、西国最大の大名である毛利氏を討つという意気込みを持っていた<ref name="chuu" group="情勢"/>。{{main|中国攻め}} {{Anchors|朝廷との関係}}他方で信長は、天正6年([[1578年]])4月9日に[[右大臣]]・[[近衛大将|右近衛大将]]の官位を辞して<ref name="名前なし-1">{{Harvnb|小和田|2014|p=114|ref=owada}}</ref>以来、無官・[[散位]]のままであった。[[正親町天皇]]とは[[誠仁親王]]への[[譲位]]を巡って意見を異にし、天正9年3月に信長は譲位を条件として[[左大臣]]の受諾を一旦は了承したが、天皇が[[金神]]を理由に譲位を中止した<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=96|ref=owada}}</ref>ことで、信長の任官の話もそのまま宙に浮いていたからである。そこで朝廷は、甲州征伐の戦勝を機に祝賀の勅使として[[勧修寺晴豊]](誠仁親王の義兄)を下し、晴豊は信長が凱旋した2日後の天正10年4月23日に安土に到着した。『晴豊公記』によれば、[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]に信長を[[太政大臣]]か[[関白]]か[[征夷大将軍]]かに推挙するという、いわゆる「三職推任」を打診し、[[5月4日 (旧暦)|5月4日]]には誠仁親王の親書を添えた2度目の勅使が訪問したと云う。2度の勅使に困惑した信長が、[[森成利|森成利(蘭丸)]]を晴豊のもとに遣わせて朝廷の意向を伺わせると、「信長を将軍に推任したいという勅使だ」<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=117|ref=owada}}</ref>と晴豊は答えた。しかし信長は、6日、7日と勅使を饗応したが、この件について返答をしなかった<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=114-117|ref=owada}}</ref>。そのうちに、[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]に[[備中国|備中]]の[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]より、毛利輝元が間もなく出陣する旨が知らされるとともに、信長への出馬要請が届いた。これを受けて、信長は出陣を決意し、三職推任の問題はうやむやのまま、本能寺で受難することになった。([[#経緯|続き]]){{main|三職推任問題}}[[image:Akechi Mitsuhide2.jpg|thumb|明智光秀像([[岸和田市]][[本徳寺 (岸和田市)|本徳寺]]所蔵)]] ===明智光秀の立場=== ====四国・長宗我部問題==== これより前、土佐統一を目指していた[[長宗我部元親]]は、信長に[[砂糖]]などを献上<ref name="hp26"/>して所領を安堵された。信長は元親の嫡男[[長宗我部信親|弥三郎]]の[[烏帽子親]]になって信の字の[[諱#偏諱|偏諱]]を与えるなど<ref name="owP131">{{Harvnb|小和田|2014|p=131|ref=owada}}</ref>友誼を厚くし<ref group="注釈">『長元物語』によると、堺商人[[宍喰屋一廉]]の仲介によると云う。</ref>、「四国の儀は元親手柄次第に切取候へ」<ref name="hp26">{{Harvnb|小和田|2002|p=26|ref=h}}</ref>と書かれた[[朱印状]]を出していた。信長も当時は[[阿波国|阿波]]・[[讃岐国|讃岐]]・[[河内国|河内]]に勢力を張る[[三好氏|三好一党]]や[[伊予国|伊予]]の[[河野氏]]と結ぶ毛利氏と対峙しており、敵の背後を脅かす目的で長宗我部氏の伸長を促したのである<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=314}}</ref>。その際に[[取次 (歴史学)|取次役]]となったのが明智光秀であり、明智家重臣の[[斎藤利三]]の兄[[石谷頼辰|頼辰]]は、[[奉公衆]][[石谷光政|石谷光政(空然)]]の婿養子で、光政のもう1人の娘が[[元親夫人|元親の正室]](信親生母)であるという関係性{{Refnest|group="注釈"|『石谷家文書』による<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=7|ref=owada}}</ref>。 これ以外にも、元親の正室を光秀の妹の子とする<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=315}}</ref>など異説も幾つかある。斎藤利三と光秀の関係も諸説あり、利三の妻が[[斎藤道三|道三]]の娘で道三の妻([[小見の方]])が光秀の叔母にあたるというものや、利三が光秀の妹あるいは叔母の子とするものなどがある。しかしいずれにしても、両者は親類にあたるとされている。}}にあった。 ところが、その後三好勢は凋落し、信長の脅威ではなくなった。天正3年([[1575年]])、河内の[[高屋城の戦い|高屋城]]で籠城していた[[三好康長|三好康長(笑岩)]]は、投降するとすぐに[[松井友閑]]を介して名器「[[三日月 (葉茶壷)|三日月]]」を献上して信長に大変喜ばれ、一転して家臣として厚遇されるようになる。同じころに土佐を統一した長宗我部氏は、天正8年6月には砂糖三千斤を献じるなど信長に誼を通じる意思を示していた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=250}}</ref>一方で、阿波・讃岐にまで大きく勢力を伸ばして、笑岩の子・[[三好康俊|康俊]]を降誘し、甥の[[十河存保]]を攻撃していて、信長の[[陪臣]]が攻められる状態ともなっていた。 笑岩は羽柴秀吉<ref group="注釈">秀吉は中国攻めの総大将であるだけでなく、北面する備前国の宇喜多氏とも近しい関係にあり、讃岐・阿波での情勢に強い影響力と関心を持っていた。</ref>に接近して、その姉の子[[豊臣秀次|三好信吉]]を養嗣子に貰い受けることで、織田家の重臣である羽柴氏と誼を結んで長宗我部氏に対抗した。笑岩の本領である阿波[[美馬郡|美馬]]・[[三好郡|三好]]の2郡が長宗我部氏に奪われると、天正9年、信長に旧領回復を訴えて織田家の方針が撤回されるように働きかけた<ref name="v3p321">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=321-322}}</ref>。信長は三好勢と長宗我部氏の調停と称して、元親に阿波の占領地半分を返還するように通告したが、元親はこれを不服とした。 天正10年正月、信長は光秀を介して、長宗我部に[[土佐国|土佐]]1国と南阿波2郡以外は返上せよという内容の新たな朱印状<ref name="v3p321"/>を出して従うように命じ、斎藤利三も石谷空然を通して説得を試みていた<ref name="owP8">{{Harvnb|小和田|2014|p=8|ref=owada}}</ref>が、いずれも不調に終わる。この際、光秀は滅亡を避けるためにも信長の判断に従うようにと最後の説得を試みたが、元親の返答を待たずに、ついに信長は三男の[[織田信孝|神戸信孝]]を総大将とする[[四国攻め|四国征伐]]を命令し、本能寺の変の翌日に当たる6月3日、四国に渡ることになっていた<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=NHK大河ドラマを子供に見せてはいけない…明智光秀が本能寺で信長を襲った理由は「私怨」ではない 歴史への誤解を植え付ける恐れがある (3ページ目) |url=https://president.jp/articles/-/71942 |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |date=2023-07-23 |access-date=2023-09-03 |language=ja}}</ref>。信長の四国政策の変更は、取次役としての明智光秀の面目を潰した<ref name="owP131"/>{{efn|歴史評論家・音楽評論家<!--出版社プロフィールより-->の[[香原斗志]]は、「晴豊公記」「言経卿記」などの史料から、この四国政策の失敗が本能寺の変の原因だと見ており、実は本能寺の変が発生した直後から主な公家や織田家の家臣たちが、原因は信長の四国政策の変更だと見ていたと言う<ref name=":2" />。}}。 早くも前年秋の段階で阿波・淡路での軍事活動を開始していた節のある笑岩は<ref>{{Harvnb|小和田|2002|p=25|ref=h}}</ref>、2月9日に信長より四国出陣を命じられ<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=288}}</ref>、5月には織田勢の先鋒に任命されて[[勝瑞城]]に入った。三好勢が[[一宮城 (阿波国)|一宮城]]・[[夷山城]]を落すと、[[岩倉城 (阿波国)|岩倉城]]に拠る康俊は再び寝返って織田側に呼応した<ref name="owP8"/>。変の直前、三好勢は阿波半国の奪還に成功した状態で、目前に迫った信孝の出陣を待っていた。元親は利三との5月21日付けの書状で、一宮城・夷山城・[[畑山城]]からの撤退を了承するも土佐国の入口にあたる[[海部城]]・[[大西城 (阿波国)|大西城]]については確保したいという意向を示し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=392 林原美術館所蔵の古文書研究における新知見について―本能寺の変・四国説と関連する書簡を含む]一般財団法人 林原美術館、岡山県立博物館、2014年06月23日</ref>、阿波・讃岐から全面撤退せよと態度を硬化させた信長との間で瀬戸際外交が続けられていた<ref name="owP8"/>。 ====「近畿管領」==== 全国平定の戦略が各地で着実に実を結びつつあった<ref name="mP7"/>この時期に、織田家の重臣に率いられた軍団は西国・四国・北陸・関東に出払っており、畿内に残って遊撃軍のような役割を果たしていた明智光秀の立場は、特殊なものとなっていたと現代の史家は考えている。 近畿地方の一円に政治的・軍事的基盤を持っていた光秀は、近江・丹波・山城に直属の家臣を抱え、さらに与力大名(組下大名)として、[[丹後国|丹後]][[宮津城]]の[[細川幽斎|長岡藤孝]]・[[細川忠興|忠興]]親子、[[大和国|大和]][[郡山城 (大和国)|郡山城]]の[[筒井順慶]]、[[摂津国|摂津]][[有岡城]]の[[池田恒興]]、[[茨木城]]の[[中川清秀]]、[[高槻城]]の[[高山右近]]を従えていた<ref>{{Harvnb|工藤|2014|p=14}}</ref>。 [[高柳光寿]]は著書『明智光秀』の中で「光秀は師団長格になり、近畿軍の司令官、近畿の管領になったのである。近畿管領などという言葉はないが<!--「前後の文脈で重ねて正式にはない職名であることを解説されており、ここだけ強調しなければならない合理的な理由はみあたらない」-->、上野厩橋へ入った[[滝川一益]]を関東管領というのを認めれば、この光秀を近畿管領といっても少しも差支えないであろう」<ref name="owP88">{{Harvnb|小和田|2014|p=88|ref=owada}}</ref>と述べて、初めてそれを「近畿管領」と表現した。[[桑田忠親]]も(同時期の光秀を)「近畿管領とも称すべき地位に就くことになった」<ref name="owP88"/>として同意している。[[津本陽]]は光秀の立場を「織田軍団の近畿軍管区司令官兼近衛師団長であり、CIA長官を兼務していた」<ref>『[[歴史街道 (雑誌)|歴史街道]]』1992年12月号 - 「『行政官僚』光秀との不安と決断」より。{{Harvnb|小和田|2014|p=87|ref=owada}}</ref>と書いている。光秀は、領国である北近江・丹波、さらには与力として丹後、若狭、大和、摂津衆を従えて出陣するだけでなく、甲州征伐では信長の身辺警護を行い、すでに京都奉行の地位からは離れていたとしても公家を介して依然として朝廷とも交流を持っており、(諜報機関を兼ねる)[[京都所司代]]の[[村井貞勝|村井春長軒(貞勝)]]と共に都の行政に関わり<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=89|ref=owada}}</ref>、二条御新造の建築でも奉行をするなど、多岐に渡る仕事をこなしていた。 天正9年の[[馬揃え]]で光秀が総括責任者を務めた<ref name="owP92-93"/>のはこうした職務から必然であり、(この時、羽柴秀吉は不在であったが)織田軍団の中で信長に次ぐ「ナンバーツーのポスト」に就いたという自負も目覚めていたと、[[#野望説|野望説]]論者の[[永井路子]]は考えている<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=96-97|ref=owada}}</ref>。しかも、特定の管轄を持たなかった重臣、滝川一益と[[丹羽長秀]]が、相次いで関東に派遣されたり、四国征伐の準備や家康の接待に忙殺されている状況においては、機動的に活動が可能だったのは「近畿管領」たる光秀ただ1人であった。後述するように動機については諸説あって判然とはしないが、僅かな供廻りで京に滞在する信長と信忠を襲う手段と機会が、光秀だけにあったのである。 ===直前までの状勢=== 本能寺の変が起こる直前までの織田家諸将および徳川家康の動向を以下にまとめる。 <!--以下は話の時系列が大きく乱れるため、脚注に収めています。本能寺の変前の予備知識です。本文に戻さないでください--> {{Refnest|name="siba"|group="情勢"|{{Hidden |ta1=left |北陸の平定と対上杉氏 | <!--[[image:Fukui-C-3158.jpg|thumb|left|[[柴田神社]](北ノ庄城の本丸跡地)にある柴田勝家の銅像]]--> 天正3年9月に[[福井城|北ノ庄]]を拝領して以来、北陸は[[柴田勝家]]が管轄していた。[[上杉謙信|謙信]]亡き後に[[御館の乱]]が起きた時、信長はその間隙を突いて[[越中国|越中]]に狙いを定める。天正6年4月7日、追放されていた(信長の義兄にあたる)[[神保氏張]]に黄金百枚を与えて帰還させると、[[飛騨国|飛騨]]の[[姉小路頼綱]]にこれを支援させた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=189}}</ref>。飛騨路より[[神保長住]]を先鋒とする織田勢が攻め寄せると、上杉家重臣[[河田長親]]と椎名道之は[[津毛城]]に拠って防戦したが、9月24日にさらに援軍として[[斎藤利治]]が出陣したと聞き、退却。放棄された津毛城に長住が入った<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=196}}</ref>。10月4日、利治は[[月岡野の戦い]]で上杉勢に大勝<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=197}}</ref>し、織田勢は翌年までに[[富山城]]を陥れて、越中の西半分を平定した。一方、[[越後国|越後]]では天正7年([[1579年]])3月24日に[[上杉景虎|景虎]]が自害して乱は終息するものの、[[上杉景勝]]は残党狩りと越後平定に忙しくて反撃する余力がなかった。[[加賀国]]は孤立状態になり、天正8年閏3月9日、[[越前国|越前]]より再び侵攻した勝家は[[一向一揆]]の徹底した鎮圧に着手した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=245}}</ref>。同時に[[守山城 (越中国)|越中森山(守山)]]より[[長連龍]]が[[能登国|能登]]に侵攻し、閏3月30日、[[温井景隆]]・[[三宅長盛]]兄弟を飯山で撃破した<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=206}}</ref>。[[末森城 (能登国)|末森城]]・[[土肥親真]]は降伏し、温井・三宅兄弟は信長に陳謝して能登半国を差し出すことで許された<ref>{{Harvnb|馬場|1912|p=92}}。{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=302}}</ref>。5月ごろまでに能登・加賀の大半は平定され、[[佐久間盛政]]が調略にて[[金沢城|加賀尾上城]]を落して<ref>{{Harvnb|馬場|1912|p=91}}</ref>、11月17日には一向一揆の首謀者が梟首<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=257}}{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=216}}</ref>に処された。信長は能登の国政を[[前田利家]]に委ねると決めて取りあえず[[飯山城 (能登)|飯山城]]に入れ、[[富木城]]に[[福富秀勝]]が、[[七尾城]]に[[菅屋長頼]]が城代として派遣された<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=267}}。{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=238}}</ref>。 ところが北陸三国が平定されたのも束の間、天正9年2月から3月にかけて、[[馬揃え]]のために、勝家・[[柴田勝豊|勝豊]]・[[不破光治]]・[[金森長近]]・[[原長頼|原政茂]]・利家などの越前衆、[[佐々成政]]・長住などの越中衆の諸将が上洛して手薄になると、その隙に上杉景勝の増援を得た河田長親が越中で反撃に出た。上杉勢は[[松倉城 (越中国)|松倉城]]より出撃して、3月9日に[[小出城]]を包囲し、扇動された一向一揆の残党が[[白山]]麓から加賀に攻め込み、[[鳥越城|別宮城]]・[[二曲城|府峠城]]を攻め落としたのである。しかし尾上城主として留め置かれていた盛政が即座に反撃して府峠城を奪還し、安土に急報する。この間、越前衆は2月27日に馬揃えに参加し、越中衆は3月6日に遅れて上洛した。15日に安土で信長に拝謁した北陸衆一同は帰国反撃を命じられて昼夜を徹して移動。24日、成政・長住が小出城の救援に来ると聞いて長親は包囲を解いて撤退し、成政は[[守山城 (越中国)|守山城]]に入った。信長はその迅速な成功を喜び、成政を越中の守護に任じると言った<ref>{{Harvnb|馬場|1912|p=96}}</ref>。5月、織田勢に包囲されていた松倉城で長親が死去した<ref name="ncP269"/>。6月27日、七尾城で[[遊佐続光]]ら3名がかつて叛逆したかどで切腹を命じられ、これを聞いた温井・三宅兄弟は次は我が身と恐れて出奔した。7月6日、越中[[木舟城]]主[[石黒成綱]]主従が上杉への裏切りを疑われて近江に誘い出され、丹羽長秀が誅殺した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=271}}{{Harvnb|馬場|1912|pp=96-97}}</ref>。能登では主城以外の城砦が破却され、利家は七尾城に移った。 天正10年3月、武田勝利の誤報を信じた一揆が越中に起こり、[[小島職鎮]]と一揆勢が富山城を落として長住を監禁した<ref name="名前なし-2">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=296}}</ref>事件を機に、勝家ら北国諸将に出陣の号令が出された。成政と盛政は先陣争いをして不仲であったが、勝家は両名を先陣に指名した。[[魚津城の戦い]]の包囲中、5月16日、景勝は[[天神山城 (越中国)|天神山城]]に後詰で入リ<ref name="史p278"/>、下知を受けた[[長景連]]が海路から能登に侵入して[[棚木城]]を奪った。5月21日、利家は長連龍と共にこれを攻略し、景連の首を勝家の陣中に届けた<ref>{{Harvnb|馬場|1912|pp=98-99}}</ref>。信長も利家の勝利を喜び、[[海津城]]の[[森長可]]が信州より[[春日山城]]を襲い、[[前橋城|上野厩橋城]]の滝川一益も、[[三国峠 (群馬県・新潟県)|三国峠]]を越えて越後に乱入するので、天神山城から撤退するであろう景勝を追撃するように勝家に準備を指示していた<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=307-309}}</ref>が、変があって実現しなかった。{{see also|手取川の戦い|御館の乱|甲越同盟|魚津城の戦い}} }}}} {{Refnest|name="chuu"|group="情勢"|{{Hidden |ta1=left |中国経略と対毛利氏 | 天正5年10月23日、[[播磨国|播磨]]に出陣して以来<ref name="ncP182">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=182}}</ref>、中国は概ね羽柴秀吉が管轄した。中国役当初の毛利氏は12ヶ国にまたがる大勢力で、流浪の将軍[[足利義昭]]を擁し、[[石山本願寺]]三度目の挙兵とも組んで信長包囲網を形成していたので、中国経略は信長の前に立ち塞がる最大の未完事業となっていたが、この時点では謙信が存命で勝頼とも事を構えていたために自ら出向くことはなかなか難しく<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=454-455}}</ref>、「手の者」<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=64|ref=owada}}</ref>として最も信頼できる秀吉が起用された。秀吉自身にとっても、少し前に勝家と仲違いをして北陸から無許可で引き揚げたことで信長の勘気を蒙ったので<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=179}}</ref>、この機会に忠勤に励んで信長の知遇に報いて見せる必要があった。 播磨で前年に[[御着城]]主[[小寺政職]]が[[黒田孝高]](小寺孝隆)の策に従って信長に帰順したことが、織田勢力を引き入れる端緒となったが、秀吉は出陣すると赤松三十六家衆に人質を出させ、[[但馬国|但馬]]に侵攻して11月中旬に[[岩洲城]]、[[竹田城]]を攻略して[[豊臣秀長|秀長]]を入れた<ref name="ncP182"/><ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=459-461}}</ref>。秀吉は次に11月27日、[[赤松政範]]の籠る播磨[[上月城]]を包囲し、[[竹中重治]]と孝高には[[佐用城|福原城]]を攻撃させた。救援に来た[[宇喜多直家]]は遠巻きにするのみで、12月1日に福原城が落城し、3日に上月城も落ちた。秀吉は、政範の首を差し出して助命を嘆願する城兵を許さずに尽く切伏せ、上月城には[[尼子勝久]]・[[山中幸盛]]の主従を入れた<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=461-464}}</ref>。10日、信長は播磨・但馬平定を喜び、恩賞として秀吉に乙御前釜を与えた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=184}}</ref>。 ところが、天正6年2月23日、7千の兵を率いて[[加古川城]]に入った秀吉との軍議の席で気分を害した[[別所吉親|別所賀相]]が、甥[[別所長治|長治]]を説得して反旗を翻し[[三木城]]に籠城すると、[[志方城]]の[[櫛橋政伊|櫛橋治家]]、[[神吉城]]の神吉長則、[[高砂城]]の[[梶原景行]]、[[野口城 (播磨国)|野口城]]の[[長井政重|長井四郎左衛門]]、[[淡河城]]の[[淡河定範]]、[[端谷城]]の[[衣笠範景]]と次々と呼応。秀吉は[[別所重宗|重棟]]に説得させたが長治は拒絶したので攻撃して4月3日に野口城を落すが、直家の要請で攻め寄せた毛利勢が上月城を包囲した<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=466-469}}</ref>という報せで引き返す。秀吉は[[荒木村重]]と共に2万を率いて[[高倉山 (佐用町)|高倉山]]に陣取ったが、[[小早川隆景]]2万、[[吉川元春]]1万5千、宇喜多忠家1万4千からなる敵はさらに多勢であった。増援を求められた信長は自ら出陣すると言い出したが重臣が反対。結局、4月29日に滝川・明智・丹羽が、5月1日に信忠(総大将)・[[織田信雄|信雄(信意)]]・信孝・[[織田信包|信包]]・[[細川幽斎|長岡藤孝]]・[[佐久間信盛]]が出陣した<ref name="ncP190"/><ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=472-474}}</ref>。戦線が膠着すると、6月16日、秀吉は京に戻って信長の下知を受け、上月城救援を断念して三木城攻囲に専念する。21日、高倉山から陣払いすると、7月3日、勝久は諦めて切腹し、上月城は落城した。6月27日より信忠は神吉城を攻めていて、三木城の兵糧道を断とうとした。7月16日に神吉城の天守閣は炎上。信盛の誘いで城将が投降し、志方城も明け渡された<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=475-484}}。{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=192-193}}</ref>。三木城は補給困難となり、毛利勢も撤兵して「三木の干殺し」が始まるが、10月に村重が[[謀反]]を起こし、政職も呼応して離反したために一時中断を余儀なくされる<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=198-201}}</ref>。 天正7年2月、この機に別所勢は平井山の攻囲軍に逆襲を試みたが撃退され、[[別所治定|治定]]が討死した<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v2|pp=492-493}}</ref>。村重は抗戦1年余の9月2日に[[伊丹城|有岡城]]を脱出して[[尼崎城|大物城]]に逃亡し、4日には宇喜多直家が秀吉の降誘に応じた。この調略は信長に無断であって激怒されたが、10日、毛利勢が海路から来て御着城・曾禰城・端谷城の城兵と共同し三木城へ兵糧を運ぼうとして平田村で[[谷衛好]]の砦を襲い、急を駆けつけた秀吉が大村で迎撃して大勝したので、その際に許されて信長より[[感状]]を受けた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=218-219}}。{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=3-10}}</ref>。 <!--[[image:Hideyoshi no risshi.jpg|thumb|「教導立志基三十三:羽柴秀吉と[[安国寺恵瓊|恵瓊]]([[月岡芳年]]作)」]]--> 天正8年1月17日、三木城はついに屈服し、城兵を助けるという条件で別所一族は尽く自害した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=237-240}}。{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=17-24}}</ref>。4月、[[英賀城]]を落して播磨をついに再平定し、秀吉は[[姫路城]]の改修普請を始めた。また再び秀長の軍を増強して[[有子山城]]の[[山名祐豊]]を降して但馬を平定した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=248}}</ref>。対して吉川元春・[[吉川元長|元長]]の軍勢が[[伯耆国|伯耆]]に侵攻して[[羽衣石城]]の[[南条元続]]と[[岩倉城 (伯耆国)|岩倉城]]の[[小鴨元清]]を攻撃したので、6月6日、秀吉は[[因幡国|因幡]]・伯耆に向かい、まず[[鹿野城]]を落して補給路を確保し、その際に[[鳥取城]]の[[山名豊国]]の娘を捕えたので、9月、豊国を単身投降させたが、家臣[[中村春続]]・[[森下道誉]]は徹底抗戦を主張<ref name="v3P26-29"/>。 天正9年2月、鳥取城は[[吉川経家]]を大将として招き入れると籠城を始めた<ref name="v3P26-29">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=26-29}}</ref>。秀吉は事前に若狭商人を使って因幡の米を買占めて、6月25日に出陣すると城の全周に柵と堡塁を築いて、[[雁金山城|雁尾城]]・[[丸山城 (因幡国邑美郡)|丸山城]]と通じる糧道を遮断した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=270}}</ref>。兵糧を運び込むことに度々失敗した毛利勢は雁尾・丸山城から撤退。飢餓状態の鳥取城は10月まで「鳥取の渇殺し」に堪えたが、ついに経家・道誉・[[奈佐日本之介|奈佐日本介]]の3将の首を差し出して降伏することになり、24日、切腹して翌日投降した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=278}}</ref>。秀吉はさらに[[杉原家次]]をして[[防己尾城|吉岡城]]・[[大崎城]]を降伏させ、因幡を平定した<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=270-283}}</ref>。元春は再び南条・小鴨兄弟の両城を攻撃して[[馬ノ山|馬之山]]に陣をしいた。28日、秀吉もすぐに出陣したが、馬之山の守りが固いと見て、7日間対陣して戦わずに姫路に帰還<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=284-287}}</ref>。11月8日に秀吉は[[池田元助]]と[[淡路国|淡路]]に侵攻して[[岩屋城 (淡路国)|岩屋城]]の[[安宅清康]]を下して平定。清康が追放された後は、元助を同城に入れた<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=279-280}}</ref>。 天正10年3月5日、秀吉は山陽道に出陣。17日に跡取りの[[羽柴秀勝]]が備前の児島で初陣を飾った<ref name="ncP298">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=298}}</ref>。4月4日、[[宇喜多秀家]]の[[岡山城]]に入城。対する小早川隆景は備中の[[高松城 (備中国)|高松城]]、[[宮路山城]]、[[冠山城]]、[[加茂城]]、[[日幡城]]、[[松島城 (備中)|松島城]]、[[庭瀬城]]の7城の城主を[[三原城]]に集めて警戒を命じていたが、14日、秀吉は宇喜多勢と龍王山と八幡山に陣して、高松城の包囲を準備し、他方で支城の攻略を目指した。25日に冠山城が陥落して[[林重真]]が切腹。5月2日に[[乃美元信]]が開城して宮路山城を退去し、加茂城では[[生石治家]]が寝返ったが[[桂広繁]]が[[戸川秀安]]の強襲を撃退して辛うじて本丸を守った。7日、秀吉は蛙ヶ鼻に陣を移し、足守川を堰き止めて高松城を水没させた<ref name="名前なし-3">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=353-361}}</ref>。15日、秀吉は信長に状況を知らせ、毛利勢の総大将が間もなく出陣すると報告した。2日後、これを聞いた信長は、明智光秀らに出陣を命じた。21日、輝元・元春・隆景の総勢3万の援軍が到着したが、毛利勢は秀吉の堅陣を崩すことは難しいと判断し、さらに信長出陣の噂を聞いて、講和交渉のために逆に守将[[清水宗治]]を説得していたところに、変が起こった<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=361-370}}</ref>。{{see also|中国攻め|上月城の戦い|有岡城の戦い|三木合戦|備中高松城の戦い}} }}}} <!--これら諸将の変後の行動は[[#変後の形勢|下記参照]]。--> {| class="wikitable" style="font-size:98%;" |+ 本能寺の変前の織田家諸将(および徳川家康)の動向 !style="white-space:nowrap;" colspan="2"|大将(与力・一門衆)||style="width:3.5em;"|所在||配下の軍勢||style="width:2.5em;"|状況||style="width:6.5em;"|対立武将||対立勢力||直前の行動・できごと |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[織田信長]]'''||rowspan="2"|[[山城国]]||rowspan="2"|20-30<ref name="ncP313">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=313}}</ref>から150-160<ref name="toP43">{{Harvnb|国書刊行会|1912|p=43}}</ref>||rowspan="2"|在京||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||rowspan="2" style="font-size:90%;"|[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]、信長は中国出陣の準備をして待機するように命じ、小姓衆をつれて安土より上洛した<ref name="ncP314">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=314}}</ref>。その際、茶道具の名器38点<ref>{{Harvnb|桐野|2014|p=10}}</ref>を携えており、[[6月1日 (旧暦)|6月1日]]、[[近衛前久]]を主賓として茶会を開いた<ref name="mP7">{{Harvnb|宮本|2014|p=7}}</ref>。京都滞在は5日間の計画で、先に淡路で信孝の閲兵に向かうと伝えられていた<ref name="ccP9"/>。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||小姓衆([[森成利]]・[[森長隆]]・[[森長氏]]等) <!--空--> |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[織田信忠]]'''||rowspan="2"|山城国||rowspan="2"|数百||rowspan="2"|在京||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||rowspan="2" style="font-size:90%;"|5月14日、信忠は甲州征伐から安土に帰還<ref name="sP310"/>。21日に上洛して<ref>{{Harvnb|参謀本部編 |1911|p=2|ref=san11}}</ref>妙覚寺に滞在。斎藤利治は病気で、信長・信忠に心配されて御供を外されていたが、後日<!--5月末日ごろの夜間に-->、病気は治ったと[[加治田城]]を出発し{{efn|「古郷に残す妻や子に名残り惜しまれ、恩愛涙尽きぬは帰らぬ旅の首途と、後にや思ひ合わすらん、また夜をこめて進発すとある」{{sfn|富加町史編集委員会|1975|p=772}}。}}、兄([[斎藤利堯]])が[[留守居]]する岐阜城を通り過ぎてそのまま、変前日(6月1日)に京に入り、妙覚寺で信忠と合流した{{sfn|富加町史編集委員会|1980|p=232}}。同日夜、信忠は[[村井貞勝]]をつれて本能寺を訪れ、父と酒を飲み交わした<ref name="mP7"/>。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||style="font-size:90%;"|[[一門|一門衆]]([[織田長利|津田長利]]・[[織田勝長|勝長]])・[[奉行衆]]([[村井貞勝]]・[[菅屋長頼]])・[[母衣|母衣衆]]([[福富秀勝]]・[[野々村正成]]・[[毛利良勝]])・御供衆([[猪子兵助]]・[[団忠正]]・[[斎藤利治]])等<!--主な者のみ。欄の都合で省略--> |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[明智光秀]]'''||rowspan="2"|[[丹波国]]<br/>山城国||rowspan="2"|'''13,000'''<ref name="v3P409">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=409}}</ref>||rowspan="2"|出陣||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||rowspan="2" style="font-size:90%;"|天正9年の[[馬揃え]]では総括責任者を務めた光秀であった<ref name="owP92-93">{{Harvnb|小和田|2014|pp=92-93|ref=owada}}</ref>が、甲州征伐では信長の身辺警固を命じられたのみで、活躍の場はなく安土に帰還。その後、徳川家康の饗応役に任命されて準備をしたが、[[高松城 (備中国)|備中高松城]]包囲中の羽柴秀吉から急使があり、援軍に赴くように信長から急遽命じられて、饗応役も長秀と交代。光秀はすぐに軍勢の支度のために5月17日に坂本城に戻り、さらには26日には領地の丹波・[[亀山城 (丹波国)|亀山城]]に向かった。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[明智秀満]]・[[明智光忠]]・[[斎藤利三]]・[[溝尾茂朝]]・[[藤田行政]]・[[伊勢貞興]]・[[山崎長徳]]・[[並河易家]]<!--下--> |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[明智光慶|明智十五郎]]・[[阿閉貞征]]・[[妻木広忠]]・[[京極高次]]・[[山崎片家|山崎堅家]]||[[近江国]]||不明||在番||-||-||style="font-size:90%;"|嫡男十五郎は[[坂本城]]に留守居。阿閉は[[山本山城]]、京極は[[上平寺城]]と、それぞれ居城にいた。(山城国の)山崎堅家は安土の館に詰めていた。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[筒井順慶]]||山城国||-||在京||-||-||style="font-size:90%;"|筒井順慶は甲州征伐に明智配下として出征して[[大和国|大和]][[郡山城 (大和国)|郡山城]]に帰還{{Refnest|group="注釈"|『信長公記』には中国出陣を命じられた将に筒井順慶の名はないが、『細川忠興軍功記』では明智・細川忠興・筒井順慶の3名に出陣が命じられたとある<ref name="hosoP91">{{Harvnb|近藤瓶城|1926|ref=c15|p=91}}</ref>。}}。直前は順慶本人は京に滞在していた<ref>{{Harvnb|大野|2014|ref=oh2|p=25}}</ref>。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[細川忠興|長岡忠興]]([[細川幽斎|長岡藤孝]]{{efn|天正8年の丹後入国以後、藤孝は、出陣等には忠興や家臣[[松井康之]]らに名代を任せて、国を出なかった。}})・[[池田恒興]]・[[高山右近]]・[[中川清秀]]・[[塩川長満]]||[[丹後国]]<br/>[[摂津国]]||8,500以上{{Refnest|group="注釈"|池田4,000、高山2,000、中川2,500<ref name="san11P11">{{Harvnb|参謀本部編 |1911|p=11|ref=san11}}</ref>。長岡・塩川らは不明。}}||準備||-||-||style="font-size:90%;"|長岡忠興・池田([[池田元助|元助]]・[[池田輝政|照政]])・中川は、甲州征伐に明智配下として出征したが、5月17日、秀吉に援軍として向かう光秀の与力として、他2氏と共に先鋒を命じられたので、領国に戻って再び出陣準備をしていた<ref name="sP311">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=311}}</ref>。 |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]'''||rowspan="2"|[[備中国]]||rowspan="2"|30,000{{Refnest|group="注釈"|秀吉15,000、羽柴秀勝5,000、宇喜多秀家(忠家)10,000<ref name="v3P358-359"/>}}<br/>から<br/>60,000<ref>『豊臣記』より。{{Harvnb|宮本|2014|p=9}}</ref>||rowspan="2"|対陣||rowspan="2"|[[清水宗治]]・[[末近信賀]]・[[毛利輝元]]・[[吉川元春]]・[[小早川隆景]]||rowspan="2"|35,000以上{{Refnest|group="注釈"|清水・末近の城兵5,000(農民500含む)、小早川隆景・吉川元春の援軍30,000。毛利輝元も後詰に出陣したが兵数の記載なく内訳は不明<ref name="v3P358-359">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=358-359, 362-363}}</ref>。}}<br/>~50,000{{Sfn|谷口克広|2006|p=248}}||rowspan="2" style="font-size:90%;"|天正10年3月5日、秀吉は山陽道に出陣し、4月4日、[[宇喜多秀家]]の[[岡山城]]に入城。14日、秀吉は宇喜多勢と龍王山と八幡山に陣した。25日に[[冠山城]]を攻略して[[林重真]]が切腹。5月2日に[[乃美元信]]が開城して[[宮路山城]]を退去し、[[加茂城]]では[[生石治家]]が寝返ったが[[桂広繁]]が(宇喜多勢の)[[戸川秀安]]を撃退して本丸は守った。7日、秀吉は蛙ヶ鼻に陣を移し、足守川を堰き止めて高松城を水没させた<ref name="名前なし-3"/>。15日、秀吉は信長に状況を知らせ、毛利勢の総大将・毛利輝元が間もなく出陣すると報告した。2日後、これを聞いた信長は、明智光秀らに出陣を命じた。小早川隆景が[[幸山城]]に入り、21日、毛利輝元・吉川元春も合流して総勢5万の援軍が到着した{{Sfn|谷口克広|2006|p=248}}。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[豊臣秀長|羽柴秀長]]・[[羽柴秀勝]]・[[杉原家次]]・[[蜂須賀正勝]]・[[堀尾吉晴]]・[[神子田正治]]・[[宇喜多忠家]]・[[黒田孝高]]・[[仙石秀久]]<!--空--> |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[宮部継潤]]・[[亀井茲矩]]||[[因幡国]]||不明||城番||-||-|| style="font-size:90%;"|宮部は鳥取城。亀井は[[鹿野城]]。 |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[織田信孝|神戸信孝]]'''・[[丹羽長秀]]<ref group="注釈" name="niwa"/>||rowspan="2"|[[和泉国]]<br/>[[摂津国]]||rowspan="3"|14,000<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=429}}</ref><br/>(三好勢6,000<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1930|p=29|ref=cc7}}</ref>)||rowspan="2"|準備||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||rowspan="2" style="font-size:90%;"|[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]、信孝は[[住吉区|住吉]]ヘ出陣し、[[四国攻め|四国征伐]]の渡海準備を始めた<ref name="sP310">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=310}}</ref>。予定では6月2日に淡路に渡海して(中国に向かう途中の)信長も4日に来るはずであった<ref name="ccP9">{{Harvnb|桐野|2014|p=9}}</ref>。長秀は5月14日に家康・梅雪・信忠を[[番場宿|番場]]で接待し、光秀が出た後は20日以降は4名{{refnest|group="注釈"|丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、菅屋長頼の4名<ref name="sP312"/>。}}で家康一行を接待した。堀が羽柴の伝令として派遣され、菅屋が奉行の役目で離れ、長秀は信澄と共に引き続き饗応役となるように命じられ、先に大坂に向かった<ref name="sP310"/><ref group="注釈" name="niwa">一般に、丹羽長秀は四国遠征の指揮官の一人と見なされているが、『信長公記』によれば長秀に出陣の命令は与えられておらず、家康の饗応役も解かれていなかった。本能寺の変が起きなかった場合に実際に参加することになったのかどうかは不明。蜂屋頼隆は長秀の女婿であるだけでなく、馬揃えでも二番隊を指揮するなど大将格であったという説もある。</ref>。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[蜂屋頼隆]]・[[九鬼嘉隆]]・[[津田信澄]]<!--空--> |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[三好康長|三好笑岩]]・[[十河存保]]・[[三好康俊]]||[[阿波国]]|||戦闘||style="font-size:90%;"|[[香宗我部親泰]]・[[長宗我部信親]]・[[比江山親興]]・[[江村親俊]]||3,000<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1930|p=33|ref=cc7}}</ref>||style="font-size:90%;"|先鋒・三好笑岩は5月に[[勝瑞城]]に入り、[[一宮城 (阿波国)|一宮城]]と[[夷山城]]を攻略し、康俊が[[岩倉城 (阿波国)|岩倉城]]で織田側に寝返って呼応。阿波半国を奪還して神戸信孝の本隊の到着を待っていた。長宗我部氏は[[畑山城]]からは撤退したが、[[海部城]]・[[大西城 (阿波国)|大西城]]では抵抗する構えであった<ref name="owP8"/><ref name="v3p321"/>。 |- |colspan="2"<!--右-->|'''[[柴田勝家]]'''||rowspan="2"|[[越中国]]<br/>[[能登国]]||rowspan="2"|48,000<ref>{{Harvnb|馬場|1912|p=98}}</ref><br/>(魚津城攻囲15,000<ref name="mP12"/>)||rowspan="2"|戦闘||rowspan="2"|[[上杉景勝]]・[[中条景泰]]・[[上条政繁]]・[[吉江宗信]]([[吉江景資|景資]])・[[須賀盛能]]|| rowspan="2" |3,000<ref>{{Harvnb|馬場|1912|p=101}}</ref><br/>または5,000<ref name="mP12"/><br/>+城兵||rowspan="2" style="font-size:90%;"| [[河田長親]]は既に亡く<ref name="ncP269">天正9年5月24日(異説で9日ともいう)のこと。{{Harvnb|太田|中川|2013|p=269}}</ref>上条政繁が指揮する越中の上杉勢。[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]、[[小島職鎮]]ら一揆勢が[[神保長住]]の[[富山城]]を落として長住を監禁したが<ref name="名前なし-2"/>、織田勢が奪還。柴田・前田らは[[松倉城 (越中国)|松倉城]]と[[魚津城]]を囲み、越境して[[勝山城 (越後国)|勝山城]]も攻めた。上杉景勝は[[新発田重家]]の反乱<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|pp=275-276}}</ref>もあって対応に苦慮。5月16日、景勝は[[天神山城 (越中国)|天神山城]]に後詰で入るが<ref name="史p278">{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=278}}</ref>、[[魚津城の戦い]]の最中に[[長景連]]が[[棚木城]]を奪った際にも、長連龍・前田利家による奪還(22日)<ref name="史p279"/>に為すすべなく、勝ち目のない上杉勢は6月を前にして撤退を検討していた。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||[[柴田勝豊]]・[[佐々成政]]・[[前田利家]]・[[佐久間盛政]]・[[徳山則秀]]・[[神保氏張]]・[[長連龍]]・椎名孫六入道<ref group="注釈">松倉城主。諱は複数伝わる。</ref> |- |colspan="2"|'''[[滝川一益]]'''||rowspan="2"|[[上野国]]||rowspan="2"|26,200<ref>{{Harvnb|国史研究会|1915|p=274}}</ref>||rowspan="2"|出陣||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||rowspan="2" style="font-size:90%;"|滝川一益は当初より後北条氏との取次役であったが、甲州征伐では信忠の補佐役も務めて、3月11日に天目山で武田勝頼父子を自害させて首を取るという大手柄を挙げた。[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]、事実上の一番手柄として、上野国と信濃2郡、名馬を与えられて、関東八州の警固役に任命されて<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=299}}</ref>、[[前橋城|上野厩橋城]]に入城した。上州・信州・武州の諸将{{Efn|小幡は3月25日、真田は3月22日に投降し安堵されている{{Sfn|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|pp=272-273}}。}}を与力として従え、一益はこの軍勢を糾合して、[[三国峠 (群馬県・新潟県)|三国峠]]を越えて越後に攻め入る予定であった。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| <!--空-->||style="font-size:90%;"|[[滝川益重]]・[[津田秀政]]・稲田九蔵・[[小幡信貞]]・[[真田昌幸]]・[[内藤昌月]]・[[由良国繁]]・[[安中久繁]]・[[成田氏長]]・[[木部貞朝]]・[[依田信蕃]] |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| ||[[河尻秀隆]]・[[森長可]]・[[毛利秀頼]]・[[稲葉貞通]]||[[甲斐国]]<br/>[[信濃国]]||不明||鎮定||[[芋川正元]]<ref>{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=274}}</ref>・一揆勢||不明||style="font-size:90%;"|河尻は穴山領を除く甲斐国と諏訪郡を領して[[甲府城|府中城]]に、森長可は北信濃4郡を領して[[松代城|海津城]]に、毛利秀頼は伊奈郡を領して[[飯田城 (信濃国)|飯田城]]に入った<ref name="mP12">{{Harvnb|宮本|2014|p=12}}</ref>。4月初旬、[[飯山城]]を一揆が攻撃して稲葉貞通を追った。長可が反撃して城を奪回し、一揆勢8千余を鎮圧した<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=304}}</ref>。その際に女子供を含む数千人を成敗した。信濃は不穏な状況で、長可の越後攻めは遅延していた。 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden;"| ||[[木曾義昌]]・[[小笠原信嶺]]||信濃国||不明||安堵||-||-||style="font-size:90%;"|木曾義昌は[[木曽谷]]の2郡の安堵、さらに[[安曇郡]]・[[筑摩郡]]を加増された<ref name="ncP300-1">{{Harvnb|太田|中川|2013|pp=300-301}}</ref>。小笠原信嶺も旧領安堵された。 |- |colspan="2"|'''[[徳川家康]]'''・[[穴山信君]]||[[河内国]]||34||旅行||-||-|| style="font-size:90%;"|家康は一貫して低姿勢で、天正3年に叔父[[水野信元]]を、天正7年には嫡男[[松平信康|信康]]を、内通の嫌疑で斬った。天正10年、甲州征伐の折にも信長の帰途を誠心誠意もてなし喜ばれる。駿河を与えられた返礼として家康は穴山梅雪と共に5月中旬に安土は訪れ、信長は光秀や長秀を付けて接待させた。その後、[[堺]]の見物を勧められて[[長谷川秀一]]が案内人として同伴した。 |} <small><br/> ※主な出典は『信長公記』、『史料綜覧』、『[[史籍集覧]]』</small> == 経緯 == ===信長と光秀=== {{Mapbox|zoom=13|type=point}} 天正10年(1582年)[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]、織田信長は(『[[兼見卿記]]』によれば)[[安土城]]に下向した長岡藤孝に命じ、明智光秀を在荘として軍務を解くから翌日に安土を訪れる予定の徳川家康の[[饗応役]]を務めるようにと指示した<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=102-103|ref=owada}}</ref>。そこで光秀は京・堺から珍物を沢山取り揃えて、15日より3日間、武田氏との戦いで長年労のあった徳川家康や、金2,000枚を献じて所領安堵された[[穴山信君|穴山梅雪]]らの一行をもてなした。 ところが、17日、[[備中高松城の戦い|備中高松城攻囲]]中の羽柴秀吉から、毛利輝元・小早川隆景・吉川元春の後詰が現れたので応援を要請するという旨の手紙が届いたため、信長は「今、安芸勢と間近く接したことは天が与えた好機である。自ら出陣して、中国の歴々を討ち果たし、九州まで一気に平定してしまおう」<ref name="sP311"/>{{Refnest|group="注釈"|『信長公記』原文より{{Quotation|信長公此等趣被及聞食今度間近く寄合候事興天所候被成御動座中国之歴々討果九州まで一篇に可被仰付之旨|史籍集覧<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|ref=c19|p=250}}</ref>}}}}と決心して、[[堀秀政]]を使者として備中に派遣し、光秀とその与力衆(長岡藤孝・池田恒興・高山右近・中川清秀・[[塩川長満]])には援軍の先陣を務めるように命じた<ref name="sP311"/>。ただし『[[川角太閤記]]』では、単なる秀吉への援軍ではなく光秀の出陣の目的は毛利領国である[[伯耆国|伯耆]]・[[出雲国|出雲]]に乱入して後方を撹乱することにあったとしている<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=107|ref=owada}}</ref>。ともかく、光秀は急遽17日中に居城[[坂本城]]に戻り、出陣の準備を始めた。{{see also|#饗応役の解任|#旧領丹波・近江の召上}} [[5月19日 (旧暦)|19日]]、信長は[[摠見寺]]で[[幸若義重|幸若太夫]]に[[舞]]をまわせ、家康、近衛前久、梅雪、[[楠木正虎|楠長譜]]、[[長雲軒妙相|長雲]]、[[松井友閑]]に披露させた。信長は大変に上機嫌で、舞が早く終わったので翌日の出し物だった能を今日やるようにと丹波田楽の[[梅若家久|梅若太夫]]に命じたが、見る見るうちに機嫌が悪くなり、不出来で見苦しいといって梅若太夫を厳しく叱責した。その後、幸若太夫に舞を再びまわせ、ようやく信長は機嫌を直したと云う<ref name="sP311"/>。[[5月20日 (旧暦)|20日]]、家康の饗応役を新たに、丹羽長秀、堀秀政<ref group="注釈">備中に向かった時期は不明。</ref>、[[長谷川秀一]]、[[菅屋長頼]]の4名に命じた<ref name="sP312">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=312}}</ref>。信長は家康に京・大坂・奈良・堺をゆるりと見物するように勧めたので、[[5月21日 (旧暦)|21日]]、家康と梅雪は京に出立し長谷川秀一が案内役として同行した。長秀と[[津田信澄]]は大坂に先に行って家康をもてなす準備をするよう命じられた<ref name="sP312"/>。{{efn|『家忠日記』によると、(6月)3日に[[松平家忠]]へ家康と同行していた[[酒井忠次]]から京都より手紙が届き、家康帰国後に西国へ出陣するとの報と、その際に諸国では指物に大旗の使用を止め、撓を用いていることを伝えられている{{sfn|松平|1897|p=56-57}}。[[駒澤大学]]の「『家忠日記』の記事紹介と解説 ②本能寺の変」によると、これは「毛利攻めを行っていた秀吉の援軍のための出陣と思われます」と説明されているが<ref>{{Cite web|和書|author=不明|date=2009-07-23|url=https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/museum/file/ietada_yokoku02_hon-noji.pdf|title=『家忠日記』の記事紹介と解説 ②本能寺の変|format=pdf |publisher=駒澤大学|accessdate=2022-05-07}}</ref>、[[谷口克広]]は、京都と書かれているが、酒井は家康一行の一員として[[伊賀越え]]の途中にあり、河内で変をしるやいなや三河に飛脚を飛ばしたのだろうが、この飛脚は西国出陣準備の命令ばかりで、変については秘密をまもらせたようで、まもなく三河にも変報はつたわるが、家忠が後半に書いたのは別ルートからの情報で、3日中に第一報と第二報を得ていたとしている<ref>{{Citation|和書|last=谷口|first=克広|title=信長と家康―清須同盟の実体|year=2012|publisher=学研プラス|pages=270-271|isbn=978-4054052130}}</ref>。}} 同日、信長の嫡男[[織田信忠|信忠]]も上洛して、一門衆、母衣衆などを引き連れて[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]に入った<ref name="258-259">{{Harvnb|河内|2013|p=258-259}}</ref>。信忠がこの時期に上洛した理由はよくわかっていないが、家康が大坂・堺へ向かうのに同行するためとも、弟[[織田信孝|神戸信孝]]の四国征伐軍の陣中見舞いをする予定で信長と一緒に淡路に行くつもりだったとも言う。いずれにしても、信忠はこの日から変の日まで妙覚寺に長逗留した。 [[5月26日 (旧暦)|26日]]、坂本城を発した光秀は、別の居城である[[亀山城 (丹波国)|丹波亀山城]]に移った。[[5月27日 (旧暦)|27日]]、光秀は亀山の北に位置する[[愛宕山 (京都市)|愛宕山]]に登って[[愛宕神社|愛宕権現]]に参拝し、その日は参籠(宿泊)した。(『信長公記』によると)光秀は思うところあってか太郎坊<ref group="注釈">京都の愛宕山に祀られる天狗のこと。愛宕太郎坊天狗。</ref>の前で二度、三度と[[おみくじ]]を引いたそうである<ref name="ncP313"/>。[[5月28日 (旧暦)|28日]](異説では24日<ref>{{Harvnb|明智|2013|p=27}}</ref>)、光秀は威徳院西坊で[[連歌]]の会([[愛宕百韻]])を催し、28日中に亀山に帰城した<ref name="ncP313"/>。(『川角太閤記』によると)[[山崎長徳|山崎長門守]]と林亀之助が伝えたところによれば、光秀は翌29日に弓鉄砲の矢玉の入った[[長持]]などの百個の荷物を運ぶ輜重隊を西国へ先発させていたと云う<ref name="v3p408-409">{{Harvnb|徳富|1935|pp=408-409|ref=v3}}</ref>。{{see also|#愛宕百韻}} [[File:Honnoji-ato, sekihi.jpg|thumb|220px|本能寺跡碑(京都市中京区)]] [[5月29日 (旧暦)|29日]]、信長は安土城を留守居衆と御番衆に託すと、「戦陣の用意をして待機、命令あり次第出陣せよ」<ref name="ncP313"/>と命じて、供廻りを連れずに[[小姓]]衆のみを率いて上洛し、同日、京での定宿であった本能寺に入った{{refnest|group="注釈"|信長はかつては妙覚寺を寄宿先としていたが、1580年以降はかつての宿所であった本能寺を寄宿先に戻し<ref name="258-259" />、代わりに信忠が妙覚寺を寄宿先として使用するようになった{{sfn|河内|2013|p=258}}。}}。信長の上洛の理由もよくわかっていないが、勧修寺晴豊の『日々記』や信孝朱印状によると、実現はしなかったものの6月4日に堺から淡路へ訪れる予定であったと云い<ref name="ccP9"/>、このことから毛利攻めの中国出陣は早くとも5日以降であったと推測され<ref name="owP133">{{Harvnb|小和田|2014|p=133|ref=owada}}</ref>、安土より38点の名器<ref name="owP133"/>をわざわざ京に運ばせていたことから道具開きの茶会を開いて披露するのが直接的な目的だったと考えられる。博多の豪商[[島井宗室]]が所持する[[楢柴肩衝]]が目当てで、信長は何とかこれを譲らせようと思っていたとも言われる<ref name="owP133"/>が、別の説によればそれはついでで、作暦大権(尾張暦採用問題{{efn|[[改暦#天正10年の例]]を参照。}})など朝廷と交渉するための上洛だったとも云う<ref>{{Harvnb|桐野|2014|pp=10-11}}</ref>。 [[6月1日 (旧暦)|6月1日]]、信長は、近衛前久・[[近衛信尹|信基]]父子、[[二条昭実]]、勧修寺晴豊、[[甘露寺経元]]などの公卿・僧侶ら40名を招き、本能寺で茶会を開いた。名物びらきの茶事が終わると酒宴となり、妙覚寺より信忠が来訪して信長・信忠親子は久しぶりに酒を飲み交わした<ref name="mP7"/>。深夜になって信忠が帰った後も、信長は[[寂光寺]]にて[[本因坊算砂]]と[[鹿塩利賢]]の[[囲碁]]の対局を見て、しばらく後に就寝した<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=134|ref=owada}}</ref>。 ====当時の本能寺==== [[ファイル:本能寺跡出土 瓦.JPG|thumb|120px|right|出土瓦<br/>{{small|[[京都市考古資料館]]展示。}}]] 本能寺は現在とは場所が異なり、東は[[西洞院通|西洞院大路]]、西は[[油小路通]]、南は四条坊門小路(現[[蛸薬師通]])、北は[[六角通]]に囲まれた4町々(1町)の区画内にあって、東西約120メートル南北約120メートルという敷地に存在した。本能寺は天正8年([[1580年]])2月に本堂や周辺の改築が施された<ref>{{Citation |和書 |author=和田裕弘|date=1905 |title=真説本能寺の変|chapter=『本城惣右衛門覚書』について|publisher=集英社|ISBN= 408781260X}}</ref>。堀の幅が約2メートルから4メートルで深さが約1メートルの堀、0.8メートルの石垣とその上の土居が周囲にあって、防御面にも配慮された[[城塞]]のような城構えを持っていたことが、平成19年([[2007年]])の本能寺跡の発掘調査でも確認されている。当時、敷地の東には(後年は暗渠となる)西洞院川があり、西洞院大路の路地とは接せずに土居が川まで迫り出していて、西洞院川は堀川のような役割を果たしていたようである。調査では本能寺の変と同時期のものと見られる大量の焼け瓦、土器、護岸の石垣を施した堀の遺構などが見つかっている{{sfn|山本雅和|PDF|ref=honhon}}。[[河内将芳]]は「信長が本能寺に、信忠が妙覚寺に、それぞれいることが判明しなければ、光秀は襲撃を決行しなかっただろう」という見解を述べている{{sfn|河内|2013|p=259}}が、同じ[[旧二条通|京都二条]]には明智屋敷もあり、動静は把握されていたと考えられる。{{main|本能寺}} === 本能寺討入 === [[File:Oda Udaijin Taira no Nobunaga in Flames at the Temple Honnoji LACMA M.84.31.116.jpg|thumb|200px|燃える本能寺で戦う信長([[月岡芳年]]作)]] <!--以下は、明智旧臣から証言を得たという川角太閤記と一般的に信頼性が高いとする信長公記を中心に表記--> 6月1日、光秀は1万3,000人の手勢を率いて丹波亀山城を出陣した<ref name="ncP314"/>。(『川角太閤記』によれば)「京の[[森成利|森成利(蘭丸)]]より[[飛脚]]があって、中国出陣の準備ができたか陣容や家中の馬などを信長様が検分したいとのお達しだ」と[[物頭]]たちに説明して、午後4時ごろ(申の刻)より準備ができ次第、逐次出発した。[[亀岡市|亀山]]の東の柴野{{refnest|group="注釈"|現在の[[亀岡市]]篠町野条<ref name="owP135">{{Harvnb|小和田|2014|p=135|ref=owada}}</ref>。}}に到着して、[[斎藤利三]]に命じて1万3,000人を勢ぞろいさせたのは、午後6時ごろ(酉の刻)のことであった<ref name="v3p408-409"/>。 光秀はそこから1[[町 (単位)|町]]半ほど離れた場所で軍議を開くと、[[明智秀満|明智秀満(弥平次)]]に重臣達を集めるように指示した。[[明智滝朗]]の『光秀行状記』によると、この場所は[[篠村八幡宮]]であったという伝承があるそうである<ref name="owP135"/>。秀満、[[明智光忠|明智光忠(次右衛門)]]、利三、[[藤田行政|藤田行政(伝五)]]、[[溝尾茂朝]]<ref group="注釈">『信長公記』のほんどの版では溝尾勝兵衛の名前がここでは出てこない。4名となっている。</ref>が集まったところで、ここで初めて謀反のことが告げられ<ref name="v3p409-411">{{Harvnb|徳富|1935|pp=409-411|ref=v3}}</ref>、<!--(『信長公記』によれば)-->光秀と重臣達は「信長を討果し天下の主となるべき調儀」<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|p=252|ref=c19}}</ref>を練った。また(『[[当代記]]』によれば)この5名には[[起請文]]を書かせ、人質を取ったということである<ref name="toP43"/>。{{see also|#諏訪で御折檻|#饗応役の解任|#変の要因}} 亀山から西国への道は南の[[三草山]]を越えるのが当時は普通であったが、光秀は「[[大枝山|老の山(老ノ坂)]]を上り、[[山崎宿|山崎]]を廻って摂津の地を進軍する」<ref name="owP135"/>と兵に告げて軍を東に向かわせた。駒を早めて老ノ坂峠を越えると、沓掛<ref group="注釈">現[[西京区]]大枝沓掛町。</ref>で休息を許し、夜中に[[兵糧丸|兵糧]]を使い、馬を休ませた。沓掛は京への道と西国への道の分岐点であった<ref name="owP136">{{Harvnb|小和田|2014|p=136|ref=owada}}</ref>が(『川角太閤記』によれば)信長に注進する者が現れて密事が漏れないように、光秀は家臣[[安田国継|天野源右衛門(安田国継)]]を呼び出し、先行して疑わしい者は斬れと命じた<ref name="v3p413-415">{{Harvnb|徳富|1935|pp=413-415|ref=v3}}</ref>。夏で早朝から畑に瓜を作る農民がいたが、殺気立った武者が急ぎ来るのに驚いて逃げたので、天野はこれを追い回して20、30人斬り殺した<ref name="v3p413-415"/>。なお、大軍であるため別隊が京へ続くもう一つの山道、[[唐櫃越]]から四条街道を用いたという「明智越え」の伝承もある<ref>{{Citation |和書| last =上田| first =滋 |year =2012|title = 真説本能寺の変 |isbn=9784569805801|publisher=PHP研究所}}</ref>。 [[6月2日 (旧暦)|6月2日]]未明、[[桂川 (淀川水系)|桂川]]に到達すると、光秀は[[触]]をだして、馬の沓を切り捨てさせ、徒歩の足軽に新しく足半(あしなか)の草鞋に替えるように命じ、火縄を一尺五寸に切って火をつけ、五本ずつ火先を下にして掲げるように指示した<ref name="v3p413-415"/><ref>{{Harvnb|工藤|2014|p=21}}</ref>。これは戦闘準備を意味した。 明智軍に従軍していた[[本城惣右衛門]]による『[[本城惣右衛門覚書]]』には「(家康が上洛していたので)いゑやすさまとばかり存候」という記述があり、家臣たちは御公儀様(信長)の命令で徳川家康を討ち取ると思っていたとされ、真の目的が知らされていなかったことを示している{{efn|これは通説では「家康を討つため」と本城が思っていたと解釈されていたが、白峰旬は家康の援軍となるためという解釈であるとしている{{sfn|白峰旬|2020|p=55、68-69}}。}}。[[ルイス・フロイス]]の『[[フロイス日本史|日本史]]』にも「或者は是れ或は信長の内命によりて、其の親類たる三河の君主(家康)を掩殺する為めではないかと、疑惑した」<ref name="v3P430">{{Harvnb|徳富|1935|pp=430-431|ref=v3}}</ref><ref name="owa4P13">{{Harvnb|小和田|2014|p=13|ref=owada4}}</ref>という記述があり、有無を言わせず、相手を知らせることなく兵を攻撃に向かわせたと書かれている。一方で『川角太閤記』では触で「今日よりして天下様に御成りなされ候」<ref name="v3p413-415"/>と狙いが信長であることを婉曲的に告げたとし、兵は「出世は手柄次第」<ref name="owP137">{{Harvnb|小和田|2014|p=137|ref=owada}}</ref>と聞いて喜んだとしている。 なお、このときに光秀が「[[敵は本能寺にあり]]」と宣言したという話が有名であるが、これは江戸時代前期の[[元禄]]年間頃に成立した『[[明智軍記]]』にある「敵は四条本能寺・二条城にあり」や、[[寛永]]18年(1641年)に成立したとされる[[林羅山]]の『織田信長譜』で、[[大江山]]の出来事として「光秀曰敵在本能寺於是衆始知其有叛心(光秀曰く、敵は本能寺にあり。これを於いて衆はその叛心有るを知る)」<ref>{{Cite web|和書|author= |format=pdf |url=https://websv.aichi-pref-library.jp/wahon/detail/60.html|title=織田信長譜|website=貴重和本デジタルライブラリー |publisher=愛知芸術文化センター愛知県図書館|accessdate=2022-02-04}}</ref>という記述を出典として変化した俗説である。江戸時代後期の[[文政]]10年(1827年)に[[頼山陽]]が様々な歴史書から引用して書き上げた『[[日本外史]]』では、桂川を渡る際に「吾敵在本能寺矣(我が敵は本能寺に在り)」と述べたという記述になった<ref>{{国立国会図書館デジタルコレクション|770378/25|日本外史. 巻14 徳川氏前記 織田氏下|format=EXTERNAL}}</ref>。しかし同時代史料には光秀の言葉は一切残っていない。 桂川を越えた辺りで夜が明けた<ref name="ncP314"/>。先鋒の斎藤利三は、市中に入ると、町々の境にあった木戸を押し開け、潜り戸を過ぎるまでは[[幟]]や旗指物を付けないこと、本能寺の森・[[サイカチ|さいかち]]の木・竹藪を目印にして諸隊諸組で思い思いに分進して、目的地に急ぐように下知した<ref name="v3p413-415"/>。 6月2日曙(午前4時ごろ<ref name="owP137"/>)、明智勢は本能寺を完全に包囲し終えた。寄手の人数に言及する史料は少ないが、『[[祖父物語]]』ではこれを3,000余騎としている<ref name="soP88"/>。南門から突入した本城惣右衛門の回想によれば、寺内にはほとんど相手はおらず、門も開きっぱなしであったという{{sfn|白峰旬|2020|p=55}}。 [[image:Honnoj Yakiuchi.jpg|thumb|330px|『真書太閤記 本能寺焼討之図』([[楊斎延一|渡辺延一]]作)]] 『信長公記』によれば、信長や小姓衆はこの喧噪は最初下々の者の喧嘩だと思っていたが、しばらくすると明智勢は鬨の声を上げて、御殿に鉄砲を撃ち込んできた。信長は「さては謀反だな、誰のしわざか<ref name="ncP314"/>(こは謀反か。如何なる者の企てぞ)<ref name="c19P253">{{Harvnb|近藤瓶城|1926|p=253|ref=c19}}</ref>」と蘭丸に尋ねて物見に行かせたところ「明智の軍勢と見受けます<ref name="ncP314"/>(明智が者と見え申し候)<ref name="c19P253"/>」と報告するので、信長は「やむをえぬ<ref name="ncP314"/>([[是非に及ばず]])<ref name="c19P253"/>」と一言いったと云う。通説では、この言葉は、光秀の謀叛であると聞いた信長が、彼の性格や能力から脱出は不可能であろうと悟ったものと解釈されている<ref>{{Harvnb|工藤|2014|p=24}}</ref>。また異説であるが、『[[三河物語]]』では信長が「城之介がべつしんか」と尋ねてまず息子である信忠([[秋田城介]])の謀叛(別心)を疑ったということになって、蘭丸によって「あけちがべつしんと見へ申」と訂正されたことになっている<ref name="mikawa">{{Citation |和書|last =|first=|editor=国民文庫刊行会|year=1912|chapter=三河物語|title =雑史集|publisher=国民文庫刊行会|url={{NDLDC|1906666/125}} 国立国会図書館デジタルコレクション|page=227}}</ref>。スペイン人貿易商[[ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン|アビラ・ヒロン]]が書いた『[[日本王国記]]』では、噂によると、信長は明智が包囲していることを知らされると、口に指をあてて、「余は余自ら死を招いたな」と言ったということである<ref>[[アビラ・ヒロン]]『日本王国記』大航海時代叢書XI 岩波書店1965年、p.163</ref>。 明智勢が四方より攻め込んできたので、御堂に詰めていた[[番衆|御番衆]]も御殿の小姓衆と合流して一団となって応戦した<ref name="ncP315">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=315}}</ref>。矢代勝介(屋代勝助){{refnest|group="注釈"|『当代記』によれば奥州出身の馬術家と云う<ref name="toP43"/>。}}ら4名は厩から敵勢に斬り込んだが討死し、厩では中間衆など24人が討死した。御殿では台所口で高橋虎松が奮戦してしばらく敵を食い止めたが、結局、24人が尽く討死した。[[湯浅直宗]]と[[小倉松寿]]は町内の宿舎から本能寺に駆け込み、両名とも斬り込んで討死にした。 信長は初め[[弓 (武器)|弓]]を持って戦ったが、どの弓もしばらくすると弦が切れたので、次に[[槍]]を取って敵を突き伏せて戦うも(右の)肘に槍傷を受けて内に退いた<ref name="ncP315"/>。信長はそれまで付き従っていた[[女房|女房衆]]に「女はくるしからず、急罷出よ」<ref name="c19P253"/>と逃げるよう指示した<ref group="注釈">『信長公記』を書いた[[太田牛一]]は信長に近侍した御弓衆であった。諸版本の『池田家本「信長記」』には、「信長の最後の直前まで傍らにいた本能寺から避難した女衆に取材した」と、他版とは異なる記述ある。</ref>。『当代記』によれば三度警告し、避難を促したと云う<ref name="toP43"/>。すでに御殿には火がかけられていて、近くまで火の手が及んでいたが、信長は殿中の奥深くに篭り、内側から納戸を締めて切腹した<ref name="ncP315"/>{{refnest|group="注釈"|信長の最後は、『信長公記』では「御腹めされ」<ref name="c19P253"/>と切腹したとし、『惟任退治記』など他の多くこれに従って切腹を意味する表現が使われている。他方『当代記』では「焼死玉ふか」<ref>{{Harvnb|国書刊行会|1912|p=43}}</ref>と焼死かもしれないと言葉を濁している。}}。『信長公記』ではこの討ち入りが終わったのが午前8時(辰の刻)前とする<ref name="ncP318">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=318}}</ref>。([[#妙覚寺・二条御新造|続き]]) ;「光秀ハ鳥羽ニ」 近年、光秀は本能寺の現場には行かず、襲撃は部下に実行させていたとする学説が出てきた。光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の[[吉田兼見]]の日記に「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」と記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘され<ref name=":0" />、果たして本能寺の変のときに光秀本人がどこにいたのかは、研究者の間でも議論されてきた。江戸時代前期の[[加賀藩]]の兵学者・[[関屋政春]]の著書『[[乙夜之書物]](いつやのかきもの)』{{efn|金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本。}}には、光秀の重臣・斎藤利三の三男で本能寺の変当時16歳で自らも変に関わった[[斎藤利宗]]が、甥で加賀藩士の井上清左衛門に語った内容が収録されている<ref name=":0" />が、[[富山市郷土博物館]]主査学芸員の[[萩原大輔]]は同書を読解して、重臣の利三と秀満が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と光秀は寺から約8km南の[[鳥羽 (洛外)|鳥羽]]に控えていたとし<ref name=":0" />、奥書(書き入れ)に政春が息子のために書き残したもので他人に見せることは厳禁と書かれていることなどから、萩原は信頼性が高い記述であると判断している<ref name=":0" />。[[本郷和人]]{{efn|東京大史料編纂所教授(日本中世史)。}}は、光秀が本能寺に行かなかったことについて、「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話している<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=明智光秀は本能寺に行かなかった?家臣が実行、古文書に:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASP136HT4NDZULZU009.html||archiveurl=https://megalodon.jp/2022-0205-2313-44/https://www.asahi.com:443/articles/ASP136HT4NDZULZU009.html|archiveservice=[[ウェブ魚拓]]|archivedate=2022-02-05|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-01-03|language=ja}}</ref>。 ; 宣教師の話 一方、本能寺南側から僅か1街(約254メートル)<ref name="owa4P13"/>離れた場所に[[南蛮寺]]([[教会]])があったので、[[イエズス会]][[宣教師]]達がこれの一部始終を遠巻きに見ていた。彼らの証言を書き記したものが、天正11年の『イエズス会日本年報』にある。 この日、[[フランシスコ・カリオン]]司祭が早朝ミサの準備をしていると、キリシタン達が慌てて駆け込んできて、危ないから中止するように勧めた<ref>{{Harvnb|大野|2014|ref=oh2|pp=32-33}}</ref>。その後、銃声がして、火の手が上がった。また別の者が駆け込んで来て、これは喧嘩などではなく明智が信長に叛いて包囲したものだという報せが届いた。本能寺では謀叛を予期していなかったので、明智の兵たちは怪しまれること無く難なく寺に侵入した。信長は起床して顔や手を清めていたところであったが、明智の兵は背後から弓矢を放って背中に命中させた。信長は矢を引き抜くと、薙刀という[[鎌]]のような武器<ref group="注釈">『惟任謀反記』には十文字鎌鑓を用いたという記述があり、あるいはそれを描写したものか。</ref>を振り回して腕に銃弾が当たるまで奮戦したが、奥の部屋に入り、戸を閉じた。或人は、日本の大名にならい割腹して死んだと云い、或人は、御殿に放火して生きながら焼死したと云う。だが火事が大きかったので、どのように死んだかはわかっていない。いずれにしろ「諸人がその声ではなく、その名を聞いたのみで戦慄した人が、毛髪も残らず塵と灰に帰した」<ref name="owa4P13"/>としめている。<ref name="owP138">{{Harvnb|小和田|2014|p=138|ref=owada}}</ref><ref>{{Harvnb|徳富|1935|pp=428-432|ref=v3}}</ref> ====信長の首と遺体==== {{multiple image | align = right | direction = vertical | width = 220 | image1 = Honnouji Nobunagako-byo2.jpg | alt1 = 本能寺信長公廟 | caption1 = 現在の本能寺にある信長公廟 | image2 = 20120310-KoyaOdaNobunagaNoHaka.jpg | caption2 = 高野山[[金剛峯寺]]にある信長供養塔 | alt2 = 高野山金剛峯寺 }} {{multiple image | align = right | direction = horizontal | width1 = 220 | image1 = Souken-in 2.JPG | caption1 = 大徳寺総見院の信長公供養塔 | alt1 = 織田信長公供養塔 | width2 = 220 | image2 = Nishiyama honmonji Nobunaga kubizuka.JPG | caption2 = 西山本門寺の伝承「信長公首塚」 | alt2 = 信長公首塚 | footer = 他に[[妙心寺]]玉鳳院、[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]]、神護山崇福寺にも信長・信忠の墓がある }} 戦後、明智勢は信長の遺体をしばらく探したが見つからなかった。光秀も不審に思って捕虜に色々と尋ねてみたが、結局、行方は分からずじまいだった<ref name="toP43"/>。(『祖父物語』によれば)光秀が信長は脱出したのではないかと不安になって焦燥しているところ、これを見かねた斎藤利三が(光秀を安心させるために)合掌して火の手の上がる建物奥に入っていくのを見ましたと言ったので、光秀はようやく重い腰を上げて二条御新造の攻撃に向かった<ref name="soP88"/>。 後世、光秀が信長と信忠の首を手に出来ずに生存説を否定できなかったために、本能寺の変以後、信長配下や同盟国の武将が明智光秀の天下取りの誘いに乗らなかったのであるという説がある<ref>{{Citation |和書| last=|first=|editor=小学館|volumes=8号 (豊臣秀吉 1(中国大返し))|year =2010| title =週刊真説歴史の道|publisher =小学館|page=10}}{{ASIN|B004ETENOW}}</ref>。後の[[中国大返し]]の際に羽柴秀吉は多くの武将に対して「上様ならびに殿様いづれも御別儀なく御切り抜けなされ候。膳所が崎へ御退きなされ候」<ref name="tegami">{{Citation |和書| last=桑田|first=忠親|series=文春文庫|year =1985| title =太閤の手紙|publisher =文芸春秋|isbn=4167303027}}</ref><ref group="注釈">現代語訳にすると、「上様(つまり信長)と殿様(つまり信忠)は無事に(変を)切り抜けて助かり、膳所ヶ崎(大津市)に退いた」という内容。</ref>との虚報を伝え広めたが、数日間は近江近在でも信長生存の情報が錯綜し、光秀が[[山岡景隆]]のような小身の与力武将にすら協力を拒まれたところを見ると、それが明智勢に不利に働いたことは否めない。 日本の木造の大きな建物が焼け落ちた膨大な残骸の中からは、当時の調査能力では特定の人物の遺骸は見つけられなかったであろうと、未発見の原因を説明する指摘もある{{Sfn|鈴木|藤本|2006}}。『祖父物語』によれば、蘭丸は信長の遺骸の上に畳を5、6帖を覆いかぶせた<ref name="soP88"/>と云い、前述の宣教師の話のように遺体が灰燼に帰してしまうことはあり得ることである。 また異説として、信長が帰依していたとする[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]]([[上立売通]]大宮)の縁起がある。変が起きた時、大事を聞きつけた[[玉誉清玉]]上人は僧20名と共に本能寺に駆けつけたが、門壁で戦闘中であって近寄ることができなかった。しかし、裏道堀溝に案内する者があり、裏に回って生垣を破って寺内に入ったが、寺院にはすでに火がかけられ、信長も切腹したと聞いて落胆する。ところが墓の後ろの藪で10名あまりの武士が葉を集めて火をつけていたのを見つけ、彼らに信長のことを尋ねると、遺言で遺骸を敵に奪われて首を敵方に渡すことがないようにと指示されたが、四方を敵に囲まれて遺骸を運び出せそうにもないので、火葬にして隠してその後切腹しようとしているところだと答えた。上人はこれを聞いて生前の恩顧に報いる幸運である、火葬は出家の役目であるから信長の遺骸を渡してくれれば火葬して遺骨を寺に持ち帰り懇ろに弔って法要も欠かさないと約束すると言うと、武士は感謝してこれで表に出て敵を防ぎ心静かに切腹できると立ち去った。上人らは遺骸を荼毘に付して信長の遺灰を法衣に詰め、本能寺の僧衆が立ち退くのを装って運び出し、阿弥陀寺に持ち帰り、[[塔頭]]の僧だけで葬儀をして墓を築いたと云う<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|pp=429-431|ref=c25}}</ref>。また二条御新造で亡くなった信忠についても、遺骨(と思しき骨)を上人が集めて信長の墓の傍に信忠の墓を作ったと云う。さら上人は光秀に掛け合って変で亡くなった全ての人々を阿弥陀寺に葬る許可を得たとしている。秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事領300石があてられたが、上人はこれを度々拒否したので、秀吉の逆鱗に触れ、[[大徳寺]][[総見院 (京都市)|総見院]]を織田氏の宗廟としてしまったので、阿弥陀寺は廃れ無縁寺になったという。この縁起「信長公阿弥陀寺由緒之記録」は古い記録が焼けたため、[[享保]]16年に記憶を頼りに作り直したと称するもので史料価値は高くはないという説もあるが、この縁で阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存する。ただし阿弥陀寺と墓は天正15年に上京区鶴山町に移転している。 また別の異説として、作家[[安部龍太郎]]と歴史家[[山口稔]]によれば、[[西山本門寺]]([[静岡県]][[富士宮市]])寺伝に本能寺の変の時に信長の供をしていた原宗安(志摩守)<ref group="注釈">宗安は西山本門寺の18世日順上人の父親。宗安の父胤重と兄孫八郎清安は、本能寺で亡くなり、その父兄の首と共に信長の首を運び出して、寺で供養したという内容。</ref>が[[本因坊算砂]]の指示で信長の首を寺に運んで供養したという記載があるという<ref>昭和54年1月に読売新聞に掲載された宗門研究家・山口稔の記事、および安部龍太郎「謎に迫る・富士山麓に埋められた信長の首」(『歴史街道』2000年1月号、pp.59-65)</ref>。 『崇福寺文書』によると、信長の側室の1人である[[興雲院|小倉氏(お鍋の方)]]が、6月6日<ref group="注釈">この日まさに明智光秀は安土城におり、朝廷の使者として来訪した吉田兼見と会見していた。</ref>、美濃の[[崇福寺 (岐阜市)|崇福寺]]に信長・信忠の霊牌(霊代を祭る木札)を持ち込んだ<ref name="史p283">{{Harvnb|東京帝国大学文学部史料編纂所|1944|p=283}}</ref>とあり、同寺にも織田信長公父子廟があるが(前述の非公認を除けば)最初の墓であった。 === 妙覚寺・二条御新造 === 北北東に1.2キロ離れた<ref name="ku25">{{Harvnb|工藤|2014|p=25}}</ref>場所にあった妙覚寺(旧地・上妙覚寺町)の信忠は、光秀謀反の報を受けて本能寺に救援に向かおうと出たが、[[村井貞勝|村井貞勝(春長軒)]]ら父子3名が駆け付けて制止した。村井邸(三条京極・旧春長寺)は現在の本能寺門前にあったが、当時の本能寺は場所が異なるため、東に約1キロ離れた所にあった。前述のように本能寺は全周を水堀で囲まれて、特に西洞院川に遮られる東側からの接近は困難であり、四門を明智勢に囲まれた後では容易に入る事はできなかった。そこで彼らは[[旧二条通|二条通]]の方に向かって、妙覚寺に馳せ参じたのである。 [[image:二条殿3776.JPG|thumb|200px|二条御新造址(京都市中京区両替町通御池上る東側)]] (『信長公記』によれば)春長軒が「本能寺はもはや敗れ、御殿も焼け落ちました。敵は必ずこちらへも攻めてくるでしょう。二条の御新造は構えが堅固で、立て籠もるのによいでしょう<ref name="ncP315"/>(本能寺は早落去仕、御殿も焼落候、定而是へ取懸申すべく候間、二條新御所者、御構よく候、御楯籠然るべし<ref name="v3P420-421">{{Harvnb|徳富|1935|pp=420-421|ref=v3}}</ref>)」と言うので、信忠はこれに従って隣の二条御新造([[二条新御所]]{{efn|信忠の死去の地について「[[二条城]]」と称されることが多いが、今日では足利義昭の居城として築かれた[[二条御所]]ではなく、義昭が追放された後に[[二条晴良]]から信長に提供された旧[[押小路烏丸殿]]のことだと考えられている。}})に移った。信忠は、二条御新造の主である東宮・[[誠仁親王]]と、若宮・[[後陽成天皇|和仁王(後の後陽成天皇)]]に、戦場となるからと言ってすぐに内裏へ脱出するように促した。春長軒が交渉して一時停戦し<ref name="ccP20-21"/>、明智勢は[[輿]]を使うのを禁止したが、徒歩での脱出を許可した<ref>{{Harvnb|徳富|1935|p=432|ref=v3}}</ref>。脱出したものの街頭で途方に暮れていた親王一家を心配し、町衆である連歌師[[里村紹巴]]が粗末な荷輿を持ってきて内裏へ運んだ<ref name="ccP20-21">{{Harvnb|桐野|2014|pp=20-21}}</ref>。[[勧修寺晴子|阿茶局]]や二宮、御付きの公卿衆や女官衆もすべて脱出したのを見届けた上で、信忠は軍議を始めた。側近の中には「退去なさいませ」と脱出して安土へ向かうことを進言する者もあったが、信忠は「これほどの謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい。雑兵の手にかかって死ぬのは、後々までの不名誉、無念である。ここで腹を切ろう<ref name="ncP316">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=316}}</ref>(か様之謀叛によものがし候はじ、雑兵之手にかゝり候ては、後難無念也。ここに而腹を切るべし<ref name="v3P420-421"/>)」と神妙に言った。(『当代記』によれば)信忠が[[毛利良勝]]、[[福富秀勝]]、[[菅屋長頼]]と議論している間に、明智勢は御新造の包囲も終えて、脱出は不可能となった<ref name="to43-44">{{Harvnb|国書刊行会|1912|p=43-44}}</ref>。 正午ごろ(午の刻<ref name="to43-44"/>)、明智勢1万が御新造に攻め寄せてきた<ref name="to43-44"/>。信忠の手勢は500名余で、さらにこれに在京の信長の馬廻衆が馳せ参じて1,000から1,500名ほどになっていた<ref name="ku25"/><ref name="owP139">{{Harvnb|小和田|2014|p=139|ref=owada}}</ref>。信忠の手勢には、腕に覚えのある母衣衆が何名もおり、獅子奮迅の戦いを見せた。1時間以上戦い続け<ref group="注釈">時間については『イエズス会日本年報』</ref>(『蓮成院記録』によると)信忠勢は門を開けて打って出て、三度まで寄手を撃退したほど奮戦した<ref name="ccP20-21"/>。小澤六郎三郎は町屋に寄宿していたが、信長がすでに自害したと聞き、周囲が止めるのも聞かずに急いで信忠の御座所に駆けつけて、明智勢を装って包囲網を潜り抜けると、信忠に挨拶をしてから門の防戦に加わった<ref name="ncP316"/>。[[梶原景久]]の子松千代は町屋で病で伏せていたが、急を聞きつけて家人の又右衛門と共に御新造に駆けつけた。信忠は感激して長刀を授け、両名とも奮戦して討死した<ref name="toP44"/>。明智勢は[[近衛前久]]邸の屋根に登って弓鉄砲で狙い打ったので、信忠側の死傷者が多くなり、戦う者が少なくなった。明智勢はついに屋内に突入して、建物に火を放った<ref name="ncP316"/>。 信忠は、切腹するから縁の板を外して遺骸は床下に隠せと指示し、[[鎌田新介]]に介錯を命じた。一門衆や近習、郎党は尽く枕を並べて討死しており、死体が散乱する状況で、火がさらに迫ってきたので、信忠は自刃し、鎌田は是非もなく首を打ち落して、指示に従って遺体を隠した<ref name="ncP316"/>。(『当代記』によれば)鎌田は自分は追腹をするべきだと思ったが、どうした事かついに切らずじまいだった<ref name="to43-44"/><ref group="注釈">『明智軍記』では、鎌田は井戸にしばらく身を隠して脱出したと云う。</ref>。(御新造が焼け落ちたことで)信忠の遺体も「無常の煙」となった<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|ref=c19|p=255}}</ref><ref name="ncP316"/>。 ;信忠側近の奮戦と殉死者 妙覚寺には、一門衆や赤母衣衆が多数滞在していた。彼らは信忠と共に二条御新造に移って上記のように奮戦したが、衆寡敵せず、[[斎藤利治|斎藤利治(新五)]]を中心に福富秀勝・菅屋長頼・[[猪子兵助]]・[[団忠正]]らが<ref>{{Citation|和書|last=|first= |editor= 富加町史編集委員会|year=1975|title= 富加町史|volume =史料編 上|publisher=富加町|pages=723-724}}{{ASIN|B000J9E7PG}}</ref>火を放ちよく防いでいる間<ref>{{Citation|和書|last= |first= |editor= 富加町史編集委員会|year= 1980|title= 富加町史|volume =通史編 下|publisher= 富加町|page= 232|chapter = 新五の最期|isbn= }}{{ASIN|B000J871OG}}</ref>に信忠は自刃した。側近たちもそれぞれ討ち死を遂げた。『南北山城軍記』には「班久勇武記するに遑あらず且諸記に明らけし、終に忠志を全ふして天正十壬午六月二日未刻、京師二条城中において潔く討死して、君恩を泉下に報じ、武名を日域に輝かせり」とある。 家人も忠義を尽くした。[[安藤守就]]の家臣に[[松野一忠|松野平介]]と云うものがあり、安藤が追放された時に松野だけは信長によって召し抱えられたために大恩があったが、変の起こったときに遠方にいて[[妙顕寺 (京都市)|妙顕寺]]に着いたときにはすべてが終わっていた。松野は斎藤利三の知り合いで明智家に出仕するように誘われたが、主人の危機に際して遅参した上に敵に降参するのは無念であると言って、信長の後を追って自害した。土方次郎兵衛というものも、同じく変に間に合わなかったことを無念に思って、追腹をして果てた<ref name="ncP316"/>。 == 討死、自害した人物 == === 本能寺 === {{col| * [[織田信長]]<ref>{{Harvnb|徳富|1935|p=419, 431, 434|ref=v3}}。{{Harvnb|クラツセ|1925|p=434}}</ref> * [[森成利]]<ref name="p417-419">『信長公記』。{{Harvnb|徳富|1935|pp=417-419|ref=v3}}</ref> (蘭丸) - [[森可成|可成]]三男 * [[森長隆]]<ref name="p417-419"/> (坊丸) - 可成四男 * [[森長氏]]<ref name="p417-419"/> (力丸) - 可成五男 * [[小河愛平]]<ref name="p417-419"/> * [[高橋虎松]]<ref name="p417-419"/> * [[金森長則|金森義入]]<ref name="p417-419"/> * 菅屋角蔵<ref name="p417-419"/>{{efn|二条御新造で戦死とする史料もある。}}- 長頼の子 * 魚住勝七<ref name="p417-419"/> | * 武田喜太郎<ref name="p417-419"/> * 大塚又一郎<ref name="p417-419"/> * 狩野又九郎<ref name="p417-419"/> * 薄田輿五郎<ref name="p417-419"/> * 今川孫二郎<ref name="p417-419"/> * 落合小八郎<ref name="p417-419"/> * 伊藤彦作<ref name="p417-419"/> * 久々利亀<ref name="p417-419"/> * 種田亀<ref name="p417-419"/> | * 山田弥太郎<ref name="p417-419"/> * 飯河宮松<ref name="p417-419"/> * 祖父江孫<ref name="p417-419"/> * [[柏原鍋丸|柏原鍋兄弟]]<ref name="p417-419"/> * [[一雲斎針阿弥]]<ref name="p417-419"/> - [[同朋衆]] * 平尾久助<ref name="p417-419"/> * 大塚孫三<ref name="p417-419"/> * [[湯浅直宗]]<ref name="p417-419"/> * [[小倉松寿]]<ref name="p417-419"/> | * 矢代勝介<ref name="p417-419"/> * [[伴資家|伴太郎左衛門]]<ref name="p417-419"/><!-- - [[伴惟安]]の一族--> * 伴正林<ref name="p417-419"/> * 村田吉五<ref name="p417-419"/> * 小澤六左衛門<ref name="soP88">{{Harvnb|塙保己一|1925|p=88}}</ref><sup> ※4</sup> * 赤座直則<ref>{{Citation|和書|editor=渡辺俊|title=日本歴史大辞典 第1号|year=1931|publisher=関西名勝史蹟調査会|pages=100|url={{NDLDC|1191810/54}} 国立国会図書館デジタルコレクション}} </ref> }} === 二条御新造 === {{Col-begin}} {{Col-4}} * [[織田信忠]]<ref name="p24">『信長公記』。{{Harvnb|徳富|1935|p=424|ref=v3}}</ref> - 信長長男 * [[織田長利|津田又十郎]]<ref name="nobu-n">{{Harvnb|太田|中川|2013|p=315-17}}</ref> - 信長弟 * [[織田勝長|津田源三郎]]<ref name="nobu-n"/> - 信長五男 * 津田勘七(元秀)<ref name="nobu-n"/> - 一門衆 * 津田小藤次<ref name="nobu-n"/> - 一門衆 * [[斎藤利治]]<ref name="p22"/> - [[斎藤道三|道三]]末子 * [[村井貞勝]]<ref name="nobu-n"/> - 奉行衆 * [[猪子兵助]]<ref name="p22">『信長公記』。{{Harvnb|徳富|1935|p=422|ref=v3}}</ref> * [[福富秀勝]]<ref name="p22"/> - 奉行衆 * [[野々村正成]]<ref name="p22"/>{{refnest|group="注釈"|『三河物語』では籠城に加われずに追腹をしたとある<ref name="mikawa"/>。}} - 奉行衆 * 篠川兵庫<ref name="p22"/> * [[下石頼重]]<ref name="p22"/> * [[下方弥三郎]]<ref name="nobu-n"/> * [[毛利良勝]]<ref name="p22"/> * 毛利岩<ref name="nobu-n"/> - 良勝の子 * [[赤座永兼]]<ref name="p22"/> {{Col-4}} * [[団忠正]]<ref name="p22"/> * [[坂井越中守]]<ref name="p22"/> - [[坂井政尚|政尚]]の子 * 櫻木傳七<ref name="p22"/> * 逆川甚五郎<ref name="p22"/> * 服部小藤太<ref name="p22"/> * 小澤六郎三郎<ref name="p22"/> - 奉行衆 * 服部六兵衛<ref name="p22"/> * 水野九蔵<ref name="p22"/> * 山口小弁<ref name="nobu-n"/> * 山口半四郎<ref name="p22"/> * 塙伝三郎<ref name="p22"/> * 河野善四郎<ref name="p22"/> * 寺田善右衛門<ref name="p22"/> * [[村井貞成|村井作右衛門]]<ref name="nobu-n"/> - 貞勝長男 * [[村井清次]]<ref name="nobu-n"/> - 貞勝二男 * [[村井宗信|村井新右衛門]]<ref name="nobu-n"/> - 貞勝弟 {{Col-4}} * [[菅屋長頼]]<ref name="nobu-n"/> - 奉行衆 * 菅屋勝次郎<ref name="nobu-n"/> - 長頼の子 * [[平古種吉]] - 長頼の家臣 * [[津田元嘉]]<ref name="nobu-n"/> * 永井新太郎<ref name="nobu-n"/> * 春日源八郎<ref name="nobu-n"/> * 種村彦次郎<ref name="nobu-n"/> * 桑原助六<ref name="nobu-n"/> * 桑原九蔵<ref name="nobu-n"/> * 村瀬虎<ref name="nobu-n"/> * [[佐々清蔵]]<ref name="nobu-n"/> - [[佐々輝子|岳星院]]の夫 * 石田孫左衛門<ref name="nobu-n"/> * 宮田彦次郎<ref name="nobu-n"/> * 浅井清蔵<ref name="nobu-n"/> * 高橋藤<ref name="nobu-n"/> * 小河源四郎<ref name="nobu-n"/> {{Col-4}} * 神戸二郎作<ref name="nobu-n"/> * 大脇喜八<ref name="nobu-n"/> * 犬飼孫三<ref name="nobu-n"/> * 石黒彦二郎<ref name="nobu-n"/> * 越智小十郎<ref name="nobu-n"/> * 平野新左衛門<ref name="nobu-n"/> * 平野勘右衛門<ref name="nobu-n"/> * 水野宗介<ref name="nobu-n"/> * 井上又蔵<ref name="nobu-n"/> * [[飯尾敏成]]<ref name="nobu-n"/> * 賀藤辰<ref name="nobu-n"/> * [[竹中彦八郎]]<ref name="nobu-n"/> - [[竹中重元|重元]]の子 * 河崎与介<ref name="nobu-n"/> * 梶原松千代<ref name="toP44" /> * 梶原又右衛門<ref name="toP44"/> {{Col-end}} <small><br/> ※1 本能寺では上記以外に、中間衆24名が死亡したという<ref>『信長公記』。{{Harvnb|徳富|1935|p=417|ref=v3}}</ref>。<br/> ※2 [[松野一忠]]と土方次郎兵衛は変後に追腹をした<ref name="p24-25">『信長公記』。{{Harvnb|徳富|1935|pp=424-425|ref=v3}}</ref>。<br/> ※3 『信長公記』には見られないが、『祖父物語』にある。鷹匠頭と云う。<br/> ※4 [[岡部又右衛門|岡部以言(又右衛門)]] <ref group="注釈">[[安土城]]などの大工棟梁。</ref>と[[岡部以俊]]にはこのとき本能寺で戦死したという説がある。</small> == 生存者 == 本能寺に滞在していた女性たちは、信長に「女どもは苦しからず。さあ」として脱出を促された{{sfn|近藤瓶城|1926|天正十年六月朔日項}}ほか、誠仁親王と側近の公家衆や女衆も織田・明智両勢の協議により脱出を許されており、寺には僧侶などもいたため、かなりの数の生存者がいた。多くの家臣が戦って討ち死した一方で、一部の家臣には逃げ出した者もいた。 信長の弟・[[織田長益]](源五、後の有楽斎)は、妙覚寺に滞在していて、信忠に従って二条御新造に籠もったが、臣たちを欺いて脱出し、難を逃れたという<ref> {{Citation |和書|last=谷口 |first=克広 |author2=[[高木昭作]](監修)|author-link=谷口克広 |year=1995|title=織田信長家臣人名辞典|publisher=吉川弘文館|isbn=4642027432|ref={{sfnref|谷口|1995}}|pages=99|chapter=織田長益}}</ref>。『[[武家事紀]]』によると、長益も下人に薪を積ませて自決の準備をさせていたが、周囲に敵兵がいないのに気付いて、ここで死ぬのは犬死と思い脱出したと云う<ref name="v3P426-427">{{Harvnb|徳富|1935|pp=426-427|ref=v3}}</ref>。『当代記』には「織田源五被遁出ケリ、時人令悪」{{sfn|国書刊行会|1912|loc=『当代記』|p=44}}とあり、長益の脱出を当時の人は悪しき行いであると批判したといい、『[[義残後覚]]』では、長益が信忠にとにかく早く自害するようにと勧めたとされており、200余の郎党の多くも討死したのに対して、当の長益は自害せずに逃げ出したことを「哀れ」とする。さらに京童が嘲笑って、「織田の源五は人ではないよ お腹召させておいて われは安土へ逃げるゝ源五 六月二日<!--この日付は引用部分なので漢数字-->に大水出て 織田の源なる名を流す」と不名誉を皮肉った[[落首]]が流れたとしている<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1930|ref=cc71|pp=17-18, 5巻}}</ref><ref name="v3P426-427"/>。長益は無事に安土城を経て[[岐阜県|岐阜]]へと逃れた。 また[[刈谷城]]主の[[水野忠重]](宗兵衛)も、長益同様に信忠に従って妙覚寺から二条御新造に移ったが、難を逃れて、しばらく京都に潜伏位した後、脱出している{{sfn|谷口|1995|p=413}}。『三河物語』によれば、長益だけでなく、[[山内康豊]]([[山内一豊|一豊]]の弟)も[[狭間]]をくぐって脱出したと云う<ref name="mikawa"/>。 [[前田玄以]]も、京都から脱出して岐阜に逃れ、遺命に従って(岐阜城にいた)信忠の子三法師を守って、さらに清須に退いた<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%89%8D%E7%94%B0%E7%8E%84%E4%BB%A5-16535 前田玄以(まえだ げんい)とは - コトバンク] - [[朝日人物百科事典]]、[[河村昭一]]執筆項、[[世界大百科事典]] 第2版</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=[[上田穣|上田穰]] |title=一歴史家の見た御伽草子『猫のさうし』と禁制 |journal=奈良県立大学研究季報 |issn=13465775 |publisher=奈良県立大学 |year=2003 |month=dec |volume=14 |issue=2・3 |pages=9-18 |naid=110004688378 |url=http://id.nii.ac.jp/1447/00000661/}}</ref><ref>[[高柳光壽]]・[[松平年一]]著 『増訂版・戦国人名辞典』 (吉川弘文館 、昭和48年7月20日発行)所収 「前田玄以」による</ref>。 また、二条御新造の戦闘では、[[ネグロイド|黒人]]の家臣・[[弥助]]も戦ったと云う。弥助はもともと、[[宣教師]]との謁見の際に信長の要望で献上された黒人の[[奴隷]]であるが、弥助は捕虜となった後も殺されずに生き延びた<ref>{{Citation |和書|last=加唐|first=亜紀|author-link=|page=109|year =2014|title =大迫力!写真と絵でわかる日本の合戦 |publisher =西東社|ISBN=9784791621163}}</ref>{{refnest|group="注釈"|原典はフロイスが送った書簡『1582年のイエズス会日本年報追加』<ref>{{Citation |和書|author1=村上直次郎|author2=柳谷武夫(訳)|year=2002| title =イエズス会日本年報 上|series=新異国叢書|publisher =雄松堂出版 |ISBN=484191000X}}</ref>による<ref name="s101">{{Citation |和書| last=川口|first=素生 |author-link=川口素生|year=2005| title =織田信長101の謎 : 知られざる私生活から、「本能寺の変」の真実まで |publisher =PHP研究所|ISBN=4569664318}}</ref>。}}。しかしその後の消息は不明である<ref name="s101"/><ref group="注釈">本能寺の変に触れるドラマの中では、弥助が信長に殉じて討ち死にするという描かれ方をされることもある。</ref>。 == 著名な逸話 == 古典史料・古典作品には下記の本能寺の変に関係したよく知られた逸話が登場する。これらは後節で述べる諸説の根拠とされるが、史料の大半が江戸時代以降に書かれているために、全てについて信憑性に問題があり、幾つかは完全な創作と判断されている。以下、内容と共に信憑性についても説明する。 === 諏訪で御折檻 === 『[[祖父物語]](朝日物語)』『川角太閤記』に見られる逸話で、甲州征伐を終えた後に諏訪で「我らが苦労した甲斐があった」と祝賀を述べた光秀に対して、「おのれは何の功があったか」と信長が激怒し、光秀の頭を欄干に打ち付けて侮辱した。衆人の前で恥をかかされた光秀は血相を変えたと云う<ref name="hasibaP11">{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|p=11}}</ref>。 [[image:Ehon taikouki Mituhide ouda.jpg|thumb|信長が光秀を打擲(『絵本太閤記』)]] {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍--> 信州諏訪郡何レノ寺ニカ御本陣可<sub>レ</sub>被<sub>レ</sub>置ト。其席ニ而明智申ケルハ。扨(さて)モ箇様成目出度事不<sub>二</sub>御座(おわし)マサ<sub>一</sub>。我等モ年来骨折タル故。諏訪郡ノ内皆御人敷也。何レモ御覧セヨト申ケルハ。信長御気色替リ。汝ハ何方ニテ骨折武邊ヲ仕ケルヲ。我社(こそ)日頃粉骨ヲ盡(つく)シタル悪キ奴ナリトテ。懸造リノ欄干ニ明智ガ頭ヲ押附テ扣(たた)キ給ウ。其時明智諸人中ニテ耻ヲカキタリ。無念千万ト存詰タル気色顕レタル由傳タリ。|『祖父物語』より一節<ref>{{Harvnb|塙保己一|1925|p=87}}</ref><ref name="v3P391">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=391}}</ref>| }} ; 信憑性 『祖父物語』は伝聞形式の軍記物で、比較的古い[[寛永]]年間ごろに書かれた。いわゆる、巷説を集めたもので信憑性は玉石混淆であって、登場する逸話の信憑性の判断は難しい。『信長公記』には3月19日に[[法華寺 (諏訪市)|諏訪法花寺]]を本陣としたという記録<ref name="ncP298"/>があって符合する点もあり、後述のルイス・フロイスの書簡などにも[[#野望説|信長が光秀を殴打したという話]]があるため、荒唐無稽の作り話と否定できない<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=100|ref=owada}}</ref>が、[[元和 (日本)|元和]]年間(元和7年から9年ごろ<ref>{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi1|p=15}}</ref>)の『川角太閤記』の記述を『祖父物語』が加筆して膨らませたという説もあり<ref name="hasibaP11"/>、内容には疑問が残る。いずれにしても二次、三次的な史料である。ただしこの逸話は、光秀が朝廷工作を行って正親町天皇から「東夷武田を討て」との武田討伐の大義名分となる勅命を拝領したという功績を、信長が価値のないものとして踏み躙ったわけであるから、[[#怨恨説|怨恨説]]の根拠の1つとしてよく引用されてきた。 === 饗応役の解任 === 明智光秀が徳川家康の饗応役を命じられながらも、その手際の悪さから突然解任されたとする話が『川角太閤記』にある。織田信長は検分するために光秀邸を訪れたが、一歩門を入ると魚肉の腐った臭いが鼻を付いたので、怒ってそのまま台所に向かって行き、「この様子では家康の御馳走は務まるまい」と言って光秀を解任し、饗応役を堀秀政に替えた。赤恥をかいた光秀は腹立ちまぎれに肴や器を堀に投げ棄て、その悪臭が安土の町にふきちらされたと云う<ref>{{Harvnb|西村|1932|p=303}}</ref>。 [[image:Ehon taikouki Mituhide sekkann.jpg|thumb|信長の勘気に触れ、饗応役を解任され、食い下がって森蘭丸に殴打される光秀 (『絵本太閤記』)]] {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍、尚、引用文のため改変しないように--> 家康卿は駿河國御拝領の為<sub>二</sub>御禮<sub>一</sub>、穴山殿を御同道被<sub>レ</sub>成、御上洛之由被<sub>二</sub>聞召付<sub>一</sub>、御宿には明智日向守所御宿に被<sub>二</sub>仰付<sub>一</sub>候處に、御馳走のあまりにや、肴など用意次第、御覧可<sub>レ</sub>被<sub>レ</sub>成ために、御見舞候處に、夏故用意のなまざかな、殊の外さかり申候故、門へ御入被成候とひとしく、風につれ悪き匂い吹来候。其香り御聞付被成、以之外御腹立にて、料理の間へ直に御成被<sub>レ</sub>成候。此様子にては、家康卿馳走は成間敷(なるまじく)と、御腹立被<sub>レ</sub>成候て、堀久太郎の所へ御宿被<sub>二</sub>仰付<sub>一</sub>候と、其時節の古き衆の口は右の通とうけ給候。<br/>信長紀には大寶坊所、家康卿御宿に被<sub>二</sub>仰付<sub>一</sub>候と御座候。此宿の様子は、二通に御心得可<sub>レ</sub>被<sub>レ</sub>成候。日向守面目を失ひ候とて、木具さかなの臺、其外用意のとり肴以下無<sub>レ</sub>残ほりへ打こみ申候。其悪にほひ安土中へふきちらし申と相聞え申候事。|『川角太閤記』より一節<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=382-384}}</ref>| }} 『[[常山紀談]]』にも「東照宮御上京の時、光秀に馳走の事を命ぜらる。種々饗禮の設しけるに、信長鷹野の時立寄り見て、肉の臭しけるを、[[草鞋]]にて踏み散らされけり。光秀又新に用意しける處に、備中へ出陣せよと、下知せられしかば、光秀忍び兼ねて叛きしと云へり」<ref>{{Harvnb|湯浅常山|1911|p=206}}</ref>とある。 ; 信憑性 『川角太閤記』は太閤秀吉の伝記ではあるが、史料としても一定の価値があると見なされた時期があり、この話は江戸・明治時代には史実と捉えられていて、[[#怨恨説|怨恨説]]の根拠の1つとされた。同記では光秀が決起の理由を、信長に大身に取り立ててもらった恩はあるが、3月3日の節句に大名高家の前で岐阜で恥をかかされ、[[#諏訪で御折檻|諏訪で折檻]]され、饗応役を解任されて面目を失ったという3つの遺恨が我慢ならないので、(家臣賛同が得られなくても)本能寺に1人でも乱入して討入り、腹切る覚悟だと述べている<ref name="v3p409-411"/>。これに対して、明智秀満が進み出て、もはや秘密に出来ず「一旦口にした以上、決行するしかない」<ref name="owP135"/>という趣旨の意見を表明し、続いて斎藤利三、溝尾勝兵衛が打ち明けられた信頼に感謝して「明日より[[上様]]と呼ばれるようになるでしょう」と賛同したという話となっているのである<ref name="v3p409-411"/>。 しかし、上記の文章内でも言及されている『信長公記(信長紀)』には、そもそも家康の宿舎は光秀邸でも秀政邸でもなく大宝坊という別の屋敷で、光秀は饗応役を3日間務めたと違う話が書かれており、解任の話は見られない。これは『川角太閤記』における光秀が謀反をした理由の核心部分であり、こういった事実がないということになれば信憑性を失う。むしろ怨恨説を説明する逸話として後世創作され、付け足された物語ではないかと考えられ、[[小和田哲男]]は、解任された可能性がないわけではないとしつつも、光秀の不手際による解任ではなく最初から3日間の任務であり、ここから光秀が信長に恨みを抱くという必然性は見いだせないとする<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=105-106|ref=owada}}</ref>。また江戸中期の[[元文]]年間に書かれた『常山紀談』に関しては、出典の異なる多数の逸話を雑然と(しかもやや改変して)一つにまとめて載せたという二次、三次史料であり、信憑性はそもそも期待できない。 === 旧領丹波・近江の召上 === 『明智軍記』に、信長の出陣命令を受けて居城に戻る際に光秀のもとに上使として[[青山吉次|青山輿三]]が訪れ、「(まだ敵の所領である)出雲・石見の二カ国を与えるがその代わりに、丹波と近江の志賀郡を召上げる」と伝えたという話があり、それを聞いた光秀主従が怒り落胆して謀反を決断したと云う<ref name="owP107-108">{{Harvnb|小和田|2014|pp=107-108|ref=owada}}</ref>。 [[image:Ehon taikouki Mituhide uramu.jpg|thumb|出雲・石見への国替えに苦悩する光秀主従(『絵本太閤記』)]] {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍--> …惟任日向守に、出雲石見を賜ふとの儀也。…(中略)…乍<sub>レ</sub>去丹波近江は召上らるゝ由を申捨て、帰りける。…(中略)…光秀併家子郎等共、闇夜に迷ふ心地しけり。其故は出雲、石見の敵國に相向ひ、軍ヲ取結ぶ中に旧領丹波、近江を召上られんに付ては、妻子眷属小時も身を置く可き所なし。…(中略)…口惜しき次第なり。…(中略)…佐久間右衛門尉、林佐渡守、荒木摂津守、其他の輩滅却せし如く、当家も亡ぼす可き御所存の程、鏡に掛て相見え候。…(中略)…謀反の儀、是非に思立せ給ふ可しと、臣下の面々、怒れる眼に涙を浮かべて申ければ、光秀終に是れに従ひ…|『明智軍記』より一節<ref name="v3P387-388">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=387-388}}</ref>| }} ; 信憑性 この話は[[#怨恨説|怨恨説]]の有力な根拠と江戸時代はされていたが、『明智軍記』は軍記物であってもともと信憑性が薄く、[[徳富蘇峰]]は「之は立派な小説である」<ref name="v3P387-388"/>と断じ、小和田も「事実だったとは思えない」<ref name="owP107-108"/>と言っている。国替えについては史料的根拠も残っていない{{refnest|group="注釈"|「国替え説」は、唯一史料として変19日前の5月14日付けの丹波国人、[[土豪]]への軍役を課した神戸信孝の軍令書が存在し、この人見家文書の[[花押]]の真偽を巡る学問的な論議となっている。しかし、[[簗田広正]]や滝川一益が同様の敵地への領地替えが行われた際は、彼らの旧領はしばらく安堵されていたので、これは新領獲得まで旧領安堵するという当時の作法ではという説がある<ref name="kensyou">{{Citation |和書|last=谷口|first=克広|author-link=谷口克広| year=2007|title=検証本能寺の変|publisher=吉川弘文館|ISBN=9784642056328}}</ref>。}}。現代の歴史学者はたとえそれが事実であったと仮定しても、所領の宛行(あてがい)はよくあったことで、この場合は形式的にも栄転・加増であって、家を追われるような類のものではなく、恨みを抱くような主旨のものではなかったと考えている。小和田は山陰という場所が「近畿管領」からの左遷にあたると思った可能性があるのではないかと[[#秀吉ライバル視説|秀吉ライバル視説]]に通じると推測する<ref name="owP107-108"/>ものの、「理不尽な行為とうけとるのは間違っている」<ref name="owP107-108"/>とも指摘する。しかも転封先の出雲には出雲大社、石見には[[石見銀山]]があり銀山という経済基盤を手に入れる事ができるなら左遷ではなく栄転の可能性もあるとされる。 === 愛宕百韻 === 『信長公記』にも、亀山城出陣を前にして[[愛宕権現]]に参籠した光秀が翌日、威徳院西坊で[[連歌]]の会を催したとある。この連歌は「愛宕百韻」あるいは「明智光秀張行百韻」として有名である<ref name="owP119">{{Harvnb|小和田|2014|p=119|ref=owada}}</ref>が、光秀の発句「ときは今 天が下知る 五月哉」の意味は、通説では、「とき(時)」は源氏の流れをくむ[[土岐氏]]の一族である光秀自身を示し、「天が下知る」は「天(あめ)が下(した)治る(しる)」であり、すなわち「今こそ、土岐氏の人間である私が天下を治める時である」<ref name="owP119"/>という大望を示したものと解釈される。光秀の心情を吐露したものとして、[[#野望説|野望説]]の根拠の1つとされる。『[[三河後風土記|改正三河後風土記]]』では、光秀は連歌会の卒爾に本能寺の堀の深さを問うと云い、もう一泊した際に同宿した[[里村紹巴]]によれば、光秀は終夜熟睡せず嘆息ばかりしていて紹巴に訝しげられて佳句を案じていると答えたと云うが、これはすでに信長が本能寺に投宿するのを予想して謀反を思案していたのではないかとした<ref>{{Harvnb|徳富|1935|p=403|ref=v3}}</ref>。 {{Quotation| {{(!}}style{{=}}"white-space:nowrap; margin:0px; padding:0px; border:0px;"{{!}} {{!}}ときは今 天が下知る<ref group="注釈" name="kudasuru">京都大学付属図書館所蔵の愛宕百韻写本では「下なる」とされている。</ref> 五月哉{{!!}} {{!!}}光秀 {{!}}  {{!!}}水上(みながみ)まさる 庭のまつ山<ref group="注釈">「まつ山」は「夏山」ともされる。</ref>{{!!}} {{!!}}[[威徳院行祐|行祐]] {{!-}} {{!}}花落つる 池の流を<ref group="注釈">「池の流を」は「池のなかれ」ともされる。</ref> 堰とめて{{!!}} {{!!}}[[里村紹巴|紹巴]] {{!}}  {{!!}}かせは霞を 吹をくるくれ{{!!}} {{!!}}[[大善院宥源|宥源]] {{!-}} {{!}}春も猶 かねのひゝきや 消ぬらん{{!!}} {{!!}}[[里村昌叱|昌叱]] {{!}}  {{!!}}かたしく袖は 有明の霜{{!!}} {{!!}}[[里村心前|心前]] {{!)}} |『愛宕百韻』より一節<ref name="owP119"/><ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=401}}</ref><ref name="ncP313"/>|}} 『常山紀談』にも「天正10年5月28日、光秀愛宕山の西坊にて百韻の連歌しける。ときは今あめが下しる五月かな 光秀。水上(みなかみ)まさる庭のなつ山 西坊。花おつる流れの末をせきとめて 紹巴。明智土岐姓なれば、時と土岐を読みを通わせてハ天下を取るの意を含めり」<ref>{{Harvnb|湯浅常山|1911|p=241}}</ref>とある。秀吉は光秀を討取った後、連歌を聞いて怒って、紹巴を呼んで問い詰めたが、紹巴は発句は「天が下なる」であり「天が下しる」は訂正されたものであると涙を流して詭弁を言ったので、秀吉は許したと云う<ref>{{Harvnb|湯浅常山|1911|pp=241-242}}</ref>。 ; 解釈 [[image:Ehon taikouki Renka.jpg|thumb|光秀連歌の図(『絵本太閤記』)]] 百韻は神前奉納されて写本記録も多く史料の信憑性も高いが、一方で連歌の解釈については異論が幾つかある。そもそもこれは連歌であり、上の句と下の句を別の人が詠み、さらに次の人と百句繋げていくというものであって、その一部に過ぎない句を取り出して解釈することに対する批判が早くからあった。桑田忠親は「とき=時=土岐」と解釈するのは「後世の何びとかのこじつけ」<ref name="owP119-122">{{Harvnb|小和田|2014|pp=119-122|ref=owada}}</ref>で明智氏の本姓土岐であることが有名になったのはこのこじつけ発であるとした。[[明智憲三郎]]は句は「天が下なる」<ref group="注釈" name="kudasuru"/>の誤記であり、「今は五月雨が降りしきる五月である」<ref>{{Harvnb|明智|2013|p=25}}</ref>という捻りの無いそのままの意味であったと主張する。 他方で、[[津田勇]]は『[[歴史群像]]』誌上「愛宕百韻に隠された光秀の暗号―打倒信長の密勅はやはりあった」<ref>『歴史群像』p.154-161, 1995年4月号</ref>で、連歌がの古典の一節を踏まえて詠まれたものであると指摘。発句と脇句は『延慶本平家物語』の一文を、次の紹巴は『源氏物語[[花散里]]』の一文を、その他にも『太平記』『増鏡』など多く読み込まれている作意は、朝敵や平氏を討ち源氏を台頭させるという寓意が込められているとし、(発句の通説解釈は間違いかもしれないが)百韻は連衆の一致した意見として織田信長を討つという趣旨で、通説の構図は間違っていないと主張する<ref name="owP119-122"/>。これらは全体としては[[#朝廷守護説|朝廷守護説]]や[[#源平交代説|源平交代説]]などに通じるものである。また[[立花京子]]は、「まつ山」ではなく「夏山」である場合であるが、脇句が細川幽斎が以前に詠んだ句との類似を指摘している。 {{see also|明智光秀#愛宕百韻の真相|愛宕百韻}} === 光秀の老母が磔に === 『総見記』『絵本太閤記』『常山紀談』などに在る話。天正7年(1569年)6月、光秀は自身の母親を人質として出し、丹波[[八上城]]主[[波多野秀治]]・[[波多野秀尚|秀尚]]兄弟や従者11人を、本目の城([[神尾山城]]か)での酒宴に誘って、彼らを伏兵で生け捕りにして安土に移送したが、秀治はこの時の戦傷がもとで死に、秀尚以下全員は信長の命令で磔にされた。激怒した八上城の家臣は光秀の母親を磔にして殺害したと云うもの。 [[image:Ehon taikouki yagamizyou.jpg|thumb|八上の城兵、光秀の老母を斬罪にする図(『絵本太閤記』)]] {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍--> 光秀天正七年六月、修験者を遣して、丹波の波多野右衛門大夫秀治が許に、光秀が母を質に出し謀りければ、秀治其弟遠江守秀尚、共に本目の城に来りけるを、酒宴して饗し、兵を伏せ置きて、兄弟を始め従者十一人を生捕り、安土に遣しけり。秀治は伏兵と散々に戦ひし時、 傷を蒙り途中にて死す。信長秀尚以下を安土にて磔にされたり。丹波に残り居たる者ども、明智が母を磔にしたり。…|『常山紀談』<ref name="joP205"/>| }} ; 信憑性 この話は怨恨説のうちでも、とりわけ有名であるが、『総見記』や『柏崎物語』は、光秀の「調略」による波多野兄弟の誘降に関する記録を恣意的に解釈したもので、事実とはほど遠く、創作であり、信じるに足りない<ref name="名前なし-4">宮本義己「本能寺の変―光秀蹶起の真相を検証する―」(二木謙一編『明智光秀のすべて』新人物往来社、1994年){{要ページ番号|date=2022年2月}}</ref>。 『信長公記』によると、長期の包囲により八上城内は飢餓状態に追い込まれ、草や木をも食用とし、最後には牛や馬を食べたが、ついに口にするものがなくなり、城外に出たところを包囲軍に切り捨てられたとされ、頃合を見計らって光秀は、調略をもって秀治を捕らえたとされる{{sfn|近藤瓶城|1926|p=165-166|ref=c19}}<ref name="名前なし-4"/>。この場合の調略は、秀治の家臣を誘降し、彼らの手で城主の波多野兄弟を捕らえさせ、降伏させたという説があるから、人質交換の余地など、全く見当たらない。戦況からして、八上城の落城は確実であったわけであるから、光秀としても、あえて母親を人質とする必要に迫られることはなかったのである<ref name="名前なし-4"/>。 === 酒席での逸話 === [[文禄]]年間に書かれた{{efn|義残後覚の成立年代は実際にはやや下るものと見られている<ref>[[土井大介]] [http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00950001-0339 山中鹿介異聞 : 『義残後覚』に見る「戦国咄」のありかた]、2008</ref>。}}雑話集『[[義残後覚]]』<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1930|ref=cc71|pp=23-25}}</ref>に、[[庚申待]]の際に小用で黙って退出しようとした光秀が、酔った信長から槍を首筋に突きつけられ「如何にきんか頭何とて立破るぞ」と凄まれる話がある。光秀は平謝りして許され、頭髪を乱して全身から冷や汗をかいた<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=390-391}}</ref>。これを発展させた話が『常山紀談』にあり、「又信長ある時、酒宴して七盃入り盃をもて光秀に強ひらるゝ。光秀思ひも寄らずと辞し申せば、信長脇差を抽き、此白刃を呑むべきか、酒を飲むべきか、と怒られしかば酒飲みてけり」<ref name="joP205">{{Harvnb|湯浅常山|1911|p=205}}</ref>と、これでは無理矢理飲まされた<ref name="v3P391"/>ように加筆されている。似たような話が江戸後期の随筆『[[翁草]]』にも収録されているが、これらは共に信憑性は薄い。フロイスの『日本史』には'''信長自身が酒を飲まなかった'''とあり、信長が酒を嗜まなかったという話は同時代の医師[[ルイス・デ・アルメイダ]]の書簡にも見られるので事実と考えられており<ref name="sira">{{Citation |和書| last=川口|first=素生 |author-link=川口素生|year =2005| title =織田信長101の謎 : 知られざる私生活から、「本能寺の変」の真実まで |publisher =PHP研究所|ISBN=4569664318}}</ref>、信長が酔って絡むといった話はそもそもあり得ないことだった。 === 斎藤利三を巡る争い === 『川角太閤記』などのある話。斎藤利三はもともと[[稲葉良通|稲葉一鉄]]の被官(家来)であったが、故あって離れ、光秀のもとに身を寄せて家臣として高禄で召し仕えられたので、一鉄が信長に訴え、信長は利三を一鉄のもとへ返すよう命じた。光秀はこれを拒否して「[[wikt:畢竟|畢竟]]は君公の恩に奉ぜんが為」といったが<ref name="v3P389">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=389}}</ref>、信長は激怒して光秀の髷を掴んで引き摺りまわし、脇差に手までかけた。光秀は涙を流して憤怒に堪えたとする。 {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍--> 信長事の外、御立腹有て、予が下知にても、聞間敷とや、推参なりと被<sub>レ</sub>仰、髻を取て、二三間突走らかし給へば、其儘御次の間へ退出す。光秀が婿織田七兵衛尉信澄、御前に在りけるが、此有様を見て、驚き噪ぎ立つ。信長忿怒の余りに、御脇差を抜かんとし給へ共、早く北去り静まり給ふ。明智は御次の間にて、涙を流し、面目を失ひたりと云て、我屋へ帰りけり。是を見る人、光秀の風情、只事ならざると囁きけれ共、御取立の出頭人なれば、誰有て御耳に立る者無し。頓て御前も相済、折々の出仕なり。|『東照軍鑑』<ref name="v3P389"/>}} 『常山紀談』では「其後稲葉伊予守家人を、明智多くの禄を与へ呼び出せしを、稲葉求むれ共戻さず。信長戻せと下知せられしをも肯はず。信長怒って明智が髪を捽み引き伏せて責めらるゝ。光秀國を賜り候へども、身の為に致すことなく、士を養ふを、第一とする由答へければ、信長怒りながらさて止みけり」<ref>{{Harvnb|湯浅常山|1911|pp=205-206}}</ref>とある。その他、『明智軍記』『柏崎物語』などにも同種の話があり、[[#怨恨説|怨恨説]]の根拠の1つとされる。 === 恵林寺を成敗 === [[image:Nobunaga strikes Mitsuhide.jpg|thumb|[[恵林寺]]を焼こうとするのを諫めた光秀を打ち据える信長]] 『信長公記』に、[[天正]]10年([[1582年]])[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]、甲州征伐で武田氏が滅亡した後に[[恵林寺]](甲州市塩山)に逃げ込んだ佐々木次郎([[六角義定]])の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠が、[[津田元嘉|織田元秀]]・[[長谷川与次]]・[[関成重|関長安]]・[[赤座永兼]]に命じて寺を焼き討ちさせた。僧150人が殺され、住職[[快川紹喜]]は身じろぎもせずに焼け死んだ<ref>{{Harvnb|太田|中川|2013|p=303}}</ref>。有名な「心頭滅却すれば火もまた涼し」は紹喜の辞世の句の下の句という。 以上が史実であったが、『絵本太閤記』等ではこれに加えて、光秀が強く反対し、制止しようとして信長の逆鱗に触れ、折檻してさらには手打ちにしようとしたと云う、これまで見てきたものと似たような展開とされている。しかし、そもそも焼討を命じたのは信忠であり、同日、信長は甲府にいた。他方で、快川紹喜は[[土岐氏]]の出身で、光秀も内心穏やかではなかったのではないかという説<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=102|ref=owada}}</ref>もあり、(光秀が制止したという創作は除いて)諸説の補強説明に利用されることがある。 === 三コウ === 信長が寂光寺にて観戦した算砂と利玄の対局は[[コウ|三コウ]]が現れ[[無勝負]]で終わったが、その直後に信長が討ち取られたことから、三コウは不吉の前兆とされるようになった<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=囲碁史最大の謎 手順解明 本能寺の変 直前対局 大珍事「三コウ」発生 出雲の桑本 棋士囲碁新聞で発表、関心呼ぶ |url=https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/154359 |website= |date=2022-01-25 |access-date=2023-05-18 |language=ja |publisher=[[山陰中央新報]]デジタル}}</ref>。この対局の[[棋譜]]は128手目まで残されているが、三コウが出現したところまでの手順は残っていない。128手目では白を持っていた算砂が勝勢であったとするのが長年の形勢判断であり、故に有利な算砂が三コウによる無勝負を受け入れる理由がないため、後世の創作であるとされてきた<ref name=":1" />。2022年になり、プロ棋士の[[桑本晋平]]が残された棋譜を精査した結果、白の勝勢が決してはおらず、黒と白が最善を尽くした上でなお三コウへと至る手順が存在しうることを発表した<ref name=":1" />。 == 変の要因 == === 研究史上の評価 === 本能寺の変は当時最大の権力者であった信長が死亡し、時代の大きな転換点となった事件であり、[[小和田哲男]]は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]における最後の[[下剋上]]と評している<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=7, 17|ref=owada3}}</ref>。信長を討った光秀がその動機を明らかにした史料はなく、また光秀の重臣も短期間でほとんど討たれてしまったため、その動機が明らかにされることはなかった{{sfn|呉座勇一|2018|p=204}}。更に光秀が送った手紙等も後難を恐れてほとんど隠蔽されてしまったため、本能寺の変の動機を示す資料は極めて限定されている。小和田は「日本史の謎」と表現している<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=110|ref=owada}}</ref>。「永遠のミステリー」といった表現が行われることもある<ref name="oh1P9"/>。 明治以降、本能寺の変というテーマは何度も研究家に取り上げられ、通史の中で触れられてきた。[[東京帝国大学]]教官の[[田中義成]]、[[渡辺世祐]]、[[花見朔巳]]、牧野信之助などのほか、[[近世日本国民史]]の著者である[[徳富蘇峰]]も持論を述べている<ref>[[谷口克広]] 歴史群像デジタルアーカイブス<織田信長と本能寺の変> 2014年10月 [[学研プラス|学研パブリッシング]]</ref>。しかし、織豊期・日本中世史の研究者が謀反の動機を究明する動きは一貫して低調であった<ref name="kirinosakujin_maegaki">[[桐野作人]]『だれが信長を殺したのか』[[PHP新書]]、2007年、まえがき</ref>。[[呉座勇一]]によれば、現在の日本史学会においては光秀が謀反を起こした理由は重要な研究テーマと見られておらず{{sfn|呉座勇一|2018|p=4}}、日本中世史を専門とする大学教授が本能寺の変を主題とした単著は極めて少ない{{sfn|呉座勇一|2018|p=3-4}}。呉座は該当する単著は[[藤田達生]]の『謎とき本能寺の変』<ref>{{Cite book|和書|author=藤田達生|title=謎とき本能寺の変|publisher =講談社|origyear = 2003|series =[[講談社学術文庫]]|year=2019}}</ref>ぐらいであろうとしているが、この本も信長権力の評価に重点が置かれている{{sfn|呉座勇一|2018|p=3-5}}。本能寺の変の歴史的意義としては信長が死んだことと秀吉が台頭したことであり、光秀の動機が何であれ、黒幕がいたとしても後世の歴史に何の影響も与えておらず、日本中世史学会において光秀の動機や黒幕を探る議論は「キワモノ」であると見なされている{{sfn|呉座勇一|2018|p=3-4}}。 在野史家の[[桐野作人]]はそのような学会での評価を踏まえた上で、本能寺の変の真相を究明することで織田権力内部における固有の矛盾の有り様や織田権力末期の実態を解明できるかもしれないとしている<ref name="kirinosakujin_maegaki" />。 しかし、史料が存在しないということは、裏返すと個人の推理や憶測といった想像を働かせる余地が大きいということであり、中世史研究家ではない「素人」でも参入しやすい{{sfn|呉座勇一|2018|p=205}}。このため、在野の研究家のみならず、専門の中世史研究家ではない小説家・作家といった多くの人々が自説を展開してきた{{sfn|呉座勇一|2018|p=205}}。呉座はこれほど多くの説が乱立している日本史上の陰謀は他にないと評している{{sfn|呉座勇一|2018|p=205}}。 === 諸説概論 === なぜ光秀は信長を討ったのか。<!--引用-->「これが定説だ」とか「通説になっている」というものは現在のところ存在しない<!--引用終わり--><ref name="owP111"/>{{efn|小和田哲男は有力視されている説として、下記の1.野望説、2.突発説、3.怨恨説、32.朝廷黒幕説を上げている<ref name="owP111"/>。}}。変の要因については、[[江戸時代]]から[[明治]]・[[大正]]を経て[[昭和]]40年代ごろまでの「主流中の主流」<ref name="oh1P9"/>の考えは、[[#野望説|野望説]]と[[#怨恨説|怨恨説]]であった。「光秀にも天下を取りたいという野望があった」<ref name="owP111"/>とする野望説は、謀反や反逆というものは[[下克上]]の戦国時代には当たり前の行為<ref name="owP111">{{Harvnb|小和田|2014|p=111|ref=owada}}</ref>であったとするこのころの認識から容易く受け入れられ、古典史料に記述がある信長が光秀に加えた度重なる理不尽な行為こそが原因<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=388-392}}</ref>であったとする[[#怨恨説|怨恨説]]と共に、史学会でも長らく揺らぐことはなかった。これは[[講談]]・[[軍記物]]など俗書が広く流布されていたことに加えて、前節[[#著名な逸話|著名な逸話]]で述べたように、二次、三次的な古典史料に対して考証的検証が不十分だったことに起因する。2説以外には、[[頼山陽]]が主張した自衛のために謀反を起こしたとする説<ref name="v3P395-398">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=395, pp.396-398}}</ref>など、受動的な動機を主張するものの総称である[[#不安説|不安説]](焦慮説/窮鼠説)もあったが、怨恨が恐怖に復讐が自衛に置き換わっただけで論拠に本質的な違いはなかった。 [[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]には実証史学に基づく研究が進んだが、この分野で先鞭をつけた[[高柳光寿]]は野望説論者で、昭和33年([[1958年]])に著書『明智光秀』を発表してそれまで比較的有力視されてきた怨恨説の根拠を一つひとつ否定した<ref name="owP111"/>。怨恨説論者である[[桑田忠親]]がこれに反論して、両氏は比較的良質な一次史料の考証に基づいた議論を戦わせたが、桑田は昭和48年([[1973年]])に同名の著書『明智光秀』を発表して、単純な怨恨説(私憤説)ではなく武道の面目を立てるために主君信長を謀殺したという論理で説を展開した<ref name="owP111"/>ので、それが近年には義憤説、多種多様な[[#名分存在説|名分存在説]]に発展している。[[#信長非道阻止説|信長非道阻止説]]の[[小和田哲男]]もこの系譜に入る。また野望説は、変後の光秀の行動・計画の支離滅裂さが批判されたことから、天下を取りたいという動機を同じにしながらも事前の計画なく信長が無防備に本能寺にいることを見て発作的に変を起こしたという[[#突発説|突発説(偶発説)]]という亜種に発展した<ref name="owP111"/>。しかし考証的見地からの研究で判明したことは、結局、'''どの説にも十分な根拠がない'''ということであり、それがどの説も未だに定説に至らない理由となっている。 野望説も怨恨説も不安説等も光秀が自らの意思で決起したことを前提とする[[#光秀単独犯説|光秀単独犯説]](光秀主犯説)であったが、これとは全く異なる主張も現れた。作家[[八切止夫]]は、昭和42年([[1967年]])に著書『信長殺し、光秀ではない』を発表して[[#V. 主犯存在説|主犯別在説]](いわゆる、[[陰謀論]]の一種)の口火を切った。八切は「[[濃姫]]が斎藤利三と共謀して本能寺に兵を向けさせた。その際、四国侵攻準備中の織田軍をマカオ侵略と誤認した宣教師が、爆薬を投げ込んで信長を殺害したもの」<ref name="oh1P9"/>で「光秀自身はまったく関与していない」と書き、光秀無罪という奇想天外な主張をしたので、歴史家には無視されたものの、史料の取捨選択と独自解釈について一石を投じるものとなった<ref name="oh1P9">{{Harvnb|大野|2014|p=9|ref=oh1}}</ref>。 {{Anchors|平成の新説として注目された朝廷黒幕説}}また、昭和43年(1968年)に[[岩沢愿彦]]が「本能寺の変拾遺 ―『日々記』所収天正十年夏記について」<ref>{{Cite journal|和書|author=岩沢愿彦 |title=本能寺の変拾遺--「日々記」所収天正十年夏記について |journal=歴史地理 |issn=03869180 |publisher=吉川弘文館 |year=1968 |month=apr |volume=91 |issue=4 |pages=1-12 |naid=40003824362 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I898909-00}}</ref>という論文を発表して勧修寺晴豊の『日々記』を活字で復刻した<ref name="iro" />ことをきっかけにして公家衆の日記の研究が進み、[[平成]]3年([[1991年]])に[[立花京子]]は『晴豊公記』の新解釈に基づく論文「信長への三職推任について」<ref>{{Cite journal|和書|author=立花京子 |title=信長への三職推任について |journal=歴史評論 |issn=03868907 |publisher=校倉書房 |year=1991 |month=sep |issue=497 |pages=50-62 |naid=40003834507 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I3410717-00}}</ref>を、平成4年([[1992年]])には[[今谷明]]が著書『信長と天皇―中世的権威に挑む覇王』を発表して注目を集めた<ref>{{Harvnb|大野|2014|pp=9-10|ref=oh1}}</ref>。平成ごろになって史学会では[[#朝廷黒幕説|朝廷黒幕説(朝廷関与説)]]が脚光を浴びて、有力な説の1つのように見なされるようになった<ref name="名前なし-1"/>。従来より黒幕説は登場人物を自由に動かして“物語”を書きやすいことから作家に好まれたものであり、数えきれないほどの人物が黒幕として取り上げられていた<ref>{{Harvnb|大野|2014|p=10|ref=oh1}}</ref>が、そういった創作分野に史学が混ざったことで一層触発されて、現在も主犯存在説と[[#VII. 黒幕存在説|黒幕存在説]](共謀説)の2系統<ref group="注釈">両者とも何らかの陰謀・謀略を示唆するという共通点がある。</ref>、そして[[#IV. 複合説|複合説]]と呼ばれる複数の説を混ぜたものが増え続けている。平成21年([[2009年]])に明智憲三郎が発表した著書『本能寺の変 427年目の真実』<ref group="注釈" name="aketi">明智憲三郎は、同書を改訂したものを、2013年に『本能寺の変 431年目の真実』(文庫版)として、また2015年には『織田信長四三三年目の真実 : 信長脳を歴史捜査せよ!』(幻冬舎)を出版している。</ref>は共謀説に分類される。 こうして光秀単独犯説が定番だったものが、光秀を背後で操る黒幕がいたとか、陰謀があったとか、共謀者がいたとかいう雑説が増えていくと、黒幕説(謀略説)には何の史料的根拠もなく空中楼閣に過ぎないという当然の反論や批判が登場した。平成18年([[2006年]])に[[鈴木眞哉]]と[[藤本正行]]は共著『信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う』で黒幕など最初からいないとして、黒幕説には以下の共通する5つの問題があると指摘した{{Sfn|鈴木|藤本|2006|p=198}}。 # 事件を起こした動機には触れても、黒幕とされる人物や集団が、どのようにして光秀と接触したかの説明がない。 # 実行時期の見通しと、機密漏洩防止策への説明がない。 # 光秀が謀反に同意しても、重臣たちへの説得をどうしたのかの説明がない。 # 黒幕たちが、事件の前も後も、光秀の謀反を具体的に支援してない事への説明がない。 # 決定的なことは、裏付け史料がまったくないこと。 藤本は平成22年([[2010年]])に発表した著書『本能寺の変―信長の油断・光秀の殺意』でも朝廷黒幕説を含めた各種の黒幕説を批判している<ref name="owP6">{{Harvnb|小和田|2014|p=6|ref=owada}}</ref>。 また平成26年([[2014年]])の石谷(いしがい)家文書の公表によって、近年は[[#四国征伐回避説|四国征伐回避説(四国説)]]も着目されているが、この説の取り扱いについては後述する。 本能寺の変の謎については結局は肝心の動機がわからず定説が存在しないため、さまざまな諸説・空説が登場し、歴史家・作家だけでなく歴史愛好家も自らの主張を展開して、百家争鳴という現状であるが、平成6年([[1994年]])に歴史アナリスト<!--このような職業はないが公表されているプロフィールに従う-->[[外川淳|後藤敦]]が別冊[[歴史読本]](『完全検証信長襲殺 : 天正十年の一番長い日』)誌上で、これらの諸説を整理して大きく3つに分けてさらに50に細分化して分類した。下表はそれに別資料の8つ、その他を加えて59にまとめたものである。これらには一部が重複するあるいは複合する内容や同じことを別の表現で言っているものがある<ref name="owP110">{{Harvnb|小和田|2014|p=110|ref=owada}}</ref>ために、それぞれが全く異なる説であるというわけではない。表の中身には研究と創作とが混ざっており、<!--引用-->中には'''何ら史料的裏付けがなく、全くの憶測で説が提唱されている場合もあり'''<!--引用ここまで--><ref name="owP110"/>、<!--引用-->すべて同等に扱うのは適切ではない<!--引用終わり--><ref name="owP110"/>が、全体像を明らかにするために一覧として示した{{efn|name="goto"}}。 {| class="wikitable" style="width:95%;" |+ 本能寺の変の真相をめぐる諸説(後藤敦による整理<ref name="owP111-113">{{Harvnb|小和田|2014|pp=111-113|ref=owada}}</ref>他<ref>{{Harvnb|大野|2014|pp=10-13|ref=oh1}}</ref><ref>{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|pp=10-19}}</ref><ref>{{Citation |和書|last=吉村|first=弘|editor=|year=2005|title =教科書とはひと味違う日本史のだいごみ : ポケット図解 |publisher=秀和システム|ISBN=4798011789|page=211}}</ref>を参考に) !style="white-space:nowrap; width:2.5em;" rowspan="4"|[[#光秀単独犯説|光<br/>秀<br/>単<br/>独<br/>犯<br/>説<br/>・<br/>光<br/>秀<br/>主<br/>犯<br/>説]] !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#I. 積極的謀反説|I. 積極的謀反説]] !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#II. 消極的謀反説|II. 消極的謀反説]] |- |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="1"|'''[[#野望説|野望説]]'''|[[#突発説|突発説(偶発説・油断説)]]}} |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="3"|'''[[#怨恨説|怨恨説(私憤説)]]'''|[[#不安説|不安説(焦慮説、窮鼠説)]]|[[#ノイローゼ説|ノイローゼ説]]|[[#内通露顕説|内通露顕説]]|[[#人間性不一致説|人間性不一致説]]|[[#秀吉ライバル視説|秀吉ライバル視説]]}} |- !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#III. 名分存在説(義憤説)|III. 名分存在説(義憤説)]] !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#IV. 複合説|IV. 複合説]] |- |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="9"|救世主説|[[#神格化阻止説|神格化阻止説]]|[[#暴君討伐説|暴君討伐説]]|[[#朝廷守護説|朝廷守護説]]|[[#源平交代説|源平交代説]]|[[#信長非道阻止説|信長非道阻止説]]|[[#四国征伐回避説|四国征伐回避説]]}} |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="16|[[#IV. 複合説|不安・怨恨説]]|[[#IV. 複合説|怨恨・突発説]]|[[#IV. 複合説|不安・突発説]]|[[#IV. 複合説|野望・突発説]]|[[#IV. 複合説|不安・野望説]]|[[#IV. 複合説|怨恨・野望説]]|[[#IV. 複合説|その他の複合説]]}} |- !style="white-space:nowrap; width:2.5em;" rowspan="4"|主<br/>犯<br/>存<br/>在<br/>説<br/>・<br/>黒<br/>幕<br/>存<br/>在<br/>説 !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#V. 主犯存在説|V. 主犯存在説(主犯別在説)]] !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#VI. 従犯存在説|VI. 従犯存在説]] |- |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="23|[[#羽柴秀吉実行犯説|羽柴秀吉実行犯説]]|[[#斎藤利三実行犯説|斎藤利三実行犯説]]|[[#徳川家康主犯説|徳川家康主犯・伊賀忍者実行犯説]]|[[#複数実行犯・複数黒幕存在説|複数実行犯・複数黒幕存在説]]|[[#石山本願寺と羽柴秀吉実行犯説|石山本願寺と羽柴秀吉実行犯説]]}} |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="28|[[#近江土豪連合関与説|近江土豪連合関与説]]|[[#丹波国衆関与説|丹波国衆関与説]]|[[#長宗我部元親関与説|長宗我部元親関与説]]|[[#濃姫関与説|濃姫関与説]]|[[#光秀の妻関与説|光秀の妻関与説]]|[[#羽柴秀吉関与説|羽柴秀吉関与説]]}} |- !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#VII. 黒幕存在説|VII. 黒幕存在説]](黒幕説) !style="text-align:left;" colspan="2"|[[#VII. 黒幕存在説|VIII. 黒幕複数説]](共謀説) |- |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空--> |style="font-size:93%;"|{{ol|start="34"|'''[[#朝廷黒幕説|朝廷黒幕説]]'''|'''[[#足利義昭黒幕説|足利義昭黒幕説]]'''|[[#羽柴秀吉黒幕説|羽柴秀吉黒幕説]]|[[#毛利輝元黒幕説|毛利輝元黒幕説]]|[[#徳川家康黒幕説|徳川家康黒幕説]]|[[#堺商人黒幕説|堺商人黒幕説]]|[[#フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説|フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説]]|[[#高野山黒幕説|高野山黒幕説]]|[[#森蘭丸黒幕説|森蘭丸黒幕説]]|[[#法華宗門徒黒幕説|法華宗門徒黒幕説]]|[[#織田信忠黒幕説|織田信忠黒幕説]]}} |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空-->||{{ol|start="45|[[#光秀・秀吉共謀説|光秀・秀吉共謀説]]|[[#光秀・家康共謀説|光秀・家康共謀説]]|[[#光秀・秀吉・家康共謀説|光秀・秀吉・家康共謀説]]([[#土岐明智家滅亡阻止説|土岐明智家滅亡阻止説]])|[[#足利義昭・朝廷黒幕説|足利義昭・朝廷黒幕説]]|[[#毛利輝元・足利義昭・朝廷黒幕説|毛利輝元・足利義昭・朝廷黒幕説]]|[[#近衛前久・徳川家康黒幕説|近衛前久・徳川家康黒幕説]]|[[#堺商人・徳川家康黒幕説|堺商人・徳川家康黒幕説]]|[[#上杉景勝・羽柴秀吉黒幕説|上杉景勝・羽柴秀吉黒幕説]]|[[#徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説|徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説]]|[[#足利義昭・羽柴秀吉・毛利輝元黒幕説|足利義昭・羽柴秀吉・毛利輝元黒幕説]]}} |} {| class="wikitable" style="width:95%;" !style="white-space:nowrap; width:2.5em;" rowspan="2"|そ<br/>の<br/>他 !style="text-align:left;" colspan="2"|IX. 関連説 |- |style="width:2em; border-top-style:hidden; background:#efefef;"| <!--空--> |style="font-size:90%;"|<div style="float: left; vertical-align: top;">{{ol|start="55|[[#信長の対朝廷政策との関連|信長の対朝廷政策との関連]]{{efn|name="goto"|各項目・順番や構成は、後藤敦による「本能寺の変学説&推理提唱検索」(別冊歴史読本54完全検証信長襲殺)による<ref name="owP110"/><ref name="owP111-113"/>。}}|家臣団統制との関連{{efn|name="goto"}}}}</div><div style="float: left; vertical-align: top; margin-left: 4em;">{{ol|start="57|[[#信長自滅説|信長自滅説]]{{efn|name="goto"}}|信長不死説{{efn|name="goto"}}}}</div><div style="float: left; vertical-align: top; margin-left: 4em;">{{ol|start="59|[[#家康暗殺説|家康暗殺説]]}}</div> |} <small>※ 無罪説という分類もあるが、分類の都合上除き、本文中に記した。<br/></small> === 光秀単独犯説 === 明智光秀が自らの意思で決起して本能寺の変を起したという説の総称。単独犯行説や光秀主犯説、光秀単独謀反説など幾つか同義の言い方がある。 ==== I. 積極的謀反説 ==== 光秀が自らの意思で能動的に決起したという説の総称。 :*; {{Anchors|野望説}}野望説 : 「天下が欲しかった光秀の単独犯行」<ref>高柳『明智光秀』吉川弘文館<人物叢書>、1958年</ref>とするこの説は、変直後から語られ、最も古くからあるものの1つである。天正・慶長年間に書かれた『[[大かうさまくんきのうち|太田牛一雑記]]』において「明智日向守光秀、小身たるを、信長公一萬の人持にさられ候處。幾程も無く御厚恩忘れ、欲に耽りて天下之望を成し、信長御父子、御一族、歴々甍を並べ、下京本能寺に於て、六月二日情無く討ち奉り訖(お)わんぬ」<ref>{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=395}}</ref>とあり、光秀が天下を望んで忘恩にも主君を討ったという[[太田牛一]]の説がすでに述べられていて、彼は最初の野望説論者と言える。同じく同時期に[[ルイス・フロイス]]も書簡で光秀の忍耐が野心に裏付けされたものであったのではないかと述べていて、後に下記のように『フロイス日本史』に纏めているが、野望説と怨恨説の両方に利用された。 [[image:Saikyoji05.jpg|220px|thumb|『明智軍記』による光秀公辞世句の碑([[西教寺]])]] {{Quotation| …人々が語るところによれば、彼の好みに合わぬ要件で、明智が言葉を返すと、信長は立ち上がり、怒りを込め、一度か二度明智を足蹴にしたということである。だがそれは密かになされたことであり、二人だけの間での出来事であったので、後々まで民衆の噂に残ることはなかったが、あるいはこのことから明智は何らかの根拠を作ろうと欲したかもしれぬし、あるいは〔おそらくこの方がより確実だと思われるが〕、その過度の利欲と野心が募りに募り、ついにはそれが天下の主になることを彼に望ませるまでになったのかも知れない。…|『完訳フロイス日本史』より一節<ref>{{Citation |和書|author1=ルイス・フロイス|author2=松田毅一, 川崎桃太 訳|author1-link=ルイス・フロイス| year =2000|title =完訳フロイス日本史 3 (織田信長篇 3) |publisher =中央公論新社|ISBN=4122035821}}</ref>| }} : 江戸前期から中期の書物では、『[[明良洪範]]』<ref>{{Citation |和書|last=真田|first=増誉 |editor=|year =1912|title=明良洪範 : 25巻 続篇15巻|publisher =国書刊行会|url={{NDLDC|990298/244}} 国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>に「明智日向守虐心は、数年心掛し事なりとぞ。逆心前一年に、天下を取て後に、方々へ申付候事共を、筆記し、朱印を押したる書物、[[延宝]]四年に評定所へ出たる事ありしと」<ref name="v3P385">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|p=385}}</ref>光秀に事前の計画があったような記述があり、『[[老人雑話]]』<ref>{{Citation |和書|last=|first=|editor=国民文庫刊行会 |year =1912|chapter=老人雑話 |title=雑史集|publisher =国民文庫刊行会 |url={{NDLDC|1906666/231}} 国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>には「明智、亀山の北、愛宕山の続きたる山に城郭を構ふ。此山を周山と號す。自らを[[武王 (周)|周武王]]に比し、信長を[[帝辛|殷紂]]に比す。是れ謀反の宿志也」<ref name="v3P385"/>と野望逞しいさまの記述があった。この種の俗書は幾つかあるが、これらは'''光秀=謀反人'''<ref name="v3P385"/>という論調であって下克上の野望は肯定的に評価されていなかった<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=17|ref=owada3}}</ref>。野望説の根拠ともされる[[#愛宕百韻|愛宕百韻]]の連歌の解釈に異論が唱えられているのも、先入観を持った解釈だという批判があったからである。 : 儒教思想の薄れた戦後、戦国史研究の権威であった高柳光壽は改めて野望説を主張して、怨恨説の主張がいずれも後年の創作に依拠したもので、史実とは認められないと否定した。高柳は「光秀は信長と争い得る兵力はない。けれども機会さえあれば信長を倒し得ないことはない。今やその機会が与えられたのである」<ref name="owP111"/>と、変直前の信長の油断した状況がこれを可能にしたと論じた。また([[#人間性不一致説|性格的不和が原因とする説]]に反論して)『フロイス日本史』の記述などから武将として合理的な性格の光秀と信長との相性も良かったはずだとも主張した。野望説は現在も、前述した謀略説批判論者の藤本正行や鈴木眞哉などが(怨恨説の一部を含めて)支持している{{Sfn|鈴木|藤本|2006}}が、肝心の動機に関して光秀の心に秘められた野望に依存するだけなので、'''根拠とすべきものは存在しない'''<ref name="hasibaP13">{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|p=13}}</ref>。 :*; {{Anchors|突発説}}突発説(偶発説・油断説・機会説) : 突発説、あるいは偶発説、または機会説は、野望説から派生したもので、光秀の変後の行動が計画を立てていたようには見えないことから登場したものである<ref name="owP111"/>。計画性はなかったという主張以外では、野望説と基本的に同じである。信長視点では油断説とも言う。 ==== II. 消極的謀反説 ==== 謀反は光秀の本意ではなく、何らかの理由があって止むを得ずに決起したという説の総称。 :*; {{Anchors|怨恨説}}怨恨説 : 怨恨説は、'''私憤説'''とも言い、信長の横暴な振る舞いに怒り、個人的な恨みつらみの積み重ねを原因として光秀が謀反を起したという説である<ref name="oh1P11">{{Harvnb|大野|2014|p=11|ref=oh1}}</ref>。江戸から明治期における主流の考えで、怨恨説が有力であると思われたのは、古典史料がこれこれの遺恨があったと多数の逸話を書いて説明していたからである。前節で述べたように『川角太閤記』では光秀に語らせるという形で明確に3つの遺恨を理由として挙げた。『東照軍鑑』『明智軍記』『[[豊鑑]]』『常山紀談』『総見記』『[[柏崎物語]]』『祖父物語』『義残後覚』『[[続武者物語]]』などなど尽くこのような感じであり、[[#著名な逸話|著名な逸話]]で載せたような話を書いて、怨恨が原因であるとしたのであるから、読者がそう思ったとしても無理からぬことだろう。しかしながら前節の説明のように、これら古典は二次、三次史料であり、『絵本太閤記』などは[[読本]]と言え、信憑性に著しい問題があって、高柳光壽が大半が「俗書の作り話」としたように'''史実とは認めがたい'''ものばかりだった。 [[image:Akechi Mitsuhide 5.jpg|thumb|「太平記英勇伝二十七:明智日向守光秀」([[落合芳幾]]作)]] : ただし史料に拠る怨恨説がないわけではない。有名なものは『別本川角太閤記』にある光秀が[[小早川隆景]]に宛てた6月2日付の書状で、「光秀こと、近年信長に対し、憤りを抱き、遺恨もだしがたく候」として遺恨ために信長を討って「素懐を達し候」という記述があることである。桑田忠親はこれを怨恨説の根拠の1つとするが、小和田哲男が偽文書と主張するなど異論もないわけではない<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=142|ref=owada}}</ref>。怨恨説については俗書ばかりであるという主張は当然成り立つわけであるが、明らかに虚構という逸話がある反面、信憑性についてよく分からない逸話もあって、完全に否定も肯定もできないという面がある。 : 他方、桑田は、フロイスの『日本史』にある「変の数ヶ月前に光秀が何か言うと信長が大きな声を上げて、光秀はすぐ部屋を出て帰る、という諍いがあった」という記述を根拠として、武士の面目を立てるためであったとする新たな怨恨説を唱えたが、この考え方が[[#III. 名分存在説(義憤説)|義憤説]]に発展した。 :*; {{Anchors|不安説}}不安説 : 光秀が自らの将来や一族の行く末に不安を覚え、信長に粛清されると考えてその先手を打ったという説<ref>{{Harvnb|大野|2014|pp=10-11|ref=oh1}}</ref>。何らかの脅威を受けたなど、受動的な動機を主張する説の総称。焦慮説、窮鼠説とも言う。 : 光秀は織田氏譜代の家臣ではなく、信長に仕えた期間も十数年と短期間であるにもかかわらず、家臣団の中で有数の出世頭となった。これは光秀の能力が評価された結果であるが、信長個人の信任があってこそのことであった。その信長は、[[佐久間信盛]]・[[林秀貞]]・[[安藤守就]]・[[丹羽氏勝]]といった重臣が期待に沿う活躍が出来なくなると、過去の過失や些細な科を理由に、容赦なく放逐している。光秀は手にした成功を失いかねない不安を抱えていたのではないかと考え、保身のために謀反を考えるようになったというのである。前述のようにこのような自衛のための謀反という主張は、古くは[[頼山陽]]が唱えている<ref name="v3P395-398"/>。 : 不安を抱いた原因として、[[林屋辰三郎]]は対四国政策の失敗や、[[足利義昭]]の家臣であった光秀に対する信長の心証の悪化を挙げた<ref name="hayashiya">林屋辰三郎,『日本の歴史 天下一統』中公文庫</ref>。[[谷口克広]]は、『[[当代記]]』にある光秀の年齢が67歳ときわめて高齢であったことを指摘し、嫡子の[[明智光慶]]が10歳代前半ときわめて若年であったため、自らの死後光慶が登用されないことを憂いて謀叛を決意したとする<ref>{{Citation|和書|author=谷口克広|title=信長と消えた家臣たち|publisher=中央公論新社|year=2007|isbn=9784121019073}}</ref>。またその原因から派生して、不安が精神面に及ぼした影響を重視する[[#ノイローゼ説|ノイローゼ説]]、武田氏に内通していたことの暴露を恐れたとする[[#内通露顕説|内通露顕説]]、秀吉との[[ライバル]]関係で出世競争に敗れたことを理由とする[[#秀吉ライバル視説|秀吉ライバル視説]]がある。変の背景としても用いられるため[[#IV. 複合説|複合説]]での利用も多い。 :*; {{Anchors|ノイローゼ説}}ノイローゼ説 : ストレスなどから発症する[[自律神経失調症]]などで精神的に追い詰められて、冷静な判断が出来ず謀反を起こしたとされる説。[[#不安説|不安説]]から派生したもので、心理面に特化されたもの。'''精神病理学・心理学的な推測'''であり<ref name="hasibaP13"/>、特に根拠を持たない。光秀の行動(怨恨説等の論拠と同じもの)から'''心情を推し量ったもの'''で、精神科医や[[司馬遼太郎]]<ref group="注釈">司馬遼太郎は「『国盗り物語』では野心があったように書きましたが、光秀は[[神経症|ノイローゼ]]だったのではないかと思っているのです。ですがノイローゼでは小説になりませんので」と発言をしている。</ref>のような作家が提唱した。しかしこれらは作家の想像上の光秀の人物像に依存しており、事績からみれば根拠に欠く。小和田哲男は「従来説と違って金ヶ崎退き口や比叡山焼き討ちでも主導的な役割を果たしていたことがわかっている光秀が、神経衰弱や将来不安のノイローゼなどといった原因で謀反を起こすことは考えがたい」と否定的である<ref name="iro" />。 :*; {{Anchors|内通露顕説}}内通露顕説 : 武田勝頼への内通を策した光秀が、陰謀が露顕しそうになって慌てて信長を殺したという説。光秀の内通は『[[甲陽軍鑑]]』の下記の記述を根拠とする。 {{Quotation|<!--引用出典はすでに保護期間終了した書籍--> : 勝頼公も明智十兵衛二月より逆心可<sub>レ</sub>仕と申越候處に、[[長坂光堅|長坂長閑]]分別に謀を以て調儀にて申越すと云て、明智と一つにならざる故、武田勝頼公、御滅亡也。|『甲陽軍鑑』<ref name="v3P386-387">{{Harvnb|徳富|1935|ref=v3|pp=386-387}}</ref>| }} : [[山路愛山]]は著書『豊太閤』の中で、家康世子の[[松平信康]]も内通の嫌疑を受けたのであるから、光秀の内通もあり得ないことではないと主張した<ref name="v3P386-387"/>。また他の書では、家康に伴われて安土に入った穴山梅雪がこの光秀内通の事実を密告したがために、光秀は信長襲撃を決意したという説もある<ref name="hasibaP14">{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|p=14}}</ref>。ただし両説とも、すでに発覚した後であれば信長も無防備な状態で本能寺に宿泊するはずはなく、徳富蘇峰は「信ずべき根拠がない」<ref name="v3P386-387"/>と断じている。一方で、内通したという事実が漏れることを心配したので光秀が変を起したという主張では、この話も前述の[[#不安説|不安説]]の根拠の一つとされる。 :*; {{Anchors|人間性不一致説}}人間性不一致説 : 信長と光秀は人間性(性格)の不一致によって不仲であり、そのことを謀反の原因とする説。論拠とされる逸話は[[#怨恨説|怨恨説]]と同じ。 :*; {{Anchors|秀吉ライバル視説}}秀吉ライバル視説 : [[#不安説|不安説]]の亜種で、不安の原因を秀吉とのライバル関係に主眼において説明する説。不安説の中に含める場合もある。光秀と秀吉のライバル意識を示唆するような傍証はいくつかあるが、変を起すに至った直接的な動機については特別な根拠を持たず、光秀の心情を分析したに過ぎない。このため[[#IV. 複合説|複合説]]で材料の一つとされることが多い。 : 『明智軍記』に秀吉に援軍を命じられた際に「秀吉ガ指図に任ス」とその配下に入るように命令されて光秀の家臣が「大キニ怒リテ」「無法ノ儀」だと不平を述べ「無念ノ次第」だと嘆いたという記述があるが、小和田はこの記述の信憑性は不明としながらも、「『秀吉に負けた』ということを強く意識することにはなったはずで、この光秀の思いも本能寺の変を引きおこす副次的理由になった可能性はある」と述べている<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=127-131|ref=owada}}</ref>。 ==== III. 名分存在説(義憤説) ==== 光秀が謀反を起こした理由を、野望や怨恨、恐怖といった感情面に求めるのではなく、信長を討つにはそれだけの'''大義名分'''があったとする説の総称<ref name="oh1P11"/>。光秀が自ら決起したことを前提にして私的制裁(狭義の私憤説)を否定し、時には個人的な野心すらも否定する。大義名分が何であったか、大義(もしくは正義)の内容によって諸説が派生した。史料的論拠が不十分でも大義という論理に基づいた行動は説得力があるように見えるので歴史学者が好んで用いて、近年多くの説が発表されている。'''義憤説'''、'''理想相違説'''など様々な呼び方がある。 :*; {{Anchors|神格化阻止説}}神格化阻止説 : 信長が神格化されることを嫌った光秀が謀反を起して阻止しようとしたという説。根拠とされるのは主にフロイスの『日本史』で、「信長は安土城で自らを神とする祭典を行い、信長の誕生日を祝祭日と定め、参詣する者には現世利益がかなうとした」という記述。フロイスは1573年の書簡でも「信長が自身を生きた神仏だと言った」とある。そもそもこの記述の信憑性を疑問視する声もある<ref>{{Citation|和書|author=脇田修|title=織田信長 中世最後の覇者|series=中公新書|year=1987}}</ref><ref>{{Citation|和書|author=谷口克広|title=信長の天下布武への道|publisher=吉川弘文館|year=2006}}</ref>が、これに前後があって「だが、信長はこれをことごとく一笑に付し、日本においては彼自身が生きた神仏であり、石や木は神仏ではないと言っている」<ref>1573年4月20日付けルイス・フロイスの書簡。『十六・七世紀イエズス会日本報告集 第3期第4巻 1570年-1577年』所収</ref>というのであり寧ろ無神論のような言説であった。また信長が神格化されることを光秀が嫌っていたとはフロイスも誰も書いておらず、これを謀反と結びつけるのは飛躍がある。 :*; {{Anchors|暴君討伐説}}暴君討伐説 : 信長は暴君であるとしてそれを討ったという説。[[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山焼討]]、[[長島一向一揆]]での殺戮などが暴虐の理由とされることが多いが、対象については多説多様。「六天魔王」と罵倒された宗教的理由を挙げる場合もある。『[[武家事紀]]』に収録されている光秀が勧降工作のために送った美濃[[野口城 (美濃国)|野口城]]の[[西尾光教]]宛ての6月2日付の手紙に「信長父子の悪虐は天下の妨げ、討ち果たし候」<ref name="owP126">{{Harvnb|小和田|2014|p=126|ref=owada}}</ref>と書かれていたことなどを根拠とする。 :*; {{Anchors|朝廷守護説}}朝廷守護説 : 信長が天皇やそれを凌駕する権威を目指していたとする仮説に基づき、[[国体]]を維持するために変を起したとする説<ref name="hasibaP14"/>。[[#朝廷黒幕説|朝廷黒幕説]]に似ているが、朝廷の関与はなく、光秀が朝廷に相談なく独断で行動したと想定するところが異なる。信長がどのような体制を目指していたのかが不明であり、まずその点が推測の域を出ない上に、光秀の考えについても史料的な裏付けが不十分である。 :*; {{Anchors|源平交代説}}源平交代説 : 平氏の流れを汲むと称する織田信長が源氏の室町将軍足利義昭を廃して自ら征夷大将軍になろうとしていたという仮定に基づき、源氏の流れを汲む土岐氏出身の光秀が謀反を起して阻止しようとしたという説<ref name="hasibaP14"/>。しかし、そもそも明智光秀の出生については厳密に言えば不明な部分があり、確かな史料では『[[立入宗継]]記』に「美濃国住人とき(土岐)の随分衆なり」<ref name="iro">{{Cite web|和書|date= |url=http://ironna.jp/article/123 |title=突発説、単独犯行説、黒幕説…「主殺し」の真の動機は何か, 『歴史街道』 2012年5月号 |publisher=iRonna |accessdate=2015-08-11}}</ref>という記述があるだけで、あとは概ね『明智軍記』のような俗書に拠り、確実とは言い難い上に複数の異説がある。要するに、仮定にもとづく仮定であり、[[源平交代思想]]がどの程度の重大性を持ったかも論証されていない。 :*; {{Anchors|信長非道阻止説}}信長非道阻止説 : 小和田哲男が著書『明智光秀と本能寺の変』で述べたもので、前記の三つ、暴君討伐説と源平交代説と朝廷守護説を合成したようなもので複合説の一種。小和田は、信長の非道として5点あげ、信長は正親町天皇を譲位させて皇位簒奪(上皇の地位を狙う)をしようとし、暦法を改めようとし、平氏での将軍職就任を狙い、太政大臣近衛前久に暴言(朝廷軽視)を吐き、国師快川紹喜を焼き殺した極悪人であるから、光秀は信長を誅殺しても朝廷や庶民は支持してくれるだろうと思っていたと主張する<ref>{{Harvnb|小和田|2014|pp=122-127|ref=owada}}</ref>。これも仮定に基づく仮定であり、この著書のまえがきで小和田自ら指摘しているように、信長と朝廷との緊張関係という前提を覆すような研究がすでに発表されている<ref name="owP6"/>。 :*; {{Anchors|四国征伐回避説|四国説}}四国征伐回避説(四国説) [[image:Chosokabe Motochika.jpg|thumb|太平記英勇伝七十二:長曽我部宮内少輔元親(落合芳幾作)]] : 信長の[[四国攻め#織田政権の四国進出|四国征伐]]を回避するために光秀が謀反を起こしたとする説の総称。単に'''四国説'''とも呼ばれる<ref>{{Cite news|title=本能寺の変直前の手紙 長宗我部元親、信長に恭順の姿勢|newspaper=47 news|date=2014-06-24|author=|url=http://www.47news.jp/CN/201406/CN2014062301002133.html|accessdate=2015-07-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140627070606/http://www.47news.jp/CN/201406/CN2014062301002133.html|archivedate=2014年6月27日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。総称と述べたのは、この説の扱いについては必ずしも定まっていないからである。当項では四国征伐回避を主要因であり大義名分であったとして分類したが、副次的な要因と捉えることも可能で、四国政策において面目を潰されたために謀反を起したという[[#怨恨説|怨恨説]]、あるいは四国政策の失敗やライバル秀吉に負けたことに不安を募らせたという[[#不安説|不安説]]と考えたり、または四国征伐を挫折させるために長宗我部元親や斎藤利三が積極的に黒幕となって謀反を起させたとすれば黒幕説や共謀説と解することも可能なわけで、まだまだ様々な解釈が存在するからである。 : この説が俄かに注目を集めたのは、平成26年(2014年)、石谷家(いしがいけ)文書([[林原美術館]]蔵)の中から元親から利三に宛てた書状が発見された<ref>{{Cite news|title=長宗我部元親の手紙発見 本能寺の変直前、信長に恭順の姿勢|newspaper=スポニチ|date=2014-06-23|author=|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/06/23/kiji/K20140623008426270.html|accessdate=2015-07-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150706073810/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/06/23/kiji/K20140623008426270.html|archivedate=2015年7月6日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>からである。共同研究を進めている同館学芸課課長浅利尚民と[[岡山県立博物館]]学芸課主幹内池英樹は、この資料は本能寺の変直前の斎藤利三と長宗我部元親の考えや行動を明らかにするもので「本能寺の変のきっかけとなった可能性のある書状」と評価している<ref>{{cite news |title=本能寺の変・四国説後押しの新資料 - 林原美術館などが発見|newspaper=マイナビ |date=2014-06-26 |url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20140626-a237/ |accessdate=2015-07-05|author=}}</ref>。 : 内容は、元親が土佐国・阿波2郡のみの領有と上洛に応じる旨を記しており、ここから四国攻めが実施されると政治的に秀吉=三好笑岩の完全勝利となり、光秀は織田政権下はもちろん長宗我部氏に対しても面目を失い、いずれ失脚することになると思った可能性があることから、それで本能寺の変を起こしたとも読み取れると論評された<ref>{{cite news|title=本能寺の変、なぜ起きた 謎に迫る長宗我部書簡見つかる|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2014-06-24|url=http://www.asahi.com/articles/ASG6R53XDG6RPPZB00K.html|accessdate=2014-09-21|author=西江拓矢|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140830134505/http://www.asahi.com/articles/ASG6R53XDG6RPPZB00K.html|archivedate=2014年8月30日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。ただし、この文書と四国説を結びつけるためには、利三に届けられた元親の考えが信長の耳に入ったか、入ったとすれば信長はそれにどう反応したか、またこの知らせを光秀はどう受け止めたか、などの可能性を慎重に検討する必要があり、魅力的な文書ではあるものの、四国説が正しいと言えるような直接的な証拠足り得ない、とする意見もある<ref>{{Citation|和書|author=金子拓|authorlink=金子拓|title=織田信長〈天下人〉の実像|series=講談社現代新書|date=2014-08|publisher=講談社|pages=294-295}}</ref>。 : 従来より四国政策変更の問題については、高柳、桑田いずれも指摘してきたが、[[藤田達生]]は三好康長は本能寺の変以前に秀吉の甥の信吉(後の[[豊臣秀次]])と養子縁組を結んで秀吉と三好水軍を連携させたことによって秀吉・光秀間に政治的対立が生じたこと、光秀が長宗我部氏からの軍事支援を期待して本来であれば徳川家康が堺から帰洛後に行う筈であった襲撃を繰り上げたとしている<ref>藤田達生「織田信長の東瀬戸内支配」(小山靖憲 編『戦国期畿内の政治社会構造』和泉書院、2006年) ISBN 978-4-7576-0374-5 所収</ref> {{refnest|group="注釈"|ただし、三好康長と信吉の養子縁組の時期については谷口克広から本能寺の変当時にはまだ縁組は成立していなかったとする反論が出されている<ref>{{Citation|和書|author=谷口克広|title=検証 本能寺の変|year=2007|publisher=吉川弘文館|pages=216–218}}。</ref>}}。藤田は「長年、長宗我部との取り次ぎにあたってきた光秀には、業績を全面否定される屈辱だったでしょう。ライバルの秀吉にも追い落とされるとの思いで、クーデターに及んだのではないでしょうか」<ref name="kizi">{{Cite news |title=「本能寺の変」10日前の生々しさ…新史料に驚きの調査員や作家ら |newspaper=Iza 産経デジタル |date=2014-06-24 |author= |url=http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140624/lif14062413110004-n1.html |accessdate=2015-07-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140714170838/http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140624/lif14062413110004-n1.html|archivedate=2014-07-14}}</ref>と言った。[[桐野作人]]は、以前からさらに踏み込んだ利三主導の四国説を唱えていた<ref>『真説 本能寺』([[2001年]])、『だれが信長を殺したのか 本能寺の変・新たな視点』(2007年)</ref>が、石谷家文書について「元親が譲歩したといっても、織田信長は阿波を取り上げる方針を決めており、とても報告できない内容だった。こうなったら四国攻めに加担するか、あるいは思い切って謀反に立ち上がるか。決断に迫られたと思う」<ref name="kizi"/>と述べている。 {{see also|#四国・長宗我部問題}} ==== IV. 複合説 ==== 幾つかの説を組み合わせて、内容を取捨選択、補完して説を形成しているものの総称。説として史料的に論証されたものは存在しない。そもそも根拠が示されていないものも多く、論証することは余り考慮されていない。幾つかの状況証拠の点と線を結び付けて説を構成するのに便利なために作家・歴史愛好家が良く用いる。 === 主犯存在説・黒幕存在説 === ==== V. 主犯存在説 ==== 主犯存在説(主犯別在説)は、実行者や主犯となるべき人物が'''光秀以外'''の他の別人であるという説の総称。'''無罪説'''とも言う。 :*; {{Anchors|羽柴秀吉実行犯説}}羽柴秀吉実行犯説 : 羽柴秀吉が配下の武将[[蜂須賀正勝]]を刺客として京に派遣して信長を暗殺させたとする説で、光秀の関与を否定する無罪説の1つ。特にに証拠となる史料はなく作家流のフィションで<ref name="hasibaP17">{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|p=17}}</ref><ref name="oh1P13">{{Harvnb|大野|2014|p=13|ref=oh1}}</ref>、なかには福知山御霊神社創建の経緯から羽柴秀吉が信長父子暗殺実行犯とする説もある<ref>{{Citation|和書|author=井上慶雪|title=秀吉の陰謀|year=2015|publisher=詳伝社}}</ref><ref>{{Citation|和書|author=今木健之|title=本能寺の首謀者は秀吉である|year=1995|publisher=第一企画出版}}</ref>。羽柴秀吉実行犯説は、信長暗殺の直接の実行者や命令者を羽柴秀吉と想定するもので、裏から操ったという[[#羽柴秀吉黒幕説|羽柴秀吉黒幕説]]とはやや異なる。 :*; {{Anchors|斎藤利三実行犯説}}斎藤利三実行犯説 : 長宗我部元親に兄石谷頼辰の義理の妹(または利三本人の妹)を嫁がせた斎藤利三が、信長の四国政策の転換を防ぐために、主君光秀を唆して変を起したと云う説<ref name="hasibaP16">{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|p=16}}</ref>。関与者として[[#長宗我部元親関与説|長宗我部元親]]、石谷頼辰などの名前も挙がる。[[#四国征伐回避説|四国征伐回避説]]に似ているが、斎藤利三の主犯としての立場を強調するのが特徴の陰謀論で、光秀は無罪であったとする無罪説を主張するものがあるために別としている。『[[言経卿記]]』にある「斎藤蔵助、今度謀反随一也」という一文を根拠とする<ref name="hasibaP16"/>。 :*; {{Anchors|徳川家康主犯説}}徳川家康主犯説(伊賀忍者実行犯説) : 徳川家康が、妻や子を殺された遺恨、あるいは武田氏滅亡後は不要になったからと信長に暗殺されると考え、先手を打って伊賀忍者に命じて信長を暗殺させたとする説。光秀の関与を否定する無罪説の1つだが、特に証拠となる史料はなく作家流のフィションで<ref name="hasibaP17"/><ref name="oh1P13"/>、この話では伊賀忍者の活躍に重点が置かれる。これに光秀=天海説が加わると[[#徳川家康黒幕説|徳川家康黒幕説]]となる。 :*; {{Anchors|石山本願寺と羽柴秀吉実行犯説}}石山本願寺と羽柴秀吉実行犯説 : 本能寺の変当日、二条御所に羽柴秀吉の家臣がいたこと、朝廷が石山本願寺に勅書を出していることから、本能寺の変の実行犯は石山本願寺勢と羽柴秀吉勢であるとする説<ref>{{Citation|和書|author=菅原倫|title=完全解明明智光秀の謎|year=2020|publisher=つむぎ書房}}{{要ページ番号|date=2022年2月}}</ref>。<!--作家[[咲村庵]]の説と同一ですけど・・。--> :*; {{Anchors|複数実行犯・複数黒幕存在説}}複数実行犯・複数黒幕存在説 : 実行犯や主犯が光秀以外に複数いて、黒幕も複数存在するという説の総称。 ==== VI. 従犯存在説 ==== [[image:Akechis2.jpg|thumb|[[比叡山焼き討ち (1571年)|比叡山焼討ち]]前に光秀が近江の土豪に出した書状(和田家・個人所蔵)]] 従犯存在説は、光秀を主犯にあるいは主犯を特定せずに、謀反を[[幇助]]した従犯の存在に着目して、本能寺の変の全像の一部を解説しようという説の総称。黒幕説を補完するだけのものもあるが、必ずしも黒幕説や陰謀論に与するものだけではなく、変の要因の背景に着目するものも含まれる。 :*; {{Anchors|近江土豪連合関与説}}近江土豪連合関与説 : 昭和61年([[1986年]])に『近江堅田の土豪猪飼氏について』を発表した[[高島幸次]]が提唱したもので、猪飼氏など血縁・地縁で結びついた土豪ネットワークの存在を指摘し、それが織田政権の近江支配体制に反発して、光秀を支持したことを論証した<ref name="ga27"> {{Citation |和書|last=|first=|editor=|year=1992|series=歴史群像シリーズ ; 27 |title=風雲信長記 : 激情と烈日の四十九年|publisher=学習研究社|ISBN=4051051382}}</ref>。他説とも矛盾しない内容で、門徒衆との対立など問題が多かった近江支配体制の側から本能寺の変を説明した。 :*; {{Anchors|丹波国衆関与説}}丹波国衆関与説 : 『新編亀岡市史』で戦国期の執筆を担当した[[仁木宏]]が可能性の1つとして提唱したもので、荒木村重の乱でも織田政権の摂津支配体制に反発する国衆や百姓らの抵抗の動きが乱の一因になったとする説があることを紹介しながら、丹波亀山城から出発した明智勢の主力が丹波勢であることを重視し、織田政権の丹波支配体制に反発する国衆や百姓らの抵抗の動きが光秀と信長の「天下」観に明確なずれを生じさせて、光秀を彼ら(国衆)の側に立たせることになったとする<ref>仁木宏「明智光秀の丹波統一」(初出:『新修亀岡市史』本文編2(2004年)第三章第一節/柴裕之 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第八巻 明智光秀』(戒光祥出版、2019年)ISBN 978-4-86403-321-3) 2019年、P229-230.</ref>。織田政権の地域支配と現地の地域社会の対立が本能寺の変の引き金になったという考え方は上記の近江土豪連合関与説とほぼ同じと言える。 :*; {{Anchors|長宗我部元親関与説}}長宗我部元親関与説 : 長宗我部元親関与説または長宗我部元親黒幕説。古くは『改正三河後風土記』にも長宗我部元親の関与を疑うような記述があるが<ref>{{Harvnb|成島司直|1886|p=739}}</ref>、具体的には石谷氏と交信していたこと以外よくわかっていない。[[井沢元彦]]は、長宗我部氏の取次役を務めていた光秀が面子をつぶされた恨み([[#怨恨説|怨恨説]])に加え、元親の義兄である家老斎藤利三を介した元親が黒幕となって光秀が本能寺の変を起こしたとする[[#IV. 複合説|複合説]]を提唱した<ref>{{citation|author=井沢元彦|author-link=井沢元彦|chapter=謀叛を生んだ元親との外交破棄政策|title=歴史群像シリーズ20『激闘織田軍団』|editor=小向正司|year=1990|publisher=学習研究社}}</ref>。[[#四国征伐回避説|四国征伐回避説]]の亜種または一部。 :*; {{Anchors|濃姫関与説}}濃姫関与説(帰蝶黒幕説) : 濃姫(帰蝶)が斎藤利三または光秀と共謀あるいは説得または裏で操っていたという説。前述の八切止夫の説はこれに宣教師黒幕説など複数の説を加えたもの。本能寺の変に関する陰謀論の草分けである<ref name="oh1P9"/>。 :*; {{Anchors|光秀の妻関与説}}光秀の妻関与説 : 江戸中期以降に書かれた『落穂雑話』に載っている話で、柴田勝家から光秀の妻が美人だと聞いた信長が、光秀の室を安土に呼んで強姦しようとしたとするもの。結局未遂に終わったが、その際に扇子で信長が殴打されたために、その腹いせに光秀が面前で殴打されることとなって、堪忍袋の緒が切れたとして謀反に及ぶと云う物語<ref>八切止夫『信長殺し、光秀ではない』</ref>。『[[仮名手本忠臣蔵]]』に酷似する筋書きである。 ==== VII. 黒幕存在説 ==== 信長を討ったのは光秀自身の意思ではなく、何らかの黒幕の存在を想定してその者の意向が背景にあったとする説の総称。黒幕を複数と想定するものは'''黒幕複数説'''に分類され、'''黒幕説'''、'''共謀説'''と云う。[[#IV. 複合説|複合説]]も参照。 :*; {{Anchors|朝廷黒幕説}}朝廷黒幕説(朝廷関与説) : 暦改訂問題(尾張暦採用問題)<ref group="注釈">暦の問題については、天正11年の1月の京暦の中に雨水が含まれずに本来中気が入ってはならない閏1月にずれてしまうという太陽太陰暦の原則に反した錯誤が生じていたが、[[武家伝奏]]であった[[公家]]の勧修寺晴豊の「日々記」の天正十年夏記六月一日によると、信長はこれを死の前日まで公に指摘していた。これも朝廷に対する己の優位を示すためのキャンペーンのひとつであったと捉えるか、信長式の尊王的態度の表れだと捉えるかでも、争いがある。</ref>、正親町天皇の譲位問題、三職推任問題など([[#朝廷との関係|朝廷との関係]]を参照)で、信長と朝廷との間には緊張状態があったという前提で、朝廷が光秀に信長を抹殺させたという説<ref name="hasibaP16"/><ref name="oh1P11"/>。中心となる黒幕の想定を、正親町天皇、誠仁親王、あるいは近衛前久、勧修寺晴豊、[[吉田兼見]]ら公家衆、または複数であると見るなど、多様に意見は分かれるが、信長が朝廷を滅ぼす意思を持っていた、あるいは持っているのではないかと彼ら朝廷側が思っていたということも前提とされ、この2つの前提を土台にして成り立っている。([[#平成の新説として注目された朝廷黒幕説|前述のように有力視された時期]]もあったが)朝廷黒幕説も'''[[仮説]]の域'''を出ていない。 [[image:Emperor Ogimachi2.jpg|thumb|正親町天皇(京都・[[泉涌寺]]蔵)]] : 立花京子は、信長による朝廷への圧力が変を引き起こしたとし、謀反は光秀、勧修寺晴豊、近衛前久、吉田兼見、誠仁親王の共謀とする。晴豊については『天正十年夏記(=日々記)』の斎藤利三の処刑の日に「六月十七日天晴。早天ニ済藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれなと信長打談合衆也。いけとられ車にて京中わたり申候」という記述があり、これを「利三(ひいては光秀)と朝廷側の人間が『信長ヲ打ツ』謀議(談合)を持っていた」と解釈する<ref>[[日本放送協会|NHK]]「[[堂々日本史]]」[[1998年]]7月14日放送「シリーズ 本能寺の変(1)明智光秀 謀反の陰に朝廷あり」</ref>。近衛前久については変後に嵯峨に隠れた上に、[[山崎の戦い]]後も神戸信孝が追討令を出して執拗に行方を捜したことなどをあげ、「疑惑は確定的」とする。[[吉田兼見]]については、変後に事情の聴取を受けていること、さらに一級史料『[[兼見卿記]]』(兼見の日記)の原本内容が本能寺の変の前後1か月について欠けており、[[天正]]10年の項目は新たに書き直しされ、正本と別本の二種類が伝存することを、都合が悪いことを修正したためとする。誠仁親王は晴豊の義理の弟として知らなかったということは考えられないとし、三職推任問題の反対者であって、結局、天皇にもなれず、『お湯殿上日記』『多聞院日記』にある不審死を遂げたことを変との関連で解釈している。立花の主張では、5月17日から20日の間に前久と兼見を中心として信長打倒の陰謀は練られたとした<ref>{{Citation |和書|last=立花|first=京子|author-link=立花京子| year =2000|title =信長権力と朝廷 |publisher =岩田書院|ISBN=487294187X}}</ref>。 : [[今谷明]]は、信長の最大の敵は正親町天皇であったとする。天下統一事業達成の可能性が高まる実力者・信長が無位無官のままでいることに、朝廷は無言の圧力を大きく感じたはずであるとし、天正9年の2度の馬揃えを譲位を迫るための一大行事と解釈した。しかし信長は自分よりも上位の存在を認めたくないものの、信長に皇位簒奪の意思はなく、誠仁親王を即位させて朝廷を傀儡化するのが目的であったと指摘。それは逆に言えば、天皇の権威が依然として強力であったからであるとした。信長は正親町天皇と誠仁親王の争いに巻き込まれたくないと考えて三職推任を一時棚上げしていたとし、右大臣右大将を辞めたのも、信長自身が朝廷の内紛に不介入の立場を貫いたのも、すべてこのためとする。他方で、正親町天皇は毛利氏の大きな後ろ盾のおかげで即位できたことから講和を工作していたが、信長にはその気はなく毛利氏を滅ぼす計画であった。そうした時に、信長が軽装備で洛中にいたことから朝廷の意向を汲んだ光秀が動いたのではないかとする。ただし、今谷は治罰[[綸旨]]がなかったことから、正親町天皇黒幕説そのものは否定している<ref name="nobunagatennou">{{Citation|和書|author=今谷明|title=信長と天皇―中世的権威に挑む覇王|series=講談社現代新書|year=1992|isbn=978-4-06-149096-3}}</ref>。 : 光秀は、天正7年(1579年)に正親町天皇から直接に褒美の馬・鎧を下賜されており、これは異例の事であった<ref>{{Harvnb|小和田|2014|p=123|ref=owada}}</ref>。信長・信忠を討った後、6月7日誠仁親王からの勅使で京都の治安維持を任されて、その後朝廷に参内し、金品銀子五百枚を贈った<ref name="akechi"/>。 : このような疑わしい状況証拠がある一方で反論もある。まず綸旨が出ていなかったこと、光秀も[[勅命]]によるものであるという主張をしなかったことは、朝廷が公に関与を否定したことになる。誠仁親王と家族までもが二条御新造にいたことは、親王らが戦いに巻き込まれて死亡した可能性もあった。近衛前久は、本能寺の変の当日または数日後に[[出家]]しており、これを細川藤孝の出家と同様、信長に殉じたと解釈され、後々まで信長の死を惜しんだ[[和歌]]を残していた。 : 『兼見卿記』の改竄については、[[金子拓]]は、前年の天正9年の記事を書いた冊子にそのまま10年以降も書き進めていたが、たまたま6月で冊子の丁数が尽きてしまい、そこでそれ以降は別の冊子に書き、後に改めて清書したが、6月までの記事は前年と同じ冊子のためそのまま残された、という本能寺の変とは全く関係ない理由によるとする<ref>{{Citation|和書|author=金子拓|title=記憶の歴史学 ─史料に見る戦国|series=講談社選書メチエ|year=2011|isbn=978-4-06-258522-4|pages=177–179}}</ref>。そもそも信長と朝廷の間に対立関係があったことを前提としているが、むしろ協力関係ないし信長による朝廷再興路線があったとみる説もあり<ref>{{Citation|和書|author=堀新|authorlink=堀新 (歴史学者)|title=日本中世の歴史7 天下統一から鎖国へ|year=2009|publisher=吉川弘文館|pages=53-65}}</ref>、金子は、平成26年(2004年)に著書『織田信長〈天下人〉の実像』で、天正9年の馬揃えは前年亡くなった誠仁親王の生母新大典侍局の喪明けに、親王を励ます目的で開かれたもので、正親町天皇と信長双方の要望であり、軍事的威圧ではなかったとした<ref name="owP6"/>。この説(いわゆる融和説)が正しい場合は朝廷黒幕説の前提が成り立たない。{{see also|織田信長#朝廷政策}} :*; {{Anchors|足利義昭黒幕説|足利義昭・朝廷黒幕説}}足利義昭黒幕説、足利義昭・朝廷黒幕説 [[image:Ashikaga yoshiaki.jpg|thumb|足利義昭木像(京都市北区[[等持院]])]] : 京を追われ、毛利氏に擁されて[[備後国]]に[[鞆城|鞆幕府]]<ref name="chugoku2014-06-28">{{Cite web|和書|publisher=中国新聞|date=2014-06-28|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=32586|title=『潮流』「本能寺の変」と現代 |accessdate=2014-07-06}}</ref>をひらく[[足利義昭]]がその権力を奪い返すために黒幕となって旧家臣である光秀{{efn|光秀が義昭の旧家臣であることを裏付ける史料としては「光源院殿御代当参衆并足軽以下衆覚」(第13代将軍義輝と第15代将軍義昭に仕えた幕府役人リスト)がある。その後半部分に「足軽」として「明智」が出てくる。また近年発見された『米田家文書』により永禄9年10月以前の段階で近江高島城(城主の田中氏は幕府奉公衆に属する)に籠城していたことも裏付けられている{{Sfn|藤田|2019|p=23-25}}。さらに『細川家記』の義昭側近だった[[細川幽斎|細川藤孝]]の記録部分や、1570年に義昭からの山城国下久世の所領付与『東寺百合文書』、信長との対立後に義昭の側近[[曽我助乗]]に暇を求めた光秀書状が現存する<ref>小和田哲男『明智光秀 つくられた「謀反人」』 ISBN 4-569-60109-X </ref>。}}に信長を倒すように命じたとする説。[[藤田達生]]が平成13年(2001年)に著書『本能寺の変の群像 : 中世と近世の相剋』を発表して、義昭の深い関与を主張したものである<ref name="chugoku2014-06-28"/>{{Refnest|group="注釈"|ただし藤田は2019年刊行の『明智光秀伝』のあとがきで「ところが、義昭の亡命政権「鞆幕府」の重要性に着目したのが災いしたのか、筆者の意に反して「義昭黒幕説」さらには「陰謀論」とまでミスリードする研究者がいる。いったい、拙著・拙稿のどこをどう読んだら、その様な評価になるのだろうか」{{Sfn|藤田|2019|p=303}}と、自らの説が陰謀論まがいの粉飾を施された「義昭黒幕説」として取り沙汰されていることに強い不満を表明している。}}。 : 三職推任問題で、近々、信長が朝廷に[[征夷大将軍]]の任を求めれば承認される可能性があることを朝廷関係者から知った足利義昭が、その実現を恐れ、かつての家臣・光秀に信長暗殺を持ちかけたとする。この説で藤田は、斎藤利三と長宗我部元親の姻戚関係から『香宗我部家伝証文』を根拠に長宗我部氏と毛利氏が義昭を介して同盟を結んだと想定し、光秀は四国政策と中国攻め両方で秀吉に出し抜かれたことで自身の失脚を危惧していたことから、この申し出を引き受けたとし、信長の天皇謁見を妨害するため本能寺の変を実行したとする。[[#四国説|四国説]]と関連もあるが、変の目的は遠征回避ではない。朝廷と義昭の共謀も主張されており、同時に、足利義昭・朝廷黒幕説でもある。 : この説の根拠としては、本能寺の変の直前に光秀が上杉景勝に協力を求めて送った使者が、「御当方(上杉のこと)無二御馳走(協力)申し上げるべき」<ref name="hasibaP16"/>(「覚上公御書集」より)と、明らかに景勝より身分の高い人物への協力を促していること。加えて本能寺の変の直後の6月12日、光秀が[[紀伊国|紀州]]の[[雑賀衆]]・[[土橋重治]]へ送った書状において、「上意馳走申しつけられて示し給い、快然に候」と光秀より身分の高い者からの命令を指す「上意」という言葉を使った上で、「御入洛の事、即ち御請申し上げ候」「尚以て急度御入洛の義、御馳走肝要に候」とその人物の入洛が話し合われている点が挙げられる<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.forest.minokamo.gifu.jp/data_box/komonjyo/files/H19912.pdf | title = 明智光秀書状 [天正一〇年(一五八二)土橋平尉(重治)宛] | format = PDF | publisher = みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム | accessdate = 2021-07-27 }}</ref>。また、6月13日に義昭が小早川隆景の家臣[[乃美宗勝|乃美兵部丞]]に「信長討ち果たす上は、入洛の儀、急度」から始まる自身の[[花押]]付きの書状を送り、「この機に忠功を示すことを肝要とし、本意においては恩賞を与え。よって肩衣・袴これを遣わす」と自ら変の首謀者であることを宣言し、毛利輝元・小早川隆景に入洛の軍事行動を要請していることなどであった。 : この足利義昭黒幕説を最初に明確に否定したのが[[宮本義己]]である。宮本は、6月9日に光秀が細川父子に宛てた覚書に、[[細川幽斎|細川藤孝]]との共通の旧主である義昭の存在が全く見えないことを指摘。もし義昭が光秀の謀反に何らかの形で関わっていたとしたら、この書状で義昭を引き合いに出さないのは不自然で、信義を尊ぶ細川父子であればなおのこと有効であったはずであると主張した。宮本はこれを義昭の存在が謀反の名分にはなっていなかったことを意味すると解釈した{{Refnest|group="注釈"|こうした意見に対し藤田は2019年刊行の『明智光秀伝』で「光秀自らそれを語っている書状があることから成立しない」と義昭と見られる人物の「御入洛」に言及した土橋重治宛て書状の存在を根拠に反論している。光秀と細川父子との書状のやりとりは2往復行われたと考えられており、藤田は「もし書かれていたとすれば、光秀が与同を求めた前報ではなかろうか」としている{{Sfn|藤田|2019|p=95}}。}}。また打倒信長を目指して行動を続けていた義昭のもとに、信長を自決させたという密書が届けられた形跡はなく、それどころか光秀周辺とのつながりを示すような材料も全く見つかっていない。このことは毛利氏の場合も同様である。信長の死を知らせる光秀の使者が秀吉の陣営に迷い込んで捕らえられた不手際も、義昭と毛利氏が本能寺の変を全く予期していなかったことの証である。もし義昭が黒幕として光秀を操っていたのなら、あらかじめ隠密の使者の算段が調えられていたに違いないからである。[[吉川広家]]の覚書(案文)によれば、毛利氏は秀吉撤退の日の翌日にも本能寺の変報を入手していたが、変報を知った後の毛利氏も、すでに秀吉との和議が成ったことを理由に織田軍を追撃しなかった。仮に義昭が黒幕として光秀と通じていたならば、光秀が京都を抑えていた段階で(義昭を庇護する)毛利氏が秀吉への追撃を思いとどまることなどありえなかったであろうし、むしろ計画通りに一気に攻勢をかけなければいけなかったはずである。以上のことから、宮本は「足利義昭を黒幕と見るにはかなりの困難がともない、学問的には全く否定材料しか見当らず肯定する要素はないのが現実である」と述べている<ref>{{Cite journal|和書|author=宮本義己|authorlink=宮本義己|title=足利義昭黒幕説を検証する|journal=別冊歴史読本|volume=19巻|issue=25|year=1994}}</ref>。 : 他の研究者の反論としては、義昭の名前を隠す必要が見当たらないこと、逆に言えば、光秀の側から義昭の名前が出てこないことが直接の関与を否定する証拠となるというものである。細川藤孝や筒井順慶へ協力を求めた際にも、義昭の存在を知らせておらず、義昭を庇護していた毛利氏が本能寺の変を知らなかったこと<ref group="注釈">『荻藩閥閲録』によれば、毛利は変から4日たってもまだ変の実態がつかめなかった。</ref>について合理的な説明が付かないことなどである<ref name="kensyou"/>。 : 藤田は、当時、日本は「二人の将軍を頂点とする二つの幕府、すなわち「鞆幕府」と「安土幕府」による内乱時代」{{Sfn|藤田|2019|p=115}}にあったという見方を示しており、本能寺の変もそうした中で起きたとするのが藤田説で、この点でも示唆に富むものであり、[[染谷光廣]]も「この事件の原因も義昭や義昭に仕えた人々の動向、そして、光秀の家臣団の人的様成などを併せて考えてみる必要があると思うのである。そして、根深いところに義昭の存在があったのである」と述べるなど<ref>{{Cite journal|和書|author=染谷光廣|authorlink=染谷光廣|title=本能寺の変の黒幕は足利義昭か|journal=別冊歴史読本|volume=14巻|issue=19|year=1989}}/所収:{{Citation|和書|editor=新人物往来社|title=明智光秀-野望!本能寺の変-|publisher=新人物往来社|year=2009}}</ref>、大義名分の1つには成り得るが、直接の指令があったのかどうかも含めて、義昭の積極的関与を示すような証拠は依然として存在しない<ref name="hasibaP16"/>。ただし、藤田は6月12日に光秀から土橋重治にあてた書状を考察し、光秀が信長打倒後に足利義昭を奉じて入洛させ、織田政権に代わる形で室町幕府を再興するという明確な構想を考えていたと指摘している<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170912/k10011135671000.html 本能寺の変は室町幕府再興が目的か 光秀直筆の書状を確認] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170911220159/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170912/k10011135671000.html |date=2017年9月11日 }}</ref><ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1709/12/news088.html 本能寺の変、目的は室町幕府の再興だった? 明智光秀直筆の書状から分析 信長に追放されていた第15代将軍・足利義昭の帰還計画が書状から明らかに。]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20170912191458/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017091202000240.html?ref=rank 「本能寺の変は幕府再興目的」 光秀 謀反直後の書状原本]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20170912191227/http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170912/soc1709120026-n1.html 光秀「書状」原本発見 「本能寺の変」直後に反信長の豪族に協力要請、識者「室町幕府再興説を裏付け」]</ref><ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000086-san-cul 本能寺の変 義昭黒幕説も 論争は続く] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170912191506/https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170912-00000086-san-cul |date=2017年9月12日 }}</ref><ref>[https://mainichi.jp/articles/20170912/k00/00m/040/159000c 明智光秀 密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ]</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/13599143/ 光秀の狙いは室町幕府再興か 「本能寺の変」10日後の書状原本発見] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170912144720/http://news.livedoor.com/article/detail/13599143/ |date=2017年9月12日 }}</ref><ref>[https://www.huffingtonpost.jp/entry/akechi-mitsuhide_jp_5c5d4a0ee4b0974f75b116b9 明智光秀が、「本能寺の変」直後に書いた手紙が見つかった]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20170912151816/http://www.asahi.com/articles/ASK9C45WPK9CONFB00F.html?iref=sp_cultop_feature5_list_n 本能寺の変後、光秀の直筆手紙 紀州の武将宛て]</ref><ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLZO21007030R10C17A9CR8000/ 謀反直後の光秀書状原本 室町幕府再興説裏付けか 2017/9/12 3:00 ] - [[共同通信社]]/『[[日本経済新聞]]』</ref><ref>[https://megalodon.jp/2017-0912-0835-07/www3.nhk.or.jp/news/html/20170912/k10011135671000.html 本能寺の変は室町幕府再興が目的か 光秀直筆の書状を確認9月12日 3時58分] - [[日本放送協会]]([[ウェブ魚拓]]による保存)</ref>。さらに2019年刊行の『明智光秀伝』では原文の「然而(平出)御入洛事、即御請申上候」を「しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既にご承諾申し上げています」と解釈した上で「重要なのは、あらかじめ義昭側から上洛を援助するようにとの働きかけがあったことだ。遅くとも本史料を認めた天正十年六月十二日までに、光秀が旧主義昭(元亀二年まで仕える)を推戴していたことになる」と、光秀と義昭側には明確な連携があったとしている{{Sfn|藤田|2019|p=219-224}}。 :*; {{Anchors|羽柴秀吉黒幕説|羽柴秀吉関与説}}羽柴秀吉黒幕説 : 「もっとも利益をえた者を疑え」という推理のセオリーに則って、一番利益を得た秀吉を黒幕であると想定して、将来に不安をもつ光秀を唆して謀反を起させたとする説<ref name="oh1P11"/>。[[宇都宮泰長]]<ref>{{Cite journal|和書|author=宇都宮泰長|title=信長謀殺の真犯人 羽柴秀吉黒幕説|journal=歴史と旅|issue=4月号|year=1995|pages=106-109}}</ref>などが書き、この説では中国大返しの手際の良さや、秀吉の援軍要請は必要あったのか、などが論拠とされるが、史料的な裏付けは全くない。創作作品にしばしば見られる<ref>[[山田風太郎]] 『妖説太平記』</ref>。{{See also|豊臣秀吉#本能寺の変の黒幕説}} :*; {{Anchors|毛利輝元黒幕説}}毛利輝元黒幕説 : 信長の死で直面した危機から脱して得をしたのが[[毛利輝元]]であったということから黒幕と想定したもの<ref name="oh1P12"/>だが、根拠はない。[[米原正義]]は毛利輝元も[[穂井田元清]]も、[[吉川広家]]も、信長父子の急死を「不慮」つまりおもいがけないことであると述べていることから、毛利輝元黒幕説は成立しないと述べている<ref>{{Cite journal|和書|author=米原正義|title=毛利輝元黒幕説を検証する|journal=別冊歴史読本|volume=19巻|issue=25号|year=1994}}</ref>。 :*; {{Anchors|徳川家康黒幕説}}徳川家康黒幕説 : 動機は[[#徳川家康主犯説|徳川家康主犯説]]と同じだが、家康が光秀を裏で操る黒幕であったという説<ref name="hasibaP17"/>。「光秀は僧侶だったのではないか?」とする作家[[小林久三]]が提唱した南光坊[[天海]]=光秀説<ref>{{Cite journal|和書|author=小林久三|title=推理! 信長謀殺の真犯人 徳川家康黒幕説|journal=歴史と旅|issue=4月号|year=1995|pages=114-119}}</ref><ref group="注釈">南光坊天海=光秀説については、光秀の首とされたものはすでにかなりの腐敗の進んだ状態で実検されたことや、[[比叡山]]に慶長20年2月に「願主光秀」が寄進したと刻まれた石灯籠が存在すること、光秀の位牌を祀る大阪の[[本徳寺 (岸和田市)|本徳寺]]に残存する光秀の肖像画には「放下般舟三昧去」という裏書があり、そのまま読めば光秀は仏門で余生を送ったという意味であること、[[東照宮]]陽明門の武士木像、[[鐘楼]]の紋は明智の家紋である「桔梗」であること、家康は、光秀が所有していた熊毛の鑓(やり)を何故か所有しており「これは名将 日向守殿の鑓である、日向守の武功に肖れ。」と付言して従兄弟 [[水野勝成]]に与えたことなどが上げられる。{{see also|明智光秀#南光坊天海説}}</ref>に触発されて、歴史小説などで用いられたもので、創作。 : この説の肝は、『本城惣右衛門覚書』やフロイスの『日本史』、『老人雑話』などに信長が家康を暗殺するという風説(いわゆる、{{Anchors|家康暗殺説}}家康暗殺説)があったという記述があることを根拠に信長による家康暗殺の計画が実際にあったとする点と、光秀が山崎の戦いの後も僧侶として生存し南光坊天海として家康に仕えたとする点の2点である。陰謀論の中ではよく知られたもの。信憑性については定かではないが、この説を利用するフィクション・陰謀論がかなりある。 :*; {{Anchors|堺商人黒幕説|堺商人・徳川家康黒幕説}}堺商人黒幕説(堺豪商黒幕説)、[[千利休]]説、堺商人・徳川家康黒幕説 : 堺商人が自らの[[既得権]]を守るため、自治都市としての復権のために信長殺害を計画したという説<ref name="oh1P12">{{Harvnb|大野|2014|p=12|ref=oh1}}</ref><ref group="注釈">戦国時代の堺商人は、戦支度やその他利権等を獲得のため、権力者へ擦り寄り、鉄砲で敵対する天下人候補を狙撃、偽書状等を出す、暗殺等、色々行ってきた。史実としても、堺商人と信長、本能寺との間で鉄砲などの既得権を巡る争いや対立があった際には、信長と堺商人が既得権を巡り対立し、[[今井宗久]]や[[津田宗及]]が堺側を説得して、武力衝突を回避してきたという経緯がある。</ref>。利休が仕組んだという利休黒幕説、堺商人が家康と共謀したという堺商人・徳川家康黒幕説など、そこから派生した諸説も含まれる。[[新宮正春]]<ref>『敵は本能寺にあらず』双葉社刊</ref>などの作家が小説(フィクション)として書いた。 : [[新井英生]]も『[[歴史と旅]]』<ref>{{Cite journal|和書|author=新井英生|title=推理! 信長謀殺の真犯人 堺の豪商黒幕説|journal=歴史と旅|issue=4月号|year=1995|pages=110-113}}</ref>誌上で自説を述べ、「茶頭の一人として、信長の“楢柴”に対する執心ぶりを熟知していた津田宗久が、この名物を餌に信長謀殺を企てたのではないかと思える」<ref name="akechi">{{Citation |和書|last=小和田|first=哲男|editor=|year=1998|title =明智光秀 つくられた「謀反人」|publisher=PHP研究所|ISBN=456960109X}}</ref>と書いている。確かに堺商人(今井宗久や津田宗及)の招きで信長は本能寺へ入って茶会を催しており、可能性がないわけではないが、根拠になるようなものは存在しない。 :*; {{Anchors|フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説}}フロイス黒幕説・イエズス会黒幕説(ローマ教皇庁黒幕説、キリシタン・バテレン説) : 宣教師や[[イエズス会]]などが黒幕であったとする説<ref name="oh1P12"/>。マカオ侵略を危惧したとか、信長が神になろうとしたからとか、細川ガラシャなどキリシタンの繋がりで光秀を動かしたとかいうような陰謀論で、多くは創作で根拠のようなものはほとんどない。 : イエズス会黒幕説は、[[立花京子]]が平成16年(2004年)に著書『信長と十字架』で発表した。立花の主張では、大友宗麟はイエズス会と信長とを繋ぐ舞台廻しであり、「信長政権が南欧勢力の傀儡に過ぎなかった」とし、「信長はイエズス会から資金提供を受けていた」が、信長がイエズス会に逆らって自らを神格化したために見捨てられ、暗殺されたとする。イエズス会を中心とする南欧勢力の最終目的は[[明|明帝国]]の武力征服であり、変は信長から秀吉に首をすげかえるためのものに過ぎなかったという<ref>{{Citation |和書|last=立花|first=京子|editor=|year=2004|title =信長と十字架―「天下布武」の真実を追う|publisher=集英社新書|ISBN=4087202259}}</ref>。反論として「当時のイエズス会の定収入は年2万クルザード程度であり、しかもその半分以上は[[インド]]に送金され、会を維持運営するのにも事欠く有様であった」などが挙げられ、論拠に信用に欠ける『明智軍記』などを検証も無く多数引用するなどの問題点が批判された{{Sfn|鈴木|藤本|2006}}。 [[image:miyo no wakamochi.jpg|thumb|君が代をつきかためたり春のもち―「道化武者 御代の若餅」([[歌川芳虎]]作)<br/>杵を持つのが信長、餅をこねるのが光秀、伸しているのが秀吉で、食べている大将が家康を表す寓意。]] :*; {{Anchors|高野山黒幕説}}高野山黒幕説 : 天正10年当時、[[紀州征伐#高野攻め|高野山攻め]]が行われていて、高野山真言宗門徒が畿内で信長に逆らう最後の勢力だった。本能寺の変によって攻撃は中止されており、変で利益を得た勢力の1つとして黒幕説がある<ref name="oh1P12"/>。 :*; {{Anchors|森蘭丸黒幕説}}森蘭丸黒幕説 : 森蘭丸が事前に本能寺の変を察知していて、何らかの陰謀に関与していたと言う説。考え込んで箸を落とした光秀を見て謀反を起こす気らしいと進言したという『常山紀談』に見られる逸話あるいは『森家先代実録』などにある光秀謀反の警告<ref name="s101"/>から発展したもので、創作。同説では複数のパターンがあるが、例えば、『絵本太閤記』にある蘭丸による光秀殴打などから、光秀と蘭丸との敵対関係がことらさら強調されており、蘭丸は光秀を陥れ、讒言し、殺害しようと度々計画する奸臣で、それに対する反撃が本能寺の変という位置づけのものもある。 :*; {{Anchors|法華宗門徒黒幕説}}法華宗門徒黒幕説 : [[安土宗論]]に敗れた[[法華宗]]が、その遺恨から、大檀那、門徒が共謀して信長を暗殺したという説。内部協力者の存在も指摘する<ref>{{Harvnb|橋場|2014|ref=hshi2|pp=17-19}}</ref>。[[茶屋四郎次郎]]、[[本阿弥光悦]]、[[斎藤利堯]]、[[竹内季治]]などの法華宗門徒が陰謀に加わった可能性を指摘するが、それらの連携を示すような根拠は全くなく、法華宗の門徒が自派の寺院である本能寺を焼いてしまうとすれば、それは仏罰を受ける大罪であり、そのような襲撃計画を練るとも考えにくい。 :*; {{Anchors|織田信忠黒幕説}}織田信忠黒幕説 : 織田信忠と織田家臣が信長を排除しようとして本能寺の変が起きたが、計画に反して信忠が死亡してしまったとする説<ref>[[斎藤忠]] 『天正10年の資料だけが証す本能寺の変の真実』2019年 実業之日本社{{要ページ番号|date=2022年2月}}</ref>。 :*; {{Anchors|光秀・秀吉共謀説}}光秀・秀吉共謀説 : 天下取りの野望を持つ秀吉が光秀と共謀して、援軍要請で信長を本能寺に誘き出し、光秀が信長を暗殺したという説。変が成功した後には秀吉は準備していた中国大返しで光秀を討って口を封じ、天下を奪ったとする。共謀説とは言うものの光秀は猿回しの猿であり、主導的な役割は秀吉が担う。[[#羽柴秀吉黒幕説|羽柴秀吉黒幕説]]の亜種。作家の創作<ref name="hasibaP17"/>。 :*; {{Anchors|光秀・家康共謀説}}光秀・家康共謀説 : 本能寺の変は光秀と家康の共謀であったとする説の総称。信長が家康潰しの計画を企てその実行を光秀に命じたとし、本能寺に家康を呼び寄せ殺害する計画だったが、光秀は信長を裏切り家康と共謀したというもの。「[[伊賀越え|神君伊賀越え]]」の苦難は世間を謀るための隠蔽工作とされる。信長が自ら仕掛けた罠に自分自身がはまってしまったという点では[[#信長自滅説|信長自滅説]]に通じる。{{要出典範囲|date=2023年2月|『日本国王記』によると、信長は口に指をあてて「'''余は余自ら死を招いたな'''」と言ったという}}。『本城惣右衛門覚書』やフロイスの『日本史』を家康暗殺の計画があった論拠とするのは、[[#徳川家康主犯説|徳川家康主犯説]]や[[#徳川家康黒幕説|家康黒幕説]]と共通するが、これに光秀=天海説を追加したもので、天海となった光秀が生存して徳川政権に加わったとする。家康黒幕説との違いは、両者が同志であるとする点。 : 共謀や天海説について「とくに証拠となる史料はなく、作家流の創作と分類せざるをえない」という指摘がある<ref name="hasibaP17"/>。 :*; {{Anchors|光秀・秀吉・家康共謀説}}光秀・秀吉・家康共謀説 : 光秀・秀吉・家康の三者が共謀して信長を暗殺したという説の総称。 :*; {{Anchors|土岐明智家滅亡阻止説}}土岐明智家滅亡阻止説 : 三者(または細川藤孝を加えれば四者)が共謀したという説の中の有名になったものに、土岐明智家滅亡阻止説または土岐明智家滅亡回避説がある。この説は平成21年(2009年)に光秀の子孫を自称する[[明智憲三郎]]が著書『本能寺の変 427年目の真実』<ref group="注釈" name="aketi"/>で唱えた。 : 信長は堺見物から京に戻る家康を本能寺に呼び寄せ、運び込んだ名物茶器で時間稼ぎをし、隙を突いて本能寺に呼び寄せた光秀の軍勢で家康と重臣を殺害し、そのまま電撃的に家康領を光秀・細川忠興・筒井順慶の軍で占領しようと考えていた。しかしながら、光秀が信長が進める織田一族による中央集権化と、重臣の遠国転封{{efn|柴田勝家は近江長光寺二郡から越前八郡に、滝川一益は伊勢長島から上野一国・信濃二郡に加増ながらも近畿から遠い地に転封されている。秀吉も近江長浜から播磨一国に転封しており、長浜は収公、新城主に堀秀政が内定していた。}}に反発。土岐一族再興(縁故の領地回復、美濃・尾張・伊勢)が絶望的になったことと、家臣団のうち旧幕臣衆が光秀配下になったことでお家再興がなったのに遠国転封で京都から離れることに不満を高め、加えて将来・旧家康領に転封になれば結束の強い三河武士団を治めることは困難であるとし、息子の代で土岐明智氏は佐久間信盛のように滅亡するのではないかという憂いから、一族の存亡をかけて謀反に踏み切ったとしている。光秀は家康と共謀し、さらに細川藤孝の密告によって秀吉がこれをさらに利用して、変後には秀吉によって全てが隠蔽され、光秀単独で実行したものとする。憲三郎は「(本能寺の変の)動機は複合的なものであり、最終的な決断は信長の『唐入り』(=朝鮮侵攻)にあったのではないかと思います。天下統一に向け着々と進んでいたので、すぐにでも止めないと(唐入りまで)一気に行ってしまうだろうと焦っていたと思えます。その点で言えば、光秀の盟友である長宗我部征伐回避を信長に迫り拒絶されたことも、身の危険を感じる大きな契機になったに違いありません」<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2014-09-25 |url=http://www.asagei.com/excerpt/26557|title=“明智光秀”子孫が語る「本能寺の変」(2)長宗我部征伐で身の危険が…|publisher=Asagei plus|accessdate=2015-07-26}}</ref>と言う。信長の次男・信雄の子孫という織田廟宗家13世を称する織田信和{{efn|江戸期には[[柏原藩]]の大名であった[[織田高長|高長]]流の17世当主・織田信和とは別人。高長流織田家18代当主の[[織田孝一]]は、信忠の系統が断絶して以降宗家を名乗るものはなく、「織田廟宗家を名乗る人物」は、大名家の子孫である各織田家と関係のない人物であるとしている<ref> [https://dot.asahi.com/articles/-/108286?page=1 織田家18代当主・織田信孝「『織田廟宗家』を名乗る困った人」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット) ]</ref>。}}は、「信長の唐入り(中国征服)構想の先兵として中国派遣が決定的であった光秀が、子孫もろとも異国の地に移封されることを恐れて謀反に走った」とする明智憲三郎の推理を支持している<ref>{{Cite web|和書|url=https://lite-ra.com/2014/12/post-727.html |title=信長はなぜ?「本能寺の変」の真実を明智光秀の子孫が解き明かした|publisher=リテラ(株式会社サイゾー)|accessdate=2014-12-22}}</ref>。 : ただし信長の唐入りについては、ルイス・フロイスの『日本史』{{efn|フロイスの『日本史』第55章に「信長は、日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して支那を武力で征服し、諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった」という記述がある。}}を出典とするが、従来より根拠に乏しく他は裏付けがないことが指摘されており、[[中村栄孝]]は信長が海外貿易を考えていて秀吉の唐入りは亡き主君の遺志を継いだものという通説は『朝鮮通交大紀』の誤読による人物取り違えであって'''信長に対外遠征の計画はなかった'''としている<ref>{{Citation |和書| last =中村| first =栄孝 |author-link=中村栄孝|editor=国史研究会 |year=1935|volume=第6|chapter=文禄・慶長の役|title =岩波講座日本歴史|publisher =岩波書店|url={{NDLDC|1920813/77}} 国立国会図書館デジタルコレクション|pages=16-17}}</ref>。信長による「唐入り」や「家康討ち」、光秀と家康共謀など、多数の前提の上に成り立つこの説は、土台がかなり狭く綱渡りのように仮説につぐ仮説を渡り歩く必要がある。小和田哲男は、信長による家康暗殺と光秀の一族滅亡阻止という二重の陰謀について、「この二つの結論はありえない」<ref name="owP6"/>と評している。また憲三郎が先祖という光秀の子・於隺丸(おづるまる)という人物の存在もよくわからないと懐疑的である<ref name="owP6"/>。 : 明智憲三郎の説は、学術的には、批判するまでもなく明らかに荒唐無稽な説であると考えられているため、その説を詳細に批判しているのは、[[藤本正行]](日本軍事史)のような一部の研究者のみである{{Sfn|呉座|2018|pp=328-329}}。こうしたなかで、明智憲三郎のこの説についてより詳細に検討したのが、[[呉座勇一]](日本中世史)である。呉座もまた、明智憲三郎の議論について、全体として「到底従えない」ものであると結論づけている{{Sfn|呉座|2018|p=251}}。その上、そもそも、古くは歴史小説家の[[八切止夫]]らが、家康の存在に着目しているため、余人に先駆けて本能寺の変の謎をすべて解明できたという明智憲三郎自身の主張に反してその説は新説とは言い難い{{Sfn|呉座|2018|p=250}}。信長が光秀に家康殺害を命じていたのではないかという議論も、すでに[[藤田達生]](日本・中近世史)が明智憲三郎以前に検討している{{Sfn|呉座|2018|p=250}}。 : 呉座によれば、明智憲三郎はたしかに史料や先行研究をある程度は調べており、『[[惟任退治記]]』の[[史料批判]]などの細かい部分では評価できる面はあるとする{{Sfn|呉座|2018|p=251}}。しかし、以下のような数多くの疑問点・矛盾点を挙げ{{Sfn|呉座|2018|pp=249-264}}、明智憲三郎の説は「奇説」{{Sfn|呉座|2018|p=249}}であると呉座は位置づけている。 :# 信長には家康を殺害する動機はない{{Sfn|呉座|2018|pp=251-254}}。むしろ、他の戦国大名との戦いが続いている中で家康を排除するのは不利益が大きいと考えられる{{Sfn|呉座|2018|pp=251-254}}。明智憲三郎は、家康殺害計画の史料上の裏付けとして、『[[本城惣右衛門覚書]]』の「(本能寺の変直前に、光秀配下の兵卒が、信長ではなく)家康を襲うのだと勘違いした」という記述を挙げている{{Sfn|呉座|2018|pp=251-254}}。しかし、主君の信長を除けば、京都にいる有力武将は家康のみである以上、兵士たちが家康を討つと思ったのは消去法による必然であり、この記述は、明智憲三郎の説の論拠にならない{{Sfn|呉座|2018|pp=251-254}}。『本城惣右衛門覚書』を除けば、信長による家康殺害計画は、何ら史料的な根拠のない空論である{{Sfn|呉座|2018|pp=251-254}}。 :# 光秀が家康を協力者にすることは不可能である{{Sfn|呉座|2018|pp=254-256}}。信長の監視下にある安土において、光秀と家康が二人きりで話し合うことは危険が大きく、非常に困難である{{Sfn|呉座|2018|pp=254-256}}。その上、光秀が信長による家康殺害計画を伝えたとして、家康が信じるとは考えがたい{{Sfn|呉座|2018|pp=254-256}}。そもそも謀反の計画を家康に伝えるのは、漏洩の危険があまりに大きい{{Sfn|呉座|2018|pp=254-256}}。 :# 光秀が家康を協力者にする利点は乏しい{{Sfn|呉座|2018|pp=259-263}}。なぜなら、家康を協力者とせずとも、[[武田家]]の旧臣や[[上杉氏]]、[[後北条氏]]といった敵がいる以上、東国織田軍や徳川軍は光秀を攻撃する余裕はないからである{{Sfn|呉座|2018|pp=259-263}}。 :*; {{Anchors|毛利輝元・足利義昭・朝廷黒幕説|近衛前久・徳川家康黒幕説|上杉景勝・羽柴秀吉黒幕説|徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説|足利義昭・羽柴秀吉・毛利輝元黒幕説}}他の黒幕複数説 : 毛利輝元・足利義昭・朝廷黒幕説、近衛前久・徳川家康黒幕説、堺商人・徳川家康黒幕説、上杉景勝・羽柴秀吉黒幕説、徳川家康・イギリス・オランダ黒幕説、足利義昭・羽柴秀吉・毛利輝元黒幕説は、それぞれ複数の共謀者を想定した説。[[#IV. 複合説|複合説]]を参照。 === その他 === *; {{Anchors|信長の対朝廷政策との関連}}信長の対朝廷政策との関連 信長の朝廷政策については、従来より研究者の間で見解が分かれており、結論はでていない。本能寺の変と朝廷との関係についていろいろと憶測する説があるが、この結論がでないことには、前提が成り立つのかどうかすらはっきりしないということを意味する。{{main|織田信長#朝廷政策}} *; {{Anchors|信長自滅説}}信長自滅説 信長自らの行為が本能寺の変を直接招いたという説の総称。 平成17年([[2005年]])に作家[[円堂晃]]が著書に書いた説もこれに当たる。毛利氏との決戦を控えていたが毛利方はよくまとまり、亡命した足利義昭を擁して大義名分を持っていた。そのため、信長は状況打破のため征夷大将軍に任官および義昭の将軍解任を朝廷に求めていたが、朝廷はなかなか認めようとしなかった。そこで信長自身が光秀の軍勢を二条御新造に差し向けて、朝廷を威嚇して要求を強引に認めさせようとしたが、それを光秀に利用されて謀反を起こされたという説<ref>{{Citation|和書|author=円堂晃|title=本能寺の変本当の謎-反逆者は二人いた-|publisher=並木書房|isbn=4-89063-185-2}}</ref>を唱えた。<!--しかしながら、毛利方は本能寺の変の2年前にあたる[[1580年]]に毛利方から織田方に鞍替えした宇喜多氏を攻めるため[[小早川隆景]]を総大将とする大軍を送ったものの「辛川崩れ」「加茂崩れ」と続けざまに一方的な大敗を喫している。この当時毛利は織田はおろか宇喜多にすら勝てない状態であり、畿内に攻め込むことは現実的に不可能であるため本説も信憑性に乏しいと言える。--> == 関連作品 == ; 史料 * 『[[信長公記]]』 * 『[[当代記]]』 * 『[[明智軍記]]』 * 『[[川角太閤記]]』 * 『[[常山紀談]]』 ; 派生語 * 敵本 - 「敵は本能寺にあり」から、敵本、敵本主義という言葉{{Refnest|group="注釈"|目的が他にあるように見せかけて、途中、急きょ、本来の目的に向かうこと。「敵本」は「敵は本能寺にあり」の意味で、本能寺の変に由来する成句<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://kotobank.jp/word/%E6%95%B5%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9-575465 |title=敵本主義 |publisher=コトバンク |accessdate=2015-05-28}}</ref>。}}が生れた。 ; 文芸作品・映像作品 {{main|本能寺の変を題材とした作品}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"|30em}} {{Reflist|group="情勢"}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 参考文献 == ; 史料 * {{Citation |和書|last1=太田|first1=牛一|last2=中川|first2=太古|year=2013|author1-link=太田牛一|series=新人物文庫|publisher=[[中経出版]]|edition=[[Amazon Kindle|Kindle]]|title =現代語訳 信長公記}}{{ASIN|B00G6E8E7A}} ** {{Citation |和書|last=|first=|editor=近藤瓶城 |year=1926|series=史籍集覧| volume=第19|title =信長公記|publisher=近藤出版部|url={{NDLDC|1920322/60}} 国立国会図書館デジタルコレクション|ref=c19}} * {{Citation |last =クラツセ|first =ジアン|author-link=|year=1925| volume=上|title =日本西教史|publisher =太陽堂書店|url={{NDLDC|971162/230}} 国立国会図書館デジタルコレクション|pages=431-437}} * {{Citation |和書|last =松平|first 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<!--変後--> * {{Citation |和書|last=|first=|editor=滋賀県 | year=1928| series=|volume=3|title =滋賀県史|publisher =滋賀県|url={{NDLDC|1218244/242}} 国立国会図書館デジタルコレクション}} * {{Citation |和書|last=|first=|editor=参謀本部 | year=1911| series=|volume=|title =日本戦史. 山崎役|publisher =元真社|url={{NDLDC|771064/4}} 国立国会図書館デジタルコレクション|ref=san11}} * {{Citation |和書|last=小和田|first=哲男|year=2002|chapter=三好時代の秀次|title =豊臣秀次 : 「殺生関白」の悲劇|publisher= PHP研究所|edition=Kindle|ref=h}}{{ASIN|B00N2H4MGQ}} * {{Citation |和書|last1=鈴木|first1=眞哉|last2=藤本|first2=正行|year=2006|title=信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う|publisher=洋泉社|isbn=4-89691-995-5|ref={{SfnRef|鈴木|藤本|2006}} }} * {{Citation |和書|last=明智|first=憲三郎|author-link=明智憲三郎| year =2013|title =本能寺の変431年目の真実 |publisher =文芸社|ISBN=9784286143828}} * {{Citation |和書|last=河内|first=将芳|author-link=河内将芳|year=2013|title=日蓮宗と戦国京都|publisher=[[淡交社]]|isbn=978-4-473-03882-1}} * {{Citation |和書|author=[[呉座勇一]]|year=2018|title =陰謀の日本中世史|publisher =[[KADOKAWA]]|ISBN=9784040821221|page=250|edition=|ref={{SfnRef|呉座|2018}} 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=大野|first=信長|author-link=大野信長|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<織田信長と本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =本能寺の変 真説は何処に?|ref=oh1}}{{ASIN|B00O9MXZ0M}} * {{Citation |和書|last =大野|first=信長|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<織田信長と本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =信長、本能寺に没す! その時、男たちは…|ref=oh2}}{{ASIN|B00O9MXYX0}} * {{Citation |和書|last =小和田|first=哲男|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =全国有力大名たちの動向|ref=owada2}}{{ASIN|B00NWBFCUC}} * {{Citation |和書|last =小和田|first=哲男|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =ひっくり返った下剋上|ref=owada3}}{{ASIN|B00MN849MW}} * {{Citation |和書|last =橋場|first=日月|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =信長暗殺の黒幕は誰だ?|ref=hshi2}}{{ASIN|B00O4TY85G}} * {{Citation |和書|last =工藤|first=章興|author-link=工藤章興|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<本能寺の変>|publisher=学研|edition=Kindle|title =明智光秀信長を討つ!}}{{ASIN|B00O9MXYY4}} * {{Citation |和書|last =小和田|first=哲男|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<織田信長と戦国時代>|publisher=学研|edition=Kindle|title =外国人が見た信長|ref=owada4}}{{ASIN|B00MN844CW}} * {{Citation |和書|last =桐野|first=作人|author-link=|year=2014|series=歴史群像デジタルアーカイブス<戦国時代の情報伝播>|publisher=学研|edition=Kindle|title =本能寺の変報はいかにして伝わったか|ref=kirino2}}{{ASIN|B00NWBFG4O}} <!--参照されている場所がわからない--> <!--* 河内将芳『宿所の変遷からみる信長と京都』淡交社、2018年。ISBN 978-4473042774。--> <!--* 河内将芳『戦国仏教と京都 法華宗・日蓮宗を中心に』法蔵館、2020年。--> == 関連項目 == {{Wikisource|信長公記#巻十五-三十二|信長公記|信長公本能寺にて御腹めされ候事}} {{Commonscat}} {{columns-list|2| <!--人物--> *[[織田信長]] *[[織田信忠]] *[[明智光秀]] <!--場所・建物--> *[[本能寺]] *[[阿弥陀寺 (京都市上京区)|阿弥陀寺]] *[[西山本門寺]] <!--書物--> *[[信長公記]] *[[本城惣右衛門覚書]] *[[フロイス日本史]] }} == 外部リンク == *[http://umoretakojo.jp/Shiro/Tokubetsuhen/Honnouji/index.htm 本能寺埋もれた古城] * [https://www.kyoto-honnouji.jp/ 大本山本能寺] {{coord|35|00|21|N|135|45|14|E|region:JP_scale:10000|display=title}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほんのうしのへん}} [[Category:日本におけるクーデター]] [[Category:安土桃山時代の戦い]] 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漢陽
漢陽(かんよう)
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漢陽(かんよう) ハニャン(한양)。現在大韓民国の首都であるソウル特別市が李氏朝鮮以前の時代に呼ばれた地名。漢陽大学校の名称の由来でもある。漢城府を参照のこと。 ハンヤン(Hànyáng)。中国・湖北省の長江・漢水に挟まれた都市。近隣の武昌・漢口とともに古くから水運を利用した物資の集積拠点として栄えた。現在、この三都市が合併し、武漢市となっている。漢陽区を参照のこと。 中国・後漢時代の天水郡(現在の天水市)の別名。漢陽郡。
'''漢陽'''(かんよう) *ハニャン({{lang|ko|한양}})。現在[[大韓民国]]の首都である'''ソウル特別市'''が[[李氏朝鮮]]以前の時代に呼ばれた地名。[[漢陽大学校]]の名称の由来でもある。[[漢城府]]を参照のこと。 *ハンヤン(Hànyáng)。[[中国]]・[[湖北省]]の長江・漢水に挟まれた都市。近隣の武昌・漢口とともに古くから水運を利用した物資の集積拠点として栄えた。現在、この三都市が合併し、'''[[武漢市]]'''となっている。[[漢陽区]]を参照のこと。 *中国・[[後漢]]時代の[[天水郡]](現在の[[天水市]])の別名。漢陽郡。 {{地名の曖昧さ回避|かんよう}}
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京城 (曖昧さ回避)
京城(けいじょう)は、都、首都を意味する漢語。
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京城(けいじょう)は、都、首都を意味する漢語。
'''京城'''(けいじょう)は、[[首都|都]]、[[首都]]を意味する漢語。 == ソウル特別市 == * [[日本統治時代の朝鮮]]においては、'''[[京城府]]'''のことを指した。 ** [[李氏朝鮮]]時代には、「京城」は'''[[漢城府]]'''の別称として用いられた。[[韓国併合]]の後、漢城府は京城府と改称された。 ** [[連合軍軍政期 (朝鮮史)|連合軍軍政期]]以後、'''[[ソウル特別市|ソウル]]'''と名称が改められたが、日本においては戦後も新聞記事などにおいて、「京城」の呼称が[[1960年代]]まで使われることがあった。 * 京城精工 - かつて存在した[[自転車]]パーツメーカーであり、現在の[[起亜自動車]]。 == 上記以外 == * [[中華人民共和国]]においては同国の首都である'''[[北京市]]'''を指す。自称的に使われることもある。 * [[日本]]の'''[[京都]]'''の別名の一つ。[[貝原益軒]]『[[京城勝覧]]』、[[天理教]]の京城大教会([[京都市]][[東山区]]にある)などの用例がある。 * [[中華民国]][[台南市]]に本店を置く[[京城銀行]](京城商業銀行)のこと。 == 関連項目 == * [[京城市]] {{地名の曖昧さ回避}} {{デフォルトソート:けいしよう}} [[Category:古都]]
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ガンダムシリーズの登場人物一覧
ガンダムシリーズの登場人物一覧(ガンダムシリーズのとうじょうじんぶついちらん)は、アニメ『機動戦士ガンダム』をはじめとする「ガンダムシリーズ」に登場する、架空の人物の一覧である ガンダムシリーズでは複数名前を持つ人物も存在するがこの記事ではそれぞれ別個に記載する。 ここには、宇宙世紀を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『機動戦士ガンダム』の登場人物を挙げる。小説版『機動戦士ガンダム』シリーズ(1〜3巻)にのみ登場する人物は含まれない。 地球連邦軍(第13独立部隊) ジオン公国軍(シャア・アズナブル少佐旗下) ジオン公国軍(シャア・アズナブル大佐旗下) ジオン公国軍(マッドアングラー隊) ジオン公国軍(ランバ・ラル大尉旗下) ジオン公国軍(マ・クベ大佐旗下) ジオン公国軍(ガルマ・ザビ大佐旗下) ここには、プラモデル企画『モビルスーツバリエーション』の登場人物を挙げる。登場人物に関してはモビルスーツバリエーションの登場人物を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、プラモデル企画『MS-X』の登場人物を挙げる。登場人物に関してはモビルスーツバリエーションの登場人物#MS-Xを参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、書籍『機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑の登場人物を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、劇場アトラクション『GUNDAM THE RIDE』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム CROSS DIMENSION 0079』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 フラナガン機関 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で...』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『ガンダムバトルオンライン』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』及び漫画・小説『機動戦士ガンダム外伝 宇宙、閃光の果てに...』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム戦記』及び漫画『機動戦士ガンダム戦記U.C.0081-水天の涙-』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、アーケードゲーム『機動戦士ガンダム スピリッツオブジオン』の登場人物を挙げる。 ジオン公国軍 地球連邦軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム MS戦線0079』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム クライマックスU.C.』及び漫画『機動戦士ガンダム クライマックスU.C. 紡がれし血統』の登場人物を挙げる。 第一世代 第二世代 ここには、漫画『機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム』の登場人物を挙げる。 ジオン公国軍 ムサイ級ルーチュ所属ストレット隊 その他 地球連邦軍 マゼラン級トーチタス その他 民間人 コロニー公社 ここには、漫画『Developers 機動戦士ガンダム Before One Year War』の登場人物を挙げる。 ホシオカ工場 ジオニック ジオン公国 ここには、漫画『魔法の少尉ブラスターマリ』の登場人物を挙げる。 ジオン公国軍 民間人 ここには、漫画『Gの影忍』の登場人物を挙げる。 忍/機動忍軍 ジオン公国軍 ネオ・ジオン その他 ここには、漫画及びWebアニメ『機動戦士ガンダム サンダーボルト』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 南洋同盟 ここには、OVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争の登場人物を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ジオン公国軍(サイクロプス隊) 民間人・その他 ここには、OVA『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』の登場人物を挙げる。また劇場版『機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ミラーズ・リポート』やエピローグ『機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ラスト・リゾート』、本OVAに付随したCDドラマの登場人物も含む。登場人物に関しては機動戦士ガンダム 第08MS小隊の登場人物を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 民間人・その他 ここには、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム MS IGLOOの登場人物を参照。 ジオン公国軍 地球連邦軍 ここには、OVA『機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線の登場人物を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、OVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』の登場人物を挙げる。本OVAに付随したCDドラマの登場人物も含む。登場人物に関しては機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 地球連邦軍 ジオン公国軍 デラーズ・フリート アクシズ(ネオ・ジオン) 民間人(アナハイム・エレクトロニクス含む) ここには、雑誌企画『機動戦士ガンダム ファントム・ブレット』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ジオン公国軍 ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『機動戦士Ζガンダム』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士Ζガンダムの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 エゥーゴ カラバ ティターンズ/地球連邦軍 アクシズ(ネオ・ジオン) 民間人・その他 ここには、劇場アニメーション作品『ガンダム新体験 グリーンダイバーズ』の登場人物を挙げる。 民間人 ここには、雑誌企画『ガンダム・センチネル』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍(α任務部隊) ニューディサイズ アクシズ(ネオ・ジオン) 民間人・その他 ここには、雑誌企画『ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗のもとに』の登場人物を挙げる。 ティターンズ・テスト・チーム 旧ジオン公国軍残党 地球連邦軍 地球連邦軍法務局 民間人・その他 ここには、漫画『機動戦士ガンダム C.D.A. 若き彗星の肖像』の登場人物を挙げる。 アクシズ(穏健派、強硬派含む) ジオン独立同盟 地球連邦軍(ティターンズ、エゥーゴ含む) 民間人・その他 ここには、漫画及び小説『機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル』の登場人物を挙げる。 エコール 旧ジオン公国軍残党 エゥーゴ/アナハイム・エレクトロニクス ティターンズ 民間人・その他 ここには、漫画『機動戦士ゼータガンダム1/2』の登場人物を挙げる。 カラバ ティターンズ/地球連邦軍 民間人・その他 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダムΖΖ』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムΖΖの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 エゥーゴ ネオ・ジオン 旧ジオン公国軍残党・ロンメル部隊 アフリカ解放戦線・青の部隊 民間人・その他 ここには、漫画『機動戦士ガンダムΖΖ外伝 ジオンの幻陽』の登場人物を挙げる。 ネオ・ジオン エゥーゴ/カラバ 地球連邦軍 ティターンズ ここには、漫画『ダブルフェイク アンダー・ザ・ガンダム』の登場人物を挙げる。 モノトーン・マウス社 地球連邦軍 カラード ネオ・ジオン ここには、漫画『機動戦士VS伝説巨神 逆襲のギガンティス』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ネオ・ジオン その他 ここには、アニメーション映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの登場人物を参照。 地球連邦軍(ロンド・ベル) 地球連邦政府 ネオ・ジオン 民間人・その他 ここには、小説『ガイア・ギア』の登場人物を挙げる。登場人物に関してはガイア・ギアの登場人物を参照。 メタトロン(ズィー・ジオン・オーガニゼーション) メタトロン(ユーロ・メタトロン) 地球連邦軍(マハ) 地球連邦軍(ホンコン・マハ) 民間人・その他 レジスタンス ここには、小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』の登場人物を挙げる。 マフティー・ナビーユ・エリン 地球連邦軍/地球連邦政府 民間人・その他 ここには、小説及びOVA『機動戦士ガンダムUC』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍(ロンド・ベル) 地球連邦軍(エコーズ) 地球連邦軍(宇宙軍) 地球連邦軍(海軍) 地球連邦軍(上層部) 地球連邦政府(移民問題評議会) ネオ・ジオン残党軍(フル・フロンタル旗下) ネオ・ジオン残党軍(ガランシェール隊) ネオ・ジオン残党軍(ガーベイ家) ジオン残党兵 ジオン共和国軍 ビスト財団 民間人・その他(アナハイム・エレクトロニクス含む) ここには、漫画『機動戦士ガンダムUC 『袖付き』の機付長は詩詠う』の登場人物を挙げる。 ネオ・ジオン残党軍 ジオン残党兵 地球連邦軍 ここには、漫画『機動戦士ガンダムUC 星月の欠片』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 ネオ・ジオン残党軍 民間人・その他(アナハイム・エレクトロニクス含む) ここには、小説及びWebアニメ『機動戦士ガンダム Twilight AXIS』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍(マスティマ) ブッホ・コンツェルン(バーナム) ここには、アニメーション映画『機動戦士ガンダムNT』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 地球連邦軍(シェザール隊) ルオ商会 ジオン共和国 ミネバ一派 ここには、アニメーション映画『機動戦士ガンダムF91』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムF91の登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 地球連邦軍(民間人、レジスタンス含む) クロスボーン・バンガード(ロナ家、ブッホ・コンツェルン関係者含む) ここには、プラモデル企画及び漫画『機動戦士ガンダムF90』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 オールズモビル(火星独立ジオン軍) ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 オールズモビル クロスボーン・バンガード ここには、プラモデル企画『機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91』の登場人物を挙げる。 アナハイム・エレトロニクス社 地球連邦軍 クロスボーン・バンガード ネオ・ジオン残党 ここには、漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の登場人物を挙げる。 クロスボーン・バンガード コスモ・クルツ教団 地球連邦軍 サナリィ 木星帝国 民間人他 ここには、テレビアニメ『機動戦士Vガンダム』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士Vガンダムの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 リガ・ミリティア リガ・ミリティア(シュラク隊) 地球連邦軍 ザンスカール帝国(ベスパ、イエロージャケット) その他 ここには、漫画『機動戦士Vガンダム外伝』の登場人物を挙げる。 木星船団 ザンスカール帝国(ベスパ・特務部隊) ここには、未来世紀を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動武闘伝Gガンダム』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動武闘伝Gガンダムの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 新シャッフル同盟 デビルガンダム軍団 第13回ガンダムファイト代表ガンダムファイター シャッフル同盟 民間人・その他 第7回ガンダムファイト代表ガンダムファイター カオス軍 ここには、アフターコロニーを世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『新機動戦記ガンダムW』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては新機動戦記ガンダムWの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 コロニー側反連合/ガンダムパイロット OZ(旧スペシャルズ) サンクキングダム マグアナック隊 サーカス団 ウィナー家 ガンダム開発者 ホワイトファング 民間人・その他 ここには、漫画『新機動戦記ガンダムW EPISODE ZERO』の登場人物を挙げる。 ここには、漫画『新機動戦記ガンダムW BLIND TARGET』の登場人物を挙げる。 ホワイトファング ここには、プラモデル企画『新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT』の登場人物を挙げる。 MO-V OZプライズ ここには、OVAおよびアニメーション映画『新機動戦記ガンダムW Endless Waltz』の登場人物を挙げる。 マリーメイア軍(バートン財団) ここには、漫画『新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST』の登場人物を挙げる。 P(正式名称:パーフェクト・ピース・ピープル) OZ宇宙軍外洋艦隊所属第4遊撃部隊 ここには、アフターウォーを世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動新世紀ガンダムX』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動新世紀ガンダムXの登場人物を参照 バルチャー(フリーデン) サテリコン 地球連邦軍(旧地球連邦軍) 地球統合連邦政府 宇宙革命軍 エスタルド国軍 民族独立戦線 アルタネイティヴ社 ニュータイプ研究所 バルチャー シーバルチャー(オルク) D.O.M.E. ここには、漫画『機動新世紀ガンダムX外伝 ニュータイプ戦士ジャミル・ニート』の登場人物を挙げる。 地球連邦軍 宇宙革命軍 ここには、漫画『機動新世紀ガンダムX〜UNDER THE MOONLIGHT〜』の登場人物を挙げる。 バルチャー ブラック・ホーネット その他 ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『∀ガンダム』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては∀ガンダムの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 イングレッサ・ミリシャ ハイム家 ルジャーナ・ミリシャ ディアナカウンター(ムーンレィス軍) ムーンレィス レット隊 ギンガナム艦隊(ムーンレィス軍) アデスカ 民間人・その他 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEEDの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 アークエンジェル 地球連合軍 地球連合軍(第8機動艦隊) ザフト軍(クルーゼ隊) ザフト軍(バルトフェルド隊) ザフト軍(モラシム隊) ザフト軍(その他) プラント最高評議会 オーブ連合首長国 民間人・その他 ここには、小説及び漫画『機動戦士ガンダムSEED ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 ジャンク屋組合 サーペントテール オーブ連合首長国 地球連合軍 ザフト軍 リティリア ジョージ・グレン友の会 グレイブヤード 海賊 情報屋 民間人・その他 ここには、漫画『機動戦士ガンダムSEED X ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 ジャンク屋組合 サーペントテール 地球連合軍 民間人・その他 ここには、プラモデル企画『ガンダムSEED MSV』の登場人物を挙げる。 地球連合軍 ザフト軍 オーブ連合首長国 三隻同盟 サーペントテール ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物及び個別に作成されている記事を参照。 ザフト軍(ミネルバクルー) ザフト軍(その他) プラント最高評議会 地球連合軍 ロゴス オーブ連合首長国 アークエンジェル エターナル 民間人・その他 ここには、小説及び漫画『機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物を参照。 フリージャーナリスト プロモビルスーツパイロット ザフト軍 地球連合軍 ジャンク屋組合 傭兵 民間人・その他 ここには、プラモデル企画『ガンダムSEED DESTINY MSV』の登場人物を挙げる。 地球連合軍 ザフト軍 オーブ連合首長国 ここには、OVA『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER』の登場人物を挙げる。 D.S.S.D 地球連合軍 ここには、漫画『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 Δ ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物を参照。 マーシャン ザフト軍 地球連合軍 オーブ軍 ジャンク屋組合 情報屋 その他 ここには、フォトストーリー『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER PHANTOM PAIN REPORT』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物を参照。 フリージャーナリスト マーシャン 地球連合軍 ジャンク屋組合 ここには、漫画『機動戦士ガンダムSEED FRAME ASTRAYS』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物を参照。 サーペントテール 地球連合軍 東アジア共和国第十三保護区反政府ゲリラ ザフト軍 PMC(民間軍事企業) ジャンク屋組合 その他 ここには、フォトストーリー『機動戦士ガンダムSEED VS ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物を参照。 ジャンク屋組合 サーペントテール ライブラリアン その他 ここには、アニメーション映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の登場人物を挙げる。 ここには、『機動戦士ガンダム00』における西暦を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダム00』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダム00の登場人物を参照。 ソレスタルビーイング ユニオン 人類革新連盟 AEU アザディスタン王国 国際連合 経済特区・日本 その他 PMC(民間軍事会社)/傭兵 ソレスタルビーイング アロウズ カタロン 地球連邦平和維持軍 イノベイター勢力 アザディスタン王国 傭兵 回想・夢で登場した故人 ここには、アニメーション映画『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』の登場人物を挙げる。 ソレスタルビーイング 地球連邦平和維持軍 地球連邦 アザディスタン王国 民間人 その他 回想・夢で登場した故人 ここには、模型企画『機動戦士ガンダム00P』の登場人物を挙げる。 第2世代ガンダムマイスター 第3世代ガンダムマイスター 人類革新連盟 イノベイド ここには、漫画『機動戦士ガンダム00F』の登場人物を挙げる。 フェレシュテ その他 ここには、模型企画『機動戦士ガンダム00V』の登場人物を挙げる。 ここには、漫画『機動戦士ガンダム00I』の登場人物を挙げる。 イノベイド カタロン その他 ここには、漫画『機動戦士ガンダム00I 2314』の登場人物を挙げる。 ソレスタルビーイング イノベイド ここには、『機動戦士ガンダムAGE』におけるA.G.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダムAGE』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては機動戦士ガンダムAGEの登場人物を参照。 アスノ家 フリットの仲間 地球連邦軍 ザラムとエウバ マッドーナ工房 民間人 UE / ヴェイガン アスノ家 アスノ家の使用人 アセムの仲間 地球連邦軍 地球連邦政府 マッドーナ工房 民間人 ヴェイガン アスノ家 キオの仲間 地球連邦軍 宇宙海賊ビシディアン マッドーナ工房 民間人 ヴェイガン ここには、漫画『機動戦士ガンダムAGE トレジャースター』の登場人物を挙げる。 トレジャースターのクルー その他 ここには、漫画『機動戦士ガンダムAGE 〜追憶のシド〜』の登場人物を挙げる。 宇宙海賊ビシディアン EXA-DBの関係者 地球連邦軍 その他 ここには、テレビアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』におけるリギルド・センチュリーを世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 キャピタル・テリトリィ キャピタル・ガード キャピタル・アーミィ 海賊部隊 アメリア トワサンガ ビーナス・グロゥブ ここには、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』におけるP.D.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』に登場する人物を挙げる。 鉄華団 / CGS参番組 CGS(クリュセ・ガード・セキュリティ) クリュセ ギャラルホルン テイワズ ブルワーズ 夜明けの地平線団 ドルトコロニー群 アーブラウ その他 ここには、公式外伝作品『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 月鋼』に登場する人物を挙げる。 タントテンポ ギャラルホルン その他 ここには、公式スピンオフ作品『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ウルズハント』に登場する人物を挙げる。 ここには、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』におけるA.S.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に登場する人物を挙げる。 アスティカシア高等専門学園 ベネリットグループ / MS開発評議会 フォルドの夜明け 宇宙議会連合 ここには、上映アニメ『機動戦士ガンダム 水星の魔女 PROLOGUE』に登場する人物を挙げる。 ヴァナディース機関 モビルスーツ開発評議会 ここには、小説版『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に登場する人物を挙げる。 ここには、外伝『機動戦士ガンダム 水星の魔女 ヴァナディースハート』に登場する人物を挙げる。 ここには、ガンプラバトルを扱う世界観に登場する登場人物を挙げる。 ここには、映像作品『模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG』の登場人物を挙げる。 ここには、『模型戦士ガンプラビルダーズJ』の登場人物を挙げる。 ここには、『模型戦士ガンプラビルダーズD』の登場人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『ガンダムビルドファイターズ』の登場人物を挙げる。 主人公とその家族 私立聖鳳学園 第7回ガンプラバトル選手権参加者 その他 ここには、模型企画『ガンダムビルドファイターズ炎』の登場人物を挙げる。 ここには、模型企画及び漫画『ガンダムビルドファイターズD(ドキュメント) / A(アメイジング) / AR(アメイジングレディ)』の登場人物を挙げる。 ここには、漫画『ガンダムビルドファイターズ プラモダイバー キット&ビルト』の登場人物を挙げる。 ここには、テレビアニメ『ガンダムビルドファイターズトライ』の登場人物を挙げる。 聖鳳学園ガンプラバトル部チーム「トライ・ファイターズ」及び関係者 聖鳳学園 聖オデッサ女子学園チーム「北宋の壺」及び関係者 都立成練高専科学部チーム「SRSC」 宮里学院高校チーム「Gマスター」 区立常冬中学チーム「フェイス」 私立ガンプラ学園チーム「ソレスタルスフィア」 我梅学院チーム「ホワイトウルフ」 本牧学園チーム「グレート・K」 統立学園チーム「SD-R」 天大寺学園チーム「ビルドバスターズ」 グラナダ学園チーム「フォン・ブラウン」 天山学園チーム「タイタン」 その他 ここには、模型企画『ガンダムビルドファイターズ炎トライ』の登場人物を挙げる。 ここには、SDガンダムを世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 ここには、漫画『SDガンダム ムシャジェネレーション』の登場人物を挙げる。 天主 黒の武士団 ここには、漫画『SDガンダム英雄伝』の登場人物を挙げる。 ラクロア 天宮 ザード 東方侵攻軍 西方侵攻軍 魔凶星
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ガンダムシリーズの登場人物一覧(ガンダムシリーズのとうじょうじんぶついちらん)は、アニメ『機動戦士ガンダム』をはじめとする「ガンダムシリーズ」に登場する、架空の人物の一覧である ガンダムシリーズでは複数名前を持つ人物も存在するがこの記事ではそれぞれ別個に記載する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ここには、宇宙世紀を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『機動戦士ガンダム』の登場人物を挙げる。小説版『機動戦士ガンダム』シリーズ(1〜3巻)にのみ登場する人物は含まれない。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "地球連邦軍(第13独立部隊)", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍(シャア・アズナブル少佐旗下)", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍(シャア・アズナブル大佐旗下)", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍(マッドアングラー隊)", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍(ランバ・ラル大尉旗下)", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": 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スピリッツオブジオン』の登場人物を挙げる。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "地球連邦軍", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム MS戦線0079』の登場人物を挙げる。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "地球連邦軍", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ジオン公国軍", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ここには、コンピュータゲーム『機動戦士ガンダム クライマックスU.C.』及び漫画『機動戦士ガンダム クライマックスU.C. 紡がれし血統』の登場人物を挙げる。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "第一世代", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "第二世代", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ここには、漫画『機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム』の登場人物を挙げる。", "title": "『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ" }, { "paragraph_id": 56, 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ガンダムシリーズの登場人物一覧(ガンダムシリーズのとうじょうじんぶついちらん)は、アニメ『機動戦士ガンダム』をはじめとする「ガンダムシリーズ」に登場する、架空の人物の一覧である ガンダムシリーズでは複数名前を持つ人物も存在するがこの記事ではそれぞれ別個に記載する。
'''ガンダムシリーズの登場人物一覧'''(ガンダムシリーズのとうじょうじんぶついちらん)は、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[機動戦士ガンダム]]』をはじめとする「[[ガンダムシリーズ一覧|ガンダムシリーズ]]」に登場する、[[架空]]の人物の一覧である ガンダムシリーズでは複数名前を持つ人物も存在するがこの記事ではそれぞれ別個に記載する。 <!--個別で記事が作成されているもの以外のキャラクター名はリンクしないでください。統合記事にて扱っています。--> == 『機動戦士ガンダム』(宇宙世紀)シリーズ == ここには、[[宇宙世紀]]を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 === 機動戦士ガンダム === ここには、[[テレビアニメ]]および[[アニメーション映画]]『[[機動戦士ガンダム]]』の登場人物を挙げる。小説版『機動戦士ガンダム』シリーズ(1〜3巻)にのみ登場する人物は含まれない。 ; [[地球連邦軍]] : 登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムの登場人物 地球連邦軍]]及び個別に作成されている記事を参照。 * アントニオ・カラス * ウッディ・マルデン * エルラン * カミラ * コーリン * ゴップ * ジュダック * シン * セキ * [[機動戦士ガンダムの登場人物 地球連邦軍#ティアンム|ティアンム]] * [[テム・レイ]] * [[マチルダ・アジャン]] * モスク・ハン * [[レビル]] * リード * ワッケイン '''[[地球連邦軍]]([[第13独立部隊]])''' * [[アムロ・レイ]] * オスカ・ダブリン * オムル・ハング * [[カイ・シデン]] * [[カツ・ハウィン]] * カル * キッカ・キタモト * キムラ * サンマロ * ジョブ・ジョン * [[スレッガー・ロウ]] * [[セイラ・マス]](アルテイシア・ソム・ダイクン) * タムラ * パオロ・カシアス * [[ハヤト・コバヤシ]] * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] * バロ * ハワド * バンマス * フムラウ * [[ブライト・ノア]] * [[フラウ・ボゥ]] * マーカー・クラン * マクシミリアン * マサキ * [[ミライ・ヤシマ]] * [[リュウ・ホセイ]] * レツ・コ・ファン * ロウル ; [[ジオン公国]]軍 : 登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムの登場人物 ジオン公国軍]]及び個別に作成されている記事を参照。 * アサクラ * ガデム * カヤハワ * カンプ * [[ザビ家#キシリア・ザビ|キシリア・ザビ]] * ギャル * [[ザビ家#ギレン・ザビ|ギレン・ザビ]] * ククルス・ドアン * クワラン * ケージ * コワル * コンスコン * [[ザビ家#サスロ・ザビ|サスロ・ザビ]](本編未登場) * ジオン・ズム・ダイクン * ジョイス * ジンバ・ラル * セシリア・アイリーン * [[ザビ家#ゼナ・ザビ|ゼナ・ザビ]] * ソル * ダルシア・バハロ * [[ザビ家#デギン・ソド・ザビ|デギン・ソド・ザビ]] * [[ザビ家#ドズル・ザビ|ドズル・ザビ]] * トレノフ・Y・ミノフスキー * トワニング * [[ザビ家#ナルス・ザビ|ナルス・ザビ]](本編未登場) * バロム * フランシィ * フラナガン * マイヤー * マグ * [[ザビ家#ミネバ・ラオ・ザビ|ミネバ・ラオ・ザビ]] * ラコック * リオ・マリーニ * ロス '''ジオン公国軍(シャア・アズナブル少佐旗下)''' * クラウン * コム * ゴロ * ジーン * ジェイキュー * [[シャア・アズナブル]](キャスバル・レム・ダイクン、エドワウ・マス) * スレンダー * デニム * ドレン * フィックス * マチュウ '''ジオン公国軍(シャア・アズナブル大佐旗下)''' * シムス・アル・バハロフ * [[シャリア・ブル]] * デミトリー * トクワン * バタシャム * マリガン * [[ララァ・スン]] '''ジオン公国軍(マッドアングラー隊)''' * 赤鼻 * イワノフ * カラハ * キャリオカ * クラフト * コーカ・ラサ * ゴダール * コノリー * ジッタル * フラナガン・ブーン * ボラスキニフ * マーシー * マジソン * ラムジ * リー・ホワン '''ジオン公国軍(ランバ・ラル大尉旗下)''' * アコース * イリューシン * ギーン * [[クラウレ・ハモン]] * クランプ * コズン・グラハム * サグレド * ステッチ * ゼイガン * タチ * トルガン * マイル * ミサキ * [[ランバ・ラル]] '''ジオン公国軍(マ・クベ大佐旗下)''' * ウラガン * オルテガ([[黒い三連星]]) * ガイア(黒い三連星) * クリンク * デラミン * バイス * ヘイブ * マーチ * [[マ・クベ]] * マッシュ(黒い三連星) * ラング '''ジオン公国軍(ガルマ・ザビ大佐旗下)''' * ガバラ * [[ザビ家#ガルマ・ザビ|ガルマ・ザビ]] * ゲビル * コム * ダロタ * バイソン * バムロ * ハンブル * ビービ ; 民間人・その他 : 登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムの登場人物 民間人]]を参照。 * イセリナ・エッシェンバッハ * エッシェンバッハ * カマリア・レイ * カムラン・ブルーム * クム * コーリー * コミリー * コミリーの母(おばさん) * ジル・ラトキエ * スミス * タチ * チヨ * ファム・ボゥ * フラウ・ボゥの祖父 * ペルガミノ * ペルシア * ペロ * ミハル・ラトキエ * ミリー・ラトキエ * ロラン・チュアン ==== モビルスーツバリエーション(MSV) ==== ここには、プラモデル企画『[[モビルスーツバリエーション]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[モビルスーツバリエーションの登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍''' * ギャリー・ロジャース * フランシス・バックマイヤー '''ジオン公国軍''' * アルフレディーノ・ラム * イアン・グレーデン * エリオット・レム * エリック・マンスフィールド * カーミック・ロム * ギャビー・ハザード * キリー・ギャレット * サイラス・ロック * ジェラルド・サカイ * ジョニー・ライデン * シン・マツナガ * トーマス・クルツ * ビリー・ウォン・ダイク * フランク・ベルナール * フレデリック・クランベリー * マサヤ・ナカガワ * マルロ・ガイム * ロイ・グリンウッド * ロバート・ギリアム ==== MS-X ==== ここには、プラモデル企画『[[モビルスーツバリエーション#MS-X|MS-X]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[モビルスーツバリエーションの登場人物#MS-X]]を参照。 '''地球連邦軍''' * デン・バザーク '''ジオン公国軍''' * ダル ==== 機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑 ==== ここには、書籍『[[機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム 戦略戦術大図鑑の登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍''' * サミュエラ * シャルル・キッシンガム * ダグラス・ベーダー * テキサン・ディミトリー * テネス・A・ユング * デリス・ハノーバー * ハインツ・ベア * パウルス * バッフェ * ビク・ハボクック * フランクリン・ノボトニー * マイーア・パゾク * ミヤ・サミエック * リド・ウォルフ * ロドニー・カニンガン * ロン・コウ '''ジオン公国軍''' * エーリッヒ・ハルトマン * キリング・J・ダニガン * グレニス・エスコット * ジョン・クエスト * ノルディット・バウアー * ブレニフ・オグス * ヘルムート・ルッツ * ロイ・ジューコフ ==== GUNDAM THE RIDE ==== ここには、劇場アトラクション『[[GUNDAM THE RIDE]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アダム・スティングレイ * [[機動戦士Ζガンダムの登場人物#アブ・ダビア|アブ・ダビア]] * アヤ・スワンポート * ジャック・ベアード * トーマス * [[ヘンケン・ベッケナー]] === 機動戦士ガンダム(その他の作品) === ==== 機動戦士ガンダム CROSS DIMENSION 0079 死にゆく者たちへの祈り ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム CROSS DIMENSION 0079#第2部|機動戦士ガンダム CROSS DIMENSION 0079]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * サナ・ニマ * ダバ・ソイ * ノクト・ガディッシュ * ボルク・クライ '''ジオン公国軍''' * サキ・グラハム * ヘンリー・ブーン * マーチン・ハガー * レイ・ハミルトン * レスタ・キャロット ==== 機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム外伝 THE BLUE DESTINY]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アルフ・カムラ * エミリー・バウアー・マイスター(漫画版のみ) * サマナ・フュリス * ジェームズ(小説版のみ) * パク(小説版、漫画版のみ) * フィリップ・ヒューズ * モーリン・キタムラ * ユウ・カジマ * ロゴージン(小説版のみ) '''ジオン公国軍''' * アブラハム(漫画版のみ) * グロス(漫画版のみ) * ニムバス・シュターゼン * レイバン(漫画版のみ) '''フラナガン機関''' * クルスト・モーゼス * マリオン・ウェルチ ==== 機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で… ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム外伝 コロニーの落ちた地で…]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アニタ・ジュリアン * スタンリー・ホーキンス * バックス・バック * ボブ・ロック * マクシミリアン・バーガー * マスター・ピース・レイヤー * レオン・リーフェイ '''ジオン公国軍''' * アリソン・ハニガン(小説版のみ) * ヴィッシュ・ドナヒュー * ウォルター・カーティス * エイドリアン(小説版のみ) * 逆木(サカキ)(小説版のみ) * 三枝(サエグサ)(小説版のみ) * ジョコンダ・ウィリス(小説版のみ) * タイソン(小説版のみ) * ティナ・デュバル(小説版のみ) * ニアーライト(小説版のみ) * マヤ・コイズミ(小説版のみ) * ユライア・ヒープ(小説版のみ) ==== ガンダムバトルオンライン ==== ここには、コンピュータゲーム『[[ガンダムバトルオンライン]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * ウィル・フレッド * バーラム・トライバル * リサ・プリスキン '''ジオン公国軍''' * ウォルフ・ランサム * ネディ・アエージャ * ノルド・ランゲル ==== ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079 ==== ここには、コンピュータゲーム『[[ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * エイガー * サカキ(小説版のみ) '''ジオン公国軍''' * ゲラート・シュマイザー * サンドラ * シャルロッテ・ヘープナー * ソフィ・フラン * ニッキ・ロベルト * マット・オースティン * マニング * リィ・スワガー * ル・ローア * レンチェフ ==== 機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アニー・ブレビック * アニッシュ・ロフマン * [[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYの登場人物#ジョン・コーウェン|ジョン・コーウェン]] * ノエル・アンダーソン * マット・ヒーリィ(小説版、漫画版のみ) * ラリー・ラドリー * レーチェル・ミルスティーン '''ジオン公国軍''' * ウォルター・カーティス(小説版のみ) * ガースキー・シノビエフ * クローディア(小説版のみ) * クロード(小説版のみ) * ケン・ビーダーシュタット(小説版、漫画版のみ) * ジェイク・ガンス * ジェーン・コンティ * ダグラス・ローデン * メイ・カーウィン * ユウキ・ナカサト ==== 機動戦士ガンダム外伝 宇宙、閃光の果てに… ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙]]』及び漫画・小説『[[機動戦士ガンダム外伝 宇宙、閃光の果てに…]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アニー・ブレビック(小説版、漫画版のみ) * キルスティン・ロンバート * フォルド・ロムフェロー * ミユ・タキザワ * ルース・カッセル '''ジオン公国軍''' * ギュスター・パイパー * ノルド・ランゲル(漫画版、小説版のみ) * マレット・サンギーヌ(漫画版、小説版のみ) * ユイマン・カーライル * リリア・フローベール ==== 機動戦士ガンダム戦記 ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム戦記 (PlayStation 3)|機動戦士ガンダム戦記]]』及び漫画『機動戦士ガンダム戦記U.C.0081-水天の涙-』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * カマル・クマル * ゴドウィン・ダレル * シェリー・アスリン(タチアナ・デーア) * ハイメ・カルモナ * ヒュー・カーター * ボブ・ロック * マオ・リャン * ユーグ・クーロ * ロブ・ハートレイ '''ジオン公国軍''' * アイロス・バーデ * エリク・ブランケ * オットー・アイヒマン * グスタ・エーベル * クリスト・デーア * ヒルダ・ニーチェ * フィリーネ・エステル * ブリッツ・バウアー * ロルフ・アーレンス ==== 機動戦士ガンダム スピリッツオブジオン ==== ここには、アーケードゲーム『[[機動戦士ガンダム スピリッツオブジオン]]』の登場人物を挙げる。 '''ジオン公国軍''' * カート・ラズウェル * ロビン・ブラッドジョー '''地球連邦軍''' * セバスチャン・クリエ * タカシ・キタモト * ナオ・ジェシカ・パーカー * バリー・バルザリー * ファレル・イーハ ==== 機動戦士ガンダム MS戦線0079 ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム MS戦線0079]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アラン・アイルワード * デニス・バロウ * ホア・ブランシェット * リル・ソマーズ '''ジオン公国軍''' * アン・フリーベリ * クラウス・ベルトラン * トルド・ボブロフ * レオ・ブラウアー ==== 機動戦士ガンダム クライマックスU.C. ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダム クライマックスU.C.]]』及び漫画『機動戦士ガンダム クライマックスU.C. 紡がれし血統』の登場人物を挙げる。 '''第一世代''' * エレン・ロシュフィル * カムナ・タチバナ * ザック・ウィンザー (漫画版のみ) * シャーリー・ラムゼイ * ナギサ・フローリン * ニシバ・タチバナ (漫画版のみ) * パミル・マクダミル '''第二世代''' * エイギス・ヴェラクルス * シュン・タチバナ(シュテイン・バニィール)(名前は漫画版にのみ設定) * ナナ・タチバナ (名前は漫画版にのみ設定) ==== 機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダム 宇宙のイシュタム]]』の登場人物を挙げる。 ジオン公国軍 ''ムサイ級ルーチュ所属ストレット隊'' *エリザ・ヘブン伍長 *ストレット少尉 *ルンゴ・ブラッキュ中尉 ''その他'' *クラン・C少尉 *ウンナ大尉 '''地球連邦軍''' ''マゼラン級トーチタス'' *イライザ・オロマ中佐 *ウィッシュ上等兵 *キム曹長 *ケイモス・サト曹長 *サカキ少尉 *ナダ・チノミ中尉 *フォリーナ *フュゼ副長 *ルナ *アン曹長 ''その他'' *[[機動戦士ガンダム 第08MS小隊の登場人物#シロー・アマダ|シロー・アマダ]] *ティアンム中将 *[[機動戦士ガンダム 第08MS小隊の登場人物#テリー・サンダースJr.|テリー・サンダースJr.]] '''民間人''' ''コロニー公社'' *ゼイン *ザジル *ザビオ *トウコ *ヒロ *ライア ==== Developers 機動戦士ガンダム Before One Year War ==== ここには、漫画『[[Developers 機動戦士ガンダム Before One Year War]]』の登場人物を挙げる。 '''ホシオカ工場''' *オバちゃん *おじいちゃん *ゲンザブロウ・ホシオカ *ミオン・ホシオカ *ヤス・ニシカワ '''ジオニック''' *エリオット・レム *テオ・パジトノフ '''ジオン公国''' *ギレン・ザビ ==== 魔法の少尉ブラスターマリ ==== ここには、漫画『[[魔法の少尉ブラスターマリ]]』の登場人物を挙げる。 '''ジオン公国軍''' * マリコ・スターマイン(ブラスターマリ) * マイケル・スターマイン * 赤い彗星のひと(キャスバル・レム・ダイクン) '''民間人''' * メアリ・ハートレー * バン・スターマイン * ダイ・スターマイン ==== Gの影忍 ==== ここには、漫画『[[Gの影忍]]』の登場人物を挙げる。 '''忍/機動忍軍''' * リョウガ * 星雲斎 * スザク * サジリ * ワキ * 不死身のクグツ * 苦念坊 * 死念坊 * タロウザ * 幻舟 * 槍の斬牙 * ヒュウガ * 九尾 * 十文字 * コウリュウ * アシュラ * シビト * スイコ * 猿(ましら)三兄弟 * 尾張のアカギ * 不動のオガミ * 飛翔鬼ヤシャ * 風神 * 雷神 * ミミザル * ハナザル * メザル '''ジオン公国軍''' * 軍曹 * エマリー * ハウエル * シンプソン * [[ザビ家#デギン・ソド・ザビ|デギン・ソド・ザビ]] '''ネオ・ジオン''' * シャア・アズナブル '''その他''' * リクオー * 加代 ==== 機動戦士ガンダム サンダーボルト ==== ここには、漫画及びWebアニメ『[[機動戦士ガンダム サンダーボルト]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * イオ・フレミング * クローディア・ペール * コーネリアス・カカ * グラハム * チバ * ビアンカ・カーライル * ビンセント・パイク * モニカ・ハンフリー '''ジオン公国軍''' * ダリル・ローレンツ * フーバー * ショーン・ミダテラ * フィッシャー・ネス * レイトン * カーラ・ミッチャム * J・J・セクストン * バロウズ * クライバー * ビリー・ヒッカム * セバスチャン '''南洋同盟''' * レヴァン・フウ * チャウ・ミン === 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 === ここには、[[OVA]]『[[機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争の登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍''' * クリスチーナ・マッケンジー * スチュアート * ディック・ルムンバ '''ジオン公国軍''' * キリング * フォン・ヘルシング * ルーゲンス '''ジオン公国軍(サイクロプス隊)''' * アンディ・ストロース * ガブリエル・ラミレス・ガルシア * ハーディ・シュタイナー * バーナード・ワイズマン * ミハイル・カミンスキー '''民間人・その他''' * アルフレッド・イズルハ * イームズ・イズルハ * チェイ * チャーリー * テルコット * ドロシー * ミチコ・イズルハ === 機動戦士ガンダム 第08MS小隊 === ここには、OVA『[[機動戦士ガンダム 第08MS小隊]]』の登場人物を挙げる。また劇場版『機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ミラーズ・リポート』やエピローグ『機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ラスト・リゾート』、本OVAに付随したCDドラマの登場人物も含む。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム 第08MS小隊の登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍''' * アリス・ミラー * イーサン・ライヤー * エレドア・マシス * カレン・ジョシュワ * コジマ * サリー * ジェイコブ * ジダン・ニッカード * ジョニー・ナカミゾ * シロー・アマダ * テリー・サンダースJr. * マイク * ミケル・ニノリッチ * ロブ '''ジオン公国軍''' * アイナ・サハリン * アス * ギニアス・サハリン * シンシア * デル * トップ * ニエーバ * ノリス・パッカード * バリー * ボーン・アブスト * マサド * ユーリ・ケラーネ * ルネン '''民間人・その他''' * キキ・ロジータ * 少女(キキ) * 少年A(サンダース) * 少年B(エレドア) * 隊長(シロー) * チビ * ネスカ・コールマン * ノッポ * バレスト・ロジータ * ヒゲ * 双子(カレン / ミケル) * マリア === 機動戦士ガンダム MS IGLOO === ここには、OVA『[[機動戦士ガンダム MS IGLOO]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム MS IGLOOの登場人物]]を参照。 '''ジオン公国軍''' * アルベルト・シャハト * アレクサンドロ・ヘンメ * ヴェルナー・ホルバイン * エーリッヒ・クリューガー * エルヴィン・キャディラック * オッチナン・シェル * オリヴァー・マイ * ジャン・リュック・デュバル * ジーン・ザビエル * デメジエール・ソンネン * ドメニコ・マルケス * ヒデト・ワシヤ * フランツ・プラント * フリードリッヒ・カッテル * ヘルベルト・フォン・カスペン * マルティン・プロホノウ * モニク・キャディラック * ユルゲン・ヘプナー '''地球連邦軍''' * フェデリコ・ツァリアーノ === 機動戦士ガンダム MS IGLOO2 === ここには、OVA『[[機動戦士ガンダム MS IGLOO|機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム MSイグルー2 重力戦線の登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍''' * アリーヌ・ネイズン * ドロバ・クズワヨ * ハーマン・ヤンデル * パパ・シドニー・ルイス * ベン・バーバリー * ミケーレ・コレマッタ * ミロス・カルッピ * レイバン・スラー '''ジオン公国軍''' * エルマー・スネル * クライド・ベタニー === 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY === ここには、OVA『[[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]]』の登場人物を挙げる。本OVAに付随したCDドラマの登場人物も含む。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''地球連邦軍''' * アクラム・ハリダ * アリスタイド・ヒューズ * [[不死身の第四小隊#アルファ・A・ベイト|アルファ・A・ベイト]] * アロイス・モズリー * イワン・パサロフ * ウィリアム・モーリス * [[エイパー・シナプス]] * [[コウ・ウラキ]] * グリーン・ワイアット * [[不死身の第四小隊#サウス・バニング|サウス・バニング]] * ジーン・コリニー * ジャクリーヌ・シモン * [[ジャミトフ・ハイマン]] * ジョン・コーウェン * ステファン・ヘボン * チャック・キース * [[不死身の第四小隊#チャップ・アデル|チャップ・アデル]] * ディック・アレン * ナカッハ・ナカト * [[バスク・オム]] * ピーター・スコット * [[不死身の第四小隊#ベルナルド・モンシア|ベルナルド・モンシア]] * マーネリ * モーラ・バシット * ラバン・カークス '''ジオン公国軍''' * アサクラ '''[[デラーズ・フリート]]''' * アダムスキー * [[アナベル・ガトー]] * ヴィリィ・グラードル * ウォルフガング・ヴァール * [[エギーユ・デラーズ]] * カリウス・オットー * クルト * ゲイリー * [[ケリィ・レズナー]] * [[シーマ・ガラハウ]] * デトローフ・コッセル * ドライゼ * ノイエン・ビッター * ボブ '''アクシズ(ネオ・ジオン)''' * [[ハマーン・カーン]] * ユーリー・ハスラー '''民間人(アナハイム・エレクトロニクス含む)''' * オサリバン * クレナ・ハクセル * ニック・オービル * [[ニナ・パープルトン]] * ポーラ・ギリッシュ * ラトーラ・チャプラ * ルセット・オデビー ==== 機動戦士ガンダム ファントム・ブレット ==== ここには、雑誌企画『機動戦士ガンダム ファントム・ブレット』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * ジャック・ベアード '''ジオン公国軍''' * 教授 * タグ * フランシー・ベルドー === 機動戦士Ζガンダム === ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『[[機動戦士Ζガンダム]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士Ζガンダムの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''[[エゥーゴ]]''' * [[アストナージ・メドッソ]] * アブ・ダビア(小説版、劇場版のみ) * アポリー・ベイ * アンナ・ハンナ * [[エマ・シーン]] * [[カツ・ハウィン|カツ・コバヤシ]] * [[カミーユ・ビダン]] * クム * [[シャア・アズナブル|クワトロ・バジーナ]] * サエグサ * サマーン * シーサー * シンタ * トーレス * トラジャ・トラジャ * トリッパー * ハサン * バッチ * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] * [[ファ・ユイリィ]] * [[ブライト・ノア]] * ブレックス・フォーラ * [[ヘンケン・ベッケナー]] * ボティ * マナック * ロベルト '''[[カラバ]]''' * [[アムロ・レイ]] * [[ハヤト・コバヤシ]] * [[ベルトーチカ・イルマ]] '''[[ティターンズ]]/地球連邦軍''' * アジス・アジバ * アドル・ゼノ * カクリコン・カクーラー * ガディ・キンゼー * カラ * キッチマン * ゲーツ・キャパ * [[サラ・ザビアロフ]] * [[ジェリド・メサ]] * シドレ * ジャマイカン・ダニンガン * [[ジャミトフ・ハイマン]] * ソラマ * ダンケル・クーパー * ディーバ・バロ * テダム * チャン・ヤー * [[バスク・オム]] * [[パプテマス・シロッコ]] * ヒルダ・ビダン * [[フォウ・ムラサメ]] * フランクリン・ビダン * ブラン・ブルターク * ベン・ウッダー * ホリィ * マウアー・ファラオ * マサダ * マトッシュ * [[ヤザン・ゲーブル]] * [[ライラ・ミラ・ライラ]] * ラムサス・ハサ * [[レコア・ロンド]] * ローレン・ナカモト * [[ロザミア・バダム|ロザミア・バタム]] '''アクシズ(ネオ・ジオン)''' * [[ハマーン・カーン]] * [[ザビ家#ミネバ・ラオ・ザビ|ミネバ・ラオ・ザビ]] '''民間人・その他''' * [[ウォン・リー]] * [[カイ・シデン]] * [[機動戦士ガンダムの登場人物 民間人#キッカ・キタモト|キッカ・コバヤシ]](キッカ・キタモト) * ステファニー・ルオ * [[セイラ・マス]] * チェーミン・ノア * [[ハサウェイ・ノア]] * [[フラウ・ボゥ|フラウ・コバヤシ]](フラウ・ボゥ) * [[ミライ・ヤシマ|ミライ・ノア]](ミライ・ヤシマ) * [[機動戦士ガンダムの登場人物 民間人#レツ・コ・ファン|レツ・コバヤシ]](レツ・コ・ファン) ==== ガンダム新体験 グリーンダイバーズ ==== ここには、劇場アニメーション作品『[[ガンダム新体験 グリーンダイバーズ]]』の登場人物を挙げる。 '''民間人''' * アサギ・ブリッグス * タクヤ・ブリッグス ==== ガンダム・センチネル ==== ここには、雑誌企画『[[ガンダム・センチネル]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍(α任務部隊)''' * イートン・F・ヒースロウ * シグマン・シェイド * ジョン・グリソム * シン・クリプト * ストール・マニングス * チュン・ユン * テックス・ウェスト * リョウ・ルーツ * ロバート・オルドリン '''[[ニューディサイズ]]''' * ジョッシュ・オフショー * トッシュ・クレイ * ドレイク・パーシュレイ * ファスト・サイド * ブライアン・エイノー * ブレイブ・コッド '''アクシズ(ネオ・ジオン)''' * [[機動戦士ガンダムの登場人物 ジオン公国軍 (た行-わ行)#トワニング|トワニング]] * マイク・サオトメ '''民間人・その他''' * カイザー・パインフィールド ==== ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗のもとに ==== ここには、雑誌企画『[[ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗のもとに]]』の登場人物を挙げる。 '''ティターンズ・テスト・チーム''' * ウェス・マーフィー * エリアルド・ハンター * エリンケ・ハモンド * オードリー・エイプリル * オットー・ペデルセン * カール・マツバラ * ケイト・ロス * ジョナサン・コーエン * トーマス・シュレーダー * ピート・シェルトン * ヘンドリック・ネス * レイチェル・サンド '''旧ジオン公国軍残党''' * カザック・ラーソン * ガブリエル・ゾラ * ヒルデガルド・スコルツェニー * ヘルマン・キルマイヤー * ショーター '''地球連邦軍''' * オルトヴァン・ジェスール * ゼルキン * テオドロ・ウルバーニ * マキシム・グナー * ロベルト・ベルナルド '''地球連邦軍法務局''' * エディー・サウスウェル * ゲオルギー・ミルコフ * コンラッド・モリス * ジョアンナ・パブロア * ジョン・ゴードン * ペドロ・メンドーサ '''民間人・その他''' * マイケル・チャン * リュウ・キシリマ ==== 機動戦士ガンダム C.D.A. 若き彗星の肖像 ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダム C.D.A. 若き彗星の肖像]]』の登場人物を挙げる。 '''アクシズ(穏健派、強硬派含む)''' * アンディ(アポリー・ベイ) * ジェシカ・ディアス(ジェーン) * [[シャア・アズナブル]](クワトロ・バジーナ) * スミレ・ホンゴウ * ナタリー・ビアンキ * ハインツ・ヴェーベルン * [[ハマーン・カーン]] * [[ハマーン・カーン#マハラジャ・カーン|マハラジャ・カーン]] * リカルド・ヴェガ(ロベルト) * エンツォ・ベルニーニ * エンリケ・ムニョス * ダリオ・サンティ * ファビアン・フリシュクネヒト * マルコ・ベッキオ * モニカ・バルトロメオ * ヤヨイ・イカルガ * [[機動戦士ガンダムΖΖの登場人物#ラカン・ダカラン|ラカン・ダカラン]] '''ジオン独立同盟''' * イリーナ・レスコ * エーベルハルト・リヒター * オクサーナ・ボギンスカヤ * [[機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの登場人物#カイザス・M・バイヤー|カイザス・M・バイヤー]] * カムジ * [[機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの登場人物#ナナイ・ミゲル|ナナイ・ミゲル]] * ビョルン・エスティル '''地球連邦軍(ティターンズ、エゥーゴ含む)''' * ガディ・キンゼー * グリーン・ワイワット * シーサー * ジーン・コリニー * [[ジャミトフ・ハイマン]] * ジョルジョ・ミゲル * ティアゴ * トーレス * バスク・オム * ブレックス・フォーラ * ベン・ウッダー * ヘンケン・ベッケナー * [[ライラ・ミラ・ライラ]] * ラウノ '''民間人・その他''' * [[カミーユ・ビダン]] * キャラ・スーン * ゴットン・ゴー * [[マ・クベ]] * [[マシュマー・セロ]] * [[ララァ・スン]] ==== 機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル ==== ここには、[[漫画]]及び[[小説]]『[[機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル]]』の登場人物を挙げる。 '''エコール''' * アスナ・エルマリート * エミル・フォクトレンダー * エリシア・ノクトン * ケリー・シグネット * シン・バルナック * フォルマ・ガードナー * ヤハギ・フランジバック * リナィ '''旧ジオン公国軍残党''' * アキラ * トーマス * フランシス * マリー・アルベルティア * ユーナ * ロルフ・ベルガー '''エゥーゴ/アナハイム・エレクトロニクス''' * ゴーロ * ジャック・ベアード * ソフィー・フェレル * タラカン・コンブラン * ナタリー・フェリセッタ * マークス・オーツカ * ミハエル・アカレッテ * ベルナルド・フェレ * ヘンゼル・ビノッケル * ヨーゼフ・コルデラット * レイラ・シングレックス '''ティターンズ''' * トゥール * ハンク・ライアン '''民間人・その他''' * アルパ・ラウ * ハルカ・エルマリート ==== 機動戦士ゼータガンダム1/2 ==== ここには、漫画『[[機動戦士ゼータガンダム1/2]]』の登場人物を挙げる。 '''カラバ''' * エドガー・エドモンド・スミス * アムロ・レイ(影武者) '''ティターンズ/地球連邦軍''' * カン・ウー * フランクリン・ビダン * バスク・オム * ウォルナック * ウモン・サモン '''民間人・その他''' * シシリア・マディン === 機動戦士ガンダムΖΖ === ここには、テレビアニメ『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムΖΖの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''エゥーゴ''' * [[アストナージ・メドッソ]] * [[ガンダム・チーム#イーノ・アッバーブ|イーノ・アッバーブ]] * エマリー・オンス * [[ガンダム・チーム#エル・ビアンノ|エル・ビアンノ]] * クム * シーサー * [[ジュドー・アーシタ]] * シンタ * トーレス * [[ハヤト・コバヤシ]]([[カラバ]]) * [[ガンダム・チーム#ビーチャ・オーレグ|ビーチャ・オーレグ]] * [[ファ・ユイリィ]] * [[ブライト・ノア]] * ミリィ・チルダー * メッチャー・ムチャ * [[ガンダム・チーム#モンド・アガケ|モンド・アガケ]] * リィナ・アーシタ * [[ガンダム・チーム#ルー・ルカ|ルー・ルカ]] '''ネオ・ジオン''' * アマサ・ポーラ * アリアス・モマ * イリア・パゾム * エイン * [[プルシリーズ#エルピー・プル|エルピー・プル]] * オウギュスト・ギダン * キャラ・スーン * クレイユ・オーイ * [[グレミー・トト]] * ゴットン・ゴー * サトウ * ダナ・キライ * ダニー * デル * デューン * ニー・ギーレン * ネル・マーセン * [[ハマーン・カーン]] * パンパ・リダ * ビアン * ビーツ * [[プルシリーズ#プルツー|プルツー]] * マガニー * [[マシュマー・セロ]] * [[ザビ家#ミネバ・ラオ・ザビ|ミネバ・ラオ・ザビ]] * ユラー・ジャミコ * ラカン・ダカラン * ランス・ギーレン * ワイム '''旧ジオン公国軍残党・ロンメル部隊''' * デザート・ロンメル * カラハン * ニキ '''アフリカ解放戦線・青の部隊''' * エロ・メロエ * ガデブ・ヤシン * ディドー・カルトハ '''民間人・その他''' * アヌ * [[カミーユ・ビダン]] * ゲモン・バジャック * サラサ・ムーン * ジュネ・コク * スタンパ・ハロイ * セシリア * [[セイラ・マス]] * ダマール * タマン * チマッター * マサイ・ンガバ * [[ヤザン・ゲーブル]] * ラサラ・ムーン * ルチーナ・レビン * ロイ・レビン ==== 機動戦士ガンダムΖΖ外伝 ジオンの幻陽 ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダムΖΖ外伝 ジオンの幻陽]]』の登場人物を挙げる。 '''ネオ・ジオン''' * フェアトン・ラーフ・アルギス '''エゥーゴ/カラバ''' * ケイ・キリシマ * スパルナ・キャリバン * バーン・フィクゼス * メッチャー・ムチャ '''地球連邦軍''' * ホワイト * ヨハン・ウィステリア * リア・ウィンディ '''ティターンズ''' * エンケラドゥス・ガイスト ==== ダブルフェイク アンダー・ザ・ガンダム ==== ここには、漫画『[[ダブルフェイク アンダー・ザ・ガンダム]]』の登場人物を挙げる。 '''モノトーン・マウス社''' * アイン・グレイフィールド * ダリー・ニエル・ガンズ * チェリィ・チノ・ローゼス '''地球連邦軍''' * アルバ・ダグルト * アンティケ・ブリュワール * イベラ・ツギム * ウィントン・マルサリス * オッド・フェルド * シィド・フュエル * スティア・フレドリアツキ * タケシ・カザキ * ドーシー・ビワイド * マキ・イトウ * ミカヨ・ツギム '''カラード''' * アルヴェニシカ・キースト * エルデスコ・バイエ * ディーマッド * ナック・ラジャン * フォニオ・ラジャン・アシク * フォムン・ロフト * ヤン・クリーク '''ネオ・ジオン''' * [[機動戦士ガンダムΖΖの登場人物#イリア・パゾム|イリア・パゾム]] * ジェダ・ジースカロート * シン・ワタナベ * シンシア・ハース * タウ・ワタナベ ====機動戦士VS伝説巨神 逆襲のギガンティス==== ここには、漫画『[[機動戦士VS伝説巨神 逆襲のギガンティス]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' *アムロ・レイ *シマ・八丈(シマ・ハチジョウ) *ジュドー・アーシタ *鉄面皮(てつめんぴ) '''ネオ・ジオン''' *シャア・アズナブル *ヒトーリン *ミネバ・ラオ・ザビ '''その他''' *カイ・シデン *無限力(むげんちから) *[[富野由悠季#ペンネーム|ヨシユキ・トミノ]](名前のみ登場) === 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア === ここには、アニメーション映画『[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの登場人物]]を参照。 '''地球連邦軍([[ロンド・ベル]])''' * [[アストナージ・メドッソ]] * [[アムロ・レイ]] * アンナ * ケーラ・スゥ * チェーン・アギ * トゥース * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] * [[ブライト・ノア]] * メラン '''地球連邦政府''' * アデナウアー・パラヤ * [[機動戦士ガンダムの登場人物 民間人#カムラン・ブルーム|カムラン・ブルーム]] * ジョン・バウアー(本編未登場) '''ネオ・ジオン''' * カイザス・M・バイヤー * クェス・パラヤ(クェス・エア) * ギュネイ・ガス * [[シャア・アズナブル]] * ナナイ・ミゲル * ホルスト・ハーネス * ライル * レズン・シュナイダー '''民間人・その他''' * オクトバー・サラン * チェーミン・ノア * [[ハサウェイ・ノア]] * [[ミライ・ヤシマ|ミライ・ノア]](エンドクレジットではミライ・ヤシマ) ==== ガイア・ギア ==== ここには、[[小説]]『[[ガイア・ギア]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[ガイア・ギアの登場人物]]を参照。 '''[[メタトロン (ガンダムシリーズ)|メタトロン]](ズィー・ジオン・オーガニゼーション)''' * アザリア・パリッシュ * アフランシ・シャア * アン・マーサン * エミール・ルーサ * キムリー・ブラウス * クラッカワ・ナカガ * クリシュナ・パンデント * グレン・コールディル * ケイネス・ブレン * ケラン・ミード * ケンセスト・ベイレン * サエス・コンスーン * ジャック・ブルーム * ジョー・スレン * セゴビィ・ミラン * セシアス・ジィギス * トット・ゲーリング * ニアス・ケイン * バアム・ゼーゲン * ハタナ・ノムソザキ * ブノア・ロジャック * ヘイラル・ハルメル * ボーズ・ガルチェ * マーガレット・レーン * マドラス・カリア * ミランダ・ハウ * メスラー・デッケン * メッサー・メット * メンム・ケイレン * レエ・セイアス * レーザム・スタック * ミッシェル・エーケン * ムラソコ * ロドリゲス・カロス '''メタトロン(ユーロ・メタトロン)''' * キュレ・オウレボ * クロスハンゼン・スティンスリード * ピョル・スタッフ '''地球連邦軍([[マハ]])''' * ウル・ウリアン * ガミアン・ヘーゲリック * ギュラーム * コンスタン・ペルケーネ * ジェラン・アルサ * シムナウ・アーバン * ジョナサン・リーヴ * ツィ・イェンガン * ハリー・スェームズ * ビジャン・ダーゴル * マリーサ・ナジス * レイラ・セイバー '''地球連邦軍(ホンコン・マハ)''' * ウォン・ロー * ジャンウェン・フー * チョウ * リィホアウォン(麗華黄) * リン * レイ・チャン * ロウ燕 '''民間人・その他''' * エヴァリー・キー * エントー・シスメシア * カサン・ムース * ガバ・スー * キャリ・ハウ * グレン * グロリア * ジェームス * トルース・シュトロンガー * ヤン教授 '''レジスタンス''' * ジャコブ・ベルハーレン * ピエトロ * ファレス・デ・ミンネ * ミハエル・キンゼイ ==== 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ==== ここには、小説『[[機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ]]』の登場人物を挙げる。 '''[[マフティー・ナビーユ・エリン]]''' * イラム・マサム * エメラルダ・ズービン * カウッサリア・ゲース * ガウマン・ノビル * クワック・サルヴァー * ケリア・デース * ゴルフ * シベット・アンハーン * ジュリア・スガ * ハーラ・モーリー * フェンサー・メイン * ブリンクス・ウェッジ * ヘンドリックス・ハイヨー * マクシミリアン・ニコライ * マフティー・ナビーユ・エリン([[ハサウェイ・ノア]]) * ミツダ・ケンジ * ミヘッシャ・ヘンス * レイモンド・ケイン * ローウェスト・ハインリッヒ * ロッド・ハイン '''地球連邦軍/地球連邦政府''' * オノレ・バレストリエーリ * キンバレー・ヘイマン * ゲイス・ヒューゲスト * ケネス・スレッグ * シーゲン・ハムサット * スタッグ・メインザー * ハンドリー・ヨクサン * [[ブライト・ノア]] * フランシン・バクスター * ヘレナ・マクガバン * マルガリータ * ミネッチェ・ケスタルギーノ * メジナウム・グッゲンハイム * リチャード・クレッシェンド * レーン・エイム '''民間人・その他''' * アマダ・マンサン * カーディアス・バウンデンウッデン * ギギ・アンダルシア * チャング・ヘイ * ファビオ・リベラ * メイス・フラゥワー * [[ミライ・ヤシマ|ミライ・ノア]] === 機動戦士ガンダムUC === ここには、小説及びOVA『[[機動戦士ガンダムUC]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍(ロンド・ベル)''' * アンナ・ハナン * オットー・ミタス * ジョナ・ギブニー * ソートン * ダリル・マッギネス * ナイジェル・ギャレット * ノーム・バシリコック * ハサン * バナージ・リンクス * [[ブライト・ノア]] * ホマレ * ボラード * ミヒロ・オイワッケン * メラン * リディ・マーセナス * レイアム・ボーリンネア * ワッツ・ステップニー '''地球連邦軍(エコーズ)''' * ギャリティ * コンロイ・ハーゲンセン * ダグザ・マックール * ナシリ・ラザー '''地球連邦軍(宇宙軍)''' * マセキ・ダンバエフ '''地球連邦軍(海軍)''' * アディ * 艦長 * ゲノン * 水測長 '''地球連邦軍(上層部)''' * テッド・チェレンコフ * マウリ '''地球連邦政府(移民問題評議会)''' * ローナン・マーセナス * パトリック・マーセナス '''ネオ・ジオン残党軍(フル・フロンタル旗下)''' * アンジェロ・ザウパー * キュアロン・マスカ * セルジ・ヘルファー * ヒル・ドーソン * フル・フロンタル '''ネオ・ジオン残党軍(ガランシェール隊)''' * アイバン * アレク * ギルボア・サント * クワニ * サボア * スベロア・ジンネマン * トムラ * フラスト・スコール * ベッソン * [[プルシリーズ#マリーダ・クルス|マリーダ・クルス]] * [[ザビ家#ミネバ・ラオ・ザビ|ミネバ・ラオ・ザビ]](オードリー・バーン) '''ネオ・ジオン残党軍(ガーベイ家)''' * アッバス・ガーベイ * マハディ・ガーベイ * ロニ・ガーベイ * ワリード・ガーベイ '''ジオン残党兵''' * ヨンム・カークス * キャンドル '''ジオン共和国軍''' * ギリガン・ユースタス * ケイマン * ホーギー * モナハン・バハロ '''[[ビスト財団]]''' * アルベルト・ビスト * カーディアス・ビスト * ガエル・チャン * サイアム・ビスト * マーサ・ビスト・カーバイン '''民間人・その他(アナハイム・エレクトロニクス含む)''' * アーロン・テルジェフ * [[カイ・シデン]] * シンシア・マーセナス * ダイナーの主人 * タクヤ・イレイ * ダグラス・ドワイヨン * ティクバ・サント * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] * バロウズ夫人 * バンクロフト * ペペ・メンゲナン * [[ベルトーチカ・イルマ]] * ベントナ * ミコット・バーチ ==== 機動戦士ガンダムUC 『袖付き』の機付長は詩詠う ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダムUC 『袖付き』の機付長は詩詠う]]』の登場人物を挙げる。 '''ネオ・ジオン残党軍''' * アヴリル・ゼック * アンジェロ・ザウパー * サミュ * ジェトロ * セルジ * テルス * ペンプティ・ラス * マリーダ・クルス * マヌエラ '''ジオン残党兵''' * キョゴ * テッセラ・マッセラ * ヨンム・カークス * ロニ・ガーベイ * ワタ '''地球連邦軍''' * ディエス・ロビン ==== 機動戦士ガンダムUC 星月の欠片 ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダムUC 星月の欠片]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アルバ・メルクルディ * ゼフテラ・ベルク * ダニー・セケンド * ディエス・ロビン * ドゥーエ・イスナーン * ドリット・ドライ * ビア・キャトリエム * フィーア '''ネオ・ジオン残党軍''' * アヴリル・ゼック '''民間人・その他(アナハイム・エレクトロニクス含む)''' * リーチェル・チャパドー * メルツ・マーレス ==== 機動戦士ガンダム Twilight AXIS ==== ここには、小説及びWebアニメ『[[機動戦士ガンダム Twilight AXIS]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍(マスティマ)''' * アルレット・アルマージュ * ダントン・ハイレッグ * メーメット・メルカ '''ブッホ・コンツェルン(バーナム)''' * クァンタン・フェルモ * ヴァルター・フェルモ ==== 機動戦士ガンダムNT ==== ここには、アニメーション映画『[[機動戦士ガンダムNT]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' *リタ・ベルナル * マウリ・レホ '''地球連邦軍(シェザール隊)''' *ヨナ・バシュタ *イアゴ・ハーカナ *フランソン *アマージャ *デラオ *パベル *タマン *アバーエフ '''ルオ商会''' *ルオ・ウーミン *ミシェル・ルオ *ステファニー・ルオ *ブリック・テクラート '''ジオン共和国''' *モナハン・バハロ *ゾルタン・アッカネン *エリク・ユーゴ '''ミネバ一派''' *ミネバ・ラオ・ザビ *バナージ・リンクス *スベロア・ジンネマン *フラスト・スコール *タクヤ・イレイ === 機動戦士ガンダムF91 === ここには、アニメーション映画『[[機動戦士ガンダムF91]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムF91の登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''地球連邦軍(民間人、レジスタンス含む)''' * アーサー・ユング * クリス * グルス・エラス * ケーン・ソン * ケニー・ハーハー * コズモ・エーゲス * コチュン・ハイン * サム・エルグ * [[シーブック・アノー]] * ジェシカ・ングロ * ジョージ・アズマ * ディーナ・ジョク * ドロシー・ムーア * ドワイト・カムリ * ナント・ルース * バルド * ビルギット・ピリヨ * ベルトー・ロドリゲス * ミゲン・マウジン * ミンミ・エディット * マヌー・ソーフ * マヌエラ・パノパ * モニカ・アノー * レアリー・エドベリ * レズリー・アノー * リア・マリーバ * リィズ・アノー * ローバー * ロイ・ユング '''[[ブッホ・コンツェルン#クロスボーン・バンガード|クロスボーン・バンガード]](ロナ家、ブッホ・コンツェルン関係者含む)''' * アンナマリー・ブルージュ * エンゲイスト・ロナ(本編未登場) * カロッゾ・ロナ(鉄仮面) * [[ザビーネ・シャル]] * シオ・フェアチャイルド * ジレ・クリューガー * シャルンホルスト・ブッホ(シャルンホルスト・ロナ)(本編未登場) * セイド * [[セシリー・フェアチャイルド]](ベラ・ロナ) * テス・ストウクラッツ(テス・ロナ)(小説版のみ) * ドレル・ロナ * ナーイ・フレッチェン * ナディア・ロナ * ハウゼリー・ロナ(小説版のみ) * ボブルス * マイッツァー・ロナ * レイチェル・ロナ(小説版のみ) ==== 機動戦士ガンダムF90 ==== ここには、プラモデル企画及び漫画『[[機動戦士ガンダムF90]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * エリク * グッテンバイガー * シド・アンバー * ジョブ・ジョン * デフ・スタリオン * ナヴィ * ノヴォトニー * マーク '''オールズモビル(火星独立ジオン軍)''' * ベイリー * ボッシュ ==== 機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122 ==== ここには、コンピュータゲーム『[[機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * アリーナ・ベズロー * アルベルト・エア * アンナフェル・マーモセット * ウェスバー(ガンダムマガジン漫画版のみ) * エリナ・ビアック * スコット * テルスト * ブラウン・ウッダー * ベルフ・スクレット * レイラ・ビアス * ワイブル・ガードナー * ワイルダー・カッツ '''オールズモビル''' * ケザン * シャルル・ロウチェスター '''クロスボーン・バンガード''' * シャトレイ * デハーヨ ==== 機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91 ==== ここには、プラモデル企画『[[機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91]]』の登場人物を挙げる。 '''アナハイム・エレトロニクス社''' * アイトール・ホルスト * アイリス・オーランド * アルバート・エルゼナー * カール・シュビッツ * ケビン・フォレスト * トキオ・ランドール '''地球連邦軍''' * ドーフマン * バズ・ガレムソン '''クロスボーン・バンガード''' * シェルフ・シェフィールド * モーリス・オバリー '''ネオ・ジオン残党''' * 委員長 * レイラ・ラギオール === 機動戦士クロスボーン・ガンダムシリーズ === ここには、漫画『[[機動戦士クロスボーン・ガンダム]]』の登場人物を挙げる。 ==== 機動戦士クロスボーン・ガンダム ==== '''クロスボーン・バンガード''' * ウモン・サモン * オンモ * キンケドゥ・ナウ([[シーブック・アノー]]) * [[ザビーネ・シャル]] * ジェラド * トゥインク・ステラ・ラベラドゥ * トビア・アロナクス * ハリダ * ベラ・ロナ([[セシリー・フェアチャイルド]]) * ヨナ * ロニム '''コスモ・クルツ教団''' * シェリンドン・ロナ '''地球連邦軍''' * ハリソン・マディン '''サナリィ''' * ミノル・スズキ * ヨン・サンニー * ユリシーズ・レオパルド * ミッチェル・ドレック・ナー * オーティス * ミューラ '''[[木星帝国]]''' * カラス * ギリ・ガデューカ・アスピス * クラックス・ドゥガチ * バーンズ・ガーンズバック * ベルナデット・ブリエット(テテニス・ドゥガチ) * ローズマリー・ラズベリー * エウロペ・ドゥガチ * 光のカリスト * 影のカリスト '''民間人他''' * グレイ・ストーク === 機動戦士Vガンダム === ここには、テレビアニメ『[[機動戦士Vガンダム]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士Vガンダムの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''[[リガ・ミリティア]]''' * ウォレン・トレイス * [[ウッソ・エヴィン]] * エステル・チャバリ * エリシャ・クランスキー * オイ・ニュング * オーティス・アーキンズ * オデロ・ヘンリーク * オリファー・イノエ * カシム * カルルマン・ドゥカートゥス * カレル・マサリク * クッフ・サロモン * [[シャクティ・カリン]] * [[ジン・ジャハナム]](影武者) * スージィ・リレーン * ストライカー・イーグル * トマーシュ・マサリク * ネス・ハッシャー * ハリー・モスト * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] * ハンゲルグ・エヴィン(ジン・ジャハナム) * ビゴー * マーベット・フィンガーハット * マルチナ・クランスキー * ミズホ・ミネガン * ミューラ・ミゲル * レオニード・アルモドバル * ロベルト・ゴメス * ロメロ・マラバル * ワーグマン '''リガ・ミリティア(シュラク隊)''' * ケイト・ブッシュ * コニー・フランシス * ジュンコ・ジェンコ * フランチェスカ・オハラ * ペギー・リー * ヘレン・ジャクソン * マヘリア・メリル * ミリエラ・カタン * ユカ・マイラス '''地球連邦軍''' * ムバラク・スターン '''[[ザンスカール帝国]](ベスパ、イエロージャケット)''' * アーネスト・リゲル * アジス・バギ * アラルカンド * アルベオ・ピピニーデン * カービン・リチャーズ * カズー・ミウラ * [[カテジナ・ルース]] * ガリー・タン * カリンガ・ヴォーゲル * キーラ * キスハール・バグワット * キッサロリア * キル・タンドン * [[クロノクル・アシャー]] * クリス・ロイド * クワン・リー * ゲトル・デプレ * ゴズ・バール * ゴッドワルド・ハイン * シシリー・フィツィーネ * ジム・スティフ * ジル * ズグロク・シネモフ * タシロ・ヴァゴ * ディ・トランプ * ドゥカー・イク * トッリ・アーエス * トッリ・アーエス隊 * トランス * ニコライ・ハンス * ネネカ・ニブロー * ネネカ隊 * ノマイズ・ゼータ * バクー・チー * ハズ・カイフ * パトリック・ブーン * バンド * ファラ・グリフォン * フォンセ・カガチ * ブロッホ * ヘンリー・ダグラス * ボーディナム * マチス・ワーカー * マリア・ピァ・アーモニア * ミサキ・アイザワ * ムッターマ・ズガン * メッチェ・ルーベンス * ライオール・サバト * リー・ロン * ルペ・シノ * レイ・ブラッド * レンダ・デ・パロマ * ワタリー・ギラ '''その他''' * エレナ * ジニス・キッキ * テングラシー・ルース * バーツラフ・マサリク * ビスタン * マンデラ・スーン * レーナ・ワーカー * ロブ・オレスケス ==== 機動戦士Vガンダム外伝 ==== ここには、漫画『[[機動戦士Vガンダム#機動戦士Vガンダム外伝|機動戦士Vガンダム外伝]]』の登場人物を挙げる。 '''木星船団''' * ウッソ・エヴィン * カムイ・ギアン * [[ジュドー・アーシタ|グレイ・ストーク]] '''ザンスカール帝国(ベスパ・特務部隊)''' *スケイル・サープリス == 『機動武闘伝Gガンダム』シリーズ == ここには、[[未来世紀]]を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 === 機動武闘伝Gガンダム === ここには、テレビアニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動武闘伝Gガンダムの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''新[[シャッフル同盟]]''' * [[アルゴ・ガルスキー]] * [[サイ・サイシー]] * [[ジョルジュ・ド・サンド]] * [[チボデー・クロケット]] * [[ドモン・カッシュ]] '''[[デビルガンダム]]軍団''' * ウォン・ユンファ * ジェントル・チャップマン * [[東方不敗マスター・アジア]] * ミケロ・チャリオット '''第13回[[ガンダムファイト]]代表ガンダムファイター''' * [[アレンビー・ビアズリー]] * アンドリュー・グラハム * エリック・ザ・バイキング * カウラー・ラムゼス * ガラ・ガーラ * カルロス・アンダルシア * キラル・メキレル * キル・ハーン * コンタ・ン・ドゥール * [[シュバルツ・ブルーダー]]([[キョウジ・カッシュ]]) * ジャン・ピエール・ミラボー * セイット・ギュゼル * ダハール・ムハマンド * チェルシー・ワレサ * チコ・ロドリゲス * チャンドラ・シジーマ * ハンス・ボルガー * フランク・ガストロ * マーキロット・クロノス * ラセツ・ダカッツ * ルドガー・バーホーベン * ロマニオ・モニーニ '''シャッフル同盟''' * クイーン・ザ・スペード * クラブ・エース * ジャック・イン・ダイヤ * ブラック・ジョーカー '''民間人・その他''' * ウルベ・イシカワ * キャス・ロナリー * 恵雲 * サイ・ロンバイ * 瑞山 * ジャネット・スミス * シャリー・レーン * ストーカー * セシル・ボルガー * セルゲイ * ナスターシャ・ザビコフ * バニー・ヒギンズ * バードマン * ハン * ベイリング * ベルイマン博士 * ホイ * ホルベイン少将 * マリアルイゼ * ミカムラ博士 * ミキノ・カッシュ * ミハエル * ミン * ライゾウ・カッシュ * リムスキー * レイモンド・ビショップ * [[レイン・ミカムラ]] ==== 機動武闘外伝ガンダムファイト7th ==== * ここには、漫画『[[機動武闘外伝ガンダムファイト7th]]』の登場人物を挙げる。 '''第7回ガンダムファイト代表ガンダムファイター''' * アラン・リー * ウォルフ・ハインリッヒ * ジェノバ・ブラッツイ * [[東方不敗マスター・アジア|シュウジ・クロス]] * デロス・アルゴス * トリス・スルゲイレフ * ナシウス・キルヒャ * マックス・バーンズ '''カオス軍''' * カオス == 『新機動戦記ガンダムW』シリーズ == ここには、[[アフターコロニー]]を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 === 新機動戦記ガンダムW === ここには、テレビアニメ『[[新機動戦記ガンダムW]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[新機動戦記ガンダムWの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''コロニー側反連合/ガンダムパイロット''' * [[ヒイロ・ユイ]] * [[デュオ・マックスウェル]] * [[トロワ・バートン]] * [[カトル・ラバーバ・ウィナー]] * [[張五飛|張 五飛]] '''OZ(旧スペシャルズ)''' * アレックス * オットー * [[ゼクス・マーキス]](ミリアルド・ピースクラフト) * ツバロフ・ビルモン * トラント * [[トレーズ・クシュリナーダ]] * [[ドロシー・カタロニア]] * ニコル * ヒルデ・シュバイカー * ブント * ミュラー * [[ルクレツィア・ノイン]] * [[レディ・アン]] * ワーカー * デルマイユ * ボナーパ '''サンクキングダム''' * パーガン * [[リリーナ・ドーリアン]](リリーナ・ピースクラフト) '''マグアナック隊''' * アウダ * アブドル * アフマド * ラシード・クラマ '''サーカス団''' * キャスリン・ブルーム * 団長 '''ウィナー家''' * イリア * ザイード・ウィナー '''ガンダム開発者''' * H教授 * ドクターJ * ドクトルS * マイク・ハワード * プロフェッサーG * 老師O '''ホワイトファング''' * カーンズ * ドロシー・カタロニア '''民間人・その他''' * カイ * サリィ・ポォ ==== 新機動戦記ガンダムW EPISODE ZERO ==== ここには、漫画『[[新機動戦記ガンダムW EPISODE ZERO]]』の登場人物を挙げる。 * アディン・ロウ * カトリーヌ・ウィナー * シスター・ヘレン * マックスウェル神父 * ミディー・アン * ユダ * レイア・バートン * 竜 妹蘭 ==== 新機動戦記ガンダムW BLIND TARGET ==== ここには、漫画『[[新機動戦記ガンダムW BLIND TARGET]]』の登場人物を挙げる。 '''ホワイトファング''' * クリス * ソグラン * ラルフ・カート ==== 新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT ==== ここには、プラモデル企画『[[新機動戦記ガンダムW デュアルストーリー G-UNIT]]』の登場人物を挙げる。 '''MO-V''' * アディン・バーネット * オデル・バーネット * ディック・ヒガサキ * トリシア・ファレル * マーク・バーネット * ルシエ・アイズリー * ロウ・サーナン * ロガ・ハーマン '''OZプライズ''' * アリサ・ウォーカー * ヴァルダー・ファーキル * クラーツ・シェルビィ * シルヴァ・クラウン(オデル・バーネット) * ソリス・アルモニア * Dr.ペルゲ * ブルム・ブロックス * ルーナ・アルモニア * ロッシェ・ナトゥーノ === 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz === ここには、OVAおよびアニメーション映画『[[新機動戦記ガンダムW Endless Waltz]]』の登場人物を挙げる。 '''マリーメイア軍(バートン財団)''' * 真のトロワ・バートン * デキム・バートン * [[新機動戦記ガンダムWの登場人物#マリーメイア・クシュリナーダ|マリーメイア・クシュリナーダ]](マリーメイア・バートン) ==== 新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST ==== ここには、漫画『[[新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST]]』の登場人物を挙げる。 '''P<sup>3</sup>(正式名称:パーフェクト・ピース・ピープル)''' * ビクター・ゲインツ '''OZ宇宙軍外洋艦隊所属第4遊撃部隊''' * クレメンツ特士 * ブローデン二級特佐 == 『機動新世紀ガンダムX』シリーズ == ここには、[[アフターウォー]]を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 === 機動新世紀ガンダムX === ここには、テレビアニメ『[[機動新世紀ガンダムX]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動新世紀ガンダムXの登場人物]]を参照 '''[[アフターウォーの勢力#バルチャー|バルチャー]]([[フリーデン (ガンダムシリーズ)|フリーデン]])''' * ウィッツ・スー * エニル・エル * カリス・ノーティラス * ガロード・ラン * キッド・サルサミル * サラ・タイレル * ジャミル・ニート * シンゴ・モリ * ティファ・アディール * テクス・ファーゼンバーグ * トニヤ・マーム * ナイン * ロアビィ・ロイ * ロココ '''サテリコン''' * トグサ・アイン * パーラ・シス * ロイザー指令 '''地球連邦軍(旧地球連邦軍)''' * ルチル・リリアント '''[[アフターウォーの勢力#新連邦|地球統合連邦政府]]''' * アイムザット・カートラル * アベル・バウアー * オルバ・フロスト * カトック・アルザミール * シャギア・フロスト * デマー・グライフ * ドゥエート・ラングラフ * フィクス・ブラッドマン * ミルラ・ドライド '''[[アフターウォーの勢力#宇宙革命軍|宇宙革命軍]]''' * ザイデル・ラッソ * ニコラ・ファファス * ノモア・ロング(ドーラッド博士) * ランスロー・ダーウェル '''エスタルド国軍''' * ウイリス・アラミス * リー・ジャクソン * グラント・スチュアート * ルクス・ハノマアク '''民族独立戦線''' * ユリナ・サノハラ '''アルタネイティヴ社''' * フォン・アルタネイティヴ * ライク・アント '''ニュータイプ研究所''' * カロン・ラット '''バルチャー''' * ヴェドバ・モルテ * グリーツ・ジョー * クロッカ * ザコット・ダットネル * ジェノス・クライシス * ローザ・インテンソ * ロッソ・アラマント '''シーバルチャー(オルク)''' * ドーザ・バロイ * マーカス・ガイ '''D.O.M.E.''' * D.O.M.E.(ファーストニュータイプ) ==== 機動新世紀ガンダムX外伝 ニュータイプ戦士ジャミル・ニート ==== ここには、漫画『機動新世紀ガンダムX外伝 ニュータイプ戦士ジャミル・ニート』の登場人物を挙げる。 '''地球連邦軍''' * キナ '''宇宙革命軍''' * ナーダ・エル ==== 機動新世紀ガンダムX〜UNDER THE MOONLIGHT〜 ==== ここには、漫画『[[機動新世紀ガンダムX〜UNDER THE MOONLIGHT〜]]』の登場人物を挙げる。 '''バルチャー''' * ヴァイス・クライフ * カイ * キィ * ジョージィ * ニィ * ミィ * リック・アレル * リン * レイコ * ローザII世 '''ブラック・ホーネット''' * ヴァラルラン・ドー * エディン・ザッハ * シアン・リンデン * ベルク・アレル '''その他''' * ガスパ * マナ == ∀ガンダム == ここには、テレビアニメおよびアニメーション映画『[[∀ガンダム]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[∀ガンダムの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''[[∀ガンダムの登場勢力#イングレッサ・ミリシャ|イングレッサ・ミリシャ]]''' * [[グエン・サード・ラインフォード]] * シド・ムンザ * ジョゼフ・ヨット * [[ソシエ・ハイム]] * ミハエル・ゲルン * メシェー・クン * ヤーニ・オビュス * ラダラム・クン * [[ロラン・セアック]] '''ハイム家''' * [[キエル・ハイム]] * キャハラン * サム * ジェシカ * ハイム夫妻 '''[[∀ガンダムの登場勢力#ルジャーナ・ミリシャ|ルジャーナ・ミリシャ]]''' * エイムズ * ギャバン・グーニー * ジョン * マリガン * リリ・ボルジャーノ '''ディアナカウンター([[∀ガンダムの登場勢力#ムーンレィス|ムーンレィス]]軍)''' * アジ * アナン * [[コレン・ナンダー]] * [[ディアナ・ソレル]] * [[ハリー・オード]] * フィル・アッカマン * ブルーノ * ベンジャム * [[ポゥ・エイジ]] * ミラン・レックス * ヤコップ * ラルファ・ゼノア '''ムーンレィス''' * キース・レジェ * クーエン・モラッド * テテス・ハレ * ドナ・ロロイ * ハメット・ロロイ * フラン・ドール * ホレス・ニーベン * リネ * レーチェ '''レット隊''' * キャンサー・カフカ * ムロン・ムロン '''[[∀ガンダムの登場勢力#ギンガナム艦隊|ギンガナム艦隊]](ムーンレィス軍)''' * アグリッパ・メンテナー * [[ギム・ギンガナム]] * ケイサン・ダーカイ * ヤン・シッキネン * スエッソン・ステロ * ミーム・ミドガルド * メリーベル・ガジット '''アデスカ''' * クワウトル * タルカ * マヤリト '''民間人・その他''' * アニス・ベル * ウィル・ゲイム * ベルレーヌ・ボンド == 『機動戦士ガンダムSEED』シリーズ == === 機動戦士ガンダムSEED === ここには、テレビアニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 <!--個別で記事が作成されているもの以外のキャラクター名はリンクしないでください。統合記事にて扱っています。--> '''[[アークエンジェル (ガンダムシリーズ)#アークエンジェル|アークエンジェル]]''' * アーノルド・ノイマン * カズイ・バスカーク * [[キラ・ヤマト]] * コジロー・マードック * サイ・アーガイル * ジャッキー・トノムラ * ダリダ・ローラハ・チャンドラII世 * トール・ケーニヒ * [[ナタル・バジルール]] * [[フレイ・アルスター]] * [[マリュー・ラミアス]] * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ミリアリア・ハウ|ミリアリア・ハウ]] * [[ムウ・ラ・フラガ]] * ロメロ・パル '''[[地球連合 (ガンダムシリーズ)|地球連合軍]]''' * ウィリアム・サザーランド * [[生体CPU#オルガ・サブナック|オルガ・サブナック]] * [[生体CPU#クロト・ブエル|クロト・ブエル]] * ジェラード・ガルシア * [[生体CPU#シャニ・アンドラス|シャニ・アンドラス]] * ジョージ・アルスター * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ビダルフ|ビダルフ]] * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ムルタ・アズラエル|ムルタ・アズラエル]] * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ブライアン、ハマナ|ブライアン]] * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ブライアン、ハマナ|ハマナ]] '''地球連合軍(第8機動艦隊)''' * コープマン * デュエイン・ハルバートン * ホフマン '''ザフト軍(クルーゼ隊)''' * [[アスラン・ザラ]] * [[イザーク・ジュール]] * オロール・クーデンベルグ * ゼルマン * [[ディアッカ・エルスマン]] * [[ニコル・アマルフィ]] * フレドリック・アデス * マシュー * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ミゲル・アイマン|ミゲル・アイマン]] * [[ラウ・ル・クルーゼ]] * ラスティ・マッケンジー '''ザフト軍(バルトフェルド隊)''' * アイシャ * [[アンドリュー・バルトフェルド]] * カークウッド * ハダト * マーチン・ダコスタ * メイラム '''ザフト軍(モラシム隊)''' * ハンス * マルコ・モラシム '''ザフト軍(その他)''' * レイ・ユウキ '''プラント最高評議会''' * アイリーン・カナーバ * アリー・カシム * エザリア・ジュール * オーソン・ホワイト * シーゲル・クライン * [[ラクス・クライン]] * ジェレミー・マクスウェル * タッド・エルスマン * パーネル・ジェセック * パトリック・ザラ * ヘルマン・グールド * ルイーズ・ライトナー * ユーリ・アマルフィ '''[[オーブ連合首長国]]''' * アサギ・コードウェル * ウズミ・ナラ・アスハ * [[カガリ・ユラ・アスハ]] * エリカ・シモンズ * ジュリ・ウー・ニェン * ティリング * ホムラ * マユラ・ラバッツ * レドニル・キサカ * マーナ * ヴィア・ヒビキ * ユーレン・ヒビキ * カリダ・ヤマト * ハルマ・ヤマト '''民間人・その他''' * アフメド・エル・ホセ * アル・ジャイリー * アル・ダ・フラガ * エル * サイーブ・アシュマン * ジョージ・グレン * マルキオ * ヤルー・アシュマン * リュウタ・シモンズ * レノア・ザラ * ロミナ・アマルフィ ==== 機動戦士ガンダムSEED ASTRAY ==== ここには、小説及び漫画『[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズ#機動戦士ガンダムSEED ASTRAY|機動戦士ガンダムSEED ASTRAY]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * 8 * ウインド * サカタ * ジョー * プロフェッサー * リーアム・ガーフィールド * 山吹樹里 * ロウ・ギュール '''[[コズミック・イラの勢力#サーペントテール|サーペントテール]]''' * イライジャ・キール * 風花・アジャー * 叢雲劾 * リード・ウェラー * ロレッタ・アシャー '''オーブ連合首長国''' * サーティン・ソキウス * シックス・ソキウス * フォー・ソキウス * [[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物#ロンド・ギナ・サハク|ロンド・ギナ・サハク]] * [[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物#ロンド・ミナ・サハク|ロンド・ミナ・サハク]] '''地球連合軍''' * イレブン・ソキウス * エイト・ソキウス * セブン・ソキウス '''ザフト軍''' * アッシュ・グレイ * アール * クスコ * ドミオ * フランツ・リアフォード '''リティリア''' * グゥド・ヴェイア * シニスト・ガーフィールド '''[[コズミック・イラの勢力#ジョージ・グレン友の会|ジョージ・グレン友の会]]''' * モンド '''グレイブヤード''' * 蘊・奥 '''海賊''' * エリサ・アサーニャ * オターク * ポーシャ * ボス '''情報屋''' * ケナフ・ルキーニ '''民間人・その他''' * ディラー・ロッホ * ハーナ * プレア・レヴェリー * マーシュ ==== 機動戦士ガンダムSEED X ASTRAY ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズ#機動戦士ガンダムSEED X ASTRAY|機動戦士ガンダムSEED X ASTRAY]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * 8 * プロフェッサー * リーアム・ガーフィールド * 山吹樹里 * ロウ・ギュール '''[[コズミック・イラの勢力#サーペントテール|サーペントテール]]''' * イライジャ・キール * 風花・アジャー * 叢雲劾 * リード・ウェラー * ロレッタ・アシャー '''地球連合軍''' * カナード・パルス * バルサム・アーレンド * モーガン・シュバリエ * メリオル・ピスティス '''民間人・その他''' * プレア・レヴェリー ==== 機動戦士ガンダムSEED MSV ==== ここには、プラモデル企画『[[ガンダムSEED MSV]]』の登場人物を挙げる。 '''地球連合軍''' * ウィンタース * ウォーイック * エドワード・ハレルソン * エリザベス・パディス * クラウス * ジェーン・ヒューストン * チャールズ・ケイン * パーマー * モーガン・シュバリエ * リンドグレン * レナ・イメリア '''ザフト軍''' * シホ・ハーネンフース * ミハイル・コースト * ミュラー・レドヴィッツ '''オーブ連合首長国''' * バリー・ホー '''[[三隻同盟]]''' * ジャン・キャリー '''[[コズミック・イラの勢力#サーペントテール|サーペントテール]]''' * 叢雲劾 === 機動戦士ガンダムSEED DESTINY === ここには、テレビアニメ『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物]]及び個別に作成されている記事を参照。 <!--個別で記事が作成されているもの以外のキャラクター名はリンクしないでください。統合記事にて扱っています。--> '''ザフト軍(ミネルバクルー)''' * アーサー・トライン * [[アスラン・ザラ]] * アビー・ウィンザー * ヴィーノ・デュプレ * [[シン・アスカ]] * [[タリア・グラディス]] * チェン・ジェン・イー * バート・ハイム * ハイネ・ヴェステンフルス * マッド・エイブス * マリク・ヤードバーズ * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物#メイリン・ホーク|メイリン・ホーク]] * ヨウラン・ケント * [[ルナマリア・ホーク]] * [[レイ・ザ・バレル]] '''ザフト軍(その他)''' * [[イザーク・ジュール]] * ウィラード * キングT@KED@ * グラスゴー * サトー * [[ディアッカ・エルスマン]] * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物#ミーア・キャンベル|ミーア・キャンベル]] * ヨアヒム・ラドル * ヨップ・フォン・アラファス '''プラント最高評議会''' * アリー・カシム * エドアルド・リー * オーソン・ホワイト * [[ギルバート・デュランダル]] * クーマン・クルーマン * クリスタ・オーベルク * ジェレミー・マクスウェル * ジョージ・アダマン * タカオ・シュライバー * ノイ・カザエフスキー * パーネル・ジェセック * リカルド・オルフ * ルイーズ・ライトナー '''地球連合軍''' * [[生体CPU#アウル・ニーダ|アウル・ニーダ]] * イアン・リー * ジョゼフ・コープランド * [[生体CPU#スティング・オークレー|スティング・オークレー]] * [[生体CPU#ステラ・ルーシェ|ステラ・ルーシェ]] * [[ムウ・ラ・フラガ#機動戦士ガンダムSEED DESTINY|ネオ・ロアノーク]] '''[[ロゴス (ガンダムシリーズ)|ロゴス]]''' * アダム・ヴァミリア * アルヴィン・リッター * グラハム・ネレイス * セレスティン・グロート * ダンカン・L・モッケルバーグ * ブルーノ・アズラエル * ラリー・マクウィリアムズ * ルクス・コーラー * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物#ロード・ジブリール|ロード・ジブリール]] '''オーブ連合首長国''' * アマギ * イケヤ * ウナト・エマ・セイラン * エリカ・シモンズ * ゴウ * ソガ * タツキ・マシマ * トダカ * ニシザワ * ババ * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINYの登場人物#ユウナ・ロマ・セイラン|ユウナ・ロマ・セイラン]] * レドニル・キサカ '''アークエンジェル''' * アーノルド・ノイマン * [[カガリ・ユラ・アスハ]] * [[キラ・ヤマト]] * コジロー・マードック * ダリダ・ローラハ・チャンドラII世 * [[マリュー・ラミアス]] * [[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#ミリアリア・ハウ|ミリアリア・ハウ]] '''[[エターナル (ガンダムシリーズ)|エターナル]]''' * [[アンドリュー・バルトフェルド]] * ヒルダ・ハーケン * ヘルベルト・フォン・ラインハルト * マーズ・シメオン * マーチン・ダコスタ * [[ラクス・クライン]] '''民間人・その他''' * コニール・アルメタ * マユ・アスカ * マルキオ * カリダ・ヤマト * ウィリアム・グラディス ==== 機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY ==== ここには、小説及び漫画『[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズ#機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY|機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]を参照。 '''フリージャーナリスト''' * ジェス・リブル * リアマン・リックス '''プロモビルスーツパイロット''' * カイト・マディガン '''ザフト軍''' * コートニー・ヒエロニムス * ベルナデット・ルルー * マーレ・ストロード * ミハイル・コースト * リーカ・シェダー '''地球連合軍''' * イルド・ジョラール(スカウト0646) * アッシュ・グレイ(スカウト0984) * マティス '''ジャンク屋組合''' * ユン・セファン * ロウ・ギュール '''傭兵''' * イライジャ・キール * 風花・アジャー * カナード・パルス * 叢雲劾 * リード・ウェラー * ロレッタ・アジャー '''民間人・その他''' * イレブン・ソキウス * イワン・ザンボワーズ * セトナ・ウィンタース * マティアス * リン・ダーウェン ==== 機動戦士ガンダムSEED DESTINY MSV ==== ここには、プラモデル企画『ガンダムSEED DESTINY MSV』の登場人物を挙げる。 '''地球連合軍''' * アンドウ * ヴォルスキィ・ニノミヤ * ステファン・ウィルシャー * テイラー * フィゲス・カジモド * マクファーデン '''ザフト軍''' * アンナ * アンリ・ユージェニー * コートニー・ヒエロニムス * マリオ・クレッグス * リンナ・セラ・イヤサカ * レヴンワース '''オーブ連合首長国''' * スズキ * タキト・ハヤ・オシダリ * タナカ * ヤマダ * ワダ ==== 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER ==== ここには、OVA『[[機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER]]』の登場人物を挙げる。 '''[[コズミック・イラの勢力#D.S.S.D|D.S.S.D]]''' * エドモンド・デュクロ * セガワ * セレーネ・マクグリフ * ノストラビッチ * モリセイワ * ソル・リューネ・ランジュ '''地球連合軍''' * スウェン・カル・バヤン * シャムス・コーザ * ホアキン * ミューディー・ホルクロフト * レイエス ==== 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 Δ ASTRAY ==== ここには、漫画『[[機動戦士ガンダムSEED C.E.73 Δ ASTRAY]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]を参照。 '''マーシャン''' * アグニス・ブラーエ * セトナ・ウィンタース * ディアゴ・ローウェル * ナーエ・ハーシェル '''ザフト軍''' * アイザック・マウ * ミハイル・コースト '''地球連合軍''' * エミリオ・ブロデリック * シャムス・コーザ * スウェン・カル・バヤン * ダナ・スニップ * ホアキン * ミューディー・ホルクロフト '''オーブ軍''' * ガルド・デル・ホクハ * サース・セム・イーリア * ファンフェルト・リア・リンゼイ * ホースキン・ジラ・サカト * ワイド・ラビ・ナダガ '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * 8 * コバヤシマル・ジューゾー * プロフェッサー * リーアム・ガーフィールド * ロウ・ギュール * 山吹樹里 '''情報屋''' * ケナフ・ルキーニ '''その他''' * エドワード・ハレルソン * ジェス・リブル * ジェーン・ヒューストン * ベルナデット・ルルー * ロンド・ミナ・サハク ==== 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER PHANTOM PAIN REPORT ==== ここには、フォトストーリー『機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER PHANTOM PAIN REPORT』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]を参照。 '''フリージャーナリスト''' * ジェス・リブル * リアマン・リックス '''マーシャン''' * アグニス・ブラーエ * セトナ・ウィンタース '''地球連合軍''' * エミリオ・ブロデリック * スウェン・カル・バヤン * ダナ・スニップ '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * コバヤシマル・ジューゾー ==== 機動戦士ガンダムSEED FRAME ASTRAYS ==== ここには、漫画『機動戦士ガンダムSEED FRAME ASTRAYS』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]を参照。 '''[[コズミック・イラの勢力#サーペントテール|サーペントテール]]''' * イライジャ・キール * 風花・アジャー * 叢雲劾 * リード・ウェラー * ロレッタ・アシャー '''地球連合軍''' * ジスト・エルウェス * スリー・ソキウス * ルカス・オドネル '''東アジア共和国第十三保護区反政府ゲリラ''' * トロヤ・ノワレ * バリー・ホー '''ザフト軍''' * アレック・ラッド * ルドルフ・ヴィトゲンシュタイン '''PMC(民間軍事企業)''' * スー * レオンズ・グレイブス '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * ロウ・ギュール * 山吹樹里 '''その他''' * イルド・ジョラール * ロンド・ミナ・サハク ==== 機動戦士ガンダムSEED VS ASTRAY ==== ここには、フォトストーリー『機動戦士ガンダムSEED VS ASTRAY』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムSEED ASTRAYシリーズの登場人物]]を参照。 '''[[コズミック・イラの勢力#ジャンク屋組合|ジャンク屋組合]]''' * 8 * プロフェッサー * 山吹樹里 * ユン・セファン * リーアム・ガーフィールド * ロウ・ギュール '''[[コズミック・イラの勢力#サーペントテール|サーペントテール]]''' * イライジャ・キール * 風花・アジャー * 叢雲劾 * リード・ウェラー * ロレッタ・アシャー '''[[コズミック・イラの勢力#ライブラリアン|ライブラリアン]]''' * 蘊・奥(カーボンヒューマン) * ND HE * グゥド・ヴェイア(カーボンヒューマン) * フィーニス・ソキウス * プレア・レヴェリー(カーボンヒューマン) * リリー・ザヴァリー * ロンド・ギナ・サハク(カーボンヒューマン) '''その他''' * アグニス・ブラーエ * イルド・ジョラール * イレブン・ソキウス * カイト・マティガン * カナード・パルス * ジェス・リブル * セブン・ソキウス * トロヤ・ノワレ * ナーエ・ハーシェル * モーガン・シュバリエ * ルドルフ・ヴィトゲンシュタイン * ロンド・ミナ・サハク === 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM === ここには、アニメーション映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』の登場人物を挙げる。 * キラ・ヤマト * ラクス・クライン * アスラン・ザラ * カガリ・ユラ・アスハ * シン・アスカ * ルナマリア・ホーク * メイリン・ホーク * マリュー・ラミアス * ムウ・ラ・フラガ * イザーク・ジュール * ディアッカ・エルスマン * アグネス・ギーベンラート * トーヤ・マシマ * アレクセイ・コノエ * アルバート・ハインライン * ヒルダ・ハーケン * ヘルベルト・フォン・ラインハルト * マーズ・シメオン * アウラ・マハ・ハイバル * オルフェ・ラム・タオ * シュラ・サーペンタイン * イングリット・トラドール * リデラード・トラドール * ダニエル・ハルパー * リュー・シェンチアン * グリフィン・アルバレスト == 『機動戦士ガンダム00』シリーズ == ここには、『機動戦士ガンダム00』における[[西暦]]を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 === 機動戦士ガンダム00 === ここには、[[テレビアニメ]]『[[機動戦士ガンダム00]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダム00の登場人物]]を参照。 ==== ファーストシーズン ==== '''ソレスタルビーイング''' * アレルヤ・ハプティズム / ハレルヤ・ハプティズム * イアン・ヴァスティ * イオリア・シュヘンベルグ * クリスティナ・シエラ * JB・モレノ * スメラギ・李・ノリエガ * 刹那・F・セイエイ(ソラン・イブラヒム、カマル・マジリフ) * ティエリア・アーデ * ネーナ・トリニティ * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] ** HARO * フェルト・グレイス * 紅龍 * ミハエル・トリニティ * ヨハン・トリニティ * ラッセ・アイオン * リヒテンダール・ツエーリ * ロックオン・ストラトス(ニール・ディランディ) *ロックオン・ストラトス(ライル・ディランディ) * 王留美 '''ユニオン''' * グラハム・エーカー * ジョシュア・エドワーズ * ジョゼフ・スミス * スチュアート * ダリル・ダッジ * デビッド・カーネギー * ハワード・メイスン * ビリー・カタギリ * ブライアン・ステッグマイヤー * ヘンリー * ランディ * レイフ・エイフマン '''人類革新連盟''' * キム * セルゲイ・スミルノフ * ソーマ・ピーリス * ボルス・アッサン * ミン '''AEU''' * カティ・マネキン * パトリック・コーラサワー '''アザディスタン王国''' * シーリン・バフティヤール * マスード・ラフマディー * マリナ・イスマイール '''国際連合''' * アレハンドロ・コーナー * リボンズ・アルマーク '''経済特区・日本''' * 絹江・クロスロード * 沙慈・クロスロード * ルイス・ハレヴィ '''その他''' * 池田 * ライル・ディランディ * ラグナ・ハーヴェイ * リジェネ・レジェッタ * ルイスの母 '''PMC(民間軍事会社)/傭兵''' * アリー・アル・サーシェス(ゲーリー・ビアッジ) ==== セカンドシーズン ==== '''ソレスタルビーイング''' * アニュー・リターナー * アレルヤ・ハプティズム / ハレルヤ・ハプティズム * イアン・ヴァスティ * 沙慈・クロスロード * スメラギ・李・ノリエガ(リーサ・クジョウ) * 刹那・F・セイエイ(ソラン・イブラヒム) * ティエリア・アーデ * ネーナ・トリニティ * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] ** 赤ハロ ** HARO * フェルト・グレイス * 紅龍(王紅龍) * ミレイナ・ヴァスティ * ラッセ・アイオン * リンダ・ヴァスティ * ロックオン・ストラトス(ライル・ディランディ) * 王留美 '''アロウズ''' * アーサー・グッドマン * アーバ・リント * アラッガ * アンドレイ・スミルノフ * カティ・マネキン * ソーマ・ピーリス(マリー・パーファシー) * パトリック・コーラサワー * バラック・ジニン * ビリー・カタギリ * ホーマー・カタギリ * ミスター・ブシドー(グラハム・エーカー) * リー・ジェジャン * ルイス・ハレヴィ '''カタロン''' * 池田 * エディ・ミヤサカ * クラウス・グラード * シーリン・バフティヤール * マハル * カタロンの子供達 ** アベド ** ダビッド ** モシェ ** ヤエル ** ヨセフ ** リアン '''地球連邦平和維持軍''' * アッシュ * キム * セルゲイ・スミルノフ * パング・ハーキュリー '''イノベイター勢力''' * イノベイド * デヴァイン・ノヴァ * ヒリング・ケア * ブリング・スタビティ * リジェネ・レジェッタ * リヴァイヴ・リバイバル * リボンズ・アルマーク '''アザディスタン王国''' * マリナ・イスマイール '''傭兵''' * アリー・アル・サーシェス '''回想・夢で登場した故人''' * エミリオ・リビシ * ニール・ディランディ * ホリー・スミルノフ ==== 劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer- ==== ここには、アニメーション映画『[[劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-]]』の登場人物を挙げる。 '''ソレスタルビーイング''' * アレルヤ・ハプティズム / ハレルヤ・ハプティズム * イアン・ヴァスティ * スメラギ・李・ノリエガ(リーサ・クジョウ) * 刹那・F・セイエイ(ソラン・イブラヒム) * ソーマ・ピーリス(マリー・パーファシー) * ティエリア・アーデ * [[ハロ (ガンダムシリーズ)|ハロ]] ** 赤ハロ ** 青ハロ * フェルト・グレイス * ミレイナ・ヴァスティ * ラッセ・アイオン * リンダ・ヴァスティ * ロックオン・ストラトス(ライル・ディランディ) '''地球連邦平和維持軍''' * アキラ・タケイ * アンドレイ・スミルノフ * イェーガン・クロウ * ヴィクトル・レオーノフ * カティ・マネキン * キム * グラハム・エーカー * デカルト・シャーマン * ネフェル・ナギーブ * パトリック・コーラサワー * ビリー・カタギリ * ルドルフ・シュライバー '''地球連邦''' * クラウス・グラード * シーリン・バフティヤール * ミーナ・カーマイン '''アザディスタン王国''' * マリナ・イスマイール '''民間人''' * アーミア・リー * 池田 * 沙慈・クロスロード * ルイス・ハレヴィ '''その他''' * アレハンドロ(劇中映画の登場人物) * マイケル・チャン(劇中映画の登場人物) '''回想・夢で登場した故人''' * イオリア・シュヘンベルグ * E・A・レイ(エターナル・アラン・レイ) * クリスティナ・シエラ * ニール・ディランディ * リヒテンダール・ツエーリ ==== 機動戦士ガンダム00P ==== ここには、[[ガンプラ|模型]]企画『[[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00P|機動戦士ガンダム00P]]』の登場人物を挙げる。 '''第2世代ガンダムマイスター''' * シャル・アクスティカ * ルイード・レゾナンス * マレーネ・ブラディ * ガンダムマイスター874 '''第3世代ガンダムマイスター''' * グラーベ・ヴィオレント * ヒクサー・フェルミ '''人類革新連盟''' * シェプ・アルワン * デルフィーヌ・ベデリア * レナード・ファインズ '''イノベイド''' * ビサイド・ペイン ==== 機動戦士ガンダム00F ==== ここには、[[漫画]]『[[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00F|機動戦士ガンダム00F]]』の登場人物を挙げる。 '''フェレシュテ''' * フォン・スパーク * シャル・アクスティカ * エコ・カローレ * シェリリン・ハイド * ハナヨ(ガンダムマイスター874) '''その他''' * アナー・ウガイ * ヒクサー・フェルミ * ハヤナ(ガンダムマイスター887) ==== 機動戦士ガンダム00V ==== ここには、模型企画『[[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00V|機動戦士ガンダム00V]]』の登場人物を挙げる。 * ロベール・スペイシー * デボラ・ガリエナ * エイミー・ジンバリスト ==== 機動戦士ガンダム00I ==== ここには、[[漫画]]『[[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00I|機動戦士ガンダム00I]]』の登場人物を挙げる。 '''イノベイド''' * レイヴ・レチタティーヴォ * テリシラ・ヘルフィ * ラーズ・グリース * ブリュン・ソンドハイム * ハーミヤ * ビサイド・ペイン '''カタロン''' * スルー・スルーズ '''その他''' * クレーエ・リヒカイト ==== 機動戦士ガンダム00I 2314 ==== ここには、[[漫画]]『[[機動戦士ガンダム00外伝#機動戦士ガンダム00I 2314|機動戦士ガンダム00I 2314]]』の登場人物を挙げる。 '''ソレスタルビーイング''' * レオ・ジーク(レナード・ファインズ) * デル・エルダ(デルフィーヌ・ベデリア) '''イノベイド''' * スカイ・エクリプス == 『機動戦士ガンダムAGE』シリーズ == ここには、『機動戦士ガンダムAGE』におけるA.G.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 === 機動戦士ガンダムAGE === ここには、[[テレビアニメ]]『[[機動戦士ガンダムAGE]]』の登場人物を挙げる。登場人物に関しては[[機動戦士ガンダムAGEの登場人物]]を参照。 ==== 第1部・フリット編 ==== '''アスノ家''' * フリット・アスノ * マリナ・アスノ '''フリットの仲間''' * エミリー・アモンド * ディケ・ガンヘイル * バルガス・ダイソン * ユリン・ルシェル '''地球連邦軍''' * グルーデック・エイノア * ミレース・アロイ * アダムス・ティネル * イーノ・レジン * ウォルト・ベット * エドワード・オタワ * オネット・コーリー * ラーガン・ドレイス * ウルフ・エニアクル * ヘンドリック・ブルーザー * ディアン・フォンロイド * ストラー・グアバラン '''ザラムとエウバ''' * ドン・ボヤージ * ラクト・エルファメル '''マッドーナ工房''' * ムクレド・マッドーナ * ララパーリー・マッドーナ '''民間人''' * イワーク・ブライア * リリア * アルザック・バーミングス '''UE / ヴェイガン''' * デシル・ガレット * ギーラ・ゾイ(ヤーク・ドレ) * アラベル・ゾイ * メデル・ザント ==== 第2部・アセム編 ==== '''アスノ家''' * アセム・アスノ * ユノア・アスノ * フリット・アスノ * エミリー・アスノ * バルガス・ダイソン '''アスノ家の使用人''' * ジョセ・マリス * ハンス・ルージ '''アセムの仲間''' * ロマリー・ストーン * シャーウィー・ベルトン * マシル・ボイド * ロッド・アブス '''地球連邦軍''' * ミレース・アロイ * アラン・ライトニー * イリシャ・ムライ * ウィルナ・ジャニスティ * エル・トニーズ * オディオ・ブラン * ウルフ・エニアクル * アリーサ・ガンヘイル * マックス・ハートウェイ * オブライト・ローレイン * ディケ・ガンヘイル * レミ・ルース * フレデリック・アルグレアス * コンラッド * ナディア '''地球連邦政府''' * フロイ・オルフェノア '''マッドーナ工房''' * ムクレド・マッドーナ * ララパーリー・マッドーナ * ロディ・マッドーナ '''民間人''' * グルーデック・エイノア * アラベル・ゾイ '''ヴェイガン''' * ゼハート・ガレット * デシル・ガレット * メデル・ザント * ダズ・ローデン * ドール・フロスト * グリン・ライズ * ミンク・レイデン * ゼル・ブラント * レッシー・アドネル * レオ・ルイス * ザファー・ローグ * ネッド・カーン * イゴール・エバンス * フェザール・イゼルカント ==== 第3部・キオ編、第4部・三世代編 ==== '''アスノ家''' * キオ・アスノ * フリット・アスノ * エミリー・アスノ * アセム・アスノ * ロマリー・アスノ * ユノア・アスノ '''キオの仲間''' * ウェンディ・ハーツ * レブルス・ラモンド * ケイン・ロイス * ロジー・ミリウ '''地球連邦軍''' * ナトーラ・エイナス * アリー・レーン * イーサン・シェロウ * ウォン・カストロファ * エイラ・ローズ * オトロ・バンタ * カール・ドーソン * セリック・アビス * シャナルア・マレン * デレク・ジャックロウ * ジョナサン・ギスターブ * オブライト・ローレイン * ウットビット・ガンヘイル * ロディ・マッドーナ * オーデック・ヤダン * デビット・クルード * アンディ・ドレイムス * フレデリック・アルグレアス * ジラード・フォーネル '''宇宙海賊ビシディアン''' * キャプテン・アッシュ * ラドック・ホーン '''マッドーナ工房''' * ララパーリー・マッドーナ '''民間人''' * タク * ユウ * ルッカ '''ヴェイガン''' * ゼハート・ガレット * フラム・ナラ * ゴドム・タイナム * グラット・オットー * デモン・ラージ * ダレスト・グーン * レイル・ライト * ザナルド・ベイハート * ダラス・レギン * ディーン・アノン * ルウ・アノン * マリー・メイス * ドレーネ・イゼルカント * フェザール・イゼルカント * ロミ・イゼルカント * ジラード・スプリガン * アローン・シモンズ * ファルク・オクラムド * ゼラ・ギンス === 機動戦士ガンダムAGE トレジャースター === ここには、[[漫画]]『[[機動戦士ガンダムAGE#機動戦士ガンダムAGE トレジャースター|機動戦士ガンダムAGE トレジャースター]]』の登場人物を挙げる。 '''トレジャースターのクルー''' * ダイキ・リュウザキ * シリウス * コテツ・サカイ * ウェズン * ミルザム * フルド * アダーラ * ルーガ '''その他''' * リュウザキ * ウメコ * バレル・ズール * マコト・ズール * ミユキ・ズール * タクミ * ヤクヤク === 機動戦士ガンダムAGE 〜追憶のシド〜 === ここには、[[漫画]]『[[機動戦士ガンダムAGE#機動戦士ガンダムAGE 〜追憶のシド〜|機動戦士ガンダムAGE 〜追憶のシド〜]]』の登場人物を挙げる。 '''宇宙海賊ビシディアン''' * ウィービック・ランブロ * キャプテン・アングラッゾ * ギスパード・ラーグーン * シャズーイ・ブリーズ * ギムル・マニング * ダム・ブレイディ * ラドック・ホーン '''EXA-DBの関係者''' * レウナ・イナーシュ * エドル・イナーシュ '''地球連邦軍''' * ラーガン・ドレイス * アセム・アスノ * アダムス・ティネル '''その他''' * ラクト・エルファメル * ドネル・デネーブ * マリリン・デネーブ * グース・マイルス == 『ガンダム Gのレコンギスタ』 == ここには、[[テレビアニメ]]『[[ガンダム Gのレコンギスタ]]』におけるリギルド・センチュリーを世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 '''キャピタル・テリトリィ''' * ベルリ・ゼナム * ノレド・ナグ * ノベル * ルイン・リー * マニィ・アンバサダ * ラライヤ・マンディ * ゲル・トリメデストス・ナグ * クンパ・ルシータ * ウィルミット・ゼナム * ビルギーズ・シバ '''キャピタル・ガード''' * デレンセン・サマター * ケルベス・ヨー '''キャピタル・アーミィ''' * マスク * ジュガン・マインストロン * ベッカー・シャダム * バララ・ペオール '''海賊部隊''' * アイーダ・スルガン * カーヒル・セイント * クリム・ニック * ドニエル・トス * 副長 * ステア * ギゼラ * ハッパ * アダム・スミス * クレン・モア * マキ・ソール * ジャマ・デリア * レッセル・ブラン * アネッテ・ソラ * メディー・ススン * キラン・キム * ルアン * オリバー '''アメリア''' * ミック・ジャック * グシオン・スルガン * ズッキーニ・ニッキーニ '''トワサンガ''' * ノウトゥ・ドレット * ターボ・ブロッキン * マッシュナー・ヒューム * ロックパイ・ゲティ * リンゴ・ロン・ジャマノッタ * ガヴァン・マグダラ * フラミニア・カッレ * ロルッカ・ビスケス * ミラジ・バルバロス * ジャン・ビョン・ハザム '''ビーナス・グロゥブ''' * キア・ムベッキ * チッカラ・デュアル * クン・スーン * エル・カインド * ヤーン・ジシャール * ローゼンタール・コバシ * ラ・グー == 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』シリーズ == ここには、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』におけるP.D.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 === 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ === ここには、[[テレビアニメ]]『[[機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]]』に登場する人物を挙げる。 '''鉄華団 / CGS参番組''' * 三日月・オーガス * オルガ・イツカ * ビスケット・グリフォン * ユージン・セブンスターク * 昭弘・アルトランド * ノルバ・シノ * タカキ・ウノ * ライド・マッス * ヤマギ・ギルマトン * ダンジ・エイレイ * チャド・チャダーン * ダンテ・モグロ * エンビ * エルガー * トロウ * イーサン * ウタ * ガット・ゼオ * ディオス・ミンコ * ハッシュ・ミディ * ザック・ロウ * デイン・ウハイ * メイル * ヒルメ * ラックス * トリィ * ラディーチェ・リロト '''CGS(クリュセ・ガード・セキュリティ)''' * ナディ・雪之丞・カッサパ * マルバ・アーケイ * トド・ミルコネン * ササイ・ヤンカス * ハエダ・グンネル * デクスター・キュラスター '''クリュセ''' * クーデリア・藍那・バーンスタイン * アトラ・ミクスタ * フミタン・アドモス * ノーマン・バーンスタイン * 朋巳・バーンスタイン * ハバ * クッキー・グリフォン * クラッカ・グリフォン * 桜・プレッツェル * フウカ・ウノ * オルクス * ククビータ・ウーグ * 暁 '''ギャラルホルン''' * マクギリス・ファリド / モンターク * ガエリオ・ボードウィン * クランク・ゼント * アイン・ダルトン * コーラル・コンラッド * オーリス・ステンジャ * カルタ・イシュー * コーリス・ステンジャ * 石動・カミーチェ * ラスタル・エリオン * イオク・クジャン * ジュリエッタ・ジュリス * ヴィダール * ヤマジン・トーカ * 新江・プロト * ライザ・エンザ * イズナリオ・ファリド * ガルス・ボードウィン * アルミリア・ボードウィン * ネモ・バクラザン * エレク・ファルク '''テイワズ''' * 名瀬・タービン * アミダ・アルカ * ラフタ・フランクランド * アジー・グルミン * エーコ・タービン * ビルト・タービン * クロエ・タービン * エヴァ・タービン * マクマード・バリストン * メリビット・ステープルトン * ジャスレイ・ドノミコルス '''ブルワーズ''' * クダル・カデル * 昌弘・アルトランド * ブルック・カバヤン * ビトー * アストン→アストン・アルトランド * デルマ→デルマ・アルトランド * ペドロ '''夜明けの地平線団''' * サンドバル・ロイター '''ドルトコロニー群''' * サヴァラン・カヌーレ * ナボナ・ミンゴ * ソウ・カレ * ニナ・ミヤモリ * ハジメ・ツジ '''アーブラウ''' * 蒔苗東護ノ介 * アンリ・フリュウ * ラスカー・アレジ '''その他''' * ノブリス・ゴルドン * アリウム・ギョウジャン * ガラン・モッサ === 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 月鋼 === ここには、公式外伝作品『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 月鋼』に登場する人物を挙げる。 '''タントテンポ''' * アルジ・ミラージ * ヴォルコ・ウォーレン * リナリア・モルガトン * テッド・モルガトン(ダディ・テッド) * ブブリオ・インシンナ * ジャンマルコ・サレルノ * ロザーリオ・レオーネ '''ギャラルホルン''' * ヴィル・クラーセン * ジルト・ザルムフォート * ザザ・フォッシル(ザディエル・ザムルフォート) * ミーナ・セルリアン(ミーナ・ザムルフォート) * デイラ・ナディラ * ジジル・ジジン '''その他''' * サンポ・ハクリ * ユハナ・ハクリ * ナナオ・ナロリナ * キム・セルリアン === 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ウルズハント === ここには、公式スピンオフ作品『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ ウルズハント』に登場する人物を挙げる。 * ウィスタリオ・アファム * デムナー・キタコ・ジュニア * コルナル・コーサ * レンジー・ダブリスコ * シクラーゼ・マイアー * 598 * タマミ・ラコウ * ローム・ザン * アイコー・ザン * カチュア・イノーシー == 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』シリーズ == ここには、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』におけるA.S.を世界観とする作品に登場する人物を挙げる。 === 機動戦士ガンダム 水星の魔女 === ここには、テレビアニメ『[[機動戦士ガンダム 水星の魔女]]』に登場する人物を挙げる。 '''アスティカシア高等専門学園''' * スレッタ・マーキュリー * ミオリネ・レンブラン * グエル・ジェターク * エラン・ケレス * シャディク・ゼネリ * ニカ・ナナウラ * チュアチュリー・パンランチ * ラウダ・ニール * フェルシー・ロロ * ペトラ・イッタ * セセリア・ドート * ロウジ・チャンテ * マルタン・アップモント * ヌーノ・カルガン * オジェロ・ギャベル * ティル・ネイス * リリッケ・カドカ・リパティ * アリヤ・マフヴァーシュ * カミル・ケーシンク '''ベネリットグループ / MS開発評議会''' * デリング・レンブラン * ラジャン・ザヒ * ケナンジ・アベリー * サリウス・ゼネリ * ヴィム・ジェターク * ニューゲン * カル * ネボラ * ゴルネリ * ベルメリア・ウィンストン * プロスぺラ・マーキュリー * ゴドイ・ハイマノ '''フォルドの夜明け''' * ナジ・ゲオル・ヒジャ * ソフィ・プロネ * ノレア・デュノク * オルコット * ベッシ・エンリケ * グリスタン・ディンバリ * フィリップ・クー * マチェイ・ガオ * ジャリル・リ・ナランカ * シーシア * セド・ワンチェク '''宇宙議会連合''' * フェン・ジュン * グストン・パーチェ === 機動戦士ガンダム 水星の魔女 PROLOGUE === ここには、上映アニメ『[[機動戦士ガンダム 水星の魔女#PROLOGUE|機動戦士ガンダム 水星の魔女 PROLOGUE]]』に登場する人物を挙げる。 '''ヴァナディース機関''' * エリクト・サマヤ * エルノラ・サマヤ * ナディム・サマヤ * カルド・ナボ * ナイラ・バートラン * ウェンディ・オレント '''モビルスーツ開発評議会''' * デリング・レンブラン * サリウス・ゼネリ * ヴィム・ジェターク * ラジャン・ザヒ * ケナンジ・アベリー === 機動戦士ガンダム 水星の魔女(小説) === ここには、小説版『機動戦士ガンダム 水星の魔女』に登場する人物を挙げる。 * ユーシュラー・ミルザハニ * ヤヤ・フルーネフェルト * ユーシェタス・ミルザハニ * グレイス・チェイン * レンヴァス・クアイン === 機動戦士ガンダム 水星の魔女 ヴァナディースハート === ここには、外伝『機動戦士ガンダム 水星の魔女 ヴァナディースハート』に登場する人物を挙げる。 * ヴィルダ・ミレン * キユウ・ラボット == ガンプラバトル作品 == ここには、ガンプラバトルを扱う世界観に登場する登場人物を挙げる。 === 模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG === ここには、映像作品『[[模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG]]』の登場人物を挙げる。 * イレイ・ハル * サカザキ・ケンタ * ノヤマ・リナ * コウジ・マツモト * ボリス・シャウアー * 店長 * タツ・シマノ * イレイ・ヒノデ * イレイ・ウララ * ダイアン・リー * サム ==== 模型戦士ガンプラビルダーズJ ==== ここには、『[[模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG#模型戦士ガンプラビルダーズJ|模型戦士ガンプラビルダーズJ]]』の登場人物を挙げる。 * ネッキ・タケル * アリスガワ・ヒカリ * フィリア・コンティーニ ==== 模型戦士ガンプラビルダーズD ==== ここには、『[[模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG#模型戦士ガンプラビルダーズD|模型戦士ガンプラビルダーズD]]』の登場人物を挙げる。 * アスメ・シンゴ * ミシマ・サキ * ミシマ・ダイユウ * ミシマ・ライ === ガンダムビルドファイターズ === ここには、テレビアニメ『[[ガンダムビルドファイターズ]]』の登場人物を挙げる。 '''主人公とその家族''' * イオリ・セイ * レイジ(アリーア・フォン・レイジ・アスナ) * イオリ・リン子 * イオリ・タケシ '''私立聖鳳学園''' * コウサカ・チナ * ユウキ・タツヤ(三代目メイジン・カワグチ) * ゴンタ・モンタ * オオタケ・アケミ * サメジマ・ユカリ '''第7回ガンプラバトル選手権参加者''' * サザキ・ススム * ヤサカ・マオ * リカルド・フェリーニ * キララ/ミホシ * アラン・アダムス * アイラ・ユルキアイネン * ニルス・ニールセン * グレコ・ローガン * カトウ * ガウェイン・オークリー * カルロス・カイザー * ルワン・ダラーラ * レナート兄弟(マリオ・レナート、フリオ・レナート) * ライナー・チョマー * ジョン・エアーズ・マッケンジー * ジュリアン・マッケンジー '''その他''' * ラルさん * 珍庵 * ナイン・バルト * ヤジマ・キャロライン * セバスチャン * ミサキ * 辰三 * マシタ会長 * ベイカー * C * ヨセフ・カンカーンシュルヤ ==== ガンダムビルドファイターズ炎 ==== ここには、[[ガンプラ|模型]]企画『[[ガンダムビルドファイターズの外伝#ガンダムビルドファイターズ炎|ガンダムビルドファイターズ炎]]』の登場人物を挙げる。 * コウエン・ユウセイ(紅炎 勇星) * ナルミ・イコ(鳴海 イコ) * セイラ・マスオ * ソガ・ショウタ(蘇我 勝太) * マツシタ・トシカツ * ワイユー * 謎の男マスタージャパン * ムカサ・カツヒロ * クサカ・ハルカ * JUN美(ジュンみ) ==== ガンダムビルドファイターズD(ドキュメント) / A(アメイジング) / AR(アメイジングレディ) ==== ここには、模型企画及び漫画『[[ガンダムビルドファイターズの外伝#ガンダムビルドファイターズD(ドキュメント) / A(アメイジング) / AR(アメイジングレディ) / AT(アメイジングトライ)|ガンダムビルドファイターズD(ドキュメント) / A(アメイジング) / AR(アメイジングレディ)]]』の登場人物を挙げる。 * ユウキ・タツヤ * サツキ・トオル * クラモチ・ヤナ * アーロン・アッカーソン * アラン・アダムス * ジュリアン・マッケンジー * ジョン・エアーズ・マッケンジー * エレオノーラ・マクガバン * コシナ・カイラ * キヨタカ・フォン・アヴェーヌ * アキヤマ・レマ/X * ソメヤ・ショウキ * XX(ダブルエックス) ==== ガンダムビルドファイターズ プラモダイバー キット&ビルト ==== ここには、漫画『[[ガンダムビルドファイターズの外伝#ガンダムビルドファイターズ プラモダイバー キット&ビルト|ガンダムビルドファイターズ プラモダイバー キット&ビルト]]』の登場人物を挙げる。 * 天神キット(てんじん キット) * 館山ビルト(たてやま ビルト) * 烈風ガンマ(れっぷう ガンマ) * ガルボ * カチコミの政(カチコミのまさ) === ガンダムビルドファイターズトライ === ここには、テレビアニメ『[[ガンダムビルドファイターズトライ]]』の登場人物を挙げる。 '''聖鳳学園ガンプラバトル部チーム「トライ・ファイターズ」及び関係者''' * カミキ・セカイ * コウサカ・ユウマ * ホシノ・フミナ * カミキ・ミライ * ラルさん * コウサカ・チナ * ホシノ・マリカ '''聖鳳学園''' * ミヤガ・ダイキ * シノダ・エリ * フナキ・サトミ '''聖オデッサ女子学園チーム「北宋の壺」及び関係者''' * サザキ・カオルコ * シグレ・マヒル * サノ・ケイコ * サザキ・タテオ '''都立成練高専科学部チーム「SRSC」''' * イシバシ・ダイゴ * ニシカワ・ショータ * オカモト・ユキオ '''宮里学院高校チーム「Gマスター」''' * スドウ・シュンスケ * サカシタ・ヨミ * ヤス・メグタ * スガ・アキラ '''区立常冬中学チーム「フェイス」''' * イズナ・シモン * マスダ・ゴロウ * タニオカ・コウジ * イズナ・マモル '''私立ガンプラ学園チーム「ソレスタルスフィア」''' * キジマ・ウィルフリッド * アドウ・サガ * キジマ・シア * アラン・アダムス '''我梅学院チーム「ホワイトウルフ」''' * マツナガ・ケンショウ * コシバ・ミノル * ウズキ・ヨシキ '''本牧学園チーム「グレート・K」''' * カリマ・ケイ '''統立学園チーム「SD-R」''' * シキ・トシヤ * シキ・ノブヤ * シキ・カズヤ '''天大寺学園チーム「ビルドバスターズ」''' * サカイ・ミナト * イサカ・ヒデオ * サトウ・ハルト * コデラ・マサミ '''グラナダ学園チーム「フォン・ブラウン」''' * ルーカス・ネメシス * アイバ・タイキ * トミタ・ルイ * スリガ '''天山学園チーム「タイタン」''' * イノセ・ジュンヤ * タジマ・タクヤ * ナリタ・ヒカル '''その他''' * 三代目メイジン・カワグチ(ユウキ・タツヤ) * レディ・カワグチ * ミホシ * ヤジマ・ニルス * ヒビキ * TAKU(タク) * カリン * イオリ・セイ ==== ガンダムビルドファイターズ炎トライ ==== ここには、模型企画『[[ガンダムビルドファイターズの外伝#ガンダムビルドファイターズ炎トライ|ガンダムビルドファイターズ炎トライ]]』の登場人物を挙げる。 * ソウマ・ツバサ * コウエン・ユウセイ(紅炎 勇星) * コウエン・ユウカ * ムトウ・ダイチ == SDガンダム作品 == ここには、[[SDガンダム]]を世界観とする舞台に登場する人物を挙げる。 === SDガンダム ムシャジェネレーション === ここには、漫画『[[SDガンダム ムシャジェネレーション]]』の登場人物を挙げる。 '''天主''' * 射亜 * 珠童 * 月姫 * 緋色 * 侶蘭 '''黒の武士団''' * 東方不敗 * 弐無馬守 === SDガンダム英雄伝 === ここには、漫画『[[SDガンダム英雄伝]]』の登場人物を挙げる。 '''ラクロア''' * オルドー・ロード * シルフィ・ミズリア * シズ・ミズリア * フレイ・リーデンス * フレッド・ロード * マイン・ロード * ランド・ストーン '''天宮''' * 紫苑華月 * 真導大善 * 真導勇座 * 真導雷破 * 竜童寺天承 * 遊嶺斎我山 '''ザード''' * カイオス・マーク・クロウ * ヒム・サークリッド・ザード29世 '''東方侵攻軍''' * ディスティーナ * ブレストン * ラファエル * ローカイ '''西方侵攻軍''' * インエイ * ザンシュ * ドウカツ * レンカ '''魔凶星''' * ウォール * サー・クイシー * ペディア == 関連項目 == * [[ニュータイプ・強化人間の一覧]] * [[架空のものの一覧の一覧]] {{ガンダムシリーズ}} [[Category:ガンダムシリーズの登場人物の一覧|*]]
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化学者
化学者(かがくしゃ)は、主として化学を研究する研究者である。 化学を意味する"chemistry"は、ギリシア語の「雑多な素材を混ぜ合わせる」という言葉から由来したといわれるが、その本来の語源はアラビア語(كيمياءまたはالكيمياء)である。日本語では19世紀末頃まで「舎密学(せいみがく)」と表記したこともある。 語源的には、alchemist(錬金術師、中世の神秘的化学者)と同じ。最初のもっとも著名な化学者は、バーゼル大学医学部の教授だったといわれるパラケルススで、彼はタロット占いのカードの1に描かれている「魔法使い」のモデルとしても知られている。 現在では、意味は化学に携わる研究者のことに限られる。他の学問領域との境界領域に携わっている場合、どう呼ぶかについての明確な定義はない。時折同音の科学者と取り違えられたり混同される場合があるが、科学と化学は分野の内容や範疇および定義が異なる。 化学者というと「長い白衣を着て、手に試験管を持つ」というステレオタイプがあるが、実際にはそのような化学者は少ない。長白衣は「袖を引っ掛けるため、瓶や器具を転倒させるため危険」とされ、基本的にはニチェット式の(医師等が着用する)白衣を着用する。元々は指示薬の染みをつけないようにするものであるから、割烹着以上の意味はない。また、試験管で反応させることは稀で、通常はガラス器具を組み立てて実験する。
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{{出典の明記|date=2017年2月22日 (水) 03:13 (UTC)}} [[Image:Julie Perkins at LLNL.jpg|frame|right|ステレオタイプな化学者の例]] '''化学者'''(かがくしゃ)は、主として[[化学]]を研究する[[研究者]]である。 化学を意味する"chemistry"は、[[ギリシア語]]の「雑多な素材を混ぜ合わせる」という言葉から由来したといわれるが、その本来の語源は[[アラビア語]](كيمياءまたはالكيمياء)である。[[日本語]]では19世紀末頃まで「[[舎密]]学(せいみがく)」と表記したこともある。 語源的には、alchemist([[錬金術]]師、[[中世]]の神秘的化学者)と同じ。最初のもっとも著名な化学者は、[[バーゼル大学]][[医学部]]の[[教授]]だったといわれる[[パラケルスス]]で、彼は[[タロット占い]]のカードの1に描かれている「魔法使い」のモデルとしても知られている。 現在では、意味は[[化学]]に携わる研究者のことに限られる。他の学問領域との境界領域に携わっている場合、どう呼ぶかについての明確な定義はない。時折同音の科学者と取り違えられたり混同される場合があるが、[[科学]]と化学は分野の内容や範疇および定義が異なる。 化学者というと「長い白衣を着て、手に[[試験管]]を持つ」という[[ステレオタイプ]]があるが、実際にはそのような化学者は少ない。長白衣は「袖を引っ掛けるため、瓶や器具を転倒させるため危険」とされ、基本的にはニチェット式の(医師等が着用する)白衣を着用する。元々は指示薬の染みをつけないようにするものであるから、割烹着以上の意味はない。また、試験管で反応させることは稀で、通常はガラス器具を組み立てて実験する。 == 関連項目 == * [[化学者の一覧]] * [[ノーベル化学賞]] == 外部リンク == * [http://www.scs.uiuc.edu/~mainzv/Web_Genealogy/ Chemical Genealogy] - 化学者の系統樹。 {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かかくしや}} [[Category:化学者|*]] [[Category:科学関連の職業]]
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名人
名人(めいじん)
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名人(めいじん) 一芸に秀でて、名のある人のこと。「落語の名人」などと使う。 テーブルゲームにおける選手権の勝利者の得る称号。「名人位」。原義は囲碁・将棋で九段の技量のある人を、同職の間で推した称。江戸時代、幕府が名乗りを許した。 名人 (囲碁) - 囲碁のかつての家元、現在のタイトル称号。 名人 (将棋) - 将棋のかつての家元、現在のタイトル称号。同項目および名人戦 (将棋)を参照。 名人 - オセロのタイトルの一つ。オセロ (ボードゲーム)#オセロ日本国内タイトルを参照。 名人 - 競技かるたの日本一男性の称号。名人・クイーンを参照。 名人 - 連珠の日本一選手の称号。名人戦 (連珠)を参照。 名人 - 競技麻雀でかつて存在したタイトル。古川凱章、井出洋介などが獲得した。 名人 (小説) - 川端康成の小説作品。囲碁の名人の引退対局を観戦記者として綴った。 高橋名人、桜田名人、毛利名人 - ファミコン名人の称号および通称。 川口名人 - BANDAI SPIRITSの社員(モデラー)、川口克己の通称。 芹澤名人 - お笑いタレント・俳優
{{Wiktionary}} '''名人'''(めいじん) * 一芸に秀でて、名のある人のこと<ref name="koujien">広辞苑第六版「名人」</ref>。「[[落語]]の名人」などと使う。 * [[テーブルゲーム]]における選手権の勝利者の得る[[称号]]<ref name="koujien" />。「名人位」。原義は囲碁・将棋で九段の技量のある人を、同職の間で推した称<ref name="koujien" />。江戸時代、幕府が名乗りを許した<ref name="koujien" />。 ** [[名人 (囲碁)]] - [[囲碁]]のかつての家元、現在のタイトル称号。 ** [[名人 (将棋)]] - [[将棋]]のかつての家元、現在のタイトル称号。同項目および[[名人戦 (将棋)]]を参照。 ** 名人 - [[オセロ (ボードゲーム)|オセロ]]のタイトルの一つ。[[オセロ (ボードゲーム)#オセロ日本国内タイトル]]を参照。 ** 名人 - [[競技かるた]]の日本一男性の称号。[[名人・クイーン]]を参照。 ** 名人 - [[連珠]]の日本一選手の称号。[[名人戦 (連珠)]]を参照。 ** 名人 - [[競技麻雀]]でかつて存在したタイトル。[[古川凱章]]、[[井出洋介]]などが獲得した。 * [[名人 (小説)]] - [[川端康成]]の小説作品。囲碁の名人の引退対局を[[観戦記者]]として綴った。 ; 人名 * [[高橋名人]]、[[桜田名人]]、[[毛利名人]] - [[ファミコン名人]]の称号および通称。 * 川口名人 - [[BANDAI SPIRITS]]の社員([[モデラー (模型)#プロモデラー|モデラー]])、[[川口克己]]の通称。 * [[芹澤名人]] - お笑いタレント・俳優 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[名人戦]] - 曖昧さ回避ページ * [[名人劇場]] - 曖昧さ回避ページ * [[名人伝]] - 小説 {{aimai}} {{デフォルトソート:めいしん}} [[Category:文化・芸術の称号]] [[Category:社会的な称号]]
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排他的論理和
排他的論理和(はいたてきろんりわ、英: exclusive or / exclusive disjunction)とは、ブール論理や古典論理、ビット演算などにおいて、2つの入力のどちらか片方が真でもう片方が偽の時には結果が真となり、両方とも真あるいは両方とも偽の時は偽となる演算(論理演算)である。XOR、EOR、EX-OR(エクスオア、エックスオア、エクソア)などと略称される。 中置演算子のある体系では、中置演算子を利用した中置記法により表記されることが多い。演算子は ⊻ {\displaystyle \veebar } (Unicode: U+22BB ⊻)、 ∨ ̇ {\displaystyle {\dot {\vee }}} 。誤解のおそれがないときは、XOR、xor、 ⊕ {\displaystyle \oplus } (Unicode: U+2295 ⊕)、+、≠ なども使われる。 論理学などでは ⊻ {\displaystyle \veebar } を使用して P ⊻ Q {\displaystyle P\veebar Q} と書くことが多く、論理回路などでは ⊕ {\displaystyle \oplus } を使用して A ⊕ B {\displaystyle A\oplus B} と書くことが多い。 記号を使った中置演算子としては ^ や @ などが使われることが多く、キーワードが演算子になるような言語では XOR や xor などが使われることが多い。 「私の身長は160cm以上である」と「私の体重は52kg未満である」の二つの命題の排他的論理和は、これらのうち一方のみが成り立つことであるから、「私は身長160cm以上であり体重が52kg以上である。あるいは、私は身長160cm未満であり体重が52kg未満である。」となる。 なお、2つの命題 A, B について共通部分 A ∧ B が空集合であれば、排他的論理和は論理和と同じになる。例えば A = 「私の身長は160cmである」と B = 「私の身長は170cmである」は同時に成立することはない(共通部分が空である)ので、(A xor B) は (A ∨ B) と同じく「私の身長は160cmまたは170cmのいずれか一方である」となる。 排他的論理和は、論理和、論理積、否定を用いて、 などと表すことができる。 2を法とする剰余体 Z / [ 2 ] {\displaystyle \mathbb {Z} /[2]} での加算(この体では加算と減算は等しい)は、0 を偽、1 を真とみなすと、排他的論理和となる。つまり、偶数 (0, 偽) どうしまたは奇数 (1, 真) どうしを加えると偶数 (0, 偽) になり、偶数 (0, 偽) と奇数 (1, 真) を加えると奇数 (1, 真) になる。 2進数表現した数値の各ビットに対し、0 を偽、1 を真とみなして排他的論理和を求めた結果を、ビットごとの排他的論理和、排他的ビット和、または単に排他的論理和と呼ぶ。 ビットごとの排他的論理和は、桁上がりを無視した2進数の加算の結果と等しい。つまり、ビットごとの排他的論理和は、2 の冪を位数とする有限体 G F ( 2 n ) {\displaystyle \mathrm {GF} (2^{n})} での加減算(この体では加算と減算は等しい)に等しい。(なお、2を法とする剰余体 Z / [ 2 ] {\displaystyle \mathbb {Z} /[2]} は、位数2の有限体 G F ( 2 ) {\displaystyle \mathrm {GF} (2)} である。) 1 桁の2進数の排他的論理和は、半加算器の一部である。 排他的論理和とビットごとの排他的論理和とは、異なることがある。0(偽)と 1(真)については、排他的論理和とビットごとの排他的論理和は等しい。しかし、0 でない値が全て真とみなされる環境や、0 でない値が真 (1) に暗黙の型変換される環境では、0 と 1 以外の値に対しても(ビットごとでない)排他的論理和を求めることができ、結果は一般にはビットごとの排他的論理和とは異なるので注意が必要である。 ビットごとの排他的論理和は、コンピュータ上でビット演算を行っている場合に、特定のビットだけを反転させるのによく用いられる。ある数値と、その数値のビットを反転させたい部分を 1 にした数値との排他的論理和をとると、指定した部分が反転した数値が得られる: 多くのプロセッサで、レジスタをゼロにする場合に、直接ゼロをレジスタへ転送するより、自分自身とのXORをとってゼロとするほうが有利な場合がある。 主に以下の条件が成立する場合、言語処理系が最適化の一環としてXORを用いる。 ビットごとの排他的論理和によって、多数の入力における偽の個数の奇数・偶数(パリティ)が検出できるので、誤り検出に用いられる。この目的で排他的論理和(論理ゲート)を樹枝状に接続した回路をパリティツリーという。 ビットごとの排他的論理和は特定ビットの反転操作なので、2回繰り返せば元に戻る。つまり これは、結合法則によって、次のとおりに証明できる。 この性質は便利であって、さまざまな応用がある。単純なものでは、(現代では有用性はほとんどないが)2個のレジスタの内容を他の資源を使わず交換できる「XOR交換アルゴリズム」があり、データ構造では「XOR連結リスト」がある。 K {\displaystyle K} を鍵とする暗号に使うこともできる。平文を P {\displaystyle P} とすると、 P ⊕ K {\displaystyle P\oplus K} を暗号文とすることができる。 先の例でいえば、平文 0011 ( 2 ) {\displaystyle 0011_{(2)}} が鍵 0110 ( 2 ) {\displaystyle 0110_{(2)}} を使って暗号文 0101 ( 2 ) {\displaystyle 0101_{(2)}} に変換され、次のとおり同一の鍵を使って暗号文から平文に復号できる。 バーナム暗号は、この性質を利用した暗号である。一般に鍵交換問題があることから、短い鍵を元にした何らかの数列を使うことも多いが、ワンタイムパッドによるバーナム暗号には原文と同じ長さの鍵(そのような大量の情報量をもつものは、もはや運用上は「鍵」とはいえないが)が必要である。解読が絶対に不可能(理論的に、どのような解読結果も同様に確からしいものになってしまう)という意味では最強の暗号であるが、暗号の利用は運用の面も含めて総合的に判断しなければならないものであり、鍵の事前共有とその秘匿に必要な多大なコストが大きな難点である。 排他的論理和と2進数表記を用いて、三つ山崩し(ニム)の必勝法を導くことができる。
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排他的論理和とは、ブール論理や古典論理、ビット演算などにおいて、2つの入力のどちらか片方が真でもう片方が偽の時には結果が真となり、両方とも真あるいは両方とも偽の時は偽となる演算(論理演算)である。XOR、EOR、EX-OR(エクスオア、エックスオア、エクソア)などと略称される。
{{Redirect3|XOR|論理演算|論理回路|XORゲート}} [[ファイル:Venn-Diagram-XOR.png|thumb|ベン図による排他的論理和<math>P \veebar Q</math>]] '''排他的論理和'''(はいたてきろんりわ、{{Lang-en-short|exclusive or / exclusive disjunction}})とは、[[ブール論理]]や[[古典論理]]、[[ビット演算]]などにおいて、2つの入力のどちらか片方が真でもう片方が偽の時には結果が真となり、両方とも真あるいは両方とも偽の時は偽となる演算([[論理演算]])である。'''XOR'''、'''EOR'''、'''EX-OR'''(エクスオア、エックスオア、エクソア)などと略称される。 == 表記法 == 中置演算子のある体系では、中置演算子を利用した[[中置記法]]により表記されることが多い。[[演算子]]は <math>\veebar</math> ([[Unicode]]: U+22BB ⊻)、<math>\dot\vee</math>。誤解のおそれがないときは、XOR、xor、<math>\oplus</math> (Unicode: U+2295 ⊕)、[[+]]、[[≠]] なども使われる。 [[論理学]]などでは <math>\veebar</math> を使用して <math>P \veebar Q</math> と書くことが多く、[[論理回路]]などでは <math>\oplus</math> を使用して <math>A \oplus B</math> と書くことが多い。 === プログラミング言語 === 記号を使った中置演算子としては <code>^</code> や <code>@</code> などが使われることが多く、キーワードが演算子になるような言語では <code>XOR</code> や <code>xor</code> などが使われることが多い。 :<code>z = x ^ y;</code> :<code>z = x xor y;</code> == 例 == 「私の身長は160cm以上である」と「私の体重は52kg未満である」の二つの命題の排他的論理和は、これらのうち一方のみが成り立つことであるから、「私は身長160cm以上であり体重が52kg以上である。あるいは、私は身長160cm未満であり体重が52kg未満である。」となる。 なお、2つの命題 ''A'', ''B'' について[[共通部分 (数学)|共通部分]] ''A'' ∧ ''B'' が[[空集合]]であれば、排他的論理和は[[論理和]]と同じになる。例えば ''A'' = 「私の身長は160cmである」と ''B'' = 「私の身長は170cmである」は同時に成立することはない(共通部分が空である)ので、(''A'' xor ''B'') は (''A'' ∨ ''B'') と同じく「私の身長は160cmまたは170cmのいずれか一方である」となる。 {{See also|対称差}} == 性質 == 排他的論理和は、[[論理和]]、[[論理積]]、[[否定]]を用いて、 :<math>P \veebar Q = (P \land \lnot Q) \lor (\lnot P \land Q)</math> :<math>P \veebar Q = (P \lor Q) \land (\lnot P \lor \lnot Q)</math> :<math>P \veebar Q = (P \lor Q) \land \lnot (P \land Q)</math> などと表すことができる。 ; 真理値表 {| border=1 cellpadding=2 cellspacing=0 style="margin-left:40px" |- style="background-color:#ccc" ! 命題 ''P'' !! 命題 ''Q'' !! ''P ⊻ Q'' |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{yes2|真}}|| {{no2|'''偽'''}} |- align="center" | {{yes2|真}}|| {{no2|偽}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{yes2|真}}|| {{yes2|'''真'''}} |- align="center" | {{no2|偽}}|| {{no2|偽}}|| {{no2|'''偽'''}} |} 2を法とする[[剰余体]] <math>\mathbb{Z} / [2]</math> での加算(この体では加算と減算は等しい)は、0 を偽、1 を真とみなすと、排他的論理和となる。つまり、偶数 (0, 偽) どうしまたは奇数 (1, 真) どうしを加えると偶数 (0, 偽) になり、偶数 (0, 偽) と奇数 (1, 真) を加えると奇数 (1, 真) になる。 == ビットごとの排他的論理和 == [[二進法|2進数]]表現した数値の各[[ビット]]に対し、0 を偽、1 を真とみなして排他的論理和を求めた結果を、'''ビットごとの排他的論理和'''、'''排他的ビット和'''、または単に'''排他的論理和'''と呼ぶ。 {| border=1 cellpadding=2 cellspacing=0 style="margin-left:3em;" ! ⊕ !! 0 !! 1 |- align="center" ! 0 | {{no2|0}} || {{yes2|1}} |- align="center" ! 1 | {{yes2|1}} || {{no2|0}} |} &nbsp;&nbsp; ''P'' = 0011 &nbsp;&nbsp; ''K'' = 0110 ''P'' ⊕ ''K'' = 0101 ビットごとの排他的論理和は、[[位取り記数法|桁上がり]]を無視した2進数の加算の結果と等しい。つまり、ビットごとの排他的論理和は、2 の[[冪乗|冪]]を位数とする[[有限体]] <math>\mathrm{GF}(2^n)</math><!--, n \in \mathbb{N}--> での加減算(この体では加算と減算は等しい)に等しい。(なお、2を法とする剰余体 <math>\mathbb{Z} / [2]</math> は、位数2の有限体 <math>\mathrm{GF}(2)</math> である。) 1 桁の2進数の排他的論理和は、[[加算器#半加算器|半加算器]]の一部である。 <small>排他的論理和とビットごとの排他的論理和とは、異なることがある。0(偽)と 1(真)については、排他的論理和とビットごとの排他的論理和は等しい。しかし、0 でない値が全て真とみなされる環境や、0 でない値が真 (1) に暗黙の[[型変換]]される環境では、0 と 1 以外の値に対しても(ビットごとでない)排他的論理和を求めることができ、結果は一般にはビットごとの排他的論理和とは異なるので注意が必要である。</small> === ビット演算 === ビットごとの排他的論理和は、コンピュータ上で[[ビット演算]]を行っている場合に、特定のビットだけを反転させるのによく用いられる。ある数値と、その数値のビットを反転させたい部分を 1 にした数値との排他的論理和をとると、指定した部分が反転した数値が得られる: :<math>0011_{(2)} \oplus 0110_{(2)} = 0101_{(2)}</math> 多くの[[プロセッサ]]で、レジスタをゼロにする場合に、直接ゼロをレジスタへ転送するより、自分自身とのXORをとってゼロとするほうが有利な場合がある。 :<math>X \oplus X = 0</math> 主に以下の条件が成立する場合、[[言語プロセッサ|言語処理系]]が[[最適化_(情報工学)|最適化]]の一環としてXORを用いる。 * 即値のゼロを省略することにより、コードサイズが削減できる。 * 処理がレジスタと[[演算装置#ALU|ALU]]のみで完結するので、サイクル数や消費電力が削減できる。 * XOR演算による[[フラグ_(コンピュータ)|フラグ]]変化がその後の処理に不利な影響を残さない。 ビットごとの排他的論理和によって、多数の入力における偽の個数の[[奇数]]・[[偶数]]([[偶奇性|パリティ]])が検出できるので、[[誤り検出]]に用いられる。この目的で排他的論理和([[論理ゲート]])を樹枝状に接続した回路をパリティツリーという。 ビットごとの排他的論理和は特定ビットの反転操作なので、2回繰り返せば元に戻る。つまり :<math>(P \oplus K) \oplus K = P</math> これは、[[結合法則]]によって、次のとおりに証明できる。 :<math>(P \oplus K) \oplus K = P \oplus (K \oplus K) = P</math> この性質は便利であって、さまざまな応用がある。単純なものでは、(現代では有用性はほとんどないが)2個のレジスタの内容を他の資源を使わず交換できる「[[XOR交換アルゴリズム]]」があり、データ構造では「[[XOR連結リスト]]」がある。 === 暗号 === <math>K</math> を鍵とする[[暗号]]に使うこともできる。平文を <math>P</math> とすると、<math>P \oplus K</math> を暗号文とすることができる。 先の例でいえば、平文 <math>0011_{(2)}</math> が鍵 <math>0110_{(2)}</math> を使って暗号文 <math>0101_{(2)}</math> に変換され、次のとおり同一の鍵を使って暗号文から平文に復号できる。 :<math>0101_{(2)} \oplus 0110_{(2)} = 0011_{(2)}</math> [[バーナム暗号]]は、この性質を利用した暗号である。一般に鍵交換問題があることから、短い鍵を元にした何らかの数列を使うことも多いが、[[ワンタイムパッド]]によるバーナム暗号には原文と同じ長さの鍵(そのような大量の情報量をもつものは、もはや運用上は「鍵」とはいえないが)が必要である。[[情報理論的安全性|解読が絶対に不可能]](理論的に、どのような解読結果も同様に確からしいものになってしまう)という意味では最強の暗号であるが、暗号の利用は運用の面も含めて総合的に判断しなければならないものであり、鍵の事前共有とその秘匿に必要な多大なコストが大きな難点である。 === その他 === 排他的論理和と2進数表記を用いて、三つ山崩し([[ニム]])の必勝法を導くことができる。 == 関連項目 == *[[真理値]] *[[真理値表]] *[[ブール代数]] *[[ブール論理]] *[[ブール関数]] *[[ベン図]] *[[対称差]] *[[選言三段論法]] *[[選言肯定]] *[[XOR交換アルゴリズム]]、[[XOR連結リスト]] *[[マスク (情報工学)]] {{論理演算}} {{Common logical symbols}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はいたてきろんりわ}} [[Category:論理結合子]] [[Category:デジタル回路]] [[Category:二分法]] [[Category:数学に関する記事]]
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条件文
条件文(じょうけんぶん)
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条件文(じょうけんぶん) 論理包含 - 論理演算の1つ if文 - プログラミング言語やアルゴリズムでの制御構文の1つ 条件法を使った文
{{WikipediaPage||Help:条件文}} '''条件文'''(じょうけんぶん) *[[論理包含]] - [[論理演算]]の1つ *[[if文]] - [[プログラミング言語]]や[[アルゴリズム]]での[[制御構文]]の1つ *[[条件法]]を使った文 {{aimai}} {{デフォルトソート:しようけんふん}}
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ベルモントステークス
ベルモントステークス(Belmont Stakes)はアメリカクラシック三冠の3冠目として、ニューヨーク州にあるベルモントパーク競馬場のダート1マイル1/2(12ハロン・約2414メートル)で行われる競馬の競走である。 アメリカンジョッキークラブの初代総帥であり、第1回が開催されたジェロームパーク競馬場(英語版)の創設にも関わったオーガスト・ベルモントからこの競走名が付けられた。例年6月の第1土曜日、プリークネスステークスの3週間後に行われる。出走条件は3歳限定だが、ケンタッキーダービーやプリークネスステークスと同様に騸(せん)馬の出走も可能である。 距離については何度か変更されているが、1926年から現在の12ハロンに固定され三冠競走で最長距離であり、「テスト・オブ・チャンピオン」という異名がある。大半の出走馬にとって初の長距離戦であり、セクレタリアトの31馬身差をはじめ大差で決着することも少なくない。 競走の前に『ニューヨーク・ニューヨーク』を観客全員で歌うのが習慣となっている。 優勝馬にはホワイトカーネーションのレイが掛けられ、優勝馬のオーナーにはティファニーによってデザインされた銀製のトロフィーが贈られる。 ベルモントステークスが創設されたのは1867年のことで、第1回はニューヨークのブロンクス区にあったジェロームパーク競馬場において開催された。これはアメリカの三冠競走では最も古い創設であり、現存する北アメリカの競馬競走においても4番目に古い競走でもある。 競走名は開催資金を提供したオーガスト・ベルモントにちなんで名付けられたもので、ベルモント自身も同競走に何度も参加し、1869年にフェニアンという馬で制覇している。創設当時の施行距離は1マイル5/8(13ハロン、約2615メートル)で、また右回りの競走であった。 ジェロームパークにおいてのベルモントステークスの開催は1890年までで、翌年以降は近隣のモリスパーク競馬場(英語版)に開催地が移された。モリスパーク時代の1895年、ニューヨーク州ではブックメーカーの締め出しを目的として、競馬産業に対する新たな法規制が検討されていた。このため、モリスパークは1895年のベルモントステークス開催を休止する予定を立て、夏季の競馬場の運営権を別の団体に貸し出してしまった。結局モリスパークは運営の危機を免れたが、同年のベルモントステークスは例年からかなり遅い11月2日に行われている。 1905年にロングアイランドにベルモントパーク競馬場が開設されると、ベルモントステークスの開催も同競馬場に移された。1963年から1967年の間は工事のためアケダクト競馬場での代替開催となったが、それ以外の時期はいずれもベルモントパークにて開催されている。 1908年、ニューヨーク州において賭博関連の規制を強化するハート=アグニュー法(英語版)が成立し、1911年に発効した。これによって競馬を含む賭博行為が禁止されると、ベルモントパークも閉場を余儀なくされ、ベルモントステークスも1911年・1912年の2年間休止している。 1921年にコースの周回が左回りに変更、1926年から距離が1マイル1/2に改められ、以後この条件が定着した。優勝者に贈られる「オーガスト・ベルモント・トロフィー」もこの年から始まった。トロフィーの頂点はオーガスト所有のもと同競走を制した上述のフェニアンの像が乗り、器を下からエクリプス・ヘロド・マッチェムの三大基幹種牡馬の像が支える構図になっている。 1930年にデイリーレーシングフォーム紙において、ギャラントフォックスが3競走を制したことを「三冠」と評する記事が掲載されたことを機に、アメリカクラシック三冠の認識が固定化された。以後、2019年まで三冠競走の最終戦として施行され続けた。 2020年はCOVID-19の影響でケンタッキーダービーとプリークネスステークスの開催が秋シーズンへ大きくずれ込むことになった。これにより、ベルモントステークスは三冠競走の初戦として施行することになり、距離も1マイル1/8に変更された。
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ベルモントステークスはアメリカクラシック三冠の3冠目として、ニューヨーク州にあるベルモントパーク競馬場のダート1マイル1/2(12ハロン・約2414メートル)で行われる競馬の競走である。
{{出典の明記|date=2015年6月}} {{競馬の競走 |馬場 = ダート |競走名 = ベルモントステークス<br />{{Lang|en|Belmont Stakes}}<ref name="IFHA2014"/> |画像 = [[ファイル:Belmont Stakes logo.svg|150px]]<br />[[ファイル:American Pharoah wins 2015 Belmont Stakes.jpg|250px]] |画像説明 = 2015年ベルモントステークス |開催国 = {{Flagicon|USA}}[[アメリカ合衆国の競馬|アメリカ]] |開催地 = [[ベルモントパーク競馬場]] |年次 = 2021 |施行時期 = 6月上旬 |格付け = G1([[1973年]] - ) |1着賞金= |賞金総額 = 150万ドル |距離 = 1[[マイル]]1/2(約2414m) |条件 = [[サラブレッド]]3歳 |負担重量 = 牡馬・せん馬126[[ポンド (質量)|lbs]](約57.2[[キログラム|kg]])<br />牝馬121lbs(約54.9kg) |創設 = [[1867年]][[6月19日]]<ref name="bs150">{{cite web|url=https://www.belmontstakes.com/history/belmont-stakes-150-factoids|title=150 Factoids to Celebrate 150 Years of The Belmont Stakes|publisher=belmontstakes.com|accessdate=2018-06-15}}</ref> }} '''ベルモントステークス'''({{Lang|en|Belmont Stakes}})は[[アメリカクラシック三冠]]の3冠目として、[[ニューヨーク州]]にある[[ベルモントパーク競馬場]]の[[ダート]]1[[マイル]]1/2(12[[ハロン_(単位)|ハロン]]・約2414メートル)で行われる[[競馬の競走]]である。 == 概要 == アメリカンジョッキークラブの初代総帥であり、第1回が開催された{{仮リンク|ジェロームパーク競馬場|en|Jerome Park Racetrack}}の創設にも関わった[[オーガスト・ベルモント]]からこの競走名が付けられた<ref name="bscom">{{cite web|url=https://www.belmontstakes.com/history/past-winners/|title=Past Winners|publisher=belmontstakes.com|accessdate=2018-06-14}}</ref>。例年6月の第1土曜日、[[プリークネスステークス]]の3週間後に行われる<ref name="bs150" />。出走条件は3歳限定だが、[[ケンタッキーダービー]]やプリークネスステークスと同様に[[せん馬|騸(せん)馬]]の出走も可能である。 距離については何度か変更されているが、[[1926年]]から現在の12ハロンに固定され三冠競走で最長距離であり、「テスト・オブ・チャンピオン」という異名がある。大半の出走馬にとって初の長距離戦であり、[[セクレタリアト]]の31[[着差 (競馬)|馬身差]]をはじめ大差で決着することも少なくない。 競走の前に『[[ニューヨーク・ニューヨーク (曲)|ニューヨーク・ニューヨーク]]』を観客全員で歌うのが習慣となっている。 優勝馬には[[カーネーション|ホワイトカーネーション]]のレイが掛けられ、優勝馬のオーナーには[[ティファニー]]によってデザインされた銀製のトロフィーが贈られる<ref name="bstat">{{cite web|url=https://www.belmontstakes.com/history/track-and-traditions|title=Track and Tradition|publisher=belmontstakes.com|accessdate=2018-06-14}}</ref>。 == 歴史 == * [[1867年]] ジェロームパーク競馬場の距離1マイル5/8で創設された。 * [[1870年]] [[エドワード・ダドリー・ブラウン]]騎手が優勝、[[アフリカ系アメリカ人]]として初のクラシック競走制覇<ref name="bs150" />。 * [[1874年]] 距離1マイル1/2に変更。 * [[1871年]] 本馬場入場を導入。北米では初の事例<ref name="bstat" />。 * [[1891年]] 開催地をモリスパーク競馬場に変更。 * [[1895年]] 距離1マイル1/4に変更。 * [[1896年]] 距離1マイル5/8に変更。 * [[1905年]] 開催地を[[ベルモントパーク競馬場]]に変更。 * [[1911年]]、[[1912年]] 中止。 * [[1921年]] 現行の左回りに変更。 * [[1926年]] 現行の距離1マイル1/2に変更。 * [[1963年]]-[[1967年]] [[アケダクト競馬場]]で代替開催。 * [[1973年]] [[セクレタリアト|Secretariat]]が2分24秒0の世界レコードで優勝。 * [[1977年]] [[シアトルスルー|Seattle Slew]]が優勝。史上初の無敗での米三冠を達成。 * [[1990年]] [[ゴーアンドゴー|Go and Go]]が海外調教馬として唯一の優勝。 * [[2007年]] 102年ぶりに牝馬[[ラグズトゥリッチズ|Rags to Riches]]が優勝。本競走では史上3頭目。 * [[2015年]] [[アメリカンファラオ|American Pharoah]]が優勝。37年ぶりに米三冠を達成。 * [[2016年]] [[ラニ (競走馬)|ラニ]]が[[日本]]調教馬として初参戦(3着)。 * [[2018年]] [[ジャスティファイ|Justify]]が優勝。41年ぶりの無敗での米三冠を達成。 * [[2019年]] [[マスターフェンサー]]が史上2頭目の日本調教馬、史上初の日本産馬として参戦(5着)。 * [[2020年]] 新型コロナウイルス感染拡大の影響で2週延期して無観客開催となり、距離も1マイル1/8に変更<ref>{{Cite web|title=Belmont Stakes to be held June 20 — without fans|url=https://www.cbsnews.com/news/belmont-stakes-june-20-no-fans-152nd-running/|website=www.cbsnews.com|language=en-US|access-date=2020-05-20}}</ref>。 * [[2024年]] ベルモントパーク競馬場が改修工事のため、[[サラトガ競馬場]]ダート10ハロンで代替開催予定<ref>[https://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/273813/saratoga-to-host-1-1-4-mile-belmont-stakes-in-2024 Saratoga to Host 1 1/4-Mile Belmont Stakes in 2024]bloodhorse.com、2023年12月6日配信・閲覧</ref>。 ベルモントステークスが創設されたのは1867年のことで、第1回は[[ニューヨーク]]の[[ブロンクス区]]にあったジェロームパーク競馬場において開催された。これはアメリカの三冠競走では最も古い創設であり、現存する[[北アメリカ]]の競馬競走においても4番目に古い競走でもある<ref name="bs150" />。 競走名は開催資金を提供したオーガスト・ベルモントにちなんで名付けられたもので、ベルモント自身も同競走に何度も参加し、1869年にフェニアンという馬で制覇している<ref name="bscom" />。創設当時の施行距離は1マイル5/8(13ハロン、約2615メートル)で、また右回りの競走であった<ref name="bs150" />。 ジェロームパークにおいてのベルモントステークスの開催は1890年までで、翌年以降は近隣の{{仮リンク|モリスパーク競馬場|en|Morris Park Racecourse}}に開催地が移された<ref name="bscom" />。モリスパーク時代の1895年、[[ニューヨーク州]]では[[ブックメーカー]]の締め出しを目的として、競馬産業に対する新たな法規制が検討されていた。このため、モリスパークは1895年のベルモントステークス開催を休止する予定を立て、夏季の競馬場の運営権を別の団体に貸し出してしまった。結局モリスパークは運営の危機を免れたが、同年のベルモントステークスは例年からかなり遅い11月2日に行われている<ref>Richard p.46</ref>。 1905年に[[ロングアイランド]]にベルモントパーク競馬場が開設されると、ベルモントステークスの開催も同競馬場に移された<ref name="bscom" />。[[1963年]]から[[1967年]]の間は工事のため[[アケダクト競馬場]]での代替開催となったが、それ以外の時期はいずれもベルモントパークにて開催されている。 1908年、ニューヨーク州において賭博関連の規制を強化する{{仮リンク|ハート=アグニュー法|en|Hart–Agnew Law}}が成立し、1911年に発効した。これによって競馬を含む賭博行為が禁止されると、ベルモントパークも閉場を余儀なくされ、ベルモントステークスも1911年・1912年の2年間休止している<ref name="bs150" />。 1921年にコースの周回が左回りに変更、1926年から距離が1マイル1/2に改められ、以後この条件が定着した。優勝者に贈られる「オーガスト・ベルモント・トロフィー」もこの年から始まった。トロフィーの頂点はオーガスト所有のもと同競走を制した上述のフェニアンの像が乗り、器を下から[[エクリプス (競走馬)|エクリプス]]・[[ヘロド (競走馬)|ヘロド]]・[[マッチェム]]の[[三大始祖|三大基幹種牡馬]]の像が支える構図になっている<ref name="bstat" />。 1930年に[[デイリーレーシングフォーム]]紙において、[[ギャラントフォックス]]が3競走を制したことを「三冠」と評する記事が掲載されたことを機に、[[アメリカクラシック三冠]]の認識が固定化された<ref name="CourierJournal">{{cite web|url=https://www.courier-journal.com/story/sports/horses/triple/2014/06/06/things-know-triple-crown/10103343/|title=10 things to know about the Triple Crown|publisher=The Courier-Journal|accessdate=2018-06-16}}</ref>。以後、2019年まで三冠競走の最終戦として施行され続けた。 2020年は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]の影響で[[ケンタッキーダービー]]と[[プリークネスステークス]]の開催が秋シーズンへ大きくずれ込むことになった。これにより、ベルモントステークスは三冠競走の初戦として施行することになり、距離も1マイル1/8に変更された。 == 歴代優勝馬 == {| class="wikitable" !回数!!施行日!!優勝馬!!style="white-space:nowrap"|性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主 |- |style="text-align:center"|第1回||style="white-space:nowrap"|[[1867年]][[6月19日]]||[[ルースレス|Ruthless]]||牝3||style="white-space:nowrap"|3:05 0/4||J.Gilpatrick||A.J.Minor||F.Morris |- |style="text-align:center"|第2回||[[1868年]][[6月10日]]||General Duke||牡3||3:02 0/4||B.Swim||A.Thompson||McConnell & Co |- |style="text-align:center"|第3回||[[1869年]][[6月5日]]||Fenian||牡3||3:04 1/4||C.Miller||J.Pincus||[[オーガスト・ベルモント|A.Belmont]] |- |style="text-align:center"|第4回||[[1870年]][[6月4日]]||[[キングフィッシャー|Kingfisher]]||牡3||2:59 1/2||W.Dick||R.Colaton||D.Swigert |- |style="text-align:center"|第5回||[[1871年]]6月10日||Harry Bassett||牡3||2:56 0/4||W.Miller||D.McDaniel||D.McDaniel |- |style="text-align:center"|第6回||[[1872年]][[6月1日]]||Joe Daniels||牡3||2:58 1/4||[[ジェームズ・ゴードン・ロウ・シニア|J.Rowe]]||D.McDaniel||D.McDaniel |- |style="text-align:center"|第7回||[[1873年]][[6月7日]]||[[スプリングボック (競走馬)|Springbok]]||牡3||3:01 3/4||J.Rowe||D.McDaniel||D.McDaniel |- |style="text-align:center"|第8回||[[1874年]][[6月13日]]||Saxon||牡3||2:39 1/2||G.Barbee||W.Prior||P.Lorillard |- |style="text-align:center"|第9回||[[1875年]][[6月12日]]||Calvin||牡3||2:42 1/4||B.Swim||[[アンゼル・ウィリアムソン|A.Williamson]]||H.McGrath |- |style="text-align:center"|第10回||[[1876年]]6月10日||Algerine||牡3||2:40 1/2||B.Donohue||M.Doswell||Doswell & Co |- |style="text-align:center"|第11回||[[1877年]][[6月6日]]||Coverbrook||牡3||2:46 0/4||C.Holloway||J.Walden||E.Clabaugh |- |style="text-align:center"|第12回||[[1878年]][[6月8日]]||Duke of Magenta||牡3||2:43 1/2||L.Hughes||R.Walden||G.Lorillard |- |style="text-align:center"|第13回||[[1879年]]6月5日||[[スペンドスリフト|Spendthrift]]||牡3||2:42 3/4||G.Evans||T.Puryear||[[ジェームズ・ロバート・キーン|J.Keene]] |- |style="text-align:center"|第14回||[[1880年]]6月8日||Grenada||牡3||2:47 0/4||L.Hughes||R.Walden||G.Lorillard |- |style="text-align:center"|第15回||[[1881年]]6月5日||Saunterer||牡3||2:47 0/4||T.Costello||R.Walden||G.Lorillard |- |style="text-align:center"|第16回||[[1882年]]6月8日||[[フォレスター (競走馬)|Forester]]||牡3||2:43 0/4||J.McLaughlin||L.Stuart||Appleby & Johnson |- |style="text-align:center"|第17回||[[1883年]][[6月9日]]||George Kinney||牡3||2:42 1/2||J.McLaughlin||[[ジェームズ・ゴードン・ロウ・シニア|J.Rowe]]||Dwyer Brothers |- |style="text-align:center"|第18回||[[1884年]]6月5日||Panique||牡3||2:42 0/4||J.McLaughlin||J.Rowe||Dwyer Brothers |- |style="text-align:center"|第19回||[[1885年]]6月6日||[[タイラント (競走馬)|Tyrant]]||牡3||2:43 0/4||P.Duffy||W.Claypool||B.Haggin |- |style="text-align:center"|第20回||[[1886年]]6月5日||[[インスペクタービー (競走馬)|Inspector B.]]||牡3||2:41 0/4||J.McLaughlin||F.McCabe||Dwyer Brothers |- |style="text-align:center"|第21回||[[1887年]]6月9日||[[ハノーヴァー (競走馬)|Hanover]]||牡3||2:43 1/2||J.McLaughlin||F.McCabe||Dwyer Brothers |- |style="text-align:center"|第22回||[[1888年]]6月9日||Sir Dixon||牡3||2:40 1/4||J.McLaughlin||F.McCabe||Dwyer Brothers |- |style="text-align:center"|第23回||[[1889年]]6月13日||Eric||牡3||2:47 0/4||W.Hayward||J.Huggins||A.Cassatt |- |style="text-align:center"|第24回||[[1890年]]6月10日||Burlington||牡3||2:07 3/4||P.Barnes||A.Cooper||Hough Brothers |- |style="text-align:center"|第25回||[[1891年]]6月10日||Foxford||牡3||2:08 3/4||E.Garrison||M.Donavan||C.Rand |- |style="text-align:center"|第26回||[[1892年]]6月9日||Patron||牡3||2:17 0/4||W.Hayward||L.Stuart||J.Stuart |- |style="text-align:center"|第27回||[[1893年]]6月10日||Comanche||牡3||1:53 1/4||W.Simms||G.Hannon||Empire Stable |- |style="text-align:center"|第28回||[[1894年]]6月19日||Henry of Navarre||牡3||1:56 1/2||W.Simms||B.McClelland||B.McClelland |- |style="text-align:center"|第29回||[[1895年]][[11月2日]]||Belmar||牡3||2:11 1/2||F.Taral||E.Feakes||Preakness Stable |- |style="text-align:center"|第30回||[[1896年]][[6月2日]]||[[ヘイスティングズ (競走馬)|Hastings]]||牡3||2:24 1/2||H.Griffin||J.Hyland||Blemton Stable |- |style="text-align:center"|第31回||[[1897年]][[5月29日]]||[[スコティッシュチーフテン|Scottish Chieftain]]||牡3||2:23 1/4||J.Scherrer||M.Byrnes||M.Daly |- |style="text-align:center"|第32回||[[1898年]][[5月26日]]||Bowling Brook||牡3||2:32 0/4||F.Littlefield||R.W.Walden||A. & D.Morris |- |style="text-align:center"|第33回||[[1899年]][[5月25日]]||Jean Bereaud||牡3||2:23 0/4||R.Clawson||S.Hildreth||S.Paget |- |style="text-align:center"|第34回||[[1900年]]5月26日||Ildrim||牡3||2:21 1/2||N.Turner||H.Leigh||H.Leigh |- |style="text-align:center"|第35回||[[1901年]][[5月23日]]||[[コマンド (競走馬)|Commando]]||牡3||2:21 0/4||H.Spencer||J.Rowe||J.Keene |- |style="text-align:center"|第36回||[[1902年]][[5月22日]]||[[マスターマン|Masterman]]||牡3||2:22 1/2||J.Bullman||J.Hyland||A.Belmont |- |style="text-align:center"|第37回||[[1903年]][[5月27日]]||Africander||牡3||2:23 1/5||J.Bullman||R.Miller||Hampton Stable |- |style="text-align:center"|第38回||[[1904年]]5月25日||Delhi||牡3||2:06 3/5||G.Odom||J.Rowe||J.Keene |- |style="text-align:center"|第39回||[[1905年]][[5月24日]]||Tanya||牝3||2:08 0/5||E.Hildebrand||J.Rogers||[[ハリー・ペイン・ホイットニー|H.Whitney]] |- |style="text-align:center"|第40回||[[1906年]][[5月30日]]||Burgomaster||牡3||2:20 0/5||J.Notter||J.Rogers||H.Whitney |- |style="text-align:center"|第41回||[[1907年]]5月30日||[[ピーターパン (アメリカ合衆国の競走馬)|Peter Pan]]||牡3||不明||G.Mountain||J.Rowe||J.Keene |- |style="text-align:center"|第42回||[[1908年]]5月30日||[[コリン (競走馬)|Colin]]||牡3||不明||J.Notter||J.Rowe||J.Keene |- |style="text-align:center"|第43回||[[1909年]]6月2日||Joe Madden||牡3||2:21 3/5||E.Dugan||S.Hildreth||S.Hildreth |- |style="text-align:center"|第44回||[[1910年]]5月30日||[[スウィープ (競走馬)|Sweep]]||牡3||2:22 0/5||J.Butwell||J.Rowe||J.Keene |- |style="text-align:center"|第45回||[[1913年]]6月13日||[[プリンスユージーン|Prince Eugene]]||牡3||2:18 0/5||R.Troxler||J.Rowe||H.Whitney |- |style="text-align:center"|第46回||[[1914年]][[6月20日]]||[[ルークマクルーク|Luke McLuke]]||牡3||2:22 0/5||M.Buxton||J.Schorr||J.Schorr |- |style="text-align:center"|第47回||[[1915年]]6月5日||The Finn||牡3||2:18 2/5||G.Byrne||E.Heffner||H.Hallenbeck |- |style="text-align:center"|第48回||[[1916年]]6月10日||Friar Rock||牡3||2:22 0/5||E.Haynes||S.Hildreth||A.Belmont |- |style="text-align:center"|第49回||[[1917年]]6月16日||Hourless||牡3||2:17 4/5||J.Butwell||S.Hildreth||A.Belmont |- |style="text-align:center"|第50回||[[1918年]]6月15日||Johren||牡3||2:22 2/5||F.Robinson||A.Simons||H.Whitney |- |style="text-align:center"|第51回||[[1919年]][[6月11日]]||[[サーバートン|Sir Barton]]||牡3||2:17 2/5||J.Loftus||H.Bedwell||J.Ross |- |style="text-align:center"|第52回||[[1920年]]6月12日||[[マンノウォー|Man o'War]]||牡3||2:14 1/5||C.Kummer||L.Feustel||[[サミュエル・ドイル・リドル|Glen Riddle Farm]] |- |style="text-align:center"|第53回||[[1921年]]6月11日||[[グレイラグ|Grey Lag]]||牡3||2:16 4/5||E.Sande||S.Hildreth||Rancocas Stable |- |style="text-align:center"|第54回||[[1922年]]6月10日||[[ピロリー|Pillory]]||牡3||2:18 4/5||C.Miller||T.Healey||R.Wilson Jr. |- |style="text-align:center"|第55回||[[1923年]]6月9日||[[ゼヴ|Zev]]||牡3||2:19 0/5||E.Sande||S.Hildreth||Rancocas Stable |- |style="text-align:center"|第56回||[[1924年]]6月7日||[[マッドプレイ|Mad Play]]||牡3||2:18 4/5||E.Sande||S.Hildreth||Rancocas Stable |- |style="text-align:center"|第57回||[[1925年]]6月13日||[[アメリカンフラッグ|American Flag]]||牡3||2:16 4/5||A.Johnson||G.Tompkins||Glen Riddle Farm |- |style="text-align:center"|第58回||[[1926年]]6月12日||[[クルセイダー|Crusader]]||牡3||2:32 1/5||A.Johnson||G.Conway||Glen Riddle Farm |- |style="text-align:center"|第59回||[[1927年]]6月11日||[[チャンスショット|Chance Shot]]||牡3||2:33 1/5||E.Sande||P.Coyne||J.Widener |- |style="text-align:center"|第60回||[[1928年]]6月9日||[[ヴィトー (競走馬)|Vito]]||牡3||2:32 2/5||C.Kummer||M.Hirsch||A.Cosden |- |style="text-align:center"|第61回||[[1929年]]6月8日||[[ブルーラークスパー|Blue Larkspur]]||牡3||2:32 4/5||M.Garner||C.Hastings||[[エドワード・ライリー・ブラッドリー|E.Bradley]] |- |style="text-align:center"|第62回||[[1930年]]6月7日||[[ギャラントフォックス|Gallant Fox]]||牡3||2:31 3/5||E.Sande||[[ジェームズ・エドワード・フィッツシモンズ|J.Fitzsimmons]]||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第63回||[[1931年]]6月13日||[[トゥエンティグランド|Twenty Grand]]||牡3||2:29 3/5||[[チャールズ・カートシンガー|C.Kurtsinger]]||J.Rowe Jr.||Greentree Stable |- |style="text-align:center"|第64回||[[1932年]]6月4日||[[フェアレノ|Faireno]]||牡3||2:32 4/5||T.Malley||J.Fitzsimmons||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第65回||[[1933年]]6月10日||[[ハリーオフ|Hurryoff]]||牡3||2:32 3/5||M.Garner||H.McDaniel||J.Widener |- |style="text-align:center"|第66回||[[1934年]]6月9日||[[ピースチャンス|Peace Chance]]||牡3||2:29 1/5||W.Wright||P.Coyne||J.Widener |- |style="text-align:center"|第67回||[[1935年]]6月8日||[[オマハ (競走馬)|Omaha]]||牡3||2:30 3/5||W.Saunders||J.Fitzsimmons||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第68回||[[1936年]]6月6日||[[グランビル (競走馬)|Granville]]||牡3||2:30 0/5||J.Stout||J.Fitzsimmons||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第69回||[[1937年]]6月5日||[[ウォーアドミラル|War Admiral]]||牡3||2:28 3/5||C.Kurtsinger||G.Conway||Glen Riddle Farm |- |style="text-align:center"|第70回||[[1938年]]6月4日||[[パスチャライズド|Pasteurized]]||牡3||2:29 2/5||J.Stout||G.Odom||Mrs. P.Stewart |- |style="text-align:center"|第71回||[[1939年]]6月3日||[[ジョンズタウン (競走馬)|Johnstown]]||牡3||2:29 3/5||J.Stout||J.Fitzsimmons||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第72回||[[1940年]]6月8日||[[バイムレック|Bimelech]]||牡3||2:29 3/5||F.Smith||B.Hurley||E.Bradley |- |style="text-align:center"|第73回||[[1941年]]6月7日||[[ワーラウェイ|Whirlaway]]||牡3||2:31 0/5||[[エディ・アーキャロ|E.Arcaro]]||B.Jones||[[カルメットファーム|Calumet Farm]] |- |style="text-align:center"|第74回||[[1942年]]6月6日||[[シャットアウト (競走馬)|Shut Out]]||牡3||2:29 1/5||E.Arcaro||J.Gaver||Greentree Stable |- |style="text-align:center"|第75回||[[1943年]]6月5日||[[カウントフリート|Count Fleet]]||牡3||2:28 1/5||J.Longden||D.Cameron||Mrs. J.Hertz |- |style="text-align:center"|第76回||[[1944年]]6月3日||[[バウンディングホーム|Bounding Home]]||牡3||2:32 1/5||G.Smith||M.Brady||W.Ziegler Jr. |- |style="text-align:center"|第77回||[[1945年]][[6月23日]]||[[パヴォット|Pavot]]||牡3||2:30 1/5||E.Arcaro||O.White||W.Jeffords |- |style="text-align:center"|第78回||[[1946年]]6月1日||[[アソールト|Assault]]||牡3||2:30 4/5||W.Mehrtens||M.Hirsch||K.Ranch |- |style="text-align:center"|第79回||[[1947年]][[5月31日]]||[[ファランクス (競走馬)|Phalanx]]||牡3||2:29 2/5||R.Donoso||S.Veitch||[[コーネリアス・ヴァンダービルト・ホイットニー|C.Whitney]] |- |style="text-align:center"|第80回||[[1948年]]6月12日||[[サイテーション (競走馬)|Citation]]||牡3||2:28 1/5||E.Arcaro||J.Jones||Calumet Farm |- |style="text-align:center"|第81回||[[1949年]]6月11日||[[カポット|Capot]]||牡3||2:30 1/5||T.Atkinson||J.Gaver||Greentree Stable |- |style="text-align:center"|第82回||[[1950年]]6月10日||[[ミドルグラウンド|Middleground]]||牡3||2:28 3/5||W.Boland||M.Hirsch||K.Ranch |- |style="text-align:center"|第83回||[[1951年]]6月16日||[[カウンターポイント|Counterpoint]]||牡3||2:29 0/5||D.Gorman||S.Veitch||C.V.Whitney |- |style="text-align:center"|第84回||[[1952年]]6月7日||[[ワンカウント|One Count]]||牡3||2:30 1/5||E.Arcaro||O.White||Mrs. W.Jeffords |- |style="text-align:center"|第85回||[[1953年]]6月13日||[[ネイティヴダンサー|Native Dancer]]||牡3||2:28 3/5||E.Guerin||B.Winfrey||A.Vanderbilt |- |style="text-align:center"|第86回||[[1954年]]6月12日||[[ハイガン|High Gun]]||牡3||2:30 4/5||E.Guerin||M.Hirsch||K.Ranch |- |style="text-align:center"|第87回||[[1955年]]6月11日||[[ナシュア (競走馬)|Nashua]]||牡3||2:29 0/5||E.Arcaro||J.Fitzsimmons||Belair Stud |- |style="text-align:center"|第88回||[[1956年]]6月16日||[[ニードルズ|Needles]]||牡3||2:29 4/5||D.Erb||H.Fontaine||D & H Stable |- |style="text-align:center"|第89回||[[1957年]]6月15日||[[ギャラントマン|Gallant Man]]||牡3||2:26 3/5||[[ウィリー・シューメーカー|W.Shoemaker]]||J.Merud||R.Lowe |- |style="text-align:center"|第90回||[[1958年]]6月1日||[[カバン (競走馬)|Cavan]]||牡3||2:30 1/5||P.Anderson||T.Barry||J.O'Connell |- |style="text-align:center"|第91回||[[1959年]]6月13日||[[ソードダンサー (競走馬)|Sword Dancer]]||牡3||2:28 2/5||W.Shoemaker||E.Burch||Brookmeade Stable |- |style="text-align:center"|第92回||[[1960年]]6月11日||[[セルティックアッシュ|Celtic Ash]]||牡3||2:29 3/5||W.Hartack||T.Barry||Green Dunes Farm |- |style="text-align:center"|第93回||[[1961年]]6月3日||[[シャーラック|Sherluck]]||牡3||2:29 1/5||B.Baeza||H.Young||J.Sher |- |style="text-align:center"|第94回||[[1962年]]6月9日||[[ジャイプール (競走馬)|Jaipur]]||牡3||2:28 4/5||W.Shoemaker||W.Mulholland||G.Widener |- |style="text-align:center"|第95回||[[1963年]]6月8日||[[シャトーゲイ (競走馬)|Chateaugay]]||牡3||2:30 1/5||B.Baeza||J.Conway||Darby Dan Farm |- |style="text-align:center"|第96回||[[1964年]]6月6日||[[クァドラングル|Quadrangle]]||牡3||2:28 2/5||M.Ycaza||E.Burch||Rokeby Stable |- |style="text-align:center"|第97回||[[1965年]]6月5日||[[ヘイルトゥオール|Hail to All]]||牡3||2:28 2/5||[[ジョニー・セラーズ|J.Sellers]]||E.Yowell||Mrs. B.Cohen |- |style="text-align:center"|第98回||[[1966年]]6月4日||[[アンバロイド|Amberoid]]||牡3||2:29 3/5||W.Boland||[[ルシアン・ラウリン|L.Laurin]]||R.Webster |- |style="text-align:center"|第99回||[[1967年]]6月3日||[[ダマスカス (競走馬)|Damascus]]||牡3||2:28 4/5||W.Shoemaker||style="white-space:nowrap"|F.Whiteley Jr.||Mrs. E.Bancroft |- |style="text-align:center; white-space:nowrap"|第100回||[[1968年]]6月1日||style="white-space:nowrap"|[[ステージドアジョニー|Stage Door Johnny]]||牡3||2:27 1/5||G.Gustines||J.Gaver||Greentree Stable |- |style="text-align:center"|第101回||[[1969年]]6月7日||[[アーツアンドレターズ|Arts and Letters]]||牡3||2:28 4/5||B.Baeza||E.Burch||Rokeby Stable |- |style="text-align:center"|第102回||[[1970年]]6月6日||[[ハイエシャロン|High Echelon]]||牡3||2:34 0/5||J.Rotz||J.Jacobs||Mrs. E.Jacobs |- |style="text-align:center"|第103回||[[1971年]]6月5日||[[パスキャッチャー|Pass Catcher]]||牡3||2:30 2/5||W.Blum||E.Yowell||October House Farm |- |style="text-align:center"|第104回||[[1972年]]6月10日||[[リヴァリッジ|Riva Ridge]]||牡3||2:28 0/5||[[ロン・ターコット|R.Turcotte]]||L.Laurin||[[ヘレン・チェナリー|Meadow Stable]] |- |style="text-align:center"|第105回||[[1973年]]6月9日||[[セクレタリアト|Secretariat]]||牡3||<span style="color:red"> 2:24 0/5</span>||R.Turcotte||L.Laurin||Meadow Stable |- |style="text-align:center"|第106回||[[1974年]]6月8日||[[リトルカレント|Little Current]]||牡3||2:29 1/5||M.Rivera||L.Rondinello||Darby Dan Farm |- |style="text-align:center"|第107回||[[1975年]]6月7日||[[アバター (競走馬)|Avatar]]||牡3||2:28 1/5||W.Shoemaker||T.Doyle||A.Seeligson Jr. |- |style="text-align:center"|第108回||[[1976年]]6月5日||[[ボールドフォーブス|Bold Forbes]]||牡3||2:29 0/5||A.Cordero Jr.||L.Barrera||E.Tizol |- |style="text-align:center"|第109回||[[1977年]]6月11日||[[シアトルスルー|Seattle Slew]]||牡3||2:29 3/5||J.Cruguet||B.Turner||K.Taylor |- |style="text-align:center"|第110回||[[1978年]]6月10日||[[アファームド|Affirmed]]||牡3||2:26 4/5||S.Cauthen||L.Barrera||Harbor View Farm |- |style="text-align:center"|第111回||[[1979年]]6月9日||[[コースタル|Coastal]]||牡3||2:28 3/5||R.Hernandez||D.Whiteley||W.Perry |- |style="text-align:center"|第112回||[[1980年]]6月7日||[[テンパランスヒル|Temperence Hill]]||牡3||2:29 4/5||E.Maple||J.Cantey||Loblolly Stable |- |style="text-align:center"|第113回||[[1981年]]6月6日||[[サミング (競走馬)|Summing]]||牡3||2:29 0/5||G.Martens||L.Barerra||C.Wilson Jr. |- |style="text-align:center"|第114回||[[1982年]]6月6日||[[コンキスタドールシエロ|Conquistador Cielo]]||牡3||2:28 1/5||[[ラフィット・ピンカイ・ジュニア|L.Pincay Jr.]]||[[ウッディ・ステファン|W.Stephens]]||H.de Kwiatkowski |- |style="text-align:center"|第115回||[[1983年]]6月11日||[[ケイヴィアット|Caveat]]||牡3||2:27 4/5||L.Pincay Jr.||W.Stephens||A.Belmont |- |style="text-align:center"|第116回||[[1984年]]6月9日||[[スウェイル|Swale]]||牡3||2:27 1/5||L.Pincay Jr.||W.Stephens||[[クレイボーンファーム|Claiborne Farm]] |- |style="text-align:center"|第117回||[[1985年]]6月8日||[[クレームフレーシュ|Creme Fraiche]]||騸3||2:27 0/5||E.Maple||W.Stephens||Brushwood Stable |- |style="text-align:center"|第118回||[[1986年]]6月7日||[[ダンチヒコネクション|Danzig Connection]]||牡3||2:29 4/5||C.McCarron||W.Stephens||H.de Kwiatkowski |- |style="text-align:center"|第119回||[[1987年]]6月6日||[[ベットトワイス|Bet Twice]]||牡3||2:28 1/5||C.Perret||J.Croll||Cisley Stable & Levy |- |style="text-align:center"|第120回||[[1988年]]6月11日||[[リズンスター|Risen Star]]||牡3||2:26 2/5||[[エディー・デラフーセイ|E.Delahoussaye]]||L.Roussel III||L.Roussel III & R.Lamarque |- |style="text-align:center"|第121回||[[1989年]]6月10日||[[イージーゴア|Easy Goer]]||牡3||2:26 0/5||P.Day||S.McGaughey||[[オグデン・フィップス|O.Phipps]] |- |style="text-align:center"|第122回||[[1990年]]6月9日||[[ゴーアンドゴー|Go and Go]]||牡3||2:27 1/5||[[マイケル・キネーン|M.Kinane]]||[[ダーモット・ウェルド|D.Weld]]||Moyglare Stud Farm |- |style="text-align:center"|第123回||[[1991年]]6月8日||[[ハンセル (競走馬)|Hansel]]||牡3||2:28.10||[[ジェリー・ベイリー|J.Bailey]]||F.Brothers||Lazy Lane Farms |- |style="text-align:center"|第124回||[[1992年]]6月6日||[[エーピーインディ|A.P.Indy]]||牡3||2:26.13||E.Delahoussaye||N.Drysdale||Tomonori Tsurumaki |- |style="text-align:center"|第125回||[[1993年]]6月5日||[[コロニアルアッフェアー|Colonial Affair]]||牡3||2:29.97||[[ジュリー・クローン|J.Krone]]||S.Schulhofer||Centennial Farms |- |style="text-align:center"|第126回||[[1994年]]6月11日||[[タバスコキャット|Tabasco Cat]]||牡3||2:26.82||P.Day||[[ウェイン・ルーカス|D.Lukas]]||Overbrook Farm & D.Reynolds |- |style="text-align:center"|第127回||[[1995年]]6月10日||[[サンダーガルチ|Thunder Gulch]]||牡3||2:32.02||[[ゲイリー・スティーヴンス (競馬)|G.Stevens]]||D.Lukas||M.Tabor |- |style="text-align:center"|第128回||[[1996年]]6月8日||[[エディターズノート|Editor's Note]]||牡3||2:28.96||R.Douglas||D.Lukas||Overbrook Farm |- |style="text-align:center"|第129回||[[1997年]]6月7日||[[タッチゴールド|Touch Gold]]||牡3||2:28.82||C.McCarron||D.Hofmans||F.Stronach & Stonerside Stable |- |style="text-align:center"|第130回||[[1998年]]6月6日||[[ヴィクトリーギャロップ|Victory Gallop]]||牡3||2:29.16||G.Stevens||E.Walden||Prestonwood Farm Inc |- |style="text-align:center"|第131回||[[1999年]]6月5日||[[レモンドロップキッド|Lemon Drop Kid]]||牡3||2:27.88||J.Santos||S.Shulhofer||J.Vance |- |style="text-align:center"|第132回||[[2000年]]6月10日||[[コメンダブル|Commendable]]||牡3||2:31.19||P.Day||D.Lukas||B. & R.Lewis |- |style="text-align:center"|第133回||[[2001年]]6月9日||[[ポイントギヴン|Point Given]]||牡3||2:26.56||G.Stevens||[[ボブ・バファート|B.Baffert]]||The Thoroughbred Corporation |- |style="text-align:center"|第134回||[[2002年]]6月8日||[[サラヴァ (競走馬)|Sarava]]||牡3||2:29.71||[[エドガー・プラード|E.Prado]]||K.McPeek||New Phoenix Stable & Mrs. S.Roy |- |style="text-align:center"|第135回||[[2003年]]6月7日||[[エンパイアメーカー|Empire Maker]]||牡3||2:28.26|||J.Bailey||[[ロバート・フランケル|R.Frankel]]||[[ジュドモントファーム|Juddmonte Farms]] |- |style="text-align:center"|第136回||[[2004年]]6月5日||[[バードストーン|Birdstone]]||牡3||2:27.50||E.Prado||[[ニコラス・ジトー|N.Zito]]||Marylou Whitney Stables |- |style="text-align:center"|第137回||[[2005年]]6月11日||[[アフリートアレックス|Afleet Alex]]||牡3||2:28.75||J.Rose||T.Ritchey||Cash Is King Stable |- |style="text-align:center"|第138回||[[2006年]]6月10日||[[ジャジル|Jazil]]||牡3||2:27.86||[[フェルナンド・ハラ|F.Jara]]||K.McLaughlin||Shadwell Stable |- |style="text-align:center"|第139回||[[2007年]]6月9日||[[ラグズトゥリッチズ|Rags to Riches]]||牝3||2:28.74||[[ジョン・ヴェラスケス|J.Velazquez]]||T.Pletcher||M.Tabor & D.Smith |- |style="text-align:center"|第140回||[[2008年]]6月7日||[[ダタラ|Da'Tara]]||牡3||2:29.65||[[アラン・ガルシア (競馬)|A.Garcia]]||N.Zito||R.LaPenta |- |style="text-align:center"|第141回||[[2009年]]6月6日||[[サマーバード|Summer Bird]]||牡3||2:27.54||[[ケント・デザーモ|K.Desormeaux]]||T.Ice||Kalarikkal K.Jayaraman |- |style="text-align:center"|第142回||[[2010年]]6月5日||[[ドロッセルマイヤー|Drosselmeyer]]||牡3||2:31.57||[[マイク・スミス|M.Smith]]||W.Mott||WinStar Farm LLC |- |style="text-align:center"|第143回||[[2011年]]6月11日||[[ルーラーオンアイス|Ruler on Ice]]||騸3||2:30.88||J.Valdivia Jr.||K.Breen||G. & L.Hall |- |style="text-align:center"|第144回||[[2012年]]6月9日||[[ユニオンラグズ|Union Rags]]||牡3||2:30.42||J.Velazquez||M.Malz||Chadds Ford Stable |- |style="text-align:center"|第145回||[[2013年]]6月8日||[[パレスマリス|Palace Malice]]||牡3||2:30.70||M.Smith||T.Pletcher||Dogwood Stable |- |style="text-align:center"|第146回||[[2014年]]6月7日||Tonalist||牡3||2:28.52||[[ジョエル・ロサリオ|J.Rosario]]||C.Clement||R.Evans |- |style="text-align:center"|第147回||[[2015年]]6月6日||[[アメリカンファラオ|American Pharoah]]||牡3||2:26.65||[[ビクター・エスピノーザ|V.Espinoza]]||B.Baffert||Zayat Stables LLC |- |style="text-align:center"|第148回||[[2016年]]6月11日||[[クリエイター (2013年生の競走馬)|Creator]]||牡3||2:28.51||[[イラッド・オルティス・ジュニア|I.Ortiz Jr.]]||S.Asmussen||WinStar Farm LLC |- |style="text-align:center"|第149回||[[2017年]]6月10日||[[タップリット|Tapwrit]]||牡3||2:30.02||[[ホセ・オルティス (競馬)|J.Ortiz]]||T.Pletcher||Bridlewood Farm, Eclipse Thoroughbred Partners and LaPenta, Robert V. |- |style="text-align:center"|第150回||[[2018年]]6月9日||[[ジャスティファイ|Justify]]||牡3||2:28.18||M.Smith|| B.Baffert|| China Horse Club, Head of Plains Partners,<br />Starlight Racing and [[ウインスターファーム|WinStar Farm]] |- |第151回||[[2019年]]6月8日||Sir Winston||牡3 ||2:28.30||J.Rosario||M.Casse||Tracy Farmer |- |style="text-align:center"|第152回||[[2020年]]6月20日||[[ティズザロウ|Tiz the Law]]||牡3||1:46.53|| M.Franco|| B.Tagg||Sackatoga Stable |- |style="text-align:center"|第153回||[[2021年]]6月5日||[[エッセンシャルクオリティ|Essential Quality]]||牡3||2:27.11||L.Saez||B.Cox||[[ゴドルフィン|Godolphin Stables]] |- |style="text-align:center"|第154回||[[2022年]]6月11日||[[モードニゴール|Mo Donegal]]||牡3||2:28.28||I.Ortiz Jr.||T.Pletcher||Donegal Racing |- |style="text-align:center"|第155回||[[2023年]]6月10日||[[アルカンジェロ|Arcangelo]]||牡3||2:29.23||J.Castellano||M.Antonucci||Blue Rose Farm |} == 日本調教馬の成績 == {{Main|日本調教馬の日本国外への遠征#ベルモントステークス}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist |refs= * <ref name="IFHA2014">[http://www.horseracingintfed.com/default.asp?section=Racing&area=8&racepid=57255 IFHA Race Detail Belmont S.] 2014年11月11日閲覧。</ref> }} ==== 各回競走結果の出典 ==== * [[レーシング・ポスト]]より(最終閲覧日:2015年6月7日) ** {{Racing Post|629098|2015|06|06}} == 参考文献 == * {{Cite book |author = Richard Sowers |year = 2014 |title = The Kentucky Derby, Preakness and Belmont Stakes: A Comprehensive History |publisher = Trade paperback |isbn = 9780786476985 }} == 関連項目 == * [[ケンタッキーダービー]] * [[プリークネスステークス]] * [[トラヴァーズステークス]] * [[ケンタッキーオークス]] * [[ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ]] * [[アメリカクラシック三冠]] == 外部リンク == * [http://www.belmontstakes.com/ belmontstakes.com] - ベルモントステークス公式サイト * [http://www.nyra.com/belmont/ New York Racing Association] - ベルモントパーク競馬場 * [http://www.equibase.com/profiles/Results.cfm?type=Stakes&stkid=1141 Equibase Belmont Stakes] {{アメリカ競馬三冠}} {{デフォルトソート:へるもんとすてくす}} [[Category:アメリカ合衆国の競馬の競走]]
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タマツバキ記念
タマツバキ記念(タマツバキきねん)は中央競馬・地方競馬で行われていた競馬の競走である。 中央競馬で活躍したアングロアラブの名馬・タマツバキの名を残す競走として始められた。 当初は中央競馬の重賞競走で、第1回は1955年に施行。1956年以降は春秋の年2回開催であったが1981年以降は年1回に戻った。 しかし中央競馬が1995年をもってアングロアラブ系の競走を廃止したため、同競走も同年で廃止されたが、翌1996年から地方競馬に移行し、西日本地区の各地方競馬場持ち回りの交流重賞に生まれ変わった。同様の競走にセイユウ記念も存在した。 2000年の園田競馬場での開催以降、出走対象が西日本限定から全国に拡大。2001年からは福山競馬場で開催していた。 アングロアラブの生産数が極少数になった為、2007年の福山競馬場で行われた競走が最後となった。同時に、アングロアラブの交流競走も最後となった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タマツバキ記念(タマツバキきねん)は中央競馬・地方競馬で行われていた競馬の競走である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "中央競馬で活躍したアングロアラブの名馬・タマツバキの名を残す競走として始められた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当初は中央競馬の重賞競走で、第1回は1955年に施行。1956年以降は春秋の年2回開催であったが1981年以降は年1回に戻った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "しかし中央競馬が1995年をもってアングロアラブ系の競走を廃止したため、同競走も同年で廃止されたが、翌1996年から地方競馬に移行し、西日本地区の各地方競馬場持ち回りの交流重賞に生まれ変わった。同様の競走にセイユウ記念も存在した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2000年の園田競馬場での開催以降、出走対象が西日本限定から全国に拡大。2001年からは福山競馬場で開催していた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "アングロアラブの生産数が極少数になった為、2007年の福山競馬場で行われた競走が最後となった。同時に、アングロアラブの交流競走も最後となった。", "title": "概要" } ]
タマツバキ記念(タマツバキきねん)は中央競馬・地方競馬で行われていた競馬の競走である。
{{出典の明記|date=2014年11月19日 (水) 05:53 (UTC)}} '''タマツバキ記念'''(タマツバキきねん)は[[中央競馬]]・[[地方競馬]]で行われていた[[競馬]]の[[競馬の競走|競走]]である。 == 概要 == 中央競馬で活躍した[[アングロアラブ]]の名馬・[[タマツバキ (競走馬)|タマツバキ]]の名を残す競走として始められた。 当初は[[中央競馬]]の[[重賞]]競走で、第1回は[[1955年]]に施行。[[1956年]]以降は春秋の年2回開催であったが[[1981年]]以降は年1回に戻った。 しかし[[中央競馬]]が[[1995年]]をもって[[アングロアラブ]]系の競走を廃止したため、同競走も同年で廃止されたが、翌1996年から地方競馬に移行し、西日本地区の各地方競馬場持ち回りの交流重賞に生まれ変わった。同様の競走に[[セイユウ記念]]も存在した。 [[2000年]]の[[園田競馬場]]での開催以降、出走対象が西日本限定から全国に拡大。[[2001年]]からは[[福山競馬場]]で開催していた。 [[アングロアラブ]]の生産数が極少数になった為、[[2007年]]の[[福山競馬場]]で行われた競走が最後となった。同時に、[[アングロアラブ]]の交流競走も最後となった。 == 歴代優勝馬 == === 中央競馬 === ==== タマツバキ記念(春) ==== {| class="wikitable" !回数!!年月日!!競馬場!!距離!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師 |- ||第2回||[[1956年]][[5月27日]]||[[京都競馬場|京都]]||芝2000m||タマノホシ||牡4||2:12 3/5||玉田一彦||[[橋田俊三]] |- ||第4回||[[1957年]][[5月19日]]||京都||芝2000m||タカシオ||牡3||2:09 4/5||[[清水久雄]]||[[増本勇]] |- ||第6回||[[1958年]][[4月20日]]||京都||芝2000m||[[シユンエイ]]||牡3||2:08 4/5||[[栗田勝]]||[[武田文吾]] |- ||第8回||[[1959年]][[5月10日]]||京都||芝2000m||シゲタカ||牡3||2:08 3/5||[[吉永猛]]||渋川久作 |- ||第10回||[[1960年]][[5月5日]]||京都||芝2000m||キンシオー||牡3||2:09.8||[[宮本悳]]||[[谷八郎]] |- ||第12回||[[1961年]][[4月30日]]||京都||芝2000m||ミスヒラノ||牝4||2:09.6||菅村恭一||佐藤勇 |- ||第14回||[[1962年]][[4月22日]]||京都||芝2000m||チカラガネ||牡3||2:09.5||[[杉村一馬]]||杉村政春 |- ||第16回||[[1963年]][[4月21日]]||京都||芝2000m||ヒメカツプ||牝3||2:08.4||[[池江泰郎]]||久保道雄 |- ||第18回||[[1964年]]5月5日||京都||芝2000m||ヒメカツプ||牝4||2:11.6||[[久保敏文|古賀敏文]]||久保道雄 |- ||第20回||[[1965年]][[5月3日]]||京都||芝2000m||ハヤコマ||牡5||2:11.6||[[内藤繁春]]||鈴木和雄 |- ||第22回||[[1966年]]5月3日||京都||芝2000m||ヒヨシキング||牡4||2:11.1||古賀敏文||梶与三男 |- ||第24回||[[1967年]]5月5日||京都||芝2000m||オペレツタ||牡4||2:06.5||[[渡辺栄]]||[[柴田不二男]] |- ||第26回||[[1968年]][[5月12日]]||京都||芝2000m||トツゲキ||牝3||2:07.5||[[高橋成忠]]||[[清水茂次]] |- ||第28回||[[1969年]][[5月4日]]||京都||芝2000m||シュウザンミノル||牡4||2:07.0||[[野村彰彦]]||曽場広作 |- ||第30回||[[1970年]]5月3日||[[阪神競馬場|阪神]]||芝2000m||ヒラハッコウ||牡3||2:08.0||[[武邦彦]]||[[田中康三]] |- ||第32回||[[1971年]][[4月25日]]||京都||芝2000m||リキショウ||牝3||2:05.7||[[丸目敏栄]]||[[石栗龍雄]] |- ||第34回||[[1972年]]5月5日||京都||芝2000m||キースター||牝3||2:10.4||武邦彦||日迫清 |- ||第36回||[[1973年]]5月5日||京都||芝2000m||プリムラクイン||牡3||2:06.6||[[西浦勝一]]||[[土門健司]] |- ||第38回||[[1974年]]5月12日||京都||芝2000m||シロタマツバキ||牡3||2:08.0||[[武永祥]]||[[武平三]] |- ||第40回||[[1975年]]5月3日||京都||芝2000m||キーミサキ||牡3||2:10.6||久保敏文||久保道雄 |- ||第42回||[[1976年]][[5月8日]]||京都||芝2000m||トクノハルオー||牡4||2:08.4||柴田利秋||石栗龍雄 |- ||第44回||[[1977年]][[5月7日]]||京都||芝2000m||ニシヤマチェス||牝4||2:07.8||池江泰郎||[[浅見国一]] |- ||第46回||[[1978年]][[5月6日]]||京都||芝2000m||リョクシュ||牡4||2:05.8||[[安田隆行]]||星川薫 |- ||第48回||[[1979年]]5月5日||京都||芝2000m||ブイセブン||牝5||2:05.4||武邦彦||[[武田作十郎]] |- ||第50回||[[1980年]]5月4日||阪神||芝2000m||アリアケキング||牡4||2:05.3||[[猿橋重利]]||[[中尾謙太郎]] |} ==== タマツバキ記念(秋) ==== {| class="wikitable" !回数!!年月日!!競馬場!!距離!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師 |- ||第1回||[[1955年]][[10月9日]]||京都||芝2000m||トシヒロ||牡3||2:08 2/5||[[近藤武夫]]||[[伊藤勝吉]] |- ||第3回||1956年[[9月16日]]||京都||芝2000m||タツトモ||牡4||2:13 3/5||栗田勝||武輔彦 |- ||第5回||1957年[[11月24日]]||京都||芝2000m||タカシオ||牡3||2:09 2/5||清水久雄||増本勇 |- ||第7回||1958年[[9月28日]]||京都||芝2000m||シユンエイ||牡3||2:08 1/5||栗田勝||武田文吾 |- ||第9回||1959年[[9月27日]]||京都||芝2000m||ダイマンゲツ||牡3||2:11.1||上田三千夫||日迫清 |- ||第11回||1960年[[11月20日]]||京都||芝2000m||キンシオー||牡3||2:11.5||井原賢一||谷八郎 |- ||第13回||1961年[[11月23日]]||京都||芝2000m||ヒユージ||牝3||2:12.3||中山義次||土田順三 |- ||第15回||1962年[[9月23日]]||京都||芝2000m||タイノボリ||牡3||2:07.2||上田三千夫||[[夏村辰男]] |- ||第17回||1963年[[9月24日]]||京都||芝2000m||ハチミドリ||牡3||2:08.3||浅見国一||柴田不二男 |- ||第19回||1964年[[10月4日]]||京都||芝2000m||ハチミドリ||牡3||2:08.0||渡辺栄||柴田不二男 |- ||第21回||1965年[[9月26日]]||京都||芝2000m||ミエタカラ||牝5||2:06.1||野村彰彦||曽場広作 |- ||第23回||1966年[[9月25日]]||京都||芝2000m||ゴールドバンカー||牡4||2:13.3||武邦彦||武平三 |- ||第25回||1967年[[10月15日]]||京都||芝2000m||ミスハマノオー||牝4||2:06.5||高橋成忠||高橋直 |- ||第27回||1968年[[10月13日]]||京都||芝2000m||ホウシュウヒカリ||牡3||2:06.5||小原伊佐美||[[坂口正二]] |- ||第29回||1969年[[10月12日]]||京都||芝2000m||サンサード||牡3||2:06.5||戌亥信昭||戌亥信義 |- ||第31回||1970年[[10月11日]]||京都||芝2000m||ヒヨシプリンス||牝4||2:10.9||[[上野清章]]||梶与三男 |- ||第33回||1971年[[10月17日]]||京都||芝2000m||クインメグミ||牡3||2:07.9||[[鹿戸明]]||田所秀雄 |- ||第35回||1972年[[11月5日]]||京都||芝2000m||シロタマツバキ||牝3||2:10.9||武永祥||武平三 |- ||第37回||1973年[[11月4日]]||京都||芝2000m||ロックーン||牡3||2:08.0||戌亥信昭||戌亥信義 |- ||第39回||1974年[[10月27日]]||京都||芝2000m||スカイシーダー||牡3||2:06.9||[[柴田政見]]||柴田不二男 |- ||第41回||1975年[[10月25日]]||京都||芝2000m||ヤマサンツバメ||牝4||2:08.7||境直行||[[清田十一]] |- ||第43回||1976年[[10月16日]]||阪神||芝2000m||ポットグリン||牝3||2:05.5||[[武田悟]]||夏村辰男 |- ||第45回||1977年10月15日||京都||芝2000m||アームシシリアン||牡3||2:04.6||[[福永洋一]]||[[鈴木清 (競馬)|鈴木清]] |- ||第47回||1978年[[10月28日]]||京都||芝2000m||リョクシュ||牡4||2:05.7||[[田原成貴]]||星川薫 |- ||第49回||1979年10月27日||京都||芝2000m||ボールドバナア||牝6||2:04.0||[[河内洋]]||[[武田作十郎]] |- ||第51回||1980年[[10月25日]]||阪神||芝2000m||タマムソウ||牡3||2:08.6||鹿戸明||田所稔 |} ==== 年1回制以降 ==== {| class="wikitable" !回数!!年月日!!競馬場!!距離!!優勝馬!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師 |- ||第52回||[[1981年]][[3月29日]]||[[小倉競馬場|小倉]]||芝2000m||ダイドルマン||牝3||2:05.7||秋山忠一||[[小林稔 (競馬)|小林稔]] |- ||第53回||[[1982年]][[9月26日]]||阪神||芝2000m||バッファバーバー||牡3||2:05.9||川端義雄||日迫良一 |- ||第54回||[[1983年]][[9月25日]]||阪神||芝2000m||スリーキャプテン||牡3||2:05.4||[[小屋敷昭]]||[[白井寿昭]] |- ||第55回||[[1984年]][[9月23日]]||阪神||芝2000m||ウルフケイアイ||牡3||2:03.9||田原成貴||元石正雄 |- ||第56回||[[1985年]][[9月22日]]||阪神||芝2000m||タイムパワー||牡4||2:03.4||[[河内洋]]||武田文吾 |- ||第57回||[[1986年]][[9月14日]]||[[函館競馬場|函館]]||芝2000m||ビンチトール||牡3||2:04.1||[[中野栄治]]||[[矢野照正]] |- ||第58回||[[1987年]][[9月20日]]||函館||芝2000m||ロータリーザハレー||牡3||2:03.4||[[安田富男]]||[[和田正道]] |- ||第59回||[[1988年]][[9月18日]]||函館||芝2000m||[[アキヒロホマレ]]||牡3||2:03.5||[[柴田政人]]||[[坪憲章]] |- ||第60回||[[1989年]][[9月17日]]||函館||芝2000m||アキヒロホマレ||牡4||2:02.5||[[田面木博公]]||坪憲章 |- ||第61回||[[1990年]][[9月16日]]||函館||芝2000m||サシオギ||牡5||2:06.6||[[加藤和宏 (JRA)|加藤和宏]]||[[笹倉武久]] |- ||第62回||[[1991年]][[9月15日]]||函館||芝2000m||ヨドノチカラ||牡4||2:04.5||[[鹿戸雄一]]||[[浜田光正]] |- ||第63回||[[1992年]]9月20日||函館||芝2000m||ネオアイク||牡3||2:07.8||[[藤田伸二]]||[[崎山博樹]] |- ||第64回||[[1993年]][[9月19日]]||函館||芝2000m||ネオアイク||牡4||2:04.7||[[南井克巳]]||崎山博樹 |- ||第65回||[[1994年]][[7月23日]]||[[札幌競馬場|札幌]]||芝2000m||シルキーローザ||牝3||2:03.1||[[岡部幸雄]]||[[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]] |- ||第66回||[[1995年]]9月17日||函館||芝2000m||レッドコーラル||牝3||2:04.5||[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]||中村均 |} * タイム:第1~8回 1/5秒表示、第9回~ 1/10秒表示 * 優勝馬の[[馬齢]]は[[2000年]]以前も現表記を用いる。 === 地方競馬 === {| class="wikitable" !年月日!!競馬場!!距離!!優勝馬!!性齢!!所属!!優勝騎手!!管理調教師 |- ||[[1996年]][[12月23日]]||[[名古屋競馬場|名古屋]]||ダ2500m||[[ケイエスヨシゼン]]||牡5||[[兵庫県競馬組合|兵庫]]||[[岩田康誠]]||保利照美 |- ||[[1997年]][[10月22日]]||[[園田競馬場|園田]]||ダ1800m||アカネリンボー||牡6||[[愛知県競馬組合|愛知]]||[[原口次夫]]||磯村林三 |- ||[[1998年]][[6月28日]]||[[金沢競馬場|金沢]]||ダ2000m||[[ニホンカイユーノス]]||牡4||兵庫||[[小牧太]]||[[曾和直榮]] |- ||[[1999年]][[10月10日]]||[[福山競馬場|福山]]||ダ1800m||エイランボーイ||牡5||兵庫||小牧太||森澤憲一郎 |- ||[[2000年]]10月11日||園田||ダ1870m||[[ワシュウジョージ]]||牡4||兵庫||小牧太||曾和直榮 |- ||[[2001年]]5月27日||福山||ダ1800m||ペルターブレーブ||牡6||[[上山競馬場|上山]]||冨樫英利||佐藤茂 |- ||[[2002年]][[5月26日]]||福山||ダ1800m||マリンレオ||牡6||愛知||宇都英樹||戸澤肇 |- ||[[2003年]][[5月25日]]||福山||ダ1800m||[[サンバコール]]||牡8||兵庫||[[田中学]]||西村守幸 |- ||[[2004年]][[6月6日]]||福山||ダ1800m||[[スイグン]]||牡4||[[福山競馬場|福山]]||[[片桐正雪]]||千同武治 |- ||[[2005年]][[6月5日]]||福山||ダ1800m||スイグン||牡5||福山||片桐正雪||千同武治 |- ||[[2006年]][[6月4日]]||福山||ダ1800m||[[ラピッドリーラン]]||牝6||福山||[[藤本三郎]]||[[那俄性哲也]] |- ||[[2007年]][[6月10日]]||福山||ダ1800m||[[フジノコウザン]]||牡4||福山||[[池田敏樹]]||吉井勝宏 |} * 競走名:1996年 タマツバキ記念第71回名古屋杯、1997年 タマツバキ記念第4回[[山陽杯]]、1998年 開設50周年記念タマツバキ記念、1999年 タマツバキ記念第7回山陽杯、2000年 タマツバキ記念第10回山陽杯、2001年~2007年 全日本タマツバキ記念第1回~第7回アラブ大賞典(福山) * コース:[[ダート]] * 出走条件:1996年~1997年 3歳以上、1998年 4歳以上、1999年~2000年 3歳以上、2001年~2007年 4歳以上 * 優勝馬の[[馬齢]]は[[2000年]]以前も現表記を用いる。 == 参考文献 == * {{Cite book|和書|title=中央競馬全重賞競走成績集 【障害・廃止競走編】|publisher=日本中央競馬会 |year=2006|pages=1071-1146|ref=中央競馬全重賞競走成績集|chapter=タマツバキ記念}} == 関連項目 == *[[タマツバキ (競走馬)]] *[[セイユウ記念]] {{DEFAULTSORT:たまつはききねん}} [[Category:中央競馬の競走]] [[Category:地方競馬の競走]] [[Category:廃止された競馬の競走]] [[Category:福山競馬場の競走]]
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パックマン
『パックマン』(Pac-Man)は、ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から1980年5月22日にロケーションテスト開始され、同年7月に発売されたアーケードゲーム。また、そのシリーズのキャラクター。 世界で知られた日本産のコンピュータゲームの一つで、当時ナムコとの関係が一時的に密接となったバリー=ミッドウェイ(後のミッドウェイゲームズ)からアメリカで発売されると、その知名度から80年代のミッキーマウスと称された。 アーケード版テーブル筐体の定価は64万円。 ナムコ公式だけでも複数の派生作品があり、モンスターの動き方からルールに至るまで多数の差異がある。 ここでは、最初に発表されたアーケード版(オリジナル)および、それを再現した『クラシック』と称される製品/作品について、主に記述する。 プレイヤーは4方向レバーを利用し、青い壁で構成された迷路の中でパックマンを操作する。迷路の中には性格付けされた4匹のモンスター(下表)が存在しており、これらモンスター達の追跡をかわしながらに迷路内に配置された244個のドット(エサ240個+パワーエサ4個)を食べ尽くすとラウンドクリアとなる。各ラウンドを通じて迷路に変化はなく、難易度が少し上昇した状態で次のラウンドが開始される。なお、ラウンド21以降は難易度が上昇しなくなる。 パックマンがモンスターに捕まるとミスとなり、パックマンの残数がなくなるとゲームオーバーとなる。点数が10000点(標準設定)に達するとパックマンの残数が1つ増える。 4匹存在し、各ラウンド開始時には画面中央に存在する「巣」に待機している。一定時間ごとに巣から飛び出し、それぞれの縄張り(後述するパワーエサの置かれたエリア)を守るように行動を開始する。さらに一定時間経つと今度はパックマンを追跡し始める行動を取る。これら2つの行動は一定時間ごとに切り替わる。前述したようにモンスターには性格付けがされており、パックマンの追跡時にはその性格に応じた行動を取るように設定がされている。また強い個性を象徴するカラーリングが施され、個々に名前とニックネームがつけられている。ゲームボーイ版などモノクロ表示のプラットフォームでは一見見分けがつかないが、行動パターンで判別することが可能。 一部のシリーズには、さらに色の異なる5匹目以降が登場する。 通常、パックマンはモンスターに追跡される立場にあるが、迷路内に配置された4つのパワーエサを食べることによって立場を逆転することができる 。 パックマンが食べるとモンスターの色が一定時間、青色へ変化してパックマンから逃げるように行動する。この状態のモンスターは「イジケモンスター」(または単にイジケ)と呼ばれ、パックマンが噛み付いて撃退することができる。連続してイジケモンスターに噛み付くたびに点数は倍増し、200・400・800・1600点が獲得できる。撃退されたモンスターは目玉となって巣へ戻り、イジケ状態より復帰して再度パックマンの追跡を開始する。パワーエサを食べたパックマンは無敵ではないため、復帰したモンスターに捕まるとミスとなる。 効果が切れる際にはイジケモンスターが青と白の点滅を繰り返す。さらに一定時間が過ぎるとモンスターは通常の状態へ戻る。効果発揮時間はラウンドが進むごとに短くなっていき、ラウンド17(カギの5面)およびラウンド19(カギの7面)以降のモンスターはイジケなくなり、それまで進んでいた方向から方向転換し、逆方向に進み始めるのみとなる。 パックマンがモンスターに追い詰められてしまった際、モンスターを振り切るための仕掛けが5つ用意されている。 各ラウンド毎に2回ずつ、ボーナス得点物がモンスター巣の下部に出現する。出現方法はエサを70個および170個(パワーエサ含む)食べること。出現から約10秒経過するかミスすると消滅する。計8種類で、ラウンド13以後は全て鍵となる。 ラウンド2,5,9,13,17をクリアをした際に、15秒程度のデモアニメーションが挿入され、プレイヤーに休憩時間が与えられる。これはプレイヤーの長引く緊張をほぐす効果と、キャラクターの世界観を高めるためのものであったが、ゲームに緩急をつけることにも一役買った。直後のラウンドではパワーエサが効いている時間が少し長くなるが、その次のラウンドでは元に戻る。デモアニメーションのパターンは3通り。 各モンスターの行動は、パックマンの向きやパックマンとの距離によって変化する。モンスターの行動にランダム要素が無いこととパックマンの入力操作の特性からパターンプレイがしやすく、プレイヤーが同じラウンド(イジケタイムが同じでモンスター加速条件が同じ)で同じ行動をとればモンスターも同じ行動をする。これを利用したのが、パターンと呼ばれる攻略方法である。モンスターを4匹食べるパターンや、モンスターとパックマンがすり抜けるバグまでパターン化したものもある。 ラウンド17(カギの5面)およびラウンド19(カギの7面)以降はパワーエサを食べてもモンスターはイジケなくなり、それまで進んでいた方向とは逆へ転換するのみに変わるが、ラウンド21(カギの9面)からパックマンの移動速度が極端に遅くなるという現象が加わるため、パターン化が必須といえる。つまり、そのパターンさえ間違わずに続ければ延々と遊び続けることが可能となる。 1979年夏にピークを迎えた『スペースインベーダー』ブームの影響により、ゲームセンターには戦争を題材としたシューティングゲームが多く出回るようになった。「これでは女性が入りづらいのではないか」と危機感を持った岩谷徹により1979年3月、ゲームセンターの雰囲気を殺伐としたものから、和やかな場所へと転換することをひとつの方向性として企画。女性やカップルをメインターゲットに絞った点も当時のゲームとしては目新しかった。 それまでに市場に出回っていたゲームとは異なり、無個性に近かったゲーム登場キャラクタに対して明確な性格づけを行ったことが画期的だった。また、基本コンセプトとなった「食べる」というキーワードは女性であれば食べることに興味を持つだろうという点からヒントを得たものである。女性でも遊びやすくなるよう、ゲームの仕様を決定するにあたって以下のような配慮が行われた。 結果として企画者の狙い通り、女性客を引き込むことに成功した。 パックマンの色と形は、黄色はゲーム画面で一番大きく見え、丸が一番存在感を示せるということで採用された。このキャラクターが食べる動作をすると、偶然ピザに似ていた。「開発者はピザを食べたときにパックマンの形を考え付いた」という後付けのリップサービスをメディアが膨らませ、「ピザから思い付いた」と言われるようになり、これが広く信じられるようになった。岩谷自身は、当初はピザから思いついたと語っていたが、後に「そう言えればいい」と語っており、伝説になっているのでそういうことで押し通しているとも話す。 他にも、目などを付け加えたらということも考えたが、いったんそのような追加をし始めると際限がないということで切り捨てた。また試作品で遊んだ社長から「分かりにくいのでモンスターを1種類にしろ」と言われたが、これを拒んだ。インタビューにおいても、モンスターに種類があることの必要性について語っている。 1979年5月、プログラマの舟木茂雄と組んで開発に着手、最終的にはサウンド担当の甲斐敏夫らスタッフ5名でグループを組み1年がかりで完成。1980年5月22日、渋谷においてロケテストを実施、7月に日本国内で発売された。 1980年10月、アメリカではミッドウェイにライセンスが供与され、10月に開催されたAMOAエキスポに出品、12月に販売が開始され大ヒットとなった。当初、英文での表記はPUCKMANだったが、Pの文字の一部を削りFにしてしまういたずらを懸念したミッドウェイ社がナムコに変更を要請し、まもなくPAC-MANに改められた。 その後1982年に、家庭用ゲーム機ソフトとしてアタリのAtari 2600へ移植され、約500万本を売り上げた。しかし、この移植作の質はアーケード版と比較すると格段に劣るもので、また需要を大きく上回る数が生産されたため過剰在庫となり、アタリショックの要因の一つとなる(詳細は「en:Pac-Man (Atari 2600)」を参照)。 1982年9月、ハンナ・バーベラ・プロダクションにより擬人化したパックマンを主人公に据えたアニメ「ザ・パックマン・ショー」が制作された。また、バックナー&ガルシア(英語版)という音楽グループが『パックマン・フィーバー(英語版)』という曲を発売し、ビルボードHOT 100で9位まで上昇した。シングル売上がアメリカで100万枚を突破し、コロムビア・レコードからナムコにゴールドディスクが授与された。同名のアルバムはビルボード・ポップ・アルバムチャートで24位を記録している。 このようなアメリカにおけるパックマンブームの影響を受けてパックマン関連のキャラクターグッズが増え続け、当時ミッキーマウス以上の売り上げを叩き出すキャラクターとなった。ミッドウェイ副社長のスタンリー・ジャロッキーは報道番組において「わが社は80年代のミッキーマウスを所有している」と語った。 1984年1月18日、MSXから家庭用ゲーム機ブランド「ナムコット」の第1弾として発売され、後にファミリーコンピュータをはじめ、様々なゲーム機などに移植された。 2005年、発売開始年となる1980年から7年間で総販売枚数293,822枚を記録した業績を称えられ、「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス世界記録から認定を受けた。 2010年に生誕30周年を迎え、30周年プロジェクトとして様々な新作ゲームのほか、全編3Dのテレビアニメシリーズの制作が発表された(詳細は『パックワールド』を参照)。 岩谷自身による評価は、何が面白いのかはよくわからず、次のステージで飽きてしまい、そんなに面白いゲームとは思っていないという。 この中には純粋なコピーゲームではなく、正規の基板を改造したものも含まれている。 他にも、イモムシをプレイヤーにしたもの(モンスター達は蜘蛛。ブロックは赤いので多少グロテスクな部分である。)や、金を取りながら進む人など、色々な種類がある。 2010年5月22日0時、パックマンの誕生30周年を記念して、インターネット検索サイト「Google」のトップページ・ロゴがパックマン仕様に変更された。このロゴは単なる画像ではなく、Googleのロゴをモチーフにしたステージとなっており、実際に遊ぶことも可能となっている。トップページの「I'm Feeling Lucky」はコイン投入を表す「Insert Coin」に変わっている。ロゴに合わせて迷路も左右に広がった形をしており、そのぶん5個目のパワーエサが配置されている。また、コイン複数導入状態とすることで、Msパックマンが登場し、2人同時プレイを可能としている凝った造りの物。ただし残機は2人で共有であり、一方がミスしてしまうと1人プレイと同様、パックマンとモンスターの配置がリセットされ再スタートとなる。このような試みはGoogleのロゴとしては初ということで、大きな話題となった。Googleのトップページで音声が使われたのも、このパックマンプロジェクトが世界初である。公開は48時間の期間限定の予定だったが、反響が大きかったため、トップページから撤去後は専用のページ(#外部リンク参照)でプレイが可能となった。米調査会社レスキュータイムによると、グーグル利用者がゲームに興じていた時間と想定される時間から計算した結果、482万人時、約1億2千万ドル(約108億円)程度の生産性が世界で失われた可能性があることが明らかになった。 2015年のエイプリルフールでは、Google マップの地図上にパックマンが現れ、実際にプレイできるという企画が公開された。2017年のエイプリルフールでは、Google マップの地図上でミズ パックマンをプレイできる企画が公開された。 ゲームボーイおよびゲームギア版には、通信ケーブルを使用した対戦モードが用意されていた。それぞれのプレイヤーが独立したフィールドでプレイし、先にドットを完食するか、相手がミスをすると勝ちとなる。パワーエサを使って食べたモンスターは、相手方のフィールドへ送り込むことが出来る。 開発が中止された作品としてワンダースワンカラーの『GPS超!!パックマン』、PlayStationの『Pac-Man Ghost Zone』、ニンテンドーDSの『Super Pac-Man Pinball』、Xbox 360とPlayStation 3の『Pac-Man World 4』などがあった。 まだ家庭用テレビゲームが一般的でなかったころ、明らかにパックマンを意識したと思われる亜流ゲームが多く出ている。いずれも「自機は丸い生物」「ドットイート」「複数の敵キャラクター」「パワーエサでの逆転要素」「ワープできる場所」というルールはほぼ共通している。
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『パックマン』(Pac-Man)は、ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から1980年5月22日にロケーションテスト開始され、同年7月に発売されたアーケードゲーム。また、そのシリーズのキャラクター。 世界で知られた日本産のコンピュータゲームの一つで、当時ナムコとの関係が一時的に密接となったバリー=ミッドウェイ(後のミッドウェイゲームズ)からアメリカで発売されると、その知名度から80年代のミッキーマウスと称された。 アーケード版テーブル筐体の定価は64万円。
{{Otheruses|コンピュータゲーム}} {{コンピュータゲーム | Title = パックマン<br/>''Pac-Man'' | image = Pacmanstyle.jpg | caption = アーケード版 | Genre = [[ドットイートゲーム]] | Plat = [[アーケードゲーム|アーケード]] (AC){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[Atari 2600]] (A26)<br />[[Atari 8ビット・コンピュータ]] (A8)<br />[[Atari 5200]] (A52)<br />[[ZX Spectrum]] (ZX)<br />[[Apple II]] (APII)<br />[[IBM PC]] (IBM)<br />[[コモドール64]] (C64)<br />[[TI-99/4A]] (TI99)<br />[[インテレビジョン]] (IV)<br />[[VIC-1001]] (VIC)<br />[[FM-7]] (FM7)<br />[[X1 (コンピュータ)|X1]]<br />[[MZ-700]]/[[MZ-80|80KC]] (MZ7)<br />[[PC-6001mkII|PC-6001mkII]] (PC60II)<br />[[PC-8001mkII]] (PC80II)<br />[[PC-8800シリーズ|PC-8801]] (PC88)<br />[[MZ-1500]] (MZ15)<br />[[MZ-2000]]/[[MZ-2200|2200]] (MZ20)<br />[[MSX]]<br />[[ファミリーコンピュータ]] (FC)<br />[[PC-8001mkIISR]] (PC80SR)<br />[[PC-8801mkIISR]] (PC88SR)<br />[[MZ-2500]] (MZ25)<br />[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム|ディスクシステム]] (FCD)<br />[[ゲームボーイ]] (GB)<br />[[ゲームギア]] (GG)<br />[[PC-9800シリーズ|PC-9801]] (PC98)<br />[[ゲームボーイカラー]] (GBC)<br />[[ネオジオポケットカラー]] (NGPC)<br />[[ゲームボーイアドバンス]] (GBA)<br />[[Xbox 360]] (X36)<br />[[Wii]]<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Wii U]]<br />[[PlayStation 4]] (PS4)<br />[[Xbox One]] (XBO)<br />[[Microsoft Windows|Windows]] (WIN)<br />[[Nintendo Switch]] (NSW)}} | Dev = ナムコ開発部 | Pub = {{vgrelease new|JP|[[バンダイナムコエンターテインメント|ナムコ]]|NA|[[ミッドウェイゲームズ]]}} | producer = | director = | designer = [[岩谷徹 (ゲームクリエイター)|岩谷徹]] | writer = | programmer = 舟木茂雄 | composer = 石村繁一<br />甲斐敏夫 | artist = [[山下正]] | license = | series = パックマンシリーズ | Ver = | Play = 1 - 2人(交互プレイ) | Date = {{vgrelease new|JP|July 1980|NA|1980-10-26}}{{Collapsible list |title = 発売日一覧 |1 = '''A26'''<br />{{vgrelease new|NA|1982-03-16}}'''A8,A52'''<br />{{vgrelease new|NA|1982年}}'''ZX,APII,IBM,C64,TI99,IV,VIC'''<br />{{vgrelease new|NA|1983年|EU|1983年}}'''FM-7,X1,MZ7,PC60II'''<br />{{vgrelease new|JP| 1983年}}'''MSX'''<br />{{vgrelease new|JP|1984-01-18|EU|1984年}}'''PC80II,PC88,MZ15,MZ20'''<br />{{vgrelease new|JP| 1984年}}'''FC'''<br />{{vgrelease new|JP|1984-11-02|NA|November 1993|EU|1993年}}'''PC80SR,PC88SR'''<br />{{vgrelease new|JP|May 1985}}'''MZ25'''<br />{{vgrelease new|JP|January 1986}}'''FCD'''<br />{{vgrelease new|JP|1990-05-18}}'''GB'''<br />{{vgrelease new|JP|1990-11-16|NA|April 1991|EU|1991年}}'''GG'''<br />{{vgrelease new|JP|1991-01-29|NA|1991年}}'''PC98'''<br />{{vgrelease new|JP|1992-11-13}}'''GBC'''<br />{{vgrelease new|NA|August 1999|EU|1999年}}'''NGPC'''<br />{{vgrelease new|NA|1999-07-31|JP|1999-08-26|EU|1999-10-01}}'''GBA (FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2004-02-14|NA|2004-06-02|PAL|2004-07-09}}'''X36'''<br />{{vgrelease new|INT|2006-08-09}}'''Wii (FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2007-04-17|NA|2007-05-14}}'''3DS (GB版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2011-07-07|EU|2011-08-04|NA|2011-09-01}}'''3DS (FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2012-11-21|NA|2012-11-29}}'''Wii U'''<br />{{vgrelease new|NA|2013-05-02|JP|2013-05-15}}'''PS4,XBO,WIN<br />(AC版の移植[AGS])'''<br />{{vgrelease new|INT|2016-04-20}}'''NSW (AC版の移植[AA])'''{{vgrelease new|JP|2021-09-24}}'''PS4 (AC版の移植[AA])'''{{vgrelease new|JP|2021-10-07}}}} | Media = [[アーケードゲーム基板|業務用基板]]<br />(24.78[[キロバイト]]) | Rating = {{CERO-A}} | ContentsIcon = | Download content = | Device = 4方向レバー | Spec = | Engine = | aspect ratio = | resolution = | cabinet = | Arcade system = [[:en:Namco Pac-Man|Namco Pac-Man]] | cpu = [[Z80]] (@ 3.072 MHz) | sound = Namco (@ 96.000 kHz) | display = [[ラスタースキャン]]<br />縦モニター<br />288×224[[ピクセル]]<br />60.61[[ヘルツ (単位)|Hz]]<br />パレット512色 | Sale = | ArcOnly = 1 | OnlineGame = 1 | etc = }} {{色}} 『'''パックマン'''』(''Pac-Man'')は、[[バンダイナムコエンターテインメント|ナムコ]](後の[[バンダイナムコエンターテインメント]])から[[1980年]][[5月22日]]に[[ロケーションテスト]]開始され、同年7月に発売された[[アーケードゲーム]]。また、その[[シリーズ (作品)|シリーズ]]のキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.pacman.com/jp/history/ |title=HISTORY |access-date=2023-01-24 |publisher=バンダイナムコエンターテインメント |website=パックマンウェブ}}</ref>。 世界で知られた日本産のコンピュータゲームの一つで、当時ナムコとの関係が一時的に密接となった[[バリー]]=[[ミッドウェイ]](後の[[ミッドウェイゲームズ]])からアメリカで発売されると、その知名度から'''80年代の[[ミッキーマウス]]'''と称された{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}。 アーケード版[[アーケードゲーム#テーブル筐体|テーブル筐体]]の定価は64万円<ref>{{Cite web|和書|url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19801215p.pdf|title=ゲームマシン no.156 p.14|format=PDF|publisher=[[アミューズメント通信社]]|accessdate=2019-06-07}}</ref>。 == ゲーム内容 == ナムコ公式だけでも複数の派生作品があり、モンスターの動き方からルールに至るまで多数の差異がある。 ここでは、最初に発表されたアーケード版(オリジナル)および、それを再現した『クラシック』と称される製品/作品について、主に記述する。 === システム === プレイヤーは4方向レバーを利用し、青い壁で構成された迷路の中でパックマンを操作する。迷路の中には性格付けされた4匹のモンスター(下表)が存在しており、これらモンスター達の追跡をかわしながらに迷路内に配置された244個のドット(エサ<ref>通常のドットの名称。[https://www.nintendo.co.jp/clv/manuals/ja/pdf/CLV-P-HABMJ.pdf#page=6 ファミリーコンピュータ版取扱説明書]</ref>240個+パワーエサ<ref name="instcard">日本語版インストラクションカード</ref>4個)を食べ尽くすとラウンドクリアとなる<ref name="clafami">{{Cite book|和書|title=ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine|publisher=[[アンビット]]|series=TOWN MOOK|date=2016-11|page=74}}</ref>。各ラウンドを通じて迷路に変化はなく、難易度が少し上昇した状態で次のラウンドが開始される。なお、ラウンド21以降<ref>ノーマルランク設定の場合。ハードランクではラウンド17</ref>は難易度が上昇しなくなる。 パックマンがモンスターに捕まるとミスとなり<ref group="注釈">この時、しおれたBGMが流れ、丸くなったパックマンが扇のように閉じる形になって消滅する。</ref>、パックマンの残数がなくなるとゲームオーバーとなる。点数が10000点(標準設定)に達するとパックマンの残数が1つ増える。 === モンスター === 4匹存在し、各ラウンド開始時には画面中央に存在する「巣」に待機している。一定時間ごとに巣から飛び出し、それぞれの縄張り(後述するパワーエサの置かれたエリア)を守るように行動を開始する。さらに一定時間経つと今度はパックマンを追跡し始める行動を取る<ref name="clafami"/>。これら2つの行動は一定時間ごとに切り替わる。前述したようにモンスターには性格付けがされており、パックマンの追跡時にはその性格に応じた行動を取るように設定がされている。また強い個性を象徴するカラーリングが施され、個々に名前とニックネームがつけられている。ゲームボーイ版などモノクロ表示のプラットフォームでは一見見分けがつかないが、行動パターンで判別することが可能<ref>M.B.MOOK『懐かしゲームボーイパーフェクトガイド』 (ISBN 9784866400259)、56ページ</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:95%" |+ モンスター一覧 ! 色 !! {{Nowrap|日本版ニックネーム}} !! {{Nowrap|英語版ニックネーム}} !! {{Nowrap|縄張り}} !! 追跡パターン<ref>『パックマンのゲーム学入門』(初版、pp. 43 - 44)より</ref> |- ! [[赤]]<span style="color:Red; font-weight:bold">■</span> | {{Nowrap|オイカケ アカベイ}}||{{Nowrap|SHADOW BLINKY}}</span> || 右上|| 粘着タイプ。パックマンの後ろをひたすら追いかける<ref name="clafami"/>。 |- ! [[ピンク]]<span style="color:DeepPink; font-weight:bold">■</span> | {{Nowrap|マチブセ ピンキー}}||SPEEDY PINKY|| 左上|| 頭脳タイプ。パックマンのいる地点の少し前を目指し、先回りするように動く<ref name="clafami"/>。 |- ! [[水色]]<span style="color:DodgerBlue; font-weight:bold">■</span> | {{Nowrap|キマグレ アオスケ}}||BASHFUL INKY|| 右下|| 気まぐれタイプ。パックマンを中心にして、オイカケ(赤)の点対称の位置を最短距離で目指して行動する。パックマンのいる通路がその最短距離と被っていた場合、襲われやすい。ただし後述の緊急回避通路やルールの影響で思うように動けず、明後日の方向に進んでしまう場合もある<ref name="clafami"/>。 |- ! [[オレンジ色|オレンジ]]<span style="color:Orange; font-weight:bold">■</span> | {{Nowrap|オトボケ グズタ}}||POKEY CLYDE|| 左下|| 好き勝手タイプ。何も考えず自由に行動する。パックマンより遠いところにいるときは追いかけ、近いところにいるときは逃げる。ただし後述の緊急回避通路やルールの影響で思うように動けず、追いかけや待ち伏せをしてしまう場合もある<ref name="clafami"/>。 |} 一部のシリーズには、さらに色の異なる5匹目以降が登場する。 === パワーエサ === 通常、パックマンはモンスターに追跡される立場にあるが、迷路内に配置された4つのパワーエサを食べることによって立場を逆転することができる {{Refnest|group="注釈"|『パックマンのゲーム学入門』によれば、これはアメリカのアニメ「[[ポパイ]]」からヒントを得た要素で、ポパイが「ほうれん草」を食べ、恋敵のブルートを投げ飛ばすという逆転劇をモチーフとしているとのこと<ref>『パックマンのゲーム学入門』(初版、p. 45)</ref>。}}。 パックマンが食べるとモンスターの色が一定時間、青色へ変化してパックマンから逃げるように行動する。この状態のモンスターは「'''イジケモンスター'''<ref>[https://www.nintendo.co.jp/clv/manuals/ja/pdf/CLV-P-HABMJ.pdf ファミリーコンピュータ版取扱説明書p.6]</ref>」(または単にイジケ<ref name="instcard"/>)と呼ばれ、パックマンが噛み付いて撃退することができる<ref name="clafami"/>。連続してイジケモンスターに噛み付くたびに点数は倍増し、200・400・800・1600点が獲得できる。撃退されたモンスターは目玉となって巣へ戻り、イジケ状態より復帰して再度パックマンの追跡を開始する。パワーエサを食べたパックマンは無敵ではないため、復帰したモンスターに捕まるとミスとなる。 効果が切れる際にはイジケモンスターが青と白の点滅を繰り返す。さらに一定時間が過ぎるとモンスターは通常の状態へ戻る。効果発揮時間はラウンドが進むごとに短くなっていき、ラウンド17(カギの5面)およびラウンド19(カギの7面)以降のモンスターはイジケなくなり、それまで進んでいた方向から方向転換し、逆方向に進み始めるのみとなる。 === 緊急回避用通路 === パックマンがモンスターに追い詰められてしまった際、モンスターを振り切るための仕掛けが5つ用意されている。 ; ワープトンネル : 迷路の左右を繋ぐトンネルが画面左右両端の中段に存在する。パックマンはスピードを落とさずに移動できるが、モンスターはスピードが落ちる。そのため、プレイヤーはここをうまく利用することでモンスターとの距離を引き離し、振り切ることができる。ただし通路の1つに過ぎないため、モンスターに挟み撃ちされる場合がある。ラウンド19以降は、ワープトンネルを通過中のモンスターが反対側に抜けたパックマンに合わせてトンネルを引き返す。 ; 一方通行 : モンスターだけがその制約を受け、特定方向からその通路へ進入できないようになっている。目に見えないがモンスターの巣の真上にT字の壁、同じく巣の真下にあるT字の壁のうち、Tの縦棒に当たる部分の両脇に計4か所が設定されている。方向は下向きであるため、モンスターは下から上に向かって進入できない。なお、イジケてるときのみ一方通行の向きが下から上に変わる。 ; コーナーリング : 迷路内には多数の直角コーナーがあるが、これを曲がる際にモンスターは通路に沿って直角に曲がるのに対し、パックマンはコーナーを曲がる際に少し内側を移動する。このため、パックマンはコーナーを曲がることでモンスターとの距離を離せるようになっている。 ; 反転禁止 : モンスターは原則として反転することが出来ない。そのためモンスターの真後ろにパックマンがついていても反転して攻撃することが出来ない。ただし、後述のモード切り替えが起こった場合はこの限りではない。 ; モード切り替え : 縄張りモードから追跡モードに切り替わる、追跡モードから縄張りモードに切り替わるというイベントが起こるとモンスターの進行方向が強制的に反転する。パックマンがパワーエサを食べることでも起こる。この反転するタイミングを利用してモンスターを振り切ることが出来る。 : なお、モンスターは追跡モード以外でパックマンを追い掛けることはないため、イジケなくなってからは特に縄張りモードを利用して暗躍することが必須となる。 === フルーツターゲット === 各ラウンド毎に2回ずつ、ボーナス得点物がモンスター巣の下部に出現する。出現方法はエサを70個および170個(パワーエサ含む)食べること。出現から約10秒経過するかミスすると消滅する。計8種類で、ラウンド13以後は全て鍵となる。 {| class="wikitable" style="font-size:95%" |+ フルーツターゲット一覧 ! 出現ラウンド !! フルーツ名 !! ボーナス得点 |- ! 1 | '''チェリー''' || 100 |- ! 2 | '''ストロベリー''' || 300 |- ! 3-4 | '''オレンジ''' || 500 |- ! 5-6 | '''アップル''' || 700 |- ! 7-8 | '''メロン''' || 1000 |- ! {{0}}9-10 | '''ボス・[[ギャラクシアン]]''' || 2000 |- ! 11-12 | '''ベル''' || 3000 |- ! 13-{{0}}{{0}} | '''鍵''' || 5000 |} === コーヒーブレイク === ラウンド2,5,9,13,17をクリアをした際に、15秒程度のデモアニメーションが挿入され、プレイヤーに休憩時間が与えられる。これはプレイヤーの長引く緊張をほぐす効果と、キャラクターの世界観を高めるためのものであったが{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}、ゲームに緩急をつけることにも一役買った。直後のラウンドではパワーエサが効いている時間が少し長くなるが、その次のラウンドでは元に戻る。デモアニメーションのパターンは3通り。 * アカベイに追われるパックマンが巨大化して逆襲する(ラウンド2クリア時)。 * アカベイの服が釘に引っ掛かってその一部が破れる(ラウンド5クリア時)。 * アカベイが破れた服を直して追いかけるが、逆に裸にされて返り討ちに遭う(ラウンド9,13,17クリア時)。 === 攻略パターン === 各モンスターの行動は、パックマンの向きやパックマンとの距離によって変化する。モンスターの行動にランダム要素が無いこととパックマンの入力操作の特性からパターンプレイがしやすく、プレイヤーが同じラウンド(イジケタイムが同じでモンスター加速条件が同じ)で同じ行動をとればモンスターも同じ行動をする。これを利用したのが、[[パターン#ゲームでいうパターン|パターン]]と呼ばれる攻略方法である。モンスターを4匹食べるパターンや、モンスターとパックマンがすり抜けるバグまでパターン化したものもある。 ラウンド17(カギの5面)およびラウンド19(カギの7面)以降はパワーエサを食べてもモンスターはイジケなくなり、それまで進んでいた方向とは逆へ転換するのみに変わるが、ラウンド21(カギの9面)からパックマンの移動速度が極端に遅くなるという現象が加わるため、パターン化が必須といえる。つまり、そのパターンさえ間違わずに続ければ延々と遊び続けることが可能となる。 ; パーフェクトゲーム : 256面まで到達すると、右下の面数を示すフルーツを画面に表示する際に、意図しない挙動([[バグ]])によって画面右側の表示が乱れてしまい、その部分のエサが画面から消えて食べられなくなるためにクリア不可能となる。パックマンを5匹設定にし、パックマンが各面で食べることが可能なドット、パワーエサ、イジケモンスター、フルーツを256面までノーミスですべて食べつくすことをパーフェクトゲームという。パーフェクトゲームの点数は333万3360点となる。 : パーフェクトゲームの内訳は以下の通り。 :* 255面までのすべてのドット・パワーエサと、256面の画面左側のすべてのエサとパワーエサ(2600×255 + 10×112 + 50×2)を食べる :* ノーミスで255面までクリアした後、256面において全パックマン(5匹設定+エクステンド分の6匹)で画面右側の見えざるドットを9個ずつ食べる(10×6×9) :* モンスターがイジケるすべてのラウンド(1-16および18)にて、4つのパワーエサそれぞれで全てのモンスターを倒す((200+400+800+1600)×4×17) :* すべてのフルーツターゲットを食べる(100×2 + 300×2 + 500×4 + 700×4 + 1000×4 + 2000×4 + 3000×4 + 5000×486 + 5000) : パーフェクトゲームは[[1999年]][[7月3日]]にアメリカの[[ビリー・ミッチェル]]によってアーケードの実機にてはじめて達成された。コンピュータゲームのハイスコアに対して世界的な権威のある{{仮リンク|ツイン・ギャラクシーズ|en|Twin Galaxies}}や[[ギネス世界記録]]にも認定された<ref name="guiness-2006">クレイグ(2006)p. 135</ref>{{Refnest|group="注釈"|ツイン・ギャラクシーズにおける記録は、2018年にミッチェルの他ゲームでの[[ゲームエミュレータ|エミュレーター]]使用疑惑による制裁として抹消され、ギネス世界記録でも一時的に削除されていた(その後異議申し立てによりギネス記録のみ復活。詳細は「[[ビリー・ミッチェル]]」の項目を参照)。ただし、パーフェクトプレイ達成の事実に変わりはない<ref>参考1:[https://kotaku.com/twin-galaxies-removes-former-donkey-kong-champ-billy-mi-1825211232 Twin Galaxies Removes Former Donkey Kong Champ Billy Mitchell's High Scores]、Kotaku、2018年4月12日。</ref><ref>参考2:[https://www.polygon.com/2018/4/14/17237904/billy-mitchell-donkey-kong-banned-twin-galaxies The King of Kong may be dethroned, but Billy Mitchell still belongs to history]、Polygon、2018年4月14日。</ref>。}}。 ; 特定条件下での不具合 : アーケード版とファミコン版とWiiバーチャルコンソール版には、ある条件下のパックマンをモンスターが認識できなくなる不具合が存在する<ref>[http://blogmag.ascii.jp/tokyocurrydiary/2007/07/post_54.html ASCII.jp 遠藤諭の東京カレー日記 パックマン追伸]{{dead link|date=2022年10月}}</ref>。 == 移植版 == * この節では発売当時の社名で記載(一部の長い社名のみ、略記する場合あり)。 * [[ファミリーコンピュータ]]等、特定機種版を基にした移植は備考欄に記載する(記載の無い場合はアーケード版の移植)。 {| class="wikitable" style="white-space:nowrap; font-size:85%" |- ! No. ! タイトル ! 発売日 ! 対応機種 ! 開発元 ! 発売元 ! メディア ! 型式 ! 売上本数 ! 備考 |- | style="text-align:right" | 1 ! rowspan="3" |[[:en:Pac-Man_(Atari_2600_video_game)|Pac-Man]] |{{Vgrelease new|NA|1982年3月16日<ref>{{Cite web |url=https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,921174,00.html |title=Pac-Man Fever |access-date=2023-01-24 |publisher=Time Inc.}}</ref>}} |[[Atari 2600]] | colspan="2" |[[アタリ (企業)|アタリ]] | rowspan="2" |[[ロムカセット]] |CX2646 <small>(A26)</small> | - | 迷路の形状がアーケード版と大きく異なる |- | style="text-align:right" | 2 | {{vgrelease new|NA|1982年}} ・6月:A8<ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/cxl4022.htm |title=Atari 400/800/XL/XE: Pac-Man |access-date=2023-01-24 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><br /> ・11月:A52<ref name=":0">{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/cx5208.htm |title=Atari 5200: Pac-Man |access-date=2023-01-24 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref> | [[Atari 8ビット・コンピュータ]]<br />[[Atari 5200]] | アタリ<small>(A26,A52)</small><br />[http://gdri.smspower.org/wiki/index.php/Roklan Roklan]<small>(A8)</small> | rowspan="2" | アタリ | CXL4022<small> (A8)</small><br />RX8022<small> (A8再販版)</small><br />CX5208<small> (A52)</small> | - | |- | style="text-align:right" | 3 | {{vgrelease new|NA|1983年|EU|1983年}} ・5月:ZX<ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/es2501.htm |title=Sinclair ZX Spectrum: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><br /> ・11月:APII,IBM,C64,TI99<ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/dx5501.htm |title=Apple II: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/dx5500.htm |title=IBM PC: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |work=ATARIMUSEUM}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/rx8502.htm |title=Commodore 64: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/rx8500.htm |title=Texas Instruments TI-99/4A: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><br /> ・12月:IV,VIC<ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/70251.htm |title=Mattel Intellivision: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.atarimuseum.info/rx8501.htm |title=Commodore VC 20: Pac-Man |access-date=2023-01-26 |publisher=Michael Vogt |website=ATARIMUSEUM}}</ref> | [[ZX Spectrum]]<br />[[Apple II]]<br />[[IBM PC]]<br />[[コモドール64]]<br />[[TI-99/4A]]<br />[[インテレビジョン]]<br />[[VIC-1001]] | [https://videogamegeek.com/videogamedeveloper/27240/djl-software DJL Software]<small> (ZX)</small><ref>{{Cite web |url=https://www.mobygames.com/developer/sheet/view/developerId,194773/ |title=David J. Looker |access-date=2023-01-14 |publisher=Jim Leonard}}</ref><br />アタリ<small> (APII,IBM,IV)</small><br />[http://gdri.smspower.org/wiki/index.php/Designer_Software Designer Software]<small> (C64,VIC)</small><br />[http://gdri.smspower.org/wiki/index.php/K-Byte K-Byte]<small> (TI99)</small> | [[コンパクトカセット|カセットテープ]]<small> (ZX)</small><br />[[フロッピーディスク]]<small> (APII,IBM)</small><br />ロムカセット<small> (C64,TI99,IV,VIC)</small> | ES2501<small> (ZX)</small><br />DX5501<small> (APII)</small><br />DX5500<small> (IBM)</small><br />RX8502<small> (C64)</small><br />RX8500<small> (TI99)</small><br />70251<small> (IV)</small><br />RX8501<small> (VIC)</small> | - | IV,VIC:迷路がやや簡略化 |- | style="text-align:right" | 4 ! rowspan="6" |パックマン | {{vgrelease new|JP|1983年}} ・7月頃:FM7,X1<ref>{{Cite journal|author=電波新聞社|year=1983年|title=マイコンソフトnamcoオリジナル・ゲーム・シリーズ発売!|journal=月刊マイコン 8月号|pages=404-405頁}}</ref><br /> ・11月頃:MZ7<ref>{{Cite journal|author=電波新聞社|year=1983年|title=MZ-1200/KC/700ファンにおすすめソフト登場!!|journal=月刊マイコン 12月号|page=403頁}}</ref><br /> ・12月頃:PC60II<ref>{{Cite journal|year=|date=1984-01-01|title=LET'S PLAY NAMCO GAME|journal=マイコンBASICマガジン1984年1月号付録スーパーソフトマガジン|page=7頁}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=ALL ABOUT namco ナムコゲームのすべて |url=https://www.worldcat.org/oclc/674287605 |publisher=電波新聞社 |date=1987-01-20 |isbn=4-88554-107-7 |oclc=674287605 |page=279}}</ref><!--DEMPAマイコンソフト移植作の発売時期は、基本的に『雑誌広告(or製品一覧表)で初めて発売が告知された号の“発売月”頃』としています。目安程度に考えて下さい。--> | [[FM-7]]<br />[[X1 (コンピュータ)|X1]]<br />[[MZ-700]]/[[MZ-80#MZ-1200|1200]]/[[MZ-80|80KC]]<small> ([[MZ-700#サードパーティーから発売されたオプション|PCG]]対応)</small><br />[[PC-6001mkII|PC-6001mkII]] | [[マイコンソフト]] | [[電波新聞社]] | カセットテープ<ref group="注釈">FM-7とX1は、翌84年にフロッピーディスク版が発売された。<br /> 8月頃:FM-77用3.5インチ版(DP-3301200)<br /> 8月頃:X1D用3インチ版(DP-3203200)<br /> 11月頃:X1turbo用5インチ版(DP-3203205)</ref> | DP-3991<small> (FM7)</small><br />DP-3286<small> (X1)</small><br />DP-3480<small> (MZ7)</small><br />DP-1020<small> (PC60II)</small><br />{{efn|1984年5月頃に初期製品のコードナンバーが改訂されている。<br /> DP-3301142<small> (FM7)</small><br /> DP-3203119<small> (X1)</small><br /> DP-3201164<small> (MZ7)</small><br /> DP-3103139<small> (PC60II)</small>}} | - | FM7,MZ7:迷路が横向き表示 |- | style="text-align:right" | 5 | {{vgrelease new|JP|1984-01-18|EU|1984年}} | [[MSX]] | ナムコ | {{vgrelease new|JP|ナムコ|EU|Bug-Byte Software}} | ロムカセット | {{vgrelease new|JP|DP-3700<ref group="注釈">1984年5月頃にコードナンバー改訂。<br /> DP-3912001</ref>}} | - | |- | style="text-align:right" | 6 | {{vgrelease new|JP|1984年}} ・4月頃:PC80II,PC88<ref>{{Cite journal|author=電波新聞社|year=1984年|title=LET'S PLAY NAMCO GAME|journal=月刊マイコン5月号|page=134頁}}</ref><br /> ・8月頃:MZ15<ref>{{Cite journal|author=電波新聞社|year=1984年|title=新製品のお知らせ|journal=月刊マイコン 8月号|page=119頁}}</ref><br /> ・11月頃:MZ20<ref>{{Cite journal|author=電波新聞社|year=1984年|title=新登場!MZ-2000/MZ-2200|journal=マイコンBASICマガジン 12月号|page=22頁}}</ref> | [[PC-8001mkII]]<br />[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]<br />[[MZ-1500]]<br />[[MZ-2000]]/[[MZ-2200|2200]] | マイコンソフト | 電波新聞社 | カセットテープ<small> (PC80II,PC88,MZ20)</small><br />フロッピーディスク<small> (PC88)</small><br />[[クイックディスク]]<small> (MZ15)</small> | DP-3102231<small> (PC80II)</small><br />DP-3101055<small> (PC88 CT版)</small><br />DP-3101100<small> (PC88 FD版)</small><br />DP-3201200<small> (MZ15)</small><br />DP-3202220 <small>(MZ20)</small> | - | 迷路横向き |- | style="text-align:right" | 7 | {{vgrelease new|JP|1984-11-02|NA|1988年10月<small> (NA1:テンゲン・ライセンス版)</small>|NA|1989年1月<small> (NA2:テンゲン・非ライセンス版)</small>|NA|1993年11月<small> (NA3:ナムコ版)</small>{{Refnest|group="注釈"|北米の[[Nintendo Entertainment System|NES]]市場では次の3つのバージョンが流通した(注:NA*は便宜的呼称)。基本的なゲーム内容はいずれも日本国内版(ファミコン版)と同一である<ref>{{Cite web |url=https://tcrf.net/Pac-Man_(NES) |title=Pac-Man (NES) |access-date=2023-01-26 |website=The Cutting Room Floor}}</ref>。<br /> ・NA1:通常のNESカートリッジシェル(灰色)を使用した[[ライセンス]]版。発売元は[[テンゲン]](Tengen Inc.)。[https://www.mobygames.com/game/nes/pac-man/cover-art/gameCoverId,44817/ 画像]<br /> ・NA2:テンゲンが[[:en:Nintendo#Nintendo_of_America|米国任天堂]](Nintendo of America:NOA)へのライセンス料の支払いを回避する為に発売した非ライセンス版。形状の異なる黒いカートリッジシェルが使われている。[https://www.mobygames.com/game/nes/pac-man/cover-art/gameCoverId,44253/ 画像]<br /> ・NA3:NOAからの[[訴訟]]によりNA2の販売が差し止められた後、ナムコが発売したライセンス版。通常のシェルに戻され、ラベルやパッケージのイラストも変更されている。[https://www.mobygames.com/game/nes/pac-man/cover-art/gameCoverId,44252/ 画像]}}|EU|1993年}} | [[ファミリーコンピュータ]]<br />[[Nintendo Entertainment System]] | ナムコ | {{vgrelease new|JP|ナムコ|NA|[[テンゲン]]<small> (NA1,NA2)</small>|NA|ナムコ<small> (NA3)</small>|EU|[[任天堂]]}} | 192[[キロビット]]ロムカセット<ref name="famimaga55">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |naid = |pages = 55 |url = |ref = harv}}</ref> | {{vgrelease new|JP|NPM-4500|NA|NES-PQ-USA<small> (NA1)</small>|NA|TGN-003-PM<small> (NA2)</small>|NA|NES-P7-USA<small> (NA3)</small>|EU|NES-P7-***<ref group="注釈">欧州版は地域によって末尾三文字が異なる (イギリス=UKV [https://www.mobygames.com/game/nes/pac-man/cover-art/gameCoverId,671675/ 画像] / ドイツ=NOE [https://www.mobygames.com/game/nes/pac-man/cover-art/gameCoverId,118691/ 画像] / フランス=FRA など)。</ref>}} | - | |- | style="text-align:right" | 8 | {{vgrelease new|JP|1985年5月頃}} | [[PC-8001mkIISR]]<br />[[PC-8801mkIISR]] | rowspan="2" | マイコンソフト | rowspan="2" | 電波新聞社 | カセットテープ<small> (PC80SR,PC88SR)</small><br />フロッピーディスク<small> (PC88SR)</small> | DP-3101070<small> (PC80SR)</small><br />DP-3101104<small> (PC88SR FD版)</small> | - | 迷路横向き |- | style="text-align:right" | 9 | {{vgrelease new|JP|1986年1月頃}} | [[MZ-2500]] | rowspan="2" | フロッピーディスク | - | - | 迷路横向き |- | style="text-align:right" | 10 ! [[パックマニア]] | {{vgrelease new|JP|1989-03-18}} | [[X68000]] | [[エス・ピー・エス]] | [[シャープ]] | CZ-233AS | - | おまけの隠し要素としてパックマンを収録 |- | style="text-align:right" | 11 ! rowspan="4" | パックマン | {{vgrelease new|JP|1990-05-18}} | [[ファミリーコンピュータ ディスクシステム|ディスクシステム]] | colspan="2" rowspan="3" | ナムコ | [[ファミリーコンピュータ ディスクシステム#ディスクカード|ディスクカード]]片面 | NDS-PAC | - | ロムカセット版の移植<br />書き換え専用ソフト |- | style="text-align:right" | 12 | {{vgrelease new|JP|1990-11-16|NA|April 1991|EU|1991年}} | [[ゲームボーイ]] | 512[[キロビット]]ロムカセット<ref name="famimaga145">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 5月24日号特別付録 ファミコンディスクカード ゲームボーイ スーパーファミコン オールカタログ |date = 1991-05-24 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 10 |naid = |pages = 145 |url = |ref = harv}}</ref> | {{vgrelease new|JP|DMG-PCA|NA|DMG-PC-USA|EU|DMG-PC-NOE}} | - | モンスターの色分け無し<br />画面モード2種<ref group="注釈">フィールド全体を縮小表示する「フルスクリーンモード」と、パックマン周辺を拡大表示し、キャラ描写を優先する「スクロールモード」があり、ゲーム開始時に選択する。画面解像度で劣る初期携帯ハードへの移植では、この仕様が広く採用された。</ref><br />[[通信ケーブル (ゲームボーイ)|通信ケーブル]]による対戦が可能<ref group="注釈">対戦モードでは、モンスターを食べると対戦相手のフィールドで復活する。どちらかが4ラウンドをクリアした時点でゲームセット。得点で勝敗を競うルールとなっている。</ref> |- | style="text-align:right" | 13 | {{vgrelease new|JP|1991-01-29|NA|1991年}} | [[ゲームギア]] | 1[[メガビット]]ロムカセット<ref name="megafan118">{{Cite journal |和書 |author = |authorlink = |title = 7月号特別付録 メガドライブ&ゲームギア オールカタログ'93 |date = 1993-07-15 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]] |volume = 5 |number = 7 |naid = |pages = 118 |url = |ref = harv}}</ref> | {{vgrelease new|JP|T-14017|NA|T-14018}} | - | 画面モード2種<br />[https://sega.jp/history/hard/gamegear/devices.html 対戦ケーブル]による対戦が可能 |- | style="text-align:right" | 14 | {{vgrelease new|JP|1992-11-13}} | [[PC-9800シリーズ|PC-9801]] | colspan="2" | ウィズ | フロッピーディスク | - | - | |- | style="text-align:right" | 15 ! [[ナムコミュージアム|ナムコミュージアム Vol.1]] | {{vgrelease new|JP|1995-11-22|NA|1996-07-31|EU|August 1996|JP|1999年10月28日<small> ([[:en:The Best (PlayStation)|廉価版]])</small>}} | [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]] | [[ナウプロダクション]] | ナムコ | [[CD-ROM]] | {{vgrelease new|JP|SLPS-00107|NA|SLUS-00215|EU|SCES-00243|JP|SLPS-91158<small> (廉価版)</small>}} | - | 縦置きモニター表示に対応 |- | style="text-align:right" | 16 ! [[マイクロソフトリターンオブアーケード|Microsoft Return of Arcade]] | {{vgrelease new|JP|April 1996|NA|1996年4月<ref group="注釈">米国では2000年にパックマン20周年記念として、本作にMs.パックマンを追加し、CDソフト化した再販パッケージ「Anniversary Edition」が発売された。</ref>}} | rowspan="2" | [[Microsoft Windows|Windows]]<small> (95)</small> | ナムコ | [[マイクロソフト|Microsoft]] | フロッピーディスク | - | - | |- | style="text-align:right" | 17 ! [[ナムコヒストリー|ナムコヒストリー Vol.3]] | {{vgrelease new|JP|1998-06-19}} | colspan="2" | ナムコ | CD-ROM | NMC-2011 | - | |- | style="text-align:right" | 18 ! Pac-Man - Special Color Edition | {{vgrelease new|NA|August 1999|EU|1999年}} | [[ゲームボーイカラー]] | ナムコ | {{vgrelease new|NA|ナムコ|EU|[[アクレイム・エンタテインメント|アクレイム]]}} | rowspan="3" | ロムカセット | {{vgrelease new|NA|DMG-AACE-USA|EU|DMG-AACP-EUR}} | - | 画面モード2種<br />通信ケーブルによる対戦が可能 |- | style="text-align:right" | 19 ! パックマン | {{vgrelease new|NA|1999-07-31|JP|1999-08-26|EU|1999-10-01}} | [[ネオジオポケットカラー]] | colspan="2" | [[SNK (1978年設立の企業)|SNK]] | {{vgrelease new|JP|NEOP00550|NA|NEOP00551|EU|NEOP0055}} | - | 画面モード2種<br />4方向移動ゲーム用クロスリング付属<ref>{{Cite web |url=http://neogeo.freeplaytech.com/np/soft/c_pacman/ |title=PAC-MAN |access-date=2023-01-20 |website=neogeo.freeplaytech.com:}}</ref> |- | style="text-align:right" | 20 ! [[:en:Namco Museum#Namco Museum 64 and Namco Museum (1999-2002)|Namco Museum 64]] | {{vgrelease new|NA|1999-10-31}} | [[NINTENDO64]] | rowspan="4" | [[:en:Mass Media Games|Mass Media Games]] | rowspan="4" | ナムコ | NUS-NNME-USA | - | |- | style="text-align:right" | 21 ! Namco Museum | {{vgrelease new|NA|2000-06-25}} | [[ドリームキャスト]] | [[GD-ROM]] | T-1403N | - | |- | style="text-align:right" | 22 ! [[パックマンコレクション]] | {{vgrelease new|NA|2001-07-12|EU|2001-12-07|JP|2002-01-11|JP|2006年2月2日<small> (廉価版)</small>}} | [[ゲームボーイアドバンス]] | 64メガビットロムカセット | {{vgrelease new|NA|AGB-APCE-USA|EU|AGB-APCP-***|JP|AGB-APCJ-JPN}} | - | 画面モード2種 |- | style="text-align:right" | 23 ! Namco Museum | {{vgrelease new|NA|2001年12月4日<small> (PS2)</small>|NA|2002年10月9日<small> (GC,XB)</small>}} | [[PlayStation 2]]<br />[[ニンテンドーゲームキューブ]]<br />[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]] | CD-ROM<small> (PS2)</small><br />[[8センチDVD|8センチ光ディスク]]<small> (GC)</small> | SLUS-20273<small> (PS2)</small><br />DOL-GNME-USA<small> (GC)</small><br />X02134<small> (XB)</small> | - | |- | style="text-align:right" | 24 ! {{vgrelease new|JP|[[ファミコンミニ]]06 パックマン|NA|Classic NES Series Pac-Man}} | {{vgrelease new|JP|2004-02-14|NA|2004-06-07|PAL|2004-07-09}} | ゲームボーイアドバンス | colspan="2" | ナムコ | ロムカセット | {{vgrelease new|JP|AGB-FPMJ-JPN|NA|AGB-FP7E-USA|EU|AGB-FP7P-EUR}} | - | ファミリーコンピュータ版の移植 |- | style="text-align:right" | 25 ! {{vgrelease new|JP|[[ナムコミュージアム (PSP)|ナムコミュージアム]]|NA|[[:en:Namco Museum#Namco Museum Battle Collection|Namco Museum Battle Collection]]|EU|Namco Museum Battle Collection}} | {{vgrelease new|JP|2005-02-24|NA|2005-08-23|EU|2005-12-09|JP|2006年6月8日<small> (廉価版)</small>}} | [[PlayStation Portable]] | [[ゴッチテクノロジー]] | ナムコ | [[ユニバーサル・メディア・ディスク|UMD]] | {{vgrelease new|JP|ULJS-00012|NA|ULUS-10035|EU|UCES-00116}} | - | 画面モード7種<ref group="注釈">画面の向きと拡大・レイアウトの組み合わせによる(縦3種+横4種)。縦画面表示では、ドットレベルでアーケード版の画面を再現している(携帯機版では初)。</ref> |- | style="text-align:right" | 26 ! {{vgrelease new|NA|[[:en:Namco Museum#Namco Museum 50th Anniversary|Namco Museum - 50th Anniversary]]|JP|[[ナムコミュージアム#PlayStation 2版|ナムコミュージアム アーケードHITS!]]|AU|Namco Museum - 50th Anniversary|EU|Namco Museum - 50th Anniversary}} | {{vgrelease new|NA|2005年8月30日<small> (PS2,XB,GC)</small>|NA|2005年10月25日<small> (WIN)</small>|JP|2006年1月26日<small> (PS2)</small>|AU|2006年3月27日<small> (WIN)</small>|EU|2006年3月31日<small> (PS2,XB)</small>|EU|2006年5月19日<small> (WIN)</small>|EU|2006年6月9日<small> (GC)</small>}} | PlayStation 2<br />ニンテンドーゲームキューブ<br />Xbox<br />Windows<small> (XP)</small> | rowspan="3" | [[:en:Backbone Entertainment|Digital Eclipse]] | {{vgrelease new|NA|ナムコ|JP|ナムコ|EU|[[エレクトロニック・アーツ]]}} | [[DVD#DVD-ROM|DVD-ROM]]<small> (PS2,XB)</small><br />8センチ光ディスク<small> (GC)</small><br />CD-ROM<small> (WIN)</small> | {{vgrelease new|NA|SLUS-21164<small> (PS2)</small>|NA|SLUS-20273GH<small> (PS2廉価版)</small>|NA|DOL-G5NE-USA<small> (GC)</small>|JP|SLPS-25590<small> (PS2)</small>|EU|SLES-53957<small> (PS2)</small>|EU|DOL-G5NE-EUR<small> (GC)</small>}} | - | |- | style="text-align:right" | 27 ! Namco Museum - 50th Anniversary | {{vgrelease new|NA|2005-08-30|EU|2006-03-31}} | ゲームボーイアドバンス | {{vgrelease new|NA|ナムコ|EU|エレクトロニック・アーツ}} | ロムカセット | {{vgrelease new|NA|AGB-B5NP-USA|EU|AGB-B5NP-EUR}} | - | 画面モード3種<ref group="注釈">PSP版に続き、ゲーム機本体を縦持ちでプレイする「縦画面モード」が加わった。「ノーマルモード(横画面フィールド全体表示)」ではフィールドの“見た目”が縦方向に圧縮され、キャラクターの移動速度も縦方向のみ遅くなる(内部処理的には縦横等速)。「スクロールモード」は過去作準拠。各モードはプレイ中随時切替可能。</ref> |- | style="text-align:right" | 28 ! rowspan="2" | パックマン | {{vgrelease new|INT|2006-08-09}} | [[Xbox 360]] | rowspan="4" | バンナム | [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />([[Xbox Live|Xbox Live Arcade]]) | - | - | |- | style="text-align:right" | 29 | {{vgrelease new|JP|2007-04-17|NA|2007-05-14}} | [[Wii]] | [[バンダイナムコエンターテインメント|バンナム]] | ダウンロード<br />([[バーチャルコンソール]]) | {{vgrelease new|JP|FAXJ|NA|FAXE}} | - | ファミリーコンピュータ版の移植<br />2019年1月31日配信・発売終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/support/information/2017/0929.html |title=「Wiiショッピングチャンネル」終了のお知らせ |access-date=2023-01-26 |publisher=任天堂}}</ref> |- | style="text-align:right" | 30 ! [[ナムコミュージアム#ニンテンドーDS版|ナムコミュージアムDS]] | {{vgrelease new|NA|2007-09-18|JP|2007-10-11|EU|2008-02-29}} | [[ニンテンドーDS]] | [[M2 (ゲーム会社)|エムツー]] | DSカード | {{vgrelease new|NA|NTR-YNME-USA|JP|NTR-YNMJ-JPN|EU|NTR-YNMP-EUR}} | - | 画面モード4種<ref group="注釈">横画面2種+縦画面2種(縦画面は天地方向の選択も可)。更に使用する画面や画質(ソフト/シャープ)も選択できる。日本版は[[ナムコミュージアム#画面モード|ライブモニター機能]]も搭載。</ref> |- | style="text-align:right" | 31 ! ナムコミュージアム バーチャルアーケード | {{vgrelease new|NA|2008-11-04|EU|2009-05-15|JP|2009-11-05}} | Xbox 360 | バンナムアメリカ<br />ゴッチテクノロジー | DVD-ROM | {{vgrelease new|NA|21022|JP|2RD-00001}} | - | |- | style="text-align:right" | 32 ! {{vgrelease new|JP|[[ナムコミュージアム#PlayStation 3版|ナムコミュージアム.comm]]|NA|[[:en:Namco Museum#Namco Museum Essentials|Namco Museum Essentials]]|EU|Namco Museum Essentials}} | {{vgrelease new|JP|2009-01-29|NA|2009-07-16|EU|2010-04-01}} | [[PlayStation 3]] | colspan="2" rowspan="6" | バンナム | ダウンロード<br />([[PlayStation Network|PSN]]) | {{vgrelease new|JP|NPJB-00012|NA|NPUB-30086|EU|NPEB-00104}} | - | 2018年3月15日に配信終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://bnfaq.channel.or.jp/information/detail/2893 |title=PlayStation®3用ソフト「ナムコミュージアム.comm」「ナムコミュージアム BETA(無料体験版)」配信終了のお知らせ |access-date=2023-02-26 |publisher=バンダイナムコエンターテインメント}}</ref> |- | style="text-align:right" | 33 ! Namco Museum Megamix | {{vgrelease new|NA|2010-11-16}} | Wii | Wii用12センチ光ディスク | RVL-SNME-USA<ref>{{Cite web |url=https://vimm.net/vault/17838 |title=Namco Museum Megamix |access-date=2023-01-26 |website=Vimm's Lair}}</ref> | - | |- | style="text-align:right" | 34 ! [[パックマン&ギャラガ ディメンションズ]] | {{vgrelease new|JP|2011-06-23|NA|2011-07-26|EU|2011-08-26}} | rowspan="3" | [[ニンテンドー3DS]] | 3DSカード | {{vgrelease new|JP|CTR-APGJ-JPN|NA|CTR-APGE-USA|EU|CTR-APGP-EUR}} | - | 画面モード3種<ref group="注釈">「アップライト筐体」「テーブル筐体」「筐体なし」の3種類。いずれも横画面フィールド全体表示で、立体視対応。筐体モードでは[[ブラウン管]]の丸みが感じられ、筐体なしの場合はキャラクターがフィールドから少し浮き出て見える。</ref><br />ラウンドセレクトと[[実績 (コンピュータゲーム)|勲章]]を付加 |- | style="text-align:right" | 35 ! rowspan="3" | パックマン | {{vgrelease new|JP|2011-07-07|EU|2011-08-04|NA|2011-09-01}} | rowspan="3" | ダウンロード<br />(バーチャルコンソール) | {{vgrelease new|JP|CTR-RAZJ-JPN}} | - | ゲームボーイ版の移植<ref group="注釈">対戦モードはプレイ不可となっている。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/data/software/manual/man_razj.pdf |title=取扱説明書 |access-date=2023-01-26 |publisher=任天堂 |page=7}}</ref><br />2017年4月28日配信・販売終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/titles/50010000006923 |title=パックマン |access-date=2023-01-26 |publisher=任天堂}}</ref> |- | style="text-align:right" | 36 | {{vgrelease new|JP|2012-11-21|NA|2012-11-29}} | {{vgrelease new|JP|CTR-N-TA6J-JPN|NA|TA6E}} | - | ファミリーコンピュータ版の移植 |- | style="text-align:right" | 37 | {{vgrelease new|NA|2013-05-02|JP|2013-05-15}} | [[Wii U]] | {{vgrelease new|NA|FARE|JP|WUP-N-FARJ-JPN}} | - | ファミリーコンピュータ版の移植<br />2017年4月28日配信・販売終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/titles/20010000001130 |title=パックマン |access-date=2023-01-26 |publisher=任天堂}}</ref> |- | style="text-align:right" | 38 ! [[パックマンミュージアム]] | {{vgrelease new|NA|2014-02-25|EU|2014-02-26|JP|2014-06-25}} | PlayStation 3<br />Xbox 360 | [[バンダイナムコスタジオ]] | rowspan="5" | バンナム | rowspan="2" | ダウンロード<br />(PSN)<br />(Xbox Live Arcade)<br />([[Steam]]) | - | - | 2017年4月27日配信終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://bnfaq.channel.or.jp/information/detail/2910 |title=PlayStation®3用ソフト「パックマン ミュージアム」 配信終了のお知らせ |access-date=2023-01-26 |publisher=バンダイナムコエンターテインメント}}</ref> |- | style="text-align:right" | 39 ! [[:en:Arcade Game Series|アーケードゲームシリーズ]]<br />パックマン | {{vgrelease new|INT|2016-04-20}} | [[PlayStation 4]]<br />[[Xbox One]]<br />Windows<small> (7,8(64bit))</small> | ゴッチテクノロジー | {{vgrelease new|JP|CUSA-03670 <small> (PS4)</small>|NA|CUSA-03955 <small> (PS4)</small>|EU|CUSA-03862 <small> (PS4)</small>}} | - | |- | style="text-align:right" | 40 ! [[ナムコミュージアム#Nintendo Switch版|ナムコミュージアム]] | {{vgrelease new|NA|2017-07-28|EU|2017-07-28|JP|2017-07-28}} | rowspan="2" | [[Nintendo Switch]] | バンダイナムコスタジオ<br />ゴッチテクノロジー | ダウンロード | - | - | |- | style="text-align:right" | 41 ! パックマン<br />([[ナムコットコレクション]]版) | {{vgrelease new|JP|2020-06-18}} | rowspan="2" | [[B.B.スタジオ]]<br />エムツー | Switch専用ゲームカード<br />ダウンロード | HAC-P-AW7PB | - | ファミリーコンピュータ版の移植<br />DLC第1弾10タイトル中の1本<br />パッケージ版にははじめから収録 |- | style="text-align:right" | 42 ! [[ナムコットコレクション|NAMCO MUSEUM ARCHIVES Vol.1]] | {{vgrelease new|INT|2020-06-18}} | Nintendo Switch(日本国外)<br />PlayStation 4<br />Xbox One<br />Windows<small> (10(64bit))</small> | ダウンロード<br />(PSN)<br />(Xbox Live Arcade)<br />(Steam) | - | - | NES版を収録 |- | style="text-align:right" | 43 ! rowspan="2" | パックマン | {{vgrelease new|JP|2021年9月24日<ref name="famitsu24234739">{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/202109/24234739.html |title=アケアカにバンナムが参戦決定!『パックマン』と『ゼビウス』が即日配信開始【Nintendo Direct】 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |language= [[日本語]] |date=2021-09-24 |accessdate=2021-09-24}}</ref>}} | Nintendo Switch | rowspan="2" | ナムコ | rowspan="2" | ハムスター | rowspan="2" | ダウンロード<br />([[アーケードアーカイブス]]) | - | - | |- | style="text-align:right" | 44 | {{vgrelease new|JP|2021年10月7日<ref name="famitsu24234739" />}} | PlayStation 4 | - | - | |- | style="text-align:right" | 45 ! [[パックマンミュージアム|パックマンミュージアム+]] | {{vgrelease new|INT|2022年5月28日}} | Nintendo Switch<br />PlayStation 4<br />Xbox One<br />Windows<small> (10)</small> | ナウプロダクション<ref>{{Cite web |url=https://www.nowpro.co.jp/result/2865/ |title=Our Works |access-date=2023-01-21 |publisher=ナウプロダクション |website=NOWPRO}}</ref> | バンナム | ダウンロード<br />Switch専用ゲームカード<br />BD-ROM<sup> PS4,XBO</sup> | {{vgrelease new|JP|HAC-P-A4TYA<small> (NSW)</small>|JP|PLJS-36188<small> (PS4)</small>}} | - | |} == 開発 == ; 誕生のきっかけ [[1979年]][[夏]]にピークを迎えた『[[スペースインベーダー]]』ブームの影響により、[[ゲームセンター]]には[[戦争]]を題材とした[[シューティングゲーム]]が多く出回るようになった。「これでは女性が入りづらいのではないか」と危機感を持った[[岩谷徹 (ゲームクリエイター)|岩谷徹]]により1979年[[3月]]、ゲームセンターの雰囲気を殺伐としたものから、和やかな場所へと転換することをひとつの方向性として企画。[[女性]]や[[カップル]]をメイン[[ターゲット]]に絞った点も当時のゲームとしては目新しかった。 それまでに市場に出回っていたゲームとは異なり、無個性に近かったゲーム登場[[キャラクタ]]に対して明確な性格づけを行ったことが画期的だった。また、基本コンセプトとなった「'''食べる'''」というキーワードは女性であれば食べることに興味を持つだろうという点からヒントを得たものである{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}。女性でも遊びやすくなるよう、ゲームの仕様を決定するにあたって以下のような配慮が行われた{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}。 # 4方向レバーのみを採用し、ボタンは利用しない # ゲームによる緊張が長引かないよう「'''[[#コーヒーブレイク|コーヒーブレイク]]'''」というデモアニメーションを挿入 # [[モンスター]]をカラフルなもの{{Refnest|group="注釈"|色分けはまた「モンスターの[[個性]]の象徴である」と岩谷は語る<ref>『パックマンのゲーム学入門』(初版、p. 49)</ref>。}}とし、目を引くように配慮 結果として企画者の狙い通り、女性客を引き込むことに成功した。 パックマンの色と形は、黄色はゲーム画面で一番大きく見え、丸が一番存在感を示せるということで採用された。このキャラクターが食べる動作をすると、偶然ピザに似ていた。「開発者はピザを食べたときにパックマンの形を考え付いた」という後付けのリップサービスをメディアが膨らませ、「ピザから思い付いた」と言われるようになり、これが広く信じられるようになった<ref>シミルボン [https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1702/02/news085.html 遠藤雅伸に聞く:ゲームデザイナーとなるには、ゲームの面白さを知るには、どんな本を読めばいいのか? ゲームデザイナー&研究者・遠藤雅伸インタビュー。] ねとらぼ 2017年2月2日</ref>。岩谷自身は、当初はピザから思いついたと語っていたが、後に「そう言えればいい」と語っており、伝説になっているのでそういうことで押し通しているとも話す<ref>『POWER+UP―米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』p. 37</ref>。 他にも、目などを付け加えたらということも考えたが、いったんそのような追加をし始めると際限がないということで切り捨てた<ref>『実録! 天才プログラマー』1987年版 pp. 292 - 293</ref>。また試作品で遊んだ社長から「分かりにくいのでモンスターを1種類にしろ」と言われたが、これを拒んだ<ref>日本経済新聞 2010年10月11日朝刊</ref>。インタビューにおいても、モンスターに種類があることの必要性について語っている<ref>『実録! 天才プログラマー』1987年版 pp. 294 - 295</ref>。 1979年5月、プログラマの舟木茂雄と組んで開発に着手、最終的にはサウンド担当の[[甲斐敏夫]]らスタッフ5名でグループを組み1年がかりで完成。1980年5月22日、渋谷においてロケテストを実施、7月に日本国内で発売された。 == スタッフ == ; アーケード版<ref>{{Cite web|和書|url=https://funfare.bandainamcoent.co.jp/7116/ |title=バンダイナムコ知新 第7回『パックマン』誕生秘話【前編】岩谷徹氏、甲斐敏夫氏、石村繁一氏、大杉章氏、山下正氏、小野浩氏、原口洋一氏、猿川昭義氏、遠藤勝利氏インタビュー |access-date=2023-03-01 |publisher=バンダイナムコエンターテインメント |website=FUNFARE(ファンファーレ)}}</ref> *企画・ゲームデザイン:[[岩谷徹 (ゲームクリエイター)|岩谷徹]] *ハードウェア:石村繁一 *プログラミング:舟木茂雄 *サウンド:石村繁一、甲斐敏夫 *筐体設計:大杉章 *キャラクターデザイン:山下正 *筐体看板デザイン:[[小野浩 (ゲームクリエイター)|小野浩]] *半導体調達:原口洋一 *国内販売:猿川昭義 *国内ロケ事業統括:遠藤勝利 ;FM-7版 *プログラム:ラシャーヌソフト ;X1版、PC-6001mkII版 *プログラム:H.YOMODA ;MZ-700版 *プログラム:N.TAKAYUKI ;PC-8001mkII版、PC-8801版、MZ-2000版、<br />PC-8001mkIISR版、PC-8801mkIISR版、MZ-2500版 *プログラム:[[多部田俊雄]] ;MZ-1500版 *プログラム:N.GANKOU ;ファミリーコンピュータ版 *スタッフ:青柳博樹 == 社会的影響 == 1980年10月、アメリカではミッドウェイにライセンスが供与され、10月に開催されたAMOAエキスポに出品、12月に販売が開始され大ヒットとなった。当初、英文での表記は'''PUCKMAN'''だったが、[[ファック|Pの文字の一部を削りFにしてしまう]]いたずらを懸念したミッドウェイ社がナムコに変更を要請し、まもなく'''PAC-MAN'''に改められた<ref>『POWER+UP ~米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡~』p.39 コンピュータ・エージ社, 2005年12月</ref>。 その後1982年に、家庭用[[ゲーム機]]ソフトとして[[アタリ (企業)|アタリ]]の[[Atari 2600]]へ移植され、約500万本{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}を売り上げた。しかし、この移植作の質はアーケード版と比較すると格段に劣るもので、また需要を大きく上回る数が生産されたため過剰在庫となり、[[アタリショック]]の要因の一つとなる(詳細は「[[:en:Pac-Man (Atari 2600)]]」を参照)。 1982年9月、[[ハンナ・バーベラ・プロダクション]]により擬人化したパックマンを主人公に据えたアニメ「'''ザ・パックマン・ショー'''」が制作された。また、{{仮リンク|バックナー&amp;ガルシア|en|Buckner_%26_Garcia}}という音楽グループが『'''{{仮リンク|パックマン・フィーバー|en|Pac-Man_Fever_(song)}}'''』という曲を発売し、[[ビルボード]]HOT 100で9位まで上昇した。シングル売上がアメリカで100万枚を突破し、[[コロムビア・レコード]]からナムコにゴールドディスクが授与された<ref>「ナムコ、パックマンレコードが米でミリオンセラー──ゲームも大ヒット」『[[日経産業新聞]]』1982年8月25日付、12頁。</ref>。同名のアルバムはビルボード・ポップ・アルバムチャートで24位を記録している。 このようなアメリカにおけるパックマンブームの影響を受けてパックマン関連のキャラクターグッズが増え続け、当時ミッキーマウス以上の売り上げを叩き出すキャラクターとなった。ミッドウェイ副社長の[[スタンリー・ジャロッキー]]は報道番組において「わが社は80年代のミッキーマウスを所有している」と語った{{sfn|赤木|2005|pp=197-202}}。 [[1984年]][[1月18日]]、[[MSX]]から[[家庭用ゲーム機]]ブランド「'''ナムコット'''」の第1弾として発売され、後に[[ファミリーコンピュータ]]をはじめ、様々な[[ゲーム機]]などに移植された。 ; パックマン事件<ref>事件番号「昭和56(ワ)8371」。判決原文では「パツクマン」と表記されている。</ref> : パックマンの無断コピー基板を喫茶店へ設置し、営業を行っていた企業があった。その企業を相手取り、映画の上映権を侵害したことを理由に民事訴訟を起こした。1984年9月28日に[[東京地方裁判所]]が判決を下し、パックマンの映像が[[著作権法]]上の[[映画の著作物]]として認定された。ビデオゲームの影像が映画の著作物と認定されるのは初めて。この訴訟資料としてモンスターの動きのアルゴリズムやパックマンの動きの速度等の内部データが公開された。これを利用して、[[リバースエンジニアリング]]無しで類似ゲーム製造が容易になった。 ; パックマン・シェアウェア事件<ref>事件番号「平成4(ワ)19495」</ref> : パックマンの著作権を侵害しているシェアウェアを雑誌へ収録・発行したとして、[[技術評論社]]を相手取り民事訴訟となった。1994年1月31日に東京地方裁判所が判決を下し、請求の一部が認められた。 2005年、発売開始年となる1980年から7年間で総販売枚数293,822枚{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}を記録した業績を称えられ、「'''最も成功した[[アーケードゲーム|業務用ゲーム機]]'''」として[[ギネス世界記録]]から認定を受けた。 2010年に生誕30周年を迎え、30周年プロジェクトとして様々な新作ゲームのほか、全編3Dのテレビアニメシリーズの制作が発表された<ref name="famitsu30th">{{cite news |title=3Dアニメや新作タイトルなど、生誕30周年を迎えた『パックマン』はさらに飛躍する |publisher=ファミ通.com |date=2010-07-08 |url=http://www.famitsu.com/game/news/1237407_1124.html |accessdate=2012-04-09}}</ref>(詳細は『[[パックワールド]]』を参照)。 ; [[オールタイム100ビデオゲーム]](All-TIME 100 Video Games) : 米[[タイム (雑誌)|タイム]]誌が2012年11月15日に発表した歴史上最も偉大な[[ビデオゲーム]]100本に選ばれる。これは、世界で最も影響力のある人物100人を選ぶ「[[タイム100]]」と似たシリーズの一環として発表された。 ; [[MOMA]]での収蔵 : パックマンはMOMAに収蔵されており<ref>{{cite book |title=「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 |author=末永 幸歩 |date=2020-02-19 |isbn=9784478109182 |page=285}}</ref>、2013年の展示では{{仮リンク|パックマンを含めた14点のビデオゲーム|en|List of video games in the Museum of Modern Art}}が動態展示された<ref>{{cite book |title=「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 |author=末永 幸歩 |date=2020-02-19 |isbn=9784478109182 |page=322}}</ref>。 == 評価 == {{コンピュータゲームレビュー |title = |1UP = C (GBA)<ref name="mobygames_GBA">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Game Boy Advance (2004) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref> |Allgame = {{Rating|4|5}} (FC)<ref name="mobygames_FC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for NES (1984) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref><br />{{Rating|3.5|5}} (GB)<ref name="mobygames_GB">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Game Boy (1990) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref> |CVG = 24/30点 (Atari 8bit)<ref name="mobygames_Atari8">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Atari 8-bit (1982) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref> |Eurogamer = 10/10点 (AC)<ref name="mobygames_AC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Arcade (1980) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref><br />8/10点 (XBLA)<ref name="mobygames_XBLA">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Xbox 360 (2006) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref><br />7/10点 (Wii VC)<ref name="mobygames_Wii">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Wii (2007) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref> |Fam = 20/40点 (GB)<ref name="famitsu"/><br />22/40点 (GG)<ref name="famitsu2"/> |GSpot = 5.6/10点 (GBA)<ref name="mobygames_GBA"/><br />6.3/10点 (XBLA)<ref name="mobygames_XBLA"/><br />6.1/10点 (Wii VC)<ref name="mobygames_Wii"/> |IGN = 5/10点 (GBA)<ref name="mobygames_GBA"/><br />6.5/10点 (XBLA)<ref name="mobygames_XBLA"/><br />6/10点 (Wii VC)<ref name="mobygames_Wii"/> |NLife = {{Rating|6|10}} (Wii VC)<ref name="mobygames_Wii"/> |NP = 3.2/5点 (GB)<ref name="mobygames_GB"/> |rev1 = [[:en:Commodore Force|Commodore Force]] |rev1Score = 75/100点 (C64)<ref name="mobygames_C64">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/138/pac-man/ |title=Pac-Man for Commodore 64 (1983) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-08-06}}</ref> |rev2 = [[:en:Zzap!64|Zzap!64]] |rev2Score = 35/100点 (C64)<ref name="mobygames_C64"/> |rev3 = [[:en:Total!|Total!]] |rev3Score = 60/100点 (FC)<ref name="mobygames_FC"/> |rev4 = [[:en:ACE (games magazine)|ACE]] |rev4Score = 796/1000点 (GB)<ref name="mobygames_GB"/> |rev5 = [[:en:Mean Machines|Mean Machines]] |rev5Score = 80/100点 (GB)<ref name="mobygames_GB"/> |rev6 = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |rev6Score = 18.37/30点 (GB)<ref name="famimaga145"/> |award2Pub = [[ゲーメスト]] |award2 = ザ・ベストゲーム 第48位<ref name="bestgame_63"/><br />(1991年) }} ; アーケード版 *[[1991年]]にそれまでに稼働したアーケードゲーム全てを対象に行われた[[ゲーメスト]]読者の人気投票によるゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』では48位を獲得した<ref name="bestgame_63">{{Cite journal |和書 |title = 最も愛されたゲームたち!! 読者が選んだベスト30 |date = 1991-07-01 |publisher = [[新声社]] |journal = ザ・ベストゲーム 月刊[[ゲーメスト]]7月号増刊 |volume = 6 |number = 7 |naid = |pages = 63 |id = 雑誌03660-7 |url = |ref = harv}}</ref>。 *[[1998年]]にそれまで発売されていたアーケードゲームすべてを対象に行われたゲーメスト読者の人気投票によるゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』では、「固定された迷路の中にあるエサを食い尽くすことで、その面はクリアとなるこのゲームは、今では永遠の名作と断言できる」、「なかでも印象に残っているのが、海を越えたアメリカで『パックマン結婚式』なるものが行われたという事実である。どういう内容かというと、新郎と新婦が一本のレバーを一緒に握って、自機であるパックマンを動かすというものだ。さすがはアメリカ。やることが違う」、「(アメリカでは)自機がとても可愛らしいということで、大人気だったという」と紹介されている<ref name="bestgame2_135">{{Cite journal |和書 |title = ザ・ベストゲーム |date = 1998-01-17 |publisher = 新声社 |journal = GAMEST MOOK Vol.112 ザ・ベストゲーム2 アーケードビデオゲーム26年の歴史 |volume = 5 |number = 4 |naid = |pages = 135 |isbn = 9784881994290 |url = |ref = harv}}</ref>。 ; ゲームボーイ版 * ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「クロスレビュー」では、合計20点となっている<ref name="famitsu">{{Cite web|和書 |date= |url= https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=13683 |title= パックマン まとめ [ゲームボーイ] |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] |accessdate= 2017-02-05}}</ref>。 * ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、18.37点(満30点)となっている<ref name="famimaga145"/>。 {| class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; border:1" |- ! 項目 | キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ ! 総合 |- ! 得点 | 3.28 || 2.90 || 3.22 || 3.10 || 3.00 || 2.87 ! 18.37 |} ; ゲームギア版 * ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では、合計22点となっている<ref name="famitsu2">{{Cite web|和書 |date= |url= https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=16065 |title= パックマン まとめ [ゲームギア] |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |language= [[日本語]] |accessdate= 2017-02-05}}</ref>。 ; 開発者 岩谷自身による評価は、何が面白いのかはよくわからず、次のステージで飽きてしまい、そんなに面白いゲームとは思っていないという<ref>『ゲームの流儀』(太田出版、p. 26)</ref>。 {{Clear}} == 関連作品 == [[ファイル:Super Pac-Man - Bally Midway Namco arcade cabinet.jpg|thumb|180px|スーパーパックマン]] === 業務用 === * [[スーパーパックマン]] * [[パック&amp;パル]] * [[パックランド]] * [[パックマニア]] * [[ナムコクラシックコレクション#パックマン・アレンジメント|パックマン・アレンジメント]](ナムコクラシックコレクション Vol.2 内)<ref group="注釈">PSPの『[[ナムコミュージアム|ナムコミュージアム Vol.2]]』にも同名のゲーム([[パックマンリミックス]]を参照)があるが、内容は全く異なる。</ref> * [[パックマンバトルロイヤル]] * パックマンのことばdeパズル([[プラスe]]用)<ref>「ファミレス・ゲーム市場拡大 ナムコやバンダイが配信 暇つぶしにどうぞ」日経MJ2003年8月19日付、16ページ</ref> * アスレチックVR PAC-MAN CHALLENGE(VRアクティビティ) * PAC-MAN GO-ROUND(VRアクティビティ) === コピーゲーム === この中には純粋なコピーゲームではなく、正規の基板を改造したものも含まれている。 * '''パックマン2''' : 迷路の形が異なる。国内のコピーゲームの半数近くは、迷路の形を変えたものである。 * '''ザ・ハングリーマン(製造:イグレック 販売:カワクス)''' : オリジナルの「パックマン」の基板にサブボードを取り付けた改造作品。 :ナムコがクレームを申し立てたことにより、イグレック、カワクス両社と協議和解。 :迷路の形が異なると共に、外周以外の壁が消えるフィーチャーが存在する。これはパワーエサを食べた時だけ消える、最初から消えている、目に見えないだけで壁はある、本当に壁がないと、面が進むにつれ様々なモードが存在する。 * '''スキャンダルマン(カミヤ)''' - 最も極端な改造をしたコピーゲームの一つとして有名。違いは以下の通り。 ** デモ画面ではゲーム名が『NEW PAC1』と書かれている。名前の通り、前作となる『PAC1』がリリースされているが、そちらは多くのコピー作品と同様、ドットの得点が20点だったり迷路が若干手直しされた程度に留まっている。 ** ドットがハート形。 ** パワーエサを食べるとイジケでなくハダケ(オリジナル版のコーヒーブレークデモで出てくる、体のほとんどが目玉と片足だけのキャラクターのこと)。 ** 四匹目のハダケが1600点でなく8000点。 ** コーヒーブレークデモの時にフルーツがランダムに出てくるので、[[インストラクションカード]]と併せて[[占い]]が出来る。 * '''ポパイマン(GL)''' ** 基本的にはスキャンダルマンとほぼ同じ内容だが、自機がポパイの顔になっている。 ** コーヒーブレイクデモも巨大なポパイの顔に差し変わっている。 * '''ピラニア''' : キャラクターが全て海産物になっており(自分のキャラクターが[[ピラニア]]である)、迷路も壁が無く海の中を想定した作りになっている。しかし各フィーチャーで鳴る音楽がメチャクチャな音階だったり、コーヒーブレークデモが何も出ない真っ暗な画面である等、コピーゲーム以前にゲームとしての出来が大変粗雑。 * '''タイタン''' : ピラニア同様に壁をほとんど撤去してしまったコピーゲーム。モチーフは[[宇宙人]]。 * '''ストリーキング([[ショウエイ]])''' : 自分のキャラクターが裸の女性となっていて(ただし当時のグラフィックなので、充分記号的である)警官の追跡を避けながらドットを取って行き、途中に落ちている服を取るとさらに得点が加算される。内容は単なるキャラクター替えでなくある程度アレンジされているが、[[Read Only Memory|ROM]]の中にはパックマンのデータをそのまま使っている部分が多い。 * '''パックマン([[ギャラクシアン]]基板使用)''' : ギャラクシアン以降に出たナムコのゲーム自体もギャラクシアン基板を使用しているが、[[アーケードゲーム基板]]というシステムが完全には確立されていなかったため、ハード的に多少改良が必要だった。このコピーゲームはそうした正規の改造を行わず、独自に安価かつ強引な基板改造をしたもので、ゲーム自体はオリジナルと同じだが、色やサウンドがギャラクシアンに準じて異なる。 他にも、イモムシをプレイヤーにしたもの(モンスター達は蜘蛛。ブロックは赤いので多少グロテスクな部分である。)や、金を取りながら進む人など、色々な種類がある。 === 海外作品 === * [[ミズ・パックマン]] (''Ms. Pac-Man'') * Baby Pac-Man(ビデオゲームやピンボールゲームのハイブリッド) * Jr. Pac-Man : そのパックマンとミズパックマンの間に生まれた子供という設定で、帽子を被っている。迷路は2画面分横スクロールする。フルーツターゲットは自転車、凧、ドラム、風船、電車、猫、ビールの順。フルーツターゲットはモンスターの巣から出現しイジケモンスターのような動きで迷路内を移動する。通常のドットの他にラージドットという菱形をした少し大きめのドットが登場する。コーヒーブレイクはオイカケの子と結ばれるまでのショートエピソード。 * Pac-Man plus * Professor Pac-Man(クイズゲーム) * Mr. and Mrs. Pac-Man(ピンボールゲーム) * PAC-ATTACK : [[コズモギャング・ザ・パズル]]のアメリカ版。 * Pac-Man World 3 / World Rally : 日本では発売されていない、パックマンワールドシリーズの続編とスピンオフ作品。 * Ghost Muncher : [[駄菓子屋]]によく置かれていた海外版。 * [[Pac-Man Pinball Advance]] * WORLD'S LARGEST PAC-MAN : RAW THRILLSとの共同開発で、超大型モニターを採用。[[ジャパンアミューズメントエキスポ]]に出展されているが、日本では一般発売されず<ref name="jaepo2018">[https://www.4gamer.net/games/373/G037372/20180126044/ バンダイナムコ,JAEPO2018の出展機種ラインナップを発表。「湾岸ミッドナイト」「太鼓の達人」「シュータウェイPRO」などの最新作,海外アーケード機など] 4Gamer.net 2018年1月26日</ref>、パックマン関連のイベント会場<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/343/G034368/20170812005/ |title=「PAC-MAN GINZA STYLE」が銀座三越でスタート。120種以上の「パックマン」グッズや,貴重なアーケードゲームが夏休みの銀座に大集合 |author=稲元徹也 |website=4Gamer.net |publisher=Aetas株式会社 |date=2017-08-12 |accessdate=2021-11-16}}</ref>・アミューズメント施設<ref>{{Cite tweet |user=kinro_ntv |number=907786801846222848 |title=2017年9月13日 午前11:03(JST)のツイート |author=アンク@金曜ロードショー公式 |date=2017-09-13 |accessdate=2021-11-16}}</ref><ref name="oinagoya">{{Cite tweet|user=oinagoya |author=[[おいでよ|おいでよ名古屋@おいなご]] |number=1452621748910714880 |title=2021年10月25日 午後10:03(JST)のツイート |date=2021-10-25 |accessdate=2021-11-16}}</ref>での稼働にとどまる。 * PAC-MAN SMASH MINI([[エアホッケー]]) : WORLD'S LARGEST PAC-MAN同様にジャパンアミューズメントエキスポに出展されているが、日本での発売予定はない<ref name="jaepo2018" />。 * Pac-Man's Arcade Party : 2010年、パックマン30周年を記念して発売された縦画面アーケードゲーム筐体。パックマンは勿論のこと、[[ゼビウス]]、[[ギャラガ]]、[[ローリングサンダー]]等13作品が収録されている。家庭用筐体も存在する。 * Pac-Man's Pixel Bash : 2018年発売の縦画面アーケードゲーム筐体。『Pac-Man's Arcade Party』に収録されていた作品に加え、パック&パル、[[ドルアーガの塔]]、[[スプラッターハウス]]等を追加し、計32作品が収録されている。ただし、Coin版筐体にはミズパックマンは収録されていない<ref>{{cite web |url=https://www.bandainamco-am.com/game.php?gameid=71 |title=Pac-Man's Pixel Bash Coin |publisher=BANDAI NAMCO Amusement America Inc. |accessdate=2021-11-16}}</ref>。また、冷蔵庫付き筐体もラインナップされている<ref>{{cite web |url=https://www.bandainamco-am.com/game.php?gameid=73 |title=Pac-Man's Pixel Bash Chill Cab |publisher=BANDAI NAMCO Amusement America Inc. |accessdate=2021-11-16}}</ref>。発売当初は米国限定だったが、2021年9月に米国外への出荷を開始<ref>{{cite web |url=https://www.bandainamco-am.co.uk/press/pac-man-s-pixel-bash-distributes-outside-us-for-the-first-time/ |title=PAC-MAN’s Pixel Bash distributes outside US for the first time |author=Jones, Steph |publisher=Bandai Namco Amusement Europe Ltd |date=2021-09-09 |accessdate=2022-08-18}}</ref>。日本でも同年以降一部のnamco直営店で稼働開始している<ref name="oinagoya"/><ref>{{Cite tweet|user=namco_matsudo |author=namco松戸店 |number=1501085489495154689 |title=【ゲーム機情報】B1Fにて「PAC-MAN PIXEL BASH」か稼働スタートしました! |date=2022-03-08 |accessdate=2022-08-18}}</ref>。 === Google版 === 2010年5月22日0時、パックマンの誕生30周年を記念して、インターネット検索サイト「[[Google]]」のトップページ・ロゴがパックマン仕様に変更された<ref>{{Cite web|和書|author=CNET Japan|date=2010-05-22|url=https://japan.cnet.com/article/20413830/|title=Googleロゴが“遊べる”パックマンに--256面までプレイ可能、隠しコマンドも|language=日本語|accessdate=2010-05-24}}</ref>。このロゴは単なる画像ではなく、Googleのロゴをモチーフにしたステージとなっており、実際に遊ぶことも可能となっている。トップページの「I'm Feeling Lucky」はコイン投入を表す「Insert Coin」に変わっている。ロゴに合わせて迷路も左右に広がった形をしており、そのぶん5個目のパワーエサが配置されている。また、コイン複数導入状態とすることで、Msパックマンが登場し、2人同時プレイを可能としている凝った造りの物。ただし残機は2人で共有であり、一方がミスしてしまうと1人プレイと同様、パックマンとモンスターの配置がリセットされ再スタートとなる。このような試みはGoogleのロゴとしては初ということで、大きな話題となった。Googleのトップページで音声が使われたのも、このパックマンプロジェクトが世界初である。公開は48時間の期間限定の予定だったが、反響が大きかったため、トップページから撤去後は専用のページ([[#外部リンク]]参照)でプレイが可能となった<ref>{{Cite web|和書|author=INTERNET Watch|date=2010-05-24|url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/369111.html |title=Google、遊べる「パックマン」ロゴを今後も公開、ユーザーの反響受け|language=日本語|accessdate=2010-05-24}}</ref>。米調査会社レスキュータイムによると、グーグル利用者がゲームに興じていた時間と想定される時間から計算した結果、482万人時、約1億2千万ドル(約108億円)程度の生産性が世界で失われた可能性があることが明らかになった<ref>{{Cite web |last=Wright |first=Tony |date=2010-05-24 |url=http://blog.rescuetime.com/2010/05/24/the-tragic-cost-of-google-pac-man-4-82-million-hours/ |title=The Tragic Cost of Google Pac-Man ? 4.82 million hours ≪ RescueTime Blog |publisher=RescueTime |language=English |accessdate=2010-05-29 }}</ref>。 2015年の[[エイプリルフール]]では、[[Google マップ]]の地図上にパックマンが現れ、実際にプレイできるという企画が公開された。2017年のエイプリルフールでは、Google マップの地図上で[[ミズ・パックマン|ミズ パックマン]]をプレイできる企画が公開された。 === 家庭用 === ゲームボーイおよびゲームギア版には、通信ケーブルを使用した対戦モードが用意されていた。それぞれのプレイヤーが独立したフィールドでプレイし、先にドットを完食するか、相手がミスをすると勝ちとなる。パワーエサを使って食べたモンスターは、相手方のフィールドへ送り込むことが出来る。 * [[ハロー!パックマン]] * パックインタイム * パックマン アドベンチャー イン タイム * ミズパックマン メイズマッドネス * [[パックマンワールド 20thアニバーサリー]](パックマンを収録) * [[パックマンワールド2]](パックマン、ミズ・パックマン、パックマニア、パックアタックを収録) * [[:en:Pac-Man World 3]] * [[パックマンvs.]] * [[パックピクス]] * [[パックンロール]](パックマンを収録) * [[パックマン チャンピオンシップ エディション]]([[パックマン チャンピオンシップ エディション DX|DX]]、DX+) * [[パックマンリミックス]] * [[パックマンパーティ]](パックマンを収録) * [[パックマン&ギャラガ ディメンションズ]](パックマン、パックマン チャンピオンシップ エディションを収録) * [[PAC-Match Party]] * PAC CHAIN * PAC'N-JUMP * PAC-CHOMP * パックマンゲームス(パックマン、ギャラガ、ディグダグ、ラリーX、ワニワニパニック、PAC CHAIN、いずれもタイムアタック版を収録) * [[ナムコミュージアム]] : [[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]版 :: ナムコミュージアムVol.1(パックマン)、Vol.3(ミズ・パックマン)、Vol.4(パックランド)、Vol.5(パックマニア) : [[ゲームボーイアドバンス]]版 :: ナムコミュージアム(ミズ・パックマン) : [[PlayStation Portable]]版 :: ナムコミュージアムVol.1(パックマン、ミズ・パックマン、パックマンアレンジメント)、Vol.2(パックマン(体験版)、パックマンアレンジメントプラス) : [[PlayStation 2]]版 :: ナムコミュージアム アーケードHITS!(パックマン、ミズパックマン) : [[ニンテンドーDS]]版 :: ナムコミュージアムDS(パックマン、パックマンvs.) : [[Wii]]版 :: [[みんなで遊ぼう!ナムコカーニバル]](スーパーパックマン、パック&パル、パックマニア、パックンロール他) : [[PlayStation 3|プレイステーション3]]版 :: ナムコミュージアム.comm(パックマン) : [[Xbox 360]]版 :: ナムコミュージアム バーチャルアーケード(パックマン(アレンジ版含む)、ミズ・パックマン、スーパーパックマン、パック&パル、パックマニア、パックマン チャンピオンシップ エディションを収録) :[[Nintendo Switch]]版 :ナムコミュージアム(パックマン、パックマンvs.) :[[PAC-MAN 99]] : [[iOS]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]版 :: [[PAC-MAN 256]] * [[パックマンコレクション]] * [[NAMCO ARCADE]](パックマン、パックランドを収録) * [[ファミコンミニ]] : 2004年2月14日、第1弾として発売。 * [[バーチャルコンソール]] : ファミコン版がWii、[[ニンテンドー3DS]]、[[Wii U]]向けに、ゲームボーイ版がニンテンドー3DS向けに配信されている。 * [[パックマンミュージアム]](パックマン、ミズ・パックマン(DLC)、スーパーパックマン、パック&パル、パックマニア、パックアタック、パックマンアレンジメント([[ナムコミュージアム (PSP)]])、パックマン チャンピオンシップ エディション、パックマンバトルロイヤル、パックランドを収録) : 各収録ゲームで条件を満たすとメインメニューに『[[パックワールド]]』のキャラクターが追加される。 * パクパクモンスター(エポック社・カセットビジョン)<!-- このタイトルを編集される場合は、ノートでの議論をご一読ください。--> : 当時は電子ゲームやアーケードゲームでパックマンの亜流ゲーム類が多く見られたが、家庭用ゲームソフトとしては本作が知られる。プレイヤーキャラは「パクパクマン」だが、同名の電子ゲームとは趣向が異なる。マシンのスペックが低いため迷路が単純なものになっており、同じエサを連続せずに繰り返し食べなければならないなど、独特のアレンジが施されている。 * [[プリッツ]] ゲームランド(プリッツ版パックマン) : 2018年に配信されたコラボキャンペーンWeb&アプリゲーム。 * [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]] PAC-MAN STAMPEDE Ver. : 2019年映画『[[ONE PIECE STAMPEDE]]』入場者特典限定、ブラウザゲーム<ref>[https://one-piece.com/news/detail/20190813_9803.html 劇場版『ONE PIECE STAMPEDE』入場者特典第2弾は尾田栄一郎描きおろしミニクリアファイル&「ONE PIECE パックマン」!] 2019年8月14日 ONE PIECE.com</ref>。 <!--:* 自機 - モンキー・D・ルフィ :* 1面モンスター - ダグラス・バレっト、ブエナ・フェスタ、アン、ドナルド・モデラート :* 2面モンスター - モーガン、キャプテン・クロ、クリーク、アーロン :* 3面モンスター - ワボル、サー・クロコダイル、ゲッコー・モリア、ペローナ(罠) :* 4面モンスター - センゴク、サカズキ、ボルサリーノ、藤虎、バシフィスタ(罠) :* 5面モンスター - 大型バレット(ボスキャラ)、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、ビッグ・マム、カイドウ :* 5面援護キャラ - バギー、スモーカー、ボア・ハンコック、サボ、トラファルガー・ロー、ロブ・ルッチ--> * パックマン[[たまごっち]](PAC-MAN Tamagotchi) : 2020年3月に海外向けのみ発売<ref>[https://www.gamespark.jp/article/2020/01/25/96259.html 『パックマン』が「たまごっち」とコラボ―海外にて2020年3月15日発売決定―先行販売は2月5日から] Game park 2020年1月25日</ref>。 開発が中止された作品として[[ワンダースワンカラー]]の『GPS超!!パックマン』、PlayStationの『Pac-Man Ghost Zone』、ニンテンドーDSの『Super Pac-Man Pinball』、Xbox 360とPlayStation 3の『Pac-Man World 4』などがあった。 === 電子ゲーム === まだ家庭用テレビゲームが一般的でなかったころ、明らかにパックマンを意識したと思われる亜流ゲームが多く出ている。いずれも「自機は丸い生物」「ドットイート」「複数の敵キャラクター」「パワーエサでの逆転要素」「ワープできる場所」というルールはほぼ共通している。 * パックマン([[トミー (企業)|トミー]]) [[ファイル:TOMY LSI PACMAN handheld electronic game.jpg|サムネイル|トミー パックマン。ラベル表記は「PUCKMAN」]] *: 国内唯一の版権許諾製品。音楽や、パックマンやモンスターの絵がビデオゲームと同じ。パックマンは口がある方向が左で、その方向にしかエサを食べることができない<ref name="denshi">『電子ゲーム なつかしブック』[[コアマガジン]]〈コアムックシリーズNO.682〉、2016年、p. 11。ISBN 9784864369619。</ref>。迷路の右端にあるエサは左端からワープトンネルを利用して食べることになる。ワープトンネルはオリジナルより多く上段と下段の2対配置されている。絵はきれいだが画面が小さく横長、ゲーム展開が遅い<ref name="denshi"/>。他社製品より原作からかけ離れた部分が多い。パックマンとモンスターが共に塗り絵で重ねて表示出来ないため、パックマンの右隣にモンスターが接触するとミスとなる。筐体はパックマンを模した黄色い目玉焼きのような形の円形で、本体デザインの評価は高いという意見があり、また当時70万台を売り上げた<ref name="denshi"/>。動きが手ごわいことから中級者向けという意見もある<ref name="koro">[[月刊コロコロコミック]]1982年2月号の比較記事 (pp. 110 - 111) より。</ref>。ラベルが「PUCKMAN」と「PAC-MAN」の2バージョンが存在する。 * パックリモンスター([[バンダイ]]・FLシリーズ) *: {{要出典範囲|後にナムコから著作権侵害で訴えられる。|date=2017-02}}横長画面で、コーヒーブレイクを再現。このゲームでは自機の名が「モンスター」であり、敵キャラは「オバケ」と呼称される。全7面のループ制で、6,7面の「オバケ」の移動速度は「モンスター」よりも極端に速い。2周目以降については、1面のオバケの配置が1周目と異っており、2面の「オバケ」は巣から出てこない。音が軽快で楽しいとして初級者向けと評する意見もある<ref name="koro" />。 * パックモンスター([[学研ホールディングス|学研]]) *: ビデオゲームと同じ縦長の画面。迷路が8種類(上半分、下半分、ワープゾーンそれぞれ2種類ずつ)用意されている。自機(レバー)を毎回同じように動かせば、モンスターも毎回同じ動きをするのでパターン構築<ref group="注釈">[[電源パターン]]も参照。この機種はプレーのたびに主電源スイッチを入れなおさなければならないので、もともと[[疑似乱数|乱数の種]]となる要素がユーザーのレバー入力しか存在しない。</ref> が可能。迷路の規模が小さい割にパワーエサは4個ある。動きがコミカルで初級者向けと評する意見もある<ref name="koro" />。 ** スーパーパックモンスター(学研) **: 迷路が広くなり、二人同時プレイも可能。ナムコのライセンスを取得しており、形状・ゲーム内容ともに日本国外におけるコレコ版のFLパックマンを踏襲したもの<ref>山崎功、「懐かしの電子ゲーム大博覧会」(主婦の友)、2018年、p. 74 [https://books.google.co.jp/books?id=XkZiDwAAQBAJ&pg=SL21-PA74&lpg=SL21-PA74&dq=%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%B3+%22%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%22+%E5%AD%A6%E7%A0%94&source=bl&ots=l1tsOmIpkq&sig=7b8gyBN87PPinoPY4mfBssgfCZM&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiEk5vNh87dAhUK9bwKHXHxDCgQ6AEIMjAK] ISBN 9784074310593</ref>。 ** FL パックマン([[コレコ]]) **: 価格不明。1981年発売。アーケードゲームの筐体をそのまま小型化したLSIゲーム。2人同時プレイできることと、アメリカンテイストで描かれた筐体のイラストが特徴である。これは当時、海外でナムコからライセンスを得ていたミッドウェイ社からの許諾を受け、販売されたものである。国内では未発売<ref name="FLP">『電子ゲーム なつかしブック』[[コアマガジン]]〈コアムックシリーズNO.682〉、2016年、p. 23。ISBN 9784864369619。</ref>。筐体イラスト等は異なるものの、上記の通り学研のスーパーパックモンスターとは同型機。 * ハングリーパック(エンテックス・コーポレーション) *: 横長の筐体で一見すると横長画面だが、モンスター側との2人対戦プレイも可能なように左右からコントローラに向かう形であるため、実質的にはビデオゲームと同じ縦長の画面になる。他機と比べ迷路が本格的で、エサの数もパワーエサ4個を含め計93個と多い。そのエサの多さから中級者向けと評する意見もある<ref name="koro" />。アメリカではミッドウェイの許諾を得て正式にパックマン2として販売されている。 ** ハングリーパックIII([[アサヒ玩具]]・HANZAWA) **: ハングリーパックとは筐体形状やメーカーが異なる。ただし製造を担当したHANZAWAはエンテックス日本法人を前身とする。縦型のFLシリーズのような筐体。国内では発売予告は確認できるものの、流通状況は不明。やはり海外では別名で売られているが、HANZAWA版はACTRONICS社から同名のものも出ていた。 * パクパクマン・パクパクマンII([[エポック社]]・ポケットデジコム) *: パックマンタイプのゲームでは数少ない[[ゲーム&amp;ウオッチ]]形液晶タイプのゲーム機。構造上迷路があまり広くできていない。面が進むとどんどんゲーム速度が上がっていき、後半面は極端に高速になる。迷路は縦長で左右非対称、道同士が擬似立体交差していたりするのが特徴。ワープトンネルは上下に繋がっており、時間で位置が変化する。開発者によれば当時300万台近い販売セールスを記録した、との事である<ref>{{Cite news |url=https://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/creators/horie/1p.html |title=CLASSIC VIDEOGAME STATION ODYSSEY内開発者インタビューより。}}</ref>。動きの速さから名人向けと評する意見もある<ref name="koro" />。続編の「II」は内容は同じで、ボディカラーと価格のみ変更になった廉価版。 === パチンコ・パチスロ === * CR[[フィーバー (パチンコ)|フィーバー]]パックワールドSP([[2001年]]、[[三共 (パチンコ)|SANKYO]])<ref>{{Cite web|和書|date=2001-09-06 |url=http://www.bandainamcogames.co.jp/corporate/press/namco/2001/aug/press04.html |title=ナムコの「パックマン」が登場するパチンコ機「CR フィーバーパックワールドSP」がSANKYOより発売 |publisher=ナムコ |accessdate=2014-05-16}}</ref> * [[SLOTパックマン]]([[ユニバーサルエンターテインメント]](MACYブランド)・ファミスロ第1弾) === アニメ === ; ザ・パックマン・ショー([[:en:Pac-Man (TV series)|Pac-Man (TV series)]]) : 1982年9月からアメリカで放送された[[ハンナ・バーベラ・プロダクション]]制作のアニメ。ゴールデンタイムに放映され、最高視聴率56%を達成{{sfn|岩谷|2005|pp=4-80}}<ref>[http://pacman.com/ja/exhibition/ PAC-MAN WEB]</ref> するという大人気番組となった。日本未放映作品。 ; パックワールド {{Main|パックワールド}} : パックマン30周年プロジェクトの一環として制作が開始された[[CGアニメ]]<ref name="famitsu30th" />。北米では2013年6月より放送、日本では[[2014年]]4月より放送。 == 注釈 == {{Reflist|group="注釈"}} == 出典 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=赤木真澄|authorlink=赤木真澄|year=2005|month=9|title=それは『ポン』から始まった アーケードTVゲームの成り立ち|edition=初版|publisher=アミューズメント通信社|isbn=4-9902512-0-2|ref={{SfnRef|赤木|2005}} }} * {{Cite book|和書|author=岩谷徹|authorlink=岩谷徹 (ゲームクリエイター)|year=2005|month=9|title=パックマンのゲーム学入門|edition=初版|publisher=エンターブレイン|isbn=4-7577-1752-0|ref={{SfnRef|岩谷|2005}} }} * {{Cite book|和書|editor=[[スーザン・ラマース]]・[[マイクロソフトプレス]]編|others=[[岡和夫]]訳|year=1987|month=2|title=実録!天才プログラマー|edition=第1版|publisher=アスキー|isbn=4-87148-363-0}} * {{Cite book|和書|editor=クレイグ・グレンディ編|year=2005|month=12|title=ギネス世界記録2006|edition=第1刷|publisher=ポプラ社|isbn=4-591-08957-6}} == 関連項目 == {{関連項目過多|date=2020年12月}} === キャラクターやゲームそのものが登場 === * [[セブンアップ (飲料)|7 Up]] - コマーシャルに使用。 * [[チャラ]] - [[アサヒ飲料]]の清涼飲料水。コマーシャル、パッケージに使用。 * [[パックまん]] - [[中華まん]]。[[2010年]][[1月13日]]発売。バンダイナムコと[[サークルKサンクス]]の共同開発で、パックマン30周年を記念した数量限定販売。生地を黄色と白にわけ、パックマンの形を再現している。パックマンのエサがクッキーであるとの設定の元、餡にクッキー風味のクリームと砕いたアーモンドを使用している<ref>[[ITmedia]] [http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/1001/07/news041.html 30周年を記念した中華まん「パックまん」発売]</ref>。なお、[[ゲーマーズ]]開店初期の頃にもナムコからライセンスを受けた同名の菓子が発売されていたが、こちらは餡子が入った普通の饅頭である。 * [[シュガー・ラッシュ]](2012年、ディズニーアニメ映画) - 悪役お悩み相談会の場面で、モンスターのグズタ(CLYDE)が出演している。また、劇中ゲーム「Fix-It Felix Jr.」の30周年記念パーティにパックマンがゲストとして呼ばれており、窓を横切る形で一瞬だけ画面に登場する(外見は[[:en:Pac-Man (Atari 2600 video game)|Atari2600版]]パッケージのような黄色い球体+点目)。 * [[ピクセル (2015年の映画)|ピクセル]] - 2015年公開のアメリカ映画。地球外生命体に向けて送った地球のメッセージを宣戦布告と誤認した異星人が地球に飛来し、レトロゲームを模した兵器で地球人に挑む内容。その異星人側兵器の一つがパックマンであり、地球人側はモンスターに見立てた[[ミニクーパー]]で反撃する。ここでは[[岩谷徹 (ゲームクリエイター)|岩谷徹]](演:[[デニス・アキヤマ]])も参戦しているほか、岩谷本人もカメオ出演している。 * [[2016年リオデジャネイロオリンピックの閉会式]] - フラッグハンドオーバーセレモニーでの東京オリンピックPR映像にて日本を代表するキャラクターの一つとして起用。 * [[札幌エスタ]] - 2016年9月に「エスタ大食品街」の新装オープン広告に起用。また同施設には[[ナムコ]]直営店もテナントとして出店している。 * [[仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー]] - [[2016年]]公開の『[[仮面ライダーシリーズ]]』と『パックマン』のコラボ劇場版作品。パックマンは本作の重要な要素として登場する。 * [[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス]] - 2017年のアメリカ映画。パックマンに言及するセリフおよび登場シーンがある。 * [[BMW]] - [[BMW・2シリーズ|2シリーズ]] グランクーペが40周年を迎えたパックマンとコラボ。CMでもパックマンの世界観を再現している<ref>[[ITmedia]] [https://www.bmw.co.jp/ja/all-models/2-series/gran-coupe/2019/bmw-2-series-gran-coupe-special.html?tl=sea-gose-0036-pro-miy-.-.-00000003-2020-03-30-.-.&_adp_c=wa&_adp_e=c&_adp_u=p&_adp_p_md=4762&_adp_p_cp=112719&_adp_p_agr=8813335&_adp_p_ad=15160465 BMW 2シリーズ グラン クーペ GAME CHANGER ジョウシキなんて、ひっくり返せ。]</ref>。 * シンパリカ(海外版Simparica) - 日本は未開催だが海外版ではコラボ企画があった。 === 外見や行動など何らかの類似に由来するもの === * [[NGC 281]] - [[カシオペヤ座]]にある星雲。形がパックマンに似ていることから「パックマン星雲」と呼ばれている。 * [[カラーズ 天使の消えた街]] - 1988年公開のアメリカ映画。主要人物の一人である[[ロサンゼルス市警察]]の捜査員が、使用している覆面パトカーの色が黄色であることから「パックマン」とあだ名される。 * [[仙台市交通局]] - 都心バス100円均一運賃「[[仙台市営バス|100円パッ区]]」のキャラクターに起用。 * [[ツノガエル属]] - 旺盛な食欲で獲物を丸呑みするさまと、大きな口の形態から、パックマンフロッグとの俗称がある。 * [[パックマン・ディフェンス]] - 経済用語。 * [[松井秀喜]] - ゲームのキャラクターさながら打点をよく飲み込むように稼ぐため、[[ヤンキース]]のチーム内で命名されたあだ名。 * [[マニー・パッキャオ]] - あだ名として広く使われている。 * [[4四歩パックマン]] - [[将棋]]の[[奇襲戦法]]。4四歩を取ると逆に猛反撃されてしまう、というシチュエーションから命名。 === パックマンが登場するゲームなど === * [[アイドルマスター ミリオンライブ! シアターデイズ]] - [[2019年]]の望月杏奈の誕生日[[ホワイトボード]]にパックマンとモンスターが登場した。 * [[斑鳩 (シューティングゲーム)|斑鳩]] - 弾を一発も発射せず、敵の弾をひたすら吸収し続けてクリアすると「ドットイーター」の称号が与えられる。 * [[オーダイン]] - 敵弾を食べて蓄積するウェポンのモチーフとして採用された。 * [[ゲームセンターあらし]] - [[スペースインベーダー]]と同様、本ゲームが登場する。 * [[風のクロノア]] - 主人公であるクロノアの帽子にパックマンのワッペンが付いている * [[ケロロRPG 騎士と武者と伝説の海賊]] - サポートキャラクターとしてパックマンが登場する。 * [[クリティカルベロシティ]] - パックマンが隠し車種として登場する。 * [[太鼓の達人]]シリーズ - 太鼓の音色で「パックマン」が使われたことがあり、メドレー曲の一部やパックマニアのBGMのアレンジ曲が採用されている。 * [[ファミスタシリーズ]] - [[パック (ファミスタ)|パック]](一部タイトルでは「PAC」や「ぱっくまん」表記もアリ)の名前で架空の球団・[[ナムコスターズ]]の不動の4番打者として登場する。 * [[リッジレーサーシリーズ]] - 『[[R4 -RIDGE RACER TYPE 4-]]』から、パックマンカーが隠し車種として登場している。また『[[リッジレーサーV]]』から『[[リッジレーサー3D]]』までパックマン自身がゲストレーサーとして登場。『[[リッジレーサー6]]』のミニゲームとしてパックマンが収録されている。ゲーム中の音楽にもパックマンのアレンジが使われている。 * [[攻めCOMダンジョン ドルルルアーガ]] - クリーチャーの一つとしてゲスト出演。攻撃力は高いがHPが低い。 * [[湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNEシリーズ]] - 『[[湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE]]』のみゲストレーサーとして登場した。『[[湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 2]]』の海外版にも関連キャラクター(パックマン・モンスター)が登場。『[[湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 3]]』以降ではゲストレーサーとして参加しないもののパックマンをモチーフとしたステッカーが登場。 * [[NAMCO x CAPCOM]] - 本人は登場していないが、ステージ「ナムコシアター」で彼の銅像が設置されている。 * [[マリオカート アーケードグランプリ]]シリーズ - パックマンだけでなく、ミズパックマンとアカベイも登場、プレイヤーキャラクターとして選択可能。また「パックマウンテン」「パックラビリンス」といったパックマンの世界をモチーフとしたコースも用意されている。『マリオカート アーケードグランプリ DX』にも引き続き登場するがパックワールド風のデザインになっている。また、ミズパックマンとアカベイも登場しない。また「パックマンスタジアム」と「ナムコサーキット」というステージも2016年4月のアップデートで登場する。 * [[鉄拳タッグトーナメント2]] - 木人のエンディングでパックマンの模型像が登場している。 * [[ストリートファイター X 鉄拳]] - ゲストキャラクターとして参戦し、鉄拳シリーズのキャラクターである木人を模したロボットを操縦して戦う。 * [[みんなのGOLF 6]] - 2013年8月22日より、有料の[[ダウンロードコンテンツ|DLC]]キャラクターとしてゲスト参戦。性能は初心者向け。 * [[大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ]] - 『[[大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U|for 3DS / Wii U]]』と『[[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL|SPECIAL]]』にゲストキャラクターとして参戦。2010年代は[[パックワールド]]風の青目が特徴のキャラクターデザインが多いが、オールドタイプでの参戦<ref>{{Cite web|和書|date=2014-06-11 |url=http://www.smashbros.com/jp/characters/pac-man.html |title=大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U:パックマン |publisher=[[任天堂]] |accessdate=2014-06-11}}</ref>。また、パックマンシリーズを題材としたステージも存在する。 * [[amiibo]] - 上記の『スマブラシリーズ』『[[マリオカート8]]』『[[エースコンバット3D クロスランブル|エースコンバット3D クロスランブル+]]』などに対応。 * [[プラチナ・トレイン]] - 1周年記念イベントとして出演。サポート運転士としても登場している。 * [[スーパーロボット大戦DD]] - 魂ネイションズで商品化した超合金パックマンをモデルにした「PAC-80-5 パックマンロボ」のパイロットとして登場。CVはなく、移動音(ワカワカという音)を翻訳する形となっている。 === その他 === * [[ボノボ]] - パックマンの複雑なルールを理解してプレイすることが出来る[[類人猿]]。 === 関連項目に関する注釈 === {{Reflist}} == 外部リンク == &ensp;{{Commonscat-inline}} * {{Official website}}{{ja icon}}{{en icon}} * [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/pacman.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト パックマン(Nintendo Switch版)] * [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/pacman.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト パックマン(PS4版)] * [https://www.nintendo.co.jp/n08/fmk/pacman/ ファミコンミニ パックマン] * {{Wiiバーチャルコンソール|pm|パックマン(FC版)}} * {{3DSバーチャルコンソール|ta6j|パックマン(FC版)}} * {{3DSバーチャルコンソール|razj|パックマン(GB版)}} * {{Wii Uバーチャルコンソール|farj|パックマン(FC版)}} * [https://www.onlinespiele-sammlung.de/pacman/list-of-pacman-games.php List-of-279-online-Pacman-games]{{en icon}} * [https://www.google.com/pacman/ PAC-MAN's 30th Anniversary Doodle]{{en icon}}([https://www.google.com/intl/en_us/logos/index.html#logo-pacman10-hp Google Logos]) - Webブラウザ上でゲームができる。 * {{Imdb title|id=0260264|title=Pakkuman}} * {{Twitter|BNEI_PACMAN_JP|パックマン公式_JP}} * {{YouTube|p=PL0DnZpV_rwVs8-JV7O9dan82S2IR6Ur5r|パックマンシリーズ}} {{パックマン}} {{ナムコット}} {{マリオカートシリーズの登場レーサー}} {{大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ}} {{大乱闘スマッシュブラザーズシリーズの登場キャラクター}} {{ナムコのオムニバスゲーム}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:はつくまん}} [[Category:1980年のコンピュータゲーム]] [[Category:1980年のアーケードゲーム]] [[Category:Apple II用ゲームソフト]] [[Category:FM-7シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:IPad用ゲームソフト]] [[Category:IPhone用ゲームソフト]] [[Category:IPod用ゲームソフト]] [[Category:MacOS用ゲームソフト]] [[Category:MSX/MSX2用ソフト]] [[Category:MZ用ゲームソフト]] [[Category:PC-6000/6600用ゲームソフト]] [[Category:PC-8001用ゲームソフト]] [[Category:PC-8800用ゲームソフト]] [[Category:PC-9800シリーズ用ゲームソフト]] [[Category:PlayStation 4用ソフト]] [[Category:Wii用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:Wii U用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:Windows用ゲームソフト]] [[Category:X1用ゲームソフト]] [[Category:Xbox Live Arcade対応ソフト]] [[Category:ZX Spectrum用ゲームソフト]] [[Category:オールタイム100ビデオゲーム選出]] [[Category:携帯電話アプリゲーム]] [[Category:ゲームギア用ソフト]] [[Category:ゲームボーイ用ソフト]] [[Category:ゲームボーイアドバンス用ソフト]] [[Category:コモドール64用ゲームソフト]] [[Category:コンピュータゲーム関連企業のマスコット]] [[Category:大乱闘スマッシュブラザーズの登場キャラクター]] [[Category:ディスクシステム用ソフト]] [[Category:日本のギネス世界記録]] [[Category:ニンテンドー3DS用バーチャルコンソール対応ソフト]] [[Category:ネオジオポケット用ソフト]] [[Category:アーケードアーカイブス対応ソフト]] [[Category:パックマン|*]] 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MAC
MAC、Mac、マック
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MAC、Mac、マック
'''MAC'''、'''Mac'''、'''マック''' == 頭字語 == === 一般名詞 === *[[強制アクセス制御]](mandatory access control)とは、コンピュータのプロセス、データ、システムデバイスを、誤用、不正な利用から守る技術である。 *[[媒体アクセス制御]](media access control)とは、[[コンピュータネットワーク]]技術において、[[OSI参照モデル]]の第2層([[データリンク層]])の副層([[MACアドレス]]も参照)。 *[[メッセージ認証コード]](message authentication code)とは、認証や通信途中の改ざんをチェックするためなどの短い情報。 *[[最小肺胞内濃度]](minimum alveolar concentration)は1気圧下において、[[吸入麻酔薬]]により動物の半数(50%)を不動化させるのに必要な肺胞内における吸入麻酔薬の濃度。 *[[監視下麻酔管理]](monitored anesthesia care)は[[麻酔科医]]による[[鎮静]]。 *[[膜侵襲複合体]]([[:en:Complement membrane attack complex|membrane attack complex]])は、人体の免疫に関わる[[補体]]の複合体。 *[[MACシップ]](merchant aircraft carrier)は、[[第二次世界大戦]]前半に[[イギリス海軍]]が船団護衛用として用いた簡易空母。 *[[積和演算]](Multiply and ACcumulation)は、a ← a + b × c の演算。 *[[マック (船)|MAC構造]](mast and chimney)は、[[マスト]](mast)と[[煙突]](chimney)が一体化した、[[船舶]]の[[上部構造物]]。 *非結核性抗酸菌複合体('''M'''ycobacterium '''A'''vium '''C'''omplex)は[[非結核性抗酸菌症]]の原因菌として多くを占める、Mycobacterium aviumとMycobacterium intracellulareの総称。 === 固有名詞 === * [[Mac (コンピュータ)]]は、[[Apple]]が発売している[[パーソナルコンピュータ]](マック)。 * [[ウルトラマンレオ#MAC|Monster Attacking Crew]]は、[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビ番組]]『[[ウルトラマンレオ]]』に登場した地球防衛チーム。 * [[:en:Mid-American Conference|Mid-American Conference]]は、[[アメリカ合衆国]]のカレッジスポーツ、[[全米大学体育協会|NCAA]]のディヴィジョン1-Aに属する[[カンファレンス (カレッジスポーツ)|カンファレンス]]。 * [[Project MAC]]は、マサチューセッツ工科大学で行われたコンピュータ科学のプロジェクト。 * [[Mobile Access Center]]は、[[フルブラウザ]]のサービス(mac.io)。 * {{仮リンク|MACコスメティックス|en|MAC Cosmetics}} - カナダの化粧品メーカー。Make-up Art Cosmeticsの略。ブランド名としては"M・A・C"とも表記される。 * [[軍事空輸軍団]](Military Airlift Command)はかつてあったアメリカ空軍の主要軍団。 * [[ミリタリー・アーマーメント・コーポレーション]]([[:en:Military Armament Corporation|Military Armament Corporation]])はかつてあったアメリカの銃器メーカー。 * Medical Academy Corporationは、[[医師国家試験]][[予備校]]の一つ。 * ドラッグストア・マックは、[[大屋]]が運営する[[ドラッグストア]]のブランド。 * [[マック・トラックス|Mack Trucks]] - アメリカの貨物自動車メーカー。 == その他の略語 == * [[マクドナルド]](McDonald's)は、ハンバーガーショップ(マック)。商品名に使われる場合もある(例:McFlurry、McMuffin)。 * [[マカオ]]の[[ISO 3166-1]][[国名コード]]。 * MACは、[[パナソニック]]が製造していた[[ラジカセ]]の[[登録商標]]。 * [[MACツールズ]]は、[[工具]]店。 * [[松江情報センター]](Matsue Joho Center, Inc.)の略語。 * [[MAC法]]([[:en:Marker-and-cell method|marker and cell method]])は、流体力学における数値解法の一つ。 * MAC型解法は、数値流体力学における時間進展(積分)の技法のひとつ。MAC法に由来する。 * [[限界削減費用]]([[:en:Marginal Abatement Cost|Marginal Abatement Cost]])の略語。 * 松山オートクラブの略語。モータースポーツクラブで、[[全日本ラリー選手権]]・[[久万高原町|久万高原]]ラリーの主催者。 * [[マケドニア語]]の[[ISO 639]]コード * [[ダグラス・マッカーサー]]の通称 == 外国語の原語表記 == *[[マック (ゲール語)]]は、アイルランド系の[[姓]]の一部に使われる[[単語|語]]または[[接頭辞]]([[父称]])で、[[ゲール語]]で「[[息子]]」という意味。MacDonald(ドナルドの息子の意)など。McDonaldの様にMcと略されることもある(意味は同じ)。 {{aimai}} [[es:MAC]] [[en:MAC]] [[fr:MAC]] [[it:MAC]]
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キセノン
キセノン(英: xenon、独: Xenon [ˈkseːnɔn])は原子番号54の元素。元素記号はXe。貴ガス元素の一つ。ラムゼー (W. Ramsay) とトラバース(英語版) (M. W. Travers) によって1898年に発見された。 常温常圧では無色無臭の気体。融点-111.9 °C、沸点-108.1 °C。空気中にもごく僅かに(約0.087 ppm)含まれる。固体では安定な面心立方構造をとる。 一般に貴ガスは最外殻電子が閉殻構造をとるため、反応性はほとんど見られない。しかし、キセノンの最外殻 (5s5p) は原子核からの距離が離れているため、他の電子による遮蔽効果によって束縛が弱まっており、比較的イオン化しやすい(イオン化エネルギーが他の貴ガス元素に比べて相対的に低い)。このため、反応性の強いフッ素や酸素と反応して、フッ化物や酸化物を形成する。 ギリシャ語で「奇妙な」「なじみにくいもの」を意味する ξένος (xenos) の中性単数形の ξένον (xenon) が語源。英語圏ではゼノン (/ˈzɛnɒn/、/ˈziːnɒn/) と発音されることが多い。 キセノンランプに封入されたり、イオン推進エンジンの推進剤に使用される。また断熱性能が空気よりも高いため、複層ガラスに封入する断熱材としても有効である。 麻酔作用を有する事が1946年に報告された以降に研究が始まり、2005年にはドイツで臨床許可が出された。麻酔薬としては、理想的な性質(「導入・覚醒が早い」、「鎮痛作用を持つ」「術中の循環動態が安定する」、「脳保護作用を持つ」、「術後認知機能障害を予防できる可能性がある」)などと報告されている。20〜50%程度の酸素を混合した混合ガスが一部病院では試験的に導入された。ただし純粋なキセノン自体が高価なことや術後悪心嘔吐の副作用もあり、一般には普及しなかった。しかも、麻酔の際には閉鎖循環式回路での使用が必要で特段の利点もないとの指摘もある(一般の全身麻酔に用いられる回路は半閉鎖式回路である)。 暗黒物質(ダークマター)の直接検出を目論んでいるXMASS検出器では、暗黒物質を検出するために-100 °Cの液体キセノンで満たしたセンサーが用いられる。これは暗黒物質がキセノン原子核と衝突して放つシンチレーション光を光電子増倍管で捕捉する仕組みで、東京大学の神岡宇宙素粒子研究施設で2011年春から稼動予定であったが、2010年からの試運転の結果、検出器を構成する素材が予想外に多くのバックグランドを含んでいることが判明、そのバックグランドを減らす改修が行われ2013年11月に再運転し観測が行われている。 空気中からの単独精製は行われることはない。液体酸素・液体窒素・液化アルゴンを生産するために大型空気分離装置における断熱膨張(ジュール=トムソン効果)により、液化した空気からの分留残(副産物)から回収精製される。 化学結合を備えた最初の貴ガス化合物として、1962年5月、カナダのブリティッシュコロンビア大学のネイル・バートレットとD.H.ローマンによってヘキサフルオロ白金酸キセノン (XePtF6) が合成された。酸素分子 O2 を酸化するヘキサフルオロ白金酸の反応から類推し、O2 (12.2 eV) とほぼ同じイオン化エネルギーを持つキセノン (12.13 eV) を酸化できるのではと考えたことが成功の鍵であった。8月には XeF4 が、同年末は XeF2 と XeF6、2011年には XeO2 も合成された。 キセノンはフッ素単体の混合比を調節してニッケル管中で加熱し、急冷すると四フッ化キセノン XeF4 あるいは二フッ化キセノン XeF2 を生成し、加圧条件下で同様に加熱すると六フッ化キセノン XeF6 を与える。 いずれのフッ化物も水に容易に加水分解される。XeF6、XeF4 は強力なフッ素化剤である。XeF4 はベンゼンなどの芳香族化合物の水素をフッ素化することができ、XeF6 に至っては石英とさえ反応し SiF4 を与える。また、XeF2 は温和なフッ素化試剤として利用される。 六フッ化キセノン XeF6 または四フッ化キセノン XeF4 は水と反応し、三酸化キセノン XeO3 を与える。 XeO3 は三角錐型の構造を持ち、爆発性の化合物である。XeO3 はアルカリ条件下、Xe と Xe に不均化する。 また、反応性の高い XeF6 を石英 SiO2 と反応させると四フッ化酸化キセノン XeOF4 を生成する。 他の例として、XeO3 と XeOF4 から XeO2F2 が、XeF6 と NaXeO6 から XeO3F2 が生成する。低温で水と混合し、紫外線を照射するとキセノン2原子を含む分子 HXeOXeH が生成する。 C6F5BF2 と XeF4 をジクロロメタン中で混合することにより、[C6F5XeF2][BF4] が合成されている。
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キセノンは原子番号54の元素。元素記号はXe。貴ガス元素の一つ。ラムゼー とトラバース によって1898年に発見された。 常温常圧では無色無臭の気体。融点-111.9 °C、沸点-108.1 °C。空気中にもごく僅かに含まれる。固体では安定な面心立方構造をとる。 一般に貴ガスは最外殻電子が閉殻構造をとるため、反応性はほとんど見られない。しかし、キセノンの最外殻 (5s25p6) は原子核からの距離が離れているため、他の電子による遮蔽効果によって束縛が弱まっており、比較的イオン化しやすい(イオン化エネルギーが他の貴ガス元素に比べて相対的に低い)。このため、反応性の強いフッ素や酸素と反応して、フッ化物や酸化物を形成する。
{{Elementbox |name=xenon |japanese name=キセノン |pronounce={{IPAc-en|ˈ|z|ɛ|n|ɒ|n}} {{respell|ZEN|on}}<ref>{{cite dictionary |editor=J. A. Simpson & E. S. C. 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Ramsay) と{{ill2|モーリス・トラバース|en|Morris Travers|label=トラバース}} (M. W. Travers) によって[[1898年]]に発見された<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 245|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv}}</ref>。 常温常圧では無色無臭の[[気体]]。[[融点]]-111.9 {{℃}}、[[沸点]]-108.1 {{℃}}。空気中にもごく僅かに(約0.087 [[ppm]])含まれる。[[固体]]では安定な[[面心立方構造]]をとる。 一般に貴ガスは最外殻電子が閉殻構造をとるため、反応性はほとんど見られない。しかし、キセノンの最外殻 (5s<sup>2</sup>5p<sup>6</sup>) は[[原子核]]からの距離が離れているため、他の[[電子]]による遮蔽効果によって束縛が弱まっており、比較的[[イオン]]化しやすい(イオン化エネルギーが他の貴ガス元素に比べて相対的に低い)。このため、反応性の強い[[フッ素]]や[[酸素]]と反応して、[[フッ化物]]や[[酸化物]]を形成する。 == 名称 == ギリシャ語で「奇妙な」「なじみにくいもの」を意味する {{lang|el|ξένος}} (xenos) の中性単数形の {{lang|el|ξένον}} (xenon) が[[語源]]。英語圏ではゼノン ({{IPA|/ˈzɛnɒn/}}、{{IPA|/ˈziːnɒn/}}) と発音されることが多い。 == 用途 == [[キセノンランプ]]に封入されたり、[[イオンエンジン|イオン推進エンジン]]の推進剤に使用される。また[[断熱]]性能が空気よりも高いため、[[複層ガラス]]に封入する断熱材としても有効である。 ; 医療 [[麻酔]]作用を有する事が1946年に報告された以降に研究が始まり、2005年にはドイツで臨床許可が出された<ref>水原敬洋、後藤隆久、「[https://doi.org/10.2199/jjsca.33.736 キセノン麻酔について-利点,欠点,将来の展望-]」日本臨床麻酔学会誌 Vol.33 (2013) No.5 p.736-741, {{DOI|10.2199/jjsca.33.736}}</ref>。麻酔薬としては、理想的な性質(「導入・覚醒が早い」、「鎮痛作用を持つ」「術中の循環動態が安定する」、「脳保護作用を持つ」、「術後認知機能障害を予防できる可能性がある」)などと報告されている<ref name=":0">{{Cite journal|author=後藤隆久|year=2009|title=キセノン麻酔|url=https://web.archive.org/web/20161116163848/http://www.maruishi-pharm.co.jp/med2/files/anesth/book/32/8.pdf?1368764606|journal=Anesthesia 21 Century|volume=11|pages=60-63}}</ref>。20〜50%程度の酸素を混合した混合ガスが一部病院では試験的に導入された<ref name=":0" /><ref name="goto">{{Cite web|和書|title=キセノン麻酔 |url=http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~anestuih/Xenon/Xe-Anesthesia.html |website=www.med.teikyo-u.ac.jp |access-date=2023-03-20 |archive-date=2023-03-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220926170920/http://www.med.teikyo-u.ac.jp/~anestuih/Xenon/Xe-Anesthesia.html}}</ref>。ただし純粋なキセノン自体が高価なことや[[術後嘔気嘔吐|術後悪心嘔吐]]の副作用もあり、一般には普及しなかった<ref name=":0" />。しかも、麻酔の際には閉鎖循環式回路での使用が必要で特段の利点もないとの指摘もある(一般の[[全身麻酔]]に用いられる回路は半閉鎖式回路である)<ref name=":0" />。 ; 素粒子物理学 [[ダークマター|暗黒物質]](ダークマター)の直接検出を目論んでいるXMASS検出器では、暗黒物質を検出するために-100 {{℃}}の液体キセノンで満たしたセンサーが用いられる。これは暗黒物質がキセノン原子核と衝突して放つシンチレーション光を[[光電子増倍管]]で捕捉する仕組みで、東京大学の神岡宇宙素粒子研究施設で2011年春から稼動予定であった<ref>[https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/xmass/ XMASS実験]</ref><ref>http://www.yomiuri.co.jp/space/news/20100212-OYT1T00164.htm</ref>が、2010年からの試運転の結果、検出器を構成する素材が予想外に多くのバックグランドを含んでいることが判明、そのバックグランドを減らす改修が行われ2013年11月に再運転し<ref>[https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/xmass/whatsnew/whatsnew-140626.html XMASS実験装置の改修] 東京大学宇宙線研究所 2014年6月26日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.lowbg.org/lowbg/workshop/2013_01/22_takeda-XMASS.pdf XMASS-I full volume - 極低バックグラウンド素粒子原子核研究懇談会]}}</ref>観測が行われている。 == 生産・精製 == 空気中からの単独精製は行われることはない。[[液体酸素]]・[[液体窒素]]・液化[[アルゴン]]を生産するために大型空気分離装置における[[断熱膨張]]([[ジュール=トムソン効果]])により、液化した空気からの分留残(副産物)から回収精製される<ref>[https://www.awi.co.jp/ja/business/industrial/gas/rare.html レアガス(Ne・Kr・Xe)] エア・ウォーター</ref>。 == 化合物 == 化学結合を備えた最初の[[貴ガス化合物]]として、[[1962年]]5月、[[カナダ]]の[[ブリティッシュコロンビア大学]]のネイル・バートレットとD.H.ローマンによって[[ヘキサフルオロ白金酸キセノン]] (XePtF<sub>6</sub>) が合成された<ref>N. Bartlett, ''Proc. Chem. Soc.'' '''1962''', 218.</ref>。酸素分子 O<sub>2</sub> を酸化するヘキサフルオロ白金酸の反応から類推し、O<sub>2</sub> (12.2 [[電子ボルト|eV]]) とほぼ同じイオン化エネルギーを持つキセノン (12.13 eV) を酸化できるのではと考えたことが成功の鍵であった。8月には XeF<sub>4</sub> が、同年末は XeF<sub>2</sub> と XeF<sub>6</sub>、[[2011年]]には XeO<sub>2</sub> も合成された。 === ハロゲン化物 === キセノンはフッ素単体の混合比を調節して[[ニッケル]]管中で加熱し、急冷すると[[四フッ化キセノン]] XeF<sub>4</sub> あるいは[[二フッ化キセノン]] XeF<sub>2</sub> を生成し、加圧条件下で同様に加熱すると[[六フッ化キセノン]] XeF<sub>6</sub> を与える。 いずれのフッ化物も水に容易に加水分解される。XeF<sub>6</sub>、XeF<sub>4</sub> は強力なフッ素化剤である。XeF<sub>4</sub> は[[ベンゼン]]などの[[芳香族化合物]]の水素をフッ素化することができ、XeF<sub>6</sub> に至っては石英とさえ反応し SiF<sub>4</sub> を与える。また、XeF<sub>2</sub> は温和なフッ素化試剤として利用される。 === 酸化物 === 六フッ化キセノン XeF<sub>6</sub> または四フッ化キセノン XeF<sub>4</sub> は[[水]]と反応し、[[三酸化キセノン]] XeO<sub>3</sub> を与える。<ref>https://chemiday.com/en/reaction/3-1-0-13338</ref> : <chem>XeF6 + 3H2O -> XeO3 + 6HF</chem> XeO<sub>3</sub> は三角錐型の構造を持ち、爆発性の化合物である。XeO<sub>3</sub> はアルカリ条件下、Xe<sup>VIII</sup> と Xe<sup>0</sup> に不均化する。 : <chem>2XeO3 + 4OH^- -> XeO6^4- + Xe + O2 + 2H2O</chem> また、反応性の高い XeF<sub>6</sub> を[[石英]] SiO<sub>2</sub> と反応させると[[四フッ化酸化キセノン]] XeOF<sub>4</sub> を生成する。 他の例として、XeO<sub>3</sub> と XeOF<sub>4</sub> から XeO<sub>2</sub>F<sub>2</sub> が、XeF<sub>6</sub> と NaXeO<sub>6</sub> から XeO<sub>3</sub>F<sub>2</sub> が生成する。低温で水と混合し、[[紫外線]]を照射するとキセノン2原子を含む分子 HXeOXeH が生成する<ref>Leonid Khriachtchev et al., "A Small Neutral Molecule with Two Noble-Gas Atoms: HXeOXeH", ''J. Am. Chem. Soc.'', 130 (19), 6114–6118, 2008. {{DOI|10.1021/ja077835v}}</ref>。 === 有機キセノン化合物 === C<sub>6</sub>F<sub>5</sub>BF<sub>2</sub> と XeF<sub>4</sub> を[[ジクロロメタン]]中で混合することにより、[C<sub>6</sub>F<sub>5</sub>XeF<sub>2</sub>]<sup>+</sup>[BF<sub>4</sub>]<sup>-</sup> が合成されている<ref>H.-J. Frohn et al., Angew. Chem. Int. Ed., 39, 391 (2000)</ref>。 == 同位体 == {{Main|キセノンの同位体}} ; 同位体 * <sup>131m</sup>Xe は、半減期約2日で [[ヨウ素131|<sup>131</sup>I]] のベータ崩壊により生成され<ref>[http://www.cnic.jp/modules/radioactivity/index.php/11.html ヨウ素-131] 原子力資料情報室 (CNIC)</ref>、ベータ線を放出し <sup>131</sup>Xe になる。 * [[キセノン133|<sup>133</sup>Xe]] は、半減期約5.2日でベータ崩壊し安定同位体の [[セシウム133|<sup>133</sup>Cs]] になる。 ** 地下核実験では時間が経つにつれて大気中にキセノン133が放出されるので実験の成功・失敗の判断の一部にキセノン133の大気中への放出を調べることがある。 * <sup>134</sup>Xe は、<sup>134</sup>Cs の崩壊により生成された [[バリウム134|<sup>134</sup>Ba]] が軌道電子を捕獲し生成される。 * [[キセノン135|<sup>135</sup>Xe]] は、[[ウラン]]の[[核分裂反応|核分裂]]により生成する。 ** [[中性子捕獲]]の[[反応断面積]]が大きく、原子炉の出力を変化させた際に[[キセノンオーバーライド]]という現象を起こし、[[原子力発電]]の分野では「[[中性子毒|毒物質]]」(原子炉の制御を難しくする物質)として扱われる。 == 参考文献 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons|Xenon}} * [[核分裂反応]] * [[中性子毒|毒物質]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{キセノンの化合物}}{{General anesthetics}}{{Normdaten}} {{デフォルトソート:きせのん}} [[Category:キセノン|*]] [[Category:元素]] [[Category:貴ガス]] [[Category:第5周期元素]] [[Category:全身麻酔薬]] [[Category:NMDA受容体拮抗薬]]
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1850年
1850年(1850 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1850年(1850 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1850年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1850}} {{year-definition|1850}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[庚戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[天保暦]]) ** [[嘉永]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2510年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]30年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]元年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4183年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嗣徳]]3年  * [[仏滅紀元]] : 2392年 - 2393年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1266年2月16日 - 1267年2月26日 * [[ユダヤ暦]] : 5610年4月17日 - 5611年4月26日 * [[ユリウス暦]] : 1849年12月20日 - 1850年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -3242 - -2878 * [[リリウス日]](LD) : 97599 - 97963 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1850}} == できごと == * [[2月28日]] - [[ユタ大学]]創立 * [[3月16日]] - [[ナサニエル・ホーソーン|ホーソーン]]『[[緋文字]]』発表 * [[3月19日]] - ヘンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴにより[[アメリカン・エキスプレス]]設立 * 7月 - [[太平天国の乱]]: [[洪秀全]]が総動員発令 * [[8月28日]] - [[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]『[[ローエングリン]]』がヴァイマル宮廷劇場で初演 * 8月 - [[イギリス海峡]]で初の[[海底ケーブル]]敷設 * [[9月9日]] - 米国で[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]が31番目に州となる * [[9月28日]] - [[米国海軍]]で[[鞭打ち刑]]廃止 * [[10月1日]] - [[シドニー大学]]創立(オーストラリア初の大学) * [[11月19日]] - [[テニスン]]が[[桂冠詩人]]となる * [[11月29日]] - [[オルミュッツ協定]]締結 === 日付不詳 === * [[佐賀藩]]、[[反射炉]]をつくる * [[江川英龍|江川坦庵]]、[[韮山]]に反射炉を築く * [[リーマン・ブラザーズ]]創立 * 江戸で勝海舟が氷解塾を開く * プロシアで欽定憲法なりたつ * 別段風説書で幕府がアメリカ艦隊の来日を知る * 最後の琉球謝恩使が江戸に来る * 江川英龍が種痘接種はじめる == 誕生 == {{see also|Category:1850年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月15日]] - [[ソフィア・コワレフスカヤ]]、[[数学者]](+ [[1891年]]) * [[1月27日]] - [[ジョン・コリア (画家)|ジョン・コリア]]、[[画家]](+ [[1934年]]) * [[1月29日]] - [[ローレンス・ハーグレイヴ]]、[[発明家]](+ [[1915年]]) * [[2月4日]]([[嘉永]]2年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[後藤貞行]]、[[彫刻家]](+ [[1903年]]) * [[2月12日]] - [[ウィリアム・モーリス・ディヴィス]]、[[地理学者]](+ [[1934年]]) * [[2月18日]] - [[ジョージ・ヘンシェル]]、[[音楽家]](+ [[1934年]]) * [[3月7日]] - 一柳末徳(1922年) * [[3月9日]] - [[アレクサンドル・ルイジーニ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1906年]]) * [[3月27日]](嘉永3年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[清浦奎吾]]、[[司法省 (日本)|司法]][[官僚]]・[[政治家]]・第23代[[内閣総理大臣]](+ [[1942年]]) * 3月27日(嘉永3年2月14日) - [[上田有沢]]、[[陸軍軍人]](+ [[1921年]]) * [[4月8日]](嘉永3年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[川村景明]]、陸軍軍人(+ [[1926年]]) * [[4月11日]](嘉永3年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[林董]]、[[外交官]]・政治家(+ [[1913年]]) * [[4月25日]] - [[ルイーゼ・アドルファ・ル・ボー]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1927年]]) * [[4月30日]] - [[チャーレイ・ジョーンズ]]、[[メジャーリーガー]](+ 没年不詳) * [[5月8日]] - [[ロス・バーンズ]]、メジャーリーガー(+ [[1915年]]) * [[5月14日]](嘉永3年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]) - [[村山龍平]]、[[朝日新聞]]経営者(+ [[1933年]]) * [[5月19日]](嘉永3年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[星亨]]、政治家(+ [[1901年]]) * [[6月6日]] - [[フェルディナント・ブラウン]]、[[物理学者]]、[[ブラウン管]]の発明者(+ [[1918年]]) * [[6月9日]] - [[ヴィルヘルム・ルー]]、[[発生学|発生学者]](+ [[1924年]]) * [[6月15日]](嘉永3年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[大浦兼武]]、官僚・政治家(+ [[1918年]]) * [[6月17日]] - [[ラファエル・コラン]]、[[画家]](+ [[1916年]]) * [[6月21日]] - [[エンリコ・チェケッティ]]、[[バレエ]]ダンサー・[[教育者]](+ [[1928年]]) * [[6月24日]](嘉永3年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[馬場辰猪]]、自由民権運動家(+ [[1888年]]) * [[6月27日]]- [[小泉八雲]]、[[小説家]]・[[随筆家]](+ [[1904年]]) * [[8月5日]] - [[ギ・ド・モーパッサン]]、[[作家]](+ [[1893年]])  *[[8月9日]] - (嘉永3年[[7月2日]])-[[山崎寿満子]](+[[1927年]]) * [[8月20日]](嘉永3年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[柴山矢八]]、海軍軍人(+ 1924年) * [[9月1日]] - [[ジム・オルーク (野球)|ジム・オルーク]]、メジャーリーガー(+ [[1919年]]) * [[9月2日]] - [[アルバート・スポルディング]]、メジャーリーガー(+ [[1915年]]) * [[9月20日]](嘉永3年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[大島義昌]]、陸軍軍人(+ 1926年) * [[10月1日]](嘉永3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[長谷川好道]]、陸軍軍人(+ 1924年) * [[10月8日]] - [[アンリ・ルシャトリエ]]、[[化学者]](+ [[1936年]]) * [[10月18日]] - [[バジル・ホール・チェンバレン]]、イギリスの日本研究家(+ [[1935年]]) * [[11月13日]] - [[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1894年]]) * 11月13日(嘉永3年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[波多野敬直]]、官僚・政治家(+ [[1922年]]) * 12月21日 - [[ウィリー・リンカーン]]、[[エイブラハム・リンカーン]]の三男(+ [[1862年]]) * [[12月21日]] - [[ズデニェク・フィビフ]]、[[作曲家]](+ [[1900年]]) * [[12月23日]] - [[オスカー・ストラウス]]、[[政治家]](+ 1936年) * [[12月30日]] - [[ジョン・ミルン]]、鉱山技師・[[地震学者]]・[[人類学者]]・[[考古学者]](+ [[1913年]]) * 日付不詳 - [[泉萬喜子]]、[[久邇宮朝彦親王]][[女房]](+ [[1881年]]) == 死去 == {{see also|Category:1850年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月1日]] - [[エディ・リンカーン]]、[[エイブラハム・リンカーン]]の次男(* [[1846年]]) * [[2月17日]]([[嘉永]]3年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - [[佐藤信淵]]、[[思想家]]・[[経世家]](* [[1769年]]) * [[2月25日]] - [[道光帝]]、[[清]]の第8代[[皇帝]](* [[1782年]]) * [[4月7日]] (嘉永3年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[黒住宗忠]]、[[神道家]](* [[1780年]]) * [[4月23日]] - [[ウィリアム・ワーズワース]]、[[イギリス]]の[[ロマン主義|ロマン派]][[詩人]](* [[1770年]]) * [[5月1日]] - [[アンリ・ブランヴィル]]、[[フランス]]の[[動物学者]]・[[解剖学者]](* [[1777年]]) * [[5月9日]] - [[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]、フランスの[[化学者]] 、[[物理学者]](* [[1778年]]) * [[7月2日]] - [[ロバート・ピール]]、[[イギリスの首相]](* [[1788年]]) * [[7月9日]] - [[ザカリー・テイラー]]、第12代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1784年]]) * [[8月17日]] - [[ホセ・デ・サン=マルティン]]、[[アルゼンチン]]出身の[[軍人]]、[[南アメリカ]]独立の指導者(* [[1778年]]) * [[8月18日]] - [[オノレ・ド・バルザック]]、フランスの[[小説家]](* [[1799年]]) * [[8月22日]] - [[ニコラウス・レーナウ]]、[[ハンガリー]]出身の[[オーストリア]]の詩人(* [[1802年]]) * [[8月26日]] - [[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]、[[フランス君主一覧|フランス国王]](* [[1773年]]) * [[9月22日]] - [[ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネン]]、[[ドイツ]]の[[経済学者]]・[[地理学者]](* [[1783年]]) * [[10月29日]](嘉永3年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]]) - [[岡部長和]]、[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]第10代藩主(* [[1807年]]) * [[11月4日]](嘉永3年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[井伊直亮]]、[[大老]]、[[近江国|近江]][[彦根藩]]第12代藩主(* [[1794年]]) * [[11月22日]] - [[林則徐]]、[[清]]末の[[政治家]](* [[1785年]]) * [[11月30日]] - [[ジェルマン・アンリ・ヘス]] 、[[スイス]]生まれの[[ロシア]]の[[化学者]](* [[1802年]]) * [[12月3日]](嘉永3年[[10月30日 (旧暦)|10月30日]]) - [[高野長英]]、[[蘭学者]]・[[医師]](* [[1804年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1850}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1850ねん}} [[Category:1850年|*]]
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クロネッカーのデルタ
クロネッカーのデルタ(英: Kronecker delta)とは、集合 T(多くは自然数の部分集合)の元 i,j に対して によって定義される二変数関数 δ i j : T × T → { 0 , 1 } {\displaystyle \delta _{ij}:T\times T\rightarrow \{0,1\}} のことをいう。つまり、T×T の対角成分の特性関数のことである。名称は、19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーに因む。 アイバーソンの記法を用いると と書ける。 単純な記号だが、色々な場面で有用である。例えば、単位行列は (δij) と書けたり、n 次元直交座標の基底ベクトルの内積は、(ei, ej)=δij と書ける。 が成り立つ。これはベクトルに単位行列を作用させても不変であることに対応する。 が成り立つ。これは単位行列に単位行列を掛けたものは単位行列であることに対応する。 この節では、添字は 1 から n の間の値をとるものとする。 2階(1, 1)型テンソルとしてのクロネッカーのデルタは である。 これを高階に拡張したものとして、n 次元、2p 階の一般化されたクロネッカーのデルタがある。これは (p, p) 型テンソルで、上下それぞれの添字に対して反対称である。 一般化されたクロネッカーのデルタの定義は である。 なお、" even {\displaystyle {\text{even}}} " は ν 1 , ν 2 , ... , ν p {\displaystyle \nu _{1},\nu _{2},\dotsc ,\nu _{p}} が全て異なり、かつ、 μ 1 , μ 2 , ... , μ p {\displaystyle \mu _{1},\mu _{2},\dotsc ,\mu _{p}} の偶置換の場合を指し、" odd {\displaystyle {\text{odd}}} " は ν 1 , ν 2 , ... , ν p {\displaystyle \nu _{1},\nu _{2},\dotsc ,\nu _{p}} が全て異なり、かつ、 μ 1 , μ 2 , ... , μ p {\displaystyle \mu _{1},\mu _{2},\dotsc ,\mu _{p}} の奇置換の場合を指し、" otherwise {\displaystyle {\text{otherwise}}} " は上記以外のすべての場合を指す。 S p {\displaystyle {\mathfrak {S}}_{p}} を p 次の対称群とすれば と表現でき、反対称化の記号を用いると: となる。また、p × p 行列式で表現すると: となる。 行列式の余因子展開を用いると再帰的な定義: が得られる。ただし、チェック( ˇ {\displaystyle {\check {}}} )が付いた項は式から外されるとする。 n=p の場合、(高階に拡張された)エディントンのイプシロンを使えば: となる。 逆にエディントンのイプシロンの定義と考えることもできる。 反対称化を一般化されたクロネッカーのデルタを使って定義すると となる。 これより、以下の演算規則が導かれる。 これらは#性質の節の内容の一般化であり、3番目の式はコーシー・ビネの公式に対応する。 添字の縮約については 0≤m<k≤n として、 あるいは が成立する。 特に k=n のとき、 あるいは が成立する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "クロネッカーのデルタ(英: Kronecker delta)とは、集合 T(多くは自然数の部分集合)の元 i,j に対して", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "によって定義される二変数関数 δ i j : T × T → { 0 , 1 } {\\displaystyle \\delta _{ij}:T\\times T\\rightarrow \\{0,1\\}} のことをいう。つまり、T×T の対角成分の特性関数のことである。名称は、19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーに因む。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アイバーソンの記法を用いると", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "と書ける。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "単純な記号だが、色々な場面で有用である。例えば、単位行列は (δij) と書けたり、n 次元直交座標の基底ベクトルの内積は、(ei, ej)=δij と書ける。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "が成り立つ。これはベクトルに単位行列を作用させても不変であることに対応する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "が成り立つ。これは単位行列に単位行列を掛けたものは単位行列であることに対応する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この節では、添字は 1 から n の間の値をとるものとする。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2階(1, 1)型テンソルとしてのクロネッカーのデルタは", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "である。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "これを高階に拡張したものとして、n 次元、2p 階の一般化されたクロネッカーのデルタがある。これは (p, p) 型テンソルで、上下それぞれの添字に対して反対称である。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "一般化されたクロネッカーのデルタの定義は", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "である。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、\" even {\\displaystyle {\\text{even}}} \" は ν 1 , ν 2 , ... , ν p {\\displaystyle \\nu _{1},\\nu _{2},\\dotsc ,\\nu _{p}} が全て異なり、かつ、 μ 1 , μ 2 , ... , μ p {\\displaystyle \\mu _{1},\\mu _{2},\\dotsc ,\\mu _{p}} の偶置換の場合を指し、\" odd {\\displaystyle {\\text{odd}}} \" は ν 1 , ν 2 , ... , ν p {\\displaystyle \\nu _{1},\\nu _{2},\\dotsc ,\\nu _{p}} が全て異なり、かつ、 μ 1 , μ 2 , ... , μ p {\\displaystyle \\mu _{1},\\mu _{2},\\dotsc ,\\mu _{p}} の奇置換の場合を指し、\" otherwise {\\displaystyle {\\text{otherwise}}} \" は上記以外のすべての場合を指す。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "S p {\\displaystyle {\\mathfrak {S}}_{p}} を p 次の対称群とすれば", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "と表現でき、反対称化の記号を用いると:", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "となる。また、p × p 行列式で表現すると:", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "行列式の余因子展開を用いると再帰的な定義:", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "が得られる。ただし、チェック( ˇ {\\displaystyle {\\check {}}} )が付いた項は式から外されるとする。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "n=p の場合、(高階に拡張された)エディントンのイプシロンを使えば:", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "逆にエディントンのイプシロンの定義と考えることもできる。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "反対称化を一般化されたクロネッカーのデルタを使って定義すると", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "これより、以下の演算規則が導かれる。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "これらは#性質の節の内容の一般化であり、3番目の式はコーシー・ビネの公式に対応する。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "添字の縮約については 0≤m<k≤n として、", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "あるいは", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "特に k=n のとき、", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "あるいは", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "が成立する。", "title": "一般化されたクロネッカーのデルタ" } ]
クロネッカーのデルタとは、集合 T(多くは自然数の部分集合)の元 i,j に対して によって定義される二変数関数 δ i j : T × T → { 0 , 1 } のことをいう。つまり、T×T の対角成分の特性関数のことである。名称は、19世紀のドイツの数学者レオポルト・クロネッカーに因む。 アイバーソンの記法を用いると と書ける。 単純な記号だが、色々な場面で有用である。例えば、単位行列は (δij) と書けたり、n 次元直交座標の基底ベクトルの内積は、(ei, ej)=δij と書ける。
'''クロネッカーのデルタ'''({{Lang-en-short|Kronecker delta}})とは、[[集合]] '''{{Mvar|T}}'''(多くは[[自然数]]の[[部分集合]])の[[元 (数学)|元]] {{Mvar|i,j}} に対して :<math>\delta_{ij} = \begin{cases} 1 & (i=j)\\ 0 & (i \ne j)\end{cases}</math> によって定義される二変数[[関数 (数学)|関数]] <math>\delta_{ij}:T\times T\rightarrow \{0,1\}</math> のことをいう。つまり、{{Math|'''{{Mvar|T}}'''×'''{{Mvar|T}}'''}} の対角成分の[[指示関数|特性関数]]のことである。名称は、19世紀の[[ドイツ]]の数学者[[レオポルト・クロネッカー]]に因む。 [[アイバーソンの記法]]を用いると :<math>\delta_{ij} = [i=j ]\,</math> と書ける。 単純な記号だが、色々な場面で有用である。例えば、[[単位行列]]は {{Math|({{Mvar|&delta;}}{{sub|{{Mvar|ij}}}})}} と書けたり、{{Mvar|n}} 次元[[直交座標系|直交座標]]の基底[[ベクトル空間|ベクトル]]の[[内積]]は、{{Math|({{Mvar|e}}{{sub|{{Mvar|i}}}}, {{Mvar|e}}{{sub|{{Mvar|j}}}}){{=}}{{Mvar|&delta;}}{{sub|{{Mvar|ij}}}}}} と書ける。 == 性質 == :<math>\begin{align} \sum_{j} \delta_{ij} a_{j} &= a_{i}\\ \sum_{i} a_{i}\delta_{ij} &= a_{j} \end{align}</math> が成り立つ。これはベクトルに単位行列を作用させても不変であることに対応する。 :<math> \sum_{k} \delta_{ik} \delta_{kj} = \delta_{ij} </math> が成り立つ。これは単位行列に単位行列を掛けたものは単位行列であることに対応する。 == 一般化されたクロネッカーのデルタ == この節では、[[添字]]は {{Math|1}} から {{Mvar|n}} の間の値をとるものとする。 2階{{Math|(1, 1)}}型[[テンソル]]としてのクロネッカーのデルタは :<math> \delta^{\mu}_{\nu} = \begin{cases} 1 & \quad (\mu=\nu)\\ 0 & \quad (\mu\ne\nu) \end{cases} </math> である。 これを高階に拡張したものとして、{{Mvar|n}} 次元、{{Math|2{{Mvar|p}}}} 階の'''一般化されたクロネッカーのデルタ'''がある。これは {{Math|({{Mvar|p}}, {{Mvar|p}})}} 型テンソルで、上下それぞれの添字に対して[[反対称]]である。 === 定義 === 一般化されたクロネッカーのデルタの定義は :<math> \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p }_{\nu_1 \cdots \nu_p} = \begin{cases} +1 & \quad \text{(even)}\\ -1 & \quad \text{(odd) }\\ \;\;0 & \quad \text{(otherwise)} \end{cases} </math> である<ref>Theodore Frankel, ''The Geometry of Physics: An Introduction'' 3rd edition (2012), published by Cambridge University Press, ISBN 9781107602601</ref><ref>D. C. Agarwal, ''Tensor Calculus and Riemannian Geometry'' 22nd edition (2007), published by Krishna Prakashan Media</ref>。 なお、"<math>\text{even}</math>" は <math>\nu_{1},\nu_{2},\dotsc ,\nu_{p}</math> が全て異なり、かつ、 <math>\mu_{1},\mu_{2},\dotsc ,\mu_{p}</math> の[[対称群#互換|偶置換]]の場合を指し、"<math>\text{odd}</math>" は <math>\nu_{1},\nu_{2},\dotsc ,\nu_{p}</math> が全て異なり、かつ、<math>\mu_{1},\mu_{2},\dotsc ,\mu_{p}</math> の[[対称群#互換|奇置換]]の場合を指し、"<math>\text{otherwise}</math>" は上記以外のすべての場合を指す。 <math> \mathfrak{S}_p </math> を {{Mvar|p}} 次の[[対称群]]とすれば :<math> \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} = \sum_{\sigma \in \mathfrak{S}_p} \sgn(\sigma)\, \delta^{\mu_{\sigma(1)}}_{\nu_1}\cdots\delta^{\mu_{\sigma(p)}}_{\nu_p} = \sum_{\sigma \in \mathfrak{S}_p} \sgn(\sigma)\, \delta^{\mu_1}_{\nu_{\sigma(1)}}\cdots\delta^{\mu_p}_{\nu_{\sigma(p)}} </math> と表現でき、反対称化の記号を用いると: :<math> \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} = p! \delta^{\lbrack \mu_1}_{ \nu_1} \cdots \delta^{\mu_p \rbrack}_{\nu_p } = p! \delta^{ \mu_1}_{\lbrack \nu_1} \cdots \delta^{\mu_p }_{\nu_p \rbrack} </math> となる。また、{{nowrap|{{Mvar|p}} × {{Mvar|p}}}} [[行列式]]で表現すると<ref>David Lovelock, Hanno Rund, ''Tensors, Differential Forms, and Variational Principles'', Dover Publications</ref>: :<math> \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p }_{\nu_1 \cdots \nu_p} = \begin{vmatrix} \delta^{\mu_1}_{\nu_1} & \cdots & \delta^{\mu_1}_{\nu_p} \\ \vdots & \ddots & \vdots \\ \delta^{\mu_p}_{\nu_1} & \cdots & \delta^{\mu_p}_{\nu_p} \end{vmatrix} </math> となる。 行列式の[[行列式#余因子展開|余因子展開]]を用いると[[再帰的]]な定義: :<math>\begin{align} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \dots \nu_p} & = \sum_{k=1}^p (-1)^{p+k} \delta^{\mu_p}_{\nu_k} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_{k} \cdots \check\mu_p}_{\nu_1 \cdots \check\nu_k \cdots \nu_{p}} \end{align}</math> が得られる。ただし、チェック(<math>\check{}</math>)が付いた項は式から外されるとする。 {{Math|{{Mvar|n}}{{=}}{{Mvar|p}}}} の場合、(高階に拡張された)[[エディントンのイプシロン]]を使えば: :<math> \delta^{\mu_1 \cdots \mu_n}_{\nu_1 \cdots \nu_n} = \varepsilon^{\mu_1 \cdots \mu_n}\varepsilon_{\nu_1 \cdots \nu_n} </math> となる。 逆にエディントンのイプシロンの定義と考えることもできる。 :<math> \varepsilon^{\mu_1 \cdots \mu_n} = \delta^{\mu_1 \cdots \mu_n}_{1 \cdots n} </math> :<math> \varepsilon_{\nu_1 \cdots \nu_n} = \delta^{1 \cdots n}_{\nu_1 \cdots \nu_n} </math> === 演算規則 === 反対称化を一般化されたクロネッカーのデルタを使って定義すると :<math>\begin{align} \frac{1}{p!}\sum_{\nu_1,\dots,\nu_p=1}^{n}\delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} a^{\nu_1 \cdots \nu_p} &= a^{\lbrack \mu_1 \cdots \mu_p \rbrack} \\ \frac{1}{p!}\sum_{\mu_1,\dots,\mu_p=1}^{n}\delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} a_{\mu_1 \cdots \mu_p} &= a_{\lbrack \nu_1 \cdots \nu_p \rbrack} \end{align}</math> となる。 これより、以下の演算規則が導かれる。 :<math>\begin{align} \sum_{1 \le \nu_1 < \dots < \nu_p \le n}\delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} a^{\lbrack \nu_1 \cdots \nu_p \rbrack} &= a^{\lbrack \mu_1 \cdots \mu_p \rbrack} \\ \sum_{1 \le \mu_1 < \dots < \mu_p \le n}\delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} a_{\lbrack \mu_1 \cdots \mu_p \rbrack} &= a_{\lbrack \nu_1 \cdots \nu_p \rbrack} \\ \sum_{1 \le \nu_1 < \dots < \nu_p \le n} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\nu_1 \cdots \nu_p} \delta^{\nu_1 \cdots \nu_p}_{\rho_1 \cdots \rho_p} &= \delta^{\mu_1 \cdots \mu_p}_{\rho_1 \cdots \rho_p} \end{align}</math> これらは[[#性質]]の節の内容の一般化であり、3番目の式は[[コーシー・ビネの公式]]に対応する。 添字の[[テンソルの縮約|縮約]]については {{Math|0&le;{{Mvar|m}}<{{Mvar|k}}&le;{{Mvar|n}}}} として<ref>Sadri Hassani,''Mathematical Methods: For Students of Physics and Related Fields'' 2nd edition (2008), published by Springer-Verlag, ISBN 978-0387095035</ref>、 :<math> \sum_{\rho_{m+1}=1}^{n} \cdots \sum_{\rho_{k}=1}^{n} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_k}_{\nu_1 \cdots \nu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_k}\, = \frac{(n-m)!}{(n-k)!} \delta^{\mu_{1} \cdots \mu_{m}}_{\nu_{1} \cdots \nu_{m}} </math> あるいは :<math> \sum_{1 \le \rho_{m+1}< \dots < \rho_k \le n} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_k}_{\nu_1 \cdots \nu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_k}\, = \begin{pmatrix}n-m \\ k-m \end{pmatrix}\delta^{\mu_{1} \cdots \mu_{m}}_{\nu_{1} \cdots \nu_{m}} </math> が成立する。 特に {{Math|{{Mvar|k}}{{=}}{{Mvar|n}}}} のとき、 :<math>\sum_{1 \le \rho_{m+1}< \cdots < \rho_n \le n} \delta^{\mu_1 \cdots \mu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}_{\nu_1 \cdots \nu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}\, = \delta^{\mu_{1} \cdots \mu_{m}}_{\nu_{1} \cdots \nu_{m}} </math> あるいは :<math> \sum_{1 \le \rho_{m+1}< \cdots < \rho_n \le n} \varepsilon^{\mu_1 \cdots \mu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}~ \varepsilon_{\nu_1 \cdots \nu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}\, = \delta^{\mu_{1} \cdots \mu_{m}}_{\nu_{1} \cdots \nu_{m}} </math> :<math> \sum_{\rho_{m+1},\dots,\rho_n=1}^{n} \varepsilon^{\mu_1 \cdots \mu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}~ \varepsilon_{\nu_1 \cdots \nu_m~\rho_{m+1}\cdots \rho_n}\, = (n-m)! ~ \delta^{\mu_{1} \cdots \mu_{m}}_{\nu_{1} \cdots \nu_{m}} </math> が成立する。 == 出典 == <references/> == 関連項目 == *[[ディラックのデルタ関数]] *[[対角線論法]] *[[黒猫の三角]] - タイトル、登場する黒猫は、ともにクロネッカーのデルタからの引用 {{Tensors}} {{DEFAULTSORT:くろねつかあのてるた}} [[Category:数学の表記法]] [[Category:線型代数学]] [[Category:ベクトル解析]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:数学のエポニム]]
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2023-04-03T06:25:12Z
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HyperText Markup Language
HTMLまたはHyperText Markup Language(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)は、ハイパーテキストを記述するためのマークアップ言語の1つで、プログラミング言語ではない。主にWorld Wide Web(WWW)において、ウェブページを表現するために用いられる。ハイパーリンクや画像等のマルチメディアを埋め込むハイパーテキストとしての機能、見出しや段落といったドキュメントの抽象構造、フォントや文字色の指定などの見た目の指定、などといった機能がある。 ティム・バーナーズ=リーによってSGMLを元に開発された。1993年に最初のドラフトが公開され、最初期においてはIETFが、1996年以降はW3Cが、2019年以降はWHATWGが規格の策定、仕様公開を行なっている。 HTMLは木構造(入子構造)のマークアップ言語であり、形式言語である。「プレーンテキストの文書を要素で括って意味付け」という一般的な説明は間違いである。「『タグ』と『タグ』で括られたもの全体」が「要素」(element)であり、タグすなわち要素ではない。マークアップ言語としての特徴は、先祖であるSGMLや、兄弟のXMLと共通しているため、以下ではWWWというシステムにおける「ハイパーテキスト記述言語」としての側面についてのみ記述する。 HTMLの要素には、文書を表現するものとしてごく一般的なものである見出し(ヘッドライン、h1〜)、段落(パラグラフ、p)、ハイパーテキストとして特徴的な「アンカー」(a)に関係するもの、画像など(imgなど)の電子メディア的なもの、などがある。また文字色の指定などといった、意味ではなく直接見た目のみを指定するようなものは、近年ではスタイルシートなどに分離するべきとされているが、歴史的事情、及び、スタイルシートよりもこの、HTMLでの記述が簡便になる場合が度々あることから現在でもしばしば使われている。その他主要な要素は、HTMLの要素の記事で解説している。 形式言語として見た場合「構文規則」(あるいは文法)に相当する「スキーマ」は、HTML4まではDTDとして公開され要素ごとに記載することの出来る属性、内容に含むことの出来る要素などが定められていた。HTML 4.01では厳密なもの、HTML 3.2からの移行過渡期のためのもの、フレームを用いた文書のためのものといった3つのDTDが定義されていた。 HTML 3.2では見た目を左右する要素や属性が追加されたがHTMLは本来文書構造を示すためだけにその存在意義があり、それらの要素は目的に反するものとされた。そのため視覚的・感覚的効果を定義する手段としてスタイルシート(一般にはその中のCSS)が考案された。見た目を左右する要素や属性の一部はHTML4以降では非推奨とされており、HTML 4.01 Strictでは定義されていないので使用できない。ただしHTML 4.01 Strictで定義され、非推奨とされない要素や属性の一部にも見た目を左右するものがある。装飾的な視覚表現のためにそれらの要素や属性を用いているのであればその内容に適する要素を用いた上で、スタイルシートで表現を指定するのが望ましいとされている。 2023年4月現在、HTMLの有効な標準仕様は以下の2点である。 下表は失効済みのかつての標準仕様(またはドラフト)の一覧である。 以下、言語仕様については歴史的な経緯など特別な事情がない限り、WHATWGの策定する「HTML Living Standard」を基準に説明を行う。失効済みの仕様については下記「#歴史」の項も参照。 HTMLはドキュメント構造(モデル)、各要素の役割/意味(セマンティクス)、表現する構文(シンタックス)を定義する。 HTMLは要素(Element)の木構造を扱う。各要素は以下の3つから構成される。 要素が子要素をもつため、総体として要素の木構造でモデル化される。 HTMLを表現するための構文としては、HTML構文(HTML Syntax)およびXML構文(XML Syntax)が存在する。XML構文で記述されたHTMLはかつてXHTMLと呼ばれていたが、現在の仕様ではそのような呼び分けは行わない。また、現在の仕様ではHTML構文の使用が推奨されている。 HTML文書は文書型宣言とHTML要素、そして(任意の)BOM、コメント、空白文字からなる。 HTML構文の場合、要素は というテキスト形式で記述される。コンテンツを挟む はタグと呼ばれ、前方部分は開始タグ、後方部分は終了タグと呼ばれる。コンテンツ部に子要素をもつことで総体としての木構造が表現される。 注意点として、要素はタグではない。要素は構造上規定される存在であり、構文上の表現であるタグと併記されるものではない。また要素はタグ+コンテンツで表現されるため、タグは要素を表現するものの一部に過ぎない。 HTMLは異なる意味をもつ様々な要素を定義する。各要素では受け入れ可能な属性が定義され、要素の振る舞いを調整できるようになっている。ほとんどの要素では、要素名が機能を指し、属性が自身の特性を指し、子要素が収納される別コンテンツを指す。 例えば <title> はタイトルを意味し、<a> はハイパーテキストアンカーを意味する。<a href="https://example.com"> では href 属性によってリンク先が指定されている。 HTMLは要素のセマンティクスを定義しているに過ぎないので、それを具体的にどう表現・利用するかは利用側に委ねられている。通常はウェブブラウザでの利用が想定されているが、音声対話エージェントが利用するケースもあり得る。 制約検証プロセス 制約検証は、制約検証 API を通じて、単一のフォーム要素、またはフォームレベルの <form> 要素自体に対して行われます。制約検証は以下の方法で行われます。 checkValidity() または メソッドをフォーム関連 DOM インターフェイス (HTMLInputElement, HTMLSelectElement, HTMLButtonElement, HTMLOutputElement, HTMLTextAreaElement) に対して呼び出すことによって、この要素のみの制約を評価し、スクリプトがこの情報を取得できるようにします。 メソッドは、この要素の値が制約に合格するかどうかを論理値で返します。(これはふつう、 CSS 擬似クラスの :valid または :invalid のどちらを適用するかを判断する際に、ブラウザーが呼び出します。)一方、 メソッドはあらゆる制約違反をユーザーに報告します。reportValidity()checkValidity()reportValidity() checkValidity() または メソッドを HTMLFormElement インターフェイスに対して呼び出すことによって。reportValidity() フォーム自身を送信することによって。 checkValidity() を呼び出すことは、制約を静的に検証するといい、 を呼び出したり、フォームを送信したりすることは、制約を対話的に検証するといいます。reportValidity() HTMLで書かれた文書をHTML文書と言い、HTMLでは、まず文書型宣言を書く。HTML構文を用いる場合は文書型宣言を以下の通り書かなければならない。 次にHTML文書の例を挙げる。 このHTML文書は次のような構造を示している。 タグによって文字列を括ることによりその文字列の意味付けがなされる。ユーザーエージェントはそれを解釈して、例えば h1要素で括られたテキストは「その文書中で最も重要な見出し」という意味を持つようになり、 GUI によるウェブブラウザであれば大きく太字で表示するなどする。また、スタイルシートを用いることで見た目などを指定することができるようになっている。 なお、通常はマークアップ中に改行文字を挿入してもウェブブラウザ上では描画されない。改行を行う場合はbr要素を用いる必要があるが、br要素は本来見た目のためではなく、詩や住所のように実際にコンテンツの一部である改行のためにのみに使用されなければならない。 1989年、CERNのティム・バーナーズ=リーは、オリジナルのHTML(および多くの関連したプロトコル、HTTPなど)のメモを提案し、1990年5月にコード化した。NEXTSTEPの動作するNeXTcubeワークステーション上で開発された。当時のHTMLは仕様ではなく、直面していた問題を解決するためのツール群であった。直面していた問題とは、ティム・バーナーズ=リーやその同僚たちがどのように情報や進行中の研究を共有するかということである。彼の成果は後に国際的かつ公開のネットワークの出現として結実し、世界的な注目を集めることになった。 HTMLの初期のバージョンはゆるい文法規則によって定義されており、ウェブ技術になじみのない層に受け入れられる助けとなった。ウェブブラウザはウェブページの意図を推測し、レンダリングを実行するのが一般的であった。やがて公式規格においては厳格な言語構文を作ることを志向するようになっていったが、それに加え、ウェブブラウザの挙動を元に構文エラーの取り扱いも規格に含めることで、既存のウェブページに対する互換性の維持が図られている。 HTMLが公式な仕様として定義されたのは1990年代からである。それは従来のマークアップ言語であるSGMLに、インターネットのためのハイパーテキストの機能を取り入れるというティム・バーナーズ=リーの提案に大きく影響を受けたものだった。 1993年にはIETFからHTML仕様書バージョン1.0が公開され、SGMLからの拡張として文法定義のDTDを持つようになった。また1994年にIETFのHTMLワーキンググループが発足した。しかし、2.0以降のIETFの元での開発は他の開発との競合から停滞した。1996年からはW3Cによって商用ソフトウェア・ベンダーからの支援も受け、HTMLの仕様が標準化されている。また2000年からは国際標準ともなった(ISO/IEC 15445:2000)。W3Cから勧告された最新のHTML仕様はHTML 5.2である。 1993年6月に、IETFのIIIR Workingグループより提出されたHTML仕様書がインターネット・ドラフトとして発表された。本来はバージョン番号が付いていないが通常HTML 1.0と呼ぶ。このドラフトはティム・バーナーズ=リーおよびダニエル・コノリーによって、ティム・バーナーズ=リーの出したHTML Design Constraintsに極力従うように書かれた。 1993年11月に、HTMLの上位互換な HTML+が発表された。テーブルなどが追加になっている。HTML+仕様書。 1995年11月に、IETFのHTMLワーキンググループによってRFC 1866 (日本語訳)として仕様が発表された。下記の補助的なRFCもリリースされた。HTML 2.0はRFC 2854によって廃止されHTMLはIETFではなくW3Cが管理することとなった。 HTML 3.0は策定作業が行われたが、ドラフトの段階で策定途中に破棄された。HTML 3.0仕様書。 1997年1月14日に、HTML 3.2がW3C勧告として仕様が発表された。HTML 3.2 Reference Specification(非公式な日本語訳)。 1997年12月18日に、W3C勧告としてHTML 4.0の仕様が発表された。HTML 4.0は1998年4月24日に仕様が改訂された。この仕様にいくらかのマイナーな修正が加えられたHTML 4.01は1999年12月24日にW3C勧告となった。Strict DTDの他にHTML 3.2からの移行過渡期のためのTransitional DTDとフレームを使うことのできる Frameset DTDの3つのスキーマを持つ。 この後、HTML 4.01をベースとしてXHTML 1.0が策定されることになる。 2018年3月28日に代替された勧告に指定され、最新の勧告を参照することを推奨されている。 ISO/IEC JTC 1による規格。HTML 4.01を参考にし、より厳密に規格化された。これは2000年に翻訳されJIS X 4156:2000というJIS規格になった。 ISO/IEC 15445:2000は2003年に訂正版が発行された(ただし訂正なので、その後も名称はISO/IEC 15445:2000のまま)。JIS X 4156は2005年に改正され、JIS X 4156:2005(日本産業標準調査会、経済産業省)となっている。 その後、HTMLの改良にW3Cが興味を示さなかったことから、2004年にWHATWGが開発を開始した。2007年には、W3Cもワーキンググループを設立し、WHATWGと共同での開発が始まった。しかし、2012年7月、両者は別個に作業する体制となった。WHATWGの仕様策定はHTML Living Standard(英語版)として継続している。 2014年10月28日にHTML5がW3Cより勧告された。ブログや記事向けの「article」要素やマルチメディアのための「audio」および「video」要素などをはじめとした新要素・属性が追加され、以前は見た目を規定していた要素の殆どは変更または削除された。2016年11月1日に HTML 5.1が勧告され、2017年12月14日に HTML 5.2が勧告された。 W3CによるHTML5~HTML 5.2は、WHATWGのHTML Living Standardを元に編集が加えられたものであり、HTML Living Standardとの差異が発生している状態となっていた。これについてWHATWGのIan Hickson(英語版)がW3C側を強く非難する事態となっている。W3CはHTML 5.3への作業を進められていたものの、2019年のWHATWGとの合意により、取りやめている。 HTML Living Standardは WHATWGが更新し続けている HTMLの最新仕様。2019年まではW3CのHTML5~HTML 5.2と並行して仕様策定が進められている状態だった。これを元にしてW3Cの勧告が作られていた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "HTMLまたはHyperText Markup Language(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)は、ハイパーテキストを記述するためのマークアップ言語の1つで、プログラミング言語ではない。主にWorld Wide Web(WWW)において、ウェブページを表現するために用いられる。ハイパーリンクや画像等のマルチメディアを埋め込むハイパーテキストとしての機能、見出しや段落といったドキュメントの抽象構造、フォントや文字色の指定などの見た目の指定、などといった機能がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ティム・バーナーズ=リーによってSGMLを元に開発された。1993年に最初のドラフトが公開され、最初期においてはIETFが、1996年以降はW3Cが、2019年以降はWHATWGが規格の策定、仕様公開を行なっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "HTMLは木構造(入子構造)のマークアップ言語であり、形式言語である。「プレーンテキストの文書を要素で括って意味付け」という一般的な説明は間違いである。「『タグ』と『タグ』で括られたもの全体」が「要素」(element)であり、タグすなわち要素ではない。マークアップ言語としての特徴は、先祖であるSGMLや、兄弟のXMLと共通しているため、以下ではWWWというシステムにおける「ハイパーテキスト記述言語」としての側面についてのみ記述する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "HTMLの要素には、文書を表現するものとしてごく一般的なものである見出し(ヘッドライン、h1〜)、段落(パラグラフ、p)、ハイパーテキストとして特徴的な「アンカー」(a)に関係するもの、画像など(imgなど)の電子メディア的なもの、などがある。また文字色の指定などといった、意味ではなく直接見た目のみを指定するようなものは、近年ではスタイルシートなどに分離するべきとされているが、歴史的事情、及び、スタイルシートよりもこの、HTMLでの記述が簡便になる場合が度々あることから現在でもしばしば使われている。その他主要な要素は、HTMLの要素の記事で解説している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "形式言語として見た場合「構文規則」(あるいは文法)に相当する「スキーマ」は、HTML4まではDTDとして公開され要素ごとに記載することの出来る属性、内容に含むことの出来る要素などが定められていた。HTML 4.01では厳密なもの、HTML 3.2からの移行過渡期のためのもの、フレームを用いた文書のためのものといった3つのDTDが定義されていた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "HTML 3.2では見た目を左右する要素や属性が追加されたがHTMLは本来文書構造を示すためだけにその存在意義があり、それらの要素は目的に反するものとされた。そのため視覚的・感覚的効果を定義する手段としてスタイルシート(一般にはその中のCSS)が考案された。見た目を左右する要素や属性の一部はHTML4以降では非推奨とされており、HTML 4.01 Strictでは定義されていないので使用できない。ただしHTML 4.01 Strictで定義され、非推奨とされない要素や属性の一部にも見た目を左右するものがある。装飾的な視覚表現のためにそれらの要素や属性を用いているのであればその内容に適する要素を用いた上で、スタイルシートで表現を指定するのが望ましいとされている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2023年4月現在、HTMLの有効な標準仕様は以下の2点である。", "title": "標準仕様" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "下表は失効済みのかつての標準仕様(またはドラフト)の一覧である。", "title": "標準仕様" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "以下、言語仕様については歴史的な経緯など特別な事情がない限り、WHATWGの策定する「HTML Living Standard」を基準に説明を行う。失効済みの仕様については下記「#歴史」の項も参照。", "title": "標準仕様" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "HTMLはドキュメント構造(モデル)、各要素の役割/意味(セマンティクス)、表現する構文(シンタックス)を定義する。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "HTMLは要素(Element)の木構造を扱う。各要素は以下の3つから構成される。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "要素が子要素をもつため、総体として要素の木構造でモデル化される。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "HTMLを表現するための構文としては、HTML構文(HTML Syntax)およびXML構文(XML Syntax)が存在する。XML構文で記述されたHTMLはかつてXHTMLと呼ばれていたが、現在の仕様ではそのような呼び分けは行わない。また、現在の仕様ではHTML構文の使用が推奨されている。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "HTML文書は文書型宣言とHTML要素、そして(任意の)BOM、コメント、空白文字からなる。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "HTML構文の場合、要素は", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "というテキスト形式で記述される。コンテンツを挟む", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "はタグと呼ばれ、前方部分は開始タグ、後方部分は終了タグと呼ばれる。コンテンツ部に子要素をもつことで総体としての木構造が表現される。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "注意点として、要素はタグではない。要素は構造上規定される存在であり、構文上の表現であるタグと併記されるものではない。また要素はタグ+コンテンツで表現されるため、タグは要素を表現するものの一部に過ぎない。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "HTMLは異なる意味をもつ様々な要素を定義する。各要素では受け入れ可能な属性が定義され、要素の振る舞いを調整できるようになっている。ほとんどの要素では、要素名が機能を指し、属性が自身の特性を指し、子要素が収納される別コンテンツを指す。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "例えば <title> はタイトルを意味し、<a> はハイパーテキストアンカーを意味する。<a href=\"https://example.com\"> では href 属性によってリンク先が指定されている。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "HTMLは要素のセマンティクスを定義しているに過ぎないので、それを具体的にどう表現・利用するかは利用側に委ねられている。通常はウェブブラウザでの利用が想定されているが、音声対話エージェントが利用するケースもあり得る。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "制約検証プロセス 制約検証は、制約検証 API を通じて、単一のフォーム要素、またはフォームレベルの <form> 要素自体に対して行われます。制約検証は以下の方法で行われます。 checkValidity() または メソッドをフォーム関連 DOM インターフェイス (HTMLInputElement, HTMLSelectElement, HTMLButtonElement, HTMLOutputElement, HTMLTextAreaElement) に対して呼び出すことによって、この要素のみの制約を評価し、スクリプトがこの情報を取得できるようにします。 メソッドは、この要素の値が制約に合格するかどうかを論理値で返します。(これはふつう、 CSS 擬似クラスの :valid または :invalid のどちらを適用するかを判断する際に、ブラウザーが呼び出します。)一方、 メソッドはあらゆる制約違反をユーザーに報告します。reportValidity()checkValidity()reportValidity() checkValidity() または メソッドを HTMLFormElement インターフェイスに対して呼び出すことによって。reportValidity() フォーム自身を送信することによって。", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "checkValidity() を呼び出すことは、制約を静的に検証するといい、 を呼び出したり、フォームを送信したりすることは、制約を対話的に検証するといいます。reportValidity()", "title": "言語仕様" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "HTMLで書かれた文書をHTML文書と言い、HTMLでは、まず文書型宣言を書く。HTML構文を用いる場合は文書型宣言を以下の通り書かなければならない。", "title": "HTML文書" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "次にHTML文書の例を挙げる。", "title": "HTML文書" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "このHTML文書は次のような構造を示している。", "title": "HTML文書" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "タグによって文字列を括ることによりその文字列の意味付けがなされる。ユーザーエージェントはそれを解釈して、例えば h1要素で括られたテキストは「その文書中で最も重要な見出し」という意味を持つようになり、 GUI によるウェブブラウザであれば大きく太字で表示するなどする。また、スタイルシートを用いることで見た目などを指定することができるようになっている。", "title": "HTML文書" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、通常はマークアップ中に改行文字を挿入してもウェブブラウザ上では描画されない。改行を行う場合はbr要素を用いる必要があるが、br要素は本来見た目のためではなく、詩や住所のように実際にコンテンツの一部である改行のためにのみに使用されなければならない。", "title": "HTML文書" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1989年、CERNのティム・バーナーズ=リーは、オリジナルのHTML(および多くの関連したプロトコル、HTTPなど)のメモを提案し、1990年5月にコード化した。NEXTSTEPの動作するNeXTcubeワークステーション上で開発された。当時のHTMLは仕様ではなく、直面していた問題を解決するためのツール群であった。直面していた問題とは、ティム・バーナーズ=リーやその同僚たちがどのように情報や進行中の研究を共有するかということである。彼の成果は後に国際的かつ公開のネットワークの出現として結実し、世界的な注目を集めることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "HTMLの初期のバージョンはゆるい文法規則によって定義されており、ウェブ技術になじみのない層に受け入れられる助けとなった。ウェブブラウザはウェブページの意図を推測し、レンダリングを実行するのが一般的であった。やがて公式規格においては厳格な言語構文を作ることを志向するようになっていったが、それに加え、ウェブブラウザの挙動を元に構文エラーの取り扱いも規格に含めることで、既存のウェブページに対する互換性の維持が図られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "HTMLが公式な仕様として定義されたのは1990年代からである。それは従来のマークアップ言語であるSGMLに、インターネットのためのハイパーテキストの機能を取り入れるというティム・バーナーズ=リーの提案に大きく影響を受けたものだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1993年にはIETFからHTML仕様書バージョン1.0が公開され、SGMLからの拡張として文法定義のDTDを持つようになった。また1994年にIETFのHTMLワーキンググループが発足した。しかし、2.0以降のIETFの元での開発は他の開発との競合から停滞した。1996年からはW3Cによって商用ソフトウェア・ベンダーからの支援も受け、HTMLの仕様が標準化されている。また2000年からは国際標準ともなった(ISO/IEC 15445:2000)。W3Cから勧告された最新のHTML仕様はHTML 5.2である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1993年6月に、IETFのIIIR Workingグループより提出されたHTML仕様書がインターネット・ドラフトとして発表された。本来はバージョン番号が付いていないが通常HTML 1.0と呼ぶ。このドラフトはティム・バーナーズ=リーおよびダニエル・コノリーによって、ティム・バーナーズ=リーの出したHTML Design Constraintsに極力従うように書かれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1993年11月に、HTMLの上位互換な HTML+が発表された。テーブルなどが追加になっている。HTML+仕様書。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1995年11月に、IETFのHTMLワーキンググループによってRFC 1866 (日本語訳)として仕様が発表された。下記の補助的なRFCもリリースされた。HTML 2.0はRFC 2854によって廃止されHTMLはIETFではなくW3Cが管理することとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "HTML 3.0は策定作業が行われたが、ドラフトの段階で策定途中に破棄された。HTML 3.0仕様書。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1997年1月14日に、HTML 3.2がW3C勧告として仕様が発表された。HTML 3.2 Reference Specification(非公式な日本語訳)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1997年12月18日に、W3C勧告としてHTML 4.0の仕様が発表された。HTML 4.0は1998年4月24日に仕様が改訂された。この仕様にいくらかのマイナーな修正が加えられたHTML 4.01は1999年12月24日にW3C勧告となった。Strict DTDの他にHTML 3.2からの移行過渡期のためのTransitional DTDとフレームを使うことのできる Frameset DTDの3つのスキーマを持つ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この後、HTML 4.01をベースとしてXHTML 1.0が策定されることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2018年3月28日に代替された勧告に指定され、最新の勧告を参照することを推奨されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ISO/IEC JTC 1による規格。HTML 4.01を参考にし、より厳密に規格化された。これは2000年に翻訳されJIS X 4156:2000というJIS規格になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ISO/IEC 15445:2000は2003年に訂正版が発行された(ただし訂正なので、その後も名称はISO/IEC 15445:2000のまま)。JIS X 4156は2005年に改正され、JIS X 4156:2005(日本産業標準調査会、経済産業省)となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "その後、HTMLの改良にW3Cが興味を示さなかったことから、2004年にWHATWGが開発を開始した。2007年には、W3Cもワーキンググループを設立し、WHATWGと共同での開発が始まった。しかし、2012年7月、両者は別個に作業する体制となった。WHATWGの仕様策定はHTML Living Standard(英語版)として継続している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2014年10月28日にHTML5がW3Cより勧告された。ブログや記事向けの「article」要素やマルチメディアのための「audio」および「video」要素などをはじめとした新要素・属性が追加され、以前は見た目を規定していた要素の殆どは変更または削除された。2016年11月1日に HTML 5.1が勧告され、2017年12月14日に HTML 5.2が勧告された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "W3CによるHTML5~HTML 5.2は、WHATWGのHTML Living 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HTMLまたはHyperText Markup Languageは、ハイパーテキストを記述するためのマークアップ言語の1つで、プログラミング言語ではない。主にWorld Wide Web(WWW)において、ウェブページを表現するために用いられる。ハイパーリンクや画像等のマルチメディアを埋め込むハイパーテキストとしての機能、見出しや段落といったドキュメントの抽象構造、フォントや文字色の指定などの見た目の指定、などといった機能がある。 ティム・バーナーズ=リーによってSGMLを元に開発された。1993年に最初のドラフトが公開され、最初期においてはIETFが、1996年以降はW3Cが、2019年以降はWHATWGが規格の策定、仕様公開を行なっている。
{{WikipediaPage|HTMLの扱い|Help:ウィキテキストにおけるHTML}} {{Infobox file format |name=HTML |icon= |screenshot=[[ファイル:Html-source-code3.png|250px]] |caption=HTML[[ソースコード|コード]]の例。 |extension=<tt>.html</tt>, <tt>.htm</tt> |mime=text/html<ref>[https://www.iana.org/assignments/media-types/text/html IANAREG text/html]</ref><ref>[https://html.spec.whatwg.org/#text/html HTML Living Standard - Last Updated 2 May 2023] text/html</ref> |type code=<tt>TEXT</tt><br /><tt>HTML</tt> |uniform type=public.html |owner=[[World Wide Web Consortium|W3C]]<br>[[Web Hypertext Application Technology Working Group|WHATWG]] |genre=[[マークアップ言語]] |container for= |contained by= |extended from=[[Standard Generalized Markup Language|SGML]] |extended to=[[XHTML]] |standard=[https://html.spec.whatwg.org/ HTML Living Standard] }} {{HTML}} {{lang|en|'''HTML'''}}<ref group="注釈">HTMLという名前は従来はHyperText Markup Languageの略称だったが、2023年4月現在最新の規格である[[WHATWG]]のHTML Living Standardには「HyperText Markup Language」という名前の記載はなく、単にそのままHTMLと呼ばれている。</ref>または{{lang|en|'''HyperText Markup Language'''}}(ハイパーテキスト マークアップ ランゲージ)<ref group="注釈">廃止された従来の規格(HTML5.2まで)で使われていた呼称。現在でもISO/IEC 15445:2000で使用されている。</ref>は、[[ハイパーテキスト]]を記述するための[[マークアップ言語]]の1つで、[[プログラミング言語]]ではない。主に[[World Wide Web]](WWW)において、[[ウェブページ]]を表現するために用いられる。[[ハイパーリンク]]や画像等の[[マルチメディア]]を埋め込む[[ハイパーテキスト]]としての機能、[[見出し]]や[[段落]]といった[[ドキュメント]]の抽象構造、[[フォント]]や文字[[色]]の指定などの見た目の指定、などといった機能がある。 [[ティム・バーナーズ=リー]]によって[[SGML]]を元に開発された。[[1993年]]に最初のドラフトが公開され、最初期においては[[Internet Engineering Task Force|IETF]]が、[[1996年]]以降は[[World Wide Web Consortium|W3C]]が、[[2019年]]以降は[[Web Hypertext Application Technology Working Group|WHATWG]]が規格の策定、仕様公開を行なっている<ref name="whatwg-w3c-mou">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1906/10/news038.html|title=HTML標準仕様の策定についてW3CとWHATWGが合意発表。今後はWHATWGのリビングスタンダードが唯一のHTML標準仕様に|accessdate=2020-01-19|date=2019-06-10|website=ITmedia}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.w3.org/blog/news/archives/8909|title=HTML REVIEW DRAFT — PUBLISHED 29 JANUARY 2020 IS A W3C RECOMMENDATION|accessdate=2021-05-21|publisher=W3C}}</ref>。 == 特徴 == HTMLは[[木構造 (データ構造)|木構造]]([[ネスティング|入子構造]])の[[マークアップ言語]]であり、[[形式言語]]である。「プレーンテキストの文書を要素で括って意味付け」という一般的な説明<ref>{{Cite book |和書 |author=ビレッジセンターHTML&SGML研究チーム |authorlink= |coauthors= |translator= |date=1998-03-20 |title=正しいHTML4.0リファレンス&作法 |publisher=ビレッジセンター出版局 |page= |id= |isbn=4-89436-111-6 |quote= }}</ref>は間違いである。「『タグ』と『タグ』で括られたもの全体」が「要素」(element)であり、タグすなわち要素ではない。マークアップ言語としての特徴は、先祖である[[Standard Generalized Markup Language|SGML]]や、兄弟の[[Extensible Markup Language|XML]]と共通しているため、以下ではWWWという[[システム]]における「[[ハイパーテキスト]]記述言語」としての側面についてのみ記述する。 HTMLの要素には、文書を表現するものとしてごく一般的なものである見出し(ヘッドライン、h1〜)、段落(パラグラフ、p)、ハイパーテキストとして特徴的な「アンカー」(a)に関係するもの、画像など(imgなど)の電子メディア的なもの、などがある。また文字色の指定などといった、意味ではなく直接見た目のみを指定するようなものは、近年ではスタイルシートなどに分離するべきとされているが、歴史的事情、及び、スタイルシートよりもこの、HTMLでの記述が簡便になる場合が度々あること<ref group="注釈">例えば、太字指定の「'''<nowiki><b></b></nowiki>'''」<sub>等</sub></ref>から現在でもしばしば使われている。その他主要な要素は、[[HTML要素|HTMLの要素]]の記事で解説している。 形式言語として見た場合「構文規則」(あるいは文法)に相当する「スキーマ」は、HTML4までは[[Document Type Definition|DTD]]として公開され要素ごとに記載することの出来る属性、内容に含むことの出来る要素などが定められていた。HTML 4.01では厳密なもの<ref group="注釈">{{lang-en-short|Strict}}</ref>、HTML 3.2からの移行過渡期のためのもの<ref group="注釈">{{lang-en-short|Transitional}}</ref>、フレームを用いた文書のためのもの<ref group="注釈">{{lang-en-short|Frameset}}</ref>といった3つのDTDが定義されていた。 <!-- 文書の内容の一部分に「段落」や「章題」や「強調したい箇所」など、文章中での意味を付加する[[HTML要素|要素]]の多くは'''開始タグ'''、意味を付加したい部分、'''終了タグ'''の形で構成される。開始タグ・終了タグはそれぞれ「<code lang="html5">&lt;''要素名''&gt;</code>」、「<code lang="html5">&lt;/''要素名''&gt;</code>」のように表現される。また、<code lang="html5">meta</code>要素や <code lang="html5">img</code>要素や <code lang="html5">br</code>要素のように一つのタグだけからなる要素もある。これらは単体で文書そのものについてのメタ情報を宣言したり、画像や改行など文字では表現できない文書要素を記述するためのものである。 要素には必要に応じて、要素に付加する特性を現す'''[[属性 (コンピューティング)|属性]]'''を記述する。基本的に、属性と'''属性名'''はセットに指定する。要素名と属性名については大文字と小文字を区別しない。属性値については、属性によって大文字と小文字を区別するかどうかが個別に定められる。文脈上一意に特定できる場合は開始タグや終了タグを省略できる。また内容を持たず開始タグのみで構成される空要素も存在する<ref><code lang="html5">br</code>要素、<code lang="html5">img</code>要素など</ref>。さらに一部の属性についても属性名の省略が可能となっている<ref><code lang="html5">table</code>要素の<code lang="html5">frame</code> 属性、<code lang="html5">input</code>要素の<code lang="html5">disabled</code> 属性など。属性<u>値</u>の省略ではない。</ref>。 --> HTML 3.2では見た目を左右する要素や属性が追加されたがHTMLは本来文書構造を示すためだけにその存在意義があり、それらの要素は目的に反するものとされた。そのため視覚的・感覚的効果を定義する手段として[[スタイルシート]](一般にはその中の[[Cascading Style Sheets|CSS]])が考案された。見た目を左右する要素や属性の一部はHTML4以降では非推奨とされており、HTML 4.01 {{lang|en|Strict}}では定義されていないので使用できない。ただしHTML 4.01 {{lang|en|Strict}}で定義され、非推奨とされない要素や属性の一部にも見た目を左右するものがある。装飾的な視覚表現のためにそれらの要素や属性を用いているのであればその内容に適する要素を用いた上で、スタイルシートで表現を指定するのが望ましいとされている。 == 標準仕様 == 2023年4月現在、HTMLの有効な標準仕様は以下の2点である。 {| class="wikitable" style="text-align:left" style="font-size: 80%" !文書!!nowrap="nowrap"|策定者!!nowrap="nowrap"|構文!!説明!!開発時期 |- |'''[https://html.spec.whatwg.org/ HTML Living Standard]'''||[[Web Hypertext Application Technology Working Group|WHATWG]]||nowrap="nowrap"|[[#構文|HTML構文]]<br>または[[Extensible Markup Language|XML]]||現在の'''[[デファクトスタンダード]]'''。<br>HTML文書だけでなく、[[Document Object Model|DOM]]などの[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]も含む仕様となっている。<br>2021年には[[HTML5]]の勧告が廃止され、新たな'''[[W3C勧告]]'''となった。||2004年~現在 |- |'''[https://www.scss.tcd.ie/misc/15445/15445.HTML ISO/IEC 15445:2000]'''<br>(ISO-HTML)||nowrap="nowrap"|[[ISO/IEC JTC 1/SC 34]]||[[Standard Generalized Markup Language|SGML]]||2000年に発表され、2003年に改訂された<ref group="注釈">{{lang-en-short|corrected version}}</ref><ref group="注釈">訂正なので、改定版も名称はISO/IEC 15445:2000のまま</ref>。<br>HTML 4.01 Strictを元に、より厳密に規格化された。<br>日本語に翻訳されたものが、[[JIS規格]]の「JIS X 4156:2000」<ref>{{cite jis|X|4156|2000}}</ref>「JIS X 4156:2005」<ref>{{cite jis|X|4156|2005}}</ref>となっている。||2000年~2003年<ref group="注釈">5年毎にレビューと承認が行われており、手続き上は現在も有効なISO規格である。最も新しい日付は2023年のもの。ただし2004年以降、文書の改訂はない。</ref> |} 下表は失効済みのかつての標準仕様(またはドラフト)の一覧である。 {| class="wikitable" style="text-align:left" style="font-size: 80%" !名称!!nowrap="nowrap"|策定者!!nowrap="nowrap"|文書!!発効日!!失効日 |- |'''HTML'''<ref group="注釈">バージョン番号はないが「HTML 1.0」などとも呼ばれる</ref>||[[IETF]]||[https://www.w3.org/MarkUp/draft-ietf-iiir-html-01.txt Hypertext Markup Language (HTML)]||-<ref group="注釈" name="DraftOnly">ドラフトのみ</ref>||- |- |'''HTML+'''||IETF||[https://www.w3.org/MarkUp/HTMLPlus/htmlplus_1.html HTML+ (Hypertext markup format)]||-<ref group="注釈" name="DraftOnly" />||- |- |rowspan="5"|'''HTML 2.0'''||rowspan="5"|IETF||{{IETF RFC|1866}}||[[1995年]][[11月24日]]||rowspan="5"|[[2000年]]6月<ref>{{IETF RFC|2854}}</ref> |- ||{{IETF RFC|1867}}||[[1995年]][[11月25日]] |- ||{{IETF RFC|1942}}||[[1996年]]5月 |- ||{{IETF RFC|1980}}||[[1996年]]8月 |- ||{{IETF RFC|2070}}||[[1997年]]1月 |- |'''HTML 3.0'''||IETF||[https://www.w3.org/MarkUp/html3/ HTML 3.0 Draft]||-<ref group="注釈" name="DraftOnly">ドラフトのみ</ref>||- |- |rowspan="2"|'''HTML 3.2'''||rowspan="2"|[[W3C]]||[http://www.w3.org/TR/REC-html32-970113.html HTML 3.2 Reference Specification]<ref group="注釈">現在はリダイレクト。[https://web.archive.org/web/20061021172537/http://www.w3.org/TR/REC-html32-970113.html Internet Archive]参照。</ref>||[[1997年]][[1月13日]]||rowspan="2"|[[1997年]]12月<ref group="注釈" >[https://www.w3.org/MarkUp/Wilbur/ Introducing HTML 3.2 ]には「HTML 3.2 was superseded by HTML 4.0 in December, 1997.」とあり、[https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html32-20180315/ 仕様書]には「Superseded 15-March-2018」とある。前者はHTML 4.0を、後者はHTML5を後継仕様として案内している。</ref> |- ||[http://www.w3.org/TR/REC-html32-19970114 HTML 3.2 Reference Specification]<ref group="注釈">修正版。現在はリダイレクト。[https://web.archive.org/web/20021220181555/http://www.w3.org/TR/REC-html32-19970114 Internet Archive]参照。</ref>||[[1997年]][[1月14日]] |- |rowspan="2"|'''HTML 4.0'''||rowspan="2"|W3C||[https://www.w3.org/TR/REC-html40-971218/ HTML 4.0 Specification]||[[1997年]][[12月18日]]||rowspan="2"|[[2018年]][[3月27日]]<ref>[https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html40-20180327/ HTML 4.0 Specification](superseded)</ref> |- ||[https://www.w3.org/TR/1998/REC-html40-19980424/ HTML 4.0 Specification]<ref group="注釈">revised(改訂版)</ref>||[[1998年]][[4月24日]] |- |'''HTML 4.01'''||W3C||[https://www.w3.org/TR/1999/REC-html401-19991224/ HTML 4.01 Specification]||[[1999年]][[12月24日]]||[[2018年]][[3月27日]]<ref>[https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html401-20180327/ HTML 4.01 Specification](superseded)</ref> |- |'''HTML5'''||W3C||[https://www.w3.org/TR/2014/REC-html5-20141028/ HTML5]||[[2014年]][[10月28日]]||[[2018年]][[3月27日]]<ref>[https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html5-20180327/ HTML5](superseded)</ref> |- |rowspan="2"|'''HTML 5.1'''||rowspan="2"|W3C||[https://www.w3.org/TR/2016/REC-html51-20161101/ HTML 5.1]||[[2016年]][[11月1日]]||rowspan="2"|[[2021年]][[1月28日]]<ref>[https://www.w3.org/TR/2021/SPSD-html51-20210128/ HTML 5.1 2nd Edition](superseded)</ref> |- ||[https://www.w3.org/TR/2017/REC-html51-20171003/ HTML 5.1 2nd Edition]||[[2017年]][[10月3日]] |- |'''HTML 5.2'''||W3C||[https://www.w3.org/TR/2017/REC-html52-20171214/ HTML 5.2]||[[2017年]][[12月14日]]||[[2021年]][[1月28日]]<ref>[https://www.w3.org/TR/2021/SPSD-html52-20210128/ HTML 5.2](superseded)</ref> |- |'''HTML 5.3'''||W3C||[https://www.w3.org/TR/2021/NOTE-html53-20210128/ HTML 5.3]||-<ref group="注釈">ワーキングループノートとして公開</ref>||- |} 以下、言語仕様については歴史的な経緯など特別な事情がない限り、WHATWGの策定する「HTML Living Standard」を基準に説明を行う。失効済みの仕様については下記「[[#歴史]]」の項も参照。 == 言語仕様 == {{See also|HTML要素|en:HTML attribute}} HTMLはドキュメント構造(モデル)、各要素の役割/意味(セマンティクス)、表現する構文(シンタックス)を定義する。 === 構造 === HTMLは'''要素'''(''Element'')の[[木構造 (データ構造)|木構造]]を扱う。各要素は以下の3つから構成される。 * 要素名 * '''属性'''(''attribute''): 0個以上。属性名と値のペア、値は文字列に限定<ref>"3.2.4.1 Attributes An attribute value is a string." WHATWG. (2023). ''[https://html.spec.whatwg.org/ HTML Living Standard - Last Updated 11 January 2023]''.</ref> * 子要素: 0個以上 要素が子要素をもつため、総体として要素の木構造でモデル化される。 === 構文 === HTMLを表現するための構文としては、'''HTML構文'''(''HTML Syntax'')および'''XML構文'''(''XML Syntax'')が存在する。XML構文で記述されたHTMLはかつて[[XHTML]]と呼ばれていたが、現在の仕様ではそのような呼び分けは行わない<ref>"The XML syntax for HTML was formerly referred to as "XHTML", but this specification does not use that term (among other reasons, because no such term is used for the HTML syntaxes of MathML and SVG)." WHATWG. (2023). ''[https://html.spec.whatwg.org/#the-xhtml-syntax HTML Living Standard - Last Updated 2 May 2023]''.</ref>。また、現在の仕様ではHTML構文の使用が推奨されている<ref>"HTML vs XML syntax ... There are various concrete syntaxes that can be used to transmit resources that use this abstract language, two of which are defined in this specification." WHATWG. (2023). ''[https://html.spec.whatwg.org/#html-vs-xhtml HTML Living Standard - Last Updated 11 January 2023]''.</ref>。 HTML文書は[[文書型宣言]]と[[HTML要素]]、そして(任意の)[[バイト順マーク|BOM]]、[[コメント (コンピュータ)|コメント]]、[[スペース|空白文字]]からなる<ref group="注釈">XML構文の場合は任意の処理命令も記述可能</ref>。 HTML構文の場合、要素は <syntaxhighlight lang="html"><要素名 属性名=値>コンテンツ</要素名></syntaxhighlight> というテキスト形式で記述される。コンテンツを挟む <syntaxhighlight lang="html"><要素名>...</要素名></syntaxhighlight> は'''タグ'''と呼ばれ、前方部分は'''開始タグ'''、後方部分は'''終了タグ'''と呼ばれる。コンテンツ部に子要素をもつことで総体としての木構造が表現される。 注意点として、要素はタグではない<ref>[http://www.w3.org/TR/1999/REC-html401-19991224/intro/sgmltut.html#h-3.2.1 {{lang|en|W3C "HTML 4.01 Specification" 3.2.1 Elements}}]、1999年12月24日</ref>。要素は構造上規定される存在であり、構文上の表現であるタグと併記されるものではない。また要素はタグ+コンテンツで表現されるため、タグは要素を表現するものの一部に過ぎない。 === 機能 === HTMLは異なる意味をもつ様々な要素を定義する<ref>"Elements, attributes, and attribute values in HTML are defined ... to have certain meanings (semantics)." WHATWG. (2023). ''[https://html.spec.whatwg.org HTML Living Standard - Last Updated 11 January 2023]''.</ref>。各要素では受け入れ可能な属性が定義され、要素の振る舞いを調整できるようになっている。ほとんどの要素では、要素名が機能を指し、属性が自身の特性を指し、子要素が収納される別コンテンツを指す。 例えば <code><title></code> はタイトルを意味し、<code><a></code> は[[ハイパーテキスト]]アンカーを意味する。<code><a href="https://example.com"></code> では <code>href</code> 属性によってリンク先が指定されている。 HTMLは要素のセマンティクスを定義しているに過ぎないので、それを具体的にどう表現・利用するかは利用側に委ねられている<ref>"These definitions allow HTML processors ... to present and use documents and applications in a wide variety of contexts that the author might not have considered. ... HTML conveys ''meaning'', rather than presentation" WHATWG. (2023). ''[https://html.spec.whatwg.org/ HTML Living Standard - Last Updated 11 January 2023]''.</ref>。通常は[[ウェブブラウザ]]での利用が想定されているが、音声対話エージェントが利用するケースもあり得る。 制約検証プロセス 制約検証は、制約検証 API を通じて、単一のフォーム要素、またはフォームレベルの <form> 要素自体に対して行われます。制約検証は以下の方法で行われます。 checkValidity() または メソッドをフォーム関連 DOM インターフェイス (HTMLInputElement, HTMLSelectElement, HTMLButtonElement, HTMLOutputElement, HTMLTextAreaElement) に対して呼び出すことによって、この要素のみの制約を評価し、スクリプトがこの情報を取得できるようにします。 メソッドは、この要素の値が制約に合格するかどうかを論理値で返します。(これはふつう、 CSS 擬似クラスの :valid または :invalid のどちらを適用するかを判断する際に、ブラウザーが呼び出します。)一方、 メソッドはあらゆる制約違反をユーザーに報告します。reportValidity()checkValidity()reportValidity() checkValidity() または メソッドを HTMLFormElement インターフェイスに対して呼び出すことによって。reportValidity() フォーム自身を送信することによって。 checkValidity() を呼び出すことは、制約を静的に検証するといい、 を呼び出したり、フォームを送信したりすることは、制約を対話的に検証するといいます。reportValidity() ==HTML文書== HTMLで書かれた文書をHTML文書と言い、HTMLでは、まず[[文書型宣言]]を書く。HTML構文を用いる場合は文書型宣言を以下の通り書かなければならない<ref group="注釈">XML構文を用いる場合はこの限りではない</ref>。 <syntaxhighlight lang="html"> <!DOCTYPE html> </syntaxhighlight> 次にHTML文書の例を挙げる。 <syntaxhighlight lang="html"> <!DOCTYPE html> <html lang="ja"> <head> <meta charset="UTF-8"> <link rel="author" href="mailto:[email protected]"> <title lang="en">HyperText Markup Language - Wikipedia</title> </head> <body> <article> <h1 lang="en">HyperText Markup Language</h1> <p>HTMLは、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/SGML">SGML</a> アプリケーションの一つで、ハイパーテキストを利用してワールド ワイドウェブ上で情報を発信するために作られ、 ワールドワイドウェブの<strong>基幹的役割</strong>をなしている。 情報を発信するための文書構造を定義するために使われ、 ある程度機械が理解可能な言語で、 写真の埋め込みや、フォームの作成、 ハイパーテキストによるHTML間の連携が可能である。</p> </article> </body> </html> </syntaxhighlight> このHTML文書は次のような構造を示している。 *<syntaxhighlight lang="html" inline><!DOCTYPE html></syntaxhighlight>:文書型宣言<br />このテキストが'''最新のHTML'''であることを示す。 *<syntaxhighlight lang="html" inline><html lang="ja"></syntaxhighlight>:html要素。また、<syntaxhighlight lang="html" inline>lang="ja"</syntaxhighlight>で、言語コード<tt>ja</tt>の言語が使われていることの明示。 **<syntaxhighlight lang="html" inline><head></syntaxhighlight>:head要素(この文書のヘッダ情報の明示) ***<syntaxhighlight lang="html" inline><meta ... /></syntaxhighlight>:meta要素(文書のメタ情報)。ここでは、<syntaxhighlight lang="html" inline>charset="UTF-8"</syntaxhighlight>で、文字コードが、「'''[[UTF-8]]'''」であることを示す。 ***<syntaxhighlight lang="html" inline><link ... /></syntaxhighlight>要素(他のリソースとの関連を明示。この場合、作者の明示) ***<syntaxhighlight lang="html" inline><title lang="en"></syntaxhighlight>:title要素(この文書のタイトル)の明示。また、この部分は<tt>en</tt>の言語が使われていることの明示。 **<syntaxhighlight lang="html" inline><body></syntaxhighlight>:body要素(この文書の内容の明示) ***<syntaxhighlight lang="html" inline><article></syntaxhighlight>:article要素(この要素が、記事であることを明示) ****<syntaxhighlight lang="html" inline><h1 lang="en"></syntaxhighlight>:h1要素(第一レベル)の見出しを明示。また、<syntaxhighlight lang="html" inline>lang="en"</syntaxhighlight>で、この部分の見出しは <tt>en</tt>の言語が使われていることを明示。 ****<syntaxhighlight lang="html" inline><p></syntaxhighlight>:p(段落)要素の明示。 *****<syntaxhighlight lang="html" inline><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/SGML/">SGML</a></syntaxhighlight>:a(アンカー)要素(他のリソースへのアンカー)であることの明示。<syntaxhighlight lang="html" inline>href</syntaxhighlight>で、「<syntaxhighlight lang="html" inline>""</syntaxhighlight>」内にリンク先の[[URL]]を記述する。ちなみに、この[[URL]]の場合は、[[ウィキペディア日本語版]]の[[SGML]]の記事。 *****<syntaxhighlight lang="html" inline><strong></syntaxhighlight>:strong要素(強い強調であることの明示) タグによって文字列を括ることによりその文字列の意味付けがなされる。ユーザーエージェントはそれを解釈して、例えば <syntaxhighlight lang="html" inline>h1</syntaxhighlight>要素で括られたテキストは「その文書中で最も重要な見出し」という意味を持つようになり、 GUI によるウェブブラウザであれば大きく太字で表示するなどする。また、スタイルシートを用いることで見た目などを指定することができるようになっている。 なお、通常はマークアップ中に[[改行コード|改行文字]]を挿入してもウェブブラウザ上では描画されない。改行を行う場合は<syntaxhighlight lang="html" inline>br</syntaxhighlight>要素を用いる必要があるが、<syntaxhighlight lang="html" inline>br</syntaxhighlight>要素は本来見た目のためではなく、詩や住所のように実際にコンテンツの一部である改行のためにのみに使用されなければならない<ref>{{Cite web|title=HTML Standard|url=https://html.spec.whatwg.org/multipage/text-level-semantics.html#the-br-element|website=html.spec.whatwg.org|accessdate=2021-05-30|publisher=whatwg.org}}</ref>。 ==歴史== [[1989年]]、[[CERN]]の[[ティム・バーナーズ=リー]]は、オリジナルのHTML(および多くの関連したプロトコル、[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]など)のメモを提案し、[[1990年]]5月にコード化した<ref>{{Cite web|author=Tim Berners-Lee|url=http://www.w3.org/History/1989/proposal.html|title=Information Management: A Proposal|work=CERN (March 1989, May 1990)|accessdate=2012-11-28}}</ref>。[[NEXTSTEP]]の動作する[[NeXTcube]]ワークステーション上で開発された。当時のHTMLは仕様ではなく、直面していた問題を解決するためのツール群であった。直面していた問題とは、ティム・バーナーズ=リーやその同僚たちがどのように情報や進行中の研究を共有するかということである。彼の成果は後に国際的かつ公開のネットワークの出現として結実し、世界的な注目を集めることになった。 HTMLの初期のバージョンはゆるい文法規則によって定義されており、ウェブ技術になじみのない層に受け入れられる助けとなった。[[ウェブブラウザ]]はウェブページの意図を推測し、レンダリングを実行するのが一般的であった。やがて公式規格においては厳格な言語構文を作ることを志向するようになっていったが、それに加え、ウェブブラウザの挙動を元に構文エラーの取り扱いも規格に含めることで、既存のウェブページに対する互換性の維持が図られている<ref>{{Cite web|和書|author=矢倉 |date=2009-07-21 |url=https://standards.mitsue.co.jp/archives/001420.html |title=HTML5の構文解析がもたらすもの|website=<nowiki>Web標準Blog | ミツエーリンクス</nowiki> |accessdate=2020-01-19}}</ref>。 HTMLが公式な仕様として定義されたのは[[1990年代]]からである。それは従来のマークアップ言語である[[Standard Generalized Markup Language|SGML]]に、[[インターネット]]のための[[ハイパーテキスト]]の機能を取り入れるというティム・バーナーズ=リーの提案に大きく影響を受けたものだった。 [[1993年]]には[[Internet Engineering Task Force|IETF]]からHTML仕様書バージョン1.0が公開され、SGMLからの拡張として文法定義の[[Document Type Definition|DTD]]を持つようになった。また[[1994年]]にIETFのHTMLワーキンググループが発足した。しかし、2.0以降のIETFの元での開発は他の開発との競合から停滞した。[[1996年]]からは[[World Wide Web Consortium|W3C]]によって商用ソフトウェア・ベンダーからの支援も受け、HTMLの仕様が標準化されている<ref>{{Cite book |last=Raggett |first=Dave |title=Raggett on HTML 4 |publisher=Addison-Wesley |date=1998 |url=http://www.w3.org/People/Raggett/book4/ch02.html |pages=chap. 2: A history of HTML |id=ISBN 0-201-17805-2}}</ref>。また[[2000年]]からは国際標準ともなった([[国際標準化機構|ISO]]/[[国際電気標準会議|IEC]] 15445:2000)。W3Cから勧告された最新のHTML仕様はHTML 5.2である。 ===HTML 1.0、HTML+=== [[1993年]]6月に、IETFのIIIR Workingグループより提出された[https://www.w3.org/MarkUp/draft-ietf-iiir-html-01.txt HTML仕様書]がインターネット・ドラフトとして発表された。本来はバージョン番号が付いていないが通常HTML 1.0と呼ぶ。このドラフトはティム・バーナーズ=リーおよびダニエル・コノリーによって、ティム・バーナーズ=リーの出した[https://www.w3.org/MarkUp/HTMLConstraints.html HTML Design Constraints]に極力従うように書かれた。 1993年11月に、HTMLの上位互換な HTML+が発表された。テーブルなどが追加になっている。[https://www.w3.org/MarkUp/HTMLPlus/htmlplus_1.html HTML+仕様書]。 ===HTML 2.0=== {{Anchors|HTML 2.x}} [[1995年]]11月に、IETFのHTMLワーキンググループによって{{IETF RFC|1866}} ([https://web.archive.org/web/20010815115248/http://www.asahi-net.or.jp/~bd9y-ktu/W3C20/html-spec_toc.html 日本語訳])<!-- オリジナルが削除されたのでアーカイブにリンク -->として仕様が発表された。下記の補助的なRFCもリリースされた。HTML 2.0は{{IETF RFC|2854}}によって廃止されHTMLはIETFではなくW3Cが管理することとなった。 * 1995年11月:フォームベースのファイルアップロード。{{IETF RFC|1867}} * 1996年5月:テーブル。{{IETF RFC|1942}} * 1996年8月:クライアントサイドイメージマップ。{{IETF RFC|1980}} * 1997年1月:HTMLの国際化。{{IETF RFC|2070}}([https://hp.vector.co.jp/authors/VA014833/rfc2070J.html 非公式な日本語訳])。「HTML i18n」とも呼ばれる。日本語を扱えるHTMLのバージョンとしては、最も古い。 ===HTML 3.0、HTML 3.2=== {{Anchors|HTML 3.0}}HTML 3.0は策定作業が行われたが、ドラフトの段階で策定途中に破棄された。[https://www.w3.org/MarkUp/html3/ HTML 3.0仕様書]。 {{Anchors|HTML3.2}}[[1997年]][[1月14日]]に、HTML 3.2がW3C勧告として仕様が発表された。[https://www.w3.org/TR/2018/SPSD-html32-20180315/ HTML 3.2 Reference Specification]([http://www.doraneko.org/webauth/html32/html32.html 非公式な日本語訳])。 ===HTML 4.0、HTML 4.01=== {{anchors|HTML4}}1997年[[12月18日]]に、W3C勧告としてHTML 4.0の仕様が発表された。HTML 4.0は[[1998年]][[4月24日]]に仕様が改訂<ref group="注釈">{{lang-en-short|revised}}</ref>された。この仕様にいくらかのマイナーな修正が加えられたHTML 4.01は[[1999年]][[12月24日]]にW3C勧告となった。{{lang|en|Strict DTD}}の他にHTML 3.2からの移行過渡期のための{{lang|en|Transitional DTD}}とフレームを使うことのできる {{lang|en|Frameset DTD}}の3つのスキーマを持つ。 この後、HTML 4.01をベースとして[[Extensible HyperText Markup Language|XHTML]] 1.0が策定されることになる。 [[2018年]][[3月28日]]に代替された勧告に指定され、最新の勧告を参照することを推奨されている。 *[https://www.w3.org/TR/REC-html40-971218/ {{lang|en|HTML 4.0 Specification}}] *[https://www.w3.org/TR/1998/REC-html40-19980424/ {{lang|en|HTML 4.0 Specification (revised)}}] **[http://www.y-adagio.com/public/standards/tr_html4_rev/toc.html 日本規格協会による和訳を原案とする経済産業省の標準情報 TR X 0033:2002] *[https://www.w3.org/TR/html401/ {{lang|en|HTML 4.01 Specification}}] **[http://www.asahi-net.or.jp/~sd5a-ucd/rec-html401j/cover.html 内田明らによる和訳] ===ISO/IEC 15445:2000=== [[ISO/IEC JTC 1]]による規格。HTML 4.01を参考にし、より厳密に規格化された。これは[[2000年]]に翻訳されJIS X 4156:2000という[[日本産業規格|JIS規格]]になった。 <!-- リンク先が古い規格だったので除去 --> ISO/IEC 15445:2000は[[2003年]]に訂正版<ref group="注釈">{{lang-en-short|corrected version}}</ref>が発行された(ただし訂正なので、その後も名称はISO/IEC 15445:2000のまま)。JIS X 4156は[[2005年]]に改正され、{{cite jis|X|4156|2005}}となっている。 ===HTML5、HTML 5.1、HTML 5.2=== {{Main|HTML5}} [[ファイル:HTML5 logo and wordmark.svg|サムネイル|150px|HTML5のロゴ]] その後、HTMLの改良にW3Cが興味を示さなかったことから、2004年に[[WHATWG]]が開発を開始した<ref>{{Cite web|url=https://momdo.github.io/html/introduction.html#history-2|title=HTML Standard 日本語訳 1.6 歴史|accessdate=2017-07-15|author=WHATWG|authorlink=|coauthors=Mondo|date=2017-07-14}}</ref>。2007年には、W3Cもワーキンググループを設立し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.w3.org/2007/03/html-pressrelease|title=HTML 標準の更新に着手|accessdate=2017-07-15|author=W3C|authorlink=World Wide Web Consortium|date=2007-03-08|}}</ref>、WHATWGと共同での開発が始まった。しかし、2012年7月、両者は別個に作業する体制となった<ref name="whatwg-w3c-fork">{{Cite web|和書|url=http://www.publickey1.jp/blog/12/html5w3cwhatwgian_hickson.html|title=HTML5仕様をめぐるW3CとWHATWGについて、Ian Hickson氏がメーリングリストに書いたこと|accessdate=2017-07-15|date=2012-07-24|publisher=Publickey}}</ref>。WHATWGの仕様策定は{{仮リンク|HTML Living Standard|en|HTML Living Standard}}として継続している。 [[2014年]][[10月28日]]にHTML5がW3Cより勧告された<ref>[http://www.w3.org/2014/10/html5-rec.html.ja HTML5勧告–オープン・ウェブ・プラットフォームの重要なマイルストーンを達成]</ref>。ブログや記事向けの「article」要素やマルチメディアのための「audio」および「video」要素などをはじめとした新要素・属性が追加され、以前は見た目を規定していた要素の殆どは変更または削除された。[[2016年]][[11月1日]]に HTML 5.1が勧告され<ref>[https://www.w3.org/blog/news/archives/5932 HTML 5.1 is a W3C Recommendation | W3C News]</ref>、[[2017年]][[12月14日]]に HTML 5.2が勧告された<ref>[https://www.w3.org/blog/2017/12/html-5-2-is-done-html-5-3-is-coming/ HTML 5.2 is done, HTML 5.3 is coming | W3C Blog]</ref>。 *[https://github.com/momdo/momdo.github.io/wiki/html5 HTML5関連仕様のメモ] *[http://html5.jp/ HTML5.JP] W3CによるHTML5~HTML 5.2は、WHATWGのHTML Living Standardを元に編集が加えられたものであり、HTML Living Standardとの差異が発生している状態となっていた。これについてWHATWGの{{仮リンク|Ian Hickson|en|Ian Hickson}}がW3C側を強く非難する事態となっている<ref>{{Cite web|和書|author=渡邉卓 |date=2017-01-01 |url=https://gihyo.jp/design/column/newyear/2017/web-standards-prospect |title=2017年のWeb標準:WEB+DESIGN STAGE新春特別企画 |website=gihyo.jp |accessdate=2020-01-19 |quote=この事態を,WHATWG側のエディターであるIan Hickson氏は,「⁠剽窃」(⁠Plagiarism)という強い語を用いて非難しています。}}</ref>。W3CはHTML 5.3への作業を進められていたものの、2019年のWHATWGとの合意により、取りやめている<ref name="whatwg-w3c-mou"/>。 === HTML Living Standard === {{seealso|:en:HTML Living Standard}} HTML Living Standard<ref>[https://whatwg.org/html HTML Living Standard]</ref>は [[Web Hypertext Application Technology Working Group|WHATWG]]が更新し続けている HTMLの最新仕様。2019年まではW3CのHTML5~HTML 5.2と並行して仕様策定が進められている状態だった。これを元にしてW3Cの勧告が作られていた。 ==HTML形式の電子メール== {{Main|電子メール#メール形式}} ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連項目== *{{lang|en|[[Standard Generalized Markup Language]]}} - SGML。汎用マークアップ言語。 *{{lang|en|[[Extensible HyperText Markup Language]]}} - XHTML。XMLで作ったHTML。 *{{lang|en|[[Handheld Device Markup Language]]}} - HDML。携帯端末用のHTML。 *{{lang|en|[[Accelerated Mobile Pages]]}} - AMP。Googleらによる、モバイル(携帯)端末でのウェブページの表示の高速化を目指すプロジェクト。HTMLのサブセットとなるAMP HTMLを規定している。 *{{lang|en|[[Cascading Style Sheets]]}} - CSS。表示方法・音声化方法を定義する設定ファイル。 *[[ダイナミックHTML]] - ユーザの操作で内容が変化するHTML文書。 *[[ユーザビリティ]] - 利便性。 *[[アクセシビリティ]] - 環境に依存しないアクセス容易性。 *[[ウェブブラウザ]] - HTML文書を表示するシステム。 *[[HTMLレンダリングエンジン]] - HTML文書を表示・音声化・点字化するシステムの核。 *[[文字参照]] - 特殊な文字を表現する符号。 *{{lang|en|[[Hypertext Transfer Protocol]]}} - 通信規約。 *[[Webオーサリングツール|{{lang|en|Web}}オーサリングツール]] - ウェブ文書を視覚的に作成するシステム。 *{{lang|en|[[Another HTML-lint]]}} - HTML文書を検証するソフトウェア。 ==外部リンク== {{Wiktionary|HTML}} {{Wikibooks|HTML|HTML}} {{Commonscat|HTML|HTML}} * 英語 ** [https://html.spec.whatwg.org/multipage/ HTML Living Standard] ** [https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Web/HTML HTML: HyperText Markup Language - MDN] ** [https://validator.w3.org/index.html W3C Markup Validation Service] - [[W3C]]による構文チェック * 日本語 ** [https://developer.mozilla.org/ja/docs/Web/HTML HTML: HyperText Markup Language - MDN] ** [https://www.kanzaki.com/docs/htminfo.html ごく簡単なHTMLの説明] {{W3C標準}} {{マークアップ言語一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はいはあてきすとまあくあつふらんけえし}} [[Category:マークアップ言語]] [[Category:HTML|*]] [[Category:World Wide Web]] [[Category:W3C勧告]] [[Category:オープンフォーマット]] [[Category:ティム・バーナーズ=リー]]
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JIS漢字コード
JIS漢字コード(ジスかんじコード)は、日本産業規格(JIS)に収録されている、漢字などの文字コードである。「漢字コード」という名称ではあるが、漢字に限定した文脈でなければ、非漢字、すなわち漢字以外のマルチバイト文字(いわゆる全角文字)をも含むことが多い。 通常はベンダー(発売元)制定の漢字コードや中国・台湾で制定された漢字コードに対してJISとして制定された漢字コードを指すときに用いられる。文脈によっては広義のJIS漢字コードには含まれるが、JIS X 0208:1997において初めて正式に規格に取り入れられた「Shift_JISコード」に対する「JISコード」を指すこともある。 日本産業規格において定められた漢字コードとしては、 がある。ただしこのうちJIS X 0221は、国際規格であるISO/IEC 10646(Unicode)の翻訳にすぎないため、JIS漢字からは除外される。 それ以外は、制定(または改正)された年によって次のような通称で呼ばれることもある。 JIS X 0208及びJIS X 0213の各年版ごとの収録文字数はそれぞれ以下の通りである。 制定年の違いにより同じ形状の文字が他のコード番号に割り振られるケースがあったが、検証によると158例に異同はJIS漢字案でのミスを訂正した結果の異同が22例、異体字を再配列したための異同が65例、印刷におけるフォントの差が51例、誤植など新たなミスを犯してしまったと思われる異同が18例、その他の異同が6例となっている。
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JIS漢字コード(ジスかんじコード)は、日本産業規格(JIS)に収録されている、漢字などの文字コードである。「漢字コード」という名称ではあるが、漢字に限定した文脈でなければ、非漢字、すなわち漢字以外のマルチバイト文字(いわゆる全角文字)をも含むことが多い。 通常はベンダー(発売元)制定の漢字コードや中国・台湾で制定された漢字コードに対してJISとして制定された漢字コードを指すときに用いられる。文脈によっては広義のJIS漢字コードには含まれるが、JIS X 0208:1997において初めて正式に規格に取り入れられた「Shift_JISコード」に対する「JISコード」を指すこともある。
'''JIS漢字コード'''(ジスかんじコード)は、[[日本産業規格]](JIS)に収録されている、[[漢字]]などの[[文字コード]]である。「漢字コード」という名称ではあるが、漢字に限定した文脈でなければ、[[JIS X 0213非漢字一覧|非漢字]]、すなわち漢字以外の[[マルチバイト文字]](いわゆる全角文字)をも含むことが多い。 通常は[[ベンダー]](発売元)制定の[[漢字コード]]や[[中国]]・[[台湾]]で制定された漢字コードに対してJISとして制定された漢字コードを指すときに用いられる。文脈によっては広義のJIS漢字コードには含まれるが、[[JIS X 0208]]:1997において初めて正式に規格に取り入れられた「[[Shift_JIS]]コード」に対する「JISコード」を指すこともある。 ==規格== 日本産業規格において定められた漢字コードとしては、 * [[JIS X 0208]] - 非漢字、第1・第2水準漢字 * [[JIS X 0212]] - 非漢字 (0208と重ならず)、補助漢字(0208と重ならず) * [[JIS X 0213]] - 非漢字(0208を包含)、第1・第2水準漢字(0208と同じ)、第3・第4水準漢字 * [[JIS X 0221]] - 国際符号化文字集合([[Unicode]]、0208・0212・0213の文字を全て含む) がある。ただしこのうちJIS X 0221は、[[国際規格]]である[[ISO/IEC 10646]](Unicode)の翻訳にすぎないため、JIS漢字からは除外される。 それ以外は、制定(または改正)された年によって次のような通称で呼ばれることもある。 * 78JISまたはJIS78:[[1978年]]に制定されたJIS C 6226:1978 * 83JISまたはJIS83:[[1983年]]に制定されたJIS C 6226:1983([[1987年]][[3月1日]]にJISに分類記号「X」の[[情報]]部門が新設されたため、それ以後はJIS X 0208:1983) * 90JISまたはJIS90:[[1990年]]に制定されたJIS X 0208:1990(同時に制定された補助漢字の規格であるJIS X 0212:1990を含める場合もある) * 97JISまたはJIS97:[[1997年]]に制定されたJIS X 0208:1997 * 2000JISまたはJIS2000:[[2000年]]に制定されたJIS X 0213:2000 * 2004JISまたはJIS2004:[[2004年]]に制定されたJIS X 0213:2004 JIS X 0208及びJIS X 0213の各年版ごとの収録文字数はそれぞれ以下の通りである。 {| class="wikitable" !制定年!!第1水準漢字!!第2水準漢字!!第3水準漢字!!第4水準漢字!!非漢字!!合計 |- |[[1978年]]||rowspan="6"|2,965字||3,384字||rowspan="4"|-||rowspan="4"|-||453字||6,802字 |- |[[1983年]]||3,388字||rowspan="3"|524字||6,877字 |- |[[1990年]]||rowspan="4"|3,390字||rowspan="2"|6,879字 |- |[[1997年]] |- |[[2000年]]||1,249字||rowspan="2"|2,436字||rowspan="2"|1,183字||11,223字 |- |[[2004年]]||1,259字||11,233字 |} ==異同について== 制定年の違いにより同じ形状の文字が他のコード番号に割り振られるケースがあったが、検証によると158例に異同はJIS漢字案でのミスを訂正した結果の異同が22例、異体字を再配列したための異同が65例、印刷におけるフォントの差が51例、誤植など新たなミスを犯してしまったと思われる異同が18例、その他の異同が6例となっている。<ref>{{Cite web|和書|author=安岡孝一 |url=http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/2006-03-24.pdf |title=JIS漢字案(1976)とJIS C 6226-1978の異同 |accessdate=2021-02-15}}</ref> ==関連項目== * [[常用漢字]] * [[人名用漢字]] * [[表外漢字字体表]]([[印刷標準字体]]) - [[表外漢字字体表の漢字一覧]] * [[JIS漢字字典]] == 出典 == <references/> ==外部リンク== * [https://www.jwu.ac.jp/content/files/unv/seg_alumnusi/jis_code.pdf 改定常用漢字表に対するJIS漢字コード規格の対応状況について](経済産業省){{リンク切れ|date=2022年6月}} * 小林龍生、「[https://doi.org/10.1241/johokanri.55.147 情報交換用符号化文字集合と人名用漢字使用の実情]」『情報管理』 2012年 55巻 3号 p.147-156, {{doi|10.1241/johokanri.55.147}}, 国立研究開発法人 科学技術振興機構 {{文字コード}} {{Computer-stub}} {{DEFAULTSORT:しすかんしこと}} [[Category:日本の漢字]] [[Category:日本語用の文字コード]] [[Category:JIS]]
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駒場東大前駅
駒場東大前駅(こまばとうだいまええき)は、東京都目黒区駒場三丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。井の頭南管区所属。駅番号はIN03。目黒区最北端の駅。 京王電鉄の駅で唯一、目黒区に所在する。 井の頭線で唯一戦後に開業した駅であり、最も新しい駅でもある。 島式ホーム1面2線構造である。傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。東口は橋上駅舎となっており、2つの出口の内、南側は渋谷方面の道に、北側は東京大学駒場キャンパス方面に出る。 ホームと西口改札との間にエレベーターが設けられている。 トイレは構内には設置されておらず、駅利用者は西口駅前の目黒区公衆便所を利用することになる。京王電鉄全駅の中で自社管理の旅客トイレがない唯一の駅である。 2021年度の1日平均乗降人員は24,995人である。平日の朝は付近の学生でごった返している。 開業以来の1日平均乗降人員及び乗車人員の推移は下表の通りである。 その名の通り、東京大学駒場キャンパスと隣接しており(赤門や安田講堂で有名な本郷キャンパスとは場所が異なる)、前記したように線路を挟んで北側一帯はすべて東大の敷地となっている。この他にも、駒場には教育機関が多数集まっている。 周辺は閑静な住宅街である。駅南側を東西に走る通りは、標高が東大キャンパスより低いことから「駒下」と通称される、昔ながらの商店街が続いており、小規模な個人商店が並ぶ。定食屋や弁当屋といった学生を主な対象とする商店も見られる。 2002年にバリアフリー対応のために西口の階段横に新たな通路を設け、エレベーターが新設された。しかし、もともと通行量の多かった階段が狭くなったことで、エレベーター設置後も通勤・通学客による混雑と渋滞が慢性化している。 特に朝のラッシュ時間帯は電車を降りてから改札を出るまで5分以上かかる場合もあり、対応策として各学校などが東口に迂回するよう指示したこともある。 駒場駅と東大前駅の統合という由来を持つ。 この2駅間には現在の駒場東大前駅のホームの長さ分程度しか駅間距離がなかった。統合前の痕跡は、(西)駒場駅の跡としては池ノ上駅側(吉祥寺側)の踏切との間にプラットホームの残骸が、東大前駅(一高前駅・東駒場駅)の跡としては神泉駅側(渋谷側)に、駅の現在位置から少し不自然に離れて駅広告看板が現在も残っている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "駒場東大前駅(こまばとうだいまええき)は、東京都目黒区駒場三丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。井の頭南管区所属。駅番号はIN03。目黒区最北端の駅。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "京王電鉄の駅で唯一、目黒区に所在する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "井の頭線で唯一戦後に開業した駅であり、最も新しい駅でもある。", "title": "年表" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "島式ホーム1面2線構造である。傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。東口は橋上駅舎となっており、2つの出口の内、南側は渋谷方面の道に、北側は東京大学駒場キャンパス方面に出る。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ホームと西口改札との間にエレベーターが設けられている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "トイレは構内には設置されておらず、駅利用者は西口駅前の目黒区公衆便所を利用することになる。京王電鉄全駅の中で自社管理の旅客トイレがない唯一の駅である。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2021年度の1日平均乗降人員は24,995人である。平日の朝は付近の学生でごった返している。 開業以来の1日平均乗降人員及び乗車人員の推移は下表の通りである。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その名の通り、東京大学駒場キャンパスと隣接しており(赤門や安田講堂で有名な本郷キャンパスとは場所が異なる)、前記したように線路を挟んで北側一帯はすべて東大の敷地となっている。この他にも、駒場には教育機関が多数集まっている。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "周辺は閑静な住宅街である。駅南側を東西に走る通りは、標高が東大キャンパスより低いことから「駒下」と通称される、昔ながらの商店街が続いており、小規模な個人商店が並ぶ。定食屋や弁当屋といった学生を主な対象とする商店も見られる。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2002年にバリアフリー対応のために西口の階段横に新たな通路を設け、エレベーターが新設された。しかし、もともと通行量の多かった階段が狭くなったことで、エレベーター設置後も通勤・通学客による混雑と渋滞が慢性化している。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "特に朝のラッシュ時間帯は電車を降りてから改札を出るまで5分以上かかる場合もあり、対応策として各学校などが東口に迂回するよう指示したこともある。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "駒場駅と東大前駅の統合という由来を持つ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この2駅間には現在の駒場東大前駅のホームの長さ分程度しか駅間距離がなかった。統合前の痕跡は、(西)駒場駅の跡としては池ノ上駅側(吉祥寺側)の踏切との間にプラットホームの残骸が、東大前駅(一高前駅・東駒場駅)の跡としては神泉駅側(渋谷側)に、駅の現在位置から少し不自然に離れて駅広告看板が現在も残っている。", "title": "歴史" } ]
駒場東大前駅(こまばとうだいまええき)は、東京都目黒区駒場三丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。井の頭南管区所属。駅番号はIN03。目黒区最北端の駅。 京王電鉄の駅で唯一、目黒区に所在する。
{{駅情報 |社色 = #dd0077 |文字色 = |駅名 = 駒場東大前駅 |画像 = Komabatodaimae-Station-2005-7-24.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 吉祥寺寄り出口(2005年7月) |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = こまばとうだいまえ |ローマ字 = Komaba-t&#333;daimae |副駅名 = |前の駅 = IN02 [[神泉駅|神泉]] |駅間A = 0.9 |駅間B = 1.0 |次の駅 = [[池ノ上駅|池ノ上]] IN04 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|IN|03|#000088|5}} |所属事業者 = [[京王電鉄]] |所属路線 = {{color|#000088|■}}[[京王井の頭線|井の頭線]] |キロ程 = 1.4 |起点駅 = [[渋谷駅|渋谷]] |所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[駒場 (目黒区)|駒場]]三丁目9番1号 |座標 = {{coord|35|39|31|N|139|41|4|E|region:JP-13_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 1面2線 |開業年月日 = [[1933年]]([[昭和]]8年)[[8月1日]] |廃止年月日 = |乗降人員 = <ref group="京王" name="keio2022" />31,775 |統計年度 = 2022年 |乗換 = |備考 = }} '''駒場東大前駅'''(こまばとうだいまええき)は、[[東京都]][[目黒区]][[駒場 (目黒区)|駒場]]三丁目にある、[[京王電鉄]][[京王井の頭線|井の頭線]]の[[鉄道駅|駅]]である。井の頭南管区所属<ref name="RP893_43">{{Cite journal|和書|author=京王電鉄鉄道営業部管理課|title=駅管区・乗務区のあらまし|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2014-08-10|volume=64|issue=第8号(通巻893号)|page=43|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''IN03'''。目黒区最北端の駅。 京王電鉄の駅で唯一、目黒区に所在する。 == 年表 == * [[1933年]]([[昭和]]8年)[[8月1日]] - 帝都電鉄の'''東駒場駅'''、'''西駒場駅'''が開業。 * [[1935年]](昭和10年)[[8月10日]] - 東駒場駅を'''一高前駅'''に改称。 * [[1937年]](昭和12年)[[8月1日]] - 西駒場駅を'''駒場駅'''に改称(7月8日届出<ref>鉄道省監督局「[{{NDLDC|2363887/95}} 地方鉄道、軌道事業の現況並に異動]」『電気協会雑誌』第188号、日本電気協会、1937年8月、附録4頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>)。 * [[1940年]](昭和15年)[[5月1日]] - 小田原急行鉄道に合併し、同社帝都線の駅となる。 * [[1942年]](昭和17年)5月1日 - [[小田急電鉄]]が[[東京急行電鉄]]([[大東急]])に併合。 * [[1948年]](昭和23年)[[6月1日]] - 東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線の駅となる。 * [[1951年]](昭和26年)[[12月1日]] - 一高前駅を'''東大前駅'''に改称。 * [[1965年]](昭和40年)[[7月11日]] - 駒場駅と東大前駅を統合し、'''駒場東大前駅'''開業。 井の頭線で唯一[[戦後]]に開業した駅であり、最も新しい駅でもある。 == 駅構造 == [[島式ホーム]]1面2線構造である。傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは[[高架駅|高架]]ホーム、渋谷寄りは通常の[[地上駅|地平]]ホームとなっている。[[改札|改札口]]は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。東口は[[橋上駅|橋上駅舎]]となっており、2つの出口の内、南側は渋谷方面の道に、北側は[[東京大学駒場地区キャンパス|東京大学駒場キャンパス]]方面に出る。 ホームと西口改札との間に[[エレベーター]]が設けられている。 [[便所|トイレ]]は構内には設置されておらず、駅利用者は西口駅前の目黒区[[公衆便所]]を利用することになる。京王電鉄全駅の中で自社管理の旅客トイレがない唯一の駅である。 === のりば === {|class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先 |- !1 |rowspan=2|[[File:Number prefix Keio-Inokashira-line.svg|15px|IN]] 井の頭線 |style="text-align:center"|下り |[[下北沢駅|下北沢]]・[[明大前駅|明大前]]・[[永福町駅|永福町]]・[[久我山駅|久我山]]・[[吉祥寺駅|吉祥寺]]方面 |- !2 |style="text-align:center"|上り |[[渋谷駅|渋谷]]方面 |} == 利用状況 == [[2022年]]度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''31,775人'''である<ref group="京王" name="keio2022" />。平日の朝は付近の学生でごった返している。 開業以来の1日平均'''乗降'''人員及び'''乗車'''人員の推移は下表の通りである。 <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります--> {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyosei/koho/hakkobutsu/kuseiyoran.html 区勢要覧] - 目黒区</ref> !年度 !1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref> !1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref> !出典 |- |1965年(昭和40年) |<ref group="注釈">駅統合年度・当駅の乗降人員最高値年度</ref>47,703 | | |- |1970年(昭和45年) |43,864 | | |- |1975年(昭和50年) |43,791 | | |- |1980年(昭和55年) |36,919 | | |- |1985年(昭和60年) |35,021 | | |- |1990年(平成{{0}}2年) |36,261 |17,868 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) | |18,238 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) | |18,551 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) | |18,323 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) | |18,367 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |37,286 |18,445 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) | |18,608 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) | |18,189 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1998年(平成10年) | |18,008 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年) | |17,481 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年) |35,669 |17,575 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2001年(平成13年) | |17,923 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |36,282 |18,074 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |37,443 |18,456 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |37,390 |18,458 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |37,606 |18,619 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |38,110 |18,970 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |39,017 |19,601 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |39,927 |20,071 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |40,411 |20,315 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |40,024 |20,063 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |39,297 |19,682 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |39,119 |19,510 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref> |- |2013年(平成25年) |39,813 |19,890 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref> |- |2014年(平成26年) |38,878 |19,408 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref> |- |2015年(平成27年) |38,767 |19,320 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref> |- |2016年(平成28年) |39,101 |19,540 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref> |- |2017年(平成29年) |39,417 |19,707 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref> |- |2018年(平成30年) |39,099 |19,532 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref> |- |2019年(令和元年) |37,851 |18,872 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |18,480 |9,225 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2020/tn20q3i004.htm 東京都統計年鑑(令和2年)]</ref> |- |2021年(令和{{0}}3年) |<ref group="京王" name="keio2021">{{Cite web |author=京王電鉄株式会社 |authorlink=京王電鉄 |coauthors= |date= |title=1日の駅別乗降人員|url=https://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/passengers/index.html |publisher= |page= |docket= |format= |accessdate=2023-10-01 |quote= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220626083727/https://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/passengers/index.html |archivedate=2022-06-26 |deadlink=2023-08-02 |}}</ref>24,995 | | |- |2022年(令和{{0}}4年) |<ref group="京王" name="keio2022">{{Cite web |author=京王電鉄株式会社 |authorlink=京王電鉄 |coauthors= |date= |title=1日の駅別乗降人員|url=https://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/passengers/index.html |publisher= |page= |docket= |format= |accessdate=2023-10-01 |quote= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20230610030616/https://www.keio.co.jp/group/traffic/railroading/passengers/index.html |archivedate=2023-06-10 |deadlink= |}}</ref>31,775 | | |} === 乗降人員数の推移 === ;東大前駅 *1964年度:30,617人(駅統合前最終年度) *1960年度:22,420人 *1955年度:14,617人 ;駒場駅 *1964年度:16,407人(駅統合前最終年度) *1960年度:12,621人 *1955年度:9,798人 == 駅周辺 == その名の通り、[[東京大学駒場地区キャンパス|東京大学駒場キャンパス]]と隣接しており([[東京大学の建造物#門|赤門]]や[[安田講堂]]で有名な[[東京大学本郷地区キャンパス#本郷キャンパス|本郷キャンパス]]とは場所が異なる<ref group="注釈">最寄り駅は[[東京メトロ丸ノ内線]]・[[都営地下鉄大江戸線]][[本郷三丁目駅]]もしくは[[東京メトロ南北線]][[東大前駅]]</ref>)、前記したように線路を挟んで北側一帯はすべて東大の敷地となっている。この他にも、駒場には教育機関が多数集まっている。 * [[東京大学駒場地区キャンパス#駒場Iキャンパス|東京大学駒場Iキャンパス]]([[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|総合文化研究科・教養学部]]、[[東京大学大学院数理科学研究科|数理科学研究科]]) **[[第一高等学校 (旧制)|旧制第一高等学校]]。正門が東大口改札から直結している。ホームから見える[[東京大学の建造物#駒場Iキャンパス|教養学部1号館]]は本郷キャンパスの安田講堂と似ており、沿線住民や大学関係者以外では間違える人も多い。 * [[東京大学駒場地区キャンパス#駒場IIキャンパス|東京大学駒場IIキャンパス]](駒場リサーチキャンパスとも。[[東京大学先端科学技術研究センター|先端科学技術研究センター]]、[[東京大学生産技術研究所|生産技術研究所]]など) ** 駒場Iキャンパスからは少し離れた場所にあり隣接していない。 * [[独立行政法人]][[大学入試センター]] * [[日本工業大学駒場中学校・高等学校]] * [[駒場東邦中学校・高等学校]] * [[筑波大学附属駒場中学校・高等学校]] * [[東京都立国際高等学校]] * [[東京都立駒場高等学校]] * [[目黒区立第一中学校]] * [[目黒区立駒場小学校]] * [[東海大学]]代々木キャンパス(学校法人東海大学本部、東海大学[[観光学部]]、東海大学大学院総合理工学研究科、同地球環境科学研究科、同生物科学研究科) * [[東海大学付属望星高等学校]]東京校 周辺は閑静な[[住宅地|住宅街]]である。駅南側を東西に走る通りは、標高が東大キャンパスより低いことから「駒下」と通称される、昔ながらの[[商店街]]が続いており、小規模な個人商店が並ぶ。定食屋や弁当屋といった学生を主な対象とする商店も見られる。 [[2002年]]に[[バリアフリー]]対応のために西口の階段横に新たな通路を設け、エレベーターが新設された。しかし、もともと通行量の多かった階段が狭くなったことで、エレベーター設置後も通勤・通学客による混雑と渋滞が慢性化している。 特に朝の[[ラッシュ時|ラッシュ時間帯]]は電車を降りてから改札を出るまで5分以上かかる場合もあり、対応策として各学校などが東口に迂回するよう指示したこともある。 === その他の施設 === * [[日本民藝館]](西口から) * [[駒場公園 (目黒区)|駒場公園]](西口から) ** 旧前田侯爵邸洋館 ** [[日本近代文学館]] * 駒場国際交流会館 * [[駒場野公園]](駅南側、昔の帝大[[農学部]]の農場跡) * 目黒駒場[[郵便局]](東口から) * [[東邦大学医療センター大橋病院]](西口から、最寄駅としては[[東急田園都市線]]・[[池尻大橋駅]]の方が近い) == 歴史 == '''駒場駅'''と'''東大前駅'''の統合という由来を持つ。 この2駅間には現在の駒場東大前駅のホームの長さ分程度しか駅間距離がなかった。統合前の痕跡は、(西)駒場駅の跡としては池ノ上駅側(吉祥寺側)の踏切との間にプラットホームの残骸が、東大前駅(一高前駅・東駒場駅)の跡としては神泉駅側(渋谷側)に、駅の現在位置から少し不自然に離れて駅広告看板が現在も残っている。 == ギャラリー == <gallery> Inokashirasen-komabatoudaimae-eki-3.jpg|東大口(2006年4月) Komaba-Tōdaimae Station east entrance south side 2020-05-10.jpg|東口南側(2020年5月) Remain of Komaba Station 2012-03-19.JPG|コンクリートの壁のようなものが旧駒場駅のホーム跡(2012年10月) Express_stops_at_komaba.jpg|入試当日に停車中の急行(2006年2月) Komaba-toudaimae East Locker.JPG|東口改札横のコインロッカー(2012年7月) Komaba-toudaimae West Locker.JPG|西口改札横のコインロッカー(2012年7月) </gallery> == 隣の駅 == ; 京王電鉄 : [[File:Number prefix Keio-Inokashira-line.svg|15px|IN]] 井の頭線 :: {{Color|lightseagreen|■}}急行 ::: '''通過'''(臨時停車の場合あり) :: {{Color|gray|■}}各駅停車 ::: [[神泉駅]] (IN02) - '''駒場東大前駅 (IN03)''' - [[池ノ上駅]] (IN04) * 東大駒場キャンパスにおける[[大学入学共通テスト]]や[[東京大学の入学試験]]などの各種試験、秋頃の開催となる駒場祭で多客が見込まれる場合には、通常は通過となる急行が[[停車 (鉄道)#臨時停車・特別停車|臨時停車]]する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} ;東京都統計年鑑 {{Reflist|group="*"|22em}} ;京王電鉄の1日平均利用客数 {{Reflist|group="京王"|3}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[駒場 (目黒区)]] == 外部リンク == {{Commonscat|Komaba-Tōdaimae Station}} * [https://www.keio.co.jp/train/station/in03_komaba-todaimae/ 京王グループ - 駒場東大前駅] {{京王井の頭線}} {{DEFAULTSORT:こまはとうたいまええき}} [[Category:目黒区の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 こ|まはとうたいまえ]] [[Category:京王電鉄の鉄道駅]] [[Category:1933年開業の鉄道駅]] [[Category:東京大学]]
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モリブデン
モリブデン(英: molybdenum [ˌmɒlɪbˈdiːnəm, məˈlɪbdɨnəm]、独: Molybdän [molʏpˈdɛːn])は、原子番号42の元素。元素記号は Mo。クロム族元素の1つ。 名称は輝水鉛鉱(molybdenite)に由来するが、この名称はギリシャ語で鉛を意味する molybdos に由来する。モリブデン鉱物である輝水鉛鉱が鉛鉱物である方鉛鉱に似ていることから名づけられた。日本での「モリブデン」という名称は、元はドイツ語の Molybdän で、これが日本語になっている。 銀白色の硬い金属(遷移金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造(BCC)で、比重は10.28、融点は2620 °C、沸点は4650 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。空気中では酸化被膜を作り内部が保護される。高温で酸素やハロゲンと反応する。アンモニア水には可溶。熱濃硫酸、硝酸、王水にも溶ける。原子価は2価から6価をとる。輝水鉛鉱(MoS2 など)に含まれる。資源としては、アメリカ合衆国で約30%、チリで約30%など、北南米で世界の過半を産出している。 モリブデンは、人体(生体)にとって必須元素で、尿酸の生成、造血作用、体内の銅の排泄などに関わる。微生物による窒素固定で働く酵素(ニトロゲナーゼ)にも深く関わっており、地球上の窒素固定量の70%以上は、モリブデンが関与していることになる。 また、植物にとっても必須元素であるため、モリブデン酸のナトリウム塩やアンモニウム塩の形で、肥料として販売されている。 宮沢賢治作風の又三郎にも登場する。作中に高田三郎が転校してきた理由は父親が仕事で近隣のモリブデンを発掘するためとなっている。風の又三郎 その他節 モリブデンという鉱石についても参照。 モリブデンは、日本国内において産業上重要性が高いものの地殻存在度が低く供給構造が脆弱である。日本では国内で消費する鉱物資源の多くを他国からの輸入で支えている実情から、万一の国際情勢の急変に対する安全保障策として国内消費量の最低60日分を国家備蓄すると定められている。 カール・ヴィルヘルム・シェーレが1778年に輝水鉛鉱を硝酸と反応させて分離した酸化物として発見し、「水鉛土 (wasserbleierde)」と命名。シェーレの友人ペーター・ヤコブ・イェルム (Peter Jacob Hjelm) が1781年に三酸化モリブデンを石炭で還元することにより単体分離し、現在の名称が付けられた。 中国は1999年以降、重要戦略的資源であるレアアース、タングステン、モリブデンにつき順次輸出数量制限を導入するとともに、2006年以降輸出税を賦課した。中国は、2006年以降輸出割当数量を年々削減し、特に、2010年下半期の輸出割当を大幅に削減したことなどを機にレアアース価格が高騰し、市場に混乱をもたらした。 こうした事態を受け、日本は、米国及びEUとともに、2012年3月、中国による輸出数量制限、輸出税の賦課等の輸出規制は、WTO協定に違反するとして、WTO協議要請を行い、同年6月にパネル設置要請を行った。日米欧からの提訴を受けて世界貿易機関(WTO)が協定違反と断じたことにより、2015年に生産をほぼ独占していた中国はモリブデンとタングステンとレアアースに賦課している「輸出税」と「輸出数量制限」を廃止した。 モリブデンは融点が高いことから、工業的に溶融・凝固というプロセスで製造することが困難であるため、大きな素材を作ることが難しく、多くは粉末冶金的製法で製造される。また、加工性に乏しく、常温での圧延は事実上不可能である。切削・研磨も高度な技術を必要とするため、複雑な形状に加工することは困難である。粉末ではない金属モリブデンは主に小インゴットや板、線材の形で取引されるが、個人が入手することは難しく、専門の販売業者に限られる。 モリブデンは、ヒトを含む全ての生物種で必須な微量元素である。人体には体重1 kgあたり約0.1 mg含まれていると見積もられており、骨、皮膚、肝臓、腎臓に多く分布している。 現在、植物と動物をあわせて約20種類ほどのモリブデン含有酵素が知られている。その中で最もよく知られている酵素は、ニトロゲナーゼである。これは窒素固定における窒素をアンモニアに変換する反応を触媒する。この酵素はマメ科植物の根に共生する根粒菌(リゾビウム属)の菌体内に含まれ、空気から取り入れられた分子状窒素をアンモニアに変換する。藻類も窒素固定にモリブデン酵素を利用している。また、藻類の窒素固定モリブデン酵素は、過剰な硫黄を揮発性の硫化メチルに変換して排泄させるはたらきも有する。 哺乳類においては、キサンチンオキシダーゼ、アルデヒドデヒドロゲナーゼおよび亜硫酸酸化酵素が知られている。キサンチンオキシダーゼは尿酸合成に関わる。この酵素の働きが強くなると痛風になるおそれがある。アルデヒドデヒドロゲナーゼはアルデヒドをカルボン酸に変換する。この酵素はアルコールの代謝に必須な酵素で、代謝産物である酢酸は体内でエネルギー源の一つとして利用される。亜硫酸酸化酵素は毒性のある亜硫酸イオンを毒性の低い硫酸イオンに変換する。 2020年版の『日本人の食事摂取基準』では、推定平均必要量:成人男性20 ~25 μg/日、推奨量:30 μg/日、上限量:600 μg/日。推定平均必要量:成人女性20 μg/日、推奨量:25 μg/日、上限量:500 μg/日(成人とは18歳以上、授乳婦は更に3 μgの付加量)である。モリブデンを多く含む食材は牛や豚の肝臓であり、植物では豆類に多く含まれる。 モリブデンが欠乏すると亜硫酸毒性がみられ、頻脈、頻呼吸、頭痛、悪心、嘔吐、昏睡の症状が見られたとの記録がある。過剰摂取による中毒は「モリブデノーシス (molybdenosis)」といい、アメリカ合衆国コロラド州のモリブデンを多く含む土地の草を食べた牛が中毒した例がある。症状は、体重の低下、食欲減退、貧血、授乳不良・不妊、骨粗鬆症などである。 2011年における国別の産出量は以下の通りである。
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モリブデンは、原子番号42の元素。元素記号は Mo。クロム族元素の1つ。
{{Elementbox |name=molybdenum |japanese name=モリブデン |pronounce={{IPAc-en|ˌ|m|ɒ|l|ɪ|b|ˈ|d|iː|n|əm}} {{respell|MOL|ib|DEE|nəm}}<br />{{IPAc-en|m|ə|ˈ|l|ɪ|b|d|ɨ|n|əm}} |number=42 |symbol=Mo |left=[[ニオブ]] |right=[[テクネチウム]] |above=[[クロム|Cr]] |below=[[タングステン|W]] |series=遷移金属 |group=6 |period=5 |block=d |image name=Molybdenum_crystaline_fragment_and_1cm3_cube.jpg |image size=260px |appearance=銀白色 |atomic mass=95.96(1) |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 5s<sup>1</sup> 4d<sup>5</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 13, 1 |phase=固体 |density gpcm3nrt=10.28 |density gpcm3mp=9.33 |melting point K=2896 |melting point C=2623 |melting point F=4753 |boiling point K=4912 |boiling point C=4639 |boiling point F=8382 |heat fusion=37.48 |heat vaporization=598 |heat capacity=24.06 |vapor pressure 1=2742 |vapor pressure 10=2994 |vapor pressure 100=3312 |vapor pressure 1 k=3707 |vapor pressure 10 k=4212 |vapor pressure 100 k=4879 |vapor pressure comment= |crystal structure=body-centered cubic 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press.</ref> |electrical resistivity at 20=53.4 n |thermal conductivity=138 |thermal expansion at 25=4.8 |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus=329 |Shear modulus=126 |Bulk modulus=230 |Poisson ratio=0.31 |Mohs hardness=5.5 |Vickers hardness=1530 |Brinell hardness=1500 |CAS number=7439-98-7 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[モリブデン92|92]] | sym=Mo | na=14.84% | hl= >1.9×10<sup>20</sup> [[年|y]] | dm=[[二重ベータ崩壊|β+β+]] | de=1.6491 | pn=[[ジルコニウム92|92]] | ps=[[ジルコニウム|Zr]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[モリブデン93|93]] | sym=Mo | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E11 s|4,000 y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=- | pn=[[ニオブ93|93]] | ps=[[ニオブ|Nb]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[モリブデン94|94]] | sym=Mo | na=9.25% | n=52}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[モリブデン95|95]] | sym=Mo | na=15.92% | n=53}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[モリブデン96|96]] | sym=Mo | na=16.68% | n=54}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[モリブデン97|97]] | sym=Mo | na=9.55% | n=55}} {{Elementbox_isotopes_decay | 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== 概要 == 銀白色の硬い[[金属]]([[遷移元素#第二遷移元素|遷移金属]])。常温、常圧で安定な[[結晶]]構造は[[体心立方構造]](BCC)で、[[比重]]は10.28、[[融点]]は2620 {{℃}}、[[沸点]]は4650 {{℃}}(融点、沸点とも異なる実験値あり)。[[空気]]中では[[酸化]]被膜を作り内部が保護される。高温で[[酸素]]や[[ハロゲン]]と反応する。[[アンモニア水]]には可溶。[[熱濃硫酸]]、[[硝酸]]、[[王水]]にも溶ける。[[原子価]]は2価から6価をとる。輝水鉛鉱(MoS<sub>2</sub> など)に含まれる。資源としては、[[アメリカ合衆国]]で約30%、[[チリ]]で約30%など、[[アメリカ州|北南米]]で世界の過半を産出している。 モリブデンは、[[ヒト|人体]](生体)にとって[[必須元素]]で、[[尿酸]]の生成、[[血液#造血と破壊|造血]]作用、体内の[[銅]]の[[排泄]]などに関わる。[[微生物]]による[[窒素固定#生物学的窒素固定|窒素固定]]で働く[[酵素]]([[ニトロゲナーゼ]])にも深く関わっており、地球上の窒素固定量の70%以上は、モリブデンが関与していることになる。 また、[[植物]]にとっても必須元素であるため、モリブデン酸の[[ナトリウム塩]]や[[アンモニウム塩]]の形で、[[肥料]]として販売されている。 [[宮沢賢治]]作[[風の又三郎]]にも登場する。作中に高田三郎が転校してきた理由は父親が仕事で近隣のモリブデンを発掘するためとなっている。[[風の又三郎#その他|風の又三郎 その他節 モリブデンという鉱石について]]も参照。 == 用途 == * [[酸化モリブデン(VI)]]や[[フェロモリブデン]]として、各種[[合金鋼]]の添加元素に利用される([[クロムモリブデン鋼]]、[[マンガンモリブデン鋼]]、[[ニッケルクロムモリブデン鋼]]参照)。さらには、[[工具鋼]](中でも高速度工具鋼(ハイス))群に多用され二次[[硬化]]能を高める。これは[[タングステン]]も同様であるが、[[密度]]が倍半分と違うので、モリブデン等量を示す質量パーセントとしてMo+1/2W(mass%)という等価式が用いられる。事実上、[[鉄鋼材料]]分野で消費されるモリブデンが最も多い。 * [[硫化モリブデン(IV)]]は[[摩擦係数]]が低いことから、工業用の[[潤滑油]]や[[エンジンオイル]]の添加剤に用いられる。二硫化モリブデンの配合された油脂類は深緑色を示しているため、それ以外の製品と区別するのが容易である。機器や工程のマニュアルにモリブデン配合油脂の指定がされているところでは、これを用いなければ不本意な結果になることがある。モリブデン配合油脂は特別に高価ではなく簡単に入手できるため需要も高い。少ない添加量で同様の効果を発揮する有機モリブデン(ジチオリン酸モリブデン<ref group="注釈">モリブデンジチオフォスフェート(Molybdenum Dithiophosphate:MoDTP)とも呼ばれる。</ref>やジチオカルバミン酸モリブデン<ref group="注釈">モリブデンジチオカルバメートあるいはモリブデンジチオカーバメート(Molybdenum Dithiocarbamate:MoDTC)とも呼ばれる。</ref>)も使用される<ref group="注釈">ただし、リンが触媒被毒の原因となるためエンジンオイル向けではMoDTPは使用されない。なお、同じくリンを含む[[ジアルキルジチオリン酸亜鉛]](ZnDTP)は用途を限定したうえで使用される。</ref>。 * モリブデンと銅の合金は、優れた温度特性と適度な導電性を兼ね備えているため、[[ハイブリッドカー]]や[[ロケット]]の電子基板などに用いられる。 * 金属モリブデンが産業用に用いられることはそれほど多くなかったが、高温域での機械的性質を期待できる場面においては、タングステンよりも安価であることからしばしば用いられる([[電子管]]の陽極など)。最近では[[液晶パネル]]製造ラインなどでも薄板の使用が増加している。また[[太陽電池]]の下部[[電極]]としても広く使用されている * 医療分野でも、[[放射性同位体]]モリブテン99は[[癌]]の診断などにも利用されている(「[[核医学]]」参照)。[[日本]]では海外の[[原子炉]]で生成されたモリブデン99を輸入し、[[放射性崩壊]]で得られる[[テクネチウム]]を製剤しているが、[[加速器]]による国産化も試みられている<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63814280U0A910C2XY0000/ 医薬品原料モリブデン99 めざす国産/超電導加速器を利用]」『[[日経産業新聞]]』2020年9月15日(16面)2020年9月23日閲覧</ref>。 モリブデンは、日本国内において[[産業]]上重要性が高いものの[[地殻]]存在度が低く供給構造が脆弱である。日本では国内で消費する[[鉱物]]資源の多くを他国からの輸入で支えている実情から、万一の国際情勢の急変に対する[[安全保障]]策として国内消費量の最低60[[日]]分を[[国家備蓄]]すると定められている。 == 歴史 == [[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]が[[1778年]]に[[輝水鉛鉱]]を[[硝酸]]と反応させて分離した[[酸化モリブデン(VI)|酸化物]]として発見し、「'''水鉛土''' (wasserbleierde)」と命名。シェーレの友人[[ペーター・ヤコブ・イェルム]] (Peter Jacob Hjelm) が[[1781年]]に三酸化モリブデンを[[石炭]]で[[還元]]することにより単体分離し、現在の名称が付けられた。 中国は1999年以降、重要戦略的資源であるレアアース、タングステン、モリブデンにつき順次輸出数量制限を導入するとともに、2006年以降輸出税を賦課した。中国は、2006年以降輸出割当数量を年々削減し、特に、2010年下半期の輸出割当を大幅に削減したことなどを機にレアアース価格が高騰し、市場に混乱をもたらした。 こうした事態を受け、日本は、米国及びEUとともに、2012年3月、中国による輸出数量制限、輸出税の賦課等の輸出規制は、WTO協定に違反するとして、WTO協議要請を行い、同年6月にパネル設置要請を行った。日米欧からの提訴を受けて[[世界貿易機関]](WTO)が協定違反と断じたことにより、[[2015年]]に生産をほぼ独占していた中国はモリブデンとタングステンと[[レアアース]]に賦課している「輸出税」と「輸出数量制限」を廃止した<ref>{{cite news |title=中国のレアアース等原材料3品目に関する輸出税が廃止されます |newspaper=[[経済産業省]] |date=2015-05-01 |url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11181294/www.meti.go.jp/press/2015/05/20150501001/20150501001.html|accessdate=2023-01-29}}</ref>。 == モリブデンの化合物 == * [[酸化モリブデン(IV)]] (MoO<sub>2</sub>) * [[酸化モリブデン(VI)]] (MoO<sub>3</sub>) * [[硫化モリブデン(IV)]] (MoS<sub>2</sub>) == 同位体 == {{Main|モリブデンの同位体}} == 入手について == モリブデンは融点が高いことから、工業的に[[溶融]]・[[凝固]]というプロセスで製造することが困難であるため、大きな素材を作ることが難しく、多くは[[粉末冶金]]的製法で製造される。また、[[金属加工|加工]]性に乏しく、常温での[[圧延]]は事実上不可能である。[[切削加工|切削]]・[[研磨]]も高度な技術を必要とするため、複雑な形状に加工することは困難である。粉末ではない金属モリブデンは主に小[[インゴット]]や板、線材の形で取引されるが、個人が入手することは難しく、専門の販売業者に限られる。 == 生体におけるモリブデン == モリブデンは、ヒトを含む全ての生物種で必須な[[微量元素]]である。人体には[[体重]]1 [[キログラム|kg]]あたり約0.1 [[ミリグラム|mg]]含まれていると見積もられており、[[骨]]、[[皮膚]]、[[肝臓]]、[[腎臓]]に多く分布している。 === モリブデン含有酵素 === 現在、[[植物]]と[[動物]]をあわせて約20種類ほどのモリブデン含有酵素が知られている。その中で最もよく知られている酵素は、'''[[ニトロゲナーゼ]]'''である。これは[[窒素固定]]における[[窒素]]を[[アンモニア]]に変換する反応を[[触媒]]する。この酵素は[[マメ科]]植物の根に[[共生]]する[[根粒菌]](リゾビウム属)の菌体内に含まれ、空気から取り入れられた分子状窒素をアンモニアに変換する。[[藻類]]も窒素固定にモリブデン酵素を利用している。また、藻類の窒素固定モリブデン酵素は、過剰な[[硫黄]]を揮発性の[[硫化メチル]]に変換して排泄させるはたらきも有する。 [[哺乳類]]においては、[[キサンチンオキシダーゼ]]、[[アルデヒドデヒドロゲナーゼ]]および[[亜硫酸酸化酵素]]が知られている。'''キサンチンオキシダーゼ'''は[[尿酸]]合成に関わる。この酵素の働きが強くなると[[痛風]]になるおそれがある。'''アルデヒドデヒドロゲナーゼ'''は[[アルデヒド]]を[[カルボン酸]]に変換する。この酵素は[[アルコール]]の[[代謝]]に必須な酵素で、代謝産物である[[酢酸]]は体内でエネルギー源の一つとして利用される。'''亜硫酸酸化酵素'''は毒性のある[[亜硫酸]][[イオン]]を毒性の低い[[硫酸イオン]]に変換する。 === 栄養 === 2020年版の『[https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000586553.pdf 日本人の食事摂取基準]』では、推定平均必要量:成人男性20 ~25 µg/日、推奨量:30 µg/日、上限量:600 µg/日。推定平均必要量:成人女性20 µg/日、推奨量:25 µg/日、上限量:500 µg/日(成人とは18歳以上、授乳婦は更に3 µgの付加量)である。モリブデンを多く含む食材は牛や豚の肝臓であり、植物では[[豆|豆類]]に多く含まれる。 モリブデンが欠乏すると亜硫酸毒性がみられ、[[頻脈]]、[[頻呼吸]]、[[頭痛]]、[[悪心]]、[[嘔吐]]、[[昏睡]]の症状が見られたとの記録がある。過剰摂取による中毒は「モリブデノーシス (molybdenosis)」といい、アメリカ合衆国[[コロラド州]]のモリブデンを多く含む土地の草を食べた牛が中毒した例がある。症状は、体重の低下、食欲減退、[[貧血]]、授乳不良・[[不妊]]、[[骨粗鬆症]]などである。 == 国別の産出量 == 2011年における国別の産出量は以下の通りである<ref>『地理 統計要覧』2014年版、ISBN 978-4-8176-0382-1、P96</ref>。 {| class="wikitable" |- !順位 !国 !モリブデン鉱の産出量(トン) !全世界での割合(%) |- |1 |{{PRC}} |106,000 |40.2 |- |2 |{{USA}} |63,700 |24.1 |- |3 |{{CHI}} |40,889 |15.5 |- |4 |{{PER}} |19,141 |7.3 |- |5 |{{MEX}} |10,881 |4.1 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Molybdenum}} * [[酸化モリブデン(VI)]] * [[フェロモリブデン]] * [[ニトロゲナーゼ]] == 外部リンク == * {{PaulingInstitute|mic/minerals/molybdenum Molybdenum}} * {{Hfnet|759|モリブデン解説}} * {{Hfnet|593|モリブデン|nolink=yes}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{モリブデンの化合物}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:もりふてん}} [[Category:モリブデン|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第6族元素]] [[Category:第5周期元素]] [[Category:必須ミネラル]]
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国歌
国歌(こっか)は、国家を象徴する歌曲または器楽曲のこと。 国歌(英:national anthem)の源流の一部は、近代初期におけるヨーロッパ諸国の王室歌(英:royal anthem)に求めることができる。オランダの王室歌(および現在の国歌)である「ヴィルヘルムス」は1572年頃に完成したとされ、現在使用されている国歌の中では世界最古の旋律を有する。イギリス王室歌である「国王陛下万歳」がはじめて演奏されたのは1619年のことであり、その後ジョージ2世の治下(1745年)に編曲されたのち、イギリスの国歌および英連邦王国諸国の王室歌として現在も用いられている。スペインの王室歌(および現在の国歌)である「国王行進曲」は1770年に、デンマークの国歌および王室歌である「クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ちて」は1780年に、神聖ローマ帝国(のちにオーストリア帝国およびオーストリア=ハンガリー帝国)の「神よ、皇帝フランツを守り給え」は1797年にそれぞれ制定されている。東アジアでは、阮朝ベトナムが西洋様式の帝室歌「登壇宮」を1802年に制定している。 王室歌としてではなく、一国の国歌として初めて公式に規定されたのはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」で、フランス革命後の国民公会(1795年)において、第一共和政下のフランスの国歌に定められた。19世紀以降、これに範をとる形で国歌を制定する国は徐々に増えていった。これはヨーロッパやラテンアメリカにおける国民国家の発生と軌を同じくするものであり、国王本人や王室ではなく、国家そのもの(および国民統合)の象徴を決定する必要に迫られたためであった。ただし1920年代までに制定された国歌は、新国家の独立や新政府の樹立に伴うか、またはそれらに引き続いて定められたものが多い。この例としてはアルゼンチン(1813年)、ペルー(1821年)、ベルギー(1830年)、ブラジル(1831年)、イタリア王国(1831年)、リベリア(1847年)、ギリシャ王国(1865年)、大日本帝国(1888年)、フィリピン(第一共和国、1898年)、ポルトガル(第一共和政、1911年)、トルコ(1921年)、ドイツ(ヴァイマル共和政、1922年)、アイルランド共和国(1926年)などがある。この例外はロシア帝国(1833年)、清(1911年)など比較的少数にとどまる。またこの時期に制定された国歌では、君主国においてはイギリス国歌に、共和国や革命政府においてはフランス国歌に、歌詞の内容のみならず曲調においても少なくない影響を受けたものが多い。 1920年版のオリンピック憲章により、オリンピック大会における金メダル受賞者に対しての国歌の演奏が規定された。これ以降、国際スポーツ大会において国歌が演奏される機会が増加していくこととなり、それまで国歌を持たなかった国々が国歌を制定する大きな動機づけとなった。1931年には、1776年の独立以来公式な国歌を持たなかったアメリカが「星条旗」を国歌として初めて法的に制定した。これに続いてメキシコ(1943年)、スイス(1961年)などの国が国歌の採用もしくは法制化を行なっている。第二次世界大戦期以降、とりわけ1960年代の植民地解体期以降に独立した国においては、独立と同時に国歌を制定することが一般的となった。 国歌の法的な位置付けは国によって大きく異なる。憲法において規定されている国(フランス、中国など)、法律で規定されている国(アメリカ、日本、ロシア、カナダなど)、大統領令や政令で規定されている国(韓国など)、慣習的に国歌とされているものの、何らの法的な裏付けが存在しない国(イギリス、ドイツ、スウェーデンなど)がある。 9割以上の国が長調の曲を採用している。その中でももっとも一般的なのはヘ長調であり、変ロ長調、ハ長調がこれに次ぐ。比較的珍しいのは嬰ハ長調、変ニ長調、ニ短調などである。 国歌のスタイルは行進曲形式、賛美歌形式のほか、アジアやアフリカ諸国のものでは民族音楽形式のものも多い。ラテンアメリカ、旧ソ連、一部ヨーロッパ諸国の国歌は比較的長いものが多く、ウルグアイ国歌は通しで演奏すると(演奏速度により)4分半ないし6分かかる。ギリシャ国歌(キプロス国歌も同じ)は非公式ながら158番までの詞がつけられている。一方でアジア、アフリカ、オセアニアでは比較的短いものが多く、日本国歌、ウガンダ国歌、ケニア国歌、サウジアラビア国歌などの演奏時間はいずれも30秒程度である。 国歌の中には世界的に著名な人物によって作詞・作曲がなされたものがある。例として、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンによって作曲されたドイツ国歌、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトによって作曲されたオーストリア国歌、アラム・ハチャトゥリアンの作曲によるアルメニア・ソビエト社会主義共和国の国歌、ノーベル文学賞受賞者であるラビンドラナート・タゴールにより作詞作曲されたインドの国歌、バングラデシュの国歌などが挙げられる。しかし国外では有名でない人物により作詞・作曲された国歌の方が圧倒的に多く、また近代以前に作られた歌の中には作詞・作曲者が不明なものも存在する。このような例としては、作詞・作曲者ともに不明なイギリス国歌、作曲者が不明なスペイン国歌やオランダ国歌、古今和歌集の詠み人知らずの和歌から歌詞を取った日本国歌「君が代」などがある。また特に20世紀以降に作詞・作曲されたものの中には、個人としての作詞作曲者をあえて明示せず、「合作」としているものも存在する(南スーダン国歌の詞曲、トルクメニスタン国歌の歌詞、文化大革命期の中国国歌の歌詞など)。 国歌の作詞作曲はその国の国民によってなされたものが多いが、例外も存在する。イギリスのジョン・スタフォード・スミスにより作曲された「天国のアナクレオンへ」のメロディを流用したアメリカ国歌、フィンランド人のフレドリック・パシウスによる作曲のエストニア国歌などが例としてある。作曲が外国人による場合でも作詞は自国民によるケースがほとんどだが、パラグアイ国歌はウルグアイ人のフランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロア(ウルグアイ国歌の作詞者でもある)の作詞、イタリア人のフランチェスコ・カッサーレの作曲によるものであり、作詞作曲の双方が外国人によってなされている点で特異である。 自国の自然風土を賛美するもの、国家の安寧を祈願するものは国家の政体を問わず普遍的である。その他、君主国においては君主への賛美、忠誠などを表現したものが多い。フランスおよびその影響を受けたラテンアメリカ、アフリカ諸国では、自由の価値を讃えるものや外敵との抗争を歌ったものが多い。中東諸国においてはイスラム教およびアラーを讃える国歌が一般的である。一方、キリスト教の神に言及する国歌はイギリスおよびその旧植民地諸国に多く、それ以外では少ない。 スペインやボスニア・ヘルツェゴビナなどの国においては、主として歴史的・民族的要因により、国歌に公式な歌詞が存在しない(器楽曲)。 公用語が複数ある国家では、国歌の歌詞も各言語のものがすべて正式なものとして認められている場合が多い。例としてスイス国歌は公用語である4つの言語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)すべてで歌詞が作られている。一方でシンガポール国歌のように、人口的には少数派の言語であるマレー語での歌唱が義務付けられているものも存在する。複数言語でそれぞれ独立した歌詞が存在するものの、それらを部分的に織り交ぜて歌唱することが通例となっているもの(カナダ国歌、ニュージーランド国歌など)、さらには公式の歌詞そのものが複数言語で書かれ、常に多言語で歌われるもの(南アフリカ国歌)もある。 国歌は、国内向けには愛国心の涵養および表現のため、また国外向けには国旗などと同様に、国家の象徴として他国との区別を行うために用いられる。 国旗掲揚式では、国旗の掲揚と降下時に国歌が演奏されることが多い。多くの国では学校で教育の一環として国歌の演奏・歌唱が行われるほか、毎日始業時などに国歌斉唱を行う国もある(タンザニアなど)。ほとんどの国営テレビ局やラジオ局は、放送開始前の早朝と放送終了後の夜間に国歌を流している。外交の場では、歓迎式典でホスト国とゲスト国双方の国歌が演奏されることが多い。 国歌斉唱や演奏の際には、国により、またシチュエーションにより、敬礼、起立、脱帽など、特定の礼儀作法が求められることがある。 スポーツイベントの試合前にも国歌演奏・歌唱が行われることがある。サッカーやラグビーなど、スポーツの主要な国際大会では試合を行う両国の国歌が演奏され、開催国の国歌が後に演奏される。オリンピックや世界選手権の表彰式でメダルが授与される際には、金メダルを獲得した選手の国歌が演奏される。アメリカのメジャーリーグベースボールや日本のプロ野球をはじめ、国内のチーム同士の対戦の際にも国歌の歌唱が行われる場合がある。 一方で、ある国の国歌が国外で演奏されるかどうかは、その国の置かれている政治的立場、および国際的承認の有無に左右される。例えば、中華民国(台湾)は1979年以降、国際オリンピック委員会から独立した国家として認められておらず、チャイニーズ・タイペイ(中華台北または中国台北)として競技に参加しなければならないため、国歌である「三民主義歌」の代わりに「中華民国国旗歌|国旗歌」が使用される。なお台湾国内では国旗掲揚と国旗降納が行われる前に国歌が歌われ、掲揚および降納中は国旗歌が歌われる。2018年の平昌オリンピック、2021年に行われた東京オリンピックにおいては、ロシアはドーピング問題のために国単位での参加を認められず、個人資格等で出場した選手についても表彰式での国歌演奏が許可されなかった。このため平昌においてはオリンピック賛歌、東京ではピョートル・チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」の一部が国歌の代わりとして利用された。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は、1991年に千葉県・幕張メッセで開催された第41回世界卓球選手権以降、たびたび統一チームを組んで国際大会に参加しているが、この場合には民族音楽である「アリラン」が国歌の代わりに用いられるのが慣例となっている。 政体および政権の変更、または社会思想の変化にともない、国歌が改変、改訂、変更されることがある。 フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は1792年、ストラスブール市で工兵大尉ルージェ・ド・リールによって「ライン軍歌」として作詞作曲され、それをマルセイユからの義勇兵がパリで広めたものである。1795年に国歌として制定されたが、ナポレオン・ボナパルトの第一帝政のときに「門出の歌」に変更され、1814年の復古王政によって演奏中止となった。「ラ・マルセイエーズ」は七月革命後に復活したが、1852年から1870年のあいだは公共の場での歌唱が禁止された。1879年に国歌であることを再確認されたが、その交戦的で血生臭い歌詞のため、たびたび歌詞改変運動が起こっている。 ドイツの国歌「ドイツの歌」はヴァイマル共和国時代に正式な国歌となったが、1番の歌詞に拡大主義的な内容を含んでいたため、第二次世界大戦で敗北した後、一時演奏禁止となった。1949年のドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立時に、統一と権利と自由を謳う3番のみを公式なものとして復活させ、東西統一後のドイツでもこれが受け継がれている。 中華人民共和国の「義勇軍進行曲」は、1949年の建国時に国歌として採用された。その後、1966年から始まった文化大革命の時期に、作詞者の田漢が「漢奸」とされてからは歌われる機会が減少し、1975年に田漢が中国共産党籍を永久剥奪されて以降は曲のみが公式に演奏されるようになった。文革終結直後の1978年には毛沢東思想を賛美する歌詞が新たに作られ、元の曲に合わせて歌唱されるようになった。その後1982年12月の第五期全国人民代表大会第五回会議で、田漢の作詞による元の歌詞に戻された。 トルクメニスタンの「独立、中立、トルクメニスタンの国歌」は1997年に国歌として採用された。当時の同国は独裁者として知られたサパルムラト・ニヤゾフ(テュルクメンバシュ)大統領の統治下であり、国歌の歌い出しも「Türkmenbaşyň guran beýik binasy(テュルクメンバシュの作った偉大な建造物)」と、ニヤゾフ個人を称えるものであった。2006年にニヤゾフが死去した後、後任の大統領であるグルバングル・ベルディムハメドフにより、脱ニヤゾフ政策の一環として2008年に歌詞の変更がなされ、当該箇所は「Halkyň guran baky beýik binasy(人々の作った永遠に偉大な建造物)」と改められた。 その他、カナダ国歌の「True patriot love in all thy sons command(汝の息子たちすべての中に流れる真の愛国心)」という歌詞は男女同権の観点から長年問題視されており、2018年に「in all thy sons command(汝の息子たちすべての中に)」が「in all of us command(私たちすべての中に)」に改められた。 オーストラリア国歌に存在していた「For we are young and free(我らは若くて自由)」という歌詞は、イギリスによる植民地化以前からオーストラリア大陸に居住していたアボリジニに配慮する形で、2021年に「For we are one and free(我らは一つで自由)」と改定された。 国歌に次いでその国を象徴するような歌(曲)が「第二の国歌」と呼ばれることがある。ほとんどの場合、法的に定められたものではない。 前述の通り王室歌は国家の源流のひとつであり、国内的には国歌に準じた扱いを受ける場合が多い。イギリスやオランダなど国歌と王室歌が同一の国、タイやスウェーデンなど両者が異なる国がある。 大きな統一体の場合、欧州連合 (EU) の歌として、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「歓喜の歌」をもつ。東南アジア諸国連合は「The ASEAN Way」を2008年に公式の歌と定めている。国際連合とアフリカ連合も非公式な歌を持つ。 州や地域、旧ソ連・ロシアの共和国など、地方政府も国歌に相当するアンセム(州歌など)を持つ場合が多い。特に連邦制の国においては州も一国同等なので、国歌に準ずる扱いを受けることがある。 作曲家の團伊玖磨は晩年に、国歌の必要条件として、「短い事、エスニックである事、好戦的でない事の3条件」を挙げ、「イギリス国歌、ドイツ国歌、君が代の3つが白眉である」と評した。 なお、君が代については同時に、「音楽として歌曲としては変な曲だが、国歌としては最適な曲である。」と書いていた。
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"自国の自然風土を賛美するもの、国家の安寧を祈願するものは国家の政体を問わず普遍的である。その他、君主国においては君主への賛美、忠誠などを表現したものが多い。フランスおよびその影響を受けたラテンアメリカ、アフリカ諸国では、自由の価値を讃えるものや外敵との抗争を歌ったものが多い。中東諸国においてはイスラム教およびアラーを讃える国歌が一般的である。一方、キリスト教の神に言及する国歌はイギリスおよびその旧植民地諸国に多く、それ以外では少ない。", "title": "歌詞" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "スペインやボスニア・ヘルツェゴビナなどの国においては、主として歴史的・民族的要因により、国歌に公式な歌詞が存在しない(器楽曲)。", "title": "歌詞" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "公用語が複数ある国家では、国歌の歌詞も各言語のものがすべて正式なものとして認められている場合が多い。例としてスイス国歌は公用語である4つの言語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)すべてで歌詞が作られている。一方でシンガポール国歌のように、人口的には少数派の言語であるマレー語での歌唱が義務付けられているものも存在する。複数言語でそれぞれ独立した歌詞が存在するものの、それらを部分的に織り交ぜて歌唱することが通例となっているもの(カナダ国歌、ニュージーランド国歌など)、さらには公式の歌詞そのものが複数言語で書かれ、常に多言語で歌われるもの(南アフリカ国歌)もある。", "title": "歌詞" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "国歌は、国内向けには愛国心の涵養および表現のため、また国外向けには国旗などと同様に、国家の象徴として他国との区別を行うために用いられる。", "title": "国歌の使用機会" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "国旗掲揚式では、国旗の掲揚と降下時に国歌が演奏されることが多い。多くの国では学校で教育の一環として国歌の演奏・歌唱が行われるほか、毎日始業時などに国歌斉唱を行う国もある(タンザニアなど)。ほとんどの国営テレビ局やラジオ局は、放送開始前の早朝と放送終了後の夜間に国歌を流している。外交の場では、歓迎式典でホスト国とゲスト国双方の国歌が演奏されることが多い。", "title": "国歌の使用機会" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "国歌斉唱や演奏の際には、国により、またシチュエーションにより、敬礼、起立、脱帽など、特定の礼儀作法が求められることがある。", "title": "国歌の使用機会" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "スポーツイベントの試合前にも国歌演奏・歌唱が行われることがある。サッカーやラグビーなど、スポーツの主要な国際大会では試合を行う両国の国歌が演奏され、開催国の国歌が後に演奏される。オリンピックや世界選手権の表彰式でメダルが授与される際には、金メダルを獲得した選手の国歌が演奏される。アメリカのメジャーリーグベースボールや日本のプロ野球をはじめ、国内のチーム同士の対戦の際にも国歌の歌唱が行われる場合がある。", "title": "国歌の使用機会" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "一方で、ある国の国歌が国外で演奏されるかどうかは、その国の置かれている政治的立場、および国際的承認の有無に左右される。例えば、中華民国(台湾)は1979年以降、国際オリンピック委員会から独立した国家として認められておらず、チャイニーズ・タイペイ(中華台北または中国台北)として競技に参加しなければならないため、国歌である「三民主義歌」の代わりに「中華民国国旗歌|国旗歌」が使用される。なお台湾国内では国旗掲揚と国旗降納が行われる前に国歌が歌われ、掲揚および降納中は国旗歌が歌われる。2018年の平昌オリンピック、2021年に行われた東京オリンピックにおいては、ロシアはドーピング問題のために国単位での参加を認められず、個人資格等で出場した選手についても表彰式での国歌演奏が許可されなかった。このため平昌においてはオリンピック賛歌、東京ではピョートル・チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」の一部が国歌の代わりとして利用された。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国は、1991年に千葉県・幕張メッセで開催された第41回世界卓球選手権以降、たびたび統一チームを組んで国際大会に参加しているが、この場合には民族音楽である「アリラン」が国歌の代わりに用いられるのが慣例となっている。", "title": "国歌の使用機会" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "政体および政権の変更、または社会思想の変化にともない、国歌が改変、改訂、変更されることがある。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は1792年、ストラスブール市で工兵大尉ルージェ・ド・リールによって「ライン軍歌」として作詞作曲され、それをマルセイユからの義勇兵がパリで広めたものである。1795年に国歌として制定されたが、ナポレオン・ボナパルトの第一帝政のときに「門出の歌」に変更され、1814年の復古王政によって演奏中止となった。「ラ・マルセイエーズ」は七月革命後に復活したが、1852年から1870年のあいだは公共の場での歌唱が禁止された。1879年に国歌であることを再確認されたが、その交戦的で血生臭い歌詞のため、たびたび歌詞改変運動が起こっている。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ドイツの国歌「ドイツの歌」はヴァイマル共和国時代に正式な国歌となったが、1番の歌詞に拡大主義的な内容を含んでいたため、第二次世界大戦で敗北した後、一時演奏禁止となった。1949年のドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)成立時に、統一と権利と自由を謳う3番のみを公式なものとして復活させ、東西統一後のドイツでもこれが受け継がれている。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "中華人民共和国の「義勇軍進行曲」は、1949年の建国時に国歌として採用された。その後、1966年から始まった文化大革命の時期に、作詞者の田漢が「漢奸」とされてからは歌われる機会が減少し、1975年に田漢が中国共産党籍を永久剥奪されて以降は曲のみが公式に演奏されるようになった。文革終結直後の1978年には毛沢東思想を賛美する歌詞が新たに作られ、元の曲に合わせて歌唱されるようになった。その後1982年12月の第五期全国人民代表大会第五回会議で、田漢の作詞による元の歌詞に戻された。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "トルクメニスタンの「独立、中立、トルクメニスタンの国歌」は1997年に国歌として採用された。当時の同国は独裁者として知られたサパルムラト・ニヤゾフ(テュルクメンバシュ)大統領の統治下であり、国歌の歌い出しも「Türkmenbaşyň guran beýik binasy(テュルクメンバシュの作った偉大な建造物)」と、ニヤゾフ個人を称えるものであった。2006年にニヤゾフが死去した後、後任の大統領であるグルバングル・ベルディムハメドフにより、脱ニヤゾフ政策の一環として2008年に歌詞の変更がなされ、当該箇所は「Halkyň guran baky beýik binasy(人々の作った永遠に偉大な建造物)」と改められた。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その他、カナダ国歌の「True patriot love in all thy sons command(汝の息子たちすべての中に流れる真の愛国心)」という歌詞は男女同権の観点から長年問題視されており、2018年に「in all thy sons command(汝の息子たちすべての中に)」が「in all of us command(私たちすべての中に)」に改められた。 オーストラリア国歌に存在していた「For we are young and free(我らは若くて自由)」という歌詞は、イギリスによる植民地化以前からオーストラリア大陸に居住していたアボリジニに配慮する形で、2021年に「For we are one and free(我らは一つで自由)」と改定された。", "title": "国歌の改変・改訂" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "国歌に次いでその国を象徴するような歌(曲)が「第二の国歌」と呼ばれることがある。ほとんどの場合、法的に定められたものではない。", "title": "国歌に準ずる曲" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "前述の通り王室歌は国家の源流のひとつであり、国内的には国歌に準じた扱いを受ける場合が多い。イギリスやオランダなど国歌と王室歌が同一の国、タイやスウェーデンなど両者が異なる国がある。", "title": "国歌に準ずる曲" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "大きな統一体の場合、欧州連合 (EU) の歌として、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「歓喜の歌」をもつ。東南アジア諸国連合は「The ASEAN Way」を2008年に公式の歌と定めている。国際連合とアフリカ連合も非公式な歌を持つ。", "title": "国歌に準ずる曲" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "州や地域、旧ソ連・ロシアの共和国など、地方政府も国歌に相当するアンセム(州歌など)を持つ場合が多い。特に連邦制の国においては州も一国同等なので、国歌に準ずる扱いを受けることがある。", "title": "国歌に準ずる曲" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "", "title": "国歌に準ずる曲" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "作曲家の團伊玖磨は晩年に、国歌の必要条件として、「短い事、エスニックである事、好戦的でない事の3条件」を挙げ、「イギリス国歌、ドイツ国歌、君が代の3つが白眉である」と評した。", "title": "音楽家による評価" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、君が代については同時に、「音楽として歌曲としては変な曲だが、国歌としては最適な曲である。」と書いていた。", "title": "音楽家による評価" } ]
国歌(こっか)は、国家を象徴する歌曲または器楽曲のこと。
{{Otheruses|国家を象徴する歌曲または器楽曲|和歌の別名としての「国歌」|和歌}} {{国の象徴}} '''国歌'''(こっか)は、[[国家]]を象徴する[[歌曲]]または[[器楽曲]]のこと<ref>『[[ブリタニカ国際大百科事典]]』</ref>。 == 歴史 == 国歌([[英語|英]]:{{lang|en|national anthem}})の源流の一部は、[[近代]]初期における[[ヨーロッパ]]諸国の[[王室歌]]([[英語|英]]:{{lang|en|royal anthem}})に求めることができる。[[オランダ]]の王室歌(および現在の国歌)である「[[ヴィルヘルムス・ファン・ナッソウエ|ヴィルヘルムス]]」は[[1572年]]頃に完成したとされ、現在使用されている国歌の中では世界最古の旋律を有する。[[イギリス]]王室歌である「[[国王陛下万歳]]」がはじめて演奏されたのは[[1619年]]のことであり、その後[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の治下([[1745年]])に編曲されたのち、イギリスの国歌および[[英連邦王国]]諸国の王室歌として現在も用いられている。[[スペイン]]の王室歌(および現在の国歌)である「[[国王行進曲]]」は[[1770年]]に、[[デンマーク]]の国歌および王室歌である「[[クリスチャン王は高き帆柱の傍に立ちて]]」は[[1780年]]に、[[神聖ローマ帝国]](のちに[[オーストリア帝国]]および[[オーストリア=ハンガリー帝国]])の「[[神よ、皇帝フランツを守り給え]]」は[[1797年]]にそれぞれ制定されている。[[東アジア]]では、[[阮朝|阮朝ベトナム]]が[[西洋]]様式の帝室歌「[[:vi:Đăng đàn cung|登壇宮]]」を[[1802年]]に制定している。 王室歌としてではなく、一国の国歌として初めて公式に規定されたのは[[フランス]]国歌「[[ラ・マルセイエーズ]]」で、[[フランス革命]]後の[[国民公会]]([[1795年]])において、[[第一共和政]]下のフランスの国歌に定められた。[[19世紀]]以降、これに範をとる形で国歌を制定する国は徐々に増えていった。これはヨーロッパや[[ラテンアメリカ]]における[[国民国家]]の発生と軌を同じくするものであり、国王本人や王室ではなく、国家そのもの(および国民統合)の[[象徴]]を決定する必要に迫られたためであった。ただし[[1920年代]]までに制定された国歌は、新国家の[[独立]]や新政府の樹立に伴うか、またはそれらに引き続いて定められたものが多い。この例としては[[アルゼンチンの国歌|アルゼンチン]]([[1813年]])、[[ペルーの国歌|ペルー]]([[1821年]])、[[ブラバントの歌|ベルギー]]([[1830年]])、[[ブラジルの国歌|ブラジル]]([[1831年]])、[[:it:Marcia reale|イタリア王国]](1831年)、[[万歳、リベリア|リベリア]]([[1847年]])、[[自由への賛歌|ギリシャ王国]](1865年)、[[君が代|大日本帝国]]([[1888年]])、[[最愛の地|フィリピン]]([[フィリピン第一共和国|第一共和国]]、[[1898年]])、[[ア・ポルトゥゲーザ|ポルトガル]]([[ポルトガル第一共和政|第一共和政]]、[[1911年]])、[[独立行進曲|トルコ]]([[1921年]])、[[ドイツの歌|ドイツ]]([[ヴァイマル共和政]]、[[1922年]])、[[兵士の歌|アイルランド共和国]]([[1926年]])などがある。この例外は[[ロシア人の祈り|ロシア帝国]]([[1833年]])、[[鞏金甌|清]]([[1911年]])など比較的少数にとどまる。またこの時期に制定された国歌では、[[君主国]]においてはイギリス国歌に、[[共和国]]や[[革命]]政府においてはフランス国歌に、歌詞の内容のみならず曲調においても少なくない影響を受けたものが多い。 [[1920年]]版の[[オリンピック憲章]]により、[[オリンピック]]大会における金[[メダル]]受賞者に対しての国歌の演奏が規定された。これ以降、国際[[スポーツ大会]]において国歌が演奏される機会が増加していくこととなり、それまで国歌を持たなかった国々が国歌を制定する大きな動機づけとなった。[[1931年]]には、[[1776年]]の[[アメリカ独立宣言|独立]]以来公式な国歌を持たなかった[[アメリカ合衆国|アメリカ]]が「[[星条旗 (国歌)|星条旗]]」を国歌として初めて法的に制定した。これに続いて[[メキシコの国歌|メキシコ]]([[1943年]])、[[スイスの賛歌|スイス]]([[1961年]])などの国が国歌の採用もしくは法制化を行なっている。[[第二次世界大戦]]期以降、とりわけ[[1960年代]]の[[脱植民地化|植民地解体期]]以降に独立した国においては、独立と同時に国歌を制定することが一般的となった。 == 法的地位 == 国歌の法的な位置付けは国によって大きく異なる。[[憲法]]において規定されている国(フランス、中国など)、[[法律]]で規定されている国(アメリカ、日本、ロシア、カナダなど)、[[大統領令]]や[[政令]]で規定されている国(韓国など)、[[慣習法|慣習]]的に国歌とされているものの、何らの法的な裏付けが存在しない国(イギリス、ドイツ、スウェーデンなど)がある。 == 様式 == 9割以上の国が[[長調]]の曲を採用している。その中でももっとも一般的なのは[[ヘ長調]]であり、[[変ロ長調]]、[[ハ長調]]がこれに次ぐ。比較的珍しいのは[[嬰ハ長調]]、[[変ニ長調]]、[[ニ短調]]などである。 [[ファイル:Countries_by_key_of_national_anthem.svg|thumb|250px|使われている[[調]]別に国を色分けした地図]] 国歌のスタイルは[[行進曲]]形式、[[賛美歌]]形式のほか、[[アジア]]や[[アフリカ]]諸国のものでは[[民族音楽]]形式のものも多い。[[ラテンアメリカ]]、[[旧ソ連]]、一部[[ヨーロッパ]]諸国の国歌は比較的長いものが多く、[[ウルグアイの国歌|ウルグアイ国歌]]は通しで演奏すると(演奏速度により)4分半ないし6分かかる。[[自由への賛歌|ギリシャ国歌]]([[キプロス]]国歌も同じ)は非公式ながら158番までの詞がつけられている。一方で[[アジア]]、[[アフリカ]]、[[オセアニア]]では比較的短いものが多く、[[君が代|日本国歌]]、[[おおウガンダ、美しき地|ウガンダ国歌]]、[[おお、万物の神よ|ケニア国歌]]、[[サウジアラビアの国歌|サウジアラビア国歌]]などの演奏時間はいずれも30秒程度である。 == 作詞作曲 == 国歌の中には世界的に著名な人物によって作詞・作曲がなされたものがある。例として、[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]によって作曲された[[ドイツの歌|ドイツ国歌]]、[[ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]によって作曲された[[山岳の国、大河の国|オーストリア国歌]]、[[アラム・ハチャトゥリアン]]の作曲による[[アルメニア・ソビエト社会主義共和国の国歌]]、[[ノーベル文学賞]]受賞者である[[ラビンドラナート・タゴール]]により作詞作曲された[[ジャナ・ガナ・マナ|インドの国歌]]、[[我が黄金のベンガルよ|バングラデシュの国歌]]などが挙げられる。しかし国外では有名でない人物により作詞・作曲された国歌の方が圧倒的に多く、また近代以前に作られた歌の中には作詞・作曲者が不明なものも存在する。このような例としては、作詞・作曲者ともに不明なイギリス国歌、作曲者が不明なスペイン国歌やオランダ国歌、[[古今和歌集]]の[[詠み人知らず]]の[[和歌]]から歌詞を取った日本国歌「君が代」などがある。また特に[[20世紀]]以降に作詞・作曲されたものの中には、個人としての作詞作曲者をあえて明示せず、「合作」としているものも存在する([[南スーダン万歳!|南スーダン国歌]]の詞曲、[[独立、中立、トルクメニスタンの国歌|トルクメニスタン国歌]]の歌詞、[[文化大革命]]期の[[義勇軍進行曲|中国国歌]]の歌詞など)。 国歌の作詞作曲はその国の国民によってなされたものが多いが、例外も存在する。イギリスの[[ジョン・スタフォード・スミス]]により作曲された「[[天国のアナクレオンへ]]」のメロディを流用したアメリカ国歌、[[フィンランド]]人のフレドリック・パシウスによる作曲の[[我が故国、我が誇りと喜び|エストニア国歌]]などが例としてある。作曲が外国人による場合でも作詞は自国民によるケースがほとんどだが、[[パラグアイ人達よ、共和国か死か|パラグアイ国歌]]は[[ウルグアイ]]人のフランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロア([[ウルグアイの国歌|ウルグアイ国歌]]の作詞者でもある)の作詞、[[イタリア]]人のフランチェスコ・カッサーレの作曲によるものであり、作詞作曲の双方が外国人によってなされている点で特異である。 == 歌詞 == 自国の[[自然]][[風土]]を賛美するもの、国家の安寧を祈願するものは国家の政体を問わず普遍的である。その他、[[君主国]]においては[[君主]]への賛美、忠誠などを表現したものが多い。フランスおよびその影響を受けたラテンアメリカ、アフリカ諸国では、[[自由]]の価値を讃えるものや外敵との抗争を歌ったものが多い。[[中東]]諸国においては[[イスラム教]]および[[アラー]]を讃える国歌が一般的である。一方、[[神#キリスト教の神|キリスト教の神]]に言及する国歌はイギリスおよびその旧植民地諸国に多く、それ以外では少ない。 [[国王行進曲|スペイン]]や[[ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌|ボスニア・ヘルツェゴビナ]]などの国においては、主として歴史的・民族的要因により、国歌に公式な歌詞が存在しない([[器楽]]曲)。 公用語が複数ある国家では、国歌の歌詞も各言語のものがすべて正式なものとして認められている場合が多い。例として[[スイスの賛歌|スイス国歌]]は公用語である4つの言語([[ドイツ語]]、[[フランス語]]、[[イタリア語]]、[[ロマンシュ語]])すべてで歌詞が作られている。一方で[[進めシンガポール|シンガポール国歌]]のように、人口的には少数派の言語である[[マレー語]]での歌唱が義務付けられているものも存在する<ref>{{cite web|title=National 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[[スポーツ]]イベントの試合前にも国歌演奏・歌唱が行われることがある。[[サッカー]]や[[ラグビー]]など、スポーツの主要な国際大会では試合を行う両国の国歌が演奏され、開催国の国歌が後に演奏される。[[オリンピック]]や[[世界選手権]]の表彰式でメダルが授与される際には、金メダルを獲得した選手の国歌が演奏される。アメリカの[[メジャーリーグベースボール]]や[[日本のプロ野球]]をはじめ、国内のチーム同士の対戦の際にも国歌の歌唱が行われる場合がある。 一方で、ある国の国歌が国外で演奏されるかどうかは、その国の置かれている政治的立場、および[[国家の承認|国際的承認]]の有無に左右される。例えば、[[中華民国]]([[台湾]])は[[1979年]]以降、[[国際オリンピック委員会]]から独立した国家として認められておらず、[[チャイニーズタイペイ]](中華台北または中国台北)として競技に参加しなければならないため、[[中華民国国歌|国歌]]の代わりに「[[中華民国国旗歌]]」が使用される。なお台湾国内では国旗掲揚と国旗降納が行われる前に国歌が歌われ、掲揚および降納中は国旗歌が歌われる。[[2018年]]の[[2018年平昌オリンピック|平昌オリンピック]]、[[2021年]]に行われた[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]においては、[[ロシア]]は[[ドーピング]]問題のために国単位での参加を認められず、個人資格等で出場した選手についても表彰式での国歌演奏が許可されなかった。このため平昌においては[[オリンピック賛歌]]、東京では[[ピョートル・チャイコフスキー]]の「[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|ピアノ協奏曲第1番]]」の一部が国歌の代わりとして利用された<ref>{{Cite web|和書|title=【東京五輪】 ロシア人選手の出場、対戦選手らから反発の声も|url=https://www.bbc.com/japanese/58038902|website=BBCニュース|access-date=16 August 2023|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20210731081757/https://www.bbc.com/japanese/58038902|archive-date=31 July 2021|df=dmy-all}}</ref>。[[大韓民国]]と[[朝鮮民主主義人民共和国]]は、[[1991年]]に[[千葉県]]・[[幕張メッセ]]で開催された[[第41回世界卓球選手権]]以降、たびたび[[コリア#「コリア」チームが参加した競技大会|統一チーム]]を組んで国際大会に参加しているが、この場合には民族音楽である「[[アリラン]]」が国歌の代わりに用いられるのが慣例となっている<ref>{{Cite web|和書|title=6.15共同宣言2周年記念アリランコンサートと講演「アリランの主題による変奏曲」集|url=http://korea-np.co.jp/sinboj2002/6/0624/51.htm|website=朝鮮新報|access-date=16 August 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=<平昌五輪>韓国23人・北朝鮮12人の女子アイスホッケー合同チーム35人確定|url=https://japanese.joins.com/JArticle/237743|website=中央日報日本語版|access-date=16 August 2023}}</ref>。 == 国歌の改変・改訂 == 政体および政権の変更、または社会思想の変化にともない、国歌が改変、改訂、変更されることがある。 [[フランス]]の国歌「[[ラ・マルセイエーズ]]」は[[1792年]]、[[ストラスブール|ストラスブール市]]で工兵大尉[[ルージェ・ド・リール]]によって「ライン軍歌」として作詞作曲され、それを[[マルセイユ]]からの[[義勇兵]]が[[パリ]]で広めたものである。[[1795年]]に国歌として制定されたが、[[ナポレオン・ボナパルト]]の第一帝政のときに「[[門出の歌]]」に変更され、[[1814年]]の[[復古王政]]によって演奏中止となった。「ラ・マルセイエーズ」は[[七月革命]]後に復活したが、[[1852年]]から[[1870年]]のあいだは公共の場での歌唱が禁止された。[[1879年]]に国歌であることを再確認されたが、その交戦的で血生臭い歌詞のため、たびたび歌詞改変運動が起こっている。 [[ドイツ]]の国歌「[[ドイツの歌]]」は[[ヴァイマル共和国]]時代に正式な国歌となったが、1番の歌詞に拡大主義的な内容を含んでいたため、[[第二次世界大戦]]で敗北した後、一時演奏禁止となった。[[1949年]]のドイツ連邦共和国(旧[[西ドイツ]])成立時に、統一と権利と自由を謳う3番のみを公式なものとして復活させ、[[ドイツ再統一|東西統一]]後のドイツでもこれが受け継がれている。 [[中華人民共和国]]の「[[義勇軍進行曲]]」は、[[1949年]]の建国時に国歌として採用された。その後、[[1966年]]から始まった[[文化大革命]]の時期に、作詞者の[[田漢]]が「[[漢奸]]」とされてからは歌われる機会が減少し、[[1975年]]に田漢が[[中国共産党]]籍を永久剥奪されて以降は曲のみが公式に演奏されるようになった。文革終結直後の[[1978年]]には[[毛沢東思想]]を賛美する歌詞が新たに作られ、元の曲に合わせて歌唱されるようになった。その後[[1982年]]12月の第五期[[全国人民代表大会]]第五回会議で、田漢の作詞による元の歌詞に戻された。 [[トルクメニスタン]]の「[[独立、中立、トルクメニスタンの国歌]]」は[[1997年]]に国歌として採用された。当時の同国は[[独裁者]]として知られた[[サパルムラト・ニヤゾフ]](テュルクメンバシュ)[[トルクメニスタンの大統領|大統領]]の統治下であり、国歌の歌い出しも「{{lang|tk|Türkmenbaşyň guran beýik binasy}}(テュルクメンバシュの作った偉大な建造物)」と、ニヤゾフ個人を称えるものであった。2006年にニヤゾフが死去した後、後任の大統領である[[グルバングル・ベルディムハメドフ]]により、脱ニヤゾフ政策の一環として[[2008年]]に歌詞の変更がなされ、当該箇所は「{{lang|tk|Halkyň guran baky beýik binasy}}(人々の作った永遠に偉大な建造物)」と改められた。 その他、[[オー・カナダ|カナダ国歌]]の「{{lang|en|True patriot love in all thy sons command}}(汝の息子たちすべての中に流れる真の愛国心)」という歌詞は[[男女同権]]の観点から長年問題視されており、2018年に「{{lang|en|in all thy sons command}}(汝の息子たちすべての中に)」が「{{lang|en|in all of us command}}(私たちすべての中に)」に改められた。 [[アドヴァンス・オーストラリア・フェア|オーストラリア国歌]]に存在していた「{{lang|en|For we are young and free}}(我らは若くて自由)」という歌詞は、[[オーストラリア#ヨーロッパ人の到達|イギリスによる植民地化]]以前から[[オーストラリア大陸]]に居住していた[[アボリジニ]]に配慮する形で、2021年に「{{lang|en|For we are one and free}}(我らは一つで自由)」と改定された。 == 国歌に準ずる曲 == 国歌に次いでその国を象徴するような歌(曲)が「第二の国歌」と呼ばれることがある。ほとんどの場合、法的に定められたものではない。 *「第二の国歌」として知られる曲。 **{{Flagicon|GBR}} イギリス:「[[希望と栄光の国]]」「[[我は汝に誓う、我が祖国よ]]」 **{{Flagicon|USA}} アメリカ:「[[星条旗よ永遠なれ]]」「[[アメリカ・ザ・ビューティフル]]」 **{{ITA}}:「[[ナブッコ]]」 **{{Flagicon|RUS}} ロシア:「[[カチューシャ (曲)|カチューシャ]]」「[[祖国の歌]]」「[[スラブ娘の別れ]]」 **{{Flagicon|AUT}} オーストリア:「[[美しく青きドナウ]]」 **{{Flagicon|FIN}} フィンランド:「[[フィンランディア]]」 **{{IRI}}:「[[Ey Iran]]」 **{{Flagicon|CHN}} 中国:「[[歌唱祖国]]」 **{{Flagicon|JPN}}:「[[海行かば]]」<ref>堀 雅昭『戦争歌が映す近代』、葦書房、2001年、25-26頁</ref>「[[愛国行進曲]]」。[[第二次世界大戦]]前及び戦時中まで、第二国歌としての扱いを受けており様々な場面で唱和されていた。戦後は「[[故郷 (唱歌)|故郷]]」が第二国歌と呼ばれることがある。 前述の通り[[王室歌]]は国家の源流のひとつであり、国内的には国歌に準じた扱いを受ける場合が多い。イギリスやオランダなど国歌と王室歌が同一の国、タイやスウェーデンなど両者が異なる国がある。 大きな統一体の場合、[[欧州連合]] (EU) の歌として、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]の「[[歓喜の歌]]」をもつ。[[東南アジア諸国連合]]は「[[:en:The ASEAN Way|The ASEAN Way]]」を2008年に公式の歌と定めている。[[国際連合]]と[[アフリカ連合]]も非公式な歌を持つ。 [[州]]や地域、[[旧ソ連]]・[[ロシア]]の[[ロシアの共和国|共和国]]など、地方政府も国歌に相当する[[アンセム]](州歌など)を持つ場合が多い。特に[[連邦]]制の国においては州も一国同等なので<ref>議会と首長に加えて独自の裁判所まである</ref>、国歌に準ずる扱いを受けることがある。 <!-- 2005年には、[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ]]([[イングランド]]、[[ウェールズ]]、[[スコットランド]]、[[アイルランド島|アイルランド]]=[[北アイルランド]]+[[アイルランド|アイルランド共和国]])からなる[[ラグビーフットボール|ラグビー]]連合)は "{{lang|en|The Power of Four}}" を[[アンセム]]に定めた。 --> == 音楽家による評価 == [[作曲家]]の[[團伊玖磨]]は晩年に、国歌の必要条件として、「'''短い事'''、'''エスニックである事'''、'''好戦的でない事'''の3条件」を挙げ、「イギリス国歌、ドイツ国歌、君が代の3つが[[白眉]]である」と評した。 なお、君が代については同時に、「音楽として歌曲としては変な曲だが、国歌としては最適な曲である。」と書いていた<ref>團伊玖磨、「しっとりパイプのけむり」、p145、朝日新聞社、2000年、ISBN 4022574607</ref>。 == 国歌一覧 == {{main|国歌の一覧}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{Wikisource|Wikisource:国歌|世界各国の国歌|歌詞}} {{Wiktionary|国歌}} {{Commons|National anthem|国歌}} {{Wikidata property |P85}} * {{CRD|2000012253|世界の国歌を調べる}} * [https://rnavi.ndl.go.jp/jp/guides/theme_honbun_602010.html 世界の国歌(音源) | 調べ方案内 | 国立国会図書館] {{国の指標}} {{ナショナリズム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こつか}} [[Category:歌]] [[Category:国歌|*]] [[Category:国の象徴]]
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琉球諸語
琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)は、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる諸言語の総称。日本本土の日本語と系統を同じくし、日本語内部の一方言の琉球方言(りゅうきゅうほうげん)と見なされ、琉球語(りゅうきゅうご)とも呼称される。琉球方言は、八丈方言とともに日本語の歴史を知る上で欠くことのできない資料的価値を持つ。その一方で、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いもあるため、日本語とは別の言語と見なす立場もある(#言語か方言か参照)。また琉球内部でも島々の地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と呼ぶ立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、各立場を考慮して、琉球諸語(琉球方言)と併記する。 独立した言語として見た場合、日本語と系統が同じ言語と見なされ、日本語と琉球(諸)語を合わせて日琉語族あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大別できる、との見解がある。 琉球諸語(琉球方言)は、琉球諸島の地理的な広さと、強力な中央語を持たなかった歴史(琉球王国時代、支配層では首里方言が中央語の地位にあったが、大衆同士のリングワ・フランカとしてはほとんど使われなかった)から、地域ごとの方言差が本土以上に大きい。大きく沖縄本島以北の北琉球諸語(北琉球方言)と、宮古列島以南の南琉球諸語(南琉球方言)の2グループに大別でき、北琉球諸語は奄美語(奄美方言)と沖縄語(沖縄方言)に、南琉球諸語は宮古語(宮古方言)・八重山語(八重山方言)・与那国語(与那国方言)の諸言語(諸方言)に分けられる。「沖縄県の言葉」という意味で「沖縄方言」や「沖縄語」、「ウチナーグチ(沖縄口)」という呼称が使われることもあるが、本来「沖縄(ウチナー)」は沖縄本島を指す言葉であり(現在でも先島諸島の住民は沖縄本島を指して「沖縄」と言う)、今の沖縄県全体を指すようになったのは1879年(明治12年)の沖縄県設置以後である。 明治から昭和中期までの強力な標準語普及運動(「標準語励行運動」と呼ばれた)に、戦後のマスメディアの普及などの影響が重なり、現在琉球諸語(琉球方言)は衰退している。沖縄芝居や組踊、琉歌、琉球民謡・島唄などの伝統芸能で使われるほかは、日常生活では主に高齢者とその家族周辺に限られている。2009年、ユネスコは奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語のそれぞれを危機に瀕する言語に指定した。 明治以降の琉球諸語(琉球方言)と日本語(主に標準語および九州方言)の言語接触によって、琉球列島では日本語の影響を強く受けた新方言が発生した。沖縄県内のものは特に「ウチナーヤマトグチ」と呼ばれる。団塊の世代より後に生まれた世代は、琉球諸語(琉球方言)に代わって、この新方言を第一言語として使用しているケースが多い。 琉球諸語(琉球方言)は、一方言の話者が、他の琉球諸語(琉球方言)の方言を聞き取れるというわけではない。琉球諸語(琉球方言)は、北琉球(奄美群島・沖縄諸島)と南琉球(先島諸島)の2つに大別でき、北琉球諸語と南琉球諸語との間では全く会話が通じない。これらはさらに諸方言に分けられ、島ごとや集落ごとに著しい方言差があり、それぞれの島内でも意思疎通に支障をきたすほどである。なお、大東諸島は明治になって八丈島からの開拓団によって開発された島であり、琉球諸語(琉球方言)ではなく八丈方言から派生した方言が話されている(大東諸島方言)。 一般的な区分を示す。 北琉球諸語(方言)は奄美語(奄美方言)と沖縄語(沖縄方言)に分ける説が有力だが、奄美徳之島諸方言、沖永良部与論沖縄北部諸方言、沖縄中南部方言に3分する説もある。 琉球諸語(琉球方言)の基本的な短母音は、/a/・/i/・/ï/・/u/の4つまたは/a/・/i/・/u/の3つである。一方、多くの地域では、これら3~4母音以外にも多くの長母音を持つ。各地の母音体系(長母音含む)は次のようになる。 北琉球諸語の大部分では、母音・半母音の直前で声門破裂音ʔの有無が弁別される。例えば、ʔami(雨)、ʔwaː(豚)などがある。 北琉球諸語には、p、t、k、ʧの有気音と無気喉頭化音の区別のある地域がある。区別には濃淡の差があり、奄美大島や沖縄本島北部などでははっきりした音韻的対立がある。与那国語にも、出自を異にする無気喉頭化音がある。また、宮古語・八重山語ではfuni(舟)とpuni(骨)のように、無声唇歯摩擦音のfが他の子音と区別される。 宮古語や奄美大島南部には、閉音節があり、子音のみで拍を成すことができる。 琉球諸語(琉球方言)と日本語の間には、母音・子音に一定の対応関係がある。短母音では、日本語の/o/は、琉球諸語(琉球方言)圏全域で/u/になっており、また喜界島南部や沖永良部島、与論島、沖縄諸島、八重山列島の一部、与那国島では/e/は/i/になり3つの短母音を持つ。奄美大島・徳之島・喜界島北部では、日本語の/e/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。宮古列島や八重山列島(与那国島除く)では、日本語の/e/が/i/になる一方で日本語の/i/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。また、連母音が変化した/eː/や/oː/が与那国島を除くほとんどの地域にある。次に、日本語と琉球諸語(琉球方言)諸方言の間の母音の対応関係を示す。 例えば首里方言では、 などの対応関係をなす。 サ行とタ行では、大部分の地域でu→ïまたはu→iの変化が起こったため、日本語のチとツ、シとスが統合する傾向がある。 北琉球諸語ではo→u、e→i(あるいはï)の狭母音化に伴い、元々のイ段・ウ段の子音は、[kumu](雲)、[kimu](肝)のように無気喉頭化音に変化した。ただし与論島や沖縄中南部ではその後、喉頭化音による区別を失った。 子音では、多くの地域で、日本語の語頭のハ行子音が琉球諸語(琉球方言)ではpまたはɸ(F)になっている。日本本土では、ハ行は奈良時代以前にp、平安時代から室町時代まではɸであって、琉球諸語(琉球方言)で古い発音を残している。pを残しているのは奄美大島佐仁・喜界島北部・与論島・沖縄本島北部の名護周辺部・伊江島・津堅島・久高島・宮古語(一部除く)・八重山語で、沖縄中南部や与那国島はほとんどhになっている。一方、語中のハ行子音は、日本語と同様にp→wの変化(ハ行転呼)が琉球諸語全体で起きている。 南琉球諸語では、bata(腸→腹)のように、日本語・北琉球諸語のw(ワ行)にbが対応している。また、dama(山)のように、日本語のヤ行子音がdになっている例が、与那国語にある。与那国語ではsagi(酒)のように、語中子音の濁音化が見られる。喜界島と与那国島には鼻濁音ŋがある。 主に沖永良部与論沖縄北部諸方言で、haːmi(亀)のように、日本語のカ・ケ・コの子音kがhに変化している。一方でキは、チヌー(昨日)のように、喜界島南部・沖永良部島和泊・伊江島・伊是名島・沖縄本島中南部・伊良部島などではʧi(チ)になっている。宮古語・八重山語では日本語のクがfuまたはɸuとなりフと同音になる。 北琉球諸語では母音iの直後の子音t, s, k, n, rおよびその濁音に口蓋化が起きた(iC→iCj。Cは任意の子音。)。例えば徳之島の浅間ではイキャー(烏賊)、イチャー(板)、ミージュ(溝)のように子音が変化している。 日本語のリは、tui(鳥。沖縄語の例)のように、沖縄諸島や宮古島などではrが脱落する。 awaは、喜界島や沖縄本島以南ではaaまたはa、他の奄美語方言ではooまたはoとなる(例:「泡盛」→「アームイ」)。 オキナワは、これらの法則に沿った音変化により、沖縄本島中南部ではウチナーとなる。 1990年代頃までの研究においては、琉球諸語(琉球方言)のアクセントは、地域により外輪東京式や九州西南部式など、九州に存在する各種アクセントが入り乱れて存在し、日本語(本土方言)と大きく対立する特徴はないとされていた。 一方、服部四郎、松森晶子らは、琉球諸語(琉球方言)のアクセントでは日本語(本土方言)には見られない語群の分裂と統合をしていることを明らかにした。日本語の諸方言や平安時代以降の文献に残る京都アクセントの記録から、日本(本土)祖語の2拍名詞にはアクセントの型の種類が5つあったと考えられており、それぞれの型を持つ語のグループを第1類から第5類までの名称で呼ぶ。日本語諸方言では原則として、同じ類の語は同じ型のアクセントを持つ。ところが琉球諸語(琉球方言)では、2拍名詞の第3・4・5類は、各類が分裂して別々の型に属している。琉球諸方言の比較により、その共通祖先である琉球祖語には、少なくとも3つのアクセントの型があったと考えられ、それぞれの型を持つ語群をA系列、B系列、C系列と呼ぶが、2拍名詞ではA系列に第1類と第2類が、B系列に第3類の殆どと第4類・第5類のそれぞれ約半数が、C系列に残る第3類の少数と第4類・第5類のそれぞれ約半数が属している。このことから、日琉祖語の2拍名詞のアクセント型の数は、日本語(本土方言)から分かる5つよりも多く、日本語では消失した区別が琉球諸語に保存されている可能性が示唆される。また3拍名詞でも同様にA、B、Cの3系列に分かれる。1拍名詞にはC系列の語はなく、A系列に第1類と第2類の語が属し、B系列に第3類の語が属している。 3つの系列の区別が比較的明瞭に保たれているのは、表に示した金武方言を中心とする沖縄本島中部のほか、徳之島、沖永良部島、多良間島、与那国島などである。奄美大島南部、加計呂麻島、喜界島北部(小野津・志戸桶)、竹富島、石垣島などでは、B系列とC系列が統合して同じ型となっており、A/BCのように区別されている。喜界島中南部(湾・阿伝など)などではAB/Cのように区別されている。伊江島ではAC/Bのように区別されている。 またアクセント体系としては、琉球諸語(琉球方言)の多くの方言は、語の拍数が多くなってもアクセント型の種類が2種類まで(二型)または3種類まで(三型)に限定される、N型アクセント体系を有する。奄美群島の一部の方言では、語の拍数が多くなるに従いアクセント型の種類も増える、多型アクセント体系である。 琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用は、日本語とはかなりの違いがあり、また琉球諸語内部も方言によって多様である。琉球諸語では、日本語で失われた終止形と連体形の区別がある。ただ少なくとも北琉球諸語では「連用形+をり(居り)」から派生したとみられる形を用いているため、日本語古語の終止形・連体形には直接さかのぼらない。 北琉球(奄美群島・沖縄諸島)の動詞の終止形は、「連用形+をむ」(または「連用形+をりむ」か)に由来すると考えられる形が広く分布している。「書く」を例に取るならばkakyum・kakyun・katʃunなどである。また奄美群島の奄美大島・徳之島・喜界島・与論島では「連用形+をり」に由来する、kakyuri・kakyuiのような形も使われている。 一方、連体形は、北琉球では「連用形+をる」が変化した形を用いており、「書く」にあたるものには、地域によってkakyuru・kakyun・kaʧuru・kaʧunu・kakunなどがある。「をり」の付いた活用形はさらに他の活用形にも広がり、沖縄方言では(「咲く」を例にとる)「をり」の付かないsaka(未然形)、saʧi(連用形)、sakeː(仮定形)の各活用形のほかに、「をり」の付いたsaʧura(未然形)、saʧui(中止形)、saʧuN(終止形)、saʧuru(連体形)、saʧureː(仮定形)の各活用形を生み出している。 南琉球(先島諸島)での終止形「書く」には、kakïm・katsïm・kakunなどと、kakï・katsï・kakuなどの2系統があるが、これらの由来は明らかではない(詳細は宮古語#動詞活用形の歴史的成立過程を参照)。また南琉球での連体形は、「書く」を例にとるとkakï・katsï・kakuなどがある。 「書かない」にあたるものには、kakaN・hakaN系(奄美群島・沖縄諸島・宮古列島など)やkakanu・hakanu(八重山諸島・与論島など)などの形がある。「起きない」にあたるものには、ʔukiraN(沖縄本島)、ʔukiN(宮古島)、ʔukunu・ɸukunu(八重山語)、ʔugiranu(与那国島)などがある。琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用の種類は、全体的に四段活用に似た形に統合する傾向があり、特に北琉球では一段・二段活用はほとんどラ行四段活用化している。 「書く」の命令形は「書け」の変化したkaki・kakïなどである。「志向形(意志形)」と呼ばれる、「書こう」にあたるものにはkaka(ː)(徳之島・沖永良部島・沖縄本島・宮古列島・八重山諸島)、kako(ː)・hakoː(奄美大島・喜界島)、kakaN(与論島)、kakuː・kaguː(与那国島など)、kakam(宮古)などがある。 過去形は日本語と同じく「てあり」(→たり)に由来する語尾(方言によりタン、タリ、タイ、tar、タなど)で表し、北琉球ではカチャン(書いた)のように動詞部分と融合している。北琉球の過去形には日本語と同じく音便が発生しているが、南琉球にはない。受身・可能には「れる」に由来する助動詞、使役は「す」「しむ」に由来する助動詞で表す。 敬語は、「侍り」(丁寧)、「召す」(尊敬)などに由来する語法を用いる。方言ごとの差異が大きいが、沖縄方言では「ごめんください」の意味の「ちゃーびら」(「来侍ら」から)、「いらっしゃい」の意味の「めんそーれ」(「参り召しおはれ」「往み有り召しおはれ」などが語源として考えられている)など。 琉球諸語(琉球方言)の形容詞は、「語幹+さ・あり」に由来する形と、「語幹+く・あり」に由来する形に分けられる。「さあり」系統は奄美群島・沖縄諸島・多良間島・八重山諸島に分布し、「くあり」系統は宮古列島に分布する。例えば「高い」の終止形は、「さあり」系統の首里方言でtakasan、「くあり」系統の宮古島平良方言でtakakaïとなる。また連用形は、日本語と同じく「語幹+く」に由来する形(例:高い→takaku・taːkuなど)を用いている。「さあり」系統の地域では、連用形以外の形容詞活用は全て「語幹+さあり」が活用したものを用いており、例えば「高い」の未然形は「高さあら(ば)」、条件形(仮定形)は「高さあれ(ば)」、連体形は「高さある・高さあり」が変化した形を用いる。このほか、形容詞の語幹用法も発達している。 助詞「が」と「の」の用法には古語の特徴が残っており、主格と属格の区別は発達せず、対象の性質(動作主性や人との関係など)によって使い分ける。また対格(「を」にあたる)には、宮古方言・八重山方言に「ゆ」と「ば」、奄美方言に「ば」があるが、沖縄方言ではこれらは失われている。ただし沖縄方言でも琉歌などの古風な表現で「ゆ」を用いる。向格(共通語の「へ」または「に」)には「んかい」などを用いる。 係り結びもあり、焦点を表す「どぅ」に対する連体形結びなどのほか、疑問を表す「が」に対する未然形結びがある。 一人称代名詞には、古代日本語の「わ」「われ」に対応したwaː, wan, wanuなどが北琉球諸語で、ban, banuなどが南琉球諸語で用いられるほか、「あ」「あれ」に対応するa, anなどを鳥島(久米島)や宮古の大神、与那国島で用いる。二人称代名詞には、ʔuriまたはそれにa(ː)が付いた形に由来すると考えられるものとして北琉球でʔura, ʔjaː, ʔuri, ʔuiなど、南琉球でvva, uva, uwaなどが用いられるほか、上代日本語の「な」に対応するnaː, nanなどが北琉球で用いられる。 日本語の「こ」「そ」「あ」に対応する指示代名詞として、北琉球諸語にはku/u/a、南琉球諸語にはku/u/kaの3系列がみられる。kuは日本語の「こ」に対応する近称で、uが中称、a/kaが日本語「あ」「か」に対応する遠称だが、琉球諸語ではこれら3系列のうち1系列を欠いた2系列の体系の方言がある。また、語としては3系列あっても、uとkuの指示範囲がほとんど同じあるいはuとa/kaの指示範囲がほとんど同じであるために意味的には2系列しかない方言も広くみられる。 語彙には九州方言との共通点も少しあるが、琉球諸語(琉球方言)独特、または古語の特徴を残すものが多い。古語としては、「あーけーずー」(蜻蛉・トンボ)、「ねー・ない」(なゐ・地震)、「わらび」(童・子供)などがある。独特の語彙としては、「てぃーだ」(太陽)、「わー(ʔwaː)」(豚)などがよく知られる。また語尾母音を伸ばして人を表す方法(「くるまー」で車屋、「あめりかー」でアメリカ人を意味する)や、指小辞「ぐぁ」「ぐゎ」(これは「子(こ)」に由来するといわれる)なども独特である。兄弟姉妹関係は、「うない」(男兄弟から呼ぶ姉妹)と「うぃきー」(女姉妹から呼ぶ兄弟)、「しじゃ」(男女を問わず年長者)と「うっとぅ」(男女をとわず年下)の二元関係で表す。 琉球諸語(琉球方言)の文字による記録は、古い石碑に記された仮名書きで見ることができる。例えば、1494年の小禄墓、1501年の玉陵の碑文、1597年建立の 『浦添城の前の碑』がある。また、尚円王(金丸)の直筆書状も現存している。15世紀からの琉球王朝では、公文書は漢字ひらがな交じり文で書かれた。また、歌謡集『おもろさうし』もひらがな主体の表記をとっている。カタカナはほとんど使用されなかった。なお中国語との対比で琉球語の単語や文の音をハングル表示した1501(浩治14)年4月22日付の文書(「海東諸国紀」のうち、付録「語音翻訳」の部分)があり、その日本語版も発行されている。 現在の語彙の中には、中国から直接導入された漢語やそれを翻訳した言い回しもある。漢文は中国語でそのまま読む方式と、日本式の訓読とが併用された。漢字は庶民が習得しているものではなく、仮名のほか、中国から伝来した独特の数字「蘇州碼」(すうちうま)が主に帳簿の記録など商業用途に用いられた。日本の影響を受けるようになると廃れ、現在は文字としては使用されていない。また与那国島では「カイダ文字」と呼ばれる独特の象形文字が用いられた。 現代の琉球諸語(琉球方言)は、日本語の漢字かな交じり表記を応用して表されることが多く、琉球諸語(琉球方言)に即した正書法は確立していない。日本語表記と大きく異なる語彙の場合、意味の対応する漢字を用いて表記することがある。例えば、太陽の昇る方角を意味する「あがり」に「東」、太陽の沈む方角を意味する「いり」に「西」という漢字を当てて書くことなどである。しかし、本来城とは異質なものであるグスクに「城」を充てる(例:中城=なかぐすく、城間=ぐすくま)など、類推による表記も少なくないことに注意が必要である。また、宛てた漢字に合わせて琉球式の発音が日本式の発音に変更されたり(例:与那城=よなしろ)、意味ではなく音に合わせて漢字を宛てたために本来の意味が分かりづらくなったり(例:西原)する問題もある。 沖縄県では2018年(平成30年)度に「しまくとぅば正書法検討委員会」が設立され、表音性・簡潔性・体系性・親近性の4点を基本方針に、2022年5月30日に国頭・沖縄・宮古・八重山・与那国の5地域ごとにカタカナによる統一的な表記法が示された。県によるしまくとぅば普及・継承等の取り組みは原則この表記法に基づいて行われることになるが、これまで県内各地で行われてきた多様な表記法を否定するものではないとしている。 琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)が分かれた時期は、おおよそ紀元前後以降、奈良時代(8世紀)以前と考えられている。琉球諸語(琉球方言)にみられる、動詞の終止形と連体形の区別や、ハ行子音に対応する語頭p音などは、奈良時代以前の日本語の特徴である。しかし、琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)の類似の程度から言って、分岐の時期が弥生時代よりもさらに古く遡るとも考えられない。言語学者の服部四郎は、二言語間の共通の語彙を比較する言語年代学の手法を使って、京都方言と首里方言の分岐年代について1450 - 1700余年前という計算結果を示している。一方で考古学や人類学の成果からは、グスク時代の始まった10 - 12世紀頃、日本本土からの移民により琉球列島で農耕が開始され、人口の急激な増加が起きたことが分かる。こうしたことからトマ・ペラールは、琉球諸語と日本語はおそらく弥生時代末期か古墳時代に分岐し、10世紀頃に本土(おそらく九州)から移動した集団により琉球祖語が琉球列島へもたらされたとしている。琉球諸語(琉球方言)には、日本語で中古(平安時代)以降に起きた語中・尾のハ行のワ行音化(ハ行転呼)が起きているほか、「正月」「上手」などの漢語の語形が中古・中世の日本語と対応しているが、ペラールはこれらは分岐後の日本語(本土方言)との接触により説明できるとしている。グスク時代より前からの先住民の人口は少なく、先住民は農耕技術を持った日琉語族話者によって置き換えられたか、あるいは同化されたと考えられている。 1265年に禅鑑という僧侶が日本から仏教を伝えた際、同時に文字も伝えたと言われている。15世紀末頃から、琉球諸語(琉球方言)は盛んにひらがなで書き表されるようになった。「おもろさうし」などにみられる仮名遣いや、同じ時期の外国語資料に記された沖縄方言は、すでにo→u、e→iの変化を起こしている。おもろさうしの仮名遣いには、沖縄の発音に合わせた表音的な仮名遣いと、日本の規範的な歴史的仮名遣いが混在している。 琉球王国が成立すると、15世紀頃に士族語として首里方言が作られた。首里方言は、琉球諸島全域に通じる標準語として、あるいは書記用の言語として盛んに用いられた。しかし方言が抑圧されることはなく、各地に多様な方言が残された。 明治末より、沖縄県でも本土と同じく学校教育の場を中心に標準語の普及運動が進められ、琉球諸語(琉球方言)の使用者に「方言札」を掛けさせるなどの手段が採られた。戦後のアメリカ統治下でも普及運動は続けられ、また米軍支配への反発や本土への集団就職の増加から、沖縄県民のあいだで本土志向が高まり、却って自発的な標準語推進運動が起こった。方言は時代遅れであるとの意識が生まれ、親から子へ、年長者から若者への言葉の継承に対して消極的・否定的な状況が近年まで続いた。この影響で純粋な琉球諸語(琉球方言)話者は激減しており、このままでは伝統的な琉球語(琉球方言)は数十年以内に消滅するとみられている。 そうした現状に対して、沖縄県内各地で、他都道府県以上に琉球諸語(琉球方言)の積極的な保存・振興が叫ばれている。かつて標準語普及運動の旗振り役であった沖縄県庁も、県内各教育委員会に琉球諸語(琉球方言)保護を促す通達を出すなどの対策を取るようになった。2006年3月29日には、沖縄県議会において、毎年9月18日を「しまくとぅばの日」とし、しまくとぅば(島言葉)への関心・理解を深め、普及促進を図る条例が可決され、3月31日に公布された。 琉球諸語(琉球方言)と日本語は、音韻体系の対応などから同じ系統であることは明らかであるが、地理的・歴史的な背景から、互いに通じ合わないほどの大きな違いがある(フランス語とイタリア語の差に匹敵する。また、基礎語彙の共有についてはロシア語・ポーランド語・ブルガリア語・ セルビアクロアチア語等を含むスラヴ語族内の多様性に近く、ドイツ語とオランダ語との距離やスペイン語とポルトガル語との距離よりも大きい。)。琉球列島の言語と日本本土の言語の関係については、大きく分けて次の4つの立場がある。 複数の立場が存在するのは、言語学において、言語と方言を区別する客観的で明確な基準が存在しないためである。言語と方言の区別が曖昧な事例は、琉球諸語(琉球方言)に限らず、世界各地に存在する(方言#「言語」との違いを参照)。 学問上の明確な基準が存在しないため、言語と方言の区別は民族論や政治論といった主観的かつ繊細な問題に関わってくる。例えば「普通―語という場合は国家を背景としているので、言語学では沖縄の言葉を琉球方言といいならわしている。」 というように、国家の有無という立場から方言か言語かを論じる立場がある。しかし世界各国を見ると、1つの国家に複数の民族・言語が混在していたり、同一とされる民族・言語が複数の国家に跨っていたりすることが多く、国家の範囲と民族・言語の範囲が一致する国の方が少ない。国家や民族の観点から言語と方言を区別する場合、「大和民族」対「琉球民族」、琉球独立運動といった概念・意識と関連付けられるようになり、「琉球語」あるいは「琉球方言」の呼称を用いること自体が政治的・民族的な立場の表明に繋がり、どちらの呼称も中立性を欠くことになってしまう。 沖縄県民のほとんどは琉球諸語(琉球方言)のことを慣習的に「方言」と呼んでいるが、これは沖縄の住民が標準語を受容する過程で成立したクレオール「ウチナーヤマトグチ」を方言とする認識が、近年までは希薄であったことにも関係がある。 琉球諸語(琉球方言)が言語か方言か、という問題については、前述した事情から、琉球諸語(琉球方言)話者自身による積極的な主張が少ない点が指摘できる。また言語研究機関でも、言語としながらも、方言とする意見を排除しないとするところもある。 非営利組織である国際SILが出版しているエスノローグによると、日本で使われている言語として、日本語、アイヌ語、とともに、中央沖縄語(Okinawan, Central)を始めとして、喜界語(Kikai)、北奄美語(Amami-Oshima, Northern)、南奄美語(Amami-Oshima, Southern)、徳之島語(Toku-No-Shima)、沖永良部語(Oki-No-Erabu)、与論語(Yoron)、国頭語(Kunigami)、宮古語(Miyako)、八重山語(Yaeyama)、与那国語(Yonaguni)といった言語を挙げている。一方で一般的には、これらの言語は琉球語(琉球方言)の下位区分の方言と見なされてきた。また国際SIL自体も、方言であるとの意見を排除しないと表明している。2007年には、国際標準化機構の言語の略称についての国際規格であるISO 639にも、国際SILとの整合性をとる目的で、それぞれに対し、3字略称が与えられた(例えば、中央沖縄語の場合、「ryu」)。 2009年2月19日にユネスコが発表した調査結果によると、世界で約2500の言語が消滅の危機にあるとし、琉球語(琉球方言)における下位方言もその対象となった。この中で、前述のエスノローグと同様、「沖縄語」、「国頭語」、「宮古語」、「奄美語」、「八重山語」、「与那国語」という名称で、それぞれ独立した1個の言語(個別言語)として言及された(このほか日本で話される言語のうちアイヌ語と八丈語が消滅の危機にある言語として言及されている)。ユネスコの担当者は、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」という。これを受けて参議院議員である糸数慶子は、「ユネスコが独立した言語とした八言語は、言語なのか、方言なのか」など、7項目を「沖縄の言語に関する質問主意書」として政府に提出した。これらの質問に対し、政府は、「『言語』及び『方言』の用語は、様々な意味を有するものと承知しており、お尋ねに一概にお答えすることは困難である」との見解を示している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)は、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる諸言語の総称。日本本土の日本語と系統を同じくし、日本語内部の一方言の琉球方言(りゅうきゅうほうげん)と見なされ、琉球語(りゅうきゅうご)とも呼称される。琉球方言は、八丈方言とともに日本語の歴史を知る上で欠くことのできない資料的価値を持つ。その一方で、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いもあるため、日本語とは別の言語と見なす立場もある(#言語か方言か参照)。また琉球内部でも島々の地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と呼ぶ立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、各立場を考慮して、琉球諸語(琉球方言)と併記する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "独立した言語として見た場合、日本語と系統が同じ言語と見なされ、日本語と琉球(諸)語を合わせて日琉語族あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大別できる、との見解がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)は、琉球諸島の地理的な広さと、強力な中央語を持たなかった歴史(琉球王国時代、支配層では首里方言が中央語の地位にあったが、大衆同士のリングワ・フランカとしてはほとんど使われなかった)から、地域ごとの方言差が本土以上に大きい。大きく沖縄本島以北の北琉球諸語(北琉球方言)と、宮古列島以南の南琉球諸語(南琉球方言)の2グループに大別でき、北琉球諸語は奄美語(奄美方言)と沖縄語(沖縄方言)に、南琉球諸語は宮古語(宮古方言)・八重山語(八重山方言)・与那国語(与那国方言)の諸言語(諸方言)に分けられる。「沖縄県の言葉」という意味で「沖縄方言」や「沖縄語」、「ウチナーグチ(沖縄口)」という呼称が使われることもあるが、本来「沖縄(ウチナー)」は沖縄本島を指す言葉であり(現在でも先島諸島の住民は沖縄本島を指して「沖縄」と言う)、今の沖縄県全体を指すようになったのは1879年(明治12年)の沖縄県設置以後である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "明治から昭和中期までの強力な標準語普及運動(「標準語励行運動」と呼ばれた)に、戦後のマスメディアの普及などの影響が重なり、現在琉球諸語(琉球方言)は衰退している。沖縄芝居や組踊、琉歌、琉球民謡・島唄などの伝統芸能で使われるほかは、日常生活では主に高齢者とその家族周辺に限られている。2009年、ユネスコは奄美語・国頭語・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語のそれぞれを危機に瀕する言語に指定した。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "明治以降の琉球諸語(琉球方言)と日本語(主に標準語および九州方言)の言語接触によって、琉球列島では日本語の影響を強く受けた新方言が発生した。沖縄県内のものは特に「ウチナーヤマトグチ」と呼ばれる。団塊の世代より後に生まれた世代は、琉球諸語(琉球方言)に代わって、この新方言を第一言語として使用しているケースが多い。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)は、一方言の話者が、他の琉球諸語(琉球方言)の方言を聞き取れるというわけではない。琉球諸語(琉球方言)は、北琉球(奄美群島・沖縄諸島)と南琉球(先島諸島)の2つに大別でき、北琉球諸語と南琉球諸語との間では全く会話が通じない。これらはさらに諸方言に分けられ、島ごとや集落ごとに著しい方言差があり、それぞれの島内でも意思疎通に支障をきたすほどである。なお、大東諸島は明治になって八丈島からの開拓団によって開発された島であり、琉球諸語(琉球方言)ではなく八丈方言から派生した方言が話されている(大東諸島方言)。", "title": "区分" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "一般的な区分を示す。", "title": "区分" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "北琉球諸語(方言)は奄美語(奄美方言)と沖縄語(沖縄方言)に分ける説が有力だが、奄美徳之島諸方言、沖永良部与論沖縄北部諸方言、沖縄中南部方言に3分する説もある。", "title": "区分" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)の基本的な短母音は、/a/・/i/・/ï/・/u/の4つまたは/a/・/i/・/u/の3つである。一方、多くの地域では、これら3~4母音以外にも多くの長母音を持つ。各地の母音体系(長母音含む)は次のようになる。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "北琉球諸語の大部分では、母音・半母音の直前で声門破裂音ʔの有無が弁別される。例えば、ʔami(雨)、ʔwaː(豚)などがある。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "北琉球諸語には、p、t、k、ʧの有気音と無気喉頭化音の区別のある地域がある。区別には濃淡の差があり、奄美大島や沖縄本島北部などでははっきりした音韻的対立がある。与那国語にも、出自を異にする無気喉頭化音がある。また、宮古語・八重山語ではfuni(舟)とpuni(骨)のように、無声唇歯摩擦音のfが他の子音と区別される。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "宮古語や奄美大島南部には、閉音節があり、子音のみで拍を成すことができる。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)と日本語の間には、母音・子音に一定の対応関係がある。短母音では、日本語の/o/は、琉球諸語(琉球方言)圏全域で/u/になっており、また喜界島南部や沖永良部島、与論島、沖縄諸島、八重山列島の一部、与那国島では/e/は/i/になり3つの短母音を持つ。奄美大島・徳之島・喜界島北部では、日本語の/e/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。宮古列島や八重山列島(与那国島除く)では、日本語の/e/が/i/になる一方で日本語の/i/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。また、連母音が変化した/eː/や/oː/が与那国島を除くほとんどの地域にある。次に、日本語と琉球諸語(琉球方言)諸方言の間の母音の対応関係を示す。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "例えば首里方言では、", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "などの対応関係をなす。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "サ行とタ行では、大部分の地域でu→ïまたはu→iの変化が起こったため、日本語のチとツ、シとスが統合する傾向がある。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "北琉球諸語ではo→u、e→i(あるいはï)の狭母音化に伴い、元々のイ段・ウ段の子音は、[kumu](雲)、[kimu](肝)のように無気喉頭化音に変化した。ただし与論島や沖縄中南部ではその後、喉頭化音による区別を失った。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "子音では、多くの地域で、日本語の語頭のハ行子音が琉球諸語(琉球方言)ではpまたはɸ(F)になっている。日本本土では、ハ行は奈良時代以前にp、平安時代から室町時代まではɸであって、琉球諸語(琉球方言)で古い発音を残している。pを残しているのは奄美大島佐仁・喜界島北部・与論島・沖縄本島北部の名護周辺部・伊江島・津堅島・久高島・宮古語(一部除く)・八重山語で、沖縄中南部や与那国島はほとんどhになっている。一方、語中のハ行子音は、日本語と同様にp→wの変化(ハ行転呼)が琉球諸語全体で起きている。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "南琉球諸語では、bata(腸→腹)のように、日本語・北琉球諸語のw(ワ行)にbが対応している。また、dama(山)のように、日本語のヤ行子音がdになっている例が、与那国語にある。与那国語ではsagi(酒)のように、語中子音の濁音化が見られる。喜界島と与那国島には鼻濁音ŋがある。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "主に沖永良部与論沖縄北部諸方言で、haːmi(亀)のように、日本語のカ・ケ・コの子音kがhに変化している。一方でキは、チヌー(昨日)のように、喜界島南部・沖永良部島和泊・伊江島・伊是名島・沖縄本島中南部・伊良部島などではʧi(チ)になっている。宮古語・八重山語では日本語のクがfuまたはɸuとなりフと同音になる。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "北琉球諸語では母音iの直後の子音t, s, k, n, rおよびその濁音に口蓋化が起きた(iC→iCj。Cは任意の子音。)。例えば徳之島の浅間ではイキャー(烏賊)、イチャー(板)、ミージュ(溝)のように子音が変化している。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本語のリは、tui(鳥。沖縄語の例)のように、沖縄諸島や宮古島などではrが脱落する。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "awaは、喜界島や沖縄本島以南ではaaまたはa、他の奄美語方言ではooまたはoとなる(例:「泡盛」→「アームイ」)。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "オキナワは、これらの法則に沿った音変化により、沖縄本島中南部ではウチナーとなる。", "title": "音韻" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1990年代頃までの研究においては、琉球諸語(琉球方言)のアクセントは、地域により外輪東京式や九州西南部式など、九州に存在する各種アクセントが入り乱れて存在し、日本語(本土方言)と大きく対立する特徴はないとされていた。", "title": "アクセント" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一方、服部四郎、松森晶子らは、琉球諸語(琉球方言)のアクセントでは日本語(本土方言)には見られない語群の分裂と統合をしていることを明らかにした。日本語の諸方言や平安時代以降の文献に残る京都アクセントの記録から、日本(本土)祖語の2拍名詞にはアクセントの型の種類が5つあったと考えられており、それぞれの型を持つ語のグループを第1類から第5類までの名称で呼ぶ。日本語諸方言では原則として、同じ類の語は同じ型のアクセントを持つ。ところが琉球諸語(琉球方言)では、2拍名詞の第3・4・5類は、各類が分裂して別々の型に属している。琉球諸方言の比較により、その共通祖先である琉球祖語には、少なくとも3つのアクセントの型があったと考えられ、それぞれの型を持つ語群をA系列、B系列、C系列と呼ぶが、2拍名詞ではA系列に第1類と第2類が、B系列に第3類の殆どと第4類・第5類のそれぞれ約半数が、C系列に残る第3類の少数と第4類・第5類のそれぞれ約半数が属している。このことから、日琉祖語の2拍名詞のアクセント型の数は、日本語(本土方言)から分かる5つよりも多く、日本語では消失した区別が琉球諸語に保存されている可能性が示唆される。また3拍名詞でも同様にA、B、Cの3系列に分かれる。1拍名詞にはC系列の語はなく、A系列に第1類と第2類の語が属し、B系列に第3類の語が属している。", "title": "アクセント" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "3つの系列の区別が比較的明瞭に保たれているのは、表に示した金武方言を中心とする沖縄本島中部のほか、徳之島、沖永良部島、多良間島、与那国島などである。奄美大島南部、加計呂麻島、喜界島北部(小野津・志戸桶)、竹富島、石垣島などでは、B系列とC系列が統合して同じ型となっており、A/BCのように区別されている。喜界島中南部(湾・阿伝など)などではAB/Cのように区別されている。伊江島ではAC/Bのように区別されている。", "title": "アクセント" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "またアクセント体系としては、琉球諸語(琉球方言)の多くの方言は、語の拍数が多くなってもアクセント型の種類が2種類まで(二型)または3種類まで(三型)に限定される、N型アクセント体系を有する。奄美群島の一部の方言では、語の拍数が多くなるに従いアクセント型の種類も増える、多型アクセント体系である。", "title": "アクセント" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用は、日本語とはかなりの違いがあり、また琉球諸語内部も方言によって多様である。琉球諸語では、日本語で失われた終止形と連体形の区別がある。ただ少なくとも北琉球諸語では「連用形+をり(居り)」から派生したとみられる形を用いているため、日本語古語の終止形・連体形には直接さかのぼらない。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "北琉球(奄美群島・沖縄諸島)の動詞の終止形は、「連用形+をむ」(または「連用形+をりむ」か)に由来すると考えられる形が広く分布している。「書く」を例に取るならばkakyum・kakyun・katʃunなどである。また奄美群島の奄美大島・徳之島・喜界島・与論島では「連用形+をり」に由来する、kakyuri・kakyuiのような形も使われている。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "一方、連体形は、北琉球では「連用形+をる」が変化した形を用いており、「書く」にあたるものには、地域によってkakyuru・kakyun・kaʧuru・kaʧunu・kakunなどがある。「をり」の付いた活用形はさらに他の活用形にも広がり、沖縄方言では(「咲く」を例にとる)「をり」の付かないsaka(未然形)、saʧi(連用形)、sakeː(仮定形)の各活用形のほかに、「をり」の付いたsaʧura(未然形)、saʧui(中止形)、saʧuN(終止形)、saʧuru(連体形)、saʧureː(仮定形)の各活用形を生み出している。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "南琉球(先島諸島)での終止形「書く」には、kakïm・katsïm・kakunなどと、kakï・katsï・kakuなどの2系統があるが、これらの由来は明らかではない(詳細は宮古語#動詞活用形の歴史的成立過程を参照)。また南琉球での連体形は、「書く」を例にとるとkakï・katsï・kakuなどがある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "「書かない」にあたるものには、kakaN・hakaN系(奄美群島・沖縄諸島・宮古列島など)やkakanu・hakanu(八重山諸島・与論島など)などの形がある。「起きない」にあたるものには、ʔukiraN(沖縄本島)、ʔukiN(宮古島)、ʔukunu・ɸukunu(八重山語)、ʔugiranu(与那国島)などがある。琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用の種類は、全体的に四段活用に似た形に統合する傾向があり、特に北琉球では一段・二段活用はほとんどラ行四段活用化している。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "「書く」の命令形は「書け」の変化したkaki・kakïなどである。「志向形(意志形)」と呼ばれる、「書こう」にあたるものにはkaka(ː)(徳之島・沖永良部島・沖縄本島・宮古列島・八重山諸島)、kako(ː)・hakoː(奄美大島・喜界島)、kakaN(与論島)、kakuː・kaguː(与那国島など)、kakam(宮古)などがある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "過去形は日本語と同じく「てあり」(→たり)に由来する語尾(方言によりタン、タリ、タイ、tar、タなど)で表し、北琉球ではカチャン(書いた)のように動詞部分と融合している。北琉球の過去形には日本語と同じく音便が発生しているが、南琉球にはない。受身・可能には「れる」に由来する助動詞、使役は「す」「しむ」に由来する助動詞で表す。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "敬語は、「侍り」(丁寧)、「召す」(尊敬)などに由来する語法を用いる。方言ごとの差異が大きいが、沖縄方言では「ごめんください」の意味の「ちゃーびら」(「来侍ら」から)、「いらっしゃい」の意味の「めんそーれ」(「参り召しおはれ」「往み有り召しおはれ」などが語源として考えられている)など。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)の形容詞は、「語幹+さ・あり」に由来する形と、「語幹+く・あり」に由来する形に分けられる。「さあり」系統は奄美群島・沖縄諸島・多良間島・八重山諸島に分布し、「くあり」系統は宮古列島に分布する。例えば「高い」の終止形は、「さあり」系統の首里方言でtakasan、「くあり」系統の宮古島平良方言でtakakaïとなる。また連用形は、日本語と同じく「語幹+く」に由来する形(例:高い→takaku・taːkuなど)を用いている。「さあり」系統の地域では、連用形以外の形容詞活用は全て「語幹+さあり」が活用したものを用いており、例えば「高い」の未然形は「高さあら(ば)」、条件形(仮定形)は「高さあれ(ば)」、連体形は「高さある・高さあり」が変化した形を用いる。このほか、形容詞の語幹用法も発達している。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "助詞「が」と「の」の用法には古語の特徴が残っており、主格と属格の区別は発達せず、対象の性質(動作主性や人との関係など)によって使い分ける。また対格(「を」にあたる)には、宮古方言・八重山方言に「ゆ」と「ば」、奄美方言に「ば」があるが、沖縄方言ではこれらは失われている。ただし沖縄方言でも琉歌などの古風な表現で「ゆ」を用いる。向格(共通語の「へ」または「に」)には「んかい」などを用いる。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "係り結びもあり、焦点を表す「どぅ」に対する連体形結びなどのほか、疑問を表す「が」に対する未然形結びがある。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "一人称代名詞には、古代日本語の「わ」「われ」に対応したwaː, wan, wanuなどが北琉球諸語で、ban, banuなどが南琉球諸語で用いられるほか、「あ」「あれ」に対応するa, anなどを鳥島(久米島)や宮古の大神、与那国島で用いる。二人称代名詞には、ʔuriまたはそれにa(ː)が付いた形に由来すると考えられるものとして北琉球でʔura, ʔjaː, ʔuri, ʔuiなど、南琉球でvva, uva, uwaなどが用いられるほか、上代日本語の「な」に対応するnaː, nanなどが北琉球で用いられる。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "日本語の「こ」「そ」「あ」に対応する指示代名詞として、北琉球諸語にはku/u/a、南琉球諸語にはku/u/kaの3系列がみられる。kuは日本語の「こ」に対応する近称で、uが中称、a/kaが日本語「あ」「か」に対応する遠称だが、琉球諸語ではこれら3系列のうち1系列を欠いた2系列の体系の方言がある。また、語としては3系列あっても、uとkuの指示範囲がほとんど同じあるいはuとa/kaの指示範囲がほとんど同じであるために意味的には2系列しかない方言も広くみられる。", "title": "文法" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "語彙には九州方言との共通点も少しあるが、琉球諸語(琉球方言)独特、または古語の特徴を残すものが多い。古語としては、「あーけーずー」(蜻蛉・トンボ)、「ねー・ない」(なゐ・地震)、「わらび」(童・子供)などがある。独特の語彙としては、「てぃーだ」(太陽)、「わー(ʔwaː)」(豚)などがよく知られる。また語尾母音を伸ばして人を表す方法(「くるまー」で車屋、「あめりかー」でアメリカ人を意味する)や、指小辞「ぐぁ」「ぐゎ」(これは「子(こ)」に由来するといわれる)なども独特である。兄弟姉妹関係は、「うない」(男兄弟から呼ぶ姉妹)と「うぃきー」(女姉妹から呼ぶ兄弟)、「しじゃ」(男女を問わず年長者)と「うっとぅ」(男女をとわず年下)の二元関係で表す。", "title": "語彙" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)の文字による記録は、古い石碑に記された仮名書きで見ることができる。例えば、1494年の小禄墓、1501年の玉陵の碑文、1597年建立の 『浦添城の前の碑』がある。また、尚円王(金丸)の直筆書状も現存している。15世紀からの琉球王朝では、公文書は漢字ひらがな交じり文で書かれた。また、歌謡集『おもろさうし』もひらがな主体の表記をとっている。カタカナはほとんど使用されなかった。なお中国語との対比で琉球語の単語や文の音をハングル表示した1501(浩治14)年4月22日付の文書(「海東諸国紀」のうち、付録「語音翻訳」の部分)があり、その日本語版も発行されている。", "title": "文字" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "現在の語彙の中には、中国から直接導入された漢語やそれを翻訳した言い回しもある。漢文は中国語でそのまま読む方式と、日本式の訓読とが併用された。漢字は庶民が習得しているものではなく、仮名のほか、中国から伝来した独特の数字「蘇州碼」(すうちうま)が主に帳簿の記録など商業用途に用いられた。日本の影響を受けるようになると廃れ、現在は文字としては使用されていない。また与那国島では「カイダ文字」と呼ばれる独特の象形文字が用いられた。", "title": "文字" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "現代の琉球諸語(琉球方言)は、日本語の漢字かな交じり表記を応用して表されることが多く、琉球諸語(琉球方言)に即した正書法は確立していない。日本語表記と大きく異なる語彙の場合、意味の対応する漢字を用いて表記することがある。例えば、太陽の昇る方角を意味する「あがり」に「東」、太陽の沈む方角を意味する「いり」に「西」という漢字を当てて書くことなどである。しかし、本来城とは異質なものであるグスクに「城」を充てる(例:中城=なかぐすく、城間=ぐすくま)など、類推による表記も少なくないことに注意が必要である。また、宛てた漢字に合わせて琉球式の発音が日本式の発音に変更されたり(例:与那城=よなしろ)、意味ではなく音に合わせて漢字を宛てたために本来の意味が分かりづらくなったり(例:西原)する問題もある。", "title": "文字" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "沖縄県では2018年(平成30年)度に「しまくとぅば正書法検討委員会」が設立され、表音性・簡潔性・体系性・親近性の4点を基本方針に、2022年5月30日に国頭・沖縄・宮古・八重山・与那国の5地域ごとにカタカナによる統一的な表記法が示された。県によるしまくとぅば普及・継承等の取り組みは原則この表記法に基づいて行われることになるが、これまで県内各地で行われてきた多様な表記法を否定するものではないとしている。", "title": "文字" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)が分かれた時期は、おおよそ紀元前後以降、奈良時代(8世紀)以前と考えられている。琉球諸語(琉球方言)にみられる、動詞の終止形と連体形の区別や、ハ行子音に対応する語頭p音などは、奈良時代以前の日本語の特徴である。しかし、琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)の類似の程度から言って、分岐の時期が弥生時代よりもさらに古く遡るとも考えられない。言語学者の服部四郎は、二言語間の共通の語彙を比較する言語年代学の手法を使って、京都方言と首里方言の分岐年代について1450 - 1700余年前という計算結果を示している。一方で考古学や人類学の成果からは、グスク時代の始まった10 - 12世紀頃、日本本土からの移民により琉球列島で農耕が開始され、人口の急激な増加が起きたことが分かる。こうしたことからトマ・ペラールは、琉球諸語と日本語はおそらく弥生時代末期か古墳時代に分岐し、10世紀頃に本土(おそらく九州)から移動した集団により琉球祖語が琉球列島へもたらされたとしている。琉球諸語(琉球方言)には、日本語で中古(平安時代)以降に起きた語中・尾のハ行のワ行音化(ハ行転呼)が起きているほか、「正月」「上手」などの漢語の語形が中古・中世の日本語と対応しているが、ペラールはこれらは分岐後の日本語(本土方言)との接触により説明できるとしている。グスク時代より前からの先住民の人口は少なく、先住民は農耕技術を持った日琉語族話者によって置き換えられたか、あるいは同化されたと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1265年に禅鑑という僧侶が日本から仏教を伝えた際、同時に文字も伝えたと言われている。15世紀末頃から、琉球諸語(琉球方言)は盛んにひらがなで書き表されるようになった。「おもろさうし」などにみられる仮名遣いや、同じ時期の外国語資料に記された沖縄方言は、すでにo→u、e→iの変化を起こしている。おもろさうしの仮名遣いには、沖縄の発音に合わせた表音的な仮名遣いと、日本の規範的な歴史的仮名遣いが混在している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "琉球王国が成立すると、15世紀頃に士族語として首里方言が作られた。首里方言は、琉球諸島全域に通じる標準語として、あるいは書記用の言語として盛んに用いられた。しかし方言が抑圧されることはなく、各地に多様な方言が残された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "明治末より、沖縄県でも本土と同じく学校教育の場を中心に標準語の普及運動が進められ、琉球諸語(琉球方言)の使用者に「方言札」を掛けさせるなどの手段が採られた。戦後のアメリカ統治下でも普及運動は続けられ、また米軍支配への反発や本土への集団就職の増加から、沖縄県民のあいだで本土志向が高まり、却って自発的な標準語推進運動が起こった。方言は時代遅れであるとの意識が生まれ、親から子へ、年長者から若者への言葉の継承に対して消極的・否定的な状況が近年まで続いた。この影響で純粋な琉球諸語(琉球方言)話者は激減しており、このままでは伝統的な琉球語(琉球方言)は数十年以内に消滅するとみられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "そうした現状に対して、沖縄県内各地で、他都道府県以上に琉球諸語(琉球方言)の積極的な保存・振興が叫ばれている。かつて標準語普及運動の旗振り役であった沖縄県庁も、県内各教育委員会に琉球諸語(琉球方言)保護を促す通達を出すなどの対策を取るようになった。2006年3月29日には、沖縄県議会において、毎年9月18日を「しまくとぅばの日」とし、しまくとぅば(島言葉)への関心・理解を深め、普及促進を図る条例が可決され、3月31日に公布された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)と日本語は、音韻体系の対応などから同じ系統であることは明らかであるが、地理的・歴史的な背景から、互いに通じ合わないほどの大きな違いがある(フランス語とイタリア語の差に匹敵する。また、基礎語彙の共有についてはロシア語・ポーランド語・ブルガリア語・ セルビアクロアチア語等を含むスラヴ語族内の多様性に近く、ドイツ語とオランダ語との距離やスペイン語とポルトガル語との距離よりも大きい。)。琉球列島の言語と日本本土の言語の関係については、大きく分けて次の4つの立場がある。", "title": "言語か方言か" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "複数の立場が存在するのは、言語学において、言語と方言を区別する客観的で明確な基準が存在しないためである。言語と方言の区別が曖昧な事例は、琉球諸語(琉球方言)に限らず、世界各地に存在する(方言#「言語」との違いを参照)。", "title": "言語か方言か" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "学問上の明確な基準が存在しないため、言語と方言の区別は民族論や政治論といった主観的かつ繊細な問題に関わってくる。例えば「普通―語という場合は国家を背景としているので、言語学では沖縄の言葉を琉球方言といいならわしている。」 というように、国家の有無という立場から方言か言語かを論じる立場がある。しかし世界各国を見ると、1つの国家に複数の民族・言語が混在していたり、同一とされる民族・言語が複数の国家に跨っていたりすることが多く、国家の範囲と民族・言語の範囲が一致する国の方が少ない。国家や民族の観点から言語と方言を区別する場合、「大和民族」対「琉球民族」、琉球独立運動といった概念・意識と関連付けられるようになり、「琉球語」あるいは「琉球方言」の呼称を用いること自体が政治的・民族的な立場の表明に繋がり、どちらの呼称も中立性を欠くことになってしまう。", "title": "言語か方言か" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "沖縄県民のほとんどは琉球諸語(琉球方言)のことを慣習的に「方言」と呼んでいるが、これは沖縄の住民が標準語を受容する過程で成立したクレオール「ウチナーヤマトグチ」を方言とする認識が、近年までは希薄であったことにも関係がある。", "title": "言語か方言か" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "琉球諸語(琉球方言)が言語か方言か、という問題については、前述した事情から、琉球諸語(琉球方言)話者自身による積極的な主張が少ない点が指摘できる。また言語研究機関でも、言語としながらも、方言とする意見を排除しないとするところもある。", "title": "言語か方言か" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "非営利組織である国際SILが出版しているエスノローグによると、日本で使われている言語として、日本語、アイヌ語、とともに、中央沖縄語(Okinawan, Central)を始めとして、喜界語(Kikai)、北奄美語(Amami-Oshima, Northern)、南奄美語(Amami-Oshima, Southern)、徳之島語(Toku-No-Shima)、沖永良部語(Oki-No-Erabu)、与論語(Yoron)、国頭語(Kunigami)、宮古語(Miyako)、八重山語(Yaeyama)、与那国語(Yonaguni)といった言語を挙げている。一方で一般的には、これらの言語は琉球語(琉球方言)の下位区分の方言と見なされてきた。また国際SIL自体も、方言であるとの意見を排除しないと表明している。2007年には、国際標準化機構の言語の略称についての国際規格であるISO 639にも、国際SILとの整合性をとる目的で、それぞれに対し、3字略称が与えられた(例えば、中央沖縄語の場合、「ryu」)。", "title": "下位区分か、個別言語か" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2009年2月19日にユネスコが発表した調査結果によると、世界で約2500の言語が消滅の危機にあるとし、琉球語(琉球方言)における下位方言もその対象となった。この中で、前述のエスノローグと同様、「沖縄語」、「国頭語」、「宮古語」、「奄美語」、「八重山語」、「与那国語」という名称で、それぞれ独立した1個の言語(個別言語)として言及された(このほか日本で話される言語のうちアイヌ語と八丈語が消滅の危機にある言語として言及されている)。ユネスコの担当者は、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」という。これを受けて参議院議員である糸数慶子は、「ユネスコが独立した言語とした八言語は、言語なのか、方言なのか」など、7項目を「沖縄の言語に関する質問主意書」として政府に提出した。これらの質問に対し、政府は、「『言語』及び『方言』の用語は、様々な意味を有するものと承知しており、お尋ねに一概にお答えすることは困難である」との見解を示している。", "title": "下位区分か、個別言語か" } ]
琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)は、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる諸言語の総称。日本本土の日本語と系統を同じくし、日本語内部の一方言の琉球方言(りゅうきゅうほうげん)と見なされ、琉球語(りゅうきゅうご)とも呼称される。琉球方言は、八丈方言とともに日本語の歴史を知る上で欠くことのできない資料的価値を持つ。その一方で、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いもあるため、日本語とは別の言語と見なす立場もある(#言語か方言か参照)。また琉球内部でも島々の地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と呼ぶ立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、各立場を考慮して、琉球諸語(琉球方言)と併記する。 独立した言語として見た場合、日本語と系統が同じ言語と見なされ、日本語と琉球(諸)語を合わせて日琉語族あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大別できる、との見解がある。
{{移動保護}} {{Otheruses|琉球諸島各地の言語全体|その中心的地位を占める沖縄諸島の言語|沖縄語|[[日本語]]([[共通語]])が[[沖縄県]]で土着化したもの|ウチナーヤマトグチ}} {{Pathnav|日琉語族|frame=1}} {{語族 |name=琉球語派 |altname=琉球諸語<br>琉球語/琉球方言 |region={{JPN}}[[沖縄県]]、[[鹿児島県]][[奄美群島]] |ethnicity = [[琉球民族]] |familycolor=アルタイ |fam1=独立した言語であるか論争あり<br/> [[日琉語族]]<ref>{{Cite web |title=Ryukyuan {{!}} Ethnologue Free |url=https://www.ethnologue.com/subgroup/1711/ |website=Ethnologue (Free All) |access-date=2023-06-11 |language=en}}</ref> |child1 = [[北琉球諸語|北琉球語群]] |child2 = [[南琉球諸語|南琉球語群]] |map = File:Ryukyuan languages map.png }} [[ファイル:Billboards in Okinawan.jpg|thumb|250px|沖縄語で書かれた交通標語。(沖縄県[[金武町]])]] [[ファイル:Okinawa kenkei nobori.jpg|thumb|250px|沖縄語で書かれた交通標語。[[那覇バスターミナル]]にて]] {{色}} '''琉球諸語'''(りゅうきゅうしょご)あるいは'''琉球語派'''(りゅうきゅうごは)は、[[日本]]の[[沖縄県]]と[[鹿児島県]][[奄美群島]]で用いられる諸[[言語]]の総称。日本本土の[[日本語]]と系統を同じくし、[[日本語の方言|日本語内部の一方言]]の'''琉球方言'''(りゅうきゅうほうげん)と見なされ、'''琉球語'''(りゅうきゅうご)とも呼称される<ref name="brita">{{Kotobank|琉球方言|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}</ref>。琉球方言は、[[八丈方言]]とともに日本語の歴史を知る上で欠くことのできない資料的価値を持つ<ref name="brita"/>。その一方で、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いもあるため、日本語とは別の言語と見なす立場もある([[#言語か方言か]]参照)。また琉球内部でも島々の地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と呼ぶ立場もある([[#下位区分か、個別言語か]]参照)。本項では、各立場を考慮して、'''琉球諸語(琉球方言)'''と併記する。 独立した言語として見た場合、日本語と系統が同じ言語と見なされ、日本語と琉球(諸)語を合わせて[[日琉語族]]あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大別できる、との見解がある。 == 概説 == 琉球諸語(琉球方言)は、琉球諸島の地理的な広さと、強力な中央語を持たなかった歴史(琉球王国時代、支配層では[[首里]]方言が中央語の地位にあったが、大衆同士の[[リングワ・フランカ]]としてはほとんど使われなかった)から、地域ごとの方言差が本土以上に大きい。大きく沖縄本島以北の[[北琉球諸語|北琉球諸語(北琉球方言)]]と、宮古列島以南の[[南琉球諸語|南琉球諸語(南琉球方言)]]の2グループに大別でき、北琉球諸語は[[奄美方言|奄美語(奄美方言)]]と[[沖縄語|沖縄語(沖縄方言)]]に、南琉球諸語は[[宮古語|宮古語(宮古方言)]]・[[八重山語|八重山語(八重山方言)]]・[[与那国語|与那国語(与那国方言)]]の諸言語(諸方言)に分けられる<ref name="kouza-5">飯豊・日野・佐藤編(1984)5頁。</ref><ref name="iwanami-212">大野・柴田編(1977)、212頁。</ref><ref name="nakamoto-6">中本(1976)</ref><ref name="eds2021-18">林・衣畑・木部編(2021)、p.18(五十嵐陽介「分岐学的手法に基づいた日琉諸語の系統分類の試み」)</ref><ref name="Pellard2015">Pellard (2015)</ref>。「沖縄県の言葉」という意味で「沖縄方言」や「沖縄語」、「'''ウチナーグチ'''(沖縄口)」という呼称が使われることもあるが、本来「沖縄(ウチナー)」は[[沖縄本島]]を指す言葉であり(現在でも[[先島諸島]]の住民は沖縄本島を指して「沖縄」と言う)、今の沖縄県全体を指すようになったのは[[1879年]](明治12年)の沖縄県設置以後である。 明治から昭和中期までの強力な[[標準語]]普及運動(「標準語励行運動」と呼ばれた)に、戦後のマスメディアの普及などの影響が重なり、現在琉球諸語(琉球方言)は衰退している。[[沖縄芝居]]や[[組踊]]、[[琉歌]]、[[沖縄音楽|琉球民謡]]・[[島唄]]などの伝統芸能で使われるほかは、日常生活では主に高齢者とその家族周辺に限られている。2009年、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]は奄美語・[[国頭語]]・沖縄語・宮古語・八重山語・与那国語のそれぞれを[[危機に瀕する言語]]に指定した。 明治以降の琉球諸語(琉球方言)と日本語(主に標準語および[[九州方言]])の[[言語接触]]によって、琉球列島では日本語の影響を強く受けた[[新方言]]が発生した。沖縄県内のものは特に「'''[[ウチナーヤマトグチ]]'''」と呼ばれる。[[団塊の世代]]より後に生まれた世代は、琉球諸語(琉球方言)に代わって、この新方言を第一言語として使用しているケースが多い。 == 区分 == [[File:Ryukyuan languages map.png|400px|right]] 琉球諸語(琉球方言)は、一方言の話者が、他の琉球諸語(琉球方言)の方言を聞き取れるというわけではない。琉球諸語(琉球方言)は、北琉球([[奄美群島]]・[[沖縄諸島]])と南琉球([[先島諸島]])の2つに大別でき、[[北琉球諸語]]と[[南琉球諸語]]との間では全く会話が通じない。これらはさらに諸方言に分けられ、島ごとや集落ごとに著しい方言差があり、それぞれの島内でも意思疎通に支障をきたすほどである。なお、[[大東諸島]]は明治になって[[八丈島]]からの開拓団によって開発された島であり、琉球諸語(琉球方言)ではなく[[八丈方言]]から派生した方言が話されている([[大東諸島方言]])。 一般的な区分を示す<ref name="kouza-5"/><ref name="iwanami-212"/><ref name="nakamoto-6"/><ref name="Pellard2015"/><ref name="eds2021-18"/><ref>豊見城村教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 高学年・一般用』豊見城市教育委員会 2015年</ref>。 * [[北琉球諸語]]/奄美沖縄方言群 ** [[奄美方言|奄美語]] *** [[奄美大島方言]] **** [[北奄美大島語|奄美大島北部諸方言]] **** [[南奄美大島語|奄美大島南部・加計呂麻島・請島・与路島諸方言]] *** [[喜界島方言]] *** [[徳之島方言]] *** [[沖永良部島方言]] *** [[与論島方言]] **[[沖縄語]] *** [[沖縄北部方言]]/国頭方言 ****[[伊平屋島]]方言 ****[[国頭村]]方言 ****[[今帰仁村|今帰仁]]方言 ****[[本部町|本部]]方言 ****[[伊江島]]方言 ****[[瀬底島]]方言 ****[[名護市|名護]]方言 *** 沖縄中南部諸方言 ****[[コザ]]方言 **** [[首里]]方言(王国時代に成立した士族標準語) **** [[那覇市|那覇]]方言(商業における共通語的方言) **** [[豊見城市|豊見城]]方言 **** [[糸満]]方言 ****[[久米島]]方言 ****[[津堅島]]方言 ****[[久高島]]方言 * [[南琉球諸語]]/先島方言群 ** [[宮古語]] *** [[宮古島]]方言 ***[[池間島]]方言 ***[[大神島]]方言 *** [[伊良部島]]方言 *** [[多良間島]]方言(宮古語と八重山語の中間的な特徴を持つ) ** [[八重山語]] *** [[石垣島]]方言 *** [[竹富島]]方言 *** [[小浜島]]方言 *** [[新城島]]方言 *** [[波照間島]]方言 *** [[西表島]]方言 *** [[鳩間島]]方言 *** [[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]方言 ** [[与那国語]] 北琉球諸語(方言)は奄美語(奄美方言)と沖縄語(沖縄方言)に分ける説が有力だが<ref name="kouza-5"/><ref name="iwanami-212"/><ref name="nakamoto-6"/><ref name="Pellard2015"/><ref name="eds2021-18"/>、奄美徳之島諸方言、[[沖永良部与論沖縄北部諸方言]]、沖縄中南部方言に3分する説もある<ref name="狩俣繁久(2000)">狩俣繁久(2000)「奄美沖縄方言群における沖永良部方言の位置づけ」『日本東洋文化論集』(6):43-69</ref>。 == 音韻 == === 母音体系 === 琉球諸語(琉球方言)の基本的な短母音は、/a/・/i/・/ï/・/u/の4つまたは/a/・/i/・/u/の3つである。一方、多くの地域では、これら3~4母音以外にも多くの長母音を持つ。各地の母音体系(長母音含む)は次のようになる<ref>飯豊・日野・佐藤編(1984)、10-15頁。</ref>。 * 奄美大島・徳之島・喜界島北部 -- i、ï、u、e、ë、o、aの7母音またはこのうちëを欠いた6母音。 * 喜界島南部・沖永良部島・与論島・沖縄諸島 -- i、u、e、o、aの5母音。 * 宮古列島・八重山列島の大部分 -- i、ï、u、e、o、aの6母音。ïは[s]または[z]に近い摩擦音を伴う。 * [[波照間島]] -- i、ï、u、e、ë、o、aの7母音。 * [[鳩間島]]・[[黒島]]・[[西表島]]租納など -- i、u、e、o、aの5母音。 * 与那国島 -- i、u、aの3母音。 === 子音体系 === 北琉球諸語の大部分では、母音・半母音の直前で[[声門破裂音]]ʔの有無が弁別される<ref name="大野・柴田編1977216頁。">大野・柴田編(1977)216頁。</ref>。例えば、ʔami(雨)、ʔwaː(豚)などがある<ref name="大野・柴田編1977216頁。"/>。 北琉球諸語には、p、t、k、ʧの[[有気音]]と[[無気音|無気]][[喉頭]]化音の区別のある地域がある<ref name="大野・柴田編1977215-216頁。">大野・柴田編(1977)215-216頁。</ref>。区別には濃淡の差があり、奄美大島や沖縄本島北部などでははっきりした音韻的対立がある<ref name="大野・柴田編1977215-216頁。"/>。与那国語にも、出自を異にする無気喉頭化音がある<ref name="大野・柴田編1977215-216頁。"/>。また、宮古語・八重山語ではfuni(舟)とpuni(骨)のように、[[無声唇歯摩擦音]]のfが他の子音と区別される<ref name="大野・柴田編1977215-216頁。"/>。 宮古語や奄美大島南部には、[[閉音節]]があり、子音のみで拍を成すことができる<ref>飯豊・日野・佐藤編(1984)、127、256-260頁。</ref>。 === 日本語との対応関係 === 琉球諸語(琉球方言)と日本語の間には、母音・子音に一定の対応関係がある。短母音では、日本語の/o/は、琉球諸語(琉球方言)圏全域で/u/になっており、また[[喜界島]]南部や[[沖永良部島]]、[[与論島]]、[[沖縄諸島]]、[[八重山列島]]の一部、[[与那国島]]では/e/は/i/になり3つの短母音を持つ。[[奄美大島]]・[[徳之島]]・喜界島北部では、日本語の/e/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。[[宮古列島]]や八重山列島(与那国島除く)では、日本語の/e/が/i/になる一方で日本語の/i/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。また、連母音が変化した/eː/や/oː/が与那国島を除くほとんどの地域にある。次に、日本語と琉球諸語(琉球方言)諸方言の間の母音の対応関係を示す<ref>大野・柴田編(1977)、214-216頁。</ref><ref>飯豊・日野・佐藤編(1984)、15頁。</ref>。 {| class="wikitable" |- !日本語!!奄美大島<br/>徳之島方言!!沖永良部・与論・<br/>沖縄語!!宮古語<br/>八重山語!!与那国語 |- |あ a||あ a||あ a||あ a||あ a |- |え e||いぅ ï||い i||い i||い i |- |お o||う u||う u||う u||う u |- |い i||い i||い i||いぅ ï||い i |- |う u||う u||う u||う u||う u |} {| class="wikitable" |- !日本語!!奄美方言!!沖縄方言!!宮古方言!!八重山方言!!与那国方言 |- |あい ai||ëː、eː||eː||aï、ai||ai||ai |- |あえ ae||ëː、eː||eː||ai||ai||ai |- |あお ao||oː||oː||oː、au||oː、au||au |- |あう au||oː||oː||oː||au||u |- |おえ oe||ïː、ëː||iː、eː||ui||ui||ui |} 例えば首里方言では、 * 雨(あめ)→アミ(ʔami) * 舟(ふね)→フニ * 雲(くも)→クム * 灰(はい)→フェー * 前(まえ)→メー * 青い(あおい・終止形)→オーサン(ʔoːsan) * 買う(かう・終止形)→コーユン などの対応関係をなす<ref>大野・柴田編(1977)、215-216頁。</ref>。 サ行とタ行では、大部分の地域でu→ïまたはu→iの変化が起こったため、日本語のチとツ、シとスが統合する傾向がある<ref>中本(1976)、379-381頁。</ref><ref>飯豊・日野・佐藤編(1984)、10-13頁。</ref>。 北琉球諸語ではo→u、e→i(あるいはï)の狭母音化に伴い、元々のイ段・ウ段の子音は、[k<sup>ʔ</sup>umu](雲)、[k<sup>ʔ</sup>imu](肝)のように無気喉頭化音に変化した<ref>中本(1976)、238頁。</ref>。ただし与論島や沖縄中南部ではその後、喉頭化音による区別を失った。 子音では、多くの地域で、日本語の語頭のハ行子音が琉球諸語(琉球方言)ではpまたは[[無声両唇摩擦音|ɸ]](F)になっている。日本本土では、ハ行は奈良時代以前にp、平安時代から室町時代まではɸであって、琉球諸語(琉球方言)で古い発音を残している。pを残しているのは奄美大島佐仁・喜界島北部・与論島・[[沖縄本島]]北部の名護周辺部・[[伊江島]]・[[津堅島]]・[[久高島]]・宮古語(一部除く)・八重山語で、沖縄中南部や与那国島はほとんどhになっている<ref name="大野・柴田編1977217頁。">大野・柴田編(1977)217頁。</ref>。一方、語中のハ行子音は、日本語と同様にp→wの変化([[ハ行転呼]])が琉球諸語全体で起きている<ref name="pellard2012"/>。 南琉球諸語では、bata(腸→腹)のように、日本語・北琉球諸語のw(ワ行)にbが対応している<ref name="大野・柴田編1977217頁。"/>。また、dama(山)のように、日本語のヤ行子音がdになっている例が、与那国語にある<ref name="大野・柴田編1977218頁。">大野・柴田編(1977)218頁。</ref>。与那国語ではsagi(酒)のように、語中子音の濁音化が見られる<ref name="大野・柴田編1977218頁。"/>。喜界島と与那国島には[[鼻濁音]]ŋがある<ref name="大野・柴田編1977218頁。"/>。 主に沖永良部与論沖縄北部諸方言で、haːmi(亀)のように、日本語のカ・ケ・コの子音kがhに変化している<ref>大野・柴田編(1977)217-218頁。</ref>。一方でキは、チヌー(昨日)のように、喜界島南部・沖永良部島[[和泊町|和泊]]・[[伊江島]]・[[伊是名島]]・沖縄本島中南部・伊良部島などではʧi(チ)になっている<ref name="大野・柴田編1977218頁。"/>。宮古語・八重山語では日本語のクがfuまたはɸuとなりフと同音になる<ref>飯豊・日野・佐藤編(1984)、262、307-308、頁。</ref><ref>中本(1976)、376頁。</ref>。 北琉球諸語では母音iの直後の子音t, s, k, n, rおよびその濁音に[[口蓋化]]が起きた(iC→iCʲ。Cは任意の子音。)<ref>Thorpe(1983), p.51.</ref>。例えば徳之島の浅間ではイキャー(烏賊)、イチャー(板)、ミージュ(溝)<ref>上野善道(2017)「徳之島浅間方言のアクセント資料(4)」『国立国語研究所論集』13号、pp.209-242.</ref>のように子音が変化している。 日本語のリは、tui(鳥。沖縄語の例)のように、沖縄諸島や宮古島などではrが脱落する<ref>中本(1976)、384頁。</ref><ref>Thorpe(1983), p.98.</ref>。 awaは、喜界島や沖縄本島以南ではaaまたはa、他の奄美語方言ではooまたはoとなる<ref>Thorpe(1983), p.106.</ref>(例:「泡盛」→「アームイ」)。 ''オキナワ''は、これらの法則に沿った音変化により、沖縄本島中南部では''ウチナー''となる。 ==アクセント== 1990年代頃までの研究においては、琉球諸語(琉球方言)の[[日本語の方言のアクセント|アクセント]]は、地域により[[東京式アクセント|外輪東京式]]や[[二型アクセント|九州西南部式]]など、九州に存在する各種アクセントが入り乱れて存在し、日本語(本土方言)と大きく対立する特徴はないとされていた<ref>飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編『講座方言学 10 沖縄・奄美の方言』国書刊行会、1984年、44頁。</ref><ref>金田一春彦(1977)「アクセントの分布と変遷」大野晋・柴田武編『岩波講座日本語11 方言』岩波書店</ref>。 {| class="wikitable" style="float:right;" |+[[金武町|金武]]方言の2拍名詞のアクセント(音が上がる位置を[で表す)<ref>松森晶子(2009)「沖縄本島金武方言の体言のアクセント型とその系列:「琉球調査用系列別語彙」の開発に向けて」『日本女子大学紀要 文学部』58 {{NAID|110007097760}}</ref> !系列!!類!!語!!語形 |- !rowspan="2"|A系列!!第1類 |風 || kaʒi |- !第2類 |音 || ʔutu |- !rowspan="3"|B系列!!第3類 |山 || jaːma[ː |- !第4類 |板 || ʔiːta[ː |- !第5類 |雨 || ʔaːmi[ː |- !rowspan="3"|C系列!!第3類 |浜 || haː[ma |- !第4類 |中 || naː[ka |- !第5類 |猿 || saː[ru |} 一方、[[服部四郎]]、松森晶子らは、琉球諸語(琉球方言)のアクセントでは日本語(本土方言)には見られない語群の分裂と統合をしていることを明らかにした<ref>服部四郎(1979)「日本祖語について」21-22、『月刊言語』</ref><ref name="matsumori2000a">松森晶子(2000)「琉球の多型アクセントについての一考察:琉球祖語における類別語彙3拍語の合流の仕方」『国語学』51-1 NAID 110002533578</ref>。日本語の諸方言や平安時代以降の文献に残る京都アクセントの記録から、日本(本土)祖語の2拍名詞にはアクセントの型の種類が5つあったと考えられており、それぞれの型を持つ語のグループを[[類 (アクセント)|第1類]]から第5類までの名称で呼ぶ。日本語諸方言では原則として、同じ類の語は同じ型のアクセントを持つ。ところが琉球諸語(琉球方言)では、2拍名詞の第3・4・5類は、各類が分裂して別々の型に属している。琉球諸方言の比較により、その共通祖先である[[琉球祖語]]には、少なくとも3つのアクセントの型があったと考えられ、それぞれの型を持つ語群をA系列、B系列、C系列と呼ぶが、2拍名詞ではA系列に第1類と第2類が、B系列に第3類の殆どと第4類・第5類のそれぞれ約半数が、C系列に残る第3類の少数と第4類・第5類のそれぞれ約半数が属している<ref name="matsumori2012">松森晶子(2012)「[https://doi.org/10.24467/onseikenkyu.16.1_30 琉球語調査用「系列別語彙」の素案]」『音声研究』16-1。</ref>。このことから、[[日琉祖語]]の2拍名詞のアクセント型の数は、日本語(本土方言)から分かる5つよりも多く、日本語では消失した区別が琉球諸語に保存されている可能性が示唆される<ref>田窪・ホイットマン・平子編(2016)、114頁(トマ・ペラール「日琉祖語の分岐年代」)。</ref>。また3拍名詞でも同様にA、B、Cの3系列に分かれる<ref name="matsumori2000a"/><ref name="matsumori2012"/><ref name="uwano2000">上野善道(2000), 「[https://doi.org/10.24467/onseikenkyu.4.1_42 奄美方言アクセントの諸相(<特集>琉球方言の音声)]」『音声研究』 4巻 1号 2000年 p.42-54, 日本音声学会, {{doi|10.24467/onseikenkyu.4.1_42}}。</ref>。1拍名詞にはC系列の語はなく、A系列に第1類と第2類の語が属し、B系列に第3類の語が属している。 3つの系列の区別が比較的明瞭に保たれているのは、表に示した金武方言を中心とする沖縄本島中部のほか、[[徳之島]]、[[沖永良部島]]、[[多良間島]]、[[与那国島]]などである<ref name="matsumori2000a"/><ref name="matsumori2012"/><ref>松森晶子(2010)「多良間島の3型アクセントと「系列別語彙」」『日本語研究の12章』明治書院、pp.490-503。</ref>。[[奄美大島]]南部、[[加計呂麻島]]、[[喜界島]]北部(小野津・志戸桶)、[[竹富島]]、[[石垣島]]などでは、B系列とC系列が統合して同じ型となっており、A/BCのように区別されている<ref name="matsumori2000b">松森晶子(2000)「琉球アクセント調査のための類別語彙の開発:沖永良部島の調査から」『音声研究』4-1</ref>。喜界島中南部(湾・阿伝など)などではAB/Cのように区別されている<ref name="matsumori2000b"/>。[[伊江島]]ではAC/Bのように区別されている<ref name="matsumori2000b"/>。 またアクセント体系としては、琉球諸語(琉球方言)の多くの方言は、語の拍数が多くなってもアクセント型の種類が2種類まで(二型)または3種類まで(三型)に限定される、[[N型アクセント]]体系を有する<ref name="igarasi2012">五十嵐陽介・田窪行則・林由華・ペラール トマ・久保智之(2012)、「[https://doi.org/10.24467/onseikenkyu.16.1_134 琉球宮古語池間方言のアクセント体系は三型であって二型ではない(<特集>N型アクセント研究の現在)]」『音声研究』16-1。{{doi|10.24467/onseikenkyu.16.1_134}}</ref>。奄美群島の一部の方言では、語の拍数が多くなるに従いアクセント型の種類も増える、多型アクセント体系である<ref name="uwano2000"/>。 == 文法 == === 動詞 === 琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用は、日本語とはかなりの違いがあり、また琉球諸語内部も方言によって多様である。琉球諸語では、日本語で失われた終止形と連体形の区別がある。ただ少なくとも北琉球諸語では「連用形+をり(居り)」から派生したとみられる形を用いているため、日本語古語の終止形・連体形には直接さかのぼらない。 北琉球(奄美群島・沖縄諸島)の動詞の終止形は、「連用形+をむ」(または「連用形+をりむ」か)に由来すると考えられる形が広く分布している。「書く」を例に取るならばkakyum・kakyun・katʃunなどである。また奄美群島の奄美大島・徳之島・喜界島・与論島では「連用形+をり」に由来する、kakyuri・kakyuiのような形も使われている<ref name="講座方言学66-68"/><ref name="岩波講座219"/><ref name="内間動詞通時"/>。 一方、連体形は、北琉球では「連用形+をる」が変化した形を用いており、「書く」にあたるものには、地域によってkakyuru・kakyun・kaʧuru・kaʧunu・kakunなどがある<ref name="講座方言学66-68">飯豊・日野・佐藤編(1984)66-68頁。</ref><ref name="岩波講座219">大野・柴田編(1977)219頁。</ref><ref name="内間動詞通時">内間(1984)「動詞活用の通時的考察」</ref>。「をり」の付いた活用形はさらに他の活用形にも広がり、沖縄方言では(「咲く」を例にとる)「をり」の付かないsaka(未然形)、saʧi(連用形)、sakeː(仮定形)の各活用形のほかに、「をり」の付いたsaʧura(未然形)、saʧui(中止形)、saʧuN(終止形)、saʧuru(連体形)、saʧureː(仮定形)の各活用形を生み出している<ref>大野・柴田編(1977)220頁。</ref>。 南琉球(先島諸島)での終止形「書く」には、kakïm・katsïm・kakunなどと、kakï・katsï・kakuなどの2系統があるが、これらの由来は明らかではない(詳細は[[宮古語#動詞活用形の歴史的成立過程]]を参照)。また南琉球での連体形は、「書く」を例にとるとkakï・katsï・kakuなどがある<ref name="講座方言学66-68"/>。 「書かない」にあたるものには、kakaN・hakaN系(奄美群島・沖縄諸島・宮古列島など)やkakanu・hakanu(八重山諸島・与論島など)などの形がある<ref name="講座方言学66-68"/>。「起きない」にあたるものには、ʔukiraN(沖縄本島)、ʔukiN(宮古島)、ʔukunu・ɸukunu(八重山語)、ʔugiranu(与那国島)などがある<ref name="講座方言学66-68"/>。琉球諸語(琉球方言)の動詞の活用の種類は、全体的に[[四段活用]]に似た形に統合する傾向があり、特に北琉球では一段・二段活用はほとんどラ行四段活用化している。 「書く」の命令形は「書け」の変化したkaki・kakïなどである。「志向形(意志形)」と呼ばれる、「書こう」にあたるものにはkaka(ː)(徳之島・沖永良部島・沖縄本島・宮古列島・八重山諸島)、kako(ː)・hakoː(奄美大島・喜界島)、kakaN(与論島)、kakuː・kaguː(与那国島など)、kakam(宮古)などがある<ref name="講座方言学66-68"/><ref name="内間動詞通時"/>。 過去形は日本語と同じく「てあり」(→たり)に由来する語尾(方言によりタン、タリ、タイ、tar、タなど)で表し、北琉球ではカチャン(書いた)のように動詞部分と融合している。北琉球の過去形には日本語と同じく[[音便]]が発生しているが、南琉球にはない<ref name="karimata2018">狩俣繁久「[https://www.ninjal.ac.jp/event/specialists/project-meeting/m-2018/files/20181223_01_KarimataShigehisa.pdf 琉球語の動詞活用形の歴史的変化]」国立国語研究所シンポジウム「フィールドと文献から見る日琉諸語の系統と歴史」2018年12月23日発表資料。</ref>。受身・可能には「れる」に由来する助動詞、[[使役]]は「す」「しむ」に由来する助動詞で表す。 [[敬語]]は、「侍り」(丁寧)、「召す」(尊敬)などに由来する語法を用いる。方言ごとの差異が大きいが、沖縄方言では「ごめんください」の意味の「ちゃーびら」(「来侍ら」から)、「いらっしゃい」の意味の「めんそーれ」(「参り召しおはれ」「往み有り召しおはれ」などが語源として考えられている)など。 === 形容詞 === 琉球諸語(琉球方言)の形容詞は、「語幹+さ・あり」に由来する形と、「語幹+く・あり」に由来する形に分けられる。「さあり」系統は奄美群島・沖縄諸島・[[多良間島]]・八重山諸島に分布し、「くあり」系統は宮古列島に分布する。例えば「高い」の終止形は、「さあり」系統の首里方言でtakasan、「くあり」系統の宮古島平良方言でtakakaïとなる。また連用形は、日本語と同じく「語幹+く」に由来する形(例:高い→takaku・taːkuなど)を用いている。「さあり」系統の地域では、連用形以外の形容詞活用は全て「語幹+さあり」が活用したものを用いており、例えば「高い」の未然形は「高さあら(ば)」、条件形(仮定形)は「高さあれ(ば)」、連体形は「高さある・高さあり」が変化した形を用いる<ref>ここまで、内間(1984)「形容詞活用の通時的考察」による。</ref>。このほか、形容詞の[[語幹用法]]も発達している。 === 助詞 === [[助詞]]「が」と「の」の用法には古語の特徴が残っており、[[主格]]と[[属格]]の区別は発達せず、対象の性質(動作主性や人との関係など)によって使い分ける。また[[対格]](「を」にあたる)には、宮古方言・八重山方言に「ゆ」と「ば」、奄美方言に「ば」があるが、沖縄方言ではこれらは失われている<ref>野原三義(1985)[https://ci.nii.ac.jp/naid/110004641879 琉球方言助詞瞥見]</ref>。ただし沖縄方言でも[[琉歌]]などの古風な表現で「ゆ」を用いる。[[向格]](共通語の「へ」または「に」)には「んかい」などを用いる。 [[係り結び]]もあり、[[焦点 (言語学)|焦点]]を表す「どぅ」に対する連体形結びなどのほか、疑問を表す「が」に対する[[未然形]]結びがある。 === 代名詞 === [[一人称]][[代名詞]]には、古代日本語の「わ」「われ」に対応したwaː, wan, wanuなどが北琉球諸語で、ban, banuなどが南琉球諸語で用いられるほか、「あ」「あれ」に対応するa, anなどを鳥島(久米島)や宮古の大神、与那国島で用いる<ref>内間(1984), pp.75-81.</ref>。[[二人称]]代名詞には、ʔuriまたはそれにa(ː)が付いた形に由来すると考えられるものとして北琉球でʔura, ʔjaː, ʔuri, ʔuiなど、南琉球でvva, uva, uwaなどが用いられるほか、上代日本語の「な」に対応するnaː, nanなどが北琉球で用いられる<ref>内間(1984), pp.87-100.</ref>。 日本語の「こ」「そ」「あ」に対応する指示代名詞として、北琉球諸語にはku/u/a、南琉球諸語にはku/u/kaの3系列がみられる。kuは日本語の「こ」に対応する近称で、uが中称、a/kaが日本語「あ」「か」に対応する遠称だが、琉球諸語ではこれら3系列のうち1系列を欠いた2系列の体系の方言がある。また、語としては3系列あっても、uとkuの指示範囲がほとんど同じあるいはuとa/kaの指示範囲がほとんど同じであるために意味的には2系列しかない方言も広くみられる<ref>内間(1984), pp.133-164.</ref><ref>衣畑智秀「琉球諸語と上代日本語からみた祖語の指示体系試論」林由華・衣畑智秀・木部暢子編(2021)『フィールドと文献からみる日琉諸語の系統と歴史』(開拓社)、191頁。</ref>。 == 語彙 == 語彙には九州方言との共通点も少しあるが、琉球諸語(琉球方言)独特、または古語の特徴を残すものが多い。古語としては、「あーけーずー」(蜻蛉・トンボ)、「ねー・ない」(なゐ・地震)、「わらび」(童・子供)などがある。独特の語彙としては、「てぃーだ」(太陽)、「わー(ʔwaː)」(豚)などがよく知られる。また語尾母音を伸ばして人を表す方法(「くるまー」で車屋、「あめりかー」でアメリカ人を意味する)や、指小辞「ぐぁ」「ぐゎ」(これは「子(こ)」に由来するといわれる)なども独特である。兄弟姉妹関係は、「うない」(男兄弟から呼ぶ姉妹)と「うぃきー」(女姉妹から呼ぶ兄弟)、「しじゃ」(男女を問わず年長者)と「うっとぅ」(男女をとわず年下)の二元関係で表す。 {{wtc|琉球語}} == 文字 == [[ファイル:Letter_of_Kanamaru.jpg|thumb|240px|琉球国金丸世主書状(1471年)]] {{See also|沖縄方言の表記体系|琉球文学}} 琉球諸語(琉球方言)の文字による記録は、古い石碑に記された仮名書きで見ることができる。例えば、[[1494年]]の小禄墓<ref>[http://www.okinawastory.jp/view/portal/0030000026 おきなわ物語 沖縄観光情報WEBサイト] 『沖縄観光ナビ 小禄墓』</ref>、[[1501年]]の[[玉陵の碑文]]、[[1597年]]建立の 『浦添城の前の碑』がある<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.urasoenavi.jp/kankou/2013010900183/ | title = 尚寧王時代の道路竣工記念碑 | website = うらそえナビ | publisher = 浦添市観光協会 | date = 2013-01-09 | accessdate = 2022-09-29 }}</ref><ref name="takara">高良倉吉 『琉球王国の構造』 ISBN 978-4642026536 {{要ページ番号|date=2022年9月29日}}</ref>。また、[[尚円王]](金丸)の直筆書状も現存している。15世紀からの琉球王朝では、公文書は漢字[[ひらがな]]交じり文で書かれた。また、歌謡集『[[おもろさうし]]』もひらがな主体の表記をとっている。カタカナはほとんど使用されなかった。なお中国語との対比で琉球語の単語や文の音を[[ハングル]]表示した1501(浩治14)年4月22日付の文書(「海東諸国紀」のうち、付録「語音翻訳」の部分)があり、その日本語版も発行されている<ref>申 叔舟『海東諸国紀 朝鮮人の見た中世の日本と琉球』田中健夫訳注 ,岩波書店(岩波文庫)1991年、375頁ほか,ISBN 4-00-334581-9</ref>。 現在の語彙の中には、中国から直接導入された[[漢語]]やそれを翻訳した言い回しもある。漢文は中国語でそのまま読む方式と、日本式の訓読とが併用された。漢字は庶民が習得しているものではなく、仮名のほか、中国から伝来した独特の数字「[[蘇州碼]]」(すうちうま)が主に帳簿の記録など商業用途に用いられた。日本の影響を受けるようになると廃れ、現在は文字としては使用されていない。また与那国島では「'''[[カイダ文字]]'''」と呼ばれる独特の象形文字が用いられた。 現代の琉球諸語(琉球方言)は、[[日本語の表記体系|日本語の漢字かな交じり表記]]を応用して表されることが多く、琉球諸語(琉球方言)に即した[[正書法]]は確立していない。日本語表記と大きく異なる語彙の場合、意味の対応する漢字を用いて表記することがある。例えば、太陽の昇る方角を意味する「あがり」に「東」、太陽の沈む方角を意味する「いり」に「西」という漢字を当てて書くことなどである。しかし、本来[[城]]とは異質なものである[[グスク]]に「城」を充てる(例:[[中城村|中城]]=なかぐすく、[[城間]]=ぐすくま)など、類推による表記も少なくないことに注意が必要である。また、宛てた漢字に合わせて琉球式の発音が日本式の発音に変更されたり(例:[[与那城町|与那城]]=よなしろ)、意味ではなく音に合わせて漢字を宛てたために本来の意味が分かりづらくなったり(例:[[西原町|西原]])する問題もある。 沖縄県では2018年(平成30年)度に「しまくとぅば正書法検討委員会」が設立され、表音性・簡潔性・体系性・親近性の4点を基本方針に、2022年5月30日に国頭・沖縄・宮古・八重山・与那国の5地域ごとにカタカナによる統一的な表記法が示された<ref>{{Cite news|title=しまくとぅば「カナ」でどう書く? 沖縄県が表記法まとめホームページで公開 普及・継承の一助に|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1525912.html|publisher=琉球新報|date=2022-05-31|accessdate=2022-06-02}}</ref><ref name="しまくとぅば表記">{{Cite web|和書|title=沖縄県における「しまくとぅば」の表記について|url=https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/bunka-sports/bunka/shinko/documents/02_shimakutubahyouki.pdf|publisher=沖縄県文化観光スポーツ部|accessdate=2022-06-02}}</ref>。県によるしまくとぅば普及・継承等の取り組みは原則この表記法に基づいて行われることになるが、これまで県内各地で行われてきた多様な表記法を否定するものではないとしている<ref name="しまくとぅば表記"/>。 == 歴史 == {{See also|琉球祖語}} === 近代以前 === 琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)が分かれた時期は、おおよそ紀元前後以降、奈良時代(8世紀)以前と考えられている。琉球諸語(琉球方言)にみられる、動詞の終止形と連体形の区別や、ハ行子音に対応する語頭p音などは、奈良時代以前の日本語の特徴である。しかし、琉球諸語(琉球方言)と日本語(本土方言)の類似の程度から言って、分岐の時期が弥生時代よりもさらに古く遡るとも考えられない<ref>大野・柴田編(1977)、194頁。</ref>。言語学者の[[服部四郎]]は、二言語間の共通の語彙を比較する[[言語年代学]]の手法を使って、京都方言と首里方言の分岐年代について1450 - 1700余年前という計算結果を示している<ref>大野・柴田編(1977)、191-193頁。</ref>。一方で考古学や人類学の成果からは、[[グスク時代]]の始まった10 - 12世紀頃、日本本土からの移民により琉球列島で農耕が開始され、人口の急激な増加が起きたことが分かる。こうしたことからトマ・ペラールは、琉球諸語と日本語はおそらく弥生時代末期か古墳時代に分岐し、10世紀頃に本土(おそらく九州)から移動した集団により琉球祖語が琉球列島へもたらされたとしている<ref name="pellard2012"/>。琉球諸語(琉球方言)には、日本語で中古(平安時代)以降に起きた語中・尾のハ行のワ行音化([[ハ行転呼]])が起きているほか、「正月」「上手」などの漢語の語形が中古・中世の日本語と対応しているが、ペラールはこれらは分岐後の日本語(本土方言)との接触により説明できるとしている<ref name="pellard2012">ペラール(2012)。</ref>。グスク時代より前からの先住民の人口は少なく、先住民は農耕技術を持った日琉語族話者によって置き換えられたか、あるいは同化されたと考えられている<ref>Pellard(2015)。</ref>。 1265年に禅鑑という僧侶が日本から仏教を伝えた際、同時に文字も伝えたと言われている。15世紀末頃から、琉球諸語(琉球方言)は盛んにひらがなで書き表されるようになった。「おもろさうし」などにみられる仮名遣いや、同じ時期の外国語資料に記された沖縄方言は、すでにo→u、e→iの変化を起こしている。おもろさうしの仮名遣いには、沖縄の発音に合わせた表音的な仮名遣いと、日本の規範的な歴史的仮名遣いが混在している<ref>大野・柴田編(1977)、202-206頁。</ref>。 [[琉球王国]]が成立すると、15世紀頃に士族語として首里方言が作られた。首里方言は、琉球諸島全域に通じる標準語として、あるいは書記用の言語として盛んに用いられた。しかし方言が抑圧されることはなく、各地に多様な方言が残された。 === 近代以降 === 明治末より、沖縄県でも本土と同じく学校教育の場を中心に標準語の普及運動が進められ、琉球諸語(琉球方言)の使用者に「'''[[方言札]]'''」を掛けさせるなどの手段が採られた<ref>{{Cite journal|和書|author=梶村光郎 |date=2006-03 |url=https://hdl.handle.net/20.500.12000/1167 |title=沖縄の標準語教育史研究 : 明治期の綴方教育を中心に |journal=琉球大学教育学部紀要 |ISSN=1345-3319 |publisher=琉球大学教育学部 |issue=68 |pages=1-10 |naid=120001371917 |hdl=20.500.12000/1167}}</ref>。戦後の[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカ統治下]]でも普及運動は続けられ、また米軍支配への反発や本土への[[集団就職]]の増加から、沖縄県民のあいだで本土志向が高まり、却って自発的な標準語推進運動が起こった。方言は時代遅れであるとの意識が生まれ、親から子へ、年長者から若者への言葉の継承に対して消極的・否定的な状況が近年まで続いた。この影響で純粋な琉球諸語(琉球方言)話者は激減しており、このままでは伝統的な琉球語(琉球方言)は数十年以内に消滅するとみられている。 そうした現状に対して、沖縄県内各地で、他都道府県以上に琉球諸語(琉球方言)の積極的な保存・振興が叫ばれている。かつて標準語普及運動の旗振り役であった沖縄県庁も、県内各教育委員会に琉球諸語(琉球方言)保護を促す通達を出すなどの対策を取るようになった。2006年3月29日には、沖縄県議会において、毎年9月18日を「[[しまくとぅばの日]]」とし、しまくとぅば(島言葉)への関心・理解を深め、普及促進を図る条例が可決され<ref>{{cite news | title = しまくとぅばの日可決 「9月18日」 | newspaper =琉球新報 | url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-12349-storytopic-3.html | date = 2006-03-29 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20160317142500/https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-12349.html | archivedate = 2016-03-17 }}</ref>、3月31日に公布された<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/reiki/41890101003500000000/41890101003500000000/41890101003500000000.html しまくとぅばの日に関する条例](沖縄県庁)</ref>。 == 言語か方言か == 琉球諸語(琉球方言)と日本語は、音韻体系の対応などから同じ系統であることは明らかであるが、地理的・歴史的な背景から、[[相互理解可能性|互いに通じ合わない]]ほどの大きな違いがある(フランス語とイタリア語の差に匹敵する<ref>大野・柴田編(1977)210頁。</ref><ref group="注釈">ただしフランス語とイタリア語はともに[[ロマンス諸語]]であり共通点は多い。[[フェルディナン・ド・ソシュール]]の書物、『[[一般言語学講義]]』の中でフランス語とイタリア語は一つの方言連続体であり明確な境界線を引くのが難しいとも記している。</ref>。また、基礎語彙の共有についてはロシア語・ポーランド語・ブルガリア語・ セルビアクロアチア語等を含むスラヴ語族内の多様性に近く、ドイツ語とオランダ語との距離やスペイン語とポルトガル語との距離よりも大きい<ref>Thomas Pellard「[https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01289782/file/Pellard_2013_Tayosei.pdf 日本列島の言語の多様性:琉球諸語を中心に]」田窪,行則. 琉球列島の言語と文化:その記録と継承[The languages and culture of the Ryūkyū archipelago: Their recording and transmission],くろしお出版, pp.81–92, 2013, {{ISBN2|9784874245965}}. ⟨hal-01289782⟩</ref>。)。琉球列島の言語と日本本土の言語の関係については、大きく分けて次の4つの立場がある。 * 言語であって方言ではない。 * 方言であって言語ではない。 * 言語とも方言とも言える。 * 言語か方言かを論じるのは無意味。 複数の立場が存在するのは、言語学において、言語と方言を区別する客観的で明確な基準が存在しないためである。言語と方言の区別が曖昧な事例は、琉球諸語(琉球方言)に限らず、世界各地に存在する([[方言#「言語」との違い]]を参照)。 学問上の明確な基準が存在しないため、言語と方言の区別は民族論や政治論といった主観的かつ繊細な問題に関わってくる。例えば「普通―語という場合は[[国家]]を背景としているので、言語学では沖縄の言葉を琉球方言といいならわしている。」<ref>外間守善『日本語の世界9沖縄の言葉』中央公論社</ref> というように、国家の有無という立場から方言か言語かを論じる立場がある。しかし世界各国を見ると、1つの国家に複数の民族・言語が混在していたり、同一とされる民族・言語が複数の国家に跨っていたりすることが多く、国家の範囲と民族・言語の範囲が一致する国の方が少ない。国家や民族の観点から言語と方言を区別する場合、「[[大和民族]]」対「[[琉球民族]]」、[[琉球独立運動]]といった概念・意識と関連付けられるようになり、「琉球語」あるいは「琉球方言」の呼称を用いること自体が政治的・民族的な立場の表明に繋がり、どちらの呼称も中立性を欠くことになってしまう。 沖縄県民のほとんどは琉球諸語(琉球方言)のことを慣習的に「方言」と呼んでいるが、これは沖縄の住民が[[標準語]]を受容する過程で成立した[[クレオール言語|クレオール]]「[[ウチナーヤマトグチ]]」を方言とする認識が、近年までは希薄であったことにも関係がある。 琉球諸語(琉球方言)が言語か方言か、という問題については、前述した事情から、琉球諸語(琉球方言)話者自身による積極的な主張が少ない点が指摘できる。また言語研究機関でも、言語としながらも、方言とする意見を排除しないとするところもある。 == 下位区分か、個別言語か == [[非営利組織]]である[[国際SIL]]が出版している[[エスノローグ]]によると、[[日本]]で使われている[[言語]]として、[[日本語]]、[[アイヌ語]]、とともに、[[沖縄語|中央沖縄語]](Okinawan, Central)を始めとして、[[喜界島方言|喜界語]](Kikai)、[[奄美大島北部方言|北奄美語]](Amami-Oshima, Northern)、[[奄美大島南部方言|南奄美語]](Amami-Oshima, Southern)、[[徳之島方言|徳之島語]](Toku-No-Shima)、[[沖永良部島方言|沖永良部語]](Oki-No-Erabu)、[[与論島方言|与論語]](Yoron)、[[沖縄北部方言|国頭語]](Kunigami)、[[宮古語]](Miyako)、[[八重山語]](Yaeyama)、[[与那国語]](Yonaguni)といった言語を挙げている<ref>[http://www.ethnologue.com/show_country.asp?name=JP Ethnologue report for Japan], [http://www.ethnologue.com/home.asp Ethnologue] (2005)</ref>。一方で一般的には、これらの言語は琉球語(琉球方言)の下位区分の方言と見なされてきた<ref>[[亀井孝 (国語学者)|亀井孝]]・[[河野六郎]]・[[千野栄一]] 編著 『[[言語学大辞典]]セレクション 日本列島の言語』 三省堂 (1997)</ref>。また国際SIL自体も、方言であるとの意見を排除しないと表明している。2007年には、[[国際標準化機構]]の言語の略称についての国際規格である[[ISO 639]]にも、国際SILとの整合性をとる目的で、それぞれに対し、3字略称が与えられた(例えば、中央沖縄語の場合、「ryu」<ref>[http://www.sil.org/iso639-3/documentation.asp?id=ryu Documentation for ISO 639 identifier: ryu],[http://www.sil.org/ SIL international] (2007)</ref>)。 2009年2月19日に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]が発表した調査結果によると、世界で約2500の言語が消滅の危機にあるとし、琉球語(琉球方言)における下位方言もその対象となった。この中で、前述のエスノローグと同様、「[[沖縄語]]」、「[[沖永良部与論沖縄北部諸方言|国頭語]]」、「[[宮古語]]」、「[[奄美方言|奄美語]]」、「[[八重山語]]」、「[[与那国語]]」という名称で、それぞれ独立した1個の言語([[個別言語]])として言及された(このほか日本で話される言語のうち[[アイヌ語]]と[[八丈方言|八丈語]]が消滅の危機にある言語として言及されている)。ユネスコの担当者は、「これらの言語が日本で方言として扱われているのは認識しているが、国際的な基準だと独立の言語と扱うのが妥当と考えた」という<ref>{{cite news | title = 世界2500言語消滅危機、ユネスコ「日本は8語対象」 | newspaper = 朝日新聞 | url = https://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200902200176.html | date = 2009-02-20 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20090221232208/http://www.asahi.com/national/update/0220/TKY200902200176.html | archivedate = 2009-02-21 }}</ref>。これを受けて参議院議員である[[糸数慶子]]は、「ユネスコが独立した言語とした八言語は、言語なのか、方言なのか」など、7項目を「沖縄の言語に関する質問主意書」として政府に提出した<ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/171/syuh/s171089.htm 沖縄の言語に関する質問主意書]</ref>。これらの質問に対し、政府は、「『言語』及び『方言』の用語は、様々な意味を有するものと承知しており、お尋ねに一概にお答えすることは困難である」との見解を示している<ref>[https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/171/touh/t171089.htm 参議院議員糸数慶子君提出沖縄の言語に関する質問に対する答弁書]</ref>。 ==現地での呼称== * '''琉球諸語'''(島言葉/シマクトゥバ) ** [[奄美方言|奄美語]] *** [[奄美大島方言]](島口/シマユムタ) *** [[喜界島方言]](シマユミタ) *** [[徳之島方言]](シマグチ(島口)/シマユミィタ) *** [[沖永良部島方言]](島ムニ) *** [[与論島方言]](ユンヌフトゥバ) ** [[沖縄語]](沖縄口/ウチナーグチ) *** [[沖縄北部方言]](山原言葉/ヤンバルクトゥーバ) ** [[宮古語]](宮古口/ミャークフツ) ** [[八重山語]](八重山物言/ヤイマムニ) ** [[与那国語]](与那国物言/ドゥナンムヌイ) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * 比嘉清(2006)『うちなあぐち賛歌』([[三元社]])ISBN 4-88303-183-7。 * [[飯豊毅一]]・[[日野資純]]・[[佐藤亮一 (言語学者)|佐藤亮一]]編(1984)『講座方言学 10 沖縄・奄美の方言』([[国書刊行会]]) * [[大野晋]]、[[柴田武]]編(1977)『岩波講座 日本語11方言』([[岩波書店]]) ** [[外間守善]]「沖縄の言語とその歴史」 * [[内間直仁]](1984)『琉球方言文法の研究』(笠間書院) * [[トマ・ペラール]]「[http://kikigengo.jp/nishihara/lib/exe/fetch.php?media=library:references:rkoj-pellard.pdf 日琉祖語の分岐年代]」2012年、琉球諸語と古代日本語に関する比較言語学的研究ワークショップ。 * [[中本正智]](1976)『琉球方言音韻の研究』(法政大学出版局) * 田窪行則・ホイットマン ジョン・平子達也編(2016)『琉球諸語と古代日本語:日琉祖語の再建に向けて』(くろしお出版) * 林由華・衣畑智秀・木部暢子編(2021)『フィールドと文献からみる日琉諸語の系統と歴史』(開拓社) * 下地理則・Thomas Pellard (2010) "An introduction to Ryukyuan languages" (Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa) * Thomas Pellard (2015) "[https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-01289257/file/Pellard_2015_The_linguistic_archeology_of_the_Ryukyu_Islands.pdf The linguistic archeology of the Ryukyu Islands]" Patrick Heinrich, Shinsho Miyara, Michinori Shimoji (ed.) ''Handbook of the Ryukyuan languages: History, structure, and use'', 14–37. Berlin: DeGruyter Mouton. * Maner Lawton Thorpe (1983) "Ryūkyūan language history" Ph.D. thesis, University of Southern California. == 関連項目 ==<!--Wikipediaの姉妹プロジェクトは外部リンクでは無い--> {{Incubator|prefix=Wp|code=ryu|language=琉球語}} {{Incubator|prefix=Wy|code=ryu|language=琉球語}} {{Incubator|prefix=Wb|code=ryu|language=琉球語}} {{Incubator|prefix=Wt|code=ryu|language=琉球語}} {{commons category|Ryukyuan languages}} {{ウィキポータルリンク|言語学|[[画像:Logo_sillabazione.png|34px|ウィキポータル 言語学]]}} * [[沖縄学]] * [[古琉球]] * [[おもろさうし]] * [[混効験集]] * [[琉歌]] * [[伊波普猷]] * [[服部四郎]] * [[外間守善]] * [[沖縄県の名字]] * [[方言ニュース (ラジオ沖縄)]] * [[多良川おもしろ文化講座]] * [[琉球古字]] * [[しまくとぅばの日]] * [[ハポニョール]] == 外部リンク == * [http://www.haisai.co.jp/welcome.htm うちなあぐち] * [http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/index.html 琉球語音声データベース] * [https://kikigengo.ninjal.ac.jp/index.html 危機言語データベース] 国立国語研究所 * [http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/iha/index.html 伊波普猷文庫目録](「'''沖縄学の父'''」[[伊波普猷]]の言語資料など) * [http://manwe.lib.u-ryukyu.ac.jp/seizen/ 仲宗根政善言語資料](琉球方言学の父と言われる[[仲宗根政善]]の言語資料など) * [http://wwwsoc.nii.ac.jp/ios/index.html 沖縄学研究所] * {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/skippingbird76/index.html |title=All about Irabu Ryukyuan |date=20160304130411}}(伊良部方言の記述・記録保存など) * [http://hougen-gakushu.eepc.jp/index.html 方言ってなんだろう?] - 琉球語を含む、日本国内の危機言語に関するサイト。財団法人奄美文化財団。 * [http://www.city.tomigusuku.okinawa.jp/tourism_culture/4026/4648 豊見城市のしまくとぅば]「豊見城市しまくとぅば読本」電子書籍版を公開している。 * [https://okimu.jp/sp/museum/minwa/ WEBアーカイブ ウチナー民話のへや] 沖縄県立博物館・美術館 * {{Kotobank|琉球語}} * {{Kotobank|沖縄方言論争}} {{琉球諸語}} {{日本語}} {{日本関連の項目}} {{Authority control}} {{DEFAULTSORT:りゆうきゆうしよこ}} [[Category:琉球諸語|*]] [[Category:SOV型言語]] [[Category:沖縄県の文化|りゆうきゆうしよこ]] [[Category:危機に瀕する言語|りゆうきゆうしよこ]] [[Category:日本語の歴史]] [[Category:日琉語族]] [[Category:奄美群島の文化]]
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9,810
金管楽器
金管楽器(きんかんがっき)は、演奏者の唇の振動によって発音する管楽器群の総称であり、日本語の「喇叭(ラッパ)」に相当する。 管体が主に真鍮(ブラス)で作られることに由来するが、広義には唇簧管楽器と同じ意味で用いられ、『金属』でできているかどうかによらない。たとえばツィンクやセルパン、山伏の吹く法螺貝などはいずれも非金属で作られ、また軽量化やコスト低減などの理由で非金属素材を採用する楽器(スーザフォンやブブゼラなど)もあるが、いずれも唇の振動で音を出すため金管楽器に分類される。逆にサクソフォンやフルートは金属製のものが一般的であるが、発音に唇の振動を用いないため、木管楽器に分類される。 金管楽器の構造は至って単純であり、息を吹き込む唄口(マウスピース)と、音量を増大させるための朝顔(ベル)を持ち、それらは円筒または円錐状の管でつながれている。この状態では、音の高低を変えるための一切のしくみを持たないが、唇の状態と息のスピードによって、基音や倍音を切り替え、音の高さを変化させることができる。しかし、管は、長さ(および開管であるか閉管であるか)と音の伝播速度によって共鳴する音の高さが決まっているため、その他の倍音列に挟まれた音を出すことができない。そこで一般に管楽器では、共鳴管の長さを変えることによって共鳴する音の高さを変え、さまざまな高さの音を得る。金管楽器でも古くは現在の木管楽器のような、管の途中にあけられた音孔により、音響学的な管の長さを短くすることによって、より高いさまざまな音を得た。現在では、スライドと呼ばれる二重の管の伸縮や弁(バルブ)といった管の長さを変えるための機構を備えることにより、倍音の単位より細かな音の高低の調節を可能にしている。 振動の元は奏者の唇であり楽器ではないという点において、金管楽器は楽器単体では楽器として完結していないと言える。木管楽器は楽器として完結しているので、ポンプなどで空気の流れを作り楽器に当てれば楽器としての音が出る。それに対し、金管楽器は奏者の唇と合体して初めて楽器として完結する。なお、音の源が人間の唇であるために、音色や音域(特に上限)は、奏者の習熟度や身体的特徴(唇の厚さ、顔面骨格、歯並びなど)に依存する要素が多いという見解が存在する。その一方で、唇の厚さは関係がないという見解も存在する。音域の下限は楽器の大きさ(管長)で決まる。ひとつの音に対しても、その音程にはある程度の幅があり、鍵盤楽器の鍵盤のように固定されたものと言えるほどではない。奏者の意図によって短い楽器では半音以上も音程を変化させることができる。 管を曲げることで物理的な気柱の特質が変わるため、さまざまな形態や調子が試みられ、現在も続いている。ホルンでは、異なる調子を持つ2本の管を一つの楽器に押し込めることが一般的となっている(ダブルホルン)。 金管楽器のマウスピースに接続される、円錐状のマウスパイプ・ベルを結ぶ管の形状には、円筒(ストレート)管・円錐(テーパ)管があり、前者は両端の内径は同一であるが、後者は唄口の側から朝顔の側に向かって内径が少しずつ広がっている。 理論的にはすべてを円筒管で構成した楽器や、逆に円錐管で構成した楽器はあり得るが、実際の金管楽器は、マウスピースに近い方が円筒管か円筒管に近い円錐管、ベルに近い方が円錐管というように両者が組み合わされる。というのも、音高を変更するためのスライドやバルブの部分は途中で太さを変えるわけにいかず、すべて円筒管で作られるし、ベルの部分はすなわち円錐管だからである。 円筒管は、一般に鋭く華やかな音質を生みだし、円錐管は、それよりは柔らかく丸みを帯びた音質を生み出すと言われるが、実際に音色に大きな影響を与えるのは円錐管の太さ、長さ、形状と、円筒管の太さであって、円筒管の長さはあまり音色に大きな影響を与えない。スライドやバルブによって管長を変えても音色を失わないのは、この性質のおかげである。 現代の金管楽器における倍音列以外の高さの音を得るための仕組みには、スライドおよびバルブによる方法がある。 スライドは、音高を調節するためのもっとも古い仕組みの一つで、二重にした管を伸縮させるものであり、その多くは平行に折り返されている。一般的なトロンボーンは、この仕組みを使用し、これによって3全音(6半音)下までの任意の音程を得ることができる。また、その他の金管楽器でも、音程の微調整のために備えつけられることが多い。 1814年にハインリッヒ・シュテルツェル(Heinrich Stölzel)が金管楽器用のバルブを発明した。その後、さまざまな方式のバルブが提案され、普及していった。現在では多くの金管楽器が何かしらのバルブを持ち、バルブを一つも持たないものは限定的である。 取りつけられるバルブの数はさまざまであるが、多くの金管楽器では3つを基本とし、いくつか追加される場合がある。通常右手だけで操作するが、ホルンやワグナーチューバは左手で操作する。またユーフォニウムの中には4番(第四)バルブのみ左手で操作するものがあり、チューバにもバルブがたくさんついていて左手を使うものがある。 各々のバルブは主管の途中に取りつけられ、バルブの容器には迂回管が接続されている。迂回管の選択によって、空気の流れる管の長さが伸び、音程は下がる。たいていの場合は、バルブを作動させないときには空気の流れが迂回せず直通するようになっているが、特別な場合に取りつけられる「上昇バルブ」では、動作がその逆である。 3つ以上のバルブを持つ楽器の多くは、次のように設定されている。 数字の若い方から人差し指、中指、薬指にそれぞれ対応し、これらの組み合わせにより、最大で約3全音(6半音)下げることができるが、複数の組み合わせによって生じる管の長さは、本来よりもわずかに短い。4番(第四)バルブは、2全音半(5半音、二音半)下がる設定のものが多いが、ホルンでは楽器全体の調子をF管からB♭管に変化させるものが一般的である。これは複数のバルブの組み合わせによって生じる誤差を小さくするためにも大切な機能である。多くの場合、トロンボーンの追加のバルブもこの4番バルブと同じ機能を持つ。 4つのバルブを持つ楽器は通常次のように設定されている。 しかしながら、4番とほかのバルブの組み合わせでは、運指上で考えられる音よりも音程が高くなってしまう。これは低い音になるに比例し、音を下げるために必要な管長が徐々に長くなるためである。 この解決策として、1874年にブレイクリーがユーフォニアムに「コンペンセイティング・システム」を導入した。これは、4番ピストンに連動する補正管を各ピストンに増設することで、不足分の距離を確保するものである。これにより、4番ピストンが含まれる運指には空気が自動的に補正管を通る構造となるため、従来は正確な音程で吹奏が困難であったペダルトーンのすぐ上の音域を、通常の運指で出すことができるようになった。このシステムによって、ユーフォニアムはピストン楽器という機動性の高さに加え、幅広い実用音域をカバーできる特性を持つ金管楽器となったのである。 なお、このコンペンセイティング・システムと同じ構造をもつフレンチホルンは「セミダブル・ホルン」と呼ばれる。ユーフォニアムやチューバのカタログにも「コンペンセイティング(B♭/Fセミダブル)」と両呼称を併記している例がある。 スライドは、無段階に任意の長さを得られ、正しい音程を演奏できる長さに調節可能である。必要であれば平均律や純正律以外の音律での演奏も可能であり、また、バルブよりも構造が単純であるためよりよい音質を得ることができるとされ、バルブよりも管の曲がりが少ないため息の抜けがいい。その反面、腕(肘)の屈伸によりスライドを伸縮操作するため、動作が大きくなり、素早い動きではバルブに及ばず、また、伸縮の距離に限界があるために、長い管を持つ楽器には不向きである。加えて、この部分は円筒である必要があり、もっとも縮めた場合でも、その長さは管の全長の4割に及ぶ。このため、円錐管が多く占める楽器では用途が音程の微調整に制限される。また、とくにその長いものでは、滑らかな動作と息漏れの防止を両立させるためには比較的高い精度での加工および調整が必要である。 バルブは単独で押すときには正確な音程が得られるが、上述のようにバルブを組み合わせたときには音がうわずってしまう。そのための何らかの補正が必要である(管の抜き差しや唇の技術、またフレンチホルンにあっては右手の挿入の技術によって補正する)。 金管楽器の管体には、主に真鍮(黄銅、Brass)や洋白 (Nickel Silver) といった材質が用いられ、多くはその表面にラッカー(lacquer)塗装やメッキが施される。真鍮にもイエローブラス、レッドブラスなど組成の異なるいくつかの種類があり、硬度や比重が音色や吹奏感に影響する。機構部に影響のない朝顔部分の素材の変更や表面処理の変更で音色を調整することがよく行われる。古楽器の復元などには素材自体を同じ組成にすることも重要で、微量のベリリウムを含んだ真鍮などを特別に調製することもある。ラッカーは通常は透明なクリヤラッカーが用いられるが、黄や赤の染料を添加してより美しい色合いを演出することもある。メッキでもっとも多いのは銀メッキである。低価格帯の楽器ではニッケルメッキも使われる。まれに金メッキも用いられるが、音色の要求によるものであり、金メッキの楽器は確かに「高価」になりはするが、銀メッキと比べて特に楽器として「高級」とはいえない。銀メッキの楽器はあたたかくまろやかな音色、ラッカーは輪郭のはっきりした音色、金メッキは明るく華やかな音色が特徴であるといわれるが、それ以上に管の素材(組成および厚さ)、ラッカーやメッキの厚さがきわめて重要な要素であり、それらを無視して一概に論じることはできない。
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金管楽器(きんかんがっき)は、演奏者の唇の振動によって発音する管楽器群の総称であり、日本語の「喇叭(ラッパ)」に相当する。
{{出典の明記|date=2012年3月|ソートキー=楽}} '''金管楽器'''(きんかんがっき)は、演奏者の唇の振動によって発音する[[管楽器]]群の総称であり、日本語の「'''喇叭'''('''[[ラッパ]]''')」に相当する。 == 名称の由来 == 管体が主に[[黄銅|真鍮]]('''ブラス''')で作られることに由来するが、広義には[[唇簧管楽器]]と同じ意味で用いられ、『金属』でできているかどうかによらない。たとえば[[ツィンク]]や[[セルパン]]、[[山伏]]の吹く[[ホラガイ#楽器としての利用|法螺貝]]などはいずれも非金属で作られ、また軽量化やコスト低減などの理由で非金属素材を採用する楽器([[スーザフォン]]や[[ブブゼラ]]など)もあるが、いずれも[[唇]]の振動で音を出すため金管楽器に分類される。逆に[[サクソフォン]]や[[フルート]]は金属製のものが一般的であるが、発音に唇の振動を用いないため、[[木管楽器]]に分類される。 == 金管楽器の構造 == 金管楽器の構造は至って単純であり、息を吹き込む'''唄口'''([[マウスピース (楽器)|マウスピース]])と、音量を増大させるための'''朝顔'''(ベル)を持ち、それらは円筒または円錐状の管でつながれている。この状態では、音の高低を変えるための一切のしくみを持たないが、唇の状態と息のスピードによって、[[倍音|基音や倍音]]を切り替え、[[音高|音の高さ]]を変化させることができる。しかし、管は、長さ(および開管であるか閉管であるか)と音の伝播速度によって[[音響共鳴|共鳴]]する音の高さが決まっているため、その他の倍音列に挟まれた音を出すことができない。そこで一般に管楽器では、共鳴管の長さを変えることによって共鳴する[[音高|音の高さ]]を変え、さまざまな高さの音を得る。金管楽器でも古くは現在の木管楽器のような、管の途中にあけられた[[音孔]]により、音響学的な管の長さを短くすることによって、より高いさまざまな音を得た。現在では、スライドと呼ばれる二重の管の伸縮や弁([[バルブ]])といった管の長さを変えるための機構を備えることにより、倍音の単位より細かな音の高低の調節を可能にしている。 振動の元は奏者の唇であり楽器ではないという点において、金管楽器は楽器単体では楽器として完結していないと言える。木管楽器は楽器として完結しているので、ポンプなどで空気の流れを作り楽器に当てれば楽器としての音が出る。それに対し、金管楽器は奏者の唇と合体して初めて楽器として完結する。なお、音の源が人間の唇であるために、音色や音域(特に上限)は、奏者の習熟度や身体的特徴(唇の厚さ、顔面骨格、歯並びなど)に依存する要素が多いという見解が存在する<ref>[[中国学園大学]]紀要『[http://cur-ren.cjc.ac.jp/556/1/009_125_130.pdf 金管楽器奏法における適性について ~身体的特徴とアンブシュアの関係~]』(2010年、森利幸、三川美幸)</ref>。その一方で、唇の厚さは関係がないという見解も存在する<ref>{{Cite book|和書|title=金管演奏の原理―クラウド・ゴードンによる自然科学的解明 |author=クラウド・ゴードン |translator=[[杉山正]]、聖公会出版 |year=2001 |id={{ISBN2|4-88274-112-1}}、ISBN 978-4-88274-112-1 |page=22 }}</ref>。音域の下限は楽器の大きさ(管長)で決まる。ひとつの音に対しても、その音程にはある程度の幅があり、鍵盤楽器の鍵盤のように固定されたものと言えるほどではない。奏者の意図によって短い楽器では半音以上も音程を変化させることができる。 管を曲げることで物理的な気柱の特質が変わるため、さまざまな形態や調子が試みられ、現在も続いている。ホルンでは、異なる調子を持つ2本の管を一つの楽器に押し込めることが一般的となっている(ダブルホルン)。 === 円筒管と円錐管 === 金管楽器のマウスピースに接続される、円錐状のマウスパイプ・ベルを結ぶ管の形状には、円筒(ストレート)管・円錐([[テーパ]])管があり、前者は両端の内径は同一であるが、後者は唄口の側から朝顔の側に向かって内径が少しずつ広がっている。 理論的にはすべてを円筒管で構成した楽器や、逆に円錐管で構成した楽器はあり得るが、実際の金管楽器は、マウスピースに近い方が円筒管か円筒管に近い円錐管、ベルに近い方が円錐管というように両者が組み合わされる。というのも、[[音高]]を変更するためのスライドやバルブの部分は途中で太さを変えるわけにいかず、すべて円筒管で作られるし、ベルの部分はすなわち円錐管だからである。 円筒管は、一般に鋭く華やかな音質を生みだし、円錐管は、それよりは柔らかく丸みを帯びた音質を生み出すと言われるが、実際に音色に大きな影響を与えるのは円錐管の太さ、長さ、形状と、円筒管の太さであって、円筒管の長さはあまり音色に大きな影響を与えない。スライドやバルブによって管長を変えても音色を失わないのは、この性質のおかげである。 === 倍音列以外の高さの音を得る方法 === 現代の金管楽器における倍音列以外の高さの音を得るための仕組みには、'''スライド'''および'''バルブ'''による方法がある。 ==== スライド ==== [[画像:Tolocso.png|サムネイル|200px|スライドの模式図]] スライドは、[[音高]]を調節するためのもっとも古い仕組みの一つで、二重にした管を伸縮させるものであり、その多くは平行に折り返されている。一般的な[[トロンボーン]]は、この仕組みを使用し、これによって3全音(6[[半音]])下までの任意の音程を得ることができる。また、その他の金管楽器でも、音程の微調整のために備えつけられることが多い。 ==== バルブ ==== {{see also|バルブ}} 1814年にハインリッヒ・シュテルツェル([[:en:Heinrich Stölzel|Heinrich Stölzel]])が金管楽器用のバルブを発明した<ref name="ericson1">{{Cite web |url=http://www.public.asu.edu/~jqerics/why_valve.htm |title=Why Was the Valve Invented? |publisher=John Ericson |accessdate=2014-09-20}}</ref>。その後、さまざまな方式のバルブが提案され<ref name="ericson2">{{Cite web |url=http://www.public.asu.edu/~jqerics/earlval.htm |title=Early Valve Designs |publisher=John Ericson |accessdate=2014-09-20}}</ref>、普及していった。現在では多くの金管楽器が何かしらのバルブを持ち、バルブを一つも持たないものは限定的である。 [[File:3 pistons.jpg|thumb|3つのバルブ]] {{右|<gallery caption="さまざまな組み合わせ" widths="75px" heights="60px"> File:Piston pos 110.jpg| File:Piston pos 101.jpg| </gallery>}} 取りつけられるバルブの数はさまざまであるが、多くの金管楽器では3つを基本とし、いくつか追加される場合がある。通常右手だけで操作するが、ホルンやワグナーチューバは左手で操作する。またユーフォニウムの中には4番(第四)バルブのみ左手で操作するものがあり、チューバにもバルブがたくさんついていて左手を使うものがある。 各々のバルブは主管の途中に取りつけられ、バルブの容器には迂回管が接続されている。迂回管の選択によって、空気の流れる管の長さが伸び、音程は下がる。たいていの場合は、バルブを作動させないときには空気の流れが迂回せず直通するようになっているが、特別な場合に取りつけられる「上昇バルブ」では、動作がその逆である。 3つ以上のバルブを持つ楽器の多くは、次のように設定されている。 * 1番(第一)バルブは、[[全音]](2半音、一音)下がる。 * 2番(第二)バルブは、[[半音]]下がる。 * 3番(第三)バルブは、全音半(3半音、一音半)下がる。 数字の若い方から[[人差し指]]、[[中指]]、[[薬指]]にそれぞれ対応し、これらの組み合わせにより、最大で約3全音(6半音)下げることができるが、複数の組み合わせによって生じる管の長さは、本来よりもわずかに短い。4番(第四)バルブは、2全音半(5半音、二音半)下がる設定のものが多いが、ホルンでは楽器全体の調子をF管からB♭管に変化させるものが一般的である。これは複数のバルブの組み合わせによって生じる誤差を小さくするためにも大切な機能である。多くの場合、トロンボーンの追加のバルブもこの4番バルブと同じ機能を持つ。 [[画像:Dugattyus szelep.png|サムネイル|200px|ピストン・バルブの模式図]] ; [[ピストンバルブ|ピストン・バルブ]] : ピストン・バルブは、円筒の容器の中を往復する、管を植え込まれた[[ピストン]]によって管を選択する。 [[画像:Forgoszelep.png|サムネイル|200px|ロータリー・バルブの模式図]] ; [[ロータリーバルブ|ロータリー・バルブ]] : ロータリー・バルブは、円筒状の容器の中を回転する駒によって管を選択する。これを発展させたものに「三叉バルブ」や「セイヤー・バルブ」などがあるが、それらは発明者の[[特許]]物であることが多い。通常のロータリー・バルブでは、等間隔に4つの穴の明けられた容器の中を、その隣り合う2つの穴を結ぶための向かい合った2つのU字型の溝を加工した駒が、90度回転する。操作のためのレバーの動きを駒に伝える仕組みには、紐を用いる場合と、機械的な連結とがある。 ; ウィンナ・バルブ : ウィンナ・バルブ(またはダブル・ピストン・バルブ<ref name="ericson2" />)は、平行する一対のピストンから成り、ピストンの中を移動する駒によって管を選択する。金管楽器のバルブとして初期に提案された方式の一つ<ref name="ericson2" />であり、現在は[[ホルン#ウィンナ・ホルン|ウィーン式のホルン]]にのみ使用されている。 ; その他の特殊バルブ : これらの伝統的なバルブ装置のほか、特にトロンボーン用として、セイヤーバルブ、ハグマンバルブ等の特殊なバルブ装置が使用されている。トロンボーンにおいて特にこのような特殊バルブが用いられる背景として、もともとトロンボーンという楽器は管体の形状が単純で演奏時の抵抗が少なく、バルブ操作による抵抗の変化が演奏性や音色に影響を与えがちであることに加え、トロンボーンの持つバルブ装置の数が少ないことから、バルブ装置の大きさや重量が比較的気にならなかったという事情があると考えられる。 ===== コンペンセイティング・システム(自動補正装置) ===== 4つのバルブを持つ楽器は通常次のように設定されている。 * 1番:全音下がる * 2番:半音下がる * 3番:全音半下がる * 4番:2音半(完全4度)下がる しかしながら、4番とほかのバルブの組み合わせでは、[[運指]]上で考えられる音よりも音程が高くなってしまう。これは低い音になるに比例し、音を下げるために必要な管長が徐々に長くなるためである。 この解決策として、1874年にブレイクリーが[[ユーフォニアム]]に「コンペンセイティング・システム」を導入した。これは、4番ピストンに連動する補正管を各ピストンに増設することで、不足分の距離を確保するものである。これにより、4番ピストンが含まれる運指には空気が自動的に補正管を通る構造となるため、従来は正確な音程で吹奏が困難であった[[ペダルトーン]]のすぐ上の音域を、通常の運指で出すことができるようになった。このシステムによって、ユーフォニアムはピストン楽器という機動性の高さに加え、幅広い実用音域をカバーできる特性を持つ金管楽器となったのである。 なお、このコンペンセイティング・システムと同じ構造をもつ[[ホルン#ダブル・ホルン|フレンチホルン]]は「セミダブル・ホルン」と呼ばれる。ユーフォニアムや[[チューバ]]のカタログにも「コンペンセイティング(B♭/Fセミダブル)」と両呼称を併記している例がある。 ==== スライドとバルブの得失 ==== スライドは、無段階に任意の長さを得られ、正しい音程を演奏できる長さに調節可能である。必要であれば[[平均律]]や[[純正律]]以外の[[音律]]での演奏も可能であり、また、バルブよりも構造が単純であるためよりよい音質を得ることができるとされ、バルブよりも管の曲がりが少ないため息の抜けがいい。その反面、腕(肘)の屈伸によりスライドを伸縮操作するため、動作が大きくなり、素早い動きではバルブに及ばず、また、伸縮の距離に限界があるために、長い管を持つ楽器には不向きである。加えて、この部分は円筒である必要があり、もっとも縮めた場合でも、その長さは管の全長の4割に及ぶ。このため、円錐管が多く占める楽器では用途が音程の微調整に制限される。また、とくにその長いものでは、滑らかな動作と息漏れの防止を両立させるためには比較的高い精度での加工および調整が必要である。 バルブは単独で押すときには正確な音程が得られるが、上述のようにバルブを組み合わせたときには音がうわずってしまう。そのための何らかの補正が必要である(管の抜き差しや唇の技術、また[[フレンチホルン]]にあっては右手の挿入の技術によって補正する)。 === 管体の材質と表面仕上げ === 金管楽器の管体には、主に真鍮(黄銅、Brass)や[[洋白]] (Nickel Silver) といった材質が用いられ、多くはその表面にラッカー(lacquer)塗装や[[鍍金|メッキ]]が施される。真鍮にもイエローブラス、レッドブラスなど組成の異なるいくつかの種類があり、硬度や比重が音色や吹奏感に影響する。機構部に影響のない朝顔部分の素材の変更や表面処理の変更で音色を調整することがよく行われる。古楽器の復元などには素材自体を同じ組成にすることも重要で、微量の[[ベリリウム]]を含んだ真鍮などを特別に調製することもある<!--特殊な材質を用いることもある とされる -->。ラッカーは通常は透明なクリヤラッカーが用いられるが、黄や赤の[[染料]]を添加してより美しい色合いを演出することもある。メッキでもっとも多いのは[[銀]]メッキである。低価格帯の楽器では[[ニッケル]]メッキも使われる。まれに[[金]]メッキも用いられるが、音色の要求によるものであり、金メッキの楽器は確かに「高価」になりはするが、銀メッキと比べて特に楽器として「高級」とはいえない。銀メッキの楽器はあたたかくまろやかな音色、ラッカーは輪郭のはっきりした音色、金メッキは明るく華やかな音色が特徴であるといわれるが、それ以上に管の素材(組成および厚さ)、ラッカーやメッキの厚さがきわめて重要な要素であり、それらを無視して一概に論じることはできない。<!-- 俗に、銀メッキはラッカーの上に、金メッキは銀メッキの上にしかかけられないため、金メッキの楽器はすべての特徴をあわせもつと言われるが、まったくの事実無根であるといえよう。 --> == 主な金管楽器 == {{main|金管楽器の一覧}} * [[トランペット]] ** [[ファンファーレトランペット]] ** [[ピッコロトランペット]] ** [[ロータリートランペット]] ** [[コルネット]] * [[ホルン]] ** [[フレンチホルン]] ** [[アルプホルン]] ** [[メロフォン]] * [[トロンボーン]] ** [[テナートロンボーン]] ** [[バストロンボーン]] * [[サクソルン]] ** ホルン族 *** [[フリューゲルホルン]] *** [[アルトホルン]] *** [[バリトンホルン]] ** チューバ族 *** [[ユーフォニアム]] *** [[チューバ]] * [[スーザフォン]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * ウォルター・ピストン、戸田邦雄訳『管弦楽法』音楽之友社、1967年、ISBN 4-276-10690-7。 * 安藤由典『新版 楽器の音響学』音楽之友社、1996年、ISBN 4-276-12311-9。 == 関連項目 == * [[管楽器]] * [[木管楽器]] * [[弱音器]] * [[英国式ブラスバンド]] * [[バズィング]] * [[アンブシュア]] == 外部リンク == {{Sisterlinks | q = no | s = no | n = no | v = no }} * [http://www7a.biglobe.ne.jp/~the_whirlwind48/ Whirlwind for Another Style] - 元自衛隊喇叭手による旧帝國陸海軍と自衛隊の信号喇叭データベース * {{Kotobank}} {{音楽}} {{オーケストラの楽器}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:きんかんかつき}} [[Category:金管楽器|*]] [[Category:管楽器]]
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特高
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マダイ
マダイ (真鯛、英語: Red seabream、Pagrus major)は、スズキ目スズキ亜目タイ科に分類される海水魚。日本では重要な食用魚で、「鯛」といえば狭義にはこの魚を指す。 属名は、ギリシャ語でタイを意味する Πάγρος(パグロス)のラテン語形 Pagrus。種小名は、ラテン語で大きいを意味する major(マヨル)に由来する。Pagrus major(パグルス・マヨル)全体として、「大きな、タイ」という意味を成している。 タイ、オオダイ、ホンダイ、タイノユウ(各地)、チャリコ、カスゴ(近畿地方・幼魚)、マコ、オオトクダイ(東京)、シバダイ、ヒシコ(長崎県)、マジャー(有明海沿岸)、マコダイ(鹿児島県)など、地域や魚体の大きさに応じた様々な呼称がある。漁業関係者の間では、チダイやキダイなどよく似た近縁種との区別もわりと明確で、別物として扱う。 時期や食味に対応した呼称として、「桜鯛」(春の産卵期で脂が乗ったもの。本来は、寒鯛の“身が桜色”になったものを言う)や「紅葉鯛」(秋)、「魚島のたい」(産卵期)、「麦わらだい」(産卵後の味が落ちた状態を表す)がある。なお、サクラダイを標準和名とする魚もいるので注意を要する。 「魚の王様」「百魚の王」と呼ばれる。 全長120 cmに達する比較的大型の魚。釣りの対象としては大型の個体が好まれるが、食用として多く流通するのは30 - 70 cm程度である。体は側扁した楕円形で、顎が前方にわずかに突き出る。胸鰭は細長く、全長の半分近くに達する。背鰭は前に棘条12・後に軟条10、尻鰭も同様に棘条3・軟条8からなる。尾鰭は大きく二叉する。口の中には上顎に2対、下顎に3対の鋭い犬歯があり、その奥に2列の臼歯がある。 体色は紫褐色を帯びた光沢のある淡紅色で、青い小斑点が散在する。若魚では体側に5本の不明瞭な横縞が出るが、成魚ではこの横縞がなくなる。また、尾鰭の後縁が黒い点でチダイやキダイと区別できる。 太平洋の日本列島各地の沿岸と北海道以南の日本海、台湾や朝鮮半島沿岸、東シナ海、南シナ海に分布する。奄美大島や沖縄諸島海域では少ない。漁獲量は東シナ海、瀬戸内海、日本海の順に多く、太平洋側では南ほど多い。 成魚は水深30 - 200 mの岩礁や砂礫底の底付近に生息し、群れを作らず単独で行動する。肉食性で、小魚、甲殻類、頭足類、貝類など小動物を幅広く捕食する。頑丈な顎と歯で、エビやカニの硬い殻も噛み砕いて食べてしまう。 マダイの産卵期は2 - 8月で、温暖な地域ほど早い。成魚はこの時期になると沖合いの深みから浅い沿岸域に移動する。 卵は直径0.8 - 1.2 mmの分離浮性卵で、海中を漂いながら発生する。産卵数は体重1.1 kgのメスで30万 - 40万、体重4 kgのメスで100万、体重6.2 kgのメスで700万というデータがある。ただしマダイは卵や稚魚を保護しないため、卵や稚魚のほとんどが他の動物に捕食されてしまう。 稚魚は浅い海の砂礫底、岩場、藻場などで生活し、小動物を捕食しながら成長する。生後1年で全長約15 cmに成長し、2 - 3年で浅場を離れて深みに移る。寿命は20 - 40年程度とみられる。 身は歯ごたえのある白身で、淡泊ながらうま味が強い。他の魚に比べて臭みや脂肪などの癖も強くない。また、鮮度の劣化が遅いのも特徴である。刺身、カルパッチョ、焼き魚、吸い物、煮付け、鍋料理、鯛めし、天ぷらなど多種多様な料理に用いられ、主に机で食べる。 日本では古くからマダイは鮮やかな赤い体色と「メデタイ」との語呂合わせから、めでたい魚と考えられ、慶祝事や神道の祭において欠かせない高級食材とされてきた。 需要が多いため、養殖や放流も行われる。また、マダイにあやかってタイ科魚類は勿論、マダイと似た扁平な体型や赤い体色であればタイ科以外の魚でも、総称して「鯛」と呼ばれたり、○○鯛という名が付けられたりすることも多い(「鯛」の項目参照)。 日本以外の地域では必ずしも高級魚ではない。韓国では「チャムドム」(참돔)と呼ばれ、日本ほど一般的ではないが食用にする地域もある。台湾では「正鯛」「加臘」と呼ばれ、日本のように高級魚扱いはされないが、刺身や中華風の料理で食べられている。オーストラリアでは、大型のモノが簡単に釣れることや、淡白な味がオーストラリア人の好みに合わない理由から評価が低く、日本ほど一般的な食用魚として流通はしていない。 オーストラリア海域で漁獲されるマダイは、ゴウシュウマダイ Australasian snapper (Pagrus auratus) という、北太平洋のマダイ (Pagrus major) とは別の学名が与えられている。しかしこの2種は、外観や味では判別が付かない遺伝子レベルの差異にすぎない。さらには両者が遺伝的に非常に近いことから、マダイとゴウシュウマダイは別の学名の種でなく、同種の別亜種の関係にあるとする学説もある。日本では、ゴウシュウマダイを北半球のマダイとして販売する可能性が懸念されている。これはマダイとゴウシュウマダイの種の違いによる味の違いの問題というよりも、ゴウシュウマダイが日本近海産のマダイより原価が安いことを悪用した原産地偽装の問題である。 主に温暖な西日本の、波静かなリアス式海岸となった地域において、マダイの養殖が盛んに行われる。宇和海に面した愛媛県宇和島市とその周辺で盛んに営まれ、全国シェアの50%程度を占めている。他の産地は熊本県、三重県、長崎県、高知県、和歌山県などである。 陽光の差し込む水深では日焼けして体表のメラニンが活性化することで、体色が濃い褐色となる。これで商品価値が下がるため、マダイの養殖生け簀の上には通常黒いネットを張って日焼けを防ぐが、根本的な解決には至っておらず、現在様々な専門機関でマダイの色揚げに関する研究が行われている。また、養殖物は狭い空間で充分な餌を与えられるため、天然ものより身の脂肪分が多い。1.5-2kg程度のものが味が良いとされるが、300gほどのものも「小だい」として出荷される。養殖技術の進歩と共に養殖物が大量に出回るようになって浜価は下がり、スーパーマーケット等にも短冊が日常的に並ぶようになった。このため手に入れにくいような「高級魚」ではなくなりつつある。 一方、天然物のマダイは養殖物にない鮮やかな体色と癖の少ない食味で重宝され、高値で取引きされる。一本釣り、延縄、定置網などで年間1万3000-1万6000トンほどが漁獲されている。 天然物は海釣りの対象としても人気が高い。産卵期に浅場へやってくる春や、冬に備え深場に移る秋が釣りのシーズンとされる。逆に産卵直後の晩春から初夏にかけては脂肪分が抜けて味が落ちるとされる。 釣り餌は、かつてはシバエビやアカエビ属など、クルマエビ科のエビを活き餌として使っていた。釣りとしては難しい部類だったが、オキアミ類を撒き餌や釣り餌に使うようになって難易度が下がったという。また、ルアー(タイラバ)でも釣れる。また、近年では一つテンヤ釣法などの普及により、難易度が更に下がっている。 骨が大きく丈夫で判別しやすいこともあり、縄文・弥生時代の貝塚からはしばしばマダイの骨や歯が見付かる。食用にしたあとに捨てられたものである。 『古事記』『日本書紀』にもマダイと思われる魚に関する記述がある。『日本書紀』によれば、倭姫命が篠島の鯛を気に入ったことが、伊勢神宮へ捧げられる現代のおんべ鯛奉納祭につながる起源となった。日本最古の和歌集『万葉集』には、「醬酢に蒜搗(つ)き合(あ)へて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱の羹(あつもの)」という和歌がある。 飛鳥時代、7世紀の藤原京跡からは、「多比」「田比」(たひ)と記された46点の木簡が出土した。腊・荒腊(丸干し)、楚割(魚肉を細く切ってから干したもの)、鮨・鮓(寿司、発酵させたなれずし)にして都に送られていた。 平安時代の法令集『延喜式』には、朝廷に献上されるマダイは和泉、伊勢、三河で水揚げされたものに限るといった記述があり、献上されたマダイは宗廊の祭に使われるとある。その後の武家政権時代以降から現代に至るまで、マダイは立派な見かけや赤い体色が盛り付けで見栄えすることから珍重された。 いずれも、食材としての鯛が豪奢であることが由来している。
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マダイ は、スズキ目スズキ亜目タイ科に分類される海水魚。日本では重要な食用魚で、「鯛」といえば狭義にはこの魚を指す。 属名は、ギリシャ語でタイを意味する Πάγρος(パグロス)のラテン語形 Pagrus。種小名は、ラテン語で大きいを意味する major(マヨル)に由来する。Pagrus major(パグルス・マヨル)全体として、「大きな、タイ」という意味を成している。
{{生物分類表 |画像=[[画像:Pagrus major Red seabream ja01.jpg|240px|center]] |status = LC |status_system = iucn3.1 |status_ref = <ref name=iucn>Russell, B., Pollard, D., Mann, B.Q., Carpenter, K.E., Buxton, C.D. & Liao, W. 2014. Pagrus major. The IUCN Red List of Threatened Species 2014: e.T170167A1286175. {{doi|10.2305/IUCN.UK.2014-3.RLTS.T170167A1286175.en}} Downloaded on 23 August 2016.</ref> |名称=マダイ |省略=条鰭綱 |目=[[スズキ目]] {{Sname||Perciformes}} |科=[[タイ科]] {{Sname||Sparidae}} |亜科=[[マダイ亜科]] {{Sname||Pagrinae}} |属=[[マダイ属]] {{Snamei||Pagrus}} |種='''マダイ''' {{Snamei|P. major}} |学名=''Pagrus major''<br/>({{AU|Temminck}} et {{AU|Schlegel}}, [[1843年|1843]])<ref>{{Fishbase_species|genus=Pagrus|species=major}}</ref> |英名=[[:en:Red seabream|Red seabream]]<br/>[[:en:Japanese red seabream|Japanese red seabream]]<br/>[[:en:Red seabream snapper|Red seabream snapper]] |和名='''マダイ''' (真鯛) }} '''マダイ''' (真鯛、{{Lang-en|Red seabream}}、{{Snamei|Pagrus major}})は、[[スズキ目]][[スズキ亜目]][[タイ科]]に分類される[[海水魚]]。[[日本]]では重要な食用魚で、「[[鯛]]」といえば狭義にはこの魚を指す<ref name="東京新聞20130421">【世界と日本 大図解シリーズ】No.1091:鯛と日本人『[[東京新聞]]』2013年4月21日サンデー版</ref>。 [[属 (分類学)|属]]名は、[[ギリシャ語]]でタイを意味する {{Lang|el|Πάγρος}}(パグロス)の[[ラテン語]]形 {{lang|grc-latn|Pagrus}}。[[種小名]]は、ラテン語で大きいを意味する {{Lang|la|major}}(マヨル)に由来する。{{Snamei|Pagrus major}}(パグルス・マヨル)全体として、「大きな、タイ」という意味を成している。 == 別名・地方名・季節名 == タイ、オオダイ、ホンダイ、タイノユウ(各地)、チャリコ、カスゴ([[近畿地方]]・幼魚)、マコ、オオトクダイ(東京)、シバダイ、ヒシコ(長崎県)、マジャー([[有明海]]沿岸)、マコダイ([[鹿児島県]])など、地域や魚体の大きさに応じた様々な呼称がある。漁業関係者の間では、チダイやキダイなどよく似た近縁種との区別もわりと明確で、別物として扱う。 時期や食味に対応した呼称として、「桜鯛」(春の産卵期で脂が乗ったもの。本来は、寒鯛の“身が桜色”になったものを言う)や「紅葉鯛」(秋)<ref>「モミジダイの[[炊き込みご飯]]/[[粗|アラ]]で[[出汁|だし汁]] 秋の味」『[[読売新聞]]』夕刊2018年10月13日2面</ref>、「魚島のたい」(産卵期)、「麦わらだい」(産卵後の味が落ちた状態を表す)<ref name="東京新聞20130421"/>がある。なお、[[サクラダイ]]を標準[[和名]]とする魚もいるので注意を要する。 「魚の王様<ref name="東京新聞20130421"/>」「百魚の王」と呼ばれる。 == 特徴 == 全長120 cmに達する比較的大型の魚。[[釣り]]の対象としては大型の個体が好まれるが、食用として多く流通するのは30 - 70 cm程度である。体は側扁した楕円形で、顎が前方にわずかに突き出る。胸[[鰭]]は細長く、全長の半分近くに達する。[[背びれ|背鰭]]は前に棘条12・後に軟条10、尻鰭も同様に棘条3・軟条8からなる。尾鰭は大きく二叉する。口の中には上顎に2対、下顎に3対の鋭い[[犬歯]]があり、その奥に2列の[[臼歯]]がある<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%A4-136330|title=コトバンク - マダイ|accessdate=2019-10-17}}</ref>。 [[体色]]は紫褐色を帯びた光沢のある淡紅色で、青い小斑点が散在する。若魚では体側に5本の不明瞭な横縞が出るが、成魚ではこの横縞がなくなる。また、尾鰭の後縁が黒い点で[[チダイ]]や[[キダイ]]と区別できる。 [[太平洋]]の[[日本列島]]各地の[[沿岸]]と[[北海道]]以南の[[日本海]]、[[台湾]]や[[朝鮮半島]]沿岸、[[東シナ海]]、[[南シナ海]]に分布する。[[奄美大島]]や[[沖縄諸島]]海域では少ない<ref name="kotobank"/>。漁獲量は東シナ海、[[瀬戸内海]]、日本海の順に多く、太平洋側では南ほど多い。 成魚は水深30 - 200 mの[[岩礁]]や[[砂礫]]底の底付近に生息し、群れを作らず単独で行動する。[[肉食]]性で、[[小魚]]、[[甲殻類]]、[[頭足類]]、[[貝類]]など小動物を幅広く捕食する。頑丈な顎と歯で、[[エビ]]や[[カニ]]の硬い殻も噛み砕いて食べてしまう。 === 生活史 === マダイの産卵期は2 - 8月で、温暖な地域ほど早い。成魚はこの時期になると沖合いの深みから浅い沿岸域に移動する。 卵は直径0.8 - 1.2 mmの分離浮性卵で、海中を漂いながら発生する。産卵数は体重1.1 kgのメスで30万 - 40万、体重4 kgのメスで100万、体重6.2 kgのメスで700万というデータがある。ただしマダイは卵や稚魚を保護しないため、卵や稚魚のほとんどが他の動物に捕食されてしまう。 稚魚は浅い海の砂礫底、岩場、[[藻場]]などで生活し、小動物を捕食しながら成長する。生後1年で全長約15 cmに成長し、2 - 3年で浅場を離れて深みに移る。寿命は20 - 40年程度とみられる。 == 利用 == [[画像:Sashimi-dish Red seabream01.jpg|thumb|240px|タイの姿造り([[日間賀島]]の[[民宿]]にて)]] {{Commonscat|Red seabream dishes|食材としてのマダイ}} 身は歯ごたえのある白身で、淡泊ながらうま味が強い。他の魚に比べて臭みや脂肪などの癖も強くない。また、鮮度の劣化が遅いのも特徴である。[[刺身]]、[[カルパッチョ]]、[[焼き魚]]、[[吸い物]]、[[煮付け]]、[[鍋料理]]、[[鯛めし]]、[[天ぷら]]など多種多様な料理に用いられ、主に机で食べる。 日本では古くからマダイは鮮やかな赤い体色と「メデ'''タイ'''」との[[語呂合わせ]]から、めでたい魚と考えられ、慶祝事や[[神道]]の祭において欠かせない高級食材とされてきた。 需要が多いため、[[養殖]]<ref name="東京新聞20130421"/>や[[放流]]も行われる。また、マダイにあやかってタイ科魚類は勿論、マダイと似た扁平な体型や赤い体色であればタイ科以外の魚でも、総称して「鯛」と呼ばれたり、○○鯛という名が付けられたりすることも多い(「[[鯛]]」の項目参照)。 日本以外の地域では必ずしも高級魚ではない<ref name="東京新聞20130421"/>。<!--アメリカでは、一部の日本料理店などを除き、一般的な食用魚として流通はしていない。-->[[韓国]]では「チャムドム」({{Lang|ko|참돔}})と呼ばれ、日本ほど一般的ではないが食用にする地域もある。[[台湾]]では「{{lang|zh-hant|正鯛}}」「{{lang|zh-hant|加臘}}」と呼ばれ、日本のように高級魚扱いはされないが、[[刺身]]や[[中華料理|中華風の料理]]で食べられている。[[オーストラリア]]では、大型のモノが簡単に釣れることや、淡白な味がオーストラリア人の好みに合わない理由から評価が低く、日本ほど一般的な食用魚として流通はしていない。 === ゴウシュウマダイ === オーストラリア海域で漁獲されるマダイは、'''ゴウシュウマダイ''' [[:en:Australasian snapper|Australasian snapper]] ({{Snamei|Pagrus auratus}}) という、[[北太平洋]]のマダイ ({{Snamei|Pagrus major}}) とは別の[[学名]]が与えられている。しかしこの2種は、外観や味では判別が付かない遺伝子レベルの差異にすぎない。さらには両者が遺伝的に非常に近いことから、マダイとゴウシュウマダイは別の学名の種でなく、同種の別[[亜種]]の関係にあるとする学説もある<ref>[http://nrifs.fra.affrc.go.jp/news/news33/oohara.pdf 中央水産研究所 マダイとゴウシュウマダイの判別について]</ref>。日本では、ゴウシュウマダイを[[北半球]]のマダイとして販売する可能性が懸念されている。これはマダイとゴウシュウマダイの種の違いによる味の違いの問題というよりも、ゴウシュウマダイが日本近海産のマダイより原価が安いことを悪用した[[産地偽装|原産地偽装]]の問題である。 === 養殖マダイ === [[File:Painting of a Red Sea Bream (Tai) by Ogawa Haritsu, 18th century.jpg|thumb|350px|[[小川破笠]]が描いたマダイ]] 主に温暖な[[西日本]]の、波静かな[[リアス式海岸]]となった地域において、マダイの養殖が盛んに行われる。[[宇和海]]に面した[[愛媛県]][[宇和島市]]とその周辺で盛んに営まれ、全国シェアの50%程度を占めている。他の産地は[[熊本県]]、[[三重県]]、[[長崎県]]、[[高知県]]、[[和歌山県]]などである。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ [[平成]]27年[[農林水産省]] 養殖業生産統計概数値(養殖まだい)<ref>[http://www.maff.go.jp/j/tokei/seiryu/kamimen_gaisuu27/kaimen27.html 平成27年漁業・養殖業生産統計] 農林水産省</ref> ! 順位 !! 都道府県 !! トン (t) |- | || 全国 || 63,500 |- | 1 || 愛媛 || 34,200 |- | 2 || 熊本 || 10,400 |- | 3 || 三重 || 5,500 |- | 4 || 高知 || 4,900 |- | 5 || 長崎 || 2,700 |- | 6 || 和歌山 || 1,600 |} 陽光の差し込む水深では[[日焼け]]して体表の[[メラニン]]が活性化することで、体色が濃い褐色となる。これで商品価値が下がるため、マダイの養殖[[生け簀]]の上には通常黒いネットを張って日焼けを防ぐが、根本的な解決には至っておらず、現在様々な専門機関でマダイの色揚げに関する研究が行われている。また、養殖物は狭い空間で充分な餌を与えられるため、天然ものより身の脂肪分が多い。1.5-2kg程度のものが味が良いとされるが、300gほどのものも「小だい」として出荷される。養殖技術の進歩と共に養殖物が大量に出回るようになって[[浜価]]は下がり、[[スーパーマーケット]]等にも短冊が日常的に並ぶようになった。このため手に入れにくいような「高級魚」ではなくなりつつある。 === 天然マダイ === 一方、天然物のマダイは養殖物にない鮮やかな体色と癖の少ない食味で重宝され、高値で取引きされる。[[一本釣り]]、[[延縄]]、[[定置網]]などで年間1万3000-1万6000トンほどが漁獲されている。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 平成27年農林水産省 海面漁業統計概数値(天然まだい)<ref>[http://www.maff.go.jp/j/tokei/seiryu/kamimen_gaisuu27/kaimen27.html 平成27年漁業・養殖業生産統計(概数値)] 農林水産省</ref> ! 順位 !! 都道府県 !! トン (t) |- | || 全国 || 15,000 |- | 1 || 長崎 || 2,000 |- | 2 || 福岡 || 1,800 |- | 3 || 愛媛 || 1,200 |- | 4 || 兵庫 || 900 |- | 5 || 山口 || 800 |- | 6 || 熊本 || 700 |} 天然物は海釣りの対象としても人気が高い。産卵期に浅場へやってくる春や、冬に備え深場に移る秋が釣りのシーズンとされる。逆に産卵直後の晩春から初夏にかけては脂肪分が抜けて味が落ちるとされる。 釣り餌は、かつては[[シバエビ]]や[[アカエビ属]]など、[[クルマエビ科]]のエビを[[活き餌]]として使っていた。釣りとしては難しい部類だったが、[[オキアミ]]類を撒き餌や[[釣り餌]]に使うようになって難易度が下がったという。また、[[ルアーフィッシング#ベイトロッド|ルアー(タイラバ)]]でも釣れる。また、近年{{いつ|date=2013年8月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では一つ[[テンヤ釣法]]などの普及により、難易度が更に下がっている。 == 歴史 == 骨が大きく丈夫で判別しやすいこともあり、[[縄文時代|縄文]]・[[弥生時代|弥生]]時代の[[貝塚]]からはしばしばマダイの骨や歯が見付かる。食用にしたあとに捨てられたものである。 『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』にもマダイと思われる魚に関する記述がある。『日本書紀』によれば、[[倭姫命]]が[[篠島]]の鯛を気に入ったことが、[[伊勢神宮]]へ捧げられる現代の[[篠島#おんべ鯛奉納祭|おんべ鯛奉納祭]]につながる起源となった<ref name="東京新聞20130421"/>。日本最古の[[和歌集]]『[[万葉集]]』には、「醬酢に蒜搗(つ)き合(あ)へて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱の羹(あつもの)」<ref>{{Cite book|和書|title=万葉集|publisher=|year=758年|page=巻十六3829|last=長忌寸意吉麻呂}}</ref>という[[和歌]]がある。 [[飛鳥時代]]、7世紀の[[藤原京]]跡からは、「多比」「田比」(たひ)と記された46点の[[木簡]]が出土した<ref name=yamazaki>山崎健「藤原宮造営機における動物利用」、奈良文化財研究所・編『文化財学の新地平』、2013年、350 - 351頁。</ref>。腊・荒腊(丸干し)、[[楚割]](魚肉を細く切ってから干したもの)、鮨・鮓(寿司、発酵させたなれずし)にして都に送られていた<ref name=yamazaki></ref>。 [[平安時代]]の法令集『[[延喜式]]』には、朝廷に献上されるマダイは[[和泉]]、[[伊勢]]、[[三河国|三河]]で水揚げされたものに限るといった記述があり、献上されたマダイは宗廊の祭に使われるとある。その後の[[武家政権]]時代以降から現代に至るまで、マダイは立派な見かけや赤い体色が[[盛り付け]]で見栄えすることから珍重された<ref name="東京新聞20130421"/>。 == ことわざ・慣用句 == いずれも、食材としての鯛が豪奢であることが由来している。 * 海老で鯛を釣る - マダイの釣り餌に小さなエビを用いることから転じ、小さな元手で大きな利益を得ることを例えたもの。 * 腐っても鯛 - たとえ腐ったとしても、高級魚であるその価値が損なわれないことから転じ、本来すぐれた価値を持つものは、おちぶれてもそれなりの値打ちがあることを例えたもの。 * 鯛の尾より[[イワシ|鰯]]の頭 - マダイが高級食材であることから転じて、大きい団体で低い地位に甘んじているよりも、小さい団体でもその長となる方が良いことを例えたもの。 == 参考文献 == {{参照方法|date=2020-07|section=1}} * 岡村収監修 山渓カラー名鑑『日本の海水魚』[[山と渓谷社]](タイ科執筆者 : 赤崎正人)ISBN 4-635-09027-2 * 藍澤正宏ほか『新装版 詳細図鑑 さかなの見分け方』[[講談社]] ISBN 4-06-211280-9 * [[永岡書店]]編集部『釣った魚が必ずわかるカラー図鑑』ISBN 4-522-21372-7 * 岩井保『魚学入門』[[恒星社厚生閣]] ISBN 4-7699-1012-6 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wikispecies|Pagrus major}} {{Commonscat|Pagrus major}} {{DEFAULTSORT:またい}} [[Category:タイ科]] [[Category:釣りの対象魚]] [[Category:愛媛県の象徴]] [[Category:プライドフィッシュ]] [[Category:コンラート・ヤコブ・テミンクによって名付けられた分類群]] [[Category:ヘルマン・シュレーゲルによって名付けられた分類群]] [[Category:1843年に記載された魚類]]
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トライアスロン
トライアスロン(英語: triathlon)は、水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を、この順番で連続して行う耐久競技であり、1974年アメリカで初開催された比較的新しいスポーツである。 triathlonは、ギリシャ語で数字の「3」を意味する接頭辞 tri- と、「競技」を意味する athlon の合成語で、英語発音にならって「トライアスロン」と呼ばれる。 この言葉自体は、具体的な種目名を示していないが、現在では、水泳・自転車・長距離走(スイム・バイク・ラン)の3種目を、この順番で、それぞれの距離・コースを設定し1人のアスリートが連続して行う競技を指す。 競技距離は、スタンダードディスタンス(またはオリンピックディスタンス )のレースは合計51.5km(スイム1.5km・バイク40km・ラン10km)で行われる。スプリントディスタンスはその半分の合計25.75km(スイム0.75km・バイク20km・ラン5km)で行われる。ロングディスタンス(長距離)はスイム3km以上、バイク91km以上、ラン22km以上のレースを指す。例えばアイアンマンレースは合計約226km(スイム3.8km・バイク180.2km・ラン42.2km)で行われる。大会により様々な距離設定で行われている(規格について詳しくは「種類」の節を参照のこと)。 チームリレーでは、1人が3種目を連続して行う。混合リレー(男女各2名の4人)、2×2混合リレー(男女各1名の2名で2回ずつ完走)、3人リレー(同性3名)がある。また、男女問わず3名で1種目ずつ分担する「コーポレイト」もある。 オリンピックでは、競技時間・コース設定などの運営上、個人戦はスタンダードディスタンスで行われる。よって日本代表選考会も同様である。 「ロングディスタンス」の場合、競技時間が10時間を超える場合が少なくないため、「過酷なスポーツ」との認識が根強い。しかし、「スタンダードディスタンス」等のレースでは一般の市民アスリートの参加も多く、現在、このレース距離の大会が多くを占めている。 2000年シドニーオリンピックより、トライアスロンはオリンピックの正式種目となった。パラリンピックの正式種目となるのは、2016年リオデジャネイロパラリンピックからである。 日本では、2009年「トキめき新潟国体」より国体の公開競技となり、2016年「希望郷いわて国体」より正式競技となった。国体ではスタンダードディスタンスで実施されている。 ワールドトライアスロン競技規則23条(附則A)の定めによるレース距離は以下の通り。大会によって距離は変更される。基準となる規格の背景は黄色。ディスタンスとは距離の意味。 バイクでは、距離や部門により、以下のような「ドラフティング(スリップストリーム)の禁止」または「ドラフティング許可だが、周回遅れで除外(棄権)」のどちらかのルールが適用される。 すべての年代、あらゆる能力のアスリートにレースを提供し、観客に感動と興奮をもたらすイベントとして、世界各国でロングディスタンスレースを開催している。ドイツのロート発祥。 スタンダードディスタンス(オリンピックディスタンス)の大会は、全国各地で数多く行われており、多くの市民アスリートが出場している。 学生の最大規模の大会(通称インカレ)では日本学生トライアスロン選手権大会(個人戦・団体戦)が毎年行われている。団体戦はチーム上位3名の合計タイムを競う。2019年度の男子団体では、優勝日本体育大学準優勝早稲田大学3位東北大学、女子団体優勝日本体育大学(6連覇)準優勝日本大学3位東海大学で日体大がアベック優勝を成し遂げた。 エリート(プロ選手・実業団等に属す選手等)部門を対象とするレースは、日本トライアスロン選手権や国民体育大会などがある。日本トライアスロン選手権など一部のレースは日本トライアスロン連合による「ジャパンランキング」(後述)の対象イベントとなっており、この成績に国際大会の成績を加味した国内年間ランキングを決定する。 NTTトライアスロンジャパンランキングは、日本国籍の日本トライアスロン連合登録選手による年間ランキング。1996年(平成8年)からトライアスロンジャパンカップの名称で始まった。年によって対象となるレースや計算方法が異なっている。 2022年基準では、ワールドトライアスロンの最新1年間の獲得ポイントに、日本トライアスロン選手権の特別ポイントを加え年間ランキングを決定する。 選手たちは成績により、高い方から SS、S、A、B、C の5つのカテゴリーでポイントが付与される。SSカテゴリーは、ITUワールドチャンピオンシップシリーズの世界ランキングを点数化して付与するが、Sカテゴリー以下は各大会ごとの成績で付与される。Sカテゴリーは同シリーズの各大会にあたり、日本ではWCS横浜大会が同カテゴリーで開催される。Aカテゴリーは、日本において伝統的に国内最高峰大会に位置づけられてきた大会で、開幕戦(石垣島大会)と最終戦(東京港大会)にて行われる。石垣島大会は、ITUトライアスロンワールドカップの1つでもあった。東京港大会は日本トライアスロン選手権にあたる。Bカテゴリーは、その他の日本国内における国際大会であり、アジアを転戦するITUアジアトライアスロン大会のシリーズ戦に含まれている(東京港大会以外のSおよびAカテゴリーもアジアのシリーズ戦に含まれる)。CカテゴリーはJTUによる国内大会である(大会名に「国際」が付いているが、ITU国際大会ではない)。 WCS横浜大会は、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で当初予定の5月には開催せず、延期された。 アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンを2010年より知多半島(2020年時点では愛知県知多市の新舞子マリンパーク周辺)で開催している。アイアンマン70.3世界選手権(9月開催:ラスベガス)の参加資格を得られる。 ロングディスタンスの大会は、2022年現在、日本国内では5つある。 2009年(平成21年)までアイアンマン・ジャパントライアスロン五島長崎が行われた。2010年(平成22年)は口蹄疫の発生等が原因で中止になった。2013年からアイアンマン・ジャパンが北海道・洞爺湖周辺で開催されていたが、体制の見直しを理由に2015年(平成27年)大会を最後に一時休止中。 五島長崎国際トライアスロン大会については、2011年(平成23年)以降について「アイアンマン」の商標権所有会社と五島市の間で「アイアンマン」の商標使用に関する契約締結はなく、独自ブランド「五島長崎国際トライアスロン大会」(愛称:バラモンキング)で、2011年(平成23年)以降もトライアスロン大会を継続することになった。 JTU主催の元、毎年、全国各地で認定記録会が行われている。20歳以上の場合、スイム400m、ラン5000mである。 20歳以上の場合、以下のタイムを超えると、級が与えられる。 スイム、ラン両方が7級を超えるとトップ・オブ・トップス大会以外のジャパンカップに出場できる。 (スイム×2+ラン)の合計タイムが(スイム5級×2+ラン5級)を超えると強化指定選手となり、ワールドカップに出場できる。 トライアスロン大会に参加・完走した経験がある有名人
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トライアスロンは、水泳・自転車ロードレース・長距離走の3種目を、この順番で連続して行う耐久競技であり、1974年アメリカで初開催された比較的新しいスポーツである。
{{スポーツ | 画像 = File:Tri swim bike run.jpg | 画像サイズ = 400px | キャプション = [[オープンウォータースイミング|水泳]](スイム)、[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]](バイク)、[[長距離走]](ラン)の順番で連続して行う。 | 競技統括団体 = [[ワールドトライアスロン]] | 通称 = | 起源 = 1974年 | 競技登録者 = | クラブ = | 身体接触 = 有 | 選手 = | 男女 = 有 | カテゴリ = 屋外競技 | 用品 = | 用語 = | オリンピック = [[2000年シドニーオリンピック|2000年]] - | 地域 = | パラリンピック = [[2016年リオデジャネイロパラリンピック|2016年]] - | 世界選手権 = 1983年 - ([[アイアンマン世界選手権大会|アイアンマン]]は1978年 - ) }} '''トライアスロン'''({{lang-en|triathlon}})は、[[オープンウォータースイミング|水泳]]・[[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース]]・[[長距離走]]の3種目を、この順番で連続して行う耐久競技であり、[[1974年]][[アメリカ合衆国|アメリカ]]で初開催された比較的新しい[[スポーツ]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.joc.or.jp/sports/triathlon.html|title=競技紹介 トライアスロン|format=|pages=|work=日本オリンピック委員会|date=|accessdate=2022-05-15}}</ref>。 == 概要 == triathlonは、[[ギリシャ語]]で[[数字]]の「[[3]]」を意味する[[接頭辞]] ''tri-'' と、「[[競技]]」を意味する ''athlon'' の合成語で、[[英語]]発音にならって「トライアスロン」と呼ばれる。 この言葉自体は、具体的な種目名を示していないが、現在では、[[水泳]]・[[自転車]]・[[長距離走]](スイム・バイク・ラン)の3種目を、この順番で、それぞれの距離・コースを設定し1人の[[アスリート]]が連続して行う競技を指す。 競技距離は、'''スタンダードディスタンス'''(またはオリンピックディスタンス<ref group="注" name="olympic">2000年9月、シドニーオリンピックでトライアスロンが正式種目となり、スタンダード・ディスタンス形式が採用され、これ以降、国際的にスタンダードディスタンスとオリンピックディスタンスは同義となったが、現状は「スタンダード・ディスタンス」と呼ぶのが正式である。</ref> )のレースは合計'''51.5km'''(スイム1.5km・バイク40km・ラン10km)で行われる。'''スプリントディスタンス'''はその半分の合計'''25.75km'''(スイム0.75km・バイク20km・ラン5km)で行われる<ref group="注">コース設定の関係で「スプリント」よりも短かかったり長かったりした場合、ショート・ディスタンスと呼ぶ主催者もいるが、これは正式名称ではない</ref>。'''ロングディスタンス'''(長距離)はスイム3km以上、バイク91km以上、ラン22km以上のレースを指す。例えば[[アイアンマンレース]]は合計約226km(スイム3.8km・バイク180.2km・ラン42.2km)で行われる。大会により様々な距離設定で行われている(''規格について詳しくは「[[#種類|種類]]」の節を参照のこと'')。 チーム[[駅伝制|リレー]]では、1人が3種目を連続して行う。混合リレー(男女各2名の4人)、2×2混合リレー(男女各1名の2名で2回ずつ完走)、3人リレー(同性3名)がある。また、男女問わず3名で1種目ずつ分担する「コーポレイト」もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://archive.jtu.or.jp/jtu/pdf/JTU_COMPETITIONRULES_20190122.pdf|title=JTU競技規則|format=PDF|pages=41|work=日本トライアスロン連合|date=2021-12-18|accessdate=2022-04-17}}</ref>。 [[ファイル:Triathlon pictogram.svg|150px|upright|thumb|[[オリンピックトライアスロン競技|夏季オリンピック・トライアスロン競技]]のシンボルマーク]] [[オリンピックのトライアスロン競技|オリンピック]]では、競技時間・コース設定などの運営上、個人戦はスタンダードディスタンスで行われる<ref group="注" name="olympic" />。よって日本代表選考会も同様である。 「ロングディスタンス」の場合、競技時間が10時間を超える場合が少なくないため、「過酷なスポーツ」との認識が根強い。しかし、「スタンダードディスタンス」等のレースでは一般の市民アスリートの参加も多く、現在、このレース距離の大会が多くを占めている。 [[2000年シドニーオリンピック]]より、トライアスロンはオリンピックの正式種目となった。[[パラリンピック]]の正式種目となるのは、[[2016年リオデジャネイロパラリンピック]]からである<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/other_sports/disability_sport/9269632.stm |title=Canoeing and triathlon added to 2016 Paralympic Games |publisher=bbc.co.uk|work=BBC News |accessdate=2011-09-05|date=2010-12-11}}</ref><ref>[http://www.triathlon.org/news/article/paratriathlon_added_to_the_rio_2016_paralympic_games/ Paratriathlon added to the Rio 2016 Paralympic Games &#124; Triathlon.org - International Triathlon Union]</ref>。 日本では、[[2009年]]「[[第64回国民体育大会|トキめき新潟国体]]」より[[国民体育大会|国体]]の公開競技となり、[[2016年]]「[[第71回国民体育大会|希望郷いわて国体]]」より正式競技となった。国体ではスタンダードディスタンスで実施されている。 == 歴史 == === 国際的な経緯 === * [[1974年]][[9月25日]]、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]で、世界初のトライアスロン大会が実施された。46人の選手が出場した<ref>[[:en:Triathlon#Modern triathlon|英語版]]</ref><ref>[http://www.jtu.or.jp/jtu/gaiyou.html 公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)の概要・歴史]日本トライアスロン連合、2022年2月27日閲覧。</ref>。 * [[1977年]]、[[ハワイ州|ハワイ]]で、[[アメリカ海軍]]の軍人達が[[宴会]]の席上、「[[マラソン]]・[[遠泳]]・サイクル[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]のどれが最も過酷か」と議論、比較できず、「この際まとめてやってみよう」と、翌[[1978年]]、同地でアイアンマン・トライアスロンが行われた。これがきっかけとなり、この時のレース距離スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195kmと制限時間17時間でのレースが、[[アイアンマン世界選手権大会]]へと発展し、現在、世界各地でハワイ本戦出場をかけた[[アイアンマンレース]]が開催されている。 * [[1982年]]、3種目のレース距離を短縮し、スイム1.5km・バイク40km・ラン10km、合計51.5kmとした新たな国際基準が設定された。従来のレース距離に対し、1/4以下という短距離(ショート・ディスタンス)となった。現在では、このレース距離の大会が多くを占めている。 * [[1989年]]、[[ワールドトライアスロン|国際トライアスロン連合]]設立。本部、[[カナダ]]・[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]。 * [[2000年]]9月、[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]でトライアスロンが正式種目となり<ref>{{Cite web|和書|url=https://spaia.jp/column/triathlon/1991|title=大会によって距離が異なる?耐久レースとしてのトライアスロン|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2016-12-09|accessdate=2020-11-20}}</ref>、スタンダードディスタンスが採用された。これ以降、国際的にこの距離を「オリンピックディスタンス」とも呼ばれるようになった。 * [[2021年]]7月、[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]で、男女個人に加え新種目として混合リレーが開催された。1人がスイム0.3km・バイク6.8km・ラン2kmの合計9.1kmを走り、女・男・女・男の順でリレーした<ref name=tokyo2020>{{Cite news |title=オリンピック トライアスロン混合リレー 日本は13位 |newspaper= |publisher=日本放送協会 |date=2021-07-31 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210731/k10013172031000.html |accessdate=2022-02-28}}</ref>。 === 日本での経緯 === [[File:Birthplace of triathlon in Japan 220612.jpg|thumb|皆生温泉にある「日本トライアスロン発祥の地」の看板]] * [[1981年]]([[昭和]]56年)[[8月20日]]、[[鳥取県]][[米子市]]の[[皆生温泉]]旅館組合の若手経営者達が、日本初のトライアスロン大会となる「[[全日本トライアスロン皆生大会|皆生トライアスロン '81]]」を開催した。53人の選手が出場した{{Refnest|group=注|「日本トライアスロン発祥記念碑」が同温泉に隣接する海水浴場に設置してある<ref>[http://www.kaike-triathlon.com/rekishi.htm 「皆生大会の始まり」]皆生トライアスロン協会編。</ref>。}}<ref name="名前なし-1">参加者数は同大会公式ホームページによる。</ref>。 * [[1985年]]([[昭和]]60年)[[4月28日]]、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]により、現在の[[沖縄県]][[宮古島市]]で初開催された大会「第一回[[全日本トライアスロン宮古島大会]]」が、初めて全国に生中継された。四部構成・合計2時間30分に渡り放送。241人の選手が出場した{{Refnest|group=注|[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]で、1985年(昭和60年)4月28日大会当日、合計2時間30分(7:30〜8:00・10:00〜10:45・13:00〜13:30・18:00〜18:45)、「挑戦することは素晴らしい、中継・南の島のトライアスロン大会」として全国中継された。<br>なお、地理的条件から、通常の全国中継と異なり、実現には衛星使用が不可欠だったが、当時まだ、専用の[[放送衛星]]はなく([[NHK BS1|衛星放送]]開始[[1989年]]6月以前だったため)、NHKは、東京放送センターと沖縄放送局間を、借り受けた[[通信衛星]]・[[さくら2号a|さくら2号]](多目的衛星)で結ぶことで、総合テレビによるこの大会の全国中継を実現させた。<ref>[http://www.miyako-net.ne.jp/~strong/]</ref>。}}<ref name="名前なし-1"/>。 * [[1989年]]([[平成]]元年)[[9月17日]]、[[NHK BS1|NHK衛星第1テレビ]](現在の[[NHK BS1]])により、現在の[[新潟県]][[佐渡市]]で初開催された大会「[[佐渡国際トライアスロン大会|'89トライアスロン・ジャパンカップ・イン佐渡]]」が、全国に生中継された。三部構成・合計6時間に渡り放送。1,328名の選手が出場した{{Refnest|group=注|[[NHK BS1|NHK衛星第1テレビジョン]](放送開始1989年(平成元年)6月1日)にて、同年9月17日大会当日、合計6時間(6〜8時・11〜12時・15〜18時)、“日本列島古里発スペシャル「トライアスロン・イン・佐渡」(中継・向後雅博、[[金剛英華]])”で、早朝スイムスタート、日中バイクコース、夕方ゴールシーンなど、全国中継され、長距離に渡るバイクコースは、[[ヘリコプター]]で中継された<ref>[http://www.scsf.jp/triathlon/]</ref>。なお、現在の大会名「[[佐渡国際トライアスロン大会]]」となったのは1996年大会(平成8年9月1日)から、また、開催日が毎年9月第1日曜日となったのは1990年大会(平成2年9月2日)からである。[[佐渡国際トライアスロン大会#歴史]]}}<ref>参加者数は1999年大会公式パンフレット P33 「これまでの大会記録 WINNERS」一覧表による。</ref>。 * [[1994年]]([[平成]]6年)[[4月16日]]、[[日本トライアスロン連合]] (JTU) 発足。 * [[1998年]]([[平成]]10年)[[9月5日]]、現在の新潟県佐渡市で、[[アジア]]では初めて[[世界ロングディスタンストライアスロン選手権]](スイム3km・バイク136km・ラン28km)が開催された。世界の主要プロ選手がそろったこの時の世界選手権で、[[志垣めぐみ]]が、日本選手として初めてメダル(3位)を獲得した。 * [[2007年]](平成19年)、[[トライアスロンワールドカップ|ITUワールドカップ]]・[[エイラート]]大会で、男子の[[田山寛豪]](チームテイケイ)が日本選手として初めて優勝した。 * [[2008年]](平成20年)、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]で、女子の[[井出樹里]]が、日本選手として初のオリンピック[[入賞]](5位)を果たした。 * [[2009年]](平成21年)9月27日、「[[第64回国民体育大会|トキめき新潟国体]]」で、公開競技としてトライアスロンがスタンダードディスタンスで行われた(国体の正式競技となるのは2016年「[[第71回国民体育大会|希望郷いわて国体]]」から)。 * [[2010年]](平成22年)、[[シンガポールユースオリンピック]]で女子の[[佐藤優香]]が金メダルを獲得。[[中華人民共和国|中国]]・[[広州市|広州]]での[[2010年アジア競技大会|アジア大会]]で、男子の[[細田雄一]]・[[山本良介]]、女子の[[足立真梨子]]・[[土橋茜子]]がそれぞれ金メダル・銀メダルを獲得した。 * [[2021年]]([[令和]]3年)7月、前述の通り[[2020年東京オリンピックのトライアスロン競技|東京オリンピックのトライアスロン種目]]が[[お台場海浜公園]]周辺周回コースで行われ、男女個人と新種目の混合リレーを加えた3種目が実施された<ref name=tokyo2020 />。 == 種類 == [[ワールドトライアスロン]]競技規則23条(附則A)の定めによるレース距離は以下の通り。大会によって距離は変更される。基準となる規格の背景は黄色。ディスタンスとは距離の意味。 {|class="wikitable" style="text-align:center" |+ ワールドトライアスロン競技規則による規格<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jtu.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2022/03/WorldTriathlon_competition-rules_JP_2022.pdf|title=World Triathlon競技規則(簡易和訳)|format=PDF|pages=149|work=日本トライアスロン連合|date=2021-12-18|accessdate=2022-04-17}}</ref> |- !種類 !スイム !バイク !ラン !備考 |- |リレー(1人あたり) |250-300m |5-8km |1.5-2km |<small>混合リレー、2×2混合リレー、3人リレー。</small> |- |スーパースプリント||250m-500m||6.5-13km||1.7-3.5km|| |- |スプリント||750mまで||20kmまで||5kmまで|| |- bgcolor="#ffffcc" |スタンダード||1500m||40km||10km||<small> [[オリンピックトライアスロン競技|オリンピック]]個人戦でも実施。</small> |- |ミドル||1999-2999m||80-90km||20-21km|| |- |ロング||3000-4000m||91-200km||22-42.2km|| |} {|class="wikitable" style="text-align:center" |+その他の参考規格 |- !種類 !スイム !バイク !ラン !備考 |- bgcolor="#ffffcc" |[[アイアンマンレース|アイアンマン]]||3.8km||180.2km||42.2km||<small>五島長崎国際(日本ウルトラロング選手権)など。</small> |- |アイアンマン70.3||1.9km||90km||21.0975km||<small>アイアンマンの半分。</small> |- |トライアスロン101||3.0km||130km||30km||<small>合計約101[[マイル]]。[[2007年]]から。</small> |} * [[アイアンマンレース]]で、17時間の制限時間以内に完走すると“アイアンマン”([[鉄人]])の称号を受けられる<ref group="注">以前は諸般の事情から、アイアンマン・ジャパンの制限時間は15時間であったが([[長崎県]]・[[五島市]]で開催されていた時代)、[[北海道]]・[[洞爺湖]]畔にて開催されるようになってからは17時間に延長されている。</ref>。 == ルール == ===自転車のドラフティング=== バイクでは、距離や部門により、以下のような「ドラフティング([[スリップストリーム]])の禁止」または「ドラフティング許可だが、周回遅れで除外(棄権)」のどちらかのルールが適用される。 * ドラフティング(スリップストリーム)の'''禁止''' : 一般参加の多くの大会やエイジグループ(年代別の部門)で適用。また、ミドル距離とロング距離ではエリート含め全部門で適用(JTU競技規則<ref>[https://archive.jtu.or.jp/jtu/pdf/JTU_COMPETITIONRULES_20190122.pdf 日本トライアスロン連合競技規則]日本トライアスロン連合、2019年1月改定。</ref>99条)。 ** このルールでは、通常の自転車レースに見られる集団走行、他人を風よけに使っての走行は禁止されている<ref group="注">具体的には、ミドル距離以上では前方選手の前輪先端から後方12mに25秒以上、スタンダード距離以下では後方10mに20秒以上いてはならない(105条)。</ref>。 ** 違反した場合、審判からタイムペナルティ(一定時間<ref group="注">ロング、ミドルは5分、スタンダードは2分、それ以外の距離は1分。</ref>所定のペナルティボックスで待機)またはストップ・アンド・ゴー(一定時間左端または支障のない場所で待機)のどちらかを告げられる(108条、127-129条)。スタンダード距離以下は2回目の違反で、ミドル距離以上は3回目の違反で失格(130条)<ref group="注">タイムペナルティを履行できなかった場合も失格(130条)。</ref>。 ** トライアスロンでのトラブルの多くは、ドラフティングによる失格判定の問題である。ルールを明確化するためいっそのことドラフティングを認める方が良いという意見もある。しかし、ドラフティングを許してしまえば、スイム・バイクでは集団に着いていく力さえあればそれ以上の能力は不要。ランだけで勝負が決まることになるとの批判も多い。 ** 特にロング大会においては、自らの力で走りきることを主旨としており、認められていない([[コンペティティブ・ペーシェンス]]としての側面が強い)。 ** ドラフティング禁止というルール、そして[[国際自転車競技連合|UCI]]管轄外ということでバイクに制限がない、という2点があるために、ロードレースでありながら[[タイムトライアルバイク]]に複数のボトルや補給食、スペアチューブや畳めるタイヤ、携帯工具など修理機材を積めるように小改修したバイクを使用する選手が多い。 * ドラフティングの'''許可''' : スタンダード距離以下のエリート部門([[オリンピックのトライアスロン競技|オリンピック]]、[[世界トライアスロンシリーズ]]や[[トライアスロンワールドカップ|ワールドカップ]]を含む)、U23・ジュニアなどの部門、チームリレーなどで適用。 ** バイクで周回遅れの場合は、審判によってレースから除外される(114条)<ref group="注">周回遅れの追い抜きが起こるであろうと審判が判断した場合も安全上の理由から除外を宣告できる(114条)。</ref>。周回遅れは「ラップ(LAP)」と呼ばれる<ref group="注">レース除外のルールを変更することも可。周回遅れでも競技続行を認められた場合は、周回遅れとなった選手が周回遅れとした選手の後ろに付く事が禁止となる(114条2項)。</ref>。なお、スイムやランで周回遅れとなっても除外されない。 === その他のルール === * 第三者の手を借りてはならない。 ** パンクやメカトラブルも自分で対応・処置しなければならない。 :(※:[[パルクフェルメ#自転車競技におけるパルクフェルメ]]も参照) == 世界の主な大会 == === スタンダードディスタンス === * [[オリンピックのトライアスロン競技|オリンピック]] *:個人男女と、混合リレー<ref group="注">1人がスイム・バイク・ランを連続して行い、女男女男の順にリレー。[[2021年]]の[[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]からの新種目。</ref>の3種目が行われている。 * [[世界トライアスロンシリーズ]] *:世界の数か所を転戦し、順位ポイントにより年間優勝を決めるシリーズ戦。オリンピックに次ぐ最高峰の大会。日本では[[横浜市|横浜]]大会が行われている<ref>[https://yokohamatriathlon.jp/wts/index.html 世界トライアスロンシリーズ横浜大会]横浜トライアスロン、2022年5月1日閲覧。</ref>。 * [[トライアスロンワールドカップ]] *:ワールドカップは世界トライアスロンシリーズに次ぐシリーズ戦。日本では[[宮崎市|宮崎]]大会が行われている<ref>[https://miyazaki-tri.com/ 公式サイト]ITUトライアスロンワールドカップ(2020/宮崎)、2022年5月1日閲覧。</ref>。過去には[[石垣島]]トライアスロン大会がこれに含まれていた。 === ロングディスタンス === *[[世界ロングディスタンストライアスロン選手権]] *:日本代表選考会は、[[佐渡国際トライアスロン大会|日本ロングディスタンス選手権]]、五島長崎国際トライアスロンなどが兼ねる<ref>[https://www.jtu.or.jp/news/2021/12/08/37802/ 2022 ワールドトライアスロン ロングディスタンストライアスロン選手権 エリート日本代表選考基準]日本トライアスロン連合、2022年2月27日閲覧。</ref>。 *[[アイアンマンレース]] - [[アイアンマン世界選手権大会]] *:アイアンマンレースは{{仮リンク|ワールド・トライアスロン・コーポレーション|en|World Triathlon Corporation}}(WTC)が開催するロングディスタンス規格のトライアスロン大会。[[アイアンマン世界選手権大会]]が[[ハワイ島]]の[[カイルア・コナ]]で開催されており、全世界の予選会の上位入賞者が参加権を得る。 === チャレンジ・ファミリー === すべての年代、あらゆる能力のアスリートにレースを提供し、観客に感動と興奮をもたらすイベントとして、世界各国でロングディスタンスレースを開催している。[[ドイツ]]の[[ロート (市)|ロート]]発祥。 == 日本の主な大会 == === スタンダードディスタンス === スタンダードディスタンス(オリンピックディスタンス)の大会は、全国各地で数多く行われており、多くの市民アスリートが出場している。 学生の最大規模の大会(通称[[インターカレッジ|インカレ]])では[[日本学生トライアスロン選手権大会]](個人戦・団体戦)が毎年行われている。団体戦はチーム上位3名の合計タイムを競う。2019年度の男子団体では、優勝日本体育大学準優勝早稲田大学3位東北大学、女子団体優勝日本体育大学(6連覇)準優勝日本大学3位東海大学で日体大がアベック優勝を成し遂げた。 エリート(プロ選手・実業団等に属す選手等)部門を対象とするレースは、[[日本トライアスロン選手権]]や[[国民体育大会]]などがある。日本トライアスロン選手権など一部のレースは[[日本トライアスロン連合]]による「[[#ジャパンランキング|ジャパンランキング]]」(後述)の対象イベントとなっており、この成績に国際大会の成績を加味した国内年間ランキングを決定する。 ==== ジャパンランキング ==== [[日本電信電話|NTT]]トライアスロンジャパンランキングは、[[日本国籍]]<ref group="注">国籍移動申請中も含む。</ref>の日本トライアスロン連合登録選手による年間ランキング<ref name=japanrank2022>[https://www.jtu.or.jp/news/2021/12/08/37737/ 2022年NTTトライアスロン・ジャパンランキング 基準]日本トライアスロン連合(2021年12月8日)2022年3月19日閲覧。</ref>。[[1996年]](平成8年)からトライアスロンジャパンカップの名称で始まった<ref name="JapanCup2010">[http://www.jtu.or.jp/race/japancup/2010/jc.html NTTトライアスロンジャパンカップランキング]日本トライアスロン連合</ref>。年によって対象となるレースや計算方法が異なっている。 [[2022年]]基準では、[[ワールドトライアスロン]]の最新1年間の獲得ポイントに、[[日本トライアスロン選手権]]の特別ポイントを加え年間ランキングを決定する<ref name=japanrank2022 />。 ;過去の基準 選手たちは成績により、高い方から SS、S、A、B、C の5つのカテゴリーでポイントが付与される。SSカテゴリーは、[[世界トライアスロンシリーズ|ITUワールドチャンピオンシップシリーズ]]の世界ランキングを点数化して付与するが、Sカテゴリー以下は各大会ごとの成績で付与される。Sカテゴリーは同シリーズの各大会にあたり、日本では[[世界トライアスロンシリーズ|WCS]]横浜大会が同カテゴリーで開催される。Aカテゴリーは、日本において伝統的に国内最高峰大会に位置づけられてきた大会で、開幕戦(石垣島大会)と最終戦(東京港大会)にて行われる。石垣島大会は、[[#ワールドカップ|ITUトライアスロンワールドカップ]]の1つでもあった。東京港大会は日本トライアスロン選手権にあたる。Bカテゴリーは、その他の日本国内における国際大会であり、[[アジア]]を転戦するITUアジアトライアスロン大会のシリーズ戦に含まれている(東京港大会以外のSおよびAカテゴリーもアジアのシリーズ戦に含まれる)。CカテゴリーはJTUによる国内大会である(大会名に「国際」が付いているが、ITU国際大会ではない)。 WCS横浜大会は、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])の影響で当初予定の5月には開催せず、延期された。 <!--全国地方公共団体コード順に記載--> {| class="wikitable sortable" style="text-align: left; font-size:small;" |+2015年(平成27年)の予定 |- !カテゴリ<br /> !開催日<br /> !大会略称 !開催地 !フィニッシュ<br />地点 |-bgcolor=#99ffff |style="text-align:center"|A |[[10月11日]] |'''[[日本トライアスロン選手権|日本選手権]]''' |[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]・[[江東区]]<br />([[東京臨海副都心|臨海副都心]]) |style="text-align: center;"|{{ウィキ座標|35|37|45.06|N|139|46|28.25|E|region:JP|地図|name=(A) 東京港大会}} |- |style="text-align:center"|S |[[5月16日|05月16日]]・[[5月17日|17日]] |'''[[世界トライアスロンシリーズ|WCS]]横浜大会''' |[[神奈川県]][[横浜市]][[中区 (横浜市)|中区]]<br />([[山下公園]]・[[横浜港]]周辺) |style="text-align: center;"|{{ウィキ座標|35|26|48.2|N|139|38|54.7|E|region:JP|地図|name=(S) WCS横浜大会}} |-bgcolor=#ffcc66 |style="text-align:center"|C |[[9月20日|09月20日]] |'''村上大会''' |[[新潟県]][[村上市]]<br />(瀬波笹川流れ粟島県立自然公園) |style="text-align: center;"|{{ウィキ座標|38|13|23.09|N|139|28|46.79|E|region:JP|地図|name=(C) 村上大会}} |-bgcolor=#ff9999 |style="text-align:center"|B |[[6月21日|06月21日]] |'''蒲郡大会''' |[[愛知県]][[蒲郡市]]<br />([[三河港|蒲郡港]]周辺) |style="text-align: center;"|{{ウィキ座標|34|49|14.22|N|137|13|19.84|E|region:JP|地図|name=(B) 蒲郡大会}} |-bgcolor=#ffcc66 |style="text-align:center"|C |[[7月12日|07月12日]] |'''大阪大会''' |[[大阪府]][[大阪市]][[此花区]]<br />([[舞洲スポーツアイランド]]・[[夢洲]]特設コース) |style="text-align: center;"|{{ウィキ座標|34|39|43.31|N|135|23|33.31|E|region:JP|地図|name=(C) 大阪大会}} |} ;参加資格 * 日本トライアスロン連合強化指定選手(S、A、B、C) * 認定記録会7級以上 * 加盟団体推薦選手(都道府県連合、学生連合) === ミドルディスタンス === アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパンを[[2010年]]より[[知多半島]](2020年時点では[[愛知県]][[知多市]]の[[新舞子マリンパーク]]周辺)で開催している<ref>[https://ironman703.jp/img/course/2020_course_map_jp.pdf コースマップ]アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン実行委員会、2022年4月29日閲覧。</ref>{{Refnest|group=注|当初は[[常滑市]]の[[中部国際空港]]周辺で開催していた<ref>[https://www.centrair.jp/corporate/release/pdf/20100816.pdf アイアンマン70.3セントレア常滑ジャパン 大会コースのフィニッシュ地点変更について]中部国際空港(2010年8月16日)2022年4月29日閲覧。</ref>が、後に知多半島広域がコースとなっていた<ref>[https://www.centrair.jp/corporate/newsroom/__icsFiles/afieldfile/2015/03/11/NewsRelease20150206.pdf アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン 2015年大会の開催場所、コース概要について]アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン実行委員会事務局、2022年4月29日閲覧。</ref>。}}。アイアンマン70.3世界選手権(9月開催:[[ラスベガス]])の参加資格を得られる。 === ロングディスタンス === ロングディスタンスの大会は、2022年現在、日本国内では5つある。 * 北海道トライアスロン([[北海道]][[洞爺湖町]]・[[洞爺湖]]発着) * [[佐渡国際トライアスロン大会]]([[新潟県]][[佐渡市]]・[[佐渡島]]) ** Aタイプの距離は、日本最長距離(スイム4.0km・バイク190km・ラン42.2km、合計236.2km、制限時間15時間30分)。 ** 日本ロングディスタンストライアスロン選手権の部を同時開催(スイム2.0km、バイク105km、ラン20km、合計127km) * [[全日本トライアスロン皆生大会]] ([[鳥取県]][[米子市]]・[[皆生温泉]]発着) * 五島長崎国際トライアスロン大会([[長崎県]][[五島市]]・[[福江島]]) ** Aタイプの距離はスイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km([[アイアンマンレース]]と同等)、制限時間15時間。 ** Aタイプは2018年から日本ウルトラロングディスタンストライアスロン選手権を兼ねる<ref>[https://gototri.com/?p=13 2022 五島長崎 国際トライアスロン大会 大会概要]五島長崎国際トライアスロン大会事務局、2022年5月15日閲覧。</ref>。 * [[全日本トライアスロン宮古島大会]] ([[沖縄県]][[宮古島市]]・[[宮古列島]]) ==== 日本の大会と「アイアンマン」 ==== [[2009年]](平成21年)までアイアンマン・ジャパントライアスロン[[五島市|五島]][[長崎市|長崎]]が行われた。[[2010年]](平成22年)は[[口蹄疫]]の発生等が原因で中止になった。[[2013年]]からアイアンマン・ジャパンが[[北海道]]・[[洞爺湖]]周辺で開催されていたが、体制の見直しを理由に[[2015年]](平成27年)大会を最後に一時休止中<ref>{{Cite news |title=アイアンマン・ジャパン北海道、一時休止を決定 |url=http://cyclestyle.net/article/2016/01/22/31888.html |newspaper=CYCLE |date=2016-01-22 }}</ref>。 五島長崎国際トライアスロン大会については、[[2011年]](平成23年)以降について「アイアンマン」の[[商標権]]所有会社と五島市の間で「アイアンマン」の商標使用に関する契約締結はなく、独自[[ブランド]]「五島長崎国際トライアスロン大会」(愛称:バラモンキング)で、2011年(平成23年)以降もトライアスロン大会を継続することになった。 == 認定記録会 == JTU主催の元、毎年、全国各地で認定記録会が行われている。20歳以上の場合、スイム400m、ラン5000mである。 === 級 === 20歳以上の場合、以下のタイムを超えると、級が与えられる。 {|class="wikitable" style="text-align:center" !級 !女子スイム !男子スイム !女子ラン !男子ラン |- |1||4:22||4:00||16:00||13:55 |- |2||4:30||4:07||16:29||14:20 |- |3||4:38||4:14||16:58||14:45 |- |4||4:46||4:22||17:26||15:10 |-bgcolor=#ffffcc |5||4:53||4:29||17:55||15:35 |- |6||5:01||4:36||18:24||16:00 |-bgcolor=#ffffcc |7||5:09||4:43||18:53||16:25 |- |8||5:22||4:55||19:41||17:07 |- |9||5:41||5:12||20:48||18:05 |- |10||5:59||5:29||21:55||19:04 |} === 強化指定 === スイム、ラン両方が7級を超えるとトップ・オブ・トップス大会以外のジャパンカップに出場できる。 (スイム×2+ラン)の合計タイムが(スイム5級×2+ラン5級)を超えると強化指定選手となり、ワールドカップに出場できる。 == 有名人の参加 == トライアスロン大会に参加・完走した経験がある有名人 * [[高石ともや]] - 日本初のトライアスロン大会(皆生)で優勝を飾る * [[近藤真彦]] * [[リサ・ステッグマイヤー]] * [[東野幸治]]・[[菊地幸夫]]・[[安田美沙子]]・[[ノッチ (お笑い芸人)|ノッチ]]・[[本村健太郎]] - 番組企画で石垣島・宮古島・指宿・佐渡の大会に出場。[[行列のできる法律相談所]] 参照 * [[天宮良]] * [[団長安田]] * [[ヒロミ]] * [[錦野旦]] * [[東山紀之]] * [[村上春樹]] - 随筆集『[[走ることについて語るときに僕の語ること]]』参照 * [[前園真聖]] * [[猫ひろし]] - [[アンコール・ワット]]国際トライアスロン大会2010年日本人部門1位、総合6位入賞<ref>{{Cite web|和書|title=猫ひろし、国際トライアスロンで6位「あと10キロ長かったら…」|日テレNEWS24|url=https://news.ntv.co.jp/category/culture/278709|website=日テレNEWS24|accessdate=2019-11-03|language=ja|last=日本テレビ}}</ref>。記録スイム300m10分、バイク40km1時間半、ラン10km40分<ref>{{Cite web|和書|title=いざ、アンコールワット国際トライアスロン大会へ|url=http://neko-hiroshi.stablo.jp/article/425935843.html|website=猫ひろしドットコム|accessdate=2019-11-03|language=ja}}</ref> * [[古田敦也]] * [[大櫛エリカ]] *[[道端カレン]] - 公式競技団体[[日本トライアスロン連合]]による年間ランキングで2016年度3位、2017年度2位、総合優勝も多く、芸能人として突出した成績を持つ。 * [[道端ジェシカ]] - 2010年、[[オープンウォータースイミング|スイム]]750m、[[ロードレース (自転車競技)|バイク]]20km、[[長距離走|ラン]]5kmのスプリントディスタンスを1時間26分で完走<ref>{{Cite web|title=Tri to catch me! Action couple Jenson Button and Jessica Michibata compete for charity in Perth triathlon|url=https://www.dailymail.co.uk/tvshowbiz/article-1339934/Jenson-Button-Jessica-Michibata-compete-charity-Perth-triathlon.html|website=Mail Online|date=2010-12-19|accessdate=2019-11-03}}</ref> * [[マシュー・マコノヒー]] * [[ジェニファー・ロペス]] * [[テリー・ハッチャー]] * [[ソン・イルグク]] * [[ジェンソン・バトン]] * [[田中律子]] * [[パンツェッタ・ジローラモ]] * [[堀江貴文]] == トライアスロン出身の主な自転車競技選手 == *[[ランス・アームストロング]] *[[クリスティン・アームストロング]] *[[カーリン・テュリヒ]] *[[クリスティアーネ・ゼーダー]] *[[加瀬加奈子]] *[[梶田舞]] *[[新城幸也]] *[[ルーベン・トンプソン]] == トライアスロンが登場する作品 == ;小説 * 『一本足の栄光』ポール・マーティン * 『黄金の魂』[[小川竜生]] * 『空をつかむまで』[[関口尚]] * 『ライヴ』[[山田悠介]] ;漫画 * 『10月の満月に一番近い土曜日』[[石渡治]] ;映画 * 『太陽(てぃだ)』([[小田大河]]監督・脚本) * 『宮古島トライアスロン』 * 『グレート デイズ! ―夢に挑んだ父と子―』 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[日本トライアスロン連合]] * [[ワールドトライアスロン]] * {{仮リンク|マルチスポーツレース|en|Multisport race}} * [[ビーチスポーツ]] *[[オープンウォータースイミング]]、[[遠泳]] *[[ロードレース (自転車競技)]]、[[ロングライド]]、[[ヒルクライム]] *[[コンペティティブ・ペーシェンス]] *[[長距離走]]、[[マラソン]]、[[ウルトラマラソン]] *[[ハンガーノック]] *[[熱中症]] *[[アイシング (治療)|アイシング]] *[[カーボ・ローディング]]、[[カーボパーティ]]、[[補給食]] *[[マフェトン理論]] *[[持久力]] *[[ウエットスーツ]] *[[ロードバイク]](ロードレーサー)、[[サイクルウエア]]、[[自転車用ヘルメット]]、[[自転車用タイヤ]](7.パンク修理) *[[:en:Grade (slope)|斜度]] (=Δh/d×100、単位%) * [[チーム・ホイト]] * [[白戸太朗]] - [[中央大学]]卒、[[日本体育大学]][[編入学]]卒業→日体大[[大学院]][[修士課程]][[修了]]。トライアスリートとして活躍中のスポーツ[[ニュースキャスター|キャスター]]。 * [[松山アヤト]] - 神奈川県[[日本大学高等学校]]卒。トライアスリート・ラジオパーソナリティ * [[ランス・アームストロング]] - 学生時代はトライアスロンで活躍していた。2012年シーズンにはトライアスロンに復帰している。 * [[オリンピックのトライアスロン競技]] * [[世界トライアスロンシリーズ]] * [[世界ロングディスタンストライアスロン選手権]] * [[アジアトライアスロン選手権]] * [[パラトライアスロン]] === 1人の競技者が複数種目を行う競技 === * 2種目:[[バイアスロン]]、[[デュアスロン]]、 [[アクアスロン]]、[[ノルディック複合]]、[[チェスボクシング]] * 3種目:(トライアスロン)、[[エクステラ]] * 4種目:[[:en:Quadrathlon|クアドラスロン]] * 5種目:[[:en:Pentathlon|ペンタスロン]]、近代ペンタスロン([[近代五種競技]]) * 7種目:ヘプタスロン([[七種競技]]) * 8種目:オクタスロン([[八種競技]]) * 10種目:デカスロン([[十種競技]]) * 20種目:アイコサスロン([[二十種競技]]) == 外部リンク == {{ウィキポータルリンク|オリンピック|[[File:Olympic Rings.svg|36px]]}} * [https://www.jtu.or.jp/ (公社)日本トライアスロン連合](公式[[ウェブサイト|サイト]]) * [https://www.jtu.or.jp/national_championships/ 日本トライアスロン選手権公式サイト] * [http://jic.konjiki.jp/ 日本アイアンマンクラブ] * [https://jutu.jimdofree.com/ 日本学生トライアスロン連合] * [http://www.try-a.co.jp/ TRY-A 国内最大級のトライアスロン情報サイト] * [http://www.triathlontrip.com/ Triathlon Trip] * [https://triathlon-lumina.com/ Triathlon LUMINA.com] {{オリンピックトライアスロン競技}} {{オリンピック実施競技}} {{スポーツ一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とらいあすろん}} [[Category:コンペティティブ・ペーシェンス]] [[Category:トライアスロン|*]] [[Category:スポーツ競技]] [[Category:オリンピック競技]] [[Category:ビーチスポーツ]] [[Category:自転車競技]] [[Category:水泳]] [[Category:ロードランニング]] [[Category:スポーツの名数3|あすろん]] [[Category:1974年開始のスポーツイベント]]
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神統記
『神統記』(しんとうき、希: θεογονία, テオゴニアー、英: Theogony)は、紀元前700年頃の古代ギリシアの詩人ヘーシオドス作の叙事詩である。ダクテュロスのヘクサメトロス(長短短六脚韻)1022行からなる。冒頭の記述からヘーシオドスの処女作とされ、30代前半の作品と推定される。原題の「テオゴニアー」は「神々の誕生系譜」を意味する。 原初の混沌=カオスからの世界の創造、神々の系譜とその三代にわたる政権交代劇を描き、ギリシア神話の宇宙観の原典とされる。 特徴として、ゼウス政権の正統性、無謬性を強調する事(そのためティーターノマキアーやプロメーテウスの説話に若干矛盾が生じている)、女神ヘカテーを強く賛美している事などがある。 作品中には後世の挿入と見られる箇所もあり、965行から後を、元来は別の作品(『女傑伝』)であったと推定する研究者もいる。 作者はまず前置きとして詩神ムーサへの賛歌から始め、オリュンポスの諸神と歴史を語り起こす。そしてオリュンポスの始まりと神々の誕生、ウーラノス - クロノス - ゼウスの三代にわたる政権交代劇を説き起こす。 最初に カオス(混沌)が生じた。その次にガイア(大地)とタルタロス(冥界)、そして エロース(愛)がともに誕生した。カオスからは エレボス(幽冥)と ニュクス(夜)が生まれ、両神が交わってニュクスは ヘーメラー(昼)と アイテール(清明な大気)を産んだ。 これらの原初の神々からは、人間のありようをめぐる概念の擬人化・神格化とも言える多数の神々が生まれたと、ヘーシオドスはうたう。ニュクスからは、夜の子供に相応しい、ヒュプノス(眠り)やオネイロス(夢)、またタナトス(死)やネメシス(義憤)、運命の三女神らが生まれている。 ガイアは独力でウーラノス(天空)とポントス(海)を生んだ。ガイアはウーラノスを夫とし、数多くの巨人や神々を次々に生んでいく。まずティーターン十二神を生んだ。すなわち、オーケアノス(大洋)、コイオス、クレイオス、ヒュペリーオーン(光明)、イーアペトス、テイアー、レアー、テミス(審判)、ムネーモシュネー(記憶)、ポイベー、テーテュース、そして末子の狡猾なクロノス(農耕)が生まれた。 またガイアは一つ目の巨人キュクロープス(ブロンテース、ステロペース、アルゲース)を生んだ。彼らキュクロープスはいずれも雷に関する名を持ち、のちにゼウスに雷を与えたという。そして五十頭百手の巨人ヘカトンケイル(コットス、ブリアレオース、ギューゲース)を生んだ。 ウーラノスはガイアとの間に生んだティーターン神族を恐れ、大地の体内に押し込めていた。しかしガイアはそれを怨みに思っていた。ガイアは鎌を用意して子供たちに渡し、一矢報いる策略を練った。ある夜、ウーラノスがガイアに覆い被さると、末子のクロノスがウーラノスを鎌で去勢し、切断された男根を放り投げた。ウーラノスの男根からは原初の美の女神アプロディーテーが生まれた。 クロノスはレアーとの間に光り輝く子供たちを生んだ。ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、 ハーデース、 ゼウスらの兄弟である。しかしクロノスは、父ウーラノスとガイアから、自分の子供に打ち倒されるであろうとの予言を受けており、それを恐れたクロノスは生まれた子供たちを飲み込んでいった。しかし、ゼウスだけはレアーからガイアに渡され、大地に隠されて岩を身代わりとし、難を逃れた。長い隠遁ののちゼウスは成長し、クロノスを打倒して兄弟たちを助け出した。
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『神統記』は、紀元前700年頃の古代ギリシアの詩人ヘーシオドス作の叙事詩である。ダクテュロスのヘクサメトロス(長短短六脚韻)1022行からなる。冒頭の記述からヘーシオドスの処女作とされ、30代前半の作品と推定される。原題の「テオゴニアー」は「神々の誕生系譜」を意味する。 原初の混沌=カオスからの世界の創造、神々の系譜とその三代にわたる政権交代劇を描き、ギリシア神話の宇宙観の原典とされる。 特徴として、ゼウス政権の正統性、無謬性を強調する事(そのためティーターノマキアーやプロメーテウスの説話に若干矛盾が生じている)、女神ヘカテーを強く賛美している事などがある。 作品中には後世の挿入と見られる箇所もあり、965行から後を、元来は別の作品(『女傑伝』)であったと推定する研究者もいる。
{{Greek mythology}} 『'''神統記'''』(しんとうき、{{lang-el-short|θεογονία}}, '''テオゴニアー'''、{{lang-en-short|Theogony}})は、[[紀元前700年]]頃の[[古代ギリシア]]の詩人[[ヘーシオドス]]作の[[叙事詩]]である。[[ダクテュロス]]の[[ヘクサメトロス]](長短短[[六脚韻]])1022行からなる。冒頭の記述からヘーシオドスの処女作とされ、30代前半の作品と推定される。原題の「テオゴニアー」は「神々の誕生系譜」を意味する。 原初の混沌=[[カオス]]からの世界の創造、神々の系譜とその三代にわたる政権交代劇を描き、[[ギリシア神話]]の宇宙観の原典とされる。 特徴として、[[ゼウス]]政権の正統性、無謬性を強調する事(そのため[[ティーターノマキアー]]や[[プロメーテウス]]の説話に若干矛盾が生じている)、女神[[ヘカテー]]を強く賛美している事などがある。 作品中には後世の挿入と見られる箇所もあり、965行から後を、元来は別の作品(『女傑伝』)であったと推定する研究者{{誰|date=2019年1月27日 (日) 23:45 (UTC)}}もいる。 == 神々の系譜 == 作者はまず前置きとして詩神[[ムーサ]]への賛歌から始め、[[オリンポス山|オリュンポス]]の諸神と歴史を語り起こす。そしてオリュンポスの始まりと神々の誕生、[[ウーラノス]] - [[クロノス]] - ゼウスの三代にわたる政権交代劇を説き起こす。 === 原初の神々 === 最初に カオス(混沌)が生じた。その次に[[ガイア]](大地)と[[タルタロス]](冥界)、そして [[エロース]](愛)がともに誕生した。カオスからは [[エレボス]](幽冥)と [[ニュクス]](夜)が生まれ、両神が交わってニュクスは [[ヘーメラー]](昼)と [[アイテール]](清明な大気)を産んだ。 これらの原初の神々からは、人間のありようをめぐる概念の[[擬人化]]・[[神格化]]とも言える多数の神々が生まれたと、ヘーシオドスはうたう。ニュクスからは、夜の子供に相応しい、[[ヒュプノス]](眠り)や[[オネイロス]](夢)、また[[タナトス]](死)や[[ネメシス]](義憤)、[[モイラ (ギリシア神話)|運命の三女神]]らが生まれている。 === ティーターンの誕生 === ガイアは独力で[[ウーラノス]](天空)と[[ポントス (ギリシア神話)|ポントス]](海)を生んだ。ガイアはウーラノスを夫とし、数多くの巨人や神々を次々に生んでいく。まず[[ティーターン|ティーターン十二神]]を生んだ。すなわち、[[オーケアノス]](大洋)、[[コイオス]]、[[クレイオス]]、[[ヒュペリーオーン]](光明)、[[イーアペトス]]、[[テイアー]]、[[レアー]]、[[テミス]](審判)、[[ムネーモシュネー]](記憶)、[[ポイベー]]、[[テーテュース]]、そして末子の狡猾なクロノス(農耕)が生まれた。 またガイアは一つ目の巨人[[キュクロープス]]([[ブロンテース]]、[[ステロペース]]、[[アルゲース]])を生んだ。彼らキュクロープスはいずれも雷に関する名を持ち、のちにゼウスに雷を与えたという。そして五十頭百手の巨人[[ヘカトンケイル]]([[コットス]]、[[ブリアレオース]]、[[ギューゲース]])を生んだ。 === クロノスとその子 === ウーラノスはガイアとの間に生んだティーターン神族を恐れ、大地の体内に押し込めていた。しかしガイアはそれを怨みに思っていた。ガイアは鎌を用意して子供たちに渡し、一矢報いる策略を練った。ある夜、ウーラノスがガイアに覆い被さると、末子のクロノスがウーラノスを鎌で去勢し、切断された男根を放り投げた。ウーラノスの男根からは原初の美の女神[[アプロディーテー]]<!--語源不詳。美ではない。(美)-->が生まれた。 クロノスはレアーとの間に光り輝く子供たちを生んだ。[[ヘスティアー]]、[[デーメーテール]]、[[ヘーラー]]、 [[ハーデース]]、 ゼウスらの兄弟である。しかしクロノスは、父ウーラノスとガイアから、自分の子供に打ち倒されるであろうとの予言を受けており、それを恐れたクロノスは生まれた子供たちを飲み込んでいった。しかし、ゼウスだけはレアーからガイアに渡され、大地に隠されて岩を身代わりとし、難を逃れた。長い隠遁ののちゼウスは成長し、クロノスを打倒して兄弟たちを助け出した。 <!--ティーターノマキアー以降未完--> == 日本語訳 == *『神統記』 [[廣川洋一]]訳([[岩波文庫]]) == 参考書籍 == * ヘシオドス 『神統記』 岩波書店 == 脚注・出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[ギリシア神話]] == 外部リンク == {{wikisourcelang|el|Θεογονία}} * {{Wayback |url=http://www.saiton.net/ethics/theo.htm |title=ヘシオドス『神統記』私訳 |date=20160403101817}} {{ギリシア神話}} {{Normdaten}} {{grmyth-stub}} {{DEFAULTSORT:しんとうき}} [[Category:紀元前8世紀の書籍]] [[Category:紀元前7世紀の書籍]] [[Category:古代ギリシアの叙事詩]] [[Category:紀元前の詩]] [[Category:ギリシア神話]]
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微分積分学
微分積分学(びぶんせきぶんがく、英: calculus)または微積分学(びせきぶんがく)とは、解析学の基本的な部分を形成する数学の分野の一つである。微分積分学は、局所的な変化を捉える微分と局所的な量の大域的な集積を扱う積分の二本の柱からなり、分野としての範囲を確定するのは難しいが、大体多変数実数値関数の微分と積分に関わる事柄(逆関数定理やベクトル解析も)を含んでいる。 微分は、ある関数のある点での接線、或いは接平面を考える演算である。数学的に別の言い方をすると、基本的には複雑な関数を線型近似して捉えようとする考え方である。従って、微分は線型写像になる。但し、多変数関数の微分を線型写像として捉える考え方は 20世紀に入ってからのものである。微分方程式はこの考え方の自然な延長にある。 対して積分は、幾何学的には、曲線、あるいは曲面と座標軸とに挟まれた領域の面積(体積)を求めることに相当している。ベルンハルト・リーマンは(一変数の)定積分の値を、長方形近似の極限として直接的に定義し、連続関数は積分を有することなどを証明した。彼の定義による積分をリーマン積分と呼んでいる。 微分と積分はまったく別の概念でありながら密接な関連性を持ち、一変数の場合、互いに他の逆演算としての意味を持っている(微分積分学の基本定理)。微分は傾き、積分は面積を表す。 後述するように微積分は17世紀後半にアイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツによって独自に発見された。今日微積分は科学、工学、社会科学等で広く使用されている。 古代にもいくつかの積分法のアイデアは存在したが、厳密あるいは体系的な方法でそれらのアイデアを発展させようという動きは見られない。積分法の基本的機能である体積や面積の計算は、エジプトのモスクワパピルス(紀元前1820年頃)まで遡り、その中で角錐の切頭体の体積を正しく求めている。ギリシア数学では、エウドクソス(紀元前408年 - 355年頃)が極限の概念の先駆けとなる取り尽くし法で面積や体積を計算し、アルキメデス(紀元前287年 - 212年頃)がそれを発展させて積分法によく似たヒューリスティクスを考案した。取り尽くし法は紀元3世紀ごろ、中国の劉徽も円の面積を求めるのに使っている。5世紀には祖沖之が後にカヴァリエリの原理と呼ばれるようになる方法を使って球の体積を求めた。 紀元1000年ごろ、イスラムの数学者イブン・アル・ハイサムが等差数列の4乗(すなわち二重平方数)の総和の公式を導き出し、それを任意の整数の冪乗の和に一般化し、積分の基礎を築いた。11世紀の中国の博学者沈括は積分に使える充填公式を考案した。12世紀のインドの数学者バースカラ2世は極微の変化を表す微分法の先駆けとなる手法を考案し、ロルの定理の原始的形式も記述している。同じく12世紀のペルシア人数学者 Sharaf al-Dīn al-Tūsī は三次関数の微分法を発見し、微分学に重要な貢献をしている。14世紀インドのサンガマグラーマのマーダヴァ(Madhava of Sangamagrama)は自らが設立した数学と天文学の学校の学生達(ケーララ学派)と共にテイラー級数の特殊ケースを明らかにし、それを 『ユクティバーシャー』 (Yuktibhāṣā)という教科書に掲載した。 ヨーロッパでは、ボナヴェントゥーラ・カヴァリエーリが極微の領域の面積や体積の総和として面積や体積を求める方法を論文で論じ、微分積分学の基礎を築いた。 微積分の定式化の研究により、カヴァリエーリの微分と、同じ頃ヨーロッパで生まれた有限差分法が組み合わされるようになる。この統合を行ったのがジョン・ウォリス、アイザック・バロー、ジェームズ・グレゴリーであり、バローとグレゴリーは1675年ごろ微分積分学の基本定理の第2定理を証明した。 アイザック・ニュートンは、積の微分法則、連鎖律、高階微分の記法、テイラー級数、解析関数といった概念を独特の記法で導入し、それらを数理物理学の問題を解くのに使った。ニュートンは出版する際に、当時の数学用語に合わせて微分計算を等価な幾何学的主題に置き換えて非難を受けないようにした。ニュートンは微分積分学の手法を使い、天体の軌道、回転流体の表面の形、地球の偏平率、サイクロイド曲線上をすべる錘の動きなど、様々な問題について『自然哲学の数学的諸原理』の中で論じている。ニュートンはそれとは別に関数の級数展開を発展させており、テイラー級数の原理を理解していたことが明らかである。 これらの考え方を体系化し、微分積分学を厳密な学問として確立させたのがゴットフリート・ライプニッツである。当時はニュートンの盗作だと非難されたが、現在では独自に微分積分学を確立し発展させた1人と認められている。ライプニッツは極小の量を操作する規則を明確に規定し、二次および高次の導関数の計算を可能とし、ライプニッツ則と連鎖律を規定した。ニュートンとは異なり、ライプニッツは形式主義に大いに気を使い、それぞれの概念をどういう記号で表すかで何日も悩んだという。 ライプニッツとニュートンの2人が一般に微分積分学を確立したとされている。ニュートンは物理学全般に微分積分学を適用するということを初めて行い、ライプニッツは今日も使われている微分積分学の記法を開発した。2人に共通する基本的洞察は、微分と積分の法則、二次および高次の導関数、多項式級数を近似する記法である。ニュートンの時代までには、微分積分学の基本定理は既に知られていた。 ニュートンとライプニッツがそれぞれの成果を出版したとき、どちら(すなわちどちらの国)が賞賛に値するのかという大きな論争が発生した。成果を得たのはニュートンが先だが、出版はライプニッツが先だった。この論争により、英国数学界とヨーロッパ大陸の数学界の仲が険悪になり、その状態が何年も続いた。現在では、ニュートンとライプニッツがそれぞれ独自に微分積分学を確立したとされている。 この時代、他にも多数の数学者が微分積分学の発展に貢献している。19世紀になると微分積分学にはさらに厳密な数学的基礎が与えられた。それには、コーシー、リーマン、ワイエルシュトラス(ε-δ論法)らが貢献している。また、同時期に微分積分学の考え方がユークリッド空間と複素平面に拡張された。ルベーグは事実上任意の関数が積分を持てるよう積分の記法を拡張し、ローラン・シュヴァルツが微分を同様に拡張した。微積分学の土台となる実数概念の厳密な体系化は、フレーゲによる量化論理の体系化(概念記法)、ジュゼッペ・ペアノによる自然数の公理化(ペアノの公理)を経て、カントールとデデキントによって確立された。 今では、微分積分学は世界中の高校や大学で教えられている。 微分積分学の考え方の一部は、ギリシア、中国、インド、イラク、ペルシャ、日本にも存在していた。しかし、現代に通じる微分積分学は、17世紀のヨーロッパで、アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツがそれぞれ独自に確立したものである。微分積分学は、曲線の下の面積を求める問題と動きを瞬間的に捉えるという問題を考えてきた先人の成果の上に成り立っている。 近代に入ると微分積分は弾道学において砲弾の速度や弾道曲線の計算に用いられるようになった。微分計算を行う機械式計算機の多くはこの目的のために作られてきた歴史があり、世界初のコンピューターもそうであった。また、大砲の強度計算や、火薬の爆発や挙動の計算にも微分積分は必須であり、火砲の歴史とは密接な関係がある。 微分法の用途としては、速度や加速度に関わる計算、曲線の接線の傾きの計算、最適化問題の計算などがある。積分法の用途としては、面積、体積、曲線の長さ、重心、仕事、圧力などの計算がある。さらに高度な応用として冪級数とフーリエ級数がある。微分積分学は、シャトルが宇宙ステーションとドッキングする際の軌道計算や、道路上の積雪量の計算などにも用いられている。 微分積分学は、宇宙や時間や運動の性質をより正確に理解するのにも有用である。微分積分学、特に極限と無限級数を使えば、それらのパラドックスを解決することができる。
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微分積分学または微積分学(びせきぶんがく)とは、解析学の基本的な部分を形成する数学の分野の一つである。微分積分学は、局所的な変化を捉える微分と局所的な量の大域的な集積を扱う積分の二本の柱からなり、分野としての範囲を確定するのは難しいが、大体多変数実数値関数の微分と積分に関わる事柄(逆関数定理やベクトル解析も)を含んでいる。 微分は、ある関数のある点での接線、或いは接平面を考える演算である。数学的に別の言い方をすると、基本的には複雑な関数を線型近似して捉えようとする考え方である。従って、微分は線型写像になる。但し、多変数関数の微分を線型写像として捉える考え方は 20世紀に入ってからのものである。微分方程式はこの考え方の自然な延長にある。 対して積分は、幾何学的には、曲線、あるいは曲面と座標軸とに挟まれた領域の面積(体積)を求めることに相当している。ベルンハルト・リーマンは(一変数の)定積分の値を、長方形近似の極限として直接的に定義し、連続関数は積分を有することなどを証明した。彼の定義による積分をリーマン積分と呼んでいる。 微分と積分はまったく別の概念でありながら密接な関連性を持ち、一変数の場合、互いに他の逆演算としての意味を持っている(微分積分学の基本定理)。微分は傾き、積分は面積を表す。  後述するように微積分は17世紀後半にアイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツによって独自に発見された。今日微積分は科学、工学、社会科学等で広く使用されている。
{{出典の明記|date=2012年9月}} {{独自研究|date=2012年9月}}{{Calculus|a}} '''微分積分学'''(びぶんせきぶんがく、{{Lang-en-short|calculus}})または'''微積分学'''(びせきぶんがく)とは、[[解析学]]の基本的な部分を形成する[[数学]]の分野の一つである。微分積分学は、局所的な変化を捉える[[微分]]と局所的な量の大域的な集積を扱う[[積分]]の二本の柱からなり、分野としての範囲を確定するのは難しいが、大体多[[変数 (数学)|変数]][[実数]]値[[関数 (数学)|関数]]の微分と積分に関わる事柄([[逆関数]]定理や[[ベクトル解析]]も)を含んでいる。 '''[[微分]]'''は、ある関数のある点での[[接線]]、或いは[[接平面]]を考える演算である。数学的に別の言い方をすると、基本的には複雑な関数を[[線型近似]]して捉えようとする考え方である。従って、微分は[[線型写像]]になる。但し、多変数関数の微分を線型写像として捉える考え方は 20世紀に入ってからのものである。[[微分方程式]]はこの考え方の自然な延長にある。 対して'''[[積分]]'''は、[[幾何学]]的には、[[曲線]]、あるいは[[曲面]]と[[座標軸]]とに挟まれた[[領域 (解析学)|領域]]の面積([[体積]])を求めることに相当している。[[ベルンハルト・リーマン]]は(一変数の)[[定積分]]の値を、長方形近似の[[極限]]として直接的に定義し、[[連続 (数学)|連続関数]]は積分を有することなどを証明した。彼の定義による積分を[[積分法#リーマン積分|リーマン積分]]と呼んでいる。 微分と積分はまったく別の概念でありながら密接な関連性を持ち、一変数の場合、互いに他の[[逆演算]]としての意味を持っている([[微分積分学の基本定理]])。微分は傾き、積分は面積を表す。  後述するように微積分は17世紀後半に[[アイザック・ニュートン]]と[[ゴットフリート・ライプニッツ]]によって独自に発見された。今日微積分は科学、工学、社会科学等で広く使用されている。 == 歴史 == {{See also|解析学#歴史}} [[ファイル:GodfreyKneller-IsaacNewton-1689.jpg|thumb|200px|right|[[アイザック・ニュートン]]は微分積分学の発展に最も貢献した1人であり、万有引力の法則や運動の法則でも微分積分学を応用している。]] === 古代 === 古代にもいくつかの[[積分法]]のアイデアは存在したが、厳密あるいは体系的な方法でそれらのアイデアを発展させようという動きは見られない。積分法の基本的機能である体積や面積の計算は、[[エジプト数学|エジプト]]の[[モスクワ数学パピルス|モスクワパピルス]](紀元前1820年頃)まで遡り、その中で[[角錐]]の[[切頭体]]の[[体積]]を正しく求めている<ref group="注">どのようにして正解を導いたのかは明らかでない。[[モリス・クライン]] (''Mathematical thought from ancient to modern times'' Vol. I) は試行錯誤の結果ではないかと示唆している。</ref><ref name=Aslaksen>Helmer Aslaksen. [http://www.math.nus.edu.sg/aslaksen/teaching/calculus.html Why Calculus?] [[シンガポール国立大学|National University of Singapore]].</ref>。[[ギリシア数学]]では、[[エウドクソス]](紀元前408年 - 355年頃)が極限の概念の先駆けとなる[[取り尽くし法]]で面積や体積を計算し、[[アルキメデス]](紀元前287年 - 212年頃)がそれを発展させて積分法によく似た[[ヒューリスティクス]]を考案した<ref>Archimedes, ''Method'', in ''The Works of Archimedes'' ISBN 978-0-521-66160-7</ref>。取り尽くし法は紀元3世紀ごろ、中国の[[劉徽]]も円の面積を求めるのに使っている。5世紀には[[祖沖之]]が後に[[カヴァリエリの原理]]と呼ばれるようになる方法を使って[[球体|球]]の体積を求めた<ref name=Aslaksen/>。 === 中世 === 紀元1000年ごろ、[[アラビア数学|イスラムの数学者]][[イブン・アル・ハイサム]]が[[等差数列]]の4乗(すなわち[[二重平方数]])の総和の公式を導き出し、それを任意の整数の冪乗の和に一般化し、積分の基礎を築いた<ref>Victor J. Katz (1995). "Ideas of Calculus in Islam and India", ''Mathematics Magazine'' '''68''' (3), pp. 163-174.</ref>。11世紀の中国の[[博学者]][[沈括]]は積分に使える充填公式を考案した。12世紀の[[インドの数学]]者[[バースカラ2世]]は極微の変化を表す[[微分法]]の先駆けとなる手法を考案し、[[ロルの定理]]の原始的形式も記述している<ref>Ian G. Pearce. [http://turnbull.mcs.st-and.ac.uk/~history/Projects/Pearce/Chapters/Ch8_5.html Bhaskaracharya II.]</ref>。同じく12世紀の[[ペルシア人]]数学者 [[:en:Sharaf al-Dīn al-Tūsī|Sharaf al-Dīn al-Tūsī]] は[[三次関数]]の[[微分法]]を発見し、微分学に重要な貢献をしている<ref>J. L. Berggren (1990). "Innovation and Tradition in Sharaf al-Din al-Tusi's Muadalat", ''Journal of the American Oriental Society'' '''110''' (2), pp. 304-309.</ref>。14世紀インドの[[マーダヴァ|サンガマグラーマのマーダヴァ]]([[:en:Madhava of Sangamagrama|Madhava of Sangamagrama]])は自らが設立した数学と天文学の学校の学生達([[ケーララ学派]])と共に[[テイラー展開|テイラー級数]]の特殊ケースを明らかにし<ref name="madhava">{{cite web| publisher=School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland| work=Biography of Madhava| url=https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Madhava/| title=Madhava| accessdate=2020-09-26}}</ref>、それを 『''[[:en:Yuktibhāṣā|ユクティバーシャー]]''』 ({{IAST|Yuktibhāṣā}})という教科書に掲載した<ref name="scotlnd">{{cite web| publisher=School of Mathematics and Statistics University of St Andrews, Scotland |work=Indian Maths|url= http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/HistTopics/Indian_mathematics.html| title=An overview of Indian mathematics| accessdate=2006-07-07}}</ref><ref name="pdffile3">{{cite web|publisher=Prof.C.G.Ramachandran Nair|work=Government of Kerala — Kerala Call, September 2004|url=http://www.kerala.gov.in/keralcallsep04/p22-24.pdf|title=Science and technology in free India|accessdate=2006-07-09|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060821195309/http://www.kerala.gov.in/keralcallsep04/p22-24.pdf|archivedate=2006年8月21日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref><ref name="charles">{{cite book | author =Charles Whish | year = 1835 | title = Transactions of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland | publisher }}</ref>。 === 近代 === ヨーロッパでは、[[ボナヴェントゥーラ・カヴァリエーリ]]が極微の領域の面積や体積の総和として面積や体積を求める方法を論文で論じ、微分積分学の基礎を築いた。 微積分の定式化の研究により、カヴァリエーリの微分と、同じ頃ヨーロッパで生まれた[[差分法|有限差分法]]が組み合わされるようになる。この統合を行ったのが[[ジョン・ウォリス]]、[[アイザック・バロー]]、[[ジェームズ・グレゴリー]]であり、バローとグレゴリーは[[1675年]]ごろ[[微分積分学の基本定理]]の第2定理を証明した。 [[アイザック・ニュートン]]は、[[ライプニッツ則|積の微分法則]]、[[連鎖律]]、[[微分法|高階微分]]の記法、[[テイラー展開|テイラー級数]]、[[解析関数]]といった概念を独特の記法で導入し、それらを[[数理物理学]]の問題を解くのに使った。ニュートンは出版する際に、当時の数学用語に合わせて微分計算を等価な幾何学的主題に置き換えて非難を受けないようにした。ニュートンは微分積分学の手法を使い、天体の軌道、回転流体の表面の形、地球の偏平率、サイクロイド曲線上をすべる錘の動きなど、様々な問題について『[[自然哲学の数学的諸原理]]』の中で論じている。ニュートンはそれとは別に関数の級数展開を発展させており、[[テイラー展開|テイラー級数]]の原理を理解していたことが明らかである。 [[ファイル:Gottfried Wilhelm von Leibniz.jpg|thumb|200px|right|[[ゴットフリート・ライプニッツ]]は当初ニュートンの未発表論文を[[盗作]]したと疑われたが、現在では独自に微分積分学の発展に貢献した1人と認められている。]] これらの考え方を体系化し、微分積分学を厳密な学問として確立させたのが[[ゴットフリート・ライプニッツ]]である。当時はニュートンの[[盗作]]だと非難されたが、現在では独自に微分積分学を確立し発展させた1人と認められている。ライプニッツは極小の量を操作する規則を明確に規定し、二次および高次の導関数の計算を可能とし、[[ライプニッツ則]]と[[連鎖律]]を規定した。ニュートンとは異なり、ライプニッツは形式主義に大いに気を使い、それぞれの概念をどういう記号で表すかで何日も悩んだという。 [[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]と[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]の2人が一般に微分積分学を確立したとされている。ニュートンは[[物理学]]全般に微分積分学を適用するということを初めて行い、ライプニッツは今日も使われている微分積分学の記法を開発した。2人に共通する基本的洞察は、微分と積分の法則、二次および高次の導関数、多項式級数を近似する記法である。ニュートンの時代までには、微分積分学の基本定理は既に知られていた。 ニュートンとライプニッツがそれぞれの成果を出版したとき、どちら(すなわちどちらの国)が賞賛に値するのかという大きな論争が発生した。成果を得たのはニュートンが先だが、出版はライプニッツが先だった<ref>{{Cite |和書 |author = 矢沢サイエンスオフィス ||title = 大科学論争 |date = 1998| pages = 119|publisher = 学習研究社| series =最新科学論シリーズ |isbn=4-05-601993-2 |ref = harv }}</ref><ref>ニュートンの微分積分の最初の論文「{{仮リンク|De methodis serierum et fluxionum(級数と流率の方法について)|en|Method of Fluxions}}」は1666-1671年に記載され、没後10年後(1736年)に公刊された。次の論文「曲線の求積論」は1704年に『[[光学 (アイザック・ニュートン)]]』の初版の付録として公刊。ライプニッツの微分法の論文「{{仮リンク|Nova Methodus pro Maximis et Minimis|en|Nova Methodus pro Maximis et Minimis}}は1684年に専門雑誌「{{仮リンク|Acta Eruditorum|en|Acta Eruditorum}}」に発表された。{{仮リンク|ライプニッツ‐ニュートン微分積分論争|en|Leibniz–Newton calculus controversy}}も参照。</ref>。この論争により、英国数学界とヨーロッパ大陸の数学界の仲が険悪になり、その状態が何年も続いた<ref>{{Cite|和書|author=矢沢サイエンスオフィス||title=大科学論争|date=1998|pages =123-125|publisher = 学習研究社| series =最新科学論シリーズ|isbn=4-05-601993-2 |ref = harv }}</ref>。現在では、ニュートンとライプニッツがそれぞれ独自に微分積分学を確立したとされている。 この時代、他にも多数の数学者が微分積分学の発展に貢献している。[[19世紀]]になると微分積分学にはさらに厳密な数学的基礎が与えられた。それには、[[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]]、[[ベルンハルト・リーマン|リーマン]]、[[カール・ワイエルシュトラス|ワイエルシュトラス]]([[イプシロン-デルタ論法|ε-δ論法]])らが貢献している。また、同時期に微分積分学の考え方が[[ユークリッド空間]]と[[複素数|複素平面]]に拡張された。[[アンリ・ルベーグ|ルベーグ]]は事実上任意の関数が積分を持てるよう積分の記法を拡張し、[[ローラン・シュヴァルツ]]が微分を同様に拡張した。微積分学の土台となる実数概念の厳密な体系化は、[[ゴットロープ・フレーゲ|フレーゲ]]による量化論理の体系化([[概念記法]])、[[ペアノ|ジュゼッペ・ペアノ]]による自然数の公理化([[ペアノの公理]])を経て、[[ゲオルク・カントール|カントール]]と[[リヒャルト・デデキント|デデキント]]によって確立された<ref>{{cite book | author=リヒャルト・デデキント|translator=渕野昌|title=数とは何かそして何であるべきか|publisher=筑摩書房|year=2013}}</ref><ref>{{cite book|author=足立恒雄|title=数とは何か―そしてまた何であったか― |publisher=共立出版|year=2011}}</ref>。 今では、微分積分学は世界中の高校や大学で教えられている<ref>[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]-World Data on Education [http://nt5.scbbs.com/cgi-bin/om_isapi.dll?clientID=137079235&infobase=iwde.nfo&softpage=PL_frame]</ref>。 === 重要性 === 微分積分学の考え方の一部は、ギリシア、中国、[[インドの数学|インド]]、[[アラビア数学|イラク、ペルシャ]]、[[和算|日本]]にも存在していた。しかし、現代に通じる微分積分学は、[[17世紀]]の[[ヨーロッパ]]で、[[アイザック・ニュートン]]と[[ゴットフリート・ライプニッツ]]がそれぞれ独自に確立したものである。微分積分学は、曲線の下の面積を求める問題と動きを瞬間的に捉えるという問題を考えてきた先人の成果の上に成り立っている。 近代に入ると微分積分は[[弾道学]]において砲弾の[[速度]]や弾道曲線の計算に用いられるようになった。微分計算を行う機械式計算機の多くはこの目的のために作られてきた歴史があり、世界初のコンピューターもそうであった。また、大砲の強度計算や、火薬の爆発や挙動の計算にも微分積分は必須であり、火砲の歴史とは密接な関係がある。 微分法の用途としては、[[速度]]や[[加速度]]に関わる計算、曲線の接線の傾きの計算、[[最適化問題]]の計算などがある。積分法の用途としては、[[面積]]、[[体積]]、[[曲線の長さ]]、[[重心]]、[[仕事 (物理学)|仕事]]、[[圧力]]などの計算がある。さらに高度な応用として[[冪級数]]と[[フーリエ級数]]がある。微分積分学は、シャトルが宇宙ステーションとドッキングする際の軌道計算や、道路上の積雪量の計算などにも用いられている。 微分積分学は、宇宙や時間や運動の性質をより正確に理解するのにも有用である。微分積分学、特に[[極限]]と[[級数|無限級数]]を使えば、それらのパラドックスを解決することができる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://ocw.u-tokyo.ac.jp/course_11290/ 微積分] - UTokyo OpenCourseWare == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}} {{ウィキポータルリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics-p.svg|34px|Portal:数学]]}} *[[ピエール・ド・フェルマー]] *[[アイザック・ニュートン]] *[[ゴットフリート・ライプニッツ]] *[[関孝和]] *[[分数階微積分学]] {{Calculus topics}} {{Analysis-footer}} {{数学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひふんせきふんかく}} [[Category:微分積分学|*]] [[Category:解析学]] [[Category:数学に関する記事]]
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ローラン・シュヴァルツ
ローラン・シュヴァルツ(フランス語: Laurent Schwartz, 1915年3月5日 – 2002年7月4日)は、フランスの数学者である。 今日シュワルツ超関数と呼ばれる、超関数 (distribution) の理論を構築した業績で知られる。終生のトロツキストを自称していた。またブルバキのメンバーの一人である。 ミシェル・ドブレとは親戚。1915年にパリでアルザスのユダヤ人の家庭に生まれた。 高等師範学校とパリ大学を卒業。第二次大戦前はナチス・ドイツにフランスが無条件降伏して占領軍がやってくると、ユダヤ人であったシュヴァルツや彼の家族も身分証明書を偽造するなど生存のためにあらゆる手段を用いた。あるホテルに占領軍がやってきて危うく暗殺されそうになるが、なんとか危機を凌いだこともある。 配偶者も数学者であり大学時代の友人でもあったが、病弱であり、結核で致命的状態になったが奇跡的に復活している。当時は結核は不治の病で隔離され、現代におけるエイズ患者のような取り扱いであったと述べている。 戦後はナンシー大学でブルバキのメンバーとともに教育や研究にあたり、後にエコール・ポリテクニク教授に就任している。ナンシー大学時代はブルバキ主要メンバーが集結するなど優れた環境であったが、ナンシー大学について二流大学であり、優秀な学生が少ない事に嘆いていた。ベトナム戦争では反戦運動を行い、実際にベトナムに赴いて数学を教えたりしてた。そのとき電気も使えないベトナム人が電磁気学を理解できるのかどうか疑っていたが実際にベトナム人は理解していたようである。ポリテク時代は反抗的な学生が悪ふざけで教室に象を連れてくるなどと批判している。 一切ノートを取らない主義で有名であり学生時代も数学関連の内容など全てを記憶していたが、後に考えを改め晩年はパソコンすら用いていた。また幾何学的直感が皆無で初等幾何学の具体的図形などは全く理解できなかったが、しかし証明や論理構造は完璧に理解できたため、幾何学の授業では困らなかったとも述べている。 著名な業績としては超関数 (distribution) の理論を構築したことが挙げられる。本人は超関数理論を「発明」したと強調して主張している。これによって、物理学や工学で既に用いられていたが数学的基礎付けに欠けていたヘヴィサイドの階段関数やディラックのデルタ関数なども正当化され、解析学の適用範囲を大きく広げた。彼はそれに関する業績でアメリカのほうのケンブリッジで1950年に開かれた国際数学者会議にてフィールズ賞を受賞している。超関数の理論は偏微分方程式やポテンシャル論、スペクトル理論、などの解析学において重要な概念となっている。また佐藤幹夫はシュヴァルツの超関数理論を更に一般化した超関数 (hyperfunction) 理論を創設した。
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ローラン・シュヴァルツは、フランスの数学者である。 今日シュワルツ超関数と呼ばれる、超関数 (distribution) の理論を構築した業績で知られる。終生のトロツキストを自称していた。またブルバキのメンバーの一人である。
{{別人|ヘルマン・アマンドゥス・シュヴァルツ}} {{Infobox scientist | name = Laurent Schwartz | image = LaurentSchwartz.jpg | image_size = 152px | caption = | birth_date = {{birth date|1915|03|05|df=y}} | birth_place = {{FRA1870}} [[パリ]] | death_date = {{Death date and age|2002|7|4|1915|3|5|df=y}} | death_place = {{FRA}} パリ | nationality = フランス | fields = [[数学]] | workplaces = [[ストラスブール大学]]<br>[[グルノーブル大学]]<br />[[エコール・ポリテクニーク]]<br />[[パリ第7大学]] | alma_mater = [[高等師範学校 (パリ)|高等師範学校]] | doctoral_advisor = {{仮リンク|ジョルジュ・ヴァリロン|en|Georges Valiron}} | doctoral_students = [[モーリス・オーダン]]<br />[[ベナード・ビューザミ]](Bernard Beauzamy)<br />[[アレクサンドル・グロタンディーク]]<br />{{仮リンク|ジャック=ルイ・リオン|en|Jacques-Louis Lions}}<br />{{仮リンク|ベナード・マルグランジュ|en|Bernard Malgrange}}<br />{{仮リンク|アンリ・ヌレンド|en|Henri Hogbe Nlend}}<br />{{仮リンク|ジャイルス・ピジェ|en|Gilles Pisier}}<br />[[フランソワ・トレヴェス]](François Treves) | known_for = [[シュワルツ超関数]]<br />{{仮リンク|シュワルツの核定理|en|Schwartz kernel theorem}}<br />[[シュワルツ空間]]<br />[[シュワルツ=ブリュア関数]]<br />{{仮リンク|ラドン化作用素|en|Radonifying function}}<br />[[柱状集合測度]] | influenced = {{仮リンク|パー・エンフロ|en|Per Enflo}} | awards = [[フィールズ賞]] (1950) }} '''ローラン・シュヴァルツ'''({{Lang-fr|Laurent Schwartz}}, [[1915年]][[3月5日]]{{ndash}}[[2002年]][[7月4日]])は、[[フランス]]の[[数学者]]である。 今日[[シュワルツ超関数]]と呼ばれる、[[超関数]] (distribution) の理論を構築した業績で知られる。終生の[[トロツキスト]]を自称していた<ref name="a">闘いの世紀を生きた数学者</ref>。また[[ブルバキ]]のメンバーの一人である。 == 略歴 == [[ミシェル・ドブレ]]とは親戚。1915年に[[パリ]]で[[アルザスのユダヤ人]]の家庭に生まれた。 [[高等師範学校 (パリ)|高等師範学校]]と[[パリ大学]]を卒業<ref name="b">ブリタニカ国際大百科事典2013小項目版「シュヴァルツ」より。</ref>。第二次大戦前は[[ナチス・ドイツ]]に[[独仏休戦協定|フランスが無条件降伏]]して占領軍がやってくると、[[ユダヤ人]]であったシュヴァルツや彼の家族も身分証明書を偽造するなど生存のためにあらゆる手段を用いた<ref name="a" />。あるホテルに占領軍がやってきて危うく暗殺されそうになるが、なんとか危機を凌いだこともある<ref name="a" />。 配偶者も数学者であり大学時代の友人でもあったが、病弱であり、[[結核]]で致命的状態になったが奇跡的に復活している<ref name="a" />。当時は結核は不治の病で隔離され、現代におけるエイズ患者のような取り扱いであったと述べている<ref name="a" />。 戦後はナンシー大学で[[ブルバキ]]のメンバーとともに教育や研究にあたり<ref name="a" />、後に[[エコール・ポリテクニク]]教授に就任している<ref name="b" />。[[ロレーヌ大学|ナンシー大学]]時代はブルバキ主要メンバーが集結するなど優れた環境であったが、ナンシー大学について二流大学であり、優秀な学生が少ない事に嘆いていた<ref name="a" />。[[ベトナム戦争]]では反戦運動を行い、実際にベトナムに赴いて数学を教えたりしてた<ref name="a" />。そのとき電気も使えないベトナム人が[[電磁気学]]を理解できるのかどうか疑っていたが実際にベトナム人は理解していたようである<ref name="a" />。ポリテク時代は反抗的な学生が悪ふざけで教室に象を連れてくるなどと批判している<ref name="a" />。 一切ノートを取らない主義で有名であり学生時代も数学関連の内容など全てを記憶していたが、後に考えを改め晩年はパソコンすら用いていた<ref name="a" />。また幾何学的直感が皆無で[[初等幾何学]]の具体的図形などは全く理解できなかったが、しかし証明や論理構造は完璧に理解できたため、幾何学の授業では困らなかったとも述べている<ref name="a" />。 == 業績 == 著名な業績としては[[超関数]] {{en|(distribution)}} の理論を構築したことが挙げられる。本人は超関数理論を「発明」したと強調して主張している<ref name="a" />。これによって、物理学や工学で既に用いられていたが数学的基礎付けに欠けていた[[ヘヴィサイドの階段関数]]や[[ディラックのデルタ関数]]なども正当化され、[[解析学]]の適用範囲を大きく広げた。彼はそれに関する業績でアメリカのほうの[[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]]で[[1950年]]に開かれた国際数学者会議にて[[フィールズ賞]]を受賞している<ref name="b" />。超関数の理論は[[偏微分方程式]]や[[ポテンシャル|ポテンシャル論]]、[[スペクトル理論]]、などの[[解析学]]において重要な概念となっている<ref name="b" />。また[[佐藤幹夫_(数学者)|佐藤幹夫]]はシュヴァルツの超関数理論を更に一般化した超関数 (hyperfunction) 理論を創設した。 == 著書 == * 『超函数の理論』 [[岩村聯]]訳、[[岩波書店]]、[[1971年]] ISBN 4000056611 * 『物理数学の方法』 [[吉田耕作]]、[[渡邊二郎]]訳、岩波書店、[[1966年]] ISBN 4000059084 * 『解析学』全7巻、[[斎藤正彦]]他訳、[[東京図書]]、[[1985年]] * 『闘いの世紀を生きた数学者 - ローラン・シュヴァルツ自伝』(上・下巻)[[彌永健一]]訳、[[シュプリンガー・ジャパン]]、[[2006年]] 上巻: ISBN 4431712283 下巻: ISBN 443171233X == 参考文献 == {{reflist}} == 関連項目 == *[[解析学]] **[[超関数]] **[[シュワルツ超函数|シュワルツ超関数]] **[[関数解析学]] *[[ブルバキ]] {{Mathematician-stub}} {{フィールズ賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆわるつ ろうらん}} [[Category:フランスの数学者]] [[Category:20世紀の数学者|150305]] [[Category:21世紀の数学者|-150305]] [[Category:フランスの無神論者]] [[Category:フィールズ賞受賞者]] [[Category:ブルバキ]] [[Category:ポーランド科学アカデミー会員]] [[Category:フランス科学アカデミー会員]] [[Category:パリ大学の教員]] [[Category:エコール・ポリテクニークの教員]] [[Category:ナンシー大学の教員]] [[Category:パリ出身の人物]] [[Category:アルザスのユダヤ人]] [[Category:1915年生]] [[Category:2002年没]] [[Category:数学に関する記事]]
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カール・ワイエルシュトラス
カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラス(Karl Theodor Wilhelm Weierstraß [ˈvaɪɐʃtʁaːs], 1815年10月31日 – 1897年2月19日)は、ドイツの数学者である。姓のワイ (Wei) の部分はヴァイと表記するほうが正確である。また、"er" に当たる部分はエル/ヤ/ア/ヤー/アー、"st" はシュト/スト、"raß" はラス/ラースとそれぞれ表記されることがある。 ノルトライン=ヴェストファーレン州北部に位置するオステンフェルデ生まれ。 1834年にボン大学に入学し法律や経済学を専攻。1839年にミュンスター大学の教職課程に入り、クリストフ・グーデルマンに出会い楕円関数論への関心を持つようになった。卒業後、26歳で教員として田舎の高校に就職し、教員としての仕事(数学に国語に地理、そして体操まで教えた)をしながら、ニールス・アーベルの定理とカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビの二重周期関数の研究の統合を目指した。 1854年、クレレ誌にヤコビ逆問題に関する論文を掲載され、1856年ベルリン大学に招聘される。1864年に正教授に就任、最後までこの地位にあった。1887年コテニウス・メダル、1892年ヘルムホルツ・メダル、1895年コプリ・メダル受賞。 初期の業績は超楕円積分の研究で、これがきっかけでベルリン大学に招聘された。楕円関数論では、位数2の楕円関数である ℘ {\displaystyle \wp } 関数の研究を行い、複素解析では、解析接続に基づいた厳密な方法を発展させた。その他、イプシロン-デルタ論法、一様収束の概念の考案など、微分積分学の基礎付けや、一変数複素関数、代数関数のべき級数による理論の整備に業績を残した。とくにリーマンとともに複素解析の研究を進めたのは有名であり、リーマンが直感的方法を好んだのに対してワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる。いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示し、実解析においてもその名を轟かし、極小曲面の理論で幾何学にも業績がある。
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カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラスは、ドイツの数学者である。姓のワイ (Wei) の部分はヴァイと表記するほうが正確である。また、"er" に当たる部分はエル/ヤ/ア/ヤー/アー、"st" はシュト/スト、"raß" はラス/ラースとそれぞれ表記されることがある。
[[ファイル:Karl_Weierstrass.jpg|thumb|right|カール・ワイエルシュトラス]] '''カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラス'''({{lang|de|Karl Theodor Wilhelm Weierstraß}} {{IPA-de|ˈvaɪɐʃtʁaːs|}}, [[1815年]][[10月31日]] – [[1897年]][[2月19日]])は、[[ドイツ]]の[[数学者]]である。姓のワイ (Wei) の部分はヴァイと表記するほうが正確である。また、"er" に当たる部分はエル/ヤ/ア/ヤー/アー、"st" はシュト/スト、"raß" はラス/ラースとそれぞれ表記されることがある。 == 経歴 == [[ノルトライン=ヴェストファーレン州]]北部に位置するオステンフェルデ生まれ<ref>[https://fsmi.uni-paderborn.de/service/vkrit/weierstrasspreis/karl-weierstrass/ [[パーダーボルン大学]]数学情報学科HP ]</ref>。 1834年に[[ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン|ボン大学]]に入学し法律や経済学を専攻<ref name="math">日本数学会編、『岩波数学辞典 第4版』、岩波書店、2007年、項目「ワイエルシュトラス」より。ISBN 978-4-00-080309-0 C3541 </ref>。1839年に[[ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学|ミュンスター大学]]の[[教職課程]]に入り、クリストフ・グーデルマンに出会い楕円関数論への関心を持つようになった<ref name="math"/>。卒業後、26歳で教員として田舎の高校に就職し<ref name="math"/>、教員としての仕事([[数学]]に[[国語]]に[[地理]]、そして[[体操]]まで教えた)をしながら、[[ニールス・アーベル]]の定理と[[カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ]]の二重周期関数の研究の統合を目指した。 1854年、[[クレレ誌]]にヤコビ逆問題に関する論文を掲載され<ref name="math"/>、1856年[[ベルリン大学]]に招聘される。1864年に正教授に就任<ref name="math"/>、最後までこの地位にあった<ref name="math"/>。1887年[[コテニウス・メダル]]、1892年[[ヘルムホルツ・メダル]]、1895年[[コプリ・メダル]]受賞。 == 業績 == 初期の業績は超[[楕円積分]]の研究で、これがきっかけでベルリン大学に招聘された。[[楕円関数]]論では、位数2の楕円関数である<math>\wp</math>関数の研究を行い、[[複素解析]]では、[[解析接続]]に基づいた厳密な方法を発展させた。その他、[[イプシロン-デルタ論法]]、[[一様収束]]の概念の考案など、[[微分積分学]]の基礎付けや、一変数複素関数、代数関数のべき級数による理論の整備に業績を残した。とくに[[ベルンハルト・リーマン|リーマン]]とともに複素解析の研究を進めたのは有名であり<ref name="math" />、リーマンが直感的方法を好んだのに対してワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる<ref name="math" />。いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示し、[[実解析]]においてもその名を轟かし<ref name="math" />、[[極小曲面]]の理論で[[幾何学]]にも業績がある<ref name="math"/>。 == 参考文献 == {{reflist}} == 関連記事 == * [[ヴァイエルシュトラスの楕円函数]] * [[カゾラーティ・ワイエルシュトラスの定理]]:真性特異点の近傍の像は稠密である * [[楕円関数#ワイエルシュトラスの楕円関数|ワイエルシュトラスのペー関数]]:古典的な楕円関数 * [[ボルツァーノ=ワイエルシュトラスの定理]]:有界な無限集合は集積点を持つ * [[リンデマンの定理|リンデマン=ワイエルシュトラスの定理]]:[[円周率]]や[[ネイピア数]]などの数が超越数であることを示す * [[ワイエルシュトラス関数]] * [[ワイエルシュトラスの予備定理]]:多変数の[[解析関数|複素解析関数]]を局所的に多項式で表す * [[ワイエルシュトラスの因数分解定理]](ワイエルシュトラスの乗積定理) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:わいえるしゆとらす かある ておとる ういるへるむ}} [[Category:カール・ワイエルシュトラス|*]] [[Category:19世紀の数学者|151031]] [[Category:ドイツの数学者]] [[Category:コプリ・メダル受賞者]] [[Category:王立協会外国人会員]] [[Category:国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員]] [[Category:プロイセン科学アカデミー会員]] [[Category:ゲッティンゲン科学アカデミー会員]] [[Category:バイエルン科学アカデミー会員]] [[Category:フンボルト大学ベルリンの教員]] [[Category:バイエルン王国の人物]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:1815年生]] [[Category:1897年没]]
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OpenOffice.org
OpenOffice.org(OOo)(オープンオフィス・オルグ)は、2011年に開発を終了したオープンソースオフィススイートとその制作プロジェクト名である。一般にはOpenOfficeという名前で知られていた。 OpenOffice.orgは、1999年、商用ソフトであったStarOffice(日本では商標上の理由からStarSuiteと変更)をサン・マイクロシステムズ社が社内で利用するためにStar Division社を買収し、オープンソース化したものである。 プロジェクト終了後、Apache OpenOfficeとLibreOfficeに分派した。 OpenOffice.orgは、ワープロ(Writer)、表計算(Calc)、プレゼンテーション(Impress)、ベクタードローツール(Impress)、数式エディタ(Math)、データベース(Base)で構成されていた。 標準ファイル形式には、ISO/IECの国際標準規格であるオープンドキュメント形式(ODF)が利用されていた。 Microsoft Officeが利用するファイル形式は、標準ファイル形式としてはサポートせずODFへの変換することによって対応していた。そのため、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式などは欠落が見られ、利用には注意が必要であった。 利用プラットフォームは、おもにLinuxとMicrosoft Windows、Solaris向けに開発されていたが、のちにmacOS向けも開発されるようになり、他のオペレーティングシステム向けにも移植されるようになった。 ライセンスは、ごく初期にSun業界基準使用許諾(SISSL)を採用していたがSISSLが廃止されたため、LGPLに変更され配布していた。 OpenOffice.orgは、オープンソースソフトウェアとして開発され、無償で配布されていたが、サン・マイクロシステムズは、商用ソフトとしてOpenOffice.orgにテンプレートやフォントと商用サポートを付けたStarOfficeも販売していた(日本ではStarOfficeの商標が利用できなかったため、StarSuiteとして販売)。StarOfficeは、法人向けにはサン・マイクロシステムズが販売していたが、個人向けにはソースネクストとジャングルが販売し、一時期はGoogleが商用ソフトを無償配布していたGoogleパックの一つとしても配布されていた。 また、macOSでOpenOffice.org利用にX11が必要だった当時、X11不要のネイティブmacOS版開発のために派生し、商用ソフトとして提供されていたNeoOfficeもあった(OpenOffice.org終了後は、ベースをLibreOfficeに移行)。 サン・マイクロシステムズは、1999年、自社で使用するオフィスソフトのためにドイツのStarDivisionを買収した。そしてMicrosoft Officeに対抗するために2000年7月、同社が販売していたStarOfficeのソースコードをOpenOfficeとしてオープンソース化を発表。2000年10月に公開し、OpenOffice.orgプロジェクトを立ち上げた。 このプロジェクトには、サン・マイクロシステムズ、ノベル、IBM(2007年9月10日))、Google、インテル、レッドハット、Redflag Chinese 2000(2007年5月)などが参加し、サン・マイクロシステムズが管理を行った。 2002年5月1日、バージョン1.0をリリース。その後は順調にリリースを続けていたが、2010年、オラクルがOpenOffice.orgの知的財産権を所有していたサン・マイクロシステムズの買収を発表。2010年1月27日、オラクルによるサン・マイクロシステムズ買収完了に伴い、プロジェクトの管理はオラクルが行うこととなった。 2011年、OpenOffice.orgの商用サービスの提供を中止。 2011年4月15日、オラクルは「OpenOffice.orgプロジェクトは非営利団体が管理するのが望ましい」と声明を発表し、2011年6月1日、Apacheソフトウェア財団へソースコードの著作権ならびにOpenOffice.orgの商標の提供を提案した。 Apacheソフトウェア財団は提案を受け投票を行い、開票の結果、2011年6月13日、Apacheインキュベータープロジェクトとして承認。 提案の合意により、OpenOffice.orgの資産はオラクルからApacheソフトウェア財団に寄贈、譲渡され、OpenOffice.orgプロジェクトならびにOpenOffice.orgは正式に終了した。 寄贈を受けたApacheソフトウェア財団は、ソフトウェアの名称をOpenOffice.orgからApache OpenOfficeに変更。 Apache OpenOfficeは、分派プロジェクトの中ではOpenOffice.org直系のプロジェクトであるが、2014年、開発を支援していたIBMが非公式に撤退して以降、開発が頓挫している。 OpenOffice.org終了と前後して、2010年9月28日、OpenOffice.orgプロジェクトに参加していたメンバーは、オラクルとの関係やOpenOffice.orgプロジェクトの官僚的な管理の改善を求めてプロジェクトを離脱。LibreOfficeコミュニティの設立とコミュニティ支援組織としてThe Document Foundationを立ち上げた。そして、OpenOffice.orgに取り込まれなかった機能を取り込んだ派生版であるGo-OOのソースコードを元にLibreOfficeの開発を開始した。 LibreOfficeは、GNUと主要なLinuxディストリビューションが支持するほか、分派プロジェクトの中では最も活発に開発されており、OpenOffice.orgの実質的な後継プロジェクトとなっている。そして、頓挫したApache OpenOfficeに対しては、プロジェクトを終了するようにと公開書簡も出している。 OpenOffice.orgは、特にプロプライエタリな文書フォーマットに依存すべきでない自治体、官公庁などに採用された。 OpenOffice.orgはオープンソースかつコピーレフトのGNU LGPLの元、フリーで公開されていた。当初はサン・マイクロシステムズ独自のSISSL(Sun Industry Standards Source License)とLGPLの2重ライセンスで公開されていたが、2005年9月2日にサン・マイクロシステムズがSISSLの廃止を発表して以降LGPLに一本化された。 OpenOffice.orgは、標準ファイル形式としてオープンドキュメント形式(ODF)を採用していた。また、Microsoft Officeファイル形式については、Office 2003以前のバイナリ形式ファイルについてはODFへ変換して読み込みと書き込みをサポート、Office 2007以降のOOXML TransitionalはODFへ変換して読み込みのみ対応していた。しかし、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式については欠落するため、利用には注意が必要であった。 OpenOffice.orgは、構造化情報標準促進協会(OASIS)が規格を策定し、ISO/IEC 26300およびJISなどで規格化されたOpenDocument Format(ODF)を標準の文書形式としていた。 OpenDocumentは、OpenOffice.orgが利用していた文書ファイル形式を元に策定された、オフィスソフト用の文書ファイル形式である。 2005年に構造化情報標準促進協会(OASIS)が標準規格として策定、承認しており、その後ISOによりISO/IEC 26300としても認定された。これを受けて日本工業規格は、2009年12月7日JISとして承認し、2010年2月22日付の官報で公示された。 OpenDocument形式のファイルは、XMLで記述された複数のデータファイルをZIP形式で圧縮したものであるOpenDocument形式は、サポートするソフトウエア同士は、違うベンダのものであっても相互に一定の読み書きが保障されることを目指している。 OpenDocument形式がISO/IEC標準と規定されたことで、各国の政府機関により OpenDocument形式のファイルが政府調達の条件に加えられるようになった。欧州委員会は政府調達で OpenDocument形式を用いることを推奨している。日本国内においても、将来的にOpenDocument形式が政府調達の要件になる可能性もあり、大企業の政府調達部門を中心にOpenDocument形式に対応するために、OpenOffice.orgを導入するところもあった。 OpenOffice.orgでは、OpenOffice.org 2.0以降では標準ファイル形式として採用し、OpenDocument形式の読み込み、保存ともにサポートした。Microsoft Officeは、Office 2007 Service Pack 2よりOpenDocument形式に対応した。一太郎は、一太郎2006では追加モジュールでの対応、一太郎2007からは標準で対応された。 Microsoft Office 2003以前で利用されていたバイナリファイル形式(拡張子が、.doc, .xls, .ppt)は、ODFへの変換しての読み込みと書き込み、Microsoft Office 2007で採用されたOffice Open XML Trasitionalのファイル形式(拡張子が、.docx, .xlsx, .pptx)については書き出しはできず、ODFへの変換しての読み込みのみ対応していた。 OpenOffice.orgでは、Office Open XML Transitional形式での書き出しができないため、WPS OfficeやLibreOfficeを利用する必要があった。また、どちらの形式もOpenOfficeに無い機能で作成された書式については、切り捨てられるため、読み込みについてはODFへのインポートするための機能として割り切って利用する必要もあった。 一太郎のファイル形式であるjtd形式については、サンがIchitaro Document Filterという拡張機能をリリースしていたので、これをインストールすることで読み込みが可能であった。 しかし、この拡張機能はWindowsのみの対応であり、ほかのプラットフォームでは利用できなかった。 OpenOffice.org はクロスプラットフォームで、Windows、Linux、FreeBSD、Solaris(x86とUltraSPARC)およびMac OS Xに対応していた。 バージョン3.0よりMac OS Xのネイティブな環境である Aqua ユーザインタフェースに対応。3.0以前の OpenOffice.orgは、X11版でMac OS Xに一応は対応していたものの、X11版は、Mac OS Xとユーザインタフェースの統一が取れておらず、また、X11のソフトが動作するためのX serverをインストールする必要があり、あまり普及しなかった。Javaを利用して Mac OS X(Aqua)へ対応した外部プロジェクト NeoOfficeが存在し、OpenOffice.orgのMac OS X版として利用されてきたが、Aquaに対応した3.0がリリースされたことにより、NeoOfficeからOpenOffice.orgへ移行するユーザーも見受けられた。 国際化、地域化に力を入れていたため、世界中で同一のソフトを利用することができた。内部はUnicodeで処理されているため、OpenOffice.org日本語版でも、欧米の言語のみならず他地域の言語を扱うことができた。なお、開発にドイツ国内の技術者が大きく関与しているため、英語と並んでドイツ語関係の機能も充実していた。アジア諸言語としては、日本語のほか、韓国語、中国語に対応していた。複合文字言語(CTL)では、アラビア語、タイ語、ヒンディ語、ヘブライ語などに対応していた。 OpenOffice.orgは統合オフィススイートで、各機能は別個のソフトとして存在しているわけではない。統合ソフトであるため、共通の機能も多く見られた。 起動時にコマンドライン引数を指定することで、機能を指定して起動できた。 OpenOffice.orgでは各機能を通してOpenDocumentを標準のファイルフォーマットとしていた。 OpenOffice.orgにはスタイルと呼ばれる機能があった。多くのオフィススイートでは標準の書式設定を変更できるが、スタイル機能では文字や段落のスタイルから、箇条書きのスタイルやページスタイルを自由に設定することができる。 共通して英単語のスペルチェック機能があり、間違った英単語を入力した際に修正することができる。また、打ち間違えた英単語を自動で修正するオートコレクト機能がある。これは、youをyuoなどのように打ち間違えた場合、本来のyouに自動修正を行う機能である。 数式エディタ「Math」の機能は「Writer」や「Calc」などでも使うことができる。そのため、文書中に簡単に数式を埋め込むことが可能である。 ワープロ機能。スタイルの編集機能により長文の文章の編集が容易となっている。文法チェッカーの機能はWriter自身には存在しないが、拡張機能をインストールすることで利用することができる。また、縦横の文字数を指定することで、原稿用紙などに印刷することもできる。 多国語対応なので、次のような各言語に特別な機能が、世界共通で付与されている。 標準フォーマットはOpenDocument(*.odt)だが、プレーンテキスト(*.txt)、Rich Text Format(*.rtf)、HTMLドキュメント(*.htm, *.html)などの形式のほか、Microsoft Word 97/2000/XP(*.doc)、DocBook(*.xml)、Microsoft Word 2003 XML(*.xml)形式での保存などもできる。 HTML編集機能。Writer-Webともよばれるこのエディタは、WYSIWYG HTMLエディタの一種に属し、画面上で実際の文書を逐一確認しながら HTMLの作成を行うことができる。テキストエディタのように HTMLタグを直接用いた編集にも対応する。Webサイトの製作目的としてはピクセル単位での編集に対応していないうえ、一般的にWebサイトに用いられるフォント種類はゴシック体だが、HTML編集機能の既定のフォントをWriterと共有しているため、Writerの既定のフォントが明朝体等に設定されていた場合、フォントが競合しない。また、CSSへの対応は決して高くは無い。このため、現実的なウェブサイトの制作には向いていない。同様なフリーのHTMLエディタとして代表的なものには、これ以外にもMozilla Composerやその派生のNvu、KompoZerなどが存在する。 表計算機能。OpenOffice.org 1.xでは処理できる行数が32,000行までに、列数が256列までに制限されていたが、OpenOffice.org 2.0からは行数が65,336行、OpenOffice.org 3.0からは列数が1024列、OpenOffice.org 3.3からは行数が1,048,576行に拡張された。 Calcの関数ウィザードに用意されている関数は、データベース、日付と時刻、財務、情報、論理関数、数学、行列、統計、表、文字列、アドイン関数に分類されている。関数自体はExcelと同様のものが多いが、Excelでは引数を,(カンマ)で区切るのに対し、OpenOffice.org Calcでは;(セミコロン)で区切るという違いがある。Excelブック(ファイル)のインポート/エクスポート時には自動的に変換されるが、OpenOffice.orgが標準で,で区切るように変更することはできない。 多言語対応の点からCalcの日付の書式については、異なる紀年法での表示が可能である。以下に、表示可能な主要なものを列記する。 なお、日付はシリアル値として処理されているが、Excelが1900年1月1日を「1」としているのに対して、Calcでは、1899年12月31日を「1」としている。ただし、1900年3月1日以降についてはシリアル値は一致する。これは、Excel(および先行していた表計算ソフト Lotus 1-2-3)が本来閏年ではない1900年を誤って閏年と認識してしまうことに由来する。そのため、Calcでは1900年3月1日以前の日付であっても曜日が正しく計算されるようになっている(標準の1899年12月31日スタートのほかに、ベースとなったStarCalc1.0やWindows版Excelに合わせた1900年1月1日、Mac版Excelに合わせた1904年1月1日の設定もある)。 一方、セル枠の罫線のデザインに点線や破線が使えないと言った問題もある。これについてはバージョン1.0 がリリースされた時代である2002年10月にコミュニティに要望が送られているが、8年経った最新版のバージョン 3.3 でも利用できない状態のままである。他にも、セルの結合操作を行った後の結果が異なる、セルの選択操作の違い、一部ショートカットキーの操作が異なる(一例・セルの相対参照と絶対参照を切り替える操作《A1→$A$1→A$1→$A1→A1》がExcelでは「F4」キーであるが、Calcは「Shift」+「F4」キー)など、細かい部分ではExcelとは異なる動作をするものが多い。 データベース機能。関係データベースに対応している。BaseはOpenOffice.org 2.0から登場した機能である。もっとも、その元となるデータベース機能(データソース)は1.0当時から存在していたが、ユーザーから「Microsoft Accessのようなデータベース機能はないのか」という要望が強く、分かりやすいように機能として独立させるとともに強化が図られたものである。 他のデータベースソフトに比べて他形式での出入力機能が不十分であるが、その代わり、ワープロ機能や表計算機能との連携は密である。 最も標準的に使用するのはHSQLDBであるが、そのほかに次の形式などに対応している。 Oracle Database, MySQL, Microsoft SQL Server(JDBC, ODBC経由), dBASE, Microsoft Access, Adabas D, Excel, テキストファイル, MozillaやWindowsのアドレス帳, Apache Derby プレゼンテーション機能。Impressには予めプレゼンテーションの作成ウィザードが用意されている。そのため、プレゼンテーションの作成に詳しくないユーザーであっても、画面に表示されるウィザードに従えば簡単なプレゼンテーションを完成させることができるよう配慮されている。配布資料を作成する機能を備え、Impressのみでプレゼンテーション全体を製作することが可能となっている。また、OpenOffice.org 3.0からImpressとDrawに独自の表機能が追加されており、表を用いたプレゼンテーションの作成が容易にできる。ただし、Impressに予め用意されているテンプレートは二つと少なく、有用な利用には追加の必要性が高い。3.1から図形などにアンチエイリアス処理を施せるようになったため、図形を用いたプレゼンテーションが使いやすくなった。 図形描画機能。作図のみならず、レイアウトの複雑なパンフレットの作成にも活用できる。さらに、簡易的なDTP用途のソフトウェアとして利用することができる。ベクターベースの線画や編集、3Dモデルの作成・回転・影付けなどの機能が提供されている。 Adobe Flash形式のファイルを出力する事ができる。ベクターグラフィックスであるため、ベクターデータによる画面表示では拡大や縮小をしても描写の劣化が起きない。図形同士を線分によって連結するコネクタ機能によって、図形を移動させることも容易である。色の指定は、RGBやCMYKなどによっても行うことができる。 OpenOffice.org 2.0からは多数の図形(星型や顔型など)が当初から用意されるようになった。また、SVG形式の出力が可能になった。 数式エディタ機能。デザインサイエンスのMathTypeのデータのインポート・エクスポートが可能。またMathML 1.01形式で出力できる。 選択ウィンドウから数式を選択することもできるが、コマンドウィンドウでコマンドを入力することもできる。慣れると素早く数式を入力することができ、またLaTeXなどとは異なってコマンド編集中にリアルタイムで結果数式が表示されるという利点もある。 Math単体で複数の数式を作成した場合、画像をその都度挿入していくことで動作が重くなる。このため数学の証明問題などを作成する場合は、Writerに一つ一つの数式をオブジェクトとして組み込むことで、レンダリング処理を式ごとに分割させることができる。 例えば、二次方程式の解の公式は のように記述すると のように表現できる。 グラフ機能である。ワープロ機能や表計算機能に用いられる。ワープロ機能や表計算機能と同様にチャート機能として開発が進められている。 この機能により以下のようなグラフを作成することができる。 なお、円グラフやドーナツグラフの表示順序は、標準で反時計回り(左回り)となっている。 OpenOffice.orgではBASICやPython、JavaScriptなどの言語を用いたマクロが利用できる。OpenOffice.orgには、Basic言語用の統合開発環境が付属しているため、知識があれば誰でも手軽にプログラムを作成し定型業務の自動化を簡単に行うことが出来る。基本的にインタプリタ型の言語であるため、コンパイル(ビルド)の作業は不要である。 Universal Network Objects(UNO)インタフェースを用いてC++やJavaなど他の言語プログラムを呼び出すこともできる。 また、このインタフェースを用いてOpenOffice.org API(Sun StarSuite API)を利用することにより、共通ダイアログを利用したり、OpenOffice.orgのファイルに直接アクセスしたり、MySQL・PostgreSQLなどの外部データベースに直接アクセスすることができる。 OpenOffice.org BASICの言語仕様はサン・マイクロシステムズのStarSuite Basicと同じであり、Microsoft OfficeのVBAと似ている。変数、制御文、演算子などはVBAと同じなので、言語仕様を覚える手間は少ない。しかしAPIが全く異なるので、VBAサポート機能を使用しない限り、VBAのマクロをそのまま使うことはできない。たとえばExcelとCalcではセルの内容にアクセスする方法が大きく異なる。 拡張機能を利用することができる。 拡張機能を登録し、公開することのできる場所である。ここには多くの拡張機能が登録されており、その多くが自由に利用することができる。 たとえば、サン・マイクロシステムズが公開している「Sun Presenter Console」を利用すれば、Impressでプレゼンテーションするときにスクリーンとは別に、パソコン画面にプレゼンター向けの時計やノートを表示できる。 OpenOffice.orgの開発プロジェクトであった。OpenOffice.orgには複数のプロジェクトが存在し、これらが共同でOpenOffice.orgを開発していた。各プロジェクトはリーダーを主体としてプロジェクトが構成されていた。 各国語版のOpenOffice.orgを開発するためのプロジェクト群であった。これらはOpenOffice.orgのユーザインタフェースを翻訳するだけでなく、各国でOpenOffice.orgの広報活動も執り行っていた。 OpenOffice.orgを日本語に翻訳するためのプロジェクトであった。そのほかに、広報活動が行われていた。Japanese Language Project、JLPとも略された。 ユーザインタフェースの改善と開発を執り行なうプロジェクトであった。 User Experienceチームが主体となって行っていた、OpenOffice.orgの次期ユーザインターフェースの開発プロジェクト。 OpenOffice.org repository for Extensionsを運営していた。 Webサイトの製作を担当するプロジェクトであった。 2010年9月28日、OpenOffice.orgの開発者コミュニティがオラクルから独立して立ち上げたThe Document Foundationによる製品。OpenOffice.orgの事実上の後継。コミュニティはオラクルに対しOpenOffice.orgのブランド名を寄付するよう要請しているほか、Go-OOの合流によりGo-OOで拡張された機能も取り込んで反映している。 OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張などを取り込んだ派生オフィススイート。Go-OO には、サン・マイクロシステムズの判断でライセンスやビジネス上の理由により OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張が取り込まれている。2010年1月現在、Windows版とLinux版、Mac OS X版がある。ノベルが開発を推進しており、Ubuntu、openSUSE、Debian、Mandriva LinuxなどのLinuxディストリビューションで採用されている OpenOffice.orgは正式版ではなく、このGo-OOである。現在、プロジェクトは終息しLibreOfficeへ統合された。以下のような機能拡張が施されている一方、高速化のためOpenOffice.org にある一部のマイナーな機能(自動アップデートなど)は削除されている。 PortableApps.comで開発した、USBメモリなどに入れて持ち運べるようにしたOpenOffice.org。レジストリを使わないためインストールが不要。英語版・中国語版(簡体字)・日本語版などいくつかの言語版が出ているが、3.2.0以降更新が止まっている。なお、LibreOffice版がバージョンに追随する形でリリースされている。 独非営利団体 Team OpenOffice.org e.V.により、OpenOffice.orgが OracleからApacheへ寄贈される事で今後サポートされないバージョン3.3.0のメンテナンスを目的として発表された。これに対しApacheソフトウェア財団は遺憾の意を示しており、本プロジェクトに向けて協調を呼びかけている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org(OOo)(オープンオフィス・オルグ)は、2011年に開発を終了したオープンソースオフィススイートとその制作プロジェクト名である。一般にはOpenOfficeという名前で知られていた。 OpenOffice.orgは、1999年、商用ソフトであったStarOffice(日本では商標上の理由からStarSuiteと変更)をサン・マイクロシステムズ社が社内で利用するためにStar Division社を買収し、オープンソース化したものである。 プロジェクト終了後、Apache OpenOfficeとLibreOfficeに分派した。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは、ワープロ(Writer)、表計算(Calc)、プレゼンテーション(Impress)、ベクタードローツール(Impress)、数式エディタ(Math)、データベース(Base)で構成されていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "標準ファイル形式には、ISO/IECの国際標準規格であるオープンドキュメント形式(ODF)が利用されていた。 Microsoft Officeが利用するファイル形式は、標準ファイル形式としてはサポートせずODFへの変換することによって対応していた。そのため、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式などは欠落が見られ、利用には注意が必要であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "利用プラットフォームは、おもにLinuxとMicrosoft Windows、Solaris向けに開発されていたが、のちにmacOS向けも開発されるようになり、他のオペレーティングシステム向けにも移植されるようになった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ライセンスは、ごく初期にSun業界基準使用許諾(SISSL)を採用していたがSISSLが廃止されたため、LGPLに変更され配布していた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは、オープンソースソフトウェアとして開発され、無償で配布されていたが、サン・マイクロシステムズは、商用ソフトとしてOpenOffice.orgにテンプレートやフォントと商用サポートを付けたStarOfficeも販売していた(日本ではStarOfficeの商標が利用できなかったため、StarSuiteとして販売)。StarOfficeは、法人向けにはサン・マイクロシステムズが販売していたが、個人向けにはソースネクストとジャングルが販売し、一時期はGoogleが商用ソフトを無償配布していたGoogleパックの一つとしても配布されていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、macOSでOpenOffice.org利用にX11が必要だった当時、X11不要のネイティブmacOS版開発のために派生し、商用ソフトとして提供されていたNeoOfficeもあった(OpenOffice.org終了後は、ベースをLibreOfficeに移行)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "サン・マイクロシステムズは、1999年、自社で使用するオフィスソフトのためにドイツのStarDivisionを買収した。そしてMicrosoft Officeに対抗するために2000年7月、同社が販売していたStarOfficeのソースコードをOpenOfficeとしてオープンソース化を発表。2000年10月に公開し、OpenOffice.orgプロジェクトを立ち上げた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このプロジェクトには、サン・マイクロシステムズ、ノベル、IBM(2007年9月10日))、Google、インテル、レッドハット、Redflag Chinese 2000(2007年5月)などが参加し、サン・マイクロシステムズが管理を行った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2002年5月1日、バージョン1.0をリリース。その後は順調にリリースを続けていたが、2010年、オラクルがOpenOffice.orgの知的財産権を所有していたサン・マイクロシステムズの買収を発表。2010年1月27日、オラクルによるサン・マイクロシステムズ買収完了に伴い、プロジェクトの管理はオラクルが行うこととなった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2011年、OpenOffice.orgの商用サービスの提供を中止。 2011年4月15日、オラクルは「OpenOffice.orgプロジェクトは非営利団体が管理するのが望ましい」と声明を発表し、2011年6月1日、Apacheソフトウェア財団へソースコードの著作権ならびにOpenOffice.orgの商標の提供を提案した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Apacheソフトウェア財団は提案を受け投票を行い、開票の結果、2011年6月13日、Apacheインキュベータープロジェクトとして承認。 提案の合意により、OpenOffice.orgの資産はオラクルからApacheソフトウェア財団に寄贈、譲渡され、OpenOffice.orgプロジェクトならびにOpenOffice.orgは正式に終了した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "寄贈を受けたApacheソフトウェア財団は、ソフトウェアの名称をOpenOffice.orgからApache OpenOfficeに変更。 Apache OpenOfficeは、分派プロジェクトの中ではOpenOffice.org直系のプロジェクトであるが、2014年、開発を支援していたIBMが非公式に撤退して以降、開発が頓挫している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org終了と前後して、2010年9月28日、OpenOffice.orgプロジェクトに参加していたメンバーは、オラクルとの関係やOpenOffice.orgプロジェクトの官僚的な管理の改善を求めてプロジェクトを離脱。LibreOfficeコミュニティの設立とコミュニティ支援組織としてThe Document Foundationを立ち上げた。そして、OpenOffice.orgに取り込まれなかった機能を取り込んだ派生版であるGo-OOのソースコードを元にLibreOfficeの開発を開始した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "LibreOfficeは、GNUと主要なLinuxディストリビューションが支持するほか、分派プロジェクトの中では最も活発に開発されており、OpenOffice.orgの実質的な後継プロジェクトとなっている。そして、頓挫したApache OpenOfficeに対しては、プロジェクトを終了するようにと公開書簡も出している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは、特にプロプライエタリな文書フォーマットに依存すべきでない自治体、官公庁などに採用された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgはオープンソースかつコピーレフトのGNU LGPLの元、フリーで公開されていた。当初はサン・マイクロシステムズ独自のSISSL(Sun Industry Standards Source License)とLGPLの2重ライセンスで公開されていたが、2005年9月2日にサン・マイクロシステムズがSISSLの廃止を発表して以降LGPLに一本化された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは、標準ファイル形式としてオープンドキュメント形式(ODF)を採用していた。また、Microsoft Officeファイル形式については、Office 2003以前のバイナリ形式ファイルについてはODFへ変換して読み込みと書き込みをサポート、Office 2007以降のOOXML TransitionalはODFへ変換して読み込みのみ対応していた。しかし、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式については欠落するため、利用には注意が必要であった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは、構造化情報標準促進協会(OASIS)が規格を策定し、ISO/IEC 26300およびJISなどで規格化されたOpenDocument Format(ODF)を標準の文書形式としていた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "OpenDocumentは、OpenOffice.orgが利用していた文書ファイル形式を元に策定された、オフィスソフト用の文書ファイル形式である。 2005年に構造化情報標準促進協会(OASIS)が標準規格として策定、承認しており、その後ISOによりISO/IEC 26300としても認定された。これを受けて日本工業規格は、2009年12月7日JISとして承認し、2010年2月22日付の官報で公示された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "OpenDocument形式のファイルは、XMLで記述された複数のデータファイルをZIP形式で圧縮したものであるOpenDocument形式は、サポートするソフトウエア同士は、違うベンダのものであっても相互に一定の読み書きが保障されることを目指している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "OpenDocument形式がISO/IEC標準と規定されたことで、各国の政府機関により OpenDocument形式のファイルが政府調達の条件に加えられるようになった。欧州委員会は政府調達で OpenDocument形式を用いることを推奨している。日本国内においても、将来的にOpenDocument形式が政府調達の要件になる可能性もあり、大企業の政府調達部門を中心にOpenDocument形式に対応するために、OpenOffice.orgを導入するところもあった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgでは、OpenOffice.org 2.0以降では標準ファイル形式として採用し、OpenDocument形式の読み込み、保存ともにサポートした。Microsoft Officeは、Office 2007 Service Pack 2よりOpenDocument形式に対応した。一太郎は、一太郎2006では追加モジュールでの対応、一太郎2007からは標準で対応された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Microsoft Office 2003以前で利用されていたバイナリファイル形式(拡張子が、.doc, .xls, .ppt)は、ODFへの変換しての読み込みと書き込み、Microsoft Office 2007で採用されたOffice Open XML Trasitionalのファイル形式(拡張子が、.docx, .xlsx, .pptx)については書き出しはできず、ODFへの変換しての読み込みのみ対応していた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgでは、Office Open XML Transitional形式での書き出しができないため、WPS OfficeやLibreOfficeを利用する必要があった。また、どちらの形式もOpenOfficeに無い機能で作成された書式については、切り捨てられるため、読み込みについてはODFへのインポートするための機能として割り切って利用する必要もあった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "一太郎のファイル形式であるjtd形式については、サンがIchitaro Document Filterという拡張機能をリリースしていたので、これをインストールすることで読み込みが可能であった。 しかし、この拡張機能はWindowsのみの対応であり、ほかのプラットフォームでは利用できなかった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org はクロスプラットフォームで、Windows、Linux、FreeBSD、Solaris(x86とUltraSPARC)およびMac OS Xに対応していた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "バージョン3.0よりMac OS Xのネイティブな環境である Aqua ユーザインタフェースに対応。3.0以前の OpenOffice.orgは、X11版でMac OS Xに一応は対応していたものの、X11版は、Mac OS Xとユーザインタフェースの統一が取れておらず、また、X11のソフトが動作するためのX serverをインストールする必要があり、あまり普及しなかった。Javaを利用して Mac OS X(Aqua)へ対応した外部プロジェクト NeoOfficeが存在し、OpenOffice.orgのMac OS X版として利用されてきたが、Aquaに対応した3.0がリリースされたことにより、NeoOfficeからOpenOffice.orgへ移行するユーザーも見受けられた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "国際化、地域化に力を入れていたため、世界中で同一のソフトを利用することができた。内部はUnicodeで処理されているため、OpenOffice.org日本語版でも、欧米の言語のみならず他地域の言語を扱うことができた。なお、開発にドイツ国内の技術者が大きく関与しているため、英語と並んでドイツ語関係の機能も充実していた。アジア諸言語としては、日本語のほか、韓国語、中国語に対応していた。複合文字言語(CTL)では、アラビア語、タイ語、ヒンディ語、ヘブライ語などに対応していた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgは統合オフィススイートで、各機能は別個のソフトとして存在しているわけではない。統合ソフトであるため、共通の機能も多く見られた。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "起動時にコマンドライン引数を指定することで、機能を指定して起動できた。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgでは各機能を通してOpenDocumentを標準のファイルフォーマットとしていた。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgにはスタイルと呼ばれる機能があった。多くのオフィススイートでは標準の書式設定を変更できるが、スタイル機能では文字や段落のスタイルから、箇条書きのスタイルやページスタイルを自由に設定することができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "共通して英単語のスペルチェック機能があり、間違った英単語を入力した際に修正することができる。また、打ち間違えた英単語を自動で修正するオートコレクト機能がある。これは、youをyuoなどのように打ち間違えた場合、本来のyouに自動修正を行う機能である。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "数式エディタ「Math」の機能は「Writer」や「Calc」などでも使うことができる。そのため、文書中に簡単に数式を埋め込むことが可能である。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ワープロ機能。スタイルの編集機能により長文の文章の編集が容易となっている。文法チェッカーの機能はWriter自身には存在しないが、拡張機能をインストールすることで利用することができる。また、縦横の文字数を指定することで、原稿用紙などに印刷することもできる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "多国語対応なので、次のような各言語に特別な機能が、世界共通で付与されている。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "標準フォーマットはOpenDocument(*.odt)だが、プレーンテキスト(*.txt)、Rich Text Format(*.rtf)、HTMLドキュメント(*.htm, *.html)などの形式のほか、Microsoft Word 97/2000/XP(*.doc)、DocBook(*.xml)、Microsoft Word 2003 XML(*.xml)形式での保存などもできる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "HTML編集機能。Writer-Webともよばれるこのエディタは、WYSIWYG HTMLエディタの一種に属し、画面上で実際の文書を逐一確認しながら HTMLの作成を行うことができる。テキストエディタのように HTMLタグを直接用いた編集にも対応する。Webサイトの製作目的としてはピクセル単位での編集に対応していないうえ、一般的にWebサイトに用いられるフォント種類はゴシック体だが、HTML編集機能の既定のフォントをWriterと共有しているため、Writerの既定のフォントが明朝体等に設定されていた場合、フォントが競合しない。また、CSSへの対応は決して高くは無い。このため、現実的なウェブサイトの制作には向いていない。同様なフリーのHTMLエディタとして代表的なものには、これ以外にもMozilla Composerやその派生のNvu、KompoZerなどが存在する。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "表計算機能。OpenOffice.org 1.xでは処理できる行数が32,000行までに、列数が256列までに制限されていたが、OpenOffice.org 2.0からは行数が65,336行、OpenOffice.org 3.0からは列数が1024列、OpenOffice.org 3.3からは行数が1,048,576行に拡張された。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "Calcの関数ウィザードに用意されている関数は、データベース、日付と時刻、財務、情報、論理関数、数学、行列、統計、表、文字列、アドイン関数に分類されている。関数自体はExcelと同様のものが多いが、Excelでは引数を,(カンマ)で区切るのに対し、OpenOffice.org Calcでは;(セミコロン)で区切るという違いがある。Excelブック(ファイル)のインポート/エクスポート時には自動的に変換されるが、OpenOffice.orgが標準で,で区切るように変更することはできない。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "多言語対応の点からCalcの日付の書式については、異なる紀年法での表示が可能である。以下に、表示可能な主要なものを列記する。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "なお、日付はシリアル値として処理されているが、Excelが1900年1月1日を「1」としているのに対して、Calcでは、1899年12月31日を「1」としている。ただし、1900年3月1日以降についてはシリアル値は一致する。これは、Excel(および先行していた表計算ソフト Lotus 1-2-3)が本来閏年ではない1900年を誤って閏年と認識してしまうことに由来する。そのため、Calcでは1900年3月1日以前の日付であっても曜日が正しく計算されるようになっている(標準の1899年12月31日スタートのほかに、ベースとなったStarCalc1.0やWindows版Excelに合わせた1900年1月1日、Mac版Excelに合わせた1904年1月1日の設定もある)。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "一方、セル枠の罫線のデザインに点線や破線が使えないと言った問題もある。これについてはバージョン1.0 がリリースされた時代である2002年10月にコミュニティに要望が送られているが、8年経った最新版のバージョン 3.3 でも利用できない状態のままである。他にも、セルの結合操作を行った後の結果が異なる、セルの選択操作の違い、一部ショートカットキーの操作が異なる(一例・セルの相対参照と絶対参照を切り替える操作《A1→$A$1→A$1→$A1→A1》がExcelでは「F4」キーであるが、Calcは「Shift」+「F4」キー)など、細かい部分ではExcelとは異なる動作をするものが多い。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "データベース機能。関係データベースに対応している。BaseはOpenOffice.org 2.0から登場した機能である。もっとも、その元となるデータベース機能(データソース)は1.0当時から存在していたが、ユーザーから「Microsoft Accessのようなデータベース機能はないのか」という要望が強く、分かりやすいように機能として独立させるとともに強化が図られたものである。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "他のデータベースソフトに比べて他形式での出入力機能が不十分であるが、その代わり、ワープロ機能や表計算機能との連携は密である。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "最も標準的に使用するのはHSQLDBであるが、そのほかに次の形式などに対応している。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "Oracle Database, MySQL, Microsoft SQL Server(JDBC, ODBC経由), dBASE, Microsoft Access, Adabas D, Excel, テキストファイル, MozillaやWindowsのアドレス帳, Apache Derby", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "プレゼンテーション機能。Impressには予めプレゼンテーションの作成ウィザードが用意されている。そのため、プレゼンテーションの作成に詳しくないユーザーであっても、画面に表示されるウィザードに従えば簡単なプレゼンテーションを完成させることができるよう配慮されている。配布資料を作成する機能を備え、Impressのみでプレゼンテーション全体を製作することが可能となっている。また、OpenOffice.org 3.0からImpressとDrawに独自の表機能が追加されており、表を用いたプレゼンテーションの作成が容易にできる。ただし、Impressに予め用意されているテンプレートは二つと少なく、有用な利用には追加の必要性が高い。3.1から図形などにアンチエイリアス処理を施せるようになったため、図形を用いたプレゼンテーションが使いやすくなった。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "図形描画機能。作図のみならず、レイアウトの複雑なパンフレットの作成にも活用できる。さらに、簡易的なDTP用途のソフトウェアとして利用することができる。ベクターベースの線画や編集、3Dモデルの作成・回転・影付けなどの機能が提供されている。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "Adobe Flash形式のファイルを出力する事ができる。ベクターグラフィックスであるため、ベクターデータによる画面表示では拡大や縮小をしても描写の劣化が起きない。図形同士を線分によって連結するコネクタ機能によって、図形を移動させることも容易である。色の指定は、RGBやCMYKなどによっても行うことができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org 2.0からは多数の図形(星型や顔型など)が当初から用意されるようになった。また、SVG形式の出力が可能になった。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "数式エディタ機能。デザインサイエンスのMathTypeのデータのインポート・エクスポートが可能。またMathML 1.01形式で出力できる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "選択ウィンドウから数式を選択することもできるが、コマンドウィンドウでコマンドを入力することもできる。慣れると素早く数式を入力することができ、またLaTeXなどとは異なってコマンド編集中にリアルタイムで結果数式が表示されるという利点もある。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "Math単体で複数の数式を作成した場合、画像をその都度挿入していくことで動作が重くなる。このため数学の証明問題などを作成する場合は、Writerに一つ一つの数式をオブジェクトとして組み込むことで、レンダリング処理を式ごとに分割させることができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "例えば、二次方程式の解の公式は", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "のように記述すると", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "のように表現できる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "グラフ機能である。ワープロ機能や表計算機能に用いられる。ワープロ機能や表計算機能と同様にチャート機能として開発が進められている。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "この機能により以下のようなグラフを作成することができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "なお、円グラフやドーナツグラフの表示順序は、標準で反時計回り(左回り)となっている。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgではBASICやPython、JavaScriptなどの言語を用いたマクロが利用できる。OpenOffice.orgには、Basic言語用の統合開発環境が付属しているため、知識があれば誰でも手軽にプログラムを作成し定型業務の自動化を簡単に行うことが出来る。基本的にインタプリタ型の言語であるため、コンパイル(ビルド)の作業は不要である。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "Universal Network Objects(UNO)インタフェースを用いてC++やJavaなど他の言語プログラムを呼び出すこともできる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "また、このインタフェースを用いてOpenOffice.org API(Sun StarSuite API)を利用することにより、共通ダイアログを利用したり、OpenOffice.orgのファイルに直接アクセスしたり、MySQL・PostgreSQLなどの外部データベースに直接アクセスすることができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org BASICの言語仕様はサン・マイクロシステムズのStarSuite Basicと同じであり、Microsoft OfficeのVBAと似ている。変数、制御文、演算子などはVBAと同じなので、言語仕様を覚える手間は少ない。しかしAPIが全く異なるので、VBAサポート機能を使用しない限り、VBAのマクロをそのまま使うことはできない。たとえばExcelとCalcではセルの内容にアクセスする方法が大きく異なる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "拡張機能を利用することができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "拡張機能を登録し、公開することのできる場所である。ここには多くの拡張機能が登録されており、その多くが自由に利用することができる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "たとえば、サン・マイクロシステムズが公開している「Sun Presenter Console」を利用すれば、Impressでプレゼンテーションするときにスクリーンとは別に、パソコン画面にプレゼンター向けの時計やノートを表示できる。", "title": "各機能" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgの開発プロジェクトであった。OpenOffice.orgには複数のプロジェクトが存在し、これらが共同でOpenOffice.orgを開発していた。各プロジェクトはリーダーを主体としてプロジェクトが構成されていた。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "各国語版のOpenOffice.orgを開発するためのプロジェクト群であった。これらはOpenOffice.orgのユーザインタフェースを翻訳するだけでなく、各国でOpenOffice.orgの広報活動も執り行っていた。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgを日本語に翻訳するためのプロジェクトであった。そのほかに、広報活動が行われていた。Japanese Language Project、JLPとも略された。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "ユーザインタフェースの改善と開発を執り行なうプロジェクトであった。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "User Experienceチームが主体となって行っていた、OpenOffice.orgの次期ユーザインターフェースの開発プロジェクト。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "OpenOffice.org repository for Extensionsを運営していた。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "Webサイトの製作を担当するプロジェクトであった。", "title": "プロジェクト" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2010年9月28日、OpenOffice.orgの開発者コミュニティがオラクルから独立して立ち上げたThe Document Foundationによる製品。OpenOffice.orgの事実上の後継。コミュニティはオラクルに対しOpenOffice.orgのブランド名を寄付するよう要請しているほか、Go-OOの合流によりGo-OOで拡張された機能も取り込んで反映している。", "title": "派生ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張などを取り込んだ派生オフィススイート。Go-OO には、サン・マイクロシステムズの判断でライセンスやビジネス上の理由により OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張が取り込まれている。2010年1月現在、Windows版とLinux版、Mac OS X版がある。ノベルが開発を推進しており、Ubuntu、openSUSE、Debian、Mandriva LinuxなどのLinuxディストリビューションで採用されている OpenOffice.orgは正式版ではなく、このGo-OOである。現在、プロジェクトは終息しLibreOfficeへ統合された。以下のような機能拡張が施されている一方、高速化のためOpenOffice.org にある一部のマイナーな機能(自動アップデートなど)は削除されている。", "title": "派生ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "PortableApps.comで開発した、USBメモリなどに入れて持ち運べるようにしたOpenOffice.org。レジストリを使わないためインストールが不要。英語版・中国語版(簡体字)・日本語版などいくつかの言語版が出ているが、3.2.0以降更新が止まっている。なお、LibreOffice版がバージョンに追随する形でリリースされている。", "title": "派生ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "独非営利団体 Team OpenOffice.org e.V.により、OpenOffice.orgが OracleからApacheへ寄贈される事で今後サポートされないバージョン3.3.0のメンテナンスを目的として発表された。これに対しApacheソフトウェア財団は遺憾の意を示しており、本プロジェクトに向けて協調を呼びかけている。", "title": "派生ソフトウェア" } ]
OpenOffice.org(OOo)(オープンオフィス・オルグ)は、2011年に開発を終了したオープンソースオフィススイートとその制作プロジェクト名である。一般にはOpenOfficeという名前で知られていた。 OpenOffice.orgは、1999年、商用ソフトであったStarOffice(日本では商標上の理由からStarSuiteと変更)をサン・マイクロシステムズ社が社内で利用するためにStar Division社を買収し、オープンソース化したものである。 プロジェクト終了後、Apache OpenOfficeとLibreOfficeに分派した。
{{Otheruses|かつて存在したオフィスソフトのOpenOffice.org|後継プロジェクトのLibreOffice|LibreOffice|同じく後継プロジェクトのApache OpenOffice|Apache OpenOffice}} {{Infobox Software | 名称 = OpenOffice.org | ロゴ = | スクリーンショット = [[ファイル:OOo app chooser-ja.png|300px]] | 説明文 = OpenOffice.org 3.0の新機能 スタートセンター | 開発者 = 2002年 - 2010年 [[サン・マイクロシステムズ]]、[[ノベル (企業)|ノベル]]、[[IBM]]、Redflag 2000など<br />2010年 - 2011年 [[オラクル (企業)|オラクル]]、ノベル、IBM、[[Google]]、[[インテル]]、[[レッドハット]]など | 開発元 = OpenOffice.org Project | 初版 = | latest_release_version = 3.3 | latest_release_date = {{Start date and age|2011|01|25}} | プログラミング言語 = [[C++]], [[Java]] | 対応OS = [[Microsoft Windows|Windows]], [[macOS|Mac OS X]], [[Linux]], [[FreeBSD]], [[Solaris]] | エンジン = | 対応プラットフォーム = [[クロスプラットフォーム]] | サイズ = | サポート状況 = OpenOffice.org制作プロジェクトは解散 | 種別 = [[オフィススイート]] | ライセンス = [[GNU Lesser General Public License|GNU LGPL]]<ref>{{Cite web|url=http://www.openoffice.org/license.html |title=LGPL v3 |publisher=Openoffice.org |date= |accessdate=2010-01-28}}</ref> | 対応言語 = 110+ 言語<ref>{{Cite web | url= http://wiki.services.openoffice.org/wiki/Languages | title= Language localization status | work= OpenOffice Language Localization Project | accessdate= 2010-01-28}}</ref> | discontinued = Yes | 前身 = [[StarSuite]] | 後継 = [[LibreOffice]]、[[Apache OpenOffice]] }} '''OpenOffice.org(OOo)'''(オープンオフィス・オルグ)は、2011年に開発を終了した[[オープンソース]][[オフィススイート]]とその制作プロジェクト名である。一般にはOpenOfficeという名前で知られていた。 OpenOffice.orgは、1999年、商用ソフトであった[[StarSuite|StarOffice]](日本では商標上の理由からStarSuiteと変更)を[[サン・マイクロシステムズ]]社が社内で利用するためにStar Division社を買収し、[[オープンソース]]化したものである。 プロジェクト終了後、[[Apache OpenOffice]]と[[LibreOffice]]に分派した。 == 概要 == OpenOffice.orgは、[[ワープロ]](Writer)、[[表計算]](Calc)、[[プレゼンテーション]](Impress)、ベクタードローツール(Impress)、数式エディタ(Math)、データベース(Base)<ref name="why1">{{cite web|title=Why OpenOffice.org|url=http://why.openoffice.org/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120104082941/http://www.openoffice.org/why/|archivedate=4 January 2012|publisher=Sun Microsystems, Apache Software Foundation|url-status=dead|df=dmy-all|accessdate=2021-08-11}}</ref>で構成されていた。 標準ファイル形式には、[[国際標準化機構|ISO]]/[[国際電気標準会議|IEC]]の国際標準規格である[[OpenDocument|オープンドキュメント形式(ODF)]]が利用されていた。 Microsoft Officeが利用するファイル形式は、標準ファイル形式としてはサポートせずODFへの変換することによって対応していた。そのため、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式などは欠落が見られ、利用には注意が必要であった。 利用[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]は、おもに[[Linux]]と[[Microsoft Windows]]、[[Solaris]]向けに開発されていたが、のちに[[macOS]]向けも開発されるようになり、他の[[オペレーティングシステム]]向けにも移植されるようになった。 [[ライセンス]]は、ごく初期にSun業界基準使用許諾(SISSL)を採用していたがSISSLが廃止されたため<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/USNEWS/20050905/220568/|title=米Sun,オープンソース・ライセンス「SISSL」の使用停止を発表 | 日経クロステック(xTECH)|accessdate=2021-06-08}}</ref>、[[GNU Lesser General Public License|LGPL]]に変更され配布していた。 OpenOffice.orgは、オープンソースソフトウェアとして開発され、無償で配布されていたが、[[サン・マイクロシステムズ]]は、商用ソフトとしてOpenOffice.orgに[[テンプレート]]や[[フォント]]と商用サポートを付けた[[StarSuite|StarOffice]]も販売していた(日本ではStarOfficeの商標が利用できなかったため、StarSuiteとして販売)。[[StarSuite|StarOffice]]は、法人向けには[[サン・マイクロシステムズ]]が販売していたが、個人向けには[[ソースネクスト]]とジャングルが販売し、一時期はGoogleが商用ソフトを無償配布していた[[Google_パック|Googleパック]]の一つとしても配布されていた。 また、macOSでOpenOffice.org利用にX11が必要だった当時、X11不要のネイティブmacOS版開発のために派生し、商用ソフトとして提供されていた[[NeoOffice]]もあった(OpenOffice.org終了後は、ベースを[[LibreOffice]]に移行)。 === プロジェクトの歴史 === [[サン・マイクロシステムズ]]は、[[1999年]]、自社で使用するオフィスソフトのために[[ドイツ]]のStarDivisionを買収した。そして[[Microsoft Office]]に対抗するため<ref name="ooo-announcement">{{cite web |url=//www.openoffice.org/press/sun_release.html |title=SUN MICROSYSTEMS OPEN SOURCES STAROFFICE TECHNOLOGY |publisher=Sun Microsystems |date=19 July 2000 |accessdate=19 January 2012}}</ref><ref name=ooo1announce>{{cite web |title=OpenOffice.org community announces OpenOffice.org 1.0: free office productivity software |url=//www.openoffice.org/about_us/ooo_release.html |date=30 April 2002 |accessdate=16 March 2007|publisher=Sun Microsystems}}</ref>に2000年7月、同社が販売していた[[StarSuite|StarOffice]]のソースコードをOpenOfficeとして[[オープンソース]]化を発表。[[2000年]][[10月]]に公開<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/free/ITPro/USNEWS/20001017/5/ 米サンが『StarOffice』のソース・コードやAPIを公開]」 ITpro、2000年10月17日。</ref>し、OpenOffice.orgプロジェクトを立ち上げた。 このプロジェクトには、[[サン・マイクロシステムズ]]、[[ノベル (企業)|ノベル]]、[[IBM]](2007年9月10日)<ref>[http://www.openoffice.org/press/ibm_press_release.html IBM joins the OpenOffice.org community to develop and promote OpenOffice.org technology]</ref>)、[[Google]]、[[インテル]]、[[レッドハット]]、Redflag Chinese 2000(2007年5月<ref>[http://www.webwire.com/ViewPressRel.asp?aId=37424 Sun and Redflag Chinese 2000 to collaborate on OpenOffice.org projects]</ref>)などが参加し、サン・マイクロシステムズが管理を行った。 2002年5月1日、バージョン1.0をリリース。<ref name="release1.0">{{cite web |url=https://www.theregister.co.uk/2002/05/01/openoffice_suite_goes/|title=OpenOffice suite goes 1.0|date=1 May 2002|first=John|last=Lettice|work=The Register|publisher=Situation Publishing|accessdate=16 October 2013}}</ref>その後は順調にリリースを続けていたが、2010年、[[オラクル_(企業)|オラクル]]がOpenOffice.orgの知的財産権を所有していた[[サン・マイクロシステムズ]]の買収を発表。[[2010年]][[1月27日]]、[[オラクル (企業)|オラクル]]によるサン・マイクロシステムズ買収完了に伴い、プロジェクトの管理はオラクルが行うこととなった。 2011年、OpenOffice.orgの商用サービスの提供を中止<ref name="oooclosurepr">{{cite web|url=https://www.oracle.com/lb/corporate/pressrelease/2-7334.html|title=Oracle Announces Its Intention to Move OpenOffice.org to a Community-based Project|author=Oracle Corporation|first=|date=15 April 2011|work=press release|accessdate=5 June 2013}}</ref>。 [[2011年]][[4月15日]]、オラクルは「OpenOffice.orgプロジェクトは[[非営利団体]]が管理するのが望ましい」と声明を発表<ref>{{Wayback|url=https://emeapressoffice.oracle.com/Press-Releases/Oracle-Announces-Its-Intention-to-Move-OpenOffice-org-to-a-Community-based-Project-1ca9.aspx|title=Oracle Announces Its Intention to Move OpenOffice.org to a Community-based Project|date=20110421121628}}</ref>し、[[2011年]][[6月1日]]、[[Apacheソフトウェア財団]]へソースコードの著作権ならびにOpenOffice.orgの商標の提供を提案した<ref>[http://www.marketwire.com/press-release/statements-on-openofficeorg-contribution-to-apache-nasdaq-orcl-1521400.htm Statements on OpenOffice.org Contribution to Apache]</ref>。 [[Apacheソフトウェア財団]]は提案を受け投票を行い、開票の結果、2011年[[6月13日]]、Apacheインキュベータープロジェクトとして承認<ref>[http://lwn.net/Articles/447295/ Accept OpenOffice.org for incubation ]</ref>。 提案の合意により、OpenOffice.orgの資産はオラクルからApacheソフトウェア財団に寄贈、譲渡され<ref> {{citation|url=http://www.marketwired.com/press-release/statements-on-openofficeorg-contribution-to-apache-nasdaq-orcl-1521400.htm|title=Statements on OpenOffice.org Contribution to Apache|date=1 June 2011}}</ref><ref>{{citation|url=http://www.zdnet.com/blog/open-source/oracle-gives-openoffice-to-apache/9035|title=Oracle gives OpenOffice to Apache|author=Steven J. Vaughan-Nichols|date=1 June 2011|publisher=ZDnet}}</ref>、OpenOffice.orgプロジェクトならびにOpenOffice.orgは正式に終了した。 寄贈を受けた[[Apacheソフトウェア財団]]は、ソフトウェアの名称をOpenOffice.orgから[[Apache OpenOffice]]に変更<ref>{{citation|url=//www.openoffice.org/legacy/thankyou.html|title=Thank you for using OpenOffice.org - now Apache OpenOffice}}</ref>。 [[Apache OpenOffice]]は、分派プロジェクトの中ではOpenOffice.org直系のプロジェクトであるが、2014年、開発を支援していた[[IBM]]が非公式に撤退<ref>{{Cite web|和書|url=https://gihyo.jp/lifestyle/column/newyear/2015/libo-aoo-prospect?page=2|title=LibreOffice/Apache OpenOfficeの2014年の推移と2015年の展望:新春特別企画|gihyo.jp|accessdate=2021-06-09}}</ref>して以降、開発が頓挫している。 {{Main|Apache OpenOffice}} OpenOffice.org終了と前後して、2010年[[9月28日]]、OpenOffice.orgプロジェクトに参加していたメンバーは、オラクルとの関係やOpenOffice.orgプロジェクトの官僚的な管理の改善を求めてプロジェクトを離脱。LibreOfficeコミュニティの設立とコミュニティ支援組織として[[The Document Foundation]]を立ち上げた。そして、OpenOffice.orgに取り込まれなかった機能を取り込んだ派生版であるGo-OOのソースコードを元に[[LibreOffice]]の開発を開始した。 [[LibreOffice]]は、[[GNU]]と主要な[[Linuxディストリビューション]]が支持するほか、分派プロジェクトの中では最も活発に開発<ref>{{Cite web|url=http://www.linux-magazine.com/Online/Blogs/Off-the-Beat-Bruce-Byfield-s-Blog/LibreOffice-and-OpenOffice-comparing-the-community-health|title=LibreOffice and OpenOffice: comparing the community health|last=Byfield|first=Bruce|date=25 October 2014|website=Linux Magazine|publisher=|access-date=2016-08-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.pcworld.com/article/2913764/openoffice-development-is-looking-grim-as-developers-flock-to-libreoffice.html|title=OpenOffice development is looking grim as developers flock to LibreOffice|last=Newman|first=Jared|date=23 April 2015|website=PC World|publisher=|access-date=2016-08-05}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.datamation.com/open-source/libreoffice-vs.-openoffice-why-libreoffice-wins-1.html|title=LibreOffice vs. OpenOffice: Why LibreOffice Wins - Datamation|last=Byfield|first=Bruce|date=27 October 2014|website=Datamation|publisher=|access-date=2016-08-05}}</ref>されており、OpenOffice.orgの実質的な後継プロジェクトとなっている。そして、頓挫したApache OpenOfficeに対しては、プロジェクトを終了するようにと公開書簡も出している<ref>{{Cite web|和書|url=https://ja.blog.documentfoundation.org/2020/10/13/open-letter-to-apache-openoffice/|title=Apache OpenOfficeへの公開書簡 - LibreOffice日本語チームBlog|accessdate=2021-06-09}}</ref>。 {{Main|LibreOffice}} === マーケットシェア === OpenOffice.orgは、特に[[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]]な文書フォーマットに依存すべきでない[[地方政府|自治体]]、[[役所|官公庁]]などに採用された。 ; 日本の採用事例 ; [[地方公共団体]] : [[兵庫県]][[洲本市]]<ref>「[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0401/19/news041.html IT特区の洲本市、OpenOfficeを全庁内PCに導入]」[[ITmedia]]、2004年1月19日。</ref>、[[栃木県]][[二宮町 (栃木県)|二宮町]](現・[[真岡市]])<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/OPINION/20060428/236610/ 『全事務職員がLinuxデスクトップを使用している町役場』は実在する]」 ITpro、2006年5月10日。<br />「[http://japan.internet.com/public/news/20060602/5.html オープンソースも『使えば慣れる』、みんながLinux、OpenOffice.orgを使う町役場]」 japan.internet.com、2006年6月2日。</ref>、[[福島県]][[会津若松市]]<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20080529/304780/ 会津若松市がOpenOffice.orgを全庁導入へ『順次MS Offceから切り替え、5年間で約1500万円削減』]」 ITpro、2008年5月29日。</ref>([[LibreOffice]]に移行済み<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20120220/382107/?ST=oss 「会津若松市がOpenOffice.orgからLibreOfficeに移行]」 ITpro、2012年2月20日。</ref>)、[[愛媛県]][[四国中央市]]<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20090331/327513/ 四国中央市がOpenOffice.orgを全庁PC1100台に導入,5年で3300万円コスト削減]」 ITpro、2009年3月31日。</ref>、[[大阪府]][[箕面市]]<ref>「[http://www2.city.minoh.osaka.jp/JYOUHOU/HOUDOU/20091014linux_supporter.html 情報システム・サポーター企業 を募集 〜脱MS!無償「 Linux 」シンクライアントにより中古パソコン500台を再生利用へ〜]」箕面市役所プレスリリース、2009年10月14日。<br />「[http://blog.goo.ne.jp/minoh_edubuntu/ 箕面市役所edubuntu日記]」</ref>、[[愛知県]][[豊川市]]<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20100222/344886/ 豊川市がOpenOffice.orgを全面導入、コスト削減狙う]」 ITPro、2010年2月22日。</ref>、[[北海道]][[深川市]]<ref>「[https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/release/385080.html 北海道深川市、OpenOffice.org全庁導入を決定]」クラウドWatch、2010年8月2日。</ref>、[[大阪府]][[交野市]]<ref>「大阪府交野市がOpenOffice.orgとODF採用、中古PCのLinuxによる再生も」 ITpro、2010年8月16日。<br />[http://www.city.katano.osaka.jp/kakka/joho/opensource.htm オープンソースソフトウェアの採用開始]」 交野市ウェブサイト、2010年8月12日。</ref>、[[茨城県]][[龍ケ崎市]]<ref>[http://japan.cnet.com/release/30021374/ 龍ケ崎市、全庁標準オフィス・ソフトとしてOpenOffice.orgを利用]</ref> : [[都道府県]]では初めて、[[山形県庁]]が2011年度から全パソコンにOpenOffice.orgを導入することを決定した<ref>「[http://yamagata-np.jp/news/201010/31/kj_2010103101349.php 県が「オープンオフィス」導入へ 次期オフィスソフト]」 [[山形新聞]]、2010年10月31日。</ref><ref>[http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020051/openoffice_dounyu.html OpenOffice.org(オープンオフィス ドット オルグ)の導入について]山形県情報企画課、平成23年2月1日</ref>(ただし一部の部署に限定すれば、都道府県では[[徳島県]]が初)。その後、山形県庁が再びMicrosoft Officeを採用という報道も流れたが、実際には一部必要な部署が導入したのみで、依然として標準はOpenOffice.orgでファイル形式は[[OpenDocument|ODF]]を使用<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/Watcher/20131023/513262/ 記者の眼 - 山形県のMicrosoft Office再評価は「OpenOffice.orgからの逆戻り」ではない] ITpro、2013年10月28日</ref>。 ; [[企業]] : [[アシスト (ソフトウェア会社)|アシスト]]<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20070315/265301/ アシストが社内通常業務をMicrosoft OfficeからOpenOffice.orgへ全面移行]」ITpro、2007年3月15日。<br />「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20070327/266526/ 社内のPC700台からMS Officeを削除したアシスト『OpenOffice.org移行の障害はこう解決』]」ITpro、2007年3月28日。</ref>(LibreOfficeに移行済み<ref>{{Cite web|和書|author=高橋信頼 |date=2011-07-20|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20110720/362604/ |title=アシストが社内のPC約800台をWindowsからUbuntu Linuxに移行へ |publisher=[[日経BP|ITpro]] |accessdate=2012-08-12}}</ref>)、[[住友電気工業|住友電気工業株式会社]]<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20080523/303912/ 『コスト削減が狙いではない』、住友電工OpenOffice導入の真相]」 ITpro、2008年5月23日。</ref>(LibreOfficeに移行済み<ref>[http://www.sei.co.jp/news/press/12/prs030_s.html 住友電気工業株式会社|プレスリリース 2012 オープンソース・ソフトウェアの社内推奨オフィスソフトをOpenOffice.orgからLibreOfficeに移行]</ref>)、[[トーホー|株式会社トーホー]]<ref>「[http://gihyo.jp/ad/pr/2009/NRR200943213 トーホー、OpenOffice.orgの導入を決定、アシストの支援サービスを採用]」[[技術評論社]]、2009年1月27日。<br />「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20090127/323592/ トーホーがオープンオフィス採用、PC約1500台に一斉導入]」 ITpro、2009年1月27日。</ref>、[[三洋機工]]<ref>「[https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1004/14/news012.html 三洋機工、OpenOffice.org導入で約2500万円のコスト削減を見込む]」、[[ITmedia]]、2010年4月14日。</ref>、[[新生フィナンシャル]]<ref>「[https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/521589.html 新生フィナンシャル、アシストのOpenOffice.org導入・運用支援サービスを採用]」、[[クラウド Watch]]、2012年3月26日。</ref><ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20120326/388017/ 新生フィナンシャルがOpenOffice.orgを全社標準に、対象は1000台以上]」、[[ITpro]]、2012年3月26日。</ref> ; 中央政府での採用事例 : [[シンガポール]][[国防省 (シンガポール)|国防省]]<ref>「[https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0411/08/news005.html 月刊『OpenOffice.orgコミュニティ通信』11月号]」 [[ITmedia]]、2004年11月8日。</ref>、[[フランス経済・財政・産業省]]<ref name="news101">「[https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0502/18/news101.html 月刊『OpenOffice.orgコミュニティ通信』2月号]」 ITmedia、2005年2月18日。</ref>、[[フランス内務省]]<ref name="news101" />、[[ハンガリー]]国防省<ref>{{PDFlink|[http://marketing.openoffice.org/ooocon2009/cfl/docs/budapest.pdf Proposal for OOoCon 2009]}}</ref>、[[北マケドニア]]財務省、[[オランダ]]・[[ハールレム]]市<ref name="news101" />、[[イギリス]]・[[ブリストル]]市議会<ref>[http://www.opensourceacademy.gov.uk/solutions/casestudies/bristol-city-council/ Bristol City Council]</ref>などで採用されるケースがある。 == 特徴 == === ライセンス === OpenOffice.orgはオープンソースかつ[[コピーレフト]]の[[GNU Lesser General Public License|GNU LGPL]]の元、フリーで公開されていた。当初は[[サン・マイクロシステムズ]]独自のSISSL(Sun Industry Standards Source License)とLGPLの2重ライセンスで公開されていたが、[[2005年]][[9月2日]]にサン・マイクロシステムズがSISSLの廃止を発表して以降LGPLに一本化された。 === 対応文書ファイル形式 === OpenOffice.orgは、標準ファイル形式として[[OpenDocument|オープンドキュメント形式(ODF)]]を採用していた。また、[[Microsoft Office]]ファイル形式については、Office 2003以前のバイナリ形式ファイルについてはODFへ変換して読み込みと書き込みをサポート、Office 2007以降のOOXML TransitionalはODFへ変換して読み込みのみ対応していた。しかし、OpenOffice.orgにない機能で作成された書式については欠落するため、利用には注意が必要であった。 ==== オープンドキュメント形式(OpenDocumentFormat) ==== OpenOffice.orgは、[[OASIS (組織)|構造化情報標準促進協会]](OASIS)が規格を策定し、[[国際標準化機構|ISO]]/IEC 26300およびJISなどで規格化された[[OpenDocument|OpenDocument Format]](ODF)を標準の文書形式としていた。 OpenDocumentは、OpenOffice.orgが利用していた文書ファイル形式を元に策定された、オフィスソフト用の[[ファイルフォーマット|文書ファイル形式]]である。 [[2005年]]に構造化情報標準促進協会(OASIS)が標準規格として策定、承認しており<ref>「[https://tech.nikkeibp.co.jp/it/free/ITPro/USNEWS/20050524/161386/ OASISがXMLベースのファイル形式『OpenDocument 1.0』を承認]」 ITpro、2005年5月24日。</ref>、その後ISOによりISO/IEC 26300としても認定された。これを受けて[[日本工業規格]]は、2009年12月7日JISとして承認し<ref>[http://broadcast.oreilly.com/2009/12/japanese-standard-for-odf.html Japanese Standard for ODF - O'Reilly Broadcast]</ref>、2010年2月22日付の官報で公示された<ref>[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrJISNumberNameSearchList?show&jisStdNo=X4401 日本工業標準調査会:データベース-JIS詳細表示: JIS X4401: オフィス文書のためのオープン文書形式(OpenDocument)v1.0]</ref><ref>[http://www.itscj.ipsj.or.jp/jp/JIS_X_4401.html JIS X 4401:2010 オフィス文書のためのオープンな文書形式(OpenDocument) v1.0]</ref>。 {{Main|OpenDocument}} OpenDocument形式のファイルは、[[Extensible Markup Language|XML]]で記述された複数のデータファイルをZIP形式で圧縮したものであるOpenDocument形式は、サポートするソフトウエア同士は、違うベンダのものであっても相互に一定の読み書きが保障されることを目指している。 OpenDocument形式がISO/IEC標準と規定されたことで、各国の[[行政機関|政府機関]]により OpenDocument形式のファイルが[[政府調達]]の条件に加えられるようになった。[[欧州委員会]]は政府調達で OpenDocument形式を用いることを推奨している<ref name="itpro236970">「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20060504/236970/ オフィス・ソフトのファイル形式ODF(OpenDocument Format)がISO標準に]」 ITpro、2006年5月4日。</ref>。日本国内においても、将来的にOpenDocument形式が政府調達の要件になる可能性もあり<ref>「[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20060502/236964/ 『政府調達でODFの採用が進む』、米IBMの標準・オープンソース担当副社長]」 ITpro、2006年5月2日。</ref><ref name="itpro236970" />、大企業の政府調達部門を中心にOpenDocument形式に対応するために、OpenOffice.orgを導入するところもあった。 OpenOffice.orgでは、OpenOffice.org 2.0以降では標準ファイル形式として採用し、OpenDocument形式の読み込み、保存ともにサポートした。[[Microsoft Office]]は、Office 2007 Service Pack 2よりOpenDocument形式に対応した。[[一太郎]]は、一太郎2006では追加モジュールでの対応、一太郎2007からは標準で対応された。 {{Main|OpenDocumentをサポートするアプリケーションの一覧}} ==== Microsoft Officeファイル形式の対応 ==== Microsoft Office 2003以前で利用されていたバイナリファイル形式(拡張子が、[[DOC (ファイルフォーマット)|.doc]], .xls, .ppt)は、ODFへの変換しての読み込みと書き込み、Microsoft Office 2007で採用された[[Office Open XML]] Trasitionalのファイル形式(拡張子が、.docx, .xlsx, .pptx)については書き出しはできず、ODFへの変換しての読み込みのみ対応していた。 OpenOffice.orgでは、Office Open XML Transitional形式での書き出しができないため、[[WPS Office]]や[[LibreOffice]]を利用する必要があった<ref>[http://pub.oooug.jp/guide/migration/2_01_07/siframes.html 2.01.07 Microsoft Office 2007/2010のファイル形式OOXMLの扱いについて]</ref><ref>[http://wiki.documentfoundation.org/LibreOffice_OOXML |The Document Foundation Wiki(written in English)]</ref>。また、どちらの形式もOpenOfficeに無い機能で作成された書式については、切り捨てられるため、読み込みについてはODFへのインポートするための機能として割り切って利用する必要もあった。 ==== 一太郎ファイル形式の対応 ==== [[一太郎]]のファイル形式であるjtd形式については、[[サン・マイクロシステムズ|サン]]がIchitaro Document Filterという拡張機能をリリースしていたので、これをインストールすることで読み込みが可能であった。 しかし、この拡張機能はWindowsのみの対応であり、ほかのプラットフォームでは利用できなかった。 === クロスプラットフォーム === OpenOffice.org は[[クロスプラットフォーム]]で、[[Microsoft Windows|Windows]]、[[Linux]]、[[FreeBSD]]、[[Solaris]](x86とUltraSPARC)および[[macOS|Mac OS X]]に対応していた。 バージョン3.0よりMac OS Xのネイティブな環境である [[Aqua (コンピュータ)|Aqua ユーザインタフェース]]に対応。3.0以前の OpenOffice.orgは、[[X Window System|X11]]版でMac OS Xに一応は対応していたものの、X11版は、Mac OS Xと[[ユーザインタフェース]]の統一が取れておらず、また、X11のソフトが動作するためのX serverをインストールする必要があり、あまり普及しなかった。[[Java]]を利用して Mac OS X(Aqua)へ対応した外部プロジェクト [[NeoOffice]]が存在し、OpenOffice.orgのMac OS X版として利用されてきたが、Aquaに対応した3.0がリリースされたことにより、NeoOfficeからOpenOffice.orgへ移行する[[ユーザー]]も見受けられた。 === 多国語対応 === [[国際化]]、[[地域化]]に力を入れていたため、世界中で同一のソフトを利用することができた。内部は[[Unicode]]で処理されているため、OpenOffice.org日本語版でも、欧米の言語のみならず他地域の言語を扱うことができた。なお、開発に[[ドイツ]]国内の技術者が大きく関与しているため、[[英語]]と並んで[[ドイツ語]]関係の機能も充実していた。アジア諸言語としては、[[日本語]]のほか、[[朝鮮語|韓国語]]、[[中国語]]に対応していた。[[複雑なテキスト配置|複合文字言語]](CTL)では、[[アラビア語]]、[[タイ語]]、[[ヒンディー語|ヒンディ語]]、[[ヘブライ語]]などに対応していた。 == 各機能 == OpenOffice.orgは統合オフィススイートで、各機能は別個のソフトとして存在しているわけではない。統合ソフトであるため、共通の機能も多く見られた。 起動時にコマンドライン引数を指定することで、機能を指定して起動できた。 {| class="wikitable" |+ コマンドライン引数(例) !機能!!コマンドライン引数 |- |ワープロ(Writer)||-writer |- |表計算(Calc)||-calc |- |描画(Draw)||-draw |- |プレゼンテーション(Impress)||-impress |- |データベース(Base)||-base |- |数式エディタ(Math)||-math |} === 共通の機能 === OpenOffice.orgでは各機能を通してOpenDocumentを標準のファイルフォーマットとしていた。 OpenOffice.orgにはスタイルと呼ばれる機能があった。多くのオフィススイートでは標準の書式設定を変更できるが、スタイル機能では文字や段落のスタイルから、箇条書きのスタイルやページスタイルを自由に設定することができる。 共通して英単語のスペルチェック機能があり、間違った英単語を入力した際に修正することができる。また、打ち間違えた英単語を自動で修正するオートコレクト機能がある。これは、'''you'''を'''yuo'''などのように打ち間違えた場合、本来の'''you'''に自動修正を行う機能である。 数式エディタ「Math」の機能は「Writer」や「Calc」などでも使うことができる。そのため、文書中に簡単に数式を埋め込むことが可能である。 === ワープロ(Writer) === [[ファイル:OpenOffice.org Writer-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Writer(バージョン 3.0)]] [[ワープロソフト|ワープロ]]機能。スタイルの編集機能により長文の文章の編集が容易となっている。文法チェッカーの機能はWriter自身には存在しないが、拡張機能をインストールすることで利用することができる。また、縦横の文字数を指定することで、原稿用紙などに印刷することもできる。 多国語対応なので、次のような各言語に特別な機能が、世界共通で付与されている。 * 欧米語対応(文字種の変換) : 大文字/小文字の変換ができる。 * アジア諸言語対応(文字種の変換) : [[半角カナ|半角]]/[[マルチバイト文字|全角]]変換・[[平仮名|ひらがな]]/[[片仮名|カタカナ]]変換ができる。この機能は主に[[日本語]]を念頭に置かれている。 * [[日本語]]対応(日本語の再変換) : Windows上の[[かな漢字変換]]ソフトウェアで、文字の再変換機能を利用することができる。 * [[中国語]]対応(中国語の変換) : 中国語のテキストの書記法([[簡体字]]又は[[繁体字]])を変換することができる。 * [[朝鮮語]]対応([[ハングル]]/[[韓国における漢字|ハンジャ]]変換) : 選択した韓国語テキストをハングルとハンジャの間で相互に変換することができる。 標準フォーマットは[[OpenDocument]](*.odt)だが、[[プレーンテキスト]](*.txt)、[[Rich Text Format]](*.rtf)、[[HyperText Markup Language|HTML]]ドキュメント(*.htm, *.html)などの形式のほか、[[Microsoft Word|Microsoft Word 97/2000/XP]](*.doc)、[[DocBook]](*.xml)、Microsoft Word 2003 XML(*.xml)形式での保存などもできる。 {{Main|OpenOffice.org Writer}} ==== HTMLエディタ ==== [[ファイル:OpenOffice.org Writer Web-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Writer/Web(バージョン 3.1.1)]] [[HyperText Markup Language|HTML]]編集機能。Writer-Webともよばれるこのエディタは、[[WYSIWYG]] [[Webオーサリングツール|HTMLエディタ]]の一種に属し、画面上で実際の文書を逐一確認しながら HTMLの作成を行うことができる。[[テキストエディタ]]のように HTMLタグを直接用いた編集にも対応する。Webサイトの製作目的としては[[ピクセル]]単位での編集に対応していないうえ、一般的にWebサイトに用いられるフォント種類は[[ゴシック体]]だが、HTML編集機能の既定のフォントをWriterと共有しているため、Writerの既定のフォントが明朝体等に設定されていた場合、フォントが競合しない。また、[[Cascading Style Sheets|CSS]]への対応は決して高くは無い。このため、現実的な[[ウェブサイト]]の制作には向いていない。同様なフリーのHTMLエディタとして代表的なものには、これ以外にも[[Mozilla Composer]]やその派生の[[Nvu]]、[[KompoZer]]などが存在する。 {{-}} === 表計算(Calc) === [[ファイル:OpenOffice.org Calc-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Calc(バージョン 3.1.1)]] [[表計算ソフト|表計算]]機能。OpenOffice.org 1.xでは処理できる行数が32,000行までに、列数が256列までに制限されていたが、OpenOffice.org 2.0からは行数が65,336行、OpenOffice.org 3.0からは列数が1024列、OpenOffice.org 3.3からは行数が1,048,576行に拡張された。 Calcの[[関数 (プログラミング)|関数]]ウィザードに用意されている関数は、[[データベース]]、日付と時刻、財務、情報、論理関数、[[数学]]、[[行列]]、[[統計]]、[[表]]、文字列、アドイン関数に分類されている。関数自体はExcelと同様のものが多いが、Excelでは[[引数]]を'''[[コンマ|,]]'''(カンマ)で区切るのに対し、OpenOffice.org Calcでは'''[[セミコロン|;]](セミコロン)で区切る'''という違いがある。Excelブック(ファイル)のインポート/エクスポート時には自動的に変換されるが、OpenOffice.orgが標準で''','''で区切るように変更することはできない。 多言語対応の点からCalcの[[日付]]の書式については、異なる[[紀年法]]での表示が可能である。以下に、表示可能な主要なものを列記する。 * [[グレゴリオ暦]](gregorian):OpenOffice.orgの標準的な日付書式。 * タイ仏教暦(buddhist):[[仏滅紀元]]に基づくもの。 * [[元号|日本元号]](gengou):[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]・[[平成]]の各元号。ただし、[[慶応]]以前は表示されない。[[一世一元の詔]]及び[[元号法]](昭和54年6月12日 法律第43号)などに基づく。 * [[ヒジュラ暦]](hijri):紀年法のみならず日付表示も異なる([[太陰暦|純粋太陰暦]])。 * [[ユダヤ暦]](jewish):[[イスラエル]]の公式暦法。 * [[民国紀元]](ROC):言語設定を中国語([[繁体字]])とすると、[[中華民国]](台湾)の公式紀年法である[[民国紀元]]での表示が可能である。 なお、日付はシリアル値として処理されているが、Excelが1900年1月1日を「1」としているのに対して、Calcでは、'''[[1899年]][[12月31日]]を「[[1]]」'''としている。ただし、[[1900年]][[3月1日]]以降についてはシリアル値は一致する。これは、Excel(および先行していた表計算ソフト [[Lotus 1-2-3]])が本来[[閏年]]ではない[[1900年]]を誤って閏年と認識してしまうことに由来する。そのため、Calcでは[[1900年]][[3月1日]]以前の日付であっても曜日が正しく計算されるようになっている(標準の1899年12月31日スタートのほかに、ベースとなったStarCalc1.0やWindows版Excelに合わせた[[1900年]][[1月1日]]、Mac版Excelに合わせた[[1904年]][[1月1日]]の設定もある)。 一方、セル枠の罫線のデザインに点線や破線が使えないと言った問題もある。これについてはバージョン1.0 がリリースされた時代である[[2002年]][[10月]]にコミュニティに要望<ref>[http://ja.openoffice.org/issues/show_bug.cgi?id=8275 Issue 8275]</ref>が送られているが、8年経った最新版のバージョン 3.3 でも利用できない状態のままである<ref group="注釈" name="libreoffice">Writerも含めた破線や点線の問題は、2011年の派生ソフト「LibreOffice」リリースでようやく反映された。</ref>。他にも、セルの結合操作を行った後の結果が異なる、セルの選択操作の違い、一部ショートカットキーの操作が異なる(一例・'''セルの相対参照と絶対参照を切り替える'''操作《A1→$A$1→A$1→$A1→A1》がExcelでは「F4」キーであるが、Calcは'''「Shift」+「F4」キー''')など、細かい部分ではExcelとは異なる動作をするものが多い。 === データベース(Base) === [[ファイル:OpenOffice.org Database-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Base(バージョン 3.1.1)]] [[データベース]]機能。[[関係データベース]]に対応している。BaseはOpenOffice.org 2.0から登場した機能である。もっとも、その元となるデータベース機能(データソース)は1.0当時から存在していたが、ユーザーから「[[Microsoft Access]]のようなデータベース機能はないのか」という要望が強く、分かりやすいように機能として独立させるとともに強化が図られたものである。 他のデータベースソフトに比べて他形式での出入力機能が不十分であるが、その代わり、ワープロ機能や表計算機能との連携は密である。 最も標準的に使用するのは[[HSQLDB]]であるが、そのほかに次の形式などに対応している。 [[Oracle Database]], [[MySQL]], [[Microsoft SQL Server]]([[Java Database Connectivity|JDBC]], [[Open Database Connectivity|ODBC]]経由), [[dBASE]], [[Microsoft Access]], [[ADABAS|Adabas D]], [[Microsoft Excel|Excel]], [[テキストファイル]], [[Mozilla Application Suite|Mozilla]]や[[Microsoft Windows|Windows]]のアドレス帳, [[Apache Derby]] {{-}} === プレゼンテーション(Impress) === [[ファイル:OpenOffice.org Impress-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Impress(バージョン 3.1.1)]] [[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーション]]機能。Impressには予めプレゼンテーションの作成ウィザードが用意されている。そのため、プレゼンテーションの作成に詳しくないユーザーであっても、画面に表示されるウィザードに従えば簡単なプレゼンテーションを完成させることができるよう配慮されている。配布資料を作成する機能を備え、Impressのみでプレゼンテーション全体を製作することが可能となっている。また、OpenOffice.org 3.0からImpressとDrawに独自の表機能が追加されており、表を用いたプレゼンテーションの作成が容易にできる。ただし、Impressに予め用意されているテンプレートは二つと少なく、有用な利用には追加の必要性が高い。3.1から図形などにアンチエイリアス処理を施せるようになったため、図形を用いたプレゼンテーションが使いやすくなった。 {{-}} === 描画(Draw) === [[ファイル:OpenOffice.org Draw-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Draw(バージョン 3.1.1)]] 図形描画機能。作図のみならず、レイアウトの複雑なパンフレットの作成にも活用できる。さらに、簡易的な[[DTP]]用途のソフトウェアとして利用することができる。ベクターベースの線画や編集、3Dモデルの作成・回転・影付けなどの機能が提供されている。 [[Adobe Flash]]形式のファイルを出力する事ができる。[[ベクターイメージ|ベクターグラフィックス]]であるため、ベクターデータによる画面表示では拡大や縮小をしても描写の劣化が起きない。図形同士を線分によって連結するコネクタ機能によって、図形を移動させることも容易である。色の指定は、[[色空間#RGB|RGB]]や[[色空間#CMY|CMYK]]などによっても行うことができる。 OpenOffice.org 2.0からは多数の図形(星型や顔型など)が当初から用意されるようになった。また、[[Scalable Vector Graphics|SVG]]形式の出力が可能になった。 {{Main|OpenOffice.org Draw}} {{-}} === 数式エディタ(Math) === [[ファイル:OpenOffice.org Math-ja.png|300px|thumb|OpenOffice.org Math(バージョン 3.1.1)]] [[数式]]エディタ機能。[[デザインサイエンス]]の[[MathType]]のデータのインポート・エクスポートが可能。また[[Mathematical Markup Language|MathML]] 1.01形式で出力できる。 選択ウィンドウから数式を選択することもできるが、コマンドウィンドウでコマンドを入力することもできる。慣れると素早く数式を入力することができ、また[[LaTeX]]などとは異なってコマンド編集中にリアルタイムで結果数式が表示されるという利点もある。 Math単体で複数の数式を作成した場合、画像をその都度挿入していくことで動作が重くなる。このため数学の証明問題などを作成する場合は、Writerに一つ一つの数式をオブジェクトとして組み込むことで、レンダリング処理を式ごとに分割させることができる。 例えば、[[二次方程式#解の公式|二次方程式の解の公式]]は{{-}} <code>x={-b+-sqrt{b^2-4 ac}}over {2 a}</code> のように記述すると :<math>x=\cfrac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}</math> のように表現できる。 === チャート === [[統計図表|グラフ]]機能である。ワープロ機能や表計算機能に用いられる。ワープロ機能や表計算機能と同様に[[チャート]]機能として開発が進められている。 この機能により以下のようなグラフを作成することができる。 * 縦[[棒グラフ]] * 横棒グラフ * [[円グラフ]] * [[ドーナツグラフ]] * [[折れ線グラフ]] * [[散布図]] * [[レーダーチャート]] * [[株価チャート]] なお、円グラフやドーナツグラフの表示順序は、標準で反時計回り(左回り)となっている。 {{-}} === マクロ === OpenOffice.orgでは[[BASIC]]や[[Python]]、[[JavaScript]]などの言語を用いた[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]が利用できる。OpenOffice.orgには、Basic言語用の[[統合開発環境]]が付属しているため、知識があれば誰でも手軽にプログラムを作成し定型業務の自動化を簡単に行うことが出来る。基本的に[[インタプリタ]]型の言語であるため、[[コンパイラ|コンパイル]](ビルド)の作業は不要である。 [[Universal Network Objects]](UNO)インタフェースを用いて[[C++]]や[[Java]]など他の言語プログラムを呼び出すこともできる。 また、このインタフェースを用いてOpenOffice.org API(Sun StarSuite API)を利用することにより、共通ダイアログを利用したり、OpenOffice.orgのファイルに直接アクセスしたり、[[MySQL]]・[[PostgreSQL]]などの外部データベースに直接アクセスすることができる。 OpenOffice.org BASICの言語仕様はサン・マイクロシステムズのStarSuite Basicと同じであり、[[Microsoft Office]]の[[Visual Basic for Applications|VBA]]と似ている。変数、制御文、演算子などはVBAと同じなので、言語仕様を覚える手間は少ない。しかしAPIが全く異なるので、VBAサポート機能を使用しない限り、VBAのマクロをそのまま使うことはできない。たとえばExcelとCalcではセルの内容にアクセスする方法が大きく異なる。 * [[マクロ言語#OpenOffice.orgのマクロ]] * [[b:ja:OpenOffice.org Basic]](ウィキブックス) * [[b:ja:OpenOffice.org Calc Basic]](ウィキブックス) * [[b:ja:OpenOffice.org Base Basic]](ウィキブックス) * [http://docs.sun.com/app/docs/doc/819-1332?=ja StarSuite 8 Basic プログラミングガイド](サン・マイクロシステムズ) * [http://api.openoffice.org/docs/common/ref/com/sun/star/module-ix.html Open Office API リファレンスマニュアル] === 拡張機能 === 拡張機能を利用することができる。 ==== OpenOffice.org repository for Extensions ==== {{Infobox Website |サイト名= OpenOffice.org repository for Extensions |ロゴ= |スクリーンショット= |スクリーンショットの説明= |URL= http://extensions.services.openoffice.org/ |スローガン= |営利性= |タイプ= |登録= |使用言語= 多言語 |運営者= OpenOffice.org |設立者= |設立日= |現状= 現在{{いつ|date= 2016年7月}}運営中{{要出典|date= 2016年7月25日 (月) 06:31 (UTC)}} |ライセンス= }} 拡張機能を登録し、公開することのできる場所である。ここには多くの拡張機能が登録されており、その多くが自由に利用することができる。 たとえば、サン・マイクロシステムズが公開している「Sun Presenter Console」を利用すれば、Impressでプレゼンテーションするときにスクリーンとは別に、パソコン画面にプレゼンター向けの時計やノートを表示できる。 {{-}} == プロジェクト == OpenOffice.orgの開発プロジェクトであった。OpenOffice.orgには複数のプロジェクトが存在し、これらが共同でOpenOffice.orgを開発していた。各プロジェクトはリーダーを主体としてプロジェクトが構成されていた。 === Native Language Confederation === 各国語版のOpenOffice.orgを開発するためのプロジェクト群であった。これらはOpenOffice.orgの[[ユーザインタフェース]]を翻訳するだけでなく、各国でOpenOffice.orgの広報活動も執り行っていた。 ==== OpenOffice.org日本語プロジェクト ==== OpenOffice.orgを日本語に翻訳するためのプロジェクトであった。そのほかに、広報活動が行われていた。Japanese Language Project、JLPとも略された。 === User Experience === ユーザインタフェースの改善と開発を執り行なうプロジェクトであった。 ==== Renaissance ==== User Experienceチームが主体となって行っていた、OpenOffice.orgの次期ユーザインターフェースの開発プロジェクト。 === Extensions === OpenOffice.org repository for Extensionsを運営していた。 === Website === Webサイトの製作を担当するプロジェクトであった。 == 批判 == * オフィススイートは開発の規模が大きく、多くの開発者を必要とするプロジェクトであるが、アクティブな開発者が少なく、2008年12月にはわずか24人しかいない閉鎖的なプロジェクトである事が批判されていた<ref>「[http://slashdot.jp/it/08/12/30/1321216.shtml Michael Meeks氏曰く、OpenOffice.orgプロジェクトは『極めて病んでいる』状態]」 [[スラッシュドット|スラッシュドット・ジャパン]]、2008年12月30日。</ref>。 * 日本のOpenOffice.org関連のコミュニティや掲示板などで、日本語プロジェクトが批判されることもあった{{要出典|date=2013年3月}}。OpenOffice.org にはワードプロセッサー機能において罫線機能や、ルビ機能、均等割付機能、表計算処理ソフトウェアにおいては入力規則における日本語処理など、日本語を用いたオフィス文書の作成において重要視される機能が満足するような状態ではないこと、そして日本語プロジェクトがこれらの改善のための活動を怠っていると批判された{{要出典|date=2013年3月}}。 == 派生ソフトウェア == === LibreOffice === 2010年9月28日、OpenOffice.orgの開発者コミュニティがオラクルから独立して立ち上げた[http://www.documentfoundation.org/ The Document Foundation]による製品。OpenOffice.orgの事実上の後継。コミュニティはオラクルに対しOpenOffice.orgのブランド名を寄付するよう要請しているほか、Go-OOの合流によりGo-OOで拡張された機能も取り込んで反映している<ref>[http://www.documentfoundation.org/faq/ Frequently Asked Questions - FAQ - The Document Foundation]</ref>。 {{Main|LibreOffice}} === Go-OO === OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張などを取り込んだ派生オフィススイート<ref name="sfjp200812">{{Cite web|和書|url=http://sourceforge.jp/magazine/08/12/11/0116213|title=何気なく使用していた最良のオフィススイートGo-OO - SourceForge.JP Magazine|date=2008-12-11|accessdate=2009-01-28|publisher=OSDN Corporation|author=Federico Kereki}}</ref>。Go-OO には、サン・マイクロシステムズの判断でライセンスやビジネス上の理由により OpenOffice.orgに取り込まれる可能性が低い機能拡張が取り込まれている<ref name="sfjp200812" />。2010年1月時点で、Windows版とLinux版、Mac OS X版があった。ノベルが開発を推進しており、[[Ubuntu]]、[[openSUSE]]、[[Debian]]、[[Mandriva Linux]]などの[[Linuxディストリビューション]]で採用されている OpenOffice.orgは正式版ではなく、このGo-OOであった<ref name="sfjp200812" />。2010年9月、プロジェクトは終息しLibreOfficeへ統合された<ref>{{cite news|url=https://lwn.net/Articles/407339/ |author=Jake Edge |date=2010-09-28 |accessdate=2009-01-28|title=Michael Meeks talks about LibreOffice and the Document Foundation |publisher=LWN.net}}</ref>。以下のような機能拡張が施されている一方、高速化のためOpenOffice.org にある一部のマイナーな機能(自動アップデートなど)は削除されている。 * OpenOffice.orgよりも起動時間や応答時間が短くて高速に動作する<ref name="sfjp200812" />。 * OpenOffice.orgよりも優れたグラフィックス機能を持っている<ref name="sfjp200812" />。[[Scalable Vector Graphics|SVG]]や[[WPG]]形式、[[Eclipse Modeling Framework|EMF]]ファイルをインポートすることができる<ref name="sfjp200812" />。 * プレゼンテーション向けの3Dトランジション機能を備えている<ref name="sfjp200812" />。 * 任意の条件を満たすセル値が検索可能なスプレッドシート(Calc)向けのソルバーを導入している<ref name="sfjp200812" />。 * [[Visual Basic for Applications|VBA]]マクロとOffice 2007のOpenXMLファイル形式をサポートする<ref name="sfjp200812" />。 === OpenOffice.org Portable === [[PortableApps.com]]で開発した、[[USBメモリ]]などに入れて持ち運べるようにしたOpenOffice.org<ref>[http://portableapps.com/apps/office/openoffice_portable Apache OpenOffice Portable|PortableApps.com]</ref>。[[レジストリ]]を使わないためインストールが不要。英語版・中国語版([[簡体字]])・日本語版などいくつかの言語版が出ている<ref>[http://portableapps.com/apps/office/openoffice_portable/localization Localization|PortableApps.com]</ref>が、3.2.0以降更新が止まっている。なお、LibreOffice版がバージョンに追随する形でリリースされている。 === White Label Office === 独非営利団体 [http://www.teamopenoffice.org/en/ Team OpenOffice.org e.V.]により、OpenOffice.orgが OracleからApacheへ寄贈される事で今後サポートされないバージョン3.3.0のメンテナンスを目的として発表された。これに対し[[Apacheソフトウェア財団]]は遺憾の意を示しており、本プロジェクトに向けて協調を呼びかけている<ref>[http://sourceforge.jp/magazine/11/12/27/045229 独非営利団体がOpenOffice.orgベースの「White Label Office」を公開、Apacheはこれに対し協調を呼びかけ - SourceForge.JP Magazine]</ref>。 === その他の派生ソフトウェア === * Oracle Open Office(有償) - OpenOffice.orgをオープンソース化したサン・マイクロシステムズによる派生ソフトウェア。サン・マイクロシステムズをオラクルが買収後に、[[StarSuite]](StarOffice)からOracle Open Officeに変更された。2011年4月に販売が打ち切られた。 * OpenOffice.org Novell Edition - OpenOffice.orgプロジェクトに参加したノベルによる派生ソフトウェア。VBA互換機能などが強化されている。ノベルは、'''OpenOffice.org'''からLibreOfficeベースに変更したため、ノベル版のLibreOfficeとして継続している。 * [[NeoOffice]] - [[macOS]]にJavaで対応し、よりmacOSに順応している。 * [[Lotus Symphony]] - OpenOffice.orgプロジェクトに参加した[[IBM]]による派生ソフトウェア。画面操作や拡張機能が変更されている。 * OxygenOffice Professional(OOOP、O2OP) - Go-OOを基に、クリップアートやテンプレートなどの追加が施されたオフィススイート。 * [[Citation Style Language]] - これ自体はオフィススイートではないが、文献を引用する際の書式を設定するための言語であるCSLはOpenOffice.orgから派生して生まれた。 {{Wide image|StarOffice major derivatives.svg|1100px|StarOfficeとOpenOffice.orgの主な派生品のタイムライン。紺色で示されているのがOpenOffice.orgである。|center|dir=rtl}} == バージョンアップ履歴 == {| class="wikitable" |-style="white-space:nowrap" !style="background-color:#efefef"|バージョン !style="background-color:#efefef"|リリース !style="background-color:#efefef"|特徴 |- |[[StarSuite|StarOffice]] |&nbsp; |[[ドイツ]]のStarDivison社が開発・販売していたオフィススイート。サン・マイクロシステムズは[[1999年]]に同社を買収し、[[2000年]][[10月]]、StarOfficeのソースコードを公開し、OpenOffice.orgプロジェクトを立ち上げた。 |- |style="white-space:nowrap"|Build 638c |[[2001年]]10月13日 |最初の[[マイルストーン]]リリース |- |1.0 |[[2002年]]5月1日(英語版) |初の正式版となった1.0には、Writer([[ワープロソフト|ワープロ]])、Calc([[表計算ソフト|表計算]])、Draw(描画ツール)、Impress([[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーション]])、HTML Editor(HTML編集)、Math Editor(数式作成)が含まれていた。 |- |1.1 |[[2003年]]9月2日(英語版)/ [[10月9日]](日本語版) |新たに[[Portable Document Format|PDF]]や[[Adobe Flash|Flash]]形式の書き出し機能、[[マクロ言語|マクロ]]記録機能などが追加され、Microsoft Officeとの互換性がより一層向上したほか、多くのバグが修正された。このバージョンから、日本語の禁則処理が正常に作動するようになっている。 |- |1.1.1 |[[2004年]][[3月30日]](英語版)/ [[5月21日]](日本語版) |マイナーバージョンアップ。509個のバグ修正に加えて、いくつかの新しい機能が盛り込まれた。 |- |1.1.2 |2004年[[6月21日]](日本語版) |[[dBASE]]形式データベースファイルのサポート強化や[[インターネット]]上から好みの[[フォント]]をダウンロードし追加できる「FontOOo オートパイロット」(ただし、まだ欧文フォント中心である)といった機能追加が行われたほか、[[Graphics Interchange Format|GIF]]の特許切れを受け、GIF関連の機能制限が撤廃された。 |- |1.1.3 |2004年[[10月4日]](英語版)/ [[10月27日]](日本語版) |1.1.2からのバグフィックス版で112個のバグが修正された。 |- |1.1.4 |2004年[[12月22日]](英語版)/ [[2005年]][[1月17日]](日本語版) |1.1.3からのバグフィックス版で81個のバグが修正された。[[4月11日]]にOpenOffice.org 1.1.4と2.0ベータ版に、不正なWord文書を読み込むことで[[バッファオーバーフロー]]を引き起こす[[セキュリティホール]]が発見される。[[4月18日]]に1.1.4日本語版の修正モジュール公開。 |- |1.1.5 |2005年[[9月14日]](英語版)/ [[9月15日]](日本語版) |4月11日に見つかったセキュリティホールの修正の他、[[OpenDocument]]形式のファイルのインポートにも対応した。2006年6月29日に、1.1.5と2.0.2にマクロやJavaアプレットの扱いに関する脆弱性が発見されたと発表されており、7月18日にその修正モジュールが公開されている。 |- |2.0 β2 |2005年[[8月31日]](日本語版) |[[9月6日]] – [[ライセンス]]形態を変更し、[[GNU Lesser General Public License|LGPL]]に一本化。2.0ベータ2以降のリリースはLGPLとなる<ref>[http://www.openoffice.org/servlets/ReadMsg?list=announce&msgNo=255 License Simplification]</ref>。 |- |2.0 |2005年[[10月20日]](英語版)/ 10月27日(日本語版) |[[Portable Document Format|PDF]]出力の強化や[[OpenDocument|ODF]] 1.1形式の標準サポート、加えて浮動ツールバーやネイティブのインストーラが採用された。 |- |2.0.1 |[[2006年]][[1月7日]](日本語版) |差し込み印刷ウィザードの拡張、箇条書きのデフォルト記号の明瞭化、ダイアログでオプションの表示と非表示の設定を可能化などが行われる。 |- |2.0.2 |2006年[[2月27日]](英語版)/ [[4月3日]](日本語版) |スペルチェック辞書が統合された。Linux版において、太字および斜体のフォントデータを内包していないフォントに太字、斜体効果をかけられるようになった。 |- |2.0.3 |2006年[[6月30日]](英語版)/ [[7月18日]](日本語版) |6月29日に発表された3つの重大なセキュリティホールの修正と、PDF出力時の詳細設定を行う機能の追加が行われた。1.1.5向け修正モジュール<ref>{{Wayback|url=http://ja.openoffice.org/1.1.5/security.html|title=OpenOffice.org 1.1.5 を手に入れよう|date=20061011071815}}</ref>もリリース。なお、日本語版にはフォントの扱いに不具合があり、修正ファイルが公開されている。 |- |2.0.4 |2006年10月13日(英語版)/ [[11月2日]](日本語版) |ソフトウェアアップデート通知機能の追加やPDF出力時の暗号化対応、「OpenOffice.org Extensions」と呼ばれるアドオンアプリケーション環境の搭載、[[LaTeX]]形式でのファイル出力(日本語等[[マルチバイト文字]]は未対応)の追加などが行われた。なお、本バージョンでも日本語版にはフォントの扱いに不具合があり、修正ファイル<ref>[http://oooug.jp/faq/index.php?faq/4/45 faq/4/45 - OpenOffice.org Q&A]</ref>が公開されている。 |- |2.1 |2006年[[12月12日]](英語版)/ [[2007年]][[1月5日]](日本語版) |プレゼンテーションソフト「Impress」において、マルチディスプレイに対応し、CalcでHTMLへの出力機能の改善が図られた。また、複数の脆弱性が修正された。 |- |2.2 |2007年[[3月29日]](英語版)/ [[5月8日]](日本語版) |標準でカーニングを有効にすることでテキスト表示品質を改善した。表計算ソフト「Calc」においてMicrosoft Excelファイルのサポートを改善した。[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]対応と[[Intel Mac]]対応を改善した。また、複数の脆弱性が修正された。 |- |2.2.1 |2007年[[6月12日]](英語版)/ [[7月12日]](日本語版) |悪意のあるRTF形式のファイルを開いた場合に任意のプログラムが実行される脆弱性を初めとした複数の脆弱性が修正された。 |- |2.3 |2007年[[9月18日]](英語版)/ 10月4日(日本語版) |グラフウィザードが改善され、点のみのグラフやグラフの3D表示に対応。Impressが新たに自由にアニメーションを可能にする機能を搭載した。またTIFFファイルの処理に関する整数オーバーフローに起因する深刻な脆弱性が修正された。日本語版では「滑らかな線」ダイアログが小さすぎて一部設定が変更できない不具合があり、修正ファイル<ref>{{Wayback|url=http://ja.openoffice.org/download/2.3.0/chartfix_i81390.html|title=2.3に対するバグ修正パッチ|date=20071012223649}}</ref>が公開されていた。ただし、十分なテストを経ていないため、この機能を利用しないユーザーの適用は推奨されていない。 |- |2.3.1 |2007年[[12月3日]](英語版)/ [[12月5日]](日本語版) |データベースエンジン「[[HSQLDB]]」に存在する、深刻な脆弱性の修正。 |- |2.4 |[[2008年]][[3月27日]](英語版)/ [[4月2日]](日本語版) |[[PDF/A]]に準拠したPDFを作成できるようになった。Baseにおいて、Microsoft Office 2007 Accessのファイル形式がサポートされるようになった。 |- |2.4.1 |2008年[[6月10日]](英語版)/ 6月21日(日本語版) |脆弱性やバグの修正が行われた。 |- |2.4.2 |2008年[[10月29日]](英語版)/ [[12月4日]](日本語版) |特殊なWMF / EMFデータを内包した文書を開く際にバッファオーバーフローが発生する脆弱性など、18個の不具合の修正が行われた。 |- |2.4.3 |200-年[[--月--日]](----版)/ [[--月--日]](日本語版) | |- |3.0 |2008年10月13日(英語版 / 日本語版) |アイコンやツールバーの外見を一新し、スタートセンターと呼ばれる、各機能を呼び出すことのできるメニューが追加された。Calcではソルバー機能が向上し、最大列数が1024に拡張された。Writerでは表示倍率を変更できるズームスライダが追加された。Impressでは独自の表機能を追加するなど、さまざまな新機能が搭載された。[[OpenDocument|ODF]]1.2形式へ対応。Microsoft Office 2007 / 2008の新しい文書形式(*.docx, *.xlsx, *.pptxなど)に対応。また、このバージョンから[[macOS|Mac OS X]]にネイティブ([[Cocoa (API)|Cocoa]])対応した。 |- |3.0.1 |[[2009年]][[1月27日]](英語版)/ [[2月15日]]・[[2月19日]](日本語版) |脆弱性等の修正が行われた。 |- |3.1 |2009年[[5月7日]](英語版 / 日本語版) |Calc、Impress、DrawにWriterと同様のズームスライダが追加された。さらに Calc では、印刷倍率を変更できる倍率スライダが追加された。Windows上のWriterで[[Microsoft IME]]や[[ATOK]]の再変換機能を利用可能になり、ドロー画像にたいして[[アンチエイリアス]]効果が加えられるようになった。 |- |3.1.1 |2009年[[8月31日]](英語版 / 日本語版) |悪意のあるMicrosoft Word文書を処理した際に発生する脆弱性の修正、および不具合の修正が行われた。 |- |3.2 |[[2010年]][[2月11日]](英語版 / 日本語版) |バブルチャートに対応し、Impressに新たに二つのレイアウトが追加された。なお、「日本語環境改善拡張機能」を導入し、Writerを起動すると「一般的なエラー」ダイアログが表示される不具合(OKボタンを押せば起動するので動作に支障はない)が存在するため注意が必要<ref>{{Cite web |author=M.Kamataki |date=2010-01-20 |url=http://oooug.jp/faq/index.php?faq/5/221 |title=faq/5/221 - OpenOffice.org Q&amp;A |publisher=OpenOffice.org 日本ユーザー会 |accessdate=2010-02-28 }}</ref>。また、以前のバージョン3.0 よりもワープロや表計算ソフトの起動時間短縮が図られた<ref>[http://www.openoffice.org/dev_docs/features/3.2/#general_speed OpenOffice.org 3.2 New Features]</ref>。 |- |3.2.1 |2010年[[6月4日]](英語版 / 日本語版) |オラクルによるサン・マイクロシズテムズの買収完了と開発元移行により、サン・マイクロシズテムズのロゴがオラクルのロゴに置きかえられた。また、OOo自体のロゴやアイコンも同時に変更された。また、脆弱性の修正が行われた。 |- |3.3 |[[2011年]]1月26日(英語版)/ [[2月2日]](日本語版) |起動時間の短縮、アプリケーションの高速化が図られたほか、標準PDFフォントが標準装備され、各アプリケーション共通の検索ツールバーなどの新機能が追加された。<br/>OpenOffice.orgの最後のバージョン。 |- |3.4 |<ref>[http://wiki.services.openoffice.org/wiki/OOoRelease34 OOoRelease34]</ref> |OpenOffice.orgの開発停止に伴いリリースされなかった。日本語版の提供を行わないことを日本語プロジェクトが発表していた。その後'''[[Apache OpenOffice]]'''と'''[[LibreOffice]]'''に別れて開発が継続されている。 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} * [[OpenDocument]] * [[OpenDocumentをサポートするアプリケーションの一覧]] * [[StarSuite]] * [[オープンフォーマット]] * [[オフィススイートの比較]] * [[Lotus Symphony]] * [[LibreOffice]] * [[Apache OpenOffice]] == 外部リンク == {{Commons&cat|OpenOffice.org|OpenOffice.org}} {{Wikibooks|OpenOffice.org}} * [https://www.openoffice.org/ja/ OpenOffice.org]{{Ja icon}} * [https://www.openoffice.org/ OpenOffice.org]{{En icon}} * [http://oooug.jp/ オーユージー]{{Ja icon}} * [http://oooug.jp/faq/ OpenOffice.org Q&A]{{Ja icon}} {{OpenOffice.org}} {{Sun Microsystems}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:OpenOffice.org}} [[Category:オラクル]] [[Category:サン・マイクロシステムズ]] [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:クロスプラットフォームのソフトウェア]] [[Category:OpenDocument]] [[Category:オフィスソフト]] [[Category:PDFソフト]] [[Category:文書作成ソフト]] [[Category:Webオーサリングソフト]] [[Category:表計算ソフト]] [[Category:データベース管理システム]] [[Category:ドローソフト]] [[Category:2002年のソフトウェア]]
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ハートリー=フォック方程式
ハートリー=フォック方程式(ハートリーフォックほうていしき、英: Hartree–Fock equation)は、多電子系を表すハミルトニアンの固有関数(波動関数)を一個のスレーター行列式で近似(ハートリー=フォック近似)した場合に、それが基底状態に対する最良の近似となるような(スピンを含む)1電子分子軌道の組を探し出すための方程式である。ウラジミール・フォックによって導かれた。分子軌道法の基本となる方程式である。 ハートリー=フォック方程式(次の式は厳密には正準ハートリー=フォック方程式だが単にハートリー=フォック方程式と呼ばれることが多い) − 1 2 m ∇ 2 φ i ( x ) + V H ( x ) φ i ( x ) − ∫ d y V E ( x , y ) φ i ( y ) = ε i φ i ( x ) {\displaystyle -{\frac {1}{2m}}\nabla ^{2}\varphi _{i}(x)+V_{H}(x)\varphi _{i}(x)-\int \mathrm {d} yV_{E}(x,y)\varphi _{i}(y)=\epsilon _{i}\varphi _{i}(x)} は、 { φ i } {\displaystyle \{\varphi _{i}\}} の近似的な解が与えられた場合、方程式中の { φ i } {\displaystyle \{\varphi _{i}\}} 置換することで方程式 F ^ ψ = ε i ψ {\displaystyle {\hat {F}}\psi =\epsilon _{i}\psi } が誘導される。すなわちこの方程式の F ^ {\displaystyle {\hat {F}}} には固有関数 ψ {\displaystyle \psi } は含まれず、普通の固有値方程式として解くことが出来る。 これにより得られた解を近似解として適用し再帰的に解く事で、多電子系のフェルミ粒子(この場合は電子)全体の作る平均場と、その中で一粒子運動をするフェルミ粒子の波動関数を自己無撞着に決定することができる(SCF法)。 ハートリー=フォック法では大きく4つの近似をする。 最後の2つの近似を仮定しないことによって、多くのポスト-ハートリー-フォック法が作られている。 N個のフェルミオン系を考える。分子全体の波動関数を1つのスレーター行列式とし、時間依存しないシュレーディンガー方程式に代入すると、エネルギーは次のように書ける。 これを一粒子波動関数 φ i ∗ ( x ) {\displaystyle \varphi _{i}^{*}(x)} で変分する。つまり φ i ∗ ( x ) {\displaystyle \varphi _{i}^{*}(x)} が規格直交化されており、かつ最低のエネルギーをとるようものを、ラグランジュの未定乗数法などで探すことで、以下のハートリー=フォック方程式を得る。 ここで、 フォックポテンシャルは、波動関数の反対称化が必要なフェルミオン多体系に特有のものであり、ボソン多体系の平均場を求める方程式(グロス・ピタエフスキー方程式と呼ばれている)には存在しない。 ハートリー=フォック方程式の解をユニタリ変換したものも、ハートリー=フォック方程式の解になっている。よってユニタリ変換をどのように選ぶかによって、いろいろな解の表現の仕方がある。そこで、ユニタリ変換後のハートリー=フォック方程式の未定乗数( ε j , i {\displaystyle \epsilon _{j,i}} )が対角形( ε j , i = δ i , j ε i {\displaystyle \epsilon _{j,i}=\delta _{i,j}\epsilon _{i}} )になるようなユニタリ変換を選んで表したものを正準ハートリー=フォック方程式 (canonical Hartree-Fock equation) と呼ぶ。 正準ハートリー=フォック方程式は、フォック演算子の固有値方程式である。つまり固有値としてスピン軌道エネルギー εi、それに属する固有関数としてスピン軌道 φ i {\displaystyle \varphi _{i}} をもつ固有値方程式である。 F ^ φ i = ε i φ i {\displaystyle {\hat {F}}\varphi _{i}=\epsilon _{i}\varphi _{i}} 交換演算子は古典的解釈のできない演算子であり、単にスレーター行列式のアーティファクトである。つまり、区別が付かない電子に番号を付けたため、パウリの原理が要請する反対称性を満たす波動関数としてスレーター行列式を導入したことが原因で生じている。なお、クーロン項(ハートリーポテンシャル)中に存在する電子とそれ自身との「自己相互作用」は交換(フォック)ポテンシャル中にも存在するため打ち消される。 ここで、x は電子の空間座標 r とスピン座標 ω をまとめた空間スピン座標、 φ j ( 1 ) = φ j ( x 1 ) = φ j ( r 1 , ω 1 ) {\displaystyle \varphi _{j}(1)=\varphi _{j}({\boldsymbol {x}}_{1})=\varphi _{j}({\boldsymbol {r}}_{1},\omega _{1})} である。 ハートリー=フォック方程式はこのままの形では解くことが難しい。そこで通常は求めるスピン軌道を既知の基底関数の組で展開し行列方程式の形へ変換して解く。 →ハートリー–フォック–ローターン方程式、ポープル–ネスベット方程式 いずれにしろ、フォック演算子のうちクーロン演算子と交換演算子が求めようとしているスピン軌道を含むため、つじつまの合った場の方法(自己無撞着場の方法あるいはSCF法とも呼ばれる)によって解く。 電子の出入りによって分子軌道が変化しないと仮定する。ハートリー=フォックエネルギー E [ N ] {\displaystyle E[N]} から、k番目の電子が抜き取られた後のN−1電子系のエネルギー E [ N − 1 ] {\displaystyle E[N-1]} を引くと ε k {\displaystyle \varepsilon _{k}} となり、 − ε k {\displaystyle -\varepsilon _{k}} は電子を抜き取るために必要なエネルギー、つまりイオン化エネルギーの意味を持つ(クープマンズの定理)。したがって、ハートリー=フォック方程式の未定乗数εiは分子軌道エネルギーと解釈することができる。しかし、ハートリー=フォックエネルギーはεiの総和ではないことに留意すべきである。
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ハートリー=フォック方程式は、多電子系を表すハミルトニアンの固有関数(波動関数)を一個のスレーター行列式で近似(ハートリー=フォック近似)した場合に、それが基底状態に対する最良の近似となるような(スピンを含む)1電子分子軌道の組を探し出すための方程式である。ウラジミール・フォックによって導かれた。分子軌道法の基本となる方程式である。 ハートリー=フォック方程式(次の式は厳密には正準ハートリー=フォック方程式だが単にハートリー=フォック方程式と呼ばれることが多い) は、 { φ i } の近似的な解が与えられた場合、方程式中の { φ i } 置換することで方程式 が誘導される。すなわちこの方程式の F ^ には固有関数 ψ は含まれず、普通の固有値方程式として解くことが出来る。 これにより得られた解を近似解として適用し再帰的に解く事で、多電子系のフェルミ粒子(この場合は電子)全体の作る平均場と、その中で一粒子運動をするフェルミ粒子の波動関数を自己無撞着に決定することができる(SCF法)。
{{電子構造論}} '''ハートリー=フォック方程式'''(ハートリーフォックほうていしき、{{lang-en-short|Hartree–Fock equation}})は、多電子[[系 (自然科学)|系]]を表す[[ハミルトニアン]]の[[固有関数]]([[波動関数]])を一個の[[スレーター行列式]]で近似('''ハートリー=フォック近似''')した場合に、それが[[基底状態]]に対する最良の近似となるような(スピンを含む)1電子[[分子軌道]]の組を探し出すための方程式である。[[ウラジミール・フォック]]によって導かれた。[[分子軌道法]]の基本となる方程式である。 ハートリー=フォック方程式(次の式は厳密には正準ハートリー=フォック方程式だが単にハートリー=フォック方程式と呼ばれることが多い) {{Indent|<math> -\frac{1}{2m} \nabla^{2} \varphi_i(x)+V_H(x)\varphi_i(x)-\int \mathrm dy V_E(x,y)\varphi_i(y) = \epsilon_i \varphi_i(x) </math>}} は、<math>\{ \varphi_i \}</math>の近似的な解が与えられた場合、方程式中の<math>\{ \varphi_i \}</math>置換することで方程式 {{Indent|<math>\hat{F} \psi = \epsilon_i \psi</math>}} が誘導される。すなわちこの方程式の<math>\hat{F}</math>には固有関数<math>\psi</math>は含まれず、普通の固有値方程式として解くことが出来る。 これにより得られた解を近似解として適用し再帰的に解く事で、多電子系の[[フェルミオン|フェルミ粒子]](この場合は電子)全体の作る平均場と、その中で一粒子運動をするフェルミ粒子の[[波動関数]]を[[セルフコンシステント|自己無撞着]]に決定することができる(SCF法)。 == {{anchors|ハートリー-フォック方程式}}ハートリー=フォック方程式 == ===近似=== ハートリー=フォック法では大きく4つの近似をする。 * [[ボルン–オッペンハイマー近似]]を適用する。すなわち、本来ならば分子の原子核と電子それぞれの座標についての関数である分子全体の波動関数を、原子核座標は不変とし電子のみの座標の関数とみなす。 * [[特殊相対性理論|相対論]]の効果は無視し、[[運動量|運動量演算子]]は非相対論的なものと仮定する。 * それぞれの[[エネルギー固有関数]](定常状態の[[シュレーディンガー方程式]]の解)は1つの[[スレイター行列式]]で記述できると仮定する。 * [[平均場近似]]を適用する。つまりある1つの電子が受ける相互作用の大きさは、その電子の位置のみに依存し、他の電子の位置には依存しない。この仮定から外れることによる効果、つまり[[電子相関]]は、反平行スピンどうしの電子では無視されるが、平行スピンどうしの電子では考慮される。<ref>{{cite book |title=Modelling Molecular Structures|last=Hinchliffe|first=Alan|authorlink= |edition=2nd |year=2000|publisher=John Wiley & Sons Ltd|location=Baffins Lane, Chichester, West Sussex PO19 1UD, England|isbn=0-471-48993-X |page=186|pages=336|url= |accessdate=}}</ref><ref name="Szabo">{{cite book | last1 = Szabo | first1 = A. | last2= Ostlund| first2= N. S. | title = Modern Quantum Chemistry | publisher = Dover Publishing | year = 1996 | location = Mineola, New York | isbn = 0-486-69186-1}}</ref> (電子相関と「電子の交換」を混同しないように。電子の[[交換相互作用]]はハートリーフォック法で考慮されている。)<ref name="Szabo"/> 最後の2つの近似を仮定しないことによって、多くの[[ポスト-ハートリー-フォック法]]が作られている。 === スレーター行列式の導入 === N個のフェルミオン系を考える。分子全体の波動関数を1つの[[スレーター行列式]]とし、時間依存しない[[シュレーディンガー方程式]]に代入すると、エネルギーは次のように書ける。 :<math>E= \sum_{i=1}^{N} \int \mathrm dx \varphi_i^{*}(x) \left(-\frac{1}{2m} \nabla^{2}\right) \varphi_i(x)+ \frac{1}{2} \sum_{i,k=1}^{N}\int \mathrm dx \mathrm dy \varphi_i^{*}(x)\varphi_k^{*}(y)v(x-y)\left(\varphi_i(x)\varphi_k(y)-\varphi_i(y)\varphi_k(x)\right)</math> === ラグランジュの未定乗数法 === これを一粒子波動関数<math>\varphi_i^{*}(x)</math>で変分する。つまり<math>\varphi_i^{*}(x)</math>が規格直交化されており、かつ最低のエネルギーをとるようものを、[[ラグランジュの未定乗数法]]などで探すことで、以下の'''ハートリー=フォック方程式'''を得る。 :<math> -\frac{1}{2m} \nabla^{2} \varphi_i(x)+V_H(x)\varphi_i(x)-\int \mathrm dy V_E(x,y)\varphi_i(y) = \sum_{j=1}^{N} \epsilon_{j,i} \varphi_j(x) </math> ここで、 :<math>\varphi_i (x) \ </math> :一粒子[[波動関数]] :<math>V_H(x)\equiv \int \mathrm dy \sum_{k=1}^{N} v(x-y) |\varphi_k(y)|^2</math> :ハートリーポテンシャル :<math>V_E(x,y) \equiv \sum_{k=1}^{N} v(x-y) \varphi_k(x)\varphi_k^{*}(y)</math> :フォックポテンシャル フォックポテンシャルは、波動関数の[[反対称]]化が必要なフェルミオン多体系に特有のものであり、ボソン多体系の平均場を求める方程式([[グロス・ピタエフスキー方程式]]と呼ばれている)には存在しない。 == {{anchors|正準ハートリー-フォック方程式}}正準ハートリー=フォック方程式 == ハートリー=フォック方程式の解を[[ユニタリ変換]]したものも、ハートリー=フォック方程式の解になっている。よってユニタリ変換をどのように選ぶかによって、いろいろな解の表現の仕方がある。そこで、ユニタリ変換後のハートリー=フォック方程式の未定乗数(<math>\epsilon_{j,i}</math>)が対角形(<math>\epsilon_{j,i}=\delta_{i,j}\epsilon_{i}</math>)になるようなユニタリ変換を選んで表したものを'''正準ハートリー=フォック方程式''' (canonical Hartree-Fock equation) と呼ぶ。 正準ハートリー=フォック方程式は、フォック演算子の固有値方程式である。つまり[[固有値]]としてスピン[[軌道エネルギー]] &epsilon;<sub>''i''</sub>、それに属する[[固有関数]]としてスピン軌道 <math>\varphi_i</math>をもつ[[固有値方程式]]である。 {{Indent|<math> \hat{F} \varphi_i = \epsilon_i \varphi_i </math>}} ;[[フォック演算子]] :<math> \hat{F} \equiv \hat{h} + \sum_{j=1}^n (\hat{J}_j - \hat{K}_j) </math> ;核–一電子ハミルトニアン :<math> \hat{h} \equiv -\frac{1}{2}\nabla_i^2 - \sum_{A=1}^N \frac{Z_A}{r_{iA}} </math> :註)第一項は ''i'' 番目の電子の運動エネルギー、第二項は原子核-電子間の引力のポテンシャルエネルギーを表す。 ;[[クーロン演算子]] :<math> \hat{J}_j(1) \varphi_i(1) \equiv \int \varphi_j^{*}(2) \varphi_j(2) \frac{1}{r_{12}} \varphi_i(1) \,\mathrm d \boldsymbol{x}_2 </math> :註)位置 '''x'''<sub>2</sub> にある一個の電子が &chi;<sub>''j''</sub> で表される一個の電子から感じる平均的なポテンシャルを表す。 ;[[交換演算子]] :<math> \hat{K}_j(1) \varphi_i(1) \equiv \int \varphi_j^{*}(2) \varphi_i(2) \frac{1}{r_{12}} \varphi_j(1) \,\mathrm d\boldsymbol{x}_2 </math> 交換演算子は古典的解釈のできない演算子であり、単にスレーター行列式のアーティファクトである。つまり、区別が付かない電子に番号を付けたため、[[パウリの原理]]が要請する反対称性を満たす波動関数としてスレーター行列式を導入したことが原因で生じている。なお、クーロン項(ハートリーポテンシャル)中に存在する電子とそれ自身との「自己相互作用」は交換(フォック)ポテンシャル中にも存在するため打ち消される。 ここで、{{Mvar|'''x'''}} は電子の空間座標 {{Mvar|'''r'''}} と[[スピン座標]] {{Mvar|ω}} をまとめた空間スピン座標、 {{Indent|<math> \varphi_j(1)=\varphi_j(\boldsymbol{x}_1)=\varphi_j(\boldsymbol{r}_1,\omega_1) </math>}} である。 == 解法 == ハートリー=フォック方程式はこのままの形では解くことが難しい。そこで通常は求めるスピン軌道を既知の[[基底関数]]の組で展開し行列方程式の形へ変換して解く。 {{Indent|&rarr;[[ハートリー–フォック–ローターン方程式]]、[[ポープル–ネスベット方程式]]}} いずれにしろ、フォック演算子のうちクーロン演算子と交換演算子が求めようとしているスピン軌道を含むため、[[セルフコンシステント|つじつまの合った場の方法]](自己無撞着場の方法あるいはSCF法とも呼ばれる)によって解く。 == 解の解釈 == {{See|クープマンズの定理}} 電子の出入りによって分子軌道が変化しないと仮定する。ハートリー=フォックエネルギー<math>E[N]</math>から、''k''番目の電子が抜き取られた後のN−1電子系のエネルギー<math>E[N-1]</math>を引くと<math>\varepsilon_k</math>となり、<math>-\varepsilon_k</math>は電子を抜き取るために必要なエネルギー、つまり[[イオン化エネルギー]]の意味を持つ([[クープマンズの定理]])。したがって、ハートリー=フォック方程式の未定乗数&epsilon;<sub>''i''</sub>は分子軌道エネルギーと解釈することができる。しかし、ハートリー=フォックエネルギーは&epsilon;<sub>''i''</sub>の総和ではないことに留意すべきである。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[非制限ハートリー=フォック法]] (UHF) * [[制限開殻ハートリー=フォック法]] (ROHF) *[[時間依存ハートリー=フォック方程式]] (TDHF) *[[量子論]] *[[量子化学]] *[[量子化学的手法]] * [[ダグラス・ハートリー]] * [[密度汎関数理論]] * [[DIIS]] * [[ブリルアンの定理]] ==外部リンク== * {{Spedia|The_Hartree-Fock_method|The Hartree-Fock method}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はあとりいふおつくほうていしき}} [[Category:計算物理学]] [[Category:量子化学]] [[Category:量子力学]] [[Category:固体物理学]] [[Category:近似法]] [[Category:電子軌道]] [[Category:物理学の方程式]] {{sci-stub}}
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オフィススイート
オフィススイート(英: Office suite)とは、デスクトップパソコン、ノートパソコン、タブレット、スマートフォンにインストールされて使用、または、クラウドサービスで使用する、オフィス業務に必要なソフトウェアをセットにした、ソフトウェアスイートの一種。スイートとは、「ひと揃え」という意味。より一般的にはオフィスソフトとも呼ばれる。ワープロ(ワープロソフト)、表計算、電子メール(電子メールクライアント)、個人情報管理、プレゼンテーション(プレゼンテーションソフト)、データベース(データベース管理システム)、DTPなどのアプリケーションソフトが組み合わされる。 パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及する以前の1980年代後半 - 1990年代前半は、マイクロソフト、Apple、ロータス、コーレル、ジャストシステムなどがオフィススイートを開発・供給し、マイクロソフトのWindows 95のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、マイクロソフトのデスクトップオペレーティングシステム (OS) であるWindowsと、オフィススイートであるMicrosoft Officeをバンドルプリインストールしたパーソナルコンピュータが大量に供給され、市場シェアが推定で90%台前半に達し、デファクトスタンダードになった。 2010年代以後は、オフィススイートをクラウドサービスで無料または有料サブスクリプションで利用する形式を、Google、マイクロソフト、Apple、IBM、Zohoなどが開発供給している。 2000年代まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、クラウドサービスを無料または有料サブスクリプションで利用する形式の、二種類の形式が主要な利用形式になっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "オフィススイート(英: Office suite)とは、デスクトップパソコン、ノートパソコン、タブレット、スマートフォンにインストールされて使用、または、クラウドサービスで使用する、オフィス業務に必要なソフトウェアをセットにした、ソフトウェアスイートの一種。スイートとは、「ひと揃え」という意味。より一般的にはオフィスソフトとも呼ばれる。ワープロ(ワープロソフト)、表計算、電子メール(電子メールクライアント)、個人情報管理、プレゼンテーション(プレゼンテーションソフト)、データベース(データベース管理システム)、DTPなどのアプリケーションソフトが組み合わされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及する以前の1980年代後半 - 1990年代前半は、マイクロソフト、Apple、ロータス、コーレル、ジャストシステムなどがオフィススイートを開発・供給し、マイクロソフトのWindows 95のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、マイクロソフトのデスクトップオペレーティングシステム (OS) であるWindowsと、オフィススイートであるMicrosoft Officeをバンドルプリインストールしたパーソナルコンピュータが大量に供給され、市場シェアが推定で90%台前半に達し、デファクトスタンダードになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2010年代以後は、オフィススイートをクラウドサービスで無料または有料サブスクリプションで利用する形式を、Google、マイクロソフト、Apple、IBM、Zohoなどが開発供給している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2000年代まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、クラウドサービスを無料または有料サブスクリプションで利用する形式の、二種類の形式が主要な利用形式になっている。", "title": "歴史" } ]
オフィススイートとは、デスクトップパソコン、ノートパソコン、タブレット、スマートフォンにインストールされて使用、または、クラウドサービスで使用する、オフィス業務に必要なソフトウェアをセットにした、ソフトウェアスイートの一種。スイートとは、「ひと揃え」という意味。より一般的にはオフィスソフトとも呼ばれる。ワープロ(ワープロソフト)、表計算、電子メール(電子メールクライアント)、個人情報管理、プレゼンテーション(プレゼンテーションソフト)、データベース(データベース管理システム)、DTPなどのアプリケーションソフトが組み合わされる。
{{出典の明記|date=2021年3月}} '''オフィススイート'''({{lang-en-short|Office suite}})とは、[[デスクトップパソコン]]、[[ノートパソコン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]、[[スマートフォン]]にインストールされて使用、または、クラウドサービスで使用する、オフィス業務に必要な[[ソフトウェア]]をセットにした、[[ソフトウェアスイート]]の一種。スイートとは、「ひと揃え」という意味。より一般的には'''オフィスソフト'''<ref>{{lang-en-short|Office software}}</ref>とも呼ばれる。[[ワードプロセッサ|ワープロ]]([[ワープロソフト]])、[[表計算ソフト|表計算]]、[[電子メール]]([[電子メールクライアント]])、[[Personal Information Manager|個人情報管理]]、[[プレゼンテーション]]([[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーションソフト]])、[[データベース]]([[データベース管理システム]])、[[デスクトップパブリッシング|DTP]]などの[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーションソフト]]が組み合わされる。 ==歴史== [[パーソナルコンピュータ]]が職場や一般市民に広く普及する以前の1980年代後半 - 1990年代前半は、[[マイクロソフト]]、[[Apple]]、[[ロータス (ソフトウェア)|ロータス]]、[[コーレル]]、[[ジャストシステム]]などがオフィススイートを開発・供給し、[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、[[マイクロソフト]]の[[デスクトップ環境|デスクトップ]][[オペレーティングシステム|オペレーティングシステム (OS)]] であるWindowsと、オフィススイートである[[Microsoft Office]]をバンドルプリインストールした[[パーソナルコンピュータ]]が大量に供給され、市場シェアが推定で90%台前半に達し、デファクトスタンダードになった。 2010年代以後は、オフィススイートを[[クラウドコンピューティング|クラウドサービス]]で無料または有料サブスクリプションで利用する形式を、[[Google]]、マイクロソフト、Apple、[[IBM]]、[[Zoho]]などが開発供給している。 2000年代まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、[[クラウドコンピューティング|クラウドサービス]]を無料または有料サブスクリプションで利用する形式の、二種類の形式が主要な利用形式になっている。 ==代表的なオフィススイート== * [[Calligra Suite]] - [[KDE]](The Calligra Suite project) - インストール版 * [[Microsoft Office]] - [[マイクロソフト]] - バンドルプリインストール版・インストール版・クラウドサービス版 * [[Google ドキュメント|Googleドキュメント]] - [[Google]] - 個人向けクラウドサービス版 * [[Google Workspace]] - Google – 法人向けクラウドサービス版 * [[GNOME Office]] - [[GNOME]] - インストール版 * [[WordPerfect Office]] - [[コーレル]] - インストール版 * [[EIOffice]] - [[永中科技有限公司|永中科技]](日本では[[インターネットテレフォン]]) - インストール版 * [[一太郎#一太郎2020、一太郎2020プラチナ以降|一太郎 プラチナ]] - [[ジャストシステム]] - 個人向けインストール版 * [[JUST Suite|JUST Office]] - ジャストシステム - 法人向けインストール版 * [[iWork]] - [[Apple]] - バンドルプリインストール版 * iWork for [[iCloud]] - Apple - クラウドサービス版 * [[NeoOffice]] - Planamesa Software - インストール版 * [[OfficeSuite]] - [https://www.mobisystems.com/ja-jp/ MobiSystems]- バンドルプリインストール版・インストール版 * [[WPS Office]] - [[金山軟件]]([[キングソフト]]) - バンドルプリインストール版・インストール版 * [https://www.onlyoffice.com/ja/office-suite.aspx ONLYOFFICE Docs] - [https://www.onlyoffice.com/ja/about.aspx Ascensio System SIA] - クラウドサービス版 * [https://www.onlyoffice.com/ja/desktop.aspx ONLYOFFICE Desktop Editors] - [https://www.onlyoffice.com/ja/about.aspx Ascensio System SIA] - インストール版 * [https://www.onlyoffice.com/ja/download-desktop.aspx#mobile ONLYOFFICE Documents] - [https://www.onlyoffice.com/ja/about.aspx Ascensio System SIA] - インストール版([[Android (オペレーティングシステム)|Android]]および[[iOS]]向け) * [https://www.onlyoffice.com/ja/workspace.aspx ONLYOFFICE Workspace] - [https://www.onlyoffice.com/ja/about.aspx Ascensio System SIA] - 法人向けクラウドサービス版 * [[Apache OpenOffice]] - [[Apacheソフトウェア財団]] - インストール版 * [[LibreOffice]] - [[The Document Foundation]] - インストール版 # オープンソースソフトウェア * ShareOffice - ShareMethods - クラウドサービス版 * [[ThinkFree Office|Thinkfree Office]] - [[Hancom]] - インストール版・クラウドサービス版 * ZCubes - ZCubes Inc. - クラウドサービス版 * [[Zoho|Zoho Office Suite]] - Zoho Corporation - クラウドサービス版 * [[FreeOffice]]<ref>[https://japan.techrepublic.com/article/35084450.htm オフィススイート界に登場した新たなオープンソースツール「FreeOffice」]</ref> – SoftMaker - インストール版 * [[IBM Connections Cloud]] - [[IBM]] - クラウドサービス版 * MobiSystems OfficeSuite<small>([[:en:OfficeSuite|英語版]])</small> - インストール版([[Android (オペレーティングシステム)|Android]]および[[iOS]]向け) ===かつて販売または配布されていたオフィススイート=== * [[AppleWorks]] - Apple Computer(現・Apple) * [[Microsoft Works]] - マイクロソフト * [[OpenOffice.org]] - [[オラクル (企業)|オラクル]](日本では[[日本オラクル]])、[[サン・マイクロシステムズ]] # Apache OpenOffice と LibreOffice に分裂して移行。 * [[StarOffice]](日本では[[StarSuite]]) - サン・マイクロシステムズ * [[ロータス・スーパーオフィス|Lotus SuperOffice]] - [[ロータス (ソフトウェア)|ロータス]]、[[IBM]] * [[Lotus Symphony]] - IBM * [[IBM Works]] - IBM * [[SMART/2]] - [[日本IBM]] * [[Justsystem Office]] - ジャストシステム * [[JUST Suite]] - ジャストシステム * [[OASYS SuperOffice]] - [[富士通]] * [[EPOC]] - [[PFU]] * [[LANOFFICE]] - [[日本電気|NEC]] * [[HALNOTE]] - [[HAL研究所]] ===その他=== * [[Multi-Tool Family]] - [[マイクロソフト]]([[Multiplan]]、 [[MultiChart]]など。セット販売ではないためスイートではないが、複数で一揃え構成していた) == 脚注 == <references /> == 関連項目 == * [[オフィススイートの比較]] {{デフォルトソート:おふいすすいいと}} [[Category:オフィスソフト|*おふいすすいいと]]
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鯛(タイ)とは、広義にはスズキ目タイ科の総称、狭義にはタイ科のマダイを指す。 日本では一般的に高級魚として認知されている。タイ科にはマダイの他に、クロダイ、キダイ、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、アカレンコなどが含まれる。さらに広義には、タイ科以外の魚でも、扁平・大型・赤っぽい体色・白身などの特徴を持つ魚には「-ダイ」と和名がついていることが多く、この場合、タイ科とは分類上遠い魚もいる。アマダイ、キントキダイ、イシダイなどはタイ科と同じスズキ亜目だが、エボシダイなどはスズキ目の別亜目、キンメダイ、アコウダイ、マトウダイなどは目のレベルでちがう魚である。このように和名にタイと名のついた魚は200種以上もいる。 極端な場合には淡水魚のティラピアを、その学名ティラピア・ニロチカから「チカ鯛」などと命名したり、「イズミダイ」と称して販売されていたこともあった。こうしたものは「あやかりタイ」などと揶揄される。 日本では非常に馴染みの深い魚で、赤い色がめでたいとして、お祝いの席でよく出る。そのため七福神の一人恵比須は釣竿で鯛を釣り上げた姿をしている。神道では重要な地位を占めており、冠婚葬祭等の祭礼に欠かせない。考古資料として縄文時代から鯛の骨が出土しており、日本列島では古来より重要な食用魚だったと思われる。 海域に生息する鯛は、刺身、昆布締め、塩焼き、煮付け、蒸し焼き、干物、蒲鉾、混ぜご飯など様々に調理される。食通の間では、唇の肉や頬肉、カマ(胸びれのつけ根)などが特に好まれている。表面が非常に頑丈な鱗で覆われており、ひれのトゲが固く危険であることから、さばくのに苦労を要し、家庭で調理する場合は購入する鮮魚店で予めさばいてもらう事がある。さばかない一匹まるごとの状態は「尾頭付き」と呼ばれ、奉納と言った神事や結婚式等の慶事で使われる。 さらに江戸時代になると、魚は専ら海のものが食され、将軍家でも鯛が喜ばれたため「大位」と当て字をされもてはやされた(当時、海から遠い京都では鯉が宮中で食され「高位」などと呼ばれていた)。 鯛の頭部を用いた料理に「兜煮」がある。「兜煮」の調理に際して鯛頭部を縦に切断することを「梨割」と呼び、梨割は「兜割」とも呼ばれる。一方で「兜煮」「兜割」の呼称は江戸時代の料理書に見られないことや、「兜を割る」が武家社会において縁起の悪い表現であるとする観点から、「兜煮」「兜割」の呼称は明治以降のものとする説もある。
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鯛(タイ)とは、広義にはスズキ目タイ科の総称、狭義にはタイ科のマダイを指す。
{{redirect|たい|その他の用法|タイ}} {{栄養価 | name=まだい(天然、生)<ref name=mext7>[[文部科学省]] 「[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」</ref> | image = [[File:Pagrus major Red seabream ja01.jpg|220px|alt=鯛の代表格 - タイ科マダイ属 [[マダイ]]]] | kJ =594| water=72.2 g| protein=20.6 g| fat=5.8 g| satfat=1.47 g| monofat = 1.59 g| polyfat =1.38 g| opt1n=[[コレステロール]] | opt1v=65 mg| carbs=0.1 g| sodium_mg=55| potassium_mg=440| calcium_mg=11| magnesium_mg=31| phosphorus_mg=220| iron_mg=0.2| zinc_mg=0.4| copper_mg=0.02| Manganese_mg=0.01| vitA_ug =8| vitD_ug=5.0| vitE_mg =1.0| thiamin_mg=0.09| riboflavin_mg=0.05| niacin_mg=6.0| vitB6_mg=0.31| vitB12_ug=1.2| folate_ug=5| pantothenic_mg=0.64| vitC_mg=1| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]] 「[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」</ref>。廃棄部位: 頭部、内臓、骨、ひれ等(三枚下ろし)| right=1 }} '''鯛'''(タイ)とは、広義には[[スズキ目]][[タイ科]]の総称、狭義にはタイ科の[[マダイ]]を指す。 == 概要 == [[日本]]では一般的に高級魚として認知されている。タイ科にはマダイの他に、[[クロダイ]]、[[キダイ]]、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、アカレンコなどが含まれる。さらに広義には、タイ科以外の魚でも、扁平・大型・赤っぽい[[体色]]・白身などの特徴を持つ魚には「-ダイ」と和名がついていることが多く、この場合、タイ科とは分類上遠い魚もいる<ref>[http://www.kaiseiken.or.jp/umimame/umimame47.html 海の豆知識 Vol.47タイ]公益財団法人[[海洋生物環境研究所]]</ref>。[[アマダイ]]、[[キントキダイ]]、[[イシダイ]]などはタイ科と同じスズキ亜目だが、[[エボシダイ]]などはスズキ目の別亜目、[[キンメダイ]]、[[アコウダイ]]、[[マトウダイ]]などは目のレベルでちがう魚である。このように和名にタイと名のついた魚は200種以上もいる{{refnest|group="注釈"|name="rekisi"|『[[万葉集]]』では、鯛とはマダイただ一種を指していたが、江戸時代([[1855年]]:安政2年)にはタイと呼ばれる魚を86種紹介する書籍が著され、さらに昭和期([[1943年]])の書籍では235種を数えた<ref>[http://www.muse-tokai.jp/publish/umihaku/2002/v32n1p4.html 『海のはくぶつかん』:Vol.32 No.1 p.4-5][[鈴木克美 (魚類学者)|鈴木克美]]、東海大学社会教育センターweb</ref>。}}。 極端な場合には[[淡水魚]]の[[ティラピア]]を、その学名ティラピア・ニロチカから「チカ鯛」などと命名したり、「イズミダイ」と称して販売されていたこともあった。こうしたものは「あやかりタイ」などと揶揄される。 == 料理 == [[File:Thai grilling fish with salt,Katori-city,Japan.JPG|thumb|鯛の塩焼き]] [[Image:Sashimi-dish Red seabream01.jpg|thumb|タイの姿造り、日間賀島の民宿にて]] [[File:Sparidae、鯛 DSCF1202.JPG|thumb|[[縁起物]]として[[正月]]に供されるタイ]] [[日本]]では非常に馴染みの深い魚で、赤い色がめでたいとして、お祝いの席でよく出る。そのため[[七福神]]の一人[[えびす|恵比須]]は釣竿で鯛を釣り上げた姿をしている。[[神道]]では重要な地位を占めており、[[冠婚葬祭]]等の[[祭礼]]に欠かせない。考古資料として[[縄文時代]]から鯛の骨が出土しており、日本列島では古来より重要な食用魚だったと思われる。 海域に生息する鯛は、[[刺身]]、[[昆布締め]]、[[焼き魚|塩焼き]]、[[煮る|煮付け]]、蒸し焼き、[[干物]]、[[蒲鉾]]、混ぜご飯など様々に調理される。食通の間では、唇の肉や頬肉、カマ(胸びれのつけ根)などが特に好まれている。表面が非常に頑丈な鱗で覆われており、ひれのトゲが固く危険であることから、さばくのに苦労を要し、家庭で調理する場合は購入する鮮魚店で予めさばいてもらう事がある。さばかない一匹まるごとの状態は「尾頭付き」と呼ばれ、奉納と言った神事や結婚式等の慶事で使われる。 さらに[[江戸時代]]になると、魚は専ら海のものが食され、[[徳川将軍家|将軍家]]でも鯛が喜ばれたため「大位」と当て字をされもてはやされた(当時、海から遠い[[京都]]では[[コイ|鯉]]が宮中で食され「高位」などと呼ばれていた)。 鯛の頭部を用いた料理に「[[兜煮]]」がある<ref name="岡島">{{cite journal|author=岡嶋隆司|title=真鯛頭部の解体方について-解体手順と調理法の推定-|journal=動物考古学|volume=第21号|publisher=動物考古学研究会|year=2004|page=92}}</ref>。「兜煮」の[[調理]]に際して鯛頭部を縦に切断することを「梨割」と呼び、梨割は「兜割」とも呼ばれる{{R|岡島}}。一方で「兜煮」「兜割」の呼称は江戸時代の[[料理書]]に見られないことや、「兜を割る」が[[武家|武家社会]]において[[縁起]]の悪い表現であるとする観点から、「兜煮」「兜割」の呼称は[[明治]]以降のものとする説もある{{R|岡島}}。 === タイをよく用いる料理 === * [[鯛味噌]] * [[鯛めし]] * 南予風鯛飯 - 鯛[[山かけ]]ご飯 * 中華風刺身(魚生) * [[カルパッチョ]] * [[兜煮]] * [[潮汁]] * 小鯛[[笹寿司]] * 塩竈焼き * [[八喜鯛]] * アラ炊き(アラ煮) * [[霜降り造り]] - 鯛の皮を松の木の表皮に見立て、「松皮造り」と呼ばれる。 == 知性 == * 鯛の仲間(スズキ目)は魚類では知能が高く、特にイシダイは[[水族館]]では存在感を持ち何処の水族館でも会うことができる。マダイの稚魚も好奇心が強く、顔見知りのダイバー近くに寄ってくる事がある<ref>岡村収・尼岡邦夫監修『山渓カラー名鑑 日本の海水魚』1997年 山と渓谷社 ISBN 4635090272</ref>。 == 文化 == ; 県の魚 :[[千葉県]]では鯛、[[愛媛県]]では[[マダイ]]をそれぞれ県の魚に指定している。 ; ことわざ :「[[海老]]で鯛を釣る」「鯛の尾より[[イワシ|鰯]]の頭」「腐っても鯛」などのことわざがある。また、「鯛や[[ヒラメ]]の舞い踊り」など、鯛は魚類の代表格として扱われていることがわかる。 ; 言葉 : [[タイ焼き]]、タイツリソウ([[ケマンソウ]]の別名)など、鯛にまつわる言葉は多い。 [[File:Tai of Tai 001.jpg|thumb|鯛の鯛]] ; [[鯛の鯛]] :[[肩甲骨]]と[[烏口骨]]の二つが繋がって出来た魚様の骨のことを「鯛の鯛」、「鯛中鯛(たいちゅうのたい)」などと呼ぶ。この骨は[[胸鰭]]を支えたり、動かしたりするのに使われ、種類ごとに形が異なるので、近縁の魚を分類するときにも利用される。この魚様の骨は古くは江戸時代の書物の中に「鯛中鯛」として紹介されている。他の魚にも同様の骨はあるが、なかでもマダイの物が古来より形が美しいとされ珍重された。この骨を肌身離さず持ち歩くと金運が豊かになるなどという言い伝えがあり、また縁起物として収集の対象となることもある。 :また、鯛の鯛以外にも大龍、小龍、鯛石、三つ道具、鍬形、竹馬、鳴門骨、鯛の福玉と呼ばれる骨をまとめて「鯛の九つ道具」と呼び、すべてを揃えれば物に不自由なく福禄を得るという<ref>[[大場秀章]](編)『東大講座 すしネタの自然史』 日本放送出版協会 2003年 ISBN 4140808276 pp.133-135.</ref>。 : 以下に残る8つを概説する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.suikei.co.jp/gyoshoku/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AB%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8F%E2%99%AA%E7%A6%8F%E6%8E%A2%E3%81%97%E3%80%8C%E9%AF%9B%E3%81%AE%EF%BC%99%E3%81%A4%E9%81%93%E5%85%B7%E3%80%8D/|title=Vol.22 スローに楽しく♪福探し「鯛の9つ道具」|work=魚食にっぽん|website=日刊水産経済新聞|publisher=株式会社水産経済新聞社|accessdate=2018-06-27}}</ref>。 :; 大龍(だいりゅう) :: 頭の骨の一部。眉間にある部分の俗称。体にある部分は細長い。 :; 小龍(しょうりゅう) :: 尾骨の下部にあり、関節を外して抜き取れる、龍の角に似た細い骨。 :; 鯛石(たいせき) :: [[耳石]]のこと。 :; 三つ道具(みつどうぐ) :: 頭と背ビレの間にある3本の骨のこと。それぞれ、「[[鍬]](くわ)」「[[鎌]](かま)」「[[熊手]](くまで)」とも呼ばれる。 :; 鍬形(くわがた) :: [[兜]]の立物(鍬形(くわがた))に似ている形状から。 :; 竹馬(ちくば) :: 馬の頭に似た形状から。 :; 鳴門骨(なるとぼね) :: 尻ビレ近くの[[血管棘]]が肥大した状態。[[鳴門の渦潮]]を泳ぐことから鳴門骨が発達するとも言われるが、地域性は無い。 :; 鯛の福玉(たいのふくだま) :: 口腔部に潜む寄生虫([[ウオノエ科|タイノエ]])。 [[ファイル:Special Natural Monument, the habitat of Pagrus major, TAINOURA.JPG|right|thumb|300px|海面に浮上した真鯛の群れ。特別天然記念物 [[鯛の浦|鯛の浦タイ生息地]](千葉県)にて。<small>(2011年10月10日撮影)</small>]] ; 安房の[[鯛の浦]] : [[1222年]]、今の[[千葉県]][[安房郡]]で[[日蓮]]が生誕した時、鯛が深海から海岸まであがってきて群れ泳いだという言い伝えがあり、その地を鯛の浦と呼んでいる。今でもその地区では、鯛を禁漁にして投げ餌をし、大切にしている。 ; [[落語]]の「鯛」 : 料理屋の[[生簀]]に捕まった鯛の物語。主人公の鯛が生簀の中で20年も無事だった鯛「ぎんぎろ」から生簀の中でなんとか長生きする方法を学ぶ。 ; 唐津くんちの曳山 : [[佐賀県]][[唐津市]]で行われる[[唐津くんち]]の五番曳山([[1845年]]製作)は鯛をモチーフとしており、現存する14台の中でも唐津くんちを代表する曳山となっている。 ; 豊浜鯛まつり : [[豊浜鯛まつり]]は[[愛知県]][[知多郡]][[南知多町]]で毎年7月に行われる祭り。大小の張りぼての鯛5匹が町内や海を練りまわる。 ; 献上品 : [[江戸時代]]、各大名が幕府へ献上する食品の中で、鯛が盛んに活用されており、[[1762年]]の宝暦武鑑によれば88の大名が干鯛を献上している。活鯛も非常に用いられ、江戸城活鯛納制という組織ができ、[[生簀]]船などにより調達網が整えられていた<ref>{{Cite book|和書|author=江後迪子|authorlink=江後迪子|year=1999 |title=隠居大名の江戸暮らし |page=130 |publisher=吉川弘文館 |isbn=4-642-05474-X }}</ref>。 ; [[祝儀|祝い鯛]](鯛細工) :[[越中]]・[[越後]]で古くから作られている祝儀用贈答品。[[蒲鉾]]のものと[[生菓子]](紅白の煉切餡)タイプの二種類があるが、いずれも鯛の[[左]]側がデザインされる。 == 主な「鯛」 == === スズキ亜目 === *[[タイ科]] - [[ミナミクロダイ]]・[[タイワンダイ]]・[[キダイ]]・[[チダイ]]・[[マダイ]]・[[クロダイ]]・[[ヘダイ]] *[[テンジクダイ科]] - [[テンジクダイ]] *[[アマダイ科]] - [[アマダイ#日本近海産のおもな種類|アカアマダイ]] *[[シキシマハナダイ科]] *[[チョウチョウウオ科]] - [[ゲンロクダイ]]・[[トノサマダイ]]・[[ハタタテダイ]] *[[タカノハダイ科]] - [[タカノハダイ]] *[[スダレダイ科]] - [[スダレダイ]]・[[マンジュウダイ]] *[[ミハラハナダイ科]] *[[アオバダイ科]] *[[イサキ科]] - [[セトダイ]]・[[コショウダイ]] *[[フエフキダイ科]] - [[フエフキダイ]]・[[メイチダイ]] *[[マツダイ科]] *[[フエダイ科]] - [[ゴマフエダイ]]・[[フエダイ]]・[[ハマダイ]]・[[ヒメダイ]]・[[センネンダイ]] *[[キツネアマダイ科]] *[[イトヨリダイ科]] - [[イトヨリダイ]] *[[アゴアマダイ科]] *[[イシダイ科]] - [[イシダイ]]・[[イシガキダイ]] *[[キントキダイ科]] - [[キントキダイ]] *[[キンチャクダイ科]] - [[キンチャクダイ]] *[[スズメダイ科]] - [[スズメダイ]] *[[クロホシマンジュウダイ科]] - [[クロホシマンジュウダイ]] *[[カゴカキダイ科]] *[[カワリハナダイ科]] *[[カワビシャ科]] - [[ツボダイ]] *[[ニザダイ科]] - [[ニザダイ]] *[[ブダイ科]] - [[ブダイ]] *[[イボダイ亜目]] **[[オオメメダイ科]] **[[イボダイ科]] - [[イボダイ]]・[[メダイ属]] **[[エボシダイ科]] - [[エボシダイ]] **[[ドクウロコイボダイ科]] === スズキ目以外 === *[[キンメダイ目]] - [[キンメダイ]]・[[イットウダイ]]・[[ヒウチダイ]] *[[カサゴ目]] - [[アコウダイ]] *[[マトウダイ目]] - [[マトウダイ]]・[[ヒシダイ]] == 注釈 == {{Reflist|group="注釈"}} == 脚注 == <references/> {{DEFAULTSORT:たい}} [[Category:タイ科|*]] [[Category:白身魚]] [[Category:刺身]] [[Category:寿司種]] [[Category:千葉県の象徴]] == 外部リンク == * [https://www.bimikyushin.com/chapter_8/ref_08/tai.html 鯛] 美味求真 * [https://www.bimikyushin.com/chapter_8/ref_08/tai_book.html 鯛百珍料理秘密箱] 美味求真
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Microsoft Office
Microsoft Office(マイクロソフト オフィス)は、マイクロソフトのオフィススイートである。 Microsoft Office は、単体ソフトウェアとしては1983年5月にMulti-Tool Wordの名前でXENIX向けに発売されたのが最初で、オフィススイートとして複数のソフトウェアがセットになった状態で発売されたのは1989年6月にMacintosh(Mac)向けが最初である。この時点でWord、Excel、PowerPointが含まれていた。Windows向けに発売したのは1990年10月である。日本語版が用意されたのは、Office for Mac 4.2とOffice 3.0(日本ではOffice 1.0として発売)からである。 現在は日本市場の需要として従来からの買い切り方式(一度買うと永年使えるがバージョンアップしたい時は再購入)とサブスクリプション方式(1か月単位で料金を支払わなければならないがバージョンアップは無料)の2種類でサービス提供されている。後者はMicrosoft 365(旧称Office 365)と呼ばれる。 製品名はOffice 95以前はバージョンをそのまま名称としていたが、Office 95からは販売開始された年としている。ただし、Office XPはその例外となった。また、コードネームは一貫して「Office *(*にはメジャーバージョン番号が入る)」が使われている。Office 95以降の節では見出しにコードネームを用いる。 バージョン13は忌み数を考慮したため、バージョン14となった。 法人向けにサブスクリプション方式でクラウド機能を強化した「Office 365 Business」として2011年6月28日サービス開始した。個人ユーザー向けのサービス開始は次バージョンにずれ込んでいるため下記参照の事。個人でもOffice 365サービスは付属しないが「Office 365 Business」を主に販売代理店で契約することができる(2018年ごろに家電量販店でも販売開始)。 Office 2016以降、2021に至るまで内部バージョンは16のまま据え置かれている。 Microsoftはこの製品のLinux版を提供していないため、Linux上でMicrosoft Officeを動作させるには、Wineが必要になる。2016年12月現在、Office 2013(32bit)およびそれ以前のバージョンはおおむね動作する。Office2016(32bit)も大幅に改善している。しかしながら、Wineの以前のバージョンでないとインストーラすら動作しない場合があるほか、また.NETなどの他のWindowsのソフトウェアも一緒にインストールする必要がある場合が多い。手っ取り早くこの問題に対処するには、PlayOnLinuxを用いて、開発者により良好な動作が確認されたインストールの手順を自動的に再現させる方法がある。このほか、SharePoint Designerなど、利用者の少ないアプリケーションにはそもそも動作確認がほとんどされていないものもあるので注意が必要。Microsoft Officeの64Bit版(バージョン・エディション問わず)をLinux上でインストールならびに動作させる方法は2016年12月現在、対応するバージョンのWindowsのライセンスを取得して、 Windows仮想マシンにWindowsをインストールするしかない。 これらの各種ソフトウェアをそれぞれのエディション、つまり製品世代で組み合わせて「オフィススイート製品」として販売している。単体パッケージでも販売されている。一部のソフトウェアは単体パッケージのみ、あるいはボリュームライセンスのみのために、Office 2013の最上位エディションであるProfessionalでもアプリケーション単体のパッケージを追加で買わないかぎり、Microsoft Officeのアプリケーションが全種類揃うことはない。 ソフトウェア単独や統合製品として小売されているリテールパッケージ版には、新規購入パッケージと、旧バージョンや現行バージョンを含む単体パッケージやプリインストール(OEM版)からのアップグレード版パッケージの2つが提供されている。 アップグレード版の場合は、アップグレードと同時に下位エディションから上位エディションに変更することもできる。たとえばOffice 2003 PersonalからOffice Professional 2010へのアップグレードも可能である。 場合によっては、新規パッケージを購入するよりも、アップグレードの対象となる安価な単体製品とアップグレード版を購入した方が安い場合も生じる。なお、譲渡については原則1回のみ可能。アップグレード版の場合は、アップグレードの対象となる製品も合わせて譲渡しなければならない規定となっている。 Office 2016以降は(Office 365が始まったため)アップグレード版は販売されていない。 製品版の一部のエディションではアカデミック版が設定されている。Office 2013ではProfessionalのみに設定されており、一般の製品版同様、新規購入パッケージとアップグレード版パッケージがある。購入は一般的なアカデミック版と同様で、教員や学生であることを証明する書類を提示したり、FAXで送信することで購入が可能になる。 譲渡は譲渡先がアカデミック対象ユーザーに該当している場合のみ可能。 プリインストールされている(OEM版)エディションはPersonalが過半数であった。 しかし、企業や学校においてプレゼンをする機会が増えてきたため、日本ではOffice 2007においてPersonalにPowerPointを加えたOffice Personal 2007 with PowerPoint 2007が新たなプリインストール専用エディションとして登場した。さらにOffice 2010からはPersonalに替わって、PowerPointのほかにOneNoteが加わったHome and Businessがプリインストールされることが多くなった。こちらはリテール版も設定されている。また、BTOではProfessionalなどの多くのエディションが選択できる場合が多い。 いずれにしても、ソフトのみのリテール版(製品パッケージ版)よりも安く設定されているが、パソコンハードウェア本体に付属するライセンス形態のため、パソコンを譲渡する場合、ハードウェアとセットで譲渡しなければならない規定となっている。 ただし、プリインストールのOfficeを根拠に、別のパソコンへ小売されているアップグレード版のインストールが、元々のパソコンからプリインストール済みのOfficeを削除することを条件に認められており、この場合、ハードウェアとソフトウェアのライセンスは切り離されることになる。 プリインストール版は搭載されたパソコンでのみ使用可能であるが、リテール版はあるパソコンで使用しなくなれば、アンインストールした上で新しい別のパソコンで使用することができる。また、Windows用のリテール版ならば、同時使用しないという制限が加わるが、同一個人が所有し利用するパソコンで、かつ一方が携帯用である場合に限り(例・自宅のデスクトップ パソコンと携帯用ノートパソコン、あるいは自宅で使う大型ノートとネットブックを含む携帯用モバイルノート)2台までインストールできる。 Microsoft Office に関する資格として、Office 2007に対応したマイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト(Microsoft Certified Application Specialist (略称MCAS))や、Office 2003までのバージョンに対応するMicrosoft Office Specialist(略称MOS)がある。以前はMicrosoft Office User Specialist(略称MOUS)とされていた。 マイクロソフトはOSの販売も行っていることから、Microsoft OfficeはOSの改良にあわせて改良を行ったり、Microsoft Officeによる改良がOSに取り入れられる場合などがある。 Office 2000の改良点であるメニューの優先表示などの機能は、のちに販売されたWindows 2000でも採用された。また、Office 2007から採用されたリボンUIはWindows 7において付属のペイントやワードパッドに導入されるほか、一般のアプリケーションがリボンを搭載できるようAPIの公開が決定している。 アプリケーション開発者は、Visual Studio Tools for Office(以下VSTO)、Visual BasicおよびVisual C#を使用してOffice 2003以降のアプリケーションを拡張できる。 Visual Studio 2005シリーズの場合はTeam Systemエディションを購入する、MSDNサブスクリプション契約を結ぶ、あるいはVSTOを別途購入する必要があったが、Visual Studio 2008の場合、Professionalエディション以上からVSTOが標準付属するようになっている。VSTOを使用することで、Officeアプリケーション用アドインの作成、リボンUIのカスタマイズなどが行えるようになっている。 Office 97~2003に存在していた機能。 パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及する以前の1980年代後半から1990年代前半は、マイクロソフト、Apple、ロータス、コーレル、ジャストシステムなどがオフィススイートを開発・供給し、マイクロソフトのWindows 95のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、マイクロソフトのデスクトップOSであるWindowsとオフィススイートであるMicrosoft Officeをバンドルプリインストールしたパーソナルコンピュータが大量に供給され、市場シェアの面で競合製品を圧倒するようになり、デファクトスタンダードの地位を確立した。一方で、マイクロソフトはパソコンメーカーに対してバンドル契約にWordとExcelの2本セットでの添付を条件づけていたことがあり、不公正な取引にあたるとして公正取引委員会から注意を受けたことがある。 このようなマイクロソフトの販売手法は「マイクロソフトによる独占の問題」でも述べているように、独占禁止法に触れるのではないかとする人々も多く、たびたび裁判沙汰となる。 2010年代以後は、オフィススイートをクラウドサービスで無料または有料サブスクリプションで利用する形式を、Google、マイクロソフト、Apple、IBM、Zohoなどが開発供給している。 2000年代まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、クラウドサービス版で利用する形式の2種類が主要な利用形式になっている。2015年時点では、クラウドサービス版は、Google、マイクロソフト、Appleが主要な供給者として競合状態であり、デファクトスタンダードは確立していない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Microsoft Office(マイクロソフト オフィス)は、マイクロソフトのオフィススイートである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Microsoft Office は、単体ソフトウェアとしては1983年5月にMulti-Tool Wordの名前でXENIX向けに発売されたのが最初で、オフィススイートとして複数のソフトウェアがセットになった状態で発売されたのは1989年6月にMacintosh(Mac)向けが最初である。この時点でWord、Excel、PowerPointが含まれていた。Windows向けに発売したのは1990年10月である。日本語版が用意されたのは、Office for Mac 4.2とOffice 3.0(日本ではOffice 1.0として発売)からである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "現在は日本市場の需要として従来からの買い切り方式(一度買うと永年使えるがバージョンアップしたい時は再購入)とサブスクリプション方式(1か月単位で料金を支払わなければならないがバージョンアップは無料)の2種類でサービス提供されている。後者はMicrosoft 365(旧称Office 365)と呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "製品" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "製品名はOffice 95以前はバージョンをそのまま名称としていたが、Office 95からは販売開始された年としている。ただし、Office XPはその例外となった。また、コードネームは一貫して「Office *(*にはメジャーバージョン番号が入る)」が使われている。Office 95以降の節では見出しにコードネームを用いる。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", 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Windows仮想マシンにWindowsをインストールするしかない。", "title": "Linuxへの対応" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これらの各種ソフトウェアをそれぞれのエディション、つまり製品世代で組み合わせて「オフィススイート製品」として販売している。単体パッケージでも販売されている。一部のソフトウェアは単体パッケージのみ、あるいはボリュームライセンスのみのために、Office 2013の最上位エディションであるProfessionalでもアプリケーション単体のパッケージを追加で買わないかぎり、Microsoft Officeのアプリケーションが全種類揃うことはない。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ソフトウェア単独や統合製品として小売されているリテールパッケージ版には、新規購入パッケージと、旧バージョンや現行バージョンを含む単体パッケージやプリインストール(OEM版)からのアップグレード版パッケージの2つが提供されている。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "アップグレード版の場合は、アップグレードと同時に下位エディションから上位エディションに変更することもできる。たとえばOffice 2003 PersonalからOffice Professional 2010へのアップグレードも可能である。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "場合によっては、新規パッケージを購入するよりも、アップグレードの対象となる安価な単体製品とアップグレード版を購入した方が安い場合も生じる。なお、譲渡については原則1回のみ可能。アップグレード版の場合は、アップグレードの対象となる製品も合わせて譲渡しなければならない規定となっている。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "Office 2016以降は(Office 365が始まったため)アップグレード版は販売されていない。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "製品版の一部のエディションではアカデミック版が設定されている。Office 2013ではProfessionalのみに設定されており、一般の製品版同様、新規購入パッケージとアップグレード版パッケージがある。購入は一般的なアカデミック版と同様で、教員や学生であることを証明する書類を提示したり、FAXで送信することで購入が可能になる。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "譲渡は譲渡先がアカデミック対象ユーザーに該当している場合のみ可能。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "プリインストールされている(OEM版)エディションはPersonalが過半数であった。 しかし、企業や学校においてプレゼンをする機会が増えてきたため、日本ではOffice 2007においてPersonalにPowerPointを加えたOffice Personal 2007 with PowerPoint 2007が新たなプリインストール専用エディションとして登場した。さらにOffice 2010からはPersonalに替わって、PowerPointのほかにOneNoteが加わったHome and Businessがプリインストールされることが多くなった。こちらはリテール版も設定されている。また、BTOではProfessionalなどの多くのエディションが選択できる場合が多い。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "いずれにしても、ソフトのみのリテール版(製品パッケージ版)よりも安く設定されているが、パソコンハードウェア本体に付属するライセンス形態のため、パソコンを譲渡する場合、ハードウェアとセットで譲渡しなければならない規定となっている。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ただし、プリインストールのOfficeを根拠に、別のパソコンへ小売されているアップグレード版のインストールが、元々のパソコンからプリインストール済みのOfficeを削除することを条件に認められており、この場合、ハードウェアとソフトウェアのライセンスは切り離されることになる。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "プリインストール版は搭載されたパソコンでのみ使用可能であるが、リテール版はあるパソコンで使用しなくなれば、アンインストールした上で新しい別のパソコンで使用することができる。また、Windows用のリテール版ならば、同時使用しないという制限が加わるが、同一個人が所有し利用するパソコンで、かつ一方が携帯用である場合に限り(例・自宅のデスクトップ パソコンと携帯用ノートパソコン、あるいは自宅で使う大型ノートとネットブックを含む携帯用モバイルノート)2台までインストールできる。", "title": "ライセンス形態" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "Microsoft Office に関する資格として、Office 2007に対応したマイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト(Microsoft Certified Application Specialist (略称MCAS))や、Office 2003までのバージョンに対応するMicrosoft Office Specialist(略称MOS)がある。以前はMicrosoft Office User Specialist(略称MOUS)とされていた。", "title": "Microsoft Office に関する資格" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "マイクロソフトはOSの販売も行っていることから、Microsoft OfficeはOSの改良にあわせて改良を行ったり、Microsoft Officeによる改良がOSに取り入れられる場合などがある。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "Office 2000の改良点であるメニューの優先表示などの機能は、のちに販売されたWindows 2000でも採用された。また、Office 2007から採用されたリボンUIはWindows 7において付属のペイントやワードパッドに導入されるほか、一般のアプリケーションがリボンを搭載できるようAPIの公開が決定している。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "アプリケーション開発者は、Visual Studio Tools for Office(以下VSTO)、Visual BasicおよびVisual C#を使用してOffice 2003以降のアプリケーションを拡張できる。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "Visual Studio 2005シリーズの場合はTeam Systemエディションを購入する、MSDNサブスクリプション契約を結ぶ、あるいはVSTOを別途購入する必要があったが、Visual Studio 2008の場合、Professionalエディション以上からVSTOが標準付属するようになっている。VSTOを使用することで、Officeアプリケーション用アドインの作成、リボンUIのカスタマイズなどが行えるようになっている。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Office 97~2003に存在していた機能。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及する以前の1980年代後半から1990年代前半は、マイクロソフト、Apple、ロータス、コーレル、ジャストシステムなどがオフィススイートを開発・供給し、マイクロソフトのWindows 95のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、マイクロソフトのデスクトップOSであるWindowsとオフィススイートであるMicrosoft Officeをバンドルプリインストールしたパーソナルコンピュータが大量に供給され、市場シェアの面で競合製品を圧倒するようになり、デファクトスタンダードの地位を確立した。一方で、マイクロソフトはパソコンメーカーに対してバンドル契約にWordとExcelの2本セットでの添付を条件づけていたことがあり、不公正な取引にあたるとして公正取引委員会から注意を受けたことがある。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "このようなマイクロソフトの販売手法は「マイクロソフトによる独占の問題」でも述べているように、独占禁止法に触れるのではないかとする人々も多く、たびたび裁判沙汰となる。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2010年代以後は、オフィススイートをクラウドサービスで無料または有料サブスクリプションで利用する形式を、Google、マイクロソフト、Apple、IBM、Zohoなどが開発供給している。", "title": "製品の特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2000年代まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、クラウドサービス版で利用する形式の2種類が主要な利用形式になっている。2015年時点では、クラウドサービス版は、Google、マイクロソフト、Appleが主要な供給者として競合状態であり、デファクトスタンダードは確立していない。", "title": "製品の特徴" } ]
Microsoft Officeは、マイクロソフトのオフィススイートである。 Microsoft Office は、単体ソフトウェアとしては1983年5月にMulti-Tool Wordの名前でXENIX向けに発売されたのが最初で、オフィススイートとして複数のソフトウェアがセットになった状態で発売されたのは1989年6月にMacintosh(Mac)向けが最初である。この時点でWord、Excel、PowerPointが含まれていた。Windows向けに発売したのは1990年10月である。日本語版が用意されたのは、Office for Mac 4.2とOffice 3.0からである。 現在は日本市場の需要として従来からの買い切り方式(一度買うと永年使えるがバージョンアップしたい時は再購入)とサブスクリプション方式(1か月単位で料金を支払わなければならないがバージョンアップは無料)の2種類でサービス提供されている。後者はMicrosoft 365と呼ばれる。
{{出典の明記| date = 2021年3月}} {{Infobox Software | 名称 = Microsoft Office | ロゴ = <br/>[[File:Office 365 app logos.svg|300px]] | 開発元 = [[マイクロソフト]] | 初版 = {{Flagicon|USA}}{{Start date|1989}}(Mac)<br>{{Flagicon|JPN}}{{Start date|1993|06|25}}<ref>『日経産業新聞』1993年6月17日</ref> | 最新版 = 2021 | 最新版発表日 = {{Start date and age|2021|10|5}} | プログラミング言語 = [[C++]] | 対応OS = [[Microsoft Windows|Windows]] | 対応プラットフォーム = | 種別 = [[オフィススイート|オフィス スイート]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = {{Official URL}} }} {{Infobox Software | 名称 = Microsoft Office for Mac | name2 = Microsoft Office:mac | 開発元 = [[マイクロソフト]] | 最新版 = 2021 | 最新版発表日 = {{Start date and age|2021|10|5}} | プログラミング言語 = [[C++]] | 対応OS = [[macOS]] | 対応プラットフォーム = [[Mac (コンピュータ)|Mac]] | 種別 = [[オフィススイート|オフィス スイート]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = {{URL|https://www.microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/mac/microsoft-365-for-mac}} }} {{Infobox Software | 名称 = Microsoft Office for iPhone/iPad | 開発元 = [[マイクロソフト]] | プログラミング言語 = | 対応OS = [[iOS]]/[[iPadOS]] | 対応プラットフォーム = [[iPhone]]、 [[iPad]] | 種別 = [[オフィススイート|オフィス スイート]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = {{URL|https://www.microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/mobile}} }} '''Microsoft Office'''(マイクロソフト オフィス)は、[[マイクロソフト]]の[[オフィススイート]]である。 Microsoft Office は、単体ソフトウェアとしては[[1983年]][[5月]]に[[Microsoft Word|Multi-Tool Word]]の名前で[[XENIX]]向けに発売されたのが最初で、オフィススイートとして複数のソフトウェアがセットになった状態で発売されたのは[[1989年]][[6月]]に[[Macintosh]](Mac)向けが最初である。この時点でWord、Excel、PowerPointが含まれていた。[[Microsoft Windows|Windows]]向けに発売したのは[[1990年]][[10月]]である。日本語版が用意されたのは、Office for Mac 4.2とOffice 3.0(日本ではOffice 1.0として発売)からである。 現在は日本市場の需要として従来からの買い切り方式(一度買うと永年使えるがバージョンアップしたい時は再購入)と[[サブスクリプション]]方式(1か月単位で料金を支払わなければならないがバージョンアップは無料)の2種類でサービス提供されている。後者は[[Microsoft 365]](旧称Office 365)と呼ばれる。 == 製品 == === 主要なデスクトップ製品 === ; [[Microsoft Word|Word]] : [[ワープロソフト]]。アウトラインでの作業やテーマの設定などが行える。 ; [[Microsoft Excel|Excel]] : [[表計算ソフト]]。[[マクロ言語]]によって、表計算ソフトを越えた利用も可能である。 ; [[Microsoft Outlook|Outlook]] : [[Personal Information Manager|個人情報管理ソフト]]。[[電子メールクライアント]]としての機能を備えており、[[グループウェア]]の利用も強く意識されている。Mac版は[[Microsoft Outlook#Microsoft Entourage|Entourage]]という名称だったが、Office for Mac 2011からMac版もOutlookに変更された。 ; [[Microsoft PowerPoint|PowerPoint]] : [[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーション用のソフトウェア]]。 ; [[Microsoft OneNote|OneNote]] : デジタルノート。 ; [[Microsoft Access|Access]] : [[データベース]]・ソフトウェア。Windows版のみ存在し、かつてはMac版として[[Microsoft File]]という製品が存在した。 ; [[Microsoft Publisher|Publisher]] : [[デスクトップパブリッシング]](DTP)である。Windows版のみ存在する。 ; [[Microsoft OneDrive|OneDrive]] : [[Microsoft Word|Word]]や[[Microsoft Excel|Excel]]などで作成したドキュメントや写真などを保存できる[[オンラインストレージ]]サービス。 : [[Microsoft 365]]のサブスクリプションを購入することで、5GBから1TBに増やすことができる。 ; [[Microsoft Teams|Teams]] : 会議を行ったり、チャットをすることが出来る。 === その他のデスクトップ製品 === * [[Microsoft Visio|Visio]] - 作図ソフト。単体製品のみ存在する。 * [[Microsoft Project|Project]] - 工程管理ソフト。単体製品のみ存在する。 === Office server 製品 === {{Main|Microsoft Servers#Microsoft Office server 製品}} === 関連ツール === * [[Microsoft IME|Office Input Method Editor]] - [[日本語入力システム]]であり、Windows 95以降のWindowsに標準添付されているものと少し異なる仕様となっている。 === 以前に存在した製品と機能 === * [[Microsoft Office Accounting|Accounting]] - 業務会計ソフトウェア。無料版のExpressと有料版のProfessionalが存在する。単体製品のみ存在する。 * [[Microsoft PhotoDraw|PhotoDraw]] - Office 2000のみに含まれる[[写真編集]]。 * [[Microsoft Photo Editor|Photo Editor]] - Office XPまで含まれた写真編集。 * [[Microsoft Office Shortcut Bar|Shortcut Bar]] - Office XPまで含まれたプログラムランチャーソフトウェア。 * [[Microsoft Bookshelf Basic|Bookshelf Basic]] - Office XPまで含まれた統合辞書。 * [[Microsoft FrontPage|FrontPage]] - [[Webオーサリングツール|Webオーサリング]]。Office 2003まで存在した。Office 2007でSharePoint Designerに置き換わった。 * [[Microsoft Office Communicator|Communicator]] - プレゼンスの表示およびインスタントメッセージング ツール。 * [[Microsoft Office SharePoint Workspace| Microsoft SharePoint]] - [[ピアツーピア]]型ファイル共有ツール。Office 2007までのGrooveを名称変更したものである。 * [[Microsoft InfoPath|InfoPath]] - [[Extensible Markup Language|XML]] [[オーサリング]]ツール。 * [[Microsoft InterConnect|InterConnect]] - 電子名刺・情報管理ツール。 * [[Microsoft SharePoint Designer|SharePoint Designer]] - [[Webオーサリングツール]]。単体製品のみ存在する。無償ダウンロードが可能。 * [[Microsoft Office Picture Manager|Picture Manager]] - [[写真編集]]。Office 2003からPhoto Editorの置き換えとして搭載。 * [[Microsoft Virtual PC|Virtual PC]] - デスクトップ[[仮想化]]ソフトウェア。Office 2004 for Macの上位バージョンに含まれた。 * [[Microsoft クリップ オーガナイザ]] - [[クリップアート]]の整理ツール。 * [[Microsoft Office Document Imaging|Document Imaging]] - [[スキャナ]]から[[Tagged Image File Format|TIFF]]形式の画像を読み込み、閲覧するためのツール。[[光学文字認識|OCR]]機能も付属Document imagwriterは、tiffファイルを作成するための仮想プリンタドライバで、画面を印刷すると透明テキストつきtiffファイルを作成する。 * [[Live Meeting]] - [[Web会議]]。 * [[Microsoft Home Style+|Home Style+]] - 家庭向け機能拡張ツール。 == バージョン == 製品名はOffice 95以前はバージョンをそのまま名称としていたが、Office 95からは販売開始された年としている。ただし、Office XPはその例外となった。また、[[コードネーム]]は一貫して「Office *(*にはメジャーバージョン番号が入る)」が使われている。Office 95以降の節では見出しにコードネームを用いる。 === Office 95より前のバージョン === {| class="wikitable" !発売日 !製品名 !内容 !備考 |- |1989年<ref>{{cite news|last=Wildstrom|first=Stephen H.|date=3 January 2008|work=Business Week|title=Microsoft and Mac, Happy Together|url=http://www.businessweek.com/magazine/content/08_02/b4066000498753.htm|accessdate=30 October 2010|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080106081222/http://www.businessweek.com/magazine/content/08_02/b4066000498753.htm|archivedate=2008-01-06}}</ref> |Office for Mac |Word 4.0, Excel 2.2, PowerPoint 2.01, Mail 1.37 | |- |1990年11月19日<ref>{{cite news|date=November 19, 1990|newspaper=InfoWorld|title=The Microsoft Office for Windows Advertisement|url=https://books.google.co.jp/books?id=wFAEAAAAMBAJ&lpg=PA1&pg=PA50&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false|page=50}}</ref> |Office for Windows 1.0 |Word 1.1, Excel 2.0, PowerPoint 2.0 | |- |1991年3月4日<ref>{{cite news|date=March 4, 1991|newspaper=InfoWorld|title=Microsoft ships updated Office for Windows|url=https://books.google.co.jp/books?id=rlAEAAAAMBAJ&pg=PT15&redir_esc=y&hl=ja|page=16}}</ref> |Office for Windows 1.5 |Word 1.1, Excel 3.0, PowerPoint 2.0 | |- |1991年<ref name="history">{{cite web|url=http://download.microsoft.com/download/4/E/0/4E01F3E7-53CF-4744-9BBB-876F69FA1683/MacBUHistoryFS.doc|title=History of the Microsoft Macintosh Business Unit|accessdate=30 October 2010|date=August 2009|format=Microsoft Word format|publisher=Microsoft|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080625000838/http://download.microsoft.com/download/4/E/0/4E01F3E7-53CF-4744-9BBB-876F69FA1683/MacBUHistoryFS.doc|archivedate=2008-06-25}}</ref> |Office 1.5 for Macintosh |Word 4.0, Excel 3.0, PowerPoint 2.01, Mail | |- |1991年7月8日<ref>{{cite news|date=July 8, 1991|newspaper=InfoWorld|title=The Microsoft Office for Windows 1.6 Advertisement|url=https://books.google.co.jp/books?id=iVAEAAAAMBAJ&pg=PA18&redir_esc=y&hl=ja|pages=18–19}}</ref> |Office for Windows 1.6 |Word 1.1, Excel 3.0, PowerPoint 2.0, Mail 2.1 | |- |1992年8月30日<ref>{{cite news|date=31 August 1992|newspaper=InfoWorld|title=Microsoft Office now has Mail, PowerPoint|url=https://books.google.co.jp/books?id=EVEEAAAAMBAJ&pg=PA15&redir_esc=y&hl=ja|page=15}}</ref> |Office for Windows 3.0 |Word 2.0c, Excel 4.0a, PowerPoint 3.0, Mail |1993年発売のProfessional EditionでAccess 1.1追加 |- |1992年<ref name="history" /> |Office 3.0 for Macintosh |Word 5.0, Excel 4.0, PowerPoint 3.0 Mail | |- |1993年6月25日<ref>「マイクロソフト、ウィンドウズ3.1対応ソフト―パッケージを投入」『日経産業新聞』1993年6月17日、6面。</ref> |Office for Windows 1.0 |Word 5.0, Excel 4.0 |日本語版 |- |1994年1月17日<ref>[http://www.intowindows.com/microsoft-office-history-in-brief/] {{wayback|url=http://www.intowindows.com/microsoft-office-history-in-brief/|date=20120829165451|df=y}}</ref> |Office for Windows 4.0 |Word 6.0, Excel 4.0, PowerPoint 3.0 | |- |1994年3月10日<ref>「マイクロソフト、ワープロ、表計算ソフト合体―「オフィス」新バージョン」『日経産業新聞』1994年2月28日、7面。</ref> |Office for Windows 1.5 |Word 5.0, Excel 5.0 |日本語版 |- |1994年6月2日 |Office for Windows 4.3 |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.2 |Pro版のみAccess 2.0 |- |1994年7月3日 |Office for NT 4.2 |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Office Manager |Word, Excelは32ビット版 |- |1994年<ref name="infoworld_office42mac_1">{{cite news|last=Greenberg|first=Ilan|date=4 August 1994|work=InfoWorld|title=Microsoft set to unveil Office for Power Mac|url=https://books.google.co.jp/books?id=pjgEAAAAMBAJ&pg=PA21&redir_esc=y&hl=ja|page=21|accessdate=7 November 2010}}</ref> |Office 4.2 for Macintosh |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.1 | |- |1994年9月9日<ref>「マイクロソフト、「オフィス」「ワード」増産―倍の月20万本に。」『日経産業新聞』1994年10月18日、6面。</ref> |Office for Windows 4.2 |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.2 |日本語版 |- |1995年4月14日<ref>「マイクロソフト、低価格の「オフィス」「アクセス」統合版。」『日経産業新聞』1995年3月10日、6面。</ref> |Office for Windows 4.3 |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.2, Access 2.0 |日本語版 |- |1995年5月26日<ref>「マック用ソフト2種、マイクロソフトが発売へ。」『日経産業新聞』1995年4月13日、6面。</ref> |Office 4.2 for Macintosh |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.1 |日本語版、PowerPointは7月出荷 |- |1997年2月28日<ref>{{Cite web|和書|title=漢字Talk7.5.3に対応した、Macintosh対応のMicrosoft(R) Office|url=https://web.archive.org/web/19970225071456/http://www.microsoft.co.jp/info/releases/offormac.htm|website=web.archive.org|date=1997-02-25|accessdate=2021-03-12}}</ref> |Office 4.2 for Macintosh <small>漢字Talk 7.5.3対応版</small> |Word 6.0, Excel 5.0, PowerPoint 4.0, Mail 3.1, Internet Explorer 3.0 |日本語版 |} === Office 7 === {{Main|en:Microsoft Office 95}} ;Office for Windows 95(Office 95) :英語版は1995年8月24日<ref>{{cite web|first=Alan |last=Zisman |url=http://www.zisman.ca/Articles/1995/Office95.html |title=This Suite smells of success: MS Office 95 review of new features |work=Zisman.ca |date= October 1995 |accessdate=2 May 2013}}</ref>、日本語版は11月23日に発売<ref>{{Cite web|url=http://www.wincons.or.jp/view/vol18/WV-08.html|title=Windows View Vol.18|accessdate=2016-10-30|date=1995-11|publisher=Windows コンソーシアム}}</ref>。最初の完全な 32ビット版Microsoft Officeであり、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]と同日に発売された。Microsoft Binderを含んだ。Windows版のバージョン番号が統一された。 === Office 8 === {{Main|en:Microsoft Office 97|en:Microsoft Office 98 Macintosh Edition}} ;Office 97 :英語版は1996年11月19日に発表、1997年1月16日に発売<ref>{{Cite web|url=http://news.microsoft.com/1996/11/19/microsoft-office-97-released-to-manufacturing/|title=Microsoft Office 97 Released to Manufacturing {{!}} News Center|accessdate=2016-10-30|date=1996-11-19|publisher=Microsoft}}</ref>。日本語版(Pro)は1997年3月14日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1246|title=「Microsoft(R) Office 97, Professional Edition,for Windows(R)」日本語版、3月14日(金)発売 - News|accessdate=2016-10-30|date=1997-01-30|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002442/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1246|archivedate=2016-11-14}}</ref>。Officeアシスタント機能が含まれた。ユーザーインターフェイスがコマンドバーに変更された。Office製品にOutlookとPublisherが加わった。日本と韓国のみ'''Microsoft Office 97 Powered by Word 98'''も発売され、Word 98とMicrosoft IME 98などに置き換わっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1334|title=「Microsoft(R) Office 97 Powered by Word 98」 日本語版  7月10日(金)より発売開始 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=1998-06-15|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002503/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1334|archivedate=2016-11-14}}</ref>。[[Microsoft Windows NT|Windows NT 3.51]]で利用可能な最後のバージョンである。 :2002年2月でサポートが終了している。 ;Office 98 Macintosh Edition :日本語版は1998年9月4日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1361|title=「Microsoft(R) Office(TM) 98 Macintosh(R) Edition 」日本語版 9月4日(金)発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=1998-07-13|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002440/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1361|archivedate=2016-11-14}}</ref>。Mac向けでは、このバージョンでバージョン番号が統一された。Internet Explorer 4.0 for MacとOutlook Express 4.0がバンドルされた。 :2003年6月でサポートが終了している。 === Office 9 === {{Main|en:Microsoft Office 2000|en:Microsoft Office 2001}} ;Office 2000 :英語版は1999年6月7日<ref>{{cite web|title=Microsoft Office 2000, an Essential Tool For All Knowledge Workers, Is Available This Week|url=http://www.microsoft.com/en-us/news/press/1999/jun99/offlaunchpr.aspx|work=Microsoft|publisher=Microsoft|accessdate=14 June 2012|date=7 June 1999|quote=[Steve] Ballmer ... announced that Microsoft Office 2000 [will be] available in the retail channel later this week [of the 4th, ] on June 10...|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121026045817/http://www.microsoft.com/en-us/news/press/1999/jun99/offlaunchpr.aspx|archivedate=2012-10-26}}</ref>、日本語版は7月9日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1667|title=「Microsoft(R) Office 2000 」日本語版 7月9日(金)発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=1999-06-10|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004019/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1667|archivedate=2016-11-14}}</ref>。マクロにデジタル署名を組み込めるようになり、強制終了した際のファイルの修復機能を含んだ。多言語フォントを含むようになり、さらには一部で[[ライセンス認証]]を実装した。Office製品には、Project、PhotoDraw、FrontPageが新たに加わったが、Binderがこのバージョンを最後に含まれなくなった。また、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]で利用可能な最後のバージョンである。 :2009年7月でサポートが終了している。 ;Office 2001 for Mac :日本語版は2000年10月16日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1087|title=Microsoft(R) Office 2001 for Mac(R) 日本語版11月17日(金)発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2000-10-16|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004024/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1087|archivedate=2016-11-14}}</ref>。Classic Macに対応した最後のバージョンで、Office v.X発売後も併売された。Entourageが含まれたが、[[Microsoft Exchange Server|Microsoft Exchange]]への対応のためMicrosoft Outlook 2001 for Macも提供された。[[MS ゴシック]]と[[MS 明朝]]が含まれた。 :2005年12月でサポートが終了している。 === Office 10 === {{Main|en:Microsoft Office XP}} ;Office XP(Version 2002) :英語版は2001年5月31日<ref>{{cite web|url=http://news.microsoft.com/2001/05/31/office-xp-adds-new-tools-and-innovations-to-foundation-of-past-versions/ |title=Office XP Adds New Tools and Innovations to Foundation of Past Versions |publisher=Microsoft.com |date=2001-05-31 |accessdate=2013-06-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150727212112/http://news.microsoft.com/2001/05/31/office-xp-adds-new-tools-and-innovations-to-foundation-of-past-versions/|archivedate=2015-07-27}}</ref>、日本語版は6月8日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=859|title=「 Microsoft(R) Office XP 日本語版」 6月8日(金)より店頭発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2001-05-18|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002445/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=859|archivedate=2016-11-14}}</ref>。[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]と合わせるように名称が変更された。Safe Mode機能を実装した。日本語版でライセンス認証が要求される最初のバージョンである。入力ミスのためのスマートタグ機能、手書き文字認識や音声認識に対応した。標準でウィンドウ内の右側に作業ウィンドウが設けられた。Office製品にVisioが加わった。また、[[Microsoft Windows 98|Windows 98]]、[[Microsoft Windows Millennium Edition|Me]]および[[Microsoft Windows NT 4.0|NT 4.0]]で利用できる最後のバージョンのOfficeである。 :2011年7月13日限りでサポートが終了している。 ;Office v. X for Mac :日本語版は2002年1月25日に発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=214|title=Microsoft(R) Office v. X for Mac 日本語版2002年1月25日(金)発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2001-12-05|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004022/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=214|archivedate=2016-11-14}}</ref>。[[Mac OS X v10.1]]に対応した最初のバージョン。EntourageがMicrosoft Exchangeクライアントに対応した。 :2007年1月9日限りでサポートが終了している。 === Office 11 === {{Main|en:Microsoft Office 2003|en:Office 2004 for Mac}} ;Microsoft Office System 2003 :[[ボリュームライセンス]]品は英語版、日本語版とも2003年9月1日に発売。パッケージ品は英語版が2003年10月21日、日本語版が10月24日に発売<ref>{{cite web|url=http://www.microsoft.com/en-us/news/exec/steve/2003/10-21office-launch.aspx |title=Steve Ballmer Speech Transcript - Microsoft Office System Launch |publisher=Microsoft |date=2003-10-21 |accessdate=2013-06-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130921061421/http://www.microsoft.com/en-us/news/exec/steve/2003/10-21office-launch.aspx|archivedate=2013-09-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1683|title=「Microsoft(R) Office 2003 Editions」日本語版 ライセンス製品を9月1日(月)、パッケージ製品を10月24日(金)に発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2003-08-26|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004032/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1683|archivedate=2016-11-14}}</ref>。Office製品にOneNote、InfoPath、InterConnectが加わった。XMLドキュメントに対応した。また、メニューバー&ツールバーUI搭載の最後のバージョンであるほか、[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]で利用可能な最後のバージョンである。 :2014年4月9日にサポートが終了した。保証はされていないが、[[Microsoft Windows 10|Windows 10]]でもインストールおよび動作は可能である。 ;Office 2004 for Mac :2004年6月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1889|title=「Microsoft(R) Office 2004 for Mac Standard Edition」を6月18日(金)、「Microsoft Office 2004 for Mac Professional Edition」を7月23日(金) に発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2004-04-07|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004029/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1889|archivedate=2016-11-14}}</ref>。MS PゴシックおよびMS P明朝が含まれた。Office 2004 for Mac Professional Editionには[[Microsoft Virtual PC]] 2004とWindowsのライセンスがセットで含まれた。 :2012年1月10日限りでサポートが終了している。 === Office 12 === {{Main|en:Microsoft Office 2007|en:Microsoft Office 2008 for Mac}} ;the 2007 Microsoft Office system(Office 2007) :ボリュームライセンス品は2006年11月30日発売<ref>{{cite web | last =Hill | first =Brandon | title =Vista, Office 2007 Now Available for Volume Licensing | publisher =DailyTech | date= December 1, 2006 | url =http://www.dailytech.com/article.aspx?newsid=5165 | accessdate =2006-12-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160303214335/http://www.dailytech.com/article.aspx?newsid=5165|archivedate=2016-03-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=2895|title=Windows Vista(TM)、2007 Office system、Exchange Server 2007の法人および企業向けライセンス提供を発表 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2006-11-30|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002455/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=2895|archivedate=2016-11-14}}</ref>、パッケージ品は2007年1月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=2949|title=Microsoft(R) Windows Vista(TM) および2007 Office system 本日より一般・個人向けに発売開始 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2007-01-30|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114004026/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=2949|archivedate=2016-11-14}}</ref>。[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]との同時発売である。Office製品にGrooveとOffice server製品が加わった。FrontPageを廃止してSharePoint Designerに置き換えられた。Officeアシスタントはこのバージョンから廃止された。一部製品のユーザー インターフェイスがコマンドバーからFluent User Interface([[リボン (GUI)|リボン UI]])に変更された。配色の制限やExcelのスプレッドシートの制限が緩和されたほか、多くの個所に改良が施された。標準のファイル保存形式がMicrosoft Officeバイナリ ファイル形式から[[Office Open XML]]ファイル形式に変更された。Office 2007 Service Pack 2により[[OpenDocument]]形式の対応、[[XML Paper Specification|XPS]]ドキュメントと[[Portable Document Format|PDF]]ドキュメントの保存に対応した。化粧箱が紙製からVistaのパッケージと同様の素材・様式のプラスチックの箱に変更された。 :2017年10月10日にサポート終了。 ;Office 2008 for Mac :2008年1月16日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=3292|title=Microsoft(R) Office 2008 for Mac シリーズを2008 年 1 月 16 日 (水) より発売 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2007-12-05|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002450/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=3292|archivedate=2016-11-14}}</ref>。PowerPC と、新規に[[Intel Mac]]にネイティブ対応した(同時に[[PowerPC]]搭載 Macにとっては最後のバージョンでもある)。Office Open XMLに対応した。 :2013年4月9日にサポートが終了した。 === Office 14 === {{Main|en:Microsoft Office 2010|en:Microsoft Office for Mac 2011}} バージョン13は[[忌み数]]を考慮したため、バージョン14となった<ref>{{Cite web|和書|author=エリック・レイ|date=2007-02-16|url=http://www.computerworld.jp/news/sw/58333.html|title=次期Officeは2009年?――社内資料で明らかになった「Office 14」の開発ロードマップ|publisher=Computerworld.jp|accessdate=2009-05-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090513124655/http://www.computerworld.jp/news/sw/58333.html|archivedate=2009-05-13|deadlinkdate=2013-06-02}}</ref>。 ;Office 2010 :2010年6月17日発売<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/22/news051.html|title=「Office 2010」日本語版、6月17日発売 大幅値下げで普及狙う|publisher = ITmedia|date=2010-04-22|accessdate=2022-02-27}}</ref>。日本語版にのみアップグレード版も用意されている。また、初めて64ビットネイティブ版も登場した<ref>{{Cite web|和書|last=Fried|first=Ina|coauthors=湯木進悟|date=2009-04-15|url=https://japan.cnet.com/article/20391685/|title=マイクロソフト、64ビット版の「Office 14」もリリースへ|publisher=CNET Japan|accessdate=2009-05-13}}</ref>。Office Web Apps(現・[[Office Online]])は、同年6月15日に提供された。 :全製品に Fluent User Interface([[リボン (GUI)|リボン UI]])が採用され、統一された操作性が提供されるようになった。ファイルメニューが改良され、履歴の参照や印刷プレビューなどの表示が以前よりもわかりやすくなっている。IME 2010 がOfficeの正規ユーザー(Office XP以降)に無償で提供されるようになった。化粧箱が[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]のパッケージと同様の素材・様式に改められた。このバージョンから、プリインストール製品の初回起動時にもインストールはされているがプロダクトキーの入力および、[[ライセンス認証]]が必須となった(ただし、Office 2000では初回起動時にはCDキーの入力が必要でユーザー登録は任意、前バージョンのOffice Personal 2007 with PowerPoint 2007ではPersonalは初回起動時にはライセンス認証済みとなっているが、PowerPointのみプロダクトキーの入力とライセンス認証が必要だったほか、Office Personal 2007 2年間ライセンス版でもプロダクトキーの入力とインターネットのみからのライセンス認証が必要だった)。日本以外の国でリリースされたOfficeにはすでにこの仕組みが導入されていたが、本バージョンから日本国内にも導入された<ref>{{Cite web|和書|url=http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20100615/1025533/|title=Office 2010はプリインストールの仕組みが変わる――MSが注意喚起初回にプロダクトキーの入力が必要、同梱DVDの紛失に注意|accessdate=2016-06-19|date=2010-06-15|publisher=日経BP}}</ref>。{{要出典範囲|この措置は、その特殊なプロダクトキーをプロダクトキーを確認するソフトを用いて取り出すことや、レジストリのデジタルプロダクトIDの記述をコピーすることによって、無制限にインストールされてしまうという盲点を回避するための変更と思われる|date=2016年6月}}。前述の通り前バージョンまでは、メーカーがプリインストール時に、ライセンス認証が不要な(インストールした時点でライセンス認証は完了していますと出る)特殊なプロダクトキーでインストールしていたため、初回起動時は使用許諾契約書の確認のみであった。再インストールの際は、前バージョンまでと同様製品版と同じようにDVDケースの裏に記載されたプロダクトキーを用いてインストールする必要があるため、前バージョンまでと同様ライセンス認証は必須。 :[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]および[[Microsoft Windows Vista|Vista]]で利用可能な最後のバージョンである。 :2020年10月13日限りでサポート終了している。 ;Office for Mac 2011 :2010年10月27日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=3895|title=「Microsoft(R) Office for Mac 2011」の 参考価格を発表 - News Center|accessdate=2016-10-30|date=2010-09-29|publisher=日本マイクロソフト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114002500/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=3895|archivedate=2016-11-14}}</ref>。Office 2008 for Macと比べ動作速度が向上し、Office 2004 for Mac以来となるVBAが復活した。メール、[[Personal Information Manager|個人情報管理]](PIM)ソフトウェアはEntourageからOutlookに置き換えられた。この版よりWindows版と同様に[[アクティベーション]]が導入されたが、64ビットネイティブ版は提供されていない。 :2015年2月10日の更新プログラム(Version14.4.8)で[[OS X Yosemite|Yosemite]](OS X v10.10)に対応した。 :2015年10月7日の更新プログラム(Version14.5.6)で[[OS X El Capitan|El Capitan]](OS X v10.11)に対応した。 :2016年1月12日にサポート終了予定だったが、Office 2016 for Macへの移行期間を確保するため、2017年10月10日まで延長された<ref name="cw150709">[http://www.computerworld.com/article/2946187/mac-apps/microsoft-wraps-up-revamped-office-2016-for-mac.html Microsoft wraps up revamped Office 2016 for Mac] - COMPUTERWORLD・2015年7月9日</ref>。最終サポートOSは[[macOS Sierra]](macOS v10.12.6)。 ==== [[Microsoft 365|Office 365]] ==== 法人向けに[[サブスクリプション]]方式で[[クラウドコンピューティング|クラウド]]機能を強化した「Office 365 Business」として[[2011年]][[6月28日]]サービス開始した。個人ユーザー向けのサービス開始は次バージョンにずれ込んでいるため下記参照の事。個人でもOffice 365サービスは付属しないが「Office 365 Business」を主に販売代理店で契約することができる(2018年ごろに家電量販店でも販売開始)。 === Office 15 === {{Main|en:Microsoft Office 2013|Microsoft Office 365}} ;Office 2013 : [[2013年]][[2月7日]]<ref>[https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1301/15/news041.html 日本マイクロソフト、「Office 2013」の発売日をアナウンス――2月7日発売] - [[ITmedia]] PC USER_ 2013年1月16日閲覧。</ref>より発売開始。日本語版のProfessionalにのみ数量限定でアップグレード版がある。リボンUIは引き続き搭載されるが、ユーザーインターフェイスや各アプリのアイコンが[[Microsoft Windows 8|Windows 8]]のスタイルに合わせてある。Windows 8タッチ対応やクラウド対応の強化が施されており、ほぼどこでも作業が可能となる。「名前を付けて保存」や「開く」の機能改善や簡単になったファイル共有、Excelに新しい関数も追加された。Wordには新しい閲覧モードが追加され、前回終了した位置から文書を開くこともできる。ほかにも、多数の新機能が追加されているが、Windows AeroのAero Peekにてウィンドウ枠のライン表示には非対応となった。化粧箱がWindows 8のパッケージと同様の素材・様式のパッケージとなる。デザインもシンプルとなっている。 : Office 2013からライセンス形態が変更され、パッケージ版でも1つのデバイスにのみ使用が許される(当初は異なるPCへのライセンス移管すら認められなかったが、顧客からの反発を受け認めるようになった)<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/590861.html|title=Microsoft、Office 2013ライセンスのPC間移行を認める|accessdate=2016-06-19|date=2013-03-07|publisher=インプレス}}</ref>。なお日本のみ、パッケージ版1ライセンスにつき2つのデバイスでの使用が認められている<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/miura/588806.html|title=なぜ日本のOffice 2013のライセンス形態が特別なのか|accessdate=2016-06-19|date=2013-02-22|publisher=インプレス}}</ref>。ちなみにボリュームライセンス向けに提供されてきた「Standard」(Office 2010から)や「Professional Plus」のエディションは継続。 : また、このバージョンでWindows XPおよびWindows Vistaがそれぞれ非対応となり、さらにインストールに必要なCD-ROMおよびDVD-ROMなどのディスクが同梱されなくなった(一部の大手メーカー製PCの[[プリインストール]]版([[バンドル]]版も含む)にも再インストール用DVD-ROMは同梱されない[http://www.microsoft.com/ja-jp/office/2013/guide/default.aspx][https://www.microsoft.com/ja-jp/office/2013/prodinfo/default.aspx]。マイクロソフトの公式サイトにて[[Microsoft アカウント]]を作成後、別途インストール用ファイルをダウンロードした直後にそのままインストール、もしくはダウンロード後にDVD-R、USBメモリ、外付けHDDなどの各種メディアに保存する必要がある<ref group="※">ファイル容量は1GB - 3GB程度で各エディションでファイル容量が異なっている</ref>。プリインストール版とリテール製品版とも、別途有料でバックアップ用DVDを購入も可能[https://www.microsoft.com/ja-jp/office/2013/pipcsetup/pipc_media2.aspx])。プリインストール製品の初回起動時は前バージョンと違い[[HDD]]からプロダクトキーを用いてインストール。再インストールの際は、前バージョンまでと違い製品版と同じようにプロダクトキーを用いてダウンロードする必要がある(先述の通り有料のインストール用DVDもある)。 : なお「Office 2013」は正式名称ではなく通称である(各エディションには「2013」が正式名称に入る)。 : タブレットも含むwith BingにもOffice 2013がプリインストールされている機種もあるが、ARM向け[[Microsoft Windows RT|Windows RT]]には標準で搭載されている(ただし、機能が制限されている)。当初はプレビュー版を搭載し、のちに正式版がリリースされたら、 Windows Updateで無償でアップデートすることができる<ref group="※">ただし、日本市場向けの[[Microsoft Surface|Surface RTモデル]]に関しては最初から正式版が搭載されている。</ref>。 : [[2023年]][[4月11日]]限りでサポート終了予定。 ;Office Premium :[[2014年]][[10月17日]]より、日本で発売されるPCへの[[プリインストール]]専用([[OEM]]版)としてリリースされる'''日本限定'''のライセンス形態(機種によりOffice 2016などのOffice Premiumでない製品がプリインストールされたパソコンもあるが、バージョンなどにより初回起動時や再インストールの方法などが違う)。インストールにはインターネットに接続する必要がありバックアップディスクはないが、インストール後はオフラインでも使用可能。 :発売時点で最新のOfficeと同じソフトがプリインストールされており、同一のPCを使い続ける限り最新バージョンへのアップグレードが受けられる(アップグレードにはインターネットに接続する必要がある)。機種により(現在はすべての機種に)、[[Microsoft OneDrive|OneDrive]](1TB)・[[Skype]](60分/月の通話)などの1年間の利用権であるOffice 365サービス(Office Premium搭載パソコン専用)も無料で付属している<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/671255.html 【大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】Office搭載PCを3台買ったら、使えるのは3年間? それとも3TB? ~複雑な新Officeの仕組みやライセンスを解説]([[Impress Watch|PC Watch]]、2014年10月15日)</ref>(更新には1年間延長できるのを別途有料で購入する必要がある)。 :[[2018年]]をもって新規搭載されるPCはなくなっており、Office 2016に置き換えられている。 ;Office 365 :個人ユーザー向けの「Office 365 Solo」(日本のみのエディションで商用利用も可能)がPremiumと同日の2014年10月17日よりサービス開始した。契約期間は1か月単位と1年単位を選べるようになっている。契約するとプランに応じた最新のOffice製品が[[サブスクリプション方式]]として使用できるほか、プランによってはOneDriveの容量が増えたり、一般電話へのSkype通話が月60分使える。1か月(30日)に一度は[[ライセンス認証]]確認のためインターネットに接続する必要がある。 ;Office Online(旧・Office Web Apps) :''詳細は[[Office 365]]を参照''。 ;Office Mobile :''詳細は[[Office Mobile]]を参照''。 === Office 2016 === {{Main|en:Microsoft Office 2016|en:Microsoft Office 2019|Microsoft 365}} Office 2016以降、2021に至るまで内部バージョンは16のまま据え置かれている。 ;Office 2016 :2015年9月23日に発売され、当初は法人向け、および個人向けOffice 365ユーザー契約者向けに対し先行提供される<ref>[http://blogs.technet.com/b/microsoft_office_/archive/2015/09/11/admins-get-ready-for-office-2016-rollout-begins-september-22.aspx Office Blogs「9月23日よりOffice 2016 を Office 365 ユーザーに提供開始!」]([[マイクロソフト]]、2015年9月11日)</ref>。また、ボリュームライセンス契約を締結しているユーザーは同年10月1日よりボリュームライセンスサービスセンターからOffice 2016をダウンロードすることが可能となる。そして、個人向けの永続ライセンス版のOffice 2016が同年9月30日に発売された([[パッケージ]]版から[[プリペイドカード|POSAカード]]版に)。 :Office 2016でも、インストールするときに必要な「Microsoftアカウント」を取得すれば、オンラインストレージの「OneDrive」を15GB使用できるようになる。 :OEM版は個人向けと法人向けとでパッケージが違い、個人向けはネット接続が必要で、バックアップディスク(インストールされているストアアプリ版でなくデスクトップ版)は法人向けと同じくあるが作成のみで購入は不可([http://www.microsoft.com/ja-jp/office/homeuse/2016-info-difference.aspx 個人向けと法人向けの違い][http://www.microsoft.com/ja-jp/office/setup/2016pipc/setup.aspx 個人向けPIPCセットアップ方法][http://www.microsoft.com/ja-jp/office/setup/2016pipc/faq.aspx 個人向けFAQ][http://www.microsoft.com/ja-jp/office/2016/pipcsetup/pipc_setup.aspx 法人向けPIPCセットアップ方法][http://www.microsoft.com/ja-jp/office/2016/pipcsetup/pipc_faq.aspx 法人向けFAQ])。なお、以前はディスク注文が可能であったもよう[http://www.microsoft.com/ja-jp/office/2016/pipcsetup/pipc_media2.aspx]。また、Windows 10 Fall Creators Update以降のOffice 2016がプリインストールモデルでは、デスクトップアプリ版のOffice 2016でなくWindows 10のストアアプリ版のOffice 2016がプリインストールされているモデルもある。 :スタンドアロン版の(延長)サポート終了予定は2025年10月14日。 ;Office 2016 for Mac :2015年9月23日に発売され、Mac版は約5年ぶりのメジャーアップデートとなった。他のプラットフォームと統一されたコードベース<ref>{{Cite web|和書|title=(13) Erik SchwiebertさんはTwitterを使っています: 「Mac Office 2016 version 16 is now live! For the first time in over 20 years, Office is again built out of one codebase for all platforms (Windows, Mac, iOS, Android)! https://t.co/6gNdKTOEHl」 / Twitter|url=https://twitter.com/schwieb/status/954037656677072896|website=Twitter|accessdate=2021-03-12|language=ja}}</ref>とフラットなデザインが特徴で、OneDriveの連携が強化されている。2015年7月に[[Microsoft Office 365|Office 365]]契約者向けに提供が開始されており、個人向けの永続ライセンス版が同年9月30日に発売された<ref name=cw150709 />。 :永続ライセンス版は2020年10月13日にサポート終了した(延長サポート対象外)。 :2017年6月16日リリースの更新プログラム(Version15.35.0)で[[macOS High Sierra]](macOS v10.13)に暫定対応した。正式対応は9月12日リリースの更新プログラム(Version15.38.0)以降。 === Office 2019 === ;Office 2019 :2018年9月24日に発売され、当初は法人向けに先行提供される。一般向けは2019年1月22日に発売された<ref>{{Cite web|和書|url=https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1164582.html |title=日本マイクロソフト、「Office 2019」の販売を1月22日より開始 |publisher=impress watch |accessdate=2021-07-23}}</ref>。 :Office 2019はWindows、macOSで使用できるOffice 365の[[オンプレミス]]バージョンである。定期的なセキュリティと安定性の更新プログラムのみ提供される<ref>{{Cite web|和書|url=https://support.office.com/ja-jp/article/Office-2019-for-Windows-%E3%81%A8-Mac-%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%82%88%E3%81%8F%E5%AF%84%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F-FAQ-a8fed43d-4c11-404a-acc3-09eb46a3a7fb |title=Office 2019 for Windows と Mac についてよく寄せられる質問 (FAQ) |publisher=Microsoft |accessdate=2019-12-19}}</ref>。 :2016までのメインストリーム5年、延長5年、計10年のサポートポリシーが短縮され、メインストリーム5年、延長2年、計7年のサポートとなっている。この関係上、2016と同じく2025年10月14日に全サポートが終了する<ref name="support-2019-2021">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2103/08/news060.html |title=Office 2021と日本市場 永続とクラウドのはざまで |publisher=ITmedia Inc. |accessdate=2021-10-06}}</ref>。 === Office 2021 === ;Office 2021 :2021年10月5日に発売された、永続ライセンス版のOfficeである<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1355835.html |title=買い切り版Office 2021、国内価格も発表 |publisher=Impress Corporation |accessdate=2021-10-06}}</ref>。[[Microsoft Windows 11|Windows 11]]と同日のリリースとなった。 :2019よりさらにサポート期間が短縮され、延長サポートは設定されず、メインストリームの5年のみとなった<ref name="support-2019-2021" />。サポート終了日は2026年10月13日<ref>{{Cite web|和書|url=https://docs.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/ |title=Microsoft ライフサイクル ポリシー |publisher=Microsoft Corporation |accessdate=2021-10-06}}</ref>。 === サポート状況 === {{Timeline Microsoft Office for Windows}} == エディション == {| | {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;" |+Microsoft Office 95 ! !Standard !Professional |- !style="text-align:left"|Word |{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Excel |{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PowerPoint |{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Schedule+ |{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Access |{{no}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Bookshelf |{{no}}||{{yes}} |} |} {| | {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;" |+Microsoft Office 97 ! !名称なし{{ref_label|v8|1|1}} !Personal Business Edition{{ref_label|v8|2|2}} !Standard Edition{{ref_label|v8|1|1}} !Small Business Edition{{ref_label|v8|3|3}} !Small Business Edition v2{{ref_label|v8|3|3}} !Professional Edition{{ref_label|v8|1|1}} !Developer Edition{{ref_label|v8|1|1}} |- !style="text-align:left"|Word 97 |{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Excel |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Outlook 97 |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PowerPoint |{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Access |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Publisher 97 |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{no}}||{{no}} |- !style="text-align:left"|Developer Tools and SDK |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Word 98 |{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{yes}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}} |- !style="text-align:left"|Outlook 98 |{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{no}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}}||{{yes}}{{ref_label|v8|A|1}} |- !style="text-align:left"|Publisher 98 |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{no}} |} {{plainlist|style=font-size: 90%;| *{{note_label|v8|1|1}} 日本と韓国のみ、Powerd by Word 98 も発売された。Word 97 がWord 98 に、Outlook 97がOutlook 98に置き換わっている。 *{{note_label|v8|2|2}} 他に Bookshelf Basic(バージョンにより一部のエディションにも搭載)と、バージョンにより異なるが他社製品の[[ジョルダン (企業)|ジョルダン]][[乗換案内]]などが含まれた。Word と家庭向けソフトを収録した Family Package も発売された。 *{{note_label|v8|3|3}} 日本では取り扱っていない。 *{{note_label|v8|A|A}} Powerd by Word 98 パッケージに含まれるバージョン。 }} |} {| | {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;" |+Microsoft Office 2000 ! !Personal !Standard !Small Business{{ref_label|v9|1|1}} !Professional !Premium !Developer |- !style="text-align:left"|Word |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Excel |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Outlook |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PowerPoint |{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Access |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Publisher |{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|FrontPage |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PhotoDraw |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Developer Tools and SDK |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}} |} {{plainlist|style=font-size: 90%;| *{{note_label|v9|1|1}} 日本では扱っていない。 }} |} {| | {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:90%;" |+Microsoft Office XP !rowspan="2"| !Personal !Standard !Small Business{{ref_label|v10|1|1}} !Professional !Professional Special Edition !Professional with FrontPage{{ref_label|v10|2|2}} !Developer |- |Retail & OEM |Retail & VL |OEM |Retail & VL & OEM |Retail |VL |Retail & VL |- !style="text-align:left"|Word |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Excel |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Outlook |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PowerPoint |{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Access |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Publisher |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{partial|OEM 向けのみ}}||{{yes}}||{{yes}}||{{no}} |- !style="text-align:left"|FrontPage |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{partial|VL 向けのみ}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Developer 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OEM |Retail & OEM |Retail & OEM |VL{{ref_label|v15|3|3}} |VL{{ref_label|v15|3|3}} |Windows RT 標準搭載 |- !style="text-align:left"|Word |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Excel |{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|PowerPoint |{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Outlook |{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{partial|8.1以降}} |- !style="text-align:left"|OneNote |{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}} |- !style="text-align:left"|Access |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}} |- !style="text-align:left"|Publisher |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{yes}}||{{yes}}||{{no}} |- !style="text-align:left"|InfoPath |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}} |- !style="text-align:left"|Lync |{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{no}}||{{yes}}||{{no}} |- 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|- |} {{plainlist|style=font-size: 90%;| *{{note_label|v16-2019-2021|1|1}} 同一の構成のProfessional Academicが存在する。 }} |} == Linuxへの対応 == Microsoftはこの製品のLinux版を提供していないため、Linux上でMicrosoft Officeを動作させるには、[[Wine]]が必要になる。2016年12月現在、Office 2013(32bit)およびそれ以前のバージョンはおおむね動作する。Office2016(32bit)も大幅に改善している。しかしながら、Wineの以前のバージョンでないとインストーラすら動作しない場合があるほか、また[[.NET]]などの他のWindowsのソフトウェアも一緒にインストールする必要がある場合が多い。手っ取り早くこの問題に対処するには、[[PlayOnLinux]]を用いて、開発者により良好な動作が確認されたインストールの手順を自動的に再現させる方法がある。このほか、[[SharePoint Designer]]など、利用者の少ないアプリケーションにはそもそも動作確認がほとんどされていないものもあるので注意が必要。Microsoft Officeの64Bit版(バージョン・エディション問わず)をLinux上でインストールならびに動作させる方法は2016年12月現在、対応するバージョンのWindowsのライセンスを取得して、 Windows仮想マシンにWindowsをインストールするしかない<ref>[https://appdb.winehq.org/objectManager.php?bShowAll=true&bIsQueue=false&bIsRejected=false&sClass=version&sTitle=&sReturnTo=&iId=18487 WineHQ - Microsoft Office (installer only) 2010 (64 bit)]</ref><ref>[https://appdb.winehq.org/objectManager.php?bShowAll=true&bIsQueue=false&bIsRejected=false&sClass=version&sTitle=&sReturnTo=&iId=28170 WineHQ - Microsoft Office (installer only) 2013 (64 bit)]</ref><ref>[https://appdb.winehq.org/objectManager.php?bShowAll=true&bIsQueue=false&bIsRejected=false&sClass=version&sTitle=&sReturnTo=&iId=33762 WineHQ - Microsoft Office (installer only) 2016 (64-bit)]</ref>。 == ライセンス形態 == これらの各種ソフトウェアをそれぞれのエディション、つまり製品世代で組み合わせて「オフィススイート製品」として販売している。単体パッケージでも販売されている。一部のソフトウェアは単体パッケージのみ、あるいはボリュームライセンスのみのために、Office 2013の最上位エディションであるProfessionalでもアプリケーション単体のパッケージを追加で買わないかぎり、Microsoft Officeのアプリケーションが全種類揃うことはない。 === リテール版 === ソフトウェア単独や統合製品として小売されているリテールパッケージ版には、新規購入パッケージと、旧バージョンや現行バージョンを含む単体パッケージやプリインストール(OEM版)からのアップグレード版パッケージの2つが提供されている。 アップグレード版の場合は、アップグレードと同時に下位エディションから上位エディションに変更することもできる。たとえばOffice 2003 PersonalからOffice Professional 2010へのアップグレードも可能である。 場合によっては、新規パッケージを購入するよりも、アップグレードの対象となる安価な単体製品とアップグレード版を購入した方が安い場合も生じる。なお、譲渡については原則1回のみ可能。アップグレード版の場合は、アップグレードの対象となる製品も合わせて譲渡しなければならない規定となっている<ref name="jouto">[http://support.microsoft.com/kb/881457/ja ライセンス認証が完了している製品を他人に譲渡することはできますか?]</ref>。 Office 2016以降は(Office 365が始まったため)アップグレード版は販売されていない。 ==== アカデミック版 ==== 製品版の一部のエディションでは[[アカデミックパッケージ|アカデミック版]]が設定されている。Office 2013ではProfessionalのみに設定されており、一般の製品版同様、新規購入パッケージとアップグレード版パッケージがある。購入は一般的なアカデミック版と同様で、[[教員]]や[[学生]]であることを証明する書類を提示したり、[[ファクシミリ|FAX]]で送信することで購入が可能になる。 譲渡は譲渡先がアカデミック対象ユーザーに該当している場合のみ可能<ref>[http://www.microsoft.com/ja-jp/education/license/ap/faq.aspx アカデミック パック : よく寄せられる質問 (FAQ)]</ref>。 === プリインストール === [[プリインストール]]されている(OEM版)エディションはPersonalが過半数であった。 しかし、企業や学校においてプレゼンをする機会が増えてきたため、日本ではOffice 2007においてPersonalにPowerPointを加えたOffice Personal 2007 with PowerPoint 2007が新たなプリインストール専用エディションとして登場した<ref>{{Cite web|和書|date=2006-12-21|url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2923|title=「Microsoft(R) Office Personal 2007 with Microsoft Office PowerPoint(R) 2007」搭載モデルをPCメーカー各社が1月より出荷|publisher=Microsoft|accessdate=2010-10-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2006-12-21|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/21/news039.html|title=PowerPointがプリインストール対応に 1月以降、搭載PC登場|publisher=ITmedia|accessdate=2009-05-20}} </ref>。さらにOffice 2010からはPersonalに替わって、PowerPointのほかにOneNoteが加わったHome and Businessがプリインストールされることが多くなった。こちらはリテール版も設定されている。また、[[BTO]]ではProfessionalなどの多くのエディションが選択できる場合が多い。 いずれにしても、ソフトのみのリテール版(製品パッケージ版)よりも安く設定されているが、パソコンハードウェア本体に付属するライセンス形態のため、パソコンを譲渡する場合、ハードウェアとセットで譲渡しなければならない規定となっている<ref name="jouto"/>。 ただし、プリインストールのOfficeを根拠に、別のパソコンへ小売されているアップグレード版のインストールが、元々のパソコンからプリインストール済みのOfficeを削除することを条件に認められており、この場合、ハードウェアとソフトウェアのライセンスは切り離されることになる<ref>[http://support.microsoft.com/kb/881464/ja 新しく購入したコンピュータに、OEM 版 Office XP をアップグレード対象にして Office 2003 アップグレード版をインストールできますか?]</ref>。 === プリインストール版とリテール版の相違点 === プリインストール版は搭載されたパソコンでのみ使用可能であるが、リテール版はあるパソコンで使用しなくなれば、アンインストールした上で新しい別のパソコンで使用することができる。また、Windows用のリテール版ならば、同時使用しないという制限が加わるが、同一個人が所有し利用するパソコンで、かつ一方が携帯用である場合に限り(例・自宅のデスクトップ パソコンと携帯用[[ノートパソコン]]、あるいは自宅で使う大型ノートと[[ネットブック]]を含む携帯用モバイルノート)2台まで[[インストール]]できる<ref>{{Cite web|和書|date=2004-11-05|url=http://support.microsoft.com/kb/881466/ja|title=2 台以上のコンピュータにインストールできますか?|work=サポート オンライン|publisher=マイクロソフト|accessdate=2009-11-05}}</ref>。 {{節スタブ}} == Microsoft Office に関する資格 == {{Main|マイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト|Microsoft Office Specialist}} Microsoft Office に関する資格として、Office 2007に対応したマイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト('''Microsoft Certified Application Specialist''' (略称MCAS))や、Office 2003までのバージョンに対応する'''Microsoft Office Specialist'''(略称MOS)がある。以前はMicrosoft Office User Specialist(略称MOUS)とされていた。 == 製品の特徴 == === OS との協調路線 === マイクロソフトは[[オペレーティングシステム|OS]]の販売も行っていることから、Microsoft OfficeはOSの改良にあわせて改良を行ったり、Microsoft Officeによる改良がOSに取り入れられる場合などがある。 Office 2000の改良点であるメニューの優先表示などの機能は、のちに販売された[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]でも採用された。また、Office 2007から採用されたリボンUIは[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]において付属のペイントやワードパッドに導入されるほか、一般のアプリケーションがリボンを搭載できるようAPIの公開が決定している<ref>{{Cite web|和書|author=一色政彦|date=2008-11-26|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/fdotnet/dnfuture/win7office14_01/win7office14_01_02.html|title=次期Windows 7とOffice 14はどう進化するのか?|work=特集 マイクロソフトのクライアント戦略|publisher=@IT|accessdate=2009-05-20}}</ref>。 === 開発環境との連携 === アプリケーション開発者は、Visual Studio Tools for Office(以下VSTO)、[[Visual Basic]]およびVisual [[C Sharp|C#]]を使用してOffice 2003以降のアプリケーションを拡張できる<ref>[http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/d2tx7z6d(VS.80).aspx Visual Studio Tools for Office]</ref>。 [[Visual Studio]] 2005シリーズの場合はTeam Systemエディションを購入する、MSDNサブスクリプション契約を結ぶ、あるいはVSTOを別途購入する必要があったが、Visual Studio 2008の場合、Professionalエディション以上からVSTOが標準付属するようになっている。VSTOを使用することで、Officeアプリケーション用アドインの作成、リボンUIのカスタマイズなどが行えるようになっている。 === Office アシスタント === {{Main|Officeアシスタント}} Office 97~2003に存在していた機能。 === 競合ソフトとのシェア争い === {{Seealso|オフィススイート#代表的なオフィススイート}} [[パーソナルコンピュータ]]が職場や一般市民に広く普及する以前の[[1980年代]]後半から[[1990年代]]前半は、[[マイクロソフト]]、[[Apple]]、[[ロータス (ソフトウェア)|ロータス]]、[[コーレル]]、[[ジャストシステム]]などがオフィススイートを開発・供給し、[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]のリリースにより、パーソナルコンピュータが職場や一般市民に広く普及した1990年代後半以後は、[[マイクロソフト]]のデスクトップOSであるWindowsとオフィススイートである'''Microsoft Office'''を[[バンドル]][[プリインストール]]したパーソナルコンピュータが大量に供給され、市場シェアの面で競合製品を圧倒するようになり<ref>{{Cite web|和書|url=http://bcnranking.jp/award/section/soft/soft03.html|title=統合ソフト : 部門別受賞企業一覧 : 実売データに基づいてNo1メーカーを讃える BCN AWARD|accessdate=2016-06-19|publisher=BCN Inc.}}</ref>、デファクトスタンダードの地位を確立した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0507/04/news002.html|title=OpenOffice.org 2.0はMicrosoft Office代替えにふさわしいか|accessdate=2016-06-19|date=2005-07-04|publisher=ITmedia}}</ref>。一方で、マイクロソフトはパソコンメーカーに対してバンドル契約にWordとExcelの2本セットでの添付を条件づけていたことがあり、不公正な取引にあたるとして[[公正取引委員会]]から注意を受けたことがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/981124/koutori.htm|title=公正取引委員会、マイクロソフトへの勧告内容をPDFファイルで公開|accessdate=2016-06-19|date=1998-11-24|publisher=インプレス}}</ref>。 このようなマイクロソフトの販売手法は「[[Microsoft Windows#独占の問題|マイクロソフトによる独占の問題]]」でも述べているように、独占禁止法に触れるのではないかとする人々も多く、たびたび裁判沙汰となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jiten.com/dicmi/docs/m/7909.htm|title=MSの反トラスト法裁判の年表/~1997年12月31日 - マルチメディア/インターネット事典|accessdate=2016-06-19|publisher=Digital Creators Conference}}</ref>。 [[2010年代]]以後は、オフィススイートを[[クラウドコンピューティング|クラウドサービス]]で無料または有料[[サブスクリプション]]で利用する形式を、Google、マイクロソフト、Apple、IBM、Zohoなどが開発供給している。 [[2000年代]]まではオフィススイートの利用形式は、パーソナルコンピュータにバンドルプリインストールされたオフィススイートを利用する形式が主要な利用形式だったが、2010年代以後は個人としての使用・法人の業務としての利用でも、バンドルプリインストール版の利用と、クラウドサービス版で利用する形式の2種類が主要な利用形式になっている。2015年時点では、クラウドサービス版は、Google、マイクロソフト、Appleが主要な供給者として競合状態であり、デファクトスタンダードは確立していない{{要出典|date=2023年4月}}。 == 注釈 == {{Reflist|group="※"}} == 出典 == {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[Microsoft 365]] * [[Macintosh Business Unit]](通称「Mac BU」。[[Macintosh]] 向け Microsoft Office を開発している) * [[Microsoft Works]] * [[オートシェイプ]] * [[オフィススイートの比較]] * [[WPS Office]] * [[Microsoft Office Specialist]](MOS) == 外部リンク == * {{Official website|name=Microsoft Office}} 公式サイト{{Ja icon}} {{オフィススイート}} {{Microsoft Office}} {{マイクロソフト}} {{コンピュータの資格}} {{典拠管理}} [[Category:ビジネスソフト]] [[Category:オフィスソフト]] [[Category:Microsoft Office|*]] [[Category:1989年のソフトウェア]]
2003-06-08T03:54:32Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Office
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ネットニュース
ネットニュース(英: Netnews、かつてはBBS、電子会議とも)とは、インターネット上の複数のサーバで主にテキストデータを配布・保存するシステムである。電子掲示板システムと類比されることが多いが、サーバにより保持するメッセージが異なり、メッセージ群の内容が一意に定まらない点で相違がある。英語の発音上から、ネットニューズと濁らせて言う場合や、単にニュース、ニューズと言うこともある。 Usenetとネットニュースを同義と取るかどうかについては議論が分かれる。 ネットニュースメッセージの技術規格に関連するRFCは、RFC 822、RFC 1036などである。RFC 1036の後継規格は何度か提案されているが、廃案になったものが多い。 2000年代中盤からネットニュースを中継するサービスを廃止するプロバイダが増え、2010年ごろにはほぼ消滅状態になった。 ネットニュースの原型であるUsenet ([ˈjuːznɛt]) は、ワールドワイドな分散コンピュータ上の議論システムである。そのネットワークアーキテクチャ は、汎用Unix間通信 (UUCP) ダイアルアップ接続式であった。en:Tom TruscottとJim Ellisが1979年に発案し、1980年に稼働開始した。 Usenetの名称は、"users' network"の省略から来ている.。最初のUsenetグループはNET.generalであった。このグループはしばらくしてnet.generalとなった。Usenet上で最初の商業的なスパムは、移民弁護士Canter and Siegelによるグリーンカード取得サービスの広告であった。 ネットニュースは、電子メールと並んで、コンピュータネットワークの初期につくられた情報交換システムの1つである。いずれもインターネットが一般に普及する以前から存在しており、当時はUUCPで配送されていた。この経緯により、ネットニュースの記事の形式と配送方法はEメールのそれとよく似ており、UUCPの特徴であるバケツリレー式の配信を前提としたものになっている。ただし、Eメールは通常一対一のメッセージ交換に主に使われるのに対し、ネットニュースは不特定多数の利用者間の議論の場として使われる。 ネットニュースでは、話題によって異なるニュースグループが作られており、各ニュースグループの名前は「.」で区切られた階層構造を持っている。例えば、japan.comp.lang.cは、日本語で話す、コンピュータ関連の、プログラミング言語の、Cについてのニュースグループである。各階層はカテゴリとも呼ばれ、左端のカテゴリ(上記の例では japan)をトップカテゴリと呼ぶ。 ユーザーは、それぞれのトピックカテゴリの中でメッセージを投稿したり、他のユーザのメッセージを読むことができた。議題カテゴリはニュースグループと呼ばれ、それについて投稿されたメッセージは「ニュース」、または「記事」、「ポスト」と呼ばれた。ネットニュースは多くの点で電子掲示板 (BBS) と類似し、後に広く利用されたインターネットフォーラムの前身ともなった。BBSやフォーラムと同様に投稿はトピックスレッド (en) の形で議論ごとにまとめらた。違いは、投稿はサーバーに逐次方式で保管されていた点である。。最も主要な相違点は、ネットニュースには中心となるサーバーや管理者またはホスティングプロバイダが存在しない点である。 通信規約は、かつては上記の通りUUCPを利用して配送されていたが、現在ではTCP/IP上に実装されたNNTPに置き換えられている。 通常、所属する組織や契約しているプロバイダの提供するニュースサーバを通じて記事の投稿・閲覧を行う。記事を投稿する場合、まず投稿に利用したサーバにのみ記事が登録される。そのサーバは1つもしくはそれ以上の他のサーバと相互に定期的に通信を行い(配送)、記事をそれぞれで交換する。この方法により、記事はサーバからサーバへと複製され、理論上はネットワーク上の全てのサーバに届くことになる。 この方式は高速ネットワークの時代にはふさわしくないという意見もある。これは専用線がまだ高価で、ほとんどの組織が電話回線を通じてUUCP接続していた時代に作られたものだからである。 ネットニュースはコミュニケーションのあり方を変化させた。ネットニュースが普及し始めた1994年時点で、ネットニュースの利用が組織のコミュニケーションを変化させることで、組織の在り方にも影響を与えるのではないかとの期待ないしは憂慮がなされていた。本来ネットニュースは少人数のコミュニティのための電子会議場・電子掲示板として用いられるものであったが、インターネットが普及するにしたがって多数対多数のコミュニケーションに用いられるマスメディアと化していった。ネットニュースの「誰でも発言でき、その記事はそのまま配信される」という原則は、それまでのマスメディアにはない特徴であった一方で、記事のクオリティの低下という問題が発生し、「読む時間に対しての効果が低い」という欠点が生じることとなった。また、ネットニュースが利用されていた90年代の時点ではインターネットでの発言は所属・身元を明かした上で行われており、このことが発言に責任を生じさせる点が従来の日本の組織での議論と大きく異なる特性であるとされていた。 また、従来電子的コミュニケーションに関してL・スプロウルらによって伝統的コミュニケーションよりも心理的ないし社会的制約が低いため議論がよりフランクになされる一方相手の表情などの副次的な情報が伝達されないために参加者の間での争いを招きやすいと主張されていたが、実際にはネットニュースの参加者間の紛糾の原因は、多くは文化的背景や常識の相違に求められるものであったとされる。 1990年代前半はまだ家庭からのインターネット接続は厳しく、主にJUNETに接続していた研究機関や大学の研究者や学生が議論に参加していた。当時まだ非常に高価だったUNIXマシンを利用できる者のみが参加可能だったため、参加者の社会的プロフィールは比較的均一であった。 インターネットが一般に普及した1994年頃から利用者が急増し、1995年時点でfj.news.listsに流される記事だけでも一日で約1200件、約3MBに及んでいた。1995年時点で全体としてはニュースグループ数は増加・分散の傾向がある一方でアナウンス型ニュースグループの記事量は増加の停滞が始まっている。ネットニュースとWWWは同時期に一般への普及が進んだが、1996年ごろの時点では広報性の面でネットニュースが優れているとみられていた。2003年は投稿記事数は減少傾向となる一方で、1996年ごろより指摘されていた利用者の増大によるトラフィックの増大とスプール容量不足への対策など運用にかかるコストの肥大化は深刻さを増し、システムの維持・運用が困難となることが問題となった。このころサーバ間の総配送データ量は1日に250GBにも達していたが、記事の利用率は13%程度であった。その後は電子掲示板やソーシャル・ネットワーキング・サービスなどが普及し、追加のソフトのインストールや設定が必要なネットニュースはほとんど利用されなくなっている。また、スパムメッセージの巣窟と化し、議論の場としての役割を果たしていないニュースグループも少なからず存在する。2010年代に入ってからはメジャーなニュースグループであっても利用者減少によるサーバーの運用停止が相次ぎ、ほぼ消滅状態に陥っている。2013年ごろには日本国内で利用されるネットニュースサーバはほとんど見かけられなくなったとされている。その一方で2011年の東日本大震災におけるメールサーバの混乱を受けて、メールシステム障害時用の代替メッセージシステムにネットニュースプロトコルを利用することが、2013年に京都工芸繊維大学の研究者によって提案されている。 巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」では、掲示板サーバへの過負荷やトラフィック集中などが問題になり、元来P2P的なメッセージ配送システムであるネットニュースに注目が集まり、実際に2ちゃんねるとの相互接続(書き込みメッセージの交換)実験も行われた(その際、両システムのユーザ間での多少の軋轢も、メッセージ上で見受けられた)。 日本語のニュースグループのトップカテゴリとしては、「fj」、「japan」がある。 ニュースを読むには、ニュースリーダと呼ばれるソフトウェアを利用する必要がある。主なソフトでは、電子メールクライアントソフトである Microsoft Outlookや Mozilla Thunderbird がニュースリーダの機能を兼ねているほか、様々なニュースリーダが存在する。また、Netscape Navigatorなどニュース閲覧機能を搭載したwebブラウザも存在した。 ニュースサーバは配送する全ての記事を保存しなければならないため多くのディスクスペースを必要とする。そのため、記事の保存期間は通常1週間-1ヶ月程度が多い。ニュースサーバによっては数日程度のところもある。 以前は、ほとんどのプロバイダが契約者向けにニュースサーバを提供していたが、最近では設定の複雑さ・維持費の高さ・利用者減のため、ニュースサーバの提供を中止したり、または当初より提供していないプロバイダが多い。日本では、BIGLOBE、@nifty、DTI、ODN、IIJ、Yahoo! BB、au one net(旧DION)、So-net 、ぷらら、ASAHIネット、OCNなど主要プロバイダの多くがニュースサーバの提供を取り止めたか、当初から提供していない。 ニュースサーバを提供しているプロバイダでも、ニュース関連のサービスを専門のサイトに外部委託しているプロバイダもあり、また、配送するニュースグループを制限している場合がほとんどである。多くの場合制限されるのは、外国語で議論されるニュースグループや、主に実行ファイルや画像ファイルが投稿される alt.binaries 下のニュースグループである。 インターネットに接続できても利用できるニュースサーバが無いユーザーのために、ニュースサーバを提供するサービスも存在する。国内では、さくらインターネットがニュース購読サービスと称してニュースリーダーで購読するためのNNTP接続を提供していたほか、グーグル社のGoogleグループにおいて、通常のウェブブラウザ上での購読を可能にしている。ブラウザベースのものについてはニュースリーダと比べて使いやすいとは言えないものの、記事を検索するのに便利である。 メッセージ(記事)はニュースサーバに蓄積される。記事の配送はニュースサーバ間で行われる。サーバ間の配送経路は有向グラフで表される。基本的には、あるサーバに投稿された記事は、そのコピーが、そのサーバの配送先である他のサーバへと、配送される。他のサーバから配送を受けた記事も同様である。このように、配送はバケツリレー方式で行われる。 各記事にはMessage-ID:という固有の識別子が付与される。各サーバでは、すでに受け取った記事と同じMessage-ID:を持つ記事の配送の申し出を受けた時は、それを拒絶する。これにより、配送が無限ループ状態に陥るのを防いでいる(同じ記事が二重に配送される事はない)。 全ての記事が無条件に配送の対象となるわけではなく、前述のニュースグループをタグとして、配送範囲の限定なども可能である。これは、ニュースサーバ毎にサーバ管理者が設定して行う。また、投稿ユーザが個々の記事毎にDistributions:ヘッダーを指定して行う事も可能である。 サーバ内部では通常、ニュースグループの階層に対応したディレクトリに分類されて記事が蓄積される。サーバの記事蓄積容量は有限であるため、通常は、定期的に古い記事の削除が自動実行される。ユーザ向けには、記事の保存期間として説明される。 以上のように、記事の配送や管理は、全体としてみると、分散協調型システムとして行われる。 単純なユーザ投稿本文のメッセージだけでなく、ネットニュースに対する各種の制御を行う、コントロールメッセージと言うものも配送される。 ニュースグループの新設・削除、現存ニュースグループの確認や、投稿記事の削除などがある、 このようなネットニューズの様々な処理を行うソフトウェア(群)を、「ニュースシステム」と呼ぶ。伝統的や代表的なものには次の物がある。 技術的課題としては、次のようなものがある。 用語について、電子掲示板も参照。特にネットニュース特有の用語を以下に挙げる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ネットニュース(英: Netnews、かつてはBBS、電子会議とも)とは、インターネット上の複数のサーバで主にテキストデータを配布・保存するシステムである。電子掲示板システムと類比されることが多いが、サーバにより保持するメッセージが異なり、メッセージ群の内容が一意に定まらない点で相違がある。英語の発音上から、ネットニューズと濁らせて言う場合や、単にニュース、ニューズと言うこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Usenetとネットニュースを同義と取るかどうかについては議論が分かれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ネットニュースメッセージの技術規格に関連するRFCは、RFC 822、RFC 1036などである。RFC 1036の後継規格は何度か提案されているが、廃案になったものが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2000年代中盤からネットニュースを中継するサービスを廃止するプロバイダが増え、2010年ごろにはほぼ消滅状態になった。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ネットニュースの原型であるUsenet ([ˈjuːznɛt]) は、ワールドワイドな分散コンピュータ上の議論システムである。そのネットワークアーキテクチャ は、汎用Unix間通信 (UUCP) ダイアルアップ接続式であった。en:Tom TruscottとJim Ellisが1979年に発案し、1980年に稼働開始した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Usenetの名称は、\"users' 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"ネットニュースはコミュニケーションのあり方を変化させた。ネットニュースが普及し始めた1994年時点で、ネットニュースの利用が組織のコミュニケーションを変化させることで、組織の在り方にも影響を与えるのではないかとの期待ないしは憂慮がなされていた。本来ネットニュースは少人数のコミュニティのための電子会議場・電子掲示板として用いられるものであったが、インターネットが普及するにしたがって多数対多数のコミュニケーションに用いられるマスメディアと化していった。ネットニュースの「誰でも発言でき、その記事はそのまま配信される」という原則は、それまでのマスメディアにはない特徴であった一方で、記事のクオリティの低下という問題が発生し、「読む時間に対しての効果が低い」という欠点が生じることとなった。また、ネットニュースが利用されていた90年代の時点ではインターネットでの発言は所属・身元を明かした上で行われており、このことが発言に責任を生じさせる点が従来の日本の組織での議論と大きく異なる特性であるとされていた。 また、従来電子的コミュニケーションに関してL・スプロウルらによって伝統的コミュニケーションよりも心理的ないし社会的制約が低いため議論がよりフランクになされる一方相手の表情などの副次的な情報が伝達されないために参加者の間での争いを招きやすいと主張されていたが、実際にはネットニュースの参加者間の紛糾の原因は、多くは文化的背景や常識の相違に求められるものであったとされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1990年代前半はまだ家庭からのインターネット接続は厳しく、主にJUNETに接続していた研究機関や大学の研究者や学生が議論に参加していた。当時まだ非常に高価だったUNIXマシンを利用できる者のみが参加可能だったため、参加者の社会的プロフィールは比較的均一であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "インターネットが一般に普及した1994年頃から利用者が急増し、1995年時点でfj.news.listsに流される記事だけでも一日で約1200件、約3MBに及んでいた。1995年時点で全体としてはニュースグループ数は増加・分散の傾向がある一方でアナウンス型ニュースグループの記事量は増加の停滞が始まっている。ネットニュースとWWWは同時期に一般への普及が進んだが、1996年ごろの時点では広報性の面でネットニュースが優れているとみられていた。2003年は投稿記事数は減少傾向となる一方で、1996年ごろより指摘されていた利用者の増大によるトラフィックの増大とスプール容量不足への対策など運用にかかるコストの肥大化は深刻さを増し、システムの維持・運用が困難となることが問題となった。このころサーバ間の総配送データ量は1日に250GBにも達していたが、記事の利用率は13%程度であった。その後は電子掲示板やソーシャル・ネットワーキング・サービスなどが普及し、追加のソフトのインストールや設定が必要なネットニュースはほとんど利用されなくなっている。また、スパムメッセージの巣窟と化し、議論の場としての役割を果たしていないニュースグループも少なからず存在する。2010年代に入ってからはメジャーなニュースグループであっても利用者減少によるサーバーの運用停止が相次ぎ、ほぼ消滅状態に陥っている。2013年ごろには日本国内で利用されるネットニュースサーバはほとんど見かけられなくなったとされている。その一方で2011年の東日本大震災におけるメールサーバの混乱を受けて、メールシステム障害時用の代替メッセージシステムにネットニュースプロトコルを利用することが、2013年に京都工芸繊維大学の研究者によって提案されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」では、掲示板サーバへの過負荷やトラフィック集中などが問題になり、元来P2P的なメッセージ配送システムであるネットニュースに注目が集まり、実際に2ちゃんねるとの相互接続(書き込みメッセージの交換)実験も行われた(その際、両システムのユーザ間での多少の軋轢も、メッセージ上で見受けられた)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "日本語のニュースグループのトップカテゴリとしては、「fj」、「japan」がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ニュースを読むには、ニュースリーダと呼ばれるソフトウェアを利用する必要がある。主なソフトでは、電子メールクライアントソフトである Microsoft Outlookや Mozilla Thunderbird がニュースリーダの機能を兼ねているほか、様々なニュースリーダが存在する。また、Netscape Navigatorなどニュース閲覧機能を搭載したwebブラウザも存在した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ニュースサーバは配送する全ての記事を保存しなければならないため多くのディスクスペースを必要とする。そのため、記事の保存期間は通常1週間-1ヶ月程度が多い。ニュースサーバによっては数日程度のところもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "以前は、ほとんどのプロバイダが契約者向けにニュースサーバを提供していたが、最近では設定の複雑さ・維持費の高さ・利用者減のため、ニュースサーバの提供を中止したり、または当初より提供していないプロバイダが多い。日本では、BIGLOBE、@nifty、DTI、ODN、IIJ、Yahoo! BB、au one net(旧DION)、So-net 、ぷらら、ASAHIネット、OCNなど主要プロバイダの多くがニュースサーバの提供を取り止めたか、当初から提供していない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ニュースサーバを提供しているプロバイダでも、ニュース関連のサービスを専門のサイトに外部委託しているプロバイダもあり、また、配送するニュースグループを制限している場合がほとんどである。多くの場合制限されるのは、外国語で議論されるニュースグループや、主に実行ファイルや画像ファイルが投稿される alt.binaries 下のニュースグループである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "インターネットに接続できても利用できるニュースサーバが無いユーザーのために、ニュースサーバを提供するサービスも存在する。国内では、さくらインターネットがニュース購読サービスと称してニュースリーダーで購読するためのNNTP接続を提供していたほか、グーグル社のGoogleグループにおいて、通常のウェブブラウザ上での購読を可能にしている。ブラウザベースのものについてはニュースリーダと比べて使いやすいとは言えないものの、記事を検索するのに便利である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "メッセージ(記事)はニュースサーバに蓄積される。記事の配送はニュースサーバ間で行われる。サーバ間の配送経路は有向グラフで表される。基本的には、あるサーバに投稿された記事は、そのコピーが、そのサーバの配送先である他のサーバへと、配送される。他のサーバから配送を受けた記事も同様である。このように、配送はバケツリレー方式で行われる。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "各記事にはMessage-ID:という固有の識別子が付与される。各サーバでは、すでに受け取った記事と同じMessage-ID:を持つ記事の配送の申し出を受けた時は、それを拒絶する。これにより、配送が無限ループ状態に陥るのを防いでいる(同じ記事が二重に配送される事はない)。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "全ての記事が無条件に配送の対象となるわけではなく、前述のニュースグループをタグとして、配送範囲の限定なども可能である。これは、ニュースサーバ毎にサーバ管理者が設定して行う。また、投稿ユーザが個々の記事毎にDistributions:ヘッダーを指定して行う事も可能である。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "サーバ内部では通常、ニュースグループの階層に対応したディレクトリに分類されて記事が蓄積される。サーバの記事蓄積容量は有限であるため、通常は、定期的に古い記事の削除が自動実行される。ユーザ向けには、記事の保存期間として説明される。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "以上のように、記事の配送や管理は、全体としてみると、分散協調型システムとして行われる。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "単純なユーザ投稿本文のメッセージだけでなく、ネットニュースに対する各種の制御を行う、コントロールメッセージと言うものも配送される。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ニュースグループの新設・削除、現存ニュースグループの確認や、投稿記事の削除などがある、", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "このようなネットニューズの様々な処理を行うソフトウェア(群)を、「ニュースシステム」と呼ぶ。伝統的や代表的なものには次の物がある。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "技術的課題としては、次のようなものがある。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "用語について、電子掲示板も参照。特にネットニュース特有の用語を以下に挙げる。", "title": "特有の用語" } ]
ネットニュースとは、インターネット上の複数のサーバで主にテキストデータを配布・保存するシステムである。電子掲示板システムと類比されることが多いが、サーバにより保持するメッセージが異なり、メッセージ群の内容が一意に定まらない点で相違がある。英語の発音上から、ネットニューズと濁らせて言う場合や、単にニュース、ニューズと言うこともある。 Usenetとネットニュースを同義と取るかどうかについては議論が分かれる。 ネットニュースメッセージの技術規格に関連するRFCは、RFC 822、RFC 1036などである。RFC 1036の後継規格は何度か提案されているが、廃案になったものが多い。 2000年代中盤からネットニュースを中継するサービスを廃止するプロバイダが増え、2010年ごろにはほぼ消滅状態になった。
{{Otheruses|データの配布・保存システム|ニュースを掲載・提供するウェブサイト|ニュースサイト}} '''ネットニュース'''({{lang-en-short|Netnews}}、かつては'''BBS'''<ref>{{harv|奥乃|1994|p=4}}</ref>、'''電子会議'''<ref name="長谷部他2994p1">{{harv|長谷部|阪口|山本|1994|p=1}}</ref>とも)とは、[[インターネット]]上の複数の[[サーバ]]で主にテキストデータを配布・保存する[[システム]]である。[[電子掲示板]]システムと類比されることが多いが、サーバにより保持するメッセージが異なり、メッセージ群の内容が一意に定まらない点で相違がある。英語の発音上から、'''ネットニューズ'''と濁らせて言う場合や、単に'''ニュース'''、'''ニューズ'''と言うこともある。 {{lang|en|Usenet}}とネットニュースを同義と取るかどうかについては議論が分かれる。 ネットニュースメッセージの技術規格に関連する[[Request for Comments|RFC]]は、{{IETF RFC|822}}、{{IETF RFC|1036}}などである。{{IETF RFC|1036}}の後継規格は何度か提案されているが、廃案になったものが多い。 2000年代中盤からネットニュースを中継するサービスを廃止するプロバイダが増え、2010年ごろにはほぼ消滅状態になった。 == 概要 == ネットニュースの原型である'''Usenet''' ({{IPAc-en|ˈ|j|uː|z|n|ɛ|t}}) は、ワールドワイドな分散コンピュータ上の議論システムである。そのネットワークアーキテクチャ は、汎用[[Unix to Unix Copy Protocol|Unix間通信 (UUCP)]] [[ダイアルアップ接続]]式であった。[[:en:Tom Truscott]]と[[:en:Jim Ellis (computing)|Jim Ellis]]が1979年に発案し、1980年に稼働開始した<ref name="Lueg">''From Usenet to CoWebs: interacting with social information spaces'', Christopher Lueg, Danyel Fisher, Springer (2003), {{ISBN2|1-85233-532-7|978-1-85233-532-8}}</ref>。 Usenetの名称は、"users' network"の省略から来ている.<ref name="jargon" />。最初のUsenetグループは''NET.general''であった。このグループはしばらくして''net.general''となった<ref name="duke_today">{{cite web |title=Duke to shut Usenet server, home to the first electronic newsgroups |url=https://today.duke.edu/2010/05/usenet.html |first=Cara |last=Bonnett |publisher=[[Duke University]] |date= May 17, 2010|access-date=01/08/2020}}</ref>。Usenet上で最初の商業的なスパムは、移民弁護士[[:en:Laurence_Canter_and_Martha_Siegel|Canter and Siegel]]によるグリーンカード取得サービスの広告であった<ref name="duke_today" />。 ネットニュースは、[[電子メール]]と並んで、コンピュータネットワークの初期につくられた情報交換システムの1つである。いずれもインターネットが一般に普及する以前から存在しており、当時は[[Unix to Unix Copy Protocol|UUCP]]で配送されていた。この経緯により、ネットニュースの記事の形式と配送方法はEメールのそれとよく似ており、UUCPの特徴であるバケツリレー式の配信を前提としたものになっている。ただし、Eメールは通常一対一のメッセージ交換に主に使われるのに対し、ネットニュースは不特定多数の利用者間の議論の場として使われる。 ネットニュースでは、話題によって異なる[[ニュースグループ]]が作られており、各ニュースグループの名前は「{{読み|subst=2015-04|3=補助表示|<code>.</code>|ドット}}」で区切られた階層構造を持っている。例えば、<code {{lang属性|en}}>japan.comp.lang.c</code>は、[[日本語]]で話す、[[コンピュータ]]関連の、プログラミング言語の、[[C言語|C]]についてのニュースグループである。各階層は[[カテゴリ]]とも呼ばれ、左端のカテゴリ(上記の例では <code {{lang属性|en}}>japan</code>)を'''トップカテゴリ'''と呼ぶ。 ユーザーは、それぞれのトピックカテゴリの中でメッセージを投稿したり、他のユーザのメッセージを読むことができた。議題カテゴリは[[ニュースグループ]]と呼ばれ、それについて投稿されたメッセージは「ニュース」、または「記事」、「ポスト」と呼ばれた。ネットニュースは多くの点で[[電子掲示板]] (BBS) と類似し、後に広く利用された[[インターネットフォーラム]]の前身ともなった。BBSやフォーラムと同様に投稿は[[トピックスレッド]] ([[:en:Threaded discussion|en]]) の形で議論ごとにまとめらた。違いは、投稿はサーバーに逐次方式で保管されていた点である。<ref name="jargon">[http://jargon-file.org/archive/jargon-4.4.7.dos.txt The jargon file v4.4.7] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160105200447/http://jargon-file.org/archive/jargon-4.4.7.dos.txt |date=January 5, 2016 }}, Jargon File Archive.</ref><ref>[http://www.columbia.edu/~hauben/book/ch106.x03 Chapter 3 - The Social Forces Behind The Development of Usenet] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20160804110914/http://www.columbia.edu/~hauben/book/ch106.x03 |date=August 4, 2016 }}, Netizens Netbook by Ronda Hauben and Michael Hauben.</ref>。最も主要な相違点は、ネットニュースには中心となるサーバーや管理者または[[ホスティングサーバ|ホスティング]]プロバイダが存在しない点である。 通信規約は、かつては上記の通り[[Unix to Unix Copy Protocol|UUCP]]を利用して配送されていたが、現在では[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]上に実装された[[Network News Transfer Protocol|NNTP]]に置き換えられている。 通常、所属する組織や契約しているプロバイダの提供するニュースサーバを通じて記事の投稿・閲覧を行う。記事を投稿する場合、まず投稿に利用したサーバにのみ記事が登録される。そのサーバは1つもしくはそれ以上の他のサーバと相互に定期的に通信を行い(配送)、記事をそれぞれで交換する。この方法により、記事はサーバからサーバへと複製され、理論上はネットワーク上の全てのサーバに届くことになる。 この方式は高速ネットワークの時代にはふさわしくないという意見もある。これは[[専用線]]がまだ高価で、ほとんどの組織が電話回線を通じてUUCP接続していた時代に作られたものだからである。 <!--また、[[Peer to Peer]] (P2P) のメッセージ交換システムと言う特長はさておき、[[World Wide Web|ウェブ]]上に表現された[[ニュース]]記事([[ブログ]]含む)の購読のための新しいツールとして[[RSSリーダー]]が登場しており、エンドユーザレベルから見たアプリケーションとしての存在意義には疑問符が付き始めようとしている。--> ネットニュースはコミュニケーションのあり方を変化させた。ネットニュースが普及し始めた1994年時点で、ネットニュースの利用が組織のコミュニケーションを変化させることで、組織の在り方にも影響を与えるのではないかとの期待ないしは憂慮がなされていた<ref name="佐藤佐藤96p60" /><ref name="長谷部他2994p1" />。本来ネットニュースは少人数のコミュニティのための電子会議場・電子掲示板として用いられるものであったが、インターネットが普及するにしたがって多数対多数のコミュニケーションに用いられる[[マスメディア]]と化していった<ref name="佐藤佐藤96p60">{{harv|佐藤円|佐藤理史|1996|p=420}}</ref>。ネットニュースの「誰でも発言でき、その記事はそのまま配信される」という原則は、それまでのマスメディアにはない特徴であった一方で、記事のクオリティの低下という問題が発生し、「読む時間に対しての効果が低い」という欠点が生じることとなった<ref name="佐藤佐藤96p60" />。また、ネットニュースが利用されていた90年代の時点ではインターネットでの発言は所属・身元を明かした上で行われており、このことが発言に責任を生じさせる点が従来の日本の組織での議論と大きく異なる特性であるとされていた<ref>{{harv|長谷部|阪口|山本|1994|p=4}}</ref>。 また、従来電子的コミュニケーションに関してL・スプロウルらによって伝統的コミュニケーションよりも心理的ないし社会的制約が低いため議論がよりフランクになされる一方相手の表情などの副次的な情報が伝達されないために参加者の間での争いを招きやすいと主張されていたが、実際にはネットニュースの参加者間の紛糾の原因は、多くは文化的背景や常識の相違に求められるものであったとされる<ref>{{harv|瀬尾|矢野|2000|p=52}}</ref>。 === 日本での状況 === 1990年代前半はまだ家庭からのインターネット接続は厳しく、主に[[JUNET]]に接続していた研究機関や大学の研究者や学生が議論に参加していた。当時まだ非常に高価だった[[UNIX]]マシンを利用できる者のみが参加可能だったため、参加者の社会的プロフィールは比較的均一であった。 インターネットが一般に普及した1994年頃から利用者が急増し、1995年時点でfj.news.listsに流される記事だけでも一日で約1200件、約3MBに及んでいた<ref>{{harv|小作|内元|井佐原|1997|p=22}}</ref>。1995年時点で全体としてはニュースグループ数は増加・分散の傾向がある一方でアナウンス型ニュースグループの記事量は増加の停滞が始まっている<ref>{{harv|小作|内元|井佐原|1997|p=23}}</ref>。ネットニュースとWWWは同時期に一般への普及が進んだが、1996年ごろの時点では広報性の面でネットニュースが優れているとみられていた<ref>{{harv|佐藤円|佐藤理史|1996|p=424}}</ref>{{Refnest|group="注"|{{Squote|ネットニュースには,多くの人が情報を求めて日常的にアクセスする.つまり,ネットニュースで情報を公開するということは,人目につきやすく,人々のニーズがあるところに記事を掲げるということで,読み手を得られやすい.これはいわば,駅や銀行の掲示板にメッセージを書き込むようなものである.一方,WWWで情報を公開するだけでは,人通りの少ない住宅街の家のドアに情報を張りだしたようなもので,偶然誰かが訪ねてくれないかぎり,読み手を得られない.また,読む方にとっても,一箇所に多種多様な新しい情報が集約されているという点で,ネットニュースは便利なメディアであるが,WWWでは多くのホームページを訪れて新しい情報を物色するには,膨大な時間が必要となる.これらのことから,ネットニュースは,多対多のコミュニケーション手段としては,WWWよりも効率的であるといえる.}}{{harv|佐藤円|佐藤理史|1996|p=424}}}}。2003年は投稿記事数は減少傾向となる一方で<ref>{{harv|岡田|中村|岡部|2003|p=535}}</ref>、1996年ごろより指摘されていた<ref>{{harv|渡邊|小串|近藤|1996|p=19}}</ref>利用者の増大によるトラフィックの増大とスプール容量不足への対策など運用にかかるコストの肥大化は深刻さを増し、システムの維持・運用が困難となることが問題となった<ref name="菅野曽根根元2003p535">{{harv|菅野|曽根|根元|2003|p=535}}</ref>。このころサーバ間の総配送データ量は1日に250GBにも達していたが、記事の利用率は13%程度であった<ref name="菅野曽根根元2003p535" />。その後は[[電子掲示板]]や[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]などが普及し、追加のソフトのインストールや設定が必要なネットニュースはほとんど利用されなくなっている。また、[[スパム (メール)|スパム]]メッセージの巣窟と化し、議論の場としての役割を果たしていないニュースグループも少なからず存在する。[[2010年代]]に入ってからはメジャーなニュースグループであっても利用者減少によるサーバーの運用停止が相次ぎ、ほぼ消滅状態に陥っている。2013年ごろには日本国内で利用されるネットニュースサーバはほとんど見かけられなくなったとされている<ref>{{harv|石橋|桝田|2013|p=7}}</ref>。その一方で2011年の[[東日本大震災]]におけるメールサーバの混乱を受けて、メールシステム障害時用の代替メッセージシステムにネットニュースプロトコルを利用することが、2013年に[[京都工芸繊維大学]]の研究者によって提案されている<ref>{{harv|石橋|桝田|2013|p=8}}</ref>。 巨大[[匿名掲示板]]「[[2ちゃんねる]]」では、掲示板サーバへの過負荷や[[トラヒック理論|トラフィック]]集中などが問題になり、元来P2P的なメッセージ配送システムであるネットニュースに注目が集まり、実際に2ちゃんねるとの相互接続(書き込みメッセージの交換)実験も行われた(その際、両システムのユーザ間での多少の軋轢も、メッセージ上で見受けられた)。 日本語のニュースグループのトップカテゴリとしては、「[[fj (ニュースグループ)|fj]]」、「japan」がある。 === プロバイダとネットニュース === ニュースを読むには、'''ニュースリーダ'''と呼ばれるソフトウェアを利用する必要がある。主なソフトでは、[[電子メールクライアント|電子メールクライアントソフト]]である {{lang|en|[[Microsoft Outlook]]}}や {{lang|en|[[Mozilla Thunderbird]]}} がニュースリーダの機能を兼ねているほか、様々なニュースリーダが存在する。また、{{lang|en|[[Netscape Navigator (ネットスケープコミュニケーションズ)|Netscape Navigator]]}}などニュース閲覧機能を搭載したwebブラウザも存在した<ref>{{harv|天野|1997|p=21}}</ref>。 ニュースサーバは配送する全ての記事を保存しなければならないため多くのディスクスペースを必要とする。そのため、記事の保存期間は通常1週間-1ヶ月程度が多い。ニュースサーバによっては数日程度のところもある。 以前は、ほとんどのプロバイダが契約者向けにニュースサーバを提供していたが、最近では設定の複雑さ・維持費の高さ・利用者減のため、ニュースサーバの提供を中止したり、または当初より提供していないプロバイダが多い。日本では、{{lang|en|[[BIGLOBE]]}}、{{lang|en|[[@nifty]]}}、[[ドリーム・トレイン・インターネット|DTI]]、[[ODN]]、[[インターネットイニシアティブ|IIJ]]、{{lang|en|[[Yahoo! BB]]}}、{{lang|en|[[au one net]]}}(旧DION)、{{lang|en|[[So-net]]}} 、[[ぷらら]]、[[ASAHIネット|{{lang|ja-Latn|ASAHI}}ネット]]、[[OCN]]など主要プロバイダの多くがニュースサーバの提供を取り止めたか、当初から提供していない。 ニュースサーバを提供しているプロバイダでも、ニュース関連のサービスを専門のサイトに外部委託しているプロバイダもあり、また、配送するニュースグループを制限している場合がほとんどである。多くの場合制限されるのは、外国語で議論されるニュースグループや、主に[[実行ファイル]]や画像ファイルが投稿される <code {{lang属性|en}}>alt.binaries</code> 下のニュースグループである。 インターネットに接続できても利用できるニュースサーバが無いユーザーのために、ニュースサーバを提供するサービスも存在する。国内では、[[さくらインターネット]]がニュース購読サービス<ref>[https://web.archive.org/web/20110325043443/http://www.sakura.ad.jp/services/other/news_subscription/ さくらインターネット - ニュース購読](2011年3月25日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>と称してニュースリーダーで購読するためのNNTP接続を提供していたほか、グーグル社の[[Googleグループ|{{lang|en|Google}}グループ]]において、通常の[[ウェブブラウザ]]上での購読を可能にしている。ブラウザベースのものについてはニュースリーダと比べて使いやすいとは言えないものの、記事を検索するのに便利である。 ==技術== ===基礎=== メッセージ(記事<ref>{{lang-en-short|article}}</ref>)はニュースサーバに蓄積される。記事の配送<ref>{{lang-en-short|feed}}</ref>はニュースサーバ間で行われる。サーバ間の配送経路は[[グラフ理論|有向グラフ]]で表される。基本的には、あるサーバに投稿された記事は、そのコピーが、そのサーバの配送先である他のサーバへと、配送される。他のサーバから配送を受けた記事も同様である。このように、配送はバケツリレー方式で行われる。 各記事には<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>という固有の識別子が付与される。各サーバでは、すでに受け取った記事と同じ<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>を持つ記事の配送の申し出を受けた時は、それを拒絶する。これにより、配送が[[無限ループ]]状態に陥るのを防いでいる(同じ記事が二重に配送される事はない)。 全ての記事が無条件に配送の対象となるわけではなく、前述の[[ニュースグループ]]をタグとして、配送範囲の限定なども可能である。これは、ニュースサーバ毎にサーバ管理者が設定して行う。また、投稿ユーザが個々の記事毎に<code {{lang属性|en}}>Distributions:</code>ヘッダーを指定して行う事も可能である。 サーバ内部では通常、ニュースグループの階層に対応した[[ディレクトリ]]に分類されて記事が蓄積される。サーバの記事蓄積容量は有限であるため、通常は、定期的に古い記事の削除<ref>{{lang-en-short|expire}}</ref>が自動実行される。ユーザ向けには、記事の保存期間として説明される。 以上のように、記事の配送や管理は、全体としてみると、分散協調型システムとして行われる。 ===コントロールメッセージ=== 単純なユーザ投稿本文のメッセージだけでなく、ネットニュースに対する各種の制御を行う、コントロールメッセージと言うものも配送される。 ニュースグループの新設<ref>{{lang-en-short|newgroup}}</ref>・削除<ref>{{lang-en-short|rmgroup}}</ref>、現存ニュースグループの確認<ref>{{lang-en-short|checkgroups}}</ref>や、投稿記事の削除<ref>{{lang-en-short|cancel}}</ref>などがある、 ===ソフトウェア=== このようなネットニューズの様々な処理を行うソフトウェア(群)を、「ニュースシステム」と呼ぶ。伝統的や代表的なものには次の物がある。 *{{lang|en|B News}} *{{lang|en|C News}} *INN *{{lang|en|Diablo}} ===課題=== 技術的課題としては、次のようなものがある。 *サーバの管理の煩雑さ、特に蓄積保持容量の超過を主な原因とする、記事配送の停滞 *記事配送の停滞による配送の欠落が、他の多くのサーバに波及拡大する *あるサーバからの投稿記事が他の全てのサーバへと配送の欠落・記事の欠落無く到達することは保証されない *記事の到達順序も保証されない(投稿の時系列にならない) *欠落した記事の再送リクエストをする手段がない(標準的には実装されない) *悪意を持った不正使用・攻撃に弱い ==特有の用語== 用語について、[[電子掲示板]]も参照。特にネットニュース特有の用語を以下に挙げる。 ;<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code> :投稿文(メッセージ)についている識別記号のことで、「<code>&lt;[email protected]&gt;</code>」といったような記号列である。ネットニュースでは、参加者によってニュースサーバが異なるので、投稿を特定するのに「何番の投稿」というような特定の仕方は意味をなさない。それに対して、<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>は、ニュースサーバが異なっていても投稿が同じものであれば、同じ<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>となる。このため投稿を引用したり、出典を明記するときに、<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>を記載することが多い。また、ニュースリーダーの多くは、フォローするときに、自動的に<code {{lang属性|en}}>References</code>ヘッダーに<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>を追記していく。ニュースリーダーは、<code {{lang属性|en}}>References:</code>ヘッダーの<code {{lang属性|en}}>Message-ID:</code>の並びを元に、スレッド表示を行うことができる。 ;{{lang|en|expire}} :投稿が一定期間経過後、ニュースサーバから自動削除されること。 ;配送、{{lang|en|feed}} :ネットニュースにおいては、投稿があると投稿のあったニュースサーバから別のニュースサーバに記事がコピーされ、そこからさらに別のニュースサーバにコピーされ…、という仕組みで、投稿が世界中のニュースサーバに広がっていく。このことを'''配送'''または{{lang|en|feed}}という。 ;{{lang|en|path}} :投稿が配送されたニュースサーバの経路のこと。{{lang|en|path}}ヘッダーに「<code>!</code>」で区切られて記載されている。 ;クロスポスト :[[クロスポスト]]を参照。マルチポストに似ているが、ネットニュースでは内容に関連する数グループ程度までのクロスポストなら、あまり問題にならない。クロスポストグループが多すぎる場合には、ECP<ref>{{lang-en-short|excessive cross post}}</ref>として[[スパム (メール)|スパム]]扱いされることがある。 == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Cite journal |和書 |author = 天野修 |title = ニュースグループとメールグループ |date = 1997-02 |publisher = 金沢大学 |journal = KUIPC |volume = 20 |issue = 1 |pages = 20-25 |ref = {{SfnRef|天野|1997}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 石橋由子 |author2= 桝田秀夫 |title = ネットニュースシステムを使った電子メール型メッセージングサービスの提案 |date = 2013-03 |publisher = 電子情報通信学会 |journal = 電子情報通信学会技術研究報告. SITE, 技術と社会・倫理 |volume = 112 |issue = 488 |pages = 7-11 |ref = {{SfnRef|石橋|桝田|2013}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 岡田健一 |author2 = 中村素典 |author3= 岡部寿男 |title = 公共サービスとしてのネットニュース配送網の設計と運用 |date = 2003 |journal = 分散システム/インターネット運用技術シンポジウム2003論文集 |volume = 2003-01 |pages = 1-6 |ref = {{SfnRef|岡田|中村|岡部|2003}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 奥乃博 |title = 一人工知能研究者のインターネット活用法 |date = 1994-11 |publisher = 人工知能学会 |journal = 人工知能学会誌 |volume = 9 |issue = 6 |pages = 793-798 |ref = {{SfnRef|奥乃|1994}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 小作浩美 |author2 = 内元清貴 |author3= 井佐原均 |title = 知的ニュースリーダが対象とする対話型ネットニュースの特徴 |date = 1997-01 |publisher = 情報処理学会 |journal = 情報処理学会研究報告自然言語処理(NL) |volume = 1997 |issue = 4 |pages = 21-28 |ref = {{SfnRef|小作|内元|井佐原|1997}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 菅野浩徳 |author2 = 曽根秀昭 |author3 = 根元義章 |title = デマンド型ネットニュース配送方式におけるトラヒックのモデル化とレスポンスタイム評価 |date = 2003-03 |publisher = 情報処理学会 |journal = 情報処理学会論文誌 |volume = 44 |issue = 3 |pages = 535-543 |ref = {{SfnRef|菅野|曽根|根元|2003}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 佐藤円 |author2 = 佐藤理史 |title = ネットニュースとニュースダイジェスト自動生成 |date = 1996-09 |publisher = 日本コンピュータソフトフェア科学会 |journal = コンピュータソフトウェア |volume = 13 |issue = 5 |pages = 420-425 |ref = {{SfnRef|佐藤円|佐藤理史|1996}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 瀬尾雄三 |author2 = 矢野正晴 |title = ネットニュース参加者間の対立の定量的分析 |date = 2000-12 |publisher = 国立情報学研究所 |journal = NII journal |volume = 1 |pages = 51-62 |ref = {{SfnRef|瀬尾|矢野|2000}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 長谷部紀元 |author2 = 阪口哲男 |author3 = 山本毅雄 |title = 電子会議の利用による組織内情報流通の変化 |date = 1994-10 |publisher = 情報処理学会 |journal = 情報処理学会研究報告情報システムと社会環境(IS) |volume = 1994 |issue = 89 |pages = 1-6 |ref = {{SfnRef|長谷部|阪口|山本|1994}} }} *{{Cite journal |和書 |author = 渡辺健次 |author2 = 小串英俊 |author3 = 近藤弘樹 |title = 読まれているニュースグループのみ自動的に購読するニュースシステムの構築 |date = 1996-07 |publisher = 情報処理学会 |journal = 情報処理学会研究報告インターネットと運用技術(IOT) |volume = 1996 |issue = 64 |pages = 19-24 |ref = {{SfnRef|渡辺|小串|近藤|1996}} }} ==関連項目== *[[Fj (ニュースグループ)]] *{{lang|en|[[Network News Transfer Protocol]]}} *[[ニュースグループ]] *[[ニュースサイト]] ==外部リンク== *[https://groups.google.com/ {{lang|en|Google}}グループ] &mdash;ネットニュースの閲覧・投稿ができるウェブサイト *[http://www.webutils.pl {{ドメイン名|www.webutils.pl}}] - {{lang|en|Usenet}}ファイルの有名なエンコーダーとデコーダー {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ねつとにゆうす}} [[Category:ネットニュース|*]] [[Category:インターネットの歴史]] [[Category:インターネット標準]] [[Category:コンピュータを介したコミュニケーション]]
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ロータス
ロータス (lotus)
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ロータス (lotus) ギリシャ神話で現世を忘れ夢心地になれると言われる実をつける植物。 英語でハス(蓮)またはスイレン(睡蓮)。 ロータス効果 - ハス科の植物に見られる自浄性。
'''ロータス''' (lotus) * ギリシャ神話で現世を忘れ夢心地になれると言われる実をつける植物。 * 英語で[[ハス]](蓮)または[[スイレン属|スイレン]](睡蓮)。 ** [[ロータス効果]] - [[ハス科]]の植物に見られる自浄性。 ;企業・組織 :[[ロータス・カーズ]] - イギリスの自動車メーカー。 :* [[チーム・ロータス]] - [[1958年]]から[[1994年]]まで[[フォーミュラ1|F1]]に参戦していたイギリスのレーシングチーム。 :* [[ロータスF1チーム]] - [[2012年]]から[[2015年]]までF1に参戦していた、上記ロータス・カーズが関与するイギリスのレーシングチーム。元[[ルノーF1|ルノーF1チーム]]。 : ロータス・レーシング - [[2010年]]から[[2011年]]までの間「ロータス」を名乗ったマレーシアのレーシングチーム。2012年に[[ケータハムF1チーム]]と改称。 : [[ロータスクラブ]] [https://www.lotas.co.jp/] - 日本の[[自動車整備業]]のネットワーク。 : [[ロータス・ベーカリーズ]] - [[ベルギー]]に本社があるグローバル菓子食品メーカー。 : [[ロータスグループ]] - 日本の[[AV事務所]]。 : [[LOTUS (アダルトビデオ)]] - 日本のAVメーカー、[[泰成]]のブランドの一つ。 : ロータスクーポン [http://www.incentive.co.jp/lotus-coupon-1.html] - ロータス株式会社([[グリーンスタンプ]]株式会社子会社)が行っていたクーポン券のプレゼント事業 ;コンピュータ : [[LOTUS暗号化方式]] - [[情報通信研究機構]]([[NICT]])による[[格子暗号]]の技術を使った暗号化方式。 : [[ロータス (ソフトウェア)]] - [[IBM]]のソフトウェアブランドの1つ。 :* ロータス・デベロップメント - かつて存在したアメリカのソフトウェアメーカー。IBMに買収・統合され、上記ブランドが受け継がれた。 :* [[Lotus 1-2-3]] - 表計算ソフト。ロータス・デベロップメント、のちロータス・ブランドの代表的製品。 : [[THE LOTUS]] - 日本の[[アダルトゲーム]]、[[ギャルゲー|美少女ゲーム]]のゲームシステム開発を主力事業とするソフトウェア会社、有限会社ロータスが一時期使用していたブランド。 ;音楽 : [[ロータス (アルバム)]] - [[クリスティーナ・アギレラ]]の[[アルバム]]。 : [[ロータスの伝説]](原題:''Lotus'') - [[サンタナ (バンド)|サンタナ]]のライヴ・アルバム。 : [[Lotus -生まれし花-]] - [[工藤静香]]の37枚目の[[シングル]]。 : [[LOTUS (DIR EN GREYの曲)]] - [[DIR EN GREY]]の24枚目のシングル。 : [[Lotus (嵐の曲)]] - [[嵐 (グループ)|嵐]]の35枚目のシングル。 : Lotus - [[平沢進]]のシングル。アルバム『[[Sim City]]』に収録。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:ろおたす}} [[Category:英語の語句]] [[Category:同名の作品]]
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ジャストシステム
株式会社ジャストシステム(英語: JustSystems Corporation)は、東京都新宿区西新宿6丁目8番1号に東京本社(実際の本社機能)、徳島県徳島市川内町平石若松108番地4に徳島本社(登記上の本店)を置くソフトウェア開発会社。通称「ジャスト」。JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。 浮川和宣・初子夫妻が1979年に創業した。徳島の初子の実家をオフィスに、和宣が営業、初子がエンジニアとして開発にあたった。株式会社化は1981年6月2日。 1983年にPC-100対応日本語ワープロソフト『JS-WORD』を開発したことを契機に日本語ワープロソフトの開発・販売に進出し、1985年には同社の看板製品となる『一太郎』を発売した。 コンピュータ上の日本語処理について研究しており、同社のかな漢字変換ソフトウェアに『ATOK』がある。XML関連技術の研究開発にも積極的でGoogle、マイクロソフト、Apple、IBM、サン・マイクロシステムズ、ヒューレット・パッカードらとユニコードコンソーシアムに参加していたが、現在は会員ではない。 浮川和宣は「アプリケーションソフトウェアメーカーはウィンドウシステムを持つべき」との持論を展開した。それによりジャストウィンドウが開発された。ジャストウィンドウは米Windowsが広まる以前に日本でほぼ唯一かつ最も使われたウインドウシステムとなった。MS-DOS用に作られた既存のアプリケーションソフトウェアもジャストウィンドウ専用のものに改められ、さらに他のアプリケーションソフト群も開発し、ジャストウィンドウの拡充を行った。 1995年、ジャストシステム基礎研究所を設立。初代研究所長は苫米地英人。 2003年5月には、Linux向けの一太郎・ATOKを皮切りにデスクトップ製品、サーバ製品を展開することを発表した。2005年1月には「一太郎 for Linux」「ATOK for Linux」を発売している。 2005年 アメリカ西海岸、カリフォルニア州パロアルトへ xfy関連技術を扱う「Justsystem U.S. Office」を設立。 2006年6月、英文社名をJustsystem CorporationからJustSystems Corporationに変更。同年9月、新コーポレートシンボル「JUSTSYSTEMS.」を導入する。 2006年10月3日、同年11月17日に総合セキュリティソフトの『Kaspersky Internet Security 6.0』とアンチウイルスソフト『Kaspersky Anti-Virus 6.0』を発売しセキュリティソフト市場に参入すると発表。 2006年3月期に業績は赤字に転落。直接の原因は、XML文書の作成・編集システム『xfy』の販売が不振で、研究開発や欧米の営業拠点への投資が回収できなくなったこと。最終赤字が4期も続き、財務が悪化した。 2009年4月3日、株式会社キーエンスとの資本・業務提携を発表。同年4月20日、キーエンスはジャスト発行済み株式の約44%を保有する筆頭株主になった。またそれに伴い、同年6月には創業者の浮川和宣が会長に、浮川初子が副会長にそれぞれ退き、常務の福良伴昭が社長に昇格する人事を発表した。 2009年10月29日、浮川和宣・初子夫妻がそれぞれ同社の代表取締役会長及び取締役副会長を辞任(その後「株式会社MetaMoJi」を設立)。後述する教育事業の好調などで、2012年以降、4期連続最高益を更新するなど、業績が急回復している。 2013年8月8日より、本社機能を東京に移転。登記上の本店所在地は引き続き徳島。 2014年2月27日より、株式の上場市場をJASDAQから東証1部へ変更した。 2016年2月8日、取締役事業企画部長の関灘恭太郎が、同年3月1日に代表取締役社長に就任する人事を発表。現社長の福良伴昭社長は取締役として残る。 過去、ジャストシステムは創業当初から教育施設や官公庁に強みを持っていた(『一太郎』という製品も浮川が学生時代に家庭教師をしていたときの生徒の名前にちなんでいる)。2001年からは教育事業に参入し注力しており、数多くの教育、学習支援ソフトを開発してきた。その販路とノウハウを生かし、2012年11月より小学生向けタブレット通信教育システム『スマイルゼミ』を発表し、通信教育業界に参入。タブレットを使用した学習システムという斬新さや時代の先見性などにより、会員数は順調に増加。後にベネッセ、学研などの同業他社が追随している。2013年11月には中学生向け講座も発表し、12月に受講開始した。 しかし中央官庁のワープロソフトは原則として『Microsoft Word』が使われており、2021年には農林水産省が一太郎を省内で極力使用しないよう通知し、文科省もWordでの文書提出を求めるなど、官公庁でのシェアは縮小の一途である。「ソフトの互換性の問題から相次ぐ法案の条文ミスの理由」「民間企業とのやり取りで不便が生じ、政府内で『一太郎』の使用を問題視する声が上がっている」とされた。 かつてインターネットサービスプロバイダ「JustNet」を運営していたが、2001年9月にソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(現・ソニーネットワークコミュニケーションズ、So-net)へ売却し撤退した。また、東京支社には出版部がある。ユーザー向け情報誌『ジャストモアイ』を1989年から12年間発行していたほか、自社製ソフトやコンピュータ関連の解説書、ビジネス書やSF小説などの各種一般書の発行を行っている。
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株式会社ジャストシステムは、東京都新宿区西新宿6丁目8番1号に東京本社(実際の本社機能)、徳島県徳島市川内町平石若松108番地4に徳島本社(登記上の本店)を置くソフトウェア開発会社。通称「ジャスト」。JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。
{{Pathnav|キーエンス|frame=1}} {{出典の明記|date=2021年5月}} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社ジャストシステム | 英文社名 = JustSystems Corporation | ロゴ = [[ファイル:JustSystems logo.svg]] | 画像 = [[ファイル:Justsystems Headquarter Office.jpg|300px]] | 画像説明 = ジャストシステム 徳島本社社屋 | 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] | 機関設計 = | 市場情報 = {{上場情報|東証プライム|4686}} | 略称 = ジャスト<ref>[https://www.nikkei.com/nkd/company/gaiyo/?scode=4686&ba=1 基本情報] 2021年3月9日閲覧</ref> | 国籍 = {{JPN}} | 本社郵便番号 = 163-6017 | 本社所在地 = [[東京都]][[新宿区]][[西新宿]]六丁目8番1号<br> [[新宿オークシティ|住友不動産新宿オークタワー]] | 本社緯度度 = | 本社緯度分 = | 本社緯度秒 = | 本社N(北緯)及びS(南緯) = | 本社経度度 = | 本社経度分 = | 本社経度秒 = | 本社E(東経)及びW(西経) = | 座標右上表示 = Yes | 本社地図国コード = | 本店郵便番号 = 771-0189 | 本店所在地 = [[徳島県]][[徳島市]][[川内町 (徳島市)|川内町]]平石若松108番地4 | 本店緯度度 = | 本店緯度分 = | 本店緯度秒 = | 本店N(北緯)及びS(南緯) = | 本店経度度 = | 本店経度分 = | 本店経度秒 = | 本店E(東経)及びW(西経) = | 本店地図国コード = | 設立 = 1981年6月2日 | 業種 = 5250 | 法人番号 = | 統一金融機関コード = | SWIFTコード = | 事業内容 = [[ソフトウェア]]の研究・開発・販売 | 代表者 = 関灘 恭太郎([[代表取締役]][[社長]]) | 資本金 = 101億4651万5,500円<br>(2017年3月31日現在) | 発行済株式総数 = 6,422万4,800株(2017年3月期)<ref name=jasdaq>{{Citation|和書|url=http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j201703yuho_zas.pdf|title=有価証券報告書 事業年度(第36期)|date=2017-06-23|accessdate=2017-11-09}}</ref> | 売上高 = 単体419億5000万円<br>連結419億5000万円<br>(2023年3月期)<ref name=jasdaq/> | 営業利益 = | 経常利益 = 単体192億1700万円<br>連結192億1700万円<br>(2023年3月期)<ref name=jasdaq/> | 純利益 = 単体134億100万円<br>連結134億100万円円<br>(2023年3月期)<ref name=jasdaq/> | 純資産 = 単体836億7700円<br>連結836億7700円<br>(2023年3月31日現在)<ref name=jasdaq/> | 総資産 = 単体994億5800万円<br>連結994億5800万円<br>(2023年3月31日現在)<ref name=jasdaq/> | 従業員数 = 単体316人<br>連結316人<br>(2023年3月末)<ref name=jasdaq/> | 支店舗数 = | 決算期 = 3月31日 | 会計監査人 = | 所有者 = | 主要株主 = [[キーエンス]] (43.96%)<br>[[重田康光]] (7.30%) | 主要部門 = | 主要子会社 = JustSystems Canada Inc. | 関係する人物 = [[浮川和宣]]・浮川初子(創業者) | 外部リンク = https://www.justsystems.com/ | 特記事項 = 創業は1979年7月7日。<br>実際の本社機能は東京本社、登記上の本店は徳島本社。 }} '''株式会社ジャストシステム'''({{Lang-en|JustSystems Corporation}})は、[[東京都]][[新宿区]][[西新宿]]6丁目8番1号に東京本社(実際の本社機能)、[[徳島県]][[徳島市]][[川内町 (徳島市)|川内町]]平石若松108番地4に徳島本社(登記上の本店)を置く[[ソフトウェア]]開発会社。通称「ジャスト」。[[JPX日経インデックス400]]の構成銘柄の一つ。 ==概要・沿革== [[浮川和宣]]・初子夫妻が1979年に創業した。徳島の初子の実家をオフィスに、和宣が営業、初子がエンジニアとして開発にあたった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.justsystems.com/jp/camp/just2010/column/index04.html |title=一太郎はこうして生まれた |work=株式会社ジャストシステム |accessdate=2019-09-04}}</ref>。株式会社化は1981年6月2日。 1983年に[[PC-100]]対応[[日本語]][[ワードプロセッサ|ワープロ]]ソフト『JS-WORD』を開発したことを契機に日本語ワープロソフトの開発・販売に進出し、1985年には同社の看板製品となる『[[一太郎]]』を発売した。 コンピュータ上の日本語処理について研究しており、同社の[[かな漢字変換]]ソフトウェアに『[[ATOK]]』がある。かな漢字変換ソフトウェアが日本語の規範となるのを見越し、1992年に『ATOK監修委員会』を発足させた。座長は紀田順一郎。 [[Extensible Markup Language|XML]]関連技術の研究開発にも積極的で、[[Google]]、[[マイクロソフト]]、[[Apple]]、[[IBM]]、[[サン・マイクロシステムズ]]、[[ヒューレット・パッカード]]らと[[ユニコードコンソーシアム]]に参加していたが、現在は会員ではない(1995-2008)。 浮川和宣は「アプリケーションソフトウェアメーカーは[[ウィンドウシステム]]を持つべき」との持論を展開した。それによりジャストウィンドウが開発された。ジャストウィンドウは米[[Microsoft Windows|Windows]]が広まる以前に日本でほぼ唯一かつ最も使われたウインドウシステムとなった。MS-DOS用に作られた既存のアプリケーションソフトウェアもジャストウィンドウ専用のものに改められ、さらに他のアプリケーションソフト群も開発し、ジャストウィンドウの拡充を行った。 1995年、ジャストシステム基礎研究所を設立。初代研究所長は[[苫米地英人]]。 2003年5月には、[[Linux]]向けの一太郎・ATOKを皮切りにデスクトップ製品、サーバ製品を展開することを発表した。2005年1月には「一太郎 for Linux」「ATOK for Linux」を発売している。 2005年 [[アメリカ合衆国|アメリカ]]西海岸、[[カリフォルニア州]][[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]へ [[xfy]]関連技術を扱う「Justsystem U.S. Office」を設立。 2006年6月、英文社名をJustsystem CorporationからJustSystems Corporationに変更。同年9月、新コーポレートシンボル「'''JUST'''SYSTEMS'''.'''」を導入する。 2006年10月3日、同年11月17日に総合セキュリティソフトの『[[カスペルスキー・ラボ|Kaspersky]] Internet Security 6.0』と[[アンチウイルスソフトウェア|アンチウイルスソフト]]『[[Kaspersky Anti-Virus]] 6.0』を発売しセキュリティソフト市場に参入すると発表。 2006年3月期に業績は赤字に転落。直接の原因は、XML文書の作成・編集システム『xfy』の販売が不振で、研究開発や欧米の営業拠点への投資が回収できなくなったこと。最終赤字が4期も続き、財務が悪化した。 2009年4月3日、株式会社[[キーエンス]]との資本・業務提携を発表。同年4月20日、キーエンスはジャスト発行済み株式の約44%を保有する筆頭株主になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/03/news076.html |title=ジャストシステム、キーエンス傘下に 資本・業務提携 |work=[[ITmedia]] |date=2009-04-03 |accessdate=2009-04-03}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0904201.pdf |title=第三者割当増資の払込完了並びに主要株主である筆頭株主及び「その他の関係会社」の異動に関するお知らせ |work=株式会社ジャストシステム |format=pdf |date=2009-04-20 |accessdate=2009-04-23 |deadlinkdate=2019-09-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160311124838/http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0904201.pdf |archivedate=2016-03-11}}</ref>。またそれに伴い、同年6月には創業者の浮川和宣が会長に、浮川初子が副会長にそれぞれ退き、常務の[[福良伴昭]]が社長に昇格する人事を発表した<ref>{{Cite press|和書|url=http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0906181.pdf |title=代表者及び代表取締役の異動に関するお知らせ |work=株式会社ジャストシステム |format=pdf |date=2009-06-18 |accessdate=2009-09-18 |deadlinkdate=2019-09-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160311124730/http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0906181.pdf |archivedate=2016-03-11}}</ref>。 2009年10月29日、浮川和宣・初子夫妻がそれぞれ同社の代表取締役会長及び取締役副会長を辞任(その後「株式会社[[MetaMoJi]]」を設立)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0910/29/news104.html |title=ジャストシステム、創業者の浮川夫妻が辞任 |work=[[ITmedia]] エンタープライズ |date=2009-10-29 |accessdate=2009-10-31}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0910291.pdf |title=代表取締役及び取締役の辞任に関するお知らせ |work=株式会社ジャストシステム |format=pdf |date=2009-10-29 |accessdate=2009-10-31 |deadlinkdate=2019-09-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160311131351/http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j0910291.pdf |archivedate=2016-03-11}}</ref>。後述する教育事業の好調などで、2012年以降、4期連続最高益を更新するなど、業績が急回復している。 2013年8月8日より、本社機能を東京に移転。登記上の本店所在地は引き続き徳島<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.justsystems.com/jp/just/pdf/j1308081.pdf |title=本社機能移転に関するお知らせ |format=pdf |work=株式会社ジャストシステム |date=2013-08-08 |accessdate=2016-03-11}}</ref>。 2014年2月27日より、株式の上場市場を[[JASDAQ]]から東証1部へ変更した<ref>{{Cite news |title=ジャストシステム、東証1部へ上場 |publisher=日本経済新聞 |date=2014-02-20 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO67150280Q4A220C1DT0000/ |accessdate=2014-07-13}}</ref>。 2016年2月8日、取締役事業企画部長の関灘恭太郎が、同年3月1日に代表取締役社長に就任する人事を発表。現社長の福良伴昭社長は取締役として残る<ref>{{Cite news |title=ジャストシステム、キーエンス出身で38歳の関灘氏が社長に就任 |publisher=IT Pro |date=2016-03-01 |url=https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/16/020800400/ |accessdate=2016-02-08}}</ref>。 ==教育事業== 過去、ジャストシステムは創業当初から[[教育施設]]や[[役所|官公庁]]に強みを持っていた(『一太郎』という製品も浮川が学生時代に[[家庭教師]]をしていたときの生徒の名前にちなんでいる)。2001年からは教育事業に参入し注力しており、数多くの教育、学習支援ソフトを開発してきた。その販路とノウハウを生かし、2012年11月より小学生向け[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]通信教育システム『スマイルゼミ』を発表し、[[通信教育]]業界に参入<ref>{{Cite news |title=ジャストシステム、タブレットを利用した小学生向けの通信教育 |author=日経コンピュータ |publisher=ITpro |date=2012-11-21 |url=https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20121121/438821/ |accessdate=2014-07-13}}</ref>。タブレットを使用した学習システムという斬新さや時代の先見性などにより、会員数は順調に増加。後に[[ベネッセコーポレーション|ベネッセ]]、[[学研ホールディングス|学研]]などの同業他社が追随している。2013年11月には中学生向け講座も発表し<ref>{{Cite news |title=ジャストシステム、タブレットを利用した中学生向け通信教育 |author=日経コンピュータ |publisher=ITpro |date=2013-11-22 |url=https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20131122/519845/?ST=ittrend&P=1 |accessdate=2014-07-13}}</ref>、12月に受講開始した。 しかし中央官庁のワープロソフトは原則として『Microsoft Word』が使われており、2021年には農林水産省が一太郎を省内で極力使用しないよう通知し、文科省もWordでの文書提出を求めるなど、官公庁でのシェアは縮小の一途である。「ソフトの互換性の問題から相次ぐ法案の条文ミスの理由」「民間企業とのやり取りで不便が生じ、政府内で『一太郎』の使用を問題視する声が上がっている」とされた。 ==主要な製品とサービス== *[[ATOK]](エイトック) - かな漢字変換ソフトウェア(日本語入力システム) : 2007年にグッドデザイン賞を受賞。「ATOK 2017 for Windows」、「ATOK 2017 for Mac」、「ATOK for iOS」、「ATOK for Android」など。 *[[スマイルゼミ]] - タブレットで学ぶ幼稚園生 ~ 中学生向け通信教育 : 「みまもるネット」という機能で我が子の学習状況やその他の連絡事も可能。「[http://www.iid.co.jp/news/award イード・アワード2017 子ども英語教材]」で小学生部門の優秀賞を獲得。 *[[JUST Office]] - 法人向け[[オフィススイート]] :「[[JUST Calc]]」 - [[表計算ソフト]]。 :「[[JUST Note]]」 - [[ワープロソフト]]。 :「[[JUST Focus]]」 - [[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーションソフト]]。 *[[一太郎]] - [[日本語]]ワープロソフト *[[花子 (グラフィックソフト)|花子]] - [[グラフィックソフトウェア|グラフィックソフト]] *[[楽々はがき]] - [[はがき作成ソフトウェア|はがき作成ソフト]] *[[ラベルマイティ]] - ラベル作成ソフト *[[ホームページ・ビルダー]] - [[Webオーサリングツール|Webページ作成ソフト]] *[[ジャストスマイル]] *[[ジャストジャンプ]] *[[InternetDisk]] - [[オンラインストレージ]] *[[Just Right!]] - 文章校正支援ツール *[https://www.justsystems.com/jp/products/cbes/ CBES(ConceptBase Enterprise Search)]- 企業内検索システム{{Anchors|CBES}} *[[UnitBase]] *[[Actionista!]] *[[JUST DWH]] *[[JUST.SFA]] *[[JUST.DB]] - [[ノーコード開発プラットフォーム]] ===かつて販売していた製品=== *[[三四郎 (表計算ソフト)|三四郎]] - [[表計算ソフト]] *[[五郎]] - データベースソフト(現在のJUST Suiteには含まれていない。Justsystem Office、一太郎Officeには含まれていた。) *[[解決!まるっと復元]] - ファイル復元ソフト *[[大地 (DTPシステム)|大地]] - DTPシステム *[[シルエット]] - グラフィックソフト *[[duet]] - 日英ワープロソフト (小学館プログレッシブ英和中辞典が搭載されていた) *[[Office Manager2]] - グループウェア *[[JOSS]] - グループウェア *[[Concept Search]] - デスクトップ情報検索ソフト *[[Concept Base]] - 自然言語検索システム *[[BeatJam]] - 音楽ファイルの再生・管理 *[[MegaVi TV]] - [[テレビ番組]]録画・編集ソフトウエア *[[Trustia]] - [[テキストマイニング]]ソフト *[[Let's talk かたろう]] - 通信ソフト *[[xfy|xfy Enterprise Solutions]] - 統合XMLアプリケーション開発/実行プラットフォーム *[[cocoal(ココアル)]] - [[フォトブック]]作成サービス *[[ジャストホーム]] - 家庭用ソフト *[[Shuriken]] - [[電子メールクライアント|メールソフト]] かつて[[インターネットサービスプロバイダ]]「JustNet」を運営していたが、2001年9月にソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(現・[[ソニーネットワークコミュニケーションズ]]、[[So-net]])へ売却し撤退した。また、東京支社には出版部がある。ユーザー向け情報誌『ジャストモアイ』を1989年から12年間<ref>[http://www.justmyshop.com/pclife/gallery/index.html オトナのPC Life:ギャラリー一覧 - Just MyShop - ]参照(2008年10月18日閲覧)。</ref>発行していたほか、自社製ソフトやコンピュータ関連の解説書、ビジネス書やSF小説などの各種一般書の発行を行っている。 ==一部機能のみ他社からOEM供給を受けている製品== *[[JUST PDF]](3から) - [[Portable Document Format|PDF]]作成・編集・データ変換ソフト(バージョンごとに機能が異なる) **作成 - 自社製 **編集Pro(5から) - 自社製 **高度編集(3から4) - 『4』は台湾ZEONCorporation製<ref group="注">英文社名が同一である[[日本ゼオン]]とは無関係。</ref>、『3』は[[ニュアンスコミュニケーションズジャパン]]製 **編集プラス(法人向けのみ)<ref group="注" name="jo">『[[JUST Office]]』『JUST Government』『JUST Police』に同梱されているが、法人であっても単体発売は行われない。</ref> - 自社製 **データ変換 - 『4』から『5』はロシア[[ABBYY]]製の変換エンジンを使用した自社製、『3』は[[クロスランゲージ]]製。 ==他社からOEM供給を受けている製品== *[https://www.justmyshop.com/camp/lvih900taro/ 一発翻訳!900万語スペシャルパック 一太郎特別エディション](日本語/英語) - [[ロゴヴィスタ]]製 *[https://www.justmyshop.com/camp/lvih10worldpack/ 一発翻訳!10カ国語ワールドパック 一太郎特別エディション](日本語/英語/フランス語/ドイツ語/イタリア語/スペイン語/ポルトガル語/ロシア語/韓国語/中国語) - ロゴヴィスタ製 ===かつて販売していた製品=== *[[ホームページ・ビルダー]](V14まで) - V14までは[[日本IBM]]製、V11からV14まで日本IBMとの共業販売。 *[[Agree]] - 韓国[[Hancom|Haansoft]]製プレゼンテーションソフト『Haansoft Slide』に、一太郎のインターフェイスに変更するなどの日本語ローカライズを施した製品(JUST Suiteにもこの製品が含まれている)。 *[[JUST Slide]] - 韓国[[Hancom]](旧Haansoft)製プレゼンテーションソフト『Hanshow』に日本語ローカライズを施した製品(『一太郎 スーパープレミアム』にもこの製品が含まれている) *[[JUST PDF]](2まで) - [[Portable Document Format|PDF]]作成・編集・データ変換ソフト(機能ごとに開発元が異なる。これまでにも[[Justsystem PDF Suite]](イギリス[[Global Graphics]]製)が存在した) **作成・高度編集、作成・編集、作成 - [[ニュアンスコミュニケーションズジャパン]]製 **データ変換 - [[クロスランゲージ]]製 **作成・データ変換 - 作成機能(ニュアンスコミュニケーションズジャパン製)とデータ変換機能(クロスランゲージ製)のセット *[http://www.justsystems.com/jp/software/dt/honyaku/ 翻訳ブレイン]・[http://www.justsystems.com/jp/products/honyaku_jitsuyo/ 翻訳ブレイン 実用翻訳] - [[クロスランゲージ]]製 *[[Kaspersky Anti-Virus]] / [[Kaspersky Internet Security]] - ロシア[[カスペルスキー・ラボ|ZAO Kaspersky Lab]]製アンチウイルスソフト/インターネットセキュリティスイート。バージョン6から2011までの日本国内での販売・サポートを行った。 *[[MegaVi DV]] - デジタルビデオ編集ソフトウエア。[[DigiOn]]開発。 *[http://www.justsystems.com/jp/products/prg_harddisk/ Paragon Hard Disk Manager Suite]・[http://www.justsystems.com/jp/products/prg_partition/ Paragon Partition Manager] - [[パラゴンソフトウェア]]製 *[http://www.justsystems.com/jp/ideamaster/ アイデアマスター] - 韓国[[UBITIZN]]製発想支援ソフト「Genieware ConceptMap」をベースに日本語化した製品 *[http://www.justsystems.com/jp/products/ocr/ 一発!OCR Pro] - [[パナソニック ソリューションテクノロジー]]製[[光学文字認識|OCR]]ソフト「[[読取革命]]」のカスタマイズ版 *[http://www.justsystems.com/jp/software/dt/wagayadr/ 家庭の医学 わが家のお医者さん] - [[アスク (出版社)|アスク]]製自己診断ソフト「家庭の医学 診断事典」の機能を限定した製品 *[http://www.justsystems.com/jp/software/dt/wakarukensa/ 家庭の医学 わかる!検査結果] - アスク製検査情報検索ソフト「家庭の医学 病院で受ける検査の事典」の機能を限定した製品 *[http://www.justsystems.com/jp/calkingj/ カルキングJ] - [[シンプレックス (企業)|シンプレックス]]製数式作成・計算ソフト「[[カルキング]]」の機能を限定した製品 *[http://www.justsystems.com/jp/software/dt/kusuri2007/ くすり図鑑] - [[オフィス21]]製処方薬検索ソフト「くすり55検索」の機能を限定した製品 *[http://www.justsystems.com/jp/products/zenrin/ 速攻!全国ゼンリン地図帳] - [[ゼンリン]]製「[[ゼンリン電子地図帳|ゼンリン電子地図帳Zi]]」のカスタマイズ版 ==主な国内拠点== {|class=wikitable style="font-size:small" !scope=col|拠点名!!scope=col|所在地 |- |東京本社(実際の本社機能)・東京営業所 |東京都新宿区西新宿六丁目8番1号 [[新宿オークシティ|住友不動産新宿オークタワー]] |- |徳島本社(登記上の本店) |徳島県徳島市[[川内町 (徳島市)|川内町]]平石若松108番地4 |- |仙台営業所 |宮城県仙台市青葉区[[中央 (仙台市)|中央]]3-2-23 野村不動産仙台青葉通ビル |- |名古屋営業所 |愛知県名古屋市中区錦1-11-11 [[名古屋インターシティ]] |- |大阪営業所 |大阪府大阪市北区大深町4-20 [[グランフロント大阪#南館|グランフロント大阪タワーA]] |- |福岡営業所 |福岡県福岡市[[博多区]]博多駅東2-6-1 九勧筑紫通ビル |- |マリンピア沖洲物流センター |徳島県徳島市[[東沖洲]]2丁目53番地 共同港運沖洲物流センター |- |堀越物流センター |静岡県[[袋井市]]堀越355-1 サンワNETS堀越物流センター |- |吉田物流センター |静岡県榛原郡[[吉田町]]神戸1103-1 サンワNETS吉田物流センター |} ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} ==関連項目== *[[ソニー]] - 1998年にジャストシステムに資本参加(12億円、出資比率6.7%)。現在は出資比率を下げている。 *[[パナソニック]] *[[徳島ヴォルティス]] - Jリーグクラブ。当初、事務所を提供していた。 *[[MetaMoJi]] - ジャストシステム創業者の浮川夫妻が役員辞任後に設立した企業。 *[[デジオン]] - 元ジャストシステム福岡研究所が独立した企業。 *[[エス・エス・ビー]] - ソフトウェアとしての「三四郎」の[[商標]]を持つ会社。[[表計算ソフト]]の「[[三四郎 (表計算ソフト)|三四郎]]」は同社から商標の利用許諾を得ている。 *[[苫米地英人]] - 本社開発本部ディレクタ、ジャストシステム基礎研究所所長 *[[ベネッセ個人情報流出事件]] - スマイルゼミのDM送付時に名簿業者から購入した名簿を利用したことを発端に発覚した事件 *[[新宿オークシティ]] - ジャストシステム東京本社が入居している住友不動産新宿オークタワーを含むビル群 *[[ブレインズパーク徳島]] - ジャストシステム徳島本社が入居している団地 ==外部リンク== * [https://www.justsystems.com/jp/ ジャストシステム 公式サイト] * {{Twitter|js_cs_tw|ジャストシステム サポート情報}}(2016年9月8日 16:30:39 - )'''※ [[協定世界時|UTC]]表記。''' * {{YouTube|u=JustSystems}}(2008年5月15日 - ) * {{Mediaarts-db}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しやすとしすてむ}} [[Category:ジャストシステム|*]] [[Category:日本のソフトウェア会社]] [[Category:新宿区の企業]] [[Category:徳島市の企業]] [[Category:東証プライム上場企業]] [[Category:日本の多国籍企業]] [[Category:1981年設立の企業]] [[Category:1997年上場の企業]] [[Category:エンタープライズサーチ]] [[Category:全文検索]]
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1222年
1222年(1222 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1222年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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ロータス (ソフトウェア)
ロータス (Lotus) は、IBMのソフトウェアのブランドの一つである。かつては、ロータスデベロップメント (Lotus Development Corporation) という名称の、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本社を持つ独立したソフトウェア企業であったが、1995年にIBMが買収した。 ロータスデベロップメント社は、IBM PC 用の表計算ソフトウェアである Lotus 1-2-3 が大ヒットし、IBM PC のキラーアプリケーションとして初期の勢力拡大に寄与した事で有名である。その後はオフィススイートのLotus SmartSuite(日本ではロータス・スーパーオフィス)により、マイクロソフトと激しい競争を展開した。 1989年以降は強力なグループウェアシステムのLotus Notesが有名となり、Notes の市場での強さが元となり、1995年にIBMが35億ドルで買収し、IBMのソフトウェア事業部の「Lotus Software」ブランドとなった。 日本では、日本法人であるロータス株式会社は日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)の完全子会社となる形で、両社の並存がしばらく続いたが、 2002年7月1日には日本IBMがロータス株式会社から営業を譲り受ける形で日本IBM本体に統合し、法人としてのロータス株式会社は2007年9月28日消滅した。 IBMによる買収・統合後も、Lotus Notes/Domino はグループウェア市場で大きなシェアを維持している。2008年5月にはLotus Symphonyがリリースされた。 ロータスは1982年、ミッチ・ケイパーとジョナサン・ザックスによって創設された。ロータスの最初の製品は Apple II 向けのプレゼンテーションソフト Lotus Executive Briefing System である。ミッチはVisiCalcの開発元として知られるVisiCorpで開発部門のリーダーを務めた後、彼の製品(VisiPlot、VisiTrend)の権利をVisiCorp社に売ってロータスを設立している。 創設後すぐに彼らは表計算とグラフ作成を統合したプログラムを作り出した。IBMとVisiCorpは、PCにVisiCalcを添付して出荷するなどの協力関係にあったが、ロータスの製品はそれよりも優れていた。Lotus 1-2-3は1983年にリリースされた。その名称は、表計算、グラフ作成、データベース管理の三種類の仕事ができるためである。実際には表計算以外の機能の使用頻度は低かったが、ユーザーはそれらには頓着せず強力な表計算ソフトとして 1-2-3 を使用した。売り上げは莫大で、ロータスは独立系ソフトウェアベンダーで世界第1位に登りつめた。 1982年、ジム・マンジは経営コンサルタントとしてロータスに来て、4ヶ月後に従業員となった。1984年10月、彼は社長となり、1986年4月にはCEOとなっている。前CEOであるミッチ・ケイパーはロータス社での活動をやめた。同年7月、マンジは会長となった。マンジは1990年代までロータスの経営に関わることとなる。 パーソナルコンピュータの人気が高まると、ロータスは、オフィススイート市場を急速に支配するようになった。ロータスはレイ・オジーのSymphony製品(1984年)やMacintosh向けの Lotus Jazz(1985年)といったオフィス製品を登場させたが、Jazzは市場には受け入れられなかった。ロータスは製品強化のために数々のソフトウェア企業を買収し、Freelance Graphics、Ami Pro、Approach、Organizer などの製品を生み出した。1980年代終盤、ロータスはファイル管理と索引ユーティリティ Lotus Magellan を開発。同時期にワープロソフト Manuscript、個人情報管理ソフト Agenda、そしてNeXT向けの革新的ソフト Improv もリリースしている。1990年代に入ると、いくつかの製品(1-2-3、Freelance、Ami Pro、Approach、Organizer)を同梱して Lotus SmartOffice(日本ではロータス・スーパーオフィス)として販売した。当初スーパーオフィスは Microsoft Office よりも人気があったが、Microsoft Windows 95 で動作する32ビット・アプリケーションへの移行に伴ってロータスはシェアを失っていった。ロータスは製品の32ビット対応が遅れ、新たなWindowsへの転換に失敗したのである。スーパーオフィスは今も販売されているが、シェアを失い続けている。開発は2000年に凍結され、保守作業は海外に移転された。 ロータスの多角化は1984年のレイ・オジー率いる Iris Associates 社への戦略的投資から始まった。レイ・オジーはグループウェア Lotus Notes の開発者である。この初期の投機的な動きにより、ロータスはインターネットが一般化する以前に他の企業よりもネットワーク上の通信について経験を積むことができた。Notes は1989年にリリースされ、1991年には cc:Mail を獲得することで市場における存在を強化した。1994年、ロータスは Iris Associates を買収。ロータスのグループウェア市場の寡占状態に対して Microsoft Exchange が挑戦してきたが、1995年になってもロータスは特に企業向けで市場をリードし、そのことがIBMを引きつけたのである。 1995年春、IBMはロータスの株価が32ドルだったときに60ドルを提示して敵対的買収を開始した。ジム・マンジはホワイトナイト(白い騎士=敵対的買収に対して防御的な買収で対抗してくれる企業)となってくれる企業を探し、IBMは買い取り価格を1株当たり64.50ドルに上げた。1995年6月、ロータスは32億ドルで買収された。1995年10月11日、マンジは(既にIBMのロータス部門となっていた)ロータスの経営者退任を表明。マンジは辞任にあたって保有株から7800万ドルを得た。 1997年、NSAがNotesの海外版にしかけをしたという噂が繰り返し出てくるが、これは実際に起きたことへの誤解に起因している。その前年まで、ロータスの海外向け製品の暗号キーは米国の法律によって40ビットに制限されていた。米国政府との合意により、海外にも64ビットのキーを使えるようになったが、そのうちの24ビットはロータスがNSAに発行した特殊なキーを使って復号可能であった。結果としてロータスの製品のセキュリティは企業間のスパイなどに対しては強化され、NSAに対しては従来と同程度のセキュリティとなったのである。米国の輸出規制は2001年に改正され、現在はNSAに特殊キーを提供するようなことはしていない。 創業者ミッチ・ケイパーの人柄から、ロータスはいつも進歩的な会社と評判だった。ロータスの最初の従業員 Janet Axelrod は人事部門を作っただけではなく、ロータスの文化を形成することにも寄与した。1986年、ロータスはAIDSウォークをサポートした最初の大企業であった。1990年、ロータスは従業員の子供のためのデイケアセンターを開設した。1992年、ロータスは同性愛カップルにも完全給付する最初の企業のひとつであった。1998年、ロータスは Working Mother 誌が選んだ働く母親が働き易い会社ベスト10に選ばれた。 ロータスは4,000人を超える従業員が世界中で働いており、1995年にIBMが買収したとき従業員たちは「ビッグブルー」の文化に取り込まれることを恐れた。従業員たちや報道関係者が驚いたことに、IBMはロータスの文化に対して無干渉で放任する態度を取った。 しかし、2000年にはロータスもほとんど完全に同化された。IBMが恐れていた従業員の大量退職は起きていないが、多くの古参従業員はIBMの文化について不満を漏らしている。 ケンブリッジのロータス本部は二つの建物から構成されていた。Lotus Development Building (LDB) と Rogers Street building である。2001年、事業部長 Al Zoller は LDB の賃貸契約を更新しないことを決定した。その後引越しの際に発生した従業員の大規模な退職が最後の脱出劇となった。 IBM内部へのロータスの統合は今も続いている。現在では、ロータスはIBMソフトウェアグループのブランド名である。ロータス内にはまだ強い一体感がある。ロータス部門からIBMの他の部門に異動させられた従業員は、今もロータスコミュニティの一員と感じている。逆にロータス買収以前からのIBM社員でロータス部門に配属された社員が、ロータスコミュニティの一員としてのアイデンティティを持つ現象も知られている。 ミッチ・ケイパーは、「蓮華坐 The Lotus Position」(座禅のときの座り方)から社名をとった。ケイパーは東洋思想に傾倒し、マハリシ・マヘッシ・ヨギの弟子でもあり、トランセンデンタル・メディテーション技術の先生でもあった。 ボーランドの表計算ソフト Quattro Pro のコード名は「ブッダ(仏陀)」であった。これは仏陀が「蓮華座を呈する(assume the Lotus position)」ことを意味している。すなわち、「ロータス1-2-3の座を奪う」ことを意図していた。また、Quattro はイタリア語で「4」のことであり、1-2-3の次を意味しているといわれている。
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ロータス (Lotus) は、IBMのソフトウェアのブランドの一つである。かつては、ロータスデベロップメント という名称の、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジに本社を持つ独立したソフトウェア企業であったが、1995年にIBMが買収した。
{{出典の明記|date=2013年3月}} {{基礎情報 会社 |社名=ロータス |英文社名=Lotus Software |ロゴ= |画像= |画像説明= |種類=子会社 |略称=Lotus |本社所在地=[[マサチューセッツ州]][[ケンブリッジ]] |国籍={{USA}} |本社郵便番号= |設立=[[1982年]] |業種=5250 |事業内容= |代表者= |資本金= |売上高= |営業利益= |経常利益= |純利益= |従業員数= |主要株主=[[IBM]] |主要子会社= |関係する人物= |外部リンク= |特記事項=1995年にIBMに買収され、{{lang|en|Lotus Development Corporation}}から名称を変更。 }} {{基礎情報 会社 |社名=ロータス株式会社 |英文社名=Lotus Development Japan. 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SmartSuite(日本では[[ロータス・スーパーオフィス]])により、[[マイクロソフト]]と激しい競争を展開した。 1989年以降は強力な[[グループウェア]]システムの[[Lotus Notes]]が有名となり、Notes の市場での強さが元となり、[[1995年]]にIBMが35億ドルで買収し、IBMのソフトウェア事業部の「Lotus Software」ブランドとなった。 日本では、日本法人であるロータス株式会社は[[日本アイ・ビー・エム|日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)]]の[[完全子会社]]となる形で、両社の並存がしばらく続いたが、 [[2002年]][[7月1日]]には日本IBMがロータス株式会社から営業を譲り受ける形で日本IBM本体に統合し、法人としてのロータス株式会社は[[2007年]][[9月28日]]消滅した。 IBMによる買収・統合後も、[[Lotus Notes|Lotus Notes/Domino]] はグループウェア市場で大きなシェアを維持している。2008年5月には[[Lotus Symphony]]がリリースされた。 == 歴史 == ロータスは[[1982年]]、[[ミッチ・ケイパー]]と[[ジョナサン・ザックス]]によって創設された。ロータスの最初の製品は [[Apple II]] 向けのプレゼンテーションソフト Lotus Executive Briefing System である。ミッチは[[VisiCalc]]の開発元として知られる[[VisiCorp]]で開発部門のリーダーを務めた後、彼の製品(VisiPlot、VisiTrend)の権利をVisiCorp社に売ってロータスを設立している。 創設後すぐに彼らは表計算とグラフ作成を統合したプログラムを作り出した。IBMとVisiCorpは、PCにVisiCalcを添付して出荷するなどの協力関係にあったが、ロータスの製品はそれよりも優れていた。[[Lotus 1-2-3]]は[[1983年]]にリリースされた。その名称は、表計算、グラフ作成、[[データベース管理システム|データベース管理]]の三種類の仕事ができるためである。実際には表計算以外の機能の使用頻度は低かったが、ユーザーはそれらには頓着せず強力な表計算ソフトとして 1-2-3 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ロータスの多角化は1984年の[[レイ・オジー]]率いる Iris Associates 社への戦略的投資から始まった。レイ・オジーは[[グループウェア]] [[Lotus Notes]] の開発者である。この初期の投機的な動きにより、ロータスは[[インターネット]]が一般化する以前に他の企業よりもネットワーク上の通信について経験を積むことができた。Notes は[[1989年]]にリリースされ、[[1991年]]には cc:Mail を獲得することで市場における存在を強化した。[[1994年]]、ロータスは Iris Associates を買収。ロータスのグループウェア市場の寡占状態に対して [[Microsoft Exchange]] が挑戦してきたが、[[1995年]]になってもロータスは特に企業向けで市場をリードし、そのことがIBMを引きつけたのである。 [[1995年]]春、[[IBM]]はロータスの株価が32ドルだったときに60ドルを提示して敵対的買収を開始した。ジム・マンジはホワイトナイト(白い騎士=敵対的買収に対して防御的な買収で対抗してくれる企業)となってくれる企業を探し、[[IBM]]は買い取り価格を1株当たり64.50ドルに上げた。[[1995年]]6月、ロータスは32億ドルで買収された。[[1995年]][[10月11日]]、マンジは(既にIBMのロータス部門となっていた)ロータスの経営者退任を表明。マンジは辞任にあたって保有株から7800万ドルを得た。 ==NSAとNotes== 1997年、[[アメリカ国家安全保障局|NSA]]がNotesの海外版にしかけをしたという噂が繰り返し出てくるが、これは実際に起きたことへの誤解に起因している。その前年まで、ロータスの海外向け製品の暗号キーは米国の法律によって40ビットに制限されていた。米国政府との合意により、海外にも64ビットのキーを使えるようになったが、そのうちの24ビットはロータスがNSAに発行した特殊なキーを使って復号可能であった。結果としてロータスの製品のセキュリティは企業間のスパイなどに対しては強化され、NSAに対しては従来と同程度のセキュリティとなったのである。米国の輸出規制は2001年に改正され、現在はNSAに特殊キーを提供するようなことはしていない。 ==企業文化== 創業者[[ミッチ・ケイパー]]の人柄から、ロータスはいつも進歩的な会社と評判だった。ロータスの最初の従業員 Janet Axelrod は人事部門を作っただけではなく、ロータスの文化を形成することにも寄与した。[[1986年]]、ロータスは[[後天性免疫不全症候群|AIDS]]ウォーク<!-- 何て訳せばいいんだろう。デモ行進ではないが、それに似たやつ -->をサポートした最初の大企業であった。[[1990年]]、ロータスは従業員の子供のためのデイケアセンターを開設した。[[1992年]]、ロータスは同性愛カップルにも完全給付する最初の企業のひとつであった。[[1998年]]、ロータスは ''Working Mother'' 誌が選んだ働く母親が働き易い会社ベスト10に選ばれた。 ロータスは4,000人を超える従業員が世界中で働いており、[[1995年]]にIBMが買収したとき従業員たちは「ビッグブルー」の文化に取り込まれることを恐れた。従業員たちや報道関係者が驚いたことに、IBMはロータスの文化に対して無干渉で放任する態度を取った。 しかし、[[2000年]]にはロータスもほとんど完全に同化された。IBMが恐れていた従業員の大量退職は起きていないが、多くの古参従業員はIBMの文化について不満を漏らしている。 ケンブリッジのロータス本部は二つの建物から構成されていた。Lotus Development Building (LDB) と Rogers Street building である。2001年、事業部長 Al Zoller は LDB の賃貸契約を更新しないことを決定した。その後引越しの際に発生した従業員の大規模な退職が最後の脱出劇となった。 IBM内部へのロータスの統合は今も続いている。現在では、ロータスはIBMソフトウェアグループのブランド名である。ロータス内にはまだ強い一体感がある。ロータス部門からIBMの他の部門に異動させられた従業員は、今もロータスコミュニティの一員と感じている。逆にロータス買収以前からのIBM社員でロータス部門に配属された社員が、ロータスコミュニティの一員としてのアイデンティティを持つ現象も知られている。 ===起源=== ミッチ・ケイパーは、「[[蓮華坐]] ''The Lotus Position''」(座禅のときの座り方)から社名をとった。ケイパーは東洋思想に傾倒し、[[マハリシ・マヘッシ・ヨギ]]の弟子でもあり、[[トランセンデンタル・メディテーション]]技術の先生でもあった。 ====これに付随して==== [[ボーランド]]の[[表計算ソフト]] [[Quattro Pro]] のコード名は「ブッダ([[仏陀]])」であった。これは仏陀が「蓮華座を呈する(assume the Lotus position)」ことを意味している。すなわち、「ロータス1-2-3の座を奪う」ことを意図していた。また、Quattro はイタリア語で「4」のことであり、1-2-3の次を意味しているといわれている。 ==主な製品== *[[ロータス・スーパーオフィス|Lotus SuperOffice]] ([[オフィススイート]]) **[[Lotus 1-2-3|ロータス 1-2-3]] (Lotus 1-2-3) -([[表計算ソフト]]) **[[アミプロ]] (Lotus AmiPro) - [[ワープロソフト]] **[[ワードプロ]] (Lotus WordPro) - [[ワープロソフト]](AmiProの後継) **[[ロータス・フリーランス|フリーランス]] (Lotus Freelance) - [[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーションソフト]] **[[ロータス・アプローチ|アプローチ]] (Lotus Approach) - [[関係データベース]] **[[オーガナイザー]] (Lotus Organizer) - [[Personal Information Manager|個人情報管理ソフト]] *[[Lotus Symphony]]([[OpenOffice.org]]ベースの[[オフィススイート]]) *グループウェア・コラボレーション **[[Lotus Notes|Lotus Notes/Domino]] - [[グループウェア]] **[[Lotus Sametime]] - [[インスタントメッセンジャー]] **[[Lotus Workplace]] - コラボレーション(旧称:[[IBM Workplace]]) **[[Lotus Connections]] - [[ソーシャルソフトウェア]] *[[Lotus Improv]] - 革新的スプレッドシート。[[NEXTSTEP|NeXTSTEP]]向けに開発され、のちに[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]へ移植された ==脚注== {{Reflist}} == 関連項目 == * [[グループウェア]] * [[IBMによる合併買収一覧]] == 外部リンク == * [http://www-306.ibm.com/software/lotus/ IBM Lotus software] (英語) * [http://www.ibm.com/jp/software/lotus/ IBM Lotus software] (日本語) * [http://www-6.ibm.com/jp/domino05/ewm/NewsDB.nsf/1995/07065 1995年7月6日プレスリリース IBMがロータス社合併を完了] * [http://www-06.ibm.com/jp/press/2002/03052.html 2002年3月5日プレスリリース ロータスと日本チボリシステムズが日本IBMに統合] {{IBM}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろおたす}} [[Category:IBMのソフトウェア]] [[Category:IBMによる買収]] [[Category:アメリカ合衆国のブランド]] [[Category:ビジネスソフト]] [[Category:かつて存在したアメリカ合衆国のソフトウェア会社]] [[Category:パソコンの歴史]] [[Category:1995年の合併と買収]]
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ロータス・スーパーオフィス
ロータス・スーパーオフィス (英語: Lotus SuperOffice) はロータスのオフィススイートである。日本以外での製品名はロータス・スマートスイート (英語: Lotus SmartSuite) 。 1992年にロータス社より発売され、1995年のIBMによるロータス社買収後はIBMのソフトウェアブランドのロータス製品となったが、2013年に開発終了した。なお日本では2004年よりソースネクストが販売。 日本以外の市場での製品名は「SmartSuite」(読み:スマートスイート)だが、日本市場のみ「スーパーオフィス (SuperOffice)」とされたのは、「スマートスイート」では、マイクロソフトのオフィス製品の対抗製品であるということが分かりにくい、マイクロソフトオフィスより優れた製品であることをアピールしたいということが理由である。 ロータスの主力製品の一つである表計算ソフト「Lotus 1-2-3」(ワン・ツー・スリー)を中心に、ワープロソフト「ワードプロ(英語版)」(WordPro)、プレゼンテーションソフト「フリーランス(英語版)」(Freelance)、個人情報管理ソフト「オーガナイザー(英語版)」(Organizer)、関係データベース「アプローチ」(Approach) などを組み合わせたもので、Lotus Windows Officeの後継製品として1993年に発売された。その後、スーパーオフィスR2、スーパーオフィス96、スーパーオフィス97、スーパーオフィス2000、スーパーオフィス2001とバージョンアップを続けた。バージョンアップにおいては、競合の「Microsoft Office」(マイクロソフト社)との差別化を図るため、画面録画ソフト「スクリーンカム」、デスクトップ統合管理ツール「スマートセンター」、グループウェア「パーソナル・ノーツ」、「Netscape Navigator」などの同梱も行った。 ロータス・スーパーオフィス全体の特長のひとつに、「インフォボックス」と呼ばれる設定画面があった。編集に際して、属性や設定を変更する場合、ほとんどの製品では、OKボタンをクリックするなどして設定画面を確定するまで、その結果を確認できなかったが、インフォボックスにはOKボタンがなく、変更した内容は即座に反映されたため、作業の効率向上に大きく貢献した。インフォボックスのような機能は、後にMicrosoft Officeの「作業ウィンドウ」やOpenOffice.orgの「ナビゲータ」および「スタイリスト」として、他の製品にも実装されるようになった。 1995年のIBMによるロータス社買収後は、IBMのロータスブランド製品に位置づけられ、IBMなど大手パーソナルコンピュータメーカーの製品に同梱される事もあったが、徐々に競合製品のMicrosoft Officeが普及していった。 IBMの最後の製品は2001年発表の「Lotus SuperOffice 2001」となった。そしてマイクロソフトによるWindows XPのサポート終了にともない、スーパーオフィスと単品販売の1-2-3、オーガナイザーの営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了することが発表された。 しかし日本では2004年以降、コンピュータソフトウェアの低価格流通を手掛けるソースネクストが「Lotus SuperOffice」名称で販売(サポートは日本IBM)。 なお2007年から2013年にかけて、IBMはOpenOffice.orgをベースとした Lotus Symphony という名称の無料統合ソフトを配布した。 ロータス・スーパーオフィスは、以下のアプリケーションで構成された。 英語版(Windows版)のバージョンは以下の通り。 日本ではOASYS SuperOffice(富士通)に本ソフトウェア群のカスタマイズ版(ワードプロを除く)が搭載された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ロータス・スーパーオフィス (英語: Lotus SuperOffice) はロータスのオフィススイートである。日本以外での製品名はロータス・スマートスイート (英語: Lotus SmartSuite) 。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1992年にロータス社より発売され、1995年のIBMによるロータス社買収後はIBMのソフトウェアブランドのロータス製品となったが、2013年に開発終了した。なお日本では2004年よりソースネクストが販売。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本以外の市場での製品名は「SmartSuite」(読み:スマートスイート)だが、日本市場のみ「スーパーオフィス (SuperOffice)」とされたのは、「スマートスイート」では、マイクロソフトのオフィス製品の対抗製品であるということが分かりにくい、マイクロソフトオフィスより優れた製品であることをアピールしたいということが理由である。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ロータスの主力製品の一つである表計算ソフト「Lotus 1-2-3」(ワン・ツー・スリー)を中心に、ワープロソフト「ワードプロ(英語版)」(WordPro)、プレゼンテーションソフト「フリーランス(英語版)」(Freelance)、個人情報管理ソフト「オーガナイザー(英語版)」(Organizer)、関係データベース「アプローチ」(Approach) などを組み合わせたもので、Lotus Windows Officeの後継製品として1993年に発売された。その後、スーパーオフィスR2、スーパーオフィス96、スーパーオフィス97、スーパーオフィス2000、スーパーオフィス2001とバージョンアップを続けた。バージョンアップにおいては、競合の「Microsoft Office」(マイクロソフト社)との差別化を図るため、画面録画ソフト「スクリーンカム」、デスクトップ統合管理ツール「スマートセンター」、グループウェア「パーソナル・ノーツ」、「Netscape Navigator」などの同梱も行った。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ロータス・スーパーオフィス全体の特長のひとつに、「インフォボックス」と呼ばれる設定画面があった。編集に際して、属性や設定を変更する場合、ほとんどの製品では、OKボタンをクリックするなどして設定画面を確定するまで、その結果を確認できなかったが、インフォボックスにはOKボタンがなく、変更した内容は即座に反映されたため、作業の効率向上に大きく貢献した。インフォボックスのような機能は、後にMicrosoft Officeの「作業ウィンドウ」やOpenOffice.orgの「ナビゲータ」および「スタイリスト」として、他の製品にも実装されるようになった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1995年のIBMによるロータス社買収後は、IBMのロータスブランド製品に位置づけられ、IBMなど大手パーソナルコンピュータメーカーの製品に同梱される事もあったが、徐々に競合製品のMicrosoft Officeが普及していった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "IBMの最後の製品は2001年発表の「Lotus SuperOffice 2001」となった。そしてマイクロソフトによるWindows XPのサポート終了にともない、スーパーオフィスと単品販売の1-2-3、オーガナイザーの営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了することが発表された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "しかし日本では2004年以降、コンピュータソフトウェアの低価格流通を手掛けるソースネクストが「Lotus SuperOffice」名称で販売(サポートは日本IBM)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお2007年から2013年にかけて、IBMはOpenOffice.orgをベースとした Lotus Symphony という名称の無料統合ソフトを配布した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ロータス・スーパーオフィスは、以下のアプリケーションで構成された。", "title": "構成要素" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "英語版(Windows版)のバージョンは以下の通り。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本ではOASYS SuperOffice(富士通)に本ソフトウェア群のカスタマイズ版(ワードプロを除く)が搭載された。", "title": "その他" } ]
ロータス・スーパーオフィス はロータスのオフィススイートである。日本以外での製品名はロータス・スマートスイート。 1992年にロータス社より発売され、1995年のIBMによるロータス社買収後はIBMのソフトウェアブランドのロータス製品となったが、2013年に開発終了した。なお日本では2004年よりソースネクストが販売。
{{Infobox Software | 名称 = ロータス・スーパーオフィス | ロゴ = | スクリーンショット = | 説明文 = | 開発元 = [[ロータス (ソフトウェア)|ロータス]] / [[IBM]] | 最新版 = 2001 | 最新版発表日 = | 対応OS = [[Microsoft Windows|Windows]] | 対応プラットフォーム = [[x86]] | サポート状況 = 2013年 開発終了 | 種別 = [[オフィススイート]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = [https://www.sourcenext.com/products/lotus_o/ LotusSuperOffice](ソースネクスト) }} '''ロータス・スーパーオフィス''' ({{Lang-en|Lotus SuperOffice}}) は[[ロータス (ソフトウェア)|ロータス]]の[[オフィススイート]]である。日本以外での製品名は'''ロータス・スマートスイート''' ({{Lang-en|Lotus SmartSuite}}) 。 1992年にロータス社より発売され、1995年の[[IBM]]によるロータス社買収後はIBMのソフトウェアブランドのロータス製品となったが、2013年に開発終了した。なお日本では2004年より[[ソースネクスト]]が販売。 == 名称 == 日本以外の市場での製品名は「SmartSuite」(読み:スマートスイート)だが、日本市場のみ「スーパーオフィス (SuperOffice)」とされたのは、「スマートスイート」では、マイクロソフトのオフィス製品の対抗製品であるということが分かりにくい、マイクロソフトオフィスより優れた製品であることをアピールしたいということが理由である。 == 概要 == ロータスの主力製品の一つである[[表計算|表計算ソフト]]「[[Lotus 1-2-3]]」(ワン・ツー・スリー)を中心に、ワープロソフト「{{仮リンク|ロータス・ワードプロ|label=ワードプロ|en|Lotus Word Pro}}」(WordPro)、プレゼンテーションソフト「{{仮リンク|ロータス・フリーランス|label=フリーランス|en|Lotus Freelance Graphics}}」(Freelance)、[[Personal Information Manager|個人情報管理ソフト]]「{{仮リンク|ロータス・オーガナイザー|label=オーガナイザー|en|Lotus Organizer}}」(Organizer)、[[関係データベース]]「[[ロータス・アプローチ|アプローチ]]」(Approach) などを組み合わせたもので、Lotus Windows Officeの後継製品として1993年に発売された。その後、スーパーオフィスR2、スーパーオフィス96、スーパーオフィス97、スーパーオフィス2000、スーパーオフィス2001とバージョンアップを続けた。バージョンアップにおいては、競合の「[[Microsoft Office]]」([[マイクロソフト]]社)との差別化を図るため、画面録画ソフト「[[ロータス・スクリーンカム|スクリーンカム]]」、デスクトップ統合管理ツール「[[ロータス・スマートセンター|スマートセンター]]」、グループウェア「[[Lotus Notes|パーソナル・ノーツ]]」、「[[Netscapeシリーズ|Netscape Navigator]]」などの同梱も行った。 ロータス・スーパーオフィス全体の特長のひとつに、「インフォボックス」と呼ばれる設定画面があった。編集に際して、属性や設定を変更する場合、ほとんどの製品では、OKボタンをクリックするなどして設定画面を確定するまで、その結果を確認できなかったが、インフォボックスにはOKボタンがなく、変更した内容は即座に反映されたため、作業の効率向上に大きく貢献した。インフォボックスのような機能は、後に[[Microsoft Office]]の「作業ウィンドウ」や[[OpenOffice.org]]の「ナビゲータ」および「スタイリスト」として、他の製品にも実装されるようになった。 1995年のIBMによるロータス社買収後は、IBMのロータスブランド製品に位置づけられ、IBMなど大手[[パーソナルコンピュータ]]メーカーの製品に同梱される事もあったが、徐々に競合製品の[[Microsoft Office]]が普及していった。 IBMの最後の製品は2001年発表の「Lotus SuperOffice 2001」となった<ref>[https://www-304.ibm.com/support/docview.wss?uid=swg21465339 スーパーオフィス製品の Microsoft Windows Vista に対するサポートについて]</ref>。そして[[マイクロソフト]]による[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]のサポート終了にともない、スーパーオフィスと単品販売の1-2-3、オーガナイザーの営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www-01.ibm.com/common/ssi/ShowDoc.wss?docURL=/common/ssi/rep_ca/8/760/JAJPJP13-0208/index.html&lang=en&request_locale=jp|title=ソフトウェアの営業活動終了およびサポートの終了: Lotus SmartSuite、Lotus Organizer、および Lotus 123|author=IBM|accessdate=2013年7月13日}}</ref>。 しかし日本では2004年以降、コンピュータソフトウェアの低価格流通を手掛ける[[ソースネクスト]]が「Lotus SuperOffice」名称で販売(サポートは日本IBM)。 なお2007年から2013年にかけて、IBMは[[OpenOffice.org]]をベースとした [[Lotus Symphony]] という名称の無料統合ソフトを配布した<ref>[http://www-06.ibm.com/jp/press/20070919001.html オフィス・デスクトップ・ソフトウェアを無償提供]</ref>。 == 構成要素 == ロータス・スーパーオフィスは、以下のアプリケーションで構成された。 *[[Lotus 1-2-3|ロータス 1-2-3]] - [[表計算ソフト]] *{{仮リンク|ロータス・ワードプロ|en|Lotus Word Pro}} (Lotus WordPro) - [[ワープロソフト]](「[[ロータス・アミプロ|アミプロ]]」 (AmiPro) の後継) *{{仮リンク|ロータス・フリーランス|en|Lotus Freelance Graphics}} (Lotus Freelance) - [[プレゼンテーションソフトウェア|プレゼンテーションソフト]] *[[ロータス・アプローチ]] (Lotus Approach) - [[関係データベース]] *{{仮リンク|ロータス・オーガナイザー|en|Lotus Organizer}} (Lotus Organizer) - [[Personal Information Manager|個人情報管理ソフト]] *[[ロータス・スクリーンカム]] - パソコン画面動作録画ソフト *[[ロータス・スマートセンター]] - デスクトップ統合管理ツール *[[Lotus Notes|ロータス・ノーツ]] - 個人用ノーツ *[[Netscape Navigator]] - インターネットブラウザ == バージョン == 英語版(Windows版)のバージョンは以下の通り。 * 1994年 - SmartSuite 2.1 (Ami Pro 3.0、1-2-3 4.0、Freelance Graphics 2.0、Approach 2.0、Organizer 1.1) * 1995年 - SmartSuite 3.1 (Lotus 1-2-3 ver. 5、Approach 3.0, Ami Pro 3.1、Freelance Graphics 2.1、Organizer 2.1、ScreenCam 1.1) - Windows 3.11用<ref>[http://www.thefreelibrary.com/LOTUS+SHIPS+SMARTSUITE+3.1+FOR+WINDOWS%3B+NEW+RELEASE+FEATURES...-a016551699 LOTUS SHIPS SMARTSUITE 3.1 FOR WINDOWS; NEW RELEASE FEATURES ORGANIZER 2.0, AUTOMATED INSTALLATION AND SMARTCENTER 2.0]</ref> * 1995年 - SmartSuite 4.0 (Windows 3.11) <ref>[http://www.thefreelibrary.com/LOTUS+ANNOUNCES+SMARTSUITE+4.0+FOR+WINDOWS+3.1+FEATURES+NEW+PRICING%3B...-a017364614 LOTUS ANNOUNCES SMARTSUITE 4.0 FOR WINDOWS 3.1 FEATURES NEW PRICING; NEW VERSIONS OF WORD PRO, ORGANIZER AND SCREENCAM]</ref> * 1996年 - SmartSuite 97 (1-2-3 97, Word Pro 97, Approach 97, Freelance Graphics 97, Organizer 97, ScreenCam 4.0 and SmartCenter) - Windows 95、Windows NT 4.0用 * 1997年 - SmartSuite 4.5 (Word Pro 97 Edition for Windows 3.1) - Windows 3.11用 <ref>[http://www.thefreelibrary.com/Lotus+Announces+Availability+of+New+SmartSuite+4.5+for+Windows+3.1...-a019456918 Lotus Announces Availability of New SmartSuite 4.5 for Windows 3.1 Featuring Internet-enabled Word Pro Word Processor]</ref> * 1999年 - SmartSuite Millennium Edition (9.5) - (Organizer 5.0, Fastsite release 2, WordPro Millennium Edition, 1-2-3 Millennium Edition, Freelance Graphics Millennium Edition, Approach Millennium Edition, SmartCenter and ScreenCam) * 2002年 - SmartSuite Millennium Edition 9.8 (最終バージョン) == その他 == 日本では[[OASYS|OASYS SuperOffice]]([[富士通]])に本ソフトウェア群のカスタマイズ版(ワードプロを除く)が搭載された。 == 出典 == {{Reflist}} == 関連項目 == *[[Microsoft Office]] *[[Lotus Symphony]] == 外部リンク == *[https://web.archive.org/web/20121108042001/http://www-06.ibm.com/software/jp/lotus/products/superoffice2001/ IBM スーパーオフィス 2001 - Japan]{{ja icon}}(Webアーカイブ) *[http://www.lotus.com/products/product2.nsf/wdocs/sshome Lotus SmartSuite]{{en icon}} *[https://www.sourcenext.com/products/lotus_o/ ソースネクスト・ドットコム/文書作成ソフト/LotusSuperOffice] - ソースネクスト{{ja icon}} {{オフィススイート}} {{DEFAULTSORT:ろおたすすうはあおふいす}} [[Category:IBMのソフトウェア]] [[Category:オフィスソフト]]
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Lotus 1-2-3
Lotus 1-2-3(ロータス ワン・ツー・スリー)は、ロータスソフトウェア(旧ロータス・デベロップメント、現在はIBM傘下)が開発・販売していたパソコン用表計算ソフトである。 本ソフトウェアは、ロータス・デベロップメント社を代表する商品のひとつであった。日本においては単に「ロータス」または「1-2-3」(ワン・ツー・スリー、もしくは日本語でイチ・ニ・サン)と呼称されることも多い。 名称の「1-2-3」は、1.表計算機能、2.グラフ機能、3.データベース機能 の3つの機能を併せ持つことに由来する。 Lotus 1-2-3は、MS-DOS用表計算ソフトの代名詞的存在となり、当時世界で最も売れたパソコン用アプリケーションソフトウェアとなった。特に北米市場ではIBM PC/ATおよびその互換機のキラーアプリケーションとなり、日本市場においても一時期はワープロソフトにおけるジャストシステムの一太郎と同様に、PC-9800シリーズを中心とするMS-DOSパソコン向け表計算ソフトのシェアトップを占めた。しかし、x86プラットフォームにおける主要なオペレーティングシステムがMS-DOSからMicrosoft Windowsへ移行するに従い、早期にWindowsに対応したMicrosoft Excelの攻勢の前に劣勢に立たされ、シェアを失った。 2006年12月時点での最終バージョンは「release 9.8」(日本では「2001」)であり、その後バージョンアップは行われていない。またロータス・スーパーオフィスも含め、Microsoft Windows Vista以降のWindows OSには対応しなかった。マイクロソフトによるMicrosoft Windows XPのサポート終了にともない、単品販売のMillennium Editionとスーパーオフィスは営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了した。 日本では、2003年10月よりソースネクストから価格を1980円に引き下げて販売されたが、2008年時点で既に単品販売は終了しており、その後はロータス・スーパーオフィスの形で2970円で発売されていた(サポートは引き続きIBMが行う)。 最終的な累計出荷本数は、全世界で500万本以上とされる。 Lotus 1-2-3 は1983年、ミッチ・ケイパー発案のもと、ジョナサン・ザックスにより開発された。アメリカ合衆国においては、家庭におけるパソコンの用途のひとつとして、表計算ソフトが普及していた。Lotus 1-2-3(以下1-2-3)以前にはApple II等で利用できるビジコープ社の VisiCalc がベストセラーとなっており、16ビットパソコンであるIBM PCにおいても同様のアプリケーションが期待されていた。 マイクロソフトはIBM PC対応、すなわちPC DOS上で動作するアプリケーションとして Microsoft Multiplan を開発、販売しており、また8ビットパソコンにおいて人気のあった VisiCalc や SuperCalc などの移植も行われていたことから、IBM PCプラットフォームにおける先行ソフトは既に存在していた。 ロータス・デベロップメント(以下ロータス)は先行ソフトに対し優位に立つ為、他を圧倒する性能を追求し、1-2-3を開発した。1-2-3は豊富な機能、高速な再計算、強力なマクロ、アドインによる拡張性をセールスポイントに掲げ、先行していた他の表計算ソフトを圧倒してMS-DOS用アプリケーションソフトウェアのスタンダードとなることに成功した。 同ソフトの人気はIBM PC/ATとその互換機の売り上げを押し上げ、パソコン市場をIBM一色に塗り替えることに寄与した。高機能であるがゆえにメモリは256KBを要求されたが、1-2-3の人気はむしろ標準的なPC環境の高性能化を後押しした。マイクロソフトがIBM PCにバンドルされる「PC DOS」と同様のOSを「MS-DOS」として互換機メーカーに供給、および市販したことから、互換機上でも1-2-3を使うことができた。MS-DOSがCP/M-86との競争に勝利した理由の一つには、間違いなく1-2-3の存在があった。また、1-2-3の人気は、IBM純正機よりも、互換機の売り上げをより押し上げ、IBMのシェアは徐々に低下していった。当時、「PC/AT互換機」よりも「1-2-3互換機」(1-2-3 compatible)という呼称の方が一般的であったほどである。 また、Macintosh版もリリースされたが、ミッチ・ケイパーは Symphony や Jazz のような統合ソフト(integrated software)に期待しており1-2-3の将来性に否定的で、移植にも消極的であった。移植が行われてからもMS-DOS版との互換性の低さやGUIに適合しないインターフェースが利用者の不評を買い、Macintosh市場では存在感を示すまでに至らなかった。 マイクロソフトは、MS-DOS市場におけるMultiplanの敗北の反省に立ち、新規デザインの表計算ソフト Microsoft Excel (以下Excel)を開発し、来るべきOS/2時代での捲土重来を期した。次期プラットフォームはOS/2ではなくMicrosoft Windows(以下Windows)となったが、ExcelはWindowsの普及と歩調を合わせて販売本数を順調に増やしていった。しかし、1-2-3はWindowsへの対応が遅れ、プラットフォームを移してからもExcelとの性能差は開き続けた。特に初期のWindows版及びMacintosh版は、一見するとGUIアプリケーションにも関わらず、マウスによる操作はほぼ行えず、キーボードによる操作を要求するなどの致命的な問題を抱えていた。そんな中、ロータスがグループウェア Lotus Notes を主力に据えたこともあり、Windows版の開発は停滞、Macintosh版の開発は中止と、Excelとの差は埋めようがないほどにまで広がっていった。 ロータスはMicrosoft Officeに対抗すべく、オフィススイート Lotus SmartSuite(日本国内向けは「スーパーオフィス」)をリリースしたり、価格を引き下げたりして対抗したものの、オープンソースや他社の安価なソフトとの狭間で埋没し存在感を出せず、2013年6月11日に販売が終了した。年間継続サポート用のパーツに関しては2013年9月11日で提供が終了し、2014年9月30日に全製品のサポートが終了した。 MS-DOS時代においては、他のソフトに比べて先進的な機能を有していた。本項ではMS-DOS版のみについて述べる。 処理速度を向上させる為、アセンブリ言語で開発されていた。アセンブリ言語は、個々のハードウェアへの依存度が高く扱いも難しいが、コードは小さく、処理は速くできる。互換機メーカーや周辺機器メーカーの方が1-2-3に合わせて設計を行い、むしろIBM純正機との互換性確保の基準として扱われたこともあり、機種依存はほとんど問題とはならなかった。 また、Multiplanは旧機種との互換性にこだわっていた分、性能が犠牲になっていた。1-2-3はPC/AT以降(日本市場では加えてPC-9801)に特化することにより、描画スピードやメモリの利用効率の面で他の表計算ソフトを圧倒していた。特筆すべきは再計算の速さで、一説によると、環境にもよるがMultiplanの10倍程度であったともいわれている。 本体のみでデータベース作成やグラフ描画が可能だった。ミッチ・ケイパーはこれ以前に VisiCalc を拡張する VisiPlot や VisiTrend を開発しており、それらの機能を一本のアプリケーションに統合することで利便性を高めたのである。マルチタスクでないMS-DOS環境において、アプリケーションを終了することなくワークシート表示とグラフ描画を同時に行えるなどの利点があった。文章の表示にも優れていたため簡易なワープロとしても使用可能で、表を含む様な文書の場合、ワープロソフトより文書作成が楽な場合さえあった。(ただしジョナサン・ザックスは、世界初の統合ソフトである Context MBA の動作の遅さの原因がワープロ機能にあると看破し、あえてワープロに要求される機能を盛り込まなかった) その上、アドインにより様々な機能を追加することができ、更に強力なマクロ機能も有しており、応用範囲の広さに対する評価が非常に高かった。アドインやマクロは利用者自らによる作成にとどまらず、第三者の手によって開発され、商用ソフトとして市販されたり、PDSやシェアウェアの形で配布されることが多く、ユーザーにとっては更に利便性が高まり、それが1-2-3の人気をより押し上げる結果にもつながった。ユーザーはそれらにより独自の環境を構築することができ「1-2-3さえあれば他のアプリケーションは必要ない」とまで言われるほどだった。 後に1-2-3を模倣し、性能面で上回り、付加価値となる独自機能をも有していたアプリケーションも現れたが、既に高い信頼を得ていた1-2-3の牙城を崩すには至らなかった。 基本的なインターフェースはVisiCalcを模倣していた為、VisiCalcのユーザーは、ルックアンドフィールの違いに戸惑うことなく利用することができた。ワンキーメニュー呼び出し、ポップアップメニュー、F1キーによるヘルプ呼び出しなど、他のアプリケーションの標準的な操作方法は1-2-3により固まったといってよい。また、グラフィック機能を積極的に利用し、グラフを美しく描画することができた。IBM標準のグラフィックカードは、高解像度だがテキストしか扱えないMDAと、カラーグラフィックを扱えるが解像度の低いCGAだったが、1-2-3を快適に利用する為、解像度の高いHerculesが広く利用されていた。
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"ロータス・デベロップメント(以下ロータス)は先行ソフトに対し優位に立つ為、他を圧倒する性能を追求し、1-2-3を開発した。1-2-3は豊富な機能、高速な再計算、強力なマクロ、アドインによる拡張性をセールスポイントに掲げ、先行していた他の表計算ソフトを圧倒してMS-DOS用アプリケーションソフトウェアのスタンダードとなることに成功した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "同ソフトの人気はIBM PC/ATとその互換機の売り上げを押し上げ、パソコン市場をIBM一色に塗り替えることに寄与した。高機能であるがゆえにメモリは256KBを要求されたが、1-2-3の人気はむしろ標準的なPC環境の高性能化を後押しした。マイクロソフトがIBM PCにバンドルされる「PC DOS」と同様のOSを「MS-DOS」として互換機メーカーに供給、および市販したことから、互換機上でも1-2-3を使うことができた。MS-DOSがCP/M-86との競争に勝利した理由の一つには、間違いなく1-2-3の存在があった。また、1-2-3の人気は、IBM純正機よりも、互換機の売り上げをより押し上げ、IBMのシェアは徐々に低下していった。当時、「PC/AT互換機」よりも「1-2-3互換機」(1-2-3 compatible)という呼称の方が一般的であったほどである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、Macintosh版もリリースされたが、ミッチ・ケイパーは Symphony や Jazz のような統合ソフト(integrated software)に期待しており1-2-3の将来性に否定的で、移植にも消極的であった。移植が行われてからもMS-DOS版との互換性の低さやGUIに適合しないインターフェースが利用者の不評を買い、Macintosh市場では存在感を示すまでに至らなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは、MS-DOS市場におけるMultiplanの敗北の反省に立ち、新規デザインの表計算ソフト Microsoft Excel (以下Excel)を開発し、来るべきOS/2時代での捲土重来を期した。次期プラットフォームはOS/2ではなくMicrosoft Windows(以下Windows)となったが、ExcelはWindowsの普及と歩調を合わせて販売本数を順調に増やしていった。しかし、1-2-3はWindowsへの対応が遅れ、プラットフォームを移してからもExcelとの性能差は開き続けた。特に初期のWindows版及びMacintosh版は、一見するとGUIアプリケーションにも関わらず、マウスによる操作はほぼ行えず、キーボードによる操作を要求するなどの致命的な問題を抱えていた。そんな中、ロータスがグループウェア Lotus Notes を主力に据えたこともあり、Windows版の開発は停滞、Macintosh版の開発は中止と、Excelとの差は埋めようがないほどにまで広がっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ロータスはMicrosoft Officeに対抗すべく、オフィススイート Lotus SmartSuite(日本国内向けは「スーパーオフィス」)をリリースしたり、価格を引き下げたりして対抗したものの、オープンソースや他社の安価なソフトとの狭間で埋没し存在感を出せず、2013年6月11日に販売が終了した。年間継続サポート用のパーツに関しては2013年9月11日で提供が終了し、2014年9月30日に全製品のサポートが終了した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "MS-DOS時代においては、他のソフトに比べて先進的な機能を有していた。本項ではMS-DOS版のみについて述べる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "処理速度を向上させる為、アセンブリ言語で開発されていた。アセンブリ言語は、個々のハードウェアへの依存度が高く扱いも難しいが、コードは小さく、処理は速くできる。互換機メーカーや周辺機器メーカーの方が1-2-3に合わせて設計を行い、むしろIBM純正機との互換性確保の基準として扱われたこともあり、機種依存はほとんど問題とはならなかった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、Multiplanは旧機種との互換性にこだわっていた分、性能が犠牲になっていた。1-2-3はPC/AT以降(日本市場では加えてPC-9801)に特化することにより、描画スピードやメモリの利用効率の面で他の表計算ソフトを圧倒していた。特筆すべきは再計算の速さで、一説によると、環境にもよるがMultiplanの10倍程度であったともいわれている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "本体のみでデータベース作成やグラフ描画が可能だった。ミッチ・ケイパーはこれ以前に VisiCalc を拡張する VisiPlot や VisiTrend を開発しており、それらの機能を一本のアプリケーションに統合することで利便性を高めたのである。マルチタスクでないMS-DOS環境において、アプリケーションを終了することなくワークシート表示とグラフ描画を同時に行えるなどの利点があった。文章の表示にも優れていたため簡易なワープロとしても使用可能で、表を含む様な文書の場合、ワープロソフトより文書作成が楽な場合さえあった。(ただしジョナサン・ザックスは、世界初の統合ソフトである Context MBA の動作の遅さの原因がワープロ機能にあると看破し、あえてワープロに要求される機能を盛り込まなかった)", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "その上、アドインにより様々な機能を追加することができ、更に強力なマクロ機能も有しており、応用範囲の広さに対する評価が非常に高かった。アドインやマクロは利用者自らによる作成にとどまらず、第三者の手によって開発され、商用ソフトとして市販されたり、PDSやシェアウェアの形で配布されることが多く、ユーザーにとっては更に利便性が高まり、それが1-2-3の人気をより押し上げる結果にもつながった。ユーザーはそれらにより独自の環境を構築することができ「1-2-3さえあれば他のアプリケーションは必要ない」とまで言われるほどだった。 後に1-2-3を模倣し、性能面で上回り、付加価値となる独自機能をも有していたアプリケーションも現れたが、既に高い信頼を得ていた1-2-3の牙城を崩すには至らなかった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "基本的なインターフェースはVisiCalcを模倣していた為、VisiCalcのユーザーは、ルックアンドフィールの違いに戸惑うことなく利用することができた。ワンキーメニュー呼び出し、ポップアップメニュー、F1キーによるヘルプ呼び出しなど、他のアプリケーションの標準的な操作方法は1-2-3により固まったといってよい。また、グラフィック機能を積極的に利用し、グラフを美しく描画することができた。IBM標準のグラフィックカードは、高解像度だがテキストしか扱えないMDAと、カラーグラフィックを扱えるが解像度の低いCGAだったが、1-2-3を快適に利用する為、解像度の高いHerculesが広く利用されていた。", "title": "特徴" } ]
Lotus 1-2-3は、ロータスソフトウェア(旧ロータス・デベロップメント、現在はIBM傘下)が開発・販売していたパソコン用表計算ソフトである。 本ソフトウェアは、ロータス・デベロップメント社を代表する商品のひとつであった。日本においては単に「ロータス」または「1-2-3」(ワン・ツー・スリー、もしくは日本語でイチ・ニ・サン)と呼称されることも多い。 名称の「1-2-3」は、1.表計算機能、2.グラフ機能、3.データベース機能 の3つの機能を併せ持つことに由来する。 Lotus 1-2-3は、MS-DOS用表計算ソフトの代名詞的存在となり、当時世界で最も売れたパソコン用アプリケーションソフトウェアとなった。特に北米市場ではIBM PC/ATおよびその互換機のキラーアプリケーションとなり、日本市場においても一時期はワープロソフトにおけるジャストシステムの一太郎と同様に、PC-9800シリーズを中心とするMS-DOSパソコン向け表計算ソフトのシェアトップを占めた。しかし、x86プラットフォームにおける主要なオペレーティングシステムがMS-DOSからMicrosoft Windowsへ移行するに従い、早期にWindowsに対応したMicrosoft Excelの攻勢の前に劣勢に立たされ、シェアを失った。 2006年12月時点での最終バージョンは「release 9.8」(日本では「2001」)であり、その後バージョンアップは行われていない。またロータス・スーパーオフィスも含め、Microsoft Windows Vista以降のWindows OSには対応しなかった。マイクロソフトによるMicrosoft Windows XPのサポート終了にともない、単品販売のMillennium Editionとスーパーオフィスは営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了した。 日本では、2003年10月よりソースネクストから価格を1980円に引き下げて販売されたが、2008年時点で既に単品販売は終了しており、その後はロータス・スーパーオフィスの形で2970円で発売されていた(サポートは引き続きIBMが行う)。 最終的な累計出荷本数は、全世界で500万本以上とされる。
{{Infobox Software | 名称 = Lotus 1-2-3 | ロゴ = [[ファイル:Lotus1-2-3 R2 logo.svg|128px]] | スクリーンショット = [[File:Lotus 1-2-3 on PC-98 DOS spreadsheet.jpg|300px]] | 説明文 = [[PC-9800シリーズ]]用[[MS-DOS]]版Lotus 1-2-3 | 開発者 = | 開発元 = [[ロータス (ソフトウェア)|ロータスソフトウェア]]<br>[[IBM]] (1995年 -) | 初版 = {{Flagicon|USA}}{{release date and age|1983|1|26}}<ref>{{cite web|url=https://books.google.co.jp/books?id=iJkjDAAAQBAJ&lpg=PA22&ots=5Vyk4Rd06G&hl=ja&pg=PA22|title=Dependency|author=AnVi OpenSource Knowledge Trust.|accessdate=2016-06-15}}</ref><br>{{Flagicon|JPN}}{{release date and age|1986|9|5}}<ref name=":0">「パソコンソフト世界最大の米ロ社上陸に揺れる、発売早々国内トップ。」『日本経済新聞』 1986年10月14日朝刊、20面</ref> | 最新版 = 9.8.2 | 最新版発表日 = {{release date and age|2002}}<!-- 最新版(安定版)の発表日。{{release date and age|年|月|日}} 等のテンプレートが便利 --> | 最新評価版 = | 最新評価版発表日 = <!-- 最新評価版の発表日。{{release date and age|年|月|日}} 等のテンプレートが便利 --> | プログラミング言語 = | 対応OS = [[MS-DOS]], [[OS/2]], [[Microsoft Windows|Windows]], [[Mac OS]] | エンジン = <!-- ソフトが使用しているエンジン。ウェブブラウザにおけるレンタリングエンジン(Gecko、WebKit)など --> | 対応プラットフォーム = | サイズ = | 対応言語 = | サポート状況 = サポート終了<span style="font-size:80%"> - 2014年9月30日</span><ref name=":1">{{Cite web|和書|url=http://www-01.ibm.com/common/ssi/ShowDoc.wss?docURL=/common/ssi/rep_ca/8/760/JAJPJP13-0208/index.html&lang=en&request_locale=jp|title=ソフトウェアの営業活動終了およびサポートの終了: Lotus SmartSuite、Lotus Organizer、および Lotus 123|author=IBM|accessdate=2013年7月13日}}</ref> | 種別 = [[表計算ソフト]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = }} [[File:Lotus 1-2-3 on PC-98 DOS chart.jpg|thumb|PC-9800シリーズ用MS-DOS版Lotus 1-2-3で作成したグラフ]] '''Lotus 1-2-3'''(ロータス ワン・ツー・スリー)は、[[ロータス (ソフトウェア)|ロータスソフトウェア]](旧ロータス・デベロップメント、現在は[[IBM]]傘下)が開発・販売していた[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]用[[表計算ソフト]]である。 本ソフトウェアは、ロータス・デベロップメント社を代表する商品のひとつであった。日本においては単に「'''ロータス'''」または「'''1-2-3'''」(ワン・ツー・スリー、もしくは[[日本語]]でイチ・ニ・サン)と呼称されることも多い。 名称の「1-2-3」は、1.表計算機能、2.グラフ機能、3.データベース機能 の3つの機能を併せ持つことに由来する。 Lotus 1-2-3は、MS-DOS用表計算ソフトの代名詞的存在となり、当時世界で最も売れたパソコン用[[アプリケーションソフトウェア]]となった。特に北米市場では[[PC/AT|IBM PC/AT]]および[[PC/AT互換機|その互換機]]の[[キラーアプリケーション]]となり、日本市場においても一時期は[[ワープロソフト]]における[[ジャストシステム]]の[[一太郎]]と同様に、[[PC-9800シリーズ]]を中心とするMS-DOSパソコン向け表計算ソフトのシェアトップを占めた。しかし、[[x86|x86プラットフォーム]]における主要な[[オペレーティングシステム]]がMS-DOSからMicrosoft Windowsへ移行するに従い、早期にWindowsに対応した[[Microsoft Excel]]の攻勢の前に劣勢に立たされ、シェアを失った。 2006年12月時点での最終バージョンは「release 9.8」(日本では「2001」)であり、その後バージョンアップは行われていない。また[[ロータス・スーパーオフィス]]も含め、[[Microsoft Windows Vista]]以降のWindows OSには対応しなかった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www-304.ibm.com/support/docview.wss?q1=1-2-3&rs=607&uid=swg21465339&context=SWD00&cs=utf-8&wv=1&lang=ja&loc=ja_JP |title=スーパーオフィス製品の Microsoft Windows Vista に対するサポートについて |publisher=IBM |accessdate=2014-10-04}}</ref>。[[マイクロソフト]]による[[Microsoft Windows XP]]のサポート終了にともない、単品販売のMillennium Editionとスーパーオフィスは営業活動を2013年9月11日には終了し、2014年9月30日にサポートも終了した<ref name=":1" />。 日本では、2003年10月より[[ソースネクスト]]から価格を1980円に引き下げて販売されたが、2008年時点で既に単品販売は終了しており、その後はロータス・スーパーオフィスの形で2970円で発売されていた(サポートは引き続きIBMが行う)。 最終的な累計出荷本数は、全世界で500万本以上とされる<ref>[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130704/1050560/?P=2 “さよならロータス1-2-3”…全世界累計500万本出荷からの転落]、[[日経トレンディ|日経トレンディネット]]、2013年7月10日。</ref>。 == 歴史 == [[File:Lotus-123-3.0-MSDOS.png|thumb|[[IBM PC]]用MS-DOS版Lotus 1-2-3]] Lotus 1-2-3 は[[1983年]]、[[ミッチ・ケイパー]]発案のもと、[[ジョナサン・ザックス]]により開発された。[[アメリカ合衆国]]においては、家庭におけるパソコンの用途のひとつとして、表計算ソフトが普及していた。Lotus 1-2-3(以下1-2-3)以前には[[Apple II]]等で利用できる[[ビジコープ]]社の [[VisiCalc]] がベストセラーとなっており、16ビットパソコンである[[IBM PC]]においても同様のアプリケーションが期待されていた。 マイクロソフトはIBM PC対応、すなわちPC DOS上で動作するアプリケーションとして [[Microsoft Multiplan]] を開発、販売しており、また[[8ビットパソコン]]において人気のあった VisiCalc や [[SuperCalc]] などの移植も行われていたことから、IBM PCプラットフォームにおける先行ソフトは既に存在していた。 ロータス・デベロップメント(以下ロータス)は先行ソフトに対し優位に立つ為、他を圧倒する性能を追求し、1-2-3を開発した。1-2-3は豊富な機能、高速な再計算、強力な[[マクロ言語|マクロ]]、[[アドイン]]による拡張性をセールスポイントに掲げ、先行していた他の表計算ソフトを圧倒してMS-DOS用アプリケーションソフトウェアのスタンダードとなることに成功した。 同ソフトの人気はIBM PC/ATとその互換機の売り上げを押し上げ、パソコン市場をIBM一色に塗り替えることに寄与した。高機能であるがゆえにメモリは256KBを要求されたが、1-2-3の人気はむしろ標準的なPC環境の高性能化を後押しした。マイクロソフトがIBM PCにバンドルされる「PC DOS」と同様のOSを「MS-DOS」として互換機メーカーに供給、および市販したことから、互換機上でも1-2-3を使うことができた。MS-DOSが[[CP/M-86]]との競争に勝利した理由の一つには、間違いなく1-2-3の存在があった。また、1-2-3の人気は、IBM純正機よりも、互換機の売り上げをより押し上げ、IBMのシェアは徐々に低下していった。当時、「PC/AT互換機」よりも「1-2-3互換機」(''1-2-3 compatible'')という呼称の方が一般的であったほどである。 また、Macintosh版もリリースされたが、ミッチ・ケイパーは Symphony や [[Lotus Jazz|Jazz]] のような[[ソフトウェアスイート|統合ソフト]](integrated software)に期待しており1-2-3の将来性に否定的で、移植にも消極的であった。移植が行われてからもMS-DOS版との互換性の低さや[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]に適合しないインターフェースが利用者の不評を買い、Macintosh市場では存在感を示すまでに至らなかった。 マイクロソフトは、MS-DOS市場におけるMultiplanの敗北の反省に立ち、新規デザインの表計算ソフト [[Microsoft Excel]] (以下Excel)を開発し、来るべき[[OS/2]]時代での捲土重来を期した。次期プラットフォームはOS/2ではなくMicrosoft Windows(以下Windows)となったが、ExcelはWindowsの普及と歩調を合わせて販売本数を順調に増やしていった。しかし、1-2-3はWindowsへの対応が遅れ、プラットフォームを移してからもExcelとの性能差は開き続けた。特に初期のWindows版及びMacintosh版は、一見するとGUIアプリケーションにも関わらず、マウスによる操作はほぼ行えず、キーボードによる操作を要求するなどの致命的な問題を抱えていた。そんな中、ロータスがグループウェア [[Lotus Notes]] を主力に据えたこともあり、Windows版の開発は停滞、Macintosh版の開発は中止と、Excelとの差は埋めようがないほどにまで広がっていった。 ロータスは[[Microsoft Office]]に対抗すべく、オフィススイート Lotus SmartSuite(日本国内向けは「[[ロータス・スーパーオフィス|スーパーオフィス]]」)をリリースしたり、価格を引き下げたりして対抗したものの、オープンソースや他社の安価なソフトとの狭間で埋没し存在感を出せず、2013年6月11日に販売が終了した。年間継続サポート用のパーツに関しては2013年9月11日で提供が終了し、2014年9月30日に全製品のサポートが終了した<ref>{{Cite web|和書|author=Colin Barker |date=2014-10-03 |url=http://japan.zdnet.com/business-application/analysis/35054653/ |title=さようなら、「Lotus 1-2-3」--サポート終了で31年の歴史に幕 |work=ZDNet Japan |publisher=朝日インタラクティブ |accessdate=2014-10-04}}</ref>。 == 特徴 == MS-DOS時代においては、他のソフトに比べて先進的な機能を有していた。本項ではMS-DOS版のみについて述べる。 === 処理速度 === 処理速度を向上させる為、[[アセンブリ言語]]で開発されていた。アセンブリ言語は、個々のハードウェアへの依存度が高く扱いも難しいが、コードは小さく、処理は速くできる。互換機メーカーや周辺機器メーカーの方が1-2-3に合わせて設計を行い、むしろIBM純正機との互換性確保の基準として扱われたこともあり、機種依存はほとんど問題とはならなかった。 また、Multiplanは旧機種との互換性にこだわっていた分、性能が犠牲になっていた。1-2-3はPC/AT以降(日本市場では加えてPC-9801)に特化することにより、描画スピードやメモリの利用効率の面で他の表計算ソフトを圧倒していた。特筆すべきは再計算の速さで、一説によると、環境にもよるがMultiplanの10倍程度であったともいわれている。 === 機能 === 本体のみでデータベース作成やグラフ描画が可能だった。ミッチ・ケイパーはこれ以前に VisiCalc を拡張する VisiPlot や VisiTrend を開発しており、それらの機能を一本のアプリケーションに統合することで利便性を高めたのである。[[マルチタスク]]でないMS-DOS環境において、アプリケーションを終了することなくワークシート表示とグラフ描画を同時に行えるなどの利点があった。文章の表示にも優れていたため簡易な[[ワープロ]]としても使用可能で、表を含む様な文書の場合、ワープロソフトより文書作成が楽な場合さえあった。(ただしジョナサン・ザックスは、世界初の統合ソフトである Context MBA の動作の遅さの原因がワープロ機能にあると看破し、あえてワープロに要求される機能を盛り込まなかった) その上、アドインにより様々な機能を追加することができ、更に強力なマクロ機能も有しており、応用範囲の広さに対する評価が非常に高かった。アドインやマクロは利用者自らによる作成にとどまらず、第三者の手によって開発され、商用ソフトとして市販されたり、[[パブリックドメインソフトウェア|PDS]]や[[シェアウェア]]の形で配布されることが多く、ユーザーにとっては更に利便性が高まり、それが1-2-3の人気をより押し上げる結果にもつながった。ユーザーはそれらにより独自の環境を構築することができ「1-2-3さえあれば他のアプリケーションは必要ない」とまで言われるほどだった。 後に1-2-3を模倣し、性能面で上回り、付加価値となる独自機能をも有していたアプリケーションも現れたが、既に高い信頼を得ていた1-2-3の牙城を崩すには至らなかった。 === インターフェース === 基本的なインターフェースはVisiCalcを模倣していた為、VisiCalcのユーザーは、ルックアンドフィールの違いに戸惑うことなく利用することができた。ワンキーメニュー呼び出し、ポップアップメニュー、F1キーによるヘルプ呼び出しなど、他のアプリケーションの標準的な操作方法は1-2-3により固まったといってよい。また、グラフィック機能を積極的に利用し、グラフを美しく描画することができた。IBM標準のグラフィックカードは、高解像度だがテキストしか扱えない[[Monochrome Display Adapter|MDA]]と、カラーグラフィックを扱えるが解像度の低い[[Color Graphics Adapter|CGA]]だったが、1-2-3を快適に利用する為、解像度の高い[[Hercules Graphics Card|Hercules]]が広く利用されていた。 == 日本語版のバージョン履歴 == === DOS版 === * 1986年9月5日 - 「1-2-3 リリース2J」(NEC PC-98用)を発売<ref name=":0"/>。(以下、「リリース」を「R」とする。)日本語版独自の機能として、MS-DOS無償再販許諾の制度を利用したMS-DOS 2.0、および日本語入力ソフト「[[松 (ワープロ)|松茸86]]」をバンドル。また、罫線による作表、[[ローソク足チャート]]などのグラフの追加がある<ref>{{Cite news| url= https://books.google.co.jp/books?id=by8EAAAAMBAJ&lpg=PA9&dq=infoworld%20lotus%20japan&hl=ja&pg=PA9 | title=Lotus Perseveres to Unveil Japanese Version of 1-2-3 | accessdate= 2016-05-02 | author=Edward Warner | date=1986-09-08 | publisher=InfoWorld | pages=9}}</ref>。同年10月、IBM [[マルチステーション5550|5550]]用発売。 * 1987年10月 - 「1-2-3 R2.1J」(PC-98用)発売<ref>{{Cite journal|和書|last=|author=|first=|year=1987|title=ASCII EXPRESS: ロータスが1-2-3のバージョンアップ版とアドイン日本語ワープロ「4Word」を発表|url=|journal=[[月刊アスキー]]|volume=11|issue=10|page=|pages=}}</ref>。同年11月、IBM [[PS/55]]用発売。翌年、富士通[[FMR]]、松下[[Panacom|PanacomM]]、東芝[[J-3100]]、日立B16シリーズ用発売。 * 1989年2月 - 「1-2-3 R2.1J plus」発売<ref>{{Cite journal|last=|first=|date=1989-07-24|year=|title=表計算ソフトの新しい世界 : 第2部 徹底比較研究 : 代表的表計算ソフト|journal=日経パソコン|page=198}}</ref>。 * 1990年2月 - 「1-2-3 R2.2J」発売<ref>{{Cite journal|和書|author=|year=1990|title=ASCII EXPRESS : ロータス、1-2-3をバージョンアップ|journal=[[月刊アスキー]]|volume=14|issue=3|page=}}</ref>。 * 1991年9月 - 「1-2-3 R2.3J」発売<ref name="名前なし-1">「ロータス、「1-2-3」強化版を発売。」『日経産業新聞』 1991年7月6日、5面。</ref>。 * 1993年9月 - 「1-2-3 R2.4J」発売<ref>「ロータスが新版、「MS-DOS」対応ソフト―表計算のシート上で。」『日経産業新聞』 1993年8月4日、6面。</ref>。 * 1995年7月 - 「1-2-3 R2.5J MS-DOS対応版」発売<ref>{{Wayback|url=http://www2.lotus.co.jp/info_qa/2456.htm|date=19991001192716|title=Q&A集 1-2-3 R2.5J MS-DOS対応版 発売日・パッケージ内容を教えてください}}</ref>。 === OS/2版 === * 1990年6月 - 「1-2-3 R3J」発売<ref>「ロータスが発売、表計算ソフト1-2-3―日本語OS/2版。」『日経産業新聞』 1990年6月29日、6面</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=|year=1990|title=ASCII EXPRESS : ロータスがOS/2対応のLotus 1-2-3 R3Jを開発|journal=[[月刊アスキー]]|volume=14|issue=5|page=}}</ref>。PS/55用OS/2 J1.0対応。 * 1993年12月24日 - 「1-2-3 OS/2対応」発売<ref>「ロータスが発売、「OS/2」対応表計算ソフト」『日経産業新聞』 1993年11月24日、7面。</ref>。OS/2 J2.0以上対応。 === Windows版 === * 1991年11月15日 - 「1-2-3/Windows R1.0J」発売<ref>「ロータス、「1-2-3」発表、日本語版W3.0対応。」『日経産業新聞』 1991年9月19日、9面。</ref>。[[Windows 3.0]]日本語版に対応。 * 1992年6月2日 - 「1-2-3/Windows R1.1J」発売<ref>「ロータス、「1-2-3」最新版―書体設定など多様に。」『日経産業新聞』 1992年6月2日、6面。</ref>。 * 1993年7月16日 - 「1-2-3 R4J Windows対応版」発売<ref>「ロータス、ウィンドウズ3.1対応ソフト4製品を投入―「表計算」など対象。」『日経産業新聞』 1993年6月16日、6面。</ref>。Windows 3.1日本語版に対応。 * 1994年9月22日 - 「1-2-3 R5J Windows対応版」発売<ref>「ロータス、「オフィス」改良版2種―ソフト間の連携を強化。」『日経産業新聞』 1994年8月24日、6面</ref>。 * 1995年12月23日 - 「1-2-3 R5J Windows95対応版」発売<ref>「ロータス、「95」対応版、来月に―32ビット構造にし高速化。」『日経産業新聞』 1995年11月16日、8面</ref>。 * 1997年4月11日 - 「1-2-3 97」発売<ref>{{Wayback|url=http://www2.lotus.co.jp/info_qa/231a.htm|date=19991010022935|title=Q&A集 1-2-3 97 発売日・パッケージ内容を教えてください}}</ref>。 * 1998年6月5日 - 「1-2-3 98」発売<ref>{{Wayback|url=http://www2.lotus.co.jp/info_qa/269e.htm|date=19991117022812|title=Q&A集 1-2-3 98 発売日・パッケージ内容を教えてください}}</ref>。 * 1999年7月2日 - 「1-2-3 2000」発売。 * 2001年7月27日 - 「1-2-3 2001」発売。 == 出荷本数 == * 全世界 ** 1983年1月 - アメリカ合衆国にて発売。初年度6万本販売<ref>{{Cite journal|author=|year=|date=1991-08-12|title=The secret history of the IBM PC gamble|url=https://books.google.co.jp/books?id=lFAEAAAAMBAJ&lpg=PA47&dq=lotus%20copies%20million&hl=ja&pg=PA47|journal=Infoworld|volume=|page=47|accessdate=2017-02-18}}</ref>。 ** 1987年1月 - 200万本<ref>{{Cite journal|author=|year=|date=1987-02-09|title=SPREADSHEETS|url=https://books.google.co.jp/books?id=BDwEAAAAMBAJ&lpg=PA43&hl=ja&pg=PA43|journal=Infoworld|volume=|page=43|accessdate=2017-02-18}}</ref>。 ** 1996年7月 - 2200万本<ref name=":2">「「ロータス1-2-3」、累計500万本突破。」『日経産業新聞』 1996年7月17日、9面。</ref>。 * 日本 ** 1986年9月 - 日本にて発売。 ** 1989年8月 - 20万本<ref>{{Cite journal|和書|date=1989-7-24|title=特集 : 表計算ソフトの新しい世界|journal=[[日経パソコン]]|pages=186-223}}</ref>。 ** 1991年7月 - 50万本<ref name="名前なし-1"/>。 ** 1993年2月 - 100万本<ref name=":2" />。 ** 1996年1月 - 400万本<ref name=":2" />。 ** 1996年7月 - 500万本<ref name=":2" />。 == 参考文献 == * ダニエル・イクビア/スーザン・L・ネッパー著、椋田直子訳(1992)『マイクロソフト-ソフトウェア帝国誕生の軌跡-』ISBN 978-4756101181, アスキー * 相田洋、大墻敦著(1996)『新・電子立国 第3巻 世界を変えた実用ソフト』ISBN 978-4140802731, 日本放送出版協会 * 脇英世(1994)『ビル・ゲイツの野望 マイクロソフトのマルチメディア戦略』ISBN 978-4062072618, 講談社 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ロータス・スーパーオフィス]] * [[HP200LX]]([[Read Only Memory|ROM]]化された1-2-3を搭載した[[PC/XT]]互換ハンドヘルドコンピュータ) * [[ダイナブック (東芝)]](シリーズ内のDynabook EZにおいてROM化された1-2-3を搭載していた) * [[管理工学研究所]](リリース2の日本語化を担当) {{表計算ソフト}} {{Normdaten}} [[Category:IBMのソフトウェア]] [[Category:表計算ソフト]] [[Category:DOSのソフトウェア]] [[Category:Windowsのソフトウェア]] [[Category:1983年のソフトウェア]] [[Category:アセンブリ言語]]
2003-06-08T06:55:13Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Lotus_1-2-3
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ロータス・カーズ
ロータス・カーズ(Lotus Cars)は、イギリス・ノーフォークを拠点とするスポーツカーメーカーである。ライトウェイトスポーツを主力モデルとしている。 会社組織の本体はグループ・ロータス(Group Lotus plc)であり、乗用車の製造・販売を行うロータス・カーズ(Lotus Cars Ltd.)、またその傘下に自動車技術に関するコンサルタント業を行うロータス・エンジニアリング(Lotus Engineering)部門がある。 1996年以降、マレーシアの国有自動車会社プロトンの子会社となり、2017年5月に吉利汽車がロータス・カーズの株式の51%を取得した。 1947年、当時ロンドン大学の学生であったコーリン・チャップマンは副業として中古車販売業を営んでおり、そこであまりに旧式なため売れ残った1928年型オースチン・7(セブン) を自分用のレーシングカーに改造することを思いついた。 彼は事業パートナーであったコーリン・デア、ディレック・ウェットン、そしてガールフレンドであったヘイゼル・ウィリアムズらとともに旧式のシャシを初めとする大部分を作り直し別の車と言ってよいほどの大幅な改造を施した。この作業はロンドンのミューセル・ヒルにあったウィリアムズの実家のガレージで行われたという。 完成した車は別の車として登録 され、翌1948年にはマイナーレースに参戦する。しかしチャップマンはこの車のベースとなったオースチン・7のエンジンパワーでは本格的なレースに参戦するのは不充分と考えており、すぐにより強力なフォード製「フォード8」エンジンを搭載した次モデルの構想に着手する。この次期モデルは「ロータス」と名付けられ、1949年に完成した。これが最初にロータスと呼ばれた車である。 ロータスはチャップマンが完成させた2番目の車であることからマーク2と呼ばれ、それに伴って最初の車はマーク1と呼ばれることになった。マーク2は完成してすぐさらに強力な「フォード10」エンジンへと換装され、レースに参戦するのは翌1950年からとなった。マーク2は高い戦闘力を発揮し、チャップマンとヘイゼルの手で総合優勝4回、クラス優勝4回と好成績を挙げる。特に同年6月3日にシルバーストン・サーキットで開催されたエイトクラブ主催のレースでは、現在のF1マシンに当たるグランプリレーサーのブガッティ・タイプ37と競り合い、優勝してしまう。 相手が型落ち のGPレーサーとはいえ、無名のガレージ作成のレーシングカーが勝利したことは驚異であり、チャップマンは大いに注目されることとなる。マーク2は初の顧客となるマイク・ローソンに売却され、その後も好成績を挙げた。 チャップマンはより本格的なレーシングカーの開発に着手し、新たな協力者としてマイケルとナイジェルのアレン兄弟を迎え、彼らが所有していた郊外のガレージで販売を目的としたレーシングカー、マーク3、マーク4を完成させる。特にマーク3は当時のイギリスで人気のあったフォーミュラ750カテゴリで無類の強さを発揮し、ロータスの名は着実に高まっていった。本格的なレーシングカー製造販売を目指していたチャップマンは、マーク3の成功により、いよいよ市販モデルの構想に着手する。 それまでのワンオフに近いモデルとは異なり、最初から量産を想定したモデルはマーク6と呼ばれ、その実現のためチャップマンはマイケル・アレンとともに1952年1月1日、ロンドンのホーンジー、トテナム通りにロータス・エンジニアリングを設立した。 マーク6はそれまでの市販車ベースの改造ではなく、専用設計されたシャシを持つ最初のロータスとなった。プロトタイプは順調に完成し、テストを兼ねて1952年7月からレースにエントリーするが、その年の8月アレンが公道で運転中にクラッシュ、これがきっかけとなりアレン兄弟はロータスを離れることになった。 創業メンバーの半数を失い、スタート間もないロータスは危機を迎えるが、チャップマンとその婚約者であるヘイゼルを取締役とし、そしてエンジニアとして新たにマイク・コスティン を迎え1954年1月1日に株式会社として再出発することとなる。マイク・コスティンは生産技術者として非凡な才能を発揮し、生産型マーク6はその年の前半には顧客に渡された。 元々レーシングカーであるマーク6は様々なエンジンを搭載することを前提としており、また基本コンポーネントに様々なオプションを組み合わせる形でキットフォームとして販売された。軽量なスペースフレームを持つマーク6はその高性能とは裏腹に、同レベルのライバル車に比べて安価であり、プライベートレーサー達に好評をもって受け入れられた。マーク6は1955年まで製造され、100台から110台が出荷されたが、その間ロータスの工場はほぼフル生産であったという。 マーク6の成功で充分な資金を調達できたロータスは、マーク6を元に、より軽いシャシ、より洗練されたボディを持つ新しいレーシングカーの開発に着手する。本格的に空力を考慮したボディは、マイク・コスティンの兄であるフランク・コスティンの手によって開発された。この後コスティン兄弟は開発、生産エンジニアとして創成期のロータスを支えることとなる。 マーク8と呼ばれるこのモデルは1954年4月には完成、そのシーズンのレースにエントリーしている。1955年、ロータスはマーク6の成功によって自動車製造販売組合に加入し、正式に自動車メーカーとして認知された。これにより同年のアールズ・コート・モーターショーに出品が認められ、ロータスはこのショーにマーク8の発展型、マーク9のベアシャシを出品する。マーク9はその後、発展系としてマーク10そしてイレブンまで開発される。イレブンは1956年のシリーズ1、1957年のシリーズ2と総計して270台が製造された。 イレブンまでのレーシングカー販売によって充分な資金を調達したロータスは、次のステップである国際格式レースへ参戦と本格的な市販車の製造販売に歩みを進める。そして1957年10月のアールズ・コート・モータショーにて市販スポーツカーのセブン、ロータス初のクーペボディを持つタイプ14エリート、そしてフォーミュラ2レーシングカーのタイプ12を同時に発表、2つの目標を公に発表する。 タイプ12はGP参戦までを視野に入れた本格的シングルシータレーシングカーであり、ロータス・カーズはそれまでチャップマンらのクラブチーム的存在であったチーム・ロータスを本格的なワークス・チームとして再編し、1957年から国際格式として開催されたフォーミュラ2へ参戦、そして翌1958年5月のモナコグランプリでチーム・ロータスはついにGPへと参戦する。 一方、タイプ14エリートはFRPフルモノコックフレーム(日本のフジキャビンに続き史上2番目のFRPモノコック市販車)とタイプ12ゆずりの前後サスペンション、世界最速の消防ポンプと詠われたエンジン、コヴェントリー・クライマックス製FWA型 を搭載する高級GTとして発表、市販がアナウンスされると同時に驚愕と絶賛の声を浴びる。そしてマーク6のデザインを受け継ぐ安価な量産スポーツカーとしてセブンも従来の顧客層から好評をもって受け入れられた。 ロータスは同時に3種のニューモデルに着手したこともあり、エリートの開発だけでホーンジーでは手狭となってしまい、機密保持の目的もあってロンドン側のエドモントンに新たなデザイン拠点を構える。しかしホーンジー、エドモントンともに本格的な量産車の製造工場としてはキャパシティが不足していることは明白であった。 チャップマンは当初ホーンジー近辺に工場を構えようと考えていたが、イギリスにおける法律上の規制から諦めざるをえず、代わりにハートフォードシャーのチェスハントに生産開発の拠点を移すことになる。この移転とほぼ同時、量産車の開発生産を受け持つ「ロータス・カーズ」、レーシングカーの開発生産を受け持つ「ロータス・コンポーネンツ」、そして全体を統括する「ロータス・エンジニアリング」とグループ体制に再編される。 セブンは1958年の春より、エリートは多少開発を手間取りはしたものの、12月にはリリースが開始された。レーシングカーではタイプ12の後継であるタイプ16を経て、新たにミッドシップレイアウトを導入したタイプ18が名門チームであるロブ・ウォーカー・レーシングチームに販売され、1960年5月29日、スターリング・モスの手によって記念すべきGP初勝利を達成する。 順風満帆に見えたロータスグループであったが、実際には経営状況が悪化の一途をたどっていた。GPマシンの開発とGP参戦は、それまでとは桁の違う費用が必要とされ、ロータスの財政を圧迫した。一方で、収入をまかなうはずのセブンとエリートの利益は、決して充分なものではなかったのである。 クラブマン向けレーサーであったセブンは安価ゆえに人気となったが、シャシ生産に多くのハンドワーク工程を必要とし、そのシンプルさとは裏腹に高コストな商品で、利益は限られていた。一方高級GTとして販売され、高い利益をもたらすはずであったエリートは、注文こそ順調であったが、複雑で類をみない製造工程で思うように生産台数を伸ばせず、さらにFRPモノコックとレーシングカーのサスペンションはともに信頼性に乏しく、ロータスはクレーム対応に追われ、さらに利益率は低下した。1959年の時点では、エリートは販売するたびに利益どころか赤字になるような状態であった。 ロータス・カーズは確実に利益をもたらす商品を一刻も早く開発する必要に迫られた。このような状況下、新たに市販モデルのエンジニアとしてロータスに入ったロン・ヒックマンにより、タイプ26エランが生み出される。 当初ロータス・カーズはセブンの置き換えを想定しており、その新型スポーツカーとエリートとのラインナップを予定していたのである。シャシデザインもエリートのFRPモノコックの流用を予定していたが、開発を急ぐ必要があったこと、エリートでのトラブル状況から断念を余儀なくされた。 ヒックマンはFRPフルモノコックに変わる新しいシャシデザインとして、プレス鋼板を溶接によって組み立てたバックボーンフレームにエンジン、トランスミッション、サスペンションなどの主要ASSYをレイアウトし、それらの応力を負担しないFRPのボディをかぶせるデザインを考案した。 バックボーンフレームシャシは、セブンのスペースフレームに比較して圧倒的に製作時間を短縮でき、なによりも精度を容易に確保することができた。この生産性の向上こそ、この時ロータス・カーズに最も求められていた要素である。バックボーンフレームの採用により開発は順調に進み、本格的な開発開始からわずか2年後の1962年には量産がスタートしている。 1962年のアールズ・コート・モーターショーに出品されたエランは、完成車で1,495ポンド、キットカーフォームで1,095ポンドと発表され、そのセブン並の価格は大いに話題となり、オーダーは順調に延びていった。エランはシリーズ4まで発展し、1973年まで12年に渡って販売され、総数12,000台以上がデリバリーされた。 エランで確立したバックボーンシャシデザインは、この後35年に渡って全ロータスプロダクションモデルの基本デザインとして採用されることになる。 エランは北米にも多数が輸出され、ロータスは国際的に認知度を高めた。また、その生産性の高さは製造コストを抑え、安定した利益をロータスにもたらした。 エリートの商業的失敗は大きく、ロータスの財政的回復はまだ充分とは言えなかったが、この危機をロータスはまったく新しいビジネスにより克服する。 1960年の前半、アメリカのフォードはモータースポーツによる企業イメージの向上を目的として、当時隆盛であったサルーンカーレースに参戦することを計画していた。しかし、自社で充分なノウハウを持ち合わせていなかったフォードは、自社の車をベースに大幅なチューンを施したレース用の専用モデルの開発と生産をロータスに依頼したのである。 ベースとなる車両にはコンサル・コーティナが選ばれ、その高性能バージョンであるコーティナGTをさらにチューンし、1,000台の生産規定台数で所得できた、当時のFIAグループ2のホモロゲーションを受けるプランがスタートした。 最終的にロータスはコーティナのチューンはもちろん、レーシングバージョンの開発、さらにはプロダクションモデルの生産までを請け負ったのである。 正式にロータスのナンバー、タイプ28が与えられたコーティナ・ロータス はチェスハントの工場で組み立てが行われ、1966年までの3年間で2,800台あまりをラインアウトさせた。コーティナ・ロータスは、当初の目的であったレースでも実力をいかんなく発揮し、そのおとなしいサルーンの外観に似つかわしくない高性能ぶりから、「羊の皮を着た(または被った)狼」と例えられた。 この成功は、実質的にエランしか収入源がなかったロータスに大きな財政的安定をもたらし、「レーシングエンジニアリングのコンサルタント」という新たなビジネスをも開拓したのである。またレースフィールドに留まらず、あらゆる分野におけるエンジニアリングコンサルティングというロータスの3番目のビジネスを後に確立する礎ともなった。 エランとコーティナ・ロータスの成功により経済的な余裕を得たロータスは、GPにおいても快進撃を見せる。初参戦から5年後の1963年、革新的な軽量モノコックシャシを採用したタイプ25と名手ジム・クラークを擁してコンストラクタ・タイトルを獲得。その後、インディ500を制覇し、コスワースと組んで名基DFVエンジンを開発するなど、モータースポーツ界を象徴する名門チームのひとつに成長した。 1966年、ロータスは自身が本格的にGPに持ち込み、その後レーシングフィールドではセオリーとして定着しつつあった、ミッドシップレイアウトを採用した量産スポーツカーを発表した。イギリス以外のヨーロッパ大陸をメインターゲットとして、当初左ハンドル仕様のみとされたタイプ46ヨーロッパは、かつてのセブン同様、レーシングカーの技術をロードカーに持ち込んだ安価なスポーツカーというコンセプトの元に開発された。 ヨーロッパはヨーロッパ大陸と北米をメインターゲットとして、エランで成し遂げられなかったセブンの後継モデルとして位置づけがなされたのである。軽量で優れたハンドリングを発揮したヨーロッパは人気を博し、1968年からのシリーズ2ではイギリス国内向けの右ハンドルもデリバリーが開始された。 ヨーロッパのデビューに先立つ1965年、ロータス・カーズはモーターショーに、エランのシャシをストレッチしてクーペボディを架装した2+2のショーモデルを発表、委託生産のコーティナ以外は全て2シーターモデルのみであったロータスにとって、初の4シーターモデルであった。 メティエと呼ばれたこのプロトタイプは2年の開発期間を経て、1967年、タイプ50エラン+2として発売された。エリートの商業的失敗により途絶えていたGTを、エランのシャシをベースに復活させ、新たな顧客層をも開拓したのである。エラン+2はエランよりも長く1974年まで生産され、約5,000台がデリバリーされた。 ヨーロッパ、エラン、エラン+2と、小規模ながらラインナップを整備したロータス・カーズは、生産台数の増加からチェスハントの工場では手狭となり、新たな根拠地を求めることになる。 チャップマンの目に止まったのはノーフォーク、ヘセルノリッチで、第二次世界大戦時に使用されていたイギリス空軍の飛行場であった。ロータスは飛行場跡の半分を譲り受け、滑走路と周辺路をテストコースとして流用し、新たな設備を整備した。 そして1966年、工場、チーム・ロータスを含む、ロータスの全ての機能をチェスハント、ホーンジーからヘセルウイッチに移転させる。この移転においてロータスは、スタッフの喪失を極力抑え、半数以上を連れて行くことに成功した。これは、100km以上離れた地に全面移転するようなケースでは記録的と言われている。また移転に先立ってフォードからデニス・オースチンをマネージャーとして迎え、彼をチーフとして周到な計画と準備が進められた。その結果、週末に実施された全面移転の後、ヘセル工場で組み立てられた最初の車両が工場を出たのは次の月曜日であったと言われている。新たな根拠地を得て、生産力、開発力を高めたロータス・カーズは順調に業績を延ばし、1968年には株式公開を果たした。名実ともに自動車メーカーとして認められたのである。 1970年代後半に入ると、タイプ75エリート、タイプ76エクラ、タイプ79エスプリの3Eと呼ばれるモデルを中心に、従来とは異なる高級路線をとる。 技術協力では1972年発表のジェンセン・ヒーレー用のエンジン開発、グループ4ホモロゲーションモデルのタルボット・サンビーム・ロータスの開発、デロリアン・DMC-12の開発、セリカXXの開発協力や、ランドクルーザーとハイラックスサーフ用ハードトップの真空成形FRPに関する技術供与を行う。特にトヨタとは資本関係を持ち、チャップマン自らセリカXXのテレビCM(1981年頃)に出演していた。 しかし、チャップマンは1982年の末に心臓発作でこの世を去ってしまう。デロリアンの生産立ち上げに難航し、英国政府との板挟みとなったことが大きいと言われている。 1982年にチャップマンが54歳で急逝した後は経営難が深刻化し、経営はチャップマン家から事業家のデビッド・ウィッケンスに移った。この時期にエンブレムが変更され、チャップマンのイニシャルであるACBCの文字は削除された。トヨタは株主として関係を深めていき、エクラ・エクセルにはトヨタ製の部品が供給された。1984年のバーミンガムショーでは、新開発のV8エンジンを搭載し、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによるコンセプトカー「エトナ」を発表したが、市販化にはいたらなかった。 1986年にはゼネラルモーターズ (GM) の傘下に入り、カーエンブレム及び社章にACBCのイニシャルが復活。グループ内のスポーツカーメーカーとしてシボレー・コルベットZR-1のエンジン設計や、オペル・オメガ、いすゞ・ピアッツァ、いすゞ・ジェミニ、いすゞ・ビッグホーン(スバル の2代目ビッグホーンやホンダのホライゾンなども含む)などのチューニングを担当した。1989年に発売された2代目エラン(タイプM100)では、GMグループ内のメーカーからエンジン&トランスミッション(いすゞ)、パーツ(ACデルコなど)を調達していた。 1993年に高級スポーツカーブランドのブガッティを所有するロマーノ・アルティオーリに売却されその傘下に入ったがブガッティは1995年に破産し、1996年よりマレーシアの国営自動車メーカー、プロトンの傘下となる。 1995年に登場したタイプ111エリーゼは大成功となり、ロータス・カーズは経営危機から脱した。エリーゼは当初のローバーエンジンからトヨタエンジンへ変更しつつ、クーペボディのエキシージ、GM製のターボエンジンを搭載したヨーロッパSなどの派生車種を展開した。2009年には上級車種として、14年ぶりのブランニューモデルとなるエヴォーラを発売するまでに至った。 2009年、フェラーリの副社長だったダニー・バハーがCEOに就任し、シトロエン・C3やフェラーリ・458イタリアを手掛けたドナート・ココをデザインディレクターに迎えた。2010年のパリ・モーターショーでは、エスプリ、エラン、エリート、エリーゼ、エテルネ(Eterne)の5モデルものコンセプトカーを発表。ライトウェイト・スポーツから高級スポーツカーまで車種を揃える意欲を見せた。 2012年、プロトンがDRB-ハイコム傘下に買収されると、赤字を計上し続けるロータスの売却が噂されるようになり、6月にはバハーがCEOを解任された。今後は事業計画を縮小し、5モデルのうちエスプリ以外は計画中止になるのではないかと見られる。2017年5月には中華人民共和国の吉利汽車がプロトンのDRB-ハイコムに次ぐ株主となり、ロータスの株も51%を取得して筆頭株主となった。 ロータス (Lotus) とは、英語で「蓮」を意味する。グループエンブレムの中にも角の丸い三角として描かれており、創業者のコーリン・チャップマンが仏教思想を取り入れ、「俗世の苦しみから解放されて夢がかなう実」とされる蓮にちなんで名付けたとの説が有力である。エンブレムの「A・C・B・C」は、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンのイニシャルである。 レーシングカー、スポーツカー、サルーンカーなどを含めて、すべてのロータス車にはタイプナンバーと呼ばれる通し番号が与えられている。初期は「マーク○○」という呼び方だったが、1956年のイレブン以降は「タイプ○○」となっている。車名については、レーシングカーの場合はそのままタイプナンバーで呼ばれるが、市販車の場合はこれにペットネームが加えられる。ペットネームは伝統的にイニシャルがEで始まる。 なお、タイプ76(76とエクラ)、タイプ79(79とエスプリ)、タイプ100(100TとM100系エラン)のように、チーム・ロータスのF1マシンとロータス・カーズの市販車でナンバーが重複するケースもある。 自動車以外の乗り物にもタイプナンバーが付けられている。 東京・新橋の商社でメッサーシュミットも扱っていた芙蓉貿易がセブンや初代エリートを輸入していた。1960年代半ばには東急商事(東京・大田区)が輸入代理店となり、エランや初期のヨーロッパを輸入した。1972年からはアトランテック商事が正規の輸入者となったが、1990年代中盤には取り扱いをやめてしまい、そのため初期型の111エリーゼのほとんどは並行輸入となった。1999年から2002年まではケイアンドエムが輸入権を有していた 。 2003年2月、オートトレーディングルフトジャパンが、子会社「エルシーアイ」を設立し、輸入販売を開始した。エルシーアイは2005年4月、株式の51%を取得したVTホールディングスの傘下となった。 1975年に設立された自動車整備業者の全国組織「ロータスクラブ」(LOTAS CLUB )があるが、商号の綴りも異なり、ロータス・カーズとは無関係である。 ロータスのレース活動は1954年に発足したチーム・ロータスが行っていたが、グループ・ロータスの中でもチャップマンの家族経営的な組織に位置づけられていた。グループ内でレーシングカー開発・製造を行っていたロータス・コンポーネンツは1971年に閉鎖され、スタッフはシャシーコンストラクターの「グループ・レーシング・デベロップメント (GRD) 」を設立した。 1982年のコーリン・チャップマンの死後、遺族はグループ・ロータスを売却したが、チーム・ロータスは手元に残した。その後、チャップマン家はチーム運営からも手を引き、1992年に長男のクライブ・チャップマンがヒストリックレーサーのメンテナンス事業を行う「クラシック・チーム・ロータス」を設立した。チーム・ロータスは資金難により1994年に消滅した。 この頃のグループ・ロータス(ロータス・カーズ)本体のレース活動としては、1997〜1998年のFIA GT選手権とル・マン24時間レースへの、GT1車両による参戦がある(チーム名は「ロータス・レーシング」)。 2009年にダニー・バハーが新CEOに就任した後、積極的にモータースポーツに関与するようになった。バハーは以前レッドブルのF1計画に関わり、フェラーリでブランドイメージ戦略を担当した経験を持つ。また、モータースポーツディレクターにはスクーデリア・フェラーリの元広報部長だったクラウディオ・ベロが就任した。 この時期の活動は、既存チーム(メーカー)への支援もしくは提携という形で、レース分野を幅広くカバーしているのが特徴である。車体は1960年代のブリディッシュ・グリーン&イエローのワークスカラーか、1970〜1980年代のJPSカラーを思わせるブラック&ゴールドにペイントされ、名門ロータスの再生をアピールしている。しかし2012年にバハーが解任されると、各カテゴリで一気に手が引かれた。 現在は市販車をベースとしたカテゴリに小規模に供給を行っているに留まっている。以下は2009年から現在までのモータースポーツ活動の記録である。
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"paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "それまでのワンオフに近いモデルとは異なり、最初から量産を想定したモデルはマーク6と呼ばれ、その実現のためチャップマンはマイケル・アレンとともに1952年1月1日、ロンドンのホーンジー、トテナム通りにロータス・エンジニアリングを設立した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "マーク6はそれまでの市販車ベースの改造ではなく、専用設計されたシャシを持つ最初のロータスとなった。プロトタイプは順調に完成し、テストを兼ねて1952年7月からレースにエントリーするが、その年の8月アレンが公道で運転中にクラッシュ、これがきっかけとなりアレン兄弟はロータスを離れることになった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "創業メンバーの半数を失い、スタート間もないロータスは危機を迎えるが、チャップマンとその婚約者であるヘイゼルを取締役とし、そしてエンジニアとして新たにマイク・コスティン を迎え1954年1月1日に株式会社として再出発することとなる。マイク・コスティンは生産技術者として非凡な才能を発揮し、生産型マーク6はその年の前半には顧客に渡された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "元々レーシングカーであるマーク6は様々なエンジンを搭載することを前提としており、また基本コンポーネントに様々なオプションを組み合わせる形でキットフォームとして販売された。軽量なスペースフレームを持つマーク6はその高性能とは裏腹に、同レベルのライバル車に比べて安価であり、プライベートレーサー達に好評をもって受け入れられた。マーク6は1955年まで製造され、100台から110台が出荷されたが、その間ロータスの工場はほぼフル生産であったという。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "マーク6の成功で充分な資金を調達できたロータスは、マーク6を元に、より軽いシャシ、より洗練されたボディを持つ新しいレーシングカーの開発に着手する。本格的に空力を考慮したボディは、マイク・コスティンの兄であるフランク・コスティンの手によって開発された。この後コスティン兄弟は開発、生産エンジニアとして創成期のロータスを支えることとなる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "マーク8と呼ばれるこのモデルは1954年4月には完成、そのシーズンのレースにエントリーしている。1955年、ロータスはマーク6の成功によって自動車製造販売組合に加入し、正式に自動車メーカーとして認知された。これにより同年のアールズ・コート・モーターショーに出品が認められ、ロータスはこのショーにマーク8の発展型、マーク9のベアシャシを出品する。マーク9はその後、発展系としてマーク10そしてイレブンまで開発される。イレブンは1956年のシリーズ1、1957年のシリーズ2と総計して270台が製造された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "イレブンまでのレーシングカー販売によって充分な資金を調達したロータスは、次のステップである国際格式レースへ参戦と本格的な市販車の製造販売に歩みを進める。そして1957年10月のアールズ・コート・モータショーにて市販スポーツカーのセブン、ロータス初のクーペボディを持つタイプ14エリート、そしてフォーミュラ2レーシングカーのタイプ12を同時に発表、2つの目標を公に発表する。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "タイプ12はGP参戦までを視野に入れた本格的シングルシータレーシングカーであり、ロータス・カーズはそれまでチャップマンらのクラブチーム的存在であったチーム・ロータスを本格的なワークス・チームとして再編し、1957年から国際格式として開催されたフォーミュラ2へ参戦、そして翌1958年5月のモナコグランプリでチーム・ロータスはついにGPへと参戦する。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一方、タイプ14エリートはFRPフルモノコックフレーム(日本のフジキャビンに続き史上2番目のFRPモノコック市販車)とタイプ12ゆずりの前後サスペンション、世界最速の消防ポンプと詠われたエンジン、コヴェントリー・クライマックス製FWA型 を搭載する高級GTとして発表、市販がアナウンスされると同時に驚愕と絶賛の声を浴びる。そしてマーク6のデザインを受け継ぐ安価な量産スポーツカーとしてセブンも従来の顧客層から好評をもって受け入れられた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ロータスは同時に3種のニューモデルに着手したこともあり、エリートの開発だけでホーンジーでは手狭となってしまい、機密保持の目的もあってロンドン側のエドモントンに新たなデザイン拠点を構える。しかしホーンジー、エドモントンともに本格的な量産車の製造工場としてはキャパシティが不足していることは明白であった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "チャップマンは当初ホーンジー近辺に工場を構えようと考えていたが、イギリスにおける法律上の規制から諦めざるをえず、代わりにハートフォードシャーのチェスハントに生産開発の拠点を移すことになる。この移転とほぼ同時、量産車の開発生産を受け持つ「ロータス・カーズ」、レーシングカーの開発生産を受け持つ「ロータス・コンポーネンツ」、そして全体を統括する「ロータス・エンジニアリング」とグループ体制に再編される。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "セブンは1958年の春より、エリートは多少開発を手間取りはしたものの、12月にはリリースが開始された。レーシングカーではタイプ12の後継であるタイプ16を経て、新たにミッドシップレイアウトを導入したタイプ18が名門チームであるロブ・ウォーカー・レーシングチームに販売され、1960年5月29日、スターリング・モスの手によって記念すべきGP初勝利を達成する。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "順風満帆に見えたロータスグループであったが、実際には経営状況が悪化の一途をたどっていた。GPマシンの開発とGP参戦は、それまでとは桁の違う費用が必要とされ、ロータスの財政を圧迫した。一方で、収入をまかなうはずのセブンとエリートの利益は、決して充分なものではなかったのである。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "クラブマン向けレーサーであったセブンは安価ゆえに人気となったが、シャシ生産に多くのハンドワーク工程を必要とし、そのシンプルさとは裏腹に高コストな商品で、利益は限られていた。一方高級GTとして販売され、高い利益をもたらすはずであったエリートは、注文こそ順調であったが、複雑で類をみない製造工程で思うように生産台数を伸ばせず、さらにFRPモノコックとレーシングカーのサスペンションはともに信頼性に乏しく、ロータスはクレーム対応に追われ、さらに利益率は低下した。1959年の時点では、エリートは販売するたびに利益どころか赤字になるような状態であった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ロータス・カーズは確実に利益をもたらす商品を一刻も早く開発する必要に迫られた。このような状況下、新たに市販モデルのエンジニアとしてロータスに入ったロン・ヒックマンにより、タイプ26エランが生み出される。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "当初ロータス・カーズはセブンの置き換えを想定しており、その新型スポーツカーとエリートとのラインナップを予定していたのである。シャシデザインもエリートのFRPモノコックの流用を予定していたが、開発を急ぐ必要があったこと、エリートでのトラブル状況から断念を余儀なくされた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ヒックマンはFRPフルモノコックに変わる新しいシャシデザインとして、プレス鋼板を溶接によって組み立てたバックボーンフレームにエンジン、トランスミッション、サスペンションなどの主要ASSYをレイアウトし、それらの応力を負担しないFRPのボディをかぶせるデザインを考案した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "バックボーンフレームシャシは、セブンのスペースフレームに比較して圧倒的に製作時間を短縮でき、なによりも精度を容易に確保することができた。この生産性の向上こそ、この時ロータス・カーズに最も求められていた要素である。バックボーンフレームの採用により開発は順調に進み、本格的な開発開始からわずか2年後の1962年には量産がスタートしている。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1962年のアールズ・コート・モーターショーに出品されたエランは、完成車で1,495ポンド、キットカーフォームで1,095ポンドと発表され、そのセブン並の価格は大いに話題となり、オーダーは順調に延びていった。エランはシリーズ4まで発展し、1973年まで12年に渡って販売され、総数12,000台以上がデリバリーされた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "エランで確立したバックボーンシャシデザインは、この後35年に渡って全ロータスプロダクションモデルの基本デザインとして採用されることになる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "エランは北米にも多数が輸出され、ロータスは国際的に認知度を高めた。また、その生産性の高さは製造コストを抑え、安定した利益をロータスにもたらした。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "エリートの商業的失敗は大きく、ロータスの財政的回復はまだ充分とは言えなかったが、この危機をロータスはまったく新しいビジネスにより克服する。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1960年の前半、アメリカのフォードはモータースポーツによる企業イメージの向上を目的として、当時隆盛であったサルーンカーレースに参戦することを計画していた。しかし、自社で充分なノウハウを持ち合わせていなかったフォードは、自社の車をベースに大幅なチューンを施したレース用の専用モデルの開発と生産をロータスに依頼したのである。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ベースとなる車両にはコンサル・コーティナが選ばれ、その高性能バージョンであるコーティナGTをさらにチューンし、1,000台の生産規定台数で所得できた、当時のFIAグループ2のホモロゲーションを受けるプランがスタートした。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最終的にロータスはコーティナのチューンはもちろん、レーシングバージョンの開発、さらにはプロダクションモデルの生産までを請け負ったのである。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "正式にロータスのナンバー、タイプ28が与えられたコーティナ・ロータス はチェスハントの工場で組み立てが行われ、1966年までの3年間で2,800台あまりをラインアウトさせた。コーティナ・ロータスは、当初の目的であったレースでも実力をいかんなく発揮し、そのおとなしいサルーンの外観に似つかわしくない高性能ぶりから、「羊の皮を着た(または被った)狼」と例えられた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "この成功は、実質的にエランしか収入源がなかったロータスに大きな財政的安定をもたらし、「レーシングエンジニアリングのコンサルタント」という新たなビジネスをも開拓したのである。またレースフィールドに留まらず、あらゆる分野におけるエンジニアリングコンサルティングというロータスの3番目のビジネスを後に確立する礎ともなった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "エランとコーティナ・ロータスの成功により経済的な余裕を得たロータスは、GPにおいても快進撃を見せる。初参戦から5年後の1963年、革新的な軽量モノコックシャシを採用したタイプ25と名手ジム・クラークを擁してコンストラクタ・タイトルを獲得。その後、インディ500を制覇し、コスワースと組んで名基DFVエンジンを開発するなど、モータースポーツ界を象徴する名門チームのひとつに成長した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1966年、ロータスは自身が本格的にGPに持ち込み、その後レーシングフィールドではセオリーとして定着しつつあった、ミッドシップレイアウトを採用した量産スポーツカーを発表した。イギリス以外のヨーロッパ大陸をメインターゲットとして、当初左ハンドル仕様のみとされたタイプ46ヨーロッパは、かつてのセブン同様、レーシングカーの技術をロードカーに持ち込んだ安価なスポーツカーというコンセプトの元に開発された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ヨーロッパはヨーロッパ大陸と北米をメインターゲットとして、エランで成し遂げられなかったセブンの後継モデルとして位置づけがなされたのである。軽量で優れたハンドリングを発揮したヨーロッパは人気を博し、1968年からのシリーズ2ではイギリス国内向けの右ハンドルもデリバリーが開始された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ヨーロッパのデビューに先立つ1965年、ロータス・カーズはモーターショーに、エランのシャシをストレッチしてクーペボディを架装した2+2のショーモデルを発表、委託生産のコーティナ以外は全て2シーターモデルのみであったロータスにとって、初の4シーターモデルであった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "メティエと呼ばれたこのプロトタイプは2年の開発期間を経て、1967年、タイプ50エラン+2として発売された。エリートの商業的失敗により途絶えていたGTを、エランのシャシをベースに復活させ、新たな顧客層をも開拓したのである。エラン+2はエランよりも長く1974年まで生産され、約5,000台がデリバリーされた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ヨーロッパ、エラン、エラン+2と、小規模ながらラインナップを整備したロータス・カーズは、生産台数の増加からチェスハントの工場では手狭となり、新たな根拠地を求めることになる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "チャップマンの目に止まったのはノーフォーク、ヘセルノリッチで、第二次世界大戦時に使用されていたイギリス空軍の飛行場であった。ロータスは飛行場跡の半分を譲り受け、滑走路と周辺路をテストコースとして流用し、新たな設備を整備した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "そして1966年、工場、チーム・ロータスを含む、ロータスの全ての機能をチェスハント、ホーンジーからヘセルウイッチに移転させる。この移転においてロータスは、スタッフの喪失を極力抑え、半数以上を連れて行くことに成功した。これは、100km以上離れた地に全面移転するようなケースでは記録的と言われている。また移転に先立ってフォードからデニス・オースチンをマネージャーとして迎え、彼をチーフとして周到な計画と準備が進められた。その結果、週末に実施された全面移転の後、ヘセル工場で組み立てられた最初の車両が工場を出たのは次の月曜日であったと言われている。新たな根拠地を得て、生産力、開発力を高めたロータス・カーズは順調に業績を延ばし、1968年には株式公開を果たした。名実ともに自動車メーカーとして認められたのである。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1970年代後半に入ると、タイプ75エリート、タイプ76エクラ、タイプ79エスプリの3Eと呼ばれるモデルを中心に、従来とは異なる高級路線をとる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "技術協力では1972年発表のジェンセン・ヒーレー用のエンジン開発、グループ4ホモロゲーションモデルのタルボット・サンビーム・ロータスの開発、デロリアン・DMC-12の開発、セリカXXの開発協力や、ランドクルーザーとハイラックスサーフ用ハードトップの真空成形FRPに関する技術供与を行う。特にトヨタとは資本関係を持ち、チャップマン自らセリカXXのテレビCM(1981年頃)に出演していた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "しかし、チャップマンは1982年の末に心臓発作でこの世を去ってしまう。デロリアンの生産立ち上げに難航し、英国政府との板挟みとなったことが大きいと言われている。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1982年にチャップマンが54歳で急逝した後は経営難が深刻化し、経営はチャップマン家から事業家のデビッド・ウィッケンスに移った。この時期にエンブレムが変更され、チャップマンのイニシャルであるACBCの文字は削除された。トヨタは株主として関係を深めていき、エクラ・エクセルにはトヨタ製の部品が供給された。1984年のバーミンガムショーでは、新開発のV8エンジンを搭載し、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインによるコンセプトカー「エトナ」を発表したが、市販化にはいたらなかった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1986年にはゼネラルモーターズ (GM) の傘下に入り、カーエンブレム及び社章にACBCのイニシャルが復活。グループ内のスポーツカーメーカーとしてシボレー・コルベットZR-1のエンジン設計や、オペル・オメガ、いすゞ・ピアッツァ、いすゞ・ジェミニ、いすゞ・ビッグホーン(スバル の2代目ビッグホーンやホンダのホライゾンなども含む)などのチューニングを担当した。1989年に発売された2代目エラン(タイプM100)では、GMグループ内のメーカーからエンジン&トランスミッション(いすゞ)、パーツ(ACデルコなど)を調達していた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1993年に高級スポーツカーブランドのブガッティを所有するロマーノ・アルティオーリに売却されその傘下に入ったがブガッティは1995年に破産し、1996年よりマレーシアの国営自動車メーカー、プロトンの傘下となる。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1995年に登場したタイプ111エリーゼは大成功となり、ロータス・カーズは経営危機から脱した。エリーゼは当初のローバーエンジンからトヨタエンジンへ変更しつつ、クーペボディのエキシージ、GM製のターボエンジンを搭載したヨーロッパSなどの派生車種を展開した。2009年には上級車種として、14年ぶりのブランニューモデルとなるエヴォーラを発売するまでに至った。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2009年、フェラーリの副社長だったダニー・バハーがCEOに就任し、シトロエン・C3やフェラーリ・458イタリアを手掛けたドナート・ココをデザインディレクターに迎えた。2010年のパリ・モーターショーでは、エスプリ、エラン、エリート、エリーゼ、エテルネ(Eterne)の5モデルものコンセプトカーを発表。ライトウェイト・スポーツから高級スポーツカーまで車種を揃える意欲を見せた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2012年、プロトンがDRB-ハイコム傘下に買収されると、赤字を計上し続けるロータスの売却が噂されるようになり、6月にはバハーがCEOを解任された。今後は事業計画を縮小し、5モデルのうちエスプリ以外は計画中止になるのではないかと見られる。2017年5月には中華人民共和国の吉利汽車がプロトンのDRB-ハイコムに次ぐ株主となり、ロータスの株も51%を取得して筆頭株主となった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ロータス (Lotus) とは、英語で「蓮」を意味する。グループエンブレムの中にも角の丸い三角として描かれており、創業者のコーリン・チャップマンが仏教思想を取り入れ、「俗世の苦しみから解放されて夢がかなう実」とされる蓮にちなんで名付けたとの説が有力である。エンブレムの「A・C・B・C」は、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンのイニシャルである。", "title": "社名と車名" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "レーシングカー、スポーツカー、サルーンカーなどを含めて、すべてのロータス車にはタイプナンバーと呼ばれる通し番号が与えられている。初期は「マーク○○」という呼び方だったが、1956年のイレブン以降は「タイプ○○」となっている。車名については、レーシングカーの場合はそのままタイプナンバーで呼ばれるが、市販車の場合はこれにペットネームが加えられる。ペットネームは伝統的にイニシャルがEで始まる。", "title": "社名と車名" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "なお、タイプ76(76とエクラ)、タイプ79(79とエスプリ)、タイプ100(100TとM100系エラン)のように、チーム・ロータスのF1マシンとロータス・カーズの市販車でナンバーが重複するケースもある。", "title": "社名と車名" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "自動車以外の乗り物にもタイプナンバーが付けられている。", "title": "社名と車名" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "東京・新橋の商社でメッサーシュミットも扱っていた芙蓉貿易がセブンや初代エリートを輸入していた。1960年代半ばには東急商事(東京・大田区)が輸入代理店となり、エランや初期のヨーロッパを輸入した。1972年からはアトランテック商事が正規の輸入者となったが、1990年代中盤には取り扱いをやめてしまい、そのため初期型の111エリーゼのほとんどは並行輸入となった。1999年から2002年まではケイアンドエムが輸入権を有していた 。", "title": "日本での販売" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2003年2月、オートトレーディングルフトジャパンが、子会社「エルシーアイ」を設立し、輸入販売を開始した。エルシーアイは2005年4月、株式の51%を取得したVTホールディングスの傘下となった。", "title": "日本での販売" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "1975年に設立された自動車整備業者の全国組織「ロータスクラブ」(LOTAS CLUB )があるが、商号の綴りも異なり、ロータス・カーズとは無関係である。", "title": "日本での販売" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ロータスのレース活動は1954年に発足したチーム・ロータスが行っていたが、グループ・ロータスの中でもチャップマンの家族経営的な組織に位置づけられていた。グループ内でレーシングカー開発・製造を行っていたロータス・コンポーネンツは1971年に閉鎖され、スタッフはシャシーコンストラクターの「グループ・レーシング・デベロップメント (GRD) 」を設立した。", "title": "モータースポーツ" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "1982年のコーリン・チャップマンの死後、遺族はグループ・ロータスを売却したが、チーム・ロータスは手元に残した。その後、チャップマン家はチーム運営からも手を引き、1992年に長男のクライブ・チャップマンがヒストリックレーサーのメンテナンス事業を行う「クラシック・チーム・ロータス」を設立した。チーム・ロータスは資金難により1994年に消滅した。", "title": "モータースポーツ" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "この頃のグループ・ロータス(ロータス・カーズ)本体のレース活動としては、1997〜1998年のFIA GT選手権とル・マン24時間レースへの、GT1車両による参戦がある(チーム名は「ロータス・レーシング」)。", "title": "モータースポーツ" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2009年にダニー・バハーが新CEOに就任した後、積極的にモータースポーツに関与するようになった。バハーは以前レッドブルのF1計画に関わり、フェラーリでブランドイメージ戦略を担当した経験を持つ。また、モータースポーツディレクターにはスクーデリア・フェラーリの元広報部長だったクラウディオ・ベロが就任した。", "title": "モータースポーツ" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "この時期の活動は、既存チーム(メーカー)への支援もしくは提携という形で、レース分野を幅広くカバーしているのが特徴である。車体は1960年代のブリディッシュ・グリーン&イエローのワークスカラーか、1970〜1980年代のJPSカラーを思わせるブラック&ゴールドにペイントされ、名門ロータスの再生をアピールしている。しかし2012年にバハーが解任されると、各カテゴリで一気に手が引かれた。", "title": "モータースポーツ" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "現在は市販車をベースとしたカテゴリに小規模に供給を行っているに留まっている。以下は2009年から現在までのモータースポーツ活動の記録である。", "title": "モータースポーツ" } ]
ロータス・カーズは、イギリス・ノーフォークを拠点とするスポーツカーメーカーである。ライトウェイトスポーツを主力モデルとしている。 会社組織の本体はグループ・ロータスであり、乗用車の製造・販売を行うロータス・カーズ、またその傘下に自動車技術に関するコンサルタント業を行うロータス・エンジニアリング部門がある。 1996年以降、マレーシアの国有自動車会社プロトンの子会社となり、2017年5月に吉利汽車がロータス・カーズの株式の51%を取得した。
{{基礎情報 会社 |社名 = ロータス・カーズ |英文社名 = Lotus Cars Ltd. |ロゴ =Lotus (8680729001).jpg |画像 = |画像説明 = |種類 = |市場情報 = |略称 = ロータス |国籍 = {{GBR}} |本社所在地 = [[イングランド]],[[ノーフォーク]],[[:en:Hethel|ヘセル]] |本店所在地 = |設立 = 1952年 |業種 = [[自動車産業|自動車製造]] |統一金融機関コード = |SWIFTコード = |事業内容 = [[スポーツカー]]の製造・販売 |代表者 = 馮青峰 (CEO) |資本金 = |発行済株式総数 = |売上高 = |営業利益 = |純利益 = |包括利益 = |純資産 = |総資産 = |従業員数 = |支店舗数 = |決算期 = |主要株主 = [[浙江吉利控股集団]](51%) |主要子会社 = |関係する人物 = [[コーリン・チャップマン]](創業者) |外部リンク = [http://www.lotuscars.com/ Lotus Cars] |特記事項 = }} '''ロータス・カーズ'''(''Lotus Cars'')は、[[イギリス]]・[[ノーフォーク]]を拠点とする[[スポーツカー]]メーカーである。[[ライトウェイトスポーツ]]を主力モデルとしている。 会社組織の本体はグループ・ロータス(''Group Lotus plc'')であり、乗用車の製造・販売を行うロータス・カーズ(''Lotus Cars Ltd.'')、またその傘下に自動車技術に関するコンサルタント業を行うロータス・エンジニアリング(''Lotus Engineering'')部門がある<ref>[http://www.grouplotus.com/cars/corporate_info.html Group Lotus]</ref>。 1996年以降、[[マレーシア]]の国有自動車会社[[プロトン (自動車)|プロトン]]の子会社となり、2017年5月に[[吉利汽車]]がロータス・カーズの株式の51%を取得した。 == 沿革 == === 創業まで === 1947年、当時[[ロンドン大学]]の学生であった[[コーリン・チャップマン]]は副業として中古車販売業を営んでおり、そこであまりに旧式なため売れ残った1928年型[[オースチン・7]](セブン)<ref group="注釈">登録ナンバーPK3493。</ref> を自分用の[[レーシングカー]]に改造することを思いついた。 彼は事業パートナーであったコーリン・デア、ディレック・ウェットン、そしてガールフレンドであったヘイゼル・ウィリアムズらとともに旧式の[[シャシ (自動車)|シャシ]]を初めとする大部分を作り直し別の車と言ってよいほどの大幅な改造を施した。この作業はロンドンのミューセル・ヒルにあったウィリアムズの実家のガレージで行われたという。 完成した車は別の車として登録<ref group="注釈">登録ナンバーOX9292。</ref> され、翌1948年にはマイナーレースに参戦する。しかしチャップマンはこの車のベースとなったオースチン・7のエンジンパワーでは本格的なレースに参戦するのは不充分と考えており、すぐにより強力な[[フォード・モーター|フォード]]製「フォード8」エンジンを搭載した次モデルの構想に着手する。この次期モデルは「ロータス」と名付けられ、1949年に完成した。これが最初にロータスと呼ばれた車である。 [[ファイル:LotusMk2.jpg|thumb|right|200px|マーク2]] ロータスはチャップマンが完成させた2番目の車であることからマーク2と呼ばれ、それに伴って最初の車はマーク1と呼ばれることになった。マーク2は完成してすぐさらに強力な「フォード10」エンジンへと換装され、レースに参戦するのは翌1950年からとなった。マーク2は高い戦闘力を発揮し、チャップマンとヘイゼルの手で総合優勝4回、クラス優勝4回と好成績を挙げる。特に同年6月3日に[[シルバーストン・サーキット]]で開催されたエイトクラブ主催のレースでは、現在の[[フォーミュラ1|F1]]マシンに当たるグランプリレーサーの[[ブガッティ・タイプ35|ブガッティ・タイプ37]]と競り合い、優勝してしまう。 相手が型落ち<ref group="注釈">タイプ37は1928年、そのベースとなったタイプ35は1924年の設計であり、充分にクラシックカーではある。</ref> のGPレーサーとはいえ、無名のガレージ作成のレーシングカーが勝利したことは驚異であり、チャップマンは大いに注目されることとなる。マーク2は初の顧客となるマイク・ローソンに売却され、その後も好成績を挙げた。 チャップマンはより本格的なレーシングカーの開発に着手し、新たな協力者としてマイケルとナイジェルのアレン兄弟を迎え、彼らが所有していた郊外のガレージで販売を目的としたレーシングカー、マーク3、マーク4を完成させる。特にマーク3は当時のイギリスで人気のあったフォーミュラ750カテゴリで無類の強さを発揮し、ロータスの名は着実に高まっていった。本格的なレーシングカー製造販売を目指していたチャップマンは、マーク3の成功により、いよいよ市販モデルの構想に着手する。 それまでの[[ワンオフ]]に近いモデルとは異なり、最初から量産を想定したモデルは[[ロータス・マーク6|マーク6]]と呼ばれ、その実現のためチャップマンはマイケル・アレンとともに1952年1月1日、ロンドンのホーンジー、トテナム通りにロータス・エンジニアリングを設立した。 === レーシングカー製造販売 === [[ファイル:Lotus6.jpg|thumb|ロータス マーク6]] マーク6はそれまでの市販車ベースの改造ではなく、専用設計されたシャシを持つ最初のロータスとなった。[[プロトタイプ]]は順調に完成し、テストを兼ねて[[1952年]]7月からレースにエントリーするが、その年の8月アレンが[[公道]]で運転中にクラッシュ、これがきっかけとなりアレン兄弟はロータスを離れることになった<ref name="worldcarguide8-35">『ワールド・カー・ガイド8ロータス』p.35。</ref>。 創業メンバーの半数を失い、スタート間もないロータスは危機を迎えるが、チャップマンとその婚約者であるヘイゼルを取締役とし、そしてエンジニアとして新たにマイク・コスティン<ref group="注釈">後にキース・ダックワースとともに[[コスワース]]を立ち上げ、手腕を振るった。</ref> を迎え[[1954年]]1月1日に株式会社として再出発することとなる。マイク・コスティンは[[生産技術]]者として非凡な才能を発揮し、生産型マーク6はその年の前半には顧客に渡された。 元々レーシングカーであるマーク6は様々なエンジンを搭載することを前提としており、また基本[[コンポーネント]]に様々なオプションを組み合わせる形で[[キットカー|キットフォーム]]として販売された<ref name="worldcarguide8-35"/>。軽量な[[フレーム形式 (自動車)#マルチチューブラーフレーム|スペースフレーム]]を持つマーク6はその高性能とは裏腹に、同レベルのライバル車に比べて安価であり、プライベートレーサー達に好評をもって受け入れられた。マーク6は[[1955年]]まで製造され、100台から110台が出荷されたが、その間ロータスの工場はほぼフル生産であったという<ref name="worldcarguide8-35"/>。 マーク6の成功で充分な資金を調達できたロータスは、マーク6を元に、より軽いシャシ、より洗練されたボディを持つ新しいレーシングカーの開発に着手する。本格的に[[空気力学|空力]]を考慮したボディは、マイク・コスティンの兄であるフランク・コスティンの手によって開発された。この後コスティン兄弟は開発、生産エンジニアとして創成期のロータスを支えることとなる。 [[ファイル:Lotus 11 Le Mans (1957) (18679830999).jpg|thumb|ロータス11 ル・マン(1957)]] マーク8と呼ばれるこのモデルは1954年4月には完成、そのシーズンのレースにエントリーしている。1955年、ロータスはマーク6の成功によって自動車製造販売組合に加入し、正式に[[自動車産業|自動車メーカー]]として認知された。これにより同年の[[アールズ・コート]]・[[モーターショー]]に出品が認められ、ロータスはこのショーにマーク8の発展型、マーク9のベアシャシを出品する。マーク9はその後、発展系としてマーク10そしてイレブンまで開発される。イレブンは[[1956年]]のシリーズ1、[[1957年]]のシリーズ2と総計して270台が製造された。 === GP参戦と市販車開発 === [[ファイル:Lotus-Elite-'60.jpg|thumb|タイプ14(エリート)]] [[ファイル:Lotus Super Seven 1961 Roadster LSide Lake Mirror Cassic 16Oct2010 (14690600848).jpg|thumb|ロータス・セブン1961]] イレブンまでのレーシングカー販売によって充分な資金を調達したロータスは、次のステップである国際格式レースへ参戦と本格的な市販車の製造販売に歩みを進める。そして1957年10月のアールズ・コート・モータショーにて市販スポーツカーの[[ロータス・セブン|セブン]]、ロータス初の[[クーペ]]ボディを持つタイプ14[[ロータス・エリート|エリート]]、そして[[フォーミュラ2]]レーシングカーのタイプ12を同時に発表、2つの目標を公に発表する。 タイプ12はGP参戦までを視野に入れた本格的シングルシータレーシングカーであり、ロータス・カーズはそれまでチャップマンらの[[クラブチーム]]的存在であった'''[[チーム・ロータス]]'''を本格的な[[ワークス・チーム]]として再編し、1957年から国際格式として開催されたフォーミュラ2へ参戦、そして翌1958年5月の[[モナコグランプリ]]でチーム・ロータスはついにGPへと参戦する。 一方、タイプ14エリートは[[繊維強化プラスチック|FRP]]フル[[モノコック]]フレーム(日本の[[富士自動車・フジキャビン|フジキャビン]]に続き史上2番目のFRPモノコック市販車)とタイプ12ゆずりの前後[[サスペンション]]、世界最速の消防ポンプと詠われたエンジン、[[コヴェントリー・クライマックス]]製FWA型<ref group="注釈">元来は消防ポンプ用動力。</ref> を搭載する高級[[グランツーリスモ|GT]]として発表、市販がアナウンスされると同時に驚愕と絶賛の声を浴びる。そしてマーク6のデザインを受け継ぐ安価な量産スポーツカーとしてセブンも従来の顧客層から好評をもって受け入れられた。 === ファクトリー移転とグループの再編 === ロータスは同時に3種のニューモデルに着手したこともあり、エリートの開発だけでホーンジーでは手狭となってしまい、機密保持の目的もあってロンドン側のエドモントンに新たなデザイン拠点を構える。しかしホーンジー、エドモントンともに本格的な量産車の製造工場としてはキャパシティが不足していることは明白であった。 チャップマンは当初ホーンジー近辺に工場を構えようと考えていたが、イギリスにおける法律上の規制から諦めざるをえず、代わりに[[ハートフォードシャー]]のチェスハントに生産開発の拠点を移すことになる。この移転とほぼ同時、量産車の開発生産を受け持つ「ロータス・カーズ」、レーシングカーの開発生産を受け持つ「ロータス・コンポーネンツ」、そして全体を統括する「ロータス・エンジニアリング」とグループ体制に再編される。 === GP勝利と財政危機 === [[ファイル:Lotus7Series1.jpg|thumb|left|180px|セブン]] [[ロータス・セブン|セブン]]は1958年の春より、エリートは多少開発を手間取りはしたものの、12月にはリリースが開始された。レーシングカーではタイプ12の後継であるタイプ16を経て、新たに[[ミッドシップ]]レイアウトを導入した[[ロータス・18|タイプ18]]が名門チームである[[ロブ・ウォーカー・レーシングチーム]]に販売され、1960年5月29日、[[スターリング・モス]]の手によって記念すべきGP初勝利を達成する。 順風満帆に見えたロータスグループであったが、実際には経営状況が悪化の一途をたどっていた。GPマシンの開発とGP参戦は、それまでとは桁の違う費用が必要とされ、ロータスの財政を圧迫した。一方で、収入をまかなうはずのセブンとエリートの利益は、決して充分なものではなかったのである。 クラブマン向けレーサーであったセブンは安価ゆえに人気となったが、シャシ生産に多くのハンドワーク工程を必要とし、そのシンプルさとは裏腹に高コストな商品で、利益は限られていた。一方高級GTとして販売され、高い利益をもたらすはずであったエリートは、注文こそ順調であったが、複雑で類をみない製造工程で思うように生産台数を伸ばせず、さらにFRPモノコックとレーシングカーのサスペンションはともに信頼性に乏しく、ロータスはクレーム対応に追われ、さらに利益率は低下した。1959年の時点では、エリートは販売するたびに利益どころか赤字になるような状態であった。 === エランの成功 === [[ファイル:Lotus-Elan-'66.jpg|thumb|right|200px|タイプ26(エラン)]] ロータス・カーズは確実に利益をもたらす商品を一刻も早く開発する必要に迫られた。このような状況下、新たに市販モデルのエンジニアとしてロータスに入ったロン・ヒックマンにより、タイプ26[[ロータス・エラン|エラン]]が生み出される。 当初ロータス・カーズはセブンの置き換えを想定しており、その新型スポーツカーとエリートとのラインナップを予定していたのである。シャシデザインもエリートのFRPモノコックの流用を予定していたが、開発を急ぐ必要があったこと、エリートでのトラブル状況から断念を余儀なくされた。 ヒックマンはFRPフルモノコックに変わる新しいシャシデザインとして、プレス鋼板を溶接によって組み立てた[[フレーム形式 (自動車)#バックボーンフレーム|バックボーンフレーム]]に[[機関 (機械)|エンジン]]、[[トランスミッション]]、[[サスペンション]]などの主要[[ASSY]]をレイアウトし、それらの応力を負担しないFRPのボディをかぶせるデザインを考案した<ref group="注釈">一説にはチャップマン自身が考案したとされる。</ref>。 バックボーンフレームシャシは、セブンのスペースフレームに比較して圧倒的に製作時間を短縮でき、なによりも精度を容易に確保することができた。この生産性の向上こそ、この時ロータス・カーズに最も求められていた要素である。バックボーンフレームの採用により開発は順調に進み、本格的な開発開始からわずか2年後の1962年には量産がスタートしている。 1962年のアールズ・コート・モーターショーに出品されたエランは、完成車で1,495ポンド、[[キットカー]]フォームで1,095ポンドと発表され、そのセブン並の価格は大いに話題となり、オーダーは順調に延びていった。エランはシリーズ4まで発展し、1973年まで12年に渡って販売され、総数12,000台以上がデリバリーされた。 エランで確立したバックボーンシャシデザインは、この後35年に渡って全ロータスプロダクションモデルの基本デザインとして採用されることになる。 エランは北米にも多数が輸出され、ロータスは国際的に認知度を高めた。また、その生産性の高さは製造コストを抑え、安定した利益をロータスにもたらした。 === コーティナの成功と新たなビジネス === [[ファイル:Cortina.jpg|thumb|180px|タイプ28([[フォード・コーティナ|コーティナ・ロータス]])]] エリートの商業的失敗は大きく、ロータスの財政的回復はまだ充分とは言えなかったが、この危機をロータスはまったく新しいビジネスにより克服する。 1960年の前半、アメリカの[[フォード・モーター|フォード]]は[[モータースポーツ]]による企業イメージの向上を目的として、当時隆盛であったサルーンカーレースに参戦することを計画していた。しかし、自社で充分なノウハウを持ち合わせていなかったフォードは、自社の車をベースに大幅な[[チューニングカー|チューン]]を施したレース用の専用モデルの開発と生産をロータスに依頼したのである。 ベースとなる車両には[[フォード・コーティナ|コンサル・コーティナ]]が選ばれ、その高性能バージョンであるコーティナGTをさらにチューンし、1,000台の生産規定台数で所得できた、当時の[[国際自動車連盟|FIA]]グループ2の[[ホモロゲーション]]を受けるプランがスタートした。 最終的にロータスはコーティナのチューンはもちろん、レーシングバージョンの開発、さらにはプロダクションモデルの生産までを請け負ったのである。 正式にロータスのナンバー、タイプ28が与えられたコーティナ・ロータス<ref group="注釈">ロータス・コーティナとも呼ばれる。</ref> はチェスハントの工場で組み立てが行われ、1966年までの3年間で2,800台あまりをラインアウトさせた。コーティナ・ロータスは、当初の目的であったレースでも実力をいかんなく発揮し、そのおとなしいサルーンの外観に似つかわしくない高性能ぶりから、「羊の皮を着た(または被った)狼」と例えられた<ref group="注釈">[[新約聖書]]からの引用で、自動車では[[日産・スカイライン|プリンス・スカイライン 2000GT]]や(1965年)[[BMW・1500/1600/1800/2000|BMW 2002 TI]](1966年)にも使われている。</ref>。 この成功は、実質的にエランしか収入源がなかったロータスに大きな財政的安定をもたらし、「レーシングエンジニアリングの[[コンサルタント]]」という新たなビジネスをも開拓したのである。またレースフィールドに留まらず、あらゆる分野におけるエンジニアリングコンサルティングというロータスの3番目のビジネスを後に確立する礎ともなった。 === GP制覇とヨーロッパ発売 === [[ファイル:Lotus Europa.jpg|thumb|left|200px|タイプ48(ヨーロッパ)]] エランとコーティナ・ロータスの成功により経済的な余裕を得たロータスは、GPにおいても快進撃を見せる。初参戦から5年後の1963年、革新的な軽量[[モノコック]]シャシを採用した[[ロータス・25|タイプ25]]と名手[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]を擁してコンストラクタ・タイトルを獲得。その後、[[インディ500]]を制覇し、コスワースと組んで名基[[フォード・コスワース・DFVエンジン|DFVエンジン]]を開発するなど、モータースポーツ界を象徴する名門チームのひとつに成長した。 1966年、ロータスは自身が本格的にGPに持ち込み、その後レーシングフィールドではセオリーとして定着しつつあった、ミッドシップレイアウトを採用した量産スポーツカーを発表した。イギリス以外のヨーロッパ大陸をメインターゲットとして、当初左ハンドル仕様のみとされたタイプ46[[ロータス・ヨーロッパ|ヨーロッパ]]は、かつてのセブン同様、レーシングカーの技術をロードカーに持ち込んだ安価なスポーツカーというコンセプトの元に開発された。 ヨーロッパはヨーロッパ大陸と北米をメインターゲットとして、エランで成し遂げられなかったセブンの後継モデルとして位置づけがなされたのである。軽量で優れたハンドリングを発揮したヨーロッパは人気を博し、1968年からのシリーズ2ではイギリス国内向けの右ハンドルもデリバリーが開始された。 === GT構想の復活 === ヨーロッパのデビューに先立つ1965年、ロータス・カーズはモーターショーに、エランのシャシをストレッチしてクーペボディを架装した2+2のショーモデルを発表、委託生産のコーティナ以外は全て2シーターモデルのみであったロータスにとって、初の4シーターモデルであった。 メティエと呼ばれたこのプロトタイプは2年の開発期間を経て、1967年、タイプ50エラン+2として発売された。エリートの商業的失敗により途絶えていたGTを、エランのシャシをベースに復活させ、新たな顧客層をも開拓したのである。エラン+2はエランよりも長く1974年まで生産され、約5,000台がデリバリーされた。 === ヘセルウイッチ移転の成功 === ヨーロッパ、エラン、エラン+2と、小規模ながらラインナップを整備したロータス・カーズは、生産台数の増加からチェスハントの工場では手狭となり、新たな根拠地を求めることになる。 チャップマンの目に止まったのは[[ノーフォーク]]、ヘセルノリッチで、[[第二次世界大戦]]時に使用されていたイギリス空軍の飛行場であった。ロータスは飛行場跡の半分を譲り受け<ref group="注釈">後の半分は徴用時の地主に返還された。</ref>、滑走路と周辺路をテストコースとして流用し、新たな設備を整備した。 そして1966年、工場、チーム・ロータスを含む、ロータスの全ての機能をチェスハント、ホーンジーからヘセルウイッチに移転させる。この移転においてロータスは、スタッフの喪失を極力抑え、半数以上を連れて行くことに成功した。これは、100km以上離れた地に全面移転するようなケースでは記録的と言われている。また移転に先立ってフォードからデニス・オースチンをマネージャーとして迎え、彼をチーフとして周到な計画と準備が進められた。その結果、週末に実施された全面移転の後、ヘセル工場で組み立てられた最初の車両が工場を出たのは次の月曜日であったと言われている。新たな根拠地を得て、生産力、開発力を高めたロータス・カーズは順調に業績を延ばし、1968年には株式公開を果たした。名実ともに自動車メーカーとして認められたのである。 === チャップマン時代の終焉 === [[ファイル:Lotus Esprit.JPG |thumb|right|180px|タイプ79(エスプリ)]] 1970年代後半に入ると、タイプ75エリート、タイプ76[[ロータス・エクラ|エクラ]]、タイプ79[[ロータス・エスプリ|エスプリ]]の3Eと呼ばれるモデルを中心に、従来とは異なる高級路線をとる。 技術協力では1972年発表の[[ジェンセン・ヒーレー]]用のエンジン開発、グループ4[[ホモロゲーション]]モデルの[[タルボ (自動車メーカー)|タルボット]]・[[サンビーム (自動車)|サンビーム]]・ロータスの開発、[[デロリアン・DMC-12]]の開発、[[トヨタ・セリカXX|セリカXX]]の開発協力や、[[トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー]]と[[トヨタ・ハイラックスサーフ|ハイラックスサーフ]]用[[ハードトップ]]の真空成形FRPに関する技術供与を行う。特に[[トヨタ]]とは資本関係を持ち、チャップマン自らセリカXXのテレビCM(1981年頃)に出演していた。 しかし、チャップマンは1982年の末に心臓発作でこの世を去ってしまう。デロリアンの生産立ち上げに難航し、英国政府との板挟みとなったことが大きいと言われている。 === オーナーの交代 === 1982年にチャップマンが54歳で急逝した後は経営難が深刻化し、経営はチャップマン家から事業家のデビッド・ウィッケンスに移った。この時期にエンブレムが変更され、チャップマンのイニシャルであるACBCの文字は削除された。トヨタは株主として関係を深めていき、[[ロータス・エクセル|エクラ・エクセル]]にはトヨタ製の部品が供給された。1984年のバーミンガムショーでは、新開発の[[V型8気筒|V8]]エンジンを搭載し、[[ジョルジェット・ジウジアーロ]]のデザインによる[[コンセプトカー]]「エトナ」を発表したが、市販化にはいたらなかった。 1986年には[[ゼネラルモーターズ]] (GM) の傘下に入り、カーエンブレム及び社章にACBCのイニシャルが復活。グループ内のスポーツカーメーカーとして[[シボレー・コルベット]]ZR-1のエンジン設計や、[[オペル・オメガ]]、[[いすゞ・ピアッツァ]]、[[いすゞ・ジェミニ]]、[[いすゞ・ビッグホーン]]([[SUBARU (自動車)|スバル]]<ref>[[スバル・ビッグホーン]]が発売されていた当時の[[スバル|同社]]の正式社名は[[富士重工業]]だった。</ref> の[[スバル・ビッグホーン#2代目(1992年-1993年)UBS25GWS/UBS69GWS型|2代目]][[スバル・ビッグホーン|ビッグホーン]]や[[本田技研工業|ホンダ]]の[[ホンダ・ホライゾン|ホライゾン]]なども含む)などのチューニングを担当した。1989年に発売された2代目エラン(タイプM100)では、GMグループ内のメーカーからエンジン&トランスミッション(いすゞ)、パーツ(ACデルコなど)を調達していた。 1993年に高級スポーツカーブランドの[[ブガッティ]]を所有するロマーノ・アルティオーリに売却されその傘下に入ったがブガッティは1995年に破産し、1996年よりマレーシアの国営自動車メーカー、[[プロトン (自動車)|プロトン]]の傘下となる。 === エリーゼの成功 === 1995年に登場したタイプ111[[ロータス・エリーゼ|エリーゼ]]は大成功となり、ロータス・カーズは経営危機から脱した。エリーゼは当初の[[ローバー (自動車)|ローバー]]エンジンからトヨタエンジンへ変更しつつ、クーペボディの[[ロータス・エキシージ|エキシージ]]、GM製の[[ターボチャージャー|ターボ]]エンジンを搭載したヨーロッパSなどの派生車種を展開した。2009年には上級車種として、14年ぶりのブランニューモデルとなる[[ロータス・エヴォーラ|エヴォーラ]]を発売するまでに至った。 === ダニー・バハーの拡張路線 === 2009年、[[フェラーリ]]の副社長だったダニー・バハーがCEOに就任し、[[シトロエン・C3]]や[[フェラーリ・458イタリア]]を手掛けたドナート・ココをデザインディレクターに迎えた<ref>{{Cite web|和書|author=大矢アキオ |date=2011-05-27 |url=http://www.webcg.net/WEBCG/essays/makkina/e0000024419.html?pg=1 |title=第195回:「シトロエンC3」から「ロータス」まで デザイナー・ココさん、ココにあり |work=マッキモ あらモーダ! |publisher=web CG |accessdate=2012-04-23 }}</ref>。2010年の[[モンディアル・ド・ロトモビル|パリ・モーターショー]]では、エスプリ、エラン、エリート、エリーゼ、エテルネ(''Eterne'')の5モデルものコンセプトカーを発表。ライトウェイト・スポーツから高級スポーツカーまで車種を揃える意欲を見せた。 2012年、プロトンが[[DRB-ハイコム]]傘下に買収されると、赤字を計上し続けるロータスの売却が噂されるようになり<ref>{{Cite news|author=森脇稔 |url=http://response.jp/article/2012/01/31/169221.html |title=英ロータス、新たな出資パートナーと交渉か |publisher=レスポンス |date=2012-01-31 |accessdate=2012-04-23}}</ref><ref>{{Cite news|author= |url=http://www.news-digest.co.uk/news/news/uk-news/8868-2012-04-20.html |title=首相がロータスの国内生産継続求める - |publisher=英国ニュースダイジェスト |date=2012-04-20 |accessdate=2012-04-23}}</ref>、6月にはバハーがCEOを解任された<ref>{{Cite news|author=森脇稔 |url=http://response.jp/article/2012/06/08/175748.html |title=英ロータスカーズのダニー・バハーCEO…正式に解任 |publisher=レスポンス |date=2012-06-08 |accessdate=2012-06-27}}</ref>。今後は事業計画を縮小し、5モデルのうちエスプリ以外は計画中止になるのではないかと見られる<ref>[http://www.autocar.jp/news/2012/07/26/10897/ ロータス、事業計画を大幅に縮小] - AUTOCAR JAPAN(2012年7月26日)2012年12月15日閲覧。</ref>。2017年5月には[[中華人民共和国]]の[[吉利汽車]]がプロトンのDRB-ハイコムに次ぐ株主となり、ロータスの株も51%を取得して筆頭株主となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM24H5I_U7A520C1000000/ |title=中国・吉利汽車、マレーシアのプロトン株の49%取得|agency=[[日本経済新聞]]|date=2017-05-24 |accessdate=2017-05-24}}</ref>。 == 車種一覧 == === 現行車種 === [[ファイル:Lotus Emira.jpg|thumb|right|220px|エミーラ]] * [[ロータス・エミーラ|エミーラ]](2021年)- エリーゼ、エキシージ、エヴォーラの後継車。AMG製M139型(2.0L 直4ターボ)エンジンもしくはトヨタ製[[トヨタ・GRエンジン|2GR-FE]]型(3.5L V6)エンジンが搭載される。 * [[ロータス・エヴァイヤ|エヴァイヤ]](2021年)- ロータス初の[[電気自動車]]。 * [[ロータス・エレトレ|エレトレ]](2022年)- 電気自動車。ロータス初の4ドアかつ[[SUV]]。 === 過去の主な車種 === [[ファイル:Lotus Elise S1 - 002.jpg|thumb|right|220px|エリーゼS1]] *{{仮リンク|ロータス・イレブン|en|Lotus Eleven}} - レーシングカー。 *[[ロータス・セブン|セブン]](1957年) - オープンホイールの純然たるスポーツカー。シリーズ4までモデルチェンジして販売されたのち、ロータスよりセブンのライセンスや生産設備を受け継いだ[[ケータハムカーズ]]や、セブンのレプリカが[[ドンカーブート]]、[[バーキン]]、{{仮リンク|ウェストフィールド・スポーツカーズ|en|Westfield Sportscars|label=ウェストフィールド}}など、様々な会社によって製造されている。 *[[ロータス・エリート|エリート]](1957年) - ロータス初の高級指向の2/4座スポーツカー。初代は1950年代後半に登場。[[繊維強化プラスチック|FRP]]の一体構造ボディを採用した。2代目は1974年登場。 *[[ロータス・エラン|エラン]](1962年) - バックボーン(背骨)フレームは[[トヨタ・2000GT]]が手本としたとされる。1989年の2代目エランは[[いすゞ自動車|いすゞ製]][[いすゞ・4XE1|4XE1]]型エンジンを搭載している。その後、この車の生産設備を韓国の[[起亜自動車]]へ売却した。[[キア・ビガート]]も参照のこと。 *[[ロータス・ヨーロッパ|ヨーロッパ]](1966年) - 漫画『[[サーキットの狼]]』にて日本でも知られる。極めて低いシルエットを持つ。S1、S2、TC、SPの4タイプがある。 *[[ロータス・エクラ|エクラ]](1975年) - 2代目エリートのファストバック版。 *[[ロータス・エスプリ|エスプリ]](1975年) - [[ジョルジェット・ジウジアーロ]]のデザイン代表作の1つ。[[ジェームズ・ボンド|007シリーズ]]『[[007 私を愛したスパイ]]』にて水陸両用車が登場したことでも知られる。 *[[ロータス・エクセル|エクセル]](1982年) - エクラの後継車種。当初は「エクラ・エクセル」と呼ばれた。 *[[ロータス・エリーゼ|エリーゼ]](1995年) - 2シーター[[オープンカー|ロードスター]]。エミーラ登場以前におけるロータスの主力モデルであった。 *[[ロータス・エキシージ|エキシージ]](2000年) - エリーゼの高性能モデル。専用のエアロパーツを纏う。 *[[ロータス・ヨーロッパ|ヨーロッパS]](2006年) - 上述のヨーロッパとは異なり、「ビジネスクラスGT」を謳う。 *[[ロータス・2-イレブン|2-イレブン]](2007年) - エキシージをベースにしたエアコン・ヒーターなしのサーキット専用車。ロードカーも存在。 *[[ロータス・エヴォーラ|エヴォーラ]](2009年) - 2+2のミッドシップ・スポーツカー。エスプリ以来の上級モデル。 *{{仮リンク|ロータス・イクオス・タイプ125|en|Lotus T125|it|Lotus Exos T125|label=イクオス・タイプ125}}(2010年) - [[フォーミュラカー|シングルシーター]]、オープンホイールボディの[[サーキット走行専用車]]。10台のみ製造された。 *[[ロータス・3-イレブン|3-イレブン]](2015年)- 2−イレブンの後継車種。トヨタ製[[トヨタ・GRエンジン|2GR-FE]](3.5リッターV6)エンジンを搭載し、[[パワーウェイトレシオ]]は2.0Kg/PSを誇る。 == 社名と車名 == [[ファイル:Lotus 108 (24281585325).jpg|thumb|200px|alt=Lotus Type 108 bicycle|タイプ108(トラックレーサー)]] ロータス (Lotus) とは、英語で「[[ハス|蓮]]」を意味する。グループエンブレムの中にも角の丸い三角として描かれており、創業者の[[コーリン・チャップマン]]が[[仏教]]思想を取り入れ、「俗世の苦しみから解放されて夢がかなう実」とされる蓮にちなんで名付けたとの説が有力である。エンブレムの「A・C・B・C」は、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンのイニシャルである。 レーシングカー、スポーツカー、サルーンカーなどを含めて、すべてのロータス車にはタイプナンバーと呼ばれる通し番号が与えられている。初期は「マーク○○」という呼び方だったが、1956年のイレブン以降は「タイプ○○」となっている。車名については、[[レーシングカー]]の場合はそのままタイプナンバーで呼ばれるが、市販車の場合はこれに[[愛称|ペットネーム]]が加えられる。ペットネームは伝統的にイニシャルが'''E'''で始まる。 なお、タイプ76([[ロータス・76|76]]と[[ロータス・エクラ|エクラ]])、タイプ79([[ロータス・79|79]]と[[ロータス・エスプリ|エスプリ]])、タイプ100([[ロータス・100T|100T]]とM100系エラン)のように、チーム・ロータスのF1マシンとロータス・カーズの市販車でナンバーが重複するケースもある。 自動車以外の乗り物にもタイプナンバーが付けられている。 *{{仮リンク|ロータス・タイプ108|en|Lotus_108|label=タイプ108}} - [[炭素繊維強化プラスチック|カーボン]]製モノコックフレームを持つ[[トラックレーサー]](競技用[[自転車]])。[[バルセロナオリンピック]]の4,000 m個人追い抜き種目で[[クリス・ボードマン]]が金メダルを獲得した。このタイプ108を一部改修して[[タイムトライアルバイク]]にしたものが市販型のタイプ110で、ボードマンが[[ツール・ド・フランス]]のプロローグの個人タイムトライアルで通算3勝を挙げている。 *{{仮リンク|ロータス・タイプ119|en|Lotus_119|label=タイプ119}} - [[ソープボックス]](動力なし競技車両)。[[グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード]]のタイムトライアルで優勝した。 == 日本での販売 == [[ファイル:Lotus TLC-Harajuku Showroom.JPG|thumb|right|250px|原宿ショウルーム]] 東京・新橋の商社で[[メッサーシュミット]]も扱っていた芙蓉貿易がセブンや初代エリートを[[輸入]]していた。1960年代半ばには[[東急商事]](東京・大田区)が輸入代理店となり、エランや初期の[[ロータス・ヨーロッパ|ヨーロッパ]]を輸入した。1972年からは[[アトランテック商事]]が正規の輸入者となったが、1990年代中盤には取り扱いをやめてしまい、そのため初期型の111エリーゼのほとんどは[[輸入車#並行輸入車|並行輸入]]となった。1999年から2002年まではケイアンドエムが輸入権を有していた [http://www.jaia-jp.org/j/data/brand/Lotus.html]。 2003年2月、[[オートトレーディングルフトジャパン]]が、子会社「[[エルシーアイ]]」を設立し、輸入販売を開始した。エルシーアイは2005年4月、株式の51%を取得した[[VTホールディングス]]の傘下となった。 1975年に設立された自動車整備業者の全国組織「ロータスクラブ」(''LOTAS CLUB'' )があるが、商号の綴りも異なり、ロータス・カーズとは無関係である。 == モータースポーツ == [[File:Takuma Sato demonstrating Lotus 78 2010 Japan.jpg|200px|thumb|right|[[ロータス・78]]は[[グラウンド・エフェクト]]技術の先駆けとなり、現代的な空力思想の礎を築いた]] ロータスのレース活動は1954年に発足した[[チーム・ロータス]]が行っていたが、グループ・ロータスの中でもチャップマンの家族経営的な組織に位置づけられていた。グループ内でレーシングカー開発・製造を行っていたロータス・コンポーネンツは1971年に閉鎖され、スタッフはシャシーコンストラクターの「グループ・レーシング・デベロップメント (GRD) 」を設立した。 1982年のコーリン・チャップマンの死後、遺族はグループ・ロータスを売却したが、チーム・ロータスは手元に残した。その後、チャップマン家はチーム運営からも手を引き、1992年に長男のクライブ・チャップマンがヒストリックレーサーのメンテナンス事業を行う「クラシック・チーム・ロータス<ref>[http://www.classicteamlotus.co.uk/default.aspx Classic Team Lotus](英語)</ref>」を設立した。チーム・ロータスは資金難により1994年に消滅した。 {{main|チーム・ロータス}} [[file:Lotus GT1 (51298782490).jpg|200px|thumb|right|ロータスGT1]] この頃のグループ・ロータス(ロータス・カーズ)本体のレース活動としては、1997〜1998年の[[FIA GT選手権]]と[[ル・マン24時間レース]]への、[[グループGT1 (1990年代)|GT1]]車両による参戦がある(チーム名は「ロータス・レーシング」)。 2009年にダニー・バハーが新CEOに就任した後、積極的にモータースポーツに関与するようになった。バハーは以前[[レッドブル]]のF1計画に関わり、[[フェラーリ]]でブランドイメージ戦略を担当した経験を持つ。また、モータースポーツディレクターには[[スクーデリア・フェラーリ]]の元広報部長だったクラウディオ・ベロが就任した。 この時期の活動は、既存チーム(メーカー)への支援もしくは提携という形で、レース分野を幅広くカバーしているのが特徴である。車体は1960年代のブリディッシュ・グリーン&イエローのワークスカラーか、1970〜1980年代の[[JPS (たばこ)|JPS]]カラーを思わせるブラック&ゴールドにペイントされ、名門ロータスの再生をアピールしている。しかし2012年にバハーが解任されると、各カテゴリで一気に手が引かれた。 現在は市販車をベースとしたカテゴリに小規模に供給を行っているに留まっている。以下は2009年から現在までのモータースポーツ活動の記録である。 [[ファイル:Takuma Sato 2011 Indy Japan 300 Qualify.jpg|thumb|right|KVレーシングの[[佐藤琢磨]](2011年インディ・ジャパン300)]] [[ファイル:Kimi Raikkonen 2012 Malaysia FP2.jpg|thumb|right|px|[[ロータスF1チーム]]の[[キミ・ライコネン]](2012年)]] ;インディカー :2010〜2011年には[[インディカー・シリーズ]]の[[KVレーシング・テクノロジー]]のスポンサーとなり、[[佐藤琢磨]]のマシンがブリティッシュ・グリーンに塗られた。2012年には[[ジャッド]]と提携してインディカーにエンジンサプライヤーとして参入し、ブランド大使を務める[[ジャン・アレジ]]が[[インディ500]]にスポット参戦した<ref>{{Cite news|author= |url=https://www.as-web.jp/past/%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%82%b8%e3%80%81%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%87%e3%82%a3500%e5%8f%82%e6%88%a6%e3%81%af%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%83%8f%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%81%8b%e3%82%89 |title=アレジ、インディ500参戦はニューマン/ハースから |publisher=オートスポーツ |date=2012-04-06 |accessdate=2012-04-23}}</ref>。しかしエンジンが競争レベルになく、1年限りで撤退した。 ;F1 :F1では2011年に[[ルノーF1|ルノー]]のメインスポンサーになり、チーム名は「ロータス・ルノーGP」とされた。その一方で、一年早く参戦していた新生チーム・ロータス(翌2012年から[[ケータハムF1チーム]]に変更)に対して「ロータス」の名称使用停止を求める訴訟を起こした。この1シーズンの間は、「ロータス」の名を持つチームがF1に2つ存在するという奇妙な状況が続いた。 :ロータス・ルノーGPは2012年より[[ロータスF1チーム]]へ改称したが、同年4月にグループ・ロータスがスポンサーを降りることが決まった。ただし、少なくとも2017年まではロータスの名を用いるとされていた<ref>{{Cite news|url=http://f1-gate.com/lotus/f1_14894.html |title=ロータス、少なくとも2017年までF1チーム名を継続 |publisher=F1-Gate.com|date=2012-04-10 |accessdate=2012-04-23}}</ref> ものの、資金難により2015年のシーズン終了後にルノーに買収されたため、「ロータス」の名称は再びF1から消滅した。{{see also|チーム・ロータス#ロータス名称問題。2つの「ロータスチーム」}} ;GP2・GP3 :[[ARTグランプリ]]とのジョイント体制を敷き、2011年に「ロータス・ART」、2012年に「ロータスGP」の名で[[GP2]]と[[GP3]]に参戦した。 ;スポーツカー [[file:FIA-WEC - 2014 (15761616590).jpg|200px|thumb|right|[[CLM P1/01|ロータス・CLM P1/01]](2014年)]] :[[2011年のインターコンチネンタル・ル・マン・カップ]] (ILMC) の[[「ル・マン」耐久グランドツーリングカー|LM-GTE]] Proクラスに「ロータス・ジェットアライアンス」の[[ロータス・エヴォーラ#競技参戦|エヴォーラ]]が参戦。 :2012年は[[コリン・コレス]]率いる[[コデワ]]と組んで[[FIA 世界耐久選手権]] (WEC) の[[「ル・マン」プロトタイプ|LMP]]2クラスに参戦(シャシーは[[ローラ・B08/80|ローラ・B12/80]]、エンジンは[[BMW]]ベース<ref>{{Cite news |url=https://www.as-web.jp/past/%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%82%b9%e3%80%81%e3%82%b3%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%81%ae%e3%83%81%e3%83%bc%e3%83%a0%e3%81%a8%e7%b5%84%e3%81%bfwec%e3%81%aelmp2%e3%81%ab%e5%8f%82%e6%88%a6 |title=ロータス、コレスのチームと組みWECのLMP2に参戦 |publisher=オートスポーツ |date=2012-02-01 |accessdate=2012-04-23}}</ref>)。2013年にオリジナルシャシー、[[ロータス・T128 (ル・マン・プロトタイプ)|T128]]<ref>2011年にチーム・ロータス([[ケータハムF1チーム]])が同名の[[ロータス・T128|T128]]を制作したが全く別物である</ref> を出走させた。[[2014年のFIA 世界耐久選手権|2014年]]は新型の[[CLM P1/01]]を投入。ロータスとしての参戦はこの年限りとなった。 ;GT [[file:Lotus Exige GT3 - Flickr - exfordy.jpg|200px|thumb|right|エキシージGT3]] :[[グループGT3]]規定が発足したばかりの2006年に、ロータス・カーズの高性能車部門であるロータス・スポーツが開発したエキシージGT3を投入している<ref>[https://www.supercars.net/blog/2006-lotus-sport-exige-gt3/ 2006 Lotus Sport Exige GT3]</ref>。2021年には英国のレーシングコンストラクターである[[RMLグループ|レイ・マロック・リミテッド]](RML)社との共同事業により、エミーラの[[グループGT4]]車両の供給を開始した。 :日本の[[SUPER GT]]のGT300クラスでは、[[ムーンクラフト]]社が[[マザーシャシー]]を用いてエヴォーラをベースとしたマシンを開発し、[[ホンダカーズ東海|カーズ東海21]]が運用。フロントエンジンが前提のマザーシャシーをミッドシップにしたゆえの苦労を重ねたが、予選では多数のポールポジションを獲得。艱難辛苦の末に2020年に富士で初勝利を飾った<ref>[https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17383420 ロータス・エヴォーラがチーム10年ぶりの勝利!【スーパーGT Rd02富士SW GT300クラス】]</ref>。 ;ラリー :[[グループR-GT]]規定が発足した当初から開発を行い、エキシージの[[ラリーカー]]の供給を行っている<ref>[https://response.jp/article/2011/12/28/167721.html ロータス エキシージ新型、ラリーマシンのシェイクダウン完了]</ref>。 == 注釈 == {{Reflist|group="注釈"}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}}{{Reflist}} == 参考文献 == *『ワールド・カー・ガイド8ロータス』[[ネコ・パブリッシング]] ISBN 4-87366-098-X == 関連項目 == *[[チーム・ロータス]] *[[キットカー]] *[[TopGearテストトラック]] - 元はロータスのテストトラックだったが、現在はイギリスの自動車番組[[トップ・ギア]]が使用している。 * [[プロトン (自動車)]] * [[テスラ (会社)]] * [[トヨタ自動車]] * [[ケータハムカーズ]] * [[サーキットの狼]] * [[コーリン鉛筆]] - コーリン繋がりということからか、1970年代から1980年代に掛けてロータスの[[ライセンス|ライセンシー]]を受けて主に児童向けの鉛筆や[[鉛筆削り]]を製造・販売していた。 == 外部リンク == {{Commons|Lotus (automobiles)}} * [http://www.lotus-cars.jp/ エルシーアイ株式会社(英国Lotus Cars社日本国内正規輸入総代理店)] * [http://www.vt-holdings.co.jp/ VTホールディングス] *[https://lotusjps.info/ lotus jps club (ロータスヨーロッパを中心にロータスミドシップスポーツカークラブ FROM KOBE)] {{英国ブランド車種年表}} {{自動車}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ろおたす}} [[Category:イギリスの自動車メーカー・ブランド]] [[Category:ロータス|*]] [[az:Lotus]]
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国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会
国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会(こくさいれんごうたいりょうはかいへいきはいきとくべついいんかい、英: United Nations Special Commission)は、イラク武装解除の監視および推進を行うために設置された武器査察を所管とする国連の組織である。略称はUNSCOM(以下、本文中も略称で言及)。 UNSCOMは、1991年4月、湾岸戦争の終結に際して国際連合安全保障理事会によって採択された国際連合安全保障理事会決議687によって設置された特別機関で、化学兵器、生物兵器および長距離弾道ミサイルに関連する査察を担当。核兵器については国際原子力機関(IAEA)が担当した。 初めての査察活動は、1991年6月に始まり、1998年10月にイラクが査察団を追放するまで7年間余に渡って続けられた。イラクが査察活動への協力を停止してからは、アメリカ合衆国主導の多国籍軍による爆撃などがあり、査察は中止状態にあった。しかし、再開されることがなく1999年12月に公式に解体された。このUNSCOMの使命は、国際連合監視検証査察委員会へと受け継がれた。 初代委員長は、スウェーデンの外交官であるロルフ・エケウス。1997年7月からは、オーストラリアの外交官であるリチャード・バトラーに交代した。1999年6月末にバトラーの任期が満了すると、次の委員長が選出されることはなくアメリカの外交官、チャールズ・デュェルファが委員長代理を務めることになった 本部事務所はニューヨークに置き、他にバーレーンに研修所と備給拠点などを兼ねた事務所をバグダードに監視検証センター(Baghdad Monitoring and Verification Centre、BMVC)をおいた。年間の平均予算は3,000-5,000万ドルであったとされる。(UNSCOM Basic Facts) 2,500万ドル程度の予算に加えて国際連合加盟国から毎年5,000万ドル相当の寄付があった。主な寄付の出所はアメリカ合衆国と見なされている。(Saikal 1999) 査察がどの程度の功を奏したかについては、専門家の間でも評価が分かれている。UNSCOMを設立した当初の計画では、イラク側が大量破壊兵器やその製造、保存にまつわる設備を書類で申告し、その申告書に基づいてUNSCOMの監視の下、廃棄が行われることになっていた。しかし、様々な理由から申告、廃棄の双方が計画通りには行われずに、武装解除が完了することはなかった。 主な成果として指摘されるのは次のような点である。(外務省 2002; Phythian 2000, Appendix A) 総論として、査察が全くないよりはあった方がイラクの武装解除の推進や武器開発プログラムの遅延には効果的だという(比較的わかりやすい)意見がある。一方で、むしろ、査察やそれにまつわる政治的折衝の過程で行われた譲渡が問題を悪化させており、中途半端な査察活動をせずにイラクに対する強硬な非難だけを続けていた方がよかったとする意見もある(Byman 2000)。
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国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会は、イラク武装解除の監視および推進を行うために設置された武器査察を所管とする国連の組織である。略称はUNSCOM(以下、本文中も略称で言及)。
'''国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会'''(こくさいれんごうたいりょうはかいへいきはいきとくべついいんかい、{{Lang-en-short|'''United Nations Special Commission'''}})は、[[イラク武装解除問題|イラク武装解除]]の監視および推進を行うために設置された武器査察を所管とする[[国際連合|国連]]の組織である。略称は'''UNSCOM'''(以下、本文中も略称で言及)。 == 概要 == UNSCOMは、[[1991年]]4月、[[湾岸戦争]]の終結に際して[[国際連合安全保障理事会]]によって採択された[[国際連合安全保障理事会決議687]]によって設置された特別機関で、[[化学兵器]]、[[生物兵器]]および長距離[[弾道ミサイル]]に関連する査察を担当。[[核兵器]]については[[国際原子力機関]](IAEA)が担当した。 初めての査察活動は、1991年6月に始まり、[[1998年]]10月に[[イラク]]が査察団を追放するまで7年間余に渡って続けられた。イラクが査察活動への協力を停止してからは、[[アメリカ合衆国]]主導の[[多国籍軍]]による爆撃などがあり、査察は中止状態にあった。しかし、再開されることがなく[[1999年]]12月に公式に解体された。このUNSCOMの使命は、[[国際連合監視検証査察委員会]]へと受け継がれた。 == 組織 == 初代委員長は、[[スウェーデン]]の外交官であるロルフ・エケウス<!--(Rolf Ekeus)-->。1997年7月からは、[[オーストラリア]]の外交官であるリチャード・バトラー<!--(Richard Butler)-->に交代した。1999年6月末にバトラーの任期が満了すると、次の委員長が選出されることはなくアメリカの外交官、チャールズ・デュェルファ<!--(Charles Duelfer)-->が委員長代理を務めることになった 本部事務所は[[ニューヨーク]]に置き、他に[[バーレーン]]に研修所と備給拠点などを兼ねた事務所を[[バグダード]]に監視検証センター(Baghdad Monitoring and Verification Centre、'''BMVC''')をおいた。年間の平均予算は3,000-5,000万ドルであったとされる。(UNSCOM Basic Facts) 2,500万ドル程度の予算に加えて[[国際連合加盟国]]から毎年5,000万ドル相当の寄付があった。主な寄付の出所はアメリカ合衆国と見なされている。(Saikal 1999) == 評価== 査察がどの程度の功を奏したかについては、専門家の間でも評価が分かれている。UNSCOMを設立した当初の計画では、イラク側が大量破壊兵器やその製造、保存にまつわる設備を書類で申告し、その申告書に基づいてUNSCOMの監視の下、廃棄が行われることになっていた。しかし、様々な理由から申告、廃棄の双方が計画通りには行われずに、武装解除が完了することはなかった。 主な成果として指摘されるのは次のような点である。(外務省 2002; Phythian 2000, Appendix A) * 当初は、イラク側から申告されていなかった[[ミサイル]]が査察活動を通じて発見されたこと。 * 査察活動が行われていた期間中に亡命したイラクの高官フセイン・カマルの情報を得て生物兵器の開発、所持が明るみに出たこと。 * 申告された武器や開発設備の破棄、破壊が確認されたこと。 総論として、査察が全くないよりはあった方がイラクの武装解除の推進や武器開発プログラムの遅延には効果的だという(比較的わかりやすい)意見がある。一方で、むしろ、査察やそれにまつわる政治的折衝の過程で行われた譲渡が問題を悪化させており、中途半端な査察活動をせずにイラクに対する強硬な非難だけを続けていた方がよかったとする意見もある(Byman 2000)。 == 参考文献 == *[http://www.un.org/Depts/unscom/General/basicfacts.html UNSCOM Basic Facts.(公開日不記載)] *Byman, Daniel (2000). A Farewell to Arms Inspections. Foreign Affairs, Jan/Feb2000, v.79, n.1, p.119-, 14p. *Phythian, Mark(2000). UNSCOM in the Time of Cholera. World Affairs, Fall2000, v.163, n.2, p.51-, 13p. *Saikal, Amin (1999). Iraq, UNSCOM and the US: A UN Debacle? Australian Journal of International Affairs, Nov 99, v.53, n.3, p.283-, 12p. == 関連項目 == *[[国際連合安全保障理事会決議687]] *[[:en:United Nations Special Coordinator for the Middle East Peace Process]] == 外部リンク == *[http://www.un.org/Depts/unscom/ 公式サイト] {{DEFAULTSORT:こくさいれんこうたいりようはかいへいきはいきとくへついいんかい}} [[Category:イラク・国際連合関係]] [[Category:イラクの大量破壊兵器]] [[Category:国際連合安全保障理事会|廃たいりようはかいへいきはいきとくへついいんかい]] [[Category:1991年設立の組織]] [[Category:1999年廃止の組織]]
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京成上野駅
京成上野駅(けいせいうえのえき)は、東京都台東区上野公園にある、京成電鉄本線の駅である。駅番号はKS01。 京成本線の起点の駅であり、日暮里駅とともに京成の東京側のターミナル駅である。ただし利用者数は山手線や常磐線、京浜東北線と乗り換えがしやすい日暮里駅の方がかなり多い。付近に東日本旅客鉄道(JR東日本)や東京地下鉄(東京メトロ)の上野駅があり、徒歩での乗り換えが可能である。 都心への乗り入れをめざしていた京成は、都心側ターミナルを上野とする鉄道敷設免許を持っていた筑波高速度電気鉄道を買収し、その免許を利用して当駅へ延伸を行うこととなった。 上野公園地下線建設時の条件として、もともと上野恩賜公園が御料地から1924年、当時東京市に払い下げられたものであり、「公園の樹木、特に桜の根を損傷してはならない。寛永寺などの建造物に影響を及ぼしてはならない」などの厳しい条件を付けられた。後年行われた大規模改良工事の時も公園の環境保全には特に注意が払われていた。 太平洋戦争末期に陸運統制令による強制収用で当駅 - 日暮里駅間の営業を休止し、下り線を三線軌条化した上で地下線内に国鉄車両を搬入して指令設備などが置かれたが、実際にはあまり使用されなかったと言われている。また、上野駅構内を軍需工場に転用するための検討が行われ、機材の配置図面作成や条件交渉が行われているうちに終戦を迎えたという。営業再開時点では下り線の軌道復元および車両撤去が遅れており、上り線を使用しての単線運転としたという。なお、文献によっては、省電の避難場所や学童疎開列車の発着場所として使われたなどといった記述 もあるが、真偽ははっきりと分かっていない。 2019年ダイヤ改正前は京成を省いて「上野」と駅名表記、案内されることがあった一方、従来から正式駅名で表記される標識類も多くみられた京成の駅の一つである。 島式ホーム2面4線を有する地下駅で京成本線のターミナル駅である。上野恩賜公園の真下に立地する。地下2階建の構造となっており、地下1階がコンコース、地下2階がプラットホームである。駅改装工事に際して、各階段にエスカレーターが設置されたほか、バリアフリー対応のため、正面口の階段横および、コンコースとホームと連絡するエレベーターも設置されている。またコンコース改札内にバリアフリー対応のトイレが設置されている。 コンコース上の発車標は、他の駅と同じLED式(それ以前は幕式)を使用していたが、成田空港線(成田スカイアクセス)開業を迎えた2010年からはフルカラーLCD式が使用されている。 初代の自動改札機は1976年に設置された。1990年代に更新・増設された時は、中央の有人通路がAE100形の先頭車をモチーフにした「スカイライナー」専用改札口とされた。その後は、専用改札は無くなり、通常の自動改札機に変更された。現在では幅広型の自動改札機を、中央右側に2台設置している。(写真参照) NTTBPの公衆無線LAN設備が設置されており、docomo Wi-Fiが利用できる。またUQコミュニケーションズの公衆無線LAN設備が設置されており、Wi2の公衆無線LANサービスが利用できる。 開業時の駅本屋は、現在の当駅正面口から中央通りを隔てて対面になる位置に建設され、「京成聚楽ビル」「上野京成ビル」等の名称があった。設計は久野節である。同ビルは全階に大日本食堂(現:聚楽)の運営する飲食店が入居していた(戦前の古絵葉書には「京成聚楽」とともに「食堂・デパート」の看板がある)が、戦後は京成電鉄本社として機能し、その後1969年から1977年まで「上野京成ホテル」として使用された。末期にはヨドバシカメラ上野駅前店や飲食店等のテナントが入居し、ビル内の駅出入口も「アメ横口」として残されていたが、老朽化に伴い2006年に解体された。跡地にはヨドバシカメラのビルが建設され、ヨドバシカメラ マルチメディア上野となっている。 京成電鉄は2017年4月に駅のリニューアルに着手し、2019年3月に完成した。「スカイライナー」に乗り降りする訪日外国人が多いことから、改札外コンコースに観光案内所を設け、大きなスーツケースを持った旅行客が通りやすい幅広自動改札機を増設。駅内は「上野の杜(もり)」をイメージして木や石を多用したデザインにし、トイレの改修、飲食・物販店の増設などにより利便性を高めた。 ホーム上の発車標はフルカラーLED式のものが設置されており、日暮里駅や空港第2ビル駅・成田空港駅同様に英語放送も実施されている。 駅長配置駅で当駅のみの単駅管理。 地上出口と外部への連絡通路は合わせて6か所ある。 過去には、旧本屋にアメ横口、朝日生命ビル前に広小路口、上野公園内の駅直上に公園口が設置されていたが、いずれも現在はない(公園口のみ非常口として現存)。 上野中央通り地下歩道の建設前まで、かつて当駅コンコースとアメ横口を結んだ地下通路には「京成上野ステーションギャラリー」が存在し、通路の壁をガラス空間にして写真や絵画などの展示スペースとしていた。 正面口の右側の壁一面には、こいのぼりと風車をモチーフにした陶板壁画「風月延年」(メキシコの著名な日系人壁画家、ルイス・ニシサワの作)が設置されている。1981年9月26日に駅構内で設置され始め、後年現在地へ移設されている。 当駅と上野駅を一つの接続駅とした連絡運輸が実施されており、JR東日本線連絡定期乗車券が購入できる。駅構内の乗り換え案内表示ではJR線・銀座線・日比谷線に加えて都営大江戸線(上野御徒町駅接続)が表記されているが、こちらとの連絡運輸は行っていない。 全て改札外に設置されている。 2022年度の1日平均乗降人員は38,573人で、京成線全69駅中9位。隣駅である日暮里駅(83,830人)の半分以下である。 近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は下表の通りである。 北東にJR東日本、東に東京メトロの上野駅があり、当駅は上野公園と繁華街の間にある。 (公園内施設である文化施設等については、上野恩賜公園を参照) 正面口付近に「京成上野駅」と「上野公園山下」の2つの停留所が立地する。このほか上野駅・御徒町周辺にバス停が散在する。詳細は上野駅#バス路線を参照。
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京成上野駅(けいせいうえのえき)は、東京都台東区上野公園にある、京成電鉄本線の駅である。駅番号はKS01。
{{駅情報 |社色 = #1155cc |文字色 = white |駅名 = 京成上野駅* |画像 = Keisei-Ueno-STA.jpg |画像説明 = 正面口外観(2021年7月) |地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center |type=point|type2=point|type3=point|type4=point |marker=rail|marker2=rail|marker3=rail-metro|marker4=rail-metro |coord={{coord|35|42|40.4|N|139|46|24.8|E}}|marker-color=005aaa|title=京成上野駅 |coord2={{coord|35|42|50|N|139|46|38|E}}|marker-color2=008000|title2=JR 上野駅 |coord3={{coord|35|42|42.3|N|139|46|33.5|E}}|marker-color3=ff9500|title3=東京メトロ銀座線 上野駅 |coord4={{coord|35|42|41|N|139|46|37.8|E}}|marker-color4=b5b5ac|title4=東京メトロ日比谷線 上野駅 }}当駅より右は上野駅の乗り場 |pxl = 300px |よみがな = けいせいうえの |ローマ字 = Keisei-Ueno |前の駅 = |駅間A = |駅間B = 2.1 |次の駅 = [[日暮里駅|日暮里]] KS02 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|KS|01|#005aaa|4||#005aaa}} |所属事業者 = [[京成電鉄]] |所属路線 = {{color|#005aaa|●}}[[京成本線|本線]] |キロ程 = 0.0 |起点駅 = 京成上野 |所在地 = [[東京都]][[台東区]][[上野恩賜公園#上野公園(町名)|上野公園]]1番60号 | 緯度度 = 35 | 緯度分 = 42 | 緯度秒 = 40.4 | 経度度 = 139 |経度分 = 46 | 経度秒 = 24.8 |座標右上表示 = yes |駅構造 = [[地下駅]] |ホーム = 2面4線 |開業年月日 = [[1933年]]([[昭和]]8年)[[12月10日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = |乗降人員 = 38,573 |統計年度 = 2022年 |乗換 = {{駅番号r|G|16|#ff9500|4}}<ref name="tokyosubway">[https://www.tokyometro.jp/ 東京地下鉄] 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)</ref>{{駅番号r|H|18|#b5b5ac|4}}<ref name="tokyosubway"/>[[上野駅]]([[東日本旅客鉄道]]・[[東京地下鉄]]) |備考 = * [[1953年]]に上野公園駅から改称。 }} '''京成上野駅'''(けいせいうえのえき)は、[[東京都]][[台東区]][[上野恩賜公園#上野公園(町名)|上野公園]]にある、[[京成電鉄]][[京成本線|本線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''KS01'''。 == 概要 == [[京成本線]]の起点の駅であり、[[日暮里駅]]とともに京成の東京側のターミナル駅である。ただし利用者数は[[山手線]]や[[常磐快速線|常磐線]]、[[京浜東北線]]<ref>停車しない時間帯あり</ref>と乗り換えがしやすい日暮里駅の方がかなり多い。付近に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)や[[東京地下鉄]](東京メトロ)の[[上野駅]]があり、徒歩での乗り換えが可能である。 == 歴史 == 都心への乗り入れをめざしていた京成は、都心側[[ターミナル]]を上野とする鉄道敷設免許を持っていた[[筑波高速度電気鉄道]]を買収し、その免許を利用して当駅へ延伸を行うこととなった。 上野公園地下線建設時の条件として、もともと[[上野恩賜公園]]が[[皇室財産|御料地]]から[[1924年]]、当時[[東京市]]に払い下げられたものであり、「公園の樹木、特に[[サクラ|桜]]の根を損傷してはならない。[[寛永寺]]などの建造物に影響を及ぼしてはならない」などの厳しい条件を付けられた。後年行われた大規模改良工事の時も公園の環境保全には特に注意が払われていた。 [[太平洋戦争]]末期に陸運統制令による強制収用で当駅 - 日暮里駅間の営業を休止し、下り線を[[三線軌条]]化した上で地下線内に国鉄車両を搬入して指令設備などが置かれたが、実際にはあまり使用されなかったと言われている<ref group="注">兼松学『終戦前後の一証言 ある鉄道人の回想』(交通協力会、[[1986年]])では中枢機能を移転したものの、換気不足から来る体調不良と他省庁との連絡機能不備から、列車指令部門が使用した程度に終わった、とある。</ref>。また、上野駅構内を軍需工場に転用するための検討が行われ、機材の配置図面作成や条件交渉が行われているうちに終戦を迎えたという。営業再開時点では下り線の軌道復元および車両撤去が遅れており、上り線を使用しての単線運転としたという。なお、文献によっては、省電の避難場所や学童疎開列車の発着場所として使われたなどといった記述<ref>[[毎日新聞]] 連載記事『地下鉄』 1973年1月19日</ref> もあるが、真偽ははっきりと分かっていない。 === 年表 === * [[1929年]]([[昭和]]4年)[[2月12日]] - [[筑波高速度電気鉄道]]が免許を取得<ref>[{{NDLDC|2957100/2}} 「鉄道免許状下付」『官報』1929年2月12日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 * [[1930年]](昭和5年)[[10月15日]] - 筑波高速度電気鉄道が京成電気軌道(現・[[京成電鉄]])と合併<ref>[{{NDLDC|1073565/9}} 『鉄道統計資料. 昭和5年度 第3編 監督』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>。 * [[1933年]](昭和8年)[[12月10日]] - '''上野公園駅'''として開業<ref name="RP787_12">{{Cite journal|和書|author=青木良憲(京成電鉄経営統括部)|title=総説:京成電鉄|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2007-03-10|volume=57|issue=第3号(通巻787号)|page=12|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。開業時は2面4線で、ホームの有効長は4両編成分<ref name="RP787_140">{{Cite journal|和書|author=嵐山桂|title=京成電車 ダイヤの変遷|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2007-03-10|volume=57|issue=第3号(通巻787号)|page=140|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。 * [[1945年]](昭和20年) ** [[6月10日]] - [[運輸省]]接収命令により、当駅 - 日暮里駅間営業休止<ref name="keisei-history2">{{Cite web|和書|url=https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index2.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201219134234/https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index2.html|title=京成電鉄の歩み > 1927〜1945 全線開通・戦時統制|archivedate=2020-12-19|accessdate=2021-05-01|publisher=京成電鉄|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 ** [[10月1日]] - 営業再開<ref name="keisei-history3">{{Cite web|和書|url=https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index3.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501094424/https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index3.html|title=京成電鉄の歩み > 1945〜1970 戦後復興と地下鉄乗り入れ|archivedate=2021-05-01|accessdate=2021-05-01|publisher=京成電鉄|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 * [[1953年]](昭和28年)[[5月1日]] - 駅名を'''京成上野駅'''に改称<ref name="RP787_12" />。 * [[1967年]](昭和42年) - 6両編成運転開始に伴い1番線を閉鎖してホームを延長し、2面3線となる<ref name="RP787_140" />。 * [[1972年]](昭和47年)[[10月25日]] - 「[[スカイライナー]]」運行開始に伴う大規模改良工事を開始<ref name="RP787_140" />。6両編成の列車は日暮里駅で折り返し運行となる<ref name="RP787_140" />。 * [[1973年]](昭和48年) ** [[6月16日]] - 大規模改良工事の進捗に伴い、半年間営業休止(その間は全列車日暮里駅で折り返し)<ref name="RP787_140" />。 ** [[12月16日]] - 完成したホームのうち1面2線を使用して営業再開<ref name="RP787_140" />。 * [[1975年]](昭和50年) ** [[8月1日]] - [[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]の[[引揚者]]によって通路の片側を[[占有|占拠]]されていた地下道をリニューアル<ref>{{Cite news |和書|title=京成上野駅 地下道が面目一新 きのうから使用開始 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1975-08-02 |page=2 }}</ref>。 ** [[12月21日]] - 1面2線のホームを増設する改良工事が完成し、2面4線化される<ref name="交通1975-12">{{Cite news |和書|title=京成上野駅の改良工事が完成 きょう新装オープン 新ホーム4線全面使用 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1975-12-21 |page=3 }}</ref>。ホームの長さは10両編成の電車まで停車できるようになった{{R|交通1975-12}}。 * [[1976年]](昭和51年) ** 年内 - 京成で2番目の自動改札機を設置。また他駅発行の乗車券は磁気券でなかったため、入場専用自動改札機として供用されていた。 ** [[4月2日]] - 駅駐車場と交通広場が完成<ref>{{Cite news |和書|title=地下駐車場と交通広場完成 京成上野駅 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1976-03-28 |page=1 }}</ref>。 ** [[7月14日]] - 駅改良工事が竣工<ref name="keisei-history4">{{Cite web|和書|url=https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index4.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501094405/https://www.keisei.co.jp/keisei/keisei_museum/history/index4.html|title=京成電鉄の歩み > 1970〜1987 成田空港線の開業と経営再建|archivedate=2021-05-01|accessdate=2021-05-01|publisher=京成電鉄|language=日本語|deadlinkdate=}}</ref>。 * [[2017年]]([[平成]]29年) ** [[10月3日]] - 1番線で固定柵の供用開始<ref name="fence">{{Cite press release|和書|url=https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20171016_171852156156.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501011157/https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20171016_171852156156.pdf|format=PDF|language=日本語|title=さらなる輸送の安全確保のために 京成上野駅ホームに固定柵を設置しました 10月10日(火)全番線への設置が完了|publisher=京成電鉄|date=2017-10-16|accessdate=2021-05-01|archivedate=2021-05-01}}</ref>。 ** [[10月5日]] - 2番線で固定柵の供用開始<ref name="fence" />。 ** [[10月7日]] - 3番線で固定柵の供用開始<ref name="fence" />。 ** [[10月10日]] - 4番線で固定柵の供用開始<ref name="fence" />。 * [[2019年]](平成31年)[[3月19日]] - リニューアル工事が完了<ref name="pr2019-03-12">{{Cite press release|和書|url=https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190313_110658037793.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200408002539/https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190313_110658037793.pdf|format=PDF|language=日本語|title=さらに機能が充実&魅力的な空間に! 東京藝術大学が制作した、当社初の発車メロディーも導入京成上野駅のリニューアルが完了します! 3月19日(火)予定|publisher=京成電鉄|date=2019-03-12|accessdate=2020-04-08|archivedate=2020-04-08}}</ref><ref name="pr2019-03-19">{{Cite press release|和書|url=https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190319_174642444231.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190331091654/http://www.keisei.co.jp/information/files/info/20190319_174642444231.pdf|format=PDF|language=日本語|title=さらに機能が充実&魅力的な空間に! 東京藝術大学が制作した、当社初の発車メロディーも導入 京成上野駅リニューアル記念式典を開催しました 3月19日(火)10時30分〜|publisher=京成電鉄|date=2020-03-19|accessdate=2020-04-08|archivedate=2019-03-31}}</ref>。[[発車メロディ]]を導入<ref name="pr2019-03-12"/>。 * [[2020年]]([[令和]]2年)[[1月31日]] - 1・2番線ホーム上にトイレを新設<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20200130_202510818489.pdf|archiveurl= https://web.archive.org/web/20200621010706/https://www.keisei.co.jp/information/files/info/20200130_202510818489.pdf|format=PDF|language=日本語|title=お客様の利便性向上のために 京成上野駅のホームにトイレを新設します 1月31日(金)供用開始|publisher=京成電鉄|date=2020-01-31|accessdate=2020-06-21|archivedate=2020-06-21}}</ref>。 == 駅構造 == 2019年ダイヤ改正前は京成を省いて「上野」と駅名表記、案内されることがあった一方、従来から正式駅名で表記される標識類も多くみられた京成の駅の一つである。 [[島式ホーム]]2面4線を有する[[地下駅]]で[[京成本線]]の[[ターミナル駅]]である。[[上野恩賜公園]]の真下に立地する。地下2階建の構造となっており、地下1階が[[コンコース]]、地下2階が[[プラットホーム]]である。駅改装工事に際して、各階段に[[エスカレーター]]が設置されたほか、[[バリアフリー]]対応のため、正面口の階段横および、コンコースとホームと連絡する[[エレベーター]]も設置されている。またコンコース改札内にバリアフリー対応のトイレが設置されている<ref>{{PDFlink|[http://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/stationmap/pdf/jp/101.pdf 京成上野駅構内図]}}</ref>。 コンコース上の[[発車標]]は、他の駅と同じ[[発光ダイオード|LED]]式(それ以前は幕式)を使用していたが、[[京成成田空港線|成田空港線(成田スカイアクセス)]]開業を迎えた2010年からは[[フルカラーLED|フルカラー]][[液晶ディスプレイ|LCD]]式が使用されている。 初代の[[自動改札機]]は1976年に設置された。[[1990年代]]に更新・増設された時は、中央の有人通路が[[京成AE100形電車|AE100形]]の先頭車をモチーフにした「スカイライナー」専用改札口とされた。その後は、専用改札は無くなり、通常の自動改札機に変更された。現在では幅広型の自動改札機を、中央右側に2台設置している。(写真参照) [[NTTBP]]の公衆無線LAN設備が設置されており、[[docomo Wi-Fi]]が利用できる。また[[UQコミュニケーションズ]]の公衆無線LAN設備が設置されており、[[ワイヤ・アンド・ワイヤレス|Wi2]]の公衆無線LANサービスが利用できる。 開業時の駅本屋は、現在の当駅正面口から[[中央通り (東京都)|中央通り]]を隔てて対面になる位置に建設され、「京成聚楽ビル」「上野京成ビル」等の名称があった。設計は[[久野節]]である。同ビルは全階に[[聚楽|大日本食堂(現:聚楽)]]の運営する飲食店が入居していた<ref>[http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/9734/zyuraku.html じゅらくビル (上野公園駅 本屋→京成電鉄本社→)]</ref>(戦前の古絵葉書には「京成聚楽」とともに「食堂・デパート」の看板がある)が、戦後は京成電鉄本社として機能し、その後1969年から1977年まで「上野京成ホテル」として使用された。末期には[[ヨドバシカメラ]]上野駅前店や飲食店等のテナントが入居し、ビル内の駅出入口も「アメ横口」として残されていたが、老朽化に伴い2006年に解体された。跡地にはヨドバシカメラのビルが建設され、ヨドバシカメラ マルチメディア上野となっている。 京成電鉄は2017年4月に駅のリニューアルに着手し、2019年3月に完成した<ref name="pr2019-03-12"/><ref name="pr2019-03-19"/>。「スカイライナー」に乗り降りする訪日外国人が多いことから、改札外コンコースに観光案内所を設け、大きな[[スーツケース]]を持った旅行客が通りやすい幅広自動改札機を増設<ref name="pr2019-03-19"/>。駅内は「上野の杜(もり)」をイメージして木や石を多用したデザインにし、トイレの改修、飲食・物販店の増設などにより利便性を高めた<ref name="pr2019-03-12"/><ref name="pr2019-03-19"/>。 ホーム上の[[発車標]]はフルカラーLED式のものが設置されており、[[日暮里駅]]や[[空港第2ビル駅]]・[[成田空港駅]]同様に英語放送も実施されている。 駅長配置駅で当駅のみの単駅管理。 ===出口・連絡通路=== 地上出口と外部への連絡通路は合わせて6か所ある。 *正面口 *:JR線(不忍口)、バス(上野公園山下バス停、京成上野駅バス停)、上野公園(西郷隆盛像)方面 *[[池之端|池の端]]口(2ヶ所) *:上野公園(不忍池)方面 *京成上野駅駐車場通路 *:京成上野駅駐車場(上野公園や動物園通りに出られる徒歩出口が3カ所ある)、タクシーのりば方面 *東京メトロ線連絡通路 *:東京メトロ線、JR線(正面玄関口)、上野中央通り地下歩道([[上野広小路駅]]・[[上野御徒町駅]])、[[丸井|上野マルイ]]方面 *アメ横方面連絡通路(22時閉鎖) *:[[ヨドバシカメラ]]マルチメディア上野、[[アメヤ横丁]]方面 過去には、旧本屋にアメ横口、[[朝日生命保険|朝日生命]]ビル前に広小路口、上野公園内の駅直上に公園口が設置されていたが、いずれも現在はない(公園口のみ非常口として現存)。 上野中央通り地下歩道の建設前まで、かつて当駅コンコースとアメ横口を結んだ地下通路には「京成上野ステーションギャラリー」が存在し、通路の壁をガラス空間にして写真や絵画などの展示スペースとしていた。 正面口の右側の壁一面には、[[こいのぼり]]と[[風車]]をモチーフにした陶板壁画「風月延年」(メキシコの著名な日系人壁画家、[[ルイス・ニシサワ]]の作)が設置されている。[[1981年]][[9月26日]]に駅構内で設置され始め、後年現在地へ移設されている。 当駅と上野駅を一つの接続駅とした[[連絡運輸]]が実施されており、JR東日本線連絡定期乗車券が購入できる<ref>{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/renrakuteiki/pdf/00.pdf JR線と連絡会社線との乗り換え駅]}}</ref>。駅構内の乗り換え案内表示ではJR線・銀座線・日比谷線に加えて[[都営地下鉄大江戸線|都営大江戸線]]([[上野御徒町駅]]接続)が表記されているが、こちらとの連絡運輸は行っていない。 ===ギャラリー=== <gallery> ファイル:Keisei-Ueno-STA Ikenohata-Entrance.jpg|池の端口外観 ファイル:Keisei-Ueno-STA Gate.jpg|改札口 ファイル:Keisei-Ueno-STA Ticket.jpg|切符券売機と窓口 ファイル:Keisei-Ueno-STA_Platform1-2.jpg|1・2番線ホーム ファイル:Keisei-Ueno-STA_Platform3-4.jpg|3・4番線ホーム ファイル:Keisei-Ueno-STA Digital-Signage.jpg|コンコース上の発車標 </gallery> <gallery> ファイル:Keisei-Ueno-Sta-Ent.JPG|正面口外観(リニューアル前) ファイル:Keisei-Ueno-Gate.JPG|改札口(リニューアル前) ファイル:Keisei-Ueno-Sta-Platform.JPG|ホーム(リニューアル前) </gallery> === のりば === <!-- 表記は2018年5月時点の駅の案内サインに準拠している(←イブニングライナーとシティライナーは別記載になっています) --> {|class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!種別!!行先!!備考 |- !rowspan="5"|1 - 4 |rowspan="2"|[[File:Number prefix SkyAccess.svg|15px|KS]] 成田スカイアクセス線 |「[[スカイライナー]]」 |[[File:Pictograms-nps-airport.svg|16px]] [[成田空港駅|成田空港]]方面 | |- |アクセス特急 |[[青砥駅|青砥]]・[[京成高砂駅|京成高砂]]・[[北総鉄道北総線|北総線]]・[[File:Pictograms-nps-airport.svg|16px]] 成田空港方面 | 夕方17時以降のみ乗り入れ |- |rowspan="3"|[[File:Number prefix Keisei.svg|15px|KS]] 京成本線 |「シティライナー」 |青砥・[[京成船橋駅|京成船橋]]・[[京成成田駅|京成成田]]方面 |2015年12月5日以降は不定期運行 |- |「イブニングライナー」 |青砥・京成船橋・[[八千代台駅|八千代台]]・[[京成佐倉駅|京成佐倉]]・京成成田・[[File:Pictograms-nps-airport.svg|16px]] 成田空港方面 | |- |一般電車 |青砥・京成高砂・京成船橋・京成成田・[[File:Pictograms-nps-airport.svg|16px]] 成田空港・[[京成千葉駅|京成千葉]]方面 | |} * 上表の路線名は[[京成成田空港線|成田空港線]]開業後の旅客案内の名称に基づいている。 * [[ラッシュ時]]は列車種別による発車番線の振り分けは特にないが、日中時間帯は、1・4番線は普通、2番線は「スカイライナー」、3番線は特急・快速特急が発着する。 * 「スカイライナー」「イブニングライナー」「シティライナー」到着時には、乗車に関する注意事項や車内清掃などの案内放送が流れる。 * 「スカイライナー」「シティライナー」は京成上野 - 日暮里駅間のみの利用はできない。また、「スカイライナー」については京成上野 - 青砥駅間のみの利用もできない。 * 2019年3月19日から全てのホームで発車メロディが導入されている(発車ベルと併用)<ref name="pr2019-03-12"/>。 === 駅構内施設 === 全て改札外に設置されている。 * [[ファミリーマート]] 京成上野駅店([[am/pm]]転換店舗) * [[みずほ銀行]]・[[セブン銀行]][[現金自動預け払い機|ATM]] * KEISEI GIFT JAPANESE SOUVENIER 京成上野駅構内店 * 外貨両替専門店「トラベレックス」京成上野店<ref>[http://www.keiseitravel.co.jp/foreign_currency/ 京成トラベル運営の外貨両替店]</ref> * 東京観光情報センター 京成上野支所 - 成田空港に到着した外国からの旅行者が最初に訪れる東京都内の駅の一つであることから、設置されている。 * [[ヴィ・ド・フランス|デリフランス]] 京成上野駅店 * [[マツモトキヨシ]]京成上野駅店 * 地下[[日本のタクシー|タクシー]]乗り場 * 京成上野駅手荷物カウンター == 利用状況 == 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''38,573人'''で<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/accessj/people_top.html |title=京成電鉄 電車情報 |access-date=2023-5-28}}</ref>、京成線全69駅中9位。隣駅である[[日暮里駅]](83,830人)の半分以下である。 近年の1日平均'''乗降'''・[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]の推移は下表の通りである。 <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります--> {|class="wikitable" style="text-align:right" |+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.taito.lg.jp/index/kusei/kisoshiryou/gyoseishiryo/siryoshu/index.html 行政資料集] - 台東区</ref> !年度 !1日平均<br />乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref> !1日平均<br />乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref> !出典 |- |1990年(平成{{0}}2年) | |34,244 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成2年)]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) | |33,571 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成3年)]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) | |33,011 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) | |32,167 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) | |31,619 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) | |31,511 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) | |30,742 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) | |29,197 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 東京都統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1998年(平成10年) | |28,123 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 東京都統計年鑑(平成10年)]}}</ref> |- |1999年(平成11年) | |27,571 |<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 東京都統計年鑑(平成11年)]}}</ref> |- |2000年(平成12年) | |26,992 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |49,828 |26,797 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |50,007 |26,619 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |47,962 |25,956 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |47,265 |25,696 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |47,518 |25,786 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |48,000 |26,033 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |47,561 |25,825 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |46,814 |25,400 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 東京都統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |46,503 |25,153 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |44,399 |24,507 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |43,241 |23,806 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |44,002 |24,197 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成24年)]</ref> |- |2013年(平成25年) |43,576 |23,901 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成25年)]</ref> |- |2014年(平成26年) |43,363 |23,863 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成26年)]</ref> |- |2015年(平成27年) |44,814 |24,664 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成27年)]</ref> |- |2016年(平成28年) |46,432 |25,559 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成28年)]</ref> |- |2017年(平成29年) |49,028 |26,940 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成29年)]</ref> |- |2018年(平成30年) |50,818 |27,871 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成30年)]</ref> |- |2019年(令和元年) |50,235 |27,489 |<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 東京都統計年鑑(平成31年・令和元年)]</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |30,980 |16,480 | |- |2021年(令和{{0}}3年) |32,115 |17,226 | |- |2022年(令和{{0}}4年) |38,573 |20,906 | |} == 駅周辺 == [[画像:上野公園航空写真1984.jpg|thumb|right|240px|上野公園界隈航空写真]] 北東にJR東日本、東に東京メトロの上野駅があり、当駅は上野公園と繁華街の間にある。 {{See also|上野}} * JR東日本・東京メトロ[[上野駅]] * [[上野恩賜公園]](上野公園) - 当駅はこの公園の南端の地下にある。 (公園内施設である文化施設等については、上野恩賜公園を参照) * [[アメヤ横丁]] ** アメ横センタービル * [[鈴本演芸場]] * [[お江戸上野広小路亭]] * [[下町風俗資料館]] * [[ヨドバシカメラ]]マルチメディア上野 * [[丸井|上野マルイ]] ** 上野駅前[[郵便局]] * [[アブアブ赤札堂|ABAB]]上野店 * [[松坂屋]]上野店 * [[上野広小路駅]](東京メトロ[[東京メトロ銀座線|銀座線]])・[[上野御徒町駅]]([[都営地下鉄]][[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]) - 地上経由で出入口まで徒歩約5分。当駅から両駅までを結ぶ上野中央通り地下歩道と地下[[駐車場]]が建設され、2009年3月16日に完成した。この地下歩道で[[御徒町駅]]や[[仲御徒町駅]]まで移動することも可能。 * 東京メトロ千代田線[[湯島駅]]南西方向徒歩約7分 * [[東京芸術大学]] * [[東京都立上野高等学校]] * [[東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校]] * [[旧岩崎邸庭園]] * [[東京大学大学院医学系研究科・医学部]] ** [[東京大学医学部附属病院]] === バス路線 === 正面口付近に'''「京成上野駅」'''と'''「上野公園山下」'''の2つの[[バス停留所|停留所]]が立地する。このほか上野駅・御徒町周辺にバス停が散在する。詳細は[[上野駅#バス路線]]を参照。 == 隣の駅 == ; 京成電鉄 : [[File:Number prefix Keisei.svg|15px|KS]] 本線 :* [[スカイライナー|{{Color|#092d67|■}}「スカイライナー」発着駅、{{Color|#5362a8|■}}「モーニングライナー」終着駅、{{Color|#5362a8|■}}「イブニングライナー」始発駅]] :: {{Color|#049c5e|■}}快速特急・{{Color|#ef7a00|■}}アクセス特急・{{Color|#e8334a|■}}特急・{{Color|#21ade5|■}}通勤特急・{{Color|#ee86a1|■}}快速・{{Color|#595757|■}}普通 ::: '''京成上野駅(KS01)''' - [[日暮里駅]](KS02) * 大晦日や正月などの特定日には、{{Color|#af3e92|■}}「[[スカイライナー#シティライナー(臨時運行)|シティライナー]]」も発着する。 * 当駅 - 日暮里間にはかつて[[博物館動物園駅]](2004年廃止)と[[寛永寺坂駅]](1953年廃止)が存在していた。 * 当駅(京成上野駅)から隣の日暮里駅までの停車間距離最高速度(種別毎に定められた駅同士の間の最高速度)は全列車共通で50 [[キロメートル毎時|km/h]]だが、地下区間を含めて急カーブが連続して続き40 km/hの速度制限があるため、2.1 kmを4分近くかけて走っている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 出典 == ; 東京都統計年鑑 {{Reflist|group="*"|20em}} == 参考文献 == * 石本祐吉「京成電鉄“不思議発見”」『[[鉄道ピクトリアル]]』632号、電気車研究会、1997年1月 == 関連項目 == {{Commonscat|Keisei Ueno Station}} * [[日本の鉄道駅一覧]] *[[東京駅のバス乗り場#京成バス|東京駅バス停留所(京成高速バス案内カウンター)]] *東京観光情報センターのある23区の他のターミナル **[[バスタ新宿]] **[[東京国際空港]] == 外部リンク == * [https://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/accessj/keisei-ueno.php 京成上野駅|電車と駅の情報|京成電鉄] * [https://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/skyliner/jp/traffic/ueno.php 上野/駅構内マップ | 成田空港アクセスガイド | スカイライナー/成田空港アクセス | 京成電鉄] * {{PDFlink|[https://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/stationmap/pdf/jp/101.pdf 京成上野駅]}} * {{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/09-02/09-02-1757.pdf 土木建設工事画報]}} {{上野駅}} {{京成本線}} {{京成成田空港線}} {{デフォルトソート:けいせいうえの}} [[Category:上野駅]] [[Category:台東区の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 け|いせいうえの]] [[Category:京成電鉄の鉄道駅]] [[Category:1933年開業の鉄道駅]] [[Category:上野|けいせいうえのえき]]
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9,841
新津田沼駅
新津田沼駅(しんつだぬまえき)は、千葉県習志野市津田沼一丁目にある、新京成電鉄新京成線の駅である。駅番号はSL23。 新京成電鉄新京成線と東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線(総武快速線、総武緩行線)との直接の乗換駅は当駅のみであり、京成津田沼駅は離れている。 当駅と津田沼駅を結ぶ直接の連絡通路はなく、2000年代に入ってエスカレーターやエレベーターの整備が行われ若干の改善がなされた。 当駅は、開業後現在の位置に落ち着くまで、三度移転している。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を持つ。イオンモール津田沼、イトーヨーカドー津田沼店とミーナ津田沼の建物と接続している。 2番線松戸寄りホーム端にはかつて我孫子弥生軒があった。今は閉店しているがその建物自体は残っている。 当駅から終点の京成津田沼駅との間は単線区間であり、朝ラッシュ時は一部列車が当駅で松戸方面へ折り返しとなる。折り返し列車は京成津田沼方にある引き上げ線を使用する。また、夜間には当駅止まりの列車が留置され、翌朝の当駅始発に備える。 新津田沼駅管区として、習志野駅 - 京成津田沼駅間の各駅を管理下に置いている。 2021年度の1日平均乗降人員は54,218人である。新京成線内では第2位である。 近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。 当駅は習志野市の中心市街地である津田沼に位置し、周辺は商業施設が林立する繁華街となっている。南口のイトーヨーカドー・共同駐車場・ミーナ津田沼・コナミスポーツクラブを含む一帯は新京成電鉄の所有地である(建物名称は津田沼12番街ビル、津田沼14番街ビル、津田沼19番街ビル、昭和第三ビル)。 南口は津田沼12番街ビル(イトーヨーカドー津田沼店)、津田沼14番街ビル(ミーナ津田沼)などが接続しているほかJR津田沼駅が近く、北口はイオンモール津田沼が接している。 他に習志野市ハッピーバスの「新津田沼駅北口」停留所、「津田沼一丁目」停留所が近隣に設置されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "新津田沼駅(しんつだぬまえき)は、千葉県習志野市津田沼一丁目にある、新京成電鉄新京成線の駅である。駅番号はSL23。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "新京成電鉄新京成線と東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線(総武快速線、総武緩行線)との直接の乗換駅は当駅のみであり、京成津田沼駅は離れている。", "title": "JR津田沼駅との乗換" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当駅と津田沼駅を結ぶ直接の連絡通路はなく、2000年代に入ってエスカレーターやエレベーターの整備が行われ若干の改善がなされた。", "title": "JR津田沼駅との乗換" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "当駅は、開業後現在の位置に落ち着くまで、三度移転している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を持つ。イオンモール津田沼、イトーヨーカドー津田沼店とミーナ津田沼の建物と接続している。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2番線松戸寄りホーム端にはかつて我孫子弥生軒があった。今は閉店しているがその建物自体は残っている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "当駅から終点の京成津田沼駅との間は単線区間であり、朝ラッシュ時は一部列車が当駅で松戸方面へ折り返しとなる。折り返し列車は京成津田沼方にある引き上げ線を使用する。また、夜間には当駅止まりの列車が留置され、翌朝の当駅始発に備える。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "新津田沼駅管区として、習志野駅 - 京成津田沼駅間の各駅を管理下に置いている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2021年度の1日平均乗降人員は54,218人である。新京成線内では第2位である。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "当駅は習志野市の中心市街地である津田沼に位置し、周辺は商業施設が林立する繁華街となっている。南口のイトーヨーカドー・共同駐車場・ミーナ津田沼・コナミスポーツクラブを含む一帯は新京成電鉄の所有地である(建物名称は津田沼12番街ビル、津田沼14番街ビル、津田沼19番街ビル、昭和第三ビル)。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "南口は津田沼12番街ビル(イトーヨーカドー津田沼店)、津田沼14番街ビル(ミーナ津田沼)などが接続しているほかJR津田沼駅が近く、北口はイオンモール津田沼が接している。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "他に習志野市ハッピーバスの「新津田沼駅北口」停留所、「津田沼一丁目」停留所が近隣に設置されている。", "title": "バス路線" } ]
新津田沼駅(しんつだぬまえき)は、千葉県習志野市津田沼一丁目にある、新京成電鉄新京成線の駅である。駅番号はSL23。
{{駅情報 |社色 = #EF59A1 |文字色 = |駅名 = 新津田沼駅 |画像 = Shin-Tsudanuma Station 1(cropped).jpg |pxl = 300 |画像説明 = 南口(2012年3月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = しんつだぬま |ローマ字 = Shin-Tsudanuma |副駅名 = |前の駅 = SL22 [[前原駅|前原]] |駅間A = 1.4 |駅間B = 1.2 |次の駅 = [[京成津田沼駅|京成津田沼]] SL24 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|SL|23|#EF59A1|4||#EF59A1}} |所属事業者 = [[新京成電鉄]] |所属路線 = {{color|#EF59A1|■}}[[新京成電鉄新京成線|新京成線]] |キロ程 = 25.3 |起点駅 = [[松戸駅|松戸]] |所在地 = [[千葉県]][[習志野市]][[津田沼]]一丁目10番35号 |所在地幅 = long |座標 = {{coord|35|41|24.8|N|140|1|25|E|region:JP-12_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]]) |ホーム = 2面2線 |開業年月日 = [[1947年]]([[昭和]]22年)[[12月27日]] |廃止年月日 = |乗車人員 = |乗降人員 = 54,218 |統計年度 = 2021年 |乗換 = [[津田沼駅]]([[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[総武本線]]) |備考 = }} {|{{Railway line header|collapse=yes}} {{UKrail-header2|<br />新津田沼駅<br />配線図|#EF59A1}} {{BS-table|配線}} {{BS-colspan}} ↑[[前原駅]] {{BS2text|2|1||}} {{BS2|STRg|STRf|||}} {{BS2|STR+BSr|STR+BSl||}} {{BS2|STR+BSr|STR+BSl||}} {{BS2|KRWgl+l|KRWgr+r||}} {{BS2|ENDEe|STR||}} {{BS-colspan}} ↓[[京成津田沼駅]] |} |} {{maplink2|frame=yes|type=point|type2=point|type3=point|zoom=14|frame-width=250|marker=rail|marker2=rail|marker3=rail|marker-color=0067c0|marker-color2=EF59A1|marker-color3=005aaa|coord={{coord|35|41|28|N|140|1|14|E}}|title=津田沼駅|coord2={{coord|35|41|24.8|N|140|1|25|E}}|title2=新津田沼駅|coord3={{coord|35|41|1|N|140|1|28|E}}|title3=京成津田沼駅|frame-latitude=35.687327|frame-longitude=140.022977|text=上から津田沼駅、新津田沼駅、京成津田沼駅}} '''新津田沼駅'''(しんつだぬまえき)は、[[千葉県]][[習志野市]][[津田沼]]一丁目にある、[[新京成電鉄]][[新京成電鉄新京成線|新京成線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''SL23'''。 == JR津田沼駅との乗換 == 新京成電鉄新京成線と東日本旅客鉄道(JR東日本)[[総武本線]]([[横須賀・総武快速線|総武快速線]]、[[中央・総武緩行線|総武緩行線]])との直接の乗換駅は当駅のみであり、[[京成津田沼駅]]は離れている。 当駅と[[津田沼駅]]を結ぶ直接の連絡通路はなく、2000年代に入って[[エスカレーター]]や[[エレベーター]]の整備が行われ若干の改善がなされた。 == 歴史 == 当駅は、開業後現在の位置に落ち着くまで、三度移転している。 * [[1947年]]([[昭和]]22年)[[12月27日]] - 新京成線の始発駅として開業。現在の駅よりややJR津田沼駅寄りの位置にあった。 * [[1953年]](昭和28年)[[11月11日]] - 京成津田沼駅への乗り入れを行うために[[前原駅|前原]] - 京成津田沼間をショートカットするように新線を敷設し、その上に新津田沼駅を移転した。故意に津田沼駅から離れた位置として親会社の[[京成電鉄]]に客を乗せようとする思惑があったためといわれるが、思惑通りにならなかった。 * [[1961年]](昭和36年)[[8月23日]] - 前原駅から路線を分岐し(当初の路線の復活)、初代の位置に3代目となる新津田沼駅を開業させた。2代目の新津田沼駅は[[藤崎台駅]]に改称した。沿線への[[日本住宅公団]]による大規模団地誘致に際し、津田沼駅からの乗り換えが不便であることから改善の強い要望を受けたためとされる。またこれにより、新津田沼駅と京成津田沼駅の間を移動する際は前原駅での乗り換えを必要とした。 * [[1968年]](昭和43年)[[5月14日]] - 行先が「新津田沼行」と「京成津田沼行」の2つあるのはわかりにくいとの利用者の声から、藤崎台駅を通る路線を廃止して、新津田沼駅をやや京成津田沼駅よりに移動させ(4代目)、新津田沼(4代目) - 京成津田沼間を開業させた。初代・3代目の位置と比べて約300メートル京成津田沼駅寄りに移動した。その結果、初代・3代目の新津田沼駅と比べ、総武本線の津田沼駅と若干距離が生じるようになった。移転当初は2番線(松戸方面)ホーム側に駅舎があり、1番線(京成津田沼方面)ホームとの間は[[地下道]]で連絡していた。 * [[1977年]](昭和52年) - 総武本線津田沼駅北口[[都市再開発|再開発]]事業の進展により駅ビルが建設され、橋上駅舎化される。同時に地下道を廃止。駅ビルの主要テナントとしてイトーヨーカドー津田沼店が入居。 * [[2003年]]([[平成]]15年)9月 - イオン津田沼ショッピングセンター(現在のイオンモール津田沼)のオープンに伴い、北口を開設。 <gallery caption="新津田沼駅の位置の変遷" heights="180" widths="150"> Shin-Tsudanuma sta changes1.svg|初代: 1947年12月27日 - 1953年10月31日 Shin-Tsudanuma sta changes2.svg|2代目: 1953年11月1日 - 1961年8月22日 Shin-Tsudanuma sta changes3.svg|3代目: 1961年8月23日 - 1968年5月13日 Shin-Tsudanuma sta changes4.svg|4代目: 1968年5月14日 - 現在 </gallery> == 駅構造 == [[相対式ホーム]]2面2線の[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を持つ。[[イオンモール津田沼]]、[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]津田沼店と[[ミーナ (商業施設)#ミーナ津田沼(mina tsudanuma)|ミーナ津田沼]]の建物と接続している。 2番線松戸寄りホーム端にはかつて[[弥生軒|我孫子弥生軒]]があった。今は閉店しているがその建物自体は残っている。 当駅から終点の[[京成津田沼駅]]との間は[[単線]]区間であり、朝[[ラッシュ時]]は一部列車が当駅で松戸方面へ折り返しとなる。折り返し列車は京成津田沼方にある[[引き上げ線]]を使用する。また、夜間には当駅止まりの列車が留置され、翌朝の当駅始発に備える。 新津田沼駅管区として、習志野駅 - 京成津田沼駅間の各駅を管理下に置いている。 === のりば === <!-- 新京成電鉄公式サイトの当駅の「駅構内図」の表記に準拠 --> {|class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先 |- !1 |rowspan="2"|[[File:Number prefix Shin-Keisei.svg|15px|SL]] 新京成線 |style="text-align:center"|下り |[[京成津田沼駅|京成津田沼]]方面 |- !2 |style="text-align:center"|上り |[[八柱駅|八柱]]・[[松戸駅|松戸]]方面 |} <gallery> Shin-keisei-shintsudanuma-platform.jpg|ホーム(2007年2月) Shinkeisei Shintsudanuma sta 002.jpg|コンコース(2007年12月) Shin-Tsudanuma Station 2.jpg|当駅とミーナ津田沼を結ぶ連絡通路(2012年3月) Shin-Tsudanuma Station 5.jpg|当駅とイオンモール津田沼を結ぶ連絡通路(2012年3月) </gallery> == 利用状況 == 2021年度の1日平均乗降人員は'''54,218人'''である。新京成線内では第2位である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shinkeisei.co.jp/train/station/shintsudanuma/ |title=新津田沼 駅案内 |access-date=2022-8-13 |publisher=新京成電鉄株式会社}}</ref>。 近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。 {|class="wikitable" style="text-align:right" !年度 !1日平均<br />乗降人員 !1日平均<br >乗車人員<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/ 千葉県統計年鑑]</ref> |- |2001年(平成13年) | |36,300 |- |2002年(平成14年) | |35,255 |- |2003年(平成15年) | |36,083 |- |2004年(平成16年) | |36,294 |- |2005年(平成17年) | |35,432 |- |2006年(平成18年) |69,906 |34,741 |- |2007年(平成19年) |71,385 |35,521 |- |2008年(平成20年) |72,175 |35,881 |- |2009年(平成21年) |71,257 |35,412 |- |2010年(平成22年) |71,042 |35,333 |- |2011年(平成23年) |70,430 |35,049 |- |2012年(平成24年) |71,298 |35,447 |- |2013年(平成25年) |72,698 |36,161 |- |2014年(平成26年) |70,700 |35,223 |- |2015年(平成27年) |70,501 |35,106 |- |2016年(平成28年) |69,584 |34,656 |- |2017年(平成29年) |69,575 |34,649 |- |2018年(平成30年) |69,491 |34,654 |- |2019年(令和元年) |68,731 |34,221 |- |2020年(令和{{0}}2年) |52,683 | |- |2021年(令和{{0}}3年) |54,218 | |} == 駅周辺 == {{main|津田沼駅#駅周辺|津田沼}} <!--チェーン店を含む飲食店、コンビニ、個人商店等は記載しない--> 当駅は習志野市の中心市街地である[[津田沼]]に位置し、周辺は商業施設が林立する[[繁華街]]となっている。南口のイトーヨーカドー・共同駐車場・ミーナ津田沼・コナミスポーツクラブを含む一帯は新京成電鉄の所有地である(建物名称は津田沼12番街ビル、津田沼14番街ビル、津田沼19番街ビル、昭和第三ビル<ref>{{Cite web|和書|title=新津田沼駅 構内図・駅テナント - 新京成電鉄株式会社|url=https://www.shinkeisei.co.jp/station/navi_shintsudanuma_floorguide/|website=www.shinkeisei.co.jp|accessdate=2019-12-16}}</ref>)。 南口は津田沼12番街ビル([[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]津田沼店)、津田沼14番街ビル([[ミーナ (商業施設)#ミーナ津田沼(mina tsudanuma)|ミーナ津田沼]])などが接続しているほかJR[[津田沼駅]]が近く、北口は[[イオンモール津田沼]]が接している。 == バス路線 == {|class="wikitable" !のりば!!系統!!行先!!運行事業者!!営業所 |- |rowspan="6"|新津田沼駅||rowspan="2"|津17・津18||津田沼グリーンハイツ||rowspan="2"|{{Color|#FF9933|■}}[[船橋新京成バス]]||rowspan="2"|[[習志野新京成バス|習志野]] |- ||津田沼駅 |- |rowspan="2" |[[京成バス習志野出張所#大久保線・東習志野線|津32]]||習志野企業局||rowspan="4"|{{Color|#1155cc|■}}{{Color|#dd1133|■}}[[京成バス]]||rowspan="4"|[[京成バス習志野出張所|習志野]] |- ||津田沼駅 |- |rowspan="2"|[[京成バス習志野出張所#船橋市内実証実験路線|田喜野井線]]||【循環】三山一丁目 |- ||津田沼駅 |- |} 他に[[習志野市ハッピーバス]]の「新津田沼駅北口」停留所、「津田沼一丁目」停留所が近隣に設置されている。 == 隣の駅 == ; 新京成電鉄 : [[File:Number prefix Shin-Keisei.svg|15px|SL]] 新京成線 :: [[前原駅]] (SL22) - '''新津田沼駅 (SL23)''' - [[京成津田沼駅]] (SL24) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == {{commonscat}} * [https://www.shinkeisei.co.jp/train/station/shintsudanuma/ 新京成電鉄 新津田沼駅] {{新京成線}} {{DEFAULTSORT:しんつたぬま}} [[Category:千葉県の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 し|んつたぬま]] [[Category:新京成電鉄の鉄道駅]] [[Category:1947年開業の鉄道駅]] [[Category:習志野市の交通|しんつたぬまえき]] [[Category:習志野市の建築物]] [[Category:千葉県の駅ビル]]
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陰核
陰核(いんかく、英: Clitoris)は、哺乳類における雌(女性)の外性器に備わる小さな突起物の名称である。陰梃(いんてい)とも呼ばれる。発生学的には男性における陰茎に相当する。 英語のクリトリス(英語版)は、ギリシア語におけるクレイトリス(κλειτορίς, kleitoris)に由来し、鍵またはネジのような封じるものを意味するクレイス (κλείς) を語源とする。先端の陰核亀頭は成人女性で約5 - 7mmほどの大きさであり、亀頭部に刺激が与えられると性的興奮を感じる。男性の生殖器と同様に充血して膨張し、硬さが出てくる(陰核の勃起)。 女性器の上部にある器官である。陰核の大部分は体内にあり、男性のペニス同様に海綿体組織である細長い陰核体および陰核亀頭から成る。 陰核は存在場所とその構造上、胎内での発生過程から性的興奮を高めるためにのみ特化した器官と考えられ、相同器官である男性のペニス(陰茎)が泌尿器および生殖器としての両方の機能があるのと大きく異なっている。陰核には泌尿器としての働きはない。男性のペニスと同様、陰核も心理的あるいは直接的な刺激による、性的興奮により充血し勃起する。 陰核はペニス同様男性ホルモンの濃度に敏感な組織であり、多嚢胞性卵巣や副腎皮質過形成、薬物投与(筋肉増強剤を使用した女性ボディービルダーなど)等で肥大する。 男性のペニスの場合と同様に、陰核亀頭が包皮に覆われ完全に露呈していない状態を包茎と呼ぶ場合がある。成人女性では通常、亀頭部は包皮や陰唇によって保護されており、性交時などの場合にのみ露出する、いわゆる仮性包茎の状態であることが多い。しかし、一部の女性は陰核の露出が極めて困難な、いわゆる真性包茎の状態である場合がある。性交時に痛みを感じる場合や不衛生になり炎症を起こしやすい場合や、不感症気味の場合などは、包皮切除手術等の治療が必要である。
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陰核は、哺乳類における雌(女性)の外性器に備わる小さな突起物の名称である。陰梃(いんてい)とも呼ばれる。発生学的には男性における陰茎に相当する。 英語のクリトリスは、ギリシア語におけるクレイトリスに由来し、鍵またはネジのような封じるものを意味するクレイス (κλείς) を語源とする。先端の陰核亀頭は成人女性で約5 - 7mmほどの大きさであり、亀頭部に刺激が与えられると性的興奮を感じる。男性の生殖器と同様に充血して膨張し、硬さが出てくる(陰核の勃起)。
{{性的}} {{出典の明記|date=2015年7月}} '''陰核'''(いんかく、{{lang-en-short|Clitoris|preserve=1}})は、[[哺乳類]]における[[雌]]([[女性]])の[[外性器]]に備わる小さな突起物の名称である。'''陰梃'''(いんてい)とも呼ばれる<ref group="注釈">上品な言い方として、'''実'''(さね)もある。</ref>。発生学的には[[男性]]における[[陰茎]]に相当する。 {{Infobox 解剖学 | name=陰核 | 画像1= [[ファイル:Clitoris Anatomy.svg|250px]] | 画像説明1= この図では、人の字型に広がっている[[桃色]]の部分が本来の意味での陰核である。この内の体外に出ている[[陰核亀頭]]の部分(画像上部の明るい点の部分)を指して、陰核と呼ぶことが多い。 | 画像2= [[File:陰核.jpg|250px]] | 画像説明2= [[陰核包皮]]から剥き出された陰核 | [[英語]]= Clitoris | [[ラテン語]]= | [[器官]]=[[女性器]] | [[動脈]]=[[陰核背動脈]]<br />[[陰核深動脈]] | [[静脈]]=[[陰核背静脈]]<br />[[陰核深静脈]] | [[神経]]=[[陰核背神経]]<br />[[陰核海綿体神経]] }} 英語の{{Ill|クリトリス|en|Clitoris|preserve=1}}は、ギリシア語におけるクレイトリス(κλειτορίς, ''kleitoris'')に由来し、鍵またはネジのような封じるものを意味するクレイス ({{lang|el|κλείς}}) を[[語源]]とする。先端の陰核亀頭は成人女性で約5 - 7mmほどの大きさであり、亀頭部に刺激が与えられると[[性的興奮]]を感じる。男性の生殖器と同様に充血して膨張し、硬さが出てくる([[陰核の勃起]])<ref>[https://www.lovecosmetic.jp/column/howto/kuribokki.html クリトリス(陰核)の勃起とは?クリトリス勃起が起こる理由 【ラブコスメ】]</ref>。 == 構造 == 女性器の上部にある器官である。陰核の大部分は体内にあり、男性のペニス同様に海綿体組織である細長い陰核体および[[陰核亀頭]]から成る。 ; 大きさ : 成人女性では、陰核体の上端から[[陰核亀頭]]先端までの長さは通常3 - 5cmほどであるが個人差が大きく、稀な例では幼小児の陰茎ほどにもなる。陰核体から左右の陰唇内部に続くやや大きな海綿体組織([[陰核肥大|陰核脚]])も、陰核の一部と見なしてよく、それは全体で10cm前後もの比較的大きな生殖器官となる。 ; 亀頭部 : 陰核亀頭は[[小陰唇]]が合わさるところにあり、性感を得る陰部神経終末が高密度に分布している[[性感帯]]である。亀頭部の色はピンクから暗褐色まで様々であり、性的興奮により変化する。[[陰核亀頭]]のサイズは個人差もあるが、成人女性で5 - 7mmくらいである。 : 陰核亀頭と[[陰核包皮]]の間には[[恥垢]]が溜まりやすく、不潔にしておくと炎症を起こすことがある。 == 機能 == 陰核は存在場所とその構造上、胎内での発生過程から性的興奮を高めるためにのみ特化した器官と考えられ、相同器官である男性のペニス(陰茎)が[[泌尿器]]および[[生殖器]]としての両方の機能があるのと大きく異なっている。陰核には泌尿器としての働きはない。男性のペニスと同様、陰核も心理的あるいは直接的な刺激による、性的興奮により充血し[[勃起]]する。 {{Hidden|[[性器]]を含んだ[[画像]]があります。<br />表示する場合は右側の「表示」をクリック<br />(モバイル版の場合はタップして表示)。|[[File:Clitoral erection during sexual arousal.jpg|thumb|200px|[[性的興奮]]中の女性。陰核が[[勃起]]し<ref group="注釈">心拍数が上がり、女性器周辺の血圧が低くなっている状態。血管に血液が貯まることで赤く色付く。男性器の挿入待ち状態であり、著しく敏感になっている。</ref>[[膣分泌液]]で湿潤。]]}} ; 勃起 : 勃起時には陰核体や陰核亀頭は膨張し固くなる。また、陰唇内部の海綿体や小陰唇も充血・膨張する。 {{See also|陰核の勃起}} ; オーガズム : 一定の性的刺激が継続すると、やがて[[オーガズム]](性的興奮の最高潮)に達する<ref>{{Cite web|title=The Most Important Sexual Statistic|url=http://www.psychologytoday.com/blog/all-about-sex/200903/the-most-important-sexual-statistic|website=Psychology Today|accessdate=2020-12-28|language=en-US}}</ref><ref>{{Cite web|title=Le clitoris - Animated Documentary (2016) by Lori Malépart-Traversy|url=https://www.youtube.com/watch?v=J_3OA_VZVkY|website=YouTube|accessdate=2020-12-28|publisher=}}</ref>。ただし、オーガスムに達しない女性も多く、男性より時間がかかることもある。 : 一方で男性のペニス同様、[[睡眠]]時([[レム睡眠]])に性的興奮とは関係なく勃起することが知られている<ref>{{Cite book|url=https://books.google.com/books?id=uiZsAAAAMAAJ|title=Psychiatry|volume=1|author=Robert Michels|editor=Robert Michels|publisher=Lippincott|year=1985|isbn=9780397506866|accessdate=2013-10-14|page=139}}</ref>。 {{main|夜間の陰核勃起}} == 肥大 == 陰核はペニス同様男性ホルモンの濃度に敏感な組織であり、多嚢胞性卵巣や副腎皮質過形成、薬物投与(筋肉増強剤を使用した女性ボディービルダーなど)等で[[陰核肥大|肥大]]する。 == 包茎 == [[File:woman's clit.jpg|thumb|陰核包皮に隠れた仮性包茎の陰核|250x250ピクセル]] 男性のペニスの場合と同様に、陰核亀頭が包皮に覆われ完全に露呈していない状態を[[包茎#陰核の包茎|包茎]]と呼ぶ場合がある。成人女性では通常、亀頭部は包皮や陰唇によって保護されており、性交時などの場合にのみ露出する、いわゆる[[仮性包茎]]の状態であることが多い。しかし、一部の女性は陰核の露出が極めて困難な、いわゆる[[真性包茎]]の状態である場合がある。性交時に痛みを感じる場合や不衛生になり炎症を起こしやすい場合や、[[不感症]]気味の場合などは、包皮切除手術等の治療が必要である<ref>[https://web.archive.org/web/20181018073455/http://www.kabacli.com/menu/woman/woman02.html クリトリス包茎|かばしまクリニック]</ref>。 == 各国地域の風習 == === 中世ヨーロッパの迷信 === : 中世、キリスト教社会では女性の性的快楽は禁止された。貞節な女性には陰核がないと信じられていたようである。[[1593年]]の[[魔女狩り|魔女裁判]]で、裁判官(男性)は被告(女性)の陰部を詳細に観察し、陰核をついに見いだした。そして裁判官はそれを「悪魔の乳首」と信じ、有罪を宣告した。 === アフリカの切除風習 === : 宗教的、民族的な習慣として、陰核の一部または全部を切除する行為が多くの民族に見られる。現在でもいくつかの民族においてこの習慣は残っており、女性への重大な人権侵害であるとして問題視されている。[[女子割礼]]の項目参照。 == ギャラリー == {{Hidden|[[性器]]を含んだ[[画像]]があります。<br />表示する場合は右側の「表示」をクリック<br />(モバイル版の場合はタップして表示)。※モバイルウェブなどの一部環境で強制表示されます。| [[ファイル:Vestibulum vaginae.jpg|thumb|200px|陰核亀頭と、女性器各器官との位置関係]] [[ファイル:Female vulva 4.jpg|thumb|200px|通常時(左)とオーガズム時の陰核亀頭(右)]] }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat}} * [[女性器]] * [[膣]] * [[Gスポット]] * [[包茎#陰核の包茎|包茎]] - [[陰茎]]や陰核が、包皮に包まれている状態 * [[ファルス (性)|ファルス]] - [[発生生物学]]において陰核の前駆体を指す語 {{生殖器系}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いんかく}} [[Category:陰核|*]] [[Category:哺乳類の雌の生殖系]]
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9,848
アスタチン
アスタチン(英: astatine [ˈæstətiːn, -tɨn])は、原子番号85の元素。元素記号は At。ハロゲン元素の一つ。約30の同位体が存在するが、安定同位体は存在せず半減期も短いため、詳しく分っていない部分が多い。 半減期が短いため、ギリシア語で「不安定な」を意味するastatosが語源。 アスタチンはメンデレーエフによって「エカヨウ素」として予言された。1932年、アラバマ工科大学のフレッド・アリソンがモナザイトから85番元素を発見したと発表し、アラバミン(Alabamine - 元素記号 Ab)と命名したが後に否定された。1940年、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校でセグレが、ビスマス209にサイクロトロンで加速したアルファ粒子を照射することによりアスタチン211を初めて生成した。 アスタチンは壊変系列中の短寿命生成物として存在する元素で半減期が短いのが特徴である。したがって、実験している最中にどんどん崩壊して他の元素に変わっていくため、その詳しい化学的、物理的性質は分かっていない部分が多い。融点は302 °C、沸点は337 °C(アスタチン210のものと思われる)である。 昇華性があり、水に溶け、ヨウ素に似た化学的性質を持つが、ビスマスやポロニウムのように金属と非金属の中間的性質を持つ。アスタチンはヨウ素のように甲状腺に蓄積すると思われている。また色は黒もしくは銀色と推測されている。 また、常温では揮発するが、水溶液は安定しており、四塩化炭素によって水溶液からの抽出も可能である。 自然界にはアスタチン215、アスタチン217、アスタチン218、アスタチン219の存在が知られており、それ以外の同位体は人工放射性同位体である。アスタチンの人工放射性同位体の中で最も普通に作られるのはアスタチン210、アスタチン211である。 アスタチンは強い放射能と短い半減期(アスタチン210でも8.1時間しかない)のため、研究用以外に用途はない。 しかし、アスタチン211は高エネルギーのα線を放出するため細胞殺傷性があり、抗癌剤としての用途が期待されている。現在はアスタチン211の運び屋となる比較的長い半減期を持つ放射性同位体が研究されている。 アスタチンの同位体は、質量数191から223までの間に30種以上が確認されている。しかし前述のとおり安定同位体は存在せず半減期は一番短いアスタチン213で125ナノ秒、一番長いアスタチン210で8.1時間と短い。その他、20種以上の核異性体も確認されている。 アスタチン211は7.2時間の半減期を持つ同位体である。生成法はいくつかあるが、大量生産には液体ビスマスをターゲットとする209Bi + α → 211At + 2n反応が必須とされ、アミノ酸と結合させたアスタチン211製剤が甲状腺がんの放射線治療に使われる。日本では、2022年内服療法の第1相臨床試験が開始された。 アスタチンは壊変系列中の短寿命生成物として存在するため、鉱物の主成分とはならず、自然界では非常に稀な元素である。そして、アスタチンはすべての元素の中で地殻含有量が最も少ない元素で、ウラン100万個の原子の中にはアスタチンの原子は数個しか存在しない。地殻中に存在するアスタチンの全量はおよそ1オンス (28 g)といわれている。 アスタチン218(半減期1.6秒)はウラン系列中でポロニウム218のβ崩壊により生じる。また、アクチニウム系列中では、フランシウム223のα崩壊によりアスタチン219(半減期56秒)が、ポロニウム215のβ崩壊によりアスタチン215(半減期0.001秒)が生じ、ネプツニウム系列中では、フランシウム221からアスタチン217(半減期0.323秒)が生じる。 酸化数は7, 5, 3, 1, -1価をとることがわかっている。うち、他のハロゲン同様-1価が最も安定である。 他のハロゲンと同じように水素との化合物を作ることが知られている。知られている化合物の中では、-1価の化合物が最も多い。 その他にも AtO、AtO3 などの化合物も確認されている。
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アスタチンは、原子番号85の元素。元素記号は At。ハロゲン元素の一つ。約30の同位体が存在するが、安定同位体は存在せず半減期も短いため、詳しく分っていない部分が多い。
{{Expand English|Astatine|date=2023-11}} {{Elementbox |name = astatine |japanese name = アスタチン |number = 85 |symbol = At |pronounce = {{IPAc-en|ˈ|æ|s|t|ə|t|iː|n}} {{Respell|AS|tə-teen}}<br />{{IPAc-en|ˈ|æ|s|t|ə|t|ɨ|n}} {{Respell|AS|tət-in}} |left = [[ポロニウム]] |right = [[ラドン]] |above = [[ヨウ素|I]] |below = [[テネシン|Ts]] |series = ハロゲン |series comment = |group = 17 |period = 6 |block = p |series color = |phase color = 紫 |appearance = 黒色固体(推定) |image name = <!--Astatine.jpg--> |image name comment = |image name 2 = |image name 2 comment = |atomic mass = (210) |atomic mass 2 = |atomic mass comment = |electron configuration = &#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 4f<sup>14</sup> 5d<sup>10</sup> 6s<sup>2</sup> 6p<sup>5</sup> |electrons per shell = 2, 8, 18, 32, 18, 7 |color = |phase = 固体 |phase comment = |density gplstp = |density gpcm3nrt = |density gpcm3mp = |melting point K = 575 |melting point C = 302 |melting point F = 576 |boiling point K = 610 |boiling point C = 337 |boiling point F = 639 |triple point K = |triple point kPa = |critical point K = |critical point MPa = |heat fusion = |heat vaporization = 40 |heat capacity = |vapor pressure 1 = 361 |vapor pressure 10 = 392 |vapor pressure 100 = 429 |vapor pressure 1 k = 475 |vapor pressure 10 k = 531 |vapor pressure 100 k = 607 |vapor pressure comment = |crystal structure = |oxidation states = 7, 5, 3, 1, -1 |oxidation states comment = |electronegativity = 2.2 |number of ionization energies = 1 |1st ionization energy = 890 ± 40 |atomic radius = |covalent radius = 150 |Van der Waals radius = [[1 E-10 m|202]] |magnetic ordering = no data |electrical resistivity = |electrical resistivity at 0 = |electrical resistivity at 20 = |thermal conductivity = 1.7 |thermal conductivity 2 = |thermal diffusivity = |thermal expansion = |thermal expansion at 25 = |speed of sound = |speed of sound rod at 20 = |speed of sound rod at r.t. = |Young's modulus = |Shear modulus = |Bulk modulus = |Poisson ratio = |Mohs hardness = |Vickers hardness = |Brinell hardness = |CAS number = 7440-68-8 |isotopes = {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn = 210 | sym = At | na = [[人工放射性同位体|syn]] | hl = 8.1 [[時間|h]] | dm1 = [[電子捕獲|ε]], [[陽電子放出|β<sup>+</sup>]] | de1 = 3.981 | pn1 = 210 | ps1 = [[ポロニウム|Po]] | dm2 = [[アルファ崩壊|α]] | de2 = 5.631 | pn2 = 206 | ps2 = [[ビスマス|Bi]] }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn = 211 | sym = At | na = [[人工放射性同位体|syn]] | hl = 7.2 [[時間|h]] | dm = | de = | pn = | ps = }} |isotopes comment = }} '''アスタチン'''({{lang-en-short|astatine}} {{IPA-en|ˈæstətiːn, -tɨn|}})は、[[原子番号]]85の[[元素]]。[[元素記号]]は '''At'''。[[ハロゲン元素]]の一つ。約30の[[同位体]]が存在するが、安定同位体は存在せず半減期も短いため、詳しく分っていない部分が多い。 == 名称 == 半減期が短いため、[[ギリシア語]]で「不安定な」を意味する{{ラテン翻字|grc|[[:wikt:en:άστατος|astatos]]}}が語源。 == 歴史 == アスタチンは[[ドミトリ・メンデレーエフ|メンデレーエフ]]によって「エカ[[ヨウ素]]」として予言された<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 347|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。[[1932年]]、[[オーバーン大学|アラバマ工科大学]]の[[:w:Fred Allison|フレッド・アリソン]]が[[モナザイト]]から85番元素を発見したと発表し、アラバミン(Alabamine - [[元素記号]] Ab)と命名したが後に否定された。[[1940年]]、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で[[エミリオ・セグレ|セグレ]]が、[[ビスマス]]209に[[サイクロトロン]]で加速した[[アルファ粒子]]を照射することによりアスタチン211を初めて生成した<ref>{{Cite journal|last=Corson|first=D. R.|last2=MacKenzie|first2=K. R.|last3=Segrè|first3=E.|date=1940-03-01|title=Possible Production of Radioactive Isotopes of Element 85|url=https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRev.57.459|journal=Physical Review|volume=57|issue=5|pages=459–459|doi=10.1103/PhysRev.57.459}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Corson|first=D. R.|last2=Mackenzie|first2=K. R.|last3=Segrè|first3=E.|date=1947-01|title=Astatine : The Element of Atomic Number 85|url=https://www.nature.com/articles/159024b0|journal=Nature|volume=159|issue=4027|pages=24–24|language=en|doi=10.1038/159024b0|issn=1476-4687}}</ref>。 == 特徴 == アスタチンは壊変系列中の短寿命生成物として存在する元素で半減期が短いのが特徴である。したがって、実験している最中にどんどん崩壊して他の元素に変わっていくため、その詳しい化学的、物理的性質は分かっていない部分が多い。[[融点]]は302 {{℃}}、[[沸点]]は337 {{℃}}(アスタチン210のものと思われる)である。 昇華性があり、[[水]]に溶け、ヨウ素に似た化学的性質を持つが、ビスマスや[[ポロニウム]]のように金属と非金属の中間的性質を持つ。アスタチンはヨウ素のように[[甲状腺]]に蓄積すると思われている。また色は黒もしくは銀色と推測されている。 また、常温では揮発するが、水溶液は安定しており、[[四塩化炭素]]によって水溶液からの抽出も可能である。 自然界にはアスタチン215、アスタチン217、アスタチン218、アスタチン219の存在が知られており、それ以外の同位体は[[人工元素|人工放射性同位体]]である。アスタチンの人工放射性同位体の中で最も普通に作られるのはアスタチン210、アスタチン211である。 == 用途 == アスタチンは強い放射能と短い半減期(アスタチン210でも8.1時間しかない)のため、研究用以外に用途はない。 しかし、アスタチン211は高エネルギーの[[α線]]を放出するため細胞殺傷性があり、[[抗癌剤]]としての用途が期待されている。現在はアスタチン211の運び屋となる比較的長い半減期を持つ放射性同位体が研究されている。 == 同位体 == {{main|アスタチンの同位体}} アスタチンの同位体は、質量数191から223までの間に30種以上が確認されている。しかし前述のとおり安定同位体は存在せず半減期は一番短いアスタチン213で125ナノ[[秒]]、一番長いアスタチン210で8.1時間と短い。その他、20種以上の[[核異性体]]も確認されている。 === アスタチン211 === アスタチン211は7.2時間の半減期を持つ同位体である。生成法はいくつかある{{sfn|豊嶋厚史|篠原厚|2018}}<ref>{{Cite journal|和書|author=羽場宏光 |title=理研における核医学治療用ラジオアイソトープの製造 |journal=Drug Delivery System |issn=0913-5006 |publisher=日本DDS学会 |year=2020 |volume=35 |issue=2 |pages=114-120 |naid=130007864106 |doi=10.2745/dds.35.114 |url=https://doi.org/10.2745/dds.35.114}}</ref>が、大量生産には液体ビスマスをターゲットとする{{Chem2|^{209}Bi + α → ^{211}At + 2n}}反応が必須とされ<ref>{{cite conference|authors=石岡典子、渡辺茂樹、近藤浩夫、高井俊秀、古川智弘|url=https://confit.atlas.jp/guide/event-img/aesj2019f/1M16/public/pdf|title=がん治療用アスタチン211 の連続製造を可能にする液体ビスマス標的の開発|conference=日本原子力学会 2019年秋の大会|format=pdf}}</ref>、アミノ酸と結合させたアスタチン211製剤が甲状腺がんの放射線治療に使われる<ref>{{Cite journal|和書|author=渡部直史, 兼田加珠子, 白神宜史, 大江一弘, 豊嶋厚史, 篠原厚 |title=アスタチンを用いた難治性甲状腺がんに対するアルファ線核医学治療 |journal=アイソトープ・放射線研究発表会 |publisher=日本アイソトープ協会 |year=2021 |volume=1 |pages=67 |naid=130008085301 |doi=10.50955/happyokai.1.0_67 |url=https://doi.org/10.50955/happyokai.1.0_67}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=貝塚祐太, 鈴木博元, 上原知也 |title=がんの標的α線治療を実現する<sup>211</sup>At標識アミノ酸誘導体の開発に向けた基礎的評価 |journal=アイソトープ・放射線研究発表会 |publisher=日本アイソトープ協会 |year=2021 |volume=1 |pages=120 |naid=130008085209 |doi=10.50955/happyokai.1.0_120 |url=https://doi.org/10.50955/happyokai.1.0_120}}</ref>。日本では、2022年内服療法の第1相臨床試験が開始された<ref>[https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t379/202112/572905.html 注目高まるα線内用療法、アスタチンに期待] 日経メディカル 2021/12/03</ref>。 == 自然界での発生 == アスタチンは壊変系列中の短寿命生成物として存在するため、鉱物の主成分とはならず、自然界では非常に稀な元素である。そして、アスタチンはすべての元素の中で地殻含有量が最も少ない元素で、ウラン100万個の原子の中にはアスタチンの原子は数個しか存在しない。[[地殻]]中に存在するアスタチンの全量はおよそ{{Convert|1|oz|g|lk=on}}といわれている{{efn|地殻中に含まれる[[フランシウム]]は20g - 30gと言われており、アスタチンよりも稀な元素である可能性もある。}}。 アスタチン218(半減期1.6秒)はウラン系列中で[[ポロニウム]]218の[[β崩壊]]により生じる。また、アクチニウム系列中では、[[フランシウム]]223の[[α崩壊]]によりアスタチン219(半減期56秒)が、ポロニウム215のβ崩壊によりアスタチン215(半減期0.001秒)が生じ、ネプツニウム系列中では、フランシウム221からアスタチン217(半減期0.323秒)が生じる。 {{main|ウラン系列|アクチニウム系列|ネプツニウム系列}} == アスタチンの化合物 == 酸化数は7, 5, 3, 1, -1価をとることがわかっている。うち、他のハロゲン同様-1価が最も安定である。 他のハロゲンと同じように[[水素]]との化合物を作ることが知られている。知られている化合物の中では、-1価の化合物が最も多い。 * [[アスタチン化水素]] (HAt) : 性質はヨウ化水素に似ており、刺激臭を持つ有毒な気体と考えられている。 その他にも AtO、AtO<sub>3</sub> などの化合物も確認されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==参考文献== * {{Cite journal|和書|author=豊嶋厚史 |author2=篠原厚 |title=アスタチン(At)の核化学 |journal=RADIOISOTOPES |issn=0033-8303 |publisher=日本アイソトープ協会 |year=2018 |volume=67 |issue=10 |pages=461-469 |naid=130007498107 |doi=10.3769/radioisotopes.67.461 |url=https://doi.org/10.3769/radioisotopes.67.461 |ref=harv}} == 関連項目 == {{Commons|Astatine}} * [[ハロゲン]] * [[放射線療法]] * [[原子炉]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{二原子分子}} {{アスタチンの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あすたちん}} [[Category:アスタチン|*]] [[Category:元素]] [[Category:ハロゲン]] [[Category:第6周期元素]]
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9,849
複酸化物
複酸化物(ふくさんかぶつ、multiple oxide)は、2種類の金属からなる酸化物のこと。複酸化物にはペロブスカイト構造やスピネル構造を持つものが多い。ペロブスカイト構造のものとして、灰チタン石(ペロブスカイト、CaTiO3)、チタン酸バリウム (BaTiO3) などがあり、スピネル構造のものとして、スピネル(MgAl2O4)、LiTi2O4(超伝導を示す物質)、クリソベリル(金緑石、BeAl2O4)などがある。 複酸化物と同様に、複硫化物、複フッ化物なども存在する。
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'''複酸化物'''(ふくさんかぶつ、multiple oxide)は、2種類の[[金属]]からなる[[酸化物]]のこと。複酸化物には[[ペロブスカイト構造]]や[[スピネル#スピネル型結晶構造|スピネル構造]]を持つものが多い。ペロブスカイト構造のものとして、[[灰チタン石]](ペロブスカイト、CaTiO<SUB>3</SUB>)、[[チタン酸バリウム]] (BaTiO<SUB>3</SUB>) などがあり、スピネル構造のものとして、[[スピネル]](MgAl<SUB>2</SUB>O<SUB>4</SUB>)、LiTi<SUB>2</SUB>O<SUB>4</SUB>([[超伝導]]を示す物質)、クリソベリル([[金緑石]]、BeAl<SUB>2</SUB>O<SUB>4</SUB>)などがある。 複酸化物と同様に、複硫化物、複フッ化物なども存在する。 <!-- == 関連項目 == --> <!-- == 参考文献 == --> <!-- == 外部リンク == --> {{Chem-stub}} {{デフォルトソート:ふくさんかふつ}} [[Category:酸化物]]
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9,850
レニウム
レニウム(英: rhenium)は原子番号75の元素。元素記号は Re。マンガン族元素の一つで、銀白色の金属。遷移金属(第3遷移金属)で、レアメタルの一種。地殻中においても、宇宙空間中においても最も希少な金属である。性質は一つ上のテクネチウムに酷似している。 ライン川のラテン名 Rhenus が語源。 地殻中の存在量は50ppt〜1ppb程度、宇宙での個数密度比は0.0562とされている。これは、地殻中ではオスミウムと並んで最も希少、宇宙空間中でもタンタルと並んで最も希少な金属のグループに位置付けられる。 比重は21.02、融点は3186°C、沸点は5597°C(融点、沸点とも異なる実験値あり)(沸点は元素の中で一番高い)。常温、常圧で安定な結晶構造は、六方最密充填構造 (HCP)。フッ化水素酸、塩酸には不溶。酸化力のある酸(硝酸、熱濃硫酸)には溶ける。過酸化水素や臭素水にも溶ける。原子価は+2価〜+7価。単体では最も硬い金属である。湿った空気中では酸化レニウムを形成するため僅かに表面が曇っていく。検出にはアクリフラビンが用いられる。 レニウムには安定同位体レニウム185があるが、最も多いのは62.6%を占めるレニウム187で、半減期412億年の放射性同位体である。なお、1つ以上の安定同位体を持つ元素の中で、天然放射性同位体が安定同位体より多く存在している元素は、レニウムの他にテルルとインジウムがある。 1925年にノダック (W. Noddack) とタッケ (I. Tacke) とベルグ (O. Berg) が発見。2番目に遅く発見された天然元素である(最後に発見されたのはフランシウム)。 1908年(明治40年)、小川正孝は43番元素を発見、ニッポニウム(nipponium, 元素記号:Np 、日本素という意味)と命名したと発表したが、後に43番元素が地球上には存在しないことが判明するとこれは取り消された。 現在ではこの時に発見されたのがレニウムであると考えられている。当時はX線分光装置が手に入らず、正しい測量ができなかったため、誤って43番元素で原子量およそ100の元素として発表された。レニウムが発見されたのちに小川自身で、発見した元素の正しい測量が行われた形跡がある。また、小川に頼まれてX線で試料を測定した木村健二郎は「それはきれいなレニウムだった」と証言している。 43番元素の元素記号として使用する予定だった「Np」は、その後にネプツニウムに使用された。43番元素は人工的に作られ、テクネチウムとなった。 有用な金属であるが、レアメタルの文字どおり特に希少であり、年間の生産量は極めて僅かである(2012年推定生産量:52.6トン、2017年生産量52.0トン)。モリブデナイトの他、希土類鉱物、コロンバイト、タンタライト、硫化銅鉱などの鉱石や、銅の精錬で発生する残渣中に微量含まれているのをイオン交換樹脂で吸着分離して得る。2011年の生産量は、44.5トン。 主な生産国はチリで、世界の半分以上を生産する。他にアメリカ合衆国、ポーランド、ウズベキスタン、カザフスタン、ロシアなどで生産されている。ペルー、カナダでも生産が行われていた。 1946年以降ロシアによって実効支配されている択捉島では、ほぼ純粋な硫化レニウム(IV) (ReS2) の組成を持つレニウム鉱 (Rheniite) が発見されている。択捉島では火山の噴出ガスから回収されて生産されている。 日本国内では、住友金属鉱山や東芝マテリアルが金属粉や合金などの加工を行っている。 ジェットエンジンのタービンブレードには 3-6mass% を含有するため、貴重な資源である。したがって、使用済みタービンブレードやタービンブレード製造工程中で発生するスクラップから回収して循環利用されている。 大量破壊兵器の開発などに用いられるおそれがあるため、外国為替及び外国貿易法および輸出貿易管理令(別表第一の二の項)により、2014年9月15日以降はレニウム、レニウム合金またはレニウムタングステン合金の一次製品であって、経済産業省令で定める仕様のものは、経済産業大臣の許可を受けなければ輸出できない。
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レニウムは原子番号75の元素。元素記号は Re。マンガン族元素の一つで、銀白色の金属。遷移金属(第3遷移金属)で、レアメタルの一種。地殻中においても、宇宙空間中においても最も希少な金属である。性質は一つ上のテクネチウムに酷似している。
{{Elementbox |name=rhenium |number=75 |symbol=Re |pronounce={{IPAc-en|ˈ|r|iː|n|i|əm}} {{respell|REE|nee-əm}} |left=[[タングステン]] |right=[[オスミウム]] |above=[[テクネチウム|Tc]] |below=[[ボーリウム|Bh]] |series=遷移金属 |period=6 |group=7 |block=d |image name=Rhenium_single_crystal_bar_and_1cm3_cube.jpg |appearance=銀灰色 |atomic mass=186.207 |electron configuration=&#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 4f<sup>14</sup> 5d<sup>5</sup> 6s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 32, 13, 2 |phase=固体 |density gpcm3nrt=21.02 |density gpcm3mp=18.9 |melting point K=3459 |melting point C=3186 |melting point F=5767 |boiling point K=5870 |boiling point C=5597 |boiling point F=10106 |heat fusion=60.43 |heat vaporization=704 |heat capacity=25.48 |vapor pressure 1=3303 |vapor pressure 10=3614 |vapor pressure 100=4009 |vapor pressure 1 k=4500 |vapor pressure 10 k=5127 |vapor pressure 100 k=5954 |vapor pressure comment= |crystal structure=六方最密充填構造 |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''7''', '''6''', 5, 4, 3, 2, 1, 0, -1(弱[[酸性酸化物]]) |electronegativity=1.9 |number of ionization energies=4 |1st ionization energy=760 |2nd ionization energy=1260 |3rd ionization energy=2510 |atomic radius=[[1 E-10 m|137]] |covalent radius=[[1 E-10 m|151±7]] |magnetic ordering=[[常磁性]]<ref>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120112012253/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf |date=2012年1月12日 }}, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity at 20=193 n |thermal conductivity=48.0 |thermal expansion=6.2 |speed of sound rod at 20=4700 |Young's modulus=463 |Shear modulus=178 |Bulk modulus=370 |Poisson ratio=0.30 |Mohs hardness=7.0 |Vickers hardness=2450 |Brinell hardness=1320 |CAS number=7440-15-5 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[レニウム185|185]] | sym=Re | na=37.4% | n=110}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[レニウム187|187]] | sym=Re | na=62.6% | hl=[[1 E18 s|4.12×10<sup>10</sup> y]] | dm1=[[アルファ崩壊|α]]<br />(未確認) | de1=1.653 | pn1=[[タンタル183|183]] | ps1=[[タンタル|Ta]] | dm2=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de2=0.0026 | pn2=[[オスミウム187|187]] | ps2=[[オスミウム|Os]]}} |isotopes comment= |Electrical conductivity=5.3mS/cm}} '''レニウム'''({{lang-en-short|rhenium}}<ref>{{IPA-en|ˈriːniəm|}}</ref>)は[[原子番号]]75の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Re'''。[[マンガン族元素]]の一つで、銀白色の[[金属]]。遷移金属(第3遷移金属)で、[[レアメタル]]の一種。[[地殻]]中においても、[[宇宙]]空間中においても最も希少な金属である。性質は一つ上の[[テクネチウム]]に酷似している。 == 名称 == [[ライン川]]のラテン名 Rhenus が語源<ref name="sakurai" />。 == 存在 == 地殻中の存在量は50ppt〜1ppb程度、宇宙での個数密度比は0.0562とされている。これは、地殻中では[[オスミウム]]と並んで最も希少、宇宙空間中でも[[タンタル]]と並んで最も希少な金属のグループに位置付けられる。 == 特徴 == [[比重]]は21.02、[[融点]]は3186℃、[[沸点]]は5597℃(融点、沸点とも異なる実験値あり)(沸点は元素の中で一番高い)。常温、常圧で安定な[[結晶構造]]は、[[六方最密充填構造]] (HCP)。[[フッ化水素酸]]、[[塩酸]]には不溶。酸化力のある酸([[硝酸]]、[[硫酸|熱濃硫酸]])には溶ける。[[過酸化水素]]や[[臭素]]水にも溶ける。原子価は+2価〜+7価。単体では最も硬い金属である。湿った空気中では酸化レニウムを形成するため僅かに表面が曇っていく。検出には[[アクリフラビン]]が用いられる<ref>{{Cite web|和書|title=アクリフラビンとは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%93%E3%83%B3-24819|website=コトバンク|accessdate=2021-09-06|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典|last=小項目事典,栄養・生化学辞典}}</ref>。 == 同位体 == {{Main|レニウムの同位体}} レニウムには[[安定同位体]]レニウム185があるが、最も多いのは62.6%を占めるレニウム187で、[[半減期]]412億年の[[放射性同位体]]である。なお、1つ以上の安定同位体を持つ元素の中で、天然放射性同位体が安定同位体より多く存在している元素は、レニウムの他に[[テルル]]と[[インジウム]]がある。 == 歴史 == [[1925年]]に[[ワルター・ノダック|ノダック]] (W. Noddack) と[[イーダ・ノダック|タッケ]] (I. Tacke) とベルグ (O. Berg) が発見<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 309|publisher =[[講談社]]|isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。2番目に遅く発見された天然元素である(最後に発見されたのは[[フランシウム]])。 === 小川正孝による過去の発見 === [[1908年]](明治40年)、[[小川正孝]]は43番元素を発見、'''[[ニッポニウム]]'''(nipponium, 元素記号:Np 、[[日本]]素という意味)と命名したと発表したが、後に43番元素が地球上には存在しないことが判明するとこれは取り消された。 現在ではこの時に発見されたのがレニウムであると考えられている。当時は[[X線光電子分光#装置|X線分光装置]]が手に入らず、正しい測量ができなかったため、誤って43番元素で原子量およそ100の元素として発表された。レニウムが発見されたのちに小川自身で、発見した元素の正しい測量が行われた形跡がある。また、小川に頼まれてX線で試料を測定した[[木村健二郎]]は「それはきれいなレニウムだった」と証言している<ref>{{Cite journal|和書|author=吉原 賢二|authorlink=吉原賢二|url=http://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/19/sc19_1.pdf|title=再発見:ニッポニウムの真実|format=PDF|journal=化学と教育|publisher=[[日本化学会]]|volume=55|issue=6|date=2007-06-20|pages=270-273|issn=0386-2151|oclc=166882777|naid=110008732455|id={{NCID|AN10033386}}、{{全国書誌番号|00070714}}}}</ref>。 43番元素の元素記号として使用する予定だった「Np」は、その後に[[ネプツニウム]]に使用された。43番元素は人工的に作られ、[[テクネチウム]]となった。 == 生産 == 有用な[[金属]]であるが、レアメタルの文字どおり特に希少であり、年間の生産量は極めて僅かである([[2012年]]推定生産量:52.6トン<ref name="USGSMCS2014">U.S. Geological Survey, ''Mineral Commody Summaries 2014'', pp130-131, 2014, Reston, Virginia. [http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/mcs/2013/mcs2013.pdf]</ref>、2017年生産量52.0トン<ref>{{Cite book|title=鉱物資源マテリアルフロー2018 レニウム(Re)|date=2019/03/26|year=2019|publisher=独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構|url=http://mric.jogmec.go.jp/wp-content/uploads/2019/03/material_flow2018_Re.pdf}}</ref>)。[[モリブデナイト]]の他、[[希土類]]鉱物、[[コロンバイト]]、[[タンタライト]]、[[硫化銅]]鉱などの鉱石や、銅の[[精錬]]で発生する残渣中に微量含まれているのを[[イオン交換樹脂]]で吸着分離して得る。2011年の生産量は、44.5トン<ref name=jinstmet.J2016022 />。 主な生産国は[[チリ]]で、世界の半分以上を生産する。他に[[アメリカ合衆国]]、[[ポーランド]]、[[ウズベキスタン]]、[[カザフスタン]]、[[ロシア]]などで生産されている<ref name="USGSMCS2014" />。[[ペルー]]、[[カナダ]]でも生産が行われていた。 [[1946年]]以降[[ロシア]]によって実効支配されている[[択捉島]]では、ほぼ純粋な[[硫化レニウム(IV)]] (ReS<sub>2</sub>) の組成を持つ[[レニウム鉱]] (Rheniite) が発見されている。択捉島では[[火山]]の噴出ガスから回収されて生産されている。 日本国内では、[[住友金属鉱山]]や[[東芝マテリアル]]が金属粉や合金などの加工を行っている。 === リサイクル === ジェットエンジンのタービンブレードには 3-6mass% を含有するため、貴重な資源である。したがって、使用済みタービンブレードやタービンブレード製造工程中で発生するスクラップから回収して循環利用されている<ref name=jinstmet.J2016022 /><ref>八木良平、[[岡部徹 (材料学者)|岡部徹]]、[https://doi.org/10.2473/journalofmmij.132.114 レニウムのリサイクルの現状とプロセス技術] Journal of MMIJ., Vol.132 (2016) No.7 p.114-122, {{doi|10.2473/journalofmmij.132.114}}</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.okabe.iis.u-tokyo.ac.jp/japanese/for_students/parts/pdf/150911_MMIJ_Fall_Abstract_Yagi.pdf ニッケル基超合金スクラップからレニウムをリサイクルする新技術の開発]}} 資源・素材講演集 Vol.2 (2015) No.2 (秋・松山)</ref>。 == 用途 == [[File:CFM56 P1220759.jpg|thumb|300px|[[CFMインターナショナル CFM56|CFM56]][[ターボファンエンジン]]。レニウムを3%含有する合金がタービンブレードに用いられている]] ; 工業用途 : レニウムは[[水素化]][[触媒]]、石油改質触媒として高[[オクタン価]][[ガソリン]]や[[天然ガス]]の液体燃料化用[[アルミナ]]担持の[[プラチナ]]レニウム触媒、[[合金]]材料などに利用される。 : [[ニッケル]]・レニウム[[合金]]は、スーパーアロイの1つとして耐熱性が求められるジェットエンジンのタービンブレードなどの材料に使われる<ref name=jinstmet.J2016022>八木良平、岡部徹、[https://doi.org/10.2320/jinstmet.J2016022 レニウムの現状と製錬技術] 日本金属学会誌 Vol.80 (2016) No.6 p.341-349, {{doi|10.2320/jinstmet.J2016022}}</ref>。 : [[タングステン]]・レニウム[[合金]]は[[フィラメント]]、[[熱電対]]、電子部品、航空宇宙用部品、[[X線管]]ターゲットなどに使用される。[[タングステン]]などのフィラメントに数%添加すると、高温で使用中に、あるいは揺れても垂れ下がらない性質(ノンサグ性)が与えられるため、自動車用などに適する<ref>{{Cite web|和書 | url = http://www.toshiba-tmat.co.jp/list/pdf/tamo8.pdf | archiveurl = https://web.archive.org/web/20170822095944/http://www.toshiba-tmat.co.jp/list/pdf/tamo8.pdf | format = PDF | title = タングステン・レニウム合金によるワイヤー「レニタン」 | publisher = 東芝マテリアル | accessdate = 2017-08-22 | archivedate = 2017-08-22 | deadlinkdate = 2018-11-04 }}</ref>。熱電対では添加によって使用寿命が向上する。 : [[モリブデン]]・レニウム合金も電子部品などに使用される。 ; [[放射年代測定]] : レニウム-[[オスミウム]]放射壊変系を利用した年代測定<ref>野崎達生、加藤泰浩、鈴木勝彦、[https://doi.org/10.14934/chikyukagaku.48.279 Re–Os同位体を用いた地球化学:年代決定から古環境解読まで] 地球化学 Vol.48 (2014) No.4 p.279-305, {{doi|10.14934/chikyukagaku.48.279}}</ref>。 : <chem>^{187}Re -> ^{187}Os</chem> 、半減期 5.0×10{{sup|10}}年 == レニウムの化合物 == * [[二ホウ化レニウム]] (<chem>ReB2</chem>) * [[過レニウム酸]] (<chem>HReO4</chem>) * [[過レニウム酸アンモニウム]] (<chem>NH4ReO4</chem>) * [[酸化レニウム(IV)]] (<chem>ReO2</chem>) * [[酸化レニウム(VI)]] (<chem>ReO3</chem>) * [[酸化レニウム(VII)]] (<chem>Re2O7</chem>) * [[硫化レニウム(IV)]] (<chem>ReS2</chem>) == 法規制 == [[大量破壊兵器]]の開発などに用いられるおそれがあるため、[[外国為替及び外国貿易法]]および[[輸出貿易管理令]](別表第一の二の項)により、[[2014年]][[9月15日]]以降はレニウム、レニウム[[合金]]またはレニウムタングステン合金の一次製品であって、[[経済産業省令]]で定める仕様{{efn|レニウム含量90%以上、質量20 [[キログラム|kg]]以上で、内径100-300 [[ミリメートル|mm]]の円筒形のもの<ref>{{Cite web|和書 | date = 2014-08-14 | url = http://kanpou.npb.go.jp/20140814/20140814g00181/20140814g001810002f.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20140819184345/http://kanpou.npb.go.jp/20140814/20140814g00181/20140814g001810002f.html | title = 官報号外第181号 経済産業省令第四十一号 | publisher = 独立行政法人[[国立印刷局]] | language = 日本語 | accessdate = 2014-08-19 | archivedate = 2014-08-19 | deadlinkdate = 2018-11-04 }}</ref>。}}のものは、[[経済産業大臣]]の許可を受けなければ[[輸出]]できない<ref>{{Cite web|和書 | date = 2014-07-22 | url = http://www.meti.go.jp/press/2014/07/20140722007/20140722007.pdf | archiveurl = https://web.archive.org/web/20140820101639/http://www.meti.go.jp/press/2014/07/20140722007/20140722007.pdf | format = PDF | title = 輸出貿易管理令の一部を改正しました | publisher = 経済産業省 | language = 日本語 | accessdate = 2014-8-19 | archivedate = 2014-8-20 | deadlinkdate = 2018年11月4日 }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[レニウム鉱]] * [[ニホニウム]] - 小川正孝が発見した「ニッポニウム」は幻に終わったが、[[21世紀]]になって[[理化学研究所]]のチームが113番元素の[[元素合成|合成]](発見)に成功し、日本由来の「ニホニウム」と命名された。 == 外部リンク == {{Commons&cat|Rhenium|Rhenium}} * 梶雅範、吉原賢二、{{PDFlink|[http://www.chart.co.jp/subject/rika/scnet/19/sc19_1.pdf 小川正孝 - 新元素「ニッポニウム」の発見者]|53.7&nbsp;[[キビバイト|KiB]]}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{レニウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:れにうむ}} [[Category:レニウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第7族元素]] [[Category:第6周期元素]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0
9,851
テクネチウム
テクネチウム(英: technetium [tɛkˈniːʃiəm])は、原子番号43の元素。元素記号は Tc。マンガン族元素の一つで、遷移元素である。天然のテクネチウムは地球上では非常にまれな元素で、ウラン鉱などに含まれるウラン238の自発核分裂により生じるが、生成量は少ない。そのため、後述のように自然界からはなかなか発見できず、人工的に合成することで作られた。すなわち発見が自然界に由来しない最初の元素かつ最初の人工放射性元素となった。安定同位体が存在せず、全ての同位体が放射性である。最も半減期の長いテクネチウムはテクネチウム98で、およそ420万年である。 1947年にテクネチウムと命名された。語源はギリシャ語の「人工」を表す "τεχνητός"(technitos)。 イタリアのパレルモ大学では、パレルモのラテン名にちなむパノルミウム (Panormium) という名を提案していた。 周期表中でモリブデンとルテニウムの中間に空欄があったことから、19世紀から20世紀初頭にかけて、多くの研究者がこの43番元素を発見するのに熱中した。この43番元素は他の未発見元素と比べると簡単に発見できるだろうと思われていたが、1936年にサイクロトロンで合成されるまで得られなかった。 白金に似た外観を持つ銀白色の放射性の金属で、比重は11.5、融点は2172 °C(異なる実験値あり)。沸点は4000 °C以上。安定な結晶構造は六方晶系。363 nm、403 nm、410 nm、426 nm、430 nm、485 nmの特有スペクトルを持つ。わずかに磁性を持っており11.3 K以下にすると強磁性を示す。 化学的性質はレニウムに類似する。フッ化水素酸、塩酸には不溶で、酸化力のある硝酸、濃硫酸、王水には溶ける。単体は、湿った空気でゆっくりと曇る。粉状のテクネチウムは、酸素中で炎を出して燃える。+2、+4、+5、+6、+7の酸化数をとる。酸化物には酸化テクネチウム(IV) TcO2 や酸化テクネチウム(VII) Tc2O7 がある。酸化条件下では過テクネチウム酸 TcO4 が見られる。 テクネチウムは現在、いくつかの恒星のスペクトル線からも、天然での存在が確認されている(テクネチウム星)。地球上ではウラン鉱中に微量が自発核分裂生成物として見い出される。医療用に使用される同位体は放射性廃棄物中から単離して得る方法と、中性子を照射されたモリブデンの同位体から得る方法がある。 テクネチウムは比較的軽い元素でありながら安定同位体が存在せず、標準原子量が定められない。これは、テクネチウムが置かれた「位置」による偶然の結果である。中性子数55の Tc が最も長寿命な核種だが、これも放射性同位体である。 一般に原子核は、陽子と中性子の数がともに偶数だと安定し、ともに奇数だと不安定となる。 さらに陽子数と中性子数の間には最も安定する比があり、ベータ安定線と呼ばれるが、テクネチウムの場合、ベータ安定線に一致するTc は陽子数43と中性子数55で奇数と奇数の不安定核種であった。 もっともこれは、原子番号が奇数の元素に共通の現象であり、多くはその次に安定な核種が安定同位体となっている(例えばNb やRh 、詳細は核種の一覧参照)。 ただし、「次に安定な核種」は自動的に「質量数が奇数の核種」となるため、奇数の同じ質量数を持つ核種のうちで安定核種は1つしか存在できない制約(偶数の同じ質量数を持つ核種は、安定核種が複数存在できる)を受ける事となった。中性子数54のTc は Mo に、同じく56の Tc は Ru に安定性で劣り、不安定核種となってしまった。 中性子数がさらに多い、または少ない核種は、そもそも安定性の土俵に乗れず、結果としてテクネチウム以外の元素は安定同位体を得たが、テクネチウムだけが安定同位体を得られなかった。かくしてテクネチウムは、安定同位体の存在しない、放射性元素となった。プロメチウムも、同様の理由により放射性元素となった。 β線を放出せず適量のγ線のみを放つ Tc の特性を活かし、核医学という医療の一分野を支える重要な元素で、人体各部(骨、腎臓、肺、甲状腺、肝臓、脾臓など)に対するシンチグラムに用いる。利用例としては、血流測定剤、骨イメージング剤、腫瘍診断剤の放射線診断薬など。テクネチウムを含む物質を放射性医薬品として投与した場合の体内動態などは充分解明されている上、検査目的に応じた多種の注射剤が供給されている。テクネチウム製剤は投与後24時間で投与量の30%が尿流に排泄されるが、核種としての物理半減期が6時間程度であるので実効半減期はもっと短い。平成27年(2015年)度調査における診断参考レベルでは、検査目的により異なるが概ね300~1200MBqである。日本ではテクネチウムを含む薬剤を用いた緊急検査も行えるほどの利用ノウハウが蓄積されているが、国産化されておらず、カナダを中心に全量を輸入している(正確にはβ壊変によって Tc を生成する Mo (半減期65.97時間)をモリブデン酸ナトリウムなどの形で輸入し、壊変によって生じた Tc を抽出して利用する(ミルキング))。これらを製造している原子炉は現在世界でカナダやオランダ、南アフリカ共和国、フランス、ベルギーの各国にある5基の実験用小型原子炉のみであるが、U の核分裂による生成物として Mo を得る関係上、 90%以上の(すなわち核兵器級の)濃縮度の U を用いることから核拡散の懸念があることに加え、いずれの生産炉も老朽化による故障・緊急停止などが度々生じている状況にある。また Tc ほどでないにせよ Mo であっても半減期が短く長期在庫を得ることができないため、こうした生産炉の稼働停止が生ずると直ちにテクネチウム製剤の供給に問題が生ずることとなり、日本国内の病院等でシンチグラフィー検査ができなくなる事態が発生している。 日本の原子力委員会は2022年4月、テクネチウム99mのほかモリブデン99、アクチニウム225、アスタチン211といった医療用放射性物質の国内自給率を高めるべきだとする提言案をまとめた。
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テクネチウムは、原子番号43の元素。元素記号は Tc。マンガン族元素の一つで、遷移元素である。天然のテクネチウムは地球上では非常にまれな元素で、ウラン鉱などに含まれるウラン238の自発核分裂により生じるが、生成量は少ない。そのため、後述のように自然界からはなかなか発見できず、人工的に合成することで作られた。すなわち発見が自然界に由来しない最初の元素かつ最初の人工放射性元素となった。安定同位体が存在せず、全ての同位体が放射性である。最も半減期の長いテクネチウムはテクネチウム98で、およそ420万年である。
{{Elementbox |name=technetium |japanese name=テクネチウム |pronounce={{IPAc-en|t|ɛ|k|ˈ|n|iː|ʃ|i|əm}}<br>{{respell|tek|NEE|shee-əm}} |number=43 |symbol=Tc |left=[[モリブデン]] |right=[[ルテニウム]] |above=[[マンガン|Mn]] |below=[[レニウム|Re]] |series=遷移金属 |series comment= |group=7 |period=5 |block=d |series color= |phase color= |appearance=銀白色 |image name=Technetium-sample-cropped.jpg |image alt=Technetium sample inside a sealed glass ampoule, filled with argon gas. 6x1 mm goldfoil covered with 99Tc powder (electroplated). |image size= |image name comment=[[金箔]]を覆う[[テクネチウム99]]の粉末([[電気めっき]]) |image name 2= |image name 2 comment= |atomic mass=98 |atomic mass 2=0 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 4d<sup>5</sup> 5s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 13, 2 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt=11 |density gpcm3mp= |melting point K=2430 |melting point C=2157 |melting point F=3915 |boiling point K=4538 |boiling point C=4265 |boiling point F=7709 |triple point K= |triple point kPa= |critical point K= |critical point MPa= |heat fusion=33.29 |heat vaporization=585.2 |heat capacity=24.27 |vapor pressure 1=2727 |vapor pressure 10=2998 |vapor pressure 100=3324 |vapor pressure 1 k=3726 |vapor pressure 10 k=4234 |vapor pressure 100 k=4894 |vapor pressure comment=推定 |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''7''', 6, 5, '''4''', 3<ref>{{cite web|url=http://openmopac.net/data_normal/technetium(iii)%20triiodide_jmol.html|title=Technetium: technetium(III) iodide compound data|accessdate=2007-12-10|publisher=OpenMOPAC.net|deadlinkdate= 2017-05-06}}</ref>, 2, 1<ref>{{cite web|url=http://www.openmopac.net/data_normal/tcfr_jmol.html|title=Technetium: technetium(I) fluoride compound data|accessdate=2007-12-10|publisher=OpenMOPAC.net|deadlinkdate= 2017-05-06}}</ref>, -1, -3(強[[酸性酸化物]]) |electronegativity=1.9 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=702 |2nd ionization energy=1470 |3rd ionization energy=2850 |atomic radius=[[1 E-10 m|136]] |atomic radius calculated= |covalent radius=[[1 E-10 m|147±7]] |Van der Waals radius= |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20= |thermal conductivity=50.6 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25= |speed of sound= |speed of sound rod at 20=16,200 |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus= |Shear modulus= |Bulk modulus= |Poisson ratio= |Mohs hardness= |Vickers hardness= |Brinell hardness= |CAS number=7440-26-8 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay3 | mn=[[テクネチウム95m|95m]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|61 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[モリブデン95|95]] | ps1=[[モリブデン|Mo]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.204, 0.582, 0.835 | pn2= | ps2=- | dm3=[[内部転換|IT]] | de3=0.0389, [[内部転換電子|e]] | pn3=[[テクネチウム95|95]] | ps3=Tc}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[テクネチウム96|96]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|4.3 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[モリブデン96|96]] | ps1=[[モリブデン|Mo]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.778, 0.849, 0.812 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[テクネチウム97|97]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E13 s|2.6×10<sup>6</sup> y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=- | pn=[[モリブデン97|97]] | ps=[[モリブデン|Mo]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[テクネチウム97m|97m]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|91 d]] | dm=[[内部転換|IT]] | de=0.965, [[内部転換電子|e]] | pn=[[テクネチウム97|97]] | ps=Tc}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[テクネチウム98|98]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E14 s|4.2×10<sup>6</sup> y]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de1=0.4 | pn1=[[ルテニウム98|98]] | ps1=[[ルテニウム|Ru]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.745, 0.652 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[テクネチウム99|99]] | sym=Tc | na=[[微量放射性同位体|trace]] | hl=[[1 E12 s|2.111×10<sup>5</sup> y]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=0.294 | pn=[[ルテニウム99|99]] | ps=[[ルテニウム|Ru]]}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[テクネチウム99m|99m]] | sym=Tc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E4 s|6.01 h]] | dm1=[[内部転換|IT]] | de1=0.142, 0.002 | pn1=[[テクネチウム99|99]] | ps1=Tc | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.140 | pn2= | ps2=-}} }} '''テクネチウム'''({{lang-en-short|technetium}} {{IPA-en|tɛkˈniːʃiəm|}})は、[[原子番号]]43の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Tc'''。[[マンガン族元素]]の一つで、[[遷移元素]]である。天然のテクネチウムは[[地球]]上では非常にまれな元素で、[[天然ウラン|ウラン鉱]]などに含まれる[[ウラン238]]の[[自発核分裂]]により生じるが、生成量は少ない。そのため、[[#発見の歴史|後述]]のように[[自然]]界からはなかなか発見できず、[[人工]]的に[[元素合成|合成]]することで作られた。すなわち発見が自然界に由来しない最初の元素かつ最初の[[人工放射性元素]]となった。安定[[同位体]]が存在せず、全ての同位体が[[放射性]]である。最も[[半減期]]の長いテクネチウムはテクネチウム98で、およそ420万年である。 == 名称 == [[1947年]]にテクネチウムと命名された。[[語源]]は[[ギリシャ語]]の「人工」を表す "{{lang|gr|τεχνητός}}"(technitos)。 [[イタリア]]の[[パレルモ大学]]では、[[パレルモ]]の[[ラテン語|ラテン名]]にちなむ'''パノルミウム''' (Panormium) という名を提案していた。 == 発見の歴史 == 周期表中で[[モリブデン]]と[[ルテニウム]]の中間に空欄があったことから、[[19世紀]]から[[20世紀]]初頭にかけて、多くの研究者がこの43番元素を発見するのに熱中した。この43番元素は他の未発見元素と比べると簡単に発見できるだろうと思われていたが、1936年に[[サイクロトロン]]で合成されるまで得られなかった。 * [[1828年]] - [[白金]]鉱石から発見された元素が43番元素であると発表され、''' ポリニウム '''(polinium)と命名されたが、正体は不純物が混入した[[イリジウム]]であることがわかった。 * [[1846年]] - 43番元素が発見されたという報告が入り、''' イルメニウム ''' (ilmenium) という名前がつけられた。しかしこの元素の正体は不純物が混入した[[ニオブ]]であることがわかった。この誤りは[[1847年]]まで繰り返された。 * [[ロシア帝国]]の科学者[[ドミトリ・メンデレーエフ]]はこの43番元素をマンガンの1マス下にあることから「エカマンガン」と名付けた。 * [[1877年]] - ロシアの科学者セルゲイ・カーンが白金鉱石から43番元素を発見したと報告。カーンは有名な[[イギリス]]の科学者[[ハンフリー・デービー]]にちなんで'''デビウム''' (dabyum) と名付けた。しかし、それは[[ロジウム]]、イリジウム、[[鉄]]の混合物であることが判明した。 * [[1908年]]([[明治]]40年) - [[日本]]の[[小川正孝]]が43番元素を発見したと発表、'''ニッポニウム''' (nipponium, Np) と命名したが、後に43番元素は地球上にはほぼ存在しない(92番元素の[[ウラン]]が[[放射性崩壊|崩壊]]することによって一定の数があると思われる)ことが判明したためこれは取り消され、[[元素記号]]として使用される予定だった Np も[[ネプツニウム]]に使用された。現在、小川正孝の発見は75番の[[レニウム]]だったと考えられている。当時まだ75番元素は発見されていなかった。 * [[1936年]] - [[エミリオ・セグレ|セグレ]]は[[ローレンス・バークレー国立研究所]]を訪れた際に所長の[[アーネスト・ローレンス]]に依頼して、[[サイクロトロン]]で加速した[[重陽子線]]が衝突した[[モリブデン]]箔(部品の一部)を帰国後に送ってもらった。セグレは Carlo Perrier と共にパレルモ大学でこのモリブデン箔を分析して43番元素を12月に発見した。人工的に作られた最初の元素であった。 * [[1957年]] - [[ポール・メリル]]により、[[赤色巨星]]にテクネチウムが存在することが[[スペクトル]]で観測された。 == 特徴 == 白金に似た外観を持つ銀白色の放射性の金属で、[[比重]]は11.5、[[融点]]は2172 [[セルシウス度|{{℃}}]](異なる実験値あり)。[[沸点]]は4000 {{℃}}以上。安定な[[結晶]]構造は[[六方晶系]]。363 [[ナノメートル|nm]]、403 nm、410 nm、426 nm、430 nm、485 nmの特有スペクトルを持つ。わずかに磁性を持っており11.3 [[ケルビン|K]]以下にすると強磁性を示す。 化学的性質は[[レニウム]]に類似する。[[フッ化水素酸]]、[[塩酸]]には不溶で、酸化力のある[[硝酸]]、[[硫酸|濃硫酸]]、[[王水]]には溶ける。単体は、湿った空気でゆっくりと曇る。粉状のテクネチウムは、[[酸素]]中で炎を出して燃える。+2、+4、+5、+6、+7の[[酸化数]]をとる。酸化物には[[酸化テクネチウム(IV)]] TcO<sub>2</sub> や[[酸化テクネチウム(VII)]] Tc<sub>2</sub>O<sub>7</sub> がある。酸化条件下では[[過テクネチウム酸]] TcO<sub>4</sub><sup>-</sup> が見られる。 == 天然での存在 == テクネチウムは現在、いくつかの恒星のスペクトル線からも、天然での存在が確認されている([[テクネチウム星]])。地球上では[[天然ウラン|ウラン鉱]]中に微量が自発核分裂生成物として見い出される。医療用に使用される同位体は[[放射性廃棄物]]中から[[単離]]して得る方法と、[[中性子]]を照射された[[モリブデンの同位体]]から得る方法がある。 == 安定同位体が存在しない理由 == テクネチウムは比較的軽い元素でありながら[[安定同位体]]が存在せず、[[標準原子量]]が定められない。これは、テクネチウムが置かれた「位置」による偶然の結果である。中性子数55の <sup>98</sup>Tc が最も長寿命な[[核種]]だが、これも[[放射性同位体]]である。 一般に[[原子核]]は、[[陽子]]と中性子の数がともに[[偶数]]だと安定し、ともに[[奇数]]だと不安定となる<ref>[https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_03-06-03-02.html 原子核の壊変] 原子核物理の基礎 原子力百科事典 ATOMICA</ref>。 さらに陽子数と中性子数の間には最も安定する比があり、[[核図表#ベータ安定線|ベータ安定線]]<ref>[http://www.th.phys.titech.ac.jp/~muto/lectures/INP02/INP02_chap03.pdf 3.3.1 ベータ安定線] 武藤研究室 [[東京工業大学]]</ref>と呼ばれるが、テクネチウムの場合、ベータ安定線に一致する<sup>98</sup>Tc は'''陽子数43と中性子数55'''で奇数と奇数の不安定核種であった。 もっともこれは、原子番号が奇数の元素に共通の現象であり、多くはその次に安定な核種が安定同位体となっている(例えば<sup>93</sup>[[ニオブ|Nb]] や<sup>103</sup>[[ロジウム|Rh]] 、詳細は[[核種の一覧]]参照)。 ただし、「次に安定な核種」は自動的に「[[質量数]]が奇数の核種」となるため、奇数の同じ質量数を持つ核種のうちで安定核種は1つしか存在できない制約(偶数の同じ質量数を持つ核種は、安定核種が複数存在できる)<ref>[http://kato.html.xdomain.jp/nuclearphys/chapter3/chapter3.html β崩壊 第3章 原子核の安定性] 原子核物理学 加藤静吾のホームページ</ref>を受ける事となった。中性子数54の<sup>97</sup>Tc は <sup>97</sup>[[モリブデン|Mo]] に、同じく56の <sup>99</sup>Tc は <sup>99</sup>[[ルテニウム|Ru]] に安定性で劣り、不安定核種となってしまった。 中性子数がさらに多い、または少ない核種は、そもそも安定性の土俵に乗れず、結果としてテクネチウム以外の元素は安定同位体を得たが、テクネチウムだけが安定同位体を得られなかった。かくしてテクネチウムは、安定同位体の存在しない、放射性元素となった。[[プロメチウム]]も、同様の理由により放射性元素となった。 == 用途 == [[β線]]を放出せず適量の[[γ線]]のみを放つ <sup>99m</sup>Tc の特性を活かし、[[放射線療法|核医学]]という医療の一分野を支える重要な元素で、人体各部([[骨]]、[[腎臓]]、[[肺]]、[[甲状腺]]、[[肝臓]]、[[脾臓]]など)に対する[[シンチグラム]]に用いる。利用例としては、血流測定剤、骨イメージング剤、[[腫瘍]]診断剤の放射線診断薬など。テクネチウムを含む物質を[[放射性医薬品]]として投与した場合の体内動態などは充分解明されている上、検査目的に応じた多種の注射剤が供給されている。テクネチウム製剤は投与後24時間で投与量の30%が[[尿]]流に排泄されるが、核種としての物理半減期が6時間程度であるので実効半減期はもっと短い。[[平成]]27年(2015年)度調査における[[診断参考レベル]]では、検査目的により異なるが概ね300~1200[[ベクレル#概要|MBq]]である。日本ではテクネチウムを含む薬剤を用いた緊急検査も行えるほどの利用ノウハウが蓄積されているが、国産化されておらず、[[カナダ]]を中心に全量を輸入している(正確にはβ壊変によって <sup>99m</sup>Tc を生成する <sup>99</sup>Mo (半減期65.97時間)を[[モリブデン酸ナトリウム]]などの形で輸入し、壊変によって生じた <sup>99m</sup>Tc を抽出して利用する([[ミルキング]]))。これらを製造している原子炉は現在世界でカナダや[[オランダ]]、[[南アフリカ共和国]]、[[フランス]]、[[ベルギー]]の各国にある5基の実験用小型原子炉のみであるが、<sup>235</sup>U の核分裂による生成物として <sup>99</sup>Mo を得る関係上、 90%以上の(すなわち[[核兵器]]級の)濃縮度の <sup>235</sup>U を用いることから[[核拡散]]の懸念があることに加え、いずれの生産炉も老朽化による故障・緊急停止などが度々生じている状況にある。また <sup>99m</sup>Tc ほどでないにせよ <sup>99</sup>Mo であっても半減期が短く長期在庫を得ることができないため、こうした生産炉の稼働停止が生ずると直ちにテクネチウム製剤の供給に問題が生ずることとなり、日本国内の病院等でシンチグラフィー検査ができなくなる事態が発生している。 日本の[[原子力委員会]]は2022年4月、テクネチウム99mのほかモリブデン99、[[アクチニウムの同位体|アクチニウム225]]、[[アスタチンの同位体|アスタチン211]]といった医療用放射性物質の国内自給率を高めるべきだとする提言案をまとめた<ref>科学部・前村尚「医療用放射性物質の自給急務■原子炉停止で輸入停滞」『[[読売新聞]]』朝刊2022年5月11日(解説面)</ref>。 == 化合物 == * [[酸化テクネチウム(IV)]] (TcO<sub>2</sub>) * [[酸化テクネチウム(VII)]] (Tc<sub>2</sub>O<sub>7</sub>) * [[過テクネチウム酸アンモニウム]] (NH<sub>4</sub>TcO<sub>4</sub>) * [[過テクネチウム酸]] * [[六フッ化テクネチウム]] == 同位体 == {{Main|テクネチウムの同位体}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{Commons|Technetium}} * [http://www.ielement.org/tc.html テクネチウム] * [http://www.cnic.jp/knowledge/2594 テクネチウム-99] 特定非営利活動法人[[原子力資料情報室]] * [http://www.sci.niihama-nct.ac.jp/PeriodicTable/elements/43.html テクネチウム] [[新居浜工業高等専門学校]] * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{テクネチウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てくねちうむ}} [[Category:テクネチウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第7族元素]] [[Category:第5周期元素]]
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中華料理
中華料理(ちゅうかりょうり、簡体字中国語: 中国菜、拼音: Zhōngguó cài〈ジョングオツァイ〉、繁体字中国語: 中華料理、粤語: 中華飲食)は、中華人民共和国(中国)をはじめとする中華圏で食べられてきた料理、または、その食材や調理法、調味料を使用して作られた料理の総称。。 世界三大料理の一つに挙げられて、海外でも広く食されている。多彩であり、中国大陸では各地域の風土に合わせた料理が発達した(「菜系」を参照)。 中国の国土面積は、ロシアを除くヨーロッパ全体に匹敵するほど広く、各地方の気候や産物、習慣の違いにより、それぞれの食文化が形成された。また、歴代王朝で漢民族に同化・支配された諸民族、もしくは漢民族を支配した異民族は料理の豊富さをさらに進めた。野菜は食用となる植物ほぼ全てが使われ、食肉も豚、牛、羊、山羊のほか鳥類(鶏、家鴨・鴨、鵝)など多様である。魚介類は、海に面する広東省、福建省、山東省などを除いて、淡水魚をメインとする地域が多い。 現在の中華料理の「火を通した熱い食事を取る」原型は南宋時代(1127 - 1297年)で一気に完成したとされる。宋王朝以降の中国では、強い火力を用いることがますます重視され、中華鍋を使い、日本料理や西洋料理に比べて、食用油(ラードやごま油など)を多用する炒め物が多いという傾向がある。逆に生野菜の使用や冷たい料理は少なく、伝統的な料理では涼麺や粉皮、杏仁豆腐程度である。中国文化においては飲料水においても冷たい水は好まれず、茶や白湯、常温で提供される。 宗教的な理由による食のタブーを持つ人々もおり、仏教徒(チベット仏教は除く)、道教信者の一部向けの精進料理は素菜と呼ばれる(台湾素食など)。イスラム教徒向けには、豚肉及びその加工製品、ラードを用いない清真菜(清真料理)がある。調理器具、技法、忌避されない素材・調味料には類似性がある。 中国文明は周辺地域にも伝播し、日本料理、朝鮮料理、ベトナム料理などは中華料理の影響を強く受けている。また世界各地に渡った華僑・華人が移民先の国に持ち込んだため、東南アジアや南北アメリカ、ヨーロッパなどに広く普及し、また現地化も進んでいる(アメリカ風中華料理など)。 日本も含む世界各地の中華料理関係団体を集めた「世界中国烹飪連合会」は、1992年から中華料理の世界大会も行われている。この大会の中には、持ち込んだ国の料理と融合したり、中国大陸に存在しない食材を利用したり、現地人の料理人が考案したりした、中国本土にも見られない進化を遂げた「中華風」とも言うべき中華料理もある。 中華料理は外国に大きな影響を与える一方、中華料理の手法も日本料理を含む国外の料理に大きな影響を受け、独自の発展を遂げる例も珍しくない。大皿に盛られた料理を取り分けるスタイルから、フランス料理のように一人前ずつ盛った料理をコース順に出し、素材や料理法も現代的に洗練されたヌーベルシノワなどはその一例である。 古代の中華料理は現在とはかなり異なっていた。煮込み、直火焼き、羹(あつもの)が多く、主にすたれた膾(刺身のような生肉・生魚の料理)もよく食べられており、「羹に懲りて膾を吹く」「人口に膾炙(かいしゃ)する(「炙」は直火焼きの焼肉)」など、古代中国由来のことわざ・慣用句にも窺うことができる。古代の中華料理については『斉民要術』が詳しい。 現在の中華料理で頻用される強い火力が必要な炒め物の調理法は、北宋の時代で一気に発展した。元々は石炭を加工した骸炭(コークス)が磁器の製作に使用されていて、それが料理用の炉やかまど、鉄鍋などに転用される事によって生み出されたものである。以後、南宋から元王朝にかけて炒め物が普及した。また同じ頃から、木版印刷の発展により料理本・レシピ集も多数出版されるようになった。 16世紀の明王朝の時から、世界各地の食材や調味料も積極的に取り入れて消化・応用し、独自料理を作り出して進化していった。麻婆豆腐の唐辛子や、青椒肉絲のピーマンなどは中華料理に欠かせない食材となっているが、中国に伝わったのは歴史的な背景からすれば外国から導入された食材である。広東料理には欠かせないオイスターソースは19世紀末に開発され20世紀に入ってから普及したもので、福建料理や広東料理でよく使われるサテソースはインドネシアやマレーシアから伝わった調味料を取り入れたものである。 中国では八大菜系(八大中華料理)という地域分類が最も一般的に用いられている。他にも、大雑把な四大菜系、詳細な分類法などいくつもの分け方が存在する。 主に広東系の中国人によって、東西ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジア、東南アジアなどの諸国において広く普及し、また現地化も進んでいる。中国には存在しない「オリジナル」の中華料理も各国に存在し、例えば日本の冷やし中華、アメリカのチャプスイ、インドネシア等のナシゴレン、韓国のチャジャンミョン等がある。東南アジアでは、広東省に加えて福建省からの移住者が多く、福建料理も普及している。しゃぶしゃぶは「涮羊肉(シュワンヤンロウ, ピンイン:shuàn yáng ròu)」と呼ばれる羊肉の鍋をヒントに日本で考案されたと言われている。 また台湾発祥とされるモンゴリアンバーベキュー(蒙古烤肉)は、拷羊肉と呼ばれる羊肉の鉄板焼きが原型で、アメリカではポピュラーな料理となっている。これら二つはいずれもモンゴル(後に中国)において羊肉の食べ方として最上の料理法をルーツにしているが、原形を留めない。また、日本を含む世界各国で他ジャンルの食材、調理法を取り入れた新しい創作中華料理を目指す料理人も多く存在する。 アメリカでもチャイナタウンを中心に中華料理は人気があるが、欧米の中国系住民は広東省からの移住者(華僑・華人)が多かったという背景もあって広東料理が多い。味付けは、現地人の好みにあわせて変えるケースもある。例えば、アメリカ合衆国ではケチャップがたっぷり加えられるなど、中国よりもずっと甘くて濃い味付けをされる。こうした料理は中国人の舌にはあわないため、同じ料理でもアメリカ人向けと中国人向けの2種類用意されるケースがある。このような現地化によって、同じ店でも開店して数か月もすると味が変わることは昔からあり、好みに合わせる目的と、本場の調味料の入手難などの要因もある。 日本において中華料理は、家庭料理を含む日常的な食事としても高級な外食としても定着している。在日中国人の調理師による中華料理店だけでなく、日本人が営む庶民的な、いわゆる町中華が日本中にある。在日中国人や本格的な中華料理を食べたい日本人向けに、日本風にアレンジせず、日本ではなじみが薄い食材(ナマズやザリガニなど)も使う本場風の中国料理店も増えており、「ガチ中華」と呼ばれる。 日本の中華街のほとんどは広東系といわれ、唯一、長崎新地中華街のみが福建系とされてきたが、近年は中国東北部など、各地からの移住者が増えている。旧満州からの引揚者の影響もあって、中国東北部に由来する料理(焼き餃子など)もかなり浸透している。また、日本では四川省出身の料理人陳建民がNHK『きょうの料理』に出演してレシピを公開していた事もあり、エビチリ、麻婆豆腐、担担麺などの四川料理が広く浸透している。 日本人の好みに合わせたアレンジが施されているため、外食のみならず、家庭料理としても広く普及しているラーメンやエビチリ、酢豚、八宝菜、麻婆豆腐なども、中国のものとは異なる場合が多い。冷やし中華やレバニラのように日本人が考案やアレンジした和製中華料理なども安価で提供している。「クックドゥ」や「チャーハンの素」などの野菜や肉を用意して炒めるだけで完成する調理食材もあるが、日本の家庭では火力が小さいため再現しきれないものもある。 沖縄料理においても、沖縄地方の歴史的背景から中国との関わりが深く、ラフテー(東坡肉(トンポーロー)が元祖か)のような豚肉料理やチャンプルーといった庶民的な豆腐と野菜の炒め物など、「沖縄化」された中華料理が多くある。 長崎の卓袱料理、精進料理の普茶料理も中華料理の影響を受けて成立した。 中国本来の本格料理店のイメージを出すため、中国料理(または地域名をつけて「広東料理」「上海料理」「北京料理」「四川料理」)と称する料理店もある。 NHKの放送用語委員会では1973年(日中国交正常化の翌年)より、原則として「中国料理」と表現しているが、これまでの流れと世論調査の結果から、「中華料理」の使用も認めていく可能性も示している。 日本においては、「広東料理」「上海料理」「北京料理」「四川料理」の四大中華料理という分類が一般的である。 俗に「広東人は二足なら親以外、四足なら机と椅子以外、走るものなら自動車以外、泳ぐものなら潜水艦以外、空を飛ぶものなら飛行機以外なんでも食ってしまう」と言われるように、その食材は多岐多様にわたる。この為その種類は極めて多い。調理法についても同様で、炒め方ひとつとっても干炒、滑炒、清炒、生炒、爆炒など技法や時間の長短により10種類近くあり、それぞれの炒め方を冠した料理ができあがる。さらにこれに用いる調味料で変化を加えると、青菜の炒め物だけでも100種類を超える料理ができあがる。こうしたことから1人の中華料理人が作れる料理の数は、何万種類にも及ぶ。 中華料理の切り方一覧も参照の事。 広東料理の一つである飲茶の場合、お茶をつがれる際に、人差し指でテーブルをトントンと叩く。これは注いでくれる相手に対してのお礼である。これは、点心を食する場合、通常は会話を楽しみながら食するので、お茶を注いでくれる人に対して礼を言うと他の人との話の腰を折ってしまうので、それを防ぐ為である。 多くにおいての中華料理を食す際には、皿は手で持たない。スープ類には散蓮華(ちりれんげ)がついてくるのはその為である。また、スープ類、麺類を食す際には、音を立ててすすらない。ごはんや汁類は散蓮華、おかず類は箸を使う。大皿には基本、取り箸がなく、各々が直接自分の箸で取り分けるので箸は太くて長めにできている。 客人として訪問した際には、食べきれないほどの料理が出てくることが多い。また、残った料理を家に持ち帰る文化があるため、食べ残しを「お持ち帰り(打包)」可能な店も中国には多い。 コースで注文した場合、前菜、スープ、メイン料理、その他料理の順で、麺飯類は最後に出てくる。
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中華料理は、中華人民共和国(中国)をはじめとする中華圏で食べられてきた料理、または、その食材や調理法、調味料を使用して作られた料理の総称。。 世界三大料理の一つに挙げられて、海外でも広く食されている。多彩であり、中国大陸では各地域の風土に合わせた料理が発達した(「菜系」を参照)。
{{redirect|中国料理|[[中国]]における料理の大系|菜系}} {{Otheruses||[[山崎まさよし]]のシングル|中華料理 (曲)}} {{出典の明記|date=2016年8月}} {{中華料理}} {{external media |topic = on [[RT Documentary]] Official YouTube Channel{{en icon}} |video1 = {{youtube|cVvgovefWjA|China on a plate. 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中国の国土面積は[[ヨーロッパロシア|ロシア]]を除く[[ヨーロッパ]]全体に匹敵するほど広く、各地方の気候や産物、習慣の違いによりそれぞれの[[食文化]]が形成された。また、[[中国の歴代王朝一覧|歴代王朝]]で[[漢民族]]に[[同化政策|同化]]・支配された諸民族、もしくは[[征服王朝|漢民族を支配した異民族]]は料理の豊富さをさらに進めた。[[野菜]]は食用となる[[植物]]ほぼ全てが使われ、[[食肉]]も[[豚肉|豚]]、[[牛肉|牛]]、[[羊肉|羊]]、[[山羊]]のほか鳥類([[鶏肉|鶏]]、[[家鴨]]・[[鴨肉|鴨]]、[[鵝]])など多様である。[[魚介類]]は、海に面する[[広東省]]、[[福建省]]、[[山東省]]などを除いて、[[淡水魚]]をメインとする地域が多い。 === 熱いうちに食べる習慣 === 現在の中華料理の「火を通した熱い食事を取る」原型は[[南宋]]時代(1127 - 1297年)で一気に完成したとされる。[[宋王朝]]以降の中国では、強い火力を用いることがますます重視され、[[中華鍋]]を使い、[[日本料理]]や[[西洋料理]]に比べて、[[食用油]]([[ラード]]や[[ごま油]]など)を多用する[[炒める|炒め物]]が多いという傾向がある。逆に[[サラダ|生野菜]]の使用や冷たい料理は少なく、伝統的な料理では[[涼麺]]や[[粉皮]]、[[杏仁豆腐]]程度である。中国文化においては飲料水においても冷たい水は好まれず<ref>{{Cite web|和書|title=日中の生活習慣の違い「冷たい水を好む日本人と、お湯を好む中国人」=中国メディア (2019年3月5日)|url=https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20190305055/|website=[[エキサイトニュース]]|accessdate=2020-06-01|language=ja}}</ref>、[[茶]]や[[白湯]]、常温で提供される{{Efn|台湾でも似た傾向がある。中国国外の中華料理店はこの限りではない。}}。 === 精進料理 === [[宗教]]的な理由による[[食のタブー]]を持つ人々もおり、[[仏教]]徒([[チベット仏教]]は除く)、[[道教]]信者の一部向けの[[精進料理]]は'''素菜'''と呼ばれる([[台湾素食]]など)。[[イスラム教]]徒向けには、[[豚肉]]及びその加工製品、ラードを用いない'''清真菜'''([[清真料理]])がある。調理器具、技法、忌避されない素材・[[調味料]]には類似性がある。 === 世界各国の料理との融合 === [[中国文明]]は周辺地域にも伝播し、[[日本料理]]、[[朝鮮料理]]、[[ベトナム料理]]などは中華料理の影響を強く受けている。また世界各地に渡った[[華僑]]・[[華人]]が移民先の国に持ち込んだため、[[東南アジア]]や[[南北アメリカ]]、ヨーロッパなどに広く普及し、また[[ローカライゼーション|現地化]]も進んでいる([[アメリカ風中華料理]]など)。 日本も含む世界各地の中華料理関係団体を集めた「世界中国烹飪連合会」は、[[1992年]]から中華料理の世界大会も行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jaccc.or.jp/news/news041208a.htm|title=第5回中国料理世界コンクール、中国広州で開催|work=[[日本中国料理協会]]|accessdate=2017-10-31}}</ref><ref>{{cite web|url=https://baike.baidu.com/item/世界中国烹饪联合会|title=世界中国烹饪联合会|work=[[百度]]|accessdate=2017-11-06}}</ref>。この大会の中には、持ち込んだ国の料理と融合したり、中国大陸に存在しない食材を利用したり、現地人の料理人が考案したりした、中国本土にも見られない進化を遂げた「中華風」とも言うべき中華料理もある。 中華料理は外国に大きな影響を与える一方、中華料理の手法も日本料理を含む国外の料理に大きな影響を受け、独自の発展を遂げる例も珍しくない。大皿に盛られた料理を取り分けるスタイルから、[[フランス料理]]のように一人前ずつ盛った料理をコース順に出し、素材や料理法も現代的に洗練された[[ヌーベルシノワ]]などはその一例である。 == 歴史 == [[古代]]の中華料理は現在とはかなり異なっていた。煮込み、直火焼き、[[スープ|羹]](あつもの)が多く、主にすたれた[[膾]]([[刺身]]のような生肉・生魚の料理)もよく食べられており、「羹に懲りて膾を吹く」「人口に膾炙(かいしゃ)する(「炙」は直火焼きの[[焼肉]])」など、古代中国由来の[[ことわざ]]・[[慣用句]]にも窺うことができる。古代の中華料理については『[[斉民要術]]』が詳しい。 現在の中華料理で頻用される強い火力が必要な炒め物の調理法は、[[北宋]]の時代で一気に発展した。元々は[[石炭]]を加工した[[骸炭]]([[コークス]])が[[磁器]]の製作に使用されていて、それが料理用の[[炉]]や[[かまど]]、[[鉄鍋]]などに転用される事によって生み出されたものである<ref>[[石毛直道]]『世界の食べもの 食の文化地理』([[講談社学術文庫]]、2013年。ISBN 978-4062921718)65頁</ref><ref>{{Cite book|和書|title=中国文明論集|date=|year=1995|publisher=岩波書店〈[[岩波文庫]]〉|author=宮崎市定|authorlink=宮崎市定|editor=礪波護|editor-link=礪波護|chapter=宋代における石炭と鉄|isbn=9784003313312}}</ref>。以後、南宋から[[元 (王朝)|元王朝]]にかけて炒め物が普及した。また同じ頃から、[[木版印刷]]の発展により[[料理本]]・[[レシピ]]集も多数[[出版]]されるようになった<ref>{{Citation|和書|title=中国料理の世界史 美食のナショナリズムをこえて|last=岩間|first=一弘|author-link=岩間一弘|year=2021|publisher=[[慶應義塾大学出版会]]|isbn=9784766427646}}37-39頁。</ref>{{Efn|例として、唐代の『[[食医心鑑]]』、宋代の『[[中饋録]]』『[[山家清供]]』、元代の『[[飲膳正要]]』『[[居家必要事類全書]]』(日用[[類書]])、清代の『[[随園食単]]』がある。<ref>{{Cite book|和書|title=初学者のための中国古典文献入門|date=|year=2018|publisher=[[筑摩書房]][[ちくま学芸文庫]]|last=坂出|first=祥伸|isbn=978-4480098696|authorlink=坂出祥伸|origyear=2008|chapter=日用類書について}}</ref>。一部は和訳もある<ref>[[中村喬]] 訳『中国の食譜』[[平凡社東洋文庫]]、1995年。ISBN 978-4582805949</ref>。}}。 [[16世紀]]の[[明王朝]]の時から、世界各地の食材や調味料も積極的に取り入れて消化・応用し、独自料理を作り出して進化していった。[[麻婆豆腐]]の[[唐辛子]]や、[[青椒肉絲]]の[[ピーマン]]などは中華料理に欠かせない食材となっているが、中国に伝わったのは歴史的な背景からすれば外国から導入された食材である。[[広東料理]]には欠かせない[[オイスターソース]]は[[19世紀]]末に開発され[[20世紀]]に入ってから普及したもので、[[福建料理]]や広東料理でよく使われる[[サテ]]ソースは[[インドネシア]]や[[マレーシア]]から伝わった調味料を取り入れたものである。 == 各国の中華料理 == === 中国 === {{Main|菜系}} 中国では[[菜系|八大菜系]](八大中華料理)という地域分類が最も一般的に用いられている。他にも、大雑把な四大菜系、詳細な分類法などいくつもの分け方が存在する。 {{see|[[菜系#八大菜系]]}} {{seealso|[[菜系#四大菜系]]}} * [[山東料理]](魯菜) - 四大菜系 * [[江蘇料理]](蘇菜) - 四大菜系 * [[浙江料理]](浙菜) * [[安徽料理]](徽菜) * [[福建料理]](閩菜) * [[広東料理]](粤菜) - 四大菜系 * [[湖南料理]](湘菜) * [[四川料理]](川菜) - 四大菜系 === 世界の中華料理 === 主に広東系の中国人によって、東西ヨーロッパ、南北アメリカ、東アジア、東南アジアなどの諸国において広く普及し、また現地化も進んでいる。中国には存在しない「オリジナル」の中華料理も各国に存在し、例えば日本の[[冷やし中華]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[チャプスイ]]、[[インドネシア]]等の[[ナシゴレン]]、[[大韓民国|韓国]]の[[チャジャンミョン]]等がある。東南アジアでは、[[広東省]]に加えて[[福建省]]からの移住者が多く、[[福建料理]]も普及している。[[しゃぶしゃぶ]]は「[[:zh:涮羊肉|{{lang|zh|涮}}羊肉]](シュワンヤンロウ, [[ピンイン]]:shuàn yáng ròu)」と呼ばれる羊肉の鍋をヒントに日本で考案されたと言われている。 また[[台湾]]発祥とされる[[モンゴリアンバーベキュー]](蒙古烤肉)は、拷羊肉と呼ばれる羊肉の鉄板焼きが原型で、アメリカではポピュラーな料理となっている。これら二つはいずれもモンゴル(後に中国)において羊肉の食べ方として最上の料理法をルーツにしているが、{{独自研究範囲|date=2017年2月|原形を留めない}}。また、日本を含む世界各国で他ジャンルの食材、調理法を取り入れた新しい創作中華料理を目指す料理人も多く存在する。 ==== アメリカの中華料理 ==== {{see also|アメリカ風中華料理}} アメリカでも[[チャイナタウン]]を中心に中華料理は人気があるが<ref>{{Cite web |title=Traditional Chinese diets: A template for healthy eating habits |url=https://www.health.harvard.edu/heart-health/traditional-chinese-diets-a-template-for-healthy-eating-habits |website=Harvard Health |date=2023-07-01 |access-date=2023-06-21 |language=en}}</ref>、欧米の中国系住民は[[広東省]]からの移住者(華僑・華人)が多かったという背景もあって[[広東料理]]が多い。味付けは、現地人の好みにあわせて変えるケースもある。例えば、アメリカ合衆国では[[ケチャップ]]がたっぷり加えられるなど、中国よりもずっと甘くて濃い味付けをされる。こうした料理は中国人の舌にはあわないため、同じ料理でもアメリカ人向けと中国人向けの2種類用意されるケースがある<ref>「“インチキNY中華街”同メニューでも1ドル高」産経iza(2007年3月14日付配信)</ref>。このような現地化によって、同じ店でも開店して数か月もすると味が変わることは昔からあり<ref>大河内正敏『味覺』(1947年、東京・有情社)p.118</ref>、好みに合わせる目的と、本場の調味料の入手難などの要因もある。 ==== インドの中華料理 ==== {{see|インド中華}} ==== 韓国の中華料理 ==== {{see|韓国の中華料理}} ==== 日本における中華料理 ==== {{See also|{{仮リンク|日本の中華料理|en|Japanese Chinese cuisine}}}} 日本において中華料理は、[[家庭料理]]を含む日常的な食事としても高級な[[外食産業|外食]]としても定着している。[[在日中国人]]の[[調理師]]による中華料理店だけでなく、日本人が営む庶民的な、いわゆる[[町中華]]が日本中にある。在日中国人や本格的な中華料理を食べたい日本人向けに、日本風にアレンジせず、日本ではなじみが薄い食材([[ナマズ]]や[[ザリガニ]]など)も使う本場風の中国料理店も増えており、「ガチ中華」と呼ばれる<ref>本場の味求め「ガチ中華」『[[産経新聞]]』朝刊2022年11月14日(生活面)</ref>。 {{要出典範囲|日本の[[中華街]]のほとんどは広東系といわれ、唯一、[[長崎新地中華街]]のみが福建系とされてきたが、近年は[[中国東北部]]など、各地からの移住者が増えている。旧[[満州]]からの[[引揚者]]の影響もあって、中国東北部に由来する料理([[餃子|焼き餃子]]など)もかなり浸透している。また、日本では[[四川省]]出身の料理人[[陳建民]]が[[日本放送協会|NHK]]『[[きょうの料理]]』に出演してレシピを公開していた事もあり、[[エビのチリソース|エビチリ]]、[[麻婆豆腐]]、[[担担麺]]などの[[四川料理]]が広く浸透している|date=2023年2月}}。 {{要出典範囲|日本人の好みに合わせたアレンジが施されているため、外食のみならず、家庭料理としても広く普及している[[ラーメン]]やエビチリ、[[酢豚]]、[[八宝菜]]、麻婆豆腐なども、中国のものとは異なる場合が多い。[[冷やし中華]]や[[レバニラ炒め|レバニラ]]のように日本人が考案やアレンジした和製中華料理なども安価で提供している。「[[Cook Do|クックドゥ]]」や「[[永谷園#チャーハンの素|チャーハンの素]]」などの野菜や肉を用意して炒めるだけで完成する調理食材もあるが、日本の家庭では火力が小さいため再現しきれないものもある|date=2023年2月}}。 {{要出典範囲|[[沖縄料理]]においても、[[沖縄地方]]の歴史的背景から中国との関わりが深く、[[ラフテー]]([[東坡肉]](トンポーロー)が元祖か)のような豚肉料理や[[チャンプルー]]といった庶民的な豆腐と野菜の炒め物など、「'''沖縄化'''」された中華料理が多くある|date=2023年2月}}。 [[長崎県|長崎]]の[[卓袱料理]]、[[精進料理]]の[[普茶料理]]も中華料理の影響を受けて成立した<ref>{{Cite web|和書|title=卓袱料理とは |url=https://kotobank.jp/word/%E5%8D%93%E8%A2%B1%E6%96%99%E7%90%86-74223 |website=コトバンク |access-date=2022-12-21 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,日本の郷土料理がわかる辞典,ブリタニカ国際大百科事典 |last=小項目事典,デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=普茶料理とは |url=https://kotobank.jp/word/%E6%99%AE%E8%8C%B6%E6%96%99%E7%90%86-125009 |website=コトバンク |access-date=2022-12-21 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。 中国本来の本格料理店のイメージを出すため、'''中国料理'''(または地域名をつけて「[[広東料理]]」「[[上海料理]]」「[[北京料理]]」「[[四川料理]]」)と称する料理店もある<ref name="yomiuri"/>。 [[日本放送協会|NHK]]の放送用語委員会では1973年([[日中国交正常化]]の翌年)より、原則として「中国料理」と表現しているが、これまでの流れと世論調査の結果{{Efn|2018年の世論調査では、「中華料理」と言う(「中国料理」とは言わない)が82%、どちらかといえば 「中華料理」と言うことのほうが多いが11%、と「中華料理」派が圧倒的である<ref>{{Cite journal|和書|author=塩田雄大|year=2018|title=“すべき”の問題をどうするべきか〜2018年「日本語のゆれに関する調査」から〜|journal=放送研究と調査|volume=68|issue=12|publisher=NHK放送文化研究所}}</ref>。}}から、「中華料理」の使用も認めていく可能性も示している<ref name="nhk"/>。 ===== 日本における四大中華料理 ===== 日本においては、「'''[[広東料理]]'''」「'''[[上海料理]]'''」「'''[[北京料理]]'''」「'''[[四川料理]]'''」の[[菜系#日本の中国四大料理|四大中華料理]]という分類が一般的である。 [[ファイル:中国料理-系統区分地図.jpg|thumb|right|325px|中国料理-系統区分地図]] {| class="wikitable" style="text-align:center" style="font-size: 100%;" | align="center" bgcolor="#ffff00" colspan="4" | '''中国料理の種類'''<ref>[[帝国書院]]編集部(守屋美佐雄)『新編・中学校社会科地図(初訂版)・[[文部科学省]][[教科書検定|検定]]済み教科書46(帝国)地図-704中学校社会科用』帝国書院編集部編、2008/1/25、21頁下段より。 </ref> |- ! 系統!! 具体例!! 材料!!特色 |- ! style="background-color:#6495ED"|北方系 ([[北京料理]]など) | [[北京烤鴨]]、[[炸醤麺]]、[[餃子#中国の餃子|水餃子]] | 小麦、豚、羊 | 味が濃く塩辛い |- ! style="background-color:#F08080"|西方系 ([[四川料理]]など) | [[麻婆豆腐]]、[[乾焼蝦仁]]、[[酸辣湯]] | 米、豚、にわとり、大豆 | [[香辛料]]を使った辛い料理が多い |- !style="background-color:#98FB98"|南方系 ([[広東料理]]など) | {{仮リンク|ふかひれスープ|zh|魚翅羹|en|Shark fin soup|simple|Shark fin soup}}、[[焼売]]、[[叉焼]]、[[雲吞]]、[[蝦餃]] | 米、豚、魚介類、[[岩のり]] | 薄い味で材料の味を生かす |- ! style="background-color:#FFFF80"|東方系 ([[上海料理]]など) | [[八宝菜]]、[[チュウゴクモクズガニ#食べ方|上海ガニの蒸し]]、[[小籠包]]、[[生煎饅頭]]、[[餛飩]] | 米、豚、魚介類 | 甘味が強い、黒酢の多用 |- |} ===== 日本で普及した中華料理 ===== * ごはんもの **[[炒飯]](チャーハン) **中華[[おこわ]] **中華[[ちまき]] **[[中華丼]](日本発祥の中華料理) **[[天津飯]](日本発祥の中華料理) * 麺類 **[[担担麺]](タンタンメン) **[[炸醤麺]](ジャージャー麺) **[[雲吞麺]](ワンタン麺) **[[刀削麺]] **米粉([[ビーフン]]) **[[牛肉麺]] **[[ラーメン]](日本と中国では大きく異なる) **[[焼きそば]](日本と中国では大きく異なる) **広東麺(日本発祥の中華料理) **[[冷やし中華]](日本発祥の中華料理) * 点心 **[[餃子]](焼き餃子、水餃子、揚げ餃子など) **[[焼売]] **[[餛飩]] **[[小籠包]] **[[中華まん]] **[[春巻き]] **[[生煎饅頭]] **[[蝦餃]](ハーガオ、シャァ・ジャオ、皮が透明のエビ蒸し餃子) * おかずと主菜 **[[麻婆豆腐]] **麻婆ナス **[[乾焼蝦仁]](エビのチリソース煮、日本と中国では大きく異なる) **[[青椒肉絲]] **[[酢豚]] **[[回鍋肉]](日本と中国では大きく異なる) **[[八宝菜]] **[[北京烤鴨]](北京ダック) **[[芙蓉蛋]] **[[上海ガニ]] **[[叉焼]](チャーシュー、日本と中国では大きく異なる) **[[唐揚げ]](日本と中国では大きく異なる) **[[油淋鶏]] * [[中華スープ]] **[[魚翅]]湯([[ふかひれ]]スープ) **[[酸辣湯]](サンラータン、中華チリソース入りのスープ) * デザート・お菓子 ** [[月餅]] ** [[杏仁豆腐]](香港発祥) ** [[芒果布丁]](マンゴープリン、香港発祥) ** [[芝麻球]](揚げ[[胡麻]]団子) * その他 **[[火鍋]] **[[飲茶]] ==== ペルーの中華料理 ==== {{see|チーファ}} == 調理方法 == 俗に「[[漢民系#類別|広東人]]は二足なら親以外、四足なら机と椅子以外、走るものなら自動車以外、泳ぐものなら潜水艦以外、空を飛ぶものなら飛行機以外なんでも食ってしまう」と言われるように、その食材は多岐多様にわたる。この為その種類は極めて多い。調理法についても同様で、[[炒める|炒め方]]ひとつとっても干炒、滑炒、清炒、生炒、爆炒など技法や時間の長短により10種類近くあり、それぞれの炒め方を冠した料理ができあがる。さらにこれに用いる調味料で変化を加えると、青菜の炒め物だけでも100種類を超える料理ができあがる。こうしたことから1人の中華料理人が作れる料理の数は、何万種類にも及ぶ。 {{div col|colwidth=30em}} ; 切り方 [[中華料理の切り方一覧]]も参照の事。 ; {{lang|zh|段}}(ダゥアン) : 細長い食材を揃えての断ち切り。小口切りや輪切り、一口大と大きさは多岐にわたる。 ; {{lang|zh|塊}}(クァイ) : ぶつ切り。 ; {{lang|zh|片}}(ピェン) : 薄切り、そぎ切り。繊維に沿って切る特徴を持つ。 ; {{lang|zh|條}}(ティアオ) : 短冊切りや拍子木切り。 ; {{lang|zh|絲}}(スー) : 細切り。 ; {{lang|zh|丁}}(ディン) : 角切り、さいの目切り。5mm角程度に刻む場合、「小丁」と呼ばれる。特に先に格子状の筋切りを入れてから揃え切りする技法は「菊花丁」と呼ばれる<ref>https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2248101/</ref>。 ; {{lang|zh|方}}(ファン) :「色紙切り」同様、食材を小さな正方形の薄切りに切る。基本的には食材をまず底面が正方形となるよう四角柱として切り出し、それを薄切りにする。最初に四角柱の底面をひし形にした場合、「象眼(シャンイェヌ)」と呼ばれる技法となる<ref>https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2253001/</ref>。 ; {{lang|zh|鬆}}(スォン) : やや粗めのみじん切り<ref>https://www.cookdoor.jp/chinese-food/dictionary/21225_china_025/</ref>。 ; {{lang|zh|末}}(モー) : みじん切り。 ; {{lang|zh|紋}}(ウェン) : 「鹿の子切り」や、斜めに切れ目を入れる「松笠切り」、また味を染ませるために行う[[隠し包丁]]を指す。 ; {{lang|zh|扇子}}(シァヌズ) : [[いちょう切り]]。 ; {{lang|zh|仏手}}(フォレォウ) : 一口大の食材に、付け根部分を残すようにして同一方向から4本の切り込みを入れる調理法。加熱すると切り込みが広がって[[仏像]]の掌に似るため、こう呼ばれる。縁起のみならず、火の通りや味染みが良くなる利点を持つ。日本でも[[タンメン]]や[[八宝菜]]の[[イカ]]、[[点心]]の[[饅頭]]等によく用いられる<ref>https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2254301/</ref>。 ; {{lang|zh|竜}}(ロン) : [[じゃばら切り]]。付け合わせに使う[[キュウリ]]や[[大根]]、[[ニンジン]]等に切り落とさないよう斜めに庖丁を入れ、更に裏面から同じく包丁を入れた後、塩水につけて拡がりを良くする。 ; {{lang|zh|花}}(ホア) : 単品で供するための飾り切り。主にニンジンや[[冬瓜]]のような硬質の野菜を用いて、[[龍]]や[[鳳凰]]といった瑞獣や花樹を象る。 ; 油系 ; {{lang|zh|炒}}(チャオ) : 油の量が少なめで炒める。 : 中華料理の基準の一つ。 : 短時間で火を通す調理法。 ; {{lang|zh|爆}}(バオ) : 「{{lang|zh|炒}}」よりもさらに強熱火で一気に炒める方法。 ; {{lang|zh|炸}}(ジャ、ザー) : 揚げ物の調理法。炸菜とも。基本的に高温で揚げる。 : 火を均一に通し、むらなく揚げるために材料は大きさや形を揃えて切る。 : 衣をつけて揚げる場合は「乾炸(ガンジャア)」、下味をつけた食材を素揚げにする場合は「清炸」、泡立てていない卵と小麦粉を衣として揚げる場合は「軟炸(ロワンジャア)」、柔軟化や揚げ時間の短縮を目的で食材を加熱調理したあと衣をつけてカリッと揚げる場合は「酥炸(スゥジャア)」と呼ばれる。特に[[メレンゲ]]に[[コーンスターチ]]や[[片栗粉]]を加えたものを衣として付け、比較的低温で時間をかけて揚げる調理法は「高麗(ガオリィ)」という特殊な名前をもつ<ref>https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2234501/</ref>。 ; {{lang|zh|煎}}(ジェン) : 両面をよく焼く調理法。 ; {{lang|zh|燴}}(ホゥイ) : [[あんかけ]]。とろみをつけて仕上げる。 ; {{lang|zh|明油}}(ミンヨウ) : 料理に風味や香り、照りを増し、温度を維持する目的で仕上げに少量の油を回しかける調理法。調理油には主に鶏油(ジィユ)が用いられる<ref>[https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2258001/ 中華料理・中国料理店用語集 明油(みんよう)]クックドア飲食店用語集(2022年11月28日閲覧)</ref>。 ; 水系 ; {{lang|zh|煮}}(ジュ) : 煮る。 ; {{lang|zh|燉}}(ドゥン) : (とろ火で)煮込む、煮詰める。 ; {{lang|zh|烹}}(ポウン) : 揚げた材料をさっと煮る。 ; {{lang|zh|燜}}(メゥン) : 揚げたりした材料を煮込む。 ; {{lang|zh|汆}}(ツゥアン) : さっと茹でる。湯通し。 ; {{lang|zh|蒸}}(ジョン) : 蒸す。蒸気を通す。ふかす。加熱目的で行われるのが「清蒸」で、この時並行して素材に原湯(ユアンタン)で下味をつけることもある。粉をまぶし、ふわっとした薄い衣をつけるために行われる調理法は「粉蒸」と呼ばれる。[[茶わん蒸し]]のように主要調理目的で用いられる場合、「扣蒸」と呼ばれる<ref>[https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2246401/ 中華料理・中国料理店用語集 蒸(ちょん)]クックドア飲食店用語集(2022年11月28日閲覧)</ref>。 ; {{lang|zh|涮}}(シュアン) : 薄切りの材料を軽くゆでる。 :しゃぶしゃぶにする。 ; 水と油混合系 ; {{lang|zh|燒}}(シャオ) : 中華料理の基準の1つ。煮込み、またはあぶり焼きの調理法。 : 乾焼(ガンシャオ)は水気がなくなるまで炒める技法。 : 原湯(ユアンタン)に[[醤油]]を中心とした調味料や香辛料を加えて煮詰める紅焼(ホンシャオ)は[[上海]]の代表的な調理法であり、事前の[[下拵え]]の方法でさらに大きく5つに分けられるほどにまで多様化している<ref>[https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2256301/ 中華料理・中国料理店用語集 紅焼(ほんしゃお)]クックドア飲食店用語集(2022年11月28日閲覧)</ref>。 ; {{lang|zh|煨}}(ウェイ) : 調味料を加え、長時間弱火で煮込む。弱火で焼きにすることを示すこともある。 ; {{lang|zh|滷}}(ルー) : あらかじめ塩辛いタレに漬け込んだ食材を煮込む。 ; {{lang|zh|扒}}(パー) : 炊き物。 ; 火系 ; {{lang|zh|烤}}(カオ) : 焼き。 : 直火で炙り焼く調理法。 ; {{lang|zh|燻}}(シュン) : 温燻。フレーバーとして各種[[茶葉]]や[[薬草]]や[[香草]]を加える場合もある。 ; {{lang|zh|醤}}(ジアン) ; 漬系 ; {{lang|zh|醃}}(イェン) : 塩漬けにする。(広く)[[味噌]]、[[醤油]]などにつける。 ; {{lang|zh|溜}}(リョウ) : [[あんかけ]]にする。 ; その他 ; {{lang|zh|拌}}(バン) : かき混ぜる、混ぜ合わす。和える。 ; {{lang|zh|掛}}(ゲゥア) ; {{lang|zh|泥}}(ニィ) : 擂り潰す、摺り下ろす。 : また「とろみを付ける調理法」「煮崩す調理法」の表現として分野をまたいで用いられる<ref>[https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2250001/ 中華料理・中国料理店用語集 泥(にぃ)] クックドア飲食店用語集(2022年11月28日閲覧)</ref>。 ; {{lang|zh|茸}}(ロン) : (場合によっては複数の)食材をペーストにする。 ; {{lang|zh|排}}(パイ) : 食材を叩いて荒く潰す。庖丁の背を用いて左右に軽く押し潰したり、紋(ウェン)同様、野菜に軽く切れ目を入れたり、肉の筋切りを行うこともこれに入る<ref>[https://www.cookdoor.jp/useful/glossary/chinese-food/2250801/ 中華料理・中国料理店用語集 排(ぱい)]クックドア飲食店用語集(2022年11月28日閲覧)</ref>。 {{div col end}} == マナー == [[ファイル:Xiao Long Bao in a spoon.jpg|thumb|right|200px|熱々のスープの入った[[小籠包]]]] {{節スタブ}}[[広東料理]]の一つである[[飲茶]]の場合、お茶をつがれる際に、人差し指でテーブルをトントンと叩く。これは注いでくれる相手に対してのお礼である。これは、[[点心]]を食する場合、通常は会話を楽しみながら食するので、お茶を注いでくれる人に対して礼を言うと他の人との話の腰を折ってしまうので、それを防ぐ為である。 多くにおいての中華料理を食す際には、皿は手で持たない。スープ類には[[散蓮華]](ちりれんげ)がついてくるのはその為である。また、スープ類、麺類を食す際には、音を立ててすすらない<ref>{{Cite report |author=国土交通省 総合政策局 観光事業課 |coauthors=[[日本交通公社 (公益財団法人)]] |date=2008年2月 |title=多様な食文化・食習慣を有する外国人客への対応マニュアル |url=https://www.mlit.go.jp/common/000059429.pdf |publisher=国土交通省 |page=108 |accessdate=2016年8月25日 }}</ref>。ごはんや汁類は散蓮華、おかず類は[[箸]]を使う。大皿には基本、取り箸がなく、各々が直接自分の箸で取り分けるので箸は太くて長めにできている<ref>※記事名不明※『[[中日新聞]]』朝刊日曜版2020年4月12日1面</ref>。 客人として訪問した際には、食べきれないほどの料理が出てくることが多い。また、残った料理を家に持ち帰る文化があるため、食べ残しを「お持ち帰り(打包)」可能な店も中国には多い。 コースで注文した場合、前菜、スープ、メイン料理、その他料理の順で、麺飯類は最後に出てくる。 == 飲み物 == === 茶 === {{see|中国茶}} === 酒 === {{see|中国酒}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[斉民要術]] * [[菜系]] * [[陳建民]] * [[陳建一]] * [[周富徳]] * [[程一彦]] * [[中華料理店過程]] * [[中華料理店症候群]] == 外部リンク == <!--レシピ集ではない--> {{Commonscat}} {{Wikibooks|料理本/東アジア料理}} * [https://web.archive.org/web/20060212234356/http://www.musashi.jp/persons/hikakupublic/essay-nishi.html 中国料理についての論文]([[武蔵大学]]人文学部 比較文化学科 西澤治彦教授) - [[ウェイバックマシン]](2006年2月12日アーカイブ分) {{料理}} {{アジア料理}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちゆうかりようり}} [[Category:東洋文化]] [[Category:中国の食文化|*]]
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イーリス
イーリス(古希: Ἶρις, Īris)は、ギリシア神話に登場する虹の女神である。英語読みではアイリス (Iris) となる。日本語では長母音を省略してイリスとも表記される。 イーリスはギリシア語で虹を意味する。英語では虹彩も「iris」という。また、イーリスの聖花はアヤメ(アイリス)だが、この名もイーリスに由来する。 ローマ神話では、アルクス(Arcus)が対応する女神である。 タウマースとオーケアノスの娘エーレクトラーの娘で、ハルピュイアの姉。ゼピュロスの妻であり子供には、ポートス(あるいはエロース)がいる。美術において背中に翼を持った姿で描かれる場合が多い。 天地を結ぶ虹として、疾速で知られ、遠くの土地や海底でも瞬く間に移動することが出来る。そのためヘルメースがゼウスの腹心の部下であるように、イーリスはヘーラーの忠実な部下としてヘーラーの伝令使を務める。ただし『イーリアス』においてはその区別は厳密ではなく、しばしばゼウスのために伝令使として行動している。 ヘーシオドスの『神統記』によれば、神々が互いに争ったり、嘘をついて欺こうとする者がいたとき、ゼウスはイーリスを冥府に派遣し、誓約の証人としてステュクスの水を汲んでこさせる。『ホメーロス風讃歌』「アポローン讃歌」によると、女神レートーがデーロス島でアポローンを出産する際、アポローンの祭壇と神域がデーロス島で末永く栄え、アポローンは他の誰よりもまずデーロス島に栄誉を与えることをステュクスに誓った。しかしレートーはその日から9日間産褥に苦しんだため、レートーのもとに集まった女神たちはイーリスを天に遣わして出産の女神エイレイテュイアを連れて来させようとした。エイレイテュイアは彼女をレートーのもとに行かせまいとする母ヘーラーのもとで何も知らずにいたが、イーリスは女神たちに言い含められたように彼女をヘーラーのいないところに呼び出して説得し、デーロス島に連れて行った。するとレートーはすぐさまアポローンを出産したという。オウィディウスの『変身物語』によると、ヘーラーは、イーリスに命じて冥府にあるヒュプノスの館に行って、ヒュプノスの息子モルペウスを遣わしてケーユクスの死んだことをアルキュオネーの夢枕に立って伝えた。
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イーリスは、ギリシア神話に登場する虹の女神である。英語読みではアイリス (Iris) となる。日本語では長母音を省略してイリスとも表記される。 イーリスはギリシア語で虹を意味する。英語では虹彩も「iris」という。また、イーリスの聖花はアヤメ(アイリス)だが、この名もイーリスに由来する。 ローマ神話では、アルクス(Arcus)が対応する女神である。
{{Otheruses|ギリシア神話の女神|その他|イリス}} {{表記揺れ案内|表記1=イーリス|表記2=アイリス(英語)|表記3=イリス(日本語)}} {{Infobox deity | type = Greek | name = イーリス<br/>{{lang|grc|Ἶρις}} | image = Guerin Pierre Narcisse - Morpheus and Iris 1811.jpg | image_size = 250px | caption = {{small|[[ピエール=ナルシス・ゲラン]]の絵画『[[モルペウス|モルフェウス]]とイリス』([[1811年]])。[[サンクトペテルブルク]]、[[エルミタージュ美術館]]所蔵。}} | deity_of = {{small|[[虹]]の女神}} | birth_place = | death_place = | cult_center = | affiliation = | abode = [[オリュムポス]] | weapon = | symbol = | consort = [[ゼピュロス]] | parents = [[タウマース]], [[エーレクトラー]] | siblings = [[ハルピュイア]] | children = ポートス(あるいは[[エロース]]) | mount = | Roman_equivalent = | festivals = }} '''イーリス'''({{lang-grc-short|'''Ἶρις'''}}, {{lang|grc-latn|Īris}})は、[[ギリシア神話]]に登場する[[虹]]の[[女神]]である。[[英語]]読みでは'''アイリス''' ({{en|Iris}}) となる。[[日本語]]では[[長母音]]を省略して'''イリス'''とも表記される。 イーリスはギリシア語で虹を意味する。英語では[[虹彩]]も「{{en|iris}}」という<ref>{{Cite web|和書|url=https://ejje.weblio.jp/content/iris|title=irisの意味・使い方 - 英和辞典|publisher=Weblio辞書|accessdate=2018-05-10}}</ref>。また、イーリスの聖花は[[アヤメ]](アイリス)だが、この名もイーリスに由来する。 [[ローマ神話]]では、'''アルクス(Arcus)'''が対応する女神である。 == 神話 == [[タウマース]]と[[オーケアノス]]の娘[[エーレクトラー]]の娘で<ref>ヘーシオドス、265行-266行。</ref><ref name=Ap_1_2_6>アポロドーロス、1巻2・6。</ref><ref name="IrisEB">{{Cite web|url=https://www.britannica.com/topic/Iris-Greek-mythology|title=Iris|Greek mythology|accessdate=2018-05-10|publisher=[[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]}}</ref>、[[ハルピュイア]]の姉<ref>ヘーシオドス、267行-269行。</ref><ref name=Ap_1_2_6 />。[[ゼピュロス]]の妻であり子供には、ポートス(あるいは[[エロース]]<ref>[[ノンノス]]『[[ディオニュソス譚]]』31巻103行。</ref><ref>高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』75頁。</ref>)がいる<ref>ノンノス『ディオニュソス譚』47巻340行。</ref>。美術において背中に翼を持った姿で描かれる場合が多い<ref name="IrisEB" />。 天地を結ぶ虹として、疾速で知られ、遠くの土地や海底でも瞬く間に移動することが出来る。そのため[[ヘルメース]]が[[ゼウス]]の腹心の部下であるように、イーリスは[[ヘーラー]]の忠実な部下としてヘーラーの伝令使を務める。ただし『[[イーリアス]]』においてはその区別は厳密ではなく、しばしばゼウスのために[[伝令使]]として行動している<ref>『イーリアス』8巻397行-424行。</ref><ref>『イーリアス』24巻77行-92行。</ref>。 [[ヘーシオドス]]の『[[神統記]]』によれば、神々が互いに争ったり、嘘をついて欺こうとする者がいたとき、ゼウスはイーリスを[[冥府]]に派遣し、誓約の証人として[[ステュクス]]の水を汲んでこさせる<ref>ヘーシオドス、782行-785行。</ref>。『[[ホメーロス風讃歌]]』「アポローン讃歌」によると、女神[[レートー]]が[[デロス島|デーロス島]]で[[アポローン]]を出産する際、アポローンの[[祭壇]]と神域がデーロス島で末永く栄え、アポローンは他の誰よりもまずデーロス島に栄誉を与えることをステュクスに誓った。しかしレートーはその日から9日間[[産褥]]に苦しんだため、レートーのもとに集まった女神たちはイーリスを天に遣わして出産の女神[[エイレイテュイア]]を連れて来させようとした。エイレイテュイアは彼女をレートーのもとに行かせまいとする母ヘーラーのもとで何も知らずにいたが、イーリスは女神たちに言い含められたように彼女をヘーラーのいないところに呼び出して説得し、デーロス島に連れて行った。するとレートーはすぐさまアポローンを出産したという<ref>『ホメーロス風讃歌』第3歌「アポローン讃歌」83行-113行。</ref>。[[オウィディウス]]の『[[変身物語]]』によると、ヘーラーは、イーリスに命じて冥府にある[[ヒュプノス]]の館に行って、ヒュプノスの息子[[モルペウス]]を遣わして[[ケーユクス]]の死んだことを[[アルキュオネー]]の夢枕に立って伝えた<ref>『変身物語』11巻585行。</ref>。 == ギャラリー == <gallery widths="180px" heights="140px"> Antonio Palomino — Allegory of air.jpg|{{small|[[アントニオ・パロミーノ]]『空気の寓意:ヘーラーとイーリス』(1700年) [[プラド美術館]]所蔵}} Iris Carrying the Water of the River Styx to Olympus for the Gods to Swear By, Guy Head, c. 1793 - Nelson-Atkins Museum of Art - DSC08946.JPG|{{small|ガイ・ヘッド『ステュクス河の水を運ぶイーリス』(1793年) [[ネルソン・アトキンス美術館]]所蔵}} François Lemoyne - Junon, Iris et Flore.jpg|{{small|[[フランソワ・ルモワーヌ]]『フローラ、ヘーラー、イーリス』(1720年) [[ルーヴル美術館]]所蔵}} René-Antoine Houasse - Morpheus Awakening as Iris Draws Near, 1690.jpg|{{small|[[ルネ=アントワーヌ・ウアス]]『イーリスに起されるモルペウス』(1690年) [[ベルサイユ宮殿]]所蔵}} Michel Corneille the Younger - Iris and Jupiter.jpg|{{small|[[ミシェル・コルネイユ (子)|ミシェル・コルネイユ(息子)]]『イーリスとゼウス』(1701年) ベルサイユ宮殿所蔵}} Venus supported by Iris, complaining to Mars 1820.jpg|{{small|{{仮リンク|ジョージ・ヘイター|en|George Hayter}}『イーリスの助けを借りたヴィーナスが恋人マールスに苦情を言う』(1820年) [[チャッツワース・ハウス]]所蔵}} </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 参考文献 == * [[アポロドーロス]]『ギリシア神話』[[高津春繁]]訳、[[岩波文庫]](1953年) * [[ヘシオドス]]『[[神統記]]』[[廣川洋一]]訳、岩波文庫(1984年) * 『ヘシオドス 全作品』[[中務哲郎]]訳、[[京都大学学術出版会]](2013年) * [[ホメロス]]『[[イリアス]](上・下)』[[松平千秋]]訳、[[岩波文庫]](1992年) * [[ホメーロス]]『ホメーロスの諸神讃歌』[[沓掛良彦]]訳、[[ちくま学芸文庫]](2004年) * [[オウィディウス]]『[[変身物語]](上・下)』[[中村善也]]訳、岩波文庫(1981年・1984年) * [[高津春繁]]『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) == 関連項目 == {{Commonscat|Iris (mythology)}} * [[イリス (小惑星)]] - イーリスにその名を由来する小惑星帯にある小惑星。 * [[イリジウム]] - イーリスにその名を由来する[[元素]]。 * [[ビフレスト]] {{ギリシア神話}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いりす}} [[Category:ギリシア神話の神]] [[Category:伝令神]] [[Category:女神]] [[Category:虹]] [[Category:ヘーラー]]
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Microsoft Word
Microsoft Word(マイクロソフト・ワード)は、マイクロソフトがWindows、Android、macOSおよびiOS向けに販売している文書作成ソフトウェア。 Microsoft Excelとともに、同社のオフィススイート、Microsoft Officeの中核をなすアプリケーションである。一般的にはワード(WordまたはMS-Wordとも)と呼ばれることが多いが、「ワード」と名称が付く商品名や商標名は他にもある。 ゼロックスのパロアルト研究所で開発された世界初のGUI式ワードプロセッサであるBravo(英語版)を開発したチャールズ・シモニーが1981年にマイクロソフトへ入社し、Multi-Tool Wordとしてワープロの開発を開始した。ゼロックスでインターンとして働き、後にワード開発の主要メンバーとなったリチャード・ブロディを間もなく採用した。ブロディは後にマイクロソフトを退社して著述業へ転身した。 マイクロソフトは1983年にXenix用とMS-DOS用のMulti-Tool Wordを発表した。この名前はすぐにシンプルなMicrosoft Wordへ改名された.。PC World(英語版)の1983年11月号に無料体験版の付録がつき、世界で初めてフロッピーディスクを付録に付けた雑誌となった。マイクロソフトはWindows上で動作するWordのデモもこの年に披露した。 当時のほとんどのMS-DOS用アプリケーションと異なり、Microsoft Wordはマウスで操作することを前提に設計された。同社の製品として初めてグラフィカルユーザインタフェースを採用し、マイクロソフトマウスも同時発売された。初期のWindowsは、この初代Wordで採用されていたインターフェイスを採用しており、このWordを開発する際に構築された開発ライブラリ名がWindowsと呼ばれていた。広告にはマイクロソフト・マウスの写真が使われ、WYSIWYGのマルチウィンドウで動作するワードプロセッサーと宣伝され、アンドゥ機能があり、ボールド、イタリック、アンダーラインを表示することができたが、フォントを変更することはできなかった。当時主流であったWordStarと操作方法が大きくかけ離れていたこともあり当初は売れなかった。マイクロソフトは辛抱強くバージョンアップを重ね、5年間にバージョン2.0から5.0までリリースを続けた。1985年にマイクロソフトはWordをMacへ移植した。高い画面解像度と、当時これから市場に出ようとしていたレーザープリンターのサポートによりDOS版よりも使い勝手が向上した。先行していたLisaWriteやMacWriteに習いMac版Wordは真のWYSIWYGをサポートしていた。MacWriteよりも優れているとして市場のニーズをつかんだ。Mac版はリリース後4年以上に渡ってMS-DOS版よりも売れた。 1987年に発売された次バージョンのMac版はDOS版とバージョンナンバーを合わせるためにWord 3.0と名付けられた。マイクロソフトが別のプラットフォームとバージョンナンバーを合わせたのはこれが初めてであった。Word 3.0は内部のコードが大幅に改善され、Rich Text Format (RTF)を始めて実装するなどの新機能が盛り込まれたが、バグが多かった。MacWrite Proが1990年代中頃に開発を中止すると、以降Mac版Wordにはライバルと言えるライバルがなくなった。1992年に発売されたWord 5.1はそのエレガントさと使いやすさにより非常に人気が高かった。史上最も使いやすいMac版Wordと称賛された。 1986年にマイクロソフトはWordをAtari STへ移植し、Microsoft Writeの名前で発売することでアタリと合意した。Atari ST版はMac版Word 1.05からの移植で、バージョンアップ版が販売されることはなかった。 1989年にWindows版Wordのファーストバージョンが発売された。翌年にWindows 3.0が発売されると売れ行きが伸び始め、マイクロソフトはIBM PC互換機のワープロ市場でトップシェアに躍り出た。マイクロソフトはWindows版があまりによく売れたことから1991年に発売したDOS版のバージョン5.5をWindows風のユーザーインターフェイスに改めた。DOS版の古いWordには2000年問題があったため、マイクロソフトはDOS版5.5のダウンロード版を無料公開した。このダウンロード版は2019年10月現在もまだマイクロソフトのウェブサイトからダウンロードできる。 マイクロソフトは1991年にMicrosoft Wordを一から書き直すプロジェクト(コードネーム・ピラミッド)を立ち上げた。これによりMac版とWindows版のソースコードが共通化される予定であった。しかしながら再開発には多くの時間がかかるほか、今後どんどん追加される機能も追わなければならず、このプロジェクトは結局中止になった。その代わりWindows版とMac版のバージョン6.0はWindows版の2.0をベースとする形でコードの共有化が図られることになった。 マイクロソフトは1993年にWord 6.0を発売するときに再び各プラットフォームのバージョンナンバーを合わせ、DOS版、Mac版、Windows版がその対象となった。このDOS版6.0はDOS版の最終バージョンとなった。このバージョンではタイプミスを自動的に修復するAutoCorrect機能と、ドキュメントのフォーマットを一度に直せるAutoFormat機能が追加された。Windows版は米国のコンピューター誌(InfoWorldなど)で高い評価を得たが、Mac版は遅く不安定でありメモリ消費量が多いと言われ、Word 5.1と操作性が大きく変わってしまったと批判され、評判が悪かった。ユーザーからの要望を受け、マイクロソフトは既にサポートを終了したことになっていたWord 5のバージョンアップ版をリリースした。これ以降マイクロソフトはWindows版との完全なコード共有をあきらめ、Windowsからのコード移植とMacネイティブのコードを混ぜて実装するようになった。 Windows版は基本的なデスクトップパブリッシングの機能を備えており、市場で最も広く使われているワードプロセッサーである。ほとんどのユーザーはWordを所有しているか、Word形式に対応したワープロソフトを所有しており、またビューワーアプリもあるため、Wordのファイルは電子メールで共有するファイル形式として広く普及している。マイクロソフトはWindows 95の発売と同時期に、Word初の32ビット版であるWord 6をWindows NT用としてOfficeと共に発売した。これはWord 6.0をそのまま移植したものであった。Word 95からはバージョンナンバーではなく年号を加えるようになった Mac版は1984年1月24日に発表され、1年後の1985年1月18日に発売された。DOS版、Mac版、Windows版は大きく異なっていた。Mac版だけがWYSIWYGでGUIを活用し、他機種より大きく進んでいた。当時の各機種のWordは後にバージョン1.0と付け直された。Mac版のバージョン2は存在せず、1987年1月31日にバージョン3がリリースされた。1990年11月6日にバージョン4.0がリリースされ、Excelとの自動リンク機能が追加されたほか、図形の回り込みや印刷レイアウトモード中の編集が可能になった。 1992年に発売されたMac版Word 5.1は68000用で、Macintosh専用に開発されたバージョンとしてはこれが最後とされた。次のWord 6はWindows版からの移植で評判が悪かった。クラシックMacOSではWord 5.1が最終版まで安定して動作した。文章の自動生成機能や番号の再割り当て機能があったことや、旧形式のファイル形式と互換性があるなどの理由により、多くの人がWord 5.1をエミュレーター上の旧Macで使用した。 マイクロソフトは1997年にMac OS対応アプリの開発を専門に行う独立した部署Macintosh Business Unitを設立。最初にリリースしたWord 98はOffice 98マック版と共に発売された。Windows版のWord 97とファイルに互換性があり、破線で示されるスペルチェック機能や文法チェック機能もWord 97ど同様に追加された。メニューやキーボードショートカットをWindows版Word 97形式とMac版Word 5形式から選べた。 2000年に発売されたWord 2001はclassic Mac OSで動作する最後のバージョンで、Mac OS X上ではClassic環境のみで動作した。2001年にリリースされたWord XはMac OS Xにネイティブで対応しており、Mac OS Xが必須になった。2008年1月15日に発売されたWord 2008はWindowsで先行採用されていたリボン式のインターフェイスを採用し、新しいOffice Open XMLフォーマットにネイティブに対応した。このバージョンはインテル版Macでネイティブに動作する最初のバージョンとなった。 日本市場においてワープロソフトと言えば、MS-DOS時代からジャストシステムの一太郎が絶対的なシェアを持っており、英語文化圏で開発されたWordは文字数指定や縦書きといった日本語特有の文化に対応した機能を持っておらず、かつ、Microsoft製のWindows用の日本語入力ソフトであるMicrosoft IMEは未熟であったため、Wordは苦戦を強いられていた。また、英語文化圏でもコーレル(当時はノベル社)のWordPerfectがシェアを50%以上とっており、現在にあるその地位にはいなかった。ただ、Mac版は日本語化が遅れたため日本国内ではエルゴソフトのEGWORDに押されていたものの、英語文化圏においてクラリス社のMacWriteやNisus社のNisus Writerと並ぶ人気ワープロソフトであった。 その後、競合製品の機能を積極的に取り込んだほか、スタイルシートなどのオリジナルの機能も追加して高機能化を推し進めた(このWordオリジナルの機能は逆に競合製品に取り込まれている)。また、日本語独自機能はマイクロソフト(日本法人)が主体として開発するようになり、日本語処理を強化していった。 競合他社への情報提供の時間差を利用して自社製OSであるWindows 95の発売と同時に対応バージョンのWord 95を発売し、Excelの人気をテコにバンドルしたセットでPCメーカーにプリインストール販売戦略を推進することでシェアを高めていった。その結果、ライバルのWordPerfectのシェアが当時50%あったものが、コーレル売却時には10%になったため、当時のWordPerfectの開発元であったノベル社はMicrosoftを独占禁止法違反でユタ州連邦地方裁判所に提訴している。ノベル社の主張は、同社が「WordPerfect」と「Quattro Pro」を所有していた期間にMicrosoft社がオフィス向けアプリケーション市場の競争を排除する行為によってノベル社に損害を与えたというものである。現在、シェアはWordが圧倒的に優勢となっている。 また、日本国内においても、Microsoft Officeのバンドル・プリインストールの際はWordとExcelをセットで販売する方針を強化し、一太郎とExcelといった組み合わせを認めない、と行った手法が横行した。これには1998年11月に公正取引委員会より抱き合わせ販売にあたるとして排除措置命令が出された。98年当時にはすでに「Word 97」の日本語版としての「Word 98」が発売されるほどにまで製品基盤が強化されており、この戦略が定着したものとなっていた。この時、この戦略をなぞる形で「Personal business Edition」が発売されている。 Windows用ではWord95、97、98、2000、2002、2003、2007、2010、2013、2016を経て、2019年現在「Word 2019」が最新版である。なお、Word 98は当時評判の悪かった日本語処理の向上、およびライバル製品(一太郎)の存在する日本市場上の戦略により投入された、欧米では発売されていない独自のバージョンである。またWord 98は大韓民国においても朝鮮語版が発売されている(発売の背景は不明)。 MicrosoftがDOS版、Macintosh版、Windows版のバージョンが異なっていた物を統一する事にした際、ローカライズの時間差からWord for WindowsのVer. 2.0の日本語版がVer. 5.0として登場したため、Ver. 1.2AからVer. 5.0へのジャンプとなった(英語版はVer. 2.0からVer. 6.0とジャンプした)。 2009年8月、米国のテキサス州東部地区連邦地方裁判所がカナダの企業i4iによる特許侵害の訴えを認め、米国内でのMicrosoft Wordの販売・輸入を禁止する判決を下した。侵害が認められたのはXMLを用いたテキストの整形に関する特許。 基本的に上位互換で、新しいバージョンでは古いバージョンで作成したファイルを開くことができる。新しいバージョンで作成したファイルを古いバージョンで開いた場合、新しい機能を使って作成された部分は編集できないなどの制限があるほか、見た目も違う場合がある。単純なテキストの場合は、ほとんどの場合は問題ない。同じ内部バージョンでも、OSが違うとフォーマットが崩れる場合がある(例:内部バージョンが同じ12の、Word 2007で作成したファイルをWord 2008で開いた場合など)。印刷した際のフォーマットが重要な場合は、PDFなどで出力する必要がある。 Word 2007から標準でPDF形式のファイルを書き出せるようになった。ただし、機能はAdobe Acrobatなどと比較して限定されたもので、複雑な図形などを使うと出力がおかしくなる。なお、macOSはもともとOS自体がPDF作成機能を持っている。 Microsoft WordがDOS版の頃から使っている拡張子「.doc」は、古くから別のフォーマットのファイルにも使われていた。ソフトウェアを配布する場合、その説明書を「readme.doc」等のファイル名でプレーンテキストで付属させるケースが多かった。また、WordPerfectの文書も同じ拡張子を用いていた。 Windows 95が発売され、インターネットが爆発的に普及する時期になると、Windows 95に付属する簡易ワープロソフトとOffice 95のMicrosoft Wordが拡張子.docを使う事が問題視されるようになった。「拡張子が.docでもWordの文書でなければ従来のテキストファイルビューアで開き、Wordの文書であればWordで開く」という風変わりな拡張子判定プログラムが出回った程である。この時期からテキストファイルでは「.doc」を避けて「.txt」のみを用いるようになった。 Word 2007以降の文書ファイルの標準フォーマットにはOffice Open XMLが採用され、その拡張子は「.docx」である。ただし、互換性維持の観点から、Word 2007以降でも従来のWord 2003までの「.doc」フォーマットのファイル読み書きもできるようになっている。一方、「.docx」形式で作成された文書ファイルを、旧バージョンのWord 2003等で開くことはできないため、互換パックをMicrosoftのサイトからダウンロードする必要がある。 日本そして各国ではシェアこそ高い地位を誇っているが、日本と欧米での書類作成文化の違いから、Wordの操作性・使い勝手に不満を持つ者も少なくはない。主に以下の点が批判されている。 これらが原因で文筆業者や脚本家はWordを敬遠し、一太郎など他のワープロソフトを使用したり、テキストエディタとページレイアウトソフトを併用したりしている場合がある。 また、Wordの代わりに表計算ソフトのExcelを、複雑な罫線を多用する文書の作成に利用したり、プレゼンテーションソフトのPowerPointを、図表が多い文書やリーフレット・パンフレットの作成に利用したりする者もいる(実際にアスキー・ドットPCの2007年8月号では、その特集が組まれている)。 なお、Wordは元々が英文用の文書作成機能に特化した製品であり、その目的から外れる機能については競合製品に劣る点が多いが、Microsoft OfficeにはExcel(表・グラフ)、Visio(ベクターグラフィックス)、PowerPoint(プレゼンテーション)、Publisher(ページレイアウト)といった、Wordでは不足する機能を補完するツールがそろっており、またOLEを利用した相互連携機能も用意されているため、これらを併用したほうが効率的に仕事ができる場合が多い。 その一方で、オートコレクト機能を利用して一般的な定型文書制作時に行われる挨拶文や起承転結部分のテンプレートを呼び出して入力を簡略化するツール等も追加されている。 Word 2003以前の数式エディタは、他のOfficeアプリケーションと同様にMicrosoft数式エディタ (Microsoft Equation Editor; MEE) を使用する。これはデザインサイエンス社のMathTypeの機能限定版であり、色付けや数式番号機能が使えない。 Word 2007では、マイクロソフト製の新しい数式エディタおよび独自のマークアップ言語 (Office Math Markup Language; OMML) が導入された。これはTeXのような打ち込みで記述が可能で、高度な数式が簡単に記述できるようになったが、日本語版では入力した英字が既定では斜体にならないというバグがある。これは2008年5月現在修正されていない。この新しい数式エディタはWord 2007でのみ使用可能で、PowerPoint/Excel 2007では使えない(画像ファイルになる)。PowerPoint/Excel 2010以降ではWord同等の機能が利用できるようになっている。 Word 2007以降では従来のMEE 3.0のデータを編集することも可能であったが、セキュリティ上の理由から2018年1月に機能削除された。MEE 3.0のデータを表示する機能は依然としてサポートされるが、編集機能削除に伴いMEE 3.0表示用のフォントが削除され、過去に作成したMEE 3.0の数式が表示ができない問題に対して、マイクロソフトは2018年4月に「MT Extra」フォントを無償公開し対応した。 他のマイクロソフト社製品と同様、リリースから5年間のメインストリームサポートと、その次の5年間の延長サポートが提供される。基本的にサポートの終了した製品には、セキュリティホールが見つかっても修正プログラムは提供されない。 この他にmacOS、MS-DOS、OS/2、UNIXに対応したバージョンが存在する(日本語版が未発売のバージョンを含む)。 Windows版のみであるが閲覧用の単独アプリケーションとしてWord Viewerがマイクロソフトから無償で提供されていた。Microsoft Wordで作成された文書の表示・印刷などに限られる。2017年11月に更新およびダウンロード提供が終了し、Office MobileやOffice Onlineなどへの移行が案内されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Microsoft Word(マイクロソフト・ワード)は、マイクロソフトがWindows、Android、macOSおよびiOS向けに販売している文書作成ソフトウェア。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Microsoft Excelとともに、同社のオフィススイート、Microsoft Officeの中核をなすアプリケーションである。一般的にはワード(WordまたはMS-Wordとも)と呼ばれることが多いが、「ワード」と名称が付く商品名や商標名は他にもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ゼロックスのパロアルト研究所で開発された世界初のGUI式ワードプロセッサであるBravo(英語版)を開発したチャールズ・シモニーが1981年にマイクロソフトへ入社し、Multi-Tool Wordとしてワープロの開発を開始した。ゼロックスでインターンとして働き、後にワード開発の主要メンバーとなったリチャード・ブロディを間もなく採用した。ブロディは後にマイクロソフトを退社して著述業へ転身した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは1983年にXenix用とMS-DOS用のMulti-Tool Wordを発表した。この名前はすぐにシンプルなMicrosoft Wordへ改名された.。PC World(英語版)の1983年11月号に無料体験版の付録がつき、世界で初めてフロッピーディスクを付録に付けた雑誌となった。マイクロソフトはWindows上で動作するWordのデモもこの年に披露した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "当時のほとんどのMS-DOS用アプリケーションと異なり、Microsoft Wordはマウスで操作することを前提に設計された。同社の製品として初めてグラフィカルユーザインタフェースを採用し、マイクロソフトマウスも同時発売された。初期のWindowsは、この初代Wordで採用されていたインターフェイスを採用しており、このWordを開発する際に構築された開発ライブラリ名がWindowsと呼ばれていた。広告にはマイクロソフト・マウスの写真が使われ、WYSIWYGのマルチウィンドウで動作するワードプロセッサーと宣伝され、アンドゥ機能があり、ボールド、イタリック、アンダーラインを表示することができたが、フォントを変更することはできなかった。当時主流であったWordStarと操作方法が大きくかけ離れていたこともあり当初は売れなかった。マイクロソフトは辛抱強くバージョンアップを重ね、5年間にバージョン2.0から5.0までリリースを続けた。1985年にマイクロソフトはWordをMacへ移植した。高い画面解像度と、当時これから市場に出ようとしていたレーザープリンターのサポートによりDOS版よりも使い勝手が向上した。先行していたLisaWriteやMacWriteに習いMac版Wordは真のWYSIWYGをサポートしていた。MacWriteよりも優れているとして市場のニーズをつかんだ。Mac版はリリース後4年以上に渡ってMS-DOS版よりも売れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1987年に発売された次バージョンのMac版はDOS版とバージョンナンバーを合わせるためにWord 3.0と名付けられた。マイクロソフトが別のプラットフォームとバージョンナンバーを合わせたのはこれが初めてであった。Word 3.0は内部のコードが大幅に改善され、Rich Text Format (RTF)を始めて実装するなどの新機能が盛り込まれたが、バグが多かった。MacWrite Proが1990年代中頃に開発を中止すると、以降Mac版Wordにはライバルと言えるライバルがなくなった。1992年に発売されたWord 5.1はそのエレガントさと使いやすさにより非常に人気が高かった。史上最も使いやすいMac版Wordと称賛された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1986年にマイクロソフトはWordをAtari STへ移植し、Microsoft Writeの名前で発売することでアタリと合意した。Atari ST版はMac版Word 1.05からの移植で、バージョンアップ版が販売されることはなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1989年にWindows版Wordのファーストバージョンが発売された。翌年にWindows 3.0が発売されると売れ行きが伸び始め、マイクロソフトはIBM PC互換機のワープロ市場でトップシェアに躍り出た。マイクロソフトはWindows版があまりによく売れたことから1991年に発売したDOS版のバージョン5.5をWindows風のユーザーインターフェイスに改めた。DOS版の古いWordには2000年問題があったため、マイクロソフトはDOS版5.5のダウンロード版を無料公開した。このダウンロード版は2019年10月現在もまだマイクロソフトのウェブサイトからダウンロードできる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは1991年にMicrosoft Wordを一から書き直すプロジェクト(コードネーム・ピラミッド)を立ち上げた。これによりMac版とWindows版のソースコードが共通化される予定であった。しかしながら再開発には多くの時間がかかるほか、今後どんどん追加される機能も追わなければならず、このプロジェクトは結局中止になった。その代わりWindows版とMac版のバージョン6.0はWindows版の2.0をベースとする形でコードの共有化が図られることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは1993年にWord 6.0を発売するときに再び各プラットフォームのバージョンナンバーを合わせ、DOS版、Mac版、Windows版がその対象となった。このDOS版6.0はDOS版の最終バージョンとなった。このバージョンではタイプミスを自動的に修復するAutoCorrect機能と、ドキュメントのフォーマットを一度に直せるAutoFormat機能が追加された。Windows版は米国のコンピューター誌(InfoWorldなど)で高い評価を得たが、Mac版は遅く不安定でありメモリ消費量が多いと言われ、Word 5.1と操作性が大きく変わってしまったと批判され、評判が悪かった。ユーザーからの要望を受け、マイクロソフトは既にサポートを終了したことになっていたWord 5のバージョンアップ版をリリースした。これ以降マイクロソフトはWindows版との完全なコード共有をあきらめ、Windowsからのコード移植とMacネイティブのコードを混ぜて実装するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "Windows版は基本的なデスクトップパブリッシングの機能を備えており、市場で最も広く使われているワードプロセッサーである。ほとんどのユーザーはWordを所有しているか、Word形式に対応したワープロソフトを所有しており、またビューワーアプリもあるため、Wordのファイルは電子メールで共有するファイル形式として広く普及している。マイクロソフトはWindows 95の発売と同時期に、Word初の32ビット版であるWord 6をWindows NT用としてOfficeと共に発売した。これはWord 6.0をそのまま移植したものであった。Word 95からはバージョンナンバーではなく年号を加えるようになった", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Mac版は1984年1月24日に発表され、1年後の1985年1月18日に発売された。DOS版、Mac版、Windows版は大きく異なっていた。Mac版だけがWYSIWYGでGUIを活用し、他機種より大きく進んでいた。当時の各機種のWordは後にバージョン1.0と付け直された。Mac版のバージョン2は存在せず、1987年1月31日にバージョン3がリリースされた。1990年11月6日にバージョン4.0がリリースされ、Excelとの自動リンク機能が追加されたほか、図形の回り込みや印刷レイアウトモード中の編集が可能になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1992年に発売されたMac版Word 5.1は68000用で、Macintosh専用に開発されたバージョンとしてはこれが最後とされた。次のWord 6はWindows版からの移植で評判が悪かった。クラシックMacOSではWord 5.1が最終版まで安定して動作した。文章の自動生成機能や番号の再割り当て機能があったことや、旧形式のファイル形式と互換性があるなどの理由により、多くの人がWord 5.1をエミュレーター上の旧Macで使用した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは1997年にMac OS対応アプリの開発を専門に行う独立した部署Macintosh Business Unitを設立。最初にリリースしたWord 98はOffice 98マック版と共に発売された。Windows版のWord 97とファイルに互換性があり、破線で示されるスペルチェック機能や文法チェック機能もWord 97ど同様に追加された。メニューやキーボードショートカットをWindows版Word 97形式とMac版Word 5形式から選べた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2000年に発売されたWord 2001はclassic Mac OSで動作する最後のバージョンで、Mac OS X上ではClassic環境のみで動作した。2001年にリリースされたWord XはMac OS Xにネイティブで対応しており、Mac OS Xが必須になった。2008年1月15日に発売されたWord 2008はWindowsで先行採用されていたリボン式のインターフェイスを採用し、新しいOffice Open XMLフォーマットにネイティブに対応した。このバージョンはインテル版Macでネイティブに動作する最初のバージョンとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "日本市場においてワープロソフトと言えば、MS-DOS時代からジャストシステムの一太郎が絶対的なシェアを持っており、英語文化圏で開発されたWordは文字数指定や縦書きといった日本語特有の文化に対応した機能を持っておらず、かつ、Microsoft製のWindows用の日本語入力ソフトであるMicrosoft IMEは未熟であったため、Wordは苦戦を強いられていた。また、英語文化圏でもコーレル(当時はノベル社)のWordPerfectがシェアを50%以上とっており、現在にあるその地位にはいなかった。ただ、Mac版は日本語化が遅れたため日本国内ではエルゴソフトのEGWORDに押されていたものの、英語文化圏においてクラリス社のMacWriteやNisus社のNisus Writerと並ぶ人気ワープロソフトであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "その後、競合製品の機能を積極的に取り込んだほか、スタイルシートなどのオリジナルの機能も追加して高機能化を推し進めた(このWordオリジナルの機能は逆に競合製品に取り込まれている)。また、日本語独自機能はマイクロソフト(日本法人)が主体として開発するようになり、日本語処理を強化していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "競合他社への情報提供の時間差を利用して自社製OSであるWindows 95の発売と同時に対応バージョンのWord 95を発売し、Excelの人気をテコにバンドルしたセットでPCメーカーにプリインストール販売戦略を推進することでシェアを高めていった。その結果、ライバルのWordPerfectのシェアが当時50%あったものが、コーレル売却時には10%になったため、当時のWordPerfectの開発元であったノベル社はMicrosoftを独占禁止法違反でユタ州連邦地方裁判所に提訴している。ノベル社の主張は、同社が「WordPerfect」と「Quattro Pro」を所有していた期間にMicrosoft社がオフィス向けアプリケーション市場の競争を排除する行為によってノベル社に損害を与えたというものである。現在、シェアはWordが圧倒的に優勢となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、日本国内においても、Microsoft Officeのバンドル・プリインストールの際はWordとExcelをセットで販売する方針を強化し、一太郎とExcelといった組み合わせを認めない、と行った手法が横行した。これには1998年11月に公正取引委員会より抱き合わせ販売にあたるとして排除措置命令が出された。98年当時にはすでに「Word 97」の日本語版としての「Word 98」が発売されるほどにまで製品基盤が強化されており、この戦略が定着したものとなっていた。この時、この戦略をなぞる形で「Personal business Edition」が発売されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "Windows用ではWord95、97、98、2000、2002、2003、2007、2010、2013、2016を経て、2019年現在「Word 2019」が最新版である。なお、Word 98は当時評判の悪かった日本語処理の向上、およびライバル製品(一太郎)の存在する日本市場上の戦略により投入された、欧米では発売されていない独自のバージョンである。またWord 98は大韓民国においても朝鮮語版が発売されている(発売の背景は不明)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "MicrosoftがDOS版、Macintosh版、Windows版のバージョンが異なっていた物を統一する事にした際、ローカライズの時間差からWord for WindowsのVer. 2.0の日本語版がVer. 5.0として登場したため、Ver. 1.2AからVer. 5.0へのジャンプとなった(英語版はVer. 2.0からVer. 6.0とジャンプした)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2009年8月、米国のテキサス州東部地区連邦地方裁判所がカナダの企業i4iによる特許侵害の訴えを認め、米国内でのMicrosoft Wordの販売・輸入を禁止する判決を下した。侵害が認められたのはXMLを用いたテキストの整形に関する特許。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "基本的に上位互換で、新しいバージョンでは古いバージョンで作成したファイルを開くことができる。新しいバージョンで作成したファイルを古いバージョンで開いた場合、新しい機能を使って作成された部分は編集できないなどの制限があるほか、見た目も違う場合がある。単純なテキストの場合は、ほとんどの場合は問題ない。同じ内部バージョンでも、OSが違うとフォーマットが崩れる場合がある(例:内部バージョンが同じ12の、Word 2007で作成したファイルをWord 2008で開いた場合など)。印刷した際のフォーマットが重要な場合は、PDFなどで出力する必要がある。", "title": "互換性" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Word 2007から標準でPDF形式のファイルを書き出せるようになった。ただし、機能はAdobe Acrobatなどと比較して限定されたもので、複雑な図形などを使うと出力がおかしくなる。なお、macOSはもともとOS自体がPDF作成機能を持っている。", "title": "PDF出力" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "Microsoft WordがDOS版の頃から使っている拡張子「.doc」は、古くから別のフォーマットのファイルにも使われていた。ソフトウェアを配布する場合、その説明書を「readme.doc」等のファイル名でプレーンテキストで付属させるケースが多かった。また、WordPerfectの文書も同じ拡張子を用いていた。", "title": "拡張子 .doc" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Windows 95が発売され、インターネットが爆発的に普及する時期になると、Windows 95に付属する簡易ワープロソフトとOffice 95のMicrosoft Wordが拡張子.docを使う事が問題視されるようになった。「拡張子が.docでもWordの文書でなければ従来のテキストファイルビューアで開き、Wordの文書であればWordで開く」という風変わりな拡張子判定プログラムが出回った程である。この時期からテキストファイルでは「.doc」を避けて「.txt」のみを用いるようになった。", "title": "拡張子 .doc" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "Word 2007以降の文書ファイルの標準フォーマットにはOffice Open XMLが採用され、その拡張子は「.docx」である。ただし、互換性維持の観点から、Word 2007以降でも従来のWord 2003までの「.doc」フォーマットのファイル読み書きもできるようになっている。一方、「.docx」形式で作成された文書ファイルを、旧バージョンのWord 2003等で開くことはできないため、互換パックをMicrosoftのサイトからダウンロードする必要がある。", "title": "拡張子 .doc" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "日本そして各国ではシェアこそ高い地位を誇っているが、日本と欧米での書類作成文化の違いから、Wordの操作性・使い勝手に不満を持つ者も少なくはない。主に以下の点が批判されている。", "title": "日本語版の操作性に関する評価" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "これらが原因で文筆業者や脚本家はWordを敬遠し、一太郎など他のワープロソフトを使用したり、テキストエディタとページレイアウトソフトを併用したりしている場合がある。", "title": "日本語版の操作性に関する評価" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、Wordの代わりに表計算ソフトのExcelを、複雑な罫線を多用する文書の作成に利用したり、プレゼンテーションソフトのPowerPointを、図表が多い文書やリーフレット・パンフレットの作成に利用したりする者もいる(実際にアスキー・ドットPCの2007年8月号では、その特集が組まれている)。", "title": "日本語版の操作性に関する評価" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "なお、Wordは元々が英文用の文書作成機能に特化した製品であり、その目的から外れる機能については競合製品に劣る点が多いが、Microsoft OfficeにはExcel(表・グラフ)、Visio(ベクターグラフィックス)、PowerPoint(プレゼンテーション)、Publisher(ページレイアウト)といった、Wordでは不足する機能を補完するツールがそろっており、またOLEを利用した相互連携機能も用意されているため、これらを併用したほうが効率的に仕事ができる場合が多い。", "title": "日本語版の操作性に関する評価" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "その一方で、オートコレクト機能を利用して一般的な定型文書制作時に行われる挨拶文や起承転結部分のテンプレートを呼び出して入力を簡略化するツール等も追加されている。", "title": "日本語版の操作性に関する評価" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "Word 2003以前の数式エディタは、他のOfficeアプリケーションと同様にMicrosoft数式エディタ (Microsoft Equation Editor; MEE) を使用する。これはデザインサイエンス社のMathTypeの機能限定版であり、色付けや数式番号機能が使えない。", "title": "数式エディタ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "Word 2007では、マイクロソフト製の新しい数式エディタおよび独自のマークアップ言語 (Office Math Markup Language; OMML) が導入された。これはTeXのような打ち込みで記述が可能で、高度な数式が簡単に記述できるようになったが、日本語版では入力した英字が既定では斜体にならないというバグがある。これは2008年5月現在修正されていない。この新しい数式エディタはWord 2007でのみ使用可能で、PowerPoint/Excel 2007では使えない(画像ファイルになる)。PowerPoint/Excel 2010以降ではWord同等の機能が利用できるようになっている。", "title": "数式エディタ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "Word 2007以降では従来のMEE 3.0のデータを編集することも可能であったが、セキュリティ上の理由から2018年1月に機能削除された。MEE 3.0のデータを表示する機能は依然としてサポートされるが、編集機能削除に伴いMEE 3.0表示用のフォントが削除され、過去に作成したMEE 3.0の数式が表示ができない問題に対して、マイクロソフトは2018年4月に「MT Extra」フォントを無償公開し対応した。", "title": "数式エディタ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "他のマイクロソフト社製品と同様、リリースから5年間のメインストリームサポートと、その次の5年間の延長サポートが提供される。基本的にサポートの終了した製品には、セキュリティホールが見つかっても修正プログラムは提供されない。", "title": "バージョン履歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "この他にmacOS、MS-DOS、OS/2、UNIXに対応したバージョンが存在する(日本語版が未発売のバージョンを含む)。", "title": "バージョン履歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "Windows版のみであるが閲覧用の単独アプリケーションとしてWord Viewerがマイクロソフトから無償で提供されていた。Microsoft Wordで作成された文書の表示・印刷などに限られる。2017年11月に更新およびダウンロード提供が終了し、Office MobileやOffice Onlineなどへの移行が案内されている。", "title": "Word Viewerと後継" } ]
Microsoft Word(マイクロソフト・ワード)は、マイクロソフトがWindows、Android、macOSおよびiOS向けに販売している文書作成ソフトウェア。 Microsoft Excelとともに、同社のオフィススイート、Microsoft Officeの中核をなすアプリケーションである。一般的にはワード(WordまたはMS-Wordとも)と呼ばれることが多いが、「ワード」と名称が付く商品名や商標名は他にもある。
{{Redirect|Word|その他|ワード (曖昧さ回避)}} {{Infobox Software | logo = Microsoft Office Word (2019–present).svg | 名称 = Microsoft Word | 開発元 = [[マイクロソフト]] | 初版 = {{Flagicon|USA}}{{Start date and age|1983|10|25}}<ref>{{Cite web|url=http://royal.pingdom.com/2009/06/17/first-version-of-todays-most-popular-applications-a-visual-tour/|title=Version 1.0 of today's most popular applications, a visual tour - Pingdom Royal|work=[[Pingdom]]|date=2009-06-17|accessdate=2016-06-15}}</ref> (Multi-Tool Wordとして発売)<br />{{Flagicon|JPN}}{{Start date and age|1991|12|20}}<ref>「マイクロソフト、「ワード」発売を延期―来月に、年末商戦出遅れ」『日経産業新聞』1991年11月28日、6面。</ref> | 最新版 = Windows版 2019<br />macOS版 16.29<br />iOS版 2.29 | 最新版発表日 = 2019年9月 | 最新評価版 = | 対応OS = [[Microsoft Windows 10]]以降<br />[[macOS Sierra]]以降<br />[[iOS 11|iOS 11.0]]以降 | 種別 = [[ワードプロセッサ]] | ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | 公式サイト = [https://www.microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/word microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/word]<br />[https://apps.apple.com/jp/app/microsoft-word/id462054704?mt=12 Microsoft WordをMac App Storeで]<br /> [https://itunes.apple.com/jp/app/microsoft-word/id586447913?mt=8 Microsoft WordをApp Storeで] }} '''Microsoft Word'''(マイクロソフト・ワード)は、[[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows|Windows]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]、[[macOS]]および[[iOS]]向けに販売している[[ワープロソフト|文書作成ソフトウェア]]。 [[Microsoft Excel]]とともに、同社の[[オフィススイート]]、[[Microsoft Office]]の中核をなす[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]である。一般的には'''ワード'''(''Word''または''MS-Word''とも)と呼ばれることが多いが、「ワード」と名称が付く商品名や商標名は他にもある。 == 歴史 == === 初期 === ゼロックスの[[パロアルト研究所]]で開発された世界初の[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]式[[ワードプロセッサ]]である''{{仮リンク|Bravo (software)|en|Bravo (software)|label=Bravo}}''を開発した[[チャールズ・シモニー]]が1981年にマイクロソフトへ入社し<ref>[https://www.theregister.co.uk/2017/04/18/microsoft_charles_simonyi_intentional_software/ Guess who's back at Microsoft? Excel, Word creator Charles Simonyi]</ref>、''Multi-Tool Word''としてワープロの開発を開始した。ゼロックスでインターンとして働き、後にワード開発の主要メンバーとなった[[リチャード・ブロディ]]を間もなく採用した<ref name="Brodie">リチャード・ブロディ、森 弘之訳『ミーム―心を操るウイルス』講談社、1998年</ref><ref name="dream">リチャード・ブロディ、大地舜訳『[[夢をかなえる一番よい方法]]』PHP研究所、2002年、{{ISBN2|4569612628}}、ISBN-13 978-4569612621</ref><ref name="pcworld_word25">{{Cite news | url=http://www.pcworld.com/article/152585/microsoft_word_turns_25.html | title= Microsoft Word Turns 25 | last=Edwards | first=Benj | work=PC World | date=October 22, 2008 | accessdate=November 7, 2010}}</ref><ref>{{Cite book | title=Microsoft First Generation | first=Cheryl | last=Tsang | year=1999 | publisher=John Wiley & Sons | isbn=978-0-471-33206-0 | url=https://archive.org/details/microsoftfirstge00cher }}</ref><ref>{{Cite web | url=http://blogs.msdn.com/rick_schaut/archive/2004/05/19/135315.aspx | title=Anatomy of a Software Bug | first=Rick | last=Schaut | date=May 19, 2004 | work=MSDN Blogs | accessdate=December 2, 2006 | archive-url=https://web.archive.org/web/20100201040227/http://blogs.msdn.com/rick_schaut/archive/2004/05/19/135315.aspx | archive-date=February 1, 2010 | url-status=dead | df=mdy-all }}</ref>。ブロディは後にマイクロソフトを退社して著述業へ転身した{{R|Brodie}}{{R|dream}}。 マイクロソフトは1983年に[[XENIX|Xenix]]用{{R|pcworld_word25}}とMS-DOS用のMulti-Tool Wordを発表した<ref name="infoworld_multi-tool_word">{{Cite news | url=https://books.google.com/books?id=4S8EAAAAMBAJ&pg=PA10 | title=Mouse and new WP program join Microsoft product lineup | last=Markoff | first=John | work=InfoWorld | date=May 30, 1983 | page=10 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>。この名前はすぐにシンプルな''Microsoft Word''へ改名された.<ref name="PCHistory">{{Cite book|first=Roy|last=A. Allen|title=A History of the Personal Computer: The People and the Technology|date=October 2001|publisher=Allan Publishing|edition=1st|isbn=978-0-9689108-0-1|url=https://archive.org/details/A_History_of_the_Personal_Computer|chapter=Chapter 12: Microsoft in the 1980's|chapterurl=https://archive.org/download/A_History_of_the_Personal_Computer/eBook12.pdf|pages=12/25–12/26|accessdate=November 7, 2010}}</ref>。''{{仮リンク|PC World|en|PC World|label=PC World}}''の1983年11月号に無料体験版の付録がつき、世界で初めてフロッピーディスクを付録に付けた[[雑誌]]となった{{R|PCHistory}}<ref name="NYTimes19930825">{{Cite news | url=https://www.nytimes.com/1983/08/25/business/technologyandrew-pollack-computerizing-magazines.html | title=Computerizing Magazines | work=The New York Times | date=August 25, 1983 | accessdate=April 24, 2013 | last=Pollack | first=Andrew}}</ref>。マイクロソフトはWindows上で動作するWordのデモもこの年に披露した<ref name="lemmons198312">{{Cite news | url=https://archive.org/stream/byte-magazine-1983-12/1983_12_BYTE_08-12_Easy_Software#page/n49/mode/2up | title=Microsoft Windows | work=BYTE | date=December 1983 | accessdate=October 20, 2013 | author=Lemmons, Phil | pages=48}}</ref>。 当時のほとんどのMS-DOS用アプリケーションと異なり、Microsoft Wordはマウスで操作することを前提に設計された{{R|infoworld_multi-tool_word}}。同社の製品として初めてグラフィカルユーザインタフェースを採用し、マイクロソフトマウスも同時発売された。初期のWindowsは、この初代Wordで採用されていたインターフェイスを採用しており、このWordを開発する際に構築された開発ライブラリ名がWindowsと呼ばれていた{{要出典|date=2019年10月}}。広告にはマイクロソフト・マウスの写真が使われ、[[WYSIWYG]]のマルチウィンドウで動作するワードプロセッサーと宣伝され、アンドゥ機能があり、ボールド、イタリック、アンダーラインを表示することができた<ref name="byte198312">{{Cite news | url=https://archive.org/stream/byte-magazine-1983-12/1983_12_BYTE_08-12_Easy_Software#page/n89/mode/2up | title=Undo. Windows. Mouse. Finally. | work=BYTE | date=December 1983 | accessdate=October 20, 2013 | author=Advertisement | pages=88–89}}</ref>が、フォントを変更することはできなかった{{R|PCHistory}}。当時主流であった[[WordStar]]と操作方法が大きくかけ離れていたこともあり当初は売れなかった<ref>{{Cite book|last=Peterson|first=W.E. Pete|title=Almost Perfect: How a Bunch of Regular Guys Built Wordperfect Corporation|year=1994|publisher=Prima Publishing|isbn=0-7881-9991-9|url=https://www.amazon.com/Almost-Perfect-Regular-Wordperfect-Corporation/dp/0788199919/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1320973142&sr=8-2}}</ref>。マイクロソフトは辛抱強くバージョンアップを重ね、5年間にバージョン2.0から5.0までリリースを続けた。1985年にマイクロソフトはWordを[[Classic Mac OS|Mac]]へ移植した。高い画面解像度と、当時これから市場に出ようとしていたレーザープリンターのサポートによりDOS版よりも使い勝手が向上した<ref name="lowendmac_history">{{Cite news | url=http://lowendmac.com/2013/microsoft-word-for-mac-faq/ | title= Microsoft Word for Mac History | last=Knight | first=Dan | work=Low End Mac | date=May 22, 2008 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>。先行していたLisaWriteやMacWriteに習いMac版Wordは真のWYSIWYGをサポートしていた。[[MacWrite]]よりも優れているとして市場のニーズをつかんだ<ref>{{Cite web|url=https://archive.org/stream/Whole_Earth_Software_Catalog_for_1986_1985_Point/Whole_Earth_Software_Catalog_for_1986_1985_Point_djvu.txt|title=Whole Earth Software Catalog| accessdate=November 7, 2010|quote=For a year, I waited for a heavier-duty word processor than MACWRITE. I finally got it— WORD.}}</ref>。Mac版はリリース後4年以上に渡ってMS-DOS版よりも売れた{{R|pcworld_word25}}。 1987年に発売された次バージョンのMac版はDOS版とバージョンナンバーを合わせるためにWord 3.0と名付けられた。マイクロソフトが別のプラットフォームとバージョンナンバーを合わせたのはこれが初めてであった。Word 3.0は内部のコードが大幅に改善され、[[Rich Text Format]] (RTF)を始めて実装するなどの新機能が盛り込まれたが、バグが多かった{{R|lowendmac_history}}。MacWrite Proが1990年代中頃に開発を中止すると、以降Mac版Wordにはライバルと言えるライバルがなくなった。1992年に発売されたWord 5.1はそのエレガントさと使いやすさにより非常に人気が高かった。史上最も使いやすいMac版Wordと称賛された{{R|lowendmac_history}}<ref name="msdn_macword6">{{Cite web | url=http://blogs.msdn.com/rick_schaut/archive/2004/02/26/80193.aspx | title=Mac Word 6.0 | work=Buggin' My Life Away | publisher=MSDN Blogs | last=Schaut | first=Rick | date=February 26, 2004 | accessdate=June 21, 2010 | archive-url=https://web.archive.org/web/20040514091238/http://blogs.msdn.com/rick_schaut/archive/2004/02/26/80193.aspx | archive-date=May 14, 2004 | url-status=dead | df=mdy-all }}</ref>。 1986年にマイクロソフトはWordを[[Atari ST]]へ移植し、Microsoft Writeの名前で発売することで[[アタリ (企業)|アタリ]]と合意した<ref name="Microsoft Write for Atari ST">{{Cite web|url=http://www.atarimagazines.com/compute/issue77/News_Products.php?tag= |title=Atari announces agreement with Microsoft |publisher=Atarimagazines.com |date=April 25, 2008 |accessdate=June 21, 2010}}</ref>。Atari ST版はMac版Word 1.05からの移植で<ref name="Microsoft Write for Atari ST review">{{Cite web|url=http://www.atarimagazines.com/startv3n1/microsoftwrite.html?tag= |title=Feature Review: Microsoft Write |publisher=Atarimagazines.com |date=April 25, 2008 |accessdate=June 21, 2010}}</ref><ref name="Microsoft Word for Atari ST">{{Cite web|url=http://www.atarimagazines.com/v5n11/ataricorp.html?tag= |title=Today's Atari Corp.: A close up look inside |publisher=Atarimagazines.com |date=April 25, 2008 |accessdate=June 21, 2010}}</ref>、バージョンアップ版が販売されることはなかった。 1989年にWindows版Wordのファーストバージョンが発売された。翌年にWindows 3.0が発売されると売れ行きが伸び始め、マイクロソフトはIBM PC互換機のワープロ市場でトップシェアに躍り出た{{R|pcworld_word25}}。マイクロソフトはWindows版があまりによく売れたことから1991年に発売したDOS版のバージョン5.5をWindows風のユーザーインターフェイスに改めた<ref>{{Cite news | url=https://books.google.com/books?id=tDwEAAAAMBAJ&pg=PA151 | title=First Look: Microsoft Updates Look of And Adds Pull-Down Menus to Character-Based Word 5.5 | last=Miller | first=Michael J. | work=InfoWorld | date=November 12, 1990 | page=151 | accessdate=November 7, 2010}}</ref><ref>{{Cite news | url=https://books.google.com/books?id=wFAEAAAAMBAJ&pg=PA108 | title=Microsoft Word 5.5: Should You Fight or Switch? | last=Needleman | first=Raphael | work=InfoWorld | date=November 19, 1990 | page=106 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>。DOS版の古いWordには[[2000年問題]]があったため、マイクロソフトはDOS版5.5のダウンロード版を無料公開した。このダウンロード版は2019年10月現在もまだマイクロソフトのウェブサイトからダウンロードできる<ref>{{Cite web | url=http://download.microsoft.com/download/word97win/Wd55_be/97/WIN98/EN-US/Wd55_ben.exe | title=Microsoft Word 5.5 for MS-DOS (EXE format) | work=Microsoft Download Center | accessdate=October 27, 2019}}</ref>。 マイクロソフトは1991年にMicrosoft Wordを一から書き直すプロジェクト(コードネーム・ピラミッド)を立ち上げた。これによりMac版とWindows版のソースコードが共通化される予定であった。しかしながら再開発には多くの時間がかかるほか、今後どんどん追加される機能も追わなければならず、このプロジェクトは結局中止になった。その代わりWindows版とMac版のバージョン6.0はWindows版の2.0をベースとする形でコードの共有化が図られることになった。{{R|msdn_macword6}} マイクロソフトは1993年にWord 6.0を発売するときに再び各プラットフォームのバージョンナンバーを合わせ、DOS版、Mac版、Windows版がその対象となった。このDOS版6.0はDOS版の最終バージョンとなった。このバージョンではタイプミスを自動的に修復するAutoCorrect機能と、ドキュメントのフォーマットを一度に直せるAutoFormat機能が追加された。Windows版は米国のコンピューター誌(''InfoWorld''など<ref name="infoworld_word6">{{Cite news | url=https://books.google.com/books?id=6DoEAAAAMBAJ&pg=PA66 | title=War of the Words | work=InfoWorld | date=February 7, 1994 | pages=66–79 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>)で高い評価を得たが、Mac版は遅く不安定でありメモリ消費量が多いと言われ、Word 5.1と操作性が大きく変わってしまったと批判され{{R|msdn_macword6}}、評判が悪かった。ユーザーからの要望を受け、マイクロソフトは既にサポートを終了したことになっていたWord 5のバージョンアップ版をリリースした<ref name="ugeek_97">{{Cite web | url=http://www.geek.com/hwswrev/off98mac.htm | title=UGeek Software Review: Microsoft Office 98 Gold for Macintosh | last=Lockman | first=James T.W. | date=May 15, 1998 | accessdate=November 7, 2010 | archive-url=https://web.archive.org/web/20101203220342/http://www.geek.com/hwswrev/off98mac.htm | archive-date=December 3, 2010 | url-status=dead | df=mdy-all }}</ref>。これ以降マイクロソフトはWindows版との完全なコード共有をあきらめ、Windowsからのコード移植とMacネイティブのコードを混ぜて実装するようになった。 === Windows版 === Windows版は基本的なデスクトップパブリッシングの機能を備えており、市場で最も広く使われているワードプロセッサーである。ほとんどのユーザーはWordを所有しているか、Word形式に対応したワープロソフトを所有しており、またビューワーアプリもあるため、Wordのファイルは電子メールで共有するファイル形式として広く普及している。マイクロソフトはWindows 95の発売と同時期に、Word初の32ビット版<ref>{{Cite web |url=http://www.danielsays.com/ss-gallery-winnt2k-ms-office-nt.html |title=Archived copy |access-date=May 15, 2015 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150127063342/http://www.danielsays.com/ss-gallery-winnt2k-ms-office-nt.html |archive-date=January 27, 2015 |url-status=dead |df=mdy-all }}</ref>であるWord 6をWindows NT用としてOfficeと共に発売した。これはWord 6.0をそのまま移植したものであった。Word 95からはバージョンナンバーではなく年号を加えるようになった<ref>{{Cite web | url=http://www.computerworld.com/s/article/9003994/Final_Review_The_Lowdown_on_Office_2007?taxonomyId=18&pageNumber=2 | title=Final Review: The Lowdown on Office 2007 | work=Computerworld | first= Richard | last=Ericson | date=October 11, 2006 | accessdate=November 8, 2010}}</ref> === Mac版 === Mac版は1984年1月24日に発表され、1年後の1985年1月18日に発売された。DOS版、Mac版、Windows版は大きく異なっていた。Mac版だけがWYSIWYGでGUIを活用し、他機種より大きく進んでいた。当時の各機種のWordは後にバージョン1.0と付け直された。Mac版のバージョン2は存在せず、1987年1月31日にバージョン3がリリースされた。1990年11月6日にバージョン4.0がリリースされ、Excelとの自動リンク機能が追加されたほか、図形の回り込みや印刷レイアウトモード中の編集が可能になった。 1992年に発売されたMac版Word 5.1は68000用で、Macintosh専用に開発されたバージョンとしてはこれが最後とされた。次のWord 6はWindows版からの移植で評判が悪かった。クラシックMacOSではWord 5.1が最終版まで安定して動作した。文章の自動生成機能や番号の再割り当て機能があったことや、旧形式のファイル形式と互換性があるなどの理由により、多くの人がWord 5.1をエミュレーター上の旧Macで使用した。 マイクロソフトは1997年に[[Mac OS 9|Mac OS]]対応アプリの開発を専門に行う独立した部署[[Apple Productivity Experience Group|Macintosh Business Unit]]を設立。最初にリリースしたWord 98はOffice 98マック版と共に発売された。Windows版のWord 97とファイルに互換性があり{{R|ugeek_97}}、破線で示されるスペルチェック機能や文法チェック機能もWord 97ど同様に追加された<ref name="appleinsider_history">{{Cite news | url=http://www.appleinsider.com/articles/07/11/12/road_to_mac_office_2008_an_introduction.html&page=3 | title=Road to Mac Office 2008: an introduction (Page 3) | last=McLean | first=Prince | work=AppleInsider | date=November 12, 2007 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>。メニューやキーボードショートカットをWindows版Word 97形式とMac版Word 5形式から選べた。 2000年に発売されたWord 2001は[[classic Mac OS]]で動作する最後のバージョンで、[[MacOS|Mac OS X]]上では[[Classic (ソフトウェア)|Classic環境]]のみで動作した。2001年にリリースされたWord XはMac OS Xにネイティブで対応しており、Mac OS Xが必須になった{{R|appleinsider_history}}。2008年1月15日に発売されたWord 2008はWindowsで先行採用されていたリボン式のインターフェイスを採用し、新しいOffice Open XMLフォーマットにネイティブに対応した。このバージョンはインテル版Macでネイティブに動作する最初のバージョンとなった<ref name="appleinsider_2008">{{Cite news | url=http://www.appleinsider.com/articles/07/11/12/road_to_mac_office_2008_an_introduction.html&page=4 | title=Road to Mac Office 2008: an introduction (Page 4) | last=McLean | first=Prince | work=AppleInsider | date=November 12, 2007 | accessdate=November 7, 2010}}</ref>。 === 日本語版 === 日本市場においてワープロソフトと言えば、[[MS-DOS]]時代から[[ジャストシステム]]の[[一太郎]]が絶対的なシェアを持っており、英語文化圏で開発されたWordは文字数指定や縦書きといった日本語特有の文化に対応した機能を持っておらず、かつ、Microsoft製のWindows用の[[IME|日本語入力ソフト]]である[[Microsoft IME]]は未熟であったため、Wordは苦戦を強いられていた。また、英語文化圏でも[[コーレル]](当時は[[ノベル]]社)の[[WordPerfect]]がシェアを50%以上とっており、現在にあるその地位にはいなかった。ただ、Mac版は日本語化が遅れたため日本国内では[[エルゴソフト]]の[[EGWORD]]に押されていたものの、英語文化圏において[[クラリス]]社の[[MacWrite]]や[[Nisus]]社の[[Nisus Writer]]と並ぶ人気ワープロソフトであった。 その後、競合製品の機能を積極的に取り込んだほか、[[スタイルシート]]などのオリジナルの機能も追加して高機能化を推し進めた(このWordオリジナルの機能は逆に競合製品に取り込まれている)。また、日本語独自機能はマイクロソフト(日本法人)が主体として開発するようになり、日本語処理を強化していった。 競合他社への情報提供の時間差を利用して自社製[[オペレーティングシステム|OS]]である[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]の発売と同時に対応バージョンのWord 95を発売し、Excelの人気をテコにバンドルしたセットでPCメーカーにプリインストール販売戦略を推進することでシェアを高めていった。その結果、ライバルのWordPerfectのシェアが当時50%あったものが、コーレル売却時には10%になったため、当時のWordPerfectの開発元であったノベル社はMicrosoftを独占禁止法違反でユタ州連邦地方裁判所に提訴している。ノベル社の主張は、同社が「WordPerfect」と「Quattro Pro」を所有していた期間にMicrosoft社がオフィス向けアプリケーション市場の競争を排除する行為によってノベル社に損害を与えたというものである。{{いつ範囲|date=2019年1月|現在}}、シェアはWordが圧倒的に優勢となっている。<!--出典:ただ、他のワープロソフトと比べて、高機能や使い勝手の良さを誇っていたわけではなく、バンドル戦略を強引に進めることがなければ現状の高いシェアを得ることはできなかったと考えられている。--> また、日本国内においても、[[Microsoft Office]]のバンドル・プリインストールの際は'''Word'''と[[Microsoft Excel|Excel]]をセットで販売する方針を強化し、[[一太郎]]と[[Microsoft Excel|Excel]]といった組み合わせを認めない、と行った手法が横行した。これには1998年11月に公正取引委員会より抱き合わせ販売にあたるとして排除措置命令が出された。98年当時にはすでに「Word 97」の日本語版としての「Word 98」が発売されるほどにまで製品基盤が強化されており、この戦略が定着したものとなっていた。この時、この戦略をなぞる形で「Personal business Edition」が発売されている。 Windows用ではWord95、97、98、2000、2002、2003、2007、2010、2013、2016を経て、2019年現在「Word 2019」が最新版である。なお、Word 98は当時評判の悪かった日本語処理の向上、およびライバル製品(一太郎)の存在する日本市場上の戦略により投入された、欧米では発売されていない独自のバージョンである。またWord 98は[[大韓民国]]においても朝鮮語版が発売されている(発売の背景は不明)。 MicrosoftがDOS版、[[Macintosh]]版、Windows版のバージョンが異なっていた物を統一する事にした際、ローカライズの時間差からWord for WindowsのVer. 2.0の日本語版がVer. 5.0として登場したため、Ver. 1.2AからVer. 5.0へのジャンプとなった(英語版はVer. 2.0からVer. 6.0とジャンプした)。 === 特許 === 2009年8月、米国の[[テキサス州東部地区連邦地方裁判所]]がカナダの企業i4iによる特許侵害の訴えを認め、米国内でのMicrosoft Wordの販売・輸入を禁止する判決を下した<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/13/news015.html 特許侵害で:Microsoft、米地裁から「Microsoft Word」販売差し止め命令]、[[ITmedia]]、2009年8月13日</ref>。侵害が認められたのはXMLを用いたテキストの整形に関する特許。 == 互換性 == 基本的に上位互換で、新しいバージョンでは古いバージョンで作成したファイルを開くことができる。新しいバージョンで作成したファイルを古いバージョンで開いた場合、新しい機能を使って作成された部分は編集できないなどの制限があるほか、見た目も違う場合がある。単純なテキストの場合は、ほとんどの場合は問題ない。同じ内部バージョンでも、OSが違うとフォーマットが崩れる場合がある(例:内部バージョンが同じ12の、Word 2007で作成したファイルをWord 2008で開いた場合など)。印刷した際のフォーマットが重要な場合は、[[Portable Document Format|PDF]]などで出力する必要がある。 == PDF出力 == Word 2007から標準でPDF形式のファイルを書き出せるようになった。ただし、機能は[[Adobe Acrobat]]などと比較して限定されたもので、複雑な図形などを使うと出力がおかしくなる。なお、macOSはもともとOS自体がPDF作成機能を持っている。 == 拡張子 .doc == {{Main|DOC (ファイルフォーマット)}} Microsoft Wordが[[MS-DOS|DOS]]版の頃から使っている[[拡張子]]「.doc」は、古くから別のフォーマットのファイルにも使われていた。ソフトウェアを配布する場合、その説明書を「readme.doc」等のファイル名でプレーンテキストで付属させるケースが多かった。また、[[WordPerfect]]の文書も同じ拡張子を用いていた。 [[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売され、インターネットが爆発的に普及する時期になると、Windows 95に付属する簡易ワープロソフトと[[Office 95]]のMicrosoft Wordが拡張子.docを使う事が問題視されるようになった。「拡張子が.docでもWordの文書でなければ従来のテキストファイルビューアで開き、Wordの文書であればWordで開く」という風変わりな拡張子判定プログラムが出回った程である。この時期からテキストファイルでは「.doc」を避けて「.txt」のみを用いるようになった。 Word 2007以降の文書ファイルの標準フォーマットには[[Office Open XML]]が採用され、その拡張子は「.docx」である。ただし、互換性維持の観点から、Word 2007以降でも従来のWord 2003までの「.doc」フォーマットのファイル読み書きもできるようになっている。一方、「.docx」形式で作成された文書ファイルを、旧バージョンのWord 2003等で開くことはできないため、互換パックをMicrosoftのサイトからダウンロードする必要がある。 == 日本語版の操作性に関する評価 == {{独自研究|section=1|date=2009年3月}} 日本そして各国ではシェアこそ高い地位を誇っているが、日本と欧米での書類作成文化の違いから、Wordの操作性・使い勝手に不満を持つ者も少なくはない。主に以下の点が批判されている。 <!-- * 他のアプリケーションに比べて、保存時にファイルが壊れる頻度が高い。そのため、標準で修復機能も用意されているが、確実に修復できるわけではない。 --><!-- 節の要旨と外れるためコメントアウト。 --> * [[罫線]]が書きにくい(元々欧米で罫線という概念が存在していなかったため)。 ** 表を作成後、枠内の一部分に再び枠を作成する際細かい修正が不可能。若干の隙間がどうしても空いてしまう。 * 自由なレイアウト均等割付などに癖がある。 * 画像の位置における微修正が効かない。 * センタリング機能に不具合が散見される。 * レイアウト方法が[[スタイルシート]]ベースの編集方式に偏っているため、スタイル機能が使いこなせないとレイアウト調整が極めて難しい。 * 表作成後のバランス修正に癖が強く必要に応じた追加などの変更が簡単にはできない。 * バージョンごとにレイアウトが違って見える場合があり(特に罫線が多い場合など)、別バージョンのWordで見ると、レイアウトが崩れていたり、文字が入りきらずにページごとに文字欠けが発生したりすることがある。 * Word 2003以前では、[[ルビ]]機能を呼び出すための[[アイコン]]が、「'''大文字のAに、小文字のabcのルビが振ってある'''」という、日本語の常識からは乖離したデザインであった。ただしWord 2007以降では「亜」に「ア」という[[ルビ]]が振ってあるデザインに変更されている。 * かつては比較的日本語に配慮したローカライズも行われていたが、2007以降は日本語の特性を無視した設計となっている傾向が強い。たとえば、ルーラー上でインデントやタブを文字単位で移動・設定できない(2003以前はグリッドで設定しておくことにより可能であった)など。 {{要出典範囲|date=2008年3月|これらが原因で}}文筆業者や脚本家はWordを敬遠し、[[一太郎]]など他のワープロソフトを使用したり、[[テキストエディタ]]と[[DTP|ページレイアウトソフト]]を併用したりしている場合がある。 また、Wordの代わりに表計算ソフトのExcelを、複雑な罫線を多用する文書の作成に利用したり、プレゼンテーションソフトのPowerPointを、図表が多い文書やリーフレット・パンフレットの作成に利用したりする者もいる(実際に[[アスキー・ドットPC]]の2007年8月号では、その特集が組まれている)。 なお、Wordは元々が英文用の文書作成機能に特化した製品であり、その目的から外れる機能については競合製品に劣る点が多いが、[[Microsoft Office]]には[[Microsoft Excel|Excel]](表・グラフ)、[[Microsoft Visio|Visio]]([[ベクターグラフィックス]])、[[Microsoft PowerPoint|PowerPoint]](プレゼンテーション)、[[Microsoft Publisher|Publisher]](ページレイアウト)といった、Wordでは不足する機能を補完するツールがそろっており、また[[Object Linking and Embedding|OLE]]を利用した相互連携機能も用意されているため、これらを併用したほうが効率的に仕事ができる場合が多い。 その一方で、オートコレクト機能を利用して一般的な定型文書制作時に行われる挨拶文や起承転結部分のテンプレートを呼び出して入力を簡略化するツール等も追加されている。 == 数式エディタ == Word 2003以前の[[数式エディタ]]は、他のOfficeアプリケーションと同様にMicrosoft数式エディタ (Microsoft Equation Editor; MEE) を使用する。これはデザインサイエンス社の[[MathType]]の機能限定版であり、色付けや数式番号機能が使えない。 Word 2007では、マイクロソフト製の新しい数式エディタおよび独自のマークアップ言語 (Office Math Markup Language; OMML) が導入された<ref>[https://support.office.com/en-us/article/08a44b8c-ae15-41a7-bc15-7239890c0cec Editing equations created using Microsoft Equation Editor - Office Support]</ref>。これは[[TeX]]のような打ち込みで記述が可能で、高度な数式が簡単に記述できるようになったが、日本語版では入力した英字が既定では斜体にならないというバグがある。これは[[2008年]]5月現在修正されていない。この新しい数式エディタはWord 2007でのみ使用可能で、[[Microsoft PowerPoint|PowerPoint]]/[[Microsoft Excel|Excel]] 2007では使えない(画像ファイルになる)。PowerPoint/Excel 2010以降ではWord同等の機能が利用できるようになっている。 Word 2007以降では従来のMEE 3.0のデータを編集することも可能であったが、セキュリティ上の理由から2018年1月に機能削除された<ref>[https://blogs.technet.microsoft.com/officesupportjp/2018/01/15/equationeditor3-0_removed_from_office/ 数式エディター 3.0 の機能削除について – Office Support Team Blog JAPAN]</ref>。MEE 3.0のデータを表示する機能は依然としてサポートされるが、編集機能削除に伴いMEE 3.0表示用のフォントが削除され、過去に作成したMEE 3.0の数式が表示ができない問題に対して、マイクロソフトは2018年4月に「MT Extra」フォントを無償公開し対応した<ref>{{Cite web|和書|url=https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1118190.html |title=Microsoft、数式フォント「MT Extra」をダウンロードセンターで無償公開 |accessdate=2019-5-3|author=樽井秀人 |date=2018-4-20 |website=[[窓の杜]] |publisher=[[インプレス]]}}</ref>。 == フィールドコード == {{For|フィールドコード|フィールドコード}} == バージョン履歴 == 他のマイクロソフト社製品と同様、リリースから5年間のメインストリームサポートと、その次の5年間の延長サポートが提供される<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/policies/fixed 固定ライフサイクル ポリシー | Microsoft Docs]</ref>。基本的にサポートの終了した製品には、[[セキュリティホール]]が見つかっても修正プログラムは提供されない。 {{Version |t |show=11110}} {| class="wikitable sortable" |+ Microsoft Word for Windows 日本語版 バージョン履歴 |- ! 発表年 ! 名称 ! バージョン ! scope="col" class="unsortable"|備考 |- | 1991 | Word for Windows 1.2 | {{Version |o |1.2}} | Windows 3.0用。 |- | 1992 | Word for Windows 1.2A | {{Version |o |1.2A}} | |- | 1993 | Word for Windows 5.0 | {{Version |o |5.0}} | Windows 3.1用。Office 1.0/1.5に含まれる。 |- | 1994 | Word for Windows 6.0 | {{Version |o |6.0}} | Office 4.2/4.3に含まれる。 |- | 1995 | Word 95 | {{Version |o |7.0}} | Office 95に含まれる。 |- | 1997 | Word 97 | {{Version |o |8.0}} | Office 97(下記の"Office 97 Powered by Word 98"を除く)に含まれる。 |- | 1998 | Word 98 | {{Version |o |8.5}} | Office 97 Powered by Word 98に含まれる。 |- | 1999 | Word 2000 | {{Version |o |9.0}} | Office 2000に含まれる。 |- | 2001 | Word 2002 | {{Version |o |10.0}} | Office XPに含まれる。 |- | 2003 | Office Word 2003 | {{Version |o |11.0}} | Office 2003に含まれる。 |- | 2007 | Office Word 2007 | {{Version |o |12.0}} | Office 2007に含まれる。 |- | 2010 | Word 2010 | {{Version |o |14.0}} | Office 2010に含まれる。 |- | 2013<ref>[https://learn.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/products/word-2013?branch=live Word 2013 | Microsoft Docs]</ref> | Word 2013 | {{Version |co |15.0}} | Office 2013に含まれる。 |- | 2015<ref>[https://learn.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/products/word-2016?branch=live Word 2016 | Microsoft Docs]</ref> | Word 2016 | {{Version |co |16.0}} | Office 2016に含まれる。 |- | 2018<ref>[https://learn.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/products/word-2019?branch=live Word 2019 | Microsoft Docs]</ref> | Word 2019 | {{Version |co |16.0}} | Office 2019に含まれる。 |- | 2021<ref>[https://learn.microsoft.com/ja-jp/lifecycle/products/word-2021?branch=live Word 2021 | Microsoft Docs]</ref> | Word 2021 | {{Version |c |16.0}} | Office 2021に含まれる。 |} この他に[[macOS]]、[[MS-DOS]]、[[OS/2]]、[[UNIX]]に対応したバージョンが存在する(日本語版が未発売のバージョンを含む)。 == Word Viewerと後継 == Windows版のみであるが閲覧用の単独アプリケーションとして'''Word Viewer'''がマイクロソフトから無償で提供されていた。Microsoft Wordで作成された文書の表示・印刷などに限られる。2017年11月に更新およびダウンロード提供が終了し、[[Office Mobile]]や[[Office Online]]などへの移行が案内されている<ref>[https://blogs.technet.microsoft.com/officesupportjp/2017/09/04/support-for-office-viewer/ Office Viewer 製品の提供終了について – Office Support Team Blog JAPAN]</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[ワードパッド]](Windowsに標準で搭載されている[[ワープロソフト]]) * [[Microsoft IME]] * [[Visual Basic for Applications]] * [[リチャード・ブロディ]] * [[難波克弘]](2009年春までデベロッパとして従事。元声優・俳優) * [[オフィススイートの比較]] === 日本における競合製品 === * [[一太郎]]([[ジャストシステム]]) * [[LibreOffice]] Writer([[The Document Foundation]])- 日本以外でも競合 * [[WPS Writer]]([[キングソフト]])- 日本以外でも競合 * [[StarSuite]] Writer([[サン・マイクロシステムズ]])- 日本以外でも競合 * [[CorelDRAW]]([[コーレル]])- 日本以外でも競合 * [[Apache OpenOffice|Apache OpenOffice Writer]]([[Apacheソフトウェア財団]])- 日本以外でも競合 * [[Pages]]([[Apple]])- 日本以外でも競合 === その他の国における競合製品 === * [[WordPerfect]] - [[カナダ]] ([[コーレル|Corel]]) * [[アレアハングル]] - [[大韓民国|韓国]] ([[Hancom]]) * [[WPS Office]] - [[中華人民共和国|中国]] ([[金山軟件|Kingsoft]]) == 外部リンク == {{Wikibooks|Microsoft Word}} {{Commonscat|Microsoft Word}} * [https://www.microsoft.com/ja-jp/microsoft-365/word Microsoft Word] * [https://support.microsoft.com/ja-jp/word Word のヘルプとラーニング - 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ドラミ
ドラミは、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』に登場するロボットで、主人公・ドラえもんの妹である。「ドラミちゃん」という愛称で呼ばれることが多い。 ドラえもんに代わって主人公あるいは副主人公級の活躍をすることもあり、映画ドラえもんの同時上映作として、ドラミを主役とした映画も6作公開されている。『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』などで使用された「ハロー! ドラミちゃん」を始めとして、テーマソングも数曲存在する。 ただし、上記の設定の多くは藤本が執筆した漫画本編には登場せず、定まっていない設定もある。2023年9月現在、ドラえもんの公式ウェブサイトのキャラクター紹介では上記の★印の設定しか掲載されていない。 以下、可能な限り、「藤本が執筆した漫画で描かれている情報」を基本としてまず述べ、その他の作品における設定(「方倉設定」「アニメ設定」など。設定に関する用語は、ドラえもん_(キャラクター)#複数の設定を参照)とは、なるべく区別して述べる。 普段はセワシのもとに住んでいて、彼の世話をしている。 定期検査などのドラえもんの休養中に、一時的な代理として現代にやって来て、のび太の世話をするほか、「タイムテレビ」などで兄のピンチを知ると駆けつける。その優秀さからセワシはのび太の世話役を正式にドラミに交替させようとしたこともあるが、のび太はドラえもんに対する友情から断っている。 性格は真面目でしっかり者。ただし生真面目すぎて融通がきかないところがある。ひみつ道具に頼らず、まずはのび太に実力で物事を解決させようとする傾向がドラえもんよりも強い(それが災いし、大きな事件になった事もある)。道具の使いこなし方が兄より上手で、上記のようにのび太の世話をするときには単に力を貸すだけではなく、のび太が自発的に物事を解決する方向へ誘導しようとする。 生真面目さゆえに臨機応変さに欠け、結果的には兄のドラえもんを頼ることになる展開も少なくない。また初登場時は旅行に行きたいというのび太たちに対して間違えた道具を出したりと兄同様ドジな面が見受けられた。 掃除や洗濯などの家事が好きで、野比家ではのび太のみならずママの手伝いをすすんで行う。 ドラミの誕生年と、ドラミとドラえもんの初対面の仕方と時期は作品によって異なる。 ドラえもんに似た体形で、体は誕生時のドラえもん同様黄色。ポケットはタータンチェック柄、しっぽは花柄模様。後頭部には、耳のように見える形でリボンがつけられている。切り込みが入った形の黒目が特徴。 1979年の『ドラえもん百科』では体重の設定はない。1980年4月放送のアニメにて、初めて35kgと設定。 その後、『スーパー・メカノ=サイエンス ドラえもん道具カタログ 2112年版』(1986年1月発行)にて91kgとされる。一方『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』(1989年3月公開)の設定を記したムック(1989年4月発行)では「91kg(?)」と記載。 『ドラミちゃん アララ♥少年山賊団!』(1991年3月公開)の関連ムック(1991年4月発行)では100kgとされた。一方、『ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!』(1993年3月公開)の関連ムック(1993年4月発行)では再び91kgとされた。比較的入手容易な書籍『スーパー・メカノ=サイエンス ドラえもん道具カタログ 2112年版』が参考にされたのか、これ以降はどの出版物においても91kgと記載。 嫌いなものはゴキブリという設定になっているが、ドラミがゴキブリに驚く場面が漫画「ウラシマキャンデー」(1974年)ではじめて描かれた際には「キャ、ゴキブリ」と叫んでのび太の頭に飛びついた程度(不意にゴキブリが出てきたので驚いたという程度)で、害虫の中でとりたててゴキブリが嫌いであるという説明はなく、最後のコマでは5匹のゴキブリを笑顔で眺めている。 極端にゴキブリを嫌って逃げ回る場面は方倉陽二『ドラえもん百科』(1979年)で描かれ、その後公式設定になった。 本キャラクターのアイディアは、作者の藤本弘の発案ではなく読者投稿に基づいている。小学館の学習雑誌『小学四年生』の読者だった奈良県在住の少女(当時小学4年生)がドラミのアイディアを小学館に送り、それが採用された。『小学四年生』1973年3月号で、「小学五年生4月号にドラミちゃんが登場します」と予告される。 この告知カットでは、ドラえもんがドラミに照れている素振りを見せており、当初は妹ではなく、ガールフレンドという設定だったことがうかがえる。告知カットでのドラミの目鼻口のデザインはのちに決定するものとは異なり、ヒゲも生えていた。リボンは無地で、体は縦横の格子模様(ペンで手書きされたもの)だった。 同年3月発売の『小学五年生』4月号掲載「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス0巻に収録)で、ドラミは正式にデビューする。この時のデザインはその後のものとほぼ変わらないが、リボン(色は黒)がやや小さめになっている。 最初期のドラミは頭脳の回転が少々鈍く機械音痴な反面、「1万馬力の腕力で暴れ回る」というややじゃじゃ馬的なキャラクターであり、かつてのガチャ子を彷彿させるキャラクターであった。以降もお転婆ぶりをみせるものの、後期はしっかり者のお世話ロボットしてのキャラクターが定着する。 また、初期は家庭科専門ロボットという設定で、ポケットから出す道具は料理や掃除といった家事関係のものだったが、後にはドラえもん同様、様々な道具を出すようになった。 女性ネコ型ロボットだけあって、ドラミの道具には花柄があしらわれていたり、デザインや色遣いが女性的なものが多い。 ドラミ専用のタイムマシンである「時空間チューリップ号」はチューリップを模している。 ドラえもんが持っているタケコプターが黄色なのに対して、ドラミが使うタケコプターはテレビアニメではピンク色にカラーリングされる傾向がある。また、模様が付いたどこでもドアを出すことがある。「もしもボックス」や「ドリームガン」は花柄模様である。これら、色や模様の違いはアニメにおいて特に顕著である。 『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』で登場する「ジェットフラワー」「みまわりテレビ」はヒマワリを模したデザインとなっている。 デビュー間もなく『ドラえもん』とは別の外伝作品『ドラミちゃん』として、小学館BOOK→小学生ブック誌上にて独立連載が始まる。のび太の遠い親戚であるのび太郎の家に居候し彼の面倒を見るという物語だった。第1話「じゅん番入れかわりき」は、ドラミがドラえもんの手伝いに現代の野比家へやって来たものの、偶然にも町中でのび太郎に出会い、彼の世話をすることになるという物語で、作中ではのび太とのび太郎が共演している。 また、これ以降は1万馬力の設定は影を潜めていたが、テレビアニメ第2作第2期「大長編 命をかけた宝探し 地底の国探検(前編)」(2007年2月16日放送)で再現された。 『ドラミちゃん』のエピソードは、全8話のうち第1話「じゅん番入れかわりき」を除いた7話が『ドラえもん』の単行本に収録されているが、その際『ドラえもん』本編のストーリーとして改訂され、登場人物のほとんどが『ドラえもん』のものに差し替えられた。のび太郎は元々双方の母親が見間違うほどのび太に似ていたため、名前の表記を「のび太」に変えるだけで済んだが、その他の人物は主に顔が描き換えられ、のび太郎の母親であるのぶ子はのび太の母親である玉子に、ガールフレンドであるみよちゃんはしずかに、ガキ大将のカバ田はジャイアンになった。ただし、ズル木だけはスネ夫と体型が大きく違うためか、修正されずそのまま残されている。なお、アニメ版では役割そのものがスネ夫に差し替えられている。 また、そういった経緯から現在の版においても、本来なら小売店であるはずのジャイアンの家が一般的な住宅になっていたり、のび太の部屋にベッドがあったり、野比家の門構えが豪華だったりといった差異が残っている。 他にも、台詞をそのまま残した結果、ややニュアンスが変わってしまった場面もあり、例えばてんとう虫コミックス第9巻「ウラシマキャンデー」ではジャイアンとのび太が「これからみよちゃんの家へよってあそんでかえるんだ」、「みよちゃんの家なら、よろこんで!」と言い合う場面がある。連載時ではみよちゃんの前で言っていたセリフだが、みよちゃんはしずかに描き換えられており、結果としてこの場面は作中には登場しない「みよちゃん」という友達の家に行く、と読み取れるものになっている。 初期の版では、のび太がジャイアンの家の前で「まちがえた。これはカバ田の家だっけ」と言うなど、台詞等の修正忘れや、顔の修正忘れもみられたが、現在の版ではほぼ修正されている。 改訂後は前述のように、ドラえもん休息時の一時的な代理としてドラミがのび太の世話をする、ということになっており、てんとう虫コミックス4巻収録「海底ハイキング」の前のページではその旨を説明する描き下ろし漫画が掲載されている。ドラミはのび太(郎)のことを「のびちゃん」と呼びかけていたが、単行本収録後はのび太に対して他人行儀に「のび太さん」と呼ぶように変更された。なお、アニメ第2作2期で主にこの作品のエピソードを放送する際は「ドラえもんが定期点検整備をサボる」「ドラミがドラえもんの定期点検整備の通知を受け渡しに現代の野比家を訪れ、ドラえもんが定期点検整備に行っている間はドラミが代行する」、「ドラミだけではなくドラえもんも一緒に行動する」などといった設定に変えて対応している。 以降は、てんとう虫コミックス以外の単行本にも長らく改訂後の版が収録されており、ドラミが登場するエピソードを抜粋して収録したコロコロ文庫版『ドラえもん ドラミ編』や、ぴっかぴかコミックス版『ドラミちゃん』、てんとう虫コミックス版『ドラミちゃん』も同様だったが、藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻では単行本版とあわせ、初めて雑誌掲載版も収録され(第1話「じゅん番入れかわりき」は初収録、それ以外は掲載誌からの複写収録)、統合の経緯についても触れられた。 いそほゆうすけにより、雑誌『ぴょんぴょん』1990年7月号~1991年6月号にて、上記とは別の『ドラミちゃん』が連載されていた。のび太の未来が変わったために、将来不幸になってしまうジャイ子の部屋にドラミが居候しに来るというストーリー。 全12話。第8話(1990年2月号)のみ、サブタイトル「バレンタインは、キューピッド・リボンで大成功...!?の巻」がついている。他は無題。2019年現在まで単行本化されていない。 いそほのインタビューによると、設定は編集側の要望が強かったと証言している。ジャイ子は「ひかるくん」という男の子に恋していた。名前の由来は当時人気だった光GENJIによる。他にも優等生のアザミ、腰巾着のケラ子という登場人物がいた。またタイムマシンの入口はトイレの中だった。ドラミは優等生的でお茶目、未来の国と現代の常識が食い違う帰国子女的な設定になった。ドラミはジャイ子の望みをかなえる道具として『ドラえもん』本編で登場したことのある道具を取り出すが、必ず一筋縄ではうまくいかず何かポカをやる、というのが毎回の大筋だった。 映画では、同時上映作品で主役を務めることが多い反面、メイン上映作の長編映画においては第2作第1期での登場はわずか2作品と少ない。さらにその2作品のどちらも終盤にて唐突に登場し、絶望的な状況に一石を投じるデウス・エクス・マキナのような出番に留まる。一方で第2作第2期では、2021年時点で半分以上の作品に何かしらの形で登場している。 テレビアニメ第1作には登場しない。 テレビアニメ第2作第1期では1980年4月8日から登場し、横沢啓子(のちのよこざわけい子)が声優をつとめた。テレビアニメ第2作第2期では2006年9月より登場し、『ドラえもん』ファンの千秋がドラミ役を引き継いだ。
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"ドラえもんが持っているタケコプターが黄色なのに対して、ドラミが使うタケコプターはテレビアニメではピンク色にカラーリングされる傾向がある。また、模様が付いたどこでもドアを出すことがある。「もしもボックス」や「ドリームガン」は花柄模様である。これら、色や模様の違いはアニメにおいて特に顕著である。", "title": "ひみつ道具" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』で登場する「ジェットフラワー」「みまわりテレビ」はヒマワリを模したデザインとなっている。", "title": "ひみつ道具" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "", "title": "ひみつ道具" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "デビュー間もなく『ドラえもん』とは別の外伝作品『ドラミちゃん』として、小学館BOOK→小学生ブック誌上にて独立連載が始まる。のび太の遠い親戚であるのび太郎の家に居候し彼の面倒を見るという物語だった。第1話「じゅん番入れかわりき」は、ドラミがドラえもんの手伝いに現代の野比家へやって来たものの、偶然にも町中でのび太郎に出会い、彼の世話をすることになるという物語で、作中ではのび太とのび太郎が共演している。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、これ以降は1万馬力の設定は影を潜めていたが、テレビアニメ第2作第2期「大長編 命をかけた宝探し 地底の国探検(前編)」(2007年2月16日放送)で再現された。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "『ドラミちゃん』のエピソードは、全8話のうち第1話「じゅん番入れかわりき」を除いた7話が『ドラえもん』の単行本に収録されているが、その際『ドラえもん』本編のストーリーとして改訂され、登場人物のほとんどが『ドラえもん』のものに差し替えられた。のび太郎は元々双方の母親が見間違うほどのび太に似ていたため、名前の表記を「のび太」に変えるだけで済んだが、その他の人物は主に顔が描き換えられ、のび太郎の母親であるのぶ子はのび太の母親である玉子に、ガールフレンドであるみよちゃんはしずかに、ガキ大将のカバ田はジャイアンになった。ただし、ズル木だけはスネ夫と体型が大きく違うためか、修正されずそのまま残されている。なお、アニメ版では役割そのものがスネ夫に差し替えられている。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、そういった経緯から現在の版においても、本来なら小売店であるはずのジャイアンの家が一般的な住宅になっていたり、のび太の部屋にベッドがあったり、野比家の門構えが豪華だったりといった差異が残っている。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "他にも、台詞をそのまま残した結果、ややニュアンスが変わってしまった場面もあり、例えばてんとう虫コミックス第9巻「ウラシマキャンデー」ではジャイアンとのび太が「これからみよちゃんの家へよってあそんでかえるんだ」、「みよちゃんの家なら、よろこんで!」と言い合う場面がある。連載時ではみよちゃんの前で言っていたセリフだが、みよちゃんはしずかに描き換えられており、結果としてこの場面は作中には登場しない「みよちゃん」という友達の家に行く、と読み取れるものになっている。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "初期の版では、のび太がジャイアンの家の前で「まちがえた。これはカバ田の家だっけ」と言うなど、台詞等の修正忘れや、顔の修正忘れもみられたが、現在の版ではほぼ修正されている。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "改訂後は前述のように、ドラえもん休息時の一時的な代理としてドラミがのび太の世話をする、ということになっており、てんとう虫コミックス4巻収録「海底ハイキング」の前のページではその旨を説明する描き下ろし漫画が掲載されている。ドラミはのび太(郎)のことを「のびちゃん」と呼びかけていたが、単行本収録後はのび太に対して他人行儀に「のび太さん」と呼ぶように変更された。なお、アニメ第2作2期で主にこの作品のエピソードを放送する際は「ドラえもんが定期点検整備をサボる」「ドラミがドラえもんの定期点検整備の通知を受け渡しに現代の野比家を訪れ、ドラえもんが定期点検整備に行っている間はドラミが代行する」、「ドラミだけではなくドラえもんも一緒に行動する」などといった設定に変えて対応している。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "以降は、てんとう虫コミックス以外の単行本にも長らく改訂後の版が収録されており、ドラミが登場するエピソードを抜粋して収録したコロコロ文庫版『ドラえもん ドラミ編』や、ぴっかぴかコミックス版『ドラミちゃん』、てんとう虫コミックス版『ドラミちゃん』も同様だったが、藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻では単行本版とあわせ、初めて雑誌掲載版も収録され(第1話「じゅん番入れかわりき」は初収録、それ以外は掲載誌からの複写収録)、統合の経緯についても触れられた。", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "", "title": "外伝作品『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "いそほゆうすけにより、雑誌『ぴょんぴょん』1990年7月号~1991年6月号にて、上記とは別の『ドラミちゃん』が連載されていた。のび太の未来が変わったために、将来不幸になってしまうジャイ子の部屋にドラミが居候しに来るというストーリー。", "title": "いそほゆうすけ版『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "全12話。第8話(1990年2月号)のみ、サブタイトル「バレンタインは、キューピッド・リボンで大成功...!?の巻」がついている。他は無題。2019年現在まで単行本化されていない。", "title": "いそほゆうすけ版『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "いそほのインタビューによると、設定は編集側の要望が強かったと証言している。ジャイ子は「ひかるくん」という男の子に恋していた。名前の由来は当時人気だった光GENJIによる。他にも優等生のアザミ、腰巾着のケラ子という登場人物がいた。またタイムマシンの入口はトイレの中だった。ドラミは優等生的でお茶目、未来の国と現代の常識が食い違う帰国子女的な設定になった。ドラミはジャイ子の望みをかなえる道具として『ドラえもん』本編で登場したことのある道具を取り出すが、必ず一筋縄ではうまくいかず何かポカをやる、というのが毎回の大筋だった。", "title": "いそほゆうすけ版『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "", "title": "いそほゆうすけ版『ドラミちゃん』" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "映画では、同時上映作品で主役を務めることが多い反面、メイン上映作の長編映画においては第2作第1期での登場はわずか2作品と少ない。さらにその2作品のどちらも終盤にて唐突に登場し、絶望的な状況に一石を投じるデウス・エクス・マキナのような出番に留まる。一方で第2作第2期では、2021年時点で半分以上の作品に何かしらの形で登場している。", "title": "ドラミが登場する映画" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "テレビアニメ第1作には登場しない。", "title": "ドラミが登場するテレビアニメ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "テレビアニメ第2作第1期では1980年4月8日から登場し、横沢啓子(のちのよこざわけい子)が声優をつとめた。テレビアニメ第2作第2期では2006年9月より登場し、『ドラえもん』ファンの千秋がドラミ役を引き継いだ。", "title": "ドラミが登場するテレビアニメ" } ]
ドラミは、藤子・F・不二雄の漫画作品『ドラえもん』に登場するロボットで、主人公・ドラえもんの妹である。「ドラミちゃん」という愛称で呼ばれることが多い。 ドラえもんに代わって主人公あるいは副主人公級の活躍をすることもあり、映画ドラえもんの同時上映作として、ドラミを主役とした映画も6作公開されている。『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』などで使用された「ハロー! ドラミちゃん」を始めとして、テーマソングも数曲存在する。
{{Pathnavbox| * {{Pathnav|[[藤子不二雄]]([[藤子不二雄の連載一覧|連載]])|[[藤子・F・不二雄]]([[藤子・F・不二雄の著作一覧|著作]])|ドラえもん|[[ドラえもんの登場人物一覧|登場人物]]}} * {{Pathnav|[[藤子不二雄]]|[[藤子不二雄のアニメ作品|アニメ]]|[[ドラえもん#アニメ|ドラえもん]]|[[ドラえもんの登場人物一覧|登場人物]]}} }} {{otheruses|漫画のキャラクター|プロレスラー|長野ドラミ}} {{Infobox animanga character | color= #FFDA4E | color text = red | name = ドラミ | series = 『[[ドラえもん]]』 | image = [[ファイル:Doraemon-no-akichi.JPG|300px]] | caption = [[富山県]][[高岡市]]の高岡おとぎの森公園にあるドラミ像(奥右から一体目) | first = | creator = [[藤子・F・不二雄]]<br />(1987年以前は[[藤子不二雄]]名義) | voiced by = [[よこざわけい子]]<ref name=seiyuumiti2>主婦の友社『声優道 名優50人が伝えたい仕事の心得と生きるヒント』よこざわけい子「天才じゃなくていい。努力の積み重ねが実を結ぶ」P98。</ref>(第2作第1期)<br />[[千秋 (タレント)|千秋]](第2作第2期) | nickname = ドラミちゃん | alias = | age = | gender = [[女]] | species = [[ロボット]] | nationality ={{JPN}} | title = 子守りロボットの補助役 | relatives = | paux1 name = 生年月日 | paux1 = [[2114年]][[12月2日]] | paux2 name = 身長 | paux2 = 100cm | paux3 name = 体重 | paux3 = 91kg | divider = }} [[ファイル:Dorami_at_Noborito_Station.jpg|サムネイル|right|[[登戸駅]]前「ドラミちゃん像」]] '''ドラミ'''は、[[藤子・F・不二雄]]の[[漫画]]作品『[[ドラえもん]]』に登場する[[ロボット]]で、[[主人公]]・[[ドラえもん (キャラクター)|ドラえもん]]の[[妹]]である。「'''ドラミちゃん'''」という[[愛称]]で呼ばれることが多い。 ドラえもんに代わって主人公あるいは副主人公級の活躍をすることもあり、[[映画ドラえもん]]の同時上映作として、[[ドラえもん映画作品#映画ドラミちゃん|ドラミを主役とした映画]]も6作公開されている。『[[ドラミちゃん ミニドラSOS!!!]]』などで使用された「ハロー! ドラミちゃん」を始めとして、[[テーマソング]]も数曲存在する。 == 設定 == === 基本情報 === * 子守りロボットの補助役として作られた妹ロボット * 2114年12月2日生まれ<ref name="himitsu-book">『ドラえもん百科』第2巻収録「ドラミちゃん秘密ブック」</ref> * 身長100cm★<ref name="himitsu-hyakka">『ドラえもん百科』第1巻収録「ドラえもん秘密百科」</ref> * 体重:91kg<ref name="dgct">書籍『スーパー・メカノ=サイエンス ドラえもん道具カタログ 2112年版』中央公論社〈F.F.ランド・スペシャル〉、1986年1月22日発行。ISBN 4-12-410307-7。</ref> * パワー:1万馬力<ref>「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス0巻に収録)</ref> * 好きな食べ物は[[メロンパン]]★<ref>『ドラえもん百科』第2巻収録「美女対決! ドラミちゃんVSしずかちゃん」</ref>(特にクッキー生地でできた皮の部分<ref name="dorami"></ref>) * 嫌いなものはゴキブリ★<ref name="dorami-himitsu-hyakka">『ドラえもん百科』第1巻収録「ドラミちゃん秘密百科」</ref><ref name="dorami">『ドラミの生まれた日』(2014年12月5日放送)</ref> * 特技は[[歌]]と[[料理]]<ref name="himitsu-hyakka" /> ただし、上記の設定の多くは藤本が執筆した漫画本編には登場せず、定まっていない設定もある。2023年9月現在、ドラえもんの公式ウェブサイトのキャラクター紹介では上記の★印の設定しか掲載されていない。 以下、可能な限り、「藤本が執筆した漫画で描かれている情報」を基本としてまず述べ、その他の作品における設定(「方倉設定」「アニメ設定」など。設定に関する用語は、[[ドラえもん_(キャラクター)#複数の設定]]を参照)とは、なるべく区別して述べる。 === 生活 === 普段は[[セワシ]]のもとに住んでいて、彼の世話をしている<ref name="tencomi24" />。 定期検査などのドラえもんの休養中に、一時的な代理として現代にやって来て、のび太の世話をする<ref name="tencomi4" />ほか、「[[ドラえもんのひみつ道具 (たあ-たお)#タイムテレビ|タイムテレビ]]」などで兄のピンチを知ると駆けつける。その優秀さからセワシはのび太の世話役を正式にドラミに交替させようとしたこともあるが、のび太はドラえもんに対する友情から断っている<ref name="tencomi24" />。 ; 方倉設定 : 一日の大半を「宇宙大学」で過ごす。天才ロボットグループのリーダーシップを取り、[[大学院]]にて[[文学]]、[[哲学]]、[[科学]]などを[[研究]]している<ref name="dorami-himitsu-hyakka" /><ref name="himitsu-book" /><ref name="isshuukan "/>。 === 性格 === 性格は真面目でしっかり者。ただし生真面目すぎて融通がきかないところがある。ひみつ道具に頼らず、まずはのび太に実力で物事を解決させようとする傾向がドラえもんよりも強い(それが災いし、大きな事件になった事もある)。道具の使いこなし方が兄より上手で、上記のようにのび太の世話をするときには単に力を貸すだけではなく、のび太が自発的に物事を解決する方向へ誘導しようとする<ref name="tencomi24">てんとう虫コミックス『ドラえもん』第24巻収録「ションボリ、ドラえもん」</ref>。 生真面目さゆえに臨機応変さに欠け、結果的には兄のドラえもんを頼ることになる展開も少なくない<ref>てんとう虫コミックス『ドラえもん』第30巻収録「ハツメイカーで大発明」。ただしテレビアニメ第2作第2期の同話では、ドラえもんとのび太を仲直りさせるために敢えて自分が事態を解決できないように演じるという描写に変更されている。</ref>。また初登場時は旅行に行きたいというのび太たちに対して間違えた道具を出したりと兄同様ドジな面が見受けられた。 [[掃除]]や[[洗濯]]などの[[家事]]が好きで、野比家ではのび太のみならず[[野比玉子|ママ]]の手伝いをすすんで行う。 ; テレビアニメ :優秀である反面、想定外の出来事により不測の事態が発生すると固定観念による油断から異変を見逃し、窮地に陥ったことがある<ref>テレビアニメ第2作第1期「ジュラ紀でドラミが大ピンチ」</ref>。 === 誕生年とドラえもんとの初対面の謎 === ドラミの誕生年と、ドラミとドラえもんの初対面の仕方と時期は作品によって異なる。 ; 映画『2112年ドラえもん誕生』(1995年公開) : 兄のドラえもんとの初対面は、2122年8月30日にドラえもんが耳を失い、そのショックで三日三晩泣き続けて体が青くなってしまってから<ref group="注">その時点でドラえもんは、名乗る前のドラミに「あんただあれ?」と訊ねており、それまでドラミの存在を完全に知らなかったことを窺わせている。<br />一方でドラミは最初からドラえもんを兄として認識しており(ドラえもんは耳がなく、体のメッキも剥げて青色になってしまった後である)、初対面から「お兄ちゃん」と呼んでいる。</ref>、つまり同年9月1日以降のことである。また、その時点でドラミは既にセワシのもとに引き取られて一定の時間が経過している様子がみられる。上記の「ドラミは2114年に生まれた」という設定を前提とした場合、ドラえもんと対面を果たすまでの8年間の動向や、ドラえもんと兄妹になった経緯、セワシ家に引き取られることになった経緯に矛盾が生じる<ref group="注">映画はアニメ第2作第1期の設定に基づいている。</ref>。 ; テレビアニメ「ドラミが生まれた日」(2014年12月5日放送) : ドラえもんとドラミの初対面はドラミの誕生直後。場所はロボット工場。 ; 方倉設定(1980年) : 2115年1月1日にドラミは、ドラえもんが兄であることを知った(穴にズボッと頭から落ちるドラえもんを見て同情したらそれが兄だった)<ref>『ドラえもん百科』2巻p107、1980年発行</ref>。 === 身体 === ドラえもんに似た体形で、体は誕生時のドラえもん同様黄色。ポケットは[[タータンチェック]]柄、しっぽは花柄模様。後頭部には、耳のように見える形で[[リボン]]がつけられている。切り込みが入った形の黒目が特徴。 ==== リボン ==== :;藤本の漫画 ::リボンの柄は、発表時期によって黒塗り、格子模様、チェック模様と変化がある。 :; アニメ :: アニメでのリボンの柄は基本的に赤の単色であるが、『[[ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜]]』(2007年)のみ赤に白のチェック柄である。 :;方倉設定 ::リボンは「リボン型集音装置」と呼ばれて耳の役割を果たす<ref name="coro2dx17">『映画アニメドラえもん』 《ドラえもん のび太の日本誕生/ドラミちゃん ミニドラSOS!!!》小学館〈コロコロコミックデラックス 17〉、1989年。</ref>。これに使われている高感度集音装置は「日本とフランスの合作品」という設定<ref name="himitsu-book" /><ref group="注">1989年に放送されたアニメの映画特番の中で、同年の[[札幌雪祭り]]で雪像の製作を担当した自衛隊員が「ツノだと思って作ったら子供から抗議を受けた」と発言していたこともあった</ref>。 ::ドラミが造られたのは、耳を失ったドラえもんの悲しみを癒すためだったが、「耳のあるヤツに僕の悲しさが分かるか!」とドラえもんがスネないようリボン型の耳に交換されたのだという<ref name="himitsu-hyakka" />。またドラえもんの顔にはレーダーひげがあるが、ドラミにはひげはなく<ref>『ドラえもん百科』第2巻収録「ドラミちゃん質問箱」</ref>、代りにリボンがレーダー機能を兼ねている<ref name="dorami"></ref>。 ==== 体重の変遷 ==== 1979年の『ドラえもん百科』では体重の設定はない。1980年4月放送のアニメ<ref>テレビアニメ第2作第1期「びっくり全百科(オールひゃっか)―ドラえもんとドラミちゃん― / PART.2 ドラえもんの故郷(ふるさと)へ!」(1980年4月8日放送『春だ! 一番 ドラえもん祭り!!』。ビデオ『ドラえもんテレビ版スペシャル特大号』冬の巻4、およびDVD『ドラえもん コレクション・スペシャル』冬の4に収録)</ref>にて、初めて35kgと設定。 その後、『スーパー・メカノ=サイエンス ドラえもん道具カタログ 2112年版』(1986年1月発行)<ref name="dgct" />にて91kgとされる。一方『[[ドラミちゃん ミニドラSOS!!!]]』(1989年3月公開)の設定を記した[[ムック (出版)|ムック]](1989年4月発行)<ref name="coro2dx17" />では「91kg(?)」と記載。 『[[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!|ドラミちゃん アララ♥少年山賊団!]]』(1991年3月公開)の関連ムック(1991年4月発行)<ref>『映画アニメドラえもん のび太のドラビアンナイト・ドラミちゃん アララ・少年山賊団!』小学館〈コロコロコミックデラックス 19〉、1991年4月20日発行。ISBN 4-09-101019-9。</ref>では100kgとされた。一方、『[[ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!]]』(1993年3月公開)の関連ムック(1993年4月発行)<ref>『映画アニメドラえもん のび太とブリキの迷宮・ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!』小学館〈コロコロコミックデラックス 21〉、1993年4月20日発行。ISBN 4-09-101021-0。</ref>では再び91kgとされた。比較的入手容易な書籍『スーパー・メカノ=サイエンス ドラえもん道具カタログ 2112年版』が参考にされたのか、これ以降はどの出版物においても91kgと記載。 ==== その他の身体の設定 ==== :; 漫画「海底ハイキング」における設定 :: 体が錆びやすく海中では長時間の活動ができないと語る場面がある<ref name="tencomi4">てんとう虫コミックス『ドラえもん』第4巻収録</ref>。ただしテレビアニメ第2作第1期では、のび太の独立心を養うための嘘であり、錆びやすいということはないという設定に変更されている<ref name="tvkaitei">テレビアニメ第2作1期「おまたせ ドラミちゃん初登場! のび太の海底ハイキング」</ref>。 :;方倉設定 ::* ドラえもんと同じ缶のオイル(ロボット専用オイル)から製造された兄妹の関係にあるが、使用されたオイルが長期間放置したため分離しており、下半分に沈殿していた良質なオイルを使用して製造されたドラミの方がドラえもんより優秀である<ref name="himitsu-hyakka" />。なお、道具自体もドラミの方が圧倒的に高性能(以上は[[方倉陽二]]によるオリジナル設定。テレビアニメ第2作第1期で正式設定とされた)。 ::* 目からは魅力光線が放出されている<ref name="himitsu-book" />。この目でウィンクをすると、男性を骨抜きにする愛の「必殺ウインク光線」を発射することができる<ref name="isshuukan">『ドラえもん百科』第2巻収録「ドラミちゃんの一週間」</ref>。 ::* 頭脳にはLSIおよびウルトラスーパーデラックスコンピューターを使用<ref name="himitsu-book" />。頭の良さはドラえもんの3倍であるとされる<ref name="dorami-himitsu-hyakka" />。 ::* 首輪に付けている鈴は「子守り歌鈴」と呼ばれる。この鈴を鳴らすと、人を眠らせることのできる音波が放出される。左胸の内部には、人の愛を感じてエネルギーに変換する「ハート」と呼ばれる部品がある<ref name="himitsu-book" />。 ::* 性別は「女性ネコ」。型は「(B)型」<ref>『ドラえもん百科』第2巻収録「ドラドラミ兄弟百科」</ref>。 :; テレビアニメ :: ドラミはドラえもんと似た体型を嫌がる場面がある<ref name="dorami" />。 === ゴキブリ === 嫌いなものはゴキブリという設定になっているが、ドラミがゴキブリに驚く場面が漫画「ウラシマキャンデー」(1974年)<ref>てんとう虫コミックス9巻</ref>ではじめて描かれた際には「キャ、ゴキブリ」と叫んでのび太の頭に飛びついた程度(不意にゴキブリが出てきたので驚いたという程度)で、害虫の中でとりたててゴキブリが嫌いであるという説明はなく、最後のコマでは5匹のゴキブリを笑顔で眺めている。 極端にゴキブリを嫌って逃げ回る場面は[[方倉陽二]]『[[ドラえもん百科]]』(1979年)<ref>コロコロコミック9月号p83</ref>で描かれ、その後公式設定になった<ref group="注">『決定版ドラえもん大事典』(小学館、2001年)では、ゴキブリに恐怖するあまり押し入れに閉じこもる場面が描かれた(藤本没後の漫画)。</ref>。 === その他 === ; ドラえもんズ映画(アニメ第2作第1期)における設定 : [[ザ・ドラえもんズ]]のドラ・ザ・キッドとは友達以上恋人未満のような微妙な関係である。『[[ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?]]』(1996年)の一件でキッドがドラミを守り抜いたことから惹かれ合い、互いに「ガサツくん」「へちゃむくれ」と呼んでからかい合っている。また、優秀さは「ロボット学校一の秀才」と呼ばれた王ドラをも上回り、その称号をドラミが引き継いだ。 ; テレビアニメ : テレビアニメ第2作1期「ドラミちゃん登場! のび太の海底大冒険」(2003年4月5日)では、はじめて野比家へやってきたときにメロンパンをはじめて食べ、以来大好物になったという内容が描かれている<ref>ただしテレビアニメ第2作1期「おまたせ ドラミちゃん初登場! のび太の海底ハイキング」(1980年4月8日放送)ではメロンパンではなくどら焼きを出されている</ref>。 == 誕生の経緯・初期設定 == 本キャラクターのアイディアは、作者の藤本弘の発案ではなく読者投稿に基づいている。[[小学館]]の学習雑誌『小学四年生』の読者だった[[奈良県]]在住の少女(当時小学4年生)がドラミのアイディアを小学館に送り、それが採用された。『小学四年生』1973年3月号で、「小学五年生4月号にドラミちゃんが登場します」と予告される<ref group="注">この予告は藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』2巻632ページにも収録されている。</ref>。 この告知カットでは、ドラえもんがドラミに照れている素振りを見せており、当初は妹ではなく、ガールフレンドという設定だったことがうかがえる。告知カットでのドラミの目鼻口のデザインはのちに決定するものとは異なり、ヒゲも生えていた。リボンは無地で、体は縦横の格子模様(ペンで手書きされたもの)だった。 同年3月発売の『小学五年生』4月号掲載「ハイキングに出かけよう」(てんとう虫コミックス0巻に収録)で、ドラミは正式にデビューする。この時のデザインはその後のものとほぼ変わらないが、リボン(色は黒)がやや小さめになっている<ref>『小学三年生』1973年6月号に掲載。藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第4巻598ページに収録されている</ref>。 最初期のドラミは頭脳の回転が少々鈍く機械音痴な反面、「1万[[馬力]]の腕力で暴れ回る」というややじゃじゃ馬的なキャラクターであり、かつての[[ガチャ子]]を彷彿させるキャラクターであった。以降もお転婆ぶりをみせるものの、後期はしっかり者のお世話ロボットしてのキャラクターが定着する<ref group="注">「1万馬力」という要素も鳴りを潜めていたが、2022年7月23日放送のテレビアニメ「ハイキングへ行こう」では初登場時のキャラクターに近い描写となっていた。</ref>。 また、初期は家庭科専門ロボットという設定で、ポケットから出す道具は料理や掃除といった家事関係のものだったが<ref>藤子不二雄ランド第2巻収録「ハイキングに出かけよう」</ref>、後にはドラえもん同様、様々な道具を出すようになった。 == ひみつ道具 == 女性ネコ型ロボットだけあって、ドラミの道具には花柄があしらわれていたり、デザインや色遣いが女性的なものが多い。 ドラミ専用のタイムマシンである「[[タイムマシン (ドラえもん)#時空間チューリップ号|時空間チューリップ号]]」はチューリップを模している。 ドラえもんが持っている[[タケコプター]]が黄色なのに対して、ドラミが使うタケコプターはテレビアニメではピンク色にカラーリングされる傾向がある<ref>テレビアニメ第2作第1期「ドラミとハイキング」「ジュラ紀でドラミが大ピンチ」、テレビアニメ第2作2期「のび太くん、さようなら! ドラえもん、未来に帰る…」</ref>。また、模様が付いたどこでもドアを出すことがある。「[[もしもボックス]]」や「ドリームガン」は花柄模様である。これら、色や模様の違いはアニメにおいて特に顕著である。 『ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』で登場する「[[映画ドラえもんのひみつ道具#ジェットフラワー|ジェットフラワー]]」「[[映画ドラえもんのひみつ道具#みまわりテレビ|みまわりテレビ]]」はヒマワリを模したデザインとなっている。 {{Anchors|漫画}} == 外伝作品『ドラミちゃん』 == デビュー間もなく『ドラえもん』とは別の外伝作品『'''ドラミちゃん'''』として、小学館BOOK→小学生ブック誌上にて独立連載が始まる。[[野比のび太|のび太]]の遠い親戚である'''のび太郎'''の家に居候し彼の面倒を見るという物語だった。第1話「じゅん番入れかわりき」は、ドラミがドラえもんの手伝いに現代の野比家へやって来たものの、偶然にも町中でのび太郎に出会い、彼の世話をすることになるという物語で、作中ではのび太とのび太郎が共演している。 また、これ以降は1万馬力の設定は影を潜めていたが、テレビアニメ第2作第2期「大長編 命をかけた宝探し 地底の国探検(前編)」(2007年2月16日放送)で再現された。 === 『ドラえもん』への統合 === 『ドラミちゃん』のエピソードは、全8話のうち第1話「じゅん番入れかわりき」を除いた7話が『ドラえもん』の単行本に収録されているが、その際『ドラえもん』本編のストーリーとして改訂され、登場人物のほとんどが『ドラえもん』のものに差し替えられた。のび太郎は元々双方の母親が見間違うほどのび太に似ていたため、名前の表記を「のび太」に変えるだけで済んだが、その他の人物は主に顔が描き換えられ、のび太郎の母親である'''のぶ子'''はのび太の母親である[[野比玉子|玉子]]に、ガールフレンドである'''みよちゃん'''は[[源静香|しずか]]に、ガキ大将の'''カバ田'''は[[剛田武|ジャイアン]]になった。ただし、'''ズル木'''だけは[[骨川スネ夫|スネ夫]]と体型が大きく違うためか、修正されずそのまま残されている<ref group="注">スネ夫も全く登場しないわけではなく、てんとう虫コミックス第7巻「山奥村の怪事件」ではジャイアンとともに遭難者を発見する場面で1コマだけ登場し、同第9巻「ウラシマキャンデー」では、端役の少年が単行本収録時にスネ夫に描き換えられている。</ref>。なお、アニメ版では役割そのものがスネ夫に差し替えられている。 また、そういった経緯から現在の版においても、本来なら小売店であるはずのジャイアンの家が一般的な住宅になっていたり<ref>藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻収録「ネッシーが来る」109ページ3コマ目。同話では、ネッシーが来たことを知ったのび太がズル木を呼びに行くも、ズル木の家と間違えてジャイアンの家に来てしまい、ジャイアンを叩き起こすが、それにより、夜の散歩に出かけたジャイアンが公園でネッシーを目撃したことから、ジャイアンはネッシーは実在する派に回った。テレビアニメ第2作第1期では、ドラえもん本編と同じく雑貨屋であり、ジャイアンはドラえもんのムユウボウで起こされて、公園のネッシーを目撃することになった。</ref>、のび太の部屋にベッドがあったり<ref>藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻収録「地底の国探検」64ページ1コマ目</ref>、野比家の門構えが豪華だったり<ref>藤子・F・不二雄大全集『ドラえもん』第20巻収録「地底の国探検」64ページ6コマ目</ref>といった差異が残っている。 他にも、台詞をそのまま残した結果、ややニュアンスが変わってしまった場面もあり、例えばてんとう虫コミックス第9巻「ウラシマキャンデー」ではジャイアンとのび太が「これから'''みよちゃん'''の家へよってあそんでかえるんだ」、「'''みよちゃん'''の家なら、よろこんで!」と言い合う場面がある。連載時ではみよちゃんの前で言っていたセリフだが、みよちゃんはしずかに描き換えられており、結果としてこの場面は作中には登場しない「みよちゃん」という友達の家に行く、と読み取れるものになっている。 初期の版では、のび太がジャイアンの家の前で「まちがえた。これは'''カバ田'''の家だっけ」と言う<ref>てんとう虫コミックス『ドラえもん』第6巻収録「ネッシーがくる」137ページ2コマ目</ref>など、台詞等の修正忘れや、顔の修正忘れもみられたが、現在の版ではほぼ修正されている<ref group="注">現在でも「地底の国探検」で、のび太郎の父親の顔が[[野比のび助|のび助]]に修正されていない箇所がある</ref>。 改訂後は前述のように、ドラえもん休息時の一時的な代理としてドラミがのび太の世話をする、ということになっており、てんとう虫コミックス4巻収録「海底ハイキング」の前のページではその旨を説明する描き下ろし漫画が掲載されている。ドラミはのび太(郎)のことを「のびちゃん」と呼びかけていたが、単行本収録後はのび太に対して他人行儀に「のび太さん」と呼ぶように変更された。なお、アニメ第2作2期で主にこの作品のエピソードを放送する際は「ドラえもんが定期点検整備をサボる」「ドラミがドラえもんの定期点検整備の通知を受け渡しに現代の野比家を訪れ、ドラえもんが定期点検整備に行っている間はドラミが代行する」<ref>「ウラシマキャンデー」(2018年12月14日放送)</ref>、「ドラミだけではなくドラえもんも一緒に行動する」<ref>「山おく村の怪事件」(2021年2月6日放送)</ref>などといった設定に変えて対応している。 以降は、てんとう虫コミックス以外の単行本にも長らく改訂後の版が収録されており、ドラミが登場するエピソードを抜粋して収録したコロコロ文庫版『ドラえもん ドラミ編』や、ぴっかぴかコミックス版『ドラミちゃん』も同様だったが、[[2012]]年9月に刊行された[[藤子・F・不二雄大全集]]『ドラえもん』第20巻では、単行本版とあわせ、初めて雑誌掲載版<!--大全集内の表記による-->も収録され(第1話「じゅん番入れかわりき」は初収録、それ以外は掲載誌からの複写収録)、統合の経緯についても触れられた。[[2023年]]12月には改訂後の版を収録したてんとう虫コミックス『ドラミちゃん』が刊行された。 === 各話一覧 === {| class="wikitable" |+漫画『ドラミちゃん』のエピソード一覧 !掲載誌!!『ドラミちゃん』としてのタイトル<br/>(上:連載時)<br/>(下:藤子・F・不二雄大全集収録時)!!『ドラえもん』としてのタイトル!!てんとう虫コミックス収録巻 |- |小学館BOOK 1974年1月号||じゅん番入れかわりきの まき<br/>じゅん番入れかわりそうち||||未収録 |- |小学館BOOK 1974年2月号||のび太郎 テレビ出えんの まき<br/>のび太郎 テレビ出えん||テレビ局をはじめたよ||第11巻 |- |小学館BOOK 1974年3月号||どこへでも 行ける 「ふしぎな ドア」の まき<br/>ふしぎなドア||山奥村の怪事件||第7巻 |- |小学生ブック 1974年5月号||ふしぎなキャンデーのまき<br/>ふしぎなキャンデー||ウラシマキャンデー||第9巻 |- |小学生ブック 1974年6月号||ここほれワイヤーの巻<br/>ここほれワイヤー||地底の国探検||第5巻 |- |小学生ブック 1974年7月号||海底ハイキングの巻<br/>海底ハイキング||海底ハイキング||第4巻 |- |小学生ブック 1974年8月号||公園のネッシーのまき<br/>公園のネッシー||ネッシーが来る||第6巻 |- |小学生ブック 1974年9月号||とう明人間のまき<br/>とう明人間||とう明人間目ぐすり||第8巻 |} === 登場人物 === 外伝作品『ドラミちゃん』に登場するキャラクター。『ドラえもん』単行本への収録に伴い、『ドラえもん』のキャラクターへと修正されたが、『藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん第20巻』には修正前の初出版『ドラミちゃん』が全話収録されている。 {{Anchors|のび太郎}} ; 野比のび太郎(のび のびたろう) : のび太の遠戚でのび太と瓜二つの小学生。基本的な人物像はのび太とほぼ同一だが、のび太と違い泳げる。ドラミのことを「ドラミ」と呼ぶ。 ; 野比のぶ子 : のび太郎の母。のび太の母・玉子と同じく専業主婦であり、ゴキブリが嫌いな点も同じ。玉子よりやや太めの体型。 ; のび太郎の父 : のび太郎の父親。のび太の父・のび助と同じく会社員。学生時代は野球部でピッチャーを務めていた。 ; みよちゃん : のび太郎のクラスメートの少女。しずかと同じく、バイオリン演奏が下手。 ; 木鳥高夫(きどり たかお) : のび太郎のクラスメート。通称'''ズル木'''。スネ夫のポジションであり、スネ夫と同じく、裕福な家庭で育ち、嫌味な性格。歌は上手く、テレビの「ジャリッ子歌じまん」という番組に出演したこともある<ref>11巻「テレビ局をはじめたよ」</ref>。本名はこの際に登場。[[ネッシー]]に関して、のび太郎と公開討論をしたこともある<ref>大全集20巻「公園のネッシー」(ドラえもん単行本第6巻「ネッシーがくる」)</ref>。 : 『ドラミちゃん』のエピソードが『ドラえもん』本編のストーリーとして改訂された際、多くのキャラは『ドラえもん』の登場人物に描き換えられたが、彼はスネ夫と体型が大幅に異なることもあって修正されず、そのまま『ドラえもん』にも登場することとなった。このため、彼の登場するエピソードは全てドラミが主人公の『ドラミちゃん』の話であり、基本的に『ドラえもん』本編の主人公ドラえもんや『ドラえもん』のレギュラーであるスネ夫が登場しない<ref group="注">両者共全く登場しないわけではなく、9巻収録「ウラシマキャンデー」では、端役の少年の顔が単行本収録時にスネ夫に描き換えられており、7巻収録「山おく村の回事件」でも登場している。ドラえもんも4巻収録「海底ハイキング」のアバンシーンや7巻収録「山おく村の怪事件」のエンドカードなど、ストーリーに直接関わらない部分には登場している。</ref>。アニメでは彼が登場するエピソードはスネ夫に役割が差し替えられている<ref group="注">ただし2006.12.1放送分の「ウラシマキャンディー」では、原作漫画でズル木が行った「のび太が拾った竜宮姫子の定期券を彼女の家に届ける」をドラえもんが行っている。</ref>。 ; ズル木の母 : ズル木の母親。スネ夫の母と似た顔をしている。 ; カバ田 : のび太郎のクラスメートの少年。ジャイアンと同じくガキ大将であり、'''ゴリブリ'''と呼ばれることも<ref>大全集第20巻「とう明人間」(ドラえもん単行本第8巻「とう明人間目ぐすり」)</ref>。ジャイアンの家が店なのに対し、カバ田の家は普通の家。 ; カバ田の母 : カバ田の母親。ジャイアンの母親に似た顔をしている。 ; 戸手茂できる(とても-) : のび太郎のクラスメートの少年。成績優良の秀才。アニメ版での「テレビ局を始めたよ」では、出木杉に置き換えられる。なお、『ドラえもん』の単行本に合わせての修正は行われなかった<ref>ドラえもん単行本第11巻「テレビ局をはじめたよ」</ref>。 ;馬井屋の主人 :「テレビ局をはじめたよ」に登場した菓子屋の主人。のび太がはじめたテレビ局のスポンサーになり、それを笠に着て提供番組で強引に自分の芸を披露。視聴者には不評のうち終わりコマーシャルに入るが、練習で菓子を食べ過ぎたのび太は本番では「とても…食べられやしない!」と言ってしまい、怒られた。 {{Anchors|いそほ}} ==いそほゆうすけ版『ドラミちゃん』== [[いそほゆうすけ]]により、雑誌『[[ぴょんぴょん]]』1990年7月号~1991年6月号にて、上記とは別の『ドラミちゃん』が連載されていた。のび太の未来が変わったために、将来不幸になってしまう[[ドラえもんの登場人物一覧#剛田家|ジャイ子]]の部屋にドラミが居候しに来るというストーリー。 全12話。第8話(1990年2月号)のみ、サブタイトル「バレンタインは、キューピッド・リボンで大成功…!?の巻」がついている。他は無題<ref name="isoho1">[https://web.archive.org/web/20090614144247/http://neoutopia.net/interviews/isoho.htm WEB藤子不二雄FCネオ・ユートピア『F先生じゃないドラえもん特集』(Internet Archive)]</ref>。2019年現在まで単行本化されていない。 いそほのインタビューによると、設定は編集側の要望が強かったと証言している。<ref name="isoho2">[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:kalB9WznweMJ:www.neoutopia.net/interviews/isoho.htm+&cd=1&hl=fr&ct=clnk&gl=ch&lr=lang_en|lang_fr|lang_it|lang_ja&client=firefox-a いそほゆうすけインタビュー(Googleキャッシュ)] [https://web.archive.org/web/20090614144247/http://neoutopia.net/interviews/isoho.htm 同(Internet Archive)]</ref>ジャイ子は「ひかるくん」という男の子に恋していた。名前の由来は当時人気だった[[光GENJI]]による。<ref name="isoho2" />他にも優等生のアザミ、腰巾着のケラ子という登場人物がいた。またタイムマシンの入口はトイレの中だった。<ref name="isoho1" />ドラミは優等生的でお茶目、未来の国と現代の常識が食い違う帰国子女的な設定になった。ドラミはジャイ子の望みをかなえる道具として『ドラえもん』本編で登場したことのある道具を取り出すが、必ず一筋縄ではうまくいかず何かポカをやる、というのが毎回の大筋だった。<ref name="isoho2" /> {{Anchors|映画}} == ドラミが登場する映画 == 映画では、同時上映作品で主役を務めることが多い反面、メイン上映作の長編映画においては第2作第1期での登場はわずか2作品と少ない。さらにその2作品のどちらも終盤にて唐突に登場し、絶望的な状況に一石を投じる[[デウス・エクス・マキナ]]のような出番に留まる。一方で第2作第2期では、2021年時点で半分以上の作品に何かしらの形で登場している。 ;第1期シリーズ * 『[[ドラえもん のび太の魔界大冒険]]』[[1984年]](メイン上映作) * 『[[ドラえもん のび太のパラレル西遊記]]』[[1988年]](メイン上映作) * 『[[ドラミちゃん ミニドラSOS!!!]]』[[1989年]] * 『[[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!|ドラミちゃん アララ♥少年山賊団!]]』[[1991年]] * 『[[トキメキソーラーくるまによん]]』[[1992年]] ※声の出演なし * 『[[ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!]]』[[1993年]] * 『[[ドラミちゃん 青いストローハット]]』[[1994年]] * 『[[2112年 ドラえもん誕生]]』[[1995年]] * 『[[ドラミ&ドラえもんズ ロボット学校七不思議!?]]』[[1996年]] * 『[[帰ってきたドラえもん]]』[[1998年]] * 『[[ドラミ&ドラえもんズ 宇宙ランド危機イッパツ!]]』[[2001年]] * 『[[ドラえもんアニバーサリー25]]』[[2004年]] ※声の出演なし ;第2期シリーズ(すべてメイン上映作) * 『[[ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜]]』[[2007年]] * 『[[ドラえもん のび太と緑の巨人伝]]』[[2008年]] * 『[[ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史]]』[[2009年]] * 『[[ドラえもん のび太の人魚大海戦]]』[[2010年]] * 『[[ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜]]』[[2011年]] * 『[[ドラえもん のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜]]』[[2012年]] * 『[[ドラえもん のび太のひみつ道具博物館]]』[[2013年]] * 『[[ドラえもん 新・のび太の日本誕生]]』[[2016年]] * 『[[ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険]]』[[2017年]] == ドラミが登場するテレビアニメ == [[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|テレビアニメ第1作]]には登場しない<ref group="注">ただし、放送当時[[日本コロムビア]]から発売されたレコード『[[ドラえもん (内藤はるみ/劇団NLTの曲)|ドラえもん]]』のジャケットには描かれている。</ref>。 [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|テレビアニメ第2作第1期]]では[[1980年]][[4月8日]]から登場し、横沢啓子(のちの[[よこざわけい子]])が声優をつとめた。[[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|テレビアニメ第2作第2期]]では2006年9月より登場し、『ドラえもん』ファンの[[千秋 (タレント)|千秋]]がドラミ役を引き継いだ。 == 配役 == === 声優 === * [[よこざわけい子]](1980.4 - 2005.3) * [[千秋 (タレント)|千秋]](2006.9 - ) === 俳優 === * [[広瀬すず]](ソフトバンク5GCM) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} {{ドラえもん}} {{DEFAULTSORT:とらみ}} [[Category:ドラえもんの登場人物]] [[Category:架空のネコ]] [[Category:架空のロボット]] [[Category:架空の女性]]
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ATOK
ATOK(エイトック)は、ジャストシステムが開発・販売しているかな漢字変換ソフトウェア(日本語入力システム)の名称であり、同社の登録商標でもある。2007年にグッドデザイン賞を受賞した。ATOKの名称は、Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer(かな漢字変換の先進技術)の頭文字に由来している。 ATOKは、前身のKTIS (Kana-Kanji Transfer Input System) から一太郎のかな漢字変換部分として改版したソフトウェアであり、KTIS2の後の1985年に初版であるATOK3が登場した。ATOKは日本語かな漢字変換ソフトウェアの中で歴史が長いもののひとつで、一定規模のシェアを保ち続けている。 ATOKは変換精度や学習能力が高く、カスタマイズ(プロパティ・環境設定)の柔軟性がある。他方、他のソフトウェアと相性的な問題が発生することも時折見られる。動作が重いときやソフトウェアの配色設定によっては入力に支障が出る場合もある。これらは動作検証が不十分なためである。 ATOKは、かな漢字変換ソフトウェアの黎明期において、競合するソフトウェアが変換アルゴリズムにさまざまな工夫を凝らす中、変換アルゴリズムよりも辞書の質に重点を置く手法で変換精度を高めることに成功している。他社製のものでも学習を重ねることによって変換精度を高めることが可能であったものの、ATOKは初期状態から比較的高い精度を持っていたのが特徴であったといわれる。 ATOK7以降は一太郎とは別に単体販売も開始した。一太郎には最新版のATOKが付属するものの、出荷数はATOK単品の方が多いなどジャストシステムの主力製品になっている。2008年(平成20年)9月2日からは、月額あるいは年額ライセンス形態でも提供している。 当初のMS-DOSとその後継であるWindowsのほか、Macintosh、Linux、HP-UX、Solaris、Windows CE、Palm OS、Androidとさまざまなプラットフォームに移植しており、また後述の+ATOKもある。 バージョンアップはWindows版を先行させており、リリースが遅れがちな他OS版ではATOK離れが見られた時期があった。 ATOKは一般用語の変換精度が高い一方、差別用語とされる単語や卑猥な単語などに対しては、MS-IMEと比べ強い自主規制を行っている。例えば、一般的にも広く用いられる小人(こびと)ですら初期の状態では変換することができない(詳しくは表現の自主規制#出版などを参照のこと)。ただし、単語登録の機能で「こびと→小人」のように強制的に変換させることはできる。また「小人」を「小(こ)」「人(びと)」に分割して変換することにより、自動的に学習して変換できるようになることもある。また初期状態においては、「しょうにん→小人」へ変換することはできる。また「陰唇」のように生理学用語の一部を登録していない。ジャストシステムはこの件に関して、誤用によって差別や障害に苦しむ人々の目に触れることなどを防止するためとの見解を出している。初期の状態で入っていない語句を使用したい利用者は、ATOKダイレクト(正規登録ユーザーのみが利用可能な追加辞書機能)を追加することにより変換が可能となっている。 連携電子辞典(広辞苑、明鏡国語辞典等)、連想変換辞書(角川類語新辞典、日本語使いさばき辞典等)、専門用語変換辞書(医療・電気・電子・情報等の変換・対訳)をATOKから利用できるようにすることで、著述業や専門職などヘビーユーザーにも普及した。 ATOK15以降、日本語の方言や文語体など、さまざまな日本語変種への対応を始めているのも特徴の一つ。最新版は駅名やカタカナ語から英語への変換(パーソナルコンピュータ→personal computerなど)を実装している。ローマ字入力から任意の英単語(yomu→readなど)や英単語索引入力機能などの新機能が充実した。 ATOK 2010からはプログラムがUnicodeに対応し、サポート外ではあるが、日本語版以外のWindowsでも利用できるようになった。ATOK 2011からはTSFに対応するようになった。 ATOK 2017からは変換エンジンを刷新し、ディープラーニングによる日本語の解析結果を利用して変換効率を向上させている。 2022年現在、下表の製品がある。 REALFORCEには通常品にATOK専用のキーを3個追加した『REALFORCE CUSTOM Limited Edition』があり、ジャストシステムのオンラインショップ限定で販売されている。 ATOKの名称については、現在は「Advanced Technology Of Kana-Kanji Transfer」の略であるとしている。かつては「Automatic Transfer Of Kana-kanji」の略であるとされていた。 他に、以下のような説がある。なお、ATOKの公式ウェブサイトでは、正式なもの以外を俗説とし、その一部に触れている。 また、読みとしては俗に、 と発音されているが、公式表記は「エイトック」である。標準辞書で「えいとっく」から「ATOK」に変換されるが、「あとっく」や「あとけー」などからは変換されない。なお会社側の表記には使われていないが「えーとっく」からも「ATOK」へ変換される(ATOK2017)。 1981年にロジックシステム社向けに開発したかな漢字変換ソフトがルーツである。1982年にはCP/M-80版を開発し、KTIS (Kana-kanji Transfer Input System) と名付けた。 商用としての第一歩は1983年、一太郎の前身となったPC-100用のソフトウェア「JS-WORD」に搭載されていたMS-DOS版KTISである。PC-9801版のJS-WORD(Ver.2)が発売に合わせ、KTISもバージョンアップしてKTIS2となり、さらにPC-9801版「jX-WORD太郎」発売時、複合連文節変換に対応して名称がATOK3に改められた。 後継ソフト「一太郎」 (Ver. 1) に搭載されたATOK4から、かな漢字変換システムとして一太郎から独立して使用することが可能になり、以降一太郎のバージョンアップに歩調を合わせて進化を重ねている。そのため、ATOK16までは一太郎本体のバージョンより3ずつバージョン表記が大きかった。 しかし「一太郎2004」(ATOK 17を搭載)より一太郎のバージョン表記が西暦表記に変更されたことでこの関係が崩れ、さらに、「一太郎2005」に搭載された「ATOK 2005 (Tech Ver. 18)」からは、ついに一太郎本体とバージョン表記が同一になった。ただし、「ATOK」の内部バージョンについては引き続き2018年まで「一太郎」の内部バージョンより3ずつ大きくなっていた。 Macintosh用はATOK8が最初のリリース。その後2バージョン飛んで、ATOK11からはWindows用より約半年遅れで新バージョンを発売している。ATOK14からMac OS Xに対応、ATOK 2006からUniversal Binary(一部ユーティリティ等はPowerPCバイナリ)となり、Intel Macで使用できるようになった。 また2008年9月からは、Windows版にのみ、月額300円で使用できる「ATOK定額制サービス」の提供を開始、低料金で最新のプログラムと辞書コンテンツの提供を受けられるサービスを展開している。同サービスはMac版でも2009年9月から開始された。 2011年(平成23年)11月から定額制サービスはATOK Passportにリニューアルされ、OS (Windows, Mac OS, Android) の種類を問わず最大10台まで最新版のATOKを利用できるようになった(利用料金はこれまで通り月額300円)。 2015年のATOK 2015 (Tech Ver. 28) からWindows 10に正式対応し、Windows XPには非対応となり、インストール自体ができなくなった。 2017年のATOK 2017 (Tech Ver. 30) からは、Windows Vistaには非対応となり、インストール自体ができなくなった。 2018年のATOK for Windows Tech Ver.31では、単体での買い切りパッケージ版を取りやめ、ATOK Passportのみの提供となった。これにより、新規の買い切り版は「一太郎2018」に搭載された「ATOK for Windows 一太郎2018 Limited (Tech Ver. 31)」のみとなった一方、ATOK単体での買い切り版を希望する層向けにATOK 2017が引き続き販売されている。 2019年の「一太郎2019」には「ATOK for Windows 一太郎2019 Limited (Tech Ver. 31.2)」が搭載された。2018年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、それまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。 2020年の「一太郎2020」には「ATOK for Windows 一太郎2020 Limited (Tech Ver. 31.3)」が搭載された。Windows 7には非対応となり、インストール自体ができなくなった。2019年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、引き続きそれまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。 2021年の「一太郎2021」には「ATOK for Windows 一太郎2021 Limited (Tech Ver. 32)」が搭載された。 2022年の「一太郎2022」では、「ATOK for Windows」の搭載を取りやめ、「ATOK Passport [プレミアム] 1年 一太郎2022 (Tech Ver. 32.2)」が搭載された。2021年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き32とされたため、ついに「ATOK」の内部バージョンと「一太郎」の内部バージョンが同一になった。 携帯電話やPDA、ゲーム機、カーナビ等に向けた組込型製品群もあり、これらは +ATOK と総称される。以前は"ATOK Pocket"との名称が付けられていた。 最初に携帯電話に採用されたのはNTTドコモの携帯電話・D503i(三菱電機製)であった。ソフトバンクやau(KDDI/沖縄セルラー電話)の携帯電話にも搭載例があり、ATOK for au等という呼び方もある(後述する、auスマートパス会員向けに提供されたものも「ATOK for au」だが、名前が同じだけの別物である)。特にauのKCP+機では標準でATOKが採用されているが、必ずしもATOKには固定されておらずKCP+機種でもシャープはケータイShoin(SH008以前、基幹エンジンは富士ソフトのFSKAREN)やiWnn(SH009以降)を、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズはPOBox Proを独自搭載している。 ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStation PortableやPlayStation 3、任天堂がOperaをベースに開発したニンテンドーDS用ウェブブラウザ「ニンテンドーDSブラウザー」や、同じく任天堂のニンテンドーDSi用のニンテンドーDSiブラウザー、Wiiにも採用されている。 携帯電話のメーカー別に見ると、三菱電機・富士通・カシオ日立モバイルコミュニケーションズ(カシオ計算機および日立製作所(→日立コンシューマエレクトロニクス))・鳥取三洋電機(現・三洋テクノソリューションズ鳥取)・三洋電機(大阪)(現・京セラSANYOブランド。W54SAとソフトウェアの開発を鳥取三洋電機が担当した機種のみ)・NEC(N600iのみ)・ノキア・パンテック&キュリテル・パナソニックモバイルコミュニケーションズ(au向けのみ)・東芝(KCP+対応機全てと同社製のスマートフォン)・京セラ(A5305KおよびW11K、同社SANYOブランドのW61SA、W63SA、W64SA、SA001、SA002を含むKCP+対応機全て)が採用している。またPHSではシャープで採用している機種がある。このほかには、ラベルライター、カーナビゲーション、映像機器等がある。 こうしたフルキーボードを持たない情報機器では、同じくジャストシステムが開発した予測変換機能・APOT (Advanced Prediction Optimization Technology) と組み合わされる場合が多い。+ATOKと競合するiWnnやPOBox Proの予測変換機能と比較すると、直前に使用した語句が頻度に関係なく表示される点、濁点や半濁点を含んだ候補まで表示される点が異なる。また+ATOKは収録語の追加・変更などは細かい部分での機能改善は行われているものの、PC版と比較するとバージョンアップがプレスリリースなどで明示されることは少ない。 文章入力専用携帯端末のポメラには、専用に調整された「ATOK for pomera」が搭載されている。中でも、上位機種には、「ATOK for pomera Professional」が搭載されている。 ATOK for Androidは、2011年(平成23年)6月22日に一般発売されたAndroidアプリ。サブスクリプションであるATOK Passportに移行するため、2021年10月31日付で買い切り版本ソフトのサポートを終了した。 ATOKの日本語入力と連携した機能が特徴のメモツール。Windows用のベータ版が2010年5月に無料公開された。Yahoo! JAPAN・Twitter・Evernoteなどのオンラインサービスとの連携機能も搭載する。 iPhone・iPod touch向けのATOK Padは2010年9月に有料配信が開始された。2011年4月19日にバージョン 2.0.0が公開されており、1200円で販売された。ATOKの日本語入力システムを内蔵し、入力した文字列を他のアプリケーション(メール作成・Twitterなど)やクリップボードに送ることで、擬似的にiPhoneでのATOK入力を可能にしている。ジャストシステムはATOK自体をiPhoneの日本語入力システムとして提供したい意向だが、Appleは標準以外のインプットメソッドを認めなかったため実現しなかった。iOS 8以降では、サードパーティーのインプットメソッドが許可され、ATOK for iOS として提供されるようになった。 2021年10月31日付で買い切り版ATOK for iOSのサポートを終了。翌日(11月1日)からサブスクリプションであるATOK Passport対応版のATOK for iOS [Professional]の提供を開始した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ATOK(エイトック)は、ジャストシステムが開発・販売しているかな漢字変換ソフトウェア(日本語入力システム)の名称であり、同社の登録商標でもある。2007年にグッドデザイン賞を受賞した。ATOKの名称は、Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer(かな漢字変換の先進技術)の頭文字に由来している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ATOKは、前身のKTIS (Kana-Kanji Transfer Input System) から一太郎のかな漢字変換部分として改版したソフトウェアであり、KTIS2の後の1985年に初版であるATOK3が登場した。ATOKは日本語かな漢字変換ソフトウェアの中で歴史が長いもののひとつで、一定規模のシェアを保ち続けている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ATOKは変換精度や学習能力が高く、カスタマイズ(プロパティ・環境設定)の柔軟性がある。他方、他のソフトウェアと相性的な問題が発生することも時折見られる。動作が重いときやソフトウェアの配色設定によっては入力に支障が出る場合もある。これらは動作検証が不十分なためである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ATOKは、かな漢字変換ソフトウェアの黎明期において、競合するソフトウェアが変換アルゴリズムにさまざまな工夫を凝らす中、変換アルゴリズムよりも辞書の質に重点を置く手法で変換精度を高めることに成功している。他社製のものでも学習を重ねることによって変換精度を高めることが可能であったものの、ATOKは初期状態から比較的高い精度を持っていたのが特徴であったといわれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ATOK7以降は一太郎とは別に単体販売も開始した。一太郎には最新版のATOKが付属するものの、出荷数はATOK単品の方が多いなどジャストシステムの主力製品になっている。2008年(平成20年)9月2日からは、月額あるいは年額ライセンス形態でも提供している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当初のMS-DOSとその後継であるWindowsのほか、Macintosh、Linux、HP-UX、Solaris、Windows CE、Palm OS、Androidとさまざまなプラットフォームに移植しており、また後述の+ATOKもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "バージョンアップはWindows版を先行させており、リリースが遅れがちな他OS版ではATOK離れが見られた時期があった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ATOKは一般用語の変換精度が高い一方、差別用語とされる単語や卑猥な単語などに対しては、MS-IMEと比べ強い自主規制を行っている。例えば、一般的にも広く用いられる小人(こびと)ですら初期の状態では変換することができない(詳しくは表現の自主規制#出版などを参照のこと)。ただし、単語登録の機能で「こびと→小人」のように強制的に変換させることはできる。また「小人」を「小(こ)」「人(びと)」に分割して変換することにより、自動的に学習して変換できるようになることもある。また初期状態においては、「しょうにん→小人」へ変換することはできる。また「陰唇」のように生理学用語の一部を登録していない。ジャストシステムはこの件に関して、誤用によって差別や障害に苦しむ人々の目に触れることなどを防止するためとの見解を出している。初期の状態で入っていない語句を使用したい利用者は、ATOKダイレクト(正規登録ユーザーのみが利用可能な追加辞書機能)を追加することにより変換が可能となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "連携電子辞典(広辞苑、明鏡国語辞典等)、連想変換辞書(角川類語新辞典、日本語使いさばき辞典等)、専門用語変換辞書(医療・電気・電子・情報等の変換・対訳)をATOKから利用できるようにすることで、著述業や専門職などヘビーユーザーにも普及した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ATOK15以降、日本語の方言や文語体など、さまざまな日本語変種への対応を始めているのも特徴の一つ。最新版は駅名やカタカナ語から英語への変換(パーソナルコンピュータ→personal computerなど)を実装している。ローマ字入力から任意の英単語(yomu→readなど)や英単語索引入力機能などの新機能が充実した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ATOK 2010からはプログラムがUnicodeに対応し、サポート外ではあるが、日本語版以外のWindowsでも利用できるようになった。ATOK 2011からはTSFに対応するようになった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ATOK 2017からは変換エンジンを刷新し、ディープラーニングによる日本語の解析結果を利用して変換効率を向上させている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2022年現在、下表の製品がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "REALFORCEには通常品にATOK専用のキーを3個追加した『REALFORCE CUSTOM Limited Edition』があり、ジャストシステムのオンラインショップ限定で販売されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ATOKの名称については、現在は「Advanced Technology Of Kana-Kanji Transfer」の略であるとしている。かつては「Automatic Transfer Of Kana-kanji」の略であるとされていた。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "他に、以下のような説がある。なお、ATOKの公式ウェブサイトでは、正式なもの以外を俗説とし、その一部に触れている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、読みとしては俗に、", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "と発音されているが、公式表記は「エイトック」である。標準辞書で「えいとっく」から「ATOK」に変換されるが、「あとっく」や「あとけー」などからは変換されない。なお会社側の表記には使われていないが「えーとっく」からも「ATOK」へ変換される(ATOK2017)。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1981年にロジックシステム社向けに開発したかな漢字変換ソフトがルーツである。1982年にはCP/M-80版を開発し、KTIS (Kana-kanji Transfer Input System) と名付けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "商用としての第一歩は1983年、一太郎の前身となったPC-100用のソフトウェア「JS-WORD」に搭載されていたMS-DOS版KTISである。PC-9801版のJS-WORD(Ver.2)が発売に合わせ、KTISもバージョンアップしてKTIS2となり、さらにPC-9801版「jX-WORD太郎」発売時、複合連文節変換に対応して名称がATOK3に改められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "後継ソフト「一太郎」 (Ver. 1) に搭載されたATOK4から、かな漢字変換システムとして一太郎から独立して使用することが可能になり、以降一太郎のバージョンアップに歩調を合わせて進化を重ねている。そのため、ATOK16までは一太郎本体のバージョンより3ずつバージョン表記が大きかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "しかし「一太郎2004」(ATOK 17を搭載)より一太郎のバージョン表記が西暦表記に変更されたことでこの関係が崩れ、さらに、「一太郎2005」に搭載された「ATOK 2005 (Tech Ver. 18)」からは、ついに一太郎本体とバージョン表記が同一になった。ただし、「ATOK」の内部バージョンについては引き続き2018年まで「一太郎」の内部バージョンより3ずつ大きくなっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "Macintosh用はATOK8が最初のリリース。その後2バージョン飛んで、ATOK11からはWindows用より約半年遅れで新バージョンを発売している。ATOK14からMac OS Xに対応、ATOK 2006からUniversal Binary(一部ユーティリティ等はPowerPCバイナリ)となり、Intel Macで使用できるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また2008年9月からは、Windows版にのみ、月額300円で使用できる「ATOK定額制サービス」の提供を開始、低料金で最新のプログラムと辞書コンテンツの提供を受けられるサービスを展開している。同サービスはMac版でも2009年9月から開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)11月から定額制サービスはATOK Passportにリニューアルされ、OS (Windows, Mac OS, Android) の種類を問わず最大10台まで最新版のATOKを利用できるようになった(利用料金はこれまで通り月額300円)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2015年のATOK 2015 (Tech Ver. 28) からWindows 10に正式対応し、Windows XPには非対応となり、インストール自体ができなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2017年のATOK 2017 (Tech Ver. 30) からは、Windows Vistaには非対応となり、インストール自体ができなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2018年のATOK for Windows Tech Ver.31では、単体での買い切りパッケージ版を取りやめ、ATOK Passportのみの提供となった。これにより、新規の買い切り版は「一太郎2018」に搭載された「ATOK for Windows 一太郎2018 Limited (Tech Ver. 31)」のみとなった一方、ATOK単体での買い切り版を希望する層向けにATOK 2017が引き続き販売されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2019年の「一太郎2019」には「ATOK for Windows 一太郎2019 Limited (Tech Ver. 31.2)」が搭載された。2018年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、それまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2020年の「一太郎2020」には「ATOK for Windows 一太郎2020 Limited (Tech Ver. 31.3)」が搭載された。Windows 7には非対応となり、インストール自体ができなくなった。2019年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、引き続きそれまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2021年の「一太郎2021」には「ATOK for Windows 一太郎2021 Limited (Tech Ver. 32)」が搭載された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2022年の「一太郎2022」では、「ATOK for Windows」の搭載を取りやめ、「ATOK Passport [プレミアム] 1年 一太郎2022 (Tech Ver. 32.2)」が搭載された。2021年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き32とされたため、ついに「ATOK」の内部バージョンと「一太郎」の内部バージョンが同一になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "携帯電話やPDA、ゲーム機、カーナビ等に向けた組込型製品群もあり、これらは +ATOK と総称される。以前は\"ATOK Pocket\"との名称が付けられていた。", "title": "+ATOK" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最初に携帯電話に採用されたのはNTTドコモの携帯電話・D503i(三菱電機製)であった。ソフトバンクやau(KDDI/沖縄セルラー電話)の携帯電話にも搭載例があり、ATOK for au等という呼び方もある(後述する、auスマートパス会員向けに提供されたものも「ATOK for au」だが、名前が同じだけの別物である)。特にauのKCP+機では標準でATOKが採用されているが、必ずしもATOKには固定されておらずKCP+機種でもシャープはケータイShoin(SH008以前、基幹エンジンは富士ソフトのFSKAREN)やiWnn(SH009以降)を、ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズはPOBox Proを独自搭載している。", "title": "+ATOK" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStation PortableやPlayStation 3、任天堂がOperaをベースに開発したニンテンドーDS用ウェブブラウザ「ニンテンドーDSブラウザー」や、同じく任天堂のニンテンドーDSi用のニンテンドーDSiブラウザー、Wiiにも採用されている。", "title": "+ATOK" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "携帯電話のメーカー別に見ると、三菱電機・富士通・カシオ日立モバイルコミュニケーションズ(カシオ計算機および日立製作所(→日立コンシューマエレクトロニクス))・鳥取三洋電機(現・三洋テクノソリューションズ鳥取)・三洋電機(大阪)(現・京セラSANYOブランド。W54SAとソフトウェアの開発を鳥取三洋電機が担当した機種のみ)・NEC(N600iのみ)・ノキア・パンテック&キュリテル・パナソニックモバイルコミュニケーションズ(au向けのみ)・東芝(KCP+対応機全てと同社製のスマートフォン)・京セラ(A5305KおよびW11K、同社SANYOブランドのW61SA、W63SA、W64SA、SA001、SA002を含むKCP+対応機全て)が採用している。またPHSではシャープで採用している機種がある。このほかには、ラベルライター、カーナビゲーション、映像機器等がある。", "title": "+ATOK" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "こうしたフルキーボードを持たない情報機器では、同じくジャストシステムが開発した予測変換機能・APOT (Advanced Prediction Optimization 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ATOK(エイトック)は、ジャストシステムが開発・販売しているかな漢字変換ソフトウェア(日本語入力システム)の名称であり、同社の登録商標でもある。2007年にグッドデザイン賞を受賞した。ATOKの名称は、Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer(かな漢字変換の先進技術)の頭文字に由来している。
{{出典の明記|date=2021年5月}} {{Infobox Software |名称 = ATOK |ロゴ = [[ファイル:ATOK logo 2018.svg|220px]] |スクリーンショット = |説明文 = 日本語入力システム |開発元 = [[ジャストシステム]] |最新版 = {{Indented plainlist| *ATOK for Windows (Tech Ver.33.0.5) / {{Start date and age|2023|6|20}} *ATOK for Mac (Ver.33.0.0) / {{Start date and age|2023|6|20}} *ATOK X3 for Linux / {{Start date and age|2007|11|30}} *ATOK for Android 1.9.11 / {{Start date and age|2023|6|6}} *ATOK for Android [Professional] 3.2.14 / {{Start date and age|2023|6|6}} *ATOK for iOS 1.7.0 / {{Start date and age|2020|10|8}} *ATOK for iOS [Professional] 2.2.1 / {{Start date and age|2023|6|6}} }} |最新版発表日 = |対応OS = {{Plainlist| *[[Microsoft Windows]] *[[macOS]] *[[Linux]] *[[Windows Mobile]] *[[Android (オペレーティングシステム)|Android]] *[[iOS]] *[[PlayStation 3]] }} |種別 = [[インプットメソッド]] |ライセンス = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] |公式サイト = [https://www.atok.com/ ATOK.com] |}}<!-- ソフトウェア概要テンプレート--> '''ATOK'''(エイトック)は、[[ジャストシステム]]が開発・販売している[[かな漢字変換]]ソフトウェア([[日本語入力システム]])の名称であり、同社の登録商標でもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2014-036615/F18E784C5F6ECEE20181476F86DA7C71C957E6EBE3C56DBE1DFA37850559EC0A/40/ja|title=文献固定アドレス用結果一覧|J-PlatPat [JPP]|accessdate=2021-06-13|publisher=独立行政法人工業所有権情報・研修館}}</ref>。2007年に[[グッドデザイン賞]]を受賞した。ATOKの名称は、Advanced Technology Of Kana-Kanji transfer(かな漢字変換の先進技術)の頭文字に由来している<ref>{{Cite web|title=ATOK Passport|Products {{!}} JustSystems|url=https://www.justsystems.com/en/products/atok/|website=JustSystems {{!}} ジャストシステム|accessdate=2021-06-13|language=en}}</ref>。 == 概要 == ATOKは、前身のKTIS (Kana-Kanji Transfer Input System) から[[一太郎]]のかな漢字変換部分として改版したソフトウェアであり、KTIS2の後の1985年に初版であるATOK3が登場した<ref>{{Cite web|和書|title=ATOK 進化の歩み|ATOK 30周年記念サイト|ATOK.com|url=http://www.atok.com/camp/30th/history/|website=ATOK.com|accessdate=2021-06-13|language=ja|first=JustSystems|last=Corporation}}</ref>。ATOKは日本語かな漢字変換ソフトウェアの中で歴史が長いもののひとつで、一定規模のシェアを保ち続けている。 ATOKは変換精度や学習能力が高く、カスタマイズ([[プロパティ]]・環境設定)の柔軟性がある。他方、他のソフトウェアと相性的な問題が発生することも時折見られる。動作が重いときやソフトウェアの配色設定によっては入力に支障が出る場合もある。これらは動作検証が不十分なためである。 ATOKは、かな漢字変換ソフトウェアの黎明期において、競合するソフトウェアが変換[[アルゴリズム]]にさまざまな工夫を凝らす中、変換アルゴリズムよりも辞書の質に重点を置く手法で変換精度を高めることに成功している。他社製のものでも学習を重ねることによって変換精度を高めることが可能であったものの、ATOKは初期状態から比較的高い精度を持っていたのが特徴であったといわれる。 '''ATOK7'''以降は一太郎とは別に単体販売も開始した。一太郎には最新版のATOKが付属するものの、出荷数はATOK単品の方が多いなどジャストシステムの主力製品になっている。[[2008年]](平成20年)[[9月2日]]からは、月額あるいは年額ライセンス形態でも提供している。 当初の[[MS-DOS]]とその後継であるWindowsのほか、Macintosh、[[Linux]]、[[HP-UX]]、[[Solaris]]、[[Windows CE]]、[[Palm OS]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]とさまざまな[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]に移植しており、また後述の[[#+ATOK|+ATOK]]もある。 [[バージョン|バージョンアップ]]はWindows版を先行させており、リリースが遅れがちな他OS版ではATOK離れが見られた時期があった。 かな漢字変換ソフトウェアが日本語の規範となるのを見越し、1992年に『ATOK監修委員会』を発足させた。座長は作家の[[紀田順一郎]]。 ATOKは一般用語の変換精度が高い一方、[[差別用語]]とされる単語や卑猥な単語などに対しては、[[Microsoft IME|MS-IME]]と比べ強い自主規制を行っている。例えば、一般的にも広く用いられる[[小人]](こびと)ですら初期の状態では変換することができない(詳しくは[[表現の自主規制#出版など]]を参照のこと)。ただし、単語登録の機能で「こびと→小人」のように強制的に変換させることはできる。また「小人」を「小(こ)」「人(びと)」に分割して変換することにより、自動的に学習して変換できるようになることもある。また初期状態においては、「しょうにん→小人」へ変換することはできる。また「[[陰唇]]」のように生理学用語の一部を登録していない。ジャストシステムはこの件に関して、誤用によって差別や障害に苦しむ人々の目に触れることなどを防止するためとの見解を出している<ref>[http://www.justsystems.com/jp/tech/atok/dic/faq/03.html 変換辞書をめぐるFAQ | ATOK.com]</ref>{{リンク切れ|date=2020年6月}}。初期の状態で入っていない語句を使用したい利用者は、ATOKダイレクト(正規登録ユーザーのみが利用可能な追加辞書機能)を追加することにより変換が可能となっている。 [[電子辞書|連携電子辞典]]([[広辞苑]]、[[明鏡国語辞典]]等)、連想変換辞書([[角川類語新辞典]]、[[日本語使いさばき辞典]]等)、専門用語変換辞書(医療・電気・電子・情報等の変換・対訳)をATOKから利用できるようにすることで、著述業や専門職などヘビーユーザーにも普及した。 '''ATOK15'''以降、[[日本語の方言]]や[[文語体]]など、さまざまな日本語変種への対応を始めているのも特徴の一つ。最新版は駅名や[[カタカナ語]]から[[英語]]への変換([[パーソナルコンピュータ]]→personal computerなど)を実装している。[[ローマ字]]入力から任意の英単語(yomu→readなど)や英単語索引入力機能などの新機能が充実した。 '''ATOK 2010'''からはプログラムが[[Unicode]]に対応し、サポート外ではあるが、日本語版以外のWindowsでも利用できるようになった。'''ATOK 2011'''からは[[Text_Services_Framework|TSF]]に対応するようになった。 '''ATOK 2017'''からは変換エンジンを刷新し、[[ディープラーニング]]による日本語の解析結果を利用して変換効率を向上させている。 2022年現在、下表の製品がある。 {|class=wikitable !対応環境!!製品名 |- | Android || ATOK for Android<br>ATOK for Android [Professional] |- | iOS || ATOK for iOS [Professional] |- | macOS || ATOK for Mac |- | Windows || ATOK for Windows |} [[REALFORCE]]には通常品にATOK専用のキーを3個追加した『REALFORCE CUSTOM Limited Edition』があり、ジャストシステムのオンラインショップ限定で販売されている。 == 名称 == {{en|ATOK}}の名称については、現在は「{{en|'''A'''dvanced '''T'''echnology '''O'''f '''K'''ana-Kanji Transfer}}」の略であるとしている。かつては「{{en|'''A'''utomatic '''T'''ransfer '''O'''f '''K'''ana-kanji}}」の略であるとされていた{{要出典|date=2014年6月|}}。 他に、以下のような説がある。なお、ATOKの公式ウェブサイトでは、正式なもの以外を俗説とし、その一部に触れている<ref name="officialweb">[https://web.archive.org/web/20071005100511/http://www.atok.com/atok/pop07.html ATOKの基本講座:ATOKヒストリー]</ref>。 * {{en|'''A'''scii '''TO''' '''K'''anji}} * {{en|'''A'''NK (alphabet-numeric-kana) '''TO''' '''K'''anji}} * {{en|'''A'''wa-'''TOK'''ushima}}(ジャストシステムの本社が「[[阿波国]]」[[徳島県]][[徳島市]]にあることより) * {{en|'''A'''wa '''T'''okushima '''O'''perates '''K'''anji}}(同上) また、読みとしては俗に、 * アトック * アトケー/アトケイ * アトキ * エイトゥーケー/エイトゥーケイ * エートーク/エイトーク と発音されているが、公式表記は「'''エイトック'''」である。標準辞書で「えいとっく」から「ATOK」に変換されるが、「あとっく」や「あとけー」などからは変換されない。なお会社側の表記には使われていないが「'''えーとっく'''」からも「ATOK」へ変換される(ATOK2017)。 == 歴史 == [[1981年]]にロジックシステム社向けに開発したかな漢字変換ソフトがルーツである。1982年には[[CP/M|CP/M-80]]版を開発し、'''KTIS''' ('''''K'''ana-kanji '''T'''ransfer '''I'''nput '''S'''ystem'') と名付けた。 商用としての第一歩は[[1983年]]、[[一太郎]]の前身となった[[PC-100]]用のソフトウェア「JS-WORD」に搭載されていたMS-DOS版KTISである。[[PC-9800シリーズ|PC-9801]]版のJS-WORD(Ver.2)が発売に合わせ、KTISもバージョンアップして'''KTIS2'''となり、さらにPC-9801版「jX-WORD太郎」発売時、複合連文節変換に対応して名称が'''ATOK3'''に改められた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.atok.com/backnumber/tech/tec_text_2.html|title=黎明期 ジャストシステムの日本語テクノロジー|publisher=ATOK.com|date=2003-03-01|access-date=2021-03-13}}</ref>。 後継ソフト「一太郎」 (Ver. 1) に搭載された'''ATOK4'''から、かな漢字変換システムとして一太郎から独立して使用することが可能になり、以降一太郎のバージョンアップに歩調を合わせて進化を重ねている。そのため、'''ATOK16'''までは一太郎本体のバージョンより3ずつバージョン表記が大きかった。 しかし「一太郎2004」('''ATOK 17'''を搭載)より一太郎のバージョン表記が[[西暦]]表記に変更されたことでこの関係が崩れ、さらに、「一太郎2005」に搭載された「'''ATOK 2005''' (Tech Ver. 18)」からは、ついに一太郎本体とバージョン表記が同一になった。ただし、「ATOK」の内部バージョンについては引き続き2018年まで「一太郎」の内部バージョンより3ずつ大きくなっていた。 [[Macintosh]]用はATOK8が最初のリリース。その後2バージョン飛んで、ATOK11からはWindows用より約半年遅れで新バージョンを発売している。ATOK14からMac OS Xに対応、ATOK 2006から[[Universal Binary]](一部ユーティリティ等は[[PowerPC]]バイナリ)となり、[[Intel Mac]]で使用できるようになった。 また2008年9月からは、Windows版にのみ、月額300円で使用できる「ATOK定額制サービス」の提供を開始、低料金で最新のプログラムと辞書コンテンツの提供を受けられるサービスを展開している。同サービスはMac版でも[[2009年]]9月から開始された。 [[2011年]](平成23年)11月から定額制サービスはATOK Passportにリニューアルされ、OS (Windows, Mac OS, Android) の種類を問わず最大10台まで最新版のATOKを利用できるようになった(利用料金はこれまで通り月額300円)<ref>{{Cite web|和書|url = https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/489242.html|title = 「ATOK Passport」提供開始、Windows/Mac/Android向けATOKが月額300円 |publisher = INTERNET Watch|date = 2011-11-08|accessdate = 2013-02-17}}</ref>。 [[2015年]]の'''ATOK 2015''' (Tech Ver. 28) から[[Microsoft Windows 10|Windows 10]]に正式対応し、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]には非対応となり、インストール自体ができなくなった<ref>{{Cite web|和書|publisher=ジャストシステム|title=動作環境/製品構成 | 日本語入力システム ATOK 2015 for Windows|url=http://www.justsystems.com/jp/products/atok/spec.html|date=2015-08-05|accessdate=2015-08-05}}</ref>。 [[2017年]]の'''ATOK 2017''' (Tech Ver. 30) からは、[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]には非対応となり、インストール自体ができなくなった。 [[2018年]]の'''ATOK for Windows Tech Ver.31'''では、単体での買い切りパッケージ版を取りやめ、ATOK Passportのみの提供となった<ref>{{Cite web|和書|url = https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1095071.html|title = 【速報】新ATOK、パッケージ版廃止で月額制のみに |publisher = PC Watch|date = 2017-12-05|accessdate = 2018-02-10}}</ref>。これにより、新規の買い切り版は「一太郎2018」に搭載された「'''ATOK for Windows 一太郎2018 Limited''' (Tech Ver. 31)」のみとなった一方、ATOK単体での買い切り版を希望する層向けにATOK 2017が引き続き販売されている。 [[2019年]]の「一太郎2019」には「'''ATOK for Windows 一太郎2019 Limited''' (Tech Ver. 31.2)」が搭載された。2018年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、それまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。 [[2020年]]の「一太郎2020」には「'''ATOK for Windows 一太郎2020 Limited''' (Tech Ver. 31.3)」が搭載された。[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]には非対応となり、インストール自体ができなくなった<ref>{{Cite web|和書|publisher=ジャストシステム|title=動作環境/旧バージョンとの機能比較| ATOK for Windows|url=http://www.justsystems.com/jp/products/atok/spec.html|date=2020-02-07|accessdate=2020-02-07}}</ref>。2019年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き31とされたため、引き続きそれまでの「一太郎」の内部バージョンとの関係が崩れた。 [[2021年]]の「一太郎2021」には「'''ATOK for Windows 一太郎2021 Limited''' (Tech Ver. 32)」が搭載された。 [[2022年]]の「一太郎2022」では、「ATOK for Windows」の搭載を取りやめ、「'''ATOK Passport [プレミアム] 1年 一太郎2022''' (Tech Ver. 32.2)<ref group="注">ATOK 40周年記念、1年間のライセンス、10台まで使用可能、Windows/Mac/Android/iOSの4つのOSに対応。</ref>」が搭載された。2021年版より機能は改良されているもののTech Ver.は引き続き32とされたため、ついに「ATOK」の内部バージョンと「一太郎」の内部バージョンが同一になった。 == +ATOK == [[携帯電話]]や[[携帯情報端末|PDA]]、[[ゲーム機]]、[[カーナビ]]等に向けた組込型製品群もあり、これらは '''+ATOK''' と総称される。以前は"ATOK Pocket"との名称が付けられていた。 最初に携帯電話に採用されたのは[[NTTドコモ]]の携帯電話・[[D503i]]([[三菱電機]]製)であった。[[ソフトバンクモバイル|ソフトバンク]]や[[Au (携帯電話)|au]]([[KDDI]]/[[沖縄セルラー電話]])の携帯電話にも搭載例があり、'''ATOK for au'''等という呼び方もある(後述する、auスマートパス会員向けに提供されたものも「ATOK for au」だが、名前が同じだけの別物である)。特にauの[[KCP+]]機では標準でATOKが採用されている<ref>{{Cite web|和書 |date=2007-10-16 |url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0710/16/news097.html |title=携帯の統合プラットフォーム、ATOK採用 |publisher=ITmedia エンタープライズ |language=日本語 |accessdate=2011-05-28 }}</ref>が、必ずしもATOKには固定されておらずKCP+機種でも[[シャープ]]はケータイShoin(SH008以前、基幹エンジンは[[富士ソフト]]の[[FSKAREN]])や[[Wnn|iWnn]](SH009以降)を、[[ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ]]は[[POBox|POBox Pro]]を独自搭載している。 [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]の[[PlayStation Portable]]や[[PlayStation 3]]<ref>[http://www.justsystems.com/jp/news/2006l/news/j11131.html 次世代コンピュータエンタテインメントシステム「プレイステーション 3」に「ATOK」が標準搭載 ~ゲームソフトやサービスでの快適な日本語入力を実現~] - 2006年11月13日 [[ジャストシステム]]</ref>、[[任天堂]]が[[Opera]]をベースに開発した[[ニンテンドーDS]]用[[ウェブブラウザ]]「[[ニンテンドーDSブラウザー]]」や、同じく任天堂のニンテンドーDSi用の[[ニンテンドーDSiブラウザー]]、[[Wii]]にも採用されている。 携帯電話のメーカー別に見ると、三菱電機・[[富士通]]・[[カシオ日立モバイルコミュニケーションズ]]([[カシオ計算機]]および[[日立製作所]](→[[日立コンシューマエレクトロニクス]]))・鳥取三洋電機(現・[[三洋テクノソリューションズ鳥取]])・[[三洋電機|三洋電機(大阪)]](現・[[京セラ]]SANYOブランド。[[W54SA]]とソフトウェアの開発を鳥取三洋電機が担当した機種のみ)・[[日本電気|NEC]]([[N600i]]のみ)・[[ノキア]]・[[パンテック&キュリテル]]・[[パナソニックモバイルコミュニケーションズ]](au向けのみ)・[[東芝]](KCP+対応機全てと同社製のスマートフォン)・京セラ([[A5305K]]および[[W11K]]、同社SANYOブランドの[[W61SA]]、[[W63SA]]、[[W64SA]]、[[SA001]]、[[SA002]]を含むKCP+対応機全て)が採用している。またPHSでは[[シャープ]]で採用している機種がある。このほかには、[[ラベルライター]]、カーナビゲーション、[[映像機器]]等がある。 こうしたフルキーボードを持たない情報機器では、同じくジャストシステムが開発した[[入力予測|予測変換]]機能・'''APOT''' ('''A'''dvanced '''P'''rediction '''O'''ptimization '''T'''echnology) と組み合わされる場合が多い。+ATOKと競合するiWnnやPOBox Proの予測変換機能と比較すると、直前に使用した語句が頻度に関係なく表示される点、濁点や半濁点を含んだ候補まで表示される点が異なる<ref name="itmedia2004">{{Cite web|和書|author=太田純|date=2005-01-12|url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0501/12/news061.html|title=大画面+ATOK、「W21CA」の文字入力の実力は?|work=効率よいメール入力を考える:第1回|publisher=[[ITmedia|ITmedia +mobile]]|language=日本語|accessdate=2011-05-27}}</ref>。また+ATOKは収録語の追加・変更などは細かい部分での機能改善は行われているものの、PC版と比較するとバージョンアップがプレスリリースなどで明示されることは少ない。 文章入力専用携帯端末の[[ポメラ]]には、専用に調整された「ATOK for pomera」が搭載されている。中でも、上位機種には、「ATOK for pomera Professional」が搭載されている。 == モバイル向けソフト == === ATOK for Android === ATOK for Androidは、2011年(平成23年)[[6月22日]]に一般発売されたAndroidアプリ。[[サブスクリプション]]であるATOK Passportに移行するため、2021年10月31日付で買い切り版本ソフトのサポートを終了した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=スマホ向けATOKの買い切り版、10月末でサポート終了へ Android版はサブスクで継続|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2110/06/news167.html|website=ITmedia NEWS|accessdate=2021-11-02|date=2021-10-06}}</ref>。 ; 体験版 : [[2010年]][[11月26日]]から、体験版がNTTドコモの一部の[[Android (オペレーティングシステム)|Android]][[スマートフォン]]向けに「ATOK for Android [Trial]」として提供されていた。「Androidで試してナットク!エイトック!トライアルキャンペーン」と称された。その後、2011年2月末までとされていた体験版試用期間を、2011年[[6月30日]]に延期すると発表。同時にauとソフトバンクの一部機種も体験版の対象機種に加えた。 ; 有料版 : ATOK for Androidの有料版は、2011年6月22日に発売された。価格は1,500円で、2011年[[6月27日]]までは980円となっている。一般発売からは[[イー・モバイル]]、[[日本通信]]の機種などにも対応している。また[[NTTドコモ]]の[[スゴ得コンテンツ]]では「ATOK for スゴ得」の名称で、[[auスマートパス]]では「ATOK for au」の名称で有料版が利用可能。 ; プリインストール機 : 正式版としては2010年(平成22年)[[12月17日]]発売の[[T-01C]]が初めてプリインストールで採用した。その後、2011年2月10日発売の[[IS04]]、2011年3月15日発売の[[N-04C]]がプリインストールで採用している。プリインストール機でも有料版のインストールはできるが、日本語入力は同じATOKでも別のものとして扱われる。[[富士通モバイルコミュニケーションズ]]製のAndroidスマートフォンでは手書き入力にも対応している。 ; 搭載されている機器 :[[日本電気|NEC]]製並びに[[NECカシオ モバイルコミュニケーションズ]]製、[[富士通モバイルコミュニケーションズ]](→富士通コネクテッドテクノロジーズ→[[FCNT]])製のAndroidスマートフォン・タブレット全機種。なおNTTドコモ向けのプリインストール版は、前述のとおり手書き入力機能などが追加されている関係から「'''NX!input'''」という別ブランド扱いとなっている<ref>[https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/column/minna/513250.html 「ATOK+手書き入力」が便利な日本語入力「NX!input」] - ケータイWatch・2012年2月22日</ref>。また、富士通モバイルコミュニケーションズ(→富士通コネクテッドテクノロジーズ→FCNT)向けのプリインストール版は2014年5月以降に販売開始された機種については、富士通とジャストシステムが共同開発した「'''Super ATOK ULTIAS'''」がプリインストールされている<ref>{{Cite press release |和書 |title=スマートフォン史上最高レベルの日本語入力システム「Super ATOK ULTIAS」を共同開発 |publisher=[[富士通|富士通株式会社]]、[[ジャストシステム|株式会社ジャストシステム]] |date=2014-04-24 |url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/04/24.html |accessdate=2019-06-13}}</ref>。 === ATOK Pad・ATOK for iOS === ATOKの日本語入力と連携した機能が特徴のメモツール。Windows用のベータ版が2010年5月に無料公開された。[[Yahoo! JAPAN]]・[[Twitter]]・[[Evernote]]などのオンラインサービスとの連携機能も搭載する。 [[iPhone]]・[[iPod touch]]向けのATOK Padは2010年9月に有料配信が開始された。2011年[[4月19日]]にバージョン 2.0.0が公開されており、1200円で販売された。ATOKの日本語入力システムを内蔵し、入力した文字列を他のアプリケーション(メール作成・Twitterなど)やクリップボードに送ることで、擬似的にiPhoneでのATOK入力を可能にしている。ジャストシステムはATOK自体をiPhoneの日本語入力システムとして提供したい意向だが、[[Apple]]は標準以外のインプットメソッドを認めなかったため実現しなかった。[[iOS]] 8以降では、サードパーティーのインプットメソッドが許可され、ATOK for iOS として提供されるようになった<ref>{{Cite web|和書|author=宮本真希|date=2010-09-21|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1009/21/news090.html|title=iPhoneのIMEとしてATOK提供「あきらめていない」|publisher=[[ITmedia]]|language=日本語|accessdate=2011-05-27}}</ref>。 2021年10月31日付で買い切り版ATOK for iOSのサポートを終了<ref name=":0" />。翌日(11月1日)からサブスクリプションであるATOK Passport対応版のATOK for iOS [Professional]の提供を開始した<ref>{{Cite web|和書|title=ジャスト、日本語入力システム「ATOK Passport」がiOSに対応--2022年2月から値上げも|url=https://japan.cnet.com/article/35178859/|website=CNET Japan|date=2021-11-02|accessdate=2021-11-02}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == * [[日本語入力システム]] * [[誤変換]] * [[インプットメソッド]] ([[IME]]) * [[一太郎]] * [[Justsystem Office]]/[[一太郎Office]]/[[JUST Suite]] == 外部リンク == * [https://www.atok.com/ ATOK.com] * {{Twitter|ATOK_js|ATOK公式}} * {{Facebook|ATOKjs}} * {{Instagram|atokjs}} * {{YouTube|c=UCGb4d7P-cs-tdCadXmRIPXg}} {{Input Method}} {{一太郎}} {{DEFAULTSORT:ATOK}} [[Category:ジャストシステム]] [[Category:日本語入力ソフト]] [[Category:クロスプラットフォームのソフトウェア]] [[Category:Androidのソフトウェア]] [[Category:グッドデザイン賞]] [[Category:1981年のソフトウェア]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ATOK
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無限
無限(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。 「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば哲学、数学、論理学や自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。 本項では、数学などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する。 紀元前400年から西暦200年頃にかけてのインド数学では、膨大な数の概念を扱っていたジャイナ教の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(Surya Prajnapti)では、すべての数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。さらに無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとした。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの集合論や超限数の概念を研究した。 「ウロボロスが由来となっている。」や、「ジョン・ウォリスが無限大の記号として採用したのが最初である。」などの説が存在するが、「ローマ数字のↀ(CIƆ)が変化したものである。」という説が有力とされている。 ドイツの数学者ゲオルク・カントールは、無限には異なる種類があることを見出し、これを超限数と名付けた。現代数学では濃度の概念で捉えられる。 超限数は א {\displaystyle \aleph } (アレフ)の記号を用いて表記され、最も濃度が小さいものは א 0 {\displaystyle \aleph _{0}} (アレフ・ヌル、またはアレフ・ゼロ)で表される。 א 0 {\displaystyle \aleph _{0}} の次に大きい濃度を持つ集合の濃度は א 1 {\displaystyle \aleph _{1}} で表され、以後同様に א 2 {\displaystyle \aleph _{2}} 等が定義される。一方、濃度 κ {\displaystyle \kappa } を持つ集合の冪集合の濃度は 2 κ {\displaystyle 2^{\kappa }} で表されるが、この濃度が常に κ {\displaystyle \kappa } より真に大きくなることがカントールにより証明されている。 自然数全体の集合 N の濃度は א 0 {\displaystyle \aleph _{0}} である。整数全体の集合 Z や有理数全体の集合 Q の濃度も א 0 {\displaystyle \aleph _{0}} であり、この無限を可算無限と呼ぶ。 2 א 0 {\displaystyle 2^{\aleph _{0}}} の濃度を持つ集合としては実数全体の集合 R がある。 カントールは、 א 0 {\displaystyle \aleph _{0}} より濃度が大きく 2 א 0 {\displaystyle 2^{\aleph _{0}}} より濃度が小さい無限は存在しない、つまり、 2 א 0 = א 1 {\displaystyle 2^{\aleph _{0}}=\aleph _{1}} が成り立つという仮説(連続体仮説)を立てたが、これを証明することはできなかった。連続体仮説は、現在では通常の数学の体系からは「証明も反証もできない」ことが証明されている。 ある集合が自身と対等な(すなわち同じ濃度を持つ)真部分集合が存在するとき、その集合はデデキント無限であるという。デデキント無限でない集合はデデキント有限であるという。デデキント無限集合は常に無限集合であるが、その逆を証明するには弱い形の選択公理が必要である。無限集合が、デデキント無限集合であるということと、可算無限部分集合を持つことは同値である。
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無限(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。 「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば哲学、数学、論理学や自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。 本項では、数学などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する。
{{Otheruseslist|概念|[[本田技研工業|ホンダ]]系の[[自動車]]パーツメーカー|M-TEC|その他の用法|Mugen}} [[File:Infinite.svg|thumb|200px|right|[[∞]]は無限を示す記号である]] {{記号文字|∞}} '''無限'''(むげん、infinity、∞)とは、限りの無いことである。 「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、[[有限]]な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば[[哲学]]、[[数学]]、[[論理学]]や[[自然科学]]などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。 本項では、[[数学]]などの学問分野において、無限がどのように捉えられ、どのように扱われるのかを記述する<!--と良いかもしれない。歴史や変遷など詳しい方、よろしければお願いします。あるいは、ある程度は英語版からもらってくる?-->。 == 無限に関する様々な数学的概念 == [[Image:Peanocurve.svg|400px|thumb|[[ペアノ曲線]]の構成を三回反復したもの。無限に反復した極限で[[空間充填曲線]]となる。]] ;無限大 :記号∞ ([[ニールス・アーベル|アーベル]]などはこれを 1 / 0 のように表記していた)で表す。 :大雑把に言えば、いかなる数よりも大きいさまを表すものであるが、より明確な意味付けは文脈により様々である。例えば、どの[[実数]]よりも大きな(実数の範疇からはずれた)ある特定の“数”と捉えられることもある([[超準解析]]や集合の[[濃度 (数学)|基数]]など)し、ある変量がどの実数よりも大きくなるということを表すのに用いられることもある([[極限]]など)。無限大をある種の数と捉える場合でも、それに適用される計算規則の体系は1つだけではない。[[実数]]の拡張としての無限大には ∞ (+∞) と −∞ がある。大小関係を定義できない[[複素数]]には無限大の概念はないが、類似の概念として[[無限遠点]]を考えることができる。また、計算機上では(本来なら考えない数だが)たとえば「∞+i」のような数を扱えるものも多い。 ;[[無限小]](infinitesimal) :([[0]]を除く)いかなる数よりも(その[[絶対値]]が)小さな数ととられることもある記号あるいは拡張された数。無限大と同じく、これは1つの数を表すものではなく、限りなく小さくなりうる変数と考える。[[微分積分学]]における ''dx'' などの記号は、これが無限小であるとする考え方は、19世紀を通じて否定されるようになったが、20世紀後半からは、[[超準解析]]の立場から見直されるようになった。 : :感覚的には分かり易いと思われる直観的な無限大・無限小の概念ではあるが、現代的な[[実数]]論には直接的には存在しない(いわゆる [[イプシロン-デルタ論法|ε-δ 論法]]によって量的に扱われる)。一方で、[[超準解析]]などにおいては数学的に定式化され、その存在を肯定される。 ;[[無限遠点]] [[ファイル:Riemann_sphere1.jpg|thumb|right|250px|複素数 ''A'' を[[リーマン球面]]上の一点 &alpha; に写す立体射影。[[共形同値]]]] :[[ユークリッド幾何学|ユークリッド空間]]で[[平行]]に走る[[直線|線]]が、交差するとされる空間外の[[点 (数学)|点]]あるいは拡張された空間における無限遠の点。平行な直線のクラスごとに1つの無限遠点があるとする場合は[[射影幾何学|射影空間]]が得られる。この場合、無限遠点の全体は1つの[[射影幾何学|超平面]](無限遠直線、無限遠平面 etc.)を構成する。また全体でただ1つの無限遠点があるとする場合は([[超球面|超]])[[球面]]が得られる。[[複素平面]]に1つの無限遠点 ∞ を追加して得られる[[リーマン球面]]は理論上きわめて重要である。無限遠点をつけ加えてえられる射影空間や超球面はいずれも[[コンパクト空間|コンパクト]]になる。 ;無限集合 :[[有限集合]](その[[濃度 (数学)|要素の数]]が[[自然数]]で表せる集合)でない[[集合]]。 :;[[可算集合|可算無限集合]]''' ::[[自然数]]全体 '''N''' からの[[全単射]]が存在する、すなわち[[数え上げ]]可能な無限集合。[[整数]]の全体、[[有理数]]の全体、[[代数的数]]の全体などはそうである。 :;[[非可算集合]] ::自然数全体 '''N''' からの全単射が存在しない、すなわち数え上げ不可能な無限集合。実数の全体、複素数の全体などはそうである。 ;無限小数 :その[[小数]]表示が有限の桁ではない数。 ;無限列 :数(あるいは点などの要素)に番号を付けて無限に並べたもの、つまり長さが無限の[[数列]]、点列など。より厳密には[[自然数]]全体の集合 '''N''' 上で定義される[[写像]]。 == 歴史 == 紀元前400年から西暦200年頃にかけての[[インド数学]]では、膨大な数の概念を扱っていた[[ジャイナ教]]の学者たちが早くから無限に関心をもった。教典の一つである「スーリヤ・プラジュニャプティ」(''Surya Prajnapt''i)では、すべての数は可算、不可算、無限の3種類に分類できるとしている。さらに無限には、1方向の無限、2方向の無限、平面の無限、あらゆる方向の無限、永遠に無限の5種類があるとした。これにより、ジャイナ教徒の数学者は現在でいうところの[[集合論]]や超限数の概念を研究した。 == 無限大記号の由来 == {{main|∞}} 「[[ウロボロス]]が由来となっている。」や、「[[ジョン・ウォリス]]が無限大の記号として採用したのが最初である<ref>YEO・エイドリアン 『πとeの話 数の不思議』 p.63、青土社、2008年</ref>。」などの説が存在するが、「[[ローマ数字]]のↀ(CIƆ)が変化したものである。」という説が有力とされている。 == 超限数 == {{details|超限数}} [[ドイツ]]の[[数学者]][[ゲオルク・カントール]]は、無限には異なる種類があることを見出し、これを'''超限数'''と名付けた。現代数学では[[濃度 (数学)|濃度]]の概念で捉えられる。 超限数は [[アレフ数|<math>\aleph</math>(アレフ)]]の記号を用いて表記され、最も濃度が小さいものは <math>\aleph_0</math>(アレフ・ヌル、またはアレフ・ゼロ)で表される。<math>\aleph_0</math> の次に大きい濃度を持つ[[集合]]の濃度は <math>\aleph_1</math> で表され、以後同様に <math>\aleph_2</math> 等が定義される。一方、濃度 <math>\kappa</math> を持つ集合の冪集合の濃度は <math>2^{\kappa}</math> で表されるが、この濃度が常に <math>\kappa</math> より真に大きくなることがカントールにより証明されている。 [[自然数]]全体の集合 '''N''' の濃度は <math>\aleph_0</math> である。整数全体の集合 '''Z''' や有理数全体の集合 '''Q''' の濃度も <math>\aleph_0</math> であり、この無限を[[可算集合|可算無限]]と呼ぶ。<math>2^{\aleph_0}</math> の濃度を持つ集合としては[[実数]]全体の集合 '''R''' がある。 カントールは、<math>\aleph_0</math> より濃度が大きく <math>2^{\aleph_0}</math> より濃度が小さい無限は存在しない、つまり、<math>2^{\aleph_0}=\aleph_1</math> が成り立つという仮説([[連続体仮説]])を立てたが、これを証明することはできなかった。連続体仮説は、現在では通常の数学の体系からは「証明も反証もできない」ことが証明されている。 == デデキント無限 == {{details|デデキント無限}} ある集合が自身と対等な(すなわち同じ[[濃度 (数学)|濃度]]を持つ)真部分集合が存在するとき、その集合はデデキント無限であるという。デデキント無限でない集合はデデキント有限であるという。デデキント無限集合は常に無限集合であるが、その逆を証明するには弱い形の[[選択公理]]が必要である。無限集合が、デデキント無限集合であるということと、[[可算]]無限部分集合を持つことは同値である。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|8734|221E|1-1-71|無限大|infin}} |} == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2023年1月|section=1}} * 数学分野 ** [[ジョージ・G・ジョーゼフ]] 『非ヨーロッパ起源の数学』 [[垣田高夫]]、[[大町比佐栄]]訳、[[講談社]]、1996年。 ** [[竹内外史]] 『集合とはなにか』[[講談社ブルーバックス]] 1976年 (集合についての入門書) ** [[結城浩]] 『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』 2009年 ** [[新井敏康]] 『数学基礎論』岩波書店 2011年 (増補版) 東京大学出版会 2021年 (数学基礎論(数理論理学)に関するテキスト) * 哲学分野 ** [[:en:A. W. Moore (philosopher)|A.W・ムーア]] 『無限 その哲学と数学』 [[石村多門]]訳、[[講談社学術文庫]] 2012年 ** [[野矢茂樹]] 『無限論の教室』 [[講談社現代新書]] 1998年(本書は、実無限(無限個の対象の存在を認める立場)を否定する、可能無限(いくらでも大きな有限が存在するだけとする立場)から書かれている。) == 関連項目 == {{Wiktionary|無限}} * [[濃度 (数学)]] * [[極限]] * [[超実数]] * [[ウロボロス]] * [[有限]] * [[ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス]] * [[連続体仮説]] * [[拡大実数]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Infinity}} {{Analysis-footer}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:むけん}} [[Category:無限|*]] [[Category:数学の哲学]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:哲学の概念]] [[Category:数理論理学]]
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炭酸カルシウム
炭酸カルシウム(たんさんカルシウム、calcium carbonate)は、組成式 CaCO3 で表されるカルシウムの炭酸塩である。 貝殻やサンゴの骨格、鶏卵の殻、石灰岩、大理石、鍾乳石、白亜(チョーク)、方解石、霰石の主成分で、貝殻を焼いて作る顔料は胡粉と呼ばれる。土壌ではイタリアのテラロッサに含まれる。 実験室では、水酸化カルシウム水溶液に二酸化炭素を吹き込むことで合成する(石灰水による二酸化炭素の検出原理)。 あるいは塩化カルシウム等の可溶性カルシウム塩水溶液と炭酸ナトリウム等の可溶性炭酸塩水溶液を混合させることで合成する(溶液法あるいは可用性塩反応法)。 産業的には「炭カル(タンカル)」と通称され、石灰石を粉砕・分級した重質炭酸カルシウム(天然炭酸カルシウム、GCC; ground calcium carbonate)と化学反応で微細な結晶を液中で析出させた軽質炭酸カルシウム(合成炭酸カルシウム、沈降炭酸カルシウム、PCC; precipitated calcium carbonate)に分類される。 軽質炭酸カルシウムは、 (1) 焼成: 石灰石を高温で焼成することで脱炭酸し、生石灰を得る (2) 水化: 生石灰を十分な量の水と反応させ、石灰乳(消石灰スラリー)を得る (3) 炭酸化(化合): 焼成時に発生した炭酸ガスを石灰乳に導入し、液中で炭酸カルシウムを析出させる ことで製造される。 焼成時に発生した炭酸ガスを再利用する製法は、開発者である白石恒二(白石工業・創立者)の名に因んで特に白石法と呼称される。他方、欧米では溶液法によって生産されることもある。 錠剤の基材、チョーク、窯業、農薬、肥料、飼料などに用いられる他、填料としてゴム、プラスチック、接着剤、シーラント、紙、塗料、インキなど広範な工業分野で利用されている。製紙では塗工紙向け顔料のほか、炭酸カルシウムを主原料にした紙も日本で開発されている。研磨作用を利用し消しゴムや歯磨剤にも配合される。 化粧品原料、食品添加物としても使用が認められている。食品添加物としては栄養強化(カルシウム強化)を目的として乳飲料、即席麺等に添加される他、食感改善を目的として菓子やパン、水産練り製品等に添加される。 医薬品としては、維持透析中の慢性腎不全患者の高リン血症に対して、ないしは胃酸過多に対して制酸剤として用いられる。栄養素としてのカルシウム補充目的のサプリメントとしても販売されている。 地球温暖化対策として大気中の二酸化炭素濃度を減らすため、海水中の二酸化炭素をカルシウムイオンと共に晶出させ、炭酸カルシウムとして二酸化炭素を固定する「人工サンゴ」「人工珊瑚」というものが研究されている。 無色結晶または白色粉末であり、中性の水にほとんど溶けないが、塩酸などの強酸と反応して、二酸化炭素を放出する。 25 °C における溶解度積は以下の通りであり、炭酸バリウムよりやや小さく炭酸ストロンチウムよりやや大きい。 加熱することにより酸化カルシウムと二酸化炭素に分解する。二酸化炭素の解離圧が1気圧に達するのは 898 °C である。 水酸化カルシウム水溶液(石灰水)に二酸化炭素を吹き込むと炭酸カルシウムの沈殿が生じる。さらに過剰の二酸化炭素を吹き込むと炭酸水素カルシウム Ca(HCO3)2 となり水に溶解する。 多少吸い込んでも、肺の中に蓄積しない。血液の中には二酸化炭素があり、炭酸カルシウムは炭酸水素カルシウムに変化して溶解するからである。 固体結晶には常温常圧で最安定なカルサイト(三方晶系菱面体晶のもの、(方解石として産出)および準安定相であるアラゴナイト(直方晶系、霰石として産出)、不安定なヴァテライト(六方晶、ファーテル石)の構造多形が存在する。三方晶系の格子定数は a = 6.36 Å、α = 46.4°であり、斜方晶系では a = 7.92 Å、b = 5.72 Å、c = 4.94 Å である。 屈折率は三方晶系では通常光線に対して 1.6585、異常光線に対して 1.4864 の複屈折を示す。斜方晶系では 1.681(a軸に平行)、1.685(b軸に平行)、1.530(c軸に平行)と3軸不等である。 室温で塩基性の水溶液から炭酸カルシウムを析出させるとカルサイト結晶が生じるが、高温で析出させるとアラゴナイトが析出する。また、中性付近の溶液からだと最初はヴァテライトが析出する。 また、天然に産出する含水塩としてモノハイドロカルサイト CaCO3·H2O およびイカ石 CaCO3·6H2O が知られている。 自然界では、主にかつて海だった場所で、炭酸カルシウムを成分とする球状の岩石がしばしば見つかり、コンクリーション(Concretion)あるいはノジュール(Nodule)と呼ばれる。中に化石を含むことが多い。これらは海洋生物が死んで砂や泥に埋まると、その死骸から出た酸が海水中のカルシウムと反応して炭酸カルシウムを形成し、岩石として成長したと推測されている。 水中の炭酸カルシウムの析出傾向(腐食性)を示す数値にランゲリア係数がある。理論的pH(pHs:水中の炭酸カルシウムが溶解も析出もしない平衡状態時のpH)との差を数値化したもので、数値が小さいほど腐食性が強い水であることを示す。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "炭酸カルシウム(たんさんカルシウム、calcium carbonate)は、組成式 CaCO3 で表されるカルシウムの炭酸塩である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "貝殻やサンゴの骨格、鶏卵の殻、石灰岩、大理石、鍾乳石、白亜(チョーク)、方解石、霰石の主成分で、貝殻を焼いて作る顔料は胡粉と呼ばれる。土壌ではイタリアのテラロッサに含まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "実験室では、水酸化カルシウム水溶液に二酸化炭素を吹き込むことで合成する(石灰水による二酸化炭素の検出原理)。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "あるいは塩化カルシウム等の可溶性カルシウム塩水溶液と炭酸ナトリウム等の可溶性炭酸塩水溶液を混合させることで合成する(溶液法あるいは可用性塩反応法)。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "産業的には「炭カル(タンカル)」と通称され、石灰石を粉砕・分級した重質炭酸カルシウム(天然炭酸カルシウム、GCC; ground calcium carbonate)と化学反応で微細な結晶を液中で析出させた軽質炭酸カルシウム(合成炭酸カルシウム、沈降炭酸カルシウム、PCC; precipitated calcium carbonate)に分類される。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "軽質炭酸カルシウムは、", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "(1) 焼成: 石灰石を高温で焼成することで脱炭酸し、生石灰を得る", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "(2) 水化: 生石灰を十分な量の水と反応させ、石灰乳(消石灰スラリー)を得る", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "(3) 炭酸化(化合): 焼成時に発生した炭酸ガスを石灰乳に導入し、液中で炭酸カルシウムを析出させる", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ことで製造される。 焼成時に発生した炭酸ガスを再利用する製法は、開発者である白石恒二(白石工業・創立者)の名に因んで特に白石法と呼称される。他方、欧米では溶液法によって生産されることもある。", "title": "製法" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "錠剤の基材、チョーク、窯業、農薬、肥料、飼料などに用いられる他、填料としてゴム、プラスチック、接着剤、シーラント、紙、塗料、インキなど広範な工業分野で利用されている。製紙では塗工紙向け顔料のほか、炭酸カルシウムを主原料にした紙も日本で開発されている。研磨作用を利用し消しゴムや歯磨剤にも配合される。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "化粧品原料、食品添加物としても使用が認められている。食品添加物としては栄養強化(カルシウム強化)を目的として乳飲料、即席麺等に添加される他、食感改善を目的として菓子やパン、水産練り製品等に添加される。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "医薬品としては、維持透析中の慢性腎不全患者の高リン血症に対して、ないしは胃酸過多に対して制酸剤として用いられる。栄養素としてのカルシウム補充目的のサプリメントとしても販売されている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "地球温暖化対策として大気中の二酸化炭素濃度を減らすため、海水中の二酸化炭素をカルシウムイオンと共に晶出させ、炭酸カルシウムとして二酸化炭素を固定する「人工サンゴ」「人工珊瑚」というものが研究されている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "無色結晶または白色粉末であり、中性の水にほとんど溶けないが、塩酸などの強酸と反応して、二酸化炭素を放出する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "25 °C における溶解度積は以下の通りであり、炭酸バリウムよりやや小さく炭酸ストロンチウムよりやや大きい。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "加熱することにより酸化カルシウムと二酸化炭素に分解する。二酸化炭素の解離圧が1気圧に達するのは 898 °C である。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "水酸化カルシウム水溶液(石灰水)に二酸化炭素を吹き込むと炭酸カルシウムの沈殿が生じる。さらに過剰の二酸化炭素を吹き込むと炭酸水素カルシウム Ca(HCO3)2 となり水に溶解する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "多少吸い込んでも、肺の中に蓄積しない。血液の中には二酸化炭素があり、炭酸カルシウムは炭酸水素カルシウムに変化して溶解するからである。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "固体結晶には常温常圧で最安定なカルサイト(三方晶系菱面体晶のもの、(方解石として産出)および準安定相であるアラゴナイト(直方晶系、霰石として産出)、不安定なヴァテライト(六方晶、ファーテル石)の構造多形が存在する。三方晶系の格子定数は a = 6.36 Å、α = 46.4°であり、斜方晶系では a = 7.92 Å、b = 5.72 Å、c = 4.94 Å である。", "title": "結晶構造" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "屈折率は三方晶系では通常光線に対して 1.6585、異常光線に対して 1.4864 の複屈折を示す。斜方晶系では 1.681(a軸に平行)、1.685(b軸に平行)、1.530(c軸に平行)と3軸不等である。", "title": "結晶構造" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "室温で塩基性の水溶液から炭酸カルシウムを析出させるとカルサイト結晶が生じるが、高温で析出させるとアラゴナイトが析出する。また、中性付近の溶液からだと最初はヴァテライトが析出する。", "title": "結晶構造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、天然に産出する含水塩としてモノハイドロカルサイト CaCO3·H2O およびイカ石 CaCO3·6H2O が知られている。", "title": "結晶構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "自然界では、主にかつて海だった場所で、炭酸カルシウムを成分とする球状の岩石がしばしば見つかり、コンクリーション(Concretion)あるいはノジュール(Nodule)と呼ばれる。中に化石を含むことが多い。これらは海洋生物が死んで砂や泥に埋まると、その死骸から出た酸が海水中のカルシウムと反応して炭酸カルシウムを形成し、岩石として成長したと推測されている。", "title": "コンクリーション(ノジュール)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "水中の炭酸カルシウムの析出傾向(腐食性)を示す数値にランゲリア係数がある。理論的pH(pHs:水中の炭酸カルシウムが溶解も析出もしない平衡状態時のpH)との差を数値化したもので、数値が小さいほど腐食性が強い水であることを示す。", "title": "ランゲリア係数" } ]
炭酸カルシウム(たんさんカルシウム、calcium carbonate)は、組成式 CaCO3 で表されるカルシウムの炭酸塩である。 貝殻やサンゴの骨格、鶏卵の殻、石灰岩、大理石、鍾乳石、白亜(チョーク)、方解石、霰石の主成分で、貝殻を焼いて作る顔料は胡粉と呼ばれる。土壌ではイタリアのテラロッサに含まれる。
{{Chembox | Name = 炭酸カルシウム | ImageFile = Calcium carbonate.jpg | ImageSize = 200px | ImageFile1 = Calcium-carbonate-xtal-3D-SF.png | ImageSize1 = 200px | OtherNames = | Section1 = {{Chembox Identifiers | CASNo = 471-34-1 | ChemSpiderID = 9708 | RTECS = }} | Section2 = {{Chembox Properties | Formula = CaCO<sub>3</sub> | MolarMass = 100.087 g/mol | Appearance = 白色の粉末 | Density = 2.711 g/cm<sup>3</sup>([[カルサイト]])<br />2.93 g/cm<sup>3</sup>([[アラゴナイト]])<br />2.54 g/cm<sup>3</sup>([[ヴァテライト]]) | Solubility = 0.00015 mol/L (25 {{℃}})<br />0.013 g/L (25 °C)<ref>{{cite book|title=SI Chemical Data Book |edition=4th |publisher=John Wiley & Sons Australia |last1=Aylward |first1=Gordon |last2=Findlay |first2=Tristan |isbn=978-0-470-81638-7|year=2008}}</ref><ref>{{cite book|title=Calcium Carbonate: From the Cretaceous Period Into the 21st Century|publisher=Springer Science & Business Media|year=2001|url=https://books.google.com/books?id=pbkKGa19k5QC&pg=RA1-PR2|last1=Rohleder |first1=J. |last2=Kroker |first2=E. |isbn=978-3-7643-6425-0}}</ref> |SolubilityProduct = {{val|3.3e-9}}<ref>{{cite book|last =Benjamin|first=Mark M.|year=2002|title=Water Chemistry |publisher=McGraw-Hill|isbn =978-0-07-238390-4|url=https://books.google.com/books?id=67anQgAACAAJ}}</ref> | MeltingPt = 825 {{℃}}(分解)<br />1339 {{℃}}(102.5[[気圧]]) | BoilingPt = 分解 | pKa = | pKb = }} | Section3 = {{Chembox Structure | CrystalStruct = [[三方晶系]](カルサイト)<br />[[直方晶系]](アラゴナイト)<br />[[六方晶系]](ヴァテライト) | Coordination = | MolShape = [[直線形]] | Dipole = }} | Section4 = {{Chembox Thermochemistry | DeltaHf = −1206.92 kJ mol<sup>−1</sup>(方解石)<br />−1207.13 kJ mol<sup>−1</sup>(霰石)<ref name=Parker>Wagman, D. D.; Evans, W. H.; Parker, V. B.; Schumm, R. H.; Halow, I.; Bailey, S. M.; Churney, K. L.; Nuttal, R. I.; Churney, K. L.; Nuttal, R. I. (1982). "The NBS tables of chemical thermodynamics properties". ''Journal of Physical Chemistry'' Ref. Data 11 Suppl. 2.</ref> | DeltaHc = | Entropy = 92.9 J mol<sup>−1</sup>K<sup>−1</sup>(方解石)<br />88.7 J mol<sup>−1</sup>K<sup>−1</sup>(霰石) | HeatCapacity = 81.88 J mol<sup>−1</sup>K<sup>−1</sup>(方解石)<br />81.25 J mol<sup>−1</sup>K<sup>−1</sup>(霰石) }} | Section7 = {{Chembox Hazards | MainHazards = 無し | NFPA-H = 0 | NFPA-F = 0 | NFPA-R = 0 | FlashPt = 無し | RPhrases = {{R36}}, {{R37}}, {{R38}} | SPhrases = {{S26}}, {{S36}} }} | Section8 = {{Chembox Related | Function = | OtherFunctn = | OtherCpds = {{unbulleted list |[[炭酸ベリリウム]] |[[炭酸マグネシウム]] |[[炭酸ストロンチウム]] |[[炭酸バリウム]] |[[炭酸リチウム]] }} }} }} '''炭酸カルシウム'''(たんさんカルシウム、calcium carbonate)は、[[組成式]] CaCO<sub>3</sub> で表される[[カルシウム]]の[[炭酸塩]]である。 [[貝殻]]や[[サンゴ]]の骨格、[[鶏卵]]の殻、[[石灰岩]]、[[大理石]]、[[鍾乳石]]、[[チョーク (岩石)|白亜]](チョーク)、[[方解石]]、[[霰石]]の主成分で、貝殻を焼いて作る[[顔料]]は[[胡粉]]と呼ばれる。土壌では[[イタリア]]の[[テラロッサ]]に含まれる。 == 製法 == 実験室では、[[水酸化カルシウム]]水溶液に[[二酸化炭素]]を吹き込むことで[[化学合成|合成]]する([[水酸化カルシウム|石灰水]]による二酸化炭素の検出原理)。 : <chem>Ca(OH)2 + H2CO3 -> CaCO3 + 2H2O</chem> あるいは[[塩化カルシウム]]等の可溶性カルシウム塩水溶液と[[炭酸ナトリウム]]等の可溶性炭酸塩水溶液を混合させることで合成する(溶液法あるいは可用性塩反応法)。 : <chem>Ca^{2+}(aq) + CO3^{2-}(aq) -> CaCO3</chem> 産業的には「炭カル(タンカル)」と通称され、[[石灰石]]を粉砕・分級した重質炭酸カルシウム(天然炭酸カルシウム、GCC; ground calcium carbonate)と[[化学反応]]で微細な[[結晶]]を液中で[[析出]]させた軽質炭酸カルシウム(合成炭酸カルシウム、沈降炭酸カルシウム、PCC; precipitated calcium carbonate)に分類される。 軽質炭酸カルシウムは、 (1) [[焼成]]: [[石灰石]]を高温で焼成することで脱炭酸し、[[生石灰]]を得る : <chem>CaCO3 -> CaO + CO2</chem> (2) 水化: 生石灰を十分な量の水と反応させ、石灰乳([[消石灰]]スラリー)を得る : <chem>CaO + H2O -> Ca(OH)2</chem> (3) 炭酸化([[化合]]): 焼成時に発生した炭酸ガスを石灰乳に導入し、液中で炭酸カルシウムを析出させる : <chem>Ca(OH)2 + H2CO3 -> CaCO3 + 2H2O</chem> ことで製造される。 焼成時に発生した炭酸ガスを再利用する製法は、開発者である白石恒二([[白石工業]]・創立者)の名に因んで特に白石法と呼称される<ref>白石恒二、1914年、日本特許第26117号。</ref>。他方、欧米では溶液法によって生産されることもある。 == 利用 == [[錠剤]]の基材、[[チョーク]]、[[窯業]]、[[農薬]]<ref name=":0">{{cite journal|last=神戸賢|date=2016|title=新しい浮皮軽減剤クレント|journal=柑橘|volume=68|page=16}}</ref>、[[肥料]]、[[飼料]]などに用いられる他、[[填料]]として[[ゴム]]、[[プラスチック]]、[[接着剤]]、[[シーラント]]、[[紙]]、[[塗料]]、[[インキ]]など広範な工業分野で利用されている<ref>{{cite journal|last=長谷川博|date=1973|title=軽質および極微細炭酸カルシウム工業の現状|journal=石膏と石灰|volume=122|page=33}}</ref>。製紙では[[塗工紙]]向け[[顔料]]のほか、炭酸カルシウムを主原料にした紙も日本で開発されている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35926050Z20C18A9K11000/ 【フォーカスワイド】世界を変える素材力/石灰石が紙・容器に サウジ政府も関心/TBM、100%バイオ由来材料も]『[[日経ヴェリタス]]』2018年9月30日(10面)2018年10月26日閲覧。</ref>。[[研磨]]作用を利用し[[消しゴム]]や[[歯磨剤]]にも配合される。 [[化粧品]]原料、[[食品添加物]]としても使用が認められている。食品添加物としては栄養強化([[カルシウム]]強化)を目的として[[乳飲料]]、[[即席麺]]等に添加される他、食感改善を目的として[[菓子]]や[[パン]]<ref>[https://web.archive.org/web/20140115020843/https://www.sankeibiz.jp/business/news/131010/bsd1310101756014-n1.htm 『ファミマとサークルKサンクスが「牛乳一本分のカルシウム入りパン」発売 伊藤忠が材料納品』][[SankeiBiz]]』2013年10月10日。2019年4月4日閲覧。</ref>、[[水産練り製品]]<ref>{{cite journal|last=千葉亮|date=2016|title=新規炭酸カルシウムの水産練り製品への応用|journal=月刊フードケミカル|volume=32|page=53}}</ref>等に添加される。 [[医薬品]]としては、[[透析|維持透析]]中の[[慢性腎不全]]患者の[[高リン血症]]に対して<ref>{{Cite web|和書|title=カルタン錠250/カルタン錠500 |url=https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/2190024F1023_3_01/ |website=www.info.pmda.go.jp |access-date=2023-09-11}}</ref>、ないしは[[胃酸]]過多に対して[[制酸剤]]として用いられる<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=厚生労働省eJIM {{!}} カルシウム {{!}} サプリメント・ビタミン・ミネラル {{!}} 医療関係者の方へ {{!}} 「統合医療」情報発信サイト |url=https://www.ejim.ncgg.go.jp/pro/overseas/c03/01.html |website=厚生労働省eJIM「統合医療」情報発信サイト |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。[[栄養素]]としてのカルシウム補充目的の[[サプリメント]]としても販売されている<ref name=":2" />。 地球温暖化対策として大気中の二酸化炭素濃度を減らすため、海水中の二酸化炭素をカルシウムイオンと共に晶出させ、炭酸カルシウムとして二酸化炭素を固定する「人工サンゴ」「人工珊瑚」というものが研究されている<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 == 性質 == 無色結晶または白色粉末であり、[[中性 (酸塩基)|中性]]の水にほとんど溶けないが、[[塩酸]]などの[[強酸]]と反応して、二酸化炭素を放出する。 : <chem>CaCO3 + 2HCl -> CaCl2 + H2O + CO2</chem> 25 ℃ における[[溶解度積]]は以下の通りであり、[[炭酸バリウム]]よりやや小さく[[炭酸ストロンチウム]]よりやや大きい<ref name=nakahara>{{cite book|和書|author=中原昭次、小森田精子、中尾安男、鈴木晋一郎|title=無機化学序説|publisher=化学同人|year=1985|isbn=978-4759801187}}</ref>。 : <chem>CaCO3 <=> Ca^{2+}(aq) + {CO3}^{2-}(aq),</chem><math>\ K_{\textrm{sp}} = 3.6 \times 10^{-9}\,\textrm{[mol/L]}^2</math> 加熱することにより[[酸化カルシウム]]と二酸化炭素に分解する。二酸化炭素の解離圧が1気圧に達するのは 898 ℃ である。 : <chem>CaCO3 -> CaO + CO2</chem> 水酸化カルシウム[[水溶液]](石灰水)に二酸化炭素を吹き込むと炭酸カルシウムの沈殿が生じる。さらに過剰の二酸化炭素を吹き込むと[[炭酸水素カルシウム]] Ca(HCO<sub>3</sub>)<sub>2</sub> となり水に溶解する。 : <chem>CaCO3 + CO2 + H2O -> Ca(HCO3)2</chem> 多少吸い込んでも、肺の中に蓄積しない。血液の中には二酸化炭素があり、炭酸カルシウムは炭酸水素カルシウムに変化して溶解するからである。 == 結晶構造 == [[ファイル:Calcite.png|thumb|200px|left|カルサイト構造の模式図]] 固体結晶には常温常圧で最安定なカルサイト([[三方晶系]]菱面体晶のもの、([[方解石]]として産出)および準安定相であるアラゴナイト([[直方晶系]]、[[霰石]]として産出)、不安定なヴァテライト(六方晶、ファーテル石)の構造多形が存在する<ref>{{cite journal|last=Jamieson|first=J. C.|date=1953|title=Phase equilibrium in the system calcite-aragonite|journal=J. Chem. Phys.|volume=21|page=1385}}</ref><ref>{{cite journal |last=Plummer |first=L. N. |date=1982 |title=The solubilities of calcite, aragonite and vaterite in CO2-H2O solutions between 0 and 90oC, and an evaluation of the aqueous model for the system CaCO3-CO2-H2O |journal=Geochim. Cosmochim. Acta |volume=46|page=1011}}</ref>。三方晶系の[[格子定数]]は ''a'' = 6.36 [[オングストローム|Å]]、α = 46.4°であり、斜方晶系では ''a'' = 7.92 Å、''b'' = 5.72 Å、''c'' = 4.94 Å である<ref name=daijiten>『化学大辞典』 共立出版、1993年。</ref>。 [[屈折率]]は三方晶系では通常光線に対して 1.6585、異常光線に対して 1.4864 の[[複屈折]]を示す。斜方晶系では 1.681(a軸に平行)、1.685(b軸に平行)、1.530(c軸に平行)と3軸不等である。 室温で塩基性の水溶液から炭酸カルシウムを析出させるとカルサイト結晶が生じるが、高温で析出させるとアラゴナイトが析出する。また、中性付近の溶液からだと最初は[[ヴァテライト]]が析出する。 また、天然に産出する含水塩として[[モノハイドロカルサイト]] {{chem|CaCO|3|·H|2|O}} および[[イカ石]] {{chem|CaCO|3|·6H|2|O}} が知られている。 == コンクリーション(ノジュール) == 自然界では、主にかつて[[海]]だった場所で、炭酸カルシウムを成分とする球状の[[岩石]]がしばしば見つかり、[[コンクリーション]]([[:en:Concretion|Concretion]])あるいは[[ノジュール]]([[:en:Nodule (geology)|Nodule]])と呼ばれる。中に[[化石]]を含むことが多い。これらは海洋生物が死んで砂や泥に埋まると、その死骸から出た[[酸]]が海水中のカルシウムと反応して炭酸カルシウムを形成し、岩石として成長したと推測されている<ref name=":1">[https://www.nature.com/articles/s41598-018-24205-5 Generalized conditions of spherical carbonate concretion formation around decaying organic matter in early diagenesis][[Scientific Reports]] volume 8, Article number: 6308 (2018) 2018年8月16日閲覧。</ref>。 == ランゲリア係数 == 水中の炭酸カルシウムの析出傾向(腐食性)を示す数値にランゲリア係数がある<ref name="edogawa">{{Cite web|和書| url=https://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/study/woodbook/woodbook/item07/rangeria.htm | title=ランゲリア指数(腐食性) | publisher=国土交通省 関東地方整備局 江戸川河川事務所 | accessdate=2022-08-24 }}</ref>。理論的pH(pHs:水中の炭酸カルシウムが溶解も析出もしない平衡状態時のpH)との差を数値化したもので、数値が小さいほど腐食性が強い水であることを示す<ref name="edogawa" />。 == 脚注・出典 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Calcium carbonate}} * [[鉱物]] - [[方解石]]、[[霰石]] * [[岩石]] - [[石灰岩]]、[[結晶質石灰岩]] (大理石) * [[鉱石]] - [[石灰石]] * [[石灰]] - [[生石灰]] 、[[消石灰]] * [[水垢]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{カルシウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たんさんかるしうむ}} [[Category:炭酸カルシウム|*]] [[Category:炭酸塩]] [[Category:カルシウムの化合物]] [[Category:胃酸関連疾患の薬]] [[Category:体質顔料]]
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V2ロケット
V2ロケットは、第二次世界大戦中にドイツが開発した世界初の軍事用液体燃料ミサイルであり、弾道ミサイルである。それ以前から開発されていたアグリガット(Aggregat)ロケットシリーズのA4ロケットを転用・実用兵器化し、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが報復兵器第2号(Vergeltungswaffe 2)と命名したため、この名で呼ばれることとなった。この兵器は同大戦末期、主にイギリスとベルギーの目標に対し発射された(→発射映像)。後にアメリカ合衆国でアポロ計画を主導したヴェルナー・フォン・ブラウンが計画に参加し設計を行ったことで知られる。 1927年に結成されたドイツ宇宙旅行協会は、宇宙旅行を目指して1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァイマル共和国の陸軍は、1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、ヴァルター・ドルンベルガー陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマチュア研究者だったヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。 ヴェルナー・フォン・ブラウンらはこれに応じて同研究所に参加、1934年12月、エタノールと液体酸素を推進剤とする小型のA2ロケット(質量500 kg)の飛行実験を成功させた。 1936年までには、チームはA2ロケットの開発計画を終了し、新たにA3 と A4 の開発に着手した。後者は射程175 km、最大高度80 km、搭載量約1 tとして設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊のクマースドルフ陸軍兵器実験場(Heeresversuchsanstalt Kummersdorf)からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島ペーネミュンデに新設したペーネミュンデ陸軍兵器実験場(HVP)に移した。 A4の約1/2スケールモデルのA3は4回の打上げに全て失敗したため、A5の設計が始められた。このバージョンは完璧な信頼性を備え、1941年までに約70機が試射された。 最初のA4は1942年3月に飛行、およそ1.6 km飛んで海中落下した。2回目の打上げでは高度11.2 kmに到達して爆発した。 1942年10月3日の3回目の打上げで成功。ロケットは完全な軌跡を描き、宇宙空間に到達した初の人工物体となって192 km先に落下した。 ヒトラーは1939年にクマースドルフ陸軍兵器実験場で2回の試射を視察するまでは兵器としての潜在性を認識していなかったが、視察後、関心を抱いた。V2量産は軍需省のこの計画の責任者であったゲルハルト・デーゲンコルブ(De:Gerhard Degenkolb)に承認された。彼らは権限を持っており、些細なことでも承認を得るのにエネルギーを費やしたと後にフォン・ブラウンは語っている。干渉にもかかわらず、2年間で100機のV2が製造された。 1940年頃からイギリス軍情報部は写真偵察からこの開発計画を察知、1943年8月にペーネミュンデを爆撃した(ハイドラ作戦)。このため、同年11月から生産テスト・発射訓練部隊は内陸部奥深くの武装親衛隊演習場、ハイデラーガー(Heidelager、現ポーランドのブリツナ Blizna)に移動した。1944年5月には、試射されたミサイルをポーランド人レジスタンスがブク川の土手から回収、極めて重要な技術的詳細をイギリスに伝えたこともあり、連合軍はペーネミュンデを数回にわたって爆撃し、研究と生産を遅延させた。 親衛隊はロケット開発を傘下に収めようとして、司令官を陸軍のレオ・ツァンセンから親衛隊のハンス・カムラーへ交代させようとしたが、ドルンベルガーはこれを阻止した。親衛隊はあきらめず、1944年にフォン・ブラウンを東プロイセンのゲシュタポへ召喚し、ハインリヒ・ヒムラーは彼に軍を除隊して彼のために働くように強制しようとした。フォン・ブラウンはこの要請を辞退した。数日後、彼は3人のゲシュタポによって逮捕され、2週間後にシュテティーンの収容所において、「軍用ロケットには関心が無く宇宙探査を目的として働いていて、イギリスへロケット設計図と共に小型機で亡命する計画がある」という嫌疑により、親衛隊による裁判にかけられた。ドルンベルガーはヒトラーにフォン・ブラウンの釈放を直訴し、釈放された。 V2を移動式兵器にするには問題を解決する必要があった。それは研究室に近い環境での推進剤充填、整備、設定を必要としたことである。軍の専門家達は移動式が最適と考えたが両方式が試された。 ドルンベルガーは当初からトラクター牽引式発射装置を想定、ロケットのサイズを鉄道・道路での輸送が可能な範囲に留めることを設計条件としていた。アドルフ・ヒトラーは地下発射陣地にこだわり、最初の陣地建設がカレー近くで1943年開始されたが、イギリスは直ちに爆撃して破壊した。この作戦はクロスボー作戦(Operation Crossbow)として著名。 このため地下発射陣地建設計画は破棄され、ミサイル、人員、機器、燃料を乗せた約30台の各種車両から成る技術部隊・発射部隊が編成された。ペーネミュンデの技術者達はMeillerwagenとして知られる移動式発射装置を開発した。ミサイルは陣地設営から4 - 6時間で発射できた。ミサイルは工場から射場近くまで鉄道輸送され、運搬車(Vidalwagen)に載せ換えて射場まで道路輸送された。弾頭が取り付けられた後、発射部隊がミサイルを発射台兼用車(Meilerwagen)に移し、液体燃料を注入し発射した。 ミサイルは事実上どこからでも発射可能で、カモフラージュの観点から特に森林の道路上が好まれた。射場決定から発射までの所要時間は、4 - 6時間程度で、機動性の高い小部隊で、一度も敵空軍に捕捉されたことはなかった。 なお、報復兵器のうち、V1 は空軍所管だったのに対し、V2は陸軍が所管した。これは、V1 が飛行爆弾で「無人攻撃機」とみなされたのに対して、V2はロケットで「巨大で高性能な砲弾」と考えられたことによる。 V2は、ドイツ中部ノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、近くのミッテルバウ=ドーラ強制収容所収容者により生産された。その多くはフランスとソ連の戦争捕虜で、劣悪な環境の中、約1万人が過労死したり警備員に殺された。皮肉にもこの数はV2の攻撃による死者数を上回る。 最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊で、1944年9月2日、当時解放されたばかりのパリを攻撃すべく、ベルギーのウッファリーズ(フランス語: Houffalize)近くに発射基地を設営した。翌日には第485砲兵大隊がロンドン攻撃のためにハーグに移動した。数日間は打ち上げ失敗に終わったが、9月8日両部隊とも成功した。 続く数か月間に発射された総数は次の通り。 1945年3月3日、連合国軍はハーグ近郊のV2と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みたが、航法誤差のためベザイデンハウツェ区域が破壊され、市民およそ500名の死者を出した。 V2の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、命中精度は7 - 17 kmと現在の基準では実用的でないくらい低かった。コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音が存在するV1飛行爆弾と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存兵器では迎撃不可能なV2は、ドイツにとって有用な兵器となった。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。最大射程320 kmで最大射程時に飛行時間は5分半で高度93.3 kmに到達した。発射されたミサイルのおよそ4%が発射後30秒間で故障した。およそ6%が弾頭の暴発やタンク爆発で空中分解した。また再突入時にも構造破壊で多数が失われた。結果、ロンドンへ向け発射された1152機中、到達したのは半分以下517機に過ぎなかった。アマトール爆薬が弾頭に使用された理由は大気圏再突入時の暴発を防ぎ、信頼性を高めるために低感度爆薬を選択しなければならなかったからである。一方、搭載された触発信管は高感度で連合国側で発見された不発弾頭はわずか2基のみだった。 反面迎撃不可能ゆえに、V2攻撃阻止には発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツ敗北を早めた兵器とも言える。一方、同じ報復兵器のV1飛行爆弾は低速で迎撃可能な分、かえってそのために戦力を割かねばならず、戦略的にはV2より効果があったとも言える。V1飛行爆弾はV2ロケットのおよそ1/10の費用で開発、生産され、V2とは異なり、入手の比較的容易な燃料のみが必要で徐々に蒸発する極低温の液体酸素のような酸化剤は不要で、弾頭重量は850 kgあり、V2と比較し破壊力は遜色なかった。その結果、24,200機のV1が発射されたのに対しV2は3,500機発射で、V1は平均110機/日の発射に対しV2は16機/日の発射に留まった。実質的に与えた損害はV2よりもV1の方が多かったことが戦後の調査で判明している。V1の弾頭はV2の弾頭のように大気圏再突入による加熱がないため、暴発せず、V2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入して建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった。さらにV2は前触れなく突然落下するのに対してV1の発する特有の音は恐怖をもたらす心理的効果があった。 上記の欠点を嫌った軍需大臣アルベルト・シュペーアは、より小型で使い勝手の良い兵器の開発を望んだが、大型兵器による戦局打破にこだわったヒトラーに押し切られ、製造が続けられた。 戦争末期には、V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く獲得するレースが行われた。1945年8月半ばにアメリカ軍はペーパークリップ作戦の下で貨車300両分のV2と部品を鹵獲し、オルガー・N・トフトイ大佐は、ジョージ・パットン大将率いる第3軍に投降したフォン・ブラウンやドルンベルガー将軍をはじめとする126人の主要な設計技術者をアメリカに連れ帰った。ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場には215機分の燃焼器と180機分の推進剤タンクと90機分の尾翼と100機分の黒鉛の偏流板と200機分のターボポンプが持ち込まれた。当初は大半のドイツ製ロケットはアメリカで飛行可能な状態で持ち帰られたと考えられたが、実際にはどれも飛行可能ではなく、ゼネラルエレクトリック(GE)社が陸軍工廠とV2組み立てと発射の契約を交わした。 接収され、ホワイトサンズに持ち込まれたV2の部品は豊富にあったものの、制御装置のような機材は逼迫していた。ドイツから接収したジャイロスコープは50台のみで、大半は劣悪な状況であった。それぞれのロケットには2台のジャイロスコープが必要で、他にも配電盤の多くの配線が不足していることが判明したため、試射計画の後半にはGE社はジャイロスコープと誘導装置を製造するとともに、経年劣化していたドイツ製推進剤配管を交換した。V2の52%に変更が施されホワイトサンズから発射され、71%は設計重量を超えた。2,200 lb (1,000 kg)の弾頭を含むV2の標準的な空虚重量は8,000 lb (3,600 kg)だったが、発射されたロケットの空虚重量はペイロードが19%増えたことにより9,218 lb (4,181 kg)になり、1951年以降は全てのV2に改良が施され、47%以上ペイロードが追加されたことで最大全備重量は28,400 lb (12,900 kg)になった。 全ての部品は組み立て前に性能と状態が検査され、修理や調整が必要な部品は再度試験された。大型部品は組み付け前に完全に試験が実施され、2回の総合試験が組み立て棟を離れる前に実施され、射点では総合試験が前日に実施され、発射当日に推進剤が充填された。 その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用のV2ロケットを活用して進められた。これらの改良型V2のひとつである2段式の「バンパー」は、1949年2月24日の試験飛行で当時の高度記録である 400 km を達成した。 V2の打ち上げは68%が成功したが、失敗した打ち上げからも多くの貴重な情報が得られた。1946年から1952年にかけて合計67機のV2ロケットがホワイトサンズから発射され、多くの価値ある情報をアメリカにもたらした。 フォン・ブラウンはアメリカ陸軍のレッドストーン兵器廠に勤務し、1950年からはアラバマ州ハンツビルに居住。後にレッドストーン、ジュピター、ジュピター-C、パーシングそしてサターンなど、ほぼ全てのアメリカのロケットの生みの親となった。 アメリカ海軍では接収したV2を小型化したヴァイキングを開発して後に人工衛星打ち上げ用のヴァンガードに発展させた。 ソ連もまた多数のV2ロケットと250人余りの技術者を捕らえた。元共産党員の妻を持つヘルムート・グレトルップがこのグループを率いた。彼らはドイツ国内でロケット研究を継続できるという条件でソ連軍に協力したが、戦後、しばらくの間ドイツ国内でソビエト人技術者達と共に開発作業に従事したが、1946年にソ連は突如、彼らをソ連国内の孤島に隔離収容して、V2ロケットをもとに多くの新しいミサイルの開発を行なわせた。セルゲイ・コロリョフのチームはV2ロケットの複製R-1を製作する。コロリョフはドイツ人に教えを請うたり、ドイツ人達が隔離されている島を訪問したことは無かったが、対照的にOKB-456のヴァレンティン・グルシュコは積極的にドイツ人達からノウハウを吸収した。OKB-456ではソビエト人のチームによってドイツから帰国直後から改良型のエンジンの開発に着手された。彼らは計算によりターボポンプの回転数を高めて推進剤の供給量と燃焼室の圧力を上げることで、推力を大幅に増大させることが可能であると理解していた。この時、ドイツ人技術者達には新設計のエンジンの詳細は知らされず、RD-100の生産が軌道に乗ってからは彼らの支援はもはや必要なかった。 グレトルップを首領とするドイツ人のチームはG-1というロケットの設計を進めた。G-1は大きさはV2と同じだが、推進剤のタンクが荷重を負担するようにして構造体を軽量化することにより、推進剤の搭載量を増やし、大気圏再突入時に弾頭を分離式にして、誘導、制御を地上から電波で行うようにして機載の誘導装置を可能な限り簡略化する仕様だった。推進剤のタンクに荷重を負担させるという概念自体は既に1920年代初頭にヘルマン・オーベルトが彼の著作でタンクに荷重を分担させるべきであると記していて、1941年にペーネミュンデを訪問時にも提言していたが、当時は軽量化よりも早期の実用化が優先されており、採用されなかった。エンジンの配置も大幅に変更され、推進剤を供給するポンプを駆動するタービンは燃焼室からのガスで直接駆動された。新しい無線制御装置により、精度が向上した。速度は単に計測されただけでなく、無線で軌道を修正された。エンジンの推力を制御することで速度を調整することは画期的で1955年にこの装置(RKS)は開発されたが、1957年にR-7大陸間弾道ミサイルに搭載されるまで実用に供されなかった。誘導装置も簡略化され、1自由度のジャイロスコープが備えられ、V2ではAskaniaという油圧式の操舵装置が搭載されていたが、G-1では空圧式に変更され、これにより付随装置も大幅に軽量化され、構造体の重量は3.17トンから1.87トンに大幅に軽量化され、弾頭重量は750kgから950kgへ増加して、尾翼は小型化され、機体は軽合金製になった。ドイツ人技術者達はロケットのソビエトの国産化に貢献したが、ドイツ人の設計によるものは一つも生産されたものはなかった。1950年代にソ連の技術者が十分な経験を積むと、ドイツ人技術者は東ドイツに帰国させられた。 ドイツ人技術者のノウハウをもとに、ソ連が開発したミサイルにはV2のコピーR-1、射程延伸型R-2、R-3(計画のみ)、ソ連で最初に核弾頭を搭載したR-5およびR-5M(NATO名:SS-3 Shyster)などがある。スカッド(NATO名:SS-1b/c SCUD、ソ連名称:R-11およびR-17)ミサイルはそれらの技術から発展した戦術ミサイルである。 同様にイギリスは少数のV2ミサイルを捕獲し、いくつかを北ドイツの射場でバックファイア作戦として打ち上げた。しかし、関係した技術者はすでに、試験完了後にアメリカに移ることに合意していた。同作戦の報告は、あらゆる支援手順、専用の車両そして燃料合成を含む広範囲な技術文書を残した。 フランス軍備研究局(DEFA)もまたドイツからの資料を得て、イギリスが追求をあきらめたペーネミュンデ系のドイツ人技術者をヴェルノンに招聘し、弾道技術・航空力学研究所(LRBA)を設立、陸軍の将来ミサイルの開発を行わせることとした。ジャン=ジャック・バールもLRBAに参加したほか、ドイツ人研究者にはアリアンのバイキングエンジンを生み出したハインツ・ブリュンゲルや磁気軸受を開発したヘルムート・ハーベルマン(フランス語版)(Helmut Habermann)も含まれていた。フランスでは欧州での第二次世界大戦終結後のわずか1週間後の1945年6月12日に戦時中のドイツで開発されたロケット技術を入手するためのCEPA(Centre for Study of Guided Missiles)が設立された。1946年の5月から9月にかけてフランスはこの目的のために30人のドイツ人技術者達を雇用してヴェルノンにLRBAの施設を設立した。1946年8月にこのグループは既に後にアリアンロケットへと発展する液体推進系の開発に着手していた。2段階の計画が策定された。先ずはフランス国内でV2ロケットを量産と試験施設が必要だった。そこではV2ロケットの発展型であるA8の開発と量産が予定された。1946年11月にアルジェリアのColomb-ベシャール近郊の施設がV2の飛行試験のために選定された。試験は順調に進むかに見えたが、1947年初頭にアメリカとソビエトがフランスが必要とした30機のV2の取得を阻み、そのため、アルジェリアで飛行試験を開始することが出来なくなった。LRBAのドイツ人技術者達は4211計画の一環でフランスがA8の飛行試験を実施できるように開発を支援した。並行してジャン=ジャック・バールのチームは4212計画の一環として純粋なフランス製ロケットであるEA1941の開発を進めた。 A8を基に計画されたシュペルV-2ロケットは外見こそV2ロケットに似ていたものの、推力は40トンに強化され、戦略兵器として有効な推進剤はケロシンと常温でも貯蔵可能な硝酸を酸化剤として使用するものになった。開発は主に理論面と硝酸の取り扱いと推力40トンのエンジンのガス発生器の地上試験が実施されたが、予算を並行する2計画に投じることは出来ないという政府の判断により、試作機を製造するための予算は拠出されず、1948年にシュペルV2計画は中止され、4トンの推力のエンジンを備えた1/10サイズのヴェロニク/4213計画になった。 LRBAの任務はV2の改良であった。1946年から1949年にかけてドイツのフランスの占領地でドイツ人技術者達に開発を進めさせた。A8の計画を基にしたシュペルV-2と呼ばれた改良型V2では製造が簡素化され、タンク構造とより剛性の強い特殊鋼の採用でエンジン推力を40tに向上させ、射程を700kmに向上させる計画であった。しかし、軍はLRBAにソ連爆撃機の脅威に対抗するべくパルカ(Parca)長距離対空ミサイルの開発を要請し、DEFAは1949年に計画の棚上げを決定した。対空ミサイル計画は試作機が要求を満たせない状態が続き、1958年にアメリカのホークミサイルのライセンス生産が決定したことで計画は停止されたものの、追跡装置やアクチュエーターに関する研究はホークミサイルに対するLRBAの関与を深めることができた。 一方、バールのチームと並行して開発を進めていたドイツ人の技術者のチームは1949年により技術的難易度の低い推力4トンの液体燃料エンジンを搭載し、高度100 kmの弾道飛行中に60 kgの科学機器を運ぶことを目標としたヴェロニクロケットを開発した。誘導システムを持たず、推進剤加圧システムにターボポンプがないなど簡素化が行われたものの、当初は不安定燃焼の問題に突き当たった。しかし、1954年に解決を果たし、アルジェリア南部のアマギールから試験機の打ち上げが行われた。以後、こちらがフランスのロケット開発の主流になる。 その後、国際地球観測年の観測の一環として上層大気の研究が行われることとなり、より強力なヴェロニクAVIが作られた。これは200 kmの高度に装置類を投入することを目的とした。予算上の理由から初打ち上げは1959年3月7日に行われた。これは失敗だったものの、3日後に行われた2号機は137 kmの高度に達し、上層大気で風を測定する科学実験を行うことができた。同型機は1959年から1969年までの間に48機が打ち上げられ、81.5%の成功を記録した。続いてヴェロニクAGIが開発され、生き物への加速度や振動の影響を研究するために利用された。ヴェロニクAGIは高度365 kmに到達している。 カナディアン・アローではA4のエンジンのレプリカを使用する予定で地上試験まで実施された。 V2の射程は、約1,000 kgの弾頭でおよそ300 kmであった(参考:質量の比較)。 そのほかの仕様は次の通り: 推進剤は、アルコール(エタノール)と水の混合燃料、および、液体酸素(酸化剤)である。混合燃料は重量軽減のためアルミニウムの燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは稀少かつ高価であったため、ドイツの戦時経済にとっては大きな負担となった。 推進剤は、過酸化水素によって駆動されるターボポンプによって主燃焼室に運ばれる。このときアルコールと液体酸素の混合比が常に適切になるようにいくつかのノズルを通る。また、燃料は主燃焼機の壁を通るようになっており、これは混合燃料を予熱すると同時に、再生冷却によって燃焼室を冷却して過熱による強度低下や溶融を防ぐ働きをしている。再生冷却だけでは冷却が不十分のため、燃焼ガスが燃焼室の壁面と接触しないようにフィルム冷却のために燃料のエタノールを噴射した。 毎秒125 kgの推進剤を燃焼した。 燃焼室の頂部に18個の螺髪状の燃焼器がある。それぞれの推力は1.5重量トンで試作時にはアルミニウム製だったが、量産時には鋼製になり溶接で固定された。 離陸時の総重量12.8トンに対してエンジンの推力は25重量トンだったが、これは現在の基準に照らし合わせると明らかに過剰だった。 推進剤のタンクはフリードリヒスハーフェンのツェッペリンの工場でへら絞りで製造された。 ロケットの進行方向を変えるための燃焼ガスの向きを制御する方式として、黒鉛製の推力偏向板(ジェットベーン、Jet vane)が使われた。これは、現在の大気圏外を飛行するロケットで主流の方式であるジンバル機構(ノズル全体の向きを変える方式)に比べると、燃焼ガスの運動量損失が大きいという欠点はあるが、機構がごく簡単なため、当時の工作技術の下では合理的な選択であった。推力偏向板は離陸後、低速時には安定翼の効果が不十分なので十分な速度に達するまで効果があった。大気圏外に到達する時にはエンジンは停止して慣性で放物線状に飛行した。 ロケットの軌道制御として真空管を用いた簡単なアナログコンピュータによる慣性誘導が用いられた。試験段階では、ロケットの激しい振動によって真空管のフィラメントが切れたため、制御不能となったロケットが試験場周辺に墜落するという事故が絶えなかったが、原因が分かって防振対策が施されてから安定飛行するようになった。飛行距離は燃料残量で計算され、燃焼が完了するとロケットは加速を停止し、程なく放物線カーブの頂点(約80km)に達した。しかし、命中精度が低く、兵器としての価値はさほどのものではなかった。このことから、後期になると地上から送信する電波信号で目標への誘導する方式のものも作られた。 作戦用のV2は大抵何種類かの迷彩パターンで塗装されたが、終戦近くには全面オリーブドラブ塗装も見られた。試験段階における特徴的な白と黒(ないし濃色)の市松模様の塗装は、写真が何枚も残されており印象的だが、これはセンサーなどの未発達な当時において目視や写真からロケットの姿勢を判断しやすくするための簡単かつ効果的なアイディアで、後にロケット開発に参入した国々の機体にも見られるものである。 この他にも、架空戦記の中ではかなり有効な兵器として見られる場合が多く、ノルマンディー上陸作戦(大陸反攻)の準備に対する妨害攻撃に使用されたり、V2やその発展型が核兵器を搭載しイギリス本土やアメリカ本土あるいは日本本土まで攻撃することがある。一方で、史実ではあまり効果がなかったことを受け、開発を縮小・中止にして核兵器やその他の兵器に力を注ぐという作品もある。 ローリングストーンズのキース・リチャーズは、自分の出生をインタビューで語るときに、よく「ヒトラーのミサイル(V2)がかすめる横で生まれた」とウィットにとんだ発言をしている。
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tとして設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊のクマースドルフ陸軍兵器実験場(Heeresversuchsanstalt Kummersdorf)からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島ペーネミュンデに新設したペーネミュンデ陸軍兵器実験場(HVP)に移した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "A4の約1/2スケールモデルのA3は4回の打上げに全て失敗したため、A5の設計が始められた。このバージョンは完璧な信頼性を備え、1941年までに約70機が試射された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "最初のA4は1942年3月に飛行、およそ1.6 km飛んで海中落下した。2回目の打上げでは高度11.2 kmに到達して爆発した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1942年10月3日の3回目の打上げで成功。ロケットは完全な軌跡を描き、宇宙空間に到達した初の人工物体となって192 km先に落下した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ヒトラーは1939年にクマースドルフ陸軍兵器実験場で2回の試射を視察するまでは兵器としての潜在性を認識していなかったが、視察後、関心を抱いた。V2量産は軍需省のこの計画の責任者であったゲルハルト・デーゲンコルブ(De:Gerhard Degenkolb)に承認された。彼らは権限を持っており、些細なことでも承認を得るのにエネルギーを費やしたと後にフォン・ブラウンは語っている。干渉にもかかわらず、2年間で100機のV2が製造された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1940年頃からイギリス軍情報部は写真偵察からこの開発計画を察知、1943年8月にペーネミュンデを爆撃した(ハイドラ作戦)。このため、同年11月から生産テスト・発射訓練部隊は内陸部奥深くの武装親衛隊演習場、ハイデラーガー(Heidelager、現ポーランドのブリツナ Blizna)に移動した。1944年5月には、試射されたミサイルをポーランド人レジスタンスがブク川の土手から回収、極めて重要な技術的詳細をイギリスに伝えたこともあり、連合軍はペーネミュンデを数回にわたって爆撃し、研究と生産を遅延させた。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "親衛隊はロケット開発を傘下に収めようとして、司令官を陸軍のレオ・ツァンセンから親衛隊のハンス・カムラーへ交代させようとしたが、ドルンベルガーはこれを阻止した。親衛隊はあきらめず、1944年にフォン・ブラウンを東プロイセンのゲシュタポへ召喚し、ハインリヒ・ヒムラーは彼に軍を除隊して彼のために働くように強制しようとした。フォン・ブラウンはこの要請を辞退した。数日後、彼は3人のゲシュタポによって逮捕され、2週間後にシュテティーンの収容所において、「軍用ロケットには関心が無く宇宙探査を目的として働いていて、イギリスへロケット設計図と共に小型機で亡命する計画がある」という嫌疑により、親衛隊による裁判にかけられた。ドルンベルガーはヒトラーにフォン・ブラウンの釈放を直訴し、釈放された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "V2を移動式兵器にするには問題を解決する必要があった。それは研究室に近い環境での推進剤充填、整備、設定を必要としたことである。軍の専門家達は移動式が最適と考えたが両方式が試された。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ドルンベルガーは当初からトラクター牽引式発射装置を想定、ロケットのサイズを鉄道・道路での輸送が可能な範囲に留めることを設計条件としていた。アドルフ・ヒトラーは地下発射陣地にこだわり、最初の陣地建設がカレー近くで1943年開始されたが、イギリスは直ちに爆撃して破壊した。この作戦はクロスボー作戦(Operation Crossbow)として著名。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "このため地下発射陣地建設計画は破棄され、ミサイル、人員、機器、燃料を乗せた約30台の各種車両から成る技術部隊・発射部隊が編成された。ペーネミュンデの技術者達はMeillerwagenとして知られる移動式発射装置を開発した。ミサイルは陣地設営から4 - 6時間で発射できた。ミサイルは工場から射場近くまで鉄道輸送され、運搬車(Vidalwagen)に載せ換えて射場まで道路輸送された。弾頭が取り付けられた後、発射部隊がミサイルを発射台兼用車(Meilerwagen)に移し、液体燃料を注入し発射した。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ミサイルは事実上どこからでも発射可能で、カモフラージュの観点から特に森林の道路上が好まれた。射場決定から発射までの所要時間は、4 - 6時間程度で、機動性の高い小部隊で、一度も敵空軍に捕捉されたことはなかった。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、報復兵器のうち、V1 は空軍所管だったのに対し、V2は陸軍が所管した。これは、V1 が飛行爆弾で「無人攻撃機」とみなされたのに対して、V2はロケットで「巨大で高性能な砲弾」と考えられたことによる。", "title": "開発" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "V2は、ドイツ中部ノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、近くのミッテルバウ=ドーラ強制収容所収容者により生産された。その多くはフランスとソ連の戦争捕虜で、劣悪な環境の中、約1万人が過労死したり警備員に殺された。皮肉にもこの数はV2の攻撃による死者数を上回る。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊で、1944年9月2日、当時解放されたばかりのパリを攻撃すべく、ベルギーのウッファリーズ(フランス語: Houffalize)近くに発射基地を設営した。翌日には第485砲兵大隊がロンドン攻撃のためにハーグに移動した。数日間は打ち上げ失敗に終わったが、9月8日両部隊とも成功した。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "続く数か月間に発射された総数は次の通り。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1945年3月3日、連合国軍はハーグ近郊のV2と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みたが、航法誤差のためベザイデンハウツェ区域が破壊され、市民およそ500名の死者を出した。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "V2の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な誘導システムは特定目標を照準できず、命中精度は7 - 17 kmと現在の基準では実用的でないくらい低かった。コストは4発で概ね爆撃機1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音が存在するV1飛行爆弾と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存兵器では迎撃不可能なV2は、ドイツにとって有用な兵器となった。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。最大射程320 kmで最大射程時に飛行時間は5分半で高度93.3 kmに到達した。発射されたミサイルのおよそ4%が発射後30秒間で故障した。およそ6%が弾頭の暴発やタンク爆発で空中分解した。また再突入時にも構造破壊で多数が失われた。結果、ロンドンへ向け発射された1152機中、到達したのは半分以下517機に過ぎなかった。アマトール爆薬が弾頭に使用された理由は大気圏再突入時の暴発を防ぎ、信頼性を高めるために低感度爆薬を選択しなければならなかったからである。一方、搭載された触発信管は高感度で連合国側で発見された不発弾頭はわずか2基のみだった。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "反面迎撃不可能ゆえに、V2攻撃阻止には発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツ敗北を早めた兵器とも言える。一方、同じ報復兵器のV1飛行爆弾は低速で迎撃可能な分、かえってそのために戦力を割かねばならず、戦略的にはV2より効果があったとも言える。V1飛行爆弾はV2ロケットのおよそ1/10の費用で開発、生産され、V2とは異なり、入手の比較的容易な燃料のみが必要で徐々に蒸発する極低温の液体酸素のような酸化剤は不要で、弾頭重量は850 kgあり、V2と比較し破壊力は遜色なかった。その結果、24,200機のV1が発射されたのに対しV2は3,500機発射で、V1は平均110機/日の発射に対しV2は16機/日の発射に留まった。実質的に与えた損害はV2よりもV1の方が多かったことが戦後の調査で判明している。V1の弾頭はV2の弾頭のように大気圏再突入による加熱がないため、暴発せず、V2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入して建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった。さらにV2は前触れなく突然落下するのに対してV1の発する特有の音は恐怖をもたらす心理的効果があった。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "上記の欠点を嫌った軍需大臣アルベルト・シュペーアは、より小型で使い勝手の良い兵器の開発を望んだが、大型兵器による戦局打破にこだわったヒトラーに押し切られ、製造が続けられた。", "title": "生産・発射" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "戦争末期には、V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く獲得するレースが行われた。1945年8月半ばにアメリカ軍はペーパークリップ作戦の下で貨車300両分のV2と部品を鹵獲し、オルガー・N・トフトイ大佐は、ジョージ・パットン大将率いる第3軍に投降したフォン・ブラウンやドルンベルガー将軍をはじめとする126人の主要な設計技術者をアメリカに連れ帰った。ニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場には215機分の燃焼器と180機分の推進剤タンクと90機分の尾翼と100機分の黒鉛の偏流板と200機分のターボポンプが持ち込まれた。当初は大半のドイツ製ロケットはアメリカで飛行可能な状態で持ち帰られたと考えられたが、実際にはどれも飛行可能ではなく、ゼネラルエレクトリック(GE)社が陸軍工廠とV2組み立てと発射の契約を交わした。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "接収され、ホワイトサンズに持ち込まれたV2の部品は豊富にあったものの、制御装置のような機材は逼迫していた。ドイツから接収したジャイロスコープは50台のみで、大半は劣悪な状況であった。それぞれのロケットには2台のジャイロスコープが必要で、他にも配電盤の多くの配線が不足していることが判明したため、試射計画の後半にはGE社はジャイロスコープと誘導装置を製造するとともに、経年劣化していたドイツ製推進剤配管を交換した。V2の52%に変更が施されホワイトサンズから発射され、71%は設計重量を超えた。2,200 lb (1,000 kg)の弾頭を含むV2の標準的な空虚重量は8,000 lb (3,600 kg)だったが、発射されたロケットの空虚重量はペイロードが19%増えたことにより9,218 lb (4,181 kg)になり、1951年以降は全てのV2に改良が施され、47%以上ペイロードが追加されたことで最大全備重量は28,400 lb (12,900 kg)になった。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "全ての部品は組み立て前に性能と状態が検査され、修理や調整が必要な部品は再度試験された。大型部品は組み付け前に完全に試験が実施され、2回の総合試験が組み立て棟を離れる前に実施され、射点では総合試験が前日に実施され、発射当日に推進剤が充填された。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用のV2ロケットを活用して進められた。これらの改良型V2のひとつである2段式の「バンパー」は、1949年2月24日の試験飛行で当時の高度記録である 400 km を達成した。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "V2の打ち上げは68%が成功したが、失敗した打ち上げからも多くの貴重な情報が得られた。1946年から1952年にかけて合計67機のV2ロケットがホワイトサンズから発射され、多くの価値ある情報をアメリカにもたらした。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "フォン・ブラウンはアメリカ陸軍のレッドストーン兵器廠に勤務し、1950年からはアラバマ州ハンツビルに居住。後にレッドストーン、ジュピター、ジュピター-C、パーシングそしてサターンなど、ほぼ全てのアメリカのロケットの生みの親となった。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "アメリカ海軍では接収したV2を小型化したヴァイキングを開発して後に人工衛星打ち上げ用のヴァンガードに発展させた。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ソ連もまた多数のV2ロケットと250人余りの技術者を捕らえた。元共産党員の妻を持つヘルムート・グレトルップがこのグループを率いた。彼らはドイツ国内でロケット研究を継続できるという条件でソ連軍に協力したが、戦後、しばらくの間ドイツ国内でソビエト人技術者達と共に開発作業に従事したが、1946年にソ連は突如、彼らをソ連国内の孤島に隔離収容して、V2ロケットをもとに多くの新しいミサイルの開発を行なわせた。セルゲイ・コロリョフのチームはV2ロケットの複製R-1を製作する。コロリョフはドイツ人に教えを請うたり、ドイツ人達が隔離されている島を訪問したことは無かったが、対照的にOKB-456のヴァレンティン・グルシュコは積極的にドイツ人達からノウハウを吸収した。OKB-456ではソビエト人のチームによってドイツから帰国直後から改良型のエンジンの開発に着手された。彼らは計算によりターボポンプの回転数を高めて推進剤の供給量と燃焼室の圧力を上げることで、推力を大幅に増大させることが可能であると理解していた。この時、ドイツ人技術者達には新設計のエンジンの詳細は知らされず、RD-100の生産が軌道に乗ってからは彼らの支援はもはや必要なかった。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "グレトルップを首領とするドイツ人のチームはG-1というロケットの設計を進めた。G-1は大きさはV2と同じだが、推進剤のタンクが荷重を負担するようにして構造体を軽量化することにより、推進剤の搭載量を増やし、大気圏再突入時に弾頭を分離式にして、誘導、制御を地上から電波で行うようにして機載の誘導装置を可能な限り簡略化する仕様だった。推進剤のタンクに荷重を負担させるという概念自体は既に1920年代初頭にヘルマン・オーベルトが彼の著作でタンクに荷重を分担させるべきであると記していて、1941年にペーネミュンデを訪問時にも提言していたが、当時は軽量化よりも早期の実用化が優先されており、採用されなかった。エンジンの配置も大幅に変更され、推進剤を供給するポンプを駆動するタービンは燃焼室からのガスで直接駆動された。新しい無線制御装置により、精度が向上した。速度は単に計測されただけでなく、無線で軌道を修正された。エンジンの推力を制御することで速度を調整することは画期的で1955年にこの装置(RKS)は開発されたが、1957年にR-7大陸間弾道ミサイルに搭載されるまで実用に供されなかった。誘導装置も簡略化され、1自由度のジャイロスコープが備えられ、V2ではAskaniaという油圧式の操舵装置が搭載されていたが、G-1では空圧式に変更され、これにより付随装置も大幅に軽量化され、構造体の重量は3.17トンから1.87トンに大幅に軽量化され、弾頭重量は750kgから950kgへ増加して、尾翼は小型化され、機体は軽合金製になった。ドイツ人技術者達はロケットのソビエトの国産化に貢献したが、ドイツ人の設計によるものは一つも生産されたものはなかった。1950年代にソ連の技術者が十分な経験を積むと、ドイツ人技術者は東ドイツに帰国させられた。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ドイツ人技術者のノウハウをもとに、ソ連が開発したミサイルにはV2のコピーR-1、射程延伸型R-2、R-3(計画のみ)、ソ連で最初に核弾頭を搭載したR-5およびR-5M(NATO名:SS-3 Shyster)などがある。スカッド(NATO名:SS-1b/c SCUD、ソ連名称:R-11およびR-17)ミサイルはそれらの技術から発展した戦術ミサイルである。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "同様にイギリスは少数のV2ミサイルを捕獲し、いくつかを北ドイツの射場でバックファイア作戦として打ち上げた。しかし、関係した技術者はすでに、試験完了後にアメリカに移ることに合意していた。同作戦の報告は、あらゆる支援手順、専用の車両そして燃料合成を含む広範囲な技術文書を残した。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "フランス軍備研究局(DEFA)もまたドイツからの資料を得て、イギリスが追求をあきらめたペーネミュンデ系のドイツ人技術者をヴェルノンに招聘し、弾道技術・航空力学研究所(LRBA)を設立、陸軍の将来ミサイルの開発を行わせることとした。ジャン=ジャック・バールもLRBAに参加したほか、ドイツ人研究者にはアリアンのバイキングエンジンを生み出したハインツ・ブリュンゲルや磁気軸受を開発したヘルムート・ハーベルマン(フランス語版)(Helmut Habermann)も含まれていた。フランスでは欧州での第二次世界大戦終結後のわずか1週間後の1945年6月12日に戦時中のドイツで開発されたロケット技術を入手するためのCEPA(Centre for Study of Guided Missiles)が設立された。1946年の5月から9月にかけてフランスはこの目的のために30人のドイツ人技術者達を雇用してヴェルノンにLRBAの施設を設立した。1946年8月にこのグループは既に後にアリアンロケットへと発展する液体推進系の開発に着手していた。2段階の計画が策定された。先ずはフランス国内でV2ロケットを量産と試験施設が必要だった。そこではV2ロケットの発展型であるA8の開発と量産が予定された。1946年11月にアルジェリアのColomb-ベシャール近郊の施設がV2の飛行試験のために選定された。試験は順調に進むかに見えたが、1947年初頭にアメリカとソビエトがフランスが必要とした30機のV2の取得を阻み、そのため、アルジェリアで飛行試験を開始することが出来なくなった。LRBAのドイツ人技術者達は4211計画の一環でフランスがA8の飛行試験を実施できるように開発を支援した。並行してジャン=ジャック・バールのチームは4212計画の一環として純粋なフランス製ロケットであるEA1941の開発を進めた。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "A8を基に計画されたシュペルV-2ロケットは外見こそV2ロケットに似ていたものの、推力は40トンに強化され、戦略兵器として有効な推進剤はケロシンと常温でも貯蔵可能な硝酸を酸化剤として使用するものになった。開発は主に理論面と硝酸の取り扱いと推力40トンのエンジンのガス発生器の地上試験が実施されたが、予算を並行する2計画に投じることは出来ないという政府の判断により、試作機を製造するための予算は拠出されず、1948年にシュペルV2計画は中止され、4トンの推力のエンジンを備えた1/10サイズのヴェロニク/4213計画になった。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "LRBAの任務はV2の改良であった。1946年から1949年にかけてドイツのフランスの占領地でドイツ人技術者達に開発を進めさせた。A8の計画を基にしたシュペルV-2と呼ばれた改良型V2では製造が簡素化され、タンク構造とより剛性の強い特殊鋼の採用でエンジン推力を40tに向上させ、射程を700kmに向上させる計画であった。しかし、軍はLRBAにソ連爆撃機の脅威に対抗するべくパルカ(Parca)長距離対空ミサイルの開発を要請し、DEFAは1949年に計画の棚上げを決定した。対空ミサイル計画は試作機が要求を満たせない状態が続き、1958年にアメリカのホークミサイルのライセンス生産が決定したことで計画は停止されたものの、追跡装置やアクチュエーターに関する研究はホークミサイルに対するLRBAの関与を深めることができた。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一方、バールのチームと並行して開発を進めていたドイツ人の技術者のチームは1949年により技術的難易度の低い推力4トンの液体燃料エンジンを搭載し、高度100 kmの弾道飛行中に60 kgの科学機器を運ぶことを目標としたヴェロニクロケットを開発した。誘導システムを持たず、推進剤加圧システムにターボポンプがないなど簡素化が行われたものの、当初は不安定燃焼の問題に突き当たった。しかし、1954年に解決を果たし、アルジェリア南部のアマギールから試験機の打ち上げが行われた。以後、こちらがフランスのロケット開発の主流になる。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "その後、国際地球観測年の観測の一環として上層大気の研究が行われることとなり、より強力なヴェロニクAVIが作られた。これは200 kmの高度に装置類を投入することを目的とした。予算上の理由から初打ち上げは1959年3月7日に行われた。これは失敗だったものの、3日後に行われた2号機は137 kmの高度に達し、上層大気で風を測定する科学実験を行うことができた。同型機は1959年から1969年までの間に48機が打ち上げられ、81.5%の成功を記録した。続いてヴェロニクAGIが開発され、生き物への加速度や振動の影響を研究するために利用された。ヴェロニクAGIは高度365 kmに到達している。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "カナディアン・アローではA4のエンジンのレプリカを使用する予定で地上試験まで実施された。", "title": "戦後のV2の利用" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "V2の射程は、約1,000 kgの弾頭でおよそ300 kmであった(参考:質量の比較)。 そのほかの仕様は次の通り:", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "推進剤は、アルコール(エタノール)と水の混合燃料、および、液体酸素(酸化剤)である。混合燃料は重量軽減のためアルミニウムの燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは稀少かつ高価であったため、ドイツの戦時経済にとっては大きな負担となった。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "推進剤は、過酸化水素によって駆動されるターボポンプによって主燃焼室に運ばれる。このときアルコールと液体酸素の混合比が常に適切になるようにいくつかのノズルを通る。また、燃料は主燃焼機の壁を通るようになっており、これは混合燃料を予熱すると同時に、再生冷却によって燃焼室を冷却して過熱による強度低下や溶融を防ぐ働きをしている。再生冷却だけでは冷却が不十分のため、燃焼ガスが燃焼室の壁面と接触しないようにフィルム冷却のために燃料のエタノールを噴射した。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "毎秒125 kgの推進剤を燃焼した。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "燃焼室の頂部に18個の螺髪状の燃焼器がある。それぞれの推力は1.5重量トンで試作時にはアルミニウム製だったが、量産時には鋼製になり溶接で固定された。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "離陸時の総重量12.8トンに対してエンジンの推力は25重量トンだったが、これは現在の基準に照らし合わせると明らかに過剰だった。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "推進剤のタンクはフリードリヒスハーフェンのツェッペリンの工場でへら絞りで製造された。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ロケットの進行方向を変えるための燃焼ガスの向きを制御する方式として、黒鉛製の推力偏向板(ジェットベーン、Jet vane)が使われた。これは、現在の大気圏外を飛行するロケットで主流の方式であるジンバル機構(ノズル全体の向きを変える方式)に比べると、燃焼ガスの運動量損失が大きいという欠点はあるが、機構がごく簡単なため、当時の工作技術の下では合理的な選択であった。推力偏向板は離陸後、低速時には安定翼の効果が不十分なので十分な速度に達するまで効果があった。大気圏外に到達する時にはエンジンは停止して慣性で放物線状に飛行した。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ロケットの軌道制御として真空管を用いた簡単なアナログコンピュータによる慣性誘導が用いられた。試験段階では、ロケットの激しい振動によって真空管のフィラメントが切れたため、制御不能となったロケットが試験場周辺に墜落するという事故が絶えなかったが、原因が分かって防振対策が施されてから安定飛行するようになった。飛行距離は燃料残量で計算され、燃焼が完了するとロケットは加速を停止し、程なく放物線カーブの頂点(約80km)に達した。しかし、命中精度が低く、兵器としての価値はさほどのものではなかった。このことから、後期になると地上から送信する電波信号で目標への誘導する方式のものも作られた。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "作戦用のV2は大抵何種類かの迷彩パターンで塗装されたが、終戦近くには全面オリーブドラブ塗装も見られた。試験段階における特徴的な白と黒(ないし濃色)の市松模様の塗装は、写真が何枚も残されており印象的だが、これはセンサーなどの未発達な当時において目視や写真からロケットの姿勢を判断しやすくするための簡単かつ効果的なアイディアで、後にロケット開発に参入した国々の機体にも見られるものである。", "title": "詳細技術" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "この他にも、架空戦記の中ではかなり有効な兵器として見られる場合が多く、ノルマンディー上陸作戦(大陸反攻)の準備に対する妨害攻撃に使用されたり、V2やその発展型が核兵器を搭載しイギリス本土やアメリカ本土あるいは日本本土まで攻撃することがある。一方で、史実ではあまり効果がなかったことを受け、開発を縮小・中止にして核兵器やその他の兵器に力を注ぐという作品もある。", "title": "登場作品" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ローリングストーンズのキース・リチャーズは、自分の出生をインタビューで語るときに、よく「ヒトラーのミサイル(V2)がかすめる横で生まれた」とウィットにとんだ発言をしている。", "title": "登場作品" } ]
V2ロケットは、第二次世界大戦中にドイツが開発した世界初の軍事用液体燃料ミサイルであり、弾道ミサイルである。それ以前から開発されていたアグリガット(Aggregat)ロケットシリーズのA4ロケットを転用・実用兵器化し、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが報復兵器第2号と命名したため、この名で呼ばれることとなった。この兵器は同大戦末期、主にイギリスとベルギーの目標に対し発射された(→発射映像)。後にアメリカ合衆国でアポロ計画を主導したヴェルナー・フォン・ブラウンが計画に参加し設計を行ったことで知られる。
{{参照方法|date=2009年6月}} {{Infobox Weapon |is_missile=yes |name=V2ロケット |image=[[File:Fusée V2.jpg|300px]] |caption=[[ペーネミュンデ]]の記念館にあるA4ロケットの実物大の模型 |type=単段式弾道ミサイル(エリア爆撃) |origin={{DEU1935}} |service=1944年9月8日 - [[:en:List of V-2 test launches#Launches of captured V-2 rockets in the USA after 1945|1952年9月19日]] |used_by={{DEU1935}}<br />{{flag|United States}}(戦後)<br />{{flag|Soviet Union}}(戦後) |manufacturer=[[ミッテルベルク]][[有限会社 (ドイツ)|有限会社]](開発は[[:en:Peenemünde#Army Research Center Peenemünde|ペーネミュンデ陸軍研究所]]) |unit_cost=100,000 [[ライヒスマルク|RM]](1944年1月)<br />50,000 RM(1945年3月)<ref>Kennedy, Gregory P. (1983). Vengeance Weapon 2: The V-2 Guided Missile. Washington DC: Smithsonian Institution Press. pp. 27, 74. </ref> |production_date=[[:en:List of V-2 test launches|1942年3月16日]] |weight={{convert|12500|kg|lb|lk=on|abbr=on}} |length={{convert|14|m|ftin|abbr=on}} |height= |diameter={{convert|1.65|m|ftin|abbr=on}} |wingspan={{convert|3.56|m|ftin|abbr=on}} |filling={{convert|980|kg|lb|abbr=on}} [[アマトール]]火薬 |propellant=[[エタノール]]75[[パーセント|%]]と水25%の混合燃料が{{convert|3810|kg|lb|abbr=on}}と、[[液体酸素]]が{{convert|4910|kg|lb|abbr=on}} |engine=Ofen-B |speed= 最大: :{{convert|1600|m/s|ft/s|lk=on|abbr=on}} :{{convert|5760|km/h|lk=on|abbr=on}} 着弾時: :{{convert|800|m/s|ft/s|abbr=on}} :{{convert|2880|km/h|abbr=on}} |vehicle_range={{convert|320|km|mi|abbr=on}} |ceiling= |altitude={{convert|88|km|mi|abbr=on}}(最大射程時の最大高度)<br>{{convert|206|km|mi|abbr=on}}(垂直打ち上げ時の最大高度) |guidance=ジャイロスコープによる姿勢制御<br />エンジン停止用のミューラー型振り子式ジャイロスコピック加速度計が量産された大半のロケットに装備(10%の[[ミッテルベルク]]ロケットは誘導ビームでエンジン停止)<ref>Neufeld, Michael J (1995). The Rocket and the Reich: Peenemünde and the Coming of the Ballistic Missile Era. New York: The Free Press. pp. 73, 74, 101, 281. </ref>{{Rp|225}} |detonation= |launch_platform=運搬式([[:en:Meillerwagen|Meillerwagen]]) }} '''V2ロケット'''は、[[第二次世界大戦]]中に[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]が開発した世界初の軍事用[[液体燃料]][[ミサイル|ロケット]]であり、[[弾道ミサイル|弾道ロケット]]である。それ以前から開発されていた[[アグリガット (ロケット)|アグリガット]](Aggregat)[[ロケット]]シリーズのA4ロケットを転用・実用兵器化し、宣伝大臣[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]が報復兵器第2号(Vergeltungswaffe 2)と命名したため、この名で呼ばれることとなった。この兵器は同大戦末期、主に[[イギリス]]と[[ベルギー]]の目標に対し発射された(→発射映像<ref>{{Internet Archive film|id=1945-01-18-Die-Deutsche-Wochenschau-Nr.749|name=『ドイツ週間ニュース』1945年1月18日、第749号}}。当該[[シークエンス]]は開始後約9分。バックグラウンドミュージックには[[リヒャルト・ワーグナー]]の[[ワルキューレ (楽劇)#第3幕 「岩山の頂き」|ヴァルキューレの騎行]]が用いられている。</ref>)。後に[[アメリカ合衆国]]で[[アポロ計画]]を主導した[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]が計画に参加し設計を行ったことで知られる。 == 開発 == [[ファイル:Bundesarchiv Bild 141-1875A, Peenemünde, V2 auf Abschussbahn.jpg|thumb|240px|left|牽引式発射装置上のV2]] [[1927年]]に結成された[[ドイツ宇宙旅行協会]]は、宇宙旅行を目指して[[1929年]]頃から[[液体燃料]][[ロケット]]を研究していた。[[ヴェルサイユ条約]]で大型兵器の開発を禁止されていた[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]の[[ヴァイマル共和国軍|陸軍]]は、[[1932年]]に同協会が開発中の液体燃料ロケットが持つ長距離攻撃兵器としての可能性に注目、[[ヴァルター・ドルンベルガー]]陸軍大尉は、資金繰りに悩むアマチュア研究者だった[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]らの才能を見抜き、[[陸軍兵器局]]の液体燃料ロケット研究所で研究を続けるよう勧誘した。 ヴェルナー・フォン・ブラウンらはこれに応じて同研究所に参加、[[1934年]]12月、[[エタノール]]と[[液体酸素]]を推進剤とする小型のA2ロケット(質量500 kg)の飛行実験を成功させた。 [[1936年]]までには、チームは[[アグリガット (ロケット)#A2|A2]]ロケットの開発計画を終了し、新たに[[アグリガット (ロケット)#A3|A3]] と [[アグリガット (ロケット)#A4|A4]] の開発に着手した。後者は射程175 km、最大高度80 km、搭載量約1 [[トン|t]]として設計された。フォン・ブラウンの設計するロケットは兵器としての現実性を増しつつあり、ドルンベルガーは実験規模を拡大し、かつ研究活動を秘匿するため、開発チームを[[ベルリン]]近郊の[[クマースドルフ陸軍兵器実験場]]([[:de:Kummersdorf-Gut|Heeresversuchsanstalt Kummersdorf]])からドイツ北部[[バルト海]]沿岸の[[ウーゼドム島]][[ペーネミュンデ]]に新設した[[ペーネミュンデ陸軍兵器実験場]]({{Lang|de|HVP}})に移した。 A4の約1/2スケールモデルのA3は4回の打上げに全て失敗したため、[[アグリガット (ロケット)#A5|A5]]の設計が始められた。このバージョンは完璧な信頼性を備え、[[1941年]]までに約70機が試射された。 最初のA4は[[1942年]]3月に飛行、およそ1.6{{nbsp}}km飛んで海中落下した。2回目の打上げでは高度11.2{{nbsp}}kmに到達して爆発した。 1942年[[10月3日]]の3回目の打上げで成功。ロケットは完全な軌跡を描き、宇宙空間に到達した初の人工物体となって192 km先に落下した。 ヒトラーは1939年に[[クマースドルフ陸軍兵器実験場]]で2回の試射を視察するまでは兵器としての潜在性を認識していなかったが、視察後、関心を抱いた<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。V2量産は軍需省のこの計画の責任者であったゲルハルト・デーゲンコルブ([[:De:Gerhard Degenkolb]])に承認された。彼らは権限を持っており、些細なことでも承認を得るのにエネルギーを費やしたと後にフォン・ブラウンは語っている<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。干渉にもかかわらず、2年間で100機のV2が製造された。 [[1940年]]頃からイギリス軍情報部は[[空中写真|写真偵察]]からこの開発計画を察知、1943年8月にペーネミュンデを爆撃した([[ハイドラ作戦]])。このため、同年11月から生産テスト・発射訓練部隊は内陸部奥深くの[[武装親衛隊]]演習場、ハイデラーガー([[:de:Blizna|Heidelager]]、現[[ポーランド]]のブリツナ [[:en:Blizna|Blizna]])に移動した。1944年5月には、試射された[[ミサイル]]を[[ポーランド人]][[レジスタンス運動|レジスタンス]]が[[ブク川]]の土手から回収、極めて重要な技術的詳細をイギリスに伝えたこともあり、連合軍はペーネミュンデを数回にわたって爆撃し、研究と生産を遅延させた。 親衛隊はロケット開発を傘下に収めようとして、司令官を陸軍のレオ・ツァンセンから親衛隊の[[ハンス・カムラー]]へ交代させようとしたが、ドルンベルガーはこれを阻止した。親衛隊はあきらめず、1944年にフォン・ブラウンを東プロイセンの[[ゲシュタポ]]へ召喚し、[[ハインリヒ・ヒムラー]]は彼に軍を除隊して彼のために働くように強制しようとした<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。フォン・ブラウンはこの要請を辞退した。数日後、彼は3人の[[ゲシュタポ]]によって逮捕され、2週間後に[[シュチェチン|シュテティーン]]の収容所において、「軍用ロケットには関心が無く宇宙探査を目的として働いていて、イギリスへロケット設計図と共に小型機で亡命する計画がある」という嫌疑により、親衛隊による裁判にかけられた<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。ドルンベルガーはヒトラーにフォン・ブラウンの釈放を[[直訴]]し、[[釈放]]された<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling">[https://www.daviddarling.info/encyclopedia/V/V-2.html V-2 - The Worlds of David Darling]</ref>。 V2を移動式兵器にするには問題を解決する必要があった。それは研究室に近い環境での推進剤充填、整備、設定を必要としたことである。軍の専門家達は移動式が最適と考えたが両方式が試された<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。 ドルンベルガーは当初からトラクター牽引式発射装置を想定、ロケットのサイズを鉄道・道路での輸送が可能な範囲に留めることを設計条件としていた。[[アドルフ・ヒトラー]]は地下発射陣地にこだわり、最初の陣地建設が[[カレー (フランス)|カレー]]近くで[[1943年]]開始されたが、イギリスは直ちに爆撃して破壊した。この作戦は[[クロスボー作戦]]([[:en:Operation Crossbow|Operation Crossbow]])として著名。 このため地下発射陣地建設計画は破棄され、ミサイル、人員、機器、燃料を乗せた約30台の各種車両から成る技術部隊・発射部隊が編成された。ペーネミュンデの技術者達はMeillerwagenとして知られる移動式発射装置を開発した。ミサイルは陣地設営から4 - 6時間で発射できた<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。ミサイルは工場から射場近くまで鉄道輸送され、[[運搬車]]([[:de:Vidalwagen<!-- 存在せずリンク元がない -->|Vidalwagen]])に載せ換えて射場まで道路輸送された。弾頭が取り付けられた後、発射部隊がミサイルを発射台[[兼用車]]([[:de:Meilerwagen<!-- 存在せずリンク元がない -->|Meilerwagen]])に移し、液体燃料を注入し発射した。 ミサイルは事実上どこからでも発射可能で、カモフラージュの観点から特に森林の道路上が好まれた。射場決定から発射までの所要時間は、4 - 6時間程度で、機動性の高い小部隊で、一度も敵空軍に捕捉されたことはなかった。 なお、[[報復兵器]]のうち、[[V1飛行爆弾|V1]] は空軍所管だったのに対し、V2は陸軍が所管した。これは、V1 が[[飛行爆弾]]で「無人'''攻撃機'''」とみなされたのに対して、V2はロケットで「巨大で高性能な'''砲弾'''」と考えられたことによる。 == 生産・発射 == V2は、ドイツ中部[[ノルトハウゼン]]近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で、近くの[[ミッテルバウ=ドーラ強制収容所]]収容者により生産された。その多くは[[フランス]]と[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[戦争捕虜]]で、劣悪な環境の中、約1万人が過労死したり警備員に殺された。皮肉にもこの数はV2の攻撃による死者数を上回る。 最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊で、[[1944年]][[9月2日]]、当時解放されたばかりの[[パリ]]を攻撃すべく、[[ベルギー]]の{{日本語版にない記事リンク|ウッファリーズ|fr|Houffalize}}近くに発射基地を設営した。翌日には第485砲兵大隊が[[ロンドン]]攻撃のために[[デン・ハーグ|ハーグ]]に移動した。数日間は打ち上げ失敗に終わったが、[[9月8日]]両部隊とも成功した。 続く数か月間に発射された総数は次の通り。 [[ファイル:Dora - production.jpg|thumb|240px|right|岩塩坑跡に設置された生産ライン]] [[ファイル:Dora - crematorium.jpg|thumb|240px|right|ドーラの死体焼却炉]] * [[ベルギー]]に対して ** [[アントウェルペン]] - 1610 ** [[リエージュ]] - 27 ** [[ハッセルト]] - 13 ** [[トゥルネー]] - 9 ** [[モンス]] - 3 ** [[ディースト]] - 2 * [[フランス]]に対して ** [[リール (フランス)|リール]] - 25 ** [[パリ]] - 22 ** [[トゥールコアン]] - 19 ** [[アラス]] - 6 ** [[カンブレー|カンブレ]] - 4 * [[イギリス]]に対し ** [[ロンドン]] - 1358 ** [[ノリッジ]]/[[イプスウィッチ]] - 44 * 地上部隊が爆破に失敗したライン川鉄橋を目標に ** [[ルーデンドルフ橋]](レマーゲンの鉄橋) - 11 * [[オランダ]]に対し ** [[マーストリヒト]] - 19 [[1945年]][[3月3日]]、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍はハーグ近郊のV2と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みたが、航法誤差のためベザイデンハウツェ区域が破壊され、市民およそ500名の死者を出した。 V2の軍事的効果は限定的であった。ごく初歩的な[[慣性誘導装置|誘導システム]]は特定目標を照準できず、命中精度は7 - 17&nbsp;kmと現在の基準では実用的でないくらい低かった。コストは4発で概ね[[爆撃機]]1機に匹敵した(爆撃機はより遠距離の目標に、より正確に、遥かに多くの弾頭を、幾度も運搬可能)。ただし心理的効果はかなり大きく、爆撃機や特徴的な唸り音が存在する[[V1飛行爆弾]]と違い、超音速で前触れもなく飛来し、既存兵器では迎撃不可能なV2は、ドイツにとって有用な兵器となった。特に、ロンドン市民は連日の攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。最大射程320&nbsp;kmで最大射程時に飛行時間は5分半で高度93.3&nbsp;kmに到達した。発射されたミサイルのおよそ4%が発射後30秒間で故障した。およそ6%が弾頭の[[暴発]]やタンク爆発で空中分解した。また再突入時にも構造破壊で多数が失われた。結果、ロンドンへ向け発射された1152機中、到達したのは半分以下517機に過ぎなかった。[[アマトール]]爆薬が弾頭に使用された理由は大気圏再突入時の暴発を防ぎ、信頼性を高めるために[[低感度爆薬]]を選択しなければならなかったからである。一方、搭載された触発[[信管]]は高感度で連合国側で発見された[[不発弾|不発弾頭]]はわずか2基のみだった<ref name="V2">{{Cite book |title=V-2 Ballistic Missile 1942-52 |author=Steven J. Zaloga |author2=|author3=|date=2003-08-20 |issue = |volume = |publisher=Osprey Publishing |isbn=9781841765419 |asin= |page =20-21 |url= }}</ref>。 反面迎撃不可能ゆえに、V2攻撃阻止には発射基地を制圧する必要があり、かえって連合軍のドイツ侵攻を早める動機づけにもなった。そのような意味ではドイツ敗北を早めた兵器とも言える。一方、同じ報復兵器のV1飛行爆弾は低速で迎撃可能な分、かえってそのために戦力を割かねばならず、戦略的にはV2より効果があったとも言える。V1飛行爆弾はV2ロケットのおよそ1/10の費用で開発、生産され、V2とは異なり、入手の比較的容易な燃料のみが必要で徐々に蒸発する極低温の[[液体酸素]]のような酸化剤は不要で、弾頭重量は850&nbsp;kgあり、V2と比較し破壊力は遜色なかった。その結果、24,200機のV1が発射されたのに対しV2は3,500機発射で、V1は平均110機/日の発射に対しV2は16機/日の発射に留まった<ref name="compare">{{Cite book |title=V-2 Ballistic Missile 1942-52 |author=Steven J. Zaloga |author2=|author3=|date=2003-08-20 |issue = |volume = |publisher=Osprey Publishingす |isbn=9781841765419 |asin= |page =37-38 |url= }}</ref>。実質的に与えた損害はV2よりもV1の方が多かったことが戦後の調査で判明している。V1の弾頭はV2の弾頭のように大気圏再突入による加熱がないため、暴発せず、V2の弾頭は垂直に近い角度で高速で建物や地面に陥入してから爆発するので爆風が緩和されたが、V1の弾頭は比較的浅い角度で低速で突入して建物の表面付近で爆発するので爆風の及ぼす範囲が広かった<ref name="compare" />。さらにV2は前触れなく突然落下するのに対してV1の発する特有の音は恐怖をもたらす心理的効果があった<ref name="compare" />。 上記の欠点を嫌った軍需大臣[[アルベルト・シュペーア]]は、より小型で使い勝手の良い兵器の開発を望んだが、大型兵器による戦局打破にこだわったヒトラーに押し切られ、製造が続けられた。 == 戦後のV2の利用 == [[ファイル:Bumper8 launch-GPN-2000-000613.jpg|thumb|240px|right|アメリカの「[[RTV-G-4 (ロケット)|バンパー]]」の試射(1950年)]] 戦争末期には、V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く獲得するレースが行われた。1945年8月半ばに[[アメリカ軍]]は[[ペーパークリップ作戦]]の下で貨車300両分のV2と部品を鹵獲し、[[オルガー・トフトイ|オルガー・N・トフトイ]][[大佐]]は、[[ジョージ・パットン]][[大将]]率いる[[第3軍 (アメリカ軍)|第3軍]]に投降したフォン・ブラウンやドルンベルガー将軍をはじめとする126人の主要な設計技術者を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に連れ帰った<ref>{{cite web |publisher = レッドストーン兵器廠|url = http://www.redstone.army.mil/history/toftoy/memoir.html|title = A Memoir of MG Tofoy by a West Point Classmate|work = Redstone Arsenal Historical Information|language = 英語 |accessdate=2007-08-18 }}</ref>。[[ニューメキシコ州]][[ホワイトサンズ・ミサイル実験場]]には215機分の燃焼器と180機分の推進剤タンクと90機分の尾翼と100機分の黒鉛の偏流板と200機分の[[ターボポンプ]]が持ち込まれた。当初は大半のドイツ製ロケットはアメリカで飛行可能な状態で持ち帰られたと考えられたが、実際にはどれも飛行可能ではなく、[[ゼネラルエレクトリック]](GE)社が陸軍工廠とV2組み立てと発射の契約を交わした。 接収され、[[ホワイトサンズ・ミサイル実験場|ホワイトサンズ]]に持ち込まれたV2の部品は豊富にあったものの、制御装置のような機材は逼迫していた<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。ドイツから接収した[[ジャイロスコープ]]は50台のみで、大半は劣悪な状況であった。それぞれのロケットには2台のジャイロスコープが必要で、他にも配電盤の多くの配線が不足していることが判明したため、試射計画の後半にはGE社はジャイロスコープと[[誘導装置]]を製造するとともに、経年劣化していたドイツ製推進剤配管を交換した。V2の52%に変更が施され[[ホワイトサンズ・ミサイル実験場|ホワイトサンズ]]から発射され、71%は設計重量を超えた。{{convert|2200|lb|kg|lk=on|abbr=on}}の弾頭を含むV2の標準的な空虚重量は{{convert|8000|lb|kg|lk=on|abbr=on}}だったが、発射されたロケットの空虚重量は[[ペイロード (航空宇宙)|ペイロード]]が19%増えたことにより{{convert|9218|lb|kg|lk=on|abbr=on}}になり、1951年以降は全てのV2に改良が施され、47%以上ペイロードが追加されたことで最大全備重量は{{convert|28400|lb|kg|lk=on|abbr=on}}になった<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。 全ての部品は組み立て前に性能と状態が検査され、修理や調整が必要な部品は再度試験された。大型部品は組み付け前に完全に試験が実施され、2回の総合試験が組み立て棟を離れる前に実施され、射点では総合試験が前日に実施され、発射当日に[[推進剤]]が充填された<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。 その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用のV2ロケットを活用して進められた。これらの改良型V2のひとつである2段式の「[[RTV-G-4 (ロケット)|バンパー]]」は、[[1949年]][[2月24日]]の試験飛行で当時の高度記録である [[1 E5 m|400 km]] を達成した。 V2の打ち上げは68%が成功したが、失敗した打ち上げからも多くの貴重な情報が得られた。1946年から1952年にかけて合計67機のV2ロケットがホワイトサンズから発射され、多くの価値ある情報をアメリカにもたらした<ref name="V-2 - The Worlds of David Darling" />。 フォン・ブラウンは[[アメリカ陸軍]]の[[レッドストーン兵器廠]]に勤務し、[[1950年]]からは[[アラバマ州]][[ハンツビル]]に居住。後に[[PGM-11 (ミサイル)|レッドストーン]]、[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター]]、[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター-C]]、[[MGM-31 (ミサイル)|パーシング]]そして[[サターンロケット|サターン]]など、ほぼ全てのアメリカのロケットの生みの親となった。 [[アメリカ海軍]]では接収したV2を小型化した[[ヴァイキング (ロケット)|ヴァイキング]]を開発して後に[[人工衛星]]打ち上げ用の[[ヴァンガード (ロケット)|ヴァンガード]]に発展させた。 [[ソビエト連邦|ソ連]]もまた多数のV2ロケットと250人余りの技術者を捕らえた。元共産党員の妻を持つ[[ヘルムート・グレトルップ]]がこのグループを率いた。彼らはドイツ国内でロケット研究を継続できるという条件で[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]に協力したが、戦後、しばらくの間ドイツ国内でソビエト人技術者達と共に開発作業に従事したが、[[1946年]]にソ連は突如、彼らをソ連国内の孤島に隔離収容して、V2ロケットをもとに多くの新しいミサイルの開発を行なわせた<ref>{{cite book|和書| author=クルト・マグヌス |translator=[[津守滋]]| first=|title=ロケット開発収容所・ドイツ人科学者のソ連抑留記録 | publisher=[[サイマル出版会]]| date=1996年|pages=|url=|isbn=4-377-31074-7}}</ref><ref>{{cite book | last = Kurt | first = Magnus | title = Raketensklaven. Deutsche Forscher hinter rotem Stacheldraht | publisher = Elbe-Dnjepr-Verlag | year = 1999 | isbn =9783421066350 }}</ref>。[[セルゲイ・コロリョフ]]のチームはV2ロケットの複製[[R-1 (ミサイル)|R-1]]を製作する。コロリョフはドイツ人に教えを請うたり、ドイツ人達が隔離されている島を訪問したことは無かったが、対照的にOKB-456の[[ヴァレンティン・グルシュコ]]は積極的にドイツ人達からノウハウを吸収した<ref name="Rockets and People">{{Cite book |author=Boris Evseevich Chertok |author2= |authorlink2= |author3= |title=Rockets and People: Creating a rocket industry |publisher=Government Printing Office |volume=2 |issue= |date=2006年 |pages=40-51|url=http://history.nasa.gov/SP-4110/vol2.pdf|isbn=9780160766725 |naid= }}</ref>。OKB-456ではソビエト人のチームによってドイツから帰国直後から改良型のエンジンの開発に着手された。彼らは計算により[[ターボポンプ]]の回転数を高めて推進剤の供給量と燃焼室の圧力を上げることで、推力を大幅に増大させることが可能であると理解していた<ref name="Rockets and People" />。この時、ドイツ人技術者達には新設計のエンジンの詳細は知らされず、[[RD-100]]の生産が軌道に乗ってからは彼らの支援はもはや必要なかった<ref name="Rockets and People" />。 グレトルップを首領とするドイツ人のチームはG-1というロケットの設計を進めた。G-1は大きさはV2と同じだが、推進剤のタンクが荷重を負担するようにして構造体を軽量化することにより、推進剤の搭載量を増やし、大気圏再突入時に弾頭を分離式にして、誘導、制御を地上から電波で行うようにして機載の誘導装置を可能な限り簡略化する仕様だった。推進剤のタンクに荷重を負担させるという概念自体は既に1920年代初頭に[[ヘルマン・オーベルト]]が彼の著作でタンクに荷重を分担させるべきであると記していて、1941年にペーネミュンデを訪問時にも提言していたが、当時は軽量化よりも早期の実用化が優先されており、採用されなかった<ref name="Rockets and People" />。エンジンの配置も大幅に変更され、推進剤を供給するポンプを駆動するタービンは燃焼室からのガスで直接駆動された。新しい無線制御装置により、精度が向上した。速度は単に計測されただけでなく、無線で軌道を修正された。エンジンの推力を制御することで速度を調整することは画期的で1955年にこの装置(RKS)は開発されたが、1957年に[[R-7 (ロケット)|R-7]]大陸間弾道ミサイルに搭載されるまで実用に供されなかった<ref name="Rockets and People" />。誘導装置も簡略化され、1自由度のジャイロスコープが備えられ、V2ではAskaniaという油圧式の操舵装置が搭載されていたが、G-1では空圧式に変更され、これにより付随装置も大幅に軽量化され、構造体の重量は3.17トンから1.87トンに大幅に軽量化され、弾頭重量は750kgから950kgへ増加して、尾翼は小型化され、機体は軽合金製になった<ref name="Rockets and People" />。ドイツ人技術者達はロケットのソビエトの国産化に貢献したが、{{要出典|範囲=ドイツ人の設計によるものは一つも生産されたものはなかった|date=2022年9月}}。[[1950年代]]にソ連の技術者が十分な経験を積むと、ドイツ人技術者は[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]に帰国させられた。 ドイツ人技術者のノウハウをもとに、ソ連が開発したミサイルにはV2のコピー[[R-1 (ミサイル)|R-1]]、射程延伸型[[R-2 (ミサイル)|R-2]]、R-3(計画のみ)、ソ連で最初に核弾頭を搭載したR-5およびR-5M([[北大西洋条約機構|NATO]]名:SS-3 Shyster)などがある。[[スカッド]](NATO名:SS-1b/c SCUD、ソ連名称:R-11およびR-17)ミサイルはそれらの技術から発展した戦術ミサイルである。 同様に[[イギリス]]は少数のV2ミサイルを捕獲し、いくつかを北ドイツの射場でバックファイア作戦として打ち上げた。しかし、関係した技術者はすでに、試験完了後にアメリカに移ることに合意していた。同作戦の報告は、あらゆる支援手順、専用の車両そして燃料合成を含む広範囲な技術文書を残した。 フランス軍備研究局(DEFA)もまたドイツからの資料を得て、イギリスが追求をあきらめた[[ペーネミュンデ陸軍兵器実験場|ペーネミュンデ]]系のドイツ人技術者を[[ヴェルノン]]に招聘し、[[弾道技術・航空力学研究所]](LRBA)を設立、陸軍の将来ミサイルの開発を行わせることとした。[[ジャン=ジャック・バール]]もLRBAに参加したほか、ドイツ人研究者にはアリアンの[[バイキングエンジン]]を生み出した[[カール‐ハインツ・ブリュンゲル|ハインツ・ブリュンゲル]]や[[磁気軸受]]を開発した{{仮リンク|ヘルムート・ハーベルマン|fr|Helmut Habermann}}(Helmut Habermann)も含まれていた。フランスでは欧州での[[第二次世界大戦]]終結後のわずか1週間後の1945年6月12日に戦時中のドイツで開発されたロケット技術を入手するためのCEPA(Centre for Study of Guided Missiles)が設立された<ref name="Super V-2" />。1946年の5月から9月にかけてフランスはこの目的のために30人のドイツ人技術者達を雇用して[[ヴェルノン]]にLRBAの施設を設立した。1946年8月にこのグループは既に後に[[アリアン]]ロケットへと発展する液体推進系の開発に着手していた。2段階の計画が策定された。先ずはフランス国内でV2ロケットを量産と試験施設が必要だった。そこではV2ロケットの発展型である[[アグリガット (ロケット)#A8|A8]]の開発と量産が予定された<ref name="Super V-2" />。1946年11月にアルジェリアのColomb-[[ベシャール]]近郊の施設がV2の飛行試験のために選定された<ref name="Super V-2" />。試験は順調に進むかに見えたが、1947年初頭にアメリカとソビエトがフランスが必要とした30機のV2の取得を阻み、そのため、アルジェリアで飛行試験を開始することが出来なくなった。LRBAのドイツ人技術者達は4211計画の一環でフランスがA8の飛行試験を実施できるように開発を支援した。並行して[[ジャン=ジャック・バール]]のチームは4212計画の一環として純粋なフランス製ロケットである[[EA-41|EA1941]]の開発を進めた<ref name="Super V-2" />。 [[アグリガット (ロケット)#A8|A8]]を基に計画された[[シュペルV-2]]ロケットは外見こそV2ロケットに似ていたものの、推力は40トンに強化され、戦略兵器として有効な推進剤は[[ケロシン]]と常温でも貯蔵可能な[[硝酸]]を[[酸化剤]]として使用するものになった。開発は主に理論面と硝酸の取り扱いと推力40トンのエンジンのガス発生器の地上試験が実施されたが、予算を並行する2計画に投じることは出来ないという政府の判断により、試作機を製造するための予算は拠出されず、1948年にシュペルV2計画は中止され、4トンの推力のエンジンを備えた1/10サイズの[[ヴェロニク (ロケット)|ヴェロニク]]/4213計画になった<ref name="Super V-2" />。 LRBAの任務はV2の改良であった。1946年から1949年にかけてドイツのフランスの占領地でドイツ人技術者達に開発を進めさせた<ref name="Super V-2">[http://www.astronautix.com/lvs/superv2.htm Super V-2]</ref>。[[アグリガット (ロケット)#A8|A8]]の計画を基にした[[シュペルV-2]]と呼ばれた改良型V2では製造が簡素化され、タンク構造とより剛性の強い特殊鋼の採用でエンジン推力を40tに向上させ、射程を700kmに向上させる計画であった<ref name="Super V-2" />。しかし、軍はLRBAにソ連爆撃機の脅威に対抗するべくパルカ(Parca)長距離対空ミサイルの開発を要請し、DEFAは1949年に計画の棚上げを決定した。対空ミサイル計画は試作機が要求を満たせない状態が続き、1958年にアメリカの[[ホーク (ミサイル)|ホークミサイル]]のライセンス生産が決定したことで計画は停止されたものの、追跡装置やアクチュエーターに関する研究はホークミサイルに対するLRBAの関与を深めることができた。 一方、バールのチームと並行して開発を進めていたドイツ人の技術者のチームは1949年により技術的難易度の低い推力4トンの液体燃料エンジンを搭載し、高度100 kmの弾道飛行中に60 kgの科学機器を運ぶことを目標とした[[ヴェロニク (ロケット)|ヴェロニクロケット]]を開発した。誘導システムを持たず、推進剤加圧システムに[[ターボポンプ]]がないなど簡素化が行われたものの、当初は不安定燃焼の問題に突き当たった。しかし、1954年に解決を果たし、アルジェリア南部の[[アマギール]]から試験機の打ち上げが行われた。以後、こちらがフランスのロケット開発の主流になる。 その後、[[国際地球観測年]]の観測の一環として上層大気の研究が行われることとなり、より強力なヴェロニクAVIが作られた。これは200 kmの高度に装置類を投入することを目的とした。予算上の理由から初打ち上げは1959年3月7日に行われた。これは失敗だったものの、3日後に行われた2号機は137 kmの高度に達し、上層大気で風を測定する科学実験を行うことができた。同型機は1959年から1969年までの間に48機が打ち上げられ、81.5%の成功を記録した。続いてヴェロニクAGIが開発され、生き物への加速度や振動の影響を研究するために利用された。ヴェロニクAGIは高度365 kmに到達している。 [[カナディアン・アロー]]ではA4のエンジンのレプリカを使用する予定で地上試験まで実施された<ref>[http://www.v2werk-oberraderach.de/Neues.htm Neues rund um das A4]</ref>。 == 詳細技術 == [[File:Rocket engine A4 V2.jpg|thumb|250px|right|upright|エンジンのカットアウェイ<br/>赤は燃料であるエタノールの配管<br/>青は液体酸素の配管<br/>黄色のタンクはターボポンプ駆動用の過酸化水素のタンク]] [[ファイル:V-2 rocket diagram (with Japanese labels).svg|thumb|250px|left]] [[File:Antwerp V-2.jpg|thumb|250px|left|推力偏向板]] V2の射程は、約1,000 kgの弾頭でおよそ300 kmであった(参考:[[質量の比較#3|質量の比較]])。 そのほかの仕様は次の通り: * 構成:1段式液体ロケット * 全長:約 14 m * 直径:約 1.7 m * 離陸時質量:12,800 kg * 離陸時推力:27,000 kgf 推進剤は、[[アルコール]]([[エタノール]])と[[水]]の混合燃料、および、[[液体酸素]]([[酸化|酸化剤]])である。混合燃料は重量軽減のため[[アルミニウム]]の燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは稀少かつ高価であったため、ドイツの戦時経済にとっては大きな負担となった。 推進剤は、[[過酸化水素]]によって駆動される[[ターボポンプ]]によって主燃焼室に運ばれる。このときアルコールと液体酸素の混合比が常に適切になるようにいくつかのノズルを通る。また、燃料は主燃焼機の壁を通るようになっており、これは混合燃料を予熱すると同時に、[[再生冷却]]によって燃焼室を冷却して過熱による強度低下や溶融を防ぐ働きをしている。再生冷却だけでは冷却が不十分のため、燃焼ガスが燃焼室の壁面と接触しないように[[フィルム冷却]]のために燃料のエタノールを噴射した<ref name="Entwicklung" />。 毎秒125 kgの推進剤を燃焼した<ref name="Entwicklung">[http://www.v2werk-oberraderach.de/Triebwerk.htm Die Entwicklung des Antriebes des A4]</ref>。 燃焼室の頂部に18個の[[螺髪]]状の燃焼器がある。それぞれの推力は1.5重量トンで試作時にはアルミニウム製だったが、量産時には鋼製になり溶接で固定された<ref name="Entwicklung" />。 離陸時の総重量12.8トンに対してエンジンの推力は25重量トンだったが、これは現在の基準に照らし合わせると明らかに過剰だった<ref name="Entwicklung" /><ref group="注釈">後に開発された[[PGM-11 (ミサイル)|レッドストーン]]や[[R-17 (ミサイル)|R-17]]では推力重量比が下げられた。</ref>。 推進剤のタンクは[[フリードリヒスハーフェン]]の[[ツェッペリン]]の工場で[[へら絞り]]で製造された<ref>[http://www.v2werk-oberraderach.de/V2_Mittelteil.htm Das Mittelteil des A4 (V2)]</ref>。 ロケットの進行方向を変えるための燃焼ガスの向きを制御する方式として、黒鉛製の推力偏向板(ジェットベーン、Jet vane)が使われた。これは、現在の大気圏外を飛行するロケットで主流の方式である[[ジンバル|ジンバル機構]](ノズル全体の向きを変える方式)に比べると、燃焼ガスの運動量損失が大きいという欠点はあるが、機構がごく簡単なため、当時の工作技術の下では合理的な選択であった。推力偏向板は離陸後、低速時には安定翼の効果が不十分なので十分な速度に達するまで効果があった。大気圏外に到達する時にはエンジンは停止して慣性で[[放物線]]状に飛行した。 ロケットの軌道制御として[[真空管]]を用いた簡単な[[アナログコンピュータ]]による[[慣性誘導]]が用いられた。試験段階では、ロケットの激しい振動によって真空管のフィラメントが切れたため、制御不能となったロケットが試験場周辺に墜落するという事故が絶えなかったが、原因が分かって防振対策が施されてから安定飛行するようになった。飛行距離は燃料残量で計算され、燃焼が完了するとロケットは加速を停止し、程なく放物線カーブの頂点(約80km)に達した。しかし、命中精度が低く、兵器としての価値はさほどのものではなかった。このことから、後期になると地上から送信する[[電波|電波信号]]で目標への誘導する方式のものも作られた。 作戦用のV2は大抵何種類かの[[カモフラージュ|迷彩]]パターンで塗装されたが、終戦近くには全面[[オリーブドラブ]]塗装も見られた。試験段階における特徴的な白と黒(ないし濃色)の[[市松模様]]の塗装は、写真が何枚も残されており印象的だが、これはセンサーなどの未発達な当時において目視や写真からロケットの姿勢を判断しやすくするための簡単かつ効果的なアイディアで、後にロケット開発に参入した国々の機体にも見られるものである。 {{-}} == 現存する機体 == {|class="wikitable" style="font-size: 90%; bacground-color: #fff;" !型名 !!機体写真  !!国名  !!保存施設/管理者 !!公開状況  !!状態  !!備考 |- |V-2 ||[[File:Top of V-2 Rocket Flying Heritage Collection(Side).jpg|thumb|180px|]] <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">写真</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> [[file:V-2 Rocket Flying Heritage Collection(Side).jpg|thumb|180px|2014年5月撮影]] [[file:V-2 Rocket Flying Heritage Collection(Front).jpg|thumb|180px|2014年5月撮影]] </div> </div></div> ||アメリカ ||[[フライング・ヘリテージ・コレクション]] ||公開 ||静態展示 ||1990年代にドイツのノルトハウゼン(Nordhausen)近郊の地下工場から回収された部品で内部構造もレストアされたもの。[http://flyingheritage.com/TemplatePlane.aspx?contentId=69] |- |V-2 ||[[File:V-2 with Meillerwagen Museum of USAF 20150726.jpg|thumb|180px|2015年7月撮影]] ||アメリカ ||[[国立アメリカ空軍博物館]] ||公開 ||静態展示 || |- |V-2 ||[[File:V-2 Rocket RAF Museum Cosford.jpg|thumb|180px|2015年2月撮影]] ||イギリス ||[[イギリス空軍博物館|イギリス空軍博物館コスフォード館]] ||公開 ||静態展示 ||[http://www.rafmuseum.org.uk/research/collections/german-army-v2-assembly-4/] |- |} == 登場作品 == === 映画 === ; 『[[オフサイド7]]』 ; 『クロスボー作戦』 ; 『[[スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー]]』 : 最後の場面に登場する[[ロケット]]がV2の形をしている。 === アニメ・漫画 === ; 『宇宙への飛翔』 : [[宇宙旅行]]に夢をかけ、[[アポロ計画]]を実行した[[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]と[[ヘルマン・オーベルト]]の師弟物語。 ; 『[[終末のイゼッタ]]』 : 外観がV2と酷似したゲルマニアの[[兵器]](劇中では「[[ミサイル]]」と呼称)が登場するが、推力・誘導や搭載する新型[[爆弾]]を依存していた[[魔女]]からの魔力が絶たれ、発射直後に墜落する。 ; 『[[タンタンの冒険旅行#映像化作品|タンタンの冒険]]シリーズ』 : [[ベルギー]]の[[漫画]]『タンタンの冒険シリーズ』の作品『タンタンの冒険 めざすは月』および『タンタンの冒険 月世界探検』に登場する月ロケットは、一見するとA4そっくりである。両機の機体表面に描かれている[[チェッカー模様|チェック模様]]が酷似しているためだが、これは打ち上げ発射台に乗せた[[ロケット]]機体の傾きを[[センサー]]で自動検知する技術がまだ確立されていなかったことによる(目視以外で遠方からそれを事前にチェック・把握する方法は無く、それを少しでも円滑に行うために、機体がチェック模様に塗られた)。戦後、[[アメリカ合衆国]]が開発した宇宙開発用ロケットの初期段階の機種でも、同じ様な模様を描いて暫く運用されていた。ロケットの表面にチェック模様が描かれるのがごく当たり前の時代に漫画が創作されたがため、作品中でもそのデザインが採り入れられた。 === 小説 === ; 『[[鏖殺の凶鳥]]』(文庫名:『凶鳥〈フッケバイン〉 ヒトラー最終指令』) : [[第二次世界大戦]]末期のドイツ領内に墜落した[[空飛ぶ円盤|国籍不明機]]に対し、辛うじて即応発射状態を維持していた多数のV2が[[武装親衛隊]]の[[オットー・スコルツェニー]]の命令で一斉発射される。 ; 『逆撃シリーズ・ドイツ編』 : [[核弾頭]]装備のV2を発射する計画が発動するが、[[ハインリヒ・ヒムラー]]の妨害により頓挫している。 ; 『[[重力の虹]]』 : V2が重要な役割を果たす。 ; 『[[遙かなる星]]』 : 武官としてドイツに訪れていた[[大日本帝国陸軍]][[中尉]]時代の原田克也らが、[[ペーネミュンデ陸軍兵器実験場]]にて行われた実用化前のA4ロケット発射試験に立ち会う形で登場。 ; 『[[緋弾のアリア]]』 : 主人公がV2ロケット上で[[戦闘]]を行う。 ; 『[[レモン月夜の宇宙船]]』 : かつてV2の開発に参加していた[[日本人]]の老SFファンが登場。資料が破棄されたV2の基幹技術を応用した月ロケットを個人で作り上げ、[[アポロ計画]]に先駆けた[[月世界旅行|月旅行]]を目指す。 この他にも、[[架空戦記]]の中ではかなり有効な[[兵器]]として見られる場合が多く、ノルマンディー上陸作戦(大陸反攻)の準備に対する妨害攻撃に使用されたり、V2やその発展型が[[核兵器]]を搭載し[[イギリス]]本土や[[アメリカ合衆国本土|アメリカ本土]]あるいは[[日本]]本土まで攻撃することがある。一方で、史実ではあまり効果がなかったことを受け、開発を縮小・中止にして核兵器やその他の兵器に力を注ぐという作品もある。 === ゲーム === ; 『[[Hearts of Iron|Hearts of Ironシリーズ]]』 : ゲーム内の[[兵器]]として開発・運用することができる。 ; 『[[R.U.S.E.]]』 : 追い詰められたソ連軍がドイツ軍から鹵獲したV2ロケットに核弾頭を搭載して発射、友軍基地を攻撃する。 ; 『[[The Saboteur]]』 : [[ナチス・ドイツ|ナチス]][[兵士]]が使用する[[弾道ミサイル]]。マップ内の数ヶ所に配置されており、[[爆破]]することで報酬をもらえる。 ; 『[[コール オブ デューティシリーズ|コール オブ デューティ]]』シリーズ :;『[[コール オブ デューティ2 ビッグ レッド ワン|CoD2 BRO]]』 :: [[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]のV2製造工場襲撃ミッションにて、[[工場]]内に配置されている。 :;『[[コール オブ デューティ ワールドウォーII|CoD:WWII]]』 ; 『[[スナイパーエリートV2]]』 : V2ロケット関係者を巡って、表面上は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に属する同盟国同士の[[アメリカ合衆国]]と[[ソビエト連邦]]が秘密裏に繰り広げる争奪戦が描かれるが、後半では敗戦間近の[[ドイツ]]からソ連へと[[亡命]]を図っていたヴォルフが開発した[[神経ガス]]「[[タブン]]」を用いて、ソ連が押さえたV2発射場からドイツ軍による最後の反撃を偽装した、タブンが封入された化学[[弾頭]]を装填したV2を[[ロンドン]]へ向けて発射する極秘計画が判明し、主人公の[[アメリカ人]][[狙撃手|スナイパー]]、カール・フェアバーンがこれを阻止するのに奔走する。 === 音楽 === ; 『[[V2 (ユニット)|V2]]』 : ユニット名の由来がV2ロケット。ネーミングは[[小室哲哉]]によるもの。 [[ローリングストーンズ]]の[[キース・リチャーズ]]は、自分の出生をインタビューで語るときに、よく「[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の[[ミサイル]](V2)がかすめる横で生まれた」とウィットにとんだ発言をしている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[ヴァルター・ドルンベルガー]]『宇宙空間をめざして・V2物語』松井巻之助(訳)、岩波書店、1967年 * 野木恵一『報復兵器V2』朝日ソノラマ、1983年 * [[Werner Oswald]]: ''Kraftfahrzeuge und Panzer der Reichswehr, Wehrmacht und Bundeswehr'', Motorbuch, 1995, ISBN 3-87943-850-1 * Wolfgang Fleischer(クマースドルフ陸軍兵器実験場): ''Die Heeresversuchsstelle Kummersdorf'', Podzun-Pallas Verlag, 1995, ISBN 3-790-90556-9 * クルト・マグヌス『ロケット開発収容所・ドイツ人科学者のソ連抑留記録』サイマル出版会、1996年、ISBN 4-377-31074-7 * Micheal J.Neufeld(ペーネミュンデ陸軍兵器実験場): ''The Rocket and the Reich ,Peenemünde and the Coming of the Ballistic Missile Era'', Free Press, 1995, ISBN 0-02-922895-6 * Tracy Dungan: ''V-2: A Combat History of the First Ballistic Missile'', Westholme Publishing<ref>http://www.westholmepublishing.com/id19.html</ref>, 2005, ISBN 1594160120 == 関連項目 == * [[アグリガット (ロケット)|アグリガット]] * [[V1飛行爆弾]] * [[ヴァッサーファル (ミサイル)|ヴァッサーファル]] - A4の小型版の対空誘導ミサイル。 * [[ラインボーテ]] * [[報復兵器]] * [[ヴァイキング (ロケット)|ヴァイキング]] - アメリカ海軍が鹵獲したA4を基に開発した。 * [[ロケット・ミサイル技術の年表]] * {{ill2|ミッテルヴェルク|en|Mittelwerk}} - イギリスによるハイドラ作戦後に建設されたV2ロケットの地下工場 * {{ill2|ヴンダーヴァフェ|en|Wunderwaffe}} - ナチスが戦争に対する万能薬として縋ったV2ロケットを含む超兵器プロジェクト群 == 外部リンク == {{Commonscat|V-2 missiles}} * [https://www.v2rocket.com/ Encyclopedia Astronauticaの記事] * {{Wayback|url=http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Jgk/Public/Other/Macyua/to_space.html |title=ペーネミュンデから宇宙へ |date=20071015191006}} {{ドイツ国防軍の航空機}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:V2ろけつと}} [[Category:ドイツ第三帝国の兵器]] [[Category:弾道ミサイル]] [[Category:ドイツのロケット]] [[Category:ドイツのミサイル]] [[Category:ヴェルナー・フォン・ブラウン]] [[Category:ナチス時代のドイツの発明]]
2003-06-09T08:59:39Z
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