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スカンジウム
スカンジウム(新ラテン語: scandium 英語: [ˈskændiəm])は原子番号21の元素。元素記号はSc。遷移元素、希土類元素、第3族元素のひとつ。 スウェーデンの分析学者ラース・フレデリク・ニルソンが、スカンジナビアを意味するラテン語のスカンジアから、この元素の名前をスカンジウムと命名した。 スカンジウムは銀色の軟らかい金属であり、空気中で酸化されて淡黄色もしくは淡桃色の不動態が生成する。また、常温でハロゲン元素とも反応する。比重は2.99、融点は1541 °C、沸点は2836 °C。常温常圧で安定な結晶構造は六方最密充填構造(HCP、α-Sc)だが、加熱することにより更に2つの形態(β、δ)があり、それぞれの結晶構造は立方最密充填構造と面心立方格子である。水や希酸には徐々に溶解し、熱水や酸には易溶。ただし、硝酸とフッ化水素酸を1:1で混合した溶液に対しては反応せず、これは不動態層が形成されるためと考えられている。空気中で燃焼させると、黄色く輝く炎を発して酸化スカンジウム(III)を形成する。通常+3の酸化数を取る。 スカンジウムの同位体はScからScまでにわたり、唯一の安定同位体はScである。また、Scは天然に存在する唯一のスカンジウムの同位体でもあり、7/2のスピン角運動量を有している。ほかの同位体はすべて放射性同位体であり、もっとも半減期の長いものはScの83.8日、次いでScの3.35日であり、ほかに4時間のScや3.7時間のScなどがある。その他の放射性同位体の半減期はすべて4時間未満であり、それらの大部分は2分未満である。スカンジウムはまた5つの核異性体があり、もっとも安定した物は半減期58.6時間のScである。 Scよりも質量の小さな同位体のおもな崩壊モードは電子捕獲であり、質量の大きな同位体はベータ崩壊である。前者ではカルシウムの同位体が、後者ではチタンの同位体がおもな娘核種となる。 地殻中においてスカンジウムは特に希少ではなく、その存在度は(18–25)×10と予想されておりコバルトと同程度である。スカンジウムは地球上で50番目(地殻中では35番目)、太陽系中では23番目に存在量の多い元素である。しかしながら、スカンジウムは濃縮されることなくまばらに分散しているため多くの鉱石中で痕跡量しか存在していない。濃縮されたスカンジウム源としては、スカンジナビア半島やマダガスカル島で産出する希少鉱石のトルトバイタイト(英語版)やユークセナイト(英語版)、ガドリン石などが知られているのみである。トルトバイタイトでは、最大45パーセントのスカンジウムが酸化スカンジウムの形で含まれている。 スカンジウムの安定同位体は超新星爆発時に起こるr過程によって合成される。 1869年、周期表の父として知られるドミトリ・メンデレーエフによって、原子量40から48の間の元素であるエカホウ素の存在が予言された。1879年、この元素はスウェーデンの分析学者ラース・フレデリク・ニルソンによりガドリン石およびユークセン石(英語版)から発見され、ニルソンは2 gの高純度な酸化スカンジウムを合成した。ニルソンはメンデレーエフの予言を知らなかったが、ほぼ同時にこれを発見したペール・テオドール・クレーベによってスカンジウムがメンデレーエフの予言したエカホウ素にあたると判明した。 1937年、カリウム、リチウムおよび塩化スカンジウム(英語版)の共晶混合物を700–800 °Cで電気分解することで初めて金属スカンジウムが生成された。スカンジウムのアルミニウム合金向けの用途が始まったのは、1971年にアメリカで特許が出されて以降のことである。アルミニウム-スカンジウム合金はソビエト連邦でも開発されていた。 ガドリニウム-スカンジウム-ガリウムガーネット(GSGG)レーザー結晶は、1980年代から90年代にかけてのアメリカの戦略防衛構想における戦略防衛の用途開発に用いられていた。 スカンジウムは反応性が高く価格も高いため、化合物の応用に関する研究開発はあまり進んでいない。以前は有機化学の限られた分野で触媒としてわずかに用いられるにとどまっていたが、現在は用途の拡大にともない新素材として注目されている。その筆頭格が照明への利用で、ヨウ化スカンジウム(ScI3)をメタルハライドランプに使用することでより強い光が得られる。そのほかにも、アルミニウム合金に添加したり、ニッケル・アルカリ蓄電池の陽極にスカンジウムを加えて電圧の安定や長寿命化を計ったり、ジルコニア磁器に酸化スカンジウム(III)を添加してひび割れを防いだりする用途がある。 スカンジウムの重量比でみた主要な用途は、高機能素材であるアルミニウム-スカンジウム合金の形での、一部の航空宇宙用部品、スポーツ用品(自転車、野球のバット、射撃、ラクロスなど)の材料である。しかしこれらの分野では、軽さや強度が近いチタンの方がはるかに多く利用されている。 スカンジウムをアルミニウムに添加すると、溶接における加熱部分での再結晶化や結晶粒成長が大幅に抑制される。アルミニウムは面心立方構造の金属であり、粒径の縮小はそれほど強度に対する影響がない。しかし、Al3Scが細かく分散することによって、合金中にいろいろな析出相があるにもかかわらず、ミクロの構造において強度が増大する。本来の添加の目的は、溶接可能な構造材用合金を加熱した際、過度に結晶粒が成長するのを抑制することであるが、添加によって2つの効果が促進される。1つは、ほかの相がより細かく析出することによる強度の大幅な増大で、もう1つは時効硬化型合金における粒界の非析出帯の減少である。 最初にアルミニウム-スカンジウム合金が使用されたのは、旧ソビエト連邦の一部の潜水艦発射弾道ミサイルのノーズ・コーンである。海氷を貫通してもミサイル本体が壊れないほどの強度を確保できたため、北極海において、海氷下に潜行しながらミサイルを発射することが可能になった。 トリフルオロメタンスルホン酸スカンジウム(英語版)は、有機化学においてルイス酸触媒として用いられる。 1990年代なかばに東邦ガスの水谷らが、酸化ジルコニウム(IV)に酸化スカンジウム(III)を0.04–0.11 mol/mol固溶させたスカンジア安定化ジルコニアを固体酸化物燃料電池の電解質として見出した。 2008年には、東京大学生産技術研究所サステイナブル材料国際研究センター・教授である岡部徹の研究室で、金属熱還元法・溶融塩電解法での製造プロセスが検証された。金属熱還元法では酸化スカンジウム(III)を材料とし、カルシウムを還元剤とすることで、電気炉内で1,273Kという比較的低い温度でアルミニウム-スカンジウム合金が生成するが、カルシウム化合物の残留した純度の低いものとなった。一方で、溶融塩電解法ではカルシウム化合物が残留しないため高純度のアルミニウム-スカンジウム合金が生成した。
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スカンジウムは原子番号21の元素。元素記号はSc。遷移元素、希土類元素、第3族元素のひとつ。
{{Elementbox |name=scandium |japanese name=スカンジウム |number=21 |symbol=Sc |left=[[カルシウム]] |right=[[チタン]] |above=- |below=[[イットリウム|Y]] |pronounce={{IPAc-en|ˈ|s|k|æ|n|d|i|əm}} {{respell|SKAN|dee-əm}} |series=遷移金属 |group=3 |period=4 |block=d |appearance=銀白色 |image name= Scandium_sublimed_dendritic_and_1cm3_cube.jpg |atomic mass=44.955912 |atomic mass 2=6 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[アルゴン|Ar]]&#93; 3d<sup>1</sup> 4s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 9, 2 |phase=固体 |density gplstp= |density gpcm3nrt=2.985 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp=2.80 |melting point K=1814 |melting point C=1541 |melting point F=2806 |boiling point K=3109 |boiling point C=2836 |boiling point F=5136 |triple point K= |triple point kPa= |critical point K= |critical point MPa= |heat fusion=14.1 |heat fusion 2= |heat vaporization=332.7 |heat capacity=25.52 |vapor pressure 1=1645 |vapor pressure 10=1804 |vapor pressure 100=(2006) |vapor pressure 1 k=(2266) |vapor pressure 10 k=(2613) |vapor pressure 100 k=(3101) |vapor pressure comment= |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''3''', 2<ref name="McGuire">{{cite journal|title = Preparation and Properties of Scandium Dihydride|first =Joseph C.|last = McGuire|coauthor =Kempter, Charles P.|journal = Journal of Chemical Physics|volume = 33|pages =1584–1585|year = 1960|doi = 10.1063/1.1731452}}</ref>, 1 <ref name="Smith">{{cite journal|title = Diatomic Hydride and Deuteride Spectra of the Second Row Transition Metals|first =R. E.|last = Smith | journal = Proceedings of the Royal Society of London. Series A, Mathematical and Physical Sciences|volume = 332|pages = 113–127|issue = 1588|year = 1973|doi = 10.1098/rspa.1973.0015}}</ref> |oxidation states comment=[[両性酸化物]] |electronegativity=1.36 |number of ionization energies=4 |1st ionization energy=633.1 |2nd ionization energy=1235.0 |3rd ionization energy=2388.6 |atomic radius=[[1 E-10 m|162]] |atomic radius calculated= |covalent radius=[[1 E-10 m|170 ± 7]] |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|211]] |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity=([[室温]])(α, poly)<br />calc. 562 n |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20= |thermal conductivity=15.8 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion=([[室温]])(α, poly)<br />10.2 |thermal expansion at 25= |speed of sound= |speed of sound rod at 20= |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus=74.4 |Shear modulus=29.1 |Bulk modulus=56.6 |Poisson ratio=0.279 |Mohs hardness= |Vickers hardness= |Brinell hardness=750 |CAS number=7440-20-2 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay3 | mn=[[スカンジウム44m|44m]] | sym=Sc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|58.61 h]] | dm1=[[核異性体転移|IT]] | de1=0.2709 | pn1=[[スカンジウム44|44]] | ps1=Sc | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=1.0, 1.1, 1.1 | pn2=[[スカンジウム44|44]] | ps2=Sc | dm3=[[電子捕獲|ε]] | de3=- | pn3=[[カルシウム44|44]] | ps3=[[カルシウム|Ca]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[スカンジウム45|45]] | sym=Sc | na=100% | n=24}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[スカンジウム46|46]] | sym=Sc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|83.79 d]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>&minus;</sup>]] | de1=0.3569 | pn1=[[チタン46|46]] | ps1=[[チタン|Ti]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.889, 1.120 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[スカンジウム47|47]] | sym=Sc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|3.3492 d]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>&minus;</sup>]] | de1=0.44, 0.60 | pn1=[[チタン47|47]] | ps1=[[チタン|Ti]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.159 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[スカンジウム48|48]] | sym=Sc | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|43.67 h]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>&minus;</sup>]] | de1=0.661 | pn1=[[チタン48|48]] | ps1=[[チタン|Ti]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.9, 1.3, 1.0 | pn2= | ps2=-}} }} '''スカンジウム'''({{lang-lan|scandium}}<ref>http://www.encyclo.co.uk/webster/S/25</ref> {{IPA-en|ˈskændiəm|lang}})は[[原子番号]]21の[[元素]]。[[元素記号]]は'''Sc'''。[[遷移元素]]、[[希土類元素]]、[[第3族元素]]のひとつ。 == 名称 == [[スウェーデン]]の分析学者[[ラース・フレデリク・ニルソン]]が、[[スカンジナビア]]を意味する[[ラテン語]]のスカンジアから、この元素の名前をスカンジウムと命名した<ref name="名前なし-1">{{cite journal|title = Sur le scandium| url =http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k3046j/f432.table|journal = Comptes Rendus|author = Cleve, Per Teodor |volume = 89| date =1879|pages=419–422|language=French}}</ref><ref name="名前なし-2">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 123|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref><ref name="natureasia_ja-68522">{{Cite web|和書|work=natureasia.com |date=2014年11月 |url=http://www.natureasia.com/ja-jp/nchem/in-your-element/article/68522 |title=枠にとらわれないスカンジウム |publisher=[[ネイチャー]] |accessdate=2016年12月2日<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151103004123/http://www.natureasia.com/ja-jp/nchem/in-your-element/article/68522 |archivedate=2015年11月3日 |deadlinkdate=--> |doi=10.1038/nchem.2090}}</ref>。 == 性質 == スカンジウムは銀色の軟らかい金属であり、空気中で酸化されて淡黄色もしくは淡桃色の不動態が生成する。また、常温で[[第17族元素|ハロゲン元素]]とも反応する。[[比重]]は2.99、[[融点]]は1541&nbsp;&deg;C、[[沸点]]は2836&nbsp;&deg;C。常温常圧で安定な[[結晶構造]]は[[六方最密充填構造]](HCP、α-Sc)だが、加熱することにより更に2つの形態(β、δ)があり、それぞれの結晶構造は立方最密充填構造と面心立方格子である。[[水]]や希酸には徐々に溶解し、熱水や酸には易溶。ただし、[[硝酸]]と[[フッ化水素酸]]を1:1で混合した溶液に対しては反応せず、これは[[不動態]]層が形成されるためと考えられている。空気中で燃焼させると、黄色く輝く炎を発して[[酸化スカンジウム(III)]]を形成する。通常+3の[[酸化数]]を取る<ref>"[http://periodic.lanl.gov/21.shtml Scandium]." Los Alamos National Laboratory. Retrieved 2013-07-17.</ref>。 === 同位体 === {{main|スカンジウムの同位体}} スカンジウムの同位体は<sup>36</sup>Scから<sup>60</sup>Scまでにわたり、唯一の安定同位体は<sup>45</sup>Scである。また、<sup>45</sup>Scは天然に存在する唯一のスカンジウムの同位体でもあり、7/2の[[スピン角運動量]]を有している。ほかの同位体はすべて放射性同位体であり、もっとも[[半減期]]の長いものは<sup>46</sup>Scの83.8日、次いで<sup>47</sup>Scの3.35日であり、ほかに4時間の<sup>44</sup>Scや3.7時間の<sup>48</sup>Scなどがある。その他の放射性同位体の半減期はすべて4時間未満であり、それらの大部分は2分未満である。スカンジウムはまた5つの[[核異性体]]があり、もっとも安定した物は半減期58.6時間の<sup>44m</sup>Scである<ref name="Audi">{{cite journal|last = Audi|first = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties|journal = [[Nuclear Physics A]]|volume = 729|pages = 3–128|publisher = Atomic Mass Data Center|date = 2003|doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001|bibcode=2003NuPhA.729....3A|last2 = Bersillon|first2 = O.|last3 = Blachot|first3 = J.|last4 = Wapstra|first4 = A.H.}}</ref>。 <sup>45</sup>Scよりも質量の小さな同位体のおもな[[崩壊モード]]は[[電子捕獲]]であり、質量の大きな同位体は[[ベータ崩壊]]である。前者では[[カルシウム]]の同位体が、後者では[[チタン]]の同位体がおもな娘核種となる<ref name="Audi"/>。 == 分布 == 地殻中においてスカンジウムは特に希少ではなく、その存在度は{{val|18|-|25|e=-6}}と予想されており[[コバルト]]と同程度である。スカンジウムは地球上で50番目(地殻中では35番目)、太陽系中では23番目に存在量の多い元素である<ref name="rubber">{{cite book|title =CRC Handbook of Chemistry and Physics|first = David R.|last = Lide|date = 2004|isbn = 978-0-8493-0485-9|pages = 4–28|publisher =CRC Press|location =Boca Raton}}</ref>。しかしながら、スカンジウムは濃縮されることなくまばらに分散しているため多くの鉱石中で痕跡量しか存在していない<ref>{{cite book| first = F.|last = Bernhard|chapter = Scandium mineralization associated with hydrothermal lazurite-quartz veins in the Lower Austroalpie Grobgneis complex, East Alps, Austria|title = Mineral Deposits in the Beginning of the 21st Century|date = 2001|isbn = 90-265-1846-3| publisher = Balkema| location = Lisse}}</ref>。濃縮されたスカンジウム源としては、[[スカンジナビア半島]]<ref name="Thort">{{cite journal|title = Scandium – Mineraler I Norge|first = Roy|last = Kristiansen|journal = [[Stein (journal)|Stein]]|date = 2003|pages = 14–23|language = Norwegian|url = http://www.nags.net/Stein/2003/Sc-mineraler.pdf}}</ref>や[[マダガスカル島]]<ref name="Mada">{{cite journal|journal=Geological Journal|volume = 22|page= 253|date =1987|title = Mineralized pegmatites in Africa|first = O.|last = von Knorring|author2=Condliffe, E. |doi = 10.1002/gj.3350220619}}</ref>で産出する希少鉱石の{{仮リンク|トルトバイタイト|en|Thortveitite}}や{{仮リンク|ユークセナイト|en|Euxenite}}、[[ガドリン石]]などが知られているのみである。トルトバイタイトでは、最大45パーセントのスカンジウムが酸化スカンジウムの形で含まれている<ref name="Thort"/>。 スカンジウムの安定同位体は[[超新星爆発]]時に起こる[[r過程]]によって合成される<ref>{{cite journal|author= Cameron, A.G.W.|title=Stellar Evolution, Nuclear Astrophysics, and Nucleogenesis| journal=CRL-41|date=June 1957|url=http://www.fas.org/sgp/eprint/CRL-41.pdf}}</ref>。 == 歴史 == <!--[[File:Nilson Lars Fredrik.jpg|thumb|right|スカンジウムの発見者、[[ラース・フレデリク・ニルソン]]]]--><!--基礎情報テンプレートで画像が下に追いやられて見た目が悪いので一旦コメントアウトします。十分な量の加筆をして問題がなくなり次第戻す予定です。--> 1869年、周期表の父として知られる[[ドミトリ・メンデレーエフ]]によって、[[原子量]]40から48の間の元素である[[エカ]]ホウ素の存在が予言された。1879年、この元素は[[スウェーデン]]の分析学者[[ラース・フレデリク・ニルソン]]により[[ガドリン石]]および{{仮リンク|ユークセン石|en|Euxenite}}から発見され、ニルソンは2 gの高純度な[[酸化スカンジウム(III)|酸化スカンジウム]]を合成した<ref name="Nilsonfr">{{cite journal|title = Sur l'ytterbine, terre nouvelle de M. Marignac|url =http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k30457/f639.table| journal = Comptes Rendus|author = Nilson, Lars Fredrik|volume = 88| date =1879|pages = 642–647|language=French}}</ref><ref name="Nilsonde">{{cite journal|title = Ueber Scandium, ein neues Erdmetall|journal = [[Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft]]|volume = 12|issue =1|date = 1879|pages = 554–557|author = Nilson, Lars Fredrik|doi = 10.1002/cber.187901201157|language=German}}</ref>。ニルソンはメンデレーエフの予言を知らなかったが、ほぼ同時にこれを発見した[[ペール・テオドール・クレーベ]]によってスカンジウムがメンデレーエフの予言したエカホウ素にあたると判明した<ref name="名前なし-1"/><ref name="名前なし-2"/><ref name="natureasia_ja-68522">{{Cite web|和書|work=natureasia.com |date=2014年11月 |url=http://www.natureasia.com/ja-jp/nchem/in-your-element/article/68522 |title=枠にとらわれないスカンジウム |publisher=[[ネイチャー]] |accessdate=2016年12月2日<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151103004123/http://www.natureasia.com/ja-jp/nchem/in-your-element/article/68522 |archivedate=2015年11月3日 |deadlinkdate=--> |doi=10.1038/nchem.2090}}</ref>。 1937年、カリウム、リチウムおよび{{仮リンク|塩化スカンジウム|en|Scandium chloride}}の[[共晶]]混合物を{{val|700|-|800|u=degC}}で[[電気分解]]することで初めて金属スカンジウムが生成された<ref>{{cite journal|title = Über das metallische Scandium| journal = Zeitschrift für anorganische und allgemeine Chemie|volume = 231| issue = 1–2| date =1937| pages = 54–62| first= Werner|last = Fischer| author2 = Brünger, Karl| author3 = Grieneisen, Hans|doi = 10.1002/zaac.19372310107|language=German}}</ref>。スカンジウムのアルミニウム合金向けの用途が始まったのは、1971年にアメリカで特許が出されて以降のことである<ref>Burrell, A. Willey Lower "Aluminum scandium alloy" {{US patent|3619181}} issued on November 9, 1971.</ref>。アルミニウム-スカンジウム合金は[[ソビエト連邦]]でも開発されていた<ref name="Zark">{{cite journal|title = Effect of Scandium on the Structure and Properties of Aluminum Alloys|journal =Metal Science and Heat Treatment|volume = 45|date = 2003|page= 246|doi =10.1023/A:1027368032062|first = V. V.|last = Zakharov|issue = 7/8}}</ref>。 ガドリニウム-スカンジウム-ガリウムガーネット(GSGG)レーザー結晶は、1980年代から90年代にかけてのアメリカの[[戦略防衛構想]]における戦略防衛の用途開発に用いられていた<ref>{{cite web|last=Hedrick|first=James B|title=Scandium|url=http://www.reehandbook.com/scandium.html| work=REEhandbook|publisher=Pro-Edge.com |accessdate=2012-05-09}}</ref><ref>{{cite journal | url = https://books.google.de/books?id=7cie1S3hpC0C&pg=PA26&hl=de | title= Star-wars intrigue greets scandium find| journal = New Scientist| date = 1987 | page = 26 | first = Tony | last = Samstag}}</ref>。 == スカンジウムの化合物 == * [[酸化スカンジウム(III)]](Sc<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)<ref name="jfe-21st-cf/2008/17_136">{{Cite report |author=岡部 徹 |coauthors= |year=2008 |title=電気化学的な手法によるスカンジウムの新しい製造法に関する研究 |url=http://www.jfe-21st-cf.or.jp/furtherance/pdf_hokoku/2008/17.pdf |format=PDF |publisher=JFE21世紀財団 |page=136 |docket= |accessdate=2016年12月2日 |quote= }}</ref> * [[塩化スカンジウム(III)]](ScCl<sub>3</sub>) * [[硝酸スカンジウム(III)]](Sc(NO<sub>3</sub>)<sub>3</sub>) * [[フッ化スカンジウム(III)]](ScF<sub>3</sub>)<ref name="jfe-21st-cf/2008/17_136" /> == 用途 == {{出典の明記|date=2016-6|section=1}} スカンジウムは反応性が高く価格も高いため、[[化合物]]の応用に関する研究開発はあまり進んでいない。以前は[[有機化学]]の限られた分野で[[触媒]]としてわずかに用いられるにとどまっていたが、現在は用途の拡大にともない新素材として注目されている。その筆頭格が照明への利用で、[[ヨウ化スカンジウム]](ScI<sub>3</sub>)を[[メタルハライドランプ]]に使用することでより強い光が得られる。そのほかにも、[[アルミニウム合金]]に添加したり、ニッケル・アルカリ[[蓄電池]]の[[陽極]]にスカンジウムを加えて[[電圧]]の安定や長寿命化を計ったり、[[ジルコニア]][[磁器]]に酸化スカンジウム(III)を添加してひび割れを防いだりする用途がある。 スカンジウムの重量比でみた主要な用途は、高機能素材であるアルミニウム-スカンジウム[[合金]]の形での、一部の航空宇宙用部品、スポーツ用品([[自転車]]、[[野球]]の[[バット (野球)|バット]]、[[射撃]]、[[ラクロス]]など)の材料である。しかしこれらの分野では、軽さや強度が近い[[チタン]]の方がはるかに多く利用されている<ref name="natureasia_ja-68522" />。 スカンジウムを[[アルミニウム]]に添加すると、[[溶接]]における加熱部分での再結晶化や結晶粒成長が大幅に抑制される。アルミニウムは[[面心立方構造]]の金属であり、粒径の縮小はそれほど強度に対する影響がない。しかし、Al<sub>3</sub>Scが細かく分散することによって、合金中にいろいろな析出相があるにもかかわらず、ミクロの構造において強度が増大する。本来の添加の目的は、溶接可能な構造材用合金を加熱した際、過度に結晶粒が成長するのを抑制することであるが、添加によって2つの効果が促進される。1つは、ほかの相がより細かく析出することによる強度の大幅な増大で、もう1つは時効硬化型合金における粒界の非析出帯の減少である。 最初にアルミニウム-スカンジウム合金が使用されたのは、旧[[ソビエト連邦]]の一部の[[潜水艦発射弾道ミサイル]]のノーズ・コーンである。海氷を貫通しても[[ミサイル]]本体が壊れないほどの強度を確保できたため、[[北極海]]において、海氷下に潜行しながらミサイルを発射することが可能になった。 {{仮リンク|トリフルオロメタンスルホン酸スカンジウム|en|Scandium triflate}}は、[[有機化学]]において[[ルイス酸]][[触媒]]として用いられる。 [[1990年代]]なかばに[[東邦瓦斯|東邦ガス]]の水谷らが、[[酸化ジルコニウム(IV)]]に酸化スカンジウム(III)を0.04&ndash;0.11 mol/mol固溶させたスカンジア安定化ジルコニアを[[燃料電池#固体酸化物形燃料電池 (SOFC)|固体酸化物燃料電池]]の[[電解質]]として見出した。 [[2008年]]には、[[東京大学生産技術研究所]]サステイナブル材料国際研究センター・教授である[[岡部徹 (材料学者)|岡部徹]]の研究室で、金属熱還元法・溶融塩電解法での製造プロセスが検証された。金属熱還元法では[[酸化スカンジウム(III)]]を材料とし、[[カルシウム]]を還元剤とすることで、電気炉内で1,273Kという比較的低い温度でアルミニウム-スカンジウム合金が生成するが、カルシウム化合物の残留した純度の低いものとなった。一方で、[[融解塩電解|溶融塩電解法]]ではカルシウム化合物が残留しないため高純度のアルミニウム-スカンジウム合金が生成した<ref name="jfe-21st-cf/2008/17">{{Cite report |author=岡部 徹 |coauthors= |year=2008 |title=電気化学的な手法によるスカンジウムの新しい製造法に関する研究 |url=http://www.jfe-21st-cf.or.jp/furtherance/pdf_hokoku/2008/17.pdf |format=PDF |publisher=JFE21世紀財団 |page= |docket= |accessdate=2016年12月2日 |quote= }}</ref>。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commons|Scandium}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{スカンジウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:すかんしうむ}} [[Category:スカンジウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第3族元素]] [[Category:第4周期元素]]
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モスバーガー
モスバーガー(MOS BURGER)は、株式会社モスフードサービス(英称:MOS FOOD SERVICES, INC.)が展開する日本発祥のハンバーガー(ファストカジュアル)チェーン、および同店で販売されているハンバーガーの名称である。 日本人の好みにあったハンバーガーを提供することを掲げ、日本のハンバーガーフランチャイズ店でのシェアは、日本マクドナルドに次ぎ第2位。同社の公式サイトによると、2023年4月現在での店舗数は日本国内で1287店舗(直営店42、フランチャイズ加盟店1245)、国外で457店舗(後述)となっている。 素材を厳選し、注文を受けてから作る「アフターオーダー方式」など、スローフードの要素を取り入れている(ファストカジュアル)のが特徴である。ファストフード店として分類はされているが、「ファストフード」(fast food)という語が表すように「すぐに食べる」ことは出来ず、ハンバーガーという商品をメインとして扱っていることからファストフードとされているだけだとも言え、ファストフードではなく「ハンバーガーレストラン」と分類される場合もある。 1990年代後半のマクドナルドに端を発するファストフードチェーンの値下げ戦争の中で、ハンバーガーを10円程度しか下げず、大幅な値下げを行うことはほとんどなかった。「一番売れているタバコの値段を元に“モスバーガー”の値段を考える」という、基本的なポリシーを遵守してのことである(櫻田の講演より)。 モスバーガーのMOSは、MはMountain(山のように気高く堂々と)OはOcean(海のように深く広い心で)SはSun(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味とされている。ただし、創業者・櫻田慧がモス・フード・サービスの前に起こした株式会社モスの社名には、これに加えて、Merchandising Organizing Systemの意味もある。 初期にはMOST delicious hamburgerのポップを店頭に貼っていたため、一部の客からはこの略だとも思われたこともあったようだが、MOSの意味に変化はないという。略称・愛称は「モス」で、それを使った「今日モス気分」などのキャッチフレーズがある。 日興証券(現・SMBC日興証券)を脱サラした櫻田慧と吉野祥が、1972年3月12日、東京都板橋区の東武東上線成増駅南口に1号店をオープンさせる(当初は丸井成増店等が入居し、後にダイエー成増店として建て替えられたショッピングセンター『成増名店街』地下で実験店を営業)。店舗は同駅近隣から増えていった経緯があり、東上線沿線に老舗店が多い。この際、アメリカのハンバーガーショップ「トミーズ(Tommy's)」を経営の参考とした。 マクドナルドとの差別化を考えていたモスバーガーは、高価格、高品質という高級路線を今日まで歩んできた。高いコストをかけてでも商品の味の向上を徹底させるという経営戦略は「日本人は味にうるさいので、食べ物はうまくなければいけない」という創業者たちの理念に基づいている。創業当時は資金不足のために他のファストフード店より宣伝力が弱く、一等地への進出も難しかったため、顧客に口コミで評判を広めてもらうことでしか事業拡大が見込めなかったことも高級化を行った理由の一つである。 商品開発の際、櫻田は試作品の新開発メニューを必ず満腹の状態で試食するというポリシーがあった。「満腹の状態で食べても美味しいと感じられる商品こそが本当に美味しい食べ物である」というこだわりからであったという。 1990年代初期まではマクドナルドに似た赤地に黄色いMのロゴマークを使用していたが、白いMマークに改めている。 鳥インフルエンザの発生や外国産野菜の残留農薬の問題等が頻発して「安いだけではダメ、安心して食べられる安全で安いものがいい」という消費者の意識が高まった2004年、モスでは1996年ごろから減農薬や有機栽培の野菜を使い始めていたが、そのことをより広く知らせアピールするために従来赤色であった看板を「安心、安全、環境」を象徴するとして緑色へ転換し始め、従来の店舗を看板の色より赤モス、新型の店舗を緑モスとした。 同時に「ただのファストフード」からの脱却とファストカジュアルへの業態転換を目的に、一般的なファストフード店の内装からレストランに近いイメージの木目調を基調としたゆったりした内装への改装も進め、高級ハンバーガー「匠味」を始めとする緑モス限定の高級感のあるメニューの提供を始めるが、これらは「モスは高い」とのイメージを与えることになった。 当初計画では2008年度中に緑モス化を完了する予定であったが、原料価格高騰もあり不可能となった。更に、ファストフードの領域を逸脱したメニューの提供による店舗側の混乱や、一部店舗の禁煙化により客足が遠のいた店もあり、緑モスへの改装費用負担も相まって本社の方針に反発するフランチャイズオーナーもいた。 業績が低下したこともあり、櫻田は「緑モスの路線は間違っていない」としながらも、今後は「ルールを見直しながら緑モスへの転換を進める」としている。この軌道修正を受け、赤モス・緑モスという呼称は公式には使用されなくなり、緑モス限定メニュー「モスのごはん」は「一部店舗限定」と公式サイトでは表記されるようになった。また、緑モスの代表格メニューであった匠味も、2008年に販売を終了した。 現在では看板の色でのメニューの違いは無いが、新規出店や改装により順次緑モスの店舗に転換されている。一方でCMやCIマーク、海外出店(台湾、シンガポールなど)では赤モスのロゴも使用されている。この他、従来の「モスバーガー」とは異なる業態の展開や海外事業も進めている。 2018年3月には2020年3月までに国内全店舗を全席禁煙化することを発表。この年、後述の食中毒事件の影響により11年ぶりの最終赤字へ転落した。 2020年現在、モスバーガーはアジアを中心に8カ国・地域に展開している。もっとも早い海外進出は1989年のハワイ店であったが、その後撤退、現在では台湾・タイ・香港・中国・シンガポール・オーストラリア・インドネシア・大韓民国・フィリピンに展開している。 中でも台湾での拡大はめざましく、2022年現在で首都である台北や、全国に303店舗ある、マクドナルド370店舗には劣るものの、ケンタッキー128店舗には大きく差をつけ健闘している。 (この節の出典) 日本人の味覚に合わせたソースや合挽き肉を使用したパティ(一時期牛肉100%のパティを使用)は他の米国系フランチャイズ・チェーンとは一線を画した独特のものである。 1973年には世界で初めてテリヤキバーガーを発表。このテリヤキバーガーを売るために、常連客の女子高校生からの提案で、彼女の高校の文化祭で50個のテリヤキバーガーを無料で配るなど認知度を上げる工夫を凝らした。 1987年には、当時日本国内で問題視されていた米余りを解決するため、パンの代わりに米をベースにしたライスバーガーが発売され、現在のモスバーガー主力メニューのひとつになった。農林水産省から表彰される。 さらに1990年代後半からは農業者団体との提携から原材料の国産化・産地/生産者の可視化を進め、店頭の掲示板に産地と生産者名を掲示するようになった。現在では生野菜の全てが日本国内の提携農家が生産したものとなっており、これらの野菜の一部は、モスバーガー公式オンラインショップにて購入することが可能である。菜摘(なつみ)と名付けられた「パンを使わない」でレタス等の野菜だけで包むバーガーもある。 2003年から一部店舗において「日本のバーガー匠味」シリーズを発売。当初価格設定が580円(チーズ入り640円)というこれまでにない高価格設定で、高級志向を打ち出す。匠シリーズは2008年に販売終了したが、現在では味と価格のバランスを考慮し単品価格400円前後の商品として開発された「とびきりハンバーグサンド」シリーズがそのコンセプトを受け継いでおり、当商品はハンバーガーチェーンではめずらしく「国産牛肉」を売りにしている。 2015年5月19日からモスバーガーの定番商品で、肉のパティの代わりに大豆由来の植物性たんぱくを使ったプラントベースドミートである「ソイパティ」が選択可能なった。 2020年3月26日より、動物由来の原材料(肉、魚、卵、乳製品など)と、仏教の禁葷食である五葷を使わない「MOS PLANT-BASED GREEN BURGER(グリーンバーガー)」を東京や神奈川の9店舗で先行発売した。 内装や食器にディック・ブルーナのイラストを使用した店舗。関東に4店舗存在。 ThinkParkの大崎カフェ店舗では立地条件からサラリーマンやOL層をねらった独自メニューとして、ケーキやビールジョッキをメニューに置いている。 注文から受け取りまで時間がかかることもあり、モスバーガーでは電話による注文を受け付けている。多くは持ち帰りで利用されるが、店内での飲食の場合も利用可能である。また、オフィス街にある一部の店舗では、配達も行なっている(要追加料金)。 電話で注文した利用客に対しては、受取り時に10円玉が入ったぽち袋(お年玉袋)を渡している。これは注文時の電話代であり、「利用客の電話代費用を負担する」という意味である。 近年では公式サイトからの注文も受け付けており、電話注文と同様にぽち袋を渡している。 モスバーガーはオリジナルキャラクターとして「モッさん」がおり、グッズやイベント等で使用している。モッさんは2009年に37歳で“アラフォーの星”としてデビューし、2012年で40歳を迎えた立派な中年である。1972年に東京都板橋区で生まれ、趣味は旅行とコスプレ(この趣味が全国モッさん図鑑に反映されている)である。身体はバンズ、肉、トマト、ソースなどで構成されており、それぞれを組み替えることが可能。好物はモスバーガーの「モスバーガー」で、いわば同族であるハンバーガーをいくつも食べることができる。 2022年4月1日からはモッさんの後任として、「リルモス」をオリジナルキャラクターに起用すると同年2月15日に発表した。後述の「モス坊や」を彷彿とさせるイメージを受け継いでいる。 なお、モスバーガーは1974年にも「モス坊や」というキャラクターを起用しており、1987年まで使用された。 「モスワイワイこどもラボ」では、各所とコラボして 「モスワイワイセット」の子供向け玩具を開発している他、北関東限定オリジナルマグカップ(中国製)や、静岡県限定オリジナルマグカップ(美濃焼・日本製)など、地域に密着したグッズ開発も行われている。その他、バンダイガシャポン経由でのストラップや、モスワイワイ福袋なども企画している。 一部の店舗にNTTコミュニケーションズの公衆無線LANサービス「ホットスポット」やNTTドコモの公衆無線LAN「docomo Wi-Fi」、NTT東日本・NTT西日本の公衆無線LAN「フレッツ・スポット」のアクセスポイントを設置している。また2012年にはモスカードというプリペイドカードを設定し、個人での利用やギフトカードとしての利用を推進している。 店舗によっては席にスマートフォンやノートパソコンの充電用にコンセントが用意されている。 モスバーガーの特徴として、他のファストフード店に比べると環境への配慮がなされているという点がある。具体的には店内の食事にはガラス製のグラス、陶製のマグカップ、金属製の食器を使用、持ち帰りには紙袋のみでビニール袋は出さないなど(一部店舗では、お店から本部等会社への要望もあり、雨の日用としてビニール袋を使用している店舗もある)。 2004年12月18日から同20日の間に、「屋島西町店」(香川県高松市)でノロウイルスによる集団食中毒が発生、被害は148人に及んだ。同店は高松市保健所から12月21日より5日間の営業停止処分を受けるが、同25日、保健所による検査の結果、同店の従業員11名からも同ウイルスが検出された。同店は営業再開せず閉鎖。 2014年11月11日、「飯田橋東店」(東京都千代田区)の店頭に、中国人の女性店員を差別やいじめの対象とした黒板が立てられていたのが、ツイッターに写真付きの投稿があり発覚した。黒板に書かれていた内容は、「遅刻を何度もする中国人の女の娘に『今度遅刻したらお前の背脂でラーメン作るぞ!!』遅刻しなくなりました」というもので、翌12日、モスバーガー公式サイトでは「内容は人や国を中傷する表現」と認め、同店店長が謝罪した。 2018年9月10日、長野県上田市天神3の「モスバーガー アリオ上田店」で、腸管出血性大腸菌O121による食中毒が発生したと発表した。県内の男子小学生2人と女子小学生1人、20代女性の計4人が感染した。これにより、上田保健所は営業者に対し、10日から3日間の営業停止を命じた。同月16日、「モスバーガー茅野沖田店」(同県茅野市)で8月18日に商品を食べた20代男女2名の下痢や腹痛症状と、うち1名の入院、2人から同じ遺伝子型のO121が検出されたことを受け、諏訪保健所(長野県諏訪市)は18日までの営業停止処分にしたと発表した。この2店舗を含む関東甲信地方の19店で計28人がO121に感染した。 2014年9月13日、台湾のモスバーガーを運営する現地法人(東元電機グループ)は、台湾で廃油を原料とした油脂が食用に流通していた問題で、同社でも主力のモスバーガーなど5つの商品に使用されていたと発表した。問題となった油を製造したのは、日本の月島食品工業や三井物産グループなどが出資する、高雄市の強冠という食用加工油脂メーカーで、同社は台湾の零細業者から廃油を、香港の業者から飼料用油を仕入れていた。 主にアジア地域に事業を展開。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モスバーガー(MOS BURGER)は、株式会社モスフードサービス(英称:MOS FOOD SERVICES, INC.)が展開する日本発祥のハンバーガー(ファストカジュアル)チェーン、および同店で販売されているハンバーガーの名称である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本人の好みにあったハンバーガーを提供することを掲げ、日本のハンバーガーフランチャイズ店でのシェアは、日本マクドナルドに次ぎ第2位。同社の公式サイトによると、2023年4月現在での店舗数は日本国内で1287店舗(直営店42、フランチャイズ加盟店1245)、国外で457店舗(後述)となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "素材を厳選し、注文を受けてから作る「アフターオーダー方式」など、スローフードの要素を取り入れている(ファストカジュアル)のが特徴である。ファストフード店として分類はされているが、「ファストフード」(fast food)という語が表すように「すぐに食べる」ことは出来ず、ハンバーガーという商品をメインとして扱っていることからファストフードとされているだけだとも言え、ファストフードではなく「ハンバーガーレストラン」と分類される場合もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1990年代後半のマクドナルドに端を発するファストフードチェーンの値下げ戦争の中で、ハンバーガーを10円程度しか下げず、大幅な値下げを行うことはほとんどなかった。「一番売れているタバコの値段を元に“モスバーガー”の値段を考える」という、基本的なポリシーを遵守してのことである(櫻田の講演より)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "モスバーガーのMOSは、MはMountain(山のように気高く堂々と)OはOcean(海のように深く広い心で)SはSun(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味とされている。ただし、創業者・櫻田慧がモス・フード・サービスの前に起こした株式会社モスの社名には、これに加えて、Merchandising Organizing Systemの意味もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "初期にはMOST delicious hamburgerのポップを店頭に貼っていたため、一部の客からはこの略だとも思われたこともあったようだが、MOSの意味に変化はないという。略称・愛称は「モス」で、それを使った「今日モス気分」などのキャッチフレーズがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日興証券(現・SMBC日興証券)を脱サラした櫻田慧と吉野祥が、1972年3月12日、東京都板橋区の東武東上線成増駅南口に1号店をオープンさせる(当初は丸井成増店等が入居し、後にダイエー成増店として建て替えられたショッピングセンター『成増名店街』地下で実験店を営業)。店舗は同駅近隣から増えていった経緯があり、東上線沿線に老舗店が多い。この際、アメリカのハンバーガーショップ「トミーズ(Tommy's)」を経営の参考とした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "マクドナルドとの差別化を考えていたモスバーガーは、高価格、高品質という高級路線を今日まで歩んできた。高いコストをかけてでも商品の味の向上を徹底させるという経営戦略は「日本人は味にうるさいので、食べ物はうまくなければいけない」という創業者たちの理念に基づいている。創業当時は資金不足のために他のファストフード店より宣伝力が弱く、一等地への進出も難しかったため、顧客に口コミで評判を広めてもらうことでしか事業拡大が見込めなかったことも高級化を行った理由の一つである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "商品開発の際、櫻田は試作品の新開発メニューを必ず満腹の状態で試食するというポリシーがあった。「満腹の状態で食べても美味しいと感じられる商品こそが本当に美味しい食べ物である」というこだわりからであったという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1990年代初期まではマクドナルドに似た赤地に黄色いMのロゴマークを使用していたが、白いMマークに改めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "鳥インフルエンザの発生や外国産野菜の残留農薬の問題等が頻発して「安いだけではダメ、安心して食べられる安全で安いものがいい」という消費者の意識が高まった2004年、モスでは1996年ごろから減農薬や有機栽培の野菜を使い始めていたが、そのことをより広く知らせアピールするために従来赤色であった看板を「安心、安全、環境」を象徴するとして緑色へ転換し始め、従来の店舗を看板の色より赤モス、新型の店舗を緑モスとした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "同時に「ただのファストフード」からの脱却とファストカジュアルへの業態転換を目的に、一般的なファストフード店の内装からレストランに近いイメージの木目調を基調としたゆったりした内装への改装も進め、高級ハンバーガー「匠味」を始めとする緑モス限定の高級感のあるメニューの提供を始めるが、これらは「モスは高い」とのイメージを与えることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "当初計画では2008年度中に緑モス化を完了する予定であったが、原料価格高騰もあり不可能となった。更に、ファストフードの領域を逸脱したメニューの提供による店舗側の混乱や、一部店舗の禁煙化により客足が遠のいた店もあり、緑モスへの改装費用負担も相まって本社の方針に反発するフランチャイズオーナーもいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "業績が低下したこともあり、櫻田は「緑モスの路線は間違っていない」としながらも、今後は「ルールを見直しながら緑モスへの転換を進める」としている。この軌道修正を受け、赤モス・緑モスという呼称は公式には使用されなくなり、緑モス限定メニュー「モスのごはん」は「一部店舗限定」と公式サイトでは表記されるようになった。また、緑モスの代表格メニューであった匠味も、2008年に販売を終了した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "現在では看板の色でのメニューの違いは無いが、新規出店や改装により順次緑モスの店舗に転換されている。一方でCMやCIマーク、海外出店(台湾、シンガポールなど)では赤モスのロゴも使用されている。この他、従来の「モスバーガー」とは異なる業態の展開や海外事業も進めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2018年3月には2020年3月までに国内全店舗を全席禁煙化することを発表。この年、後述の食中毒事件の影響により11年ぶりの最終赤字へ転落した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2020年現在、モスバーガーはアジアを中心に8カ国・地域に展開している。もっとも早い海外進出は1989年のハワイ店であったが、その後撤退、現在では台湾・タイ・香港・中国・シンガポール・オーストラリア・インドネシア・大韓民国・フィリピンに展開している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "中でも台湾での拡大はめざましく、2022年現在で首都である台北や、全国に303店舗ある、マクドナルド370店舗には劣るものの、ケンタッキー128店舗には大きく差をつけ健闘している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "(この節の出典)", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "日本人の味覚に合わせたソースや合挽き肉を使用したパティ(一時期牛肉100%のパティを使用)は他の米国系フランチャイズ・チェーンとは一線を画した独特のものである。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1973年には世界で初めてテリヤキバーガーを発表。このテリヤキバーガーを売るために、常連客の女子高校生からの提案で、彼女の高校の文化祭で50個のテリヤキバーガーを無料で配るなど認知度を上げる工夫を凝らした。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1987年には、当時日本国内で問題視されていた米余りを解決するため、パンの代わりに米をベースにしたライスバーガーが発売され、現在のモスバーガー主力メニューのひとつになった。農林水産省から表彰される。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "さらに1990年代後半からは農業者団体との提携から原材料の国産化・産地/生産者の可視化を進め、店頭の掲示板に産地と生産者名を掲示するようになった。現在では生野菜の全てが日本国内の提携農家が生産したものとなっており、これらの野菜の一部は、モスバーガー公式オンラインショップにて購入することが可能である。菜摘(なつみ)と名付けられた「パンを使わない」でレタス等の野菜だけで包むバーガーもある。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2003年から一部店舗において「日本のバーガー匠味」シリーズを発売。当初価格設定が580円(チーズ入り640円)というこれまでにない高価格設定で、高級志向を打ち出す。匠シリーズは2008年に販売終了したが、現在では味と価格のバランスを考慮し単品価格400円前後の商品として開発された「とびきりハンバーグサンド」シリーズがそのコンセプトを受け継いでおり、当商品はハンバーガーチェーンではめずらしく「国産牛肉」を売りにしている。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2015年5月19日からモスバーガーの定番商品で、肉のパティの代わりに大豆由来の植物性たんぱくを使ったプラントベースドミートである「ソイパティ」が選択可能なった。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2020年3月26日より、動物由来の原材料(肉、魚、卵、乳製品など)と、仏教の禁葷食である五葷を使わない「MOS PLANT-BASED GREEN BURGER(グリーンバーガー)」を東京や神奈川の9店舗で先行発売した。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "内装や食器にディック・ブルーナのイラストを使用した店舗。関東に4店舗存在。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ThinkParkの大崎カフェ店舗では立地条件からサラリーマンやOL層をねらった独自メニューとして、ケーキやビールジョッキをメニューに置いている。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "注文から受け取りまで時間がかかることもあり、モスバーガーでは電話による注文を受け付けている。多くは持ち帰りで利用されるが、店内での飲食の場合も利用可能である。また、オフィス街にある一部の店舗では、配達も行なっている(要追加料金)。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "電話で注文した利用客に対しては、受取り時に10円玉が入ったぽち袋(お年玉袋)を渡している。これは注文時の電話代であり、「利用客の電話代費用を負担する」という意味である。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "近年では公式サイトからの注文も受け付けており、電話注文と同様にぽち袋を渡している。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "モスバーガーはオリジナルキャラクターとして「モッさん」がおり、グッズやイベント等で使用している。モッさんは2009年に37歳で“アラフォーの星”としてデビューし、2012年で40歳を迎えた立派な中年である。1972年に東京都板橋区で生まれ、趣味は旅行とコスプレ(この趣味が全国モッさん図鑑に反映されている)である。身体はバンズ、肉、トマト、ソースなどで構成されており、それぞれを組み替えることが可能。好物はモスバーガーの「モスバーガー」で、いわば同族であるハンバーガーをいくつも食べることができる。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2022年4月1日からはモッさんの後任として、「リルモス」をオリジナルキャラクターに起用すると同年2月15日に発表した。後述の「モス坊や」を彷彿とさせるイメージを受け継いでいる。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "なお、モスバーガーは1974年にも「モス坊や」というキャラクターを起用しており、1987年まで使用された。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "「モスワイワイこどもラボ」では、各所とコラボして 「モスワイワイセット」の子供向け玩具を開発している他、北関東限定オリジナルマグカップ(中国製)や、静岡県限定オリジナルマグカップ(美濃焼・日本製)など、地域に密着したグッズ開発も行われている。その他、バンダイガシャポン経由でのストラップや、モスワイワイ福袋なども企画している。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一部の店舗にNTTコミュニケーションズの公衆無線LANサービス「ホットスポット」やNTTドコモの公衆無線LAN「docomo Wi-Fi」、NTT東日本・NTT西日本の公衆無線LAN「フレッツ・スポット」のアクセスポイントを設置している。また2012年にはモスカードというプリペイドカードを設定し、個人での利用やギフトカードとしての利用を推進している。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "店舗によっては席にスマートフォンやノートパソコンの充電用にコンセントが用意されている。", "title": "メニュー・店舗・特徴・サービス" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "モスバーガーの特徴として、他のファストフード店に比べると環境への配慮がなされているという点がある。具体的には店内の食事にはガラス製のグラス、陶製のマグカップ、金属製の食器を使用、持ち帰りには紙袋のみでビニール袋は出さないなど(一部店舗では、お店から本部等会社への要望もあり、雨の日用としてビニール袋を使用している店舗もある)。", "title": "環境への配慮" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2004年12月18日から同20日の間に、「屋島西町店」(香川県高松市)でノロウイルスによる集団食中毒が発生、被害は148人に及んだ。同店は高松市保健所から12月21日より5日間の営業停止処分を受けるが、同25日、保健所による検査の結果、同店の従業員11名からも同ウイルスが検出された。同店は営業再開せず閉鎖。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2014年11月11日、「飯田橋東店」(東京都千代田区)の店頭に、中国人の女性店員を差別やいじめの対象とした黒板が立てられていたのが、ツイッターに写真付きの投稿があり発覚した。黒板に書かれていた内容は、「遅刻を何度もする中国人の女の娘に『今度遅刻したらお前の背脂でラーメン作るぞ!!』遅刻しなくなりました」というもので、翌12日、モスバーガー公式サイトでは「内容は人や国を中傷する表現」と認め、同店店長が謝罪した。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2018年9月10日、長野県上田市天神3の「モスバーガー アリオ上田店」で、腸管出血性大腸菌O121による食中毒が発生したと発表した。県内の男子小学生2人と女子小学生1人、20代女性の計4人が感染した。これにより、上田保健所は営業者に対し、10日から3日間の営業停止を命じた。同月16日、「モスバーガー茅野沖田店」(同県茅野市)で8月18日に商品を食べた20代男女2名の下痢や腹痛症状と、うち1名の入院、2人から同じ遺伝子型のO121が検出されたことを受け、諏訪保健所(長野県諏訪市)は18日までの営業停止処分にしたと発表した。この2店舗を含む関東甲信地方の19店で計28人がO121に感染した。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2014年9月13日、台湾のモスバーガーを運営する現地法人(東元電機グループ)は、台湾で廃油を原料とした油脂が食用に流通していた問題で、同社でも主力のモスバーガーなど5つの商品に使用されていたと発表した。問題となった油を製造したのは、日本の月島食品工業や三井物産グループなどが出資する、高雄市の強冠という食用加工油脂メーカーで、同社は台湾の零細業者から廃油を、香港の業者から飼料用油を仕入れていた。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "主にアジア地域に事業を展開。", "title": "その他飲食事業" } ]
モスバーガーは、株式会社モスフードサービスが展開する日本発祥のハンバーガー(ファストカジュアル)チェーン、および同店で販売されているハンバーガーの名称である。
{{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社モスフードサービス<ref name="nikkei-commerce-yearbook-2003">{{Cite | coauthors = | title = 流通会社年鑑 2003年版 | publisher = [[日本経済新聞社]] | date = 2002-12-20 | pages = 2193 | isbn = }}</ref> | 英文社名 = MOS FOOD SERVICES, INC. | ロゴ = [[File:MOS-Burger-Logo.svg|250px]] | 画像 = [[File:ThinkPark.JPG|300px]] | 画像説明 = 本社が入居するシンクパークタワー | 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] | 機関設計 = | 市場情報 = {{上場情報 | 東証プライム | 8153 | 1988年3月9日 | }} | 略称 = モス、モスフード | 国籍 = {{JPN}} | 本社郵便番号 = 141-6004 | 本社所在地 = [[東京都]][[品川区]][[大崎 (品川区)|大崎]]二丁目1番1号<br />[[ThinkPark|ThinkPark Tower]] 4階 | 本店郵便番号 = | 本店所在地 = | 設立 = [[1972年]](昭和47年)[[7月21日]]<br />(株式会社モス・フード・サービス)<ref name="nikkei-commerce-yearbook-2003" /> | 業種 = 6050 | 法人番号 = | 統一金融機関コード = | SWIFTコード = | 事業内容 = フランチャイズチェーンによるハンバーガー専門店「モスバーガー」の全国展開、その他飲食事業など | 代表者 = [[櫻田厚]](代表取締役会長)<br />[[中村栄輔]](代表取締役社長) | 資本金 = 114億1,284万円(2019年3月末現在) | 発行済株式総数 = | 売上高 = 連結:709億2909万4000円<br />単独:523億4600万円<br />(2017年3月期) | 営業利益 = 連結:46億6388万2000円<br />単独:38億2300万円<br />(2017年3月期) | 経常利益 = | 純利益 = 連結:30億6152万4000円<br />単独:23億5800万円<br />(2017年3月期) | 純資産 = 連結:461億4022万円<br />単独:423億4900万円<br />(2017年3月31日現在) | 総資産 = 連結:615億8919万7000円<br />単独:550億6300万円<br />(2017年3月31日現在) | 従業員数 = 1,377人(2021年3月現在) | 支店舗数 = 直営店:37<br />加盟店:1,253(2020年1月末時点) | 決算期 = [[3月31日]] | 会計監査人 = | 所有者 = | 主要株主 = 紅梅食品工業(株) 4.37%<br />[[ダスキン|(株)ダスキン]] 4.11%<br />(株)ニットー 3.79%<br />[[日本生命保険|日本生命保険相互会社]] 3.78%(2016年9月30日現在) | 主要部門 = | 主要子会社 = (株)モスクレジット 100%<br />(株)エム・エイチ・エス 100%<br />(株)四季菜 100% | 関係する人物 = [[櫻田慧]](創業者) | 外部リンク = https://www.mos.jp/ | 特記事項 = }} '''モスバーガー'''(''MOS BURGER'')は、'''株式会社モスフードサービス'''(英称:''MOS FOOD SERVICES, INC.'')が展開する[[日本]]発祥の[[ハンバーガー]]([[ファストカジュアル]])[[チェーンストア|チェーン]]、および同店で販売されているハンバーガーの名称である。 == 概要 == [[ファイル:Mos Food Services (head office).jpg|thumb|モスフードサービス旧本社ビル(東京都新宿区)。]] 日本人の好みにあった[[ハンバーガー]]を提供することを掲げ、日本のハンバーガーフランチャイズ店でのシェアは、[[日本マクドナルド]]に次ぎ第2位。同社の公式サイトによると、2023年4月現在での店舗数は日本国内で1287店舗(直営店42、フランチャイズ加盟店1245)、国外で457店舗(後述)となっている<ref group="広報">モスバーガー公式サイト、会社情報内「[https://www.mos.co.jp/company/outline/store_data/ 店舗数]」より、2020年5月31日閲覧</ref>。 素材を厳選し、注文を受けてから作る「アフターオーダー方式」{{Refnest|group="注釈"|かつてのマクドナルドは[[日本マクドナルド#オーダー・商品提供システム|調理後10分が経過した商品は廃棄するシステム]]であり、{{要出典範囲|date=2018年9月|それとの差別化を図った。「新鮮な物をお召し上がり頂きたいので敢えてお時間を頂いております」と断り書きをしている店舗もある}}。}}など、[[スローフード]]の要素を取り入れている([[ファストカジュアル]])のが特徴である。[[ファーストフード|ファストフード]]店として分類はされているが、「ファストフード」(fast food)という語が表すように「すぐに食べる」ことは出来ず、ハンバーガーという商品をメインとして扱っていることからファストフードとされているだけだとも言え<ref name="opiken-mos4">{{Cite web|和書|url=http://www.opi-net.com/opiken/20050502_04.asp |title=オピ研 バックナンバー vol.45:モスバーガー(4)〜モスバーガーとは? |publisher=マーケティング・コミュニケーションズ |date=2005-05-19 |accessdate=2018-06-22}}</ref>、{{要出典範囲|ファストフードではなく「ハンバーガー[[レストラン]]」と分類される場合もある。|date=2019年7月}} [[1990年代]]後半のマクドナルドに端を発するファストフードチェーンの値下げ戦争の中で、ハンバーガーを10円程度しか下げず、大幅な値下げを行うことはほとんどなかった。「一番売れているタバコの値段を元に“モスバーガー”の値段を考える」という、基本的なポリシーを遵守してのことである(櫻田の講演より)。 === 名前の由来 === モスバーガーのMOSは、'''M'''はMountain(山のように気高く堂々と)'''O'''はOcean(海のように深く広い心で)'''S'''はSun(太陽のように燃え尽きることのない情熱を持って)という意味とされている<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.mos.jp/faq/company/history/ |title=モスバーガーの歴史について {{!}} 会社情報に関するご質問 {{!}} モスバーガー公式サイト |publisher=モスフードサービス |accessdate=2018-06-22}}</ref>。ただし、創業者・櫻田慧がモス・フード・サービスの前に起こした株式会社モスの社名には、これに加えて、'''M'''erchandising '''O'''rganizing '''S'''ystemの意味もある<ref>{{cite news |title=日本生まれのモスバーガー 「モス」は何から名付けたのか?:その社名、間違えてはいけない! |url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2210/29/news047.html |work=ITmedia ビジネスオンライン |date=2022-10-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20221028200527/https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2210/29/news047.html |archivedate=2022-10-28 }}</ref>。 初期には'''MOS'''T delicious hamburgerのポップを店頭に貼っていたため、一部の客からはこの略だとも思われたこともあったようだが、MOSの意味に変化はないという<ref name="opiken-mos4" />。略称・愛称は「'''モス'''」で、それを使った「'''今日モス気分'''」などのキャッチフレーズがある。 == 歴史 == === 創業 === 日興証券(現・[[SMBC日興証券]])を[[サラリーマン#脱サラ|脱サラ]]した[[櫻田慧]]と吉野祥が、[[1972年]][[3月12日]]、[[東京都]][[板橋区]]の[[東武東上本線|東武東上線]][[成増駅]]南口に1号店をオープンさせる(当初は[[丸井]]成増店等が入居し、後に[[ダイエー成増店]]として建て替えられたショッピングセンター『成増名店街』地下で実験店を営業)。店舗は同駅近隣から増えていった経緯があり、東上線沿線に老舗店が多い。この際、アメリカのハンバーガーショップ「トミーズ([[:en:Original Tommy's|Tommy's]])」を経営の参考とした。 <!--創業以前から低価格が売りである-->マクドナルドとの[[差別化戦略|差別化]]を考えていたモスバーガーは、高価格、高品質という高級路線を今日まで歩んできた。高いコストをかけてでも商品の味の向上を徹底させるという経営戦略は「日本人は味にうるさいので、食べ物はうまくなければいけない」という創業者たちの理念に基づいている。創業当時は資金不足のために他のファストフード店より宣伝力が弱く、一等地への進出も難しかったため、顧客に[[口コミ]]で評判を広めてもらうことでしか事業拡大が見込めなかったことも高級化を行った理由の一つである<ref>{{Cite book|和書 |author=東北大学経営学グループ |title=ケースに学ぶ経営学 新版|year=2008 |publisher=有斐閣 |id=ISBN 978-4641183582}}</ref>。 商品開発の際、櫻田は試作品の新開発メニューを必ず満腹の状態で試食するというポリシーがあった。「満腹の状態で食べても美味しいと感じられる商品こそが本当に美味しい食べ物である」というこだわりからであったという。 1990年代初期まではマクドナルドに似た赤地に黄色いMのロゴマークを使用していたが、白いMマークに改めている。 === 赤モスから緑モスへ === [[鳥インフルエンザ]]の発生や外国産野菜の[[残留農薬]]の問題等が頻発して「安いだけではダメ、安心して食べられる安全で安いものがいい」という消費者の意識が高まった2004年、モスでは1996年ごろから減農薬や[[有機農業|有機栽培]]の野菜を使い始めていた<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/quality/vegetables/report/200509/ モスの安心・安全] ■モスバーガーとの出会い より</ref>が、そのことをより広く知らせアピールするために従来赤色であった看板を「安心、安全、環境」を象徴するとして緑色へ転換し始め、従来の店舗を看板の色より'''赤モス'''、新型の店舗を'''緑モス'''とした。 同時に「ただのファストフード」からの脱却と[[ファストカジュアル]]への業態転換を目的に、一般的なファストフード店の内装からレストランに近いイメージの木目調を基調としたゆったりした内装への改装も進め、高級ハンバーガー「匠味」を始めとする緑モス限定の高級感のあるメニューの提供を始めるが、これらは「モスは高い」とのイメージを与えることになった。 === 緑モスの見直し === 当初計画では2008年度中に緑モス化を完了する予定であったが、原料価格高騰もあり不可能となった。更に、ファストフードの領域を逸脱したメニューの提供による店舗側の混乱や、一部店舗の禁煙化により客足が遠のいた店もあり、緑モスへの改装費用負担も相まって本社の方針に反発する[[フランチャイズ]]オーナーもいた。 業績が低下したこともあり、櫻田は「緑モスの路線は間違っていない」としながらも、今後は「ルールを見直しながら緑モスへの転換を進める」としている<ref>[http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/ec9133ba83bea1fb5a3f7d5b53338fce/page/2/ モスバーガー、出口の見えない業績不振“場当たり主義”に敗因?(2)] 東洋経済オンライン、2008年8月27日。(参照:2008年11月26日)</ref>。この軌道修正を受け、赤モス・緑モスという呼称は公式には使用されなくなり、緑モス限定メニュー「モスのごはん」は「一部店舗限定」と公式サイトでは表記されるようになった。また、緑モスの代表格メニューであった匠味も、2008年に販売を終了した。 現在では看板の色でのメニューの違いは無いが、新規出店や改装により順次緑モスの店舗に転換されている。一方でCMやCIマーク、海外出店(台湾、シンガポールなど)では赤モスのロゴも使用されている。この他、従来の「モスバーガー」とは異なる業態の展開や海外事業も進めている。 [[2018年]]3月には2020年3月までに国内全店舗を全席禁煙化することを発表<ref name="NoSmoking">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28800410Q8A330C1TJ1000/|title=モスバーガー、全席禁煙に 家族客に配慮|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2018-03-30|accessdate=2019-05-27}}</ref>。この年、後述の食中毒事件の影響により11年ぶりの最終赤字へ転落した<ref name="nhk20181030">{{citenews |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181029/k10011690421000.html?utm_int=all_side_ranking-access_004 |title=モスバーガー 8億円の赤字に 食中毒で多額損失 |date=2018-10-30 |accessdate=2018-10-30 |publisher=NHK}}</ref>。 === 海外展開 === 2020年現在、モスバーガーはアジアを中心に8カ国・地域に展開している。もっとも早い海外進出は1989年のハワイ店であったが、その後撤退、現在では台湾・タイ・香港・中国・シンガポール・オーストラリア・インドネシア・大韓民国・フィリピンに展開している<ref group="広報">[https://www.mos.jp/shop/foreign/ モスバーガーHP 海外の店舗]</ref>。 中でも台湾での拡大はめざましく、2022年現在で首都である台北や、全国に303店舗ある<ref group="広報">[https://www.mos.com.tw/shopSearch.php モスバーガー台湾 店舗検索]</ref>、マクドナルド370店舗<ref>[http://www.world401.com/data_yougo/mcdonalds.html 2010年 世界のマクドナルド店舗数]{{出典無効|date=2018-09-02 |title=ウィキペディアでは、個人サイトは出典として用いることが出来ません。}}</ref>には劣るものの、ケンタッキー128店舗<ref group="広報">[https://www.kfcclub.com.tw/Story/Store/ 台湾ケンタッキー 店舗検索]</ref>には大きく差をつけ健闘している。 == 沿革 == (この節の出典<ref>[https://www.mos.co.jp/company/outline/history/1972_1989/ 会社情報 > 沿革] - 公式サイト。2023年1月20日閲覧。</ref>) [[ファイル:モスバーガー池袋西口店.jpg|thumb|200px|日本・モスバーガー東武池袋店<br />※「緑モス」旧ロゴ店舗。現在は現行ロゴに転換。]] [[ファイル:Mos Burger Zhonghua Store 20180616.jpg|thumb|200px|[[台湾]]にあるモスバーガー<br />※「赤モス」店舗]] [[ファイル:MOSsingapore.JPG|thumb|200px|[[シンガポール]]にあるモスバーガー<br />※「赤モス」店舗]] [[ファイル:Chuo-Expressway-Fujino-Parking-Area.JPG|thumb|200px|日本・モスバーガー藤野パーキングエリア店<br />※「赤モス」店舗。現在は現行ロゴの「緑モス」店舗に転換。]] [[File:屋久島モスDSC02131.JPG|thumb|[[屋久島]]店<br />※現行ロゴの「緑モス」店舗]] * [[1972年]] ** 3月12日 - [[東武東上本線|東武東上線]][[成増駅]]前の名店街の地下にわずか2・8坪の実験店オープン。 ** 7月 - (株)モス・フード・サービス設立。 * [[1973年]]5月 - 「[[テリヤキバーガー]]」発売。 * [[1973年]]11月 - フランチャイズ第1号店「[[新瑞]]店」([[愛知県]])オープン<ref group="広報">{{Cite web |title=東海出店50周年の感謝を込めた記念商品「みそカツバーガー 八丁味噌使用」「みそカツライスバーガー 八丁味噌使用」~東海3県にて地域・数量限定で新発売~ |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000275.000075449.html |website= |date=2023-10-31 |access-date=2023-11-01 |author=株式会社モスフードサービス |publisher=[[PR TIMES]]}}</ref>。 * [[1976年]]10月 - 50店舗目「[[コザ市|コザ]]店」([[沖縄県]])オープン。 * [[1979年]]1月 - 100店舗目「[[小豆島]]店」([[香川県]]、現存せず)オープン。 * [[1984年]] ** 6月 - 「テリヤキチキンバーガー」発売。 ** 7月 - 商号を「株式会社モスフードサービス」と変更。 * [[1986年]] ** 3月 - [[ドライブスルー]]店「[[牧港]]店」([[沖縄県]])オープン。 ** 6月 - 外食産業において初めての全国47都道府県への出店達成。 ** 12月 - 500店舗目「[[宇都宮市|宇都宮]]鶴田店」([[栃木県]]、現存せず)オープン。 * [[1987年]] ** 8月 - 「ホットドッグ」発売。 ** 12月 - 「モス[[ライスバーガー]]」発売。 * [[1988年]]8月 - 「(株)[[なか卯]]」と資本提携。 * [[1989年]] ** 9月 - 「ロースカツバーガー」発売。 ** 12月 - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]1号店「カラカウア店」([[ハワイ]])オープン。 * [[1990年]] ** 本社ビル新築落成(東京都新宿区箪笥町) ** 12月 - 「モスライスバーガーやきにく」発売。 * [[1991年]] ** 2月 - [[台湾]]1号店「新生南路店」オープン。 ** 3月 - 1,000店舗目「[[江古田]]旭丘店」([[東京都]])オープン。 ** 7月 - 「スパイシーシリーズ」発売。 * [[1992年]]9月 - 「モスチキン」発売。 * [[1993年]]5月 - [[シンガポール]]1号店「イセタンスコッツ店」オープン。 * [[1994年]] - [[中華人民共和国|中国]][[上海市]]に出店<ref group="広報" name="pr_121205">[https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_121205_3.pdf 《中国・上海へ「モスバーガー」出店》] モスバーガー公式サイト</ref>。 * [[1997年]] - 中国上海市から撤退<ref group="広報" name="pr_121205"/>。 * [[1998年]]10月 - 1,500店舗目「[[恵庭]]店」([[北海道]])オープン。 * [[2002年]]9月 - キッチンモスをオープン。時間別メニューやバーガー以外のメニューを提供し上級感を狙った実験店<ref>[https://www.nikkeibp.co.jp/archives/208/208014.html モスバーガーが時間帯別メニューの実験店2002年9月24日](参照2011年10月22日){{リンク切れ|date=2018年9月}}</ref>。 * [[2003年]][[4月]] - 宅配[[ピザ]]チェーン「[[ストロベリーコーンズ]]」と提携しモスバーガーの宅配サービスを本格化するが、後にこの業務提携は解消。 * [[2004年]] ** 1月 - 「日本のバーガー匠味レタス」発売。 ** 2月16日 - 緑モスの1号店「新橋二丁目店」(東京都)オープン。 ** 3月 - [[ISO 14000#ISO 14001|ISO14001]]取得<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/social_activity/eco/ MOS BURGER 社会・環境活動: 環境への取り組み] モスバーガー公式サイト{{リンク切れ|date=2018年9月}}</ref>。 * [[2005年]] ** 3月 - 「日本のバーガー匠味十段」発売。ハンバーガー単品の値段が1,000円と、大手では初で話題になる。 ** 4月 - [[ハワイ州|ハワイ]]の店舗閉店 ** この年、日経リサーチ 2005年度調査で、利用したいハンバーガー店ランキング第1位を獲得。 * [[2006年]] ** 2月 - 「復刻版モスバーガー店舗」を東京・[[汐留]]にオープンする。メニューも当時の8品目を再現し、ダブルバーガーなど現在はないメニューも復刻(2009年2月末に閉店)。 ** 9月 - 「日本のバーガー匠味」旧シリーズ(匠味、匠味チーズ、匠味アボカド山葵、匠味十段)の販売を終了。また、12日、「国と事業者による環境保全に向けた自主協定」を、国内で初めて[[環境省]]と締結した。この協定は、レジ袋の使用削減、非石油製品への転換等に関し、先進的な取組を推進することを内容とする。 ** 10月 - [[香港]]1号店「モスバーガー[[観塘]]ミレニアムシティ5(創紀之城5期)-apm店」オープン。 * [[2007年]] ** 1月 - [[タイ王国|タイ]]・[[バンコク]]1号店「モスバーガー[[セントラルワールドプラザ]]店」オープン。 ** 4月 - クーポンを導入。 ** 6月 - スタンプカードキャンペーン(8月まで)を導入。 ** 9月 - 本社を東京都品川区大崎「[[ThinkPark|ThinkPark Tower]]」へ移転。 * [[2008年]] ** 2月 - [[ダスキン]](日本国内にて、ドーナツチェーンのブランド「[[ミスタードーナツ]]」を展開)との資本業務提携を発表<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/company/ir_pdf/080220_02.pdf 資本業務提携について]</ref>。 ** 12月 - 「とびきりハンバーグサンド」シリーズ販売開始。 * [[2009年]] ** 4月 - ドリンクメニューの一部を[[コカ・コーラ]]から[[ペプシコーラ]](ペプシ・ネックス)(サントリーフーズ)に変更。 ** 4月30日 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[スッキリ (テレビ番組)|スッキリ!!]]』との共同企画「[[テリー伊藤|テリー]]ヤキバーガー」を期間限定で発売。 * [[2010年]] ** 2月 - 13年振りに[[中華人民共和国|中国]]に再出店。福建省に「思明南路店」オープン。 ** 6月10日 - 日本テレビ『スッキリ!!』との共同企画第2弾「テリー伊藤のざくざくラー油バーガー」を期間限定で発売。 * [[2011年]] ** 3月11日 - [[東日本大震災]]により、岩手県の[[陸前高田市|陸前高田]]店などが津波の被害を受け事実上の閉店となる。 ** 4月 - [[オーストラリア]]1号店「サニーバンクプラザ店」オープン。 ** 5月26日 - 日本テレビ『スッキリ!!』とのコラボ企画第3弾「ピリ辛“フルーツ味噌”チキンバーガー」を期間限定(300万食)で発売。 ** 6月1日 - [[日本航空]][[機内食]]限定商品「AIR MOS BURGER(エアモスバーガー)」を[[日本航空]]の主要国際線にて提供。当初は8月末までの期間限定だったが、好評だったため2011年11月末まで延長した<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/news/20110830_1.html ご好評につき期間延長!!「エアモスバーガー」日本航空の国際線で味わう専用ハンバーガー♪]</ref>。 * [[2012年]] ** 2月28日 - [[大韓民国|韓国]]1号店「ロッテ蚕室」オープン。 ** 4月 - 創業者・櫻田の出身地である岩手県大船渡市に大船渡店をオープン。陸前高田店の代替として位置づけるとともに、敷地は東日本大震災復興の想いを伝えるつくりとした。 ** 6月1日 - 日本航空の主要国際線機内で出されるAIRシリーズの第5弾として、前年のエアモスバーガーに続く「AIR MOS ライスバーガー」を同日から提供開始。2012年8月31日までの限定<ref group="広報">[https://press.jal.co.jp/ja/release/201205/001441.html モスバーガーとのコラボレーション「AIR MOS ライスバーガー」が登場] - 日本航空・モスフードサービス共同プレスリリース 2012年5月25日</ref>。 ** 11月13日 - モスライスバーガーのメニューを入れ替え。 * [[2013年]] ** 6月6日 - 看板を[[発光ダイオード|LED]]を使用した新規のデザインに移行することを発表し<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_130606_1.pdf ~看板の消費電力を70%低減~ 全店舗にLED照明の新看板を導入] モスバーガー公式サイト</ref>、店舗ロゴを刷新。なお、新看板は2012年度より一部の店舗で導入されていた。 * [[2014年]] ** 5月28日 - ミスタードーナッツとコラボでミスタードーナッツの主力商品「フレンチクルーラー」をバンズに使った『モスのフレンチクルーラー ぐるぐるチョリソ』・『モスのフレンチクルーラー ベリーショコラ』を発売。一方、ミスタードーナツが「ライスバーガー」をアレンジした『ミスドのライスバーガー 坦々牛焼肉』・『ミスドのライスバーガー あん&カスタード』を発売。 * [[2017年]] ** [[5月16日]] - 新[[販売時点情報管理|POSシステム]]の導入に伴い、[[楽天Edy]]での決済サービスを開始<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.mos.co.jp/company/pr_pdf/pr_170420_1.pdf|title=主要なクレジットカード、交通系電子マネーに対応 新POSシステムを全店導入 国内外のお客さまの利便性向上に|publisher=モスフードサービス|format=PDF|date=2017-04-20|accessdate=2017-07-04}}</ref>。 ** [[7月4日]] - 新POSシステム導入に伴い、[[ICカード#公共交通での導入|交通系ICカード]]の[[Kitaca]]、[[PASMO]]、[[Suica]]、[[manaca]]、[[TOICA]]、[[ICOCA]]、[[nimoca]]、[[はやかけん]]、[[SUGOCA]]、モスカードでの決済サービスを開始<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2017/20170704.pdf|title=全国のモスバーガーで交通系電子マネーのご利用が可能になります!|format=PDF|publisher=モスフードサービス 他|date=2017-07-03|accessdate=2017-07-04}}</ref>。 {{See also|モスド}} * [[2020年]] ** 2月 - [[フィリピン]]1号店「ロビンソンガレリア店」が[[ケソン市]](マニラ首都圏)にオープン。 ** 3月 - 国内全店舗で禁煙化予定<ref name="NoSmoking"/>。 * [[2021年]] - イメージキャラクターに[[Snow Man]]の[[ラウール (アイドル)|ラウール]]と[[渡辺翔太]]が起用される。 * [[2023年]] ** 5月 - テリヤキバーガーの発売50周年を迎え、最初に発売された日にちなみ毎年[[5月15日]]を「テリヤキバーガーの日」と制定<ref>[https://www.kinenbi.gr.jp/ 日本記念日協会]</ref>。 ** 9月13日 - [[ジャニー喜多川の性的虐待疑惑]]による影響で、特定の店舗で[[ジャニーズ事務所]]所属タレントが起用されている広告物に不適切な加工がなされていることをお詫びした<ref>[https://www.mos.jp/top/assets/pdf/20230913_1.pdf 【お詫び】モスバーガー店舗の掲示物について]</ref>。 ** 9月14日 - [[モーニング娘。|モーニング娘。'23]]とのコラボレーションとして「モーニング娘。'23 × モスバーガー『朝、モスしよ🤍』」キャンペーンを一部地域限定で11月30日まで開催<ref>[https://www.mos.jp/oc/morningmusume/ モーニング娘。'23 × モスバーガー『朝、モスしよ🤍』]</ref>。 == メニュー・店舗・特徴・サービス == === メニューの特色 === 日本人の味覚に合わせたソースや合挽き肉を使用した[[パティ]](一時期牛肉100%のパティを使用)は他の米国系フランチャイズ・チェーンとは一線を画した独特のものである。 [[1973年]]には世界で初めて[[テリヤキバーガー]]を発表。このテリヤキバーガーを売るために、常連客の女子高校生からの提案で、彼女の[[高等学校|高校]]の[[文化祭]]で50個のテリヤキバーガーを無料で配るなど認知度を上げる工夫を凝らした<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yuki-tatsui/2019-00126|title=1973年の女子高生が愛し、今や世界の定番「テリヤキバーガー」。モスバーガーが語る快進撃の歴史|accessdate=2022-06-14|website=メシ通}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.quizknock.com/mos_tsukaeru_iitakunaru|title=東大生がモスバーガーについて取材してみた。|accessdate=2022-06-14|website=QuizKnock}}</ref>。 [[1987年]]には、当時日本国内で問題視されていた米余りを解決するため、パンの代わりに[[米]]をベースにしたライスバーガーが発売され、現在のモスバーガー主力メニューのひとつになった<ref>{{Cite web|和書|title=ライスバーガー 誕生物語 {{!}} モスの想い|url=https://www.mos.jp/omoi/15/|website=モスバーガー|accessdate=2020-12-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=マックの「ごはんバーガー」と「モスライスバーガー」は何が違う? 明かされた開発秘話(2/2)|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2001/29/news038_2.html|website=ITmedia ビジネスオンライン|accessdate=2020-12-19|date=2020年01月29日|publisher=ITメディア}}</ref>。[[農林水産省]]から表彰される。 さらに1990年代後半からは農業者団体との提携{{要出典|title=筆者が2000年前後にモスバーガー公式サイトにて読み、オンラインショップ(楽天市場ではない/モス畑とか言った気がする)を閲覧したことによる。有機野菜の生産農家だったと記憶しているが、このことを証明できるものをお持ちの方がいらっしゃればお願いします。|date=2010年1月}}から原材料の国産化・産地/生産者の可視化を進め、店頭の掲示板に産地と生産者名を掲示するようになった。現在では生野菜の全てが日本国内の提携農家が生産したもの<ref group="広報">[https://www.mos.jp/quality/vegetables/ モスバーガー公式サイト] モスバーガー公式サイト</ref>となっており、これらの野菜の一部は、モスバーガー公式オンラインショップ<ref group="広報">[https://www.rakuten.co.jp/mosburger-onlineshop/ モスバーガー公式オンラインショップ] 楽天市場上にある</ref>にて購入することが可能である。菜摘(なつみ)と名付けられた「パンを使わない」でレタス等の野菜だけで包むバーガーもある<ref>{{Cite web|和書|title=モスフードサービス社長の定番。トップ直伝「食べ方の極意」|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/29697|website=Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)|date=2019-10-04|accessdate=2020-12-19|language=ja}}</ref>。 2003年から一部店舗において「日本のバーガー匠味」シリーズを発売。当初価格設定が580円(チーズ入り640円)というこれまでにない高価格設定で、高級志向を打ち出す。匠シリーズは2008年に販売終了したが、現在では味と価格のバランスを考慮し単品価格400円前後の商品として開発された「とびきりハンバーグサンド」シリーズがそのコンセプトを受け継いでおり、当商品はハンバーガーチェーンではめずらしく「国産牛肉」を売りにしている。{{-}} <gallery> ファイル:MOS Burger of MOS Burger in Japan.jpg|モスバーガー ファイル:MOS BLT burger.jpg|[[2011年]]4月26日から期間限定発売された、とびきりハンバーグサンドB.L.T.(スライスチーズ入り)とびきりハンバーグサンドチーズ ファイル:MOS Chicken01.JPG|alt=モスチキン|モスチキン  ファイル:MOS Kuro-Koshō Chicken01.JPG|黒胡椒チキン ファイル:MOS Kaisen01.JPG|ライスバーガー海鮮かきあげ(塩だれ) ファイル:MOS Burger's MOS-walker is a menu French fries on the Drink cup cover.jpg|モスウォーカー </gallery> === ソイパティ === [[2015年]][[5月19日]]からモスバーガーの定番商品で、肉のパティの代わりに大豆由来の植物性たんぱくを使った[[代替肉|プラントベースドミート]]である「ソイパティ」が選択可能なった<ref>{{Cite web|和書|title=ソイパティの開発|url=https://www.mos.jp/cp/interview/soypatty/|website=モスバーガー|accessdate=2021-10-17}}</ref>。 2020年[[3月26日]]より、動物由来の原材料([[食肉|肉]]、[[魚]]、[[卵]]、[[乳製品]]など)と、[[仏教]]の[[禁葷食]]である[[精進料理#五葷|五葷]]を使わない「MOS PLANT-BASED GREEN BURGER(グリーンバーガー)」を東京や神奈川の9店舗で先行発売した<ref>{{Cite web|和書|title=モスバーガー、肉や“五葷”を使わない「グリーンバーガー」|url=https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1242460.html|website=[[インプレス]]|accessdate=2021-10-17}}</ref>。 === 店舗の形態 === ==== ディック・ブルーナモデル店舗 ==== 内装や食器に[[ディック・ブルーナ]]のイラストを使用した店舗。関東に4店舗存在。 ==== 実験店舗 ==== [[ThinkPark]]の大崎カフェ店舗では立地条件から[[サラリーマン]]や[[OL]]層をねらった独自メニューとして、[[ケーキ]]や[[ビールジョッキ]]をメニューに置いている。 === サービス === ==== テレフォンオーダー(電話注文) ==== 注文から受け取りまで時間がかかることもあり、モスバーガーでは電話による注文を受け付けている。多くは持ち帰りで利用されるが、店内での飲食の場合も利用可能である。また、オフィス街にある一部の店舗では、[[出前|配達]]も行なっている(要追加料金)。 [[電話]]で注文した利用客に対しては、受取り時に[[十円硬貨|10円玉]]が入ったぽち袋([[お年玉袋]])を渡している。これは注文時の電話代であり、「利用客の電話代費用を負担する<ref name="opiken-mos4" />」という意味である。 近年では公式サイトからの注文も受け付けており、電話注文と同様にぽち袋を渡している。 ==== オリジナルキャラクター ==== モスバーガーはオリジナルキャラクターとして「[[モッさん]]」がおり、グッズやイベント等で使用している。モッさんは2009年に37歳で“アラフォーの星”としてデビューし、2012年で40歳を迎えた立派な中年である。1972年に東京都板橋区で生まれ、趣味は旅行とコスプレ(この趣味が全国モッさん図鑑に反映されている)である<ref>[https://www.47news.jp/topics/entertainment/oricon/related_news/120759.html 47ニュース モスのキャラクター・モッさん]{{リンク切れ|date=2018年9月}}</ref>。身体は[[バンズ]]、肉、トマト、ソースなどで構成されており、それぞれを組み替えることが可能<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/enjoy/mossanmonogatari/anime01/index.html モッさんてだれ?-モッさんものがたり]</ref>。好物はモスバーガーの「モスバーガー」で、いわば同族であるハンバーガーをいくつも食べることができる<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/enjoy/mossanmonogatari/anime02/index.html はらぺこモッさん-モッさんものがたり]</ref>。 2022年4月1日からはモッさんの後任として、「リルモス」をオリジナルキャラクターに起用すると同年2月15日に発表した。後述の「モス坊や」を彷彿とさせるイメージを受け継いでいる<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=モスバーガー「モッさん」引退へ 新キャラ「リルモス」導入 |url=https://mainichi.jp/articles/20220216/k00/00m/020/205000c |website=毎日新聞 |accessdate=2022-02-16 |date=2022-02-16}}</ref>。 なお、モスバーガーは1974年にも「モス坊や」というキャラクターを起用しており、1987年まで使用された<ref name=":0" />。 ==== グッズ展開 ==== 「モスワイワイこどもラボ」では、各所とコラボして 「モスワイワイセット」の子供向け玩具を開発している他、北関東限定オリジナルマグカップ(中国製)<ref>[https://ameblo.jp/nomeatnolife/entry-10661021505.html モスバーガー マグカップ]{{出典無効|date=2018-09-02 |title=ウィキペディアでは、個人サイトは出典として用いることが出来ません。}}</ref>や、静岡県限定オリジナルマグカップ(美濃焼・日本製)<ref>[https://watanabesekkotsuin.hamazo.tv/e4010071.html モスでマグカップ]{{リンク切れ|date=2018年9月}}</ref>など、地域に密着したグッズ開発も行われている。その他、バンダイガシャポン経由でのストラップ<ref>[https://www.narinari.com/Nd/20080810016.html モスバーガーの人気商品がストラップに、「ガシャポン」で全国販売。]</ref>や、モスワイワイ福袋<ref>[https://www.narinari.com/Nd/20091212785.html モスバーガー初の福袋「モスワイワイ福袋」、店舗・個数限定で発売へ。]</ref>なども企画している。 ==== その他 ==== 一部の店舗に[[NTTコミュニケーションズ]]の[[公衆無線LAN]]サービス「[[ホットスポット (NTT)|ホットスポット]]」や[[NTTドコモ]]の公衆無線LAN「[[docomo Wi-Fi]]」、[[東日本電信電話|NTT東日本]]・[[西日本電信電話|NTT西日本]]の公衆無線LAN「[[フレッツ#フレッツ・スポット|フレッツ・スポット]]」のアクセスポイントを設置している。また2012年にはモスカードというプリペイドカードを設定し、個人での利用やギフトカードとしての利用を推進している<ref group="広報">[https://www.mos.jp/mosca/ モスカード]</ref>。 店舗によっては席に[[スマートフォン]]や[[ノートパソコン]]の充電用にコンセントが用意されている。 == 環境への配慮 == モスバーガーの特徴として、他のファストフード店に比べると環境への配慮がなされているという点がある。具体的には店内の食事にはガラス製のグラス、陶製のマグカップ、金属製の食器を使用、持ち帰りには紙袋のみで[[ポリ塩化ビニル|ビニール袋]]は出さないなど<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/company/social_activity/environment/shop_environment/index.html#cont01_03 モスバーガー公式サイト・店舗における環境活動]</ref>(一部店舗では、お店から本部等会社への要望もあり、雨の日用としてビニール袋を使用している店舗もある)。 == 不祥事 == === 日本 === 2004年12月18日から同20日の間に、「屋島西町店」(香川県[[高松市]])で[[ノロウイルス]]による集団[[食中毒]]が発生、被害は148人に及んだ。同店は高松市保健所から12月21日より5日間の営業停止処分を受けるが、同25日、保健所による検査の結果、同店の従業員11名からも同ウイルスが検出された。同店は営業再開せず閉鎖<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/company/social_activity/pdf/mos_kankyo_02.pdf 社会・環境報告書 2005 - 株式会社 モスフードサービス]</ref>。 2014年11月11日、「飯田橋東店」(東京都[[千代田区]])の店頭に、中国人の女性店員を差別やいじめの対象とした黒板が立てられていたのが、[[Twitter|ツイッター]]に写真付きの投稿があり発覚した。黒板に書かれていた内容は、「遅刻を何度もする中国人の女の娘に『今度遅刻したらお前の背脂でラーメン作るぞ!!』遅刻しなくなりました」というもので<ref>{{cite news |title=「お前の背脂でラーメンを」 店頭黒板で中国人店員侮辱? モスバーガー、「不適切」と謝罪し撤去|author= |agency=|publisher=J-CASTニュース|date=2014-11-12|url=https://www.j-cast.com/2014/11/12220675.html|accessdate=}}</ref>、翌12日、モスバーガー公式サイトでは「内容は人や国を中傷する表現」と認め、同店店長が謝罪した<ref group="広報">[http://mos.jp/shop/detail/02351/ モスバーガー飯田橋東店 | 店舗案内 | モスバーガー公式サイト]</ref>。 2018年9月10日、長野県上田市天神3の「モスバーガー アリオ上田店」で、[[腸管出血性大腸菌]]O121による食中毒が発生したと発表した。県内の男子小学生2人と女子小学生1人、20代女性の計4人が感染した。これにより、上田保健所は営業者に対し、10日から3日間の営業停止を命じた。同月16日、「モスバーガー茅野沖田店」(同県茅野市)で8月18日に商品を食べた20代男女2名の下痢や腹痛症状と、うち1名の入院、2人から同じ遺伝子型のO121が検出されたことを受け、諏訪保健所(長野県諏訪市)は18日までの営業停止処分にしたと発表した<ref name="asahi180916">{{citenews |url=https://www.asahi.com/articles/ASL9J565TL9JUOOB007.html |title=モスバーガー、食中毒でさらに1店を営業停止処分 長野 |date=2018-09-16 |accessdate=2018-10-04 |publisher=朝日新聞}}</ref>。この2店舗を含む関東甲信地方の19店で計28人がO121に感染した<ref name="asahi180916" />。 === 台湾 === 2014年9月13日、[[中華民国|台湾]]のモスバーガーを運営する現地法人([[東元電機]]グループ<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H0X_T10C14A9FF8000/ 台湾の廃油ラード、製造元トップを拘束 【日本経済新聞】 2014/9/13]</ref>)は、台湾で[[地溝油#台湾|廃油を原料とした油脂]]が食用に[[流通]]していた問題で、同社でも主力のモスバーガーなど5つの商品に使用されていたと発表した<ref>[https://web.archive.org/web/20140913213709/https://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014091300270 食用油問題、モスバーガーも=代金払い戻しへ-台湾 【時事通信社】 2014/9/13]{{リンク切れ|date=2018年9月}}</ref>。問題となった油を製造したのは、日本の[[月島食品工業]]や[[三井物産]]グループなどが[[出資]]する、[[高雄市]]の強冠という食用加工油脂メーカーで、同社は台湾の[[中小企業|零細業者]]から廃油を、香港の業者から[[飼料]]用油を仕入れていた<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM11H24_R10C14A9FF1000/ 台湾の違法ラード、製造元が謝罪 【日本経済新聞】 2014/9/11]</ref>。 == その他飲食事業 == === 新規事業 === * 80℃ Cafe&Kitchen * モスバーガー&カフェ * モスバーガークラシック - 旧モスズ・シー(MOS's-C) * mosh Grab'n Go * マザーリーフ - 紅茶とアメリカンワッフルを中心にしたカフェ * カフェレジェロ - セルフスタイルのマザーリーフの新業態店 * まめどり * ミアクッチーナ === 新規事業構想 === * モスバーガーα * モスバーガーDX * モスバーガー&レストラン * モスバーガー+松屋 === 過去に展開していた新規事業 === * [[ステファングリル]] - カジュアルレストラン : 2009年9月、ステファングリル事業(当時営業していた全8店舗)を[[ペッパーフードサービス]]へ譲渡<ref group="広報">[https://www.mos.co.jp/company/ir_pdf/090730_01.pdf 事業の譲渡に関するお知らせ] モスフードサービス 2009年7月30日</ref>。 === 海外事業 === 主にアジア地域に事業を展開。 * [[台湾]] 摩斯漢堡 - 安心食品服務(股)有限公司が運営 日本モスフードと台湾[[東元電機]]集團の合弁会社 ** 魔術食品工業(股)有限公司 - 台湾モスバーガーにライスバーガー、冷凍食品を提供 * [[香港]] * [[シンガポール]] - イスラム教徒もいるので豚肉は不使用。 * [[インドネシア]] - 上記と同様にイスラム圏に付き豚肉は提供しない。 * [[中華人民共和国|中国]] * [[タイ王国|タイ]] * [[オーストラリア連邦|オーストラリア]] * [[大韓民国|韓国]] * [[フィリピン共和国|フィリピン]] === 関連会社 === * シェフズブイ - シェフズブイ(ベジタブルレストラン、ベジタリアンレストランではない)を展開。 * 四季菜(しきな) - AEN(四季の旬菜料理)を展開。 * サングレイス - 「モスの生野菜」など原料生鮮野菜の安定供給を目指して平成18年に[[農業生産法人]]株式会社野菜くらぶなどと合同出資して設立された。 ==== 過去の関連会社 ==== * [[トモス]] - [[ちりめん亭]](中華そば)を展開。2014年1月1日、全株式(99.95%)を株式会社ケンコー(本社神奈川県 中華飲食店経営)に譲渡<ref group="広報">[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1098305 株式譲渡に伴う連結子会社の異動に関するお知らせ] モスフードサービス 2013年10月28日</ref>。 == 関連項目 == {{Commonscat|MOS Burger}} * [[モスド]] (MOSDO!) - ミスタードーナツとの提携による共同事業ブランド。 * [[サーフビバレッジ]] - 設立当初はモスフードサービスの子会社だった。 * [[ガキ帝国 (映画)#ガキ帝国 悪たれ戦争|ガキ帝国 悪たれ戦争]] - 1981年9月12日公開の[[東映|東映映画]]<ref>[http://db.eiren.org/contents/03000001277.html ガキ帝国 悪たれ戦争] 一般社団法人日本映画製作者連盟</ref>。公開終了後にモスバーガー側が、映画のモスバーガー店舗や店員の描写が、同社のイメージを著しく損ねていると抗議。以後、一度だけの例外を除いて劇場で上映をされることはなく、テレビ放送、ソフト化も行われていない<ref>[http://www.creators-station.jp/news/39474 上映したらアカン映画なんかないんじゃ!]</ref>。作中で「この店のハンバーガーは猫の肉や」と馬鹿にするシーンがあるため、モスバーガー側が抗議したと巷間では言われた。ただし実際の映画には、そのセリフはない<ref>月刊シナリオ 2019年4月号</ref>。 == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} ==== 官報 ==== {{Reflist|group="官報"}} ==== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ==== {{Reflist|group="広報"|2}} == 外部リンク == * [https://www.mos.jp/ モスバーガー公式サイト] * [https://www.mos.co.jp/company/ モスフードサービス企業サイト] * {{YouTube|user=mosburgerOfficial|モスバーガー}} * {{Twitter|mos_burger}} * {{Facebook|mosburger}} * {{Instagram|mosburger_japan}} {{日本のファーストフードチェーン店}} {{リダイレクトの所属カテゴリ | redirect1 = モスフードサービス | 1-1 = 日本の外食事業者 | 1-2 = 品川区の企業 | 1-3 = 大崎副都心 | 1-4 = 東証プライム上場企業 | 1-5 = 1972年設立の企業 | 1-6 = 1985年上場の企業 }} {{DEFAULTSORT:もすはあかあ}} [[Category:ハンバーガー店]] [[Category:日本のファーストフード店]] [[Category:日本のレストラン]]
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ポロニウム
ポロニウム(英: polonium [pɵˈloʊniəm])は原子番号84の元素。元素記号は Po。安定同位体は存在しない。第16族元素の一つ。銀白色の金属(半金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は、単純立方晶 (α-Po)。36 °C以上で立方晶から菱面体晶 (β-Po) に構造相転移する。ただし、36°C〜54°Cの間は共存する。 当時マリ・キュリーは、祖国ポーランドをロシア帝国から解放する運動に強い関心を寄せていたことから、祖国の名である「Polonia」(ラテン語)が元素名の語源となった。 漢字では釙。 昇華性があり、化学的性質は、テルルやビスマスに類似する。水に溶けない。塩酸にはゆっくり溶ける。硫酸、硝酸には易溶、アルカリにはわずかに溶ける。酸化数は、-2, +2, +4, +6価を取り得る(+4価が安定)。 ウラン系列の過程でラドン222が崩壊することによってポロニウム218が生じ、更にこれが崩壊していく過程でポロニウム214、ポロニウム210が生じる。自然界に存在するポロニウムでは、ポロニウム210の半減期が138.4日と一番長い。人工的に作られるポロニウム209の半減期は102年である。全ての同位体が強力な放射能を持っている。 マリ・キュリーがポロニウムの存在を示唆した際に、ポロニウムを含む精製物がウランの300倍の放射活性を持つと記した。この表現が一人歩きして、ウランの300倍の強さの放射能を持つという表現がされることが多いが、実際にはウランの100億倍の比放射能(単位質量当りの放射能の強さ (Bq/mol, Bq/g))を有し、ごく微量でも強い放射能を持つ(ただし、逆に自然界にはウランの100億分の1程度しか存在しない)。さらにポロニウムは昇華性があるため内部被曝の危険が大きく、厳重な管理の下で取り扱わなければならない。しかし、ポロニウムが発するα線自体は皮膚の角質層を透過できないため、ポロニウムを体内に取り込まない外部被曝に関しては危険性は少ないともいえる。 アルファ線源や原子力電池に加えてベリリウムと組み合わせて中性子発生源として核兵器の起爆装置にも使われる。 1869年、周期表を発表したドミトリ・メンデレーエフは未発見の第84番元素が存在すると予言、テルルの一つ下に位置する元素であることから、サンスクリット語で「1」を意味する「エカ」をテルルにかぶせエカテルルと仮に名付けた。原子量を約212と予測している。 1898年7月、ピエール・キュリーとマリ・キュリーがウラン鉱石から発見。1896年にアンリ・ベクレルによる放射能の発見を受け、まず放射能を測定する機器を開発する。ピエール・キュリーの考案した圧電気計を改良し、ウランを中心に放射能を測定する。ウラン鉱石(ピッチブレンド)を測定したところ、ピッチブレンドに含まれるウランの濃度から計算した放射線より少なくとも4倍の線量を検出した。このため、ウランとは異なる未知の放射性元素が含まれているのではないかと推論した。しかしながら、ピッチブレンドは高価であり、新元素を単離するだけの分量が入手できなかった。オーストリア政府に頼み込んだ結果、ヨアヒムスタール鉱山から採掘したウラン鉱の残りかすを数トン入手できた。ポロニウムの分離には数か月を要したという。12月にはラジウムも発見した。 ポロニウムを生成する鉛ビスマス共晶合金(英:Lead-bismuth eutectic)は、液体金属冷却炉(高速増殖炉)のうち鉛冷却高速炉(LFR)で冷却材として使用されることがある。1991年頃に開発されたロシアのSVBR-75/100では使用されている。2000年代は東京工業大学でも研究が行われ、「Japan-Russia LBE Coolant Workshop」などの研究会が設置されていた。また2004年当時はポロニウムの除去方法が課題とされていた。 一方、東芝・日立が折半出資する茨城県東茨城郡大洗町の日本核燃料開発)(NFD)、同水戸市の株式会社化研、特殊法人日本原子力研究所(JAERI)、核燃料サイクル開発機構(JNC)は共同で、「加速器駆動核変換システム(ADS)に関する技術開発で必要」としてポロニウム生成実験を行い、実験結果を日本原子力学会「2004年秋の大会」で発表した。同論文は「液体鉛ビスマスはADSの核破砕ターゲット材及び冷却材として有望視されている」と謳っている。ただし2016年現在、鉛冷却高速炉では、ビスマスそのものが使用されなくなりつつある。 また、開発中の高速増殖炉もんじゅ、東芝の4S (原子炉)、GE日立ニュークリア・エナジー (GEH)の PRISM (原子炉)、稼働停止中の常陽は、ナトリウム冷却高速炉であり、ビスマスもポロニウムも使用しない。また、カザフスタン共和国で稼働していたBN-350、ロシアで稼働中のBN-600およびBN-800、開発中のBN-1200も同様である。 ポロニウムは強いアルファ線を放出するため発熱する。1 gのポロニウム塊はアルファ崩壊熱により500 °Cに達し、520 kJの熱を放出する。この特性から、人工衛星用原子力電池の熱源として利用された(実際のところは、発熱体としては Pu の優秀性が際立っている)。 2006年11月にイギリスで発生した、元ロシア連邦保安庁 (FSB) 情報部員アレクサンドル・リトビネンコの不審死事件で、ポロニウム210が被害者の尿から検出されたことが明らかになった(死因は体内被曝による多臓器不全と推測され、暗殺その他の謀略死の可能性が広く指摘されている。なお、事件の詳細は当人の項参照)。ロシア運輸省は航空機から基準値を超える放射線を検出したと発表したが、その後の調査で基準値の範囲内であると判明した。 2004年11月に死去したPLO執行委員会議長ヤーセル・アラファートの死因も当初不明とされたが、その後病院で使用していた衣類よりポロニウム210が検出されたことより、ポロニウムによる暗殺が疑われている。 ポロニウム210は99.99876%アルファ崩壊のみで崩壊し、崩壊過程でガンマ線の放射を0.00123%しか伴わない(殆どのアルファ崩壊はガンマ線の放射を伴う)。アルファ線は紙一枚で遮蔽されるため、容器に入ったポロニウム210(あるいは微量仕込んだ食品等)をガンマ線計測により検出することは不可能である。運搬者が被曝しないこと、被害者を即死させないことも暗殺用薬物に適した特徴である。 ポロニウムには安定同位体が存在せず、すべてが放射性である。ポロニウム194からポロニウム220までの質量範囲がある。主な同位体は、加速器で生成されるポロニウム208(半減期2.898年)、ポロニウム209(半減期102年)、自然界に存在するポロニウム210(半減期138.376日)がある。 ポロニウム210は自然界に存在するポロニウムの同位体のうち一番長い半減期(138.376日)を持つ。1 mgにつき5 gのラジウムとほぼ同数のα粒子を放射する。1 gのポロニウム210のアルファ線は、熱エネルギーを140ワット生成する。 自然界ではウラン鉱に極微量に存在するだけの非常に稀な元素であり、ラドン222(Rn)から崩壊するポロニウム218(Po)などがある。1934年に実験が行われ、天然のビスマス209(Bi)に中性子を照射することでビスマス210(Bi)が生成し、そのビスマス210(Bi)が崩壊しポロニウムが発生することが判明した。
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ポロニウムは原子番号84の元素。元素記号は Po。安定同位体は存在しない。第16族元素の一つ。銀白色の金属(半金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は、単純立方晶 (α-Po)。36 °C以上で立方晶から菱面体晶 (β-Po) に構造相転移する。ただし、36℃〜54℃の間は共存する。
{{特殊文字|説明=JIS X 0212([[補助漢字]])に該当}} {{Elementbox |name=polonium |japanese name=ポロニウム |number=84 |symbol=Po |pronounce={{IPAc-en|icon|p|ɵ|ˈ|l|oʊ|n|i|əm}} {{respell|po|LOH|nee-əm}} |left=[[ビスマス]] |right=[[アスタチン]] |above=[[テルル|Te]] |below=[[リバモリウム|Lv]] |series=卑金属 |group=16 |period=6 |block=p |appearance=銀白色 |atomic mass=(209) |electron configuration=&#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 6s<sup>2</sup> 4f<sup>14</sup> 5d<sup>10</sup> 6p<sup>4</sup> |image name=<!--Polonium.jpg--> |electrons per shell= 2, 8, 18, 32, 18, 6 |phase=固体 |density gpcm3nrt=(α) 9.196 |density gpcm3nrt 2=(β) 9.398 |melting point K=527 |melting point C=254 |melting point F=489 |boiling point K=1235 |boiling point C=962 |boiling point F=1764 |heat fusion=ca. 13 |heat vaporization=102.91 |heat capacity=26.4 |vapor pressure 1= |vapor pressure 10= |vapor pressure 100= |vapor pressure 1 k=(846) |vapor pressure 10 k=1003 |vapor pressure 100 k=1236 |vapor pressure comment= |crystal structure=cubic |japanese crystal structure=[[立方晶系]] |oxidation states= 6, '''4''', 2, -2<br />([[両性酸化物]]) |electronegativity=2.0 |number of ionization energies=1 |1st ionization energy=812.1 |atomic radius=168 |covalent radius=140 ± 4 |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|197]] |magnetic ordering=[[反磁性]] |electrical resistivity at 0=(α) 0.40 µ |thermal conductivity=? 20 |thermal expansion at 25=23.5 |CAS number=7440-08-6 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=208 | sym=Po | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=2.898 [[年|y]] | dm1=[[アルファ崩壊|α]] | de1=5.215 | pn1=204 | ps1=[[鉛|Pb]] | dm2=[[電子捕獲|ε]], [[陽電子放出|β<sup>+</sup>]] | de2=1.401 | pn2=208 | ps2=[[ビスマス|Bi]]}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=209 | sym=Po | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=103 [[年|y]] | dm1=[[アルファ崩壊|α]] | de1=4.979 | pn1=205 | ps1=[[鉛|Pb]] | dm2=[[電子捕獲|ε]], [[陽電子放出|β<sup>+</sup>]] | de2=1.893 | pn2=209 | ps2=[[ビスマス|Bi]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=210 | sym=Po | na=[[微量放射性同位体|trace]] | hl=138.376 [[日|d]] | dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=5.307 | pn=206 | ps=[[鉛|Pb]]}} |isotopes comment= }} '''ポロニウム'''({{lang-en-short|polonium}} {{IPA-en|pɵˈloʊniəm|}})は[[原子番号]]84の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Po'''。[[安定同位体]]は存在しない。[[第16族元素]]の一つ。銀白色の[[金属]](半金属)。[[常温]]、[[常圧]]で安定な[[結晶構造]]は、単純立方晶 (α-Po)。36 {{℃}}以上で立方晶から菱面体晶 (β-Po) に[[構造相転移]]する。ただし、36℃〜54℃の間は共存する。 == 名称 == 当時[[マリ・キュリー]]は、祖国[[ポーランド]]をロシア帝国から解放する運動に強い関心を寄せていたことから、祖国の名である「Polonia」([[ラテン語]])が元素名の語源となった<ref name="sakurai" />。 漢字では{{補助漢字フォント|釙}}。 == 特徴 ==<!--ポロニウムの LD50 が47 ngであるとする記述は本項目の2006年11月25日 (土) 14:47 (UTC) 版を参照している可能性が高いので注意が必要。詳細はノートで--> [[昇華 (化学)|昇華]]性があり、化学的性質は、[[テルル]]や[[ビスマス]]に類似する。[[水]]に溶けない。[[塩酸]]にはゆっくり溶ける。[[硫酸]]、[[硝酸]]には易溶、[[アルカリ]]にはわずかに溶ける。[[酸化数]]は、-2, +2, +4, +6価を取り得る(+4価が安定)。 [[ウラン系列]]の過程で[[ラドン]]222が崩壊することによってポロニウム218が生じ、更にこれが崩壊していく過程でポロニウム214、ポロニウム210が生じる。自然界に存在するポロニウムでは、ポロニウム210の[[半減期]]が138.4日と一番長い。人工的に作られる[[ポロニウム209]]の[[半減期]]は102年である。全ての[[同位体]]が強力な[[放射能]]を持っている。 [[マリ・キュリー]]がポロニウムの存在を示唆した際に、ポロニウムを含む精製物がウランの300倍の放射活性を持つと記した<ref>Nanny Fröman, [http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/articles/curie/index.html Marie and Pierre Curie and the Discovery of Polonium and Radium], Nobelprize.org, December 1, 1996.</ref>。この表現が一人歩きして、ウランの300倍の強さの放射能を持つという表現がされることが多いが、実際にはウランの100億倍の[[比放射能]](単位質量当りの放射能の強さ ([[Bq]]/[[mol]], Bq/g))を有し、ごく微量でも強い放射能を持つ(ただし、逆に自然界にはウランの100億分の1程度しか存在しない)。さらにポロニウムは昇華性があるため内部被曝の危険が大きく、厳重な管理の下で取り扱わなければならない。しかし、ポロニウムが発する[[α線]]自体は皮膚の角質層を透過できないため、ポロニウムを体内に取り込まない外部被曝に関しては危険性は少ないともいえる。 アルファ線源や[[原子力電池]]に加えて[[ベリリウム]]と組み合わせて中性子発生源として[[核兵器]]の[[起爆装置]]にも使われる。 == 歴史 == [[1869年]]、周期表を発表した[[ドミトリ・メンデレーエフ]]は未発見の第84番元素が存在すると予言、テルルの一つ下に位置する元素であることから、[[サンスクリット語]]で「1」を意味する「エカ」をテルルにかぶせエカテルルと仮に名付けた。原子量を約212と予測している。 [[1898年]]7月、[[ピエール・キュリー]]と[[マリ・キュリー]]がウラン鉱石から発見<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 344~345|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。1896年に[[アンリ・ベクレル]]による放射能の発見を受け、まず放射能を測定する機器を開発する。ピエール・キュリーの考案した[[圧電効果|圧電気]]計を改良し、ウランを中心に放射能を測定する。ウラン鉱石([[閃ウラン鉱|ピッチブレンド]])を測定したところ、ピッチブレンドに含まれるウランの濃度から計算した放射線より少なくとも4倍の線量を検出した。このため、ウランとは異なる未知の放射性元素が含まれているのではないかと推論した。しかしながら、ピッチブレンドは高価であり、新元素を単離するだけの分量が入手できなかった。[[オーストリア]]政府に頼み込んだ結果、[[ヤーヒモフ|ヨアヒムスタール鉱山]]から採掘したウラン鉱の残りかすを数トン入手できた。ポロニウムの分離には数か月を要したという。12月には[[ラジウム]]も発見した。 === 加速器駆動未臨界炉関連での生成実験 === ポロニウムを生成する鉛[[ビスマス]]共晶合金(英:[[:en:Lead-bismuth eutectic|Lead-bismuth eutectic]])は、[[液体金属冷却炉]]([[高速増殖炉]])のうち[[鉛冷却高速炉]](LFR)で冷却材として使用されることがある。1991年頃に開発されたロシアのSVBR-75/100では使用されている<ref>Gidropress [http://www.gidropress.podolsk.ru/files/booklets/en/rusvbr_en.pdf ''"Innovative nuclear technology - no analogues in the world"'']</ref>。2000年代は[[東京工業大学]]でも研究が行われ、「Japan-Russia LBE Coolant Workshop」などの研究会が設置されていた<ref>東京工業大学原子炉工学研究所[http://wwwndc.jaea.go.jp/JNDC/ND-news/pdf72/No72-10.PDF 『鉛−ビスマス冷却材と keV 中性子捕獲断面積:α放射核210Poと210mBiの生成量評価のために』] [[日本原子力研究開発機構]]核データ研究グループ「核データセンターニュース」第72号、2002年。</ref>。また2004年当時はポロニウムの除去方法が課題とされていた<ref>Eric Loewen and Shuji Ohno [http://proceedings.asmedigitalcollection.asme.org/proceeding.aspx?articleid=1649448 ''"Investigation of Polonium Removal Systems for Lead-Bismuth Cooled Fast Reactors Using a Tellurium Surrogate: Part II"'']、2004年。</ref>。 一方、[[東芝]]・[[日立製作所|日立]]が折半出資する茨城県東茨城郡大洗町の[[日本核燃料開発]])(NFD)、同水戸市の株式会社[[化研]]、[[特殊法人]][[日本原子力研究所]](JAERI)、[[核燃料サイクル開発機構]](JNC)は共同で、「[[加速器駆動未臨界炉|加速器駆動核変換システム(ADS)]]に関する技術開発で必要」としてポロニウム生成実験を行い、実験結果を日本原子力学会「2004年秋の大会」で発表した<ref>倉田有司, 佐々敏信, 斎藤滋 ほか、「[https://doi.org/10.11561/aesj.2004f.0.204.0 加速器駆動核変換システムの技術開発II (7)ポロニウム蒸発実験のための鉛ビスマス照射試験]」『日本原子力学会 年会・大会予稿集』 2004年秋の大会 セッションID:C62 , {{doi|10.11561/aesj.2004f.0.204.0}},日本原子力学会</ref>。同論文は「液体鉛ビスマスはADSの核破砕ターゲット材及び冷却材として有望視されている」と謳っている。ただし2016年現在、[[鉛冷却高速炉]]では、ビスマスそのものが使用されなくなりつつある。 また、開発中の高速増殖炉[[もんじゅ]]、東芝の[[4S (原子炉)]]、[[GE日立ニュークリア・エナジー]] (GEH)の [[PRISM (原子炉)]]、稼働停止中の[[常陽]]は、[[ナトリウム冷却高速炉]]であり、ビスマスもポロニウムも使用しない。また、[[カザフスタン共和国]]で稼働していた[[BN-350]]、ロシアで稼働中の[[BN-600]]および[[BN-800]]、開発中の[[BN-1200]]も同様である。 == 用途例 == === 熱源 === ポロニウムは強いアルファ線を放出するため発熱する。1 gのポロニウム塊はアルファ崩壊熱により500 {{℃}}に達し、520 kJの熱を放出する。この特性から、人工衛星用原子力電池の熱源として利用された<ref>John Emsley (2001), "Nature's Building Blocks", Oxford University Press, p.331 ISBN 0-19-850340-7</ref>(実際のところは、発熱体としては <sup>238</sup>Pu の優秀性が際立っている<!--ため、ポロニウムは研究段階で放棄されている-->)。 {{Main|放射性同位体熱電気転換器}} === 暗殺の手段として === [[2006年]]11月に[[イギリス]]で発生した、元[[ロシア連邦保安庁]] (FSB) 情報部員[[アレクサンドル・リトビネンコ]]の不審死事件で、[[ポロニウム210]]が被害者の尿から検出されたことが明らかになった(死因は体内[[被曝]]による[[多臓器不全]]と推測され、[[暗殺]]その他の謀略死の可能性が広く指摘されている。なお、事件の詳細は当人の項参照)。ロシア運輸省は航空機から基準値を超える放射線を検出したと発表したが、その後の調査で基準値の範囲内であると判明した。 2004年11月に死去した[[パレスチナ解放機構|PLO]]執行委員会議長[[ヤーセル・アラファート]]の死因も当初不明とされたが、その後病院で使用していた衣類よりポロニウム210が検出されたことより、ポロニウムによる暗殺が疑われている<ref>アラファト氏は毒殺? 中東TV 衣類に放射性物質と報道『中国新聞』2012年7月5日 17版 国際・総合</ref><ref>{{cite web|url=http://www.cnn.co.jp/world/35039542.html|title=アラファト氏毒殺説裏付けか 遺体からポロニウム検出|publisher=[[CNN (アメリカの放送局)|CNN]]|date=2013-10-7|accessdate=2016-1-14}}</ref>。 ポロニウム210は99.99876%アルファ崩壊のみで崩壊し、崩壊過程で[[ガンマ線]]の放射を0.00123%しか伴わない<ref>[http://www.nucleide.org/DDEP_WG/Nuclides/Po-210_tables.pdf Table de Radionucléides]</ref>(殆どのアルファ崩壊はガンマ線の放射を伴う)。アルファ線は紙一枚で遮蔽されるため、容器に入ったポロニウム210(あるいは微量仕込んだ食品等)をガンマ線計測により検出することは不可能である。運搬者が被曝しないこと、被害者を即死させないことも暗殺用薬物に適した特徴である。 == 化合物 == *ポロニウム化合物 ** [[ポロニウム化水素]] (H<sub>2</sub>Po) ** [[亜ポロニウム酸]] (H<sub>2</sub>PoO<sub>3</sub>) ** [[ポロニウム酸]] (H<sub>2</sub>PoO<sub>4</sub>) ** [[二臭化ポロニウム]] (PoBr<sub>2</sub>) ** [[四臭化ポロニウム]] (PoBr<sub>4</sub>) ** [[二塩化ポロニウム]] (PoCl<sub>2</sub>) ** [[四塩化ポロニウム]] (PoCl<sub>4</sub>) ** [[四フッ化ポロニウム]] (PoF<sub>4</sub>) ** [[六フッ化ポロニウム]] (PoF<sub>6</sub>) ** [[四ヨウ化ポロニウム]] (PoI<sub>4</sub>) ** [[硝酸ポロニウム(IV)]] (Po(NO<sub>3</sub>)<sub>4</sub>) ** [[一酸化ポロニウム]] (PoO) ** [[二酸化ポロニウム]] (PoO<sub>2</sub>) ** [[三酸化ポロニウム]] (PoO<sub>3</sub>) ** [[水酸化ポロニウム(II)]] (Po(OH)<sub>2</sub>) ** [[水酸化酸化ポロニウム(IV)]] (PoO(OH)<sub>2</sub>) ** [[一硫化ポロニウム]] (PoS) ** [[硫酸ポロニウム(IV)]] (Po(SO<sub>4</sub>)<sub>2</sub>) == 同位体 == {{main|ポロニウムの同位体}} ポロニウムには[[安定同位体]]が存在せず、すべてが[[放射性]]である。ポロニウム194からポロニウム220までの質量範囲がある。主な[[同位体]]は、[[加速器]]で生成されるポロニウム208([[半減期]]2.898年)、ポロニウム209([[半減期]]102年)、[[自然界]]に存在するポロニウム210(半減期138.376日)がある。 === ポロニウム210 === {{Main|ポロニウム210}} ポロニウム210は自然界に存在するポロニウムの同位体のうち一番長い半減期(138.376日)を持つ。1 mgにつき5 gの[[ラジウム]]とほぼ同数の[[α粒子]]を放射する。1 gのポロニウム210の[[アルファ線]]は、[[熱エネルギー]]を140[[ワット]]生成する。 == 発生 == 自然界ではウラン鉱に極微量に存在するだけの非常に稀な[[元素]]であり、[[ラドン]]222({{sup|222}}Rn)から崩壊するポロニウム218({{sup|218}}Po)などがある。1934年に実験が行われ、天然のビスマス209({{sup|209}}Bi)に[[中性子]]を照射することでビスマス210({{sup|210}}Bi)が生成し、そのビスマス210({{sup|210}}Bi)が崩壊しポロニウムが発生することが判明した。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}}{{Reflist}} == 関連情報 == {{Commons|Polonium}} ** {{元素周期表}} {{ポロニウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほろにうむ}} [[Category:ポロニウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:半金属]] [[Category:カルコゲン]] [[Category:第16族元素]] [[Category:第6周期元素]]
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シンセベース
シンセベース(英語: Keyboard bass、Key bass、Synth bass)、またはキーボード・ベースは、キーボード・シンセサイザーの一種であり、シンセサイザーで演奏されるベースパート。もしくはエレクトリックベースやダブル・ベースのシミュレーションを、ベースのレンジの中でクリエイトする楽器である。ファンクやR&B、Gファンクやギャングスタ・ラップのジャンルで、効果的に使用される。 アナログシンセサイザーの登場初期には、電子オルガンの足鍵盤に相当するベース演奏専用のシンセサイザーとして「ベースシンセサイザー」という製品も存在した。一般にシンセサイザーは、楽音域すべてをカバーして演奏が可能なので、いかなる音色でもベースパートを演奏することは可能であるが、実際には音響的に不適当な音色での演奏は無意味である。実際のベース楽器をリアルにシミュレーションをした音色と、電子発振音らしさを強調した音色が主に使用される。 スタジオ録音では、一人多重録音を好んだスティービー・ワンダーがシンセベースを手弾きした。また、パーラメントのジョージ・クリントンや、ザップのロジャー、カシーフらもシンセベースを多用している 。アナログシンセサイザーの初期には、リアルな音色を望めなかったので、逆に矩形波にフィルターを掛けた、電子的な音色がコンピュータ・ミュージックの特徴と云え、近年のクラブミュージックなどでも、多く使用される。単独にプログラミングできるベースシンセサイザーとして、ローランド社のTB-303という製品が存在した。 デジタルシンセサイザーで、リアルなサンプリング音源を搭載したシンセサイザーの場合、シーケンサー・プログラミングにより、MIDIインタフェースによる自動演奏(一般的に打ち込みと言われる)が行われ、プログラム次第では全く実際の演奏と変わらないため、シンセサイザー音楽という扱いはされない。 シーケンサー・プログラミングによるシンセベースと、同様にプログラムによるドラムマシンの繰り返し演奏パターンを特徴とした音楽に「ドラムンベース」があるが、ハウスやテクノと同様シンセベースは添え物に過ぎず、ファンクやGラップほどのダイナミズムはない。
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シンセベース、またはキーボード・ベースは、キーボード・シンセサイザーの一種であり、シンセサイザーで演奏されるベースパート。もしくはエレクトリックベースやダブル・ベースのシミュレーションを、ベースのレンジの中でクリエイトする楽器である。ファンクやR&B、Gファンクやギャングスタ・ラップのジャンルで、効果的に使用される。
'''シンセベース'''({{lang-en|'''Keyboard bass'''、'''Key bass'''、'''Synth bass'''}})、またはキーボード・ベースは、キーボード・シンセサイザーの一種であり、[[シンセサイザー]]で[[演奏]]される[[バス (声域)|ベース]][[パート]]。もしくは[[エレクトリックベース]]やダブル・ベースのシミュレーションを、ベースのレンジの中でクリエイトする楽器である。[[ファンク]]やR&B、Gファンクやギャングスタ・ラップのジャンルで、効果的に使用される。 == 概要 == アナログシンセサイザーの登場初期には、[[電子オルガン]]の足[[鍵盤 (楽器)|鍵盤]]に相当するベース演奏専用のシンセサイザーとして「ベースシンセサイザー」という製品も存在した。一般にシンセサイザーは、楽音域すべてをカバーして演奏が可能なので、いかなる音色でもベースパートを演奏することは可能であるが、実際には音響的に不適当な音色での演奏は無意味である。実際のベース楽器をリアルに[[シミュレーション]]をした音色と、電子発振音らしさを強調した音色が主に使用される。 スタジオ録音では、一人多重録音を好んだ[[スティービー・ワンダー]]がシンセベースを手弾きした。また、[[パーラメント (バンド)|パーラメント]]の[[ジョージ・クリントン (ミュージシャン)|ジョージ・クリントン]]<ref>http://www.treblezine.com/25081-10-essential-synth-funk-tracks/ </ref>や、ザップのロジャー、[[カシーフ]]らもシンセベースを多用している<ref>[http://www.synthmania.com/Famous%20Sounds.htm SynthMania: Famous Sounds]</ref> 。アナログシンセサイザーの初期には、リアルな音色を望めなかったので、逆に[[矩形波]]に[[フィルター]]を掛けた、電子的な音色が[[コンピュータ・ミュージック]]の特徴と云え、近年の[[クラブミュージック]]などでも、多く使用される。単独に[[ミュージックシーケンサー|プログラミング]]できるベースシンセサイザーとして、[[ローランド]]社の[[ローランド・TB-303|TB-303]]という製品が存在した。 デジタルシンセサイザーで、リアルな[[サンプリング音源]]を搭載したシンセサイザーの場合、[[シーケンサー (音楽)|シーケンサー]]・プログラミングにより、[[MIDI]][[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]による[[自動演奏]](一般的に[[打ち込み]]と言われる)が行われ、プログラム次第では全く実際の演奏と変わらないため、シンセサイザー音楽という扱いはされない。 シーケンサー・プログラミングによるシンセベースと、同様にプログラムによる[[ドラムマシン]]の繰り返し演奏パターンを特徴とした音楽に「[[ドラムンベース]]」があるが、ハウスやテクノと同様シンセベースは添え物に過ぎず、ファンクやGラップほどのダイナミズムはない。 == 主なアーティスト == *[[楢﨑誠]] {{Fontsize|small|(from [[Official髭男dism]])}} *[[ハラミちゃん]] *[[ジョージ・クリントン (ミュージシャン)|ジョージ・クリントン]] *[[パーラメント (バンド)|パーラメント]] *ヤーブロウ&ピープルズ<ref group="注">81年の「ドント・ストップ・ザ・ミュージック」ほかでシンセベースを使用。</ref> *[[グラハム・セントラル・ステーション]] *ドクター・ドレイ<ref group="注">90年代のギャングスタ・ラップ曲で使用。</ref> *E-40<ref group="注">西海岸のGラッパーで、シンセベースを多用した。</ref> *EPMD<ref group="注">ロジャーとザップの大ファンで、サンプリングでたびたびシンセベースを聴くことができる。</ref> *[[細野晴臣]]<ref group="注">元々ベーシストで[[ベースギター]]を演奏している。[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]時代もレコードでは終始ベースギターを演奏する曲があったが、シンセベースと混在したり終始シンセベースだけの楽曲と様々だった。ライブでは終始ベースギター演奏の楽曲以外はシンセベースを演奏。2000年代以降YMOを再々結成した時は専らベースギターを演奏。しかし、2023年メンバーの[[高橋幸宏]]、[[坂本龍一]]が相次いで他界して再活動が不可能となる。</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 書籍 == * {{Cite book |和書|author=相原耕治 | author2=|title=シンセサイザーがわかる本 | publisher=[[スタイルノート]]|asin= | date=2011年10月 |pages=|url=|isbn=978-4799801000}} * {{Cite book |和書|author=山下 春生 | author2=|title=伝説のハンドメイドアナログシンセサイザー: 1970年代の自作機が蘇る | publisher=[[誠文堂新光社]]|asin= | date=2015年11月 |pages=|url=|isbn=978-4416115435}} * {{Cite journal |和書|author= | author2=|title=シンセサイザー・クロニクル| publisher=[[学習研究社]]|journal=[[大人の科学マガジン|大人の科学マガジン別冊 シンセサイザー・クロニクル]]|asin= |isbn=9784056051834 | date=2008年7月|pages=|url=}} * {{Cite journal |和書|author= | author2=|title=アナログシンセの復活 | publisher=寺島情報企画|journal=[[DTM magazine]]|asin=B00DC69PDW | date=2013年8月|volume=230 |pages=|url=}} == 関連項目 == *[[クラビネット]] *[[メロトロン]] == 外部リンク == * [http://www.jspa.gr.jp/ 日本シンセサイザープログラマー協会(JSPA)] {{DEFAULTSORT:しんせへえす}} [[Category:シンセサイザー]] [[Category:電子楽器]] [[Category:鍵盤楽器]] [[Category:コンピュータミュージック]] [[en:Synthesizer#Bass synthesizer]]
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Computer Generated Imagery
Computer generated imagery(コンピューター ジェネレイテッド イメジェリー、略:CGI)とは、コンピュータグラフィックスによって生成された画像または映像である。また、CGの技術自体を指すこともある。応用先としては芸術・印刷メディア・コンピュータゲーム・映画・テレビ番組・コマーシャル・ビデオ・シミュレータなどがある。多くの場合「CGI」といえば映画やテレビ映像向けに3次元コンピュータグラフィックスをキャラクターや背景、特殊効果の生成に用いて生成した画像・映像のことを指すが、2次元 (2D) の映像を指す場合もある。 CGI の発達は 1990年代にバーチャル映画制作(英語版)の急速な発展を促した。仮想空間の中では被写体やカメラは物理法則の制約を受けないため、映像表現の幅を大きく拡げたのである。また CGI 用ソフトウェアが入手しやすくなり、市販コンピュータの処理能力も著しく向上したことにより、個人や小規模な組織でもプロ級の映画やゲーム、芸術作品を制作できる環境が整えられるようになった。 Computer Generated Imageryの一部として生成される動画像だけでなく、現実のような自然な地形(フラクタル地形など)もコンピュータのアルゴリズムによって生成される。フラクタル表面を生成するシンプルな方法は、中点変位というド・ラムカーブ(英語版)のいくつかの特例の形成に頼った三角形メッシュ法の拡張機能を使用することである。例えば、アルゴリズムは最初は大きな三角形から始め、次に4つのより小さいシェルピンスキーの三角形に分割するために再帰的拡大を行い、そして最も近隣するものからの各点の高さを補間する。ブラウニアン・サーフェス(英語版)の作成には、作成された新たなノードであるノイズを追加するだけでなく、メッシュの複数の平面で追加的なノイズを追加する必要がある。このように、様々な平面が表現された地形図は比較的簡単なフラクタルアルゴリズムを使用して作成することができる。基本的に、Computer Generated Imageryで使用されるイージー・トゥ・プログラムのフラクタルは「プラズマ・フラクタル」やより動的な「フォルト・フラクタル」である。 数多くの特徴ある技法が高く集束されたコンピュータ生成エフェクトを生み出すために研究開発がなされており、例として指定された岩石のような表面に侵食をモデル化したり年代を反映するために岩石の科学的な風化を表現するための特徴あるモデルが使用されている。 現代的な建築家は顧客と建設会社両方向けに3次元モデルを製作するためのコンピュータグラフィック会社のサービスを利用しており、これらのコンピュータ生成モデルは従来の図面よりも正確にすることができる。建築アニメーション(英語版)(インタラクティブ画像ではなく建築物のアニメーション動画を使用)も建築物を環境や周囲の建築物と合わせたらどうなるかを確かめるために使用することができる。紙や鉛筆を使わない建築空間の描写は現在コンピュータを使用した数ある建築物設計システムによって幅広く受け入れられている実践方法である。 建築物モデリングツールは建築家が対話形式で空間やウォークスルーの実行を視覚化できるようになっていて、都市部や建築物両方の水準で対話型環境が提供される。建築における特定の応用は建築構造の仕様(壁や窓など)やウォークスルーだけでなく、特定のデザインで1日の時間帯によって光の影響や太陽光がどれだけ差すかの調査が含まれる。 建築モデリングツールは現在インターネットベースで発展しているが、インターネット型システムの品質は高度なインハウスモデリングシステムと比べてまだ劣っている。 いくつかの応用においてコンピュータ生成画像は歴史的建造物の逆行分析でも使用されていて、例えば、ドイツのゲオルゲンタール(英語版)にあった修道院のコンピュータ再現は修道院の遺跡をもとにしていて、未だに在りし日の建築物がどのようだったかをルック・アンド・フィールで見せているに過ぎない。 スケルタルアニメーションで使用されるコンピュータ生成モデルは常に解剖学的に正しいというわけでないが、サイエンティフィック・コンピューティング・アンド・イメージング・インスティテュート(英語版)といった研究所は解剖学的に正確なコンピュータ型モデルを開発している。コンピュータ生成解剖学モデルは教育や運用の両方の目的で使用される。現在までフランク・H・ネーター(英語版)による 画像 など多くの画家が医学生が使用する医学画像を制作し続けているが、多くのオンライン解剖学的モデルも利用可能になっている。 1人の患者のX線はデジタル化されたX線でない限りコンピュータ生成画像にならないが、コンピュータ断層撮影による3次元モデルを伴う応用は数多くの単一のX線断面図で自動生成されるため、コンピュータ生成画像になる。核磁気共鳴画像法を使った応用も合成で内部画像を生成するために数あるスナップショット(磁気パルスを介した場合)をまとめたものである。 現代的な医学的応用において、患者の特定モデルはコンピュータ支援手術において構築されていて、例えば、総合的な膝置換(英語版)において、詳細な患者モデルの構築は注意深く手術を計画するために使用される。これらの3次元モデルは通常患者自身の解剖学的に適切な部分を数回コンピュータ断層撮影した画像が元になっている。このようなモデルはまた心臓病治療の一般的な手順である大動脈弁注入を計画するときにもしようされる。得られる形状の中で、冠動脈開口部の直径や場所は患者によって大きく異なっており、患者の弁構造に酷似しているモデルの抽出(コンピュータ断層撮影で)は手順を検討する際に非常に有益である。 衣料のモデルは一般的に次の3種類に分かれる: 現在まで、自然な方法で自動的に編まれたデジタル的な特徴のある衣料の作成は多くのアニメーターによるに挑戦が続いている。 映画や、広告、その他一般公開される形での仕様に加えて、衣料のコンピュータ生成画像は現在最大手のファッションデザイン企業によって日常的に使用されている。 ヒトの皮膚の画像を描写する挑戦においてリアリズムには3つのレベルがある: よく見えるシワや皮膚の汗腺といった最もよく見える特徴は約100μmもしくはミリメートルの寸法である。皮膚は目的の表面の7次元双方向テクスチャ関数(英語版) (BTF)や双方向散乱分布関数(BSDF)でモデリングできる。 インタラクティブ・ビジュアライゼーションは動的に変化できるデータを描写したりユーザーが複数の遠近法によるデータを見ることができるようにするための応用に関する一般的な用語である。この応用分野は流体力学において流れパターンを可視化することから特定のCADアプリケーションに至るまで幅広い。レンダリングされたデータはフライトシミュレーターのようにユーザーがシステムへの操作で変えられる特定のビジュアルシーンに対応しており、世界を表現するためのComputer Generated Imageryの技法を広範囲に使用できるようになる。 生データのデータパイプラインを伴う双方向可視化過程の抽象的レベルはレンダリングに適する形で生成するために管理やフィルタリングがされる。これは可視化データと度々呼ばれている。可視化データはその後、レンダリングシステムに供給することができる可視化表現へマッピングされる。これを「レンダラブル・リプレゼンテーション」と通常呼ばれる。このリプレゼンテーションはその後、表示できるイメージとして描写される。ユーザーがシステムを使った生データとの対話(仮想世界で自身のポジションをジョイスティックで変えるなど)が新たな描写イメージを作成するためのパイプラインを通して供給されるように、多くの場合このようなアプリケーションでリアルタイムな計算効率の重要考慮事項が作成される。 風景のコンピュータ作成イメージは静的になる一方、用語的なコンピュータアニメーションは動画に酷似する動的なイメージのみに適用される。しかし、一般的な用語としてのコンピュータアニメーションはユーザーとの対話ができない動的イメージを指していて、一方用語としての仮想世界は対話的なアニメーション環境で使用される。 コンピュータアニメーションは本質的に3Dのストップモーションアニメーションと二次元イラストレーションのフレーム単位アニメーション技術のデジタル的な後継技術である。コンピュータ生成のアニメーションはエフェクトショットやエキストラを使った群衆シーンが使用されるミニチュア撮影といったより力学的な方法よりも制御可能である。これは他の技術を使うことなく実現可能なイメージの製作が可能だからである。また、1人のグラフィックアーティストが俳優や高価なセット部分や小道具を使わずに作品を製作することができる。 動作の錯覚を作成するためには、イメージをコンピュータスクリーンに表示し、過去のイメージに似た新たなイメージに繰り返し置き換えるが時間領域(通常24もしくは30フレーム/秒の速度)で少しずつ進める。この技法は動きの錯覚をテレビやモーションピクチャーで実現する方法と同一ある。 仮想世界とはユーザーがアニメキャラクターやアバターと呼ばれるアニメキャラクターに扮した他のユーザーと対話できるシミュレーション環境で、ユーザーが生活したり会話することを重視していて、今現在ユーザーがアバターの形式で他人に見えるようになっている双方向3D仮想環境の主な代名詞になっている。これらのアバターは通常、テキストや二次元画像、3次元コンピュータグラフィックスといった表現で示されているが、他の形式でも可能である (例として聴覚的 だったり触覚的だったり)。全てではないが可能世界は複数のユーザーで使用可能になっている。 近年、Computer Generated Imageryの使用は法廷にも及んでいて、裁判官や陪審員に一連の出来事、証拠、仮説をより良く可視化することに役だっている。しかし、1997年の研究で人々は直感さが貧しい物理学者でコンピュータ生成画像の影響を簡単にうけると発表された。従って、陪審員やその他法的決定に関わる人は一連の出来事の1つの可能性を単に表現した証拠への認識が生じることが重要になることを物語っている。
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Computer generated imageryとは、コンピュータグラフィックスによって生成された画像または映像である。また、CGの技術自体を指すこともある。応用先としては芸術・印刷メディア・コンピュータゲーム・映画・テレビ番組・コマーシャル・ビデオ・シミュレータなどがある。多くの場合「CGI」といえば映画やテレビ映像向けに3次元コンピュータグラフィックスをキャラクターや背景、特殊効果の生成に用いて生成した画像・映像のことを指すが、2次元 (2D) の映像を指す場合もある。 CGI の発達は 1990年代にバーチャル映画制作の急速な発展を促した。仮想空間の中では被写体やカメラは物理法則の制約を受けないため、映像表現の幅を大きく拡げたのである。また CGI 用ソフトウェアが入手しやすくなり、市販コンピュータの処理能力も著しく向上したことにより、個人や小規模な組織でもプロ級の映画やゲーム、芸術作品を制作できる環境が整えられるようになった。
{{翻訳直後|1=[https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Computer-generated_imagery&oldid=662136382 10:57, 13 May 2015(UTC)]|date=2015年6月}} {{混同|Common Gateway Interface}} '''Computer generated imagery'''(コンピューター ジェネレイテッド イメジェリー、略:'''CGI''')とは、[[コンピュータグラフィックス]]によって生成された画像または映像である。また、[[コンピュータグラフィックス|CG]]の技術自体を指すこともある。応用先としては芸術・印刷メディア・コンピュータゲーム・映画・テレビ番組・コマーシャル・ビデオ・シミュレータなどがある。多くの場合「CGI」といえば映画やテレビ映像向けに[[3次元コンピュータグラフィックス]]をキャラクターや背景、特殊効果の生成に用いて生成した画像・映像のことを指すが、2次元 (2D) の映像を指す場合もある。 CGI の発達は 1990年代に{{仮リンク|バーチャル映画制作|en|virtual cinematography}}の急速な発展を促した。仮想空間の中では被写体やカメラは物理法則の制約を受けないため、映像表現の幅を大きく拡げたのである。また CGI 用ソフトウェアが入手しやすくなり、市販コンピュータの処理能力も著しく向上したことにより、個人や小規模な組織でもプロ級の映画やゲーム、芸術作品を制作できる環境が整えられるようになった。 == 静的イメージとランドスケープ == [[File:FractalLandscape.jpg|thumb|225x225px|フラクタル地形]] {{see also|フラクタル地形}} Computer Generated Imageryの一部として生成される動画像だけでなく、現実のような自然な地形([[フラクタル地形]]など)もコンピュータのアルゴリズムによって生成される。フラクタル表面を生成するシンプルな方法は、[[高木曲線|中点変位]]という{{仮リンク|ド・ラムカーブ|en|De Rham curve}}のいくつかの特例の形成に頼った[[ポリゴンメッシュ|三角形メッシュ]]法の拡張機能を使用することである<ref name="Peitgen">''Chaos and fractals: new frontiers of science'' by Heinz-Otto Peitgen, Hartmut Jürgens, Dietmar Saupe 2004 ISBN 0-387-20229-3 page 462-466 [https://books.google.co.jp/books?id=jVpS_u0Lg4gC&pg=PA466&dq=fractal+landscape&hl=en&ei=xebyTIKxO4fLswa8g-CICw&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=fractal%20landscape&f=false]</ref>。例えば、アルゴリズムは最初は大きな三角形から始め、次に4つのより小さい[[シェルピンスキーのギャスケット|シェルピンスキーの三角形]]に分割するために再帰的拡大を行い、そして最も近隣するものからの各点の高さを補間する<ref name=Peitgen />。{{仮リンク|ブラウニアン・サーフェス|en|Brownian surface}}の作成には、作成された新たなノードであるノイズを追加するだけでなく、メッシュの複数の平面で追加的なノイズを追加する必要がある<ref name=Peitgen />。このように、様々な平面が表現された[[地形図]]は比較的簡単なフラクタルアルゴリズムを使用して作成することができる。基本的に、Computer Generated Imageryで使用されるイージー・トゥ・プログラムのフラクタルは「プラズマ・フラクタル」やより動的な「フォルト・フラクタル」である<ref>''Game programming gems 2'' by Mark A. DeLoura 2001 ISBN 1-58450-054-9 page 240 [https://books.google.co.jp/books?id=1-NfBElV97IC&pg=PA239&dq=fractal+landscape&hl=en&ei=EvPyTNPwKcv3sgbAp434Cg&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q=fractal%20landscape&f=false]</ref>。 数多くの特徴ある技法が高く集束されたコンピュータ生成エフェクトを生み出すために研究開発がなされており、例として指定された岩石のような表面に侵食をモデル化したり年代を反映するために岩石の科学的な風化を表現するための特徴あるモデルが使用されている<ref>''Digital modeling of material appearance'' by Julie Dorsey, Holly E. Rushmeier, François X. Sillion 2007 ISBN 0-12-221181-2 page 217</ref>。 ==建築物== [[File:Lone House.jpg|thumb|240px|無料のCADソフトである[[Blender]]で製作された家屋のCG画像]] 現代的な建築家は顧客と建設会社両方向けに3次元モデルを製作するためのコンピュータグラフィック会社のサービスを利用しており、これらのコンピュータ生成モデルは従来の図面よりも正確にすることができる。{{仮リンク|建築アニメーション|en|Architectural animation}}(インタラクティブ画像ではなく建築物のアニメーション動画を使用)も建築物を環境や周囲の建築物と合わせたらどうなるかを確かめるために使用することができる。紙や鉛筆を使わない建築空間の描写は現在コンピュータを使用した数ある建築物設計システムによって幅広く受け入れられている実践方法である<ref>''Light Shadow Space: Architectural Rendering with Cinema 4D'' by Horst Sondermann 2008 ISBN 3-211-48761-1 pages 8-15</ref>。 建築物モデリングツールは建築家が対話形式で空間やウォークスルーの実行を視覚化できるようになっていて、都市部や建築物両方の水準で対話型環境が提供される<ref>''Interactive environments with open-source software: 3D walkthroughs'' by Wolfgang Höhl, Wolfgang Höhl 2008 ISBN 3-211-79169-8 pages 24-29</ref>。建築における特定の応用は建築構造の仕様(壁や窓など)やウォークスルーだけでなく、特定のデザインで1日の時間帯によって光の影響や太陽光がどれだけ差すかの調査が含まれる<ref>''Advances in Computer and Information Sciences and Engineering'' by Tarek Sobh 2008 ISBN 1-4020-8740-3 pages 136-139</ref>。 建築モデリングツールは現在インターネットベースで発展しているが、インターネット型システムの品質は高度なインハウスモデリングシステムと比べてまだ劣っている<ref>''Encyclopedia of Multimedia Technology and Networking, Volume 1'' by Margherita Pagani 2005 ISBN 1-59140-561-0 page 1027</ref>。 いくつかの応用においてコンピュータ生成画像は歴史的建造物の逆行分析でも使用されていて、例えば、ドイツの{{仮リンク|ゲオルゲンタール|en|Georgenthal}}にあった修道院のコンピュータ再現は修道院の遺跡をもとにしていて、未だに在りし日の建築物がどのようだったかをルック・アンド・フィールで見せているに過ぎない<ref>''Interactive storytelling: First Joint International Conference'' by Ulrike Spierling, Nicolas Szilas 2008 ISBN 3-540-89424-1 pages 114-118</ref>。 ==解剖学的モデル== {{see also|医用画像処理|人体可視化プロジェクト|Google Body|リビング・ヒューマン・プロジェクト}} [[File:SADDLE PE.JPG|thumb|200px|X線写真からコンピュータで生成した{{仮リンク|CT肺血管造影|en|CT pulmonary angiogram}}画像]] [[スケルタルアニメーション]]で使用されるコンピュータ生成モデルは常に解剖学的に正しいというわけでないが、{{仮リンク|サイエンティフィック・コンピューティング・アンド・イメージング・インスティテュート|en|Scientific Computing and Imaging Institute}}といった研究所は解剖学的に正確なコンピュータ型モデルを開発している。コンピュータ生成解剖学モデルは教育や運用の両方の目的で使用される。現在まで{{仮リンク|フランク・H・ネーター|en|Frank H. Netter}}による [http://www.netterimages.com/image/671.htm 画像] など多くの画家が医学生が使用する[[医用画像処理|医学画像]]を制作し続けているが、多くのオンライン解剖学的モデルも利用可能になっている。 1人の患者の[[X線]]はデジタル化されたX線でない限りコンピュータ生成画像にならないが、[[コンピュータ断層撮影]]による3次元モデルを伴う応用は数多くの単一のX線断面図で自動生成されるため、コンピュータ生成画像になる。[[核磁気共鳴画像法]]を使った応用も合成で内部画像を生成するために数あるスナップショット(磁気パルスを介した場合)をまとめたものである。 現代的な医学的応用において、患者の特定モデルはコンピュータ支援手術において構築されていて、例えば、総合的な{{仮リンク|膝置換|en|knee replacement}}において、詳細な患者モデルの構築は注意深く手術を計画するために使用される<ref>''Total Knee Arthroplasty'' by Johan Bellemans, Michael D. Ries, Jan M.K. Victor 2005 ISBN 3-540-20242-0 pages 241-245</ref>。これらの3次元モデルは通常患者自身の解剖学的に適切な部分を数回コンピュータ断層撮影した画像が元になっている。このようなモデルはまた[[心血管疾患|心臓病]]治療の一般的な手順である[[大動脈弁]]注入を計画するときにもしようされる。得られる形状の中で、[[冠動脈]]開口部の直径や場所は患者によって大きく異なっており、患者の弁構造に酷似しているモデルの抽出(コンピュータ断層撮影で)は手順を検討する際に非常に有益である<ref>I. Waechter et al. ''Patient Specific Models for Minimally Invasive Aortic Valve Implantation'' in ''[[Medical Image Computing]] and Computer-Assisted Intervention -- MICCAI 2010'' edited by Tianzi Jiang, 2010 ISBN 3-642-15704-1 pages 526-560</ref>。 ==衣料と皮膚イメージの生成== [[File:Wet Fur - CGI.jpg|thumb|220px|コンピュータでイメージングされた濡れている毛皮]] [[布|衣料]]のモデルは一般的に次の3種類に分かれる: *糸交差の幾何学的機械構造 *連続的な弾性シートの力学 *布の幾何学的で巨視的な特徴<ref>''Cloth modeling and animation'' by Donald House, David E. Breen 2000 ISBN 1-56881-090-3 page 20</ref> 現在まで、自然な方法で自動的に編まれたデジタル的な特徴のある衣料の作成は多くのアニメーターによるに挑戦が続いている<ref>''Film and photography'' by Ian Graham 2003 ISBN 0-237-52626-3 page 21</ref>。 映画や、広告、その他一般公開される形での仕様に加えて、衣料のコンピュータ生成画像は現在最大手のファッションデザイン企業によって日常的に使用されている<ref>''Designing clothes: culture and organization of the fashion industry'' by Veronica Manlow 2007 ISBN 0-7658-0398-4 page 213</ref>。 [[皮膚|ヒトの皮膚]]の画像を描写する挑戦においてリアリズムには3つのレベルがある: *'''写真リアリズム''' - 静的レベルで本物の皮膚を再現 *'''力学リアリズム''' - 動きを再現 *'''機能リアリズム''' - 動きに対する反応を再現<ref>''Handbook of Virtual Humans'' by Nadia Magnenat-Thalmann and Daniel Thalmann, 2004 ISBN 0-470-02316-3 pages 353-370</ref> よく見える[[皺|シワ]]や[[皮膚]]の[[汗腺]]といった最もよく見える特徴は約100[[マイクロメートル|µm]]もしくは[[ミリメートル]]の寸法である。皮膚は目的の表面の7[[次元 (数学)|次元]]{{仮リンク|双方向テクスチャ関数|en|bidirectional texture function}} (BTF)や[[双方向散乱分布関数]](BSDF)でモデリングできる。 ==双方向のシミュレーションと可視化== {{Main|インタラクティブ・ビジュアライゼーション}} インタラクティブ・ビジュアライゼーションは動的に変化できるデータを描写したりユーザーが複数の遠近法によるデータを見ることができるようにするための応用に関する一般的な用語である。この応用分野は[[流体力学]]において流れパターンを可視化することから特定の[[CAD]]アプリケーションに至るまで幅広い<ref>''Mathematical optimization in computer graphics and vision'' by Luiz Velho, Paulo Cezar Pinto Carvalho 2008 ISBN 0-12-715951-7 page 177</ref>。レンダリングされたデータは[[フライトシミュレーション|フライトシミュレーター]]のようにユーザーがシステムへの操作で変えられる特定のビジュアルシーンに対応しており、世界を表現するためのComputer Generated Imageryの技法を広範囲に使用できるようになる<ref name="Weiskopf">''GPU-based interactive visualization techniques'' by Daniel Weiskopf 2006 ISBN 3-540-33262-6 pages 1-8</ref>。 生データのデータパイプラインを伴う双方向可視化過程の抽象的レベルはレンダリングに適する形で生成するために管理やフィルタリングがされる。これは可視化データと度々呼ばれている。可視化データはその後、レンダリングシステムに供給することができる可視化表現へマッピングされる。これを「レンダラブル・リプレゼンテーション」と通常呼ばれる。このリプレゼンテーションはその後、表示できるイメージとして描写される<ref name=Weiskopf />。ユーザーがシステムを使った生データとの対話(仮想世界で自身のポジションをジョイスティックで変えるなど)が新たな描写イメージを作成するためのパイプラインを通して供給されるように、多くの場合このようなアプリケーションでリアルタイムな計算効率の重要考慮事項が作成される<ref name=Weiskopf /><ref>''Trends in interactive visualization'' by Elena van Zudilova-Seinstra, Tony Adriaansen, Robert Liere 2008 ISBN 1-84800-268-8 pages 1-7</ref>。 ==コンピュータアニメーション== {{Main|コンピュータアニメーション}} {{see also|コンピュータアニメーションの歴史}} [[File:Machinima sample reindeer full size.ogv|thumb|right|[[マシニマ]]動画は自然的なComputer Generated Imagery動画である。]] 風景のコンピュータ作成イメージは静的になる一方、用語的な[[コンピュータアニメーション]]は動画に酷似する動的なイメージのみに適用される。しかし、一般的な用語としてのコンピュータアニメーションはユーザーとの対話ができない動的イメージを指していて、一方用語としての[[仮想世界]]は対話的なアニメーション環境で使用される。 コンピュータアニメーションは本質的に3Dの[[ストップモーション]]アニメーションと二次元イラストレーションのフレーム単位アニメーション技術のデジタル的な後継技術である。コンピュータ生成のアニメーションはエフェクトショットや[[エキストラ]]を使った群衆シーンが使用される[[ミニチュア撮影]]といったより力学的な方法よりも制御可能である。これは他の技術を使うことなく実現可能なイメージの製作が可能だからである。また、1人のグラフィックアーティストが俳優や高価なセット部分や小道具を使わずに作品を製作することができる。 動作の錯覚を作成するためには、イメージを[[ディスプレイ (コンピュータ)|コンピュータスクリーン]]に表示し、過去のイメージに似た新たなイメージに繰り返し置き換えるが時間領域(通常24もしくは30フレーム/秒の速度)で少しずつ進める。この技法は動きの錯覚をテレビやモーションピクチャーで実現する方法と同一ある。 ==仮想世界== {{Main|仮想世界}} [[File:Yellow Submarine Second Life.png|thumb|220px|[[Second Life]]に登場する黄色い潜水艦]] [[File:Metallic balls.png|thumb|220px|金属製のようなボール]] 仮想世界とはユーザーがアニメキャラクターや[[アバター]]と呼ばれるアニメキャラクターに扮した他のユーザーと対話できる[[コンピュータシミュレーション|シミュレーション環境]]で<ref>Bishop, J. (2009). Enhancing the understanding of genres of web-based communities: The role of the ecological cognition framework. International Journal of Web-Based Communities, 5(1), 4-17. Available [http://www.jonathanbishop.com/publications/display.aspx?Item=26 online]</ref>、[[ハンドルネーム|ユーザー]]が生活したり会話することを重視していて、今現在ユーザーがアバターの形式で他人に見えるようになっている双方向3D仮想環境の主な代名詞になっている<ref>Cook, A.D. (2009). A case study of the manifestations and significance of social presence in a multi-user virtual environment. MEd Thesis. Available [http://library2.usask.ca/theses/available/etd-09102009-012757/ online]</ref>。これらのアバターは通常、テキストや二次元画像、3次元コンピュータグラフィックスといった表現で示されているが、他の形式でも可能である<ref>{{Harvnb|Biocca|Levy|1995|pp=40–44}}</ref> (例として聴覚的<ref>{{Harvnb|Begault|1994}}</ref> だったり触覚的だったり)。全てではないが可能世界は複数のユーザーで使用可能になっている。 ==法廷での使用== 近年、Computer Generated Imageryの使用は法廷にも及んでいて、裁判官や陪審員に一連の出来事、証拠、仮説をより良く可視化することに役だっている<ref>[https://theconversation.com/computer-generated-images-influence-trial-results-19734 Computer-generated images influence trial results] The Conversation, 31 October 2013</ref>。しかし、1997年の研究で人々は直感さが貧しい物理学者でコンピュータ生成画像の影響を簡単にうけると発表された<ref name=Kassin>{{cite journal |year=1997 |last1=Kassin |first1=S. M. |title=Computer-animated Display and the Jury: Facilitative and Prejudicial Effects |volume=40 |issue=3 |pages=269–281 |journal=Law and Human Behavior}} [http://web.williams.edu/Psychology/Faculty/Kassin/files/kassin_dunn_1997.pdf]</ref>。従って、陪審員やその他法的決定に関わる人は一連の出来事の1つの可能性を単に表現した証拠への認識が生じることが重要になることを物語っている。 ==脚注== {{Reflist|2}} ==関連項目== {{Commons category|{{#property:P373}}}} * [[3Dモデリング]] * [[Anime Studio]] * {{仮リンク|アニメーションデータベース|en|Animation database}} * [[Blender]] - DIY CGI * [[デジタル画像]] * {{仮リンク|パラレルレンダリング|en|Parallel rendering}} * [[Photoshop]]は業界標準のデジタル写真編集ツールだが、対抗商品として[[FLOSS]]の[[GIMP]]がある。 * [[Poser]] ソフトモデルに最適化したDIY CGI * [[レイトレーシング]] * {{仮リンク|リアルタイムコンピュータグラフィック|en|Real-time computer graphics}} * [[シェーダー]] * [[バーチャル俳優]] * [[Virtual Physiological Human]] * [[Autodesk Maya|Maya]]、[[Autodesk 3ds Max|3ds Max]]、[[Cinema4D]]、[[E-on Vue]]、[[Poser]]、[[Blender]]は人気のあるソフトウェアパッケージで3DモデリングとComputer Generated Imagery製作を可能にする。一覧は[[3DCGソフトウェア]]を参照。 ==外部リンク== * [http://accad.osu.edu/~waynec/history/ID797.html A Critical History of Computer Graphics and Animation] &ndash; a course page at [[Ohio State University]] that includes all the course materials and extensive supplementary materials (videos, articles, links). * [http://www.cg101.com CG101: A Computer Graphics Industry Reference] ISBN 073570046X Unique and personal histories of early computer graphics production, plus a comprehensive foundation of the industry for all reading levels. * ''[http://www.wired.com/wired/archive/13.02/fxgods.html F/X Gods]'', by Anne Thompson, Wired, February 2005. * [http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/click_online/4025541.stm "History Gets A Computer Graphics Make-Over"] Tayfun King, ''Click'', BBC World News (2004-11-19) * [http://www.nlm.nih.gov/research/visible/visible_gallery.html NIH Visible Human Gallery] {{Animation}} {{DEFAULTSORT:こんひゆうたしえねれいてつといましえりい}} [[Category:SFX]] [[Category:視覚効果]] [[Category:コンピュータアート]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Computer_Generated_Imagery
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ひまわり (気象衛星)
ひまわりは、気象観測を行う日本の静止衛星・気象衛星。東アジア・西太平洋地域の気象に関する画像撮影を行っている人工衛星であり、初代ひまわりの打ち上げは1977年。 日本が運用している静止気象衛星であり、「ひまわり」の名称は、1号から7号までは愛称、8号以降は正式名称である。1号から5号までの正式名称は静止気象衛星GMS (Geostationary Meteorological Satellite) 、6号と7号は運輸多目的衛星MTSAT (Multi-functional Transport Satellite) 。 「ひまわり」は世界気象機関 (WMO) と国際科学会議 (ICSU) が共同で行なった地球大気開発計画 (GARP) の一環として開始された。得られた気象画像は、日本だけでなく、撮影地域内の他国にも提供している。 最新の「ひまわり」は、ひまわり9号であり、2022年12月13日より、気象観測を行っている。また、ひまわり8号は同日に9号と交代し待機運用中となっている。 宇宙開発事業団 (NASDA) の初期の衛星は、初代理事長島秀雄の意向で花の名前をつけており、気象衛星「ひまわり」の愛称も植物のヒマワリから来ている。植物のヒマワリの花は常に太陽に向かって花を咲かせ、時間と共に太陽を追尾し向きが変化するといわれている (実際にそのように動くのは芽生えから開花前のつぼみの時期までである) 。このためいつも地球を同じ方向から見ているという意味と、1日に1回地球を回るという意味で「ひまわり」という愛称が付けられた。これに因んで、東京都清瀬市にある気象庁気象衛星センターの前の市道は「ひまわり通り」と名付けられている。2015年運用開始の8号以降は、愛称ではなく衛星の正式名称として「ひまわり」が採用されている。 また、MTSAT-1は公募により「みらい」という愛称が選ばれていたが、打ち上げに失敗したため使用されずに終わった。 ひまわり1号から5号までのGMSシリーズの衛星本体は、ヒューズのスピン衛星バス HS-335 (GMS-1) およびHS-378 (GMS-2 - GMS-5) に、観測機器や通信機器を搭載したものである。 基本的に、アメリカ合衆国の静止気象衛星GOES-4 - GOES-7の類似機で、NECが主契約者として担当し、主にヒューズ(現在はボーイングスペースシステムズ)が製造したものであるが、徐々に観測機器を国産化してきた。 観測機器はレイセオンの可視赤外走査放射計 (VISSR) であり、地球を可視光線および赤外線により撮影する光学センサである。 衛星の自転により、地球を東西方向に走査しつつ、反射鏡により南北方向にも走査することで、地球の半球全体を2,500本の走査線で画像化する。フィルター分離することで、IR1,IR2,IR3をそれぞれ検出する。 衛星と地球との通信装置は次のような諸元である。これ以外に三点測距、テレメトリなどの通信がある。 観測された衛星画像は、気象衛星通信所でS-VISSR用に引き延ばしを行い、衛星に返送し衛星から利用者向けに配信する格好で、ほぼ遅延なしで配信していた。画像を用いた各種解析は、気象衛星センターにてデータ処理を行い、地上回線で利用者に配布するとともに、ひまわりの通信衛星機能を用いてサービス区域の各国の利用者に配信した。 GMSシリーズの後継機として計画されたのが運輸多目的衛星 (MTSAT) で、予算の都合で航空管制衛星に相乗りする形をとっている。スーパー301条の適用を受けた影響で、「ひまわり5号」の後継となる運輸多目的衛星1号 (MTSAT-1) は米スペースシステムズ/ロラール社からの完成品を購入することになった。 ところが、MTSAT-1を搭載したH-IIロケット8号機が打ち上げに失敗したため、ひまわり5号は設計寿命の5年を超えて観測を続けた。しかし静止軌道を保つための姿勢制御用燃料の残量が少なくなり、2003年5月22日をもって気象衛星としての運用を終了しアメリカ海洋大気庁の気象衛星GOES-9 (ゴーズ9号) による代替運用が開始された。気象庁は、このGOES-9の愛称を「パシフィックゴーズ」としたが、「ひまわり」ほど一般に広がるには至らなかった。 ひまわり5号は、GOES-9による代替気象観測業務中、地上で処理された気象データを利用者に中継配信する業務を行うため、後継機の「ひまわり6号」稼動までそのままの位置 (東経140度) にとどまる必要があった。一方のGOES-9は、アラスカ州フェアバンクスにある衛星通信所を使用する関係から、日本から見て東寄りの東経155度に置かれた。これは衛星追尾視野限界に近いが、気象庁では「観測には大きな支障はない」とした。 MTSAT-1の代替機運輸多目的衛星新1号 (MTSAT-1R) は2005年2月26日にH-IIAロケット7号機により打ち上げられ、3月8日には無事に静止軌道に乗った。国土交通省は、広く親しまれている「ひまわり5号」の後継と位置づけ、愛称を「ひまわり6号」と命名した。同機は映像送信テストなどを行ったのち、2005年6月28日の正午から気象衛星としての運用をGOES-9から引き継ぎ、また2006年7月6日から航空管制の通信業務の運用を開始した。気象衛星としては2010年7月1日まで運用され、以降はひまわり7号のバックアップとしての待機運用、そして画像データの中継配信業務を行っている。 国産衛星となった運輸多目的衛星新2号 (MTSAT-2) は2006年2月21日にH-IIAロケット9号機により打ち上げられ、2月24日に静止軌道に乗ったことが確認され、「ひまわり7号」と命名された。2006年9月4日には静止軌道上で気象衛星としての待機運用が開始され、ひまわり6号のバックアップ態勢が整った。2007年9月には航空機の航法情報の提供を開始した。2010年7月1日の正午より、気象衛星としての運用をひまわり6号から引き継ぎ、気象観測を開始した。後継機のひまわり8号の運用が2015年7月7日の午前11時より開始されたため、以降は待機運用となっている。 ひまわり8号は2014年10月7日に打ち上げられ、2015年7月7日に運用が開始された。ひまわり9号は2016年11月2日に打ち上げられ、2017年3月10日に待機運用を開始した。 地球観測機能を大幅に強化した「静止気象衛星」として整備される。寿命は運用8年・待機7年の合計15年となり、ひまわり6、7号の10年 (運用、待機ともに5年) より長寿命化がなされ、また解像度や観測頻度、チャンネル数が増加しデータ量は現在の50倍以上となる。これまでのひまわりに比べて観測バンド数が大幅に増えたため静止地球環境観測衛星とも呼ばれる。 2018年2月11日、韓国が運用する気象衛星「千里眼」のメインコンピューターが一時的に故障した際、韓国気象庁は復旧までひまわりの画像を使用した気象予報を実施した。 ひまわり6、7号の経費を70%負担していた国土交通省航空局が計画から外れたため、一時は予算の観点から実現が危ぶまれた。そのため、他の機関や民間の衛星との相乗りや衛星画像の有料化なども検討された。しかし条件を満たす衛星の計画が存在せず、また気象衛星画像はそれ自体では商品価値は薄いことや、防災に直結する基本的なインフラであるため有料化はそぐわないとして共に見送られることとなった。最終的に気象庁は単独で後継機を打ち上げることを決め、平成21年度予算で77億円の要求を行っている。なお、気象庁の単独予算により気象衛星が製作されるのは初めてとなる。 現在MTSATで使用されている光学センサーを発展させたセンサー「AHI(Advanced Himawari Imager)」が搭載される。センサーは、米国の静止気象衛星用のこの手の観測装置を1994年以降一手に供給しているITTインダストリー (2011年10月にExelisに社名を変更) が製造した。このセンサーはアメリカの次期気象衛星GOES-Rシリーズで搭載される、ABI (Advanced Baseline Imager) を基本にしている。 AHIのチャンネル数が増大することにより、技術的な制約からひまわり経由でのHRIT/LRITの配信が対応できないことから、陸上ではTCP/IPの通信網を、無線系は商用の通信衛星 (JCSAT-2シリーズ) を用いた配信が、2015年7月3日より本格的に始まった。 従来、送受信のための地上設備は埼玉県鳩山町にある気象衛星通信所1か所のみだったが、非常時の代替施設となる副局を、台風などによる悪天候に見舞われにくい北海道江別市に初めて設置した。また、衛星運用指示回数はこれまで原則1日1回だったが2.5分間隔で最大1日576回と即応性が強化された。 経費節減のため衛星の管制 (制御) を民間事業者に委託するPFI方式が導入され、管制業務は特別目的会社の気象衛星ひまわり運用事業 (HOPE) が行う。 通信系の諸元は次の通りである。
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ひまわりは、気象観測を行う日本の静止衛星・気象衛星。東アジア・西太平洋地域の気象に関する画像撮影を行っている人工衛星であり、初代ひまわりの打ち上げは1977年。
{{otheruses|日本の気象衛星全般|1977年に打ち上げられた1号機|ひまわり (人工衛星)}} [[ファイル:GMS Himawari.jpg|thumb|180px|right|ひまわり1号 - 5号で使用された形式 (GMSシリーズ) ]] '''ひまわり'''は、気象観測を行う[[日本]]の[[静止衛星]]・[[気象衛星]]。東アジア・西太平洋地域の気象に関する画像撮影を行っている[[人工衛星]]であり、初代ひまわりの打ち上げは1977年。 ==概要== 日本が運用している静止気象衛星であり、「ひまわり」の名称は、1号から7号までは愛称、8号以降は正式名称である。1号から5号までの正式名称は静止気象衛星'''GMS''' (Geostationary Meteorological Satellite) 、6号と7号は運輸多目的衛星'''[[MTSAT]]''' (Multi-functional Transport Satellite) 。 「ひまわり」は[[世界気象機関]] (WMO) と[[国際科学会議]] (ICSU) が共同で行なった'''[[地球大気開発計画]]''' (GARP) の一環として開始された。得られた気象画像は、日本だけでなく、撮影地域内の他国にも提供している。 最新の「ひまわり」は、'''[[ひまわり9号]]'''であり、2022年12月13日より、気象観測を行っている<ref name="gudh"/>。また、[[ひまわり8号]]は同日に9号と交代し待機運用中となっている<ref name="standby">{{Cite press release |和書 |title=「ひまわり9号」の待機運用の開始について|publisher=気象庁|date=2017-03-09 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1703/09b/20170309_himawari9_start_operation.html |accessdate=2021-12-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2022/12/13/20935.html|title=静止気象衛星 「ひまわり8号」から「ひまわり9号」にバトンタッチ|publisher=[[日本気象協会]]|date=2022-12-13|accessdate=2022-12-14}}</ref>。 == 衛星リスト == {{-}} {| class="wikitable" !衛星名称!!打ち上げ日!!運用状況!!打ち上げ場所!!打ち上げロケット!!衛星バス |- |[[ひまわり (人工衛星)|ひまわり]] (GMS) ||1977年7月14日||1989年6月30日 運用終了||[[ケープカナベラル空軍基地]]<ref>[https://web.archive.org/web/20100412083804/http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/gms.html ひまわり] JAXA 宇宙情報センター 2016年7月16日閲覧</ref>||[[デルタ2000|デルタ2914型ロケット]]132号機||HS-335 |- |[[ひまわり2号]] (GMS-2) ||1981年8月11日||1987年11月20日 運用終了|| rowspan="5" |[[種子島宇宙センター]]||[[N-IIロケット]]2号機 (N8F) ||rowspan="4"|HS-378 |- |[[ひまわり3号]] (GMS-3) ||1984年8月3日||1995年6月23日 運用終了||N-IIロケット6号機 (N13F) |- |[[ひまわり4号]] (GMS-4) ||1989年9月6日||2000年2月24日 運用終了||[[H-Iロケット]]5号機 (H20F) |- |[[ひまわり5号]] (GMS-5) ||1995年3月18日||2003年5月22日 本運用終了<br>2005年7月21日 待機運用終了||H-IIロケット3号機 |- style="background-color: lightgray" |[[MTSAT#運輸多目的衛星1号|(みらい)]] (MTSAT-1) ||1999年11月15日||打ち上げ失敗||[[H-IIロケット8号機]]||rowspan="2" class="wikitable"|LS-1300 |- |[[MTSAT#運輸多目的衛星新1号(ひまわり6号)|ひまわり6号]] (MTSAT-1R) ||2005年2月26日||2010年7月1日 本運用終了<br>2015年7月7日 待機運用終了 |rowspan="4"|種子島宇宙センター||[[H-IIAロケット]]7号機 |- |[[MTSAT#運輸多目的衛星新2号|ひまわり7号]] (MTSAT-2) ||2006年2月18日||2015年7月7日 本運用終了<br>2017年3月10日 待機運用終了 |H-IIAロケット9号機||rowspan="3"|[[DS2000]] |- |[[ひまわり8号]] (Himawari-8) ||2014年10月7日||2022年12月13日 待機運用中<ref>([[ひまわり9号]]のバックアップ)</ref>||H-IIAロケット25号機 |- |[[ひまわり9号]] (Himawari-9)||2016年11月2日||運用中<ref>([[ひまわり8号]]のバックアップ)</ref><br>2022年12月13日から本運用開始した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2022121300769|title=気象衛星がバトンタッチ ひまわり8号から9号に―気象庁|accessdate=2022-12-13|publisher=jiji.com}}</ref><ref>2022年12月13日14時(JST)から運用開始予定。{{Cite web|和書|url=https://www.jma.go.jp/jma/press/2211/11a/20221111_sat_kirikae.html?187|title=衛星観測は「ひまわり8号」から「ひまわり9号」へ |accessdate=2022-11-11|publisher=気象庁}}</ref> |H-IIAロケット31号機 |- |[[ひまわり10号]] (Himawari-10) ||(未定)||(計画中)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC142ZM0U3A310C2000000/|title=三菱電機が「ひまわり10号」受注 次期気象衛星|accessdate=2023-03-20|publisher=日経新聞}}</ref>|| |} *ひまわり5号 (GMS-5)とひまわり6号 (MTSAT-1R)間のギャップは、[[GOES#GOES-9|パシフィックゴーズ]] (GOES-9) <ref group="注釈">1995年5月23日、ケープカナベラル空軍基地より[[アトラスI|アトラスIロケット]] (AC-73)にち打ち上げ。2005年11月19日気象観測終了、2007年6月14日運用終了。</ref>による観測体制が取られた。 == 名称の由来 == [[ファイル:Sunflower - Toulouse - 2012-09-06.jpg|thumb|upright|由来となった植物の[[ヒマワリ]]]] [[宇宙開発事業団]] (NASDA) の初期の衛星は、初代理事長[[島秀雄]]の意向で花の名前をつけており、気象衛星「ひまわり」の愛称も植物の[[ヒマワリ]]から来ている<ref name= "yurai">{{Cite web|和書|title= なぜ静止気象衛星(せいしきしょうえいせい)の愛称は「ひまわり」になっているの?|url= https://www.jma.go.jp/jma/kids/faq/b2_01.html|accessdate= 2019-07-29}}</ref>。植物のヒマワリの花は常に[[太陽]]に向かって花を咲かせ、時間と共に太陽を追尾し向きが変化するといわれている (実際にそのように動くのは芽生えから開花前のつぼみの時期までである) 。このためいつも地球を同じ方向から見ているという意味と、1日に1回地球を回るという意味で「ひまわり」という愛称が付けられた。これに因んで、[[東京都]][[清瀬市]]にある[[気象庁]][[気象衛星センター]]の前の市道は「ひまわり通り」と名付けられている。2015年運用開始の8号以降は、愛称ではなく衛星の正式名称として「ひまわり」が採用されている。 また、MTSAT-1は公募により「'''みらい'''」という愛称が選ばれていたが、打ち上げに失敗したため使用されずに終わった<ref name="yomi050302"/>。 == GMSシリーズ == ひまわり1号から5号までのGMSシリーズの衛星本体は、ヒューズの[[人工衛星|スピン衛星]][[衛星バス|バス]] HS-335 (GMS-1) およびHS-378 (GMS-2 - GMS-5) に、観測機器や通信機器を搭載したものである。 基本的に、[[アメリカ合衆国]]の静止気象衛星GOES-4 - GOES-7の類似機で、[[日本電気|NEC]]が主契約者として担当し、主にヒューズ(現在はボーイングスペースシステムズ)が製造したものであるが、徐々に観測機器を国産化してきた。 === 観測機器の諸元 === 観測機器は[[レイセオン]]の可視赤外走査放射計 (VISSR) であり、地球を可視光線および赤外線により撮影する光学センサである<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/reports/05120701/014.htm 我が国における主な衛星・センサ一覧表,文部科学省]</ref>。 衛星の自転により、地球を東西方向に走査しつつ、反射鏡により南北方向にも走査することで、地球の半球全体を2,500本の[[走査線]]で画像化する。フィルター分離することで、IR1,IR2,IR3をそれぞれ検出する。 {| class="wikitable" !チャンネル!!波長帯!!センサ |- |style="text-align:center"|可視||style="text-align:left"|0.55 - 0.90um||style="text-align:left"|PMT (光電子増倍管) 、フォトダイオード |- |style="text-align:center"|赤外1||style="text-align:left"|10.5 - 11.5um||rowspan="3" style="text-align:left"|水銀カドミウムテルル |- |style="text-align:center"|赤外2||style="text-align:left"|11.5 - 12.5um |- |style="text-align:center"|赤外3||style="text-align:left"|6.5 - 7.0um |} === 主な通信装置 === 衛星と地球との通信装置は次のような諸元である。これ以外に三点測距、テレメトリなどの通信がある。 観測された衛星画像は、[[気象衛星通信所]]でS-VISSR用に引き延ばしを行い、衛星に返送し衛星から利用者向けに配信する格好で、ほぼ遅延なしで配信していた。画像を用いた各種解析は、[[気象衛星センター]]にてデータ処理を行い、地上回線で利用者に配布するとともに、ひまわりの[[通信衛星]]機能を用いてサービス区域の各国の利用者に配信した。 {| class="wikitable" !通信の内容!!方向!!周波数!!変調方式 |- |VISSR||下り||1681.60MHz||QPSK |- |rowspan="2"|S-VISSR||上り||2029.1MHz||rowspan="2"|BPSK |- |下り||1687.10MHz |- |rowspan="2"|WEFAX (LR-FAX<ref group="注釈" name="LRFAX"/>) ||上り||2033.00MHz||rowspan="2"|AM/FM |- |下り||1691.00MHz |- |rowspan="2"|DCPI||上り||468.875〜468.924MHz||rowspan="4"|PCM/PSK |- |下り||2034.80〜2035.00MHz |- |rowspan="2"|DCPR||上り||402.0〜402.4MHz |- |下り||1694.3〜1694.7MHz |} == MTSATシリーズ == [[ファイル:MTSAT-1.jpg|thumb|運輸多目的衛星1号 (MTSAT-1)]] {{Main|MTSAT}} GMSシリーズの後継機として計画されたのが'''運輸多目的衛星''' ([[MTSAT]]) で、予算の都合で[[航空管制]]衛星に相乗りする形をとっている。[[スーパー301条]]の適用を受けた影響で、「ひまわり5号」の後継となる'''運輸多目的衛星1号''' ('''MTSAT-1''') は米[[スペースシステムズ/ロラール]]社からの完成品を購入することになった。 ところが、MTSAT-1を搭載した[[H-IIロケット8号機]]が打ち上げに失敗したため、ひまわり5号は設計寿命の5年を超えて観測を続けた。しかし静止軌道を保つための[[姿勢制御]]用燃料の残量が少なくなり、2003年5月22日をもって気象衛星としての運用を終了し[[アメリカ海洋大気庁]]の気象衛星[[GOES#GOES-9|GOES-9 (ゴーズ9号) ]]による代替運用が開始された<ref name="jma20030522"/>。気象庁は、このGOES-9の愛称を「'''パシフィックゴーズ'''」とした<ref name="jma20030422"/>が、「'''ひまわり'''」ほど一般に広がるには至らなかった。 ひまわり5号は、GOES-9による代替気象観測業務中、地上で処理された気象データを利用者に中継配信する業務を行うため、後継機の「ひまわり6号」稼動までそのままの位置 (東経140度) にとどまる必要があった。一方のGOES-9は、[[アラスカ州]][[フェアバンクス]]にある衛星通信所を使用する関係から、日本から見て東寄りの東経155度に置かれた。これは衛星追尾視野限界に近いが、気象庁では「観測には大きな支障はない」とした。 [[ファイル:Haiyan 2013-11-07 0630Z.png|thumb|left|[[ひまわり6号]]による衛星画像]] MTSAT-1の代替機'''運輸多目的衛星新1号''' ('''MTSAT-1R''') は2005年2月26日に[[H-IIAロケット]]7号機により打ち上げられ、3月8日には無事に静止軌道に乗った。[[国土交通省]]は、広く親しまれている「ひまわり5号」の後継と位置づけ、愛称を「'''ひまわり6号'''」と命名した<ref name="jma20050308"/>。同機は映像送信テストなどを行ったのち、2005年6月28日の正午から気象衛星としての運用をGOES-9から引き継ぎ、また2006年7月6日から航空管制の通信業務の運用を開始した。気象衛星としては2010年7月1日まで運用され、以降はひまわり7号のバックアップとしての待機運用、そして画像データの中継配信業務を行っている<ref name="gudh" />。 国産衛星となった'''運輸多目的衛星新2号''' ('''MTSAT-2''') は2006年2月21日にH-IIAロケット9号機により打ち上げられ、2月24日に静止軌道に乗ったことが確認され、「'''ひまわり7号'''」と命名された<ref name="jma20060224"/>。2006年9月4日には静止軌道上で気象衛星としての待機運用が開始され、ひまわり6号のバックアップ態勢が整った。2007年9月には航空機の航法情報の提供を開始した。2010年7月1日の正午より、気象衛星としての運用をひまわり6号から引き継ぎ、気象観測を開始した<ref name="gudh" />。後継機のひまわり8号の運用が2015年7月7日の午前11時より開始されたため、以降は待機運用となっている。 == HIMAWARIシリーズ == [[ファイル:H-IIA F25 launching Himawari-8.jpg|thumb|upright|[[ひまわり8号]]を搭載した[[H-IIAロケット]]25号機の打ち上げ(2014年10月7日)]] [[ファイル:Himawari89_2.jpg|左|サムネイル|266x266ピクセル|現在運用中のひまわり8・9号のイラスト画像([[気象庁]]提供)]] {{Main|ひまわり8号|ひまわり9号}} [[ひまわり8号]]は2014年10月7日に打ち上げられ<ref>{{Cite press release |和書 |title=H-ⅡAロケット25号機による「ひまわり8号」の打上げ結果について|publisher=気象庁|date=2014-10-07|url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1410/07b/20141007_himawari8_launch_successful.html|accessdate=2021-12-02}}</ref>、2015年7月7日に運用が開始された<ref name="gudh"/>。ひまわり9号は2016年11月2日に打ち上げられ<ref>{{Cite press release |和書 |title=H-ⅡAロケット31 号機による「ひまわり9号」の打上げ結果について|publisher=気象庁|date=2016-11-02|url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1611/02b/20161102_himawari9_launch_successful.html|accessdate=2021-12-02}}</ref>、2017年3月10日に待機運用を開始した<ref name="standby"/>。 地球観測機能を大幅に強化した「静止気象衛星」として整備される<ref name="jma20131224"/>。寿命は運用8年・待機7年の合計15年となり、ひまわり6、7号の10年 (運用、待機ともに5年) より長寿命化がなされ、また解像度や観測頻度、チャンネル数が増加しデータ量は現在の50倍以上となる。これまでのひまわりに比べて観測バンド数が大幅に増えたため'''静止地球環境観測衛星'''とも呼ばれる<ref>{{Cite press release|和書|title=静止地球環境観測衛星「ひまわり8 号及び9 号」の紹介|url=https://www.data.jma.go.jp/mscweb/technotes/msctechrep58-3.pdf|publisher=気象衛星センター技術報告|accessdate=2015-08-02|date=2013-02}}</ref>。 2018年2月11日、[[大韓民国|韓国]]が運用する気象衛星「[[千里眼 (人工衛星)|千里眼]]」のメインコンピューターが一時的に故障した際、[[大韓民国気象庁|韓国気象庁]]は復旧までひまわりの画像を使用した気象予報を実施した<ref>{{Cite news |title = よりによって五輪中にダウンとは…韓国の気象衛星故障し、日本の衛星に「ヘルプ!」 |2 = newspaper産経デジタル |date = 2018-02-13 |url = https://www.sankei.com/article/20180213-4JVGCBFYSJONHETFSKPUW2IOYA/ |archiveurl = https://archive.today/20180213090349/http://www.sankei.com/pyeongchang2018/news/180213/pye1802130061-n1.html |archivedate = 2018年2月13日 }}</ref>。 ひまわり6、7号の経費を70%負担していた[[国土交通省]]航空局が計画から外れたため、一時は予算の観点から実現が危ぶまれた。そのため、他の機関や民間の衛星との相乗りや衛星画像の有料化なども検討された。しかし条件を満たす衛星の計画が存在せず、また気象衛星画像はそれ自体では商品価値は薄いことや、防災に直結する基本的な[[インフラストラクチャー|インフラ]]であるため有料化はそぐわないとして共に見送られることとなった。最終的に気象庁は単独で後継機を打ち上げることを決め、平成21年度予算で77億円の要求を行っている。なお、気象庁の単独予算により気象衛星が製作されるのは初めてとなる。 === 観測センサー (AHI) === 現在MTSATで使用されている光学センサーを発展させたセンサー「AHI(Advanced Himawari Imager)」が搭載される。センサーは、米国の静止気象衛星用のこの手の観測装置を1994年以降一手に供給しているITTインダストリー (2011年10月にExelisに社名を変更) が製造した。このセンサーはアメリカの次期気象衛星[[:en:GOES-R|GOES-R]]シリーズで搭載される、ABI (Advanced Baseline Imager) を基本にしている<ref name="exelis"/>。 {| class="wikitable" !チャンネル!!波長帯 (um) !!分解能 (km) !!参考 |- |style="text-align:right"|1||0.43 - 0.48||rowspan="2" style="text-align:right"|1||VIS_Blue |- |style="text-align:right"|2||0.50 - 0.52||VIS_Green |- |style="text-align:right"|3||0.63 - 0.66||style="text-align:right"|0.5||VIS_Red MTSATのVIS相当 |- |style="text-align:right"|4||0.85 - 0.87||style="text-align:right"|1||rowspan="3"|&nbsp; |- |style="text-align:right"|5||1.60 - 1.62||rowspan="12" style="text-align:right"|2 |- |style="text-align:right"|6||rowspan="2"|2.25 - 2.27 |- |style="text-align:right"|7||MTSAT IR-4相当 |- |style="text-align:right"|8||6.06 - 6.43||WV_1 MTSAT IR-3 (WV) 相当 |- |style="text-align:right"|9||6.89 - 7.01||WV_2 MTSAT IR-3 (WV) 相当 |- |style="text-align:right"|10||7.26 - 7.43|| |- |style="text-align:right"|11||8.44 - 8.76||SO2 |- |style="text-align:right"|12||9.54 - 9.72||O3 |- |style="text-align:right"|13||10.3 - 10.6||IR1_1 MTSAT IR-1相当 |- |style="text-align:right"|14||11.1 - 11.3||IR1_2 MTSAT IR1相当 |- |style="text-align:right"|15||11.5 - 12.5||IR2 MTSAT IR-2相当 |- |style="text-align:right"|16||13.2 - 13.4|| |} === 画像配信 === AHIのチャンネル数が増大することにより、技術的な制約からひまわり経由でのHRIT/LRITの配信が対応できないことから、陸上ではTCP/IPの通信網を、無線系は商用の通信衛星 (JCSAT-2シリーズ) を用いた配信が、2015年7月3日より本格的に始まった<ref name="himawari_cast"/>。 === 通信系 === 従来、送受信のための地上設備は[[埼玉県]][[鳩山町]]にある気象衛星通信所1か所のみだったが、非常時の代替施設となる副局を、[[台風]]などによる悪天候に見舞われにくい[[北海道]][[江別市]]に初めて設置した<ref name="nkx0320131008bjao.html">{{Cite news|title=三菱電など、「ひまわり8号/9号」の地上設備の据え付け工事を完了|newspaper=日刊工業新聞|date=2013-10-08|url=http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0320131008bjao.html|accessdate=2013-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141011093011/http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0320131008bjao.html|archivedate=2014年10月11日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref>{{Cite news|title=気象衛星「ひまわり」、江別で管制 台風少ない道内に副局設置|newspaper=北海道新聞|date=2013-10-08|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/496704.html|accessdate=2013-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131016043931/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/496704.html|archivedate=2013年10月16日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref name="sednews_20131007">{{Cite press release|和書|url=http://www.sed.co.jp/images/sednews_20131007.pdf|format=PDF|title=2015年予定の「ひまわり8号」運用開始に向けて 「ひまわり8号/9号」運用等事業 地上設備の現地工事完了のお知らせ|publisher=宇宙技術開発|accessdate=2014-01-12|date=2013-10-07}}</ref>。また、衛星運用指示回数はこれまで原則1日1回だったが2.5分間隔で最大1日576回と即応性が強化された<ref name="nkx0320131008bjao.html"/>。 経費節減のため衛星の管制 (制御) を民間事業者に委託する[[PFI|PFI方式]]が導入され、管制業務は[[特別目的会社]]の気象衛星ひまわり運用事業 (HOPE) が行う<ref>{{Cite journal|和書 |author=赤石一英|year=2012|title=ひまわり運用等事業について|url=https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/sokkou/79/vol79p001.pdf|journal=測候時報|volume=79|issue=1-2|pages=1-14|publisher=気象庁|format=PDF|issn=1342-5692}}</ref><ref name="sednews_20131007" />。 通信系の諸元は次の通りである。 {| class="wikitable" !colspan="2"|通信種別!!方向!!周波数!!参考 |- |colspan="2"|観測データ (Raw Data) ||下り||18.1 - 18.4GHz||66Mbps (TBD) |- |rowspan="3"|DCS||国際||rowspan="2"|上り||402.0 - 402.1MHz||0.1 - 0.6kbps |- |Domestic||402.1 - 402.4MHz||0.3 - 0.6kbps |- |||下り||18.1 - 18.4GHz||0.1 - 0.6kbps |} == 脚注 == === 注釈 === <references group="注釈"> <ref group="注釈" name="LRFAX">1988年3月末までは、高解像度FAX (HR-FAX) と区別するために使用されていた名称 (気象衛星資料利用の手引き 昭和63年3月 気象衛星センター) 。</ref> </references> === 出典 === {{Reflist|2|refs= <ref name="yomi050302">{{Cite news |url = https://web.archive.org/web/20050304023952/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050302i206.htm |title = ひまわり?MTSAT?気象庁と国交省命名で“衝突” |date = 2005-03-02 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20050304023952/http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050302i206.htm |archivedate = 2005年3月4日 |deadlinkdate = 2018年3月 }}</ref> <ref name="jma20131224">{{Cite press release |和書 |publisher=[[気象庁]] |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1312/24a/26kettei.pdf |date=2013-12-24 |accessdate=2014-10-09 |format=PDF |title=平成26年度気象庁関係予算決定概要}}</ref> <ref name="himawari_cast">{{Cite web|和書 |url=https://www.data.jma.go.jp/mscweb/ja/himawari89/himawari_cast/himawari_cast.html |title=通信衛星による配信: HimawariCast |accessdate=2014-10-07 |date=2014-09-03 |publisher=[[気象衛星センター]]}}</ref> <ref name="gudh">{{Cite press release |和書 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1505/27a/20150527_himawari8_operation_schedule_press.html |accessdate=2015-07-07 |title=静止気象衛星「ひまわり8号」の運用開始日について |date=2015-05-27 |publisher=気象庁}}</ref> <ref name="jma20030522">{{Cite press release |和書 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/0305/22a/goes.pdf |format=PDF |accessdate=2014-01-11 |title=「ゴース9号 (パシフィックゴーズ) 」の運用開始について |date=2003-05-22 |publisher=気象庁}}</ref> <ref name="jma20030422">{{Cite press release |和書 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/0304/22a/eisei1.pdf |format=PDF |accessdate=2014-01-11 |title=米国の静止気象衛星「ゴーズ9号」の運用開始について |date=2003-04-22 |publisher=気象庁}}</ref> <ref name="jma20050308">{{Cite press release |和書 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/0503/08a/nickname.pdf |format=PDF |accessdate=2014-01-11 |title=運輸多目的衛星新1号 (MTSAT-1R) の静止化完了及び愛称について |date=2005-03-08 |publisher=気象庁}}</ref> <ref name="jma20060224">{{Cite press release |和書 |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/0602/24a/0224MTSAT-2.html |accessdate=2014-01-12 |title=運輸多目的衛星新2号 (MTSAT-2) の静止化完了及び愛称について |date=2006-02-24 |publisher=気象庁}}</ref> <ref name="exelis">{{Cite press release |title=Exelis delivers advanced weather satellite payload to commercial customer in Japan |url=http://www.exelisinc.com/News/PressReleases/Pages/Exelis-delivers-advanced-weather-satellite-payload-to-commercial-customer-in-Japan-.aspx |publisher=Exelis |date=2013-12-17 |accessdate=2014-01-07}}</ref> }} == 関連項目 == * [[人工衛星]] * [[宇宙開発事業団]] * [[宇宙航空研究開発機構]] * [[MTSAT]] * [[ひまわりリアルタイム]] == 外部リンク == * [https://www.jaxa.jp/projects/sat/gms/index_j.html JAXA|静止気象衛星「ひまわり」 (GMS) ] * [https://www.data.jma.go.jp/mscweb/ja/index.html 気象衛星センター] * [https://web.archive.org/web/20080519003829/http://www.kasc.go.jp/archive/mtsat.htm MTSATの構成/神戸航空衛星センター] * [http://www.mitsubishielectric.co.jp/society/space/satellite/observation/himawari8-9.html 三菱電機 宇宙システム総合サイト] * [http://agora.ex.nii.ac.jp/~kitamoto/research/rs/gms-goes.html.ja 気象衛星:ひまわり5号 (GMS-5) →ゴーズ9号 (GOES-9) →ひまわり6号 (MTSAT-1R) →ひまわり7号 (MTSAT-2) / KITAMOTO Asanobu's Website] * [http://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1409_1.html 世界最高性能の次世代型観測センサを世界で初めて搭載。開発は「時間との戦い」-「ひまわり8号」プロジェクトマネージャーに聞く] 2014年9月16日 三菱電機DSPACEコラム * [https://himawari.asia/ ひまわりリアルタイム] {{日本の気象衛星}} {{気象設備|||表示}} {{日本の宇宙探査機・人工衛星}} {{DEFAULTSORT:ひまわり}} [[Category:日本の人工衛星]] [[Category:気象衛星]] [[Category:静止衛星]]
2003-06-10T09:37:18Z
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H-IIAロケット
H-IIA ロケット(エイチツーエー ロケット)は、宇宙開発事業団(NASDA)と後継法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工が開発し三菱重工が製造および打ち上げを行う、人工衛星打ち上げ用液体燃料ロケットで使い捨て型のローンチ・ヴィークル。日本の衛星打ち上げの自律性をになうロケットとして基幹ロケットに位置づけられる。成功率は合計で97.87%になっている。JAXA内での表記は「H-IIAロケット」で、発音は「エイチツーエーロケット」であるが、新聞やテレビなどの報道では、「H2Aロケット」または「H-2Aロケット」と表記され、「エイチニーエーロケット」と発音をされる場合が多い。 H-IIAロケットは、先代のH-IIロケットを全体にわたって再設計して構造を大幅に簡素化し、一部に海外の安価な製品を利用をすることで、信頼性を高めながら急激な円高により失われたコスト競争力を回復させることを目的に開発された。また、開発中に起きたH-IIロケット5号機と8号機の相次ぐ失敗や、H-IIAロケット6号機の失敗による信頼性の低下を回復するため、運用開始後にも改良が行われた。 1996年に開発が開始され、開発費(H-IIからの改良開発費)は約1,532億円であった。H-IIAと同じくH-IIを技術基盤とするH-IIBの開発費約270億円との合計は1,802億円であり、同じく前機種から改良開発されたデルタ IVの開発費2,750億円、アトラス Vの開発費2,420億円との比較でも安価に開発されているといえる。 打ち上げ費用は構成によって異なるが約85億円 - 120億円であり、H-IIロケットの140億円 - 190億円に比べると大幅に低減されている。 静止トランスファ軌道への打ち上げ能力は4.0 - 6.0 tであり、H-IIロケットと同等 - 約1.5倍の能力である。 2001年夏に試験機1号機が打ち上げられて以来、47回中46回の打ち上げに成功している。2002年、「H-IIAロケット試験機1号機」が第33回星雲賞自由部門を受賞した。 2005年の7号機から40機連続で打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は97.9%。H-IIAの強化型バリエーションであるH-IIBロケットも含めると56回中55回の打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は98.2%(2023年9月7日時点)。原型のH-IIロケット(7回中5回成功)を含めた「H-IIシリーズ」全体としても、2021年の44号機の成功をもって国際水準と言われる95%を達成している。 当初、H-IIAロケットは2023年度に退役する予定であったが、後継機のH3ロケットの初打ち上げが延期された影響で、最新の宇宙基本計画工程表(令和4年度改訂)では2024年(令和6年)度の50号機の打ち上げを最後に退役予定となっている。 H-IIAには2023年3月7日に打ち上げに失敗したH3ロケット試験機1号機と同系のエンジンが使用されており、JAXAは2023年3月31日に影響の有無が判明していないことを理由に、H-IIAロケット47号機の打ち上げを2023年8月以降に延期すると発表した。2023年9月7日打ち上げ成功。48号機の打ち上げは2024年1月11日の予定。 コア機体は、液体水素と液体酸素を推進剤とする1段目・2段目を組み合わせた、2段式ロケットとなっている。打ち上げ時に十分な推力を得るために左右2基の固体ロケットブースタ(SRB-A)を有し、搭載する衛星・探査機等の質量に応じてさらにSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)を追加して柔軟に対応する事ができる。複数の衛星を同時に打ち上げて、個別の軌道に投入する事もできる。 材質は、機体外壁と推進剤タンクとフェアリングがアルミニウム合金、SRB-AがCFRPであり、強度を確保したまま機体を軽量化するためにアルミ合金製の推進剤タンクの内面を格子状に彫り込んだアイソグリッド構造をしている。 基本的には H-II の設計コンセプトを踏襲するが、全体にわたり調達・組立・打上げ費用を下げるための見直しが行われている。また、部品技術の国産化にこだわらず、有利であれば輸入品も用いた。これは H-II で国産化にこだわったことから後退しているように見えるが、技術を習得したからこそ有利に購入できる(技術がなければ言い値で購入するしかないが、技術があればコストメリットがないなら購入しないという選択ができ、交渉の主導権を握ることができる)という面もあり、自主技術を持つことには一定の意義がある。また、部品点数・作業工程の低減は信頼性の向上にも貢献する。これらの費用改善を行った結果、H-IIロケットで最高約190億円であった打ち上げ費用を、世界市場の相場である100億円未満まで下げることができた。H-IIAロケット202型の部品総点数は約100万点。 H-IIからの主な変更点を以下に記す。 LE-7AエンジンはH-IIAロケットの第1段エンジンで、推進薬に液体水素と液体酸素を用いた、国産の大型液体燃料エンジンである。H-IIロケットの第1段エンジンとして開発されたLE-7エンジンを元に、性能を維持しつつ費用縮減が図られている。 リフトオフの約5秒前に点火され、第2段との切り離しまでの約390秒間燃焼する。 開発当初、下部ノズルスカートを装着した長ノズル構成では、エンジン起動時に過大な横方向推力が発生する問題があり、短ノズルのみを使用して回避していた。そのため、静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約400 kgの性能低下が起きていた。8号機、9号機および11号機以降では、新たに開発された完全再生冷却型の長ノズルが使用され、本来の性能が発揮できるようになっている。また、液体水素ターボポンプ、液体酸素用ターボポンプには、使用開始後にも改良が加えられている。(LE-7Aエンジンも参照) 9号機以降では、SRB-Aを4基使用した打ち上げ時の推力に耐えられるように、機体構造の強化が行われている。また、15号機(202型)にも使用したSRB-A・4本装着用(202/204共用)の1段コア機体構造は、2本装着専用に比べ質量が約600 kg大きくなっている。23号機(202型)からはエンジン周りのSSB取り付け部を省略して構造を簡素化したことによって120kgの軽量化を果たしている。 LE-5BエンジンはH-IIAロケットの第2段エンジンで、第1段と同様に液体水素と液体酸素を推進薬とした国産の液体燃料エンジンである。H-Iロケットの第2段エンジンとして開発されたLE-5エンジンを元に、H-IIロケット第2段用のLE-5Aエンジン、そしてこのLE-5Bエンジンと、徐々に性能向上が図られてきている。先代のLE-5Aエンジンと比べると、大幅な費用縮減も図られている。 燃焼圧の変動を抑えた改良型LE-5BエンジンであるLE-5B-2の開発が進められ、14号機から使用されている(LE-5Bエンジンも参照)。 LE-5B・LE-5B-2エンジンは再々着火(第3回燃焼)が可能である。衛星をより遠い軌道まで運搬する再々着火の実用化は「基幹ロケット高度化」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」のための第2段機体とエンジンの改良開発が適用された29号機の打ち上げが初となった。実用化のための先行的実験として、2号機打ち上げ1時間40分後の主衛星分離後に再々着火試験が行われたほか、21号機では燃料の蒸発を防ぐための第2段液体水素タンク表面の機体塗装の白色化のみが、24号機では第2段エンジンの新開発予冷のみが適用され、26号機で白色塗装と新開発予冷が合わせて適用された。第2段エンジンの再々着火が実用化されたことにより、静止トランスファ軌道(GTO)の遠地点近傍のロングコースト静止トランファ軌道への静止衛星の投入が可能となり、衛星側の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、従来より静止衛星を3年から5年延命させることができるようになった。これによりH-IIAロケットの商業受注における競争力が向上している。(下記の基幹ロケット高度化も参照) H-IIAロケットはHOPE-Xの打上げ形態案(H2A1024)のように、第2段を使用せずに第1段ロケットだけを使用することも可能であるが、実際に第1段のみで打ち上げられたことはない。 SRB-AはIHIエアロスペースが製造する固体ロケットブースタ。H-IIロケット用のSRBでは高張力鋼4分割構造をボルト接合していたが、これを炭素繊維強化プラスチック (CFRP) 製の一体成型に変更し、大幅な費用縮減が図られている。 H-IIAロケットにおいては、第1段の両脇にSRB-Aを2基装着する構成を基本とし、衛星質量に応じて4基構成をとることも出来る。カウントダウンX-0と同時に点火され、H-IIAロケットを離床させるためのもっとも大きな推力を発生する。約100 - 120秒間燃焼した後に2基ずつ分離される。11号機では、初めてSRB-A改良型の4基構成での打ち上げが行われた。 6号機ではSRB-Aのノズル部分の破損が打ち上げ失敗の原因となったため、7号機からは信頼性向上のために最大推力を落として燃焼時間を延長した長秒時型のSRB-A改良型を使用していた。そのため静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約300 kgの性能低下が起きていた。15号機からは本来の能力を回復したSRB-A3が使用されている(下記の#SRB-Aのノズル形状変更と能力回復も参照)。 SRB-A3は高圧燃焼型と長秒時燃焼型のモータ2種類を運用しており、2本1組で使用する場合には必要な打上げ能力に応じて2種のモータのどちらかを選択し、4本1組で使用する場合にはロケット機体の加速度制限等により長秒時燃焼モータを適用する。 アメリカにある世界最大の固体燃料ロケットメーカー、ATKランチ・システムズ・グループのキャスターIVA-XLを元に、H-IIAロケットに取り付けるためのモータケースの改造や、信頼性向上のためにノズルスロート部の材料変更などを行ったものである。H-IIAロケットでは、搭載する衛星の質量にあわせて、SSB無し、2基、あるいは4基構成を取ることができる。特にLE-7Aの長ノズルの開発が遅れていた初期の打ち上げやSRB-A改良型を使用していた時には、その推力不足を補う目的でも活用されていた。その後、2007年度にH-IIAロケットの打ち上げ業務の移管を受けた三菱重工は、H-IIAのラインアップ整理のため、移管後に新規に受注した機体からはSSBを廃止した。23号機からは1段目エンジン周りのSSB取り付け部を省略している。 SSBは、リフトオフと同時ではなく、約10秒後に空中で点火される。これは、射点を燃焼ガスから守るための措置である。SSB4基構成の場合は、リフトオフ後の約10秒で最初の2基が点火され、最初の2基の燃焼終了後に、残りの2基が点火される。最初の2基は、燃焼終了後すぐには分離せずに、空気が十分に薄くなる高度に達した後に、SRB-Aとともに分離される。損失が大きいこの手順を取る理由は、機体に掛かる動圧の低減と、空気抵抗による分離シーケンスでのリスクを最小限に抑えるためである。なお、それまでに打ち上げた衛星の中で最も重い質量約4.65 tのひまわり7号を打ち上げた9号機、およびその後の12号機では、長秒型SRB-Aとの組み合わせでの打ち上げ能力を最大限確保するために、4基のSSBを同時に燃焼させる手順に変更され、リフトオフ約10秒後に最初の2基が、20秒後に次の2基が点火された。 初期の構想では、さらに打ち上げ能力を増強するため、上記のSRB-Aを2基を使用した標準型に、LRBを1基、あるいは2基を装着する増強型の構想があった。この構想はH-IIBロケットの開発に置き換えられた(詳細は下記のラインナップの変遷を参照のこと)。 LRBは第1段機体をベースに、LE-7Aエンジンを2基クラスタ化して搭載したブースタとして使用するもので、燃料タンクや搭載機器、エンジンなど多くを第1段と共通化する予定であった。技術試験衛星VIII型(きく8号)や宇宙ステーション補給機(HTV、こうのとり)、HOPE(ホープ)はLRBを使用して打ち上げる予定であった。 川崎重工が開発・製造するフェアリングで、打ち上げ時の振動や大気圏を抜けるまでの空気抵抗、空力加熱から衛星を保護するためのカバーである。ロケットの先端部分に取り付けられている。大気圏を通過した後の高度約150 km付近で、ロケットの重量を出来るだけ軽くするために(2段式は上部のみ)分離される。海面に落下し浮かんでいるフェアリングは回収船で海上回収される。回収されたものの一部は、フェアリングを活用した商品開発をする企業等に無償で提供された事もある。 ロケット本体と同じ直径4mの4S型のほか、大型衛星用で直径5mの5S型や、2個の衛星を同時に軌道投入できる4/4D-LS型、4/4D-LC型、5/4D型の計5種類のフェアリングが用意されている。増強型の構想ではHTV用に5S-H型フェアリングの使用も考慮されていたが、H-IIBロケットの開発が決定したためH-IIAロケットでは用いられない。 フェアリングの種類によって打上能力も違い、H2A204型では4S型と4/4D-LC型でGTOへの投入能力に850 kgの差がある。 衛星とロケットの間に配置されて両者を結合するために使用される部品で、衛星とは締結ボルトで固定される。937M-スピン型、937M-スピンA型、937M型、937MH型、1194M型、1666M型、1666MA型、1666S型、2360SA型、3470S型などがあり、衛星の大きさや放出機構に合わせて十数種類の中から選択される。衛星分離時には衛星と分離部を接合している締結ボルトを爆薬(火工品)で爆破して一気に切断して衛星を分離する方法を採用しているが、この方法は確実に分離を行える利点があるものの衛星に伝わる衝撃が大きいという欠点があった。そこで基幹ロケット高度化に合わせて、クランプバンドで締結しておいた接合部を電気的にラッチ機構で解放することで衛星を分離する方法に改めて、衛星に伝わる衝撃を低減することになった。30号機で低衝撃衛星分離機構の先行的実験として、従来の衛星分離部をかさ上げして余剰スペースにダミー機構を搭載して宇宙空間で実際に作動させる実験を行った。 打ち上げ能力に余裕がある場合は、サブペイロードとして1辺50 - 70 cmの小型衛星を最大4個まで搭載可能である。さらに、1辺10 - 30 cmの超小型衛星に関しては50 - 70 cmの衛星1機分の空間に3 - 4機搭載可能である。これを利用して、15号機では主衛星のいぶきの他に1辺50 - 70 cmの衛星3機と15 - 30 cmの衛星4機の合計8基を同時に打ち上げている。 20 cm以下の公募衛星に対して標準化した分離機構を提供するため、17号機では初めてJ-POD (JAXA Picosatellite Orbital Deployer)と呼ばれる箱型の装置が小型衛星の空間に搭載された。10 cm級の衛星であれば田の字型に並んだ4つの発射孔を持つJ-PODが使われ、20 cm級の衛星であれば1機のみ搭載できるJ-PODが使われる。17号機では前者のタイプが使われ、公募衛星のうち3機が1つのJ-PODから放出された。なおJ-POD自体は20 kg程度の重量を占め、役目を終えると切り離される。 21号機までは、RX616リアルタイムOSと32ビットMPUのV70を採用したNECが開発した誘導制御計算機を搭載していたが、部品の枯渇に対応するため新たにほぼ全てのアビオニクスが新規に開発された。新たなアビオニクスのうち、JAXA情報・計算工学センターが開発した新型のTOPPERS/HRPリアルタイムOSと、NECが開発したV70より10倍高性能の64ビットMPUのHR5000を採用した新型誘導制御計算機、新型慣性センサユニットなどは、H-IIBの3号機で初めて適用されH-IIAでは他のアビオニクスも加えて22号機から適用される。新型誘導制御計算機は高速・小型・軽量・モジュール化が図られており、新型MPUボードはイプシロンロケットも含んだ今後のJAXAロケットの共通基盤となる。 打上げ能力はSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)・液体ロケットブースタ(LRB)の数により変化する。ただし第1段エンジン(LE-7A)のノズルの長短や、SRB-Aの高圧型、長秒時型の違いによっても能力が変化するため、同じ形式でも時期によって打上げ能力が違う。 計画時のLRBを使用したH2A212型・H2A222型は開発が中止されている。また、打ち上げ関連業務が三菱重工に移管されてからは、SSBを用いるH2A2022型とH2A2024型は受注していない。2010年7月現在、H2A202型・H2A204型が運用中である。 ※1:静止衛星打ち上げの際は、GTOからGSO(静止軌道)へ軌道遷移は衛星側に搭載するアポジエンジンの動力で行う。標準静止トランスファ軌道:静止化増速量1,830 m/s、ロングコースト静止トランスファ軌道:静止化増速量1,500 m/s ※2:HTV軌道とは、宇宙ステーション補給機(HTV)が自力で国際宇宙ステーション軌道へ移行する前に投入される、低高度の楕円軌道。 ※3:7号機から13号機までは、燃焼パターンを調整し安定性を高めたSRB-A改良型を装着したため、GTOへの投入能力がおよそ200 - 300 kg少なくなっている。15号機からはSRB-A3が適用され打ち上げ能力を選択できる。 ※4:H2Aabcd形式 a=段数(ほぼ2固定) b=LRB数(現在は0固定) c=SRB数 d=SSB数(0は省略) H-IIAロケットには、当初の計画では現在とは若干異なる4つのラインナップ(H2A202型/H2A2022型/H2A2024型/H2A212型)と、将来発展型としてH2A222型が存在した。標準型のH2A202/2022/2024は人工衛星打ち上げ用として、増強型のH2A212型はHTV打ち上げ用に使用される予定であった。しかし、このうちH2A212型は開発途中で中止され、将来発展型とされていたH2A222型においては机上計画のみに終わった。 H2A212型の開発中止の理由は、世界でも稀な回転対称にならない非対称型ロケットであり、その制御に困難が予想されるためであった。 H2A222型においては、メインエンジンのLE-7Aを5基も使用する大規模なクラスタロケットであり、各エンジンの出力などの精密な制御に困難が予測される事に加え、高価で(計画時点で)実績のないLE-7Aエンジンを多数使用する機体となり、製造費用の高騰が予測される事と、信頼性確保の難しさから、実際の開発が行われる事はなかった。 これらの問題点に加え、最も大きかったのはH-IIロケットの相次ぐ失敗に伴う、開発資源の「選択と集中」であった。安価で信頼性向上を目指したH-IIAロケットの早期立ち上げのため、製造済みであったH-IIロケット7号機の打ち上げは中止され、H-IIAロケットの標準型である20xx型の開発のみに注力した。 5.8 tの衛星ETS-VIII(きく8号)は当初、静止トランスファ軌道に7.5 tの打ち上げ能力を持つH2A212型を前提として開発が進められていた、そのままでは打ち上げられるロケットが無いため、SRB-Aを4本配し静止トランスファ軌道6 t級の能力を持つH2A204型が新たに開発された。 HTV打ち上げ用には、費用と技術的な課題を出来るだけ抑えるため、H2A212型に代わってH-IIA+ロケットの構想が提案された。 1段目機体の直径を4 mから5 m級に拡張してメインエンジンのLE-7Aを2台配し、その周りにSRB-Aを4基装着されている。H2A212型と比べ、静止トランスファ軌道投入能力が7.5 tから8 tへ、HTV打ち上げ能力が15 tから16 tへと向上するとされる。これにより、HTVによる国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送回数を減らして打ち上げ費用を削減する事ができるとされる。この構想は、H-IIBロケットへと名前を変えて、2005年秋に開発フェーズへと移行した。 H-IIAロケットは2007年度から民間企業である三菱重工へ移管された。三菱重工では生産ラインを整理するため、SSBを使用するH2A2022型・H2A2024型の廃止を表明している。これにより、2007年度以降に受注されたH-IIAロケットのラインアップはH2A202型とH2A204型の2つに集約されている。 全て種子島宇宙センター大崎射場吉信第1射点(LP-1)から打上げ。 金額には、ロケット製造費用の他に、輸送・点検・保安費用等の打ち上げに関わる費用全般が含まれている。ただし、搭載する人工衛星・探査機等の費用は含まない。 (推定含む) 元々SRB-Aにおけるノズルの局所エロージョン(侵食)問題は深刻であり、当初からノズルの外周を補強するなどの対策を取っていたが、とうとう6号機でノズルに穴が開き、ロケット打ち上げ失敗の原因となった。7号機から13号機まではノズル形状をそれまでのコーン型(円錐型)から局所エロージョンの起きにくいベル型(釣鐘型)に変更し、さらに燃焼パターンを変更して燃焼圧を抑える長秒時型のモータを使用する事によって安全を確保していた。この対策で重力損失が大きくなり低下したSRB-A改良型の能力を回復させるためSRB-A3の開発が行われ、2007年10月に認定型モータの燃焼試験を終えた。14号機に適用された高圧型のSRB-A3は、安全性に余裕を持たせるため、7号機 - 13号機と同様に厚肉型のノズルになっている。 15号機からノズル部も含めて本来のSRB-A3が適用されている。これは長秒時型のモータで運用され、H2A204と同様に長秒時型で運用されるH-IIBロケット初号機の打ち上げには間に合ったものの、高圧型のSRB-Aを用いる202型の打ち上げ能力は回復していなかった。その後、高圧型の認定型モータ燃焼試験も2009年11月に終えている。この高圧型SRB-A3の運用はみちびきを打ち上げる18号機から行われており、これにより202型ではGTO約4トンという本来の打ち上げ能力が達成できる見込み。なお、SRB-A3は搭載する衛星・探査機に応じて高圧型・長秒時型を使い分けて運用している。 H-IIAは打ち上げ経験を反映して逐次改良が続けられているが、より高機能で低価格な打ち上げロケットを実現させて世界との衛星打ち上げ受注競争に勝ち抜くため、2011年度から「基幹ロケット高度化」計画が始動した。計画は大きく分けて「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」、「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」、「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」の3つの要素から成っている。打ち上げ施設の老朽化対策と枯渇部品対策を合わせて総事業費は161億円である。この基幹ロケット高度化の成果は、H3ロケットやイプシロンロケットにも反映される。 種子島宇宙センターから打ち上げられた静止衛星は、赤道面から28.5度傾いている近地点約300km、遠地点36,000kmの静止トランスファー軌道に投入されるため、軌道面変更に対する衛星側の負担が静止化増速量1,830m/s必要であり、他国の射場の静止化増速量1,500m/sと比べて不利であった。「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」では、第2段機体を中心とした改良開発を行うことで、通信衛星などの静止衛星の打ち上げにおいて、従来の静止トランスファー軌道より近地点が高い近地点約3,000km、遠地点36,000km、軌道傾斜角約20度の静止軌道に近いロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入が可能になり、必要な静止化増速量も他国の射場並の1,500m/sとなっている。これにより、衛星の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、この燃料を衛星寿命に換算すれば従来より静止衛星を3年から5年延命させることになる。一方で、ロングコースト静止トランスファー軌道へ打ち上げられる衛星の質量は、従来の静止トランスファー軌道より1トン以上低くなっている。 具体的な改良内容は、1つ目は第2段液体水素タンクの表面を白色塗装し液体水素の蒸発を減少させるというもので、この改良により蒸発する燃料を約3割減らせる。H-IIA21号機で長時間の慣性飛行中(ロングコースト)の技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている。 2つ目はこの蒸発した液体水素を機体の後方から噴射させることにより微小な加速度を与え、宇宙空間での慣性飛行中に、残っている推進剤の液体水素と液体酸素がタンク内で拡散しないようタンク底部に保持させる、リテンションと呼ばれる推進薬液面保持機能に活用する。今までは姿勢制御用の推進剤のヒドラジンを機体後方への噴射に用いていたが、この改良によりヒドラジンの消費量が節約できる。 3つ目はロングコーストの間にトリクル予冷という、従来の冷却系統とは別に新たに設けたトリクル予冷系統で少量の液体酸素を用いたターボポンプを間断なく冷却する方法で、エンジン作動に使用できる液体酸素を増加させるというもの。宇宙空間でエンジンに点火するには、事前にターボポンプを冷却させないといけないが、冷却に用いる液体酸素は温度が高いと気化してしまい、エンジンへの液体酸素の供給量が減ってしまう。この改良により液体酸素の消費量が節約できる。このトリクル予冷機能は、H-IIA24号機の衛星分離後に技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている。 4つ目は飛行中に衛星を太陽に対して垂直にし、太陽光が常に機体側面に当たるように姿勢を保持した上で、機体を低速回転させる熱制御法であるバーベキューロールと呼ばれる運用が取り入れられた。これにより、電子機器の温度環境は従来と同じで、太陽光で高温になるのを防ぎ、かつ深宇宙側の電子機器が極低温になるのを防ぐ。 5つ目はロングコースト後には衛星の増速に第2段エンジン第3回燃焼(再々着火)が必要だが、遠地点(静止軌道近辺)では機体が低速のため、推力100%では推進力が大きすぎるので軌道投入精度が落ちる。このため、再々着火時の軌道投入精度を確保するため、推力を60パーセントに調節できるスロットリング機能を実用化させる改良がなされている。 他にも5時間に及ぶ宇宙空間での長時間飛行に対応するため、新たに開発された宇宙環境にも耐えられる大容量のリチウムイオン電池を搭載して電子機器の電源を確保し、静止軌道からの機体データの取得に対応した長距離通信が可能な高利得アンテナも開発されている。 ロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入は29号機の打ち上げで初適用された。一方、29号機以降においても長秒時慣性航行が必要ない静止軌道への打ち上げでは高度化改良されていない機体での打ち上げとなる。 また、「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」を応用することで、1回の打ち上げで太陽同期軌道の異なる高度への複数の衛星投入も可能となり、衛星1基あたりの打ち上げ費用を3割から4割低減させることができるようになる。これを可能とするために上記の改良内容に加えて第2段機体のソフトウェアの改修を施した「衛星相乗り機会拡大開発」が実施された。この高度化は37号機で初適用された。 「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」では、従来の爆薬(火工品)の爆発で締結ボルトを切断して衛星を分離していた方法を、電気的にラッチ機構を作動させて締め付けられたクランプバンドを解放して衛星を分離する方法に変えて、衛星に伝わる衝撃を緩和する。これにより衝撃レベルを4,100Gから1,000Gまで低下させる。30号機で先行的実験が行われ、イプシロンロケット3号機で初めて実用化された。 「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」では、新たに開発された複合航法による飛行安全用航法センサー(RINA)を機体に搭載することで、従来から搭載されていたレーダトランスポンダ(電波中継器)と地上レーダ局に頼らずにロケットが自力で飛行できるようにする。これにより維持費と設備更新に高額な費用がかかる地上レーダ局を廃止することができ、打ち上げ費用の削減が可能となる。この航法センサは29号機で初搭載されて、その後も安全確認のために地上レーダ局による管制と併用して飛行試験が行われたが、37号機で初めて航法センサのみで飛行する。ただしその後の飛行では地上レーダ局と併用して飛行を続け安全確認を続ける予定である。 H-IIAロケットの前身であるH-IIロケットは日本で純国産開発された初めての大型液体燃料ロケットである。アメリカ製の第1段をライセンス生産していたH-Iロケットまでは米国との契約によって日本独自の事業が制約されてきたが、H-IIロケットの純国産開発の成功により、日本独自の事業を行うことができるようになった。当時すでに民間による衛星ロケット打ち上げ企業としてヨーロッパのアリアンスペース社がシェアを伸ばしつつあったことから、日本でも民間企業による打ち上げ事業への参入が目指され、ロケットシステム(RSC)が設立された。 RSCは衛星打ち上げサービスの受注から打ち上げロケットの製造管理・輸送・射場の安全確保等の打ち上げサービス全般を実施する事業主体として設立された。まずは、RSCが試験的にH-IIロケット試験3号機の受注を行い、その後にNASDA(当時)によるH-IIロケットの打ち上げが安定して成功を収めるようになった後に、正式にRSCに業務が移管される予定であった。1996年にRSCは、衛星メーカーであるヒューズ(現ボーイング)と20機、スペースシステムズ/ロラールと10機の商業衛星打ち上げ仮契約を成立させた。H-IIロケットの打ち上げは8機で終了するため、これらの衛星はH-IIAロケットで打ち上げることになるとされた。こうして、ようやく日本のロケットが商業市場に参入を果たしたかに思われた。 しかしH-IIロケット5号機および8号機の連続打ち上げ失敗により、H-IIロケットを即座に廃止し、円高の進展により既に開発中であった低コストなH-IIAに開発資源を集中する事となった。このためRSCへの正式移管はH-IIAロケットの打ち上げが安定して成功するまでさらに見送られた。信頼を失ったRSCは、2000年にはヒューズから契約解除を通告され、ロラールもH-IIAの開発遅れで打ち上げが間に合わなくなった2機を解約した。2003年にはロラールが倒産し、ついにRSCは全ての商業打ち上げ契約を失った。 RSCによるH-IIAロケットの打ち上げは7号機から行われたが、法律上の制約により打ち上げ作業そのものはJAXAに業務委託した。しかしながら、この頃には国際的な衛星打ち上げ需要が減少しつつあり、また、アリアンスペースだけでなく、中国、ロシアなどがより低価格でのビジネスを展開するようになったため、将来にわたってRSCが安定的にビジネスを継続できる見込みがなくなり、RSCはH-IIロケット試験3号機、H-IIAロケット7号機および9号機の打ち上げを履行した後、解散した。 三菱重工は以前よりH-IIAの製造を行っているが、2007年の13号機から、打ち上げ作業を含めてH-IIAロケット打ち上げ関連業務のほとんどが民間企業である三菱重工に移管された。また、かつてRSCが行っていたような商業打ち上げの受注活動も三菱重工が行うことになった。これにより、JAXAは打ち上げ安全管理業務のみに責任を負うようになった。 ロケットの開発も含めて移管されるため、H-IIAで使用される機器や構成についてもある程度三菱重工自身の判断で変更できるようになる。このため三菱重工は今後打ち上げるH-IIAロケットの構成をH2A202とH2A204の二つの形式に絞ると発表した。 また、打ち上げ費用を70 - 80億円に抑えて商用衛星の打ち上げ市場で受注を獲得するため、従来は打ち上げ費用に含まれていた射場の点検費や修繕費、ロケットの飛行データの提供費などとして、1回当たり20 - 30億円程の公的負担を、JAXAを通じて国に求めている。 移管後の初めての打ち上げとなる13号機では、以下の点が変更された。 2009年1月12日、三菱重工は韓国の人工衛星KOMPSAT3(アリラン3号)の打ち上げを受注したと、正式に発表した。入札には三菱重工のほかユーロコット社のロコットも参加していたが、H-IIAの方が低価格を提示したとされる。ロコットはKOMPSAT2の打ち上げにも使われていた。三菱重工の入札額は非公開だが、ロコットの打ち上げ費用は40億円程度であるため、それより安いと思われる。85億円以上するH-IIAで40億円のロコットに対抗できたのは、KOMPSAT3をGCOM-W1と相乗りで打ち上げるためである。GCOM-W1は1,900 kg、KOMPSAT3は800 kg、合計しても2,700 kgであるためH-IIA202型のペイロード(太陽同期軌道、夏期)3,600 kgを下回る。すなわち、GCOM-W1打ち上げ用H-IIAの余剰能力を販売したということであり、KOMPSAT3のためにH-IIAを新規に製造したわけではない。 2012年5月18日、H-IIA 21号機によりアリラン3号を予定軌道に投入し、初の商業打ち上げを成功させた。 2013年9月26日、三菱重工はテレサット社の通信放送衛星Telstar 12 VANTAGEの打上げ輸送サービスを受注したと発表した。日本の国産ロケットが「商業衛星」の打ち上げを受注するのは初であり、また「民間企業からの受注」も初となった。2015年11月24日、H-IIA 29号機によりTELSTAR 12 VANTAGEを予定軌道に投入し、官需衛星や、その相乗りでもない純粋な商業打ち上げを日本で初めて成功させた。 2015年3月9日に三菱重工がアラブ首長国連邦の先端科学技術研究所(EIAST)の地球観測衛星ハリーファサットの2017年度打上げ輸送サービスを受注したと発表、さらに2016年3月22日、同国EIASTの後継機関モハメド・ビン・ラシドスペースセンター(MBRSC)から火星探査機アル・アマルの2020年打ち上げ輸送サービスを受注したと発表した。ハリーファサットは2018年10月29日にH-IIA 40号機により、アル・アマルは2020年7月20日にH-IIA 42号機により予定軌道に打ち上げられた。 2017年9月12日には英インマルサット社のInmarsat-6のF1(初号機)の打ち上げを受注し、海外顧客からの商業打ち上げ受注は5件となった。2021年に打ち上げられた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "H-IIA ロケット(エイチツーエー ロケット)は、宇宙開発事業団(NASDA)と後継法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工が開発し三菱重工が製造および打ち上げを行う、人工衛星打ち上げ用液体燃料ロケットで使い捨て型のローンチ・ヴィークル。日本の衛星打ち上げの自律性をになうロケットとして基幹ロケットに位置づけられる。成功率は合計で97.87%になっている。JAXA内での表記は「H-IIAロケット」で、発音は「エイチツーエーロケット」であるが、新聞やテレビなどの報道では、「H2Aロケット」または「H-2Aロケット」と表記され、「エイチニーエーロケット」と発音をされる場合が多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットは、先代のH-IIロケットを全体にわたって再設計して構造を大幅に簡素化し、一部に海外の安価な製品を利用をすることで、信頼性を高めながら急激な円高により失われたコスト競争力を回復させることを目的に開発された。また、開発中に起きたH-IIロケット5号機と8号機の相次ぐ失敗や、H-IIAロケット6号機の失敗による信頼性の低下を回復するため、運用開始後にも改良が行われた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1996年に開発が開始され、開発費(H-IIからの改良開発費)は約1,532億円であった。H-IIAと同じくH-IIを技術基盤とするH-IIBの開発費約270億円との合計は1,802億円であり、同じく前機種から改良開発されたデルタ IVの開発費2,750億円、アトラス Vの開発費2,420億円との比較でも安価に開発されているといえる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "打ち上げ費用は構成によって異なるが約85億円 - 120億円であり、H-IIロケットの140億円 - 190億円に比べると大幅に低減されている。 静止トランスファ軌道への打ち上げ能力は4.0 - 6.0 tであり、H-IIロケットと同等 - 約1.5倍の能力である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2001年夏に試験機1号機が打ち上げられて以来、47回中46回の打ち上げに成功している。2002年、「H-IIAロケット試験機1号機」が第33回星雲賞自由部門を受賞した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2005年の7号機から40機連続で打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は97.9%。H-IIAの強化型バリエーションであるH-IIBロケットも含めると56回中55回の打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は98.2%(2023年9月7日時点)。原型のH-IIロケット(7回中5回成功)を含めた「H-IIシリーズ」全体としても、2021年の44号機の成功をもって国際水準と言われる95%を達成している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "当初、H-IIAロケットは2023年度に退役する予定であったが、後継機のH3ロケットの初打ち上げが延期された影響で、最新の宇宙基本計画工程表(令和4年度改訂)では2024年(令和6年)度の50号機の打ち上げを最後に退役予定となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "H-IIAには2023年3月7日に打ち上げに失敗したH3ロケット試験機1号機と同系のエンジンが使用されており、JAXAは2023年3月31日に影響の有無が判明していないことを理由に、H-IIAロケット47号機の打ち上げを2023年8月以降に延期すると発表した。2023年9月7日打ち上げ成功。48号機の打ち上げは2024年1月11日の予定。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "コア機体は、液体水素と液体酸素を推進剤とする1段目・2段目を組み合わせた、2段式ロケットとなっている。打ち上げ時に十分な推力を得るために左右2基の固体ロケットブースタ(SRB-A)を有し、搭載する衛星・探査機等の質量に応じてさらにSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)を追加して柔軟に対応する事ができる。複数の衛星を同時に打ち上げて、個別の軌道に投入する事もできる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "材質は、機体外壁と推進剤タンクとフェアリングがアルミニウム合金、SRB-AがCFRPであり、強度を確保したまま機体を軽量化するためにアルミ合金製の推進剤タンクの内面を格子状に彫り込んだアイソグリッド構造をしている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "基本的には H-II の設計コンセプトを踏襲するが、全体にわたり調達・組立・打上げ費用を下げるための見直しが行われている。また、部品技術の国産化にこだわらず、有利であれば輸入品も用いた。これは H-II で国産化にこだわったことから後退しているように見えるが、技術を習得したからこそ有利に購入できる(技術がなければ言い値で購入するしかないが、技術があればコストメリットがないなら購入しないという選択ができ、交渉の主導権を握ることができる)という面もあり、自主技術を持つことには一定の意義がある。また、部品点数・作業工程の低減は信頼性の向上にも貢献する。これらの費用改善を行った結果、H-IIロケットで最高約190億円であった打ち上げ費用を、世界市場の相場である100億円未満まで下げることができた。H-IIAロケット202型の部品総点数は約100万点。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "H-IIからの主な変更点を以下に記す。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "LE-7AエンジンはH-IIAロケットの第1段エンジンで、推進薬に液体水素と液体酸素を用いた、国産の大型液体燃料エンジンである。H-IIロケットの第1段エンジンとして開発されたLE-7エンジンを元に、性能を維持しつつ費用縮減が図られている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "リフトオフの約5秒前に点火され、第2段との切り離しまでの約390秒間燃焼する。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "開発当初、下部ノズルスカートを装着した長ノズル構成では、エンジン起動時に過大な横方向推力が発生する問題があり、短ノズルのみを使用して回避していた。そのため、静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約400 kgの性能低下が起きていた。8号機、9号機および11号機以降では、新たに開発された完全再生冷却型の長ノズルが使用され、本来の性能が発揮できるようになっている。また、液体水素ターボポンプ、液体酸素用ターボポンプには、使用開始後にも改良が加えられている。(LE-7Aエンジンも参照)", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "9号機以降では、SRB-Aを4基使用した打ち上げ時の推力に耐えられるように、機体構造の強化が行われている。また、15号機(202型)にも使用したSRB-A・4本装着用(202/204共用)の1段コア機体構造は、2本装着専用に比べ質量が約600 kg大きくなっている。23号機(202型)からはエンジン周りのSSB取り付け部を省略して構造を簡素化したことによって120kgの軽量化を果たしている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "LE-5BエンジンはH-IIAロケットの第2段エンジンで、第1段と同様に液体水素と液体酸素を推進薬とした国産の液体燃料エンジンである。H-Iロケットの第2段エンジンとして開発されたLE-5エンジンを元に、H-IIロケット第2段用のLE-5Aエンジン、そしてこのLE-5Bエンジンと、徐々に性能向上が図られてきている。先代のLE-5Aエンジンと比べると、大幅な費用縮減も図られている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "燃焼圧の変動を抑えた改良型LE-5BエンジンであるLE-5B-2の開発が進められ、14号機から使用されている(LE-5Bエンジンも参照)。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "LE-5B・LE-5B-2エンジンは再々着火(第3回燃焼)が可能である。衛星をより遠い軌道まで運搬する再々着火の実用化は「基幹ロケット高度化」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」のための第2段機体とエンジンの改良開発が適用された29号機の打ち上げが初となった。実用化のための先行的実験として、2号機打ち上げ1時間40分後の主衛星分離後に再々着火試験が行われたほか、21号機では燃料の蒸発を防ぐための第2段液体水素タンク表面の機体塗装の白色化のみが、24号機では第2段エンジンの新開発予冷のみが適用され、26号機で白色塗装と新開発予冷が合わせて適用された。第2段エンジンの再々着火が実用化されたことにより、静止トランスファ軌道(GTO)の遠地点近傍のロングコースト静止トランファ軌道への静止衛星の投入が可能となり、衛星側の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、従来より静止衛星を3年から5年延命させることができるようになった。これによりH-IIAロケットの商業受注における競争力が向上している。(下記の基幹ロケット高度化も参照)", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットはHOPE-Xの打上げ形態案(H2A1024)のように、第2段を使用せずに第1段ロケットだけを使用することも可能であるが、実際に第1段のみで打ち上げられたことはない。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "SRB-AはIHIエアロスペースが製造する固体ロケットブースタ。H-IIロケット用のSRBでは高張力鋼4分割構造をボルト接合していたが、これを炭素繊維強化プラスチック (CFRP) 製の一体成型に変更し、大幅な費用縮減が図られている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットにおいては、第1段の両脇にSRB-Aを2基装着する構成を基本とし、衛星質量に応じて4基構成をとることも出来る。カウントダウンX-0と同時に点火され、H-IIAロケットを離床させるためのもっとも大きな推力を発生する。約100 - 120秒間燃焼した後に2基ずつ分離される。11号機では、初めてSRB-A改良型の4基構成での打ち上げが行われた。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "6号機ではSRB-Aのノズル部分の破損が打ち上げ失敗の原因となったため、7号機からは信頼性向上のために最大推力を落として燃焼時間を延長した長秒時型のSRB-A改良型を使用していた。そのため静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約300 kgの性能低下が起きていた。15号機からは本来の能力を回復したSRB-A3が使用されている(下記の#SRB-Aのノズル形状変更と能力回復も参照)。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "SRB-A3は高圧燃焼型と長秒時燃焼型のモータ2種類を運用しており、2本1組で使用する場合には必要な打上げ能力に応じて2種のモータのどちらかを選択し、4本1組で使用する場合にはロケット機体の加速度制限等により長秒時燃焼モータを適用する。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "アメリカにある世界最大の固体燃料ロケットメーカー、ATKランチ・システムズ・グループのキャスターIVA-XLを元に、H-IIAロケットに取り付けるためのモータケースの改造や、信頼性向上のためにノズルスロート部の材料変更などを行ったものである。H-IIAロケットでは、搭載する衛星の質量にあわせて、SSB無し、2基、あるいは4基構成を取ることができる。特にLE-7Aの長ノズルの開発が遅れていた初期の打ち上げやSRB-A改良型を使用していた時には、その推力不足を補う目的でも活用されていた。その後、2007年度にH-IIAロケットの打ち上げ業務の移管を受けた三菱重工は、H-IIAのラインアップ整理のため、移管後に新規に受注した機体からはSSBを廃止した。23号機からは1段目エンジン周りのSSB取り付け部を省略している。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "SSBは、リフトオフと同時ではなく、約10秒後に空中で点火される。これは、射点を燃焼ガスから守るための措置である。SSB4基構成の場合は、リフトオフ後の約10秒で最初の2基が点火され、最初の2基の燃焼終了後に、残りの2基が点火される。最初の2基は、燃焼終了後すぐには分離せずに、空気が十分に薄くなる高度に達した後に、SRB-Aとともに分離される。損失が大きいこの手順を取る理由は、機体に掛かる動圧の低減と、空気抵抗による分離シーケンスでのリスクを最小限に抑えるためである。なお、それまでに打ち上げた衛星の中で最も重い質量約4.65 tのひまわり7号を打ち上げた9号機、およびその後の12号機では、長秒型SRB-Aとの組み合わせでの打ち上げ能力を最大限確保するために、4基のSSBを同時に燃焼させる手順に変更され、リフトオフ約10秒後に最初の2基が、20秒後に次の2基が点火された。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "初期の構想では、さらに打ち上げ能力を増強するため、上記のSRB-Aを2基を使用した標準型に、LRBを1基、あるいは2基を装着する増強型の構想があった。この構想はH-IIBロケットの開発に置き換えられた(詳細は下記のラインナップの変遷を参照のこと)。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "LRBは第1段機体をベースに、LE-7Aエンジンを2基クラスタ化して搭載したブースタとして使用するもので、燃料タンクや搭載機器、エンジンなど多くを第1段と共通化する予定であった。技術試験衛星VIII型(きく8号)や宇宙ステーション補給機(HTV、こうのとり)、HOPE(ホープ)はLRBを使用して打ち上げる予定であった。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "川崎重工が開発・製造するフェアリングで、打ち上げ時の振動や大気圏を抜けるまでの空気抵抗、空力加熱から衛星を保護するためのカバーである。ロケットの先端部分に取り付けられている。大気圏を通過した後の高度約150 km付近で、ロケットの重量を出来るだけ軽くするために(2段式は上部のみ)分離される。海面に落下し浮かんでいるフェアリングは回収船で海上回収される。回収されたものの一部は、フェアリングを活用した商品開発をする企業等に無償で提供された事もある。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ロケット本体と同じ直径4mの4S型のほか、大型衛星用で直径5mの5S型や、2個の衛星を同時に軌道投入できる4/4D-LS型、4/4D-LC型、5/4D型の計5種類のフェアリングが用意されている。増強型の構想ではHTV用に5S-H型フェアリングの使用も考慮されていたが、H-IIBロケットの開発が決定したためH-IIAロケットでは用いられない。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "フェアリングの種類によって打上能力も違い、H2A204型では4S型と4/4D-LC型でGTOへの投入能力に850 kgの差がある。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "衛星とロケットの間に配置されて両者を結合するために使用される部品で、衛星とは締結ボルトで固定される。937M-スピン型、937M-スピンA型、937M型、937MH型、1194M型、1666M型、1666MA型、1666S型、2360SA型、3470S型などがあり、衛星の大きさや放出機構に合わせて十数種類の中から選択される。衛星分離時には衛星と分離部を接合している締結ボルトを爆薬(火工品)で爆破して一気に切断して衛星を分離する方法を採用しているが、この方法は確実に分離を行える利点があるものの衛星に伝わる衝撃が大きいという欠点があった。そこで基幹ロケット高度化に合わせて、クランプバンドで締結しておいた接合部を電気的にラッチ機構で解放することで衛星を分離する方法に改めて、衛星に伝わる衝撃を低減することになった。30号機で低衝撃衛星分離機構の先行的実験として、従来の衛星分離部をかさ上げして余剰スペースにダミー機構を搭載して宇宙空間で実際に作動させる実験を行った。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "打ち上げ能力に余裕がある場合は、サブペイロードとして1辺50 - 70 cmの小型衛星を最大4個まで搭載可能である。さらに、1辺10 - 30 cmの超小型衛星に関しては50 - 70 cmの衛星1機分の空間に3 - 4機搭載可能である。これを利用して、15号機では主衛星のいぶきの他に1辺50 - 70 cmの衛星3機と15 - 30 cmの衛星4機の合計8基を同時に打ち上げている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "20 cm以下の公募衛星に対して標準化した分離機構を提供するため、17号機では初めてJ-POD (JAXA Picosatellite Orbital Deployer)と呼ばれる箱型の装置が小型衛星の空間に搭載された。10 cm級の衛星であれば田の字型に並んだ4つの発射孔を持つJ-PODが使われ、20 cm級の衛星であれば1機のみ搭載できるJ-PODが使われる。17号機では前者のタイプが使われ、公募衛星のうち3機が1つのJ-PODから放出された。なおJ-POD自体は20 kg程度の重量を占め、役目を終えると切り離される。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "21号機までは、RX616リアルタイムOSと32ビットMPUのV70を採用したNECが開発した誘導制御計算機を搭載していたが、部品の枯渇に対応するため新たにほぼ全てのアビオニクスが新規に開発された。新たなアビオニクスのうち、JAXA情報・計算工学センターが開発した新型のTOPPERS/HRPリアルタイムOSと、NECが開発したV70より10倍高性能の64ビットMPUのHR5000を採用した新型誘導制御計算機、新型慣性センサユニットなどは、H-IIBの3号機で初めて適用されH-IIAでは他のアビオニクスも加えて22号機から適用される。新型誘導制御計算機は高速・小型・軽量・モジュール化が図られており、新型MPUボードはイプシロンロケットも含んだ今後のJAXAロケットの共通基盤となる。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "打上げ能力はSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)・液体ロケットブースタ(LRB)の数により変化する。ただし第1段エンジン(LE-7A)のノズルの長短や、SRB-Aの高圧型、長秒時型の違いによっても能力が変化するため、同じ形式でも時期によって打上げ能力が違う。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "計画時のLRBを使用したH2A212型・H2A222型は開発が中止されている。また、打ち上げ関連業務が三菱重工に移管されてからは、SSBを用いるH2A2022型とH2A2024型は受注していない。2010年7月現在、H2A202型・H2A204型が運用中である。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "※1:静止衛星打ち上げの際は、GTOからGSO(静止軌道)へ軌道遷移は衛星側に搭載するアポジエンジンの動力で行う。標準静止トランスファ軌道:静止化増速量1,830 m/s、ロングコースト静止トランスファ軌道:静止化増速量1,500 m/s ※2:HTV軌道とは、宇宙ステーション補給機(HTV)が自力で国際宇宙ステーション軌道へ移行する前に投入される、低高度の楕円軌道。 ※3:7号機から13号機までは、燃焼パターンを調整し安定性を高めたSRB-A改良型を装着したため、GTOへの投入能力がおよそ200 - 300 kg少なくなっている。15号機からはSRB-A3が適用され打ち上げ能力を選択できる。 ※4:H2Aabcd形式 a=段数(ほぼ2固定) b=LRB数(現在は0固定) c=SRB数 d=SSB数(0は省略)", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットには、当初の計画では現在とは若干異なる4つのラインナップ(H2A202型/H2A2022型/H2A2024型/H2A212型)と、将来発展型としてH2A222型が存在した。標準型のH2A202/2022/2024は人工衛星打ち上げ用として、増強型のH2A212型はHTV打ち上げ用に使用される予定であった。しかし、このうちH2A212型は開発途中で中止され、将来発展型とされていたH2A222型においては机上計画のみに終わった。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "H2A212型の開発中止の理由は、世界でも稀な回転対称にならない非対称型ロケットであり、その制御に困難が予想されるためであった。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "H2A222型においては、メインエンジンのLE-7Aを5基も使用する大規模なクラスタロケットであり、各エンジンの出力などの精密な制御に困難が予測される事に加え、高価で(計画時点で)実績のないLE-7Aエンジンを多数使用する機体となり、製造費用の高騰が予測される事と、信頼性確保の難しさから、実際の開発が行われる事はなかった。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "これらの問題点に加え、最も大きかったのはH-IIロケットの相次ぐ失敗に伴う、開発資源の「選択と集中」であった。安価で信頼性向上を目指したH-IIAロケットの早期立ち上げのため、製造済みであったH-IIロケット7号機の打ち上げは中止され、H-IIAロケットの標準型である20xx型の開発のみに注力した。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "5.8 tの衛星ETS-VIII(きく8号)は当初、静止トランスファ軌道に7.5 tの打ち上げ能力を持つH2A212型を前提として開発が進められていた、そのままでは打ち上げられるロケットが無いため、SRB-Aを4本配し静止トランスファ軌道6 t級の能力を持つH2A204型が新たに開発された。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "HTV打ち上げ用には、費用と技術的な課題を出来るだけ抑えるため、H2A212型に代わってH-IIA+ロケットの構想が提案された。 1段目機体の直径を4 mから5 m級に拡張してメインエンジンのLE-7Aを2台配し、その周りにSRB-Aを4基装着されている。H2A212型と比べ、静止トランスファ軌道投入能力が7.5 tから8 tへ、HTV打ち上げ能力が15 tから16 tへと向上するとされる。これにより、HTVによる国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送回数を減らして打ち上げ費用を削減する事ができるとされる。この構想は、H-IIBロケットへと名前を変えて、2005年秋に開発フェーズへと移行した。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットは2007年度から民間企業である三菱重工へ移管された。三菱重工では生産ラインを整理するため、SSBを使用するH2A2022型・H2A2024型の廃止を表明している。これにより、2007年度以降に受注されたH-IIAロケットのラインアップはH2A202型とH2A204型の2つに集約されている。", "title": "構成と諸元" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "全て種子島宇宙センター大崎射場吉信第1射点(LP-1)から打上げ。", "title": "打ち上げ履歴・予定の一覧" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "金額には、ロケット製造費用の他に、輸送・点検・保安費用等の打ち上げに関わる費用全般が含まれている。ただし、搭載する人工衛星・探査機等の費用は含まない。", "title": "打ち上げ履歴・予定の一覧" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "(推定含む)", "title": "打ち上げ履歴・予定の一覧" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "元々SRB-Aにおけるノズルの局所エロージョン(侵食)問題は深刻であり、当初からノズルの外周を補強するなどの対策を取っていたが、とうとう6号機でノズルに穴が開き、ロケット打ち上げ失敗の原因となった。7号機から13号機まではノズル形状をそれまでのコーン型(円錐型)から局所エロージョンの起きにくいベル型(釣鐘型)に変更し、さらに燃焼パターンを変更して燃焼圧を抑える長秒時型のモータを使用する事によって安全を確保していた。この対策で重力損失が大きくなり低下したSRB-A改良型の能力を回復させるためSRB-A3の開発が行われ、2007年10月に認定型モータの燃焼試験を終えた。14号機に適用された高圧型のSRB-A3は、安全性に余裕を持たせるため、7号機 - 13号機と同様に厚肉型のノズルになっている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "15号機からノズル部も含めて本来のSRB-A3が適用されている。これは長秒時型のモータで運用され、H2A204と同様に長秒時型で運用されるH-IIBロケット初号機の打ち上げには間に合ったものの、高圧型のSRB-Aを用いる202型の打ち上げ能力は回復していなかった。その後、高圧型の認定型モータ燃焼試験も2009年11月に終えている。この高圧型SRB-A3の運用はみちびきを打ち上げる18号機から行われており、これにより202型ではGTO約4トンという本来の打ち上げ能力が達成できる見込み。なお、SRB-A3は搭載する衛星・探査機に応じて高圧型・長秒時型を使い分けて運用している。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "H-IIAは打ち上げ経験を反映して逐次改良が続けられているが、より高機能で低価格な打ち上げロケットを実現させて世界との衛星打ち上げ受注競争に勝ち抜くため、2011年度から「基幹ロケット高度化」計画が始動した。計画は大きく分けて「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」、「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」、「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」の3つの要素から成っている。打ち上げ施設の老朽化対策と枯渇部品対策を合わせて総事業費は161億円である。この基幹ロケット高度化の成果は、H3ロケットやイプシロンロケットにも反映される。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "種子島宇宙センターから打ち上げられた静止衛星は、赤道面から28.5度傾いている近地点約300km、遠地点36,000kmの静止トランスファー軌道に投入されるため、軌道面変更に対する衛星側の負担が静止化増速量1,830m/s必要であり、他国の射場の静止化増速量1,500m/sと比べて不利であった。「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」では、第2段機体を中心とした改良開発を行うことで、通信衛星などの静止衛星の打ち上げにおいて、従来の静止トランスファー軌道より近地点が高い近地点約3,000km、遠地点36,000km、軌道傾斜角約20度の静止軌道に近いロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入が可能になり、必要な静止化増速量も他国の射場並の1,500m/sとなっている。これにより、衛星の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、この燃料を衛星寿命に換算すれば従来より静止衛星を3年から5年延命させることになる。一方で、ロングコースト静止トランスファー軌道へ打ち上げられる衛星の質量は、従来の静止トランスファー軌道より1トン以上低くなっている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "具体的な改良内容は、1つ目は第2段液体水素タンクの表面を白色塗装し液体水素の蒸発を減少させるというもので、この改良により蒸発する燃料を約3割減らせる。H-IIA21号機で長時間の慣性飛行中(ロングコースト)の技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2つ目はこの蒸発した液体水素を機体の後方から噴射させることにより微小な加速度を与え、宇宙空間での慣性飛行中に、残っている推進剤の液体水素と液体酸素がタンク内で拡散しないようタンク底部に保持させる、リテンションと呼ばれる推進薬液面保持機能に活用する。今までは姿勢制御用の推進剤のヒドラジンを機体後方への噴射に用いていたが、この改良によりヒドラジンの消費量が節約できる。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "3つ目はロングコーストの間にトリクル予冷という、従来の冷却系統とは別に新たに設けたトリクル予冷系統で少量の液体酸素を用いたターボポンプを間断なく冷却する方法で、エンジン作動に使用できる液体酸素を増加させるというもの。宇宙空間でエンジンに点火するには、事前にターボポンプを冷却させないといけないが、冷却に用いる液体酸素は温度が高いと気化してしまい、エンジンへの液体酸素の供給量が減ってしまう。この改良により液体酸素の消費量が節約できる。このトリクル予冷機能は、H-IIA24号機の衛星分離後に技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "4つ目は飛行中に衛星を太陽に対して垂直にし、太陽光が常に機体側面に当たるように姿勢を保持した上で、機体を低速回転させる熱制御法であるバーベキューロールと呼ばれる運用が取り入れられた。これにより、電子機器の温度環境は従来と同じで、太陽光で高温になるのを防ぎ、かつ深宇宙側の電子機器が極低温になるのを防ぐ。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "5つ目はロングコースト後には衛星の増速に第2段エンジン第3回燃焼(再々着火)が必要だが、遠地点(静止軌道近辺)では機体が低速のため、推力100%では推進力が大きすぎるので軌道投入精度が落ちる。このため、再々着火時の軌道投入精度を確保するため、推力を60パーセントに調節できるスロットリング機能を実用化させる改良がなされている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "他にも5時間に及ぶ宇宙空間での長時間飛行に対応するため、新たに開発された宇宙環境にも耐えられる大容量のリチウムイオン電池を搭載して電子機器の電源を確保し、静止軌道からの機体データの取得に対応した長距離通信が可能な高利得アンテナも開発されている。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入は29号機の打ち上げで初適用された。一方、29号機以降においても長秒時慣性航行が必要ない静止軌道への打ち上げでは高度化改良されていない機体での打ち上げとなる。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また、「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」を応用することで、1回の打ち上げで太陽同期軌道の異なる高度への複数の衛星投入も可能となり、衛星1基あたりの打ち上げ費用を3割から4割低減させることができるようになる。これを可能とするために上記の改良内容に加えて第2段機体のソフトウェアの改修を施した「衛星相乗り機会拡大開発」が実施された。この高度化は37号機で初適用された。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」では、従来の爆薬(火工品)の爆発で締結ボルトを切断して衛星を分離していた方法を、電気的にラッチ機構を作動させて締め付けられたクランプバンドを解放して衛星を分離する方法に変えて、衛星に伝わる衝撃を緩和する。これにより衝撃レベルを4,100Gから1,000Gまで低下させる。30号機で先行的実験が行われ、イプシロンロケット3号機で初めて実用化された。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」では、新たに開発された複合航法による飛行安全用航法センサー(RINA)を機体に搭載することで、従来から搭載されていたレーダトランスポンダ(電波中継器)と地上レーダ局に頼らずにロケットが自力で飛行できるようにする。これにより維持費と設備更新に高額な費用がかかる地上レーダ局を廃止することができ、打ち上げ費用の削減が可能となる。この航法センサは29号機で初搭載されて、その後も安全確認のために地上レーダ局による管制と併用して飛行試験が行われたが、37号機で初めて航法センサのみで飛行する。ただしその後の飛行では地上レーダ局と併用して飛行を続け安全確認を続ける予定である。", "title": "改良" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "H-IIAロケットの前身であるH-IIロケットは日本で純国産開発された初めての大型液体燃料ロケットである。アメリカ製の第1段をライセンス生産していたH-Iロケットまでは米国との契約によって日本独自の事業が制約されてきたが、H-IIロケットの純国産開発の成功により、日本独自の事業を行うことができるようになった。当時すでに民間による衛星ロケット打ち上げ企業としてヨーロッパのアリアンスペース社がシェアを伸ばしつつあったことから、日本でも民間企業による打ち上げ事業への参入が目指され、ロケットシステム(RSC)が設立された。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "RSCは衛星打ち上げサービスの受注から打ち上げロケットの製造管理・輸送・射場の安全確保等の打ち上げサービス全般を実施する事業主体として設立された。まずは、RSCが試験的にH-IIロケット試験3号機の受注を行い、その後にNASDA(当時)によるH-IIロケットの打ち上げが安定して成功を収めるようになった後に、正式にRSCに業務が移管される予定であった。1996年にRSCは、衛星メーカーであるヒューズ(現ボーイング)と20機、スペースシステムズ/ロラールと10機の商業衛星打ち上げ仮契約を成立させた。H-IIロケットの打ち上げは8機で終了するため、これらの衛星はH-IIAロケットで打ち上げることになるとされた。こうして、ようやく日本のロケットが商業市場に参入を果たしたかに思われた。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "しかしH-IIロケット5号機および8号機の連続打ち上げ失敗により、H-IIロケットを即座に廃止し、円高の進展により既に開発中であった低コストなH-IIAに開発資源を集中する事となった。このためRSCへの正式移管はH-IIAロケットの打ち上げが安定して成功するまでさらに見送られた。信頼を失ったRSCは、2000年にはヒューズから契約解除を通告され、ロラールもH-IIAの開発遅れで打ち上げが間に合わなくなった2機を解約した。2003年にはロラールが倒産し、ついにRSCは全ての商業打ち上げ契約を失った。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "RSCによるH-IIAロケットの打ち上げは7号機から行われたが、法律上の制約により打ち上げ作業そのものはJAXAに業務委託した。しかしながら、この頃には国際的な衛星打ち上げ需要が減少しつつあり、また、アリアンスペースだけでなく、中国、ロシアなどがより低価格でのビジネスを展開するようになったため、将来にわたってRSCが安定的にビジネスを継続できる見込みがなくなり、RSCはH-IIロケット試験3号機、H-IIAロケット7号機および9号機の打ち上げを履行した後、解散した。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "三菱重工は以前よりH-IIAの製造を行っているが、2007年の13号機から、打ち上げ作業を含めてH-IIAロケット打ち上げ関連業務のほとんどが民間企業である三菱重工に移管された。また、かつてRSCが行っていたような商業打ち上げの受注活動も三菱重工が行うことになった。これにより、JAXAは打ち上げ安全管理業務のみに責任を負うようになった。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ロケットの開発も含めて移管されるため、H-IIAで使用される機器や構成についてもある程度三菱重工自身の判断で変更できるようになる。このため三菱重工は今後打ち上げるH-IIAロケットの構成をH2A202とH2A204の二つの形式に絞ると発表した。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "また、打ち上げ費用を70 - 80億円に抑えて商用衛星の打ち上げ市場で受注を獲得するため、従来は打ち上げ費用に含まれていた射場の点検費や修繕費、ロケットの飛行データの提供費などとして、1回当たり20 - 30億円程の公的負担を、JAXAを通じて国に求めている。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "移管後の初めての打ち上げとなる13号機では、以下の点が変更された。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2009年1月12日、三菱重工は韓国の人工衛星KOMPSAT3(アリラン3号)の打ち上げを受注したと、正式に発表した。入札には三菱重工のほかユーロコット社のロコットも参加していたが、H-IIAの方が低価格を提示したとされる。ロコットはKOMPSAT2の打ち上げにも使われていた。三菱重工の入札額は非公開だが、ロコットの打ち上げ費用は40億円程度であるため、それより安いと思われる。85億円以上するH-IIAで40億円のロコットに対抗できたのは、KOMPSAT3をGCOM-W1と相乗りで打ち上げるためである。GCOM-W1は1,900 kg、KOMPSAT3は800 kg、合計しても2,700 kgであるためH-IIA202型のペイロード(太陽同期軌道、夏期)3,600 kgを下回る。すなわち、GCOM-W1打ち上げ用H-IIAの余剰能力を販売したということであり、KOMPSAT3のためにH-IIAを新規に製造したわけではない。 2012年5月18日、H-IIA 21号機によりアリラン3号を予定軌道に投入し、初の商業打ち上げを成功させた。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2013年9月26日、三菱重工はテレサット社の通信放送衛星Telstar 12 VANTAGEの打上げ輸送サービスを受注したと発表した。日本の国産ロケットが「商業衛星」の打ち上げを受注するのは初であり、また「民間企業からの受注」も初となった。2015年11月24日、H-IIA 29号機によりTELSTAR 12 VANTAGEを予定軌道に投入し、官需衛星や、その相乗りでもない純粋な商業打ち上げを日本で初めて成功させた。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2015年3月9日に三菱重工がアラブ首長国連邦の先端科学技術研究所(EIAST)の地球観測衛星ハリーファサットの2017年度打上げ輸送サービスを受注したと発表、さらに2016年3月22日、同国EIASTの後継機関モハメド・ビン・ラシドスペースセンター(MBRSC)から火星探査機アル・アマルの2020年打ち上げ輸送サービスを受注したと発表した。ハリーファサットは2018年10月29日にH-IIA 40号機により、アル・アマルは2020年7月20日にH-IIA 42号機により予定軌道に打ち上げられた。", "title": "民間への移管" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "2017年9月12日には英インマルサット社のInmarsat-6のF1(初号機)の打ち上げを受注し、海外顧客からの商業打ち上げ受注は5件となった。2021年に打ち上げられた。", "title": "民間への移管" } ]
H-IIA ロケットは、宇宙開発事業団(NASDA)と後継法人の宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工が開発し三菱重工が製造および打ち上げを行う、人工衛星打ち上げ用液体燃料ロケットで使い捨て型のローンチ・ヴィークル。日本の衛星打ち上げの自律性をになうロケットとして基幹ロケットに位置づけられる。成功率は合計で97.87%になっている。JAXA内での表記は「H-IIAロケット」で、発音は「エイチツーエーロケット」であるが、新聞やテレビなどの報道では、「H2Aロケット」または「H-2Aロケット」と表記され、「エイチニーエーロケット」と発音をされる場合が多い。
{{画像提供依頼|4-10、42-45号機の打ち上げ時の写真|date=2011年1月|cat=航空|cat2=熊毛郡}} {{ロケット |名称 = H-IIA |画像名 = H IIA No. F23 with GPM on its way to the launchpad.jpg |画像サイズ = 250px |画像の注釈 = H-IIA23号機 |基本データ = |運用国 = {{JPN}} |開発者 = [[宇宙開発事業団|NASDA]] →[[宇宙航空研究開発機構|JAXA]]<br />[[三菱重工業|三菱重工]] |運用機関 = NASDA(1 - 5号機)<br>JAXA(6、8、10 - 12号機)<br>RSC(7、9号機)<br /> 三菱重工(13号機以降) |使用期間 = [[2001年]] - 現役<br>([[2024年]]度 退役予定<ref name="kihon221223"/>) |射場 = [[種子島宇宙センター#吉信射点|種子島宇宙センター内吉信射点]] |打ち上げ数 = 47回 |成功数 = 46回 |開発費用 = 1,532億円<ref name="戦略2324">[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/utyuu/senmon/dai12/siryou3_2.pdf わが国の宇宙輸送系の現状と今後の方向性 平成23年2月24日](首相官邸公式サイト 宇宙開発戦略本部)</ref> |打ち上げ費用 = 85 - 120億円 |原型 = [[H-IIロケット]] |姉妹型 = [[H-IIBロケット]] |発展型 = [[H3ロケット]] |公式ページ = https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h2a/ |公式ページ名 = JAXA - H-IIAロケット |物理的特徴 = 物理的特徴 |段数 = 2段 |ブースター = 2基/4基 |補助ブースター = 2基/4基 |総質量 = 289 t / 445 t(4基) |空虚質量 = |全長 = 53 m |直径 = 4 m |軌道投入能力 = 軌道投入能力 |低軌道 = 10,000 kg / 15,000 kg(4基) |低軌道詳細 = 300 km / 30.4度 |中軌道 = |中軌道詳細 = |極軌道 = |極軌道詳細 = |太陽同期軌道 = 3,600 kg(夏)/ 4,400 kg(夏以外) |太陽同期軌道詳細 = 800 km / 98.6度 |静止移行軌道 = 4,000 kg / 6,000 kg(4基) |静止移行軌道詳細 = 250 km x 36,226 km / 28.5度 |静止軌道 = |静止軌道詳細 = |その他軌道名 = ロングコースト<br />静止移行軌道 |その他軌道 = 2,900 kg / 4,600 kg (4基) |その他軌道詳細 = 近地点高度2,700 km / 20度 / ⊿V=1500m/s |その他軌道名2 = |その他軌道2 = |その他軌道詳細2 = }} '''H-IIA ロケット'''(エイチツーエー ロケット)は、[[宇宙開発事業団]](NASDA)と後継法人の[[宇宙航空研究開発機構]](JAXA)と[[三菱重工業|三菱重工]]が開発し三菱重工が製造および打ち上げを行う、[[人工衛星]]打ち上げ用[[液体燃料ロケット]]で[[使い捨て型ロケット|使い捨て型]]の[[ローンチ・ヴィークル]]。日本の衛星打ち上げの自律性をになうロケットとして基幹ロケットに位置づけられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://fanfun.jaxa.jp/jaxatv/files/20151030_f29.pdf|title=基幹ロケット高度化H-IIAロケットのステップアップ|publisher=JAXA|date=2015-10-30|accessdate=2020-01-13}}</ref>。成功率は合計で97.87%になっている。JAXA内での表記は「H-IIAロケット」で、発音は「エイチツーエーロケット」であるが、新聞やテレビなどの報道では、「H2Aロケット」または「H-2Aロケット」と表記され、「エイチニーエーロケット」と発音をされる場合が多い<ref>JAXA職員のブログ{{Cite web|和書|title=「JAXAいはもとの宇宙を語ろう!いはもと版今日の話題(ブログ)」の2005年12月2日の記事|url=http://www.espace-iwmt.com/blog/2005/12/hiia_c321.html|accessdate=2019-11-30}}</ref>。 == 概要 == H-IIAロケットは、先代の[[H-IIロケット]]を全体にわたって再設計して構造を大幅に簡素化し、一部に海外の安価な製品を利用をすることで、信頼性を高めながら急激な[[円高]]により失われたコスト競争力を回復させることを目的に開発された。また、開発中に起きたH-IIロケット[[H-IIロケット5号機|5号機]]と[[H-IIロケット8号機|8号機]]の相次ぐ失敗や、[[H-IIAロケット6号機]]の失敗による信頼性の低下を回復するため、運用開始後にも改良が行われた。 [[1996年]]に開発が開始され<ref>[http://h2a.mhi.co.jp/launch/history/index.html 三菱重工の輸送系開発・運用の歴史] 三菱重工公式サイト</ref>、開発費(H-IIからの改良開発費)は約1,532億円であった<ref name="戦略2324"/>。H-IIAと同じくH-IIを技術基盤とするH-IIBの開発費約270億円との合計は1,802億円であり、同じく前機種から改良開発された[[デルタ IV]]の開発費2,750億円、[[アトラス V]]の開発費2,420億円との比較でも安価に開発されているといえる<ref name="戦略2324"/>。 打ち上げ費用は構成によって異なるが約85億円 - 120億円であり、H-IIロケットの140億円 - 190億円に比べると大幅に低減されている。 [[静止トランスファ軌道]]への打ち上げ能力は4.0 - 6.0 [[トン|t]]であり、H-IIロケットと同等 - 約1.5倍の能力である。 [[2001年]]夏に試験機1号機が打ち上げられて以来、47回中46回の打ち上げに成功している。2002年、「H-IIAロケット試験機1号機」が第33回[[星雲賞]]自由部門を受賞した。 2005年の7号機から40機連続で打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は97.9%。H-IIAの強化型バリエーションである[[H-IIBロケット]]も含めると56回中55回の打ち上げに成功しており、打ち上げ成功率は98.2%(2023年9月7日時点)。原型のH-IIロケット(7回中5回成功)を含めた「H-IIシリーズ」全体としても、2021年の44号機の成功をもって国際水準と言われる95%を達成している。 当初、H-IIAロケットは[[2023年]]度に退役する予定であったが<ref name="nikkei160202">{{Cite news|date = 2016年2月2日|newspaper = 日本経済新聞|title = 三菱重工、主力ロケット「H2A」運用終了へ|url = http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ02HWK_S6A200C1TI1000/|accessdate = 2016-2-3}}</ref>、後継機の[[H3ロケット]]の初打ち上げが延期された<ref name="jaxa20221227">{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h3/index_j.html|title=1段実機型タンクステージ燃焼試験(CFT)を終えて|publisher=国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構|date=2022-012-27|accessdate=2023-01-26}}</ref>影響で、最新の宇宙基本計画工程表(令和4年度改訂)では2024年(令和6年)度の50号機の打ち上げを最後に退役予定となっている<ref name="kihon221223">{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/space/plan/plan2/kaitei_fy04/kaitei_fy04.pdf|title=宇宙基本計画工程表(令和4年度改訂)|archive-url=https://web.archive.org/web/20230125035823/https://www8.cao.go.jp/space/plan/plan2/kaitei_fy04/kaitei_fy04.pdf|publisher=|date=2022-12-23|archive-date=2023-01-25|access-date=2023-01-26}}</ref>。 H-IIAには2023年3月7日に打ち上げに失敗したH3ロケット試験機1号機と同系のエンジンが使用されており、JAXAは2023年3月31日に影響の有無が判明していないことを理由に、H-IIAロケット47号機の打ち上げを2023年8月以降に延期すると発表した<ref>{{cite news|url=https://373news.com/_news/storyid/172990/|title=H2Aロケット47号機 打ち上げ8月以降に延期 失敗したH3と同系エンジン使用、影響判明せず JAXA|newspaper=南日本新聞|date=2023-03-31|accessdate=2023-06-06}}</ref>。2023年9月7日打ち上げ成功<ref>{{Cite web |title=【詳しく】H2Aロケット47号機 打ち上げ成功 月探査機 軌道投入 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230907/k10014186371000.html |website=NHKニュース |date=2023-09-07 |access-date=2023-11-14 |last=日本放送協会}}</ref>。48号機の打ち上げは2024年1月11日の予定<ref>{{Cite web |title=「H2A」ロケット48号機 来年1月11日に打ち上げへ 鹿児島 {{!}} NHK |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231113/k10014256171000.html |website=NHKニュース |date=2023-11-13 |access-date=2023-11-14 |last=日本放送協会}}</ref>。 == 特徴 == コア機体は、[[液体水素]]と[[液体酸素]]を推進剤とする1段目・2段目を組み合わせた、2段式ロケットとなっている。打ち上げ時に十分な推力を得るために左右2基の[[固体ロケットブースタ]]([[SRB-A]])を有し、搭載する衛星・探査機等の質量に応じてさらにSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)を追加して柔軟に対応する事ができる。複数の衛星を同時に打ち上げて、個別の軌道に投入する事もできる。 材質は、機体外壁と推進剤タンクとフェアリングが[[アルミニウム合金]]、SRB-Aが[[炭素繊維強化プラスチック|CFRP]]であり、強度を確保したまま機体を軽量化するためにアルミ合金製の推進剤タンクの内面を格子状に彫り込んだ[[アイソグリッド構造]]をしている<ref>[https://fanfun.jaxa.jp/faq/detail/291.html “ロケットは何でできているのですか?&#124;ファン!ファン!JAXA!”]. JAXA. 2019年10月22日閲覧。</ref>。 基本的には H-II の設計コンセプトを踏襲するが、全体にわたり調達・組立・打上げ費用を下げるための見直しが行われている。また、部品技術の国産化にこだわらず、有利であれば輸入品も用いた。これは H-II で国産化にこだわったことから後退しているように見えるが、技術を習得したからこそ有利に購入できる(技術がなければ言い値で購入するしかないが、技術があればコストメリットがないなら購入しないという選択ができ、交渉の主導権を握ることができる)という面もあり、自主技術を持つことには一定の意義がある。また、部品点数・作業工程の低減は信頼性の向上にも貢献する。これらの費用改善を行った結果、H-IIロケットで最高約190億円であった打ち上げ費用を、世界市場の相場である100億円未満まで下げることができた。H-IIAロケット202型の部品総点数は約100万点<ref>[https://www8.cao.go.jp/space/comittee/yusou-dai3/siryou2-2.pdf “我が国の宇宙輸送産業について”]. [[経済産業省]] (2013年4月24日). 2019年10月22日閲覧。</ref>。 H-IIからの主な変更点を以下に記す。 * 第1段エンジン[[LE-7A]]の液体燃料配管系の簡素化による部品点数・溶接箇所など作業工程削減。 * 第1段推進剤タンクドーム(両端の半球形状の部分)を、H-IIでの溶接組立から、輸入品の一体成型品に変更。 * 第2段エンジン[[LE-5B]]も推進力の向上とともに部品点数・作業工程の低減。[[H-IIロケット5号機]]の事故で問題となった[[ろう付け]]の施工箇所なども大幅削減されている。 * 第2段推進剤タンクを一体型から独立型に変更。一体型だと隔壁を通して保存温度の異なる[[液体水素]]と[[液体酸素]]が接するため温度管理が複雑になっていた。また第2段推進剤タンクは[[デルタ III|デルタIIIロケット]]の第2段や、[[デルタ IV|デルタIVロケット]]の4 m型第2段と共通で、いずれも液体水素タンクを[[三菱重工業]]が、液体酸素タンクと液体水素タンク・ドームを[[ボーイング]](旧[[マクダネル・ダグラス]])が製造している<ref name="Delta III">[https://news.mynavi.jp/article/spacetechnology-7/ ドーピングには御用心 - 中型から背伸びした大型ロケット「デルタIII」]、マイナビニュース. (2016年8月10日). 2018年9月14日閲覧。</ref>。 * [[固体ロケットブースタ]]を4分割構造から一体型に変更したうえ、ストラットを追加して推力を第1段の最下部に伝達する構造に変更し、第1段の簡素化も図った。 * 1/2段の段間部をアルミ合金から[[炭素繊維]]複合材と発泡材のコアによるサンドイッチ構造に変更し軽量化<ref>[https://www.mext.go.jp/a_menu/kaihatu/space/kaihatsushi/detail/1299812.htm “(3) H-ⅡAロケット:文部科学省”]. 文部科学省 (2011年2月). 2019年10月22日閲覧。</ref>。 * 搭載電子機器の小型・軽量化と配線のデータバス化による配線数の削減。 * アンビリカル(地上設備とロケットを接続する管や配線)を、H-IIでは射座点検塔(PST、射点脇の構造物)と接続していたが、H-IIAでは移動発射台(ML)と接続するように変更した。 * 人工衛星の取り付けを、H-IIでは射点で行っていたが、H-IIAでは大型ロケット組立棟(VAB)で行うこととした。 * 前述のアンビリカルおよび衛星搭載場所の変更により、H-IIAは大型ロケット組立棟(VAB)でアンビリカル接続と衛星搭載の双方を終えて、打ち上げ半日前に大型ロケット組立棟(VAB)から射点へ移動すれば良いことになった。また、H-IIは衛星を外さなければ大型ロケット組立棟(VAB)に戻ることができなかったが、H-IIAは打ち上げが中止されても短時間で大型ロケット組立棟(VAB)に戻ることが可能になった。 * 射点設備が大幅に簡素化され、H-II用に建設された第一射点には、アンビリカル接続や衛星取付を行い、観音開き式にロケット全体を格納することもできる射座点検塔(PST)と呼ばれる構造物が建設されたが、H-IIA用に増設された第二射点は、気象観測用の簡素な塔を設置するだけで済んだ。第一射点の射座点検塔(PST)はH-IIAでは使用しないため、観音開き式の部分を撤去した上で、打ち上げ時の機体監視用カメラの設置や、打ち上げ号機の掲示などに使用されていたが、老朽化が進んだため2010年11月から2011年3月にかけて解体された<ref>{{Cite web|和書|title=JAXA 種子島宇宙センター 2010年トピックス|url=http://www.jaxa.jp/visit/tanegashima/topics2010_j.html|accessdate=2011-07-08}}</ref>。 == 構成と諸元 == === 主要諸元一覧 === {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size: 95%;" |+ H-IIAロケット主要諸元一覧 !段数(Stage) !scope="col"|第1段 !scope="col"|固体ロケットブースタ<br />(1本あたり) !scope="col"|固体補助ロケット<br />(1本あたり) !scope="col"|第2段 !scope="col"|衛星フェアリング<br />(4S型) |- !scope="row"|全長 |37.2 m |15.2 m |14.9 m |9.2 m |12.0 m |- !scope="row"|外径 |4.0 m |2.5 m |1.0 m |4.0 m |4.07 m |- !scope="row"|質量 |114 t |76.6 t(長秒時)<br />75.5 t(高圧) |15.5 t |20.0 t |1.4 t<br /><small>(衛星アダプタ、<br />分離部含む)</small> |- !scope="row"|使用エンジン |[[LE-7A]] |[[SRB-A|SRB-A3]] |[[キャスター (ロケットモータ)#キャスターIVA-XL|キャスターIVA-XL]] |[[LE-5B]] |- |- !scope="row"|推進薬重量 |101.1 t |66.0 t(長秒時)<br />64.9 t(高圧) |13.1 t |16.9 t |- |- !scope="row"|推進薬 |[[液体酸素]]<br />[[液体水素]]<br />(LOX/LH2) |<small>[[ポリブタジエン]]系<br />コンポジット固体推進薬</small> |<small>[[ポリブタジエン]]系<br />コンポジット固体推進薬</small> |液体酸素<br />液体水素<br />(LOX/LH2) |- |- !scope="row"|推力 |1,098 kN(112 tf)<br />(長ノズル)<br />1,074 kN(109.5 tf)<br />(短ノズル)<br />(真空中) |2,262.5 kN(231 tf)<br />(最大推力) |745 kN(76 tf)<br />(最大推力) |137 kN(14 tf)<br />(真空中) |- |- !scope="row"|比推力 |440 sec<br />(長ノズル)<br />429 sec<br />(短ノズル)<br />(真空中) |283.6 sec |282 sec |448 sec<br />(真空中) |- |- !scope="row"|有効燃焼時間 |390 sec |116 sec(長秒時)<br />98 sec(高圧) |60 sec |530 sec |- |- !scope="row"|姿勢制御方式 |エンジン[[ジンバル]]<br />補助エンジン |ノズルジンバル |無し |エンジンジンバル<br />ガスジェット装置 |- |- style="text-align:left" !scope="row"|主要搭載<br />電子装置 | * 誘導制御計算機 * 横加速度計測装置 * レートジャイロ * パッケージ * 制御電子パッケージ * データ収集装置 * テレメータ送信機 | * 電動アクチュエータ<br />コントローラ * 駆動用電源分配器 |- | * 誘導制御計算機 * 慣性センサユニット * 電動アクチュエータ<br />コントローラ * データ収集装置 * テレメータ送信機 * レーダトランスポンダ2台 * 指令破壊受信機2台 |- |} [[File:Mitsubishi_LE-7A.JPG|thumb|LE-7A液体燃料ロケットエンジン(三菱重工品川本社ビル)]] [[ファイル:Adeos2 on H-IIA without descrpition.svg|thumb|524x524px|H-IIA]] ;第1段機体 LE-7Aエンジン [[LE-7A]]エンジンはH-IIAロケットの第1段エンジンで、推進薬に液体水素と液体酸素を用いた、国産の大型液体燃料エンジンである。[[H-IIロケット]]の第1段エンジンとして開発された[[LE-7]]エンジンを元に、性能を維持しつつ費用縮減が図られている。 リフトオフの約5秒前に点火され、第2段との切り離しまでの約390秒間燃焼する。 開発当初、下部ノズルスカートを装着した長ノズル構成では、エンジン起動時に過大な横方向推力が発生する問題があり、短ノズルのみを使用して回避していた。そのため、静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約400 kgの性能低下が起きていた。8号機、9号機および11号機以降では、新たに開発された完全再生冷却型の長ノズルが使用され、本来の性能が発揮できるようになっている。また、液体水素ターボポンプ、液体酸素用ターボポンプには、使用開始後にも改良が加えられている。([[LE-7A]]エンジンも参照) 9号機以降では、SRB-Aを4基使用した打ち上げ時の推力に耐えられるように、機体構造の強化が行われている<ref>[https://www.jaxa.jp/press/2006/09/20060927_sac_h2a-f11_2.pdf H-IIAロケット204型ロケットの開発状況と11号機の打上げに向けた準備状況]JAXA</ref>。また、15号機(202型)にも使用したSRB-A・4本装着用(202/204共用)の1段コア機体構造は、2本装着専用に比べ質量が約600 kg大きくなっている<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/gijiroku/h20/anzen/08120203/003.pdf H-ⅡAロケット15号機の打上げに係る飛行安全計画、地上安全計画の概要]JAXA</ref>。23号機(202型)からはエンジン周りのSSB取り付け部を省略して構造を簡素化したことによって120kgの軽量化を果たしている<ref name=nkx0420140117bean>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0420140117bean.html|title=三菱重工、「H2A」23号機公開-部材簡素化し120キログラム軽量化|date=2014-01-17|publisher=株式会社[[日刊工業新聞]]社|accessdate=2014-03-01}}</ref>。 ;第2段機体 LE-5Bエンジン・LE-5B-2エンジン [[LE-5B]]エンジンはH-IIAロケットの第2段エンジンで、第1段と同様に液体水素と液体酸素を推進薬とした国産の液体燃料エンジンである。[[H-Iロケット]]の第2段エンジンとして開発された[[LE-5]]エンジンを元に、[[H-IIロケット]]第2段用の[[LE-5A]]エンジン、そしてこのLE-5Bエンジンと、徐々に性能向上が図られてきている。先代のLE-5Aエンジンと比べると、大幅な費用縮減も図られている。 燃焼圧の変動を抑えた改良型LE-5BエンジンであるLE-5B-2の開発が進められ、14号機から使用されている([[LE-5B]]エンジンも参照)。 LE-5B・LE-5B-2エンジンは'''再々着火'''(第3回燃焼)が可能である。衛星をより遠い軌道まで運搬する再々着火の実用化は「[[#基幹ロケット高度化|基幹ロケット高度化]]」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」のための第2段機体とエンジンの改良開発が適用された29号機の打ち上げが初となった。実用化のための先行的実験として、2号機打ち上げ1時間40分後の主衛星分離後に再々着火試験が行われたほか、21号機では燃料の蒸発を防ぐための第2段液体水素タンク表面の機体塗装の白色化のみが、24号機では第2段エンジンの新開発予冷のみが適用され、26号機で白色塗装と新開発予冷が合わせて適用された。第2段エンジンの再々着火が実用化されたことにより、静止トランスファ軌道(GTO)の遠地点近傍のロングコースト静止トランファ軌道への静止衛星の投入が可能となり、衛星側の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、従来より静止衛星を3年から5年延命させることができるようになった。これによりH-IIAロケットの商業受注における競争力が向上している<ref name="upgrade">{{Cite web|和書|url=http://www.rocket.jaxa.jp/rocket/h2a_upgrade/|title=基幹ロケット高度化|publisher=JAXA|accessdate=2015-011-25}}</ref><ref name="upgradepdf">{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/projects/pr/brochure/pdf/01/rocket08.pdf|title=基幹ロケット高度化パンフレット|publisher=JAXA|accessdate=2015-011-25}}</ref>。(下記の[[#基幹ロケット高度化|基幹ロケット高度化]]も参照) H-IIAロケットは[[HOPE (宇宙往還機)|HOPE-X]]の打上げ形態案(H2A1024)[https://jda.jaxa.jp/result.php?lang=j&id=a12a84f98ee9c416e7c347b2c9e7a60b]のように、第2段を使用せずに第1段ロケットだけを使用することも可能であるが、実際に第1段のみで打ち上げられたことはない。 ;固体ロケットブースタ SRB-A・SRB-A改良型・SRB-A3 [[SRB-A]]は[[IHIエアロスペース]]が製造する固体ロケット[[ブースタ]]。H-IIロケット用のSRBでは高張力鋼4分割構造を[[ボルト (部品)|ボルト]]接合していたが、これを[[炭素繊維強化プラスチック]] (CFRP) 製の一体成型に変更し、大幅な費用縮減が図られている。 H-IIAロケットにおいては、第1段の両脇にSRB-Aを2基装着する構成を基本とし、衛星質量に応じて4基構成をとることも出来る。カウントダウンX-0と同時に点火され、H-IIAロケットを離床させるためのもっとも大きな推力を発生する。約100 - 120秒間燃焼した後に2基ずつ分離される。11号機では、初めてSRB-A改良型の4基構成での打ち上げが行われた。 6号機ではSRB-Aのノズル部分の破損が打ち上げ失敗の原因となったため、7号機からは信頼性向上のために最大推力を落として燃焼時間を延長した長秒時型のSRB-A改良型を使用していた。そのため静止トランスファ軌道(GTO)投入能力に換算して約300 kgの性能低下が起きていた。15号機からは本来の能力を回復したSRB-A3が使用されている(下記の[[#SRB-Aのノズル形状変更と能力回復]]も参照)。 SRB-A3は高圧燃焼型と長秒時燃焼型のモータ2種類を運用しており、2本1組で使用する場合には必要な打上げ能力に応じて2種のモータのどちらかを選択し、4本1組で使用する場合にはロケット機体の加速度制限等により長秒時燃焼モータを適用する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.rocket.jaxa.jp/rocket-engine/engine/srba/|title=SRB-A(概要と燃焼試験)JAXA宇宙輸送ミッション本部|publisher=JAXA|accessdate=2010-11-21}}</ref>。 ;固体補助ロケット(SSB) キャスターIVA-XL アメリカにある世界最大の固体燃料ロケットメーカー、[[ATKランチ・システムズ・グループ]]の[[キャスター (ロケットモータ)#キャスターIVA-XL|キャスターIVA-XL]]を元に、H-IIAロケットに取り付けるためのモータケースの改造や、信頼性向上のためにノズルスロート部の材料変更などを行ったものである。H-IIAロケットでは、搭載する衛星の質量にあわせて、SSB無し、2基、あるいは4基構成を取ることができる。特にLE-7Aの長ノズルの開発が遅れていた初期の打ち上げやSRB-A改良型を使用していた時には、その推力不足を補う目的でも活用されていた。その後、2007年度にH-IIAロケットの打ち上げ業務の移管を受けた[[三菱重工業|三菱重工]]は、H-IIAのラインアップ整理のため、移管後に新規に受注した機体からはSSBを廃止した<ref name="unssb">{{Cite news|date = 2006-12-05|newspaper = NIKKEI NET|title = 三菱重工、「H2A」2機種に半減・民営化でコスト減|archiveurl = https://web.archive.org/web/20061206221523/http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20061205AT1D0300504122006.html|url = http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20061205AT1D0300504122006.html|archivedate = 2006-12-06}}</ref>。23号機からは1段目エンジン周りのSSB取り付け部を省略している<ref name=nkx0420140117bean/>。 SSBは、リフトオフと同時ではなく、約10秒後に空中で点火される。これは、射点を燃焼ガスから守るための措置である。SSB4基構成の場合は、リフトオフ後の約10秒で最初の2基が点火され、最初の2基の燃焼終了後に、残りの2基が点火される。最初の2基は、燃焼終了後すぐには分離せずに、空気が十分に薄くなる高度に達した後に、SRB-Aとともに分離される。損失が大きいこの手順を取る理由は、機体に掛かる動圧の低減と、空気抵抗による分離シーケンスでのリスクを最小限に抑えるためである。なお、それまでに打ち上げた衛星の中で最も重い質量約4.65 tのひまわり7号を打ち上げた9号機、{{要出典範囲|およびその後の12号機|date=2010年5月}}では、長秒型SRB-Aとの組み合わせでの打ち上げ能力を最大限確保するために、4基のSSBを同時に燃焼させる手順に変更され、リフトオフ約10秒後に最初の2基が、20秒後に次の2基が点火された。 ;液体ロケットブースタ(LRB) 初期の構想では、さらに打ち上げ能力を増強するため、上記のSRB-Aを2基を使用した標準型に、LRBを1基、あるいは2基を装着する増強型の構想があった。この構想は[[H-IIBロケット]]の開発に置き換えられた(詳細は下記の[[H-IIAロケット#ラインナップの変遷|ラインナップの変遷]]を参照のこと)。 LRBは第1段機体をベースに、[[LE-7A]]エンジンを2基クラスタ化して搭載した[[ブースタ]]として使用するもので、燃料タンクや搭載機器、エンジンなど多くを第1段と共通化する予定であった<ref>LRBには補助エンジン系は装着されない。主要諸元:全長36.7 m、外形4.0 m、質量117 t、推進薬質量99.2 t、推力2200 kN、燃焼時間200 sec、推進薬種類 液体水素/液体水素、比推力440.0 sec、姿勢制御方式 ノズルジンバル、主要搭載電子装置 誘導制御系機器、H-IIAシステム解説書 NASDA 2000年3月</ref>。[[きく8号|技術試験衛星VIII型(きく8号)]]や[[宇宙ステーション補給機|宇宙ステーション補給機(HTV、こうのとり)]]、[[HOPE (宇宙往還機)|HOPE(ホープ)]]はLRBを使用して打ち上げる予定であった。 ;衛星フェアリング [[File:Kuroshima fairing.jpg|thumb|right|[[沖縄県]][[黒島 (沖縄県竹富町)|黒島]]に漂着したH-IIAロケット11号機の衛星フェアリング]] [[川崎重工業|川崎重工]]が開発・製造する[[ペイロードフェアリング|フェアリング]]で、打ち上げ時の振動や大気圏を抜けるまでの空気抵抗、空力加熱から衛星を保護するためのカバーである。ロケットの先端部分に取り付けられている。大気圏を通過した後の高度約150 km付近で、ロケットの重量を出来るだけ軽くするために(2段式は上部のみ)分離される。海面に落下し浮かんでいるフェアリングは回収船で海上回収される。回収されたものの一部は、フェアリングを活用した商品開発をする企業等に無償で提供された事もある<ref>{{Cite web|和書|url=http://aerospacebiz.jaxa.jp/jp/topics/2012/topics120220.html|title=ロケットの回収後フェアリングの活用方法を募集します|publisher=JAXA|accessdate=2012-05-19}}</ref>。 ロケット本体と同じ直径4mの4S型のほか、大型衛星用で直径5mの5S型や、2個の衛星を同時に軌道投入できる4/4D-LS型、4/4D-LC型、5/4D型の計5種類のフェアリングが用意されている<ref>[http://www.khi.co.jp/aero/product/space/h_2.html H-IIA/H-IIBロケット 衛星フェアリング](川崎重工)</ref>。増強型の構想ではHTV用に5S-H型フェアリングの使用も考慮されていたが、H-IIBロケットの開発が決定したためH-IIAロケットでは用いられない。 フェアリングの種類によって打上能力も違い、H2A204型では4S型と4/4D-LC型でGTOへの投入能力に850 kgの差がある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/reports/06101712/001.pdf|title=準天頂高精度測位実験について 評価その2対象分|publisher=JAXA|format=PDF|accessdate=2011-01-23}}</ref>。 ;衛星分離部(PAF) 衛星とロケットの間に配置されて両者を結合するために使用される部品で、衛星とは締結ボルトで固定される。937M-スピン型、937M-スピンA型、937M型、937MH型、1194M型、1666M型、1666MA型、1666S型、2360SA型、3470S型などがあり<ref name="hiia8 gaiyou"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://doi.org/10.2322/jjsass1969.46.458 |title=日本航空宇宙学会誌 第46巻 第535号(1998年8月) -特集- H-IIAロケットのペイロードインタフェースについて|publisher=日本航空宇宙学会誌|date=1998-08|accessdate=2018-11-06|doi=10.2322/jjsass1969.46.458 }}</ref>、衛星の大きさや放出機構に合わせて十数種類の中から選択される。衛星分離時には衛星と分離部を接合している締結ボルトを爆薬(火工品)で爆破して一気に切断して衛星を分離する方法を採用しているが、この方法は確実に分離を行える利点があるものの衛星に伝わる衝撃が大きいという欠点があった。そこで基幹ロケット高度化に合わせて、クランプバンドで締結しておいた接合部を電気的にラッチ機構で解放することで衛星を分離する方法に改めて、衛星に伝わる衝撃を低減することになった。30号機で低衝撃衛星分離機構の先行的実験として、従来の衛星分離部をかさ上げして余剰スペースにダミー機構を搭載して宇宙空間で実際に作動させる実験を行った<ref name="mynavi151204">{{Cite news|date = 2015年12月4日|newspaper = マイナビニュース|title = MHI、X線天文衛星「ASTRO-H」を打ち上げるH-IIA 30号機を公開 - 乗り心地の改良と低コスト化に向けた飽くなき挑戦|url = https://news.mynavi.jp/techplus/article/20151204-mhi_h2a30/|accessdate = 2016-2-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = http://www.sacj.org/openbbs/|title = No.1939 :H-IIAロケット30号機Y-1プレスブリーフィング|accessdate = 2016-2-18|publisher = 宇宙作家クラブ|date = 2016年2月10日}}</ref>。 ;サブペイロード 打ち上げ能力に余裕がある場合は、[[ピギーバック衛星|サブペイロード]]として1辺50 - 70 cmの[[小型衛星]]を最大4個まで搭載可能である。さらに、1辺10 - 30 cmの超小型衛星に関しては50 - 70 cmの衛星1機分の空間に3 - 4機搭載可能である。これを利用して、15号機では主衛星のいぶきの他に1辺50 - 70 cmの衛星3機と15 - 30 cmの衛星4機の合計8基を同時に打ち上げている。 ;JPOD 20 cm以下の公募衛星に対して標準化した分離機構を提供するため、17号機では初めて'''J-POD (JAXA Picosatellite Orbital Deployer)'''と呼ばれる箱型の装置が小型衛星の空間に搭載された。10 cm級の衛星であれば田の字型に並んだ4つの発射孔を持つJ-PODが使われ、20 cm級の衛星であれば1機のみ搭載できるJ-PODが使われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2008/04/20080423_sac_sat_j.pdf|title=H-IIAロケットに相乗りする小型副衛星の通年公募について|publisher=JAXA|format=PDF|date=2008-04-23|accessdate=2010-05-26}}</ref>。17号機では前者のタイプが使われ、公募衛星のうち3機が1つのJ-PODから放出された。なおJ-POD自体は20 kg程度の重量を占め、役目を終えると切り離される。 ;アビオニクス 21号機までは、RX616[[リアルタイムオペレーティングシステム|リアルタイムOS]]と32ビット[[MPU]]の[[NEC Vシリーズ|V70]]を採用した[[日本電気|NEC]]が開発した誘導制御計算機を搭載していたが、部品の枯渇に対応するため新たにほぼ全ての[[アビオニクス]]が新規に開発された。新たなアビオニクスのうち、JAXA情報・計算工学センターが開発した新型の[[TOPPERS]]/HRPリアルタイムOSと、NECが開発したV70より10倍高性能の64ビットMPUのHR5000を採用した新型誘導制御計算機、新型慣性センサユニットなどは、H-IIBの3号機で初めて適用されH-IIAでは他のアビオニクスも加えて22号機から適用される。新型誘導制御計算機は高速・小型・軽量・モジュール化が図られており、新型MPUボードは[[イプシロンロケット]]も含んだ今後のJAXAロケットの共通基盤となる<ref>[http://jpn.nec.com/techrep/journal/g11/n01/g1101pa.html#name4-9 ロケット用誘導制御計算機の変遷と展望 NEC技報]</ref>。 === 打上げ能力 === <!-- このページには「H2A」と「H-IIA」の異なる表記がありますが正しい表記です。ロケット自体の名称と形式名(モデルナンバー)で表記が違うのです。--> 打上げ能力はSRB-Aや固体補助ロケット(SSB)・液体ロケットブースタ(LRB)の数により変化する。ただし第1段エンジン(LE-7A)のノズルの長短や、SRB-Aの高圧型、長秒時型の違いによっても能力が変化するため、同じ形式でも時期によって打上げ能力が違う。 計画時のLRBを使用したH2A212型・H2A222型は開発が中止されている。また、打ち上げ関連業務が[[三菱重工業|三菱重工]]に移管されてからは、SSBを用いるH2A2022型とH2A2024型は受注していない。2010年7月現在、H2A202型・H2A204型が運用中である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/projects/pr/brochure/pdf/01/rocket01.pdf|title=H-IIAロケット|publisher=JAXA|format=PDF|accessdate=2017-10-15}}</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:center;font-size: 95%;" |+ '''形式名と打ち上げ能力''' ! 型式名※4 ! H2A202型<br />(運用中) ! H2A2022型<br />(廃止) ! H2A2024型<br />(廃止) ! H2A204型<br />(運用中) ! H2A212型<br />(開発中止) ! H2A222型<br />(開発せず) ! [[H-IIBロケット]]<br />(参考) |- ! ロケット質量 | 289 t | 321 t | 351 t | 445 t | style="background-color: #FFCCCC;" | 410 t | style="background-color: #FFCCCC;" | 520 t | 551 t |- ! 第1段 | colspan="4" | LE-7A | style="background-color: #FFCCCC;" colspan="2" | LE-7A | LE-7A 2基 |- ! 第2段 | colspan="4" | LE-5B | style="background-color: #FFCCCC;" colspan="2" | LE-5B | LE-5B |- ! LRB | colspan="4" | N/A | style="background-color: #FFCCCC;" | 1基<br />LE-7A 2基 | style="background-color: #FFCCCC;" | 2基<br />LE-7A 4基 | N/A |- ! SRB-A | colspan="3" |2基 | 4基 | style="background-color: #FFCCCC;" colspan="2" |2基 | 4基 |- ! SSB | 0 | 2 | 4 | N/A | style="background-color: #FFCCCC;" colspan="2" | N/A | N/A |- ! 地球重力脱出<br /><small>月・惑星探査等</small> | 2,500 kg | - | - | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | - |- ! [[人工衛星の軌道|スーパーシンクロナス<br />トランスファ軌道]]<ref>http://www.satellite-business.com/html/images/pdf/177_pdf2.pdf{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref><br /><small>遠地点高度80,000km<br />近地点高度500 km<br />軌道傾斜角約20度</small> | 2,500 kg | - | - | 4,400 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | - |- ! 標準[[静止トランスファ軌道]]<br />(GTO)※1<ref>http://rocket.sfo.jaxa.jp/204-3.html{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref><br /><small>遠地点高度36,226 km<br />近地点高度250 km<br />軌道傾斜角28.5度</small> | 4,000 kg<br />(3,800 kg)※3 | 4,500 kg<br />(4,200 kg)※3 | 5,000 kg<br />(4,700 kg)※3 | 6,000 kg<br />(5,800 kg)※3 | style="background-color: #FFCCCC;" | 7,500 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | 9,500 kg | 8,000 kg |- ! ロングコースト<br />静止トランスファ軌道※1<ref name="upgradepdf"/><small><br />近地点高度2,700 km<br />軌道傾斜角20度<br />⊿V=1500m/s</small> | 2,970 kg<br /><small>([[#基幹ロケット高度化|高度化]]適用機)</small><br />1,700 kg<br /><small>(高度化非適用機)</small> | - | - | 4,820 kg<br /><small>(高度化適用機)</small><br />2,300 kg<br /><small>(高度化非適用機)</small> | style="background-color: #FFCCCC;" | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | 5,500 kg<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2013/09/20130904_rocket_j.pdf|title=新型基幹ロケットに関する検討状況について|publisher=JAXA|format=PDF|accessdate=2013-09-15}}</ref><br /><small>(高度化適用機)</small> |- ! [[太陽同期軌道]](SSO)<br /><small>高度800 km<br />軌道傾斜角98.6度</small> | 3,600 kg<br /><small>(夏季)</small><br />4,400 kg<br /><small>(冬季)</small> | - | - | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | style="background-color: #FFCCCC;" | - | - |- ! [[低軌道]](LEO)<br /><small>高度300 km<br />軌道傾斜角30.4度</small> | 10,000 kg | - | - | 15,000 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | 17,000 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | 20,000 kg | 19,000 kg |- ! [[宇宙ステーション補給機|HTV]]軌道※2<br /><small>遠地点高度300 km<br />近地点高度200 km<br />軌道傾斜角51.7度</small> | - | - | - | 12,000 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | 15,000 kg | style="background-color: #FFCCCC;" | - | 16,500 kg |} <small>※1:静止衛星打ち上げの際は、GTOからGSO([[静止軌道]])へ軌道遷移は衛星側に搭載する[[アポジエンジン]]の動力で行う。標準静止トランスファ軌道:静止化増速量1,830 m/s、ロングコースト静止トランスファ軌道:静止化増速量1,500 m/s<br /> ※2:HTV軌道とは、[[宇宙ステーション補給機]](HTV)が自力で[[国際宇宙ステーション]]軌道へ移行する前に投入される、低高度の楕円軌道。<br /> ※3:7号機から13号機までは、燃焼パターンを調整し安定性を高めたSRB-A改良型を装着したため、GTOへの投入能力がおよそ200 - 300 kg少なくなっている。15号機からはSRB-A3が適用され打ち上げ能力を選択できる。<br /> ※4:'''H2Aabcd'''形式 a=段数(ほぼ2固定) b=LRB数(現在は0固定) c=SRB数 d=SSB数(0は省略)</small> === ラインナップの変遷 === [[ファイル:H-IIA_Family.png|180px|left|thumb|H-IIAロケット ラインナップ]] H-IIAロケットには、当初の計画では現在とは若干異なる4つのラインナップ(H2A202型/H2A2022型/H2A2024型/H2A212型)と、将来発展型としてH2A222型が存在した。標準型のH2A202/2022/2024は人工衛星打ち上げ用として、増強型のH2A212型は[[宇宙ステーション補給機|HTV]]打ち上げ用に使用される予定であった。しかし、このうちH2A212型は開発途中で中止され、将来発展型とされていたH2A222型においては机上計画のみに終わった。 H2A212型の開発中止の理由は、世界でも稀な[[回転対称]]にならない非対称型ロケットであり、その制御に困難が予想されるためであった。 H2A222型においては、メインエンジンのLE-7Aを5基も使用する大規模なクラスタロケットであり、各エンジンの出力などの精密な制御に困難が予測される事に加え、高価で(計画時点で)実績のないLE-7Aエンジンを多数使用する機体となり、製造費用の高騰が予測される事と、信頼性確保の難しさから、実際の開発が行われる事はなかった。 これらの問題点に加え、最も大きかったのは[[H-IIロケット]]の相次ぐ失敗に伴う、開発資源の「'''選択と集中'''」であった。安価で信頼性向上を目指したH-IIAロケットの早期立ち上げのため、製造済みであったH-IIロケット7号機の打ち上げは中止され、H-IIAロケットの標準型である20xx型の開発のみに注力した。 5.8 tの衛星ETS-VIII([[きく8号]])は当初、静止トランスファ軌道に7.5 tの打ち上げ能力を持つH2A212型を前提として開発が進められていた、そのままでは打ち上げられるロケットが無いため、SRB-Aを4本配し静止トランスファ軌道6 t級の能力を持つH2A204型が新たに開発された。 HTV打ち上げ用には、費用と技術的な課題を出来るだけ抑えるため、H2A212型に代わってH-IIA+ロケットの構想が提案された。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/nasda/2002/h2a_020510_j.html|title=標準型以降のH-IIAロケット開発の在り方|publisher=NASDA|date=2002年5月10日|accessdate=2010-11-21}}</ref> 1段目機体の直径を4 mから5 m級に拡張してメインエンジンのLE-7Aを2台配し、その周りにSRB-Aを4基装着されている。H2A212型と比べ、静止トランスファ軌道投入能力が7.5 tから8 tへ、HTV打ち上げ能力が15 tから16 tへと向上するとされる。これにより、HTVによる[[国際宇宙ステーション]](ISS)への物資輸送回数を減らして打ち上げ費用を削減する事ができるとされる。この構想は、[[H-IIBロケット]]へと名前を変えて、[[2005年]]秋に開発フェーズへと移行した。 H-IIAロケットは2007年度から民間企業である[[三菱重工業|三菱重工]]へ移管された。三菱重工では生産ラインを整理するため、SSBを使用するH2A2022型・H2A2024型の廃止を表明している。これにより、<!--移管時点ではSSBを使う13・14号機が受注済みだったものの-->2007年度以降に受注されたH-IIAロケットのラインアップはH2A202型とH2A204型の2つに集約されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://h2a.mhi.co.jp/lineup/h2a/index.html|publisher=三菱重工|title=H-IIAロケット打上げ輸送サービストップ > ラインアップ > H-IIAロケット|accessdate=2010-11-21}}</ref>。 {| class="sortable mw-collapsible uncollapsed" width="100%" border="2" cellpadding="4" cellspacing="0" style="margin: 1em 1em 1em 0; background: #f9f9f9; border: 1px #aaa solid; border-collapse: collapse; font-size: 85%;" |----- bgcolor="#85BB65" ! colspan="12" |''' 比較表(2014.3)''' |----- bgcolor="#96C8A2" ! rowspan="2"| 形式 ! rowspan="2"| 運用国 ! rowspan="2"| 初飛行 ! rowspan="2"| 打ち上げ緯度 ! rowspan="2"| 総質量 (t) ! colspan="3"| ペイロード(t) ! rowspan="2"| 直径 (m) ! rowspan="2"| 成功回数/総打ち上げ回数 |----- bgcolor="#96C8A2" ![[低軌道]] ![[静止トランスファ軌道]](静止化増速量1500m/s) ![[静止軌道]] |- align="center" ![[プロトン-M]] |{{RUS}} | 2001 | 46° | 705 | 23 | 6.15 | 3.25 | 4.335 | 78/80 |- align="center" ! [[アリアン5]] ECA | {{flag|European Union}} | 2002 | 5° | 780 | 21.0 | 9.6 | | 5.4 | 46/47 |- align="center" ! [[ゼニット (ロケット)|ゼニット]] 3SL | {{RUS}} | 1999 | 0° | 473 | 7.0 | 6.16 | 2.9 | 4.15 | 33/36 |- align="center" ! [[デルタ IV]] Heavy | {{flag|United States}} | 2004 | 28° | 732 | 28.79 | 10.1 | 6.75 | 5.1 | 8/8 |- align="center" ! デルタ IV Medium+(5.4) | {{flag|United States}} | 2009 | 28° | 399 | 14.14 | 5.4 | 3.12 | 5.1 | 4/4 |- align="center" ! [[アトラス V]] 551 | {{flag|United States}} | 2006 | 28° | 541 | 18,8 | 6.86 | 3.904 | 3.8 | 5/5 |- align="center" ! アトラス V 521 | {{flag|United States}} | 2003 | 28° | 419 | 13.49 | 4.88 | 2.63 | 3.8 | 2/2 |- align="center" ! [[ファルコン9]] v1.1 | {{flag|United States}} | 2013 | 28° | 505 | 10.45 | | | 3.7 | 4/4 |- align="center" ! [[H-IIBロケット|H-IIB]] |{{flag|Japan}} | 2009 | 30° | 531 | 19 | 5.5 | 4 | 5.1 | 9/9 |- align="center" ! H-IIA 204 |{{flag|Japan}} | 2006 | 30° | 445 | 15 | 4.6 | 3 | 4 | 1/1 |- align="center" ! [[長征3号B]] | {{flag|China}} | 1996 | 28° | 426 | | | | 4.2 | 25/26 |} == 打ち上げ履歴・予定の一覧 == 全て[[種子島宇宙センター#吉信射点|種子島宇宙センター大崎射場吉信第1射点]](LP-1)から打上げ。 === 衛星打ち上げ履歴 === {| class="wikitable sortable" style="font-size: 95%;" |+ '''衛星打ち上げ一覧''' !No. !画像 !style="white-space:nowrap"|打上げ日時<br />(日本時間) !成否 !積荷 !style="white-space:nowrap"|衛星概要 !軌道 !備考 |- |rowspan="2"|試験機<br />1号機 |rowspan="2"|[[画像:H-2A初号機打上.jpg|100px|]] |rowspan="2"|[[2001年]][[8月29日]]<br />16時00分 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} ロケット性能確認用ペイロード2型(VEP-2) | |rowspan="2" style="text-align: center;"|[[静止トランスファ軌道|GTO]] |rowspan="2"|[[ARTEMIS]]とDASHを搭載予定だったが、開発が遅れたため性能確認用のペイロード搭載<ref>{{cite news| title =H-IIA開発計画等の見直しについて| url=https://www.jaxa.jp/press/nasda/2000/h2a_001208_2_j.html| publisher = 宇宙開発事業団 | accessdate = 2012-7-8}}</ref><br />8月25日の予定が機器の作動不良により延期 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[LRE]] |レーザ測距装置 |- |rowspan="3" style="white-space:nowrap"|試験機<br />2号機 |rowspan="3"|[[画像:H2A.jpg|100px]] |rowspan="3"|[[2002年]][[2月4日]]<br />11時45分 |rowspan="3" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[つばさ (人工衛星)|つばさ]](MDS-1) |民生部品・コンポーネント実証衛星 |rowspan="3" style="text-align: center;"|GTO |rowspan="3"|つばさの民生部品[[放射線]][[被曝]]特性試験のため、[[ヴァン・アレン帯]]を通過するGTO(軌道傾斜角約 28.5 度)に投入<br />1月31日の予定が天候不良と部品交換等により延期<br />DASHはロケット側が分離コマンドを発行したが、衛星の製作ミスで分離機構が不動作、下部フェアリングからの分離に失敗<br />ミッション終了後に第2段の再々着火予備試験を行った |- |bgcolor = "#dddddd"|{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[高速再突入実験機|DASH]]<br>(衛星側の失敗) |bgcolor = "#dddddd"|[[宇宙科学研究所|ISAS]]の高速再突入実験機 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}}ロケット性能確認用ペイロード3型(VEP-3) | |- |rowspan="2"|3号機 |rowspan="2"|[[File:20020910 H2A-3.JPG|100px]] |rowspan="2"|2002年[[9月10日]]<br />17時20分 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[こだま (人工衛星)|こだま]](DRTS) |データ中継技術衛星 |style="text-align: center;"|GTO<br />→[[静止軌道|GSO]] |rowspan="2"|当初の予定通り延期無く打上げ |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[USERS]] |[[財団法人]][[無人宇宙実験システム研究開発機構]]の次世代型無人宇宙実験システム |style="text-align: center;"|[[低軌道|LEO]] |- |rowspan="4"|4号機 |rowspan="4"|[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |rowspan="4" style="white-space:nowrap"|2002年[[12月14日]]<br />10時31分 |rowspan="4" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[みどりII]](ADEOS-II) |環境観測技術衛星II型 |rowspan="4" style="text-align: center;"|[[太陽同期軌道|SSO]] |rowspan="4"|日本初の海外製人工衛星打ち上げ(無償打ち上げ)<br />当初の予定通り延期無く打上げ |- |{{Flagicon|AUS|size=20px}} [[FedSat]] |[[オーストラリア連邦科学産業研究機構]](CSIRO)の小型電磁圏・プラズマ圏観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[鯨生態観測衛星|観太くん]](WEOS) |[[千葉工業大学]]の鯨生態観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[マイクロラブサット#マイクロラブサット1号機|マイクロラブサット1号機]](μ-LabSat) |[[NASDA]]技術研究本部の小型実証衛星 |- |rowspan="2"|5号機 |rowspan="2"|[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |rowspan="2"|[[2003年]][[3月28日]]<br />10時27分 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[情報収集衛星]]光学1号機(IGS-1A) | |rowspan="2" style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |rowspan="2"|安全保障上の理由で詳しい[[軌道要素]]は公開されないが、[[国際衛星識別符号|NSSDC ID]]から、高度約490kmの太陽同期準回帰軌道 (SSO)、軌道傾斜角は約97.3°、日本付近を通過する時刻は10:30 - 11:00と判明 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}}情報収集衛星レーダ1号機(IGS-1B) | |- |rowspan="2"|[[H-IIAロケット6号機|6号機]] |rowspan="2"|[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |rowspan="2"|2003年[[11月29日]]<br />13時33分 |rowspan="2" bgcolor = "#ff9090"|'''失敗''' |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学2号機(IGS-2A) | |rowspan="2" style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |rowspan="2"| MTSAT-1Rを搭載する予定だったが、衛星製作の遅延で延期され、代替で情報収集衛星2号を搭載<br />当初の打ち上げ予定日は9月10日<br />[[SRB-A]]1本が燃焼後分離されず予定速度が得られなかった為、衛星軌道投入が不可能と判断、空中で指令破壊{{詳細記事|H-IIAロケット6号機}} |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ2号機(IGS-2B) | |- |7号機 |[https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h2a/f7/] |[[2005年]][[2月26日]]<br />18時25分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[MTSAT#ひまわり6号|ひまわり6号]](MTSAT-1R) |運輸多目的衛星新1号 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |RSC打ち上げサービスによる打ち上げ<br />2月24日の予定が天候不良により延期<br />ミッション終了後に第2段の再々着火に係るデータ取得を行った |- |8号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |[[2006年]][[1月24日]]<br />10時33分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[だいち]](ALOS) |陸域観測技術衛星 |style="text-align: center;"|SSO |1月19日の予定が搭載機器の不適合のため延期<br />日本のロケットで初めて、ロケット本体の壁面にエコマークと搭載衛星のロゴが掲出された<ref name="hiia8 gaiyou">{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h2a/f8/img/h-2af8_j.pdf|title=H-ⅡAロケット8号機の概要|publisher=JAXA|accessdate=2018-11-04}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://fanfun.jaxa.jp/c/media/file/media_jaxas_jaxas012.pdf|title=JAXA's 012|publisher=JAXA|date=2007-02-01|accessdate=2018-11-05}}</ref> |- |9号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2006年[[2月18日]]<br />15時27分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[MTSAT#ひまわり7号|ひまわり7号]](MTSAT-2) |運輸多目的衛星新2号 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |RSC打ち上げサービスによる打ち上げ<br />2月15日の予定を8号機の打上げ延期に伴い再設定し、予定通り延期無く打上げ<br />1か月間に2回の大型ロケット打ち上げに成功したのは日本の宇宙開発史上初 |- |10号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2006年[[9月11日]]<br />13時35分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学2号機(IGS-3A) |6号機で打ち上げに失敗したIGS-2Bの代替機 |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |9月10日の予定が天候不良により延期 |- |11号機 |[[File:H2A11001.jpg|100px|画像提供依頼中]] |2006年[[12月18日]]<br />15時32分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[きく8号]](ETS-VIII) |[[きく (人工衛星)|技術試験衛星]] |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |12月16日の予定が天候不良により延期 |- |rowspan="2"|12号機 |rowspan="2"|[[File:H-IIA F12 launching IGS-R2.jpg|100px]] |rowspan="2"|[[2007年]][[2月24日]]<br />13時41分 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ2号機(IGS-4A) | |rowspan="2" style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |rowspan="2"|2月15日の予定が天候不良により延期<br />高度490km付近を周回している<ref>[https://web.archive.org/web/20080228034123/http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007031701000145.html 情報衛星高度は約490キロ 政府の秘密扱い無意味に]、47NEWS(共同通信)、2007年3月17日</ref>と報道された |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学3号実証機(IGS-4B) | |- |13号機 |[[File:H-IIA F13 launching KAGUYA.jpg|100px]] |2007年[[9月14日]]<br />10時31分1秒 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[かぐや]](SELENE) |月周回衛星 |style="text-align: center;"|月遷移<br />→月周回 |13号機から打ち上げ業務が三菱重工に移管された<br />8月16日の予定が子衛星の製造不良と天候不良により延期 |- |14号機 |[[File:H-IIA F14 launching KIZUNA.jpg|100px]] |[[2008年]][[2月23日]]<br />17時55分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[きずな (人工衛星)|きずな]](WINDS) |超高速インターネット衛星 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |2月15日の予定が機器の作動不良により延期 |- |rowspan="8"|15号機 |rowspan="8"|[[File:H-IIA F15 launching IBUKI.jpg|100px]] |rowspan="8"|[[2009年]][[1月23日]]<br />12時54分 |rowspan="8" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[いぶき (人工衛星)|いぶき]](GOSAT) |温室効果ガス観測技術衛星 |rowspan="8" style="text-align: center;"|SSO |rowspan="8"|1月21日の予定が天候不良により延期<br />日本で衛星8基の同時打ち上げは過去最多<ref>{{Cite news|title=H2A打ち上げ成功 「まいど1号」など最多8基搭載|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2009-01-23|url=http://sankei.jp.msn.com/science/science/090123/scn0901231310002-n1.htm|access-date=2022-12-03|archive-url=https://web.archive.org/web/20090129070210/http://sankei.jp.msn.com/science/science/090123/scn0901231310002-n1.htm|archive-date=2009-01-29}}</ref> |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[かがやき (人工衛星)|かがやき]](SORUNSAT-1) |[[ソラン]]株式会社の[[オーロラ (代表的なトピック)|オーロラ]]撮像・[[アウトリーチ]]衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[STARS (人工衛星)|空海]](STARS) |[[香川大学]]の[[テザー]]宇宙[[ロボット]]技術実験衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[KKS-1|輝汐]](KKS-1) |[[東京都立産業技術高等専門学校]]のマイクロスラスタ[[姿勢制御|3軸姿勢制御]]実証衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[PRISM (人工衛星)|ひとみ]](PRISM) |[[東京大学]]の地球観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[まいど1号]](SOHLA-1) |[[宇宙開発協同組合SOHLA|東大阪宇宙開発協同組合]]の[[雷]]観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[SPRITE-SAT|雷神]](SPRITE-SAT) ||[[東北大学]]の[[レッドスプライト|スプライト]]観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[SDS-1|小型実証衛星1型]](SDS-1) |JAXA開発のコンポーネント技術実証衛星 |- |16号機 |[[File:H-IIA F16 launching IGS-O3.jpg|100px]] |2009年[[11月28日]]<br />10時21分<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.jaxa.jp/press/2009/11/20091128_h2a-f16_j.html | title=H-IIAロケット16号機による 情報収集衛星光学3号機の打上げ結果について | publisher=[[JAXA]] | accessdate=2009-11-30 }}</ref> |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学3号機(IGS-5A) |分解能を60 cm級に高め耐用年数5年を経過した光学1号機を代替する |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) | |- |rowspan="6"|17号機 |rowspan="6"|[[File:H-IIA F17 launching AKATSUKI.jpg|100px]] |rowspan="6"|[[2010年]][[5月21日]]<br />6時58分22秒 |rowspan="6" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[あかつき (探査機)|あかつき]] (PLANET-C) |金星探査機 |rowspan="3" style="text-align: center;"|[[太陽周回軌道|惑星間]] |rowspan="6"|大型液体燃料ロケットでの惑星間軌道打ち上げと、惑星間軌道でのあいのり打ち上げは日本初<br />5月18日の予定が天候不良により延期<br />第2段ごと地球[[重力圏]]を脱出している<br />世界初の大学開発の深宇宙衛星(しんえん)を打ち上げ |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[IKAROS]] |小型ソーラー電力セイル実証機 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[UNITEC-1|しんえん]] (UNITEC-1) |[[大学宇宙工学コンソーシアム]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[WASEDA-SAT2]] |[[早稲田大学]]の衛星 |rowspan="3" style="text-align: center;"|LEO |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[KSAT|ハヤト]] (KSAT) |[[鹿児島大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[Negai☆″]] |[[創価大学]]の衛星 |- |18号機 |[[File:H-IIA F18 launching MICHIBIKI.jpg|100px]] |2010年[[9月11日]]<br />20時17分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[準天頂衛星システム#衛星|みちびき]] (QZS-1) |[[準天頂衛星システム]]の初号機、GPSの精度向上が目的 |style="text-align: center;"|GTO<br />→[[準天頂衛星|QZO]] |軌道傾斜角31.9度のGTOは、GSOに移るGTOに比べ傾斜がやや高い<ref>新規の軌道で新たに飛行安全解析を実施する必要がある準天頂トランスファー軌道(QTO)ではなく、飛行実績のあるGTOを使用した{{Cite web|和書| url=http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/uchuu/gijiroku/h18/06110109/005.pdf| title=準天頂高精度測位実験について| accessdate=2011-01-01|format=PDF}}</ref><br />8月2日の予定が衛星部品の交換のため延期 |- |19号機 |[[ファイル:H-IIA F19 launching IGS-O4.jpg|100px]] |2011年[[9月23日]]<br />13時36分<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.jaxa.jp/press/2011/09/20110923_h2af19_j.html | title=H-IIAロケット19号機による情報収集衛星光学4号機の打上げ結果について | publisher=[[JAXA]] | accessdate=2011-09-20 }}</ref> |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学4号機(IGS-6A) |分解能は3号機と同じだがポインティング性能が向上し、設計寿命を経過した光学2号機を代替する |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |8月28日の予定が機器の不適合と天候不良により延期 |- |style="white-space:nowrap"|20号機 |[[ファイル:H-IIA F20 launching IGS-R3.jpg|100px]] |2011年[[12月12日]]<br />10時21分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ3号機(IGS-7A) |分解能を約1mに向上させ、電源不具合対策も実施した<ref name="sankei111212">[http://sankei.jp.msn.com/science/news/111212/scn11121211080001-n1.htm 情報収集衛星打ち上げ成功 H2A 成功率95%を達成 北朝鮮の軍事施設監視に弾み]、産経新聞 2011年12月12日</ref> |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |12月11日の予定が天候不良により延期 |- |rowspan="4"|21号機 |rowspan="4"|[[File:H-IIA F21 launching SHIZUKU.jpg|100px]] |rowspan="4"|2012年[[5月18日]]<br />1時39分 |rowspan="4" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[地球環境変動観測ミッション|しずく]](GCOM-W1) |第一期水循環変動観測衛星([[A-train (衛星コンステレーション)|A-train]]計画の一環) |rowspan="4" style="text-align: center;"|SSO |rowspan="4"|「[[#基幹ロケット高度化|基幹ロケット高度化]]」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」のための先行的実験として、第二段を白色に塗り従前との液体水素の蒸発の違いを調べる<br />当初の予定通り延期無く打上げ<br />日本初の海外衛星の有償打ち上げ(アリラン3号)<ref>{{Cite news|title=H2Aロケットを打ち上げ 初受注の韓国衛星載せ 日本の「しずく」も搭載|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2012-05-18|url=http://sankei.jp.msn.com/science/news/120518/scn12051801460003-n1.htm|access-date=2022-12-03|archive-url=https://web.archive.org/web/20120518082733/http://sankei.jp.msn.com/science/news/120518/scn12051801460003-n1.htm|archive-date=2012-05-18}}</ref> |- |{{Flagicon|ROK|size=20px}} [[アリラン3号]](KOMPSAT-3) |[[韓国航空宇宙研究院|KARI]]の多目的実用衛星(地球観測衛星) |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[SDS-4|小型実証衛星4型]](SDS-4) |コンポーネント技術実証衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[鳳龍弐号]] |[[九州工業大学]]の小型実証衛星 |- |rowspan="2"|22号機 |rowspan="2"|[[File:H-IIA F22 launching IGS-R4.jpg|100px]] |rowspan="2"|[[2013年]][[1月27日]]<br />13時40分<ref>{{Cite web|和書|date=2013-01-27|url=https://www.jaxa.jp/press/2013/01/20130127_h2af22_j.html|title=H-IIAロケット22号機による情報収集衛星レーダ4号機および実証衛星の打上げ結果について|publisher=JAXA|accessdate=2013-01-27}}</ref> |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ4号機(IGS-8A) | |rowspan="2" style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |rowspan="2"|当初の予定通り延期無く打上げ<ref>{{Cite news|title=情報収集衛星打ち上げ 4基の監視体制実現へ、H2A16回連続成功|newspaper=MSN産経ニュース|date=2013-01-27|url=http://sankei.jp.msn.com/science/news/130127/scn13012714040000-n1.htm|access-date=2022-12-03|archive-url=https://web.archive.org/web/20130127204941/http://sankei.jp.msn.com/science/news/130127/scn13012714040000-n1.htm|archive-date=2013-01-27}}</ref> |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学5号実証機(IGS-8B) | |- |rowspan="8"|23号機 |rowspan="8"|[[File:H-IIA F23 launched the GPM and seven other satellites.jpg|100px]] |rowspan="8"|[[2014年]][[2月28日]]<br />3時37分<ref>{{Cite web|和書|date=2014-02-28|url=https://www.jaxa.jp/press/2014/02/20140228_h2af23_j.html|title=H-IIA ロケット 23号機による全球降水観測計画主衛星(GPM主衛星)の打上げ結果について|publisher=JAXA|accessdate=2014-02-28}}</ref> |rowspan="8" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|USA|size=20px}}{{Flagicon|JPN|size=20px}} GPM主衛星 |[[全球降水観測計画]]主衛星 |rowspan="8" style="text-align: center;"|LEO |rowspan="8"|計画書<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2013/12/20131226_h2af23_j.html|title=H-IIAロケット23号機の打上げについて|date=2013-12-26|publisher=三菱重工,宇宙航空研究開発機構|accessdate=2014-03-02}}</ref>の期間内に延期無く<ref>国際宇宙ステーション軌道との関係で、打ち上げ時間帯を計画書の時間から前後30分短く変更した{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2014/02/20140226_h2af23_j.html|title=H-IIAロケット23号機による全球降水観測計画主衛星(GPM主衛星)の打上げ時刻及び打上げ時間帯について|date=2014-02-26|publisher=[[三菱重工]],宇宙航空研究開発機構|accessdate=2014-03-01}}</ref>打上げ |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[ぎんれい]] (ShindaiSat) |[[信州大学]]の可視光通信実験衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} GENNAI ([[STARS-II]]) |[[香川大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} TeikyoSat-3 |[[帝京大学]]の微生物観察衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 結 (ゆい) (ITF-1) |[[筑波大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[OPUSAT]] |[[大阪府立大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[INVADER (人工衛星)|INVADER]] |[[多摩美術大学]]、[[東京大学]]共同開発の芸術衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} ハヤトII ([[KSAT2]]) |[[鹿児島大学]]の衛星 |- |rowspan="5"|24号機 |rowspan="5"|[[File:H-IIA F24 launching DAICHI-2.jpg|100px]] |rowspan="5"|[[2014年]][[5月24日]]<br />12時05分14秒<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2014/05/20140524_h2af24_j.html|title=H-IIAロケット24号機による陸域観測技術衛星2号「だいち2号」(ALOS-2)の打上げ結果について|date=2014-05-24|publisher=三菱重工,宇宙航空研究開発機構|accessdate=2014-05-24}}</ref> |rowspan="5" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[だいち2号]] (ALOS-2) |陸域観測技術衛星2号 |rowspan="5" style="text-align: center;"|SSO |rowspan="5"|「基幹ロケット高度化」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」の先行的実験として、第2段エンジンの新しい予冷方法に係るデータ取得を行った<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.sacj.org/openbbs/bbs105.html|title = ニュース掲示板 その105 (No.1733-No.1747 2014年4月2日(水)19時27分-2014年5月26日(月)05時44分)|date = 2014-05-16|publisher = 宇宙作家クラブ|accessdate = 2015-09-22|author = 柴田孔明}}</ref><br />計画書<ref>{{Cite press release|和書|title = H-IIAロケット24号機の打上げについて|access-date = 2015-09-22|url = https://www.jaxa.jp/press/2014/03/20140314_h2af24_j.html|date = 2014-03-14|publisher = 三菱重工業株式会社、宇宙航空研究開発機構}}</ref>の予定通り延期無く打上げ |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} SPROUT |[[日本大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[SPRITE-SAT|雷神2]] |[[東北大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} UNIFORM-1 |[[和歌山大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} SOCRATES |株式会社[[エイ・イー・エス]]の衛星 |- |style="white-space:nowrap"|25号機 |[[File:H-IIA F25 launching Himawari-8.jpg|100px]] |2014年[[10月7日]]<br />14時16分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[ひまわり8号]](Himawari-8) |静止気象衛星 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |rowspan="4"|26号機 |rowspan="4"|[[File:H-IIA F26 launching Hayabusa-2.jpg|100px]] |rowspan="4"|[[2014年]][[12月3日]]<br />13時22分04秒 |rowspan="4" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[はやぶさ2]] (Hayabusa2) |小惑星探査機 |rowspan="4" style="text-align: center;"|[[太陽周回軌道]] |rowspan="4"|「基幹ロケット高度化」の一要素である「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」の先行的実験として、21号機と24号機で行った第2段機体の白色塗装と第2段エンジンの新開発予冷を合わせて適用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/3404.html|title=“いつもとは一味ちがう” H-IIAロケット26号機に反映された「基幹ロケット高度化技術」|date=2014-12-01|publisher=宇宙航空研究開発機構|accessdate=2015-01-18}}</ref><br />11月30日打ち上げ予定が、天候不良により12月1日、12月3日と2度延期<ref name="fnn20141203">{{cite news|title = 「はやぶさ2」、2度の延期経て打ち上げ成功 種子島から宇宙へ |url = http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00281979.html|publisher = [[フジニュースネットワーク|FNN]]|date = 2014年12月3日| accessdate = 2014年12月3日}}</ref> |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[しんえん2]] |[[九州工業大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} ARTSAT2-DESPATCH |[[多摩美術大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[PROCYON]] |[[東京大学]]の衛星 |- |27号機 |[[File:H-IIA F27 launching IGS-RS.jpg|100px]] |[[2015年]][[2月1日]]<br />10時21分<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.jaxa.jp/press/2015/02/20150201_h2af27_j.html| title=H-IIAロケット27号機による情報収集衛星レーダ予備機の打上げ結果について | publisher=[[JAXA]] | accessdate=2015-02-01 }}</ref> |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ予備機 |レーダ3号機と4号機の同型の予備機 |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |1月29日の予定が天候不良により延期 |- |28号機 |[[File:H-2Aロケット28号機.JPG|100px]] |[[2015年]][[3月26日]]<br />10時21分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学5号機 | |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |29号機 |[[file:HIIAF29-1.jpg|100px]] |2015年[[11月24日]]<br />15時50分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|CAN|size=20px}} [[Telstar 12 VANTAGE]] |[[カナダ]][[テレサット|テレサット社]]の通信放送衛星 |style="text-align: center;"|GTO<br />(ロングコースト)<br />→GSO |日本初の衛星相乗りでない純粋な商業打ち上げ<br />「[[#基幹ロケット高度化|基幹ロケット高度化]]」のうち「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」のみ初適用<br />警戒区域内へ船舶が進入したため当初打ち上げ予定の15時23分から延期して打ち上げ<br />主衛星分離まで過去最長の4時間27分 |- |rowspan="4"|30号機 |rowspan="4"|[[File:H-2AF30.jpg|100px]] |rowspan="4"|[[2016年]][[2月17日]]<br />17時45分 |rowspan="4" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[ひとみ (人工衛星)|ひとみ]] (ASTRO-H) |X線観測天文衛星 |rowspan="4" style="text-align: center;"|LEO |rowspan="4"|2月12日の予定が天候不良により延期<br>「基幹ロケット高度化」のうち「衛星搭載環境の緩和」の先行的実験として低衝撃型衛星分離部のダミー機構の作動実験を行った |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} ChubuSat-2 |[[名古屋大学]]の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} ChubuSat-3 |三菱重工業の衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 鳳龍4号 |[[九州工業大学]]の衛星 |- |31号機 |[[ファイル:H-IIA F31 launching Himawari-9.jpg|100px]] |[[2016年]][[11月2日]]<br />15時20分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[ひまわり9号]]<br />(Himawari-9) |静止気象衛星 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |「基幹ロケット高度化」の「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」は適用せず<br>11月1日の予定が天候不良により延期 |- |32号機 |[[ファイル:H2AF32.jpg|100px|H-IIAロケット32号機打ち上げ]] |[[2017年]][[1月24日]]<br />16時44分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[Xバンド防衛通信衛星|きらめき2号]]<br />(DSN-2) |防衛通信衛星<br />[[防衛省]]初の独自衛星で整備から運用まで一括して[[PFI]]方式で行う |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |[[スカパーJSAT]]株式会社の子会社である株式会社ディー・エス・エヌから衛星打上げ輸送サービスを受注<br>「基幹ロケット高度化」の「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」は適用せず<br />当初の予定通り延期なく打ち上げ<br />情報収集衛星と同様に、JAXAによる生放送等は無し |- |33号機 |[[ファイル:H-2AF33.jpg|100px]] |[[2017年]][[3月17日]]<br />10時20分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ5号機 | |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |3月16日の予定が天候不良により延期 |- |34号機 |[[ファイル:H-2AF34.jpg|100px]] |2017年[[6月1日]]<br />9時17分46秒 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[準天頂衛星システム#衛星|みちびき2号機]] (QZS-2) |[[準天頂衛星システム]]の2号機、GPSの精度向上が目的 |style="text-align: center;"|GTO<br />→QZO |当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |35号機 |[[File:H2af35.jpg|100px]] |2017年[[8月19日]]<br />14時29分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[準天頂衛星システム#衛星|みちびき3号機]] (QZS-3) |準天頂衛星システムの3号機 |style="text-align: center;"|GTO<br />→GSO |8月11日の予定が天候不良により延期し、さらに8月12日の予定が機体の不適合のため延期<ref>[https://www.sankei.com/article/20170818-73QG7SUMT5MZRE2YFOSOAMF5UM/ ヘリウム漏れの原因はタンクの栓に異物 みちびき3号機搭載のロケット] 産経ニュース 2017年8月18日</ref> |- |36号機 |[[File:H-2AF36.jpg|100px]] |2017年[[10月10日]]<br />7時01分37秒{{R|JAXA20171010}} |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[準天頂衛星システム#衛星|みちびき4号機]] (QZS-4) |準天頂衛星システムの4号機 |style="text-align: center;"|GTO<br />→QZO |当初の予定通り延期なく打ち上げ{{R|JAXA20171010}} |- |rowspan="2"|37号機 |rowspan="2"|[[File:H-2AF37.jpg|100px]] |rowspan="2"|2017年[[12月23日]]<br />10時26分22秒 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[地球環境変動観測ミッション|しきさい]] (GCOM-C) |気候変動観測衛星 |style="text-align: center;"|SSO |rowspan="2"|「基幹ロケット高度化」の「静止衛星打ち上げ対応能力の向上」を応用して異なる高度の軌道に複数の衛星を初投入、「地上設備の簡素化」を初適用<br />当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[つばめ (人工衛星)|つばめ]] (SLATS) |超低高度衛星技術試験機 |style="text-align: center;"|LEO |- |38号機 |[[File:H-2Aロケット38号機.jpg|100px]] |[[2018年]][[2月27日]]<br />13時34分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学6号機 | |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |2月25日の予定が天候不良により延期 |- |39号機 |[[File:H-2AF39.jpg|100px]] |2018年[[6月12日]]<br />13時20分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ6号機 | |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |6月11日の予定が天候不良により延期 |- |rowspan="7"|40号機 |rowspan="7"|[[file:H-2Aロケット40号機.jpg|100px]] |rowspan="7"|2018年[[10月29日]]<br />13時08分 |rowspan="7" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[いぶき2号]](GOSAT-2) |温室効果ガス観測技術衛星2号 |rowspan="7" style="text-align: center;"|SSO |rowspan="7"|海外から受注した3機目の商業打ち上げ(ハリーファサット)<br />当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |{{Flagicon|UAE|size=20px}} ハリーファサット |[[アラブ首長国連邦]]の地球観測衛星 |- |{{Flagicon|PHI|size=20px}}{{Flagicon|JPN|size=20px}} DIWATA-2B |[[東北大学]]のフィリピン向け災害監視・天然資源観測衛星 |- |(模擬重量物) |[[プロイテレス]]-2の搭載延期に伴うダミー |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[てんこう]] |[[九州工業大学]]の地球低軌道環境観測衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} stars-AO |[[静岡大学]]の天体観測・無線技術実証衛星 |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} AUTcube2 |[[愛知工科大学]]の通信・撮影・電磁波調査衛星 |- |41号機 |[[ファイル:H-2Aロケット41号機.png|100px|画像提供依頼中]] |[[2020年]][[2月9日]]<br />10時34分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星光学7号機 | |非公開<br />(SSO) |1月27日の予定が天候不良により延期し、さらに翌28日の予定も地上設備の不具合で延期 |- |42号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2020年[[7月20日]]<br />6時58分14秒 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|UAE|size=20px}} [[al-Amal|Hope (al-Amal)]] |アラブ首長国連邦の火星探査機 |惑星間 |7月15日の予定が天候不良により延期 |- |43号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2020年[[11月29日]]<br />16時25分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[光データ中継衛星|データ中継衛星1号機・光データ中継衛星]]<ref>{{Cite web|和書|date=2020-10-30 |url=https://www.mhi.com/jp/notice/notice_201030.html|title=H-IIAロケット43号機の打上げについて|publisher=三菱重工 |accessdate=2020-12-01}}</ref> |JAXA側からの呼称は「光データ中継衛星」、[[内閣情報調査室#内閣衛星情報センター|内閣衛星情報センター]]側からの[[情報収集衛星]]システムの中継衛星としての呼称は「データ中継衛星1号機」<ref name = "nikkei201129">{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66783030Z21C20A1000000/|title=三菱重工、H2A打ち上げ データ中継衛星を搭載|work=|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2020-11-29|accessdate=2020-11-29}}</ref> |GTO |当初の予定通り延期なく打ち上げ |- |44号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2021年[[10月26日]]<br />11時19分37秒 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[準天頂衛星システム#衛星|みちびき初号機後継機]] (QZS-1R) ||準天頂衛星システムの初号機後継機 |GTO<br />→[[準天頂衛星|QZO]] |10月25日の予定が天候不良により延期 |- |45号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2021年[[12月23日]]<br />0時32分00秒<ref>{{Cite press release |和書 |title= H-IIAロケット45号機による通信衛星 Inmarsat-6 F1の打上げ結果について|publisher= 三菱重工|date= 2021-12-23|url=https://www.mhi.com/jp/news/21122302.html|accessdate=2021-12-23}}</ref> |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|GBR|size=20px}} Inmarsat-6 F1 ||イギリスの通信衛星 |GTO(スーパーシンクロナス)<br />→GSO |初のスーパーシンクロナス・トランスファー軌道<ref>{{cite news|title=H-IIAが初めて飛行するスーパーシンクロナス軌道と、次世代ロケット「H3」|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/h2a45-3/|publisher=株式会社マイナビ|date=2021年11月17日|accessdate=2021年12月30日}}</ref><br />12月21日の予定が天候不良により延期<ref>{{Cite press release |和書 |title=H-IIAロケット45号機による通信衛星Inmarsat-6 F1の打上げ延期について|publisher= 三菱重工|date= 2021-12-19|url=https://www.mhi.com/jp/news/21121901.html|accessdate=2021-12-23}}</ref>、予定は22日23時33分であったが機体の温度データに異常が見つかり、機体確認を行ったため予定から1時間遅れた<ref>{{Cite news|title=H2Aロケット45号機、打ち上げ成功 英国通信衛星を分離 種子島宇宙センター|newspaper=南日本新聞|date=2021-12-23|url=https://373news.com/_news/storyid/148672/|accessdate=2021-12-24}}</ref> |- |46号機 |[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |2023年[[1月26日]]<br />10時50分 |bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} 情報収集衛星レーダ7号機 | |style="text-align: center;"|非公開<br />(SSO) |1月25日の予定が天候不良により延期 |- |rowspan="2"|47号機 |rowspan="2"|[[ファイル:Gthumb.svg|100px|画像提供依頼中]] |rowspan="2"|2023年9月7日 8時42分11秒 |rowspan="2" bgcolor = "#90ff90"|成功 |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[X線分光撮像衛星]] (XRISM) |[[ひとみ (人工衛星)|X線天文衛星ひとみ]]後継機 |LEO |rowspan="2"|2023年5月の打上げを予定していたが、3月の[[H3ロケット]]試験機1号機打上げ失敗の影響で<ref>{{Cite news|url=https://nordot.app/1051349628167602832?c=302675738515047521|title=月探査機8月26日打ち上げ H2Aロケット47号機|agency=[[共同通信社]]|date=2023-07-11|accessdate=2023-07-11}}</ref><ref>{{Cite pressrelease|url=https://www.jaxa.jp/press/2023/03/20230331-2_j.html|title=H-IIAロケット47号機によるX線分光撮像衛星(XRISM)/小型月着陸実証機(SLIM)の打上げ時期について|publisher=JAXA|date=2023-03-31|accessdate=2023-09-08}}</ref>8月26日<ref>{{Cite pressrelease|url=https://www.jaxa.jp/press/2023/07/20230711-1_j.html|title=X線分光撮像衛星(XRISM)および小型月着陸実証機(SLIM)の打上げについて|publisher=JAXA|date=2023-07-11|accessdate=2023-09-08}}</ref>、天候悪化予想により8月27日<ref>{{Cite pressrelease|url=https://www.jaxa.jp/press/2023/08/20230824-1_j.html|title=X線分光撮像衛星(XRISM)および小型月着陸実証機(SLIM)の打上げ延期について|publisher=JAXA|date=2023-08-24|accessdate=2023-09-08}}</ref>、8月28日に延期<ref>{{Cite pressrelease|url=https://www.jaxa.jp/press/2023/08/20230825-2_j.html|title=X線分光撮像衛星(XRISM)および小型月着陸実証機(SLIM)の打上げ延期について(その2)|publisher=JAXA|date=2023-08-25|accessdate=2023-09-08}}</ref>、28日は上空の風が強く中止<ref>{{Cite pressrelease|url=https://www.jaxa.jp/press/2023/08/20230828-2_j.html|title=X線分光撮像衛星(XRISM)および小型月着陸実証機(SLIM)の本日(8/28)の打上げ中止について|publisher=JAXA|date=2023-08-28|accessdate=2023-09-08}}</ref> |- |{{Flagicon|JPN|size=20px}} [[SLIM|小型月着陸実証機]] (SLIM) |月面への[[軟着陸]]をめざす実験機 |楕円<br>→月遷移 |} === ロケット打ち上げ費用 === 金額には、ロケット製造費用の他に、輸送・点検・保安費用等の打ち上げに関わる費用全般が含まれている。ただし、搭載する人工衛星・探査機等の費用は含まない。 {| class="wikitable sortable" style="font-size: 95%;" |+ '''打ち上げ費用一覧''' !機体 !モデル !フェアリング !衛星質量 !投入軌道 !style="white-space:nowrap"|打上費用 !備考 |- !1 | style="background-color: #FFFFCC;" |H2A202 |4S |3.3 t(VEP-2)<br />90 kg(LRE) |GTO |96億円 | |- !2 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4/4D-LC |480 kg(つばさ)<br />90 + 33 kg(サブペイロード) |GTO |106億円 |SRB-A点検費用4億円を含む |- !3 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4/4D-LC |2.8 t(こだま)<br />1.7 t(USERS宇宙機) |GTO<br />LEO |102億円 | |- !4 | style="background-color: #FFFFCC;" |H2A202 |5S |3.68 t(みどり2)<br />58 + 50 + 53 kg(サブペイロード) |SSO |93億円 | |- !5 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4/4D-LC |約2 t<ref name=47news20050110>[https://web.archive.org/web/20080629162403/http://www.47news.jp/CN/200501/CN2005011001002776.html 情報衛星小型化へ研究着手 北朝鮮監視強化で政府]、[[47NEWS]]([[共同通信]])、2005年1月10日</ref>(情報収集衛星光学1号機)<br />非公開(情報収集衛星レーダ1号機) |非公開<br />(SSO) |98億円 | |- !6 |style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4/4D-LC |style="background-color: #FFCCCC;" |非公開(情報収集衛星光学2号機)<br />非公開(情報収集衛星レーダ2号機) |style="background-color: #FFCCCC;" |非公開<br />(SSO) |style="background-color: #FFCCCC;" |108億円 |style="background-color: #FFCCCC;" |63日間の打ち上げ延期費用10億円を含む<br />打ち上げ失敗 |- !7 | style="background-color: #CCFFFF;" |H2A2022 |5S |3.3 t(ひまわり6号) |GTO |120億円 |6号機失敗を受けての機体改修費用を含む |- !8 | style="background-color: #CCFFFF;" |H2A2022 |5S |4.0 t(だいち) |SSO |101億円 | |- !9 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |5S |4.65 t(ひまわり7号) |GTO |104億円 | |- !10 | style="background-color: #FFFFCC;" |H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星光学2号機) |非公開<br />(SSO) |96億円 | |- !11 | style="background-color: #CCCCFF;" |H2A204 |5S |5.8 t(きく8号) |GTO |119億円 | |- !12 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4/4D-LC |非公開(情報収集衛星レーダ2号機)<br />非公開(情報収集衛星光学3号機実証衛星) |非公開<br />(SSO) |112億円 |9日間の打ち上げ延期費用約4.4億円を含む |- !13 | style="background-color: #CCFFFF;" |H2A2022 |4S |3.02 t(かぐや) |月遷移軌道 |110億円 |質量は子衛星2基を含む |- !14 | style="background-color: #CCFFCC;" |H2A2024 |4S |4.85 t(きずな) |GTO |109億円 | |- !15 | style="background-color: #FFFFCC;" |H2A202 |4S |1.75 t(いぶき)<br />100 + 50 + 45 + 20 + 8 + 7 + 3 kg(サブペイロード) |SSO |85億円 |2日間の延期費用は含まれていない |- !16 |style="background-color: #FFFFCC;" |H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星光学3号機) |非公開<br />(SSO) |94億円 |光学3号機の研究開発費用は総額約487億円 |- !17 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |500 kg(あかつき)<br />315 kg (IKAROS)<br />15 kg(サブペイロード)<br />2 + 1.5 + 1 kg(他サブペイロード) |style="white-space:nowrap"|惑星間軌道<br />惑星間軌道<br />惑星間軌道<br />LEO |98億円 |あかつきの開発費用は146億円 |- !18 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |4.1 t(みちびき) |GTO |不明 |地上設備・打ち上げ費用等が約335億円、衛星開発費が約400億円 |- !19 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |予定1.2 t<ref name=47news20050110/>(情報収集衛星光学4号機) |非公開<br />(SSO) |104億円 |光学4号機の開発費用は約347億円 |- !20 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星レーダ3号機) |非公開<br />(SSO) |103億円 |レーダ3号機の開発費用は398億円<ref name="sankei111212"/> |- !21 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4/4D-LC |2.0 t(しずく)<br />1.0 t(アリラン3号)<br />50 + 6.4 kg(サブペイロード) |SSO |非公開<br />(商業打ち上げのため) |アリラン3号の打ち上げロケット選定時に193億ウォン(約13億円)を提示<ref>[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/05/19/2012051900540.html アリラン3号、日本のH2Aで「格安」打ち上げ]、朝鮮日報、2012/05/19 </ref> |- !22 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4/4D-LC |非公開(情報収集衛星レーダ4号機)<br />非公開(情報収集衛星光学5号機実証衛星) |非公開<br />(SSO) |109億円<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0720121205eaar.html|publisher=日刊工業新聞」|title=JAXAなど、情報収集衛星レーダー4号機を来月打ち上げ|date=2012年12月5日|accessdate=2013-1-19}}</ref> | |- !23 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |3.5 t (GPM)<br />32.9 + 32.9 + 21.65 + 1.2 + 1.5 + 1.8 + 1.68 kg(サブペイロード)<ref>[https://sorae.info/030201/5119.html 宇宙へ旅立ったGPM主衛星と、7機の小型衛星たち] sorae.jp 2014年2月28日</ref> |LEO | |日本側負担額(GPM主衛星の二周波降水レーダ開発費と打ち上げ費用)250億円<br />アメリカ側負担(GPM主衛星本体開発費)は550億円<ref name = "gpm14228">[http://mainichi.jp/select/news/20140228k0000e040183000c.html H2A:打ち上げ成功…全球降水観測衛星、軌道に投入] 毎日新聞 2014年2月28日</ref> |- !24 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |2 t (だいち2号)<br /> 7.1 + 43.2 + 50 + 48 kg(サブペイロード)<ref>[https://sorae.info/030201/5185.html 「だいち2号」に相乗りする4機の小型衛星] sorae.jp 2014年5月23日</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2012/03/20120328_sac_smallsat.pdf|publisher=JAXA|title=ALOS-2相乗り公募小型副衛星の選定結果について|date=2012年3月28日|accessdate=2012-3-28}}</ref> |SSO | |打ち上げ費とだいち2号の開発費の合計額は374億円<ref>[http://sankei.jp.msn.com/science/news/140524/scn14052409480001-n1.htm H2A打ち上げへ 衛星だいち2号を搭載 地形、災害を調査] 産経ニュース 2014年5月24日</ref> |- !25 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |3.5 t(ひまわり8号) |GTO | |ひまわり9号と一括で衛星開発費は約340億円、打ち上げ費は約210億円<ref name="jma20131224"/> |- !26 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |600 kg(はやぶさ2)<br />15 + 30 + 59 kg(サブペイロード) |太陽周回軌道 | |打ち上げ費とはやぶさ2の開発費の合計額は約290億円<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20141203k0000e040246000c.html はやぶさ2:種子島から打ち上げ 小惑星を目指す] 毎日新聞 2014年12月3日</ref>基幹ロケット高度化技術の一部を採用 |- !27 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星レーダ予備機) |非公開<br />(SSO) |105億円<ref name = "sankei150201">[http://www.sankei.com/life/news/150201/lif1502010035-n1.html H2Aロケット27号機、打ち上げ成功 情報収集衛星・レーダー予備機搭載] 産経ニュース 2015年2月1日</ref> |レーダ予備機の開発費用は約228億円<ref name = "sankei150201"/> |- !28 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星光学5号機) |非公開<br />(SSO) | |打ち上げ費と情報収集衛星光学5号機の開発費の合計額は約431億円<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH3V2T1PH3VTIPE006.html H2Aロケット28号機打ち上げ成功 情報収集衛星搭載] 朝日新聞 2015年3月26日</ref> |- !29 | style="background-color: #CCCCFF;"| H2A204 |4S |4.9 t(Telstar 12 VANTAGE) |ロングコーストGTO |非公開<br />(商業打ち上げのため) |基幹ロケット高度化初号機 |- !30 | style="background-color: #FFFFCC;"| H2A202 |4S |2.7 t(ひとみ)<br />50 + 50 + 10 kg(サブペイロード) |LEO | |打ち上げ費とひとみの日本側開発費の合計額は310億円<ref>{{Cite web|和書|url=http://mainichi.jp/articles/20160218/ddm/001/040/152000c|title=H2Aロケット30号機、打ち上げ成功 衛星「ひとみ」|date=2016-02-17|accessdate=2016-02-19|publisher=毎日新聞}}</ref> |- !31 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |3.5 t(ひまわり9号) |GTO | |ひまわり8号と一括で衛星開発費は約340億円、打ち上げ費は約210億<ref name="jma20131224"/> |- !32 | style="background-color: #CCCCFF;"| H2A204 |4S |非公開(きらめき2号) |GTO | |きらめき1号と一括した開発費・打ち上げ費の合計額は約1300億円<ref>[https://www.sankei.com/article/20170124-QNCJSEVVUVOYZDPY2IH7VSAJGQ/ 防衛通信衛星の打ち上げ成功 種子島 陸海空の統制能力強化へ] 産経ニュース 2017年1月24日</ref> |- !33 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星レーダ5号機) |非公開<br />(SSO) |106億円<ref name = "sankei170317"/> |レーダ5号機の開発費用は371億円<ref name = "sankei170317">[https://www.sankei.com/article/20170317-QIYVSJLE45NG5NJG3KU46UR4O4/ 情報収集衛星打ち上げ成功 物体識別能力は従来の約2倍、夜間監視力が向上] 産経ニュース 2017年3月17日</ref> |- !34 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |4.0 t(みちびき2号機) |GTO |rowspan="3"|不明 |rowspan="3"|2・3・4号機の衛星開発費の合計が約557億円、打ち上げ費の合計が約342億円<ref>[https://www.sankei.com/article/20170601-AEW62XB65JL2XJ27UNAM7ELP5Q/2/ みちびき2号機、打ち上げ成功 高精度の位置情報、来年度から本格運用へ] 産経ニュース 2017年6月1日</ref> |- !35 |style="background-color: #CCCCFF;"| H2A204 |5S |4.7 t(みちびき3号機<ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20170812-qzss3_3/ H-IIAロケット35号機現地取材 - みちびき3号機はどんな衛星? 準天頂衛星なのに準天頂軌道ではない理由は?] マイナビニュース 2017年8月12日</ref>) |GTO |- !36 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |4.0 t(みちびき4号機) |GTO |- !37 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |2.0 t(しきさい)<br />0.4 t (つばめ) |SSO<br />LEO | |開発費と打ち上げ費の合計は322億円<ref>[https://www.sankei.com/article/20171223-2B6SR6HDZRMDNFGKBCXKBVVLVU/ 気候変動観測衛星「しきさい」と試験衛星「つばめ」打ち上げ成功] 産経ニュース 2017年12月23日</ref>。 |- !38 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星光学6号機) |非公開<br />(SSO) |109億円<ref name ="sankei180227"/> |光学6号機の開発費は307億円<ref name ="sankei180227">[https://www.sankei.com/article/20180227-NEVTZ7HJ3RPF3AUCG3JQ44CETM/ 情報収集衛星の打ち上げ成功 約30センチの高解像度、北朝鮮の監視強化へ] 産経ニュース 2018年2月27日</ref> |- !39 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星レーダ6号機) |非公開<br />(SSO) |108億円<ref name ="sankei180612"/> |レーダ6号機の開発費は242億円<ref name ="sankei180612">[https://www.sankei.com/article/20180612-KCLD7XMT4BN2RJ4VR7COIRRIB4/ 情報収集衛星レーダー6号機の打ち上げ成功 北朝鮮や中国の監視強化] 産経ニュース 2018年6月12日</ref> |- !40 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4/4D-LC |1.8 t(いぶき2号)<br />330 kg(ハリーファサット)<br />55.9 + 23.0 + 1.4 + 1.6 kg(サブペイロード) |SSO |非公開<br>(商業打ち上げのため) |いぶき2号の開発費は215億円<ref name ="sankei181029">[https://www.sankei.com/article/20181029-BB4KNDOZXRO37FAJE2S27UU7BI/ 「いぶき2号」打ち上げ成功 宇宙から地球温暖化を監視] 産経ニュース 2018年10月29日</ref> |- !41 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星光学7号機) |非公開<br />(SSO) |110億円<ref name ="sankei200209"/> |光学7号機の開発費は343億円<ref name ="sankei200209">[https://www.sankei.com/life/news/200209/lif2002090028-n1.html 情報収集衛星、打ち上げ成功 北朝鮮などを監視] 産経ニュース 2020年2月9日</ref> |- !42 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |1.5 t(Hope (al-Amal)) |惑星間軌道 |非公開<br>(商業打ち上げのため) | |- !43 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(データ中継衛星1号機・光データ中継衛星) |非公開<br>(GTO) | |開発費と打ち上げ費用は内閣衛星情報センターが213億円、JAXAが265億円を負担<ref>{{Cite web|和書|title=H-IIAロケット43号機打ち上げ成功、政府とJAXAのデータ中継衛星を搭載|url=https://news.mynavi.jp/techplus/article/20201129-1542223/|website=TECH+|date=2020-11-29|accessdate=2021-11-08|publisher=株式会社マイナビ}}</ref> |- !44 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |4.0 t(みちびき初号機後継機) |GTO |109億円<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=日本版GPS「みちびき初号機後継機」打ち上げ成功 高精度測位に貢献|url=https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20211027_n01/|website=Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」|accessdate=2021-11-08|publisher=国立研究開発法人 科学技術振興機構|date=2021-10-27}}</ref> |みちびき初号機後継機の開発費は181億円<ref name=":0" /> |- !45 | style="background-color: #CCCCFF;" |H2A204 |4S |5.5 t(Inmarsat-6 F1) |スーパーシンクロナスGTO |非公開<br>(商業打ち上げのため) | |- !46 | style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4S |非公開(情報収集衛星レーダ7号機) |非公開<br />(SSO) | |開発費と打ち上げ費の合計は600億円余り<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20230126/5050021833.html|archive-url=https://web.archive.org/web/20230126050922/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20230126/5050021833.html|title=種子島宇宙センターから情報収集衛星打ち上げ H2A46号機||publisher=NHK|date=2023-01-26|archive-date=2023-01-26|access-date=2023-01-26}}</ref> |- !47 |style="background-color: #FFFFCC;" | H2A202 |4/4D-LC |2.3 t(XRISM)<br />730 kg(SLIM) |LEO<br />楕円 | |XRISMの日本側の開発費と打ち上げ費の合計は約277億円<ref>{{Cite web|和書|url=https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20230907_n01/index.html|title=H2Aロケット47号機成功 H3失敗受け対策施し、月面着陸機と天文衛星搭載|publisher=サイエンスポータル|date=2023-09-07|access-date=2023-09-10}}</ref> |} (推定含む) === 打ち上げ予定 === ; 2024年(令和6年)1月11日<ref>{{Cite web |title=情報収集衛星、1月に打ち上げへ H2Aロケット48号機|秋田魁新報電子版 |url=https://www.sakigake.jp/news/article/20231113CO0068/ |website=秋田魁新報電子版 |date=2023-11-13 |access-date=2023-11-14 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=報道発表 {{!}} 内閣官房ホームページ |url=https://www.cas.go.jp/jp/houdou/231113sate.html |website=www.cas.go.jp |access-date=2023-11-14}}</ref> * 情報収集衛星光学8号機{{R|cao20221223}} ; 2024年(令和6年)度内 * 情報収集衛星レーダ8号機{{R|cao20221223}} * [[GOSAT-GW|温室効果ガス・水循環観測技術衛星 GOSAT-GW]]{{R|cao20221223}} == 改良 == === SRB-Aのノズル形状変更と能力回復 === 元々[[SRB-A]]におけるノズルの局所エロージョン(侵食)問題は深刻であり、当初からノズルの外周を補強するなどの対策を取っていたが、とうとう6号機でノズルに穴が開き、ロケット打ち上げ失敗の原因となった。7号機から13号機まではノズル形状をそれまでのコーン型(円錐型)から局所エロージョンの起きにくいベル型(釣鐘型)に変更し、さらに燃焼パターンを変更して燃焼圧を抑える長秒時型のモータを使用する事によって安全を確保していた。この対策で重力損失が大きくなり低下したSRB-A改良型の能力を回復させるため'''SRB-A3'''の開発が行われ、2007年10月に認定型モータの燃焼試験を終えた。14号機に適用された高圧型のSRB-A3は、安全性に余裕を持たせるため、7号機 - 13号機と同様に厚肉型のノズルになっている<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.rocket.jaxa.jp/engine/srba/|title = SRB-Aエンジン概要|accessdate = 2016-2-18|publisher = JAXA}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url = http://www.sozogaku.com/fkd/cf/CB0011026.html|title = H-2Aロケット6号機打上げ失敗|accessdate = 2016-2-18|publisher = 畑村創造工学研究所|work = 失敗知識データベース}}</ref>。 15号機からノズル部も含めて本来のSRB-A3が適用されている。これは長秒時型のモータで運用され、H2A204と同様に長秒時型で運用されるH-IIBロケット初号機の打ち上げには間に合ったものの、高圧型のSRB-Aを用いる202型の打ち上げ能力は回復していなかった。その後、高圧型の認定型モータ燃焼試験も2009年11月に終えている。この高圧型SRB-A3の運用はみちびきを打ち上げる18号機から行われており、これにより202型ではGTO約4トンという本来の打ち上げ能力が達成できる見込み<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2010/02/20100203_sac_srb-a_j.html|title=H-IIAロケット固体ロケットブースタ認定型モータ燃焼試験(その2)の結果について-信頼性向上活動のまとめ-|publisher=JAXA|date=2010-02-03|accessdate=2010-02-04}}</ref>。なお、SRB-A3は搭載する衛星・探査機に応じて高圧型・長秒時型を使い分けて運用している。 === 基幹ロケット高度化 === H-IIAは打ち上げ経験を反映して逐次改良が続けられているが、より高機能で低価格な打ち上げロケットを実現させて世界との衛星打ち上げ受注競争に勝ち抜くため、2011年度から「基幹ロケット高度化」計画が始動した。計画は大きく分けて「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」、「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」、「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」の3つの要素から成っている<ref name="upgrade"/><ref name="upgradepdf"/>。打ち上げ施設の老朽化対策と枯渇部品対策を合わせて総事業費は161億円である<ref>{{Cite news|date=2010年9月17日|title=&lt;H2Aロケット&gt;受注増狙い大幅改良 3年後打ち上げ目標|url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20100917k0000m020114000c.html|author=山田大輔|publisher=[[毎日新聞]]|accessdate=2010-09-19}}{{リンク切れ|date=2011年2月}}</ref>。この基幹ロケット高度化の成果は、H3ロケットやイプシロンロケットにも反映される<ref name="hiia koudoka"/>。 ;静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得) 種子島宇宙センターから打ち上げられた静止衛星は、赤道面から28.5度傾いている近地点約300km、遠地点36,000kmの静止トランスファー軌道に投入されるため、軌道面変更に対する衛星側の負担が静止化増速量1,830m/s必要であり、他国の射場の静止化増速量1,500m/sと比べて不利であった<ref name="jaxas 062">{{Cite web|url=https://fanfun.jaxa.jp/c/media/file/media_jaxas_jaxas061.pdf|title=JAXA's No.062|publisher=JAXA|date=2015-07-01|accessdate=2018-11-06}}</ref><ref name="hiia koudoka">{{Cite web|和書|url=https://fanfun.jaxa.jp/jaxatv/files/20151030_f29.pdf|title=基幹ロケット高度化 H-IIAロケットのステップアップ|publisher=JAXA|date=2015-10-30|accessdate=2018-10-15}}</ref>。「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」では、第2段機体を中心とした改良開発を行うことで、通信衛星などの静止衛星の打ち上げにおいて、従来の静止トランスファー軌道より近地点が高い近地点約3,000km、遠地点36,000km、軌道傾斜角約20度の静止軌道に近いロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入が可能になり、必要な静止化増速量も他国の射場並の1,500m/sとなっている<ref name="hiia koudoka"/>。これにより、衛星の軌道変更用燃料の使用を少なくでき、この燃料を衛星寿命に換算すれば従来より静止衛星を3年から5年延命させることになる。一方で、ロングコースト静止トランスファー軌道へ打ち上げられる衛星の質量は、従来の静止トランスファー軌道より1トン以上低くなっている。 具体的な改良内容<ref name="upgrade"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/514/514053.pdf|title=三菱重工技報 Vol.51 H-IIA ロケットの高度化開発|publisher=三菱重工|date=2014|accessdate=2015-01-31}}</ref>は、1つ目は第2段液体水素タンクの表面を白色塗装し液体水素の蒸発を減少させるというもので、この改良により蒸発する燃料を約3割減らせる<ref name="hiia koudoka"/>。H-IIA21号機で長時間の慣性飛行中(ロングコースト)の技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている<ref name="jaxas 062"/>。 2つ目はこの蒸発した液体水素を機体の後方から噴射させることにより微小な加速度を与え、宇宙空間での慣性飛行中に、残っている推進剤の液体水素と液体酸素がタンク内で拡散しないようタンク底部に保持させる、リテンションと呼ばれる推進薬液面保持機能に活用する。今までは姿勢制御用の推進剤のヒドラジンを機体後方への噴射に用いていたが、この改良によりヒドラジンの消費量が節約できる。<ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/> 3つ目はロングコーストの間にトリクル予冷という、従来の冷却系統とは別に新たに設けたトリクル予冷系統で少量の液体酸素を用いたターボポンプを間断なく冷却する方法で、エンジン作動に使用できる液体酸素を増加させるというもの。宇宙空間でエンジンに点火するには、事前にターボポンプを冷却させないといけないが、冷却に用いる液体酸素は温度が高いと気化してしまい、エンジンへの液体酸素の供給量が減ってしまう。この改良により液体酸素の消費量が節約できる。このトリクル予冷機能は、H-IIA24号機の衛星分離後に技術データの取得を行い、H-IIA26号機から本適用されている。<ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/> 4つ目は飛行中に衛星を太陽に対して垂直にし、太陽光が常に機体側面に当たるように姿勢を保持した上で、機体を低速回転させる熱制御法であるバーベキューロールと呼ばれる運用が取り入れられた。これにより、電子機器の温度環境は従来と同じで、太陽光で高温になるのを防ぎ、かつ深宇宙側の電子機器が極低温になるのを防ぐ。<ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/> 5つ目はロングコースト後には衛星の増速に第2段エンジン第3回燃焼(再々着火)が必要だが、遠地点(静止軌道近辺)では機体が低速のため、推力100%では推進力が大きすぎるので軌道投入精度が落ちる。このため、再々着火時の軌道投入精度を確保するため、推力を60パーセントに調節できるスロットリング機能を実用化させる改良がなされている。<ref name="hiia koudoka"/> 他にも5時間に及ぶ宇宙空間での長時間飛行に対応するため、新たに開発された宇宙環境にも耐えられる大容量のリチウムイオン電池を搭載して電子機器の電源を確保し、静止軌道からの機体データの取得に対応した長距離通信が可能な高利得アンテナも開発されている。<ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/> ロングコースト静止トランスファー軌道への衛星投入は29号機の打ち上げで初適用された<ref name="Press5425"/>。一方、29号機以降においても長秒時慣性航行が必要ない静止軌道への打ち上げでは高度化改良されていない機体での打ち上げとなる。 また、「静止衛星打ち上げ対応能力の向上(長秒時慣性航行機能の獲得)」を応用することで、1回の打ち上げで太陽同期軌道の異なる高度への複数の衛星投入も可能となり、衛星1基あたりの打ち上げ費用を3割から4割低減させることができるようになる。これを可能とするために上記の改良内容に加えて第2段機体のソフトウェアの改修を施した「衛星相乗り機会拡大開発」が実施された。この高度化は37号機で初適用<ref>[https://news.mynavi.jp/article/hiia_37-2/ 2機の衛星を異なる軌道へ投入する「衛星相乗り機会拡大開発」のすべて] マイナビニュース 2017年11月28日</ref>された。 ;衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上) 「衛星搭載環境の緩和(ペイロード搭載環境の向上)」では、従来の爆薬(火工品)の爆発で締結ボルトを切断して衛星を分離していた方法を、電気的にラッチ機構を作動させて締め付けられたクランプバンドを解放して衛星を分離する方法に変えて、衛星に伝わる衝撃を緩和する。これにより衝撃レベルを4,100Gから1,000Gまで低下させる<ref name = "mynavi151204"/><ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/>。30号機で先行的実験が行われ<ref name =mynavi171130/>、イプシロンロケット3号機で初めて実用化された<ref name=3gou170905>[https://www.jaxa.jp/press/2017/09/files/20170905_epsilon.pdf イプシロンロケット3号機について] JAXA 2017年9月5日</ref>。 ;地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化) 「地上設備の簡素化(飛行安全システム追尾系の高度化)」では、新たに開発された複合航法による飛行安全用航法センサー(RINA)を機体に搭載することで、従来から搭載されていたレーダトランスポンダ(電波中継器)と地上レーダ局に頼らずにロケットが自力で飛行できるようにする。これにより維持費と設備更新に高額な費用がかかる地上レーダ局を廃止することができ、打ち上げ費用の削減が可能となる。<ref name="jaxas 062"/><ref name="hiia koudoka"/>この航法センサは29号機で初搭載されて、その後も安全確認のために地上レーダ局による管制と併用して飛行試験が行われたが、37号機で初めて航法センサのみで飛行する。ただしその後の飛行では地上レーダ局と併用して飛行を続け安全確認を続ける予定である<ref name =mynavi171130>[https://news.mynavi.jp/article/hiia_37-3/ 地上のレーダーに頼らない自律的な飛行も実現、進化するH-IIAとその未来] マイナビニュース 2017年11月30日</ref>。 == 民間への移管 == === ロケットシステム(RSC) === H-IIAロケットの前身である[[H-IIロケット]]は日本で純国産開発された初めての大型液体燃料ロケットである。アメリカ製の第1段をライセンス生産していた[[H-Iロケット]]までは米国との契約によって日本独自の事業が制約されてきたが、H-IIロケットの純国産開発の成功により、日本独自の事業を行うことができるようになった。当時すでに民間による衛星ロケット打ち上げ企業として[[ヨーロッパ]]の[[アリアンスペース]]社がシェアを伸ばしつつあったことから、日本でも民間企業による打ち上げ事業への参入が目指され、ロケットシステム(RSC)が設立された。 RSCは衛星打ち上げサービスの受注から打ち上げロケットの製造管理・輸送・射場の安全確保等の打ち上げサービス全般を実施する事業主体として設立された。まずは、RSCが試験的にH-IIロケット試験3号機の受注を行い、その後に[[宇宙開発事業団|NASDA]](当時)によるH-IIロケットの打ち上げが安定して成功を収めるようになった後に、正式にRSCに業務が移管される予定であった。[[1996年]]にRSCは、衛星メーカーであるヒューズ(現[[ボーイング]])と20機、[[スペースシステムズ/ロラール]]と10機の商業衛星打ち上げ仮契約を成立させた。H-IIロケットの打ち上げは8機で終了するため、これらの衛星はH-IIAロケットで打ち上げることになるとされた。こうして、ようやく日本のロケットが商業市場に参入を果たしたかに思われた<ref name="senryaku1003">{{Cite web|和書|url = https://www8.cao.go.jp/space/comittee/yusou-dai1/siryou4.pdf|title = 我が国宇宙輸送システムを検討する視点|accessdate = 2016-2-18|publisher = 内閣府宇宙戦略室|format = PDF|date = 2013年3月|pages = 31, 37}}</ref>。 しかしH-IIロケット5号機および8号機の連続打ち上げ失敗により、H-IIロケットを即座に廃止し、円高の進展により既に開発中であった低コストなH-IIAに開発資源を集中する事となった。このためRSCへの正式移管はH-IIAロケットの打ち上げが安定して成功するまでさらに見送られた。信頼を失ったRSCは、[[2000年]]にはヒューズから契約解除を通告され、ロラールもH-IIAの開発遅れで打ち上げが間に合わなくなった2機を解約した。[[2003年]]にはロラールが倒産し、ついにRSCは全ての商業打ち上げ契約を失った<ref name = "senryaku1003"/>。 RSCによるH-IIAロケットの打ち上げは7号機から行われたが、法律上の制約により打ち上げ作業そのものはJAXAに業務委託した。しかしながら、この頃には国際的な衛星打ち上げ需要が減少しつつあり、また、[[アリアンスペース]]だけでなく、[[中華人民共和国|中国]]、[[ロシア]]などがより低価格でのビジネスを展開するようになったため、将来にわたってRSCが安定的にビジネスを継続できる見込みがなくなり、RSCはH-IIロケット試験3号機、H-IIAロケット7号機および9号機の打ち上げを履行した後、解散した<ref name = "senryaku1003"/>。 === 三菱重工 === [[三菱重工業|三菱重工]]は以前よりH-IIAの製造を行っているが、2007年の13号機から、打ち上げ作業を含めてH-IIAロケット打ち上げ関連業務のほとんどが民間企業である三菱重工に移管された。また、かつてRSCが行っていたような商業打ち上げの受注活動も三菱重工が行うことになった。これにより、JAXAは打ち上げ安全管理業務のみに責任を負うようになった。 ロケットの開発も含めて移管されるため、H-IIAで使用される機器や構成についてもある程度三菱重工自身の判断で変更できるようになる。このため三菱重工は今後打ち上げるH-IIAロケットの構成をH2A202とH2A204の二つの形式に絞ると発表した<ref name="unssb" />。 また、打ち上げ費用を70 - 80億円に抑えて商用衛星の打ち上げ市場で受注を獲得するため、従来は打ち上げ費用に含まれていた射場の点検費や修繕費、ロケットの飛行データの提供費などとして、1回当たり20 - 30億円程の公的負担を、JAXAを通じて国に求めている。 移管後の初めての打ち上げとなる13号機では、以下の点が変更された。 * ロケット打ち上げ前の極低温点検の省略<br />これまでのH-IIAロケットの打ち上げでは、必ず極低温試験が実施されていた。これにより、数億円単位での費用が節約できる。 * 第1段上部に、三菱重工の[[スリーダイヤ]]の社章が入る。<br />これまでは、RSCが打ち上げサービスを行った7号機および9号機はRSCのロゴが、それ以外の機体にはNASDAまたはJAXAのロゴが、SRB-Aの側面に入っていた。13号機のSRB-Aには何もかかれていない。 * 天候判断を含む打ち上げ作業そのものが、三菱重工によって行われる。<br />ただし、最終的な打ち上げ実行・中止の判断や、安全管理業務は、JAXAによって行われる。これは、国際法<ref>[[宇宙条約]]第6条・第7条および宇宙損害責任条約第2条</ref>により、ロケット打ち上げに関する責任は国家が負うと定められており、万一他国に損害を与えた場合は、[[国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構法|JAXA法]]<ref>国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構法第22条</ref>により、国の機関であるJAXAが全責任を負うこととなっているためである。 === 商業打ち上げ === 2009年1月12日、三菱重工は韓国の人工衛星KOMPSAT3([[アリラン3号]])の打ち上げを受注したと、正式に発表した。入札には三菱重工のほかユーロコット社の[[ロコット]]も参加していたが、H-IIAの方が低価格を提示したとされる<ref>{{Cite web|和書|url = http://japanese.joins.com/article/707/106707.html|title = アリラン3号、日本のロケットに乗って宇宙へ…2011年予定|date = 2008-10-31|publisher = [[中央日報]]|accessdate = 2015-11-25}}</ref>。ロコットはKOMPSAT2の打ち上げにも使われていた。三菱重工の入札額は非公開だが、ロコットの打ち上げ費用は40億円程度であるため、それより安いと思われる。85億円以上するH-IIAで40億円のロコットに対抗できたのは、KOMPSAT3をGCOM-W1と相乗りで打ち上げるためである。GCOM-W1は1,900 kg、KOMPSAT3は800 kg、合計しても2,700 kgであるためH-IIA202型のペイロード(太陽同期軌道、夏期)3,600 kgを下回る。すなわち、GCOM-W1打ち上げ用H-IIAの余剰能力を販売したということであり、KOMPSAT3のためにH-IIAを新規に製造したわけではない。 2012年5月18日、H-IIA 21号機によりアリラン3号を予定軌道に投入し、初の商業打ち上げを成功させた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/120518/cpc1205181153000-n1.htm|title=【H2Aロケット成功】「性能に間違いはなかった」 関係者安堵の表情 韓国側も満面の笑み|date=2012-05-18|publisher=[[産経biz]]|accessdate=2012-05-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaxa.jp/press/2012/05/20120518_h2af21_j.html|title=H-IIAロケット21号機による第一期水循環変動観測衛星「しずく」(GCOM-W1)および韓国多目的実用衛星3号機(KOMPSAT-3)の打上げ結果について|date=2012-05-18|publisher=[[JAXA]]|accessdate=2012-05-18}}</ref>。 2013年9月26日、三菱重工は[[テレサット|テレサット社]]の通信放送衛星[[Telstar 12 VANTAGE]]の打上げ輸送サービスを受注したと発表した。日本の国産ロケットが「商業衛星」の打ち上げを受注するのは初であり<ref name="Press5425">{{Cite web|和書|url=http://www.mhi.co.jp/news/story/1309265425.html|title=[[テレサット|テレサット社]](本社カナダ)の通信放送衛星打上げ輸送サービスを受注商業衛星の打上げ受注は初めて|date=2013-09-26|publisher=[[三菱重工]]|accessdate=2013-09-28}}</ref>、また「民間企業からの受注」も初となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://sorae.info/030201/2015_11_24_h2a-f29-3.html|title=打ち上げ成功おめでとう! H-IIAロケット29号機、通信衛星「テルスター12ヴァンテージ」の打ち上げに成功|publisher=sorae.jp|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-26}}</ref>。2015年11月24日、H-IIA 29号機によりTELSTAR 12 VANTAGEを予定軌道に投入し、官需衛星や、その相乗りでもない純粋な商業打ち上げを日本で初めて成功させた。 2015年3月9日に三菱重工がアラブ首長国連邦の先端科学技術研究所(EIAST)の地球観測衛星ハリーファサットの2017年度打上げ輸送サービスを受注した<ref name="MHI150309">{{Cite press release|和書|url=http://www.mhi.co.jp/news/story/1503095625.html|title=ドバイEIASTから衛星打上げ輸送サービスを受注 海外顧客から3件目|date=2015-03-09|accessdate=2016-07-16|publisher=三菱重工}}</ref>と発表、さらに2016年3月22日、同国EIASTの後継機関モハメド・ビン・ラシドスペースセンター(MBRSC)から火星探査機アル・アマルの2020年打ち上げ輸送サービスを受注した<ref name="MHI160322">{{Cite press release|和書|url=http://www.mhi.co.jp/news/story/1603225739.html|title=UAEドバイのMBRSC から火星探査機打上げ輸送サービスを受注 海外顧客から4件目|date=2016-03-22|accessdate=2016-03-29|publisher=三菱重工}}</ref>と発表した。ハリーファサットは2018年10月29日にH-IIA 40号機により、アル・アマルは2020年7月20日にH-IIA 42号機により予定軌道に打ち上げられた。 2017年9月12日には英インマルサット社のInmarsat-6のF1(初号機)の打ち上げを受注し、海外顧客からの商業打ち上げ受注は5件となった。2021年に打ち上げられた<ref name="sorae20170912">{{Cite news|url=https://sorae.info/030201/2017_09_12_mhi.html|title=「H-IIA」ロケット、インマルサット衛星「Inmarsat-6」初号機の打ち上げ契約 2020年予定|author=塚本直樹|publisher=sorae.jp|date=2017-09-12|accessdate=2017-09-13}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mhi.com/jp/news/21110402.html|title=H-IIAロケット45号機による通信衛星Inmarsat-6 F1の打上げについて|date=2021-11-04|accessdate=2021-11-09|publisher=三菱重工}}</ref>。 == 脚注・出典 == {{Reflist|30em|refs= <ref name="jma20131224">{{Cite press release |和書 |publisher=[[気象庁]] |url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1312/24a/26kettei.pdf |date=2013-12-24 |accessdate=2014-10-09 |format=PDF |title=平成26年度気象庁関係予算決定概要}}</ref> <ref name="JAXA20171010">{{Cite press release |和書 |title=H-IIAロケット36号機による「みちびき4号機」(準天頂衛星システム)の打上げ結果について |url=https://www.jaxa.jp/press/2017/10/20171010_h2af36_j.html |date=2017-10-10|accessdate=2017-10-11 |publisher=[[宇宙航空研究開発機構]]}}</ref> <ref name="cao20221223">{{Cite web|和書 | title=宇宙基本計画工程表(令和4年度改訂案) | url=https://www8.cao.go.jp/space/hq/dai27/siryou2.pdf | publisher=宇宙開発戦略本部 | date=2022-12-23 | access-date=2022-12-28}}</ref> }} == 外部リンク == {{Commonscat|H-IIA}} * [https://www.jaxa.jp/ 宇宙航空研究開発機構 (JAXA)] ** [https://www.jaxa.jp/projects/rockets/h2a/ H-IIAロケット] ** {{PDFlink|[https://www.jaxa.jp/press/2012/01/20120125_sac_h2a_j.pdf H-IIAロケットの継続的な改良への取組み状況について (2012/1/25 宇宙開発委員会報告資料)]}} * [https://www.mhi.com/jp/products/space/launch_service.html 三菱重工 - MHI 打上げ輸送サービス] * {{PDFlink|[http://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/511/511065.pdf 日本の基幹ロケットへの貢献(1)-H-ⅡA 打上げ連続成功,H-ⅡB打上げ輸送サービス化-]}} 三菱重工技報 2014年 第1号 * {{PDFlink|[http://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/514/514053.pdf H-IIAロケットの高度化開発-2段ステージ改良による衛星長寿命化への対応-]}} 三菱重工技報 2014年 第4号 {{日本の衛星打ち上げロケット|before=[[H-IIロケット]]|aftertext=姉妹機:|after=[[H-IIBロケット]]|after2text=次代:|after2=[[H3ロケット]]}} {{Expendable launch systems}} {{Rocket families}} {{三菱重工業}} [[Category:日本のロケット|H-IIA00]] [[Category:JAXA]] [[Category:三菱重工業の製品]] [[Category:星雲賞受賞作品]] [[de:H-II#H-IIA]]
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アルゴン
アルゴン(英: argon)は原子番号18番の元素である。元素記号は Ar。原子量は39.95。第18族元素(貴ガス)、第3周期元素の一つ。 「アルゴン」という名はギリシャ語で「怠惰な」「不活発な」を意味する「αργον」という単語に由来する。 「働く」という意味の「εργον」に「αν」をつけた「αν εργον」(働かない)が語源とする説もある。また、ギリシャ語で「怠け者」という意味の「αργος」が語源とする説もある。 アルゴンは、地球大気中に窒素・酸素に次いで3番目に多く含まれている気体(水蒸気を除く)で、その質量パーセント濃度は0.93 %である。地球上のアルゴンのほとんどは、質量数が40のアルゴン40であり、これは地殻中のカリウム40の崩壊により生成した。一方、宇宙においてはアルゴン36が最も多量に存在し、超新星爆発による元素合成により生成された。 空気中(地表)に 0.93 % 含まれているので、アルゴンは空気から液体酸素・液体窒素を分離精製する際に、酸素から分留して得ることができる。 第18族元素(貴ガス)の中では最も空気中での存在比が大きい。これは自然界すなわち岩石中に存在していたカリウム40の一部 (11 %) が電子捕獲によってアルゴン40となったためである。このため地球および火星など岩石惑星大気中ではアルゴン40の同位体比が圧倒的に大きいのに対し、太陽大気中ではアルゴン36の同位体が大部分を占める。 こうした事もあって地球上のアルゴンは原子量の重いものが偏っているため、アルゴン(原子番号18)は原子番号19のカリウムよりも平均原子量が大きくなっている。 ちなみに乾燥空気中の構成物質第4位は二酸化炭素だが、2008年現在得られる資料では 0.038 % であり、3位との差は大きい。 名の通り、アルゴンは化学反応をほとんど起こさない元素である。最外殻電子数が8でありオクテット則を満たしているので、アルゴンは安定でほかの元素と結合しにくい。三重点は83.8058 Kであり、これは1990年に国際温度目盛 (ITS-90) の定義定点に採用された。。 貴ガスの一つ。常温、常圧で無色、無臭の気体。貴ガスのため不活性である。比重は、1.65(−233 °C: 固体)、1.39(−186 °C: 液体)、空気に対する比重は、1.38。固体での安定構造は、面心立方構造 (FCC)。 産業用途としては主に反応性の低さを利用した不活性ガスとして製鋼や溶接、シリコン製造に用いられる。アルゴンの2004年度日本国内生産量は219461000 m (約40万トン)、工業消費量は38348000 mである。近年の需要に対応して、2005年に日本工業規格 (JIS K 1105) が改正され、純度が高められた。 1892年にレイリー卿(ジョン・ウィリアム・ストラット)が大気分析の過程で未知の気体に気づき、1894年にウィリアム・ラムゼーと共にその正体がアルゴンであることを突き止めた。 レイリー卿が気が付いたきっかけは、「空気から酸素・二酸化炭素・水蒸気といった当時既知の気体を除いて作った窒素」と「酸化窒素などの窒素化合物から作った窒素」の重さがほんのわずかではあるが違うためで、この問題について彼がラムゼーとほぼ同時にたどり着いた結論が「空気からとった窒素にはごくわずかだがいかなる薬品とも反応しない気体がある」というもので、後にラムゼーはこうした不活性な気体がアルゴン以外にもあることに気が付き、ネオンやクリプトンも空気から分離している他、メンデレーエフの周期表のどこにもこれらの元素が性質上入らないので、縦にもう一つ列(第0族元素)を作った。 しかし、その100年も前に、ヘンリー・キャヴェンディッシュが存在に気がついていたと言われている。なお、1904年にレイリー卿は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」によりノーベル物理学賞を、ウィリアム・ラムゼーは「空気中の貴ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」によりノーベル化学賞を、それぞれ授与された。 アルゴンは単原子でオクテット則を満たしていることから、他の原子と結合した化合物は長い間知られていなかった。2000年、フィンランドの研究者により初のアルゴン化合物、アルゴンフッ素水素化物 (HArF) の合成が発表された。これは、アルゴンとフッ化水素、ヨウ化セシウムを混合して 7.5 K で紫外線照射することにより合成された。
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アルゴンは原子番号18番の元素である。元素記号は Ar。原子量は39.95。第18族元素(貴ガス)、第3周期元素の一つ。
{{Otheruseslist|元素|『[[ウルトラマン80]]』の怪獣|ウルトラマン80の登場怪獣#変身怪獣 アルゴン|『[[SHOW BY ROCK!!]]』の登場人物|SHOW BY ROCK!!#ARCAREAFACT}} {{元素 |name=argon |japanese name=アルゴン |number=18 |symbol=Ar |left=[[塩素]] |right=[[カリウム]] |above=[[ネオン|Ne]] |below=[[クリプトン|Kr]] |series=貴ガス |series comment= |group=18 |period=3 |block=p |series color= |phase color= |appearance=無色の気体。高圧電場下に置かれるとライラック(紫)色の光を発する。 |image name=Argon-glow.jpg |image size= |image alt= |image name 2=Argon Spectrum.png |image name 2 comment=アルゴンのスペクトル線 |atomic mass=39.948 |atomic mass 2=1 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[ネオン|Ne]]&#93; 3s{{sup|2}} 3p{{sup|6}} |electrons per shell=2, 8, 8 |color= |phase=気体 |density gplstp=1.784 |density gpcm3nrt= |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp= |density gpcm3bp=1.40 |melting point K=83.80 |melting point C=−189.35 |melting point F=−308.83 |boiling point K=87.30 |boiling point C=−185.85 |boiling point F=−302.53 |triple point K=83.8058 |triple point kPa=69 |critical point K=150.87 |critical point MPa=4.898 |heat fusion=1.18 |heat fusion 2= |heat vaporization=6.43 |heat capacity=5[[気体定数|R]]/2=20.786 |vapor pressure 1=&nbsp; |vapor pressure 10=47 |vapor pressure 100=53 |vapor pressure 1 k=61 |vapor pressure 10 k=71 |vapor pressure 100 k=87 |vapor pressure comment= |crystal structure=[[面心立方構造]] |oxidation states=0 |oxidation states comment= |electronegativity=no data |number of ionization energies=4 |1st ionization energy=1520.6 |2nd ionization energy=2665.8 |3rd ionization energy=3931 |atomic radius= |atomic radius calculated= |covalent radius=[[1 E-10 m|106±10]] |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|188]] |magnetic ordering=[[反磁性]]<ref>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds], in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20= |thermal conductivity={{val|17.72|e=-3}} |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25= |speed of sound=(気体, 27 &deg;C) 323 |speed of sound rod at 20= |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus= |Shear modulus= |Bulk modulus= |Poisson ratio= |Mohs hardness= |Vickers hardness= |Brinell hardness= |CAS number=7440–37–1 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=36 | sym=Ar | na=0.337 % | n=18 }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=37 | sym=Ar | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=35 d | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.813 | pn=37 | ps=[[塩素|Cl]] }} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=38 | sym=Ar | na=0.063 % | n=20 }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=39 | sym=Ar | na=[[微量放射性同位体|trace]] | hl=[[1 E9 s|269]] y | dm=[[ベータ崩壊|β{{sup|−}}]] | de=0.565 | pn=39 | ps=[[カリウム|K]] }} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=40 | sym=Ar | na=99.600 % | n=22 }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=41 | sym=Ar | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=109.34 min | dm=β{{sup|−}} | de=2.49 | pn=41 | ps=[[カリウム|K]] }} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=42 | sym=Ar | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=32.9 y | dm=β{{sup|−}} | de=0.600 | pn=42 | ps=[[カリウム|K]] }} |isotopes comment= }} '''アルゴン'''({{lang-en-short|argon}})は[[原子番号]]18番の[[元素]]である。[[元素記号]]は '''Ar'''。[[原子量]]は39.95。[[第18族元素]](貴ガス)、[[第3周期元素]]の一つ。 == 名称 == 「アルゴン」という名は[[ギリシャ語]]で「怠惰な」「不活発な」を意味する「{{lang|grc|αργον}}」という単語に由来する<ref>http://www.rsc.org/chemistryworld/podcast/interactive_periodic_table_transcripts/argon.asp</ref>。 「働く」という意味の「{{lang|grc|εργον}}」に「{{lang|grc|αν}}」をつけた「{{lang|grc|αν εργον}}」(働かない)が語源とする説もある。また、ギリシャ語で「怠け者」という意味の「{{lang|grc|αργος}}」が語源とする説もある。<ref name="lazyone1"> {{cite book |last = Hiebert |first = E. N. |date = 1963 |chapter = In Noble-Gas Compounds |editor = Hyman, H. H. |title = Historical Remarks on the Discovery of Argon: The First Noble Gas |publisher = [[University of Chicago Press]] |pages = 3–20 }}</ref><ref name="lazyone2"> {{cite book |last=Travers |first = M. W. |date=1928 |title=The Discovery of the Rare Gases |pages=1–7 |publisher=Edward Arnold & Co. }}</ref> == 分布 == アルゴンは、[[地球の大気|地球大気]]中に[[窒素]]・[[酸素]]に次いで3番目に多く含まれている気体([[水蒸気]]を除く)で、その[[質量パーセント濃度]]は0.93 %である。地球上のアルゴンのほとんどは、[[質量数]]が40のアルゴン40であり、これは[[地殻]]中の[[カリウム40]]の崩壊により生成した。一方、[[宇宙]]においてはアルゴン36が最も多量に存在し、[[超新星爆発]]による[[元素合成]]により生成された。 [[空気]]中(地表)に 0.93 % 含まれているので、アルゴンは空気から[[液体酸素]]・[[液体窒素]]を分離精製する際に、酸素から[[蒸留|分留]]して得ることができる。 [[第18族元素]](貴ガス)の中では最も空気中での存在比が大きい。これは[[自然]]界すなわち[[岩石]]中に存在していた[[カリウム]]40の一部 (11 %) が[[電子捕獲]]によってアルゴン40となったためである。このため[[地球]]および[[火星]]など岩石惑星[[大気]]中ではアルゴン40の[[同位体]]比が圧倒的に大きいのに対し、[[太陽]]大気中ではアルゴン36の同位体が大部分を占める<ref name="kojima">小嶋稔 『地球物理概論』 [[東京大学出版会]]、1990年</ref>。 こうした事もあって地球上のアルゴンは原子量の重いものが偏っているため、アルゴン(原子番号18)は原子番号19のカリウムよりも平均原子量が大きくなっている<ref name="名前なし-1">『原色現代科学大事典9化学』「第2章 物質のなりたちと変化」神保元二・山田圭一(責任編集)、高橋洋一(執筆)、株式会社学習研究社、1968年、p.21</ref>。 ちなみに乾燥空気中の構成物質第4位は[[二酸化炭素]]だが、2008年現在得られる資料では 0.038 % であり、3位との差は大きい。 == 特徴 == 名の通り、アルゴンは化学反応をほとんど起こさない元素である。最外殻電子数が8であり[[オクテット則]]を満たしているので、アルゴンは安定でほかの元素と結合しにくい。[[三重点]]は83.8058 [[ケルビン|K]]であり、これは[[1990年]]に[[国際温度目盛]] (ITS-90) の定義定点に採用された。<ref name="名前なし-2">[https://www.tn-sanso.co.jp/jp/business/gas/products/ar.html アルゴンAr] 大陽日酸</ref>。 [[ファイル:Argon ice 3.jpg|left|thumb|凍結させたアルゴン]] [[貴ガス]]の一つ。常温、常圧で無色、無臭の[[気体]]。貴ガスのため不活性である。比重は、1.65({{val|-233|u=degC}}: 固体)、1.39({{val|-186|u=degC}}: 液体)、空気に対する比重は、1.38。[[固体]]での安定構造は、面心立方構造 (FCC)。 == 用途 == 産業用途としては主に反応性の低さを利用した不活性ガスとして製鋼や[[溶接]]、[[シリコン]]製造に用いられる<ref name="名前なし-2"/>。アルゴンの2004年度日本国内生産量は{{val|219461000|u=m3}} (約40万トン)、工業消費量は{{val|38348000|u=m3}}である。近年の需要に対応して、2005年に[[日本工業規格]] (JIS K 1105) が改正され、純度が高められた。 * アルゴンは、[[水銀灯]]、[[蛍光灯]]、[[電球]]、[[真空管]]等の封入ガス、アルゴンレーザー、[[アーク溶接]]時の保護ガス、[[チタン]]精練、チタン入りろう材による加工、食品の酸化防止のための充填ガスなどに利用される。 * [[分析化学]]の分野ではICP([[誘導結合プラズマ]])のプラズマ用ガスや、[[ガスクロマトグラフィー]]を行う際の移動相として利用する。 * [[テクニカルダイビング]]において、[[ドライスーツ]]用ガスや混合ガスとして使用される。 * 岩石の年代測定に[[カリウム]]・アルゴン (K-Ar) 法として用いられ、岩石が最後の加熱を受けてからの年代を求める事が出来る<ref name=japt.64.63>宇都浩三, 石塚治、「[https://doi.org/10.3720/japt.64.63 K-Ar, {{sup|40}}Ar/{{sup|39}}Ar法による第三紀火山岩の年代測定の現状と将来]」 『石油技術協会誌』 1999年 64巻 1号 p.63-71, {{doi|10.3720/japt.64.63}}, 石油技術協会</ref>。数千万年前から数十億年前という幅広い年代の推定が可能。なお、次の2つの前提条件が成立しなければならない。 # 初生{{sup|40}}Ar/{{sup|36}}Ar比(初生値)が大気アルゴンの値(=295.5)に等しい<ref name=japt.64.63 />。 # 溶岩が噴出冷却してから現在まで岩石サンプルの閉鎖系が保たれ、カリウム及びアルゴンの出入りがない<ref name=japt.64.63 />。 : しかし、実際には初生値の補正が必要になる<ref>松本哲一, 宇都浩三, 柴田賢、[https://doi.org/10.5702/massspec.37.353 歴史溶岩のアルゴン同位体比 ―若い火山岩のK-Ar年代測定における初生値補正の重要性―] 『Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan.』 1989年 37巻 6号 p.353-363, {{DOI|10.5702/massspec.37.353}}</ref>。 {{main|カリウム-アルゴン法}} == 歴史 == 1892年に[[レイリー卿]]([[ジョン・ウィリアム・ストラット (第3代レイリー男爵)|ジョン・ウィリアム・ストラット]])が大気分析の過程で未知の気体に気づき、1894年に[[ウィリアム・ラムゼー]]と共にその正体がアルゴンであることを突き止めた<ref>{{Cite |和書 |author=[[桜井弘]]|||title=元素111の新知識|date=1998| pages=109|publisher=[[講談社]]| series=|isbn=4-06-257192-7 |ref=harv }}</ref>。 レイリー卿が気が付いたきっかけは、「空気から酸素・二酸化炭素・水蒸気といった当時既知の気体を除いて作った窒素」と「酸化窒素などの窒素化合物から作った窒素」の重さがほんのわずかではあるが違うためで、この問題について彼がラムゼーとほぼ同時にたどり着いた結論が「空気からとった窒素にはごくわずかだがいかなる薬品とも反応しない気体がある」というもので、後にラムゼーはこうした不活性な気体がアルゴン以外にもあることに気が付き、ネオンやクリプトンも空気から分離している<ref>『原色現代科学大事典9化学』神保元二・山田圭一(責任編集)、高橋洋一・他(執筆)、株式会社学習研究社、1968年、p.20・362<br>なお、ラムゼーはヘリウムも発見しているが、これはウラン鉱石から分離したもので大気起源ではない</ref>他、[[メンデレーエフ]]の[[周期表]]のどこにもこれらの元素が性質上入らないので、縦にもう一つ列(第0族元素)を作った<ref name="名前なし-1"/>。 しかし、その100年も前に、[[ヘンリー・キャヴェンディッシュ]]が存在に気がついていたと言われている{{誰2|date=2021年1月}}。なお、1904年に[[レイリー卿]]は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」により[[ノーベル物理学賞]]を、[[ウィリアム・ラムゼー]]は「空気中の貴ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」により[[ノーベル化学賞]]を、それぞれ授与された。 == 化合物 == アルゴンは単原子で[[オクテット則]]を満たしていることから、他の原子と結合した化合物は長い間知られていなかった。[[2000年]]、[[フィンランド]]の研究者により初のアルゴン化合物、[[アルゴンフッ素水素化物]] (HArF) の合成が発表された。これは、アルゴンと[[フッ化水素]]、[[ヨウ化セシウム]]を混合して 7.5 [[ケルビン|K]] で[[紫外線]]照射することにより合成された<ref>Khriachtchev, L.; Pettersson, M.; Runeberg, N.; Lundell, J.; Räsänen, M. ''Nature,'' '''2000''', ''406'', 874-876. DOI: [https://doi.org/10.1038/35022551 10.1038/35022551]</ref>。 == 同位体 == {{see|アルゴンの同位体}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em}} == 外部リンク == {{Sisterlinks | wikt = アルゴン | s = no | n = no }} * {{ICSC|0154}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あるこん}} [[Category:アルゴン|*]] [[Category:元素]] [[Category:貴ガス]] [[Category:第3周期元素]] [[Category:産業用ガス]]
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バリウム
バリウム(英: barium [ˈbɛəriəm])は、原子番号 56 の元素。元素記号は Ba。アルカリ土類金属のひとつ。 アルカリ土類金属としては密度が大きく重いため、ギリシャ語で「重い」を意味する βαρύς (barys) にちなんで命名された。ただし、金属バリウムの比重は約3.5であるため軽金属に分類される。 単体では銀白色の軟らかい金属。他のアルカリ土類金属元素と類似した性質を示すが、カルシウムやストロンチウムと比べ反応性は高い。化学的性質としては+2価の希土類イオンとも類似した性質を示す。 バリウム塩には毒性があり、摂取するとカリウムチャネルをバリウムイオンが阻害することによって神経系への影響が生じる。そのためバリウム塩(バリウム化合物)は毒物及び劇物取締法(指定令)において劇物に指定されている(金属のバリウムは指定されていない、硫酸バリウムなど指定されない物質もある)。 バリウムは鉛と同程度に柔らかく銀白色の外観を有するアルカリ土類金属である。金属光沢を有しているが、空気中では徐々に酸化されて白色の酸化被膜に覆われるため金属光沢は失われる。融点および沸点は資料により異なるデータがみられ、融点は729 °Cや725 °C、726.2 °Cというデータがあり、沸点は1898 °C(1気圧)、1640 °C、1637 °C(1気圧)というデータがある。密度が3.51 g/cmと低いため軽金属に分類される。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC) であり、その格子定数aは5.01である。 炎色反応においてバリウムは黄緑色の炎色を呈する。主要な輝線は524.2 nmおよび513.7 nmの緑色のスペクトル線であり、それらは双子線を示すアルカリ金属元素の輝線とは対照的に単線を示す。 バリウムの化学的性質はカルシウムやストロンチウムに類似しているものの、アルカリ土類金属元素の電気陰性度は原子番号が大きくなるにつれて小さくなる傾向があるため、バリウムはカルシウムやストロンチウムよりもさらに反応性が高い。このアルカリ土類金属元素の持つ性質の連続的な変化によって、バリウムの塩は他のアルカリ土類金属の塩と比較して水和物を形成しやすく、水に対する溶解度が低く、熱的安定性が優れているという性質を有している。2価のバリウムイオンの化学的性質はユウロピウムやサマリウム、イッテルビウムイオンなど2価の希土類イオンと類似しており、バリウム鉱石中にこれらの元素が含まれていることがある。バリウムイオンは可視領域にスペクトルを持たないためバリウム化合物は全て無色であり、バリウム化合物の着色はアニオン側の持つ色や構造の欠陥に起因して生じたものである。 バリウムの電溶圧は水素よりも大きいため水と激しく反応して水素を発生させ、アルコールとも同様に激しく反応する。 バリウムは空気中で徐々に酸化されて白色の酸化バリウムを形成し、この酸化物もまた水と激しく反応して水酸化バリウムとなる。水酸化バリウムはアルカリ土類金属の水酸化物の中では水に対する溶解度が高く強塩基性である。バリウムは高温で炭素と直接反応してイオン性アセチリドである炭化バリウムを生成する。この炭化物は加水分解によってアセチレンを発生させる。また、ホウ素、ケイ素、ヒ素、硫黄などとも直接反応してイオン性の化合物を形成するが、これらの化合物もまた容易に加水分解を受ける。オキソ酸とも反応して硫酸バリウムや硝酸バリウムのような化合物を形成し、それらの化合物は水に対する溶解性が低い。 バリウムの過塩素酸塩はジエチレントリアミンによって錯体を形成するが、安定に存在できるのは固体常態のみであり溶液中では容易に解離する。また、クラウンエーテルとも錯体を形成する。バリウムは液体アンモニアに溶解して青色の溶液となり、ここからアンモニアを除去することでバリウムのアンミン錯体を得ることができる。 バリウムはアルミニウム、亜鉛、鉛およびスズを含むいくつかの金属と結合し、合金および金属間化合物を形成する。 自然より産出するバリウムは七つの同位体の混合物であり、天然存在比が最大のものはBaの71.7%である。バリウムは40の同位体が知られているが、それらのほとんどは半減期が数ミリ秒から数日の高い放射能を持つ放射性同位体である。例外として、10.51年という比較的長い半減期を持つBaがある。Baは原子物理学の研究におけるガンマ線探知機などにおいて校正用の標準線源として用いられる。 バリウムを含む溶液に硫酸を加えると不溶性の硫酸バリウムが白色沈殿として生じるため、これをもって簡易な定性分析を行うことができる。しかしこの方法では、同族元素であるカルシウムもしくはストロンチウムが含まれているとバリウムと同様に硫酸塩の沈殿が生じ、鉛イオンもまた同様に硫酸鉛の白色沈殿を生じさせて定性分析の妨害となる。 バリウムの定性分析法としては、酢酸緩衝液下でクロム酸バリウムの黄色沈殿を生じさせる方法が用いられる。この際、マスキング剤としてエチレンジアミン四酢酸 (EDTA) と塩化マグネシウムを加えることで他の元素がEDTAと錯体を形成するため、バリウム以外の元素が水酸化物として沈殿して妨害するのを抑止することができる。 バリウムは炎色反応においてうすい緑色を呈するが、銅やマンガン、テルル、ビスマスなど多くの元素が類似の炎色を示すため定性分析としては利用し難い。 溶液中のバリウム濃度の定量分析法として、硫酸バリウムもしくはクロム酸バリウムの形でバリウムを沈殿させてその重量を測定する重量法が挙げられる。硫酸バリウムを用いた場合には、ストロンチウが不純物として含まれているとストロンチウムの分も分析値に上乗せされるため、原子吸光法などによってストロンチウムの含有量を別途測定して分析値から差し引く必要がある。また、このようにして得られたクロム酸バリウムを硫酸酸性溶液に溶解させ、規定量の硫酸鉄(II)溶液を加えたのちに過剰量の硫酸鉄(II)を過マンガン酸カリウム溶液で逆滴定する容量分析法によっても定量分析することもできる。これは、クロム酸の作用で硫酸鉄(II)が酸化される反応を利用したものであり、クロム酸の逆滴定と同一の方法である。バリウム溶液中に、アンモニア性塩化アンモニウム緩衝溶液およびマグネシウム溶液を加え、エリオクロムブラックTを指示薬としてEDTA溶液でキレート滴定する方法も用いられるが、この方法においても硫酸バリウムを用いた重量法と同様にストロンチウムの分析値を差し引く必要がある。EDTAによるキレート滴定法は日本工業規格におけるバリウムの定量分析法の一つとして採用されている。 機器分析法としては、フレームレス原子吸光法 (AAS) やICP-AES、ICP-MSが利用され、AASの吸収波長は553.6 nm、ICP-AESの発光波長は233.527 nmおよび455.403 nmが用いられる。 バリウムの名称は、ギリシャ語で「重い」を意味するβαρύς (barys) に由来しており、それは一般的なバリウムを含む鉱石が高密度であることを表している。中世初期の錬金術師たちはいくつかのバリウム鉱石を知っており、イタリアのボローニャで見つけられた滑らかな小石様の重晶石鉱石は「ボローニャの石」として知られていた。その石に光を照射するとその後輝き続ける(つまり蛍光を示す)ことから、魔女や錬金術師たちはこの石に魅力を感じていた。ボローニャ石の発光は、主成分である重晶石(硫酸バリウム;BaSO4)に起因すると考えられていたが、CuドープBaSによるものだと明らかになっている。 1774年、スウェーデンのカール・ヴィルヘルム・シェーレが軟マンガン鉱に新しい元素が含まれていることを発見したが、その鉱石からバリウムを分離することはできなかった。ヨハン・ゴットリーブ・ガーンもまた類似した研究を行い、シェーレによるバリウムの発見から二年後に酸化バリウムとして鉱石から分離することに成功した。酸化バリウムは初めルイ=ベルナール・ギュイトン・ド・モルヴォーによってbaroteと呼ばれており、アントワーヌ・ラヴォアジエによってバリタ (baryta) と改名された。また、18世紀にはイギリスの鉱物学者であるウィリアム・ウィザリングもカンバーランドの鉛鉱山で産出する重い鉱石(炭酸バリウムの鉱石である毒重石(英語版))について言及していた。1808年、イギリスのハンフリー・デービーがバリウム塩の溶融塩電解によってバリウムの単体を初めて単離した。デービーは類似した性質を示すカルシウムの命名法に準じて、酸化バリウムを表すバリタ (baryta) の後ろに金属元素を意味する接尾語である「-ium」を付けてバリウム (barium) 名付けた。ロベルト・ブンゼンおよびアウグストゥス・マーティセン(英語版)は、塩化バリウムと塩化アンモニウムの混合物を溶融させて電気分解を行うことによって純粋なバリウムを得た。 電気分解および液体空気の分留が有意な酸素の生産方法として確立される以前は、過酸化バリウムを用いて純粋な酸素を生産するブリン法(英語版)がバリウムの大規模な用途であった。これは、酸化バリウムを空気中で500から600度で熱して過酸化バリウムとし、この過酸化バリウムを700°C以上で熱することによって純粋な酸素を得るという方法である。 1908年には、消化器系のX線写真で造影剤として初めて利用された。 地殻における存在量は豊富であり、重晶石(硫酸バリウム)などの鉱石として産出する。確認埋蔵量の48.6%を中国が占めており、生産量も50%以上が中国によるものである。 バリウムの宇宙全体の平均濃度の推定値は重量濃度で10 ppb、太陽における推定濃度も10 ppbである。地殻においては比較的豊富に存在しており、その存在量は4.25 × 10 mg/kgである。また、海水中には1.3 × 10 mg/L含まれる。地殻中において重晶石(硫酸塩)や毒重石(炭酸塩)のような鉱物として存在している。毒重石の鉱石は、例えば北イングランドのニューボロー(英語版)近辺のセッティングストーンズ鉱山などにおいて17世紀から1969年までの間採掘されてきたが、現在はほとんど全てのバリウムは重晶石として採掘されている。アメリカ地質調査所の2005年版Mineral Commodity Summariesを元にした東北経済産業局の報告書によれば、バリウムの確認埋蔵量は重晶石ベースで7.4億トン、可産鉱量は2.0億トンであると見積もられており、可産年数は29年とされている。重晶石の大きな鉱床は中華人民共和国、ドイツ、インド、モロッコおよびアメリカ合衆国で発見されており、確認埋蔵量の48.6%を中国が占めている。毒重石の鉱床としてはイギリス、ルーマニア、旧ソビエト連邦などに見られるが、それらは商業的に重要ではない。バリウムを含む宝石としては濃い青色を示すベニト石(ベニトアイト)があり、カリフォルニア州のサン・ベニトで産出する。 バリウム(重晶石)の年間生産量のピークは1981年の830万トンであり、そのうち7-8%だけが金属バリウムやその化合物の生産に利用された。これは、バリウムの最大の用途が掘穿泥水(英語版)における加重剤としての用途であり、この目的には重晶石をそのまま粉砕して硫酸バリウムとして利用するためである。シェールガスの採掘増加に伴う掘穿泥水の需要増によって、2016年にはピーク時の生産量を越える930万トンにまで需要が拡大するものと予想されている。2011年におけるバリウム生産量はその50%以上を中国が占めており、それに14%のインド、8.4%のモロッコ、8.3%のアメリカが続いている。 バリウムは空気中で容易に酸化されるため単体の金属バリウムを得ることは困難であり自然から金属バリウムが産出することはなく、金属バリウムは主に重晶石から抽出することで生産されている。採掘された重晶石は手選、ログウォッシャーを用いた洗鉱(水力によって重晶石と脈石や粘土を分離させる)、粉砕、比重選鉱など分別工程によって石英から分離される。良質の重晶石はこの工程で重晶石と脈石の分離が可能であるが、石英が鉱石に非常に深く貫入していたり、鉄や亜鉛、鉛の濃度が高い場合、あるいは「黒鉱」内の重晶石は、オレイン酸などを用いた泡沫浮遊選鉱(en)によって選鉱される。この過程によって重晶石としての純度は質量濃度で98%まで高められ、不純物として含まれる鉄や二酸化ケイ素が除去される。この重晶石は非常に溶解し難いため、重晶石を直接的に金属バリウムや他のバリウム化合物を得るための前駆体とすることはできず、重晶石中の硫酸バリウムを硫化バリウムに還元するために炭素とともに加熱する前処理が行われる。 こうして得られた水溶性の硫化バリウムは、その水溶液を酸素と反応させることで水酸化バリウムが、硝酸と反応させることで硝酸バリウムが、二酸化炭素と反応させることで炭酸バリウムが得られるなど、様々なバリウム化合物を生産するための前駆体となる。また、硝酸バリウムを熱分解させることで酸化物が得られる。金属バリウムは酸化バリウムをアルミニウムとともに1100°Cで還元させることによって得られる。この反応では、はじめに金属間化合物であるBaAl4が形成される。 この金属間化合物は反応中間体であり、BaAl4と酸化バリウムが反応することで金属バリウムを与える。酸化バリウムとアルミニウムとの反応において酸化バリウムの全量が還元しきるわけではないことに注意。 さらに残った酸化バリウムは、先の反応で形成された酸化アルミニウムと反応する。 全体的な反応は以下のようになる。 こうして得られたバリウム蒸気はアルゴン雰囲気下で回収、冷却され型に詰められる。この方法は商業的に使われており、高純度で金属バリウムを得ることができる。一般的に市販される金属バリウムの純度は99%であり、主な不純物はストロンチウムおよびカルシウム(最大で0.8%および0.25%)、他の不純物は0.1%よりも低い。 類似した反応として、酸化バリウムをケイ素と1200°Cで反応させることによって金属バリウムとメタケイ酸バリウムを得る方法がある。電解法では、生成した金属バリウムがすぐに原料の溶融塩に溶解しハロゲン化物の汚染を受けやすいため利用されない。 バリウムの最大の用途は油井やガス井を採掘するための掘穿泥水(英語版)における加重剤であり、重晶石を砕いたバライト粉が利用される。 バリウム単体の用途として最も重要なものに、テレビのブラウン管のような真空管内に痕跡量残存した最後の酸素やその他のガスを取り除くゲッター(英語版)としての用途があったが、この用途はブラウン管を使わない液晶テレビやプラズマテレビの普及によって、姿を消しつつある。他の単体バリウムとしての用途は小規模であり、アルミニウム-ケイ素合金であるシルミンの結晶構造を安定化させるための添加材として用いられるように、以下のような合金への添加材としての用途が挙げられる。 硫酸バリウム (BaSO4) は重晶石を粉砕して製造されるバライト粉と、硫化バリウムと硫酸ナトリウムとの複分解によって製造される沈降性硫酸バリウムに大別される。 バライト粉は石油産業において重要であり、新しい油井やガス井を採掘するための掘穿泥水(英語版)における加重剤として用いられる。 沈降性硫酸バリウムの英語表記である「blanc fixe」は「永久の白」を意味するフランス語に由来しており、白色塗料として利用される。硫酸バリウムおよび硫酸亜鉛からなる白色顔料であるリトポンは良好な隠蔽力を有しており、硫化物に曝されても黒変しない「永久の白」である。また、沈降性硫酸バリウムはゴルフボールなど様々なゴム製品の充填剤にも用いられる。 硫酸バリウムのナノ粒子はポリマーの物性を改良することができ、例えばエポキシ樹脂などに用いられる。 硫酸バリウムはまた、X線を透過しないという性質を利用してレントゲンの造影剤としても利用される(バリウムがゆ(英語版)、バリウム浣腸(英語版))。 炭酸バリウムが殺鼠剤として用いられるようにBaイオンは毒性を有している。硫酸塩は水に対する溶解度が非常に低いために問題とならないが、その他のバリウム化合物の用途は特定の分野に見られるのみである。 可溶性のバリウム化合物は有毒である。少量のバリウムは筋興奮薬として働くが、多量のバリウムは神経系に影響をおよぼし、不整脈や震え、筋力低下、不安、呼吸困難、麻痺などを引き起こす。これは、神経系が適切に機能するために極めて重要なカリウムチャネルをバリウムが阻害することによる。また、バリウム化合物を含む粉塵を吸入した場合には肺で蓄積されてバリウム症(英語版)と呼ばれる良性塵肺症を引き起こす。しかし、硫酸バリウムは水や胃酸に対してほとんど溶解しないため経口摂取することが可能である。 他の重金属とは異なり一般にバリウムは生物濃縮しないとされているが、トマトや大豆など一部の植物における生物濃縮の報告もされている。環境中のバリウムはウイルスや細菌、微生物などに対して影響を与え、ミジンコに対する生殖障害などが報告されている。 このような毒性のため、日本では毒物及び劇物取締法第二条七十九により硫酸バリウムおよびバリウム=4-(5-クロロ-4-メチル-2-スルホナトフエニルアゾ)-3-ヒドロキシ-2-ナフトアート以外のバリウム化合物は劇物に指定されている。PRTR法では、バリウム及びその水溶性化合物が第一種指定化学物質として指定されていたが、2008年の政令改正により指定が解除された。また、EUでは地下水の保全に関する指令によってバリウムの排出には検査と許可が求められており、中国やマレーシア、タイ、シンガポールにおいてもバリウムの排水基準値や水質基準値が定められているが、日本においてはバリウムの排出に関するそのような基準は定められていない。欧州においては他にも、欧州玩具安全規格 EN71 part3における子供向け玩具のバリウムの溶出に関する規制が行われている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "バリウム(英: barium [ˈbɛəriəm])は、原子番号 56 の元素。元素記号は Ba。アルカリ土類金属のひとつ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アルカリ土類金属としては密度が大きく重いため、ギリシャ語で「重い」を意味する βαρύς (barys) にちなんで命名された。ただし、金属バリウムの比重は約3.5であるため軽金属に分類される。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "単体では銀白色の軟らかい金属。他のアルカリ土類金属元素と類似した性質を示すが、カルシウムやストロンチウムと比べ反応性は高い。化学的性質としては+2価の希土類イオンとも類似した性質を示す。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "バリウム塩には毒性があり、摂取するとカリウムチャネルをバリウムイオンが阻害することによって神経系への影響が生じる。そのためバリウム塩(バリウム化合物)は毒物及び劇物取締法(指定令)において劇物に指定されている(金属のバリウムは指定されていない、硫酸バリウムなど指定されない物質もある)。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "バリウムは鉛と同程度に柔らかく銀白色の外観を有するアルカリ土類金属である。金属光沢を有しているが、空気中では徐々に酸化されて白色の酸化被膜に覆われるため金属光沢は失われる。融点および沸点は資料により異なるデータがみられ、融点は729 °Cや725 °C、726.2 °Cというデータがあり、沸点は1898 °C(1気圧)、1640 °C、1637 °C(1気圧)というデータがある。密度が3.51 g/cmと低いため軽金属に分類される。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC) であり、その格子定数aは5.01である。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "炎色反応においてバリウムは黄緑色の炎色を呈する。主要な輝線は524.2 nmおよび513.7 nmの緑色のスペクトル線であり、それらは双子線を示すアルカリ金属元素の輝線とは対照的に単線を示す。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "バリウムの化学的性質はカルシウムやストロンチウムに類似しているものの、アルカリ土類金属元素の電気陰性度は原子番号が大きくなるにつれて小さくなる傾向があるため、バリウムはカルシウムやストロンチウムよりもさらに反応性が高い。このアルカリ土類金属元素の持つ性質の連続的な変化によって、バリウムの塩は他のアルカリ土類金属の塩と比較して水和物を形成しやすく、水に対する溶解度が低く、熱的安定性が優れているという性質を有している。2価のバリウムイオンの化学的性質はユウロピウムやサマリウム、イッテルビウムイオンなど2価の希土類イオンと類似しており、バリウム鉱石中にこれらの元素が含まれていることがある。バリウムイオンは可視領域にスペクトルを持たないためバリウム化合物は全て無色であり、バリウム化合物の着色はアニオン側の持つ色や構造の欠陥に起因して生じたものである。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "バリウムの電溶圧は水素よりも大きいため水と激しく反応して水素を発生させ、アルコールとも同様に激しく反応する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "バリウムは空気中で徐々に酸化されて白色の酸化バリウムを形成し、この酸化物もまた水と激しく反応して水酸化バリウムとなる。水酸化バリウムはアルカリ土類金属の水酸化物の中では水に対する溶解度が高く強塩基性である。バリウムは高温で炭素と直接反応してイオン性アセチリドである炭化バリウムを生成する。この炭化物は加水分解によってアセチレンを発生させる。また、ホウ素、ケイ素、ヒ素、硫黄などとも直接反応してイオン性の化合物を形成するが、これらの化合物もまた容易に加水分解を受ける。オキソ酸とも反応して硫酸バリウムや硝酸バリウムのような化合物を形成し、それらの化合物は水に対する溶解性が低い。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "バリウムの過塩素酸塩はジエチレントリアミンによって錯体を形成するが、安定に存在できるのは固体常態のみであり溶液中では容易に解離する。また、クラウンエーテルとも錯体を形成する。バリウムは液体アンモニアに溶解して青色の溶液となり、ここからアンモニアを除去することでバリウムのアンミン錯体を得ることができる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "バリウムはアルミニウム、亜鉛、鉛およびスズを含むいくつかの金属と結合し、合金および金属間化合物を形成する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "自然より産出するバリウムは七つの同位体の混合物であり、天然存在比が最大のものはBaの71.7%である。バリウムは40の同位体が知られているが、それらのほとんどは半減期が数ミリ秒から数日の高い放射能を持つ放射性同位体である。例外として、10.51年という比較的長い半減期を持つBaがある。Baは原子物理学の研究におけるガンマ線探知機などにおいて校正用の標準線源として用いられる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "バリウムを含む溶液に硫酸を加えると不溶性の硫酸バリウムが白色沈殿として生じるため、これをもって簡易な定性分析を行うことができる。しかしこの方法では、同族元素であるカルシウムもしくはストロンチウムが含まれているとバリウムと同様に硫酸塩の沈殿が生じ、鉛イオンもまた同様に硫酸鉛の白色沈殿を生じさせて定性分析の妨害となる。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "バリウムの定性分析法としては、酢酸緩衝液下でクロム酸バリウムの黄色沈殿を生じさせる方法が用いられる。この際、マスキング剤としてエチレンジアミン四酢酸 (EDTA) と塩化マグネシウムを加えることで他の元素がEDTAと錯体を形成するため、バリウム以外の元素が水酸化物として沈殿して妨害するのを抑止することができる。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "バリウムは炎色反応においてうすい緑色を呈するが、銅やマンガン、テルル、ビスマスなど多くの元素が類似の炎色を示すため定性分析としては利用し難い。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "溶液中のバリウム濃度の定量分析法として、硫酸バリウムもしくはクロム酸バリウムの形でバリウムを沈殿させてその重量を測定する重量法が挙げられる。硫酸バリウムを用いた場合には、ストロンチウが不純物として含まれているとストロンチウムの分も分析値に上乗せされるため、原子吸光法などによってストロンチウムの含有量を別途測定して分析値から差し引く必要がある。また、このようにして得られたクロム酸バリウムを硫酸酸性溶液に溶解させ、規定量の硫酸鉄(II)溶液を加えたのちに過剰量の硫酸鉄(II)を過マンガン酸カリウム溶液で逆滴定する容量分析法によっても定量分析することもできる。これは、クロム酸の作用で硫酸鉄(II)が酸化される反応を利用したものであり、クロム酸の逆滴定と同一の方法である。バリウム溶液中に、アンモニア性塩化アンモニウム緩衝溶液およびマグネシウム溶液を加え、エリオクロムブラックTを指示薬としてEDTA溶液でキレート滴定する方法も用いられるが、この方法においても硫酸バリウムを用いた重量法と同様にストロンチウムの分析値を差し引く必要がある。EDTAによるキレート滴定法は日本工業規格におけるバリウムの定量分析法の一つとして採用されている。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "機器分析法としては、フレームレス原子吸光法 (AAS) やICP-AES、ICP-MSが利用され、AASの吸収波長は553.6 nm、ICP-AESの発光波長は233.527 nmおよび455.403 nmが用いられる。", "title": "分析" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "バリウムの名称は、ギリシャ語で「重い」を意味するβαρύς (barys) に由来しており、それは一般的なバリウムを含む鉱石が高密度であることを表している。中世初期の錬金術師たちはいくつかのバリウム鉱石を知っており、イタリアのボローニャで見つけられた滑らかな小石様の重晶石鉱石は「ボローニャの石」として知られていた。その石に光を照射するとその後輝き続ける(つまり蛍光を示す)ことから、魔女や錬金術師たちはこの石に魅力を感じていた。ボローニャ石の発光は、主成分である重晶石(硫酸バリウム;BaSO4)に起因すると考えられていたが、CuドープBaSによるものだと明らかになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1774年、スウェーデンのカール・ヴィルヘルム・シェーレが軟マンガン鉱に新しい元素が含まれていることを発見したが、その鉱石からバリウムを分離することはできなかった。ヨハン・ゴットリーブ・ガーンもまた類似した研究を行い、シェーレによるバリウムの発見から二年後に酸化バリウムとして鉱石から分離することに成功した。酸化バリウムは初めルイ=ベルナール・ギュイトン・ド・モルヴォーによってbaroteと呼ばれており、アントワーヌ・ラヴォアジエによってバリタ (baryta) と改名された。また、18世紀にはイギリスの鉱物学者であるウィリアム・ウィザリングもカンバーランドの鉛鉱山で産出する重い鉱石(炭酸バリウムの鉱石である毒重石(英語版))について言及していた。1808年、イギリスのハンフリー・デービーがバリウム塩の溶融塩電解によってバリウムの単体を初めて単離した。デービーは類似した性質を示すカルシウムの命名法に準じて、酸化バリウムを表すバリタ (baryta) の後ろに金属元素を意味する接尾語である「-ium」を付けてバリウム (barium) 名付けた。ロベルト・ブンゼンおよびアウグストゥス・マーティセン(英語版)は、塩化バリウムと塩化アンモニウムの混合物を溶融させて電気分解を行うことによって純粋なバリウムを得た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "電気分解および液体空気の分留が有意な酸素の生産方法として確立される以前は、過酸化バリウムを用いて純粋な酸素を生産するブリン法(英語版)がバリウムの大規模な用途であった。これは、酸化バリウムを空気中で500から600度で熱して過酸化バリウムとし、この過酸化バリウムを700°C以上で熱することによって純粋な酸素を得るという方法である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1908年には、消化器系のX線写真で造影剤として初めて利用された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "地殻における存在量は豊富であり、重晶石(硫酸バリウム)などの鉱石として産出する。確認埋蔵量の48.6%を中国が占めており、生産量も50%以上が中国によるものである。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "バリウムの宇宙全体の平均濃度の推定値は重量濃度で10 ppb、太陽における推定濃度も10 ppbである。地殻においては比較的豊富に存在しており、その存在量は4.25 × 10 mg/kgである。また、海水中には1.3 × 10 mg/L含まれる。地殻中において重晶石(硫酸塩)や毒重石(炭酸塩)のような鉱物として存在している。毒重石の鉱石は、例えば北イングランドのニューボロー(英語版)近辺のセッティングストーンズ鉱山などにおいて17世紀から1969年までの間採掘されてきたが、現在はほとんど全てのバリウムは重晶石として採掘されている。アメリカ地質調査所の2005年版Mineral Commodity Summariesを元にした東北経済産業局の報告書によれば、バリウムの確認埋蔵量は重晶石ベースで7.4億トン、可産鉱量は2.0億トンであると見積もられており、可産年数は29年とされている。重晶石の大きな鉱床は中華人民共和国、ドイツ、インド、モロッコおよびアメリカ合衆国で発見されており、確認埋蔵量の48.6%を中国が占めている。毒重石の鉱床としてはイギリス、ルーマニア、旧ソビエト連邦などに見られるが、それらは商業的に重要ではない。バリウムを含む宝石としては濃い青色を示すベニト石(ベニトアイト)があり、カリフォルニア州のサン・ベニトで産出する。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "バリウム(重晶石)の年間生産量のピークは1981年の830万トンであり、そのうち7-8%だけが金属バリウムやその化合物の生産に利用された。これは、バリウムの最大の用途が掘穿泥水(英語版)における加重剤としての用途であり、この目的には重晶石をそのまま粉砕して硫酸バリウムとして利用するためである。シェールガスの採掘増加に伴う掘穿泥水の需要増によって、2016年にはピーク時の生産量を越える930万トンにまで需要が拡大するものと予想されている。2011年におけるバリウム生産量はその50%以上を中国が占めており、それに14%のインド、8.4%のモロッコ、8.3%のアメリカが続いている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "バリウムは空気中で容易に酸化されるため単体の金属バリウムを得ることは困難であり自然から金属バリウムが産出することはなく、金属バリウムは主に重晶石から抽出することで生産されている。採掘された重晶石は手選、ログウォッシャーを用いた洗鉱(水力によって重晶石と脈石や粘土を分離させる)、粉砕、比重選鉱など分別工程によって石英から分離される。良質の重晶石はこの工程で重晶石と脈石の分離が可能であるが、石英が鉱石に非常に深く貫入していたり、鉄や亜鉛、鉛の濃度が高い場合、あるいは「黒鉱」内の重晶石は、オレイン酸などを用いた泡沫浮遊選鉱(en)によって選鉱される。この過程によって重晶石としての純度は質量濃度で98%まで高められ、不純物として含まれる鉄や二酸化ケイ素が除去される。この重晶石は非常に溶解し難いため、重晶石を直接的に金属バリウムや他のバリウム化合物を得るための前駆体とすることはできず、重晶石中の硫酸バリウムを硫化バリウムに還元するために炭素とともに加熱する前処理が行われる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "こうして得られた水溶性の硫化バリウムは、その水溶液を酸素と反応させることで水酸化バリウムが、硝酸と反応させることで硝酸バリウムが、二酸化炭素と反応させることで炭酸バリウムが得られるなど、様々なバリウム化合物を生産するための前駆体となる。また、硝酸バリウムを熱分解させることで酸化物が得られる。金属バリウムは酸化バリウムをアルミニウムとともに1100°Cで還元させることによって得られる。この反応では、はじめに金属間化合物であるBaAl4が形成される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この金属間化合物は反応中間体であり、BaAl4と酸化バリウムが反応することで金属バリウムを与える。酸化バリウムとアルミニウムとの反応において酸化バリウムの全量が還元しきるわけではないことに注意。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "さらに残った酸化バリウムは、先の反応で形成された酸化アルミニウムと反応する。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "全体的な反応は以下のようになる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "こうして得られたバリウム蒸気はアルゴン雰囲気下で回収、冷却され型に詰められる。この方法は商業的に使われており、高純度で金属バリウムを得ることができる。一般的に市販される金属バリウムの純度は99%であり、主な不純物はストロンチウムおよびカルシウム(最大で0.8%および0.25%)、他の不純物は0.1%よりも低い。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "類似した反応として、酸化バリウムをケイ素と1200°Cで反応させることによって金属バリウムとメタケイ酸バリウムを得る方法がある。電解法では、生成した金属バリウムがすぐに原料の溶融塩に溶解しハロゲン化物の汚染を受けやすいため利用されない。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "バリウムの最大の用途は油井やガス井を採掘するための掘穿泥水(英語版)における加重剤であり、重晶石を砕いたバライト粉が利用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "バリウム単体の用途として最も重要なものに、テレビのブラウン管のような真空管内に痕跡量残存した最後の酸素やその他のガスを取り除くゲッター(英語版)としての用途があったが、この用途はブラウン管を使わない液晶テレビやプラズマテレビの普及によって、姿を消しつつある。他の単体バリウムとしての用途は小規模であり、アルミニウム-ケイ素合金であるシルミンの結晶構造を安定化させるための添加材として用いられるように、以下のような合金への添加材としての用途が挙げられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "硫酸バリウム (BaSO4) は重晶石を粉砕して製造されるバライト粉と、硫化バリウムと硫酸ナトリウムとの複分解によって製造される沈降性硫酸バリウムに大別される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "バライト粉は石油産業において重要であり、新しい油井やガス井を採掘するための掘穿泥水(英語版)における加重剤として用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "沈降性硫酸バリウムの英語表記である「blanc fixe」は「永久の白」を意味するフランス語に由来しており、白色塗料として利用される。硫酸バリウムおよび硫酸亜鉛からなる白色顔料であるリトポンは良好な隠蔽力を有しており、硫化物に曝されても黒変しない「永久の白」である。また、沈降性硫酸バリウムはゴルフボールなど様々なゴム製品の充填剤にも用いられる。 硫酸バリウムのナノ粒子はポリマーの物性を改良することができ、例えばエポキシ樹脂などに用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "硫酸バリウムはまた、X線を透過しないという性質を利用してレントゲンの造影剤としても利用される(バリウムがゆ(英語版)、バリウム浣腸(英語版))。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "炭酸バリウムが殺鼠剤として用いられるようにBaイオンは毒性を有している。硫酸塩は水に対する溶解度が非常に低いために問題とならないが、その他のバリウム化合物の用途は特定の分野に見られるのみである。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "可溶性のバリウム化合物は有毒である。少量のバリウムは筋興奮薬として働くが、多量のバリウムは神経系に影響をおよぼし、不整脈や震え、筋力低下、不安、呼吸困難、麻痺などを引き起こす。これは、神経系が適切に機能するために極めて重要なカリウムチャネルをバリウムが阻害することによる。また、バリウム化合物を含む粉塵を吸入した場合には肺で蓄積されてバリウム症(英語版)と呼ばれる良性塵肺症を引き起こす。しかし、硫酸バリウムは水や胃酸に対してほとんど溶解しないため経口摂取することが可能である。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "他の重金属とは異なり一般にバリウムは生物濃縮しないとされているが、トマトや大豆など一部の植物における生物濃縮の報告もされている。環境中のバリウムはウイルスや細菌、微生物などに対して影響を与え、ミジンコに対する生殖障害などが報告されている。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "このような毒性のため、日本では毒物及び劇物取締法第二条七十九により硫酸バリウムおよびバリウム=4-(5-クロロ-4-メチル-2-スルホナトフエニルアゾ)-3-ヒドロキシ-2-ナフトアート以外のバリウム化合物は劇物に指定されている。PRTR法では、バリウム及びその水溶性化合物が第一種指定化学物質として指定されていたが、2008年の政令改正により指定が解除された。また、EUでは地下水の保全に関する指令によってバリウムの排出には検査と許可が求められており、中国やマレーシア、タイ、シンガポールにおいてもバリウムの排水基準値や水質基準値が定められているが、日本においてはバリウムの排出に関するそのような基準は定められていない。欧州においては他にも、欧州玩具安全規格 EN71 part3における子供向け玩具のバリウムの溶出に関する規制が行われている。", "title": "危険性" } ]
バリウムは、原子番号 56 の元素。元素記号は Ba。アルカリ土類金属のひとつ。
{{Otheruseslist|元素|X線造影剤等として用いられるバリウム化合物|硫酸バリウム|古代ローマ時代のイタリアの都市|バーリ|ロシュ社の抗不安薬「'''Valium'''」|ジアゼパム}} {{Elementbox |name=barium |japanese name=バリウム |number=56 |symbol=Ba |pronounce={{IPAc-en|ˈ|b|ɛər|i|əm}} {{respell|BAIR|ee-əm}} |left=[[セシウム]] |right=[[ランタン]] |above=[[ストロンチウム|Sr]] |below=[[ラジウム|Ra]] |series=アルカリ土類金属 |series comment= |group=2 |period=6 |block=s |series color= |phase color= |appearance=銀白色 |image name=Barium unter Argon Schutzgas Atmosphäre.jpg |image name comment= |image name 2= |image name 2 comment= |atomic mass=137.33 |atomic mass 2= |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 6s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 18, 8, 2 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt=3.51 |density gpcm3mp=3.338 |melting point K=999.4 |melting point C=726.2 |melting point F=1339.2 |boiling point K=1910 |boiling point C=1637 |boiling point F=2979 |triple point K= |triple point kPa= |critical point K= |critical point MPa= |heat fusion=7.12 |heat vaporization=140.3 |heat capacity=28.07 |vapor pressure 1=911 |vapor pressure 10=1038 |vapor pressure 100=1185 |vapor pressure 1 k=1388 |vapor pressure 10 k=1686 |vapor pressure 100 k=2170 |vapor pressure comment= |crystal structure=体心立方 |oxidation states=2 |oxidation states comment=強[[塩基性酸化物]] |electronegativity=0.89 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=502.9 |2nd ionization energy=965.2 |3rd ionization energy=3600 |atomic radius=[[1 E-10 m|222]] |covalent radius=[[1 E-10 m|215 ± 11]] |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|268]] |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20=332 n |thermal conductivity=18.4 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25=20.6 |speed of sound= |speed of sound rod at 20=1620 |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus=13 |Shear modulus=4.9 |Bulk modulus=9.6 |Poisson ratio= |Mohs hardness=1.25 |Vickers hardness= |Brinell hardness= |CAS number=7440-39-3 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay | mn=130 | sym=Ba | na=0.106% | hl=(0.5-2.7)x10<sup>21</sup> [[年|y]] | dm=[[二重電子捕獲|εε]] | de=2.620 | pn=130 | ps=[[キセノン|Xe]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=132 | sym=Ba | na=0.101% | hl= >3x10<sup>20</sup> [[年|y]] | dm=[[二重ベータ崩壊|β+β+]] | de=0.846 | pn=132 | ps=[[キセノン|Xe]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=133 | sym=Ba | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=10.51 [[年|y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.517 | pn=133 | ps=[[セシウム|Cs]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=134 | sym=Ba | na=2.417% | n=78}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=135 | sym=Ba | na=6.592% | n=79}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=136 | sym=Ba | na=7.854% | n=80}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=137 | sym=Ba | na=11.23% | n=81}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=138 | sym=Ba | na=71.7% | n=82}} |isotopes comment= }} '''バリウム'''({{lang-en-short|barium}} {{IPA-en|ˈbɛəriəm|}})は、[[原子番号]] 56 の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Ba'''。[[アルカリ土類金属]]のひとつ。 == 名称 == アルカリ土類金属としては密度が大きく重いため、[[ギリシャ語]]で「重い」を意味する {{lang|el|βαρύς}} (barys) にちなんで命名された。ただし、金属バリウムの比重は約3.5であるため[[軽金属]]に分類される。 == 性質 == 単体では銀白色の軟らかい金属。他のアルカリ土類金属元素と類似した性質を示すが、[[カルシウム]]や[[ストロンチウム]]と比べ反応性は高い。化学的性質としては+2価の[[希土類]]イオンとも類似した性質を示す。 バリウム塩には毒性があり、摂取すると[[カリウムチャネル]]をバリウムイオンが阻害することによって神経系への影響が生じる。そのためバリウム塩(バリウム化合物)は[[毒物及び劇物取締法]](指定令)において劇物に指定されている(金属のバリウムは指定されていない、硫酸バリウムなど指定されない物質もある)。 === 物理的性質 === バリウムは[[鉛]]と同程度に柔らかく銀白色の外観を有する[[アルカリ土類金属]]である。[[金属光沢]]を有しているが、空気中では徐々に酸化されて白色の酸化被膜に覆われるため金属光沢は失われる<ref name="chitani193"/>。[[融点]]および[[沸点]]は資料により異なるデータがみられ、融点は729 {{℃}}<ref name="rika">国立天文台 編, 『理科年表 第79冊』, p367 & 391, 丸善, 2005.</ref>や725 {{℃}}<ref name="icsc">{{ICSC-ref|1052|accessdate=2013-01-30}}</ref><ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 266頁。</ref>、726.2 {{℃}}<ref name="Ullman326">[[#Kresseetc|#Kresse et al. (1985)]] p. 326</ref>というデータがあり、沸点は1898 {{℃}}(1気圧)<ref name="rika">国立天文台 編, 『理科年表 第79冊』, p367 & 391, 丸善, 2005.</ref>、1640 {{℃}}<ref name="icsc"/>、1637 {{℃}}(1気圧)<ref name="Ullman326"/>というデータがある。密度が3.51 g/cm<sup>3</sup>と低いため[[軽金属]]に分類される<ref name="chitani193">[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 193頁。</ref>。常温、常圧で安定な結晶構造は体心立方構造 (BCC) であり、その[[格子定数]]aは5.01である<ref name="chitani199">[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 199頁。</ref>。 [[炎色反応]]においてバリウムは黄緑色の炎色を呈する<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 198頁。</ref>。主要な輝線は524.2 nmおよび513.7 nmの緑色の[[スペクトル線]]であり、それらは双子線を示すアルカリ金属元素の輝線とは対照的に単線を示す<ref name="chitani199"/>。 === 化学的性質 === {| class="wikitable" style="float:right; margin-top:0; margin-left:1em; text-align:center; font-size:10pt; line-height:11pt; width:25%;" |+ style="margin-bottom: 5px;"|各種アルカリ土類金属塩および亜鉛塩の密度 g·cm<sup>−3</sup> |- ! ! [[酸化物|O<sup>2-</sup>]] ! [[硫化物|S<sup>2-</sup>]] ! [[フッ化物|F<sup>-</sup>]] ! [[塩化物|Cl<sup>-</sup>]] ! [[硫酸塩|SO<sub>4</sub><sup>2-</sup>]] ! [[炭酸塩|CO<sub>3</sub><sup>2-</sup>]] ! [[過酸化物|O<sub>2</sub><sup>2-</sup>]] ! [[水素化物|H<sup>-</sup>]] |- ! scope="row"|[[カルシウム|{{chem|Ca|2+}}]]<ref>[[#Lide2004|Lide (2004)]] p.4-48-50</ref> |3.34 |2.59 |3.18 |2.15 |2.96 |2.83 |2.9 |1.7 |- ! scope="row"|[[ストロンチウム|{{chem|Sr|2+}}]]<ref>[[#Lide2004|Lide (2004)]] p.4-86-88</ref> |5.1 |3.7 |4.24 |3.05 |3.96 |3.5 |4.78 |3.26 |- ! scope="row" style="background:#ff9;"| '''''{{chem|Ba|2+}}'''''<ref>[[#Lide2004|Lide (2004)]] p.4-43-45</ref> | style="background:#ff9;"| ''5.72'' | style="background:#ff9;"| ''4.3'' | style="background:#ff9;"| ''2.1'' | style="background:#ff9;"| ''1.9'' | style="background:#ff9;"| ''4.49'' | style="background:#ff9;"| ''4.29'' | style="background:#ff9;"| ''4.96'' | style="background:#ff9;"| ''4.16'' |- ! scope="row"|[[亜鉛|{{chem|Zn|2+}}]]<ref>[[#Lide2004|Lide (2004)]] p.4-95-96</ref> |5.6 |4.09 |4.9 |2.09 |3.8 |4.4 |1.57 |— |} バリウムの化学的性質は[[カルシウム]]や[[ストロンチウム]]に類似しているものの、アルカリ土類金属元素の[[電気陰性度]]は原子番号が大きくなるにつれて小さくなる傾向があるため、バリウムはカルシウムやストロンチウムよりもさらに反応性が高い<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 194頁。</ref>。このアルカリ土類金属元素の持つ性質の連続的な変化によって、バリウムの塩は他のアルカリ土類金属の塩と比較して[[水和物]]を形成しやすく、水に対する溶解度が低く、熱的安定性が優れているという性質を有している<ref name="CW267">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 267頁。</ref>。2価のバリウムイオンの化学的性質は[[ユウロピウム]]や[[サマリウム]]、[[イッテルビウム]]イオンなど2価の希土類イオンと類似しており、バリウム鉱石中にこれらの元素が含まれていることがある<ref name="CW268">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 268頁。</ref>。バリウムイオンは可視領域にスペクトルを持たないためバリウム化合物は全て無色であり、バリウム化合物の着色はアニオン側の持つ色や構造の欠陥に起因して生じたものである<ref name="CW277"/>。 バリウムの電溶圧は[[水素]]よりも大きいため水と激しく反応して水素を発生させ、アルコールとも同様に激しく反応する<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 195頁。</ref>。 : <chem>Ba + 2H2O -> Ba(OH)2 + H2</chem> バリウムは空気中で徐々に酸化されて白色の酸化バリウムを形成し、この酸化物もまた水と激しく反応して水酸化バリウムとなる。水酸化バリウムはアルカリ土類金属の水酸化物の中では水に対する溶解度が高く強塩基性である<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 196頁。</ref>。バリウムは高温で炭素と直接反応してイオン性アセチリドである炭化バリウムを生成する。この炭化物は加水分解によって[[アセチレン]]を発生させる。また、[[ホウ素]]、[[ケイ素]]、[[ヒ素]]、[[硫黄]]などとも直接反応してイオン性の化合物を形成するが、これらの化合物もまた容易に加水分解を受ける。オキソ酸とも反応して硫酸バリウムや硝酸バリウムのような化合物を形成し、それらの化合物は水に対する溶解性が低い<ref name="CW278">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 278頁。</ref>。 バリウムの[[過塩素酸]]塩は[[ジエチレントリアミン]]によって[[錯体]]を形成するが、安定に存在できるのは固体常態のみであり溶液中では容易に解離する<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 279頁。</ref>。また、[[クラウンエーテル]]とも錯体を形成する<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 281頁。</ref>。バリウムは液体[[アンモニア]]に溶解して青色の溶液となり、ここからアンモニアを除去することでバリウムのアンミン錯体を得ることができる<ref name="CW277">[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 277頁。</ref>。 バリウムは[[アルミニウム]]、[[亜鉛]]、鉛および[[スズ]]を含むいくつかの金属と結合し、[[合金]]および[[金属間化合物]]を形成する<ref>{{cite book|author= Ferro, Riccardo and Saccone, Adriana|page=355|title=Intermetallic Chemistry|publisher=Elsevier|year=2008|isbn=978-0-08-044099-6}}</ref>。 === 同位体 === {{main|バリウムの同位体}} 自然より産出するバリウムは七つの同位体の混合物であり、[[天然存在比]]が最大のものは<sup>138</sup>Baの71.7%である。バリウムは40の同位体が知られているが、それらのほとんどは[[半減期]]が数ミリ秒から数日の高い[[放射能]]を持つ放射性同位体である。例外として、10.51年という比較的長い半減期を持つ<sup>133</sup>Baがある<ref>{{citation| author = David R. Lide, Norman E. Holden|title =CRC Handbook of Chemistry and Physics, 85th Edition| publisher = CRC Press|location = Boca Raton, Florida|year =2005| chapter = Section 11, Table of the Isotopes}}</ref>。<sup>133</sup>Baは原子物理学の研究におけるガンマ線探知機などにおいて校正用の標準線源として用いられる<ref>{{Cite web|和書|title=標準線源 (09-04-03-02)|url=https://atomica.jaea.go.jp/data/detail/dat_detail_09-04-03-02.html|publisher=高度情報科学技術研究機構 原子力百科事典|accessdate=2012-01-15}}</ref>。 == 分析 == === 定性分析 === バリウムを含む溶液に硫酸を加えると不溶性の硫酸バリウムが白色沈殿として生じるため、これをもって簡易な[[定性分析]]を行うことができる。しかしこの方法では、同族元素である[[カルシウム]]もしくは[[ストロンチウム]]が含まれているとバリウムと同様に硫酸塩の沈殿が生じ、鉛イオンもまた同様に[[硫酸鉛]]の白色沈殿を生じさせて定性分析の妨害となる<ref>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 279-280頁。</ref>。 バリウムの定性分析法としては、酢酸緩衝液下で[[クロム酸バリウム]]の黄色沈殿を生じさせる方法が用いられる。この際、マスキング剤として[[エチレンジアミン四酢酸]] (EDTA) と塩化マグネシウムを加えることで他の元素がEDTAと錯体を形成するため、バリウム以外の元素が水酸化物として沈殿して妨害するのを抑止することができる<ref>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 281-282頁。</ref>。 バリウムは[[炎色反応]]においてうすい緑色を呈するが、銅や[[マンガン]]、[[テルル]]、[[ビスマス]]など多くの元素が類似の炎色を示すため定性分析としては利用し難い<ref>[[#charlot1974|シャルロー (1974)]] 282, 595頁。</ref>。 === 定量分析 === 溶液中のバリウム濃度の[[定量分析]]法として、硫酸バリウムもしくはクロム酸バリウムの形でバリウムを沈殿させてその重量を測定する重量法が挙げられる<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 89-90頁。</ref>。硫酸バリウムを用いた場合には、ストロンチウが不純物として含まれているとストロンチウムの分も分析値に上乗せされるため、[[原子吸光]]法などによってストロンチウムの含有量を別途測定して分析値から差し引く必要がある<ref name="JIS"/>。また、このようにして得られたクロム酸バリウムを硫酸酸性溶液に溶解させ、規定量の[[硫酸鉄(II)]]溶液を加えたのちに過剰量の硫酸鉄(II)を[[過マンガン酸カリウム]]溶液で逆[[滴定]]する[[容量分析]]法によっても定量分析することもできる。これは、クロム酸の作用で硫酸鉄(II)が酸化される反応を利用したものであり、クロム酸の逆滴定と同一の方法である<ref>[[#katou1932|加藤 (1932)]] 90-91頁。</ref>。バリウム溶液中に、アンモニア性塩化アンモニウム緩衝溶液およびマグネシウム溶液を加え、[[エリオクロムブラックT]]を指示薬としてEDTA溶液でキレート滴定する方法も用いられるが、この方法においても硫酸バリウムを用いた重量法と同様にストロンチウムの分析値を差し引く必要がある。EDTAによるキレート滴定法は[[日本工業規格]]におけるバリウムの定量分析法の一つとして採用されている<ref name="JIS">[[日本工業規格]] JIS K 1414-1992, JIS K 1416-1992など</ref>。 機器分析法としては、フレームレス原子吸光法 (AAS) やICP-AES、ICP-MSが利用され、AASの吸収波長は553.6 nm、ICP-AESの発光波長は233.527 nmおよび455.403 nmが用いられる<ref>{{Cite web|和書|title=水道用薬品類の評価のための試験方法ガイドライン|url=https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/suishitsu/dl/yakuhin_gl.pdf|author=厚生労働省健康局水道課|pages=20-21, 24-25|publisher=[[厚生労働省]]|accessdate=2012-03-10}}</ref>。 == 歴史 == [[File:CWScheele.jpg|thumb|left|バリウムの発見者であるカール・ヴィルヘルム・シェーレ]] バリウムの名称は、[[ギリシャ語]]で「重い」を意味する{{lang|el|βαρύς}} (barys) に由来しており、それは一般的なバリウムを含む鉱石が高密度であることを表している。中世初期の錬金術師たちはいくつかのバリウム鉱石を知っており、[[イタリア]]の[[ボローニャ]]で見つけられた滑らかな小石様の[[重晶石]]鉱石は「ボローニャの石」として知られていた<ref>[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の『[[若きウェルテルの悩み]]』にも「ボロニア石」として出てくる。[[ロラン・バルト]]は『恋愛のディスクール・断章』でボローニャの石からウェルテルを論じている。</ref>。その石に光を照射するとその後輝き続ける(つまり[[蛍光]]を示す)ことから、魔女や錬金術師たちはこの石に魅力を感じていた<ref name="history">{{citation| page = 80| url = https://books.google.co.jp/books?id=yb9xTj72vNAC&redir_esc=y&hl=ja| title = The history and use of our earth's chemical elements: a reference guide| author = Robert E. Krebs| publisher = Greenwood Publishing Group| year = 2006| isbn = 0313334382}}</ref>。ボローニャ石の発光は、主成分である重晶石(硫酸バリウム;BaSO<sub>4</sub>)に起因すると考えられていたが、Cu<sup>+/2+</sup>ドープBaSによるものだと明らかになっている<ref>{{Cite journal|和書 | author = Katharina M. Fromm | year = 2013 | title = 輝ける重い元素バリウム | journal = Nature Chemistry | volume =5 | issue = 149 | publisher = Nature | doi = 10.1038/nchem.1551 | url = https://www.natureasia.com/ja-jp/nchem/in-your-element/article/50217 | ref = harv }}</ref>。 1774年、[[スウェーデン]]の[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]が[[軟マンガン鉱]]に新しい元素が含まれていることを発見したが、その鉱石からバリウムを分離することはできなかった。[[ヨハン・ゴットリーブ・ガーン]]もまた類似した研究を行い、シェーレによるバリウムの発見から二年後に[[酸化バリウム]]として鉱石から分離することに成功した。酸化バリウムは初め[[ルイ=ベルナール・ギュイトン・ド・モルヴォー]]によってbaroteと呼ばれており、[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]によってバリタ (baryta) と改名された。また、18世紀にはイギリスの鉱物学者である[[ウィリアム・ウィザリング]]も[[カンバーランド]]の鉛鉱山で産出する重い鉱石([[炭酸バリウム]]の鉱石である{{仮リンク|毒重石|en|Witherite}})について言及していた。1808年、イギリスの[[ハンフリー・デービー]]がバリウム塩の溶融塩電解によってバリウムの単体を初めて単離した<ref>Davy, H. (1808) "[https://books.google.co.jp/books?id=gpwEAAAAYAAJ&pg=102&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false Electro-chemical researches on the decomposition of the earths; with observations on the metals obtained from the alkaline earths, and on the amalgam procured from ammonia]," ''Philosophical Transactions of the Royal Society of London'', vol. 98, pages 333-370.</ref>。デービーは類似した性質を示す[[カルシウム]]の命名法に準じて{{#tag:ref|デービーは石灰を意味する「calcsis」の語尾に「-ium」を付けてカルシウムと命名した<ref>{{cite book|和書|title=元素を知る事典: 先端材料への入門|author=村上雅人|year=2004|page=102|publisher=海鳴社|isbn=487525220X}}</ref>。|group="注釈"}}、酸化バリウムを表すバリタ (baryta) の後ろに金属元素を意味する接尾語である「-ium」を付けてバリウム (barium) 名付けた<ref name="history"/>。[[ロベルト・ブンゼン]]および{{仮リンク|アウグストゥス・マーティセン|en|Augustus Matthiessen}}は、塩化バリウムと[[塩化アンモニウム]]の混合物を溶融させて電気分解を行うことによって純粋なバリウムを得た<ref>{{citation | doi = 10.1002/jlac.18550930301 | title = Masthead | year = 1855 | journal = Annalen der Chemie und Pharmacie | volume = 93 | issue = 3 | pages = fmi–fmi}}</ref><ref>{{citation | doi =10.1002/prac.18560670194 | title =Notizen | year =1856 | last1 =Wagner | first1 =Rud. | last2 =Neubauer | first2 =C. | last3 =Deville | first3 =H. Sainte-Claire | last4 =Sorel | last5 =Wagenmann | first5 =L. | last6 =Techniker | last7 =Girard | first7 =Aimé | journal =Journal für Praktische Chemie | volume =67 | pages =490–508}}</ref>。 電気分解および液体空気の分留が有意な酸素の生産方法として確立される以前は、過酸化バリウムを用いて純粋な酸素を生産する{{仮リンク|ブリン法|en|Brin process}}がバリウムの大規模な用途であった。これは、酸化バリウムを空気中で500から600度で熱して過酸化バリウムとし、この過酸化バリウムを700℃以上で熱することによって純粋な酸素を得るという方法である<ref>{{citation | last1 = Jensen | first1 = William B. | title = The Origin of the Brin Process for the Manufacture of Oxygen | journal = Journal of Chemical Education | volume = 86 | pages = 1266 | year = 2009 | doi = 10.1021/ed086p1266 | issue = 11 |bibcode = 2009JChEd..86.1266J }}</ref><ref>{{citation | url = https://books.google.de/books?id=34KwmkU4LG0C&pg=PA681&hl=de | page = 681 | title = The development of modern chemistry | isbn = 9780486642352 | author1 = Ihde, Aaron John | date = 1984-04-01}}</ref>。 : <chem>2BaO + O2 <=> 2 BaO2</chem> 1908年には、消化器系の[[X線写真]]で[[造影剤]]として初めて利用された<ref>{{cite journal|pmc = 1081520|title = Some Observations on the History of the Use of Barium Salts in Medicine|year = 1974|volume = 18|issue = 1|author=Schott, G. D.|journal=Med Hist.|pages=9–21}}</ref>。 == 存在 == 地殻における存在量は豊富であり、[[重晶石]]([[硫酸バリウム]])などの鉱石として産出する。確認埋蔵量の48.6%を[[中国]]が占めており、生産量も50%以上が中国によるものである。 バリウムの宇宙全体の平均濃度の推定値は重量濃度で10 ppb、[[太陽]]における推定濃度も10 ppbである<ref>{{citation |url=http://www.webelements.com/barium/geology.html|title=Barium: geological information|work=Mark Winter, The University of Sheffield and WebElements Ltd, UK |publisher=WebElements |accessdate=2012-01-15}}</ref>。[[地殻]]においては比較的豊富に存在しており、その存在量は4.25 × 10<sup>2</sup> mg/kgである。また、海水中には1.3 × 10<sup>-2</sup> mg/L含まれる<ref>{{Cite web|title=The Element Barium|url=http://education.jlab.org/itselemental/ele056.html|publisher=Jefferson Lab.|accessdate=2012-01-15}}</ref>。地殻中において[[重晶石]](硫酸塩)や[[毒重石]](炭酸塩)のような鉱物として存在している<ref name="Ullman5"/>。毒重石の鉱石は、例えば北イングランドの{{仮リンク|ニューボロー|en|Newbrough}}近辺のセッティングストーンズ鉱山<ref>{{cite web | url = http://www.rock-site.co.uk/EZ/rs/rs/page151.php | title = Alston Moor Cumbria, UK| publisher = Steetley Minerals|accessdate=2012-01-15}}</ref>などにおいて17世紀から1969年までの間採掘されてきたが<ref>{{citation | url = https://books.google.co.jp/books?id=JjEmAQAAIAAJ&dq=Settlingstones+Witherite+Mine&q=Settlingstones+&redir_esc=y&hl=ja#search_anchor | page = 28 | title = Industrial minerals | year = 1969}}</ref>、現在はほとんど全てのバリウムは重晶石として採掘されている。[[アメリカ地質調査所]]の2005年版''Mineral Commodity Summaries''を元にした東北経済産業局の報告書によれば、バリウムの確認埋蔵量は重晶石ベースで7.4億トン、可産鉱量は2.0億トンであると見積もられており、可産年数は29年とされている<ref name="tohoku">{{Cite web|和書|url=http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2011-07/Ba.pdf|title=我が国における鉱種別 需給/リサイクル/用途等 資料2.30 バリウム (Ba)|work=東北非鉄振興プラン報告書|publisher=東北経済産業局|accessdate=2013-01-08}}</ref>。重晶石の大きな鉱床は[[中華人民共和国]]、[[ドイツ]]、[[インド]]、[[モロッコ]]および[[アメリカ合衆国]]で発見されており<ref name="CRC">{{citation| author = C. R. Hammond |title = The Elements, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition| publisher =CRC press| year = 2000| isbn = 0849304814}}</ref>、確認埋蔵量の48.6%を中国が占めている<ref name="tohoku"/>。毒重石の鉱床としてはイギリス、[[ルーマニア]]、旧[[ソビエト連邦]]などに見られるが、それらは商業的に重要ではない<ref name="Ullman5"/>。バリウムを含む[[宝石]]としては濃い青色を示す[[ベニト石]](ベニトアイト)があり、[[カリフォルニア州]]の[[サンベニト郡 (カリフォルニア州)|サン・ベニト]]で産出する<ref>{{Cite book|和書|title=宝石の写真図鑑(地球自然ハンドブック) |author=キャリー・ホール|year=1996|publisher=日本ヴォーグ社|page=80|isbn=4529026914}}</ref>。 == 生産 == [[File:BariteWorldProductionUSGS.PNG|thumb|世界の重晶石生産量の動向]] [[File:World Baryte Production 2010.svg|thumb|right|250px|2010年の重晶石の生産国]] バリウム(重晶石)の年間生産量のピークは1981年の830万トンであり、そのうち7-8%だけが金属バリウムやその化合物の生産に利用された<ref name="Ullman5">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 5.</ref>。これは、バリウムの最大の用途が{{仮リンク|掘穿泥水|en|Drilling fluid}}における[[加重剤]]としての用途であり、この目的には重晶石をそのまま粉砕して硫酸バリウムとして利用するためである<ref>{{Cite web|和書|url=http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2011-07/Ba.pdf|title=31.バリウム|publisher=石油天然ガス・金属鉱物資源機構|accessdate=2013-01-09}}</ref>。[[シェールガス]]の採掘増加に伴う掘穿泥水の需要増によって、2016年にはピーク時の生産量を越える930万トンにまで需要が拡大するものと予想されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sojitz.com/jp/news/2012/20120713.html|title=双日、メキシコにおける世界最大級のバライト鉱山へ出資〜石油・ガス採掘時の掘削泥水原料として需要拡大〜|publisher=双日|accessdate=2013-01-09}}</ref>。2011年におけるバリウム生産量はその50%以上を中国が占めており、それに14%のインド、8.4%のモロッコ、8.3%のアメリカが続いている<ref>{{Cite web|url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/barite/mcs-2012-barit.pdf|title=BARITE|publisher=[[アメリカ地質調査所]]|year=2012|accessdate=2013-01-08}}</ref>。 バリウムは空気中で容易に酸化されるため単体の金属バリウムを得ることは困難であり自然から金属バリウムが産出することはなく、金属バリウムは主に[[重晶石]]から抽出することで生産されている<ref name="CDC"/>。採掘された重晶石は手選、[[ログウォッシャー]]を用いた洗鉱(水力によって重晶石と脈石や粘土を分離させる)、粉砕、[[比重選鉱]]など分別工程によって石英から分離される。良質の重晶石はこの工程で重晶石と脈石の分離が可能であるが、石英が鉱石に非常に深く貫入していたり、[[鉄]]や[[亜鉛]]、[[鉛]]の濃度が高い場合、あるいは「[[黒鉱]]」内の重晶石は、[[オレイン酸]]などを用いた[[浮遊選鉱|泡沫浮遊選鉱]]([[:en:Froth flotation|en]])によって[[選鉱]]される。この過程によって重晶石としての純度は質量濃度で98%まで高められ、不純物として含まれる鉄や[[二酸化ケイ素]]が除去される<ref>[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 7.</ref>。この重晶石は非常に溶解し難いため、重晶石を直接的に金属バリウムや他のバリウム化合物を得るための前駆体とすることはできず、重晶石中の[[硫酸バリウム]]を[[硫化バリウム]]に還元するために[[炭素]]とともに加熱する前処理が行われる<ref name="CDC">{{cite web| title = Toxicological Profile for Barium and Barium Compounds. Agency for Toxic Substances and Disease Registry| publisher = [[Centers for Disease Control and Prevention|CDC]]| date = 2007.| url = http://www.atsdr.cdc.gov/toxprofiles/tp24.pdf|accessdate=2012-01-17}}</ref>。 : <chem>BaSO4 + 2C -> BaS + 2CO2</chem> こうして得られた水溶性の[[硫化バリウム]]は、その水溶液を酸素と反応させることで[[水酸化バリウム]]が、[[硝酸]]と反応させることで[[硝酸バリウム]]が、[[二酸化炭素]]と反応させることで[[炭酸バリウム]]が得られるなど、様々なバリウム化合物を生産するための前駆体となる<ref name="ullman6">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 6.</ref>。また、[[硝酸バリウム]]を熱分解させることで酸化物が得られる<ref name="ullman6"/>。金属バリウムは酸化バリウムを[[アルミニウム]]とともに1100{{℃}}で還元させることによって得られる。この反応では、はじめに金属間化合物であるBaAl<sub>4</sub>が形成される<ref name="Ullman3">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 3.</ref>。 : <chem>3BaO + 14 Al -> 3BaAl4 + Al2O3</chem> この金属間化合物は[[反応中間体]]であり、BaAl<sub>4</sub>と酸化バリウムが反応することで金属バリウムを与える。酸化バリウムとアルミニウムとの反応において酸化バリウムの全量が還元しきるわけではないことに注意<ref name="Ullman3"/>。 : <chem>8BaO + BaAl4 -> Ba (^) + 7 BaAl2O4</chem> さらに残った酸化バリウムは、先の反応で形成された酸化アルミニウムと反応する<ref name="Ullman3"/>。 : <chem>BaO + Al2O3 -> BaAl2O4</chem> 全体的な反応は以下のようになる<ref name="Ullman3"/>。 : <chem>4BaO + 2Al -> 3Ba (^) + BaAl2O4</chem> こうして得られたバリウム蒸気は[[アルゴン]]雰囲気下で回収、冷却され型に詰められる。この方法は商業的に使われており、高純度で金属バリウムを得ることができる<ref name="Ullman3"/>。一般的に市販される金属バリウムの純度は99%であり、主な不純物は[[ストロンチウム]]および[[カルシウム]](最大で0.8%および0.25%)、他の不純物は0.1%よりも低い<ref name="Ullman4">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 4.</ref>。 類似した反応として、酸化バリウムを[[ケイ素]]と1200{{℃}}で反応させることによって金属バリウムとメタケイ酸バリウムを得る方法がある<ref name="Ullman3"/>。電解法では、生成した金属バリウムがすぐに原料の溶融塩に溶解しハロゲン化物の汚染を受けやすいため利用されない<ref name="Ullman3"/>。 == 用途 == バリウムの最大の用途は[[油井]]やガス井を採掘するための{{仮リンク|掘穿泥水|en|Drilling fluid}}における[[加重剤]]であり、重晶石を砕いたバライト粉が利用される。 [[File:Eosinophilic esophagitis-barium swallow.jpg|thumb|200px|造影剤として食道を造影したレントゲン写真]] [[Image:2006 Fireworks 1.JPG|thumb|バリウムによって緑色を示す花火]] === 単体としての用途 === バリウム単体の用途として最も重要なものに、テレビの[[ブラウン管]]のような[[真空管]]内に痕跡量残存した最後の酸素やその他のガスを取り除く{{仮リンク|ゲッター|en|Getter}}としての用途があったが、この用途はブラウン管を使わない液晶テレビやプラズマテレビの普及によって、姿を消しつつある<ref name="Ullman4">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 4.</ref>。他の単体バリウムとしての用途は小規模であり、アルミニウム-ケイ素合金である[[シルミン]]の結晶構造を安定化させるための添加材として用いられるように、以下のような合金への添加材としての用途が挙げられる<ref name="Ullman4"/>。 *耐[[クリープ]]性を増加させるための鉛スズ合金(はんだ)への添加 *接種材としての鋼鉄や鋳鉄への添加 *高純度鋼の脱酸材としてのカルシウム、マンガン、ケイ素、アルミニウム合金への添加 *[[自動車]]の[[点火装置]]に用いられるバリウム-[[ニッケル]]合金<ref name="Occ Safety">{{cite book | title=Encyclopaedia of Occupational Health and Safety: Chemical, industries and occupations | author=Stellman, Jeanne | year=1998 | publisher=International Labour Organization | pages=63.8 | isbn=978-92-2-109816-4}}</ref>。 === 硫酸バリウムとしての用途 === [[硫酸バリウム]] (BaSO<sub>4</sub>) は重晶石を粉砕して製造されるバライト粉と、硫化バリウムと硫酸ナトリウムとの[[複分解]]によって製造される沈降性硫酸バリウムに大別される<ref name="tokkyo"/>。 バライト粉は[[石油産業]]において重要であり、新しい[[油井]]やガス井を採掘するための{{仮リンク|掘穿泥水|en|Drilling fluid}}における[[加重剤]]として用いられる<ref name="CRC"/>。 沈降性硫酸バリウムの英語表記である「blanc fixe」は「永久の白」を意味するフランス語に由来しており、白色塗料として利用される<ref name="Ullman9"/>。硫酸バリウムおよび[[硫酸亜鉛]]からなる白色[[顔料]]である[[リトポン]]は良好な隠蔽力を有しており、[[硫化物]]に曝されても黒変しない「永久の白」である<ref>{{cite book| page = 102| url = https://books.google.co.jp/books?id=uEJHsZWyO-EC&redir_esc=y&hl=ja| title= Medicinal applications of coordination chemistry| author = Jones, Chris J. and Thornback, John | publisher =Royal Society of Chemistry| year = 2007| isbn =0-85404-596-1}}</ref>。また、沈降性硫酸バリウムはゴルフボールなど様々なゴム製品の充填剤にも用いられる<ref name="tokkyo">{{Cite web|和書|url=http://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/hyoujun_gijutsu/golf_ball/page033.htm|title=硫酸バリウム|publisher=[[特許庁]]|accessdate=2012-04-02}}</ref>。 硫酸バリウムのナノ粒子はポリマーの物性を改良することができ、例えばエポキシ樹脂などに用いられる<ref name="Ullman9">[[#Ullman2007|Ullman 2007]], p. 9.</ref>。 硫酸バリウムはまた、X線を透過しないという性質を利用して[[X線写真|レントゲン]]の[[造影剤]]としても利用される({{仮リンク|バリウムがゆ|en|Barium meal}}、{{仮リンク|バリウム浣腸|en|Lower gastrointestinal series}})<ref name="CRC"/>。 === その他の化合物の用途 === [[炭酸バリウム]]が[[殺鼠剤]]として用いられるようにBa<sup>2+</sup>イオンは毒性を有している<ref>{{Cite web|和書|title=SIDS 初期評価プロファイル 炭酸バリウム|url=http://www.jetoc.or.jp/safe/doc/J513-77-9.pdf|publisher=日本化学物質安全・情報センター|accessdate=2013-01-25}}</ref>。硫酸塩は水に対する溶解度が非常に低いために問題とならないが、その他のバリウム化合物の用途は特定の分野に見られるのみである。 *[[酸化バリウム]] (BaO) は電子の放出を補助するために[[蛍光灯]]の[[電極]]に被覆される<ref>{{Cite journal|title=ランプ寿命推定法を用いた長寿命蛍光ランプの開発|author=真鍋由雄ほか|year=2010|journal=Panasonic Technical Journal|volume=56|issue=2|page=45|url=http://panasonic.co.jp/ptj/v5602/pdf/p0109.pdf}}</ref>。また、[[ディーゼルエンジン]]の[[排気ガス]]に含まれる黒煙を大幅に低減させる効果が知られている<ref>[https://www.tokyokankyo.jp/kankyoken_contents/assets/meeting/report/1972taiki12.pdf ディーゼル自動車の排気黒煙防止に関する調査研究(第2報)] - [[東京都環境公社]]</ref>。 *[[炭酸バリウム]] (BaCO<sub>3</sub>) は[[ガラス]]の製造にも用いられる。比較的比重の高いバリウムを添加することで、ガラスの[[屈折率]]および[[光沢]]を増大させることができる<ref name="CRC"/>。 *バリウムは[[炎色反応]]で緑色を示す性質を有するため[[花火]]に用いられる。この用途には一般的に[[硝酸バリウム]] (Ba(NO<sub>3</sub>)<sub>2</sub>) が用いられる<ref>{{cite book| page =110| url = https://books.google.co.jp/books?id=yxRyOf8jFeQC&redir_esc=y&hl=ja| title = Chemistry of Fireworks| author = Michael S. Russell, Kurt Svrcula| publisher= Royal Society of Chemistry| year = 2008| isbn = 0-85404-127-3}}</ref>。 *[[過酸化バリウム]] (BaO<sub>2</sub>) は鉄道の線路を溶接する際の[[テルミット法|テルミット溶接]]の反応開始剤として用いられる。過酸化バリウムはまた、緑色の[[曳光弾]]や[[漂白剤]]にも用いられる<ref>{{cite journal| doi =10.1002/prep.19950200604| title =Surfactant coatings for the stabilization of barium peroxide and lead dioxide in pyrotechnic compositions| year =1995| author =Brent, G. F.| journal =Propellants Explosives Pyrotechnics| volume =20| pages =300| last2 =Harding| first2 =M. D.| issue =6}}</ref>。 *[[チタン酸バリウム]] (BaTiO<sub>3</sub>) は強[[誘電体]]であり、[[コンデンサ]]材料などに広く利用されている<ref>{{Cite journal|url=http://www.netsu.org/j+/Jour_J/pdf/33/33-4-03.pdf|title=新規チタン酸バリウム系強誘電体|author=秋重幸邦|year=2006|journal=熱測定|volume=33|issue=4|page=160頁|publisher=日本熱測定学会|accessdate=2013-02-04}}</ref>。 *[[フッ化バリウム]]は波長0.15から12マイクロメートルの光に対して透過性を示すため、赤外領域における光学用途に用いられる<ref>{{cite web|url=http://www.crystran.co.uk/barium-fluoride-baf2.htm |title=Crystran Ltd. Optical Component Materials |accessdate=2010-12-29}}</ref>。 *[[クロム酸バリウム]] (BaCrO<sub>4</sub>) は、[[黄色]]の[[顔料]]であるバリウムクロメート(バリウムイエロー)として使われる<ref>{{Cite book|title=Chemistry, Society and Environment: A New History of British Chemical Industry|author=Colin A. Russell|page=164|year=2000|publisher=Royal Society of Chemistry|isbn=0854045996}}</ref>。 *[[フェライト (磁性材料)#六方晶フェライト|バリウムフェライト]] (BaFe<sub>12</sub>O<sub>19</sub>) は[[フェライト磁石]]として使われる<ref>{{Cite journal|title=バリウムフェライト磁性体を用いた塗布型磁気記録媒体の高密度化研究|author=野口仁ほか|journal=Fujifilm Research & Development|volume=52|year=2007|page=47-50}}</ref>。 *代表的な[[高温超伝導]]体である[[イットリウム系超伝導体]]の1成分としても用いられる<ref>{{Cite book|title=現代無機材料科学|author=足立吟也、南努|year=2007|page=182|publisher=化学同人|isbn=4759810749}}</ref>。また、そのような高温超伝導体を製造する時の[[るつぼ]]として、高温超電導体材料と反応しないジルコン酸バリウム (BaZrO<sub>3</sub>) が用いられる<ref>{{Cite web|和書|url=http://business.atengineer.com/tep/chimitu.htm|title=緻密質ファインセラミックス|publisher=ティーイーピー株式会社|accessdate=2013-01-25}}</ref>。 == 危険性 == 可溶性のバリウム化合物は有毒である。少量のバリウムは筋興奮薬として働くが、多量のバリウムは[[神経系]]に影響をおよぼし、[[不整脈]]や震え、筋力低下、[[不安]]、[[呼吸困難]]、[[麻痺]]などを引き起こす。これは、神経系が適切に機能するために極めて重要な[[カリウムチャネル]]をバリウムが阻害することによる<ref>{{cite book |pages = 77–78| isbn = 0070494398 | url = https://books.google.co.jp/books?id=Xqj-TTzkvTEC&pg=PA243&redir_esc=y&hl=ja |title = Handbook of inorganic chemicals |author1 = Patnaik, Pradyot |year = 2003}}</ref>。また、バリウム化合物を含む粉塵を吸入した場合には肺で蓄積されて{{仮リンク|バリウム症|en|baritosis}}と呼ばれる良性塵肺症を引き起こす<ref name="pmid1257935">{{cite journal |author=Doig AT |title=Baritosis: a benign pneumoconiosis |journal=Thorax |volume=31 |issue=1 |pages=30–9 |year=1976 |month=February |pmid=1257935 |pmc=470358 |doi= 10.1136/thx.31.1.30|url=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://merckmanual.jp/mmhe2j/sec04/ch049/ch049i.html|title=良性塵肺症|publisher=メルクマニュアル|accessdate=2012-01-18}}</ref>。しかし、[[硫酸バリウム]]は水や[[胃酸]]に対してほとんど溶解しないため経口摂取することが可能である。 他の重金属とは異なり一般にバリウムは[[生物濃縮]]しないとされているが<ref>{{cite web| url = http://www.epa.gov/region5superfund/ecology/toxprofiles.htm#ba| date = 2009-06-06| title = Toxicity Profiles, Ecological Risk Assessment|publisher = US EPA|accessdate=2012-01-17}}</ref><ref>{{cite book| author = Moore, J. W.|year =1991| title = Inorganic Contaminants of Surface Waters, Research and Monitoring Priorities| publisher = Springer-Verlag| location= New York}}</ref>、トマトや大豆など一部の植物における生物濃縮の報告もされている<ref name="NIHS">{{Cite web|和書|url=https://www.nihs.go.jp/hse/ehc/sum1/ehc107.html|title=環境保健クライテリア 107 バリウム|publisher=国立医薬品食品衛生研究所|accessdate=2013-01-27}}</ref>。環境中のバリウムはウイルスや細菌、微生物などに対して影響を与え、[[ミジンコ]]に対する生殖障害などが報告されている<ref name="NIHS"/>。 このような毒性のため、日本では[[毒物及び劇物取締法]]第二条七十九により[[硫酸バリウム]]およびバリウム=4-(5-クロロ-4-メチル-2-スルホナトフエニルアゾ)-3-ヒドロキシ-2-ナフトアート以外のバリウム化合物は[[劇物]]に指定されている<ref>{{Cite web|和書|title=毒物及び劇物指定令(昭和40年政令第2号)|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=340CO0000000002|website=e-Gov法令検索|date=2019-06-19|accessdate=2020-01-09|publisher=総務省行政管理局}}</ref>。[[特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律|PRTR法]]では、バリウム及びその水溶性化合物が第一種指定化学物質として指定されていたが、2008年の政令改正により指定が解除された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/pdf/100401pf.pdf|page=26|title=化学物質を取り扱う事業者の方へ|publisher=経済産業省|accessdate=2013-01-27}}</ref>。また、EUでは地下水の保全に関する指令によってバリウムの排出には検査と許可が求められており、中国やマレーシア、タイ、シンガポールにおいてもバリウムの排水基準値や水質基準値が定められているが、日本においてはバリウムの排出に関するそのような基準は定められていない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2011fy/E001477.pdf|title=海外の環境規制・環境産業の動向に関する調査報告書|publisher=三菱総合研究所|accessdate=2013-01-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dowa-ecoj.jp/kaigai/singapore/singapore_04.html|title=シンガポールの排水基準について|publisher=DOWAエコジャーナル|accessdate=2013-01-27}}</ref>。欧州においては他にも、欧州玩具安全規格 EN71 part3における子供向け玩具のバリウムの溶出に関する規制が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shimadzu-techno.co.jp/technical/en71-part3.html|title=グリーン調達 欧州規格EN71-Part3に基づく玩具の溶出試験|publisher=島津テクノリサーチ|accessdate=2013-01-26}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=加藤虎郎|year=1932|title=標準定量分析法|publisher=[[丸善]]|ref=katou1932}} * {{cite book|和書|author=F.A. コットン, G. ウィルキンソン|others=中原 勝儼|title=コットン・ウィルキンソン無機化学(上)|publisher=培風館|year=1987|edition=原書第4版|isbn=4563041920|ref=CW1987}} * {{Cite book|和書|author=G. シャルロー|others=曽根興二、田中元治 訳|title=定性分析化学II ―溶液中の化学反応|year=1974|edithion=改訂版|publisher=[[共立出版]]|ref=charlot1974}} * {{Cite book|和書|author=千谷利三|year=1959|title=新版 無機化学(上巻)|publisher=産業図書|ref=千谷1959}} *{{cite book|author=Kresse, Robert; Baudis, Ulrich; Jäger, Paul; Riechers, H. Hermann; Wagner, Heinz; Winkler, Jocher; Wolf, Hans Uwe|chapter=Barium and Barium Compounds|editor=Ullman, Franz|title=Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry|year=2007|publisher=Wiley-VCH|doi=10.1002/14356007.a03_325.pub2|ref=Ullman2007}} *{{Cite book|title = Ullman's Encyclopedia of Industrial Chemistry|year = 1985|volume = A3|chapter = Barium and Barium Compounds|author=Kresse, Robert; Baudis, Ulrich; Jäger, Paul; Riechers, H. Hermann; Wagner, Heinz; Winkler, Jocher; Wolf, Hans Uwe|editor = Wolfgang Gerhartz|edition = 5th|publisher = Wiley-VCH|isbn = 3527201041|ref = Kresseetc}} *{{cite book|last = Lide |first= D. R.|title = CRC Handbook of Chemistry and Physics|edition = 84th|location = Boca Raton (FL)|publisher = CRC Press|year = 2004|isbn = 978-0-8493-0484-2| ref = Lide2004}} == 関連項目 == {{Commons|Barium}} * [[造影剤]] {{元素周期表}} {{バリウムの化合物}} {{Good article}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はりうむ}} [[Category:バリウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:アルカリ土類金属]] [[Category:第6周期元素]]
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ルテニウム
ルテニウム(英: ruthenium、[ruːˈθiːniəm])は、原子番号44の元素。元素記号は Ru。白金族元素の1つ。貴金属にも分類される。銀白色の硬くて脆い金属(遷移金属)で、比重は12.43、融点は2334°C、沸点は4150°C。常温、常圧で安定な結晶構造は、六方最密充填構造 (HCP)。酸化や腐食を受けにくく、展性に富み比重が大きい。この性質は白金(Pt)と同じであり、王水には侵されない。 ラテン語でルーシを表すルテニアが元素名の由来。 漢字では釕(かねへんに了)と表記される。 多価の硬質白色金属であるルテニウムは、白金族元素であり、第8族元素に属する。 他の全ての第8族元素は最外殻に2つの電子を持っているが、ルテニウムは1つしか持っていない(最後の電子は下の殻にある)。この例外は近くの金属であるニオブ(41)、モリブデン(42)、ロジウム(45)でも観察される。 ルテニウムには主に2つの同素体があり(α、β)、結晶構造はそれぞれ六方最密、正方晶系。更にこの2つのほかに、面心立方格子構造の特殊なルテニウムの同素体がある。これは、ルテニウム溶液中でルテニウムを還元し、ナノ粒子を作成するボトムアップ法によって作られたものである。周囲の条件で変色しない。800 °C (1,070 K)に加熱すると酸化する。溶融アルカリに溶けてルテニウム酸塩(RuO2−4)を生じ、酸(王水でも)に攻撃されないが、高温でハロゲンに攻撃される。実際、ルテニウムは酸化剤により最も容易に攻撃される。少量のルテニウムはプラチナとパラジウムの硬度を高めることができる。チタンの腐食耐性は少量のルテニウムを添加することにより著しく向上する。電気めっきおよび熱分解によりめっきすることができる。ルテニウム-モリブデン合金は10.6K未満の温度で超伝導であることが知られている。酸化数+8をとることができると推定される最後の4d遷移元素であり、それでも同族のオスミウムより不安定である。これは2行目と3行目の遷移金属が化学的振る舞いに顕著な違いを示す族で周期表の左から1番目のものである。鉄と同様であるがオスミウムとは異なり、+2と+3の低い酸化数で水カチオンを形成できる。 ルテニウムは、モリブデンで見られる最大値に続く4d遷移金属の原子化エンタルピーと融点・沸点の減少傾向の最初のものである。これは4d亜殻が半分以上満たされ、電子が金属結合に寄与しないためである(1つ前の元素であるテクネチウムの値は非常に低く半分満たされた[Kr]4d5s配置によりこの傾向から外れているが、3d遷移におけるマンガンほど4dにおける傾向は離れていない)。軽い同族の鉄とは異なり、室温でも常磁性であり、キュリー点も鉄より高く、約800°C。 一般的なルテニウムイオンに対する酸性水溶液の還元電位を以下に示す。 天然のルテニウムは7つの安定同位体で構成される。さらに34個の放射性同位体が発見されている、これらの放射性同位体のうち最も安定しているのは半減期が373.59日のRu、39.26日のRu、2.9日のRuである。 15個の放射性同位体は89.93 u (Ru) から114.928 u (Ru) の原子量で特徴づけられる。これらのほとんどはRu(半減期: 1.643時間)およびRu(半減期: 4.44時間)を除き半減期は5分未満である。 最も豊富にある同位体であるRuの前の主な崩壊モードは電子捕獲であり、後の主なモードはベータ放出である。Ru前の主な崩壊生成物はテクネチウムであり、後の主な崩壊生成物はロジウムである。 地球の地殻で74番目に豊富な元素であり、比較的まれであり、約100pptである。一般的にウラル山脈および南北アメリカの他の白金族金属の鉱石に含まれる。少量であるが商業的に重要な量は、カナダオンタリオ州のサドバリーで採掘されたペントランド鉱で見られ、南アフリカの輝岩(パイロキシナイト)鉱床にも見られる。ルテニウムの天然のものは非常にまれな鉱物である(Irはその構造においてRuの一部の代わりをする)。 毎年およそ30トンのルテニウムが採掘され、世界の埋蔵量は5,000トンと推定されている。採掘される白金族金属(PGM)混合物の組成はその地球化学的形成により大きく異なる。例えば、南アフリカで採掘されるPGMには平均11%のルテニウムが含まれているが、旧ソ連で採掘されたPGMにはわずか2%(1992年)しか含まれていない。ルテニウム、オスミウム、イリジウムは量の少ないマイナーな白金族金属とみなされている。 ルテニウムは他の白金族金属と同様にニッケル、銅からの副産物や白金金属鉱石処理から商業的に得られる。銅とニッケルの電解精錬中に銀、金、白金族金属などの貴金属が摘出の原料である陽極泥として沈殿する。金属は原料の組成によりいくつかの方法のいずれかによりイオン化溶質に変化される。代表的な方法の1つは、過酸化ナトリウムに溶解させた後王水に溶かし、その後塩素と塩酸の混合液へ溶解する方法である。オスミウム、ルテニウム、ロジウム、イリジウムは王水に不溶であり、容易に沈殿し、他の金属は溶液に残る。ロジウムは溶解硫酸水素ナトリウムで処理することで残留物から分離される。Ru, Os, Irを含む不溶性残留物はIrが不溶である酸化ナトリウムで処理され、溶解したRuとOs塩を生成する。揮発性酸化物へ酸化した後、塩化アンモニウムによる(NH4)3RuCl6の沈殿、または揮発性四酸化オスミウムの有機溶媒による蒸留または摘出により、RuO4はOsO4より分離される。塩化ルテニウムアンモニウムを還元して粉末を生成するには水素が使われる。生産物は水素を用いて還元され、粉末冶金技術もしくはアルゴンアーク溶接で処理される粉末もしくはスポンジ金属として生成される。 ルテニウムの酸化数は、0から+8および-2の範囲である。ルテニウムとオスミウムの化合物の特性は多くの点で類似している。+2, +3, +4が最も一般的である。最も一般的な前駆体は三塩化ルテニウムであり、化学的に明確に定義されているわけではないが、合成的に汎用性の高い赤い固体である。 ルテニウムは酸化ルテニウム(IV)(RuO2、酸化数+4)に酸化することができ、さらにこれは過ヨウ素酸ナトリウムにより酸化され、揮発性で黄色四面体である四酸化ルテニウム(RuO4)となる。これは四酸化オスミウムに類似した構造と特性を持つ強力な酸化剤である。RuO4は主に鉱石や放射性廃棄物からルテニウムを精製する際の中間体として使われる。 ルテニウム酸二カリウム(K2RuO4, +6)および過ルテニウム酸カリウム(KRuO4, +7)も知られている。四酸化オスミウムとは異なり、四酸化ルテニウムは安定性が低く、室温で希塩酸やエタノールなどの有機溶媒を酸化する酸化剤として働くほど強く、アルカリ水溶液中で簡単にルテニウム酸塩(RuO2−4)に還元され、100 °C以上では分解して二酸化物を形成する。鉄とは異なるがオスミウムとは同様に、ルテニウムは+2と+3の低い酸化数では酸化物を形成しない。ルテニウムは、黄鉄鉱構造で結晶化する反磁性半導体である二カルコゲン化物を形成する。硫化ルテニウム(RuS2)は鉱物のラウラ鉱として自然に生じる。 鉄と同様に、ルテニウムはオキソアニオンを容易に形成せず、その代わりに水酸化物イオンで高い配位数となる。四酸化ルテニウムは低温の希水酸化カリウムにより還元され、ルテニウムの酸化数+7である黒色の過ルテニウム酸カリウム(KRuO4)を形成する。過ルテニウム酸カリウムは、ルテニウム酸カリウム(K2RuO4)を塩素ガスにより参加することによっても得られる。過ルテニウム酸イオンは不安定であり、水により還元されてオレンジ色のルテニウム酸塩を形成する。ルテニウム酸カリウムは金属ルテニウムを溶解した水酸化カリウムおよび硝酸カリウムと反応させることで合成できる。 MRuO3, Na3RuO4, Na2RuV2O7, MII2LnIIIRuVO6などの混合酸化物も知られる。 最も有名なハロゲン化ルテニウムは、六フッ化物であり、これは54 °Cで溶解する暗褐色の固体である。水と触れると激しく加水分解し、容易に不均一化し低フッ化ルテニウムの混合物を形成しフッ素ガスを放出する。五フッ化ルテニウムも容易に加水分解され、86.5 °Cで溶解する四量体の暗緑色の固体である。黄色の四フッ化ルテニウムもおそらく重合体であり、五フッ化物をヨウ素で還元することで形成できる。ルテニウムの二元化合物のうち、これらの高い酸化数は酸化物とフッ化物でのみみられる。 三塩化ルテニウムはよく知られた化合物であり、黒色のα型と暗褐色のβ型で存在する。三水和物は赤色である。既知の三ハロゲン化物のうち、三フッ化物は暗褐色で650 °C以上で分解し、四臭化物は暗褐色で400 °C以上で分解し、三ヨウ化物は黒色である。二ハロゲン化物のうち、二フッ化物は知られておらず、二塩化物は茶色、二臭化物は黒色、二ヨウ化物は青色である。唯一知られているオキシハロゲン化物は淡緑色のルテニウム(VI)オキシフッ化物RuOF4である。 ルテニウムはさまざまな配位錯体を形成する。例えば、Ru(II)とRu(III)の両方によく存在する多くのペンタアンミン誘導体[Ru(NH3)5L]である。ビピリジンとターピリジン(英語版)の誘導体は多くあり、発光性のトリス(ビピリジン)塩化ルテニウム(II)が最もよく知られる。 ルテニウムは炭素-ルテニウム結合により幅広い化合物を形成する。グラブス触媒はアルケンのメタセシスに用いられる。ルテノセンは構造がフェロセンと似ているが、独特の酸化還元特性を示す。無色の液体ペンタカルボニルルテニウムはCO圧力の非存在下で暗赤色の固体ドデカカルボニル三ルテニウムに変化する。三塩化ルテニウムは一酸化炭素と反応してRuHCl(CO)(PPh3)3やRu(CO)2(PPh3)3(ローパー錯体)などの多くの誘導体を生成する。アルコール中の三塩化ルテニウムとトリフェニルホスフィンの加熱した溶液はトリス(トリフェニルホスフィン)二塩化ルテニウム (RuCl2(PPh3)3)を生成し、これはヒドリド錯体であるクロロヒドリドトリス(トリフェニルホスフィン)ルテニウム(II) (RuHCl(PPh3)3)に変化する。 6種類の白金族元素全てを含む天然の白金合金はコロンブス以前のアメリカ人により長い間使用され、16世紀半ばよりヨーロッパの化学者にも材料として知られていたが、18世紀半ばまでプラチナは純元素として識別されなかった。天然のプラチナにパラジウム、ロジウム、オスミウム、イリジウムが含まれていることは19世紀の初め10年で発見された。ロシアの川の沖積層の砂に含まれるプラチナは1828年からプレートやメダルへの使用や、ルーブル硬貨の鋳造の原料となった。貨幣用のプラチナを生産した後の残留物はロシア帝国で使うことができたため、その研究のほとんどは東ヨーロッパで行われた。 ポーランドの化学者Jędrzej Śniadeckiは1807年に南アメリカのプラチナ鉱石から元素44(少し前に小惑星ベスタが発見されたため「ベスティウム」と呼んだ)を分離した可能性がある。しかし、この成果は認められることはなく、後に発見の主張を撤回している。 イェンス・ベルセリウスとGottfried Osannは1827年にルテニウムの発見に近づいた。2人は王水でウラル山脈の粗プラチナを溶解した後に残った残留物を調査した。ベルセリウスは珍しい金属を発見しなかったが、Osannは3つの新たな金属を見つけたと考え、プルラニウム(pluranium)、ルテニウム、ポリニウム(polinium)と呼んだ。この不一致により残留物の組成についてベルセリウスとOsannの間で長い間論争となった。Osannはルテニウムの分離を再現することができなかったため、最終的に自身の主張を撤回した。「ルテニウム」という名前は分析したサンプルがロシアのウラル山脈由来であったためOsannにより選ばれた。この名前自体は現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部、スロバキア、ポーランドの一部を含む歴史的地域であるRus'のラテン語名であるルテニアに由来する。 1844年、バルト・ドイツ系のロシアの科学者カール・クラウスがGottfried Osannの調製した化合物に少量のルテニウムが含まれていることを示した。カザン大学で研究していた時にルーブルを生産したときのプラチナ残留物からルテニウムを分離した。これは40年前にこれより重い同族元素のオスミウムが発見された手法と同じである。クラウスは酸化ルテニウムに新しい金属が含まれており、王水に溶けない粗プラチナの部分から6gのルテニウムを得たことを示した。新たな元素の名前を選び、クラウスは「祖国に敬意を表して新たな物質にルテニウムと名前をつけました。Osann氏が自身のルテニウムを放棄したが、この言葉は化学にはまだ存在しないため、私はこの名前でそれを呼ぶ権利がありました」と述べている。 2016年におよそ30.9トンのルテニウムが消費され、そのうち13.8トンが電気、7.7トンが触媒、4.6トンが電気化学であった。 ルテニウムは白金とパラジウムの合金を硬化させるため、電気接点に使われる。この接触部では薄膜で十分な耐久性が得られる。ロジウムと同様の特性で低価格であり、電気接点はルテニウムの主な用途である。ルテニウム板は電気めっきまたはスパッタリングにより電気接点および電極母材に用いられている。 鉛とビスマスのルテニウム酸塩を含む二酸化ルテニウムは、厚膜チップ抵抗器に使われる。これら2つの電子用途がルテニウム消費量の50%を占める。 ルテニウムが白金族以外の金属と合金になることはほとんどないが、少量含むといくつかの特性が改善する。チタン合金に加えられた耐腐食性が0.1%のルテニウムを含む特別な合金の開発につながった。ジェットエンジンのタービン含む用途で、一部の高度な高温単結晶超合金にも使われている。EPM-102(3%のルテニウム)、TMS-162(6%のルテニウム)、TMS-138およびTMS-174などいくつかのニッケルをベースにした超合金組成がある。後者2つは6%のレニウムを含む。万年筆のペン先(ニブ)には、しばしばルテニウムの合金が付けられている。1944年以降、万年筆 Parker 51 には"RU"ペン先(96.2%のルテニウムと3.8%のイリジウムがついた14Kの金のペン先)が取り付けられた。 ルテニウムは、地下および水中の構造物のカソード防食、および塩水からの塩素製造プロセスの電解槽に用いられる混合金属酸化物(MMO)アノードの構成要素である。一部のルテニウム錯体の蛍光は酸素により消えるため、酸素のオプトードセンサにおける使用が見いだされる。ルテニウムレッド(英語版)[(NH3)5Ru-O-Ru(NH3)4-O-Ru(NH3)5]は、光学顕微鏡や電子顕微鏡のためにペクチンや核酸などのポリアニオン分子の染色に用いられる生物学的染色剤である。ルテニウムのベータ崩壊同位体106は眼腫瘍、主にぶどう膜の悪性黒色腫の放射線治療に用いられる。ルテニウム中心の錯体は抗がん特性の可能性に対して研究されている。白金の錯体と比較して、ルテニウムの錯体は加水分解に対してより大きな耐性と腫瘍に対するより選択的な作用を示す。 四酸化ルテニウムは、脂肪油または皮脂性の汚染物質についた脂肪と接触すると反応し褐色/黒色の二酸化ルテニウム顔料を生成することにより、見えない指紋を浮き出させる。 多くのルテニウム含有化合物は、有用な触媒特性を示す。触媒は反応媒体に溶解する均一触媒、およびそうではない不均一触媒に分けられる。 ルテニウムナノ粒子はハロイサイト内で形成できる。この豊富にある鉱物は自然に圧延ナノシート(ナノチューブ)の構造を持ち、その後の工業用触媒での使用に対してRuナノクラスター合成とその製造の両方を支持する。 三塩化ルテニウムを含む溶液は、オレフィンのメタセシス反応に対して非常に活性がある。このような触媒は例えばポリノルボルネンの製造に対して商業的に使用されている。はっきり定義されたルテニウムカルベンおよびアルキリデン錯体は、似た反応性を示し、工業プロセスに対する機構的な洞察を提供する。例えば、グラブス触媒は医薬品や先端材料の調合に用いられている。 ルテニウム錯体は移動水素化("borrowing hydrogen"反応とも呼ばれる)に対して活性の高い触媒である。このプロセスは、ケトン、アルデヒド、イミンのエナンチオ選択的水素化に使われる。この反応は野依良治により導入されたキラルなルテニウム錯体を用いる。例えば、 (シメン)Ru(S,S-TsDPEN)は、ベンジルの(R,R)-ヒドロベンゾインへの水素化を触媒する。この反応ではギ酸塩と水/アルコールがH2源になる。 2001年のノーベル化学賞は、不斉水素化の分野への貢献で野依良治に贈られた。 2012年、有機ルテニウム触媒を研究する北野政明と共同研究者は、電子供与体および可逆水素貯蔵として安定したエレクトライドを用いるアンモニア合成を実証した。地方の農業で用いるための小規模で断続的なアンモニアの生産は、孤立した地方の施設で風力タービンにより生成される電力のシンクとして電気グリッド接続の実行可能な代替物であるかもしれない。 ルテニウムに促進されたコバルト触媒はフィッシャー・トロプシュ法で使われる。 いくつかのルテニウム錯体は可視スペクトル全体で光を吸収し、太陽エネルギー技術のために活発に研究されている。例えば、ルテニウムをベースとした化合物は有望な新しい低コストの太陽電池システムである色素増感太陽電池の光吸収に使われている。 多くのルテニウムベースの酸化物は、量子臨界点の挙動、エキゾチック超伝導(ルテニウム酸ストロンチウム(英語版)で)、高温強磁性などとても異常な特性を示す。 比較的最近に、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの部品内の金属やケイ化物を有益に置き換えることができる材料として提案されている。四酸化ルテニウム(RuO4)は揮発性が高く、三酸化ルテニウム(RuO3)も同様である。ルテニウムを(例えば酸素プラズマで)揮発性酸化物に酸化することで、簡単にパターン化することができる。一般的な酸化ルテニウムの特性により、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの製造に必要な半導体プロセス技術と互換性のある金属となる。 マイクロエレクトロニクスの小型化を続けていくためには、寸法の変化に合わせて新たな材料が必要である。マイクロエレクトロニクスのルテニウム薄膜には主に3つの用途がある。1つ目は次世代の3次元DRAMにおいて五酸化タンタル(Ta2O5)やチタン酸バリウムストロンチウム((Ba, Sr)TiO3、BSTとしても知られる)の両側の電極としてルテニウム薄膜を用いることである。ルテニウム薄膜電極は別のRAMであるFRAMのチタン酸ジルコン酸鉛(Pb(ZrxTi1−x)O3、PZTとしても知られる)の上に堆積もできる。白金は実験室ではRAMの電極として使われているが、パターン化するのは難しい。ルテニウムは白金と化学的に似ており、RAMの機能を維持するが白金のパターニングとは異なり簡単である。2つ目はpドープMOSFETの金属ゲートとしてルテニウムの薄膜を使うことである。MOSFETのシリサイドゲートを金属ゲートに置き換える場合、金属の重要となる特性は仕事関数である。仕事関数は周囲の材料と一致する必要がある。p-MOSFETの場合、ルテニウムの仕事関数はHfO2, HfSiOx, HfNOx, HfSiNOxなどの周囲の材料と一致する最高の材料特性であり、所望の電気特性が達成される。ルテニウム膜の3つ目の大規模な用途は、銅デュアルダマシンプロセスにおけるTaNとCuの間の接着促進剤と電気めっきシード層の組み合わせである。窒化タンタルとは対照的に銅はルテニウム上に直接電気めっきできる。銅はTaNにあまり接着しないが、Ruにはよく接着する。TaNバリア層上にルテニウムの層を堆積させることにより、銅の接着性が改善され、銅シード層の堆積は不要になる。 他にも提案されている用途がある。1990年、IBMの科学者は、ルテニウム原子の薄層が隣り合う強磁性層間に他の非磁性スペーサー層元素よりも強い反平行結合を作り出すことを発見した。このようなルテニウム層はハードディスクドライブの最初の巨大磁気抵抗読み取り素子で使われていた。2001年、IBMは非公式には"pixie dust"と呼ばれ、現在のハードディスクドライブメディアのデータ密度を4倍にすることができるルテニウム元素の3原子層を発表した。 1973年に北海道の雨竜川で、ルテニウムを最も含む白金族元素の合金が発見され、命名規則から自然ルテニウム (Ruthenium) と登録された。初の元素鉱物の日本産新鉱物である。
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"paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ルテニウム酸二カリウム(K2RuO4, +6)および過ルテニウム酸カリウム(KRuO4, +7)も知られている。四酸化オスミウムとは異なり、四酸化ルテニウムは安定性が低く、室温で希塩酸やエタノールなどの有機溶媒を酸化する酸化剤として働くほど強く、アルカリ水溶液中で簡単にルテニウム酸塩(RuO2−4)に還元され、100 °C以上では分解して二酸化物を形成する。鉄とは異なるがオスミウムとは同様に、ルテニウムは+2と+3の低い酸化数では酸化物を形成しない。ルテニウムは、黄鉄鉱構造で結晶化する反磁性半導体である二カルコゲン化物を形成する。硫化ルテニウム(RuS2)は鉱物のラウラ鉱として自然に生じる。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鉄と同様に、ルテニウムはオキソアニオンを容易に形成せず、その代わりに水酸化物イオンで高い配位数となる。四酸化ルテニウムは低温の希水酸化カリウムにより還元され、ルテニウムの酸化数+7である黒色の過ルテニウム酸カリウム(KRuO4)を形成する。過ルテニウム酸カリウムは、ルテニウム酸カリウム(K2RuO4)を塩素ガスにより参加することによっても得られる。過ルテニウム酸イオンは不安定であり、水により還元されてオレンジ色のルテニウム酸塩を形成する。ルテニウム酸カリウムは金属ルテニウムを溶解した水酸化カリウムおよび硝酸カリウムと反応させることで合成できる。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "MRuO3, Na3RuO4, Na2RuV2O7, MII2LnIIIRuVO6などの混合酸化物も知られる。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "最も有名なハロゲン化ルテニウムは、六フッ化物であり、これは54 °Cで溶解する暗褐色の固体である。水と触れると激しく加水分解し、容易に不均一化し低フッ化ルテニウムの混合物を形成しフッ素ガスを放出する。五フッ化ルテニウムも容易に加水分解され、86.5 °Cで溶解する四量体の暗緑色の固体である。黄色の四フッ化ルテニウムもおそらく重合体であり、五フッ化物をヨウ素で還元することで形成できる。ルテニウムの二元化合物のうち、これらの高い酸化数は酸化物とフッ化物でのみみられる。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "三塩化ルテニウムはよく知られた化合物であり、黒色のα型と暗褐色のβ型で存在する。三水和物は赤色である。既知の三ハロゲン化物のうち、三フッ化物は暗褐色で650 °C以上で分解し、四臭化物は暗褐色で400 °C以上で分解し、三ヨウ化物は黒色である。二ハロゲン化物のうち、二フッ化物は知られておらず、二塩化物は茶色、二臭化物は黒色、二ヨウ化物は青色である。唯一知られているオキシハロゲン化物は淡緑色のルテニウム(VI)オキシフッ化物RuOF4である。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ルテニウムはさまざまな配位錯体を形成する。例えば、Ru(II)とRu(III)の両方によく存在する多くのペンタアンミン誘導体[Ru(NH3)5L]である。ビピリジンとターピリジン(英語版)の誘導体は多くあり、発光性のトリス(ビピリジン)塩化ルテニウム(II)が最もよく知られる。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ルテニウムは炭素-ルテニウム結合により幅広い化合物を形成する。グラブス触媒はアルケンのメタセシスに用いられる。ルテノセンは構造がフェロセンと似ているが、独特の酸化還元特性を示す。無色の液体ペンタカルボニルルテニウムはCO圧力の非存在下で暗赤色の固体ドデカカルボニル三ルテニウムに変化する。三塩化ルテニウムは一酸化炭素と反応してRuHCl(CO)(PPh3)3やRu(CO)2(PPh3)3(ローパー錯体)などの多くの誘導体を生成する。アルコール中の三塩化ルテニウムとトリフェニルホスフィンの加熱した溶液はトリス(トリフェニルホスフィン)二塩化ルテニウム (RuCl2(PPh3)3)を生成し、これはヒドリド錯体であるクロロヒドリドトリス(トリフェニルホスフィン)ルテニウム(II) (RuHCl(PPh3)3)に変化する。", "title": "ルテニウムの化合物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "6種類の白金族元素全てを含む天然の白金合金はコロンブス以前のアメリカ人により長い間使用され、16世紀半ばよりヨーロッパの化学者にも材料として知られていたが、18世紀半ばまでプラチナは純元素として識別されなかった。天然のプラチナにパラジウム、ロジウム、オスミウム、イリジウムが含まれていることは19世紀の初め10年で発見された。ロシアの川の沖積層の砂に含まれるプラチナは1828年からプレートやメダルへの使用や、ルーブル硬貨の鋳造の原料となった。貨幣用のプラチナを生産した後の残留物はロシア帝国で使うことができたため、その研究のほとんどは東ヨーロッパで行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ポーランドの化学者Jędrzej Śniadeckiは1807年に南アメリカのプラチナ鉱石から元素44(少し前に小惑星ベスタが発見されたため「ベスティウム」と呼んだ)を分離した可能性がある。しかし、この成果は認められることはなく、後に発見の主張を撤回している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "イェンス・ベルセリウスとGottfried Osannは1827年にルテニウムの発見に近づいた。2人は王水でウラル山脈の粗プラチナを溶解した後に残った残留物を調査した。ベルセリウスは珍しい金属を発見しなかったが、Osannは3つの新たな金属を見つけたと考え、プルラニウム(pluranium)、ルテニウム、ポリニウム(polinium)と呼んだ。この不一致により残留物の組成についてベルセリウスとOsannの間で長い間論争となった。Osannはルテニウムの分離を再現することができなかったため、最終的に自身の主張を撤回した。「ルテニウム」という名前は分析したサンプルがロシアのウラル山脈由来であったためOsannにより選ばれた。この名前自体は現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア西部、スロバキア、ポーランドの一部を含む歴史的地域であるRus'のラテン語名であるルテニアに由来する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1844年、バルト・ドイツ系のロシアの科学者カール・クラウスがGottfried Osannの調製した化合物に少量のルテニウムが含まれていることを示した。カザン大学で研究していた時にルーブルを生産したときのプラチナ残留物からルテニウムを分離した。これは40年前にこれより重い同族元素のオスミウムが発見された手法と同じである。クラウスは酸化ルテニウムに新しい金属が含まれており、王水に溶けない粗プラチナの部分から6gのルテニウムを得たことを示した。新たな元素の名前を選び、クラウスは「祖国に敬意を表して新たな物質にルテニウムと名前をつけました。Osann氏が自身のルテニウムを放棄したが、この言葉は化学にはまだ存在しないため、私はこの名前でそれを呼ぶ権利がありました」と述べている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2016年におよそ30.9トンのルテニウムが消費され、そのうち13.8トンが電気、7.7トンが触媒、4.6トンが電気化学であった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ルテニウムは白金とパラジウムの合金を硬化させるため、電気接点に使われる。この接触部では薄膜で十分な耐久性が得られる。ロジウムと同様の特性で低価格であり、電気接点はルテニウムの主な用途である。ルテニウム板は電気めっきまたはスパッタリングにより電気接点および電極母材に用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "鉛とビスマスのルテニウム酸塩を含む二酸化ルテニウムは、厚膜チップ抵抗器に使われる。これら2つの電子用途がルテニウム消費量の50%を占める。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ルテニウムが白金族以外の金属と合金になることはほとんどないが、少量含むといくつかの特性が改善する。チタン合金に加えられた耐腐食性が0.1%のルテニウムを含む特別な合金の開発につながった。ジェットエンジンのタービン含む用途で、一部の高度な高温単結晶超合金にも使われている。EPM-102(3%のルテニウム)、TMS-162(6%のルテニウム)、TMS-138およびTMS-174などいくつかのニッケルをベースにした超合金組成がある。後者2つは6%のレニウムを含む。万年筆のペン先(ニブ)には、しばしばルテニウムの合金が付けられている。1944年以降、万年筆 Parker 51 には\"RU\"ペン先(96.2%のルテニウムと3.8%のイリジウムがついた14Kの金のペン先)が取り付けられた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ルテニウムは、地下および水中の構造物のカソード防食、および塩水からの塩素製造プロセスの電解槽に用いられる混合金属酸化物(MMO)アノードの構成要素である。一部のルテニウム錯体の蛍光は酸素により消えるため、酸素のオプトードセンサにおける使用が見いだされる。ルテニウムレッド(英語版)[(NH3)5Ru-O-Ru(NH3)4-O-Ru(NH3)5]は、光学顕微鏡や電子顕微鏡のためにペクチンや核酸などのポリアニオン分子の染色に用いられる生物学的染色剤である。ルテニウムのベータ崩壊同位体106は眼腫瘍、主にぶどう膜の悪性黒色腫の放射線治療に用いられる。ルテニウム中心の錯体は抗がん特性の可能性に対して研究されている。白金の錯体と比較して、ルテニウムの錯体は加水分解に対してより大きな耐性と腫瘍に対するより選択的な作用を示す。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "四酸化ルテニウムは、脂肪油または皮脂性の汚染物質についた脂肪と接触すると反応し褐色/黒色の二酸化ルテニウム顔料を生成することにより、見えない指紋を浮き出させる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "多くのルテニウム含有化合物は、有用な触媒特性を示す。触媒は反応媒体に溶解する均一触媒、およびそうではない不均一触媒に分けられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ルテニウムナノ粒子はハロイサイト内で形成できる。この豊富にある鉱物は自然に圧延ナノシート(ナノチューブ)の構造を持ち、その後の工業用触媒での使用に対してRuナノクラスター合成とその製造の両方を支持する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "三塩化ルテニウムを含む溶液は、オレフィンのメタセシス反応に対して非常に活性がある。このような触媒は例えばポリノルボルネンの製造に対して商業的に使用されている。はっきり定義されたルテニウムカルベンおよびアルキリデン錯体は、似た反応性を示し、工業プロセスに対する機構的な洞察を提供する。例えば、グラブス触媒は医薬品や先端材料の調合に用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ルテニウム錯体は移動水素化(\"borrowing hydrogen\"反応とも呼ばれる)に対して活性の高い触媒である。このプロセスは、ケトン、アルデヒド、イミンのエナンチオ選択的水素化に使われる。この反応は野依良治により導入されたキラルなルテニウム錯体を用いる。例えば、 (シメン)Ru(S,S-TsDPEN)は、ベンジルの(R,R)-ヒドロベンゾインへの水素化を触媒する。この反応ではギ酸塩と水/アルコールがH2源になる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2001年のノーベル化学賞は、不斉水素化の分野への貢献で野依良治に贈られた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2012年、有機ルテニウム触媒を研究する北野政明と共同研究者は、電子供与体および可逆水素貯蔵として安定したエレクトライドを用いるアンモニア合成を実証した。地方の農業で用いるための小規模で断続的なアンモニアの生産は、孤立した地方の施設で風力タービンにより生成される電力のシンクとして電気グリッド接続の実行可能な代替物であるかもしれない。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ルテニウムに促進されたコバルト触媒はフィッシャー・トロプシュ法で使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "いくつかのルテニウム錯体は可視スペクトル全体で光を吸収し、太陽エネルギー技術のために活発に研究されている。例えば、ルテニウムをベースとした化合物は有望な新しい低コストの太陽電池システムである色素増感太陽電池の光吸収に使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "多くのルテニウムベースの酸化物は、量子臨界点の挙動、エキゾチック超伝導(ルテニウム酸ストロンチウム(英語版)で)、高温強磁性などとても異常な特性を示す。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "比較的最近に、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの部品内の金属やケイ化物を有益に置き換えることができる材料として提案されている。四酸化ルテニウム(RuO4)は揮発性が高く、三酸化ルテニウム(RuO3)も同様である。ルテニウムを(例えば酸素プラズマで)揮発性酸化物に酸化することで、簡単にパターン化することができる。一般的な酸化ルテニウムの特性により、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの製造に必要な半導体プロセス技術と互換性のある金属となる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "マイクロエレクトロニクスの小型化を続けていくためには、寸法の変化に合わせて新たな材料が必要である。マイクロエレクトロニクスのルテニウム薄膜には主に3つの用途がある。1つ目は次世代の3次元DRAMにおいて五酸化タンタル(Ta2O5)やチタン酸バリウムストロンチウム((Ba, Sr)TiO3、BSTとしても知られる)の両側の電極としてルテニウム薄膜を用いることである。ルテニウム薄膜電極は別のRAMであるFRAMのチタン酸ジルコン酸鉛(Pb(ZrxTi1−x)O3、PZTとしても知られる)の上に堆積もできる。白金は実験室ではRAMの電極として使われているが、パターン化するのは難しい。ルテニウムは白金と化学的に似ており、RAMの機能を維持するが白金のパターニングとは異なり簡単である。2つ目はpドープMOSFETの金属ゲートとしてルテニウムの薄膜を使うことである。MOSFETのシリサイドゲートを金属ゲートに置き換える場合、金属の重要となる特性は仕事関数である。仕事関数は周囲の材料と一致する必要がある。p-MOSFETの場合、ルテニウムの仕事関数はHfO2, HfSiOx, HfNOx, HfSiNOxなどの周囲の材料と一致する最高の材料特性であり、所望の電気特性が達成される。ルテニウム膜の3つ目の大規模な用途は、銅デュアルダマシンプロセスにおけるTaNとCuの間の接着促進剤と電気めっきシード層の組み合わせである。窒化タンタルとは対照的に銅はルテニウム上に直接電気めっきできる。銅はTaNにあまり接着しないが、Ruにはよく接着する。TaNバリア層上にルテニウムの層を堆積させることにより、銅の接着性が改善され、銅シード層の堆積は不要になる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "他にも提案されている用途がある。1990年、IBMの科学者は、ルテニウム原子の薄層が隣り合う強磁性層間に他の非磁性スペーサー層元素よりも強い反平行結合を作り出すことを発見した。このようなルテニウム層はハードディスクドライブの最初の巨大磁気抵抗読み取り素子で使われていた。2001年、IBMは非公式には\"pixie dust\"と呼ばれ、現在のハードディスクドライブメディアのデータ密度を4倍にすることができるルテニウム元素の3原子層を発表した。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1973年に北海道の雨竜川で、ルテニウムを最も含む白金族元素の合金が発見され、命名規則から自然ルテニウム (Ruthenium) と登録された。初の元素鉱物の日本産新鉱物である。", "title": "自然ルテニウム" } ]
ルテニウムは、原子番号44の元素。元素記号は Ru。白金族元素の1つ。貴金属にも分類される。銀白色の硬くて脆い金属(遷移金属)で、比重は12.43、融点は2334℃、沸点は4150℃。常温、常圧で安定な結晶構造は、六方最密充填構造 (HCP)。酸化や腐食を受けにくく、展性に富み比重が大きい。この性質は白金(Pt)と同じであり、王水には侵されない。
{{Otheruses|[[元素]]|[[鉱物]]|自然ルテニウム}} {{混同|ルテチウム}} {{Elementbox |name=ruthenium |japanese name=ルテニウム |pronounce={{IPAc-en|r|uː|ˈ|θ|iː|n|i|əm}} {{respell|roo|THEE|nee-əm}} |number=44 |symbol=Ru |left=[[テクネチウム]] |right=[[ロジウム]] |above=[[鉄|Fe]] |below=[[オスミウム|Os]] |series=遷移金属 |group=8 |period=5 |block=d |image name=Ru1_modi.jpg |appearance=銀白色 |atomic mass=101.07 |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 4d<sup>7</sup> 5s<sup>1</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 15, 1 |density gpcm3nrt=12.45 |density gpcm3mp=10.65 |melting point K=2607 |melting point C=2334 |melting point F=4233 |boiling point K=4423 |boiling point C=4150 |boiling point F=7502 |heat fusion=38.59 |heat vaporization=591.6 |heat capacity=24.06 |vapor pressure 1=2588 |vapor pressure 10=2811 |vapor pressure 100=3087 |vapor pressure 1 k=3424 |vapor pressure 10 k=3845 |vapor pressure 100 k=4388 |vapor pressure comment= |crystal structure=α form 六方最密充填構造 β form 六方晶系 |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states=8, 7, 6, '''4''', '''3''', 2, 1,<ref>{{cite web|url=http://openmopac.net/data_normal/ruthenium(i)%20fluoride_jmol.html|title=Ruthenium: ruthenium(I) fluoride compound data|accessdate=2007-12-10|publisher=OpenMOPAC.net|deadlinkdate=2017年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110721084328/http://openmopac.net/data_normal/ruthenium%28i%29%20fluoride_jmol.html|archivedate=2011年7月21日}}</ref>, -2(弱[[酸性酸化物]]) |electronegativity=2.3 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=710.2 |2nd ionization energy=1620 |3rd ionization energy=2747 |atomic radius=[[1 E-10 m|134]] |covalent radius=[[1 E-10 m|146±7]] |magnetic ordering=[[常磁性]]<ref>{{PDF|[https://web.archive.org/web/20040324080747/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds]}}(2004年3月24日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]), in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity at 0= 71 n |thermal conductivity=117 |thermal expansion at 25=6.4 |speed of sound rod at 20=5970 |Young's modulus=447 |Shear modulus=173 |Bulk modulus=220 |Poisson ratio=0.30 |Mohs hardness=6.5 |Brinell hardness=2160 |CAS number=7440-18-8 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム96|96]] | sym=Ru | na=5.52% | n=52}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ルテニウム97|97]] | sym=Ru | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|2.9 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[テクネチウム97|97]] | ps1=[[テクネチウム|Tc]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.215, 0.324 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム98|98]] | sym=Ru | na=1.88% | n=54}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム99|99]] | sym=Ru | na=12.7% | n=55}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム100|100]] | sym=Ru | na=12.6% | n=56}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム101|101]] | sym=Ru | na=17.0% | n=57}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム102|102]] | sym=Ru | na=31.6% | n=58}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ルテニウム103|103]] | sym=Ru | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|39.26 d]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de1=0.226 | pn1=[[ロジウム103|103]] | ps1=[[ロジウム|Rh]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.497 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ルテニウム104|104]] | sym=Ru | na=18.7% | n=60}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ルテニウム106|106]] | sym=Ru | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E7 s|373.59 d]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=3.54 | pn=[[ロジウム106|106]] | ps=[[ロジウム|Rh]]}} |isotopes comment= |Curie point=800℃}} '''ルテニウム'''({{lang-en-short|ruthenium}}、{{IPA-en|ruːˈθiːniəm|}})は、[[原子番号]]44の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Ru'''。[[白金族元素]]の1つ。[[貴金属]]にも分類される。銀白色の硬くて脆い[[金属]](遷移金属)で、比重は12.43、[[融点]]は2334℃、[[沸点]]は4150℃。常温、常圧で安定な結晶構造は、[[六方最密充填構造]] (HCP)。[[酸化]]や[[腐食]]を受けにくく、展性に富み比重が大きい。この性質は白金([[Pt]])と同じであり、[[王水]]には侵されない。 == 名称 == [[ラテン語]]で[[ルーシ (地名)|ルーシ]]を表す[[ルテニア]]が元素名の由来<ref>{{Cite web|和書|url=http://periodic-table.step.aichi-edu.ac.jp/ru.html |title=イラスト周期表「ルテニウム」 |publisher=[[愛知教育大学]] 科学・ものづくり教育推進センター |accessdate=2016-01-23 }}</ref>。 漢字では釕(かねへんに了)と表記される。 ==特性== ===物理的特性=== [[File:Ruthenium crystals.jpg|thumb|left|ルテニウム金属の気相成長結晶]] [[原子価|多価]]の硬質白色金属であるルテニウムは、[[白金族元素]]であり、[[第8族元素]]に属する。 {| class="wikitable" |- ![[原子番号|Z]] !! [[元素]] !! [[電子殻|電子/殻の数]] |- | 26 || [[鉄]] || 2, 8, 14, 2 |- | 44 || ルテニウム || 2, 8, 18, 15, 1 |- | 76 || [[オスミウム]] || 2, 8, 18, 32, 14, 2 |- | 108 || [[ハッシウム]] || 2, 8, 18, 32, 32, 14, 2 |} 他の全ての第8族元素は最外殻に2つの電子を持っているが、ルテニウムは1つしか持っていない(最後の電子は下の殻にある)。この例外は近くの金属である[[ニオブ]](41)、[[モリブデン]](42)、[[ロジウム]](45)でも観察される。 ルテニウムには主に2つの同素体があり(α、β)、結晶構造はそれぞれ六方最密、正方晶系。更にこの2つのほかに、面心立方格子構造の特殊なルテニウムの同素体がある。これは、ルテニウム溶液中でルテニウムを還元し、ナノ粒子を作成するボトムアップ法によって作られたものである。周囲の条件で変色しない。{{convert|800|C|K}}に加熱すると酸化する。溶融アルカリに溶けてルテニウム酸塩({{chem|RuO|4|2-}})を生じ、酸([[王水]]でも)に攻撃されないが、高温で[[ハロゲン]]に攻撃される<ref name=crc/>。実際、ルテニウムは酸化剤により最も容易に攻撃される<ref name=Greenwood1076>Greenwood and Earnshaw, p. 1076</ref>。少量のルテニウムは[[プラチナ]]と[[パラジウム]]の硬度を高めることができる。[[チタン]]の[[腐食]]耐性は少量のルテニウムを添加することにより著しく向上する<ref name=crc/>。[[電気めっき]]および熱分解によりめっきすることができる。ルテニウム-[[モリブデン]]合金は10.6[[ケルビン|K]]未満の温度で[[超伝導]]であることが知られている<ref name=crc/>。酸化数+8をとることができると推定される最後の4d遷移元素であり、それでも同族のオスミウムより不安定である。これは2行目と3行目の遷移金属が化学的振る舞いに顕著な違いを示す族で周期表の左から1番目のものである。鉄と同様であるがオスミウムとは異なり、+2と+3の低い酸化数で水カチオンを形成できる<ref name=Greenwood1078>Greenwood and Earnshaw, p. 1078</ref>。 ルテニウムは、[[モリブデン]]で見られる最大値に続く4d遷移金属の原子化エンタルピーと融点・沸点の減少傾向の最初のものである。これは4d亜殻が半分以上満たされ、電子が金属結合に寄与しないためである(1つ前の元素である[[テクネチウム]]の値は非常に低く半分満たされた[Kr]4d<sup>5</sup>5s<sup>2</sup>配置によりこの傾向から外れているが、3d遷移における[[マンガン]]ほど4dにおける傾向は離れていない)<ref name=Greenwood1075>Greenwood and Earnshaw, p. 1075</ref>。軽い同族の鉄とは異なり、室温でも[[常磁性]]であり、[[キュリー点]]も鉄より高く、約800℃。 一般的なルテニウムイオンに対する酸性水溶液の還元電位を以下に示す<ref name=Greenwood1077>Greenwood and Earnshaw, p. 1077</ref>。 {| |- | 0.455 V ||Ru<sup>2+</sup> + 2e<sup>−</sup>|| ↔ Ru |- | 0.249 V ||Ru<sup>3+</sup> + e<sup>−</sup>|| ↔ Ru<suP>2+</sup> |- | 1.120 V ||RuO<sub>2</sub> + 4H<sup>+</sup> + 2e<sup>−</sup>|| ↔ Ru<sup>2+</sup> + 2H<sub>2</sub>O |- | 1.563 V ||{{chem|RuO|4|2-}} + 8H<sup>+</sup> + 4e<sup>−</sup>|| ↔ Ru<sup>2+</sup> + 4H<sub>2</sub>O |- | 1.368 V ||{{chem|RuO|4|-}} + 8H<sup>+</sup> + 5e<sup>−</sup>|| ↔ Ru<sup>2+</sup> + 4H<sub>2</sub>O |- | 1.387 V || RuO<sub>4</sub> + 4H<sup>+</sup> + 4e<sup>−</sup> || ↔ RuO<sub>2</sub> + 2H<sub>2</sub>O |} ===同位体=== {{Main|ルテニウムの同位体}} 天然のルテニウムは7つの安定[[同位体]]で構成される。さらに34個の[[放射性同位体]]が発見されている、これらの放射性同位体のうち最も安定しているのは[[半減期]]が373.59日の<sup>106</sup>Ru、39.26日の<sup>103</sup>Ru、2.9日の<sup>97</sup>Ruである<ref name=n1/><ref name=n2/>。 15個の放射性同位体は89.93 [[統一原子質量単位|u]] (<sup>90</sup>Ru) から114.928 u (<sup>115</sup>Ru) の原子量で特徴づけられる。これらのほとんどは<sup>95</sup>Ru(半減期: 1.643時間)および<sup>105</sup>Ru(半減期: 4.44時間)を除き半減期は5分未満である<ref name=n1/><ref name=n2/>。 最も豊富にある同位体である<sup>102</sup>Ruの前の主な崩壊モードは[[電子捕獲]]であり、後の主なモードは[[ベータ崩壊|ベータ放出]]である。<sup>102</sup>Ru前の主な崩壊生成物は[[テクネチウム]]であり、後の主な崩壊生成物は[[ロジウム]]である<ref name=n1>{{RubberBible86th}} Section 11, Table of the Isotopes</ref><ref name=n2>{{citation |title=The N<small>UBASE</small> evaluation of nuclear and decay properties |doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001 |last1=Audi |first1=Georges |last2=Bersillon |first2=Olivier |last3=Blachot |first3=Jean |last4=Wapstra |first4=Aaldert Hendrik |authorlink4=Aaldert Wapstra |journal=Nuclear Physics A |volume=729 |pages=3–128 |year=2003 |url=<!-- dead: http://amdc.in2p3.fr/nubase/Nubase2003.pdf -->https://hal.archives-ouvertes.fr/in2p3-00020241/document |bibcode=2003NuPhA.729....3A }}</ref>。 ===発生=== [[地殻中の元素の存在度|地球の地殻]]で74番目に豊富な元素であり、比較的まれであり<ref name="Emsley">{{cite book|title = Nature's Building Blocks: An A-Z Guide to the Elements|last = Emsley|first = J.|publisher = Oxford University Press|date = 2003|location = Oxford, England, UK|isbn = 978-0-19-850340-8|chapter = Ruthenium|pages = [https://archive.org/details/naturesbuildingb0000emsl/page/368 368–370]|url = https://archive.org/details/naturesbuildingb0000emsl/page/368}}</ref>、約100[[ppt]]である<ref name=Greenwood1071>Greenwood and Earnshaw, p. 1071</ref>。一般的に[[ウラル山脈]]および南北アメリカの他の白金族金属の鉱石に含まれる。少量であるが商業的に重要な量は、[[カナダ]][[オンタリオ州]]の[[サドバリー (オンタリオ州)|サドバリー]]で採掘されたペントランド鉱で見られ、[[南アフリカ]]の[[輝岩]](パイロキシナイト)鉱床にも見られる。ルテニウムの天然のものは非常にまれな鉱物である(Irはその構造においてRuの一部の代わりをする)<ref name="USGS-YB-2006">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/platinum/myb1-2006-plati.pdf |publisher = United States Geological Survey USGS|accessdate = 2008-09-16|title = 2006 Minerals Yearbook: Platinum-Group Metals| first = Micheal W.|last = George}}</ref><ref name="USGS-CS-2008">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/platinum/mcs-2008-plati.pdf |publisher = United States Geological Survey USGS|accessdate = 2008-09-16|title = Commodity Report: Platinum-Group Metals}}</ref>。 ==生産== 毎年およそ30トンのルテニウムが採掘され<ref name=usgs/>、世界の埋蔵量は5,000トンと推定されている<ref name="Emsley"/>。採掘される[[白金族元素|白金族金属]](PGM)混合物の組成はその地球化学的形成により大きく異なる。例えば、南アフリカで採掘されるPGMには平均11%のルテニウムが含まれているが、旧ソ連で採掘されたPGMにはわずか2%(1992年)しか含まれていない<ref>{{cite book|url = https://books.google.com/books?id=Wm6QMRaX9C4C&pg=PA69|page =69|isbn = 978-0-87335-100-3|editor = Hartman, H. L.|editor2 = Britton, S. G.|date = 1992|publisher = Society for Mining, Metallurgy, and Exploration|location = Littleton, Colo.|title = SME mining engineering handbook}}</ref><ref>{{cite journal|url = http://canmin.geoscienceworld.org/cgi/content/abstract/12/2/104|journal = The Canadian Mineralogist|date = 1973| volume = 12|issue = 2|pages = 104–112|title = The nomenclature of the natural alloys of osmium, iridium and ruthenium based on new compositional data of alloys from world-wide occurrences| first = Donald C.|last = Harris|author2=Cabri, L. J. }}</ref>。ルテニウム、オスミウム、イリジウムは量の少ないマイナーな白金族金属とみなされている<ref name=Greenwood1074>Greenwood and Earnshaw, p. 1074</ref>。 ルテニウムは他の白金族金属と同様に[[ニッケル]]、[[銅]]からの副産物や白金金属鉱石処理から商業的に得られる。銅とニッケルの[[電解採取|電解精錬]]中に銀、金、白金族金属などの貴金属が摘出の原料である陽極泥として沈殿する<ref name="USGS-YB-2006">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/platinum/myb1-2006-plati.pdf |publisher = United States Geological Survey USGS|accessdate = 2008-09-16|title = 2006 Minerals Yearbook: Platinum-Group Metals| first = Micheal W.|last = George}}</ref><ref name="USGS-CS-2008">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/platinum/mcs-2008-plati.pdf |publisher = United States Geological Survey USGS|accessdate = 2008-09-16|title = Commodity Report: Platinum-Group Metals}}</ref>。金属は原料の組成によりいくつかの方法のいずれかによりイオン化溶質に変化される。代表的な方法の1つは、[[過酸化ナトリウム]]に溶解させた後[[王水]]に溶かし、その後[[塩素]]と[[塩酸]]の混合液へ溶解する方法である<ref name="ullmann-pt">{{cite book |author=Renner, H.|author2=Schlamp, G.|author3=Kleinwächter, I.|author4=Drost, E.|author5=Lüschow, H. M.|author6=Tews, P.|author7=Panster, P.|author8=Diehl, M.|author9=Lang, J.|author10=Kreuzer, T.|author11=Knödler, A.|author12=Starz, K. A.|author13=Dermann, K.|author14=Rothaut, J.|author15=Drieselman, R. |chapter=Platinum group metals and compounds |title=Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry |publisher=Wiley |date=2002 |doi=10.1002/14356007.a21_075|isbn=978-3527306732}}</ref><ref name="kirk-pt">{{cite book |title=Kirk Othmer Encyclopedia of Chemical Technology |first = R. J.|last = Seymour|author2=O'Farrelly, J. I. |chapter=Platinum-group metals |doi=10.1002/0471238961.1612012019052513.a01.pub2 |date=2001 |publisher=Wiley|isbn = 978-0471238966}}</ref>。[[オスミウム]]、ルテニウム、[[ロジウム]]、[[イリジウム]]は王水に不溶であり、容易に沈殿し、他の金属は溶液に残る。ロジウムは溶解硫酸水素ナトリウムで処理することで残留物から分離される。Ru, Os, Irを含む不溶性残留物はIrが不溶である酸化ナトリウムで処理され、溶解したRuとOs塩を生成する。揮発性酸化物へ酸化した後、塩化アンモニウムによる(NH<sub>4</sub>)<sub>3</sub>RuCl<sub>6</sub>の沈殿、または揮発性四酸化オスミウムの有機溶媒による蒸留または摘出により、{{chem|RuO|4}}は{{chem|OsO|4}}より分離される<ref>{{cite journal|title = The Platinum Metals|first = Raleigh|last = Gilchrist|journal = Chemical Reviews|date = 1943|volume = 32|issue = 3|pages = 277–372|doi = 10.1021/cr60103a002}}</ref>。塩化ルテニウム[[アンモニウム]]を還元して粉末を生成するには[[水素]]が使われる<ref name=crc/><ref name="cotton">{{cite book|last = Cotton|first = Simon|title = Chemistry of Precious Metals| pages = 1–20|publisher = Springer-Verlag New York, LLC|date = 1997|isbn = 978-0-7514-0413-5|url = https://books.google.com/books?id=6VKAs6iLmwcC&pg=PA2}}</ref>。生産物は水素を用いて還元され、[[粉末冶金]]技術もしくは[[アルゴン]][[アーク溶接]]で処理される粉末もしくは[[発泡金属|スポンジ金属]]として生成される<ref name=crc/><ref name="Hunt 1969 126–138">{{cite journal |first = L. B. |last = Hunt|author2=Lever, F. M. |journal = Platinum Metals Review|volume = 13 |issue = 4|date = 1969 |pages = 126–138|title = Platinum Metals: A Survey of Productive Resources to industrial Uses|url = http://www.platinummetalsreview.com/pdf/pmr-v13-i4-126-138.pdf}}</ref>。 ==ルテニウムの化合物== {{See also|Category:ルテニウムの化合物}} ルテニウムの[[酸化数]]は、0から+8および-2の範囲である。ルテニウムとオスミウムの[[化合物]]の特性は多くの点で類似している。+2, +3, +4が最も一般的である。最も一般的な[[前駆体]]は[[塩化ルテニウム(III)|三塩化ルテニウム]]であり、化学的に明確に定義されているわけではないが、合成的に汎用性の高い赤い固体である<ref name=cotton/>。 ===酸化物とカルコゲン化合物=== ルテニウムは[[酸化ルテニウム(IV)]](RuO<sub>2</sub>、酸化数+4)に[[酸化]]することができ、さらにこれは[[過ヨウ素酸ナトリウム]]により酸化され、揮発性で黄色四面体である[[四酸化ルテニウム]](RuO<sub>4</sub>)となる。これは[[四酸化オスミウム]]に類似した構造と特性を持つ強力な酸化剤である。RuO<sub>4</sub>は主に鉱石や放射性廃棄物からルテニウムを精製する際の中間体として使われる<ref>{{cite journal|authors=Swain, P.; Mallika, C.; Srinivasan, R.; Mudali, U. K.; Natarajan, R.|title=Separation and recovery of ruthenium: a review|journal=J. Radioanal. Nucl. Chem. |year=2013|volume=298|issue=2|pages=781–796|doi=10.1007/s10967-013-2536-5}}</ref>。 ルテニウム酸二カリウム(K<sub>2</sub>RuO<sub>4</sub>, +6)および過ルテニウム酸カリウム(KRuO<sub>4</sub>, +7)も知られている<ref>Greenwood, N. N.; & Earnshaw, A. (1997). ''Chemistry of the Elements'' (2nd Edn.), Oxford:Butterworth-Heinemann. {{ISBN2|0-7506-3365-4}}.</ref>。四酸化オスミウムとは異なり、四酸化ルテニウムは安定性が低く、室温で希[[塩酸]]や[[エタノール]]などの有機溶媒を酸化する酸化剤として働くほど強く、アルカリ水溶液中で簡単にルテニウム酸塩({{chem|RuO|4|2-}})に還元され、100&nbsp;℃以上では分解して二酸化物を形成する。鉄とは異なるがオスミウムとは同様に、ルテニウムは+2と+3の低い酸化数では酸化物を形成しない<ref name=Greenwood1080>Greenwood and Earnshaw, pp. 1080–1</ref>。ルテニウムは、[[黄鉄鉱]]構造で結晶化する反磁性半導体である二カルコゲン化物を形成する<ref name=Greenwood1080/>。硫化ルテニウム(RuS<sub>2</sub>)は鉱物の[[ラウラ鉱]]として自然に生じる。 鉄と同様に、ルテニウムはオキソアニオンを容易に形成せず、その代わりに水酸化物イオンで高い配位数となる。四酸化ルテニウムは低温の希[[水酸化カリウム]]により還元され、ルテニウムの酸化数+7である黒色の過ルテニウム酸カリウム(KRuO<sub>4</sub>)を形成する。過ルテニウム酸カリウムは、ルテニウム酸カリウム(K<sub>2</sub>RuO<sub>4</sub>)を塩素ガスにより参加することによっても得られる。過ルテニウム酸イオンは不安定であり、水により還元されてオレンジ色のルテニウム酸塩を形成する。ルテニウム酸カリウムは金属ルテニウムを溶解した水酸化カリウムおよび[[硝酸カリウム]]と反応させることで合成できる<ref name=Greenwood1082>Greenwood and Earnshaw, p. 1082</ref>。 M<sup>II</sup>Ru<sup>IV</sup>O<sub>3</sub>, Na<sub>3</sub>Ru<sup>V</sup>O<sub>4</sub>, Na{{su|b=2}}Ru{{su|p=V|b=2}}O{{su|b=7}}, M{{su|p=II|b=2}}Ln{{su|p=III}}Ru{{su|p=V}}O{{su|b=6}}などの混合酸化物も知られる<ref name="Greenwood1082" />。 ===ハロゲン化合物およびオキシハロゲン化合物=== 最も有名なハロゲン化ルテニウムは、[[六フッ化ルテニウム|六フッ化物]]であり、これは54&nbsp; ℃で溶解する暗褐色の固体である。水と触れると激しく加水分解し、容易に不均一化し低フッ化ルテニウムの混合物を形成しフッ素ガスを放出する。[[五フッ化ルテニウム]]も容易に加水分解され、86.5&nbsp;℃で溶解する四量体の暗緑色の固体である。黄色の[[四フッ化ルテニウム]]もおそらく重合体であり、五フッ化物を[[ヨウ素]]で還元することで形成できる。ルテニウムの二元化合物のうち、これらの高い酸化数は酸化物とフッ化物でのみみられる<ref name=Greenwood1083>Greenwood and Earnshaw, p.1083</ref>。 [[三塩化ルテニウム]]はよく知られた化合物であり、黒色のα型と暗褐色のβ型で存在する。三水和物は赤色である<ref name=Greenwood1084>Greenwood and Earnshaw, p.1084</ref>。既知の三ハロゲン化物のうち、三フッ化物は暗褐色で650&nbsp;℃以上で分解し、四臭化物は暗褐色で400&nbsp;℃以上で分解し、三ヨウ化物は黒色である<ref name=Greenwood1083/>。二ハロゲン化物のうち、二フッ化物は知られておらず、二塩化物は茶色、二臭化物は黒色、二ヨウ化物は青色である<ref name=Greenwood1083/>。唯一知られているオキシハロゲン化物は淡緑色のルテニウム(VI)オキシフッ化物RuOF<sub>4</sub>である<ref name=Greenwood1084/>。 ===配位および有機金属錯体=== {{Main|{{仮リンク|有機ルテニウム化学|en|Organoruthenium chemistry}}}} [[File:Tris(bipyridine)ruthenium(II)-chloride-powder.jpg|thumb|left|トリス(ビピリジン)塩化ルテニウム(II)]] [[File:Grubbs catalyst Gen2.svg|alt=Skeletal formula of Grubbs' catalyst.|thumb|220x220px|アルケンの[[メタセシス反応]]に使われるグラブス触媒。考案者であるロバート・グラブスはこの業績によりノーベル賞を受賞している。]] ルテニウムはさまざまな配位錯体を形成する。例えば、Ru(II)とRu(III)の両方によく存在する多くのペンタアンミン誘導体[Ru(NH<sub>3</sub>)<sub>5</sub>L]<sup>n+</sup>である。[[ビピリジン]]と{{仮リンク|ターピリジン|en|terpyridine}}の誘導体は多くあり、[[ルミネセンス|発光性]]のトリス(ビピリジン)塩化ルテニウム(II)が最もよく知られる。 ルテニウムは炭素-ルテニウム結合により幅広い化合物を形成する。[[グラブス触媒]]はアルケンのメタセシスに用いられる<ref>Hartwig, J. F. (2010) ''Organotransition Metal Chemistry, from Bonding to Catalysis'', University Science Books: New York. {{ISBN2|1-891389-53-X}}</ref>。[[ルテノセン]]は構造が[[フェロセン]]と似ているが、独特の酸化還元特性を示す。無色の液体[[ペンタカルボニルルテニウム]]はCO圧力の非存在下で暗赤色の固体[[ドデカカルボニル三ルテニウム]]に変化する。[[三塩化ルテニウム]]は一酸化炭素と反応してRuHCl(CO)(PPh<sub>3</sub>)<sub>3</sub>やRu(CO)<sub>2</sub>(PPh<sub>3</sub>)<sub>3</sub>(ローパー錯体)などの多くの誘導体を生成する。アルコール中の三塩化ルテニウムと[[トリフェニルホスフィン]]の加熱した溶液は[[トリス(トリフェニルホスフィン)二塩化ルテニウム]] (RuCl<sub>2</sub>(PPh<sub>3</sub>)<sub>3</sub>)を生成し、これはヒドリド錯体であるクロロヒドリドトリス(トリフェニルホスフィン)ルテニウム(II) (RuHCl(PPh<sub>3</sub>)<sub>3</sub>)に変化する<ref name=cotton/>。 == 歴史 == 6種類の[[白金族元素]]全てを含む天然の白金合金は[[先コロンブス期|コロンブス以前]]のアメリカ人により長い間使用され、16世紀半ばよりヨーロッパの化学者にも材料として知られていたが、18世紀半ばまでプラチナは純元素として識別されなかった。天然のプラチナにパラジウム、ロジウム、オスミウム、イリジウムが含まれていることは19世紀の初め10年で発見された<ref name="Weeks8">{{cite journal|doi = 10.1021/ed009p1017|title = The discovery of the elements. VIII. The platinum metals|date = 1932|last1 = Weeks|first1 = Mary Elvira|authorlink1=Mary Elvira Weeks|journal = Journal of Chemical Education|volume = 9|page = 1017|bibcode = 1932JChEd...9.1017W|issue = 6}}</ref>。ロシアの川の[[沖積層]]の砂に含まれるプラチナは1828年からプレートやメダルへの使用や、[[ルーブル]][[硬貨]]の鋳造の原料となった<ref name="Roubles">{{cite journal|url = http://www.platinummetalsreview.com/article/48/2/66-69/|volume = 48 |issue = 2|date = 2004| pages = 66–69|title = The Minting of Platinum Roubles. Part I: History and Current Investigations|first = Christoph J.|last = Raub}} [https://web.archive.org/web/20090105232443/http://www.platinummetalsreview.com/dynamic/article/view/48-2-066-069 Archive]</ref>。貨幣用のプラチナを生産した後の残留物はロシア帝国で使うことができたため、その研究のほとんどは東ヨーロッパで行われた。 [[ポーランド]]の化学者[[Jędrzej Śniadecki]]は1807年に南アメリカのプラチナ鉱石から元素44(少し前に小惑星[[ベスタ (小惑星)|ベスタ]]が発見されたため「ベスティウム」と呼んだ)を分離した可能性がある<ref>{{cite book | author = Jędrzej Śniadecki | title = Rosprawa o nowym metallu w surowey platynie odkrytym | language = Polish | year = 1808 | publisher = Nakł. i Drukiem J. Zawadzkiego | location = [[Vilnius|Wilno]] | url = http://kpbc.umk.pl/dlibra/docmetadata?id=51628&from=pubindex&dirids=87&lp=13}} (''Dissertation about the new metal discovered in raw platinum.'')</ref>。しかし、この成果は認められることはなく、後に発見の主張を撤回している<ref name="Emsley"/>。 [[イェンス・ベルセリウス]]と[[Gottfried Osann]]は1827年にルテニウムの発見に近づいた<ref>{{cite journal|url = https://books.google.com/books?id=x57C3yhRPUAC&pg=PA391|pages = 391–392|title = New Metals in the Uralian Platina|volume = 2|issue = 11|date = 1827| journal = The Philosophical Magazine|doi=10.1080/14786442708674516}}</ref>。2人は[[王水]]で[[ウラル山脈]]の粗プラチナを溶解した後に残った残留物を調査した。ベルセリウスは珍しい金属を発見しなかったが、Osannは3つの新たな金属を見つけたと考え、プルラニウム(pluranium)、ルテニウム、ポリニウム(polinium)と呼んだ<ref name=crc>Haynes, p. 4.31</ref>。この不一致により残留物の組成についてベルセリウスとOsannの間で長い間論争となった<ref name="DiscoRu">{{cite journal|title = The Discovery of Ruthenium| first = V. N.|last = Pitchkov|journal = Platinum Metals Review|volume = 40|issue = 4|date = 1996|pages =181–188|url = http://www.platinummetalsreview.com/dynamic/article/view/pmr-v40-i4-181-188}}</ref>。Osannはルテニウムの分離を再現することができなかったため、最終的に自身の主張を撤回した<ref name="DiscoRu" /><ref name="Osann2">{{cite journal | author = Osann, Gottfried | title = Berichtigung, meine Untersuchung des uralschen Platins betreffend | journal = [[Annalen der Physik|Poggendorffs Annalen der Physik und Chemie]] | volume = 15 | year = 1829 | page = 158 | url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k15100n.image.f168.langDE| doi = 10.1002/andp.18290910119 }}</ref>。「ルテニウム」という名前は分析したサンプルがロシアのウラル山脈由来であったためOsannにより選ばれた<ref name="Osann">{{cite journal | author = Osann, Gottfried | title = Fortsetzung der Untersuchung des Platins vom Ural | journal = [[Annalen der Physik|Poggendorffs Annalen der Physik und Chemie]] | volume = 14 | issue = 6 | year = 1828 | pages = 283–297| url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k150998/f337.image.langDE| bibcode = 1828AnP....89..283O | doi = 10.1002/andp.18280890609 }} The original sentence on [http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k150998/f347.image.langDE p. 339] reads: "Da dieses Metall, welches ich nach den so eben beschriebenen Eigenschaften als ein neues glaube annehmen zu müssen, sich in größerer Menge als das früher erwähnte in dem uralschen Platin befindet, und auch durch seinen schönen, dem Golde ähnlichen metallischen Glanz sich mehr empfiehlt, so glaube ich, daß der Vorschlag, das zuerst aufgefundene neue Metall Ruthenium zu nennen, besser auf dieses angewendet werden könne."</ref>。この名前自体は現在の[[ウクライナ]]、[[ベラルーシ]]、[[ロシア]]西部、[[スロバキア]]、[[ポーランド]]の一部を含む歴史的地域であるRus'のラテン語名であるルテニアに由来する。 1844年、[[バルト・ドイツ人|バルト・ドイツ系]]のロシアの科学者[[カール・クラウス (化学者)|カール・クラウス]]がGottfried Osannの調製した化合物に少量のルテニウムが含まれていることを示した<ref name=crc/><ref name="Weeks8"/>。[[カザン大学]]で研究していた時にルーブルを生産したときのプラチナ残留物からルテニウムを分離した<ref name="DiscoRu"/>。これは40年前にこれより重い同族元素のオスミウムが発見された手法と同じである<ref name=Greenwood1071>Greenwood and Earnshaw, p. 1071</ref>。クラウスは酸化ルテニウムに新しい金属が含まれており、[[王水]]に溶けない粗プラチナの部分から6gのルテニウムを得たことを示した<ref name="DiscoRu"/>。新たな元素の名前を選び、クラウスは「祖国に敬意を表して新たな物質にルテニウムと名前をつけました。Osann氏が自身のルテニウムを放棄したが、この言葉は化学にはまだ存在しないため、私はこの名前でそれを呼ぶ権利がありました」と述べている<ref name="DiscoRu" /><ref>{{cite journal |author = Claus, Karl |title=О способе добывания чистой платины из руд |journal=Горный журнал (Mining Journal) |year=1845 | volume = 7 | issue = 3 | pages = 157–163 |language=Russian}}</ref>。 ==用途== 2016年におよそ30.9トンのルテニウムが消費され、そのうち13.8トンが電気、7.7トンが触媒、4.6トンが電気化学であった<ref name=usgs>Loferski, Patricia J.; Ghalayini, Zachary T. and Singerling, Sheryl A. (2018) [https://prd-wret.s3-us-west-2.amazonaws.com/assets/palladium/production/atoms/files/myb1-2016-plati.pdf Platinum-group metals]. ''2016 Minerals Yearbook''. USGS. p. 57.3.</ref>。 ルテニウムは白金とパラジウムの合金を硬化させるため、電気接点に使われる。この接触部では薄膜で十分な耐久性が得られる。ロジウムと同様の特性で低価格であり<ref name="Hunt 1969 126–138"/>、電気接点はルテニウムの主な用途である<ref name="USGS-YB-2006"/><ref>{{cite journal|doi = 10.1016/j.ccr.2004.08.015|title = Chemical and electrochemical depositions of platinum group metals and their applications|date = 2005|author = Rao, C|journal = Coordination Chemistry Reviews|volume = 249|page = 613|last2 = Trivedi|first2 = D.|issue = 5–6}}</ref>。ルテニウム板は電気めっき<ref>{{cite journal|doi = 10.1016/S0026-0576(00)83089-5|title = Ruthenium plating|date = 1999|author = Weisberg, A|journal = Metal Finishing|volume = 97|page = 297}}</ref>または[[スパッタリング]]<ref>{{cite book|isbn = 978-0-87170-285-2| url = https://books.google.com/books?id=EkStW7v8VPkC&pg=RA3-PA550|page = 184|author = Prepared under the direction of the ASM International Handbook Committee|author2 = Merrill L. Minges, technical chairman|date = 1989|publisher = ASM International|location = Materials Park, OH|title = Electronic materials handbook}}</ref>により電気接点および電極母材に用いられている。 [[鉛]]と[[ビスマス]]のルテニウム酸塩を含む二酸化ルテニウムは、厚膜チップ抵抗器に使われる<ref>{{cite journal|doi =10.1007/s10854-006-0036-x|title =Microstructure development and electrical properties of RuO<sub>2</sub>-based lead-free thick film resistors|date =2006|author =Busana, M. G.|journal =Journal of Materials Science: Materials in Electronics|volume =17|page =951|last2 =Prudenziati|first2 =M.|last3 =Hormadaly|first3 =J.|issue =11|hdl =11380/303403}}</ref><ref>{{cite journal|doi = 10.1016/j.matlet.2006.05.015|title = Environment friendly perovskite ruthenate based thick film resistors|date = 2007|author = Rane, Sunit|journal = Materials Letters|volume = 61|page = 595|last2 = Prudenziati|first2 = Maria|last3 = Morten|first3 = Bruno|issue = 2|hdl = 11380/307664}}</ref><ref>{{cite book|isbn = 978-0-8247-1934-0| url = https://books.google.com/books?id=c2YxCCaM9RIC&pg=PA184|pages = 184, 345|editor = Slade, Paul G.|date = 1999|publisher = Dekker|location = New York, NY|title = Electrical contacts : principles and applications}}</ref><!--http://md1.csa.com/partners/viewrecord.php?requester=gs&collection=TRD&recid=N8113268AH-->。これら2つの電子用途がルテニウム消費量の50%を占める<ref name="Emsley"/>。 ルテニウムが白金族以外の金属と合金になることはほとんどないが、少量含むといくつかの特性が改善する。[[チタン]]合金に加えられた耐腐食性が0.1%のルテニウムを含む特別な合金の開発につながった<ref>{{cite journal|url = http://www.platinummetalsreview.com/pdf/pmr-v40-i2-054-061.pdf|title = Ruthenium Enhanced Titanium Alloys|first = R. W.|last = Schutz|journal = Platinum Metals Review|volume = 40|issue = 2|date = 1996|pages = 54–61}}</ref>。[[ジェットエンジン]]のタービン含む用途で、一部の高度な高温単結晶[[超合金]]にも使われている。EPM-102(3%のルテニウム)、TMS-162(6%のルテニウム)、TMS-138<ref>{{cite news| title=Fourth generation nickel base single crystal superalloy. TMS-138 / 138A|date=July 2006|url=http://sakimori.nims.go.jp/catalog/TMS-138-A.pdf|work=High Temperature Materials Center, National Institute for Materials Science, Japan|archive-url=https://web.archive.org/web/20130418105851/http://sakimori.nims.go.jp/catalog/TMS-138-A.pdf|archive-date=18 April 2013}}</ref>およびTMS-174<ref>{{cite journal|author=Koizumi, Yutaka|display-authors=etal|title= Development of a Next-Generation Ni-base Single Crystal Superalloy|url=http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00916/pdf/igtc2003tokyo_ts119.pdf|journal=Proceedings of the International Gas Turbine Congress, Tokyo 2–7 November 2003|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140110170053/http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00916/pdf/igtc2003tokyo_ts119.pdf|archivedate=10 January 2014}}</ref><ref>{{cite news| title=Joint Development of a Fourth Generation Single Crystal Superalloy|author=Walston, S.|author2=Cetel, A.|author3=MacKay, R.|author4=O'Hara, K.|author5=Duhl, D.|author6=Dreshfield, R.|url=https://ntrs.nasa.gov/archive/nasa/casi.ntrs.nasa.gov/20050019231_2005000097.pdf|work=NASA|date=December 2004}}</ref>などいくつかのニッケルをベースにした超合金組成がある。後者2つは6%の[[レニウム]]を含む<ref>{{cite journal|doi = 10.1007/s11041-006-0099-6|title = Effect of high-gradient directed crystallization on the structure and properties of rhenium-bearing single-crystal alloy|date = 2006|author = Bondarenko, Yu. A.|journal = Metal Science and Heat Treatment|volume = 48|page = 360|last2 = Kablov|first2 = E. N.|last3 = Surova|first3 = V. A.|last4 = Echin|first4 = A. B.|issue = 7–8|bibcode = 2006MSHT...48..360B}}</ref>。[[万年筆]]のペン先(ニブ)には、しばしばルテニウムの合金が付けられている。1944年以降、万年筆 Parker 51 には"RU"ペン先(96.2%のルテニウムと3.8%の[[イリジウム]]がついた14Kの金のペン先)が取り付けられた<ref>{{cite journal|url=http://www.nibs.com/article4.html|journal=The PENnant|volume=XIII|issue=2|date=1999|title=Notes from the Nib Works—Where's the Iridium?|author=Mottishaw, J.|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020604135505/http://www.nibs.com/article4.html|archivedate=4 June 2002}}</ref>。 ルテニウムは、地下および水中の構造物のカソード防食、および塩水からの[[ソーダ工業|塩素製造]]プロセスの電解槽に用いられる[[混合金属酸化物]](MMO)アノードの構成要素である<ref>{{cite book|title =Materials Handbook: A Concise Desktop Reference|chapter-url = https://books.google.com/books?id=ArsfQZig_9AC&pg=PT612|pages = 581–582| first1 = François|last1 = Cardarelli|chapter = Dimensionally Stable Anodes (DSA) for Chlorine Evolution|isbn = 978-1-84628-668-1|date =2008|publisher =Springer|location =London}}</ref>。一部のルテニウム錯体の[[蛍光]]は酸素により消えるため、酸素の[[オプトード]]センサにおける使用が見いだされる<ref>{{cite book|title = Chemical sensors in oceanography|chapter = Oxygen Microoptode|page = 150|first1 = Mark S.|last1 = Varney|date = 2000|isbn = 978-90-5699-255-2|publisher = Gordon & Breach|location = Amsterdam}}</ref>。{{仮リンク|ルテニウムレッド|en|Ruthenium red}}[(NH<sub>3</sub>)<sub>5</sub>Ru-O-Ru(NH<sub>3</sub>)<sub>4</sub>-O-Ru(NH<sub>3</sub>)<sub>5</sub>]<sup>6+</sup>は、[[光学顕微鏡]]や[[電子顕微鏡]]のために[[ペクチン]]や[[核酸]]などの[[ポリアニオン]]分子の染色に用いられる[[染色 (生物学)|生物学的染色剤]]である<ref>{{cite book|title = Stains and cytochemical methods|chapter = Ruthenium red|first1 = M. A.|last1 = Hayat|chapter-url = https://books.google.com/books?id=oGj7MLioFlQC&pg=PA305|pages = [https://archive.org/details/stainscytochemic0000haya/page/305 305–310]|isbn = 978-0-306-44294-0|date = 1993|publisher = Plenum Press|location = New York, NY|url = https://archive.org/details/stainscytochemic0000haya/page/305}}</ref>。ルテニウムのベータ崩壊同位体106は眼腫瘍、主に[[ぶどう膜]]の[[悪性黒色腫]]の放射線治療に用いられる<ref>{{cite book|url = https://books.google.com/books?id=Aa83RoXCNk0C&pg=PA97|title = Radiotherapy of ocular disease, Ausgabe 13020|first1 = T.|last1 = Wiegel|isbn = 978-3-8055-6392-5|date = 1997|publisher = Karger|location = Basel, Freiburg}}</ref>。ルテニウム中心の錯体は抗がん特性の可能性に対して研究されている<ref>{{cite journal|date = 2007|title = Synthetic metallomolecules as agents for the control of DNA structure|journal = Chem. Soc. Rev.|volume = 36|pages = 471–483|doi = 10.1039/b609495c |pmid = 17325786 |last1 = Richards |first1 = A. D. |last2 = Rodger |first2 = A. |issue = 3|url = http://wrap.warwick.ac.uk/2189/1/WRAP_Richards_Revised_article1.pdf}}</ref>。白金の錯体と比較して、ルテニウムの錯体は加水分解に対してより大きな耐性と腫瘍に対するより選択的な作用を示す{{citation needed|date = April 2012}}。 [[四酸化ルテニウム]]は、脂肪油または皮脂性の汚染物質についた脂肪と接触すると反応し褐色/黒色の二酸化ルテニウム顔料を生成することにより、見えない指紋を浮き出させる<ref>[https://www.ncjrs.gov/App/publications/abstract.aspx?ID=172645 NCJRS Abstract – National Criminal Justice Reference Service]. Ncjrs.gov. Retrieved on 2017-02-28.</ref>。 ===触媒=== [[File:Ru-intercalated halloysite nanotubes 3.jpg|thumb|ルテニウム触媒ナノ粒子がインターカレートされた[[ハロイサイト]]ナノチューブ<ref name=stam>{{cite journal|doi=10.1080/14686996.2016.1278352|title=Formation of metal clusters in halloysite clay nanotubes|pmc=5402758|journal=Science and Technology of Advanced Materials|volume=18|issue=1|pages=147–151|year=2017|last1=Vinokurov|first1=Vladimir A.|last2=Stavitskaya|first2=Anna V.|last3=Chudakov|first3=Yaroslav A.|last4=Ivanov|first4=Evgenii V.|last5=Shrestha|first5=Lok Kumar|last6=Ariga|first6=Katsuhiko|last7=Darrat|first7=Yusuf A.|last8=Lvov|first8=Yuri M.|pmid=28458738|bibcode=2017STAdM..18..147V}}</ref>]] 多くのルテニウム含有化合物は、有用な触媒特性を示す。触媒は反応媒体に溶解する[[均一触媒]]、およびそうではない[[不均一触媒]]に分けられる。 ルテニウムナノ粒子はハロイサイト内で形成できる。この豊富にある鉱物は自然に圧延ナノシート(ナノチューブ)の構造を持ち、その後の工業用触媒での使用に対してRuナノクラスター合成とその製造の両方を支持する<ref name=stam/>。 ====均一触媒==== [[三塩化ルテニウム]]を含む溶液は、オレフィンの[[メタセシス反応]]に対して非常に活性がある。このような触媒は例えばポリノルボルネンの製造に対して商業的に使用されている<ref name=KO>{{cite encyclopedia|encyclopedia=Kirk-Othmer Encyclopedia of Chemical Technology|authors=Delaude, Lionel and Noels, Alfred F. |year=2005|title = Kirk-Othmer Encyclopedia of Chemical Technology| doi=10.1002/0471238961.metanoel.a01|place=Weinheim|publisher=Wiley-VCH|chapter=Metathesis|isbn=978-0471238966}}</ref>。はっきり定義されたルテニウム[[カルベン]]および[[カルベン錯体|アルキリデン錯体]]は、似た反応性を示し、工業プロセスに対する機構的な洞察を提供する<ref>{{cite journal|doi = 10.1002/1521-3773(20000901)39:17<3012::AID-ANIE3012>3.0.CO;2-G|title=Olefin Metathesis and Beyond|author=Fürstner, Alois|journal=Angewandte Chemie International Edition|volume=39|date=2000|pages=3012–3043|pmid=11028025|issue = 17}}</ref>。例えば、[[グラブス触媒]]は医薬品や先端材料の調合に用いられている。 :[[File:Polynbornene.png|thumb|center|upright=2|RuCl<sub>3</sub>触媒による[[開環メタセシス重合]]反応によりポリノルボルネンが得られる]] ルテニウム錯体は[[移動水素化]]("borrowing hydrogen"反応とも呼ばれる)に対して活性の高い触媒である。このプロセスは、[[ケトン]]、[[アルデヒド]]、[[イミン]]の[[エナンチオ選択的水素化]]に使われる。この反応は[[野依良治]]により導入された[[キラル]]なルテニウム錯体を用いる<ref name="citation 21">{{citation |author1=Noyori, R. |author2=Ohkuma, T. |author3=Kitamura, M. |author4=Takaya, H. |author5=Sayo, N. |author6=Kumobayashi, H. |author7=Akutagawa, S. |journal=[[Journal of the American Chemical Society]]|title=Asymmetric hydrogenation of .beta.-keto carboxylic esters. A practical, purely chemical access to .beta.-hydroxy esters in high enantiomeric purity|year=1987|volume=109|issue=19 |pages=5856|doi=10.1021/ja00253a051}}</ref>。例えば、 (シメン)Ru(S,S-Ts[[DPEN]])は、[[ベンジル]]の(''R,R'')-ヒドロ[[ベンゾイン]]への水素化を触媒する<ref>{{Cite journal|last=Murata|first=Kunihiko|last2=Okano|first2=Kazuya|last3=Miyagi|first3=Miwa|last4=Iwane|first4=Hiroshi|last5=Noyori|first5=Ryoji|last6=Ikariya|first6=Takao|date=1999-10-01|title=A Practical Stereoselective Synthesis of Chiral Hydrobenzoins via Asymmetric Transfer Hydrogenation of Benzils|url=https://pubs.acs.org/doi/10.1021/ol990226a|journal=Organic Letters|volume=1|issue=7|pages=1119–1121|language=en|doi=10.1021/ol990226a|issn=1523-7060}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Okano|first=Kazuya|date=2011-04-08|title=Synthesis and application of chiral hydrobenzoin|url=https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0040402011000950|journal=Tetrahedron|volume=67|issue=14|pages=2483–2512|language=en|doi=10.1016/j.tet.2011.01.044|issn=0040-4020}}</ref>。この反応では[[ギ酸塩]]と水/アルコールがH<sub>2</sub>源になる<ref>{{OrgSynth | author = Ikariya, Takao; Hashiguchi, Shohei; Murata, Kunihiko and [[Ryōji Noyori|Noyori, Ryōji]]| title = Preparation of Optically Active (R,R)-Hydrobenzoin from Benzoin or Benzil| vol = 82 | pages = 10 | year = 2005 | prep = v82p0010}}</ref><ref>{{Cite journal | title = Synthesis of Optically Active 1,2,3,4-Tetrahydroquinolines via Asymmetric Hydrogenation Using Iridium-Diamine Catalyst|journal=Org. Synth.|volume = 92 | pages = 213–226 | year = 2015 | doi = 10.15227/orgsyn.092.0213|last1=Chen|first1=Fei}}</ref>。 :[[File:RuCl(S,S-TsDPEN)(cymene)-catalysed R,R-hydrobenzoin synthesis.svg|thumb|upright=2|center| [触媒RuCl(''S'',''S''-TsDPEN)(シメン)]による(''R'',''R'')-ヒドロベンゾイン合成(収率100%, [[鏡像体過剰率|ee]] >99%)]] 2001年の[[ノーベル化学賞]]は、不斉水素化の分野への貢献で[[野依良治]]に贈られた。 2012年、有機ルテニウム触媒を研究する北野政明と共同研究者は、電子供与体および可逆水素貯蔵として安定したエレクトライドを用いるアンモニア合成を実証した<ref>{{cite journal|doi=10.1038/nchem.1476|pmid=23089869|title=Ammonia synthesis using a stable electride as an electron donor and reversible hydrogen store|journal=Nature Chemistry|volume=4|issue=11|pages=934–940|year=2012|last1=Kitano|first1=Masaaki|last2=Inoue|first2=Yasunori|last3=Yamazaki|first3=Youhei|last4=Hayashi|first4=Fumitaka|last5=Kanbara|first5=Shinji|last6=Matsuishi|first6=Satoru|last7=Yokoyama|first7=Toshiharu|last8=Kim|first8=Sung-Wng|last9=Hara|first9=Michikazu|last10=Hosono|first10=Hideo|bibcode=2012NatCh...4..934K}}</ref>。地方の農業で用いるための小規模で断続的なアンモニアの生産は、孤立した地方の施設で風力タービンにより生成される電力のシンクとして電気グリッド接続の実行可能な代替物であるかもしれない{{citation needed|date=January 2019}}。 ====不均一触媒==== ルテニウムに促進されたコバルト触媒は[[フィッシャー・トロプシュ法]]で使われる<ref>{{cite journal|doi=10.1016/S0926-860X(99)00160-X|title=Short history and present trends of Fischer–Tropsch synthesis|journal=Applied Catalysis A: General|volume=186|issue=1–2|pages=3–12|year=1999|last1=Schulz|first1=Hans}}</ref>。 ===新たに出てきている用途=== いくつかのルテニウム錯体は可視スペクトル全体で[[吸光|光を吸収]]し、[[太陽エネルギー]]技術のために活発に研究されている。例えば、ルテニウムをベースとした化合物は有望な新しい低コストの[[太陽電池]]システムである[[色素増感太陽電池]]の光吸収に使われている<ref>{{cite journal|doi =10.1021/ja058540p|title =High Molar Extinction Coefficient Heteroleptic Ruthenium Complexes for Thin Film Dye-Sensitized Solar Cells|date =2006|last1 =Kuang|first1 =Daibin|last2 =Ito|first2 =Seigo|last3 =Wenger|first3 =Bernard|last4 =Klein|first4 =Cedric|last5 =Moser|first5 =Jacques-E|last6 =Humphry-Baker|first6 =Robin|last7 =Zakeeruddin|first7 =Shaik M.|last8 =Grätzel|first8 =Michael|journal =Journal of the American Chemical Society|volume =128|pages =4146–54|pmid =16551124|issue =12|url =https://semanticscholar.org/paper/3b3d68ad440b34608725298712c7d301c67afe4c}}</ref>。 多くのルテニウムベースの酸化物は、[[量子臨界点]]の挙動<ref>{{cite journal|last1 = Perry|first1 = R.|last2 = Kitagawa|first2 = K.|last3 = Grigera|first3 = S.|last4 = Borzi|first4 = R.|last5 = MacKenzie|first5 = A.|last6 = Ishida|first6 = K.|last7 = Maeno|first7 = Y.|title = Multiple First-Order Metamagnetic Transitions and Quantum Oscillations in Ultrapure Sr.<sub>3</sub>Ru<sub>2</sub>O<sub>7</sub>|journal = Physical Review Letters|volume = 92|date = 2004|doi = 10.1103/PhysRevLett.92.166602|pmid = 15169251|bibcode=2004PhRvL..92p6602P|arxiv = cond-mat/0401371|issue = 16|pages = 166602}}</ref>、エキゾチック[[超伝導]]({{仮リンク|ルテニウム酸ストロンチウム|en|strontium ruthenate}}で)<ref>{{cite journal|last1 = Maeno|first1 = Yoshiteru|last2 = Rice|first2 = T. Maurice|last3 = Sigrist|first3 = Manfred|title = The Intriguing Superconductivity of Strontium Ruthenate|doi = 10.1063/1.1349611|date = 2001|page = 42|volume = 54|issue = 1|journal = Physics Today|url =https://hdl.handle.net/2433/49957 |bibcode = 2001PhT....54a..42M}}</ref>、高温[[強磁性]]<ref>{{cite journal|last1 = Shlyk|first1 = Larysa|last2 = Kryukov|first2 = Sergiy|last3 = Schüpp-Niewa|first3 = Barbara|last4 = Niewa|first4 = Rainer|last5 = De Long|first5 = Lance E.|title = High-Temperature Ferromagnetism and Tunable Semiconductivity of (Ba, Sr)M<sub>2±x</sub>Ru<sub>4∓x</sub>O<sub>11</sub> (M = Fe, Co): A New Paradigm for Spintronics|journal = Advanced Materials|volume = 20|page = 1315|date = 2008|doi = 10.1002/adma.200701951|issue = 7}}</ref>などとても異常な特性を示す。 ===マイクロエレクトロニクスにおけるルテニウム薄膜の適用=== 比較的最近に、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの部品内の金属や[[ケイ化物]]を有益に置き換えることができる材料として提案されている。四酸化ルテニウム(RuO<sub>4</sub>)は揮発性が高く、三酸化ルテニウム(RuO<sub>3</sub>)も同様である<ref>{{cite journal|last =Wei|first = P.|author2=Desu, S. B. |title = Reactive ion etching of RuO<sub>2</sub> films: the role of additive gases in O<sub>2</sub> discharge|journal = Physica Status Solidi A |year = 1997 |volume = 161|issue = 1|pages = 201–215|doi =10.1002/1521-396X(199705)161:1<201::AID-PSSA201>3.0.CO;2-U|bibcode = 1997PSSAR.161..201P}}</ref>。ルテニウムを(例えば酸素プラズマで)揮発性酸化物に酸化することで、簡単にパターン化することができる<ref>{{cite journal |last = Lesaicherre|first = P. Y.|author2=Yamamichi, S. |author3=Takemura, K. |author4=Yamaguchi, H. |author5=Tokashiki, K. |author6=Miyasaka, Y. |author7=Yoshida, M. |author8= Ono, H. |title = A Gbit-scale DRAM stacked capacitor with ECR MOCVD SrTiO<sub>3</sub> over RIE patterned RuO<sub>2</sub>/TiN storage nodes|journal = Integrated Ferroelectrics |year = 1995|volume = 11|issue = 1–4 |pages = 81–100|doi = 10.1109/IEDM.1994.383296 |isbn = 0-7803-2111-1}}</ref><ref>{{cite journal|last = Pan|first = W.|author2=Desu, S. B. |title = Reactive Ion Etching of RuO<sub>2</sub>, Thin-Films Using the Gas-Mixture O<sub>2</sub> CF<sub>3</sub>CFH<sub>2</sub>|journal = [[Journal of Vacuum Science and Technology B]] |year = 1994 |volume = 12|issue = 6 |pages = 3208–3213|doi = 10.1116/1.587501|bibcode = 1994JVSTB..12.3208P}}</ref><ref>{{cite journal|author = Vijay, D. P.; Desu, S. B.; Pan, W.|title = Reactive Ion Etching of Lead-Zirconate-Titanate (PZT) Thin-Film Capacitors|journal = Journal of the Electrochemical Society |year = 1993 |volume = 140 |issue = 9|pages = 2635–2639|doi = 10.1149/1.2220876}}</ref><ref>{{cite journal|last = Saito|first = S. |author2=Kuramasu, K. |title = Plasma etching of RuO<sub>2</sub> thin films|journal = Japanese Journal of Applied Physics |year = 1992 |volume = 31|issue = 1|pages = 135–138|doi = 10.1143/JJAP.31.135|bibcode = 1992JaJAP..31..135S}}</ref>。一般的な酸化ルテニウムの特性により、ルテニウムはマイクロエレクトロニクスの製造に必要な半導体プロセス技術と互換性のある金属となる。 マイクロエレクトロニクスの小型化を続けていくためには、寸法の変化に合わせて新たな材料が必要である。マイクロエレクトロニクスのルテニウム薄膜には主に3つの用途がある。1つ目は次世代の3次元[[DRAM]]において五酸化タンタル(Ta<sub>2</sub>O<sub>5</sub>)やチタン酸バリウムストロンチウム((Ba, Sr)TiO<sub>3</sub>、BSTとしても知られる)の両側の電極としてルテニウム薄膜を用いることである<ref>{{cite journal|title=Ruthenium films prepared by liquid source chemical vapor deposition using bis-(ethylcyclopentadienyl)ruthenium|journal= Japanese Journal of Applied Physics |year=1999|volume=38|issue= 10A |pages=1134–6|doi=10.1143/JJAP.38.L1134|author1=Aoyama, T|author2=Eguchi, K|bibcode = 1999JaJAP..38L1134A}}</ref><ref>{{cite journal|title=(Ba,Sr)TiO<sub>3</sub> thin-film capacitors with Ru electrodes for application to ULSI processes|journal=NEC Research and Development|year=2001|volume=42|pages=64–9|author1=Iizuka, T|author2=Arita, K|author3=Yamamoto, I|author4=Yamamichi, S}}</ref><ref>{{cite journal|title=A stacked capacitor technology with ECR plasma MOCVD (Ba,Sr)TiO<sub>3</sub> and RuO<sub>2</sub>/Ru/TiN/TiSi<sub>x</sub> storage nodes for Gb-scale DRAM's|journal= IEEE Transactions on Electron Devices |year=1997|volume=44|pages=1076–1083|bibcode = 1997ITED...44.1076Y |doi = 10.1109/16.595934|last1=Yamamichi|first1=S.|last2=Lesaicherre|first2=P.|last3=Yamaguchi|first3=H.|last4=Takemura|first4=K.|last5=Sone|first5=S.|last6=Yabuta|first6=H.|last7=Sato|first7=K.|last8=Tamura|first8=T.|last9=Nakajima|first9=K.|issue=7 }}</ref>。ルテニウム薄膜電極は別の[[Random Access Memory|RAM]]である[[強誘電体メモリ|FRAM]]のチタン酸ジルコン酸鉛(Pb(Zr<sub>x</sub>Ti<sub>1−x</sub>)O<sub>3</sub>、PZTとしても知られる)の上に堆積もできる<ref>{{cite journal|title=Simple Ru electrode scheme for ferroelectric (Pb,La)(Zr,Ti)O<sub>3</sub> capacitors directly on silicon|journal=Journal of Applied Physics|year=1998|volume=84|issue=2|pages=1121–1125|doi=10.1063/1.368112|author1=Bandaru, J|author2=Sands, T|author3=Tsakalakos, L|bibcode = 1998JAP....84.1121B}}</ref><ref>{{cite journal|title=Preparation and properties of Ru and RuO<sub>2</sub> thin-film electrodes for ferroelectric thin films|journal=Jpn. J. Appl. Phys. |year=1994|volume=33|issue=9B |pages=5223–6|author1=Maiwa, H |author2=Ichinose, N |author3=Okazaki, K |doi=10.1143/JJAP.33.5223|bibcode = 1994JaJAP..33.5223M }}</ref>。白金は実験室ではRAMの電極として使われているが、パターン化するのは難しい。ルテニウムは白金と化学的に似ており、RAMの機能を維持するが白金のパターニングとは異なり簡単である。2つ目はpドープ[[MOSFET]]の金属ゲートとしてルテニウムの薄膜を使うことである<ref>{{cite journal|title=Issues in high-kappa gate stack interfaces|journal= MRS Bulletin|year=2002|volume=27|pages=212–216|author1=Misra, V |author2=Lucovsky, G |author3=Parsons, G |doi=10.1557/mrs2002.73|issue=3}}</ref>。MOSFETの[[シリサイド]]ゲートを金属ゲートに置き換える場合、金属の重要となる特性は[[仕事関数]]である。仕事関数は周囲の材料と一致する必要がある。p-MOSFETの場合、ルテニウムの仕事関数はHfO<sub>2</sub>, HfSiO<sub>x</sub>, HfNO<sub>x</sub>, HfSiNO<sub>x</sub>などの周囲の材料と一致する最高の材料特性であり、所望の電気特性が達成される。ルテニウム膜の3つ目の大規模な用途は、銅デュアルダマシンプロセスにおけるTaNとCuの間の接着促進剤と電気めっきシード層の組み合わせである<ref>{{cite journal|title=Diffusion Studies of Copper on Ruthenium Thin Film|journal= Electrochemical and Solid-State Letters|year=2004|volume=7|pages=G154–G157|author1=Chan, R |author2=Arunagiri, T. N |author3=Zhang, Y |author4=Chyan, O |author5=Wallace, R. M |author6=Kim, M. J |author7=Hurd, T. Q |doi=10.1149/1.1757113|issue=8}}</ref><ref>{{cite journal|title=Damascene Cu electrodeposition on metal organic chemical vapor deposition-grown Ru thin film barrier|journal=Journal of Vacuum Science and Technology B|year=2004|volume=22|pages=2649–2653|doi=10.1116/1.1819911|author1=Cho, S. K |author2=Kim, S.-K |author3=Kim, J. J |author4=Oh, S. M |author5=Oh, Seung Mo |bibcode = 2004JVSTB..22.2649C|issue=6}}</ref><ref>{{cite journal|title=Electrodeposition of Copper Thin Film on Ruthenium|journal= Journal of the Electrochemical Society|year=2003|volume=150|pages=C347–C350|doi=10.1149/1.1565138|author1=Chyan, O |author2=Arunagiri, T. N |author3=Ponnuswamy, T |issue=5}}</ref><ref>{{cite journal|title=PEALD of a Ruthenium Adhesion Layer for Copper Interconnects|journal=Journal of the Electrochemical Society|year=2004|volume=151|pages=C753–C756|doi=10.1149/1.1809576|author1=Kwon, O.-K|author2=Kwon, S.-H|author3=Park, H.-S|author4=Kang, S.-W|issue=12}}</ref><ref>{{cite journal|title=Atomic Layer Deposition of Ruthenium Thin Films for Copper Glue Layer|journal=Journal of the Electrochemical Society|year=2004|volume=151|pages=G109–G112|doi=10.1149/1.1640633|author1=Kwon, O.-K|author2=Kim, J.-H|author3=Park, H.-S|author4=Kang, S.-W|issue=2}}</ref>。窒化タンタルとは対照的に銅はルテニウム上に直接電気めっきできる<ref>{{cite journal|title=Electrodeposition of Cu on Ru Barrier Layers for Damascene Processing|journal=Journal of the Electrochemical Society|year=2006|volume=153|pages=C37–C50|doi=10.1149/1.2131826|last1=Moffat|first1=T. P.|last2=Walker|first2=M.|last3=Chen|first3=P. J.|last4=Bonevich|first4=J. E.|last5=Egelhoff|first5=W. F.|last6=Richter|first6=L.|last7=Witt|first7=C.|last8=Aaltonen|first8=T.|last9=Ritala|first9=M.|url=https://zenodo.org/record/1236224}}</ref>。銅はTaNにあまり接着しないが、Ruにはよく接着する。TaNバリア層上にルテニウムの層を堆積させることにより、銅の接着性が改善され、銅シード層の堆積は不要になる。 他にも提案されている用途がある。1990年、[[IBM]]の科学者は、ルテニウム原子の薄層が隣り合う[[強磁性]]層間に他の非磁性スペーサー層元素よりも強い反平行結合を作り出すことを発見した。このようなルテニウム層は[[ハードディスクドライブ]]の最初の[[巨大磁気抵抗効果|巨大磁気抵抗]]読み取り素子で使われていた。2001年、IBMは非公式には"pixie dust"と呼ばれ、現在のハードディスクドライブメディアのデータ密度を4倍にすることができるルテニウム元素の3原子層を発表した<ref>{{cite journal|author=Hayes, Brian |title=Terabyte Territory|journal=American Scientist|volume= 90|issue=3|year=2002|page=212|url=http://www.americanscientist.org/issues/pub/terabyte-territory|doi=10.1511/2002.9.3287}}</ref>。 == 自然ルテニウム == {{main|自然ルテニウム}} 1973年に[[北海道]]の[[雨竜川]]で、ルテニウムを最も含む白金族元素の合金が発見され、命名規則から[[自然ルテニウム]] (Ruthenium) と登録された。初の[[元素鉱物]]の[[日本産新鉱物]]である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite |和書 |author = 桜井弘|title = 元素111の新知識|year = 1998、2005| page = 214|publisher =[[講談社]]|isbn=4-06-257192-7 |ref = harv |last=|first=}} * {{Greenwood&Earnshaw2nd}} * {{cite book | editor= Haynes, William M. | date = 2016| title = CRC Handbook of Chemistry and Physics | edition = 97th | publisher = [[CRC Press]] | isbn = 9781498754293| title-link = CRC Handbook of Chemistry and Physics}} {{Commons|Ruthenium}} {{元素周期表}} {{ルテニウムの化合物}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:るてにうむ}} [[Category:ルテニウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第8族元素]] [[Category:第5周期元素]] [[Category:貴金属]]
2003-06-10T11:40:06Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0
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流鉄流山線
流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と同県流山市の流山駅を結ぶ流鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングを構成する記号はRN。 6駅、5.7キロメートルを走る路線で、みりん産業で発展して現在は東京近郊のベッドタウンになっている千葉県流山市中心部とJR東日本常磐線(各駅停車)との乗換駅である馬橋駅を結んでいる。接続するJR常磐線の複々線区間とは対照的に2両編成の電車が走行する、首都圏郊外の単線鉄道である。沿線は1970年代頃までは雑木林や農地などが広がっていたが、その後は沿線の宅地化が進み、東京都区部への通勤の利用が増加した。 運行会社の流鉄株式会社は2008年8月1日を以て社名変更するまで総武流山電鉄(そうぶながれやまでんてつ)株式会社であった。同社が経営しているという意味で路線の正式名称も「総武流山線」であったが、駅での自動券売機・路線図の表記やアナウンスでは、もっぱら「流山線」を使用していた。社名変更にあわせて「流山線」が正式な路線名となったが、JR常磐線との乗換駅である馬橋駅の乗り場案内標識や車内掲示の路線図では従来より「流山線」となっていたため、変更する必要は生じなかった。 ※幸谷駅接続または新松戸駅を発着地とする馬橋駅接続の連絡運輸の設定はない。 大人旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定(単位:円)。定期運賃は1か月の金額を記載。交通系ICカード(Suica・PASMO等)は使用できない。目的地までの切符を購入する必要がある。 ※4 kmを超え5 kmまでの運賃(180円区間)は設定のみで適用区間は実際には存在しない。 慢性的な赤字解消のため、2024年4月1日に運賃改定を実施予定。普通運賃は初乗りが10円値上げされ140円になる。消費増税分を除くと、値上げは1989年10月以来、34年半ぶり。 全列車が2両編成、ワンマン運転の普通列車(各駅に停車)で区間運転はなく、馬橋駅 - 流山駅間の全線を行き来する。列車交換は交換設備がある途中の小金城趾駅で行う。全線所要時間11分。昼間は20分間隔、夕方と土休日の朝は15分間隔、平日の朝は13分間隔、土休日の夜間は15 - 27分間隔で運行されている。 1990年11月18日から2009年6月20日までの18年7か月間、ダイヤ改正が行われなかった。この間、接続するJR東日本を始め、日本の多くの事業者が完全週休二日制の普及に伴い土曜日を休日ダイヤで運転するようになったが、本路線では土曜日も平日ダイヤでの運転を行っていた。 2009年6月21日のダイヤ改正で、昼間時間帯のワンマン運転開始と終日にわたる運転間隔の均等化を実施した。その7か月後の2010年1月23日には、始発列車の繰り上げ(流山駅発4時55分)と最終列車の繰り下げ(馬橋駅発翌0時17分)、夜間帯の増発と終日ワンマン運転の実施とともに、土曜日を休日ダイヤに変更するダイヤ改正を実施した。 2023年7月1日にダイヤ改正が行われた。早朝、夜間帯の減便、JR線との接続の改善、日中のダイヤのパターン化を行った。 流山線沿線は、日本の他の公共交通機関の例に漏れず少子高齢化(通勤・通学者の減少)の影響が現れており、1993年度をピークに収益・乗車数とも減少傾向が続いている。 また、1973年の国鉄(後のJR)武蔵野線開業を皮切りに1986年の新京成電鉄バス路線「幸田線」の開業(後に松戸新京成バスに移管)、2005年の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス (TX) の開業など競合交通機関の登場が相次ぎ、ただでさえ限られた規模の沿線地域から旅客を奪われる状況となっている。輸送人員はピークだった1993年の約611万人から、TX開業翌年の2006年には約349万人、さらに新型コロナウイルス感染症の影響を受けた2020年には約225万人に減った。 特にTX開業による打撃は大きく、2005年度の年間乗車人員が前年度2004年度に比べて約16%も減少、特に流山駅では1日の利用客が50%近く減少した。流山駅はTXの流山セントラルパーク駅と約1.3km、鰭ヶ崎駅に至ってはJR・TXの南流山駅と約0.9kmしか離れておらず、相当数の沿線在住者が東京都区部へ乗り換えの必要がないTXに流出したと見られる。 このため流鉄では、2005年度末から2両編成の車両をワンマン対応に改造するなどの工事を行い、ワンマン運転化を進めた。ただし、ワンマン化には経費が約1,500万円かかるといい、中期的な合理化であるとしている。2006年5月17日から比較的乗客の少ない昼間に限り一部列車でワンマン習熟訓練を実施し、2009年6月21日のダイヤ改正より昼間時の列車をワンマン化、2010年1月23日にはワンマン運転完全実施となった。 この他、千葉県柏市に流鉄の不動産を売却して鉄道事業の損失を補うなどの対策を採っている。一方、流山市としては地域おこしと合わせた活性化策を実施している。駅や車庫、指定した列車内などで撮影できるコスプレイベント、「流鉄ビア列車」運行など観光鉄道的な取り組みを行いつつ、流山駅隣に交流スペースを設けて、流山市に流入する子育て世帯の利用増を図っている。2021年12月には、車両不具合を受けて赤色と黄色の車両を連結して2両編成で運行したところ「オムライスみたい」と話題になり、同じ色の組み合わせを「オムライス列車」として記念グッズ販売、オムライスのイラストを描いたヘッドマーク設置、沿線でオムライスを提供する飲食店の募集を展開している。 流山線の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。 流山線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。 最混雑区間は小金城趾駅→幸谷駅 1896年(明治29年)12月25日、日本鉄道土浦線(後の常磐線)田端駅 - 土浦駅間が開通し、松戸駅が新設された(「日本鉄道開業の歴史」参照)。それに伴い、流山町の人々も松戸駅まで約2時間徒歩で向かい、鉄道を利用した。当時は江戸川などを経由する和船や蒸気船による旅客運送がまだ現役だったが、東京の両国まで数時間かかり、また、1 - 2時間の遅延が頻発した。それに比べて鉄道は40 - 50分で済み、時間も正確であった。1898年(明治31年)には馬橋駅が開業し、流山から徒歩1時間半で鉄道を利用できるようになる。その後、1911年(明治44年)になると北小金駅が開業し、流山から鉄道駅まで徒歩1時間になり、流山の人々の喜びは一入であった。このような交通事情の変化のもと「流山町にも鉄道を」という気運が湧き上がってきた。 鉄道敷設免許申請 1912年(大正元年)、秋元平八ら31名(その後、8名増える)の商工人が発起人となり、鉄道建設の行動を起こし、流山の人々の多くが賛成した。そして、同年9月17日に鉄道敷設免許申請を提出し、1913年(大正2年)7月1日付で認可された。1912年(大正元年)の申請時の資本金は5万5千円であったが、行政側からの命令により資本金を7万円に増資して免許を取得する。 流山軽便鉄道株式会社設立 1913年(大正2年)11月7日、流山軽便鉄道株式会社設立。同日、流山町で会社の創立総会を開催し、都築六郎が初代社長に就き、同年11月20日に東京地方裁判所において会社登記を行う。会社の本社は、当初は東京市神田連雀町18番地にあり、鉄道建設申請の受付窓口は東京府庁にあった(本社は1967年(昭和42年)5月、流山に移転した)。 資本金は7万円で、株主数は116人であった。会社創立時の役員は以下のとおり。 このような経営陣で会社を運営し、鉄道用地の買収を開始する。 株による資金調達の状況は、流山駅前にある商店店主の話によると以下のようなものであった。 「このあたりの商店もみんなで株を買ったものです」(商店店主) 本鉄道は役員・社員に地元住民が多く、流山町長が取締役に就任していたことなどから、町民のための鉄道ということで「町民鉄道」と呼ばれていた。この時の出資者が一株株主に至るまで流山居住の人々であったことから「町民鉄道」の名称が当鉄道の代名詞のように使われるようになったが、利益の見込めない地方鉄道に他地域の人々が出資することは稀であるため、祭りの寄付金のような一種の地域分担金として流山の住民が所得に応じて株を購入し、出資に応じたのである。 用地買収と建設費 1914年(大正3年)の前半までに鉄道用地買収は完了した。買収した総面積は4丁4反2畝11歩(約43,871m)、買収費用は11,880円38銭6厘(11,800.386円)、建設費は80,274円92銭(80,274.92円)であった。 同年3月には工事認可が出て、会社は工事を開始する。鰭ヶ崎付近を除くとほとんどが平地なので工事は順調に進んだが、馬橋駅構内の工事の進捗に遅延が生じ、会社は何度も工事竣工延期願を担当の役所に提出している。 軽便鉄道(軌間762mm)開業 1916年(大正5年)2月に工事が完了し、3月13日には営業開始準備が完了。会社は政府の許可を得た翌日の3月14日に営業を開始する。開業時の乗車賃の記録は残っていないが、地元の古老の記憶によると、流山駅 - 馬橋駅間(5.7キロメートル)は12銭(0.12円)であったという。当時は上野駅 - 馬橋駅間(21.3キロメートル)が18銭(0.18円)、上野駅 - 北小金駅間(24.2キロメートル)が21銭(0.21円)であった。 鉄道業務に関わる人員の構成は、書記2名、主任技術者1名、駅長1名、助役1名、車掌2名(うち1名は助役を兼任)、駅員2名、機関庫主任1名、機関士1名、機関助手1名、給炭・給水職員1名、清掃職員2名、保線職員4名である。 同年2月、流山鉄道開設記念協賛会が『流山案内』を発行し、それには次のように書かれている。 「流山軽便鉄道は、国鉄常磐線馬橋駅を起点にし、流山町(流山駅)を終点とする旅客と貨物の輸送を目的として敷設された路線であり、流山町と国鉄常磐線を結ぶ唯一の交通機関である」(『流山案内』) 開業当初の経営状況 開業時の駅は、馬橋駅、大谷口駅、鰭ヶ崎駅、流山駅の4駅で、機関車2輛と客車2輛、貨車2輛で営業を開始する。開業当初の経営状況は苦しく、蒸気機関車の燃料である石炭が時々底を突き、当鉄道の重役などが経営するみりん会社などから石炭を借用することもあった。石炭が入手できないときは「本日汽車休み」の貼り紙が流山の町の主要な場所に張り出されたという。 1916年(大正5年)3月14日から12月31日までの業績 開業の年の1916年(大正5年)3月14日から12月31日までの乗客数は50,508人であった。季節により乗客数に変動があり、3月と4月は旅客と貨物は好調であったが、5月と6月は農繁期のため乗客数は少なかった。農村地域を走る小さな鉄道のため、農繁期など季節の影響を諸に受ける鉄道であった。意外なことに流山の人々は当初は鉄道をあまり利用せず、今までどおり徒歩で移動したり荷車を引いて荷物を運んだりしていた。当時の会社の営業報告書には次のようにある。 「徒歩や荷車を引くような昔ながらの方法を引き続き行い、時間と労力を無駄にすることを考えない地方にありがちな因習を未だに打破できない...」(営業報告書) しかし、年を追うごとに乗客数、貨物輸送量ともに増加していく。 乗客数貨物輸送量推移と社名変更(流山鉄道へ) 乗客数と貨物輸送量は下記の表のように年々増加していく。また、改軌前(軌間762mm時代)の1922年(大正11年)には社名を流山鉄道に変更している。 乗客数と貨物輸送量が増加した大きな要因は1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦である。日本は特需により大戦景気を迎え、旅客および貨物の輸送量が増加し、その影響は本鉄道にも及んだ。1918年(大正7年)11月の第一次世界大戦終結後も日本経済は好調で、鉄道輸送も好調であった。大戦後の不況が顕在化したのは1920年(大正9年)の後半であるが、本鉄道では流山の人々が鉄道を利用することがごく普通のこととなってきており、1922年(大正11年)に東京の上野公園で開催された平和記念東京博覧会への見物には本鉄道を利用した。1923年(大正12年)に行われた江戸川改修工事のために多数の工事関係者が本鉄道を利用し、また、関東大震災により人や物資の移動が活発となり、これらが本鉄道の乗客数、貨物輸送量増加の要因となった。そして、同年には現在の平和台駅付近の南西側に陸軍糧秣本廠流山出張所の建設工事が始まり、工事関係者や建設資材の輸送量が増加し、本鉄道は第一次世界大戦後の不況や関東大震災による経済的損失を被ることなく、むしろ業績は好調であった。陸軍糧秣本廠流山出張所が建設されたことにより、本鉄道は軍用鉄道として位置付けされることになる。 改軌(軌間1067mm) 1924年(大正13年)12月、軌間を762mmから1067mmに改軌し、国鉄貨車の直通を可能にした。陸軍糧秣本廠流山出張所が完成する前年である。この陸軍の出張所へは現在の平和台駅付近から引込線が敷設され、貨物輸送量が飛躍的に増加した。改軌時に蒸気機関車No.15とNo.16が入線。サドルタンクにダイヤモンド形の火の粉止め付き煙突という特異な形態の本機は映画『牛づれ超特急』に出演する。蒸気機関車のほかに、明治期の旧型の木造2軸客車2輛と貨車2輛を国鉄から購入して、営業を開始した。 1938年(昭和13年)にNo.15とNo.16の交替でNo.1255が入線する。1933年(昭和8年)にキハ31、1934年(昭和9年)にキハ32のガソリンカーも入線する。当初、キハ32には当時の燃料事情の都合により木炭ガス発生装置が装備されていたが、後に撤去される。 本鉄道を訪れた大木貞一は雑誌『鉄道趣味』1933年(昭和8年)9月号に、 「(馬橋発のガソリンカーには)客は私のほかに爺さんだけ、途中の三駅は客がなければさっさと通過する。...流山発のガソリン車に客は私一人、中間駅は(乗降客がいないため)皆通過し」(大木貞一) と本鉄道訪問記を寄稿しているほど閑散で、当時の年間乗客数は7万9千人であった。 太平洋戦争中の出来事 太平洋戦争中の流山町は本鉄道と陸軍糧秣本廠流山出張所など各種の軍事施設があり、軍都の役割を果していた。そのため流山町は米軍から攻撃目標とされた。1942年(昭和17年)4月18日には空母ホーネットを発艦したB-25爆撃機が上空を通過し、これが流山町上空に現れた初の米軍機であった(ドーリットル空襲)。1944年(昭和19年)後半からは、B-29爆撃機や空母艦載機による日本本土空襲が本格化。特に帝都東京は繰り返し標的となり(東京大空襲)、1945年(昭和20年)2月24日の午後8:30頃に東京から鹿島灘に向かった1機のB-29が約10発の爆弾を流山町各地に投下した。翌25日の午前には関東地方一帯が空母艦載機により攻撃され、同日午後にはB-29が東京を攻撃した。同日のB-29は低空飛行をしたために日本軍の迎撃により撃墜されるものも出て、そのうちの1機が流山の初石地区に墜落した。また、パラシュートによる乗員脱出もあり、同町に隣接する柏町では米兵が逮捕された。7月10日朝には米軍艦上機の攻撃により東初石で犠牲者が出る。このような戦況のなか、同月17日には米艦載機により本鉄道の列車が攻撃されて機関士が重傷を負い、列車には約40ヶ所に着弾した跡があった。 戦後の動力エネルギー事情と電化の経緯 太平洋戦争直後は燃料となる石炭やガソリンが不足しており、列車の運行がままならぬ状況であった。その打開策として動力エネルギーを経費が安価で比較的入手しやすい電力に移行することになった。1949年(昭和24年)12月に電化が完了し、国鉄から直流1,500Vの電力を購入し、電車3輛で運行を開始する。国鉄常磐線は同年6月1日に松戸駅 - 取手駅間が電化済み。電化に際しては、1947年(昭和22年)に公選で初めて流山町長になった中村寛次が電化のための活動を開始する。5.7キロメートルの営業路線で変電所を建設したのでは採算に合わないため、常磐線松戸駅 - 取手駅間が電化されたら、その電力を融通してもらうために早くから参議院議員小野哲(あきら)(元・千葉県官選知事)に陳情し、当時の運輸省の上層部に働きかけてもらい、部長級官僚への働きかけは千葉県選出の参議院議員山崎亘(わたる)に行ってもらった結果、国鉄から電力を供給してもらえることになった。日本の電化私鉄のなかで、変電所を持たない電化私鉄は本鉄道だけであった。 電車検修場改築 電車庫は1949年(昭和24年)12月26日の電化運転に合わせて建設し、1978年(昭和53年)10月26日に検車庫構内の土留め工事を施工、1979年(昭和54年)12月に検車庫内にピットを新設。そして1981年(昭和56年)12月16日に検車庫を改築する。 輸送量の推移 1946年(昭和21年)の乗降客数は前年とほぼ同じで100万人台を維持したが、翌年から減少が続いた。しかし1951年(昭和26年)には110万人台まで回復し、以後乗降客数は伸び続ける。 貨物輸送量は太平洋戦争敗戦後から減少し始めたが、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争の影響により軍需物資の需要が増加したため朝鮮戦争前年には増加に転じる。貨物輸送量は次のように推移していく。1945年(昭和20年)約8万7千トン、1946年(昭和21年)約6万トン、1947年(昭和22年)約3万7千トン。朝鮮戦争前年の1949年(昭和24年)は約5万6千トンまで一時的に増加するが、朝鮮戦争が停戦になると再び減少していき、1955年(昭和30年)には3万7千トン台になる。 乗客数増加と社名変更(流山電気鉄道へ) 電化後の1951年(昭和26年)11月28日、社名を流山電気鉄道と改称。当時の年間乗客数は119万6千人。1962年(昭和37年)度は200万人超。1966年(昭和41年)度には313万9千人。これは本鉄道沿線の宅地開発が行われたためである。1974年(昭和49年)には4百万人台にまで増加するが、翌年は約364万まで減少する。同年の乗客数減少の一因には流山市立鰭ヶ崎小学校の開校により、流山線を通学に利用していた小学生の減少がある。しかし1976年(昭和51年)には400万人台まで回復した。 貨物輸送量の減少 貨物輸送量は減少を続け、1960年(昭和35年)約2万5千トン、1961年(昭和36年)は約2万3千トン。1965年(昭和40年)は1万トン台、1966年(昭和41年)には5千トン台まで減少する。貨物輸送量減少の原因は道路網の整備によるトラック輸送への転換である。また、沿線にある酒造工場の一つが休業になったことも一因である。同年はキッコーマン酒造工場への引込線が撤去される。この引込線は1929年(昭和4年)に流山駅から堀切家が経営する工場まで敷設されたもので、原料と製品の輸送に使用された。国鉄武蔵野線の建設が始まるとその建設資材輸送に流山線が使用され、貨物輸送量は多少増加し、1968年(昭和43年)約9千9百トン、1971年(昭和46年)約3万7千トン、1972年(昭和47年)約3万6千トンになる。しかし武蔵野線が完成すると貨物輸送量は激減し、1973年(昭和48年)には約1千6百トン、1975年(昭和50年)は約940トンとなった。そして1976年(昭和51年)度(年度末は1977年3月31日)を最後に貨物輸送を廃止する。 列車交換設備整備と社名変更(流山電鉄へ) 1967年(昭和42年)5月、本社を流山に移転し、同年6月20日、社名を流山電鉄に変更。同年7月1日から輸送量を倍増するために、小金城趾駅に列車交換設備を整備し、一日の列車本数を上下各32本から各46本に増発した。朝の通勤通学時間帯は、馬橋駅と流山駅の両駅では、列車が到着すると隣のホームで発車時刻待ちしていた列車がすぐに発車する運行形態をとった。 1971年(昭和46年)1月20日、社名を総武流山電鉄と改称。経営陣も交替が激しく、平和相互銀行の小宮山グループの傘下に入り、第2位の株主はのちに銚子電気鉄道のオーナーとなる内野屋工務店である。 国鉄武蔵野線開業の影響 1973年(昭和48年)の国鉄武蔵野線開業の影響により、乗客数の伸びは今までのように急増はしていない。 1970年代半ばの収益 1976年(昭和51年)度の鉄道部門の収入は2億7千万円である。当時の経済状況はインフレであったが、このような状況下でこの収入であることから、当鉄道の規模の小ささがわかる。この頃、当鉄道では70歳以上の流山市民の乗車賃を無料にしていた。 1978年(昭和53年)以降は西武鉄道から18輛の車輛を譲り受け、各編成ごとに車体のカラーリングを変えて、オレンジ色の「流星」、青色の「流馬」、銀色の「銀河」、若草色の「若葉」、黄色の「なの花」、赤色の「あかぎ」という愛称が付けられた。「青空」は青地に白の「N」の文字をあしらったデザインで、本鉄道初の冷房車である。各編成の愛称は一般公募で決められた。 また、乗客数は伸び続け、1993年(平成5年)度の乗客数は610万人を超え、1996年(平成8年)には一日の列車本数が上下各72本になった。 変電所建設 輸送量の増加に対応して本鉄道は千葉県流山市大字鰭ケ崎に西平井変電所を建設した。 2008年(平成20年)8月1日、本鉄道は社名を流鉄に、路線名を流山線に変更した。 流山軽便鉄道が造られた遠因として、鉄道忌避があったため(常磐線が流山を通らなかった)とする説が過去には通説とされていたことがあった。忌避説が文献に最初に発表されたのは1964年(昭和39年)の『松戸市史』である。その後、忌避説は北野道彦が執筆した『「町民鉄道」の60年』と『総武流山電鉄七十年史』へ受け継がれる。 流山町は醸造と水運で繁栄していた。日本鉄道土浦線(現常磐線)は流山町を通るはずであったが、これに対して流山町では水運業者(当時の水運業者数は十数と推定される)を中心に激しい反対があった。水運業が成り立たなくなってしまうからである。土浦線には醸造業者も反対した。水運には高瀬船を使用していたが、その建造には費用(1隻約3千円と推定される)がかかるため、それを調達するために水運業者は裕福な醸造業者から長期ローンによる借入金に依存していた。そのため、もし鉄道が流山町を通り、水運業が衰退してしまうと、醸造業者は水運業者へ融資した資金の回収が不可能になってしまう。こうのような関係から醸造業者と水運業者の連携が成立したものと考えられる。このようにして、町ぐるみの鉄道反対運動は成功し、流山町を迂回して土浦線は敷設されることになった。 流山市立博物館学芸員山下耕一はこの説を否定している。 常磐炭鉱から石炭を輸送するために敷設された土浦線は、最初は流山経由で川口方面に延伸する計画でしたが、鉄道局から「直接東京へ乗り入れよ」という指示があり、流山を通らない田端への経路に変更されたのが真実です。 本鉄道は路線延長を申請または計画したが、いずれも実現していない。 森口誠之著『鉄道未成線を歩く国鉄編』によれば江戸川に沿って市川 - 松戸 - 流山 - 野田 - 関宿 - 境 - 三和 - 小山を結ぶように計画された「総野線」構想が存在し、実現した暁には流山線は国鉄に買収される計画だった。 (本節は『「町民鉄道」の60年』(pp.19 - 21)を参考文献とする) 鉄道建設発起人には秋元平八、中村権次郎、鈴木金左衛門、村松喜太郎、秋元三左衛門、堀切紋次郎などの流山の名士が名を連ね、中心となって活動したのが秋元平八である。平八は1869年(明治2年)に流山で生まれ、現在の早稲田大学を出た。「平八」という名前は代々の襲名である。平八の家は秋元家の分家であるが、本家の秋元三左衛門とともに、みりん「天晴(あっぱれ)」の醸造を手掛け、他に醤油も製造していた。 平八は家業にはあまり熱心とはいえず、新し物好きな風流人であったらしい。流山では1900年(明治33年)頃に流行り始めた自転車に夢中になり、自転車を趣味とする人たちの親睦会「曙輪友会」(あけぼのりんゆうかい)が発足した際、その会長の座に就いた。そして現代で言うところのツーリングに出かけたり、各地のロードレースに参加したりした。また、馬場山の一部を切り開いて自転車競技場を建設し、自転車レースも主催した。こうした指導力を持っていたことに起因して、平八が鉄道建設運動の指導者に推されたものと考えられる。 また、平八は俳句も趣味とし、「洒汀」(しゃてい)という俳号を持っていた。文学・美術も好きで小説家や画家とも交流が深く、彼らの後援者でもあった。平八の家には多くの小説家・画家が訪れた。小説家では国木田独歩や田山花袋、画家では岡倉天心や横山大観などである。 平八は1935年(昭和10年)に74歳で亡くなった。 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月17日、本鉄道の列車が米軍艦上機の攻撃を受け被弾した。『流山市史研究』には次のようにある。 「昼過ぎに馬橋を出て流山へ向った列車で、当時の大谷口駅(現在の幸谷駅と小金城趾駅の間、大谷口城跡の下)を過ぎたところで遭難した。機関士が左腕に重傷を負った」 —伊藤晃,「証言で綴る 流山と空襲」『流山市史研究』創刊号(1983年) また、以下のような列車の乗客および乗員の証言がある。 車両は1994年以降全車が西武鉄道からの譲渡車で統一され、5編成10両の車両(2013年12月時点)が使用されている。各編成ごとに異なる愛称がつけられ、異なる塗色が施されている。2022年時点では「あかぎ」、「なの花」、「若葉」、「さくら」、「流星」の5種類で、全車両が2両編成であり、ワンマン運転開始に伴い行先表示器が幕式からLED式に換装されているほか、ドア開閉チャイムと案内放送、自動の車内アナウンス装置が取り付けられている。なお愛称ごとの車体色は車両が代替わりしても一貫しており、歴代愛称ごとの車体色は「流馬」=水色、「流星」=橙色、「あかぎ」=臙脂色、「なの花」=黄色、「明星」=柿色、「若葉」=黄緑色、「青空」=紺色、「銀河」=銀色、「さくら」=ピンクとなっている。 2009年に西武から譲渡された元新101系で、クモハ5000形-クモハ5100形の2両編成。2010年1月20日より「流馬」(3代目)、2011年3月11日より「流星」(3代目)、2012年3月14日より「あかぎ」(2代目)、2012年12月3日より「若葉」(3代目)、2013年12月6日より「なの花」(3代目)が、それぞれ営業を開始した。西武時代に種別幕だった表示器には「ワンマン」と表示している。なお、「流馬」は2018年8月23日より塗装が変更され、「さくら」となった 。「流星」は、2021年1月21日から車体塗装やつり革の色を変更して運行している。 1994年導入。クモハ2000形・モハ2100形・クハ20形の3形式から成る。元西武701系・801系であったが、老朽化のため、2007年11月に3両編成の「流馬」(2代目)、2009年4月に3両編成の「明星」、2012年7月に2両編成の「青空」、2013年4月28日に2両編成の「なの花」(2代目)が、それぞれさよなら運転を実施して運用を終了した。 1999年に旧101系を譲受し、「流星」(2代目)と「若葉」(2代目)の3両編成2本としたもの。2010年1月23日のダイヤ改正で定期運用から離脱し、「流星」は2010年8月29日、「若葉」は2011年5月15日に、それぞれさよなら運転を実施して運用を終了した。 1979年 - 2001年在籍。1200形はクモハ1200形・サハ60形・クハ80形の3形式、1300形はクモハ1300形・クハ70形の2形式から成る。いずれも元西武の車両で、501系を種車にした3両編成の「流星」(初代)・「流馬」(初代)・「銀河」・「若葉」(初代)と、551系・クハ1651形を種車にした2両編成の「なの花」(初代)・「あかぎ」(初代)があった。流山線で現在まで続く編成愛称を導入した最初の車両である。 太平洋戦争直後の化石燃料(石炭、ガソリン)事情の悪化に対応するために、戦後初の公選選挙で選ばれた流山町長が中心となって流山鉄道の電化に動き出す。町長は5.7キロメートルの小私鉄である流山鉄道自社で変電所を建設および維持することは採算に合わないと考え、国鉄常磐線の電化を見越して、国鉄から直流1,500Vの電力を購入するために千葉県選出の参議院議員を通じて運輸省に働きかけ、国鉄からの電力購入に成功する。そして本鉄道は常磐線電化から半年後に電化を為し遂げる。電化当初の電車の輛数は3輛であった。 電化前はガソリンの入手が困難で、ガソリンカーによる定時運行が思うようにいかない状況であった。そのためこの時期には蒸気機関車による旅客列車も復活した。国鉄から客車や救援車、蒸気機関車を借り入れて営業を行ったが、車両の増備は行われなかった。この車両不足の状況は電化によって改善することになる。 1949年末に電化は完成し、国鉄から電車を3両(モハ100形)購入した。その後100形が1両(モハ105)が増備され、クハ51、Mc+Tc編成(モハ1001+クハ52)も入線した。キハ31とキハ32はエンジンを撤去され、付随車として電車に牽引されていたが、電車の増備により廃車となった。 モハ100形は、本鉄道電化の際に国鉄から払い下げを受けた車両で、元南武鉄道モハ100形である。台車はボールドウィン製BW78-25A系。単行あるいは増結用として使われていた他、貨車を牽引して混合列車として運行されることもあった。14メートル級半鋼製2扉車である。車体各部には若干の相違がある。通風器は101・103がお碗形、102・105がガーランド形である。3ドア車の入線により増結用として使用されるようになった。100形は本鉄道電化以来使用されてきた車輛のため、電気部品も老朽化が進んでいるため、2輛ぐらいを中間車化を兼て更新する予定があった。 なお流鉄モハ100形の全廃と入れ替わりに、東濃鉄道駄知線から後述の流鉄モハ1002-クハ55が入線しているが、この車両とともに使用されていた東濃モハ103・クハ201・クハ202は、流鉄モハ100形と出生の同じ南武モハ100形である。 モハ1000形はクハ50形と組んで2両編成で運用されることが多かった。 クハ50形は、モハ1000形あるいはモハ1100形と編成を組んで運用された。 駿豆鉄道から蒸気機関車2両(No.15・No.16)を借り入れ、後に正式に購入した。客車は国鉄から4輪客車を3両購入し、貨車も国鉄から購入した。1933年から1934年にかけて内燃動力の併用認可を得て、4輪ガソリンカーを2両(キハ31・キハ32)を新製で購入。当時は鉄道で内燃動車が実用化された頃で、経済性とフリークエントサービスを目的に採用した。ガソリンカーの導入により客車は休車となり、その後に廃車。蒸気機関車は貨物および入換専用となった。1938年には国鉄から蒸気機関車(No.105・No.1255)を購入し、No15とNo.16を廃車にした。 蒸気機関車は、本鉄道所有機が4輛、国鉄からの借用機が1輛在籍していた。 ディーゼル機関車は、馬橋駅での貨車入れ換え用機と1輛在籍していた。 ガソリンカーは、2輛在籍していたが、2輛とも後に動力装置を外され、客車として使用された後で廃車となった。 客車は、本鉄道所有車が5輛(うち2輛はガソリンカーからの動力装置を外した二軸車)、国鉄からの借用車が4輛在籍していた。 貨車は、本鉄道で有蓋車と無蓋車を保有していた。 保線車両等にはキャブ付タンク車、トロッコ、車輛整備時に使用する台車などがある。 流山市立博物館に写真が展示されている(2004年時点)。 開業時に準備した車両は蒸気機関車・客車・貨車がそれぞれ2両であり、営業運転上最小限の必要両数であった。この状態は電化時まで続けられた。蒸気機関車のうちC形9t機は使用を中止し、頸城鉄道の3号機(初代)を代わりに購入。その後、雨宮製作所製のB形6t機を購入して3号機とし、1号機を売却。さらに田中鉱山からB形5.7t機を購入して4号機とし、2号機を売却した。 (※参考文献によって、No.1とNo.2の車歴の記述が異なり、その影響で、この2輛の後継機となるNo.3とNo.4の当鉄道への入線経緯が錯綜することに注意) 鉄道運転事故は1994年度の踏切障害事故(小型トラックと列車の衝突、負傷者なし)を最後に起きていなかったが、2013年度に馬橋駅 - 幸谷駅間の踏切で自転車と接触する踏切障害事故(負傷者なし)が起きた。 2014年7月11日には安全報告書に記載された初の死亡事故として、小金城趾駅 - 幸谷駅間の踏切で流山駅発馬橋駅行き普通電車(5000系(5102-5002)「流星」2両編成)と乗用車が衝突し、電車の1両目前半分の車輪が脱線する事故が起きた。千葉県警の調べでは乗用車に乗っていた男性と女性は骨盤が折れるなどの重傷を負い搬送先の病院で死亡を確認、電車の乗客約20人のうち男性1人が体の痛みを訴えて病院に運ばれた。現場の踏切は遮断機と警報機がない第4種踏切で、車1台が通行できる程度の幅しかなく、運転士は「踏切内に車が見えたので警笛を鳴らしたが、ブレーキが間に合わなかった」と話している。事故後、全線不通となり翌12日午前7時15分に運転を再開した。運輸安全委員会から公表された事故調査報告書によれば、脱線の原因は衝突した乗用車が列車の台車に接触したためで、踏切に乗用車が進入した理由については特定できなかった。2015年度版安全報告書によると、民家の出入口が踏切という特殊な宅地構造が根本的な原因であり対策を検討中とし、また、直ちに踏切表示器を設置して注意を喚起することとした。 その他の輸送障害(列車の30分以上の遅延や運休)の発生件数は以下の通りである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と同県流山市の流山駅を結ぶ流鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングを構成する記号はRN。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "6駅、5.7キロメートルを走る路線で、みりん産業で発展して現在は東京近郊のベッドタウンになっている千葉県流山市中心部とJR東日本常磐線(各駅停車)との乗換駅である馬橋駅を結んでいる。接続するJR常磐線の複々線区間とは対照的に2両編成の電車が走行する、首都圏郊外の単線鉄道である。沿線は1970年代頃までは雑木林や農地などが広がっていたが、その後は沿線の宅地化が進み、東京都区部への通勤の利用が増加した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "運行会社の流鉄株式会社は2008年8月1日を以て社名変更するまで総武流山電鉄(そうぶながれやまでんてつ)株式会社であった。同社が経営しているという意味で路線の正式名称も「総武流山線」であったが、駅での自動券売機・路線図の表記やアナウンスでは、もっぱら「流山線」を使用していた。社名変更にあわせて「流山線」が正式な路線名となったが、JR常磐線との乗換駅である馬橋駅の乗り場案内標識や車内掲示の路線図では従来より「流山線」となっていたため、変更する必要は生じなかった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "※幸谷駅接続または新松戸駅を発着地とする馬橋駅接続の連絡運輸の設定はない。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "大人旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定(単位:円)。定期運賃は1か月の金額を記載。交通系ICカード(Suica・PASMO等)は使用できない。目的地までの切符を購入する必要がある。", "title": "運賃" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "※4 kmを超え5 kmまでの運賃(180円区間)は設定のみで適用区間は実際には存在しない。", "title": "運賃" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "慢性的な赤字解消のため、2024年4月1日に運賃改定を実施予定。普通運賃は初乗りが10円値上げされ140円になる。消費増税分を除くと、値上げは1989年10月以来、34年半ぶり。", "title": "運賃" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "全列車が2両編成、ワンマン運転の普通列車(各駅に停車)で区間運転はなく、馬橋駅 - 流山駅間の全線を行き来する。列車交換は交換設備がある途中の小金城趾駅で行う。全線所要時間11分。昼間は20分間隔、夕方と土休日の朝は15分間隔、平日の朝は13分間隔、土休日の夜間は15 - 27分間隔で運行されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1990年11月18日から2009年6月20日までの18年7か月間、ダイヤ改正が行われなかった。この間、接続するJR東日本を始め、日本の多くの事業者が完全週休二日制の普及に伴い土曜日を休日ダイヤで運転するようになったが、本路線では土曜日も平日ダイヤでの運転を行っていた。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2009年6月21日のダイヤ改正で、昼間時間帯のワンマン運転開始と終日にわたる運転間隔の均等化を実施した。その7か月後の2010年1月23日には、始発列車の繰り上げ(流山駅発4時55分)と最終列車の繰り下げ(馬橋駅発翌0時17分)、夜間帯の増発と終日ワンマン運転の実施とともに、土曜日を休日ダイヤに変更するダイヤ改正を実施した。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2023年7月1日にダイヤ改正が行われた。早朝、夜間帯の減便、JR線との接続の改善、日中のダイヤのパターン化を行った。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "流山線沿線は、日本の他の公共交通機関の例に漏れず少子高齢化(通勤・通学者の減少)の影響が現れており、1993年度をピークに収益・乗車数とも減少傾向が続いている。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また、1973年の国鉄(後のJR)武蔵野線開業を皮切りに1986年の新京成電鉄バス路線「幸田線」の開業(後に松戸新京成バスに移管)、2005年の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス (TX) の開業など競合交通機関の登場が相次ぎ、ただでさえ限られた規模の沿線地域から旅客を奪われる状況となっている。輸送人員はピークだった1993年の約611万人から、TX開業翌年の2006年には約349万人、さらに新型コロナウイルス感染症の影響を受けた2020年には約225万人に減った。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "特にTX開業による打撃は大きく、2005年度の年間乗車人員が前年度2004年度に比べて約16%も減少、特に流山駅では1日の利用客が50%近く減少した。流山駅はTXの流山セントラルパーク駅と約1.3km、鰭ヶ崎駅に至ってはJR・TXの南流山駅と約0.9kmしか離れておらず、相当数の沿線在住者が東京都区部へ乗り換えの必要がないTXに流出したと見られる。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "このため流鉄では、2005年度末から2両編成の車両をワンマン対応に改造するなどの工事を行い、ワンマン運転化を進めた。ただし、ワンマン化には経費が約1,500万円かかるといい、中期的な合理化であるとしている。2006年5月17日から比較的乗客の少ない昼間に限り一部列車でワンマン習熟訓練を実施し、2009年6月21日のダイヤ改正より昼間時の列車をワンマン化、2010年1月23日にはワンマン運転完全実施となった。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この他、千葉県柏市に流鉄の不動産を売却して鉄道事業の損失を補うなどの対策を採っている。一方、流山市としては地域おこしと合わせた活性化策を実施している。駅や車庫、指定した列車内などで撮影できるコスプレイベント、「流鉄ビア列車」運行など観光鉄道的な取り組みを行いつつ、流山駅隣に交流スペースを設けて、流山市に流入する子育て世帯の利用増を図っている。2021年12月には、車両不具合を受けて赤色と黄色の車両を連結して2両編成で運行したところ「オムライスみたい」と話題になり、同じ色の組み合わせを「オムライス列車」として記念グッズ販売、オムライスのイラストを描いたヘッドマーク設置、沿線でオムライスを提供する飲食店の募集を展開している。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "流山線の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "流山線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "最混雑区間は小金城趾駅→幸谷駅", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1896年(明治29年)12月25日、日本鉄道土浦線(後の常磐線)田端駅 - 土浦駅間が開通し、松戸駅が新設された(「日本鉄道開業の歴史」参照)。それに伴い、流山町の人々も松戸駅まで約2時間徒歩で向かい、鉄道を利用した。当時は江戸川などを経由する和船や蒸気船による旅客運送がまだ現役だったが、東京の両国まで数時間かかり、また、1 - 2時間の遅延が頻発した。それに比べて鉄道は40 - 50分で済み、時間も正確であった。1898年(明治31年)には馬橋駅が開業し、流山から徒歩1時間半で鉄道を利用できるようになる。その後、1911年(明治44年)になると北小金駅が開業し、流山から鉄道駅まで徒歩1時間になり、流山の人々の喜びは一入であった。このような交通事情の変化のもと「流山町にも鉄道を」という気運が湧き上がってきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "鉄道敷設免許申請", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1912年(大正元年)、秋元平八ら31名(その後、8名増える)の商工人が発起人となり、鉄道建設の行動を起こし、流山の人々の多くが賛成した。そして、同年9月17日に鉄道敷設免許申請を提出し、1913年(大正2年)7月1日付で認可された。1912年(大正元年)の申請時の資本金は5万5千円であったが、行政側からの命令により資本金を7万円に増資して免許を取得する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "流山軽便鉄道株式会社設立", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1913年(大正2年)11月7日、流山軽便鉄道株式会社設立。同日、流山町で会社の創立総会を開催し、都築六郎が初代社長に就き、同年11月20日に東京地方裁判所において会社登記を行う。会社の本社は、当初は東京市神田連雀町18番地にあり、鉄道建設申請の受付窓口は東京府庁にあった(本社は1967年(昭和42年)5月、流山に移転した)。 資本金は7万円で、株主数は116人であった。会社創立時の役員は以下のとおり。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "このような経営陣で会社を運営し、鉄道用地の買収を開始する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "株による資金調達の状況は、流山駅前にある商店店主の話によると以下のようなものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "「このあたりの商店もみんなで株を買ったものです」(商店店主)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "本鉄道は役員・社員に地元住民が多く、流山町長が取締役に就任していたことなどから、町民のための鉄道ということで「町民鉄道」と呼ばれていた。この時の出資者が一株株主に至るまで流山居住の人々であったことから「町民鉄道」の名称が当鉄道の代名詞のように使われるようになったが、利益の見込めない地方鉄道に他地域の人々が出資することは稀であるため、祭りの寄付金のような一種の地域分担金として流山の住民が所得に応じて株を購入し、出資に応じたのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "用地買収と建設費", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1914年(大正3年)の前半までに鉄道用地買収は完了した。買収した総面積は4丁4反2畝11歩(約43,871m)、買収費用は11,880円38銭6厘(11,800.386円)、建設費は80,274円92銭(80,274.92円)であった。 同年3月には工事認可が出て、会社は工事を開始する。鰭ヶ崎付近を除くとほとんどが平地なので工事は順調に進んだが、馬橋駅構内の工事の進捗に遅延が生じ、会社は何度も工事竣工延期願を担当の役所に提出している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "軽便鉄道(軌間762mm)開業", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1916年(大正5年)2月に工事が完了し、3月13日には営業開始準備が完了。会社は政府の許可を得た翌日の3月14日に営業を開始する。開業時の乗車賃の記録は残っていないが、地元の古老の記憶によると、流山駅 - 馬橋駅間(5.7キロメートル)は12銭(0.12円)であったという。当時は上野駅 - 馬橋駅間(21.3キロメートル)が18銭(0.18円)、上野駅 - 北小金駅間(24.2キロメートル)が21銭(0.21円)であった。 鉄道業務に関わる人員の構成は、書記2名、主任技術者1名、駅長1名、助役1名、車掌2名(うち1名は助役を兼任)、駅員2名、機関庫主任1名、機関士1名、機関助手1名、給炭・給水職員1名、清掃職員2名、保線職員4名である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "同年2月、流山鉄道開設記念協賛会が『流山案内』を発行し、それには次のように書かれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "「流山軽便鉄道は、国鉄常磐線馬橋駅を起点にし、流山町(流山駅)を終点とする旅客と貨物の輸送を目的として敷設された路線であり、流山町と国鉄常磐線を結ぶ唯一の交通機関である」(『流山案内』)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "開業当初の経営状況", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "開業時の駅は、馬橋駅、大谷口駅、鰭ヶ崎駅、流山駅の4駅で、機関車2輛と客車2輛、貨車2輛で営業を開始する。開業当初の経営状況は苦しく、蒸気機関車の燃料である石炭が時々底を突き、当鉄道の重役などが経営するみりん会社などから石炭を借用することもあった。石炭が入手できないときは「本日汽車休み」の貼り紙が流山の町の主要な場所に張り出されたという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1916年(大正5年)3月14日から12月31日までの業績", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "開業の年の1916年(大正5年)3月14日から12月31日までの乗客数は50,508人であった。季節により乗客数に変動があり、3月と4月は旅客と貨物は好調であったが、5月と6月は農繁期のため乗客数は少なかった。農村地域を走る小さな鉄道のため、農繁期など季節の影響を諸に受ける鉄道であった。意外なことに流山の人々は当初は鉄道をあまり利用せず、今までどおり徒歩で移動したり荷車を引いて荷物を運んだりしていた。当時の会社の営業報告書には次のようにある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "「徒歩や荷車を引くような昔ながらの方法を引き続き行い、時間と労力を無駄にすることを考えない地方にありがちな因習を未だに打破できない...」(営業報告書)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "しかし、年を追うごとに乗客数、貨物輸送量ともに増加していく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "乗客数貨物輸送量推移と社名変更(流山鉄道へ)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "乗客数と貨物輸送量は下記の表のように年々増加していく。また、改軌前(軌間762mm時代)の1922年(大正11年)には社名を流山鉄道に変更している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "乗客数と貨物輸送量が増加した大きな要因は1914年(大正3年)に始まった第一次世界大戦である。日本は特需により大戦景気を迎え、旅客および貨物の輸送量が増加し、その影響は本鉄道にも及んだ。1918年(大正7年)11月の第一次世界大戦終結後も日本経済は好調で、鉄道輸送も好調であった。大戦後の不況が顕在化したのは1920年(大正9年)の後半であるが、本鉄道では流山の人々が鉄道を利用することがごく普通のこととなってきており、1922年(大正11年)に東京の上野公園で開催された平和記念東京博覧会への見物には本鉄道を利用した。1923年(大正12年)に行われた江戸川改修工事のために多数の工事関係者が本鉄道を利用し、また、関東大震災により人や物資の移動が活発となり、これらが本鉄道の乗客数、貨物輸送量増加の要因となった。そして、同年には現在の平和台駅付近の南西側に陸軍糧秣本廠流山出張所の建設工事が始まり、工事関係者や建設資材の輸送量が増加し、本鉄道は第一次世界大戦後の不況や関東大震災による経済的損失を被ることなく、むしろ業績は好調であった。陸軍糧秣本廠流山出張所が建設されたことにより、本鉄道は軍用鉄道として位置付けされることになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "改軌(軌間1067mm)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1924年(大正13年)12月、軌間を762mmから1067mmに改軌し、国鉄貨車の直通を可能にした。陸軍糧秣本廠流山出張所が完成する前年である。この陸軍の出張所へは現在の平和台駅付近から引込線が敷設され、貨物輸送量が飛躍的に増加した。改軌時に蒸気機関車No.15とNo.16が入線。サドルタンクにダイヤモンド形の火の粉止め付き煙突という特異な形態の本機は映画『牛づれ超特急』に出演する。蒸気機関車のほかに、明治期の旧型の木造2軸客車2輛と貨車2輛を国鉄から購入して、営業を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1938年(昭和13年)にNo.15とNo.16の交替でNo.1255が入線する。1933年(昭和8年)にキハ31、1934年(昭和9年)にキハ32のガソリンカーも入線する。当初、キハ32には当時の燃料事情の都合により木炭ガス発生装置が装備されていたが、後に撤去される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "本鉄道を訪れた大木貞一は雑誌『鉄道趣味』1933年(昭和8年)9月号に、", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "「(馬橋発のガソリンカーには)客は私のほかに爺さんだけ、途中の三駅は客がなければさっさと通過する。...流山発のガソリン車に客は私一人、中間駅は(乗降客がいないため)皆通過し」(大木貞一)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "と本鉄道訪問記を寄稿しているほど閑散で、当時の年間乗客数は7万9千人であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "太平洋戦争中の出来事", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "太平洋戦争中の流山町は本鉄道と陸軍糧秣本廠流山出張所など各種の軍事施設があり、軍都の役割を果していた。そのため流山町は米軍から攻撃目標とされた。1942年(昭和17年)4月18日には空母ホーネットを発艦したB-25爆撃機が上空を通過し、これが流山町上空に現れた初の米軍機であった(ドーリットル空襲)。1944年(昭和19年)後半からは、B-29爆撃機や空母艦載機による日本本土空襲が本格化。特に帝都東京は繰り返し標的となり(東京大空襲)、1945年(昭和20年)2月24日の午後8:30頃に東京から鹿島灘に向かった1機のB-29が約10発の爆弾を流山町各地に投下した。翌25日の午前には関東地方一帯が空母艦載機により攻撃され、同日午後にはB-29が東京を攻撃した。同日のB-29は低空飛行をしたために日本軍の迎撃により撃墜されるものも出て、そのうちの1機が流山の初石地区に墜落した。また、パラシュートによる乗員脱出もあり、同町に隣接する柏町では米兵が逮捕された。7月10日朝には米軍艦上機の攻撃により東初石で犠牲者が出る。このような戦況のなか、同月17日には米艦載機により本鉄道の列車が攻撃されて機関士が重傷を負い、列車には約40ヶ所に着弾した跡があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "戦後の動力エネルギー事情と電化の経緯", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "太平洋戦争直後は燃料となる石炭やガソリンが不足しており、列車の運行がままならぬ状況であった。その打開策として動力エネルギーを経費が安価で比較的入手しやすい電力に移行することになった。1949年(昭和24年)12月に電化が完了し、国鉄から直流1,500Vの電力を購入し、電車3輛で運行を開始する。国鉄常磐線は同年6月1日に松戸駅 - 取手駅間が電化済み。電化に際しては、1947年(昭和22年)に公選で初めて流山町長になった中村寛次が電化のための活動を開始する。5.7キロメートルの営業路線で変電所を建設したのでは採算に合わないため、常磐線松戸駅 - 取手駅間が電化されたら、その電力を融通してもらうために早くから参議院議員小野哲(あきら)(元・千葉県官選知事)に陳情し、当時の運輸省の上層部に働きかけてもらい、部長級官僚への働きかけは千葉県選出の参議院議員山崎亘(わたる)に行ってもらった結果、国鉄から電力を供給してもらえることになった。日本の電化私鉄のなかで、変電所を持たない電化私鉄は本鉄道だけであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "電車検修場改築", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "電車庫は1949年(昭和24年)12月26日の電化運転に合わせて建設し、1978年(昭和53年)10月26日に検車庫構内の土留め工事を施工、1979年(昭和54年)12月に検車庫内にピットを新設。そして1981年(昭和56年)12月16日に検車庫を改築する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "輸送量の推移", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1946年(昭和21年)の乗降客数は前年とほぼ同じで100万人台を維持したが、翌年から減少が続いた。しかし1951年(昭和26年)には110万人台まで回復し、以後乗降客数は伸び続ける。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "貨物輸送量は太平洋戦争敗戦後から減少し始めたが、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争の影響により軍需物資の需要が増加したため朝鮮戦争前年には増加に転じる。貨物輸送量は次のように推移していく。1945年(昭和20年)約8万7千トン、1946年(昭和21年)約6万トン、1947年(昭和22年)約3万7千トン。朝鮮戦争前年の1949年(昭和24年)は約5万6千トンまで一時的に増加するが、朝鮮戦争が停戦になると再び減少していき、1955年(昭和30年)には3万7千トン台になる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "乗客数増加と社名変更(流山電気鉄道へ)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "電化後の1951年(昭和26年)11月28日、社名を流山電気鉄道と改称。当時の年間乗客数は119万6千人。1962年(昭和37年)度は200万人超。1966年(昭和41年)度には313万9千人。これは本鉄道沿線の宅地開発が行われたためである。1974年(昭和49年)には4百万人台にまで増加するが、翌年は約364万まで減少する。同年の乗客数減少の一因には流山市立鰭ヶ崎小学校の開校により、流山線を通学に利用していた小学生の減少がある。しかし1976年(昭和51年)には400万人台まで回復した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "貨物輸送量の減少", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "貨物輸送量は減少を続け、1960年(昭和35年)約2万5千トン、1961年(昭和36年)は約2万3千トン。1965年(昭和40年)は1万トン台、1966年(昭和41年)には5千トン台まで減少する。貨物輸送量減少の原因は道路網の整備によるトラック輸送への転換である。また、沿線にある酒造工場の一つが休業になったことも一因である。同年はキッコーマン酒造工場への引込線が撤去される。この引込線は1929年(昭和4年)に流山駅から堀切家が経営する工場まで敷設されたもので、原料と製品の輸送に使用された。国鉄武蔵野線の建設が始まるとその建設資材輸送に流山線が使用され、貨物輸送量は多少増加し、1968年(昭和43年)約9千9百トン、1971年(昭和46年)約3万7千トン、1972年(昭和47年)約3万6千トンになる。しかし武蔵野線が完成すると貨物輸送量は激減し、1973年(昭和48年)には約1千6百トン、1975年(昭和50年)は約940トンとなった。そして1976年(昭和51年)度(年度末は1977年3月31日)を最後に貨物輸送を廃止する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "列車交換設備整備と社名変更(流山電鉄へ)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1967年(昭和42年)5月、本社を流山に移転し、同年6月20日、社名を流山電鉄に変更。同年7月1日から輸送量を倍増するために、小金城趾駅に列車交換設備を整備し、一日の列車本数を上下各32本から各46本に増発した。朝の通勤通学時間帯は、馬橋駅と流山駅の両駅では、列車が到着すると隣のホームで発車時刻待ちしていた列車がすぐに発車する運行形態をとった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "1971年(昭和46年)1月20日、社名を総武流山電鉄と改称。経営陣も交替が激しく、平和相互銀行の小宮山グループの傘下に入り、第2位の株主はのちに銚子電気鉄道のオーナーとなる内野屋工務店である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "国鉄武蔵野線開業の影響", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "1973年(昭和48年)の国鉄武蔵野線開業の影響により、乗客数の伸びは今までのように急増はしていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "1970年代半ばの収益", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "1976年(昭和51年)度の鉄道部門の収入は2億7千万円である。当時の経済状況はインフレであったが、このような状況下でこの収入であることから、当鉄道の規模の小ささがわかる。この頃、当鉄道では70歳以上の流山市民の乗車賃を無料にしていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "1978年(昭和53年)以降は西武鉄道から18輛の車輛を譲り受け、各編成ごとに車体のカラーリングを変えて、オレンジ色の「流星」、青色の「流馬」、銀色の「銀河」、若草色の「若葉」、黄色の「なの花」、赤色の「あかぎ」という愛称が付けられた。「青空」は青地に白の「N」の文字をあしらったデザインで、本鉄道初の冷房車である。各編成の愛称は一般公募で決められた。 また、乗客数は伸び続け、1993年(平成5年)度の乗客数は610万人を超え、1996年(平成8年)には一日の列車本数が上下各72本になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "変電所建設", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "輸送量の増加に対応して本鉄道は千葉県流山市大字鰭ケ崎に西平井変電所を建設した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2008年(平成20年)8月1日、本鉄道は社名を流鉄に、路線名を流山線に変更した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "流山軽便鉄道が造られた遠因として、鉄道忌避があったため(常磐線が流山を通らなかった)とする説が過去には通説とされていたことがあった。忌避説が文献に最初に発表されたのは1964年(昭和39年)の『松戸市史』である。その後、忌避説は北野道彦が執筆した『「町民鉄道」の60年』と『総武流山電鉄七十年史』へ受け継がれる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "流山町は醸造と水運で繁栄していた。日本鉄道土浦線(現常磐線)は流山町を通るはずであったが、これに対して流山町では水運業者(当時の水運業者数は十数と推定される)を中心に激しい反対があった。水運業が成り立たなくなってしまうからである。土浦線には醸造業者も反対した。水運には高瀬船を使用していたが、その建造には費用(1隻約3千円と推定される)がかかるため、それを調達するために水運業者は裕福な醸造業者から長期ローンによる借入金に依存していた。そのため、もし鉄道が流山町を通り、水運業が衰退してしまうと、醸造業者は水運業者へ融資した資金の回収が不可能になってしまう。こうのような関係から醸造業者と水運業者の連携が成立したものと考えられる。このようにして、町ぐるみの鉄道反対運動は成功し、流山町を迂回して土浦線は敷設されることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "流山市立博物館学芸員山下耕一はこの説を否定している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "常磐炭鉱から石炭を輸送するために敷設された土浦線は、最初は流山経由で川口方面に延伸する計画でしたが、鉄道局から「直接東京へ乗り入れよ」という指示があり、流山を通らない田端への経路に変更されたのが真実です。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "本鉄道は路線延長を申請または計画したが、いずれも実現していない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "森口誠之著『鉄道未成線を歩く国鉄編』によれば江戸川に沿って市川 - 松戸 - 流山 - 野田 - 関宿 - 境 - 三和 - 小山を結ぶように計画された「総野線」構想が存在し、実現した暁には流山線は国鉄に買収される計画だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "(本節は『「町民鉄道」の60年』(pp.19 - 21)を参考文献とする)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "鉄道建設発起人には秋元平八、中村権次郎、鈴木金左衛門、村松喜太郎、秋元三左衛門、堀切紋次郎などの流山の名士が名を連ね、中心となって活動したのが秋元平八である。平八は1869年(明治2年)に流山で生まれ、現在の早稲田大学を出た。「平八」という名前は代々の襲名である。平八の家は秋元家の分家であるが、本家の秋元三左衛門とともに、みりん「天晴(あっぱれ)」の醸造を手掛け、他に醤油も製造していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "平八は家業にはあまり熱心とはいえず、新し物好きな風流人であったらしい。流山では1900年(明治33年)頃に流行り始めた自転車に夢中になり、自転車を趣味とする人たちの親睦会「曙輪友会」(あけぼのりんゆうかい)が発足した際、その会長の座に就いた。そして現代で言うところのツーリングに出かけたり、各地のロードレースに参加したりした。また、馬場山の一部を切り開いて自転車競技場を建設し、自転車レースも主催した。こうした指導力を持っていたことに起因して、平八が鉄道建設運動の指導者に推されたものと考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "また、平八は俳句も趣味とし、「洒汀」(しゃてい)という俳号を持っていた。文学・美術も好きで小説家や画家とも交流が深く、彼らの後援者でもあった。平八の家には多くの小説家・画家が訪れた。小説家では国木田独歩や田山花袋、画家では岡倉天心や横山大観などである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "平八は1935年(昭和10年)に74歳で亡くなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月17日、本鉄道の列車が米軍艦上機の攻撃を受け被弾した。『流山市史研究』には次のようにある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "「昼過ぎに馬橋を出て流山へ向った列車で、当時の大谷口駅(現在の幸谷駅と小金城趾駅の間、大谷口城跡の下)を過ぎたところで遭難した。機関士が左腕に重傷を負った」", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "—伊藤晃,「証言で綴る 流山と空襲」『流山市史研究』創刊号(1983年)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "また、以下のような列車の乗客および乗員の証言がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "車両は1994年以降全車が西武鉄道からの譲渡車で統一され、5編成10両の車両(2013年12月時点)が使用されている。各編成ごとに異なる愛称がつけられ、異なる塗色が施されている。2022年時点では「あかぎ」、「なの花」、「若葉」、「さくら」、「流星」の5種類で、全車両が2両編成であり、ワンマン運転開始に伴い行先表示器が幕式からLED式に換装されているほか、ドア開閉チャイムと案内放送、自動の車内アナウンス装置が取り付けられている。なお愛称ごとの車体色は車両が代替わりしても一貫しており、歴代愛称ごとの車体色は「流馬」=水色、「流星」=橙色、「あかぎ」=臙脂色、「なの花」=黄色、「明星」=柿色、「若葉」=黄緑色、「青空」=紺色、「銀河」=銀色、「さくら」=ピンクとなっている。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "2009年に西武から譲渡された元新101系で、クモハ5000形-クモハ5100形の2両編成。2010年1月20日より「流馬」(3代目)、2011年3月11日より「流星」(3代目)、2012年3月14日より「あかぎ」(2代目)、2012年12月3日より「若葉」(3代目)、2013年12月6日より「なの花」(3代目)が、それぞれ営業を開始した。西武時代に種別幕だった表示器には「ワンマン」と表示している。なお、「流馬」は2018年8月23日より塗装が変更され、「さくら」となった 。「流星」は、2021年1月21日から車体塗装やつり革の色を変更して運行している。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "1994年導入。クモハ2000形・モハ2100形・クハ20形の3形式から成る。元西武701系・801系であったが、老朽化のため、2007年11月に3両編成の「流馬」(2代目)、2009年4月に3両編成の「明星」、2012年7月に2両編成の「青空」、2013年4月28日に2両編成の「なの花」(2代目)が、それぞれさよなら運転を実施して運用を終了した。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "1999年に旧101系を譲受し、「流星」(2代目)と「若葉」(2代目)の3両編成2本としたもの。2010年1月23日のダイヤ改正で定期運用から離脱し、「流星」は2010年8月29日、「若葉」は2011年5月15日に、それぞれさよなら運転を実施して運用を終了した。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "1979年 - 2001年在籍。1200形はクモハ1200形・サハ60形・クハ80形の3形式、1300形はクモハ1300形・クハ70形の2形式から成る。いずれも元西武の車両で、501系を種車にした3両編成の「流星」(初代)・「流馬」(初代)・「銀河」・「若葉」(初代)と、551系・クハ1651形を種車にした2両編成の「なの花」(初代)・「あかぎ」(初代)があった。流山線で現在まで続く編成愛称を導入した最初の車両である。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "太平洋戦争直後の化石燃料(石炭、ガソリン)事情の悪化に対応するために、戦後初の公選選挙で選ばれた流山町長が中心となって流山鉄道の電化に動き出す。町長は5.7キロメートルの小私鉄である流山鉄道自社で変電所を建設および維持することは採算に合わないと考え、国鉄常磐線の電化を見越して、国鉄から直流1,500Vの電力を購入するために千葉県選出の参議院議員を通じて運輸省に働きかけ、国鉄からの電力購入に成功する。そして本鉄道は常磐線電化から半年後に電化を為し遂げる。電化当初の電車の輛数は3輛であった。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "電化前はガソリンの入手が困難で、ガソリンカーによる定時運行が思うようにいかない状況であった。そのためこの時期には蒸気機関車による旅客列車も復活した。国鉄から客車や救援車、蒸気機関車を借り入れて営業を行ったが、車両の増備は行われなかった。この車両不足の状況は電化によって改善することになる。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "1949年末に電化は完成し、国鉄から電車を3両(モハ100形)購入した。その後100形が1両(モハ105)が増備され、クハ51、Mc+Tc編成(モハ1001+クハ52)も入線した。キハ31とキハ32はエンジンを撤去され、付随車として電車に牽引されていたが、電車の増備により廃車となった。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "モハ100形は、本鉄道電化の際に国鉄から払い下げを受けた車両で、元南武鉄道モハ100形である。台車はボールドウィン製BW78-25A系。単行あるいは増結用として使われていた他、貨車を牽引して混合列車として運行されることもあった。14メートル級半鋼製2扉車である。車体各部には若干の相違がある。通風器は101・103がお碗形、102・105がガーランド形である。3ドア車の入線により増結用として使用されるようになった。100形は本鉄道電化以来使用されてきた車輛のため、電気部品も老朽化が進んでいるため、2輛ぐらいを中間車化を兼て更新する予定があった。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "なお流鉄モハ100形の全廃と入れ替わりに、東濃鉄道駄知線から後述の流鉄モハ1002-クハ55が入線しているが、この車両とともに使用されていた東濃モハ103・クハ201・クハ202は、流鉄モハ100形と出生の同じ南武モハ100形である。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "モハ1000形はクハ50形と組んで2両編成で運用されることが多かった。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "クハ50形は、モハ1000形あるいはモハ1100形と編成を組んで運用された。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "駿豆鉄道から蒸気機関車2両(No.15・No.16)を借り入れ、後に正式に購入した。客車は国鉄から4輪客車を3両購入し、貨車も国鉄から購入した。1933年から1934年にかけて内燃動力の併用認可を得て、4輪ガソリンカーを2両(キハ31・キハ32)を新製で購入。当時は鉄道で内燃動車が実用化された頃で、経済性とフリークエントサービスを目的に採用した。ガソリンカーの導入により客車は休車となり、その後に廃車。蒸気機関車は貨物および入換専用となった。1938年には国鉄から蒸気機関車(No.105・No.1255)を購入し、No15とNo.16を廃車にした。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "蒸気機関車は、本鉄道所有機が4輛、国鉄からの借用機が1輛在籍していた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "ディーゼル機関車は、馬橋駅での貨車入れ換え用機と1輛在籍していた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ガソリンカーは、2輛在籍していたが、2輛とも後に動力装置を外され、客車として使用された後で廃車となった。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "客車は、本鉄道所有車が5輛(うち2輛はガソリンカーからの動力装置を外した二軸車)、国鉄からの借用車が4輛在籍していた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "貨車は、本鉄道で有蓋車と無蓋車を保有していた。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "保線車両等にはキャブ付タンク車、トロッコ、車輛整備時に使用する台車などがある。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "流山市立博物館に写真が展示されている(2004年時点)。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "開業時に準備した車両は蒸気機関車・客車・貨車がそれぞれ2両であり、営業運転上最小限の必要両数であった。この状態は電化時まで続けられた。蒸気機関車のうちC形9t機は使用を中止し、頸城鉄道の3号機(初代)を代わりに購入。その後、雨宮製作所製のB形6t機を購入して3号機とし、1号機を売却。さらに田中鉱山からB形5.7t機を購入して4号機とし、2号機を売却した。", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "(※参考文献によって、No.1とNo.2の車歴の記述が異なり、その影響で、この2輛の後継機となるNo.3とNo.4の当鉄道への入線経緯が錯綜することに注意)", "title": "車両" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "鉄道運転事故は1994年度の踏切障害事故(小型トラックと列車の衝突、負傷者なし)を最後に起きていなかったが、2013年度に馬橋駅 - 幸谷駅間の踏切で自転車と接触する踏切障害事故(負傷者なし)が起きた。", "title": "輸送障害" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "2014年7月11日には安全報告書に記載された初の死亡事故として、小金城趾駅 - 幸谷駅間の踏切で流山駅発馬橋駅行き普通電車(5000系(5102-5002)「流星」2両編成)と乗用車が衝突し、電車の1両目前半分の車輪が脱線する事故が起きた。千葉県警の調べでは乗用車に乗っていた男性と女性は骨盤が折れるなどの重傷を負い搬送先の病院で死亡を確認、電車の乗客約20人のうち男性1人が体の痛みを訴えて病院に運ばれた。現場の踏切は遮断機と警報機がない第4種踏切で、車1台が通行できる程度の幅しかなく、運転士は「踏切内に車が見えたので警笛を鳴らしたが、ブレーキが間に合わなかった」と話している。事故後、全線不通となり翌12日午前7時15分に運転を再開した。運輸安全委員会から公表された事故調査報告書によれば、脱線の原因は衝突した乗用車が列車の台車に接触したためで、踏切に乗用車が進入した理由については特定できなかった。2015年度版安全報告書によると、民家の出入口が踏切という特殊な宅地構造が根本的な原因であり対策を検討中とし、また、直ちに踏切表示器を設置して注意を喚起することとした。", "title": "輸送障害" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "その他の輸送障害(列車の30分以上の遅延や運休)の発生件数は以下の通りである。", "title": "輸送障害" } ]
流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と同県流山市の流山駅を結ぶ流鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングを構成する記号はRN。
'''流山線'''(ながれやません)は、[[千葉県]][[松戸市]]の[[馬橋駅]]と同県[[流山市]]の[[流山駅]]を結ぶ[[流鉄]]の[[鉄道路線]]である。[[駅ナンバリング]]を構成する記号は'''RN'''。 <!-- テンプレート --> {{Infobox rail line | box_width = 300px; | name = [[File:Ryutetsu Logomark.svg|20px]] 流山線 | other_name = | logo = 流鉄流山線ナンバリング.png | logo_width = 40px | image = Ryutetsu-Series5000-5104 Wakaba.jpg | image_width = 300px | image_alt = 流鉄流山線5000形「若葉」号 | caption = 流鉄流山線[[総武流山電鉄3000形電車#5000形|5000形]]「若葉」号<br />(2022年1月 [[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]] - [[鰭ヶ崎駅]]間) | type = | status = | start = 起点:[[馬橋駅]] | end = 終点:[[流山駅]] | stations = 6駅 | open = {{start date and age|1916|03|14|df=y}} | close = | owner = [[流鉄]] | operator = | depot = | stock = 「[[#車両|車両]]」の節を参照 | linelength_km = 5.7 | linelength = | gauge = {{RailGauge|1067mm|lk=on}} | ogauge = {{RailGauge|762mm|lk=off}} | minradius = | linenumber = RN | el = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]] | speed = 最高{{convert|55|kph|mph|lk=on|abbr=on}}<ref name="terada">寺田裕一『データブック日本の私鉄』([[ネコ・パブリッシング]])</ref> | maxincline = | map = [[ファイル:流鉄流山線・路線図・1.jpg|250px|流山線の路線図]] | map_state = }} {| {{Railway line header}} {{UKrail-header|停車場・施設・接続路線|}} {{BS-table}} {{BS4|BHF|O1=HUBaq|STR|O2=HUBq|KBHFa|O3=HUBeq||0.0|RN1 [[馬橋駅]]|}} {{BS4|STR|ABZgl|KRZu|STR+r|}} {{BS6||O1=HUBrg|HST|O2=HUBeq|STR|STR|STR||||[[新松戸駅]]||}} {{BS6|HSTq|O1=HUBe|KRZh|KRZh|KRZh|KRZh|ABZq+l|||←[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[武蔵野線]]→|}} {{BS6||STR|STR|BHF|ABZl+l|STRr|1.7|RN2 [[幸谷駅]]|}} {{BS4|STR|ABZg+l|KRZu|STRr|}} {{BS4|STRr|STR|STR||||←JR東:[[常磐緩行線]]||}} {{BS4|STRq|STRr|STR||||←JR東:[[常磐快速線]]||}} {{BS4|||eBHF||2.2|''[[大谷口駅]]''|-1953|}} {{BS4|||BHF||2.8|RN3 [[小金城趾駅]]|}} {{BS4|||WBRÜCKE1||||[[坂川]]}} {{BS4|||BHF||3.6|RN4 [[鰭ヶ崎駅]]|}} {{BS4||tSTRq|KRZt|tSTRq|||←[[首都圏新都市鉄道]]:|}} {{BS4|||STR||||[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]→|}} {{BS4|||eABZg+l|exKHSTeq|||[[メルシャン|東邦酒類]]専用線|}} {{BS4|||BHF||5.1|RN5 [[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]|}} {{BS4|||STR|exKHSTa|||[[キッコーマン]]流山工場|}} {{BS4|||eKRWgl|exKRWg+r|||万上線|}} {{BS4|||STR|exENDEe||||}} {{BS4|||KBHFe||5.7|RN6 [[流山駅]]|}} |} |} <!-- 画像 --> [[ファイル:Ryutetu_Nagareyama_line.JPG|right|200px|thumb|馬橋駅 - 幸谷駅間の住宅街を走る流山線(2007年8月12日)]] [[ファイル:Nagareyama line Koganejoushi Station.JPG|right|200px|thumb|馬橋駅 - [[小金城址駅]]間は[[坂川]]支流の新坂川に沿って線路が走る(2009年4月10日)]] == 概要 == 6駅、5.7キロメートルを走る路線で<ref name="流山観光協会">[https://nagareyamakankou.com/tourism-information/ryutetsu-nagareyamasen-2/ ながれやまを走る鉄道(流鉄・TX・東武)流鉄流山線] 流山市観光協会「ときめき流山さんぽ」(2022年7月30日閲覧)</ref>、[[みりん]]産業で発展して現在は東京近郊の[[ベッドタウン]]になっている[[千葉県]][[流山市]]<ref>[https://www.pref.chiba.lg.jp/shichou/gyousei/gyouseikaikaku/nagareyama2.html 人口増加の秘密〜シティセールスプランに基づくプロモーション活動〜(流山市)]千葉県庁ホームページ(2018年10月26日閲覧)</ref>中心部と[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]]との[[乗換駅]]である馬橋駅<ref>[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1449.html 馬橋駅の構内図] JR東日本(2022年7月30日閲覧)</ref>を結んでいる。接続するJR常磐線の[[複々線]]区間とは対照的に2両[[編成 (鉄道)|編成]]の[[電車]]が走行する、[[首都圏 (日本)|首都圏]][[郊外]]の[[単線]]鉄道である。沿線は[[1970年代]]頃までは[[雑木林]]や農地などが広がっていたが、その後は沿線の宅地化が進み、[[東京都区部]]への[[通勤]]の利用が増加した。 運行会社の流鉄株式会社は2008年8月1日を以て社名変更するまで総武流山電鉄(そうぶながれやまでんてつ)株式会社であった<ref name="hobidas20080627" /><ref name="流山観光協会"/>。同社が経営しているという意味で路線の正式名称も「'''総武流山線'''」であったが、駅での[[自動券売機]]・路線図の表記やアナウンスでは、もっぱら「'''流山線'''」を使用していた。社名変更にあわせて「流山線」が正式な路線名となった<ref name="hobidas20080627">{{Cite journal | title = 総武流山電鉄 社名と線名を変更 | journal = 鉄道ニュース > 最新鉄道情報 | publisher = 鉄道ホビダス | issue = 2008年6月27日 | url = http://rail.hobidas.com/news/info/article/86164.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080630113327/https://rail.hobidas.com/news/info/article/86164.html|archivedate=2008-06-30}}</ref>が、JR常磐線との乗換駅である馬橋駅の乗り場案内標識や車内掲示の路線図では従来より「流山線」となっていたため、変更する必要は生じなかった。 {| class="wikitable" style="font-size:90%;" |- !colspan="3"|写真「沿線の宅地化」(鰭ヶ崎駅付近)1977年→1986年 |- |[[ファイル:総武流山電鉄・鰭ヶ崎 - 平和台間・モハ1101+クハ53(1977年)(s6-12).jpg|thumb|180px|center|宅地化が進む以前の鰭ヶ崎駅付近(鰭ヶ崎駅 - [[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]間)。列車はモハ1101+クハ53。 (1977年9月12日)]] |[[ファイル:総武流山電鉄・鰭ヶ崎 - 平和台間・クモハ1210+クハ81(s25-6).jpg|thumb|180px|center|宅地化が進んだ鰭ヶ崎駅付近(鰭ヶ崎駅 - 平和台駅間)。列車はクモハ1210+クハ81。 (1986年11月3日)]] |[[ファイル:総武流山電鉄・鰭ヶ崎 平和台間・クモハ1210+クハ81(s25-5).jpg|thumb|180px|center|宅地化が進んだ鰭ヶ崎駅付近(鰭ヶ崎駅 - 平和台駅間)。この写真は、左の写真の右側(平和台駅側)。列車はクモハ1210+クハ81。 (1986年11月3日)]] |} === 路線データ === <!-- 画像 --> [[ファイル:流鉄流山線_停車駅案内図.svg|thumb|none|500px|停車駅]] <!-- 他の鉄道路線記事に合わせて「:」を使用します。--> * 路線距離([[営業キロ]]):5.7 [[キロメートル|km]]<ref name="sone21 3">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 3頁]]</ref> * [[軌間]]:1067 [[ミリメートル|mm]]<ref name="sone21 3"/> * 駅数:6駅(起終点駅含む)<ref name="sone21 3"/> * 複線区間:なし(全線[[単線]]) * 電化区間:全線([[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]) * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式(1982年にタブレット閉塞式から変更<ref name="沿革">[http://ryutetsu.jp/about.html 沿革] 流鉄(2022年7月30日閲覧)</ref>) * 保安装置:[[自動列車停止装置|ATS]]<ref>流鉄株式会社『安全報告書 2009』(2009年)p.3</ref> ** 誤出発防止装置(馬橋、小金城趾、流山の各駅に2003年から設置) ** 終端駅過走防止装置(馬橋駅と流山駅に2003年から設置) ** 誤進入防止装置(小金城趾駅に2009年から設置) ** 他、運行車両の約3割(2両)に[[緊急列車停止装置|運転士異常時列車停止装置]]、列車無線装置を装備。 * [[列車交換|交換設備]]のある駅:[[小金城趾駅]] * [[車両基地]]所在駅:流山駅 * 最高速度:55 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="terada" /> * [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:なし == 駅一覧 == *全駅[[千葉県]]に所在。 *[[駅ナンバリング|駅番号]]は2018年5月から順次導入。 *全駅に[[駅員]]終日配置、全駅で出集札を終日実施(改札(入鋏)は省略)。 *駅周辺など各駅の詳細は各駅の記事を参照。 * 線路 … ∨・∧:両端の駅、◇・|:単線区間(◇は[[列車交換]]可能) *:馬橋駅ではJR東日本常磐線(快速線下り線)と線路がつながっている(車両輸送用。ただし受け渡し先は第二種鉄道事業者の[[日本貨物鉄道]])<ref>[http://blogs.yahoo.co.jp/lunchapi/61854201.html 馬橋駅、JRと流鉄の線路は美しくつながっています!]{{リンク切れ|date=2022年7月}}</ref>。 <!-- 他の鉄道路線記事に合わせて事業者名・路線名の区切りに「:」を使用します。--> {| class="wikitable" rules="all" style="font-size:90%;" |- !style="width:3.5em;"|駅番号 !style="width:6em;"|駅名 !style="width:2.5em;"|駅間キロ !style="width:2.5em;"|累計キロ !接続路線 !駅周辺 !{{縦書き|線路}} !style="width:3.5em;"|所在地 |- !RN1 |[[馬橋駅]] |style="text-align:center;"|- |style="text-align:right;"|0.0 |[[東日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JR_JL_line_symbol.svg|18px|JL]] [[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]] (JL 24) |[[萬満寺]] |style="text-align:center;"|∨ |rowspan="3"|[[松戸市]] |- !RN2 |[[幸谷駅]] |style="text-align:right;"|1.7 |style="text-align:right;"|1.7 |※ |[[流通経済大学]]新松戸キャンパス |style="text-align:center;"|| |- !RN3 |[[小金城趾駅]] |style="text-align:right;"|1.1 |style="text-align:right;"|2.8 |&nbsp; |[[小金城|大谷口歴史公園]] |style="text-align:center;"|◇ |- !RN4 |[[鰭ヶ崎駅]] |style="text-align:right;"|0.8 |style="text-align:right;"|3.6 |&nbsp; |[[東洋学園大学]]流山キャンパス |style="text-align:center;"|| |rowspan="3"|[[流山市]] |- !RN5 |[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]] |style="text-align:right;"|1.5 |style="text-align:right;"|5.1 |&nbsp; |[[小林一茶|一茶]]双樹記念館 |style="text-align:center;"|| |- !RN6 |[[流山駅]] |style="text-align:right;"|0.6 |style="text-align:right;"|5.7 |&nbsp; |[[近藤勇]][[陣屋]]跡 |style="text-align:center;"|∧ |} ※幸谷駅接続または[[新松戸駅]]を発着地とする馬橋駅接続の[[連絡運輸]]の設定はない。 == 運賃 == 大人旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定<ref>{{PDFlink|[http://www.ryutetsu.jp/info/wp-content/uploads/2019/09/%E8%AA%8D%E5%8F%AF%E6%99%82%E5%BA%83%E5%A0%B1%E7%94%A81.pdf 鉄道運賃の改定について]}} - 流鉄、2019年9月10日(2019年10月5日閲覧)</ref>(単位:[[円 (通貨)|円]])。定期運賃は1か月の金額を記載。交通系ICカード(Suica・PASMO等)は使用できない。目的地までの切符を購入する必要がある。 {| class="wikitable" border="1" style="text-align:center;" |- !キロ程!!普通運賃!!通勤定期!!通学定期 |- |初乗り2 km||130||5090||3610 |- |3||140||5500||3910 |- |4||170||6360||4530 |- |5※||180||7210||5140 |- |6||200||8060||5740 |} ※4 kmを超え5 kmまでの運賃(180円区間)は設定のみで適用区間は実際には存在しない。 慢性的な赤字解消のため、2024年4月1日に運賃改定を実施予定。普通運賃は初乗りが10円値上げされ140円になる。消費増税分を除くと、値上げは1989年10月以来、34年半ぶり<ref name="yomiuri20230919" /><ref name="ryutetsu20230907" />。 == 運行形態 == [[ファイル:Nagareyama koganejoushi eki 1.jpg|thumb|200px|right|列車交換設備のある小金城趾駅]] 全列車が2両編成<ref name="東京新聞20220714">[https://www.tokyo-np.co.jp/article/189454 【TOKYO発】人気アツアツ オムライス列車 流鉄流山線「苦肉の策」が話題 赤と黄色に夢乗せて「沿線オムライス化」計画!?]『[[東京新聞]]』朝刊2022年7月14日26面(2022年7月30日閲覧)</ref>、[[ワンマン運転]]の[[普通列車]](各駅に停車)で区間運転はなく、馬橋駅 - 流山駅間の全線を行き来する<ref name="mabashi-taimetable">[http://ryutetsu.jp/timetable/mabashi.html 流山線各駅時刻表 馬橋駅 発] 流鉄(2022年7月30日閲覧)</ref>。列車交換は交換設備がある途中の[[小金城趾駅]]で行う。全線所要時間11分<ref>{{Cite web|和書|url=http://ryutetsu.jp/route.html|title=路線図|accessdate=2020-12-11|publisher=流鉄株式会社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201030063803/http://ryutetsu.jp/route.html|archivedate=2020-10-30}}</ref>。昼間は20分間隔、夕方と土休日の朝は15分間隔、平日の朝は13分間隔、土休日の夜間は15 - 27分間隔で運行されている<ref name="mabashi-taimetable" /><ref name="nagareyama-taimetable">[http://ryutetsu.jp/timetable.html 流山線各駅時刻表 流山駅 発] 流鉄(2022年7月31日閲覧)</ref>。 [[1990年]][[11月18日]]から[[2009年]]6月20日までの18年7か月間、[[ダイヤ改正]]が行われなかった。この間、接続するJR東日本を始め、日本の多くの事業者が完全[[週休二日制]]の普及に伴い[[土曜日]]を休日ダイヤで運転するようになったが、本路線では土曜日も平日ダイヤでの運転を行っていた。 2009年[[6月21日]]のダイヤ改正で、昼間時間帯のワンマン運転開始と終日にわたる運転間隔の均等化を実施した<ref name="sone21 27" />。その7か月後の[[2010年]][[1月23日]]には、[[始発列車]]の繰り上げ(流山駅発4時55分)と[[終電|最終列車]]の繰り下げ(馬橋駅発翌0時17分)、夜間帯の増発と終日ワンマン運転の実施とともに、土曜日を休日ダイヤに変更するダイヤ改正を実施した<ref name="sone21 27" />。 [[2023年]][[7月1日]]にダイヤ改正が行われた。早朝、夜間帯の減便、JR線との接続の改善、日中のダイヤのパターン化を行った。 == 利用状況 == 流山線沿線は、日本の他の[[公共交通機関]]の例に漏れず[[少子高齢化]](通勤・通学者の減少)の影響が現れており、[[1993年]]度をピークに収益・乗車数とも減少傾向が続いている。 また、1973年の[[日本国有鉄道|国鉄]](後のJR)[[武蔵野線]]開業を皮切りに1986年の[[新京成電鉄]]バス路線「幸田線」の開業(後に[[松戸新京成バス]]に移管)、2005年の[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス]] (TX) の開業など競合交通機関の登場が相次ぎ、ただでさえ限られた規模の沿線地域から旅客を奪われる状況となっている。輸送人員はピークだった1993年の約611万人から、TX開業翌年の2006年には約349万人、さらに[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の影響を受けた2020年には約225万人に減った<ref name="東京新聞20220714"/>。 特にTX開業による打撃は大きく、2005年度の年間乗車人員が前年度[[2004年]]度に比べて約16%も減少、特に[[流山駅]]では1日の利用客が50%近く減少した。流山駅はTXの[[流山セントラルパーク駅]]と約1.3km、[[鰭ヶ崎駅]]に至ってはJR・TXの[[南流山駅]]と約0.9kmしか離れておらず、相当数の沿線在住者が東京都区部へ乗り換えの必要がないTXに流出したと見られる。 このため流鉄では、2005年度末から2両編成の車両をワンマン対応に改造するなどの工事を行い、ワンマン運転化を進めた。ただし、ワンマン化には経費が約1,500万円かかるといい、中期的な[[合理化]]であるとしている。2006年[[5月17日]]から比較的乗客の少ない昼間に限り一部列車でワンマン習熟訓練を実施し、2009年6月21日のダイヤ改正より昼間時の列車をワンマン化、2010年1月23日にはワンマン運転完全実施となった。 この他、千葉県[[柏市]]に流鉄の不動産を売却して鉄道事業の損失を補うなどの対策を採っている。一方、流山市としては[[地域おこし]]と合わせた活性化策を実施している。駅や車庫、指定した列車内などで撮影できる[[コスプレ]]イベント<ref>[https://web.archive.org/web/20170301012432/http://bootyjapan.jp/event/105 流鉄流山線イベント]※2017年4月9日開催分を告知するbooty公式サイトの[[インターネットアーカイブ]](2022年7月30日閲覧)</ref>、「流鉄[[ビール|ビア]]列車」運行など観光鉄道的な取り組みを行いつつ、流山駅隣に交流スペースを設けて、流山市に流入する子育て世帯の利用増を図っている<ref>[https://mainichi.jp/articles/20181007/ddl/k13/100/002000c 【ぐるっと首都圏・旅する・みつける】千葉・流山-松戸/レトロな雰囲気を満喫 子どもにやさしい空間も]『[[毎日新聞]]』朝刊2018年10月7日(首都圏面)2018年10月26日閲覧</ref>。2021年12月には、車両不具合を受けて赤色と黄色の車両を連結して2両編成で運行したところ「[[オムライス]]みたい」と話題になり、同じ色の組み合わせを「オムライス列車」として記念グッズ販売、オムライスのイラストを描いた[[ヘッドマーク]]設置、沿線でオムライスを提供する飲食店の募集を展開している<ref name="東京新聞20220714"/>。 === 輸送実績 === <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">年度別輸送実績(流山線)</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> 流山線の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 {| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right; width:100%;" |- ! rowspan="2"|年  度 ! colspan="5"|輸送実績(乗車人員):万人/年度 ! rowspan="2"|輸送密度<br />人/1日 ! rowspan="2"|貨物輸送量<br />万トン/年度 ! rowspan="2"|特 記 事 項 |- | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤通学<br />定 期 計 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|定 期 外 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|合  計 |- ! style="font-weight: normal;"|1975年(昭和50年) | style="background-color: #ccffcc;"|214.6 |50.3 | style="background-color: #ccffcc;"|264.9 | style="background-color: #ccffcc;"|99.4 | style="background-color: #ccffcc;"|'''364.3''' | style="background-color: #ccffcc;"|7,763 | style="background-color: #ffcccc;"|''0.09'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1976年(昭和51年) |233.7 |49.3 |283.0 |118.2 |'''401.2''' |8,580 |''0.01'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1977年(昭和52年) |253.1 |48.3 |301.4 |122.4 |'''423.9''' |9,107 |''0.04'' | style="text-align: left;"|貨物営業廃止 |- ! style="font-weight: normal;"|1978年(昭和53年) |256.5 |45.9 |302.4 |128.8 |'''431.3''' |9,305 | style="background-color: #ccffff;"|''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1979年(昭和54年) |254.2 |44.4 |298.7 |124.5 |'''423.3''' |9,061 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年) |257.7 |43.0 |300.8 |130.0 |'''430.8''' |9,233 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1981年(昭和56年) |258.4 | style="background-color: #ccffcc;"|42.2 |300.7 |126.5 |'''427.2''' |9,104 |''0.0'' | style="text-align: left;"|幸谷駅移転 |- ! style="font-weight: normal;"|1982年(昭和57年) |248.5 |43.0 |291.4 |138.8 |'''430.2''' |8,689 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1983年(昭和58年) |244.8 |50.0 |294.8 |154.7 |'''449.5''' |8,801 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1984年(昭和59年) |245.0 |55.2 |300.2 |158.7 |'''458.9''' |8,901 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年) |242.3 |57.7 |300.0 |167.3 |'''467.3''' |8,959 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年) |243.1 |66.3 |309.4 |179.3 |'''488.7''' |9,172 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年) |248.9 |73.6 |322.5 |185.3 |'''507.8''' |9,391 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年) |262.9 |78.0 |340.9 |192.4 |'''533.3''' |9,895 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年) | style="background-color: #ffcccc;"|277.1 | style="background-color: #ffcccc;"|84.2 | style="background-color: #ffcccc;"|361.3 |199.7 |'''561.0''' |10,487 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年) |274.1 |82.5 |356.6 |206.0 |'''562.6''' |10,514 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年) |276.2 |78.3 |354.5 |221.2 |'''575.7''' |10,715 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年) |270.9 |81.5 |352.4 |231.7 |'''584.1''' |10,852 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年) |271.1 |81.7 |352.8 | style="background-color: #ffcccc;"|257.9 | style="background-color: #ffcccc;"|'''610.7''' | style="background-color: #ffcccc;"|11,321 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年) |264.6 |81.8 |346.4 |252.7 |'''599.1''' |11,070 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年) |255.8 |77.8 |333.6 |255.0 |'''588.6''' |10,802 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年) |250.4 |75.2 |325.6 |254.3 |'''579.9''' |10,720 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年) |246.0 |71.8 |317.8 |248.8 |'''566.6''' |10,529 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年) |242.1 |67.6 |309.7 |251.0 |'''560.7''' |10,446 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年) |231.1 |62.5 |293.6 |249.9 |'''543.5''' |10,076 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年) |221.9 |57.3 |279.2 |253.6 |'''532.8''' |9,878 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年) |221.3 |56.2 |277.5 |252.5 |'''530.0''' |9,852 |''0.0'' | style="text-align: left;"|冷房100%化 |- ! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年) |215.7 |56.1 |271.8 |250.6 |'''522.4''' |9,695 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年) |209.4 |56.7 |266.1 |252.2 |'''518.3''' |9,585 |''0.0'' | style="text-align: left;"|[[自動列車停止装置|ATS]]設置 |- ! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年) |203.4 |52.0 |255.4 |246.1 |'''501.5''' |9,309 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年) |165.9 |45.5 |211.4 |208.3 |'''419.7''' |7,490 |''0.0'' | style="text-align: left;"|[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]] (TX) 開業 |- ! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年) |130.5 |37.0 |167.5 |181.9 |'''349.4''' |5,955 |''0.0'' | style="text-align: left;"|ワンマン運転習熟訓練開始 |- ! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年) |120.9 |35.5 |156.4 |171.4 |'''327.8''' |5,549 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年) |116.7 |32.3 |149.0 |167.5 |'''316.5''' |5,356 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年) |110.1 |30.2 |140.3 |158.8 |'''299.1''' |5,053 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年) |&nbsp; |&nbsp; |133.4 |155.1 |'''288.5''' |&nbsp; |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年) | style="background-color: #ccffff;"|101.9 | style="background-color: #ccffff;"|28.2 | style="background-color: #ccffff;"|130.1 |152.4 |'''282.5''' |4,800 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年) |104.0 |29.7 |133.7 |151.5 |'''285.2''' |4,852 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年) |105.6 |29.6 |135.2 | style="background-color: #ccffff;"|143.4 | style="background-color: #ccffff;"|'''278.6''' | style="background-color: #ccffff;"|4,706 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年) |107.2 |30.8 |138.0 |145.9 |'''283.9''' |4,833 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年) |109.8 |30.0 |139.8 |143.7 |'''283.5''' |4,796 |''0.0'' |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年) |111.9 |28.4 |140.3 |146.0 |'''286.3''' |4,827 |''0.0'' | |} [[国土交通省]]鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。 </div></div> === 営業成績 === <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;"> <div class="NavHead">年度別営業成績(流山線)</div> <div class="NavContent" style="text-align: left;"> 流山線の営業成績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 {| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:right; width:100%;" |- ! rowspan="2"|年  度 ! colspan="6"|旅客運賃収入:千円/年度 ! rowspan="2"|貨物運輸<br />収入<br />千円/年度 ! rowspan="2"|運輸雑収<br />千円/年度 ! rowspan="2"|営業収益<br />千円/年度 ! rowspan="2"|営業経費<br />千円/年度 ! rowspan="2"|営業損益<br />千円/年度 ! rowspan="2"|営業<br />係数 |- | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通学定期 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|通勤通学<br />定 期 計 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|定 期 外 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|手小荷物 | style="text-align: center; font-weight: normal;"|合  計 |- ! style="font-weight: normal;"|1975年(昭和50年) |&nbsp; |&nbsp; | style="background-color: #ccffcc;"|136,638 | style="background-color: #ccffcc;"|76,356 | style="background-color: #ffcccc;"|''36'' | style="background-color: #ccffcc;"|'''213,030''' | style="background-color: #ccffcc;"|''326'' | style="background-color: #ccffcc;"|2,342 | style="background-color: #ccffcc;"|'''215,698''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1976年(昭和51年) |&nbsp; |&nbsp; |166,151 |103,837 |''21'' |'''270,009''' | style="background-color: #ffcccc;"|''477'' |3,037 |'''273,523''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1977年(昭和52年) |&nbsp; |&nbsp; |211,442 |121,999 |''4'' |'''333,446''' |''183'' |4,038 |'''337,667''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1978年(昭和53年) |&nbsp; |&nbsp; |213,905 |128,246 | style="background-color: #ccffff;"|''0'' |'''342,151''' | style="background-color: #ccffff;"|''0'' |4,856 |'''347,008''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1979年(昭和54年) |&nbsp; |&nbsp; |237,735 |143,347 |''0'' |'''381,083''' |''0'' |5,364 |'''386,448''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1980年(昭和55年) |&nbsp; |&nbsp; |246,252 |149,481 |''0'' |'''395,733''' |''0'' |7,562 |'''403,295''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1981年(昭和56年) |&nbsp; |&nbsp; |256,173 |155,579 |''0'' |'''411,752''' |''0'' |3,547 |'''415,298''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1982年(昭和57年) |&nbsp; |&nbsp; |267,539 |173,546 |''0'' |'''441,086''' |''0'' |3,973 |'''445,059''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1983年(昭和58年) |&nbsp; |&nbsp; |271,765 |197,192 |''0'' |'''468,957''' |''0'' |4,120 |'''473,076''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1984年(昭和59年) |&nbsp; |&nbsp; |286,171 |208,557 |''0'' |'''494,729''' |''0'' |3,592 |'''498,321''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1985年(昭和60年) |&nbsp; |&nbsp; |284,505 |218,060 |''0'' |'''502,565''' |''0'' |3,487 |'''506,052''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1986年(昭和61年) |&nbsp; |&nbsp; |288,895 |232,549 |''0'' |'''521,444''' |''0'' |4,266 |'''525,710''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1987年(昭和62年) | style="background-color: #ccffcc;"|247,799 | style="background-color: #ccffcc;"|50,348 |298,147 |241,612 |''0'' |'''539,759''' |''0'' |4,963 |'''544,722''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1988年(昭和63年) |261,078 |53,706 |314,784 |251,010 |''0'' |'''565,794''' |''0'' |5,361 |'''571,155''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1989年(平成元年) |273,414 |56,871 |330,285 |261,907 |''0'' |'''592,192''' |''0'' |5,194 |'''597,386''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1990年(平成2年) |278,534 |57,199 | style="background-color: #ffcccc;"|335,733 |279,550 |''0'' |'''615,283''' |''0'' |5,087 |'''620,370''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1991年(平成3年) | style="background-color: #ffcccc;"|280,355 |54,618 |334,973 |299,822 |''0'' |'''634,795''' |''0'' |6,409 |'''641,204''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1992年(平成4年) |273,855 |57,015 |330,870 |314,094 |''0'' |'''644,964''' |''0'' |5,534 |'''650,498''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1993年(平成5年) |273,994 | style="background-color: #ffcccc;"|57,230 |331,224 |351,631 |''0'' | style="background-color: #ffcccc;"|'''682,855''' |''0'' |5,359 | style="background-color: #ffcccc;"|'''688,214''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1994年(平成6年) |266,682 |57,209 |323,891 |344,348 |''0'' |'''668,239''' |''0'' |7,302 |'''675,541''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1995年(平成7年) |257,160 |54,260 |311,420 |347,332 |''0'' |'''658,752''' |''0'' |7,847 |'''666,599''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1996年(平成8年) |252,765 |52,401 |305,166 |347,045 |''0'' |'''652,211''' |''0'' |9,060 |'''661,271''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1997年(平成9年) |246,852 |50,089 |296,941 |343,952 |''0'' |'''640,893''' |''0'' |8,789 |'''649,682''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1998年(平成10年) |242,699 |47,431 |290,130 |347,958 |''0'' |'''638,088''' |''0'' |9,336 |'''647,424''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|1999年(平成11年) |231,307 |43,995 |275,301 |347,246 |''0'' |'''622,548''' |''0'' |7,735 |'''630,283''' |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2000年(平成12年) |222,031 |40,605 |262,636 | style="background-color: #ffcccc;"|352,309 |''0'' |'''614,945''' |''0'' |8,197 |'''623,142''' |'''589,588''' |'''33,554''' |94.6 |- ! style="font-weight: normal;"|2001年(平成13年) |221,484 |40,080 |261,564 |351,350 |''0'' |'''612,914''' |''0'' | style="background-color: #ffcccc;"|9,478 |'''622,392''' |'''564,160''' |'''58,232''' |90.6 |- ! style="font-weight: normal;"|2002年(平成14年) |215,866 |39,567 |255,433 |348,421 |''0'' |'''603,854''' |''0'' |7,087 |'''610,941''' |'''540,479''' | style="background-color: #ffcccc;"|'''70,462''' | style="background-color: #ffcccc;"|88.5 |- ! style="font-weight: normal;"|2003年(平成15年) |209,858 |39,544 |249,402 |351,497 |''0'' |'''600,899''' |''0'' |8,498 |'''609,397''' |'''577,676''' |'''31,721''' |94.8 |- ! style="font-weight: normal;"|2004年(平成16年) |203,092 |36,621 |239,713 |343,300 |''0'' |'''583,013''' |''0'' |8,593 |'''591,606''' |'''603,543''' |'''△11,937''' |102.0 |- ! style="font-weight: normal;"|2005年(平成17年) |163,201 |31,694 |194,895 |287,752 |''0'' |'''482,647''' |''0'' |9,479 |'''492,126''' |'''568,405''' |'''△76,279''' |115.5 |- ! style="font-weight: normal;"|2006年(平成18年) |126,315 |25,338 |151,653 |248,637 |''0'' |'''400,290''' |''0'' |10,625 |'''410,915''' |'''514,892''' |'''△103,977''' |125.3 |- ! style="font-weight: normal;"|2007年(平成19年) |116,278 |24,253 |140,531 |234,712 |''0'' |'''375,243''' |''0'' |10,860 |'''386,103''' |'''504,359''' |'''△118,256''' |130.6 |- ! style="font-weight: normal;"|2008年(平成20年) |112,532 |22,208 |134,740 |228,533 |''0'' |'''363,273''' |''0'' |7,389 |'''370,662''' |'''500,362''' | style="background-color: #ccffff;"|'''△129,700''' | style="background-color: #ccffff;"|135.0 |- ! style="font-weight: normal;"|2009年(平成21年) |105,914 |20,693 |126,607 |216,513 |''0'' |'''343,120''' |''0'' |7,425 |'''350,545''' |'''442,002''' |'''△91,457''' |126.1 |- ! style="font-weight: normal;"|2010年(平成22年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2011年(平成23年) |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; | |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |&nbsp; |- ! style="font-weight: normal;"|2012年(平成24年) | style="background-color: #ccffff;"|97,954 |19,505 | style="background-color: #ccffff;"|117,459 |210,097 |''0'' |'''327,556''' |''0'' |6,009 |'''333,565''' |'''404,410''' |'''△70,845''' |121.2 |- ! style="font-weight: normal;"|2013年(平成25年) |99,808 |20,656 |120,464 |208,578 |''0'' |'''329,042''' |''0'' |5,918 |'''334,960''' |'''400,632''' |'''△65,672''' |119.6 |- ! style="font-weight: normal;"|2014年(平成26年) |98,871 |20,291 |119,162 |199,331 |''0'' | style="background-color: #ccffff;"|'''318,493''' |''0'' | style="background-color: #ccffff;"|5,494 | style="background-color: #ccffff;"|'''323,987''' |'''391,299''' |'''△67,313''' |120.8 |- ! style="font-weight: normal;"|2015年(平成27年) |100,638 |21,225 |121,863 |203,339 |''0'' |'''325,202''' |''0'' |5,735 |'''330,937''' |'''381,526''' |'''△50,589''' |115.3 |- ! style="font-weight: normal;"|2016年(平成28年) |102,950 |20,535 |123,485 | style="background-color: #ccffff;"|198,805 |''0'' |'''322,290''' |''0'' |5,933 |'''328,223''' |'''390,130''' |'''△61,907''' |118.9 |- ! style="font-weight: normal;"|2017年(平成29年) |104,870 | style="background-color: #ccffff;"|19,477 |124,347 |201,256 |''0'' |'''325,603''' |''0'' |5,781 |'''331,384''' |'''403,648''' |'''△72,264''' |121.8 |} 国土交通省鉄道局監修『鉄道統計年報』より抜粋。 </div></div> === 混雑率・集中率 === 最混雑区間は[[小金城趾駅]]→[[幸谷駅]] {| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="2" style="font-size:90%; text-align:center;" |- !rowspan="2"|年度 !colspan="6"|最混雑区間輸送実績<ref>『東京圏通勤電車 どの路線が速くて便利か』[[草思社]]</ref> !rowspan="2"|特記事項 <!-- 統計は「年度」なので3月までのトピックは前年度のことになります。--> |- !時間帯!!運転本数!!輸送力(1両当り):人!!輸送量:人!!混雑率!!集中率 |- |1989年(平成元年) |7時-||3両×5本||2035(136)||2683||132%||18% | |- |1996年(平成8年) |7時-||3両×5本||2035(136)||2714||133%||17% | |- |2002年(平成14年) |7:10-||3両×5本||2440(163)||2296||94%||15% |車両自体に変化はないので<br />1両136名の場合は110% |- |} == 歴史 == === 沿革 === ==== 日本鉄道土浦線 田端 - 土浦間開業 ==== <!-- 本文 --> [[1896年]]([[明治]]29年)[[12月25日]]、[[日本鉄道]]土浦線(後の[[常磐線]])[[田端駅]] - [[土浦駅]]間が開通し、[[松戸駅]]が新設された(「[[日本鉄道#開業の歴史|日本鉄道開業の歴史]]」参照)。それに伴い、[[流山市#近代以降|流山町]]の人々も松戸駅まで約2時間徒歩で向かい、鉄道を利用した。当時は[[江戸川]]などを経由する[[和船]]や[[蒸気船]]による旅客運送がまだ現役だったが、東京の[[両国 (墨田区)|両国]]まで数時間かかり、また、1 - 2時間の遅延が頻発した。それに比べて鉄道は40 - 50分で済み、時間も正確であった。[[1898年]](明治31年)には[[馬橋駅]]が開業し、流山から徒歩1時間半で鉄道を利用できるようになる。その後、[[1911年]](明治44年)になると[[北小金駅]]が開業し、流山から鉄道駅まで徒歩1時間になり、流山の人々の喜びは一入であった。このような交通事情の変化のもと「流山町にも鉄道を」という気運が湧き上がってきた<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.16-17</ref>。 ==== 鉄道敷設免許申請と流山軽便鉄道株式会社設立 ==== '''鉄道敷設免許申請''' [[1912年]]([[大正]]元年)、[[#鉄道建設運動の中心人物 秋元平八|秋元平八]]ら31名(その後、8名増える)の商工人が発起人となり、鉄道建設の行動を起こし、流山の人々の多くが賛成した<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.17</ref>。そして、同年[[9月17日]]に鉄道敷設免許申請を提出し<ref name="流山電鉄78年 p16">『[[#78nen|流山電鉄七十八年]]』p.16</ref>、[[1913年]](大正2年)[[7月1日]]付で認可された<ref name="「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄 p18">『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.18</ref><ref name="kanp1374">[{{NDLDC|2952377/8}} 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年7月4日]([[国立国会図書館]]デジタルコレクション)</ref>。1912年(大正元年)の申請時の[[資本金]]は5万5千円であったが、行政側からの命令により資本金を7万円に増資して免許を取得する<ref>『[[#幻の鉄道|幻の鉄道]]』p.207</ref>。 '''流山軽便鉄道株式会社設立''' [[1913年]](大正2年)[[11月7日]]、'''流山軽便鉄道'''株式会社設立<ref name="流山電鉄78年 p16" /><ref name="ちばの鉄道一世紀 p202">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』p.202</ref>。同日、流山町で会社の創立総会を開催し、[[都築六郎]]が初代社長に就き、同年11月20日に[[東京地方裁判所]]において会社[[登記]]を行う<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.25-26</ref>。会社の本社は、当初は[[東京市]][[神田連雀町]]18番地にあり、鉄道建設申請の受付窓口は[[東京府]]庁にあった(本社は[[1967年]]([[昭和]]42年)5月、流山に移転した<ref name="「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄 p18" />)。 <!-- 会社の経営陣 --> 資本金は7万円で、株主数は116人であった。会社創立時の役員は以下のとおり。 * [[取締役]] - 都築六郎(社長、東京出身)、[[岡本文平]](東京の技術者)、[[田中長次郎]]、[[大川角蔵]]([[松戸市#行政区域の変遷|馬橋村]]の米穀商)、[[吉場利右衛門]] * [[監査役]] - [[子爵]]・[[桜井義功]]、[[鈴木金左衛門]](流山の金物商・町議会議員)、[[富山久太郎]]([[埼玉県]]早稲村<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p.27)には「早稲村」とあるが、「[[三郷市#歴史|早稲田村]]」のことかも。</ref>の大地主) * [[役員 (会社)#相談役・顧問|相談役]] - [[堀切紋次郎]](流山の醸造業者・町議会議員)、[[#鉄道建設運動の中心人物 秋元平八|秋元平八]](醸造業者・町議会議員)、[[秋元良尚|秋元三左衛門]](醸造業者・町議会議員)、[[中村権次郎]](流山の砂糖・金物商で[[流山銀行]][[頭取]]) * [[評議員]] - [[大川五兵衛]]、[[森田音次郎]](流山の醤油醸造業者)、[[染谷兼三郎]](流山の米穀商)、[[松本幾太郎]](流山の材木商)、[[葛木栄橘]] このような経営陣で会社を運営し、鉄道用地の買収を開始する<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.25 - 27</ref>。 <!-- 「町民鉄道」という名称について --> 株による資金調達の状況は、流山駅前にある商店店主の話によると以下のようなものであった。 <blockquote> 「このあたりの商店もみんなで株を買ったものです」(商店店主) </blockquote> 本鉄道は役員・社員に地元住民が多く、流山町長が取締役に就任していたことなどから、町民のための鉄道ということで「町民鉄道」と呼ばれていた<ref name="散歩の達人 2003/11 p27">『[[#散歩 no.92|散歩の達人]]』2003年11月号( p27)より。</ref>。この時の出資者が一株株主に至るまで流山居住の人々であったことから「町民鉄道」の名称が当鉄道の代名詞のように使われるようになったが、利益の見込めない地方鉄道に他地域の人々が出資することは稀であるため、祭りの寄付金のような一種の地域分担金として流山の住民が所得に応じて株を購入し、出資に応じたのである<ref name="ちばの鉄道一世紀 p202" />。 ==== 鉄道用地買収から軽便鉄道開業まで ==== '''用地買収と建設費''' [[1914年]]([[大正]]3年)の前半までに鉄道用地買収は完了した。買収した総面積は4丁4反2畝11歩(約43,871m<sup>2</sup>)、買収費用は11,880円38[[銭]]6[[厘#金銭の単位|厘]](11,800.386円)、建設費は80,274円92銭(80,274.92円)であった<ref><!-- 大正期の物価 -->ちなみに[[1918年]]([[大正]]7年)の物価は、米1石(約180.39L)32円75銭(32.75円)、醤油1升(約1.8L)。[[1919年]](大正8年)の物価は、木炭1俵(60kg)1円30銭(1.3円)、中級の清酒1升(約1.8L)11銭2厘(0.112円)、もりそば1杯が7銭(0.07円)、牛乳1合(約180ml、約180cc)6銭(0.06円)--『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p.28)より。</ref>。 <!-- 敷設工事 --> 同年3月には工事認可が出て、会社は工事を開始する。鰭ヶ崎付近を除くとほとんどが平地なので工事は順調に進んだが、馬橋駅構内の工事の進捗に遅延が生じ、会社は何度も工事竣工延期願を担当の役所に提出している<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p28, p29)より。</ref>。 '''軽便鉄道(軌間762mm)開業''' <!-- 当時の乗車賃 --> [[1916年]]([[大正]]5年)2月に工事が完了し、[[3月13日]]には営業開始準備が完了。会社は政府の許可を得た翌日の[[3月14日]]に営業を開始する<ref name="kanp16317"/>。開業時の乗車賃の記録は残っていないが、地元の古老の記憶によると、流山駅 - 馬橋駅間(5.7キロメートル)は12銭(0.12円)であったという。当時は[[上野駅]] - 馬橋駅間(21.3キロメートル)が18銭(0.18円)、上野駅 - 北小金駅間(24.2キロメートル)が21銭(0.21円)であった。 <!-- 鉄道業務に関わる人員 --> 鉄道業務に関わる人員の構成は、書記2名、主任技術者1名、駅長1名、助役1名、車掌2名(うち1名は助役を兼任)、駅員2名、機関庫主任1名、機関士1名、機関助手1名、給炭・給水職員1名、清掃職員2名、保線職員4名である<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(pp.28 - 30)より。</ref>。 <!--『流山案内』--> 同年2月、流山鉄道開設記念協賛会が『流山案内』を発行し、それには次のように書かれている。 <blockquote> 「流山軽便鉄道は、国鉄常磐線馬橋駅を起点にし、流山町(流山駅)を終点とする旅客と貨物の輸送を目的として敷設された路線であり、流山町と国鉄常磐線を結ぶ唯一の交通機関である」(『流山案内』)<ref name="流山電鉄78年 p16" /> </blockquote> ==== 軽便鉄道営業と社名変更(流山鉄道へ)==== '''開業当初の経営状況''' 開業時の駅は、馬橋駅、[[大谷口駅]]<ref>馬橋駅と鰭ヶ崎駅の中間にあった駅で、馬橋駅から2.2km、鰭ヶ崎駅から1.5kmの地点にあった --『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号(p.27)より。</ref>、[[鰭ヶ崎駅]]、[[流山駅]]の4駅で、機関車2輛と客車2輛、貨車2輛で営業を開始する<ref name="ちばの鉄道一世紀 p203" />。開業当初の経営状況は苦しく、[[蒸気機関車]]の燃料である[[石炭]]が時々底を突き、当鉄道の重役などが経営するみりん会社などから石炭を借用することもあった。石炭が入手できないときは「本日汽車休み」の貼り紙が流山の町の主要な場所に張り出されたという<ref name="ちばの鉄道一世紀 p203">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』p.203</ref>。 '''1916年(大正5年)3月14日から12月31日までの業績''' 開業の年の1916年(大正5年)[[3月14日]]から[[12月31日]]までの乗客数は50,508人であった。季節により乗客数に変動があり、3月と4月は旅客と貨物は好調であったが、5月と6月は農繁期のため乗客数は少なかった。農村地域を走る小さな鉄道のため、農繁期など季節の影響を諸に受ける鉄道であった。意外なことに流山の人々は当初は鉄道をあまり利用せず、今までどおり徒歩で移動したり荷車を引いて荷物を運んだりしていた。当時の会社の営業報告書には次のようにある。 <blockquote> 「徒歩や荷車を引くような昔ながらの方法を引き続き行い、時間と労力を無駄にすることを考えない地方にありがちな因習を未だに打破できない…」(営業報告書) </blockquote> しかし、年を追うごとに乗客数、貨物輸送量ともに増加していく<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.31 - 33</ref>。 '''乗客数貨物輸送量推移と社名変更(流山鉄道へ)''' 乗客数と貨物輸送量は下記の表のように年々増加していく。また、[[改軌]]前([[軌間]]762mm時代)の[[1922年]](大正11年)には社名を'''流山鉄道'''に変更している<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p37)より。</ref>。 <!-- 乗客数・貨物輸送量の表 - 1917年(大正6年)から1925年(大正14年)まで --> {| class="wikitable" rules="all" |-style="background:#efefef" !style="text-align: center;"|西暦(和暦) !style="text-align: center;"|乗客数(人) !style="text-align: center;"|貨物輸送量(トン) !style="text-align: center;"|世の中の動向 |- |1916年(大正5年) |style="text-align: right;"|50,508 |style="text-align: right;"|不明 |[[3月14日]]、本鉄道開業('''流山軽便鉄道'''、軌間'''762mm''')。 |- |[[1917年]](大正6年) |style="text-align: right;"|76,595 |style="text-align: right;"|1,569 | |- |[[1918年]](大正7年) |style="text-align: right;"|81,483 |style="text-align: right;"|1,898 |11月、[[第一次世界大戦]][[第一次世界大戦#正式な終戦|終結]]。 |- |[[1919年]](大正8年) |style="text-align: right;"|92,577 |style="text-align: right;"|2,367 | |- |[[1920年]](大正9年) |style="text-align: right;"|98,783 |style="text-align: right;"|2,171 |同年後半、第一次世界大戦後の不況が顕在化([[戦後恐慌#1920年の戦後恐慌|戦後恐慌]])。 |- |[[1921年]](大正10年) |style="text-align: right;"|99,573 |style="text-align: right;"|2,232 | |- |[[1922年]](大正11年) |style="text-align: right;"|114,160 |style="text-align: right;"|2,638 |社名を'''流山鉄道'''に改称。[[博覧会#内国勧業博覧会|平和記念東京博覧会開催]]。 |- |[[1923年]](大正12年) |style="text-align: right;"|129,607 |style="text-align: right;"|7,750 |[[関東大震災]]。[[江戸川]]改修工事。<br />[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]が着工。 |- |[[1924年]](大正13年) |style="text-align: right;"|139,879 |style="text-align: right;"|6,217 |本鉄道、軌間762mmから'''1067mm'''へ改軌。 |- |[[1925年]](大正14年) |style="text-align: right;"|158,016 |style="text-align: right;"|8,638 |6月、陸軍糧秣本廠流山出張所の建設工事完成<ref>『[[#糧秣廠|流山糧秣廠]]』p.32</ref>。 |- |} <!-- 画像 -->[[ファイル:流山・陸軍糧秣本廠流山出張所・1977年・跡地(s10-22).jpg|thumb|200px|right|1977年当時の[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]跡地(1977年11月23日)]] <!-- 旅客・貨物輸送量の増加の要因 -->乗客数と貨物輸送量が増加した大きな要因は[[1914年]](大正3年)に始まった[[第一次世界大戦]]である。日本は[[特需景気|特需]]により[[大戦景気 (日本)|大戦景気]]を迎え、旅客および貨物の輸送量が増加し、その影響は本鉄道にも及んだ。[[1918年]](大正7年)11月の第一次世界大戦終結後も日本経済は好調で、鉄道輸送も好調であった。大戦後の不況が顕在化したのは[[1920年]](大正9年)の後半であるが、本鉄道では流山の人々が鉄道を利用することがごく普通のこととなってきており、[[1922年]](大正11年)に東京の[[上野恩賜公園|上野公園]]で開催された[[博覧会#内国勧業博覧会|平和記念東京博覧会]]への見物には本鉄道を利用した。[[1923年]](大正12年)に行われた[[江戸川]]改修工事のために多数の工事関係者が本鉄道を利用し、また、[[関東大震災]]により人や物資の移動が活発となり、これらが本鉄道の乗客数、貨物輸送量増加の要因となった。そして、同年には現在の[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]付近の南西側に[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]の建設工事が始まり、工事関係者や建設資材の輸送量が増加し、本鉄道は第一次世界大戦後の不況や関東大震災による経済的損失を被ることなく、むしろ業績は好調であった。陸軍糧秣本廠流山出張所が建設されたことにより、本鉄道は軍用鉄道として位置付けされることになる<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.33 - 35</ref>。 ==== 改軌(軌間1067mm)から電化まで ==== '''改軌(軌間1067mm)''' <!-- 画像 --> [[ファイル:流山鐵道・ボールドウィン製サドルタンク機.jpg|thumb|200px|right|改軌時に入線した[[#baldwin saddle tank loco|蒸気機関車]]([[腰高康治]])]] <!-- 改軌に伴うNo.15とNo.16、国鉄2軸客車と国鉄貨車の入線 --> [[1924年]](大正13年)12月、[[軌間]]を762mmから1067mmに[[改軌]]し、国鉄貨車の直通を可能にした。[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]が完成する前年である。この陸軍の出張所へは現在の[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]付近から[[専用鉄道|引込線]]が敷設され、貨物輸送量が飛躍的に増加した<ref>『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』pp.203 - 204</ref>。改軌時に蒸気機関車No.15とNo.16が入線。[[タンク機関車|サドルタンク]]にダイヤモンド形の火の粉止め付き煙突という特異な形態の本機は映画『[[#映画|牛づれ超特急]]』に出演する。蒸気機関車のほかに、[[明治|明治期]]の旧型の木造2軸客車2輛と貨車2輛を国鉄から購入して、営業を開始した<ref>『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 pp.58 - 59</ref>。 <!-- No.15、16の廃車とNo.1255、キハ31形の入線 --> [[1938年]]([[昭和]]13年)にNo.15とNo.16の交替でNo.1255が入線する<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204" />。[[1933年]](昭和8年)にキハ31、[[1934年]](昭和9年)にキハ32の[[ガソリンカー]]も入線する<ref>『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.59</ref>。当初、キハ32には当時の燃料事情の都合により[[木炭自動車|木炭ガス発生装置]]<ref name="kid10">1934年9月10日木炭瓦斯併用認可[{{NDLDC|1190630/27}} 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>が装備されていたが、後に撤去される<ref name="総武流山電鉄七十年史 p97">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.97</ref>。 <!-- 当時の乗客数 --> 本鉄道を訪れた[[大木貞一]]は雑誌『[[鉄道趣味 (雑誌)|鉄道趣味]]』[[1933年]](昭和8年)9月号に、 <blockquote> 「(馬橋発のガソリンカーには)客は私のほかに爺さんだけ、途中の三駅は客がなければさっさと通過する。…流山発のガソリン車に客は私一人、中間駅は(乗降客がいないため)皆通過し」(大木貞一) </blockquote> と本鉄道訪問記を寄稿しているほど閑散で、当時の年間乗客数は7万9千人であった<ref name="ちばの鉄道一世紀 p205">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』p.205</ref><ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p.33)では、1925年(大正14年)の乗客数は158,016人とある。「[[#軽便鉄道営業と社名変更(流山鉄道へ)|軽便鉄道営業と社名変更(流山鉄道へ)]]」節の表を参照。</ref>。 '''太平洋戦争中の出来事''' <!-- 本文 --> [[太平洋戦争]]中の[[流山市#近代以降|流山町]]は本鉄道と[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]など各種の軍事施設があり、[[軍郷|軍都]]の役割を果していた。そのため流山町は[[アメリカ軍|米軍]]から攻撃目標とされた。[[1942年]](昭和17年)[[4月18日]]には[[航空母艦|空母]][[ホーネット (CV-8)|ホーネット]]を発艦した[[B-25 (航空機)|B-25]]爆撃機が上空を通過し、これが流山町上空に現れた初の米軍機であった([[ドーリットル空襲]])。1944年(昭和19年)後半からは、[[B-29 (航空機)|B-29]]爆撃機や空母艦載機による[[日本本土空襲]]が本格化。特に帝都東京は繰り返し標的となり([[東京大空襲]])、[[1945年]](昭和20年)[[2月24日]]の午後8:30頃に東京から[[鹿島灘]]に向かった1機のB-29が約10発の爆弾を流山町各地に投下した。翌25日の午前には[[関東地方]]一帯が空母艦載機により攻撃され、同日午後にはB-29が東京を攻撃した。同日のB-29は低空飛行をしたために日本軍の迎撃により撃墜されるものも出て、そのうちの1機が流山の初石地区に墜落した。また、パラシュートによる乗員脱出もあり、同町に隣接する[[柏市#歴史|柏町]]では米兵が逮捕された。[[7月10日]]朝には米軍艦上機の攻撃により東初石で犠牲者が出る。このような戦況のなか、同月17日には米艦載機により本鉄道の[[#蒸気機関車No.1255の被弾|列車が攻撃されて機関士が重傷]]を負い、列車には約40ヶ所に着弾した跡があった<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』pp.61 - 65</ref>。 '''戦後の動力エネルギー事情と電化の経緯''' <!-- 画像 --> [[ファイル:流山電気鉄道・馬橋駅・モハ102.jpg|thumb|200px|right|電化時に入線した[[#moha102|モハ102]]([[馬橋駅]]、[[伊藤昭]])<ref>『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号「第7図 100形 No.102」(p.29)</ref>]] <!-- 本文 --> 太平洋戦争直後は燃料となる石炭やガソリンが不足しており、列車の運行がままならぬ状況であった。その打開策として動力エネルギーを経費が安価で比較的入手しやすい電力に移行することになった。[[1949年]](昭和24年)12月に電化が完了し、国鉄から直流1,500Vの電力を購入し、電車3輛で運行を開始する<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204" />。国鉄常磐線は同年[[6月1日]]に松戸駅 - [[取手駅]]間が[[鉄道の電化|電化]]済み。電化に際しては、[[1947年]](昭和22年)に[[選挙#投票者による分類|公選]]で初めて流山[[市町村長|町長]]になった[[中村寛次]]が電化のための活動を開始する。5.7キロメートルの営業路線で[[変電所]]を建設したのでは採算に合わないため、常磐線松戸駅 - 取手駅間が電化されたら、その電力を融通してもらうために早くから[[参議院議員]][[小野哲|小野哲(あきら)]](元・千葉県[[選挙#投票者による分類|官選]][[都道府県知事|知事]])に[[請願#陳情|陳情]]し、当時の[[国土交通省|運輸省]]の上層部に働きかけてもらい、部長級官僚への働きかけは千葉県選出の参議院議員[[山崎亘|山崎亘(わたる)]]に行ってもらった結果、国鉄から電力を供給してもらえることになった<ref name="流山電鉄七十八年 p50" />。日本の電化[[私鉄]]のなかで、変電所を持たない電化私鉄は本鉄道だけであった<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204" />。 '''電車検修場改築''' {{triple image|right|総武流山電鉄・木造電車庫・3.jpg|150|総武流山電鉄・木造電車庫・1.jpg|150|総武流山電鉄・木造電車庫・2.jpg|150|電化時に新築された電車庫。中央写真の上部に写っている建物は[[流山市役所]](1979年4月15日)}} 電車庫は[[1949年]](昭和24年)[[12月26日]]の電化運転に合わせて建設し、[[1978年]](昭和53年)[[10月26日]]に検車庫構内の土留め工事を施工、[[1979年]](昭和54年)12月に検車庫内に[[ピット]]を新設。そして[[1981年]](昭和56年)[[12月16日]]に[[車両基地|検車庫]]を改築する<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』pp.231 - 251</ref>。 '''輸送量の推移''' [[1946年]](昭和21年)の乗降客数は[[1945年|前年]]とほぼ同じで100万人台を維持したが、[[1947年|翌年]]から減少が続いた。しかし[[1951年]](昭和26年)には110万人台まで回復し、以後乗降客数は伸び続ける<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.46</ref>。 貨物輸送量は太平洋戦争敗戦後から減少し始めたが、[[1950年]](昭和25年)の[[朝鮮戦争]]の影響により軍需物資の需要が増加したため朝鮮戦争[[1949年|前年]]には増加に転じる。貨物輸送量は次のように推移していく。1945年(昭和20年)約8万7千トン、1946年(昭和21年)約6万トン、[[1947年]](昭和22年)約3万7千トン。朝鮮戦争前年の[[1949年]](昭和24年)は約5万6千トンまで一時的に増加するが、朝鮮戦争が停戦になると再び減少していき、[[1955年]](昭和30年)には3万7千トン台になる<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.47</ref>。 ==== 乗客数増加と社名変更(流山電気鉄道、流山電鉄へ) ==== '''乗客数増加と社名変更(流山電気鉄道へ)''' <!-- 画像 --> [[ファイル:総武流山電鉄・鰭ヶ崎 - 平和台間・クハ52+モハ1001・馬橋行(1977年)(s6-9).jpg|thumb|200px|right|写真右手前は造成されて更地化。2004年時点では舗装道路。列車は馬橋駅行クハ52+モハ1001([[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]] - [[鰭ヶ崎駅]]間、鰭ヶ崎駅付近、1977年9月4日)]] <!-- 本文 --> 電化後の[[1951年]](昭和26年)11月28日、社名を'''流山電気鉄道'''と改称。当時の年間乗客数は119万6千人。[[1962年]](昭和37年)度は200万人超。[[1966年]](昭和41年)度には313万9千人。これは本鉄道沿線の宅地開発が行われたためである<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204,205">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』pp.204-205</ref>。[[1974年]](昭和49年)には4百万人台にまで増加するが、[[1975年|翌年]]は約364万まで減少する。同年の乗客数減少の一因には[[流山市立鰭ヶ崎小学校]]の開校により、流山線を通学に利用していた小学生の減少がある。しかし[[1976年]](昭和51年)には400万人台まで回復した<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』pp.51-52</ref>。 '''貨物輸送量の減少''' 貨物輸送量は減少を続け、[[1960年]](昭和35年)約2万5千トン、[[1961年]](昭和36年)は約2万3千トン。[[1965年]](昭和40年)は1万トン台、[[1966年]](昭和41年)には5千トン台まで減少する。貨物輸送量減少の原因は道路網の整備によるトラック輸送への転換である。また、沿線にある酒造工場の一つが休業になったことも一因である。[[1966年|同年]]は[[キッコーマン]]酒造工場への[[専用鉄道|引込線]]が撤去される。この引込線は[[1929年]](昭和4年)に流山駅から堀切家が経営する工場まで敷設されたもので、原料と製品の輸送に使用された。国鉄[[武蔵野線]]の建設が始まるとその建設資材輸送に流山線が使用され、貨物輸送量は多少増加し、[[1968年]](昭和43年)約9千9百トン、[[1971年]](昭和46年)約3万7千トン、[[1972年]](昭和47年)約3万6千トンになる。しかし武蔵野線が完成すると貨物輸送量は激減し、[[1973年]](昭和48年)には約1千6百トン、[[1975年]](昭和50年)は約940トンとなった<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p52, p53)より。</ref>。そして[[1976年]](昭和51年)度(年度末は[[1977年]][[3月31日]])を最後に貨物輸送を廃止する<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.77</ref>。 '''列車交換設備整備と社名変更(流山電鉄へ)''' <!-- 画像 --> [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・ワム301・社紋(1979年)(s12-10).jpg|right|200px|thumb|[[#wamu301|ワム301]]のドアに記された旧社名と社紋(流山駅、1979年4月15日)]] <!-- 本文 --> [[1967年]](昭和42年)5月、本社を流山に移転し<ref name="「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄 p18" />、同年[[6月20日]]、社名を'''流山電鉄'''に変更<ref name="ちばの鉄道一世紀 p206">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』p.206</ref>。同年[[7月1日]]から輸送量を倍増するために、小金城趾駅に列車交換設備を整備し、一日の列車本数を上下各32本から各46本に増発した。朝の通勤通学時間帯は、馬橋駅と流山駅の両駅では、列車が到着すると隣のホームで発車時刻待ちしていた列車がすぐに発車する運行形態をとった<ref name="ちばの鉄道一世紀 p205" />。 ==== 経営陣交替と社名変更(総武流山電鉄へ) ==== [[1971年]](昭和46年)[[1月20日]]、社名を'''総武流山電鉄'''と改称。経営陣も交替が激しく、[[平和相互銀行]]の小宮山グループの傘下に入り、第2位の株主はのちに[[銚子電気鉄道]]のオーナーとなる[[内野屋工務店]]<ref>事務所の所在地は千葉県[[東金市]]。1998年(平成10年)6月5日に[[破産]] -- 労働省発表資料一覧『[[#労働省19980828|(株)内野屋工務店を雇用調整助成金に係る大型倒産等事業主に指定]]』より。</ref>である<ref name="ちばの鉄道一世紀 p206" />。 '''国鉄武蔵野線開業の影響''' <!-- 画像 -->[[ファイル:国鉄・武蔵野線・南流山駅・101系・1.jpg|thumb|200px|right|開業5年後の武蔵野線[[南流山駅]](高架ホームに停車中の列車は[[国鉄101系電車|101系]]、1978年2月25日)]] <!-- 本文 -->[[1973年]](昭和48年)の国鉄[[武蔵野線]]開業の影響により、乗客数の伸びは今までのように急増はしていない<ref name="ちばの鉄道一世紀 p206" />。 '''1970年代半ばの収益''' [[1976年]](昭和51年)度の鉄道部門の収入は2億7千万円である。当時の経済状況は[[インフレーション|インフレ]]であったが、このような状況下でこの収入であることから、当鉄道の規模の小ささがわかる<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.2</ref>。この頃、当鉄道では70歳以上の流山市民の乗車賃を無料にしていた<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.5</ref>。 ==== 増発と車輛増備 ==== [[1978年]](昭和53年)以降は[[西武鉄道]]から18輛の車輛を譲り受け、各編成ごとに車体のカラーリングを変えて、オレンジ色の「流星」、青色の「流馬」、銀色の「銀河」、若草色の「若葉」、黄色の「なの花」、赤色の「あかぎ」という愛称が付けられた。「青空」は青地に白の「N」の文字をあしらったデザインで、本鉄道初の冷房車である。各編成の愛称は一般公募で決められた。 <!-- 乗客数が610万超 --> また、乗客数は伸び続け、[[1993年]]([[平成]]5年)度の乗客数は610万人を超え<ref name="ちばの鉄道一世紀 p206" />、[[1996年]](平成8年)には一日の列車本数が上下各72本になった<ref>『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』pp.205-206</ref>。 {{節スタブ}} '''変電所建設''' 輸送量の増加に対応して本鉄道は千葉県流山市[[大字]]鰭ケ崎に西平井変電所を建設した<ref name="ちばの鉄道一世紀 p205" />。 {{節スタブ}} ==== 社名変更(流鉄へ)==== [[2008年]](平成20年)[[8月1日]]、本鉄道は社名を'''流鉄'''に、路線名を'''流山線'''に変更した<ref name="hobidas20080627" />。 {{節スタブ}} === 日本鉄道土浦線敷設に関する逸話 === <!-- 今までの通説 --> 流山軽便鉄道が造られた遠因として、[[鉄道と政治#鉄道忌避伝説|鉄道忌避]]があったため(常磐線が流山を通らなかった)とする説が過去には通説とされていたことがあった。忌避説が文献に最初に発表されたのは[[1964年]](昭和39年)の『[[#matsudo市史|松戸市史]]』である。その後、忌避説は[[北野道彦]]が執筆した『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』と『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]<ref>本書の「はじめに」(ページii)で、「本書の執筆には、1978年発行の『[[#60nen|町民鉄道の60年 &mdash;総武流山電鉄の話&mdash;]]』([[崙書房]]刊)の著者、北野道彦氏を煩わした」とある。</ref>』へ受け継がれる<ref>『[[#伝説の謎|鉄道忌避伝説の謎]]』pp.187 - 191</ref>。 {{indent|[[流山市#近代以降|流山町]]は醸造と水運で繁栄していた<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』(p14)より。</ref>。[[日本鉄道]]土浦線(現[[常磐線]])は流山町を通るはずであったが、これに対して流山町では水運業者(当時の水運業者数は十数と推定される<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.12</ref>)を中心に激しい反対があった。水運業が成り立たなくなってしまうからである。土浦線には醸造業者も反対した。水運には[[高瀬舟|高瀬船]]<ref>川舟の積載量は数t - 10数t。輸送費は鉄道よりもかなり安価であった --『[[#伝説の謎|鉄道忌避伝説の謎]]』(p.84)より。流山の水運業者が使用していた船の積載量や運賃は不明。</ref>を使用していたが、その建造には費用(1隻約3千円と推定される<ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p.13)より。なお、本文献には流山の水運業者が使用していた高瀬船の大きさは記述されていない。</ref>)がかかるため、それを調達するために水運業者は裕福な醸造業者から長期ローンによる借入金に依存していた。そのため、もし鉄道が流山町を通り、水運業が衰退してしまうと、醸造業者は水運業者へ融資した資金の回収が不可能になってしまう。こうのような関係から醸造業者と水運業者の連携が成立したものと考えられる。このようにして、町ぐるみの鉄道反対運動は成功し、流山町を迂回して土浦線は敷設されることになった<ref>『[[#78nen|流山電鉄七十八年]]』pp.21 - 23</ref>。}} <!-- 通説の否定 --> [[流山市立博物館]][[学芸員]][[山下耕一]]はこの説を否定している。 {{Quotation| [[常磐炭田|常磐炭鉱]]から石炭を輸送するために敷設された土浦線は、最初は流山経由で[[川口市|川口]]方面に延伸する計画でしたが、[[鉄道局]]から「直接東京へ乗り入れよ」という指示があり、流山を通らない[[田端 (東京都北区)|田端]]への経路に変更されたのが真実です。 |山下耕一|『[[#散歩 no.92|散歩の達人]]』2003年11月号 p.27}} === 路線延長計画 === 本鉄道は路線延長を申請または計画したが、いずれも実現していない。 * [[1913年]](大正2年)[[12月13日]] - 下記の路線延長を申請<ref name="60nen p86">『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.86</ref>。 ** 路線:[[馬橋駅|馬橋]] - [[中山 (市川市)]]間。路線長:約12.5 [[キロメートル|km]]。軌間:1067 [[ミリメートル|mm]]。動力:蒸気機関車 ** 路線:[[流山駅|流山]] - [[関宿町|関宿]](現 [[野田市]])間。路線長:約33.6 km。軌間:1067 mm。動力:蒸気機関車 * [[1914年]](大正3年)- 上記申請が却下される<ref name="60nen p86" />。 * [[1923年]](大正12年)5月 - 申請(後に却下される)。路線:流山 - 野田 - 関宿間。路線長:約30.2 km<ref name="60nen p87">『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.87</ref> * [[1926年]](大正15年)10月 - 申請(後に却下される)。路線:馬橋 - [[洲崎 (東京都)|洲崎]](当時は[[東京市]])間(経路:馬橋 - [[松戸駅|松戸]] - [[市川駅|市川]] - [[行徳]] - [[砂町]] - 洲崎)。路線長:約51.5 km。軌間:1067 mm。動力:直流1,200 [[ボルト (単位)|V]]<ref name="60nen p87" /> * [[1928年]](昭和3年)- 申請:路線:馬橋 - [[下総中山駅|中山]]。路線長:約12.6 km<ref name="60nen p88">『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.88</ref> * [[1931年]](昭和6年)- 上記申請が却下される<ref name="60nen p88" />。 * [[1960年]](昭和35年)10月 - 申請。計画実現時には社名を「東日本電鉄」に変更する予定だった<ref name="60nen p89">『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.89)</ref>。 **{{Cite | title = 路線A | ref = line a}}:流山 - 野田市中根間。路線長:約12.4 km ** {{Cite | title = 路線B | ref = line b}}:野田市 - 関宿 - [[小山市]]([[栃木県]])間。路線長:約44.2 km * [[1962年]](昭和37年)12月 - [[#line a|路線A]]の申請を取り下げ<ref name="60nen p89" />。 * [[1963年]](昭和38年)8月 **[[#line b|路線B]]の申請を取り下げ<ref name="60nen p89" />。 ** 流山 - [[江戸川台]]間(路線長:約4 km)の延伸を計画<ref name="60nen p89" />。 森口誠之著『鉄道未成線を歩く国鉄編』によれば江戸川に沿って市川 - 松戸 - 流山 - 野田 - 関宿 - [[境町|境]] - [[三和町 (茨城県)|三和]] - 小山を結ぶように計画された「総野線」構想が存在し、実現した暁には流山線は国鉄に買収される計画だった。 === 鉄道建設運動の中心人物 秋元平八 === (本節は『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(pp.19 - 21)を参考文献とする) <!-- 画像 --> [[ファイル:流山・酒類問屋(株)秋元(s17-34-35).jpg|thumb|200px|right|酒類問屋の株式会社秋元(流山市流山、1981年3月13日)]] <!-- 本文 --> 鉄道建設発起人には秋元平八、[[中村権次郎]]、[[鈴木金左衛門]]、[[村松喜太郎]]、[[秋元良尚|秋元三左衛門]]、[[堀切紋次郎]]などの流山の名士が名を連ね、中心となって活動したのが秋元平八である。平八は1869年(明治2年)に流山で生まれ、現在の[[早稲田大学]]を出た。「平八」という名前は代々の[[襲名]]である。平八の家は秋元家の[[家制度#分家|分家]]であるが、[[家制度#家の設立・消滅|本家]]の秋元三左衛門とともに、みりん「天晴(あっぱれ)」の醸造を手掛け、他に醤油も製造していた。 平八は家業にはあまり熱心とはいえず、新し物好きな風流人であったらしい。流山では1900年(明治33年)頃に流行り始めた自転車に夢中になり、自転車を趣味とする人たちの親睦会「曙輪友会」(あけぼのりんゆうかい)が発足した際、その会長の座に就いた。そして現代で言うところの[[ツーリング]]に出かけたり、各地のロードレースに参加したりした。また、馬場山の一部を切り開いて自転車競技場を建設し、自転車レースも主催した。こうした指導力を持っていたことに起因して、平八が鉄道建設運動の指導者に推されたものと考えられる。 また、平八は[[俳句]]も趣味とし、「洒汀」(しゃてい)という[[俳号]]を持っていた。文学・美術も好きで小説家や画家とも交流が深く、彼らの[[パトロン|後援者]]でもあった。平八の家には多くの小説家・画家が訪れた。小説家では[[国木田独歩]]や[[田山花袋]]、画家では[[岡倉天心]]や[[横山大観]]などである。 平八は1935年(昭和10年)に74歳で亡くなった。 === 蒸気機関車No.1255の被弾 === <!-- 画像 --> [[ファイル:流山鉄道・1255号機・形式図.jpg|thumb|200px|right|No.1255 形式図<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 p28">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号「第3図 1255号形式図」(p.28)</ref>]] <!-- 本文 --> 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)[[7月17日]]、本鉄道の列車が米軍[[艦上機#第二次世界大戦時|艦上機]]の攻撃を受け被弾した<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.66</ref>。『流山市史研究』には次のようにある。 {{Bquote |「昼過ぎに馬橋を出て流山へ向った列車で、当時の大谷口駅(現在の幸谷駅と小金城趾駅の間、大谷口城跡の下)を過ぎたところで遭難した。機関士が左腕に重傷を負った」<ref name="70年史 p67">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.67</ref> |void|void |伊藤晃 |「[[#伊藤 (1983)|証言で綴る 流山と空襲]]」『流山市史研究』創刊号(1983年)<ref>「[[#流山市立博物館の本|流山市市史研究]]」『博物館の本』(流山市公式ホームページ)より。</ref>}} <!-- 証言 --> また、以下のような列車の乗客および乗員の証言がある。 ; 乗客の証言(1) : [[空襲警報]]が出ていました。馬橋駅では、「[[柏市|柏]]方面が空襲されているので危険だ」という情報が流れていましたが、機関士は「怖くない」と流山駅へ向けて出発しました。大谷口駅の先約100メートルのところで駅の職員が何か合図をするのが見えました。その直後に[[機銃掃射]]があり、乗客は車内に身を伏せ、それから車外に出ました。米軍機は旋回して来て、機関車だけが被弾したようでした<ref name="70年史 p67" />。 ; 乗客の証言(2) : 突然銃撃音がして、乗客は車内の後部へ移動しました。米軍機は3回ぐらい旋回して来ました。車外に出ると男性が「汽車の下に入れ!」と言うので、いったん列車の下に入りましたが、近所の農家へ走り、縁の下に身を隠しました。機関士が銃撃を受けて、「戸板!、戸板!」という叫び声が聞こえました<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.68</ref>。 ; 機関助手の証言 :<!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・駅前・城南通運(s14-30).jpg|thumb|200px|right|流山駅前の城南通運のトラックと営業所(1979年9月)]]<!-- 本文 -->主に機関車に攻撃が集中しました。機関車は[[#sl no.1255|No.1255]]です。列車は12輛編成で、機関車の後部が貨車で、最後尾に客車が1輛の列車でした。貨車には[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]へ運ぶ乾燥芋などを積載していましたが、機関車の後部の貨車の3輛目までが被弾しました。米軍機の最初の攻撃は西側からあって、低空飛行で銃撃してきました。高度は約50メートルぐらいでした。当時は馬橋駅に[[転車台]]がなくて、機関車をバック運転させて流山駅へ向っていました。「Aさん(機関士)、米軍機が来たら列車を止めて降りよう!」と叫ぶと、機関士は列車を止めました。私は機関車から飛び降りて、車掌に「乗客に車輛の下に入るように指示して!」と言ってから機関車に戻ると、機関士が上腕部に被弾していました。銃弾は貫通しており、腕がぶらついていました。乗客のBさん([[鉄道省]]勤務)がかけつけて来て、私と二人で近所の農家へ機関士を連れて行き、そこで布をもらって止血して、機関士にはその農家にいてもらいました。機関車に戻ってみるとタンクから水が漏れていましたが、Bさんと二人で蒸気圧がゼロになるかもしれない機関車を流山へ向けて走らせました。機関士は[[城南通運]]のトラックで柏の病院へ運ばれましたが、被弾した腕を切断することになりました<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』pp.68-69</ref>。 === 年表 === <!-- 画像 --> {{右| [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅構内(1977年)(s1-15).jpg|thumb|200px|none|1977年当時の流山駅構内。写真右上の建物は流山市役所(1977年3月25日)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ102+モハ103+ワ202、ワム301(1979年)(s14-35).jpg|thumb|200px|none|1979年当時の流山駅構内。モハ102+モハ103+ワ202、ワム301(1979年9月)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・給水塔(s10-6a).jpg|thumb|200px|none|流山駅構内にあった[[給水塔#鉄道での利用|給水塔]](1977年11月5日)]] [[ファイル:総武流山電鉄・馬橋駅・DB1とトラ(1977年)(s1-9).jpg|thumb|200px|none|1977年当時の馬橋駅構内。車庫内は[[#ディーゼル機関車|DB-1]](1977年3月25日)]] }} <!-- 年表 --> * [[1912年]](大正元年)9月17日 - 鉄道敷設免許申請を提出<ref name="流山電鉄78年 p16" />。 * [[1913年]](大正2年) ** 7月1日 - 流山軽便鉄道発起人に対し鉄道敷設免許状下付<ref name="「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄 p18" /><ref name="kanp1374" />。 ** [[11月7日]] - '''流山軽便鉄道株式会社'''設立<ref name="流山電鉄78年 p16" />。本社の所在地は[[東京市]]神田連雀町18番地<ref name="「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄 p18" />。創立株主総会を千葉県[[流山町]]1303番地で開催。資本金7万円<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.215</ref>。 * 1914年(大正3年) ** 1月6日 - 東京市[[下谷区]]から本社を移転<ref name="70年史 p216">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.216</ref>。 ** 10月10日 - 本店を東京市下谷区[[谷中 (台東区)|谷中]]清水町17番地に置く<ref name="70年史 p216" />。 ** 12月23日 - 本店を東京市[[麹町#麹町地域(麹町区)|麹町区]][[有楽町]]3丁目1番地へ移転<ref name="70年史 p216" />。 * [[1916年]](大正5年) ** 3月4日 - 試運転<<ref name="70年史 p218"/>。 ** [[3月14日]] - [[馬橋駅]]&mdash;[[流山駅]]間開業(路線長 5.7 km、軌間 '''762 mm'''、[[軽便鉄道]])。開業時の駅は次の4駅:[[馬橋駅]]、[[大谷口駅]]、[[鰭ヶ崎駅]]、[[流山駅]]<ref name="70年史 p218">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.218</ref><ref name="kanp16317">[{{NDLDC|2953196/9}} 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年3月17日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 ** 5月27日 - 本店を東京市[[赤坂 (東京都港区)|赤坂区]][[青山 (東京都港区)|青山南町]]4丁目3番地に移転<ref name="70年史 p218" />。 * 1918年(大正7年)4月 - 馬橋駅&mdash;[[大谷口駅]]間に[[仮乗降場]]を設置<ref name="70年史 p218" />。 * [[1922年]](大正11年)[[11月15日]] - '''流山鉄道'''に社名変更<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204" />。 * 1923年(大正12年)5月25日 - 資本金を20万円に増資<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.220</ref>。 * [[1924年]](大正13年)[[12月25日]] - 1067 mmに改軌して常磐線との貨車直通運転を開始<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.221</ref>。 * 1925年(大正14年) ** 6月20日 - [[陸軍糧秣本廠流山出張所]]が、現在の[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]南西に完成し、当鉄道が軍用鉄道として位置付けされる。 ** 7月1日 - [[松戸市|松戸]]を軸に[[常磐線#日本国有鉄道|国鉄常磐線]]の電化運動が始まる<ref>『[[#幻の鉄道|幻の鉄道]]』p.222</ref>。 * 1927年(昭和2年)3月19日 - 国鉄常磐線 [[我孫子駅 (千葉県)|我孫子駅]]&mdash;[[日暮里駅]]間の電化計画が[[衆議院]]で可決<ref>『[[#幻の鉄道|幻の鉄道]]』(p223)より。</ref>。 * 1929年(昭和4年)3月3日 - 流山駅&mdash;[[キッコーマン#沿革|万上みりん]]工場間の[[専用鉄道|引込線]](万上線)が完成<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.222</ref> * 1933年(昭和8年) ** 4月1日 - [[平和台駅 (千葉県)#歴史|赤城駅]]開業<ref name="sone21 26">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 26頁]]</ref>。 ** 4月8日 - ガソリンカー [[#kiha31|キハ31]]運行開始<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.223</ref> * 1936年(昭和11年)12月11日 - 国鉄常磐線 [[上野駅]]&mdash;松戸駅間電化<ref name="幻の鉄道 p226">『[[#幻の鉄道|幻の鉄道]]』p.226</ref>。 * 1937年(昭和12年)1月30日 - 臨時株主総会開催。資本金20万円(4,000株)を4万円(800株)に減資することを可決<ref name="70年史 p225">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.225</ref>。 * 1938年(昭和13年) **7月29日 - 臨時株主総会開催。資本金4万円(800株)を20万円(4,000株)に増資することを可決<ref name="70年史 p225" />。 ** 6月21日 - 国鉄常磐線電化促進の陳情が拒絶される<ref name="幻の鉄道 p226" />。 * 1945年(昭和20年) ** 7月17日 - 走行中の列車が米軍機による機銃掃射を受け、機関士が重傷を負う<ref name="sone21 26" />。 * 1948年(昭和23年) ** 6月20日 - 臨時株主総会開催。資本金20万円を100万円に増資することを可決<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.229</ref>。 ** 9月16日 - 国鉄常磐線松戸駅&mdash;[[取手駅]]間の電化工事起工式が挙行される<ref name="幻の鉄道 p228">『[[#幻の鉄道|幻の鉄道]]』p.228</ref>。 * 1949年(昭和24年) ** 6月1日 - 国鉄常磐線松戸駅 - 取手駅間を[[直流電化]]<ref name="幻の鉄道 p228" />。 ** 7月31日 - 臨時株主総会開催。資本金900万円の増資を可決<ref name="70年史 p230">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.230</ref>。 ** 12月18日 - 臨時株主総会開催。資本金の増資額900万円から600万円に変更し、資本金700万円にすることを可決<ref name="70年史 p230" />。 ** [[12月26日]] - 国鉄からの直流電力購入により全線を電化。 * 1950年(昭和25年)11月30日 - 臨時株主総会開催。資本金を50万円増資が完了し、資本金が950万円になる<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.232</ref>。 * [[1951年]](昭和26年)[[11月28日]] - '''流山電気鉄道'''に社名変更<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204" />。 * 1953年(昭和28年)12月24日 - [[小金城趾駅]]開業。大谷口駅廃止<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.234</ref>。 * 1956年(昭和31年)8月6日 - 貨車直通が承認される([[#wa203|ワ203]])<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.235</ref>。 * 1957年(昭和32年)3月20日 - [[坂川]]用水堤防敷占用願認可(小金城趾駅)<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』(p236)より。</ref>。 * 1960年(昭和35年) ** 1月16日 - 資本金を3,800万円に増資<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.237</ref>。 ** 12月24日 - 本店を流山町[[流山 (流山市)|流山]]217番地2から東京都[[新宿区]][[左門町]]1番地10へ移転<ref name="70年史 p238">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.238</ref>。 <!-- 画像 --> {{triple image|right|総武流山電鉄・旧幸谷駅(1977年)・s9-7.jpg|150|総武流山電鉄・旧幸谷駅(1977年)・s9-8.jpg|150|総武流山電鉄・旧幸谷駅(1977年)・s9-13.jpg|150|国鉄[[新松戸駅]]西側に移転する前の旧幸谷駅。左写真の奥に移転先の幸谷駅がある。右写真の奥の[[気動車]]は国鉄[[常磐線]]のキニ。(1977年10月23日)}} <!-- 本文 --> * 1961年(昭和36年) ** 2月3日 - [[幸谷駅]]開業<ref name="70年史 p238" />。 ** 11月1日 - 本店を東京都新宿区[[筑土八幡町]]22番地へ移転<ref name="70年史 p238" />。 * 1965年(昭和40年)6月26日 - 赤城駅を[[平和台駅 (千葉県)#歴史|赤城台駅]]に改称<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.240</ref>。 * 1966年(昭和41年)11月29日 - 本社を東京都[[文京区]][[本郷 (文京区)|本郷]]1-5-17 三洋別館内に移転<ref name="70年史 p241"/>。 * 1967年(昭和42年) ** 4月30日 - 小金城趾駅を移転<ref name="70年史 p241">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.241</ref>。 ** [[6月20日]] - '''流山電鉄'''に社名変更、本社を流山市流山217番地2に移転<ref name="70年史 p241" /><ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』(p.18)では5月に移転となっている。</ref>。 ** 7月1日 - 小金城趾駅で列車交換運転を開始。[[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]は[[閉塞 (鉄道)#タブレット閉塞式|タブレット式]]<ref name="70年史 p241" />。 * 1968年(昭和43年) ** 6月3日 - 本店の住居表示変更:流山市流山1丁目264番地<ref name="70年史 p242">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.242</ref>。 ** 11月 - 国鉄[[武蔵野線]]建設資材の輸送開始(荷主:[[日本鉄道建設公団]])<ref name="70年史 p242" />。 * 1969年(昭和44年) ** 4月 - 流山駅構内に本社屋を新築<ref name="70年史 p243">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』(p243)より。</ref>。 ** 11月 - [[キッコーマン]]流山工場引込線(万上線)を撤去<ref name="70年史 p243" />。 * [[1971年]](昭和46年) ** [[1月20日]] - '''総武流山電鉄'''に社名変更<ref name="70年史 p243" />。 ** 5月26日 - 国鉄常磐線の複々線化に伴い、国鉄と共用だった馬橋駅ホームを本鉄道専用に分離し<ref name="鉄道ピクトリアル No.620 p152">『[[#rp no.620|鉄道ピクトリアル]]』1996年4月臨時増刊号(p.152)より。</ref><ref>本鉄道の乗り場は常磐線の下り列車乗り場のホームと共用であった --『[[#散歩 no.92|散歩の達人]]』2003年11月号(p.27)より。</ref>、流山線専用ホームの使用を開始<ref name="70年史 p244">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.244</ref>。 * 1971年(昭和46年)10月10日 - 小金城趾[[駅ビル]]完成<ref name="70年史 p244" />。 * 1972年(昭和47年)11月 - 国鉄武蔵野線の建設資材輸送終了<ref name="70年史 p244" />。 * 1973年(昭和48年)4月1日 - 国鉄武蔵野線[[府中本町駅]]&mdash;[[新松戸駅]]間が開業し、流山線の乗客数に影響が出る<ref name="70年史 p244" />。 * 1974年(昭和49年)10月1日 - 赤城台駅を平和台駅に改称し、[[自動券売機]]を設置<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.245</ref>。 * 1976年(昭和51年)12月 - [[軌条|レール]]を37kg/mから50kg/mへ交換(3,000 [[メートル|m]])<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.247</ref>。 * [[1977年]](昭和52年) ** 4月1日 - 貨物営業廃止<ref name="70年史 p248">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.248</ref>。 ** 4月26日 - 流鉄松戸ビル完成(国鉄[[松戸駅]]西口駅前)<ref name="70年史 p248" />。 * 1978年(昭和53年) ** 2月 - レールを37kg/mから50kg/mに交換(3,500 m)<ref name="70年史 p248" />。 ** 10月2日 - 国鉄武蔵野線新松戸駅&mdash;[[西船橋駅]]間開業<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.249</ref>。 * 1979年(昭和54年)12月26日 - 電化30周年。流山駅の新築[[旅客上屋]]に大時計を設置。[[鰭ヶ崎駅]]&mdash;[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]]間と流山駅構内のレールを37kg/mから50kg/mに交換<ref name="70年史 p250">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.250</ref>。 * 1980年(昭和55年) ** 2月7日 - [[#kiha31|キハ31]]を[[静態保存]]展示するために[[流山市総合運動公園]]へ搬送<ref name="70年史 p250" />。[[1979年|前年]]に引き続き、レールの重軌条化を実施(37kg/mから50kg/mへ交換(1,400 m)<ref name="70年史 p251">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.251</ref>。 ** 12月26日 - 電車検修場を改築<ref name="70年史 p251" />。 * 1981年(昭和56年)12月1日 - 二ツ木・[[西平井 (流山市)|西平井]][[信号場|信号所]]新設の工事方法書記記載事項の変更が認可される<ref name="70年史 p252">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.252</ref>。 * 1982年(昭和57年) ** 1月10日 - 幸谷駅を新松戸駅に近付けるため北へ移転し、営業を開始<ref name="70年史 p252" />。 ** 12月1日 - 信号保安設備をタブレット式から[[閉塞 (鉄道)#自動閉塞方式|単線自動閉塞式]]に変更<ref name="鉄道ピクトリアル No.620 p152" />。 ** 12月30日 - 坂川橋梁架け換え工事完了<ref name="70年史 p253">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.253</ref>。 <!-- 画像 --> [[ファイル:総武流山電鉄・ガーダー橋・1.jpg|thumb|200px|right|架け換え前の[[桁橋|ガーダー橋]]を渡るクハ53(小金城趾駅 - 鰭ヶ崎駅間、1977年9月4日)]] <!-- 本文 --> * 1983年(昭和58年) ** 6月23日 - 定時株主総会開催。株式の一単位を1,000株に設定<ref name="70年史 p253" />。 ** 8月 - 電車検修場に[[リフティングジャッキ]]を4基設置<ref name="70年史 p253" />。 ** 12月23日 - 馬橋&mdash;流山間に[[架線自動張力調整装置]](テンションバランサー)を設置<ref name="70年史 p253" />。 ** 同年度 - [[架線柱]]<ref>かせんちゅう - [[架線]]を支えている電柱のこと --『[[#詳解 鉄道用語辞典|詳解 鉄道用語辞典]]』(p.93)より。</ref>の全[[コンクリート]]ポール化がこの年度(1983年4月1日から1984年3月31日まで)で完了<ref name="70年史 p251" />。 * 1984年(昭和59年)1月31日 - 国鉄との貨車直通取扱を廃止。馬橋駅の共同使用契約を解除<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.254</ref>。 * 1986年(昭和61年)2月17日 - 最高速度を45km/hから55km/hに引き上げ<ref name="鉄道ピクトリアル No.620 p152" />。 * [[1990年]](平成2年)2月 - [[西平井変電所]]が稼働。本鉄道自身で直流1,500V電力を本鉄道に供給。場所は鰭ヶ崎駅付近、鰭ヶ崎陸橋の北側<ref name="sone21 27">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 27頁]]</ref>。 * 1995年(平成7年)11月 - 1200形「銀河」号が運用終了<ref name=":2" />。 * 2001年(平成13年) ** 5月20日 - 1300形「あかぎ」号が運用終了<ref name="sone21 27"/>。 ** 5月21日 - 完全冷房化・新性能化<ref name="sone21 27"/>。 * 2003年(平成15年) - [[自動列車停止装置|ATS]]設置(馬橋、小金城趾、流山の各駅)<ref name="sone21 27"/>。 * 2005年(平成17年)8月24日 - [[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]が全線開業。 * 2006年(平成18年)5月17日 - 昼間時間帯に限りワンマン運転の習熟訓練を開始。 * 2007年(平成19年)11月18日 - 2000形「流馬」号が運用終了。 * [[2008年]](平成20年)[[8月1日]] - '''流鉄'''に社名変更、同時に路線名を総武流山線から'''流山線'''に変更<ref name="hobidas20080627" /><!-- 出典:2では年月のみしか記載されていないため。--><ref name=":2">{{Cite web|和書|url=http://ryutetsu.jp/about.html|title=流鉄について 沿革|accessdate=2020-12-11|publisher=流鉄株式会社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201101152939/http://ryutetsu.jp/about.html|archivedate=2020-11-01|language=日本語}}</ref>。 * [[2009年]](平成21年)4月29日 - 2000形「明星」号が運用終了。 * [[2010年]](平成22年) ** 1月20日 - 5000形「流馬」号が運用開始<ref name=":2" />。 ** 1月23日 - 終日ワンマン運転開始<ref name="sone21 27"/>。 ** 8月29日 - 3000形「流星」号が運用終了<ref name="sone21 27"/>。 * [[2011年]](平成23年) ** 3月11日 - 5000形「流星」号が運用開始<ref name=":2" />。 ** 5月15日 - 3000形「若葉」号が運用終了<ref name="sone21 27"/>。これに伴い、3両編成が消滅し、全車両2両編成のワンマン化となる。 * [[2012年]](平成24年) ** 3月14日 - 5000形「あかぎ」号が運用開始<ref name=":2" />。 ** 7月15日 - 2000形「青空」号が運用終了。 ** 12月3日 - 5000形「若葉」号が運用開始<ref name=":2" />。 [[File:流山駅 Nagareyama Station of Nagareyama Line viewed on the overpass 2021-12-34.jpg|thumb|[[跨線橋]]から見た流山駅(2021年12月30日)]] * [[2013年]](平成25年) ** 4月28日 - 2000形「なの花」号が運用終了。これに伴い、車両が5000形に統一。 ** 12月6日 - 5000形「なの花」号が運用開始<ref name=":2" />。 * [[2014年]](平成26年)7月11日 - 小金城趾 - 幸谷間の踏切で乗用車との衝突で電車が脱線し、乗用車に乗っていた2人が死亡する事故が起きる<ref>[https://web.archive.org/web/20140711175528/http://www.asahi.com/articles/ASG7C77C8G7CUDCB01H.html 「車と衝突、電車脱線 車の2人死亡 千葉・流鉄流山線」][[朝日新聞デジタル]](2014年7月12日)のインターネットアーカイブ</ref>(詳細は「[[#輸送障害|輸送障害]]」節を参照)。 * [[2018年]](平成30年)5月 - 駅番号を導入。 * [[2022年]](令和4年)8月2日 - 折からの猛暑により、レールの温度が2018年に規定値を定めて以来初めて上限の63度を超えたため、レール曲がりの点検を実施すべく、一時運転を見合わせる(レールに異常は無く、運転は再開された)<ref>{{Cite news|title=【速報】レール高温で運転見合わせ 猛暑で流鉄流山線、初めて 千葉県内、今年最高気温|newspaper=千葉日報|date=2022-08-02|url=https://www.chibanippo.co.jp/news/national/962460|access-date=2022-08-06}}</ref><ref>{{Cite news|title=流山線 レール温度規定値上回る 猛暑で初 一時運転見合わせ|newspaper=読売新聞|date=2022-08-03|url=https://www.yomiuri.co.jp/local/chiba/news/20220803-OYTNT50005/|access-date=2022-08-06}}</ref>。 * [[2023年]](令和5年)7月1日 - ダイヤ改正(減便と、JR線との若干の接続改善)。 * [[2024年]](令和6年)4月1日 - 運賃改定を実施予定。運賃値上げは[[消費税]]増税分によるものを除くと、34年6か月ぶりとなる<ref name="yomiuri20230919">{{Cite web|和書|title=つくばエクスプレス開業前と比べ旅客半減の「流鉄」、34年半ぶり値上げ |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230919-OYT1T50055/ |website=読売新聞 |date=2023-09-19 |access-date=2023-09-19}}</ref><ref name="ryutetsu20230907">{{Cite press release|title=鉄道運賃の改定について|publisher=流鉄|date=2023-09-07|url=http://www.ryutetsu.jp/info/wp-content/uploads/2023/08/2023.9%E8%AA%8D%E5%8F%AF%E6%99%82%E5%BA%83%E5%A0%B1%E7%94%A8%E3%80%80HP.pdf|format=PDF|language=ja|access-date=2023-09-20}}</ref>。 == 車両 == 車両は[[1994年]]以降全車が[[西武鉄道]]からの譲渡車で統一され、5編成10両の車両(2013年12月時点)が使用されている。各編成ごとに異なる愛称がつけられ、異なる塗色が施されている。2022年時点では「あかぎ」、「なの花」、「若葉」、「さくら」、「流星」の5種類で、全車両が2両編成であり<ref name="東京新聞20220714"/>、ワンマン運転開始に伴い行先表示器が幕式から[[発光ダイオード|LED]]式に換装されているほか、[[ドアチャイム|ドア開閉チャイム]]と案内放送、自動の[[車内放送|車内アナウンス装置]]が取り付けられている。なお愛称ごとの車体色は車両が代替わりしても一貫しており、歴代愛称ごとの車体色は「流馬」=水色、「流星」=橙色、「あかぎ」=臙脂色、「なの花」=黄色、「明星」=柿色、「若葉」=黄緑色、「青空」=紺色、「銀河」=銀色、「さくら」=ピンクとなっている。 === 現有車両 === <!-- 記事名の頭には入線時の社名を付けることになっているので、総武流山電鉄時代から在籍している車両は頭の「総武流山電鉄」を修正する必要はありません。--> ==== 5000形 ==== {{Main|総武流山電鉄3000形電車#5000形}} [[2009年]]に西武から譲渡された元[[西武101系電車#新101系・301系|新101系]]で、クモハ5000形-クモハ5100形の2両編成。2010年1月20日より「流馬」(3代目)、2011年3月11日より「流星」(3代目)、2012年3月14日より「あかぎ」(2代目)、2012年12月3日より「若葉」(3代目)、2013年12月6日より「なの花」(3代目)が、それぞれ営業を開始した<ref name=":2" />。西武時代に種別幕だった表示器には「[[ワンマン運転|ワンマン]]」と表示している。なお、「流馬」は2018年8月23日より塗装が変更され、「さくら」となった <ref>金子聡:[https://railf.jp/news/2018/08/24/143000.html 流鉄「さくら」号が運転開始] [[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]railf.jp 鉄道ニュース(2018年8月24日掲載)2022年7月30日閲覧</ref>。「流星」は、2021年1月21日から車体塗装や[[つり革]]の色を変更して運行している<ref>{{Cite press release|和書|title=流星号の運用開始について |publisher=流鉄 |date=2021-01-20 |url=http://www.ryutetsu.jp/info/new/%e3%80%8c%e6%b5%81%e6%98%9f%e3%80%8d%e5%8f%b7%e3%81%ae%e9%81%8b%e7%94%a8%e9%96%8b%e5%a7%8b%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/ |accessdate=2021-01-22}}</ref>。 <gallery> ファイル:Ryutetsu5001sakura-wiki.jpg|5000形「さくら」(幸谷駅 - 馬橋駅間) ファイル:Ryutetsu5002ryusei2021-wiki.jpg|5000形「流星」(幸谷駅 - 馬橋駅間) </gallery> === 過去の車両 === ==== 2000形 ==== {{Main|総武流山電鉄2000形電車}} 1994年導入。クモハ2000形・モハ2100形・クハ20形の3形式から成る。元[[西武701系電車|西武701系・801系]]であったが、老朽化のため、2007年11月に3両編成の「流馬」(2代目)、2009年4月に3両編成の「明星」、2012年7月に2両編成の「青空」、2013年4月28日に2両編成の「なの花」(2代目)が、それぞれ[[さよなら運転]]を実施して運用を終了した<ref name=":2" /><ref>[http://railf.jp/news/2013/04/29/200000.html 流鉄2000形「なの花」のさよなら運転実施] 鉄道ファン railf.jp鉄道ニュース(2013年4月29日掲載)2022年7月30日閲覧</ref>。 <gallery> ファイル:Ryūtetsu 2000 series on Aozora service.JPG|2000形「青空」(2008年) ファイル:Nagareyama Myoujou.JPG|2000形「明星」(鰭ヶ崎駅 - 平和台駅間、2007年6月13日) </gallery> ==== 3000形 ==== {{Main|総武流山電鉄3000形電車}} 1999年に[[西武101系電車#旧101系|旧101系]]を譲受し、「流星」(2代目)と「若葉」(2代目)の3両編成2本としたもの。2010年1月23日のダイヤ改正で定期運用から離脱し、「流星」は2010年8月29日、「若葉」は2011年5月15日に、それぞれ[[さよなら運転]]を実施して運用を終了した<ref name="sone21 27" />。 <gallery> ファイル:Nagareyama Wakaba.JPG|3000形「若葉」(鰭ヶ崎駅 - 平和台駅間、2007年12月7日) </gallery> ==== 1200形・1300形 ==== {{Main|総武流山電鉄1200形電車}} 1979年 - 2001年在籍。1200形はクモハ1200形・サハ60形・クハ80形の3形式、1300形はクモハ1300形・クハ70形の2形式から成る。いずれも元西武の車両で、[[西武501系電車|501系]]を種車にした3両編成の「流星」(初代)・「流馬」(初代)・「銀河」・「若葉」(初代)と、[[西武551系電車|551系]]・[[西武601系電車|クハ1651形]]を種車にした2両編成の「なの花」(初代)・「あかぎ」(初代)があった。流山線で現在まで続く編成愛称を導入した最初の車両である。 <gallery> ファイル:総武流山電鉄・流山駅・クモハ1201+サハ1200形+クモハ1202(1979年)(s12-9).jpg|1200形「流星」(流山駅、1979年4月15日) ファイル:Nagareyama line kumoha1301.jpg|1300形「あかぎ」(2001年5月13日) </gallery> ==== 電化後の車両(戦前・終戦直後製造車両)==== 太平洋戦争直後の化石燃料(石炭、ガソリン)事情の悪化に対応するために、戦後初の公選選挙で選ばれた流山町長が中心となって流山鉄道の電化に動き出す。町長は5.7キロメートルの小私鉄である流山鉄道自社で変電所を建設および維持することは採算に合わないと考え、国鉄常磐線の電化を見越して、国鉄から直流1,500Vの電力を購入するために千葉県選出の[[参議院議員]]を通じて[[運輸省]]に働きかけ、国鉄からの電力購入に成功する。そして本鉄道は常磐線電化から半年後に電化を為し遂げる。電化当初の電車の輛数は3輛であった<ref name="ちばの鉄道一世紀 p204">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』p.204</ref><ref name="流山電鉄七十八年 p50">『[[#78nen|流山電鉄七十八年]]』p.50</ref>。 <!-- 電化に際して導入されたモハ100形の画像 --> [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ101(1977年)(s1-19a).jpg|thumb|200px|right|モハ101(流山駅、1977年3月25日)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ102(1979年)(s12-2).jpg|thumb|200px|right|モハ102(流山駅、1979年4月15日)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ103(s12-24).jpg|thumb|200px|right|モハ103(流山駅、1979年4月15日)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ105(1979年)(s12-1).jpg|thumb|200px|right|モハ105(流山駅、1979年4月15日)]] <!-- 本文 --> 電化前はガソリンの入手が困難で、ガソリンカーによる定時運行が思うようにいかない状況であった。そのためこの時期には蒸気機関車による旅客列車も復活した。国鉄から客車や救援車、蒸気機関車を借り入れて営業を行ったが、車両の増備は行われなかった。この車両不足の状況は電化によって改善することになる。 1949年末に電化は完成し、国鉄から電車を3両(モハ100形)購入した。その後100形が1両(モハ105)が増備され、クハ51、Mc+Tc編成(モハ1001+クハ52)も入線した。キハ31とキハ32はエンジンを撤去され、付随車として電車に牽引されていたが、電車の増備により[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。 ===== モハ100形 ===== <!-- 本文 --> [[南武鉄道の電車#モハ100形|モハ100形]]は、本鉄道電化の際に国鉄から払い下げを受けた車両で、元[[太平洋不動産|南武鉄道]]モハ100形である。[[鉄道車両の台車|台車]]は[[ボールドウィンA形台車|ボールドウィン製BW78-25A系]]<ref>『[[#世界の鉄道1975|世界の鉄道 '75]]』p.160</ref>。単行<ref>『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.10およびp.60)に単行走行中の写真が掲載されている。</ref>あるいは増結用として使われていた他、貨車を牽引して混合列車として運行されることもあった<ref>『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.54)にモハ101が牽引する[[貨物列車|混合列車]]、『[[#木造車1|戦後を走った木造車1]]』(p.103)にモハ105が牽引する混合列車の写真が掲載されている。</ref>。14メートル級半鋼製2扉車である。車体各部には若干の相違がある。[[ベンチレーター#車両用|通風器]]は101・103が[[ベンチレーター#吸い出し式|お碗形]]、102・105が[[ベンチレーター#吸い出し式|ガーランド形]]である<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.60</ref>。3ドア車の入線により増結用として使用されるようになった<ref name="世界の鉄道 '75 p63" />。100形は本鉄道電化以来使用されてきた車輛のため、電気部品も老朽化が進んでいるため、2輛ぐらいを中間車化を兼て更新する予定があった<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67" />。 <!-- モハ101 --> * モハ101 - 1949年に入線した元南武鉄道モハ107。1979年に廃車。[[汽車会社]]製であるが、購入に際しては[[小糸製作所]]で改修を行い、機械はほとんど新品に換装し、その後も車内等の改装も本鉄道で行っている<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />。座席は木製であった。塗色は緑色であった(1952年1月27日時点)<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号(p.30)より。</ref>。モハ101の車歴は、南武鉄道モハ107(1928年)→国鉄モハ107(1944年)→流山(1949年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 <!-- モハ102 --> * {{Cite | title = モハ102 | ref = moha102}} - 1949年に入線した元南武鉄道モハ115。1979年廃車。汽車会社製であるが、購入に際しては小糸製作所で改修を行い、機械はほとんど新品に換装し、その後も車内等の改装も本鉄道で行っている<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />。座席は木製であった。塗色は緑色であった(1952年1月27日時点)<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30" />。モハ102の車歴は、南武鉄道モハ115(1931年)→国鉄モハ115(1944年)→流山モハ102(1949年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 <!-- モハ103 --> * モハ103 - 1949年に導入された元南武鉄道モハ106。1979年廃車。汽車会社製であるが、購入に際しては[[東急車輛製造|東急横浜製作所]]で改修している。機械はほとんど新品に換装し、その後も車内等の改装も本鉄道で行っている<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />。座席は木製であった。塗色は緑色であった(1952年1月27日時点)<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30" />。車歴は、南武鉄道モハ106(1926年)→国鉄モハ106(1944年)→流山モハ103(1949年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 <!-- モハ105 --> * モハ105 - 1954年に追加で1両が導入された。元南武鉄道モハ113(汽車会社製)であるが、電装を解除されクハ6002となり、流山電車区で再電装し、両運化された<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />。このような経緯から前述の3両とは微妙に形態が異なっていた。1979年に廃車。車歴は、南武鉄道モハ113(1931年)→国鉄モハ113(1944年)→国鉄クハ6002(1953年)→流山モハ105(1954年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 なお流鉄モハ100形の全廃と入れ替わりに、[[東濃鉄道駄知線]]から後述の流鉄モハ1002-クハ55が入線しているが、この車両とともに使用されていた[[東濃鉄道駄知線#電車|東濃モハ103・クハ201・クハ202]]は、流鉄モハ100形と出生の同じ南武モハ100形である。 <!-- 画像 --> <gallery> ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ103(1979年)(s12-25).jpg|モハ103(流山駅、1979年4月15日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ103(1977年)(s1-17).jpg|モハ103(流山駅、1977年3月25日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ103の台車・ボールドウィン製(1977年)(s1-17a).jpg|モハ103の台車([[ボールドウィンA形台車|ボールドウィン製BW78-25A系]])(流山駅、1977年3月25日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ101・お椀型ベンチレーター(s10-6b).jpg|モハ101の[[ベンチレーター#吸い出し式|お碗型ベンチレーター]](写真手前)(流山駅、1977年11月5日) </gallery><br /><!-- 次節「モハ1000形」との区別を明確にするための空白行 --> ===== モハ1000形 ===== モハ1000形は[[#クハ50形|クハ50形]]と組んで2両編成で運用されることが多かった。 <!-- モハ1001 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・モハ1001(1978年)(s11-25a).jpg|thumb|200px|right|モハ1001(鰭ヶ崎 - 平和台間、1978年3月19日)]]<!-- 本文 -->[[武蔵野鉄道デハ320形電車|モハ1001]] - 西武クハ1212を1963年に譲受。元[[西武鉄道#武蔵野鉄道|武蔵野鉄道]]デハ1321で、西武所沢工場で改修されたものを購入。同車はこのときに再電装された。車歴は、武蔵野デハ1321(1927年)→西武農業デハ1321(1945年)→西武デハ1321(1946年)→西武モハ222(1948年)→西武モハ216(1954年)→クハ1212(不明)→流山モハ1001(1963年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。窓枠をアルミサッシに取り換え、前面は外板を張り替え、窓下帯(シル)がなくなった<ref name="世界の鉄道 '75 p63" />。[[1988年]]に廃車になった。 <!-- モハ1002 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ1002(1986年)(s25-4).jpg|thumb|200px|right|モハ1002(流山駅、1986年11月3日)]]<!-- 本文 -->[[東濃鉄道モハ110形電車|モハ1002]] - 1927年に(旧)西武鉄道が[[川崎造船所]]で製造した[[西武モハ550形電車|モハ554]]<ref name="鉄道ピクトリアル No.418 p128">『[[#rp no.418|鉄道ピクトリアル]]』1983年6月臨時増刊号(p.128)より。</ref>。[[東濃鉄道]]からモハ111を[[1975年]]に譲受。東濃鉄道時代に[[集電装置#パンタグラフ|パンタグラフ]]を連結側に移設し、パンタグラフ部分を低屋根化し、車体総張り替えを実施した。流鉄譲渡時に、名鉄住商車両工場で、[[前照灯#鉄道車両|ヘッドライト]]の[[シールドビーム]]2灯化、[[アルミサッシ]]化、運転台を中央から左側への移設などが行われた<ref name="鉄道ピクトリアル No.418 p128" />。1988年に廃車となった。車歴は、(旧)西武<ref>「(旧)西武」とは、現在の[[西武新宿線]]を主とした鉄道で、1945年に武蔵野鉄道と合併し、西武農業鉄道となり、翌年に西武鉄道と社名を改称した鉄道のこと --『[[#rp no.312|鉄道ピクトリアル]]』1975年11月(p.68)より。</ref>モハ554(1927年)→(旧)西武モハ105(1940年)→西武農業モハ105(1945年)→西武モハ105(1946年)→西武モハ155(1948年)→東濃モハ111(1963年)→流山モハ1002(1975年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 <!-- 画像 --> <gallery> ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ1002・連結面(1986年)(s25-2).jpg|モハ1002の連結面(流山駅、1986年11月3日) </gallery><br /><!-- 次節「モハ1100形」との区別を明確にするための空白行 --> ===== モハ1100形 ===== <!-- モハ1101 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・モハ1101(1986年)(m4-2).jpg|thumb|200px|right|モハ1101(馬橋駅行、平和台駅 - 鰭ヶ崎駅間、1986年3月16日)]]<!-- 本文 -->[[京急300形電車#譲渡車|モハ1101]] - 車体は1947年に[[三井造船]]玉野製作所製で、[[京浜急行電鉄|京急]]クハ480形の車体を[[西武所沢車両工場]]で更新し、下回りは所沢工場の手持ちの部品を使用している。この時に両運転台化され、ヘッドライトもシールドビーム2灯化された。半鋼製である<ref name="鉄道ピクトリアル No.418 p129">『鉄道ピクトリアル』No.418 1983年6月臨時増刊号 p.129</ref>。流山入線時は最も近代的なデザインの車輛であった。両運転台であるため、1輛でも運転することができる<ref name="世界の鉄道 '75 p63" />が、新設された方の運転台は貫通路を備えており、[[#クハ50形|クハ50形]]と組んで2両編成で運用されることが多かった。車歴は、東急デハ5400系(1947年)→京急400(1948年)→車体のみ屑鉄として西武所沢工場へ(1965 - 1966年)→流山モハ1101(1968年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。[[1994年]]に廃車。 <gallery> ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ1101(1979年)(s12-33).jpg|整備中のモハ1101(流山駅、1979年4月15日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ1101・連結面(1979年)(s12-34).jpg|モハ1101の連結面(1979年4月15日) </gallery><br /><!-- 節「クハ50形」との区別を明確にするための空白行 --> ===== クハ50形 ===== クハ50形は、[[#モハ1000形|モハ1000形]]あるいは[[#モハ1100形|モハ1100形]]と編成を組んで運用された。 <!-- クハ51 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・クハ51(1977年)・s10-7a.jpg|thumb|200px|right|クハ51(流山駅、1977年11月5日)]]<!-- 本文 -->[[豊川鉄道・鳳来寺鉄道・田口鉄道の電車#クハ60形|クハ51]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]クハ5601を1955年に譲受。元[[豊川鉄道]]クハ60形。モハ100形と編成して3輛運転を行うために国鉄から購入した<ref name="世界の鉄道 '75 p63">『[[#世界の鉄道1975|世界の鉄道 '75]]』p.63</ref>。いわゆる[[川崎造船所]]のでき合いの車輛で、同型車は各地で活躍した。豊川鉄道時代は両運転台であったが、国有化後に片運転台化された。国鉄から譲渡されたときには屋根は雨漏りし、外板各柱とも腐食し、台枠は歪み、窓枠も腐食しているという酷い状態であったが、ブレーキを制御管式に改造し、車体内外を大改修し<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />、台車や通風器は交換された<ref name="世界の鉄道 '75 p63" />。1970年に休車となり、流山駅構内に留置され、[[石蹴り]]の標的になっていた。車体を更新して再度利用する話もあったが<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67">『[[#rp no.312|鉄道ピクトリアル]]』1975年11月号 p.67</ref><ref>『[[#世界の鉄道1975|世界の鉄道 '75]]』(p.63)では「予備車」となっている。</ref>、1970年代後半に廃車となる。車歴は、豊川附23(1927年)→豊川クハ62(1937年)→国鉄クハ62(1943年)→国鉄クハ5601(1953年)→流山クハ51(1960年)→休車(1970年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。 <!-- クハ52 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:Nagareyama_line_kuha52.jpg|thumb|200px|right|クハ52(1983年12月27日)]]<!-- 本文 -->[[武蔵野鉄道デハ320形電車|クハ52]] - 西武クハ1215を1963年に譲受<ref name="世界の鉄道 '75 p161">『[[#世界の鉄道1975|世界の鉄道 '75]]』(p161)より。</ref>。元武蔵野鉄道サハ2321。車歴は、デハ1323→モハ223→モハ217→クハ1213(流山の書類ではクハ1215を購入したことになっている)→流山クハ52<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 p60" />。西武時代は密着[[連結器]]を装備していた<ref name="世界の鉄道 '75 p62">『[[#世界の鉄道1975|世界の鉄道 '75]]』p.62</ref>。木製の窓枠の傷みが目立ち、1975年度中に車体を更新する予定であったが<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67" />、1977年に[[日本電装 (埼玉県)|日本電装]]で外板と屋根布の張り替えなどの更新を行った<ref name="鉄道ピクトリアル No.418 p129" />。車歴は、武蔵野デハ1323(1927年)→西武農業デハ1323(1945年)→西武デハ1323(1946年)→西武モハ223(1948年)→西武モハ217(1954年)→西武クハ1213(1958年)→流山クハ52(1963年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。1988年に廃車。 <!-- クハ53 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・旧幸谷駅(1977年)・s9-6a.jpg|thumb|200px|right|クハ53(旧[[幸谷駅]]、1977年10月23日)]]<!-- 本文 -->[[青梅電気鉄道の電車#デハ100形 → モハ100形|クハ53]] - [[富士急行|富士山麓電気鉄道]]ロハ901を1969年に譲受。元[[青梅線|青梅鉄道]]モハ103。富士急行で使用されていた車体をそのまま使用<ref name="世界の鉄道 '75 p62" />。国鉄時代に電装解除されたようだが詳細は不明<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67" />。車歴は、青梅モハ103(1928年)→国鉄モハ103(1928年)→富士急ロハ300(1949年)→富士急ロハ900(不明)→流山クハ53(1968年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68">『[[#rp no.312|鉄道ピクトリアル]]』1975年11月号 p.68</ref>。 <!-- クハ55 --> * [[東濃鉄道モハ110形電車|クハ55]] - 東濃鉄道クハ211を1975年に譲受。元西武[[西武モハ550形電車|クハ555]]。[[名古屋鉄道|名鉄]][[鳴海工場]]で検査および塗装して流山に入線する<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67" />。車歴は、(旧)西武クハ605(1927年)→(旧)西武クハ1106(1940年)→西武農業クハ1106(1945年)→西武クハ1106(1946年)→西武クハ1156(1948年)→東濃クハ211(1963年)→流山クハ55(1975年)<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p68" />。1981年に廃車。 <!-- 画像 --> {| class="wikitable" |[[ファイル:総武流山電鉄・クハ55(1978年)(s11-24).jpg|thumb|200px|center|クハ55(鰭ヶ崎駅 - 平和台駅間、1978年3月19日)]] |[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・クハ53・連結面(1979年)(s12-23).jpg|thumb|150px|center|クハ53の連結面(流山駅、1979年4月15日)]] |} <br /><!-- 次節との区別を明確にするための空白行 --> ==== 改軌後(軌間1067mm)の車両 ==== [[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆鉄道]]から蒸気機関車2両(No.15・No.16)を借り入れ、後に正式に購入した。客車は国鉄から4輪客車を3両購入し、貨車も国鉄から購入した。[[1933年]]から[[1934年]]にかけて内燃動力の併用認可を得て、4輪ガソリンカーを2両(キハ31・キハ32)を新製で購入。当時は鉄道で内燃動車が実用化された頃で、経済性とフリークエントサービスを目的に採用した。ガソリンカーの導入により客車は休車となり、その後に廃車。蒸気機関車は貨物および入換専用となった。[[1938年]]には国鉄から蒸気機関車(No.105・No.1255)を購入し、No15とNo.16を廃車にした<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.57</ref>。 ===== 蒸気機関車 ===== [[蒸気機関車]]は、本鉄道所有機が4輛、[[国鉄]]からの借用機が1輛在籍していた。 <!-- No.15・16 --> *<!-- 画像 -->[[ファイル:流山鐵道・ボールドウィン製サドルタンク機.jpg|thumb|200px|right|甲2形蒸気機関車([[腰高康治]])<ref>『[[#tms no.33|鉄道模型趣味]]』1951年6月号「口絵写真」より。</ref>]]<!-- 本文 -->形式 - {{Cite | title = 甲2 | ref = baldwin saddle tank loco}}<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p27">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号 p.27</ref>、番号 - [[北海道炭礦鉄道15号形蒸気機関車|15・16]]、[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス|ボールドウィン]]製B形[[タンク機関車|サドルタンク]]。車軸配置 2-4-2、動輪直径 953mm<ref>『[[#1 to c63|1号機関車からC63まで]]』(p.34)では動輪直径が953mmとなっているが、「[[北海道炭礦鉄道15号形蒸気機関車#主要諸元|北海道炭礦鉄道15号形蒸気機関車]]」では914mmとなっている。</ref>、動輪ホイールベース 1,524mm、先従輪直径 610mm、先従輪間のホイールベース 5,398mm、車高〈キャブ屋根〉2845mm。[[1890年]]製。[[北海道炭砿鉄道]]が輸入し、No.15・No.16となる。その後、[[1898年]]に[[伊豆箱根鉄道駿豆線|豆相鉄道]]へ2両共譲渡され、豆相鉄道の電化に伴い1924年に流山鉄道に移り、流山鉄道で最期を迎える<ref>『[[#1 to c63|1号機関車からC63まで]]』p.34</ref>。代価は2両で15,800円。1933年にガソリンカーが入線するまで旅客および貨物輸送を担っていたが、それ以降は貨物輸送専門となる。映画『[[#映画|牛づれ超特急]]<ref name="映画『牛づれ超特急">『[[#ちば|ちばの鉄道一世紀]]』(p.204)より。『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.58)では『牛<u>のろ</u>超特急』と書かれているが、[[Google]]で検索すると、『牛<u>づれ</u>超特急』は見つかるが、『牛<u>のろ</u>超特急』は見つけられなかった。『[http://www.jmdb.ne.jp/1937/bm004520.htm 牛づれ超特急]』は、製作は[[東宝映画]](東京撮影所)。[[1937年]]11月3日、大阪千日前敷倶楽部。10巻 2,151m 79分 白黒。出演は[[藤原釜足]]など。『牛づれ超特急』はNo.15([[1939年]]廃車)とNo.16([[1938年]]廃車)が廃車になる前に製作された映画である。</ref>』にも出演したことがある。1938年[[11月14日]]付でNo.16が、[[1939年]][[1月16日]]付でNo.15が廃車となる<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58" /><ref name="総武流山電鉄七十年史(p94)">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』p.94</ref>。 <!-- No.105 --> *<!-- 画像 -->[[ファイル:流山鉄道・105号機・形式図.jpg|thumb|200px|right|No.105 形式図<ref>『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号「第2図 105号形式図」p.28</ref>]]<!-- 本文 -->形式 - [[国鉄105形蒸気機関車|105]]、番号 - 105<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p27">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号 p.27</ref>、B形サイドタンク。車軸配置 2-4-0、動輪直径 1,370mm。[[1913年]]に[[秋田鉄道]](現・JR[[花輪線]])[[カー・スチュアート社]]から購入した機関車(製番1198)で、秋田鉄道が国鉄に買収された時に「105」という形式が付けられた。1938年に流山に入線した(11月21日付払下認可、1月12日付使用開始)<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p27" />。「105」という番号は国鉄の型式番号をそのまま継承する。貨物列車用および入換用として電化後まで使用される<ref name="総武流山電鉄七十年史(p94)" />。[[1951年]]5月に日車東京支店に売却された。番号については、『[[鉄道趣味 (雑誌)|鉄道趣味]]』(No.25)では国有後も秋田鉄道時代と同番号で使用された、とある。秋田鉄道に入線した時の番号は「4.1」(4は動輪数、1は番号を表すそうである)であったらしい<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号 p.28</ref>。 <!-- No.1255 --> *<!-- 画像 -->[[ファイル:流山鉄道・1255号機・形式図.jpg|thumb|200px|right|No.1255 形式図<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 p28" />]]<!-- 本文 -->形式 - [[国鉄1350形蒸気機関車|1255]]、番号 - {{Cite | title = 1255 | ref = sl no.1255}}<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" />、[[ピッツバーグ・ロコモティブ・アンド・カー・ワークス|ピッツバーグ]]製C形[[タンク機関車|サイドタンク]]。車軸配置 0-6-0。[[1897年]]製。ドームは3個ある<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" />。105号機と共に国鉄から購入し、貨物列車用および入換用として電化後まで使用し<ref name="総武流山電鉄七十年史(p94)" />、[[1938年]]から[[1954年]]まで走り続けた<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" /><ref>『[[#60nen|「町民鉄道」の60年]]』p.55</ref>。『鉄道ピクトリアル』(No.20 1953年3月号 p.28)には「1938年11月21日払下認可、1939年4月29日付使用開始」とある。この機関車の経歴は、[[阪鶴鉄道]] No.3(1987年)→[[南海高野線#年表|高野鉄道]] No.3(1905年6月)→[[南海電気鉄道#年表|南海鉄道]] No.3(1922年9月)→[[庄川水電]] No.不明(1925年7月)→[[新宮鉄道]] No.7(1930年頃)→[[鉄道省]] No.1255(1934年7月買収)→流山鉄道 No.1255(1938年11月)。帳簿上はボールドウィン製になっているが、シリンダー上部を石でこすると「PITTSBURGH」の文字が判読できる。太平洋戦争中に機銃掃射を至る所に受けて、その穴を埋めた跡がある(「[[#蒸気機関車No.1255の被弾|蒸気機関車No.1255の被弾]]」を参照)。[[1952年]]12月まで馬橋駅での貨車入換専用であったが、ディーゼル機関車DB-1の入線によりその仕事がなくなった<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" />。[[1955年]][[10月25日]]に流山車庫で解体された(廃車年月日は不明)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58" />。 <!-- 借用機 --> * 借用機 <!-- No.1325 --> ** 形式 - 1325、番号 - 1325。[[1911年]][[アルコ・ロジャース]]製。[[1944年]]に国有化された[[西日本鉄道#年表|西日本鉄道]]のNo.8である。この機関車は借用機で、[[田端運転所#歴史|田端機関区]]に私鉄貸出用としてあった機関車である。電化後に入線して、1951年の春頃まで在籍していたようである。本社の話によると、整備して使用する予定でいたが、余りにも状態が酷くて使用できなかったそうである。同年正月の時点では全体が赤錆ていた<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" /><ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p61">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.61</ref>。 ===== ディーゼル機関車 ===== [[ディーゼル機関車]]は、馬橋駅での貨車入れ換え用機と1輛在籍していた。 <!-- DB-1 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・馬橋駅・DB-1(1981年)(s18-11).jpg|right|200px|thumb|廃車後のディーゼル機関車DB-1(1981年5月15日)]]<!-- 本文 -->DB-1 - [[森製作所]]製。凸型B型ロッド式10t機関車。老朽化した蒸気機関車No.1255に代わって導入されディーゼル機関車で、馬橋駅での入換専用であった。1952年[[12月20日]]付認可で入線した。エンジンは[[三菱重工業#年表|三菱日本重工]]製の130PS(2,000rpm)、ホイールベース 2,000mm、車輪径 660mm、製番 3299、プレートには10月製とある。エンジンは馬橋駅側のボンネットにあり、流山駅側には変速機と逆転機、バッテリーなどがある。[[1966年]]頃は1日2回程出場して入換作業をしていた。[[1970年代]]は休車状態になり、その後は夜間の保線用資材の運搬などに使用された。1975年には保線機械への改造が計画されていた<ref name="鉄道ピクトリアル No.312 p67">『[[#rp no.312|鉄道ピクトリアル]]』1975年11月号 p.67</ref>。[[1977年]][[4月1日]]付で貨物営業が廃止され、[[1978年]][[5月31日]]付で廃車となり、[[1981年]]6月に解体処分された<ref>『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』(p98)より。</ref><ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p28" /><ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.59</ref><ref>『[[#森|森製作所の機関車たち]]』p.82</ref>。 ===== バッテリー機関車 ===== <!-- 馬橋駅構内入れ換え機 --> * 番号不明 - メーカー・製造年不明。キャブは木造で、車体は凸型かL型、動力はバッテリーと推察される。馬橋駅構内での入れ換え機である。車籍は本鉄道か[[国鉄]]と推察されるが、不明である。[[1965年]]1月に馬橋駅構内で稼働していることが確認されている<ref>『[[#ジュラ電|鉄道写真集 ジュラ電からSL終焉まで]]』p.194</ref>。 ===== ガソリンカー ===== [[気動車|ガソリンカー]]は、2輛在籍していたが、2輛とも後に動力装置を外され、客車として使用された後で廃車となった。 <!-- キハ31 --> [[ファイル:nagareyama-tetsudou_kiha31.JPG|thumb|200px|right|流山市総合運動公園に静態保存されている、1933年 - 1949年に走っていたガソリンカー[[#kiha31|キハ31形]]({{Cite | title = 2007年 | ref = kiha31写真}})]] * キハ30形・{{Cite | title = キハ31 | ref = kiha31}} - 1933年3月[[汽車製造|汽車会社]]製の半鋼製2軸ガソリンカーである(→[[#kiha31写真|写真]])。定員40名(座席20名)。同年4月から使用を開始し、電化されるまで旅客輸送の主力車両であった。窓・ドア配置は「F3-1D5D1」で、馬橋側に荷台がある。また、ドアにはステップが付いている。エンジンはフォードBB 4気筒 29kW(1600rpm)。座席はロングシート。1952年秋にエンジンと運転装置が撤去され、ラッシュ時に電車に牽引されて使用された。[[1959年]]に荷台の部分を窓1個だけ客室を延長してサハ31と改称した(窓・ドア配置は「F3-1D6D1」)。[[1963年]][[5月15日]]付で廃車となった<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p29">『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号 p.29</ref><ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。なお、キハ31は現在エンジンをおろした客車時代の姿で流山市総合運動公園に[[静態保存]]されている。 <!-- キハ32 --> *<!-- 画像 -->[[ファイル:流山鉄道・キハ32・形式図.jpg|thumb|200px|right|キハ32形式図<ref>『[[#rp no.20|鉄道ピクトリアル]]』1953年3月号「第6図 キハ32形式図」(p29)より。</ref>]]<!-- 本文 -->キハ30形・キハ32 - [[1934年]]10月汽車会社製の半鋼製2軸ガソリンカーである。車体寸法はキハ31とほぼ同じ。同年12月から使用を開始した。窓・ドア配置は「F3-1D5D1」である。エンジンは[[ウォーケシャー]]6mS 6気筒 42kW(1600rpm)。当時の燃料事情を反映して木炭ガス発生装置<ref name="kid10"/>が取り付けられていたのだが、成績不良のため、1944年末に撤去され、その跡は荷台となり、前後両端に荷台を持つことになった。1934年にこの装置が取り付けられた経緯は、政府がその装置の費用の半額以内(最高300円)の補助金を与えたからである<ref name="総武流山電鉄七十年史 p97" />。[[1950年]]9月にエンジンと運転装置を撤去しサハ32となったが、実際には[[1949年]]にエンジンを撤去している。廃車は1963年5月15日付。1966年頃は車体のみが流山で物置になっていた<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p29" /><ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 ===== 客車 ===== <!-- 画像 --> [[ファイル:流山電気鉄道・サハ32.jpg|thumb|200px|right|サハ32〔荷台付〕(流山駅、[[永井信弘]])]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・サハ31(1979年)(s14-27).jpg|thumb|200px|right|廃車後のサハ31車体〔荷台無し〕(流山駅、1979年9月)]] [[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・サハ31(1977年)(s1-16b).jpg|thumb|200px|right|色褪せた廃車後のサハ31車体(流山駅、1977年3月25日)]] <!-- 本文 --> [[客車]]は、本鉄道所有車が5輛(うち2輛はガソリンカーからの動力装置を外した二軸車)、国鉄からの借用車が4輛在籍していた。 * フハ11 - 改軌の際して国鉄から購入した木造4輪2・3等合造車。[[1923年]][[12月21日]]付で認可を得て入線。国鉄での車番はフロハ920(形式フロハ920)で、新橋工場製である<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58 客車">流山の記録では[{{NDLDC|2942239/161}} フロハ920]と[{{NDLDC|2942239/164}} フロハ925]の製造所が逆になっているが、ここでは『客車略図』(1911年、明治44年)(国立国会図書館デジタルコレクション)に従う --『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.58)より。</ref>。初期の国産客車で、非貫通の区分席形<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58 客車座席">室内のクロスシートが車幅全幅にわたっており、各座席ごとにドアがある --『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.58)より。</ref>。であった。この客車は並等車として使用された。1933年にガソリンカーが入線したため、[[1937年]][[3月5日]]付で廃車になった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 * フロハ21 - 改軌の際して国鉄から購入した木造4輪2・3等合造車。1923年12月21日付で認可を得て入線。国鉄での車番はフロハ925(形式フロハ924)で、神戸工場製である<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58 客車" />。初期の国産客車で、非貫通の区分席形<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58 客車座席">室内のクロスシートが車幅全幅にわたっており、各座席ごとにドアがある --『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号(p.58)より。</ref>。であった。この客車は[[旅客車#合造車|合造車]]として使用された。1933年にガソリンカーが入線したため、1937年3月5日付で廃車になった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 * ハニ1 - 木造4輪3等荷物合造車。[[山陽鉄道]]兵庫工場製。国鉄から購入。旧番号はハニ3560(形式3558)。入線は1924年[[9月30日]]付で認可を受けた。1933年にガソリンカーが入線したため、1937年3月5日付で廃車になった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 * サハ31 - キハ31の項目を参照。 * サハ32 - キハ32の項目を参照。 <!-- 借用車 --> * 借用車 ** キハ502 - [[1945年]][[1月26日]]付の認可で、客車代用として国鉄から借り入れ。[[五日市鉄道]]→[[太平洋不動産|南武鉄道]]買収車である。1年間使用し、その後、[[茨城交通]]ケハ502となった<ref>『[[#内燃・上巻|内燃動車発達史 上巻]]』(p86)より。</ref>。 ** キハ42000形(42033)- [[1948年]]頃に国鉄から一時的にエンジンなしで借り入れた車両で、電化後に返還された。ラッシュ時には小型ガソリンカーのキハ31とキハ32では輸送力不足なので、この42033を蒸気機関車で牽引して使用した。国鉄へ返還後はガスカー キハ42200形となった<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p29" />。 ** ナハ23818 - [[1949年]]7月に国鉄から借り入れた4輪ボギー客車である。借入代金は1日850円であった。借入後2か月で返還した<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p61" />。 ** ヤ5010 - 1949年10月、国鉄の都合で返還したナハ23818の代車として借り入れ、電化まで使用され、その後返還した<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p61" />。 ===== 貨車 ===== [[貨車]]は、本鉄道で有蓋車と無蓋車を保有していた。 <!-- 有蓋車 --> * [[有蓋車]] <!-- ワム301 --> ** <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・ワム301(1977年)(S1-12a).jpg|thumb|200px|right|ワム301(流山駅、1977年3月25日)]]<!-- 本文 -->{{Cite | title = ワム301 | ref = wamu301}} - [[1957年]]11月に本鉄道で製造<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.60</ref><ref>台枠には[[雨宮製作所]]の製造銘版があった --「[[#編集長敬白20080128|遠い日の総武流山電鉄。(下)]]」『編集長敬白』(2008年01月28日 09:08)の写真参照。</ref>。1983年には屋根にパンタグラフが取り付けられていた。写真参照。 <!-- ワ203 --> ** <!-- 本文 -->{{Cite | title = ワ203 | ref = wa203}} - 木造。[[1958年]]5月に[[庄内交通]]から購入<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60" />。 <!-- ワ202 --> ** <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・ワ202(1979年)(s12-22).jpg|thumb|200px|right|ワ202(流山駅、1979年4月15日)]]<!-- 本文 -->ワ202 - 1957年9月に本鉄道で製造<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60" />。 <!-- ワフ31 --> ** <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄流山駅・倉庫(ワフ31車体利用).jpg|thumb|200px|right|ワフ31。車体は流山駅構内で倉庫として使用されていた(流山駅、1986年3月16日)。]]<!-- 本文 -->ワフ31 - 木造<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30" />。[[1950年]]1月に本鉄道で製造した。貨物の減少と車両の老朽化により[[1965年]]10月に廃車となった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60" />。車体のみ流山駅構内で倉庫代用として使用されていたが、[[1970年]]8月の時点では車掌室側妻板が撤去されていたが<ref>『[[#detail file 2|DETAIL FILE 2/私鉄の車輌たち]]』(p115)より。</ref>、その後引き戸が設置された。写真参照。 <!-- ワフ1 --> ** <!-- 本文 -->ワフ1 - 改軌の際に国鉄から購入。車番変更あり。ワフ1→ワブ1(1947年廃車)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 <!-- ワ11 --> ** ワ11 *** 初代 - 改軌の際に国鉄から購入。車番変更あり。ワ11→ワ1(1937年廃車)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。木造<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30" />。 *** 2代目 - 1950年1月に本鉄道で製造。貨物の減少と車両の老朽化により[[1964年]]10月に廃車となった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60" />。 <!-- ワ1 --> ** ワ1 *** 初代 - ワ11の項目を参照。 *** 2代目 - [[1943年]]に国鉄から購入。詳細は不明<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 <!-- 無蓋車 --> <!-- (多分)ト1 --> * <!-- 画像 -->[[ファイル:総武流山電鉄流山駅・無蓋車(1977年).jpg|thumb|200px|right|無蓋車<ref>ト1と思われる --「[[#編集長敬白20080128|遠い日の総武流山電鉄。(下)]]」『編集長敬白』(2008年01月28日 09:08)より。</ref>(流山駅、1977年3月25日)]]<!-- 画像2 -->[[ファイル:総武流山電鉄・流山駅・無蓋車(1977年)(S1-19c).jpg|thumb|200px|無蓋車(流山駅、1977年3月25日)]]<!-- 本文 -->[[無蓋車]] <!-- ト21 --> ** ト21 - 改軌の際に国鉄から購入。車番変更あり。ト21→ト1(1939年廃車)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 <!-- ト22 --> ** ト22 - 改軌の際に国鉄から購入。車番変更あり。ト22→ト2(1939年廃車)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p59" />。 <!-- ト1 --> ** ト1 *** 初代 - 木造<ref name="鉄道ピクトリアル No.20 1953/3 p30" />。ト21の項目を参照。 *** 2代目 - 1952年1月に本鉄道で製造<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p60" />。 <!-- ト2 --> ** ト2 *** ト22の項目を参照。 <!-- 無蓋車 --> ** 無蓋車(国鉄の「ト」に相当)- 木造 ** 無蓋車(国鉄の「チ」に相当)- 木造 <!-- 画像--> <gallery> ファイル:総武流山電鉄・流山駅・ワム301・パンタグラフ付(1983年)(s20-35).jpg|パンタグラフを装備したワム301(流山駅、1983年6月15日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・ワム301・製造銘板(1979年)(s12-29).jpg|ワム301の台枠に付けられていた[[雨宮製作所]]の製造銘版(流山駅、1979年4月15日) </gallery><br /><!-- 次節との間に空白行を置く --> ===== 保線車輛等 ===== [[保線車両]]等にはキャブ付タンク車、トロッコ、車輛整備時に使用する台車などがある。 <!-- トロッコ --> * トロッコ - トロッコは本鉄道検車区で製作する<ref>『[[#rm no.24|レイル・マガジン]]』1985年12月号 p.42</ref>。 <!-- 画像 --> <gallery> ファイル:総武流山電鉄流山駅・保線車輌?(1977年).jpg|保線車両1(流山駅、1977年3月25日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・保線車輛?後部(1979年)(s12-14).jpg|保線車両後部(流山駅、1979年4月15日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・モハ1101(1979年)(s12-33).jpg|仮の台車を付けた整備中のモハ1101(流山駅、1979年4月15日) ファイル:総武流山電鉄・流山駅・トロッコ(1979年)(s12-26).jpg|トロッコ(流山駅、1979年4月15日) ファイル:総武流山電鉄・馬橋駅・保線車両(1977年)(s1-7).jpg|トロッコ、その他(馬橋駅、1977年3月25日) </gallery> <br /><!-- 次節との区別を明確にするために空白行を置く --> ==== 軽便鉄道(軌間762mm)時代の車両 ==== [[流山市立博物館]]に写真が展示されている(2004年時点)。 開業時に準備した車両は蒸気機関車・客車・貨車がそれぞれ2両であり、営業運転上最小限の必要両数であった。この状態は電化時まで続けられた。蒸気機関車のうちC形9t機は使用を中止し、[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]の3号機(初代)を代わりに購入。その後、[[雨宮製作所]]製のB形6t機を購入して3号機とし、1号機を売却。さらに[[田中鉱山]]からB形5.7t機を購入して4号機とし、2号機を売却した<ref>『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.56</ref>。 ===== 蒸気機関車(軌間762mm)===== (※参考文献によって、No.1とNo.2の車歴の記述が異なり、その影響で、この2輛の後継機となるNo.3とNo.4の当鉄道への入線経緯が錯綜することに注意) <!-- No.1 --> * 1号機(No.1)- [[オーレンシュタイン・ウント・コッペル|コッペル]]製。頸城鉄道から購入<ref name="総武流山電鉄七十年史(p91)">『[[#70年史|総武流山電鉄七十年史]]』(p91)より。</ref>(1915年月4日付認可)。[[1914年]]製のB形4.7t機。主力機関車として改軌直前まで活躍したが、No.3と交替し、[[1922年]][[1月26日]]付認可で東京の永井弥五郎商店へ売却した<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。本機は二つの動輪の間にシリンダーがある非常に珍しい構造であった<ref name="ちばの鉄道一世紀 p203" />。 <!-- No.2 --> * 2号機(No.2)- [[1909年]]製のコッペルB形5.2t機。No.1と共に開業に先立ち購入した(1916年3月11日付認可)<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。ドイツから輸入後の約1年半、川崎付近で土木工事に使用されていたものを購入したと言われている。一説によると、[[品川駅]]の後ろの海の埋め立て工事に使用されていたとも伝えられている。土木工事用の機関車であったことは事実のようである<ref name="総武流山電鉄七十年史(p91)" />。購入時にはすでに相当損傷していたようで、当鉄道では手離したかったが、改軌直前まで活躍し、[[1924年]][[10月13日]]付認可で東京本所(現・東京都墨田区)の横田鉄太郎に譲渡した<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。本機の車歴はこのように伝わっていたが、本機は土木業者・大丸組が品川海岸の埋立て工事に使用していた機関車を当鉄道が購入したがすぐに交換として頸城鉄道へ転出させ、実際には使用されておらず、代わりに入線したがのNo.1であり、それと混同されてしまったらしい<ref name="ちばの鉄道一世紀 p203" />。金田茂裕『O&Kの機関車』によれば、[[名古屋市水道敷設事務所1号形蒸気機関車#同形機|1909年製の製造番号 3613 - 3615]]のうちの1両と推定されている。 <!-- No.3 --> * 3号機(No.3)- No.1の老朽化により代替機として購入(1922年4月9日認可)。雨宮製作所製のB形6t機。製造年、前歴などは不明。書類には「既製新品」とある。改軌まで活躍したが、[[1925年]][[2月21日]]付で廃車になった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。 <!-- No.4 --> * 4号機(No.4)- B形5.7t機。製造年、メーカー共に不明。1924年[[6月18日]]付認可で田中鉱山(釜石)から入線。No.2の代替機として入線したが、認可時より1年以上早く入線したようである。当機認可時(1924年)には既に改軌認可が出た後であった。改軌後の1925年2月21日付で廃車になった<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。金田茂裕によれば、2号機と同形の1908年コッペル製の[[釜石鉱山鉄道]]16を譲り受けたものとしている。 <!-- 未購入機・代替機 --> * 未購入機・代替機 <!-- コッペルC形9機 --> ** コッペル製C形9t機(1911年製)- 設計認可を得たが、購入しなかった機関車である<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。 <!-- 水管式6t機 --> ** 水管式6t機 - 製造所などは不明。No.2の状態が悪いため、No.2購入時の服部商店に対して代替機の斡旋を要求し、服部商店は水管式6t機を提示し、[[1917年]][[1月30日]]に入線して試験運転を行ったが、成績不良で返還された<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p57" />。 ===== 客車(軌間762mm)===== * ロハ1・2 - 開業に際して、[[大日本軌道]]鉄工部で新造した<ref name="とれいん No.1 1975/1 p48">『[[#train no.1|とれいん]]』1975年1月号(p.48)より。</ref>木造4輪ボギー特並合造車で、認可は[[1916年]][[3月2日]]付。妻面3枚窓の非貫通、両端デッキ、側面の窓は8個。室内はロングシートで、室内灯は油灯であったが、1924年に電灯に改造された。<!-- 小坂鉄道移籍後 -->改軌後は廃車となり、[[小坂製錬小坂線|小坂鉄道]]に売却されハ10・ハ11となり、後に有蓋荷物[[緩急車]]ホニ1・ホニ2に改造された<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58">『[[#rp no.186|鉄道ピクトリアル]]』1966年7月臨時増刊号 p.58</ref><ref name="とれいん No.1 1975/1 p48" />。ホニ1・ホニ2の主要諸元は、台車ホイールベース 1,016mm、車輪直径 610mm、台車中心間 4,267mm<ref>『[[#train no.1|とれいん]]』1975年1月号(p49)より</ref>。車内には3[[馬力|HP]]の発電用ガソリンエンジンを搭載していた<ref name="とれいん No.1 1975/1 p48" />。 ===== 貨車(軌間762mm)===== * ワフ1([[有蓋車]])- 4トン積み。大日本軌道で新製。改軌に伴い廃車<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58" />。 * トフ1([[無蓋車]])- 4トン積み。大日本軌道で新製。改軌に伴い廃車<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58" />。 * 4輪[[緩急車]] - 大日本軌道で新製。改軌に伴い廃車<ref name="鉄道ピクトリアル No.186 1966/7 p58" />。 <!-- 次節との区別を明確にするための空白行 --> == 輸送障害 == 鉄道運転事故は1994年度の[[踏切障害事故]](小型トラックと列車の衝突、負傷者なし)を最後に起きていなかったが<ref>{{PDFlink|[http://ryutetsu.jp/img/anzen_2012.pdf 安全報告書 2012]}}、流鉄株式会社 (2012)</ref>、2013年度に馬橋駅 - 幸谷駅間の踏切で自転車と接触する踏切障害事故(負傷者なし)が起きた<ref name="anzen2013" />。 2014年7月11日には安全報告書に記載された初の死亡事故として、小金城趾駅 - 幸谷駅間の踏切で流山駅発馬橋駅行き普通電車(5000系(5102-5002)「流星」2両編成)と乗用車が衝突し、電車の1両目前半分の車輪が[[列車脱線事故|脱線する事故]]が起きた。[[千葉県警察|千葉県警]]の調べでは乗用車に乗っていた男性と女性は骨盤が折れるなどの重傷を負い搬送先の病院で死亡を確認、電車の乗客約20人のうち男性1人が体の痛みを訴えて病院に運ばれた。現場の踏切は遮断機と警報機がない[[踏切#第4種|第4種踏切]]で、車1台が通行できる程度の幅しかなく、運転士は「踏切内に車が見えたので警笛を鳴らしたが、ブレーキが間に合わなかった」と話している。事故後、全線不通となり翌12日午前7時15分に運転を再開した<ref>{{Cite news|title=重傷の夫婦が死亡 流鉄流山線、運転再開 松戸|newspaper=[[千葉日報]]|date=2014-07-12|url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/203340|accessdate=2016-1-2|page=社会面}}</ref>。[[運輸安全委員会]]から公表された事故調査報告書によれば、脱線の原因は衝突した乗用車が列車の台車に接触したためで、踏切に乗用車が進入した理由については特定できなかった<ref>{{Cite news|title=車が下に入り込み脱線 松戸の流鉄踏切事故 運輸安全委|newspaper=千葉日報|date=2014-11-28|url=http://www.chibanippo.co.jp/news/national/227287|accessdate=2016-1-2|page=社会面}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/RA2014-10-1.pdf|title=流鉄株式会社 流山線 小金城趾駅〜幸谷駅間 列車脱線事故(踏切障害に伴うもの)|accessdate=2018年9月12日<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180911145010/http://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/RA2014-10-1.pdf |archivedate=2018年9月11日 |deadlinkdate=-->|date=2014年11月27日|format=PDF|publisher=運輸安全委員会}}</ref>。2015年度版安全報告書によると、民家の出入口が踏切という特殊な宅地構造が根本的な原因であり対策を検討中とし、また、直ちに踏切表示器を設置して注意を喚起することとした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ryutetsu.jp/img/anzen_2015.pdf|title=2015年版 安全報告書|accessdate=2018年9月12日<!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160412070431/http://www.ryutetsu.jp/img/anzen_2015.pdf |archivedate=2016-04-12 |deadlinkdate=-->|year=2015|format=PDF|publisher=流鉄|page=3}}</ref>。 その他の輸送障害(列車の30分以上の遅延や運休)の発生件数は以下の通りである<ref>流鉄株式会社『安全報告書 2009』2009年</ref><ref name="anzen2013">{{PDFlink|[http://ryutetsu.jp/img/anzen_2013.pdf 安全報告書 2013]}}、流鉄株式会社 (2013)</ref>。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" |- ! 年度 | 2004 || 2005 || 2006 || 2007 || 2008 || 2009 || 2010 || 2011 || 2012 |- ! 障害発生件数 | 2 || 5 || 0 || 1 || 1 || 0 || 3 || 2 || 2 |} == 登場する作品等 == * 牛づれ超特急([[1937年]]東宝映画) - ボールドウィン製サドルタンク機(形式 - [[#baldwin saddle tank loco|甲2]])が登場する * [[小さな旅]]([[日本放送協会|NHK]])- [[1994年]][[2月13日]]の放送で流山線も紹介。取材は同年[[1月19日]]から[[1月25日]]にわたり行われた<ref>『[[#78nen|流山電鉄七十八年]]』pp.10-11</ref>。 * [[すすめ!!パイレーツ]] - 千葉県に本拠地を置く架空のプロ野球球団を描いたギャグ漫画。登場人物が総武流山線で[[銀河鉄道999]]ごっこをするエピソードがある。 * [[任侠流山動物園]] - [[浪曲]]『[[清水次郎長 (講談)|清水次郎長伝]]』をベースにして動物園を舞台にした[[三遊亭白鳥]]作の[[新作落語]]。噺の中に流山線が登場する。 * [[普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。]] - 作中に登場する鉄道路線「流川線」のモデル。2015年には本作とのコラボ企画が実施されている。 * [[サンプラザ中野のオールナイトニッポン]] - 流山線の乗車率を250%にしようという企画「国鉄民営化記念・乗車率250%道場」を行った。 == 参考文献 == <!--{{参照方法}} どの書がどこの出典になっているのかは後の脚注にあるのでは? ここで著者・出版社を書いて脚注では書名のみ記す形で書いてある。--> <!-- 本項目の執筆に際して参考とした文献 --> '''[[ウェブサイト]]''' * {{Cite journal | 和書 | author = [[流山市]] | title = 流山市史研究 | journal = 博物館の本 | publisher = 流山市 | url = http://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/1001505/1001749/1001774.html | accessdate = 2018年9月12日 | ref = 流山市立博物館の本}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[名取紀之]] | title = 遠い日の総武流山電鉄。(下)| journal = 編集長敬白 | issue = 2008年01月28日 09:08 | publisher = 鉄道ホビダス RM | url = https://web.archive.org/web/20131007232057/http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2008/01/post-697.html | ref = 編集長敬白20080128}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[労働省]] | title = (株)内野屋工務店を雇用調整助成金に係る大型倒産等事業主に指定 | journal = 労働省発表資料一覧 | issue = 1998年8月28日 発表 | url = http://www.jil.go.jp/jil/kisya/syokuan/980828_03_sy/980828_03_sy.html | ref = 労働省19980828}} '''書籍''' * {{Cite book | 和書 | author= 片野正巳|authorlink=片野正巳 | title = 1号機関車からC63まで | publisher = [[ネコ・パブリッシング]] | date = 2008年9月3日発行 | isbn = 978-4777006977 | ref = 1 to c63}} * {{Cite book | 和書 | author= 青木栄一|authorlink=青木栄一 (地理学者) | title = 鉄道忌避伝説の謎 - 汽車が来た町、来なかった町 | publisher = [[吉川弘文館]] | date = 2006年12月1日 第1刷発行、2007年4月10日 第4刷発行 | isbn = 978-4-642-05622-9 | ref = 伝説の謎}} * {{Cite book | 和書 | author= 湯口徹|authorlink=湯口徹 | chapter = 流山鉄道 | title = 内燃動車発達史 上巻 - 戦前私鉄編 | publisher = [[ネコ・パブリッシング]] | date = 2004年12月31日 発行 | edition = 初版 | isbn = 978-4777050871 | ref = 内燃・上巻}} * {{Cite book | 和書 | author= 名取紀之|authorlink=名取紀之 | chapter = 流山電気鉄道DB1 | title= 森製作所の機関車たち | publisher = ネコ・パブリッシング | date = 2000年12月31日 発行 | edition = 初版 | isbn = 978-4873662213 | ref = 森}} * {{Cite book | 和書 | author= 若尾侑|authorlink=若尾侑 | title = 戦後を走った木造車1 | publisher = [[大正出版]] | date = 1999年12月1日 発行 | isbn = 978-4811706290 | ref = 木造車1}} * {{Cite book | 和書 | author= 宮澤孝一|authorlink=宮澤孝一 | title = 鉄道写真 ジュラ電からSL終焉まで | publisher = [[交通新聞社#弘済出版社|弘済出版社]] | date = 1998年9月5日 発行 | isbn = 978-4330523989 | ref = ジュラ電}} * {{Cite book | 和書 | author= 白土貞夫|authorlink=白土貞夫 | chapter = 総武流山電鉄 | title = ちばの鉄道一世紀 | publisher = [[崙書房]] | date = 1996年7月10日 第1刷発行、1996年10月15日 第2刷発行 | isbn = 978-4845510276 | ref = ちば}} * {{Cite book | 和書 | author = | title = 流山糧秣廠 | series = 流山市立博物館調査研究報告書 13 | publisher = [[流山市立博物館]] | date = 1996年3月31日 発行 | ref = 糧秣廠}}流山市立博物館 販売。[[流山市立図書館]] 蔵。 * {{Cite book | 和書 | author= 山本文男|authorlink=流山新聞社#代表者 山本文男 | title = 流山電鉄七十八年 - ぬくもりの香る町と人の物語 | publisher = [[流山新聞社]] | date = 1994年9月4日 発行 | ref = 78nen}}[[流山市立図書館]] 蔵。 * {{Cite book | 和書 | author= 小林茂多|authorlink=小林茂多 | title = 幻の鉄道 - 千葉県鉄道計画史 | series = ふるさと文庫 110 | publisher = 崙書房 | edition = 第5版 | date = 1992年2月1日 第5刷発行、1997年6月1日 第6刷発行 | isbn = 978-4845501106 | ref = 幻の鉄道}} * {{Cite book | 和書 | editor=総武流山電鉄七十年史編纂委員会|editor-link=総武流山電鉄七十年史編纂委員会 | title = 総武流山電鉄七十年史 | publisher = 崙書房 製作、[[流鉄|総武流山電鉄株式会社]] 発行 | date = 1986年3月14日 発行 | ref = 70年史}}[[千葉県立図書館]] 蔵。 * {{Cite book | 和書 | author= 北野道彦|authorlink=北野道彦 | title =「町民鉄道」の60年 - 総武流山電鉄の話 | publisher = 崙書房 | date = 1978年2月25日 第1刷発行、1981年6月10日 第2刷発行 | ref = 60nen}}[[流山市立図書館]] 蔵。 '''年刊誌『世界の鉄道』(朝日新聞社)''' * {{Cite book | 和書 | editor=朝日新聞社|editor-link=朝日新聞社 | title = 世界の鉄道 '75 | publisher = 朝日新聞社 | date = 1974年 | ref = 世界の鉄道1975}} '''月刊誌(増刊号含む)『とれいん』(プレス・アイゼンバーン)''' * {{Cite journal | 和書 | author = [[堤一郎]] | title = 小坂鉄道(同和鉱業)- 味のある客車たち | journal = [[とれいん (雑誌)|とれいん]] | volume = No.1&nbsp;&nbsp; | issue = 1975年1月号 | publisher = [[エリエイ|プレス・アイゼンバーン]] | ref = train no.1}} '''月刊誌(増刊号含む)『Rail Magazeine』ネコ・パブリッシング''' * {{Cite book | 和書 | title = DETAIL FILE 2 / 私鉄の車輌たち | volume =〈[[レイルマガジン|レイル・マガジン]] 1月号増刊 ディテール・ファイル2〉| publisher = [[ネコ・パブリッシング]] | date = 1997年 | ref = detail file 2}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[谷口幸夫]]、[[北村裕]] | title = 流山の電車に乗りに来ませんか | journal = レイル・マガジン | volume = No.24&nbsp;&nbsp; | issue = 1985年12月号 | publisher = ネコ・パブリッシング | pages = p41 - p45 | ref = rm no.24}} '''月刊誌(増刊号含む)『鉄道ピクトリアル』(鉄道図書刊行会)''' * {{Cite journal | 和書 | author = [[谷知幸]] | title = 総武流山電鉄 | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | volume = No.620&nbsp;&nbsp; | issue = 1996年4月号臨時増刊〈特集〉関東地方のローカル私鉄 | publisher = [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] | ref = rp no.620}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[宮田敦彦]]、[[関健一]] | title = 総武流山電鉄 | journal = 鉄道ピクトリアル | volume = No.418&nbsp;&nbsp; | issue = 1983年6月号臨時増刊 関東地方のローカル私鉄特集 | publisher = 鉄道図書刊行会 | ref = rp no.418}} * {{Cite journal | 和書 | author = [http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/tekken/ 立教大学鉄道研究会] | title = 総武流山電鉄 | journal = 鉄道ピクトリアル | volume = No.312&nbsp;&nbsp; | issue = 1975年11月号 ★学鉄連研究シリーズ[7]| publisher = 鉄道図書刊行会 | ref = rp no.312}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[宮沢元和]] | title = 流山電気鉄道 | journal = 鉄道ピクトリアル | volume = No.186&nbsp;&nbsp; | issue = 1966年7月号〈臨時増刊〉私鉄車両めぐり 第7分冊 | publisher = 鉄道図書刊行会 | ref = rp no.186}} * {{Cite journal | 和書 | author = [[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]] | title = 流山電気鉄道 | journal = 鉄道ピクトリアル | volume = No.20&nbsp;&nbsp; | issue = 1953年3月号 私鉄車両めぐり(6)| publisher = 鉄道図書刊行会 | ref = rp no.20}} '''月刊誌『鉄道模型趣味』(機芸出版社)''' * {{Cite journal | 和書 | author = [[中尾豊]] | title = 設計から塗装まで 流山鐵道 サドルタンク | journal = [[鉄道模型趣味|鐵道模型趣味]] | volume = No.33&nbsp;&nbsp; | issue = 1951年6月号 | publisher = [[機芸出版社]] | ref = tms no.33}} '''月刊誌『散歩の達人』(交通新聞社)''' * {{Cite journal | 和書 | journal = [[散歩の達人]] | volume = No.92&nbsp;&nbsp;| issue = 2003年11月号 | pages = p27 | publisher = [[交通新聞社]] | ref = 散歩 no.92}}[[小平市立図書館]] 蔵、[[東京都立図書館]] 蔵。 '''辞典''' * {{Cite book | 和書 | author= 高橋政士|authorlink=高橋政士 | title = 詳解 鉄道用語辞典 | publisher = [[山海堂 (出版社)|山海堂]] | date = 2006年5月30日 第1刷発行 | edition = 初版 | isbn = 978-4381085955 | ref = 詳解 鉄道用語辞典}} == 流山線に関する研究資料 == <!-- 本項目の執筆には使用しなかったが、本項目に関連する文献 --> * {{Cite journal | 和書 | author = [[山下耕一]] | title = 常磐線の流山通過案と流山線敷設について - 線形からの考察 | journal = 流山市史研究 | volume = 16号&nbsp;&nbsp; | issue = 2000年 | publisher = [[流山市立博物館]] | pages = p75 - p105}}[[流山市立図書館]] 蔵。 * {{Cite journal | 和書 | author = [[飯島章]] | title = 日本鉄道土浦線の路線策定をめぐって - 龍ヶ崎・流山の鉄道忌避伝説批判 | journal = 茨城史林 | issue = 18号(1994年)[[茨城地方史研究会]] 編 | publisher = [[筑波書林]] | pages = p28 - p46}}[[国立国会図書館]] 蔵。 * {{Cite journal | 和書 | author = [[伊藤晃]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}} | title = 証言で綴る - 流山と空襲 | journal = 流山市史研究 | volume = 創刊号&nbsp;&nbsp; | issue 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1979年4月 | publisher = [[流山わがまち社]]}}[[流山市立図書館]] 蔵。 * {{Cite journal | 和書 | author = [[吉川文夫]] | title = チビッコ ガソリンカー | journal = [[とれいん (雑誌)|とれいん]] | volume = No.41&nbsp;&nbsp; | issue = 1978年5月号 | publisher = [[エリエイ|プレス・アイゼンバーン]]}} * {{Cite book | 和書 | author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟 | title = 週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 | editor = 朝日新聞出版分冊百科編集部 | publisher = [[朝日新聞出版]] | series = 週刊朝日百科 | volume = 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄 | date = 2011-08-07 | ref = sone21 }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道路線一覧]] * [[軽便鉄道]] * [[盲腸線]] * [[井笠鉄道機関車第2号形蒸気機関車]] - 蒸気機関車(軌間762mm)水管式6t機に関連。 * [[陸軍糧秣本廠流山出張所]] - 現在の平和台駅付近から引込線が引かれていた。 * [[古典ロコ (同人誌)]] - ボールドウィン製サドルタンク機が掲載。 * [[鉄道趣味 (雑誌)]] - 流山鉄道訪問記が掲載されている戦前の雑誌。 * [[関東鉄道竜ヶ崎線]] - [[日本鉄道]]土浦線(後の[[常磐線]])の敷設経路に関して、本鉄道と同様に[[鉄道と政治#鉄道忌避伝説|鉄道忌避伝説]]がある。 * [[キッコーマン#沿革|万上味醂]] * [[野田人車鉄道]] == 外部リンク == *[http://ryutetsu.jp/ 流鉄] {{DEFAULTSORT:りゆうてつなかれやません}} [[Category:関東地方の鉄道路線|なかれやません]] [[Category:流鉄|路なかれやません]] [[Category:千葉県の交通]]
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テルル
テルル(英: tellurium [tɨˈljʊəriəm, tɛ-]、独: Tellur [tɛˈluːɐ̯])は、原子番号52の元素。元素記号は Te。第16族元素の一つ。 語源はラテン語のTellusで、これは地球を意味するとともに、ローマ神話の大地の女神テルースの名でもある。また、周期表上でテルルの一つ上に位置するセレンはギリシャ神話の月の女神の名である。 金属テルルと無定形テルルがあり、金属テルルは銀白色の結晶(半金属)で、六方晶構造である。テルル化合物はにんにく臭を帯びるものがあるが、単体は無臭である。 金属テルルの比重は6.232、融点は449.51 °C、沸点は988 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。酸化力のある酸には溶ける。ハロゲン元素とは激しく反応する。酸化数は-2, +2, +4, +6価をとる。また、化学的性質はセレンや硫黄に似ている。燃やすと二酸化テルルになる。天然に元素鉱物として単体(自然テルル)やテルル金銀鉱物、テルル銅鉱物、テルル鉛鉱物など多数で存在する。 環境中に存在する量は少ない(下記参照)が、テルル単体及びその化合物には毒性があることが知られている。単体に触れることは稀であるが、多くの化合物を生成して環境中に露出、体内に入りやすくなる。例えば二酸化テルルは難水溶性であるものの強酸や強アルカリには不安定である。テルルは体内では代謝されてジメチルテルリドを生成し、呼気がニンニクに似た悪臭(テルル呼気)を帯びることが知られている。さらに口渇、傾眠、食欲不振、悪心、発汗停止、頭痛、呼吸困難、指・顔・歯肉・顔に青黒い斑点が現れたり発疹を生じる皮膚炎、口に金属味を感じるなどの症状が知られている。これらは主に鉱山労働者に多く見られた症状で暴露から遠ざけると改善している。反復暴露やラットなどを用いた長期間暴露試験では、臓器の異常や催奇性が報告されている。日本では特定標的臓器毒性(反復暴露)の区分2(中枢神経系、呼吸器)に分類している。 1782年にF.J.ミュラーが単体分離、1798年にクラプロートによって命名された。 地殻中の元素の存在度は決して多くなく貴金属にならぶ上、精錬量も少ない。天然には火山や温泉近くの鉱脈などに自然テルルや化合物鉱物としてわずかに含まれる。テルル単独の採掘(産出)は行われず、銅の精錬の副産物である電解スライムから分離精製する。しかし、銅精錬方法が湿式精錬(電解スライムを生じない手法)への変更に伴い生産量の伸びは鈍化している。 鉱業便覧によると、テルルの埋蔵量(資源量)は3万8000トンである。上位からアメリカ合衆国(6000トン)、ペルー(1600トン)、カナダ(1500トン)。いずれもズリなどを含まないテルルの純分量である。2000年時点の年間生産量は322トン。上位からカナダ(80トン)、ベルギー(60トン)、アメリカ合衆国(50トン)、ペルー(39トン)、日本(36トン)であり、上位5カ国で生産量の82.3%をまかなう。2010年の日本国内生産量は 46トン、輸入は 16.3トン、輸出 39トンと報告されている。 テルルにはいくつかの安定同位体があるが、2.2×10年の半減期を持つTe(これは現在知られている放射性同位体の半減期の中で最も長い)や、7.9×10年とこちらもまた非常に長い半減期を持つTeもあり、これらのほうが安定同位体よりも存在量が大きい。このような一つ以上の安定同位体を持つ元素の中で天然放射性同位体が安定同位体より多く存在している元素は、テルルの他にインジウムとレニウムがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "テルル(英: tellurium [tɨˈljʊəriəm, tɛ-]、独: Tellur [tɛˈluːɐ̯])は、原子番号52の元素。元素記号は Te。第16族元素の一つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "語源はラテン語のTellusで、これは地球を意味するとともに、ローマ神話の大地の女神テルースの名でもある。また、周期表上でテルルの一つ上に位置するセレンはギリシャ神話の月の女神の名である。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "金属テルルと無定形テルルがあり、金属テルルは銀白色の結晶(半金属)で、六方晶構造である。テルル化合物はにんにく臭を帯びるものがあるが、単体は無臭である。 金属テルルの比重は6.232、融点は449.51 °C、沸点は988 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。酸化力のある酸には溶ける。ハロゲン元素とは激しく反応する。酸化数は-2, +2, +4, +6価をとる。また、化学的性質はセレンや硫黄に似ている。燃やすと二酸化テルルになる。天然に元素鉱物として単体(自然テルル)やテルル金銀鉱物、テルル銅鉱物、テルル鉛鉱物など多数で存在する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "環境中に存在する量は少ない(下記参照)が、テルル単体及びその化合物には毒性があることが知られている。単体に触れることは稀であるが、多くの化合物を生成して環境中に露出、体内に入りやすくなる。例えば二酸化テルルは難水溶性であるものの強酸や強アルカリには不安定である。テルルは体内では代謝されてジメチルテルリドを生成し、呼気がニンニクに似た悪臭(テルル呼気)を帯びることが知られている。さらに口渇、傾眠、食欲不振、悪心、発汗停止、頭痛、呼吸困難、指・顔・歯肉・顔に青黒い斑点が現れたり発疹を生じる皮膚炎、口に金属味を感じるなどの症状が知られている。これらは主に鉱山労働者に多く見られた症状で暴露から遠ざけると改善している。反復暴露やラットなどを用いた長期間暴露試験では、臓器の異常や催奇性が報告されている。日本では特定標的臓器毒性(反復暴露)の区分2(中枢神経系、呼吸器)に分類している。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1782年にF.J.ミュラーが単体分離、1798年にクラプロートによって命名された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "地殻中の元素の存在度は決して多くなく貴金属にならぶ上、精錬量も少ない。天然には火山や温泉近くの鉱脈などに自然テルルや化合物鉱物としてわずかに含まれる。テルル単独の採掘(産出)は行われず、銅の精錬の副産物である電解スライムから分離精製する。しかし、銅精錬方法が湿式精錬(電解スライムを生じない手法)への変更に伴い生産量の伸びは鈍化している。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "鉱業便覧によると、テルルの埋蔵量(資源量)は3万8000トンである。上位からアメリカ合衆国(6000トン)、ペルー(1600トン)、カナダ(1500トン)。いずれもズリなどを含まないテルルの純分量である。2000年時点の年間生産量は322トン。上位からカナダ(80トン)、ベルギー(60トン)、アメリカ合衆国(50トン)、ペルー(39トン)、日本(36トン)であり、上位5カ国で生産量の82.3%をまかなう。2010年の日本国内生産量は 46トン、輸入は 16.3トン、輸出 39トンと報告されている。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "テルルにはいくつかの安定同位体があるが、2.2×10年の半減期を持つTe(これは現在知られている放射性同位体の半減期の中で最も長い)や、7.9×10年とこちらもまた非常に長い半減期を持つTeもあり、これらのほうが安定同位体よりも存在量が大きい。このような一つ以上の安定同位体を持つ元素の中で天然放射性同位体が安定同位体より多く存在している元素は、テルルの他にインジウムとレニウムがある。", "title": "同位体" } ]
テルルは、原子番号52の元素。元素記号は Te。第16族元素の一つ。
{{Elementbox |name=tellurium |japanese name=テルル |number=52 |symbol=Te |pronounce={{IPAc-en|t|ɨ|ˈ|l|ʊər|i|əm}}<br />{{IPAc-en|t|ɛ|ˈ|l|ʊər|i|əm}} {{respell|te|LOOR|ee-əm}}<br />{{IPAc-en|t|ɨ|ˈ|l|jʊər|i|əm}} {{respell|te|LYOOR|ee-əm}} |left=[[アンチモン]] |right=[[ヨウ素]] |above=[[セレン|Se]] |below=[[ポロニウム|Po]] |series=半金属 |group=16 |period=5 |block=p |image name=Tellurium element.jpg |appearance=銀白色 |atomic mass=127.60 |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 4d<sup>10</sup> 5s<sup>2</sup> 5p<sup>4</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 18, 6 |phase=固体 |density gpcm3nrt=6.232 |density gpcm3mp=5.70 |melting point K=722.66 |melting point C=449.51 |melting point F=841.12 |boiling point K=1261 |boiling point C=988 |boiling point F=1810 |heat fusion=17.49 |heat vaporization=114.1 |heat capacity=25.73 |vapor pressure 1= |vapor pressure 10= |vapor pressure 100=(775) |vapor pressure 1 k=(888) |vapor pressure 10 k=1042 |vapor pressure 100 k=1266 |vapor pressure comment= |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''6''', 5, '''4''', 2, -2<br />(弱[[酸性酸化物]]) |electronegativity=2.1 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=869.3 |2nd ionization energy=1790 |3rd ionization energy=2698 |atomic radius=140 |covalent radius=138 ± 4 |Van der Waals radius=206 |magnetic ordering=[[反磁性]]<ref>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120112012253/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf |date=2012年1月12日 }}, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |thermal conductivity=(1.97 - 3.38) |speed of sound rod at 20=2610 |Young's modulus=43 |Shear modulus=16 |Bulk modulus=65 |Mohs hardness=2.25 |Brinell hardness=180 |CAS number=13494-80-9 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay | mn=120 | sym=Te | na=0.09% | hl= > 2.2 × 10<sup>16</sup>[[年|y]] | dm=[[二重電子捕獲|ε ε]] | de=1.701 | pn=120 | ps=[[スズ|Sn]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=121 | sym=Te | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=16.78 [[日|d]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=1.040 | pn=121 | ps=[[アンチモン|Sb]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=122 | sym=Te | na=2.55% | n=70}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=123 | sym=Te | na=0.89% | hl= > 1.0 × 10<sup>13</sup> [[年|y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.051 | pn=123 | ps=[[アンチモン|Sb]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=124 | sym=Te | na=4.74% | n=72}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=125 | sym=Te | na=7.07% | n=73}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=126 | sym=Te | na=18.84% | n=74}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=127 | sym=Te | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=9.35 [[時間|h]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=0.698 | pn=127 | ps=[[ヨウ素|I]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=128 | sym=Te | na=31.74% | hl=2.2 × 10<sup>24</sup> [[年|y]] | dm=[[二重ベータ崩壊|β<sup>-</sup>β<sup>-</sup>]] | de=0.867 | pn=128 | ps=[[キセノン|Xe]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=129 | sym=Te | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=69.6 [[分|min]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=1.498 | pn=129 | ps=[[ヨウ素|I]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=130 | sym=Te | na=34.08% | hl=7.9 × 10<sup>20</sup> [[年|y]] | dm=[[二重ベータ崩壊|β<sup>-</sup>β<sup>-</sup>]] | de=2.528 | pn=130 | ps=[[キセノン|Xe]]}} |isotopes comment= }} '''テルル'''({{lang-en-short|tellurium}} {{IPA-en|tɨˈl''j''ʊəriəm, tɛ-|}}、{{lang-de-short|Tellur}} {{IPA-de|tɛˈluːɐ̯|}})は、[[原子番号]]52の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Te'''。[[第16族元素]]の一つ。 == 名称 == 語源は[[ラテン語]]のTellusで、これは[[地球]]を意味するとともに、[[ローマ神話]]の大地の女神[[テルース]]の名でもある<ref name="sakurai" />。また、[[周期表]]上でテルルの一つ上に位置する[[セレン]]は[[ギリシャ神話]]の月の女神の名である。 == 性質 == [[金属]]テルルと無定形テルルがあり、金属テルルは銀白色の[[結晶]]([[半金属]])で、六方晶構造である。テルル化合物は[[にんにく]]臭を帯びるものがあるが、単体は無臭である。 <!-- 物性値は文献によって多少の差違がある --> 金属テルルの比重は6.232<ref name=Haynes>Haynes.W.M.ed. (2013) : CRC Handbook of Chemistry and Physics on DVD, (Version 2013), CRC Press.</ref>、[[融点]]は449.51 ℃<ref name=Haynes />、[[沸点]]は988 ℃<ref name=Haynes /><ref name=env>{{PDFlink|[https://www.env.go.jp/chemi/report/h29-01/pdf/chpt1/1-2-2-11.pdf テルル及びその化合物(水素化テルルを除く)]}} [[国立環境研究所]]</ref>(融点、沸点とも異なる実験値あり)。酸化力のある[[酸]]には溶ける。[[ハロゲン元素]]とは激しく反応する。酸化数は-2, +2, +4, +6価をとる。また、化学的性質は[[セレン]]や[[硫黄]]に似ている。燃やすと[[二酸化テルル]]になる。天然に[[元素鉱物]]として[[単体]](自然テルル)やテルル金銀鉱物、テルル銅鉱物、テルル鉛鉱物など多数で存在する<ref>[http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/geology/mineral-rock-sirabekata/mineral44/epx-mineral/henkouhanshakenbikyou-koumoku/oreminerals/tellrium.htm 自然テルル tellurium Te 六方晶系] 倉敷市立自然史博物館</ref><ref name=jogmec>{{PDFlink|[http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2012-05/33.Te_20120619.pdf Te] 油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)}}</ref>。 === 毒性 === 環境中に存在する量は少ない(下記参照)が、テルル単体及びその化合物には毒性があることが知られている。単体に触れることは稀であるが、多くの化合物を生成して環境中に露出、体内に入りやすくなる。例えば二酸化テルルは難水溶性であるものの強酸や強アルカリには不安定である。テルルは体内では代謝されて[[テルリド|ジメチルテルリド]]を生成し、呼気がニンニクに似た悪臭(テルル呼気)を帯びることが知られている。さらに口渇、傾眠、食欲不振、悪心、発汗停止、頭痛、呼吸困難、指・顔・歯肉・顔に青黒い斑点が現れたり発疹を生じる皮膚炎、口に金属味を感じるなどの症状が知られている。これらは主に鉱山労働者に多く見られた症状で暴露から遠ざけると改善している。反復暴露やラットなどを用いた長期間暴露試験では、臓器の異常や[[催奇性]]が報告されている。日本では特定標的臓器毒性(反復暴露)の区分2(中枢神経系、呼吸器)に分類している<ref name=nite>{{Cite web|和書|url=http://www.safe.nite.go.jp/ghs/06-imcg-0229.html |title=GHS分類結果 - テルル |accessdate=2018-08-23}}</ref>。 == 歴史 == 1782年に[[ミュラー・フォン・ライヒェンシュタイン|F.J.ミュラー]]が単体分離、1798年に[[マルティン・ハインリヒ・クラプロート|クラプロート]]によって命名された<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 238|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。 == 産出 == [[地殻中の元素の存在度]]は決して多くなく[[貴金属]]にならぶ上、精錬量も少ない。天然には[[火山]]や[[温泉]]近くの[[熱水鉱脈|鉱脈]]などに自然テルルや化合物鉱物としてわずかに含まれる。テルル単独の採掘(産出)は行われず<ref name=jogmec />、銅の精錬の副産物である電解スライムから分離精製する<ref>今澤博、福島孝一、窪田晴俊 ほか、[https://doi.org/10.2473/shigentosozai1953.98.1130_366 銅電解スライム等の処理方法の改善] 日本鉱業会誌 98巻 (1982) 1130号 p.366-368, {{doi|10.2473/shigentosozai1953.98.1130_366}}</ref>。しかし、銅精錬方法が湿式精錬(電解スライムを生じない手法)への変更に伴い生産量の伸びは鈍化している<ref name=jogmec />。 === 埋蔵量・生産・消費 === 鉱業便覧<ref>経済産業調査会、『鉱業便覧 平成14年版』、2003年、ISBN 4806516597</ref>によると、テルルの埋蔵量(資源量)は3万8000トンである。上位から[[アメリカ合衆国]](6000トン)、[[ペルー]](1600トン)、[[カナダ]](1500トン)<ref>『鉱業便覧』、p.222</ref>。いずれもズリなどを含まないテルルの純分量である。2000年時点の年間生産量は322トン。上位からカナダ(80トン)、[[ベルギー]](60トン)、アメリカ合衆国(50トン)、ペルー(39トン)、日本(36トン)であり、上位5カ国で生産量の82.3%をまかなう<ref>『鉱業便覧』、p.226</ref>。2010年の日本国内生産量は 46トン、輸入は 16.3トン、輸出 39トンと報告されている<ref name=env />。 == 化合物 == === 酸化物とオキソ酸 === * [[一酸化テルル]] (TeO) * [[二酸化テルル]] (TeO<sub>2</sub>) * [[三酸化テルル]] (TeO<sub>3</sub>) * [[亜テルル酸]] (H<sub>2</sub>TeO<sub>3</sub>) * [[テルル酸]] (H<sub>6</sub>TeO<sub>6</sub>) === ハロゲン化物 === * [[六フッ化テルル]] (TeF<sub>6</sub>) * [[四塩化テルル]] (TeCl<sub>4</sub>) * [[四臭化テルル]] (TeBr<sub>4</sub>) * [[四ヨウ化テルル]] (TeI<sub>4</sub>) === その他 === * [[テルル化水素]] (H<sub>2</sub>Te) * [[テルル化カドミウム]] (CdTe) * [[硫化テルル]] (TeS<sub>2</sub>) * [[テルリド]] (R<sub>2</sub>Te) * [[三テルル化二ビスマス]] (Bi<sub>2</sub>Te<sub>3</sub>) * [[三テルル化二アンチモン]] (Sb<sub>2</sub>Te<sub>3</sub>) * [[テルル化金]] (AuTe) * [[テルル化二銀]] (Ag<sub>2</sub>Te) == 同位体 == {{main|テルルの同位体}} テルルにはいくつかの[[安定同位体]]があるが、2.2×10<sup>24</sup>年の[[半減期]]を持つ{{核種|Te|128|link=テルル128}}(これは現在知られている放射性同位体の半減期の中で最も長い)や、7.9×10<sup>20</sup>年とこちらもまた非常に長い半減期を持つ{{核種|Te|130|link=no}}もあり、これらのほうが安定同位体よりも存在量が大きい。このような一つ以上の安定同位体を持つ元素の中で天然放射性同位体が安定同位体より多く存在している元素は、テルルの他に[[インジウム]]と[[レニウム]]がある。 == 用途 == * 鉄鋼に 0.01% - 0.1% 添加すると快削性や耐食性が向上する<ref name=jogmec />。 * ゴムの添加剤、[[触媒]]<ref name=env /> * [[ガラス]]などの[[着色剤]]として利用される。 * [[ビスマス]]との合金は、[[熱電変換素子]]、[[ペルティエ素子]]として実用化されている。 * 用途が狭く、偏在性が高く、需要量・埋蔵量ともに少ないが、[[太陽電池]]や各種電子部品の材料になるなど先端工業に欠かせない存在であり、[[レアメタル]]の一種である。 * [[鉛]]に0.05から0.065%添加すると鉛の耐食性や強度が上昇するため添加剤として用いられている。他に、スズ(Sn)などとともにテルル化した[[固溶体]](テルル化鉛(PbTe)とテルル化スズ(SnTe)の固溶体)は[[赤外線]]検出材として利用できるが、地上では[[比重]]の差が大きいために均一にならないため、[[宇宙]]などの[[無重力]]下での製造が期待されている<ref>桜井弘『元素111の新知識』[[講談社]]、[[1997年]]。</ref> == 埋蔵地域 == * 日本国内のテルル鉱物は、[[北海道]][[手稲鉱山]]や[[静岡県]][[河津鉱山]]の[[手稲石]]やマックアルパイン石などが知られており、これらは自然テルルやテルル石を伴う。テルル酸塩鉱物・亜テルル酸塩鉱物は現在までに計37種類が知られているが、日本で発見されたものも多い。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Tellurium}} * [[土壌汚染]] * [[鉱物]] * [[熱電変換素子]] * [[鉱物]]、[[鉱物の一覧]] == 外部リンク == * [http://www.msoc.eng.yamaguchi-u.ac.jp/collection/element_11.php 元素別鉱石(金銀鉱)] 山口大学工学部 学術資料展示館 * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{テルルの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:てるる}} [[Category:テルル|*]] [[Category:元素]] [[Category:半金属]] [[Category:カルコゲン]] [[Category:第16族元素]] [[Category:第5周期元素]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AB
9,883
酸(さん、英: acid)とは、化学において、塩基と対になってはたらく物質のこと。 一般的な使用例としては、酢酸(酢に3〜5%程度含有)、硫酸(自動車のバッテリーの電解液に使用)、酒石酸(ベーキングに使用する)などがある。これら3つの例が示すように、酸は溶液、液体、固体であることができる。さらに塩化水素などのように、気体の状態でも酸であることができる。 一般に、プロトン (H) を与える、または電子対を伴いながら定義が考え直されてきたことで、何種類かの酸の定義が存在する。 酸としてはたらく性質を酸性(さんせい)という。一般に酸の強さは酸性度定数 Ka またはその負の常用対数 pKa によって定量的に表される。 酸や塩基の定義は相対的な概念であるため、ある系で酸である物質が、別の系では塩基としてはたらくことも珍しくはない。例えば水は、アンモニアに対しては、プロトンを与えるブレンステッド酸として作用するが、塩化水素に対しては、プロトンを受け取るブレンステッド塩基として振る舞う。 酸解離定数の大きい酸を強酸、小さい酸を弱酸と呼ぶ。さらに、100%硫酸より酸性の強い酸性媒体のことを、特に超酸(超強酸)と呼ぶことがある。 「—酸」と呼ばれる化合物には、酸味を呈し、その水溶液のpHは7より小さいものが多い。酸化反応でできるものや、プロトンとのイオン結合でできるものがある。 また、酸は、硫酸など一部の例外を除き、酸化力は非常に弱い。酸は、酸化力が非常に強い物質と誤解されることもあるが、酸化(英: oxidation)は、酸素(英: oxygen)に由来する語であって、酸とは無関係である。これは、酸素が発見当初「酸を生む物」と誤解されたことによる。 以下に、それぞれの酸の定義を概略のみ述べる。 酸の1分子中に含まれる水素原子のうち、金属原子で置き換えられる水素原子の数をその酸の塩基度といい、塩基度2以上の酸を多塩基酸と呼ぶ。 一塩基酸は中和反応において、一分子につきひとつのプロトンを出す。 (例:HA=一塩基酸): 多塩基酸は中和反応でその塩基度の数だけプロトンを出すことができる。 (例:H2A=二塩基酸) ここで一般的にKa1 > Ka2となる。 多塩基酸の濃度分率は一般にα で求めることができる。
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酸とは、化学において、塩基と対になってはたらく物質のこと。
{{出典の明記|date=2012-1}}{{酸と塩基}} '''酸'''(さん、{{lang-en-short|acid}})とは、[[化学]]において、[[塩基]]と対になってはたらく[[物質]]のこと。 ==概要== 一般的な使用例としては、[[酢酸]]([[酢]]に3〜5%程度含有)、[[硫酸]]([[自動車]]の[[二次電池|バッテリー]]の[[電解液]]に使用)、[[酒石酸]]([[ベーキング]]に使用する)などがある。これら3つの例が示すように、酸は[[溶液]]、[[液体]]、[[固体]]であることができる。さらに[[塩化水素]]などのように、[[気体]]の状態でも酸であることができる。 一般に、[[水素イオン|プロトン]] (H<sup>+</sup>) を与える、または[[電子対]]を伴いながら定義が考え直されてきたことで、何種類かの酸の定義が存在する。 酸としてはたらく性質を'''酸性'''(さんせい)という<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E9%85%B8%E6%80%A7/#jn-91199|title=酸性(さんせい)の意味|publisher=goo国語辞書|accessdate=2020-11-06}}</ref>。一般に酸の強さは[[酸性度定数]] '''''K''<sub>a</sub>''' またはその負の[[常用対数]] {{pKa}} によって定量的に表される。 酸や[[塩基]]の定義は相対的な概念であるため、ある系で酸である物質が、別の系では塩基としてはたらくことも珍しくはない。例えば[[水]]は、[[アンモニア]]に対しては、プロトンを与えるブレンステッド酸として作用するが、塩化水素に対しては、プロトンを受け取るブレンステッド塩基として振る舞う。 : <chem>NH3 + H2O <=> NH4^+ + OH^-</chem> : <chem>HCl + H2O <=> H3O^+ + Cl^-</chem> [[酸解離定数]]の大きい酸を[[強酸]]、小さい酸を[[弱酸]]と呼ぶ。さらに、100%硫酸より酸性の強い酸性媒体のことを、特に[[超酸]](超強酸)と呼ぶことがある。 「—酸」と呼ばれる[[化合物]]には、[[酸味]]を呈し、その[[水溶液]]の[[水素イオン指数|pH]]は7より小さいものが多い。酸化反応でできるものや、プロトンとのイオン結合でできるものがある。 また、酸は、硫酸など一部の例外を除き、酸化力は非常に弱い。酸は、酸化力が非常に強い物質と誤解されることもあるが、酸化({{lang-en-short|oxidation}})は、酸素({{lang-en-short|oxygen}})に由来する語であって、酸とは無関係である。これは、酸素が発見当初「酸を生む物」と誤解されたことによる。 {{Main|酸素#名称}} <!--- この誤解の原因として、 :<chem>2H^+ +2e^-<=>H2</chem> という水素イオンが酸化剤として働く反応式があるが、これは[[自由電子]]を持ち比較的酸化がしやすい[[金属元素]]のみに働き、また、[[イオン化傾向]]で[[銅]]以下のものには[[酸化剤]]として働かない。 ---> == 酸の定義 == {{Main|酸と塩基}} 以下に、それぞれの酸の定義を概略のみ述べる。 ; アレニウス酸 (Arrhenius acid) : [[スヴァンテ・アレニウス|アレニウス]]の定義による酸。水溶液中において[[水素#水素イオンと水素化物イオン|プロトン]] (<chem>H^+</chem>) を出す物質。下式において、[[塩化水素]] (HCl) はアレニウス酸としてはたらいている。 : <chem>HCl -> H^+ + Cl^-</chem> ; ブレンステッド酸 (Brønsted acid) : [[ヨハンス・ブレンステッド|ブレンステッド]]-[[マーチン・ローリー|ローリー]]の定義による酸。反応する相手「B」に対しプロトンを与える物質。下式の反応で「'''AH'''」、あるいは「'''A'''<sup>+</sup>'''H'''」がブレンステッド酸。 : <chem>\mathbf{AH}{} + B -> A^{-}{} + BH^+</chem> : <chem>\mathbf{A^+H}{} + B -> A{} + BH^+</chem> ; ルイス酸 (Lewis acid) : [[ギルバート・ルイス|ルイス]]の定義による酸。電子対を受け取る物質。下式の反応で「'''A'''」がルイス酸。 : [[ファイル:Lewis_acid-base_equilibrium.png|250px|ルイス酸塩基反応]] == 酸の塩基度 == 酸の1分子中に含まれる水素原子のうち、金属原子で置き換えられる水素原子の数をその酸の塩基度といい、塩基度2以上の酸を多塩基酸と呼ぶ。 === 一塩基酸 === 一塩基酸は[[中和反応]]において、一分子につきひとつの[[プロトン]]を出す。 (例:HA=一塩基酸): : <chem>HA(aq) + H2O(l) <=> H3O^+ (aq) + A^- (aq) </chem>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; ''K''{{sub|a}} === 多塩基酸 === 多塩基酸は[[中和 (化学)|中和反応]]でその塩基度の数だけプロトンを出すことができる。 (例:H<sub>2</sub>A=二塩基酸) : <chem>H2A(aq) + H2O(l) <=> H3O^+(aq) + HA^- (aq)</chem> &nbsp; &nbsp; &nbsp; ''K''{{sub|a1}} : <chem>HA^{-}(aq) + H2O(l) <=> H3O^+(aq) + A^{2-}(aq)</chem> &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp; ''K''{{sub|a2}} ここで一般的に''K''<sub>a1</sub> > ''K''<sub>a2</sub>となる。 多塩基酸の濃度分率は一般に''α'' :<math> \alpha_{\mathrm{H}_{n-i} \mathrm{A}^{i-} }= {{[\mathrm{H}^+ ]^{n-i} \displaystyle \prod_{j=0}^{i}K_j} \over { \displaystyle \sum_{i=0}^n \Bigl( [\mathrm{H}^+ ]^{n-i} \displaystyle \prod_{j=0}^{i}K_j} \Bigr) } </math> で求めることができる。 == 代表的な酸 == *無機酸 **[[ハロゲン化水素]]とその溶液 ***[[塩化水素]]([[塩酸]])、[[臭化水素]]([[臭化水素酸]])、[[ヨウ化水素]]([[ヨウ化水素酸]]) **[[ハロゲンオキソ酸]] ***[[次亜塩素酸]]、[[亜塩素酸]]、[[塩素酸]]、[[過塩素酸]] ***[[次亜臭素酸]]、[[亜臭素酸]]、[[臭素酸]]、[[過臭素酸]] ***[[次亜ヨウ素酸]]、[[ヨウ素酸]]、[[過ヨウ素酸]] **[[硫酸]](H<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>) **[[フルオロスルホン酸]] **[[硝酸]](HNO<sub>3</sub>) **[[リン酸]](H<sub>3</sub>PO<sub>4</sub>) **[[ヘキサフルオロアンチモン酸]] **[[テトラフルオロホウ酸]] **[[ヘキサフルオロリン酸]] **[[クロム酸]](H<sub>2</sub>CrO<sub>4</sub>) **[[ホウ酸]](H<sub>3</sub>BO<sub>3</sub>) *スルホン酸 **[[メタンスルホン酸]] **[[エタンスルホン酸]] **[[ベンゼンスルホン酸]] **[[p-トルエンスルホン酸]] **[[トリフルオロメタンスルホン酸]] **[[ポリスチレンスルホン酸]] *カルボン酸 **[[酢酸]] **[[クエン酸]] **[[ギ酸]] **[[グルコン酸]] **[[乳酸]] **[[シュウ酸]] **[[酒石酸]] *ビニル性カルボン酸 **[[アスコルビン酸]] **[[メルドラム酸]] *核酸 **[[デオキシリボ核酸]] **[[リボ核酸]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionary|酸}} * [[酸と塩基]] * [[塩基]] * [[王水]] * [[ピラニア溶液]] * [[フッ化水素酸]] *{{prefix}} *{{intitle}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さん}} [[Category:酸|*]] [[Category:化学]] [[Category:溶液化学]] [[Category:酸塩基化学]] [[Category:イオン]]
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馬橋駅
馬橋駅(まばしえき)は、千葉県松戸市馬橋にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・流鉄の駅である。 当駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線(馬橋支線)、流鉄の流鉄流山線の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。ただし武蔵野線(馬橋支線)にはホームが無いため、旅客の乗降は不可能である。 駅開業時の地平駅舎は東側にあり、現在の東口側は駅開業以来の古い商店街が存在する。間宿があった旧水戸街道にもほど近い市街地である。対照的に駅西側は西口出口開設後の住宅街である。 西口側は、新坂川を渡る歩道橋にのみつながっていて、川向こうに西口広場や駅前駐輪場がある。東口および西口の徒歩10分以内は概ね住宅地であり、商店やスーパーマーケットなどが点在する。また1990年代より中層のマンションが目立つようになった。 駅北東には臨済宗大徳寺派の寺院「万満寺」があり、鎌倉時代作の金剛力士像は旧国宝・現重要文化財に登録され「仁王さまの股くぐり」で知られる。駅南西には、北松戸工業団地の北端部がある。 2011年5月6日、西口に建設された駅ビル「馬橋ステーションモール」が開業した。 JR駅舎の真下にある出口は東口である。橋上駅舎と跨線橋により改札外でつながる東西の出口にはJR東日本のロゴしかないものの、どちらの会社線に乗降する際も使え、流山線階段上に「流山線」と表記された案内標識がある。一方、出改札口は両社別でJRは橋上駅舎、流鉄はホーム上に存在する。両社間に連絡改札口は存在しないため、乗り換えの際は一度改札外に出る必要がある。流山線階段上に設置されているスピーカーは、その場所にもかかわらずJR線の遅延案内放送に使われる。 松戸営業統括センター(松戸駅)が管理し、JR東日本ステーションサービスが受託する業務委託駅である。お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝はインターホンによる案内となる。緩行線のみに島式ホーム1面2線を持つ地上駅で橋上駅舎を有する。2021年(令和3年)7月4日に、常磐線では初めて可動式ホーム柵が導入された。自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、自動改札機、乗車駅証明書発行機が設置されている。このほか、駅舎内にトイレ・エスカレーター・エレベーター・待合室がある。 JR橋上駅舎と流鉄ホーム階段、西口歩道橋を結ぶ跨線橋は、1971年5月まで現在の流鉄線ホームも使用していた関係で設けられていた改札内跨線橋を転用したものである。共同使用解消後に改札外通路となり(改札分離)、西口歩道橋と接続するようになった。この関係で構造上流鉄連絡改札口設置が困難となっている。 (出典:JR東日本:駅構内図) 島式ホーム1面2線を持つ地上駅(2番線は錆取り目的や、新車搬入等で1番線が使えない時に使う臨時ホーム)。ホーム上に自動券売機・改札口・駅事務室(券売・出札窓口)・待合室(改札内)があり、流山方のホーム先にトイレがある。なお、流山線ではどの駅でも改札が省略される。東京駅から最も近いICカード非対応駅である。また、階段を使わないとホームにいけないため、本駅からは車椅子や、足の不自由な人は利用できない(流鉄の駅では、小金城趾駅も階段のみでしか入れない)。 発車ベルは東京近郊の鉄道としては数少ない「ジリジリ」と鳴る電磁タイプを使用している。装置は流山線入口付近にある。音量が大きい。 待合室内には、かつて総武流山電鉄→流鉄時代に活躍していた車両の写真が飾られている。また、幸谷寄りには流山市の観光案内図が設置されている。 駅ナカ商業施設として駅ビル「馬橋ステーションモール」がある。地上1階から5階の複合施設である。 当駅改札と同フロアが地上3階であり、医療機関(歯科医院、整形外科)、コンビニエンスストア、薬局、居酒屋などの専門店を有する。 2階部分は月極めの公営駐輪場(収容台数315台)、5階部分には松戸市役所馬橋支所がある。 流鉄はかつて日本国有鉄道(国鉄)及びJR東日本から買電していた経緯から、JRの架線とき電接続されており、現在でも流鉄の変電所が機能しなくなった時の非常用として使われている。 臨時車扱貨物を取り扱っており、流鉄の新車を搬入するために使われる。このため、日暮里方で流鉄線とJR常磐線快速下り線の線路が接続されている。次の順番に繰り返し転線、方向転換する形で入換を行う。 現在のJR常磐線の複々線化までは、貨物の取り扱いが行われていた。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日の平均乗車人員の推移は以下の通りである。 駅東口側は駅出口から少し離れている場所にバス乗り場がある。バス路線は南北方向の鉄道線に対して東西方向に伸びており、松戸市八ヶ崎・西馬橋・旭町・栄町西などからの連絡を担う。 松戸新京成バスと松戸市ゆめいろバスの路線バスが発着する。駅東口構内(駅前広場)には乗り入れず、萬満寺の門前町にルーツを持つ馬橋市街地の一角にある転向場内に停留所がある。駅出口から370m(徒歩5分)も離れているが、トイレやベンチ、雨除け、テレビ付きの乗務員休憩室などを揃えており、かつての萬満寺脇の道路上に存在した頃に比べバス待ちの快適性を向上させ、経路短縮も図っている。ただし、松戸市ゆめいろバスは駅に近い「馬橋東口商店街」停留所にも停車する。 京成バス・松戸新京成バスの路線バスが発着する。西口とつながる歩道橋の出入口前にある広場内に乗り場がある。改札口から徒歩1分程度。 新京成バスが4方面乗り入れていたが、1970年代以降、交通事情や周辺環境の変化により廃止されたり他路線への振替がなされている。 当駅から新松戸駅(幸谷駅)までJR常磐線と流山線はほぼ並行する。同駅までの運賃は1997年3月31日までは普通旅客運賃が両者同額であった。その後3度の消費税率引き上げにより、JR線は引き上げ分が転嫁されて現在は「140円(ICカードは136円)」になり、その後2019年10月1日に、流山線も「120円から130円」に値上げしたものの区間最安を維持している。 ただし、流山線は定期券ではJRより高くなる上、列車本数も日中毎時3本(20分間隔)に対し、JRは6本(10分間隔)と2倍の差をつけられており、この影響からかこの区間相互間の流山線利用は極めて少ない。 当駅から南流山駅へ向かうJR馬橋支線は全線「複線」扱いである。一部、単線のように見える部分があるが、その部分は当駅構内として扱われる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "馬橋駅(まばしえき)は、千葉県松戸市馬橋にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・流鉄の駅である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "当駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線(馬橋支線)、流鉄の流鉄流山線の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。ただし武蔵野線(馬橋支線)にはホームが無いため、旅客の乗降は不可能である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "駅開業時の地平駅舎は東側にあり、現在の東口側は駅開業以来の古い商店街が存在する。間宿があった旧水戸街道にもほど近い市街地である。対照的に駅西側は西口出口開設後の住宅街である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "西口側は、新坂川を渡る歩道橋にのみつながっていて、川向こうに西口広場や駅前駐輪場がある。東口および西口の徒歩10分以内は概ね住宅地であり、商店やスーパーマーケットなどが点在する。また1990年代より中層のマンションが目立つようになった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "駅北東には臨済宗大徳寺派の寺院「万満寺」があり、鎌倉時代作の金剛力士像は旧国宝・現重要文化財に登録され「仁王さまの股くぐり」で知られる。駅南西には、北松戸工業団地の北端部がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2011年5月6日、西口に建設された駅ビル「馬橋ステーションモール」が開業した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "JR駅舎の真下にある出口は東口である。橋上駅舎と跨線橋により改札外でつながる東西の出口にはJR東日本のロゴしかないものの、どちらの会社線に乗降する際も使え、流山線階段上に「流山線」と表記された案内標識がある。一方、出改札口は両社別でJRは橋上駅舎、流鉄はホーム上に存在する。両社間に連絡改札口は存在しないため、乗り換えの際は一度改札外に出る必要がある。流山線階段上に設置されているスピーカーは、その場所にもかかわらずJR線の遅延案内放送に使われる。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "松戸営業統括センター(松戸駅)が管理し、JR東日本ステーションサービスが受託する業務委託駅である。お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝はインターホンによる案内となる。緩行線のみに島式ホーム1面2線を持つ地上駅で橋上駅舎を有する。2021年(令和3年)7月4日に、常磐線では初めて可動式ホーム柵が導入された。自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、自動改札機、乗車駅証明書発行機が設置されている。このほか、駅舎内にトイレ・エスカレーター・エレベーター・待合室がある。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "JR橋上駅舎と流鉄ホーム階段、西口歩道橋を結ぶ跨線橋は、1971年5月まで現在の流鉄線ホームも使用していた関係で設けられていた改札内跨線橋を転用したものである。共同使用解消後に改札外通路となり(改札分離)、西口歩道橋と接続するようになった。この関係で構造上流鉄連絡改札口設置が困難となっている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "(出典:JR東日本:駅構内図)", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "島式ホーム1面2線を持つ地上駅(2番線は錆取り目的や、新車搬入等で1番線が使えない時に使う臨時ホーム)。ホーム上に自動券売機・改札口・駅事務室(券売・出札窓口)・待合室(改札内)があり、流山方のホーム先にトイレがある。なお、流山線ではどの駅でも改札が省略される。東京駅から最も近いICカード非対応駅である。また、階段を使わないとホームにいけないため、本駅からは車椅子や、足の不自由な人は利用できない(流鉄の駅では、小金城趾駅も階段のみでしか入れない)。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "発車ベルは東京近郊の鉄道としては数少ない「ジリジリ」と鳴る電磁タイプを使用している。装置は流山線入口付近にある。音量が大きい。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "待合室内には、かつて総武流山電鉄→流鉄時代に活躍していた車両の写真が飾られている。また、幸谷寄りには流山市の観光案内図が設置されている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "駅ナカ商業施設として駅ビル「馬橋ステーションモール」がある。地上1階から5階の複合施設である。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "当駅改札と同フロアが地上3階であり、医療機関(歯科医院、整形外科)、コンビニエンスストア、薬局、居酒屋などの専門店を有する。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2階部分は月極めの公営駐輪場(収容台数315台)、5階部分には松戸市役所馬橋支所がある。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "流鉄はかつて日本国有鉄道(国鉄)及びJR東日本から買電していた経緯から、JRの架線とき電接続されており、現在でも流鉄の変電所が機能しなくなった時の非常用として使われている。", "title": "饋電線の接続" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "臨時車扱貨物を取り扱っており、流鉄の新車を搬入するために使われる。このため、日暮里方で流鉄線とJR常磐線快速下り線の線路が接続されている。次の順番に繰り返し転線、方向転換する形で入換を行う。", "title": "貨物取扱" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "現在のJR常磐線の複々線化までは、貨物の取り扱いが行われていた。", "title": "貨物取扱" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日の平均乗車人員の推移は以下の通りである。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "駅東口側は駅出口から少し離れている場所にバス乗り場がある。バス路線は南北方向の鉄道線に対して東西方向に伸びており、松戸市八ヶ崎・西馬橋・旭町・栄町西などからの連絡を担う。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "松戸新京成バスと松戸市ゆめいろバスの路線バスが発着する。駅東口構内(駅前広場)には乗り入れず、萬満寺の門前町にルーツを持つ馬橋市街地の一角にある転向場内に停留所がある。駅出口から370m(徒歩5分)も離れているが、トイレやベンチ、雨除け、テレビ付きの乗務員休憩室などを揃えており、かつての萬満寺脇の道路上に存在した頃に比べバス待ちの快適性を向上させ、経路短縮も図っている。ただし、松戸市ゆめいろバスは駅に近い「馬橋東口商店街」停留所にも停車する。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "京成バス・松戸新京成バスの路線バスが発着する。西口とつながる歩道橋の出入口前にある広場内に乗り場がある。改札口から徒歩1分程度。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "新京成バスが4方面乗り入れていたが、1970年代以降、交通事情や周辺環境の変化により廃止されたり他路線への振替がなされている。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "当駅から新松戸駅(幸谷駅)までJR常磐線と流山線はほぼ並行する。同駅までの運賃は1997年3月31日までは普通旅客運賃が両者同額であった。その後3度の消費税率引き上げにより、JR線は引き上げ分が転嫁されて現在は「140円(ICカードは136円)」になり、その後2019年10月1日に、流山線も「120円から130円」に値上げしたものの区間最安を維持している。", "title": "並行区間など" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ただし、流山線は定期券ではJRより高くなる上、列車本数も日中毎時3本(20分間隔)に対し、JRは6本(10分間隔)と2倍の差をつけられており、この影響からかこの区間相互間の流山線利用は極めて少ない。", "title": "並行区間など" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "当駅から南流山駅へ向かうJR馬橋支線は全線「複線」扱いである。一部、単線のように見える部分があるが、その部分は当駅構内として扱われる。", "title": "並行区間など" } ]
馬橋駅(まばしえき)は、千葉県松戸市馬橋にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・流鉄の駅である。
{{駅情報 |社色 = |文字色 = |駅名 = 馬橋駅 |画像 = Mabashi-Station-west(cropped).jpg |pxl = 300 |画像説明 = 西口駅前広場と馬橋ステーションモール<br />(2012年2月) |地図= {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300 |marker=rail|marker2=rail |coord={{coord|35|48|41.8|N|139|55|2.3|E}}|title=JR 馬橋駅 |coord2={{coord|35|48|43.3|N|139|55|1.5|E}}|title2=流鉄 馬橋駅 |marker-color=008000|marker-color2=9acd32 }} |よみがな = まばし |ローマ字 = Mabashi |副駅名 = |所属事業者 = {{Plainlist| * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]]) * [[流鉄]]([[#流鉄|駅詳細]])}} |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[馬橋 (松戸市)|馬橋]] |備考 = |備考全幅 = }} '''馬橋駅'''(まばしえき)は、[[千葉県]][[松戸市]][[馬橋 (松戸市)|馬橋]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[流鉄]]の[[鉄道駅|駅]]である。 == 概要 == [[File:Mabashi Stations of JR-EAST and Nagareyama Line 2021-12-30.jpg|thumb|JR馬橋駅(右)と流鉄馬橋駅(左)]] [[ファイル:Manmanji-temple.jpg|thumb|[[万満寺]](山号は法王山)]] 当駅は[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[常磐線]]を走行する[[常磐緩行線]]、[[武蔵野線]](馬橋支線)、[[流鉄]]の[[流鉄流山線]]の2社3路線が乗り入れ、接続駅となっている。ただし武蔵野線(馬橋支線)にはホームが無いため、旅客の乗降は不可能である。 駅開業時の地平駅舎は東側にあり、現在の東口側は駅開業以来の古い[[商店街]]が存在する。[[間宿]]があった旧[[水戸街道]]にもほど近い[[市街地]]である。対照的に駅西側は西口出口開設後の[[住宅地|住宅街]]である。 西口側は、新[[坂川]]を渡る歩道橋にのみつながっていて、川向こうに西口広場や駅前[[駐輪場]]がある。東口および西口の徒歩10分以内は概ね住宅地であり、[[商店]]や[[スーパーマーケット]]などが点在する。また[[1990年代]]より中層の[[マンション]]が目立つようになった。 駅北東には[[臨済宗大徳寺派]]の[[寺院]]「[[万満寺]]」があり、[[鎌倉時代]]作の[[金剛力士]]像は旧[[国宝]]・現[[重要文化財]]に登録され「[[仁王]]さまの股くぐり」で知られる。駅南西には、北松戸[[工業団地]]の北端部がある。 [[2011年]][[5月6日]]、西口に建設された[[駅ビル]]「馬橋ステーションモール」が開業した<ref>[http://park5.wakwak.com/~koushya/seibi/mabashi-tochi.htm 馬橋駅西口公社所有地有効活用事業:土地の売却], 財団法人松戸市都市整備公社</ref>。 == 乗り入れ路線 == * 東日本旅客鉄道 ** 常磐線([[ファイル:JR_JL_line_symbol.svg|15x15ピクセル|JL]] 常磐緩行線) 快速・特別快速・特急等は通過 * 日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者) ** 武蔵野線(馬橋支線) * 流鉄 ** [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|17px|RN]] 流山線 == 歴史 == [[ファイル:Mabashi Bridge.jpg|thumb|地名の由来である「馬橋」]] * [[1898年]]([[明治]]31年)[[8月6日]]:[[日本鉄道]]土浦線の駅が開業<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=426}}</ref>。 * [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:買収により[[鉄道国有法|国有化]]される{{R|停車場}}。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|線路名称]]制定により常磐線の所属となる。 * [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]]:流山線開業<ref name="sone21 26">{{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|pages=24,26}}</ref>。 * [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足。 * [[1967年]]([[昭和]]42年)[[10月1日]]:[[日立製作所]]専用線開設。 * [[1970年]](昭和45年)[[8月25日]]:橋上駅舎化<ref>{{Cite news |title=スマートな橋上駅舎が誕生 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1970-08-28 |page=2 }}</ref>。 * [[1971年]](昭和46年) **[[4月20日]]:国鉄線綾瀬 - 我孫子間複々線化に伴い、貨物扱いを廃止(北松戸駅に移転)。 **5月:国鉄・流鉄共同使用を解消(改札分離) * [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:国鉄の[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。 * [[1986年]](昭和61年)11月1日:国鉄の貨物の取り扱いを廃止{{R|停車場}}。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる{{R|停車場}}。 * [[1992年]]([[平成]]4年)[[6月4日]]:JR東日本で[[自動改札機]]の使用を開始する<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=182 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。 * [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-24|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。 * [[2006年]](平成18年)5月:[[みどりの窓口]]が廃止され、[[指定席券売機]]を設置<ref>“みどりの窓口リストラ” [[朝日新聞]] ([[朝日新聞社]]): p23. (2006年7月11日 夕刊)</ref>。 * [[2021年]]([[令和]]3年)[[7月4日]]:JR東日本で[[ホームドア#多様なホームドアの開発|スマートホームドア]]の使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/matsudo_kouhou/pressrelease/R3-press-release.files/20210602_JR-mabashi-sta.platform-door.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210603091320/https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/matsudo_kouhou/pressrelease/R3-press-release.files/20210602_JR-mabashi-sta.platform-door.pdf|format=PDF|language=日本語|title=JR馬橋駅ホームドアの使用開始予定日について|publisher=松戸市|date=2021-06-02|accessdate=2021-06-03|archivedate=2021-06-03}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201117063610/https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=常磐(各駅停車)線に初めてホームドアを導入します 〜2021年度にホームドアを使用開始する常磐(各駅停車)線の駅について〜|publisher=東日本旅客鉄道東京支社|date=2020-11-17|accessdate=2020-11-17|archivedate=2020-11-17}}</ref>。常磐線でのホームドア導入は当駅が初である。 == 駅構造 == JR駅舎の真下にある出口は東口である。橋上駅舎と跨線橋により改札外でつながる東西の出口にはJR東日本の[[ロゴタイプ|ロゴ]]しかないものの、どちらの会社線に乗降する際も使え、流山線階段上に「流山線」と表記された案内標識がある<ref group="注">どちらの出口もJR管理区域にあるためと思われる。</ref>。一方、出改札口は両社別でJRは橋上駅舎、流鉄はホーム上に存在する。両社間に連絡改札口は存在しないため、乗り換えの際は一度改札外に出る必要がある。流山線階段上に設置されている[[スピーカー]]は、その場所にもかかわらずJR線の遅延案内放送に使われる。 === JR東日本 === {{駅情報 |社色 = green |文字色 = |駅名 = JR 馬橋駅 |画像 = Mabashi-Sta-W(cropped).jpg |pxl = 300 |画像説明 = 西口(2016年6月) |よみがな = まばし |ローマ字 = Mabashi |副駅名 = |電報略号 = マハ |所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[馬橋 (松戸市)|馬橋]]121 |座標 = {{coord|35|48|41.8|N|139|55|2.3|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 馬橋駅}} |駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]]) |ホーム = 1面2線<ref name="zeneki05">{{Cite book|和書 |title =週刊 JR全駅・全車両基地 |publisher = [[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume =05号 上野駅・日光駅・下館駅ほか92駅 |date =2012-09-09 |page =26 }}</ref> |開業年月日 = <span style="white-space:nowrap;">[[1898年]]([[明治]]31年)[[8月6日]]</span> |廃止年月日 = |乗車人員 = 22,116 |統計年度 = 2022年 |乗入路線数 = 2 |所属路線1 = {{color|#339999|■}}[[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]]<br />(線路名称上は[[常磐線]]) |前の駅1 = JL 23 [[北松戸駅|北松戸]] |駅間A1 = 1.3 |駅間B1 = 1.6 |次の駅1 = [[新松戸駅|新松戸]] JL 25 |駅番号1 = {{駅番号r|JL|24|#808080|1}} |キロ程1 = 19.1&nbsp;km([[日暮里駅|日暮里]]起点)<br />[[綾瀬駅|綾瀬]]から11.4 |起点駅1 = |所属路線2 = [[武蔵野線]](貨物支線・馬橋支線) |前の駅2 = [[南流山駅|南流山]] |駅間A2 = 3.7 |駅間B2 = |駅番号2 = |キロ程2 = 3.7{{Refnest|group="*"|貨物支線はJR東日本が[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第1種鉄道事業者]]であるが、同社では[[営業キロ]]を設定していない。[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第2種鉄道事業者]]である[[日本貨物鉄道]](JR貨物)のみ営業キロを設定している。}} |起点駅2 = JR貨物・[[南流山駅|南流山]] |備考 = {{Plainlist| * [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]] * [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅<ref name="StationCd=1449_230915" />}} |備考全幅 = {{Reflist|group="*"}} }} 松戸営業統括センター([[松戸駅]])が管理し、[[JR東日本ステーションサービス]]が受託する[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]である。[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、早朝はインターホンによる案内となる<ref name="StationCd=1449_230915">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1449|title=駅の情報(馬橋駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-09-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230915144539/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1449|archivedate=2023-09-15}}</ref>。緩行線のみに[[島式ホーム]]1面2線を持つ{{R|zeneki05}}[[地上駅]]で[[橋上駅|橋上駅舎]]を有する。[[2021年]]([[令和]]3年)[[7月4日]]に、常磐線では初めて可動式ホーム柵が導入された。[[自動券売機]]、多機能券売機<ref name="StationCd=1449_230915" />、[[指定席券売機]]<ref name="StationCd=1449_230915" />、[[自動改札機]]、[[無人駅#乗車駅証明書発行機|乗車駅証明書発行機]]が設置されている。このほか、駅舎内に[[便所|トイレ]]・[[エスカレーター]]・[[エレベーター]]・待合室がある。 JR橋上駅舎と流鉄ホーム階段、西口歩道橋を結ぶ[[跨線橋]]は、[[1971年]]5月まで現在の流鉄線ホームも使用していた関係で設けられていた改札内跨線橋を転用したものである。共同使用解消後に改札外通路となり(改札分離)、西口歩道橋と接続するようになった。この関係で構造上流鉄連絡改札口設置が困難となっている。 ==== のりば ==== <!-- 方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠 --> {| class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先 |- !1 | rowspan="2" |[[ファイル:JR_JL_line_symbol.svg|15x15ピクセル|JL]] 常磐線(各駅停車) | style="text-align:center" |上り |[[松戸駅|松戸]]・[[北千住駅|北千住]]・[[代々木上原駅|代々木上原]]方面 |- !2 | style="text-align:center" |下り |[[新松戸駅|新松戸]]・[[柏駅|柏]]・[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子]]方面 |} (出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1449.html JR東日本:駅構内図]) *1971年5月の共同使用解消まで下り線(後の快速線下り線)は現在の流鉄1番線を使用していた。 <gallery widths="200" style="font-size:90%;"> JRE Mabashi-STA East.jpg|東口(2023年7月) Mabashi-station.jpg|駅ビル竣工前の西口(2008年12月) JR Joban-Line Mabashi Station Gates.jpg|JR改札口。中央の袋で覆われている機器は乗車駅証明書発行機(2021年5月) JR Jōban Line Mabashi Station Platform.jpg|JRホーム(2022年7月) EF65-1079 Mabashi Station 20090309.jpg|馬橋支線南流山方面へ向かう貨物列車(2009年3月) </gallery> {{clear}} === 流鉄 === {{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 流鉄 馬橋駅 |画像 = Ryutetsu-Mabashi-Sta-View-from-JR.JPG |pxl = 300 |画像説明 = 流山線 駅ホーム(2016年6月) |よみがな = まばし |ローマ字 = Mabashi |副駅名 = |電報略号 = |所属事業者 = [[流鉄]] |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[馬橋 (松戸市)|馬橋]]181 |座標 = {{coord|35|48|43.3|N|139|55|1.5|E|region:JP_type:railwaystation|name=流鉄 馬橋駅}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 1面2線 |開業年月日 = [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]]<ref name="sone21 26"/> |廃止年月日 = |乗車人員 = 1,500 |統計年度 = 2019年 |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |前の駅 = |駅間A = |駅間B = 1.7 |次の駅 = [[幸谷駅|幸谷]] RN2 |駅番号 ={{駅番号r|RN|1|#ff6600|4||#ff6600}} |キロ程 = 0.0 |起点駅 = 馬橋 |備考 = [[日本の鉄道駅|駅員配置駅]] |備考全幅 = }} [[島式ホーム]]1面2線を持つ[[地上駅]](2番線は錆取り目的や、新車搬入等で1番線が使えない時に使う臨時ホーム)。ホーム上に[[自動券売機]]・改札口・駅事務室(券売・出札窓口)・待合室(改札内)があり、流山方のホーム先にトイレがある。なお、流山線ではどの駅でも[[改札]]が省略される。東京駅から最も近いICカード非対応駅である。また、階段を使わないとホームにいけないため、本駅からは車椅子や、足の不自由な人は利用できない(流鉄の駅では、[[小金城趾駅]]も階段のみでしか入れない)。 [[発車ベル]]は東京近郊の鉄道としては数少ない「ジリジリ」と鳴る電磁タイプを使用している。装置は流山線入口付近にある。音量が大きい。 待合室内には、かつて総武流山電鉄→流鉄時代に活躍していた車両の写真が飾られている<ref name="sone21 26"/>。また、幸谷寄りには[[流山市]]の観光案内図が設置されている。 ==== のりば ==== {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!行先!!備考 |- ! 1 |rowspan="2"|[[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15x15ピクセル|RN]] 流山線 |rowspan="2"|[[流山駅|流山]]方面 | 通常時は1番線のみ使用 |- ! 2 | 1番線が使用不可の時などに使用 |} *かつては共同使用ホームであり、現在の1番線はかつて国鉄(現JR)常磐線の下り線(水戸方面)であった。 <gallery widths="200" style="font-size:90%;"> Mabashi Station of Nagareyama Line 2021-12-31.jpg|木材を多用したホーム(2021年12月) Mabashi Station 20120212b.jpg|流鉄とJRの列車。[[三複線]]のように並ぶ両社線の線路はホーム共用の名残であり、小ぶりな跨線橋も改札内通路の名残である。(2012年2月) Ryutetsu Mabashi Station Ticket gates.jpg|改札口。出集札のみで改札(入鋏)は省略。(2022年8月) 総武流山電鉄・馬橋駅・DB1とトラ(1977年)(s1-9).jpg|[[貨車]]の[[無蓋車]]が留置。ホーム側は現在の2番線。(1977年3月) </gallery> === 駅舎内の施設(駅ナカ・駅ビル) === [[駅ナカ]]商業施設として[[駅ビル]]「馬橋ステーションモール」がある。地上1階から5階の複合施設である。 当駅改札と同フロアが地上3階であり、[[医療機関]](歯科医院、整形外科)、[[コンビニエンスストア]]、[[薬局]]、[[居酒屋]]などの[[専門店]]を有する。 2階部分は月極めの公営駐輪場(収容台数315台)、5階部分には[[松戸市役所]]馬橋支所がある。 * 改札外 ** 馬橋ステーションモール *** [[医療機関]](歯科医院、整形外科)、コンビニエンスストア、[[薬局]]、[[居酒屋]]などの[[専門店]]、市役所支所を有する複合施設(地上1階~5階) ** [[NewDays]] ** [[VIEW ALTTE]] ** 指定席券売機 == 饋電線の接続 == 流鉄はかつて[[日本国有鉄道]](国鉄)及びJR東日本から買電していた経緯から、JRの[[架線]]と[[饋電線|き電]]接続されており、現在でも流鉄の[[変電所]]が機能しなくなった時の非常用として使われている。 == 貨物取扱 == 臨時[[車扱貨物]]を取り扱っており、流鉄の新車を搬入するために使われる。このため、日暮里方で流鉄線とJR常磐線快速下り線の線路が接続されている。次の順番に繰り返し転線、方向転換する形で入換を行う。 *JR武蔵野線馬橋支線 - JR常磐快速線下り線 - 流山線引上線 - 流山線1番線 現在のJR常磐線の複々線化までは、貨物の取り扱いが行われていた。 == 利用状況 == * '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''22,116人'''である。 *: 近年は減少傾向にあり、現在は松戸市内の常磐線の駅の中では[[松戸駅]]、[[新松戸駅]]に次いで3番目である。単独駅の[[北小金駅]]とは年によっては抜かれる場合もある。 * '''流鉄''' - 2019年度の1日平均'''乗車'''人員は'''1,500人'''である。 *: 流鉄6駅の中では[[幸谷駅]]に次いで2番目に利用者が多い駅である。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日の平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。 {| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/ 千葉県統計年鑑]</ref> |- !年度 !JR東日本 !総武流山電鉄<br />/ 流鉄 !出典 |- |1990年(平成{{0}}2年) |28,363 |3,882 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h03/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成3年)]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |28,656 |3,877 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h04/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |29,193 |3,879 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h05/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |29,364 |3,942 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h06/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |28,892 |3,773 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h07/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |28,723 |3,601 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h08/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |28,546 |3,530 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h09/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |28,182 |3,468 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h10/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成10年)]</ref> |- |1998年(平成10年) |27,730 |3,411 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h11/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成11年)]</ref> |- |1999年(平成11年) |27,434 |3,277 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h12/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2000年(平成12年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>27,363 |3,146 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h13/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>27,310 |3,141 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h14/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>27,004 |3,059 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h15/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>26,907 |3,018 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h16/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>26,692 |2,892 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h17/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>25,946 |2,274 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h18/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>25,078 |1,781 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h19/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>24,934 |1,669 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h20/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>24,929 |1,626 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h21/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>24,533 |1,553 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h22/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>24,387 |1,492 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h23/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>24,325 |1,448 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h24/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成24年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>24,256 |1,456 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h25/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成25年)]</ref> |- |2013年(平成25年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>24,604 |1,467 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h26/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成26年)]</ref> |- |2014年(平成26年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>24,350 |1,407 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h27/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成27年)]</ref> |- |2015年(平成27年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>24,981 |1,451 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h28/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成28年)]</ref> |- |2016年(平成28年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>25,246 |1,449 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h29/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成29年)]</ref> |- |2017年(平成29年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>25,603 |1,490 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h30/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成30年)]</ref> |- |2018年(平成30年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>25,780 |1,525 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-r1/index.html#a11 千葉県統計年鑑(令和元年)]</ref> |- |2019年(令和元年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>25,675 |1,500 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-r02/index.html#unyutuusin 千葉県統計年鑑(令和2年)]</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>20,210 | | |- |2021年(令和{{0}}3年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>20,900 | | |- |2022年(令和{{0}}4年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>22,116 | | |} == 駅周辺 == === 東口 === [[ファイル:Tobu-Store-Mabashi.jpg|thumb|東武ストア馬橋店(2012年2月)]] {{columns-list|2| * 駅前広場 ** [[日本のタクシー|タクシー]]乗り場 ** [[松戸東警察署]]馬橋駅前交番 * [[万満寺]] - 旧[[国宝]]・現[[重要文化財]]仁王像・「仁王の股くぐり」が有名。 * 馬橋駅入口[[バス停留所]] * 馬橋郵便局 * [[千葉銀行]]馬橋支店 * 松戸市馬橋東市民センター ** 松戸市立図書館 馬橋東分館 * 大川病院(現・大川レデイースクリニック) * [[マツモトキヨシ]]馬橋駅東口店 * [[馬橋 (松戸市)|馬橋]] - 地名の由来となった橋。説明看板がある。 * [[国道6号]] |}} === 西口 === {{columns-list|2| * 馬橋ステーションモール ** [[松戸市役所]]馬橋支所 * [[都機工]] * 松戸馬橋西郵便局 * [[朝日信用金庫]]馬橋支店 * 馬橋消防署 * 松戸市馬橋市民センター ** [[松戸市立図書館]]馬橋分館 * [[東武ストア]]馬橋店 * [[ハローマート]]馬橋店 * [[くすりの福太郎]]馬橋店 * [[マツモトキヨシ]] * [[ウエルシア薬局]]馬橋店 * [[千葉県立松戸馬橋高等学校]] |}} == バス路線 == 駅東口側は駅出口から少し離れている場所に[[バス停留所|バス乗り場]]がある。バス路線は南北方向の鉄道線に対して東西方向に伸びており、松戸市八ヶ崎・西馬橋・旭町・栄町西などからの連絡を担う。 === 東口(馬橋駅入口停留所) === <!--バス路線の記述は、[[PJ:RAIL#駅の記事の記述]]より、必要最小限の情報に留めています。また、[[PJ:RAIL#バス路線の記述法]]より、経由地などの情報は各事業者の記事のリンクへと誘導させる形式としています。--> [[松戸新京成バス]]と松戸市ゆめいろバスの路線バスが発着する。駅東口構内(駅前広場)には乗り入れず、萬満寺の門前町にルーツを持つ馬橋市街地の一角にある転向場内に停留所がある。駅出口から370m(徒歩5分)も離れているが、トイレやベンチ、雨除け、テレビ付きの乗務員休憩室などを揃えており、かつての萬満寺脇の道路上に存在した頃に比べバス待ちの快適性を向上させ、経路短縮も図っている<ref>[http://www.shinkeisei.co.jp/topics/2012/2586/ 馬橋線改正のお知らせ]</ref>。ただし、松戸市ゆめいろバスは駅に近い「馬橋東口商店街」停留所にも停車する。 ; 松戸新京成バス * [[松戸新京成バス#馬橋線|7]]:[[常盤平駅]]北口行 ; 松戸市ゆめいろバス(中和倉コース)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/douro/bus_noriba-jikoku/yumeiro_bus/pokettojikokuhyou.files/chirasi.pdf|title=路線図・時刻表・運賃(PDF:1,877KB)|format=PDF|work=[https://www.city.matsudo.chiba.jp/kurashi/douro/bus_noriba-jikoku/yumeiro_bus/pokettojikokuhyou.html 松戸市ゆめいろバス ご利用案内]|publisher=松戸市|date=2021-03-17|accessdate=2021-08-22}}</ref> * 左回り・右回り:[[松戸市立総合医療センター|総合医療センター]]行 === 西口(馬橋駅西口停留所) === <!--バス路線の記述は、[[PJ:RAIL#駅の記事の記述]]より、必要最小限の情報に留めています。また、[[PJ:RAIL#バス路線の記述法]]より、経由地などの情報は各事業者の記事のリンクへと誘導させる形式としています。--> [[京成バス]]・松戸新京成バスの路線バスが発着する。西口とつながる歩道橋の出入口前にある広場内に乗り場がある。改札口から徒歩1分程度。 ; 京成バス * [[京成バス松戸営業所#流山線|松72]]:[[松戸駅]]行 ; 松戸新京成バス * [[松戸新京成バス#新松戸線|6A]]:[[新松戸駅]]行 === 廃止された系統 === 新京成バスが4方面乗り入れていたが、[[1970年代]]以降、交通事情や周辺環境の変化により廃止されたり他路線への振替がなされている。 * 松戸新京成バス・新京成電鉄 ** 小金原線馬橋系統 貝の花方面行 ** 幸谷線 [[北小金駅]]行 ** 六和支線 * 京成電鉄 ** 新松戸線 新松戸駅行、[[日本大学松戸歯学部付属病院|日大歯科病院]]行 ** 浅草線 * 東武鉄道 ** 松戸線 == 並行区間など== 当駅から新松戸駅(幸谷駅)までJR常磐線と流山線はほぼ並行する。同駅までの運賃は[[1997年]][[3月31日]]までは普通旅客運賃が両者同額であった。その後3度の[[消費税]]率引き上げにより、JR線は引き上げ分が転嫁されて現在は「140円(ICカードは136円)」になり、その後2019年10月1日に、流山線も「120円から130円」に値上げした<ref group="注">2019年10月1日の消費税率引き上げの際に、流山線も引き上げ分が転嫁されて130円となっている。</ref>ものの区間最安を維持している。 ただし、流山線は定期券ではJRより高くなる上、列車本数も日中毎時3本(20分間隔)に対し、JRは6本(10分間隔)と2倍の差をつけられており、この影響からかこの区間相互間の流山線利用は極めて少ない。 当駅から[[南流山駅]]へ向かうJR馬橋支線は全線「複線」扱いである。一部、単線のように見える部分があるが、その部分は当駅構内として扱われる。 == 隣の駅 == ; 東日本旅客鉄道(JR東日本) : [[File:JR JL line symbol.svg|15px|JL]] 常磐線(各駅停車) :: [[北松戸駅]] (JL 23) - '''馬橋駅 (JL 24)''' - [[新松戸駅]] (JL 25) : 武蔵野線貨物支線(馬橋支線) :: [[南流山駅]] - '''馬橋駅''' ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 :: '''馬橋駅(RN1)''' - [[幸谷駅]](RN2) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注"}} ==== 出典 ==== {{Reflist}} ===== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ===== {{Reflist|group="広報"}} === 利用状況 === {{Reflist|group="統計"}} ; JR東日本の2000年度以降の乗車人員 {{Reflist|group="JR"|25em}} ; 千葉県統計年鑑 {{Reflist|group="*"|22em}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[江戸見坂 (松戸市)|江戸見坂]] == 外部リンク == {{commonscat|Mabashi Station}} * {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1449|name=馬橋}} * [http://ryutetsu.jp/station.html#mabashi 流鉄 馬橋駅] * [http://www.shinkeisei.co.jp/bus/top_bus_station/mabashi_bus_station/ 松戸新京成バス 馬橋駅停留所] * [http://transfer.navitime.biz/keiseibus/pc/diagram/BusCourseSearch?busstopId=00180326 京成バス 馬橋駅停留所] {{常磐緩行線}} {{常磐線|mode=1}} {{武蔵野線 (貨物線)}} {{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:まはし}} [[Category:松戸市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 ま|はし]] [[Category:日本鉄道の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:流鉄]] [[Category:常磐緩行線]] [[Category:1898年開業の鉄道駅]] [[Category:千葉県の駅ビル]]
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9,885
幸谷駅
幸谷駅(こうやえき)は、千葉県松戸市新松戸にある流鉄流山線の駅である。駅番号はRN2。付近にJR東日本の新松戸駅がある。 松戸市新松戸に所在するが、駅名の「幸谷」は開業当時の地名から採られている。それに対して、後に設けられたJR新松戸駅の所在地は松戸市幸谷であり、両駅の地名と駅名が逆転している。開業当時新松戸駅の設置はおろか新松戸の住宅地開発も行われておらず、当駅が幸谷集落の最寄り駅であった。当時からの集落はJR常磐線よりも東側、福昌寺(幸谷観音)界隈であり、この位置関係もまた逆転している。 単式1面1線ホームの地上駅。駅舎は集合住宅「流鉄カーサ新松戸」の一階にある。旅客部分は、出札口など駅事務室前の小さなコンコースと集札口、ホームのみ。なお、流山線ではどの駅でも改札(入鋏)は行われない。当駅の集札は列車到着直後のみ集札口に係員が立って行う仕組みとなっている。上下合わせると列車の発着間隔は最短で5分、最大で20分程度と短いため、改札内は常時開放されている。 新松戸駅からは駅前広場の横断歩道と広場に面するハンバーガーチェーン店「ロッテリア新松戸駅前店」(松戸市幸谷1070-3)裏の路地経由で連絡する。このルートは丁度JR武蔵野線高架下であり、高架を屋根として活用している。路地先の踏切を渡った西側に駅出入口がある。現在は目立った案内誘導標識が置かれていない。 流鉄・JR間で「当駅接続の連絡運輸」は行われていないが、馬橋駅接続の連絡運輸でも当駅発着は除外(新松戸駅発着も同様)されているため、両社において近接駅として認識されていることがうかがえる。 2015年(平成27年)度の一日平均乗車人員は2,246人である。 近年は減少傾向にあり、特に2005年から2006年にかけてはつくばエクスプレス開業の影響で大きく落ち込んでいる。当駅以上に馬橋、流山両駅の減少幅が大きかった結果、流鉄6駅の中では最も利用客数が多い駅となった。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 大規模新興住宅地「新松戸」の東端部に位置する。駅周辺は「幸谷駅前」というよりも「新松戸駅前」として商店やマンション、雑居ビルが林立する。当駅近傍は沿線で最も変化が著しい。新松戸駅との間には「パオ」という名称の公衆トイレ、「あかりのボックス」という名称の赤色鳥居調鉄骨のオブジェがある。 なお、新松戸駅は当駅に向かい合う西側一箇所にしか出口がないため、JR常磐線東側の旧来の幸谷集落(福昌寺<幸谷観音>、市水道部)方面へは、水戸方にある同線をくぐる地下歩道で連絡する(この案内はない)。1980年代頃は幸谷に「新松戸スターランド」、新松戸(現在のイオンがある場所)に「新松戸アイスアリーナ」の二大スケートリンク(前者は冬のみ)があり、関東地方東部のアイススケート文化を支え、選手も輩出していた。
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幸谷駅(こうやえき)は、千葉県松戸市新松戸にある流鉄流山線の駅である。駅番号はRN2。付近にJR東日本の新松戸駅がある。
{{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 幸谷駅 |画像 = Ryutetsu-Koya Sta. 4.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 駅入口([[2022年]][[6月2日]]) |地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center |type=point|type2=point |marker=rail|marker2=rail |coord={{coord|35|49|35.8|N|139|55|11.6|E}}|marker-color=9acd32|title=幸谷駅 |coord2={{coord|35|49|31.5|N|139|55|16|E}}|marker-color2=008000|title2=新松戸駅 }}右は新松戸駅 |よみがな = こうや |ローマ字 = K&#333;ya |副駅名 = |前の駅 = RN1 [[馬橋駅#流鉄|馬橋]] |駅間A = 1.7 |駅間B = 1.1 |次の駅 = [[小金城趾駅|小金城趾]] RN3 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|RN|2|#ff6600|4||#ff6600}} |所属事業者 = [[流鉄]] |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |キロ程 = 1.7 |起点駅 = [[馬橋駅|馬橋]] |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[新松戸]] |座標 = {{coord|35|49|35.8|N|139|55|11.6|E|type:railwaystation_region:JP-12|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 1面1線<ref name="sone21 24">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 24頁]]</ref> |開業年月日 = [[1961年]]([[昭和]]36年)[[2月3日]]<ref name="sone21 26">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 26頁]]</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 2,246 |乗降人員 = |統計年度 = 2015年 |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅|駅員配置駅]]<br/>1982年 現在地に移設<br/><ref name="sone21 27">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 27頁]]</ref> }} [[ファイル:Kouya-station-2.JPG|thumb|200px|マンションの一階に併設する当駅(2007年10月16日)]] '''幸谷駅'''(こうやえき)は、[[千葉県]][[松戸市]][[新松戸]]にある[[流鉄流山線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''RN2'''。付近に[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[新松戸駅]]がある。 == 歴史 == <!-- 画像 --> [[ファイル:総武流山電鉄・旧幸谷駅(1977年)・s9-3.jpg|thumb|移設前の当駅と流山行[[流鉄流山線#モハ1100形|モハ1101]]、写真左上の架線柱は国鉄[[武蔵野線]]へ通じる[[武蔵野線#支線|馬橋支線]](1977年10月23日)]] <!-- 本文 -->松戸市新松戸に所在するが、駅名の「幸谷」は開業当時の地名から採られている。それに対して、後に設けられたJR新松戸駅の所在地は松戸市[[幸谷 (松戸市)|幸谷]]であり、両駅の地名と駅名が逆転している。開業当時新松戸駅の設置はおろか新松戸の住宅地開発も行われておらず、当駅が幸谷集落の最寄り駅であった。当時からの集落はJR常磐線よりも東側、福昌寺(幸谷観音)界隈であり、この位置関係もまた逆転している。 * [[1961年]]([[昭和]]36年)[[2月3日]] 開業<ref name="sone21 26"/>。当時は新幸谷橋付近(流山線5号踏切付近)に存在した。 * [[1982年]](昭和57年)[[1月10日]] 流山方に300m移設<ref name="sone21 24" />。新松戸駅に近づけ、国鉄(現在のJR)線との乗り換え利便を図った。 * [[2013年]]([[平成]]25年)[[11月5日]] 入口に[[バリアフリー]]対応の[[斜路|スロープ]]を設置。 == 駅構造 == 単式1面1線ホームの[[地上駅]]。駅舎は[[集合住宅]]「流鉄カーサ新松戸」の一階にある<ref name="sone21 24"/>。旅客部分は、出札口など駅事務室前の小さなコンコースと集札口、ホームのみ。なお、流山線ではどの駅でも改札(入鋏)は行われない。当駅の集札は列車到着直後のみ集札口に係員が立って行う仕組みとなっている。上下合わせると列車の発着間隔は最短で5分、最大で20分程度と短いため、改札内は常時開放されている。 新松戸駅からは駅前広場の横断歩道と広場に面するハンバーガーチェーン店「[[ロッテリア]]新松戸駅前店」(松戸市幸谷1070-3)裏の[[路地]]経由で連絡する。このルートは丁度JR武蔵野線高架下であり、高架を屋根として活用している。路地先の踏切を渡った西側に駅出入口がある。現在は目立った案内誘導標識が置かれていない。 流鉄・JR間で「当駅接続の連絡運輸」は行われていないが、馬橋駅接続の連絡運輸でも当駅発着は除外(新松戸駅発着も同様)されているため、両社において近接駅として認識されていることがうかがえる。 <gallery> Ryutetsu-Koya Sta. 1.jpg|出札口・集札口(2022年6月) Ryutetsu-Koya Sta. 3.jpg|ホームより流山方面を望む(2022年6月) Ryutetsu-Koya Sta. 2.jpg|ホームより馬橋方面を望む(2022年6月) Ryutetsu-Koya Sta. 5.jpg|駅へ続く踏切と看板。高架に沿った手前側に新松戸駅出口がある。(2022年6月) </gallery> == 利用状況 == [[2015年]]([[平成]]27年)度の一日平均乗車人員は2,246人である<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/index.html 千葉県統計年鑑]</ref>。 近年は減少傾向にあり、特に[[2005年]]から[[2006年]]にかけては[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]開業の影響で大きく落ち込んでいる。当駅以上に[[馬橋駅|馬橋]]、[[流山駅|流山]]両駅の減少幅が大きかった結果、流鉄6駅の中では最も利用客数が多い駅となった。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 {| class="wikitable" |- !rowspan|年度 !rowspan|1日平均<br />乗車人員 |- |[[1990年]] |style="text-align:right;"|3,475 |- |[[1991年]] |style="text-align:right;"|3,626 |- |[[1992年]] |style="text-align:right;"|3,731 |- |[[1993年]] |style="text-align:right;"|4,015 |- |[[1994年]] |style="text-align:right;"|4,029 |- |[[1995年]] |style="text-align:right;"|4,034 |- |[[1996年]] |style="text-align:right;"|3,996 |- |[[1997年]] |style="text-align:right;"|3,869 |- |[[1998年]] |style="text-align:right;"|3,893 |- |[[1999年]] |style="text-align:right;"|3,796 |- |[[2000年]] |style="text-align:right;"|3,760 |- |[[2001年]] |style="text-align:right;"|3,717 |- |[[2002年]] |style="text-align:right;"|3,704 |- |[[2003年]] |style="text-align:right;"|3,661 |- |[[2004年]] |style="text-align:right;"|3,571 |- |[[2005年]] |style="text-align:right;"|3,082 |- |[[2006年]] |style="text-align:right;"|2,637 |- |[[2007年]] |style="text-align:right;"|2,523 |- |[[2008年]] |style="text-align:right;"|2,418 |- |[[2009年]] |style="text-align:right;"|2,338 |- |[[2010年]] |style="text-align:right;"|2,226 |- |[[2011年]] |style="text-align:right;"|2,169 |- |[[2012年]] |style="text-align:right;"|2,203 |- |[[2013年]] |style="text-align:right;"|2,213 |- |[[2014年]] |style="text-align:right;"|2,194 |- |[[2015年]] |style="text-align:right;"|2,246 |- |} == 駅周辺 == [[ファイル:Ryuukeimatudo.jpg|thumb|[[流通経済大学]](新松戸キャンパス)]] {{see also|新松戸駅#駅周辺}} 大規模新興住宅地「新松戸」の東端部に位置する。駅周辺は「幸谷駅前」というよりも「新松戸駅前」として商店や[[マンション]]、[[雑居ビル]]が林立する。当駅近傍は沿線で最も変化が著しい。新松戸駅との間には「パオ」という名称の公衆トイレ、「あかりのボックス」という名称の赤色[[鳥居]]調鉄骨のオブジェがある。 なお、新松戸駅は当駅に向かい合う西側一箇所にしか出口がないため、JR常磐線東側の旧来の幸谷集落(福昌寺<幸谷観音>、市水道部)方面へは、水戸方にある同線をくぐる地下歩道で連絡する(この案内はない)。1980年代頃は幸谷に「新松戸スターランド」、新松戸(現在のイオンがある場所)に「新松戸アイスアリーナ」の二大スケートリンク(前者は冬のみ)があり、関東地方東部のアイススケート文化を支え、選手も輩出していた。 * 新松戸駅 * 松戸市役所新松戸支所 * 新松戸市民センター、市立図書館新松戸分館 * 新松戸駅前郵便局 * 新松戸中央総合病院 * [[日本年金機構]]松戸年金事務所 * [[流通経済大学]]新松戸キャンパス * [[日本国際工科専門学校]] * [[松戸市立新松戸南中学校]] * [[松戸市立馬橋北小学校]] * [[イオンフードスタイル新松戸店]] * [[生活クラブ事業連合生活協同組合連合会|生活クラブ生活協同組合千葉]]新松戸デポー * [[神戸物産|業務スーパー]] 新松戸店 * [[ハローマート]] 新松戸店 (閉店。2023年現在は、跡に[[スギ薬局]]が出店) * [[アコレ]] 新松戸3丁目店 * [[マツモトキヨシ]]本社 * [[関さんの森]] * 福昌寺(幸谷観音) *松戸市水道部 - 旧・[[小金町]]地域で地下水資源の水道水を供給する地方公営企業 == バス路線 == {{See|新松戸駅#バス路線}} == 隣の駅 == ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 :: [[馬橋駅]] (RN1) - '''幸谷駅 (RN2)''' - [[小金城趾駅]] (RN3) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} === 参考文献 === * {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|ref=sone21}} == 関連項目 == {{commonscat|Kōya Station (Chiba)}} * [[高野駅 (東京都)]] * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == * [http://ryutetsu.jp/station.html#koya 幸谷駅] {{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:こうや}} [[Category:松戸市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 こ|うや]] [[Category:流鉄]] [[Category:1961年開業の鉄道駅]]
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小金城趾駅
小金城趾駅(こがねじょうしえき)は、千葉県松戸市大金平(おおがねだいら)にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN3。 1954年9月1日に合併するまでは東葛飾郡小金町の区域内であり、駅名は小金城の跡(小金城趾)に由来する。 島式1面2線ホームを持つ地上駅。流山線で唯一交換可能な駅である。早朝・深夜の一部列車を除く全ての列車が列車交換を行っている。 かつて駅舎は北東側にある大金平県営住宅と一体的な造りであったが、後に駅舎反対側を繋ぐ歩道橋と接続した際に跨線橋の上部で出札・集札が行われるようになった。旧駅舎は駅出口の一つ(大金平側)として使用されていたが、県営住宅は耐震性の問題により2015年に解体されて地上部への階段だけとなり、完全な橋上駅舎となった。 1967年に現在地に移転するまでは、馬橋寄りの場所(大谷口集落の入口付近)に位置していた。 松戸市統計書によると、2021年(令和3年)度の一日平均乗降人員は、1,499人である。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 駅前は閑静な住宅街が広がり、一部畑などもある。駅南側に千葉県道280号白井流山線が走り、南西側出入口は、新坂川を跨いだ向こうに出られる歩道橋にのみ接続し、歩道橋の地上口前には広場があるが、どちらの出入口とも駅前の大半が住宅街となっている。 大金平方面の出口は6階建ての大金平県営住宅に接続していた。解体後は現駅舎に階段が直接接続される構造になった。 松戸新京成バス幸田線(こうでせん、北小金駅 - 幸田方面)のバス停留所「小金城趾駅入口」が北東約400m(徒歩約5分)の場所に位置する。ただし、駅から離れていることや流山線と同じくJR常磐線のフィーダー路線であり、乗り換えで得られるメリットが小さいため乗り換え利用はほぼ見られない。 当駅 - 幸谷駅の中間辺りに警報機・遮断機の無い踏切があるため、電車が通過する際は必ず警笛を鳴らし、その音がホームから聞こえることもある。
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小金城趾駅(こがねじょうしえき)は、千葉県松戸市大金平(おおがねだいら)にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN3。
{{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 小金城趾駅 |画像 = Ryutetsu Kogane 20200309.png |pxl = 300px |画像説明 = 横須賀側出入口(2020年3月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = こがねじょうし |ローマ字 = Koganej&#333;shi |副駅名 = |前の駅 = RN2 [[幸谷駅|幸谷]] |駅間A = 1.1 |駅間B = 0.8 |次の駅 = [[鰭ヶ崎駅|鰭ヶ崎]] RN4 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|RN|3|#ff6600|4||#ff6600}} |所属事業者 = [[流鉄]] |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |キロ程 = 2.8 |起点駅 = [[馬橋駅|馬橋]] |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]]大金平 |座標 = {{coord|35|50|8.6|N|139|55|2.5|E|type:railwaystation_region:JP-12|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]]) |ホーム = 島式 1面2線 |開業年月日 = [[1953年]]([[昭和]]28年)[[12月24日]]<ref name="sone21 26">{{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|pages=24,26}}</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 827 |乗降人員 = 1,629 |統計年度 = 2017年 |乗換 = |備考 =[[日本の鉄道駅|駅員配置駅]] <br/>1967年 現在地に移設 }} [[ファイル:Koganejoushi Station Westward exit.JPG|thumb|横須賀側出入口(2009年4月 ※県営住宅解体前)]] [[ファイル:Koganejoshi Station Station Building 1.JPG|thumb|大金平県営住宅解体前の駅舎(2012年12月)]] [[File:小金城趾駅 駅舎 (大金平側).jpg|thumb|県営住宅解体後の大金平側出入口(2022年8月)]] [[File:小金城趾駅 跨線橋から見た駅舎 (横須賀側).jpg|thumb|県営住宅解体後の駅舎(2022年8月)※横須賀側より撮影]] '''小金城趾駅'''(こがねじょうしえき)は、[[千葉県]][[松戸市]]大金平(おおがねだいら)にある、[[流鉄]][[流鉄流山線|流山線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''RN3'''。 == 歴史 == [[1954年]][[9月1日]]に合併するまでは[[東葛飾郡]][[小金町]]の区域内であり、駅名は[[小金城]]の跡(小金城趾)に由来する<ref name="sone21 26"/>。 * [[1953年]]([[昭和]]28年)[[12月24日]] - 開業<ref name="sone21 26"/>。 * [[1967年]](昭和42年)[[7月1日]] - 流山寄りに移転、交換設備新設<ref name="sone21 26"/>。 * [[2015年]]([[平成]]27年) - 駅と接続する大金平県営住宅は耐震性の問題により改修が検討されたが、その後解体を行う方針となり<ref>[https://www.pref.chiba.lg.jp/juutaku/keikaku/kendoseibi/documents/kenei-tyouju-honbun6_1.pdf 県営住宅における建替事業等の実施方針]</ref>、2015年6月下旬から解体<ref>[http://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/matsudo_kouhou/kouhou/kouhou2015/20150615.files/150615_web.pdf 広報まつど 2015年6月15日号]</ref>、駅舎のみの単独施設となる。 == 駅構造 == 島式1面2線ホームを持つ地上駅。流山線で唯一交換可能な駅である<ref name="sone21 26"/>。早朝・深夜の一部列車を除く全ての列車が[[列車交換]]を行っている<ref>{{Cite web|和書|title=小金城趾駅|時刻表|流鉄|url=http://www.ryutetsu.jp/timetable/koganejoshi.html|website=www.ryutetsu.jp|accessdate=2019-04-27}}</ref>。 かつて駅舎は北東側にある大金平県営住宅と一体的な造りであったが、後に駅舎反対側を繋ぐ歩道橋と接続した際に跨線橋の上部で[[出札]]・[[集札]]が行われるようになった。旧駅舎は駅出口の一つ(大金平側)として使用されていたが、県営住宅は耐震性の問題により[[2015年]]に解体されて地上部への階段だけとなり、完全な[[橋上駅|橋上駅舎]]となった。 [[1967年]]に現在地に移転するまでは、馬橋寄りの場所([[大谷口 (松戸市)|大谷口]]集落の入口付近)に位置していた。 === のりば === {| class="wikitable" |+ !乗り場 !路線 !方向 !行先 |- !1 | rowspan="2" | [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15x15ピクセル|RN]] 流山線 |上り |[[馬橋駅|馬橋]]方面 |- !2 |下り |[[流山駅|流山]]方面 |} <gallery> 小金城趾駅改札口.jpg|改札口(2022年8月) Koganejoushi Station Premises.JPG|[[跨線橋]]より流山方面を望む(2007年11月) Nagareyama koganejoushi eki 1.jpg|[[列車交換]]設備(2003年6月) </gallery> == 利用状況 == 松戸市統計書によると、[[2021年]](令和3年)度の一日平均乗降人員は、1,499人である。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 {| class="wikitable" |- ! rowspan="1" |年度 ! rowspan="1" |1日平均<br />乗車人員 |- |[[1990年]] |style="text-align:right;"|954 |- |[[1991年]] |style="text-align:right;"|979 |- |[[1992年]] |style="text-align:right;"|1,013 |- |[[1993年]] |style="text-align:right;"|1,064 |- |[[1994年]] |style="text-align:right;"|1,023 |- |[[1995年]] |style="text-align:right;"|973 |- |[[1996年]] |style="text-align:right;"|937 |- |[[1997年]] |style="text-align:right;"|922 |- |[[1998年]] |style="text-align:right;"|921 |- |[[1999年]] |style="text-align:right;"|902 |- |[[2000年]] |style="text-align:right;"|928 |- |[[2001年]] |style="text-align:right;"|949 |- |[[2002年]] |style="text-align:right;"|961 |- |[[2003年]] |style="text-align:right;"|914 |- |[[2004年]] |style="text-align:right;"|908 |- |[[2005年]] |style="text-align:right;"|915 |- |[[2006年]] |style="text-align:right;"|914 |- |[[2007年]] |style="text-align:right;"|884 |- |[[2008年]] |style="text-align:right;"|870 |- |[[2009年]] |style="text-align:right;"|829 |- |[[2010年]] |style="text-align:right;"|824 |- |[[2011年]] |style="text-align:right;"|779 |- |[[2012年]] |style="text-align:right;"|764 |- |[[2013年]] |style="text-align:right;"|752 |- |[[2014年]] |style="text-align:right;"|759 |- |[[2015年]] |style="text-align:right;"|737 |- |[[2016年]] |style="text-align:right;"|796 |- |[[2017年]] |style="text-align:right;"|838 |- |[[2018年]] |style="text-align:right;"|879 |- |[[2019年]] |style="text-align:right;"|884 |- |[[2020年]] |style="text-align:right;"|696 |- |} == 駅周辺 == [[ファイル:Nagareyama line Koganejoushi Station.JPG|thumb|駅の南側を走る電車、奥は馬橋方面、右の川は[[坂川]]の支流の新坂川(2009年4月10日)]] 駅前は閑静な[[住宅地|住宅街]]が広がり、一部[[畑]]などもある<ref name="sone21 26"/>。駅南側に[[千葉県道280号白井流山線]]が走り、南西側出入口は、新坂川を跨いだ向こうに出られる[[人道橋|歩道橋]]にのみ接続し、歩道橋の地上口前には広場があるが、どちらの出入口とも駅前の大半が住宅街となっている。 === 大金平方面(北東側) === 大金平方面の出口は6階建ての大金平県営住宅に接続していた。解体後は現駅舎に階段が直接接続される構造になった。 * 松戸市大金平消防署 * [[松戸市立小金北小学校]] * [[松戸市立殿平賀小学校]](徒歩約11分、最寄駅は[[北小金駅]]) * 松戸大金平郵便局 * [[亀有信用金庫]] 松戸支店 * [[小金タクシー]]本社 - 京成グループ小金交通とは別会社 * [[SYSテニスクラブ]] * 大谷口歴史公園([[小金城]]趾) * [[松本清|松本清記念会館]] * 普門寺大勝院 === 横須賀方面(南西側) === [[ファイル:Kogane-highschool.JPG|thumb|[[千葉県立小金高等学校]]]] * [[国土交通省]]新坂川機場 * [[千葉愛友会記念病院]] - 流山市側(鰭ヶ崎方向)にあるが、当駅の方が若干近い。 * [[千葉県立小金高等学校]] * [[松戸市立小金中学校]] * [[松戸市立横須賀小学校]] * [[とうかつ中央農業協同組合]](JAとうかつ中央)(旧[[千葉小金農業協同組合]](旧JA千葉小金))協力の店 - 地元産農産物 * [[アコレ]] 新松戸北1丁目店 * [[スーパークランデール]] 新松戸店 * [[壱番屋|CoCo壱番屋]] 新松戸店 * ファミリーテニスクラブ == バス路線 == [[松戸新京成バス]]幸田線(こうでせん、[[北小金駅]] - 幸田方面)のバス停留所「小金城趾駅入口」が北東約400m(徒歩約5分)の場所に位置する。ただし、駅から離れていることや流山線と同じくJR常磐線のフィーダー路線であり、乗り換えで得られるメリットが小さいため乗り換え利用はほぼ見られない。 == その他 == 当駅 - 幸谷駅の中間辺りに[[警報|警報機]]・[[遮断機]]の無い[[踏切]]があるため、電車が通過する際は必ず[[警笛]]を鳴らし、その音がホームから聞こえることもある<ref>[https://www.jiji.com/jc/v4?id=201806fumikiri_010001 第4種踏切・事故現場を歩く(1)「専用踏切」流鉄流山線・小金城趾-幸谷間(時事ドットコムニュース)]</ref>。 == 隣の駅 == ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 :: [[幸谷駅]] (RN2) - '''小金城趾駅 (RN3)''' - [[鰭ヶ崎駅]] (RN4) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} === 参考文献 === * {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|ref=sone21}} == 関連項目 == {{Commonscat|Koganejoshi Station}} * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == * [http://ryutetsu.jp/station.html#koganejoshi 小金城趾駅] {{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:こかねしようし}} [[Category:松戸市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 こ|かねしようし]] [[Category:流鉄]] [[Category:1953年開業の鉄道駅]]
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鰭ヶ崎駅
鰭ヶ崎駅(ひれがさきえき)は、千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN4。 駅名は「鰭ヶ崎」だが、地名は「鰭ケ崎」である。 当駅は、その名前の由来が9世紀(平安時代)の伝説にまで遡る「鰭ケ崎」集落内に位置する。1980年頃まではこの付近一帯において唯一民家の集まる立地であった。 単式1面1線単式ホームを持つ地上駅である。ホームと駅舎は線路の西側に設置されている。駅舎には改札口(集札のみ実施)・出札口・自動券売機が設置され、駅出入口は駅舎の北西側と南側の2箇所あり、北西側出入口はスロープとなっていて小さな駅前広場があり、南流山・鰭ヶ崎団地方面につながる道路に接続している。 2020年(令和元年)度の一日平均乗車人員は470人である。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 古代から人の住んだ地域でもあり、埋蔵文化財も多い。南側では千葉県道280号白井流山線が走り、駅と小規模飲食店や商店が隣り合っている一方、北側には商店のほか農地や森林などもある。北西側も古くからの農地や森林が広がる地区が残っていたが、一部区域が西平井・鰭ケ崎地区土地区画整理事業ならびに運動公園周辺地区土地区画整理事業区域となっている。これに伴い、鰭ヶ崎三本松古墳や思井の森などの貴重な文化・自然遺産の多くが破壊されてしまった。 駅東方には1970年代までに造られた一戸建ての住宅団地・鰭ヶ崎団地が広がり、北東方には1967年開設の東洋学園大学流山キャンパスと1975年に分譲開始された一戸建ての住宅団地・宮園団地(東急不動産)が、南西方には1969年から始まり1980年代までに建物が立ち並ぶようになった南流山の土地区画整理事業地が広がる。
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鰭ヶ崎駅(ひれがさきえき)は、千葉県流山市大字鰭ケ崎字宮ノ後にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN4。 駅名は「鰭ヶ崎」だが、地名は「鰭ケ崎」である。
{{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 鰭ヶ崎駅 |画像 = Ryutetsu-Hiregasaki Station Northwest side entrance.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 北西側出入口(2021年6月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = ひれがさき |ローマ字 = Hiregasaki |副駅名 = |前の駅 = RN3 [[小金城趾駅|小金城趾]] |駅間A = 0.8 |駅間B = 1.5 |次の駅 = [[平和台駅 (千葉県)|平和台]] RN5 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|RN|4|#ff6600|4||#ff6600}} |所属事業者 = [[流鉄]] |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |キロ程 = 3.6 |起点駅 = [[馬橋駅|馬橋]] |所在地 = [[千葉県]][[流山市]]大字[[鰭ケ崎]]字宮ノ後1438番地3 |所在地幅 = long |座標 = {{coord|35|50|27.9|N|139|54|39|E|type:railwaystation_region:JP-12|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 1面1線 |開業年月日 = [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]]<ref name="sone21 26">{{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|pages=24,26}}</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 596 |乗降人員 = 1,153 |統計年度 = 2019年<ref>{{PDFlink|[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/461/r2unyutuushin.pdf 令和2年版流山市統計書]}} 11 運輸・通信の章を参照</ref> |乗換 = |備考 =[[日本の鉄道駅|駅員配置駅]] }} [[ファイル:鰭ヶ崎駅(南西側出入口).jpg|thumb|南西側出入口(2021年6月)]] [[ファイル:Hiregasaki Station Platform-For Mabashi station.jpg|thumb|駅ホームより馬橋方面を望む(2021年6月)]] [[ファイル:Hiregasaki Station Platform-For Nagareyama station.jpg|thumb|駅ホームより流山方面を望む(2021年6月)]] [[ファイル:Hiregasaki Station Ticket gate.jpg|thumb|改札口(集札のみ実施)(2021年6月)]] '''鰭ヶ崎駅'''(ひれがさきえき)は、[[千葉県]][[流山市]]大字[[鰭ケ崎]]字宮ノ後にある、[[流鉄]][[流鉄流山線|流山線]]の[[鉄道駅|駅]]である。駅番号は'''RN4'''。 駅名は「鰭<u>ヶ</u>崎」だが、地名は「鰭<u>ケ</u>崎」である。 == 歴史 == [[ファイル:JRE MinamiNagareyama Station 1974.jpg|thumb|1974年の鰭ヶ崎駅(右上)付近。中央は国鉄南流山駅(1974年撮影、{{国土航空写真}})]] 当駅は、その名前の由来が[[9世紀]]([[平安時代]])の伝説にまで遡る「鰭ケ崎」集落内に位置する。1980年頃まではこの付近一帯において唯一民家の集まる立地であった。 * [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]] - 開業<ref name="sone21 26"/>。 * [[2007年]]([[平成]]19年)[[11月30日]] - 駅構内にあった売店が廃業。 * [[2014年]](平成26年) - 鰭ヶ崎団地内にあった「鰭ヶ崎駅入口バス停留所」([[東武バスセントラル西柏営業事務所|東武バスイースト西柏]]09番系統)が廃止。 == 駅構造 == {{出典の明記|section=1|date=2012年1月}} 単式1面1線[[単式ホーム]]を持つ[[地上駅]]である。ホームと駅舎は線路の西側に設置されている。駅舎には[[改札#改札口|改札口]](集札のみ実施)・[[出札|出札口]]・[[自動券売機]]が設置され、駅出入口は駅舎の北西側と南側の2箇所あり、北西側出入口はスロープとなっていて小さな[[広場|駅前広場]]があり、南流山・鰭ヶ崎団地方面につながる道路に接続している。 == 利用状況 == {{出典の明記| section = 1| date = 2012年1月}} [[2020年]](令和元年)度の一日平均乗車人員は'''470人'''である<ref>[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/index.html 千葉県統計年鑑]</ref>。 * 流鉄6駅中最下位。周辺団地の初期入居世代([[1970年代]]、後述)の高齢化<ref>[http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/kikakuseisaku/ws10/nanbu.html 「鰭ヶ崎区域では,子供の数が減り始め高齢者が多くなっている」(流山市地域別ワークショップ市民版検討集南部地域)]</ref>及び近隣路線への移乗から、[[1992年]]をピークとして長期低落傾向にあり、[[2007年]]にそれまで最下位であった[[小金城趾駅]]を下回った。 * [[1975年]]4月駅付近に流山市立鰭ヶ崎小学校が開校するまでは小学生の通学利用もあった。[[1969年]]時点で現在の一日平均乗車人員の約半数にもなる約400名<ref>[http://www1.ka1.koalanet.ne.jp/hire-e/rekisi.html 鰭ヶ崎小学校]</ref>(定員は2両編成で280名程度)が通学利用していて非常に混雑し、時差通学が実施されていたほどである。 * 南西約0.9キロメートル(km)の場所に[[日本国有鉄道|国鉄]]の[[南流山駅]]が開業したのは[[1973年]][[4月1日]]、[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス]]開業・同駅乗り入れは[[2005年]][[8月24日]]である。同駅各線への移乗があると見られている。詳しくは[[流鉄流山線]]の項目を参照。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 {| class="wikitable" |- !colspan="3"|乗車人員推移 |- !rowspan|年度 !rowspan|1日平均<br />乗車人員 !備考 |- |[[1990年]] |style="text-align:right;"|2,132 | |- |[[1991年]] |style="text-align:right;"|2,113 | |- |[[1992年]] |style="text-align:right;"|2,145 | |- |[[1993年]] |style="text-align:right;"|2,130 | |- |[[1994年]] |style="text-align:right;"|2,031 | |- |[[1995年]] |style="text-align:right;"|1,998 | |- |[[1996年]] |style="text-align:right;"|1,898 | |- |[[1997年]] |style="text-align:right;"|1,793 | |- |[[1998年]] |style="text-align:right;"|1,715 | |- |[[1999年]] |style="text-align:right;"|1,630 | |- |[[2000年]] |style="text-align:right;"|1,563 | |- |[[2001年]] |style="text-align:right;"|1,511 | |- |[[2002年]] |style="text-align:right;"|1,437 | |- |[[2003年]] |style="text-align:right;"|1,466 | |- |[[2004年]] |style="text-align:right;"|1,351 | |- |[[2005年]] |style="text-align:right;"|1,149 |TX開業 |- |[[2006年]] |style="text-align:right;"|934 | |- |[[2007年]] |style="text-align:right;"|845 |売店閉鎖 |- |[[2008年]] |style="text-align:right;"|813 | |- |[[2009年]] |style="text-align:right;"|713 | |- |[[2010年]] |style="text-align:right;"|694 |ワンマン化 |- |[[2011年]] |style="text-align:right;"|660 | |- |[[2012年]] |style="text-align:right;"|654 | |- |[[2013年]] |style="text-align:right;"|671 | |- |[[2014年]] |style="text-align:right;"|648 | |- |[[2015年]] |style="text-align:right;"|630 | |- |[[2016年]] |style="text-align:right;"|606 | |- |[[2017年]] |style="text-align:right;"|599 | |- |[[2018年]] |style="text-align:right;"|597 | |- |[[2019年]] |style="text-align:right;"|596 | |- |[[2020年]] |style="text-align:right;"|470 |[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]] |} == 駅周辺 == {{出典の明記| section = 1| date = 2012年1月}} [[ファイル:Hiregasaki 1 Nagareyama-city.JPG|thumb|大字鰭ケ崎字塚ノ腰台周辺]] 古代から人の住んだ地域でもあり、埋蔵文化財も多い。南側では[[千葉県道280号白井流山線]]が走り、駅と小規模飲食店や商店が隣り合っている一方、北側には商店のほか農地や森林などもある。北西側も古くからの農地や森林が広がる地区が残っていたが、一部区域が西平井・鰭ケ崎地区[[土地区画整理事業]]ならびに運動公園周辺地区土地区画整理事業区域となっている。これに伴い、鰭ヶ崎三本松古墳や思井の森などの貴重な文化・自然遺産の多くが破壊されてしまった。 === 住宅団地 === 駅東方には1970年代までに造られた一戸建ての住宅団地・鰭ヶ崎団地が広がり、北東方には[[1967年]]開設<ref>[http://www.tyg.jp/tgu/school_guidance/history.html 東洋学園大学沿革]</ref>の東洋学園大学流山キャンパスと[[1975年]]に分譲開始された一戸建ての住宅団地・宮園団地([[東急不動産]])が、南西方には1969年から始まり1980年代までに建物が立ち並ぶようになった南流山の[[土地区画整理事業]]地が広がる。 === 主な施設等 === [[ファイル:Toyo Gakuen University Nagareyama Campus.JPG|thumb|[[東洋学園大学]] 流山校舎]] * [[南流山駅]]([[東日本旅客鉄道]]・[[首都圏新都市鉄道]]) - 徒歩約15分ほどの距離にある<ref name="sone21 26"/>。 * [[首都圏新都市鉄道]]鰭ヶ崎[[変電所]] * [[東洋学園大学]]流山キャンパス (2016年4月以降、大学教育には利用されていない<ref>[https://www.tyg.jp/guide/history.html 東洋学園大学 沿革(2016年 本郷キャンパスへの統合)]</ref>) * [[流山市立鰭ケ崎小学校]] * 流山鰭ヶ崎郵便局 * 千葉愛友会記念病院(2008年9月1日に流山総合病院から改称<ref>[http://www.achs.jp/about_amg/gaiyou.php AMGについて|上尾中央医科グループ] グループ沿革</ref>) * [[山崎直樹|山﨑オフィス]] - [[アップフロントグループ]]大株主。関連会社の登記上の本店が複数同居する。 * [[生活協同組合ちばコープ|ちばコープ]](コープ南流山) * [[マルエツ]]みやぞの店 * [[京北スーパー]]鰭ヶ崎店 * 東福寺 - [[空海]]が西暦[[814年]]に開山したと伝えられる寺院<ref>[http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/1048/ 東福寺(流山市)]</ref>。鰭ヶ崎の地名の由来となる「[[竜]]が背鰭の先(崎)を残した」という伝説がある。[[左甚五郎]]作彫刻「目つぶしの鴨」、延命地蔵、金剛力士像などがある<ref name="a">[http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/shoukou/shouseikankou/100meguri/100.htm 流山100ヶ所めぐり]</ref>。 ** 千仏堂 - 市指定文化財の千体仏を安置<ref name="a" />。 * 鰭ヶ崎三本松古墳 - [[前方後円墳]]<ref name="a" />。[[古墳時代]]の有力者の墓とされる。江戸時代後期にこの古墳に建てられた石碑には、天明の飢饉の時に盗掘で飢えを凌ごうとした村人がいたが、名主がこれをやめさせ私財を投じて農民を飢えから救ったと記されている。それ以来発掘調査などは行われてこなかったが、区画整理事業に伴い2015年ごろから発掘調査が行われた。 *思井の森 - 照葉樹林と雑木林が混じる斜面林で、[[オオタカ]]が時折飛来する自然豊かな地区。熊野神社(八木郷八村の鎮守)が鎮座。 * 雷神社(いかづちじんじゃ) - 鰭ヶ崎おびしゃ行事は市指定無形民俗文化財<ref name="a" />。 == 隣の駅 == ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 :: [[小金城趾駅]] (RN3) - '''鰭ヶ崎駅 (RN4)''' - [[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]] (RN5) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat}} * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[鰭ケ崎]] == 外部リンク == * [http://ryutetsu.jp/station.html#hiregasaki 鰭ヶ崎駅] {{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:ひれかさき}} [[Category:千葉県の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 ひ|れかさき]] [[Category:流鉄]] [[Category:1916年開業の鉄道駅]] [[Category:流山市の交通|ひれかさきえき]] [[Category:流山市の建築物|ひれかさきえき]]
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平和台駅 (千葉県)
平和台駅 (へいわだいえき)は、千葉県流山市流山四丁目にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN5。 過去には、当駅から東邦酒類株式会社の工場まで引き込み線が引かれていた。 平和台の名は、平和不動産が開発・分譲した住宅地に由来する。 単式1面1線ホームを持つ地上駅である。ホームと改札は線路の西側に設置されている。駅舎の入口付近の自動販売機コーナーは、かつての売店跡である。 入口には、「流山市ふるさと産品」の品々が飾っているディスプレーが置かれている。 2020年(令和元年)度の一日平均乗車人員は1,016人で、流鉄6駅中4位である。近年の推移は下表の通り。 東側は新興住宅地(平和台)であり、流山駅付近まで広がる。南の踏切から東に向かって商店街が形成されている。南東の西平井・鰭ケ崎地区では市による土地区画整理事業が行われている。西側は千葉県道5号松戸野田線(流山街道)に沿う江戸時代からの市街地。南西側はかつての陸軍糧秣本廠流山出張所の所在地であり、戦後民間に払い下げられてキッコーマンなどの工場になった。現在では千葉県立流山南高等学校やイトーヨーカドーなどになっている。 最寄りのバス停は、駅東側にある「平和台駅前」、駅西側の流山街道沿いにある「流山五丁目」、駅西側にある「平和台駅入口」の3ヶ所で、いずれも駅から徒歩約5分の位置にあり、南北方面に向かう路線バスが経由する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "平和台駅 (へいわだいえき)は、千葉県流山市流山四丁目にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN5。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "過去には、当駅から東邦酒類株式会社の工場まで引き込み線が引かれていた。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "平和台の名は、平和不動産が開発・分譲した住宅地に由来する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "単式1面1線ホームを持つ地上駅である。ホームと改札は線路の西側に設置されている。駅舎の入口付近の自動販売機コーナーは、かつての売店跡である。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "入口には、「流山市ふるさと産品」の品々が飾っているディスプレーが置かれている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2020年(令和元年)度の一日平均乗車人員は1,016人で、流鉄6駅中4位である。近年の推移は下表の通り。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "東側は新興住宅地(平和台)であり、流山駅付近まで広がる。南の踏切から東に向かって商店街が形成されている。南東の西平井・鰭ケ崎地区では市による土地区画整理事業が行われている。西側は千葉県道5号松戸野田線(流山街道)に沿う江戸時代からの市街地。南西側はかつての陸軍糧秣本廠流山出張所の所在地であり、戦後民間に払い下げられてキッコーマンなどの工場になった。現在では千葉県立流山南高等学校やイトーヨーカドーなどになっている。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "最寄りのバス停は、駅東側にある「平和台駅前」、駅西側の流山街道沿いにある「流山五丁目」、駅西側にある「平和台駅入口」の3ヶ所で、いずれも駅から徒歩約5分の位置にあり、南北方面に向かう路線バスが経由する。", "title": "バス路線" } ]
平和台駅 (へいわだいえき)は、千葉県流山市流山四丁目にある、流鉄流山線の駅である。駅番号はRN5。 過去には、当駅から東邦酒類株式会社の工場まで引き込み線が引かれていた。
{{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 平和台駅 |画像 = Ryutetsu Heiwadai Station building 002.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 駅舎外観(2021年7月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = へいわだい |ローマ字 = Heiwadai |前の駅 = RN4 [[鰭ヶ崎駅|鰭ヶ崎]] |駅間A = 1.5 |駅間B = 0.6 |次の駅 = [[流山駅|流山]] RN6 |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|RN|5|#ff6600|4||#ff6600}} |所属事業者 = [[流鉄]] |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |キロ程 = 5.1 |起点駅 = [[馬橋駅|馬橋]] |所在地 = [[千葉県]][[流山市]][[流山 (流山市)|流山]]四丁目483番地 |座標 = {{coord|35|51|3|N|139|54|4|E|type:railwaystation_region:JP-12|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 1面1線 |開業年月日 = [[1933年]]([[昭和]]8年)[[4月1日]]<ref name="sone21 26">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 26頁]]</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 1,282 |乗降人員 = 2,638 |統計年度 = 2019年<ref group="統計">{{PDFlink|[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/461/r2unyutuushin.pdf 令和2年版流山市統計書]}} 11 運輸・通信の章を参照</ref> |乗換 = |備考 =[[日本の鉄道駅|駅員配置駅]]<br/>*1974年に赤城台駅から改称 }} '''平和台駅''' (へいわだいえき)は、[[千葉県]][[流山市]][[流山 (流山市)|流山]]四丁目にある、[[流鉄]][[流鉄流山線|流山線]]の駅である。駅番号は'''RN5'''。 過去には、当駅から[[メルシャン|東邦酒類]]株式会社の工場まで引き込み線が引かれていた。 == 歴史 == 平和台の名は、[[平和不動産]]が開発・分譲した[[住宅地]]に由来する。 * [[1933年]]([[昭和]]8年)[[4月1日]] - '''赤城駅'''として開業<ref name="sone21 26"/>。 * [[1965年]](昭和40年)[[6月26日]] - '''赤城台駅'''に改称<ref name="sone21 26"/>。 * [[1974年]](昭和49年)[[10月1日]] - '''平和台駅'''に改称<ref name="sone21 27">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 27頁]]</ref>。 * [[2007年]]([[平成]]19年)[[11月30日]] - 駅舎に併設されていた売店が廃業となる<ref name="sone21 27"/>。 == 駅構造 == 単式1面1線[[プラットホーム|ホーム]]を持つ[[地上駅]]である。ホームと[[改札]]は線路の西側に設置されている。駅舎の入口付近の[[自動販売機]]コーナーは、かつての[[売店]]跡である。 入口には、「流山市ふるさと産品」の品々が飾っているディスプレーが置かれている。 隣の流山駅との駅間がとても短いので、流山駅の[[場内信号機]]が見える。 <gallery> Full view of the Ryutetsu Heiwadai Station.jpg|駅全景、奥が流山駅(2022年8月) Ryutetsu Heiwadai Station Platform 2.jpg|ホーム(流山駅方面を望む)(2022年8月) Ryutetsu Heiwadai Station Platform.jpg|ホーム(馬橋方面を望む)(2022年8月) Ryutetsu Hwiwadai Ticket gate 1.jpg|改札口(2021年7月) Ryutetsu Hwiwadai Ticket gate 2.jpg|窓口と券売機(2021年7月) </gallery> == 利用状況 == [[2020年]](令和元年)度の一日平均乗車人員は1,016人で、流鉄6駅中4位である<ref group="統計">https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-r03/index.html#unyutuusin</ref>。近年の推移は下表の通り。 {| class="wikitable" |- !rowspan|年度 !rowspan|一日平均<br />乗車人員 |- |1990年 |style="text-align:right;"|1,135 |- |1991年 |style="text-align:right;"|1,167 |- |1992年 |style="text-align:right;"|1,163 |- |1993年 |style="text-align:right;"|1,366 |- |1994年 |style="text-align:right;"|1,405 |- |1995年 |style="text-align:right;"|1,421 |- |1996年 |style="text-align:right;"|1,467 |- |1997年 |style="text-align:right;"|1,401 |- |1998年 |style="text-align:right;"|1,333 |- |1999年 |style="text-align:right;"|1,330 |- |2000年 |style="text-align:right;"|1,306 |- |2001年 |style="text-align:right;"|1,273 |- |2002年 |style="text-align:right;"|1,274 |- |2003年 |style="text-align:right;"|1,287 |- |2004年 |style="text-align:right;"|1,316 |- |2005年 |style="text-align:right;"|1,430 |- |2006年 |style="text-align:right;"|1,472 |- |2007年 |style="text-align:right;"|1,388 |- |2008年 |style="text-align:right;"|1,353 |- |2009年 |style="text-align:right;"|1,278 |- |2010年 |style="text-align:right;"|1,247 |- |2011年 |style="text-align:right;"|1,250 |- |2012年 |style="text-align:right;"|1,245 |- |2013年 |style="text-align:right;"|1,278 |- |2014年 |style="text-align:right;"|1,255 |- |2015年 |style="text-align:right;"|1,227 |- |2016年 |style="text-align:right;"|1,235 |- |2017年 |style="text-align:right;"|1,250 |- |2018年 |style="text-align:right;"|1,269 |- |2019年 |style="text-align:right;"|1,282 |- |2020年 |style="text-align:right;"|1,016 |} == 駅周辺 == 東側は新興[[住宅地]](平和台)であり、[[流山駅]]付近まで広がる。南の[[踏切]]から東に向かって[[商店街]]が形成されている。南東の[[西平井 (流山市)|西平井]]・[[鰭ケ崎]]地区では市による土地区画整理事業が行われている<ref group="広報">[http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/nishihire/city.htm 街の紹介|西平井・鰭ヶ崎地区(にしひれ)の宅地分譲・土地情報]</ref>。西側は[[千葉県道5号松戸野田線]]([[流山街道]])に沿う[[江戸時代]]からの市街地。南西側はかつての[[陸軍糧秣本廠流山出張所]]の所在地であり、戦後民間に払い下げられて[[キッコーマン]]などの工場になった。現在では[[千葉県立流山南高等学校]]や[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]などになっている。 === 西側(駅出入口側) === [[ファイル:Hwiwadai Ito-Yokado.jpg|thumb|駅前のスクランブル交差点とイトーヨーカドー(2021年7月13日)]] [[ファイル:赤城神社 (流山市) 拝殿.JPG|thumb|[[赤城神社 (流山市)|赤城神社]]]] * [[千葉県立流山南高等学校]] * [[流山市立流山小学校]] * [[イトーヨーカドー]] 流山店 **[[ブックオフコーポレーション|BOOKOFF SUPER BAZAAR]]イトーヨーカドー流山店 * [[メトロ (小売業)|メトロ]] 流山店 * [[ケーズホールディングス|ケーズデンキ]] 流山店 * [[しまむら]] 流山店 * [[ビバホーム]] 流山店 * [[メガネスーパー]] 平和台駅前店 * ライフケア流山会堂 * ライフピア流山平和台 * [[赤城神社 (流山市)|赤城神社]] - 流山の地名の由来となる。 * 一茶双樹記念館([[小林一茶]]) === 東側 === * [[とうかつ中央農業協同組合]] 流山支店 * [[ヨークマート]] 平和台店 * [[ビッグ・エー]] 平和台店 * [[マミーマート]] 西平井店 * [[マツモトキヨシ]] 西平井店 * [[京葉銀行]] 流山支店 == バス路線 == 最寄りの[[バス停留所|バス停]]は、駅東側にある「'''平和台駅前'''」、駅西側の流山街道沿いにある「'''流山五丁目'''」、駅西側にある「'''平和台駅入口'''」の3ヶ所で、いずれも駅から徒歩約5分の位置にあり、南北方面に向かう[[路線バス]]が経由する。 ; 平和台駅前 * [[東武バス|東武バスセントラル]]([[東武バスセントラル吉川営業所|吉川営業所]]) ** [南流01][南流02] [[南流山駅]]行 <ref group="広報">[https://transfer.navitime.biz/tobubus/pc/diagram/OriginalDiagram?stopCode=62386&stopName=%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8F%B0%E9%A7%85%E5%89%8D&destinationCode=02&destinationName=%E5%8D%97%E6%B5%81%E5%B1%B1%E9%A7%85&date=2019-07-01 南流山駅行]</ref> ** [南流01] 花輪城跡公園前経由クリーンセンター行<br /> [南流02] [[流山警察署]]前経由[[流山おおたかの森駅]]西口行<ref group="広報">[https://transfer.navitime.biz/tobubus/pc/diagram/OriginalDiagram?stopCode=62386&stopName=%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8F%B0%E9%A7%85%E5%89%8D&destinationCode=01&destinationName=%E6%B5%81%E5%B1%B1%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AE%E6%A3%AE%E9%A7%85%E8%A5%BF%E5%8F%A3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC&date=2019-07-01 流山おおたかの森駅西口行・クリーンセンター行]</ref> ; 流山五丁目 * [[京成バス]](松戸営業所) **[[京成バス松戸営業所#流山線|[松71]]] 南流山駅北口行<br />[松73] 南流山駅南口・南流山中学校・日大歯科病院経由[[松戸駅]]行<br />[松74] 南流山駅南口・南流山中学校・日大病院入口経由松戸駅行<ref group="広報">[http://transfer.navitime.biz/keiseibus/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00180340&course=0003900581&stopNo=16 南流山駅北口行・松戸駅行]</ref> ** [松71][松73][松74] 流山市役所経由[[江戸川台駅]]行<ref group="広報">[http://transfer.navitime.biz/keiseibus/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00180340&course=0003900413&stopNo=7 江戸川台駅行]</ref> ; 平和台駅入口 * 京成バス **[[京成バス松戸営業所#三輪野山線|[流03]]] 流山駅・三輪野山四丁目経由流山おおたかの森駅西口行<ref group="広報">[http://transfer.navitime.biz/keiseibus/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00180405&course=0003900722&stopNo=13 流山おおたかの森駅西口行]</ref> == 隣の駅 == ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 :: [[鰭ヶ崎駅]] (RN4) - '''平和台駅 (RN5)''' - [[流山駅]] (RN6) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} ==== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ==== {{Reflist|group="広報"}} ==== 統計資料 ==== {{Reflist|group="統計"}} === 参考文献 === * {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|ref=sone21}} == 外部リンク == {{commonscat|Heiwadai Station (Chiba)}} * [http://ryutetsu.jp/station.html#heiwadai 平和台駅] {{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:へいわたい}} [[Category:千葉県の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 へ|いわたい]] [[Category:流鉄]] [[Category:1933年開業の鉄道駅]] [[Category:流山市の交通|へいわたいえき]] [[Category:流山市の建築物|へいわたいえき]]
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流山駅
流山駅(ながれやまえき)は、千葉県流山市流山一丁目にある、流鉄流山線の駅で、同線の終着駅である。駅番号はRN6。関東の駅百選に選定されている。 駅本屋は流山線敷設当初の1916年の建築である。これまでに修理や改造が加えられている。1937年12月に大規模改築が行われ、1979年12月にはプラットホームと旅客上屋の延伸が行われた。1977年頃の駅舎出入口の表記は「驛」と旧字であった。1998年には当時の運輸省関東運輸局から「東京近郊にありながらローカル色のある駅」という理由で、「関東の駅百選」に選定されている。2003年10月6日には駅舎に乗用車が突っ込み壁を大破し、券売機を破壊する事故が起きた。 1面2線の島式ホームを持つ地上駅である。木造駅舎を有する。1番線が駅奥の検車区へ通じ、2番線のみが駅舎前に車止めがある行き止まりとなっている。検車区出入の側線がホーム先に続いている。 夜間滞泊の運用がある。2022年10月17日までは、平日朝通勤時に交互発着が行われていた。 2020年(令和2年)度の一日平均乗車人員は1,045人で、流鉄6駅中3位である。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 流山セントラルパーク駅が開業した2005年から2006年にかけては1,000人近く乗車人員が減少している。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 駅舎は旧来の流山市街地に面しており、住宅が多く、近隣を千葉県道5号松戸野田線(流山街道)、千葉県道278号柏流山線が走る。市街地には、国の登録有形文化財に登録されている呉服新川屋店舗、寺田園旧店舗など歴史的町並みが残り、行灯が燈る流山本町の町並みは「行灯回廊」や「江戸回廊」とも呼ばれ観光活用している。古民家が多く、これらを活用したカフェや交流スペース、宿泊施設への活用が取り組まれている。 流山街道沿いに「流山駅」「流山駅(三輪野山)」「流山駅前」停留所があり、「流山駅」「流山駅(三輪野山)」には京成バスの松戸駅、江戸川台駅、流山おおたかの森駅方面の便が発着する。「流山駅前」は降車のみで東武バスセントラルの深夜急行バス「ミッドナイトアロー柏・我孫子」(東京発)が発着する。 駅南方(馬橋方)の跨線歩道橋を渡った高台の回転場には「流山駅東口」停留所があり、東武バスセントラルの柏方面の便が発着する。なお、当駅の出口は1か所のため「東口」は存在しない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "流山駅(ながれやまえき)は、千葉県流山市流山一丁目にある、流鉄流山線の駅で、同線の終着駅である。駅番号はRN6。関東の駅百選に選定されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "駅本屋は流山線敷設当初の1916年の建築である。これまでに修理や改造が加えられている。1937年12月に大規模改築が行われ、1979年12月にはプラットホームと旅客上屋の延伸が行われた。1977年頃の駅舎出入口の表記は「驛」と旧字であった。1998年には当時の運輸省関東運輸局から「東京近郊にありながらローカル色のある駅」という理由で、「関東の駅百選」に選定されている。2003年10月6日には駅舎に乗用車が突っ込み壁を大破し、券売機を破壊する事故が起きた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1面2線の島式ホームを持つ地上駅である。木造駅舎を有する。1番線が駅奥の検車区へ通じ、2番線のみが駅舎前に車止めがある行き止まりとなっている。検車区出入の側線がホーム先に続いている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "夜間滞泊の運用がある。2022年10月17日までは、平日朝通勤時に交互発着が行われていた。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)度の一日平均乗車人員は1,045人で、流鉄6駅中3位である。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス 流山セントラルパーク駅が開業した2005年から2006年にかけては1,000人近く乗車人員が減少している。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "近年の1日平均乗車人員は下記の通り。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "駅舎は旧来の流山市街地に面しており、住宅が多く、近隣を千葉県道5号松戸野田線(流山街道)、千葉県道278号柏流山線が走る。市街地には、国の登録有形文化財に登録されている呉服新川屋店舗、寺田園旧店舗など歴史的町並みが残り、行灯が燈る流山本町の町並みは「行灯回廊」や「江戸回廊」とも呼ばれ観光活用している。古民家が多く、これらを活用したカフェや交流スペース、宿泊施設への活用が取り組まれている。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "流山街道沿いに「流山駅」「流山駅(三輪野山)」「流山駅前」停留所があり、「流山駅」「流山駅(三輪野山)」には京成バスの松戸駅、江戸川台駅、流山おおたかの森駅方面の便が発着する。「流山駅前」は降車のみで東武バスセントラルの深夜急行バス「ミッドナイトアロー柏・我孫子」(東京発)が発着する。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "駅南方(馬橋方)の跨線歩道橋を渡った高台の回転場には「流山駅東口」停留所があり、東武バスセントラルの柏方面の便が発着する。なお、当駅の出口は1か所のため「東口」は存在しない。", "title": "バス路線" } ]
流山駅(ながれやまえき)は、千葉県流山市流山一丁目にある、流鉄流山線の駅で、同線の終着駅である。駅番号はRN6。関東の駅百選に選定されている。
{{駅情報 |社色 = yellowgreen |文字色 = |駅名 = 流山駅 |画像 = Ryutetsu-Nagareyama Station building 2021.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 駅舎(2021年11月) |地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = ながれやま |ローマ字 = Nagareyama |副駅名 = |隣の駅 = self |前の駅 = ◄RN5 [[平和台駅 (千葉県)|平和台]] (0.6km) |駅間A = |駅間B = |次の駅 = |電報略号 = |駅番号 = {{駅番号r|RN|6|#ff6600|4||#ff6600}} |所属事業者 = [[流鉄]] |所属路線 = {{Color|#ff6600|■}}[[流鉄流山線|流山線]] |キロ程 = 5.7 |起点駅 = [[馬橋駅|馬橋]] |所在地 = [[千葉県]][[流山市]][[流山 (流山市)|流山]]一丁目264番地 |座標 = {{coord|35|51|21.4|N|139|54|6.1|E|type:railwaystation_region:JP-12|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]] |ホーム = 島式1面2線 |開業年月日 = [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]]<ref name="sone21 26">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 26頁]]</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 1,364 |乗降人員 = 2,635 |統計年度 = 2019年<ref>{{PDFlink|[https://www.city.nagareyama.chiba.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/461/r2unyutuushin.pdf 令和2年版流山市統計書]}} 11 運輸・通信の章を参照</ref> |乗換 = |備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]] }} '''流山駅'''(ながれやまえき)は、[[千葉県]][[流山市]][[流山 (流山市)|流山]]一丁目にある、[[流鉄]][[流鉄流山線|流山線]]の[[鉄道駅|駅]]で、同線の[[終着駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''RN6'''。[[関東の駅百選]]に選定されている。 == 歴史 == 駅本屋は流山線敷設当初の1916年の建築である。これまでに修理や改造が加えられている<ref>「ふるさとを歩く(1)流山駅」『流山わがまち 第1巻』(Vol.1 No.1 1979年4月 p20)より。</ref>。1937年12月に大規模改築が行われ、1979年12月には[[プラットホーム]]と[[旅客上屋]]の延伸が行われた<ref>『総武流山電鉄七十年史』(p109)より。</ref>。[[1977年]]頃の駅舎出入口の表記は「'''驛'''」と旧字であった<ref>『ローカル私鉄の旅』(p44)の写真より。</ref>。1998年には当時の[[国土交通省|運輸省]][[関東運輸局]]から「東京近郊にありながらローカル色のある駅」という理由で、「[[関東の駅百選#第2回選定駅|関東の駅百選]]」に選定されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/toshikei/04koutuusitu/train/ryuutetu.htm |title=流鉄について |access-date=2023-01-10 |publisher=流山市 |archive-url=https://web.archive.org/web/20120720023922/http://www.city.nagareyama.chiba.jp/section/toshikei/04koutuusitu/train/ryuutetu.htm |archive-date=2012-07-20}}</ref>。[[2003年]][[10月6日]]には駅舎に乗用車が突っ込み壁を大破し、券売機を破壊する事故が起きた<ref>朝日新聞2003年10月7日千葉版31面 総武流山電鉄・流山駅に車突っ込む 築88年目、壁など大破/千葉 </ref>。 * [[1916年]]([[大正]]5年)[[3月14日]] - 開業<ref name="sone21 26"/>。 * [[1937年]]([[昭和]]12年)[[12月25日]] - 駅舎の大規模改築が行われる<ref name="sone21 26"/>。 * [[1979年]](昭和54年)[[12月26日]] - ホームと上屋の延伸が行われる<ref name="sone21 27">[[#sone21|『歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』21号 27頁]]</ref>。 * [[1986年]](昭和61年)[[3月15日]] - 総武流山電鉄の開業70周年を祝う装飾電車の出発式が当駅で行われた。 * [[1998年]]([[平成]]10年) - [[関東の駅百選]]の第2回選定駅となる。 * [[2007年]](平成19年)[[11月30日]] - 駅舎に併設されていた売店が廃業となる。 <gallery> 総武流山電鉄・流山駅構内(1977年)(s1-15).jpg|駅構内(1977年3月) </gallery> == 駅構造 == 1面2線の[[島式ホーム]]を持つ[[地上駅]]である。[[木造駅舎]]を有する。1番線が駅奥の[[車両基地|検車区]]へ通じ、2番線のみが駅舎前に車止めがある行き止まりとなっている。検車区出入の側線がホーム先に続いている。 [[夜間滞泊]]の運用がある。2022年10月17日までは、平日朝通勤時に[[交互発着]]が行われていた。 === のりば === {| class="wikitable" |+ !乗り場 !路線 !行先 !備考 |- !1 | rowspan="2" |[[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15x15ピクセル|RN]] 流山線 | rowspan="2" |[[馬橋駅|馬橋]]方面 | |- !2 |朝のみ使用 |} <gallery> 流山駅改札口.jpg|改札口(2022年8月) 流山駅券売機.jpg|券売機(2022年8月) Ryutetsu-Nagareyama-station-platform-20130327-134512.jpg|ホーム(2013年3月) Nagareyama Station Inspection depot.JPG|駅構内に設けられた検車区(2008年5月) </gallery> == 利用状況 == 2020年(令和2年)度の一日平均乗車人員は'''1,045人'''で、流鉄6駅中3位である<ref>{{Cite web|和書|title=千葉県統計年鑑 |url=http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/index.html |website=千葉県 |access-date=2023-01-10 |language=ja |last=千葉県}}</ref>。[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス]] [[流山セントラルパーク駅]]が開業した[[2005年]]から[[2006年]]にかけては1,000人近く乗車人員が減少している。 近年の1日平均乗車人員は下記の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" |- ! rowspan="1" |年度 ! rowspan="1" |1日平均<br />乗車人員 |- |1990年(平成{{0}}2年) |3,836 |- |1991年(平成{{0}}3年) |3,968 |- |1992年(平成{{0}}4年) |4,071 |- |1993年(平成{{0}}5年) |4,215 |- |1994年(平成{{0}}6年) |4,153 |- |1995年(平成{{0}}7年) |4,055 |- |1996年(平成{{0}}8年) |4,058 |- |1997年(平成{{0}}9年) |4,070 |- |1998年(平成10年) |4,090 |- |1999年(平成11年) |3,915 |- |2000年(平成12年) |3,894 |- |2001年(平成13年) |3,930 |- |2002年(平成14年) |3,876 |- |2003年(平成15年) |3,814 |- |2004年(平成16年) |3,701 |- |2005年(平成17年) |2,648 |- |2006年(平成18年) |1,785 |- |2007年(平成19年) |1,648 |- |2008年(平成20年) |1,592 |- |2009年(平成21年) |1,484 |- |2010年(平成22年) |1,422 |- |2011年(平成23年) |1,401 |- |2012年(平成24年) |1,418 |- |2013年(平成25年) |1,431 |- |2014年(平成26年) |1,369 |- |2015年(平成27年) |1,467 |- |2016年(平成28年) |1,420 |- |2017年(平成29年) |1,408 |- |2018年(平成30年) |1,404 |- |2019年(令和元年) |1,364 |- |2020年(令和2年) |1,045 |} == 駅周辺 == [[ファイル:イタリアンレストラン丁字屋 - panoramio.jpg|thumb|古民家の残る駅周辺(2014年8月)]] [[ファイル:Mabashi Stations of JR-EAST and Nagareyama Line 2021-12-33.jpg|thumb|駅南側(2021年12月)]] 駅舎は旧来の流山市街地に面しており、住宅が多く、近隣を[[千葉県道5号松戸野田線]]([[流山街道]])、[[千葉県道278号柏流山線]]が走る。市街地には、国の[[登録有形文化財]]に登録されている[[呉服新川屋店舗]]<ref>{{Cite web|和書|title=呉服新川屋店舗 |url=https://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013087/1013089/1013091.html |website=流山市 |access-date=2023-01-10 |language=ja}}</ref>、寺田園旧店舗など歴史的町並みが残り、行灯が燈る流山本町の町並みは「行灯回廊」や「江戸回廊」とも呼ばれ観光活用している<ref>{{Cite web|和書|title=本町のまち並みを彩る切り絵行灯|url=http://www.nagareyamakankou.com/entry.html?id=135853|website=www.nagareyamakankou.com|accessdate=2019-07-02|publisher=}}</ref>。古民家が多く、これらを活用したカフェや交流スペース、宿泊施設への活用が取り組まれている<ref>{{Cite web|和書|title=ひと・ちば:machimin/千葉|url=https://mainichi.jp/articles/20190630/ddl/k12/070/034000c|website=毎日新聞|accessdate=2019-07-02|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=流鉄流山駅隣にできたmachiminが集める人、取り組む課題、目指すものとは?|url=https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00811/|website=住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】|accessdate=2019-07-02|language=ja}}</ref>。 * 流鉄本社屋(駅構内南側隣接) * 流山市役所 * [[近藤勇陣屋跡]](酒造家、長岡家の屋敷) * 流山平和台郵便局 * [[千葉銀行]] 流山支店 * [[東京ベイ信用金庫]] 流山支店 * [[キッコーマン]] 流山工場 - かつては当駅から工場まで[[専用鉄道#日本の専用線・専用鉄道の例|引き込み線]]が伸びていた。万上線。[[1929年]]完成、[[1969年]]撤去<ref>『流山電鉄七十八年 ぬくもりの香る町と人の物語』(p92,p97)と『総武流山電鉄七十年史』(p76,p145)より。</ref>。 * [[流山市立博物館]]・図書館 * 流山市文化会館・中央公民館 * このはな幼稚園 == バス路線 == 流山街道沿いに「流山駅」「流山駅(三輪野山)」「流山駅前」停留所があり、「流山駅」「流山駅(三輪野山)」には[[京成バス松戸営業所|京成バス]]の[[松戸駅]]、[[江戸川台駅]]、[[流山おおたかの森駅]]方面の便が発着する。「流山駅前」は降車のみで[[東武バスセントラル西柏営業事務所|東武バスセントラル]]の深夜急行バス「ミッドナイトアロー柏・我孫子」(東京発)が発着する。 駅南方(馬橋方)の跨線歩道橋を渡った高台の回転場には「流山駅東口」停留所があり、東武バスセントラルの[[柏市|柏]]方面の便が発着する。なお、当駅の出口は1か所のため「東口」は存在しない。 == 隣の駅 == ; 流鉄 : [[ファイル:流鉄流山線ナンバリング.png|15px|RN]] 流山線 ::[[平和台駅 (千葉県)|平和台駅]] (RN5) - '''流山駅 (RN6) ''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == * 山本文男『流山電鉄七十八年 ぬくもりの香る町と人の物語』 [[流山新聞社]]、1994年 * 総武流山電鉄七十年史編纂委員会編『総武流山電鉄七十年史』 [[崙書房]]製作、[[流鉄|総武流山電鉄株式会社]]発行、1986年 * [[野口冬人]]『ローカル私鉄の旅』 刊々堂出版社発行、[[星雲社]]発売、1980年12月25日新装1刷発行。初版は1978年4月発売 {{NCID|BB0036267X}} * [[北野道彦]]:文、秋元恒:絵 「ふるさとを歩く(1)流山駅」『流山わがまち 第1巻』 Vol.1 No.1 1979年4月、流山わがまち社 * {{Cite book|和書|author=曽根悟(監修)|authorlink=曽根悟|title=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄|editor=朝日新聞出版分冊百科編集部|publisher=[[朝日新聞出版]]|series=週刊朝日百科|volume=21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄|date=2011-08-07|ref=sone21}} == 関連項目== * 『[[普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。]]』 - 流川ガールズ1日駅員の時やAWA<sup>2</sup>GiRLSの見送り等に使用された * [[筑波高速度電気鉄道]] == 外部リンク == {{commonscat|Nagareyama Station}} * [http://ryutetsu.jp/station.html 流山駅] - 流鉄 {{流鉄流山線}} {{関東の駅百選}} {{DEFAULTSORT:なかれやま}} [[Category:千葉県の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 な|かれやま]] [[Category:流鉄]] [[Category:1916年開業の鉄道駅]] [[Category:流山市の交通|なかれやまえき]] [[Category:流山市の建築物|なかれやまえき]]
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北小金駅
北小金駅(きたこがねえき)は、千葉県松戸市小金にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。 当駅は江戸時代頃から水戸街道の宿場町として栄えた「小金宿」に位置し、旧水戸街道(旧・八坂神社前)より本土寺に至る参道の途中に建設された歴史的経緯を持つ。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線(北小金支線)の1社2路線が乗り入れている。 当駅周辺は歴史が古く、多くの神社や寺院の数がある。その中でも「名刹」とされる本土寺と東漸寺は、それぞれアジサイ、しだれ桜の名所であり、見頃の時期には観光客で賑わう。また、駅南方の旧水戸街道沿いは、宿場町として栄えた名残が残る旧市街地である。地方自治の面でも、松戸市と合併するまでは東葛飾郡小金町の中心であった。 南口側に各主要施設を結ぶ歩行者デッキ(ペデストリアンデッキ)が整備されており、北口側もエレベーター付きの跨線橋が設けられている。 当駅にはJR東日本都市開発運営のミニ駅ビルであるスキップ北小金(skip)、近傍にはUR都市機構の再開発ビルであるピコティ北小金東館(イオン北小金店など)、ピコティ北小金西館(名店街、松戸市役所小金支所など)のほか、雑居ビル・集合住宅・寺院など多種多様な用途の建造物が混在している。 マツモトキヨシは駅南側で創業した「松本薬舗」がルーツであり、かつては本社が置かれていた。 当駅に乗り入れている路線は線路名称上の常磐線であり、運行系統としては緩行線を走る常磐緩行線が停車する。このほかに貨物列車専用の武蔵野線(北小金支線)が分岐している。この支線は常磐線の快速線から分岐しており、分岐箇所は馬橋駅構内の扱いである。武蔵野線支線を走行するのはその大部分が貨物列車である。臨時で旅客列車が走行する場合もあるが、その場合の運賃計算は新松戸駅経由の扱いになる。なお、当駅の所属線は常磐線である。当駅の事務管理コードは▲441110である。 島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。南側2線の緩行線上にホームがある。北側2線は快速線であり、ホームは設置されていない。当駅から上野駅方面を利用する場合は松戸駅。土浦駅方面を利用する場合は柏駅での乗り換えが必要となる。 業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)で新松戸駅が当駅を管理している。お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝はインターホンによる案内となる。自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、Suica対応自動改札機設置駅。 バリアフリー設備として、ホームと改札階を連絡するエスカレーターが上り・下りで各1台ずつおよびエレベーターが1基、駅南側地上と改札階を連絡するエレベーターが1基設置されている。また、ホーム中央に待合室が設置されている。 (出典:JR東日本:駅構内図) 駅ナカ商業施設としてJR東日本都市開発運営のミニ駅ビル「スキップ北小金(skip)」がある。 2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は20,676人である。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。 再開発ビル・雑居ビル・寺院・集合住宅など様々な用途の建造物が混在しており、駅より徒歩10分圏内には古くからの住宅地と新興住宅地が混同している。坂川周辺には一部畑や林などがある。北・南方面は台地、東・西方面は低地である。東方面は流山・柏両市境にも近い。低地には谷津田、台地には畑や山林を宅地化したところがいくつか存在する。 駅舎は元々小金市街の方に向いた南側にあり、橋上駅となってからも駅前広場は南側にしかない。故に「南口」の名称は、地元住民の日常生活においてほとんど聞かれることはない。「駅前」と言えば、南側を指す場合が多い。 駅前にのみ雑居ビルと小さな商店街がある。目立たないが、駅前に寺院もある。 駅前再開発後は、駅舎前にある「北小金駅」停留所から小金原団地線が発着している。それ以前の小金原団地線は、北小金駅入口(現在のみずほ銀行北小金支店付近、その後現在のピコティ東館 南付近に臨時移設)バス停が起・終点であった。また、2006年3月16日の小金原団地線馬橋駅入口系統廃止に伴い新設された「貝の花小循環」が乗り入れ、常磐線の駅と小金原地区を結ぶバス路線は当駅に集約・一本化された。同時に西新田経由(旧・五香北線)でも小金原に乗り入れている。その他、この地域有数のコンサートホール「森のホール21」へ直通する路線もかつて存在していた(2015年3月に新松戸駅に行先が変更された)。また新京成バスでは、バス案内所行の深夜バスが運行されている。 かつて、新京成電鉄(当時)の路線においては西新田・光ヶ丘経由で五香駅、東武は南柏駅入口経由で柏車庫(その後柏駅東口・駅入口)までの路線系統があったが、のちに短縮されている。また、1980年代前半までは馬橋駅へ行く新京成電鉄(当時)の系統があった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "北小金駅(きたこがねえき)は、千葉県松戸市小金にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "当駅は江戸時代頃から水戸街道の宿場町として栄えた「小金宿」に位置し、旧水戸街道(旧・八坂神社前)より本土寺に至る参道の途中に建設された歴史的経緯を持つ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線(北小金支線)の1社2路線が乗り入れている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "当駅周辺は歴史が古く、多くの神社や寺院の数がある。その中でも「名刹」とされる本土寺と東漸寺は、それぞれアジサイ、しだれ桜の名所であり、見頃の時期には観光客で賑わう。また、駅南方の旧水戸街道沿いは、宿場町として栄えた名残が残る旧市街地である。地方自治の面でも、松戸市と合併するまでは東葛飾郡小金町の中心であった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "南口側に各主要施設を結ぶ歩行者デッキ(ペデストリアンデッキ)が整備されており、北口側もエレベーター付きの跨線橋が設けられている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当駅にはJR東日本都市開発運営のミニ駅ビルであるスキップ北小金(skip)、近傍にはUR都市機構の再開発ビルであるピコティ北小金東館(イオン北小金店など)、ピコティ北小金西館(名店街、松戸市役所小金支所など)のほか、雑居ビル・集合住宅・寺院など多種多様な用途の建造物が混在している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "マツモトキヨシは駅南側で創業した「松本薬舗」がルーツであり、かつては本社が置かれていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "当駅に乗り入れている路線は線路名称上の常磐線であり、運行系統としては緩行線を走る常磐緩行線が停車する。このほかに貨物列車専用の武蔵野線(北小金支線)が分岐している。この支線は常磐線の快速線から分岐しており、分岐箇所は馬橋駅構内の扱いである。武蔵野線支線を走行するのはその大部分が貨物列車である。臨時で旅客列車が走行する場合もあるが、その場合の運賃計算は新松戸駅経由の扱いになる。なお、当駅の所属線は常磐線である。当駅の事務管理コードは▲441110である。", "title": "乗り入れ路線" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。南側2線の緩行線上にホームがある。北側2線は快速線であり、ホームは設置されていない。当駅から上野駅方面を利用する場合は松戸駅。土浦駅方面を利用する場合は柏駅での乗り換えが必要となる。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)で新松戸駅が当駅を管理している。お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝はインターホンによる案内となる。自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、Suica対応自動改札機設置駅。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "バリアフリー設備として、ホームと改札階を連絡するエスカレーターが上り・下りで各1台ずつおよびエレベーターが1基、駅南側地上と改札階を連絡するエレベーターが1基設置されている。また、ホーム中央に待合室が設置されている。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "(出典:JR東日本:駅構内図)", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "駅ナカ商業施設としてJR東日本都市開発運営のミニ駅ビル「スキップ北小金(skip)」がある。", "title": "駅構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は20,676人である。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "再開発ビル・雑居ビル・寺院・集合住宅など様々な用途の建造物が混在しており、駅より徒歩10分圏内には古くからの住宅地と新興住宅地が混同している。坂川周辺には一部畑や林などがある。北・南方面は台地、東・西方面は低地である。東方面は流山・柏両市境にも近い。低地には谷津田、台地には畑や山林を宅地化したところがいくつか存在する。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "駅舎は元々小金市街の方に向いた南側にあり、橋上駅となってからも駅前広場は南側にしかない。故に「南口」の名称は、地元住民の日常生活においてほとんど聞かれることはない。「駅前」と言えば、南側を指す場合が多い。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "駅前にのみ雑居ビルと小さな商店街がある。目立たないが、駅前に寺院もある。", "title": "駅周辺" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "駅前再開発後は、駅舎前にある「北小金駅」停留所から小金原団地線が発着している。それ以前の小金原団地線は、北小金駅入口(現在のみずほ銀行北小金支店付近、その後現在のピコティ東館 南付近に臨時移設)バス停が起・終点であった。また、2006年3月16日の小金原団地線馬橋駅入口系統廃止に伴い新設された「貝の花小循環」が乗り入れ、常磐線の駅と小金原地区を結ぶバス路線は当駅に集約・一本化された。同時に西新田経由(旧・五香北線)でも小金原に乗り入れている。その他、この地域有数のコンサートホール「森のホール21」へ直通する路線もかつて存在していた(2015年3月に新松戸駅に行先が変更された)。また新京成バスでは、バス案内所行の深夜バスが運行されている。", "title": "バス路線" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "かつて、新京成電鉄(当時)の路線においては西新田・光ヶ丘経由で五香駅、東武は南柏駅入口経由で柏車庫(その後柏駅東口・駅入口)までの路線系統があったが、のちに短縮されている。また、1980年代前半までは馬橋駅へ行く新京成電鉄(当時)の系統があった。", "title": "バス路線" } ]
北小金駅(きたこがねえき)は、千葉県松戸市小金にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。
{{駅情報 |社色 = green |文字色 = |駅名 = 北小金駅 |画像 = Kita-KoganeStation-southexitfar-b-2018 11 23(cropped).jpg |pxl = 300 |画像説明 = 南口(2018年11月) |地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|35|50|0.3|N|139|55|52.7|E}}}} |よみがな = きたこがね |ローマ字 = Kita-Kogane |副駅名 = |所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) |電報略号 = コネ |乗入路線数 = 2 |所属路線1 = {{color|#339999|■}}[[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]]<br />(線路名称上は[[常磐線]]) |前の駅1 = JL 25 [[新松戸駅|新松戸]] |駅間A1 = 1.3 |駅間B1 = 2.5 |次の駅1 = [[南柏駅|南柏]] JL 27 |駅番号1 = {{駅番号r|JL|26|#808080|1}} |キロ程1 = 22.0&nbsp;km([[日暮里駅|日暮里]]起点)<br />[[綾瀬駅|綾瀬]]から14.3 |起点駅1 = |所属路線2 = [[武蔵野線]](貨物支線・北小金支線) |前の駅2 = [[南流山駅|南流山]] |駅間A2 = 2.9 |駅間B2 = |隣の駅2 = |駅番号2 = |キロ程2 = 2.9{{Refnest|group="*"|貨物支線はJR東日本が[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業者]]であるが、同社では[[営業キロ]]を設定していない。[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]であるJR貨物のみ営業キロを設定している。}} |起点駅2 = JR貨物・[[南流山駅#JR東日本|南流山]] |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[小金]]8-3 |座標 = {{coord|35|50|0.3|N|139|55|52.7|E|region:JP-12_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]]) |ホーム = 1面2線<ref name="zeneki05">{{Cite book|和書 |title =週刊 JR全駅・全車両基地 |publisher = [[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume =05号 上野駅・日光駅・下館駅ほか92駅 |date =2012-09-09 |page =26 }}</ref> |開業年月日 = [[1911年]]([[明治]]44年)[[5月1日]]<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=426}}</ref> |廃止年月日 = |乗車人員 = 20,676 |乗降人員 = |統計年度 = [[2022年]] |乗換 = |備考 = {{Plainlist| * [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]] * [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅<ref name="StationCd=566_230915" />}} |備考全幅 = {{Reflist|group="*"}} }} [[ファイル:Kita-KoganeStation-northexitfar-2018 11 23.jpg|thumb|北口(2018年11月)]] '''北小金駅'''(きたこがねえき)は、[[千葉県]][[松戸市]][[小金]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[常磐線]]の[[鉄道駅|駅]]である{{R|zeneki05}}。駅番号は'''JL 26'''。 == 概要 == 当駅は[[江戸時代]]頃から[[水戸街道]]の[[宿場町]]として栄えた「[[小金宿]]」に位置し、旧水戸街道(旧・八坂神社前)より[[本土寺]]に至る[[参道]]の途中に建設された歴史的経緯を持つ<ref name="waga">{{Cite book|和書|author=|title=わがまちブック松戸1|publisher=特定非営利活動法人まちづくりNPOセレガ|year=2006.7.31|page=22|isbn=|date=}}</ref>。 [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[常磐線]]を走行する[[常磐緩行線]]、[[武蔵野線]](北小金支線)の1社2路線が乗り入れている。 当駅周辺は歴史が古く、多くの[[神社]]や[[寺院]]の数がある。その中でも「[[名刹]]」とされる[[本土寺]]と[[東漸寺 (松戸市)|東漸寺]]は、それぞれ[[アジサイ]]<ref name="chibanippo1998911">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=房総の駅百景 常磐線北小金駅(松戸市小金) アジサイの本土寺と水戸街道|newspaper=[[千葉日報]]|location=|pages=8|language=|publisher=千葉日報社|date=1998-09-11|url=|accessdate=}}</ref>、[[シダレザクラ|しだれ桜]]の名所であり<ref name="chibanippo2006329">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=シダレザクラ満開 松戸市の東漸寺|newspaper=[[千葉日報]]|location=|pages=19|language=|publisher=千葉日報社|date=2006-03-29|url=|accessdate=}}</ref>、見頃の時期には観光客で賑わう。また、駅南方の[[水戸街道#旧水戸街道|旧水戸街道]]沿いは、宿場町として栄えた名残が残る旧市街地である<ref name="chibanippo1998911" />。[[地方自治]]の面でも、松戸市と合併するまでは[[東葛飾郡]][[小金町]]の中心であった<ref group="注">なお「北小金」と称する地名は歴史的に存在しない。</ref>。 南口側に各主要施設を結ぶ[[ペデストリアンデッキ|歩行者デッキ]](ペデストリアンデッキ)が整備されており、北口側もエレベーター付きの跨線橋が設けられている。 当駅には[[JR東日本都市開発]]運営のミニ[[駅ビル]]であるスキップ北小金(skip)、近傍には[[UR都市機構]]の[[都市再開発|再開発]]ビルであるピコティ北小金東館([[イオン (店舗ブランド)|イオン]]北小金店など)、ピコティ北小金西館(名店街、松戸市役所小金支所など)のほか、[[雑居ビル]]・[[集合住宅]]・[[寺院]]など多種多様な用途の[[建造物]]が混在している。 [[マツモトキヨシ]]は駅南側で創業した「松本薬舗」がルーツであり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.r-matsukiyo.com/company/history/ |title=歩みと歴史 |publisher=[[マツモトキヨシ]] |accessdate=2021-08-26}}</ref>、かつては本社が置かれていた。 == 乗り入れ路線 == 当駅に乗り入れている路線は線路名称上の[[常磐線]]であり、[[運行系統]]としては[[急行線|緩行線]]を走る[[常磐緩行線]]が停車する。この他に[[貨物列車]]専用の[[武蔵野線]](北小金支線)が分岐している。この支線は常磐線の[[急行線|快速線]]から分岐しており、分岐箇所は[[馬橋駅]]構内扱いである。武蔵野線支線を走行するのはその大部分が貨物列車である。臨時で旅客列車が走行する場合もあるが、その場合の[[運賃]]計算は[[新松戸駅]]経由扱いになる。なお、当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]は常磐線である。当駅の[[事務管理コード]]は▲441110である。 === 旅客輸送 === * [[ファイル:JR JL line symbol.svg|15x15ピクセル|JL]] 常磐緩行線:緩行線を走行する常磐線の近距離電車。 - 駅番号「'''JL 26'''」 === 貨物線 === * 武蔵野線(北小金支線):日本貨物鉄道([[鉄道事業者#%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%A8%AE%E9%89%84%E9%81%93%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E8%80%85|第二種鉄道事業者]])[[南流山駅]] - 北小金駅・馬橋駅間 (2.9&nbsp;km) の貨物列車専用路線。 == 歴史 == * [[1911年]]([[明治]]44年) ** [[3月18日]]:[[鉄道省|鉄道院]]の駅として開業{{R|停車場}}。運転業務取扱開始{{R|停車場}}。 ** [[5月1日]]:一般運輸営業を開始する<ref name="kanpo19110417">大蔵省印刷局編、『官報 1911年4月17日(第八千三百四十二號) 鐵道院告示第二十八號』、1911年、431頁</ref>。 * [[1949年]]([[昭和]]24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足。 * [[1960年]](昭和35年)6月1日:[[一般駅]]から[[旅客駅]]となり、貨物取扱を廃止{{R|停車場}}。 * [[1964年]](昭和39年)[[10月1日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる{{R|停車場}}。 * [[1991年]]([[平成]]3年)[[7月6日]]:南口再開発事業着工<ref name="chibanippo199177">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=駅前にそびえる3つのビル 松戸のJR北小金駅 南口再開発事業が着工|newspaper=[[千葉日報]]|location=|pages=13|language=|publisher=千葉日報社|date=1991-07-07|url=|accessdate=}}</ref>。 * [[1993年]](平成5年)[[12月3日]]:南口駅前にピコティ西館開館<ref name="chibanippo1993121">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=JR北小金駅南口地区 「ピコティ西館」3日オープン 専門店や市小金支所 松戸|newspaper=[[千葉日報]]|location=|pages=16|language=|publisher=千葉日報社|date=1993-12-01|url=|accessdate=}}</ref><ref name="mainichi19931130">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=北小金駅前にピコティ西館オープン|newspaper=[[毎日新聞]]|location=|pages=26|language=|publisher=毎日新聞社|date=1993-11-30|url=|accessdate=}}</ref>。 * [[1994年]](平成6年) ** [[3月1日]]:南口駅前に路線バス乗り入れ<ref name="yomiuri199431">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=路線バス、北小金駅前に乗り入れ きょうから|newspaper=[[読売新聞]]|location=|pages=26|language=|publisher=読売新聞社|date=1994-03-01|url=|accessdate=}}</ref>。南口駅前にピコティ東館開館<ref name="chibanippo1994215">{{Cite news|last=|first=|coauthors=|title=北小金サティ 来月1日オープンへ 都市生活者ニーズに合わせ 松戸|newspaper=[[千葉日報]]|location=|pages=16|language=|publisher=千葉日報社|date=1994-02-15|url=|accessdate=}}</ref>。 ** [[12月20日]]:自動改札機を設置し、供用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1995-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '95年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-116-3}}</ref>。 * [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-24|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。 * [[2009年]](平成21年)[[8月19日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了。 * [[2021年]]([[令和]]3年)[[9月30日]]:[[ホームドア#多様なホームドアの開発|スマートホームドア]]の使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201117063610/https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=常磐(各駅停車)線に初めてホームドアを導入します 〜2021年度にホームドアを使用開始する常磐(各駅停車)線の駅について〜|publisher=東日本旅客鉄道東京支社|date=2020-11-17|accessdate=2020-11-17|archivedate=2020-11-17}}</ref>。 == 駅構造 == [[島式ホーム]]1面2線を有する{{R|zeneki05}}[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。南側2線の緩行線上にホームがある。北側2線は[[急行線|快速線]]であり、ホームは設置されていない。当駅から[[上野駅]]方面を利用する場合は[[松戸駅]]。[[土浦駅]]方面を利用する場合は[[柏駅]]での乗り換えが必要となる。 [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]([[JR東日本ステーションサービス]]委託)で[[新松戸駅]]が当駅を管理している。[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、早朝はインターホンによる案内となる<ref name="StationCd=566_230915">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=566|title=駅の情報(北小金駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-09-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230915154100/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=566|archivedate=2023-09-15}}</ref>。[[自動券売機]]、多機能券売機<ref name="StationCd=566_230915" />、[[指定席券売機]]<ref name="StationCd=566_230915" />、[[Suica]]対応[[自動改札機]]設置駅。 [[バリアフリー]]設備として、ホームと[[改札]]階を連絡する[[エスカレーター]]が上り・下りで各1台ずつ及び[[エレベーター]]が1基、駅南側地上と改札階を連絡するエレベーターが1基設置されている。また、ホーム中央に[[待合室]]が設置されている。 === のりば === <!-- 方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠 --> {| class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先 |- ! 1 |rowspan=2|[[ファイル:JR JL line symbol.svg|15px|JL]] 常磐線(各駅停車) | style="text-align:center" | 下り |[[柏駅|柏]]・[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子]]方面 |- ! 2 | style="text-align:center" | 上り |[[松戸駅|松戸]]・[[北千住駅|北千住]]・[[代々木上原駅|代々木上原]]方面 |} (出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/566.html JR東日本:駅構内図]) <gallery widths="200" style="font-size:90%;"> Kita-KoganeStation-ticketgates-far-2018 11 23.jpg|駅コンコース(2018年11月) JR Joban-Line Kita-Kogane Station Gates.jpg|改札口(2021年5月) JR Jōban Line Kita-Kogane Station Platform.jpg|ホーム(2022年7月) </gallery> === 駅舎内の施設(駅ナカ・駅ビル) === [[駅ナカ]]商業施設として[[JR東日本都市開発]]運営のミニ[[駅ビル]]「スキップ北小金(skip)」がある。 * 改札外 **スキップ北小金 *** [[アトレ]]が運営していたが、2013年4月よりJR東日本都市開発へ事業移管されている。 *** 現在は1階の整骨院と2、3階は[[松乃家]]が営業している **[[NewDays]] [[キヨスク]] **[[VIEW ALTTE]] ** [[指定席券売機]] == 利用状況 == 2022年(令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''20,676人'''である。 JR東日本及び千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。 {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/ 千葉県統計年鑑] - 千葉県</ref> |- !年度 !1日平均<br />乗車人員 !出典 |- |1990年(平成{{0}}2年) |27,959 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h03/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成3年)]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |28,202 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h04/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |28,665 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h05/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |28,763 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h06/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |28,959 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h07/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |28,727 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h08/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |28,704 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h09/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |27,976 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h10/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成10年)]</ref> |- |1998年(平成10年) |27,453 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h11/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成11年)]</ref> |- |1999年(平成11年) |27,433 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h12/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2000年(平成12年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>27,385 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h13/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>27,057 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h14/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>26,677 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h15/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>25,852 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h16/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>25,997 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h17/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>25,573 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h18/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>26,069 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h19/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>26,287 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h20/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>26,206 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h21/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>25,624 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h22/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>25,141 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h23/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>24,625 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h24/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成24年)]</ref> |- |2012年(平成24年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>24,321 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h25/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成25年)]</ref> |- |2013年(平成25年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>24,386 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h26/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成26年)]</ref> |- |2014年(平成26年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>24,112 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h27/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成27年)]</ref> |- |2015年(平成27年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>24,257 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h28/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成28年)]</ref> |- |2016年(平成28年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>24,323 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h29/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成29年)]</ref> |- |2017年(平成29年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>24,552 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h30/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成30年)]</ref> |- |2018年(平成30年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>24,588 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-r1/index.html#a11 千葉県統計年鑑(令和元年)]</ref> |- |2019年(令和元年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>24,335 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-r02/index.html#unyutuusin 千葉県統計年鑑(令和2年)]</ref> |- |2020年(令和{{0}}2年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>19,078 | |- |2021年(令和{{0}}3年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>19,690 | |- |2022年(令和{{0}}4年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>20,676 | |} == 駅周辺 == {{Main|小金}} [[都市再開発|再開発]]ビル・[[雑居ビル]]・寺院・集合住宅など様々な用途の建造物が混在しており、駅より徒歩10分圏内には古くからの住宅地と新興住宅地が混同している。[[坂川]]周辺には一部[[畑]]や[[森林|林]]などがある。北・南方面は[[台地]]、東・西方面は[[低地]]である。東方面は[[流山市|流山]]・[[柏市|柏]]両市境にも近い。低地には[[谷津田]]、台地には畑や山林を宅地化したところがいくつか存在する。 === 南口(東漸寺方面) === 駅舎は元々小金市街の方に向いた南側にあり、橋上駅となってからも駅前広場は南側にしかない。故に「南口」の名称は、地元住民の日常生活においてほとんど聞かれることはない。「駅前」と言えば、南側を指す場合が多い。 <!--飲食チェーン店やコンビニ、個人商店などは町域記事での記載が適切--> {{columns-list|2| ; 商業施設 * スキップ北小金 * ピコティ北小金 西館 ** 名店街 ** 松戸市役所小金支所 * ピコティ北小金 東館 ** [[イオン (店舗ブランド)|イオン]]北小金店 ** [[コナミスポーツクラブ]]北小金 * [[マツモトキヨシ]]小金店 ; 公共施設 * 小金市民センター ** 松戸市立図書館 小金分館 ; 金融機関・郵便局 * [[京葉銀行]] 北小金支店 * [[千葉興業銀行]]小金支店 ; 教育 * ニホン国際ITカレッジ ; 名所 * [[東漸寺 (松戸市)|東漸寺]] * 玉屋 |}} <gallery widths="200" style="font-size:90%;"> Matsudo Kogane Picotee east01.jpg|[[都市再生機構|UR都市機構]]ピコティ北小金東館・[[イオン (店舗ブランド)|イオン]]北小金店(南口[[ペデストリアンデッキ]]より接続) Mastudo Kogane Picotee west03.jpg|[[都市再生機構|UR都市機構]]ピコティ北小金西館 Chiba-matsudo-touzeinji-sanmon.jpg|[[東漸寺 (松戸市)|東漸寺]](山門) 北小金駅前(2003-04-26) - panoramio.jpg|南口駅前の本土寺参道・旧水戸街道交差点 </gallery> === 北口(本土寺方面) === [[ファイル:Matsudo Hondo Temple Pagoda and Hydrangea.JPG|thumb|[[本土寺]]([[アジサイ寺]])]] 駅前にのみ雑居ビルと小さな商店街がある。目立たないが、駅前に寺院もある。 {{columns-list|2| ; 公共施設 * 小金北市民センター ** 松戸市立図書館 小金北分館 ; 金融機関・郵便局 * 松戸大金平[[郵便局]] ; 商業施設 * 小金北商店会(商店街) - 駅前 ; 名所 * 鹿島神社 - 駅前 * 慶林寺 - 駅前 * [[本土寺]]([[アジサイ寺]]) ; その他 * 大倉記念病院 * 紫陽花テニスクラブ |}} == バス路線 == 駅前再開発後は、駅舎前にある「'''北小金駅'''」[[バス停留所|停留所]]から[[小金原団地]]線が発着している。それ以前の小金原団地線は、北小金駅入口(現在のみずほ銀行北小金支店付近、その後現在のピコティ東館 南付近に臨時移設)バス停が起・終点であった。また、2006年3月16日の小金原団地線[[馬橋駅]]入口系統廃止に伴い新設された「貝の花小循環」が乗り入れ、常磐線の駅と小金原地区を結ぶバス路線は当駅に集約・一本化された。同時に西新田経由(旧・五香北線)でも[[小金牧|小金原]]に乗り入れている。その他、この地域有数の[[コンサートホール]]「[[森のホール21]]」へ直通する路線もかつて存在していた(2015年3月に新松戸駅に行先が変更された)。また新京成バスでは、バス案内所行の[[深夜バス]]が運行されている。 かつて、新京成電鉄(当時)の路線においては西新田・光ヶ丘経由で[[五香駅]]、東武は南柏駅入口経由で柏車庫(その後柏駅東口・駅入口)までの路線系統があったが、のちに短縮されている。また、[[1980年代]]前半までは馬橋駅へ行く新京成電鉄(当時)の系統があった。 <!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。--> {| class="wikitable" style="font-size:80%;" !のりば!!運行事業者!!系統・行先 |- !1 |style="text-align:center;"|[[東武バス#東武バスセントラル|東武バスセントラル]] |[[東武バスイースト沼南営業所#北小金駅方面|'''北小金01''']]:[[南柏駅]] |- !2 |rowspan="4" style="text-align:center;"|[[松戸新京成バス]] |{{Unbulleted list|[[松戸新京成バス#小金原団地循環(北小金)|'''R1''']]:北小金駅|'''R2''':バス案内所}} |- !3 |{{Unbulleted list|'''L3''':北小金駅|'''L4''':バス案内所}} |- !4 |{{Unbulleted list|[[松戸新京成バス#幸田線(幸田循環)|'''10''']]:幸田循環|[[松戸新京成バス#小金原線(西新田)|'''23''']]:バス案内所}} |- !5 |[[松戸新京成バス#貝の花小循環|'''13''']]:貝の花小循環 / 貝の花 |} == 隣の駅 == ; 東日本旅客鉄道(JR東日本) : [[ファイル:JR JL line symbol.svg|15px|JL]] 常磐線(各駅停車) :: [[新松戸駅]] (JL 25) - '''北小金駅 (JL 26)''' - [[南柏駅]] (JL 27) : 武蔵野線貨物支線(北小金支線) :: [[南流山駅]] - '''北小金駅''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注"}} ==== 出典 ==== {{Reflist}} ==== 広報資料など一次資料 ==== {{Reflist|group="広報"}} === 利用状況 === {{Reflist|group="統計"}} ; JR東日本の2000年度以降の乗車人員 {{Reflist|group="JR"|22em}} ; 千葉県統計年鑑 {{Reflist|group="*"|22em}} == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == {{commonscat|Kita-Kogane Station}} * {{外部リンク/JR東日本駅|filename=566|name=北小金}} * [http://www.shinkeisei.co.jp/bus/top_bus_station/kitakogane_bus_station/ 松戸新京成バス 北小金駅] {{常磐緩行線}} {{武蔵野線 (貨物線)}} {{DEFAULTSORT:きたこかね}} [[Category:松戸市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 き|たこかね]] [[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:常磐緩行線]] [[Category:1911年開業の鉄道駅]] [[Category:千葉県の駅ビル]]
2003-06-10T14:08:56Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B0%8F%E9%87%91%E9%A7%85
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池田屋事件
池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。 池田屋の変、池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。 幕末の京都は政局の中心地として、尊王攘夷(尊攘)・勤王などの各種政治思想を持つ諸藩の浪士が潜伏し、活動していた。会津藩と薩摩藩による「八月十八日の政変」で長州藩が失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていた。尊攘派が勢力挽回を目論んでいたため、京都守護職は新選組を用いて、京都市内の警備や捜索を行わせた。 5月下旬ごろ、新選組諸士調役兼監察の山崎丞・島田魁らが、四条小橋上ル真町で炭薪商を経営する枡屋喜右衛門(古高俊太郎)の存在を突き止め、会津藩に報告。捜索によって、武器や長州藩との書簡などが発見された。 元治元年(1864年) 6月5日早朝、古高を逮捕した新選組は、土方歳三の拷問により古高を自白させた。自白内容は、「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)」というものであった。しかし、自白したのは自分の本名が古高俊太郎であることのみ、という説もあり、古高について述べられた日誌には自白内容の記述がされていないことから自白は本名のみであった可能性も高い。 これにより、尊攘派の浪士らが時をおかず会合を行うとみた新選組は、会津藩に報告のうえ徹底した市中探索を提案。5日夕刻、会津藩の援軍を待たず単独で三条〜四条方面の捜索を開始した。 亥の刻(22時ごろ)すぎ、近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で、残りは屋外を固めた。屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線から離脱した。また1階の藤堂は油断して鉢金を取ったところで額を斬られ、血液が目に入り戦線離脱した。 襲撃を受けた宮部鼎蔵ら志士たちは応戦しつつ、現場からの脱出を図った。裏口を守っていた安藤早太郎・奥沢栄助・新田革左衛門達のところに土佐藩脱藩・望月亀弥太ら浪士が脱出しようと必死で斬りこみ逃亡。これにより奥沢は死亡し、安藤・新田も1か月後に死亡した。望月は負傷しつつも長州藩邸付近まで逃げ延びたが、追っ手に追いつかれ自刃した。同じく戦闘の末に脱出に成功した土佐藩・野老山吾吉郎の調書が、2009年に高知県が購入した土佐京都藩邸資料(高知県立坂本龍馬記念館蔵)から見つかり、事件前後の様子が明らかとなった。太刀や袴を失い、同僚の石川潤次郎が現場で闘死していたことにも気づいていなかったことから戦闘の激しさが偲ばれる。 新選組側は一時は近藤・永倉の2人となるが、土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。土方は手柄を横取りされないように、一歩たりとも近づけさせなかったという。 この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・桑名藩らと連携し、20名あまりを捕縛した。この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、彦根藩は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。 その後、新選組は、夜のうちに帰ると闇討ちの恐れがあるために夜が明けるまで待機し、翌日の正午、壬生村の屯所に帰還した。沿道は野次馬であふれていたという。 桂小五郎(のちの木戸孝允)は、会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬藩邸で大島友之允と談話しており難を逃れた。談話中に外の騒ぎで異変に気づいた桂は、現場に駆けつけようとしたが、大島に制止されたため思い留まったと、桂の回想録『桂小五郎京都変動ノ際動静』には記されている。ただし、鳥取藩士・安達清風の日記によれば、大島は事件前の5月28日(7月1日)に京都を離れ、6月5日(7月8日)の当日には江戸におり、6月13日(7月16日)になって事件のことを知ったとされており、大島が桂を止めたというのは事実でない可能性がある。それとは別に、京都留守居役であった乃美織江は、手記に「桂小五郎義は池田屋より屋根を伝い逃れ、対馬屋敷へ帰り候由...」と書き残しているが、それに先立って「桂小五郎が殺された」との誤報を藩に伝え藩内をさらに混乱させたこともあり、また池田屋から対馬藩邸まで逃げられるような屋根が池田屋に無いなどの点から、乃美の記述は信用できないという指摘もある。 御所焼き討ちの計画を未然に防ぐことに成功した新選組の名は天下に轟いた。逆に尊攘派は、吉田稔麿・北添佶摩・宮部・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助らの逸材が戦死し、大打撃を受ける。落命した志士たちは、三条大橋東の三縁寺に運ばれて葬られた。 長州藩は、この事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛し、7月19日(8月20日)に禁門の変を引き起こした。 新選組はこの事件により知名度が上がったため、土方や斎藤らが自ら江戸へ向かい隊士を募集するなど勢力拡大に動くこととなった。 近年の研究では、「御所放火計画」「松平容保暗殺」「天皇拉致」などの志士側の陰謀は、新選組による捏造(でっち上げ)であり、新選組の実力行使正当化や尊攘派の信用失墜を狙った冤罪だとする説もある。その理由として、これらの計画は幕府側の記録にはあるものの、志士側の記録には一切なく、桂小五郎が記した『木戸孝允日記』にも、池田屋での会合は"新選組に逮捕監禁されている仲間(古高俊太郎)を救うための会合"としか記されていない。証拠と言えるものは、土方によって壮絶な拷問を受け、無理矢理自白させられた古高が語ったとされる発言のみで、その古高も早々に処刑されており、客観的な証拠が乏しいことが挙げられる。 桂の手記によると、池田屋での会合は古高捕縛後に急遽決定されたもので、事前に新選組が場所を察知していたとは考えにくい。永倉新八は手記『浪士文久報国記事』で「片っ端から」探索した旨を述べており、また事件直前に祇園の井筒屋に新選組が探索を行った記録があるため、実際には会合場所がどこであるかは把握しておらず、多くの場所を探索していたと考えられる。 近藤の書簡や永倉の手記によると、当日は近藤隊10名、土方隊12名、井上隊12名の三手に別れて探索を行っており、応援に駆けつけたのは井上隊である。 近藤の書簡によると、池田屋に乗込んだのは近藤、沖田、永倉、藤堂、近藤周平の5名ということになっているが、永倉の手記や、事件後の褒賞者名簿から推定すると、近藤、沖田、永倉、藤堂、奥沢、安藤、新田、谷万太郎、武田観柳斎、浅野薫の10名である。 また、近藤は書簡の中で、当日は病人が多く人手が少なかったとしているが、事件直前に脱走者が多く出ていたためとする説がある。 司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』などでは、山崎が薬屋に変装し事前に池田屋に潜入して探索し、突入前に戸の錠を開けたことになっている。しかし、山崎の確報があったならば最初から主力を池田屋に差し向けたはずであり、山崎の名は褒賞者名簿にはないことから、実際は屯所残留組であったと推定される。 池田屋事件に出動した新選組隊士は以下の通り(諸説有り) 諸説有り。井上隊とも、土方隊とも。 なお、当時所属していた馬詰信十郎・馬詰柳太郎はこの日に脱走した為に不参加。 など 事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業し、現存しない。 元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。1960年ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、跡地はテナントビル(1978年ごろはケンタッキーフライドチキンの店舗)やパチンコ店など転々として、2009年に、居酒屋チェーンのチムニーが、新選組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業している。 当地には、佐々木旅館の縁者が建立した「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑がある。
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池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。 池田屋の変、池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。
{{告知|質問|殉難七士という呼称について|section=殉難七士という呼称について|date=2022年1月}} {{出典の明記|date=2018年1月27日 (土) 15:11 (UTC)}} {{Infobox 事件・事故 | 名称 = 池田屋事件 | 画像 = Ikedaya2010.JPG | 脚注 = 池田屋跡([[2010年]]4月) | 場所 = [[京都]][[三条通|三条]][[木屋町通|木屋町]] | 緯度度 = 35|緯度分 = 0|緯度秒 = 32.2 | 経度度 = 135|経度分 = 46|経度秒 = 11.6 | 日付 = [[元治]]元年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]([[1864年]][[7月8日]]) | 時間 = | 開始時刻 = | 終了時刻 = | 時間帯 = | 概要 = [[旅籠]]の池田屋で会合中の[[長州藩]]・[[土佐藩]]・[[肥後藩]]等の[[尊王攘夷]]派[[志士]]を[[新選組]]が殺傷、捕縛。 | 原因 = [[古高俊太郎]]の[[自白]]による京都放火計画等の発覚([[#異説|異説あり]]) | 手段 = [[日本刀|刀]]、[[槍]] | 武器 = | 攻撃人数 = [[#新選組出動隊士一覧|一覧]] | 標的 = | 死亡 = [[#尊王攘夷派志士|一覧]] | 負傷 = | 行方不明 = | 被害者 = | 損害 = | 犯人 = | 容疑 = | 動機 = | 関与 = | 防御 = | 対処 = | 謝罪 = | 賠償 = }} '''池田屋事件'''(いけだやじけん)は、[[幕末]]の[[元治]]元年[[6月5日 (旧暦)|6月5日]]([[1864年]][[7月8日]])に、[[京都]][[三条通|三条]][[木屋町通|木屋町]](三条小橋)の[[旅籠]]・池田屋に潜伏していた[[長州藩]]・[[土佐藩]]などの[[尊王攘夷]]派[[志士]]を、[[京都守護職]]配下の[[治安維持組織]]である[[新選組]]が襲撃した事件。 '''池田屋の変'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.hagi.lg.jp/uploaded/attachment/16280.pdf|title=年表 「萩・明治維新の動き」|publisher=萩市|date=|accessdate=2022-11-25}}</ref>、'''池田屋事変'''、'''池田屋騒動'''ともいわれている。[[近藤勇]]は書面で'''洛陽動乱'''と名づけている。 == 経緯 == [[Image:Ikedaya.jpg|180px|thumb|古高俊太郎邸跡([[京都市]][[下京区]]西木屋町[[四条通|四条]]上る)]] [[幕末]]の[[京都]]は[[政治|政局]]の中心地として、[[尊王攘夷]](尊攘)・[[勤王]]などの各種[[政治哲学|政治思想]]を持つ諸[[藩#日本の藩|藩]]の[[浪人|浪士]]が潜伏し、活動していた。[[会津藩]]と[[薩摩藩]]による「[[八月十八日の政変]]」で[[長州藩]]が失脚し、[[朝廷 (日本)|朝廷]]では[[公武合体]]派が主流となっていた。尊攘派が勢力挽回を目論んでいたため、[[京都守護職]]は[[新選組]]を用いて、京都市内の警備や捜索を行わせた。 [[5月 (旧暦)|5月]]下旬ごろ、新選組諸士調役兼監察の[[山崎丞]]・[[島田魁]]らが、四条小橋上ル真町で[[薪|炭薪]]商を経営する枡屋喜右衛門([[古高俊太郎]])の存在を突き止め、会津藩に報告。捜索によって、武器や長州藩との書簡などが発見された。 元治元年(1864年) 6月5日早朝、古高を逮捕した新選組は、[[土方歳三]]の[[拷問]]により古高を[[自白]]させた。自白内容は、「[[祇園祭]]の前の風の強い日を狙って[[京都御所|御所]]に火を放ち、その混乱に乗じて[[久邇宮朝彦親王|中川宮朝彦親王]]を幽閉、[[徳川慶喜|一橋慶喜]]・[[松平容保]]らを[[暗殺]]し、[[孝明天皇]]を長州へ動座させる(連れ去る)」というものであった。しかし、自白したのは自分の本名が古高俊太郎であることのみ、という説もあり、古高について述べられた日誌には自白内容の記述がされていないことから自白は本名のみであった可能性も高い。 これにより、尊攘派の浪士らが時をおかず会合を行うとみた新選組は、会津藩に報告のうえ徹底した市中探索を提案。5日夕刻、会津藩の援軍を待たず単独で三条〜四条方面の捜索を開始した。 == 戦闘 == [[画像:池田屋事件跡.jpg|thumb|180px|京都市 池田屋跡<br/>([[2005年]]時点では[[パチンコ|パチンコ屋]]だった)]] [[画像:Traceofikedaya.JPG|thumb|180px|池田屋跡<br/>([[2009年]]9月現在、[[居酒屋]]となっている)]] [[亥]]の[[十二時辰|刻]](22時ごろ)すぎ、近藤隊は池田屋で謀議中の尊攘派志士を発見した。近藤隊は数名で突入し、真夜中の戦闘となった。20数名の尊攘派に対し当初踏み込んだのは[[近藤勇]]・[[沖田総司]]・[[永倉新八]]・[[藤堂平助]]の4名で、残りは屋外を固めた。屋内に踏み込んだ沖田は奮戦したが、戦闘中に病に倒れ戦線から離脱した。また1階の藤堂は油断して鉢金を取ったところで額を斬られ、血液が目に入り戦線離脱した。 襲撃を受けた[[宮部鼎蔵]]ら志士たちは応戦しつつ、現場からの脱出を図った。裏口を守っていた[[安藤早太郎]]・[[奥沢栄助]]・[[新田革左衛門]]達のところに土佐藩脱藩・[[望月亀弥太]]ら浪士が脱出しようと必死で斬りこみ逃亡。これにより奥沢は死亡し、安藤・新田も1か月後に死亡した。望月は負傷しつつも長州[[藩邸]]付近まで逃げ延びたが、追っ手に追いつかれ[[自刃]]した。同じく戦闘の末に脱出に成功した土佐藩・[[野老山吾吉郎]]の調書が、2009年に高知県が購入した土佐京都藩邸資料([[高知県立坂本龍馬記念館]]蔵)から見つかり、事件前後の様子が明らかとなった。太刀や袴を失い、同僚の[[石川潤次郎]]が現場で闘死していたことにも気づいていなかったことから戦闘の激しさが偲ばれる。 新選組側は一時は近藤・永倉の2人となるが、土方隊の到着により戦局は新選組に有利に傾き、方針を「斬り捨て」から「捕縛」に変更。9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げた。会津・桑名藩の応援は戦闘後に到着した。 この戦闘で数名の尊攘派は逃走したが、続く翌朝の市中掃討で会津・[[桑名藩]]らと連携し、20名あまりを捕縛した。この市中掃討も激戦となり、会津藩は5名、[[彦根藩]]は4名、桑名藩は2名の即死者を出した。 その後、新選組は、夜のうちに帰ると闇討ちの恐れがあるために夜が明けるまで待機し、翌日の[[正午]]、[[壬生 (京都市)|壬生村]]の屯所に帰還した。沿道は[[野次馬]]であふれていたという。 桂小五郎(のちの[[木戸孝允]])は、会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て[[対馬藩|対馬]][[京屋敷|藩邸]]で[[大島友之允]]と談話しており難を逃れた。談話中に外の騒ぎで異変に気づいた桂は、現場に駆けつけようとしたが、大島に制止されたため思い留まったと、桂の回想録『桂小五郎京都変動ノ際動静』には記されている。ただし、[[鳥取藩]]士・[[安達清風]]の日記によれば、大島は事件前の[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]([[7月1日]])に京都を離れ、6月5日(7月8日)の当日には江戸におり、[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]([[7月16日]])になって事件のことを知ったとされており、大島が桂を止めたというのは事実でない可能性がある<ref>『池田屋事件の研究』p.181</ref>。それとは別に、京都[[留守居]]役であった[[乃美織江]]は、手記に「桂小五郎義は池田屋より屋根を伝い逃れ、対馬屋敷へ帰り候由…」と書き残しているが、それに先立って「桂小五郎が殺された」との誤報を藩に伝え藩内をさらに混乱させたこともあり、また池田屋から対馬藩邸まで逃げられるような屋根が池田屋に無いなどの点から、乃美の記述は信用できないという指摘もある。 == 影響 == [[画像:三条大橋疑宝珠刀傷跡.JPG|thumb|200px|right|三条大橋の擬宝珠刀傷跡。池田屋事件の時のものとされる。]] 御所焼き討ちの計画を未然に防ぐことに成功した新選組の名は天下に轟いた。逆に尊攘派は、[[吉田稔麿]]・[[北添佶摩]]・宮部・[[大高又次郎]]・[[石川潤次郎]]・[[杉山松助]]・[[松田重助]]らの逸材が戦死し、大打撃を受ける。落命した志士たちは、三条大橋東の[[三縁寺]]に運ばれて葬られた。 長州藩は、この事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・[[上洛]]し、[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]([[8月20日]])に[[禁門の変]]を引き起こした。 新選組はこの事件により知名度が上がったため、土方や斎藤らが自ら江戸へ向かい隊士を募集するなど勢力拡大に動くこととなった<ref>[https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2019/07/news/news_190725/ 新選組の忘れ物 キセル入れ見つかる 草津宿本陣 滋賀] - [[日本放送協会|NHK]]</ref>。 == 異説 == 近年の研究では、「御所放火計画」「松平容保暗殺」「天皇拉致」などの志士側の陰謀は、会津藩・桑名藩・新選組など幕府方による主張であり、会津藩・桑名藩・新選組の[[実力行使]]正当化や尊攘派の信用失墜を狙ったものであると言う説もある。その理由として、これらの計画は[[江戸幕府|幕府]]側の記録にはあるものの、志士側の記録には一切なく、桂小五郎が記した『木戸孝允日記』<!--「木戸日記」だと、大甥・木戸幸一の日記と紛らわしいです-->にも、池田屋での会合は"新選組に逮捕監禁されている仲間([[古高俊太郎]])を救うための会合"としか記されていない。 ただし池田屋事件の前年、文久三年(1863)八月十八日の政変以降、長州に都落ちしていた尊攘派公家の[[三条実美]]・久留米藩の[[真木保臣|真木和泉]]・長州藩の[[来島又兵衛]]らにより「武力をもって京都に進発し長州の無実を訴える」という[[進発論]]が盛んに唱えられていた。 この進発論への令は池田屋事件の前日、6月4日に長州藩より発せられている。 新選組が古高俊太郎邸を襲撃した目的は、当初、古高邸を京の定宿としていた宮部鼎蔵の捕縛であったが、宮部は新選組に踏み込まれる一歩手前で古高により逃がされてしまった事で、新選組は急遽捕縛対象を宮部から古高1人に切り替え、拷問で宮部の逃亡先を割出そうとしたが、古高は宮部の逃亡先までは把握していなかった。 それゆえ永倉新八の証言通り、数隊に分かれ四条から三条の旅籠等を虱潰しに探索し、結果近藤隊の約7〜10名が旅籠池田屋で宮部鼎蔵と、共に居た志士達を偶然発見した。 桂の手記によると、池田屋での会合は古高捕縛後に急遽決定されたもので、事前に新選組が場所を察知していたとは考えにくい。永倉新八は手記『[[浪士文久報国記事]]』で「片っ端から」探索した旨を述べており、また事件直前に[[祇園]]の井筒屋に新選組が探索を行った記録があるため、実際には会合場所がどこであるかは把握しておらず、多くの場所を探索していたと考えられる。 近藤の書簡や永倉の手記によると、当日は近藤隊10名、土方隊12名、井上隊12名の三手に別れて探索を行っており、応援に駆けつけたのは井上隊である。 近藤の書簡によると、池田屋に乗込んだのは近藤、沖田、永倉、藤堂、[[谷周平|近藤周平]]の5名ということになっているが、永倉の手記や、事件後の褒賞者名簿から推定すると、近藤、沖田、永倉、藤堂、奥沢、安藤、新田、[[谷万太郎]]、[[武田観柳斎]]、[[浅野薫 (新選組)|浅野薫]]の10名である。 また、近藤は書簡の中で、当日は病人が多く人手が少なかったとしているが、事件直前に[[脱走]]者が多く出ていたためとする説がある。 [[司馬遼太郎]]の小説『[[竜馬がゆく]]』などでは、山崎が薬屋に変装し事前に池田屋に潜入して探索し、突入前に戸の[[錠前|錠]]を開けたことになっている。しかし、山崎の確報があったならば最初から主力を池田屋に差し向けたはずであり、山崎の名は[[恩賞|褒賞]]者名簿にはないことから、実際は屯所残留組であったと推定される。 == 新選組出動隊士一覧 == 池田屋事件に出動した新選組隊士は以下の通り(諸説有り) === 近藤隊(10名) === * [[近藤勇]] * [[沖田総司]] * [[永倉新八]] * [[藤堂平助]](重傷) * [[武田観柳斎]] * [[谷万太郎]] * [[浅野薫 (新選組)|浅野薫]](藤太郎) * [[安藤早太郎]](重傷、のち死亡) * [[奥沢栄助]](重傷、当日に死亡) * [[新田革左衛門]](重傷、のち死亡) === 土方隊(12名か24名) === * [[土方歳三]] * [[井上源三郎]] * [[斎藤一]] * [[原田左之助]] * [[島田魁]] * [[谷三十郎]] * [[川島勝司 (新撰組)|川島勝司]] * [[葛山武八郎]] * [[蟻通勘吾]] * [[篠塚峰三]] * [[林信太郎 (新選組)|林信太郎]] * [[三品仲治]] === 松原隊(12名) === 諸説有り。井上隊とも、土方隊とも。 * [[松原忠司]] * [[宿院良蔵]] * [[伊木八郎]] * [[中村金吾]] * [[尾関弥四郎]] * [[佐々木蔵之助]] * [[河合耆三郎]] * [[酒井兵庫]] * [[木内峰太]] * [[松本喜次郎]] * [[竹内元太郎]] * [[谷周平|近藤周平]] === 屯所守備 === * [[山南敬助]] * [[尾関雅次郎]] * [[柳田三二郎]] * [[山崎丞]] * [[尾形俊太郎]] * [[山野八十八]] なお、当時所属していた[[馬詰信十郎]]・[[馬詰柳太郎]]はこの日に[[脱走]]した為に不参加。 == 尊王攘夷派志士 == === 池田屋事件で襲撃された主な志士 === * [[宮部鼎蔵]]([[肥後藩]]。池田屋で自刃) * [[北添佶摩]]([[土佐藩]]。池田屋で自刃。[[子母澤寛]]の創作中の階段落ちで有名) * [[淵上郁太郎]]([[久留米藩]]。脱出) * [[大高又次郎]]([[林田藩]]。池田屋で闘死) * [[石川潤次郎]](土佐藩。池田屋で闘死) * [[松田重助]](肥後藩。池田屋で闘死) * [[伊藤弘長]](土佐藩。池田屋で闘死) * [[福岡祐次郎]]([[伊予松山藩]]。池田屋で闘死) * [[越智正之]](土佐藩。池田屋で闘死) * [[広岡浪秀]]([[長州藩]]の[[神職]]。池田屋で闘死) * [[吉田稔麿]](長州藩。脱出後自刃) * [[望月亀弥太]](土佐藩。脱出後自刃) * [[杉山松助]](事件を知り長州藩邸から駆けつけるが[[会津藩]]兵に斬られ、後に死亡) * [[野老山吾吉郎]](土佐藩。戦闘の後、脱出。儒学者・[[板倉槐堂]]を頼り、後に長州藩邸で自刃) * [[藤崎八郎]](土佐藩。三条小橋で負傷後自刃、あるいは[[大坂]]土佐藩邸に送られた後死亡とも) * [[近江屋まさ]](近江屋[[女将]](42歳)。近江屋で殺害される。「ふさ」とも) * [[酒井金三郎]]([[長府藩]]。縄手後で殺される) * [[内山太郎右衛門]](長州藩の無給通士。捕縛され、[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]([[8月21日]])に刑死) * [[佐伯稜威雄]](長州藩の神職。捕縛され、[[慶応]]元年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]([[1865年]][[7月26日]])に刑死) * [[佐藤一郎 (志士)|佐藤一郎]](長州藩京都藩邸吏。捕縛され、7月20日(8月21日)に刑死) * [[山田虎之助]](長州藩の無給通士。いったん脱出。後に捕縛) * [[大高忠兵衛]](林田藩。[[大高又次郎]]の弟。いったん脱出。後に捕縛され、[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]([[8月5日]])に獄死) * [[北村善吉]](又次郎の門人。[[槍]]傷を負うが、池田屋裏から川辺に逃れ、舟入の中へ潜んで助かる) * [[瀬尾幸十郎]](捕縛) * [[安藤鉄馬]](捕縛されるが逃れる) * [[沢井帯刀]](捕縛) * [[大中主膳]](捕縛) * [[森主計]](京。捕縛) * [[西川耕造]](京。一旦脱出。10日後に捕縛され、[[元治]]2年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]](1865年[[3月8日]])に獄死) * [[木村甚五郎]](京。[[久坂玄瑞]]と間違われ、捕縛) * [[今井三郎右衛門]]([[豊岡藩]](46歳)。捕縛され、刑死) * [[村上俊平]]([[上野国|上野]][[佐位郡]]出身。捕縛され、刑死) * [[河田佐久馬]]([[因幡国|因州]]。脱出) * [[高木元右衛門]](肥後藩。脱出して長州藩邸へ逃れる) * [[宮部春蔵]](肥後藩。鼎蔵の弟。長州藩邸へ逃れる) * [[岩佐某]]([[丹波国|丹波]]。池田屋の風呂桶の中に隠れて助かる) * [[有吉熊次郎]](長州藩。長州藩邸に脱出) * [[和田義亮|大沢逸平]](長州藩。池田屋の風呂桶の中に隠れて助かり、長州藩邸に脱出) * [[松山良造]]([[越後国]]。[[松山高吉]]の従兄弟、元新選組とも。脱出) * [[田中長九郎]](京。捕縛) * [[吉田五郎 (幕末)|吉田五郎]]([[越前国|越前]]出身。捕縛) * [[南雲平馬]](上野[[利根郡]]沼田村出身。捕縛) * [[国重正文]](長州藩。脱出) * [[錦織有無之助]]([[尾張藩]]。二階南側より逃走、[[水戸藩]]邸に逃げるも追い出され、捕縛され、刑死) === 池田屋事件で捕縛された一般人 === * [[入江惣兵衛]](池田屋主人。獄死) * 入江彦助(惣兵衛の弟) * 近江屋宇兵衛(近江屋主人) * 近江屋きん(近江屋の人) * 近江屋とき(近江屋の人) * 和泉屋重助(和泉屋主人。刑死) * 幸次郎(和泉屋[[手代]]。刑死) * 丹波屋次郎兵衛(丹波屋主人。刑死) * 丹波屋万助(次郎兵衛の子。刑死) * 松下喜三郎([[町人]]) * 吉兵衛(町人) * 勇助(長州藩邸門番) など == 事件後の池田屋 == 事件後、尊攘派志士をかくまっていたとして、池田屋主人の池田屋惣兵衛が捕縛され、獄死。池田屋も7か月間の営業停止となった。その後、親類により近在で営業を再開したが、のちに廃業し、現存しない。 元の池田屋は人手に渡り、別の経営者が佐々木旅館として営業していたが、廃業した。[[1960年]]ごろまでは当時の建物も残っていたが、その後取り壊され、跡地は[[テナント|テナントビル]]([[1978年]]ごろは[[ケンタッキーフライドチキン]]の店舗)や[[パチンコ|パチンコ店]]など転々として、[[2009年]]に、[[居酒屋]]チェーンの[[チムニー (居酒屋)|チムニー]]が、新選組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業している。 当地には、佐々木旅館の縁者が建立した「池田屋騒動之址」と刻まれた[[石碑]]がある。 == 脚注 == <references/> == 参考文献 == * [[伊東成郎]]『新選組は京都で何をしていたか』、[[KTC中央出版]] * [[菊地明]]『新選組の真実』、[[PHP研究所]] * [[中村武生]]『池田屋事件の研究』、[[講談社現代新書]] * [[原口清]]「禁門の変の一考察」『名城商学』46巻2号〜3号、[[名城大学商学会]] == 関連項目 == * [[明保野亭事件]] * [[禁門の変]] * [[寺田屋事件]] * [[近江屋事件]] * [[池田屋 (テレビ技術会社)]] * [[蒲田行進曲]] == 外部リンク == {{commonscat|Ikedaya Incident}} * {{Kotobank}} {{DEFAULTSORT:いけたやしけん}} [[Category:幕末の事件]] [[Category:幕末の京都]] [[Category:中京区の歴史]] [[Category:新選組]] [[Category:近藤勇]] [[Category:土方歳三]] [[Category:斎藤一]] [[Category:1864年の日本]] [[Category:1864年の戦闘]]
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チューリング賞
ACM A・M・チューリング賞(ACM A.M. Turing Award)、通称チューリング賞(Turing Award)は、計算機科学分野の国際的な学会であるACMが、計算機科学分野における「永続的な重要性を持つ主要な業績」に対して毎年授与している賞である。 賞の名称は、アラン・チューリングの名に由来する。チューリングは、理論計算機科学や人工知能の重要な創始者としてしばしば言及される。 この賞は、計算機科学の分野における最高の栄誉とされ、「計算機科学のノーベル賞」と広く認識されている。受賞者にはハーバート・サイモンなどノーベル賞受賞者も存在している。 賞の授与は毎年1回行われる。2007年から2013年までは、インテルとグーグルからの支援により25万ドルの賞金が追加された。2014年からは、グーグルからの支援により100万ドルの賞金が追加されている。 1966年の最初の受賞者はカーネギーメロン大学のアラン・パリスだった。初の女性受賞者は、2006年のフランシス・E・アレン(IBM)だった。
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ACM A・M・チューリング賞(ACM A.M. Turing Award)、通称チューリング賞(Turing Award)は、計算機科学分野の国際的な学会であるACMが、計算機科学分野における「永続的な重要性を持つ主要な業績」に対して毎年授与している賞である。 賞の名称は、アラン・チューリングの名に由来する。チューリングは、理論計算機科学や人工知能の重要な創始者としてしばしば言及される。 この賞は、計算機科学の分野における最高の栄誉とされ、「計算機科学のノーベル賞」と広く認識されている。受賞者にはハーバート・サイモンなどノーベル賞受賞者も存在している。 賞の授与は毎年1回行われる。2007年から2013年までは、インテルとグーグルからの支援により25万ドルの賞金が追加された。2014年からは、グーグルからの支援により100万ドルの賞金が追加されている。 1966年の最初の受賞者はカーネギーメロン大学のアラン・パリスだった。初の女性受賞者は、2006年のフランシス・E・アレン(IBM)だった。
{{Infobox award | name = ACMチューリング賞 | image =Premio Turing entregado al equipo ASIMO.jpg | caption = | image_size = | awarded_for = [[計算機科学]]における永続的な重要性を持つ主要な貢献 | presenter = [[Association for Computing Machinery]] (ACM) | country = {{USA}} | reward = 100万[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]<ref name="million">{{cite journal | doi = 10.1145/2685372 | title = ACM's Turing Award prize raised to $1 million | journal = Communications of the ACM | volume = 57 | issue = 12 | page = 20 | year = 2014| author = Cacm Staff }}</ref> | year = {{start date and age|1966}} | year2 = 2022年 | website = {{URL|http://amturing.acm.org}} }} '''ACM A・M・チューリング賞'''(ACM A.M. Turing Award)、通称'''チューリング賞'''(Turing Award)は、[[計算機科学]]分野の国際的な学会である[[Association for Computing Machinery|ACM]]が、計算機科学分野における「永続的な重要性を持つ主要な業績」に対して毎年授与している賞である<ref name=ACM>{{cite web|title=A. M. Turing Award|publisher=ACM|url=http://awards.acm.org/homepage.cfm?srt=all&awd=140|access-date=2007-11-05|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20091212132624/http://awards.acm.org/homepage.cfm?srt=all&awd=140|archive-date=2009-12-12}}</ref>。 賞の名称は、[[アラン・チューリング]]の名に由来する。チューリングは、[[理論計算機科学]]や[[人工知能]]の重要な創始者としてしばしば言及される<ref>{{cite book|author=Homer, Steven and Alan L. |title=Computability and Complexity Theory|url=https://books.google.com/books?id=r5kOgS1IB-8C&pg=PA35|page=35|isbn=978-0-387-95055-6|accessdate=2007-11-05}}</ref>。 この賞は、計算機科学の分野における最高の栄誉とされ、「[[ある分野のノーベル賞として知られる賞の一覧|計算機科学のノーベル賞]]」と広く認識されている<ref>{{Cite book | last1=Dasgupta | first1=Sanjoy | last2=Papadimitriou | first2=Christos |author2-link=Christos Papadimitriou | last3=Vazirani | first3=Umesh | author3-link=Umesh Vazirani | title=Algorithms | url=https://archive.org/details/algorithms00dasg_934 | url-access=limited | publisher=[[マグロウヒル|McGraw-Hill]] | year=2008 | isbn=978-0-07-352340-8 | page = [https://archive.org/details/algorithms00dasg_934/page/n316 317] }}</ref><ref>[http://www.informatik.uni-trier.de/~ley/db/journals/cacm/turing.html Bibliography of Turing Award lectures], [[DBLP]]</ref><ref>{{cite web |url = http://www.acm.org/press-room/news-releases-2007/turingaward/ |title = ACM'S Turing Award Prize Raised To $250,000 |publisher=[[Association for Computing Machinery|ACM]] press release |date=27 July 2007|access-date=2008-10-16 |first=Steven |last = Geringer |url-status=dead |archive-url = https://web.archive.org/web/20081230233653/http://www.acm.org/press-room/news-releases-2007/turingaward/ |archive-date=30 December 2008}}</ref><ref>See also: {{cite web | url = http://www.networkworld.com/article/2177705/data-center/why-there-s-no-nobel-prize-in-computing.html | title = Why there's no Nobel Prize in Computing | author = [http://www.networkworld.com/author/Bob-Brown/ Brown, Bob] | website = [[Network World]] | date = June 6, 2011 | access-date = June 3, 2015 }} </ref>。受賞者には[[ハーバート・サイモン]]など[[ノーベル賞]]受賞者も存在している。 賞の授与は毎年1回行われる。2007年から2013年までは、[[インテル]]と[[グーグル]]からの支援により25万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の賞金が追加された<ref name=ACM/>。2014年からは、グーグルからの支援により100万ドルの賞金が追加されている<ref name=million/><ref>{{cite web|title=ACM's Turing Award Prize Raised to $1 Million|publisher=ACM|url=http://www.acm.org/press-room/news-releases/2014/turing-prize-announcement|access-date=2014-11-13|url-status=dead|archive-url=https://web.archive.org/web/20151123032706/http://www.acm.org/press-room/news-releases/2014/turing-prize-announcement|archive-date=2015-11-23}}</ref>。 [[1966年]]の最初の受賞者は[[カーネギーメロン大学]]の[[アラン・パリス]]だった。初の女性受賞者は、[[2006年]]の[[フランシス・E・アレン]]([[IBM]])だった<ref name=Allen>{{cite press release|title=First Woman to Receive ACM Turing Award|publisher=The Association for Computing Machinery|url=http://campus.acm.org/public/pressroom/press_releases/2_2007/turing2006.cfm|archive-url=https://web.archive.org/web/20070702034203/http://campus.acm.org/public/pressroom/press_releases/2_2007/turing2006.cfm|url-status=dead|archive-date=July 2, 2007|date=February 21, 2007|access-date=2007-11-05}}</ref>。 == 受賞者 == {| class="wikitable" |- bgcolor="#ccccc" ! style="width:10px" |年度 ! style="width:150px" |受賞者名 ! 写真 ! 受賞理由 |- !1966 |[[アラン・パリス]]|| |高度なコンピュータプログラミング技法と[[コンパイラ]]構築の分野への貢献に対して。<ref>{{Cite journal | last1 = Perlis | first1 = A. J. | doi = 10.1145/321371.321372 | title = The Synthesis of Algorithmic Systems | journal = Journal of the ACM | volume = 14 | pages = 1–9 | year = 1967 | pmid = | pmc = }}</ref> |- !1967 |[[モーリス・ウィルクス]] |[[File:Maurice Vincent Wilkes 1980 (3).jpg|80px]] |世界初の[[プログラム内蔵方式]]のコンピュータである [[EDSAC]] の開発者として最もよく知られている。1949年に作られたとき、EDSAC は水銀[[遅延記憶装置]]を使用していた。さらに、1951年に Wheeler, Gill とともに出版した "Preparation of Programs for Electronic Digital Computers" の著者としても知られており、プログラム[[ライブラリ]]を効果的に紹介した。<ref>{{Cite journal|last1=Wilkes|first1=M. V.|year=1968|title=Computers then and Now|journal=Journal of the ACM|volume=15|pages=1–7|doi=10.1145/321439.321440}}</ref> |- !1968 |[[リチャード・ハミング]] | |[[数値解析]]、[[自動プログラミング]]、[[誤り検出訂正|誤り検出と誤り訂正符号]]における業績に対して<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/321495.321497| title = One Man's View of Computer Science| journal = Journal of the ACM| volume = 16| pages = 3–12| year = 1969| last1 = Hamming | first1 = R. W.}}</ref> |- !1969 |[[マービン・ミンスキー]] |[[File:Marvin Minsky at OLPCb.jpg|80px]] |[[人工知能]]分野の創造、形成、促進、発展における中心的な役割に対して<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/321574.321575| title = Form and Content in Computer Science (1970 ACM turing lecture)| journal = Journal of the ACM| volume = 17| issue = 2| pages = 197–215| year = 1970| last1 = Minsky | first1 = M. }}</ref> |- !1970 |[[ジェームズ・H・ウィルキンソン]] || |高速なデジタルコンピュータを利用した数値解析に関する研究と線形代数と誤差解析の処理に関する深い洞察に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/321637.321638| title = Some Comments from a Numerical Analyst| journal = Journal of the ACM| volume = 18| issue = 2| pages = 137–147| year = 1971| last1 = Wilkinson | first1 = J. H.}}</ref> |- !1971 |[[ジョン・マッカーシー]] |[[File:John McCarthy Stanford.jpg|80px]] |マッカーシーの講演 "The Present State of Research on Artificial Intelligence" (人工知能研究の現状) は、彼の業績で高い評価を得た<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/33447.33448| title = Generality in artificial intelligence| journal = Communications of the ACM| volume = 30| issue = 12| pages = 1030–1035| year = 1987| last1 = McCarthy | first1 = J. | url = http://www-formal.stanford.edu/jmc/generality.ps}}</ref> |- !1972 |[[エドガー・ダイクストラ]] |[[File:Edsger Wybe Dijkstra.jpg|80px]] |明快さと数学的厳密さのモデルとなった高レベルのプログラミング言語 ALGOL の開発への貢献、およびプログラミング言語全般の構造・表現・実装の理解への多大な貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/355604.361591| title = The humble programmer| journal = Communications of the ACM| volume = 15| issue = 10| pages = 859–866| year = 1972| last1 = Dijkstra | first1 = E. W. }}</ref> |- !1973 |[[チャールズ・バックマン]] |[[File:Charles Bachman 2012.jpg|80px]] |[[データベース]]技術への多大なる貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/355611.362534| title = The programmer as navigator| journal = Communications of the ACM| volume = 16| issue = 11| pages = 653–658| year = 1973| last1 = Bachman | first1 = C. W. }}</ref> |- !1974 |[[ドナルド・クヌース]] |[[File:KnuthAtOpenContentAlliance.jpg|80px]] |アルゴリズムの解析やプログラミング言語の設計に大きく貢献し、特に ”The Art of Computer Programming” に貢献したことに対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/361604.361612| title = Computer programming as an art| journal = Communications of the ACM| volume = 17| issue = 12| pages = 667–673| year = 1974| last1 = Knuth | first1 = D. E. }}</ref> |- !rowspan=2|1975 |[[アレン・ニューウェル]] || |rowspan=2|RAND 社の J. C. Shaw との共同研究を皮切りに、カーネギーメロン大学の多くの教員や学生との共同研究で、人工知能、人間の認知心理学、リスト処理の分野での基礎的な貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/360018.360022| title = Computer science as empirical inquiry: Symbols and search| journal = Communications of the ACM| volume = 19| issue = 3| pages = 113| year = 1976| last1 = Newell | first1 = A. | last2 = Simon | first2 = H. A. }}</ref> |- |[[ハーバート・サイモン]] |[[File:Herbert simon red complete.jpg|80px]] |- !rowspan=2|1976 |[[マイケル・ラビン]] |[[File:M O Rabin.jpg|80px]] |rowspan=2|彼らの共作論文 "Finite Automata and Their Decision Problem" (有限状態機械とその決定性問題) に対して。<ref>{{Cite journal | last1 = Rabin | first1 = M. O. | last2 = Scott | first2 = D. | doi = 10.1147/rd.32.0114 | title = Finite Automata and Their Decision Problems | journal = IBM Journal of Research and Development | volume = 3 | issue = 2 | pages = 114 | year = 1959 | pmid = | pmc = }}</ref> その論文は[[非決定性有限オートマトン|非決定性マシン]]という非常に貴重な概念を導入し、この分野の後続の者たちに絶えずインスピレーションを与えた。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/359810.359816| title = Complexity of computations| journal = Communications of the ACM| volume = 20| issue = 9| pages = 625–633| year = 1977| last1 = Rabin | first1 = M. O. }}</ref><ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/359810.359826| title = Logic and programming languages| journal = Communications of the ACM| volume = 20| issue = 9| pages = 634–641| year = 1977| last1 = Scott | first1 = D. S. }}</ref> |- |[[デイナ・スコット]] |[[File:Scott Dana small.jpg|80px]] |- !1977 |[[ジョン・バッカス]] |[[File:John Backus 2.jpg|80px]] |特に[[FORTRAN]]の研究によって行われた、実用的な高水準プログラミングシステムの設計への深く影響力のある恒久的貢献、および[[プログラミング言語]]仕様の形式的手法に関する画期的な出版に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/359576.359579| title = Can programming be liberated from the von Neumann style?: A functional style and its algebra of programs| journal = Communications of the ACM| volume = 21| issue = 8| pages = 613–641| year = 1978| last1 = Backus | first1 = J. }}</ref> |- !1978 |[[ロバート・フロイド]]|| |効率的で信頼性の高いソフトウェアを生み出す方法論に明確な影響を与えたこと、また、解析理論、プログラミング言語の意味論、プログラムの自動検証、プログラムの自動合成、アルゴリズムの解析など、コンピュータサイエンスの重要な分野の発見への貢献に対して。<ref>{{Cite journal | last1 = Floyd | first1 = R. W. | title = The paradigms of programming | url = http://dl.acm.org/ft_gateway.cfm?id=359140&ftid=289772&dwn=1&CFID=285645736&CFTOKEN=55009136| doi = 10.1145/359138.359140 | journal = Communications of the ACM | volume = 22 | issue = 8 | pages = 455–460 | year = 1979 | pmid = | pmc = }}</ref> |- !1979 |[[ケネス・アイバーソン]] |[[ファイル:KEI with ATW NY Aug 1989 (cropped) - Ken Iverson.png|左|フレームなし|107x107ピクセル]] |[[APL]]に代表される数学的記法とプログラミング言語理論への貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/358896.358899| title = Notation as a tool of thought| journal = Communications of the ACM| volume = 23| issue = 8| pages = 444–465| year = 1980| last1 = Iverson | first1 = K. E. }}</ref> |- !1980 |[[アントニー・ホーア]] |[[File:Sir Tony Hoare IMG 5125.jpg|80px]] |プログラミング言語の定義と設計に対する基礎的な貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/358549.358561| title = The emperor's old clothes| journal = Communications of the ACM| volume = 24| issue = 2| pages = 75–83| year = 1981| last1 = Hoare | first1 = C. A. R. }}</ref> |- !1981 |[[エドガー・F・コッド]] | |[[データベース管理システム]]、特に[[関係データベース]]の理論と実用における基本的貢献に対して。<ref>{{Cite journal | last1 = Codd | first1 = E. F. | authorlink1 = Edgar F. Codd| title = Relational database: A practical foundation for productivity | doi = 10.1145/358396.358400 | journal = Communications of the ACM | volume = 25 | issue = 2 | pages = 109–117 | year = 1982 | pmid = | pmc = }}</ref> |- !1982 |[[スティーブン・クック]] |[[File:Prof.Cook.jpg|80px]] |重要かつ意義深い方法で我々の[[計算複雑性理論|計算複雑性]]への理解を高めさせた貢献に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/358141.358144| title = An overview of computational complexity| journal = Communications of the ACM| volume = 26| issue = 6| pages = 400–408| year = 1983| last1 = Cook | first1 = S. A. }}</ref> |- !rowspan=2|1983 |[[ケン・トンプソン]] |[[File:Ken Thompson 02.jpg|80px]] |rowspan=2|汎用[[オペレーティングシステム]]理論の発展への貢献、特に[[UNIX]]オペレーティングシステムの実装に対して。<ref name="Thompson">{{cite web | title=A.M. Turing Award Laureate - Kenneth Lane Thompson | website=amturing.acm.org | url=https://amturing.acm.org/award_winners/thompson_4588371.cfm | access-date=4 November 2018}}</ref><ref name="Ritchie">{{cite web | title=A.M. Turing Award Laureate - Dennis M. Ritchie | website=amturing.acm.org | url=https://amturing.acm.org/award_winners/ritchie_1506389.cfm | access-date=4 November 2018}}</ref> |- |[[デニス・リッチー]] |[[File:Dennis Ritchie 2011.jpg|80px]] |- !1984 |[[ニクラウス・ヴィルト]] |[[File:Niklaus Wirth, UrGU.jpg|80px]] |[[Euler Math Toolbox|EULER]], [[ALGOL|ALGOL-W]], MODULA, [[Pascal]]といった革新的なコンピュータ言語の開発に対して。 |- !1985 |[[リチャード・カープ]] |[[File:Karp mg 7725-b.cr2.jpg|80px]] |ネットワークフローや組合せ最適化問題に関する効率的アルゴリズムの開発、アルゴリズムの効率を判断する基準となる多項式時間の識別など計算理論に関する長年の貢献と、特に[[NP完全]]理論への貢献に対して。理論上でも実際上でも与えられた問題の計算複雑度を識別してNP完全かどうかを証明するための方法論はカープが導入し、今日では一般化している。 |- !rowspan=2|1986 |[[ジョン・ホップクロフト]] |[[File:hopcrofg.jpg|80px]] |rowspan=2|[[アルゴリズム]]と[[データ構造]]の設計と分析における基本的貢献に対して。 |- |[[ロバート・タージャン]] |[[File:Bob Tarjan.jpg|80px]] |- !1987 |[[ジョン・コック]] || |コンパイラの開発と理論、大規模システムのアーキテクチャ、[[RISC]]の開発における多大なる貢献に対して。 |- !1988 |[[アイバン・サザランド]] |[[File:Ivan Sutherland at CHM.jpg|80px]] |[[Sketchpad]]に始まり、その後も続いた、コンピュータグラフィックスにおける先駆的で先見性のある貢献に対して。 |- !1989 |[[ウィリアム・カハン]] |[[File:William Kahan.jpg|80px]] |[[数値解析]]への基礎的貢献に対して。[[浮動小数点数|浮動小数点]]計算における最前線の専門家であり、カハンは「数値計算にとって安全な世界を作ること」に専念した。 |- !1990 |[[フェルナンド・J・コルバト]] |[[File:Fernando Corbato.jpg|80px]] |[[CTSS]]や[[Multics]]といった汎用で大規模な[[タイムシェアリングシステム|タイムシェアリング]]・リソース共有型コンピュータシステムの概念を構築し、開発を導いた先駆的業績に対して |- !1991 |[[ロビン・ミルナー]] || |3つの明確で完全な業績に対して。1) LCF、Scottの計算可能関数論理の機械化、機械支援証明構築のためのおそらく最初の理論に基づいた実用的なツール、2) ML、多相型推論と型安全な例外処理機構を含む最初の言語、3) CCS、同時実行の一般的な理論。さらに、完全抽象化、すなわち、操作的意味論と叙述的意味論の関係の研究を定式化し、強力に推進した。<ref>{{Cite journal | last1 = Milner | first1 = R. | doi = 10.1145/151233.151240 | title = Elements of interaction: Turing award lecture | journal = Communications of the ACM | volume = 36 | pages = 78–89 | year = 1993 | pmid = | pmc = }}</ref> |- !1992 |[[バトラー・ランプソン]] |[[File:Professional Developers Conference 2009 Technical Leaders Panel 6.jpg|80px]] |分散型のパーソナルコンピューティングの環境の発展とそれを実装するための技術([[ワークステーション]]、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]、[[オペレーティングシステム]]、プログラミングシステム、[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]、[[コンピュータセキュリティ|セキュリティ]]、[[ワードプロセッサ|文書作成]])への貢献に対して。 |- !rowspan=2|1993 |[[ユリス・ハルトマニス]] |[[File:Juris_Hartmanis(2002).jpg|80px]] |rowspan=2|[[計算複雑性理論]]の分野を確立した独創的な論文に対して。<ref>{{Cite journal | doi = 10.1145/188280.188379| title = Turing Award lecture: It's time to reconsider time| journal = Communications of the ACM| volume = 37| issue = 11| pages = 95–99| year = 1994| last1 = Stearns | first1 = R. E. }}</ref> |- |[[リチャード・スターンズ]] |[[File:Dick Stearns.jpg|80px]] |- !rowspan=2|1994 |[[エドワード・ファイゲンバウム]] |[[File:27. Dr. Edward A. Feigenbaum 1994-1997.jpg|80px]] |rowspan=2|先駆的な大規模人工知能システムの設計と開発および、人工知能技術の実用性と潜在的価値を広く知らしめたことに対して。<ref>{{Cite journal | last1 = Reddy | first1 = R. | title = To dream the possible dream | doi = 10.1145/229459.233436 | journal = Communications of the ACM | volume = 39 | issue = 5 | pages = 105–112 | year = 1996 | pmid = | pmc = }}</ref> |- |[[ラジ・レディ]] |[[File:ProfReddys Photo Cropped.jpg|80px]] |- !1995 |[[マヌエル・ブラム]] |[[File:Blum manuel lenore avrim.jpg|80px]] |[[計算複雑性理論]]の基礎的研究とその[[暗号]]およびプログラム検証への応用に関する貢献に対して。<ref name="Blum">{{cite web| title=A.M. Turing Award Laureate - Manuel Blum| website=amturing.acm.org| url=https://amturing.acm.org/award_winners/blum_4659082.cfm| access-date=4 November 2018}}</ref> |- !1996 |[[アミール・プヌーリ]] |[[File:Amir Pnueli.jpg|80px]] |計算機科学に[[時相論理]]を導入した独創的業績とプログラムやシステムの検証への多大な貢献に対して。<ref name="Pnueli">{{cite web | title=A.M. Turing Award Laureate - Amir Pnueli | website=amturing.acm.org | url=https://amturing.acm.org/award_winners/pnueli_4725172.cfm | access-date=4 November 2018}}</ref> |- !1997 |[[ダグラス・エンゲルバート]] |[[File:Douglas Engelbart in 2008.jpg|80px]] |対話型コンピューティングの未来を切り開き、それを現実化するのに鍵となる技術を発明したことに対して。<ref name="Engelbart" >{{cite web | title=A.M. Turing Award Laureate - Douglas Engelbart | website=amturing.acm.org | url=https://amturing.acm.org/award_winners/engelbart_5078811.cfm | access-date=4 November 2018}}</ref> |- !1998 |[[ジム・グレイ]] |[[File:Jim Gray Computing in the 21st Century 2006.jpg|80px]] |[[データベース]]および[[トランザクション]]処理に関する独創的な研究とシステム実装についての技術的リーダーシップに対して。 |- !1999 |[[フレデリック・ブルックス]] |[[File:Fred Brooks.jpg|80px]] |[[コンピュータ・アーキテクチャ]]、[[オペレーティングシステム]]、[[ソフトウェア工学]]に対する貢献に対して。 |- !2000 |[[アンドリュー・チーチー・ヤオ]] |[[File:Andrew Yao.jpg|80px]] |計算複雑性理論に基づく[[擬似乱数]]、[[暗号理論]]、[[通信複雑性]]などの[[計算理論]]への基本的貢献に対して。 |- !rowspan=2|2001 |[[オルヨハン・ダール]] | |rowspan=2|[[プログラミング言語]] Simula I と Simula 67 の設計を通して[[オブジェクト指向プログラミング]]の基本的なアイデアを生み出したことに対して。 |- |[[クリステン・ニガード]] |[[File:Kristen-Nygaard-SBLP-1997-head.png|80px]] |- !rowspan=3|2002 |[[ロナルド・リベスト]] |[[File:Ronald L Rivest photo.jpg|80px]] |rowspan=3|[[公開鍵暗号]]の実用化([[RSA暗号]])における独創的な貢献に対して。 |- |[[アディ・シャミア]] |[[File:Adi Shamir at TU Darmstadt (2013).jpg|80px]] |- |[[レオナルド・エーデルマン]] |[[File:Len-mankin-pic.jpg|80px]] |- !2003 |[[アラン・ケイ]] |[[File:Alan Kay (3097597186).jpg|80px]] |[[Smalltalk]] の開発チームを指導し、現代の[[オブジェクト指向プログラミング]]の元となる多くの考えを開拓したことに対して、また、[[パーソナルコンピュータ|パーソナルコンピューティング]]への基礎的貢献に対して。 |- !rowspan=2|2004 |[[ヴィントン・サーフ]] |[[File:Dr_Vint_Cerf_ForMemRS.jpg|80px]] |rowspan=2|インターネットの基本通信プロトコルである [[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] の開発と実装を含む[[インターネットワーキング]]における先駆的貢献とネットワーク全般でのリーダーシップに対して。 |- |[[ロバート・カーン]] |[[File:Bob_Kahn.jpg|80px]] |- !2005 |[[ピーター・ナウア]] |[[File:Peternaur.JPG|80px]] |プログラミング言語の設計とALGOL 60の定義、コンパイラの設計、コンピュータプログラミングの技術と実践への基礎的な貢献に対して。 |- !2006 |[[フランシス・E・アレン]] |[[File:Allen mg 2528-3750K-b.jpg|80px]] |現代の[[最適化コンパイラ]] ([[:en:Optimizing compiler]]) と[[自動並列実行]] ([[:en:Automatic parallelization]]) の基礎を築いた最適化コンパイラ技術の理論と実践への先駆的な貢献に対して。 |- !rowspan=3|2007 |[[エドムンド・クラーク]] |[[File:Edmund Clarke FLoC 2006.jpg|80px]] |rowspan=3|ハードウェア・ソフトウェア産業において広く採用されている[[モデル検査]]を極めて効果的な検査技術に発達させた役割に対して。<ref>[http://www.ddj.com/206103622 2007 Turing Award Winners Announced]</ref> 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}}</ref> |[[File:Judea Pearl at NIPS 2013 (11781981594).jpg|80px]] |確率的および因果的推論の算法を発展させたことによる人工知能への基礎的貢献に対して。<ref>{{cite web |url=http://amturing.acm.org/award_winners/pearl_2658896.cfm |title=Judea Pearl |publisher=ACM|accessdate=2012-03-15}}</ref> |- !rowspan=2|2012 |[[シルビオ・ミカリ]] |[[File:Silvio Micali.jpg|80px]] |rowspan=2|暗号の科学のために複雑性理論の基礎を築き、その過程で複雑性理論における数学的証明を効率的に検証するための新しい方法を開拓した変革的な業績に対して。<ref>{{cite web |url=http://www.acm.org/press-room/news-releases/2013/turing-award-12/ |title=Turing award 2012 |publisher=ACM |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130318034311/http://www.acm.org/press-room/news-releases/2013/turing-award-12/ |archivedate=2013-03-18 |accessdate=2013-03-13}}</ref> |- |[[シャフィ・ゴールドワッサー]] |[[File:Shafi Goldwasser.JPG|80px]] |- !2013 |[[レスリー・ランポート]] |[[File:Leslie Lamport.jpg|80px]] |特に、因果関係や論理クロック、安全性や活性度、複製されたステートマシン、逐次一貫性などの概念の発明など、分散システムや並行システムの理論と実践への基礎的な貢献に対して。<ref>{{cite web |url=http://amturing.acm.org/award_winners/lamport_1205376.cfm |title=Turing award 2013 |publisher=ACM|accessdate=2014-03-18}}</ref><ref>{{Cite journal | last1 = Lamport | first1 = L. |authorlink1=Leslie Lamport| title = Time, clocks, and the ordering of events in a distributed system | doi = 10.1145/359545.359563 | journal = [[Communications of the ACM ]]| volume = 21 | issue = 7 | pages = 558–565| year = 1978 | url=http://research.microsoft.com/users/lamport/pubs/time-clocks.pdf| citeseerx = 10.1.1.155.4742 }}</ref> |- !2014 |[[マイケル・ストーンブレーカー]] |[[File:Michael Stonebraker P1120062.jpg |80px]] |現代のデータベースシステムの基本となる概念と実用に対する基礎的な貢献に対して。<ref>{{cite web |url=http://amturing.acm.org/award_winners/stonebraker_1172121.cfm |title=Turing award 2014 |publisher=ACM|accessdate=2015-03-25}}</ref> |- !rowspan=2|2015 |[[マーティン・ヘルマン]] |[[File:Martin-Hellman.jpg|80px]] |rowspan=2| 現代の暗号技術への基本的な貢献について。Diffie と Hellman の画期的な 1<nowiki/>976 年の論文 "New Directions in Cryptography" は、公開鍵暗号とデジタル署名のアイデアを紹介したもので、今日のインターネット上で最も一般的に使用されているセキュリティプロトコルの基礎となっている。<ref>{{cite web |url=http://amturing.acm.org/award_winners/diffie_8371646.cfm|title=Cryptography Pioneers Receive 2015 ACM A.M. Turing Award| publisher=ACM|accessdate=2016-03-01}}</ref> |- |[[ホイットフィールド・ディフィー]] |[[File:Whitfield Diffie Royal Society.jpg|80px]] |- !2016 |[[ティム・バーナーズ=リー]] |[[File:Sir Tim Berners-Lee (cropped).jpg|80px]] |[[World Wide Web]]、最初のWebブラウザ、そして Web が今の規模となるための基本的なプロトコルとアルゴリズムを発明したことに対して。<ref>{{cite web |url=http://amturing.acm.org/award_winners/berners-lee_8087960.cfm|title=Turing award 2016 |publisher=ACM|accessdate=2017-04-04}}</ref> |- !rowspan=2|2017 |[[ジョン・ヘネシー]] |[[File:John_L_Hennessy.jpg|80px]] |rowspan=2|[[マイクロプロセッサ]]産業の衝撃に耐えられるように、組織的で定量的な方法を用いて[[コンピュータ・アーキテクチャ]]の設計と評価を行ったことに対して。<ref>{{cite web |url=https://www.acm.org/media-center/2018/march/turing-award-2017|title=Pioneers of Modern Computer Architecture Receive ACM A.M. 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Retrieved March 31, 2021.</ref>。 |- |[[ジェフリー・ウルマン]] | |- !2021 |[[ジャック・ドンガラ]] |[[File:JackDongarra.jpg|80px]] |直近40年間におけるハードウェアの指数関数的な進歩に対応するための高性能計算ソフトウェアを可能にした数値アルゴリズムとライブラリに対して<ref>[https://awards.acm.org/about/2021-turing ACM Turing Award Honors Jack Dongarra for Pioneering Concepts and Methods Which Resulted in World-Changing Computations]</ref>。 |- !2022 |[[ロバート・メトカーフ]] |[[File:With_Bob_Metcalfe_(cropped).jpg|80px]] |[[イーサネット]]の発明と標準化、実用化に対して<ref>[https://awards.acm.org/about/2022-turing ACM Turing Award Honors Jack Dongarra for Pioneering Concepts and Methods Which Resulted in World-Changing Computations]</ref>。 |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 外部リンク == {{Commonscat|Turing Award}} * [http://amturing.acm.org/byyear.cfm チューリング賞公式サイト内受賞者一覧] * [http://www.informatik.uni-trier.de/~ley/db/journals/cacm/turing.html Bibliography of Turing Award lectures] (2000年まで) {{チューリング賞}} {{DEFAULTSORT:ちゆうりんくしよう}}<!--カテゴリの50音順--> [[Category:ACMの賞]] [[Category:計算機科学の賞]] [[Category:コンピュータ史]] [[Category:チューリング賞受賞者|*]] [[Category:人名を冠した賞]] [[Category:アラン・チューリング]]
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ファーストフード
ファストフード(仮名表記も参照、英: fast food)とは、短時間で調理、あるいは注文してからすぐ食べられる手軽な食品や食事のこと。料理と共に、それらを提供している外食産業について記述する。なお、「ファスト」(fast)は「迅速な」という意味で、「第一の」の意味(first)ではない。 食文化は、民族、地域によって異なるため、それらの枠を越えて広がるには時間がかかる。それどころか、全く伝播しないことさえある。米国は多民族国家で広大な国土を有するため、民族、出身国、人種、国内での地域差などで分かれる食文化の枠を越えなければ、大きなビジネスにはならない宿命があった。 アメリカにおけるファストフードは、国内における民族・地域の枠を越えて民族横断的に受け入れられる味付けであったことに加え、エンゲル係数が高かった時代に「安価」であったことが最大の武器となって広まった。中産階級においては、安価であることよりも、手軽に食べられ、食物エネルギーが大きいファストフードは、労働効率を上げる食事として受け入れられていった。ハンバーガー、ホットドッグ、フライドチキン、サンドイッチ、ピザなど、種類ごとに「フードチェーン」があらわれ大企業化していった。 第二次世界大戦後、チェーン店が本格的に外国に展開し始めた。しかし、アメリカのノウハウそのままで海外進出した場合、為替の問題でファストフードはかなり「高額」な食事になってしまった。特に、牛肉食の文化があまりない国に出店する際は、材料の入手でさらにコストが上がり、「ファストフード = 富裕層の食事」という、アメリカ国内では考えられない図式で導入されることとなった。 海外進出初期においては「安価」ではないファストフードであったが、「アメリカ資本」の「巨大フードチェーン」の進出は、競争力のないそれぞれの国の国内産業を圧迫するとともに、米国の文化侵略の象徴とみなされ、出店規制が行われることが多々見られた。 健康に関する知識の疎い貧困層ほど食事に占めるファストフードの比率が高く、その為に貧困層ほど肥満になりやすい事が報告されている。また調理に時間がかからず、安価な点からファストフードを選ばざるを得ない事情があるという。 自国産業を保護する政策が強く、巨大資本のアメリカ系企業に規制がかけられている国がある。特にフランスでは、アメリカ資本のファストフードチェーンは少ない。しかし、国内企業のファストフードチェーンや、個人経営に近いファストフード系の店は見られ、フィッシュアンドチップス、チキンアンドチップス、パニーノ、グレック(ケバブサンド)、シシカバブのほか、新興のスパイスバッグのような、アメリカとは異なった種類のファストフードも見られる。 アメリカの主導するグローバリズムの象徴としてファストフードが取り上げられる場合もあり、反グローバリズム、スローフード、フェアトレードなどの、経済論理と文化論が混ざった「反ファストフード運動」が見られる。 江戸時代には、蕎麦、うどん、天ぷら、寿司、おでん、うなぎ、串焼きなどが、街中を流す屋台で手軽に素早く食べられる料理として売られていた。 アメリカ式のファストフードは、1970年代初頭に日本に流入した。1970年に英国のウインピーをはじめ、ケンタッキーフライドチキン、ドムドムハンバーガー、1971年にマクドナルド、ミスタードーナツ、1972年にロッテリア、モスバーガーが出店を開始した。なお、米軍統治下の沖縄県では、1963年に北中城村にA&Wの1号店が開店している。なおモスバーガーは他のハンバーガーチェーン店と形態は似通っているが、注文を受けて調理することなどから、ハンバーガーレストランに分類され、ファストフード店には該当しないという解釈もある。 日本には、立ち食いそばなどの古くからの食べ物や、アメリカから伝来したハンバーガーやチキンのほかにも、牛丼、ラーメン、カレーライスなど、近代になってから日本で嗜好されるようになった食べ物も、チェーンストアを展開している。ファミリーレストラン、定食屋、回転寿司、セルフうどんのように店内で飲食するものから、手軽な弁当、菓子パン、惣菜まで、軽食産業は広がっている。 ファストフードは「安さ」が売りのひとつである。経営者が人件費を下げる必要性に迫られる場合が多い。そのためスキルを必要としない経営が行われ、簡易またはマニュアル化された手順書を用意し、常用社員ではなく非正規雇用者を雇用し、主婦や学生などをパートタイムで雇用し、自社工場または協力企業で製造した冷凍食品を、各店舗へ輸送し、電子レンジで調理して客へ出す事が多い。 中国語でファストフードは「快餐(クワイツァン、kuàicān)」と呼ばれる。もともと中華料理には、炒飯や麺類を始めとする小吃、および餃子やちまきを始めとする点心といったファストフードの性格を持つ料理があり、夜市や茶餐廳などを通じて提供されてきた。夜市の盛んな台湾では今でも様々な台湾小吃(中国語版)が存在する。また、生活スタイルの変化やアメリカ式のファストフードが流入し始めたことにより、香港では1970年代以降「香港式ファーストフード(中国語版)(港式快餐)」と呼ばれる独自のファストフード文化が発達した。 中国大陸では1980年代に始まった改革開放政策の結果、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどの世界的ファストフード店が経済特区や北京・上海などの大都市から出店を始め、すでに内陸の地方都市にまで普及している。欧米のチェーン店についで、台湾資本の豆乳を売り物にするファストフード店が人気を集めるようになると、中華料理を基本にしたファストフードチェーンも種々オープンするようになった。トレーに中華料理を盛って食べさせる定食屋などにも「快餐」の看板が掲げられている。最近では台湾風のおにぎりチェーンや、日式のラーメン店やカレーライスの店などにも人気が出ている。 2010年、中国料理協会は中国大陸におけるファストフード企業上位50社のリストを発表した。調査によれば、上位5社はヤム・ブランズ(現ヤム中国(英語版))、マクドナルド、ディコス、味千であった。 2003年の世界保健機関(WHO)の報告書は、ファストフードは肥満と関連すると報告している。2007年の世界がん研究基金による報告書は、がん予防のためにファストフードの摂取を控えめにすべきだとしている。アメリカでは、マクドナルドやペプシコなど11の主要なメーカーが、12歳以下の子どもにファストフードなどの広告をやめることで合意している。 2009年に台湾政府は、ファストフードなど不健康な食べ物に特別に課税する方針。食生活の改善と肥満低下を目的としている。同国では、肥満の子供が四人に一人以上になっており肥満問題が取り上げられている。 米国でも問題となっており、米成人の実に3分の2が肥満となっており医療費支出は900億ドルを超える。 妊娠前にファストフードを頻繁に食べた場合、糖尿病罹患リスクが増大することが報告されている。 「fast food」の仮名表記では表記ゆれが生じており、主に「ファストフード」と「ファーストフード」の2種類が使用されている。 NHK放送文化研究所が2002年度(平成14年度)に行った調査では、「ファーストフード」と言う回答者が72%を占めた。しかし2010年に街頭インタビューを行ったところ、若者の中に「ファストフード」を使う人も多くいた。以前は「ファーストフード」と言っていたが、"速い"という意味で『ファストフード』を意識するようになったという回答もあった。 一方、より新しい語である「fast fashion」は「ファストファッション」とするのが一般的である。 広辞苑(第6版)、明鏡国語辞典(第2版)、ジーニアス和英辞典(第2版)の見出し語では「ファーストフード」が用いられている。 大辞林(第4版)、新明解国語辞典(第8版)、スーパー・アンカー英和辞典(第5版)の見出し語では「ファストフード」が用いられている。 日本のマスメディアでは「fast」を「ファスト」と発音、表記することに決めているため、共同通信社をはじめとする大手通信社、日本新聞協会、NHKと日本民間放送連盟では「ファストフード」を統一表記としている。「速い」を意味する「fast」を「ファスト」、「第一」を意味する「first」を「ファースト」と言い分けることで、カタカナ化された外来語の意味の混乱を回避しているとの説明もある。 厚生労働省の公式サイト内では統一されておらず、「ファーストフード」と「ファストフード」のどちらも用いられている(2019年11月現在)。 「fast」の英国での発音は[fɑːst]であり「ファースト」に近いが、「fast food」の概念の由来元である米国での発音は[fæst]であり「ファスト」に近い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ファストフード(仮名表記も参照、英: fast food)とは、短時間で調理、あるいは注文してからすぐ食べられる手軽な食品や食事のこと。料理と共に、それらを提供している外食産業について記述する。なお、「ファスト」(fast)は「迅速な」という意味で、「第一の」の意味(first)ではない。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "食文化は、民族、地域によって異なるため、それらの枠を越えて広がるには時間がかかる。それどころか、全く伝播しないことさえある。米国は多民族国家で広大な国土を有するため、民族、出身国、人種、国内での地域差などで分かれる食文化の枠を越えなければ、大きなビジネスにはならない宿命があった。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アメリカにおけるファストフードは、国内における民族・地域の枠を越えて民族横断的に受け入れられる味付けであったことに加え、エンゲル係数が高かった時代に「安価」であったことが最大の武器となって広まった。中産階級においては、安価であることよりも、手軽に食べられ、食物エネルギーが大きいファストフードは、労働効率を上げる食事として受け入れられていった。ハンバーガー、ホットドッグ、フライドチキン、サンドイッチ、ピザなど、種類ごとに「フードチェーン」があらわれ大企業化していった。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後、チェーン店が本格的に外国に展開し始めた。しかし、アメリカのノウハウそのままで海外進出した場合、為替の問題でファストフードはかなり「高額」な食事になってしまった。特に、牛肉食の文化があまりない国に出店する際は、材料の入手でさらにコストが上がり、「ファストフード = 富裕層の食事」という、アメリカ国内では考えられない図式で導入されることとなった。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": 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"アメリカ式のファストフードは、1970年代初頭に日本に流入した。1970年に英国のウインピーをはじめ、ケンタッキーフライドチキン、ドムドムハンバーガー、1971年にマクドナルド、ミスタードーナツ、1972年にロッテリア、モスバーガーが出店を開始した。なお、米軍統治下の沖縄県では、1963年に北中城村にA&Wの1号店が開店している。なおモスバーガーは他のハンバーガーチェーン店と形態は似通っているが、注文を受けて調理することなどから、ハンバーガーレストランに分類され、ファストフード店には該当しないという解釈もある。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "日本には、立ち食いそばなどの古くからの食べ物や、アメリカから伝来したハンバーガーやチキンのほかにも、牛丼、ラーメン、カレーライスなど、近代になってから日本で嗜好されるようになった食べ物も、チェーンストアを展開している。ファミリーレストラン、定食屋、回転寿司、セルフうどんのように店内で飲食するものから、手軽な弁当、菓子パン、惣菜まで、軽食産業は広がっている。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ファストフードは「安さ」が売りのひとつである。経営者が人件費を下げる必要性に迫られる場合が多い。そのためスキルを必要としない経営が行われ、簡易またはマニュアル化された手順書を用意し、常用社員ではなく非正規雇用者を雇用し、主婦や学生などをパートタイムで雇用し、自社工場または協力企業で製造した冷凍食品を、各店舗へ輸送し、電子レンジで調理して客へ出す事が多い。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中国語でファストフードは「快餐(クワイツァン、kuàicān)」と呼ばれる。もともと中華料理には、炒飯や麺類を始めとする小吃、および餃子やちまきを始めとする点心といったファストフードの性格を持つ料理があり、夜市や茶餐廳などを通じて提供されてきた。夜市の盛んな台湾では今でも様々な台湾小吃(中国語版)が存在する。また、生活スタイルの変化やアメリカ式のファストフードが流入し始めたことにより、香港では1970年代以降「香港式ファーストフード(中国語版)(港式快餐)」と呼ばれる独自のファストフード文化が発達した。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "中国大陸では1980年代に始まった改革開放政策の結果、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどの世界的ファストフード店が経済特区や北京・上海などの大都市から出店を始め、すでに内陸の地方都市にまで普及している。欧米のチェーン店についで、台湾資本の豆乳を売り物にするファストフード店が人気を集めるようになると、中華料理を基本にしたファストフードチェーンも種々オープンするようになった。トレーに中華料理を盛って食べさせる定食屋などにも「快餐」の看板が掲げられている。最近では台湾風のおにぎりチェーンや、日式のラーメン店やカレーライスの店などにも人気が出ている。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2010年、中国料理協会は中国大陸におけるファストフード企業上位50社のリストを発表した。調査によれば、上位5社はヤム・ブランズ(現ヤム中国(英語版))、マクドナルド、ディコス、味千であった。", "title": "各地の様子" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2003年の世界保健機関(WHO)の報告書は、ファストフードは肥満と関連すると報告している。2007年の世界がん研究基金による報告書は、がん予防のためにファストフードの摂取を控えめにすべきだとしている。アメリカでは、マクドナルドやペプシコなど11の主要なメーカーが、12歳以下の子どもにファストフードなどの広告をやめることで合意している。", "title": "健康問題" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "2009年に台湾政府は、ファストフードなど不健康な食べ物に特別に課税する方針。食生活の改善と肥満低下を目的としている。同国では、肥満の子供が四人に一人以上になっており肥満問題が取り上げられている。", "title": "健康問題" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "米国でも問題となっており、米成人の実に3分の2が肥満となっており医療費支出は900億ドルを超える。", "title": "健康問題" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "妊娠前にファストフードを頻繁に食べた場合、糖尿病罹患リスクが増大することが報告されている。", "title": "健康問題" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "「fast food」の仮名表記では表記ゆれが生じており、主に「ファストフード」と「ファーストフード」の2種類が使用されている。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "NHK放送文化研究所が2002年度(平成14年度)に行った調査では、「ファーストフード」と言う回答者が72%を占めた。しかし2010年に街頭インタビューを行ったところ、若者の中に「ファストフード」を使う人も多くいた。以前は「ファーストフード」と言っていたが、\"速い\"という意味で『ファストフード』を意識するようになったという回答もあった。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "一方、より新しい語である「fast fashion」は「ファストファッション」とするのが一般的である。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "広辞苑(第6版)、明鏡国語辞典(第2版)、ジーニアス和英辞典(第2版)の見出し語では「ファーストフード」が用いられている。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "大辞林(第4版)、新明解国語辞典(第8版)、スーパー・アンカー英和辞典(第5版)の見出し語では「ファストフード」が用いられている。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "日本のマスメディアでは「fast」を「ファスト」と発音、表記することに決めているため、共同通信社をはじめとする大手通信社、日本新聞協会、NHKと日本民間放送連盟では「ファストフード」を統一表記としている。「速い」を意味する「fast」を「ファスト」、「第一」を意味する「first」を「ファースト」と言い分けることで、カタカナ化された外来語の意味の混乱を回避しているとの説明もある。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "厚生労働省の公式サイト内では統一されておらず、「ファーストフード」と「ファストフード」のどちらも用いられている(2019年11月現在)。", "title": "仮名表記" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "「fast」の英国での発音は[fɑːst]であり「ファースト」に近いが、「fast food」の概念の由来元である米国での発音は[fæst]であり「ファスト」に近い。", "title": "仮名表記" } ]
ファストフードとは、短時間で調理、あるいは注文してからすぐ食べられる手軽な食品や食事のこと。料理と共に、それらを提供している外食産業について記述する。なお、「ファスト」(fast)は「迅速な」という意味で、「第一の」の意味(first)ではない。
{{表記揺れ案内|表記1=ファストフード|議論ページ=}} '''ファストフード'''([[#仮名表記|仮名表記]]も参照、{{lang-en-short|fast food}})とは、短時間で調理、あるいは注文してからすぐ食べられる手軽な食品や食事のこと。料理と共に、それらを提供している[[外食産業]]について記述する。なお、「ファスト」(fast)は「[[迅速な]]」という意味で、「第一の」の意味(first)ではない。 [[File:McDonald’s Big Mac Set in Japan 2022.06.02.jpg|thumb|典型的なファストフードのメニュー。ハンバーガーとポテト、ドリンクが定番である。(写真は[[マクドナルド]]で販売されている[[ビッグマック]]セット)]] == 各地の様子 == <!-- 古い [[2010年]]末時点で[[マクドナルド]]を追い抜き[[サブウェイ]]が世界一の[[店|店舗]]数を持つファーストフード店である<ref>Julie Jargon [http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703386704576186432177464052.html Subway Runs Past McDonald's Chain] ''The Wall Street Journal'', March 8, 2011.</ref>。 {{独自研究|section=1|date=2011年11月}} --> === アメリカ合衆国 === [[ファイル:20070509 Rock 26 Roll McDonalds from 7th fl of Sports Authority.jpg|thumb|200px|[[ドライブスルー]]]] [[ファイル:Fried Fish and French Fries.jpg|thumb|200px|[[フィッシュ・アンド・チップス]]]] [[食文化]]は、民族、地域によって異なるため、それらの枠を越えて広がるには時間がかかる。それどころか、全く伝播しないことさえある。米国は[[多民族国家]]で広大な国土を有するため、民族、出身国、人種、国内での地域差などで分かれる食文化の枠を越えなければ、大きなビジネスにはならない宿命があった。 アメリカにおけるファストフードは、国内における民族・地域の枠を越えて民族横断的に受け入れられる味付けであったことに加え、エンゲル係数が高かった時代に「安価」であったことが最大の武器となって広まった。中産階級においては、安価であることよりも、手軽に食べられ、食物エネルギーが大きいファストフードは、労働効率を上げる食事として受け入れられていった。[[ハンバーガー]]、[[ホットドッグ]]、[[フライドチキン]]、[[サンドイッチ]]、[[ピザ]]など、種類ごとに「フードチェーン」があらわれ大企業化していった。 [[第二次世界大戦]][[戦後|後]]、チェーン店が本格的に外国に展開し始めた。しかし、アメリカのノウハウそのままで海外進出した場合、為替の問題でファストフードはかなり「高額」な食事になってしまった。特に、牛肉食の文化があまりない国に出店する際は、材料の入手でさらにコストが上がり、「ファストフード = 富裕層の食事」という、アメリカ国内では考えられない図式で導入されることとなった。 海外進出初期においては「安価」ではないファストフードであったが、「アメリカ資本」の「巨大フードチェーン」の進出は、競争力のないそれぞれの国の国内産業を圧迫するとともに、米国の文化侵略の象徴とみなされ、出店規制が行われることが多々見られた。 健康に関する知識の疎い貧困層ほど食事に占めるファストフードの比率が高く、その為に貧困層ほど肥満になりやすい事が報告されている。また調理に時間がかからず、安価な点からファストフードを選ばざるを得ない事情があるという<ref>[[CNN]] ニュースの肥満特集より</ref>{{Full citation needed|date=2022年2月}}。 === ヨーロッパ === 自国産業を保護する政策が強く、巨大資本のアメリカ系企業に規制がかけられている国がある。特に[[フランス]]では、アメリカ資本のファストフードチェーンは少ない。しかし、国内企業のファストフードチェーンや、個人経営に近いファストフード系の店は見られ、[[フィッシュアンドチップス]]、[[チキンアンドチップス]]、[[パニーノ]]、グレック([[ケバブ]]サンド)、[[シシカバブ]]のほか、新興の[[スパイスバッグ]]のような、アメリカとは異なった種類のファストフードも見られる。 アメリカの主導する[[グローバリズム]]の象徴としてファストフードが取り上げられる場合もあり、[[反グローバリズム]]、[[スローフード]]、[[フェアトレード]]などの、経済論理と文化論が混ざった「反ファストフード運動」が見られる。 === 日本 === [[ファイル:Tempura soba by shibainu at tachigui in Hatsudai, Tokyo.jpg|thumb|[[立ち食いそば・うどん店|立ち食い蕎麦]](上に乗っている具材は[[かき揚げ]]と[[ネギ]]である)]] [[江戸時代]]には、[[蕎麦]]、[[うどん]]、[[天ぷら]]、[[寿司]]、[[おでん]]、[[ウナギ|うなぎ]]、[[串焼き]]などが、街中を流す[[屋台]]で手軽に素早く食べられる料理として売られていた<ref>{{Cite web|和書|url= https://intojapanwaraku.com/culture/90843/|title= 江戸のテイクアウトとファストフード文化!?物売・屋台や寿司・天ぷらの販売方法も紹介|publisher=小学館|date=2020-4-10|accessdate=2021/10/31}}</ref>。 アメリカ式のファストフードは、[[1970年代]]初頭に日本に流入した。1970年に英国の[[ウインピー]]をはじめ、[[ケンタッキーフライドチキン]]、[[ドムドムハンバーガー]]、1971年に[[マクドナルド]]、[[ミスタードーナツ]]、1972年に[[ロッテリア]]、[[モスバーガー]]が出店を開始した。なお、米軍統治下の[[沖縄県]]では、1963年に[[北中城村]]に[[A&Wレストラン|A&W]]の1号店が開店している。なおモスバーガーは他のハンバーガーチェーン店と形態は似通っているが、注文を受けて調理することなどから、ハンバーガーレストランに分類され、ファストフード店には該当しないという解釈もある。 日本には、[[立ち食いそば・うどん店|立ち食いそば]]などの古くからの食べ物や、アメリカから伝来したハンバーガーやチキンのほかにも、[[牛丼]]、[[ラーメン]]、[[カレーライス]]など、[[近代]]になってから日本で嗜好されるようになった食べ物も、チェーンストアを展開している。[[ファミリーレストラン]]、[[大衆食堂|定食屋]]、[[回転寿司]]、[[セルフうどん]]のように店内で飲食するものから、手軽な[[弁当]]、[[菓子パン]]、[[惣菜]]まで、軽食産業は広がっている。 ファストフードは「安さ」が売りのひとつである。経営者が人件費を下げる必要性に迫られる場合が多い。そのためスキルを必要としない経営が行われ、簡易または[[マニュアル]]化された手順書を用意し、常用社員ではなく非正規雇用者を雇用し、主婦や学生などをパートタイムで雇用し、自社工場または協力企業で製造した冷凍食品を、各店舗へ輸送し、[[電子レンジ]]で調理して客へ出す事が多い。 === 中華圏 === [[ファイル:Baked Pork Chop Rice with Cheese.JPG|thumb|香港式ファストフードの一つである[[ゴッ豬扒飯|焗豬扒飯]]]] [[中国語]]でファストフードは「快餐(クワイツァン、{{lang|zh|kuàicān}})」と呼ばれる。もともと[[中華料理]]には、[[炒飯]]や[[麺類]]を始めとする[[小吃]]、および[[餃子]]や[[ちまき]]を始めとする[[点心]]といったファストフードの性格を持つ料理があり、[[夜市]]や[[茶餐廳]]などを通じて提供されてきた。夜市の盛んな[[台湾]]では今でも様々な{{仮リンク|台湾小吃|zh|台灣小吃}}が存在する。また、生活スタイルの変化やアメリカ式のファストフードが流入し始めたことにより、[[香港]]では1970年代以降「{{仮リンク|香港式ファーストフード|zh|港式快餐}}({{lang|zh|港式快餐}})」と呼ばれる独自のファストフード文化が発達した。 [[中国大陸]]では1980年代に始まった[[改革開放]]政策の結果、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどの世界的ファストフード店が[[経済特区]]や[[北京]]・[[上海]]などの大都市から出店を始め、すでに内陸の地方都市にまで普及している。欧米のチェーン店についで、台湾資本の[[豆乳]]を売り物にするファストフード店が人気を集めるようになると、中華料理を基本にしたファストフードチェーンも種々オープンするようになった。トレーに中華料理を盛って食べさせる定食屋などにも「快餐」の看板が掲げられている。最近では台湾風の[[おにぎり]]チェーンや、[[日式]]の[[ラーメン]]店や[[カレーライス]]の店などにも人気が出ている。 2010年、中国料理協会は中国大陸におけるファストフード企業上位50社のリストを発表した。調査によれば、上位5社は[[ヤム・ブランズ]](現{{仮リンク|ヤム中国|en|Yum China}})、マクドナルド、[[ディコス]]、[[味千ラーメン|味千]]であった<ref>{{cite news|url= https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20100411005/|title=ファーストフード50強を発表 上位は海外ブランドが独占|publisher=レコードチャイナ|accessdate=2020-9-9}}</ref>。 ==主な店舗== {{main|ファーストフード店の一覧}} == 健康問題 == 2003年の[[世界保健機関]](WHO)の報告書は、ファストフードは肥満と関連すると報告している<ref>Joint WHO/FAO Expert Consultation [http://www.fao.org/docrep/005/ac911e/ac911e00.htm Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases] (WHO technical report series ; 916). World Health Organization, Geneva, 2003:147-149.</ref>。2007年の[[世界がん研究基金]]による報告書は、がん予防のためにファストフードの摂取を控えめにすべきだとしている<ref>{{cite book|author=World Cancer Research Fund and American Institute for Cancer Research|url=http://wcrf.org/int/research-we-fund/continuous-update-project-cup/second-expert-report |title=Food, Nutrition, Physical Activity, and the Prevention of Cancer: A Global Perspective|year= 2007|publisher=Amer. Inst. for Cancer Research|isbn= 978-0972252225 |page=378-379}} 日本語要旨:[http://www.wcrf.org/sites/default/files/SER-SUMMARY-(Japanese).pdf 食べもの、栄養、運動とがん予防]、[[世界がん研究基金]]と[[米国がん研究機構]]</ref>。アメリカでは、マクドナルドやペプシコなど11の主要なメーカーが、12歳以下の子どもにファストフードなどの広告をやめることで合意している<ref>[http://www.nytimes.com/2007/07/18/business/18food.html Limiting Ads of Junk Food to Children] (New York Times, July 18, 2007)</ref>。 2009年に台湾政府は、ファストフードなど不健康な食べ物に特別に課税する方針。食生活の改善と肥満低下を目的としている。同国では、肥満の子供が四人に一人以上になっており肥満問題が取り上げられている。 米国でも問題となっており、米成人の実に3分の2が肥満となっており医療費支出は900億ドルを超える<ref>米疾病対策センター(CDC)の推計</ref>。 妊娠前にファストフードを頻繁に食べた場合、[[糖尿病]]罹患リスクが増大することが報告されている<ref>[https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/ada2013/201306/531279.html 妊娠前にファストフードを頻繁に食べた場合、妊娠糖尿病リスクがおよそ2倍に] 日経メディカルオンライン 記事:2013年6月25日</ref>。 ==仮名表記== <!-- 上記節見出しに記事冒頭からリンクしています。見出し名変更の際は冒頭文該当箇所も合わせて変更願います。(2018年3月12日 UTC) --> 「fast food」の仮名表記では[[表記ゆれ]]が生じており、主に「ファストフード」と「ファーストフード」の2種類が使用されている。 ===実態調査=== [[NHK放送文化研究所]]が2002年度(平成14年度)に行った調査では、「ファーストフード」と言う回答者が72%を占めた。しかし2010年に街頭インタビューを行ったところ、若者の中に「ファストフード」を使う人も多くいた。以前は「ファーストフード」と言っていたが、"速い"という意味で『ファストフード』を意識するようになったという回答もあった<ref name="NHK">{{cite |url=http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/67971.html |title=ファーストフード? ファストフード? -NHK「梅津正樹 ことばおじさんの気になることば」 |date=2003年10月28日 |archivedate=2012年01月14日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120114152735/http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/67971.html |url-status=live |df=dmy }}</ref>。 一方、より新しい語である「fast fashion」は「[[ファストファッション]]」とするのが一般的である。 ===辞書=== [[広辞苑]](第6版)、明鏡国語辞典(第2版)、[[ジーニアス和英辞典]](第2版)の見出し語では「ファーストフード」が用いられている。 [[大辞林]](第4版)、[[新明解国語辞典]](第8版)、[[アンカー (辞典)|スーパー・アンカー英和辞典]](第5版)の見出し語では「ファストフード」が用いられている。 ===マスメディア=== 日本のマスメディアでは「{{lang|en|fast}}」を「ファスト」と発音、表記することに決めているため<ref name=NHK/>、[[共同通信社]]をはじめとする大手通信社、[[日本新聞協会]]、NHKと[[日本民間放送連盟]]では「ファストフード」を統一表記としている<ref group="注">用字・用語集にもその旨を記載している。</ref>。「速い」を意味する「{{lang|en|fast}}」を「ファスト」、「第一」を意味する「{{lang|en|first}}」を「ファースト」と言い分けることで、[[カタカナ]]化された[[外来語]]の意味の混乱を回避しているとの説明もある<ref name=NHKlab>[https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/033.html 「ファーストフード?」] NHK放送文化研究所、1999年8月1日、2020年9月8日閲覧</ref>。 ===政府機関=== [[厚生労働省]]の公式サイト内では統一されておらず、「ファーストフード」と「ファストフード」のどちらも用いられている(2019年11月現在)<ref>[https://www.mhlw.go.jp/ 厚生労働省]</ref>。 ===英国式と米国式=== 「{{lang|en|fast}}」の英国での発音は[{{lang|und|fɑ&#720;st}}]であり「ファースト」に近いが、「{{lang|en|fast food}}」の概念の由来元である米国での発音は[{{lang|und|fæst}}]であり「ファスト」に近い<ref>[https://ejje.weblio.jp/content/fast 英和辞典 Weblio辞書]</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * 『新版毎日新聞用語集』 毎日新聞社 454ページ ISBN 4620904821 == 関連項目 == {{Commons|Category:Fast food}} * [[スローフード]](対義語) * [[飽食の時代]] * [[ファストカジュアル]] * [[外食産業]] * [[惣菜]] - [[テイクアウト]] * [[食品添加物]] * [[ファストフードが世界を食いつくす]] * [[ファーストフード・ネイション]] * [[スーパーサイズ・ミー]] * [[ジャンクフード]] * [[肥満]] - [[偏食]] * [[生活習慣病]] * [[核家族]] * [[インスタント食品]] * [[ファスト風土化]] * [[自動販売機]] * [[飲茶]] * [[ファーストフード店の一覧]] == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20130503065430/http://www.fb-soken.com/page005.html ニッポン フードビジネス年表](フードビジネス総合研究所) - [[ウェイバックマシン]](2013年5月3日アーカイブ分) {{日本のファーストフードチェーン店}} {{世界のファーストフードチェーン店}} {{料理}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ふああすとふうと}} [[Category:食文化]] [[Category:アメリカ合衆国の文化]] [[Category:ファーストフード|*ふああすとふうと]]
2003-06-10T14:49:28Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89
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Association for Computing Machinery
Association for Computing Machinery(計算機協会)とは、コンピュータの科学と教育に関するテーマ全般を対象にしたコンピュータサイエンス分野の国際学会である。一般に「ACM」の略称で知られている。この分野の学会として世界最大で、会員規模は研究者・専門家から学生までを含めておよそ10万人を擁する。1947年にアメリカ合衆国で創設され、本部はニューヨークに置かれている。 ACMのモットーは、科学的かつ専門的な計算機進化(Advancing Computing as a Science & Profession)である。ACMが主催する「チューリング賞」は計算機科学分野での最高の栄誉とされており、物理や化学の分野でのノーベル賞に相当する権威がある。 ACMでは具体的な研究分野ごとにSIG (Special Interest Group) と呼ぶ分科会を形成している.各SIGでは分野ごとの国際会議やワークショップの開催,論文誌の編集等を行っている.2007年現在,34のSIGが存在する.
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Association for Computing Machinery(計算機協会)とは、コンピュータの科学と教育に関するテーマ全般を対象にしたコンピュータサイエンス分野の国際学会である。一般に「ACM」の略称で知られている。この分野の学会として世界最大で、会員規模は研究者・専門家から学生までを含めておよそ10万人を擁する。1947年にアメリカ合衆国で創設され、本部はニューヨークに置かれている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ACMのモットーは、科学的かつ専門的な計算機進化(Advancing Computing as a Science & Profession)である。ACMが主催する「チューリング賞」は計算機科学分野での最高の栄誉とされており、物理や化学の分野でのノーベル賞に相当する権威がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ACMでは具体的な研究分野ごとにSIG (Special Interest Group) と呼ぶ分科会を形成している.各SIGでは分野ごとの国際会議やワークショップの開催,論文誌の編集等を行っている.2007年現在,34のSIGが存在する.", "title": "SIG (Special Interest Group)" } ]
Association for Computing Machinery(計算機協会)とは、コンピュータの科学と教育に関するテーマ全般を対象にしたコンピュータサイエンス分野の国際学会である。一般に「ACM」の略称で知られている。この分野の学会として世界最大で、会員規模は研究者・専門家から学生までを含めておよそ10万人を擁する。1947年にアメリカ合衆国で創設され、本部はニューヨークに置かれている。 ACMのモットーは、科学的かつ専門的な計算機進化である。ACMが主催する「チューリング賞」は計算機科学分野での最高の栄誉とされており、物理や化学の分野でのノーベル賞に相当する権威がある。
[[ファイル:Association for Computing Machinery (ACM) logo.svg|境界|右|フレームなし|200x200ピクセル]] '''Association for Computing Machinery'''('''計算機協会''')とは、[[コンピュータ]]の科学と教育に関するテーマ全般を対象にした[[計算機科学|コンピュータサイエンス]]分野の[[学会|国際学会]]である。一般に「'''ACM'''」の略称で知られている。この分野の学会として世界最大で、会員規模は研究者・専門家から学生までを含めておよそ10万人を擁する。1947年に[[アメリカ合衆国]]で創設され、本部は[[ニューヨーク]]に置かれている。 ACMのモットーは、''Advancing Computing as a Science & Profession''(コンピューティングを科学および専門職として前進させる)<ref>{{Cite web |title=About ACM |url=https://www.acm.org/about-acm |website=www.acm.org |access-date=2023-10-31 |language=en}}</ref>である。ACMが主催する「[[チューリング賞]]」は[[計算機科学]]分野での最高の栄誉とされており、[[物理学|物理]]や[[化学]]の分野での[[ノーベル賞]]に相当する権威がある。 日本語では'''米国計算機学会'''<ref>{{Cite web |title=著者名寄せ問題解決に向け、研究関連団体が一致協力 {{!}} STI Updates {{!}} 科学技術情報プラットフォーム |url=https://jipsti.jst.go.jp/sti_updates/2009/12/2214.html |website=jipsti.jst.go.jp |access-date=2023-10-31}}</ref><ref>{{Cite web |title=米国計算機学会(ACM)、抄録データのオープン化を推進するイニシアティブI4OAに参加 |url=https://current.ndl.go.jp/car/44047 |website=カレントアウェアネス・ポータル |date=2021-05-24 |access-date=2023-10-31}}</ref><ref>{{Cite web |title=計算機科学研究の推進について(勧告) |url=https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/16/kohyo16-k2.html |website=www.scj.go.jp |date=1997-05-28 |access-date=2023-10-31}}</ref>、'''国際計算機学会'''<ref>{{Cite web |title=ACM、主題分類システムCCSの最新版を発表 {{!}} STI Updates {{!}} 科学技術情報プラットフォーム |url=https://jipsti.jst.go.jp/sti_updates/2012/09/5396.html |website=jipsti.jst.go.jp |access-date=2023-10-31}}</ref>、'''米国計算機協会'''<ref>{{Cite web |url=https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-t101-1.pdf |title=学術誌問題の解決に向けて― 「包括的学術誌コンソーシアム」の創設 ― |website=www.scj.go.jp |date=2010-08-02 |access-date=2023-10-31}}</ref>、'''計算機協会'''<ref>{{Cite web |title=CHORUSに米国化学会(ACS)等が新たに参加、署名した機関は100以上に |url=https://current.ndl.go.jp/car/27123 |website=カレントアウェアネス・ポータル |date=2014-09-30 |access-date=2023-10-31}}</ref>とも呼ばれている。 == ACMの表彰一覧 == ; [[チューリング賞]] (The A.M. Turing Award): 計算機科学分野に対する特に優れた業績・貢献に対し100万ドルの賞金と共に与えられる。 ; 計算機科学インフォシス財団賞 (ACM Infosys Foundation Award in the Computing Sciences): 若手研究者やシステム開発者のすぐれた業績に対し贈られる。受賞者には[[インフォシス・テクノロジーズ|インフォシス]]財団の寄付により15万ドルの賞金が贈られる。 ; [[ACMソフトウェアシステム賞|ソフトウェアシステム賞]] (Software System Award) : 優れた[[ソフトウェア]]システムの開発者・開発団体に贈られる。 ; [[グレース・ホッパー賞]] (Grace Murray Hopper Award) : 35歳以下の若手研究者の単一の業績に対し贈られる。賞金は3万5千ドル。賞の名称は[[プログラミング言語]][[COBOL]]開発者の一人[[グレース・ホッパー]]の名にちなむ。 ; [[アレン・ニューウェル賞]] (ACM/AAAI Allen Newell Award) : 計算機科学分野で優れた功績を残した個人に1万ドルの賞金と共に贈られる。 [[アメリカ人工知能学会|AAAI]] (アメリカ人工知能学会) との共同事業である。賞の名称は[[人工知能]]研究の第一人者[[アレン・ニューウェル]]の名にちなむ。 ; パリス・カネラキス理論&実践賞 (Paris Kanellakis Theory and Practice Award): 計算機に実践的な影響を与えたすぐれた理論に対して与えられる。賞金は5000ドルであり、賞の名称ともなった[[データベース]]研究者パリス・カネラキスの遺族やいくつかの[[Special Interest Group|SIG]]の寄付による。 ; カール・カールストローム教育賞 (Karl V. Karlstrom Outstanding Educator Award) : [[計算機科学教育|計算機科学分野の教育]]に多大な貢献をしたものに贈られる。賞金は5000ドル。 ; ユージン・ローラー賞(Eugene L. Lawler Award): 計算機科学者による人道的貢献に対して2年に一度与えられる。 ; 博士論文賞 (Doctoral Dissertation Award) : すぐれた博士論文に対し贈られる。 ; ACM貢献賞 (Outstanding Contribution to ACM Award) : ACMの活動に対し優れた貢献した人に対して与えられる。 ; [[エッカート・モークリー賞]] (Eckert-Mauchly Award) : すぐれた[[コンピュータ・アーキテクチャ]]に対して5000ドルの賞金と共に贈られる。 [[IEEE Computer Society]]との共同事業である。賞の名称は、[[ENIAC]]開発者である[[ジョン・プレスパー・エッカート]]と[[ジョン・モークリー]]の名にちなむ。 ; 計算機科学&工学SIAM/ACM賞 (SIAM/ACM Prize in Computational Science and Engineering) : SIMA (アメリカ応用数理学会) との共同事業である。計算機科学分野において優れた功績をあげた個人に贈られる。 ; [[ゴードン・ベル賞]] (Gordon Bell Prize) : [[高性能計算]] (HPC) 分野の優れた性能の達成に対し与えられる。IEEE Computer Societyとの共同事業。 == SIG (Special Interest Group) == ACMでは具体的な研究分野ごとに[[Special Interest Group|SIG]] (Special Interest Group) と呼ぶ分科会を形成している.各SIGでは分野ごとの国際会議やワークショップの開催,論文誌の編集等を行っている.2007年現在,34のSIGが存在する. {{div col|rules=yes}} * [[SIGACCESS]] (Accessibility and Computing) * [[SIGACT]] (Algorithms and Computation Theory) * [[SIGAda]] (Ada Programming Language) * [[SIGAPL]] (APL Programming Language) * [[SIGAPP]] (Applied Computing) * [[SIGARCH]] (Computer Architecture) * [[SIGART]] (Artificial Intelligence) * [[SIGBED]] (Embedded Systems) * [[SIGCAS]] (Computers and Society) * [[SIGCHI]] (Computer-Human Interaction) * [[SIGCOMM]] (Data Communication) * [[SIGCSE]] (Computer Science Education) * [[SIGDA]] (Design Automation) * [[SIGDOC]] (Design of Communication) * [[SIGecom]] (Electronic Commerce) * [[SIGEVO]] (Genetic and Evolutionary Computation) * [[SIGGRAPH]] (Computer Graphics and Interactive Techniques) - [[コンピュータグラフィックス]] * [[SIGHPC]] (High Performance Computing) * [[SIGIR]] (Information Retrieval) * [[SIGITE]] (Information Technology Education) * [[SIGKDD]] (Knowledge Discovery in Data) * [[SIGMETRICS]] (Measurement and Evaluation) * [[SIGMICRO]] (Microarchitecture) * [[SIGMIS]] (Management Information Systems) * [[SIGMM]] (Multimedia) * [[SIGMOBILE]] (Mobility of Systems, Users, Data and Computing) * [[Special Interest Group on Management of Data|SIGMOD]] (Management of Data) - 大規模[[データ管理]]の問題および[[データベース]] * [[SIGOPS]] (Operating Systems) * [[SIGPLAN]] (Programming Languages) * [[SIGSAC]] (Security, Audit and Control) * [[SIGSAM]] (Symbolic and Algebraic Manipulation) * [[SIGSIM]] (Simulation and Modeling) * [[SIGSOFT]] (Software Engineering) * [[SIGUCCS]] (University and College Computing Services) * [[SIGWEB]] (Hypertext, Hypermedia and Web) {{div col end}} == 関連項目 == * [[ACM国際大学対抗プログラミングコンテスト]] * [[計算言語学協会]] * [[米国情報処理学会連合会]](AFIPS) == 出典 == {{reflist}} == 外部リンク == * [http://www.acm.org/ ACM official website] * [http://portal.acm.org/ ACM portal] 電子図書館 * [http://acm.org/sigs/guide98.html ACM Special Interest Groups] * [http://fellows.acm.org/ List of ACM Fellows] * [https://horning.blogspot.com/2006/10/making-case-for-acm-fellow.html Making the case for an ACM Fellow] {{Computer-stub}} {{Normdaten}} [[Category:Association for Computing Machinery|*]] [[Category:計算機科学関連の組織]] [[Category:アメリカ合衆国の学会]] [[Category:1947年設立の組織]]
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新松戸駅
新松戸駅(しんまつどえき)は、千葉県松戸市幸谷 にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。 人口50万都市の松戸市において中心駅である松戸駅と並ぶ交通の要所となっており、江戸時代頃から水戸街道の宿場町として栄えた「松戸宿」と「小金宿」の間(小金宿より)に位置する。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線を走行する常磐緩行線、武蔵野線、接続路線である流鉄の流鉄流山線を含めると2社3路線が乗り入れている。このうち常磐線を当駅の所属線としている。当駅は直営駅(駅長配置)であり、管理駅として北小金駅、南流山駅を管理している。みどりの窓口・自動券売機・指定席券売機・自動改札機・自動精算機などの設置駅。駅前には流鉄の幸谷駅が立地しているが、連絡運輸は行っていない(駅出入口を出て高架下を直進した先)。駅間の通路の途中には、公衆トイレと「あかりのボックス」という名称の鳥居に似た形の赤色の鉄骨オブジェがある。 周辺はマツモトキヨシ本社、イオンフードスタイル新松戸店、流通経済大学のほか、学習塾、飲食店、娯楽施設などがある。新松戸ステーションホテル、新松戸ホテルなどのシティホテルがあるため、ビジネス利用や観光拠点としても適している。 駅の出入口は新松戸側(駅西側)のみとなり、駅前にはロータリーが整備され、流鉄「幸谷駅」や金融機関、雑居ビルなどが立ち並ぶ。幸谷・二ツ木・小金清志町側(駅東側)はロータリーが整備されておらず、駅を出てから常磐線の高架下を直進する必要がある。 毎年夏には、駅周辺及びけやき通り、支所前通り、新松戸中央公園、新松戸市民センターなどにて「新松戸まつり」が催される。 松戸都市計画事業 新松戸第一土地区画整理事業(1966年 - 1968年、組合施行)松戸都市計画事業 新松戸第二土地区画整理事業(1970年 - 1979年、組合施行)松戸都市計画事業 新松戸中央土地区画整理事業(三菱地所と清水建設他JVの組合施行、1970年 - 1977年)を経て一帯は定住を目的とする新興住宅地、東京都心へのベットタウンと化し、都市再開発が進んでいる。2019年には新松戸駅東側地区土地区画整理事業が千葉県知事から認可され、駅東側へのアクセス道路と駅前広場の建設が計画されている。これらの開発の是非については、2022年11月20日施行の松戸市議会議員選挙の争点のひとつとなっている。 当駅に乗り入れている路線は線路名称上の常磐線と武蔵野線であり、このうち常磐線を当駅の所属線としている。運行系統としては緩行線を走る常磐緩行線と武蔵野線が停車する。当駅から上野方面へ行く場合は、松戸駅または北千住駅での乗り換えが必要。 武蔵野線の開通に伴い開設された。そのため、常磐線日暮里駅 - 取手駅間では最も新しい駅である。 当駅の所在地は松戸市幸谷であるが、流鉄幸谷駅は松戸市新松戸にある。駅名は1966年(昭和41年)に認可になった駅周辺の「新松戸第一区画整理事業」(現在の新松戸1丁目および2丁目に当たる部分)に由来する。国鉄の仮称は「北馬橋」で、松戸市は「南小金」を考えていたが、地元は新幹線の「新横浜」「新大阪」の発展を意識して土地区画事業の名称である「新松戸」を働きかけ、国鉄OB代議士を通じて国鉄と松戸市の譲歩を引き出した。改札前の高架の橋脚部にある「北馬橋ガード」の名称は駅名決定以前の名残とされる。 なお、流鉄幸谷駅は旧地名である「幸谷」が由来で、現行地名としては当駅の東側に位置する。 南北方向に伸びる武蔵野線が、東西方向に伸びる常磐線の上を直交してまたがる形となっている。常磐線は複々線上の緩行線にある島式ホーム1面2線を有し地上駅、武蔵野線は相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。武蔵野線の線路の高さは上下線で微妙に異なっており、4番線は3番線と比べやや低くなっている。武蔵野線ホームの当駅のカラーは水色。 常磐線ホームはカーブ上にあるため、乗り降りを行う乗客は足元に注意を必要とする。 南流山駅の中線を使って西船橋方面に折り返すことが可能なため、2012年3月に折り返し設備のある吉川美南駅が開業するまで、多客時や工事による区間運休の際には当駅を始発・終着とする臨時列車が設定されていた。 両線ホームは階段・エスカレーターで直結されており、常磐線ホーム馬橋方向から3番線、北小金方向から4番線へ連絡する。 改札口・出入口は武蔵野線ホームの高架下(常磐線西側)の1か所のみである。駅東側へ行くには、いったん出口を出たあと、常磐線をくぐる通路を利用する必要がある。 松戸営業統括センター傘下の直営駅で、みどりの窓口、指定席券売機、Suica対応自動改札機が設置されている。また、管理駅として、北小金駅と南流山駅を管理する。 (出典:JR東日本:駅構内図) 常磐線ホームと武蔵野線ホームは、階段・エスカレーター・エレベーターで結ばれている。武蔵野線が相対式ホームである構造上、常磐線から3番線と4番線に向かう動線はそれぞれ分かれており、階段に色を付けて区別している。 常磐線ホームから改札口へは、上記の連絡階段の真下にある階段で結ばれている。また、エレベーターが2台設置されており、改札階(1階)・常磐線ホーム(2階)を経由して、それぞれ3番線・4番線に通じている。改札口からエレベーターまではスロープが整備されている。 2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は33,675人である。武蔵野線内では東川口駅に次いで26駅中第8位。北千住駅・綾瀬駅を除いた常磐緩行線内では13駅中第5位、綾瀬駅を除いた快速通過駅では金町駅・亀有駅に次いで第3位。 以前は常磐線では亀有・金町の両駅より上位だった。つくばエクスプレス開業の影響もあり減少傾向にあったが、近年は再び増加に転じ開業前の水準に復している。松戸市内では松戸駅についで第2位である。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。 駅と住宅地を結ぶ松戸新京成バスの短距離路線が中心となっており、路線数は少ないが発着する便数は多い。当駅からバスでテラスモール松戸、21世紀の森と広場、森のホール21などへ行くことができる。 また、成田空港への深夜急行バスも運行されている。 新松戸駅に近い順で記載。
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新松戸駅(しんまつどえき)は、千葉県松戸市幸谷 にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
{{駅情報 |社色 = green |文字色 = |駅名 = 新松戸駅 |画像 = Shin-Matsudo-Sta.2022.jpg |pxl = 300 |画像説明 = 駅入口(2022年6月) |地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center |type=point|type2=point |marker=rail|marker2=rail |coord={{coord|35|49|31.5|N|139|55|16|E}}|marker-color=008000|title=新松戸駅 |coord2={{coord|35|49|35.8|N|139|55|11.6|E}}|marker-color2=9acd32|title2=幸谷駅 }}左は幸谷駅 |よみがな = しんまつど |ローマ字 = Shim-Matsudo<ref group="注釈">JR東日本では「Shi'''m'''-Matsudo」の表記を基本とするが、乗り入れる他社では「Shi'''n'''-Matsudo」と表記する場合もある。例:[https://www.odakyu.jp/rail/ 小田急電鉄 路線図]</ref> |電報略号 = シト |所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本) |開業年月日 = [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]] |所在地 = [[千葉県]][[松戸市]][[幸谷 (松戸市)|幸谷]]571-3 |座標 = {{coord|35|49|31.5|N|139|55|16|E|region:JP-14_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = {{Plainlist| * [[地上駅]](常磐線) * [[高架駅]](武蔵野線)}} |ホーム = {{Plainlist| * 1面2線(常磐線) * 2面2線(武蔵野線)}} |乗車人員 = 33,675 |乗降人員 = |統計年度 = 2022年 |乗入路線数= 2 |所属路線1 = {{color|#339999|■}}[[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]]<br />(線路名称上は[[常磐線]]) |前の駅1 = JL 24 [[馬橋駅|馬橋]] |駅間A1 = 1.6 |駅間B1 = 1.3 |次の駅1 = [[北小金駅|北小金]] JL 26 |駅番号1 = {{駅番号r|JL|25|#808080|1}} |キロ程1 = 20.7&nbsp;km([[日暮里駅|日暮里]]起点)<br />[[綾瀬駅|綾瀬]]から13.0 |起点駅1 = |所属路線2 = {{color|#f15a22|■}}[[武蔵野線]] |前の駅2 = JM 16 [[南流山駅|南流山]] |駅間A2 = 2.1 |駅間B2 = 4.1 |次の駅2 = {{Refnest|group="*"|この間に[[東日本旅客鉄道首都圏本部|首都圏本部]]と[[東日本旅客鉄道千葉支社|千葉支社]]の[[JR支社境|境界]]あり(当駅から[[南流山駅|南流山]]寄りは首都圏本部管内)。}}[[新八柱駅|新八柱]] JM 14 |駅番号2 = {{駅番号r|JM|15|#f15a22|1}} |キロ程2 = 86.3&nbsp;km([[鶴見駅|鶴見]]起点)<br />[[府中本町駅|府中本町]]から57.5 |起点駅2 = |乗換 = |備考 = {{Plainlist| * [[直営駅]]([[管理駅]]) * [[みどりの窓口]] 有}} |備考全幅 = {{Reflist|group="*"}} }} '''新松戸駅'''(しんまつどえき)は、[[千葉県]][[松戸市]][[幸谷 (松戸市)|幸谷]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="zeneki05">{{Cite book|和書 |title =週刊 JR全駅・全車両基地 |publisher = [[朝日新聞出版]] |series=週刊朝日百科 |volume =05号 上野駅・日光駅・下館駅ほか92駅 |date =2012-09-09 |page =26 }}</ref>。 == 概要 == 人口50万都市の[[松戸市]]において中心駅である[[松戸駅]]と並ぶ交通の要所となっており、[[江戸時代]]頃から[[水戸街道]]の[[宿場町]]として栄えた「[[松戸宿]]」と「[[小金宿]]」の間(小金宿より)に位置する<ref name="waga">{{Cite book|和書|author=|title=わがまちブック松戸1|publisher=特定非営利活動法人まちづくりNPOセレガ|year=2006.7.31|page=22|isbn=|date=}}</ref>。 [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[常磐線]]を走行する[[常磐緩行線]]、[[武蔵野線]]、接続路線である[[流鉄]]の[[流鉄流山線]]を含めると2社3路線が乗り入れている。このうち常磐線を当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]としている。当駅は[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[駅長]]配置)であり、[[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]]として[[北小金駅]]、[[南流山駅]]を管理している。[[みどりの窓口]]・[[自動券売機]]・[[指定席券売機]]・[[自動改札機]]・[[自動精算機]]などの設置駅。駅前には[[流鉄]]の[[幸谷駅]]が立地しているが、連絡運輸は行っていない(駅出入口を出て高架下を直進した先)。駅間の通路の途中には、[[公衆便所|公衆トイレ]]と「あかりのボックス」という名称の[[鳥居]]に似た形の[[赤]]色の鉄骨オブジェがある。 周辺は[[マツモトキヨシ]]本社、[[イオンフードスタイル新松戸店]]、[[流通経済大学]]のほか、[[学習塾]]、[[飲食店]]、[[娯楽施設]]などがある。新松戸ステーションホテル、新松戸ホテルなどの[[シティホテル]]があるため、[[ビジネス]]利用や[[観光]]拠点としても適している。 駅の出入口は[[新松戸]]側(駅西側)のみとなり、駅前には[[ロータリー交差点|ロータリー]]が整備され、[[流鉄]]「[[幸谷駅]]」や[[金融機関]]、[[雑居ビル]]などが立ち並ぶ<ref group="注釈">一方で駅東側は駅前につながる主要な道路がないため駅前の整備は進んでおらず、常磐線のホームから駅前を眺めると東西の差は歴然である</ref>。幸谷・二ツ木・小金清志町側(駅東側)はロータリーが整備されておらず、駅を出てから常磐線の高架下を直進する必要がある。 毎年夏には、駅周辺及びけやき通り、支所前通り、新松戸中央公園、新松戸市民センターなどにて「新松戸まつり」が催される<ref>{{Cite web|和書|title=2018年(平成30年) 第32回 新松戸まつり {{!}} 見て!!見た!! 松戸のイベント! {{!}} まいぷれ[松戸市]|url=http://matsudo.mypl.net/mp/eventreport_matsudo/?sid=44627|website=まいぷれ「松戸市」|accessdate=2019-04-02|language=ja}}</ref>。 松戸都市計画事業 新松戸第一土地区画整理事業(1966年 - 1968年、組合施行)松戸都市計画事業 新松戸第二土地区画整理事業(1970年 - 1979年、組合施行)松戸都市計画事業 新松戸中央土地区画整理事業([[三菱地所]]と[[清水建設]]他[[JV]]の組合施行、1970年 - 1977年)を経て一帯は[[定住者|定住]]を目的とする[[新興住宅地]]、[[東京都区部|東京都心]]への[[ベットタウン]]と化し、[[都市再開発]]が進んでいる。2019年には新松戸駅東側地区土地区画整理事業<ref>{{Cite web|和書|title=新松戸駅東側地区土地区画整理事業について |url=http://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/toshiseubi/kukakuseiri/shinmatudo-kukakusei.html |website=www.city.matsudo.chiba.jp |access-date=2022-07-02 |language=ja}}</ref>が千葉県知事から認可され、駅東側へのアクセス道路と駅前広場の建設が計画されている。 == 乗り入れ路線 == 当駅に乗り入れている路線は線路名称上の[[常磐線]]<ref group="注釈" name=":0">詳細は路線記事および「[[鉄道路線の名称]]」参照</ref>と[[武蔵野線]]であり、このうち常磐線を当駅の[[日本の鉄道駅#%E6%89%80%E5%B1%9E%E7%B7%9A|所属線]]としている。[[運行系統]]としては[[急行線|緩行線]]を走る[[常磐緩行線]]と武蔵野線が停車する。当駅から[[上野駅|上野]]方面へ行く場合は、[[松戸駅]]または[[北千住駅]]での乗り換えが必要。 * [[ファイル:JR JL line symbol.svg|15x15ピクセル|JL]] 常磐線(各駅停車):緩行線を走行する常磐線の近距離電車。 - 駅番号「'''JL 25'''」 * [[ファイル:JR JM line symbol.svg|15x15ピクセル|JM]] [[武蔵野線]]:旅客営業区間としては[[府中本町駅]]から[[西船橋駅]]を結ぶ[[鉄道路線]]([[幹線]])。- 駅番号「'''JM 15'''」 == 歴史 == 武蔵野線の開通に伴い開設された。そのため、[[常磐線]][[日暮里駅]] - [[取手駅]]間では最も新しい駅である。 === 年表 === * [[1973年]]([[昭和]]48年)[[4月1日]]:[[日本国有鉄道]](国鉄)の駅として、常磐線・武蔵野線同時に開業。当時は武蔵野線の終着駅であった<ref name="jtb172">[[#jtb|武蔵野線まるごと探見]]、pp.172-173。</ref>。 * [[1978年]](昭和53年)[[10月2日]]:[[武蔵野線]]が[[西船橋駅]]まで延伸開業。途中駅となる<ref name="jtb172"/>。 * [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる<ref>{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=426}}</ref>。 * [[1992年]]([[平成]]4年)[[7月14日]]:[[自動改札機]]を設置し、使用を開始する<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。 * [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="広報">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-24|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。 * [[2021年]]([[令和]]3年)[[12月19日]]:1・2番線(常磐緩行線ホーム)で[[ホームドア]]の使用を開始<ref group="広報">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/tokyo/20211116_to01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211116111624/https://www.jreast.co.jp/press/2021/tokyo/20211116_to01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東京支社管内のホームドア使用開始駅について|publisher=東日本旅客鉄道東京支社|date=2021-11-16|accessdate=2021-11-16|archivedate=2021-11-16}}</ref><ref group="広報">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201117063610/https://www.jreast.co.jp/press/2020/tokyo/20201117_to03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=常磐(各駅停車)線に初めてホームドアを導入します 〜2021年度にホームドアを使用開始する常磐(各駅停車)線の駅について〜|publisher=東日本旅客鉄道東京支社|date=2020-11-17|accessdate=2020-11-17|archivedate=2020-11-17}}</ref>。 === 駅名の由来 === 当駅の所在地は松戸市幸谷であるが、流鉄[[幸谷駅]]は松戸市新松戸にある。駅名は1966年(昭和41年)に認可になった駅周辺の「[[新松戸]]第一[[土地区画整理事業|区画整理事業]]」(現在の[[新松戸]]1丁目および2丁目に当たる部分)に由来する。国鉄の仮称は「北馬橋」で<ref>『[[#国鉄 (1972)|日本国有鉄道百年写真史]]』(1972年発行、p.390)</ref>、松戸市は「南小金」を考えていたが、地元は[[東海道新幹線|新幹線]]の「[[新横浜駅|新横浜]]」「[[新大阪駅|新大阪]]」の発展を意識して土地区画事業の名称である「新松戸」を働きかけ、国鉄OB[[衆議院#代議士|代議士]]を通じて国鉄と松戸市の譲歩を引き出した。改札前の高架の橋脚部にある「北馬橋ガード」の名称は駅名決定以前の名残とされる。 なお、流鉄幸谷駅は旧地名である「幸谷」が由来で、現行地名としては当駅の東側に位置する。 == 駅構造 == 南北方向に伸びる[[武蔵野線]]が、東西方向に伸びる[[常磐緩行線|常磐線]]の上を直交してまたがる形となっている<ref name="jtb80">[[#jtb|武蔵野線まるごと探見]]、pp.80-82。</ref>。常磐線は[[複々線]]上の緩行線にある[[島式ホーム]]1面2線を有し<ref>[[#jtb|武蔵野線まるごと探見]]、p.83。</ref>[[地上駅]]、武蔵野線は[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[高架駅]]<ref name="jtb80"/>である。武蔵野線の線路の高さは上下線で微妙に異なっており、4番線は3番線と比べやや低くなっている。武蔵野線ホームの当駅のカラーは水色。 常磐線ホームはカーブ上にあるため、乗り降りを行う乗客は足元に注意を必要とする<ref group="注釈">[[東京圏輸送管理システム|ATOS]]導入後の一時期は列車到着時に「電車とホームの間が広く開いております。足元にご注意ください」という放送が流れていたほか、車内においても武蔵野線の乗り換え放送をしないで優先的に[[車掌]]が注意を促す放送をすることがある。</ref>。 [[南流山駅]]の[[停車場#線名|中線]]を使って西船橋方面に折り返すことが可能なため、2012年3月に折り返し設備のある[[吉川美南駅]]が開業するまで、多客時や工事による区間運休の際には当駅を始発・終着とする臨時列車が設定されていた<ref group="注釈">[[幕張新都心]]にある[[幕張メッセ]]・[[千葉マリンスタジアム]]でのイベント開催時、[[中山競馬場]]での[[競馬]]開催日、吉川美南駅設置に伴う線路切換工事の際に実績がある。</ref>。 両線ホームは階段・エスカレーターで直結されており、常磐線ホーム馬橋方向から3番線、北小金方向から4番線へ連絡する。 [[改札|改札口]]・出入口は武蔵野線ホームの高架下(常磐線西側)の1か所のみである。駅東側へ行くには、いったん出口を出たあと、常磐線をくぐる通路を利用する必要がある。 松戸営業統括センター傘下の[[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]で、[[みどりの窓口]]、[[指定席券売機]]、[[Suica]]対応[[自動改札機]]が設置されている。また、管理駅として、[[北小金駅]]と[[南流山駅]]を管理する。 === のりば === {|class="wikitable" !番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先 |-style="border-top:solid 3px #999" | style="background-color:#eee" colspan="4" |'''2階ホーム''' |- !1 |rowspan="2"|[[ファイル:JR JL line symbol.svg|15px]] [[常磐緩行線|常磐線(各駅停車)]] |style="text-align:center;"|下り |[[柏駅|柏]]・[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子]]方面 |- !2 |style="text-align:center;"|上り |[[松戸駅|松戸]]・[[北千住駅|北千住]]・[[代々木上原駅|代々木上原]]方面 |-style="border-top:solid 3px #999" | style="background-color:#eee" colspan="4" |'''3階ホーム''' |- !3 |rowspan="2"|[[ファイル:JR JM line symbol.svg|15px]] [[武蔵野線]] |style="text-align:center;"|上り |[[南浦和駅|南浦和]]・[[武蔵浦和駅|武蔵浦和]]・[[府中本町駅|府中本町]]方面 |- !4 |style="text-align:center;"|下り |[[西船橋駅|西船橋]]・[[舞浜駅|舞浜]]・[[東京駅|東京]]方面 |} (出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/884.html JR東日本:駅構内図]) <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> ShinmatsudoStation.JPG|側方から見た駅(2007年11月) JR Joban-Line・Musashino-Line Shin-Matsudo Station Gates.jpg|改札口(2019年9月) JR East Shim-Matsudo Station Platform 1・2.jpg|1・2番線(常磐線)ホーム(2022年7月) JR East Shim-Matsudo Station Platform 3・4.jpg|3・4番線(武蔵野線)ホーム(2022年7月) </gallery> === 配線図 === {{駅配線図 |image = Rail Tracks map around JR-E Shim-Matsudo Station.svg |title = 東日本旅客鉄道 新松戸駅周辺の配線略図 |width = 420px |up = [[南浦和駅|南浦和]]・[[西国分寺駅|西国分寺]]・[[府中本町駅|府中本町]]・[[梶ヶ谷貨物ターミナル駅|梶ヶ谷貨物T]]方面 |up-align = center |left = [[北千住駅|北千住]]・[[上野駅|上野]]<br />[[東京駅|東京]]・[[品川駅|品川]]<br />・[[代々木上原駅|代々木上原]]・<br />[[田端信号場駅|田端信号場]]・<br />[[新小岩信号場駅|新小岩信号場]]<br />方面 |left-valign = bottom |right = [[柏駅|柏]]・[[取手駅|取手]]<br />・[[土浦駅|土浦]]・[[水戸駅|水戸]]<br />方面 |right-valign = bottom |down = [[西船橋駅|西船橋]]・東京・[[海浜幕張駅|海浜幕張]]方面 |down-align = center |source = 以下を参考に作成<br />* 高橋政士「東京外環状線ジャンクション」図6-Aおよび図6-B 「新松戸ジャンクション」<br /> [[電気車研究会]]、『[[鉄道ピクトリアル]]』 第58巻9号 通巻第808号 2008年9月号、 53・54頁 |note = {{small|※ 本図では、[[馬橋駅]]でつながる[[流鉄流山線]]の配線を省略している。}}}} === 連絡階段・通路 === 常磐線ホームと武蔵野線ホームは、階段・エスカレーター・エレベーターで結ばれている。武蔵野線が相対式ホームである構造上、常磐線から3番線と4番線に向かう動線はそれぞれ分かれており、階段に色を付けて区別している<ref group="注釈">常磐線から武蔵野線に乗り換える場合、取手方の黄色の階段が4番線、綾瀬方の水色の階段が3番線である。</ref>。 常磐線ホームから改札口へは、上記の連絡階段の真下にある階段で結ばれている。また、エレベーターが2台設置されており、改札階(1階)・常磐線ホーム(2階)を経由して、それぞれ3番線・4番線に通じている。改札口からエレベーターまではスロープが整備されている。 == 利用状況 == [[2022年]](令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''33,675人'''である。武蔵野線内では[[東川口駅]]に次いで26駅中第8位。北千住駅・綾瀬駅を除いた常磐緩行線内では13駅中第5位、綾瀬駅を除いた快速通過駅では[[金町駅]]・[[亀有駅]]に次いで第3位。 以前は[[常磐線]]では[[亀有駅|亀有]]・[[金町駅|金町]]の両駅より上位だった。[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス]]開業の影響もあり減少傾向にあったが、近年は再び増加に転じ開業前の水準に復している。松戸市内では[[松戸駅]]についで第2位である。 JR東日本および千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。 {|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;" |+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/ 千葉県統計年鑑] - 千葉県</ref> |- !年度 !1日平均<br />乗車人員 !出典 |- |1990年(平成{{0}}2年) |37,627 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h03/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成3年)]</ref> |- |1991年(平成{{0}}3年) |39,141 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h04/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1992年(平成{{0}}4年) |40,445 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h05/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1993年(平成{{0}}5年) |40,811 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h06/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1994年(平成{{0}}6年) |40,476 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h07/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1995年(平成{{0}}7年) |40,480 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h08/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |1996年(平成{{0}}8年) |40,222 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h09/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成9年)]</ref> |- |1997年(平成{{0}}9年) |39,146 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h10/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成10年)]</ref> |- |1998年(平成10年) |38,568 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h11/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成11年)]</ref> |- |1999年(平成11年) |38,358 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h12/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成12年)]</ref> |- |2000年(平成12年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>37,974 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h13/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成13年)]</ref> |- |2001年(平成13年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>37,878 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h14/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成14年)]</ref> |- |2002年(平成14年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>38,140 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h15/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成15年)]</ref> |- |2003年(平成15年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>38,229 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h16/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成16年)]</ref> |- |2004年(平成16年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>38,439 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h17/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成17年)]</ref> |- |2005年(平成17年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>37,630 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h18/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成18年)]</ref> |- |2006年(平成18年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>36,858 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h19/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成19年)]</ref> |- |2007年(平成19年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>37,094 |<ref group="*">[https://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h20/index.html#11 千葉県統計年鑑(平成20年)]</ref> |- |2008年(平成20年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>36,647 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h21/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成21年)]</ref> |- |2009年(平成21年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>36,192 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h22/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成22年)]</ref> |- |2010年(平成22年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>35,834 |<ref group="*">[http://www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-h23/index.html#a11 千葉県統計年鑑(平成23年)]</ref> |- |2011年(平成23年) |<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>35,784 |<ref 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* [[みずほ銀行]]新松戸支店 * [[三菱UFJ銀行]]新松戸支店(2023年3月頃有人店舗閉店。今後はATMコーナーのみ営業継続) * [[イオンフードスタイル新松戸店]] * [[マックスバリュ]] エクスプレス新松戸店 * [[生活協同組合ちばコープ|ちばコープ]]新松戸店 * [[コモディイイダ]] 新松戸店 * [[サンドラッグ]] 新松戸店 * [[業務スーパー]]・河内屋 新松戸店 * [[コープみらい]]コープ新松戸店 * [[アコレ]]新松戸3丁目店・新松戸北1丁目店 * [[ジェーソン]] 新松戸店 * [[JCNコアラ葛飾]]本社 * [[マツモトキヨシ]]新松戸駅前店 * [[ニッポンレンタカー]]新松戸営業所 * [[マツモトキヨシ]]本社 * [[中央医科グループ|新松戸中央総合病院]] * [[流通経済大学]](新松戸キャンパス) * [[日本国際工科専門学校]] * 北原学院歯科衛生専門学校 * [[千葉県立小金高等学校]] * 赤城神社 * [[関さんの森]] * [[東漸寺 (松戸市)|東漸寺]] * 幸谷観音 |}} <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> Kouya-station-2(cropped).jpg|流鉄「幸谷駅」 Ryuukeimatudo.jpg|流通経済大学(新松戸キャンパス) Daiei Shim-Matsudo.JPG|イオンフードスタイル新松戸店 Matsumotokiyoshi-holdings-head office.jpg|マツモトキヨシ本社 Chiba-matsudo-touzeinji-sanmon.jpg|東漸寺 </gallery> == バス路線 == 駅と住宅地を結ぶ[[松戸新京成バス]]の短距離路線<ref>[http://www.shinkeisei.co.jp/bus/top_bus_station/shinmatsudo_bus_station/ 松戸新京成バス:新松戸駅]</ref>が中心となっており、路線数は少ないが発着する便数は多い。当駅からバスでテラスモール松戸、[[21世紀の森と広場]]、[[森のホール21]]などへ行くことができる。 また、[[成田国際空港|成田空港]]への[[深夜バス|深夜急行バス]]も運行されている。 === 発着路線 === <!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。--> 新松戸駅に近い順で記載。 ; 2番のりば([[松戸新京成バス]]) * [[松戸新京成バス#新松戸線|6A]]:[[馬橋駅]]西口 ; 1番のりば(松戸新京成バス) * 6:新松戸七丁目 / [[南流山駅]] ; 3番のりば * 松戸新京成バス ** [[松戸新京成バス#小金原線(八柱⇔新松戸)|14]]:[[八柱駅]] * [[成田空港交通]] ** [[成田空港交通#深夜急行バス|新松戸・千葉ニュータウン・成田線]]:成田空港{{Refnest|group="注釈"|新松戸駅から乗車した場合、京成成田駅まで降車不可<ref>{{Cite web|和書|title=成田空港から各地へ!高速バス・長距離バスの成田空港交通|url=http://www.nariku.co.jp/|website=www.nariku.co.jp|accessdate=2020-03-15}}</ref>。}} * 松戸新京成バス、京成バス、京急バス<ref group="注釈">出発便・到着便共に設定なし。</ref> ** [[松戸新京成バス#羽田空港線|高速バス]]:[[羽田空港]] * [[無料送迎バス]] ** [[東葛病院]] / 松戸中央自動車学校 === 年表 === * [[1973年]](昭和48年)[[4月1日]]:新松戸駅 開業。 * [[1979年]](昭和54年)[[3月20日]]:[[新京成バス]][[松戸新京成バス#新松戸線|新松戸線]] 開業。 * [[1992年]](平成4年)[[2月17日]]:新京成バス新松戸線1系統にて深夜バスの運行開始。 * [[2003年]](平成15年) ** [[1月]]:駅前ロータリーが完成。 ** [[10月1日]]:新京成電鉄が分社され、新松戸線は[[松戸新京成バス]]の運行となる。 * [[2013年]](平成25年)[[4月19日]]:[[成田空港交通]]新松戸・千葉ニュータウン・成田線 開業。 * [[2015年]](平成27年)[[3月16日]]:松戸新京成バス[[松戸新京成バス#小金原線|小金原線]] 乗り入れ開始。 *2019年(令和元年)10月25日:松戸新京成バス 小金原線 テラスモール松戸開業に伴い急行便を新設 *2020年(令和2年)12月16日:松戸新京成バス 新松戸線 南流山駅まで延伸、深夜バスの運行終了。 *2023年頃より、松戸新京成バス 新松戸線、馬橋線、小金原線ダイヤ改正。時刻がパターン化されわかりやすくなる。テラスモール松戸止まりの便(急行)は廃止。専用のバス停跡地は、自動車デイーラーに売却。 == 隣の駅 == ; 東日本旅客鉄道(JR東日本) : [[ファイル:JR JL line symbol.svg|15px]] 常磐線(各駅停車) :: [[馬橋駅]] (JL 24) - '''新松戸駅 (JL 25)''' - [[北小金駅]] (JL 26) : [[ファイル:JR JM line symbol.svg|15px]] 武蔵野線 :: [[新八柱駅]] (JM 14) - '''新松戸駅 (JM 15)''' - [[南流山駅]] (JM 16) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 記事本文 === ==== 注釈 ==== {{Reflist|group="注釈"}} ==== 出典 ==== {{Reflist}} ===== 広報資料・プレスリリースなど一次資料 ===== {{Reflist|group="広報"}} === 利用状況 === {{Reflist|group="統計"}} ; JR東日本の2000年度以降の乗車人員 {{Reflist|group="JR"|22em}} ; 千葉県統計年鑑 {{Reflist|group="*"|22em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author=日本国有鉄道|authorlink=日本国有鉄道 |title=日本国有鉄道百年写真史 |date=1972年10月14日 発行 |publisher=交通協力会 |ref=国鉄 (1972)}}(復刻版:{{Cite book|和書 |title=日本国有鉄道百年写真史 |date=2005年10月)|publisher=[[成山堂書店]] |isbn=978-4425301638}}) * {{Cite book|和書 |author=三好好三 |author2=垣本泰宏 |title=武蔵野線まるごと探見 |publisher=[[JTBパブリッシング]] |date=2010-02-01 |ref=jtb}} == 関連項目 == {{commonscat|Shin-Matsudo Station}} * [[日本の鉄道駅一覧]] == 外部リンク == * {{外部リンク/JR東日本駅|filename=884|name=新松戸}} * [http://www.shinkeisei.co.jp/bus/top_bus_station/shinmatsudo_bus_station/ 松戸新京成バス 新松戸駅] {{常磐緩行線}} {{武蔵野線・京葉線}}{{流鉄流山線}} {{DEFAULTSORT:しんまつと}} [[Category:松戸市の鉄道駅]] [[Category:日本の鉄道駅 し|んまつと]] [[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]] [[Category:常磐緩行線]] [[Category:武蔵野線]] [[Category:1973年開業の鉄道駅]]
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最大公約数
最大公約数(さいだいこうやくすう、英: greatest common divisor)とは、すべての公約数を約数にもつ公約数である。特に正の整数では、最大公約数は通常の大小関係についての最大の公約数と一致し、その存在性はユークリッドの互除法により保証される。 以下では、自然数は 0 {\displaystyle 0} を含むとし、 a {\displaystyle a} が b {\displaystyle b} を割り切ること(つまり b = c a {\displaystyle b=ca} となる自然数 c {\displaystyle c} が存在すること)を a ∣ b {\displaystyle a\mid b} と表す。 写像 gcd : N n → N ; ( a 1 , ... , a n ) ↦ d {\displaystyle \gcd \colon \mathbb {N} ^{n}\to \mathbb {N} ;(a_{1},\dots ,a_{n})\mapsto d} を ように定める。 d {\displaystyle d} を a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\dots ,a_{n}} の最大公約数といい、 gcd ( a 1 , ... , a n ) {\displaystyle \gcd(a_{1},\dots ,a_{n})} や ( a 1 , ... , a n ) {\displaystyle (a_{1},\dots ,a_{n})} と表す。 gcd ( a 1 , ... , a n ) = 1 {\displaystyle \gcd(a_{1},\dots ,a_{n})=1} が成り立つことを a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\dots ,a_{n}} が互いに素であると言う。 この定義から容易に次のことがわかる。 自然数が一つ以下の場合は自明なので普通は二つ以上の場合を考えることになるが、二番目の性質により二つの自然数の最大公約数を考えることに帰着する。この定義からアプリオリには任意の二つの自然数に最大公約数が存在するかわからないが、実際には単に存在するだけでなく具体的に計算するアルゴリズムがユークリッドの互除法として知られており、この重要な応用がベズーの等式である。 たとえば 333 {\displaystyle 333} と 57 {\displaystyle 57} の最大公約数をユークリッドの互除法により求めてみよう。 333 = 57 × 5 + 48 {\displaystyle 333=57\times 5+48} なので gcd ( 333 , 57 ) = gcd ( 57 , 48 ) {\displaystyle \gcd(333,57)=\gcd(57,48)} である。 57 = 48 × 1 + 9 {\displaystyle 57=48\times 1+9} なので gcd ( 57 , 48 ) = gcd ( 48 , 9 ) {\displaystyle \gcd(57,48)=\gcd(48,9)} である。 48 = 9 × 5 + 3 {\displaystyle 48=9\times 5+3} なので gcd ( 48 , 9 ) = gcd ( 9 , 3 ) {\displaystyle \gcd(48,9)=\gcd(9,3)} である。 9 = 3 × 3 + 0 {\displaystyle 9=3\times 3+0} なので gcd ( 9 , 3 ) = gcd ( 3 , 0 ) = 3 {\displaystyle \gcd(9,3)=\gcd(3,0)=3} であり、最大公約数が 3 {\displaystyle 3} であることがわかった。 このように最大公約数の定義や計算に素数や素因数分解などのような高級な概念は全く必要ないのだが、算術の基本定理が成り立つことを利用して最大公約数を明示的に表すこともできる。つまり、すべての素数から成る集合を P r i m e s {\displaystyle {\mathfrak {Primes}}} として、 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\dots ,a_{n}} を と素因数分解すれば、次が成り立つ。 たとえば 333 = 3 2 × 37 {\displaystyle 333=3^{2}\times 37} や 57 = 3 × 19 {\displaystyle 57=3\times 19} と素因数分解できるので、たしかに gcd ( 333 , 57 ) = 3 {\displaystyle \gcd(333,57)=3} となりユークリッドの互除法を用いて得られた値と一致する。 他にも次のような性質が知られている。 特に重要な事実として、組 ( N , ∣ ) {\displaystyle (\mathbb {N} ,\mid )} は半順序集合であるのでハッセ図を書くことができ、さらに lcm {\displaystyle \operatorname {lcm} } と gcd {\displaystyle \gcd } をそれぞれ結びと交わりとすれば完備分配束を成し、 1 {\displaystyle 1} が最小元、 0 {\displaystyle 0} が最大元になる。したがって圏論的には lcm {\displaystyle \operatorname {lcm} } と gcd {\displaystyle \gcd } はそれぞれ余積と積に対応する。 初等的な議論では自然数に限定したが、環論的な文脈では上の定義を一般の環(ここでは単位的可換環とする)に置き換えることになる。よくある定義では条件2の b ∣ d {\displaystyle b\mid d} が b ≦ d {\displaystyle b\leqq d} となっているので、通常の大小関係が一般には定義できない環には拡張できないことに注意せよ。一般の環では最大公約数が存在するとは限らない。たとえば Z [ x 2 , x 3 ] {\displaystyle \mathbb {Z} [x^{2},x^{3}]} の元 x 5 , x 6 {\displaystyle x^{5},x^{6}} の最大公約数は存在せず、 Z [ − 5 ] {\displaystyle \mathbb {Z} [{\sqrt {-5}}]} の元 6 , 2 ( 1 + − 5 ) {\displaystyle 6,2(1+{\sqrt {-5}})} の最大公約数は存在しない。さらに、存在しても一意であるとは限らない。たとえば有理整数環 Z {\displaystyle \mathbb {Z} } では 4 {\displaystyle 4} と 6 {\displaystyle 6} の最大公約数は ± 2 {\displaystyle \pm 2} であり、多項式環 R [ X ] {\displaystyle \mathbb {R} [X]} では x 3 − x {\displaystyle x^{3}-x} と x 3 + x 2 − x − 1 {\displaystyle x^{3}+x^{2}-x-1} の最大公約数は c ( x 2 − 1 ) {\displaystyle c(x^{2}-1)} ( c ∈ R ∖ { 0 } {\displaystyle c\in \mathbb {R} \setminus \{0\}} ) である。しかし考えている環が整域であれば、最大公約数は存在すれば単元倍を除いて一意なのでそれぞれ単に 2 {\displaystyle 2} や x 2 − 1 {\displaystyle x^{2}-1} と書いてよい。 このように一般の整域でも最大公約数は存在するとは限らないが、すべての二つの元について最大公約数が存在するような整域をGCD整域と言い、特に一意分解整域であればGCD整域である。さらに単項イデアル整域であれば元 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\dots ,a_{n}} に対して ( a 1 , ... , a n ) = ( gcd ( a 1 , ... , a n ) ) = ( a 1 ) + ⋯ + ( a n ) {\displaystyle (a_{1},\dots ,a_{n})=(\gcd(a_{1},\dots ,a_{n}))=(a_{1})+\cdots +(a_{n})} が成り立ち、より強く多項式環やガウス整数環のようなユークリッド整域であればユークリッドの互除法を用いて最大公約数を求めることができる。この観点では自然数 a , b {\displaystyle a,b} の最大公約数が有理整数環 Z {\displaystyle \mathbb {Z} } のイデアル ( a ) + ( b ) {\displaystyle (a)+(b)} すなわち ( a , b ) {\displaystyle (a,b)} の正の生成元であるので、初等的には gcd ( a , b ) {\displaystyle \gcd(a,b)} を ( a , b ) {\displaystyle (a,b)} と書くことが正当化されていると解釈できる。特に、空集合の生成するイデアルが零イデアルであることから、空集合の最大公約数はやはり 0 {\displaystyle 0} である。
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は半順序集合であるのでハッセ図を書くことができ、さらに lcm {\\displaystyle \\operatorname {lcm} } と gcd {\\displaystyle \\gcd } をそれぞれ結びと交わりとすれば完備分配束を成し、 1 {\\displaystyle 1} が最小元、 0 {\\displaystyle 0} が最大元になる。したがって圏論的には lcm {\\displaystyle \\operatorname {lcm} } と gcd {\\displaystyle \\gcd } はそれぞれ余積と積に対応する。", "title": "初等的な定義" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "初等的な議論では自然数に限定したが、環論的な文脈では上の定義を一般の環(ここでは単位的可換環とする)に置き換えることになる。よくある定義では条件2の b ∣ d {\\displaystyle b\\mid d} が b ≦ d {\\displaystyle b\\leqq d} となっているので、通常の大小関係が一般には定義できない環には拡張できないことに注意せよ。一般の環では最大公約数が存在するとは限らない。たとえば Z [ x 2 , x 3 ] {\\displaystyle \\mathbb {Z} [x^{2},x^{3}]} の元 x 5 , x 6 {\\displaystyle x^{5},x^{6}} の最大公約数は存在せず、 Z [ − 5 ] {\\displaystyle \\mathbb {Z} [{\\sqrt {-5}}]} の元 6 , 2 ( 1 + − 5 ) {\\displaystyle 6,2(1+{\\sqrt {-5}})} の最大公約数は存在しない。さらに、存在しても一意であるとは限らない。たとえば有理整数環 Z {\\displaystyle \\mathbb {Z} } では 4 {\\displaystyle 4} と 6 {\\displaystyle 6} の最大公約数は ± 2 {\\displaystyle \\pm 2} であり、多項式環 R [ X ] {\\displaystyle \\mathbb {R} [X]} では x 3 − x {\\displaystyle x^{3}-x} と x 3 + x 2 − x − 1 {\\displaystyle x^{3}+x^{2}-x-1} の最大公約数は c ( x 2 − 1 ) {\\displaystyle c(x^{2}-1)} ( c ∈ R ∖ { 0 } {\\displaystyle c\\in \\mathbb {R} \\setminus \\{0\\}} ) である。しかし考えている環が整域であれば、最大公約数は存在すれば単元倍を除いて一意なのでそれぞれ単に 2 {\\displaystyle 2} や x 2 − 1 {\\displaystyle x^{2}-1} と書いてよい。", "title": "環論的な定義" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "このように一般の整域でも最大公約数は存在するとは限らないが、すべての二つの元について最大公約数が存在するような整域をGCD整域と言い、特に一意分解整域であればGCD整域である。さらに単項イデアル整域であれば元 a 1 , ... , a n {\\displaystyle a_{1},\\dots ,a_{n}} に対して ( a 1 , ... , a n ) = ( gcd ( a 1 , ... , a n ) ) = ( a 1 ) + ⋯ + ( a n ) {\\displaystyle (a_{1},\\dots ,a_{n})=(\\gcd(a_{1},\\dots ,a_{n}))=(a_{1})+\\cdots +(a_{n})} が成り立ち、より強く多項式環やガウス整数環のようなユークリッド整域であればユークリッドの互除法を用いて最大公約数を求めることができる。この観点では自然数 a , b {\\displaystyle a,b} の最大公約数が有理整数環 Z {\\displaystyle \\mathbb {Z} } のイデアル ( a ) + ( b ) {\\displaystyle (a)+(b)} すなわち ( a , b ) {\\displaystyle (a,b)} の正の生成元であるので、初等的には gcd ( a , b ) {\\displaystyle \\gcd(a,b)} を ( a , b ) {\\displaystyle (a,b)} と書くことが正当化されていると解釈できる。特に、空集合の生成するイデアルが零イデアルであることから、空集合の最大公約数はやはり 0 {\\displaystyle 0} である。", "title": "環論的な定義" } ]
最大公約数とは、すべての公約数を約数にもつ公約数である。特に正の整数では、最大公約数は通常の大小関係についての最大の公約数と一致し、その存在性はユークリッドの互除法により保証される。
[[File:Infinite lattice of divisors.svg|thumb|250px|[[自然数]]の[[整除]]関係を図示した無限グラフ([[ハッセ図]])の一部。たとえば8と12の最大公約数は4であり、4と6の最大公約数は2である。]] '''最大公約数'''(さいだいこうやくすう、{{lang-en-short|greatest common divisor}}{{Efn|文献によっては highest common factor, greatest common factor, greatest common measure などを用いることもある。}})とは、すべての[[公約数]]を[[約数]]にもつ公約数である。特に正の[[整数]]では、最大公約数は通常の大小関係についての最大の公約数と一致し、その存在性は[[ユークリッドの互除法]]により保証される。 == 初等的な定義 == 以下では、[[自然数]]は <math>0</math> を含むとし、<math>a</math> が <math>b</math> を[[割り切れる|割り切る]]こと(つまり <math>b=ca</math> となる自然数 <math>c</math> が存在すること)を <math>a\mid b</math> と表す。 [[写像]] <math>\gcd\colon\N^n\to\N;(a_1,\dots,a_n)\mapsto d</math> を # すべての <math>1\leqq i\leqq n</math> に対して <math>d\mid a_i</math> であり、 # すべての自然数 <math>b</math> に対し、すべての <math>1\leqq i\leqq n</math> に対して <math>b\mid a_i</math> ならば <math>b\mid d</math> となる ように定める<ref name=":0">{{Cite web|url=https://ncatlab.org/nlab/show/greatest+common+divisor|title=greatest common divisor|accessdate=2021-12-17|publisher=nLab}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|title=elementary number theory - GCD of an empty set?|url=https://math.stackexchange.com/questions/1755266/gcd-of-an-empty-set|website=Mathematics Stack Exchange|accessdate=2021-12-17}}</ref><ref>{{Cite web|title=gcd domain|url=https://planetmath.org/gcddomain|website=planetmath.org|accessdate=2021-12-17}}</ref><ref>加藤・中井(2016)定義 2.4.3</ref>。<math>d</math> を <math>a_1,\dots,a_n</math> の最大公約数といい、<math>\gcd(a_1,\dots,a_n)</math> や <math>(a_1,\dots,a_n)</math> と表す。<math>\gcd(a_1,\dots,a_n)=1</math> が成り立つことを <math>a_1,\dots,a_n</math> が[[互いに素 (整数論)|互いに素]]であると言う。 この定義から容易に次のことがわかる。 * <math>\gcd(a,b)=\gcd(b,a)</math> が成り立つ。 *<math>\gcd(\gcd(a,b),c)=\gcd(a,b,c)</math> が成り立つ<ref name=":1" />。 *最大公約数は存在すれば一意である<ref>加藤・中井(2016)命題 2.4.4</ref>。 * <math>n=0</math> であれば(つまり空集合の)最大公約数は <math>0</math> である<ref name=":1" />。[[空積]]が <math>1=\{\varnothing\}</math> であることと{{仮リンク|空なる真|en|vacuous truth}}に注意せよ。 * <math>n=1</math> であれば <math>\gcd(a_1)=a_1</math> である。 * <math>n=2</math> とし、<math>0</math> と <math>0</math> の最大公約数は <math>0</math> である<ref name=":0">{{Cite web|url=https://ncatlab.org/nlab/show/greatest+common+divisor|title=greatest common divisor|accessdate=2021-12-17|publisher=nLab}}</ref><ref>{{Cite web|title=elementary number theory - What is $\gcd(0,0)$?|url=https://math.stackexchange.com/questions/495119/what-is-gcd0-0|website=Mathematics Stack Exchange|accessdate=2021-12-17}}</ref><ref>{{Cite web|title=gcd(0,0) - Wolfram{{!}}Alpha|url=https://ja.wolframalpha.com/|website=ja.wolframalpha.com|accessdate=2021-12-17}}</ref>。ゆえに、一般には'''最大公約数は最大の公約数ではない<ref>加藤・中井(2016)p. 42</ref>'''。 * <math>n=2</math> とし、<math>0</math> でない自然数 <math>a_1</math> と <math>0</math> の最大公約数は <math>a_1</math>である 自然数が一つ以下の場合は自明なので普通は二つ以上の場合を考えることになるが、二番目の性質により二つの自然数の最大公約数を考えることに帰着する。この定義からアプリオリ<ref>{{Cite web|title=philosophy of mathematics - What does a priori mean in a math paper?|url=https://philosophy.stackexchange.com/questions/72702/what-does-a-priori-mean-in-a-math-paper|website=Philosophy Stack Exchange|accessdate=2021-12-17}}</ref>には任意の二つの自然数に最大公約数が存在するかわからないが、実際には単に存在するだけでなく具体的に計算するアルゴリズムが[[ユークリッドの互除法]]として知られており、この重要な応用が[[ベズーの等式]]である。 たとえば <math>333</math> と <math>57</math> の最大公約数をユークリッドの互除法により求めてみよう。<math>333=57\times 5+48</math> なので <math>\gcd(333,57)=\gcd(57,48)</math> である。<math>57=48\times 1+9</math> なので <math>\gcd(57,48)=\gcd(48,9)</math> である。<math>48=9\times 5+3</math> なので <math>\gcd(48,9)=\gcd(9,3)</math> である。<math>9=3\times 3+0</math> なので <math>\gcd(9,3)=\gcd(3,0)=3</math> であり、最大公約数が <math>3</math> であることがわかった。 このように'''最大公約数の定義や計算に[[素数]]や[[素因数分解]]などのような高級な概念は全く必要ない'''<ref>加藤・中井(2016)p. 49</ref>のだが、[[算術の基本定理]]が成り立つことを利用して最大公約数を明示的に表すこともできる。つまり、すべての素数から成る集合を <math>\mathfrak{Primes}</math> として、<math>a_1,\dots,a_n</math> を :<math>a_i=\prod_{p\in\mathfrak{Primes}} p^{e_p (i)}</math> と素因数分解すれば、次が成り立つ<ref>加藤・中井(2016)命題 2.9.4</ref>。 :<math>\gcd(a_1,\dots,a_n)=\prod_{p\in\mathfrak{Primes}} p^{\min\{e_p(1),\ldots ,e_p(n)\}}</math> たとえば <math>333=3^2\times 37</math> や <math>57=3\times 19</math> と素因数分解できるので、たしかに <math>\gcd(333,57)=3</math> となりユークリッドの互除法を用いて得られた値と一致する。 他にも次のような性質が知られている。 * <math>\gcd(a,b)\operatorname{lcm}(a,b)=ab</math>(ただし <math>\operatorname{lcm}</math> は[[最小公倍数]])が成り立つ{{Efn|この性質は引数が二つ以下の場合でしか一般に成り立たない。たとえば2と6と15であれば、左辺は30で右辺は180となり等号は成り立たない。この事態は素因数分解による表式を考えることにより理解される。}}。この関係によって最小公倍数を計算するのが一般的である。 * <math>\gcd(a,\operatorname{lcm}(b,c))=\operatorname{lcm}(\gcd(a,b),\gcd(a,c))</math> や <math>\operatorname{lcm}(a,\gcd(b,c))=\gcd(\operatorname{lcm}(a,b),\operatorname{lcm}(a,c))</math> のような[[分配法則|分配則]]が成り立つ。 * <math>\gcd(a,b)=\sum_{k\mid a,b}\varphi(k)</math>(ただし <math>\varphi(k)</math> は[[オイラーのトーシェント関数]])が成り立つ。 * <math>\gcd(a,b)=af(b/a)</math>(ただし <math>f</math> は[[トマエ関数]])が成り立つ。 * 正の奇数 <math>a</math> と自然数 <math>b</math> に対して <math>\gcd(a,b)=\log_2\prod_{k=0}^{a-1}(1+e^{-2\pi ikb/a})</math> が成り立つ<ref>{{Cite journal|author=Slavin, K. R.|year=2008|title=Q-Binomials and the Greatest Common Divisor|url=http://math.colgate.edu/~integers/i5/i5.pdf|journal=INTEGERS: The Electronic Journal of Combinatorial Number Theory|volume=8|page=A5|format=PDF}}</ref>。 * <math>\gcd(a,b)=\sum_{k=1}^a e^{2\pi ikb/a}\sum_{d\mid a}\frac{c_d(k)}{d}</math>(ただし <math>c_d(k)</math> は{{仮リンク|ラマヌジャン和|en|Ramanujan's sum}})が成り立つ<ref>{{Cite journal|author=Schramm, W.|year=2008|title=The Fourier transform of functions of the greatest common divisor|url=http://math.colgate.edu/~integers/i50/i50.pdf|journal=INTEGERS: The Electronic Journal of Combinatorial Number Theory|volume=8|page=A50|format=PDF}}</ref>。 * <math>\gcd(n^a-1,n^b-1)=n^{\gcd(a,b)}-1</math> が成り立つ<ref>{{Cite web|title=elementary number theory - Prove that $\gcd(a^n - 1, a^m - 1) = a^{\gcd(n, m)} - 1$|url=https://math.stackexchange.com/questions/7473/prove-that-gcdan-1-am-1-a-gcdn-m-1|website=Mathematics Stack Exchange|accessdate=2021-12-17}}</ref>。 * <math>\sum_{k=1}^n\gcd(k,n)=n\prod_{p\mid n}(1+v_p(n)(1-p^{-1}))</math>(ただし <math>v_p(n)</math> は <math>n</math> の [[P進付値|<math>p</math> 進付値]])が成り立つ。 特に重要な事実として、組 <math>(\N,\mid)</math> は[[半順序集合]]であるのでハッセ図を書くことができ、さらに <math>\operatorname{lcm}</math> と <math>\gcd</math> をそれぞれ[[結びと交わり]]とすれば[[完備束|完備分配束]]を成し<ref name=":0" />、<math>1</math> が最小元、<math>0</math> が最大元になる。したがって[[圏論]]的には <math>\operatorname{lcm}</math> と <math>\gcd</math> はそれぞれ[[余積]]と[[積 (圏論)|積]]に対応する。 == 環論的な定義 == 初等的な議論では自然数に限定したが、[[環 (数学)|環]]論的な文脈では上の定義を一般の環(ここでは単位的可換環とする)に置き換えることになる<ref>{{Cite web|title=gcd domain|url=https://planetmath.org/gcddomain|website=planetmath.org|accessdate=2021-12-17}}</ref>。よくある定義では条件2の <math>b\mid d</math> が <math>b\leqq d</math> となっている{{Efn|たとえば高木貞治(1971)『初等整数論講義』や日本数学会(2012)『岩波数学辞典 第4版』はこの流儀を採用している。}}ので、通常の大小関係が一般には定義できない環には拡張できないことに注意せよ。'''一般の環では最大公約数が存在するとは限らない'''。たとえば <math>\Z[x^2,x^3]</math> の元 <math>x^5, x^6</math> の最大公約数は存在せず<ref>{{Cite web|title=greatest common divisor|url=https://planetmath.org/greatestcommondivisor|website=planetmath.org|accessdate=2021-12-17}}</ref>、<math>\Z[\sqrt{-5}]</math> の元 <math>6, 2(1+\sqrt{-5})</math> の最大公約数は存在しない。さらに、'''存在しても一意であるとは限らない'''。たとえば[[有理整数環]] <math>\Z</math> では <math>4</math> と <math>6</math> の最大公約数は <math>\pm2</math> であり、[[多項式環]] <math>\R[X]</math> では <math>x^3-x</math> と <math>x^3+x^2-x-1</math> の最大公約数は <math>c(x^2-1)</math> (<math>c\in\R\setminus\{0\}</math>) である。しかし考えている環が[[整域]]であれば、最大公約数は存在すれば'''単元倍を除いて一意'''なのでそれぞれ単に <math>2</math> や <math>x^2-1</math> と書いてよい。 このように一般の整域でも最大公約数は存在するとは限らないが、すべての二つの元について最大公約数が存在するような整域を[[GCD整域]]と言い、特に[[一意分解整域]]であればGCD整域である。さらに[[単項イデアル整域]]であれば元 <math>a_1,\dots,a_n</math> に対して <math>(a_1,\dots,a_n)=(\gcd(a_1,\dots,a_n))=(a_1)+\cdots+(a_n)</math> が成り立ち、より強く多項式環や[[ガウス整数環]]のような[[ユークリッド整域]]であればユークリッドの互除法を用いて最大公約数を求めることができる<ref name=":0" />。この観点では自然数 <math>a, b</math> の最大公約数が有理整数環 <math>\Z</math> の[[イデアル (環論)|イデアル]] <math>(a)+(b)</math> すなわち <math>(a,b)</math> の正の生成元であるので、初等的には <math>\gcd(a,b)</math> を <math>(a,b)</math> と書くことが正当化されていると解釈できる。特に、[[空集合]]の生成するイデアルが[[零イデアル]]であることから、空集合の最大公約数はやはり <math>0</math> である。 == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *加藤文元・中井保行(2016)『天に向かって続く数』日本評論社. *[[nlab:greatest+common+divisor|nLab - “greatest common divisor”]] (英語) == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}} *[[ユークリッドの互除法]] *[[公約数]] *[[公倍数]] *[[最小公倍数]] *[[GCD整域]] *[[ユークリッド整域]] *[[RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜|最大公約数]] - [[RADWIMPS]]の楽曲。 {{二項演算}} {{DEFAULTSORT:さいたいこうやくすう}} [[Category:数論]] [[Category:初等数学]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:環論]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%A4%A7%E5%85%AC%E7%B4%84%E6%95%B0
9,911
NP
計算複雑性理論における NP (Non-deterministic Polynomial time)は、複雑性クラスのひとつであり、答えがyesとなるような問いに対して、多項式時間で検証できる証拠が存在する決定問題のクラスである。 NP は、NTIMEを使って次のように定義される。 つまり、非決定性チューリングマシンによって多項式時間で解ける決定問題のクラスであり、名称も Non-deterministic Polynomial time(非決定性多項式時間)の略である。また、多項式時間検証可能という同値な定義もある。言語 L が NP に属するとは、多項式時間決定性チューリングマシン M と多項式 p が存在し、次の性質を満たすことを言う。 ハミルトン閉路問題は、「与えられたグラフについて、全ての頂点を一度だけ通る閉路(ハミルトン閉路)が存在するか」という問題である。そのような閉路が与えられれば、yesであること(つまり、「本当に全ての点を一度ずつ通っているか」)は多項式時間で検証できるから、これが証拠と言えるため、ハミルトン閉路問題は NP に属する。証拠を具体的に求める計算量などを考える必要がなく、ただ「存在すること」が要求されることに注意する。また、noであった場合は、どんな証拠であっても検証時に間違ってハミルトン閉路であるとはならないことも重要である。 合成数判定問題は因数が証拠となるため、NPに属することがすぐさま分かるが、その補問題の素数判定問題ではそのような直感的で分かりやすい証拠が知られていない。整数論によれば、 p-1 の完全な素因数分解と原始根が与えられれば、奇数 p が素数であることを多項式時間で検証できる。ということは、素数であるという証拠は、 p-1 の素因数分解と原始根で足りるかというと厳密にはそうではない。 p-1 の素因数分解が本当にすべて素因数に分解されているか、ということを検証しなければならないからである。幸いにも、再帰的に素数判定の検証を行うことによって、全体として p が素数であることを多項式時間で検証できる。以上より、素数判定問題はNPに属する。合成数判定問題の結果と併せると NP ∩ co-NP {\displaystyle {\textsf {NP}}\cap {\textsf {co-NP}}} に属することが言える。なお、現在では素数判定問題は P に属することが証明されている。 NP に属するが、 P に属することが証明されていない問題の多くは NP完全であり、その例は「NP完全問題」の項に譲る。それ以外の、 P にも NP完全にも属さない問題の候補としてグラフ同型性判定問題(英語版)が挙げられる。 Pは、決定性チューリングマシンを使って多項式時間で解ける問題のクラスである。定義より明らかに P ⊆ NP {\displaystyle {\textsf {P}}\subseteq {\textsf {NP}}} だが、 P ≠ NP {\displaystyle {\textsf {P}}\neq {\textsf {NP}}} かどうかは未解決問題である(P≠NP予想)。また co-NP は、 NP の補問題のクラスである。つまり、 というクラスである。 これらクラスと NP は多項式階層を構成する。 P = Σ 0 P = Π 0 P {\displaystyle {\textsf {P}}=\Sigma _{0}^{\rm {P}}=\Pi _{0}^{\rm {P}}} とし、適切に定義することによって、 という階層を成し、全クラスの和集合を PH とする。このとき、 NP = Σ 1 P {\displaystyle {\textsf {NP}}=\Sigma _{1}^{\rm {P}}} 、 co-NP = Π 1 P {\displaystyle {\textsf {co-NP}}=\Pi _{1}^{\rm {P}}} である。ある k について Σ k P = Σ k + 1 P {\displaystyle \Sigma _{k}^{\rm {P}}=\Sigma _{k+1}^{\rm {P}}} すなわち Σ k P = Π k P {\displaystyle \Sigma _{k}^{\rm {P}}=\Pi _{k}^{\rm {P}}} となることを「多項式階層が第 k 層で潰れる」と言うが、 つまりP≠NP予想は、多項式階層で考えると「完全には潰れない」という予想に換言できる。多項式階層は、すべての階層で潰れないと考えられているが、未解決問題である。 NP完全とNP困難は、NPの完全問題と困難問題のクラスである。直感的には、NPに属する任意の問題と少なくとも同じくらい難しい問題をNP困難であるといい、そのうちNPに属するものをNP完全問題という。これらの概念は正確には多項式時間帰着を使って定義する。充足可能性問題がNP完全に属することが知られている(クック–レビンの定理(英語版))。NP完全問題の1つでも P に属することが証明できれば P=NP と言えるが、そのような問題は見つかっていない。 NEXPTIMEは、非決定性チューリングマシンを使って指数時間で解ける問題のクラスであり、時間階層定理(英語版)より NP ⊊ NEXPTIME {\displaystyle {\textsf {NP}}\subsetneq {\textsf {NEXPTIME}}} が言える。また、EXPSPACEは、決定性チューリングマシンの指数サイズの領域を使って解ける問題のクラスであり、領域階層定理(英語版)より NP ⊊ EXPSPACE {\displaystyle {\textsf {NP}}\subsetneq {\textsf {EXPSPACE}}} が言える。 多項式時間検証可能という側面から NP を考えると、対話証明とみなすこともできる。AMは(P を BPP に拡張したように) NP から確率的な挙動を許すようにしたクラスである。PCP定理(英語版)は、 NP = PCP ( O ( log n ) , O ( 1 ) ) {\displaystyle {\textsf {NP}}={\textsf {PCP}}(O(\log n),O(1))} を示している。
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計算複雑性理論における NPは、複雑性クラスのひとつであり、答えがyesとなるような問いに対して、多項式時間で検証できる証拠が存在する決定問題のクラスである。
{{Otheruses|計算量}} [[計算複雑性理論]]における '''NP''' (''Non-deterministic Polynomial time'')は、[[複雑性クラス]]のひとつであり、答えがyesとなるような問いに対して、多項式時間で検証できる証拠が存在する決定問題のクラスである。 ==定義== '''NP''' は、'''[[NTIME]]'''を使って次のように定義される<ref>{{cite book |title=Introduction to the Theory of Computation |first=Michael|last=Sipser |publisher=Cengage Learning |isbn=978-1133187790 |edition=3 |date=2012-06-27}}</ref>。 :<math>\textsf{NP} = \bigcup_{k\in\mathbb{N}} \textsf{NTIME}(n^k)</math> つまり、[[非決定性チューリングマシン]]によって[[多項式時間]]で解ける[[決定問題]]のクラスであり、名称も ''Non-deterministic Polynomial time''(非決定性多項式時間)の略である。また、多項式時間検証可能という[[同値]]な定義もある。言語 L が '''NP''' に属するとは、多項式時間決定性[[チューリングマシン]] ''M'' と多項式 ''p'' が存在し、次の性質を満たすことを言う。 *<math>x\in L</math>ならば、ある証拠 <math>w \in \{0, 1\}^{p(|x|)}</math> が存在し、<math>M(x, w) = 1</math> *<math>x\not\in L</math>ならば、どんな証拠 <math>w \in \{0, 1\}^{p(|x|)}</math> でも、<math>M(x, w) = 0</math> ==例== [[ハミルトン閉路問題]]は、「与えられたグラフについて、全ての頂点を一度だけ通る閉路(ハミルトン閉路)が存在するか」という問題である。そのような閉路が与えられれば、yesであること(つまり、「本当に全ての点を一度ずつ通っているか」)は多項式時間で検証できるから、これが証拠と言えるため、ハミルトン閉路問題は '''NP''' に属する。証拠を具体的に求める計算量などを考える必要がなく、ただ「存在すること」が要求されることに注意する。また、noであった場合は、どんな証拠であっても検証時に間違ってハミルトン閉路であるとはならないことも重要である。 合成数判定問題は因数が証拠となるため、'''NP'''に属することがすぐさま分かるが、その補問題の素数判定問題ではそのような直感的で分かりやすい証拠が知られていない。[[整数論]]によれば、 ''p''-1 の完全な素因数分解と原始根が与えられれば、奇数 ''p'' が素数であることを多項式時間で検証できる。ということは、素数であるという証拠は、 ''p''-1 の素因数分解と原始根で足りるかというと厳密にはそうではない。 ''p''-1 の素因数分解が本当にすべて素因数に分解されているか、ということを検証しなければならないからである。幸いにも、再帰的に素数判定の検証を行うことによって、全体として ''p'' が素数であることを多項式時間で検証できる。以上より、素数判定問題は'''NP'''に属する。合成数判定問題の結果と併せると <math>\textsf{NP}\cap\textsf{co-NP}</math> に属することが言える。なお、現在では素数判定問題は '''P''' に属することが証明されている<ref>{{cite journal |first=Manindra |last=Agrawal |authorlink=マニンドラ・アグラワル |first2=Neeraj |last2=Kayal |authorlink2=ニラジュ・カヤル |first3=Nitin |last3=Saxena |url=http://www.cse.iitk.ac.in/users/manindra/algebra/primality_v6.pdf |title=PRIMES is in P |journal=Annals of Mathematics |volume=160 |year=2004 |issue=2 |pages=781–793 |doi=10.4007/annals.2004.160.781 |jstor=3597229 }}</ref>。 '''NP''' に属するが、 '''P''' に属することが証明されていない問題の多くは '''NP'''完全であり、その例は「[[NP完全問題]]」の項に譲る。それ以外の、 '''P''' にも '''NP'''完全にも属さない問題の候補として{{仮リンク|グラフ同型性判定問題|en|Graph isomorphism problem}}が挙げられる。 ==関連する複雑性クラス== ===多項式階層=== [[Image:Polynomial time hierarchy.svg|250px|thumb|right|多項式階層の包含関係図]] '''[[P (計算複雑性理論)|P]]'''は、決定性チューリングマシンを使って多項式時間で解ける問題のクラスである。定義より明らかに <math>\textsf{P} \subseteq \textsf{NP}</math> だが、 <math>\textsf{P} \neq \textsf{NP}</math> かどうかは未解決問題である([[P≠NP予想]])。また '''[[co-NP]]''' は、 '''NP''' の補問題のクラスである。つまり、 :<math>\textsf{co-NP} = \{\bar{L} | L \in \textsf{NP} \}</math> というクラスである。 これらクラスと '''NP''' は[[多項式階層]]を構成する。<math>\textsf{P} = \Sigma_0^{\rm P} = \Pi_0^{\rm P}</math>とし、適切に定義することによって、 :<math>\Sigma_0^{\rm P} \subseteq \Sigma_1^{\rm P} \subseteq \ldots</math> :<math>\Pi_0^{\rm P} \subseteq \Pi_1^{\rm P} \subseteq \ldots</math> という階層を成し、全クラスの和集合を '''PH''' とする。このとき、 <math>\textsf{NP} = \Sigma_1^{\rm P}</math>、 <math> \textsf{co-NP} = \Pi_1^{\rm P} </math> である。ある ''k'' について <math>\Sigma_k^{\rm P} = \Sigma_{k+1}^{\rm P}</math> すなわち <math>\Sigma_k^{\rm P} = \Pi_{k}^{\rm P}</math> となることを「多項式階層が第 ''k'' 層で潰れる」と言うが、 *もし <math>\textsf{P} = \textsf{NP}</math> なら、階層は完全に潰れ、 <math>\textsf{NP} = \textsf{co-NP} = \textsf{PH}</math>。 *もし <math>\textsf{NP} = \textsf{co-NP}</math> なら、階層が第1層で潰れ、 <math>\textsf{NP} = \textsf{PH}</math>。 つまりP≠NP予想は、多項式階層で考えると「完全には潰れない」という予想に換言できる。多項式階層は、すべての階層で潰れないと考えられているが、未解決問題である。 ===NP完全およびNP困難=== '''[[NP完全問題|NP完全]]'''と'''[[NP困難]]'''は、'''NP'''の完全問題と困難問題のクラスである。直感的には、NPに属する任意の問題と少なくとも同じくらい難しい問題を[[NP困難]]であるといい、そのうちNPに属するものをNP完全問題という。これらの概念は正確には[[多項式時間帰着]]を使って定義する。[[充足可能性問題]]が'''NP'''完全に属することが知られている({{仮リンク|クック–レビンの定理|en|Cook–Levin theorem}})。'''NP'''完全問題の1つでも '''P''' に属することが証明できれば '''P'''='''NP''' と言えるが、そのような問題は見つかっていない。 ===NEXPTIMEとEXPSPACE=== '''[[NEXPTIME]]'''は、非決定性チューリングマシンを使って指数時間で解ける問題のクラスであり、{{仮リンク|時間階層定理|en|Time hierarchy theorem}}より <math>\textsf{NP} \subsetneq \textsf{NEXPTIME}</math> が言える。また、'''[[EXPSPACE]]'''は、決定性チューリングマシンの指数サイズの領域を使って解ける問題のクラスであり、{{仮リンク|領域階層定理|en|Space hierarchy theorem}}より <math>\textsf{NP} \subsetneq \textsf{EXPSPACE}</math> が言える。 ===対話証明系=== 多項式時間検証可能という側面から '''NP''' を考えると、対話証明とみなすこともできる。'''[[Arthur–Merlinプロトコル|AM]]'''は('''P''' を '''BPP''' に拡張したように) '''NP''' から確率的な挙動を許すようにしたクラスである。{{仮リンク|PCP定理|en|PCP theorem}}は、<math>\textsf{NP} = \textsf{PCP}(O(\log n), O(1))</math> を示している。 ==関連項目== *[[複雑性クラス]] **'''[[co-NP]]''' **'''[[NP完全問題|NP完全]]''' **'''[[NP困難]]''' *[[P≠NP予想]] == 外部リンク == * [https://complexityzoo.uwaterloo.ca/Complexity_Zoo:N#np Complexity Zoo NP] ==参考文献== {{reflist}} {{複雑性クラス}} [[Category:計算複雑性理論]] [[Category:数学に関する記事]]
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最小公倍数
最小公倍数(さいしょうこうばいすう、英: least common multiple)とは、 0 {\displaystyle 0} ではない複数の整数の公倍数のうち最小の自然数を指す。度々、L.C.M.やlcm等の省略形で記述される。 2つ以上の整数 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\ldots ,a_{n}} の最小公倍数とは、 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\ldots ,a_{n}} の公倍数のうち最小の正整数である。 つまり、 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\ldots ,a_{n}} を、素数 (prime) p を用いて a j = ε j ∏ p : p r i m e p e p ( j ) ( e p ( j ) ≥ 0 , ε j = ± 1 ) {\displaystyle a_{j}=\varepsilon _{j}\prod _{p:\,\mathrm {prime} }p^{e_{p}(j)}\ \ \ (e_{p}(j)\geq 0,\ \ \varepsilon _{j}=\pm 1)} と素因数分解したとき、 a 1 , ... , a n {\displaystyle a_{1},\ldots ,a_{n}} の最小公倍数は ∏ p : p r i m e p max { e p ( 1 ) , ... , e p ( n ) } {\displaystyle \prod _{p:\,\mathrm {prime} }p^{\max\{e_{p}(1),\ldots ,e_{p}(n)\}}} で与えられる。 例えば、12 と 16 の最小公倍数は 48 である。 公倍数は最小公倍数の倍数である。 証明 a , b , c , ⋯ , z {\displaystyle a,b,c,\cdots ,z} の最小公倍数を l {\displaystyle l} とする. a , b , c , ⋯ , z {\displaystyle a,b,c,\cdots ,z} の一般の公倍数を m {\displaystyle m} とし, m = q l + r , ( 0 < r < l ) {\displaystyle m=ql+r,\quad (0<r<l)} と置く。 変形して r = m − q l {\displaystyle r=m-ql} ...1 1右辺は m {\displaystyle m} は a , b , c , ⋯ , z {\displaystyle a,b,c,\cdots ,z} の公倍数、 l {\displaystyle l} も同じく a , b , c , ⋯ , z {\displaystyle a,b,c,\cdots ,z} の公倍数。 よって1の左辺 r {\displaystyle r} は a , b , c , ⋯ , z {\displaystyle a,b,c,\cdots ,z} の公倍数になる。 しかし 0 < r < l {\displaystyle 0<r<l} となり、最小公倍数 l {\displaystyle l} よりも一般公倍数 r {\displaystyle r} が小さく矛盾. すなわち r = 0 {\displaystyle r=0} 。よって公倍数 m = q l {\displaystyle m=ql} であり最小公倍数の倍数となっている.(証明終) 正整数 a , b {\displaystyle a,\ b} に対して、 a {\displaystyle a} と b {\displaystyle b} の最大公約数 g c d ( a , b ) {\displaystyle \mathrm {gcd} (a,\ b)} と最小公倍数 l c m ( a , b ) {\displaystyle \mathrm {lcm} (a,\ b)} との間には g c d ( a , b ) ⋅ l c m ( a , b ) = a b {\displaystyle \mathrm {gcd} (a,\ b)\cdot \mathrm {lcm} (a,\ b)=ab} という関係がある。 しかし、この関係式は3つ以上の正整数に対しては一般には成立しない。例えば、 a = 2 , b = 6 , c = 15 {\displaystyle a=2,\ b=6,\ c=15} とすると、 g c d ( a , b , c ) = 1 , l c m ( a , b , c ) = 30 {\displaystyle \mathrm {gcd} (a,\ b,\ c)=1,\ \mathrm {lcm} (a,\ b,\ c)=30} であるが、 a b c = 180 {\displaystyle abc=180} である。 多項式の 0 {\displaystyle 0} でない公倍数のうち、最も次数の低いものを最小公倍数という。例えば、 x 3 − x {\displaystyle x^{3}-x} と x 3 + x 2 − x − 1 {\displaystyle x^{3}+x^{2}-x-1} の最小公倍数は x ( x + 1 ) 2 ( x − 1 ) {\displaystyle x(x+1)^{2}(x-1)} である。 多項式の最小公倍数は定数倍を除いて1つしか存在しない。
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最小公倍数とは、 0 ではない複数の整数の公倍数のうち最小の自然数を指す。度々、L.C.M.やlcm等の省略形で記述される。
{{Expand English|Least common multiple|date=2023-10}} [[画像:TomoyukiMogi(DivMul).gif|thumb|right|320px|40と15に関する次の要素が埋め込まれた図: 積(600)、 商と剰余(40÷15=2余り10)、 最小公倍数(120)、 [[最大公約数]](5)、 [[比]](8:3) ]] [[画像:TomoyukiMogi GCM LCM.gif|thumb|right|320px|幾何学的に2つの整数(WとH)及びその最大公約数並びに最小公倍数を長さとして表せる。この図では、WとHを長方形の幅と高さに割り当て、最大公約数を[[ユークリッドの互除法]]に基づく方法で長さとして求めだし、長方形の面積(WとHの積)を最大公約数で割った結果として最小公倍数も長さとして求めだしている。]] '''最小公倍数'''(さいしょうこうばいすう、{{lang-en-short|least common multiple}})とは、<math>0</math>ではない複数の[[整数]]の[[公倍数]]のうち最小の自然数を指す。度々、'''L.C.M.'''や'''lcm'''等の省略形で記述される。 == 定義 == 2つ以上の整数 <math>a_1,\ldots, a_n</math>の最小公倍数とは、<math>a_1,\ldots, a_n</math>の[[公倍数]]のうち最小の正整数である。 つまり、<math>a_1,\ldots, a_n</math>を、[[素数]] ({{lang|en|prime}}) {{mvar|p}} を用いて {{Indent|<math> a_j = \varepsilon_j\prod_{p:\,\mathrm{prime}}p^{e_p(j)}\ \ \ (e_p(j)\ge 0,\ \ \varepsilon_j=\pm 1) </math>}} と[[素因数分解]]したとき、<math>a_1,\ldots, a_n</math>の最小公倍数は {{Indent|<math> \prod_{p:\,\mathrm{prime}}p^{\max\{e_p(1),\ldots,e_p(n)\}} </math>}} で与えられる。 例えば、12 と 16 の最小公倍数は 48 である。 : 12 = 2<sup>2</sup>×3<sup>1</sup> : 16 = 2<sup>4</sup> : 48 = 2<sup>4</sup>×3<sup>1</sup> == 諸概念 == 公倍数は最小公倍数の倍数である。 証明 <math>a, b, c,\cdots, z</math> の最小公倍数を <math>l</math> とする. <math>a, b, c,\cdots, z</math> の一般の公倍数を <math>m</math> とし,<math>m = ql + r, \quad (0 < r < l)</math> と置く。 変形して <math>r = m - ql</math> …① ①右辺は <math>m</math> は <math>a, b, c,\cdots, z</math> の公倍数、<math>l</math> も同じく <math>a, b, c,\cdots, z</math> の公倍数。 よって①の左辺 <math>r</math> は <math>a, b, c,\cdots, z</math> の公倍数になる。 しかし<math>0 < r < l</math> となり、最小公倍数 <math>l</math> よりも一般公倍数 <math>r</math> が小さく矛盾. すなわち <math>r = 0</math>。よって公倍数 <math>m = ql</math> であり最小公倍数の倍数となっている.(証明終) 正整数<math>a,\ b</math>に対して、<math>a</math>と<math>b</math>の[[最大公約数]]<math>\mathrm{gcd}(a,\ b)</math>と最小公倍数<math>\mathrm{lcm}(a,\ b)</math>との間には {{Indent|<math> \mathrm{gcd}(a,\ b)\cdot\mathrm{lcm}(a,\ b) = ab </math>}} という関係がある。 しかし、この関係式は3つ以上の正整数に対しては一般には成立しない。例えば、<math>a = 2,\ b = 6,\ c = 15</math>とすると、<math>\mathrm{gcd}(a,\ b,\ c) = 1,\ \mathrm{lcm}(a,\ b,\ c) = 30</math>であるが、<math>abc = 180</math>である。 == 多項式の最小公倍数 == [[多項式]]の<math>0</math>でない公倍数のうち、最も次数の低いものを最小公倍数という。例えば、<math>x^3-x</math>と<math>x^3+x^2-x-1</math>の最小公倍数は<math>x(x+1)^2(x-1)</math>である。 多項式の最小公倍数は定数倍を除いて1つしか存在しない。 == 参考文献 == *{{Cite book |和書 |author=高木貞治 |year=1971 |title=初等整数論講義第2版 |publisher=共立出版 |location=東京 }} == 関連項目 == {{ウィキプロジェクトリンク|数学|[[画像:Nuvola apps edu mathematics blue-p.svg|34px|Project:数学]]}} *[[公約数]] *[[公倍数]] *[[最大公約数]] *[[多項式]] {{二項演算}} {{DEFAULTSORT:さいしようこうはいすう}} [[Category:数論]] [[Category:初等数学]] [[Category:数学に関する記事]]
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歯科技工士
歯科技工士(しかぎこうし、英: Dental Technician)は、歯科医師が作成した指示書を元に義歯(入れ歯)や補綴物(差し歯・銀歯)などの製作・加工を行う医療系技術専門職。 歯科技工士法に基づく歯科技工士国家試験に合格した者に対する厚生労働大臣免許の国家資格である。業務独占資格であるため、歯科医師もしくは当職以外が歯科技工業務を行うことは法律で禁止されている。歯科衛生士などのコ・メディカル(コ・デンタル)はその資格を規定する法律の中で保健師助産師看護師法第31条第1項、第32条に対する違法性阻却規定がもうけられているが、歯科技工士法にはその規定は無く、第20条には「歯科技工士は、その業務を行うに当つては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。」と規定され、歯科医行為や歯科診療の補助は行えない。 昨今の歯科医療の向上と医業の分業化に伴い、非常に高度な精密技工技術と審美感覚が求められている。また、義歯といった口腔関連のものだけでなく、顎顔面領域において義眼や耳介、その他では義指など様々な補綴物を製作している者もいる。一方で志願者が激減し、養成機関も減少している。また、後述のように歯科技工においてはCAD/CAM テクノロジーをはじめとするデジタル化が急速に進展するとともに、新素材の開発も次々に行われ、さらには国家試験の全国統一化が実現し、資質向上とともに高度な技術が要求されるようになってきており、当分野は変革期を迎えている。 手作業で行われている作業模型製作、咬合器装着、ワックスアップ、口腔内に入る装置(インレー、クラウン、ブリッジ等)の製作は、将来的には3Dスキャナや口腔内カメラ、歯科用CAD/CAMシステム、3Dプリンタの普及により3Dデンチャーが普及し、作業の簡素化・自動化が進み、歯科技工士の作業は設計段階での誤差の補正や、機械で加工された装置の微調整、口腔内のチェックとなることが予想される。 日本では3Dデンチャーは認可されていないが、サージカルガイド(インプラントドリルガイド(インプラントの埋入位置や方向をガイドするために、埋入時に患者に装着するレジン製のテンプレート))などを3Dプリンタで製作し、臨床応用している動きが見られる。 日本における職能団体は日本歯科技工士会である。 一部の国は日本のような免許資格制度ではなく、講習会などで取得する認定資格もある。 近年、20歳代の高い離職率や歯科技工士養成所への入学者数の減少により、歯科技工士の約半数が50歳以上と担い手の高齢化が進行。若者の人材不足が懸念されており、厚生労働省では平成30年5月より「歯科技工士の養成・確保に関する検討会」を開催している。 一般の英称は、Dental Technicianだが、アメリカでは、Certificated Dental Technician(CDT)、イギリスではRegistered Dental Technician(RDT)と呼ばれる。 日本歯科技工士会は、DENTAL TECHNOLOGISTを標榜している。 2019年4月時点で、大学3校(国立2校:東京医科歯科大学・広島大学、私立1校:大阪歯科大学)、短期大学2校(私立2校:日本歯科大学東京短期大学・明倫短期大学)、専門学校48校の合計52校で教育が行われている。 2-4年の養成機関(大学・短期大学・専門学校)を卒業後、歯科技工士国家試験を受験し合格しなければならない。 養成機関のほとんどは専門学校(2-3年制)であるが、4年制大学3校、短期大学2校が存在する。技術の高度化に伴い、3年制への教育期間の延長が模索されている。しかしながら、修業年数を増やすことでさらに入学者が減少することが懸念されている。この理由として、 などが挙げられる。 東京医科歯科大学大学院、広島大学大学院、東北大学大学院には、歯科技工士が進学可能な修士課程(2年制)および博士課程(4年制)が存在する。これらの大学院では、研究手法、学会発表および論文作成法を習得することができる。 4年制を卒業または大学院を修了した者達の就職先は、他の学部の者たちと同様に、一般企業(営業、技術、事務、総合職、研究開発職など)、公務員が大半であり、歯科技工所や歯科医院にはあまり就職しない。 専門学校卒業者は、歯科技工所か歯科医院が大半である。希に歯科関連企業の営業職の募集がある 厚生労働省の平成26年衛生行政報告例(就業医療関係者)によると就業歯科技工士は2014年末現在で34,495名であり、若年層の減少が続いている。 年齢分布は、25歳以下が全体の6%(2,100/35,000(人))で、50代が40%を占める。 養成機関は日本歯科技工士会のホームページで閲覧できる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "歯科技工士(しかぎこうし、英: Dental Technician)は、歯科医師が作成した指示書を元に義歯(入れ歯)や補綴物(差し歯・銀歯)などの製作・加工を行う医療系技術専門職。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "歯科技工士法に基づく歯科技工士国家試験に合格した者に対する厚生労働大臣免許の国家資格である。業務独占資格であるため、歯科医師もしくは当職以外が歯科技工業務を行うことは法律で禁止されている。歯科衛生士などのコ・メディカル(コ・デンタル)はその資格を規定する法律の中で保健師助産師看護師法第31条第1項、第32条に対する違法性阻却規定がもうけられているが、歯科技工士法にはその規定は無く、第20条には「歯科技工士は、その業務を行うに当つては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。」と規定され、歯科医行為や歯科診療の補助は行えない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "昨今の歯科医療の向上と医業の分業化に伴い、非常に高度な精密技工技術と審美感覚が求められている。また、義歯といった口腔関連のものだけでなく、顎顔面領域において義眼や耳介、その他では義指など様々な補綴物を製作している者もいる。一方で志願者が激減し、養成機関も減少している。また、後述のように歯科技工においてはCAD/CAM テクノロジーをはじめとするデジタル化が急速に進展するとともに、新素材の開発も次々に行われ、さらには国家試験の全国統一化が実現し、資質向上とともに高度な技術が要求されるようになってきており、当分野は変革期を迎えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "手作業で行われている作業模型製作、咬合器装着、ワックスアップ、口腔内に入る装置(インレー、クラウン、ブリッジ等)の製作は、将来的には3Dスキャナや口腔内カメラ、歯科用CAD/CAMシステム、3Dプリンタの普及により3Dデンチャーが普及し、作業の簡素化・自動化が進み、歯科技工士の作業は設計段階での誤差の補正や、機械で加工された装置の微調整、口腔内のチェックとなることが予想される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "日本では3Dデンチャーは認可されていないが、サージカルガイド(インプラントドリルガイド(インプラントの埋入位置や方向をガイドするために、埋入時に患者に装着するレジン製のテンプレート))などを3Dプリンタで製作し、臨床応用している動きが見られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本における職能団体は日本歯科技工士会である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一部の国は日本のような免許資格制度ではなく、講習会などで取得する認定資格もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "近年、20歳代の高い離職率や歯科技工士養成所への入学者数の減少により、歯科技工士の約半数が50歳以上と担い手の高齢化が進行。若者の人材不足が懸念されており、厚生労働省では平成30年5月より「歯科技工士の養成・確保に関する検討会」を開催している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "一般の英称は、Dental Technicianだが、アメリカでは、Certificated Dental Technician(CDT)、イギリスではRegistered Dental Technician(RDT)と呼ばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "日本歯科技工士会は、DENTAL TECHNOLOGISTを標榜している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2019年4月時点で、大学3校(国立2校:東京医科歯科大学・広島大学、私立1校:大阪歯科大学)、短期大学2校(私立2校:日本歯科大学東京短期大学・明倫短期大学)、専門学校48校の合計52校で教育が行われている。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2-4年の養成機関(大学・短期大学・専門学校)を卒業後、歯科技工士国家試験を受験し合格しなければならない。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "養成機関のほとんどは専門学校(2-3年制)であるが、4年制大学3校、短期大学2校が存在する。技術の高度化に伴い、3年制への教育期間の延長が模索されている。しかしながら、修業年数を増やすことでさらに入学者が減少することが懸念されている。この理由として、", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "などが挙げられる。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "東京医科歯科大学大学院、広島大学大学院、東北大学大学院には、歯科技工士が進学可能な修士課程(2年制)および博士課程(4年制)が存在する。これらの大学院では、研究手法、学会発表および論文作成法を習得することができる。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "4年制を卒業または大学院を修了した者達の就職先は、他の学部の者たちと同様に、一般企業(営業、技術、事務、総合職、研究開発職など)、公務員が大半であり、歯科技工所や歯科医院にはあまり就職しない。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "専門学校卒業者は、歯科技工所か歯科医院が大半である。希に歯科関連企業の営業職の募集がある", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "厚生労働省の平成26年衛生行政報告例(就業医療関係者)によると就業歯科技工士は2014年末現在で34,495名であり、若年層の減少が続いている。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "年齢分布は、25歳以下が全体の6%(2,100/35,000(人))で、50代が40%を占める。", "title": "養成" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "養成機関は日本歯科技工士会のホームページで閲覧できる。", "title": "養成" } ]
歯科技工士は、歯科医師が作成した指示書を元に義歯(入れ歯)や補綴物(差し歯・銀歯)などの製作・加工を行う医療系技術専門職。
{{資格 |名称 = 歯科技工士 |英名 = Dental Technician |英項名 = |略称 = |実施国 = {{JPN}} |分野 = 医療 |資格種類 = [[国家資格]] |試験形式 = [[歯科技工士国家試験]] |認定団体 = [[厚生労働省]] |後援 = |認定開始年月日 = |認定終了年月日 = |等級・称号 = 歯科技工士 |根拠法令 = [[歯科技工士法]] |公式サイト = |特記事項 = }} '''歯科技工士'''(しかぎこうし、{{lang-en-short|Dental Technician}})は、[[歯科医師]]が作成した指示書を元に[[義歯]](入れ歯)や[[補綴物]]([[差し歯]]・[[銀歯]])などの製作・加工を行う[[医療]]系技術専門職。 == 概要 == [[歯科技工士法]]に基づく[[歯科技工士国家試験]]に合格した者に対する[[厚生労働大臣]]免許の[[国家資格]]である。[[業務独占資格]]であるため、[[歯科医師]]もしくは当職以外が歯科技工業務を行うことは法律で禁止されている。[[歯科衛生士]]などの[[コ・メディカル]]([[コ・デンタル]])はその資格を規定する法律の中で保健師助産師看護師法第31条第1項、第32条に対する違法性阻却規定がもうけられている<ref>歯科衛生士法第2条第2項</ref>が、歯科技工士法にはその規定は無く、第20条には「歯科技工士は、その業務を行うに当つては、印象採得、咬合採得、試適、装着その他歯科医師が行うのでなければ衛生上危害を生ずるおそれのある行為をしてはならない。」と規定され、歯科医行為や歯科診療の補助は行えない。 昨今の歯科医療の向上と医業の分業化に伴い、非常に高度な精密技工技術と審美感覚が求められている。また、義歯といった口腔関連のものだけでなく、顎顔面領域において義眼や耳介、その他では義指など様々な補綴物を製作している者もいる<ref>{{cite news|title = 広島大学歯学部 > 学科・専攻紹介 > 口腔保健学科口腔保健工学専攻|url =http://www.hiroshima-u.ac.jp/dent/jakka/p_d33c9a.html| accessdate = 2009年10月24日}}</ref>。一方で志願者が激減し、養成機関も減少している。また、後述のように歯科技工においてはCAD/CAM テクノロジーをはじめとするデジタル化が急速に進展するとともに、新素材の開発も次々に行われ、さらには国家試験の全国統一化が実現し、資質向上とともに高度な技術が要求されるようになってきており、当分野は変革期を迎えている<ref name=":0">日補綴会誌 Ann Jpn Prosthodont Soc 6 : 381-386, 2014 381.日本の歯科技工士教育の現状と展望.末瀨 一彦 </ref>。 手作業で行われている作業模型製作、咬合器装着、ワックスアップ、口腔内に入る装置(インレー、クラウン、ブリッジ等)の製作は、将来的には[[測域センサ|3Dスキャナ]]や口腔内カメラ、[[歯科用CAD/CAMシステム]]、[[3Dプリンタ]]の普及により[[3Dデンチャー]]が普及し、作業の簡素化・自動化が進み、歯科技工士の作業は設計段階での誤差の補正や、機械で加工された装置の微調整、口腔内のチェックとなることが予想される。 日本では3Dデンチャーは認可されていないが、サージカルガイド(インプラントドリルガイド(インプラントの埋入位置や方向をガイドするために、埋入時に患者に装着するレジン製のテンプレート))などを3Dプリンタで製作し、臨床応用している動きが見られる。 日本における職能団体は[[日本歯科技工士会]]である。 一部の国は日本のような免許資格制度ではなく、講習会などで取得する認定資格もある。 近年、20歳代の高い離職率や歯科技工士養成所への入学者数の減少により、歯科技工士の約半数が50歳以上と担い手の高齢化が進行。若者の人材不足が懸念されており、厚生労働省では平成30年5月より「歯科技工士の養成・確保に関する検討会」を開催している。 === 名称 === 一般の英称は、'''Dental Technician'''だが、アメリカでは、'''Certificated Dental Technician'''(CDT)、イギリスでは'''Registered Dental Technician'''(RDT)と呼ばれる。 日本歯科技工士会は、'''DENTAL TECHNOLOGIST'''を標榜している。 == 養成 == {{seealso|歯科技工士養成所}} [[2019年]]4月時点で、[[大学]]3校(国立2校:[[東京医科歯科大学]]・[[広島大学]]、私立1校:[[大阪歯科大学]])、[[短期大学]]2校(私立2校:[[日本歯科大学東京短期大学]]・[[明倫短期大学]])、[[専門学校]]48校の合計52校で教育が行われている。 2-4年の養成機関(大学・短期大学・専門学校)を卒業後、[[歯科技工士国家試験]]を受験し合格しなければならない。 養成機関のほとんどは専門学校(2-3年制)であるが、4年制大学3校、短期大学2校が存在する。技術の高度化に伴い、3年制への教育期間の延長が模索されている{{要出典|date=2023年2月}}。しかしながら、修業年数を増やすことでさらに入学者が減少することが懸念されている{{要出典|date=2023年2月}}。この理由として、 #学費納入の増加。{{要出典|date=2023年2月}} #3年制になったとしても、学士号(大卒資格)が得られない。{{要出典|date=2023年2月}} #3年制になったとしても、初任給が2年制の時と変わらない。{{要出典|date=2023年2月}} などが挙げられる。 東京医科歯科大学大学院、広島大学大学院、東北大学大学院には、歯科技工士が進学可能な修士課程(2年制)および博士課程(4年制)が存在する。これらの大学院では、研究手法、学会発表および論文作成法を習得することができる。 4年制を卒業または大学院を修了した者達の就職先は、他の学部の者たちと同様に、一般企業(営業、技術、事務、総合職、研究開発職など)、公務員が大半であり、歯科技工所や歯科医院にはあまり就職しない{{要出典|date=2023年2月}}。 専門学校卒業者は、歯科技工所か歯科医院が大半である。希に歯科関連企業の営業職の募集がある [[厚生労働省]]の平成26年衛生行政報告例(就業医療関係者)によると就業歯科技工士は[[2014年]]末現在で34,495名であり、若年層の減少が続いている<ref name="shika">{{Cite news |title=就業歯科技工士数3万4495人で微減 衛生士は11万6299人 |newspaper=[[日本歯科新聞]] |date=2015-07-28 |location=[[東京都]][[千代田区]] |publisher=[[日本歯科新聞社]] |page=2}}</ref>。 年齢分布は、25歳以下が全体の6%(2,100/35,000(人))で、50代が40%を占める<ref name=":0" />。 養成機関は日本歯科技工士会のホームページで閲覧できる<ref>[https://www.nichigi.or.jp/about_shikagikoushi/gakkouitiran.html]</ref>。 <!--- == 養成機関 == 日本歯科技工士会HPより抜粋 (https://www.nichigi.or.jp/about_shikagikoushi/gakkouitiran.html) {| class="wikitable" |- ! 都道府県 !! 学校名 !! 郵便番号 !! 住所 !! 電話番号 !! 摘要 |- | 北海道 || 北海道歯科技術専門学校 歯科技工士科 || 061-1121 || 北広島市中央3-4-1 || 011-372-2457 || |- | 北海道 || 吉田学園医療歯科専門学校 歯科技工士学科 || 060-0063 || 札幌市中央区南3条西1丁目 || 011-272-3030 || |- | 北海道 || 札幌歯科学院専門学校 || 064-0807 || 札幌市中央区南7条西10丁目1034 札幌歯科医師会会館内 || 011-511-1885 || |- | 青森 || 青森歯科技工士専門学校 || 038-0031 || 青森市三内字稲元122-2 || 017-782-3040 || |- | 岩手 || 岩手医科大学医療専門学校 || 020-8505 || 盛岡市内丸19-1 || 019-651-5111(内4128) || |- | 宮城 || 東北歯科技工専門学校 || 982-0841 || 仙台市太白区向山4-27-8 || 022-266-0237 || |- | 宮城 || 仙台歯科技工士専門学校 || 984-0051 || 仙台市若林区新寺3-13-6 || 022-293-1822 || |- | 宮城 || 東北大学歯学部付属歯科技工士学校 || 980-8575 || 仙台市青葉区星稜町4-1 || 022-717-8428 || |- | 福島 || 東北歯科専門学校 歯科技工士科 || 963-8015 || 郡山市細沼町12-18 || 024-932-5690 || |- | 茨城 || 茨城歯科専門学校 歯科技工士科 || 310-0911 || 水戸市見和2-292-1 || 029-252-3335 || |- | 栃木 || 栃木県立衛生福祉大学校 歯科技工士学科 || 320-0834 || 宇都宮市陽南4-2-1 || 028-658-8521 || |- | 埼玉 || 埼玉歯科技工士専門学校 || 337-0051 || さいたま市見沼区東大宮1-12-35|| 048-685-5211 || |- | 千葉 || 筑波大学付属聴覚特別支援学校 歯科技工科 || 272-8560 || 市川市国府台2-2-1 || 047-371-4135 || 3年制 |- | 東京 || 東京医科歯科大学歯学部口腔保健学科口腔保健工学専攻 || 113-8549 || 文京区湯島1-5-45 || 03-5803-5780 || 4年制大学 |- | 東京 || 日本大学歯学部附属歯科技工専門学校 || 101-8310 || 千代田区神田駿河台1-8-13日本大学歯学部内 || 03-3219-8007 || 夜間課程3年制 |- | 東京 || 愛歯技工専門学校 || 173-0003 || 板橋区加賀1-16-6 || 03-5375-5516 || |- | 東京 || 新東京歯科技工士学校 || 143-0016 || 大田区大森北1-18-2 || 03-3763-2211 || 夜間課程3年制 昼間課程2年制 |- | 東京 || 東邦歯科医療専門学校 歯科技工士学科 || 191-0032 || 日野市三沢1-1-1 || 042-591-5364 || |- | 東京 || 日本歯科大学東京短期大学 歯科技工学科 || 102-0071 || 千代田区富士見2-3-16 || 03-3265-8815 || 短期大学 |- | 神奈川 || 新横浜歯科技工士専門学校 || 222-0033 || 横浜市港北区新横浜2-6-10 || 045-472-5101 || |- | 神奈川 || 横浜歯科技術専門学校 歯科技工士学科 || 220-0024 || 横浜市西区西平沼町1-20 || 045-314-0664 || |- | 新潟 || 明倫短期大学 歯科技工士学科 || 950-2086 || 新潟市西区真砂3-16-10 || 025-232-6351 || 短期大学 |- | 富山 || 富山歯科総合学院 歯科技工士科 || 930-0887 || 富山市五福五味原2741-2 || 076-441-5355 || |- | 石川 || 石川県歯科医師会立歯科医療専門学校 歯科技工士科 || 920-0806 || 金沢市神宮寺3-20-5 || 076-253-0039 || |- | 岐阜 || 岐阜県立衛生専門学校 歯科技工士学科 || 500-8226 || 岐阜市野一色4-11-2 || 058-245-3691 || |- | 愛知 || 愛知学院大学歯科技工専門学校 || 464-8650 || 名古屋市千種区楠元町1-100 || 052-751-2561 || |- | 愛知 || 名古屋歯科医療専門学校 歯科技工士科 || 451-0043 || 名古屋市西区新道1-26-20 || 052-563-2121 || |- | 愛知 || 東海歯科医療専門学校 || 465-0032 || 名古屋市名東区藤が丘158 || 052-773-7222 || |- | 滋賀 || 滋賀県歯科技工士専門学校 || 525-0072 || 滋賀県草津市笠山7-4-43 || 077-564-6691 || |- | 京都 || 京都歯科医療技術専門学校 技工士科 || 604-8415 || 京都市中京区西ノ京栂尾町3-8 || 075-812-8494 ||   |- | 大阪 || 大阪大学歯学部付属歯科技工士学校 || 565-0871 || 吹出市山田丘1-8 || 06-6879-2285 || |- | 大阪 || 大阪歯科大学歯科技工士専門学校 || 573-1144 || 枚方市牧野本町1-4-4 || 072-857-3905 || |- | 大阪 || 新大阪歯科技工士専門学校 || 532-0002 || 大阪市淀川区東三国6-1-13 || 06-6391-2211 || 昼間課程2年制夜間課程3年制 |- | 大阪 || 東洋医療専門学校 歯科技工士学科 || 532-0004 || 大阪市淀川区西宮原1-5-35 || 06-6398-2255 || 3年制 |- | 大阪 || 日本歯科学院専門学校 歯科技工士学科 || 577-0803 || 東大阪市下小阪4-12-3 || 06-6722-5601 || |- | 鳥取 || 鳥取歯科技工専門学校 || 680-0845 || 鳥取市富安2-84 || 0857-23-3197 || |- | 島根 || 島根県歯科技術専門学校 歯科技工士科 || 690-0884 || 松江市南田町141-9 || 0852-24-2727 || |- | 岡山 || 岡山歯科技工専門学院 || 701-1202 || 岡山市北区楢津2182 || 086-284-4905 || |- | 広島 || 広島歯科技術専門学校 || 738-8504 || 廿日市市佐方本町1-1 || 0829-32-1861 ||   |- | 広島 || 広島大学歯学部口腔健康科学科口腔工学専攻 || 734-8553 || 広島市南区霞1-2-3 || 082-257-5797 || 4年制大学 |- | 山口 || 下関歯科技工専門学校 || 751-0823 || 下関市貴船町3-1-37 || 0832-23-4137 || 夜間課程3年制 |- | 香川 || 香川県歯科医療専門学校 技工士科 || 760-0020 || 高松市錦町2-8-37 || 087-851-6414 || |- | 愛媛 || 河原医療大学校 歯科技工学科 || 790-0005 || 松山市花園町3-6 || 089-915-5355 || H22新設 |- | 徳島 || 徳島歯科学院専門学校 歯科技工士科 || 770-0003 || 徳島市北田宮1-8-65 || 088-631-3977 || |- | 福岡 || 九州歯科技工専門学校 || 820-0044 || 飯塚市横田770-1 || 0948-24-6400 || |- | 福岡 || 博多メディカル専門学校 歯科技工士科 || 812-0044 || 福岡市博多区千代4-32-1 || 092-651-8001 || |- | 佐賀 || 九州医療専門学校 歯科技工士科 || 841-0038 || 鳥栖市古野町176-8 || 0942-83-4483 || |- | 熊本 || 熊本歯科技術専門学校 歯科技工士科 || 860-0811 || 熊本市本荘3-1-6 || 096-366-7715 || |- | 長崎 || 長崎歯科技術専門学校 || 856-0831 || 大村市東本町104-7 || 0957-53-7074 || |- | 大分 || 大分県歯科技術専門学校 歯科技工科 || 874-8567 || 別府市亀川中央町 || 0977-67-3038 || |- | 宮崎 || 宮崎歯科技術専門学校 歯科技工士科 || 880-0021 || 宮崎市清水1-12-2 || 0985-29-0057 || |- | 鹿児島 || 鹿児島歯科学院専門学校 歯科技工士科 || 892-0841 || 鹿児島市照国町13-15 || 099-226-7079 || |} == 養成機関の選び方 == #3Dスキャン、デジタルワックスアップとミリングデータおよび造形データの作製(CAD/CAM システム)など、最新の歯科技工技術を指導できる教員が常勤として在籍している養成校を選択する。 #留年させない養成校を選択する。 #入学者が定員の5割以下である養成校は避ける。 #学費以外の諸費用がHPに書かれていない養成校は、追加費用がかかる恐れがあるため、事前に確認する。 == 免許取得可能の4年制大学生と専門学生の就職活動の違い == 4年制大学および大学院生は、他学部と同様に、金融、IT・通信、自動車、流通、機械製造、建築・不動産、素材、生活、電気・精密機械、食品、教育、メディアなど、様々な業界の就職試験に受験可能である。加えて大卒・院卒程度の公務員試験も受験可能である。就職先は歯科関連の企業や、歯科技工所・歯科医院に限定されることはないが、7割程度は歯科技工所や歯科医院等に就職している(学生が専攻以外の企業に就職することは、他学部では一般的なことである)。 専門学生は、主に歯科技工所・歯科医院、歯科系の企業に就職している。就職活動方法は、2年時から、各専門学校に歯科技工所や歯科医院から求人票が送られてきて、その求人票を見て学生が職場見学、就職試験を受験するという流れが一般的である。 ---> == 日本における歯科技工士数 == * 就業歯科技工士数は微減傾向であり、平成28年は34,640人(対平成26年:145人増)である。[https://www.mhlw.go.jp/content/10804000/000404472.pdf 厚生労働省資料「歯科技工士の勤務状況等」] * 就業場所別では、歯科技工所が約7割、病院・診療所が約3割である。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *「初めてのラボ運営 BOOK- CAD/CAM 時代を見据えた開業準備と安定経営のための A to Z-. The management compass and business know- how for dental laboratory.」医歯薬出版株式会社 2014, 山口佳男, 島隆寛, 大畠一成 編 編集発行人:大畑秀穂. == 関連項目 == * [[歯科技工士法]] * [[日本歯科技工士会]] * [[歯科技工士養成所]] * [[歯科衛生士]] * [[歯科用CAD/CAMシステム]] * [[3Dデンチャー]] * [[伊藤潤二]] - 漫画家になる前は歯科技工士として働いていた。 * [[栃ノ心剛史]] - 母国([[ジョージア (国)|ジョージア]])の歯科技工士の資格を有する。 * [[クラウス・トイバー]] - 歯科技工士として働きながら『[[カタンの開拓者たち]]』を開発した。 == 外部リンク == * [http://www.nichigi.or.jp/index.html 日本歯科技工士会] {{Dentistry-stub}} {{厚生労働省所管の資格・試験}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しかきこうし}} [[Category:歯科技工士|*]] [[Category:厚生労働省]] [[Category:日本の国家資格]] [[Category:歯科医療]] [[Category:業務独占資格]] [[Category:医療資格]] [[Category:医療関連の職業]] <!-- interlanguagewiki -->
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歯科衛生士
歯科衛生士(、英: dental hygienist)は、歯科衛生士法に基づき、厚生労働大臣の免許を受けて、歯科医師の指導の下に歯科予防処置、歯科診療補助および歯科保健指導等を行う医療従事者(コ・メディカル/コ・デンタル)である。かつては専門学校での養成がメインであったが、医療技術の高度化・多様化等に伴い、4年制大学における歯科衛生士養成課程も増加傾向にある。 アメリカ合衆国において歯科衛生士は、予防医療を専門とする資格であり、多くの歯科衛生士に局所麻酔を行うことが許されている。口腔清掃、レントゲン撮影、シーラント、スケーリング、ルートプレーニングを規則に基づき行うことが出来る。ほとんどの州では歯科医師の指導のもとに行うが、歯科医師の指導無しにこれらのことを行うことが許されている州もある。 アメリカ合衆国において歯科衛生士(英: dental hygienist)となるためには、いくつかの方法がある。最も一般的なものは、科学と一般教養を学んだ後に3年間の専門教育を受けることである。この専門教育には解剖学、口腔解剖学、理工学、薬理学、歯周病学、栄養学、及び臨床科目を含んでいる。さらに、四年や六年をかける学校もある。また、アメリカ歯科衛生士会は、さらに上位に当たる「advanced dental hygiene practitioner」の資格を定めた。 一般の歯科医院で勤務する歯科衛生士になるには、歯科衛生士の準学士号(2年制)が必要です。さらに、公衆衛生や研究、教育、ヘルスプログラムなどの仕事に就くには、通常学士号(4年制)または修士号(大学院)が必要となる。 更に、アメリカの登録歯科衛生士は11万2000人、歯科衛生士国家試験合格率も75%と日本よりも低く(日本は95%)、有資格者による就業率も100%に近い上、平均年収も770万円と高水準の設定となっている。 が可能である。 歯科衛生士ライセンスの更新条件の一つとして、州法で定められた時間数の卒後研修を受講する必要があり、更新時にはほとんどの州でCPR(救急蘇生法)のライセンス取得も義務づけられている。 日本においては、歯科衛生士は1948年(昭和23年)制定の歯科衛生士法に基づく厚生労働大臣免許の国家資格となっており、免許状には、厚生労働大臣名が記載されている。歯科医師の指示の下、歯科予防処置、歯科診療補助および歯科衛生指導等を行う。実際の臨床では、薬物の塗布、沈着物の除去、診療報酬の点数計算が主な業務内容となっている。また、看護師などの医療専門職同様にレントゲン撮影など人体に放射線を照射する業務を行うことはできない(診療放射線技師法)。 また、法律における「指導」は、2016年(平成26年)歯科衛生士法改正により「歯科医師の直接の指導」が、「歯科医師の指導」に改正された。これにより、歯科医師の判断により、「歯科医師の指導」の形態として、歯科医師の常時の立会いまでは要しないこととなり、歯科医師の確保が困難な地域においては、保健所や市町村保健センター等が、フッ化物塗布を行うことが可能になった。 厚生労働省の平成26年衛生行政報告例(就業医療関係者)によると、就業歯科衛生士は2014年末現在で116,299名であり、10年間で36,000名以上増加している。歯科衛生士養成所(短期大学、専門学校は3年制、大学は4年制)であり、大学課程での歯科衛生士養成校が増加傾向にある。 現在のところ、看護師とともに需要が多い職業であり、毎年7,000人以上の卒業者が出ているが、現在でも歯科衛生士不足が見られる。一因として、離職率の高さが指摘されている(詳細は歯科衛生士不足問題参照、後述)。 歯科衛生士法は、制定時は「業とする者」であったものが、1955年の改正で本則では、女子のみに限定された。そのとき追加された同法附則第2項により男子にも同法が準用とされた。更に2014年の改正で、本則上も女子の限定が廃止されている。このため、男性も資格取得可能であり、男性歯科衛生士はきわめて少数ではあるが存在する。 歯科衛生士法改正以前は女子の入学しか認めていない養成所が多く存在しており、現在も女子のみの募集となっている施設がある。男女間で資格取得機会の面で不均衡になっているものの、男子にも門戸を開く養成校が増えている。 このため、わずかではあるが年々男子学生の入学希望者も増えている。 なお、令和2年度衛生行政報告例によると、日本における男性歯科衛生士は91名である。 勤務先の大半は歯科診療所である。医科病院の口腔外科や歯科に勤務する者もあるが、診療補助業務に関して、重複する看護師との住み分けは施設ごとに様々である。 歯科衛生士のうち2%は、行政の場を職場にしている。都道府県庁・保健所に勤務している歯科衛生士のうちおよそ66%、政令・中核市保健所・特別区に勤務している歯科衛生士のうちおよそ80%、市町村保健センター等に勤務している歯科衛生士のうちおよそ90%が母子保健に関わっている。 第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部は日本における歯科保健の充実を求めた。これをうけ、1947年9月に保健所法を改正し、保健所の業務として歯科衛生に関する事項を追加、その保健所歯科業務の担い手の養成のため、1948年に歯科衛生士法を成立させた。1949年に都道府県知事が推薦した候補者を国費で養成する形で、歯科衛生士の養成が開始、1~2年の養成課程を終了した最初の卒業者は70名であった。 公益財団法人日本歯科衛生士会の「歯科衛生士の人材確保࣭復職支援等に関する検討会報告書(平成29年6月)」によると、歯科衛生士資格を持ちながら、未就業もしくは歯科から離れている人材(潜在歯科衛生士)が約14万人も存在しているという。超高齢社会の日本で、要介護高齢者の中には歯科通院が困難な者も多く、訪問診療や地域包括ケアシステムにおける歯科衛生士の役割も期待されている。そこで、厚生労働省補助事業として免許取得後間もない新人歯科衛生士や復職を目指す、または復職後間もない歯科衛生士の方々を対象とした歯科衛生士研修センターを3大学に設置している。 専門教育課程(歯科衛生士養成所)を修了し、歯科衛生士国家試験に合格した者が、歯科衛生士となれる。3年制以上の専門学校、短期大学での養成課程が一般的であるが、歯科医療の高度化、多様化に伴い、大学課程(歯学部口腔保健学科等の名称)、大学院課程(修士課程のみ)も有る。 歯科衛生士が活躍する場は、一般的な歯科医院だけでなく大学病院や企業、行政などさまざまなものがある。 従来の歯科医院勤務に加えて、総合病院などでは歯科口腔外科を標榜するところも増えていることや、周術期口腔機能管理が保険導入されたこともあり積極的に歯科衛生士を採用する総合病院・市中病院も増えている。 また、病院歯科衛生士として、診療補助業務に加えて、NST(栄養サポートチーム)、ICT(院内感染対策チーム)などのチーム医療に参加するところも多い。 特に大卒歯科衛生士の勤務先の一つとして、保健所や市町村保健センターがある。市区町村が実施する1歳6か月歯科健診、3歳児健診、乳幼児歯科相談等や、学校歯科保健による就学時健診(6歳)など、ライフステージごとの特性を踏まえた口腔保健指導を実施している。 広島大学歯学部(口腔保健学専攻)、梅花女子大学(口腔保健学科)、埼玉県立大学(口腔保健科学専攻)、九州看護福祉大学(口腔保健学科)など多くの大学で養護教諭課程を設置しており、歯科衛生士と養護教諭の同時取得も可能となっている。 数%ではあるが、ライオン (企業)・ライオン歯科衛生研究所や帝人メディカルテクノロジーなど一般企業や研究機関に勤務する歯科衛生士もいる。また、大学院にて博士課程を取得後、歯科衛生士養成所で教員として勤務する者も増えている。
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歯科衛生士(しかえいせいし、は、歯科衛生士法に基づき、厚生労働大臣の免許を受けて、歯科医師の指導の下に歯科予防処置、歯科診療補助および歯科保健指導等を行う医療従事者である。かつては専門学校での養成がメインであったが、医療技術の高度化・多様化等に伴い、4年制大学における歯科衛生士養成課程も増加傾向にある。
{{Infobox Occupation|Occupation|name=歯科衛生士|image=Dental hygienist.jpg|caption=診療準備を行う歯科衛生士|official_names=歯科衛生士|activity_sector=[[専門]]職|competencies=患者の歯科疾患の予防及び口腔衛生の向上を図る|formation=各国の法律または自治体の条例等に基づく試験を合格した後に取得する資格|employment_field=*[[病院]] *[[歯科医院]] *[[診療所]] *[[保健所]] *[[研究室]] *[[学校]] *[[在宅医療]]|related_occupation=*[[看護学]] *[[コ・メディカル]]}} {{読み仮名|'''歯科衛生士'''|しかえいせいし|{{lang-en-short|dental hygienist}}}}は、[[歯科衛生士法]]に基づき、[[厚生労働大臣]]の免許を受けて、歯科医師の指導の下に歯科予防処置、歯科診療補助および歯科保健指導等を行う[[医療従事者]]([[コ・メディカル]]/[[コ・デンタル]])である<ref>{{Cite web|和書|title=歯科衛生士法 {{!}} e-Gov法令検索 |url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000204 |website=elaws.e-gov.go.jp |access-date=2022-09-14}}</ref>。かつては専門学校での養成がメインであったが、医療技術の高度化・多様化等に伴い、4年制大学における[[歯科衛生士養成所|歯科衛生士養成課程]]も増加傾向にある。 == 世界各国 == === アメリカ合衆国 === [[アメリカ合衆国]]において歯科衛生士は、[[予防医療]]を専門とする資格であり、多くの歯科衛生士に[[局所麻酔]]を行うことが許されている。[[口腔清掃]]、[[X線写真|レントゲン撮影]]、[[シーラント (歯科)|シーラント]]、[[スケーリング]]、[[ルートプレーニング]]を規則に基づき行うことが出来る。ほとんどの州では歯科医師の指導のもとに行うが、歯科医師の指導無しにこれらのことを行うことが許されている州もある。 ==== 資格取得方法 ==== アメリカ合衆国において歯科衛生士({{lang-en-short|dental hygienist}})となるためには、いくつかの方法がある。最も一般的なものは、科学と一般教養を学んだ後に3年間の専門教育を受けることである。この専門教育には[[解剖学]]、[[口腔解剖学]]、[[歯科理工学|理工学]]、[[薬理学]]、[[歯周病学]]、[[栄養学]]、及び臨床科目を含んでいる。さらに、四年や六年をかける学校もある。また、[[アメリカ歯科衛生士会]]は、さらに上位に当たる「{{lang|en|advanced dental hygiene practitioner}}」の資格を定めた。 一般の歯科医院で勤務する歯科衛生士になるには、歯科衛生士の準学士号(2年制)が必要です。さらに、公衆衛生や研究、教育、ヘルスプログラムなどの仕事に就くには、通常学士号(4年制)または修士号(大学院)が必要となる。 更に、アメリカの登録歯科衛生士は11万2000人、[[歯科衛生士国家試験]]合格率も75%と日本よりも低く(日本は95%)、有資格者による就業率も100%に近い上、平均年収も770万円と高水準の設定となっている。 ==== 可能な業務範囲 ==== * [[局所麻酔]](別途資格取得を要する。ちなみにスウェーデンの歯科衛生士も局所麻酔薬注射が可能である。) * [[笑気麻酔]] * [[X線撮影]] * 歯周病の診断([[歯周基本治療]]を含む) が可能である。 ==== ライセンス更新 ==== 歯科衛生士ライセンスの更新条件の一つとして、州法で定められた時間数の卒後研修を受講する必要があり、更新時にはほとんどの州でCPR(救急蘇生法)のライセンス取得も義務づけられている。 == 日本における歯科衛生士 == {{law|section=1}} {{資格 |名称 = 歯科衛生士 |英名 = Dental Hygienist |英項名 = |略称 = |実施国 = {{JPN}} |分野 = 医療 |資格種類 = 国家資格 |試験形式 = 筆記 |認定団体 = [[厚生労働省]] |後援 = |認定開始年月日 = |認定終了年月日 = |等級・称号 = - |根拠法令 = [[歯科衛生士法]] |公式サイト = http://www.jdha.or.jp/ |特記事項 = [[職能団体]]として[[日本歯科衛生士会]] }} 日本においては、歯科衛生士は[[1948年]](昭和23年)制定の[[歯科衛生士法]]に基づく[[厚生労働大臣]]免許の[[国家資格]]となっており、免許状には、厚生労働大臣名が記載されている。[[歯科医師]]の指示の下、'''歯科予防処置'''、'''歯科診療補助'''および'''歯科衛生指導'''等を行う。実際の臨床では、薬物の塗布、沈着物の除去、診療報酬の点数計算が主な業務内容となっている。また、看護師などの医療専門職同様に[[X線撮影|レントゲン撮影]]など人体に放射線を照射する業務を行うことはできない([[診療放射線技師法]])。 また、法律における「指導」は、[[2016年]](平成26年)歯科衛生士法改正<ref name="2016kaisei" />により「歯科医師の'''<u>直接の</u>'''指導」が、「歯科医師の指導」に改正された。これにより、歯科医師の判断により、「歯科医師の指導」の形態として、歯科医師の常時の立会いまでは要しないこととなり、歯科医師の確保が困難な地域においては、[[保健所]]や市町村[[保健センター]]等が、フッ化物塗布を行うことが可能になった<ref>[https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00tc1750&dataType=1&pageNo=1 厚生労働省HP 歯科衛生士法の一部改正の施行について(通知)(平成26年10月23日)(医政発1023第7号]</ref>。 [[厚生労働省]]の平成26年衛生行政報告例(就業医療関係者)によると、就業歯科衛生士は[[2014年]]末現在で116,299名であり、10年間で36,000名以上増加している<ref name="shika">{{Cite news |title=就業歯科技工士数3万4495人で微減 衛生士は11万6299人 |newspaper=[[日本歯科新聞]] |date=2015-07-28 |location=[[東京都]][[千代田区]] |publisher=[[日本歯科新聞社]] |page=2}}</ref>。[[歯科衛生士養成所]]([[短期大学]]、[[専門学校]]は3年制、[[大学]]は4年制)であり、大学課程での歯科衛生士養成校が増加傾向にある。 現在のところ、[[看護師]]とともに需要が多い職業であり、毎年7,000人以上の卒業者が出ているが、現在でも歯科衛生士不足が見られる。一因として、[[離職率]]の高さが指摘されている(詳細は[[歯科衛生士不足問題]]参照、後述)。 === 男性歯科衛生士の養成 === 歯科衛生士法は、制定時<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/00219480730204.htm 衆議院HP 立法情報 >制定法律情報 >第002回国会 制定法律の一覧>法律第二百四号(昭二三・七・三〇)]</ref>は「業とする者」であったものが、1955年の改正で<ref>歯科衛生士法の一部を改正する法律[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/02219550816167.htm (昭和30年8月16日法律第167号)]</ref>本則では、[[女子]]のみに限定された。そのとき追加された同法附則第2項により[[男性|男子]]にも同法が準用とされた。更に2014年の改正<ref name="2016kaisei">[https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_housei.nsf/html/housei/18620140625083.htm 平成26年6月25日法律第83号]</ref>で、本則上も女子の限定が廃止されている。このため、男性も資格取得可能であり、男性歯科衛生士はきわめて少数ではあるが存在する。 歯科衛生士法改正以前は女子の入学しか認めていない養成所が多く存在しており<ref>[https://shigotobito.com/youhei_akiyama/ 九州初の男性歯科衛生士は、当時女子しか入学できなかった歯科衛生士養成校に学則を変更してもらい入学することができた]</ref>、現在も女子のみの募集となっている施設がある<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/1016805/ 男性が「超レア」な世界 歯科衛生士や保育士、なぜ一向に増えないか【国際男性デー】]</ref>。男女間で資格取得機会の面で不均衡になっているものの、男子にも門戸を開く養成校が増えている<ref name="歯科衛生士教育に関する現状調査の結果報告">[https://www.kokuhoken.or.jp/zen-eiky/publicity/file/report_2022.pdf 歯科衛生士教育に関する現状調査の結果報告]</ref><ref group="注釈">2022年現在男子学生を受け入れている養成校は121校であり、全体の68.8%である</ref>。 このため、わずかではあるが年々男子学生の入学希望者も増えている。<ref name="歯科衛生士教育に関する現状調査の結果報告"></ref><ref group="注釈">前掲報告書、図8男子在学生数の推移によれば歯科衛生士を目指す男子学生数の増加がみられる</ref> なお、令和2年度衛生行政報告例によると、日本における男性歯科衛生士は91名である<ref>[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450027&tstat=000001031469&cycle=7&tclass1=000001161547&tclass2=000001161548&tclass3=000001161550&stat_infid=000032156315&cycle_facet=cycle&tclass4val=0&metadata=1&data=1 衛生行政報告例 / 令和2年度衛生行政報告例 統計表 隔年報 第3章-2 歯科衛生士・歯科技工士・歯科技工所]</ref>。 === 歯科衛生士の勤務先 === [[File:Dental hygienist at work.jpg|thumb|right|クリニック勤務]] 勤務先の大半は歯科診療所である。医科病院の口腔外科や歯科に勤務する者もあるが、診療補助業務に関して、重複する看護師との住み分けは施設ごとに様々である。 歯科衛生士のうち2%は、行政の場を職場にしている。都道府県庁・保健所に勤務している歯科衛生士のうちおよそ66%、政令・中核市保健所・特別区に勤務している歯科衛生士のうちおよそ80%、市町村保健センター等に勤務している歯科衛生士のうちおよそ90%が母子保健に関わっている。<ref>{{Cite web|和書|title=全体のわずか2%、「行政歯科衛生士」という職業 {{!}} 1D歯科ニュース|url=https://oned.jp/posts/Qu2PtRcodePSSkI2RT2e9bIwmOAAyt3a|website=1D(ワンディー)|accessdate=2020-08-03|language=ja}}</ref> === 歴史 === [[第二次世界大戦]]後、[[連合国軍最高司令官総司令部]]は日本における歯科保健の充実を求めた<ref name="fukuda">{{Cite journal|和書 |author =[[福田弘美]]、[[太田正美]] |date =2005 |title =わが国の歯科衛生士教育の変遷について |journal =順正短期大学研究紀要 |issue =34 |pages =91-106 |publisher =[[吉備国際大学短期大学部|順正短期大学]] |location =[[岡山県]][[高梁市]] |issn =0389-6188 |naid =110004323635}}</ref>。これをうけ、1947年9月に[[保健所法]]を改正し、[[保健所]]の業務として歯科衛生に関する事項を追加、その[[保健所]]歯科業務の担い手の養成のため、1948年に[[歯科衛生士法]]を成立させた<ref name="fukuda" /><ref name="quint" />。1949年に[[都道府県知事]]が推薦した候補者を国費で養成する形で、歯科衛生士の養成が開始<ref name="quint">{{Cite book|和書 |author=榊原悠紀田郎|authorlink=榊原悠紀田郎 |title=続歯記列伝 |edition=第1版 |date=2005-05-10 |publisher=[[クインテッセンス出版]] |location=[[東京都]][[文京区]] |isbn=4874178529 |ncid=BN13665318 |pages=89-91 |chapter=小野 巌 歯科衛生士教育に熱意を注いだ市井の病理学者}}</ref>、1~2年の養成課程を終了した最初の卒業者は70名であった<ref name="fukuda" />。 === 歯科衛生士不足問題 === {{Main|歯科衛生士不足問題}} 公益財団法人[[日本歯科衛生士会]]の「歯科衛生士の人材確保࣭復職支援等に関する検討会報告書(平成29年6月)」によると、歯科衛生士資格を持ちながら、未就業もしくは歯科から離れている人材('''潜在歯科衛生士''')が約14万人も存在しているという。超高齢社会の日本で、要介護高齢者の中には歯科通院が困難な者も多く、訪問診療や[[地域包括ケアシステム]]における歯科衛生士の役割も期待されている。そこで、厚生労働省補助事業として免許取得後間もない新人歯科衛生士や復職を目指す、または復職後間もない歯科衛生士の方々を対象とした歯科衛生士研修センターを3大学に設置している。 * [[東京医科歯科大学]](歯科衛生士総合研修センター)<ref>{{Cite web|和書|title=歯科衛生士総合研修センターとは {{!}} 東京医科歯科大学 歯科衛生士総合研修センター|url=https://www.ikashikaeiseisi.com/about/index.html |website=www.ikashikaeiseisi.com|accessdate=2023-04-30}}</ref> * [[大阪歯科大学]](歯科衛生士研修センター)<ref>{{Cite web|和書|title=歯科衛生士研修センター|url=https://www.osaka-dent.ac.jp/dh-center.html|website=大阪歯科大学|accessdate=2023-04-30}}</ref> * [[広島大学]](歯科衛生士教育研修センター)<ref>{{Cite web|和書|title=歯科衛生士教育研修センター|url=https://www.hiroshima-u.ac.jp/dent/about/Affiliated_Institutions/Center_for_Dental_Hygienists_Education_and_Training|website=歯学部 {{!}} 広島大学|accessdate=2023-04-30}}</ref> == 資格取得のプロセス == 専門教育課程([[歯科衛生士養成所]])を修了し、[[歯科衛生士国家試験]]に合格した者が、歯科衛生士となれる。3年制以上の[[専門学校]]、[[短期大学]]での養成課程が一般的であるが、歯科医療の高度化、多様化に伴い、[[大学]]課程([[歯学部]]口腔保健学科等の名称)、[[大学院]]課程([[修士課程]]のみ)も有る。 === 日本の歯科衛生士養成所・学校 === {{Main|歯科衛生士養成所}} <!-- 日本の歯科衛生士養成所学校と内容が重複する為コメントアウト === 近年開設された4年制養成課程 === [[2023年]]4月開設 * [[宝塚医療大学]] [[2022年]]4月開設 * [[神戸常盤大学]] [[2019年]]4月開設 * [[明海大学]] --> == 専門分野と実践場面 == 歯科衛生士が活躍する場は、一般的な歯科医院だけでなく大学病院や企業、行政などさまざまなものがある。 === 病院勤務 === 従来の歯科医院勤務に加えて、[[総合病院]]などでは[[歯科口腔外科]]を標榜するところも増えていることや、'''周術期口腔機能管理'''が保険導入されたこともあり積極的に歯科衛生士を採用する総合病院・市中病院も増えている。 また、病院歯科衛生士として、診療補助業務に加えて、NST([[栄養サポートチーム]])、[[インフェクションコントロールドクター|ICT]](院内感染対策チーム)などのチーム医療に参加するところも多い。 === 行政歯科衛生士 === 特に大卒歯科衛生士の勤務先の一つとして、[[保健所]]や[[市町村保健センター]]がある。市区町村が実施する1歳6か月歯科健診、3歳児健診、乳幼児歯科相談等や、学校歯科保健による就学時健診(6歳)など、ライフステージごとの特性を踏まえた口腔保健指導を実施している。 === 養護教諭 === [[広島大学|広島大学歯学部]](口腔保健学専攻)、[[梅花女子大学]](口腔保健学科)、[[埼玉県立大学]](口腔保健科学専攻)、[[九州看護福祉大学]](口腔保健学科)など多くの大学で[[養護教諭]]課程を設置しており、'''歯科衛生士'''と養護教諭の同時取得も可能となっている。 === 産業歯科衛生士・大学・研究機関 === 数%ではあるが、[[ライオン (企業)]]・ライオン歯科衛生研究所や[[帝人|帝人メディカルテクノロジー]]など一般企業や研究機関に勤務する歯科衛生士もいる。また、大学院にて博士課程を取得後、[[歯科衛生士養成所]]で教員として勤務する者も増えている。 === 認定制度 === ==== 専門・認定歯科衛生士 ==== * 歯科専門[[学会]]が認定する専門認定歯科衛生士制度が存在する。 ** [[日本歯周病学会認定歯科衛生士]]([[日本歯周病学会]]) ** [[インプラント専門歯科衛生士]]([[日本口腔インプラント学会]]) ** [[日本歯科審美学会歯科衛生認定士]]([[日本歯科審美学会]]) ** [[ホワイトニングコーディネーター]]([[日本歯科審美学会]]) ** [[日本成人矯正歯科学会矯正歯科衛生士]]([[日本成人矯正歯科学会]]) ** 日本口腔衛生学会 認定歯科衛生士([[日本口腔衛生学会]])<ref> 一般財団法人日本口腔衛生学会 認定歯科衛生士専門審査制度について http://www.kokuhoken.or.jp/jsdh/hygienist_application.html </ref> ** 日本歯科麻酔学会認定歯科衛生士(日本歯科麻酔学会) * 歯科衛生士として5年以上の実務経験があれば[[介護支援専門員]](ケアマネージャー)の受験資格が得られる。 == 歯科衛生士の資格を持つ著名人 == {{Columns-list|2| * [[桐山マキ]] * [[金澤紀子]] * [[風神ライカ]] * 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エウクレイデス
アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀?)は、古代エジプトのギリシャ系数学者、天文学者とされる。数学史上の重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。 プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリア(現在のエジプト領アレクサンドリア)で活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤、 などについても著述を残したとされている。 なお、エウクレイデスという名はギリシア語で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、エウクレイデスは共同筆名とされる。 確実に言えることは、彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。 エウクレイデスは紀元前330年頃から紀元前275年頃に存在していたといわれるが、エウクレイデスの生涯についてはほとんど何もわかっていない。実際、主要な文献はエウクレイデスの数世紀後のプロクルスやパップスの著作しかない。プロクルスのエウクレイデスについての記述は『ユークリッド原論第1巻注釈』に簡単にあるだけで、これは紀元5世紀に書かれたものである。それによると、エウクレイデスは『原論』の著者で、アルキメデスが彼に言及しており、プトレマイオス1世が彼に「幾何学を学ぶのに『原論』よりも近道はないか?」と聞いたところ、彼は「幾何学に王道なし」と答えたとされている。アルキメデスによるエウクレイデスへの言及と称されるものは、後世の編集による挿入だと見られているが、エウクレイデスの著作がアルキメデスの著作より古いことは確実とされている。「王道」の逸話も、メナイクモスとアレクサンドロス3世の逸話にそっくりであり、本当かどうか疑問がある。もうひとつの重要な文献としてパップスのものがあるが、こちらにはペルガのアポロニウスについて言及する際に「(彼は)アレクサンドリアのエウクレイデスの弟子たちと長く一緒に過ごし、そこでそのような科学的思考法を身につけた」とある。 生年月日も亡くなった状況や日付も不明であり、同時代人の有名人との関係からおおまかに推測されているだけである。エウクレイデスの肖像や外見の説明があったとしても、古代から後世に伝わっていない。したがって、エウクレイデスを描いた絵や彫像は、その芸術家が想像を働かせて描いたものでしかない。 ローマのバチカン宮殿にあるラファエロの有名な壁画「アテナイの学堂」にも、プラトンとアリストテレスが降りてくる階段の足元で、コンパスを使って図形を描いている姿で描かれている。 16世紀後半になると、エウクレイデスの著作はイエズス会を通じて中国の明にも伝えられた。イエズス会士のマテオ・リッチは、徐光啓との共同作業を通じて著作を漢訳し、1607年に『幾何原本』を刊行した。 『原論』に書かれていることの多くはもっと以前の数学者の成果に由来するが、エウクレイデスの功績はそれらを1つにまとめて提示し、一貫した論理的枠組みを構築して厳密な数学的証明を行っている点にある。 現存する初期の『原論』の写本にはエウクレイデスへの言及がなく、多くの写本には「テオンの版より」あるいは「テオンの講義集」とある。また、バチカンが保管している第一級の写本には、作者についての言及が全くない。エウクレイデスが『原論』を書いたとする際の唯一の根拠は、プロクルスの注釈本である。 『原論』には幾何学だけでなく、数論についての記述もある。完全数とメルセンヌ数の関係、素数が無限に存在すること、因数分解についてのユークリッドの補題(ここから素因数分解の一意性についての算術の基本定理が導かれる)、2つの数の最大公約数を捜すユークリッドの互除法などが含まれる。 『原論』にある幾何学体系は長い間単に「幾何学」と呼ばれ、唯一の幾何学だとみなされており、論証に穴はないと思われていた。しかし、19世紀の「非ユークリッド幾何学」の発見をきっかけに、数学の基礎がより整備されると、幾何学には様々な体系が可能であること、ユークリッドの公理系には不足している公理があることが判明した。公理的な体系の作り方も見直され、「公理」「公準」はともに公理とされ、例えば「点」の定義のように、証明の中で用いられない定義は姿を消した。『原論』の議論には、現代的な視点からは無用な遠回りも散見される。こういった違いは、必ずしも全て不備によるものではなく、当時の幾何学についての考え方が現在と異なっていたことが指摘される。 今では、ユークリッドが対象とした幾何学を、現代的に見直したものを「ユークリッド幾何学」と呼ぶ。 『原論』に加えて、エウクレイデスの著作とされているものが5作現存している。いずれも『原論』と論理構造は同じであり、定義と命題の証明で構成される。 次に挙げる著作はエウクレイデスのものとされているが、現存しない。 アラビア語の文献によれば、エウクレイデスは力学に関する著書も残していたという。On the Heavy and the Light には9つの定義と5つの命題があり、アリストテレス学派の物体の運動と比重の概念を扱っていた。On the Balance ではてこを扱っている。また、別の断片ではてこの先端が描く円について論じている。これら3つの断片は相互に補い合っていることから、エウクレイデスが書いた力学についての1つの著作の断片ではなかったかという説も示唆されている。
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アレクサンドリアのエウクレイデスは、古代エジプトのギリシャ系数学者、天文学者とされる。数学史上の重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。 プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリア(現在のエジプト領アレクサンドリア)で活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学、透視図法、円錐曲線論、球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤、 などについても著述を残したとされている。 なお、エウクレイデスという名はギリシア語で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、エウクレイデスは共同筆名とされる。 確実に言えることは、彼が古代の卓越した数学者で、アレクサンドリアで数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。ユークリッド幾何学の祖で、原論では平面・立体幾何学、整数論、無理数論などの当時の数学が公理的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。
{{Otheruses|数学者|メガラ学派の哲学者|メガラのエウクレイデス|小惑星|エウクレイデス (小惑星)}} {{redirect|ユークリッド}} {{表記揺れ案内|表記1=エウクレイデス|表記2=ユークリッド|議論ページ=}} {{Infobox Scientist | name = アレクサンドリアの<br />エウクレイデス | image = Euclid statue, Oxford University Museum of Natural History, UK - 20080315.jpg | caption = エウクレイデス(の後世の想像図) | birth_date = | death_date = | residence = [[プトレマイオス朝]](現・[[エジプト・アラブ共和国|エジプト]]) [[アレクサンドリア]] | ethnicity = [[ギリシャ人]] | field = [[数学]] | known_for = [[ユークリッド幾何学]]<br />[[ユークリッド原論]] }} [[ファイル:Euclid.jpg|right|thumb|220px|[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]の壁画「[[アテナイの学堂]]」に画かれたエウクレイデス]] アレクサンドリアの'''エウクレイデス'''({{翻字併記|grc|Εὐκλείδης|Eukleídēs|n|}}、{{Lang-la|Euclīdēs}}、{{Lang-en|Euclid}}('''ユークリッド''')、[[紀元前3世紀]]?)は、[[古代エジプト]]の[[ギリシャ人|ギリシャ系]][[数学者]]、[[天文学者]]とされる。[[数学史]]上の重要な著作の1つ『原論』([[ユークリッド原論]])の著者であり、「[[幾何学]]の父」と称される。 [[プトレマイオス1世]]治世下([[紀元前323年]]-[[紀元前283年|283年]])の[[アレクサンドリア]](現在の[[エジプト・アラブ共和国|エジプト]]領アレクサンドリア)で活動した。『原論』は[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭まで数学(特に[[幾何学]])の教科書として使われ続けた<ref>{{Harvnb|Ball|1960|pp=50–62}}</ref><ref>{{Harvnb|Boyer|1991|pp=100–19}}</ref><ref>Macardle, et al. (2008). ''Scientists: Extraordinary People Who Altered the Course of History.'' New York: Metro Books. g. 12.</ref>。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日[[ユークリッド幾何学]]と呼ばれている体系が少数の[[公理]]系から構築されている。エウクレイデスは他に[[光学]]、[[遠近法|透視図法]]、[[円錐曲線|円錐曲線論]]、[[球面天文学]]、誤謬推理論、図形分割論、[[天秤]]、 などについても著述を残したとされている。 なお、エウクレイデスという名は[[ギリシア語]]で「よき栄光」を意味する。その実在を疑う説もあり、その説によると『原論』は複数人の共著であり、エウクレイデスは[[ペンネーム|共同筆名]]とされる<ref>{{Harvnb|Itard|1961|pp=9-12}}</ref>。 確実に言えることは、彼が古代の卓越した数学者で、[[アレクサンドリア]]で数学を教えていたこと、またそこで数学の一派をなしたことである。[[ユークリッド幾何学]]の祖で、原論では平面・立体幾何学、[[整数論]]、無理数論などの当時の数学が[[公理]]的方法によって組み立てられているが、これは古代ギリシア数学の一つの成果として受け止められている。 == 生涯 == エウクレイデスは紀元前330年頃から紀元前275年頃に存在していたといわれるが、エウクレイデスの生涯についてはほとんど何もわかっていない。実際、主要な文献はエウクレイデスの数世紀後の[[プロクルス]]や[[パップス]]の著作しかない<ref>Joyce, David. [http://aleph0.clarku.edu/~djoyce/java/elements/Euclid.html ''Euclid'']. Clark University Department of Mathematics and Computer Science.</ref>。プロクルスのエウクレイデスについての記述は『ユークリッド原論第1巻注釈』に簡単にあるだけで、これは紀元5世紀に書かれたものである。それによると、エウクレイデスは『原論』の著者で、[[アルキメデス]]が彼に言及しており、[[プトレマイオス1世]]が彼に「[[幾何学]]を学ぶのに『原論』よりも近道はないか?」と聞いたところ、彼は「幾何学に王道なし」と答えたとされている。アルキメデスによるエウクレイデスへの言及と称されるものは、後世の編集による挿入だと見られているが、エウクレイデスの著作がアルキメデスの著作より古いことは確実とされている<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=JZEHj2fEmqAC&pg=PA88&vq=euclid&dq=proclus+commentary+elements&source=gbs_search_s&redir_esc=y&hl=ja#PPR30,M1 Morrow, Glen. ''A Commentary on the first book of Euclid's Elements'']</ref><ref>''[http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/Biographies/Euclid.html Euclid of Alexandria]''. The MacTutor History of Mathematics archive.</ref>。「王道」の逸話も、[[メナイクモス]]と[[アレクサンドロス3世]]の逸話にそっくりであり、本当かどうか疑問がある<ref>{{Harvnb|Boyer|1991|p=1}}</ref>。もうひとつの重要な文献としてパップスのものがあるが、こちらには[[ペルガのアポロニウス]]について言及する際に「(彼は)アレクサンドリアのエウクレイデスの弟子たちと長く一緒に過ごし、そこでそのような科学的思考法を身につけた」とある<ref>{{Harvnb|Heath|1956|p=2}}</ref>。 生年月日も亡くなった状況や日付も不明であり、同時代人の有名人との関係からおおまかに推測されているだけである。エウクレイデスの肖像や外見の説明があったとしても、古代から後世に伝わっていない。したがって、エウクレイデスを描いた絵や彫像は、その芸術家が想像を働かせて描いたものでしかない。 [[ローマ]]の[[バチカン宮殿]]にある[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]の有名な壁画「[[アテナイの学堂]]」にも、プラトンと[[アリストテレス]]が降りてくる階段の足元で、コンパスを使って図形を描いている姿で描かれている。 16世紀後半になると、エウクレイデスの著作は[[イエズス会]]を通じて中国の[[明]]にも伝えられた。イエズス会士の[[マテオ・リッチ]]は、[[徐光啓]]との共同作業を通じて著作を漢訳し、[[1607年]]に『幾何原本』を刊行した。 == 著作 == === 原論 === [[ファイル:Oxyrhynchus papyrus with Euclid's Elements.jpg|right|thumb|250px|エウクレイデスの『原論』の最古の写本の断片。[[オクシリンコス]]で見つかったもので、紀元100年ごろのものとされている。描かれている図は第2巻命題5のもの<ref>{{cite web |url= http://www.math.ubc.ca/~cass/Euclid/papyrus/papyrus.html|title=One of the Oldest Extant Diagrams from Euclid|author=Bill Casselman|authorlink=|coauthors=|date=|publisher=University of British Columbia|quote=|accessdate=2008-09-26}}</ref>]] {{main|ユークリッド原論}} 『原論』に書かれていることの多くはもっと以前の数学者の成果に由来するが、エウクレイデスの功績はそれらを1つにまとめて提示し、一貫した論理的枠組みを構築して厳密な数学的証明を行っている点にある<ref>{{Harvnb|Struik|1967|p=51}} ("their logical structure has influenced scientific thinking perhaps more than any other text in the world").</ref>。 現存する初期の『原論』の写本にはエウクレイデスへの言及がなく、多くの写本には「[[アレクサンドリアのテオン|テオン]]の版より」あるいは「テオンの講義集」とある<ref>{{Harvnb|Heath|1981|p=360}}</ref>。また、バチカンが保管している第一級の写本には、作者についての言及が全くない。エウクレイデスが『原論』を書いたとする際の唯一の根拠は、プロクルスの注釈本である。 『原論』には幾何学だけでなく、[[数論]]についての記述もある。[[完全数]]と[[メルセンヌ数]]の関係、[[素数]]が無限に存在すること、因数分解についての[[ユークリッドの補題]](ここから[[素因数分解]]の一意性についての[[算術の基本定理]]が導かれる)、2つの数の[[最大公約数]]を捜す[[ユークリッドの互除法]]などが含まれる。 『原論』にある幾何学体系は長い間単に「[[幾何学]]」と呼ばれ、唯一の幾何学だとみなされており、論証に穴はないと思われていた。しかし、19世紀の「[[非ユークリッド幾何学]]」の発見をきっかけに、数学の基礎がより整備されると、幾何学には様々な体系が可能であること、ユークリッドの公理系には不足している公理があることが判明した。公理的な体系の作り方も見直され、「公理」「公準」はともに公理とされ、例えば「点」の定義のように、証明の中で用いられない定義は姿を消した。『原論』の議論には、現代的な視点からは無用な遠回りも散見される。こういった違いは、必ずしも全て不備によるものではなく、当時の幾何学についての考え方が現在と異なっていたことが指摘される。 今では、ユークリッドが対象とした幾何学を、現代的に見直したものを「[[ユークリッド幾何学]]」と呼ぶ。 === その他の著作 === [[ファイル:EuclidStatueOxford.jpg|thumb|right|200px|[[オックスフォード大学]]自然史博物館にあるエウクレイデスの像]] 『原論』に加えて、エウクレイデスの著作とされているものが5作現存している。いずれも『原論』と論理構造は同じであり、定義と命題の証明で構成される。 ; デドメナ/ダータ (''[[:en:Data (Euclid)|Data]]'') : 幾何問題における与えられた情報の性質と意味を扱っている。その主題は『原論』の最初の4巻と密接に関連している。 ; 図形分割論 (''On Divisions of Figures'') : [[アラビア語]]訳が部分的に現存している。幾何学図形を指定された[[比]]で2つ以上に分割する問題を扱っている。紀元3世紀ごろの[[アレクサンドリアのヘロン]]の著作に似ている。 ; カトプトリカ (''[[:en:Catoptrics|Catoptrics]]'') : 鏡についての数学的理論、特に平面鏡や球面の凹面鏡の上に形成される像についての著作である。エウクレイデスの著作かどうかは疑わしい。[[アレクサンドリアのテオン]]の作とする説もある。 ; パエノメナ (''Phaenomena'') : [[球面天文学]]についての論文で、ギリシャ語版が現存している。紀元前310年ごろ活躍した[[ピタネのアウトリュコス]]の『運動する球体について』に酷似している。 ; オプティカ (''[[:en:Euclid's Optics|Optics]]'') : [[遠近法|透視図法]]についての最古の現存するギリシャ語の著作。この中では視覚は目から出ている離散的な光線によるものだという[[プラトン]]学派の説を踏襲している。重要なのは4番目の定義で、「より大きな角度で見える物は大きく、より小さな角度で見える物は小さく、同じ角度で見える物は同じである」としている。その後の36の命題で、物体の見た目の大きさと距離とを関係付け、様々な角度から円柱と円錐を見たときの見え方を考察している。命題45では、実際の大きさが異なる2つの物体があるとき、それらが同じ大きさに見える地点が必ず存在するとしている。[[パップス]]はこれを天文学においても重要だと考え、エウクレイデスのオプティカをパエノメナと共に、[[クラウディオス・プトレマイオス]]の『[[アルマゲスト]]』の前に学ぶべきものとした。 次に挙げる著作はエウクレイデスのものとされているが、現存しない。 ; 円錐曲線論 (''Conics'') : [[円錐曲線]]についての著作で、後に[[ペルガのアポロニウス]]がこの主題を発展させた。アポロニウスの初期の4作はエウクレイデスの著作に基づいていると見られる。パップスによれば、「アポロニウスはエウクレイデスの円錐曲線についての4巻に自身の4巻を追加し、『円錐曲線』全8巻を完成させた」としている。アポロニウスの著作は瞬く間に広まり、パップスのころにはエウクレイデスの著作は既に現存しなかった。 ; ポリスマタ (''Porisms'') : 円錐曲線についての著作から派生した内容という説もあるが、詳しいことは書名の意味も含めてよく分かっていない。 ; 誤謬推理論 (''Pseudaria'' または ''Book of Fallacies'') : 推論上の誤り([[誤謬]])についての初歩的教科書。 ; 曲面軌跡論 (''Surface Loci'') : 平面上の[[軌跡 (数学)|軌跡]] (loci) または、何らかの曲面をなす軌跡を扱ったものと見られる。[[二次曲面]]を扱っていたという説もある。 [[アラビア語]]の文献によれば、エウクレイデスは[[力学]]に関する著書も残していたという。''On the Heavy and the Light'' には9つの定義と5つの命題があり、アリストテレス学派の物体の運動と比重の概念を扱っていた。''On the Balance'' では[[てこ]]を扱っている。また、別の断片ではてこの先端が描く円について論じている。これら3つの断片は相互に補い合っていることから、エウクレイデスが書いた力学についての1つの著作の断片ではなかったかという説も示唆されている。 == 日本語訳 == *{{Cite book|和書|others=[[山田昌邦]]訳|year=1873|month=6|title=幾何学|volume=巻之1-3|publisher=開拓使|id={{NDLJP|828426}}|ref=山田1873}} - 『[[ユークリッド原論|原論]]』第1巻の英訳の邦訳。 *{{Cite book|和書|author=格拉克(クラーク)述|authorlink=エドワード・ワレン・クラーク|others=[[山本正至]]・[[川北朝鄰]]訳|year=1875-1878|volume=7冊(首巻、1-6巻)|title=幾何学原礎|publisher=文林堂|id={{NDLJP|828479}}|ref=クラーク1875-1878}} - 格拉克(クラーク)が[[静岡学問所]]で英語で口述した『[[ユークリッド原論|原論]]』第1-6巻の邦訳。演習問題が追加されている。 *{{Cite book|和書|author=アイザック・トドハンター|authorlink=アイザック・トドハンター|others=[[長沢亀之助]]訳、[[川北朝鄰]]閲|origyear=1862|year=1884|month=10|title=宥克立(ユークリッド)|publisher=東京数理書院|id={{NDLJP|828946}}|ref=トドハンター1884}} - I. Todhunter, ''Elements of Euclid'' (1862)の邦訳。 *{{Cite book|和書|editor1=ハイベア|editor1-link=ヨハン・ルードウィッヒ・ハイベア|editor2=メンゲ|editor2-link=ハインリッヒ・メンゲ|others=[[中村幸四郎]]・[[寺阪英孝]]・[[伊東俊太郎]]・[[池田美恵]]訳・解説|title=ユークリッド原論|publisher=[[共立出版]]|ref=共立版}} - 『原論』全13巻の最初の邦訳。 ** (ハードカバー)1971年7月。ISBN 4-320-01072-8 ***(抜粋)『世界の名著9』 池田美恵訳 [[中央公論社]] 1972年 ** (縮刷版)1996年6月。ISBN 4-320-01513-4 ** (追補版)2011年5月。ISBN 978-4-320-01965-2 *{{Cite book|和書|editor=ハイベア|editor2=メンゲ|title=エウクレイデス全集|volume=(全5巻)|publisher=[[東京大学出版会]]|ref=東大版}} - 「エウクレイデス全集」の世界初の近代語訳。 ** 第1巻 原論I‐VI、[[斎藤憲]]・[[三浦伸夫]]訳・解説、2008年1月。ISBN 978-4-13-065301-5 ** 第2巻 原論VII-X、斎藤憲 訳・解説、2015年8月。ISBN 978-4-13-065302-2 ** 第4巻 デドメナ/オプティカ/カトプトリカ、斎藤憲・[[高橋憲一]]訳・解説、2010年5月。ISBN 978-4-13-065304-6 == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == [[File:Euclidis quae supersunt omnia.tif|thumb|Euclides, 1703]] * {{Citation|title=Euclid (Greek mathematician)|url= http://www.britannica.com/EBchecked/topic/194880/Euclid|accessdate=2008-04-18|year=2008|publisher=Encyclopædia Britannica, Inc}} * {{Citation|last=Artmann|first=Benno|authorlink= |title =Euclid: The Creation of Mathematics|year=1999|publisher=Springer|location=New York|isbn=0-387-98423-2}} **{{Cite book |和書 |last=アルトマン |first=ベノ |translator=[[大矢建正]] |date=2002-11 |title=数学の創造者 ユークリッド原論の数学 |publisher=シュプリンガー・フェアラーク東京 |isbn=4-431-70969-X |ref={{Harvid|アルトマン|2002a}} }} **{{Cite book |和書|first=ベノ|last=アルトマン|translator=大矢建正|date=2002-11|title=数学の創造者 ユークリッド原論の数学|publisher=[[丸善出版]]|isbn=978-4-621-06450-4|ref={{Harvid|アルトマン|2002b}}}} * {{Citation|last=Ball|first=W.W. Rouse|authorlink= |title = A Short Account of the History of Mathematics|origyear=1908|url=|edition=4th|year=1960|publisher= Dover Publications|isbn=0-486-20630-0}} * {{Citation|first=Carl B.|last=Boyer|authorlink= |title=A History of Mathematics|edition=2nd| publisher=John Wiley & Sons, Inc.| year=1991|isbn=0-471-54397-7}} **{{Cite book |和書 |last=ボイヤー |first=カール |translator=[[加賀美鐵雄]]・[[浦野由有]] |date=2008-10 |title=数学の歴史 |volume=1 (エジプトからギリシャ前期まで) |publisher=朝倉書店 |isbn=978-4-254-11801-8 |ref={{Harvid|ボイヤー|2008a}} }} **{{Cite book |和書 |last=ボイヤー |first=カール |translator=加賀美鐵雄・浦野由有 |date=2008-10 |title=数学の歴史 |volume=2 (ギリシャ後期から中世ヨーロッパまで) |publisher=朝倉書店 |isbn=978-4-254-11802-5 |ref={{Harvid|ボイヤー|2008b}} }} * {{Citation|authorlink=|last=Heath|first=Thomas (ed.)|year=1956|origyear=1908|title=The Thirteen Books of Euclid's Elements|volume=1|publisher=Dover Publications|isbn=0-486-60088-2}} * Heath, Thomas L. (1908), "[http://perseus.mpiwg-berlin.mpg.de/cgi-bin/ptext?lookup=Euc.+1 Euclid and the Traditions About Him]", in Euclid, ''Elements'' (Thomas L. Heath, ed. 1908), '''1''':1–6, at [http://perseus.mpiwg-berlin.mpg.de/ Perseus Digital Library]. * {{Citation |last=Heath |first=Thomas L |year=1981 |title=A History of Greek Mathematics |place= New York |publisher=Dover Publications |id= ISBN 0-486-24073-8 / ISBN 0-486-24074-6}} **{{Cite book |和書 |last=ヒース |first=T・L・ |translator=[[平田寛]]・[[大沼正則]]・[[菊池俊彦]] |date=1998-05 |title=ギリシア数学史 |edition=復刻版 |publisher=共立出版 |isbn=4-320-01588-6 |ref={{Harvid|ヒース|1998}} }} * {{Citation|first=Jean|last=Itard|title=Les Livres arithmétiques d'Euclide|series=Histoire de la pensée|publisher=Hermann|location=Paris|year=1961}} * {{Citation|first=Morris|last=Kline|title=Les Livres arithmétiques d'Euclide|series=Mathematics: The Loss of Certainty|publisher=Oxford University Press|location=Oxford|year=1980|isbn=0-19-502754-X}} **{{Cite book |和書 |last=クライン |first=モーリス |translator=[[三村護]]・[[入江晴栄]] |date=1984-12 |title=不確実性の数学 数学の世界の夢と現実 |publisher=紀伊国屋書店 |id=ISBN 978-4-314-00440-4 / ISBN 978-4-314-00441-1 |ref={{Harvid|クライン|1984}} }} * {{MacTutor Biography|id=Euclid|title=Euclid of Alexandria}} * {{Citation|first=Dirk J.|last=Struik|title=A Concise History of Mathematics| year=1967| publisher=Dover Publications | isbn=0-486-60255-9}} ==関連項目== *[[ユークリッドの互除法]] *[[ユークリッド幾何学]] == 外部リンク == {{Commonscat|Euclid}} *{{Kotobank|ユークリッド|2=平田寛}} * O'Connor, John J; Edmund F. Robertson "[http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Biographies/Euclid.html Euclid]". ''[[:en:MacTutor_History_of_Mathematics_archive|MacTutor History of Mathematics archive.]]''(英語) * 古代ギリシャ語のテキスト:[http://www.wilbourhall.org/index.html#euclid Heibergの『エウクレイデス全集』のPDFスキャン(パブリック・ドメイン)] {{古代ギリシア}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えうくれいてす}} [[Category:エウクレイデス|*]] [[Category:古代ギリシアの数学者]] [[Category:プトレマイオス朝]] [[Category:エジプト史の人物]] [[Category:紀元前3世紀のアフリカ]] [[Category:幾何学者]] [[Category:公理]] [[Category:紀元前の数学者|3650000]] [[Category:エジプトの天文学者]] [[Category:ギリシャの天文学者]] [[Category:生没年不詳]] [[Category:数学に関する記事]]
2003-06-11T06:28:19Z
2023-08-13T03:15:51Z
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ルクセンブルク
ルクセンブルク大公国(ルクセンブルクたいこうこく、仏: Grand-Duché de Luxembourg、独: Großherzogtum Luxemburg、ルクセンブルク語: Groussherzogtum Lëtzebuerg)、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。議院内閣制の大公国。首都はルクセンブルク市。 南はフランス、西と北はベルギー、東はドイツに隣接している。また、ベルギー、オランダの2か国とあわせてベネルクスとも呼ばれる。 正式名称は以下のとおりである。 かつてのルクセンブルクは、今よりも広大な面積を有していた。1650年以降、ルクセンブルクは3度分割された。最初の分割は、1659年のピレネー条約で行われた。この条約により、ルクセンブルクの南部がフランスに占領された。2回目の分割は1815年のウィーン会議で行われた。ここでは、プロイセンのライン州が北東に大きな面積を、東に小さな面積を、オランダが北に小さな面積を持つことになった。そして最後にフランスが南西の小領域を獲得した。第三次分割は1839年に行われた。ここでは、ベルギーがルクセンブルク西部の3分の2を獲得している。 963年、アルデンヌ家のジーゲフロイト(Sigefroid)伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。1060年ごろ、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝やボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、1461年にブルゴーニュ公国に併合された。その後、ネーデルラント一帯はハプスブルク家領となり、ルクセンブルクはハプスブルク領ネーデルラントの一州としてスペインやオーストリアの支配を受けた。 フランス革命期にフランスの支配を受けた後、1815年にウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となった。1830年のベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。1831年、ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュクサンブール州)をベルギー、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた(3度目の分割)。この割譲が実現されたのは、1839年になってからである。1867年にはロンドン条約によってプロイセン王国とフランスの緩衝国とするため永世中立国となった。1890年、元ナッサウ公のアドルフがルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消した。 20世紀初頭から王家が積極的に外資を誘致、労使関係が良好となった。第一次世界大戦と第二次世界大戦においては、ドイツ国の占領下に置かれた。後者においては、ベルギー国立銀行に預託していた資産をヴィシー政権におさえられドイツに奪われた。第二次世界大戦後の1948年、ベネルクス間で関税同盟を結成。1949年にはNATOに加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。1957年に欧州経済共同体、1967年に欧州連合、1999年にユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。2001年、クリアストリーム事件が起きた。 立憲君主制。国家元首はナッサウ=ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公。2022年現在、世界で唯一の大公国である。 議会は代議院による一院制。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、首相の推薦に基づき、大公が任命する。 新自由主義的な経済政策を志向しているが、伝統的に労使関係が良好でストライキは少ない。また企業への税負担が極めて低く抑えられていることから、外国資本による大規模な投資を呼び込むことに成功してきた。 ルクセンブルクは周辺の国々に翻弄されてきた歴史を持つ。オランダとの同君連合を終え、独立後永世中立国となると、ドイツとフランスの緩衝地帯となる。 しかし第一次世界大戦などでドイツに攻めこまれた。戦後は中立を破棄しNATOに加盟した。 日本では想像しにくいが、2018年の欧州委員会の調査によると、欧州連合(EU)の人々の対米観は否定的な意見が肯定的な意見を上回っている。ルクセンブルクの対米肯定的見解も28%にとどまり、否定的見解の65%を下回っている。ロシア、中国、米国に対する否定的な見方とは対照的に、ルクセンブルクの人々は日本、フランス、ドイツに対して肯定的な見方をしている。 ルクセンブルクの軍事は、現状必要最低限のものである。戦力は陸軍のみであり、総兵力は4個中隊、約1,150名。空軍・海軍はない。1967年から完全志願制になった。1948年にブリュッセル条約、1949年には北大西洋条約を締結し、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、欧州合同軍にも兵力を提供している。 国土は南北82km、東西57 kmにわたって広がる。神奈川県や佐賀県、沖縄県程度の広さの国土に、人口は60万人強。 国土の大部分には丘と低い山地が広がる。首都ルクセンブルクの標高は379 m。最高地点は同国北端に近いクナイフの丘 (560 m)。ローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であった。北部はベルギーから続くアルデンヌ高原、南部はフランスから続くロレーヌ台地。東側のドイツとの国境は、モーゼル川が流れる。 ルクセンブルクは地理的に欧州の中心に位置している。その意味ではブリュッセルやストラスブールと並ぶ世界都市である。 道路や空路(航空貨物大手のカーゴルックス航空が本拠地を置く)といった交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるだけではなく、オランダ(国際的な海運業の中核)を近隣国とする「欧州における物流の要所」である。更には英語やフランス語、ドイツ語といった「欧州の主要言語がすべて通じる」理想的な環境にあるため、欧州圏にビジネス展開しようとする世界企業にとっては魅力的な立地条件を有している。 ルクセンブルクの気候はケッペンの気候区分によると西岸海洋性気候に分類される。 首都ルクセンブルクの年平均気温は、1961年から2000年の30年平均値で8.6 °C。月別平均気温が最も低くなるのは1月 (0.2 °C)、最も高くなるのは7月 (17.2 °C)である。 年間降水量は847.7 mm。図からも分かるように月別降水量の年間における変化に乏しい。最も降水量が少ないのは2月 (59.6 mm)、最も多いのは11月 (79.3 mm)である。どの月においても降水が観測された日が過半数を占める。 相対湿度が最も低くなるのは4月から6月にかけてであり、73%である。最も高い月は12月 (90%)。年平均値は81%である。 12つのカントン(フランス語: Canton、ドイツ語: Kantone、ルクセンブルク語: Kantonen)と102の基礎自治体(フランス語: Commune コミューン、ドイツ語: Gemeinde ゲマインデ、ルクセンブルク語: Gemeinde)の2層構造から成り立つ。ただしカントンには行政機能がない。 2015年まではカントンの上位区分として広域行政区が設置されていた。 欧州連合統計局(ユーロスタット)の調査によると、平均所得は平均的なヨーロッパ人の2.5倍である。ルクセンブルクの世帯の平均資産は57万ユーロであり、外国人居住者はかなり裕福になる傾向がある。しかし、これは少数の外国人の場合である。これは、最大の外国人コミュニティであるポルトガルが、平均的な外国人の富にほとんど貢献していないためである。2022年1月のルクセンブルクの購買力水準は、日本の約113%(ドイツ:日本の約94%)である。 ルクセンブルクはリヒテンシュタインとモナコの公国を除いて、一人当たりの国内総生産は世界で最も高い。2009年以内にルクセンブルク経済で生産され、最終消費に役立つすべての商品とサービスの総額は、一人当たり104,512米ドルである。これにより、ルクセンブルクはこのランキングでノルウェー(79,085米ドル)、スイス(67,560米ドル)を大きく上回っている。ルクセンブルク市の国内総生産はEU平均の213パーセントである。唯一のグレーターロンドン(315パーセント)とブリュッセル首都地域(234パーセント)はより高い値を持っている。グローバル競争力指数、国の競争力を測定し、ルクセンブルグは、137カ国(2017年から2018年)のうち、19位にランクされた。経済的自由のための指標は2017年に180カ国の14位にランク付けされた。 1965年のビジネス・ウィーク誌によると、ミューチュアル・ファンドの巨人ジョン・テンプルトンとその共同経営者ウィリアム・ダロムスは、Investors Overseas Services ルクセンブルク保険のファイナンスを手がけた腕を買われてIOS のパートナーとなり、バーニー・コーンフェルドもテンプルトンのレキシントン・リサーチ・アンド・マネジメントの株式をIOSと個人名義で保有した。 最近では1MDB をめぐる汚職事件と関係して、実業家のカデム・アル・クバイシ(英語版)が、パナマ文書に載っているオフショア会社を経由し、ジュネーヴに本店があるエドムンド・ド・ロスチャイルド銀行のルクセンブルク支店で口座を開設した。 ルクセンブルクはタックス・ヘイヴンの1つとしてよく知られており、GNIとGDPの差は途方もなく大きい。ルクセンブルクのような主要な一人当たり名目GDP上位国の多くはタックス・ヘイヴンであることに注意する必要がある。それらの国のGDPデータは、外国の多国籍企業のタックス・プランニング活動によって大きく歪められている。 これに対処するために、2017年にタックス・ヘイヴンでもあるアイルランドの中央銀行はより適切な統計として「修正GNI」(またはGNI*)を作成し、OECDとIMFはアイルランドのためにこれを採用した。したがって、購買平価説に基づく2020年のルクセンブルクの一人当たり実質GNIは、カタール、シンガポールに次いで世界第3位を維持しているが、ドイツやイギリス、日本などの先進国の首都と同程度に過ぎないと言える。 IMFの統計によると、2015年のルクセンブルクのGDPは578億ドルであり、2013年度における日本の岐阜県の経済規模とほぼ同じである。1992年以降、一人当たりのGDPは世界首位の座を保っている。ただし、購買力平価ベース では、2000年代中盤を境にカタールに追い抜かれ、第2位に甘んじている。 ルクセンブルクの経済成長率は毎年4 - 5%の範囲で推移(2007年度以降は鈍化)しており、先進国としては例外的に高い経済成長を維持し続けていたが、2008年に起こった世界経済危機の影響を受け、2009年にはマイナス成長に転じた。翌年には持ち直したものの、2012年にはユーロ危機によって再びマイナス成長となった。ただし2016年現在は以前の状態に回復している。 GDP比で特徴的なのは対外債務であり、GDPの67倍となり極めて高い水準にある。(2017年6月末現在)(国別外債残高の一覧)。 ルクセンブルクは先進国の中でも特に税率が低い国であり、数多くの国外企業を誘致することに成功している。近年ではインターネット関連企業の誘致に力を注いでおり、スカイプやeBay、Appleなどを筆頭として数多くのインターネット関連企業が本社機能を移転している。ただし、本社機能を完全移転したスカイプ社のような事例は稀であり、その大半は欧州本社である。 日本企業としては、ファナック、楽天などが欧州本社を置いている。 また、その税負担の軽さから、EUやOECD(またはG20)などに事実上のタックス・ヘイヴンとみなされ、強い非難を浴びてきた。近年までは一連の非難に対して強気の姿勢を崩さなかった。典型的な福祉国家ではないのにもかかわらず、概して失業率が良好に推移しており、国内の所得格差が北欧諸国並みに小さい。 とはいえリーマンショックに端を発する世界恐慌以降は、国際的な金融規制の流れを受けて税率改正の動きを見せはじめている。その一環として 2010年1月25日、租税条約改正について日本政府と合意した。 ルクセンブルクに関連する統計のほとんどは、2倍から0.5倍までの誤差が生じる。この理由は、ルクセンブルク大公国の全従業員の約半数がフランスやベルギー、ドイツなど国境を越えた通勤者であり、したがって非居住者は、居住者と一緒にルクセンブルクで国民総生産を生み出し、同じ税金と社会保障負担金を支払うためである。結果として、そのような場合、誤差が得られる。国民総生産や一人当たりの購買力などでは、半分だけ、つまり居住者が考慮され、残りの半分、つまり国境を越えた通勤者は考慮されない。 ユーロスタットは2009年12月15日に報告した: 「2008年、購買力基準(PPS)で表されるルクセンブルクの一人当たりGDPは、EU27平均の2.5倍以上でしたが、アイルランドとオランダは約3分の1でした。オーストリア、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、イギリス、ベルギーは、EU27の平均を15%から25%上回っていた。 " 国内総生産人口の頭あたりは、国際比較を可能にするために、電力基準を購入するには測定されずにの違い価格水準。ルクセンブルクの場合、労働力の大部分が国の付加価値に貢献しているものの、非居住者としての商の分母には含まれていないため、この商は偏っている。2009年には、国内の335,700人の従業員のうち、188,300人だけが国内に住んでおり、残りの147,400人は国外の国境を越えた通勤者として暮らしていた。別の理由で、この比率は、ルクセンブルクの人口の実際の生活水準についての声明を出すために限られた用途にすぎない。国内総生産には、総投資(生産手段、政府サービスなど)などの支出が含まれる。個人世帯の消費に直接関係しない。 より現実的な状況は、州ではなく経済地域に関連する人口統計の1人当たりGDPの比較から得られる。この統計的比較を行っても、通勤者の生産性は経済センターに割り当てられているため、通勤者の流れは状況によって誤差が生じる。 毎年1月1日、公式統計サービスは、ルクセンブルク企業の年間在庫をアルファベット順に公開し、経済セクター別に並べ替えている。ルクセンブルグのアメリカ商工会議所は、米国企業とルクセンブルグ経済の架け橋を築こうとする自主的な組織である。 2008年の秋、世界中の多くの先進国で経済危機が始まった。それは2007年からの金融危機によって引き起こされたか引き起こされった。多くのEU諸国は、銀行の破綻を回避するために銀行部門に数十億ユーロを投入したため、この経済危機はユーロ圏のソブリン債務危機を悪化させた。危機は、ルクセンブルク経済が金融セクターにどれだけ依存しているかを示している。 ルクセンブルクには多種多様な産業が発達している。大規模に外資を投下された民間企業による経済活動は極めて盛んである。このことは重工業と金融にあてはまる。他にも、空路や道路などの交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるほか、国内には保税倉庫も多いなど欧州における物流の要所である。また、国策として情報通信分野における産業振興を図った結果、ヨーロッパにおける情報通信産業(放送メディア産業)の中核を担うことになった。ベルテルスマンのRTLグループ買収は一例である。 高度に発達した工業と豊かな自然(特に田園風景)とが共存しており、観光業(近年ではエコツーリズム)も盛んである。その自然の豊かさから「欧州における緑の中心地(Green heart of Europe)」と称されることもあり、上海万博におけるルクセンブルク・パビリオンの標語としても採用されている。食品産業は全般的に低調である。 中立化以前のルクセンブルクは農業国であった。20世紀初頭からベルギーから外資が投下された。外資の出所はドイツやフランスといった欧州の強国であった。ルクセンブルクが普仏関係の緩衝地帯というのは軍事面でのことであって、経済戦争においては前線であった。次第にベルギー鉄鋼業がルクセンブルクに延長してきた。1926年の鉄鋼カルテル(Entente internationale de l'acier)は欧州石炭鉄鋼共同体の原型となった。第二次世界大戦後、アンリ・J・レイル(Henry J. Leir)がグッドイヤー、デュポン、モンサントなどを誘致した。1960年代よりアルセロールなどがルクセンブルクの経済を牽引した。およそ十年後にオイルショックがベルギーごとルクセンブルクの鉄鋼業に再編を迫った。 2006年、インドに本拠地を置くミタルスチール社がアルセロールを買収した。この事件は国内鉄鋼業の衰退を象徴したが、しかし合併後(アルセロール・ミッタル)も依然として同国に本社を置いている。 製造業としては、化学や繊維、自動車部品、プラスチック・ゴムといった分野でも実績があるが、いずれも鉄鋼業ほどの影響力はない。隣国ベルギー(アントウェルペン市)がダイヤモンド取引の中心地であるため、ルクセンブルクにもダイヤモンド加工産業が根付いているが、ベルギーほど加工技術は高くないとされる。 他に特筆すべき工業製品としては高級食器が挙げられよう。ビレロイ&ボッホがルクセンブルク(オーストリア大公国領時代)に工場を置き、ハプスブルク家の御用達となったことから世界的に名声が広まった。ルクセンブルク工場が製造する陶磁製食器は、現在でも世界的に高い評価を受けている。 2016年現在では金融サービス業をはじめとする第三次産業がGDPの約88%を占めるようになった。ユーロ圏におけるプライベート・バンキングの中心地であり、世界的に見てもスイス(非EU加盟国)に匹敵する規模を誇る。そんな金融機関を束ねる国際決済機関のクリアストリームは、ルクセンブルクの繁栄を象徴している。また、欧州圏における再保険分野の中心地でもある。 こうした金融セクターは(およそ30万人の労働人口に対して)7万人近い雇用を生み出し続けており、労働人口全体のおよそ5分の1を構成していることになる。一方、ルクセンブルク・リークスで明らかとなったような脱法が目立つ。 また、国内には欧州投資銀行やユーロスタット、欧州会計監査院といった欧州連合における金融関連機関が集中しており、ユーロ圏における金融センターとしての地位を不動のものとしている。 ルクセンブルクは情報通信分野(放送メディア産業)の産業振興に力を入れてきた。結果として、現在はRTLグループとSES S.A.の二大メディア複合体を擁し、欧州における同分野の中核を担っている。RTLグループは欧州随一の規模を誇る放送メディアの企業複合体であり、SES S.A.は欧州のみならず世界有数の規模を誇る衛星放送事業者。特に後者は国策企業を前身とし、現在では世界最多(41機)の放送衛星を運用する民間企業である。欧州最大の商業通信衛星群 ASTRAシリーズは、子会社のSES アストラによって運用されている。 金融サービスに関連して電子商取引の重要性にいち早く注目し、2000年8月に世界に先駆けて電子商取引の関連法を制定した。同様に電子商取引の安全性を保証する仕組みとして電子認証機関 ルクストラスト を官民共同プロジェクトとして設立し、官民を問わず広く利用を促している。続いて2009年には、欧州最大規模の商用インターネット相互接続ポイント「ルシックス」が設立された。ちなみに、国内全域において光ファイバーによる高速回線が利用可能である。近年では、首都ルクセンブルク市および第二都市エシュ=シュル=アルゼットの一帯で Wi-Fiによる高速無線通信も利用可能になった。 他分野と比べると第一次産業が見劣りすることは否めないが、モーゼル川流域は古代ローマ時代からワインの生産が盛んな地域 であり、良質な辛口の白ワインを産出することで知られている。ただしドイツやフランスとは異なり国内生産量は15,000kl/年と小規模であるため、輸出されることは少なく希少性が高い(一般的にモーゼルワインと言えばドイツ産が有名)。ちなみに、葡萄の主要品種はリースリングやゲヴュルツトラミネール、ピノ・グリなど。 農業が吸収する労働人口は全体の1%前後とされる。農家の大部分は家族経営の小規模な自作農であり、耕作と畜産の混合農業が一般的。有機農法を用いた農地に政府助成金が支給される仕組みとなっているため、政府認証を受けた農地のほぼ100%が有機農法を行っている。また、農業関係者の遺伝子組み換え食品に対する拒否感は強い。 隣国ベルギー同様にチョコレート菓子が有名で、特に有名な「オーバーワイス」は王家御用達である。また、飲食店の格付け冊子として著名なミシュランガイドにおいて国民一人あたりの星の数が世界一という実績から、「美食の国」として誉れ高い隣国ベルギー同様、グルメ観光を目的とした旅行客も少なくない。 大国に翻弄されながらも独立を維持してきたルクセンブルクは、その歴史を偲ばせる建造物が国内各所に点在している。特に首都の旧市街は世界遺産に登録されており、観光地として人気がある。しかし観光客は近隣諸国から来てすぐ帰ってしまう。実際にベルギーからの日帰り客が少なくない。そのため、観光客をいかに長期滞在させるかが観光業の課題となっており、近年では豊かな自然を生かしたエコツーリズムに力点が置かれている。 エコツーリズムをメインとする観光地としては、鬱蒼とした森が広がるアルデンヌ地方や「小スイス」と称されるミュラータール、モーデル川沿いの丘陵地帯(ワイン観光)などが挙げられる。鉄鋼業の中心地である南部(エシュ=シュル=アルゼット)には豊かな自然に加え、かつて鉄鉱石を運んだSL鉄道 をはじめする産業遺産が残されている。この地域は岩石が鉄分を含むために赤味を帯び、通称「赤岩の地(land of red rocks)」とも呼ばれる。 また、小国ながら自転車競技では世界レベルの実力を誇る国だけあって自転車ロードレースの国際大会(ツール・ド・ルクセンブルク)が毎年開催されており、大会期間中は観戦客で大いに賑わう。 近年、道路網が大幅に近代化され、隣接国への高速道路が整備されていることから欧州内においてインフラの発展が目覚しくなっている国々の一つに数え上げられる。なお、高速道路は最高130キロである。 航空 首都ルクセンブルク市ルクセンブルク=フィンデル空港を本拠地とするルクスエアがあり、子会社に世界的に就航し日本にも乗り入れている(成田国際空港と小松空港)、老舗航空貨物大手カーゴルックスがある。 住民はケルト人、ゲルマン人などの混血が主である。外国人の割合は高く、3分の1程度である。 主な外国人は、2016年現在、ポルトガル人(36%)、フランス人(15%)、イタリア人(8%)、ベルギー人(7%)である。神聖ローマ(ドイツ)帝国から分離した歴史上ドイツ系の国民と見なすことができるがフランスの影響も強く、ドイツ語系の方言を古い母語としながら公的にはフランス語が主流となっている点では、フランスのアルザス地方と相似している。 ルクセンブルクでは、フランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語の3つが公用語とされている。 フランス語は7歳から教育が始まり、行政と法律の言語として使われている。 学校においては、小学校から中学校まではドイツ語とフランス語で授業が行われるが、高等学校では、ドイツ語のみが使われている。 2018年の調査によると、仕事においては、98%の人々がフランス語、80%の人々が英語、78%の人々がドイツ語、77%の人々がルクセンブルク語を、コミュニケーションのための言語として話す。 ラジオやテレビでは、ルクセンブルク語が最も使われているが、局によってはフランス語やイタリア語、ポルトガル語などと、様々である。 新聞では、ルクセンブルクにおける書き言葉として使われているフランス語が主流ではあるが、新聞会社によってはドイツ語がフランス語の次に使われる。また、ここ数年では英語による出版も少なくない。 家庭内、友人間、近郊ではルクセンブルク語が現地人の言葉として使われ、また、カトリック教会の典礼言語としても使用されている。ルクセンブルク語は中部ドイツ語の一派であり、標準ドイツ語との距離も近いため、テレビや映画など報道関係分野ではドイツ語が多用される。 その他、街やレストランなどでは英語のみならず、ポルトガル語やイタリア語などを耳にする機会も多い。 英語は、空港やホテルなどではほぼ問題なく通用するが、バスの運転手や小さな商店などでは通用しないことがあるため、多くの人々が話すことができるフランス語やドイツ語を代わりに用いてコミュニケーションを取ることが多い。 婚姻の際、法的な姓が変更されることはない。なお、氏名の変更は可能である。2014年より、同性婚も可能となった。 宗教はローマ・カトリックが87%、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教などが13%である。 義務教育は4歳から16歳まで。ほとんどの学校は国によって管理されており、無料となっている。 高等教育については、ルクセンブルク大学がこの国における唯一の大学である。 当然のことながら、ルクセンブルクでは児童ポルノ(所持を含む)は違法である。しかし未だに問題となっているのは、「児童ポルノ」の明確な定義がないため、高度に性的な子供の写真が完全に合法とみなされる場合もあること。また、法律は非実在児童ポルノの合法性について言及していない。 ルクセンブルクは伝統的に諸外国から多くの移民を受け入れており、2015年現在のデータでは人口の45.3%が外国出身である。この割合は欧州連合の中でも突出したものであり、世界の中でもルクセンブルクを越える国は多くない。ただし、ルクセンブルクの場合は近隣諸国(同じ言語圏)からの移民も少なくないため、多言語国家であっても、米国のような多民族国家とは言い難い。そもそも、ルクセンブルクに外国出身者が多いのは、同国が(ユーロ圏で唯一)二重国籍を認めていなかったために過ぎず、在住する外国人の多くはドイツ、ベルギー、フランスの近隣諸国からの越境者である(東京と近隣県の関係に近い)。実際、労働人口のおよそ半数が隣国から越境通勤してくる「コミューター」とされる。ちなみに、こうした越境労働者が多いことが一人当たりのGDPを引き上げる要因となっている。 また、好調な経済に惹かれてやって来たアフリカや中東、南米などから来た不法移民(不法滞在者)も多いとされるが、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得していない限りは存在しないものとされ、正確な統計情報も存在しない(発覚した場合は国外追放)。もっとも、シェンゲン協定の締結以後、周辺国(現在では欧州のほぼ全域)との往来が自由になっているため、ルクセンブルクを目的地とした不法移民なのかどうかを判断するのは困難である。ちなみに、在留資格がなくとも現地での被雇用を条件に長期滞在許可が下りる(ただし、これは主に難民に対する処置)。 また、ルクセンブルクにおける外国出身者の失業率は他の欧州各国と比較して低く、外国人に対する差別意識もさほど強くない上、前述の通り寛容な移民政策を採用していることから、不法滞在の目的は何らかの非合法活動に従事する場合に限られる。 ルクセンブルクのアジア人労働者(主に中国系を代表とする不法移民)に対する歓迎度は、欧州連合の平均をわずかに上回っている。2019年5月、欧州連合の人々の約21%がアジア人との仕事に不快感を覚え、約32%が「自分の子供がアジア人と恋愛関係になった場合、自分は不快感を覚える」と報告した。対照的に、ルクセンブルク人の約12%が、アジア人との仕事に不快感を示し、自分の子供がアジア人を愛するようになると自分は不快感を覚えると訴えたのは約19%だった。 ルクセンブルクの治安は近隣諸国に比べ比較的良いと言われているが、上記の項でも挙げられている様に小国であり近隣諸国との行き来が容易ということは即ち、国外から犯罪者集団などが流入することも容易であると言える。その為、同国滞在中は軽犯罪から常に身の安全を確保出来るように努める必要性が高くなることを留意しなければならない。 特に、薬物犯罪(英語版)が問題となっている他、近隣諸国からの犯罪集団など(特に財産犯(窃盗や詐欺など))の流入も容易である点から細心の注意が必要とされている。 同国警察当局による喫緊の統計では、2018年の刑法犯認知件数は37,288件(前年比1.5%増)であり、2019年も同年11月現在でこれを下回る数値で推移しており、現時点での治安情勢は比較的良好であるといえる。また2018年は罪種別にみると、殺人や傷害、強姦などの人身犯が全ての罪種で減少している。その一方で財産犯の発生件数は犯罪発生総数の約6割強を占めており、一部に悪化の傾向が見受けられる。傍らでひったくりや器物損壊といった犯罪は減少しているが、侵入窃盗が202件、自動車盗を含む車上狙いが144件増加している。 ルクセンブルクを代表する彫刻家にクラウス・シト(英語版)が挙げられる。彼は戦争記念施設の彫像を始めとした数々の作品を世に遺している。 ルクセンブルクにおける写真家で代表される人物の一人はパトリック・ガルバット(英語版)である。彼はフォトジャーナリストとしても活動している。 ルクセンブルクにおける建築文化は、紀元前1世紀に繁栄したとされるケルト族の一団であるトレウェリ族(英語版)の文化にまで遡ることが出来る。 ルクセンブルク国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、記憶遺産が1件、無形文化遺産が1件存在する。ルクセンブルクは、もともと丘の上に築かれた城を中心に発展した小国だが、その城と市街が、「ルクセンブルク:その古い街並みと要塞群」として、1994年に登録された。 クレルヴォー市にある城の展示室に常設展示されている、ルクセンブルク出身の世界的な写真家エドワード・スタイケンが1955年にニューヨーク近代美術館で企画した「ザ・ファミリー・オブ・マン」展は、世界記憶遺産に2003年に登録。エシュテルナッハ市で中世から続く「踊りの行進(ダンシング・プロセッション)」は世界無形文化遺産に2010年に登録された。 ルクセンブルクにおけるサッカーの歴史は古く、今から110年以上前の1910年にサッカーリーグの『ルクセンブルク・ナショナルディビジョン』が創設された。リーグは14クラブから構成されており、ASジュネス・エシュが最多28度の優勝を飾っている。また、日本との関係ではサッカールクセンブルク代表のジェルソン・ロドリゲスが、2019年にJリーグのジュビロ磐田に在籍していた事でも知られる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ルクセンブルク大公国(ルクセンブルクたいこうこく、仏: Grand-Duché de Luxembourg、独: Großherzogtum Luxemburg、ルクセンブルク語: Groussherzogtum Lëtzebuerg)、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。議院内閣制の大公国。首都はルクセンブルク市。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "南はフランス、西と北はベルギー、東はドイツに隣接している。また、ベルギー、オランダの2か国とあわせてベネルクスとも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "正式名称は以下のとおりである。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "かつてのルクセンブルクは、今よりも広大な面積を有していた。1650年以降、ルクセンブルクは3度分割された。最初の分割は、1659年のピレネー条約で行われた。この条約により、ルクセンブルクの南部がフランスに占領された。2回目の分割は1815年のウィーン会議で行われた。ここでは、プロイセンのライン州が北東に大きな面積を、東に小さな面積を、オランダが北に小さな面積を持つことになった。そして最後にフランスが南西の小領域を獲得した。第三次分割は1839年に行われた。ここでは、ベルギーがルクセンブルク西部の3分の2を獲得している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "963年、アルデンヌ家のジーゲフロイト(Sigefroid)伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。1060年ごろ、アルデンヌ家の分家であるルクセンブルク家に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から神聖ローマ皇帝やボヘミア王を出し、1354年にルクセンブルク家の皇帝カール4世によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、1461年にブルゴーニュ公国に併合された。その後、ネーデルラント一帯はハプスブルク家領となり、ルクセンブルクはハプスブルク領ネーデルラントの一州としてスペインやオーストリアの支配を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "フランス革命期にフランスの支配を受けた後、1815年にウィーン会議の結果、ドイツ連邦に加盟しながらもオランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となった。1830年のベルギー独立革命の際にはベルギーと行動を共にし、首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。1831年、ロンドン会議によって領土の西半分(現在のリュクサンブール州)をベルギー、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた(3度目の分割)。この割譲が実現されたのは、1839年になってからである。1867年にはロンドン条約によってプロイセン王国とフランスの緩衝国とするため永世中立国となった。1890年、元ナッサウ公のアドルフがルクセンブルク大公となり、オランダとの同君連合を解消した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "20世紀初頭から王家が積極的に外資を誘致、労使関係が良好となった。第一次世界大戦と第二次世界大戦においては、ドイツ国の占領下に置かれた。後者においては、ベルギー国立銀行に預託していた資産をヴィシー政権におさえられドイツに奪われた。第二次世界大戦後の1948年、ベネルクス間で関税同盟を結成。1949年にはNATOに加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。1957年に欧州経済共同体、1967年に欧州連合、1999年にユーロ圏へといずれも原加盟国として参加している。2001年、クリアストリーム事件が起きた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "立憲君主制。国家元首はナッサウ=ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公。2022年現在、世界で唯一の大公国である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "議会は代議院による一院制。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、首相の推薦に基づき、大公が任命する。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "新自由主義的な経済政策を志向しているが、伝統的に労使関係が良好でストライキは少ない。また企業への税負担が極めて低く抑えられていることから、外国資本による大規模な投資を呼び込むことに成功してきた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクは周辺の国々に翻弄されてきた歴史を持つ。オランダとの同君連合を終え、独立後永世中立国となると、ドイツとフランスの緩衝地帯となる。 しかし第一次世界大戦などでドイツに攻めこまれた。戦後は中立を破棄しNATOに加盟した。", "title": "国際関係・外交" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本では想像しにくいが、2018年の欧州委員会の調査によると、欧州連合(EU)の人々の対米観は否定的な意見が肯定的な意見を上回っている。ルクセンブルクの対米肯定的見解も28%にとどまり、否定的見解の65%を下回っている。ロシア、中国、米国に対する否定的な見方とは対照的に、ルクセンブルクの人々は日本、フランス、ドイツに対して肯定的な見方をしている。", "title": "国際関係・外交" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクの軍事は、現状必要最低限のものである。戦力は陸軍のみであり、総兵力は4個中隊、約1,150名。空軍・海軍はない。1967年から完全志願制になった。1948年にブリュッセル条約、1949年には北大西洋条約を締結し、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、欧州合同軍にも兵力を提供している。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "国土は南北82km、東西57 kmにわたって広がる。神奈川県や佐賀県、沖縄県程度の広さの国土に、人口は60万人強。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "国土の大部分には丘と低い山地が広がる。首都ルクセンブルクの標高は379 m。最高地点は同国北端に近いクナイフの丘 (560 m)。ローマ帝国時代から、街道が交わる重要拠点であった。北部はベルギーから続くアルデンヌ高原、南部はフランスから続くロレーヌ台地。東側のドイツとの国境は、モーゼル川が流れる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクは地理的に欧州の中心に位置している。その意味ではブリュッセルやストラスブールと並ぶ世界都市である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "道路や空路(航空貨物大手のカーゴルックス航空が本拠地を置く)といった交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるだけではなく、オランダ(国際的な海運業の中核)を近隣国とする「欧州における物流の要所」である。更には英語やフランス語、ドイツ語といった「欧州の主要言語がすべて通じる」理想的な環境にあるため、欧州圏にビジネス展開しようとする世界企業にとっては魅力的な立地条件を有している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクの気候はケッペンの気候区分によると西岸海洋性気候に分類される。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "首都ルクセンブルクの年平均気温は、1961年から2000年の30年平均値で8.6 °C。月別平均気温が最も低くなるのは1月 (0.2 °C)、最も高くなるのは7月 (17.2 °C)である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "年間降水量は847.7 mm。図からも分かるように月別降水量の年間における変化に乏しい。最も降水量が少ないのは2月 (59.6 mm)、最も多いのは11月 (79.3 mm)である。どの月においても降水が観測された日が過半数を占める。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "相対湿度が最も低くなるのは4月から6月にかけてであり、73%である。最も高い月は12月 (90%)。年平均値は81%である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "12つのカントン(フランス語: Canton、ドイツ語: Kantone、ルクセンブルク語: Kantonen)と102の基礎自治体(フランス語: Commune コミューン、ドイツ語: Gemeinde ゲマインデ、ルクセンブルク語: Gemeinde)の2層構造から成り立つ。ただしカントンには行政機能がない。", "title": "地方行政区分" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2015年まではカントンの上位区分として広域行政区が設置されていた。", "title": "地方行政区分" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "欧州連合統計局(ユーロスタット)の調査によると、平均所得は平均的なヨーロッパ人の2.5倍である。ルクセンブルクの世帯の平均資産は57万ユーロであり、外国人居住者はかなり裕福になる傾向がある。しかし、これは少数の外国人の場合である。これは、最大の外国人コミュニティであるポルトガルが、平均的な外国人の富にほとんど貢献していないためである。2022年1月のルクセンブルクの購買力水準は、日本の約113%(ドイツ:日本の約94%)である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクはリヒテンシュタインとモナコの公国を除いて、一人当たりの国内総生産は世界で最も高い。2009年以内にルクセンブルク経済で生産され、最終消費に役立つすべての商品とサービスの総額は、一人当たり104,512米ドルである。これにより、ルクセンブルクはこのランキングでノルウェー(79,085米ドル)、スイス(67,560米ドル)を大きく上回っている。ルクセンブルク市の国内総生産はEU平均の213パーセントである。唯一のグレーターロンドン(315パーセント)とブリュッセル首都地域(234パーセント)はより高い値を持っている。グローバル競争力指数、国の競争力を測定し、ルクセンブルグは、137カ国(2017年から2018年)のうち、19位にランクされた。経済的自由のための指標は2017年に180カ国の14位にランク付けされた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1965年のビジネス・ウィーク誌によると、ミューチュアル・ファンドの巨人ジョン・テンプルトンとその共同経営者ウィリアム・ダロムスは、Investors Overseas Services ルクセンブルク保険のファイナンスを手がけた腕を買われてIOS のパートナーとなり、バーニー・コーンフェルドもテンプルトンのレキシントン・リサーチ・アンド・マネジメントの株式をIOSと個人名義で保有した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "最近では1MDB をめぐる汚職事件と関係して、実業家のカデム・アル・クバイシ(英語版)が、パナマ文書に載っているオフショア会社を経由し、ジュネーヴに本店があるエドムンド・ド・ロスチャイルド銀行のルクセンブルク支店で口座を開設した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクはタックス・ヘイヴンの1つとしてよく知られており、GNIとGDPの差は途方もなく大きい。ルクセンブルクのような主要な一人当たり名目GDP上位国の多くはタックス・ヘイヴンであることに注意する必要がある。それらの国のGDPデータは、外国の多国籍企業のタックス・プランニング活動によって大きく歪められている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "これに対処するために、2017年にタックス・ヘイヴンでもあるアイルランドの中央銀行はより適切な統計として「修正GNI」(またはGNI*)を作成し、OECDとIMFはアイルランドのためにこれを採用した。したがって、購買平価説に基づく2020年のルクセンブルクの一人当たり実質GNIは、カタール、シンガポールに次いで世界第3位を維持しているが、ドイツやイギリス、日本などの先進国の首都と同程度に過ぎないと言える。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "IMFの統計によると、2015年のルクセンブルクのGDPは578億ドルであり、2013年度における日本の岐阜県の経済規模とほぼ同じである。1992年以降、一人当たりのGDPは世界首位の座を保っている。ただし、購買力平価ベース では、2000年代中盤を境にカタールに追い抜かれ、第2位に甘んじている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクの経済成長率は毎年4 - 5%の範囲で推移(2007年度以降は鈍化)しており、先進国としては例外的に高い経済成長を維持し続けていたが、2008年に起こった世界経済危機の影響を受け、2009年にはマイナス成長に転じた。翌年には持ち直したものの、2012年にはユーロ危機によって再びマイナス成長となった。ただし2016年現在は以前の状態に回復している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "GDP比で特徴的なのは対外債務であり、GDPの67倍となり極めて高い水準にある。(2017年6月末現在)(国別外債残高の一覧)。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクは先進国の中でも特に税率が低い国であり、数多くの国外企業を誘致することに成功している。近年ではインターネット関連企業の誘致に力を注いでおり、スカイプやeBay、Appleなどを筆頭として数多くのインターネット関連企業が本社機能を移転している。ただし、本社機能を完全移転したスカイプ社のような事例は稀であり、その大半は欧州本社である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "日本企業としては、ファナック、楽天などが欧州本社を置いている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、その税負担の軽さから、EUやOECD(またはG20)などに事実上のタックス・ヘイヴンとみなされ、強い非難を浴びてきた。近年までは一連の非難に対して強気の姿勢を崩さなかった。典型的な福祉国家ではないのにもかかわらず、概して失業率が良好に推移しており、国内の所得格差が北欧諸国並みに小さい。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "とはいえリーマンショックに端を発する世界恐慌以降は、国際的な金融規制の流れを受けて税率改正の動きを見せはじめている。その一環として 2010年1月25日、租税条約改正について日本政府と合意した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクに関連する統計のほとんどは、2倍から0.5倍までの誤差が生じる。この理由は、ルクセンブルク大公国の全従業員の約半数がフランスやベルギー、ドイツなど国境を越えた通勤者であり、したがって非居住者は、居住者と一緒にルクセンブルクで国民総生産を生み出し、同じ税金と社会保障負担金を支払うためである。結果として、そのような場合、誤差が得られる。国民総生産や一人当たりの購買力などでは、半分だけ、つまり居住者が考慮され、残りの半分、つまり国境を越えた通勤者は考慮されない。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ユーロスタットは2009年12月15日に報告した:", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "「2008年、購買力基準(PPS)で表されるルクセンブルクの一人当たりGDPは、EU27平均の2.5倍以上でしたが、アイルランドとオランダは約3分の1でした。オーストリア、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、イギリス、ベルギーは、EU27の平均を15%から25%上回っていた。 \"", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "国内総生産人口の頭あたりは、国際比較を可能にするために、電力基準を購入するには測定されずにの違い価格水準。ルクセンブルクの場合、労働力の大部分が国の付加価値に貢献しているものの、非居住者としての商の分母には含まれていないため、この商は偏っている。2009年には、国内の335,700人の従業員のうち、188,300人だけが国内に住んでおり、残りの147,400人は国外の国境を越えた通勤者として暮らしていた。別の理由で、この比率は、ルクセンブルクの人口の実際の生活水準についての声明を出すために限られた用途にすぎない。国内総生産には、総投資(生産手段、政府サービスなど)などの支出が含まれる。個人世帯の消費に直接関係しない。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "より現実的な状況は、州ではなく経済地域に関連する人口統計の1人当たりGDPの比較から得られる。この統計的比較を行っても、通勤者の生産性は経済センターに割り当てられているため、通勤者の流れは状況によって誤差が生じる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "毎年1月1日、公式統計サービスは、ルクセンブルク企業の年間在庫をアルファベット順に公開し、経済セクター別に並べ替えている。ルクセンブルグのアメリカ商工会議所は、米国企業とルクセンブルグ経済の架け橋を築こうとする自主的な組織である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2008年の秋、世界中の多くの先進国で経済危機が始まった。それは2007年からの金融危機によって引き起こされたか引き起こされった。多くのEU諸国は、銀行の破綻を回避するために銀行部門に数十億ユーロを投入したため、この経済危機はユーロ圏のソブリン債務危機を悪化させた。危機は、ルクセンブルク経済が金融セクターにどれだけ依存しているかを示している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクには多種多様な産業が発達している。大規模に外資を投下された民間企業による経済活動は極めて盛んである。このことは重工業と金融にあてはまる。他にも、空路や道路などの交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるほか、国内には保税倉庫も多いなど欧州における物流の要所である。また、国策として情報通信分野における産業振興を図った結果、ヨーロッパにおける情報通信産業(放送メディア産業)の中核を担うことになった。ベルテルスマンのRTLグループ買収は一例である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "高度に発達した工業と豊かな自然(特に田園風景)とが共存しており、観光業(近年ではエコツーリズム)も盛んである。その自然の豊かさから「欧州における緑の中心地(Green heart of Europe)」と称されることもあり、上海万博におけるルクセンブルク・パビリオンの標語としても採用されている。食品産業は全般的に低調である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "中立化以前のルクセンブルクは農業国であった。20世紀初頭からベルギーから外資が投下された。外資の出所はドイツやフランスといった欧州の強国であった。ルクセンブルクが普仏関係の緩衝地帯というのは軍事面でのことであって、経済戦争においては前線であった。次第にベルギー鉄鋼業がルクセンブルクに延長してきた。1926年の鉄鋼カルテル(Entente internationale de l'acier)は欧州石炭鉄鋼共同体の原型となった。第二次世界大戦後、アンリ・J・レイル(Henry J. Leir)がグッドイヤー、デュポン、モンサントなどを誘致した。1960年代よりアルセロールなどがルクセンブルクの経済を牽引した。およそ十年後にオイルショックがベルギーごとルクセンブルクの鉄鋼業に再編を迫った。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "2006年、インドに本拠地を置くミタルスチール社がアルセロールを買収した。この事件は国内鉄鋼業の衰退を象徴したが、しかし合併後(アルセロール・ミッタル)も依然として同国に本社を置いている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "製造業としては、化学や繊維、自動車部品、プラスチック・ゴムといった分野でも実績があるが、いずれも鉄鋼業ほどの影響力はない。隣国ベルギー(アントウェルペン市)がダイヤモンド取引の中心地であるため、ルクセンブルクにもダイヤモンド加工産業が根付いているが、ベルギーほど加工技術は高くないとされる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "他に特筆すべき工業製品としては高級食器が挙げられよう。ビレロイ&ボッホがルクセンブルク(オーストリア大公国領時代)に工場を置き、ハプスブルク家の御用達となったことから世界的に名声が広まった。ルクセンブルク工場が製造する陶磁製食器は、現在でも世界的に高い評価を受けている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2016年現在では金融サービス業をはじめとする第三次産業がGDPの約88%を占めるようになった。ユーロ圏におけるプライベート・バンキングの中心地であり、世界的に見てもスイス(非EU加盟国)に匹敵する規模を誇る。そんな金融機関を束ねる国際決済機関のクリアストリームは、ルクセンブルクの繁栄を象徴している。また、欧州圏における再保険分野の中心地でもある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "こうした金融セクターは(およそ30万人の労働人口に対して)7万人近い雇用を生み出し続けており、労働人口全体のおよそ5分の1を構成していることになる。一方、ルクセンブルク・リークスで明らかとなったような脱法が目立つ。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "また、国内には欧州投資銀行やユーロスタット、欧州会計監査院といった欧州連合における金融関連機関が集中しており、ユーロ圏における金融センターとしての地位を不動のものとしている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクは情報通信分野(放送メディア産業)の産業振興に力を入れてきた。結果として、現在はRTLグループとSES S.A.の二大メディア複合体を擁し、欧州における同分野の中核を担っている。RTLグループは欧州随一の規模を誇る放送メディアの企業複合体であり、SES S.A.は欧州のみならず世界有数の規模を誇る衛星放送事業者。特に後者は国策企業を前身とし、現在では世界最多(41機)の放送衛星を運用する民間企業である。欧州最大の商業通信衛星群 ASTRAシリーズは、子会社のSES アストラによって運用されている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "金融サービスに関連して電子商取引の重要性にいち早く注目し、2000年8月に世界に先駆けて電子商取引の関連法を制定した。同様に電子商取引の安全性を保証する仕組みとして電子認証機関 ルクストラスト を官民共同プロジェクトとして設立し、官民を問わず広く利用を促している。続いて2009年には、欧州最大規模の商用インターネット相互接続ポイント「ルシックス」が設立された。ちなみに、国内全域において光ファイバーによる高速回線が利用可能である。近年では、首都ルクセンブルク市および第二都市エシュ=シュル=アルゼットの一帯で Wi-Fiによる高速無線通信も利用可能になった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "他分野と比べると第一次産業が見劣りすることは否めないが、モーゼル川流域は古代ローマ時代からワインの生産が盛んな地域 であり、良質な辛口の白ワインを産出することで知られている。ただしドイツやフランスとは異なり国内生産量は15,000kl/年と小規模であるため、輸出されることは少なく希少性が高い(一般的にモーゼルワインと言えばドイツ産が有名)。ちなみに、葡萄の主要品種はリースリングやゲヴュルツトラミネール、ピノ・グリなど。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "農業が吸収する労働人口は全体の1%前後とされる。農家の大部分は家族経営の小規模な自作農であり、耕作と畜産の混合農業が一般的。有機農法を用いた農地に政府助成金が支給される仕組みとなっているため、政府認証を受けた農地のほぼ100%が有機農法を行っている。また、農業関係者の遺伝子組み換え食品に対する拒否感は強い。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "隣国ベルギー同様にチョコレート菓子が有名で、特に有名な「オーバーワイス」は王家御用達である。また、飲食店の格付け冊子として著名なミシュランガイドにおいて国民一人あたりの星の数が世界一という実績から、「美食の国」として誉れ高い隣国ベルギー同様、グルメ観光を目的とした旅行客も少なくない。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "大国に翻弄されながらも独立を維持してきたルクセンブルクは、その歴史を偲ばせる建造物が国内各所に点在している。特に首都の旧市街は世界遺産に登録されており、観光地として人気がある。しかし観光客は近隣諸国から来てすぐ帰ってしまう。実際にベルギーからの日帰り客が少なくない。そのため、観光客をいかに長期滞在させるかが観光業の課題となっており、近年では豊かな自然を生かしたエコツーリズムに力点が置かれている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "エコツーリズムをメインとする観光地としては、鬱蒼とした森が広がるアルデンヌ地方や「小スイス」と称されるミュラータール、モーデル川沿いの丘陵地帯(ワイン観光)などが挙げられる。鉄鋼業の中心地である南部(エシュ=シュル=アルゼット)には豊かな自然に加え、かつて鉄鉱石を運んだSL鉄道 をはじめする産業遺産が残されている。この地域は岩石が鉄分を含むために赤味を帯び、通称「赤岩の地(land of red rocks)」とも呼ばれる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "また、小国ながら自転車競技では世界レベルの実力を誇る国だけあって自転車ロードレースの国際大会(ツール・ド・ルクセンブルク)が毎年開催されており、大会期間中は観戦客で大いに賑わう。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "近年、道路網が大幅に近代化され、隣接国への高速道路が整備されていることから欧州内においてインフラの発展が目覚しくなっている国々の一つに数え上げられる。なお、高速道路は最高130キロである。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "航空 首都ルクセンブルク市ルクセンブルク=フィンデル空港を本拠地とするルクスエアがあり、子会社に世界的に就航し日本にも乗り入れている(成田国際空港と小松空港)、老舗航空貨物大手カーゴルックスがある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "住民はケルト人、ゲルマン人などの混血が主である。外国人の割合は高く、3分の1程度である。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "主な外国人は、2016年現在、ポルトガル人(36%)、フランス人(15%)、イタリア人(8%)、ベルギー人(7%)である。神聖ローマ(ドイツ)帝国から分離した歴史上ドイツ系の国民と見なすことができるがフランスの影響も強く、ドイツ語系の方言を古い母語としながら公的にはフランス語が主流となっている点では、フランスのアルザス地方と相似している。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクでは、フランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語の3つが公用語とされている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "フランス語は7歳から教育が始まり、行政と法律の言語として使われている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "学校においては、小学校から中学校まではドイツ語とフランス語で授業が行われるが、高等学校では、ドイツ語のみが使われている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2018年の調査によると、仕事においては、98%の人々がフランス語、80%の人々が英語、78%の人々がドイツ語、77%の人々がルクセンブルク語を、コミュニケーションのための言語として話す。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ラジオやテレビでは、ルクセンブルク語が最も使われているが、局によってはフランス語やイタリア語、ポルトガル語などと、様々である。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "新聞では、ルクセンブルクにおける書き言葉として使われているフランス語が主流ではあるが、新聞会社によってはドイツ語がフランス語の次に使われる。また、ここ数年では英語による出版も少なくない。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "家庭内、友人間、近郊ではルクセンブルク語が現地人の言葉として使われ、また、カトリック教会の典礼言語としても使用されている。ルクセンブルク語は中部ドイツ語の一派であり、標準ドイツ語との距離も近いため、テレビや映画など報道関係分野ではドイツ語が多用される。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "その他、街やレストランなどでは英語のみならず、ポルトガル語やイタリア語などを耳にする機会も多い。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "英語は、空港やホテルなどではほぼ問題なく通用するが、バスの運転手や小さな商店などでは通用しないことがあるため、多くの人々が話すことができるフランス語やドイツ語を代わりに用いてコミュニケーションを取ることが多い。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "婚姻の際、法的な姓が変更されることはない。なお、氏名の変更は可能である。2014年より、同性婚も可能となった。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "宗教はローマ・カトリックが87%、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教などが13%である。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "義務教育は4歳から16歳まで。ほとんどの学校は国によって管理されており、無料となっている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "高等教育については、ルクセンブルク大学がこの国における唯一の大学である。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "当然のことながら、ルクセンブルクでは児童ポルノ(所持を含む)は違法である。しかし未だに問題となっているのは、「児童ポルノ」の明確な定義がないため、高度に性的な子供の写真が完全に合法とみなされる場合もあること。また、法律は非実在児童ポルノの合法性について言及していない。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクは伝統的に諸外国から多くの移民を受け入れており、2015年現在のデータでは人口の45.3%が外国出身である。この割合は欧州連合の中でも突出したものであり、世界の中でもルクセンブルクを越える国は多くない。ただし、ルクセンブルクの場合は近隣諸国(同じ言語圏)からの移民も少なくないため、多言語国家であっても、米国のような多民族国家とは言い難い。そもそも、ルクセンブルクに外国出身者が多いのは、同国が(ユーロ圏で唯一)二重国籍を認めていなかったために過ぎず、在住する外国人の多くはドイツ、ベルギー、フランスの近隣諸国からの越境者である(東京と近隣県の関係に近い)。実際、労働人口のおよそ半数が隣国から越境通勤してくる「コミューター」とされる。ちなみに、こうした越境労働者が多いことが一人当たりのGDPを引き上げる要因となっている。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "また、好調な経済に惹かれてやって来たアフリカや中東、南米などから来た不法移民(不法滞在者)も多いとされるが、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得していない限りは存在しないものとされ、正確な統計情報も存在しない(発覚した場合は国外追放)。もっとも、シェンゲン協定の締結以後、周辺国(現在では欧州のほぼ全域)との往来が自由になっているため、ルクセンブルクを目的地とした不法移民なのかどうかを判断するのは困難である。ちなみに、在留資格がなくとも現地での被雇用を条件に長期滞在許可が下りる(ただし、これは主に難民に対する処置)。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "また、ルクセンブルクにおける外国出身者の失業率は他の欧州各国と比較して低く、外国人に対する差別意識もさほど強くない上、前述の通り寛容な移民政策を採用していることから、不法滞在の目的は何らかの非合法活動に従事する場合に限られる。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクのアジア人労働者(主に中国系を代表とする不法移民)に対する歓迎度は、欧州連合の平均をわずかに上回っている。2019年5月、欧州連合の人々の約21%がアジア人との仕事に不快感を覚え、約32%が「自分の子供がアジア人と恋愛関係になった場合、自分は不快感を覚える」と報告した。対照的に、ルクセンブルク人の約12%が、アジア人との仕事に不快感を示し、自分の子供がアジア人を愛するようになると自分は不快感を覚えると訴えたのは約19%だった。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクの治安は近隣諸国に比べ比較的良いと言われているが、上記の項でも挙げられている様に小国であり近隣諸国との行き来が容易ということは即ち、国外から犯罪者集団などが流入することも容易であると言える。その為、同国滞在中は軽犯罪から常に身の安全を確保出来るように努める必要性が高くなることを留意しなければならない。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "特に、薬物犯罪(英語版)が問題となっている他、近隣諸国からの犯罪集団など(特に財産犯(窃盗や詐欺など))の流入も容易である点から細心の注意が必要とされている。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "同国警察当局による喫緊の統計では、2018年の刑法犯認知件数は37,288件(前年比1.5%増)であり、2019年も同年11月現在でこれを下回る数値で推移しており、現時点での治安情勢は比較的良好であるといえる。また2018年は罪種別にみると、殺人や傷害、強姦などの人身犯が全ての罪種で減少している。その一方で財産犯の発生件数は犯罪発生総数の約6割強を占めており、一部に悪化の傾向が見受けられる。傍らでひったくりや器物損壊といった犯罪は減少しているが、侵入窃盗が202件、自動車盗を含む車上狙いが144件増加している。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクを代表する彫刻家にクラウス・シト(英語版)が挙げられる。彼は戦争記念施設の彫像を始めとした数々の作品を世に遺している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクにおける写真家で代表される人物の一人はパトリック・ガルバット(英語版)である。彼はフォトジャーナリストとしても活動している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクにおける建築文化は、紀元前1世紀に繁栄したとされるケルト族の一団であるトレウェリ族(英語版)の文化にまで遡ることが出来る。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ルクセンブルク国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、記憶遺産が1件、無形文化遺産が1件存在する。ルクセンブルクは、もともと丘の上に築かれた城を中心に発展した小国だが、その城と市街が、「ルクセンブルク:その古い街並みと要塞群」として、1994年に登録された。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "クレルヴォー市にある城の展示室に常設展示されている、ルクセンブルク出身の世界的な写真家エドワード・スタイケンが1955年にニューヨーク近代美術館で企画した「ザ・ファミリー・オブ・マン」展は、世界記憶遺産に2003年に登録。エシュテルナッハ市で中世から続く「踊りの行進(ダンシング・プロセッション)」は世界無形文化遺産に2010年に登録された。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ルクセンブルクにおけるサッカーの歴史は古く、今から110年以上前の1910年にサッカーリーグの『ルクセンブルク・ナショナルディビジョン』が創設された。リーグは14クラブから構成されており、ASジュネス・エシュが最多28度の優勝を飾っている。また、日本との関係ではサッカールクセンブルク代表のジェルソン・ロドリゲスが、2019年にJリーグのジュビロ磐田に在籍していた事でも知られる。", "title": "スポーツ" } ]
ルクセンブルク大公国、通称ルクセンブルクは、西ヨーロッパに位置する立憲君主制国家である。議院内閣制の大公国。首都はルクセンブルク市。 南はフランス、西と北はベルギー、東はドイツに隣接している。また、ベルギー、オランダの2か国とあわせてベネルクスとも呼ばれる。
{{Otheruses}} {{Redirect|ルクセンブルグ|競走馬|ルクセンブルグ (競走馬)}} {{基礎情報 国 |略名 = ルクセンブルク |日本語国名 = ルクセンブルク大公国 |公式国名 = <small>{{Lang|fr|'''Grand-Duché de Luxembourg'''}}(フランス語)<br />{{Lang|de|'''Großherzogtum Luxemburg'''}}(ドイツ語)<br />{{Lang|lb|'''Groussherzogtum Lëtzebuerg'''}}(ルクセンブルク語)</small> |国旗画像 = Flag of Luxembourg.svg |国章画像 = [[ファイル:Coat of arms of Luxembourg.svg|85px|ルクセンブルクの国章]] |国章リンク = ([[ルクセンブルクの国章|国章]]) |標語 = {{Lang|lb|''Mir wëlle bleiwe wat mir sinn''}}<br />(ルクセンブルク語:我々は今ある状態を保ちたい(我々は独立していたい)) |国歌 = [[ルクセンブルクの国歌|{{lang|lb|Uelzecht}}]]{{lb icon}}<br>''我が母国''{{center|[[File:Luxembourg National Anthem.ogg]]}} |位置画像 = EU-Luxembourg.svg |公用語 = [[ルクセンブルク語]]、[[ドイツ語]]、[[フランス語]]([[ルクセンブルク・フランス語]]) |首都 = [[ルクセンブルク市]] |最大都市 = ルクセンブルク市 |元首等肩書 = [[ルクセンブルク大公|大公]] |元首等氏名 = [[アンリ (ルクセンブルク大公)|アンリ]] |首相等肩書 = [[ルクセンブルクの首相|首相]] |首相等氏名 = {{ill2|リュック・フリーデン|en|Luc Frieden}} |他元首等肩書1 = [[w:List of deputy prime ministers of Luxembourg|副首相]] |他元首等氏名1 = [[グザヴィエ・ベッテル]] |面積順位 = 168 |面積大きさ = 1 E9 |面積値 = 2,586 |水面積率 = 極僅か |人口統計年 = 2020 |人口順位 = 164 |人口大きさ = 1 E5 |人口値 = 62万6000<ref name=population>{{Cite web |url=http://data.un.org/en/iso/lu.html |title=UNdata |publisher=国連 |accessdate=2021-11-6}}</ref> |人口密度値 = 241.7<ref name=population/> |GDP統計年元 = 2020 |GDP値元 = 641億4300万<ref name="economy">[https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2021/October/weo-report?c=137,&s=NGDP_R,NGDP_RPCH,NGDP,NGDPD,PPPGDP,NGDP_D,NGDPRPC,NGDPRPPPPC,NGDPPC,NGDPDPC,PPPPC,NGAP_NPGDP,PPPSH,PPPEX,NID_NGDP,NGSD_NGDP,PCPI,PCPIPCH,PCPIE,PCPIEPCH,TM_RPCH,TMG_RPCH,TX_RPCH,TXG_RPCH,LUR,LE,LP,GGR,GGR_NGDP,GGX,GGX_NGDP,GGXCNL,GGXCNL_NGDP,GGSB,GGSB_NPGDP,GGXONLB,GGXONLB_NGDP,GGXWDN,GGXWDN_NGDP,GGXWDG,GGXWDG_NGDP,NGDP_FY,BCA,BCA_NGDPD,&sy=2019&ey=2026&ssm=0&scsm=1&scc=0&ssd=1&ssc=0&sic=0&sort=country&ds=.&br=1 IMF Data and Statistics] 2021年11月6日閲覧</ref> |GDP統計年MER = 2020 |GDP順位MER = 68 |GDP値MER = 732億500万<ref name="economy" /> |GDP MER/人 = 116,921.110<ref name="economy" /> |GDP統計年 = 2020 |GDP順位 = 102 |GDP値 = 738億7000万<ref name="economy" /> |GDP/人 = 117,983.511<ref name="economy" /> |建国形態 = |確立形態1 = [[フランス帝国]]より |確立年月日1 = [[1815年]][[6月9日]] |確立形態2 = [[ベルギー独立革命|ベルギーに編入]] |確立年月日2 = [[1830年]][[10月16日]] |確立形態3 = [[ロンドン条約 (1839年)|オランダより独立]] |確立年月日3 = [[1839年]][[4月19日]] |確立形態4 = [[ロンドン条約 (1867年)|オランダと同君連合]] |確立年月日4 = [[1867年]][[5月11日]] |確立形態5 = オランダとの同君連合解消 |確立年月日5 = [[1890年]][[11月23日]] |通貨 = [[ユーロ]](&#8364;) |通貨コード = EUR |通貨追記 = <ref group="注釈">[[1999年]]以前の通貨は[[ルクセンブルク・フラン]]。</ref><ref group="注釈">[[ルクセンブルクのユーロ硬貨]]も参照。</ref> |時間帯 = +1 |夏時間 = +2 |ISO 3166-1 = LU / LUX |ccTLD = [[.lu]] |国際電話番号 = 352 |注記 = <references /> }} '''ルクセンブルク大公国'''(ルクセンブルクたいこうこく、{{Lang-fr-short|Grand-Duché de Luxembourg}}、{{Lang-de-short|Großherzogtum Luxemburg}}、{{Lang-lb|Groussherzogtum Lëtzebuerg}})、通称'''ルクセンブルク'''は、[[西ヨーロッパ]]に位置する[[立憲君主制]][[国家]]である<ref>{{Cite web|和書|title=ルクセンブルク基礎データ |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/luxembourg/data.html |website=Ministry of Foreign Affairs of Japan |access-date=2023-02-11 |language=ja}}</ref>。[[議院内閣制]]の[[大公国]]。首都は[[ルクセンブルク市]]。 南は[[フランス]]、西と北は[[ベルギー]]、東は[[ドイツ]]に隣接している。また、ベルギー、[[オランダ]]の2か国とあわせて'''[[ベネルクス]]'''とも呼ばれる。 == 国名 == 正式名称は以下のとおりである。 *[[フランス語]]: {{Lang|fr|Grand-Duché de Luxembourg}}(グラン=デュシェ・ドゥ・リュクサンブール) *[[ドイツ語]]: {{Lang|de|Großherzogtum Luxemburg}}(グロースヘアツォークトゥム・ルクセンブルク) *[[ルクセンブルク語]]: {{Lang|lb|Groussherzogtum Lëtzebuerg}}(グロウスヘルツォークトゥム・レツェブエシ) *[[英語]]: {{Lang|en|Grand Duchy of Luxembourg}}(グランド・ダチィ・オヴ・ラクセンバーグ)通称・形容詞ともLuxembourg、国民はLuxembourger。 *[[日本語]]: 一般的な表記は'''ルクセンブルク大公国'''、通称'''ルクセンブルク'''。[[外務省]]もこの表記を用いている。これはドイツ語読みに由来するものである。'''ルクセンブルグ'''と表記されることもあるが、ドイツ語規則に従えばルクセンブルクの方が近い。フランス語読みの'''リュクサンブール'''と表記されることもある。[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は'''盧森堡'''。 == 歴史 == {{Main|ルクセンブルクの歴史}} かつてのルクセンブルクは、今よりも広大な面積を有していた。1650年以降、ルクセンブルクは3度分割された。最初の分割は、1659年のピレネー条約で行われた。この条約により、ルクセンブルクの南部がフランスに占領された。2回目の分割は1815年のウィーン会議で行われた。ここでは、プロイセンのライン州が北東に大きな面積を、東に小さな面積を、オランダが北に小さな面積を持つことになった。そして最後にフランスが南西の小領域を獲得した。第三次分割は1839年に行われた。ここでは、ベルギーがルクセンブルク西部の3分の2を獲得している。 [[File:LuxembourgPartitionsMap english.png|thumb|200px|ルクセンブルクの領域の変遷([[1659年]] - [[1839年]])]] [[963年]]、[[アルデンヌ家]]の[[ジークフリート (ルクセンブルク伯)|ジーゲフロイト]](Sigefroid)[[伯爵]]が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“lucilinburhuc”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してLuxemburgとなった。[[1060年]]ごろ、アルデンヌ家の分家である[[ルクセンブルク家]]に伯爵位が与えられた。14世紀から15世紀にはルクセンブルク家から[[神聖ローマ皇帝]]や[[ボヘミア]]王を出し、[[1354年]]にルクセンブルク家の皇帝[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]によって伯領から公領へ昇格された。しかしルクセンブルク家はカール4世の孫の代で断絶し、ルクセンブルク公領は抵当に入れられた後、[[1461年]]に[[ブルゴーニュ公国]]に併合された。その後、[[ネーデルラント]]一帯は[[ハプスブルク家]]領となり、ルクセンブルクは[[南ネーデルラント|ハプスブルク領ネーデルラント]]の一州として[[スペイン]]や[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]の支配を受けた。 [[フランス革命]]期にフランスの支配を受けた後、[[1815年]]に[[ウィーン会議]]の結果、[[ドイツ連邦]]に加盟しながらも[[ネーデルラント連合王国|オランダ]]国王を大公とする'''ルクセンブルク大公国'''となった。[[1830年]]の[[ベルギー独立革命]]の際にはベルギーと行動を共にし、首都ルクセンブルクを除いて、その統治下へと置かれた。[[1831年]]、ロンドン会議によって領土の西半分(現在の[[リュクサンブール州]])を[[ベルギー]]、残りの領土をオランダ国王の統治下へと帰属することが決められた([[ルクセンブルク分割|3度目の分割]])。この割譲が実現されたのは、[[1839年]]になってからである。[[1867年]]には[[ロンドン条約 (1867年)|ロンドン条約]]によって[[プロイセン王国]]とフランスの緩衝国とするため[[永世中立国]]となった。[[1890年]]、元[[ナッサウ公]]の[[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]がルクセンブルク大公となり、オランダとの[[同君連合]]を解消した。 20世紀初頭から王家が積極的に外資を誘致、労使関係が良好となった。[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]においては、[[ドイツ国]]の占領下に置かれた。後者においては、[[ベルギー国立銀行]]に預託していた資産を[[ヴィシー政権]]におさえられドイツに奪われた。第二次世界大戦後の[[1948年]]、[[ベネルクス]]間で[[関税同盟]]を結成。[[1949年]]には[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟し、82年間続いた永世中立を放棄した。[[1957年]]に[[欧州共同体|欧州経済共同体]]、[[1967年]]に[[欧州連合]]、[[1999年]]に[[ユーロ]]圏へといずれも原加盟国として参加している。[[2001年]]、[[クリアストリーム事件]]が起きた。 == 政治 == {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの政治|en|Politics of Luxembourg}}}} [[立憲君主制]]。[[国家元首]]は[[ナッサウ家|ナッサウ=ヴァイルブルク家]]が[[世襲]]する[[ルクセンブルク大公]]。2022年現在、世界で唯一の大公国である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lux-invest.or.jp/guide/trivia.html|author= ルクセンブルク経済開発局|title=日本人の知らないルクセンブルク|archiveurl=https://web.archive.org/web/20091024115725/http://www.lux-invest.or.jp/guide/trivia.html |date=2009年10月24日|archivedate=2009-10-24}}</ref>。 [[議会]]は[[代議院 (ルクセンブルク)|代議院]]による[[一院制]]。全60議席、任期5年。議員は、直接選挙で選出される。また、議会に対して助言をする国務院(コンセイユ・デタ)がある。メンバーは全21名で、[[ルクセンブルクの首相|首相]]の推薦に基づき、大公が任命する。 {{See also|{{仮リンク|ルクセンブルク憲法|en|Constitution of Luxembourg}}}} [[新自由主義]]的な経済政策を志向しているが、伝統的に労使関係が良好で[[ストライキ]]は少ない。また[[企業]]への税負担が極めて低く抑えられていることから、外国資本による大規模な[[投資]]を呼び込むことに成功してきた。 == 国際関係・外交 == {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの国際関係|en|Foreign relations of Luxembourg}}}}ルクセンブルクは周辺の国々に翻弄されてきた歴史を持つ。[[オランダ]]との[[同君連合]]を終え、独立後[[永世中立国]]となると、[[ドイツ帝国|ドイツ]]と[[フランス]]の緩衝地帯となる。 しかし[[第一次世界大戦]]などでドイツに攻めこまれた。戦後は中立を破棄し[[北大西洋条約機構|NATO]]に加盟した。{{節スタブ}} === 日本との関係 === ==== 駐日ルクセンブルク大使館 ==== {{main|駐日ルクセンブルク大使館}} <mapframe latitude="35.689736" longitude="139.737382" zoom="14" width="377" height="315" align="right" /> * 住所:東京都千代田区四番町8-9 * アクセス:[[中央・総武線]]/[[東京メトロ南北線]]/[[都営地下鉄新宿線]][[市ケ谷駅]]2番出口、もしくは[[東京メトロ有楽町線]][[麹町駅]]6番出口 <gallery> File:ルクセンブルク大使館は麹町駅6番出口.jpg|ルクセンブルク大使館は麹町駅6番出口 File:ルクセンブルク大使館が入居する建物.jpg|ルクセンブルク大使館が入居する建物 File:ルクセンブルク大使館は建物F1.jpg|ルクセンブルク大使館は建物F1 File:ルクセンブルク大使館の国章.jpg|ルクセンブルク大使館の国章 </gallery> ==== 駐ルクセンブルク日本大使館 ==== * 住所:62,Avenue de la Faïencerie, L-1510 Luxembourg * アクセス:市バス8番,30番「Henri VII」「Ermesinde」下車 徒歩1分/トラム「Faïencerie」下車 徒歩3分 === 世界の主要国との関係 === <div style="font-size: 90%"> {| class="wikitable sortable floatright" style="width:450px; border:1px black; float:right; margin-left:1em;" |+ style="background:#f99;" colspan="2"|2018年欧州委員会によるルクセンブルク人が他の主要国及び欧州連合に対する見解に関する調査<ref name=":6">{{Cite web |title=Special Eurobarometer 479: Future of Europe - Link to ebs_479_vol_A_xls.zip {{!}} European Union Open Data Portal |url=https://web.archive.org/web/20190203030408/http://data.europa.eu/euodp/en/data/dataset/S2217_90_2_479_ENG/resource/4cf980aa-212e-42f4-8330-8e09d1eb5f98 |website=web.archive.org |date=2019-02-03 |access-date=2023-11-04}}</ref><br /> !国・地域 !! <small>肯定</small> !! <small>否定</small> !! <small>どちらでもない</small>!!<small>肯定-否定</small> |- | {{flagcountry|Russia}}|| {{Percentage bar|19|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|70|c=#FF8080|width=70}} || 11 || <span style="color:red;">-51</span> |- | {{flagcountry|People's Republic of China}}|| {{Percentage bar|24|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|64|c=#FF8080|width=70}} || 12 || <span style="color:red;">-40</span> |- | {{flagcountry|United States}}|| {{Percentage bar|28|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|65|c=#FF8080|width=70}} || 7 || <span style="color:red;">-37</span> |- | {{flagcountry|UK}}|| {{Percentage bar|46|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|45|c=#FF8080|width=70}} || 9 || <span style="color:green;">1</span> |- | {{flagcountry|Japan}}|| {{Percentage bar|63|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|24|c=#FF8080|width=70}} || 13 || <span style="color:green;">39</span> |- | {{flagcountry|France}}|| {{Percentage bar|70|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|25|c=#FF8080|width=70}} || 5 || <span style="color:green;">45</span> |- | {{flagcountry|Germany}}|| {{Percentage bar|81|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|15|c=#FF8080|width=70}} || 4 || <span style="color:green;">66</span> |- | {{flagcountry|European Union}}|| {{Percentage bar|89|c=#80FF80|width=70}} || {{Percentage bar|7|c=#FF8080|width=70}} || 4 || <span style="color:green;">82</span> |}</div> 日本では想像しにくいが、2018年の欧州委員会の調査によると、欧州連合(EU)の人々の対米観は否定的な意見が肯定的な意見を上回っている。ルクセンブルクの対米肯定的見解も28%にとどまり、否定的見解の65%を下回っている。ロシア、中国、米国に対する否定的な見方とは対照的に、ルクセンブルクの人々は日本、フランス、ドイツに対して肯定的な見方をしている<ref name=":6" />。 == 軍事 == {{Main|ルクセンブルクの軍事}} [[ルクセンブルクの軍事]]は、現状必要最低限のものである。戦力は陸軍のみであり、総兵力は4個中隊、約1,150名<ref>{{Cite web |title=L'armée luxembourgeoise |url=http://armee.public.lu/fr/armee-luxembourgeoise.html |website=armee.public.lu |access-date=2023-04-30 |language=fr}}</ref>。空軍・海軍はない。1967年から完全志願制になった。1948年に[[ブリュッセル条約 (1948年)|ブリュッセル条約]]、1949年には[[北大西洋条約]]を締結し、[[北大西洋条約機構]](NATO)に加盟し、[[欧州合同軍]]にも兵力を提供している。 == 地理 == [[ファイル:Lu-map-JA.png|thumb|right|240px|ルクセンブルクの地図]] {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの地理|en|Geography of Luxembourg}}}} 国土は南北82km、東西57{{nbsp}}kmにわたって広がる。[[神奈川県]]や[[佐賀県]]、[[沖縄県]]程度の広さの国土に、人口は60万人強<ref group="注釈">神奈川県は約870万人、沖縄県は約140万人(うち[[沖縄本島]]の人口が110万人程度)、佐賀県は約87万人。</ref>。 国土の大部分には丘と低い山地が広がる。首都ルクセンブルクの標高は379{{nbsp}}m。最高地点は同国北端に近い[[クナイフ]]の丘 (560{{nbsp}}m)。[[ローマ帝国]]時代から、[[街道]]が交わる重要拠点であった。北部はベルギーから続く[[アルデンヌ高原]]、南部はフランスから続くロレーヌ台地。東側のドイツとの国境は、[[モーゼル川]]が流れる。 ルクセンブルクは地理的に欧州の中心に位置している。その意味では[[ブリュッセル]]や[[ストラスブール]]と並ぶ世界都市である。 [[道路]]や空路(航空貨物大手の[[カーゴルックス航空]]が本拠地を置く)といった交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるだけではなく、[[オランダ]](国際的な[[海運業]]の中核)を近隣国とする「欧州における物流の要所」である。更には[[英語]]や[[フランス語]]、[[ドイツ語]]といった「欧州の主要言語がすべて通じる」理想的な環境にあるため、欧州圏にビジネス展開しようとする世界企業にとっては魅力的な立地条件を有している。 [[ファイル:Luxembourg City climate.PNG|thumb|200px|ルクセンブルクの月別最高気温(赤)、最低気温(青)、降水量(棒グラフ)<br />出典:BBC Weather<!-- 統計の基準となった年度は不明-->]] <!-- 以下の気象情報の出典は理科年表 1998年版である。観測地点番号は23。 --> ルクセンブルクの気候は[[ケッペンの気候区分]]によると[[西岸海洋性気候]]に分類される。 首都ルクセンブルクの年平均気温は、[[1961年]]から[[2000年]]の30年平均値で8.6{{nbsp}}°C。月別平均気温が最も低くなるのは1月 (0.2{{nbsp}}°C)、最も高くなるのは7月 (17.2{{nbsp}}°C)である。 年間降水量は847.7&nbsp;mm。図からも分かるように月別降水量の年間における変化に乏しい。最も降水量が少ないのは2月 (59.6&nbsp;mm)、最も多いのは11月 (79.3&nbsp;mm)である。どの月においても降水が観測された日が過半数を占める。 相対湿度が最も低くなるのは4月から6月にかけてであり、73%である。最も高い月は12月 (90%)。年平均値は81%である。 {{Clear}} == 地方行政区分 == {{Main|ルクセンブルクの地方行政区画}} 12つのカントン({{lang-fr|Canton}}、{{lang-de|Kantone}}、{{lang-lb|Kantonen}})と102の基礎自治体({{lang-fr|Commune}} ''[[コミューン]]''、{{lang-de|Gemeinde}} ''[[ゲマインデ]]''、{{lang-lb|Gemeinde}})の2層構造から成り立つ。ただしカントンには行政機能がない<ref>{{Cite web |url=https://luxembourg.public.lu/en/society-and-culture/territoire-et-climat/territoire.html |title=LUXEMBOURG'S TERRITORY |publisher=luxembourg.public.lu |accessdate=2020-02-26}} {{en icon}}</ref>。 2015年まではカントンの上位区分として広域行政区が設置されていた。 == 経済 == {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの経済|en|Economy of Luxembourg}}}} [[ユーロスタット|欧州連合統計局]](ユーロスタット)の調査によると、平均所得は平均的な[[ヨーロッパ|ヨーロッパ人]]の2.5倍である<ref name=":0">{{Cite news|title=Ranking: Luxemburger sind die reichsten EU-Bürger|url=https://www.welt.de/wirtschaft/article3997532/Luxemburger-sind-die-reichsten-EU-Buerger.html|work=DIE WELT|date=2009-06-25|accessdate=2021-12-18|language=de|last=WELT}}</ref>。ルクセンブルクの[[世帯]]の平均資産は57万[[ユーロ]]であり、外国人居住者はかなり裕福になる傾向がある。しかし、これは少数の外国人の場合である。これは、最大の外国人コミュニティであるポルトガルが、平均的な外国人の富にほとんど貢献していないためである<ref>{{Cite web|title=Wort.lu - Luxembourgish not the richest|url=https://archive.ph/czN8x|website=archive.ph|date=2013-02-19|accessdate=2021-12-18}}</ref>。2022年1月のルクセンブルクの[[購買力平価説|購買力水準]]は、日本の約113%(ドイツ:日本の約94%)である<ref>{{Cite web |title=Monthly comparative price levels |url=https://stats.oecd.org/Index.aspx?DataSetCode=CPL |website=stats.oecd.org |accessdate=2022-03-15}}</ref>。 ルクセンブルクは[[リヒテンシュタイン]]と[[モナコ]]の公国を除いて、一人当たりの国内総生産は世界で最も高い。2009年以内にルクセンブルク経済で生産され、最終消費に役立つすべての商品とサービスの総額は、一人当たり104,512米ドルである。これにより、ルクセンブルクはこのランキングでノルウェー(79,085米ドル)、スイス(67,560米ドル)を大きく上回っている。ルクセンブルク市の国内総生産はEU平均の213パーセントである。唯一のグレーターロンドン(315パーセント)とブリュッセル首都地域(234パーセント)はより高い値を持っている。グローバル競争力指数、国の競争力を測定し、ルクセンブルグは、137カ国(2017年から2018年)のうち、19位にランクされた<ref>{{Cite web|title=At a Glance: Global Competitiveness Index 2017–2018 Rankings|url=http://wef.ch/2wbX4oX|website=Global Competitiveness Index 2017-2018|accessdate=2021-12-18|language=en-US}}</ref>。経済的自由のための指標は2017年に180カ国の14位にランク付けされた<ref>{{Cite web|title=Country Rankings: World & Global Economy Rankings on Economic Freedom|url=https://www.heritage.org/index/ranking|website=www.heritage.org|accessdate=2021-12-18|language=en}}</ref>。 1965年のビジネス・ウィーク誌によると<ref>"Lexington's key men, John Templeton and William Damroth, are stockholders in IOS by virtue of helping to finance IOS Luxembourg insurance company. Cornfeld recently took an individual stock interest in Lexington Research & Management."</ref>、[[ミューチュアル・ファンド]]の巨人[[:en:John Templeton|ジョン・テンプルトン]]とその共同経営者ウィリアム・ダロムスは、''[[ファンド・オブ・ファンズ|Investors Overseas Services]]'' ルクセンブルク保険のファイナンスを手がけた腕を買われてIOS のパートナーとなり、[[ファンド・オブ・ファンズ|バーニー・コーンフェルド]]もテンプルトンのレキシントン・リサーチ・アンド・マネジメントの株式をIOSと個人名義で保有した。 最近では[[1MDB]] をめぐる汚職事件と関係して、実業家の{{仮リンク|カデム・アル・クバイシ|en|Khadem al-Qubaisi}}が、[[パナマ文書]]に載っているオフショア会社を経由し、[[ジュネーヴ]]に本店があるエドムンド・ド・[[ロスチャイルド]]銀行のルクセンブルク支店で口座を開設した。 === GDP === ルクセンブルクは[[タックス・ヘイヴン]]の1つとしてよく知られており、[[国民総所得|GNI]]と[[国内総生産|GDP]]の差は途方もなく大きい<ref name="h1">{{cite journal|url=https://repository.law.umich.edu/cgi/viewcontent.cgi?referer=https://www.google.ie/&httpsredir=1&article=1716&context=articles|title=Treasure Islands|pages=103–125|author=James R. Hines Jr.|quote=Table 1: 52 Tax Havens|journal=[[Journal of Economic Perspectives]]|volume=4|issue=24|date=2010|author-link=James R. Hines Jr}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://itep.sfo2.digitaloceanspaces.com/offshoreshellgames2017.pdf|title=Offshore Shell Games 2017 The Use of Offshore Tax Havens by Fortune 500 Companies|accessdate=2021年8月26日}}</ref>。ルクセンブルクのような主要な一人当たり名目GDP上位国の多くはタックス・ヘイヴンであることに注意する必要がある。それらの国のGDPデータは、外国の[[多国籍企業]]のタックス・プランニング活動によって大きく歪められている。 これに対処するために、2017年にタックス・ヘイヴンでもあるアイルランドの中央銀行はより適切な統計として「修正[[国民総所得|GNI]]」(またはGNI*)を作成し、[[経済協力開発機構|OECD]]と[[国際通貨基金|IMF]]はアイルランドのためにこれを採用した。したがって、[[購買力平価説|購買平価説]]に基づく2020年のルクセンブルクの一人当たり実質GNIは、カタール、シンガポールに次いで世界第3位を維持しているが、ドイツや[[イギリス]]、日本などの先進国の首都と同程度に過ぎないと言える<ref>{{Cite web|title=GNI per capita, PPP (current international $) {{!}} Data|url=https://data.worldbank.org/indicator/NY.GNP.PCAP.PP.CD?end=2020&most_recent_value_desc=true&start=2020&year_high_desc=true|website=data.worldbank.org|accessdate=2021-08-26}}</ref>。 [[国際通貨基金|IMF]]の統計によると、2015年のルクセンブルクの[[国内総生産|GDP]]は578億ドルであり<ref>{{Cite web |url=http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2016/02/weodata/index.aspx World Economic |title=Outlook Database October 2016 Edition |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[国際通貨基金|IMF]]}}</ref>、2013年度における[[日本]]の[[岐阜県]]の経済規模とほぼ同じである<ref>{{XLSlink|[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/tables/h25/soukatu1.xls 県内総生産(名目)]|68[[キロバイト|kB]]}} [[内閣府]],2016年12月16日閲覧.1ドル=115円で計算。</ref>。1992年以降、一人当たりのGDPは世界首位の座を保っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?TP=ne03-01&LG=j&FL=&RG=0 |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027050805/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?TP=ne03-01&LG=j&FL=&RG=0 |archivedate=2011年10月27日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><!--リンク切れ+21世紀以降とする誤り-->。ただし、[[購買力平価]]ベース<ref>{{Cite web|和書|url=http://ecodb.net/exec/trans_weo.php?d=PPPPC&s=2003&e=2010&c1=QA&c2=LU&c3=&c4=&c5=&c6=&c7=&c8= |title=一人当たりの購買力平価GDP(USドル)の推移(2003〜2010年)(カタール, ルクセンブルク) |accessdate=2016/12/16 }}</ref> では、[[2000年代]]中盤を境に[[カタール]]に追い抜かれ、第2位に甘んじている{{Refnest|group=注釈|[[CIAワールドファクトブック]]によれば、2016年12月時点においては、カタール及び[[マカオ]]に次いで第3位<ref>{{Cite web |url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2004rank.html |title=COUNTRY COMPARISON :: GDP - PER CAPITA(PPP) |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[中央情報局|CIA]]}}</ref>。ちなみに、一人当たりの[[国民総所得]](GNI)では世界第4位だが、購買力平価ベースでは2009年で世界首位<ref>{{Cite web |url=http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GNIPC.pdf |title=Gross national income per capita 2010 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[世界銀行]] |format=PDF}}</ref>。GNIとは、ある国籍を持つ国民が国内外で稼いだ所得の総和であるから、単純に考えれば「世界で最も所得が多い国民」ということができる。}}。 ルクセンブルクの[[経済成長率]]は毎年4 - 5%の範囲で推移(2007年度以降は鈍化<ref>{{Cite web|和書|url=http://ecodb.net/country/LU/imf_growth.html |title=ルクセンブルクの経済成長率の推移 |accessdate=2012/12/16}}</ref>)しており、先進国としては例外的に高い経済成長を維持し続けていたが、2008年に起こった[[世界金融危機 (2007年-)|世界経済危機]]の影響を受け、2009年にはマイナス成長に転じた。翌年には持ち直したものの、2012年には[[2010年欧州ソブリン危機|ユーロ危機]]によって再びマイナス成長となった。ただし2016年現在は以前の状態に回復している<ref name="mofa.go.jp">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/luxembourg/data.html |title= ルクセンブルク大公国(Grand Duchy of Luxembourg)基礎データ |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[外務省]]}}</ref>。 GDP比で特徴的なのは[[対外債務]]であり、GDPの67倍となり極めて高い水準にある。(2017年6月末現在)([[国別外債残高の一覧]])。 === 大規模な外国資本 === ルクセンブルクは[[先進国]]の中でも特に税率が低い国であり、数多くの国外企業を誘致することに成功している。近年では[[インターネット]]関連企業の誘致に力を注いでおり、[[スカイプ]]や[[eBay]]、[[Apple]]などを筆頭として数多くの[[インターネット]]関連企業が本社機能を移転している<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20090415/328292/ |title=eBayがSkypeのIPO計画を発表,2010年前半をめどに分社化 |date=2009/04/15 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[日経BP]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lux-invest.or.jp/key_sectors/ecommerce_and_media.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100913192953/http://www.lux-invest.or.jp/key_sectors/ecommerce_and_media.html |archivedate=2010年9月13日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。ただし、本社機能を完全移転したスカイプ社のような事例は稀であり、その大半は欧州本社である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lux-invest.or.jp/business_location/index.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100909004324/http://www.lux-invest.or.jp/business_location/index.html |archivedate=2010年9月9日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 日本企業としては、[[ファナック]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fanuc.co.jp/ja/profile/history/index.html |title=ファナックの歴史 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[ファナック]]}}</ref>、[[楽天グループ|楽天]]などが欧州本社を置いている<ref>{{Cite web|和書|url=https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/02/07/18391.html |title=EUで「楽天市場」展開、ルクセンブルクに「楽天ヨーロッパ」設立 |date=2008/02/07 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[Impress Watch]]}}</ref>。 また、その税負担の軽さから、EUや[[経済協力開発機構|OECD]](または[[G20]])などに事実上のタックス・ヘイヴンとみなされ、強い非難を浴びてきた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.oushu.net/articles/200602121073.php |title=ルクセンブルクのタックス・ヘイヴン法:欧州委員会はEU法違反と主張 |date=2006/02/12 |accessdate=2016/12/16 |publisher=中村国際事務所}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-37313420090403 |title=OECD、タックスヘイブンのブラックリストに4カ国を掲載 |date=2009/04/03 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[ロイター通信]]}}</ref>。近年までは一連の非難に対して強気の姿勢を崩さなかった。典型的な[[福祉国家]]ではないのにもかかわらず、概して失業率が良好に推移しており、国内の所得格差が[[北欧]]諸国並みに小さい{{Refnest|group=注釈|ルクセンブルクは概して[[失業率]]が低い国であり、多くとも4%台で推移している。事実、リーマンショック以降ですら4.4%(2008年現在<ref name="mofa.go.jp"/>)と低い失業率を維持しているが、これでも同国としては記録的に高い数字である。ちなみに、同年のユーロ圏における平均失業率は7%台後半であり、北欧の福祉国家(および[[ワークシェアリング]]政策を採用するオランダ)を除けば欧州で最も低い失業率を誇る。[[ジニ係数]]は北欧型福祉国家に匹敵し(0.2ポイント台<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=ne07-01 |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027050155/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=ne07-01 |archivedate=2011年10月27日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>)、80年代以降はほぼ一定を保っている。言い換えれば、経済成長に伴って所得格差が広がらなかった稀有な例である。}}。 とはいえ[[リーマンショック]]に端を発する[[世界金融危機|世界恐慌]]以降は、国際的な金融規制の流れを受けて税率改正の動きを見せはじめている。その一環として [[2010年]][[1月25日]]、租税条約改正について日本政府と合意した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140814022818/http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/international/press_release/sy220126lu.htm |title=ルクセンブルク大公国との租税条約を改正する議定書が署名されました |date=2010/01/26 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[財務省]]}}</ref>。 === 国境を越えた通勤者 === ルクセンブルクに関連する統計のほとんどは、2倍から0.5倍までの誤差が生じる。この理由は、ルクセンブルク大公国の全従業員の約半数がフランスやベルギー、ドイツなど国境を越えた通勤者であり、したがって非居住者は、居住者と一緒にルクセンブルクで国民総生産を生み出し、同じ税金と社会保障負担金を支払うためである。結果として、そのような場合、誤差が得られる。国民総生産や一人当たりの購買力などでは、半分だけ、つまり居住者が考慮され、残りの半分、つまり国境を越えた通勤者は考慮されない<ref>{{Cite web|title=Kritik der Zahlenspielerei|url=https://www.tageblatt.lu/nachrichten/luxemburg/kritik-der-zahlenspielerei-12159033/|website=www.tageblatt.lu|accessdate=2021-12-18|language=de|first=Eric RingsEric|last=Rings}}</ref><ref>{{Cite web|title=Affichage de tableau|url=https://statistiques.public.lu/stat/TableViewer/tableView.aspx?ReportId=487&IF_Language=fra&MainTheme=2&FldrName=3&RFPath=92|website=statistiques.public.lu|accessdate=2021-12-18}}</ref>。 [[ユーロスタット]]は2009年12月15日に報告した:<blockquote>「2008年、[[購買力平価説|購買力基準]](PPS)で表されるルクセンブルクの一人当たり[[国内総生産|GDP]]は、[[欧州連合|EU27]]平均の2.5倍以上でしたが、[[アイルランド]]と[[オランダ]]は約3分の1でした。[[オーストリア]]、[[デンマーク]]、[[スウェーデン]]、[[フィンランド]]、[[ドイツ]]、[[イギリス]]、[[ベルギー]]は、EU27の平均を15%から25%上回っていた<ref>{{Cite web|title=Wayback Machine|url=https://web.archive.org/web/20101113150802/http://www.statec.public.lu/fr/education/graphiques/pib.pdf|website=web.archive.org|date=2010-11-13|accessdate=2021-12-18}}</ref>。 " </blockquote>国内総生産人口の頭あたりは、国際比較を可能にするために、電力基準を購入するには測定されずにの違い価格水準。ルクセンブルクの場合、労働力の大部分が国の付加価値に貢献しているものの、非居住者としての商の分母には含まれていないため、この商は偏っている。2009年には、国内の335,700人の従業員のうち、188,300人だけが国内に住んでおり、残りの147,400人は国外の国境を越えた通勤者として暮らしていた<ref>{{Cite web|title=Sign in|url=https://statistiques.public.lu/stat/tableviewer/document.aspx?ReportId=352|website=statistiques.public.lu|accessdate=2021-12-18}}</ref>。別の理由で、この比率は、ルクセンブルクの人口の実際の生活水準についての声明を出すために限られた用途にすぎない。国内総生産には、総投資(生産手段、政府サービスなど)などの支出が含まれる。個人世帯の消費に直接関係しない<ref>{{Cite book|title=The Luxembourg economy in 2003-2004 : a kaleidoscope|url=https://www.worldcat.org/oclc/61294932|publisher=STATEC|date=2005|location=Luxembourg|isbn=2-87988-059-9|oclc=61294932|others=Serge Allegrezza, Paul Zahlen, Luxembourg. Service central de la statistique et des études économiques}}</ref>。 より現実的な状況は、州ではなく経済地域に関連する人口統計の1人当たりGDPの比較から得られる<ref>{{Cite web|title=wort.lu {{!}} Business {{!}} Luxemburg hinter Londoner City auf Platz zwei|url=https://web.archive.org/web/20100225174703/http://www.wort.lu/wort/web/business/artikel/75727/luxemburg-hinter-londoner-city-auf-platz-zwei.php|website=web.archive.org|date=2010-02-25|accessdate=2021-12-18}}</ref>。この統計的比較を行っても、通勤者の生産性は経済センターに割り当てられているため、通勤者の流れは状況によって誤差が生じる。 毎年1月1日、公式統計サービス''は''、ルクセンブルク企業の年間在庫をアルファベット順に公開し、経済セクター別に並べ替えている。''ルクセンブルグ''の''アメリカ商工会議所''は、米国企業とルクセンブルグ経済の架け橋を築こうとする自主的な組織である<ref>{{Cite web|title=AMCHAM – The American Chamber of Commerce Luxembourg|url=https://www.amcham.lu/|accessdate=2021-12-18|language=en-US}}</ref>。 2008年の秋、世界中の多くの先進国で経済危機が始まった。それは2007年からの金融危機によって引き起こされたか引き起こされった。多くのEU諸国は、銀行の破綻を回避するために銀行部門に数十億ユーロを投入したため、この経済危機はユーロ圏のソブリン債務危機を悪化させた。危機は、ルクセンブルク経済が金融セクターにどれだけ依存しているかを示している<ref>{{Cite web|title=Das schöne Leben wird schwieriger - Münsterland - Bocholter-Borkener Volksblatt|url=https://web.archive.org/web/20140408224811/http://www.bbv-net.de/in-+ausland/muensterland_artikel,-Das-schoene-Leben-wird-schwieriger-_arid,112931.html|website=web.archive.org|date=2014-04-08|accessdate=2021-12-18}}</ref>。 === 主要な国内産業 === ルクセンブルクには多種多様な[[産業]]が発達している。大規模に外資を投下された民間企業による経済活動は極めて盛んである。このことは[[重工業]]と[[金融]]にあてはまる。他にも、空路や道路などの交通網がよく整備されており、中規模の船舶の航行が可能なモーゼル川があるほか、国内には保税倉庫も多いなど欧州における物流の要所である。また、国策として情報通信分野における産業振興を図った結果、[[ヨーロッパ]]における情報通信産業(放送メディア産業)の中核を担うことになった。[[ベルテルスマン]]の[[RTLグループ]]買収は一例である。 高度に発達した[[工業]]と豊かな自然(特に田園風景)とが共存しており、[[観光業]](近年では[[エコツーリズム]])も盛んである。その自然の豊かさから「欧州における緑の中心地(Green heart of Europe)」と称されることもあり、[[上海万博]]におけるルクセンブルク・[[パビリオン]]の標語としても採用されている<ref>{{Cite web |url=http://en.expo2010.cn/a/20090722/000006.htm |title=Luxembourg Pavilion A Pocket Edition of the "Green Heart of Europe" |accessdate=2016/12/16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090810063639/http://en.expo2010.cn/a/20090722/000006.htm |archivedate=2009年8月10日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。[[食品産業]]は全般的に低調である。 ==== 鉄鋼業を中心とする重工業 ==== 中立化以前のルクセンブルクは[[農業国]]であった。20世紀初頭から[[ベルギー]]から外資が投下された。外資の出所はドイツやフランスといった欧州の強国であった。ルクセンブルクが普仏関係の緩衝地帯というのは軍事面でのことであって、経済戦争においては前線であった。次第にベルギー鉄鋼業がルクセンブルクに延長してきた。1926年の鉄鋼[[カルテル]](Entente internationale de l'acier)は[[欧州石炭鉄鋼共同体]]の原型となった。第二次世界大戦後、アンリ・J・レイル([[:en:Henry J. Leir|Henry J. Leir]])が[[グッドイヤー]]、[[デュポン]]、[[モンサント (企業)|モンサント]]などを誘致した。[[1960年代]]より[[アルセロール]]などがルクセンブルクの経済を牽引した。およそ十年後に[[オイルショック]]がベルギーごとルクセンブルクの鉄鋼業に再編を迫った。 2006年、[[インド]]に本拠地を置く[[ミタルスチール]]社がアルセロールを[[敵対的買収|買収]]した。この事件は国内鉄鋼業の衰退を象徴したが、しかし合併後([[アルセロール・ミッタル]])も依然として同国に本社を置いている。 [[製造業]]としては、[[化学]]や[[繊維]]、自動車部品、プラスチック・ゴムといった分野でも実績があるが、いずれも鉄鋼業ほどの影響力はない。隣国[[ベルギー]]([[アントウェルペン]]市)が[[ダイヤモンド]]取引の中心地であるため、ルクセンブルクにもダイヤモンド加工産業が根付いているが、ベルギーほど加工技術は高くないとされる。 他に特筆すべき工業製品としては高級食器が挙げられよう。[[ビレロイ&ボッホ]]がルクセンブルク([[オーストリア大公国]]領時代)に工場を置き、[[ハプスブルク家]]の御用達となったことから世界的に名声が広まった。ルクセンブルク工場が製造する陶磁製食器は、現在でも世界的に高い評価を受けている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.villeroy-boch.co.jp/history/ |title=ビレロイ&ボッホについて ブランドの歴史 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[ビレロイ&ボッホ]]}}</ref>{{Refnest|group=注釈|同社は[[ドイツ]]に本社をおいているが、上述した歴史的経緯と本店がルクセンブルクに置かれていることから、ルクセンブルク企業と誤解する人も少なくない。ちなみに、同工場では機械を用いて皿に絵付けをする際、膨らんだ風船状の[[ゴム]]にインクを載せ、それを皿に押し付けるようにして着色するといった独特な手法が用いられている。このアイデアを出したのは地元の[[貴族]]であったとされ、その末裔はビレロイ&ボッホ社の[[名誉職]]を代々受け継いでいる<ref>[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[にじいろジーン]]』 [[2008年]][[9月20日]]放送回 ルクセンブルク特集 [http://www.lux-invest.or.jp/news_tokyo/letter/letter200808.html 外部リンク]{{リンク切れ|date=2016年12月}}</ref>。}}。 ==== ユーロ圏を代表する国際金融センター ==== [[ファイル:Luxembourg Fortress from Adolphe Bridge 02 c67.jpg|thumb|right|[[2017年]]の調査によると、世界18位の[[金融センター]]であり、欧州では3位である<ref>[http://www.banque-finance.ch/wp-content/uploads/2017/03/gfci_21.pdf Global Financial Centres Index 21] Z/Yen Group 2017年4月5日閲覧。</ref>。]] 2016年現在では[[金融]]サービス業をはじめとする[[第三次産業]]がGDPの約88%を占めるようになった<ref>{{Cite web |url=http://databank.worldbank.org/data/reports.aspx?source=2&country=LUX |title=World Development Indicators |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[世界銀行]]}}</ref>。[[ユーロ圏]]における[[プライベート・バンキング]]の中心地であり、世界的に見ても[[スイス]](非EU加盟国)に匹敵する規模を誇る<ref>[http://www.abbl.lu/sites/default/files/attached-files/page/PBGL_BRO_UK_V1209.pdf]{{リンク切れ|date=2016年12月}}</ref>。そんな金融機関を束ねる国際決済機関の[[クリアストリーム]]は、ルクセンブルクの繁栄を象徴している。また、欧州圏における[[再保険]]分野の中心地でもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gouvernement.lu/1830053/Tout_savoir-JP.pdf |title=ルクセンブルク大公国徹底解説 経済 |page=15 |date=2015/03 |accessdate=2016/12/16 |publisher=ルクセンブルク政府広報局 |format=PDF}}</ref>。 こうした金融セクターは(およそ30万人の労働人口に対して)7万人近い雇用を生み出し続けており、労働人口全体のおよそ5分の1を構成していることになる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2010/06/4c04789eb71b0.html |title= 金融部門の強化と経済多様化を推進−金融危機後の成長モデルを探る(2)-(欧州、ルクセンブルク) |date=2010/06/02 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[日本貿易振興機構]]}}</ref>。一方、[[ルクセンブルク・リークス]]で明らかとなったような脱法が目立つ。 また、国内には[[欧州投資銀行]]や[[ユーロスタット]]、[[欧州会計監査院]]といった欧州連合における金融関連機関が集中しており、ユーロ圏における[[金融センター]]としての地位を不動のものとしている。 ==== 欧州における情報通信産業の中核 ==== ルクセンブルクは情報通信分野(放送メディア産業)の産業振興に力を入れてきた。結果として、現在は[[RTLグループ]]と[[SES S.A.]]の二大メディア複合体を擁し、欧州における同分野の中核を担っている。RTLグループは欧州随一の規模を誇る放送メディアの企業複合体であり、SES S.A.は欧州のみならず世界有数の規模を誇る衛星放送事業者。特に後者は国策企業を前身とし、現在では世界最多(41機)の[[放送衛星]]を運用する民間企業である<ref>{{Cite web|和書|url=http://a52.g.akamaitech.net/f/52/827/1d/www.space.com/images/0630_SPN_DOM_00_012_00.pdf |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009年3月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090319191435/http://a52.g.akamaitech.net/f/52/827/1d/www.space.com/images/0630_SPN_DOM_00_012_00.pdf |archivedate=2009年3月19日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。欧州最大の商業通信衛星群 ASTRAシリーズは、子会社の[[SES アストラ]]によって運用されている。 金融サービスに関連して[[電子商取引]]の重要性にいち早く注目し、[[2000年]]8月に世界に先駆けて電子商取引の関連法を制定した。同様に電子商取引の安全性を保証する仕組みとして電子認証機関 [https://www.luxtrust.lu/ ルクストラスト] を官民共同プロジェクトとして設立し、官民を問わず広く利用を促している。続いて[[2009年]]には、欧州最大規模の商用[[インターネットエクスチェンジ|インターネット相互接続ポイント]]「[http://www.lu-cix.lu/ ルシックス]」が設立された。ちなみに、国内全域において[[光ファイバー]]による高速回線が利用可能である。近年では、首都ルクセンブルク市および第二都市[[エシュ=シュル=アルゼット|エシュ=シュル=アルゼット]]の一帯で [[Wi-Fi]]による高速無線通信も利用可能になった<ref>{{Cite web |url=http://muniwireless.com/2009/02/15/luxembourg-model-muni-wifi-network/ |title=Luxembourg: model of a successful muni Wi-Fi network |date=2009/02/15 |accessdate=2016/12/16 |publisher=MuniWireless}}</ref>。 ==== 白ワインとチョコレートの国 ==== 他分野と比べると[[第一次産業]]が見劣りすることは否めないが、[[モーゼル川]]流域は[[古代ローマ]]時代から[[ワイン]]の生産が盛んな地域<ref>[http://www.lux-invest.or.jp/wine/winebrochure2007.pdf]{{リンク切れ|date=2016年12月}}</ref> であり、良質な辛口の[[白ワイン]]を産出することで知られている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lux-invest.or.jp/wine/index.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100909004400/http://www.lux-invest.or.jp/wine/index.html |archivedate=2010年9月9日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。ただし[[ドイツ]]や[[フランス]]とは異なり国内生産量は15,000kl/年と小規模であるため、輸出されることは少なく希少性が高い(一般的に[[モーゼルワイン]]と言えばドイツ産が有名)。ちなみに、葡萄の主要品種は[[リースリング]]や[[ゲヴュルツトラミネール]]、[[ピノ・グリ]]など。 [[農業]]が吸収する労働人口は全体の1%前後とされる。[[農家]]の大部分は家族経営の小規模な[[自作農]]であり、[[耕作]]と[[畜産]]の[[混合農業]]が一般的。[[有機農法]]を用いた農地に政府助成金が支給される仕組みとなっているため、政府認証を受けた農地のほぼ100%が有機農法を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=http://lib.ruralnet.or.jp/nisio/?p=1305 |title=No.24 有機農業に対する政府の取組姿勢 |date=2005/09/21 |accessdate=2016/12/16 |publisher= 西尾道徳の環境保全型農業レポート}}</ref>。また、農業関係者の遺伝子組み換え食品に対する拒否感は強い<ref>{{Cite web|和書|url=http://newfarm.rodaleinstitute.org/japan/features/200210/200210021GMEurope/SJ_gm_europe.shtml |title=ヨーロッパの農家、消費者、環境活動家 遺伝子組み換え種子汚染に関して政治に圧力 |date=2002/10/14 |accessdate=2016/12/16 |publisher=ロデール研究所}}</ref>。 隣国ベルギー同様にチョコレート菓子が有名で、特に有名な「オーバーワイス」は王家御用達である。また、飲食店の格付け冊子として著名な[[ミシュランガイド]]において国民一人あたりの星の数が世界一という実績から、「美食の国」として誉れ高い隣国[[ベルギー]]同様、[[グルメ]]観光を目的とした旅行客も少なくない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lux-invest.or.jp/guide/hotel.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年8月22日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091025103721/http://www.lux-invest.or.jp/guide/hotel.html |archivedate=2009年10月25日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 ==== 歴史遺産とエコツーリズム ==== 大国に翻弄されながらも独立を維持してきたルクセンブルクは、その歴史を偲ばせる建造物が国内各所に点在している。特に首都の旧市街は[[世界遺産]]に登録されており、観光地として人気がある。しかし観光客は近隣諸国から来てすぐ帰ってしまう。実際に[[ベルギー]]からの日帰り客が少なくない。そのため、観光客をいかに長期滞在させるかが[[観光業]]の課題となっており、近年では豊かな自然を生かしたエコツーリズムに力点が置かれている。 エコツーリズムをメインとする観光地としては、鬱蒼とした森が広がる[[アルデンヌ]]地方や「小スイス」と称される[[ミュラータール]]、モーデル川沿いの丘陵地帯(ワイン観光)などが挙げられる。[[鉄鋼業]]の中心地である南部(エシュ=シュル=アルゼット)には豊かな自然に加え、かつて鉄鉱石を運んだSL鉄道<ref>{{Cite web |url=http://www.fond-de-gras.lu/index.php/visiter/categories/9 |title=Le train minier Minièresbunn |accessdate=2016/12/16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100707083541/http://www.fond-de-gras.lu/index.php/visiter/categories/9 |archivedate=2010年7月7日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref> をはじめする[[産業遺産]]が残されている。この地域は岩石が鉄分を含むために赤味を帯び、通称「赤岩の地(land of red rocks)」とも呼ばれる。 また、[[小国]]ながら自転車競技では世界レベルの実力を誇る国だけあって自転車ロードレースの国際大会([[ツール・ド・ルクセンブルク]])が毎年開催されており、大会期間中は観戦客で大いに賑わう。 == 交通 == {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの交通|en|Transport in Luxembourg}}}} 近年、道路網が大幅に近代化され、隣接国への[[高速道路]]が整備されていることから欧州内において[[インフラストラクチャー|インフラ]]の発展が目覚しくなっている国々の一つに数え上げられる。なお、高速道路は最高130キロである。 '''航空''' 首都ルクセンブルク市[[ルクセンブルク=フィンデル空港]]を本拠地とする[[ルクスエア]]があり、子会社に世界的に就航し日本にも乗り入れている([[成田国際空港]]と[[小松空港]])、老舗航空貨物大手[[カーゴルックス]]がある。 {{節スタブ}} == 国民 == [[ファイル:Luxembourg demography.png|thumb|ルクセンブルクの人口推移([[1961年]] - [[2020年]])]] <!-- ''詳細は[[ルクセンブルクの国民]]を参照'' --> {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの人口統計|en|Demographics of Luxembourg}}}} === 民族 === 住民は[[ケルト人]]、[[ゲルマン人]]などの[[混血]]が主である。外国人の割合は高く、3分の1程度である。 主な外国人は、2016年現在、[[ポルトガル人]](36%)、フランス人(15%)、[[イタリア人]](8%)、[[ベルギー人]](7%)である<ref name="lux_em_18" />。神聖ローマ(ドイツ)帝国から分離した歴史上ドイツ系の国民と見なすことができるがフランスの影響も強く、ドイツ語系の方言を古い母語としながら公的にはフランス語が主流となっている点では、フランスのアルザス地方と相似している。 === 言語 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの言語|en|Languages of Luxembourg}}}} {{See also|{{仮リンク|ルクセンブルクにおける多言語主義|en|Multilingualism in Luxembourg}}}} ルクセンブルクでは、[[フランス語]]、[[ドイツ語]]、[[ルクセンブルク語]]の3つが公用語とされている<ref name="ヴァルテール2006p404_405">{{Cite book |和書 |author=アンリエット・ヴァルテール |authorlink=アンリエット・ヴァルテール |translator=[[平野和彦]] |title=西欧言語の歴史 |publisher=[[藤原書店]] |date=2006-9 |isbn=978-4-89434-535-5 |ref=ヴァルテール 2006}}, pp. 404-405</ref>。 フランス語は7歳から教育が始まり、行政と法律の言語として使われている<ref name="ヴァルテール2006p404_405"/><ref name="ルクセンブルクの言語"/>。 学校においては、[[小学校]]から[[中学校]]まではドイツ語とフランス語で授業が行われるが、[[高等学校]]では、ドイツ語のみが使われている<ref>{{Cite web|url=https://www.dvtranslation.com/blog/langues-au-luxembourg-quelle-est-la-situation-linguistique/amp/|title=Langues au Luxembourg : quelle est la situation linguistique|author= DV Translation|accessdate=2023-6-14|language=フランス語}}</ref>。 2018年の調査によると、仕事においては、98%の人々がフランス語、80%の人々が英語、78%の人々がドイツ語、77%の人々がルクセンブルク語を、[[コミュニケーション]]のための言語として話す<ref name="ルクセンブルクの言語">{{Cite web|url=https://luxembourg.public.lu/fr/societe-et-culture/langues/langues-au-luxembourg.html|title=Quelles langues parle-t-on au Luxembourg?|author=Luxembourg.lu|accessdate=2023-6-14|language=フランス語}}</ref>。 [[ラジオ]]や[[テレビ]]では、ルクセンブルク語が最も使われているが、局によってはフランス語やイタリア語、ポルトガル語などと、様々である<ref name="ルクセンブルクの言語"/>。 [[新聞]]では、ルクセンブルクにおける書き言葉として使われているフランス語が主流ではあるが、新聞会社によってはドイツ語がフランス語の次に使われる。また、ここ数年では英語による出版も少なくない<ref name="ルクセンブルクの言語"/>。 家庭内、友人間、近郊ではルクセンブルク語が現地人の言葉として使われ、また、カトリック教会の典礼言語としても使用されている<ref name="ヴァルテール2006p404_405"/>。ルクセンブルク語は[[中部ドイツ語]]の一派であり、標準ドイツ語との距離も近いため、テレビや映画など報道関係分野ではドイツ語が多用される<ref name="ヴァルテール2006p404_405"/>。 その他、街やレストランなどでは英語のみならず、[[ポルトガル語]]や[[イタリア語]]などを耳にする機会も多い<ref name="ルクセンブルクの言語"/>。 [[英語]]は、空港やホテルなどではほぼ問題なく通用するが、バスの運転手や小さな商店などでは通用しないことがあるため、多くの人々が話すことができるフランス語やドイツ語を代わりに用いてコミュニケーションを取ることが多い。 === 婚姻 === 婚姻の際、法的な姓が変更されることはない。なお、氏名の変更は可能である。2014年より、同性婚も可能となった<ref>[http://luxembourg.public.lu/en/vivre/famille/vie-couple/mariage/index.html http://luxembourg.public.lu/en/vivre/famille/vie-couple/mariage/index.html], The Official Portal of the Grand Duchy of Luxembourg.</ref><ref>[https://www.expatica.com/lu/family-essentials/Getting-married-in-Luxembourg_103748.html Getting married in Luxembourg],EXPATICA</ref>。 === 宗教 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの宗教|en|Religion in Luxembourg}}}} 宗教は[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]が87%、[[プロテスタント]]、[[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]などが13%である。 === 教育 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの教育|en|Education in Luxembourg}}}} [[義務教育]]は4歳から16歳まで。ほとんどの学校は国によって管理されており、無料となっている。 [[高等教育]]については、[[ルクセンブルク大学]]がこの国における唯一の[[大学]]である。 {{節スタブ}} === 保健 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの保健|en|Health in Luxembourg}}}} {{節スタブ}} ==== 医療 ==== {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの医療|en|Healthcare in Luxembourg}}}} {{節スタブ}} == 社会 == {{節スタブ}} === 法律 === {{See also|{{仮リンク|ルクセンブルクの法律|en|Law of Luxembourg}}}} 当然のことながら、ルクセンブルクでは児童ポルノ(所持を含む)は違法である。しかし未だに問題となっているのは、「児童ポルノ」の明確な定義がないため、高度に性的な子供の写真が完全に合法とみなされる場合もあること<ref>{{Cite web|url=https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CRC-OP-SC/Shared%20Documents/LUX/INT_CRC-OP-SC_NGO_LUX_21359_E.pdf|title=NGO Report on the implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights|accessdate=2021-11-24}}</ref>。また、法律は非実在児童ポルノの合法性について言及していない。 === 外国人労働者問題 === ルクセンブルクは伝統的に諸外国から多くの移民を受け入れており、2015年現在のデータでは人口の45.3%が外国出身である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=po07-01 |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110917030337/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=po07-01 |archivedate=2011年9月17日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref name="lux_em_18">{{Cite web|和書|url=https://www.gouvernement.lu/1830053/Tout_savoir-JP.pdf |title=ルクセンブルク大公国徹底解説 人口 |page=18 |date=2015/03 |accessdate=2016/12/16 |publisher=ルクセンブルク政府広報局 |format=PDF}}</ref>。この割合は欧州連合の中でも突出したものであり、世界の中でもルクセンブルクを越える国は多くない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?TP=po07-01&LG=j&FL=&RG=0 |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027045721/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?TP=po07-01&LG=j&FL=&RG=0 |archivedate=2011年10月27日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。ただし、ルクセンブルクの場合は近隣諸国(同じ言語圏)からの移民も少なくないため、[[多言語国家]]であっても、米国のような[[多民族国家]]とは言い難い。そもそも、ルクセンブルクに外国出身者が多いのは、同国が(ユーロ圏で唯一)[[二重国籍]]を認めていなかったために過ぎず<ref>2009年に改正国籍法が発効し、二重国籍に関する要件が緩和された{{Cite web|和書|url=https://www.gouvernement.lu/1830053/Tout_savoir-JP.pdf |title=ルクセンブルク大公国徹底解説 人口 |page=19 |date=2015/03 |accessdate=2016/12/16 |publisher=ルクセンブルク政府広報局 |format=PDF}}</ref>、在住する外国人の多くはドイツ、ベルギー、フランスの近隣諸国からの越境者である(東京と近隣県の関係に近い)。実際、労働人口のおよそ半数が隣国から越境通勤してくる「コミューター」とされる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05001614/05001614_001_BUP_0.pdf |title=欧州諸国の成長モデルを探る |date=2008/10 |accessdate=2016/12/16 |publisher=[[日本貿易振興機構]]}}</ref>。ちなみに、こうした越境労働者が多いことが一人当たりのGDPを引き上げる要因となっている。 また、好調な経済に惹かれてやって来た[[アフリカ]]や[[中東]]、[[南米]]などから来た[[不法移民]]([[不法滞在者]])も多いとされるが、ルクセンブルクの国籍(あるいは労働許可証)を取得していない限りは存在しないものとされ、正確な統計情報も存在しない(発覚した場合は国外追放<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/lux.html |title=海外移住情報 ルクセンブルク査証編 |accessdate=2016/12/16 |publisher=海外移住情報 immigration & emigration manual |author=安田修}}</ref>)。もっとも、[[シェンゲン協定]]の締結以後、周辺国(現在では欧州のほぼ全域)との往来が自由になっているため、ルクセンブルクを目的地とした不法移民なのかどうかを判断するのは困難である。ちなみに、在留資格がなくとも現地での被雇用を条件に長期滞在許可が下りる(ただし、これは主に[[難民]]に対する処置)<ref>[http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/190.html#id_dd68e781]</ref>。 また、ルクセンブルクにおける外国出身者の失業率は他の欧州各国と比較して低く<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=po07-05&RG=0&FL= |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027050433/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=po07-05&RG=0&FL= |archivedate=2011年10月27日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、外国人に対する差別意識もさほど強くない上<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=so02-01&RG=2 |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年6月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111027045518/http://www.kisc.meiji.ac.jp/cgi-isc/cgiwrap/~kenjisuz/table.cgi?LG=j&TP=so02-01&RG=2 |archivedate=2011年10月27日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、前述の通り寛容な移民政策を採用していることから、不法滞在の目的は何らかの非合法活動に従事する場合に限られる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lu.emb-japan.go.jp/japanese/ryoji/anzen/anzentebiki.pdf |title=安全の手引き |date=2016/01 |accessdate=2016/12/16 |publisher=在ルクセンブルク日本大使館}}</ref>。<!--これらの人々は、主にフランスの旧植民地([[フランス語圏]])から訪れるため、ルクセンブルク語で「[[フランス人]]の」を意味する言葉が隠語として使われている。--> ルクセンブルクのアジア人労働者(主に[[中国]]系を代表とする不法移民)に対する歓迎度は、欧州連合の平均をわずかに上回っている。2019年5月、[[欧州連合]]の人々の約21%がアジア人との仕事に不快感を覚え、約32%が「自分の子供がアジア人と恋愛関係になった場合、自分は不快感を覚える」と報告した。対照的に、ルクセンブルク人の約12%が、アジア人との仕事に不快感を示し、自分の子供がアジア人を愛するようになると自分は不快感を覚えると訴えたのは約19%だった<ref>{{Cite web|title=Eurobarometer|url=https://europa.eu/eurobarometer/surveys/detail/2251|website=europa.eu|accessdate=2021-11-14}}</ref>。 == 治安 == ルクセンブルクの治安は近隣諸国に比べ比較的良いと言われているが、上記の項でも挙げられている様に小国であり近隣諸国との行き来が容易ということは即ち、国外から犯罪者集団などが流入することも容易であると言える。その為、同国滞在中は軽犯罪から常に身の安全を確保出来るように努める必要性が高くなることを留意しなければならない。 特に、{{仮リンク|薬物関連犯罪|label=薬物犯罪|en|Drug-related crime}}が問題となっている他、近隣諸国からの犯罪集団など(特に財産犯([[窃盗]]や[[詐欺]]など))の流入も容易である点から細心の注意が必要とされている。 同国警察当局による喫緊の統計では、2018年の刑法犯認知件数は37,288件(前年比1.5%増)であり、2019年も同年11月現在でこれを下回る数値で推移しており、現時点での治安情勢は比較的良好であるといえる。また2018年は罪種別にみると、[[殺人]]や[[傷害]]、[[強姦]]などの人身犯が全ての罪種で減少している。その一方で財産犯の発生件数は犯罪発生総数の約6割強を占めており、一部に悪化の傾向が見受けられる。傍らで[[ひったくり]]や器物損壊といった犯罪は減少しているが、侵入窃盗が202件、自動車盗を含む[[車上狙い]]が144件増加している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_176.html|title=ルクセンブルク 安全対策基礎データ「犯罪発生状況、防犯対策」|accessdate=2021-11-23|publisher=外務省}}</ref>。 {{節スタブ}} === 人権 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの人権|fr|Droits de l'homme au Luxembourg}}}} {{節スタブ}} == マスコミ == {{Main|ルクセンブルクのメディア}} {{節スタブ}} {{See also|{{仮リンク|ルクセンブルクのテレビ|en|Television in Luxembourg}}|RTLグループ|{{仮リンク|ルクセンブルクの通信|en|Telecommunications in Luxembourg}}}} == 文化 == {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの文化|en|Culture of Luxembourg}}}} === 食文化 === {{main|ルクセンブルク料理}} {{節スタブ}} * [[ワイン]]については{{仮リンク|ルクセンブルクワイン|en|Luxembourg wine}}、[[ビール]]については{{仮リンク|ルクセンブルクのビール|en|Beer in Luxembourg}}を参照。 === 文学 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの文学|en|Luxembourg literature}}}} {{節スタブ}} === 音楽 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの音楽|en|Music of Luxembourg}}}} {{節スタブ}} === 美術 === [[File:Musée national de la résistance Esch Alzette 01.jpg|thumb|200px|{{仮リンク|ルクセンブルク国立レジスタンス運動博物館|label=国立レジスタンス運動博物館|en|National Resistance Museum, Luxembourg}}]] {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの芸術|en|Luxembourg art}}}} ルクセンブルクを代表する[[彫刻家]]に{{仮リンク|クラウス・シト|en|Claus Cito}}が挙げられる。彼は[[戦争記念施設]]の[[彫像]]を始めとした数々の作品を世に遺している。 {{節スタブ}} {{See also|{{仮リンク|ルクセンブルクの美術館の一覧|en|List of museums in Luxembourg}}}} ==== 芸術写真 ==== {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクにおける芸術写真|en|Photography in Luxembourg}}}} ルクセンブルクにおける[[写真家]]で代表される人物の一人は{{仮リンク|パトリック・ガルバット|en|Patrick Galbats}}である。彼は[[フォトジャーナリスト]]としても活動している。 {{節スタブ}} === 映画 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの映画|en|Cinema of Luxembourg}}}} {{節スタブ}} === 建築 === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクの建築|en|Architecture of Luxembourg}}}} ルクセンブルクにおける建築文化は、[[紀元前1世紀]]に繁栄したとされる[[ケルト族]]の一団である{{仮リンク|トレウェリ人|label=トレウェリ族|en|Treveri}}の文化にまで遡ることが出来る。 {{節スタブ}} === 世界遺産 === [[File:Mudam 04 jnl.jpg|thumb|250px|世界遺産となった要塞群]] {{Main|ルクセンブルクの世界遺産}} ルクセンブルク国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が1件、[[ユネスコ記憶遺産|記憶遺産]]が1件、[[無形文化遺産]]が1件存在する。ルクセンブルクは、もともと丘の上に築かれた城を中心に発展した小国だが、その城と市街が、「[[ルクセンブルク市|ルクセンブルク:その古い街並みと要塞群]]」として、[[1994年]]に登録された。 クレルヴォー市にある城の展示室に常設展示されている、ルクセンブルク出身の世界的な写真家[[エドワード・スタイケン]]が1955年に[[ニューヨーク近代美術館]]で企画した「[[:en:The Family of Man|ザ・ファミリー・オブ・マン]]」展は、世界記憶遺産に2003年に登録。エシュテルナッハ市で中世から続く「[[エヒタナハの踊りの行進|踊りの行進(ダンシング・プロセッション)]]」は世界無形文化遺産に2010年に登録された。 === 祝祭日 === {| class="wikitable" !日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考 |- |[[1月1日]]||[[元日]]|||| |- |2月下旬||カーニバルの月曜日|||| |- |rowspan="2"|移動祝日||[[復活祭]]|||| |- |復活祭後の月曜日||||復活祭の翌日 |- |[[5月1日]]||[[メーデー]]|||| |- |rowspan="3"|移動祝日||[[キリストの昇天|主の昇天]]||||復活祭の40日後 |- |[[ペンテコステ|聖霊降臨]]||||復活祭の50日後 |- |聖霊降臨後の月曜日||||聖霊降臨祭の翌日 |- |[[6月23日]]||大公誕生日|||| |- |[[8月15日]]||[[聖母の被昇天|聖母被昇天祭]]|||| |- |移動祝日||ルクセンブルク市・ケルメス祭の月曜日||||8月 |- |[[11月1日]]||[[諸聖人の日]]|||| |- |[[12月25日]]||[[クリスマス]]|||| |- |[[12月26日]]||[[ボクシング・デー]]|||| |} == スポーツ == {{Main|ルクセンブルクのスポーツ}} {{See also|オリンピックのルクセンブルク選手団}} === サッカー === {{Main|{{仮リンク|ルクセンブルクのサッカー|en|Football in Luxembourg}}}} ルクセンブルクにおける[[サッカー]]の歴史は古く、今から110年以上前の[[1910年]]にサッカーリーグの『[[ルクセンブルク・ナショナルディビジョン]]』が創設された。リーグは14クラブから構成されており、[[ASジュネス・エシュ]]が最多28度の[[優勝]]を飾っている。また、[[日本]]との関係では[[サッカールクセンブルク代表]]の'''[[ジェルソン・ロドリゲス]]'''が、[[2019年]]に[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の[[ジュビロ磐田]]に在籍していた事でも知られる。 == 著名な出身者 == {{Main|ルクセンブルク人の一覧}} {{colbegin|2}} * [[ルクセンブルク家]] - [[貴族]]・[[王族|王家]] * [[ジャン=クロード・ユンケル]] - [[政治家]] * [[ガブリエル・リップマン]] - [[物理学者]] * [[テオドール・フンク=ブレンタノ]] - [[社会学者]] * [[ジャン=クロード・オロリッシュ]] - [[枢機卿]] * [[ミッシェル・スタイヘン]] - [[神父]] * [[ヒューゴー・ガーンズバック]] - [[小説家]] * [[エドワード・スタイケン]] - [[写真家]] * [[ヴィルヘルム・クロール]] - [[冶金]]技術者 * [[フランツ・フンク=ブレンタノ]] - [[歴史家]] * [[アーノ・マイヤー]] - 歴史家 * [[ジェフ・シュトラッサー]] - 元[[サッカー選手]] * [[ルイス・ピロット]] - 元サッカー選手 * [[ジェルソン・ロドリゲス]] - [[プロサッカー選手|サッカー選手]] * [[アンネ・クレマー]] - [[テニス選手]] * [[ジレ・ミュラー]] - テニス選手 * [[フルール・マクスウェル]] - [[フィギュアスケート]]選手 * [[マーク・ジラルデリ]] - [[スキー]]選手 * [[フランク・シュレク]] - [[ロードレース (自転車競技)|自転車ロードレース選手]] * [[アンディ・シュレク]] - 自転車ロードレース選手 * [[キム・キルシェン]] - 自転車ロードレース選手 *[[ボブ・ユンゲルス]] - 自転車ロードレース選手 * [[シャルリー・ゴール]] - 自転車ロードレース選手 * [[フランソワ・ファベール]] - 自転車ロードレース選手 * [[ニコラ・フランツ]] - 自転車ロードレース選手 {{colend}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{節スタブ}} == 関連項目 == * [[ルクセンブルク関係記事の一覧]] * [[ルクセンブルク君主一覧]] * [[ルクセンブルク大公]] * [[カーゴルックス航空]] * [[Skype]] - [[Skype for Business]] * [[ルクセンブルクのスポーツ]] * [[サッカールクセンブルク代表]] == 外部リンク == {{Commons&cat|Luxembourg|Luxembourg}} ; 政府 * [https://gouvernement.lu/ ルクセンブルク大公国政府]{{Fr icon}} * [https://tokyo.mae.lu/jp 在日ルクセンブルク大公国大使館]{{En icon}}{{Ja icon}} * [https://www.investinluxembourg.jp/ ルクセンブルク貿易投資事務所]{{Ja icon}} ; 日本政府 * [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/luxembourg/ 日本外務省 - ルクセンブルク]{{Ja icon}} * [https://www.lu.emb-japan.go.jp/ 在ルクセンブルク日本国大使館]{{Ja icon}}{{Fr icon}} ; 観光 * [https://www.visitluxembourg.com/ ルクセンブルク政府観光局]{{Fr icon}}{{En icon}} - 日本語のページも少々ある {{ヨーロッパ}} {{EU}} {{OECD}} {{OIF}} {{CPLP}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:るくせんふるく}} [[Category:ルクセンブルク|*]] [[Category:ヨーロッパの国]] [[Category:内陸国]] [[Category:先進国]] [[Category:現存する君主国]] [[Category:欧州連合加盟国]] [[Category:国際連合加盟国]] [[Category:NATO加盟国]] [[Category:経済協力開発機構加盟国]] [[Category:フランコフォニー加盟国]] [[Category:ドイツの領邦]] [[Category:ドイツ連邦]] [[Category:ドイツ語圏]] [[Category:フランス語圏]]
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9,919
セシウム
セシウム (新ラテン語: caesium, 英: cesium [ˈsiːziəm]) は、原子番号55の元素。元素記号は、「灰青色の」を意味するラテン語の caesius カエシウスより Cs。軟らかく黄色がかった銀色をしたアルカリ金属である。融点は28.44 °Cで、常温付近で液体状態をとる5種類の金属元素のうちの一つである。 セシウムの化学的・物理的性質は同じくアルカリ金属のルビジウムやカリウムと似ていて、水と−116 °Cで反応するほど反応性に富み、自然発火する。安定同位体を持つ元素の中で、最小の電気陰性度を持つ。セシウムの安定同位体はセシウム133のみである。セシウム資源となる代表的な鉱物はポルックス石である。 セシウムは、ウランの代表的な核分裂生成物である。放射性同位体のセシウム137は比較的多量に発生し、核兵器の使用や原発事故時の放射性降下物に含まれるため放射能汚染の原因となる。 2人のドイツ人化学者、ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフは、1860年に当時の新技術である炎光分光分析(英語版)を用いて鉱泉からセシウムを発見した。初めての応用先は真空管や光電素子のゲッター(英語版)であった。1967年、セシウム133の発光スペクトルの比振動数が国際単位系の秒の定義に選ばれた。それ以来、セシウムは原子時計として広く使われている。 1990年代以降のセシウムの最大の応用先は、ギ酸セシウムを使った掘穿泥水(英語版)である。エレクトロニクスや化学の分野でもさまざまな形で応用されている。放射性同位体であるセシウム137は約30年の半減期を持ち、医療技術、工業用計量器、水文学などに応用されている。 1860年、ドイツの化学者グスタフ・キルヒホフとロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンが、発光スペクトルの輝線が青色を呈することからラテン語の caesius(青色)にちなんで命名した。 セシュウム常磐井守泰「種々の汚染対象物への布状セシュウム吸着材の適用経験」『日本原子力学会 年会・大会予稿集』2013年春の年会、日本原子力学会、2013年、629頁、doi:10.11561/aesj.2013s.0.629.0、NAID 130004569233。 (要購読契約), 中尾行憲「講89. 胎盤のセシュウム137沈着量について」『日本産科婦人科學會雜誌』第19巻第8号、日本産科婦人科学会、1967年、987-988頁、NAID 110002195198、NDLJP:10665848。 、セシュームとも。 セシウムは非常に軟らかく(全ての元素の中で最小のモース硬度を持つ)、延性に富む銀白色の金属である。少しでも酸素が存在すると金色を帯びてくる。 融点は28.4 °Cで、常温付近で液体である五つの元素のうちの一つである。金属の中でセシウムは水銀に次いで融点が低い。加えて、沸点は641 °Cで金属としてはかなり低く、これも金属の中で水銀に次いで低い。 比重は1.9であり、比重の軽いアルカリ金属類の中では最も大きい。 化合物が燃焼するときに青から紫色の炎を伴うが、これはセシウムの炎色反応によるものである。これは主に励起したセシウムの最外殻電子が基底状態に戻る際に発せられる波長455.5 nm、459.3 nmの青色を示す一対のスペクトル線および、697.3 nm、672.3 nmの赤色を示す一対のスペクトル線によるものであり、この特徴的な青色の輝線はセシウムの名前の由来ともなっている。最外殻電子によるスペクトル線が二本に分かれて双子線となる理由は、電子のスピンに二つの方向があるためであり、他のアルカリ金属元素でも同様の双子線が見られる。 金属セシウムは非常に反応性に富み、自然発火しやすい。また、低温でも水と爆発的に反応し、他のアルカリ金属よりも反応性が高い。氷とは-116 °Cでも反応する。高い反応性を持つため、金属セシウムは消防法で危険物に指定されている。保存や運送は、乾燥状態にした鉱物油などの炭化水素を満たした容器に入れて行う。同様の理由で、取り扱いはアルゴンや窒素などの不活性ガスの下で行わなければならない。真空で密閉されたホウケイ酸ガラスのアンプルで保存できる。100 g以上のセシウムは、ステンレス製の容器に密閉されて輸送される。 セシウムの化学的性質は他のアルカリ金属、特に周期表で直上にあるルビジウムと似ており、全ての金属陽イオンがそうであるように、セシウムイオンは溶液中でルイス塩基と反応して錯体を形成する。ほかの(放射性でない)アルカリ金属に比べて、原子量が大きく電気的に陽性なので、性質にわずかな違いが生ずる。セシウムは、安定同位体の中では最も電気的に陽性なものである セシウムイオンはより軽いアルカリ金属のイオンに比べて、より大きく、軟らかい。そのイオン半径の大きさに起因して、他のアルカリ金属元素より多い配位数を取る傾向がある。このような、セシウムイオンの高い配位数を取る傾向とHSAB則における酸としての軟らかさは、セシウムイオンを他の陽イオンから分離するために利用される。この特性を応用して、放射性の Cs を大量の非放射性のカリウムイオン中から分離するために用いられるなど、核廃棄物の改善において研究が重ねられている。このようにセシウムは基本的にイオン結合性の化合物を形成するが、気体状態では共有結合性の二原子分子であるCs2を形成し、Cs11O3のような一部の亜酸化物においてもCs-Csの共有結合が見られる。 他のアルカリ金属と同様、金属セシウムは標準状態において体心立方格子構造を取る立方晶であり(α-Cs)、格子定数は a = 614 pm、空間群は Im3m である。41 kbarの圧力下で面心立方格子構造へと相転移し(β-Cs)、その際の格子定数は a = 598 pm となる。更に温度と圧力を上げると、菱面体晶系のγ-セシウムになる。 セシウムのイオン半径は非常に大きいため、イオン半径の小さい他のアルカリ金属元素よりも多い配位数を取る。この傾向は、他のアルカリ金属の塩化物が6配位の塩化ナトリウム型構造を取るのとは対照的に、セシウムの塩化物が8配位の塩化セシウム型構造を取ることに象徴される。塩化セシウム型構造は、塩素原子が立方格子の角の部分に位置し、セシウム原子が立方格子の中央のホールに位置するような、二種の原子からなる8配位の単純な体心立方格子から成っている。臭化セシウム (CsBr) やヨウ化セシウム (CsI)、その他多くのセシウムを含まない化合物もこの塩化セシウム型構造を取る。塩化セシウム型構造は、Cs のイオン半径が174 pm、Cl のイオン半径が181 pmと大きさが近いために形成される。 ほとんどすべてセシウム化合物は、セシウムを Cs カチオンとして持っており、これがさまざまなアニオンとイオン結合している。例外として、アルカリドである Cs アニオンを含むものがある。他の例外は亜酸化物で見られる。 Cs の塩は、アニオンが有色でない限りほとんど無色である。吸湿性であるものが多いが、他の軽いアルカリ金属よりはその度合いは弱い。セシウムの酢酸塩、炭酸塩、酸化物、硝酸塩、硫酸塩は水に可溶である。複塩の多くはあまり水に溶けないので、硫酸アルミニウムセシウムは鉱石からセシウムを精製するのに利用される。アンチモン、ビスマス、カドミウム、銅、鉄、鉛との複塩(たとえば CsSbCl4)も難溶性である。 水酸化セシウムは吸湿性の強塩基性物質である。これはケイ素などの半導体の表面をすみやかにエッチングする作用を持つ。以前は、Cs と OH の相互作用が小さいことから、CsOH は最も強い塩基であると考えられていた。しかし、21世紀に入り、N-ブチルリチウムやナトリウムアミドをはじめ、CsOH より塩基性が強い化合物は数多く見いだされるに至った。 ヨウ化セシウム (CsI) は、エックス線蛍光倍増管・ガンマ線検出用単結晶に用いられる。 アルカリ金属元素は酸素との二元化合物を多く形成するが、セシウムはさらに多くの酸素との二元化合物を形成する。セシウムが空気中で燃焼する際、超酸化物の CsO2 が主に生成する。これは、超酸化物イオン (O2) のような不安定な陰イオンが、イオン半径の大きなセシウムの格子エネルギー効果によって安定化されるためである。 「通常の」セシウム酸化物である Cs2O は黄色からオレンジ色をした六方晶であり、唯一の逆塩化カドミウム型構造を取る酸化物である。250 °Cで蒸発し、400 °Cで金属セシウムと過酸化物 Cs2O2 に分解する。過酸化物およびオゾン化物 CsO3 以外にも、いくつかの明るい色をした亜酸化物について研究されている。これらは Cs7O、Cs4O、Cs11O3、Cs3O(暗緑色)、CsO、Cs3O2 ならびに Cs7O2 が含まれる。これらの酸化物に対応した硫化物、セレン化物およびテルル化物も存在する。 セシウムは他のアルカリ金属や金と合金をつくり、水銀とアマルガムをつくる。650 °C以下では、コバルト、鉄、モリブデン、白金、タンタル、タングステンとも合金をつくる。アンチモン、ガリウム、インジウム、トリウムとは、明瞭な金属間化合物をつくり、これらは感光性(英語版)がある。リチウム以外の他のアルカリ金属と混ざり、モル濃度で41%のセシウム、47%のカリウム、12%のナトリウムからなる合金は、すべての合金の中で最低の融点 (-78 °C) を持つ。いくつかのアマルガムが研究されていて、CsHg2 は紫色の金属光沢をもつ黒色物質で、CsHg は同様に金属光沢を持つ金色の物質である。 セシウムは112から151までの幅の質量数(すなわち、原子核中の核子数)を持つ39種の既知の同位体を有する。これらの内のいくつかは、古い星の中での遅い中性子捕獲プロセス(s過程) ならびに超新星爆発時(r過程)に軽い元素から合成される。しかしながら、唯一の安定同位体は78個の中性子を持つセシウム133のみである。セシウム133は+7/2と大きなスピン角運動量を持っており、この同位体を利用してNMR測定による構造解析が行われる(磁場強度11.74 Tのとき共鳴周波数65.6 MHz)。 放射性同位体であるセシウム135は230万年という非常に長い半減期を有しており、セシウム137およびセシウム134はそれぞれ30年および2年という半減期である。セシウム137はベータ崩壊によって短命なバリウム137mに壊変し、その後非放射性のバリウムとなる。セシウム134は直接バリウム134に壊変する。質量数129、131、132および136の同位体は、半減期が1日から2週間の間であり、他の大部分の同位体の半減期は2–3秒から数分の1秒である。少なくとも21種類の準安定な核異性体が存在する。3時間未満の半減期を持つセシウム134m以外は非常に不安定で、2–3分以下の半減期で崩壊する。 同位体元素のセシウム135は、ウランの核反応によって生成する長寿命核分裂生成物の一つである。しかしながら、セシウム135の前駆体のキセノン135は非常に中性子を吸収しやすく、また、しばしばセシウム135に壊変する前に安定同位体であるキセノン136に変わるため、たいていの原子炉においてその核分裂収量は減少する。 セシウム137はバリウム137mへとベータ崩壊するため、ガンマ線の強い発生源である。セシウム137はストロンチウム90と同様に主要な中寿命核分裂生成物となる。これらは使用済み核燃料の放射能の原因となり、使用後、数年から最高で数百年間の冷却を必要とする。例えば、セシウム137とストロンチウム90は現在、チェルノブイリ原子力発電所事故の周囲の地域で発生している放射能の発生源の大部分を占めている。セシウム137は中性子の捕獲率が低いため、中性子捕獲によるセシウム137の処理ができず、自然に崩壊するのを待たねばならない。 ほとんど全てのセシウムは、ベータ崩壊系列によって生成した中性子/陽子比の高いヨウ素とキセノンのベータ崩壊を通じて生成する。ヨウ素やキセノンは揮発性であるため、核燃料や空気を通じて拡散し、放射性セシウムはしばしば初めに核分裂した場所から離れたところで生成する。およそ1945年頃から始まった核実験によってセシウム137は空気中に放出され、放射性降下物の構成物質として地表に降り注いだ。 人工的に作られる(ウランの核分裂により生ずる)セシウム137は、半減期30.07年の放射性同位体である。 体内に入ると血液の流れに乗って腸や肝臓にベータ線とガンマ線を放射し、カリウムと置き換わって筋肉に蓄積したのち、腎臓を経て体外に排出される。セシウム137は、体内に取り込まれてから体外に排出されるまでの100日から200日にわたってベータ線とガンマ線を放射し体内被曝の原因となるため、危険性が指摘されている。セシウム137に汚染された空気や飲食物を摂取することで、体内に取り込まれる。なお、ヨウ素剤を服用してもセシウム137の体内被曝を防ぐことはできない。セシウム137は医療用の放射線源に使われているが、1987年には、ブラジルのゴイアニアで廃病院からセシウム137が盗難に遭った上、光るセシウム137の塊に魔力を感じた住民が体に塗ったり飲んだりしたことで250人が被曝、4人が死亡する大規模な被曝事件が発生している(ゴイアニア被曝事故)。 植物(農作物)での移行係数 (TF) は、農作物中濃度 (Bq) ÷ 土壌中濃度 (Bq) で表される。カリウム (K) と似た挙動を示すとされているが、動物と植物での挙動は異なる。なお、観測されている「濃縮」は環境中と細胞内での電解質濃度の差に由来するものであり、Kに対して際だってCsを濃縮する様な生物種は観測されていない。代謝に伴って常に生体内のアルカリ金属、アルカリ土類金属は細胞を出入りしており、重金属の場合のような蓄積に起因する「濃縮」は生じないとされる。 植物の種類および核種により移行係数は異なる。イネ、ジャガイモ、キャベツを試料とした研究によれば、安定同位体のセシウム133と比較すると放射性のセシウム137は植物に移行しやすい。イネでは移行したセシウム元素の大部分が非可食部であるわらなどに含まれ、キャベツでは非可食部である外縁部のセシウムおよびストロンチウムの濃度が高くなることが報告されている。 降下した放射性物質が土壌の表層に多く存在するため、表層の物質を主な栄養源とする菌類の種では植物と比較すると、特異的に高い濃縮度を示すものがあり、屋外で人工栽培されるシイタケやマイタケでも濃度が高くなる傾向があることが報告されている。 主に軟組織に広く取り込まれて分布し、生物濃縮により魚食性の高い魚種(カツオ、マグロ、タラ、スズキなど)での高い濃縮度を示すデータが得られているが、底生生物を主な餌とする魚種(カレイ、ハタハタ、甲殻類、頭足類、貝類)では比較的濃縮度は低い。また大型の魚種ほど、濃縮度が高くなることが示唆されている。若い魚や高水温域に生息する魚ほど、代謝が良く排出量が多くなるため蓄積量は少ないと考えられている。体内に取り込まれる経路は、餌がほとんどであるが、鰓を通じて直接取り込まれる経路もあり、それぞれの経路の比率についてのデータは不足している。メスのコモンカスベの体重と、体内に含まれる、137Cs/134Cs の比の間に、相関関係があるとの報告がある。 現代でのセシウムの主要な用途のうちの一つは、石油採掘産業におけるギ酸セシウムを使った掘穿泥水(英語版)である。ギ酸セシウム水溶液 (HCOOCs) は水酸化セシウムとギ酸との反応によって作られ、1990年代半ばに油井を掘削する際の仕上流体として開発された。掘穿泥水は油井を掘る際に用いられる溶液であり、これを掘削ドリルから噴出させて地表へと循環させることで地層を掘り進める際に発生する土砂を地表へと運びだし、常に掘削ドリルから噴出させることで、刃先の冷却と潤滑を行なって掘削効率を向上させる。同時に、採掘抗がこの溶液で満たされることによって適度な内圧が保たれ、採掘抗の崩落を防ぐとともに地下水の混入を防ぐなど、油井の掘削に欠かせない様々な機能が要求される。ギ酸セシウム溶液はこのような特性要求を十分に満たしている。 ギ酸セシウム溶液の密度は最高 2.3 g/cm と高い。また、ギ酸カリウムもしくはギ酸ナトリウムと混ぜ合わせることで、密度を 1 g/cm まで低下させることができる。他の多くの高密度な溶液に用いられる物質と違い、ギ酸セシウムは相対的に環境負荷が小さい。高密度であるために掘削流体中の有毒な浮遊物質の使用量を低減でき、また、多くのセシウム化合物がそうであるようにギ酸セシウムの反応性は比較的穏やかであるなど、環境的に大きな利点を有する。さらに生分解性であり、使用後にそのまま埋め立てることもできる。ギ酸セシウムはコストが高い点(1バレルおよそ4,000ドル、2001年)が欠点であるが、リサイクルの可能性も検討されている。また、臭化亜鉛 (ZnBr2) のような腐食性の高密度塩溶液と比較して、アルカリ金属のギ酸塩は扱いが安全であり、その腐食性の低さに起因して設備などの生産編成や採掘抗の金属素材に損傷を与えない。それらの要素はまた、使用後の洗浄と処分のコストがより少なく済むことも意味している。 セシウム133はセシウム原子時計の基準点に使われる。その時間は、セシウム133の超微細準位における電磁気的な遷移の観測によって決定される。最初の精密なセシウム原子時計は、1955年にイギリス国立物理学研究所においてルイ・エッセン(英語版)によって作られた。それ以降、原子時計は半世紀の間繰り返し改善され、周波数測定に準拠した時間の規格の基本となっている。このような原子時計には10分の2から3ほどの精度があり、これは1日に2ナノ秒もしくは140万年に1秒の時間のずれに一致する。最新のものでは10分の1と、より改善された精度を有し、これは恐竜の絶滅した6500万年前以降の期間でおよそ2秒のずれしか生じない事を意味しており、「人類が達成した中で最も高精度な単位」であると考えられている。 セシウム時計は、携帯電話における送信の計時や、インターネットにおける情報の流れの監視にも用いられる。 セシウム蒸気を用いた熱電子発電は、熱エネルギーを電気エネルギーに変換する低出力の装置である。真空管のコンバーターを正極と陰極の間に置くことで、陰極の近くで蓄積される空間電荷を無効にすることができ、その際に電流の流れが強化される。 光エネルギーを電流に変換する光電特性の意味でもまた、セシウムは重要である。金属間化合物である K2CsRb のようなセシウムベースの陰極は電子の放出のための立上がり電圧が低いため、セシウムは光電セルに用いられる。セシウムを用いた光電デバイスの範囲は、光学的な文字認識システムや電気光電子増倍管、撮像管にまでおよぶ。とはいえ、感光性材料の用途には、ゲルマニウムやルビジウム、セレン、ケイ素、テルルおよび他の元素をセシウムの代替とすることができる。 ヨウ化セシウム (CsI)、臭化セシウム (CsBr)、フッ化セシウム (CsF) の結晶は、ガンマ線およびエックス線の検出に適したものとして、鉱物の調査や素粒子物理学の研究において広範囲に用いられ、シンチレーション検出器におけるシンチレーターに使われる。セシウムは重い元素であるため阻止能が向上でき、優れた検出感度を発揮させることができる。セシウムの化合物はまた、より早い応答能 (CsF) や、より低い吸湿性 (CsI) にも寄与する。 セシウムの蒸気は、多くの一般的な磁気センサに用いられる。セシウムはまた、分光測色計の内部標準にも用いられる。他のアルカリ金属のようにセシウムは酸素に対する強い親和性を有し、真空管における「ゲッター」として用いられる。金属セシウムの他の用途としては、高エネルギーレーザー、蛍光灯におけるグローランプのガス、セシウム蒸気整流器などが含まれる。 塩化物 (CsCl) や硫酸塩 (Cs2SO4)、トリフルオロ酢酸塩 (Cs(OCOCF3)) 溶液の高比重を利用して、一般的に分子生物学の分野において密度勾配超遠心法に用いられる。この技術は主に、微量のウイルスや細胞内の細胞小器官および断片、そして生体サンプルからの核酸などの分離に利用される。 セシウムの化学的用途は比較的少ない。セシウム化合物によるドープ処理は、アクリル酸やアントラキノン、メタノール、無水フタル酸、スチレン、メタクリル酸メチルのモノマーおよび様々なオレフィンといった化合物の生産において、いくつかの金属イオン触媒の効果を強化するために用いられる。セシウムはまた、接触法による硫酸の生産において、触媒として用いられる五酸化バナジウムに添加される。 フッ化セシウムは、有機化学において塩基としてまれに用いられる。また、水を含まないフッ化物イオン源としても用いられる。有機合成において、セシウム塩は時折カリウム塩やナトリウム塩の代替として、環化反応やエステル化反応、重合反応に用いられる。 放射性同位体のセシウム137はコバルト60と同様に強いガンマ線を発するので、産業用のガンマ線照射用の線源として用いられる重要な放射性同位体である。その利点として、およそ30年という半減期、核燃料サイクル由来のセシウム137を利用できること、そして最終的に安定なバリウム137となることが挙げられる。水溶性が高いため食物および医薬品への照射には適さないという欠点もある。セシウム137は農業や癌治療、また、食品や下水汚泥、医療器具の殺菌などに使われている。放射線装置におけるセシウムの放射性同位元素は、特定の種類の癌を治療するために医療分野で用いられていた が、よりよい代替手段が出現したことと、セシウム源として使われていた塩化セシウムがその水溶性によって広範囲に及ぶ汚染を引き起こすことから、徐々にこれらのセシウム源は使われなくなっていった。セシウム137は、湿度や密度、水準測量、すきまゲージを含む、様々な産業用測定器に用いられている。また、地質層の容積密度に対応する、岩層の電子密度を測定する検層装置にも用いられる。 セシウム137は、水文学においてトリチウムと同様に用いられる。セシウム137は核兵器の爆発および原子力発電所からの放出物によって生み出される。1945年頃に開始され、1980年代まで続けられた核実験によってセシウム137は大気圏に放出され、すぐに水に吸収された。その期間における経年変化は、土壌や堆積物層の情報と関係付けることができる。セシウム134、およびより狭い範囲においてセシウム135もまた、原子力産業によるセシウムの放出量の算定に、水文学において用いられている。それらの同位体はセシウム133やセシウム137よりは存在量が多くないが、完全に人工的なものであることが利点である。 惑星間での、あるいは惑星外への超長期間の航行を目的とした宇宙船のために設計された初期のイオンエンジンの推進剤として、セシウムおよび水銀が使われていた。電圧を印加したタングステン電極と接触させ、外殻の電子を奪うという方法でイオン化することにより、推進剤として用いられた。しかし、宇宙船の構成要素としてセシウムには腐食性についての懸念があったため、キセノンのような不活性ガスを推進剤として利用する方向へと開発は進んだ。キセノンは、地上でのテストにおいて取り扱いが簡単で、宇宙船に対する干渉がより少ない可能性がある。結局、1998年から始まった実験的な宇宙船ディープ・スペース1号にはキセノンが使われた。しかしながら、推進力を得るためにセシウムのような液体金属イオンを加速する単純なシステムを使う電界放射式電気推進エンジンも作られている。 硝酸セシウムは近赤外スペクトルにおいて強い光を発するため、LUU-19照明弾 のような赤外線照明弾においてケイ素を燃焼させるための酸化剤・炎色発光剤として用いられる。セシウムはまた、SR-71軍用機における排気ガスのレーダー反射断面積を減らすために用いられる。セシウムやルビジウムは電気伝導度を減少させるので、光ファイバーや暗視装置の安定性と耐久性を向上させるため、炭酸塩としてガラスに添加される。フッ化セシウムやフッ化セシウムアルミニウムは、マグネシウムを含有したアルミニウム合金をろう付けするために配合された融剤に用いられる。 MHD発電システムは研究されているが、広く受け入れられることに失敗している。セシウム金属はまた、高温ランキンサイクルターボ発電機の作動流体としての候補にも挙がっている。セシウム塩はまた、ヒ素剤投与後の抗ショック剤としても検討されている。心臓の拍動に影響を与えるため、カリウム塩やルビジウム塩よりは使われる見込みが少ない。それらはまた、てんかんの治療にも用いられた。 1860年、ドイツの化学者グスタフ・キルヒホフとロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンがバート・デュルクハイム(en:Bad Dürkheim)の鉱泉の水から発見した。セシウムはキルヒホフとブンゼンが分光器を発明してからわずか1年後に発見された初めての元素であった。 セシウムの純粋な試料を得るためには、44,000 Lの鉱水を蒸発させて240 kgの濃縮塩溶液を作らなければならなかった。分離過程は以下のようなものである。まずアルカリ土類金属は硫酸塩もしくはシュウ酸塩として沈殿分離され、溶液中にはアルカリ金属類が残された。次に硝酸塩へと変換してエタノールで抽出することで、ナトリウムを含まない混合物が得られた。この混合液から、リチウムは炭酸アンモニウムによって沈殿させて分離された。カリウム、ルビジウムおよびセシウムはヘキサクロリド白金(IV)酸によって不溶性塩を形成させた。これらのヘキサクロリド白金酸塩は、温水に対してわずかに溶解性の差異を示す。したがって、溶解性の低いセシウムおよびルビジウムのヘキサクロリド白金(IV)酸塩 ((Cs,Rb)2PtCl6) が分別晶出によってわずかに得られた。水素によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、セシウムとルビジウムは炭酸塩のアルコールに対する溶解度の違いによって分離された。この過程によって、44,000 Lの鉱水から、9.2 gの塩化ルビジウムと7.3 gの塩化セシウムが得られた。 キルヒホフとブンゼンの二人は、このようにして得られた塩化セシウムを用いてこの新しい元素の原子量が123.35であると推定した(現在一般に認められている値は132.9である)。彼らは塩化セシウムの電気分解によって単体のセシウムを作ろうとしたが、金属の代わりに、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質が得られた。その結果、彼らはこれを亜塩化物 (Cs2Cl) であるとしたが、実際には恐らくコロイド状の金属と塩化セシウムの混合物であった。水銀アノード電極を用いた塩化物溶液の電気分解では、水の存在下ですぐさま分解するセシウムアマルガムが生じた。純粋な金属は結局、アウグスト・ケクレとブンゼンのもとで博士号のための研究をしていたドイツの化学者カール・セッテルベルグによって単離された。1882年、セッテルベルグはシアン化セシウムの電気分解によって金属セシウムを作り出し、塩化物を原因とする問題を回避した。 歴史的に最も重要なセシウムの用途は、主に化学および電気の分野における研究開発向けであった。セシウムの極めて少ない用途としては、1920年代まではラジオの真空管に用いられていた。それには、真空管製造後の管内の余分な酸素を除去するゲッターとしての役目と、熱せられたカソードの電気伝導度を向上させるためのコーティング剤としての役目の二つの機能があった。セシウムは1950年代までは高性能な工業用金属として認められていなかった。非放射性セシウムの用途には光電材料、光電子増倍管、赤外分光光度計の光学部品、いくつかの有機反応における触媒、シンチレーション検出器用の結晶、MHD発電などが含まれる。 1967年以降、国際単位系は時間の秒の単位の基準にセシウムの性質を用いた基準を採用している。国際単位系は、セシウム133原子の二つの基底状態における超微細準位間の移行と一致する、放射の9,192,631,770サイクルの長さを1秒と定義した。1967年の第13回国際度量衡総会において、1秒の長さは「外部から疎外されない基底状態におけるセシウム133の超微細準位の移行によって発生もしくは吸収されるマイクロ波光線の9,192,631,770サイクルの時間」と定義された。 セシウムの放射性同位体であるセシウム137は、原子爆弾が投下された広島市と長崎市の両方で記録が残っている「黒い雨」(原子爆弾投下後に地上に「降下する」放射性降下物の一形態)に含まれていたと考えられていて、原子爆弾が投下後の広島における降雨範囲を特定するために土壌中のセシウム137の測定結果が利用されている。 また、文部科学省において放射性セシウム分析法が1963年に制定され、1976年に改訂されている。 セシウムは地殻中に平均およそ3 ppmの濃度で存在していると見積もられており、比較的珍しい元素である。これは、全ての元素の中で45番目の存在量であり、全ての金属の中では36番目である。それでもセシウムは、アンチモンやカドミウム、スズ、タングステンのような元素よりは豊富であり、水銀や銀よりは2桁多く存在するが、セシウムと化学的に密接に関連するルビジウムはさらに30倍ほど多い。 その大きなイオン半径のため、セシウムは「不適合元素」の一つである。マグマが結晶化する過程で、セシウムは液相で濃縮され最後に結晶化する。したがってセシウムは、これらの濃縮過程によって形成されるペグマタイト鉱物に最も大きく堆積する。ルビジウムはカリウムと置換する性質があるが、セシウムはルビジウムほどすぐには置換しないため、アルカリ蒸発岩のカリ岩塩(シルビン、KCl)やカーナライト (KMgCl3•6H2O) には0.002%程度のセシウムのみしか含まれない。したがって、セシウムは鉱物ではほとんど見られない。パーセント単位のセシウムは緑柱石 (Be3Al2(SiO3)6) およびアボガドロ石 ((K,Cs)BF4) で見られることがある。また、最高15重量パーセントの Cs2O を含むものとして密接に関連した鉱物ペツォッタイト (Cs(Be2Li)Al2Si6O18) が、最高8.4重量%の Cs2O を含むものとして希少鉱物のロンドン石(英語版) ((Cs,K)Al4Be4(B,Be)12O28) が、セシウム濃度がより少なく広範囲にわたるものとしてローディズ石(英語版)がある。唯一の経済的に重要なセシウム源の鉱物はポルサイト (Cs(AlSi2O6)) である。これらは、世界中において数か所しかないベグマタイト地帯でのみ見つかり、より商業的に重要なリチウム鉱石であるリシア雲母およびペタライトと関連している。ペグマタイトの内部では、粒度が大きく、鉱物成分が強く分離していることで、採鉱のための良質な鉱物が形成されている。 世界で最も豊富なセシウム源の一つは、カナダのマニトバ州のベルニク湖にあるタンコ鉱山である。その鉱床には350,000トンのポルサイト鉱石が埋蔵されていると見積られており、これは世界の埋蔵量の2/3を占めているといわれている。しかし、ポルサイトに含まれるセシウムの化学量論的容量は42.6%であるが、この鉱床から採掘された純粋なポルサイト試料ではおおよそ34%のセシウムしか含まれず、平均容量は24 重量%でしかない。商用のポルサイトでは19%を超えるセシウムを含む。ジンバブエのビキタ(英語版)におけるペグマタイト鉱床ではペタライトのために採掘されるが、かなりの量のポルサイトも含んでいる。注目に値する量のポルサイトは、ナミビアのエロンゴ州でも採掘されている。現在のセシウムの世界の鉱山からの採掘量は年間5から10トンであり、可採年数は数千年にもなる。 ポルサイト鉱石の採掘は選択的な過程であり、大部分の金属鉱山の操業と比較して小規模である。鉱石は砕かれたあと手作業で選鉱されるが、通常は濃縮工程を経ずそのまま磨り潰される。セシウムは主に酸による分解、アルカリによる分解、直接還元の三つの方法でポルサイトから抽出される。 酸分解において、ポルサイト中のケイ酸塩は塩酸 (HCl) や硫酸 (H2SO4)、臭化水素酸 (HBr)、フッ化水素酸 (HF) のような強酸によって溶解される。塩酸によって可溶性塩化物の混合物が作られ、不溶性の塩化セシウムの複塩はアンチモンとの複塩 (Cs4SbCl7) やヨウ素との複塩 (Cs2ICl)、セリウムとの複塩 (Cs2(CeCl6) として沈殿する。これらを分離したのち、沈殿物として得られた純粋な複塩は分解され、水分を蒸発させることで純粋な塩化セシウムが得られる。硫酸を用いた方法では、セシウムミョウバン (CsAl(SO4)2•12H2O) として直接不溶性の複塩が得られる。セシウムミョウバン中の硫酸アルミニウムは、ミョウバンを炭素と共に焼成することで不溶性の酸化アルミニウムに変化させ、可溶性の 硫酸セシウム (Cs2SO4) を水で抽出して水溶液とすることで分離される。 炭酸カルシウムおよび塩化カルシウムとともにポルサイトを焼成させることで不溶性のケイ酸カルシウムと可溶性の塩化セシウムが得られる。これを水もしくは希アンモニア水 (NH4OH) で溶出させることで塩化セシウム溶液が得られる。この溶液を蒸発させることで塩化セシウムを得ることができ、反応させることでセシウムミョウバンもしくは炭酸セシウムを得ることもできる。商業的に採算の合う方法ではないが、真空中でカリウムまたはナトリウムもしくはカルシウムを用いて鉱石の直接還元させることで、直接金属セシウムを生産することができる。 塩類として採掘されたセシウムは、大部分が石油掘削などに利用するためギ酸セシウム (HCOOCs) に直接変換される。発展途上な市場へと供給するため、キャボット社 (Cabot Corporation) は1997年にカナダのマニトバ州ベルニク湖近郊のタンコ鉱山で、年間12,000バレルのギ酸セシウム溶液を生産する能力を有する工場を建設した。セシウムの小規模生産物として主要なものは塩化セシウムおよび硝酸セシウムである。 あるいは、鉱石から精製したセシウム化合物から金属セシウムが製造されることもある。塩化セシウムおよびその他のセシウムハロゲン化物はカルシウムもしくはバリウムによって700 °Cから800 °Cで還元され、次いで蒸留することによって金属セシウムが得られる。 同様に、アルミン酸塩や炭酸塩、水酸化物も、マグネシウムによって還元することができる。金属セシウムはまた、溶融させたシアン化セシウム (CsCN) の電気分解によって単離することもできる。特に純粋でガスを含まないセシウムは、水溶性の硫酸セシウムとアジ化バリウムから作られるアジ化セシウム (CsN3) を390 °Cで熱分解することによって得られる。真空下での利用では、二クロム酸セシウムをジルコニウムと反応させることによって気体を副生させずに純粋なセシウム金属が生成する。 2009年の純度99.8%の金属セシウムの価格は、メタルベースで1 g当たり10ドル(1オンス当たり280ドル)であるが、化合物はかなり安価である。 セシウム化合物は普通の人にとっては滅多に触れることがない物質だが、大部分のセシウム化合物はカリウムとセシウムの化学的類似性に由来するわずかな毒性がある。大量のセシウム化合物への曝露は刺激と痙攣を引き起こすが、それほどの量の自然中におけるセシウム源とは通常遭遇せず、環境化学においてセシウムは主要な汚染物質ではない。マウスにおける塩化セシウムの半数致死量 (LD50) の値は体重1 kgあたり2.3 gであり、これは塩化カリウムおよび塩化ナトリウムの値にほぼ等しい。 金属セシウムはもっとも反応性の高い元素のひとつであり、水との接触に際して非常に高い爆発性を有する。金属セシウムと水との反応によって生成する水素ガスは、その反応と共に放出される熱エネルギーによって加熱され、発火と激しい爆発を引き起こす。 そのような反応は他のアルカリ金属においても起こるが、セシウムにおいては、この爆発が冷水によっても十分引き金となり得るほどに強力である。金属セシウムは非常に強い自然発火性を持ち、空気中において自然に発火して水酸化物やさまざまな酸化物を形成する。水酸化セシウムは非常に強い塩基であり、ガラスは速やかに腐食される。 放射性物質の漏洩に由来して、同位体元素のセシウム134およびセシウム137は少量が生物圏に存在しているが、場所によって異なる放射能負荷の指標となる。放射性セシウムは放射性ヨウ素や放射性ストロンチウムなどの他の多くの核分裂生成物と比較すると人体に蓄積しにくい。他のアルカリ金属と同様に、放射性セシウムは尿と汗によって比較的早く排出される。一方で、放射性セシウムはカリウムとともに取り込まれ、果物や野菜などの植物の細胞に蓄積する傾向がある。汚染された森で放射性のセシウム137をキノコが子実体に蓄積することも示されている。湖へのセシウム137の蓄積はチェルノブイリ原子力発電所事故後に強く懸念されていた。国際原子力機関などは、セシウム137のような放射性物質は放射能兵器もしくは「汚い爆弾」に用いることが可能であると警告した。チェルノブイリ原子力発電所事故で放出された放射性セシウムによる健康リスク調査でも、危険性の程度に関して様々な主張がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "セシウム (新ラテン語: caesium, 英: cesium [ˈsiːziəm]) は、原子番号55の元素。元素記号は、「灰青色の」を意味するラテン語の caesius カエシウスより Cs。軟らかく黄色がかった銀色をしたアルカリ金属である。融点は28.44 °Cで、常温付近で液体状態をとる5種類の金属元素のうちの一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "セシウムの化学的・物理的性質は同じくアルカリ金属のルビジウムやカリウムと似ていて、水と−116 °Cで反応するほど反応性に富み、自然発火する。安定同位体を持つ元素の中で、最小の電気陰性度を持つ。セシウムの安定同位体はセシウム133のみである。セシウム資源となる代表的な鉱物はポルックス石である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "セシウムは、ウランの代表的な核分裂生成物である。放射性同位体のセシウム137は比較的多量に発生し、核兵器の使用や原発事故時の放射性降下物に含まれるため放射能汚染の原因となる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2人のドイツ人化学者、ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフは、1860年に当時の新技術である炎光分光分析(英語版)を用いて鉱泉からセシウムを発見した。初めての応用先は真空管や光電素子のゲッター(英語版)であった。1967年、セシウム133の発光スペクトルの比振動数が国際単位系の秒の定義に選ばれた。それ以来、セシウムは原子時計として広く使われている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1990年代以降のセシウムの最大の応用先は、ギ酸セシウムを使った掘穿泥水(英語版)である。エレクトロニクスや化学の分野でもさまざまな形で応用されている。放射性同位体であるセシウム137は約30年の半減期を持ち、医療技術、工業用計量器、水文学などに応用されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1860年、ドイツの化学者グスタフ・キルヒホフとロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンが、発光スペクトルの輝線が青色を呈することからラテン語の caesius(青色)にちなんで命名した。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "セシュウム常磐井守泰「種々の汚染対象物への布状セシュウム吸着材の適用経験」『日本原子力学会 年会・大会予稿集』2013年春の年会、日本原子力学会、2013年、629頁、doi:10.11561/aesj.2013s.0.629.0、NAID 130004569233。 (要購読契約), 中尾行憲「講89. 胎盤のセシュウム137沈着量について」『日本産科婦人科學會雜誌』第19巻第8号、日本産科婦人科学会、1967年、987-988頁、NAID 110002195198、NDLJP:10665848。 、セシュームとも。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "セシウムは非常に軟らかく(全ての元素の中で最小のモース硬度を持つ)、延性に富む銀白色の金属である。少しでも酸素が存在すると金色を帯びてくる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "融点は28.4 °Cで、常温付近で液体である五つの元素のうちの一つである。金属の中でセシウムは水銀に次いで融点が低い。加えて、沸点は641 °Cで金属としてはかなり低く、これも金属の中で水銀に次いで低い。 比重は1.9であり、比重の軽いアルカリ金属類の中では最も大きい。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "化合物が燃焼するときに青から紫色の炎を伴うが、これはセシウムの炎色反応によるものである。これは主に励起したセシウムの最外殻電子が基底状態に戻る際に発せられる波長455.5 nm、459.3 nmの青色を示す一対のスペクトル線および、697.3 nm、672.3 nmの赤色を示す一対のスペクトル線によるものであり、この特徴的な青色の輝線はセシウムの名前の由来ともなっている。最外殻電子によるスペクトル線が二本に分かれて双子線となる理由は、電子のスピンに二つの方向があるためであり、他のアルカリ金属元素でも同様の双子線が見られる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "金属セシウムは非常に反応性に富み、自然発火しやすい。また、低温でも水と爆発的に反応し、他のアルカリ金属よりも反応性が高い。氷とは-116 °Cでも反応する。高い反応性を持つため、金属セシウムは消防法で危険物に指定されている。保存や運送は、乾燥状態にした鉱物油などの炭化水素を満たした容器に入れて行う。同様の理由で、取り扱いはアルゴンや窒素などの不活性ガスの下で行わなければならない。真空で密閉されたホウケイ酸ガラスのアンプルで保存できる。100 g以上のセシウムは、ステンレス製の容器に密閉されて輸送される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "セシウムの化学的性質は他のアルカリ金属、特に周期表で直上にあるルビジウムと似ており、全ての金属陽イオンがそうであるように、セシウムイオンは溶液中でルイス塩基と反応して錯体を形成する。ほかの(放射性でない)アルカリ金属に比べて、原子量が大きく電気的に陽性なので、性質にわずかな違いが生ずる。セシウムは、安定同位体の中では最も電気的に陽性なものである セシウムイオンはより軽いアルカリ金属のイオンに比べて、より大きく、軟らかい。そのイオン半径の大きさに起因して、他のアルカリ金属元素より多い配位数を取る傾向がある。このような、セシウムイオンの高い配位数を取る傾向とHSAB則における酸としての軟らかさは、セシウムイオンを他の陽イオンから分離するために利用される。この特性を応用して、放射性の Cs を大量の非放射性のカリウムイオン中から分離するために用いられるなど、核廃棄物の改善において研究が重ねられている。このようにセシウムは基本的にイオン結合性の化合物を形成するが、気体状態では共有結合性の二原子分子であるCs2を形成し、Cs11O3のような一部の亜酸化物においてもCs-Csの共有結合が見られる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "他のアルカリ金属と同様、金属セシウムは標準状態において体心立方格子構造を取る立方晶であり(α-Cs)、格子定数は a = 614 pm、空間群は Im3m である。41 kbarの圧力下で面心立方格子構造へと相転移し(β-Cs)、その際の格子定数は a = 598 pm となる。更に温度と圧力を上げると、菱面体晶系のγ-セシウムになる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "セシウムのイオン半径は非常に大きいため、イオン半径の小さい他のアルカリ金属元素よりも多い配位数を取る。この傾向は、他のアルカリ金属の塩化物が6配位の塩化ナトリウム型構造を取るのとは対照的に、セシウムの塩化物が8配位の塩化セシウム型構造を取ることに象徴される。塩化セシウム型構造は、塩素原子が立方格子の角の部分に位置し、セシウム原子が立方格子の中央のホールに位置するような、二種の原子からなる8配位の単純な体心立方格子から成っている。臭化セシウム (CsBr) やヨウ化セシウム (CsI)、その他多くのセシウムを含まない化合物もこの塩化セシウム型構造を取る。塩化セシウム型構造は、Cs のイオン半径が174 pm、Cl のイオン半径が181 pmと大きさが近いために形成される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ほとんどすべてセシウム化合物は、セシウムを Cs カチオンとして持っており、これがさまざまなアニオンとイオン結合している。例外として、アルカリドである Cs アニオンを含むものがある。他の例外は亜酸化物で見られる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Cs の塩は、アニオンが有色でない限りほとんど無色である。吸湿性であるものが多いが、他の軽いアルカリ金属よりはその度合いは弱い。セシウムの酢酸塩、炭酸塩、酸化物、硝酸塩、硫酸塩は水に可溶である。複塩の多くはあまり水に溶けないので、硫酸アルミニウムセシウムは鉱石からセシウムを精製するのに利用される。アンチモン、ビスマス、カドミウム、銅、鉄、鉛との複塩(たとえば CsSbCl4)も難溶性である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "水酸化セシウムは吸湿性の強塩基性物質である。これはケイ素などの半導体の表面をすみやかにエッチングする作用を持つ。以前は、Cs と OH の相互作用が小さいことから、CsOH は最も強い塩基であると考えられていた。しかし、21世紀に入り、N-ブチルリチウムやナトリウムアミドをはじめ、CsOH より塩基性が強い化合物は数多く見いだされるに至った。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ヨウ化セシウム (CsI) は、エックス線蛍光倍増管・ガンマ線検出用単結晶に用いられる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "アルカリ金属元素は酸素との二元化合物を多く形成するが、セシウムはさらに多くの酸素との二元化合物を形成する。セシウムが空気中で燃焼する際、超酸化物の CsO2 が主に生成する。これは、超酸化物イオン (O2) のような不安定な陰イオンが、イオン半径の大きなセシウムの格子エネルギー効果によって安定化されるためである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「通常の」セシウム酸化物である Cs2O は黄色からオレンジ色をした六方晶であり、唯一の逆塩化カドミウム型構造を取る酸化物である。250 °Cで蒸発し、400 °Cで金属セシウムと過酸化物 Cs2O2 に分解する。過酸化物およびオゾン化物 CsO3 以外にも、いくつかの明るい色をした亜酸化物について研究されている。これらは Cs7O、Cs4O、Cs11O3、Cs3O(暗緑色)、CsO、Cs3O2 ならびに Cs7O2 が含まれる。これらの酸化物に対応した硫化物、セレン化物およびテルル化物も存在する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "セシウムは他のアルカリ金属や金と合金をつくり、水銀とアマルガムをつくる。650 °C以下では、コバルト、鉄、モリブデン、白金、タンタル、タングステンとも合金をつくる。アンチモン、ガリウム、インジウム、トリウムとは、明瞭な金属間化合物をつくり、これらは感光性(英語版)がある。リチウム以外の他のアルカリ金属と混ざり、モル濃度で41%のセシウム、47%のカリウム、12%のナトリウムからなる合金は、すべての合金の中で最低の融点 (-78 °C) を持つ。いくつかのアマルガムが研究されていて、CsHg2 は紫色の金属光沢をもつ黒色物質で、CsHg は同様に金属光沢を持つ金色の物質である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "セシウムは112から151までの幅の質量数(すなわち、原子核中の核子数)を持つ39種の既知の同位体を有する。これらの内のいくつかは、古い星の中での遅い中性子捕獲プロセス(s過程) ならびに超新星爆発時(r過程)に軽い元素から合成される。しかしながら、唯一の安定同位体は78個の中性子を持つセシウム133のみである。セシウム133は+7/2と大きなスピン角運動量を持っており、この同位体を利用してNMR測定による構造解析が行われる(磁場強度11.74 Tのとき共鳴周波数65.6 MHz)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "放射性同位体であるセシウム135は230万年という非常に長い半減期を有しており、セシウム137およびセシウム134はそれぞれ30年および2年という半減期である。セシウム137はベータ崩壊によって短命なバリウム137mに壊変し、その後非放射性のバリウムとなる。セシウム134は直接バリウム134に壊変する。質量数129、131、132および136の同位体は、半減期が1日から2週間の間であり、他の大部分の同位体の半減期は2–3秒から数分の1秒である。少なくとも21種類の準安定な核異性体が存在する。3時間未満の半減期を持つセシウム134m以外は非常に不安定で、2–3分以下の半減期で崩壊する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "同位体元素のセシウム135は、ウランの核反応によって生成する長寿命核分裂生成物の一つである。しかしながら、セシウム135の前駆体のキセノン135は非常に中性子を吸収しやすく、また、しばしばセシウム135に壊変する前に安定同位体であるキセノン136に変わるため、たいていの原子炉においてその核分裂収量は減少する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "セシウム137はバリウム137mへとベータ崩壊するため、ガンマ線の強い発生源である。セシウム137はストロンチウム90と同様に主要な中寿命核分裂生成物となる。これらは使用済み核燃料の放射能の原因となり、使用後、数年から最高で数百年間の冷却を必要とする。例えば、セシウム137とストロンチウム90は現在、チェルノブイリ原子力発電所事故の周囲の地域で発生している放射能の発生源の大部分を占めている。セシウム137は中性子の捕獲率が低いため、中性子捕獲によるセシウム137の処理ができず、自然に崩壊するのを待たねばならない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ほとんど全てのセシウムは、ベータ崩壊系列によって生成した中性子/陽子比の高いヨウ素とキセノンのベータ崩壊を通じて生成する。ヨウ素やキセノンは揮発性であるため、核燃料や空気を通じて拡散し、放射性セシウムはしばしば初めに核分裂した場所から離れたところで生成する。およそ1945年頃から始まった核実験によってセシウム137は空気中に放出され、放射性降下物の構成物質として地表に降り注いだ。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "人工的に作られる(ウランの核分裂により生ずる)セシウム137は、半減期30.07年の放射性同位体である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "体内に入ると血液の流れに乗って腸や肝臓にベータ線とガンマ線を放射し、カリウムと置き換わって筋肉に蓄積したのち、腎臓を経て体外に排出される。セシウム137は、体内に取り込まれてから体外に排出されるまでの100日から200日にわたってベータ線とガンマ線を放射し体内被曝の原因となるため、危険性が指摘されている。セシウム137に汚染された空気や飲食物を摂取することで、体内に取り込まれる。なお、ヨウ素剤を服用してもセシウム137の体内被曝を防ぐことはできない。セシウム137は医療用の放射線源に使われているが、1987年には、ブラジルのゴイアニアで廃病院からセシウム137が盗難に遭った上、光るセシウム137の塊に魔力を感じた住民が体に塗ったり飲んだりしたことで250人が被曝、4人が死亡する大規模な被曝事件が発生している(ゴイアニア被曝事故)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "植物(農作物)での移行係数 (TF) は、農作物中濃度 (Bq) ÷ 土壌中濃度 (Bq) で表される。カリウム (K) と似た挙動を示すとされているが、動物と植物での挙動は異なる。なお、観測されている「濃縮」は環境中と細胞内での電解質濃度の差に由来するものであり、Kに対して際だってCsを濃縮する様な生物種は観測されていない。代謝に伴って常に生体内のアルカリ金属、アルカリ土類金属は細胞を出入りしており、重金属の場合のような蓄積に起因する「濃縮」は生じないとされる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "植物の種類および核種により移行係数は異なる。イネ、ジャガイモ、キャベツを試料とした研究によれば、安定同位体のセシウム133と比較すると放射性のセシウム137は植物に移行しやすい。イネでは移行したセシウム元素の大部分が非可食部であるわらなどに含まれ、キャベツでは非可食部である外縁部のセシウムおよびストロンチウムの濃度が高くなることが報告されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "降下した放射性物質が土壌の表層に多く存在するため、表層の物質を主な栄養源とする菌類の種では植物と比較すると、特異的に高い濃縮度を示すものがあり、屋外で人工栽培されるシイタケやマイタケでも濃度が高くなる傾向があることが報告されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "主に軟組織に広く取り込まれて分布し、生物濃縮により魚食性の高い魚種(カツオ、マグロ、タラ、スズキなど)での高い濃縮度を示すデータが得られているが、底生生物を主な餌とする魚種(カレイ、ハタハタ、甲殻類、頭足類、貝類)では比較的濃縮度は低い。また大型の魚種ほど、濃縮度が高くなることが示唆されている。若い魚や高水温域に生息する魚ほど、代謝が良く排出量が多くなるため蓄積量は少ないと考えられている。体内に取り込まれる経路は、餌がほとんどであるが、鰓を通じて直接取り込まれる経路もあり、それぞれの経路の比率についてのデータは不足している。メスのコモンカスベの体重と、体内に含まれる、137Cs/134Cs の比の間に、相関関係があるとの報告がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "現代でのセシウムの主要な用途のうちの一つは、石油採掘産業におけるギ酸セシウムを使った掘穿泥水(英語版)である。ギ酸セシウム水溶液 (HCOOCs) は水酸化セシウムとギ酸との反応によって作られ、1990年代半ばに油井を掘削する際の仕上流体として開発された。掘穿泥水は油井を掘る際に用いられる溶液であり、これを掘削ドリルから噴出させて地表へと循環させることで地層を掘り進める際に発生する土砂を地表へと運びだし、常に掘削ドリルから噴出させることで、刃先の冷却と潤滑を行なって掘削効率を向上させる。同時に、採掘抗がこの溶液で満たされることによって適度な内圧が保たれ、採掘抗の崩落を防ぐとともに地下水の混入を防ぐなど、油井の掘削に欠かせない様々な機能が要求される。ギ酸セシウム溶液はこのような特性要求を十分に満たしている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ギ酸セシウム溶液の密度は最高 2.3 g/cm と高い。また、ギ酸カリウムもしくはギ酸ナトリウムと混ぜ合わせることで、密度を 1 g/cm まで低下させることができる。他の多くの高密度な溶液に用いられる物質と違い、ギ酸セシウムは相対的に環境負荷が小さい。高密度であるために掘削流体中の有毒な浮遊物質の使用量を低減でき、また、多くのセシウム化合物がそうであるようにギ酸セシウムの反応性は比較的穏やかであるなど、環境的に大きな利点を有する。さらに生分解性であり、使用後にそのまま埋め立てることもできる。ギ酸セシウムはコストが高い点(1バレルおよそ4,000ドル、2001年)が欠点であるが、リサイクルの可能性も検討されている。また、臭化亜鉛 (ZnBr2) のような腐食性の高密度塩溶液と比較して、アルカリ金属のギ酸塩は扱いが安全であり、その腐食性の低さに起因して設備などの生産編成や採掘抗の金属素材に損傷を与えない。それらの要素はまた、使用後の洗浄と処分のコストがより少なく済むことも意味している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "セシウム133はセシウム原子時計の基準点に使われる。その時間は、セシウム133の超微細準位における電磁気的な遷移の観測によって決定される。最初の精密なセシウム原子時計は、1955年にイギリス国立物理学研究所においてルイ・エッセン(英語版)によって作られた。それ以降、原子時計は半世紀の間繰り返し改善され、周波数測定に準拠した時間の規格の基本となっている。このような原子時計には10分の2から3ほどの精度があり、これは1日に2ナノ秒もしくは140万年に1秒の時間のずれに一致する。最新のものでは10分の1と、より改善された精度を有し、これは恐竜の絶滅した6500万年前以降の期間でおよそ2秒のずれしか生じない事を意味しており、「人類が達成した中で最も高精度な単位」であると考えられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "セシウム時計は、携帯電話における送信の計時や、インターネットにおける情報の流れの監視にも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "セシウム蒸気を用いた熱電子発電は、熱エネルギーを電気エネルギーに変換する低出力の装置である。真空管のコンバーターを正極と陰極の間に置くことで、陰極の近くで蓄積される空間電荷を無効にすることができ、その際に電流の流れが強化される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "光エネルギーを電流に変換する光電特性の意味でもまた、セシウムは重要である。金属間化合物である K2CsRb のようなセシウムベースの陰極は電子の放出のための立上がり電圧が低いため、セシウムは光電セルに用いられる。セシウムを用いた光電デバイスの範囲は、光学的な文字認識システムや電気光電子増倍管、撮像管にまでおよぶ。とはいえ、感光性材料の用途には、ゲルマニウムやルビジウム、セレン、ケイ素、テルルおよび他の元素をセシウムの代替とすることができる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ヨウ化セシウム (CsI)、臭化セシウム (CsBr)、フッ化セシウム (CsF) の結晶は、ガンマ線およびエックス線の検出に適したものとして、鉱物の調査や素粒子物理学の研究において広範囲に用いられ、シンチレーション検出器におけるシンチレーターに使われる。セシウムは重い元素であるため阻止能が向上でき、優れた検出感度を発揮させることができる。セシウムの化合物はまた、より早い応答能 (CsF) や、より低い吸湿性 (CsI) にも寄与する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "セシウムの蒸気は、多くの一般的な磁気センサに用いられる。セシウムはまた、分光測色計の内部標準にも用いられる。他のアルカリ金属のようにセシウムは酸素に対する強い親和性を有し、真空管における「ゲッター」として用いられる。金属セシウムの他の用途としては、高エネルギーレーザー、蛍光灯におけるグローランプのガス、セシウム蒸気整流器などが含まれる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "塩化物 (CsCl) や硫酸塩 (Cs2SO4)、トリフルオロ酢酸塩 (Cs(OCOCF3)) 溶液の高比重を利用して、一般的に分子生物学の分野において密度勾配超遠心法に用いられる。この技術は主に、微量のウイルスや細胞内の細胞小器官および断片、そして生体サンプルからの核酸などの分離に利用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "セシウムの化学的用途は比較的少ない。セシウム化合物によるドープ処理は、アクリル酸やアントラキノン、メタノール、無水フタル酸、スチレン、メタクリル酸メチルのモノマーおよび様々なオレフィンといった化合物の生産において、いくつかの金属イオン触媒の効果を強化するために用いられる。セシウムはまた、接触法による硫酸の生産において、触媒として用いられる五酸化バナジウムに添加される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "フッ化セシウムは、有機化学において塩基としてまれに用いられる。また、水を含まないフッ化物イオン源としても用いられる。有機合成において、セシウム塩は時折カリウム塩やナトリウム塩の代替として、環化反応やエステル化反応、重合反応に用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "放射性同位体のセシウム137はコバルト60と同様に強いガンマ線を発するので、産業用のガンマ線照射用の線源として用いられる重要な放射性同位体である。その利点として、およそ30年という半減期、核燃料サイクル由来のセシウム137を利用できること、そして最終的に安定なバリウム137となることが挙げられる。水溶性が高いため食物および医薬品への照射には適さないという欠点もある。セシウム137は農業や癌治療、また、食品や下水汚泥、医療器具の殺菌などに使われている。放射線装置におけるセシウムの放射性同位元素は、特定の種類の癌を治療するために医療分野で用いられていた が、よりよい代替手段が出現したことと、セシウム源として使われていた塩化セシウムがその水溶性によって広範囲に及ぶ汚染を引き起こすことから、徐々にこれらのセシウム源は使われなくなっていった。セシウム137は、湿度や密度、水準測量、すきまゲージを含む、様々な産業用測定器に用いられている。また、地質層の容積密度に対応する、岩層の電子密度を測定する検層装置にも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "セシウム137は、水文学においてトリチウムと同様に用いられる。セシウム137は核兵器の爆発および原子力発電所からの放出物によって生み出される。1945年頃に開始され、1980年代まで続けられた核実験によってセシウム137は大気圏に放出され、すぐに水に吸収された。その期間における経年変化は、土壌や堆積物層の情報と関係付けることができる。セシウム134、およびより狭い範囲においてセシウム135もまた、原子力産業によるセシウムの放出量の算定に、水文学において用いられている。それらの同位体はセシウム133やセシウム137よりは存在量が多くないが、完全に人工的なものであることが利点である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "惑星間での、あるいは惑星外への超長期間の航行を目的とした宇宙船のために設計された初期のイオンエンジンの推進剤として、セシウムおよび水銀が使われていた。電圧を印加したタングステン電極と接触させ、外殻の電子を奪うという方法でイオン化することにより、推進剤として用いられた。しかし、宇宙船の構成要素としてセシウムには腐食性についての懸念があったため、キセノンのような不活性ガスを推進剤として利用する方向へと開発は進んだ。キセノンは、地上でのテストにおいて取り扱いが簡単で、宇宙船に対する干渉がより少ない可能性がある。結局、1998年から始まった実験的な宇宙船ディープ・スペース1号にはキセノンが使われた。しかしながら、推進力を得るためにセシウムのような液体金属イオンを加速する単純なシステムを使う電界放射式電気推進エンジンも作られている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "硝酸セシウムは近赤外スペクトルにおいて強い光を発するため、LUU-19照明弾 のような赤外線照明弾においてケイ素を燃焼させるための酸化剤・炎色発光剤として用いられる。セシウムはまた、SR-71軍用機における排気ガスのレーダー反射断面積を減らすために用いられる。セシウムやルビジウムは電気伝導度を減少させるので、光ファイバーや暗視装置の安定性と耐久性を向上させるため、炭酸塩としてガラスに添加される。フッ化セシウムやフッ化セシウムアルミニウムは、マグネシウムを含有したアルミニウム合金をろう付けするために配合された融剤に用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "MHD発電システムは研究されているが、広く受け入れられることに失敗している。セシウム金属はまた、高温ランキンサイクルターボ発電機の作動流体としての候補にも挙がっている。セシウム塩はまた、ヒ素剤投与後の抗ショック剤としても検討されている。心臓の拍動に影響を与えるため、カリウム塩やルビジウム塩よりは使われる見込みが少ない。それらはまた、てんかんの治療にも用いられた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1860年、ドイツの化学者グスタフ・キルヒホフとロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンがバート・デュルクハイム(en:Bad Dürkheim)の鉱泉の水から発見した。セシウムはキルヒホフとブンゼンが分光器を発明してからわずか1年後に発見された初めての元素であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "セシウムの純粋な試料を得るためには、44,000 Lの鉱水を蒸発させて240 kgの濃縮塩溶液を作らなければならなかった。分離過程は以下のようなものである。まずアルカリ土類金属は硫酸塩もしくはシュウ酸塩として沈殿分離され、溶液中にはアルカリ金属類が残された。次に硝酸塩へと変換してエタノールで抽出することで、ナトリウムを含まない混合物が得られた。この混合液から、リチウムは炭酸アンモニウムによって沈殿させて分離された。カリウム、ルビジウムおよびセシウムはヘキサクロリド白金(IV)酸によって不溶性塩を形成させた。これらのヘキサクロリド白金酸塩は、温水に対してわずかに溶解性の差異を示す。したがって、溶解性の低いセシウムおよびルビジウムのヘキサクロリド白金(IV)酸塩 ((Cs,Rb)2PtCl6) が分別晶出によってわずかに得られた。水素によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、セシウムとルビジウムは炭酸塩のアルコールに対する溶解度の違いによって分離された。この過程によって、44,000 Lの鉱水から、9.2 gの塩化ルビジウムと7.3 gの塩化セシウムが得られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "キルヒホフとブンゼンの二人は、このようにして得られた塩化セシウムを用いてこの新しい元素の原子量が123.35であると推定した(現在一般に認められている値は132.9である)。彼らは塩化セシウムの電気分解によって単体のセシウムを作ろうとしたが、金属の代わりに、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質が得られた。その結果、彼らはこれを亜塩化物 (Cs2Cl) であるとしたが、実際には恐らくコロイド状の金属と塩化セシウムの混合物であった。水銀アノード電極を用いた塩化物溶液の電気分解では、水の存在下ですぐさま分解するセシウムアマルガムが生じた。純粋な金属は結局、アウグスト・ケクレとブンゼンのもとで博士号のための研究をしていたドイツの化学者カール・セッテルベルグによって単離された。1882年、セッテルベルグはシアン化セシウムの電気分解によって金属セシウムを作り出し、塩化物を原因とする問題を回避した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "歴史的に最も重要なセシウムの用途は、主に化学および電気の分野における研究開発向けであった。セシウムの極めて少ない用途としては、1920年代まではラジオの真空管に用いられていた。それには、真空管製造後の管内の余分な酸素を除去するゲッターとしての役目と、熱せられたカソードの電気伝導度を向上させるためのコーティング剤としての役目の二つの機能があった。セシウムは1950年代までは高性能な工業用金属として認められていなかった。非放射性セシウムの用途には光電材料、光電子増倍管、赤外分光光度計の光学部品、いくつかの有機反応における触媒、シンチレーション検出器用の結晶、MHD発電などが含まれる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1967年以降、国際単位系は時間の秒の単位の基準にセシウムの性質を用いた基準を採用している。国際単位系は、セシウム133原子の二つの基底状態における超微細準位間の移行と一致する、放射の9,192,631,770サイクルの長さを1秒と定義した。1967年の第13回国際度量衡総会において、1秒の長さは「外部から疎外されない基底状態におけるセシウム133の超微細準位の移行によって発生もしくは吸収されるマイクロ波光線の9,192,631,770サイクルの時間」と定義された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "セシウムの放射性同位体であるセシウム137は、原子爆弾が投下された広島市と長崎市の両方で記録が残っている「黒い雨」(原子爆弾投下後に地上に「降下する」放射性降下物の一形態)に含まれていたと考えられていて、原子爆弾が投下後の広島における降雨範囲を特定するために土壌中のセシウム137の測定結果が利用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "また、文部科学省において放射性セシウム分析法が1963年に制定され、1976年に改訂されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "セシウムは地殻中に平均およそ3 ppmの濃度で存在していると見積もられており、比較的珍しい元素である。これは、全ての元素の中で45番目の存在量であり、全ての金属の中では36番目である。それでもセシウムは、アンチモンやカドミウム、スズ、タングステンのような元素よりは豊富であり、水銀や銀よりは2桁多く存在するが、セシウムと化学的に密接に関連するルビジウムはさらに30倍ほど多い。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "その大きなイオン半径のため、セシウムは「不適合元素」の一つである。マグマが結晶化する過程で、セシウムは液相で濃縮され最後に結晶化する。したがってセシウムは、これらの濃縮過程によって形成されるペグマタイト鉱物に最も大きく堆積する。ルビジウムはカリウムと置換する性質があるが、セシウムはルビジウムほどすぐには置換しないため、アルカリ蒸発岩のカリ岩塩(シルビン、KCl)やカーナライト (KMgCl3•6H2O) には0.002%程度のセシウムのみしか含まれない。したがって、セシウムは鉱物ではほとんど見られない。パーセント単位のセシウムは緑柱石 (Be3Al2(SiO3)6) およびアボガドロ石 ((K,Cs)BF4) で見られることがある。また、最高15重量パーセントの Cs2O を含むものとして密接に関連した鉱物ペツォッタイト (Cs(Be2Li)Al2Si6O18) が、最高8.4重量%の Cs2O を含むものとして希少鉱物のロンドン石(英語版) ((Cs,K)Al4Be4(B,Be)12O28) が、セシウム濃度がより少なく広範囲にわたるものとしてローディズ石(英語版)がある。唯一の経済的に重要なセシウム源の鉱物はポルサイト (Cs(AlSi2O6)) である。これらは、世界中において数か所しかないベグマタイト地帯でのみ見つかり、より商業的に重要なリチウム鉱石であるリシア雲母およびペタライトと関連している。ペグマタイトの内部では、粒度が大きく、鉱物成分が強く分離していることで、採鉱のための良質な鉱物が形成されている。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "世界で最も豊富なセシウム源の一つは、カナダのマニトバ州のベルニク湖にあるタンコ鉱山である。その鉱床には350,000トンのポルサイト鉱石が埋蔵されていると見積られており、これは世界の埋蔵量の2/3を占めているといわれている。しかし、ポルサイトに含まれるセシウムの化学量論的容量は42.6%であるが、この鉱床から採掘された純粋なポルサイト試料ではおおよそ34%のセシウムしか含まれず、平均容量は24 重量%でしかない。商用のポルサイトでは19%を超えるセシウムを含む。ジンバブエのビキタ(英語版)におけるペグマタイト鉱床ではペタライトのために採掘されるが、かなりの量のポルサイトも含んでいる。注目に値する量のポルサイトは、ナミビアのエロンゴ州でも採掘されている。現在のセシウムの世界の鉱山からの採掘量は年間5から10トンであり、可採年数は数千年にもなる。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ポルサイト鉱石の採掘は選択的な過程であり、大部分の金属鉱山の操業と比較して小規模である。鉱石は砕かれたあと手作業で選鉱されるが、通常は濃縮工程を経ずそのまま磨り潰される。セシウムは主に酸による分解、アルカリによる分解、直接還元の三つの方法でポルサイトから抽出される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "酸分解において、ポルサイト中のケイ酸塩は塩酸 (HCl) や硫酸 (H2SO4)、臭化水素酸 (HBr)、フッ化水素酸 (HF) のような強酸によって溶解される。塩酸によって可溶性塩化物の混合物が作られ、不溶性の塩化セシウムの複塩はアンチモンとの複塩 (Cs4SbCl7) やヨウ素との複塩 (Cs2ICl)、セリウムとの複塩 (Cs2(CeCl6) として沈殿する。これらを分離したのち、沈殿物として得られた純粋な複塩は分解され、水分を蒸発させることで純粋な塩化セシウムが得られる。硫酸を用いた方法では、セシウムミョウバン (CsAl(SO4)2•12H2O) として直接不溶性の複塩が得られる。セシウムミョウバン中の硫酸アルミニウムは、ミョウバンを炭素と共に焼成することで不溶性の酸化アルミニウムに変化させ、可溶性の 硫酸セシウム (Cs2SO4) を水で抽出して水溶液とすることで分離される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "炭酸カルシウムおよび塩化カルシウムとともにポルサイトを焼成させることで不溶性のケイ酸カルシウムと可溶性の塩化セシウムが得られる。これを水もしくは希アンモニア水 (NH4OH) で溶出させることで塩化セシウム溶液が得られる。この溶液を蒸発させることで塩化セシウムを得ることができ、反応させることでセシウムミョウバンもしくは炭酸セシウムを得ることもできる。商業的に採算の合う方法ではないが、真空中でカリウムまたはナトリウムもしくはカルシウムを用いて鉱石の直接還元させることで、直接金属セシウムを生産することができる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "塩類として採掘されたセシウムは、大部分が石油掘削などに利用するためギ酸セシウム (HCOOCs) に直接変換される。発展途上な市場へと供給するため、キャボット社 (Cabot Corporation) は1997年にカナダのマニトバ州ベルニク湖近郊のタンコ鉱山で、年間12,000バレルのギ酸セシウム溶液を生産する能力を有する工場を建設した。セシウムの小規模生産物として主要なものは塩化セシウムおよび硝酸セシウムである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "あるいは、鉱石から精製したセシウム化合物から金属セシウムが製造されることもある。塩化セシウムおよびその他のセシウムハロゲン化物はカルシウムもしくはバリウムによって700 °Cから800 °Cで還元され、次いで蒸留することによって金属セシウムが得られる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "同様に、アルミン酸塩や炭酸塩、水酸化物も、マグネシウムによって還元することができる。金属セシウムはまた、溶融させたシアン化セシウム (CsCN) の電気分解によって単離することもできる。特に純粋でガスを含まないセシウムは、水溶性の硫酸セシウムとアジ化バリウムから作られるアジ化セシウム (CsN3) を390 °Cで熱分解することによって得られる。真空下での利用では、二クロム酸セシウムをジルコニウムと反応させることによって気体を副生させずに純粋なセシウム金属が生成する。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2009年の純度99.8%の金属セシウムの価格は、メタルベースで1 g当たり10ドル(1オンス当たり280ドル)であるが、化合物はかなり安価である。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "セシウム化合物は普通の人にとっては滅多に触れることがない物質だが、大部分のセシウム化合物はカリウムとセシウムの化学的類似性に由来するわずかな毒性がある。大量のセシウム化合物への曝露は刺激と痙攣を引き起こすが、それほどの量の自然中におけるセシウム源とは通常遭遇せず、環境化学においてセシウムは主要な汚染物質ではない。マウスにおける塩化セシウムの半数致死量 (LD50) の値は体重1 kgあたり2.3 gであり、これは塩化カリウムおよび塩化ナトリウムの値にほぼ等しい。", "title": "健康と安全性に対する危険性" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "金属セシウムはもっとも反応性の高い元素のひとつであり、水との接触に際して非常に高い爆発性を有する。金属セシウムと水との反応によって生成する水素ガスは、その反応と共に放出される熱エネルギーによって加熱され、発火と激しい爆発を引き起こす。", "title": "健康と安全性に対する危険性" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "そのような反応は他のアルカリ金属においても起こるが、セシウムにおいては、この爆発が冷水によっても十分引き金となり得るほどに強力である。金属セシウムは非常に強い自然発火性を持ち、空気中において自然に発火して水酸化物やさまざまな酸化物を形成する。水酸化セシウムは非常に強い塩基であり、ガラスは速やかに腐食される。", "title": "健康と安全性に対する危険性" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "放射性物質の漏洩に由来して、同位体元素のセシウム134およびセシウム137は少量が生物圏に存在しているが、場所によって異なる放射能負荷の指標となる。放射性セシウムは放射性ヨウ素や放射性ストロンチウムなどの他の多くの核分裂生成物と比較すると人体に蓄積しにくい。他のアルカリ金属と同様に、放射性セシウムは尿と汗によって比較的早く排出される。一方で、放射性セシウムはカリウムとともに取り込まれ、果物や野菜などの植物の細胞に蓄積する傾向がある。汚染された森で放射性のセシウム137をキノコが子実体に蓄積することも示されている。湖へのセシウム137の蓄積はチェルノブイリ原子力発電所事故後に強く懸念されていた。国際原子力機関などは、セシウム137のような放射性物質は放射能兵器もしくは「汚い爆弾」に用いることが可能であると警告した。チェルノブイリ原子力発電所事故で放出された放射性セシウムによる健康リスク調査でも、危険性の程度に関して様々な主張がある。", "title": "健康と安全性に対する危険性" } ]
セシウム は、原子番号55の元素。元素記号は、「灰青色の」を意味するラテン語の caesius カエシウスより Cs。軟らかく黄色がかった銀色をしたアルカリ金属である。融点は28.44 °Cで、常温付近で液体状態をとる5種類の金属元素のうちの一つである。 セシウムの化学的・物理的性質は同じくアルカリ金属のルビジウムやカリウムと似ていて、水と−116 °Cで反応するほど反応性に富み、自然発火する。安定同位体を持つ元素の中で、最小の電気陰性度を持つ。セシウムの安定同位体はセシウム133のみである。セシウム資源となる代表的な鉱物はポルックス石である。 セシウムは、ウランの代表的な核分裂生成物である。放射性同位体のセシウム137は比較的多量に発生し、核兵器の使用や原発事故時の放射性降下物に含まれるため放射能汚染の原因となる。 2人のドイツ人化学者、ロベルト・ブンゼンとグスタフ・キルヒホフは、1860年に当時の新技術である炎光分光分析を用いて鉱泉からセシウムを発見した。初めての応用先は真空管や光電素子のゲッターであった。1967年、セシウム133の発光スペクトルの比振動数が国際単位系の秒の定義に選ばれた。それ以来、セシウムは原子時計として広く使われている。 1990年代以降のセシウムの最大の応用先は、ギ酸セシウムを使った掘穿泥水である。エレクトロニクスや化学の分野でもさまざまな形で応用されている。放射性同位体であるセシウム137は約30年の半減期を持ち、医療技術、工業用計量器、水文学などに応用されている。
{{Elementbox |name = cesium |japanese name = セシウム |number = 55 |symbol = Cs |left = [[キセノン]] |right = [[バリウム]] |above = [[ルビジウム|Rb]] |below = [[フランシウム|Fr]] |series = アルカリ金属 |series comment = |group = 1 |period = 6 |block = s |series color= |phase color= |appearance= 黄色がかった銀白色 |image name= Cesium.jpg |image size= |image alt= |image name comment= |image name 2= |image size 2= |image name 2 comment= |atomic mass= 132.9054519 |atomic mass 2=2 |atomic mass comment= |electron configuration= &#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 6s<sup>1</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 18, 8, 1 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt= 1.93 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3nrt 3= |density gpcm3mp= 1.843 |melting point K= 301.59 |melting point C= 28.44 |melting point F= 83.19 |melting point pressure= |sublimation point K= |sublimation point C= |sublimation point F= |sublimation point pressure= |boiling point K= 944 |boiling point C= 671 |boiling point F= 1240 |boiling point pressure= |triple 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name="magnet">{{citation|url=http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf|format=PDF|chapter=Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds|title=Handbook of Chemistry and Physics|edition=81st|publisher=CRC press|accessdate=2010-09-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040324080747/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pd|archivedate=2004年3月24日|deadurldate=2017年9月}}</ref> |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20=205 |thermal conductivity=35.9 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25=97 |speed of sound= |speed of sound rod at 20= |speed of sound rod at r.t.= |Tensile strength= |Young's modulus=1.7 |Shear modulus= |Bulk modulus=1.6 |Poisson ratio= |Mohs hardness=0.2 |Vickers hardness= |Brinell hardness=0.14 |CAS number=7440-46-2 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[セシウム133|133]] | sym=Cs | na=100 % | 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は、[[原子番号]]55の[[元素]]。[[元素記号]]は、「灰青色の」を意味するラテン語の '''c'''ae'''s'''ius カエシウスより '''Cs'''。軟らかく黄色がかった銀色をした[[アルカリ金属]]である。融点は28.44 {{℃}}で、[[液体金属|常温付近で液体状態をとる5種類]]の[[金属元素]]のうちの一つである{{#tag:ref|他の4種類の金属元素の融点は、[[ルビジウム]]が39.31 {{℃}}、[[フランシウム]]が推定で27 {{℃}}、[[水銀]]が−38.83 {{℃}}、[[ガリウム]]が29.76 {{℃}}である。[[臭素]]も常温で液体である(融点-7.2 {{℃}})が、[[ハロゲン]]は金属ではない<ref>{{Cite web|url=http://www.webelements.com/|publisher=University of Sheffield|accessdate=2010-12-01|title=WebElements Periodic Table of the Elements}}</ref>。|group=注}}。 セシウムの化学的・物理的性質は同じくアルカリ金属の[[ルビジウム]]や[[カリウム]]と似ていて、水と−116 {{℃}}で反応するほど反応性に富み、[[自然発火]]する。安定同位体を持つ元素の中で、最小の[[電気陰性度]]を持つ。セシウムの[[安定同位体]]は[[セシウム133]]のみである。セシウム資源となる代表的な[[鉱物]]は[[ポルックス石]]である<ref>[http://mric.jogmec.go.jp/public/report/2012-05/36.Cs_20120619.pdf 36セシウム(Cs) 独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構]</ref>。 セシウムは、[[ウラン]]の代表的な[[核分裂反応|核分裂]]生成物である<ref>{{Cite web |title=環境省_原子炉内の生成物 |url=https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h29kisoshiryo/h29kiso-02-02-03.html |website=www.env.go.jp |access-date=2023-11-20}}</ref>。[[放射性同位体]]の[[セシウム137]]は比較的多量に発生し、[[核兵器]]の使用や原発事故時の[[放射性降下物]]に含まれるため[[放射能汚染]]の原因となる。 2人のドイツ人化学者、[[ロベルト・ブンゼン]]と[[グスタフ・キルヒホフ]]は、[[1860年]]に当時の新技術である{{仮リンク|炎光分光分析|en|flame spectroscopy}}を用いて[[鉱泉]]からセシウムを発見した。初めての応用先は[[真空管]]や[[太陽電池|光電素子]]の{{仮リンク|ゲッター|en|Getter}}であった。[[1967年]]、セシウム133の[[発光スペクトル]]の比振動数が[[国際単位系]]の[[秒]]の定義に選ばれた。それ以来、セシウムは[[原子時計]]として広く使われている。 1990年代以降のセシウムの最大の応用先は、[[ギ酸セシウム]]を使った{{仮リンク|掘穿泥水|en|Drilling fluid}}である。エレクトロニクスや化学の分野でもさまざまな形で応用されている。放射性同位体であるセシウム137は約30年の半減期を持ち、医療技術、工業用計量器、[[水文学]]などに応用されている。 == 名称 == [[1860年]]、ドイツの化学者[[グスタフ・キルヒホフ]]と[[ロベルト・ブンゼン|ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン]]が、[[発光スペクトル]]の輝線が青色を呈することから[[ラテン語]]の caesius(青色)にちなんで命名した<ref group="注">ブンゼンは[[アウルス・ゲッリウス]]の『アッティカの夜』2巻26章に書かれた[[ニギディウス・フィグルス]]による言葉 “Nostris autem veteribus caesia dicts est quae Graecis, ut Nigidus ait, de colore coeli quasi coelia.” より引用した。</ref><ref name="BuKi1861">{{citation|title = Chemische Analyse durch Spectralbeobachtungen |pages = 337–381 |first1 = G.|last1 = Kirchhoff |first2 = R.|last2 = Bunsen|authorlink1 = グスタフ・キルヒホフ|authorlink2 =ロベルト・ブンゼン|doi = 10.1002/andp.18611890702 |journal = [[Annalen der Physik|Annalen der Physik und Chemie]] |volume = 189 |issue = 7|year = 1861}}</ref><ref name="Weeks">{{citation|title = The discovery of the elements. XIII. Some spectroscopic discoveries |pages = 1413–1434|last = Weeks|first = Mary Elvira |doi=10.1021/ed009p1413|journal = [[Journal of Chemical Education]] |volume =9 |issue =8 |year = 1932}}</ref>。 ===表記ゆれ=== '''セシュウム'''{{Cite journal|和書|author=常磐井守泰 |title=種々の汚染対象物への布状セシュウム吸着材の適用経験 |journal=日本原子力学会 年会・大会予稿集 |publisher=日本原子力学会 |year=2013 |volume=2013年春の年会 |pages=629 |naid=130004569233 |doi=10.11561/aesj.2013s.0.629.0 |url=https://doi.org/10.11561/aesj.2013s.0.629.0}} {{要購読}}, {{Cite journal|和書|author=中尾行憲 |title=講89. 胎盤のセシュウム137沈着量について |journal=日本産科婦人科學會雜誌 |publisher=日本産科婦人科学会 |year=1967 |volume=19 |issue=8 |pages=987-988 |naid=110002195198 |id={{NDLJP|10665848}} |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10665848}}、'''セシューム'''<ref>{{Cite journal|和書|author=飯沼武 |title=東日本大震災と福島原発事故(2011.03.11)の1年目にあたって |journal=日本乳癌検診学会誌 |ISSN=0918-0729 |publisher=日本乳癌検診学会 |year=2012 |volume=21 |issue=2 |pages=202-202 |naid=130004713770 |doi=10.3804/jjabcs.21.202 |url=https://doi.org/10.3804/jjabcs.21.202}}, {{Cite journal|和書|author=石黒政一, 増永将二, 島田寿一, 奥野武, 赤尾文雄 |title=セシュームハライド : Tlの蛍光 : イオン結晶光物性 : 光学的性質II |journal=日本物理学会春季分科会講演予稿集 |publisher=日本物理学会 |year=1965 |volume=1965.2 |pages=297 |naid=110002027165 |doi=10.11316/jpsgaiyob.1965.2.0_297 |url=https://doi.org/10.11316/jpsgaiyob.1965.2.0_297}}</ref>とも。 == 特徴 == === 物理的性質 === [[File:CsCrystals.JPG|left|thumb|アルゴン中に保存されている高純度のセシウム133]] セシウムは非常に軟らかく(全ての元素の中で最小の[[モース硬度]]を持つ)、延性に富む銀白色の金属である。少しでも[[酸素]]が存在すると金色を帯びてくる<ref name="USGS">{{citation|url = http://pubs.usgs.gov/of/2004/1432/2004-1432.pdf|format = PDF|publisher = United States Geological Survey|accessdate = 2009-12-27|title = Mineral Commodity Profile: Cesium|first1 = William C.|last1 = Butterman|first2 = William E.|last2 = Brooks|first3 = Robert G.|last3 = Reese, Jr.|year=2004}}</ref><ref>{{Citation|title = Exploring Chemical Elements and their Compounds|author = Heiserman, David L.|publisher = McGraw-Hill|year = 1992|isbn = 0-8306-3015-5|pages = 201–203}}</ref>。 [[融点]]は28.4 {{℃}}で、常温付近で液体である五つの元素のうちの一つである。金属の中でセシウムは[[水銀]]に次いで融点が低い{{#tag:ref|おそらく放射性元素である[[フランシウム]]のほうが低い融点を持つだろうが、放射性崩壊が速すぎて純粋なフランシウムの試料が得られないのでそれを実証できない<ref>{{cite web|url=http://periodic.lanl.gov/elements/87.html |title=Francium |publisher=Periodic.lanl.gov |accessdate=2010-02-23}}</ref>。|group=注}}<ref name="autogenerated1">{{cite web|url=http://pubs.acs.org/cen/80th/print/cesium.html |title=C&EN: It's Elemental: The Periodic Table – Cesium |publisher=American Chemical Society|accessdate=2010-02-25|author=Kaner, Richard|year = 2003}}</ref>。加えて、[[沸点]]は641 {{℃}}で金属としてはかなり低く、これも金属の中で水銀に次いで低い<ref name="RSC">{{cite web|url=http://www.rsc.org/chemsoc/visualelements/pages/data/caesium_data.html |accessdate=2010-09-27|publisher=Royal Society of Chemistry|title=Chemical Data – Cesium – Cs|date=}}</ref>。 比重は1.9であり、比重の軽いアルカリ金属類の中では最も大きい<ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 76頁。</ref>。 化合物が燃焼するときに青から紫色の炎を伴うが、これはセシウムの[[炎色反応]]によるものである<ref name="CRC74">{{citation|url=https://books.google.co.jp/books?id=QdU-lRMjOsgC&pg=PA13&lpg=PA13&dq=cesium+compounds+burn+blue&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false|page=13|first=Charles T.|last=Lynch|publisher=CRC Press|year=1974|title=CRC Handbook of Materials Science|accessdate=2010-09-27|isbn=978-0-8493-2321-8|unused_data=chapter}}</ref><ref>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 82頁。</ref>。これは主に励起したセシウムの最外殻電子が基底状態に戻る際に発せられる波長455.5&nbsp;nm、459.3 nmの青色を示す一対の[[スペクトル線]]および、697.3&nbsp;nm、672.3 nmの赤色を示す一対のスペクトル線によるものであり、この特徴的な青色の輝線はセシウムの名前の由来ともなっている<ref name=chitani83>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 83頁。</ref>。最外殻電子によるスペクトル線が二本に分かれて双子線となる理由は、[[電子]]のスピンに二つの方向があるためであり、他のアルカリ金属元素でも同様の双子線が見られる<ref name=chitani83/>。 === 化学的性質 === [[File:Cesium water.theora.ogv|left|thumb|冷水に少量の金属セシウムを加えると爆発する。以下の[[セシウム#外部リンク|外部リンク]]も参照。]] 金属セシウムは非常に反応性に富み、[[自然発火]]しやすい。また、低温でも水と爆発的に反応し、他のアルカリ金属よりも反応性が高い<ref name="USGS" />。氷とは-116 ℃でも反応する<ref name="autogenerated1" />。高い反応性を持つため、金属セシウムは[[消防法]]で[[危険物]]に指定されている。保存や運送は、乾燥状態にした[[鉱物油]]などの炭化水素を満たした容器に入れて行う。同様の理由で、取り扱いは[[アルゴン]]や[[窒素]]などの[[不活性ガス]]の下で行わなければならない。真空で密閉された[[ホウケイ酸ガラス]]の[[アンプル]]で保存できる。100 g以上のセシウムは、ステンレス製の容器に密閉されて輸送される<ref name="USGS" />。 セシウムの化学的性質は他のアルカリ金属、特に[[周期表]]で直上にある[[ルビジウム]]と似ており<ref name="greenwood">{{citation|last1 = Greenwood|first1 = N.N.|last2 = Earnshaw|first2 = A.|title = Chemistry of the Elements|publisher = Pergamon Press|place = Oxford, UK|year = 1984|isbn = 0-08-022057-6}}</ref>、全ての金属陽イオンがそうであるように、セシウムイオンは溶液中でルイス塩基と反応して[[錯体]]を形成する。ほかの(放射性でない)アルカリ金属に比べて、原子量が大きく電気的に陽性なので、性質にわずかな違いが生ずる<ref name="HollemanAF">{{citation|publisher = Walter de Gruyter|year = 1985|edition = 91–100|pages = 953–955|isbn = 3-11-007511-3|title = Lehrbuch der Anorganischen Chemie|first1 = Arnold F.|last1 = Holleman|last2 = Wiberg|first2 = Egon |last3 =Wiberg|first3 = Nils|chapter = Vergleichende Übersicht über die Gruppe der Alkalimetalle| language = German}}</ref>。セシウムは、安定同位体の中では最も電気的に[[電気陰性度|陽性]]なものである{{#tag:ref|[[フランシウム]]はさらに陽性であるだろうが、放射性崩壊が速すぎて純粋なフランシウムの試料が得られないので、電気陰性度を測定できない。フランシウムの第一[[イオン化エネルギー]]の測定値から示唆されることは、[[相対論効果]]が反応性を下げ、[[周期律]]から予想される値より電気陰性度を上げていることである<ref>{{citation|last1 = Andreev|first1 = S. V.|last2 = Letokhov|first2 =V. S. |last3 =Mishin|first3 =V. I.|title = Laser resonance photoionization spectroscopy of Rydberg levels in Fr|journal = [[Physical Review Letters]]|year = 1987|volume = 59|pages = 1274–76|doi = 10.1103/PhysRevLett.59.1274|pmid=10035190}}</ref>。|group="注"}}<ref name="autogenerated1" /> セシウムイオンはより軽いアルカリ金属のイオンに比べて、より大きく、[[HSAB則|軟らかい]]。そのイオン半径の大きさに起因して、他のアルカリ金属元素より多い配位数を取る傾向がある<ref name="HollemanAF"/>。このような、セシウムイオンの高い配位数を取る傾向とHSAB則における酸としての軟らかさは、セシウムイオンを他の陽イオンから分離するために利用される。この特性を応用して、放射性の <sup>137</sup>Cs<sup>+</sup> を大量の非放射性のカリウムイオン中から分離するために用いられるなど、核廃棄物の改善において研究が重ねられている<ref>{{citation|last1=Moyer |first1=Bruce A. |last2=Birdwell |first2=Joseph F. |last3=Bonnesen |first3=Peter V. |last4=Delmau |first4=Laetitia H. |title=Use of Macrocycles in Nuclear-Waste Cleanup: A Realworld Application of a Calixcrown in Cesium Separation Technology |pages=383–405 |year=2005 |doi=10.1007/1-4020-3687-6_24}}.</ref>。このようにセシウムは基本的にイオン結合性の化合物を形成するが、気体状態では共有結合性の二原子分子であるCs<sub>2</sub>を形成し、Cs<sub>11</sub>O<sub>3</sub>のような一部の亜酸化物においてもCs-Csの共有結合が見られる<ref>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 249頁。</ref>。 === 構造 === [[File:Cubic-body-centered.png|thumb|right|150px|セシウムの結晶構造。格子定数 ''a'' = 614 pm]] 他のアルカリ金属と同様、金属セシウムは[[標準状態]]において[[体心立方格子]]構造を取る[[立方晶]]であり(α-Cs)、[[格子定数]]は ''a'' = 614 pm、[[空間群]]は ''Im''{{overline|3}}''m'' である。41 k[[バール (単位)|bar]]の圧力下で[[面心立方格子]]構造へと[[相転移]]し(β-Cs)、その際の格子定数は ''a'' = 598 pm となる<ref>{{citation|author=K. Schubert|title=Ein Modell für die Kristallstrukturen der chemischen Elemente|journal=Acta Crystallographica Section B|year=1974|volume=30|pages=pp.193–204|doi=10.1107/S0567740874002469}}.</ref>。更に温度と圧力を上げると、菱面体晶系のγ-セシウムになる。 セシウムの[[イオン半径]]は非常に大きいため、イオン半径の小さい他のアルカリ金属元素よりも多い配位数を取る。この傾向は、他のアルカリ金属の塩化物が6配位の塩化ナトリウム型構造を取るのとは対照的に、セシウムの塩化物が8配位の塩化セシウム型構造を取ることに象徴される<ref name="HollemanAF"/>。塩化セシウム型構造は、塩素原子が立方格子の角の部分に位置し、セシウム原子が立方格子の中央のホールに位置するような、二種の原子からなる8配位の単純な[[体心立方格子]]から成っている。臭化セシウム (CsBr) やヨウ化セシウム (CsI)、その他多くのセシウムを含まない化合物もこの塩化セシウム型構造を取る。塩化セシウム型構造は、Cs<sup>+</sup> のイオン半径が174 pm、Cl<sup>-</sup> のイオン半径が181 pmと大きさが近いために形成される<ref>{{citation|last=Wells|first = A.F.| year=1984| title=Structural Inorganic Chemistry| edition=5|publisher=Oxford Science Publications|isbn=0-19-855370-6}}</ref>。 === 化合物 === {{see also|Category:セシウムの化合物}} [[File:CsCl polyhedra.png|thumb|left|150px|CsCl 中の Cs と Cl の立方配位の球棒モデル]] ほとんどすべてセシウム化合物は、セシウムを Cs<sup>+</sup> [[カチオン]]として持っており、これがさまざまな[[アニオン]]と[[イオン結合]]している。例外として、[[アルカリド]]である Cs<sup>-</sup> アニオンを含むものがある<ref>{{citation|journal = [[Angewandte Chemie|Angewandte Chemie International Edition]]|year = 1979|first = J. L.|last = Dye|title = Compounds of Alkali Metal Anions|volume = 18|issue = 8|pages = 587–598|doi = 10.1002/anie.197905871}}</ref>。他の例外は亜酸化物で見られる。 Cs<sup>+</sup> の塩は、アニオンが有色でない限りほとんど無色である。[[吸湿性]]であるものが多いが、他の軽いアルカリ金属よりはその度合いは弱い。セシウムの[[酢酸塩]]、[[炭酸塩]]、[[酸化物]]、[[硝酸塩]]、[[硫酸塩]]は水に可溶である。[[複塩]]の多くはあまり水に溶けないので、硫酸アルミニウムセシウムは鉱石からセシウムを精製するのに利用される。[[アンチモン]]、[[ビスマス]]、[[カドミウム]]、[[銅]]、[[鉄]]、[[鉛]]との複塩(たとえば CsSbCl<sub>4</sub>)も難溶性である<ref name="USGS" />。 [[水酸化セシウム]]は吸湿性の強[[塩基]]性物質である<ref name="greenwood" />。これは[[ケイ素]]などの[[半導体]]の表面をすみやかに[[エッチング]]する作用を持つ<ref>{{citation|url = https://books.google.com/?id=F-8SltAKSF8C&pg=PA90&lpg=PA90&dq=caesium+hydroxide+etch+quartz&q=cesium|title = Etching in microsystem technology|author = Köhler, Michael J.|page = 90|publisher = Wiley-VCH|isbn = 3-527-29561-5|year = 1999|format=}}</ref>。以前は、Cs<sup>+</sup> と OH<sup>-</sup> の相互作用が小さいことから、CsOH は最も強い塩基であると考えられていた<ref name="CRC74" />。しかし、21世紀に入り、[[N-ブチルリチウム|''N''-ブチルリチウム]]や[[ナトリウムアミド]]をはじめ、CsOH より塩基性が強い化合物は数多く見いだされるに至った<ref name="greenwood" />。 [[ヨウ化セシウム]] (CsI) は、エックス線蛍光倍増管・ガンマ線検出用単結晶に用いられる。 ==== 酸化物 ==== [[File:Cs11O3 cluster.png|thumb|right|140px|Cs<sub>11</sub>O<sub>3</sub>の[[球棒モデル]]。頂点の紫の球はセシウムを表し、三つの赤い球は酸素を表す]] アルカリ金属元素は酸素との二元化合物を多く形成するが<ref name=CW255>[[#CW1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 255頁。</ref>、セシウムはさらに多くの酸素との二元化合物を形成する。セシウムが空気中で燃焼する際、[[超酸化物]]の CsO<sub>2</sub> が主に生成する<ref name=cotton >{{citation|last = Cotton|first = F. Albert |coauthors=Wilkinson, G.|title =Advanced Inorganic Chemistry|year =1962 |publisher = John Wiley & Sons, Inc.|page = 318|isbn = 0-471-84997-9}}</ref>。これは、超酸化物イオン (O<sub>2</sub><sup>-</sup>) のような不安定な陰イオンが、イオン半径の大きなセシウムの格子エネルギー効果によって安定化されるためである<ref name=CW255/>。 : <chem>Cs + O2 -> CsO2</chem> 「通常の」セシウム[[酸化物]]である Cs<sub>2</sub>O は黄色からオレンジ色をした六方晶であり<ref name="CRC">{{citation | editor-last = Lide | editor-first = David R. | title = CRC Handbook of Chemistry and Physics | edition = 87th | location = Boca Raton, FL | publisher = CRC Press | date = 2006 | isbn = 0-8493-0487-3 | pages =451,514}}</ref>、唯一の逆塩化カドミウム型構造を取る酸化物である<ref name=CW255/><ref name="ReferenceA">{{citation|doi = 10.1021/j150537a022|year = 1956|last1 = Tsai|first1 = Khi-Ruey|last2 = Harris|first2 = P. M.|last3 = Lassettre|first3 = E. N.|journal = Journal of Physical Chemistry|volume = 60|pages = 338–344|title = The Crystal Structure of Cesium Monoxide}}</ref>。250 {{℃}}で蒸発し、400 {{℃}}で金属セシウムと[[過酸化物]] Cs<sub>2</sub>O<sub>2</sub> に分解する<ref name="autogenerated2">{{cite web|url=http://www.osti.gov/bridge/servlets/purl/770945-AFCMWR/webviewable/770945.pdf |format=PDF|title=Information Bridge: DOE Scientific and Technical Information |publisher=Office of Scientific and Technical Information — U.S. Department of Energy|date=2009-11-23 |accessdate=2011-5-11}}</ref>。過酸化物および[[オゾン化物]] CsO<sub>3</sub><ref>{{citation|doi =10.1007/BF00845494|title =Synthesis of cesium ozonide through cesium superoxide|year =1963|last1 =Vol'nov|first1 =I. I.|last2 =Matveev|first2 =V. V.|journal =Bulletin of the Academy of Sciences, USSR Division of Chemical Science|volume =12|pages =1040–1043}}</ref><ref>{{citation|doi =10.1070/RC1971v040n02ABEH001903|title =Alkali and Alkaline Earth Metal Ozonides|year =1971|last1 =Tokareva|first1 =S. A.|journal =Russian Chemical Reviews|volume =40|pages =165–174}}</ref> 以外にも、いくつかの明るい色をした亜酸化物について研究されている<ref name=Simon>{{citation|last = Simon|first = A.|title = Group 1 and 2 Suboxides and Subnitrides — Metals with Atomic Size Holes and Tunnels|journal = Coordination Chemistry Reviews |year = 1997|volume = 163|pages = 253–270|doi = 10.1016/S0010-8545(97)00013-1}}</ref>。これらは Cs<sub>7</sub>O、Cs<sub>4</sub>O、Cs<sub>11</sub>O<sub>3</sub>、Cs<sub>3</sub>O(暗緑色<ref>{{citation|doi =10.1021/j150537a023|year =1956|last1 =Tsai|first1 =Khi-Ruey|last2 =Harris|first2 =P. M.|last3 =Lassettre|first3 =E. N.|journal =Journal of Physical Chemistry|volume =60|pages =345–347|title=The Crystal Structure of Tricesium Monoxide}}</ref>)、CsO、Cs<sub>3</sub>O<sub>2</sub><ref>{{citation|doi =10.1007/s11669-009-9636-5|title =Cs-O (Cesium-Oxygen)|year =2009|last1 =Okamoto|first1 =H.|journal =Journal of Phase Equilibria and Diffusion|volume =31|page =86}}</ref> ならびに Cs<sub>7</sub>O<sub>2</sub> が含まれる<ref>{{citation|doi = 10.1021/jp036432o|title = Characterization of Oxides of Cesium|year = 2004|last1 = Band|first1 = A.|last2 = Albu-Yaron|first2 = A.|last3 = Livneh|first3 = T.|last4 = Cohen|first4 = H.|last5 = Feldman|first5 = Y.|last6 = Shimon|first6 = L.|last7 = Popovitz-Biro|first7 = R.|last8 = Lyahovitskaya|first8 = V.|last9 = Tenne|first9 = R.|journal = The Journal of Physical Chemistry B|volume = 108|pages = 12360–12367}}</ref><ref>{{citation|doi =10.1002/zaac.19472550110|title =Untersuchungen ber das System Csium-Sauerstoff|year =1947|last1 =Brauer|first1 =G.|journal =Zeitschrift fr anorganische Chemie|volume =255|page =101}}</ref>。これらの酸化物に対応した[[硫化物]]、[[セレン化物]]および[[テルル化物]]も存在する<ref name="USGS"/>。 === 合金 === セシウムは他のアルカリ金属や[[金]]と[[合金]]をつくり、水銀と[[アマルガム]]をつくる。650 {{℃}}以下では、[[コバルト]]、[[鉄]]、[[モリブデン]]、[[白金]]、[[タンタル]]、[[タングステン]]とも合金をつくる。[[アンチモン]]、[[ガリウム]]、[[インジウム]]、[[トリウム]]とは、明瞭な[[金属間化合物]]をつくり、これらは{{仮リンク|感光性|en|photosensitive}}がある<ref name="USGS">{{citation|url = http://pubs.usgs.gov/of/2004/1432/2004-1432.pdf|format = PDF|publisher = United States Geological Survey|accessdate = 2009-12-27|title = Mineral Commodity Profile: Cesium|first1 = William C.|last1 = Butterman|first2 = William E.|last2 = Brooks|first3 = Robert G.|last3 = Reese, Jr.|year=2004}}</ref>。リチウム以外の他のアルカリ金属と混ざり、[[モル濃度]]で41%のセシウム、47%のカリウム、12%のナトリウムからなる合金は、すべての合金の中で最低の融点 (-78 ℃) を持つ<ref name="autogenerated1" /><ref>{{cite web|url=http://symp15.nist.gov/pdf/p564.pdf|format=PDF|title=Density of melts of alkali metals and their Na-K-Cs and Na-K-Rb ternary systems|author=Taova, T. M. ''et al.''|work=Fifteenth symposium on thermophysical properties, Boulder, CO, USA|date=June 22, 2003|accessdate=2010-09-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061009133313/http://symp15.nist.gov/pdf/p564.pdf|archivedate=2006年10月9日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。いくつかのアマルガムが研究されていて、CsHg<sub>2</sub> は紫色の金属光沢をもつ黒色物質で、CsHg は同様に金属光沢を持つ金色の物質である<ref>{{citation|doi=10.1016/S0079-6786(97)81004-7|journal = Progress in Solid State Chemistry|volume = 25|year = 1997|pages = 73–123|title = Alkali metal amalgams, a group of unusual alloys|first = H. J.|last = Deiseroth|issue = 1–2}}</ref>。 === 同位体 === {{main|セシウムの同位体}} セシウムは112から151までの幅の質量数(すなわち、[[原子核]]中の[[核子]]数)を持つ39種の既知の同位体を有する。これらの内のいくつかは、古い星の中での遅い[[中性子捕獲]]プロセス([[s過程]])<ref>{{citation| doi=10.1146/annurev.astro.37.1.239 | author=Busso, M.; Gallino, R.; Wasserburg, G. J. | title=Nucleosynthesis in Asymptotic Giant Branch Stars: Relevance for Galactic Enrichment and Solar System Formation | journal=Annula Review of Astronomy and Astrophysics | volume=37 | year=1999 | pages=239–309 | url=http://authors.library.caltech.edu/1194/1/BUSaraa99.pdf | format=PDF|accessdate=2011-5-11 | bibcode=1999ARA&A..37..239B}}</ref> ならびに[[超新星爆発]]時([[r過程]])に軽い元素から合成される<ref>{{citation| first=David | last=Arnett | year=1996 | title=Supernovae and Nucleosynthesis: An Investigation of the History of Matter, from the Big Bang to the Present | publisher=Princeton University Press | page=527 | isbn=0-691-01147-8 }}</ref>。しかしながら、唯一の安定同位体は78個の中性子を持つセシウム133のみである。セシウム133は+7/2と大きな[[スピン角運動量]]を持っており、この同位体を利用して[[核磁気共鳴|NMR測定]]による構造解析が行われる(磁場強度11.74 Tのとき共鳴周波数65.6&nbsp;MHz)<ref name=NMR>{{cite journal|doi=10.1021/ja970248x|title=A Self-Assembled Ionophore with Remarkable Cs<sup>+</sup> Selectivity|year=1997|author=Davis, Jeffery T.; Tirumala, Sampath K.; Marlow, Allison L.|journal=Journal of the American Chemical Society|volume=119|pages=5271–5272}}</ref>。 [[ファイル:Cs-137-decay.svg|thumb|250px|<sup>137</sup>Cs の崩壊|alt=セシウム137の崩壊におけるエネルギー図(核スピン ''I'' = +7/2、半減期約30年)。94.6%の確率で崩壊し、512 keV のエネルギーを持つβ線を放出しながらバリウム137mとなる(''I'' = -11/2、''t'' = 2.55分)。これは85.1%の確率でさらに崩壊して 662 keV のγ線を放出しながらバリウム137 (''I'' = +3/2) となる。ほかに、0.4%の確率でおそらくはβ崩壊により、セシウム137から直接バリウム137となる経路も存在する]] 放射性同位体であるセシウム135は230万年という非常に長い半減期を有しており、セシウム137およびセシウム134はそれぞれ30年および2年という半減期である。セシウム137は[[ベータ崩壊]]によって短命なバリウム137mに壊変し、その後非放射性のバリウムとなる。セシウム134は直接バリウム134に壊変する。質量数129、131、132および136の同位体は、半減期が1日から2週間の間であり、他の大部分の同位体の半減期は2–3秒から数分の1秒である。少なくとも21種類の準安定な[[核異性体]]が存在する。3時間未満の半減期を持つセシウム134m以外は非常に不安定で、2–3分以下の半減期で崩壊する<ref>{{citation|doi = 10.1016/0022-1902(55)80027-9|title = The half-life of Cs137|year = 1955|last1 = Brown|first1 = F.|last2 = Hall|first2 = G.R.|last3 = Walter|first3 = A.J.|journal = Journal of Inorganic and Nuclear Chemistry|volume = 1|pages = 241–247}}</ref><ref name=nuclidetable>{{cite web|url=http://www.nndc.bnl.gov/chart/|title=Interactive Chart of Nuclides|publisher=Brookhaven National Laboratory|author=Sonzogni, Alejandro|location=National Nuclear Data Center|accessdate=2011-5-11}}</ref>。 同位体元素のセシウム135は、ウランの核反応によって生成する[[長寿命核分裂生成物]]の一つである<ref>{{cite conference| conference = Seventh Information Exchange Meeting on Actinide and Fission Product Partitioning and Transmutation|date = 14–16 October 2002|place = Jeju, Korea|first1 = Shigeo|last1 = Ohki|first2 = Naoyuki|last2= Takaki|title =Transmutation of Cesium-135 with Fast Reactors|url = http://www.nea.fr/html/pt/docs/iem/jeju02/session6/SessionVI-08.pdf|format = PDF|accessdate=2011-5-11}}</ref>。しかしながら、セシウム135の前駆体のキセノン135は非常に中性子を吸収しやすく、また、しばしばセシウム135に壊変する前に安定同位体であるキセノン136に変わるため、たいていの原子炉においてその核分裂収量は減少する<ref>{{cite report|url=http://canteach.candu.org/library/20040720.pdf|title=CANDU Fundamentals|format=PDF|publisher=CANDU Owners Group Inc.|chapter=20 Xenon: A Fission Product Poison|accessdate=2011-5-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110723231319/http://canteach.candu.org/library/20040720.pdf|archivedate=2011年7月23日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref>{{citation|journal = Journal of Environmental Radioactivity|title = Preliminary evaluation of 135Cs/137Cs as a forensic tool for identifying source of radioactive contamination|first1 = V. F.|last1= Taylor|first2 = R. D.|last2 = Evans|first3 = R. J.|last3= Cornett|doi = 10.1016/j.jenvrad.2007.07.006 |volume = 99 |issue = 1|year = 2008|pages = 109–118|pmid = 17869392}}</ref>。 セシウム137はバリウム137mへとベータ崩壊するため、[[ガンマ線]]の強い発生源である<ref>{{cite web|url=http://www.epa.gov/rpdweb00/radionuclides/cesium.html|title=Cesium &#124; Radiation Protection|publisher=U.S. Environmental Protection Agency|date=2006-06-28|accessdate=2011-5-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110315034747/http://www.epa.gov/rpdweb00/radionuclides/cesium.html|archivedate=2011年3月15日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。セシウム137はストロンチウム90と同様に主要な中寿命核分裂生成物となる。これらは使用済み核燃料の放射能の原因となり、使用後、数年から最高で数百年間の冷却を必要とする<ref>{{cite report|url=http://www.ieer.org/reports/transm/hisham.html |title=IEER Report: Transmutation – Nuclear Alchemy Gamble |publisher=Institute for Energy and Environmental Research |date=2000-05-24 |accessdate=2011-5-11|first=Hisham|last=Zerriffi}}</ref>。例えば、セシウム137とストロンチウム90は現在、[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]の周囲の地域で発生している放射能の発生源の大部分を占めている<ref>{{cite report |url=http://www.iaea.org/Publications/Booklets/Chernobyl/chernobyl.pdf |title=Chernobyl's Legacy: Health, Environmental and Socia-Economic Impacts and Recommendations to the Governments of Belarus, Russian Federation and Ukraine |publisher=International Atomic Energy Agency |format=PDF |accessdate=2011-5-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100215212227/http://www.iaea.org/Publications/Booklets/Chernobyl/chernobyl.pdf |archivedate=2010年2月15日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。セシウム137は中性子の捕獲率が低いため、中性子捕獲によるセシウム137の処理ができず、自然に崩壊するのを待たねばならない<ref>{{citation|doi=10.3327/jnst.30.911| title = Transmutation of Cesium-137 Using Proton Accelerator|first1 = Takeshi|last1= Kase|first2 = Kenji|last2= Konashi|first3 = Hiroshi|last3 = Takahashi|first4 = Yasuo|last4= Hirao|volume = 30|issue = 9|year = 1993|pages = 911–918|journal = Journal of Nuclear Science and Technology}}</ref>。 ほとんど全てのセシウムは、ベータ[[崩壊系列]]によって生成した中性子/陽子比の高いヨウ素とキセノンのベータ崩壊を通じて生成する<ref>{{citation|isbn = 978-1-56032-088-3|publisher = Taylor & Francis|year = 1992|first = Ronald Allen|last = Knief|url = https://books.google.co.jp/books?id=EpuaUEQaeoUC&pg=PA43&redir_esc=y&hl=ja|page= 42|chapter = Fission Fragments|title = Nuclear engineering: theory and technology of commercial nuclear power|accessdate=2011-5-11}}</ref>。ヨウ素やキセノンは揮発性であるため、核燃料や空気を通じて拡散し、放射性セシウムはしばしば初めに核分裂した場所から離れたところで生成する<ref>{{citation|title = 730. NSRRのパルス中性子照射によるUO<sub>2</sub>ペレットからのXe-137とI-137の放出| last = 石渡|first = 名澄|last2 = 永井|first2 = 斉|pages = 843–850|volume = 23|issue = 11|journal = 日本原子力学会誌|url =https://doi.org/10.3327/jaesj.23.843 |accessdate=2022-11-07}}</ref>。およそ[[1945年]]頃から始まった核実験によってセシウム137は空気中に放出され、[[放射性降下物]]の構成物質として地表に降り注いだ<ref name="USGS"/>。 人工的に作られる([[ウラン]]の核分裂により生ずる)[[セシウム137]]は、[[半減期]]30.07年の放射性同位体である。 : <chem>^{235}_{92}U\ + ^1\mathit{n} -> ^{236}_{92}U -> ^{137}_{55}Cs\ + ^{96}_{37}Rb\ + 3^1\mathit{n}</chem> 体内に入ると血液の流れに乗って腸や肝臓にベータ線とガンマ線を放射し、[[カリウム]]と置き換わって筋肉に蓄積したのち、腎臓を経て体外に排出される。セシウム137は、体内に取り込まれてから体外に排出されるまでの100日から200日にわたってベータ線とガンマ線を放射し体内被曝の原因となるため、危険性が指摘されている。セシウム137に汚染された空気や飲食物を摂取することで、体内に取り込まれる。なお、[[ヨウ素剤]]を服用してもセシウム137の体内被曝を防ぐことはできない。セシウム137は医療用の放射線源に使われているが、[[1987年]]には、[[ブラジル]]の[[ゴイアニア]]で廃病院からセシウム137が盗難に遭った上、光るセシウム137の塊に魔力を感じた住民が体に塗ったり飲んだりしたことで250人が[[被曝]]、4人が死亡する大規模な被曝事件が発生している([[ゴイアニア被曝事故]])。 === 生物濃縮 === 植物(農作物)での移行係数 (TF) は、農作物中濃度 (Bq) ÷ 土壌中濃度 (Bq) で表される。カリウム (K) と似た挙動を示すとされているが、動物と植物での挙動は異なる。なお、観測されている「濃縮」は環境中と細胞内での電解質濃度の差に由来するものであり、Kに対して際だってCsを濃縮する様な生物種は観測されていない。代謝に伴って常に生体内のアルカリ金属、アルカリ土類金属は細胞を出入りしており、重金属の場合のような蓄積に起因する「濃縮」は生じないとされる。 ==== 植物 ==== 植物の種類および核種により移行係数は異なる。[[イネ]]、[[ジャガイモ]]、[[キャベツ]]を試料とした研究によれば、安定同位体のセシウム133と比較すると放射性のセシウム137は植物に移行しやすい。イネでは移行したセシウム元素の大部分が非可食部である[[わら]]などに含まれ、キャベツでは非可食部である外縁部のセシウムおよび[[ストロンチウム]]の濃度が高くなることが報告されている<ref name="Cs16107">{{citation|url=https://hdl.handle.net/10097/16107|title=環境中における放射性および安定同位体の移行と動態に関する研究|author=塚田 祥文|accessdate=2011-5-30}}</ref>。 ==== 菌類 ==== 降下した放射性物質が土壌の表層に多く存在するため、表層の物質を主な栄養源とする菌類の種では植物と比較すると、特異的に高い濃縮度を示すものがあり、屋外で人工栽培される[[シイタケ]]や[[マイタケ]]でも濃度が高くなる傾向があることが報告されている<ref>{{citation|url=https://doi.org/10.3769/radioisotopes.57.753 |publisher=埼玉県衛生研究所、埼玉県農林総合研究センター、埼玉県保健医療部|title=-栽培キノコ及び培地中における放射性セシウム濃度-|journal=RADIOISOTOPES|volume=Vol.57|year=2008|issue=No.12|pages=pp.753-757|accessdate=2011-5-30}}</ref>。 ==== 魚類 ==== 主に軟組織に広く取り込まれて分布し、生物濃縮により魚食性の高い魚種([[カツオ]]、[[マグロ]]、[[タラ]]、[[スズキ (魚)|スズキ]]など)での高い濃縮度を示すデータが得られているが、底生生物を主な餌とする魚種(カレイ、ハタハタ、[[甲殻類]]、[[頭足類]]、貝類)では比較的濃縮度は低い。また大型の魚種ほど、濃縮度が高くなることが示唆されている。若い魚や高水温域に生息する魚ほど、代謝が良く排出量が多くなるため蓄積量は少ないと考えられている。体内に取り込まれる経路は、餌がほとんどであるが、鰓を通じて直接取り込まれる経路もあり、それぞれの経路の比率についてのデータは不足している<ref>{{citation|url=https://doi.org/10.3769/radioisotopes.48.266|title=海産生物と放射能 ―特に海産魚中の<sup>137</sup>Cs濃度に影響を与える要因について|author=笠松 不二男|publisher=(財) [[海洋生物環境研究所]]|accessdate=2011-5-30}}</ref>。メスのコモンカスベの体重と、体内に含まれる、137Cs/134Cs の比の間に、相関関係があるとの報告がある<ref>{{citation|url=http://www.asianjournalofchemistry.co.in/user/journal/viewarticle.aspx?ArticleID=25_14_121|title=Accumulation of a Specific Nuclide by Feminam Okamejei kenojei spp.|author=Katsura Hidemitsu|publisher=Asian Journal of Chemistry|accessdate=2014-11-06}}</ref>。 == 用途 == === 石油開発 === 現代でのセシウムの主要な用途のうちの一つは、石油採掘産業におけるギ酸セシウムを使った{{仮リンク|掘穿泥水|en|Drilling fluid}}である<ref>{{Cite web|title=NATIONAL INDUSTRIAL CHEMICALS NOTIFICATION AND ASSESSMENT SCHEME|url=http://www.formatebrines.com/Portals/2/Reports/CsF_AustraliaRA-2001.pdf|format=pdf|pages=p. 7|publisher=Cabot Corporation|date=17 October, 2001|accessdate=2011-5-4}}</ref>。ギ酸セシウム水溶液 (HCOO<sup>-</sup>Cs<sup>+</sup>) は水酸化セシウムと[[ギ酸]]との反応によって作られ、[[1990年代]]半ばに[[油井]]を掘削する際の仕上流体として開発された。掘穿泥水は油井を掘る際に用いられる溶液であり、これを掘削ドリルから噴出させて地表へと循環させることで地層を掘り進める際に発生する土砂を地表へと運びだし、常に掘削ドリルから噴出させることで、刃先の冷却と潤滑を行なって掘削効率を向上させる。同時に、採掘抗がこの溶液で満たされることによって適度な内圧が保たれ、採掘抗の[[落盤|崩落]]を防ぐとともに[[地下水]]の混入を防ぐなど、油井の掘削に欠かせない様々な機能が要求される<ref name=USGS/><ref>{{Cite book|和書|title=知ってますか「石油の話」|year=1990|publisher=化学工業日報社|pages=40-41|isbn=4873260701}}</ref>。ギ酸セシウム溶液はこのような特性要求を十分に満たしている<ref name=USGS/>。 ギ酸セシウム溶液の密度は最高 2.3 g/cm<sup>3</sup> と高い<ref name="Down">{{cite conference|conference = IADC/SPE Drilling Conference|month = February|year = 2006|location = Miami, Florida, USASociety of Petroleum Engineers|first1 = J. D.|last1 = Downs|first2 = M.|last2 = Blaszczynski|first3 = J.|last3 = Turner|first4 = M.|last4 = Harris|doi = 10.2118/99068-MS|url = http://www.spe.org/elibinfo/eLibrary_Papers/spe/2006/06DC/SPE-99068-MS/SPE-99068-MS.htm|archiveurl = https://web.archive.org/web/20071012122901/http://spe.org/elibinfo/eLibrary_Papers/spe/2006/06DC/SPE-99068-MS/SPE-99068-MS.htm|archivedate = 2007年10月12日|title = Drilling and Completing Difficult HP/HT Wells With the Aid of Cesium Formate Brines-A Performance Review|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。また、[[ギ酸カリウム]]もしくは[[ギ酸ナトリウム]]と混ぜ合わせることで、密度を 1 g/cm<sup>3</sup> まで低下させることができる。他の多くの高密度な溶液に用いられる物質と違い、ギ酸セシウムは相対的に[[環境負荷]]が小さい<ref name="Down"/>。高密度であるために掘削流体中の有毒な[[浮遊物質]]の使用量を低減でき、また、多くのセシウム化合物がそうであるようにギ酸セシウムの反応性は比較的穏やかであるなど、環境的に大きな利点を有する。さらに生分解性であり、使用後にそのまま埋め立てることもできる。ギ酸セシウムはコストが高い点(1[[バレル]]およそ4,000ドル、2001年<ref>{{citation|last = Flatern|first = Rick|year = 2001|title = Keeping cool in the HPHT environment|journal = Offshore Engineer|issue = February|pages = 33–37}}</ref>)が欠点であるが、[[リサイクル]]の可能性も検討されている。また、[[臭化亜鉛]] (ZnBr<sub>2</sub>) のような腐食性の高密度塩溶液と比較して、アルカリ金属のギ酸塩は扱いが安全であり、その腐食性の低さに起因して設備などの生産編成や採掘抗の金属素材に損傷を与えない。それらの要素はまた、使用後の洗浄と処分のコストがより少なく済むことも意味している<ref name="USGS"/>。 === 原子時計 === [[File:Usno-mc.jpg|thumb|250px|原子時計の集合体([[アメリカ海軍天文台]])|alt=部屋の手前に黒い箱があり、6個の操作盤が5から6個のラックのスペースにそれぞれある。全てではないが、ほとんど棚は白い箱で埋まっている]] [[ファイル:FOCS-1.jpg|thumb|冷却[[原子泉]]方式のセシウム原子時計であるFOCS-1([[スイス]], 2004-)。誤差は3000万年に1秒]] セシウム133はセシウム[[原子時計]]の基準点に使われる。その時間は、セシウム133の超微細準位における電磁気的な遷移の観測によって決定される。最初の精密なセシウム原子時計は、1955年に[[イギリス国立物理学研究所]]において{{仮リンク|ルイ・エッセン|en|Louis Essen}}によって作られた<ref>{{citation|first1=L.|last=Essen|first2=J.V.L.|last2=Parry |year=1955 |title=An Atomic Standard of Frequency and Time Interval: A Cesium Resonator |journal=[[Nature (journal)|Nature]] |volume=176 |pages=280 |doi=10.1038/176280a0}}</ref>。それ以降、原子時計は半世紀の間繰り返し改善され、周波数測定に準拠した時間の規格の基本となっている。このような原子時計には10<sup>14</sup>分の2から3ほどの精度があり、これは1日に2ナノ秒もしくは140万年に1秒の時間のずれに一致する。最新のものでは10<sup>15</sup>分の1と、より改善された精度を有し、これは恐竜の絶滅した6500万年前以降の期間でおよそ2秒のずれしか生じない事を意味しており<ref name="USGS"/>、「人類が達成した中で最も高精度な単位」であると考えられている<ref name=USNO/>。 セシウム時計は、携帯電話における送信の計時や、インターネットにおける情報の流れの監視にも用いられる<ref>{{cite news|first = Monte|last = Reel|title = Where timing truly is everything|newspaper = Washington Post|page = B1|url = http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A25431-2003Jul21|accessdate = 2011-5-11 | date=2003-07-22}}</ref>。 === 電力および電子機器 === セシウム蒸気を用いた熱電子発電は、熱エネルギーを電気エネルギーに変換する低出力の装置である。真空管のコンバーターを正極と陰極の間に置くことで、陰極の近くで蓄積される空間電荷を無効にすることができ、その際に電流の流れが強化される<ref>{{citation| last1 = Rasor| first1 = Ned S.| first2 = Charles|last2 =Warner| title = Correlation of Emission Processes for Adsorbed Alkali Films on Metal Surfaces| journal = Journal of Applied Physics| volume = 35| issue = 9| pages = 2589–2600| date = September 1964|doi = 10.1063/1.1713806}}</ref>。 光エネルギーを電流に変換する[[光電効果|光電特性]]の意味でもまた、セシウムは重要である。金属間化合物である K<sub>2</sub>CsRb のようなセシウムベースの陰極は電子の放出のための立上がり電圧が低いため、セシウムは光電セルに用いられる<ref>{{cite web|url=http://www.americanelements.com/cs.html |title=Cesium Supplier & Technical Information |publisher=American Elements |accessdate=2011-5-11}}</ref>。セシウムを用いた光電デバイスの範囲は、光学的な文字認識システムや電気光電子増倍管、撮像管にまでおよぶ<ref>{{citation|doi=10.1063/1.3215593|title = K <sub>2</sub>CsSb Cathode Development| journal = American Institute of Physics Conference Proceedings |year = 2009|volume = 1149| pages = 1062–1066 | first1 =John|last1 = Smedley| first2 =Triveni|last2 = Rao| first3 =Erdong|last3 = Wang |last4=Crabb |first4=Donald G. |last5=Prok |first5=Yelena |last6=Poelker |first6=Matt |last7=Liuti |first7=Simonetta |last8=Day |first8=Donal B. |last9=Zheng |first9=Xiaochao}}</ref><ref>{{citation|first = P.|last = Görlich|title = Über zusammengesetzte, durchsichtige Photokathoden|journal = Zeitschrift für Physik|volume = 101|pages = 335–342|year =1936|doi =10.1007/BF01342330}}</ref>。とはいえ、感光性材料の用途には、[[ゲルマニウム]]やルビジウム、[[セレン]]、[[ケイ素]]、[[テルル]]および他の元素をセシウムの代替とすることができる<ref name="USGS"/>。 ヨウ化セシウム (CsI)、臭化セシウム (CsBr)、フッ化セシウム (CsF) の結晶は、ガンマ線および[[エックス線]]の検出に適したものとして、鉱物の調査や[[素粒子物理学]]の研究において広範囲に用いられ、[[シンチレーション検出器]]におけるシンチレーターに使われる。セシウムは重い元素であるため[[阻止能]]が向上でき、優れた検出感度を発揮させることができる。セシウムの化合物はまた、より早い応答能 (CsF) や、より低い吸湿性 (CsI) にも寄与する。 セシウムの蒸気は、多くの一般的な[[磁気センサ]]に用いられる<ref>{{citation|doi = 10.1007/s00340-005-1773-x|title = Comparison of discharge lamp and laser pumped cesium magnetometers|year = 2005|last1 = Groeger|first1 = S.|first2 = A. S.|first3 = A.|journal = Applied Physics B|volume = 80|pages = 645–654|last2 = Pazgalev|last3 = Weis}}</ref>。セシウムはまた、[[分光測色法|分光測色計]]の内部標準にも用いられる<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=z9SzvsSCHv4C&pg=PA108&redir_esc=y&hl=ja|page = 108|isbn = 978-0-471-28572-4|chapter = Internal Standards|year = 1994|first1=Mary C.|last1=Haven|first2=Gregory A.|last2=Tetrault|first3=Jerald R.|last3=Schenken|publisher = John Wiley and Sons|location = New York|title = Laboratory instrumentation|accessdate=2011-5-11}}</ref>。他のアルカリ金属のようにセシウムは酸素に対する強い親和性を有し、真空管における「ゲッター」として用いられる<ref>{{citation|url=https://books.google.co.jp/books?id=1o1WECNJkscC&pg=PA391&lpg=391&redir_esc=y&hl=ja |title=Photo-electronic image devices: proceedings of the fourth symposium held at Imperial College, London, September 16–20, 1968|volume = 1|publisher = Academic Press|year = 1969|first = James D.|last = McGee|accessdate=2011-5-11|page = 391|work = 9780120145287|isbn=978-0-12-014528-7}}</ref>。金属セシウムの他の用途としては、高エネルギー[[レーザー]]、[[蛍光灯]]におけるグローランプのガス、セシウム蒸気[[整流器]]などが含まれる<ref name="USGS"/>。 === 遠心分離 === 塩化物 (CsCl) や硫酸塩 (Cs<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>)、[[トリフルオロ酢酸]]塩 (Cs(OCOCF<sub>3</sub>)) 溶液の高比重を利用して、一般的に[[分子生物学]]の分野において密度勾配超遠心法に用いられる<ref>Manfred Bick, Horst Prinz, "Cesium and Cesium Compounds" in Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry 2005, Wiley-VCH, Weinheim. {{DOI|10.1002/14356007.a06 153}}.</ref>。この技術は主に、微量の[[ウイルス]]や[[細胞]]内の[[細胞小器官]]および断片、そして生体サンプルからの[[核酸]]などの分離に利用される<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=1kn89nI2gUsC&pg=PA61&redir_esc=y&hl=ja|pages = 61–62|isbn = 978-0-89603-564-5|chapter = Gradient Materials|editor =Desai, Mohamed A.|year = 2000|publisher = Humana Press|location = Totowa, N.J.|title = Downstream processing methods|accessdate=2011-5-11}}</ref>。 === 化学的用途 === [[File:Caesium chloride.jpg|thumb|alt=時計皿の上にのせられた白色粉末|塩化セシウム]] セシウムの化学的用途は比較的少ない<ref>{{citation|last = Burt|first =R. O.|year = 1993|chapter= Cesium and cesium compounds|title = Kirk-Othmer encyclopedia of chemical technology|edition = 4th|place = New York|publisher = John Wiley & Sons|volume = 5|page =759|isbn = 978-0-471-15158-6}}</ref>。セシウム化合物によるドープ処理は、[[アクリル酸]]や[[アントラキノン]]、[[メタノール]]、[[無水フタル酸]]、[[スチレン]]、[[メタクリル酸メチル]]の[[モノマー]]および様々な[[オレフィン]]といった化合物の生産において、いくつかの金属イオン触媒の効果を強化するために用いられる。セシウムはまた、接触法による[[硫酸]]の生産において、触媒として用いられる[[五酸化バナジウム]]に添加される<ref>{{Cite web|和書|title=硫酸辞典|url=http://www.ryusan-kyokai.org/dic/dic.html|publisher=硫酸協会|accessdate=2011-5-4}}</ref>。 フッ化セシウムは、[[有機化学]]において[[塩基]]としてまれに用いられる<ref name="greenwood">{{citation|last1 = Greenwood|first1 = N.N.|last2 = Earnshaw|first2 = A.|title = Chemistry of the Elements|publisher = Pergamon Press|place = Oxford, UK|year = 1984|isbn = 0-08-022057-6}}</ref>。また、水を含まないフッ化物イオン源としても用いられる<ref>Gregory K. Friestad, Bruce P. Branchaud, Walter Navarrini, Maurizio Sansotera "Cesium Fluoride" in Encyclopedia of Reagents for Organic Synthesis 2007, John Wiley & Sons. {{DOI|10.1002/047084289X.rc050.pub2}}</ref>。有機合成において、セシウム塩は時折カリウム塩やナトリウム塩の代替として、[[環化反応]]や[[エステル化]]反応、[[重合反応]]に用いられる。 === 原子力および同位体の用途 === [[放射性同位体]]の[[セシウム137]]は[[コバルト60]]と同様に強い[[ガンマ線]]を発するので、産業用のガンマ線照射用の線源として用いられる重要な[[放射性同位体]]である。その利点として、およそ30年という半減期、核燃料サイクル由来のセシウム137を利用できること、そして最終的に安定なバリウム137となることが挙げられる。水溶性が高いため食物および医薬品への照射には適さないという欠点もある<ref name="Takeshi">{{cite web|url =http://earth1.epa.gov/radiation/docs/source-management/csfinallongtakeshi.pdf|title = The material flow of radioactive cesium-137 in the U.S. 2000|first = Takeshi|last = Okumura|date=2003-10-21|format=PDF| accessdate = 2011-5-11|publisher = United States Environmental Protection Agency}}</ref>。セシウム137は[[農業]]や[[放射線療法|癌治療]]、また、食品や下水汚泥、医療器具の殺菌などに使われている<ref name="USGS"/><ref>{{citation|last = Jensen|first = N. L.|year = 1985|title = Cesium, in Mineral facts and problems|publisher = U.S. Bureau of Mines|volume = Bulletin 675|pages = 133–138}}</ref>。放射線装置におけるセシウムの放射性同位元素は、特定の種類の癌を治療するために医療分野で用いられていた<ref>{{cite web|url=http://www.medicalnewstoday.com/articles/91994.php |title=IsoRay's Cesium-131 Medical Isotope Used In Milestone Procedure Treating Eye Cancers At Tufts-New England Medical Center|date= 2007-12-17 |publisher=Medicalnewstoday.com |accessdate=2011-5-11}}</ref> が、よりよい代替手段が出現したことと、セシウム源として使われていた塩化セシウムがその水溶性によって広範囲に及ぶ汚染を引き起こすことから、徐々にこれらのセシウム源は使われなくなっていった<ref>{{citation|url = https://books.google.co.jp/books?id=bk0go_-FO5QC&pg=PA22&redir_esc=y&hl=ja|isbn = 978-0-07-005115-7|chapter = Cesium-137 Machines|title = Radiation therapy planning|first = Gunilla Carleson|last = Bentel|publisher = McGraw-Hill Professional|year = 1996|page =22|accessdate=2011-5-11|pages = 22–23}}</ref><ref>{{citation|isbn = 978-0-309-11014-3| url =https://books.google.co.jp/books?id=3cT2REdXJ98C&redir_esc=y&hl=ja|title = Radiation source use and replacement: abbreviated version|author = National Research Council (U.S.). Committee on Radiation Source Use and Replacement|publisher = National Academies Press|year = 2008|accessdate=2011-5-11}}</ref>。セシウム137は、湿度や密度、水準測量、[[すきまゲージ]]を含む、様々な産業用測定器に用いられている<ref name="gauges">{{citation|chapter = Level and density measurement using non-contact nuclear gauges|isbn = 978-0-412-53400-3|url =https://books.google.co.jp/books?id=RwsoQbHYjvwC&pg=PA82&redir_esc=y&hl=ja|pages = 82–85|editor= Loxton, R., Pope, P.|year = 1995|publisher = Chapman & Hall|location = London|title = Instrumentation : A Reader|accessdate=2011-5-11}}</ref>。また、地質層の容積密度に対応する、岩層の電子密度を測定する検層装置にも用いられる<ref>{{citation|doi = 10.1146/annurev.ea.13.050185.001531|title = Downhole Geophysical Logging|year = 1985|last1 = Timur|first1 = A.|last2 = Toksoz|first2 = M. N.|journal = Annual Review of Earth and Planetary Sciences|volume = 13|page = 315}}</ref>。 セシウム137は、[[水文学]]において[[トリチウム]]と同様に用いられる。セシウム137は[[核兵器]]の爆発および[[原子力発電所]]からの放出物によって生み出される。1945年頃に開始され、1980年代まで続けられた核実験によってセシウム137は[[大気圏]]に放出され、すぐに水に吸収された。その期間における経年変化は、土壌や堆積物層の情報と関係付けることができる。セシウム134、およびより狭い範囲においてセシウム135もまた、原子力産業によるセシウムの放出量の算定に、水文学において用いられている。それらの同位体はセシウム133やセシウム137よりは存在量が多くないが、完全に人工的なものであることが利点である<ref>{{citation|first=Carol|last=Kendall |url=http://wwwrcamnl.wr.usgs.gov/isoig/period/cs_iig.html |title=Isotope Tracers Project – Resources on Isotopes – Cesium|publisher=National Research Program – U.S. Geological Survey |accessdate=2011-5-11}}</ref><!--https://books.google.co.jp/books?id=pWDQnxd-r1UC&pg=PT360&redir_esc=y&hl=ja &pg=PT12 -->。 === その他の用途 === [[ファイル:Ion engine.gif|thumb|300px|セシウムまたは水銀の用途として開発された静電荷電粒子推進器の概略図]] 惑星間での、あるいは惑星外への超長期間の航行を目的とした[[宇宙船]]のために設計された初期の[[イオンエンジン]]の推進剤として、セシウムおよび水銀が使われていた。電圧を印加した[[タングステン]]電極と接触させ、外殻の電子を奪うという方法でイオン化することにより、推進剤として用いられた。しかし、宇宙船の構成要素としてセシウムには腐食性についての懸念があったため、キセノンのような不活性ガスを推進剤として利用する方向へと開発は進んだ。キセノンは、地上でのテストにおいて取り扱いが簡単で、宇宙船に対する干渉がより少ない可能性がある<ref name="USGS"/>。結局、1998年から始まった実験的な宇宙船[[ディープ・スペース1号]]にはキセノンが使われた<ref>{{citation|doi =10.1063/1.1150468|title =NSTAR Xenon Ion Thruster on Deep Space 1: Ground and flight tests (invited)|year =2000|last1 =Marcucci|first1 =M. G.|last2 =Polk|first2 =J. E.|journal =Review of Scientific Instruments|volume =71|pages =1389–1400}}</ref><ref>{{citation|url = http://gltrs.grc.nasa.gov/reports/1999/TM-1999-209439.pdf|format = PDF|title = A Synopsis of Ion Propulsion Development Projects in the United States: SERT I to Deep Space I|first1 = James S.|last1 = Sovey|first2 = Vincent K.|last2 = Rawlin|first3 = Michael J|last3 = Patterson|publisher = NASA|accessdate = 2011-5-11|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090629225625/http://gltrs.grc.nasa.gov/reports/1999/TM-1999-209439.pdf|archivedate = 2009年6月29日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。しかしながら、推進力を得るためにセシウムのような液体金属イオンを加速する単純なシステムを使う電界放射式電気推進エンジンも作られている<ref>{{cite conference|url=http://sgc.engin.umich.edu/erps/IEPC_2001/290_1.PDF |title=In-FEEP Thruster Ion Beam Neutralization with Thermionic and Field Emission Cathodes |format=PDF |accessdate=2011-5-11|conference = 27th International Electric Propulsion Conference| place = Pasadena, California|month= October|year = 2001|pages=1–15}}</ref>。 [[硝酸セシウム]]は近赤外スペクトルにおいて強い光を発するため<ref>{{citation|doi = 10.1016/j.tca.2006.04.002|title = Determination of the temperature and enthalpy of the solid–solid phase transition of cesium nitrate by differential scanning calorimetry|year = 2006|last1 = Charrier|first1 = E.|first2 = E.L.|first3 = P.G.|first4 = H.M.|first5 = B.|first6 = T.T.|journal = Thermochimica Acta|volume = 445|pages = 36–39 |last2 = Charsley|last3 = Laye|last4 = Markham|last5 = Berger|last6 = Griffiths}}</ref>、LUU-19照明弾<ref>{{cite web|url = http://www.fas.org/man/dod-101/sys/dumb/luu19.htm|title = LUU-19 Flare|publisher = Federation of American Scientists|date = 2000-04-23|accessdate = 2011-5-11}}</ref> のような赤外線[[発炎筒|照明弾]]においてケイ素を燃焼させるための酸化剤・炎色発光剤として用いられる<ref>{{cite web|url=http://www.freepatentsonline.com/6230628.html |work=United States Patent 6230628|title=Infrared illumination compositions and articles containing the same |publisher=Freepatentsonline.com |accessdate=2011-5-11}}</ref>。セシウムはまた、[[SR-71 (航空機)|SR-71]]軍用機における[[排気ガス]]の[[レーダー反射断面積]]を減らすために用いられる<ref>{{citation|isbn = 978-1-84176-098-8|page = 47|title=Lockheed SR-71: the secret missions exposed|last=Crickmore|first = Paul F.|publisher=Osprey|year=2000}}</ref>。セシウムやルビジウムは[[電気伝導度]]を減少させるので、[[光ファイバー]]や[[ナイトビジョン|暗視装置]]の安定性と耐久性を向上させるため、炭酸塩として[[ガラス]]に添加される。フッ化セシウムやフッ化セシウムアルミニウムは、[[マグネシウム]]を含有した[[アルミニウム]]合金を[[ろう付け]]するために配合された[[融剤]]に用いられる<ref name="USGS"/>。 === 開発段階の用途 === [[MHD発電]]システムは研究されているが、広く受け入れられることに失敗している<ref>{{citation|author = National Research Council (U.S.)| publisher = National Academy Press| year = 2001|title = Energy research at DOE—Was it worth it?|accessdate=2011-5-11|url = http://books.nap.edu/openbook.php?isbn=0309074487&page=52|isbn =978-0-309-07448-3|pages = 190–194}}</ref>。セシウム金属はまた、高温[[ランキンサイクル]]ターボ発電機の作動流体としての候補にも挙がっている<ref>{{citation|title =Economics of Cesium and Rubidium (Reports on Metals & Minerals)|publisher = Roskill Information Services|year = 1984|place = London, United Kingdom|author = Roskill Information Services |page = 51|isbn = 978-0-86214-250-6}}</ref>。セシウム塩はまた、ヒ素剤投与後の抗ショック剤としても検討されている。心臓の拍動に影響を与えるため、カリウム塩やルビジウム塩よりは使われる見込みが少ない。それらはまた、[[てんかん]]の治療にも用いられた<ref name="USGS"/>。 == 歴史 == [[File:Kirchhoff Bunsen Roscoe.jpg|thumb|セシウムを分光器で発見したグスタフ・キルヒホフ(左)とロベルト・ブンゼン(中央)| alt= 三人の中年男性。中央の一人は座っている。皆長い上着を着ており、左の背の低い男は髭が生えている。]] [[File:CesiumRaiesSpectrales.jpg|thumb|left|180px|セシウムの発光スペクトル。この青色の輝線からセシウムと名付けられた。]] [[1860年]]、ドイツの化学者[[グスタフ・キルヒホフ]]と[[ロベルト・ブンゼン|ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン]]が[[バート・デュルクハイム]]([[:en:Bad Dürkheim]])の鉱泉の水から発見した<ref group="注">ブンゼンは[[アウルス・ゲッリウス]]の『アッティカの夜』2巻26章に書かれた[[ニギディウス・フィグルス]]による言葉 “Nostris autem veteribus caesia dicts est quae Graecis, ut Nigidus ait, de colore coeli quasi coelia.” より引用した。</ref><ref name="BuKi1861">{{citation|title = Chemische Analyse durch Spectralbeobachtungen |pages = 337–381 |first1 = G.|last1 = Kirchhoff |first2 = R.|last2 = Bunsen|authorlink1 = グスタフ・キルヒホフ|authorlink2 =ロベルト・ブンゼン|doi = 10.1002/andp.18611890702 |journal = [[Annalen der Physik|Annalen der Physik und Chemie]] |volume = 189 |issue = 7|year = 1861}}</ref><ref name="Weeks">{{citation|title = The discovery of the elements. XIII. Some spectroscopic discoveries |pages = 1413–1434|last = Weeks|first = Mary Elvira |doi=10.1021/ed009p1413|journal = [[Journal of Chemical Education]] |volume =9 |issue =8 |year = 1932}}</ref>。セシウムはキルヒホフとブンゼンが分光器を発明してからわずか1年後に発見された初めての元素であった<ref name="autogenerated1"/>。 セシウムの純粋な試料を得るためには、44,000 Lの鉱水を蒸発させて240 kgの濃縮塩溶液を作らなければならなかった。分離過程は以下のようなものである。まず[[アルカリ土類金属]]は[[硫酸塩]]もしくは[[シュウ酸塩]]として沈殿分離され、溶液中にはアルカリ金属類が残された。次に[[硝酸塩]]へと変換して[[エタノール]]で抽出することで、ナトリウムを含まない混合物が得られた。この混合液から、[[リチウム]]は[[炭酸アンモニウム]]によって沈殿させて分離された。カリウム、ルビジウムおよびセシウムは[[ヘキサクロリド白金(IV)酸]]によって不溶性塩を形成させた。これらのヘキサクロリド白金酸塩は、温水に対してわずかに溶解性の差異を示す。したがって、溶解性の低いセシウムおよびルビジウムのヘキサクロリド白金(IV)酸塩 ((Cs,Rb)<sub>2</sub>PtCl<sub>6</sub>) が分別晶出によってわずかに得られた。[[水素]]によるヘキサクロリド白金酸塩の還元の後、セシウムとルビジウムは炭酸塩のアルコールに対する溶解度の違いによって分離された。この過程によって、44,000 Lの鉱水から、9.2 gの[[塩化ルビジウム]]と7.3 gの塩化セシウムが得られた<ref name="BuKi1861"/>。 キルヒホフとブンゼンの二人は、このようにして得られた塩化セシウムを用いてこの新しい元素の原子量が123.35であると推定した(現在一般に認められている値は132.9である)<ref name="BuKi1861"/>。彼らは塩化セシウムの[[電気分解]]によって[[単体]]のセシウムを作ろうとしたが、金属の代わりに、肉眼での観察においても顕微鏡での観察においても金属物質であるというわずかな痕跡も示さない、青色の均一な物質が得られた。その結果、彼らはこれを亜塩化物 (Cs<sub>2</sub>Cl) であるとしたが、実際には恐らく[[コロイド]]状の金属と塩化セシウムの混合物であった<ref>{{citation|last=Zsigmondy|first=Richard |title=Colloids and the Ultra Microscope|publisher=Read books|year=2007|isbn=978-1-4067-5938-9|page=69|url=https://books.google.co.jp/books?id=Ac2mGhqjgUkC&pg=PAPA69&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false|accessdate=2011-5-11}}</ref>。水銀[[アノード]]電極を用いた塩化物溶液の電気分解では、水の存在下ですぐさま分解するセシウムアマルガムが生じた<ref name="BuKi1861"/>。純粋な金属は結局、[[アウグスト・ケクレ]]とブンゼンのもとで博士号のための研究をしていたドイツの化学者カール・セッテルベルグによって単離された<ref name="Weeks"/>。1882年、セッテルベルグはシアン化セシウムの電気分解によって金属セシウムを作り出し、塩化物を原因とする問題を回避した<ref name="Sett">{{citation|title =Ueber die Darstellung von Rubidium- und Cäsiumverbindungen und über die Gewinnung der Metalle selbst|doi =10.1002/jlac.18822110105 |year =1882 |last1 =Setterberg |first1 =Carl |journal =Justus Liebig's Annalen der Chemie |volume =211 |pages =100–116}}</ref>。 歴史的に最も重要なセシウムの用途は、主に化学および電気の分野における研究開発向けであった。セシウムの極めて少ない用途としては、1920年代まではラジオの[[真空管]]に用いられていた。それには、真空管製造後の管内の余分な酸素を除去するゲッターとしての役目と、熱せられたカソードの[[電気伝導度]]を向上させるためのコーティング剤としての役目の二つの機能があった。セシウムは1950年代までは高性能な工業用金属として認められていなかった<ref>{{citation|last = Strod|first = A.J.|year = 1957|title = Cesium—A new industrial metal|journal = American Ceramic Bulletin|volume = 36|issue = 6| pages = 212–213}}</ref>。非放射性セシウムの用途には光電材料、[[光電子増倍管]]、赤外分光光度計の光学部品、いくつかの有機反応における[[触媒]]、[[シンチレーション検出器]]用の結晶、[[MHD発電]]などが含まれる<ref name=USGS/>。 1967年以降、[[国際単位系]]は時間の[[秒]]の単位の基準にセシウムの性質を用いた基準を採用している。国際単位系は、セシウム133原子の二つの[[基底状態]]における超微細準位間の移行と一致する、放射の9,192,631,770サイクルの長さを1秒と定義した<ref name=USNO>{{cite web|title = Cesium Atoms at Work|publisher=Time Service Department—U.S. Naval Observatory—Department of the Navy|url = http://tycho.usno.navy.mil/cesium.html|accessdate = 2011-5-11}}</ref>。1967年の第13回[[国際度量衡総会]]において、1秒の長さは「外部から疎外されない基底状態におけるセシウム133の超微細準位の移行によって発生もしくは吸収されるマイクロ波光線の9,192,631,770サイクルの時間」と定義された。 セシウムの放射性同位体であるセシウム137は、[[原子爆弾]]が投下された[[広島市]]と[[長崎市]]の両方で記録が残っている「[[黒い雨]]」(原子爆弾投下後に地上に「降下する」[[放射性降下物]]の一形態)に含まれていたと考えられていて、原子爆弾が投下後の広島における降雨範囲を特定するために土壌中のセシウム137の測定結果が利用されている。 また、[[文部科学省]]において放射性セシウム分析法が[[1963年]]に制定され、[[1976年]]に改訂されている<ref>{{Cite web|和書|date=1976 |url=http://www.kankyo-hoshano.go.jp/series/main_pdf_series_3.html |title=No.3 放射性セシウム分析法 |publisher=[[文部科学省]] |accessdate=2015-04-04}}</ref>。 == 産出 == [[File:Pollucite-RoyalOntarioMuseum-Jan18-09.jpg|thumb|セシウム鉱石のポルサイト|alt=A white mineral, from which white and pale pink crystals protrude]] セシウムは[[地殻]]中に平均およそ3 ppmの濃度で存在していると見積もられており、比較的珍しい元素である<ref>{{citation|last1=Turekian|first1=K.K.|last2=Wedepohl|first2=K. H.|year=1961|title=Distribution of the elements in some major units of the Earth’s crust|journal=Geological Society of America Bulletin|volume=72|issue=2|pages=175–192|doi=10.1130/0016-7606(1961)72[175:DOTEIS]2.0.CO;2}}</ref>。これは、全ての元素の中で45番目の存在量であり、全ての金属の中では36番目である。それでもセシウムは、[[アンチモン]]や[[カドミウム]]、[[スズ]]、[[タングステン]]のような元素よりは豊富であり、[[水銀]]や[[銀]]よりは2桁多く存在するが、セシウムと化学的に密接に関連する[[ルビジウム]]はさらに30倍ほど多い<ref name=USGS/>。 その大きなイオン半径のため、セシウムは「[[不適合元素]]」の一つである<ref>{{cite web|url=http://www.asi.org/adb/02/13/02/cesium-occurrence-uses.html|title=Cesium as a Raw Material: Occurrence and Uses|first=Simon|last=Rowland|publisher=Artemis Society International|date=1998-07-04|accessdate=2011-5-11}}</ref>。[[マグマ]]が結晶化する過程で、セシウムは液相で濃縮され最後に結晶化する。したがってセシウムは、これらの濃縮過程によって形成される[[ペグマタイト鉱物]]に最も大きく[[堆積]]する。ルビジウムはカリウムと置換する性質があるが、セシウムはルビジウムほどすぐには置換しないため、アルカリ[[蒸発岩]]の[[カリ岩塩]](シルビン、KCl)や[[カーナライト]] (KMgCl<sub>3</sub>•6H<sub>2</sub>O) には0.002%程度のセシウムのみしか含まれない。したがって、セシウムは[[鉱物]]ではほとんど見られない。パーセント単位のセシウムは[[緑柱石]] (Be<sub>3</sub>Al<sub>2</sub>(SiO<sub>3</sub>)<sub>6</sub>) および[[アボガドロ石]] ((K,Cs)BF<sub>4</sub>) で見られることがある。また、最高15重量パーセントの Cs<sub>2</sub>O を含むものとして密接に関連した鉱物[[ペツォッタイト]] (Cs(Be<sub>2</sub>Li)Al<sub>2</sub>Si<sub>6</sub>O<sub>18</sub>) が、最高8.4重量%の Cs<sub>2</sub>O を含むものとして希少鉱物の{{仮リンク|ロンドン石|en|Londonite}} ((Cs,K)Al<sub>4</sub>Be<sub>4</sub>(B,Be)<sub>12</sub>O<sub>28</sub>) が、セシウム濃度がより少なく広範囲にわたるものとして{{仮リンク|ローディズ石|en|rhodizite}}がある<ref name="USGS"/>。唯一の経済的に重要なセシウム源の鉱物は[[ポルサイト]] (Cs(AlSi<sub>2</sub>O<sub>6</sub>)) である。これらは、世界中において数か所しかないベグマタイト地帯でのみ見つかり、より商業的に重要な[[リチウム鉱石]]である[[リシア雲母]]および[[ペタライト]]と関連している。ペグマタイトの内部では、粒度が大きく、鉱物成分が強く分離していることで、採鉱のための良質な鉱物が形成されている<ref name="Cerny">{{citation|title=The Tanco Pegmatite at Bernic Lake, Manitoba: X. Pollucite|first1=Petr|last1=Černý|first2=F. M.|last2=Simpson|journal=Canadian Mineralogist|volume=16|pages=325–333|year=1978|url=http://rruff.geo.arizona.edu/doclib/cm/vol38/CM38_877.pdf|format=PDF|accessdate=2011-5-11}}</ref>。 世界で最も豊富なセシウム源の一つは、[[カナダ]]の[[マニトバ州]]のベルニク湖にある[[タンコ鉱山]]である。その鉱床には350,000[[トン]]のポルサイト鉱石が埋蔵されていると見積られており、これは世界の埋蔵量の2/3を占めているといわれている<ref name="Cerny"/><ref name="USGS-Cs2"/>。しかし、ポルサイトに含まれるセシウムの化学量論的容量は42.6%であるが、この鉱床から採掘された純粋なポルサイト試料ではおおよそ34%のセシウムしか含まれず、平均容量は24 重量%でしかない<ref name="USGS-Cs2">{{cite web|title=Cesium|last=Polyak|first=Désirée E.|url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/cesium/mcs-2009-cesiu.pdf|format=PDF|publisher=U.S. Geological Survey|accessdate = 2011-5-11}}</ref>。商用のポルサイトでは19%を超えるセシウムを含む<ref>{{citation|last=Norton|first=J. J.|year=1973|chapter=Lithium, cesium, and rubidium—The rare alkali metals|editor=Brobst, D. A., and Pratt, W. P.|title=United States mineral resources|publisher=U.S. Geological Survey Professional|volume=Paper 820|pages=365–378|url=http://pubs.er.usgs.gov/usgspubs/pp/pp820|accessdate=2011-5-11}}</ref>。[[ジンバブエ]]の{{仮リンク|ビキタ|en|Bikita District}}におけるペグマタイト鉱床ではペタライトのために採掘されるが、かなりの量のポルサイトも含んでいる。注目に値する量のポルサイトは、[[ナミビア]]の[[エロンゴ州]]でも採掘されている<ref name="USGS-Cs2"/>。現在のセシウムの世界の鉱山からの採掘量は年間5から10トンであり、可採年数は数千年にもなる<ref name=USGS/>。 == 生産 == ポルサイト鉱石の採掘は選択的な過程であり、大部分の金属鉱山の操業と比較して小規模である。鉱石は砕かれたあと手作業で[[選鉱]]されるが、通常は濃縮工程を経ずそのまま磨り潰される。セシウムは主に酸による分解、アルカリによる分解、直接還元の三つの方法でポルサイトから抽出される<ref name=USGS/><ref name=Burt>{{citation|last = Burt|first = R. O.|year = 1993|chapter = Cesium and cesium compounds|title = Kirk-Othmer encyclopedia of chemical technology|edition = 4th|place = New York|publisher = John Wiley & Sons, Inc.|volume = 5|pages = 749–764|isbn = 978-0-471-48494-3}}</ref>。 酸分解において、ポルサイト中の[[ケイ酸塩]]は[[塩酸]] (HCl) や[[硫酸]] (H<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>)、[[臭化水素|臭化水素酸]] (HBr)、[[フッ化水素|フッ化水素酸]] (HF) のような強酸によって溶解される。塩酸によって可溶性塩化物の混合物が作られ、不溶性の塩化セシウムの複塩はアンチモンとの複塩 (Cs<sub>4</sub>SbCl<sub>7</sub>) やヨウ素との複塩 (Cs<sub>2</sub>ICl)、[[セリウム]]との複塩 (Cs<sub>2</sub>(CeCl<sub>6</sub>) として沈殿する。これらを分離したのち、沈殿物として得られた純粋な複塩は分解され、水分を蒸発させることで純粋な塩化セシウムが得られる。硫酸を用いた方法では、セシウムミョウバン (CsAl(SO<sub>4</sub>)<sub>2</sub>•12H<sub>2</sub>O) として直接不溶性の複塩が得られる。セシウムミョウバン中の[[硫酸アルミニウム]]は、ミョウバンを炭素と共に焼成することで不溶性の[[酸化アルミニウム]]に変化させ、可溶性の [[硫酸セシウム]] (Cs<sub>2</sub>SO<sub>4</sub>) を水で抽出して水溶液とすることで分離される<ref name=USGS/>。 [[炭酸カルシウム]]および[[塩化カルシウム]]とともにポルサイトを焼成させることで不溶性のケイ酸カルシウムと可溶性の塩化セシウムが得られる。これを水もしくは希[[アンモニア水]] (NH<sub>4</sub>OH) で溶出させることで塩化セシウム溶液が得られる。この溶液を蒸発させることで塩化セシウムを得ることができ、反応させることでセシウムミョウバンもしくは炭酸セシウムを得ることもできる。商業的に採算の合う方法ではないが、真空中でカリウムまたはナトリウムもしくはカルシウムを用いて鉱石の直接還元させることで、直接金属セシウムを生産することができる<ref name=USGS/>。 塩類として採掘されたセシウムは、大部分が石油掘削などに利用するためギ酸セシウム (HCOOCs) に直接変換される。発展途上な市場へと供給するため、キャボット社 ([[:en:Cabot Corporation|Cabot Corporation]]) は1997年にカナダのマニトバ州ベルニク湖近郊のタンコ鉱山で、年間12,000[[バレル]]のギ酸セシウム溶液を生産する能力を有する工場を建設した<ref>{{citation|last1 = Benton|first1 = William|last2 = Turner| first2 = Jim|year = 2000|title = Cesium formate fluid succeeds in North Sea HPHT field trials|journal = Drilling Contractor|issue = May/June|pages = 38–41|url = http://www.iadc.org/dcpi/dc-mayjun00/m-cabot.pdf|format=PDF|accessdate=2011-5-11}}</ref>。セシウムの小規模生産物として主要なものは塩化セシウムおよび[[硝酸セシウム]]である<ref name=CEC>{{citation|isbn = 978-3-11-011451-5|url = https://books.google.co.jp/books?id=Owuv-c9L_IMC&pg=PA198&redir_esc=y&hl=ja|page = 198|author = transl. and rev. by Eagleson, Mary |year = 1994|publisher = de Gruyter|location = Berlin|title = Concise encyclopedia chemistry|accessdate=2011-5-11}}</ref>。 あるいは、鉱石から精製したセシウム化合物から金属セシウムが製造されることもある。塩化セシウムおよびその他のセシウムハロゲン化物はカルシウムもしくはバリウムによって700 {{℃}}から800 {{℃}}で還元され、次いで蒸留することによって金属セシウムが得られる。 : <chem>2CsCl + Ca -> 2Cs (^) + CaCl2</chem> 同様に、アルミン酸塩や炭酸塩、水酸化物も、[[マグネシウム]]によって還元することができる<ref name=USGS/>。金属セシウムはまた、溶融させたシアン化セシウム (CsCN) の[[電気分解]]によって単離することもできる。特に純粋でガスを含まないセシウムは、水溶性の硫酸セシウムとアジ化バリウムから作られるアジ化セシウム (CsN<sub>3</sub>) を390 {{℃}}で熱分解することによって得られる<ref name=Burt/>。真空下での利用では、二クロム酸セシウムを[[ジルコニウム]]と反応させることによって気体を副生させずに純粋なセシウム金属が生成する<ref name=CEC/>。 : <chem>Cs2Cr2O7 + 2 Zr -> 2 Cs + 2 ZrO2 + Cr2O3</chem> [[2009年]]の純度99.8%の金属セシウムの価格は、メタルベースで1 g当たり10[[USドル|ドル]](1オンス当たり280ドル)であるが、化合物はかなり安価である<ref name="USGS-Cs2"/>。 == 健康と安全性に対する危険性 == [[File:AirDoseChernobylVector.svg|thumb|300px|チェルノブイリ原発事故後における、空気中の総放射線量の時間変化と各々の同位体元素の割合。事故のおよそ200日後には、セシウム137は放射線源の最大の発生源となっている<ref>Data from the [http://atom.kaeri.re.kr/ OECD report] and ''The radiochemical Manual'' (2nd ed.) B.J. Wilson (1966).</ref>|alt=これは、チェルノブイリ原発事故後の経過時間の対数を横軸、放射性降下物由来のそれぞれの核種による放射線放出の割合を縦軸に取ったグラフである。様々な色の線で各時間における支配的な放射線源が示される。最初の5日間ほどはテルル132およびヨウ素132が、次の5日間はヨウ素131が、その後しばらくはバリウム140およびランタン140が、10日目から200日目まではジルコニウム95およびニオブ95が、そして最終的にはセシウム137が支配的になる。他の放射能を発生させている各種は主要な発生源とはなっていないが、50日後にピークに達する[[ルテニウム]]および、600日ほどでピークに達するセシウム134がある。]] セシウム化合物は普通の人にとっては滅多に触れることがない物質だが、大部分のセシウム化合物はカリウムとセシウムの化学的類似性に由来するわずかな毒性がある。大量のセシウム化合物への曝露は刺激と痙攣を引き起こすが、それほどの量の自然中におけるセシウム源とは通常遭遇せず、環境化学においてセシウムは主要な汚染物質ではない<ref>{{citation|doi = 10.1080/10934528109375003|title = Cesium in mammals: Acute toxicity, organ changes and tissue accumulation|year = 1981|last1 = Pinsky|first1 = Carl|first2 = Ranjan|first3 = J. R.|first4 = Jasper|first5 = Claude|first6 = James|journal = Journal of Environmental Science and Health, Part A|volume = 16|pages = 549– 567 |last2 = Bose|last3 = Taylor|last4 = McKee|last5 = Lapointe|last6 = Birchall}}</ref>。[[ハツカネズミ属|マウス]]における塩化セシウムの[[半数致死量]] (LD<sub>50</sub>) の値は体重1 kgあたり2.3 gであり、これは[[塩化カリウム]]および[[塩化ナトリウム]]の値にほぼ等しい<ref>{{citation|doi = 10.1016/0041-008X(75)90216-1|title = Acute toxicity of cesium and rubidium compounds|year = 1975|last1 = Johnson|first1 = Garland T.|journal = Toxicology and Applied Pharmacology|volume = 32|pages = 239–245|pmid = 1154391|first2 = Trent R.|first3 = D. Wagner|issue = 2|last2 = Lewis|last3 = Wagner}}</ref>。 金属セシウムはもっとも反応性の高い元素のひとつであり、水との接触に際して非常に高い爆発性を有する。金属セシウムと水との反応によって生成する水素ガスは、その反応と共に放出される熱エネルギーによって加熱され、発火と激しい爆発を引き起こす。 : <chem>2 Cs + 2 H2O -> 2 CsOH + H2 (^)</chem> {| class="wikitable floatleft" ! style="background:#f90"|NFPA 704 |- | align="center"|{{NFPA 704|Health = 3|Flammability = 3|Reactivity = 2|Other = <s>W</s>}} |- | style="width:80pt"|金属セシウムに対する[[NFPA 704|ファイア・ダイアモンド]]表示 |} そのような反応は他のアルカリ金属においても起こるが、セシウムにおいては、この爆発が冷水によっても十分引き金となり得るほどに強力である<ref name=USGS/>。金属セシウムは非常に強い自然発火性を持ち、空気中において自然に発火して水酸化物やさまざまな酸化物を形成する。水酸化セシウムは非常に強い塩基であり、[[ガラス]]は速やかに腐食される<ref name=RSC2>{{cite web|url=http://www.rsc.org/chemsoc/visualelements/pages/data/caesium_data.html |accessdate=2011-5-11|publisher=Royal Society of Chemistry|title=Chemical Data – Cesium – Cs|date=}}</ref>。 放射性物質の漏洩に由来して、同位体元素のセシウム134およびセシウム137は少量が生物圏に存在しているが、場所によって異なる放射能負荷の指標となる。放射性セシウムは放射性ヨウ素や放射性ストロンチウムなどの他の多くの核分裂生成物と比較すると人体に蓄積しにくい。他のアルカリ金属と同様に、放射性セシウムは[[尿]]と[[汗]]によって比較的早く排出される。一方で、放射性セシウムはカリウムとともに、[[果物]]や[[野菜]]などの植物の細胞に蓄積する傾向がある<ref>{{citation|doi = 10.1007/BF01376226|title = Accumulation of Cs and K and growth of bean plants in nutrient solution and soils|year = 1962|last1 = Nishita|first1 = H.|last2 = Dixon|first2 = D.|last3 = Larson|first3 = K. H.|journal = Plant and Soil|volume = 17|pages = 221–242}}</ref><ref>{{citation|doi = 10.1016/0265-931X(96)89276-9|title = Fate of cesium in the environment: Distribution between the abiotic and biotic components of aquatic and terrestrial ecosystems|year = 1996|last1 = Avery|first1 = S.|journal = Journal of Environmental Radioactivity|volume = 30|pages = 139–171 }}</ref><ref>{{citation|doi=10.1039/AN9921700487|title = Availability of cesium isotopes in vegetation estimated from incubation and extraction experiments|journal = Analyst|year = 1992| volume = 117|pages = 487–491|first1 =Brit |last1 =Salbu|first2 =Georg |last2 =Østby|first3 =Torstein H. |last3 =Garmo|first4 =Knut |last4 =Hove|pmid=1580386|issue=3}}</ref>。汚染された森で放射性のセシウム137を[[キノコ]]が[[子実体]]に蓄積することも示されている<ref>M Vinichuk, A F S Taylor, K Rosén, K J Johanson. Accumulation of potassium, rubidium and cesium ((133)Cs and (137)Cs) in various fractions of soil and fungi in a Swedish forest. ''Science of the total envrironment'' 03: 2010 [http://www.researchgate.net/publication/42541094_Accumulation_of_potassium_rubidium_and_caesium_((133)Cs_and_(137)Cs)_in_various_fractions_of_soil_and_fungi_in_a_Swedish_forest DOI: 10.1016/j.scitotenv.2010.02.024]</ref>。湖へのセシウム137の蓄積は[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]後に強く懸念されていた<ref name=smithber05>{{citation|first1 = Jim T.|last1 = Smith| first2 = Nicholas A.|last2 = Beresford|title = Chernobyl: Catastrophe and Consequences|publisher = Springer|place = Berlin|isbn = 3-540-23866-2}}</ref><ref>{{citation|doi=10.1007/BF02197418|title =Radioactive isotopes of cesium in the waters and near-water atmospheric layer of the Black Sea|first1 =V. N. |last1 = Eremeev|first2 =T. V. |last2 =Chudinovskikh|first3 =G. F. |last3 =Batrakov|first4 =T. M. |last4 =Ivanova|volume = 2|issue = 1|year = 1991|journal = Physical Oceanography |pages = 57–64}}</ref>。[[国際原子力機関]]などは、セシウム137のような放射性物質は[[放射能兵器]]もしくは「[[汚い爆弾]]」に用いることが可能であると警告した<ref>{{citation|last = Charbonneau|first =Louis|date 2003-03-12|title = IAEA director warns of “dirty bomb” risk|newspaper = Washington Post|page = A15|url = http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A12629-2003Mar11|publisher=Reuters | date=2003-03-12 | accessdate=2011-5-11}}</ref>。[[チェルノブイリ原子力発電所事故]]で放出された放射性セシウムによる健康リスク調査でも、危険性の程度に関して様々な主張がある<ref>ユーリー・バンダジェフスキー著・久保田護訳『放射性セシウムが人体に与える 医学的生物学的影響:チェルノブイリ原発事故・被曝の病理データ 』合同出版・2011</ref><ref>[https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/hotnews/int/201104/519274.html チェルノブイリ事故調査結果を基に長崎大の山下俊一教授が明言「放射性セシウム汚染で疾患は増えない」] - 日経メディカル</ref><ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110323/219112/ 今の放射線は本当に危険レベルか、ズバリ解説しよう] - 日経ビジネス</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=F.A. コットン, G. ウィルキンソン|others=中原 勝儼|title=コットン・ウィルキンソン無機化学(上)|publisher=培風館|year=1987|edition=原書第4版|isbn=4-563-04192-0|ref=CW1987}} * {{Cite book|和書|author=千谷利三|year=1959|title=新版 無機化学(上巻)|publisher=産業図書|ref=千谷1959}} == 関連項目 == {{Sisterlinks | v = no }} * [[元素]] * [[セシウムさん騒動]] == 外部リンク == * {{YouTube|Ft4E1eCUItI|Alkali metals in water ( Not the braniac version )}}{{en icon}} - セシウムと水の爆発反応 * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{セシウムの化合物}} {{Normdaten}} {{Good article}} {{DEFAULTSORT:せしうむ}} [[Category:セシウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:アルカリ金属]] [[Category:第6周期元素]]
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タンタル
タンタル(独: Tantal [ˈtantal]、英: tantalum [ˈtæntələm])は、原子番号73の第6周期に属する第5族元素である。元素記号は Ta。タンタルの単体は比較的密度が高くて硬く、銀白色を呈し、光沢があって腐食耐性の高い遷移金属である。レアメタルの1つに数えられており合金の微量成分などとして広く用いられる他、比較的化学的に安定で融点も高く、耐火金属としても知られる。化学的に不活性な特性から、実験用設備の材料や白金の代替品として有用である。今日におけるタンタルの主な用途は、携帯電話、DVDプレーヤー、ゲーム機、パーソナルコンピュータといった電子機器に用いられるタンタル電解コンデンサである。タンタルは、タンタル石、コルンブ石あるいはコルタン(タンタル石とコルンブ石の混合物であるとされ独立した鉱物とみなされていない)といった鉱物に含まれ、化学的に類似するニオブと共に産出する。 タンタルという名前は、ギリシア神話でニオベーの父とされているタンタロスから取られている。神話においては、タンタロスは死後、あごまで届くほどの深さの水の中に立たされ、頭上には果物が豊かに実っているが、どちらも永遠に彼には手に入らずじらされるという罰を受ける(水を飲もうとすると、届かないくらい水位が下がり、果物に手を伸ばそうとすると、枝が手の届く範囲から遠ざかる、英語でtantalizeという単語はじらして苦しめるという意味がある)。アンデシュ・エーケベリは、「私がタンタルと呼ぶこの金属、酸に浸しても何かを吸収したり飽和したりする能力がほとんどないということを部分的に暗示する名前である」と書いている。 タンタルは、1802年にスウェーデンにおいてアンデシュ・エーケベリによって発見された。その前年にチャールズ・ハチェットがコロンビウム(現在のニオブ)を発見しており、1809年にイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンがニオブの酸化物コルンブ石の密度を5.918 g/cm、タンタルの酸化物タンタル石の密度を7.935 g/cmと測定して比較した。ウォラストンは測定された密度が異なるにもかかわらず、両者は同じであるものと結論付け、タンタルの方の名前を残すことにした。フリードリヒ・ヴェーラーがこの結論を確認したことから、これ以降コロンビウムとタンタルは同じ元素であるとされてきた。しかし1846年にドイツの化学者ハインリヒ・ローゼが、タンタル石にはさらに2種類の元素が含まれていると主張し、ギリシア神話でタンタロスの子とされている名前にちなんで、ニオブ(ニオベーから)とペロピウム(ペロプスから)と名付けた。ここで想定されていたペロピウムという元素は、後にタンタルとニオブの混合物であると確認され、またニオブは1801年にハチェットが発見していたコロンビウムと同一のものであると確認された。 タンタルとニオブが違うものであることは、クリスチャン・ヴィルヘルム・ブロムストラント(スウェーデン語版)やアンリ・サント=クレール・ドビーユが1864年にはっきりと示し、またルイ・ジョゼフ・トロースト(フランス語版)も1865年にいくつかの化合物の実験式を示した。スイスの化学者ジャン・マリニャックもさらなる確認を行い、1866年に2種類の元素のみが含まれていることを証明した。しかしこうした発見があったにもかかわらず、1871年までイルメニウム(英語版)という実在しない元素に関して科学者たちが文献を出していた。マリニャックはまた、1864年にタンタルの塩化物を水素雰囲気中で熱して還元することで、タンタルの金属形態を初めて得た。初期には不純なタンタルしか得ることができなかったが、1903年にヴェルナー・フォン・ボルトン(ドイツ語版)がシャルロッテンブルク(英語版)において、かなり純粋で延性のある金属タンタルを得ることに成功した。金属タンタルから作られた線は、タングステン製のものに置き換えられるまで、電球のフィラメントとして用いられていた。 何十年もの間、ニオブからタンタルを分離する商業的な技術は、ジャン・マリニャックが1866年に発見した、フッ化タンタル酸カリウム(英語版)を分別晶析によりフッ化ニオブ酸カリウムから分離するという方法であった。この方法は、フッ化物含有のタンタル水溶液を溶媒抽出するという方法に置き換えられている。 タンタルは銀灰色で、密度や延性が高く、非常に硬いが加工はしやすい。熱や電気の伝導度が高く、酸による腐食にも強い。金属を侵す能力の高い王水であっても、摂氏150度以下ではタンタルはまったく溶けない。フッ化水素酸やフッ化物と三酸化硫黄を含む酸性溶液、水酸化カリウムには溶ける。タンタルの融点は摂氏3,017度(沸点は摂氏5,458度)と高く、これを上回る元素はタングステン、レニウム、オスミウム、炭素だけである。 タンタルにはαとβの2種類の結晶構造が存在する。α-Taは比較的やわらかく、展延性がある。体心立方格子構造を持ち(空間群はlm3m、格子定数はa=0.33058nm)、ヌープ硬度は200 - 400 HN、電気抵抗は15 - 60 μΩ・cmである。β-Taは硬いがもろく、結晶構造は正方晶系を持ち(空間群はP42/mnm、格子定数はa=1.0194nm,c=0.5313nm)、ヌープ硬度は1000 - 1300 HN、電気抵抗は比較的高く170 - 210 μΩ・cmである。β構造は準安定で、摂氏750 - 775度に加熱することでα構造に転移する。大量のタンタルはほぼすべてα構造であり、通常β構造は、溶融塩共晶からマグネトロンスパッタリング、化学気相成長あるいは電気化学析出で得られる薄膜として存在する。 タンタルの単体は、超伝導の研究が始まって間もない1930年頃までには、臨界温度4.5 Kで超伝導となることが発見されている。一方、タンタル酸カリウム単結晶の表面付近が0.005 K未満で超伝導になる現象も2011年に発見されている。 天然のタンタルは、Ta (0.012 %) とTa (99.988 %)という2つの同位体で構成されている。Taは安定同位体である。Taは核異性体で、基底状態のTaへの核異性体転移、Wへのベータ崩壊、電子捕獲によってHfへの崩壊の3種類の崩壊をすると予測されている。しかし、この核異性体の放射性崩壊は1度も観測されたことがなく、最低でも半減期2.0 × 10年(2京年)を持つと、半減期の下限値を示されているに過ぎない。基底状態であるTaは、わずか8時間の半減期である。放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、Taは自然界に存在する唯一の核異性体である。これもまた放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、Taはタンタルの元素存在比および天然同位体構成比を考慮すれば、宇宙でもっとも希少な同位体である。 タンタルは、核兵器に「加塩」(放射性物質の放出量を増強する)する材料として理論的に検討されてきた(コバルトの方が加塩材料として良く知られている)。仮説上、核兵器が爆発するときに出る強力な高エネルギー中性子線が外殻のTaに放射線を浴びせる。これによってタンタルを半減期114.4日の放射性同位体であるTaに変化させ、これが112万電子ボルトのエネルギーを持つガンマ線を出し、核爆発で生じた放射性降下物の放射能を数か月にわたって大幅に強化することになる。こうした加塩された核兵器は、少なくとも公的に知られている限りでは実際に作られたことも試験されたこともなく、実際に兵器として使用されたことは1度もない。 タンタルは、陽子線を当ててLi、Rb、and Ybといった様々な短寿命放射性同位体を作るためのターゲット材として用いられる。 タンタルは酸化数+2, +3, +4, +5の化合物を形成する。これらの中では酸化数+5が最も安定である。なお、+5価のイオン半径は、73 pmである。タンタルの化合物としては酸化物が安定で、タンタルの鉱物はすべて酸化鉱物である。酸化数が3より小さい無機化合物は、タンタル原子間の化学結合を特徴とする。炭素原子がタンタル原子と化学結合している有機タンタル化合物では、+1, 0, −1などのさらに低い酸化数も取る。 タンタルとニオブの化学的特性はよく似ている。同じ第5族元素のバナジウムと似ているところもあるが、バナジウムでよくみられる酸化数+2, +3の化合物はタンタルとニオブでは少ない。 五酸化タンタル (Ta2O5) は、実用上の観点からはもっとも重要な化合物である。4価の酸化物 (TaO2) は不定比化合物で、ルチル構造を取る。3価の酸化物 (Ta2O3) は知られていない。 タンタル酸塩と呼ばれる化合物は、実際には複酸化物であることがほとんどで、孤立したタンタル酸イオンを含む化合物はまれである。前者の例として、イルメナイト類似構造を取るタンタル酸リチウム (LiTaO3) や、ペロブスカイト構造を取るタンタル酸カリウム (KTaO3) が挙げられる。これらの結晶ではタンタル原子が6個の酸素原子に囲まれており、孤立した [TaO3] イオンは存在しない。タンタル酸イットリウム (YTaO4) は後者の例で、灰重石に似た構造を持つ結晶には、孤立した四面体状のタンタル(V)酸イオン [TaO4] が含まれる。 五酸化タンタルと水酸化アルカリを溶融し、生成物を水で処理すると、水溶性のイソポリ酸塩が得られる。カリウムイオン (K) とヘキサタンタル酸イオン [Ta6O19] からなる K8[Ta6O19]⋅16H2O がよく知られている。[Ta6O19]は、6個のTaO6八面体が稜共有でつながった構造をしており、タングステンのイソポリ酸イオン [W6O19] と同じ形である。25個の原子からなる大きなイオンであるが、水溶液中でもこのままの形で存在する。 他の耐火金属と同様に、発見されているタンタル化合物の中でもっとも硬いのは、ホウ化物や炭化物である。炭化タンタル (TaC) は、同様の用途で用いられている炭化タングステンと同様、硬いセラミックスで、切削工具に使われる。窒化タンタルは、マイクロエレクトロニクスの分野において薄膜絶縁体として用いられる。 もっとも研究されているタンタルのカルコゲン化物は硫化タンタル(IV) (TaS2) であり、他の遷移金属ジカルコゲナイドに見られるように、層状半導体である。タンタルとテルルの合金は準結晶を形成する。 タンタルのハロゲン化物の酸化数は+5、+4、+3を取る。フッ化タンタル(V) (TaF5) は融点が摂氏97.0度の白い固体である。気相の孤立TaF5分子は三方両錐形分子構造を取るが、固体中ではTaF6八面体が頂点共有した四量体として存在する。ヘプタフルオロタンタル(V)酸イオン [TaF7] は、タンタルをニオブから分離する際に用いられる。塩化タンタル(V)、臭化タンタル(V)、ヨウ化タンタル(V) (TaCl5, TaBr5, TaI5) は、固体中ではTaX6八面体が稜共有した二量体として存在し、水にあうと加水分解してハロゲン化酸化物となる。塩化タンタル(V)は、有機タンタル化合物の合成において出発物質として用いられる。 フッ化タンタル(IV) (TaF4) は知られていない。他のハロゲン化タンタル(IV) (TaX4) も不安定で、空気中で容易に酸化されてハロゲン化酸化物を与える。また加熱により酸化数+5のハロゲン化物 (TaX5) と酸化数+3のハロゲン化物 (TaX3) に不均化する。 見かけの酸化数が+2.5または+2.33となる塩化物、臭化物、ヨウ化物が知られている。これらのハロゲン化物では、6個のタンタル原子が正八面体状に並んだ、[Ta6X12]または[Ta6X12]が構成単位として認められる。この構成単位に含まれるハロゲン原子はタンタル原子がつくる八面体の外側に位置しており、化合物内の金属原子の間に化学結合が存在していること示している。 有機タンタル化合物としては、ペンタメチルタンタル(英語版)、塩化アルキルタンタル、水素化アルキルタンタル、およびカルベン錯体やシクロペンタジエニル錯体などがある。金属カルボニルは、ヘキサカルボニルタンタル(−I)酸イオン [Ta(CO)6] や関連するイソシアニドについて、多様な塩や置換誘導体が知られている。 タンタルの宇宙における存在度は重量比では0.08 ppb程度、原子数では全原子数の8×10パーセント程度とされ、原子数では安定元素として宇宙でもっとも希少である。宇宙において鉄より重い元素のほとんどは、超新星爆発や恒星内部での中性子捕獲反応によって生成される。中性子捕獲による元素生成では、鉄が中性子捕獲により質量数が大きな鉄の同位体になり、ベータ崩壊によって原子番号の1つ大きな元素となる反応を繰り返して、各種の同位体が生成されるが、中性子捕獲やベータ崩壊の起きやすさによって、どの同位体が多くなるかが決定され、この結果タンタルは希少なものとなっている。 タンタルには、Ta (0.012 %) とTa (99.988 %) の2種類の天然同位体が存在し、このうちTaは全核種の中でもっとも少ない。従来の超新星爆発や中性子捕獲による機構では、このTaの少なさを説明できずにいたが、超新星爆発の際に放出されるニュートリノがHfやTaと弱い相互作用を起こしてTaを生成するモデルが新たに提案された。Taは基底状態で半減期8.15時間のものと、半減期10年以上の準安定な核異性体があり、弱い相互作用によって生成されるTaの基底状態と核異性体のうち、基底状態のものはすべて放射性壊変により消滅するため、半減期の長い核異性体のみが残り、基底状態と核異性体の生成比率の理論計算値から求めた核異性体の推定量が実在量と一致することから、Taの生成起源が説明され、またその希少さの理由も説明されることになった。 タンタルは、地球の地殻に重量比で1 ppmから2 ppm程度含まれていると推計されている。 タンタルを含む鉱物はたくさんあるが、工業的に原材料として利用されているのはそのごく一部だけである。タンタル石(鉄タンタル石、マンガンタンタル石、マグネシウムタンタル石などで構成される)、マイクロ石、ウォッジナイト(英語版)、ユークセン石(英語版)(より正確にはイットリウムユークセン石)、ポリクレース石(英語版)(より正確にはイットリウムポリクレース石)といった鉱物がある。タンタル抽出の観点では、タンタル石 (Fe, Mn)Ta2O6 がもっとも重要である。タンタル石とコルンブ石 (Fe, Mn) (Ta, Nb)2O6 と同じ鉱石構造をしている。ニオブよりタンタルが多いものをタンタル石と呼び、タンタルよりニオブが多いものをコルンブ石(あるいはニオブ石)と呼ぶ。タンタル石やそのほかタンタル含有鉱物は密度が高いため、選鉱には重力選鉱(英語版)が最良の手段である。他にサマルスキー石やフェルグソン石といった鉱物がタンタルを含むことがある。 こうした鉱石類の鉱床は、古い時代に起きた、大陸地殻内部の物質が溶融してマグマが生じ、結晶分化作用によって濃集したことによるものや、化学的風化作用によって難溶性の鉱物のみが残って形成される風化残留鉱床によるものなどで形成されている。その生成の由来から、古い地殻にのみ存在する鉱床であるとされている。 また、スズの原料鉱石である錫石の微量成分としてもタンタルが含まれることがある。錫石の鉱床も、花崗岩質マグマや熱水鉱液に由来し、風化・流出して地表水や海水により重力選別を受けて形成される。 タンタルの生産は、スズの精錬に際して出てくる鉱滓(スラグ)に含まれるものから抽出するものと、タンタル鉱石を採掘して生産するものがある。タンタルの精錬は、冶金工業においても要求の厳しい分野である。精錬上の主な問題は、タンタルの鉱石にはかなりの量のニオブが含まれており、その化学的性質がタンタルとほとんど同じという点にある。この問題を解決するために多くの方式が開発されてきた。現代では、この分離は湿式精錬によって実施されている。 スズスラグを起点としてタンタルを抽出する場合、電気炉中でスラグをコークスと反応させて炭化物とし、これを精製してアルカリ処理してタンタル分を濃縮して精鉱を得る。これ以降は、タンタル鉱石を起点としてタンタルを抽出する場合と同じである。 タンタル鉱石を起点とする場合、鉱石は砕かれて、重力選鉱により選別される。一般的にこの処理は、鉱山の近くで実施される。 フッ化水素酸と硫酸または塩酸を使って、鉱石の浸出(英語版)を行うところから抽出が始まる。これにより鉱石に含まれる多くの非金属不純物からタンタルとニオブを分離することができる。タンタルは様々な形態で鉱石に含まれるが、こうした条件下ではほとんどのタンタルの5価の酸化物は同じようにふるまうので、五酸化物を代表として取り扱うことができる。この抽出を簡単な式で示せば以下の通りとなる。 これとほぼ同じ反応がニオブ側の成分にも起きるが、この抽出条件においては六フッ化物が主に得られる。 この式は単純化されたものである。硫酸および塩酸を使った際に、それぞれ硫酸水素イオン (HSO4) および塩化物イオンがニオブ(V)イオンとタンタル(V)イオンの配位子として競合すると推測されている。タンタルのフッ化物とニオブのフッ化物の錯体が、水溶液からシクロヘキサノン、オクタノール、メチルイソブチルケトンといった有機溶媒に液液抽出によって抽出される。この単純な操作によって、鉄、マンガン、チタン、ジルコニウムといったほとんどの金属含有不純物が水溶液にフッ化物やそのほかの錯体として残り、取り除くことができる。 タンタルをニオブから分離する操作は、混合された酸のイオン強度を下げていくことによって、ニオブが水溶液に溶け出すことで行われる。この条件では、オキシフッ化物 H2[NbOF5] が形成されると見られている。ニオブの除去後、精製された H2[TaF7] の溶液はアンモニア水溶液によって中和され、酸化タンタルの水和物が固体として得られ、これを煆焼して五酸化タンタル (Ta2O5) を得る。 あるいは、ニオブ除去後のH2[TaF7] の溶液を加水分解する代わりに、フッ化カリウムで処理してヘプタフルオロタンタル(V)酸カリウム(英語版)(フッ化タンタル酸カリウム)を得ることもできる。H2[TaF7] と異なりカリウム塩は容易に結晶化し、固体として取り扱うことができる。 マリニャック法と呼ばれる古い手段では、H2[TaF7] と H2[NbOF5] の混合物を K2[TaF7] と K2[NbOF5] の混合物に変化させ、これを水への溶解度の差を利用する分別晶析法により分離していた。 精錬によって得られたフッ化タンタル酸カリウムあるいは五酸化タンタルは、その後フッ化タンタル酸カリウムのナトリウム還元あるいは五酸化タンタルの溶融塩電解、炭素還元、フッ化物・塩化物・酸化物などの水素還元といった方法で金属タンタルにする。工業的に用いられる方法は、ナトリウム還元法または溶融塩電解である。 フッ化タンタル酸カリウムのナトリウム還元は、反応るつぼに原料のフッ化タンタル酸カリウムを積み重ね、アルゴンなどの不活性ガスで満たし、ヒーターで加熱しながら金属ナトリウムを導入する。ナトリウムの沸点である摂氏883度に達するとナトリウムが蒸発してフッ化タンタル酸カリウムの表面に達し、これによって還元反応が進行する。還元後、温水やメタノールで洗浄することでタンタルの粗金属が得られる。 溶融塩電解法は、ホール・エルー法を改良したものを用いる。タンタル溶融塩電解では、入力として酸化物、出力として金属の、どちらも液体を利用するのではなく、粉末状の酸化物を用いて実行される。この手法の最初の発見は1997年のことで、ケンブリッジ大学の研究者がある種の酸化物の小さなサンプルを溶融塩に浸し、電流によりこの酸化物を還元したことによる。陰極には金属酸化物の粉末を使っていた。陽極は炭素製であった。摂氏約1,000度の溶融塩が電解質として用いられた。この方法の最初の精錬装置は、全世界の年間需要の3 - 4パーセント程度を供給できる能力を持っている。 こうした方法で得られるタンタルは、真空熱処理によって脱水素を行ったり、電子ビーム溶解によってインゴット化したりする。タンタルをさらに高純度化するためには、電子ビーム帯域溶解法を用いる。 タンタルの溶接は、大気中の気体による汚染を防ぐためにアルゴンやヘリウムなどの不活性気体の中で行わなければならない。タンタルははんだ付け不能である。タンタルを切削加工するのは難しく、特に焼なましをしたタンタルについては難しい。焼きなましをした状態では、タンタルは非常に展延性が高く、簡単に金属板に加工することができる。 21世紀初頭の時点では、オーストラリアおよびブラジルが主なタンタル生産国であったが、それ以降はタンタル生産の大きな地理的変化が進んでいる。2007年から2014年にかけて、鉱山からのタンタル生産はコンゴ民主共和国、ルワンダやその他アフリカ諸国へと大規模に移っている。2017年のタンタル生産国上位は、1位がルワンダで390トン、2位がコンゴ民主共和国で370トン、3位がナイジェリアで190トン、4位がブラジルで100トン、5位が中華人民共和国で95トンの順となっている。将来的なタンタル供給源は、推計されている埋蔵量順に、サウジアラビア、エジプト、グリーンランド、中華人民共和国、モザンビーク、カナダ、オーストラリア、アメリカ合衆国、フィンランド、ブラジルである。 長らくタンタルの最大生産国であったオーストラリアでは、最大生産者のタリソン・ミネラルズ(英語版)が西オーストラリア州の南西部のグリーンブッシュおよびピルバラ地区のウドギナという2か所で鉱山を操業している。世界的な金融危機のために、ウドギナ鉱山は2008年末に操業を中止していたが、2011年1月に再開された。再開から1年経たないうちに、タリソン・ミネラルズは「タンタル需要の軟化」とその他の原因を理由として、2012年2月末にタンタル採掘を中断することを発表した。ウドギナではタンタルの鉱物を採掘し、グリーンブッシュにおいてさらに精製が行われてから顧客に売却されている。ニオブの大規模生産国はブラジルやカナダであるが、そうした場所で生産される鉱物からも少ないがタンタルが得られる。他に、中華人民共和国、エチオピア、モザンビークといった場所の鉱山がタンタルの比率の高い鉱物を産出し、世界のタンタル生産量の上位を占めている。また、タイやマレーシアのスズ生産の副産物としてもタンタルが得られる。砂鉱床(英語版)からの鉱石を重力選鉱する際に、錫石 (SnO2) だけではなく、少ない比率ではあるがタンタル石も含まれてくる。この結果、スズ溶鉱炉から出てくる鉱滓には、経済的に有用な量のタンタルが含まれている。 タンタルの年間生産量は、1997年から2001年にかけては純タンタル換算で1,478トンから2,257トン程度であった。現状の生産量で考えれば、タンタルの残存埋蔵量は50年以下であると見積もられており、リサイクルの必要性が高まっていることを示している。 タンタルはコモディティとして市場で取引される商品ではなく、また金属単体での取引も基本的に行われていない。鉱石の形態で、売り手と買い手の直接交渉により値段が決定されている。タンタルの価格は、30パーセントTa2O5の鉱石ベースにして、1ポンド(約454グラム)あたりの価格が雑誌等で掲載されている。1980年代から1990年代にかけて長らく20 - 30ドル程度で推移していたが、2000年以降はIT需要の拡大により高騰と、IT不況による停滞がたびたびあり、2007年末時点では35ドル程度となっている。その後は高騰し、2011年から2012年にかけては1ポンド当たりに換算して120ドルを超える高値で取引されていた。 タンタルは紛争鉱物の1種であるとされる。コルンブ石とタンタル石の産業上の名称であるコルタンからはニオブとタンタルが抽出されるが、中部アフリカでも採掘される鉱石であり、コンゴ民主共和国(かつてのザイール)における第二次コンゴ戦争とタンタルが関わってくる理由となっている。2003年10月23日の国連報告によれば、密輸も含めたコルタンの輸出が、第二次世界大戦以来最悪の死者数記録となる、1998年以降だけで約540万人が死んだコンゴにおける戦争を助長しているとされる。コンゴ盆地の武力紛争地帯においてコルタンのような資源を収奪することに伴う、責任ある企業行動、人権、野生生物の危機といった倫理上の問題が問われるようになっている。しかし、コルタンの採掘はコンゴの地域経済にとっては重要であるが、世界のタンタル供給に占める割合は通常は小さい。アメリカ地質調査所の年鑑は、この地域のタンタル生産量は、2002年から2006年にかけての世界のタンタル生産量の1パーセント未満で、2000年と2008年に10パーセントに達したのが最高であるとしている。 「ソリューションズ・フォー・ホープ・タンタルプロジェクト」の目的は、「コンゴ民主共和国から紛争と関係しないタンタルを供給する」ことであるとされている。 タンタルの主な用途は、電子機器の製造であり、主にコンデンサ(キャパシタ)や高出力抵抗器などに金属粉末の形態で用いられる。タンタル電解コンデンサ(英語版)は、タンタルが表面に保護酸化被膜を形成する性質を利用し、タンタルの粉末をペレット状の形態に焼き固めたものを一方の極板とし、酸化物 (Ta2O5) を誘電体とし、電解液または伝導性のある固体をもう一方の極板としたものである。誘電体の層が非常に薄くなる(同様のアルミニウム電解コンデンサなどに比べてもかなり薄い)ことから、小容積でも大きな静電容量を実現できる。大きさと重量の利点から、携帯電話、パーソナルコンピュータ、自動車エレクトロニクス(英語版)、カメラといった用途に適する。 また、表面弾性波フィルター(SAWフィルター)の材料としても用いられる。これは特定の信号波のみを選択的に通すフィルターであり、携帯電話などにおいて決められた送受信周波数以外の周波数成分をカットするために用いられる。電気信号を圧電効果を利用して一旦機械的な振動に変換し、固体表面を伝搬する弾性表面波とした上で、その圧電結晶基盤の上に形成されたパターンの構造により選択的に周波数フィルターを適用し、再び電気信号に変換する仕組みとなっている。このための圧電単結晶としてタンタル酸リチウム (LiTaO3) またはニオブ酸リチウム (LiNbO3) が用いられている。 スパッタリングによって薄膜を形成する際に、ターゲット材(薄膜材料)としてタンタル(五酸化タンタル)を用いることがある。これによって高誘電率・高絶縁耐圧の薄膜形成が行われる。 かつて白熱電球のフィラメントの製造にタンタルが利用されていたことがある。フィラメントは当初炭素(カーボン)のものが使用されていたが、その性能を向上させるために様々な金属フィラメントの開発が行われ、1902年にドイツのジーメンス・ウント・ハルスケの技術者ヴェルナー・フォン・ボルトン(ドイツ語版)がタンタルを利用したフィラメントを開発した。この電球は効率が良く明るく白い光を出すことから好評であった。アメリカのゼネラル・エレクトリックはライセンス生産の権利を買って1910年まで生産しており、ジーメンス自体は1913年まで生産していたが、1904年に発明され1906年に商品化されたタングステンフィラメントを利用した電球がより効率が高く寿命が長かったことから、タンタル電球は時代遅れとなった。 タンタルは無線送信機の極超短波真空管の製造に広く用いられている。タンタルは、窒化物や酸化物を形成して窒素や酸素を捕獲できるので、グリッドやプレートといった真空管内部の部品に使って、真空管内に必要な高い真空度を維持するためのゲッター(英語版)としても利用できる。 タンタルは、高い融点や強度、展延性などを持つ様々な種類の合金を製造するために用いられる。他の金属と合金とすることで、金属加工用の超硬工具を製作したり、ジェットエンジン部品、化学処理装置、原子炉、ミサイル部品、熱交換器、タンクや容器向けの超合金の生産といった目的で用いられる。展延性が高いことから、細いワイヤやフィラメントをタンタルから作って、アルミニウムのような金属の蒸着処理に用いられる。 タンタルはほとんどの酸に対して不活性であるため、化学反応を行う容器や腐食性流体の配管などに有用な金属である。塩酸を蒸気で熱するための熱交換材はタンタルで作られる。化学工業においてグラスライニングの反応容器等を用いるが、その内面が損傷した場合の補修方法の一つとしてタンタルを使用する場合がある。 ただし、フッ化水素酸、熱硫酸、熱アルカリ水溶液などはタンタルを腐食する。 融点が高く酸化耐性があることから、真空炉(英語版)の部品の生産にタンタルが使われる。また白金坩堝の代用品としてタンタル坩堝が使用されることがある。タンタルは不活性であることから、サーモウェル(英語版)、バルブ本体、タンタル製締結部品などの腐食耐性のある様々な部品の製造に用いられる。 密度の高さから、成型炸薬や自己鍛造弾の内張りがタンタルで作られる。タンタルはその高い密度と融点から、成形炸薬弾の装甲貫徹能力を大いに増進する。 またときには、その耐食性と重厚な高級感からオーデマ・ピゲ、ウブロ、モンブラン、オメガ、オフィチーネ・パネライといった高級腕時計、高級宝飾品の製造にも用いられる。 タンタルは体液に耐え、生体に対して不活性で刺激性が少ないため、外科用医療用具や人体埋め込み材(インプラント材)などの製作に広く用いられる。たとえば、タンタルは硬組織に直接接着する能力が高いことから、多孔性のタンタルコーティングが整形外科用の埋め込み物の製作に用いられる。タンタルは剛性が高いことから、応力遮蔽(英語版)を避けるために、多孔質発泡体や低い剛性の骨格の形態で人工股関節置換術に用いられる。タンタルは非鉄・非磁性の金属であるので、こうしたインプラント材を埋め込まれた患者も核磁気共鳴画像法 (MRI) の検査を受けられるとされている。 またタンタル酸化物は、カメラのレンズ用に特別に高い屈折率のガラスを作るために用いられる。 タンタルは地球科学からの関心に比べて、環境分野ではほとんど関心を持たれていない。上部地殻でのタンタル濃度や地殻あるいは鉱物におけるニオブ/タンタル比率の計測は地球化学的な道具として有用であるため、値が計測されている。2008年時点で最新の上部地殻でのタンタル濃度は0.92 ppmで、ニオブ/タンタル比は12.7である。 環境中の様々な場所におけるタンタルの濃度に関する情報はあまりなく、特に自然の海水や淡水に溶けているタンタルの濃度に関する信頼性のあるデータが得られたことはない。海水中に溶けているタンタルの濃度に関する値がいくつか発表されているが、それらには矛盾がある。淡水中の値に関しても海水の測定値に比べいくらかましであるにすぎないが、しかし自然の水中における溶解濃度は現在の分析能力の限界未満であることから、おそらく1リットル当たり1ナノグラムを下回っていると考えられている。分析には予備濃縮法を用いる必要があるが、今のところは一貫性のある結果とならない。そしていずれにせよ、タンタルは自然界の水の中では溶けているというよりはほぼ微粒子の状態で存在しているものと思われる。 土壌、河床堆積物、大気エーロゾルなどに含まれる濃度の値はより容易に入手できる。土壌中の濃度はほぼ1 ppmであり、地殻中のタンタル濃度である。これは砕岩質に由来することを示唆している。大気エーロゾルに含まれる値はさまざまであり、また限られている。タンタルの濃縮が観測される場合は、雲の中のエーロゾルの水により溶ける物質が失われたことによるものであろう。 人間がタンタルを利用していることに伴う汚染が発見されたことはない。生物地球化学的にはタンタルは非常に変化の少ないものだと思われるが、その循環や反応性についてはいまだ完全に理解されているとは言えない。 タンタルは生体適合性が高く、また化学的に安定で体液とも反応しにくいために人体への害は少ないと見られている。むしろ、医療材料として体内に埋め込んだ場合などは、タンタルよりも医療材料に使用されている他の元素や化合物の性質に注意が向けられる。 職場においては、吸入、皮膚への接触、眼球への接触といった形でタンタルに人体が暴露される可能性がある。アメリカの労働安全衛生局(英語版)は、職場におけるタンタル暴露の法的限界(許容暴露限界(英語版))を1日8時間労働に対して5 mg/mと設定している。アメリカ国立労働安全衛生研究所(英語版)では、推奨される暴露限度(英語版)として、1日8時間労働に対しては5 mg/m、短期限界として10 mg/mを設定している。2,500 mg/mに達すると、タンタルは生命または健康に対する差し迫った危険(英語版)であるとされる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タンタル(独: Tantal [ˈtantal]、英: tantalum [ˈtæntələm])は、原子番号73の第6周期に属する第5族元素である。元素記号は Ta。タンタルの単体は比較的密度が高くて硬く、銀白色を呈し、光沢があって腐食耐性の高い遷移金属である。レアメタルの1つに数えられており合金の微量成分などとして広く用いられる他、比較的化学的に安定で融点も高く、耐火金属としても知られる。化学的に不活性な特性から、実験用設備の材料や白金の代替品として有用である。今日におけるタンタルの主な用途は、携帯電話、DVDプレーヤー、ゲーム機、パーソナルコンピュータといった電子機器に用いられるタンタル電解コンデンサである。タンタルは、タンタル石、コルンブ石あるいはコルタン(タンタル石とコルンブ石の混合物であるとされ独立した鉱物とみなされていない)といった鉱物に含まれ、化学的に類似するニオブと共に産出する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "タンタルという名前は、ギリシア神話でニオベーの父とされているタンタロスから取られている。神話においては、タンタロスは死後、あごまで届くほどの深さの水の中に立たされ、頭上には果物が豊かに実っているが、どちらも永遠に彼には手に入らずじらされるという罰を受ける(水を飲もうとすると、届かないくらい水位が下がり、果物に手を伸ばそうとすると、枝が手の届く範囲から遠ざかる、英語でtantalizeという単語はじらして苦しめるという意味がある)。アンデシュ・エーケベリは、「私がタンタルと呼ぶこの金属、酸に浸しても何かを吸収したり飽和したりする能力がほとんどないということを部分的に暗示する名前である」と書いている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "タンタルは、1802年にスウェーデンにおいてアンデシュ・エーケベリによって発見された。その前年にチャールズ・ハチェットがコロンビウム(現在のニオブ)を発見しており、1809年にイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンがニオブの酸化物コルンブ石の密度を5.918 g/cm、タンタルの酸化物タンタル石の密度を7.935 g/cmと測定して比較した。ウォラストンは測定された密度が異なるにもかかわらず、両者は同じであるものと結論付け、タンタルの方の名前を残すことにした。フリードリヒ・ヴェーラーがこの結論を確認したことから、これ以降コロンビウムとタンタルは同じ元素であるとされてきた。しかし1846年にドイツの化学者ハインリヒ・ローゼが、タンタル石にはさらに2種類の元素が含まれていると主張し、ギリシア神話でタンタロスの子とされている名前にちなんで、ニオブ(ニオベーから)とペロピウム(ペロプスから)と名付けた。ここで想定されていたペロピウムという元素は、後にタンタルとニオブの混合物であると確認され、またニオブは1801年にハチェットが発見していたコロンビウムと同一のものであると確認された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "タンタルとニオブが違うものであることは、クリスチャン・ヴィルヘルム・ブロムストラント(スウェーデン語版)やアンリ・サント=クレール・ドビーユが1864年にはっきりと示し、またルイ・ジョゼフ・トロースト(フランス語版)も1865年にいくつかの化合物の実験式を示した。スイスの化学者ジャン・マリニャックもさらなる確認を行い、1866年に2種類の元素のみが含まれていることを証明した。しかしこうした発見があったにもかかわらず、1871年までイルメニウム(英語版)という実在しない元素に関して科学者たちが文献を出していた。マリニャックはまた、1864年にタンタルの塩化物を水素雰囲気中で熱して還元することで、タンタルの金属形態を初めて得た。初期には不純なタンタルしか得ることができなかったが、1903年にヴェルナー・フォン・ボルトン(ドイツ語版)がシャルロッテンブルク(英語版)において、かなり純粋で延性のある金属タンタルを得ることに成功した。金属タンタルから作られた線は、タングステン製のものに置き換えられるまで、電球のフィラメントとして用いられていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "何十年もの間、ニオブからタンタルを分離する商業的な技術は、ジャン・マリニャックが1866年に発見した、フッ化タンタル酸カリウム(英語版)を分別晶析によりフッ化ニオブ酸カリウムから分離するという方法であった。この方法は、フッ化物含有のタンタル水溶液を溶媒抽出するという方法に置き換えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "タンタルは銀灰色で、密度や延性が高く、非常に硬いが加工はしやすい。熱や電気の伝導度が高く、酸による腐食にも強い。金属を侵す能力の高い王水であっても、摂氏150度以下ではタンタルはまったく溶けない。フッ化水素酸やフッ化物と三酸化硫黄を含む酸性溶液、水酸化カリウムには溶ける。タンタルの融点は摂氏3,017度(沸点は摂氏5,458度)と高く、これを上回る元素はタングステン、レニウム、オスミウム、炭素だけである。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "タンタルにはαとβの2種類の結晶構造が存在する。α-Taは比較的やわらかく、展延性がある。体心立方格子構造を持ち(空間群はlm3m、格子定数はa=0.33058nm)、ヌープ硬度は200 - 400 HN、電気抵抗は15 - 60 μΩ・cmである。β-Taは硬いがもろく、結晶構造は正方晶系を持ち(空間群はP42/mnm、格子定数はa=1.0194nm,c=0.5313nm)、ヌープ硬度は1000 - 1300 HN、電気抵抗は比較的高く170 - 210 μΩ・cmである。β構造は準安定で、摂氏750 - 775度に加熱することでα構造に転移する。大量のタンタルはほぼすべてα構造であり、通常β構造は、溶融塩共晶からマグネトロンスパッタリング、化学気相成長あるいは電気化学析出で得られる薄膜として存在する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "タンタルの単体は、超伝導の研究が始まって間もない1930年頃までには、臨界温度4.5 Kで超伝導となることが発見されている。一方、タンタル酸カリウム単結晶の表面付近が0.005 K未満で超伝導になる現象も2011年に発見されている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "天然のタンタルは、Ta (0.012 %) とTa (99.988 %)という2つの同位体で構成されている。Taは安定同位体である。Taは核異性体で、基底状態のTaへの核異性体転移、Wへのベータ崩壊、電子捕獲によってHfへの崩壊の3種類の崩壊をすると予測されている。しかし、この核異性体の放射性崩壊は1度も観測されたことがなく、最低でも半減期2.0 × 10年(2京年)を持つと、半減期の下限値を示されているに過ぎない。基底状態であるTaは、わずか8時間の半減期である。放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、Taは自然界に存在する唯一の核異性体である。これもまた放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、Taはタンタルの元素存在比および天然同位体構成比を考慮すれば、宇宙でもっとも希少な同位体である。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "タンタルは、核兵器に「加塩」(放射性物質の放出量を増強する)する材料として理論的に検討されてきた(コバルトの方が加塩材料として良く知られている)。仮説上、核兵器が爆発するときに出る強力な高エネルギー中性子線が外殻のTaに放射線を浴びせる。これによってタンタルを半減期114.4日の放射性同位体であるTaに変化させ、これが112万電子ボルトのエネルギーを持つガンマ線を出し、核爆発で生じた放射性降下物の放射能を数か月にわたって大幅に強化することになる。こうした加塩された核兵器は、少なくとも公的に知られている限りでは実際に作られたことも試験されたこともなく、実際に兵器として使用されたことは1度もない。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "タンタルは、陽子線を当ててLi、Rb、and Ybといった様々な短寿命放射性同位体を作るためのターゲット材として用いられる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "タンタルは酸化数+2, +3, +4, +5の化合物を形成する。これらの中では酸化数+5が最も安定である。なお、+5価のイオン半径は、73 pmである。タンタルの化合物としては酸化物が安定で、タンタルの鉱物はすべて酸化鉱物である。酸化数が3より小さい無機化合物は、タンタル原子間の化学結合を特徴とする。炭素原子がタンタル原子と化学結合している有機タンタル化合物では、+1, 0, −1などのさらに低い酸化数も取る。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "タンタルとニオブの化学的特性はよく似ている。同じ第5族元素のバナジウムと似ているところもあるが、バナジウムでよくみられる酸化数+2, +3の化合物はタンタルとニオブでは少ない。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "五酸化タンタル (Ta2O5) は、実用上の観点からはもっとも重要な化合物である。4価の酸化物 (TaO2) は不定比化合物で、ルチル構造を取る。3価の酸化物 (Ta2O3) は知られていない。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "タンタル酸塩と呼ばれる化合物は、実際には複酸化物であることがほとんどで、孤立したタンタル酸イオンを含む化合物はまれである。前者の例として、イルメナイト類似構造を取るタンタル酸リチウム (LiTaO3) や、ペロブスカイト構造を取るタンタル酸カリウム (KTaO3) が挙げられる。これらの結晶ではタンタル原子が6個の酸素原子に囲まれており、孤立した [TaO3] イオンは存在しない。タンタル酸イットリウム (YTaO4) は後者の例で、灰重石に似た構造を持つ結晶には、孤立した四面体状のタンタル(V)酸イオン [TaO4] が含まれる。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "五酸化タンタルと水酸化アルカリを溶融し、生成物を水で処理すると、水溶性のイソポリ酸塩が得られる。カリウムイオン (K) とヘキサタンタル酸イオン [Ta6O19] からなる K8[Ta6O19]⋅16H2O がよく知られている。[Ta6O19]は、6個のTaO6八面体が稜共有でつながった構造をしており、タングステンのイソポリ酸イオン [W6O19] と同じ形である。25個の原子からなる大きなイオンであるが、水溶液中でもこのままの形で存在する。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "他の耐火金属と同様に、発見されているタンタル化合物の中でもっとも硬いのは、ホウ化物や炭化物である。炭化タンタル (TaC) は、同様の用途で用いられている炭化タングステンと同様、硬いセラミックスで、切削工具に使われる。窒化タンタルは、マイクロエレクトロニクスの分野において薄膜絶縁体として用いられる。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "もっとも研究されているタンタルのカルコゲン化物は硫化タンタル(IV) (TaS2) であり、他の遷移金属ジカルコゲナイドに見られるように、層状半導体である。タンタルとテルルの合金は準結晶を形成する。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "タンタルのハロゲン化物の酸化数は+5、+4、+3を取る。フッ化タンタル(V) (TaF5) は融点が摂氏97.0度の白い固体である。気相の孤立TaF5分子は三方両錐形分子構造を取るが、固体中ではTaF6八面体が頂点共有した四量体として存在する。ヘプタフルオロタンタル(V)酸イオン [TaF7] は、タンタルをニオブから分離する際に用いられる。塩化タンタル(V)、臭化タンタル(V)、ヨウ化タンタル(V) (TaCl5, TaBr5, TaI5) は、固体中ではTaX6八面体が稜共有した二量体として存在し、水にあうと加水分解してハロゲン化酸化物となる。塩化タンタル(V)は、有機タンタル化合物の合成において出発物質として用いられる。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "フッ化タンタル(IV) (TaF4) は知られていない。他のハロゲン化タンタル(IV) (TaX4) も不安定で、空気中で容易に酸化されてハロゲン化酸化物を与える。また加熱により酸化数+5のハロゲン化物 (TaX5) と酸化数+3のハロゲン化物 (TaX3) に不均化する。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "見かけの酸化数が+2.5または+2.33となる塩化物、臭化物、ヨウ化物が知られている。これらのハロゲン化物では、6個のタンタル原子が正八面体状に並んだ、[Ta6X12]または[Ta6X12]が構成単位として認められる。この構成単位に含まれるハロゲン原子はタンタル原子がつくる八面体の外側に位置しており、化合物内の金属原子の間に化学結合が存在していること示している。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "有機タンタル化合物としては、ペンタメチルタンタル(英語版)、塩化アルキルタンタル、水素化アルキルタンタル、およびカルベン錯体やシクロペンタジエニル錯体などがある。金属カルボニルは、ヘキサカルボニルタンタル(−I)酸イオン [Ta(CO)6] や関連するイソシアニドについて、多様な塩や置換誘導体が知られている。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "タンタルの宇宙における存在度は重量比では0.08 ppb程度、原子数では全原子数の8×10パーセント程度とされ、原子数では安定元素として宇宙でもっとも希少である。宇宙において鉄より重い元素のほとんどは、超新星爆発や恒星内部での中性子捕獲反応によって生成される。中性子捕獲による元素生成では、鉄が中性子捕獲により質量数が大きな鉄の同位体になり、ベータ崩壊によって原子番号の1つ大きな元素となる反応を繰り返して、各種の同位体が生成されるが、中性子捕獲やベータ崩壊の起きやすさによって、どの同位体が多くなるかが決定され、この結果タンタルは希少なものとなっている。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "タンタルには、Ta (0.012 %) とTa (99.988 %) の2種類の天然同位体が存在し、このうちTaは全核種の中でもっとも少ない。従来の超新星爆発や中性子捕獲による機構では、このTaの少なさを説明できずにいたが、超新星爆発の際に放出されるニュートリノがHfやTaと弱い相互作用を起こしてTaを生成するモデルが新たに提案された。Taは基底状態で半減期8.15時間のものと、半減期10年以上の準安定な核異性体があり、弱い相互作用によって生成されるTaの基底状態と核異性体のうち、基底状態のものはすべて放射性壊変により消滅するため、半減期の長い核異性体のみが残り、基底状態と核異性体の生成比率の理論計算値から求めた核異性体の推定量が実在量と一致することから、Taの生成起源が説明され、またその希少さの理由も説明されることになった。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "タンタルは、地球の地殻に重量比で1 ppmから2 ppm程度含まれていると推計されている。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "タンタルを含む鉱物はたくさんあるが、工業的に原材料として利用されているのはそのごく一部だけである。タンタル石(鉄タンタル石、マンガンタンタル石、マグネシウムタンタル石などで構成される)、マイクロ石、ウォッジナイト(英語版)、ユークセン石(英語版)(より正確にはイットリウムユークセン石)、ポリクレース石(英語版)(より正確にはイットリウムポリクレース石)といった鉱物がある。タンタル抽出の観点では、タンタル石 (Fe, Mn)Ta2O6 がもっとも重要である。タンタル石とコルンブ石 (Fe, Mn) (Ta, Nb)2O6 と同じ鉱石構造をしている。ニオブよりタンタルが多いものをタンタル石と呼び、タンタルよりニオブが多いものをコルンブ石(あるいはニオブ石)と呼ぶ。タンタル石やそのほかタンタル含有鉱物は密度が高いため、選鉱には重力選鉱(英語版)が最良の手段である。他にサマルスキー石やフェルグソン石といった鉱物がタンタルを含むことがある。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "こうした鉱石類の鉱床は、古い時代に起きた、大陸地殻内部の物質が溶融してマグマが生じ、結晶分化作用によって濃集したことによるものや、化学的風化作用によって難溶性の鉱物のみが残って形成される風化残留鉱床によるものなどで形成されている。その生成の由来から、古い地殻にのみ存在する鉱床であるとされている。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、スズの原料鉱石である錫石の微量成分としてもタンタルが含まれることがある。錫石の鉱床も、花崗岩質マグマや熱水鉱液に由来し、風化・流出して地表水や海水により重力選別を受けて形成される。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "タンタルの生産は、スズの精錬に際して出てくる鉱滓(スラグ)に含まれるものから抽出するものと、タンタル鉱石を採掘して生産するものがある。タンタルの精錬は、冶金工業においても要求の厳しい分野である。精錬上の主な問題は、タンタルの鉱石にはかなりの量のニオブが含まれており、その化学的性質がタンタルとほとんど同じという点にある。この問題を解決するために多くの方式が開発されてきた。現代では、この分離は湿式精錬によって実施されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "スズスラグを起点としてタンタルを抽出する場合、電気炉中でスラグをコークスと反応させて炭化物とし、これを精製してアルカリ処理してタンタル分を濃縮して精鉱を得る。これ以降は、タンタル鉱石を起点としてタンタルを抽出する場合と同じである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "タンタル鉱石を起点とする場合、鉱石は砕かれて、重力選鉱により選別される。一般的にこの処理は、鉱山の近くで実施される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "フッ化水素酸と硫酸または塩酸を使って、鉱石の浸出(英語版)を行うところから抽出が始まる。これにより鉱石に含まれる多くの非金属不純物からタンタルとニオブを分離することができる。タンタルは様々な形態で鉱石に含まれるが、こうした条件下ではほとんどのタンタルの5価の酸化物は同じようにふるまうので、五酸化物を代表として取り扱うことができる。この抽出を簡単な式で示せば以下の通りとなる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "これとほぼ同じ反応がニオブ側の成分にも起きるが、この抽出条件においては六フッ化物が主に得られる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この式は単純化されたものである。硫酸および塩酸を使った際に、それぞれ硫酸水素イオン (HSO4) および塩化物イオンがニオブ(V)イオンとタンタル(V)イオンの配位子として競合すると推測されている。タンタルのフッ化物とニオブのフッ化物の錯体が、水溶液からシクロヘキサノン、オクタノール、メチルイソブチルケトンといった有機溶媒に液液抽出によって抽出される。この単純な操作によって、鉄、マンガン、チタン、ジルコニウムといったほとんどの金属含有不純物が水溶液にフッ化物やそのほかの錯体として残り、取り除くことができる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "タンタルをニオブから分離する操作は、混合された酸のイオン強度を下げていくことによって、ニオブが水溶液に溶け出すことで行われる。この条件では、オキシフッ化物 H2[NbOF5] が形成されると見られている。ニオブの除去後、精製された H2[TaF7] の溶液はアンモニア水溶液によって中和され、酸化タンタルの水和物が固体として得られ、これを煆焼して五酸化タンタル (Ta2O5) を得る。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "あるいは、ニオブ除去後のH2[TaF7] の溶液を加水分解する代わりに、フッ化カリウムで処理してヘプタフルオロタンタル(V)酸カリウム(英語版)(フッ化タンタル酸カリウム)を得ることもできる。H2[TaF7] と異なりカリウム塩は容易に結晶化し、固体として取り扱うことができる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "マリニャック法と呼ばれる古い手段では、H2[TaF7] と H2[NbOF5] の混合物を K2[TaF7] と K2[NbOF5] の混合物に変化させ、これを水への溶解度の差を利用する分別晶析法により分離していた。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "精錬によって得られたフッ化タンタル酸カリウムあるいは五酸化タンタルは、その後フッ化タンタル酸カリウムのナトリウム還元あるいは五酸化タンタルの溶融塩電解、炭素還元、フッ化物・塩化物・酸化物などの水素還元といった方法で金属タンタルにする。工業的に用いられる方法は、ナトリウム還元法または溶融塩電解である。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "フッ化タンタル酸カリウムのナトリウム還元は、反応るつぼに原料のフッ化タンタル酸カリウムを積み重ね、アルゴンなどの不活性ガスで満たし、ヒーターで加熱しながら金属ナトリウムを導入する。ナトリウムの沸点である摂氏883度に達するとナトリウムが蒸発してフッ化タンタル酸カリウムの表面に達し、これによって還元反応が進行する。還元後、温水やメタノールで洗浄することでタンタルの粗金属が得られる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "溶融塩電解法は、ホール・エルー法を改良したものを用いる。タンタル溶融塩電解では、入力として酸化物、出力として金属の、どちらも液体を利用するのではなく、粉末状の酸化物を用いて実行される。この手法の最初の発見は1997年のことで、ケンブリッジ大学の研究者がある種の酸化物の小さなサンプルを溶融塩に浸し、電流によりこの酸化物を還元したことによる。陰極には金属酸化物の粉末を使っていた。陽極は炭素製であった。摂氏約1,000度の溶融塩が電解質として用いられた。この方法の最初の精錬装置は、全世界の年間需要の3 - 4パーセント程度を供給できる能力を持っている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "こうした方法で得られるタンタルは、真空熱処理によって脱水素を行ったり、電子ビーム溶解によってインゴット化したりする。タンタルをさらに高純度化するためには、電子ビーム帯域溶解法を用いる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "タンタルの溶接は、大気中の気体による汚染を防ぐためにアルゴンやヘリウムなどの不活性気体の中で行わなければならない。タンタルははんだ付け不能である。タンタルを切削加工するのは難しく、特に焼なましをしたタンタルについては難しい。焼きなましをした状態では、タンタルは非常に展延性が高く、簡単に金属板に加工することができる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "21世紀初頭の時点では、オーストラリアおよびブラジルが主なタンタル生産国であったが、それ以降はタンタル生産の大きな地理的変化が進んでいる。2007年から2014年にかけて、鉱山からのタンタル生産はコンゴ民主共和国、ルワンダやその他アフリカ諸国へと大規模に移っている。2017年のタンタル生産国上位は、1位がルワンダで390トン、2位がコンゴ民主共和国で370トン、3位がナイジェリアで190トン、4位がブラジルで100トン、5位が中華人民共和国で95トンの順となっている。将来的なタンタル供給源は、推計されている埋蔵量順に、サウジアラビア、エジプト、グリーンランド、中華人民共和国、モザンビーク、カナダ、オーストラリア、アメリカ合衆国、フィンランド、ブラジルである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "長らくタンタルの最大生産国であったオーストラリアでは、最大生産者のタリソン・ミネラルズ(英語版)が西オーストラリア州の南西部のグリーンブッシュおよびピルバラ地区のウドギナという2か所で鉱山を操業している。世界的な金融危機のために、ウドギナ鉱山は2008年末に操業を中止していたが、2011年1月に再開された。再開から1年経たないうちに、タリソン・ミネラルズは「タンタル需要の軟化」とその他の原因を理由として、2012年2月末にタンタル採掘を中断することを発表した。ウドギナではタンタルの鉱物を採掘し、グリーンブッシュにおいてさらに精製が行われてから顧客に売却されている。ニオブの大規模生産国はブラジルやカナダであるが、そうした場所で生産される鉱物からも少ないがタンタルが得られる。他に、中華人民共和国、エチオピア、モザンビークといった場所の鉱山がタンタルの比率の高い鉱物を産出し、世界のタンタル生産量の上位を占めている。また、タイやマレーシアのスズ生産の副産物としてもタンタルが得られる。砂鉱床(英語版)からの鉱石を重力選鉱する際に、錫石 (SnO2) だけではなく、少ない比率ではあるがタンタル石も含まれてくる。この結果、スズ溶鉱炉から出てくる鉱滓には、経済的に有用な量のタンタルが含まれている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "タンタルの年間生産量は、1997年から2001年にかけては純タンタル換算で1,478トンから2,257トン程度であった。現状の生産量で考えれば、タンタルの残存埋蔵量は50年以下であると見積もられており、リサイクルの必要性が高まっていることを示している。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "タンタルはコモディティとして市場で取引される商品ではなく、また金属単体での取引も基本的に行われていない。鉱石の形態で、売り手と買い手の直接交渉により値段が決定されている。タンタルの価格は、30パーセントTa2O5の鉱石ベースにして、1ポンド(約454グラム)あたりの価格が雑誌等で掲載されている。1980年代から1990年代にかけて長らく20 - 30ドル程度で推移していたが、2000年以降はIT需要の拡大により高騰と、IT不況による停滞がたびたびあり、2007年末時点では35ドル程度となっている。その後は高騰し、2011年から2012年にかけては1ポンド当たりに換算して120ドルを超える高値で取引されていた。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "タンタルは紛争鉱物の1種であるとされる。コルンブ石とタンタル石の産業上の名称であるコルタンからはニオブとタンタルが抽出されるが、中部アフリカでも採掘される鉱石であり、コンゴ民主共和国(かつてのザイール)における第二次コンゴ戦争とタンタルが関わってくる理由となっている。2003年10月23日の国連報告によれば、密輸も含めたコルタンの輸出が、第二次世界大戦以来最悪の死者数記録となる、1998年以降だけで約540万人が死んだコンゴにおける戦争を助長しているとされる。コンゴ盆地の武力紛争地帯においてコルタンのような資源を収奪することに伴う、責任ある企業行動、人権、野生生物の危機といった倫理上の問題が問われるようになっている。しかし、コルタンの採掘はコンゴの地域経済にとっては重要であるが、世界のタンタル供給に占める割合は通常は小さい。アメリカ地質調査所の年鑑は、この地域のタンタル生産量は、2002年から2006年にかけての世界のタンタル生産量の1パーセント未満で、2000年と2008年に10パーセントに達したのが最高であるとしている。", "title": "紛争資源として" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "「ソリューションズ・フォー・ホープ・タンタルプロジェクト」の目的は、「コンゴ民主共和国から紛争と関係しないタンタルを供給する」ことであるとされている。", "title": "紛争資源として" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "タンタルの主な用途は、電子機器の製造であり、主にコンデンサ(キャパシタ)や高出力抵抗器などに金属粉末の形態で用いられる。タンタル電解コンデンサ(英語版)は、タンタルが表面に保護酸化被膜を形成する性質を利用し、タンタルの粉末をペレット状の形態に焼き固めたものを一方の極板とし、酸化物 (Ta2O5) を誘電体とし、電解液または伝導性のある固体をもう一方の極板としたものである。誘電体の層が非常に薄くなる(同様のアルミニウム電解コンデンサなどに比べてもかなり薄い)ことから、小容積でも大きな静電容量を実現できる。大きさと重量の利点から、携帯電話、パーソナルコンピュータ、自動車エレクトロニクス(英語版)、カメラといった用途に適する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "また、表面弾性波フィルター(SAWフィルター)の材料としても用いられる。これは特定の信号波のみを選択的に通すフィルターであり、携帯電話などにおいて決められた送受信周波数以外の周波数成分をカットするために用いられる。電気信号を圧電効果を利用して一旦機械的な振動に変換し、固体表面を伝搬する弾性表面波とした上で、その圧電結晶基盤の上に形成されたパターンの構造により選択的に周波数フィルターを適用し、再び電気信号に変換する仕組みとなっている。このための圧電単結晶としてタンタル酸リチウム (LiTaO3) またはニオブ酸リチウム (LiNbO3) が用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "スパッタリングによって薄膜を形成する際に、ターゲット材(薄膜材料)としてタンタル(五酸化タンタル)を用いることがある。これによって高誘電率・高絶縁耐圧の薄膜形成が行われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "かつて白熱電球のフィラメントの製造にタンタルが利用されていたことがある。フィラメントは当初炭素(カーボン)のものが使用されていたが、その性能を向上させるために様々な金属フィラメントの開発が行われ、1902年にドイツのジーメンス・ウント・ハルスケの技術者ヴェルナー・フォン・ボルトン(ドイツ語版)がタンタルを利用したフィラメントを開発した。この電球は効率が良く明るく白い光を出すことから好評であった。アメリカのゼネラル・エレクトリックはライセンス生産の権利を買って1910年まで生産しており、ジーメンス自体は1913年まで生産していたが、1904年に発明され1906年に商品化されたタングステンフィラメントを利用した電球がより効率が高く寿命が長かったことから、タンタル電球は時代遅れとなった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "タンタルは無線送信機の極超短波真空管の製造に広く用いられている。タンタルは、窒化物や酸化物を形成して窒素や酸素を捕獲できるので、グリッドやプレートといった真空管内部の部品に使って、真空管内に必要な高い真空度を維持するためのゲッター(英語版)としても利用できる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "タンタルは、高い融点や強度、展延性などを持つ様々な種類の合金を製造するために用いられる。他の金属と合金とすることで、金属加工用の超硬工具を製作したり、ジェットエンジン部品、化学処理装置、原子炉、ミサイル部品、熱交換器、タンクや容器向けの超合金の生産といった目的で用いられる。展延性が高いことから、細いワイヤやフィラメントをタンタルから作って、アルミニウムのような金属の蒸着処理に用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "タンタルはほとんどの酸に対して不活性であるため、化学反応を行う容器や腐食性流体の配管などに有用な金属である。塩酸を蒸気で熱するための熱交換材はタンタルで作られる。化学工業においてグラスライニングの反応容器等を用いるが、その内面が損傷した場合の補修方法の一つとしてタンタルを使用する場合がある。 ただし、フッ化水素酸、熱硫酸、熱アルカリ水溶液などはタンタルを腐食する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "融点が高く酸化耐性があることから、真空炉(英語版)の部品の生産にタンタルが使われる。また白金坩堝の代用品としてタンタル坩堝が使用されることがある。タンタルは不活性であることから、サーモウェル(英語版)、バルブ本体、タンタル製締結部品などの腐食耐性のある様々な部品の製造に用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "密度の高さから、成型炸薬や自己鍛造弾の内張りがタンタルで作られる。タンタルはその高い密度と融点から、成形炸薬弾の装甲貫徹能力を大いに増進する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "またときには、その耐食性と重厚な高級感からオーデマ・ピゲ、ウブロ、モンブラン、オメガ、オフィチーネ・パネライといった高級腕時計、高級宝飾品の製造にも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "タンタルは体液に耐え、生体に対して不活性で刺激性が少ないため、外科用医療用具や人体埋め込み材(インプラント材)などの製作に広く用いられる。たとえば、タンタルは硬組織に直接接着する能力が高いことから、多孔性のタンタルコーティングが整形外科用の埋め込み物の製作に用いられる。タンタルは剛性が高いことから、応力遮蔽(英語版)を避けるために、多孔質発泡体や低い剛性の骨格の形態で人工股関節置換術に用いられる。タンタルは非鉄・非磁性の金属であるので、こうしたインプラント材を埋め込まれた患者も核磁気共鳴画像法 (MRI) の検査を受けられるとされている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "またタンタル酸化物は、カメラのレンズ用に特別に高い屈折率のガラスを作るために用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "タンタルは地球科学からの関心に比べて、環境分野ではほとんど関心を持たれていない。上部地殻でのタンタル濃度や地殻あるいは鉱物におけるニオブ/タンタル比率の計測は地球化学的な道具として有用であるため、値が計測されている。2008年時点で最新の上部地殻でのタンタル濃度は0.92 ppmで、ニオブ/タンタル比は12.7である。", "title": "環境問題" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "環境中の様々な場所におけるタンタルの濃度に関する情報はあまりなく、特に自然の海水や淡水に溶けているタンタルの濃度に関する信頼性のあるデータが得られたことはない。海水中に溶けているタンタルの濃度に関する値がいくつか発表されているが、それらには矛盾がある。淡水中の値に関しても海水の測定値に比べいくらかましであるにすぎないが、しかし自然の水中における溶解濃度は現在の分析能力の限界未満であることから、おそらく1リットル当たり1ナノグラムを下回っていると考えられている。分析には予備濃縮法を用いる必要があるが、今のところは一貫性のある結果とならない。そしていずれにせよ、タンタルは自然界の水の中では溶けているというよりはほぼ微粒子の状態で存在しているものと思われる。", "title": "環境問題" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "土壌、河床堆積物、大気エーロゾルなどに含まれる濃度の値はより容易に入手できる。土壌中の濃度はほぼ1 ppmであり、地殻中のタンタル濃度である。これは砕岩質に由来することを示唆している。大気エーロゾルに含まれる値はさまざまであり、また限られている。タンタルの濃縮が観測される場合は、雲の中のエーロゾルの水により溶ける物質が失われたことによるものであろう。", "title": "環境問題" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "人間がタンタルを利用していることに伴う汚染が発見されたことはない。生物地球化学的にはタンタルは非常に変化の少ないものだと思われるが、その循環や反応性についてはいまだ完全に理解されているとは言えない。", "title": "環境問題" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "タンタルは生体適合性が高く、また化学的に安定で体液とも反応しにくいために人体への害は少ないと見られている。むしろ、医療材料として体内に埋め込んだ場合などは、タンタルよりも医療材料に使用されている他の元素や化合物の性質に注意が向けられる。", "title": "人体への危険性" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "職場においては、吸入、皮膚への接触、眼球への接触といった形でタンタルに人体が暴露される可能性がある。アメリカの労働安全衛生局(英語版)は、職場におけるタンタル暴露の法的限界(許容暴露限界(英語版))を1日8時間労働に対して5 mg/mと設定している。アメリカ国立労働安全衛生研究所(英語版)では、推奨される暴露限度(英語版)として、1日8時間労働に対しては5 mg/m、短期限界として10 mg/mを設定している。2,500 mg/mに達すると、タンタルは生命または健康に対する差し迫った危険(英語版)であるとされる。", "title": "人体への危険性" } ]
タンタルは、原子番号73の第6周期に属する第5族元素である。元素記号は Ta。タンタルの単体は比較的密度が高くて硬く、銀白色を呈し、光沢があって腐食耐性の高い遷移金属である。レアメタルの1つに数えられており合金の微量成分などとして広く用いられる他、比較的化学的に安定で融点も高く、耐火金属としても知られる。化学的に不活性な特性から、実験用設備の材料や白金の代替品として有用である。今日におけるタンタルの主な用途は、携帯電話、DVDプレーヤー、ゲーム機、パーソナルコンピュータといった電子機器に用いられるタンタル電解コンデンサである。タンタルは、タンタル石、コルンブ石あるいはコルタン(タンタル石とコルンブ石の混合物であるとされ独立した鉱物とみなされていない)といった鉱物に含まれ、化学的に類似するニオブと共に産出する。
{{Otheruses|[[元素]]のタンタル|ポーランド製のアサルトライフル|Kbk wz. 1988 タンタル}} {{Elementbox |name=tantalum |number=73 |symbol=Ta |pronounce={{IPAc-en|ˈ|t|æ|n|t|əl|əm}} {{respell|TAN|təl-əm}};<br />previously {{IPAc-en|t|æ|n|ˈ|t|æ|l|i|əm}} {{respell|tan|TAL|ee-əm}} |left=[[ハフニウム]] |right=[[タングステン]] |above=[[ニオブ|Nb]] |below=[[ドブニウム|Db]] |series=遷移金属 |group=5 |period=6 |block=d |image name=Tantalum_single_crystal_and_1cm3_cube.jpg |appearance=銀灰色 |atomic mass=180.94788 |electron configuration=&#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 4f<sup>14</sup> 5d<sup>3</sup> 6s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 32, 11, 2 |phase=固体 |density gpcm3nrt=16.654(293 K、固体)<ref name="SAKURAI_111_p302">桜井 弘 編 『元素111の新知識』 p.302 講談社 (ブルーバックス B1192) 1997年10月20日発行 ISBN 4-06-257192-7</ref> |density gpcm3mp=15.000(融点、液体)<ref name="SAKURAI_111_p302">桜井 弘 編 『元素111の新知識』 p.302 講談社 (ブルーバックス B1192) 1997年10月20日発行 ISBN 4-06-257192-7</ref> |melting point K=3258<ref name="SAKURAI_118_p330">桜井 弘 編 『元素118の新知識』 p.330 講談社 (ブルーバックス B2028) 2017年8月20日発行 ISBN 978-4-06-502028-9</ref> |melting point C=2985<ref name="SAKURAI_118_p330">桜井 弘 編 『元素118の新知識』 p.330 講談社 (ブルーバックス B2028) 2017年8月20日発行 ISBN 978-4-06-502028-9</ref> |boiling point K=5783<ref name="SAKURAI_118_p330">桜井 弘 編 『元素118の新知識』 p.330 講談社 (ブルーバックス B2028) 2017年8月20日発行 ISBN 978-4-06-502028-9</ref> |boiling point C=5510<ref name="SAKURAI_118_p330">桜井 弘 編 『元素118の新知識』 p.330 講談社 (ブルーバックス B2028) 2017年8月20日発行 ISBN 978-4-06-502028-9</ref> |heat fusion=36.57 |heat vaporization=732.8 |heat capacity=25.36 |vapor pressure 1=3297 |vapor pressure 10=3597 |vapor pressure 100=3957 |vapor pressure 1 k=4395 |vapor pressure 10 k=4939 |vapor pressure 100 k=5634 |vapor pressure comment= |crystal structure=body-centered cubic |japanese crystal structure=α-Ta: [[体心立方構造]]<br />β-Ta: [[正方晶系]]<ref>{{doi|10.1107/S0567740873004140}}</ref> |oxidation states='''5''', 4, 3, 2, -1(弱[[酸性酸化物]]) |electronegativity=1.5 |number of ionization energies=2 |1st ionization energy=761<ref>久保田 晴寿、桜井 弘 編著 『無機医薬品化学(第3版)』 p.13 廣川書店 1997年3月15日発行 ISBN 4-567-46054-5</ref> |2nd ionization energy=1500 |atomic radius=[[1 E-10 m|146]] |covalent radius=[[1 E-10 m|170±8]] |magnetic ordering=[[常磁性]]<ref name=magnet>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20040324080747/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pd |date=2004年3月24日 }}, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity at 20=131 n |thermal conductivity=57.5 |thermal expansion at 25=6.3 |speed of sound rod at 20=3400 |Young's modulus=186 |Shear modulus=69 |Bulk modulus=200 |Poisson ratio=0.34 |Mohs hardness=6.5 |Vickers hardness=873 |Brinell hardness=800 |CAS number=7440-25-7 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[タンタル177|177]] | sym=Ta | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|56.56 h]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=1.166 | pn=[[ハフニウム177|177]] | 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| mn=[[タンタル181|181]] | sym=Ta | na=99.988% | n=108}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[タンタル182|182]] | sym=Ta | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|114.43 d]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=1.814 | pn=[[タングステン182|182]] | ps=[[タングステン|W]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[タンタル183|183]] | sym=Ta | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|5.1 d]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=1.070 | pn=[[タングステン183|183]] | ps=[[タングステン|W]]}} |isotopes comment= }} '''タンタル'''({{lang-de-short|Tantal}} {{IPA-de|ˈtantal|}}、{{lang-en-short|tantalum}} {{IPA-en|ˈtæntələm|}})は、[[原子番号]]73の[[第6周期元素|第6周期]]に属する[[第5族元素]]である。[[元素記号]]は '''Ta'''。タンタルの[[単体]]は比較的密度が高くて硬く、銀白色を呈し、[[光沢]]があって腐食耐性の高い[[遷移金属]]である。[[レアメタル]]の1つに数えられており合金の微量成分などとして広く用いられる他、比較的化学的に安定で融点も高く、[[耐火金属]]としても知られる。化学的に不活性な特性から、実験用設備の材料や[[白金]]の代替品として有用である。今日におけるタンタルの主な用途は、[[携帯電話]]、[[DVDプレーヤー]]、[[ゲーム機]]、[[パーソナルコンピュータ]]といった電子機器に用いられる[[コンデンサ|タンタル電解コンデンサ]]である。タンタルは、[[タンタル石]]、[[コルンブ石]]あるいは[[コルタン]](タンタル石とコルンブ石の混合物であるとされ独立した鉱物とみなされていない)といった鉱物に含まれ、化学的に類似する[[ニオブ]]と共に産出する<ref name="mindat.org">http://www.mindat.org</ref>。 == 名称 == タンタルという名前は、[[ギリシア神話]]で[[ニオベー]]の父とされている[[タンタロス]]から取られている。神話においては、タンタロスは死後、あごまで届くほどの深さの水の中に立たされ、頭上には果物が豊かに実っているが、どちらも永遠に彼には手に入らずじらされるという罰を受ける(水を飲もうとすると、届かないくらい水位が下がり、果物に手を伸ばそうとすると、枝が手の届く範囲から遠ざかる、英語で{{Lang|en|tantalize}}という単語はじらして苦しめるという意味がある)。[[アンデシュ・エーケベリ]]は、「私がタンタルと呼ぶこの金属、酸に浸しても何かを吸収したり飽和したりする能力がほとんどないということを部分的に暗示する名前である」と書いている<ref>{{Greenwood&Earnshaw|page=1138}}</ref>。 == 歴史 == タンタルは、1802年に[[スウェーデン]]において[[アンデシュ・エーケベリ]]によって発見された<ref>{{cite journal | journal = Journal of Natural Philosophy, Chemistry, and the Arts | pages = 251–255 | volume = 3 | year = 1802| first = Anders | last = Ekeberg | title = Of the Properties of the Earth Yttria, compared with those of Glucine; of Fossils, in which the first of these Earths in contained; and of the Discovery of a metallic Nature (Tantalium) | url = https://www.biodiversitylibrary.org/item/15589#page/265/mode/1up}}</ref><ref>{{cite journal | journal = Kungliga Svenska vetenskapsakademiens handlingar |year = 1802 | pages = 68–83 | volume = 23| first = Anders | last = Ekeberg | title = Uplysning om Ytterjorden egenskaper, i synnerhet i aemforelse med Berylljorden:om de Fossilier, havari förstnemnde jord innehales, samt om en ny uptäckt kropp af metallik natur | url = https://archive.org/details/kungligasvenskav2231kung}}</ref>。その前年に[[チャールズ・ハチェット]]がコロンビウム(現在の[[ニオブ]])を発見しており<ref>{{cite journal|title = Charles Hatchett FRS (1765–1847), Chemist and Discoverer of Niobium|first = William P.|last = Griffith|author2=Morris, Peter J. T. |journal = Notes and Records of the Royal Society of London|volume = 57|issue = 3|page = 299|date = 2003|jstor = 3557720|doi = 10.1098/rsnr.2003.0216}}</ref>、1809年にイングランドの化学者[[ウイリアム・ウォラストン]]がニオブの酸化物[[コルンブ石]]の密度を5.918&nbsp;g/cm<sup>3</sup>、タンタルの酸化物[[タンタル石]]の密度を7.935&nbsp;g/cm<sup>3</sup>と測定して比較した。ウォラストンは測定された密度が異なるにもかかわらず、両者は同じであるものと結論付け、タンタルの方の名前を残すことにした<ref name="Wolla">{{cite journal|title = On the Identity of Columbium and Tantalum|pages = 246–252|journal = Philosophical Transactions of the Royal Society of London|first = William Hyde|last = Wollaston|authorlink = William Hyde Wollaston|doi = 10.1098/rstl.1809.0017| jstor = 107264|volume = 99|date = 1809}}</ref>。[[フリードリヒ・ヴェーラー]]がこの結論を確認したことから、これ以降コロンビウムとタンタルは同じ元素であるとされてきた。しかし1846年にドイツの化学者[[ハインリヒ・ローゼ]]が、タンタル石にはさらに2種類の元素が含まれていると主張し、ギリシア神話でタンタロスの子とされている名前にちなんで、ニオブ([[ニオベー]]から)とペロピウム([[ペロプス]]から)と名付けた<ref name="Pelop">{{cite journal|title = Ueber die Zusammensetzung der Tantalite und ein im Tantalite von Baiern enthaltenes neues Metall|pages = 317–341|journal = Annalen der Physik|authorlink = Heinrich Rose|language=German|first = Heinrich|last = Rose|doi = 10.1002/andp.18441391006|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k15148n/f327.table|volume = 139|issue = 10|date = 1844|bibcode = 1844AnP...139..317R }}</ref><ref>{{cite journal|title = Ueber die Säure im Columbit von Nordamérika|language=German|pages = 572–577|first = Heinrich|last = Rose|journal = Annalen der Physik|doi = 10.1002/andp.18471460410|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k15155x/f586.table |date=1847| volume = 146|issue = 4|authorlink = Heinrich Rose|bibcode = 1847AnP...146..572R }}</ref>。ここで想定されていたペロピウムという元素は、後にタンタルとニオブの混合物であると確認され、またニオブは1801年にハチェットが発見していたコロンビウムと同一のものであると確認された。 タンタルとニオブが違うものであることは、{{仮リンク|クリスチャン・ヴィルヘルム・ブロムストラント|sv|Christian Wilhelm Blomstrand}}<ref name="Ilmen" />や[[アンリ・サント=クレール・ドビーユ]]が1864年にはっきりと示し、また{{仮リンク|ルイ・ジョゼフ・トロースト|fr|Louis Joseph Troost}}も1865年にいくつかの化合物の実験式を示した<ref name="Ilmen">{{cite journal|title = Tantalsäure, Niobsäure, (Ilmensäure) und Titansäure|journal = Fresenius' Journal of Analytical Chemistry|volume = 5|issue = 1|date = 1866|doi = 10.1007/BF01302537|pages = 384–389|author= Marignac, Blomstrand|author2= H. Deville|author3= L. Troost|author4= R. Hermann|last-author-amp= yes}}</ref><ref name="Gupta"/>。[[スイス]]の化学者[[ジャン・マリニャック]]もさらなる確認を行い<ref>{{cite journal|journal = Annales de chimie et de physique|title = Recherches sur les combinaisons du niobium|pages = 7–75|authorlink = Jean Charles Galissard de Marignac|language=French| first = M. C.|last= Marignac|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k34818t/f4.table|date= 1866|volume = 4|issue = 8}}</ref>、1866年に2種類の元素のみが含まれていることを証明した。しかしこうした発見があったにもかかわらず、1871年まで{{仮リンク|イルメニウム|en|Ilmenium}}という実在しない元素に関して科学者たちが文献を出していた<ref>{{cite journal|title = Fortgesetzte Untersuchungen über die Verbindungen von Ilmenium und Niobium, sowie über die Zusammensetzung der Niobmineralien (Further research about the compounds of ilmenium and niobium, as well as the composition of niobium minerals)|first = R.|last = Hermann|journal = Journal für Praktische Chemie|language=German|volume = 3|issue = 1|pages =373–427|doi = 10.1002/prac.18710030137|date = 1871}}</ref>。マリニャックはまた、1864年にタンタルの塩化物を[[水素]]雰囲気中で熱して[[酸化還元反応|還元]]することで、タンタルの金属形態を初めて得た<ref name="nauti">{{cite web|url = http://nautilus.fis.uc.pt/st2.5/scenes-e/elem/e04100.html|title = Niobium|publisher = Universidade de Coimbra|accessdate = 2008-09-05}}</ref>。初期には不純なタンタルしか得ることができなかったが、1903年に{{仮リンク|ヴェルナー・フォン・ボルトン|de|Werner von Bolton}}が{{仮リンク|ベルリン=シャルロッテンブルク|en|Charlottenburg|label=シャルロッテンブルク}}において、かなり純粋で延性のある金属タンタルを得ることに成功した。金属タンタルから作られた線は、[[タングステン]]製のものに置き換えられるまで、[[電球]]のフィラメントとして用いられていた<ref>{{cite journal|title = Scanning Our Past from London The Filament Lamp and New Materials|journal = Proceedings of the IEEE|volume = 89|issue = 3|date = 2001|doi = 10.1109/5.915382|author = Bowers, B.|page = 413}}</ref>。 何十年もの間、ニオブからタンタルを分離する商業的な技術は、[[ジャン・マリニャック]]が1866年に発見した、{{仮リンク|フッ化タンタル酸カリウム|en|Potassium heptafluorotantalate}}を[[分別晶析法|分別晶析]]によりフッ化ニオブ酸カリウム<!--またはフッ化酸化ニオブ酸カリウム一水和物-->から分離するという方法であった。この方法は、フッ化物含有のタンタル水溶液を[[溶媒抽出法|溶媒抽出]]するという方法に置き換えられている<ref name="Gupta">{{cite book|title = Extractive Metallurgy of Niobium|first = C. K.|last = Gupta|author2=Suri, A. K. |publisher = CRC Press|date = 1994|isbn = 0-8493-6071-4}}</ref>。 == 性質 == === 物理的性質 === タンタルは銀灰色で<ref>{{cite book | chapter = Tantalum | url = https://books.google.com/?id=5o3Lr2Swz8sC&pg=PA204 | isbn = 978-0-86516-573-1 | title = Classical Mythology & More: A Reader Workbook | author1 = Colakis, Marianthe | author2 = Masello, Mary Joan | date = 2007-06-30}}</ref>、密度や延性が高く、非常に硬いが加工はしやすい。熱や電気の伝導度が高く、酸による腐食にも強い。金属を侵す能力の高い[[王水]]であっても、摂氏150度以下ではタンタルはまったく溶けない。[[フッ化水素酸]]や[[フッ化物]]と[[三酸化硫黄]]を含む酸性溶液、[[水酸化カリウム]]には溶ける。タンタルの融点は摂氏3,017度(沸点は摂氏5,458度)と高く、これを上回る元素は[[タングステン]]、[[レニウム]]、[[オスミウム]]、[[炭素]]だけである。 タンタルにはαとβの2種類の結晶構造が存在する。α-Taは比較的やわらかく、展延性がある。[[体心立方格子]]構造を持ち(空間群はlm3m、格子定数はa=0.33058nm)、[[ヌープ硬度]]は200 - 400 HN、電気抵抗は15 - 60 µΩ・cmである。β-Taは硬いがもろく、結晶構造は[[正方晶系]]を持ち(空間群はP42/mnm、格子定数はa=1.0194nm,c=0.5313nm)、ヌープ硬度は1000 - 1300 HN、電気抵抗は比較的高く170 - 210 µΩ・cmである。β構造は準安定で、摂氏750 - 775度に加熱することでα構造に転移する。大量のタンタルはほぼすべてα構造であり、通常β構造は、[[溶融塩]][[共晶]]から[[マグネトロン]][[スパッタリング]]、[[化学気相成長]]あるいは電気化学析出で得られる薄膜として存在する<ref>{{cite journal|doi=10.1016/j.surfcoat.2003.06.008|title=Texture, structure and phase transformation in sputter beta tantalum coating|date=2004|last1=Lee|first1=S.|journal=Surface and Coatings Technology|volume=177–178|page=44|last2=Doxbeck|first2=M.|last3=Mueller|first3=J.|last4=Cipollo|first4=M.|last5=Cote|first5=P.}}</ref>。 タンタルの単体は、[[超伝導]]の研究が始まって間もない1930年頃までには、臨界温度4.5 [[ケルビン|K]]で超伝導となることが発見されている<ref>{{Cite book | 和書 | author = 足立 吟也、南 努 | title = 現代無機材料科学 | publisher = 化学同人 | date = 2007-01-01 | pages = 179 - 180 | isbn = 978-4759810745}}</ref>。一方、[[タンタル酸カリウム]]単結晶の表面付近が0.005 K未満で超伝導になる現象も2011年に発見されている<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.natureasia.com/ja-jp/nnano/pr-highlights/1229 | title = 絶対零度付近で初の超伝導 | date = 2011-05-23 | publisher = Nature Japan K.K. | accessdate = 2018-10-03}}</ref>。 === 同位体 === {{Main|タンタルの同位体}} 天然のタンタルは、<sup>180m</sup>Ta (0.012 %) と<sup>181</sup>Ta (99.988 %)という2つの[[同位体]]で構成されている。<sup>181</sup>Taは安定同位体である。<sup>180m</sup>Taは[[核異性体]]で、基底状態の<sup>180</sup>Taへの[[核異性体転移]]、<sup>180</sup>[[タングステン|W]]への[[ベータ崩壊]]、[[電子捕獲]]によって<sup>180</sup>[[ハフニウム|Hf]]への崩壊の3種類の崩壊をすると予測されている。しかし、この核異性体の放射性崩壊は1度も観測されたことがなく、最低でも[[半減期]]2.0&nbsp;×&nbsp;10<sup>16</sup>年(2京年)を持つと、半減期の下限値を示されているに過ぎない<ref>{{cite journal|last1=Hult|first1=Mikael|last2=Wieslander|first2=J. S. Elisabeth|last3=Marissens|first3=Gerd|last4=Gasparro|first4=Joël|last5=Wätjen|first5=Uwe|last6=Misiaszek|first6=Marcin|title=Search for the radioactivity of 180mTa using an underground HPGe sandwich spectrometer|url=http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0969804309000657|accessdate=23 September 2014|doi=10.1016/j.apradiso.2009.01.057|volume=67|issue=5|journal=Applied Radiation and Isotopes|pages=918–921|year=2009}}</ref>。基底状態である<sup>180</sup>Taは、わずか8時間の半減期である。放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、<sup>180m</sup>Taは自然界に存在する唯一の核異性体である。これもまた放射性壊変によって生じる、あるいは宇宙線生成による短寿命の核種を除けば、<sup>180m</sup>Taはタンタルの元素存在比および天然同位体構成比を考慮すれば、宇宙でもっとも希少な同位体である<ref name="NUBASE">{{cite journal| first = Audi| last = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties| journal = Nuclear Physics A| volume = 729| pages= 3–128| publisher = Atomic Mass Data Center| date = 2003| doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001| bibcode=2003NuPhA.729....3A| last2 = Bersillon| first2 = O.| last3 = Blachot| first3 = J.| last4 = Wapstra| first4 = A. H.| url = http://hal.in2p3.fr/in2p3-00014184}}</ref>。 タンタルは、[[核兵器]]に「加塩」(放射性物質の放出量を増強する)する材料として理論的に検討されてきた([[コバルト]]の方が加塩材料として良く知られている)。仮説上、核兵器が爆発するときに出る強力な高エネルギー中性子線が外殻の<sup>181</sup>Taに放射線を浴びせる。これによってタンタルを半減期114.4日の放射性同位体である<sup>182</sup>Taに変化させ、これが112万[[電子ボルト]]のエネルギーを持つ[[ガンマ線]]を出し、核爆発で生じた[[放射性降下物]]の放射能を数か月にわたって大幅に強化することになる。こうした加塩された核兵器は、少なくとも公的に知られている限りでは実際に作られたことも試験されたこともなく、実際に兵器として使用されたことは1度もない<ref>{{cite journal|last1=Win|first1=David Tin|last2=Al Masum|first2=Mohammed|title=Weapons of Mass Destruction|date=2003|journal=Assumption University Journal of Technology|volume=6|issue=4|pages=199–219|url=http://www.journal.au.edu/au_techno/2003/apr2003/aujt6-4_article07.pdf|format = PDF}}</ref>。 タンタルは、[[陽子線]]を当てて<sup>8</sup>[[リチウム|Li]]、<sup>80</sup>[[ルビジウム|Rb]]、and <sup>160</sup>[[イッテルビウム|Yb]]といった様々な短寿命放射性同位体を作るためのターゲット材として用いられる<ref>https://mis.triumf.ca/science/planning/yield/target/Ta</ref>。 == 化合物 == タンタルは[[酸化数]]+2, +3, +4, +5の化合物を形成する。これらの中では酸化数+5が最も安定である<ref name = "britannica">{{Cite web | url = https://www.britannica.com/science/tantalum | title = Tantalum | publisher = Encyclopædia Britannica | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。なお、+5価のイオン半径は、73 pmである<ref>久保田 晴寿、桜井 弘 編著 『無機医薬品化学(第3版)』 p.18 廣川書店 1997年3月15日発行 ISBN 4-567-46054-5</ref>。タンタルの化合物としては酸化物が安定で、タンタルの鉱物はすべて[[酸化鉱物]]である。酸化数が3より小さい無機化合物は、タンタル原子間の化学結合を特徴とする<ref name="Housecroft">{{Cite book |和書 |last=Housecroft |first=Catherine E. |author2=Sharpe, A. G |others=巽 和行、西原 寛、穐田 宗隆、酒井 健 監訳|year=2012 |title=ハウスクロフト無機化学 |volume=(下) |publisher=東京化学同人 |edition=原著第3版 |pages=741-746 |isbn=978-4-8079-0778-6}}</ref>。炭素原子がタンタル原子と化学結合している有機タンタル化合物では、+1, 0, &minus;1などのさらに低い酸化数も取る。 タンタルとニオブの化学的特性はよく似ている。同じ[[第5族元素]]の[[バナジウム]]と似ているところもあるが、バナジウムでよくみられる酸化数+2, +3の化合物はタンタルとニオブでは少ない<ref name="新村">{{Cite book |和書 |author=新村 陽一 |year=1984 |title=無機化学 |publisher=朝倉書店 |pages=187-189|isbn=4-254-14025-8}}</ref>。 === 酸化物 === [[ファイル:Lindquist M6.jpg|144px|thumb|ヘキサタンタル酸イオン {{chem|[Ta|6|O|19|]|8-}}]] [[五酸化タンタル]] {{chem|(Ta|2|O|5|)}} は、実用上の観点からはもっとも重要な化合物である。4価の酸化物 {{chem|(TaO|2|)}} は[[不定比化合物]]で、[[ルチル]]構造を取る。3価の酸化物 {{chem|(Ta|2|O|3|)}} は知られていない<ref name="Greenwood">{{Greenwood&Earnshaw2nd|pages=976–1001}}</ref>。 タンタル酸塩と呼ばれる化合物は、実際には[[複酸化物]]であることがほとんどで、孤立したタンタル酸イオンを含む化合物はまれである<ref>{{Cite book|和書 |chapter=タンタル酸塩 |title=標準化学用語辞典 |publisher=丸善出版 |edition=第2版 |others=日本化学会 編 |year=2005 |isbn=978-4-621-07531-9}}</ref>。前者の例として、[[イルメナイト]]類似構造を取る[[タンタル酸リチウム]] (LiTaO<sub>3</sub>) や、[[ペロブスカイト構造]]を取る[[タンタル酸カリウム]] (KTaO<sub>3</sub>) が挙げられる。これらの結晶ではタンタル原子が6個の酸素原子に囲まれており、孤立した {{chem|[TaO|3|]|-}} イオンは存在しない。タンタル酸イットリウム {{chem|(YTaO|4|)}} は後者の例で、[[灰重石]]に似た構造を持つ結晶には、孤立した四面体状のタンタル(V)酸イオン {{chem|[TaO|4|]|3-}} が含まれる<ref>{{Cite journal |和書|author=宮脇 律郎 |title=新種鉱物の記載と結晶構造 |year=2011 |journal=日本結晶学会誌 |volume=53 |issue=1 |pages=58-63 |doi=10.5940/jcrsj.53.58 |url=https://doi.org/10.5940/jcrsj.53.58 }}</ref>。 五酸化タンタルと水酸化アルカリを溶融し、生成物を水で処理すると、水溶性の[[イソポリ酸]]塩が得られる<ref name="Housecroft" />。カリウムイオン {{chem|(K|+|)}} とヘキサタンタル酸イオン {{chem|[Ta|6|O|19|]|8-}} からなる {{chem|K|8|[Ta|6|O|19|]⋅16H|2|O}} がよく知られている。{{chem|[Ta|6|O|19|]|8-}}は、6個の{{chem|TaO|6}}八面体が稜共有でつながった構造をしており、[[タングステン]]のイソポリ酸イオン {{chem|[W|6|O|19|]|2-}} と同じ形である。25個の原子からなる大きなイオンであるが、水溶液中でもこのままの形で存在する<ref name="新村" />。 === 窒化物・炭化物・ホウ化物 === [[ファイル:Magnesium-diboride-3D-balls.png|144px|thumb|[[ホウ化タンタル]] {{chem|(TaB|2|)}}]] 他の[[耐火金属]]と同様に、発見されているタンタル化合物の中でもっとも硬いのは、ホウ化物や炭化物である。[[炭化タンタル]] (TaC) は、同様の用途で用いられている[[炭化タングステン]]と同様、硬い[[セラミックス]]で、切削工具に使われる。[[窒化タンタル]]は、マイクロエレクトロニクスの分野において薄膜絶縁体として用いられる<ref>{{cite journal|title=Microstructure of amorphous tantalum nitride thin films|first=S.|last=Tsukimoto| author2= Moriyama, M.| author3= Murakami, Masanori| journal=Thin Solid Films|date=1961|volume= 460|issue=1–2|pages=222–226|doi=10.1016/j.tsf.2004.01.073|bibcode = 2004TSF...460..222T }}</ref>。 === 硫化物 === もっとも研究されているタンタルの[[カルコゲン化物]]は硫化タンタル(IV) (TaS<sub>2</sub>) であり、他の遷移金属ジカルコゲナイドに見られるように、[[層状半導体]]である。タンタルと[[テルル]]の合金は[[準結晶]]を形成する<ref name="HollemanAF">{{cite book|title=Lehrbuch der Anorganischen Chemie|first=|date=2007|publisher=de Gruyter|year=|isbn=978-3-11-017770-1|edition=102nd|location=|pages=|language=German|author=Holleman, A. F.|author2=Wiberg, E.|author3=Wiberg, N.}}</ref>。 === ハロゲン化物 === タンタルのハロゲン化物の酸化数は+5、+4、+3を取る。[[フッ化タンタル(V)]] {{chem|(TaF|5|)}} は融点が摂氏97.0度の白い固体である。気相の孤立{{chem|TaF|5}}分子は[[三方両錐形分子構造]]を取るが、固体中では{{chem|TaF|6}}八面体が頂点共有した四量体として存在する。ヘプタフルオロタンタル(V)酸イオン {{chem|[TaF|7|]|2-}} は、タンタルをニオブから分離する際に用いられる<ref name="ICE">{{cite journal|title=Staff-Industry Collaborative Report: Tantalum and Niobium|first=Donald J.|last=Soisson|author2=McLafferty, J. J. |author3=Pierret, James A. | journal=Ind. Eng. Chem.|date=1961|volume= 53|issue=11|pages=861–868|doi=10.1021/ie50623a016}}</ref>。[[塩化タンタル(V)]]、[[臭化タンタル(V)]]、[[ヨウ化タンタル(V)]] {{chem|(TaCl|5|, TaBr|5|, TaI|5|)}} は、固体中では{{chem|TaX|6}}八面体が稜共有した[[二量体]]として存在し、水にあうと加水分解してハロゲン化酸化物となる<ref>{{Cite book|和書 |chapter=タンタル化合物 |title=岩波理化学辞典 |publisher=岩波書店 |edition=第5版CD-ROM版 |year=1999 |isbn=4-00-130102-4}}</ref>。塩化タンタル(V)は、有機タンタル化合物の合成において出発物質として用いられる<ref>{{Cite book|和書 |chapter=有機タンタル錯体 |title=有機金属化合物・超分子錯体|series = 実験化学講座 |volume=21 |publisher=丸善出版 |edition=第5版 |others=日本化学会 編 |year=2004 |isbn=4621073206| pages=99-107}}</ref>。 フッ化タンタル(IV) {{chem|(TaF|4|)}} は知られていない。他のハロゲン化タンタル(IV) {{chem|(TaX|4|)}} も不安定で、空気中で容易に酸化されてハロゲン化酸化物を与える。また加熱により酸化数+5のハロゲン化物 {{chem|(TaX|5|)}} と酸化数+3のハロゲン化物 {{chem|(TaX|3|)}} に[[不均化]]する<ref name="Housecroft" />。 見かけの酸化数が+2.5または+2.33となる塩化物、臭化物、ヨウ化物が知られている。これらのハロゲン化物では、6個のタンタル原子が正八面体状に並んだ、{{chem|[Ta|6|X|12|]|3+}}または{{chem|[Ta|6|X|12|]|2+}}が構成単位として認められる。この構成単位に含まれるハロゲン原子はタンタル原子がつくる八面体の外側に位置しており、化合物内の金属原子の間に化学結合が存在していること示している<ref name="Housecroft"/><ref name="Greenwood"/>。 === 有機タンタル化合物 === [[ファイル:DOSBIWoneRotamer.png|144px|thumb|ペンタメチルタンタル {{chem|(Ta(CH|3|)|5|)}}]] 有機タンタル化合物としては、{{仮リンク|ペンタメチルタンタル|en|pentamethyltantalum}}、塩化アルキルタンタル、水素化アルキルタンタル、および[[カルベン錯体]]や[[シクロペンタジエニル錯体]]などがある<ref name=Schrock>{{Cite journal|last=Schrock|first=Richard R.|date=1979-03-01|title=Alkylidene complexes of niobium and tantalum|url=https://doi.org/10.1021/ar50135a004|journal=Accounts of Chemical Research|volume=12|issue=3|pages=98–104|doi=10.1021/ar50135a004|issn=0001-4842}}</ref><ref>{{cite journal|doi=10.1021/om701189e|title=Ethylene Complexes of the Early Transition Metals: Crystal Structures of {{chem|[HfEt|4|(C|2|H|4|)|2-|]}} and the Negative-Oxidation-State Species {{chem|[TaHEt(C|2|H|4|)|3|3-|]}} and {{chem|[WH(C|2|H|4|)|4|3-|]}}|author=Morse, P. M.|journal=Organometallics|date=2008|volume=27|issue=5|page=984|displayauthors=1|author2=Shelby, Q. D. |author3=Kim, D. Y. |author4=Girolami, G. S. |last-author-amp=yes}}</ref>。[[金属カルボニル]]は、ヘキサカルボニルタンタル(&minus;I)酸イオン {{chem|[Ta(CO)|6|]|-}} や関連する[[イソシアニド]]について、多様な塩や置換誘導体が知られている。 == 存在 == タンタルの宇宙における存在度は重量比では0.08 [[ppb]]程度<ref name = "webelements">{{Cite web | url = https://www.webelements.com/tantalum/ | title = WebElements Periodic Table Tantalum | publisher = WebElements | accessdate = 2018-09-30}}</ref>、原子数では全原子数の8×10<sup>-9</sup>パーセント程度とされ、原子数では安定元素として宇宙でもっとも希少である<ref>{{Cite web | url = http://periodictable.com/Properties/A/UniverseAbundance.v.log.html | title = Abundance in the Universe of the elements | publisher = periodictable.com | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。宇宙において鉄より重い元素のほとんどは、[[超新星爆発]]や[[恒星]]内部での[[中性子捕獲]]反応によって生成される<ref name = "国立天文台204">{{Cite journal | 和書 | author = 梶野敏貴、早川岳人、千葉敏 | title = 太陽系で最も希少な同位体タンタル180の起源は超新星爆発のニュートリノ | journal = 国立天文台ニュース | issue = 204 | pages = 3 - 5 | year = 2010 | month = 7 | url = https://www.nao.ac.jp/contents/naoj-news/data/nao_news_0204.pdf | format = PDF | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。中性子捕獲による元素生成では、鉄が中性子捕獲により質量数が大きな[[鉄の同位体]]になり、[[ベータ崩壊]]によって原子番号の1つ大きな元素となる反応を繰り返して、各種の同位体が生成されるが、中性子捕獲やベータ崩壊の起きやすさによって、どの同位体が多くなるかが決定され、この結果タンタルは希少なものとなっている<ref name = "Quora">{{Cite web | url = https://www.quora.com/Why-is-tantalum-the-least-abundant-stable-element-in-the-universe | title = Why is tantalum the least abundant stable element in the universe? | publisher = Quora | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。 タンタルには、<sup>180</sup>Ta (0.012 %) と<sup>181</sup>Ta (99.988 %) の2種類の天然同位体が存在し、このうち<sup>180</sup>Taは全核種の中でもっとも少ない。従来の超新星爆発や中性子捕獲による機構では、この<sup>180</sup>Taの少なさを説明できずにいたが、超新星爆発の際に放出される[[ニュートリノ]]が<sup>180</sup>[[ハフニウム|Hf]]や<sup>181</sup>Taと[[弱い相互作用]]を起こして<sup>180</sup>Taを生成するモデルが新たに提案された。<sup>180</sup>Taは基底状態で半減期8.15時間のものと、半減期10<sup>15</sup>年以上の準安定な[[核異性体]]があり、弱い相互作用によって生成される<sup>180</sup>Taの基底状態と核異性体のうち、基底状態のものはすべて放射性壊変により消滅するため、半減期の長い核異性体のみが残り、基底状態と核異性体の生成比率の理論計算値から求めた核異性体の推定量が実在量と一致することから、<sup>180</sup>Taの生成起源が説明され、またその希少さの理由も説明されることになった<ref name = "国立天文台204" />。 タンタルは、[[地殻中の元素の存在度|地球の地殻に重量比]]で1 [[ppm]]<ref name="Emsley">{{cite book|title = Nature's Building Blocks: An A-Z Guide to the Elements|last = Emsley|first= John|publisher = Oxford University Press|date = 2001|location = Oxford, England, UK|isbn = 0-19-850340-7|chapter = Tantalum|page=420}}</ref>から2 ppm<ref name="Aguly">{{cite book|first=Anatoly|last=Agulyansky|title=The Chemistry of Tantalum and Niobium Fluoride Compounds|publisher=Elsevier|date=2004| isbn=978-0-444-51604-6| url=https://books.google.com/?id=Z-4QXNB5Hp8C|accessdate=2008-09-02}}</ref>程度含まれていると推計されている。 タンタルを含む鉱物はたくさんあるが、工業的に原材料として利用されているのはそのごく一部だけである。[[タンタル石]](鉄タンタル石、マンガンタンタル石、マグネシウムタンタル石などで構成される)、[[マイクロ石]]、{{仮リンク|ウォッジナイト|en|Wodginite}}、{{仮リンク|ユークセン石|en|Euxenite}}(より正確にはイットリウムユークセン石)、{{仮リンク|ポリクレース石|en|Polycrase}}(より正確にはイットリウムポリクレース石)といった鉱物がある<ref name="mindat.org"/>。タンタル抽出の観点では、タンタル石 ([[鉄|Fe]], [[マンガン|Mn]])Ta<sub>2</sub>[[酸素|O]]<sub>6</sub> がもっとも重要である。タンタル石と[[コルンブ石]] ([[鉄|Fe]], [[マンガン|Mn]]) (Ta, [[ニオブ|Nb]])<sub>2</sub>[[酸素|O]]<sub>6</sub> と同じ鉱石構造をしている。ニオブよりタンタルが多いものをタンタル石と呼び、タンタルよりニオブが多いものをコルンブ石(あるいはニオブ石)と呼ぶ。タンタル石やそのほかタンタル含有鉱物は密度が高いため、選鉱には{{仮リンク|重力選鉱|en|Gravity separation}}が最良の手段である。他に[[サマルスキー石]]や[[フェルグソン石]]といった鉱物がタンタルを含むことがある。 こうした鉱石類の鉱床は、古い時代に起きた、大陸地殻内部の物質が溶融して[[マグマ]]が生じ、[[結晶分化作用]]によって濃集したことによるものや、化学的風化作用によって難溶性の鉱物のみが残って形成される風化残留鉱床によるものなどで形成されている。その生成の由来から、古い地殻にのみ存在する鉱床であるとされている<ref name = "地質ニュース658">{{Cite journal | 和書 | author = 石原 舜三 | title = タンタル資源とオーストラリアのグリーンブッシュ ペグマタイト見学記 | journal = 地質ニュース | issue = 658 | pages = 72 - 80 | year = 2009 | month = 6 | publisher = 産業技術総合研究所 | url = https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/09_06_20.pdf | format = PDF | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。 また、[[スズ]]の原料鉱石である[[錫石]]の微量成分としてもタンタルが含まれることがある。錫石の鉱床も、花崗岩質マグマや熱水鉱液に由来し、風化・流出して地表水や海水により重力選別を受けて形成される<ref name = "地質ニュース658" />。 == 生産 == [[ファイル:Tantalite.jpg|thumb|left|オーストラリア・[[ピルバラ]]産の[[タンタル石]]]] [[ファイル:Tantalum world production.svg|thumb|upright=1|2012年までのタンタル生産量の変化<ref>[http://minerals.usgs.gov/ds/2005/140 U.S. Geological Survey] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130604121254/http://minerals.usgs.gov/ds/2005/140/ |date=2013-06-04 }}</ref>]] タンタルの生産は、スズの精錬に際して出てくる鉱滓(スラグ)に含まれるものから抽出するものと、タンタル鉱石を採掘して生産するものがある<ref name = "金属資源レポート" />。タンタルの精錬は、冶金工業においても要求の厳しい分野である。精錬上の主な問題は、タンタルの鉱石にはかなりの量の[[ニオブ]]が含まれており、その化学的性質がタンタルとほとんど同じという点にある。この問題を解決するために多くの方式が開発されてきた。現代では、この分離は[[湿式精錬]]によって実施されている<ref name=Chang>{{cite journal|title=Solvent extraction technology for the separation and purification of niobium and tantalum: A review|author1=Zhaowu Zhu|author2=Chu Yong Cheng|journal=Hydrometallurgy|volume=107|year=2011|pages=1–12|doi=10.1016/j.hydromet.2010.12.015}}</ref>。 === 精錬 === スズスラグを起点としてタンタルを抽出する場合、電気炉中でスラグを[[コークス]]と反応させて炭化物とし、これを精製してアルカリ処理してタンタル分を濃縮して精鉱を得る。これ以降は、タンタル鉱石を起点としてタンタルを抽出する場合と同じである<ref name = "金属資源レポート" />。 タンタル鉱石を起点とする場合、鉱石は砕かれて、重力選鉱により選別される。一般的にこの処理は、鉱山の近くで実施される。 [[フッ化水素酸]]と[[硫酸]]または[[塩酸]]を使って、鉱石の{{仮リンク|浸出 (鉱業)|en|Leaching (metallurgy)|label=浸出}}を行うところから抽出が始まる。これにより鉱石に含まれる多くの非金属不純物からタンタルとニオブを分離することができる。タンタルは様々な形態で鉱石に含まれるが、こうした条件下ではほとんどのタンタルの5価の酸化物は同じようにふるまうので、五酸化物を代表として取り扱うことができる。この抽出を簡単な式で示せば以下の通りとなる。 : <chem>Ta2O5 + 14 HF -> 2H2[TaF7] + 5H2O</chem> これとほぼ同じ反応がニオブ側の成分にも起きるが、この抽出条件においては六フッ化物が主に得られる。 : <chem>Nb2O5 + 12HF -> 2H[NbF6] + 5H2O</chem> この式は単純化されたものである。硫酸および塩酸を使った際に、それぞれ硫酸水素イオン (HSO<sub>4</sub><sup>−</sup>) および塩化物イオンがニオブ(V)イオンとタンタル(V)イオンの[[配位子]]として競合すると推測されている<ref name=Chang/>。タンタルのフッ化物とニオブのフッ化物の[[錯体]]が、[[水溶液]]から[[シクロヘキサノン]]、[[オクタノール]]、[[メチルイソブチルケトン]]といった有機[[溶媒]]に[[液液抽出]]によって抽出される。この単純な操作によって、鉄、[[マンガン]]、[[チタン]]、[[ジルコニウム]]といったほとんどの金属含有不純物が水溶液にフッ化物やそのほかの錯体として残り、取り除くことができる。 タンタルをニオブから分離する操作は、混合された酸の[[イオン強度]]を下げていくことによって、ニオブが水溶液に溶け出すことで行われる。この条件では、オキシフッ化物 {{chem|H|2|[NbOF|5|]}} が形成されると見られている。ニオブの除去後、精製された {{chem|H|2|[TaF|7|]}} の溶液は[[アンモニア]]水溶液によって中和され、酸化タンタルの水和物が固体として得られ、これを[[煆焼]]して五酸化タンタル {{chem|(Ta|2|O|5|)}} を得る<ref>{{cite book|last=Agulyanski|first=Anatoly|title=Chemistry of Tantalum and Niobium Fluoride Compounds|date=2004|publisher=Elsevier|location=Burlington|isbn=9780080529028|edition=1st}}</ref>。 あるいは、ニオブ除去後の{{chem|H|2|[TaF|7|]}} の溶液を[[加水分解]]する代わりに、[[フッ化カリウム]]で処理して{{仮リンク|ヘプタフルオロタンタル(V)酸カリウム|en|Potassium heptafluorotantalate}}(フッ化タンタル酸カリウム)を得ることもできる。{{chem|H|2|[TaF|7|]}} と異なりカリウム塩は容易に結晶化し、固体として取り扱うことができる。 : <chem>H2[TaF7] + 2KF -> K2[TaF7] + 2HF</chem> マリニャック法と呼ばれる古い手段では、{{chem|H|2|[TaF|7|]}} と {{chem|H|2|[NbOF|5|]}} の混合物を {{chem|K|2|[TaF|7|]}} と {{chem|K|2|[NbOF|5|]}} の混合物に変化させ、これを水への[[溶解度]]の差を利用する[[分別晶析法]]により分離していた。 === 金属タンタルの製造 === 精錬によって得られたフッ化タンタル酸カリウムあるいは五酸化タンタルは、その後フッ化タンタル酸カリウムの[[ナトリウム]]還元あるいは五酸化タンタルの[[溶融塩電解]]、炭素還元、フッ化物・塩化物・酸化物などの水素還元といった方法で金属タンタルにする<ref name = "日本鉱業会誌100">{{Cite journal | 和書 | author = 門 智 | title = ニオブ・タンタルの製錬・用途およびその開発状況 | journal = 日本鉱業会誌 | volume = 100 | issue = 1152 | year = 1984 | month = 2 | pages = 28 - 38 | publisher = 資源・素材学会 | url = https://doi.org/10.2473/shigentosozai1953.100.1152_142 | doi = 10.2473/shigentosozai1953.100.1152_142}}</ref>。工業的に用いられる方法は、ナトリウム還元法または溶融塩電解である<ref name = "金属資源レポート" />。 フッ化タンタル酸カリウムのナトリウム還元は、反応るつぼに原料のフッ化タンタル酸カリウムを積み重ね、[[アルゴン]]などの不活性ガスで満たし、ヒーターで加熱しながら金属ナトリウムを導入する。ナトリウムの沸点である摂氏883度に達するとナトリウムが蒸発してフッ化タンタル酸カリウムの表面に達し、これによって還元反応が進行する<ref name = "日本鉱業会誌100" />。還元後、温水やメタノールで洗浄することでタンタルの粗金属が得られる<ref name = "金属資源レポート" />。 : <chem>K2[TaF7] + 5Na -> Ta + 5NaF + 2KF</chem> 溶融塩電解法は、[[ホール・エルー法]]を改良したものを用いる。タンタル溶融塩電解では、入力として酸化物、出力として金属の、どちらも液体を利用するのではなく、粉末状の酸化物を用いて実行される。この手法の最初の発見は1997年のことで、ケンブリッジ大学の研究者がある種の酸化物の小さなサンプルを溶融塩に浸し、電流によりこの酸化物を還元したことによる。陰極には金属酸化物の粉末を使っていた。陽極は炭素製であった。摂氏約1,000度の溶融塩が電解質として用いられた。この方法の最初の精錬装置は、全世界の年間需要の3 - 4パーセント程度を供給できる能力を持っている<ref>{{cite news|url=https://www.economist.com/news/science-and-technology/21571847-exotic-useful-metals-such-tantalum-and-titanium-are-about-become-cheap |title=Manufacturing metals: A tantalising prospect |publisher=The Economist |date=2013-02-16 |accessdate=2013-04-17}}</ref>。 こうした方法で得られるタンタルは、真空熱処理によって脱水素を行ったり、電子ビーム溶解によってインゴット化したりする。タンタルをさらに高純度化するためには、電子ビーム帯域溶解法を用いる<ref name = "金属資源レポート" />。 === タンタルの加工 === タンタルの[[溶接]]は、大気中の気体による汚染を防ぐために[[アルゴン]]や[[ヘリウム]]などの不活性気体の中で行わなければならない。タンタルははんだ付け不能である。タンタルを切削加工するのは難しく、特に[[焼なまし]]をしたタンタルについては難しい。焼きなましをした状態では、タンタルは非常に[[展延性]]が高く、簡単に金属板に加工することができる<ref>{{Cite web|url = http://www.nfpa.org/assets/files/aboutthecodes/484/nfpa484-2002.pdf|title = NFPA 484 – Standard for Combustible Metals, Metal Powders, and Metal Dusts – 2002 Edition|date = 2002-08-13|access-date = 2016-02-12|website = National Fire Protection Association|publisher = NFPA|last = |first = }}</ref>。 === 生産国および生産量 === [[ファイル:World Tantalum Production 2015.svg|upright=1.4|thumb|2015年時点のタンタル生産国、ルワンダが首位]] [[ファイル:World Tantalum Production 2006.svg|upright=1.4|thumb|2006年時点のタンタル生産国、オーストラリアが首位]] 21世紀初頭の時点では、[[オーストラリア]]および[[ブラジル]]が主なタンタル生産国であったが、それ以降はタンタル生産の大きな地理的変化が進んでいる。2007年から2014年にかけて、鉱山からのタンタル生産は[[コンゴ民主共和国]]、[[ルワンダ]]やその他アフリカ諸国へと大規模に移っている<ref>{{cite web| url = http://pubs.usgs.gov/fs/2015/3079/fs20153079.pdf | title = Shift in Global Tantalum Mine Production, 2000–2014 | last1 = Bleiwas, | first1 = Donald I. | last2 =Papp| first2 = John F.| last3 =Yager | first3 = Thomas R. | publisher = U.S. Geological Survey | year = 2015 | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。2017年のタンタル生産国上位は、1位がルワンダで390トン、2位がコンゴ民主共和国で370トン、3位が[[ナイジェリア]]で190トン、4位がブラジルで100トン、5位が[[中華人民共和国]]で95トンの順となっている<ref name="USGS2018">{{cite web| title = Minerals commodity survey 2018 Tantalum | publisher = United States Geological Survey |year = 2018| format = PDF | url = https://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/mcs-2018-tanta.pdf | accessdate = 2018-10-03}}</ref>。将来的なタンタル供給源は、推計されている埋蔵量順に、[[サウジアラビア]]、[[エジプト]]、[[グリーンランド]]、[[中華人民共和国]]、[[モザンビーク]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、[[アメリカ合衆国]]、[[フィンランド]]、[[ブラジル]]である<ref name="Mining Journal">{{cite journal|journal = Mining Journal|author = M. J.|format = PDF|title = Tantalum supplement|date = November 2007|url = http://www.noventa.net/pdf/presentations/tanatalumSCR_presentation.pdf|accessdate = 2008-06-03}}</ref><ref>{{cite journal|url = http://www.doir.wa.gov.au/documents/gswa/gsdMRB_22_chap10.pdf|archiveurl = https://web.archive.org/web/20070926195547/http://www.doir.wa.gov.au/documents/gswa/gsdMRB_22_chap10.pdf|archivedate = 2007-09-26|format = PDF|journal = GSWA Mineral Resources Bulletin|volume = 22|title = International tantalum resources — exploration and mining|issue = 10}}</ref>。 長らくタンタルの最大生産国であった[[オーストラリア]]では、最大生産者の{{仮リンク|タリソン・ミネラルズ|en|Talison Minerals}}が[[西オーストラリア州]]の南西部のグリーンブッシュおよび[[ピルバラ]]地区のウドギナという2か所で鉱山を操業している。世界的な金融危機のために、ウドギナ鉱山は2008年末に操業を中止していたが、2011年1月に再開された<ref>{{cite news| url = https://af.reuters.com/article/drcNews/idAFLDE6530TW20100609 | publisher = Reuters |title = Talison Tantalum eyes mid-2011 Wodgina restart 2010-06-09 | accessdate = 2010-08-27 | date=2010-06-09}}</ref>。再開から1年経たないうちに、タリソン・ミネラルズは「タンタル需要の軟化」とその他の原因を理由として、2012年2月末にタンタル採掘を中断することを発表した<ref name="Wodgina-tant-closed">{{cite news| url=http://au.news.yahoo.com/thewest/business/a/-/business/12702333/gam-closes-wodgina-tantalum-mine/| title=GAM closes Wodgina tantalum mine| last=Emery| first=Kate| date=24 Jan 2012| work=The West Australian| accessdate=20 March 2012| quote=Worldwide softening tantalum demand and delays in receiving Governmental approval for installation of necessary crushing equipment are among contributing factors in this decision| deadurl=yes| archiveurl=https://web.archive.org/web/20121204055041/http://au.news.yahoo.com/thewest/business/a/-/business/12702333/gam-closes-wodgina-tantalum-mine/| archivedate=4 December 2012| df=}}</ref>。ウドギナではタンタルの鉱物を採掘し、グリーンブッシュにおいてさらに精製が行われてから顧客に売却されている<ref name="Talison">{{cite web|publisher = Global Advanced Metals |date = 2008|url = http://globaladvancedmetals.com/our-operations/gam-resources/wodgina-australia.aspx |title = Wodgina Operations|accessdate = 2011-03-28}}</ref>。ニオブの大規模生産国は[[ブラジル]]や[[カナダ]]であるが、そうした場所で生産される鉱物からも少ないがタンタルが得られる。他に、[[中華人民共和国]]、[[エチオピア]]、[[モザンビーク]]といった場所の鉱山がタンタルの比率の高い鉱物を産出し、世界のタンタル生産量の上位を占めている。また、[[タイ王国|タイ]]や[[マレーシア]]の[[スズ]]生産の副産物としてもタンタルが得られる。{{仮リンク|砂鉱床|en|Placer deposit}}からの鉱石を重力選鉱する際に、[[錫石]] (SnO<sub>2</sub>) だけではなく、少ない比率ではあるがタンタル石も含まれてくる。この結果、スズ溶鉱炉から出てくる鉱滓には、経済的に有用な量のタンタルが含まれている<ref name="Gupta"/><ref name="USGS2006">{{cite web|publisher = US Geological Survey|last = Papp|first = John F.|title = 2006 Minerals Yearbook Nb & Ta|date = 2006|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/#pubs|accessdate = 2008-06-03}}</ref>。 タンタルの年間生産量は、1997年から2001年にかけては純タンタル換算で1,478トンから2,257トン程度であった<ref name = "地質ニュース658" />。現状の生産量で考えれば、タンタルの残存埋蔵量は50年以下であると見積もられており、リサイクルの必要性が高まっていることを示している<ref>{{cite web|url = http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=how-much-is-left |title=How much is left?|accessdate=2013-01-13}}</ref>。 タンタルは[[コモディティ]]として市場で取引される商品ではなく、また金属単体での取引も基本的に行われていない。鉱石の形態で、売り手と買い手の直接交渉により値段が決定されている<ref name = "metalary">{{Cite web | url = https://www.metalary.com/tantalum-price/ | title = Tantalum Price - Metalary | publisher = Metalary | accessdate = 2018-10-02}}</ref>。タンタルの価格は、30パーセントTa<sub>2</sub>O<sub>5</sub>の鉱石ベースにして、1[[ポンド (質量)|ポンド]](約454グラム)あたりの価格が雑誌等で掲載されている。1980年代から1990年代にかけて長らく20 - 30ドル程度で推移していたが、2000年以降はIT需要の拡大により高騰と、IT不況による停滞がたびたびあり、2007年末時点では35ドル程度となっている<ref name = "金属資源レポート">{{Cite journal | 和書 | url = http://mric.jogmec.go.jp/wp-content/old_uploads/reports/resources-report/2008-01/MRv37n5-08.pdf | format = PDF | author = 南 博志 | title = タンタルの需要・供給・価格動向等 | journal = 金属資源レポート | pages = 79 - 84 | year = 2008 | month = 1 | publisher = 独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構 | accessdate = 2018-09-30}}</ref>。その後は高騰し、2011年から2012年にかけては1ポンド当たりに換算して120ドルを超える高値で取引されていた<ref name = "metalary" />。 == 紛争資源として == タンタルは[[紛争鉱物]]の1種であるとされる。コルンブ石とタンタル石の産業上の名称である[[コルタン]]からはニオブとタンタルが抽出されるが<ref>[http://www.tanb.org/coltan Tantalum-Niobium International Study Center: Coltan] Retrieved 2008-01-27</ref>、[[中部アフリカ]]でも採掘される鉱石であり、[[コンゴ民主共和国]](かつてのザイール)における[[第二次コンゴ戦争]]とタンタルが関わってくる理由となっている。2003年10月23日の国連報告によれば<ref>{{cite web|title = S/2003/1027|date = 2003-10-26|url = https://www.un.org/Docs/journal/asp/ws.asp?m=S/2003/1027|accessdate =2008-04-19}}</ref>、密輸も含めたコルタンの輸出が、第二次世界大戦以来最悪の死者数記録となる、1998年以降だけで約540万人が死んだコンゴにおける戦争を助長しているとされる<ref>{{cite web|publisher = International Rescue Committee|title = Special Report: Congo|url = http://www.rescue.org/special-reports/special-report-congo-y|accessdate = 2008-04-19}}</ref>。コンゴ盆地の武力紛争地帯においてコルタンのような資源を収奪することに伴う、責任ある企業行動、人権、野生生物の危機といった倫理上の問題が問われるようになっている<ref>{{cite book|title = Coltan Mining in the Democratic Republic of Congo: How tantalum-using industries can commit to the reconstruction of the DRC|first = Karen|last = Hayes|author2=Burge, Richard |journal = Fauna & Flora|isbn = 1-903703-10-7|pages = 1–64}}</ref><ref>{{cite web|url = http://pulitzercenter.org/video/congos-bloody-coltan|date=January 6, 2011|work=Pulitzer Center on Crisis Reporting|author=Dizolele, Mvemba Phezo|title=Congo's Bloody Coltan|accessdate=2009-08-08}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www1.american.edu/ted/ice/congo-coltan.htm|title=Congo War and the Role of Coltan|accessdate=2009-08-08|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090713173610/http://www1.american.edu/TED/ice/congo-coltan.htm|archivedate=2009-07-13|df=}}</ref><ref>{{cite web|url = http://www.panda.org/what_we_do/where_we_work/congo_basin_forests/problems/mining/coltan_mining/ |archiveurl = https://web.archive.org/web/20090330005811/http://www.panda.org/what_we_do/where_we_work/congo_basin_forests/problems/mining/coltan_mining/ |archivedate = 2009-03-30 |title=Coltan mining in the Congo River Basin|accessdate =2009-08-08}}</ref>。しかし、コルタンの採掘はコンゴの地域経済にとっては重要であるが、世界のタンタル供給に占める割合は通常は小さい。[[アメリカ地質調査所]]の年鑑は、この地域のタンタル生産量は、2002年から2006年にかけての世界のタンタル生産量の1パーセント未満で、2000年と2008年に10パーセントに達したのが最高であるとしている<ref name="USGS2006"/>。 「ソリューションズ・フォー・ホープ・タンタルプロジェクト」の目的は、「コンゴ民主共和国から紛争と関係しないタンタルを供給する」ことであるとされている<ref>{{cite web|title=‘Solutions for Hope’ Tantalum Project Offers Solutions and Brings Hope to the People of the DRC|url=http://solutions-network.org/site-sfhtantalum/|website=Solutions Network|accessdate=18 September 2014}}</ref>。 == 用途 == === 電気・電子機器 === [[File:Tantal-P1100196c.jpg|thumb|各種のタンタル電解コンデンサ、左がリード型、右がチップ型。大きさの比較としてマッチ棒を示した。]] タンタルの主な用途は、電子機器の製造であり、主に[[コンデンサ]](キャパシタ)や高出力[[抵抗器]]などに金属粉末の形態で用いられる。{{仮リンク|タンタルコンデンサ|en|Tantalum capacitor|label=タンタル電解コンデンサ}}は、タンタルが表面に保護酸化被膜を形成する性質を利用し、タンタルの粉末をペレット状の形態に焼き固めたものを一方の極板とし、酸化物 (Ta<sub>2</sub>O<sub>5</sub>) を[[誘電体]]とし、電解液または伝導性のある固体をもう一方の極板としたものである。誘電体の層が非常に薄くなる(同様のアルミニウム電解コンデンサなどに比べてもかなり薄い)ことから、小容積でも大きな[[静電容量]]を実現できる。大きさと重量の利点から、[[携帯電話]]、[[パーソナルコンピュータ]]、{{仮リンク|自動車エレクトロニクス|en|Automotive electronics}}、[[カメラ]]といった用途に適する<ref name="USGSCR08">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/mcs-2008-tanta.pdf|title = Commodity Report 2008: Tantalum|publisher = United States Geological Survey|accessdate = 2008-10-24|format = PDF}}</ref>。 また、[[表面弾性波フィルター]](SAWフィルター)の材料としても用いられる。これは特定の信号波のみを選択的に通すフィルターであり、携帯電話などにおいて決められた送受信周波数以外の周波数成分をカットするために用いられる。電気信号を[[圧電効果]]を利用して一旦機械的な振動に変換し、固体表面を伝搬する弾性表面波とした上で、その圧電結晶基盤の上に形成されたパターンの構造により選択的に周波数フィルターを適用し、再び電気信号に変換する仕組みとなっている。このための圧電単結晶として[[タンタル酸リチウム]] (LiTaO<sub>3</sub>) または[[ニオブ酸リチウム]] (LiNbO<sub>3</sub>) が用いられている<ref>{{Cite journal | 和書 | title = SAWフィルター | journal = セラミックス | year = 2006 | month = 8 | volume = 41 | issue = 8 | pages = 627 - 628 | publisher = 日本セラミックス協会 | url = http://www.ceramic.or.jp/museum/contents/pdf/2006_08_01.pdf | format = PDF}}</ref>。 [[スパッタリング]]によって薄膜を形成する際に、ターゲット材(薄膜材料)としてタンタル(五酸化タンタル)を用いることがある<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.toishi.info/pro/seimaku/sputteringtarget.html | title = スパッタリングターゲット材 | accessdate = 2018-10-04}}</ref>。これによって高誘電率・高絶縁耐圧の薄膜形成が行われる<ref>{{Cite journal | 和書 | author = 藤川久喜、野田浩司、多賀康訓 | title = Ta2O5系高誘電率絶縁膜の作成 | journal = 豊田中央研究所R&Dレビュー | volume = 30 | issue = 4 | year = 1995 | month = 12 | pages = 13 - 23 | url = https://www.tytlabs.com/japanese/review/rev304pdf/304_013fujikawa.pdf | format = PDF}}</ref>。 かつて白熱電球の[[フィラメント (電気)|フィラメント]]の製造にタンタルが利用されていたことがある。フィラメントは当初炭素(カーボン)のものが使用されていたが、その性能を向上させるために様々な金属フィラメントの開発が行われ、1902年に[[ドイツ]]の[[ジーメンス・ウント・ハルスケ]]の技術者{{仮リンク|ヴェルナー・フォン・ボルトン|de|Werner von Bolton}}がタンタルを利用したフィラメントを開発した。この電球は効率が良く明るく白い光を出すことから好評であった。アメリカの[[ゼネラル・エレクトリック]]はライセンス生産の権利を買って1910年まで生産しており、ジーメンス自体は1913年まで生産していたが、1904年に発明され1906年に商品化された[[タングステン]]フィラメントを利用した電球がより効率が高く寿命が長かったことから、タンタル電球は時代遅れとなった<ref name = "白熱電球">{{Cite web|和書| author = 石﨑 有義 | url = http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/070.pdf | format = PDF | title = 白熱電球の技術の系統化調査 | year = 2011 | publisher = 産業技術史資料情報センター | accessdate = 2018-10-01}}</ref><ref>{{Cite web | url = http://www.lamptech.co.uk/Spec%20Sheets/IN%20TA%20GE%2025W.htm | title = GE Tantalum Filament 25W of American Design | accessdate = 2018-10-01 | publisher = Museum of Electric Lamp Technology}}</ref><ref>{{Cite web | url = http://www.lamptech.co.uk/IN%20Tantalum.htm | title = Incandescent - Tantalum Filament | accessdate = 2018-10-01 | publisher = Museum of Electric Lamp Technology}}</ref>。 タンタルは無線送信機の[[極超短波]][[真空管]]の製造に広く用いられている。タンタルは、窒化物や酸化物を形成して窒素や酸素を捕獲できるので、グリッドやプレートといった真空管内部の部品に使って、真空管内に必要な高い真空度を維持するための{{仮リンク|ゲッター|en|Getter}}としても利用できる<ref name="ICE"/><ref name="Balke"/>。 === 合金および耐食金属 === タンタルは、高い融点や強度、展延性などを持つ様々な種類の[[合金]]を製造するために用いられる。他の金属と合金とすることで、金属加工用の超硬工具を製作したり、ジェットエンジン部品、化学処理装置、原子炉、ミサイル部品、熱交換器、タンクや容器向けの[[超合金]]の生産といった目的で用いられる<ref>{{Cite news|url=https://www.admatinc.com/tantalum/sheetplate/|title=Tantalum Products: Tantalum Sheet & Plate {{!}} Admat Inc|work=Admat Inc.|accessdate=2018-08-28|language=en-US}}</ref><ref name="USGSCR08"/><ref>{{cite journal|title = New applications for tantalum and tantalum alloys|journal = JOM Journal of the Minerals, Metals and Materials Society|volume = 52|issue = 3|date = 2000|doi = 10.1007/s11837-000-0100-6|page=40|first = R. W.|last = Buckman Jr.|bibcode = 2000JOM....52c..40B }}</ref>。展延性が高いことから、細いワイヤやフィラメントをタンタルから作って、アルミニウムのような金属の蒸着処理に用いられる。 タンタルはほとんどの酸に対して不活性であるため、化学反応を行う容器や腐食性流体の配管などに有用な金属である。塩酸を蒸気で熱するための熱交換材はタンタルで作られる<ref name="Balke">{{cite journal|page= 1166|journal = Industrial and Engineering Chemistry|volume = 20|issue = 10|title = Columbium and Tantalum|first = Clarence W.|last = Balke|doi=10.1021/ie50310a022|date= 1935}}</ref>。化学工業においてグラスライニングの反応容器等を用いるが、その内面が損傷した場合の補修方法の一つとしてタンタルを使用する場合がある。<ref>{{Cite web|和書 | url = https://www.kobelco-eco.co.jp/process_equipment/pdf/aftersales_service/mente09.pdf | title = タンタル補修 | publisher = 株式会社神鋼環境ソリューション | accessdate = 2022-04-28 }}</ref> ただし、[[フッ化水素酸]]、熱[[硫酸]]、熱[[アルカリ]]水溶液などはタンタルを腐食する。 融点が高く酸化耐性があることから、{{仮リンク|真空炉|en|Vacuum furnace}}の部品の生産にタンタルが使われる。また白金坩堝の代用品としてタンタル坩堝が使用されることがある。タンタルは不活性であることから、{{仮リンク|サーモウェル|en|Thermowell}}、バルブ本体、タンタル製締結部品などの腐食耐性のある様々な部品の製造に用いられる。 === その他 === [[File:Tantalio.png|thumb|320x320px|カザフスタン銀行発行の[[バイメタル貨]]。外周のリング部分が銀で、中央がタンタルである。]] 密度の高さから、[[成型炸薬]]や[[自己鍛造弾]]の内張りがタンタルで作られる<ref>{{cite journal|title = Microstructure of high-strain, high-strain-rate deformed tantalum|first = Sia|last = Nemat-Nasser|author2 = Isaacs, Jon B.|author3 = Liu, Mingqi|journal = Acta Materialia|volume = 46|page= 1307|date = 1998|doi = 10.1016/S1359-6454(97)00746-5|issue = 4}}</ref>。タンタルはその高い密度と融点から、成形炸薬弾の装甲貫徹能力を大いに増進する<ref>{{cite journal|doi = 10.1016/S0734-743X(01)00135-X|title = The penetration resistance of a titanium alloy against jets from tantalum shaped charge liners|date = 2001|last1 = Walters|first1 = William|author2 = Cooch, William|author3 = Burkins, Matthew|journal = International Journal of Impact Engineering|volume = 26|page= 823|last4 = Burkins|first4 = Matthew}}</ref><ref>{{cite book|isbn = 978-0-471-64952-6|author = Russell, Alan M.|author2 = Lee, Kok Loong| date = 2005|publisher = Wiley-Interscience|location = Hoboken, NJ|title = Structure-property relations in nonferrous metals|url = https://books.google.com/?id=fIu58uZTE-gC&pg=PA129&lpg=PP128#PPA218|page = 218}}</ref>。 またときには、その耐食性と重厚な高級感から[[オーデマ・ピゲ]]、[[ウブロ]]、[[モンブラン (企業)|モンブラン]]、[[オメガ]]、[[オフィチーネ・パネライ]]といった高級[[腕時計]]、高級宝飾品の製造にも用いられる。 タンタルは体液に耐え、生体に対して不活性で刺激性が少ないため、外科用医療用具や人体埋め込み材(インプラント材)などの製作に広く用いられる。たとえば、タンタルは硬組織に直接接着する能力が高いことから、多孔性のタンタルコーティングが整形外科用の埋め込み物の製作に用いられる<ref>{{cite journal|first = R.|last = Cohen|date = 2006|title = Applications of porous tantalum in total hip arthroplasty|journal = Journal of the American Academy of Orthopaedic Surgeons|volume = 14|pmid=17077337|last2 = Della Valle|first2 = C. J.|last3 = Jacobs|first3 = J. J.|issue = 12|pages = 646–55}}</ref><ref name="Gerald L. Burke 1940">{{cite journal|journal = Canadian Medical Association Journal |author = Gerald L. Burke |date = 1940 |title =The Corrosion of Metals in Tissues; and An Introduction to Tantalum |volume = 43}}</ref>。タンタルは剛性が高いことから、{{仮リンク|応力遮蔽|en|Stress shielding}}を避けるために、多孔質発泡体や低い剛性の骨格の形態で人工股関節置換術に用いられる<ref>{{cite journal|journal = Clinical Materials|date = 1994|volume = 16|issue = 3|pages =167–173|title = Biological performance of tantalum|last = Black|first = J.|pmid=10172264|doi = 10.1016/0267-6605(94)90113-9}}</ref>。タンタルは非鉄・非磁性の金属であるので、こうしたインプラント材を埋め込まれた患者も[[核磁気共鳴画像法]] (MRI) の検査を受けられるとされている<ref name="PaganiasTsakotos2012">{{cite journal|last1=Paganias|first1=Christos G.|last2=Tsakotos|first2=George A.|last3=Koutsostathis|first3=Stephanos D.|last4=Macheras|first4=George A.|title=Osseous integration in porous tantalum implants|journal=Indian Journal of Orthopaedics|volume=46|issue=5|year=2012|pages=505|issn=0019-5413|doi=10.4103/0019-5413.101032|pmid=23162141}}</ref>。 またタンタル酸化物は、カメラのレンズ用に特別に高い[[屈折率]]のガラスを作るために用いられる<ref>{{cite book|title = Optical Materials: An Introduction to Selection and Application|chapter = Optical Glass Composition|first = Solomon|last = Musikant|publisher = CRC Press|date = 1985|page = 28|isbn = 978-0-8247-7309-0|chapter-url = https://books.google.com/?id=iJEXMF3JBtQC&pg=PA28}}</ref>。 == 環境問題 == タンタルは地球科学からの関心に比べて、環境分野ではほとんど関心を持たれていない。上部地殻でのタンタル濃度や地殻あるいは鉱物におけるニオブ/タンタル比率の計測は地球化学的な道具として有用であるため、値が計測されている<ref>{{Cite journal|last=Green|first=TH.|date=1995|title=Significance of Nb/Ta as an indicator of geochemical processes in the crust-mantle system|url=https://doi.org/10.1016/0009-2541(94)00145-X|journal=Chemical Geology|volume=120|pages=347|via=|bibcode=1995ChGeo.120..347G|doi=10.1016/0009-2541(94)00145-X}}</ref>。2008年時点で最新の上部地殻でのタンタル濃度は0.92 ppmで、ニオブ/タンタル比は12.7である<ref>{{Cite journal|last=Hu|first=Z.|last2=Gao|first2=S.|date=2008|title=Upper crustal abundances of trace elements: a revision and update|url=https://doi.org/10.1016/j.chemgeo.2008.05.010|journal=Chemical Geology|volume=253|pages=205|via=|bibcode=2008ChGeo.253..205H|doi=10.1016/j.chemgeo.2008.05.010}}</ref>。 環境中の様々な場所におけるタンタルの濃度に関する情報はあまりなく、特に自然の海水や淡水に溶けているタンタルの濃度に関する信頼性のあるデータが得られたことはない<ref name=":0">{{Cite journal|last=Filella|first=M.|date=2017|title=Tantalum in the environment|url=https://doi.org/10.1016/j.earscirev.2017.07.002|journal=Earth-Science Reviews|volume=173|pages=122|via=}}</ref>。海水中に溶けているタンタルの濃度に関する値がいくつか発表されているが、それらには矛盾がある。淡水中の値に関しても海水の測定値に比べいくらかましであるにすぎないが、しかし自然の水中における溶解濃度は現在の分析能力の限界未満であることから、おそらく1リットル当たり1ナノグラムを下回っていると考えられている<ref>{{Cite journal|last=Filella|first=M.|last2=Rodushkin|first2=I.|date=2018|title=A concise guide for the determination of less-studied technology-critical elements (Nb, Ta, Ga, In, Ge, Te) by inductively coupled plasma mass spectrometry in environmental samples|url=https://doi.org/10.1016/j.sab.2018.01.004|journal=Spectrochimica Acta Part B|volume=141|pages=80|via=}}</ref>。分析には予備濃縮法を用いる必要があるが、今のところは一貫性のある結果とならない。そしていずれにせよ、タンタルは自然界の水の中では溶けているというよりはほぼ微粒子の状態で存在しているものと思われる<ref name=":0" />。 土壌、河床堆積物、大気エーロゾルなどに含まれる濃度の値はより容易に入手できる<ref name=":0" />。土壌中の濃度はほぼ1 ppmであり、地殻中のタンタル濃度である。これは砕岩質に由来することを示唆している。大気エーロゾルに含まれる値はさまざまであり、また限られている。タンタルの濃縮が観測される場合は、雲の中のエーロゾルの水により溶ける物質が失われたことによるものであろう<ref>{{Cite journal|last=Vlastelic|first=I.|last2=Suchorski|first2=K.|last3=Sellegri|first3=K.|last4=Colomb|first4=A.|last5=Nauret|first5=F.|last6=Bouvier|first6=L.|last7=Piro|first7=J-L.|date=2015|title=The high field strength element budget of atmospheric aerosols (puy de Dôme, France)|url=https://doi.org/10.1016/j.gca.2015.07.006|journal=Geochimica et Cosmochimica Acta|volume=167|pages=253|jstor=|via=|bibcode=2015GeCoA.167..253V|doi=10.1016/j.gca.2015.07.006}}</ref>。 人間がタンタルを利用していることに伴う汚染が発見されたことはない<ref>{{Cite journal|last=Filella|first=M.|last2=Rodríguez-Murillo|first2=JC.|date=2017|title=Less-studied TCE: are their environmental concentrations increasing due to their use in new technologies?|url=https://doi.org/10.1016/j.chemosphere.2017.05.024|journal=Chemosphere|volume=182|pages=605|via=}}</ref>。生物地球化学的にはタンタルは非常に変化の少ないものだと思われるが、その循環や反応性についてはいまだ完全に理解されているとは言えない。 == 人体への危険性 == タンタルは[[生体適合性]]が高く<ref name="Gerald L. Burke 1940"/>、また化学的に安定で体液とも反応しにくいために人体への害は少ないと見られている<ref name="SAKURAI_118_p330">桜井 弘 編 『元素118の新知識』 p.330 講談社 (ブルーバックス B2028) 2017年8月20日発行 ISBN 978-4-06-502028-9</ref>。むしろ、医療材料として体内に埋め込んだ場合などは、タンタルよりも医療材料に使用されている他の元素や化合物の性質に注意が向けられる<ref>{{cite journal|journal = Biomaterials|author = Matsuno H|author2 = Yokoyama A|author3 = Watari F|author4 = Uo M|author5 = Kawasaki T.|date = 2001|volume = 22|title = Biocompatibility and osteogenesis of refractory metal implants, titanium, hafnium, niobium, tantalum and rhenium. Biocompatibility of tantalum.|doi = 10.1016/S0142-9612(00)00275-1|pmid=11336297|issue = 11|pages = 1253–62}}</ref>。 職場においては、吸入、皮膚への接触、眼球への接触といった形でタンタルに人体が暴露される可能性がある。アメリカの{{仮リンク|労働安全衛生局|en|Occupational Safety and Health Administration}}は、職場におけるタンタル暴露の法的限界({{仮リンク|許容暴露限界|en|permissible exposure limit}})を1日8時間労働に対して5&nbsp;mg/m<sup>3</sup>と設定している。{{仮リンク|アメリカ国立労働安全衛生研究所|en|National Institute for Occupational Safety and Health}}では、{{仮リンク|推奨される暴露限度|en|Recommended exposure limit}}として、1日8時間労働に対しては5&nbsp;mg/m<sup>3</sup>、短期限界として10&nbsp;mg/m<sup>3</sup>を設定している。2,500&nbsp;mg/m<sup>3</sup>に達すると、タンタルは{{仮リンク|生命または健康に対する差し迫った危険|en|Immediately dangerous to life or health}}であるとされる<ref>{{Cite web|title = CDC – NIOSH Pocket Guide to Chemical Hazards – Tantalum (metal and oxide dust, as Ta)|url = https://www.cdc.gov/niosh/npg/npgd0585.html|website = www.cdc.gov|accessdate = 2015-11-24}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em}} == 外部リンク == {{Commons|Tantalum}} * {{ICSC|1596}} * [https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/7440-25-7.html 職場の安全サイト タンタル] 厚生労働省 {{元素周期表}} {{タンタルの化合物}} {{Normdaten}} {{Good article}} {{DEFAULTSORT:たんたる}} [[Category:タンタル|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第5族元素]] [[Category:第6周期元素]]
2003-06-11T11:24:26Z
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ニオブ
ニオブ(英: niobium [naɪˈoʊbiəm] 独: Niob [niˈoːp, ˈniːɔp])は、原子番号41、元素記号Nbの元素である。かつてはコロンビウムと呼ばれていたこともあった。 レアメタルの一つ。 柔らかく灰色で結晶質の延性のある遷移金属であり、パイロクロアやコルンブ石といった鉱物としてしばしば産出し、後者に由来してかつてはコロンビウムと呼ばれていたこともあった。ニオブという名前はギリシア神話に由来し、タンタルの語源となったタンタロスの娘であるニオベーから来ている。この名前は、タンタルとニオブが物理的・化学的に非常によく似ており、区別を付けづらいという特徴を反映したものである。 イングランドの化学者チャールズ・ハチェットが1801年に、タンタルに似た新元素を報告し、コロンビウムと名付けた。1809年にやはりイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンが誤ってタンタルとコロンビウムは同じものであると結論付けた。ドイツの化学者ハインリヒ・ローゼは1846年に、タンタルの鉱石にはもう1つの元素を含んでいると判断し、これにニオブという名前を付けた。1864年および1865年に、一連の科学的発見によりニオブと、かつてコロンビウムと呼ばれていたものは同じ元素であることが明らかになり、それから1世紀ほどの間にわたってニオブとコロンビウムという名前はどちらも同じものを指す言葉として使われてきた。1949年にニオブという名前が公式にこの元素の名前として採用されたが、その後もアメリカ合衆国では鉱業の分野において依然としてコロンビウムという名前が残っている。 コロンビウム(元素記号Cb)は、1801年に初めてニオブが発見された際にハチェットが与えた名前であった。この名前は、発見に用いられた鉱石標本がアメリカ(コロンビア)から送られたことにちなんだものであった。アメリカの論文誌ではこの名前が使われ続け、アメリカ化学会がコロンビウムという名前をタイトルに含む最後の論文を公表したのは1953年のことであった。一方、ヨーロッパではニオブという名前が使われていた。この混乱を終わらせるために、1949年にアムステルダムで開かれた第15回化学連合会議において41番元素の名前としてニオブが選択された。歴史的にはコロンビウムという名前の方が先に用いられていたにもかかわらず、この翌年、100年間にわたる論争を経て、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) により正式にニオブという名前が採択された。これはある種の妥協であり、IUPACは、ウォルフラムという名前より北アメリカで使用されているタングステンという名前を採用した代わりに、コロンビウムという名前よりヨーロッパで使用されているニオブという名前を採用した。アメリカ合衆国の多くの化学関連組織や政府組織では公式のIUPAC名を使用しているが、一部の冶金関係者や金属関連組織では依然としてアメリカの名前であるコロンビウムを使っている。 ニオブはイングランドの化学者チャールズ・ハチェットにより、1801年に発見された。ハチェットは、1734年にジョン・ウィンスロップがイングランドにアメリカ合衆国のコネチカット州から送ったサンプルの鉱物から新元素を発見し、アメリカ合衆国の詩的な名前であるコロンビアにちなみ、この鉱物をコルンブ石、新しい元素をコロンビウムと名付けた。ハチェットが発見したコロンビウムは、おそらく新元素とタンタルの混合物であったと思われる。 その後、コロンビウムと、それによく似たタンタルの違いについて、かなりの混乱があった。1809年にイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンはコロンビウムの酸化物であるコルンブ石の密度(5.918 g/cm)と、タンタルの酸化物であるタンタル石の密度(8 g/cm以上)を比較し、密度がかなり違うにもかかわらずこの2つの酸化物は同じものであると結論付け、タンタルの方の名前を採用した。この結論に対し、1846年にドイツの化学者ハインリヒ・ローゼは異論を唱え、タンタル石にはさらに2つの異なる元素が含まれていると主張して、タンタロスの子供にちなんで、ニオベーからニオブ、ペロプスからペロピウムと名付けた。こうした混乱は、タンタルとニオブの間の観測された差異が非常に小さいことから生じていた。新しい元素だとされたペロピウム、イルメニウム、ダイアニウムといったものは、実際にはニオブか、またはニオブとタンタルの混合物であった。 タンタルとニオブの差異は、1864年にクリスチャン・ヴィルヘルム・ブロムストラント(スウェーデン語版)やアンリ・サント=クレール・ドビーユらがはっきりと示し、1864年にはルイ・ジョゼフ・トロースト(フランス語版)がいくつかの化合物の構造式を決定し、最終的にスイスの化学者ジャン・マリニャックが1866年に、含まれている元素は2種類だけであることを証明した。しかしイルメニウムという元素に関する記事は1871年まで残っている。 マリニャックは1864年に、水素雰囲気中でニオブの塩化物を熱して還元することにより初めてニオブの金属形態を得た。マリニャックは1866年にはタンタルを含まないニオブを大規模に得ることに成功していたが、ニオブが初めて商業的な用途に用いられたのは、20世紀初めになってからのことで、白熱電球のフィラメントとして用いられた。しかしこのニオブの用途は、より高い融点を持つタングステンによってすぐに代替され、時代遅れのものとなってしまった。鋼鉄の強度をニオブが改善することは1920年代になって初めて発見され、それ以来この用途が最大の用途であり続けている。1961年にアメリカの物理学者ユージーン・クンツラーとベル研究所の共同研究者らは、ニオブスズが大きな電流や強い磁場の中でも超伝導を維持できることを発見し、強力な磁石や大出力電気機械に必要とされる大きな電流や磁束に耐えられる初めての材料となった。この発見により20年後、回転機や粒子加速器、粒子検知器といった用途に用いられる大規模で強力な電磁石用のコイルを製作できる長い巻線を製造できるようになった。 ニオブは光沢のある灰色で、展延性があり、常磁性を持った周期表の第5族に属する金属であり、最外殻電子の配置は第5族としては変則的なものである(これは周期表上近傍にあるルテニウム (44)、ロジウム (45)、パラジウム (46) などに共通である)。 絶対零度から融点まで、体心立方格子構造を取ると考えられているものの、3結晶軸に沿った熱膨張の高解像度測定によれば、立方構造とは矛盾する異方性があることを明らかにしている。そのため、この分野でのさらなる研究と発見が期待されている。 ニオブはごく低温において超伝導になる。大気圧では、元素の超伝導体としては最も高い臨界温度である9.2ケルビンで超伝導となる。ニオブは全ての元素の中で最大の磁場侵入長を持つ。これに加えて、バナジウムおよびテクネチウムと並んで、3つだけ存在する元素の第二種超伝導体でもある。超伝導特性は、金属ニオブの純粋度に強く依存している。 非常に純度が高い金属ニオブは比較的柔らかく展延性があるが、不純物の存在により硬くなる。 金属ニオブは、熱中性子の捕獲断面積が小さい。そのため原子力産業において、中性子に透過的な構造が必要な場合に用いられる。 ニオブは、室温で長期間空気にさらされると、青味がかった色を呈する。元素としては高い融点(摂氏2,468度)を持つにもかかわらず、他の耐火金属に比べると密度が小さい。また、腐食耐性が高く、超伝導特性があり、誘電酸化物層を形成する。 ニオブは、原子番号が1つ小さいジルコニウムに比べるとわずかに陽性度が小さくよりコンパクトであるが、一方重いタンタルと比べると、ランタノイド収縮の結果ほとんど同じ大きさである。結果として、ニオブの化学的特性は、周期表上でニオブの直下にあるタンタルととてもよく似ている。ニオブの腐食耐性はタンタルほど優れているわけではないが、価格が安く豊富に入手可能であることから、化学工場におけるタンクの内張りなど、あまり厳しい要求ではない用途にはニオブが向いている。 地球の地殻に含まれるニオブの安定同位体は、Nbのみである。2003年までに、少なくとも32の放射性同位体が合成されており、その原子量は81から113に及ぶ。放射性同位体の中で最も安定なものはNbで、その半減期は3470万年に達する。不安定な同位体としてはNbがあり、その推定半減期は30ミリ秒である。安定同位体のNbより軽い同位体は陽電子放出で崩壊する傾向にあり、安定同位体より重い同位体はベータ崩壊をする傾向にあるが、Nb、Nb、Nbは遅延陽子放出の崩壊系列を持ち、Nbは電子捕獲と陽電子放出し、Nbは陽電子放出とベータ崩壊の両方の崩壊をするという例外がある。 少なくとも25種類の核異性体が確認されており、その原子量は84から104に及ぶ。この範囲で、Nb、Nb、Nbは核異性体を持たない。ニオブの核異性体の中で最も安定なものはNbで、半減期16.13年を持つ。最も不安定な核異性体はNbで、半減期103ナノ秒を持つ。ニオブの核異性体は全て核異性体転移またはベータ崩壊で崩壊するが、例外としてNbは電子捕獲という系列を持つ。 ニオブは多くの点でタンタルやジルコニウムに類似している。高温ではほとんどの非金属と反応する。フッ素とは室温で、塩素および水素とは摂氏200度で、窒素とは摂氏400度で反応し、得られる化合物は多くが侵入型で不定比である。大気中では摂氏200度で酸化し始める。王水、塩酸、硫酸、硝酸、リン酸など、アルカリや酸による腐食に耐える。フッ化水素酸およびフッ化水素酸と硝酸の混合物には腐食される。 ニオブの酸化数は+5から-1までの全てを取りうるが、ニオブの化合物のほとんどではニオブの酸化数は+5を取る。特徴として、+5より小さな酸化数を取る化合物ではニオブ-ニオブ結合を示す。 ニオブの酸化物は酸化数+5(Nb2O5)、+4(NbO2)、+3(Nb2O3)、そして珍しい酸化数として+2(NbO)がある。最も一般的な酸化物は五酸化ニオブで、ほとんどのニオブの化合物や合金の前駆体となる。ニオブ酸塩は、五酸化物を水酸化物イオンの溶液に溶かすか、アルカリ金属の酸化物に溶融させることで得られる。例としてニオブ酸リチウム(LiNbO3)やニオブ酸ランタン(LaNbO4)がある。ニオブ酸リチウムは三角形に歪められたペロブスカイト構造のような構造で、一方ニオブ酸ランタンは孤立したNbO3−4イオンを持つ。層状の硫化ニオブ (NbS2) も知られている。 摂氏350度以上でニオブ(V)エトキシド(英語版)を熱分解して、化学気相成長または原子層堆積により酸化ニオブの薄膜で材料をコーティングすることができる。 ニオブは、酸化数+5および+4で、様々な不定比化合物としてハロゲン化物を形成する。五ハロゲン化ニオブ (NbX5) は八面体の中心にニオブが配置される構造を特徴とする。五フッ化ニオブ (NbF5) は融点が摂氏79度の白い固体である。五塩化ニオブ(英語版) (NbCl5) は融点が摂氏203.4度の黄色い固体である。どちらも加水分解されて酸化物またはNbOCl3のようなオキシハロゲン化物を与える。五塩化ニオブは、二塩化ニオボセン ((C5H5)2NbCl2) のような有機金属化合物を生成するために使われる多用途の試薬である。四ハロゲン化物 (NbX4) はNb-Nb結合を有する暗色のポリマーであり、たとえば黒く吸湿性のある四フッ化ニオブ(英語版) (NbF4) や、茶色の四塩化ニオブ(英語版) (NbCl4) がある。 ニオブのハロゲン化物の陰イオンは、五ハロゲン化物のルイスの酸性度も部分的に手伝って、よく知られている。最も重要なものは [NbF7] で、鉱石からニオブとタンタルを分離する過程の途中物質である。この七フッ化物は、タンタル化合物よりも容易にオキソペンタフルオライドを形成する傾向がある。その他のハロゲン化物の錯体としては八面体状の[NbCl6]などがある。 原子番号の小さな他の金属と同様に、多くの還元ハロゲン化物のクラスターイオンが知られており、主な例としては[Nb6Cl18]がある。 他に二元化合物として、低温で超伝導体となり、また赤外線検知器として用いられる窒化ニオブ (NbN) がある。主な炭化ニオブ(英語版)はNbCで、非常に硬く耐熱性のあるセラミックス材料であり、商業的には切削加工のバイトに用いられる。 ニオブは地球の地殻における存在量で34番目の元素であるとされており、およそ20 ppm含まれているとされる。地球全体での存在度はより大きいと考えている者もおり、ニオブの高い密度のために地球のコアに濃縮されているとしている。ニオブの単体は自然界では発見されておらず、他の元素と化合して鉱物中に含まれている。ニオブを含む鉱物は、タンタルも含んでいることが多い。たとえば、コルンブ石 ((Fe,Mn)(Nb,Ta)2O6) やコルタン ((Fe,Mn)(Ta,Nb)2O6) といったものがある。コルンブ石、タンタル石といった鉱物(最も一般的な種類はコルンブ石-(Fe)またはタンタル石-(Fe))は、ペグマタイトの貫入やアルカリ性貫入岩の随伴鉱物として見つかることが最も多い。カルシウム、ウラン、希土類元素といったもののニオブ酸塩としても見つかる。こうしたニオブ酸塩の例としてはパイロクロア ((Na,Ca)2Nb2O6(OH,F)) (現在ではグループに与えられた名前となっており、その中で一般的なものはフルオロカルシオパイクロア)、ユークセン石(英語版)(正確にはユークセン石-(Y))((Y,Ca,Ce,U,Th)(Nb,Ta,Ti)2O6) といったものがある。ニオブの大規模な鉱脈は、パイロクロアの構成物として、カーボナタイト(炭酸塩-ケイ酸塩火成岩)に関連して発見される。 現時点で採掘されているパイロクロアの3大鉱床は、2つがブラジルに、1つがカナダにあり、どれも1950年代に発見され、なおもニオブ鉱石の主な供給源となっている。最大の鉱床は、ブラジルのミナスジェライス州アラシャにあり、カーボナタイトの貫入物に随伴したもので、CBMM(ブラジル冶金鉱業会社)が保有している。もう1つのブラジルの採掘中鉱床はゴイアス州カタラン近郊にあり、やはりカーボナタイト貫入物に伴うもので、洛陽欒川モリブデン(中国語版)が保有している。これら2つの鉱床で、世界全体の供給のおよそ88パーセントを生産している。ブラジルにはほかにも、アマゾナス州サン・ガブリエウ・ダ・カショエイラ(ポルトガル語版)近郊に大規模だが未採掘の鉱床があり、ロライマ州にあるものなど、より小規模な鉱床もいくつかある。 ニオブの3番目の供給源は、カナダのケベック州チクーチミ(英語版)近郊サントノーレ(英語版)にあるニオベック鉱山で、やはりカーボナタイトに伴うもので、マグリス・リソーシズが保有している。この鉱山では、世界全体の供給の7パーセントから10パーセント程度を生産している。 他の鉱石の分離処理を行うと、タンタル(五酸化タンタル Ta2O5)とニオブ(五酸化ニオブ Nb2O5)の酸化物の混合物が得られる。抽出処理の最初の段階は、この酸化物をフッ化水素酸と反応させることである。 ジャン・マリニャックが開発した最初の工業的分離処理では、ニオブのフッ化物の錯体(フッ化ニオブ酸カリウム一水和物 K2[NbOF5]·H2O)とタンタルのフッ化物の錯体(フッ化タンタル酸カリウム K2[TaF7])の水への溶解度の差を利用していた。新しい処理方法では、フッ化物を水溶液からシクロヘキサノンのような有機溶媒へ取り出す液液抽出を利用する。ニオブとタンタルのフッ化物の錯体は、この有機溶媒から水に別々に抽出され、フッ化カリウムを加えてフッ化カリウムの錯体を形成して沈殿させるか、アンモニアを加えて五酸化物として沈殿させる。 または: 還元して金属ニオブを得る方法としてはいくつかのものがある。フッ化ニオブ酸カリウム K2[NbOF5]と塩化ナトリウムの溶融塩を電気分解する方法、ナトリウムを使ってフッ化物を還元する方法などがある。この方法では比較的高い純度のニオブを得ることができる。大規模な生産では、五酸化ニオブ Nb2O5 は水素または炭素を用いて還元される。アルミノテルミット反応(英語版)では、鉄の酸化物とニオブの酸化物の混合物をアルミニウムと反応させる: この反応を促進させるために硝酸ナトリウムのような少量の酸化剤が添加される。得られるのは酸化アルミニウムと製鉄に用いられる鉄とニオブの合金であるフェロニオブ(英語版)である。フェロニオブは60 - 70パーセントのニオブを含む。酸化鉄なしでは、アルミノテルミット反応はニオブの生産にも用いられる。超伝導合金の水準に達するためにはさらなる精錬が必要である。ニオブの2大供給業者が用いている方法は、真空下での電子ビーム溶解法(英語版)である。 2013年時点、ブラジルのCBMMが世界のニオブ生産の85パーセントを占める。アメリカ地質調査所は、ニオブの生産量は2005年の38,700トンから2006年の44,500トンへと増加したと推定している。世界のニオブ資源量は440万トンであると推計されている。1995年から2005年までの10年間では生産量は1995年の17,800トンから2倍以上に増加している。2009年から2011年まで年間生産量は63,000トンでほぼ安定していたが、2012年には50,000トンへと減少した。 CBMMは2019年の世界需要を前年比10%増の13万トンと推測している。2018年秋に中華人民共和国で棒鋼の品質基準が引き上げられ、強度を増すため添加されるニオブの需要が急増した。CBMMは、リチウムイオン電池の正極材や負極材向けとしてニオブの需要が今後拡大するという展望を示している(「用途」で後述)。 マラウイのケニカ鉱脈にもいくらか発見されている。 ニオブが商業的に初めて利用されたのは20世紀初めになってからであった。ニオブおよび、ニオブと鉄の合金(60-70パーセントがニオブ)であるフェロニオブ(英語版)の最大生産国はブラジルである。ニオブは主に合金として用いられ、ガスのパイプラインなどに用いられる特殊合金が最大の用途である。こうした合金は最大でも0.1パーセント程度のニオブを含有するだけであるが、このわずかなニオブにより鋼鉄の強度を増大させる。ニオブを含む超合金の温度安定性の高さから、ジェットエンジンやロケットエンジンといった用途が重要である。 ニオブは様々な超伝導材料に用いられる。こうした超伝導合金は、チタンやスズも含むものが、核磁気共鳴画像法 (MRI) の超伝導電磁石に広く用いられている。ニオブのその他の用途として、溶接、原子力産業、電子、光学、貨幣、宝飾といったものがある。貨幣と宝飾の用途では、毒性が低いことと、陽極酸化処理により虹色を呈することが、非常に望ましい特性として利用されている。 2006年に生産されたニオブ44,500トンのうち、推定で90パーセントは高級構造用鋼鉄の生産に用いられた。2番目の用途は超合金の生産である。ニオブ合金による超伝導体や電気部品などでのニオブ消費は、世界のニオブ総生産量のほんのわずかな部分を占めるに過ぎない。 ニオブは鋼鉄にマイクロアロイ(英語版)(少量を添加して性質改善を行う)を行う上で有用な材料であり、鋼材内では炭化ニオブや窒化ニオブを形成する。こうした化合物は細粒化を改善し、再結晶化と析出硬化を遅らせる。こうした効果により、硬度・強度・成形性・溶接性などを改善する。マイクロアロイを実施したステンレス鋼に含まれるニオブは少ないが(0.1パーセント以下)、現代の自動車に構造上広く用いられている高張力鋼にとって重要な添加剤である。 同様のニオブ合金は、パイプラインの建設にも用いられる。 多くのニオブがニッケル、コバルト、鉄をベースとした超合金に用いられており、その含有比率は6.5パーセントにも達する。ジェットエンジン部品、ガスタービン、ロケット部品、ターボチャージャー装置、耐熱部品、燃焼設備などに用いられる。ニオブは超合金の粒状組織内において、γ''相の硬化を促進する。 超合金の一例として、インコネル718があり、おおむね50パーセントのニッケル、18.6パーセントのクロム、18.5パーセントの鉄、5パーセントのニオブ、3.1パーセントのモリブデン、0.9パーセントのチタン、そして0.4パーセントのアルミニウムで構成されている。こうした超合金はたとえば、ジェミニ計画における先進的な機体システムなどで用いられた。ニオブの合金は他に、アポロ司令・機械船のノズルにも用いられた。ニオブは摂氏400度以上になると酸化されるため、こうした用途では合金が脆くならないように保護コーティングが必要となる。 C-103合金は1960年代初頭にワー・チャン(英語版)とボーイングが共同で開発した。デュポン、ユニオンカーバイド、ゼネラル・エレクトリック他数社が、冷戦と宇宙開発競争を背景としてニオブ合金(英語版)を同時期に開発していた。89パーセントのニオブ、10パーセントのハフニウム、1パーセントのチタンで構成されており、アポロ月着陸船のメインエンジンなど、液体燃料ロケットのスラスターノズルに使われている。 スペースXがファルコン9の上段用に開発したマーリン・バキュームシリーズのロケットエンジンのノズルはニオブ合金で作られている。 ニオブは、酸素との反応性のため、真空中または不活性気体中で加工する必要があり、生産の費用と難度を大きく上げる原因となっている。当時新規開発されていた真空アーク溶解(英語版)または電子ビーム溶解(英語版)により、ニオブやそのほか反応性の高い金属に関する開発が可能となった。C-103合金を開発したプロジェクトは1959年に始まり、ボタン状の金属を溶かして板金に圧延できる、256ものCシリーズ(おそらくコロンビウムの頭文字に由来する)の試作ニオブ合金を開発した。ワー・チャンは、原子力用ジルカロイを精製する過程で得られたハフニウムを在庫しており、これを商業用に利用したいと考えていた。Cシリーズ合金で103番目に試したニオブ89パーセント、ハフニウム10パーセント、チタン1パーセントの組み合わせが、成形性と高温特性の点で最適であった。ワー・チャンは1961年に、真空アーク溶解および電子ビーム溶解を用いて、最初のC-103合金500ポンド(約225キログラム)を製造し、インゴットから板金にした。意図されていた用途はガスタービンエンジンや液体金属用熱交換器であった。当時C-103に競合していたニオブ合金としては、ファンスティール冶金製のFS85(ニオブ61パーセント、タングステン10パーセント、タンタル28パーセント、ジルコニウム1パーセント)、ワー・チャンおよびボーイング製Cb129Y(ニオブ79.8パーセント、タングステン10パーセント、ハフニウム10パーセント、イットリウム0.2パーセント)、ユニオンカーバイド製Cb752(ニオブ87.5パーセント、タングステン10パーセント、ジルコニウム2.5パーセント)、およびスペリアー・チューブ製のニオブ99パーセント、ジルコニウム1パーセント合金であった。 ニオブゲルマニウム(英語版)、ニオブスズ、ニオブチタン(英語版)などの合金は、第二種超伝導体としてワイヤーにして超伝導電磁石を作るために用いられる。こうした超伝導電磁石は、核磁気共鳴画像法 (MRI)、核磁気共鳴 (NMR) 装置、加速器といった用途に用いられるたとえば、大型ハドロン衝突型加速器には600トンの超伝導撚線が用いられており、ITER(国際熱核融合実験炉)には推定で600トンのニオブスズの撚線と250トンのニオブチタンの撚線が用いられている。1992年だけで、ニオブチタンの巻線を使った病院用のMRI装置がアメリカドルにして10億ドル以上製造された。 自由電子レーザーのFLASH(英語版)(中止されたTESLA線形加速器プロジェクトの成果)やEuropean XFEL(英語版)に用いられている超伝導加速(英語版)空洞は、純粋なニオブで作られている。フェルミ国立加速器研究所のクライオモジュール(英語版)チームは、同じFLASHプロジェクトに由来する超伝導加速技術を利用して、純粋なニオブ製の1.3 GHz 9セル超伝導加速空洞を開発した。この装置は国際リニアコライダーの30キロメートルに及ぶ線形加速器でも用いられることになっている。同じ技術は、SLAC国立加速器研究所のLCLS-II計画、フェルミ研究所のPIP-II計画でも用いられることになっている。 超伝導窒化ニオブで作られたボロメータは高い感度を持っており、テラヘルツ周波数帯における電磁放射の理想的な検知器である。この検知器はハインリッヒ・ヘルツサブミリ波望遠鏡(英語版)、南極点望遠鏡、Receiver Lb Telescope、アタカマ・パスファインダー実験施設(英語版)などで試験され、ハーシェル宇宙望遠鏡に搭載されてHIFI観測機器に用いられた。 強誘電体であるニオブ酸リチウムは、携帯電話、光変調素子(英語版)、表面弾性波デバイスの製造などに広く用いられている。タンタル酸リチウムやチタン酸バリウムなどと同じように、ペロブスカイト構造を取る強誘電体に属する。ニオブコンデンサ(英語版)は、タンタルコンデンサ(英語版)の代替となりうるが、依然としてタンタルコンデンサが支配的である。高い屈折率を持つガラスを製造するためにニオブが添加され、眼鏡のレンズを薄く軽くすることができる。 ニオブおよびニオブの合金は、生理学的に不活性でアレルギーを起こしにくい。このため、人工装具や心臓ペースメーカーのような埋め込みデバイスに用いられる。水酸化ナトリウムで処理したニオブは多孔質層を形成し、オッセオインテグレーション(骨と金属の接合)に資する。 チタン、タンタル、アルミニウムなどと同様に、ニオブは熱して陽極酸化処理をすることができ、多彩な玉虫色を呈して宝飾用にすることができる。アレルギーを起こしにくい性質はこの点でも好ましいものとなっている。 ニオブは記念硬貨において、銀や金などとともに貴金属として利用される。たとえば、オーストリアは銀とニオブのユーロ硬貨のシリーズを2003年から開始し、その色は陽極酸化処理による薄い酸化層が光を回折して呈したものである。2012年には、硬貨の中央に青、緑、茶、紫、黄など様々な色を呈する10種類の硬貨が入手可能であった。さらに、2004年のオーストリアの25ユーロゼメリング鉄道150周年記念硬貨、2006年のオーストリアの25ユーロヨーロッパ測位衛星(ガリレオ)記念硬貨がある。オーストリアの造幣局は2004年開始の同様の硬貨シリーズをラトビア向けに製造しており、2007年にも1種類発行した。2011年にはカナダ造幣局が5ドルのスターリングシルバーとニオブの「ハンターズ・ムーン」という名前の硬貨を製造開始し、ニオブは選択的に酸化されているため、同じ硬貨が2つとないような独特の仕上げとなっている。 ナトリウムランプの高圧発光管の密封材はニオブで作られており、場合によっては1パーセントのジルコニウムを含んだ合金となっている。発光管は、動作中のランプ内に含まれる熱い液体ナトリウムや気体ナトリウムによる化学的な反応や還元に耐えられる半透明材料となる、焼結されたアルミナのセラミックスで作られ、ニオブはこれと非常によく似た熱膨張係数を持っている。 ニオブは、ある種の安定化ステンレス鋼に対するアーク溶接用の溶接棒として使われ、またある種の水タンクにおけるカソード防蝕システムの陽極側に用いられる。この際、タンクは通常白金でメッキされる。 ニオブは、プロパンの選択的酸化によりアクリル酸を生産する際に用いられる、高性能で不均一な触媒の重要な構成要素となる。 太陽探査機「パーカー・ソーラー・プローブ」のコロナ微粒子捕獲モジュールの高電圧ワイヤを作成するためにニオブが用いられている。 ニオブには生物学的な役割が見つかっていない。ニオブの細粉は目や肌に対する刺激物であり、また火災の危険もある。一方で、より大きなサイズの塊であれば、化学的に比較的安定で生体に対しても不活性である。また、生体に対してアレルギー反応を誘発しにくい。宝飾品によく用いられ、またある種の医学用の埋め込み物(インプラント)の試作もされてきた。 多くの人にとって、ニオブを含む化合物に接することはまれであるが、毒性のあるものもあり注意して取り扱う必要がある。水溶性の化学物質であるニオブ酸塩や塩化ニオブについて、短期および長期の暴露がラットで実験されている。塩化ニオブまたはニオブ酸塩を単回投与されたラットの半数致死量 (LD50) は10 - 100 mg/kgであった。経口投与では毒性はより弱く、ラットに対する実験では7日経過後のLD50は940 mg/kgであった。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ニオブ(英: niobium [naɪˈoʊbiəm] 独: Niob [niˈoːp, ˈniːɔp])は、原子番号41、元素記号Nbの元素である。かつてはコロンビウムと呼ばれていたこともあった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "レアメタルの一つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "柔らかく灰色で結晶質の延性のある遷移金属であり、パイロクロアやコルンブ石といった鉱物としてしばしば産出し、後者に由来してかつてはコロンビウムと呼ばれていたこともあった。ニオブという名前はギリシア神話に由来し、タンタルの語源となったタンタロスの娘であるニオベーから来ている。この名前は、タンタルとニオブが物理的・化学的に非常によく似ており、区別を付けづらいという特徴を反映したものである。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "イングランドの化学者チャールズ・ハチェットが1801年に、タンタルに似た新元素を報告し、コロンビウムと名付けた。1809年にやはりイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンが誤ってタンタルとコロンビウムは同じものであると結論付けた。ドイツの化学者ハインリヒ・ローゼは1846年に、タンタルの鉱石にはもう1つの元素を含んでいると判断し、これにニオブという名前を付けた。1864年および1865年に、一連の科学的発見によりニオブと、かつてコロンビウムと呼ばれていたものは同じ元素であることが明らかになり、それから1世紀ほどの間にわたってニオブとコロンビウムという名前はどちらも同じものを指す言葉として使われてきた。1949年にニオブという名前が公式にこの元素の名前として採用されたが、その後もアメリカ合衆国では鉱業の分野において依然としてコロンビウムという名前が残っている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "コロンビウム(元素記号Cb)は、1801年に初めてニオブが発見された際にハチェットが与えた名前であった。この名前は、発見に用いられた鉱石標本がアメリカ(コロンビア)から送られたことにちなんだものであった。アメリカの論文誌ではこの名前が使われ続け、アメリカ化学会がコロンビウムという名前をタイトルに含む最後の論文を公表したのは1953年のことであった。一方、ヨーロッパではニオブという名前が使われていた。この混乱を終わらせるために、1949年にアムステルダムで開かれた第15回化学連合会議において41番元素の名前としてニオブが選択された。歴史的にはコロンビウムという名前の方が先に用いられていたにもかかわらず、この翌年、100年間にわたる論争を経て、国際純正・応用化学連合 (IUPAC) により正式にニオブという名前が採択された。これはある種の妥協であり、IUPACは、ウォルフラムという名前より北アメリカで使用されているタングステンという名前を採用した代わりに、コロンビウムという名前よりヨーロッパで使用されているニオブという名前を採用した。アメリカ合衆国の多くの化学関連組織や政府組織では公式のIUPAC名を使用しているが、一部の冶金関係者や金属関連組織では依然としてアメリカの名前であるコロンビウムを使っている。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ニオブはイングランドの化学者チャールズ・ハチェットにより、1801年に発見された。ハチェットは、1734年にジョン・ウィンスロップがイングランドにアメリカ合衆国のコネチカット州から送ったサンプルの鉱物から新元素を発見し、アメリカ合衆国の詩的な名前であるコロンビアにちなみ、この鉱物をコルンブ石、新しい元素をコロンビウムと名付けた。ハチェットが発見したコロンビウムは、おそらく新元素とタンタルの混合物であったと思われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "その後、コロンビウムと、それによく似たタンタルの違いについて、かなりの混乱があった。1809年にイングランドの化学者ウイリアム・ウォラストンはコロンビウムの酸化物であるコルンブ石の密度(5.918 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"マリニャックは1864年に、水素雰囲気中でニオブの塩化物を熱して還元することにより初めてニオブの金属形態を得た。マリニャックは1866年にはタンタルを含まないニオブを大規模に得ることに成功していたが、ニオブが初めて商業的な用途に用いられたのは、20世紀初めになってからのことで、白熱電球のフィラメントとして用いられた。しかしこのニオブの用途は、より高い融点を持つタングステンによってすぐに代替され、時代遅れのものとなってしまった。鋼鉄の強度をニオブが改善することは1920年代になって初めて発見され、それ以来この用途が最大の用途であり続けている。1961年にアメリカの物理学者ユージーン・クンツラーとベル研究所の共同研究者らは、ニオブスズが大きな電流や強い磁場の中でも超伝導を維持できることを発見し、強力な磁石や大出力電気機械に必要とされる大きな電流や磁束に耐えられる初めての材料となった。この発見により20年後、回転機や粒子加速器、粒子検知器といった用途に用いられる大規模で強力な電磁石用のコイルを製作できる長い巻線を製造できるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ニオブは光沢のある灰色で、展延性があり、常磁性を持った周期表の第5族に属する金属であり、最外殻電子の配置は第5族としては変則的なものである(これは周期表上近傍にあるルテニウム (44)、ロジウム (45)、パラジウム (46) などに共通である)。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "絶対零度から融点まで、体心立方格子構造を取ると考えられているものの、3結晶軸に沿った熱膨張の高解像度測定によれば、立方構造とは矛盾する異方性があることを明らかにしている。そのため、この分野でのさらなる研究と発見が期待されている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ニオブはごく低温において超伝導になる。大気圧では、元素の超伝導体としては最も高い臨界温度である9.2ケルビンで超伝導となる。ニオブは全ての元素の中で最大の磁場侵入長を持つ。これに加えて、バナジウムおよびテクネチウムと並んで、3つだけ存在する元素の第二種超伝導体でもある。超伝導特性は、金属ニオブの純粋度に強く依存している。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "非常に純度が高い金属ニオブは比較的柔らかく展延性があるが、不純物の存在により硬くなる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "金属ニオブは、熱中性子の捕獲断面積が小さい。そのため原子力産業において、中性子に透過的な構造が必要な場合に用いられる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ニオブは、室温で長期間空気にさらされると、青味がかった色を呈する。元素としては高い融点(摂氏2,468度)を持つにもかかわらず、他の耐火金属に比べると密度が小さい。また、腐食耐性が高く、超伝導特性があり、誘電酸化物層を形成する。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ニオブは、原子番号が1つ小さいジルコニウムに比べるとわずかに陽性度が小さくよりコンパクトであるが、一方重いタンタルと比べると、ランタノイド収縮の結果ほとんど同じ大きさである。結果として、ニオブの化学的特性は、周期表上でニオブの直下にあるタンタルととてもよく似ている。ニオブの腐食耐性はタンタルほど優れているわけではないが、価格が安く豊富に入手可能であることから、化学工場におけるタンクの内張りなど、あまり厳しい要求ではない用途にはニオブが向いている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "地球の地殻に含まれるニオブの安定同位体は、Nbのみである。2003年までに、少なくとも32の放射性同位体が合成されており、その原子量は81から113に及ぶ。放射性同位体の中で最も安定なものはNbで、その半減期は3470万年に達する。不安定な同位体としてはNbがあり、その推定半減期は30ミリ秒である。安定同位体のNbより軽い同位体は陽電子放出で崩壊する傾向にあり、安定同位体より重い同位体はベータ崩壊をする傾向にあるが、Nb、Nb、Nbは遅延陽子放出の崩壊系列を持ち、Nbは電子捕獲と陽電子放出し、Nbは陽電子放出とベータ崩壊の両方の崩壊をするという例外がある。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "少なくとも25種類の核異性体が確認されており、その原子量は84から104に及ぶ。この範囲で、Nb、Nb、Nbは核異性体を持たない。ニオブの核異性体の中で最も安定なものはNbで、半減期16.13年を持つ。最も不安定な核異性体はNbで、半減期103ナノ秒を持つ。ニオブの核異性体は全て核異性体転移またはベータ崩壊で崩壊するが、例外としてNbは電子捕獲という系列を持つ。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ニオブは多くの点でタンタルやジルコニウムに類似している。高温ではほとんどの非金属と反応する。フッ素とは室温で、塩素および水素とは摂氏200度で、窒素とは摂氏400度で反応し、得られる化合物は多くが侵入型で不定比である。大気中では摂氏200度で酸化し始める。王水、塩酸、硫酸、硝酸、リン酸など、アルカリや酸による腐食に耐える。フッ化水素酸およびフッ化水素酸と硝酸の混合物には腐食される。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ニオブの酸化数は+5から-1までの全てを取りうるが、ニオブの化合物のほとんどではニオブの酸化数は+5を取る。特徴として、+5より小さな酸化数を取る化合物ではニオブ-ニオブ結合を示す。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ニオブの酸化物は酸化数+5(Nb2O5)、+4(NbO2)、+3(Nb2O3)、そして珍しい酸化数として+2(NbO)がある。最も一般的な酸化物は五酸化ニオブで、ほとんどのニオブの化合物や合金の前駆体となる。ニオブ酸塩は、五酸化物を水酸化物イオンの溶液に溶かすか、アルカリ金属の酸化物に溶融させることで得られる。例としてニオブ酸リチウム(LiNbO3)やニオブ酸ランタン(LaNbO4)がある。ニオブ酸リチウムは三角形に歪められたペロブスカイト構造のような構造で、一方ニオブ酸ランタンは孤立したNbO3−4イオンを持つ。層状の硫化ニオブ (NbS2) も知られている。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "摂氏350度以上でニオブ(V)エトキシド(英語版)を熱分解して、化学気相成長または原子層堆積により酸化ニオブの薄膜で材料をコーティングすることができる。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ニオブは、酸化数+5および+4で、様々な不定比化合物としてハロゲン化物を形成する。五ハロゲン化ニオブ (NbX5) は八面体の中心にニオブが配置される構造を特徴とする。五フッ化ニオブ (NbF5) は融点が摂氏79度の白い固体である。五塩化ニオブ(英語版) (NbCl5) は融点が摂氏203.4度の黄色い固体である。どちらも加水分解されて酸化物またはNbOCl3のようなオキシハロゲン化物を与える。五塩化ニオブは、二塩化ニオボセン ((C5H5)2NbCl2) のような有機金属化合物を生成するために使われる多用途の試薬である。四ハロゲン化物 (NbX4) はNb-Nb結合を有する暗色のポリマーであり、たとえば黒く吸湿性のある四フッ化ニオブ(英語版) (NbF4) や、茶色の四塩化ニオブ(英語版) (NbCl4) がある。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ニオブのハロゲン化物の陰イオンは、五ハロゲン化物のルイスの酸性度も部分的に手伝って、よく知られている。最も重要なものは [NbF7] で、鉱石からニオブとタンタルを分離する過程の途中物質である。この七フッ化物は、タンタル化合物よりも容易にオキソペンタフルオライドを形成する傾向がある。その他のハロゲン化物の錯体としては八面体状の[NbCl6]などがある。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "原子番号の小さな他の金属と同様に、多くの還元ハロゲン化物のクラスターイオンが知られており、主な例としては[Nb6Cl18]がある。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "他に二元化合物として、低温で超伝導体となり、また赤外線検知器として用いられる窒化ニオブ (NbN) がある。主な炭化ニオブ(英語版)はNbCで、非常に硬く耐熱性のあるセラミックス材料であり、商業的には切削加工のバイトに用いられる。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ニオブは地球の地殻における存在量で34番目の元素であるとされており、およそ20 ppm含まれているとされる。地球全体での存在度はより大きいと考えている者もおり、ニオブの高い密度のために地球のコアに濃縮されているとしている。ニオブの単体は自然界では発見されておらず、他の元素と化合して鉱物中に含まれている。ニオブを含む鉱物は、タンタルも含んでいることが多い。たとえば、コルンブ石 ((Fe,Mn)(Nb,Ta)2O6) やコルタン ((Fe,Mn)(Ta,Nb)2O6) といったものがある。コルンブ石、タンタル石といった鉱物(最も一般的な種類はコルンブ石-(Fe)またはタンタル石-(Fe))は、ペグマタイトの貫入やアルカリ性貫入岩の随伴鉱物として見つかることが最も多い。カルシウム、ウラン、希土類元素といったもののニオブ酸塩としても見つかる。こうしたニオブ酸塩の例としてはパイロクロア ((Na,Ca)2Nb2O6(OH,F)) (現在ではグループに与えられた名前となっており、その中で一般的なものはフルオロカルシオパイクロア)、ユークセン石(英語版)(正確にはユークセン石-(Y))((Y,Ca,Ce,U,Th)(Nb,Ta,Ti)2O6) といったものがある。ニオブの大規模な鉱脈は、パイロクロアの構成物として、カーボナタイト(炭酸塩-ケイ酸塩火成岩)に関連して発見される。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "現時点で採掘されているパイロクロアの3大鉱床は、2つがブラジルに、1つがカナダにあり、どれも1950年代に発見され、なおもニオブ鉱石の主な供給源となっている。最大の鉱床は、ブラジルのミナスジェライス州アラシャにあり、カーボナタイトの貫入物に随伴したもので、CBMM(ブラジル冶金鉱業会社)が保有している。もう1つのブラジルの採掘中鉱床はゴイアス州カタラン近郊にあり、やはりカーボナタイト貫入物に伴うもので、洛陽欒川モリブデン(中国語版)が保有している。これら2つの鉱床で、世界全体の供給のおよそ88パーセントを生産している。ブラジルにはほかにも、アマゾナス州サン・ガブリエウ・ダ・カショエイラ(ポルトガル語版)近郊に大規模だが未採掘の鉱床があり、ロライマ州にあるものなど、より小規模な鉱床もいくつかある。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ニオブの3番目の供給源は、カナダのケベック州チクーチミ(英語版)近郊サントノーレ(英語版)にあるニオベック鉱山で、やはりカーボナタイトに伴うもので、マグリス・リソーシズが保有している。この鉱山では、世界全体の供給の7パーセントから10パーセント程度を生産している。", "title": "存在" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "他の鉱石の分離処理を行うと、タンタル(五酸化タンタル Ta2O5)とニオブ(五酸化ニオブ Nb2O5)の酸化物の混合物が得られる。抽出処理の最初の段階は、この酸化物をフッ化水素酸と反応させることである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ジャン・マリニャックが開発した最初の工業的分離処理では、ニオブのフッ化物の錯体(フッ化ニオブ酸カリウム一水和物 K2[NbOF5]·H2O)とタンタルのフッ化物の錯体(フッ化タンタル酸カリウム K2[TaF7])の水への溶解度の差を利用していた。新しい処理方法では、フッ化物を水溶液からシクロヘキサノンのような有機溶媒へ取り出す液液抽出を利用する。ニオブとタンタルのフッ化物の錯体は、この有機溶媒から水に別々に抽出され、フッ化カリウムを加えてフッ化カリウムの錯体を形成して沈殿させるか、アンモニアを加えて五酸化物として沈殿させる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "または:", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "還元して金属ニオブを得る方法としてはいくつかのものがある。フッ化ニオブ酸カリウム K2[NbOF5]と塩化ナトリウムの溶融塩を電気分解する方法、ナトリウムを使ってフッ化物を還元する方法などがある。この方法では比較的高い純度のニオブを得ることができる。大規模な生産では、五酸化ニオブ Nb2O5 は水素または炭素を用いて還元される。アルミノテルミット反応(英語版)では、鉄の酸化物とニオブの酸化物の混合物をアルミニウムと反応させる:", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この反応を促進させるために硝酸ナトリウムのような少量の酸化剤が添加される。得られるのは酸化アルミニウムと製鉄に用いられる鉄とニオブの合金であるフェロニオブ(英語版)である。フェロニオブは60 - 70パーセントのニオブを含む。酸化鉄なしでは、アルミノテルミット反応はニオブの生産にも用いられる。超伝導合金の水準に達するためにはさらなる精錬が必要である。ニオブの2大供給業者が用いている方法は、真空下での電子ビーム溶解法(英語版)である。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2013年時点、ブラジルのCBMMが世界のニオブ生産の85パーセントを占める。アメリカ地質調査所は、ニオブの生産量は2005年の38,700トンから2006年の44,500トンへと増加したと推定している。世界のニオブ資源量は440万トンであると推計されている。1995年から2005年までの10年間では生産量は1995年の17,800トンから2倍以上に増加している。2009年から2011年まで年間生産量は63,000トンでほぼ安定していたが、2012年には50,000トンへと減少した。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "CBMMは2019年の世界需要を前年比10%増の13万トンと推測している。2018年秋に中華人民共和国で棒鋼の品質基準が引き上げられ、強度を増すため添加されるニオブの需要が急増した。CBMMは、リチウムイオン電池の正極材や負極材向けとしてニオブの需要が今後拡大するという展望を示している(「用途」で後述)。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "マラウイのケニカ鉱脈にもいくらか発見されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ニオブが商業的に初めて利用されたのは20世紀初めになってからであった。ニオブおよび、ニオブと鉄の合金(60-70パーセントがニオブ)であるフェロニオブ(英語版)の最大生産国はブラジルである。ニオブは主に合金として用いられ、ガスのパイプラインなどに用いられる特殊合金が最大の用途である。こうした合金は最大でも0.1パーセント程度のニオブを含有するだけであるが、このわずかなニオブにより鋼鉄の強度を増大させる。ニオブを含む超合金の温度安定性の高さから、ジェットエンジンやロケットエンジンといった用途が重要である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ニオブは様々な超伝導材料に用いられる。こうした超伝導合金は、チタンやスズも含むものが、核磁気共鳴画像法 (MRI) の超伝導電磁石に広く用いられている。ニオブのその他の用途として、溶接、原子力産業、電子、光学、貨幣、宝飾といったものがある。貨幣と宝飾の用途では、毒性が低いことと、陽極酸化処理により虹色を呈することが、非常に望ましい特性として利用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2006年に生産されたニオブ44,500トンのうち、推定で90パーセントは高級構造用鋼鉄の生産に用いられた。2番目の用途は超合金の生産である。ニオブ合金による超伝導体や電気部品などでのニオブ消費は、世界のニオブ総生産量のほんのわずかな部分を占めるに過ぎない。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ニオブは鋼鉄にマイクロアロイ(英語版)(少量を添加して性質改善を行う)を行う上で有用な材料であり、鋼材内では炭化ニオブや窒化ニオブを形成する。こうした化合物は細粒化を改善し、再結晶化と析出硬化を遅らせる。こうした効果により、硬度・強度・成形性・溶接性などを改善する。マイクロアロイを実施したステンレス鋼に含まれるニオブは少ないが(0.1パーセント以下)、現代の自動車に構造上広く用いられている高張力鋼にとって重要な添加剤である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "同様のニオブ合金は、パイプラインの建設にも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "多くのニオブがニッケル、コバルト、鉄をベースとした超合金に用いられており、その含有比率は6.5パーセントにも達する。ジェットエンジン部品、ガスタービン、ロケット部品、ターボチャージャー装置、耐熱部品、燃焼設備などに用いられる。ニオブは超合金の粒状組織内において、γ''相の硬化を促進する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "超合金の一例として、インコネル718があり、おおむね50パーセントのニッケル、18.6パーセントのクロム、18.5パーセントの鉄、5パーセントのニオブ、3.1パーセントのモリブデン、0.9パーセントのチタン、そして0.4パーセントのアルミニウムで構成されている。こうした超合金はたとえば、ジェミニ計画における先進的な機体システムなどで用いられた。ニオブの合金は他に、アポロ司令・機械船のノズルにも用いられた。ニオブは摂氏400度以上になると酸化されるため、こうした用途では合金が脆くならないように保護コーティングが必要となる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "C-103合金は1960年代初頭にワー・チャン(英語版)とボーイングが共同で開発した。デュポン、ユニオンカーバイド、ゼネラル・エレクトリック他数社が、冷戦と宇宙開発競争を背景としてニオブ合金(英語版)を同時期に開発していた。89パーセントのニオブ、10パーセントのハフニウム、1パーセントのチタンで構成されており、アポロ月着陸船のメインエンジンなど、液体燃料ロケットのスラスターノズルに使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "スペースXがファルコン9の上段用に開発したマーリン・バキュームシリーズのロケットエンジンのノズルはニオブ合金で作られている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ニオブは、酸素との反応性のため、真空中または不活性気体中で加工する必要があり、生産の費用と難度を大きく上げる原因となっている。当時新規開発されていた真空アーク溶解(英語版)または電子ビーム溶解(英語版)により、ニオブやそのほか反応性の高い金属に関する開発が可能となった。C-103合金を開発したプロジェクトは1959年に始まり、ボタン状の金属を溶かして板金に圧延できる、256ものCシリーズ(おそらくコロンビウムの頭文字に由来する)の試作ニオブ合金を開発した。ワー・チャンは、原子力用ジルカロイを精製する過程で得られたハフニウムを在庫しており、これを商業用に利用したいと考えていた。Cシリーズ合金で103番目に試したニオブ89パーセント、ハフニウム10パーセント、チタン1パーセントの組み合わせが、成形性と高温特性の点で最適であった。ワー・チャンは1961年に、真空アーク溶解および電子ビーム溶解を用いて、最初のC-103合金500ポンド(約225キログラム)を製造し、インゴットから板金にした。意図されていた用途はガスタービンエンジンや液体金属用熱交換器であった。当時C-103に競合していたニオブ合金としては、ファンスティール冶金製のFS85(ニオブ61パーセント、タングステン10パーセント、タンタル28パーセント、ジルコニウム1パーセント)、ワー・チャンおよびボーイング製Cb129Y(ニオブ79.8パーセント、タングステン10パーセント、ハフニウム10パーセント、イットリウム0.2パーセント)、ユニオンカーバイド製Cb752(ニオブ87.5パーセント、タングステン10パーセント、ジルコニウム2.5パーセント)、およびスペリアー・チューブ製のニオブ99パーセント、ジルコニウム1パーセント合金であった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ニオブゲルマニウム(英語版)、ニオブスズ、ニオブチタン(英語版)などの合金は、第二種超伝導体としてワイヤーにして超伝導電磁石を作るために用いられる。こうした超伝導電磁石は、核磁気共鳴画像法 (MRI)、核磁気共鳴 (NMR) 装置、加速器といった用途に用いられるたとえば、大型ハドロン衝突型加速器には600トンの超伝導撚線が用いられており、ITER(国際熱核融合実験炉)には推定で600トンのニオブスズの撚線と250トンのニオブチタンの撚線が用いられている。1992年だけで、ニオブチタンの巻線を使った病院用のMRI装置がアメリカドルにして10億ドル以上製造された。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "自由電子レーザーのFLASH(英語版)(中止されたTESLA線形加速器プロジェクトの成果)やEuropean XFEL(英語版)に用いられている超伝導加速(英語版)空洞は、純粋なニオブで作られている。フェルミ国立加速器研究所のクライオモジュール(英語版)チームは、同じFLASHプロジェクトに由来する超伝導加速技術を利用して、純粋なニオブ製の1.3 GHz 9セル超伝導加速空洞を開発した。この装置は国際リニアコライダーの30キロメートルに及ぶ線形加速器でも用いられることになっている。同じ技術は、SLAC国立加速器研究所のLCLS-II計画、フェルミ研究所のPIP-II計画でも用いられることになっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "超伝導窒化ニオブで作られたボロメータは高い感度を持っており、テラヘルツ周波数帯における電磁放射の理想的な検知器である。この検知器はハインリッヒ・ヘルツサブミリ波望遠鏡(英語版)、南極点望遠鏡、Receiver Lb Telescope、アタカマ・パスファインダー実験施設(英語版)などで試験され、ハーシェル宇宙望遠鏡に搭載されてHIFI観測機器に用いられた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "強誘電体であるニオブ酸リチウムは、携帯電話、光変調素子(英語版)、表面弾性波デバイスの製造などに広く用いられている。タンタル酸リチウムやチタン酸バリウムなどと同じように、ペロブスカイト構造を取る強誘電体に属する。ニオブコンデンサ(英語版)は、タンタルコンデンサ(英語版)の代替となりうるが、依然としてタンタルコンデンサが支配的である。高い屈折率を持つガラスを製造するためにニオブが添加され、眼鏡のレンズを薄く軽くすることができる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ニオブおよびニオブの合金は、生理学的に不活性でアレルギーを起こしにくい。このため、人工装具や心臓ペースメーカーのような埋め込みデバイスに用いられる。水酸化ナトリウムで処理したニオブは多孔質層を形成し、オッセオインテグレーション(骨と金属の接合)に資する。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "チタン、タンタル、アルミニウムなどと同様に、ニオブは熱して陽極酸化処理をすることができ、多彩な玉虫色を呈して宝飾用にすることができる。アレルギーを起こしにくい性質はこの点でも好ましいものとなっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ニオブは記念硬貨において、銀や金などとともに貴金属として利用される。たとえば、オーストリアは銀とニオブのユーロ硬貨のシリーズを2003年から開始し、その色は陽極酸化処理による薄い酸化層が光を回折して呈したものである。2012年には、硬貨の中央に青、緑、茶、紫、黄など様々な色を呈する10種類の硬貨が入手可能であった。さらに、2004年のオーストリアの25ユーロゼメリング鉄道150周年記念硬貨、2006年のオーストリアの25ユーロヨーロッパ測位衛星(ガリレオ)記念硬貨がある。オーストリアの造幣局は2004年開始の同様の硬貨シリーズをラトビア向けに製造しており、2007年にも1種類発行した。2011年にはカナダ造幣局が5ドルのスターリングシルバーとニオブの「ハンターズ・ムーン」という名前の硬貨を製造開始し、ニオブは選択的に酸化されているため、同じ硬貨が2つとないような独特の仕上げとなっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "ナトリウムランプの高圧発光管の密封材はニオブで作られており、場合によっては1パーセントのジルコニウムを含んだ合金となっている。発光管は、動作中のランプ内に含まれる熱い液体ナトリウムや気体ナトリウムによる化学的な反応や還元に耐えられる半透明材料となる、焼結されたアルミナのセラミックスで作られ、ニオブはこれと非常によく似た熱膨張係数を持っている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ニオブは、ある種の安定化ステンレス鋼に対するアーク溶接用の溶接棒として使われ、またある種の水タンクにおけるカソード防蝕システムの陽極側に用いられる。この際、タンクは通常白金でメッキされる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "ニオブは、プロパンの選択的酸化によりアクリル酸を生産する際に用いられる、高性能で不均一な触媒の重要な構成要素となる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "太陽探査機「パーカー・ソーラー・プローブ」のコロナ微粒子捕獲モジュールの高電圧ワイヤを作成するためにニオブが用いられている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ニオブには生物学的な役割が見つかっていない。ニオブの細粉は目や肌に対する刺激物であり、また火災の危険もある。一方で、より大きなサイズの塊であれば、化学的に比較的安定で生体に対しても不活性である。また、生体に対してアレルギー反応を誘発しにくい。宝飾品によく用いられ、またある種の医学用の埋め込み物(インプラント)の試作もされてきた。", "title": "人体への影響" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "多くの人にとって、ニオブを含む化合物に接することはまれであるが、毒性のあるものもあり注意して取り扱う必要がある。水溶性の化学物質であるニオブ酸塩や塩化ニオブについて、短期および長期の暴露がラットで実験されている。塩化ニオブまたはニオブ酸塩を単回投与されたラットの半数致死量 (LD50) は10 - 100 mg/kgであった。経口投与では毒性はより弱く、ラットに対する実験では7日経過後のLD50は940 mg/kgであった。", "title": "人体への影響" } ]
ニオブは、原子番号41、元素記号Nbの元素である。かつてはコロンビウムと呼ばれていたこともあった。 レアメタルの一つ。
{{Elementbox |name=niobium |japanese name=ニオブ |pronounce={{IPAc-en|n|aɪ|ˈ|oʊ|b|i|əm}} {{Respell|nye|OH|bee-əm}};<br>alternatively, {{IPAc-en|k|ə|ˈ|l|ʌ|m|b|i|əm}} {{Respell|kə|LUM|bee-əm}} |number=41 |symbol=Nb |left=[[ジルコニウム]] |right=[[モリブデン]] |above=[[バナジウム|V]] |below=[[タンタル|Ta]] |series=遷移金属 |group=5 |period=5 |block=d |image name=Niobium_crystals_and_1cm3_cube.jpg |image alt=A lump of gray shining crystals with hexagonal facetting |appearance=銀白色 |atomic mass=92.90638 |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 4d<sup>4</sup> 5s<sup>1</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 12, 1 |phase=固体 |density gpcm3nrt=8.57<ref name="SAKURAI_118_p217">{{Citation|和書|editor=桜井 弘|title=元素118の新知識|page=217|publisher=[[講談社]]|series=[[ブルーバックス]] B2028|publication-date=2017-8-20|isbn=978-4-06-502028-9}}</ref> |density gpcm3mp=7.83(融点、液体)<ref name="SAKURAI_118_p217" /> |melting point K=2741<ref name="SAKURAI_118_p217" /> |melting point C=2468<ref name="SAKURAI_118_p217" /> |boiling point K=5015<ref name="SAKURAI_118_p217" /> |boiling point C=4742<ref name="SAKURAI_118_p217" /> |heat fusion=30 |heat vaporization=689.9 |heat capacity=24.60 |vapor pressure 1=2942 |vapor pressure 10=3207 |vapor pressure 100=3524 |vapor pressure 1 k=3910 |vapor pressure 10 k=4393 |vapor pressure 100 k=5013 |vapor pressure comment= |crystal structure=body-centered cubic |japanese crystal structure=[[体心立方]] |oxidation states='''5''', 4, 3, 2, -1(弱[[酸性酸化物]]) |electronegativity=1.6 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=652.1 |2nd ionization energy=1380 |3rd ionization energy=2416 |atomic radius=[[1 E-10 m|146]] |covalent radius=[[1 E-10 m|164±6]] |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity at 0=152 n |thermal conductivity=53.7 |thermal expansion=7.3 |speed of sound rod at 20=3480 |Young's modulus=105 |Shear modulus=38 |Bulk modulus=170 |Poisson ratio=0.40 |Mohs hardness=6.0 |Vickers hardness=1320 |Brinell hardness=736 |CAS number=7440-03-1 |isotopes={{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ニオブ91|91]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E10 s|6.8×10<sup>2</sup> y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=- | pn=[[ジルコニウム91|91]] | ps=[[ジルコニウム|Zr]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ニオブ91m|91m]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|60.86 d]] | dm=[[核異性体転移|IT]] | de=0.104 [[内部転換電子|e]] | pn=[[ニオブ91|91]] | ps=Nb}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ニオブ92|92]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E15 s|3.47×10<sup>7</sup> y]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[ジルコニウム92|92]] | ps1=[[ジルコニウム|Zr]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.561, 0.934 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ニオブ92m|92m]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|10.15 d]] | dm1=[[電子捕獲|ε]] | de1=- | pn1=[[ジルコニウム92|92]] | ps1=[[ジルコニウム|Zr]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2= 0.934 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ニオブ93|93]] | sym=Nb | na=100% | n=52}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ニオブ93m|93m]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E8 s|16.13 y]] | dm=[[核異性体転移|IT]] | de=0.031 [[内部転換電子|e]] | pn=93 | ps=Nb}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ニオブ94|94]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E11 s|2.03×10<sup>4</sup> y]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de1=0.471 | pn1=[[モリブデン94|94]] | ps1=[[モリブデン|Mo]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.702, 0.871 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay2 | mn=[[ニオブ95|95]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E6 s|34.991 d]] | dm1=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de1=0.159 | pn1=[[モリブデン95|95]] | ps1=[[モリブデン|Mo]] | dm2=[[ガンマ崩壊|γ]] | de2=0.765 | pn2= | ps2=-}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ニオブ95m|95m]] | sym=Nb | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E5 s|3.61 d]] | dm=[[核異性体転移|IT]] | de=0.235 | pn=[[ニオブ95|95]] | ps=Nb}} |isotopes comment= }} '''ニオブ'''({{lang-en-short|niobium}} {{IPA-en|naɪˈoʊbiəm|}} {{lang-de-short|Niob}} {{IPA-de|niˈoːp, ˈniːɔp|}})は、[[原子番号]]41、[[元素記号]]'''Nb'''の[[元素]]である。かつては'''コロンビウム'''と呼ばれていたこともあった。 [[レアメタル]]の一つ<ref name="日経20191017">[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50886420R11C19A0QM8000/ レアメタルのニオブ 世界最大手のCBMM社 リカルド・リマ副社長 電池向け需要に期待/EV普及にらみ生産拡張]『[[日本経済新聞]]』朝刊2019年10月17日(マーケット商品面)2019年10月22日閲覧</ref>。 == 名称 == 柔らかく灰色で結晶質の延性のある[[遷移金属]]であり、[[パイロクロア]]や[[コルンブ石]]といった鉱物としてしばしば産出し、後者に由来してかつては'''コロンビウム'''と呼ばれていたこともあった。ニオブという名前は[[ギリシア神話]]に由来し、[[タンタル]]の語源となった[[タンタロス]]の娘である[[ニオベー]]から来ている。この名前は、タンタルとニオブが物理的・化学的に非常によく似ており、区別を付けづらいという特徴を反映したものである<ref>Knapp, Brian (2002). ''Francium to Polonium''. Atlantic Europe Publishing Company, p. 40. {{ISBN2|0717256774}}.</ref>。 [[イングランド]]の化学者[[チャールズ・ハチェット]]が1801年に、タンタルに似た新元素を報告し、コロンビウムと名付けた。1809年にやはりイングランドの化学者[[ウイリアム・ウォラストン]]が誤ってタンタルとコロンビウムは同じものであると結論付けた。[[ドイツ]]の化学者[[ハインリヒ・ローゼ]]は1846年に、タンタルの[[鉱石]]にはもう1つの元素を含んでいると判断し、これにニオブという名前を付けた。1864年および1865年に、一連の科学的発見によりニオブと、かつてコロンビウムと呼ばれていたものは同じ元素であることが明らかになり、それから1世紀ほどの間にわたってニオブとコロンビウムという名前はどちらも同じものを指す言葉として使われてきた。1949年にニオブという名前が公式にこの元素の名前として採用されたが、その後も[[アメリカ合衆国]]では[[鉱業]]の分野において依然としてコロンビウムという名前が残っている。 コロンビウム(元素記号Cb)<ref>{{cite journal|title = Reaction of Tantalum, Columbium and Vanadium with Iodine|first = F.|last = Kòrösy|journal = Journal of the American Chemical Society|date = 1939|volume = 61|issue = 4|pages = 838–843|doi = 10.1021/ja01873a018}}</ref>は、1801年に初めてニオブが発見された際にハチェットが与えた名前であった<ref name="Hatchett_1802b"/>。この名前は、発見に用いられた鉱石[[標本]]がアメリカ([[コロンビア (古名)|コロンビア]])から送られたことにちなんだものであった<ref name="Nicholson_1809">{{Citation |editor-last=Nicholson |editor-first=William |year=1809 |title=The British Encyclopedia: Or, Dictionary of Arts and Sciences, Comprising an Accurate and Popular View of the Present Improved State of Human Knowledge |volume=2 |publisher=Longman, Hurst, Rees, and Orme |pages=284 |url=https://books.google.com/books?id=SzUPAQAAIAAJ&pg=PP284#v=onepage&f=false |postscript=.}}</ref>。アメリカの論文誌ではこの名前が使われ続け、[[アメリカ化学会]]がコロンビウムという名前をタイトルに含む最後の論文を公表したのは1953年のことであった。一方、[[ヨーロッパ]]ではニオブという名前が使われていた<ref>{{cite journal|title = Photometric Determination of Columbium, Tungsten, and Tantalum in Stainless Steels|author=Ikenberry, L.|author2=Martin, J. L.|author3=Boyer, W. J.|journal = Analytical Chemistry |date = 1953|volume = 25|issue =9|pages = 1340–1344|doi = 10.1021/ac60081a011}}</ref>。この混乱を終わらせるために、1949年に[[アムステルダム]]で開かれた第15回化学連合会議において41番元素の名前としてニオブが選択された<ref name="Contro">{{cite journal |first = Geoff|last = Rayner-Canham|author2=Zheng, Zheng |title = Naming elements after scientists: an account of a controversy|journal = Foundations of Chemistry|volume = 10|issue = 1|date = 2008|doi = 10.1007/s10698-007-9042-1|pages = 13–18}}</ref>。歴史的にはコロンビウムという名前の方が先に用いられていたにもかかわらず、この翌年、100年間にわたる論争を経て、[[国際純正・応用化学連合]] (IUPAC) により正式にニオブという名前が採択された<ref name="Contro" />。これはある種の妥協であり<ref name="Contro" />、IUPACは、ウォルフラムという名前より[[北アメリカ]]で使用されている[[タングステン]]という名前を採用した代わりに、コロンビウムという名前よりヨーロッパで使用されているニオブという名前を採用した。アメリカ合衆国の多くの化学関連組織や政府組織では公式のIUPAC名を使用しているが、一部の[[冶金]]関係者や金属関連組織では依然としてアメリカの名前であるコロンビウムを使っている<ref>{{cite journal|journal = Science|date = 1914|title = Columbium Versus Niobium|pages = 139–140|first = F. W.|last = Clarke|jstor = 1640945|volume = 39|issue = 995|doi = 10.1126/science.39.995.139|pmid = 17780662|bibcode = 1914Sci....39..139C }}</ref><ref name="patel" /><ref name="Gree">{{cite journal|journal = Catalysis Today|date = 2003|title = Vanadium to dubnium: from confusion through clarity to complexity|pages = 5–11|last = Norman N.|first = Greenwood|doi = 10.1016/S0920-5861(02)00318-8 |volume = 78|issue = 1–4}}</ref>。 == 歴史 == [[File:Charles Hatchett.jpg|thumb|left|[[チャールズ・ハチェット]]は、アメリカ合衆国[[コネチカット州]]産の鉱物からコロンビウムを発見した。]] [[File:Sommer, Giorgio (1834-1914) - n. 2990 - Niobe madre - Firenze.jpg|left|thumb|{{仮リンク|ジョルジョ・ゾンマー|en|Giorgio Sommer}}が撮影した、[[古代ギリシア]]のニオベー像]] ニオブはイングランドの化学者[[チャールズ・ハチェット]]により、1801年に発見された<ref name="Hatchett_1802a">{{cite journal |last=Hatchett |first=Charles |author-link=チャールズ・ハチェット |year=1802|url=https://books.google.com/books?id=c-Q_AAAAYAAJ&pg=PA49 |title=An analysis of a mineral substance from North America, containing a metal hitherto unknown|journal=Philosophical Transactions of the Royal Society of London|volume=92|pages=49–66|jstor=107114|doi=10.1098/rspl.1800.0045}}</ref><ref name="Hatchett_1802b">{{Citation |last=Hatchett |first=Charles |author-link=チャールズ・ハチェット |year=1802 |title=Outline of the Properties and Habitudes of the Metallic Substance, lately discovered by Charles Hatchett, Esq. and by him denominated Columbium |journal=Journal of Natural Philosophy, Chemistry, and the Arts |volume=I (January) |pages=32–34 |url=https://books.google.com/books?id=ylZwOmyBA7IC&pg=PA32#v=onepage&f=false |postscript=.}}</ref><ref name="Hatchett_1802c">{{cite journal |last=Hatchett |first=Charles |author-link=チャールズ・ハチェット |year=1802 |title = Eigenschaften und chemisches Verhalten des von Charles Hatchett entdeckten neuen Metalls, Columbium|trans-title = Properties and chemical behavior of the new metal, columbium, (that was) discovered by Charles Hatchett |language=German |journal=Annalen der Physik |volume=11 |issue=5 |pages=120–122 |url=https://books.google.com/books?id=wSYwAAAAYAAJ&pg=PA120 |doi=10.1002/andp.18020110507 |bibcode = 1802AnP....11..120H }}</ref>。ハチェットは、1734年にジョン・ウィンスロップがイングランドにアメリカ合衆国の[[コネチカット州]]から送ったサンプルの[[鉱物]]から新元素を発見し、アメリカ合衆国の詩的な名前である[[コロンビア (古名)|コロンビア]]にちなみ、この鉱物を[[コルンブ石]]、新しい元素をコロンビウムと名付けた<ref name="Noyes" /><ref name="1853 Mining Journal">{{cite journal|last=Percival|first=James|title=Middletown Silver and Lead Mines|journal=Journal of Silver and Lead Mining Operations| date=January 1853 |volume=1|page=186|url=https://play.google.com/store/books/details?id=MFILAAAAYAAJ&rdid=book-MFILAAAAYAAJ&rdot=1|accessdate=24 April 2013}}</ref><ref>{{cite journal|title = Charles Hatchett FRS (1765–1847), Chemist and Discoverer of Niobium|first = William P.|last = Griffith|author2=Morris, Peter J. T. |journal = Notes and Records of the Royal Society of London|volume = 57|issue = 3|pages = 299–316|date = 2003|jstor = 3557720|doi = 10.1098/rsnr.2003.0216}}</ref>。ハチェットが発見したコロンビウムは、おそらく新元素とタンタルの混合物であったと思われる<ref name="Noyes">{{cite book| last =Noyes| first = William Albert |title = A Textbook of Chemistry| publisher = H. Holt & Co.| page = 523| url = https://books.google.com/?id=UupHAAAAIAAJ&pg=PA523&dq=columbium+discovered+by+Hatchett+was+a+mixture+of+two+elements| date =1918}}</ref>。 その後、コロンビウムと、それによく似たタンタルの違いについて、かなりの混乱があった<ref name="Wolla">{{cite journal|title = On the Identity of Columbium and Tantalum|pages = 246–252|journal = Philosophical Transactions of the Royal Society|first = William Hyde|last = Wollaston|authorlink = ウイリアム・ウォラストン|doi = 10.1098/rstl.1809.0017| jstor = 107264|volume = 99|date = 1809}}</ref>。1809年にイングランドの化学者[[ウイリアム・ウォラストン]]はコロンビウムの[[酸化物]]であるコルンブ石の密度(5.918 g/cm<sup>3</sup>)と、タンタルの酸化物である[[タンタル石]]の[[密度]](8 g/cm<sup>3</sup>以上)を比較し、密度がかなり違うにもかかわらずこの2つの酸化物は同じものであると結論付け、タンタルの方の名前を採用した<ref name="Wolla" />。この結論に対し、1846年にドイツの化学者[[ハインリヒ・ローゼ]]は異論を唱え、タンタル石にはさらに2つの異なる元素が含まれていると主張して、タンタロスの子供にちなんで、[[ニオベー]]からニオブ、[[ペロプス]]からペロピウムと名付けた<ref name="Pelop">{{cite journal|title = Ueber die Zusammensetzung der Tantalite und ein im Tantalite von Baiern enthaltenes neues Metall|pages = 317–341|journal = Annalen der Physik|authorlink = ハインリヒ・ローゼ|language=German|first = Heinrich|last = Rose|doi = 10.1002/andp.18441391006|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k15148n/f327.table|volume = 139|issue = 10|date = 1844|bibcode = 1844AnP...139..317R }}</ref><ref>{{cite journal|title = Ueber die Säure im Columbit von Nordamérika|language=German|pages = 572–577|first = Heinrich|last = Rose|journal = Annalen der Physik|doi = 10.1002/andp.18471460410|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k15155x/f586.table |date=1847| volume = 146|issue = 4|authorlink = ハインリヒ・ローゼ|bibcode = 1847AnP...146..572R }}</ref>。こうした混乱は、タンタルとニオブの間の観測された差異が非常に小さいことから生じていた。新しい元素だとされたペロピウム、イルメニウム、ダイアニウム<ref name="Dianium">{{cite journal|title = Ueber eine eigenthümliche Säure, Diansäure, in der Gruppe der Tantal- und Niob- verbindungen|first = V.|last = Kobell|journal =Journal für Praktische Chemie|volume = 79|issue = 1|pages = 291–303 |doi=10.1002/prac.18600790145|date = 1860}}</ref>といったものは、実際にはニオブか、またはニオブとタンタルの混合物であった<ref name="Ilmen" />。 タンタルとニオブの差異は、1864年に{{仮リンク|クリスチャン・ヴィルヘルム・ブロムストラント|sv|Christian Wilhelm Blomstrand}}<ref name="Ilmen" />や{{仮リンク|アンリ・サント=クレール・ドビーユ|fr|Henri Sainte-Claire Deville}}らがはっきりと示し、1864年には{{仮リンク|ルイ・ジョゼフ・トロースト|fr|Louis Joseph Troost}}がいくつかの[[化合物]]の[[構造式]]を決定し<ref name="Ilmen">{{cite journal|title = Tantalsäure, Niobsäure, (Ilmensäure) und Titansäure|journal = Fresenius' Journal of Analytical Chemistry|volume = 5|issue = 1|date = 1866|doi = 10.1007/BF01302537|pages = 384–389|author= Marignac, Blomstrand|author2= Deville, H. |author3= Troost, L. |author4= Hermann, R. }}</ref><ref name="Gupta" />、最終的に[[スイス]]の化学者[[ジャン・マリニャック]]が1866年に、含まれている元素は2種類だけであることを証明した<ref>{{cite journal|journal = Annales de chimie et de physique|title = Recherches sur les combinaisons du niobium|pages = 7–75|authorlink = ジャン・マリニャック|language=French| first = M. C.|last= Marignac|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k34818t/f4.table|date= 1866|volume = 4|issue = 8}}</ref>。しかしイルメニウムという元素に関する記事は1871年まで残っている<ref>{{cite journal|title = Fortgesetzte Untersuchungen über die Verbindungen von Ilmenium und Niobium, sowie über die Zusammensetzung der Niobmineralien (Further research about the compounds of ilmenium and niobium, as well as the composition of niobium minerals)|first = R.|last = Hermann|journal = Journal für Praktische Chemie|language=German|volume = 3|issue = 1|pages =373–427|doi = 10.1002/prac.18710030137|date = 1871}}</ref>。 マリニャックは1864年に、[[水素]][[雰囲気]]中でニオブの[[塩化物]]を熱して[[還元]]することにより初めてニオブの[[金属]]形態を得た<ref name="nauti">{{cite web|url = http://nautilus.fis.uc.pt/st2.5/scenes-e/elem/e04100.html|title = Niobium|publisher = Universidade de Coimbra|accessdate=5 September 2008}}</ref>。マリニャックは1866年にはタンタルを含まないニオブを大規模に得ることに成功していたが、ニオブが初めて商業的な用途に用いられたのは、20世紀初めになってからのことで、[[白熱電球]]の[[フィラメント]]として用いられた<ref name="Gupta" />。しかしこのニオブの用途は、より高い[[融点]]を持つ[[タングステン]]によってすぐに代替され、時代遅れのものとなってしまった。[[鋼鉄]]の強度をニオブが改善することは1920年代になって初めて発見され、それ以来この用途が最大の用途であり続けている<ref name="Gupta" />。1961年にアメリカの物理学者ユージーン・クンツラーと[[ベル研究所]]の共同研究者らは、[[ニオブスズ]]が大きな[[電流]]や強い[[磁場]]の中でも[[超伝導]]を維持できることを発見し<ref group = "注">Geballe ''et al.'' (1993) によれば、[[臨界電流]]は150キロ[[アンペア]]、[[臨界磁場|臨界磁束]]は8.8[[テスラ (単位)|テスラ]]に達するという。</ref>、強力な[[磁石]]や大出力電気機械に必要とされる大きな電流や[[磁束]]に耐えられる初めての材料となった。この発見により20年後、回転機や粒子[[加速器]]、[[粒子検出器|粒子検知器]]といった用途に用いられる大規模で強力な[[電磁石]]用の[[コイル]]を製作できる長い巻線を製造できるようになった<ref name="geballe">{{cite journal|last = Geballe|first = Theodore H.| title = Superconductivity: From Physics to Technology|journal = Physics Today|volume = 46|issue = 10|date=October 1993|pages=52–56|doi=10.1063/1.881384|bibcode = 1993PhT....46j..52G }}</ref><ref>{{cite journal|volume = 95|pages = 1435–1435|date = 1954|title = Superconductivity of Nb<sub>3</sub>Sn|author=Matthias, B. T.|author2=Geballe, T. H.|author3=Geller, S.|author4=Corenzwit, E.|doi = 10.1103/PhysRev.95.1435|journal = Physical Review|bibcode = 1954PhRv...95.1435M|issue = 6 }}</ref>。 == 性質 == === 物理的な特徴 === ニオブは[[光沢]]のある灰色で、[[展延性]]があり、[[常磁性]]を持った[[周期表]]の[[第5族元素|第5族]]に属する金属であり、最外殻[[電子]]の配置は第5族としては変則的なものである(これは周期表上近傍にある[[ルテニウム]] (44)、[[ロジウム]] (45)、[[パラジウム]] (46) などに共通である)。 {| class="wikitable" style="margin:10px; float:right;" |- ![[原子番号|Z]] !! [[元素]] !! [[電子殻|殻ごとの電子]] |- | 23 || [[バナジウム]] || 2, 8, 11, 2 |- | 41 || ニオブ || 2, 8, 18, 12, 1 |- | 73 || [[タンタル]] || 2, 8, 18, 32, 11, 2 |- | 105 || [[ドブニウム]] || 2, 8, 18, 32, 32, 11, 2 |} [[絶対零度]]から融点まで、[[体心立方格子構造]]を取ると考えられているものの、3結晶軸に沿った[[熱膨張]]の高解像度測定によれば、立方構造とは矛盾する[[等方的と異方的|異方性]]があることを明らかにしている<ref>{{cite journal |last=Bollinger |first=R. K. |last2=White |first2=B. D. |last3=Neumeier |first3=J. J. |last4=Sandim |first4=H. R. Z. |last5=Suzuki |first5=Y. |last6=dos Santos |first6=C. A. M. |last7=Avci |first7=R. |last8=Migliori |first8=A. |last9=Betts |first9=J. B. |date=2011 |title=Observation of a Martensitic Structural Distortion in V, Nb, and Ta |url=http://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.107.075503 |journal=Physical Review Letters |volume=107 |issue=7 |pages=075503 |doi=10.1103/PhysRevLett.107.075503 |bibcode=2011PhRvL.107g5503B |pmid=21902404}}</ref>。そのため、この分野でのさらなる研究と発見が期待されている。 ニオブはごく低温において[[超伝導]]になる。大気圧では、元素の超伝導体としては最も高い臨界温度である9.2[[ケルビン]]で超伝導となる<ref name="Pein">{{cite journal|title = A Superconducting Nb<sub>3</sub>Sn Coated Multicell Accelerating Cavity|first = M.|last = Peiniger|author2=Piel, H. |journal = Nuclear Science|date= 1985|volume= 32|issue = 5|doi = 10.1109/TNS.1985.4334443|pages = 3610–3612|bibcode = 1985ITNS...32.3610P }}</ref>。ニオブは全ての元素の中で最大の[[磁場侵入長]]を持つ<ref name="Pein" />。これに加えて、[[バナジウム]]および[[テクネチウム]]と並んで、3つだけ存在する元素の[[第二種超伝導体]]でもある。超伝導特性は、金属ニオブの純粋度に強く依存している<ref name="Moura">{{cite journal|title=Melting And Purification Of Niobium|first=Hernane R.|last = Salles Moura|author2=Louremjo de Moura, Louremjo |journal=AIP Conference Proceedings|volume=927|date=2007|issue=927|pages=165–178|doi=10.1063/1.2770689}}</ref>。 非常に純度が高い金属ニオブは比較的柔らかく展延性があるが、不純物の存在により硬くなる<ref name="Nowak" />。 金属ニオブは、熱[[中性子]]の捕獲断面積が小さい<ref>{{cite journal|title = Columbium Alloys Today|author=Jahnke, L. P.|author2=Frank, R. G.|author3=Redden, T. K.|date = 1960|journal = Metal Progr.|volume = 77|issue = 6|pages = 69–74|osti = 4183692}}</ref>。そのため[[原子力]]産業において、中性子に透過的な構造が必要な場合に用いられる<ref>{{cite journal|first = A. V.|last = Nikulina|title = Zirconium-Niobium Alloys for Core Elements of Pressurized Water Reactors|journal = Metal Science and Heat Treatment|volume = 45|issue = 7–8|date = 2003|doi = 10.1023/A:1027388503837|pages = 287–292|bibcode = 2003MSHT...45..287N}}</ref>。 === 化学的な特徴 === ニオブは、室温で長期間空気にさらされると、青味がかった色を呈する<ref name="Rubber">{{cite book|title = CRC Handbook of Chemistry and Physics|first = David R.|last = Lide|publisher = CRC Press|date = 2004 |isbn = 978-0-8493-0485-9| pages = '''4'''–21|edition = 85th|chapter = The Elements}}</ref>。元素としては高い融点(摂氏2,468度)を持つにもかかわらず、他の[[耐火金属]]に比べると密度が小さい。また、[[腐食]]耐性が高く、超伝導特性があり、[[誘電体|誘電]]酸化物層を形成する。 ニオブは、原子番号が1つ小さい[[ジルコニウム]]に比べるとわずかに[[電気陰性度|陽性度]]が小さくよりコンパクトであるが、一方重い[[タンタル]]と比べると、{{仮リンク|ランタノイド収縮|en|Lanthanide contraction}}の結果ほとんど同じ大きさである<ref name="Nowak" />。結果として、ニオブの化学的特性は、[[周期表]]上でニオブの直下にあるタンタルととてもよく似ている<ref name="Gupta">{{cite book|title = Extractive Metallurgy of Niobium|first = C. K.|last = Gupta|author2=Suri, A. K. |publisher = CRC Press|date = 1994 |isbn = 978-0-8493-6071-8|pages = 1–16}}</ref>。ニオブの[[腐食]]耐性はタンタルほど優れているわけではないが、価格が安く豊富に入手可能であることから、化学工場におけるタンクの内張りなど、あまり厳しい要求ではない用途にはニオブが向いている<ref name="Nowak" />。 === 同位体 === {{Main|ニオブの同位体}} [[地球]]の[[地殻]]に含まれるニオブの安定[[同位体]]は、<sup>93</sup>Nbのみである<ref name="NUBASE">{{cite journal| first = Audi| last = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties| journal = Nuclear Physics A| volume = 729| pages = 3–128| date = 2003| doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001| bibcode=2003NuPhA.729....3A| last2 = Bersillon| first2 = O.| last3 = Blachot| first3 = J.| last4 = Wapstra| first4 = A. H.| url = http://hal.in2p3.fr/in2p3-00014184}}</ref>。2003年までに、少なくとも32の[[放射性同位体]]が合成されており、その[[原子量]]は81から113に及ぶ。[[放射性同位体]]の中で最も安定なものは<sup>92</sup>Nbで、その[[半減期]]は3470万年に達する。不安定な同位体としては<sup>113</sup>Nbがあり、その推定半減期は30ミリ秒である。安定同位体の<sup>93</sup>Nbより軽い同位体は[[陽電子放出]]で崩壊する傾向にあり、安定同位体より重い同位体は[[ベータ崩壊]]をする傾向にあるが、<sup>81</sup>Nb、<sup>82</sup>Nb、<sup>84</sup>Nbは遅延陽子放出の崩壊系列を持ち、<sup>91</sup>Nbは[[電子捕獲]]と陽電子放出し、<sup>92</sup>Nbは陽電子放出とベータ崩壊の両方の崩壊をするという例外がある<ref name="NUBASE" />。 少なくとも25種類の[[核異性体]]が確認されており、その原子量は84から104に及ぶ。この範囲で、<sup>96</sup>Nb、<sup>101</sup>Nb、<sup>103</sup>Nbは核異性体を持たない。ニオブの核異性体の中で最も安定なものは<sup>93m</sup>Nbで、半減期16.13年を持つ。最も不安定な核異性体は<sup>84m</sup>Nbで、半減期103[[ナノ]]秒を持つ。ニオブの核異性体は全て核異性体転移またはベータ崩壊で崩壊するが、例外として<sup>92m1</sup>Nbは電子捕獲という系列を持つ<ref name="NUBASE" />。 == 化合物 == ニオブは多くの点で[[タンタル]]や[[ジルコニウム]]に類似している。高温ではほとんどの非金属と反応する。[[フッ素]]とは室温で、[[塩素]]および[[水素]]とは摂氏200度で、[[窒素]]とは摂氏400度で反応し、得られる化合物は多くが侵入型で[[不定比化合物|不定比]]である<ref name="Nowak" />。大気中では摂氏200度で[[酸化]]し始める<ref name="HollemanAF">{{cite book|publisher = Walter de Gruyter|date = 1985|edition = 91–100|pages = 1075–1079|isbn = 978-3-11-007511-3|title = Lehrbuch der Anorganischen Chemie|author=Holleman, Arnold F.|author2=Wiberg, Egon|author3=Wiberg, Nils|chapter = Niob| language = German}}</ref>。[[王水]]、[[塩酸]]、[[硫酸]]、[[硝酸]]、[[リン酸]]など、[[アルカリ]]や[[酸]]による腐食に耐える<ref name="Nowak" />。[[フッ化水素酸]]およびフッ化水素酸と硝酸の混合物には腐食される。 ニオブの[[酸化数]]は+5から-1までの全てを取りうるが、ニオブの化合物のほとんどではニオブの酸化数は+5を取る<ref name="Nowak" />。特徴として、+5より小さな酸化数を取る化合物ではニオブ-ニオブ結合を示す。 === 酸化物と硫化物 === ニオブの酸化物は酸化数+5(Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub>)<ref>{{Cite web|url=https://pubchem.ncbi.nlm.nih.gov/compound/Niobium_oxide#section=Top|title=Niobium oxide {{!}} Nb2O5 - PubChem|last=Pubchem|website=pubchem.ncbi.nlm.nih.gov|accessdate=29 June 2016}}</ref>、+4(NbO<sub>2</sub>)、+3({{chem|Nb|2|O|3}})<ref name="HollemanAF" />、そして珍しい酸化数として+2(NbO)がある<ref>{{Greenwood&Earnshaw}}</ref>。最も一般的な酸化物は五酸化ニオブで、ほとんどのニオブの化合物や合金の前駆体となる<ref name="HollemanAF" /><ref name="Cardarelli">{{cite book|first = Francois|last = Cardarelli|date = 2008|title = Materials Handbook |publisher = Springer London|isbn = 978-1-84628-668-1}}</ref>。ニオブ酸塩は、五酸化物を[[水酸化物イオン]]の溶液に溶かすか、アルカリ金属の酸化物に溶融させることで得られる。例として[[ニオブ酸リチウム]](LiNbO<sub>3</sub>)やニオブ酸[[ランタン]](LaNbO<sub>4</sub>)がある。ニオブ酸リチウムは三角形に歪められた[[ペロブスカイト構造]]のような構造で、一方ニオブ酸ランタンは孤立した{{chem|NbO|4|3-}}[[イオン]]を持つ<ref name="HollemanAF" />。層状の硫化ニオブ (NbS<sub>2</sub>) も知られている<ref name="Nowak" />。 摂氏350度以上で{{仮リンク|ニオブ(V)エトキシド|en|Niobium(V) ethoxide}}を熱分解して、[[化学気相成長]]または[[原子層堆積]]により酸化ニオブの薄膜で材料をコーティングすることができる<ref>{{cite thesis | title = Atomic Layer Deposition of High Permittivity Oxides: Film Growth and In Situ Studies | author = Rahtu, Antti | publisher = University of Helsinki | url = https://hdl.handle.net/10138/21065 | date = 2002 | isbn = 952-10-0646-3}}</ref><ref>{{cite journal | doi = 10.1149/1.2059247 | title = Electrochromic Properties of Niobium Oxide Thin Films Prepared by Chemical Vapor Deposition | date = 1994 | last1 = Maruyama | first1 = Toshiro | journal = Journal of the Electrochemical Society | volume = 141 | issue = 10 | pages = 2868}}</ref>。 === ハロゲン化物 === [[File:Niobium pentachloride solid.jpg|thumb|left|五塩化ニオブ(黄色の部分)、部分的に[[加水分解]]している(白い物質)]] [[File:Niobium-pentachloride-from-xtal-3D-balls.png|thumb|left|五塩化ニオブの[[球棒モデル]]。[[二量体]]となっているもの。]] ニオブは、酸化数+5および+4で、様々な[[不定比化合物]]として[[ハロゲン化物]]を形成する<ref name="HollemanAF" /><ref name="Aguly">{{cite book|first = Anatoly|last = Agulyansky|title = The Chemistry of Tantalum and Niobium Fluoride Compounds|pages = 1–11|publisher = Elsevier|date=2004| isbn = 978-0-444-51604-6}}</ref>。五ハロゲン化ニオブ ({{chem|NbX|5}}) は八面体の中心にニオブが配置される構造を特徴とする。[[五フッ化ニオブ]] (NbF<sub>5</sub>) は融点が摂氏79度の白い[[固体]]である。{{仮リンク|五塩化ニオブ|en|Niobium(V) chloride}} (NbCl<sub>5</sub>) は融点が摂氏203.4度の黄色い固体である。どちらも[[加水分解]]されて酸化物またはNbOCl<sub>3</sub>のようなオキシハロゲン化物を与える。五塩化ニオブは、[[二塩化ニオボセン]] ({{chem|(C|5|H|5|)|2|NbCl|2}}) のような[[有機金属化学|有機金属]]化合物を生成するために使われる多用途の試薬である<ref>{{cite journal|author = Lucas, C. R. |author2 = Labinger, J. A. |author3 = Schwartz, J. |title = Dichlorobis(η5-Cyclopentadienyl)Niobium(IV)|editor = Robert J. Angelici|journal = Inorganic Syntheses|date = 1990|volume = 28|pages = 267–270|isbn = 978-0-471-52619-3|doi = 10.1002/9780470132593.ch68|location = New York|series = Inorganic Syntheses}}</ref>。四ハロゲン化物 ({{chem|NbX|4}}) はNb-Nb結合を有する暗色の[[重合体|ポリマー]]であり、たとえば黒く[[吸湿性]]のある{{仮リンク|四フッ化ニオブ|en|Niobium(IV) fluoride}} (NbF<sub>4</sub>) や、茶色の{{仮リンク|四塩化ニオブ|en|Niobium(IV) chloride}} (NbCl<sub>4</sub>) がある。 ニオブのハロゲン化物の陰イオンは、五ハロゲン化物の[[ルイスの理論|ルイスの酸性度]]も部分的に手伝って、よく知られている。最も重要なものは [NbF<sub>7</sub>]<sup>2−</sup> で、鉱石からニオブとタンタルを分離する過程の途中物質である<ref name="ICE">{{cite journal|title = Staff-Industry Collaborative Report: Tantalum and Niobium|author=Soisson, Donald J.|author2=McLafferty, J. J.|author3=Pierret, James A.| journal = Industrial and Engineering Chemistry|date = 1961|volume = 53|issue = 11|pages = 861–868|doi = 10.1021/ie50623a016}}</ref>。この七フッ化物は、タンタル化合物よりも容易にオキソペンタフルオライドを形成する傾向がある。その他のハロゲン化物の[[錯体]]としては八面体状の[NbCl<sub>6</sub>]<sup>−</sup>などがある。 :Nb<sub>2</sub>Cl<sub>10</sub> + 2 Cl<sup>−</sup> → 2 [NbCl<sub>6</sub>]<sup>−</sup> 原子番号の小さな他の金属と同様に、多くの還元ハロゲン化物の[[クラスター (物質科学)|クラスター]]イオンが知られており、主な例としては[Nb<sub>6</sub>Cl<sub>18</sub>]<sup>4−</sup>がある<ref>{{Greenwood&Earnshaw2nd}}</ref>。 === 窒化物と炭化物 === 他に[[二元化合物]]として、低温で超伝導体となり、また[[赤外線]]検知器として用いられる[[窒化ニオブ]] (NbN) がある<ref><!--highly specialized vanity paper, it appears:-->{{cite journal|doi = 10.1080/09500340410001670866|title = Ultrafast superconducting single-photon detectors for near-infrared-wavelength quantum communications|author=Verevkin, A.|display-authors=4|author2=Pearlman, A.|author3=Slstrokysz, W.|author4=Zhang, J.|author5=Currie, M.|author6=Korneev, A.|author7=Chulkova, G.|author8=Okunev, O.|author9=Kouminov, P.|author10=Smirnov, K.|author11=Voronov, B.|author12=N. Gol'tsman, G.|author13=Sobolewski, Roman|journal = Journal of Modern Optics|volume = 51|issue = 12|date = 2004|pages = 1447–1458}}</ref>。主な{{仮リンク|炭化ニオブ|en|Niobium carbide}}はNbCで、非常に硬く耐熱性のある[[セラミックス]]材料であり、商業的には[[切削加工]]の[[バイト (工具)|バイト]]に用いられる。 == 存在 == ニオブは[[地殻中の元素の存在度|地球の地殻における存在量]]で34番目の元素であるとされており、およそ20 [[Parts-per表記|ppm]]含まれているとされる<ref>{{cite book|title = Nature's Building Blocks: An A-Z Guide to the Elements|last = Emsley|first=John|publisher = Oxford University Press|date = 2001|location = Oxford, England|isbn = 978-0-19-850340-8|chapter = Niobium|pages = 283–286}}</ref>。地球全体での存在度はより大きいと考えている者もおり、ニオブの高い密度のために地球の[[核 (天体)|コア]]に濃縮されているとしている<ref name="patel" />。ニオブの単体は自然界では発見されておらず、他の元素と化合して鉱物中に含まれている<ref name="Nowak">{{cite journal|title=Niobium Compounds: Preparation, Characterization, and Application in Heterogeneous Catalysis|author=Nowak, Izabela|author2=Ziolek, Maria|journal=Chemical Reviews|date=1999|volume=99|issue=12|pages=3603–3624|doi=10.1021/cr9800208|pmid=11849031}}</ref>。ニオブを含む鉱物は、タンタルも含んでいることが多い。たとえば、[[コルンブ石]] ((Fe,Mn)(Nb,Ta)<sub>2</sub>O<sub>6</sub>) や[[コルタン]] ((Fe,Mn)(Ta,Nb)<sub>2</sub>O<sub>6</sub>) といったものがある<ref name="ICE"/>。コルンブ石、タンタル石といった鉱物(最も一般的な種類はコルンブ石-(Fe)またはタンタル石-(Fe){{refnest|group="注"|"-Fe"はマンガンなど他の元素に対して[[鉄]]が多く含まれていることを示すレビンソンの[[接尾辞|サフィックス]]。<ref>{{Cite journal | url = http://elementsmagazine.org/archives/e4_2/e4_2_dep_mineralmatters.pdf | format = PDF | title =THE USE OF SUFFIXES IN MINERAL NAMES | author = Ernst A.J. Burke | journal = ELEMENTS | year = 2008 | month = 4 | pages | 96 | accessdate = 2018-12-21}}</ref>}})は、[[ペグマタイト]]の貫入やアルカリ性貫入岩の随伴鉱物として見つかることが最も多い。[[カルシウム]]、[[ウラン]]、[[希土類元素]]といったもののニオブ酸塩としても見つかる。こうしたニオブ酸塩の例としては[[パイロクロア]] ((Na,Ca)<sub>2</sub>Nb<sub>2</sub>O<sub>6</sub>(OH,F)) (現在ではグループに与えられた名前となっており、その中で一般的なものはフルオロカルシオパイクロア<ref>{{Cite web | url = https://www.mindat.org/min-3316.html | title = Pyrochlore Group | publisher = mindat.org | accessdate = 2018-12-21}}</ref><ref>{{Cite web | url = https://www.mindat.org/min-40341.html | title = Fluorcalciopyrochlore | publisher = mindat.org | accessdate = 2018-12-21}}</ref>)、{{仮リンク|ユークセン石|en|Euxenite}}(正確にはユークセン石-(Y)<ref>{{Cite web | url = https://www.mindat.org/min-1425.html | title = Euxenite-(Y) | publisher = mindat.org | accessdate = 2018-12-21}}</ref>)((Y,Ca,Ce,U,Th)(Nb,Ta,Ti)<sub>2</sub>O<sub>6</sub>) といったものがある。ニオブの大規模な鉱脈は、パイロクロアの構成物として、[[カーボナタイト]]([[炭酸塩]]-[[ケイ酸塩]][[火成岩]])に関連して発見される<ref name="Pyrochlore">{{cite journal|title = Geochemical alteration of pyrochlore group minerals: Pyrochlore subgroup|date = 1995|first = Gregory R.|last = Lumpkin|author2=Ewing, Rodney C. |journal = American Mineralogist|url = http://www.minsocam.org/msa/AmMin/TOC/Articles_Free/1995/Lumpkin_p732-743_95.pdf|volume = 80|issue = 7–8|pages = 732–743|bibcode = 1995AmMin..80..732L|doi = 10.2138/am-1995-7-810}}</ref>。 現時点で採掘されているパイロクロアの3大鉱床は、2つが[[ブラジル]]に、1つが[[カナダ]]にあり、どれも1950年代に発見され、なおもニオブ鉱石の主な供給源となっている<ref name="Gupta" />。最大の鉱床は、ブラジルの[[ミナスジェライス州]][[アラシャ]]にあり、[[カーボナタイト]]の貫入物に随伴したもので、CBMM(ブラジル冶金鉱業会社)が保有している。もう1つのブラジルの採掘中鉱床は[[ゴイアス州]][[カタラン (ブラジル)|カタラン]]近郊にあり、やはりカーボナタイト貫入物に伴うもので、{{仮リンク|洛陽欒川モリブデン|zh|洛陽欒川鉬業}}が保有している<ref name="tesla" />。これら2つの鉱床で、世界全体の供給のおよそ88パーセントを生産している<ref name="g1">{{cite news |last=Alvarenga |first=Darlan |url=http://g1.globo.com/economia/negocios/noticia/2013/04/monopolio-brasileiro-do-niobio-gera-cobica-mundial-controversia-e-mitos.html |title='Monopólio' brasileiro do nióbio gera cobiça mundial, controvérsia e mitos |language=Portuguese |trans-title=Brazilian niobium 'monopoly' brings about the world's greed, controversy, and myths |work=G1 |location=São Paulo |date=9 April 2013 |accessdate=23 May 2016 }}</ref>。ブラジルにはほかにも、[[アマゾナス州]]{{仮リンク|サン・ガブリエウ・ダ・カショエイラ|pt|São Gabriel da Cachoeira}}近郊に大規模だが未採掘の鉱床があり、[[ロライマ州]]にあるものなど、より小規模な鉱床もいくつかある<ref name="g1" />。 ニオブの3番目の供給源は、カナダの[[ケベック州]]{{仮リンク|チクーチミ|en|Chicoutimi}}近郊{{仮リンク|サントノーレ (ケベック州)|en|Saint-Honoré, Quebec|label=サントノーレ}}にあるニオベック鉱山で、やはりカーボナタイトに伴うもので、マグリス・リソーシズが保有している<ref name="niobec-magris">{{cite press release |url=http://niobec.com/en/2015/01/magris-resources-officially-owner-of-niobec/ |title=Magris Resources, officially owner of Niobec |publisher=Niobec |date=23 January 2015 |accessdate=23 May 2016 }}</ref>。この鉱山では、世界全体の供給の7パーセントから10パーセント程度を生産している<ref name="tesla">{{cite web|url = http://tesla.desy.de/new_pages/TESLA_Reports/2001/pdf_files/tesla2001-27.pdf|title = Niob für TESLA|accessdate = 2 September 2008|first = J.|last = Kouptsidis|author2 = Peters, F.|author3 = Proch, D.|author4 = Singer, W.|publisher = Deutsches Elektronen-Synchrotron DESY|language = German|deadurl = yes|archiveurl = https://web.archive.org/web/20081217100548/http://tesla.desy.de/new_pages/TESLA_Reports/2001/pdf_files/tesla2001-27.pdf|archivedate = 17 December 2008|df = dmy-all}}</ref><ref name="g1" />。 == 生産 == [[ファイル:World Niobium Production 2006.svg|thumb|2006年から2015年にかけてのニオブ生産国]] 他の鉱石の分離処理を行うと、タンタル([[五酸化タンタル]] Ta<sub>2</sub>O<sub>5</sub>)とニオブ([[五酸化ニオブ]] Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub>)の酸化物の混合物が得られる。抽出処理の最初の段階は、この酸化物を[[フッ化水素酸]]と反応させることである<ref name="ICE" />。 :Ta<sub>2</sub>O<sub>5</sub> + 14 HF → 2 H<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>TaF<sub>7</sub><nowiki>]</nowiki> + 5 H<sub>2</sub>O :Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub> + 10 HF → 2 H<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki> + 3 H<sub>2</sub>O [[ジャン・マリニャック]]が開発した最初の工業的分離処理では、ニオブのフッ化物の[[錯体]](フッ化ニオブ酸カリウム一[[水和物]] K<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki>·H<sub>2</sub>O)とタンタルのフッ化物の錯体(フッ化タンタル酸カリウム K<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>TaF<sub>7</sub><nowiki>]</nowiki>)の水への溶解度の差を利用していた。新しい処理方法では、フッ化物を[[水溶液]]から[[シクロヘキサノン]]のような有機[[溶媒]]へ取り出す[[液液抽出]]を利用する<ref name="ICE" />。ニオブとタンタルのフッ化物の錯体は、この有機溶媒から水に別々に抽出され、[[フッ化カリウム]]を加えてフッ化カリウムの錯体を形成して沈殿させるか、[[アンモニア]]を加えて五酸化物として沈殿させる<ref name="HollemanAF" />。 :H<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki> + 2 KF → K<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki>↓ + 2 HF または: :2 H<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki> + 10 NH<sub>4</sub>OH → Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub>↓ + 10 NH<sub>4</sub>F + 7 H<sub>2</sub>O 還元して金属ニオブを得る方法としてはいくつかのものがある。フッ化ニオブ酸カリウム K<sub>2</sub><nowiki>[</nowiki>NbOF<sub>5</sub><nowiki>]</nowiki>と[[塩化ナトリウム]]の[[溶融塩]]を[[電気分解]]する方法、[[ナトリウム]]を使ってフッ化物を還元する方法などがある。この方法では比較的高い純度のニオブを得ることができる。大規模な生産では、五酸化ニオブ Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub> は水素または[[炭素]]を用いて還元される<ref name="HollemanAF" />。{{仮リンク|アルミノテルミット反応|en|Aluminothermic reaction}}では、鉄の酸化物とニオブの酸化物の混合物を[[アルミニウム]]と反応させる: : 3 Nb<sub>2</sub>O<sub>5</sub> + Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub> + 12 Al → 6 Nb + 2 Fe + 6 Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub> この反応を促進させるために[[硝酸ナトリウム]]のような少量の酸化剤が添加される。得られるのは[[酸化アルミニウム]]と製鉄に用いられる鉄とニオブの合金である{{仮リンク|フェロニオブ|en|Ferroniobium}}である<ref>{{cite journal|title = Progress in Niobium Markets and Technology 1981–2001|author = Tither, Geoffrey|url = http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/images/pdfs/oppening.pdf|journal = Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA)|date = 2001|isbn = 978-0-9712068-0-9|editors = Minerals, Metals and Materials Society, Metals and Materials Society Minerals|format = PDF|deadurl = yes|archiveurl = https://web.archive.org/web/20081217100553/http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/images/pdfs/oppening.pdf|archivedate = 17 December 2008|df = dmy-all}}</ref><ref>{{cite journal|title=The Production of Ferroniobium at the Niobec mine 1981–2001 |first=Claude |last=Dufresne |author2=Goyette, Ghislain |url=http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/sub_1/images/pdfs/start.pdf |journal=Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA) |date=2001 |isbn=978-0-9712068-0-9 |editors=Minerals, Metals and Materials Society, Metals and Materials Society Minerals |format=PDF |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081217100559/http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/sub_1/images/pdfs/start.pdf |archivedate=17 December 2008 |df= }}</ref>。フェロニオブは60 - 70パーセントのニオブを含む<ref name="tesla" />。酸化鉄なしでは、[[テルミット法|アルミノテルミット反応]]はニオブの生産にも用いられる。超伝導合金の水準に達するためにはさらなる[[精錬]]が必要である。ニオブの2大供給業者が用いている方法は、[[真空]]下での{{仮リンク|電子ビーム溶解法|en|Electron-beam additive manufacturing}}である<ref name="Aguly" /><ref name="Chou">{{cite journal|journal = The Iron and Steel Institute of Japan International|volume = 32|date = 1992|issue = 5|doi = 10.2355/isijinternational.32.673|title = Electron Beam Melting and Refining of Metals and Alloys|first = Alok|last = Choudhury|author2=Hengsberger, Eckart |pages = 673–681}}</ref>。 2013年時点、ブラジルのCBMMが世界のニオブ生産の85パーセントを占める<ref name=lucchesi2013>{{Citation |last1=Lucchesi |first1=Cristane |last2=Cuadros|first2=Alex |date=April 2013 |title=Mineral Wealth |type=paper |magazine=Bloomberg Markets |page=14}}</ref>。[[アメリカ地質調査所]]は、ニオブの生産量は2005年の38,700トンから2006年の44,500トンへと増加したと推定している<ref name=USGSCS2006>{{cite web |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/colummcs06.pdf |title=Niobium (Columbium) |first=John F. |last=Papp |publisher=USGS 2006 Commodity Summary |accessdate=20 November 2008}}</ref><ref name=USGSCS2007>{{cite web |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/colummcs07.pdf |title=Niobium (Columbium) |first=John F. |last=Papp |publisher=USGS 2007 Commodity Summary |accessdate=20 November 2008}}</ref>。世界のニオブ資源量は440万トンであると推計されている<ref name="USGSCS2007" />。1995年から2005年までの10年間では生産量は1995年の17,800トンから2倍以上に増加している<ref name="USGSCS1997">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/230397.pdf|title = Niobium (Columbium)|first = John F. |last=Papp|publisher = USGS 1997 Commodity Summary|accessdate=20 November 2008}}</ref>。2009年から2011年まで年間生産量は63,000トンでほぼ安定していたが<ref>[http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/mcs-2011-niobi.pdf Niobium (Colombium)] U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2011</ref>、2012年には50,000トンへと減少した<ref>[http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/mcs-2016-niobi.pdf Niobium (Colombium)] U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2016</ref>。 CBMMは2019年の世界需要を前年比10%増の13万トンと推測している。2018年秋に[[中華人民共和国]]で[[棒鋼]]の品質基準が引き上げられ、強度を増すため添加されるニオブの需要が急増した。CBMMは、[[リチウムイオン電池]]の[[電極|正極材や負極材]]向けとしてニオブの需要が今後拡大するという展望を示している<ref name="日経20191017"/>(「[[#用途|用途]]」で後述)。 {| class="wikitable" style="text-align:right;" |+ 生産量(トン)<ref name="USGSNiobi">{{cite web|author=Cunningham, Larry D. |url=http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/ |title=USGS Minerals Information: Niobium (Columbium) and Tantalum |publisher=Minerals.usgs.gov |date=5 April 2012|accessdate=17 August 2012}}</ref>(アメリカ地質調査所推計) |- ! scope="col" | 国 ! scope="col" | 2000年 ! scope="col" | 2001年 ! scope="col" | 2002年 ! scope="col" | 2003年 ! scope="col" | 2004年 ! scope="col" | 2005年 ! scope="col" | 2006年 ! scope="col" | 2007年 ! scope="col" | 2008年 ! scope="col" | 2009年 ! scope="col" | 2010年 ! scope="col" | 2011年 ! scope="col" | 2012年 ! scope="col" | 2013年 |- | style="text-align:left;"| {{AUS}} || 160 || 230 || 290 || 230 || 200 || 200 || 200 || ? || ? || ? || ? || ?|| ?|| ? |- | style="text-align:left;"| {{BRA}} || 30,000 || 22,000 || 26,000 || 29,000 || 29,900 || 35,000 || 40,000 || 57,300 || 58,000 || 58,000 || 58,000 || 58,000|| 45,000|| 53100 |- | style="text-align:left;"| {{CAN}} || 2,290 || 3,200 || 3,410 || 3,280 || 3,400 || 3,310 || 4,167 || 3,020 || 4,380 || 4,330 || 4,420 || 4,630|| 4,710|| 5260 |- | style="text-align:left;"| {{COD}} || ? || 50 || 50 || 13 || 52 || 25 || ? || ? || ? || ? || ? || ?|| ?|| ? |- | style="text-align:left;"| {{MOZ}} || ? || ? || 5 || 34 || 130 || 34 || 29 || ? || ? || ? || ? || ?|| ?|| ? |- | style="text-align:left;"| {{NGA}} || 35 || 30 || 30 || 190 || 170 || 40 || 35 || ? || ? || ? || ? || ?|| ?|| ? |- | style="text-align:left;"| {{RWA}} || 28 || 120 || 76 || 22 || 63 || 63 || 80 || ? || ? || ? || ? || ?|| ?|| ? |- | 世界全体 || 32,600 || 25,600 || 29,900 || 32,800 || 34,000 || 38,700 || 44,500 || 60,400 || 62,900 || 62,900 || 62,900 || 63,000|| 50,100|| 59400 |} [[マラウイ]]のケニカ鉱脈にもいくらか発見されている。 == 用途 == [[File:Niobium metal.jpg|thumb|厚さ1 mmのニオブ箔]] ニオブが商業的に初めて利用されたのは20世紀初めになってからであった。ニオブおよび、ニオブと鉄の[[合金]](60-70パーセントがニオブ)である{{仮リンク|フェロニオブ|en|Ferroniobium}}の最大生産国は[[ブラジル]]である。ニオブは主に合金として用いられ、ガスの[[パイプライン輸送|パイプライン]]などに用いられる特殊合金が最大の用途である。こうした合金は最大でも0.1パーセント程度のニオブを含有するだけであるが、このわずかなニオブにより鋼鉄の強度を増大させる。ニオブを含む[[超合金]]の温度安定性の高さから、[[ジェットエンジン]]や[[ロケットエンジン]]といった用途が重要である。 ニオブは様々な[[超伝導]]材料に用いられる。こうした超伝導合金は、[[チタン]]や[[スズ]]も含むものが、[[核磁気共鳴画像法]] (MRI) の[[超伝導電磁石]]に広く用いられている。ニオブのその他の用途として、[[溶接]]、[[原子力産業]]、電子、[[光学]]、[[貨幣]]、[[宝飾]]といったものがある。貨幣と宝飾の用途では、毒性が低いことと、陽極酸化処理により虹色を呈することが、非常に望ましい特性として利用されている。 2006年に生産されたニオブ44,500トンのうち、推定で90パーセントは高級構造用鋼鉄の生産に用いられた。2番目の用途は[[超合金]]の生産である<ref name="USGS2006">{{cite web|url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/niobium/myb1-2006-niobi.pdf|title = Niobium (Columbium ) and Tantalum|first = John F. |last=Papp|publisher = USGS 2006 Minerals Yearbook|accessdate=3 September 2008}}</ref>。ニオブ合金による超伝導体や電気部品などでのニオブ消費は、世界のニオブ総生産量のほんのわずかな部分を占めるに過ぎない<ref name="USGS2006" />。 === 鋼材 === ニオブは鋼鉄に{{仮リンク|マイクロアロイ|en|Microalloyed steel}}(少量を添加して性質改善を行う)を行う上で有用な材料であり、鋼材内では炭化ニオブや[[窒化ニオブ]]を形成する<ref name="patel" />。こうした化合物は細粒化を改善し、再結晶化と析出硬化を遅らせる。こうした効果により、硬度・強度・成形性・溶接性などを改善する<ref name="patel" />。マイクロアロイを実施した[[ステンレス鋼]]に含まれるニオブは少ないが(0.1パーセント以下<ref name="heister">{{cite journal|title = Niobium: Future Possibilities – Technology and the Market Place|first = Friedrich|last = Heisterkamp|author2 = Carneiro, Tadeu|url = http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/images/pdfs/closing.pdf|journal = Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA)|date = 2001|isbn = 978-0-9712068-0-9|editors = Minerals, Metals and Materials Society, Metals and Materials Society Minerals|format = PDF|deadurl = yes|archiveurl = https://web.archive.org/web/20081217100604/http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/images/pdfs/closing.pdf|archivedate = 17 December 2008|df = dmy-all}}</ref>)、現代の自動車に構造上広く用いられている[[高張力鋼]]にとって重要な添加剤である<ref name="patel">{{cite journal|journal =Metallurgist|volume = 45|issue = 11–12|doi = 10.1023/A:1014897029026|pages = 477–480|date = 2001|title = Niobium for Steelmaking |first = Zh.|last = Patel|author2=Khul'ka K.}}</ref>。 同様のニオブ合金は、[[パイプライン輸送|パイプライン]]の建設にも用いられる<ref name="eggert">{{cite journal|journal = Economic Bulletin|volume = 19|issue = 9|doi = 10.1007/BF02227064|pages = 8–11|date = 1982|title = Niobium: a steel additive with a future|author=Eggert, Peter|author2=Priem, Joachim|author3=Wettig, Eberhard}}</ref><ref name="Hillenbrand">{{cite journal|url=http://www.europipe.com/files/ep_tp_43_01en.pdf |title=Development and Production of High Strength Pipeline Steels |author=Hillenbrand, Hans-Georg |author2=Gräf, Michael |author3=Kalwa, Christoph |journal=Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA) |date=2 May 2001 |deadurl=bot: unknown |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150605054604/http://www.europipe.com/files/ep_tp_43_01en.pdf |archivedate=5 June 2015 |df= }}</ref>。 === 超合金 === [[File:Apollo CSM lunar orbit.jpg|thumb|月の軌道上の[[アポロ15号]]の[[アポロ司令・機械船|司令・機械船]]。ロケットエンジンのノズルはニオブチタン合金でできている。]] 多くのニオブが[[ニッケル]]、[[コバルト]]、[[鉄]]をベースとした[[超合金]]に用いられており、その含有比率は6.5パーセントにも達する<ref name="heister" />。[[ジェットエンジン]]部品、[[ガスタービン]]、[[ロケット]]部品、[[ターボチャージャー]]装置、耐熱部品、燃焼設備などに用いられる。ニオブは超合金の粒状組織内において、γ<nowiki>''</nowiki>相の硬化を促進する<ref name="Donachie">{{cite book|publisher = ASM International|date = 2002|isbn = 978-0-87170-749-9|title = Superalloys: A Technical Guide|first = Matthew J.|last = Donachie|pages = 29–30}}</ref>。 超合金の一例として、[[インコネル]]718があり、おおむね50パーセントの[[ニッケル]]、18.6パーセントの[[クロム]]、18.5パーセントの[[鉄]]、5パーセントのニオブ、3.1パーセントの[[モリブデン]]、0.9パーセントの[[チタン]]、そして0.4パーセントの[[アルミニウム]]で構成されている<ref name="super">{{cite web|url = http://www.msm.cam.ac.uk/phase-trans/2003/Superalloys/superalloys.html|title = Nickel Based Superalloys|first = H. k. d. h|last = Bhadeshia|publisher = University of Cambridge|accessdate = 4 September 2008|deadurl = yes|archiveurl = https://web.archive.org/web/20060825053006/http://www.msm.cam.ac.uk/phase-trans/2003/Superalloys/superalloys.html|archivedate = 25 August 2006|df = dmy-all}}</ref><ref>{{cite journal|journal = Thermochimica Acta|volume = 382|date = 2002|pages= 55–267|doi = 10.1016/S0040-6031(01)00751-1|title = Thermophysikalische Eigenschaften von festem und flüssigem Inconel 718|language=German|author=Pottlacher, G.|author2=Hosaeus, H.|author3=Wilthan, B.|author4=Kaschnitz, E.|author5=Seifter, A.|issue = 1––2}}</ref>。こうした超合金はたとえば、[[ジェミニ計画]]における先進的な機体システムなどで用いられた。ニオブの合金は他に、[[アポロ司令・機械船]]のノズルにも用いられた。ニオブは摂氏400度以上になると酸化されるため、こうした用途では合金が脆くならないように保護コーティングが必要となる<ref name="hightemp" />。 === ニオブ合金 === C-103合金は1960年代初頭に{{仮リンク|ワー・チャン|en|Wah Chang Corporation}}と[[ボーイング]]が共同で開発した。[[デュポン]]、[[ユニオンカーバイド]]、[[ゼネラル・エレクトリック]]他数社が、[[冷戦]]と[[宇宙開発競争]]を背景として{{仮リンク|ニオブ合金|en|Niobium alloy}}を同時期に開発していた。89パーセントのニオブ、10パーセントの[[ハフニウム]]、1パーセントの[[チタン]]で構成されており、[[アポロ月着陸船]]のメインエンジンなど、[[液体燃料ロケット]]の[[スラスター]][[ノズル]]に使われている<ref name="hightemp">{{cite journal|url=http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/sub_3/images/pdfs/016.pdf |title=Niobium alloys and high Temperature Applications |first=John |last=Hebda |journal=Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA) |date=2 May 2001 |format=PDF |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081217080513/http://www.cbmm.com.br/portug/sources/techlib/science_techno/table_content/sub_3/images/pdfs/016.pdf |archivedate=17 December 2008 |df= }}</ref>。 [[スペースX]]が[[ファルコン9]]の上段用に開発した[[マーリン (ロケットエンジン)|マーリン・バキューム]]シリーズのロケットエンジンのノズルはニオブ合金で作られている<ref name="NSPO">{{cite conference |title=Low-cost Launch Opportunities Provided by the Falcon Family of Launch Vehicles |first1=Aaron |last1=Dinardi |first2=Peter |last2=Capozzoli |first3=Gwynne |last3=Shotwell |conference=Fourth Asian Space Conference |year=2008 |location=Taipei |url=http://www2.nspo.org.tw/ASC2008/4th%20Asian%20Space%20Conference%202008/oral/S12-11.pdf |format=PDF |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120315135217/http://www2.nspo.org.tw/ASC2008/4th%20Asian%20Space%20Conference%202008/oral/S12-11.pdf |archivedate=15 March 2012 |df=dmy-all }}</ref>。 ニオブは、[[酸素]]との反応性のため、[[真空]]中または[[不活性気体]]中で加工する必要があり、生産の費用と難度を大きく上げる原因となっている。当時新規開発されていた{{仮リンク|真空アーク溶解|en|Vacuum arc remelting}}または{{仮リンク|電子ビーム溶解|en|Electron-beam additive manufacturing}}により、ニオブやそのほか反応性の高い金属に関する開発が可能となった。C-103合金を開発したプロジェクトは1959年に始まり、ボタン状の金属を溶かして[[板金]]に圧延できる、256ものCシリーズ(おそらくコロンビウムの頭文字に由来する)の試作ニオブ合金を開発した。ワー・チャンは、原子力用[[ジルカロイ]]を精製する過程で得られた[[ハフニウム]]を在庫しており、これを商業用に利用したいと考えていた。Cシリーズ合金で103番目に試したニオブ89パーセント、ハフニウム10パーセント、[[チタン]]1パーセントの組み合わせが、成形性と高温特性の点で最適であった。ワー・チャンは1961年に、真空アーク溶解および電子ビーム溶解を用いて、最初のC-103合金500ポンド(約225キログラム)を製造し、[[インゴット]]から板金にした。意図されていた用途は[[ガスタービンエンジン]]や[[液体金属]]用[[熱交換器]]であった。当時C-103に競合していたニオブ合金としては、ファンスティール冶金製のFS85(ニオブ61パーセント、[[タングステン]]10パーセント、タンタル28パーセント、ジルコニウム1パーセント)、ワー・チャンおよびボーイング製Cb129Y(ニオブ79.8パーセント、タングステン10パーセント、ハフニウム10パーセント、[[イットリウム]]0.2パーセント)、[[ユニオンカーバイド]]製Cb752(ニオブ87.5パーセント、タングステン10パーセント、ジルコニウム2.5パーセント)、およびスペリアー・チューブ製のニオブ99パーセント、ジルコニウム1パーセント合金であった<ref name="hightemp" />。 === 超伝導電磁石 === [[ファイル:Modern 3T MRI.JPG|right|thumb|ニオブ合金を使用した超伝導電磁石を利用している病院用3[[テスラ (単位)|テスラ]][[核磁気共鳴画像法]] (MRI) 装置]] {{仮リンク|ニオブゲルマニウム|en|Niobium-germanium}}、[[ニオブスズ]]、{{仮リンク|ニオブチタン|en|Niobium–titanium}}などの合金は、{{仮リンク|第二種超伝導体|en|Type-II superconductor}}としてワイヤーにして超伝導電磁石を作るために用いられる<ref>{{cite journal|doi = 10.1109/77.828394|title = Powder-in-tube (PIT) Nb/sub 3/Sn conductors for high-field magnets|date = 2000|author = Lindenhovius, J.L.H.|journal=IEEE Transactions on Applied Superconductivity|volume = 10|pages = 975–978|display-authors = 4|last2 = Hornsveld|first2 = E. M.|last3 = Den Ouden|first3 = A.|last4 = Wessel|first4 = W. A. J.|last5 = Ten Kate|first5 = H. H. J.|bibcode = 2000ITAS...10..975L}}</ref><ref>{{cite web|url = http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/Hbase/solids/scmag.html|title = Superconducting Magnets|first = Carl R.|last = Nave|publisher = Georgia State University, Department of Physics and Astronomy|accessdate=25 November 2008}}</ref>。こうした超伝導電磁石は、[[核磁気共鳴画像法]] (MRI)、[[核磁気共鳴]] (NMR) 装置、[[加速器]]といった用途に用いられる<ref>{{cite journal|journal = Physica C: Superconductivity|volume= 372–376|issue = 3|date = 2002|pages = 1315–1320|doi = 10.1016/S0921-4534(02)01018-3|title = Niobium based intermetallics as a source of high-current/high magnetic field superconductors|first=B. A.|last = Glowacki|author2=Yan, X. -Y. |author3=Fray, D. |author4=Chen, G. |author5=Majoros, M. |author6= Shi, Y. |arxiv = cond-mat/0109088 |bibcode = 2002PhyC..372.1315G }}。</ref>たとえば、[[大型ハドロン衝突型加速器]]には600トンの超伝導撚線が用いられており、[[ITER]](国際熱核融合実験炉)には推定で600トンのニオブ[[スズ]]の撚線と250トンのニオブチタンの撚線が用いられている<ref name="alstrom">{{cite journal|journal = Fusion Engineering and Design (Proceedings of the 23rd Symposium of Fusion Technology)|volume= 75–79|date = 2005|pages = 1–5|title = A success story: LHC cable production at ALSTOM-MSA|author=Grunblatt, G.|author2=Mocaer, P.|author3=Verwaerde Ch.|author4=Kohler, C.| doi = 10.1016/j.fusengdes.2005.06.216}}</ref>。1992年だけで、ニオブチタンの巻線を使った病院用のMRI装置がアメリカドルにして10億ドル以上製造された<ref name="geballe" />。 ==== その他の超伝導体 ==== [[ファイル:A 1.3 GHz nine-cell superconducting radio frequency.JPG|thumb|[[フェルミ国立加速器研究所]]に展示されている1.3 GHz 9セル超伝導加速空洞]] [[自由電子レーザー]]の{{仮リンク|FLASH (自由電子レーザー)|en|FLASH|label=FLASH}}(中止されたTESLA線形加速器プロジェクトの成果)や{{仮リンク|European XFEL|en|European XFEL}}に用いられている{{仮リンク|超伝導加速|en|Superconducting radio frequency}}空洞は、純粋なニオブで作られている<ref>{{cite journal|journal = Nuclear Instruments and Methods in Physics Research Section A: Accelerators, Spectrometers, Detectors and Associated Equipment|volume = 524|date = 2004|pages = 1–12|doi = 10.1016/j.nima.2004.01.045|title = Achievement of 35 MV/m in the superconducting nine-cell cavities for TESLA|author=Lilje, L.|display-authors=4|author2=Kako, E.|author3=Kostin, D.|author4=Matheisen, A.|author5=Möller, W.-D.|author6=Proch, D.|author7=Reschke, D.|author8=Saito, K.|author9=Schmüser, P.|author10=Simrock, S.|author11=Suzuki T.|author12=Twarowski, K.|issue = 1–3|arxiv = physics/0401141 |bibcode = 2004NIMPA.524....1L }}</ref>。[[フェルミ国立加速器研究所]]の{{仮リンク|クライオモジュール|en|Cryomodule}}チームは、同じFLASHプロジェクトに由来する超伝導加速技術を利用して、純粋なニオブ製の1.3 GHz 9セル超伝導加速空洞を開発した。この装置は[[国際リニアコライダー]]の30キロメートルに及ぶ線形加速器でも用いられることになっている<ref>{{cite book|title=The International Linear Collider Technical Design Report 2013|date=2013|publisher=International Linear Collider|url=http://edmsdirect.desy.de/edmsdirect/file.jsp?edmsid=D00000001021265&fileClass=native|accessdate=15 August 2015}}</ref>。同じ技術は、[[SLAC国立加速器研究所]]のLCLS-II計画、フェルミ研究所のPIP-II計画でも用いられることになっている<ref>{{cite news|title=ILC-type cryomodule makes the grade|url=http://cerncourier.com/cws/article/cern/59319|accessdate=15 August 2015|work=CERN Courier|publisher=IOP Publishing|date=27 November 2014}}</ref>。 超伝導窒化ニオブで作られた[[ボロメータ]]は高い感度を持っており、[[テラヘルツ]][[周波数]]帯における{{仮リンク|電磁放射|en|Electromagnetic radiation}}の理想的な検知器である。この検知器は{{仮リンク|ハインリッヒ・ヘルツサブミリ波望遠鏡|en|Heinrich Hertz Submillimeter Telescope}}、[[南極点望遠鏡]]、Receiver Lb Telescope、{{仮リンク|アタカマ・パスファインダー実験施設|en|Atacama Pathfinder Experiment}}などで試験され、[[ハーシェル宇宙望遠鏡]]に搭載されてHIFI観測機器に用いられた<ref>{{cite journal|journal = Review of Scientific Instruments|volume = 79|date = 2008|pages = 0345011–03451010|doi = 10.1063/1.2890099|title = A Hot-electron bolometer terahertz mixers for the Herschel Space Observatory|author=Cherednichenko, Sergey|display-authors=4|author2=Drakinskiy, Vladimir|author3=Berg, Therese|author4=Khosropanah, Pourya|author5=Kollberg, Erik|pmid = 18377032|issue = 3|bibcode = 2008RScI...79c4501C }}</ref>。 === その他の利用 === ==== 電子セラミックス ==== [[強誘電体]]である[[ニオブ酸リチウム]]は、[[携帯電話]]、{{仮リンク|光変調素子|en|Optical modulator}}、[[表面弾性波]]デバイスの製造などに広く用いられている。[[タンタル酸リチウム]]や[[チタン酸バリウム]]などと同じように、[[ペロブスカイト構造]]を取る強[[誘電体]]に属する<ref>{{cite book|title = Lithium Niobate: Defects, Photorefraction and Ferroelectric Switching|first = Tatyana|last = Volk|author2=Wohlecke, Manfred |publisher = Springer|date = 2008|isbn = 978-3-540-70765-3|pages = 1–9}}</ref>。{{仮リンク|ニオブコンデンサ|en|Niobium capacitor}}は、{{仮リンク|タンタルコンデンサ|en|Tantalum capacitor}}の代替となりうるが<ref>{{cite journal|journal = Quality and Reliability Engineering International|volume = 14|issue = 2|doi = 10.1002/(SICI)1099-1638(199803/04)14:2<79::AID-QRE163>3.0.CO;2-Y|pages = 79–82|date = 1991 |title = Reliability comparison of tantalum and niobium solid electrolytic capacitors|first = Y.|last = Pozdeev}}</ref>、依然としてタンタルコンデンサが支配的である。高い[[屈折率]]を持つガラスを製造するためにニオブが添加され、[[眼鏡]]のレンズを薄く軽くすることができる。 ==== 低刺激性用途:医療および宝飾 ==== ニオブおよびニオブの合金は、生理学的に不活性で[[アレルギー]]を起こしにくい。このため、人工装具や[[心臓ペースメーカー]]のような埋め込みデバイスに用いられる<ref>{{cite journal|author=Mallela, Venkateswara Sarma|author2=Ilankumaran, V.|author3=Srinivasa Rao, N.| title = Trends in Cardiac Pacemaker Batteries|journal = Indian Pacing Electrophysiol J.|volume = 4|issue = 4|pages = 201–212|date=1 January 2004|pmid = 16943934|pmc = 1502062}}</ref>。[[水酸化ナトリウム]]で処理したニオブは[[多孔質材料|多孔質]]層を形成し、[[オッセオインテグレーション]](骨と金属の接合)に資する<ref>{{cite journal|author=Godley, Reut|author2=Starosvetsky, David|author3=Gotman, Irena|date = 2004|title = Bonelike apatite formation on niobium metal treated in aqueous NaOH|journal = Journal of Materials Science: Materials in Medicine|volume = 15|pages = 1073–1077|doi = 10.1023/B:JMSM.0000046388.07961.81|url = http://www.springerlink.com/content/l5613670648017wp/|format = PDF|pmid = 15516867|issue = 10}}</ref>。 チタン、タンタル、アルミニウムなどと同様に、ニオブは熱して陽極酸化処理をすることができ、多彩な[[玉虫色]]を呈して宝飾用にすることができる<ref>{{cite journal|journal = Journal of Applied Electrochemistry|volume = 21|issue = 11|doi = 10.1007/BF01077589|pages = 1023–1026 |date = 1991|title = Anodization of niobium in sulphuric acid media|author=Biason Gomes, M. A.|author2=Onofre, S.|author3=Juanto, S.|author4=Bulhões, L. O. de S.}}</ref><ref>{{cite journal|journal = Thin Solid Films|volume = 8|issue = 4|doi = 10.1016/0040-6090(71)90027-7|pages = R37–R39|date = 1971|title = A note on the thicknesses of anodized niobium oxide films|first = Y. L.|last = Chiou|bibcode = 1971TSF.....8R..37C }}</ref>。アレルギーを起こしにくい性質はこの点でも好ましいものとなっている<ref>{{cite journal|doi = 10.1361/152981502770351860|author=Azevedo, C. R. F.|author2=Spera, G.|author3=Silva, A. P.|title = Characterization of metallic piercings that caused adverse reactions during use|journal = Journal of Failure Analysis and Prevention|volume = 2|issue = 4|pages = 47–53|date =2002|url = http://www.springerlink.com/content/575x64408lnk560j/}}</ref>。 ==== 貨幣 ==== ニオブは記念硬貨において、[[銀]]や[[金]]などとともに[[貴金属]]として利用される。たとえば、[[オーストリア]]は銀とニオブの[[ユーロ硬貨]]のシリーズを2003年から開始し、その色は陽極酸化処理による薄い酸化層が光を[[回折]]して呈したものである<ref>{{cite journal|doi = 10.1016/j.ijrmhm.2005.10.008|journal = International Journal of Refractory Metals and Hard Materials|volume = 24|issue = 4|date = 2006|pages = 275–282|title = Niobium as mint metal: Production–properties–processing|first =Robert|last = Grill|author2=Gnadenberge, Alfred }}</ref>。2012年には、硬貨の中央に青、緑、茶、紫、黄など様々な色を呈する10種類の硬貨が入手可能であった。さらに、2004年のオーストリアの25[[ユーロ]][[ゼメリング鉄道]]150周年記念硬貨<ref>{{cite web|url =http://austrian-mint.at/bimetallmuenzen?l=en&muenzeSubTypeId=113&muenzeId=217|archiveurl =https://web.archive.org/web/20110721053534/http://austrian-mint.at/bimetallmuenzen?l=en&muenzeSubTypeId=113&muenzeId=217|archivedate=21 July 2011|title = 25 Euro – 150 Years Semmering Alpine Railway (2004)|accessdate=4 November 2008|publisher = Austrian Mint}}</ref>、2006年のオーストリアの25ユーロヨーロッパ測位衛星([[ガリレオ (測位システム)|ガリレオ]])記念硬貨がある<ref>{{cite web|url =http://www.austrian-mint.at/cms/download.php?downloadId=131|archiveurl =https://web.archive.org/web/20110720002739/http://www.austrian-mint.at/cms/download.php?downloadId=131|archivedate=20 July 2011|title = 150 Jahre Semmeringbahn|accessdate=4 September 2008| publisher = Austrian Mint| language=German}}</ref>。オーストリアの造幣局は2004年開始の同様の硬貨シリーズを[[ラトビア]]向けに製造しており<ref>{{cite web|url =http://www.bank.lv/eng/main/all/lvnaud/jubmon/nmp/time/|archiveurl =https://web.archive.org/web/20080109033431/http://www.bank.lv/eng/main/all/lvnaud/jubmon/nmp/time/ |archivedate=9 January 2008 |title = Neraža – mēs nevarējām atrast meklēto lapu!|language=Latvian|accessdate=19 September 2008|publisher = Bank of Latvia}}</ref>、2007年にも1種類発行した<ref>{{cite web|url = http://www.bank.lv/eng/main/all/lvnaud/jubmon/nmp/time2/|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090522101540/http://www.bank.lv/eng/main/all/lvnaud/jubmon/nmp/time2/|archivedate=22 May 2009|title = Neraža – mēs nevarējām atrast meklēto lapu!|language=Latvian|accessdate=19 September 2008|publisher = Bank of Latvia}}</ref>。2011年にはカナダ造幣局が5ドルの[[スターリングシルバー]]とニオブの「ハンターズ・ムーン」という名前の硬貨を製造開始し<ref>{{Cite web|url=http://www.mint.ca/store/coin/5-sterling-silver-and-niobium-coin-hunters-moon-2011-prod1110013|title=$5 Sterling Silver and Niobium Coin – Hunter's Moon (2011)|publisher=Royal Canadian Mint|accessdate=1 February 2012}}</ref>、ニオブは選択的に酸化されているため、同じ硬貨が2つとないような独特の仕上げとなっている。 ==== その他 ==== [[ナトリウムランプ]]の高圧発光管の密封材はニオブで作られており、場合によっては1パーセントの[[ジルコニウム]]を含んだ合金となっている。発光管は、動作中のランプ内に含まれる熱い液体[[ナトリウム]]や気体ナトリウムによる化学的な反応や還元に耐えられる半透明材料となる、焼結された[[酸化アルミニウム|アルミナ]]のセラミックスで作られ、ニオブはこれと非常によく似た熱膨張係数を持っている<ref>{{cite book|title = Lamps and Lighting|author=Henderson, Stanley Thomas|author2=Marsden, Alfred Michael|author3=Hewitt, Harry|publisher = Edward Arnold Press|date = 1972|isbn = 978-0-7131-3267-0|pages = 244–245}}</ref><ref>{{cite journal|title = Refractory metals: crucial components for light sources|last = Eichelbrönner|first = G.|date =1998|journal = International Journal of Refractory Metals and Hard Materials|volume = 16|issue = 1|pages = 5–11|doi = 10.1016/S0263-4368(98)00009-2}}</ref><ref>{{cite journal|title = Niobium and Niobium 1% Zirconium for High Pressure Sodium (HPS) Discharge Lamps|author=Michaluk, Christopher A.|author2=Huber, Louis E.|author3=Ford, Robert B.| journal = Niobium Science & Technology: Proceedings of the International Symposium Niobium 2001 (Orlando, Florida, USA)|date = 2001|isbn = 978-0-9712068-0-9 |editors=Minerals, Metals and Materials Society, Metals and Materials Society Minerals}}</ref>。 ニオブは、ある種の安定化[[ステンレス鋼]]に対する[[アーク溶接]]用の溶接棒として使われ<ref>{{US patent reference|number = 5254836|issue-date=19 October 1993|inventor = Okada, Yuuji; Kobayashi, Toshihiko; Sasabe, Hiroshi; Aoki, Yoshimitsu; Nishizawa, Makoto; Endo, Shunji|title = Method of arc welding with a ferrite stainless steel welding rod}}</ref>、またある種の水タンクにおけるカソード防蝕システムの陽極側に用いられる。この際、タンクは通常[[白金]]で[[メッキ]]される<ref>{{cite book|author=Moavenzadeh, Fred |title=Concise Encyclopedia of Building and Construction Materials|url=https://books.google.com/books?id=YiJaEAUj258C&pg=PA157|accessdate=18 February 2012 |date=14 March 1990|publisher=MIT Press|isbn=978-0-262-13248-0|pages=157–}}</ref><ref>{{cite book|author=Cardarelli, François |title=Materials handbook: a concise desktop reference|url=https://books.google.com/books?id=PvU-qbQJq7IC&pg=PA352|accessdate=18 February 2012 |date=9 January 2008|publisher=Springer|isbn=978-1-84628-668-1|pages=352–}}</ref>。 ニオブは、[[プロパン]]の選択的酸化により[[アクリル酸]]を生産する際に用いられる、高性能で不均一な[[触媒]]の重要な構成要素となる<ref>{{cite journal|title=Surface chemistry of phase-pure M1 MoVTeNb oxide during operation in selective oxidation of propane to acrylic acid|journal=Journal of Catalysis|volume=285|pages=48–60|doi=10.1016/j.jcat.2011.09.012|year=2012|last1=Hävecker|first1=Michael|last2=Wrabetz|first2=Sabine|last3=Kröhnert|first3=Jutta|last4=Csepei|first4=Lenard-Istvan|last5=Naumann d'Alnoncourt|first5=Raoul|last6=Kolen'Ko|first6=Yury V|last7=Girgsdies|first7=Frank|last8=Schlögl|first8=Robert|last9=Trunschke|first9=Annette|hdl=11858/00-001M-0000-0012-1BEB-F|url=http://pubman.mpdl.mpg.de/pubman/item/escidoc:1108560/component/escidoc:1402724/1108560.pdf|format=Submitted manuscript}}</ref><ref>{{cite journal|title=Multifunctionality of Crystalline MoV(TeNb) M1 Oxide Catalysts in Selective Oxidation of Propane and Benzyl Alcohol|journal=ACS Catalysis|volume=3|issue=6|page=1103|doi=10.1021/cs400010q|year=2013|last1=Amakawa|first1=Kazuhiko|last2=Kolen'Ko|first2=Yury V|last3=Villa|first3=Alberto|last4=Schuster|first4=Manfred E/|last5=Csepei|first5=Lénárd-István|last6=Weinberg|first6=Gisela|last7=Wrabetz|first7=Sabine|last8=Naumann d'Alnoncourt|first8=Raoul|last9=Girgsdies|first9=Frank|last10=Prati|first10=Laura|last11=Schlögl|first11=Robert|last12=Trunschke|first12=Annette|hdl=11858/00-001M-0000-000E-FA39-1}}</ref><ref>{{cite book|title=Kinetic studies of propane oxidation on Mo and V based mixed oxide catalysts|date=2011|publisher=Technische Universität Berlin|pages=157–166|doi=10.14279/depositonce-2972}}</ref><ref>{{cite journal|title=The reaction network in propane oxidation over phase-pure MoVTeNb M1 oxide catalysts|journal=Journal of Catalysis|volume=311|pages=369–385|doi=10.1016/j.jcat.2013.12.008|year=2014|last1=Naumann 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hazardous<ref>https://www.sigmaaldrich.com/MSDS/MSDS/DisplayMSDSPage.do?country=US&language=en&productNumber=262781&brand=ALDRICH&PageToGoToURL=https%3A%2F%2Fwww.sigmaaldrich.com%2Fcatalog%2Fproduct%2Faldrich%2F262781%3Flang%3Den</ref> | HPhrases = | PPhrases = | NFPA-H = 0 | NFPA-F = 0 | NFPA-R = 0 | NFPA-S = | NFPA_ref = }} }} ニオブには生物学的な役割が見つかっていない。ニオブの細粉は目や肌に対する刺激物であり、また火災の危険もある。一方で、より大きなサイズの塊であれば、化学的に比較的安定で生体に対しても不活性である。また、生体に対して[[アレルギー]]反応を誘発しにくい。宝飾品によく用いられ、またある種の医学用の埋め込み物(インプラント)の試作もされてきた<ref>{{cite journal|title = New trends in the use of metals in jewellery|author=Vilaplana, J.|author2=Romaguera, C.|author3=Grimalt, F.|author4=Cornellana, F.|journal = Contact Dermatitis|volume = 25|issue = 3 |pages = 145–148|date = 1990|doi = 10.1111/j.1600-0536.1991.tb01819.x|pmid = 1782765}}</ref><ref>{{cite journal|title = New developments in jewellery and dental materials|first = J.|last = Vilaplana|author2=Romaguera, C. | journal = Contact Dermatitis|volume = 39|issue = 2| pages = 55–57|date = 1998|doi = 10.1111/j.1600-0536.1998.tb05832.x|pmid = 9746182}}</ref>。 多くの人にとって、ニオブを含む化合物に接することはまれであるが、毒性のあるものもあり注意して取り扱う必要がある。水溶性の化学物質であるニオブ酸塩や塩化ニオブについて、短期および長期の暴露が[[ラット]]で実験されている。塩化ニオブまたはニオブ酸塩を単回投与されたラットの[[半数致死量]] (LD<sub>50</sub>) は10 - 100 mg/kgであった<ref name="Haley">{{cite journal|title = Pharmacology and toxicology of niobium chloride|author=Haley, Thomas J.|author2=Komesu, N.|author3=Raymond, K.|journal = Toxicology and Applied Pharmacology|volume = 4|issue = 3|pages = 385–392|date = 1962|doi = 10.1016/0041-008X(62)90048-0|pmid=13903824}}</ref><ref>{{cite journal|title = The Toxicity of Niobium Salts |author=Downs, William L. |display-authors=4 |author2=Scott, James K. |author3=Yuile, Charles L. |author4=Caruso, Frank S. |author5=Wong, Lawrence C. K.|journal = American Industrial Hygiene Association Journal|volume = 26|issue = 4|pages = 337–346|date = 1965|doi = 10.1080/00028896509342740|pmid = 5854670}}</ref><ref>{{cite journal|title = Zirconium, Niobium, Antimony, Vanadium and Lead in Rats: Life term studies|author=Schroeder, Henry A.|author2=Mitchener, Marian|author3=Nason, Alexis P.|journal = Journal of Nutrition|volume = 100|issue = 1|pages = 59–68|date=1970|pmid =5412131|url=http://jn.nutrition.org/content/100/1/59.short}}</ref>。経口投与では毒性はより弱く、ラットに対する実験では7日経過後のLD<sub>50</sub>は940 mg/kgであった<ref name="Haley" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == {{Commons|Niobium}} {{wiktionary|Niobium}} * [[化学元素発見の年表]] == 外部リンク == * [https://periodic.lanl.gov/41.shtml Los Alamos National Laboratory – Niobium] * [https://www.tanb.org/index Tantalum-Niobium International Study Center] * {{Cite EB1911|wstitle=Columbium|short=x}} * {{Cite NIE|wstitle=Columbium}} * [http://www.periodicvideos.com/videos/041.htm Niobium] at ''The Periodic Table of Videos'' (University of Nottingham) * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{ニオブの化合物}} {{Good article}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:におふ}} [[Category:ニオブ|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第5族元素]] [[Category:第5周期元素]]
2003-06-11T11:38:34Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%96
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ロジウム
ロジウム(英: rhodium)は原子番号45の元素。元素記号は Rh。白金族元素の1つ。貴金属にも分類される。銀白色の金属(遷移金属)で、比重は12.5 (12.4)、融点は1966 °C、沸点は3960 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。常温、常圧で安定な結晶構造は面心立方構造で、1000 °C以上に加熱すると単純立方格子になる。加熱下において酸化力のある酸に溶ける。王水には難溶。高温でハロゲン元素と反応。高温で酸化されるが、更に高温になると再び単体へ分離する。酸化数は-1価から+6価までをとり得る。レアメタルの一つである。地殻中の存在量は200pptと、安定同位体がある元素の中ではレニウムとオスミウムの50pptに次いで3番目に少ない量である。 ギリシャ語でバラ色を意味する rhodeos が語源。これは塩の水溶液がバラ色になるため。 需要の大半がガソリン車の排ガス浄化用触媒である三元触媒の一材料として使われ、一酸化炭素(CO)や窒素酸化物(いわゆるNOx)の浄化を主に担っている。また、めっき(ロジウムめっき)にも使われ、特に銀やプラチナ、ホワイトゴールドなどの銀白色の貴金属製装身具の着色、保護用に多用される。プラチナとの合金は、坩堝や熱電対に利用される。有機合成化学においては不飽和結合を水素化する際の触媒として有用なウィルキンソン触媒の中心金属で、直鎖炭化水素を脱水素して芳香族を製造する触媒にも塩化ロジウムが使われている。 2014年には自動車用触媒向けの需要が増加し、過去30年で生産量が最高となった。 1803年にウィリアム・ウォラストンによって白金鉱石から発見された。現在でも白金鉱石から不純物として産出される。 2014年に、価格は1/3ほどで同等以上の性質をもつ合金が京都大学により開発され、代替利用が期待されている。これは周期表上でロジウムの両隣に位置するルテニウムとパラジウムとの合金であり、通常は合金にならない金属同士を原子レベルで混ぜ合わせることでロジウムに近い電子状態を形成する技術である。
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ロジウムは原子番号45の元素。元素記号は Rh。白金族元素の1つ。貴金属にも分類される。銀白色の金属(遷移金属)で、比重は12.5 (12.4)、融点は1966 °C、沸点は3960 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。常温、常圧で安定な結晶構造は面心立方構造で、1000 ℃以上に加熱すると単純立方格子になる。加熱下において酸化力のある酸に溶ける。王水には難溶。高温でハロゲン元素と反応。高温で酸化されるが、更に高温になると再び単体へ分離する。酸化数は-1価から+6価までをとり得る。レアメタルの一つである。地殻中の存在量は200pptと、安定同位体がある元素の中ではレニウムとオスミウムの50pptに次いで3番目に少ない量である。
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Young |title=PHASE DIAGRAM OF THE ELEMENT |publisher=Univ of California Pr on Demand |date=1991 |pages=27 |url=https://www.osti.gov/servlets/purl/4010212 |isbn=0520074831}}</ref>で、1000{{nbsp}}℃以上に加熱すると単純立方格子になる。加熱下において酸化力のある[[酸]]に溶ける。[[王水]]には難溶。高温で[[ハロゲン元素]]と反応。高温で[[酸化]]されるが、更に高温になると再び単体へ分離する。酸化数は-1価から+6価までをとり得る。[[レアメタル]]の一つである。地殻中の存在量は200[[ppt]]と、安定同位体がある元素の中では[[レニウム]]と[[オスミウム]]の50pptに次いで3番目に少ない量である。 == 名称 == [[ギリシャ語]]で[[バラ色]]を意味する ''rhodeos'' が語源{{r|sakurai}}。これは塩の水溶液がバラ色になるため{{r|sakurai}}。 == 用途 == 需要の大半がガソリン車の排ガス浄化用[[触媒]]である[[三元触媒]]の一材料として使われ、[[一酸化炭素]](CO)や[[窒素酸化物]](いわゆるNOx)の浄化を主に担っている。また、[[めっき]](ロジウムめっき)にも使われ、特に[[銀]]や[[プラチナ]]、[[ホワイトゴールド]]などの銀白色の貴金属製装身具の着色、保護用に多用される。プラチナとの合金は、[[るつぼ|坩堝]]や[[熱電対]]に利用される。[[有機合成化学]]においては[[不飽和結合]]を[[水素化]]する際の触媒として有用な[[ウィルキンソン触媒]]の中心金属で、直鎖炭化水素を脱水素して芳香族を製造する触媒にも塩化ロジウムが使われている。 2014年には自動車用触媒向けの需要が増加し、過去30年で生産量が最高となった<ref>{{Cite web|和書|date= 2014年2月12日|url= https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2014-02-12/-|title= ロジウム価格、再び上昇か-下落で自動車の触媒向け需要回復|publisher=ブルームバーグ |accessdate=2018-11-19}}</ref>。 == 歴史 == [[1803年]]に[[ウィリアム・ウォラストン]]によって[[白金]]鉱石から発見された<ref name="sakurai">{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 216|publisher =[[講談社]]|isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。現在でも[[白金]]鉱石から不純物として産出される。 2014年に、価格は1/3ほどで同等以上の性質をもつ合金が[[京都大学]]により開発され、代替利用が期待されている<ref>{{Cite news |title=京都大学、ロジウムの特性を持つ合金を開発 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2014-1-24 |author=中道理 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2302H_T20C14A1000000/ |accessdate=2014-02-01}}</ref><ref>{{Cite news |title=1面記事 |newspaper=日刊鉄鋼新聞 |date=2014-1-30 |accessdate=2014-02-01}}</ref>。これは周期表上でロジウムの両隣に位置するルテニウムとパラジウムとの合金であり、通常は合金にならない金属同士を原子レベルで混ぜ合わせることでロジウムに近い電子状態を形成する技術である。 == ロジウムの化合物 == * [[塩化ロジウム]] (RhCl{{sub|3}}) == 同位体 == {{See|ロジウムの同位体}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{Commons&cat|Rhodium|Rhodium}} {{元素周期表}} {{ロジウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ろしうむ}} [[Category:ロジウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第9族元素]] [[Category:第5周期元素]] [[Category:貴金属]]
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紀元前365年
紀元前365年(きげんぜん365ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「アヴェンティネンシスとアハラが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元389年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前365年と表記されるのが一般的となった。
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紀元前365年(きげんぜん365ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「アヴェンティネンシスとアハラが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元389年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前365年と表記されるのが一般的となった。
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紀元前275年
紀元前275年(きげんぜん275ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「デンタトゥス と カウディヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元479年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前275年と表記されるのが一般的となった。
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紀元前275年(きげんぜん275ねん)は、ローマ暦の年である。 当時は、「デンタトゥス と カウディヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元479年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前275年と表記されるのが一般的となった。
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スループット
スループット(英: throughput)は、一般に単位時間当たりの処理能力やデータ転送量のこと。特に以下の用例が挙げられる。 機器や規格の仕様に基づいた理論上の数値から求められる単位時間あたりの処理能力やデータ転送量の最大値のことを理論スループット(theoretical throughput)あるいは理論最大スループット(theoretical maximum throughput)という。 一方、実際に通信や計算を行なったときの単位時間あたりの処理能力やデータ転送量のことを実効スループット(effective throughput)あるいは有効スループットという。 日本産業規格による翻訳では「伝送速度」という直訳が割り当てられているネットワーク関連規格もある。 コンピュータの、単位時間あたりの処理能力を指す。データ処理におけるスループットには、コンピュータに搭載されるCPU/GPUのクロック周波数や並列コア数、メモリおよびバスの帯域幅、ハードディスクの回転速度、ソリッドステートドライブの読み書き速度、オペレーティングシステムなど、様々な要因が影響する。 単位時間あたりのデータ転送量を指す。家庭用のルーターや無線LAN機器などで、「スループット:50Mbps」などと表記される。なお、表記されるスループットは理論値の場合があり、一般的に理論値どおりのスループットを引き出すのは難しい。 ネットワーク機器や通信回線の導入の際には、両者のスループットの違いについて考慮すべきである(例えば、家庭用ブロードバンド回線に接続する機器は、回線と同程度か、もしくはそれを超えるスループットのものとするなど)。 スループットの低い機器や回線が途中経路に存在すると、そこがボトルネックになる。 スループットの測定法には各種ある。専用の測定機器としてはSpirent社のSmartBitsが有名である。一般的な測定方法としては、異なった比率の負荷トラフィックを機器にそれぞれ転送させ、その負荷別の得失差を検証し、負荷トラフィックのフレームサイズごとのスループットを求める方法がある。 また、ADSL等のブロードバンド回線が一般家庭に普及した頃から、簡易な回線スループット測定サービスとして、インターネット上の特定サーバから自分の端末までのTCP/IPスループットを簡単に測定することができるウェブサイトが現れている。 あるネットワークにおいてデータを転送する速度であるスループットの尺度には、bps(ビット/秒)が用いられている。回線提供事業者は、ネットワークが維持できる最大量のスループット、理論上の最適な条件のものを宣伝する。しかし、こうした最大値が、コンピュータなどの機器が処理できる速度を上回っていれば、処理できる速度に制限される。 こうした実行速度を計測するためのウェブサイトや、端末にインストールして利用するソフトウェア/アプリケーションが存在する。 またグッドプットでは、アプリケーション層に依存しハードウェアが処理できる速度よりも小さく示なる。例えばFTPでは、データそのものと、データを圧縮せず、CRC情報などを持つが、こうしたデータ自体以外の量(オーバーヘッド)が通信プロトコルによって異なるためである。 スピードテストの結果は、様々な要因で変動する。 スピードテストの1セッションにおいて、同時に複数のTCPコネクションを使って測定するサイトでは、同時に接続するコネクション数によっても結果は変動する。 Javaアプレット、JavaScript、Flashなどを利用したスピードテストサイトが依然として多数あるが、これらは今日のWebブラウザにおいては非標準であり、端末依存である。特にPC向けに設計されたサイトをスマートフォンやタブレットで利用した場合、例えブラウザーが同種(Chrome等)であっても正確な測定を阻害する場合もある。 またフレッツに限らず全世界的にも、IPv4ネットワークとIPv6ネットワークは論理上は切り離されたネットワークであり、IPv6インターネット接続サービスを利用する場合の各種方式においても、v4とv6とではネットワーク経路や品質が大きく異なる場合もあり、その状況下では、TCPv4通信とTCPv6通信の場合とで、1TCPコネクションのスピードテスト結果も大きく変動する。2016年時点においてスピードテストサイト側でIPv6通信への対応や、TCPv4、TCPv6通信のいずれかを区別し正しく表示するサイトはかなりの少数派である。なお、IPv4とIPv6の何れの通信が優先されるかは、端末の設定やルーター等の環境などによって異なる。さらに、スピードテストの際のアクセス傾向と、実際のWeb等のアプリケーションによる通信の際のアクセス傾向も異なるのが通常である。 スピードテストサイトでは殆どの場合TCPコネクションにより測定するため帯域遅延積によりスループットは頭打ちとなる。しかし、UDPデータグラムにより測定する試みはほとんどなされない。それは、UDPにおいてはフロー制御が難しく、目一杯の帯域でネットワークに対しデータグラムを送出すると、経路上のネットワークの帯域幅を食い尽くすなどDoS攻撃さながらの行為になりかねないからである(圧縮されたビデオ、オーディオストリームでは一定の時間間隔でデータグラムを送出し、さらにフロー制御を行う仕様である)。 方式としては以下のようなものがある。 RFC 1242の3.17では、「その機器によって送信フレームが損失しない最大レート」と定義されている。データストリーム中の1つのフレームが欠けたとしても、上位プロトコルのタイムアウトを待たねばならず、そこに遅延が発生する。それを回避するための事前検証として、対象機器がフレームを欠けさせること無く送信できる最大レート、つまりスループットを知ることが同RFCで推奨されている。
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スループットは、一般に単位時間当たりの処理能力やデータ転送量のこと。特に以下の用例が挙げられる。 コンピュータやネットワークが一定時間内に処理できるデータ量のこと。レイテンシとならんで、パフォーマンスの評価基準となる。 コンピュータ・ネットワークを構成する機器によって、送信フレームが損失しない最大レート(後述のRFC定義)。 機器や規格の仕様に基づいた理論上の数値から求められる単位時間あたりの処理能力やデータ転送量の最大値のことを理論スループットあるいは理論最大スループットという。 一方、実際に通信や計算を行なったときの単位時間あたりの処理能力やデータ転送量のことを実効スループットあるいは有効スループットという。 日本産業規格による翻訳では「伝送速度」という直訳が割り当てられているネットワーク関連規格もある。
'''スループット'''({{Lang-en-short|throughput}})は、一般に単位時間当たりの処理能力やデータ転送量のこと。特に以下の用例が挙げられる。 * [[コンピュータ]]や[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]が一定時間内に処理できるデータ量のこと。[[レイテンシ]]とならんで、[[パフォーマンス]]の評価基準となる。 * コンピュータ・ネットワークを構成する機器によって、送信[[フレーム (ネットワーク)|フレーム]]が損失しない最大レート(後述の[[Request for Comments|RFC]]定義)。 機器や規格の仕様に基づいた理論上の数値から求められる単位時間あたりの処理能力やデータ転送量の最大値のことを理論スループット({{lang|en|theoretical throughput}})<ref>[https://link.springer.com/chapter/10.1007/978-3-540-45235-5_28 Theoretical Throughput/Delay Analysis for Variable Packet Length in the 802.11 MAC Protocol | SpringerLink]</ref>あるいは理論最大スループット({{lang|en|theoretical maximum throughput}})<ref>[https://ieeexplore.ieee.org/document/5723927 Theoretical maximum throughput of IEEE 802.11e EDCA mechanism | IEEE Conference Publication | IEEE Xplore]</ref>という。 一方、実際に通信や計算を行なったときの単位時間あたりの処理能力やデータ転送量のことを実効スループット({{lang|en|effective throughput}})あるいは有効スループットという<ref>[https://e-words.jp/w/%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%88.html スループット(throughput)とは - IT用語辞典 e-Words]</ref>。 [[日本産業規格]]による翻訳では「伝送速度」という直訳が割り当てられているネットワーク関連規格もある{{sfn|JISC6960|2012|loc=3.4.7節}}。 == データ処理におけるスループット == [[コンピュータ]]の、単位時間あたりの処理能力を指す。[[データ処理]]におけるスループットには、コンピュータに搭載される[[CPU]]/[[Graphics Processing Unit|GPU]]の[[クロック]]周波数や並列コア数、メモリおよび[[バス (コンピュータ)|バス]]の[[帯域幅]]、[[ハードディスク]]の回転速度、[[ソリッドステートドライブ]]の読み書き速度、[[オペレーティングシステム]]など、様々な要因が影響する。 == ネットワークにおけるスループット == 単位時間あたりのデータ転送量を指す。家庭用の[[ルーター]]や[[無線LAN]]機器などで、「スループット:50Mbps」などと表記される。なお、表記されるスループットは理論値の場合があり、一般的に理論値どおりのスループットを引き出すのは難しい。 ネットワーク機器や通信回線の導入の際には、両者のスループットの違いについて考慮すべきである(例えば、家庭用[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド回線]]に接続する機器は、回線と同程度か、もしくはそれを超えるスループットのものとするなど)。 スループットの低い機器や回線が途中経路に存在すると、そこが[[ボトルネック]]になる。 スループットの測定法には各種ある。専用の[[測定]]機器としては[[Spirent]]社の[[SmartBits]]が有名である。一般的な測定方法としては、異なった比率の負荷トラフィックを機器にそれぞれ転送させ、その負荷別の得失差を検証し、負荷トラフィックの[[フレーム (ネットワーク)|フレーム]]サイズごとのスループットを求める方法がある。 また、[[ADSL]]等の[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]回線が一般家庭に普及した頃から、簡易な回線スループット測定サービスとして、インターネット上の特定サーバから自分の端末までの[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]スループットを簡単に測定することができるウェブサイトが現れている。 === スループット速度の測定 === あるネットワークにおいてデータを転送する速度である'''スループット'''の尺度には、bps(ビット/秒)が用いられている。回線提供事業者は、ネットワークが維持できる最大量のスループット、理論上の最適な条件のものを宣伝する。しかし、こうした最大値が、コンピュータなどの機器が処理できる速度を上回っていれば、処理できる速度に制限される。<ref name="Comer2008" />{{rp|474-475}} こうした実行速度を計測するためのウェブサイトや、端末にインストールして利用するソフトウェア/アプリケーションが存在する。 ==== グッドプット ==== また[[グッドプット]]では、[[アプリケーション層]]に依存しハードウェアが処理できる速度よりも小さく示なる。例えば[[File Transfer Protocol|FTP]]では、データそのものと、データを圧縮せず、CRC情報などを持つが、こうしたデータ自体以外の量([[オーバーヘッド]])が通信プロトコルによって異なるためである。<ref name="Comer2008">Comer, D. E. (2008). Computer Networks and Internets 5th Edition</ref>{{rp|474-475}} ==== 測定結果 ==== スピードテストの結果は、様々な要因で変動する。 ==== 外部の要因 ==== ;経路上の各通信回線の品質、遅延や[[輻輳]](混雑度合い) :品質が悪い(ロス率が高い)ネットワークでは再送によりスループットが低下する<ref>{{Cite news|title=ファイル転送や仮想デスクトップなどの通信性能をソフトウェアだけで改善する新データ転送方式を開発 : 富士通|url=http://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/01/29-1.html|accessdate=2018-10-23|work=富士通}}</ref>。 :遅延が大きいと後述の[[帯域遅延積]]により、[[Transmission Control Protocol|TCP]]最大スループットが制限される。<ref group="注">これに対し、[[User Datagram Protocol|UDP]]では[[トランスポート層]]レベルでは帯域遅延積の影響は受けにくい。ただし、より上位層でフロー、輻輳制御が必要となる。</ref> ;経路上にある各機器([[ルーター]]等)の性能、輻輳 :ルーター<ref group="注">ここでは、[[インターネットサービスプロバイダ|ISP]]基幹ネットワークで使用するものから、[[ブロードバンドルーター]]までの、ルーター全般のこと</ref>の遅延が大きかったりパケット損失率が高いとスループットが低下する<ref>{{Cite news|title=ネットワーク遅延対策技術|url=https://thinkit.co.jp/story/2011/08/23/2239|accessdate=2018-10-23|work=Think IT(シンクイット)}}</ref>。 ;[[Transmission Control Protocol|TCP]]による[[帯域遅延積]]の影響 :TCPは[[スライディングウィンドウ]]によるフロー制御を採用しているため、受信側のウィンドウサイズ(RWIN)、1つのTCPコネクション仮想回線の帯域幅([[ビット毎秒|bps]])、2地点間の通信遅延時間([[ラウンドトリップタイム|RTT]])は次の関係式で表される。<ref name=":1">Nelson, M. (2006). "The Hutter Prize".</ref> ::帯域幅 ≦ 定数×(RTT÷RWIN) :そのため、RTTの大きい仮想回線上では、RWINを十分大きくしないと帯域幅の上限が制限されうる。なおRTTについては、インターネットの場合は経由する全伝送路の物理的距離([[光速]]に比例する)だけでなく、ホップ数(通信経路上で経由するルーター数)によっても大きな影響を受ける<ref group="注">伝送路容量が低い領域(数Mbps程度)ではRWIN、RTTともさほど問題にならなかったが、[[FTTH]]などの伝送路容量が数十Mbps〜の高速な回線が普及すると、受信側の不十分なRWINや、RTTの大きさが測定結果に大きな影響を及ぼすようになっている。</ref><ref name=":1" />。 :今日の[[FTTH]]等による高速[[インターネットサービスプロバイダ|インターネットサービス]]では、幾ら回線容量が大きくなっても、1TCPコネクションのスループットは頭打ちになりやすい。それは、多くの端末の実装で、RTTに対する効率的なRWINの調整が難しいためである<ref>{{Cite web|url=https://support.microsoft.com/en-us/help/900926/recommended-tcp-ip-settings-for-wan-links-with-a-mtu-size-of-less-than|title=Recommended TCP/IP settings for WAN links with a MTU size of less than 576|accessdate=2018-10-23|website=support.microsoft.com}}</ref>。 ;[[ルーティング|経路]]の変動 :インターネットの場合、通信経路は常に一定と言うわけではなく変動した場合は遅延も変化する<ref name=":2">電子情報通信学会(2011) 参考文献</ref>。 ;サーバーや計測側コンピューターの設置場所 :特にインターネットの場合は、それぞれの2地点の場所によって、経路や遅延なども自明的に変化する<ref name=":2" />。例えば日本国内からスピードテストのサイトに接続する場合、関東地方にあるサーバーと北米のサーバーとでは後者の方が測定結果は大幅に小さい結果になる(前述の帯域遅延積による)。 ;サーバーや計測側コンピューター要因での遅延 :サーバーの場合はスピードテスト要求が過度に集中した場合、サーバー近傍の通信回線の輻輳やサーバー自体の過負荷によりスループットは低下する<ref name=":3">{{harvnb|磯部(2015)}}</ref>。 :また測定結果を表示するコンピューター側でも、オペレーティング・システムや、セキュリティソフトを含むさまざまなソフトウェアの負荷、[[LANカード|NIC]]、ネットワーク・[[デバイスドライバ]]の性能によりスループットが低下する<ref name=":3" />。(次項移行も参照のこと) ==== 自身のコンピュータの要因 ==== ;Wi-Fi端末を使用 :端末のLAN内への接続に関しては、今日の最新のWi-Fi仕様である[[IEEE802.11]]<nowiki/>acにおいても、有線LAN([[ギガビット・イーサネット|GbE]])による接続と比較して、レイテンシや実効速度の面で大幅に劣る<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000215030.pdf 11ac 製品実測資料] 2011年</ref><ref>{{Cite news|title=802.11ac アクセスポイントの性能を徹底比較! - Technical Direct|date=2014-07-22|url=http://www.technical-direct.com/jp/802-11ac-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E6%80%A7%E8%83%BD%E3%82%92%E5%BE%B9%E5%BA%95%E6%AF%94%E8%BC%83%EF%BC%81/|accessdate=2018-10-23-JP|work=Technical Direct}}</ref>。特に遅延の部分は影響が大きく、前述の帯域遅延積により測定結果は大幅に低下する。 ;性能の低い端末を使用 :今日の[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]によるスピードテストにおいては、ブラウザの動作自体にある程度のマシンパワーを必要とする。低価格PC、性能の低いPCではスピードテストサイトの測定結果自体が低下する事はおろか、ブラウザの動作速度自体が緩慢であるため、ネットワークの速度如何に関わらず、実利用における[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]の『体感速度'''』'''は大幅に低いものとなる。今日の最新スマートフォンやタブレットの性能は、低価格PCと大差がない。 ;IPv6に関する諸問題 :日本のNTTのフレッツによるインターネット接続サービスに特有の問題であるが、IPv6関連の設定が正しく行われていない場合に、IPv6のDNS名前解決に起因する遅延として、「IPv6-IPv4フォールバック問題」や「IPv6マルチプレフィックス問題」が生じ得る。この影響下にある端末では、本番のデータ通信の直前に名前解決のために大きな遅延が生じる。この遅延が通信時間にカウントされてしまうと、1TCPコネクションに対するスピードテストの結果数値も大きく低下する。 ==== 計測サイトの仕様 ==== スピードテストの1セッションにおいて、同時に複数のTCPコネクション<ref name=":1" group="注">スピードテストサイトによって「マルチセッション」「同時接続数」などと表現される事がある。</ref>を使って測定するサイトでは、同時に接続するコネクション数によっても結果は変動する<ref name=":1" group="注" /><ref>{{Cite news|title=【連載】第366回:下り最大200Mbpsの実力は? NTT東日本の「フレッツ 光ネクスト」ハイスピードタイプを試す | date=2009-11-10| publisher=株式会社インプレス| url=https://bb.watch.impress.co.jp/docs/series/shimizu/324379.html |accessdate=2018-10-23 |work=BB Watch}}</ref>。 Javaアプレット、JavaScript、Flashなどを利用したスピードテストサイトが依然として多数あるが、これらは今日のWebブラウザにおいては非標準であり、端末依存である。特にPC向けに設計されたサイトをスマートフォンやタブレットで利用した場合、例えブラウザーが同種(Chrome等)であっても正確な測定を阻害する場合もある。 またフレッツに限らず全世界的にも、IPv4ネットワークとIPv6ネットワークは論理上は切り離されたネットワークであり、IPv6インターネット接続サービスを利用する場合の各種方式においても、v4とv6とではネットワーク経路や品質が大きく異なる場合もあり、その状況下では、TCPv4通信とTCPv6通信の場合とで、1TCPコネクションのスピードテスト結果も大きく変動する。2016年時点においてスピードテストサイト側でIPv6通信への対応や、TCPv4、TCPv6通信のいずれかを区別し正しく表示するサイトはかなりの少数派である。なお、IPv4とIPv6の何れの通信が優先されるかは、端末の設定やルーター等の環境などによって異なる。さらに、スピードテストの際のアクセス傾向と、実際のWeb等のアプリケーションによる通信の際のアクセス傾向も異なるのが通常である。 ==== その他 ==== スピードテストサイトでは殆どの場合TCPコネクションにより測定するため帯域遅延積によりスループットは頭打ちとなる。しかし、[[User Datagram Protocol|UDP]][[データグラム]]により測定する試みはほとんどなされない。それは、UDPにおいては[[フロー制御]]が難しく、目一杯の帯域でネットワークに対しデータグラムを送出すると、経路上のネットワークの帯域幅を食い尽くす<ref group="注">さらに、出口ネットワークの帯域幅がデータグラムのストリーム帯域幅より狭い場合はパケット廃棄が生じる。</ref>など[[DoS攻撃]]さながらの行為になりかねないからである(圧縮されたビデオ、オーディオストリームでは一定の時間間隔でデータグラムを送出し、さらにフロー制御を行う仕様である)。 === 測定ツールの方式 === 方式としては以下のようなものがある。 ;[[ブラウザ]]による測定 :[[JavaScript]]と[[Webサーバ]]により速度を測定する方式である。 ;[[Adobe Flash|Flash]]による測定 :Flashの[[ActionScript]]と測定サーバにより速度を測定する方法である。 ;[[Java Applet]]による測定 :Java Appletと測定サーバにより速度を測定する方法である。 ;専用ソフトウェアによる測定 :[[クライアント (コンピュータ)|クライアント]]側と[[サーバ]]側両方に測定ソフトウェアを[[インストール]]し、測定する方法である。 == RFCにおけるスループット == {{IETF RFC|1242}}の3.17では、「その機器によって送信[[フレーム (ネットワーク)|フレーム]]が損失しない最大レート」と定義されている。[[データ]][[ストリーム]]中の1つのフレームが欠けたとしても、上位[[プロトコル]]のタイムアウトを待たねばならず、そこに遅延が発生する。それを回避するための事前検証として、対象機器がフレームを欠けさせること無く送信できる最大レート、つまりスループットを知ることが同RFCで推奨されている。 == 出典 == === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 脚注 === <references /> == 参考文献 == * Stuart Cheshire. "[http://www.stuartcheshire.org/papers/NagleDelayedAck/ TCP Performance problems caused by interaction between Nagle's Algorithm and Delayed ACK]", 2005. * 阿野茂浩「[http://www.ieice-hbkb.org/files/03/03gun_05hen_02.pdf 2 章 ネットワーク層以下の品質]」『知識ベース』電子情報通信学会(2011) * {{Cite thesis|和書|author=磯部隆史 |url=https://hdl.handle.net/2241/00128948 |title=通信品質を向上させるネットワークアプライアンスに関する研究 |volume=筑波大学 |series=博士(工学) 甲第7277号 |year=2015 |id={{naid|500000961916}} |hdl=2241/00128948 |ref={{harvid|磯部(2015)}}}} * {{cite jis|C|6960|2012|name=ルーティング機器及びスイッチング機器のエネルギー消費効率の測定方法}} ==関連項目== *[[帯域幅]] *[[伝送路容量]] *[[スペクトル効率]] ==外部リンク== *[http://techtarget.itmedia.co.jp/tt/news/0701/15/news01.html 「帯域幅」という用語は正しくない TechTarget] - [[帯域幅]]との混同について *[http://www.speedtest.net/ Speedtest.net] Ookla *[http://netspeed.studio-radish.com/ 通信速度測定システム] Studio Radish *[http://www.usen.com/speedtest02/ スピードテスト] USEN *[https://スピードテスト.jp/ スピードテスト.jp]Meter.net *[http://www.musen-lan.com/speed/ SpeedTest] Broadband Network Report(BNR) *[https://fast.com/ja/ Fast.com] インターネット回線の速度テスト (Netflix) {{DEFAULTSORT:するうふつと}} [[Category:コンピュータ]] [[Category:性能]]
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デバッガ
デバッガ(英: debugger)とは、デバッグ作業を支援するコンピュータプログラムのこと。利用者がデバッグ対象プログラムを対話的に動作/一時停止させたり、プログラムが使っている変数の一覧や内容等を表示させたりする機能がある。近年では統合開発環境に含まれていることが多い。また、インサーキット・エミュレータ (ICE) などでは、ハードウェアと連携して動作する。「デバッガー」と表記することもある。また、デバッグを行なう作業者のことをデバッガあるいはデバッガーと呼ぶこともある。 インタプリタには内蔵されていることもある。たとえばPerlは起動時に -d オプションを指定することで、デバッガモードになる。 ソフトウェアを設計・開発する際、プログラム作成開始段階では少なからず誤り(エラーあるいはバグ)が含まれており、設計どおりに動作しなかったり、出力結果が不正確だったりすることが多い。そのため、ソフトウェアのテスト実行をしつつ、正しい動作をするようにプログラムを修正し、不具合の原因となるバグを取り除いていく作業、すなわちデバッグを行なう必要がある。古典的かつ原始的な手法としては、ソースコードを1行ずつ目視で検査(コードレビュー)しながら思考実験により論理的な誤りを見つけ出す方法が挙げられる。また典型的には、標準出力などを利用して実際の変数の状態やプログラム実行順序などを時系列に表示しつつ、プログラム動作および不具合再現手順や発生タイミングを確認する技法が用いられることも多い。C言語のprintf関数にちなんで、この手法を「printfデバッグ」と呼ぶこともある。プログラムのテスト実行によって、ソースコードの流れ、および変数などの中身を確認しながら、その動作の問題点を探ることになる。これにより、変数の取り扱いや計算式、条件分岐などにおける誤りを見つけ出し、修正していく。 しかし、ソフトウェアの規模が大きくなるにつれて、通例バグの数も比例して増え、複雑で大規模なプログラムにおいて不具合の原因がどこに存在するのかを特定することが困難になっていく。標準出力が使えない環境や、ログが瞬時に流れてしまうようなケースではprintfデバッグ技法は適用しにくい。また、本来は必要のないデバッグ用の余分な出力処理を埋め込むことで、ソースコードのメンテナンス性が低下するだけでなく、システムに対する副作用が発生してタイミングがずれるなどして、再現させたいはずの不具合が発生しなくなってしまうこともある。複雑なデータ構造や膨大なデータ列など、単純にテキストで表現することが難しいケースもある。 そこで、プログラミングツールのひとつであるデバッガを利用して、テスト実行やデバッグの効率化および負担軽減を行なうようになった。デバッガを用いることで、前述の思考実験やprintfデバッグでは難しかった、高度な実行時検証をすることができるようになる。 デバッガの原理は、デバッグ対象のプロセスにアタッチして、プロセスの実行状況に関する情報の双方向通信を行なうことである。オペレーティングシステムにはデバッガの実装に利用可能なAPIが用意されていることもある。コンパイルすると、(人間には理解しにくい)機械語や中間表現になるプログラミング言語であっても、デバッグ用にコンパイル&ビルドする際に、ソースコードに関するメタデータである「プログラムデータベース」(program database; pdb) と呼ばれる追加情報を生成し、デバッグ実行時にこのシンボル情報を参照することで、デバッガは現在実行中のプログラムステップ位置などを特定することができる。 デバッガは性能解析および性能強化にも使われることがあるが、これらは本来プロファイラと呼ばれる別のツールの役割である。デバッグ用にコンパイル&ビルドされたプログラムは、余分なコードや最適化されていないコードを含んでおり、プログラム本来の性能指標としては使うべきではない。また、プログラムにデバッガをアタッチすることでオーバーヘッドを生じることもある。 多くのデバッガは、大体似たような機能を持つ。 多くのオペレーティングシステムやプログラミング言語処理系にはコマンドラインで扱えるデバッガが付属するほか、ほとんどの統合開発環境にはGUIによって情報の直感的かつ高度な視覚化が可能なビジュアルデバッガが付属している。
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デバッガとは、デバッグ作業を支援するコンピュータプログラムのこと。利用者がデバッグ対象プログラムを対話的に動作/一時停止させたり、プログラムが使っている変数の一覧や内容等を表示させたりする機能がある。近年では統合開発環境に含まれていることが多い。また、インサーキット・エミュレータ (ICE) などでは、ハードウェアと連携して動作する。「デバッガー」と表記することもある。また、デバッグを行なう作業者のことをデバッガあるいはデバッガーと呼ぶこともある。 インタプリタには内蔵されていることもある。たとえばPerlは起動時に -d オプションを指定することで、デバッガモードになる。
{{出典の明記|date=2015年12月}} {{ソフトウェア開発工程}} '''デバッガ'''({{lang-en-short|debugger}})とは、[[デバッグ]]作業を支援する[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータプログラム]]のこと。利用者がデバッグ対象プログラムを対話的に動作/一時停止させたり、プログラムが使っている変数の一覧や内容等を表示させたりする機能がある。{{いつ範囲|date=2019-04|近年}}では[[統合開発環境]]に含まれていることが多い。また、[[インサーキット・エミュレータ]] (ICE) などでは、[[ハードウェア]]と連携して動作する。「'''デバッガー'''」と表記することもある。また、デバッグを行なう作業者のことをデバッガあるいはデバッガーと呼ぶこともある。 [[インタプリタ]]には内蔵されていることもある。たとえば[[Perl]]は起動時に <code>-d</code> オプションを指定することで、デバッガモードになる。 ==概要== ===デバッガの目的=== ソフトウェアを設計・開発する際、プログラム作成開始段階では少なからず誤り(エラーあるいは[[バグ]])が含まれており、設計どおりに動作しなかったり、出力結果が不正確だったりすることが多い。そのため、[[ソフトウェアテスト|ソフトウェアのテスト実行]]をしつつ、正しい動作をするようにプログラムを修正し、不具合の原因となるバグを取り除いていく作業、すなわちデバッグを行なう必要がある。古典的かつ原始的な手法としては、ソースコードを1行ずつ目視で検査([[コードレビュー]])しながら[[思考実験]]により論理的な誤りを見つけ出す方法が挙げられる。また典型的には、[[標準出力]]などを利用して実際の[[変数 (プログラミング)|変数]]の状態やプログラム実行順序などを時系列に表示しつつ、プログラム動作および不具合再現手順や発生タイミングを確認する技法が用いられることも多い。[[C言語]]の[[printf]]関数にちなんで、この手法を「printfデバッグ」<ref>{{Cite web|和書|title=もう一度基礎からC言語 第13回 エラーメッセージと対処方法(3)~開発手順の効率化 printfデバッグを試す|url=https://dev.grapecity.co.jp/support/powernews/column/clang/013/page04.htm|website=dev.grapecity.co.jp|accessdate=2020-07-17}}</ref>と呼ぶこともある。プログラムのテスト実行によって、ソースコードの流れ、および変数などの中身を確認しながら、その動作の問題点を探ることになる。これにより、変数の取り扱いや計算式、[[条件分岐]]などにおける誤りを見つけ出し、修正していく。 しかし、ソフトウェアの規模が大きくなるにつれて、通例バグの数も比例して増え、複雑で大規模なプログラムにおいて不具合の原因がどこに存在するのかを特定することが困難になっていく。標準出力が使えない環境や、ログが瞬時に流れてしまうようなケースではprintfデバッグ技法は適用しにくい。また、本来は必要のないデバッグ用の余分な出力処理を埋め込むことで、ソースコードのメンテナンス性が低下するだけでなく、システムに対する副作用が発生してタイミングがずれるなどして、再現させたいはずの不具合が発生しなくなってしまうこともある。複雑なデータ構造や膨大なデータ列など、単純にテキストで表現することが難しいケースもある。 そこで、[[プログラミングツール]]のひとつであるデバッガを利用して、テスト実行やデバッグの効率化および負担軽減を行なうようになった。デバッガを用いることで、前述の思考実験やprintfデバッグでは難しかった、高度な実行時検証をすることができるようになる。 デバッガの原理は、デバッグ対象のプロセスにアタッチして、プロセスの実行状況に関する情報の双方向通信を行なうことである。[[オペレーティングシステム]]にはデバッガの実装に利用可能な[[Application Programming Interface|API]]が用意されていることもある<ref>{{Cite web|和書|title=プロセスデバッガを作ってみる|url=http://codezine.jp/article/detail/426|website=CodeZine|accessdate=2020-07-17|language=ja}}</ref>。[[コンパイル]]すると、(人間には理解しにくい)[[機械語]]や[[中間表現]]になるプログラミング言語であっても、デバッグ用にコンパイル&ビルドする際に、ソースコードに関するメタデータである「プログラムデータベース」(program database; pdb) と呼ばれる追加情報を生成し、デバッグ実行時にこのシンボル情報を参照することで、デバッガは現在実行中のプログラムステップ位置などを特定することができる。 デバッガは[[性能解析]]および性能強化にも使われることがあるが、これらは本来[[プロファイラ]]と呼ばれる別のツールの役割である。デバッグ用にコンパイル&ビルドされたプログラムは、余分なコードや最適化されていないコードを含んでおり、プログラム本来の性能指標としては使うべきではない。また、プログラムにデバッガをアタッチすることでオーバーヘッドを生じることもある。 ===デバッガの機能=== 多くのデバッガは、大体似たような機能を持つ。 ;[[ブレークポイント]] :ソースコード中の任意のステップに置くことで、実行の流れを一時的に止める機能。ブレークポイントを置いてからデバッグ対象のソフトウェアを実行した際、デバッガはブレーク位置でプログラムの処理を一時停止させる。これにより、任意の位置での実行状況(変数の値やメモリの内容)を調べることができるようになる。一時停止後に通常通り実行を再開することもできる。 ;ステップ実行 :処理を止めた後で、1ステップずつ対話的にソースコードを実行する。これにより、ソースコードをステップごとに追いかけながら実行することができ、状態の変化の確認やロジックの問題点を探ることができる。 :;ステップイン ::ステップを関数([[サブルーチン]])あるいは[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]の内部に進める。 :;ステップオーバー ::現在実行中の関数([[サブルーチン]])あるいは[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]において1ステップ進める。 :;ステップアウト ::現在実行中の関数([[サブルーチン]])あるいは[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]の実行を最後まで完了し、ステップを呼び出し元に進める。 ;変数確認/変数書き換え :指定した変数の中身を出力する。これにより、変数にどんな値が入っており、それが正しいか、誤っているかを確認できる。 :変数名だけでなく、式 (expression) 形式で出力対象を指定できる機能を持つデバッガもある。 :また、デバッグ対象プログラムの一時停止中に変数の中身を任意の値に書き換えた後、再開することができるデバッガもある。 ==デバッガの例== 多くの[[オペレーティングシステム]]やプログラミング言語処理系にはコマンドラインで扱えるデバッガが付属するほか、ほとんどの統合開発環境には[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]によって情報の直感的かつ高度な視覚化が可能なビジュアルデバッガが付属している。 === クロスプラットフォーム === * jdb - [[Java]]用のシンプルなコマンドラインデバッガ * [[Eclipse (統合開発環境)|Eclipse]]内のデバッグ・パースペクティブ - [[統合開発環境|IDE]]の一部の機能として提供 === ウェブブラウザ === * [[Google Chrome]]のChrome DevTools - [[ウェブブラウザ]]の一部の機能として提供 * [[Mozilla Firefox]]の[[JavaScript]]デバッガ === [[Microsoft Windows|Windows]] === * [[Microsoft Visual Studio]]のデバッガ([[:en:Microsoft Visual Studio Debugger]]) : C/[[C++]]のネイティブコード、および[[C Sharp|C#]]/[[Visual Basic .NET|VB.NET]]などのマネージコードのデバッグに対応するほか、[[アドイン]]により追加の言語に対応することも可能。 : ブレーク中にソースコードの一部を書き換えてビルド&再開することのできる「エディット コンティニュ」(Edit and Continue) をサポートする。 * [[Visual Basic for Applications]]のデバッガ : [[Visual Basic]]エディターとともに、[[Microsoft Office]]内蔵の統合開発環境に付属。 === UNIX === *[[GNUデバッガ|GDB]] - GNUデバッガ *[[adb]] - Advanced Debugger の略のようだが(英語版 [[:en:Advanced Debugger]] も参照)、{{要出典範囲|date=2019-04|SysV 系のマニュアルなどで absolute debugger と書かれていることがあるようである}}。なお一般に absolute debugger という語は symbolic debugger に対比した語で、シンボルを扱えないデバッガという意味で使われる。 *[[dbx (UNIX)|dbx]] - ソース・レベルのシンボリック・デバッガ *[[TotalView]] - [[UNIX]]/[[Linux]]用並列デバッガ:[[CUDA]], [[Xeon Phi]] === Android === * adb - Android Debug Bridge === [[CP/M]] === *{{仮リンク|Dynamic debugging tool|en|Dynamic debugging technique|label=DDT}} (CP/M-80付属のデバッガ) <!-- 英語版では、Dynamic debugging technique とあるが、複数の出典によれば、Dynamic debugging tool という名称。 出典1 http://www.cpm.z80.de/randyfiles/DRI/DDT.pdf 出典2 https://www.vt100.net/manx/details/44,11362 --> *SID (シンボル表を読み込み、デバッグ中の表示をシンボル表示にできるようにしたもの) *ZSID (SIDのZ80対応版) ===[[MS-DOS]]=== *{{仮リンク|DEBUG|en|DEBUG}} - SYMDEBと違い、シンボルを扱う機能がない。<!--機械語のアセンブル、逆アセンブルもできる。--><!--アセンブル機能は基本的に1命令(1行)単位のアセンブルしかできず、ほとんど緊急用ぐらいの機能しかない。--> *SYMDEB - DEBUGと違い、シンボルを扱えるシンボリック・デバッガとなっている。<!--機械語のアセンブル、逆アセンブルもできる。--> *{{仮リンク|CodeView|en|CodeView}} - [[マイクロソフト]]社の高機能なソース・レベルのシンボリック・デバッガ。MS-C 5.10 等に付属。Windows 用もある。 *{{仮リンク|Borland Turbo Debugger|en|Borland Turbo Debugger}} - [[ボーランド]]社の高機能なソース・レベルのシンボリック・デバッガ。Turbo Assembler 5.0J や Turbo C++ 4.0J for DOS 等に付属。Windows 用もある。 == 脚注 == {{Reflist}} {{プログラミング言語の関連項目}} {{DEFAULTSORT:てはつか}} [[Category:デバッガ|*]]
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ZIP
ZIP, Zip, zip
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ZIP, Zip, zip
{{wiktionarypar|zip}} '''ZIP''', '''Zip''', '''zip''' == 名詞 == * 英語の[[オノマトペ]]。銃弾の発射音や着弾音などに使われる。 * [[線ファスナー|ジッパー]]。ZIPファスナー。 *[[ZIP燃料]] ({{interlang|en|zip fuel}}) - ジェット燃料。 * [[ZIP-FM]] - 日本のFMラジオ局。 * [[COMIC Zip]] - かつて[[フランス書院]]が発行していた成人向け漫画雑誌。 === コンピュータ === * [[ZIP (ファイルフォーマット)|ZIP]]([[圧縮ファイル]]フォーマット) ** [[Info-ZIP]]のZIPアーカイブの作成・編集を行うためのプログラムの名称。 *[[7-Zip]] * [[ZIP (記憶媒体)]] - リムーバブルディスク。 * [[高階関数#zip|zip関数]] - [[高階関数]]のひとつ。 === 航空会社 === * [[ジップ (カナダの航空会社)]] - 2002年から2004年にかけて存在した{{CAN}}の格安航空会社。 * [[ZIPAIR Tokyo]] - 2020年からの運航開始した{{JPN}}の格安航空会社。 == テレビ番組 == * [[ZIP!]] - [[日本テレビ放送網]]の朝の情報番組。 ** [[おはZIP!]]-[[中京テレビ放送]] ** [[ZIP!FRIDAY]]-[[青森放送]] ** [[ZIP!SUNDAY]]-[[秋田放送]] ** [[やまがたZIP!]]-[[山形放送]] * [[ふるさとZIP探偵団]] → ZIP! - [[関西テレビ放送]]の旅番組。 <!-- ==ラジオ番組== *[[ZIP FM]] --> == 頭字語 == * [[ZIPコード]] - アメリカ合衆国の郵便番号。 * Zone Information Protocol - [[AppleTalk]]がZoneを管理するためのプロトコル。 * [[ジグザグインラインパッケージ]] ({{interlang|en|zig-zag in-line package}}) - [[集積回路]] (IC) の[[パッケージ (電子部品)|パッケージ]]の種類。 * [[ゼータ阻害ペプチド]] ({{en|zeta inhibitory peptide}}) - [[長期記憶]]を抑制する薬剤。 {{Aimai}}
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スペルチェッカ
スペルチェッカ(日: 綴り検査プログラム、英: spell checker)は、コンピュータ上で書かれた文書に対して、各単語が正しく綴られているかを検証するソフトウェアである。基本的には表音文字を用いる言語に対して使われる。多くのスペルチェッカは、綴りの間違いを検出するだけでなく、綴りの訂正候補を利用者に提示する機能も持っている。スペルチェッカは、ワードプロセッサ・電子メールクライアント・電子辞書・検索エンジンといった大きな応用プログラムにおいて機能の1つとして組込まれていることもあれば、単独の応用プログラムとして提供されているものもある。 スペルチェッカは、文書中に存在する各単語を、自身に内蔵された辞書(語彙とも)と比較することにより動作する。単語が辞書の内に見つからなければ利用者に誤りの可能性を指摘する。 誤りの可能性を指摘するだけでなく、多くのスペルチェッカでは、正しい綴りの候補を検索・提示するためのアルゴリズムも動作する。単純なアルゴリズムでは、綴りが似ている単語(技術的に言えば編集距離が小さい単語)を辞書から探し出して利用者に提示する。 スペルチェッカは、利用者からの要求に応じて文書や電子メールの全体を一括で検証することもできるし、ワードプロセッサやテキストエディタの中には、文章の入力に応じてスペルチェッカが自動で動作して誤りの可能性を知らせるものもある(後者の場合は、利用者の作業を妨げないように、単語に下線を引くなどの方法で知らせるものが多い)。 多くのスペルチェッカは多言語環境で動作可能である。利用者がスペルチェッカに内蔵された語彙に無い単語を入力することはよくある。例えば、固有名詞(特に人名・企業名など)や頭字語のようなものである。この問題を解決するために、多くのスペルチェッカでは利用者が独自の単語を辞書に追加できるようにしている。 スペルチェッカは大きく分けて以下の処理で構成されている。 単語を抽出する処理は、形態論を扱うため、言語に依存したアルゴリズムを含んでいる。英語のように語形変化の小さい言語でさえ、単語の抽出処理は複数形や所有の表現のような現象を取り扱う必要がある。ドイツ語・ハンガリー語・フィンランド語のように単語が連結される言語(総合的言語)では、形態素解析が役に立つ。 辞書は、単純な単語の羅列である場合もあれば、ハイフネーションの位置や語彙的・文法的属性などの付加的な情報を含んでいる場合もある。 これらの構成要素の付属物として、利用者にプログラムの操作で置き換えや修正を指示するための、利用者インターフェースがある。 上記の方式に対する一つの例外は、全文検索にも用いられるアルゴリズムである N-gram(英語版) のような統計情報だけを単に利用するスペルチェッカだが、一般には使われていない。スペルチェッカは、場合によって固定された誤綴りのリストと、誤りに対する修正語を使用する。この柔軟でない方式は、紙の訂正方法としてはしばしば使われる。 最初期のスペルチェッカは、1970年代の汎用コンピュータで広く利用できた。パソコン向けの最初のスペルチェッカは1980年に CP/M 向けで利用できるようになり、1981年に発表された IBM PC 向けのパッケージが続いた。Maria Mariani、Soft-Art、Microlytics、Proximity、Circle Noetics、Reference Software のような開発会社が、主要な PC だけでなく Macintosh、VAX、UNIX 向けに、OEM パッケージやエンドユーザ向け製品を発売し、ソフトウェア市場を拡大した。PC では、これらのスペルチェッカは独立のプログラムであるが、多くは十分な主記憶容量のある PC では、ワープロパッケージの中から常駐プログラムとして動作することができた。 しかし、1980年代の中頃に WordStar や WordPerfect のような人気のあるワープロパッケージがスペルチェッカを取り込んだため、独立のパッケージは短命であった。ほとんどは前記の会社から許諾書を受けたものであり、英語から他のヨーロッパ言語、アジアの言語へと急速にサポート範囲を広げた。しかし、ハンガリー語やフィンランド語のように、語形変化の激しい言語に関しては、ソフトウェアの形態学的処理をより洗練することが要求された。アイスランドのような国のワープロ市場の大きさは、スペルチェッカを実装するための投資に見合わないにもかかわらず、 WordPerfect のような会社は世界的マーケティング戦略の一部として、可能な限りの地域化に努めた。 近年では、スペルチェッカの機能はワープロから Firefox 2.0 のようなウェブブラウザに移った。Wikiテキストの編集時や、数多くの Webメール、ブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスで文書を書く時には、ユーザが書いたコンテンツに対するスペルチェックを行うことができる。ウェブブラウザの Google Chrome、Konqueror、Opera、電子メールクライアントの KMail、インスタントメッセージクライアントの Pidgin もまた、現在は en:Hunspell(以前は GNU Aspell であったが)の機能を透過的に使用することによりスペルチェックの機能を持っている。Mac OS X では、システム全体でスペルチェックができるようになり、事実上バンドルされたアプリケーションやサードパーティ製アプリケーションすべてにサービスが拡張された。 最初のスペルチェッカは、「修正」ではなく「検証」だけを行った――すなわち誤った綴りに対して推奨語を提供しなかった。これは誤植に対しては役に立つが、論理的誤りや発音上の誤りにはあまり役に立たない。誤って綴られた単語に対して役に立つ推奨語を提案することの困難に対して、開発者は挑戦した。これは、単語を骨格の形式に変形し、パターンマッチング算法を適用することを必要とする。 正しい単語が誤って強調される事がなくなるので、スペルチェックの辞書に関して「大きいことはよいこと」 は論理的に思われるかも知れない。しかし、実際には英語に関しての最適な辞書のサイズは 90,000 語程度と見られる。これより大きい辞書の場合、誤って綴られた単語が他の単語と誤って見逃されるかもしれない。例えば、言語学者はコーパス言語学に基づいて、単語 "baht"(バーツ)が、タイ王国の通貨単位への言及よりも、"bath" や "bat" の誤った綴りであることのほうが多いと断定するかもしれない。したがって、"bath" について議論する多くの人の綴りの誤りを見逃すよりも、タイ王国の通貨単位についての記述をするわずかな人に不便をかけるほうが、一般的には役に立つ。 最初の MS-DOS のスペルチェッカは、ワープロパッケージの検証モードで主に使用された。文書を準備が出来上がった後で、利用者は文書を走査して誤った綴りを探した。しかし、後にパッチ処理は短命なオラクルの CoAuthor のようなパッケージの中で提供された。これにより、ユーザが文書を処理し、間違っていると知っている単語だけを修正した結果を見ることができた。記憶容量と処理能力が豊富になり、Sector Software が1987年に製作した Spellbound や Word 95 以降の Microsoft Word のように、スペルチェックはバックグラウンドで対話的に処理されるようになった。 近年、スペルチェッカはより洗練された。いくつかのスペルチェッカは簡単な文法の誤りを認識することができる。しかし、一番優れたものでも、(同音異義語の誤りのような)表現上の誤りをめったに捕らえることはなく、新語や外来語に誤綴印をつける。 英語は、いくつかの専門用語と修飾語を除いて、公式な文書で使用される大部分の単語が通常の辞書に見つけることのできる点で、例外的な言語である。しかし多くの言語では、頻繁に単語を新しい方で組み合わせることが典型的である。ドイツ語では、しばしば複合名詞が既存の名詞から作り出される。いくつかの書法では、単語と別の単語を明確に区切らないので、単語を分割するアルゴリズムが必要となる。 単語は、それ自身が周囲の単語の文脈に基づいた語彙に関わっているにもかかわらず、近年の研究は、綴りの誤った単語を認識する能力があるアルゴリズムを開発することに注力していた。これは単語の誤りを捕らえるだけでなく、より多くの単語を認識させる辞書の拡大の有害な影響を軽減する。このような機構で捕らえられる最も一般的な誤りの例は、以下の分の太字の単語のような同音異字である。 現在までに最も成功したアルゴリズムは、 Andrew Golding と Dan Roth が 1999年 に発表した "winnow-based spelling correction algorithm" であり、普通の単語でない誤りに加えて、文脈依存の綴りの誤りの 96% を認識することができる。
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"多くのスペルチェッカは多言語環境で動作可能である。利用者がスペルチェッカに内蔵された語彙に無い単語を入力することはよくある。例えば、固有名詞(特に人名・企業名など)や頭字語のようなものである。この問題を解決するために、多くのスペルチェッカでは利用者が独自の単語を辞書に追加できるようにしている。", "title": "動作" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "スペルチェッカは大きく分けて以下の処理で構成されている。", "title": "設計" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "単語を抽出する処理は、形態論を扱うため、言語に依存したアルゴリズムを含んでいる。英語のように語形変化の小さい言語でさえ、単語の抽出処理は複数形や所有の表現のような現象を取り扱う必要がある。ドイツ語・ハンガリー語・フィンランド語のように単語が連結される言語(総合的言語)では、形態素解析が役に立つ。", "title": "設計" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "辞書は、単純な単語の羅列である場合もあれば、ハイフネーションの位置や語彙的・文法的属性などの付加的な情報を含んでいる場合もある。", "title": "設計" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "これらの構成要素の付属物として、利用者にプログラムの操作で置き換えや修正を指示するための、利用者インターフェースがある。", "title": "設計" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "上記の方式に対する一つの例外は、全文検索にも用いられるアルゴリズムである N-gram(英語版) のような統計情報だけを単に利用するスペルチェッカだが、一般には使われていない。スペルチェッカは、場合によって固定された誤綴りのリストと、誤りに対する修正語を使用する。この柔軟でない方式は、紙の訂正方法としてはしばしば使われる。", "title": "設計" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "最初期のスペルチェッカは、1970年代の汎用コンピュータで広く利用できた。パソコン向けの最初のスペルチェッカは1980年に CP/M 向けで利用できるようになり、1981年に発表された IBM PC 向けのパッケージが続いた。Maria Mariani、Soft-Art、Microlytics、Proximity、Circle Noetics、Reference Software のような開発会社が、主要な PC だけでなく Macintosh、VAX、UNIX 向けに、OEM パッケージやエンドユーザ向け製品を発売し、ソフトウェア市場を拡大した。PC では、これらのスペルチェッカは独立のプログラムであるが、多くは十分な主記憶容量のある PC では、ワープロパッケージの中から常駐プログラムとして動作することができた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "しかし、1980年代の中頃に WordStar や WordPerfect のような人気のあるワープロパッケージがスペルチェッカを取り込んだため、独立のパッケージは短命であった。ほとんどは前記の会社から許諾書を受けたものであり、英語から他のヨーロッパ言語、アジアの言語へと急速にサポート範囲を広げた。しかし、ハンガリー語やフィンランド語のように、語形変化の激しい言語に関しては、ソフトウェアの形態学的処理をより洗練することが要求された。アイスランドのような国のワープロ市場の大きさは、スペルチェッカを実装するための投資に見合わないにもかかわらず、 WordPerfect のような会社は世界的マーケティング戦略の一部として、可能な限りの地域化に努めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "近年では、スペルチェッカの機能はワープロから Firefox 2.0 のようなウェブブラウザに移った。Wikiテキストの編集時や、数多くの Webメール、ブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービスで文書を書く時には、ユーザが書いたコンテンツに対するスペルチェックを行うことができる。ウェブブラウザの Google Chrome、Konqueror、Opera、電子メールクライアントの KMail、インスタントメッセージクライアントの Pidgin もまた、現在は en:Hunspell(以前は GNU Aspell であったが)の機能を透過的に使用することによりスペルチェックの機能を持っている。Mac OS X では、システム全体でスペルチェックができるようになり、事実上バンドルされたアプリケーションやサードパーティ製アプリケーションすべてにサービスが拡張された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "最初のスペルチェッカは、「修正」ではなく「検証」だけを行った――すなわち誤った綴りに対して推奨語を提供しなかった。これは誤植に対しては役に立つが、論理的誤りや発音上の誤りにはあまり役に立たない。誤って綴られた単語に対して役に立つ推奨語を提案することの困難に対して、開発者は挑戦した。これは、単語を骨格の形式に変形し、パターンマッチング算法を適用することを必要とする。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "正しい単語が誤って強調される事がなくなるので、スペルチェックの辞書に関して「大きいことはよいこと」 は論理的に思われるかも知れない。しかし、実際には英語に関しての最適な辞書のサイズは 90,000 語程度と見られる。これより大きい辞書の場合、誤って綴られた単語が他の単語と誤って見逃されるかもしれない。例えば、言語学者はコーパス言語学に基づいて、単語 \"baht\"(バーツ)が、タイ王国の通貨単位への言及よりも、\"bath\" や \"bat\" の誤った綴りであることのほうが多いと断定するかもしれない。したがって、\"bath\" について議論する多くの人の綴りの誤りを見逃すよりも、タイ王国の通貨単位についての記述をするわずかな人に不便をかけるほうが、一般的には役に立つ。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "最初の MS-DOS のスペルチェッカは、ワープロパッケージの検証モードで主に使用された。文書を準備が出来上がった後で、利用者は文書を走査して誤った綴りを探した。しかし、後にパッチ処理は短命なオラクルの CoAuthor のようなパッケージの中で提供された。これにより、ユーザが文書を処理し、間違っていると知っている単語だけを修正した結果を見ることができた。記憶容量と処理能力が豊富になり、Sector Software が1987年に製作した Spellbound や Word 95 以降の Microsoft Word のように、スペルチェックはバックグラウンドで対話的に処理されるようになった。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "近年、スペルチェッカはより洗練された。いくつかのスペルチェッカは簡単な文法の誤りを認識することができる。しかし、一番優れたものでも、(同音異義語の誤りのような)表現上の誤りをめったに捕らえることはなく、新語や外来語に誤綴印をつける。", "title": "機能" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "英語は、いくつかの専門用語と修飾語を除いて、公式な文書で使用される大部分の単語が通常の辞書に見つけることのできる点で、例外的な言語である。しかし多くの言語では、頻繁に単語を新しい方で組み合わせることが典型的である。ドイツ語では、しばしば複合名詞が既存の名詞から作り出される。いくつかの書法では、単語と別の単語を明確に区切らないので、単語を分割するアルゴリズムが必要となる。", "title": "他の言語でのスペルチェッカ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "単語は、それ自身が周囲の単語の文脈に基づいた語彙に関わっているにもかかわらず、近年の研究は、綴りの誤った単語を認識する能力があるアルゴリズムを開発することに注力していた。これは単語の誤りを捕らえるだけでなく、より多くの単語を認識させる辞書の拡大の有害な影響を軽減する。このような機構で捕らえられる最も一般的な誤りの例は、以下の分の太字の単語のような同音異字である。", "title": "文脈依存のスペルチェッカ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "現在までに最も成功したアルゴリズムは、 Andrew Golding と Dan Roth が 1999年 に発表した \"winnow-based spelling correction algorithm\" であり、普通の単語でない誤りに加えて、文脈依存の綴りの誤りの 96% を認識することができる。", "title": "文脈依存のスペルチェッカ" } ]
スペルチェッカは、コンピュータ上で書かれた文書に対して、各単語が正しく綴られているかを検証するソフトウェアである。基本的には表音文字を用いる言語に対して使われる。多くのスペルチェッカは、綴りの間違いを検出するだけでなく、綴りの訂正候補を利用者に提示する機能も持っている。スペルチェッカは、ワードプロセッサ・電子メールクライアント・電子辞書・検索エンジンといった大きな応用プログラムにおいて機能の1つとして組込まれていることもあれば、単独の応用プログラムとして提供されているものもある。
'''スペルチェッカ'''({{lang-ja-short|'''綴り検査プログラム'''<ref>{{cite book|和書 |author=J. L. ベントリー |others=野下 浩平(訳) |title=プログラム設計の着想 |date=1989-09 |publisher=近代科学社 |isbn=978-4-7649-0158-2 |chapter=第3部}}</ref><ref>{{cite journal|和書 |author=川合 慧 |title=英文綴り検査法 |date=1983-04-15 |journal=情報処理 |volume=24|issue=4 |url=http://id.nii.ac.jp/1001/00006241/|accessdate=2019-08-22}}</ref>}}、{{lang-en-short|spell checker}})は、[[コンピュータ]]上で書かれた文書に対して、各単語が正しく[[綴り字|綴られ]]ているかを検証する[[ソフトウェア]]である。基本的には[[表音文字]]を用いる言語に対して使われる。多くのスペルチェッカは、綴りの間違いを検出するだけでなく、綴りの訂正候補を利用者に提示する機能も持っている。スペルチェッカは、[[ワードプロセッサ]]・[[電子メールクライアント]]・[[電子辞書]]・[[検索エンジン]]といった大きな応用プログラムにおいて機能の1つとして組込まれていることもあれば、単独の[[応用プログラム]]として提供されているものもある。 == 動作 == スペルチェッカは、文書中に存在する各単語を、自身に内蔵された[[辞書]]([[語彙]]とも)と比較することにより動作する。単語が辞書の内に見つからなければ利用者に誤りの可能性を指摘する。 誤りの可能性を指摘するだけでなく、多くのスペルチェッカでは、正しい綴りの候補を検索・提示するための[[アルゴリズム]]も動作する。単純なアルゴリズムでは、綴りが似ている単語(技術的に言えば[[レーベンシュタイン距離|編集距離]]が小さい単語)を辞書から探し出して利用者に提示する。 スペルチェッカは、利用者からの要求に応じて文書や[[電子メール]]の全体を一括で検証することもできるし、[[ワードプロセッサ]]や[[テキストエディタ]]の中には、文章の入力に応じてスペルチェッカが自動で動作して誤りの可能性を知らせるものもある(後者の場合は、利用者の作業を妨げないように、単語に下線を引くなどの方法で知らせるものが多い<ref>{{Cite web|和書|url=http://mzl.la/1BAQFzT |title=スペルチェック機能を使うには |website=Firefoxヘルプ |publisher=Mozilla |accessdate=2019-08-22}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://help.libreoffice.org/index.php?curid=58120 |title=スペルと文法 |website=LibreOfficeヘルプ |author=WikiSysop |date=2016-06-18 |publisher=LibreOffice |accessdate=2019-08-22}}</ref>)。 多くのスペルチェッカは多言語環境で動作可能である。{{独自研究範囲|date=2021年5月|利用者がスペルチェッカに内蔵された語彙に無い単語を入力することはよくある}}。例えば、固有名詞(特に人名・企業名など)や[[頭字語]]のようなものである。この問題を解決するために、多くのスペルチェッカでは利用者が独自の単語を辞書に追加できるようにしている。 == 設計 == スペルチェッカは大きく分けて以下の処理で構成されている。 # 文書から単語を抽出する処理 # 文書から見つかった単語を、正しい綴りの辞書と照しあわせる処理 # 正しい綴りの候補を検索する処理 単語を抽出する処理は、[[形態論]]を扱うため、言語に依存したアルゴリズムを含んでいる。[[英語]]のように語形変化の小さい言語でさえ、単語の抽出処理は[[複数形]]や[[所有 (言語学)|所有の表現]]のような現象を取り扱う必要がある。[[ドイツ語]]・[[ハンガリー語]]・[[フィンランド語]]のように単語が連結される言語([[総合的言語]])では、[[形態素解析]]が役に立つ。 辞書は、単純な単語の羅列である場合もあれば、[[禁則処理|ハイフネーション]]の位置や語彙的・文法的属性などの付加的な情報を含んでいる場合もある。 これらの構成要素の付属物として、利用者にプログラムの操作で置き換えや修正を指示するための、[[ユーザーインタフェース|利用者インターフェース]]がある。 上記の方式に対する一つの例外は、[[全文検索#N-Gram|全文検索]]にも用いられるアルゴリズムである {{仮リンク|N-gram|en|n-gram}} のような統計情報だけを単に利用するスペルチェッカだが、一般には使われていない。スペルチェッカは、場合によって固定された誤綴りのリストと、誤りに対する修正語を使用する。この柔軟でない方式は、紙の訂正方法としてはしばしば使われる。 == 歴史 == 最初期のスペルチェッカは、[[1970年代]]の[[メインフレーム|汎用コンピュータ]]で広く利用できた<ref>{{cite book | last1 = Peterson | first1 = James | title = Computer Programs for Detecting and Correcting Spelling Errors | date = Dec 1980 | url = http://simson.net/ref/2006/csci_e-180/ref/spelling-p676-peterson.pdf | accessdate = 2019-08-22}}</ref>。パソコン向けの最初のスペルチェッカは1980年に [[CP/M]] 向けで利用できるようになり、[[1981年]]に発表された [[IBM PC]] 向けのパッケージが続いた<ref name="cled.georgetown.edu">{{cite web|url=http://cled.georgetown.edu/faculty/|title=Georgetown U Faculty & Staff: The Center for Language, Education & Development|accessdate=2008-12-18|deadurl=yes|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090205140452/http://cled.georgetown.edu/faculty/|archivedate=2009-02-05|df=}}, 出典: "Maria Mariani... was one of a group of six linguists from Georgetown University who developed the first spell-check system for the IBM corporation."</ref>。Maria Mariani、Soft-Art、Microlytics、Proximity、Circle Noetics、Reference Software のような開発会社が、主要な PC だけでなく [[Macintosh]]、[[VAX]]、[[UNIX]] 向けに、[[OEM]] パッケージやエンドユーザ向け製品を発売し、ソフトウェア市場を拡大した。PC では、これらのスペルチェッカは独立のプログラムであるが、多くは十分な[[主記憶]]容量のある PC では、ワープロパッケージの中から[[常駐プログラム]]として動作することができた。 しかし、[[1980年代]]の中頃に [[WordStar]] や [[WordPerfect]] のような人気のあるワープロパッケージがスペルチェッカを取り込んだため、独立のパッケージは短命であった。ほとんどは前記の会社から許諾書を受けたものであり、[[英語]]から他の[[ヨーロッパ]]言語、[[アジア]]の言語へと急速にサポート範囲を広げた。しかし、[[ハンガリー語]]や[[フィンランド語]]のように、語形変化の激しい言語に関しては、ソフトウェアの形態学的処理をより洗練することが要求された。{{要出典範囲|date=2019-08|[[アイスランド]]のような国のワープロ市場の大きさは、スペルチェッカを実装するための投資に見合わないにもかかわらず、 WordPerfect のような会社は世界的[[マーケティング]]戦略の一部として、可能な限りの[[地域化]]に努めた}}。 近年{{いつ|date=2021年5月}}では、{{独自研究範囲|date=2021年5月|スペルチェッカの機能はワープロから [[Mozilla Firefox|Firefox]] 2.0 のような[[ウェブブラウザ]]に移った}}<!-- 「移った」としている論文などあれば -->。[[Wiki]]テキストの編集時や、数多くの [[Webメール]]、[[ブログ]]、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]で文書を書く時には、ユーザが書いたコンテンツに対するスペルチェックを行うことができる。ウェブブラウザの [[Google Chrome]]、[[Konqueror]]、[[Opera]]、電子メールクライアントの [[KMail]]、[[インスタントメッセージ]][[クライアント (コンピュータ)|クライアント]]の [[Pidgin]] もまた、現在{{いつ|date=2021年5月}}は [[:en:Hunspell]](以前は [[GNU Aspell]] であったが)の機能を透過的に使用することによりスペルチェックの機能を持っている。{{要出典範囲|date=2021-05|Mac OS X では、システム全体でスペルチェックができるようになり、事実上バンドルされたアプリケーションやサードパーティ製アプリケーションすべてにサービスが拡張された}}<!-- https://www.google.com/search?hl=ja&q=%22%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%AF%22%20%22%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E5%85%A8%E4%BD%93%22%20site%3Aapple.com%20-site%3Aapps.apple.com などと検索しても引っ掛かりません。 -->。 == 機能 == 最初のスペルチェッカは、「修正」ではなく「検証」だけを行った――すなわち誤った綴りに対して推奨語を提供しなかった。これは[[誤植]]に対しては役に立つが、論理的誤りや発音上の誤りにはあまり役に立たない。誤って綴られた単語に対して役に立つ推奨語を提案することの困難に対して、開発者は挑戦した。これは、単語を骨格の形式に変形し、パターンマッチング算法を適用することを必要とする。 正しい単語が誤って強調される事がなくなるので、スペルチェックの辞書に関して「大きいことはよいこと」 は論理的に思われるかも知れない。しかし、{{要出典範囲|date=2019-08|実際には英語に関しての最適な辞書のサイズは 90,000 語程度と見られる}}。これより大きい辞書の場合、誤って綴られた単語が他の単語と誤って見逃されるかもしれない。例えば、言語学者は[[コーパス言語学]]に基づいて、単語 "baht"([[バーツ]])が、タイ王国の通貨単位への言及よりも、"bath" や "bat" の誤った綴りであることのほうが多いと断定するかもしれない。したがって、"bath" について議論する多くの人の綴りの誤りを見逃すよりも、タイ王国の通貨単位についての記述をするわずかな人に不便をかけるほうが、一般的には役に立つ。 最初の MS-DOS のスペルチェッカは、ワープロパッケージの検証モードで主に使用された。文書を準備が出来上がった後で、利用者は文書を走査して誤った綴りを探した。しかし、後にパッチ処理は短命な[[オラクル (企業)|オラクル]]の CoAuthor のようなパッケージの中で提供された。これにより、ユーザが文書を処理し、間違っていると知っている単語だけを修正した結果を見ることができた。記憶容量と処理能力が豊富になり、Sector Software が[[1987年]]に製作した Spellbound や Word 95 以降の [[Microsoft Word]] のように、スペルチェックは[[バックグラウンド (ソフトウェア)|バックグラウンド]]で対話的に処理されるようになった。 近年{{いつ|date=2021年5月}}、スペルチェッカはより洗練された。{{独自研究範囲|date=2021年5月|いくつかのスペルチェッカは簡単な[[文法]]の誤りを認識することができる。しかし、一番優れたものでも、([[同音異義語]]の誤りのような)表現上の誤りをめったに捕らえることはなく、[[新語]]や外来語に誤綴印をつける}}。 == 他の言語でのスペルチェッカ == 英語は、いくつかの専門用語と修飾語を除いて、公式な文書で使用される大部分の単語が通常の辞書に見つけることのできる点で、例外的な言語である。しかし多くの言語では、頻繁に単語を新しい方で組み合わせることが典型的である。ドイツ語では、しばしば複合名詞が既存の名詞から作り出される。いくつかの書法では、単語と別の単語を明確に区切らないので、単語を分割するアルゴリズムが必要となる。 == 文脈依存のスペルチェッカ == 単語は、それ自身が周囲の単語の文脈に基づいた語彙に関わっているにもかかわらず、近年の研究は、綴りの誤った単語を認識する能力があるアルゴリズムを開発することに注力していた。これは単語の誤りを捕らえるだけでなく、より多くの単語を認識させる辞書の拡大の有害な影響を軽減する。このような機構で捕らえられる最も一般的な誤りの例は、以下の分の太字の単語のような[[同音異字]]である。 :'''Their''' coming '''too''' '''sea''' if '''its''' '''reel'''. 現在までに最も成功したアルゴリズムは、 Andrew Golding と Dan Roth が [[1999年]] に発表した "winnow-based <!-- This is, o irony, not a misspelling. Do not replace with "window" or "Windows". --> spelling correction algorithm" であり、普通の単語でない誤りに加えて、文脈依存の綴りの誤りの 96% を認識することができる<ref>{{cite journal |author = Andrew R. Golding and Dan Roth and J. Mooney and Claire Cardie |url = http://citeseer.ist.psu.edu/116990.html |title = A winnow-based approach to context-sensitive spelling correction |date = 1999 |journal = Machine Learning |pages = 107-130 |accessdate = 2008-11-28 }}</ref>。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[k近傍法]] * [[:en:Record linkage problem]] * [[:en:Spelling suggestion]] * [[文法チェッカー]] == 外部リンク == <!-- Please don't gum this up with your favorite spelling checker. Just one link should hopefully be enough. --> *[http://citeseer.ist.psu.edu/context/167352/0 Computer Programs for Detecting and Correcting Spelling Errors] {{DEFAULTSORT:すへるちえつか}} [[Category:言語処理ソフトウェア]] [[Category:テキストエディタの機能]]
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クラス (コンピュータ)
オブジェクト指向プログラミングにおけるクラス(英: class)は、オブジェクトを生成するための設計図あるいはひな形に相当するものである。抽象データ型の一つ。クラスから生成したオブジェクトの実体のことをインスタンスという。 クラスには、クラス自身またはクラスのインスタンスが保持するデータと、データに関連したオブジェクトの振る舞いを記述できる。プログラミング言語によっては、それぞれにアクセス修飾子(英語版)を指定できる。統一モデリング言語 (UML) のクラス図では、データのことを「属性」、振る舞いのことを「操作」と呼ぶ。Javaなどでは、データのことを「フィールド」、振る舞いのことを「メソッド」と呼ぶ。C++などでは、データのことを「メンバー変数」、振る舞いのことを「メンバー関数」と呼ぶ。 クラスは、クラスベースのオブジェクト指向プログラミングの基本である。また、オブジェクト指向プログラミングにおけるカプセル化・継承・ポリモーフィズムなどを、クラスベースのオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを必要に応じて適宜使って実装する。一方、カプセル化・継承・ポリモーフィズムなどを、プロトタイプベースのオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを使わずに実装する。 プログラミング言語におけるクラスのサポートは、オーレ=ヨハン・ダールによってSimula 67において初めて導入された。この時点ではまだオブジェクト指向の概念や用語は確立されていなかったが、のちにSimulaの影響を受けたビャーネ・ストロヴストルップのC++と、アラン・ケイのSmalltalkによってオブジェクト指向が再定義されることになる。 一般にどんなプログラムであれ、プログラム機能を提供するためにはデータを保有するだけではなく、データに対する操作ができなければならない。単に複数のデータをまとめる手段としては、C言語の構造体やPascalのレコード型といった形で従来の手続き型プログラミング言語においても提供されている。一方クラスは、データだけでなくそのデータに関連する操作もひとまとめにして管理する枠組みを提供する。 このように関連する変数や操作などをクラスの所属物として一つにまとめてしまうことを、クラスによる情報のカプセル化(encapsulation)と呼ぶ。適切なカプセル化により、データ構造やアルゴリズムなどを変更したとしても、変更箇所はカプセル化されたクラス領域内だけで済み、変更箇所がクラス外の関連ソースコード全体にまで散乱・波及してしまうことを防ぐことができる。 またアクセス修飾子 (access modifier) により、所属物に対して公開/非公開情報の区別をつけることで、クラス外部からクラス内に対して破壊的操作を加えることを防いだり、特定の機密データをクラス外部から見ることができないようにしたりするなど、外部に開放する情報に制限をつけることができる。カプセル化した上に公開/非公開情報の区別を加えることを情報隠蔽(information hiding)と呼ぶ。 継承(inheritance)または拡張(extension)とも呼ばれる。継承の目的は、単純なクラスに基づいてもっと複雑なクラスを構成することである。また、複雑なクラスはそれを定義する単純なクラスに従属するという意味で、クラスに階層をつけることができるようになる。継承の基になったクラスを親クラス/基本クラス/基底クラス/スーパークラスなどといい、継承してできたクラスを子クラス/派生クラス/サブクラスなどという。派生クラスのインスタンスはまた基本クラスのインスタンスとしても扱えるようになる(リスコフの置換原則)。継承により、後述のポリモーフィズムを実現することができるようになる。 UMLでは継承のことを汎化 (generalization) と呼んでいる。汎化とはスーパークラスによる抽象化であり、対義語の特化 (specialization) はサブクラスによる具象化を指す。 また、オブジェクト指向を効率よく使いこなすためには継承だけでなく集約 (aggregation)、委譲 (delegation) を理解する必要がある。 継承は、開放/閉鎖原則に基づき、単純な基本クラスからより複雑な派生クラスを構成する機構であり、コードの再利用と拡張を容易にする。逆に複雑なクラスの所属物のいくつかを除いて単純なクラスを構成しようとすると、コードの再利用と拡張を阻害することになる。 すなわち、最初から多数の所属物をカプセル化したり、基本クラスから継承するにしても多数の所属物を付け加えて極めて特化されたクラスを最初から作成してしまうと、途中でそれよりやや一般的なクラスが必要になっても代替させることができない。 複数の基本クラスを継承して一つの新しいクラスを派生させることを多重継承 (multiple inheritance) と呼ぶ。多重継承により、基となった全てのクラスの所属物は合わせて一つになり、全ての動作が組み合わさった新しい一つのクラスが構成される。ただし、実装の多重継承は二つの基本クラスの同名メソッドのオーバーライドによるコンフリクトを始めとするいくつかの問題点(菱形継承問題など)が指摘されている。したがって実装の継承は通例、一つのクラスに基づいてその拡張を行う単一継承を用いる。C++は多重継承を許可し、多重継承にまつわる問題の解決手段を仮想継承によって提供しているが、他の多くの言語、例えばJava、C#、D言語では実装の多重継承はサポートされておらず、インターフェイスの複数実装による型の多重継承のみサポートされている。ただしJava 8以降はインターフェイスのデフォルト実装により、実装の多重継承も限定的にサポートするようになった。なお、Simula 67は多重継承もインターフェイスもサポートしていなかった。 クラスを継承する際に、スーパークラスの振る舞いをサブクラスの振る舞いで上書きする(置き換える)ことをオーバーライドという。あるサブクラスのインスタンスがオーバーライドされた振る舞いを持つ場合、インスタンスの具体的な内容(クラス)が分からなくても、インスタンスに対してその振る舞いを実行するよう指示すれば、見かけがスーパークラスと同じ(すなわちインターフェイスが同じ)でありながら、インスタンスの実際のクラスに応じて実行される振る舞い(処理内容)を変えることができる。このようにして、見かけが一緒なのに動作が変わることをポリモーフィズム(ポリモルフィズム)/多様性/多態性/多相性などという。 ダイクストラの構造化プログラミングは、プログラムの大規模開発への道を開いたが、あくまで単一スレッド(single thread)計算機を前提としたトップダウン型開発方法であった。すなわち、プログラムのすべての機能は単線の計算プロセス上で実行する必要があり、たとえ甲と乙という汎用的な単機能を提供する検証済みのプログラムがそれぞれ独立に存在していても、両機能を実現するプログラムを作成するためには、ソースコードから該当機能部分を抜き出し、単線上に乗るように連接(concatenation)した上で、一つのプログラムとして正しく動作するように修正し、さらに再度検証しなければならない。 一方で、複数スレッド(multi thread)計算機においては、主プログラムから、甲と乙のプログラムなどの従プログラムをそれぞれ並列に実行させた上で、処理内容を従プログラムに(OSの機能などを仲介して)伝言受け渡し(message passing)して代わりに処理させることで、検証済みプログラムのソースコードに手を加えることなく、低コストで開発することができる(コルーチンを用いたプログラミング)。 オーレ=ヨハン・ダールとアントニー・ホーアは、このような考え方の有効性を主張し、上記のような一連の操作を一つの言語の中で完結させるための機構を提案した。それがクラスの構文である。 ダールとホーアは、まず主プログラムから従プログラムを並列呼び出しする際、読み込みするにあたって新たに(new)割り当てられたメモリ領域に限定して走る計算プロセスを実例(instance;インスタンス)と名付け、さらにその実例の集まり(class of instances)をそれが記述されたソースコードと同一視した。その上で、呼び出されたときだけではなく、存在し続ける従プログラムの実例のもとになる手続きをクラス(class)、その実例を(「クラスの実例」ではなく)改めてクラスの対象(object)と名付けた。さらに、その考えに基づいてSimula 67にクラスの構文を実装した。
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オブジェクト指向プログラミングにおけるクラスは、オブジェクトを生成するための設計図あるいはひな形に相当するものである。抽象データ型の一つ。クラスから生成したオブジェクトの実体のことをインスタンスという。 クラスには、クラス自身またはクラスのインスタンスが保持するデータと、データに関連したオブジェクトの振る舞いを記述できる。プログラミング言語によっては、それぞれにアクセス修飾子を指定できる。統一モデリング言語 (UML) のクラス図では、データのことを「属性」、振る舞いのことを「操作」と呼ぶ。Javaなどでは、データのことを「フィールド」、振る舞いのことを「メソッド」と呼ぶ。C++などでは、データのことを「メンバー変数」、振る舞いのことを「メンバー関数」と呼ぶ。 クラスは、クラスベースのオブジェクト指向プログラミングの基本である。また、オブジェクト指向プログラミングにおけるカプセル化・継承・ポリモーフィズムなどを、クラスベースのオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを必要に応じて適宜使って実装する。一方、カプセル化・継承・ポリモーフィズムなどを、プロトタイプベースのオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを使わずに実装する。 プログラミング言語におけるクラスのサポートは、オーレ=ヨハン・ダールによってSimula 67において初めて導入された。この時点ではまだオブジェクト指向の概念や用語は確立されていなかったが、のちにSimulaの影響を受けたビャーネ・ストロヴストルップのC++と、アラン・ケイのSmalltalkによってオブジェクト指向が再定義されることになる。
{{複数の問題 |独自研究=2019年1月 |正確性=2019年1月 }} [[オブジェクト指向プログラミング]]における'''クラス'''({{lang-en-short|class}})<ref group="注釈">英語の class は、本来「分類」「種類」といった意味を持っている。</ref>は、[[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]]を生成するための設計図あるいはひな形に相当するものである。[[抽象データ型]]の一つ。クラスから生成したオブジェクトの実体のことを[[インスタンス]]という。 クラスには、クラス自身またはクラスのインスタンスが保持する'''[[データ]]'''と、データに関連したオブジェクトの'''振る舞い'''を記述できる。プログラミング言語によっては、それぞれに{{仮リンク|アクセス修飾子|en|Access modifiers}}を指定できる。[[統一モデリング言語]] (UML) の[[クラス図]]では、データのことを「[[属性]]」、振る舞いのことを「操作」と呼ぶ。[[Java]]などでは、データのことを「[[フィールド (計算機科学)|フィールド]]」、振る舞いのことを「[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]」と呼ぶ。[[C++]]などでは、データのことを「メンバー変数」、振る舞いのことを「メンバー関数」と呼ぶ。 クラスは、[[クラスベース]]の[[オブジェクト指向プログラミング]]の基本である。また、[[オブジェクト指向プログラミング]]における[[カプセル化]]・[[継承 (プログラミング)|継承]]・[[ポリモーフィズム]]などを、クラスベースのオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを必要に応じて適宜使って実装する。一方、カプセル化・継承・ポリモーフィズムなどを、[[プロトタイプベース]]のオブジェクト指向プログラミングにおいてはクラスを使わずに実装する。 プログラミング言語におけるクラスのサポートは、[[オーレ=ヨハン・ダール]]によって[[Simula|Simula 67]]において初めて導入された。この時点ではまだ[[オブジェクト指向]]の概念や用語は確立されていなかったが、のちにSimulaの影響を受けた[[ビャーネ・ストロヴストルップ]]の[[C++]]<ref>{{Cite web|url=http://www.stroustrup.com/hopl2.pdf|title=A History of C++: 1979−1991|author=Bjarne Stroustrup|accessdate=2019-02-02}}</ref>と、[[アラン・ケイ]]の[[Smalltalk]]によってオブジェクト指向が再定義されることになる。 == クラス設計のための基本概念 == === カプセル化 ({{Lang|en|encapsulation}}) === {{main|カプセル化}} 一般にどんなプログラムであれ、プログラム機能を提供するためにはデータを保有するだけではなく、データに対する操作ができなければならない。単に複数のデータをまとめる手段としては、[[C言語]]の[[構造体]]や[[Pascal]]のレコード型といった形で従来の[[手続き型プログラミング]]言語においても提供されている。一方クラスは、データだけでなくそのデータに関連する操作もひとまとめにして管理する枠組みを提供する。 このように関連する変数や操作などをクラスの所属物として一つにまとめてしまうことを、クラスによる情報の[[カプセル化]](encapsulation)と呼ぶ。適切なカプセル化により、データ構造やアルゴリズムなどを変更したとしても、変更箇所はカプセル化されたクラス領域内だけで済み、変更箇所がクラス外の関連ソースコード全体にまで散乱・波及してしまうことを防ぐことができる。 またアクセス修飾子 (access modifier) により、所属物に対して公開/非公開情報の区別をつけることで、クラス外部からクラス内に対して破壊的操作を加えることを防いだり、特定の機密データをクラス外部から見ることができないようにしたりするなど、外部に開放する情報に制限をつけることができる。カプセル化した上に公開/非公開情報の区別を加えることを'''情報隠蔽'''(information hiding)と呼ぶ<ref>[[#落水(1993) | 落水(1993) ]] p.82</ref><ref group="注釈">多くのプログラミング言語ではフィールドやメソッドの定義とアクセス権の指定は同時になされるため、カプセル化と情報隠蔽はしばしば混同される。 </ref>。 === 継承 ({{Lang|en|inheritance/extension/generalization)}} === {{main|継承 (プログラミング)}} '''継承'''(inheritance)または'''拡張'''(extension)とも呼ばれる。継承の目的は、単純なクラスに基づいてもっと複雑なクラスを構成することである。また、複雑なクラスはそれを定義する単純なクラスに従属するという意味で、クラスに階層をつけることができるようになる<ref>[[#構造化プログラミング(1975)|構造化プログラミング(1975)]] p.226</ref><ref group="注釈">これが、ダールとホーアの論文の題名である『階層的プログラム構造』である。[[#ダール(1972)|ダール(1972)]]</ref>。継承の基になったクラスを'''親クラス'''/'''基本クラス'''/'''基底クラス'''/'''[[スーパークラス (計算機科学)|スーパークラス]]'''などといい、継承してできたクラスを'''子クラス'''/'''派生クラス'''/'''[[サブクラス (計算機科学)|サブクラス]]'''などという。派生クラスのインスタンスはまた基本クラスのインスタンスとしても扱えるようになる([[リスコフの置換原則]])。継承により、後述のポリモーフィズムを実現することができるようになる。 UMLでは継承のことを'''汎化''' ({{Lang|en|generalization}}) と呼んでいる。汎化とはスーパークラスによる抽象化であり、対義語の'''特化''' ({{lang|en|specialization}}) はサブクラスによる具象化を指す。 また、[[オブジェクト指向]]を効率よく使いこなすためには継承だけでなく[[集約]] ({{Lang|en|aggregation}})、[[委譲]] ({{Lang|en|delegation}}) を理解する必要がある。 継承は、[[開放/閉鎖原則]]に基づき、単純な基本クラスからより複雑な派生クラスを構成する機構であり、コードの再利用と拡張を容易にする。逆に複雑なクラスの所属物のいくつかを除いて単純なクラスを構成しようとすると、コードの再利用と拡張を阻害することになる。 すなわち、最初から多数の所属物をカプセル化したり、基本クラスから継承するにしても多数の所属物を付け加えて極めて特化されたクラスを最初から作成してしまうと、途中でそれよりやや一般的なクラスが必要になっても代替させることができない。 複数の基本クラスを継承して一つの新しいクラスを派生させることを[[多重継承]] (multiple inheritance) と呼ぶ。多重継承により、基となった全てのクラスの所属物は合わせて一つになり、全ての動作が組み合わさった新しい一つのクラスが構成される。ただし、実装の多重継承は二つの基本クラスの同名メソッドの[[オーバーライド]]によるコンフリクトを始めとするいくつかの問題点([[菱形継承問題]]など)が指摘されている。したがって実装の継承は通例、一つのクラスに基づいてその拡張を行う単一継承を用いる。C++は多重継承を許可し、多重継承にまつわる問題の解決手段を[[仮想継承]]によって提供しているが、他の多くの言語、例えば[[Java]]、[[C Sharp|C#]]、[[D言語]]では実装の多重継承はサポートされておらず、[[インタフェース (抽象型)|インターフェイス]]の複数実装による型の多重継承のみサポートされている。ただしJava 8以降はインターフェイスのデフォルト実装により、実装の多重継承も限定的にサポートするようになった。なお、Simula 67は多重継承もインターフェイスもサポートしていなかった<ref>[http://staff.um.edu.mt/jskl1/talk.html#Wrong INTRODUCTION TO SIMULA | WHAT IS WRONG WITH SIMULA ?]</ref>。 === ポリモーフィズム ({{Lang|en|polymorphism}}) === {{main|ポリモーフィズム}} クラスを継承する際に、スーパークラスの振る舞いをサブクラスの振る舞いで上書きする(置き換える)ことを'''[[オーバーライド]]'''という。あるサブクラスのインスタンスがオーバーライドされた振る舞いを持つ場合、インスタンスの具体的な内容(クラス)が分からなくても、インスタンスに対してその振る舞いを実行するよう指示すれば、見かけがスーパークラスと同じ(すなわちインターフェイスが同じ)でありながら、インスタンスの実際のクラスに応じて実行される振る舞い(処理内容)を変えることができる。このようにして、見かけが一緒なのに動作が変わることを'''[[ポリモーフィズム]](ポリモルフィズム)'''/'''多様性'''/'''多態性'''/'''多相性'''などという。 == Simulaにおけるクラス == ダイクストラの[[構造化プログラミング]]は、プログラムの大規模開発への道を開いたが、あくまで単一スレッド(single thread)計算機を前提としたトップダウン型開発方法であった。すなわち、プログラムのすべての機能は単線の計算プロセス上で実行する必要があり、たとえ甲と乙という汎用的な単機能を提供する検証済みのプログラムがそれぞれ独立に存在していても、両機能を実現するプログラムを作成するためには、ソースコードから該当機能部分を抜き出し、単線上に乗るように連接(concatenation)した上で、一つのプログラムとして正しく動作するように修正し、さらに再度検証しなければならない。 一方で、複数スレッド(multi thread)計算機においては、主プログラムから、甲と乙のプログラムなどの従プログラムをそれぞれ並列に実行させた上で、処理内容を従プログラムに(OSの機能などを仲介して)伝言受け渡し(message passing)して代わりに処理させることで、検証済みプログラムのソースコードに手を加えることなく、低コストで開発することができる([[コルーチン]]を用いたプログラミング)<ref group="注釈">ただし、随所にOSの機能を利用することになるため異なるOSへの移植性が低い上に、主プログラムと並列呼び出しする従プログラムが異なる言語で記述されている場合、複数の異なるコンパイラが必要となり、場合によっては複数の異なる言語を使用しなければならなくなってしまう。</ref>。 [[オーレ=ヨハン・ダール]]と[[アントニー・ホーア]]は、このような考え方の有効性を主張し<ref>[[#構造化プログラミング(1975)|構造化プログラミング(1975)]] pp.201-202</ref>、上記のような一連の操作を一つの言語の中で完結させるための機構を提案した。それがクラスの構文である。 ダールとホーアは、まず主プログラムから従プログラムを並列呼び出しする際、読み込みするにあたって新たに(new)割り当てられたメモリ領域に限定して走る計算プロセスを実例(instance;インスタンス)と名付け、さらにその実例の集まり('''class''' of instances)をそれが記述されたソースコードと同一視した。その上で、呼び出されたときだけではなく、存在し続ける従プログラムの実例のもとになる手続きを'''クラス'''(class)、その実例を(「クラスの実例」ではなく)改めてクラスの'''対象'''(object)と名付けた<ref name=sp202>[[#構造化プログラミング(1975)|構造化プログラミング(1975)]] p.202</ref>。さらに、その考えに基づいて[[Simula|Simula 67]]にクラスの構文を実装した<ref group="注釈"> 言語仕様にクラス構文を導入することで以下のような利益が得られる。 * 主プログラムと従プログラムに相当するものが異なる言語で記述されることがない。 * 複数スレッド計算機のOSに依存した以下の一連の操作を言語内部で統一的に処理できるようになる ** 主プログラムからのメモリ割り当て ** 並列呼び出し * 抽象データ型として表現される場合、OSを仲介した伝言のやりとりのような形式ではなく、体裁上は具体的データ型のデータに対する処理への引数渡し、処理返しとして取り扱い可能になる </ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references /> == 参考文献 == * {{citation | author=オーレ=ヨハン・ダール, C.A.R. ホーア | title=階層的プログラム構造 | year=1972 | ref=ダール(1972) }} ** {{cite book |和書| title=構造化プログラミング | author=E.W.ダイクストラ | author2=C.A.R.ホーア | author3=O.-J.ダール | translator=野下浩平,川合慧,武市正人 | year=1975 | publisher=サイエンス社 | ref=構造化プログラミング(1975) }} (収録) * {{cite book | 和書 | title=システム プログラム | author=川合 慧 | publisher=近代科学社 | series=コンピュータサイエンス大学講座 | year=1982 | ref=川合(1982) }} * {{cite book | 和書 | title=ソフトウェア工学実践の基礎 | author=落水 浩一郎 | publisher=日科技連 | year=1993 | series=実践ソフトウェア開発工学シリーズ | ref=落水(1993) }} * {{citation | author=Ole-Johan Dahl | title=The Birth of Object Orientation: the Simula Languages | year=2001| pdf=http://www.olejohandahl.info/old/birth-of-oo.pdf | ref=Dhal(2001) }} == 関連項目 == {{Wiktionary|クラス}} * [[クラス図]] ** [[サブクラス (計算機科学)]] ** [[スーパークラス (計算機科学)]] * [[メソッド (計算機科学)]] * [[フィールド (計算機科学)]] * [[プロパティ (プログラミング)]] * [[オブジェクト指向]] - [[オブジェクト指向プログラミング]] {{データ型}} {{UML}} {{デフォルトソート:くらす}} [[Category:オブジェクト指向]] [[Category:プログラミング言語の構文]] [[Category:プログラミング言語のトピック]]
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インスタンス
計算機科学でのインスタンス(instance)とは実体のことをいう。instanceは英語で「実例」を意味する。 オブジェクト指向言語においては、多くの場合クラスと呼ばれるものを元に作成したオブジェクトの実体を指す。データモデルやオブジェクト指向設計においても用いられる用語である。 インスタンスを生成するプロセスをインスタンス化 (instantiation、動詞形instantiate)という。 オブジェクト指向において、クラスあるいは型はオブジェクトの分類(分類概念)や集合に相当している。 あるクラス C のインスタンスとは、C という分類に属する(分類される)オブジェクトのことである。 Smalltalkの影響が強い言語では、クラス自体もまたオブジェクトとして扱うことができる(これをクラス・オブジェクトと言う)。そのような場合は特に、「クラスC のオブジェクト」といった言い方では、「クラスC に属するオブジェクト」の意味か「クラスC そのものを表すオブジェクト」の意味か曖昧になる。この場合、「クラスC のインスタンス」という言い方が利用できる。 クラス・オブジェクトと対比して、「インスタンス・オブジェクト」という言葉も使われている。 オブジェクト指向におけるインスタンスという言葉は、元々Sketchpadという言語の"Master"から"Instance"を生成するという仕組み"instance drawings"が由来となっている用語である。そしてC++と並びオブジェクト指向の概念を築づいたSmalltalkが、この"Master"と"Instance"の関係をクラスから生成されたオブジェクトになぞらえ、クラスから生成されたオブジェクト(インスタンス・オブジェクト)の意味で使い始めインスタンス・オブジェクトを表す言葉として定着させた。 静的型付けのオブジェクト指向言語では珍しいが、動的型付けのオブジェクト指向言語の多くは、メタクラスをサポートし、クラス自体もオブジェクトとして扱うことができる(クラス・オブジェクト)。クラス・オブジェクトは、端的に言えば変数に束縛できるクラスである。クラス・オブジェクト、インスタンス・オブジェクト双方を変数に束縛した際どちらもオブジェクトとして振る舞い見かけ上区別はつかない。例えばクラス・オブジェクト、インスタンス・オブジェクト双方が readFrom: というメソッドを持っていた場合、どちらも #readFrom: メッセージを送ってやるとエラーも起こさずそれぞれのメソッドを実行する。 Objective-CやPythonにおいてはクラス・オブジェクトとインスタンス・オブジェクトの明確な区別が行われている。 メタクラスがサポートされているシステムでは、クラス・オブジェクトもまた別のクラス(メタクラス)のインスタンスであるということがありうる。この場合「クラス・オブジェクトはインスタンスではない」とは言えないので、注意されたい。
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計算機科学でのインスタンス(instance)とは実体のことをいう。instanceは英語で「実例」を意味する。
{{正確性|date=2011年6月|オブジェクト指向以外の[[計算機科学]]におけるインスタンスの説明及び関連性について触れられていません}} [[計算機科学]]での'''インスタンス'''({{Lang|en|instance}})とは[[実体]]のことをいう。{{Lang|en|instance}}は英語で「[[実例]]」を意味する。 ==オブジェクト指向におけるインスタンス== [[オブジェクト指向]]言語においては、多くの場合[[クラス (コンピュータ)|クラス]]と呼ばれるものを元に作成したオブジェクトの実体を指す。データモデルやオブジェクト指向設計においても用いられる用語である。 インスタンスを生成するプロセスを'''インスタンス化''' ({{Lang|en|instantiation}}、動詞形{{Lang|en|instantiate}})という。 === 概要 === オブジェクト指向において、クラスあるいは型はオブジェクトの分類(分類概念)や集合に相当している。 あるクラス C のインスタンスとは、C という分類に属する(分類される)オブジェクトのことである。 [[Smalltalk]]の影響が強い言語では、クラス自体もまたオブジェクトとして扱うことができる(これをクラス・オブジェクトと言う)。そのような場合は特に、「クラスC のオブジェクト」といった言い方では、「クラスC に属するオブジェクト」の意味か「クラスC そのものを表すオブジェクト」の意味か曖昧になる。この場合、「クラスC のインスタンス」という言い方が利用できる。 クラス・オブジェクトと対比して、「インスタンス・オブジェクト」という言葉も使われている。 [[オブジェクト指向]]におけるインスタンスという言葉は、元々[[Sketchpad]]という言語の"Master"から"Instance"を生成するという仕組み"instance drawings"が由来となっている用語である。<ref>http://gagne.homedns.org/~tgagne/contrib/EarlyHistoryST.html</ref>そしてC++と並びオブジェクト指向の概念を築づいた[[Smalltalk]]が、この"Master"と"Instance"の関係をクラスから生成されたオブジェクトになぞらえ、クラスから生成されたオブジェクト(インスタンス・オブジェクト)の意味で使い始めインスタンス・オブジェクトを表す言葉として定着させた。<ref>http://stephane.ducasse.free.fr/FreeBooks/BlueBook/</ref> [[静的型付け]]のオブジェクト指向言語では珍しいが、[[動的型付け]]のオブジェクト指向言語の多くは、[[メタクラス]]をサポートし、クラス自体もオブジェクトとして扱うことができる(クラス・オブジェクト)。クラス・オブジェクトは、端的に言えば変数に束縛できるクラスである。クラス・オブジェクト、インスタンス・オブジェクト双方を変数に束縛した際どちらもオブジェクトとして振る舞い見かけ上区別はつかない。例えばクラス・オブジェクト、インスタンス・オブジェクト双方が readFrom: というメソッドを持っていた場合、どちらも #readFrom: メッセージを送ってやるとエラーも起こさずそれぞれのメソッドを実行する。 [[Objective-C]]や[[Python]]においてはクラス・オブジェクトとインスタンス・オブジェクトの明確な区別が行われている。<ref>Objective-C Runtime Reference[https://developer.apple.com/library/mac/#documentation/Cocoa/Reference/ObjCRuntimeRef/Reference/reference.html]</ref><ref>Classes ― Python v2.7.3 documentation[http://docs.python.org/2/tutorial/classes.html]</ref> <!--(編集される方へ)実際にはインスタンス・オブジェクトという用語を積極的に使わないもののクラス・オブジェクトを使える言語は上記の他にDelphi(静的型付)、Smalltalk、Ruby、Groovy、Common Lispなどが有ります。極一部のOOPLでしか区別が無いわけではないので、クラス・オブジェクトを持つ言語は例外的と受け取れる表現は控えた方が望ましいと思われます。 --> [[メタクラス]]がサポートされているシステムでは、クラス・オブジェクトもまた別のクラス([[メタクラス]])のインスタンスであるということがありうる。この場合「クラス・オブジェクトはインスタンスではない」とは言えないので、注意されたい。 <!-- == インスタンスの喩え == インスタンスと[[クラス (コンピュータ)|クラス]]との関係は、わかりやすく説明するために、しばしば様々なものに喩えられることがある。喩え方によってはかえってわかりづらくなり逆効果になることもある。 === 設計図 === クラスが設計図に相当し、インスタンスが設計図から作り上げた実物であるという喩え。 === プラトンのイデア論による喩え === [[プラトン]][[哲学]]において、クラスが[[イデア論|イデア]]に相当し、そのクラスから実際に生成されるインスタンスがこの現実世界に存在するものを意味する[[実在論|実体]]と喩えられる。 === タグ === インスタンスは物自体であり、クラスはその物の種類を示すタグであるという喩え<ref>「続・初めてのPerl(オライリージャパン)」等</ref>。 === スタンプ、型抜き === スタンプ、型抜きがインスタンスを生成するクラスに相当し、スタンプによって押される印。 --> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[オブジェクト指向プログラミング]] * [[オブジェクト (プログラミング)]] * [[クラス (コンピュータ)]] * [[オブジェクトライフタイム]] ([[ライフサイクル]]) == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{DEFAULTSORT:いんすたんす}} [[Category:オブジェクト (計算機科学)]] {{Computer-stub}}<!-- 未完成スタブテンプレート {{Comp-sci-stub}} -->
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1843年
1843年(1843 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1843年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1843}} {{year-definition|1843}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]14年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2503年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]23年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]9年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4176年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[紹治]]3年  * [[仏滅紀元]] : 2385年 - 2386年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1258年11月29日 - 1259年12月9日 * [[ユダヤ暦]] : 5603年4月29日 - 5604年4月8日 * [[ユリウス暦]] : 1842年12月20日 - 1843年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -5799 - -5435 * [[リリウス日]](LD) : 95042 - 95406 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1843}} == できごと == * 6月、日本で江戸・大坂10里四方[[上知令]]を発布する。 * [[7月14日]]([[天保]]14年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]])- 日本で[[新潟市|新潟]]が[[天領]]とされ[[新潟奉行]]が設置される。 * [[7月15日]] - イギリスの週刊誌「[[パンチ (雑誌)|パンチ]]」に[[カートゥーン]]を自ら名乗った最初の線画、{{仮リンク|ジョン・リーチ|en|John Leech (caricaturist)}}の「カートゥーン No.1:実体と影」<ref group="※">[https://punch.photoshelter.com/image?_bqG=0&_bqH=eJxlT11rwjAU_TX2ZS8VVgZCHmJy6662ictNxDyFOkRXZJPq_8cklE26QC7n454Lh2iAvfqor6dy2..7n_N7d3wd1PrwdltUi3lZph8nBkmCOYLaNS_klOS.wECSW5hVy7adVZI9CVJOBB_fKME0BNMQ_A8JtD7fs9HKgnbKGh.QdKLaIKjooVaJIgUDDXACOdLtMydtLDNcbYrcK3Al2T3i2M8ElMylzv26_6rM4fuCp2jt0FjHm8BXoIRPS0UQy4DxcIyO0P1CU__BNkEuLLsdu.HzXOxyepWnSPMBBlFvFw-- Cartoons about Crime, Police, Law and Order from Punch | PUNCH Magazine Cartoon Archive]</ref>が発表された{{Sfn|ファータド|2013|p=522|ps=『最初の「カートゥーン(漫画)」発表』}}。 * [[10月8日]] - [[イギリス]]・[[清国]]間で[[南京条約]]の追加条約である[[虎門寨追加条約|虎門寨条約]]締結。 * 閏9月、日本で上知令を撤回、水野忠邦罷免される。 === 日付不詳 === * [[ネルソン記念柱]]完成(1840年着工) == 誕生 == {{see also|Category:1843年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月25日]] - [[ヘルマン・アマンドゥス・シュヴァルツ]]、[[数学者]](+ [[1921年]]) * [[1月29日]] - [[ウィリアム・マッキンリー]]、第25代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1901年]]) * [[2月1日]]([[天保]]14年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[弘世助三郎]]、[[実業家]]・[[日本生命保険]]創業者(+ [[1913年]]) * [[2月3日]] - [[エドワード・ハズレット・ハンター]]、実業家(+ [[1917年]]) * [[2月9日]] - [[ネイサン・ゴフ]]、第28代[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1920年]]) * [[2月12日]](天保14年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]])- [[新島襄]]、[[キリスト教]]布教家・[[同志社英学校]](現・[[同志社大学]])創設者(+ [[1890年]]) * [[2月16日]] - [[ヘンリー・リーランド]]、[[自動車]]技術者、[[キャデラック]]・[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]創業者(+ [[1932年]]) * [[2月24日]] - [[テオフィロ・ブラガ]]、[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]]・作家(+ [[1924年]]) * [[3月20日]] - [[アントン・ヨハネス・ゲールツ]]、[[オランダ]]の[[薬学者]](+[[1883年]]) * [[3月29日]](天保14年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]])- [[尾上松助 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1928年]]) * [[4月4日]] - [[ハンス・リヒター (指揮者)|ハンス・リヒター]]、[[指揮者]](+ [[1916年]]) * [[4月14日]](天保14年[[3月15日 (旧暦)|3月15日]])- [[有地品之允]]、第2代[[連合艦隊司令長官]](+ [[1919年]]) * [[4月15日]] - [[ヘンリー・ジェイムズ]]、[[小説家]](+ [[1916年]]) * [[4月17日]] - [[カミロ・ジッテ]]、[[建築家]]・[[画家]]・[[都市計画家]]・都市計画学者(+ [[1903年]]) * [[4月21日]] - [[ヴァルター・フレミング]]、[[細胞学|細胞学者]](+ [[1905年]]) * [[4月25日]] - [[アリス (ヘッセン大公妃)|アリス]]、ヘッセン大公[[ルートヴィヒ4世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ4世]]の妃(+ [[1878年]]) * [[5月2日]] - [[カール・ミヒャエル・ツィーラー]]、作曲家(+ [[1922年]]) * [[5月6日]] - [[グローブ・カール・ギルバート]]、[[地質学者]](+ [[1918年]]) * [[5月11日]] - [[ウィリアム・ウォレス (哲学)|ウィリアム・ウォレス]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1897年]]) * [[5月13日]] - [[エヴゲーニイ・アレクセーエフ]]、[[太平洋艦隊 (ロシア海軍)#帝政ロシア時代|ロシア太平洋艦隊]]司令長官・極東総督(+ [[1917年]]) * [[5月21日]] - [[エドゥアール=アンリ・アヴリル]]、[[画家]](+ [[1928年]]) * 5月21日 - [[ルイ・ルノー (法学者)|ルイ・ルノー]]、[[法学者]](+ [[1918年]]) * 5月21日 - [[シャルル・ゴバ]]、法律家・[[常設国際平和局]]の指導者(+ [[1914年]]) * [[5月30日]] - [[ルイス・ベーマー]]、[[農学者]](+ [[1896年]]) * [[6月1日]](天保14年[[5月4日 (旧暦)|5月4日]])- [[西郷従道]]、[[海軍大臣]]・[[内務大臣 (日本)|内務大臣]](+ [[1902年]]) * 6月1日 - [[ヘンリー・フォールズ]]、[[指紋]]研究者・[[医師]](+ [[1930年]]) * [[6月3日]] - [[フレゼリク8世 (デンマーク王)|フレゼリク8世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](+ [[1912年]]) * [[6月9日]](天保14年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]])- [[伊東祐亨]]、[[大日本帝国海軍|海軍]]軍人・[[日清戦争]]時の連合艦隊司令長官(+ [[1914年]]) * 6月9日 - [[ベルタ・フォン・ズットナー]]、[[小説家]](+ 1914年) * [[6月15日]] - [[エドヴァルド・グリーグ]]、[[作曲家]](+ [[1907年]]) * [[6月20日]] - [[フョードル・ストラヴィンスキー]]、[[バス (声域)|バス]][[歌手]](+ [[1902年]]) * 6月20日 - [[ニコライ・アレクサンドロヴィチ]]大公、[[ロシア帝国]]皇太子(+ [[1865年]]) * [[6月30日]] - [[アーネスト・サトウ]]、[[イギリス]]の[[外交官]](+ [[1929年]]) * [[7月2日]] - [[アントニオ・ラブリオーラ]]、[[哲学|哲学者]]・[[社会主義|社会主義者]](+ [[1904年]]) * [[7月7日]] - [[カミッロ・ゴルジ]]、[[医学者]](+ [[1926年]]) * 7月7日 - [[ヒューゴ・サルムソン]]、[[画家]](+ [[1894年]]) * [[7月24日]] - [[ウィリアム・アブニー]]、[[天文学者]]・[[化学者]](+ [[1920年]]) * [[7月29日]] - [[ヨハネス・シュミット]]、[[言語学|言語学者]](+ [[1901年]]) * [[8月1日]] - [[ロバート・トッド・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]の長男で[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1926年]]) * [[8月3日]]([[道光]]23年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]])- [[尚泰王]]、[[琉球王国|琉球王]](+ 1901年) * [[8月11日]](天保14年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]])- [[市川右團次 (初代)]]、歌舞伎役者(+ [[1916年]]) * [[8月12日]] - [[コルマール・フォン・デア・ゴルツ]]、[[ドイツ陸軍]]の[[元帥]](+ 1916年) * [[8月31日]] - [[ゲオルク・フォン・ヘルトリング]]、第7代[[ドイツ国首相]](+ [[1919年]]) * [[9月3日]](天保14年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]])- [[大井憲太郎]]、[[自由民権運動|自由民権運動家]]・[[衆議院議員]](+ [[1922年]]) * [[9月19日]] - [[チャールズ・バレンタイン・ライリー]]、[[昆虫学者]](+ [[1895年]]) * [[10月6日]](天保14年[[9月13日 (旧暦)|9月13日]])- [[桜井勉]]、日本の[[天気予報]]創始者(+ [[1931年]]) * [[10月25日]] - [[グレープ・ウスペンスキー]]、[[小説家]](+ [[1902年]]) * [[11月16日]](天保14年[[閏]][[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[田中光顕]]、陸軍軍人・[[陸援隊]]幹部・[[宮内省|宮内大臣]](+ [[1939年]]) * [[11月20日]](天保14年閏[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[品川弥二郎]]、内務大臣(+ [[1900年]]) * [[11月27日]] - [[エリザベス・ストライド]]、[[切り裂きジャック]]の被害者の一人 (+ [[1888年]]) * [[12月9日]] - [[ダーヴィト・ポッパー]]、作曲家・[[チェロ]]奏者(+ [[1913年]]) * [[12月11日]] - [[ロベルト・コッホ]]、[[医学者]](+ [[1910年]]) == 死去 == {{see also|Category:1843年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月11日]] - [[フランシス・スコット・キー]]、[[アメリカ合衆国の国歌|アメリカ国歌]]の作詞者として有名な[[弁護士]](* [[1779年]]) * [[1月13日]] - [[ルイーセ・アウグスタ・ア・ダンマーク|ルイーセ・アウグスタ]]、アウグステンボー公妃(* [[1771年]]) * [[1月23日]] - [[フリードリヒ・フーケ]]、[[小説家]](* [[1777年]]) * [[4月1日]] - [[ジョン・アームストロング (陸軍長官)|ジョン・アームストロング]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1758年]]) * [[4月14日]] - [[ヨーゼフ・ランナー]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](* [[1801年]]) * [[4月26日]]([[天保]]14年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]])- [[香川景樹]]、[[歌人]](* [[1768年]]) * [[5月6日]](天保14年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]])- [[巻菱湖]]、[[書道|書家]](* [[1777年]]) * [[5月7日]](天保14年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]])- [[高久靄厓]]、[[南画|南画家]](* [[1796年]]) * [[5月28日]] - [[ノア・ウェブスター]]、[[辞書]]編纂者(* [[1758年]]) * [[6月6日]] - [[フリードリヒ・ヘルダーリン]]、[[詩人]](* [[1770年]]) * [[6月7日]] - [[アレキシス・ブヴァール]]、[[天文学者]](* [[1767年]]) * [[6月9日]](天保14年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]])- [[小笠原忠固]]、第6代[[小倉藩|小倉藩主]](* [[1770年]]) * [[6月20日]] - [[ヒュー・スウィントン・レグリー]]、第16代[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1797年]]) * [[7月16日]](天保14年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]])- [[細川林谷]]、[[篆刻|篆刻家]]・[[漢詩|漢詩人]](* [[1780年]]) * [[9月11日]](天保14年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]])- [[浜村蔵六 (三世)]]、篆刻家(* [[1791年]]) * [[9月19日]] - [[ガスパール=ギュスターヴ・コリオリ]]、[[物理学者]]・[[数学者]]・[[天文学者]](* [[1792年]]) * [[11月2日]](天保14年[[閏]][[9月11日 (旧暦)|9月11日]])- [[平田篤胤]]、[[国学|国学者]](* [[1776年]]) * [[11月10日]] - [[ジョン・トランブル]]、[[画家]](* [[1756年]]) * [[12月5日]](天保14年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]])- [[白井亨]]、[[剣術|剣客]](* [[1783年]]) * [[12月12日]] - [[ウィレム1世 (オランダ王)|ヴィレム1世]]、[[オランダ|オランダ王]](* [[1772年]]) * [[12月18日]] - [[スミス・トンプソン]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]]・最高裁陪席裁判官(* [[1768年]]) == 注釈 == {{Reflist|group="※"}} == 出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1843}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1843ねん}} [[Category:1843年]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1843%E5%B9%B4
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八元数
数学における八元数(はちげんすう、英: octonion; オクトニオン)の全体は実数体上のノルム多元体で、ふつう大文字アルファベットの O を使って、太字の O(あるいは黒板太字の O)で表される。実数体上のノルム多元体はたった四種類であり、O のほかは、実数の全体 R, 複素数の全体 C, 四元数の全体 H しかない。O はこれらノルム多元体の中で最大のもので、実八次元、これは H の次元の二倍である(O は H を拡大して得られる)。八元数の全体 O における乗法は非可換かつ非結合的だが、弱い形の結合性である冪結合律は満足する。 より広く調べられ利用されている四元数や複素数に比べれば、八元数についてはそれほどよく知られているわけではない。にもかかわらず、八元数にはいくつも興味深い性質があり、それに関連して(例外型リー群が持つような)例外的な構造もいくつも備えている。加えて、八元数は弦理論などといった分野に応用を持っている。 八元数は、ハミルトンの四元数の発見に刺激を受けたジョン・グレイヴスによって1843年に発見され、グレイヴスはこれを octaves と呼んだ。それとは独立にケイリーも八元数を発見しており、八元数のことをケイリー数、その全体をケイリー代数と呼ぶことがある。 八元数は実数の八つ組と見做すことができる。任意の八元数 x は、e0 をスカラー元あるいは実元(実数 1 と同一視される)とする単位八元数 の実係数線型結合として、適当な実係数 {xi} を以って の形に書くことができる。 八元数の加法及び減法は(四元数の場合と同様に)、それぞれの対応する項においてそれらの係数に対する加法及び減法によって定める。乗法についてはより複雑である。積は和の上に分配的であり、従って二つの八元数の乗法は(やはり四元数の場合と同様に)、それぞれの項の積の総和として計算することができる。各項の積は係数の積と単位八元数に対する乗積表から決まる。乗積表としては例えば を考えるとよい。この表の非対角成分のほとんどは反対称で、主対角線と e0 に対応する行と列とを消せば歪対称行列が作れる。 この乗積表は以下の関係 (ここで εijk は ijk = 123, 145, 176, 246, 257, 347, 365 のとき値が +1 となる完全反対称テンソル)、および (e0 はスカラー元で i, j, k = 1, ..., 7)にまとめることができる。 上記の積の決め方は一意的に決まるものではないが、八元数の乗法を定義しうるたった 480 種類の乗積表のうちの一つになっている。他の乗法は非スカラー元を並べ替えて得られるもので、基底の取り換えを行うことに相当する。それ以外の場合には、いくつかの積の法則を固定すると八元数が持つ他の法則が崩れることを見る。それら 480 種類の八元数の代数系は互いに同型であるから、実用上は同一視してかまわないし、そもそもどの乗積表を用いたかを考慮する必要が生じることは稀である。 より機械的な八元数の構成がケイリー・ディクソン構成を用いて与えられる。四元数を複素数の対として構成したのとまったく同じに、八元数は四元数の対として定義できる。対における加法は成分ごとに行い、乗法は四元数の対 (a, b) および (c, d) に対して で定める。ここで z は四元数 z の共軛を意味する。この定義で、当初定義における八つの単位八元数を、以下の八つの対 と同一視してやると、当初定義と同値になる。 図に示した単位八元数の積を記憶する便利な記憶術がある。これはケイリーとグレイブスの乗積表を表すものである 七つの点と七つの直線(1,2,3 を通る円も直線のひとつ)を持つこの図はファノ平面と呼ばれる。直線には向きがつけられており、また七つの点は純虚八元数の空間 Im(O) の標準基底に対応する。相異なる点の対ごとにそれらを通る直線が一意的に定まり、また各直線にはちょうど三つの点が載っている。 点の順序三つ組 (a, b, c) が図の中の与えられた直線にその向きに沿ってこの順番で載っているとすると、これらの乗法は およびこれに三点の巡回置換を行って得られる関係式で与えられる。この規則に を加えたものから八元数の乗法構造は完全に決定される。また、七つの直線のそれぞれから生成される O の部分多元環は、四元数体 H に同型になる。 八元数 の八元数としての共軛は で与えられる。共軛は O の主対合であり、(xy) = y x を満足する(積の順番が逆になることに注意)。 共軛を用いると、八元数 x の実部が で、同様に虚部が でそれぞれ表せる。実部を持たない純虚八元数の全体 Im(O) は O の 7-次元部分空間を張る。また八元数の共軛は、方程式 を満足する。 八元数とその共役との積は x x = x x を満たし、 故に、常に非負の実数となることがわかる。これを用いて、八元数のノルムを で定義することができる。このノルムは R 上の通常のユークリッドノルムに一致する。 O におけるノルムの存在から、O の零でない任意の元に対してその逆元が存在することが導かれる。実際、x ≠ 0 の逆元は で与えられ、確かに x x = x x = 1 を満足する。 八元数の乗法は可換でなく: 結合的でもない: が、弱い形の結合性を満たして交代代数になる。即ち、任意の二つの八元数が生成する部分多元環は結合的である。実際、O の任意の二元が生成する部分多元環は R, C, H のいずれかに同型であることが示せるが、これらは何れも結合的である。八元数は非結合的であるから、四元数のときのように行列表現をすることはできない。 八元数の全体 O がもう一つ R, C, H と共有する重要な性質として、ノルムが を満足する(つまり乗法的である)ことが挙げられる。これにより、八元数の全体は非結合的ノルム多元体となることが従う。ケイリー・ディクソン構成を使って得られるより高次の代数(十六元数など)ではこの性質は成り立たない(それらの代数には零因子が存在する)。 乗法的な絶対値 (modulus) を持つより広い数体系も存在する(例えば 16-次元である錐十六元数全体)が、それらの絶対値はノルムとは別に定義されるもので、その体系は零因子をも含む。 実数体上のノルム多元体が R, C, H および O に限られることが証明できる。これら四種類の多元環は、(同型を除き)実数体上の有限次元交代可除代数に他ならない。 積が結合的ではないから、O の非零元全体は群にはならない。しかしそれはループであり、実際はムーファンループを成す。 二つの八元数 x, y の交換子は で与えられる。これは反対称的かつ虚である。虚部分空間 Im(O) でのみ積を考えるならば、交換子は Im(O) 上の新たな積(七次元交叉積) を定める。三次元の交叉積同様、x × y は x と y とに直交し、その大きさは で与えられる。ただし、八元数の積と異なり、この積の値は一意には決まらない。実際、八元数の積の決め方に依存して無数に異なる交叉積が存在する。 八元数の自己同型写像 A とは、O の可逆線型変換で を満たすものを言う。O 上の自己同型全体の成す集合は G2 と呼ばれる群を成し、これは次元が 14 の単連結コンパクト実リー群になる。群 G2 は最小の例外型リー群であり、SO(7) の八次元実スピノル表現において任意に選んだ特定のベクトルを固定するような部分群に同型になる。 See also: PSL(2,7): ファノ平面の自己同型群
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数学における八元数の全体は実数体上のノルム多元体で、ふつう大文字アルファベットの O を使って、太字の Oで表される。実数体上のノルム多元体はたった四種類であり、O のほかは、実数の全体 R, 複素数の全体 C, 四元数の全体 H しかない。O はこれらノルム多元体の中で最大のもので、実八次元、これは H の次元の二倍である。八元数の全体 O における乗法は非可換かつ非結合的だが、弱い形の結合性である冪結合律は満足する。 より広く調べられ利用されている四元数や複素数に比べれば、八元数についてはそれほどよく知られているわけではない。にもかかわらず、八元数にはいくつも興味深い性質があり、それに関連して(例外型リー群が持つような)例外的な構造もいくつも備えている。加えて、八元数は弦理論などといった分野に応用を持っている。 八元数は、ハミルトンの四元数の発見に刺激を受けたジョン・グレイヴスによって1843年に発見され、グレイヴスはこれを octaves と呼んだ。それとは独立にケイリーも八元数を発見しており、八元数のことをケイリー数、その全体をケイリー代数と呼ぶことがある。
[[数学]]における'''八元数'''(はちげんすう、{{lang-en-short|''octonion''}}; オクトニオン)の全体は実数体上の[[ノルム多元体]]で、ふつう大文字アルファベットの O を使って、太字の '''O'''(あるいは[[黒板太字]]の &#x1D546;)で表される。実数体上のノルム多元体はたった四種類であり、'''O''' のほかは、[[実数]]の全体 '''R''', [[複素数]]の全体 '''C''', [[四元数]]の全体 '''H''' しかない。'''O''' はこれらノルム多元体の中で最大のもので、実八次元、これは '''H''' の次元の二倍である('''O''' は '''H''' を拡大して得られる)。八元数の全体 '''O''' における乗法は[[交換法則|非可換]]かつ[[結合法則|非結合的]]だが、弱い形の結合性である[[冪結合性|冪結合律]]は満足する。 より広く調べられ利用されている四元数や複素数に比べれば、八元数についてはそれほどよく知られているわけではない。にもかかわらず、八元数にはいくつも興味深い性質があり、それに関連して([[例外型リー群]]が持つような)例外的な構造もいくつも備えている。加えて、八元数は[[弦理論]]などといった分野に応用を持っている。 八元数は、[[ウィリアム・ローワン・ハミルトン|ハミルトン]]の四元数の発見に刺激を受けた[[ジョン・グレイヴス]]によって1843年に発見され、グレイヴスはこれを '''octaves''' と呼んだ。それとは独立に[[アーサー・ケイリー|ケイリー]]も八元数を発見しており<ref>{{harvs|txt|first=Arthur |last=Cayley|authorlink=Arthur Cayley|year=1845}}</ref>、八元数のことを'''ケイリー数'''、その全体を'''ケイリー代数'''と呼ぶことがある。 == 定義 == 八元数は実数の[[タプル|八つ組]]と見做すことができる。任意の八元数 ''x'' は、''e''<sub>0</sub> をスカラー元あるいは実元(実数 {{math|1}} と同一視される)とする'''単位八元数''' :<math>\{e_0, e_1, e_2, e_3, e_4, e_5, e_6, e_7\}</math> の実係数[[線型結合]]として、適当な実係数 {''x''<sub>''i''</sub>} を以って :<math>x = x_0e_0 + x_1e_1 + x_2e_2 + x_3e_3 + x_4e_4 + x_5e_5 + x_6e_6 + x_7e_7</math> の形に書くことができる。 八元数の加法及び減法は(四元数の場合と同様に)、それぞれの対応する項においてそれらの係数に対する加法及び減法によって定める。乗法についてはより複雑である。積は和の上に[[分配法則|分配的]]であり、従って二つの八元数の乗法は(やはり四元数の場合と同様に)、それぞれの項の積の総和として計算することができる。各項の積は係数の積と単位八元数に対する[[積表|乗積表]]から決まる。乗積表としては例えば<ref name=Cayley>この乗積表は[[アーサー・ケイリ]] (1845) と[[ジョン・グレイブス]] (1843) によるもの。{{Citation |title=Hypercomplex analysis |edition=Conference on quaternionic and Clifford analysis; proceedings |url=https://books.google.co.jp/books?id=H-5v6pPpyb4C&pg=PA168&redir_esc=y&hl=ja |page=168 |author=G Gentili, C Stoppato, DC Struppa and F Vlacci |chapter=Recent developments for regular functions of a hypercomplex variable|editor= Irene Sabadini, M Shapiro, F Sommen |isbn=978-3-7643-9892-7 |year=2009 |publisher=Birkaüser}}を参照</ref> {| class="wikitable" style="text-align: center; align: center; margin: 1ex auto;" |- !{{math|&nbsp;×&nbsp;}} !{{math|&nbsp;'''<var>e</var>'''<sub>0</sub>&nbsp;}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>1</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>2</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>3</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>4</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>5</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>6</sub>}} !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>7</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>7</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>1</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>6</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>5</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>3</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>4</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>4</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>3</sub>}} |- !{{math|'''e'''<sub>5</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>2</sub>}} |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>1</sub>}}</td> |- !{{math|'''<var>e</var>'''<sub>7</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>7</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>6</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>5</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>4</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>3</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>2</sub>}} |{{math|<var>e</var><sub>1</sub>}} |{{math|−<var>e</var><sub>0</sub>}} |- |} を考えるとよい。この表の非対角成分のほとんどは反対称で、主対角線と {{math|<var>e</var><sub>0</sub>}} に対応する行と列とを消せば[[歪対称行列]]が作れる。 この乗積表は以下の関係 :<math>e_i e_j = - \delta_{ij}e_0 + \varepsilon _{ijk} e_k</math> (ここで {{math|&epsilon;<sub>''ijk''</sub>}} は ''ijk'' = 123, 145, 176, 246, 257, 347, 365 のとき値が +1 となる[[完全反対称テンソル]])、および :<math>e_ie_0 = e_0e_i = e_i;\quad e_0e_0 = e_0</math> (''e''<sub>0</sub> はスカラー元で ''i'', ''j'', ''k'' = 1, …, 7)にまとめることができる<ref name= Shestakov>{{Citation |title=Non-associative algebra and its applications |author=Lev Vasilʹevitch Sabinin, Larissa Sbitneva, I. P. Shestakov |page=235 |chapter=§17.2 Octonion algebra and its regular bimodule representation |url=https://books.google.co.jp/books?id=_PEWt18egGgC&pg=PA235&redir_esc=y&hl=ja |isbn=0-8247-2669-3 |year=2006|publisher=CRC Press |postscript=<!--none-->}} </ref>。 上記の積の決め方は一意的に決まるものではないが、八元数の乗法を定義しうるたった 480 種類の乗積表のうちの一つになっている。他の乗法は非スカラー元を並べ替えて得られるもので、[[基底 (線型代数学)|基底]]の取り換えを行うことに相当する。それ以外の場合には、いくつかの積の法則を固定すると八元数が持つ他の法則が崩れることを見る。それら 480 種類の八元数の代数系は互いに同型であるから、実用上は同一視してかまわないし、そもそもどの乗積表を用いたかを考慮する必要が生じることは稀である<ref name=Parra>{{Citation |title=Clifford algebras with numeric and symbolic computations |author=Rafał Abłamowicz, Pertti Lounesto, Josep M. Parra |url=https://books.google.co.jp/books?id=OpbY_abijtwC&pg=PA202&redir_esc=y&hl=ja |page=202 |chapter=§ Four ocotonionic basis numberings |publisher=Birkhäuser |year=1996 |isbn=0-8176-3907-1}}</ref><ref name=Manogue>{{Citation |title=Octonionic representations of Clifford algebras and triality |author=Jörg Schray, Corinne A. Manogue |url=http://www.springerlink.com/content/w1884mlmj88u5205/ |journal=Foundations of physics |pages=17–70 |volume=26 |year=1996 |issue=Number 1/January |doi=10.1007/BF02058887 |publisher=Springer |postscript=.}} Available as [http://arxiv.org/abs/hep-th/9407179v1 ArXive preprint] Figure 1 is located [http://arxiv.org/PS_cache/hep-th/ps/9407/9407179v1.fig1-1.png here].</ref>。 === ケイリー&ndash;ディクソン構成 === より機械的な八元数の構成が[[ケイリー・ディクソン構成]]を用いて与えられる。四元数を複素数の対として構成したのとまったく同じに、八元数は四元数の対として定義できる。対における加法は成分ごとに行い、乗法は四元数の対 (''a'', ''b'') および (''c'', ''d'') に対して :<math>\ (a,b)(c,d)=(ac-d^{*}b,da+bc^{*})</math> で定める。ここで ''z''<sup>&lowast;</sup> は四元数 ''z'' の共軛を意味する。この定義で、当初定義における八つの単位八元数を、以下の八つの対 : (1,&thinsp;0), (''i'',&thinsp;0), (''j'',&thinsp;0), (''k'',&thinsp;0), (0,&thinsp;1), (0,&thinsp;''i''), (0,&thinsp;''j''), (0,&thinsp;''k'') と同一視してやると、当初定義と同値になる。 === ファノ平面による記憶法 === [[File:FanoMnemonic.PNG|thumb|単位八元数の積の簡単な記憶法]] 図に示した単位八元数の積を記憶する便利な[[記憶術]]がある。これはケイリーとグレイブスの乗積表を表すものである<ref name=Cayley/><ref name=Lounesto>{{Citation |title=Clifford algebras: applications to mathematics, physics, and engineering |editor=Pertti Lounesto, Rafał Abłamowicz |page=452 |url=https://books.google.co.jp/books?id=b6mbSCv_MHMC&pg=PA452&redir_esc=y&hl=ja |chapter=Chapter 29: Using octonions to describe fundamental particles |author=Tevian Dray & Corrine A Manogue |isbn=0-8176-3525-4 |year=2004 |publisher=Birkhäuser |postscript=<!--none-->}} Figure 29.1: Representation of multiplication table on projective plane. </ref> 七つの点と七つの直線(1,2,3 を通る円も直線のひとつ)を持つこの図は[[ファノ平面]]と呼ばれる。直線には向きがつけられており、また七つの点は純虚八元数の空間 Im('''O''') の標準基底に対応する。相異なる点の対ごとにそれらを通る直線が一意的に定まり、また各直線にはちょうど三つの点が載っている。 点の順序三つ組 (''a'', ''b'', ''c'') が図の中の与えられた直線にその向きに沿ってこの順番で載っているとすると、これらの乗法は :''ab'' = ''c'', ''ba'' = −''c'' およびこれに三点の[[巡回置換]]を行って得られる関係式で与えられる。この規則に * 1 は乗法単位元である * 図の各点に対して ''e''<sub>''i''</sub><sup>2</sup> = −1 が成り立つ を加えたものから八元数の乗法構造は完全に決定される。また、七つの直線のそれぞれから生成される '''O''' の部分多元環は、四元数体 '''H''' に同型になる。 === 共軛、ノルムおよび逆元 === 八元数 :<math>x = x_0\,e_0 + x_1\,e_1 + x_2\,e_2 + x_3\,e_3 + x_4\,e_4 + x_5\,e_5 + x_6\,e_6 + x_7\,e_7</math> の八元数としての共軛は :<math>x^* = x_0\,e_0 - x_1\,e_1 - x_2\,e_2 - x_3\,e_3 - x_4\,e_4 - x_5\,e_5 - x_6\,e_6 - x_7\,e_7</math> で与えられる。共軛は '''O''' の[[対合|主対合]]であり、(''xy'')<sup>&lowast;</sup> = ''y''<sup>&lowast;</sup>&thinsp;''x''<sup>&lowast;</sup> を満足する(積の順番が逆になることに注意)。 共軛を用いると、八元数 ''x'' の'''実部'''が :<math>\frac{x + x^*}{2} = x_0\,e_0</math> で、同様に'''虚部'''が :<math>\frac{x - x^*}{2} = x_1\,e_1 + x_2\,e_2 + x_3\,e_3 + x_4\,e_4 + x_5\,e_5 + x_6\,e_6 + x_7\,e_7</math> でそれぞれ表せる。実部を持たない純虚八元数の全体 Im('''O''') は '''O''' の 7-次元部分空間を張る。また八元数の共軛は、方程式 : <math>x^* =-\frac{1}{6} (x+(e_1x)e_1+(e_2x)e_2+(e_3x)e_3+(e_4x)e_4+(e_5x)e_5+(e_6x)e_6+(e_7x)e_7)</math> を満足する。 八元数とその共役との積は ''x''<sup>&lowast;</sup>&thinsp;''x'' = ''x''&thinsp;''x''<sup>&lowast;</sup> を満たし、 :<math>x^*x = x_0^2 + x_1^2 + x_2^2 + x_3^2 + x_4^2 + x_5^2 + x_6^2 + x_7^2.</math> 故に、常に非負の実数となることがわかる。これを用いて、八元数のノルムを :<math>\|x\| = \sqrt{x^*x}</math> で定義することができる。このノルムは '''R'''<sup>8</sup> 上の通常の[[ユークリッドノルム]]に一致する。 '''O''' におけるノルムの存在から、'''O''' の零でない任意の元に対してその[[逆元]]が存在することが導かれる。実際、''x'' ≠ 0 の逆元は :<math>x^{-1} = \frac {x^*}{\|x\|^2}</math> で与えられ、確かに ''x''&thinsp;''x''<sup>−1</sup> = ''x''<sup>−1</sup>&thinsp;''x'' = 1 を満足する。 == 性質 == 八元数の乗法は[[交換法則|可換]]でなく: :<math>e_ie_j = -e_je_i \neq e_je_i,</math> [[結合法則|結合的]]でもない: :<math>(e_ie_j)e_l = -e_i(e_je_l) \neq e_i(e_je_l).</math> が、弱い形の結合性を満たして[[交代代数]]になる。即ち、任意の二つの八元数が生成する[[部分多元環]]は結合的である。実際、'''O''' の任意の二元が生成する部分多元環は '''R''', '''C''', '''H''' のいずれかに同型であることが示せるが、これらは何れも結合的である。八元数は非結合的であるから、[[四元数]]のときのように行列表現をすることはできない。 八元数の全体 '''O''' がもう一つ '''R''', '''C''', '''H''' と共有する重要な性質として、ノルムが :<math>\|xy\| = \|x\|\|y\|</math> を満足する(つまり乗法的である)ことが挙げられる。これにより、八元数の全体は非結合的[[ノルム多元体]]となることが従う。[[ケイリー・ディクソン構成]]を使って得られるより高次の代数([[十六元数]]など)ではこの性質は成り立たない(それらの代数には[[零因子]]が存在する)。 乗法的な絶対値 (modulus) を持つより広い数体系も存在する(例えば 16-次元である[[錐十六元数]]全体)が、それらの絶対値はノルムとは別に定義されるもので、その体系は[[零因子]]をも含む。 実数体上のノルム多元体が '''R''', '''C''', '''H''' および '''O''' に限られることが証明できる。これら四種類の多元環は、([[同型を除き]])実数体上の有限次元[[交代代数|交代]][[可除代数]]に他ならない。 積が結合的ではないから、'''O''' の非零元全体は[[群 (数学)|群]]にはならない。しかしそれは[[ループ (代数学)|ループ]]であり、実際は[[ムーファンループ]]を成す。 === 交換子と交叉積 === 二つの八元数 ''x'', ''y'' の[[交換子]]は :<math>[x, y] = xy - yx</math> で与えられる。これは反対称的かつ虚である。虚部分空間 Im('''O''') でのみ積を考えるならば、交換子は Im('''O''') 上の新たな積([[七次元交叉積]]) :<math>x \times y = \frac{1}{2}(xy - yx)</math> を定める。三次元の[[交叉積]]同様、''x'' &times; ''y'' は ''x'' と ''y'' とに直交し、その大きさは :<math>\|x \times y\| = \|x\| \|y\| \sin \theta</math> で与えられる。ただし、八元数の積と異なり、この積の値は一意には決まらない。実際、八元数の積の決め方に依存して無数に異なる交叉積が存在する<ref>Baez (2002) p 37-38</ref>。 === 自己同型 === 八元数の[[自己同型写像]] ''A'' とは、'''O''' の可逆[[線型変換]]で :<math>A(xy) = A(x)A(y)</math> を満たすものを言う。'''O''' 上の自己同型全体の成す集合は [[G2 (数学)|''G''<sub>2</sub>]] と呼ばれる[[群 (数学)|群]]を成し、これは次元が 14 の[[単連結]][[コンパクト群|コンパクト]]実[[リー群]]になる。群 ''G''<sub>2</sub> は最小の[[例外型リー群]]であり、''SO''(7) の八次元実スピノル表現において任意に選んだ特定のベクトルを固定するような部分群に同型になる。 ''See also'': [[PSL(2,7)]]: ファノ平面の[[自己同型群]] == 脚注 == <references /> == 参考文献 == *[[ジョン・ホートン・コンウェイ|J.H.コンウェイ]]/[[D.A.スミス]]『四元数と八元数 幾何,算術,そして対称性』[[山田修司]]訳、[[培風館]]、2006年11月。ISBN 4-563-00369-7 * {{citation|doi=10.1090/S0273-0979-01-00934-X|first=John|last=Baez|authorlink=John Baez|title=The Octonions|url=http://www.ams.org/bull/2002-39-02/S0273-0979-01-00934-X/home.html|journal=Bull. Amer. Math. Soc.|volume=39|issue=02|year=2002|pages=145–205|postscript=<!--none-->}}. Online HTML versions at [http://math.ucr.edu/home/baez/octonions/ Baez's site] or see [http://xxx.lanl.gov/abs/math/0105155v4 lanl.arXiv.org copy] *{{citation|first=Arthur |last=Cayley|title= On Jacobi's elliptic functions, in reply to the Rev..; and on quaternions|journal= Philos. Mag. |volume=26 |year=1845|pages=208–211|postscript=<!--none-->}}. Appendix reprinted in ''The Collected Mathematical Papers'', Johnson Reprint Co., New York, 1963, p.&nbsp;127. * {{citation|authorlink=John Horton Conway|last1=Conway|first1=John Horton|last2=Smith|first2=Derek A.|year=2003|title=On Quaternions and Octonions: Their Geometry, Arithmetic, and Symmetry|publisher=A. K. Peters, Ltd.|isbn=1-56881-134-9|postscript=<!--none-->}}. ([http://nugae.wordpress.com/2007/04/25/on-quaternions-and-octonions/ Review]). == 関連項目 == <div style="-moz-column-count:2; column-count:2;"> *[[分解型八元数]] *[[八元数環]] *[[超複素数系]] *[[Triality]] *[[Spin(8)]] *[[合成代数]] </div> == 外部リンク == *{{MathWorld|title=Octonion|urlname=Octonion}} *{{Youtube|5sLnYi_AbEI|Octonions and the Fano Plane Mnemonic}} {{数の体系}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はちけんすう}} [[Category:リー環論]] [[Category:超複素数系]] [[Category:数学に関する記事]]
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中央値
中央値(ちゅうおうち、英: median)あるいはメジアン、メディアンとは、データや集合の代表値の一つで、順位が中央である値のことである。ただし、データの大きさが偶数の場合は、中央順位2個の値の算術平均をとる。 例えば5人の年齢10歳、32歳、96歳、100歳、105歳からなるデータの中央値は、順位が上からも下からも3である96(歳)となる。0歳の子供が2人増えて7人になると、中央値は32歳となる。 中央値は平均値と同様に集団の代表値を得る目的で使う。例えば年収からなるデータの場合を考えてみると分かりやすい。 一部の富裕層が平均年収をつり上げてしまう例を考える。人口100人の集落で、90人が年収200万円だとしても、10人が年収5000万円であれば平均年収は680万円となる。 一方中央値は、年収が低い順(高い順)に国民を並べたときに丁度真ん中になる人の年収を表している。この場合、中央値はあいかわらず200万円であり、一部の富裕層の年収が中央値に与える影響はゼロになる。 例えば一人の億万長者が小さな町に引っ越してくれば平均年収はつり上がってしまうが、年収の中央値はたかだか一順位分変わるに過ぎない。 実確率変数 X の累積分布関数を F(x) とするとき、 F(x) は実数値非単調減少関数、右連続関数となる。この時、次の不等式を満たす実数 m を中央値(メディアン)と呼ぶ。 ただし、積分記号はリーマン=スティルチェス積分の意味である。 データの大きさが有限値(n とする)である場合は、以下のように簡単に記述することができる。(ただし、同一の順位が無いと仮定する。) データの値を x1, x2, ..., xn とする。それらを小さい順に並べ替えたものを x′1, x′2, ..., x′n とするとき、 x = ( x 1 , x 2 , ⋯ , x n ) {\displaystyle {\boldsymbol {x}}=(x_{1},x_{2},\cdots ,x_{n})} の中央値 Q 1 2 ( x ) {\displaystyle \mathrm {Q} _{\frac {1}{2}}(x)} は により定義される。なお、単純に Q 1 2 ( x ) = x n 2 {\displaystyle \mathrm {Q} _{\frac {1}{2}}(x)=x_{\frac {n}{2}}} とならないのは、 x {\displaystyle x} の添字が 0, ..., n ではなく 1, ..., n だからである。 中央値は を最小にする性質をもっている。(ただし、そうなる値は一意ではない) すなわち中央値はデータの値との絶対差(距離)の総和を最小にする値である(データの大きさが偶数のときは、その値 t は一意には定まらないが便宜上、上で述べた定義を採用する)。 またこれを大きさ n で割ったものを平均偏差 (Mean deviation) という。 平均偏差は、値と中央値の絶対差の平均であり、同じ次元である標準偏差などと比べ、平方根をとる必要がなく、簡単な値となる。 1次元の確率分布 f(x) に対し、 を満たす m を、中央値と呼ぶ。
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中央値あるいはメジアン、メディアンとは、データや集合の代表値の一つで、順位が中央である値のことである。ただし、データの大きさが偶数の場合は、中央順位2個の値の算術平均をとる。 例えば5人の年齢10歳、32歳、96歳、100歳、105歳からなるデータの中央値は、順位が上からも下からも3である96(歳)となる。0歳の子供が2人増えて7人になると、中央値は32歳となる。
{{出典の明記| date = 2023-11}} '''中央値'''(ちゅうおうち、{{lang-en-short|median}})あるいは'''メジアン'''、'''メディアン'''とは、[[データ]]や[[集合]]の[[要約統計量|代表値]]の一つで、順位が中央である値のことである。ただし、データの大きさが偶数の場合は、中央順位2個の値の[[算術平均]]をとる。 例えば5人の年齢10歳、32歳、96歳、100歳、105歳からなるデータの中央値は、順位が上からも下からも3である96(歳)となる。0歳の子供が2人増えて7人になると、中央値は32歳となる。 == 平均値との関係 == [[画像:Visualisation mode median mean.svg|200px|thumb|[[最頻値]]・中央値・[[平均値]]の図示]] 中央値は[[算術平均|平均値]]と同様に集団の代表値を得る目的で使う。例えば年収からなるデータの場合を考えてみると分かりやすい。 一部の富裕層が平均年収をつり上げてしまう例を考える。人口100人の集落で、90人が年収200万円だとしても、10人が年収5000万円であれば平均年収は680万円となる。 一方中央値は、年収が低い順(高い順)に国民を並べたときに丁度真ん中になる人の年収を表している。この場合、中央値はあいかわらず200万円であり、一部の富裕層の年収が中央値に与える影響はゼロになる。 例えば一人の億万長者が小さな町に引っ越してくれば平均年収はつり上がってしまうが、年収の中央値はたかだか一順位分変わるに過ぎない。 == 厳密な定義 == 実[[確率変数]] {{mvar|X}} の[[累積分布関数]]を {{math|''F''(''x'')}} とするとき、 {{math|''F''(''x'')}} は実数値非[[単調減少関数]]、右[[連続関数]]となる。この時、次の不等式を満たす実数 {{mvar|m}} を中央値(メディアン)と呼ぶ。 :<math>\int_{-\infty}^m \mathrm{d}F(x) \geq \frac{1}{2}\text{ and }\int_m^{\infty} \mathrm{d}F(x) \geq \frac{1}{2}\,\!</math> ただし、積分記号は[[リーマン=スティルチェス積分]]の意味である。 データの大きさが有限値({{mvar|n}} とする)である場合は、以下のように簡単に記述することができる。(ただし、同一の順位が無いと仮定する。) データの値を {{math2|''x''{{sub|1}}, ''x''{{sub|2}}, …, ''x{{sub|n}}''}} とする。それらを小さい順に並べ替えたものを {{math2|''x''&prime;{{sub|1}}, ''x''&prime;{{sub|2}}, …, ''x&prime;{{sub|n}}''}} とするとき、<math>\boldsymbol{x} =(x_1, x_2, \cdots , x_n)</math> の中央値 <math>\mathrm{Q}_{\frac{1}{2}}(x)</math> は :<math>\mathrm{Q}_{\frac{1}{2}}(x) = \begin{cases} x'_{\frac{n+1}{2}} &n \text{ は 奇 数 } \\ \dfrac{1}{2}( x'_{\frac{n}{2}} + x'_{\frac{n}{2}+1}) &n \text{ は 偶 数 } \end{cases}</math> により定義される。なお、単純に <math>\mathrm{Q}_{\frac{1}{2}}(x) = x_{\frac{n}{2}}</math> とならないのは、<math>x</math> の添字が {{math2|0, …, ''n''}} ではなく {{math2|1, …, ''n''}} だからである。 中央値は :<math>\mathrm{T}(t) = \textstyle\sum\limits_{i=1}^n |x_i-t|</math> を最小にする性質をもっている。(ただし、そうなる値は一意ではない) すなわち中央値はデータの値との絶対差(距離)の[[総和]]を最小にする値である(データの大きさが偶数のときは、その値 {{mvar|t}} は一意には定まらないが便宜上、上で述べた定義を採用する)。 またこれを大きさ {{mvar|n}} で割ったものを'''平均偏差''' (Mean deviation) という。 平均偏差は、値と中央値の絶対差の平均であり、同じ次元である[[標準偏差]]などと比べ、[[平方根]]をとる必要がなく、簡単な値となる。 == 平均値との関係(数式的なもの) == * 分布が対称であるデータに対しては、中央値は[[算術平均|平均値]]に等しい。ただし、分布が対称でなくても、中央値と平均値が等しくなることもある。 * 以下の性質により、平均値よりも、全体の傾向を表す代表値として適切である場合が多い。 ** 平均値は、測定ミスなどによって発生する[[外れ値]](他の値より著しく異なる値)に大きく影響され、誤差が大きくなったり、無意味な値となることがある。そのため、[[刈り込み]]、[[ロバスト統計]]などの対策が必要になる。しかし、中央値は外れ値にほとんど影響されないので、対策は不要である。 ** たとえばデータが正値のみといったように限定されている場合、そうでない場合と比べて分布はより非対称になりやすく、少数の大きな値に引きずられて平均値は大多数の分布より大きくずれることがある。しかし、中央値ではそういった影響はほとんどない。 ** <math>\pm \infty</math> を含むデータに対しても中央値は有限となることがある。(平均値は、必ず無限または不定となる) ** 分布の谷に位置するようなケースが、平均値に比べて少ない。(平均値は、2峰分布に対ししばしば谷に位置する) * 中央値を求めるには、線形汎用[[選択アルゴリズム]]を使うと<math>\mathrm{O}(n)</math> の計算量で求められる(平均値も <math>\mathrm{O}(n)</math>)。逐次データが得られる場合は全てのデータを保持しておく必要があり、<math>\mathrm{O}(n)</math> のメモリを要する(平均値は <math>\mathrm{O}(1)</math>)。 * 代表値として平均値を使うときは、分布の広がりは[[分散 (確率論)|分散]]または[[標準偏差]]で表すことが多い。それに対し、代表値として中央値を使うときは、分布の広がりは第3[[四分位点]]と第1四分位点の差である[[分位数|四分位範囲]]({{lang-en-short|interquartile range, IQR}})で表すことが多い。 == その他の性質 == * 誤差はデータの誤差と同程度である。(平均値の誤差はデータの誤差の <math>\frac{1}{\sqrt n}</math> 倍である) * 中央値は、第2四分位数、50[[パーセンタイル]]、0.5[[クォンタイル]]でもある。 == 確率分布の中央値 == 1次元の[[確率分布]] {{math|''f''(''x'')}} に対し、 : <math>\int_{-\infty}^m f(x)\, \mathrm{d}x \ge \frac{1}{2} \; \mathrm{and} \; \int_m^\infty f(x)\, \mathrm{d}x \ge \frac{1}{2}</math> を満たす {{mvar|m}} を、中央値と呼ぶ。 == 関連項目 == * [[要約統計量]] * [[箱ひげ図]] * [[順序統計量]] * [[ホッジス・レーマン推定量]] * {{仮リンク|幾何中央値|label=幾何学的中央値|en|geometric median}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{統計学}} {{DEFAULTSORT:ちゆうおうち}} [[Category:統計量]] [[Category:平均]] [[Category:数学に関する記事]]
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自由詩
自由詩(じゆうし、英語: free verse; フランス語: vers libre)とは、音の数や文字数に一定のパターンがなく、また、音韻を踏むなどもしていない、すなわち、押韻や韻律に捉われない、自由な形式で書かれた詩である。定型詩の対義語。 自由詩の概念は、もともとフランスの古典的な詩作法であるアレクサンドラン(十二音綴)からの脱却を企図して起こった「自由韻文詩」に由来する。 定型詩の規則に従わない形式の作品は17世紀のフランスから存在し、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話(フランス語版)』などに例が見られる。ただしこの時代の作品は音綴数の異なる伝統的な詩句を、スタンザを排して組み合わせたものであり、脚韻はまだ残っていた。 19世紀後半に入るとフランスで象徴主義が高まり、象徴派の詩人たちは詩句に新たな音楽性を生み出そうとした。すなわち、詩を脚韻など既成の伝統的な韻律法に従わせるのではなく、従来とは別の要素、例えば英語詩などで見られる類音、頭韻法、抑揚などに従う詩作を試みていた。彼らにとって、詩を外在する韻律に従わせるのではなく、内的律動で表現することができる自由詩の発現は革命的な出来事であった。1886年にアルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』に「海景」と「運動」という自由詩が掲載され、これがフランスにおける近代自由詩の誕生と見なされる。この象徴主義によるフランス近代自由詩の潮流の中でギュスターヴ・カーン(フランス語版)、ジュール・ラフォルグ、フランシス・ヴィエレ=グリファン(フランス語版)らが自由詩を発表している。 他方、イギリスには古くからブランクヴァース(blank verse, 無韻詩)という、規則的な脚韻を持たない弱強五歩格形式の詩が存在していた。この発展形として、1867年にはマシュー・アーノルドの詩集『ドーバー海岸(英語版)』のような自由詩が生まれている。 アメリカ合衆国では19世紀に入り、近代自由詩の創始者といえるウォルト・ホイットマンが1855年に詩集『草の葉』を刊行したことにより、フランスに先駆けて自由詩が本格的な成立を始めた。『草の葉』では、従来の英語詩の韻律を大胆に排し、行分けの散文が試みられた。 20世紀に入ると、ホイットマンと象徴派の影響を受けたイマジズムによる自由詩が盛んになった。この中心となったのはエズラ・パウンドである。それまでの英語自由詩よりも更に大胆な変革を遂げ、メトロノームのような画一的な拍子を排し、より音楽的なフレージングを重視した詩作を実施している。アメリカ詩壇ではこのほかエイミー・ローウェル、ジョン・グールド・フレッチャー(英語版)らがイマズジムの旗手とされ、ほかにカール・サンドバーグ、エドガー・リー・マスターズ(英語版)、ヒルダ・ドゥリトル、さらにイマジズムの影響を受けたウィリアム・カルロス・ウィリアムズ、マリアン・ムーア(英語版)、E・E・カミングスらが自由詩を書いている。これらイマジズムの影響を受けた詩人たちは、自然なリズムや口語的表現をもつ自由詩を主張している。 イマジズムはイギリスやフランスの詩壇にも影響を与え、イギリスではT・S・エリオットやイーディス・シットウェル(英語版)、リチャード・オールディントンら、フランスではダダイスムやシュルレアリスムの詩人たちに受け継がれ、それぞれの発展を遂げた。 日本の詩作においては、欧米の定型詩に比べてそもそも伝統的な韻律や複雑な詩形が存在していなかったため、「自由詩」の持つ意味は欧米のそれとは異なる。 日本の場合は従来の「七五調・五七調」といった旧来の音律数から脱却する動きが自由詩の始まりとされる。明治時代に始まった新体詩は、それまでの和歌(五七五七七)や俳句(五七五)、あるいは漢詩といった定型から離れようとする動きであったが、新体詩でも七・五といった従来の音律数は残ったままで、かつ従来同様に文語が用いられていた。 こうした中、1907年(明治40年)に発表された川路柳虹の口語詩「塵溜」は、新体詩の定型からも脱却し、かつ日常語の感覚を取り入れた作品であり、ここから日本における自由詩(口語自由詩)が始まったとされる。川路の試みは当初は賛否両論を引き起こしたが、やがて支持が拡大し、数年のうちに追随者が続出して日本の詩人の大多数が口語自由詩の形式を取るようになった。相馬御風、河井醉茗、服部嘉香らが口語自由詩の推進者として挙げられる。 大正時代に入り、萩原朔太郎の出現により日本の自由詩は完成したとされる。萩原は『青猫』附録の論文「自由詩のリズムに就て」で、 と述べ、「旋律的な美」が「自由詩の境地」であるとしている。 ただし、旧来の音律を捨てて規則や拘束を排したことで、単なる「行分けした散文」のような文章が詩と見なされることもあった。昭和初期の『詩と詩論』運動はこの状況に対抗して発生したものである。 三好達治は昭和三十七年の『定本 三好達治全詩集』の「巻後に」で次のように書いている。 詩人の辻征夫は、上記にて三好のいう「峠」は萩原朔太郎『月に吠える』(大正六年)、『青猫』(大正十二年)を指していることは間違いないとしている。さらに、三好と同世代の詩人の多く(昭和三年創刊の「詩と詩論」のメンバー、安西冬衛、北川冬彦、竹中郁、春山行夫、吉田一穂、西脇順三郎、瀧口修造)は、三好とは正反対の立場――すなわち朔太郎以後の詩は「なりゆきまかせ」の「頽落期」となったのではなく、朔太郎を近代詩の終焉とみなし、みずからを新しい詩、「現代詩」のパイオニアと考える立場に立ったという。(三好達治は安西、北川、春山と同じく「詩と詩論」の第一期の同人に名を連ね、第一詩集『測量船』(昭和五年)もこの範疇に入ると言ってよいが、それ以降、三好は「現代詩」の潮流とは別の独自の道を歩いて生涯を終える。) 『詩と詩論』運動を経て日本の自由詩は「現代詩」と呼ばれるようになった(これに対し、現代詩以前の作品を近代詩とする)。 現在の日本において俳句や短歌と区別して「詩」と呼ぶ場合、この現代詩を指して「詩」と呼ぶのが一般的である。自由詩という場合も現代口語を用いた口語自由詩を指すことが多く、現代詩と同義となっている。 なお、散文詩は自由詩とは異なる概念である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "自由詩(じゆうし、英語: free verse; フランス語: vers libre)とは、音の数や文字数に一定のパターンがなく、また、音韻を踏むなどもしていない、すなわち、押韻や韻律に捉われない、自由な形式で書かれた詩である。定型詩の対義語。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "自由詩の概念は、もともとフランスの古典的な詩作法であるアレクサンドラン(十二音綴)からの脱却を企図して起こった「自由韻文詩」に由来する。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "定型詩の規則に従わない形式の作品は17世紀のフランスから存在し、ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの『寓話(フランス語版)』などに例が見られる。ただしこの時代の作品は音綴数の異なる伝統的な詩句を、スタンザを排して組み合わせたものであり、脚韻はまだ残っていた。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "19世紀後半に入るとフランスで象徴主義が高まり、象徴派の詩人たちは詩句に新たな音楽性を生み出そうとした。すなわち、詩を脚韻など既成の伝統的な韻律法に従わせるのではなく、従来とは別の要素、例えば英語詩などで見られる類音、頭韻法、抑揚などに従う詩作を試みていた。彼らにとって、詩を外在する韻律に従わせるのではなく、内的律動で表現することができる自由詩の発現は革命的な出来事であった。1886年にアルチュール・ランボーの詩集『イリュミナシオン』に「海景」と「運動」という自由詩が掲載され、これがフランスにおける近代自由詩の誕生と見なされる。この象徴主義によるフランス近代自由詩の潮流の中でギュスターヴ・カーン(フランス語版)、ジュール・ラフォルグ、フランシス・ヴィエレ=グリファン(フランス語版)らが自由詩を発表している。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "他方、イギリスには古くからブランクヴァース(blank verse, 無韻詩)という、規則的な脚韻を持たない弱強五歩格形式の詩が存在していた。この発展形として、1867年にはマシュー・アーノルドの詩集『ドーバー海岸(英語版)』のような自由詩が生まれている。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国では19世紀に入り、近代自由詩の創始者といえるウォルト・ホイットマンが1855年に詩集『草の葉』を刊行したことにより、フランスに先駆けて自由詩が本格的な成立を始めた。『草の葉』では、従来の英語詩の韻律を大胆に排し、行分けの散文が試みられた。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "20世紀に入ると、ホイットマンと象徴派の影響を受けたイマジズムによる自由詩が盛んになった。この中心となったのはエズラ・パウンドである。それまでの英語自由詩よりも更に大胆な変革を遂げ、メトロノームのような画一的な拍子を排し、より音楽的なフレージングを重視した詩作を実施している。アメリカ詩壇ではこのほかエイミー・ローウェル、ジョン・グールド・フレッチャー(英語版)らがイマズジムの旗手とされ、ほかにカール・サンドバーグ、エドガー・リー・マスターズ(英語版)、ヒルダ・ドゥリトル、さらにイマジズムの影響を受けたウィリアム・カルロス・ウィリアムズ、マリアン・ムーア(英語版)、E・E・カミングスらが自由詩を書いている。これらイマジズムの影響を受けた詩人たちは、自然なリズムや口語的表現をもつ自由詩を主張している。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "イマジズムはイギリスやフランスの詩壇にも影響を与え、イギリスではT・S・エリオットやイーディス・シットウェル(英語版)、リチャード・オールディントンら、フランスではダダイスムやシュルレアリスムの詩人たちに受け継がれ、それぞれの発展を遂げた。", "title": "欧米における自由詩" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "日本の詩作においては、欧米の定型詩に比べてそもそも伝統的な韻律や複雑な詩形が存在していなかったため、「自由詩」の持つ意味は欧米のそれとは異なる。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "日本の場合は従来の「七五調・五七調」といった旧来の音律数から脱却する動きが自由詩の始まりとされる。明治時代に始まった新体詩は、それまでの和歌(五七五七七)や俳句(五七五)、あるいは漢詩といった定型から離れようとする動きであったが、新体詩でも七・五といった従来の音律数は残ったままで、かつ従来同様に文語が用いられていた。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "こうした中、1907年(明治40年)に発表された川路柳虹の口語詩「塵溜」は、新体詩の定型からも脱却し、かつ日常語の感覚を取り入れた作品であり、ここから日本における自由詩(口語自由詩)が始まったとされる。川路の試みは当初は賛否両論を引き起こしたが、やがて支持が拡大し、数年のうちに追随者が続出して日本の詩人の大多数が口語自由詩の形式を取るようになった。相馬御風、河井醉茗、服部嘉香らが口語自由詩の推進者として挙げられる。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "大正時代に入り、萩原朔太郎の出現により日本の自由詩は完成したとされる。萩原は『青猫』附録の論文「自由詩のリズムに就て」で、", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "と述べ、「旋律的な美」が「自由詩の境地」であるとしている。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ただし、旧来の音律を捨てて規則や拘束を排したことで、単なる「行分けした散文」のような文章が詩と見なされることもあった。昭和初期の『詩と詩論』運動はこの状況に対抗して発生したものである。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "三好達治は昭和三十七年の『定本 三好達治全詩集』の「巻後に」で次のように書いている。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "詩人の辻征夫は、上記にて三好のいう「峠」は萩原朔太郎『月に吠える』(大正六年)、『青猫』(大正十二年)を指していることは間違いないとしている。さらに、三好と同世代の詩人の多く(昭和三年創刊の「詩と詩論」のメンバー、安西冬衛、北川冬彦、竹中郁、春山行夫、吉田一穂、西脇順三郎、瀧口修造)は、三好とは正反対の立場――すなわち朔太郎以後の詩は「なりゆきまかせ」の「頽落期」となったのではなく、朔太郎を近代詩の終焉とみなし、みずからを新しい詩、「現代詩」のパイオニアと考える立場に立ったという。(三好達治は安西、北川、春山と同じく「詩と詩論」の第一期の同人に名を連ね、第一詩集『測量船』(昭和五年)もこの範疇に入ると言ってよいが、それ以降、三好は「現代詩」の潮流とは別の独自の道を歩いて生涯を終える。)", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "『詩と詩論』運動を経て日本の自由詩は「現代詩」と呼ばれるようになった(これに対し、現代詩以前の作品を近代詩とする)。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現在の日本において俳句や短歌と区別して「詩」と呼ぶ場合、この現代詩を指して「詩」と呼ぶのが一般的である。自由詩という場合も現代口語を用いた口語自由詩を指すことが多く、現代詩と同義となっている。", "title": "日本における自由詩" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、散文詩は自由詩とは異なる概念である。", "title": "日本における自由詩" } ]
自由詩とは、音の数や文字数に一定のパターンがなく、また、音韻を踏むなどもしていない、すなわち、押韻や韻律に捉われない、自由な形式で書かれた詩である。定型詩の対義語。 自由詩の概念は、もともとフランスの古典的な詩作法であるアレクサンドラン(十二音綴)からの脱却を企図して起こった「自由韻文詩」に由来する。
'''自由詩'''(じゆうし、{{lang-en|free verse}}; {{lang-fr|vers libre}})とは、音の数や文字数に一定のパターンがなく、また、[[音韻]]を踏むなどもしていない、すなわち、[[押韻]]や[[韻律 (韻文)|韻律]]に捉われない、自由な形式で書かれた[[詩]]である。[[定型詩]]の[[対義語]]<ref name="bri">『ブリタニカ国際大百科事典 8』、[[TBSブリタニカ]]、1991年第2版改訂、449-454頁「詩」項。</ref>。 自由詩の概念は、もともと[[フランス]]の古典的な詩作法である[[アレクサンドラン]](十二音綴)からの脱却を企図して起こった「自由韻文詩」に由来する<ref name="syo">『日本大百科全書 11』、[[小学館]]、1986年、498-499頁「自由詩」項([[新倉俊一]]{{要曖昧さ回避|date=2023年4月}}著)。</ref>。 == 欧米における自由詩 == 定型詩の規則に従わない形式の作品は17世紀の[[フランス]]から存在し、[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]の『{{仮リンク|寓話 (本)|label=寓話|fr|Fables de La Fontaine}}』などに例が見られる。ただしこの時代の作品は音綴数の異なる伝統的な詩句を、[[スタンザ]]を排して組み合わせたものであり、[[脚韻]]はまだ残っていた<ref name="syu"> 『世界文学大事典 5』、[[集英社]]、1997年、369-370頁「自由詩」項([[小倉和子]]著)。</ref>。 [[19世紀]]後半に入るとフランスで[[象徴主義]]が高まり、象徴派の詩人たちは詩句に新たな音楽性を生み出そうとした。すなわち、詩を脚韻など既成の伝統的な韻律法に従わせるのではなく、従来とは別の要素、例えば英語詩などで見られる[[類音]]、[[頭韻法]]、[[イントネーション|抑揚]]などに従う詩作を試みていた。彼らにとって、詩を外在する韻律に従わせるのではなく、内的律動で表現することができる自由詩の発現は革命的な出来事であった。[[1886年]]に[[アルチュール・ランボー]]の詩集『[[イリュミナシオン]]』に「海景」と「運動」という自由詩が掲載され、これがフランスにおける近代自由詩の誕生と見なされる。この象徴主義によるフランス近代自由詩の潮流の中で{{仮リンク|ギュスターヴ・カーン|fr|Gustave Kahn}}、[[ジュール・ラフォルグ]]、{{仮リンク|フランシス・ヴィエレ=グリファン|fr|Francis Vielé-Griffin}}らが自由詩を発表している<ref name="syu"/><ref name="hei">『世界大百科事典 13』、[[平凡社]]、2007年改訂新版、75-76頁「自由詩」項([[安藤一郎]]著)。</ref>。 他方、[[イギリス]]には古くから[[ブランクヴァース]](blank verse, 無韻詩)という、規則的な脚韻を持たない[[弱強五歩格]]形式の詩が存在していた。この発展形として、[[1867年]]には[[マシュー・アーノルド]]の詩集『{{仮リンク|ドーバー海岸|en|Dover Beach}}』のような自由詩が生まれている<ref name="syo"/>。 [[アメリカ合衆国]]では19世紀に入り、近代自由詩の創始者といえる[[ウォルト・ホイットマン]]が[[1855年]]に詩集『[[草の葉]]』を刊行したことにより、フランスに先駆けて自由詩が本格的な成立を始めた。『草の葉』では、従来の英語詩の韻律を大胆に排し、行分けの[[散文]]が試みられた<ref name="syo"/><ref name="bri_2">『ブリタニカ国際大百科事典 3 <small>小項目事典</small>』、[[TBSブリタニカ]]、1991年第2版改訂版、480頁「自由詩」項。</ref>。 [[20世紀]]に入ると、ホイットマンと象徴派の影響を受けた[[イマジズム]]による自由詩が盛んになった。この中心となったのは[[エズラ・パウンド]]である。それまでの英語自由詩よりも更に大胆な変革を遂げ、[[メトロノーム]]のような画一的な拍子を排し、より音楽的なフレージングを重視した詩作を実施している。アメリカ詩壇ではこのほか[[エイミー・ローウェル]]、{{仮リンク|ジョン・グールド・フレッチャー|en|John Gould Fletcher}}らがイマズジムの旗手とされ、ほかに[[カール・サンドバーグ]]、{{仮リンク|エドガー・リー・マスターズ|en|Edgar Lee Masters}}、[[ヒルダ・ドゥリトル]]、さらにイマジズムの影響を受けた[[ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ]]、{{仮リンク|マリアン・ムーア|en|Marianne Moore}}、[[E・E・カミングス]]らが自由詩を書いている。これらイマジズムの影響を受けた詩人たちは、自然なリズムや口語的表現をもつ自由詩を主張している<ref name="bri"/><ref name="syu"/><ref name="hei"/><ref name="bri_2"/>。 イマジズムはイギリスやフランスの詩壇にも影響を与え、イギリスでは[[T・S・エリオット]]や{{仮リンク|イーディス・シットウェル|en|Edith Sitwell}}、[[リチャード・オールディントン]]ら、フランスでは[[ダダイスム]]や[[シュルレアリスム]]の詩人たちに受け継がれ、それぞれの発展を遂げた<ref name="syu"/><ref name="bri_2"/>。 == 日本における自由詩 == 日本の詩作においては、欧米の定型詩に比べてそもそも伝統的な韻律や複雑な詩形が存在していなかったため、「自由詩」の持つ意味は欧米のそれとは異なる<ref name="bri_2"/>。 日本の場合は従来の「[[七五調]]・[[五七調]]」といった旧来の音律数から脱却する動きが自由詩の始まりとされる。[[明治時代]]に始まった[[新体詩]]は、それまでの[[和歌]](五七五七七)や[[俳句]](五七五)、あるいは[[漢詩]]といった定型から離れようとする動きであったが、新体詩でも七・五といった従来の音律数は残ったままで、かつ従来同様に[[文語]]が用いられていた<ref name="hei"/><ref name="bri_3">『ブリタニカ国際大百科事典 3 <small>小項目事典</small>』、[[TBSブリタニカ]]、1991年第2版改訂版、740頁「新体詩」項。</ref>。 こうした中、[[1907年]](明治40年)に発表された[[川路柳虹]]の[[口語]]詩「塵溜」は、新体詩の定型からも脱却し、かつ日常語の感覚を取り入れた作品であり、ここから日本における自由詩(口語自由詩)が始まったとされる。川路の試みは当初は賛否両論を引き起こしたが、やがて支持が拡大し、数年のうちに追随者が続出して日本の詩人の大多数が口語自由詩の形式を取るようになった。[[相馬御風]]、[[河井醉茗]]、[[服部嘉香]]らが口語自由詩の推進者として挙げられる<ref name="bri"/><ref name="hei"/><ref name="nikkoku">『日本国語大辞典 6』、[[小学館]]、2001年第2版、1240頁「自由詩」項。</ref><ref>『日本現代詩辞典』 1986年、桜楓社、393-395頁</ref>。 [[大正時代]]に入り、[[萩原朔太郎]]の出現により日本の自由詩は完成したとされる<ref name="bri"/>。萩原は『青猫』附録の論文「自由詩のリズムに就て」で、 {{Quotation|我我は「拍節本位」「拍子本位」の音樂を捨てて、新しく「感情本位」「旋律本位」の音樂を創造すべく要求したのである。|萩原朔太郎|『青猫』所収「自由詩のリズムに就て」|[http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1768_18738.html 青空文庫]より<ref>底本は『萩原朔太郎全集 第一卷』(筑摩書房、1975年)および『青猫』(新潮社、1923年)。</ref>}} と述べ<ref name="syo"/>、「旋律的な美」が「自由詩の境地」であるとしている。 === 『詩と詩論』運動 === ただし、旧来の音律を捨てて規則や拘束を排したことで、単なる「行分けした[[散文]]」のような文章が詩と見なされることもあった。[[昭和]]初期の『[[詩と詩論]]』運動はこの状況に対抗して発生したものである<ref name="hei" />。 [[三好達治]]は昭和三十七年の『定本 三好達治全詩集』の「巻後に」で次のように書いている。 {{Quotation|口語自由詩は明治末に誕生し、大正末にはもうその標高の峠を一つ超えきつて、下り斜面にさしかかつてゐたかと、私は思ふ。詩界の推移はその斜面に従って次第に下り、なりゆきまかせの、頽落期にあつたかと、私は思ふ。不才な私のやうな者も、自らを揣らずたいそうそれを不安げに覚えたのを忘れない。何やら足もとは常に不確かであった。|三好達治|定本 三好達治全詩集}} 詩人の[[辻征夫]]は、上記にて三好のいう「峠」は[[萩原朔太郎]]『月に吠える』(大正六年)、『青猫』(大正十二年)を指していることは間違いないとしている。さらに、三好と同世代の詩人の多く(昭和三年創刊の「[[詩と詩論]]」のメンバー、[[安西冬衛]]、[[北川冬彦]]、[[竹中郁]]、[[春山行夫]]、[[吉田一穂]]、[[西脇順三郎]]、[[瀧口修造]])は、三好とは正反対の立場――すなわち朔太郎以後の詩は「なりゆきまかせ」の「頽落期」となったのではなく、朔太郎を近代詩の終焉とみなし、みずからを新しい詩、「[[現代詩]]」のパイオニアと考える立場に立ったという。([[三好達治]]は安西、北川、春山と同じく「詩と詩論」の第一期の同人に名を連ね、第一詩集『測量船』(昭和五年)もこの範疇に入ると言ってよいが、それ以降、三好は「現代詩」の潮流とは別の独自の道を歩いて生涯を終える。)<ref>{{Cite book|和書|title=私の現代詩入門 むずかしくない詩の話|year=2005|publisher=思潮社|pages=66-68}}</ref> 『詩と詩論』運動を経て日本の自由詩は「[[現代詩]]」と呼ばれるようになった<ref name="hei" />(これに対し、現代詩以前の作品を[[近代詩]]とする)。 現在の日本において[[俳句]]や[[短歌]]と区別して「詩」と呼ぶ場合、この現代詩を指して「詩」と呼ぶのが一般的である。自由詩という場合も現代口語を用いた口語自由詩を指すことが多く、現代詩と同義となっている<ref name="bri"/><ref name="nikkoku"/>。 なお、[[散文詩]]は自由詩とは異なる概念である<ref name="hei"/>。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[定型詩]] - 対置される概念。 * [[散文詩]] - しばしば混同される概念。 * [[韻文詩]] * [[自由律]] - [[俳句]]・[[短歌]]における類似の形式。 ** [[自由律俳句]] ** [[自由律短歌]] * [[和詩]] - [[与謝蕪村]]らが[[俳諧]]・[[漢詩]]を素地としつつ非定型での表現を試みたもの。 * [[俳諧詩]] - [[高浜虚子]]ら[[俳人]]が自由形式での表現を試みたもの。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆうし}} [[Category:詩のジャンル]] [[Category:詩形]]
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StarOffice
StarOffice (スターオフィス)
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StarOffice (スターオフィス) 日本電気のグループウェアの名称(登録商標)である。汎用機(ACOS)からWindowsクライアント、Webシステムと幅広く提供されている比較的大規模向けのグループウェアである。 サン・マイクロシステムズ(サン)のオフィススイートの商標。日本では上記の商標があることからStarSuiteの商標を使用している。買収に伴い開発元がオラクルへ移行し名称もOracle Open Officeへ改められたが、2011年4月に販売が打ち切られた。
'''StarOffice''' (スターオフィス) *[[日本電気]]の[[グループウェア]]の名称([[登録商標]])である。汎用機([[Advanced Comprehensive Operating System|ACOS]])からWindowsクライアント、Webシステムと幅広く提供されている比較的大規模向けのグループウェアである<ref>[http://www.nec.co.jp/StarOffice/ StarOffice Xシリーズ]</ref>。 *[[サン・マイクロシステムズ]](サン)の[[オフィススイート]]の商標。日本では上記の商標があることから[[StarSuite]]の商標を使用している。買収に伴い開発元が[[オラクル (企業)|オラクル]]へ移行し名称も[[Oracle Open Office]]へ改められたが、2011年4月に販売が打ち切られた。 == 脚注 == {{Reflist}} [[Category:グループウェア]] [[Category:オフィスソフト]] [[Category:NECのソフトウェア]] [[Category:サン・マイクロシステムズ]] [[de:Oracle Open Office]] [[en:Oracle Open Office]] [[he:סטאר אופיס]] [[ru:StarOffice]] [[zh:StarOffice]]
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博物館動物園駅
博物館動物園駅(はくぶつかんどうぶつえんえき)は、かつて東京都台東区上野公園にあった、京成電鉄本線の駅(廃駅)。 1933年(昭和8年)の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館・東京科學博物館・恩賜上野動物園や東京音樂學校、東京美術學校・旧制第二東京市立中学校などの最寄り駅として開業した。老朽化や乗降客数の減少が響いたため、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止された。 駅舎やホームは現存しており、京成電鉄は改修して2018年秋に公開した。 地下駅で、相対式ホーム2面2線を有していたが、同一位置ではなく、上下線で互い違いにホームが設置されていた。改札口は上りホーム側に設置されていた。地上の出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の敷地内に建設されたものと、上野動物園旧正門へ続くものの2か所があった。 前者は中川俊二設計で、国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴で、国会議事堂よりも建築時期は古く、営業休止時まで供用されていた。後者は、昭和40年代に現行の動物園正門が開設されたことで人の流れが変わり、まもなく閉鎖された。閉鎖後は東京都美術館の資材倉庫として利用されている。 駅舎のレリーフは黒田記念館と同じものが使用されている。 地下の壁面には東京芸術大学の学生が描いたとされる「ペンギン」「ゾウ」の絵画がある。最後まで木製の改札ラッチが使われていたように、大規模な改修を受けなかったため、昭和初期のレトロな雰囲気を色濃く残していた。また、自動券売機が設置されなかったため、当駅発行の乗車券は駅員による手売りであり、1980年代まで硬券だった。他社線への連絡乗車券は発売されていなかった。 ホームや通路は薄暗く、壁はむき出しのコンクリート、さらには戦前、戦中、戦後にかけての長い営みを経て所々で煤けていた。改札からホームへ向かう階段の途中にトイレが設置されていた。 当駅の休止にあたって記念乗車券「ありがとう博物館動物園駅 営業休止記念乗車券」が発売された。5枚セットの各硬券乗車券には、ホームや改札、ペンギンの絵画など、当駅の特徴あるイメージが添えられていた。 当駅は最後まで、のりばの番号が振られていなかった。なお、下りホームには方面案内サインが設置されていた。 営業休止までの1日当たり乗車人員は下表の通り。 乗降客数が最も多かったのは、1972年にジャイアントパンダが上野動物園に来園し、その後に起こったパンダブームの頃と言われる。最終年度である1996年度の人数が多いのは休止直前に鉄道ファンが多数乗降したためである。 現在、施設はトンネルの非常用避難路となっており、駅前後のトンネル側壁には「避難口(旧博動駅)」の誘導表示がある。 西洋式建物の地上口には、京成上野駅の利用を促す告知が休止後しばらくの間貼付され、廃止となってからは「博物館動物園駅跡 京成電鉄株式会社」のレリーフが掲出された。この地上口は扉こそ閉じられているが、休止前と変わらない佇まいである。一方、動物園旧正門側の地上口も現存し、旧出入口のコンクリート屋根のパラペット部分に右書きで「ケイセイデンシヤ」と書かれた切り文字の痕跡がかろうじて残っている。 地下施設のホームや改札も休止前の状態を保っており、列車が通過する際のわずかの間に見ることができる。上下線とも進行方向左側を眺めていると、地下道、地上への階段、案内表示などがそのままであるのが分かる。非常灯が点灯しているが暗めである。 なお、2018年に駅施設の一般公開が行われた際、アート作品として地上駅舎内に巨大なアナウサギのオブジェが設置されていたが、2019年3月より上りホームの旧改札口付近に移されており、車窓から確認することができる。 2022年、東京藝術大学が京成電鉄の協力の元に3Dスキャンおよびフォトグラメトリによって当駅の3Dモデルを制作し、12月16日にソーシャルVRプラットフォームClusterおよびVRChatにてVR空間「デジタル ハクドウ駅」として公開した。一般非公開の箇所も含めて3Dモデル化されているため、通常立ち入ることのできない改札口周辺やプラットフォームも見学可能。
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博物館動物園駅(はくぶつかんどうぶつえんえき)は、かつて東京都台東区上野公園にあった、京成電鉄本線の駅(廃駅)。 1933年(昭和8年)の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館・東京科學博物館・恩賜上野動物園や東京音樂學校、東京美術學校・旧制第二東京市立中学校などの最寄り駅として開業した。老朽化や乗降客数の減少が響いたため、1997年(平成9年)に営業休止、2004年(平成16年)に廃止された。 駅舎やホームは現存しており、京成電鉄は改修して2018年秋に公開した。
{{駅情報 |社色 = #ccc |文字色 = 000 |駅名 = 博物館動物園駅 |画像 = Hakubutsukan-Dobutsuen-Sta.jpg |pxl = 300px |画像説明 = 駅出入口([[1997年]][[3月23日]]) |地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail}} |よみがな = はくぶつかんどうぶつえん |ローマ字 = HAKUBUTSUKAND&#332;BUTSUEN<!--上野・日暮里の駅名標における「Hakubutsukan Dōbutsuen」等の表記ゆれあり--> |前の駅 = [[京成上野駅|京成上野]] |駅間A = 0.9 |駅間B = 1.2 |次の駅 = [[日暮里駅|日暮里]] |電報略号 = |駅番号 = |所属事業者 = {{color|blue|■}}[[京成電鉄]] |所属路線 = [[京成本線|本線]] |キロ程 = 0.9 |起点駅 = [[京成上野駅|京成上野]] |所在地 = [[東京都]][[台東区]][[上野恩賜公園#上野公園(町名)|上野公園]]13番23号 |座標 = {{Coord|35|43|7.1|N|139|46|24.5|E|region:JP-13_type:railwaystation|display=inline,title}} |駅構造 = [[地下駅]] |ホーム = 2面2線 |開業年月日 = [[1933年]]([[昭和]]8年)[[12月10日]] |廃止年月日 = [[2004年]]([[平成]]16年)[[4月1日]] |乗車人員 = 249 |乗降人員 = |統計年度 = 1996年 |備考 = [[1997年]](平成9年)4月1日営業休止<ref name="朝日1997">{{cite news |title = 「上野の杜」の駅よ サヨナラ |newspaper = 『[[朝日新聞]]』 |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 27(朝刊・東京<東部>) |date = 1997-03-15 }}</ref>。<br/>乗降人員は休止直前の数値。 }} [[ファイル:Hakubutsukan-Dobutsuen-Sta-Kaisatsu.jpg|thumb|250px|休止直前の出札・改札口<br />(1997年3月23日)]] [[ファイル:Hakubutsukan-Dobutsuen-Sta-Platform.jpg|thumb|250px|休止直前のホーム(1997年3月23日)]] [[ファイル:Hakubutsukan-Dobutsuen-Sta-Entrance.jpg|thumb|250px|通路に描かれた[[ペンギン]]の絵画。手の届くところは[[落書き]]で埋め尽くされた。<br/>(1997年3月23日)]] '''博物館動物園駅'''(はくぶつかんどうぶつえんえき)は、かつて[[東京都]][[台東区]][[上野恩賜公園|上野公園]]にあった、[[京成電鉄]][[京成本線|本線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])。 [[1933年]]([[昭和]]8年)の京成本線開通に合わせ、[[東京国立博物館|東京帝室博物館]]・[[国立科学博物館|東京科學博物館]]・[[恩賜上野動物園]]や[[東京芸術大学|東京音樂學校、東京美術學校]]・[[東京都立上野高等学校|旧制第二東京市立中学校]]などの最寄り駅として開業した。老朽化や乗降客数の減少<ref name="mainichi202212021900">{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20221202/k00/00m/040/329000c |title=「まさかこんな所に…」 上野の地下に眠る「品位ある」駅 |access-date=2023-01-07 |publisher=毎日新聞社 |website=毎日新聞 (mainichi.jp) |date=2022-12-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230107085650/https://mainichi.jp/articles/20221202/k00/00m/040/329000c |archive-date=2023-01-07}}</ref>が響いたため、[[1997年]]([[平成]]9年)に営業休止<ref name="朝日1997"/>、[[2004年]](平成16年)に廃止<ref name="mainichi202212021900" />された。 駅舎や[[プラットホーム|ホーム]]は現存しており、京成電鉄は改修して[[2018年]]秋に公開した<ref name=":0" /><ref name=":1" />。 == 歴史 == * [[1933年]]([[昭和]]8年)[[12月10日]]:動物園前停留所<ref name="Hazamagumi100p476">{{Cite |和書 |title = 間組百年史1889-1945 |date = 1989 |publisher = 間組 |page = 476 }}</ref>として開業。 * [[1945年]](昭和20年)[[6月10日]] - [[9月30日]]:[[日暮里駅]] - [[京成上野駅|上野公園駅]]間、[[運輸省]]の接収を受け営業休止<ref group="注釈">[[太平洋戦争]]末期に[[日本本土空襲|空襲]]に備えてトンネル内の線路を[[三線軌条]]化し、[[日本国有鉄道|国鉄]][[日暮里駅]]から隣の寛永寺坂駅(廃止)まで優等客車を入れて運輸省の事務所にしたため、上野公園駅(現・京成上野駅) - 日暮里駅間が運休となった。</ref>。 * [[1976年]](昭和51年)[[6月16日]] - [[12月15日]]:日暮里駅 - 京成上野駅間、同駅改良工事に伴い営業休止。 * [[1997年]]([[平成]]9年)[[4月1日]]:休止<ref name="朝日1997"/>。 * [[2004年]](平成16年)4月1日:廃止<ref name="mainichi202212021900" />。 * [[2018年]](平成30年)[[4月19日]]:駅舎が[[東京都選定歴史的建造物]]に選定される<ref name=":0"/>。同建造物に鉄道施設が指定されるのは初である<ref name=":0">{{Cite press release|和書|url=http://www.keisei.co.jp/information/files/info/20180419_170728733696.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190120144408/http://www.keisei.co.jp/information/files/info/20180419_170728733696.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「旧博物館動物園駅」駅舎が、「東京都選定歴史的建造物」に選定されました 〜鉄道施設として初めての選定〜|publisher=京成電鉄|date=2018-04-19|accessdate=2020-05-02|archivedate=2019-01-20}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|website=[[鉄道ファン (雑誌)|railf.jp(鉄道ニュース)]] |date=2018年4月21日 |url=https://railf.jp/news/2018/04/21/200000.html |title=京成,「旧博物館動物園駅」駅舎が東京都選定歴史的建造物に認定される |publisher=[[交友社]] |accessdate=2018年4月22日}}</ref>。 == 駅構造 == [[地下駅]]で、[[相対式ホーム]]2面2線を有していたが、同一位置ではなく、上下線で互い違いにホームが設置されていた。[[改札|改札口]]は上りホーム側に設置されていた。地上の出入口は、[[皇室]]用地だった東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の敷地内に建設されたものと、上野動物園旧正門へ続くものの2か所があった。 前者は[[中川俊二]]設計で、[[国会議事堂]]中央部分のような西洋様式の外観が特徴で、国会議事堂よりも建築時期は古く、営業休止時まで供用されていた。後者は、昭和40年代に現行の動物園正門が開設されたことで人の流れが変わり、まもなく閉鎖された。閉鎖後は[[東京都美術館]]の資材倉庫として利用されている。 駅舎のレリーフは[[黒田記念館]]と同じものが使用されている<ref name="mainichi202212021900" />。 地下の壁面には[[東京芸術大学]]の学生が描いたとされる「[[ペンギン]]」「[[ゾウ]]」の絵画がある。最後まで木製の改札ラッチが使われていたように、大規模な改修を受けなかったため、昭和初期の[[レトロ]]な雰囲気を色濃く残していた。また、[[自動券売機]]が設置されなかったため、当駅発行の乗車券は駅員による手売りであり<ref name="朝日1997"/>、[[1980年代]]まで[[乗車券#硬券|硬券]]だった。他社線への連絡乗車券は発売されていなかった。 ホームや通路は薄暗く、壁はむき出しの[[コンクリート]]、さらには[[戦前]]、[[戦中]]、[[戦後]]にかけての長い営みを経て所々で煤けていた。改札からホームへ向かう階段の途中に[[便所|トイレ]]が設置されていた。 当駅の休止にあたって[[乗車券#記念乗車券|記念乗車券]]「ありがとう博物館動物園駅 営業休止記念乗車券」が発売された。5枚セットの各硬券乗車券には、ホームや改札、ペンギンの絵画など、当駅の特徴あるイメージが添えられていた。 === 休廃止された理由 === * ホームの[[有効長]]が短いため、本線では最も短い4両[[編成 (鉄道)|編成]]しか停車することができず、その4両編成でさえも先頭車両の端の部分はホームからはみ出している状態だった<ref name="朝日1997"/>。はみ出ている部分には列車と壁の隙間に台を設置して対応していた(それでもそこからの乗降は推奨されていなかった)が、このことが安全面で問題になっていた。 * [[1981年]](昭和56年)以降、[[京成本線#普通|普通列車]]の一部が6両編成になったことで、当駅を通過する普通列車が設定されたため、停車本数が減り、既存の乗降客の多くが南隣の[[京成上野駅]]を利用するようになった。当駅からの距離は0.9kmと比較的近い。 * これにより営業時間が4両編成運転時間帯に限られることになり、休止直前は7時台から18時台まで<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/35127?page=2 |title=廃駅となった博物館動物園駅に潜入した――京成上野駅からわずか0.9kmの“非日常空間” |access-date=2023-01-07 |publisher=文藝春秋 |website=文春オンライン (bunshun.jp) |date=2020-02-20 |page=2 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230107101053/https://bunshun.jp/articles/-/35127?page=2 |archive-date=2023-01-07}}</ref>で、日中は停車する列車の間隔が1時間以上開く時間帯があった。そのため、駅構内に周辺施設から利用するための注意書きが掲出されていた。 * 京成本線では将来的に4両編成の列車の運行を取り止める計画もあり、上記の問題を解消するにはホーム延伸工事が必要であるが、地下駅のため多大な費用がかかり、1日乗降人員500人程度の当駅においての実施は費用対効果が低すぎた。 * 開業以来本格的な修繕がなされていないため、老朽化が進んでいた<ref name="朝日1997"/>。 * 自動券売機や[[自動改札機]]が設置されておらず、改修や維持に大規模な投資が必要だった。 * 地下駅のため保安上の理由から[[無人駅|無人化]]することができなかった。 === のりば === 当駅は最後まで、のりばの番号が振られていなかった。なお、下りホームには方面案内サインが設置されていた。 * 上り - [[京成上野駅|京成上野]]方面 * 下り - [[日暮里駅|日暮里]]・[[京成船橋駅|京成船橋]]・[[京成千葉駅|京成千葉]]・[[成田空港駅|成田空港]]方面 == 利用状況 == 営業休止までの1日当たり[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は下表の通り。<!--東京都統計年鑑を出典としている数値は乗車人員--> <!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365(or366)で計算してあります--> {| class="wikitable" |- !rowspan|年度 !rowspan|京成電鉄 !rowspan|出典 |- |1990年 |style="text-align:right;"|208 |<ref name="toukei1990">東京都統計年鑑(平成2年)228ページ</ref> |- |1991年 |style="text-align:right;"|167 |<ref name="toukei1991">東京都統計年鑑(平成3年)234ページ</ref> |- |1992年 |style="text-align:right;"|189 |<ref name="toukei1992">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 東京都統計年鑑(平成4年)]</ref> |- |1993年 |style="text-align:right;"|195 |<ref name="toukei1993">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 東京都統計年鑑(平成5年)]</ref> |- |1994年 |style="text-align:right;"|184 |<ref name="toukei1994">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 東京都統計年鑑(平成6年)]</ref> |- |1995年 |style="text-align:right;"|230 |<ref name="toukei1995">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 東京都統計年鑑(平成7年)]</ref> |- |1996年 |style="text-align:right;"|249 |<ref name="toukei1996">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 東京都統計年鑑(平成8年)]</ref> |- |} 乗降客数が最も多かったのは、1972年に[[ジャイアントパンダ]]が上野動物園に来園し、その後に起こったパンダブームの頃と言われる。最終年度である1996年度の人数が多いのは休止直前に[[鉄道ファン]]が多数乗降したためである。 == 現状 == 現在、施設はトンネルの非常用避難路となっており、駅前後のトンネル側壁には「避難口(旧博動駅)」の誘導表示がある。 西洋式建物の地上口には、京成上野駅の利用を促す告知が休止後しばらくの間貼付され、廃止となってからは「博物館動物園駅跡 京成電鉄株式会社」の[[レリーフ]]が掲出された。この地上口は扉こそ閉じられているが、休止前と変わらない佇まいである。一方、動物園旧正門側の地上口も現存し、旧出入口のコンクリート屋根の[[陸屋根|パラペット]]部分に右書きで「ケイセイデンシヤ」と書かれた切り文字の痕跡がかろうじて残っている。 地下施設のホームや改札も休止前の状態を保っており、列車が通過する際のわずかの間に見ることができる。上下線とも進行方向左側を眺めていると、地下道、地上への階段、案内表示などがそのままであるのが分かる。[[非常灯]]が点灯しているが暗めである。 なお、2018年に駅施設の一般公開が行われた際、アート作品として地上駅舎内に巨大な[[アナウサギ]]のオブジェが設置されていたが、2019年3月より上りホームの旧改札口付近に移されており、車窓から確認することができる<ref>{{Cite web|和書|title=旧博物館動物園駅の上りホームにアナウサギ出現!!|publisher=京成電鉄|date=2019-06-17|url=https://www.keisei.co.jp/keisei/hakudou/top/pdf/info_20190617.pdf|format=PDF|accessdate=2021-11-03}}</ref>。 [[2022年]]、[[東京藝術大学]]が京成電鉄の協力の元に3Dスキャンおよび[[フォトグラメトリ]]によって当駅の3Dモデルを制作し、[[12月16日]]に[[ソーシャルVR]]プラットフォーム[[Cluster]]および[[VRChat]]にてVR空間「デジタル ハクドウ駅」として公開した。一般非公開の箇所も含めて3Dモデル化されているため、通常立ち入ることのできない改札口周辺やプラットフォームも見学可能。<ref>{{Cite web|和書|title=東京藝術大学による~京成電鉄 旧博物館動物園駅VR~「デジタル ハクドウ駅」が公開されます! |publisher=国立大学法人東京藝術大学、京成電鉄株式会社 |date=2022-12-15 |url=https://www.geidai.ac.jp/wp-content/uploads/2022/12/20221215_release_digital_hakudou_re.pdf |format=PDF |accessdate=2022-12-16 }}</ref> <gallery> Hakubutsukan-Dobutsuen_station_20190616_145440.jpg|改装後の駅舎 Hakubutsukan-Dobutsuen_station_20190616_145524.jpg|扉のデザインがリニューアルされた駅舎 Hakubutsukan-Dobutsuen-station.JPG|改装前の駅舎 Ex-entrance to Ueno Zoo of Hakubutsukan-Doubutsuen Station.jpg|旧動物園口 Hakubutsukan-Dobutsuen Station - panorama - 2018 12 2.jpg|開放時の駅舎 </gallery> === 文化的な活用例 === * 1991年頃から「上野の杜芸術フォーラム」(2003年より[[特定非営利活動法人|NPO法人]])を中心に「M in M」(Museum in Metro)と称し、西洋式建物を含めた地下施設の保存・再生を提案している<ref>[http://www.e-navilife.com/taito/hakudoeki02.html 地域検索【台東らいふ】***上野公園地下鉄駅奇譚その2***]</ref>。なお、営業休止以降も西洋式建物については定期的にクリーニングを行っているとしている。また、毎年9月から10月頃にかけて界隈で開催されるイベント「art-Link 上野 - 谷中」にも度々当駅を利用した企画が行われている。 * [[1995年]]・[[1996年]]の3月には、駅構内をアート空間として照明・音響・映像などの演出を試みる『光と音の[[インスタレーション]]』というイベントが催された。[[クリストフ・シャルル]]や[[池田亮司]]らが参加していたこともあった<ref>[http://www.iead.org/2000ac/symposium2000_7.html 環境芸術学会]</ref>。 * [[2002年]][[1月]]には、上野の杜芸術フォーラムの活動をまとめた書籍『M in M project 1991-2001 - 博物館動物園駅の進化と再生』が発刊された。 * [[2007年]][[9月]]から[[10月]]にかけては、『PINHOLE PROJECTOR 駅が巨大な[[ピンホールカメラ|針穴写真機]]になる』というイベントが、西洋様式の地上口建物を使って催された。 * [[2010年]][[12月]]に駅舎取り付けの照明灯が復元された。電球は[[LED照明|LED]]のものを使用している<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010122590071521.html 70年ぶり 上野の灯 旧博物館動物園駅 1基を復元]{{リンク切れ|date=2011年4月}} - [[東京新聞]]2010年12月25日</ref>。 *2019年8月、当駅を含む地下線が戦争末期に接収され、軍需工場/鉄道の司令室となった史実をもとに制作された美術展「大洲大作 未完の螺旋」<ref>{{Citation|YouTube|title=大洲大作 未完の螺旋|url=https://www.youtube.com/watch?v=4w0509G9KiU|year=2019|last=|first=|publisher=|isbn=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=大洲大作「未完の螺旋」を体験して考えたこと、など:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape|url=https://artscape.jp/report/curator/10158330_1634.html|website=美術館・アート情報 artscape|accessdate=2020-02-20|language=ja}}</ref>を開催。 *[[2020年]][[2月8日]] - [[2月24日]]、「京成リアルミュージアム」として公開された<ref>[https://response.jp/article/2020/02/03/331350.html 「廃止された駅が歴史ミュージアムに…京成の旧博物館動物園駅、設計図も初公開 2月8日から」][[Response.]]2020年2月3日(2020年3月21日閲覧)</ref><ref name="RAILFAN776">{{Cite journal|和書|last = |first = |author = |authorlink = |date = |year =2020 |month =6 |title =モハユニ 鉄道記録帳 2020年2月・3月 |journal =RAILFAN |volume = |issue =776 |page = |pages =34-39 |publisher =[[鉄道友の会]] |location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = }}</ref>。 ==登場する作品== *『[[サイゴーさんの幸せ]]』([[ふくやまけいこ]]) *:心を得て動き出した西郷さんの銅像の物語。劇中では博物館動物園駅はまだ営業しており、物語の重要な舞台となる。 *『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』95巻<ref>ISBN 4088527399</ref>収録「幻!?の博物館動物園駅の巻」([[秋本治]]) *:日暮里方面から都美へ行く目的で下車する設定。ホームの端やペンギンの絵など当駅を忠実に描写している。 *『[[三ツ星カラーズ]]』「巨大ロボを探せ〜前編〜」<ref>{{JAN|4910164750887}}</ref>([[カツヲ (漫画家)|カツヲ]]) *:隠された巨大ロボを探すため当該駅を通過する電車に乗る設定。入口の様子が描写されている。 *『[[新幹線変形ロボ シンカリオン|新幹線変形ロボ シンカリオンZ]]』 第15話「リーダーの資格!怒りのZグランクロス」 *:ダークシンカリオンが停車していた駅として登場。駅舎とホームが描写されている。 == 隣の駅 == ; 京成電鉄 : 本線 :: [[京成上野駅]] - '''博物館動物園駅''' - [[日暮里駅]] * [[1953年]]までは、博物館動物園駅と日暮里駅の間に「[[寛永寺坂駅]]」があった。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 石本祐吉「京成電鉄 "不思議発見"」『[[鉄道ピクトリアル]]』632号、電気車研究会、1997年1月 * 若松久男+上野の杜芸術フォーラム 編『M in M project 1991-2001 博物館動物園駅の進化と再生』アム・プロモーション、2002年1月 == 関連項目 == * [[日本の鉄道駅一覧]] * [[廃駅]] * [[東成田駅|成田空港駅 (初代)]] - 現在の名称は'''東成田駅'''。通常の客扱いに使用されなくなったホームが残っている。 * [[高輪駅|高輪駅 (京浜電気鉄道)]] * [[京王線の新宿駅付近の廃駅]] * [[万世橋駅]] * [[筑波高速度電気鉄道]] * [[マウソロス霊廟]] == 外部リンク == {{commonscat|Hakubutsukan-Dōbutsuen_Station}} * [https://www.keisei.co.jp/keisei/hakudou/index.php 旧博物館動物園駅|京成電鉄] * [https://web.archive.org/web/20070218173453/http://e924.hp.infoseek.co.jp/hi/0004.html 東京の廃駅] * [https://web.archive.org/web/20150511130959/http://www.minm.jp/goods.html M in M Project(上野の杜芸術フォーラム)] * [https://web.archive.org/web/20071225130644/http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/hakubutsukandobutsueneki19791120.html 風呂屋の煙突ー京成・博物館動物園駅] {{京成本線|mode=4}} {{デフォルトソート:はくふつかんとうふつえん}} [[Category:東京都区部の廃駅]] [[Category:台東区の鉄道駅|廃はくふつかんとうふつえん]] [[Category:日本の鉄道駅 は|くふつかんとうふつえん]] [[Category:京成電鉄の廃駅]] [[Category:1933年開業の鉄道駅]] [[Category:2004年廃止の鉄道駅]] [[Category:上野公園の歴史]] [[Category:1933年竣工の日本の建築物]] [[Category:東京都選定歴史的建造物]] [[Category:西洋館]] [[Category:昭和時代戦前の東京]] [[Category:昭和時代戦後の東京]] [[Category:平成時代の東京]]
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カシオペア
カシオペア
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カシオペア ギリシャ神話で、エチオピアの王妃。カッシオペイアを参照。 上記より転じて星座の名称。カシオペヤ座を参照。 カシオペア (武満徹の曲) - 武満徹が作曲したオーケストラ曲。 カシオペア (バンド) - 日本のフュージョンバンド。 カシオペア (コンピュータ) - カシオ計算機のPDA/コンピュータの商標。 カシオペア (列車) - かつて東日本旅客鉄道が運行していた寝台特急列車。 上記列車に使用される鉄道車両。JR東日本E26系客車を参照。 カシオペア市民情報ネットワーク(カシオペアFM) - 岩手県二戸市にあるFM放送の特定地上基幹放送事業者。 かしおぺあ - 日本のフェリー。
'''カシオペア''' * ギリシャ神話で、エチオピアの王妃。[[カッシオペイア]]を参照。 ** 上記より転じて星座の名称。[[カシオペヤ座]]を参照。 * [[カシオペア (武満徹の曲)]] - [[武満徹]]が作曲したオーケストラ曲。 <!-- 1971 --> * [[カシオペア (バンド)]] - 日本のフュージョンバンド。 <!-- 1976 --> * [[カシオペア (コンピュータ)]] - カシオ計算機のPDA/コンピュータの商標。 <!-- 1996? --> * [[カシオペア (列車)]] - かつて東日本旅客鉄道が運行していた寝台特急列車。 <!-- 1999 - 2016 --> ** 上記列車に使用される鉄道車両。[[JR東日本E26系客車]]を参照。 * [[カシオペア市民情報ネットワーク]](カシオペアFM) - 岩手県二戸市にあるFM放送の特定地上基幹放送事業者。 * [[かしおぺあ]] - 日本のフェリー。 {{aimai}} {{DEFAULTSORT:かしおへあ}}
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ケロシン
ケロシン(英語: kerosene)とは、石油の分留成分の1つである。およそ沸点150 - 280°C、炭素数10 - 15、密度0.79 - 0.83のものである。ナフサ(ガソリンの原料)より重く、軽油より軽い。 ケロシンを主成分として、灯油、ジェット燃料、ケロシン系ロケット燃料などの石油製品が作られる。灯油の成分はケロシンだが、日本では灯油をケロシンと呼ぶことは稀で、ケロシンといえば「ジェット燃料やロケット燃料」のことが多い。 英語では kerosene のほか kerosine とも綴り、また coal oil ともいう。中国語では「煤油」や俗に「火水」という。モービル石油やコストコのガソリンスタンドで、灯油の給油機には、英語の Kerosine が書かれている。また、英国と南アフリカでは イギリス英語: paraffin(パラフィン)とも呼ぶ。 ケロシンは、無色で燃えやすい液体の炭化水素で、石油の分留で150 - 275°Cの分留区画を占める(炭素数で12 - 15に相当)。かつては灯油ランプに広く使用されていたが、その後は灯油やロケット燃料やジェット燃料として使用される。ケロシンの名称はギリシア語のκηρο’ς(keros。ろう、ワックス)に由来する。 原油から直接蒸留された標準的なケロシンは、硫黄の含有とそれに伴う腐食性を減少させるために、いくつかの脱硫処理を必要とする。今日ではケロシンの一部は石油クラッキングによっても生産される。つまりクラッキングにより、原油の中でも重油として燃料にしかならない成分から、価値のある成分へと改質している。 引火点は、37°Cから65°C、発火点は、220°C。 ケロシンに、水素添加や他留分、クラッキングの剰余分などがブレンドされ、各種の燃料が作られる。 灯油は、家庭用の燃料などに使われる。日本では、灯油の品質はJIS K 2203で標準化されている。 灯油の調理用燃料としての使用は、ほぼ発展途上国またはバックパッカーに限られており、そのような用途では精製度が低く、不純物やゴミを含んだものが使用されている。 日本では、家庭用の灯油ストーブで暖房燃料として広く使用されており、ガソリンスタンドや宅配によって容易に入手可能である。 ジェット燃料は、ほぼケロシンからなる「ケロシン系」と、ナフサを混ぜる「ワイドカット系」に分けられる。 民間用の規格としてはケロシン系のJet AとJet A-1、ワイドカット系としてJet Bがある。これらはアメリカの工業規格ASTM D-1655で標準化されており、日本ではJIS K 2209がそれに準拠している。軍用にも各種規格がある。 ロケットエンジンでは燃料を大気圏外でも燃焼させるため、液体水素やケロシンなどの燃料のほかに酸化剤を搭載する必要がある。酸化剤として用いられる物質は、第二次世界大戦中のヴァルターロケットでは過酸化水素、同じくV2ロケットでは液体酸素、戦後のミサイルでは赤煙硝酸や過塩素酸アンモニウムなどである。ケロシンを燃料とするロケットの場合、酸化剤としては液体酸素が多く用いられる。 ロケット燃料としての性能(比推力)は噴射速度が高いほど、言い換えると燃焼温度が高く燃焼ガスの分子量が軽いほど、最終飛翔体と燃料の重量比(単に質量比と呼ぶ)がよくなる。したがって、理想的には液体水素と液体酸素の組み合わせがロケット燃料には最適である。しかしながら、液体水素は密度が低いためタンクが巨大になり、また液体酸素との沸点の違いからタンクの断熱構造が複雑になるなどの課題がある。すなわち、実際には燃料タンクなどロケットの構造材の重量も含めて考慮されるべきで、サイズが巨大になる多段式ロケットの1段目には、構造材の装置が簡単になり軽量化が図れるケロシンが燃料として採用されることが多い。 ケロシンと厳密に同義語とは限らない。
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ケロシンとは、石油の分留成分の1つである。およそ沸点150 - 280℃、炭素数10 - 15、密度0.79 - 0.83のものである。ナフサ(ガソリンの原料)より重く、軽油より軽い。 ケロシンを主成分として、灯油、ジェット燃料、ケロシン系ロケット燃料などの石油製品が作られる。灯油の成分はケロシンだが、日本では灯油をケロシンと呼ぶことは稀で、ケロシンといえば「ジェット燃料やロケット燃料」のことが多い。 英語では kerosene のほか kerosine とも綴り、また coal oil ともいう。中国語では「煤油」や俗に「火水」という。モービル石油やコストコのガソリンスタンドで、灯油の給油機には、英語の Kerosine が書かれている。また、英国と南アフリカでは イギリス英語: paraffin(パラフィン)とも呼ぶ。
{{出典の明記|date=2023年2月26日 (日) 09:17 (UTC)}} [[ファイル:Shell Refueller.JPG|thumb|ケロシン系[[ジェット燃料]] Jet A-1 を輸送する[[貨物自動車|トラック]]]] [[ファイル:Apollo 11 Saturn V lifting off on July 16, 1969.jpg|thumb|ケロシン系[[ロケットエンジンの推進剤|ロケット燃料]]RP-1を使う[[サターンV 型ロケット|サターンV]]の打ち上げ]] '''ケロシン'''({{lang-en|kerosene}})とは、[[石油]]の[[分留]]成分の1つである。およそ[[沸点]]150 - 280[[摂氏|℃]]、[[炭素]]数[[デカン|10]] - [[ペンタデカン|15]]、[[密度]]0.79 - 0.83のものである。[[ナフサ]]([[ガソリン]]の原料)より重く、[[軽油]]より軽い。 ケロシンを主成分として、[[灯油]]、[[ジェット燃料]]、ケロシン系[[ロケットエンジンの推進剤|ロケット燃料]]などの[[石油製品]]が作られる。灯油の成分はケロシンだが、日本では灯油をケロシンと呼ぶことは稀で、ケロシンといえば「ジェット燃料やロケット燃料」を指すことが多い。 英語では {{en|'''kerosene'''}} のほか {{en|'''kerosine'''}} とも綴り、また {{en|'''coal oil'''}} ともいう。[[中国語]]では「'''煤油'''」や俗に「'''火水'''」という。[[モービル石油]]や[[コストコ]]の[[ガソリンスタンド]]で、灯油の給油機には、英語の {{en|Kerosine}} が書かれている。また、[[イギリス|英国]]と[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]では {{lang-en-gb|'''paraffin'''}}([[パラフィン]])とも呼ぶ。 == 概要 == ケロシンは、無色で燃えやすい[[液体]]の[[炭化水素]]で、石油の[[分留]]で150 - 275[[セルシウス度|℃]]の分留区画を占める(炭素数で12 - 15に相当)。かつては[[灯油ランプ]]に広く使用されていたが、その後は灯油やロケット燃料やジェット燃料として使用される。ケロシンの名称は[[ギリシア語]]の{{Lang|el|&kappa;ηρ&omicron;’ς}}(keros。[[蝋|ろう]]、ワックス)に由来する。 [[原油]]から直接[[蒸留]]された標準的なケロシンは、[[硫黄]]の含有とそれに伴う[[腐食]]性を減少させるために、いくつかの[[脱硫]]処理を必要とする。今日ではケロシンの一部は[[接触分解|石油クラッキング]]によっても生産される。つまりクラッキングにより、原油の中でも[[重油]]として燃料にしかならない成分から、価値のある成分へと改質している。 [[引火点]]は、37℃から65℃、[[発火点]]は、220℃。 == 用途 == [[File:JapaneseKeroseneBurner.jpg|thumb|right|220px|[[石油ファンヒーター]]([[Made in Japan|日本製]])]] ケロシンに、[[水素添加]]や他留分、[[接触分解|クラッキング]]の剰余分などがブレンドされ、各種の燃料が作られる。 === 灯油 === {{Main|灯油}} 灯油は、家庭用の燃料などに使われる。日本では、灯油の品質は[[日本工業規格|JIS]] K 2203で[[標準化]]されている。 灯油の[[調理]]用燃料としての使用は、ほぼ[[開発途上国|発展途上国]]またはバックパッカーに限られており、そのような用途では精製度が低く、不純物やゴミを含んだものが使用されている。 日本では、家庭用の灯油ストーブで暖房燃料として広く使用されており、ガソリンスタンドや宅配によって容易に入手可能である。 === ジェット燃料 === {{Main|ジェット燃料}} ジェット燃料は、ほぼケロシンからなる「ケロシン系」と、ナフサを混ぜる「ワイドカット系」に分けられる。 民間用の規格としてはケロシン系のJet AとJet A-1、ワイドカット系としてJet Bがある。これらはアメリカの工業規格[[American society for testing materials|ASTM]] D-1655で標準化されており、日本ではJIS K 2209がそれに準拠している。軍用にも各種規格がある。 === ロケット燃料 === ロケットエンジンでは燃料を[[大気圏]]外でも燃焼させるため、[[液体水素]]やケロシンなどの燃料のほかに[[酸化剤]]を搭載する必要がある。酸化剤として用いられる物質は、第二次世界大戦中のヴァルターロケットでは[[過酸化水素]]、同じく[[V2ロケット]]では[[液体酸素]]、戦後のミサイルでは[[赤煙硝酸]]や[[過塩素酸アンモニウム]]などである。ケロシンを燃料とするロケットの場合、酸化剤としては液体酸素が多く用いられる。 ロケット燃料としての性能([[比推力]])は噴射速度が高いほど、言い換えると燃焼温度が高く燃焼ガスの分子量が軽いほど、最終飛翔体と燃料の重量比(単に質量比と呼ぶ)がよくなる。したがって、理想的には液体水素と液体酸素の組み合わせがロケット燃料には最適である。しかしながら、液体水素は密度が低いためタンクが巨大になり、また液体酸素との[[沸点]]の違いからタンクの断熱構造が複雑になるなどの課題がある。すなわち、実際には燃料タンクなどロケットの構造材の重量も含めて考慮されるべきで、サイズが巨大になる多段式ロケットの1段目には、構造材の装置が簡単になり軽量化が図れるケロシンが燃料として採用されることが多い。 ==== ケロシン系ロケット燃料 ==== ; RP-1 : [[アメリカ合衆国]]で広く使われるロケットエンジン用燃料。 ; RG-1 : [[ソビエト連邦|旧ソビエト連邦]]/[[ロシア]]で使用されるケロシン系ロケット燃料の一つ。 : 密度が 0.82 - 0.85 g/mlで、RP-1の 0.81 g/mlより若干高い。 ; TM-114 : 旧ソビエト連邦/ロシアで使用されるケロシン系ロケット燃料の一つ。 ; TM-185 : 旧ソビエト連邦/ロシアで使用されるケロシン系ロケット燃料の一つ。 ; [[シンチン|Syntin]] : かつて旧ソビエト連邦/ロシアで使用されたケロシン系ロケット燃料の一つ。 ==== ケロシンを燃料とするロケットエンジンの例 ==== ; [[F-1 (ロケットエンジン)|F-1]] : [[アポロ計画]]で用いられた[[サターンV 型ロケット]]の一段目用の巨大エンジン。 ; [[RD-170]]/RD-171 : ロシアの大型ロケット[[アンガラ・ロケット|アンガラ]]や[[ウクライナ]]の[[ゼニット_(ロケット)|ゼニト]]用のエンジンで、F-1に匹敵する。 ; [[RD-107]]/RD-108 : ロシアの[[ソユーズ]]の一段目・二段目用エンジン(RD-108にRD-107を4本束ねて使うのが特徴)。液体酸素とケロシン系のT-1またはRG-1燃料を使用する。 ; RS-27/RS-27A/RS-27C : [[デルタロケット|デルタII]]の一段目用エンジン。 ; MB-3-1(制式名LR-79-7) : [[ソー・デルタ]]の一段目用エンジン。 ; MB-3-3 : [[デルタロケット|デルタ]]や[[N-Iロケット]]・[[N-IIロケット]]・[[H-Iロケット]]などデルタシリーズの1段目用エンジン。 ; [[マーリン (ロケットエンジン)|Merlin]] : アメリカ合衆国、[[スペースX]]社の[[ファルコン1]]・[[ファルコン9]]・[[ファルコンヘビー]]で使用されるエンジン。 == 各国語での呼称 == ケロシンと厳密に同義語とは限らない<ref>英語版ウィキペディア [[:en:Kerosene#Common name]]{{出典無効|date=2018年10月|title=Wikipedia:検証可能性#ウィキペディア自身及びウィキペディアの転載サイト}}</ref>。 * ケロシン系:[[ギリシア語]]“{{lang|el|κηρό’ς}}”(keros、[[蝋|ろう]])に由来 ** '''{{lang|en-us|Kerosene}}'''または'''{{lang|en-us|kerosine}}'''([[アメリカ合衆国|米国]]) ** '''{{lang|en-au|Kerosene}}'''または'''{{lang|en-au|kero}}'''([[オーストラリア]]) ** '''{{lang|fr|Kérosène}}'''([[フランス語|フランス]]) ** '''{{lang|it|Cherosene}}'''([[イタリア語|イタリア]]) ** '''{{lang|es|Queroseno}}'''([[スペイン語|スペイン]]) ** '''{{lang|pt|Querosene}}'''([[ポルトガル語|ポルトガル]]) ** '''{{lang|ru|Керосин}}'''('''{{lang|en|Kerosin}}''')([[ロシア語|ロシア]]) ** '''{{lang|sr|Керозин}}'''('''{{lang|en|Kerozin}}''')([[セルビア語|セルビア]]) ** '''{{lang|el|Κηροζίνη}}'''('''{{lang|en|Khrozinh}}''')([[ギリシア語|ギリシア]]) ** '''{{lang|he|קרוסין}}'''('''{{lang|en|Qrvsyn}}''')([[ヘブライ語|イスラエル]]) * ペトロレウム(ペトロリアム)系 ** '''{{lang|de|Petroleum}}'''([[ドイツ語|ドイツ]] - ドイツでジェット燃料は''{{lang|de|Kerosin}}''。英語での''{{lang|en|petroleum}}''つまり[[原油]]はドイツ語で''{{lang|de|Erdöl}}''または''{{lang|de|Mineralöl}}''または''{{lang|de|Rohöl}}''。ガソリンは''{{lang|de|Benzin}}''という) ** '''{{lang|fl|Petroli}}'''または'''{{lang|fl|Valopetroli}}'''または'''{{lang|fl|Lamppuöljy}}'''([[フィンランド語|フィンランド]]) * [[パラフィン]]系<ref>食用のパラフィン(パラフィン)とは異なる。</ref> ** '''{{lang|en|Paraffin}}'''または'''{{lang|en|paraffin oil}}'''([[イギリス|英国]]および[[南アフリカ]]) ** '''{{lang|no|Parafin}}'''または'''{{lang|no|lampeolje}}'''([[ノルウェー語|ノルウェー]]) * その他 ** '''{{lang|es|Turbosina}}'''([[スペイン語|スペイン]]での別の言い方) ** '''{{lang|pl|Nafta}}'''(ナフタ)([[ポーランド語|ポーランド]]) ** '''{{lang|sv|Fotogen}}'''([[スウェーデン語|スウェーデン]]) ** '''{{lang|tr|Gazyaģı}}'''([[トルコ語|トルコ]]) ** '''{{lang|id|Minyak Tanah}}'''([[マレー語|マレーシア]]/[[インドネシア語|インドネシア]]) ** '''{{lang|ja|灯油}}'''([[日本語|日本]]) ** '''{{lang|ko|등유}}'''('''{{lang|ko|燈油}}'''、''deungyu'')([[朝鮮語]]) ** '''{{lang|zh|煤油}}'''(''{{lang|zh|méiyóu}}'')または'''{{lang|zh|火水}}'''(''{{lang|zh|huǒshuǐ}}'')、かつては'''{{lang|zh|火油}}'''(''{{lang|zh|huǒyóu}}'')([[中国語]]) ; 英語でのその他の呼称 * '''{{lang|en|coal oil}}''' * '''{{lang|en|range oil}}''' * '''{{lang|en-ca|stove oil}}'''([[カナダ]]) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[軍用機]] * [[ロケットエンジンの推進剤]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:けろしん}} [[Category:石油]] [[Category:燃料]] [[Category:アルカン]] [[Category:登録商標]] [[Category:航空燃料]]
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エアロジン-50
エアロジン-50(Aerozine-50)は、ロケット燃料の一種で、ヒドラジン(N2H4)と非対称ジメチルヒドラジン(UDMH)を質量比約50:50で混合したものである。凝固点は-7度C、沸点は70度C。 エアロジンは酸化剤として四酸化二窒素(NTO)などと組み合わせてロケットエンジンの推進剤に用いられる。液体酸素 - 液体水素の組み合わせの極低温エンジンと違って常温で保管できるため、打上げのかなり前から燃料をロケットに注入しておける。このため打上げ時期を柔軟に選定できることから初期のICBMなどで用いられた。 また、宇宙船や人工衛星に搭載する姿勢制御用エンジンの推進剤としては長期間の保存に耐える必要があるため、この種の常温保管可能な液体燃料が用いられる。
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モノメチルヒドラジン
モノメチルヒドラジン(英: Monomethylhydrazine, MMH)は、ヒドラジン誘導体の有機化合物である。単にメチルヒドラジンとも。 キノコの一種シャグマアミガサタケの成分ギロミトリン(Gyromitrin)が加水分解して生成することでも知られる。 ロケットエンジンの推進剤に燃料として使われる。適当な酸化剤(四酸化二窒素など)とともに用いると自己着火性を有しており、燃料バルブの開閉だけで推力の制御ができるため、人工衛星や宇宙船の姿勢制御用エンジン(スラスター)用に用いられる。 引火性、発火性があり、日本では消防法により危険物第5類(自己反応性物質)に指定されている。また肝臓・腎臓・腸・膀胱に障害を起こす。発癌性を持つことでも知られている。
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モノメチルヒドラジンは、ヒドラジン誘導体の有機化合物である。単にメチルヒドラジンとも。 キノコの一種シャグマアミガサタケの成分ギロミトリン(Gyromitrin)が加水分解して生成することでも知られる。 ロケットエンジンの推進剤に燃料として使われる。適当な酸化剤(四酸化二窒素など)とともに用いると自己着火性を有しており、燃料バルブの開閉だけで推力の制御ができるため、人工衛星や宇宙船の姿勢制御用エンジン(スラスター)用に用いられる。 引火性、発火性があり、日本では消防法により危険物第5類(自己反応性物質)に指定されている。また肝臓・腎臓・腸・膀胱に障害を起こす。発癌性を持つことでも知られている。
{{出典の明記|date=2023年2月26日 (日) 09:16 (UTC)}} {{chembox | Watchedfields = changed | verifiedrevid = 266320687 | Name = モノメチルヒドラジン | ImageFile = Monomethylhydrazine.png | ImageSize = 150px | ImageName = Monomethylhydrazine | ImageFile1 = Methylhydrazine-3D-balls.png | ImageSize1 = 150px | ImageName1 = Ball-and-stick model of methylhydrazine | IUPACName = Methylhydrazine | Section1 = {{Chembox Identifiers | CASNo = 60-34-4 | CASNo_Ref = {{cascite}} | EINECS = 200-471-4 | RTECS = MV5600000 }} | Section2 = {{Chembox Properties | Formula = CH<sub>3</sub>(NH)NH<sub>2</sub> | RationalFormula =CH<sub>3</sub>-NH-NH<sub>2</sub> | MolarMass = 46.07 g/mol | Density = 0.88 g/cm<sup>3</sup> | MeltingPt = &minus;52 °C | BoilingPt = 87 °C | Solubility = 非常に溶けやすい | Solvent = [[アルコール]]、[[エーテル (化学)|エーテル]] | SolubleOther = 可溶性 }} | Section7 = {{Chembox Hazards | ExternalMSDS = [https://www.ilo.org/dyn/icsc/showcard.display?p_lang=ja&p_card_id=0180&p_version=2 ICSC 0180] | EUIndex = 列挙無し | GHSPictograms = {{GHS flame|Flammable liquid cat. 1}} {{GHS skull and crossbones}} {{GHS health hazard}} {{GHS environment}} | GHSSignalWord = DANGER | NFPA-H = 4 | NFPA-F = 3 | NFPA-R = 2 | FlashPt = &minus;8.3 °C | Autoignition = 196 °C | ExploLimits = 2.5–97% }} | Section8 = {{Chembox Related | OtherCpds = [[ヒドラジン]]<br/>[[:en:Dimethylhydrazine|ジメチルヒドラジン]] }} }} '''モノメチルヒドラジン'''({{lang-en-short|Monomethylhydrazine, MMH}})は、[[ヒドラジン]][[誘導体]]の[[有機化合物]]である。単に'''メチルヒドラジン'''とも。 [[キノコ]]の一種[[シャグマアミガサタケ]]の成分[[ギロミトリン]](Gyromitrin)が[[加水分解]]して生成することでも知られる。 [[ロケットエンジンの推進剤]]に燃料として使われる。適当な酸化剤([[四酸化二窒素]]など)とともに用いると自己着火性を有しており、燃料バルブの開閉だけで推力の制御ができるため、[[人工衛星]]や[[宇宙船]]の[[姿勢制御]]用エンジン(スラスター)用に用いられる。 引火性、発火性があり、日本では[[消防法]]により[[危険物]]第5類(自己反応性物質)に指定されている。また肝臓・腎臓・腸・膀胱に障害を起こす。[[発癌性]]を持つことでも知られている。 == MMHを使用したロケットエンジンの例 == * OMS:[[スペースシャトル]]・オービターの軌道操作エンジン(スラスター) * Aestus:[[アリアン]]5の第2段用エンジン == 関連項目 == * [[非対称ジメチルヒドラジン]] * [[エアロジン-50]] {{DEFAULTSORT:ものめちるひとらしん}} [[Category:ヒドラジン]] [[Category:有機窒素化合物]] [[Category:燃料]] <!-- [[Category:ロケット燃料]] --> [[Category:第5類危険物]] [[Category:発癌性物質]] [[Category:モノアミン酸化酵素阻害薬]]
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9,951
非対称ジメチルヒドラジン
非対称ジメチルヒドラジン(Unsymmetrical dimethylhydrazine、UDMH、または1,1-ジメチルヒドラジン)はヒドラジンの誘導体の有機化合物である。用途はロケットエンジンの燃料など。 異性体には1,2-ジメチルヒドラジン( CH 3 − NH − NH − CH 3 {\displaystyle {\ce {CH3-NH-NH-CH3}}} )があり、こちらは「対称型ジメチルヒドラジン」と呼ばれる。 アンモニア様の臭気を持つ無色透明の液体で、吸湿性を持ち、水に非常に溶けやすい。空気に触れると黄色に変色する。常温で気化しやすく、引火点が-10度のため引火しやすい。 ロケットエンジンの推進剤として用いられ、酸化剤には四酸化二窒素や赤煙硝酸、液体酸素などが使用される。ヒドラジンに比べ高温でも安定しており、ヒドラジンと置き換えまたは混合が可能である。 常温で保存可能であるので即応性を要求されるミサイル等の用途に用いられ、また、酸化剤と混ぜるだけで燃焼する自己着火性推進剤であるため、高い信頼性を求められる人工衛星やスペースシャトル等の姿勢制御に使用される。ロケットエンジンの始動時にも使用され、この場合は運転が始まったらケロシンなどに切り替える。ただし、モノメチルヒドラジンの方が比推力が高い。 ロケットエンジンの燃料以外の用途として有機金属気相成長法による蒸着における窒素源としても使用される。 強い発火性物質である。皮膚や粘膜に対して腐食性を持つ。また発がん性を持ち、国際がん研究機関の発がん性評価ではグループ2Bの発がん性の可能性がある物質に分類されている。また日本では消防法により危険物第5類(自己反応性物質)に、毒物及び劇物取締法では毒物に、労働安全衛生法の特定第2類物質(特定管理物質)に指定されている。
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非対称ジメチルヒドラジンはヒドラジンの誘導体の有機化合物である。用途はロケットエンジンの燃料など。 異性体には1,2-ジメチルヒドラジンがあり、こちらは「対称型ジメチルヒドラジン」と呼ばれる。 アンモニア様の臭気を持つ無色透明の液体で、吸湿性を持ち、水に非常に溶けやすい。空気に触れると黄色に変色する。常温で気化しやすく、引火点が-10度のため引火しやすい。
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Winny
Winny(ウィニー)とは、2002年に開発されたPeer to Peer(P2P)技術を応用したファイル共有ソフト、電子掲示板構築ソフト。 利用者に悪用され、著作権を無視してコピーされたファイルの送受信など、深刻な被害を引き起こしたほか、暴露ウイルスと呼ばれるコンピューターウイルスの媒介やそれに伴う個人情報や機密情報の流出、児童ポルノの流通、大量のデータ交換に伴うネットワークの混雑などの社会問題に発展し、安倍晋三内閣官房長官(当時)が会見で使用中止を呼びかけるまでに至ったほか、作者である金子自身が京都府警に著作権法違反の容疑で逮捕されるなどの騒動に発展した。 Winnyは東京大学大学院情報理工学系研究科助手(当時)の金子勇によって2002年に開発が始まった。当時すでにNapsterやWinMXなどのP2P型ファイル共有ソフトが存在し、著作権法に違反する違法なファイル交換が流行しており、逮捕者が相次いでいた。Napsterの運営会社もアメリカ連邦裁判所で、2001年に違法判決を受けていた。 この時期、金子は検閲が極めて困難な情報公開システムを目指すFreenetというP2Pシステムを手本にWinnyの開発を開始した。Freenetは情報がどこに保存されているのか、また、誰が情報の発信者であるのかを容易にわからないようにして、政府による情報の検閲・削除を不可能にしようと計画されていた。WinnyはFreenetの思想を受け継ぎ、情報発信者の追跡困難性と、通信の秘匿性、Winny利用の検知困難性を企図して設計された。 WinnyはFreenetほどにファイルを切り刻んでばら撒いたりはしないが、自分の接続している他のパソコンをファイル転送の中継として使うため、実際のファイルが保存されているパソコンがどこにあるのか知ることができない。中継しているパソコンはその中継は誰がリクエストしたものなのか知ることはできない。ハイブリッドP2PのWinMXやNapster、ピュアP2Pのgnutellaにおいては、ファイル検索後はファイル保存元へ直接接続を行う。 これに対し、ピュアP2Pの一種であるWinnyはファイルが中継される時はディスク内に保存されるが、キャッシュされているファイルが何なのか知ることができない。Winnyはこのような匿名性についてはFreenetと同様のモデルとなるが、Freenetと異なり独自にファイル検索機能を有するので、実際にはどんなファイルがキャッシュされているのか判定はできる。また、一度ネットワーク上にアップされたファイルは削除することが困難であるとされている。 Winnyは全体が停止することがなく、一度稼働を始めたネットワークは止めることができない。Winnyを利用開始するにはまず、中央サーバーにアクセスする代わりに、最初に接続するノードを手入力で設定し、Winnyのネットワークに参加する。接続できた他のクライアントから情報を得ることでネットワークに参加する。 ネットワークに接続後、Winnyは以下のような動作を行う。 加えて、Winnyは電子掲示板機能も備えている。電子掲示板機能では、スレッドを立てた者のコンピュータにスレッドの内容が集約・保存されるため、スレッド設置者のノードが停止している場合は、読み込みも書き込みも出来ない。また、スレッド所有者のクライアントに直接アクセスするため、スレッドの所有者のIPアドレスを容易に特定でき、匿名性は低い。後にWinny利用者が逮捕された事例では、この電子掲示板への書き込みがきっかけとなり、摘発に至っている。 Winnyは通信の暗号化に使う鍵を平文でやり取りしており、秘匿性が高いとは言えない。そのため、匿名性を向上させるために、Winnyの暗号化部分に改良を加えた「Winnyp」が匿名の開発者によって公開されている。金子自身は、暗号が解読されてしまったら、すぐに別のアルゴリズムに変えればよいと考えていたようである。 WinnyはピュアP2Pという特性上、暗号鍵の認証局を持つことができない。そのためWinnyでは公開鍵暗号が使われており、同時に固定の秘密鍵がWinny内部に内蔵されている。しかしデバッガを使えば、その秘密鍵を取り出すことができる。WinnyはRC4鍵を初期通信時に送っているため、リアルタイムで復号できるほどWinnyの暗号化は弱い。 開発・配布者自身も、通信内容やローカルに複製したファイルを暗号化したのは、プログラムが解析されてクラックが蔓延し、その結果ファイル共有の効率が低下するという事態を防ぐためであり、暗号がすべて解除されたからといって匿名性が失われるわけではないという趣旨の発言をしている。 それによると、Winnyは複製したファイル(Winny 用語でのキャッシュ)とUPフォルダ内のファイルが区別できない形でアップロードされるため、あるファイルを公開する者が一次配布者であるかは特定できないという。 さらに、こちらから見てアップロードしている者が単に他のノードから転送をしているだけである可能性も残されているため、WinnyBBSでスレッドの所有者が放流宣言をするなど確固たる根拠がない限り一次配布者を特定できない。 Winnyのネットワーク上に情報が流出してしまった場合に、その情報を回収することは事実上不可能である。一般的なサーバー型のネットワークの場合、情報を公開しているサーバーを停止させれば大抵はそれ以上の流出を抑えることができるのに比べて、大きな欠点であった。 元カーネギーメロン大学日本校教授(現・慶應義塾大学教授)の武田圭史は、Winnyの仕様自体が無責任なファイルの拡散を促進するよう設計されているため、漏洩情報の拡散防止などの情報セキュリティの要求とは相入れないとし、こういったソフトウェアの存在自体が情報漏洩に関するセキュリティホールになっていると問題点を指摘した。 Winnyが当初掲げていた匿名性についても、2003年11月に多数の音楽ファイルや映画ファイルを違法に公開したとして複数の利用者が逮捕されるなど、発信者の追跡はそれほど困難でなかった可能性があり、暗号が簡単に破れることや、Winnyの動作も簡単に検出できることから、通信の秘匿性や検知困難性も実際には実現されていなかった可能性が指摘されている。 また、Winnyには通信処理にバッファオーバーフローの脆弱性があり、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は注意喚起を行なっていた。 WinnyをはじめとするP2Pファイル共有ネットワークは、児童ポルノや著作権侵害にあたる映像・音楽の無許諾コピーなど違法流通の温床として問題視されてきた。WWWなどのクライアント・サーバー・システムの場合、データを発信するサーバーの運営者を特定すれば、違法なファイルの送信を容易に取締ることが可能だが、P2Pネットワークの場合は個々のファイルのコントロールの権限が個々の利用者にあるわけではないので取り締まりが難しく、さらに既存の法理論では開発者・運営者の法的責任を問うことが困難であった。一度ネットワークに公開された情報は容易に削除できないことから、名誉毀損やプライバシー侵害にあたる情報の流出も問題視された。検閲を回避するための設計が、実際には道徳的な問題や権利侵害の可能性を孕んだのである。 実際、従来使用されていたWinMXに比較して強化されたWinnyの匿名性は、著作権法・わいせつ物頒布罪・児童ポルノ規制法・個人情報保護法などに抵触する違法なファイル交換を行う場合に好都合なものであったため、利用者数は急速に拡大していった。 当時の日本の著作権法では、ファイルの発信者のみが公衆送信権・送信可能化権の侵害に問われることから、開発者の意図がどうであれ、Winnyの匿名性は著作権侵害の主体を隠すことにつながった。金子がWinnyを最初に公開したのは「2ちゃんねる」のダウンロードソフト板であり、そこではWinMXなどのP2Pソフトが著作権侵害ファイルの流通用に普及していた。金子本人もWinny使用が著作権侵害に繋がることを認知しており、自身はダウンロード専用の特製Winnyを使用しており、直接的な著作権法違反となるアップロードはしておらず、警察は摘発逃れを謀っていたと疑った。 防衛大学校助教授の中村康弘は開発者の金子勇は著作権違反行為を意図する者の要望に応える形でWinnyの開発を行ったように見えると述べている。その理由としてFreenetのプロトコルにWinMXの転送効率の良さを加味する設計の良し悪しを検討するならば、「2ちゃんねる」ではなく、Freenetのプロジェクトで実験を行うのが適切なはずであるからと論じた。 Winnyでは大量の児童ポルノが流通しており、Winnyの性質から一度ネットワークに放流されたファイルの削除は困難であるため、深刻な被害の再生産に繋がった。2005年9月に小学生の女児らをターゲットにした157本の児童ポルノ動画の販売で大阪府在住の50代男が逮捕された事件では、同年3月に逮捕された別の男が製作したWinnyネットワーク上で残存していた映像が再利用された。弁護士の奥村徹は「販売されている児童ポルノの多くが、Winnyを使って入手した映像をもとにしており、『新作』は次々流通する。映像が出た女児らの名誉は永久に回復できない」と語った。 2004年3月ごろより、Winnyを利用していたパソコンがWinnyなどで入手したファイルを閲覧したことにより、コンピュータウイルスの一種ともいえるワームに感染する事例が頻発し、その結果、そのパソコン内に保存されていた本来公開されてはならないファイルが、Winnyのネットワーク上に流出するという事件が多発した。 このワームは特に「暴露ウイルス」と言われ、流出したものとしては、一般企業の業務データ、個人のチャットログや電子メールデータなど様々なものがある。 これらのウイルスは「お宝画像(数行にわたる長い空白).exe」など、一見するとウイルスに見えないような細工をした上で、他のファイルに紛れ込ませてネットワーク上に放流された。一般にWinnyのユーザーは大量のファイルをダウンロードしクリックすることに慣れているためか、かなりの確率でこのような単純な罠にひっかかってしまったのである。また、Winny等のファイル共有ソフトによる情報漏洩事故は日本特有の現象であり、それはWinnyには固有のセキュリティ上の欠陥が多く、ユーザーの大半が日本人であったからである。 ワームはユーザーのデスクトップなどに存在するデータを勝手に共有し、感染者に気づかぬうちにWinnyのネットワーク上に流出させる。これは特定のフォルダ(「マイドキュメント」など)や特定の拡張子(*.jpgや*.docなど)を検索して、これらから作成した複製やアーカイブ(書庫ファイル)をWinnyのアップロード機能を使って共有ファイルに指定する。感染者に気付かれ難いこともあり、事件の発覚が遅れ、漏洩した情報回収のめどが立たなくなるケースが跡を絶たない。 ワームのひとつ山田オルタナティブには、パソコン自体をHTTPサーバとして立ち上げ、パソコンに保存されているデータすべてをインターネットを通じて世界中に公開してしまい、なおかつワームに感染した者同士をHTTPリンクで相互接続する機能が付加されている。 ワームの被害は民間企業や個人だけにとどまらず、警察、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊(のちに防衛庁はWinny対策の為に、新しくパーソナルコンピュータを調達し、40億円の費用を賄うこととなった)、日本郵政公社、刑務所、裁判所、日本の原子力発電関連施設、一部の地方公共団体など官公庁でも流出事件が続発した。2006年3月には当時の安倍晋三官房長官が広く国民に対してWinnyの利用を自粛するように呼びかけた。政府関係者が特定のソフトウェアに名指しで利用自粛を訴えるのは異例のことであり、それほどまでに重大なレベルの社会問題になっていたことの証明である。また、嫌がらせのために、個人情報を盗み出して故意にWinnyに流出させるという手口も発覚した。 組織の情報セキュリティの観点からはWinnyは悪夢のような存在だった。従来型のWinMXは通信ポート番号が固定されているため、特定のポートを遮断すれば組織内での利用を防ぐことができたのであるが、Winnyはランダムで番号が割り当てられていたため対処が困難であった。また、通常の組織内ネットワークではファイアウォールの設定で外部にファイルを公開するサーバーとしての通信を遮断する設定がなされているが、Winnyではこれを回避する手段も実装されていた。 相次ぐ情報流出の被害から、職員にWinnyを使用しない誓約書の提出を求める事例もあり、北海道警はWinnyの禁止に加えて、公用のパソコンや外部記録媒体を庁外に持ち出すことや、私物パソコンで機密情報を扱うことを禁止した。 本人が使用せずとも家族が利用したWinnyで被害に遭い、情報流出の責任を問われた銀行員が失業して家庭崩壊に至った例もあったとされたほか、プライベートに関わる写真やセンシティブな個人情報が消せなくなるなどの人権侵害が起きていた。 また、ウイルスバスターなどのコンピュータウイルス対策ソフトを提供しているトレンドマイクロからも、社員がAntinnyに感染しWinnyへ個人情報を流出させる事故を発生し、住民基本台帳ネットワークに関する情報(パスワード・使用手順)も流出していたことが確認された。 ひとたびWinnyで流出した情報は、キャッシュを保持するコンピュータが存在する限り、継続的にWinnyのネットワーク上に留まり続けることが分かっており、それらのデータを削除することは、Winny利用者の全端末のデータをすべて削除しない限り永久に不可能である。 また、Winny経由でウイルス感染したコンピュータが意図せずサイバー攻撃に使用される事例もあり、デジタル著作物の権利を保護する社団法人「コンピュータソフトウェア著作権協会」は2004年3月から約110日間にわたりDoS攻撃の被害を受け、連日サーバーがダウンしてURLの変更を余儀なくされた。 マイクロソフトは、2005年10月のWindows Updateプログラムの中にWinnyのウイルスを駆除できる「悪意のあるソフトウェアの削除ツール」を同梱した。マイクロソフトは、2005年11月に、1ヶ月間でこのWindows Updateにより20万件以上のウイルス除去に成功したと発表した。しかしながら、上記マイクロソフト配布の削除ツールは、当初Windows XP、2000にしか対応しなかった(後にWindows Vista、Windows 7、Windows 8、Windows 10にも対応)。そのため、Windows 2000より前の古いバージョンのWindowsではマイクロソフト製の対策ツールを使用して駆除することは出来ない。また、「Winny」を使っているユーザーのほとんどが日本人であるため、これらウイルスに感染するユーザーもまた日本人が大半となった。 前述のようにWinnyを利用することにより自らが情報漏洩などの被害を受けることもある。このため、「確実な方法はWinnyを使用しないことである」という意見が内閣官房など各方面で呼びかけられた。IPAも、Winnyを導入しないことなどを対策として挙げている。 民間企業もさまざまなWinny対策のサービスの提供を開始し、日本IBMはWinny対策として、Winnyなどが起動すると自動的に検知して終了処理を行い、監視サーバーに報告するセキュリティ機能を提供していたほか、マイクロソフトの日本法人も、Winny関連のセキュリティの注意喚起を行っており、シマンテックもAntinnyウイルスの対策ツールを配布していた。 Winnyでは匿名性を確保するためにデータをバケツリレー的に複数のノード間で転送していく、この設計ではリクエストを発行したピアから、データのアップロード元となるピアまでの間に複数のピアを余分に経由する。仮にn個のピアを中継する場合、「データの大きさ × n」分のデータ転送が余分に発生するため、ネットワークに負担を与えることになり、Winnyのデータ転送がネットワーク帯域のかなりの部分を占有することになった。 当時は多くのWinny利用者が大容量ファイルを長時間掛けて転送するため、帯域を圧迫し、一般ユーザーへの迷惑行為となっていた。このためWinnyの利用に対し、通信の量を制限するというプロバイダによる規制が広まった。また、通常のネットワーク通信であれば、決まったポート番号が使用されるが、Winnyは初期インストール時にランダムにポート番号が割り当てられ、通信も暗号化されていたため、Winnyの通信のみを分離して遮断することが困難であった。 2006年3月、大手プロバイダのぷららネットワークスは、Winnyの通信について完全遮断の方針を決定した。その理由について「相次ぐ個人情報や機密情報の流出を憂慮すべき事態と捉え、ユーザーが安心して利用できるネットワーク環境を提供することが通信事業者としての責務」と説明した。これ以前にもいくつかのプロバイダが、Winnyなどのファイル交換ソフトの利用者に連続かつ長時間にわたり回線容量をほぼ占有されてしまったことで、他の多くのユーザーの通信速度が低下するなどの通信クオリティの維持が困難になるなどのさまざまな不都合により、事前告知の有無を問わず、Winnyに対して部分的な規制を行っていた。ほかにもパナソニックネットワークサービシズは6月30日より、データ転送量(上り)が24時間当たり15ギガバイトを超える通信に対し、通信利用規制を実施することを発表。ダウンロードに関しては規制の対象外だった。 2006年5月、総務省はぷららが予定していたWinny規制について、「通信の秘密の侵害に抵触する可能性が高い」との見解を発表した。Winny特有の通信パターンを検出し、それに該当する通信を遮断するというものだったが、これが問題視された。これに対し通信量だけで判断し帯域を絞ることは問題視されなかった。なお、当時の総務省の一般的な見解としては、利用者の同意がない場合であっても「正当業務」「緊急避難」にあたるケースでは通信の秘密を侵害する行為であっても、「必要かつ相当な範囲内でも認められる」ともしており、ぷららは「Winnyの通信はデータ長やバイナリ・パターンで検知しており、あて先、送信元、データの中身はみていない。この行為が本当に通信の構成要素の保護に抵触するのか」と疑問を呈した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Winny(ウィニー)とは、2002年に開発されたPeer to Peer(P2P)技術を応用したファイル共有ソフト、電子掲示板構築ソフト。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "利用者に悪用され、著作権を無視してコピーされたファイルの送受信など、深刻な被害を引き起こしたほか、暴露ウイルスと呼ばれるコンピューターウイルスの媒介やそれに伴う個人情報や機密情報の流出、児童ポルノの流通、大量のデータ交換に伴うネットワークの混雑などの社会問題に発展し、安倍晋三内閣官房長官(当時)が会見で使用中止を呼びかけるまでに至ったほか、作者である金子自身が京都府警に著作権法違反の容疑で逮捕されるなどの騒動に発展した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "Winnyは東京大学大学院情報理工学系研究科助手(当時)の金子勇によって2002年に開発が始まった。当時すでにNapsterやWinMXなどのP2P型ファイル共有ソフトが存在し、著作権法に違反する違法なファイル交換が流行しており、逮捕者が相次いでいた。Napsterの運営会社もアメリカ連邦裁判所で、2001年に違法判決を受けていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "この時期、金子は検閲が極めて困難な情報公開システムを目指すFreenetというP2Pシステムを手本にWinnyの開発を開始した。Freenetは情報がどこに保存されているのか、また、誰が情報の発信者であるのかを容易にわからないようにして、政府による情報の検閲・削除を不可能にしようと計画されていた。WinnyはFreenetの思想を受け継ぎ、情報発信者の追跡困難性と、通信の秘匿性、Winny利用の検知困難性を企図して設計された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "WinnyはFreenetほどにファイルを切り刻んでばら撒いたりはしないが、自分の接続している他のパソコンをファイル転送の中継として使うため、実際のファイルが保存されているパソコンがどこにあるのか知ることができない。中継しているパソコンはその中継は誰がリクエストしたものなのか知ることはできない。ハイブリッドP2PのWinMXやNapster、ピュアP2Pのgnutellaにおいては、ファイル検索後はファイル保存元へ直接接続を行う。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "これに対し、ピュアP2Pの一種であるWinnyはファイルが中継される時はディスク内に保存されるが、キャッシュされているファイルが何なのか知ることができない。Winnyはこのような匿名性についてはFreenetと同様のモデルとなるが、Freenetと異なり独自にファイル検索機能を有するので、実際にはどんなファイルがキャッシュされているのか判定はできる。また、一度ネットワーク上にアップされたファイルは削除することが困難であるとされている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Winnyは全体が停止することがなく、一度稼働を始めたネットワークは止めることができない。Winnyを利用開始するにはまず、中央サーバーにアクセスする代わりに、最初に接続するノードを手入力で設定し、Winnyのネットワークに参加する。接続できた他のクライアントから情報を得ることでネットワークに参加する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ネットワークに接続後、Winnyは以下のような動作を行う。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "加えて、Winnyは電子掲示板機能も備えている。電子掲示板機能では、スレッドを立てた者のコンピュータにスレッドの内容が集約・保存されるため、スレッド設置者のノードが停止している場合は、読み込みも書き込みも出来ない。また、スレッド所有者のクライアントに直接アクセスするため、スレッドの所有者のIPアドレスを容易に特定でき、匿名性は低い。後にWinny利用者が逮捕された事例では、この電子掲示板への書き込みがきっかけとなり、摘発に至っている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "Winnyは通信の暗号化に使う鍵を平文でやり取りしており、秘匿性が高いとは言えない。そのため、匿名性を向上させるために、Winnyの暗号化部分に改良を加えた「Winnyp」が匿名の開発者によって公開されている。金子自身は、暗号が解読されてしまったら、すぐに別のアルゴリズムに変えればよいと考えていたようである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "WinnyはピュアP2Pという特性上、暗号鍵の認証局を持つことができない。そのためWinnyでは公開鍵暗号が使われており、同時に固定の秘密鍵がWinny内部に内蔵されている。しかしデバッガを使えば、その秘密鍵を取り出すことができる。WinnyはRC4鍵を初期通信時に送っているため、リアルタイムで復号できるほどWinnyの暗号化は弱い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "開発・配布者自身も、通信内容やローカルに複製したファイルを暗号化したのは、プログラムが解析されてクラックが蔓延し、その結果ファイル共有の効率が低下するという事態を防ぐためであり、暗号がすべて解除されたからといって匿名性が失われるわけではないという趣旨の発言をしている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "それによると、Winnyは複製したファイル(Winny 用語でのキャッシュ)とUPフォルダ内のファイルが区別できない形でアップロードされるため、あるファイルを公開する者が一次配布者であるかは特定できないという。 さらに、こちらから見てアップロードしている者が単に他のノードから転送をしているだけである可能性も残されているため、WinnyBBSでスレッドの所有者が放流宣言をするなど確固たる根拠がない限り一次配布者を特定できない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "Winnyのネットワーク上に情報が流出してしまった場合に、その情報を回収することは事実上不可能である。一般的なサーバー型のネットワークの場合、情報を公開しているサーバーを停止させれば大抵はそれ以上の流出を抑えることができるのに比べて、大きな欠点であった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "元カーネギーメロン大学日本校教授(現・慶應義塾大学教授)の武田圭史は、Winnyの仕様自体が無責任なファイルの拡散を促進するよう設計されているため、漏洩情報の拡散防止などの情報セキュリティの要求とは相入れないとし、こういったソフトウェアの存在自体が情報漏洩に関するセキュリティホールになっていると問題点を指摘した。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Winnyが当初掲げていた匿名性についても、2003年11月に多数の音楽ファイルや映画ファイルを違法に公開したとして複数の利用者が逮捕されるなど、発信者の追跡はそれほど困難でなかった可能性があり、暗号が簡単に破れることや、Winnyの動作も簡単に検出できることから、通信の秘匿性や検知困難性も実際には実現されていなかった可能性が指摘されている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、Winnyには通信処理にバッファオーバーフローの脆弱性があり、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は注意喚起を行なっていた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "WinnyをはじめとするP2Pファイル共有ネットワークは、児童ポルノや著作権侵害にあたる映像・音楽の無許諾コピーなど違法流通の温床として問題視されてきた。WWWなどのクライアント・サーバー・システムの場合、データを発信するサーバーの運営者を特定すれば、違法なファイルの送信を容易に取締ることが可能だが、P2Pネットワークの場合は個々のファイルのコントロールの権限が個々の利用者にあるわけではないので取り締まりが難しく、さらに既存の法理論では開発者・運営者の法的責任を問うことが困難であった。一度ネットワークに公開された情報は容易に削除できないことから、名誉毀損やプライバシー侵害にあたる情報の流出も問題視された。検閲を回避するための設計が、実際には道徳的な問題や権利侵害の可能性を孕んだのである。", "title": "違法性" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "実際、従来使用されていたWinMXに比較して強化されたWinnyの匿名性は、著作権法・わいせつ物頒布罪・児童ポルノ規制法・個人情報保護法などに抵触する違法なファイル交換を行う場合に好都合なものであったため、利用者数は急速に拡大していった。", "title": "違法性" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "当時の日本の著作権法では、ファイルの発信者のみが公衆送信権・送信可能化権の侵害に問われることから、開発者の意図がどうであれ、Winnyの匿名性は著作権侵害の主体を隠すことにつながった。金子がWinnyを最初に公開したのは「2ちゃんねる」のダウンロードソフト板であり、そこではWinMXなどのP2Pソフトが著作権侵害ファイルの流通用に普及していた。金子本人もWinny使用が著作権侵害に繋がることを認知しており、自身はダウンロード専用の特製Winnyを使用しており、直接的な著作権法違反となるアップロードはしておらず、警察は摘発逃れを謀っていたと疑った。", "title": "違法性" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "防衛大学校助教授の中村康弘は開発者の金子勇は著作権違反行為を意図する者の要望に応える形でWinnyの開発を行ったように見えると述べている。その理由としてFreenetのプロトコルにWinMXの転送効率の良さを加味する設計の良し悪しを検討するならば、「2ちゃんねる」ではなく、Freenetのプロジェクトで実験を行うのが適切なはずであるからと論じた。", "title": "違法性" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "Winnyでは大量の児童ポルノが流通しており、Winnyの性質から一度ネットワークに放流されたファイルの削除は困難であるため、深刻な被害の再生産に繋がった。2005年9月に小学生の女児らをターゲットにした157本の児童ポルノ動画の販売で大阪府在住の50代男が逮捕された事件では、同年3月に逮捕された別の男が製作したWinnyネットワーク上で残存していた映像が再利用された。弁護士の奥村徹は「販売されている児童ポルノの多くが、Winnyを使って入手した映像をもとにしており、『新作』は次々流通する。映像が出た女児らの名誉は永久に回復できない」と語った。", "title": "児童ポルノの流通" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2004年3月ごろより、Winnyを利用していたパソコンがWinnyなどで入手したファイルを閲覧したことにより、コンピュータウイルスの一種ともいえるワームに感染する事例が頻発し、その結果、そのパソコン内に保存されていた本来公開されてはならないファイルが、Winnyのネットワーク上に流出するという事件が多発した。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "このワームは特に「暴露ウイルス」と言われ、流出したものとしては、一般企業の業務データ、個人のチャットログや電子メールデータなど様々なものがある。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "これらのウイルスは「お宝画像(数行にわたる長い空白).exe」など、一見するとウイルスに見えないような細工をした上で、他のファイルに紛れ込ませてネットワーク上に放流された。一般にWinnyのユーザーは大量のファイルをダウンロードしクリックすることに慣れているためか、かなりの確率でこのような単純な罠にひっかかってしまったのである。また、Winny等のファイル共有ソフトによる情報漏洩事故は日本特有の現象であり、それはWinnyには固有のセキュリティ上の欠陥が多く、ユーザーの大半が日本人であったからである。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ワームはユーザーのデスクトップなどに存在するデータを勝手に共有し、感染者に気づかぬうちにWinnyのネットワーク上に流出させる。これは特定のフォルダ(「マイドキュメント」など)や特定の拡張子(*.jpgや*.docなど)を検索して、これらから作成した複製やアーカイブ(書庫ファイル)をWinnyのアップロード機能を使って共有ファイルに指定する。感染者に気付かれ難いこともあり、事件の発覚が遅れ、漏洩した情報回収のめどが立たなくなるケースが跡を絶たない。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ワームのひとつ山田オルタナティブには、パソコン自体をHTTPサーバとして立ち上げ、パソコンに保存されているデータすべてをインターネットを通じて世界中に公開してしまい、なおかつワームに感染した者同士をHTTPリンクで相互接続する機能が付加されている。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ワームの被害は民間企業や個人だけにとどまらず、警察、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊(のちに防衛庁はWinny対策の為に、新しくパーソナルコンピュータを調達し、40億円の費用を賄うこととなった)、日本郵政公社、刑務所、裁判所、日本の原子力発電関連施設、一部の地方公共団体など官公庁でも流出事件が続発した。2006年3月には当時の安倍晋三官房長官が広く国民に対してWinnyの利用を自粛するように呼びかけた。政府関係者が特定のソフトウェアに名指しで利用自粛を訴えるのは異例のことであり、それほどまでに重大なレベルの社会問題になっていたことの証明である。また、嫌がらせのために、個人情報を盗み出して故意にWinnyに流出させるという手口も発覚した。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "組織の情報セキュリティの観点からはWinnyは悪夢のような存在だった。従来型のWinMXは通信ポート番号が固定されているため、特定のポートを遮断すれば組織内での利用を防ぐことができたのであるが、Winnyはランダムで番号が割り当てられていたため対処が困難であった。また、通常の組織内ネットワークではファイアウォールの設定で外部にファイルを公開するサーバーとしての通信を遮断する設定がなされているが、Winnyではこれを回避する手段も実装されていた。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "相次ぐ情報流出の被害から、職員にWinnyを使用しない誓約書の提出を求める事例もあり、北海道警はWinnyの禁止に加えて、公用のパソコンや外部記録媒体を庁外に持ち出すことや、私物パソコンで機密情報を扱うことを禁止した。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "本人が使用せずとも家族が利用したWinnyで被害に遭い、情報流出の責任を問われた銀行員が失業して家庭崩壊に至った例もあったとされたほか、プライベートに関わる写真やセンシティブな個人情報が消せなくなるなどの人権侵害が起きていた。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "また、ウイルスバスターなどのコンピュータウイルス対策ソフトを提供しているトレンドマイクロからも、社員がAntinnyに感染しWinnyへ個人情報を流出させる事故を発生し、住民基本台帳ネットワークに関する情報(パスワード・使用手順)も流出していたことが確認された。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ひとたびWinnyで流出した情報は、キャッシュを保持するコンピュータが存在する限り、継続的にWinnyのネットワーク上に留まり続けることが分かっており、それらのデータを削除することは、Winny利用者の全端末のデータをすべて削除しない限り永久に不可能である。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、Winny経由でウイルス感染したコンピュータが意図せずサイバー攻撃に使用される事例もあり、デジタル著作物の権利を保護する社団法人「コンピュータソフトウェア著作権協会」は2004年3月から約110日間にわたりDoS攻撃の被害を受け、連日サーバーがダウンしてURLの変更を余儀なくされた。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "マイクロソフトは、2005年10月のWindows Updateプログラムの中にWinnyのウイルスを駆除できる「悪意のあるソフトウェアの削除ツール」を同梱した。マイクロソフトは、2005年11月に、1ヶ月間でこのWindows Updateにより20万件以上のウイルス除去に成功したと発表した。しかしながら、上記マイクロソフト配布の削除ツールは、当初Windows XP、2000にしか対応しなかった(後にWindows Vista、Windows 7、Windows 8、Windows 10にも対応)。そのため、Windows 2000より前の古いバージョンのWindowsではマイクロソフト製の対策ツールを使用して駆除することは出来ない。また、「Winny」を使っているユーザーのほとんどが日本人であるため、これらウイルスに感染するユーザーもまた日本人が大半となった。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "前述のようにWinnyを利用することにより自らが情報漏洩などの被害を受けることもある。このため、「確実な方法はWinnyを使用しないことである」という意見が内閣官房など各方面で呼びかけられた。IPAも、Winnyを導入しないことなどを対策として挙げている。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "民間企業もさまざまなWinny対策のサービスの提供を開始し、日本IBMはWinny対策として、Winnyなどが起動すると自動的に検知して終了処理を行い、監視サーバーに報告するセキュリティ機能を提供していたほか、マイクロソフトの日本法人も、Winny関連のセキュリティの注意喚起を行っており、シマンテックもAntinnyウイルスの対策ツールを配布していた。", "title": "情報流出" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "Winnyでは匿名性を確保するためにデータをバケツリレー的に複数のノード間で転送していく、この設計ではリクエストを発行したピアから、データのアップロード元となるピアまでの間に複数のピアを余分に経由する。仮にn個のピアを中継する場合、「データの大きさ × n」分のデータ転送が余分に発生するため、ネットワークに負担を与えることになり、Winnyのデータ転送がネットワーク帯域のかなりの部分を占有することになった。", "title": "プロバイダによる規制" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "当時は多くのWinny利用者が大容量ファイルを長時間掛けて転送するため、帯域を圧迫し、一般ユーザーへの迷惑行為となっていた。このためWinnyの利用に対し、通信の量を制限するというプロバイダによる規制が広まった。また、通常のネットワーク通信であれば、決まったポート番号が使用されるが、Winnyは初期インストール時にランダムにポート番号が割り当てられ、通信も暗号化されていたため、Winnyの通信のみを分離して遮断することが困難であった。", "title": "プロバイダによる規制" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2006年3月、大手プロバイダのぷららネットワークスは、Winnyの通信について完全遮断の方針を決定した。その理由について「相次ぐ個人情報や機密情報の流出を憂慮すべき事態と捉え、ユーザーが安心して利用できるネットワーク環境を提供することが通信事業者としての責務」と説明した。これ以前にもいくつかのプロバイダが、Winnyなどのファイル交換ソフトの利用者に連続かつ長時間にわたり回線容量をほぼ占有されてしまったことで、他の多くのユーザーの通信速度が低下するなどの通信クオリティの維持が困難になるなどのさまざまな不都合により、事前告知の有無を問わず、Winnyに対して部分的な規制を行っていた。ほかにもパナソニックネットワークサービシズは6月30日より、データ転送量(上り)が24時間当たり15ギガバイトを超える通信に対し、通信利用規制を実施することを発表。ダウンロードに関しては規制の対象外だった。", "title": "プロバイダによる規制" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2006年5月、総務省はぷららが予定していたWinny規制について、「通信の秘密の侵害に抵触する可能性が高い」との見解を発表した。Winny特有の通信パターンを検出し、それに該当する通信を遮断するというものだったが、これが問題視された。これに対し通信量だけで判断し帯域を絞ることは問題視されなかった。なお、当時の総務省の一般的な見解としては、利用者の同意がない場合であっても「正当業務」「緊急避難」にあたるケースでは通信の秘密を侵害する行為であっても、「必要かつ相当な範囲内でも認められる」ともしており、ぷららは「Winnyの通信はデータ長やバイナリ・パターンで検知しており、あて先、送信元、データの中身はみていない。この行為が本当に通信の構成要素の保護に抵触するのか」と疑問を呈した。", "title": "プロバイダによる規制" } ]
Winny(ウィニー)とは、2002年に開発されたPeer to Peer(P2P)技術を応用したファイル共有ソフト、電子掲示板構築ソフト。 利用者に悪用され、著作権を無視してコピーされたファイルの送受信など、深刻な被害を引き起こしたほか、暴露ウイルスと呼ばれるコンピューターウイルスの媒介やそれに伴う個人情報や機密情報の流出、児童ポルノの流通、大量のデータ交換に伴うネットワークの混雑などの社会問題に発展し、安倍晋三内閣官房長官(当時)が会見で使用中止を呼びかけるまでに至ったほか、作者である金子自身が京都府警に著作権法違反の容疑で逮捕されるなどの騒動に発展した。
{{Otheruses|ファイル共有ソフト|本ソフトウェアを巡る騒動を描いた映画|Winny (2023年の映画)|その他のWinny|ウィニー}} {{Infobox Software | 名称 = Winny | ロゴ代替 = | スクリーンショット = | 説明文 = | 開発元 = 47([[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]) | 初版 = {{Start date and age|2002|5|6}} | 最新版 = v2.0β7.1 | 最新版発表日 = {{Start date and age|2003|11|11}} | プログラミング言語 = [[C++]] | 対応OS = [[Microsoft Windows XP]] | サポート状況 = 終了 | 種別 = [[Peer to Peer]] | ライセンス = [[クローズドソース]] | 公式サイト = }} '''Winny'''(ウィニー)とは、2002年に開発された[[Peer to Peer]](P2P)技術を応用した[[ファイル共有ソフト]]、[[電子掲示板]]構築ソフト。 利用者に悪用され、[[著作権]]を無視してコピーされたファイルの送受信など、深刻な被害を引き起こしたほか、[[暴露ウイルス]]と呼ばれる[[コンピューターウイルス]]の媒介やそれに伴う[[個人情報]]や機密情報の流出、[[児童ポルノ]]の流通、大量のデータ交換に伴うネットワークの混雑などの社会問題に発展<ref name="keisatsu-koron">木村公也「秘伝のサイバー捜査術」『警察公論』2015年3月号 p48~54</ref><ref name="takeda"/><ref name="nakamura"/><ref>{{Cite web|和書|url=https://wired.jp/2018/11/10/winny-isamu-kaneko-1/ |title=日本が失った天才、金子勇の光と影 |publisher = |accessdate=2023-03-19}}</ref>し、[[安倍晋三]]内閣官房長官(当時)が会見で使用中止を呼びかけるまでに至ったほか、作者である金子自身が[[京都府警察|京都府警]]に著作権法違反の容疑で逮捕されるなどの騒動に発展した。 == 概要 == Winnyは[[東京大学]]大学院情報理工学系研究科助手(当時)の[[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]によって2002年に開発が始まった。当時すでに[[Napster]]や[[WinMX]]などのP2P型ファイル共有ソフトが存在し、著作権法に違反する違法なファイル交換が流行しており、逮捕者が相次いでいた。Napsterの運営会社も[[アメリカ合衆国連邦裁判所|アメリカ連邦裁判所]]で、[[2001年]]に違法判決を受けていた<ref name="tsuda">津田大介『だからWinMXはやめられない』インプレス pp.2-3, pp.249~255</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.law.tohoku.ac.jp/~serizawa/Napster2.html|title=Napster音楽ファイル共有システムに対する仮差止命令を一部認容 一部破棄した、2001年2月12日(4月3日に修正)の、第9巡回区連邦控訴裁判決 |website=東北大学法学部|accessdate=2023-3-27}}</ref>。 この時期、金子は[[検閲]]が極めて困難な情報公開システムを目指す[[Freenet]]というP2Pシステムを手本にWinnyの開発を開始した。Freenetは情報がどこに保存されているのか、また、誰が情報の発信者であるのかを容易にわからないようにして、政府による情報の検閲・削除を不可能にしようと計画されていた。WinnyはFreenetの思想を受け継ぎ、情報発信者の追跡困難性と、通信の秘匿性、Winny利用の検知困難性を企図して設計された<ref name="ootani-iwanami">大谷卓史「Winny開発者の逮捕は何を意味するのか?」『科学』岩波書店 2004年8月号 p935~938</ref>。 ; 開発者とソフト名 : 金子は掲示板サイト[[2ちゃんねる]]の[[ダウンロードソフト板]]に匿名で書き込みを行い、ユーザーとやりとりしながら開発を進めた。彼は最初の書き込み番号である「47」を名前として使用していたことから利用者からは'''「47氏」'''と呼ばれていた。 : 当時の[[ダウンロードソフト板]]ではP2Pファイル共有ソフトの[[WinMX]]が著作権法に違反するファイル共有目的に広く使われており、新しい共有ソフトはその後継を目指すという意味合いを込めて、MXの2文字をアルファベット順にそれぞれ1文字ずつ進めた'''WinNY(後にWinny)'''がソフトの名前として決まった<ref>{{Cite web|和書|title=5月6日:ファイル共有ソフト「Winny」が公開|url=https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1605/06/news004.html|website=ITmedia|accessdate=2023-3-8}}</ref><ref name="ascii">{{Cite web|和書|title=Winnyは使ってはいけないのですか?|website=ASCII|url=https://ascii.jp/elem/000/000/420/420558/|accessdate=2023-3-8}}</ref><ref name="sasaki">{{Cite web|和書|title=「Winny自体は価値中立で有意義」の司法判断、その影響は!? |website=@IT|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/news/200612/15/winny.html|accessdate=2023-3-8}}</ref>。 ; ユーザー数の変動 : [[コンピュータソフトウェア著作権協会|ACCS]]の実態調査<ref>[[社団法人]][[コンピュータソフトウェア著作権協会]](ACCS)による[http://www2.accsjp.or.jp/ 「ファイル交換ソフト利用実態調査」] ホーム→ニュース→調査報告)より</ref>では、2006年6月調査でWinMXを初めて凌駕して国内最多の利用者率(主に利用している人が33.3%)となり、ネットエージェントの報道によると、[[2006年]][[4月]]時点でのユーザー数は44万人から53万人程度であるという<ref>[https://web.archive.org/web/20060713194310/http://www.onepointwall.jp/winny/winny-node.html Winnyノード数の推移分析](2006年7月13日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 ; 後継となるP2P型ファイル共有ソフトの登場 : Winny摘発後も[[Share (ソフトウェア) |Share]]、[[Perfect Dark]]等の後継となるP2P型ソフトウェアが登場して、著作権侵害に悪用された<ref name="keisatsu-koron">木村公也「秘伝のサイバー捜査術」『警察公論』2015年3月号 p48~54</ref>。 == 特徴 == Winnyは[[Freenet]]ほどにファイルを切り刻んでばら撒いたりはしないが、自分の接続している他のパソコンをファイル転送の中継として使うため、実際のファイルが保存されているパソコンがどこにあるのか知ることができない。中継しているパソコンはその中継は誰がリクエストしたものなのか知ることはできない。ハイブリッドP2Pの[[WinMX]]や[[Napster]]、ピュアP2Pの[[gnutella]]においては、ファイル検索後はファイル保存元へ直接接続を行う<ref name="nakamura"/>。 これに対し、ピュアP2Pの一種であるWinnyはファイルが中継される時はディスク内に保存されるが、キャッシュされているファイルが何なのか知ることができない。Winnyはこのような匿名性についてはFreenetと同様のモデルとなるが、Freenetと異なり独自にファイル検索機能を有するので、実際にはどんなファイルがキャッシュされているのか判定はできる。また、一度ネットワーク上にアップされたファイルは削除することが困難であるとされている<ref name="nakamura">中村康弘「なぜWinnyを使うべきではないか」『防衛調達と情報管理』財団法人防衛調達基盤整備協会 2006年5月号 p3~8</ref>。 Winnyは全体が停止することがなく、一度稼働を始めたネットワークは止めることができない。Winnyを利用開始するにはまず、中央サーバーにアクセスする代わりに、最初に接続するノードを手入力で設定し、Winnyのネットワークに参加する。接続できた他のクライアントから情報を得ることでネットワークに参加する<ref name="xtech-232609">[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20060315/232609/ Winny(ウィニー)のしくみ]</ref>。 ネットワークに接続後、Winnyは以下のような動作を行う<ref name="xtech-232609"/>。 * 通信の暗号化 * 転送機能 ** [[データ]]を送受信する際に、一定の確率で複数のコンピュータを経由させるなどしてファイルの複製を拡散する機能。 * ファイルの暗号化 * [[コンピュータ・クラスター|クラスタ]]機能 ** 似たような[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]を求めている[[ノード (ネットワーク)|ノード]]同士をつなぎやすくするための機能。 加えて、Winnyは電子掲示板機能も備えている。電子掲示板機能では、[[スレッドフロート型掲示板|スレッド]]を立てた者のコンピュータにスレッドの内容が集約・保存されるため、スレッド設置者のノードが停止している場合は、読み込みも書き込みも出来ない。また、スレッド所有者のクライアントに直接アクセスするため、スレッドの所有者の[[IPアドレス]]を容易に特定でき、匿名性は低い。後にWinny利用者が逮捕された事例では、この電子掲示板への書き込みがきっかけとなり、摘発に至っている<ref name="keisatsu-koron">木村公也「秘伝のサイバー捜査術」『警察公論』2015年3月号 p48~54</ref>。 === 暗号化通信と匿名性 === Winnyは通信の暗号化に使う鍵を平文でやり取りしており、秘匿性が高いとは言えない。そのため、匿名性を向上させるために、Winnyの暗号化部分に改良を加えた「[[Winnyp]]」が匿名の開発者によって公開されている。金子自身は、暗号が解読されてしまったら、すぐに別のアルゴリズムに変えればよいと考えていたようである<ref>[[#byte2004|byte2004 p.26]]</ref>。 WinnyはピュアP2Pという特性上、[[鍵 (暗号)|暗号鍵]]の認証局を持つことができない。そのためWinnyでは公開鍵暗号が使われており、同時に固定の秘密鍵がWinny内部に内蔵されている。しかし[[デバッガ]]を使えば、その秘密鍵を取り出すことができる。Winnyは[[RC4]]鍵を初期通信時に送っているため、リアルタイムで復号できるほどWinnyの暗号化は弱い<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20060511/237617/?ST=neteng&P=1 Winnyの通信解読に挑戦!] - Itpro</ref>。 開発・配布者自身も、通信内容やローカルに複製したファイルを暗号化したのは、プログラムが解析されてクラックが蔓延し、その結果ファイル共有の効率が低下するという事態を防ぐためであり、暗号がすべて解除されたからといって匿名性が失われるわけではないという趣旨の発言をしている<ref>[https://web.archive.org/web/20131022014942/http://winny.info/2ch/47.html 47氏発言集(手抜き版)](2013年10月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 それによると、Winnyは複製したファイル(Winny 用語でのキャッシュ)とUPフォルダ内のファイルが区別できない形でアップロードされるため、あるファイルを公開する者が一次配布者であるかは特定できないという。 さらに、こちらから見てアップロードしている者が単に他のノードから転送をしているだけである可能性も残されているため、WinnyBBSでスレッドの所有者が放流宣言をするなど確固たる根拠がない限り一次配布者を特定できない<ref>[http://takagi-hiromitsu.jp/Nyzilla/ Winnyサイトブラウザ "Nyzilla"]</ref>。 === 欠陥 === Winnyのネットワーク上に情報が流出してしまった場合に、その情報を回収することは事実上不可能である。一般的なサーバー型のネットワークの場合、情報を公開しているサーバーを停止させれば大抵はそれ以上の流出を抑えることができるのに比べて、大きな欠点であった<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 元[[カーネギーメロン大学]]日本校教授(現・[[慶應義塾大学]]教授)の[[武田圭史]]は、Winnyの仕様自体が無責任なファイルの拡散を促進するよう設計されているため、漏洩情報の拡散防止などの情報セキュリティの要求とは相入れないとし、こういったソフトウェアの存在自体が情報漏洩に関するセキュリティホールになっていると問題点を指摘した<ref name="takeda"/>。 Winnyが当初掲げていた匿名性についても、[[2003年]]11月に多数の音楽ファイルや映画ファイルを違法に公開したとして複数の利用者が逮捕されるなど、発信者の追跡はそれほど困難でなかった可能性があり、暗号が簡単に破れることや、Winnyの動作も簡単に検出できることから、通信の秘匿性や検知困難性も実際には実現されていなかった可能性が指摘されている<ref name="ootani-iwanami"/>。 また、Winnyには通信処理に[[バッファオーバーフロー]]の脆弱性があり、[[独立行政法人情報処理推進機構]](IPA)は注意喚起を行なっていた<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 == 違法性 == {{main|Winny事件}} WinnyをはじめとするP2Pファイル共有ネットワークは、[[児童ポルノ]]や[[著作権侵害]]にあたる映像・音楽の無許諾コピーなど違法流通の温床として問題視されてきた。[[WWW]]などのクライアント・サーバー・システムの場合、データを発信するサーバーの運営者を特定すれば、違法なファイルの送信を容易に取締ることが可能だが、P2Pネットワークの場合は個々のファイルのコントロールの権限が個々の利用者にあるわけではないので取り締まりが難しく、さらに既存の法理論では開発者・運営者の法的責任を問うことが困難であった。一度ネットワークに公開された情報は容易に削除できないことから、[[名誉毀損]]や[[プライバシー]]侵害にあたる情報の流出も問題視された。検閲を回避するための設計が、実際には道徳的な問題や権利侵害の可能性を孕んだのである<ref name="ootani-iwanami">大谷卓史「Winny開発者の逮捕は何を意味するのか?」『科学』岩波書店 2004年8月号 p935~938</ref>。 実際、従来使用されていた[[WinMX]]に比較して強化されたWinnyの匿名性は、[[著作権法]]・[[わいせつ物頒布罪]]・[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ規制法]]・[[個人情報保護法]]などに抵触する違法なファイル交換を行う場合に好都合なものであったため、利用者数は急速に拡大していった<ref name="tsuda">津田大介『だからWinMXはやめられない』インプレス pp.2-3, pp.249~255</ref>。 当時の日本の[[著作権法]]では、ファイルの発信者のみが公衆送信権・送信可能化権の侵害に問われることから、開発者の意図がどうであれ、Winnyの匿名性は著作権侵害の主体を隠すことにつながった<ref name="ootani-iwanami">大谷卓史「Winny開発者の逮捕は何を意味するのか?」『科学』岩波書店 2004年8月号 p935~938</ref>。金子がWinnyを最初に公開したのは「[[2ちゃんねる]]」の[[ダウンロードソフト板]]であり、そこでは[[WinMX]]などのP2Pソフトが[[著作権侵害]]ファイルの流通用に普及していた。金子本人もWinny使用が著作権侵害に繋がることを認知しており、自身は'''ダウンロード専用の特製Winny'''を使用しており{{Refnest|group="注釈"|name="DOM"|金子は一方で、ファイルをダウンロードするだけで自らはネットワーク上にアップロードしない「フリーライダー(タダ乗り)」を問題視していた。同時期に登場したBitTorrentやFreenetはオープンソースだったが、Winnyはソースコードを非公開にした理由も、別のユーザーにダウンロード専用に改造されることを防ぐためだったという<ref>{{Cite web|和書|title=「Winnyの技術」をもとに当時の到達点を明らかにする|website=国際大学GLOCOM|url=https://www.glocom.ac.jp/wp-content/uploads/2020/10/chijo106_042-053.pdf|accessdate=2023-3-8}}</ref>。}}、直接的な著作権法違反となるアップロードはしておらず、警察は摘発逃れを謀っていたと疑った<ref name="sasaki"/><ref>{{Cite web|和書|title=Winny事件、開発者はダウンロードのみの専用版を使用?|url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0405/11/news059.html|website=ITmedia NEWS|accessdate=2023-3-8}}</ref>。 [[防衛大学校]]助教授の[[中村康弘]]は開発者の金子勇は著作権違反行為を意図する者の要望に応える形でWinnyの開発を行ったように見えると述べている。その理由として[[Freenet]]のプロトコルに[[WinMX]]の転送効率の良さを加味する設計の良し悪しを検討するならば、「[[2ちゃんねる]]」ではなく、Freenetのプロジェクトで実験を行うのが適切なはずであるからと論じた<ref name="nakamura"/>。 {| class="wikitable" |+ P2P型ファイル交換ソフトと著作権侵害に関連する時系列<ref name="nikkei-byte">仙石誠、北郷達郎「P2Pの真実」日経BYTE 2004年8月号 pp.20-43</ref><ref name="soumu-go-p2p">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/chousa/network_churitsu/pdf/wg2_061129_1_si_1_3.pdf|title=今なぜP2Pか コンテンツビジネスから見たP2P技術の問題点と可能性|website=総務省|accessdate=2023-4-6}}</ref> |- ! 年 !! 月 !! 出来事 |- | 1999 || <center>1</center> || アメリカで[[Napster]]のサービス開始 |- | || <center>12</center> || [[RIAA]]がNapster社に対して著作権侵害訴訟を提起 |- | 2000 || <center>3</center> || [[Gnutella]]が公開される。[[Freenet]]プロジェクトが開始する。 |- | || <center>5</center> || [[連邦地裁]]でNapsterに対して著作権のある楽曲データの掲載停止命令 |- | || <center>9</center> || ファイル交換サービスの[[Kazaa]]が開始、同月「[[Grokster]]」もサービス開始 |- | 2001 || <center>2</center> || Napster社が連邦控訴裁で敗訴 |- | || <center>7</center> || Napster社がファイル交換サービスを停止する |- | || <center>10</center> || [[MPAA]]とRIAAが[[Kazaa]]の提供会社を提訴 |- | || <center>11</center> || 日本MMOがファイルローグのサービスを開始、同月[[WinMX]]で商用ソフトを配布した男が逮捕される |- | 2002 || <center>1</center> || 国内レコード会社19社と[[JASRAC]]が日本MMOへ民事訴訟を提起 |- | || <center>3</center> || WinMXでわいせつ画像を公開した男が逮捕される |- | || <center>4</center> || ファイルローグのサービス停止 |- | || <center>5</center> || Winnyが[[2ちゃんねる]]の[[ダウンロードソフト板]]で公開される |- | 2003 || <center>4</center> || [[連邦地裁]]で[[Grokster]]の違法性を認めない判決が下される |- | || <center>5</center> || Winny2が公開される |- | || <center>9</center> || RIAAは著作権侵害でP2P型ファイル交換ソフトの利用者261人を提訴した |- | || <center>11</center> || Winnyで初の逮捕者 |- | 2004 || <center>1</center> || RIAA、対象者を特定しないままP2P型ファイル交換ソフトの利用者532人の著作権侵害を提訴 |- | || <center>3</center> || 国際レコード産業連盟(IFPD)は欧州を中心に247人のP2P型ファイル交換ソフトのユーザーを著作権侵害で提訴 |- | || <center>5 </center> || Winny開発者の[[金子勇 (プログラマー)|金子勇]]が逮捕される |- | 2005 || <center>3</center> || [[東京高裁]]でファイルローグの違法性を認める判決 |- | || <center>6</center> || [[連邦最高裁]]でGroksterの逆転敗訴 |- | || <center>11</center> || 連邦最高裁判決を受けてGroksterのサービス停止 |- | 2006 || <center>7</center> || [[Kazaa]]の運営会社はレコード業界側に1億1500万ドルを支払うことで和解 |} == 児童ポルノの流通 == Winnyでは大量の[[児童ポルノ]]が流通しており、Winnyの性質から一度ネットワークに放流されたファイルの削除は困難であるため、深刻な被害の再生産に繋がった。[[2005年]]9月に小学生の女児らをターゲットにした157本の児童ポルノ動画の販売で[[大阪府]]在住の50代男が逮捕された事件では、同年3月に逮捕された別の男が製作したWinnyネットワーク上で残存していた映像が再利用された。弁護士の[[奥村徹]]は「販売されている児童ポルノの多くが、Winnyを使って入手した映像をもとにしており、『新作』は次々流通する。映像が出た女児らの名誉は永久に回復できない」と語った<ref>『毎日新聞』2006年7月11日 朝刊 2面</ref>。 == 情報流出 == {{seealso|Antinny}} === 概要 === 2004年3月ごろより、Winnyを利用していたパソコンがWinnyなどで入手したファイルを閲覧したことにより、[[コンピュータウイルス]]の一種ともいえる[[ワーム (コンピュータ)|ワーム]]に感染する事例が頻発し、その結果、そのパソコン内に保存されていた本来公開されてはならないファイルが、Winnyのネットワーク上に流出するという事件が多発した<ref name="takeda">武田圭史「Winny/Shareを介した情報漏洩事故の最新事情」日経コンピュータ 2007年5月14日号 p122~127</ref>。 このワームは特に「[[暴露ウイルス]]」と言われ、流出したものとしては、一般企業の業務データ、個人の[[チャット]]ログや[[電子メール]]データなど様々なものがある<ref name="takeda">武田圭史「Winny/Shareを介した情報漏洩事故の最新事情」日経コンピュータ 2007年5月14日号 p122~127</ref>。 これらのウイルスは「お宝画像(数行にわたる長い空白).exe」など、一見するとウイルスに見えないような細工をした上で、他のファイルに紛れ込ませてネットワーク上に放流された。一般にWinnyのユーザーは大量のファイルをダウンロードしクリックすることに慣れているためか、かなりの確率でこのような単純な罠にひっかかってしまったのである。また、Winny等のファイル共有ソフトによる情報漏洩事故は日本特有の現象であり、それはWinnyには固有のセキュリティ上の欠陥が多く、ユーザーの大半が日本人であったからである<ref name="takeda">武田圭史「Winny/Shareを介した情報漏洩事故の最新事情」日経コンピュータ 2007年5月14日号 p122~127</ref>。 ワームはユーザーの[[デスクトップ]]などに存在するデータを勝手に共有し、感染者に気づかぬうちにWinnyのネットワーク上に流出させる。これは特定のフォルダ(「[[Microsoft Windows|マイドキュメント]]」など)や特定の[[拡張子]]([[JPEG|*.jpg]]や[[Microsoft Word|*.doc]]など)を検索して、これらから作成した複製やアーカイブ(書庫ファイル)をWinnyのアップロード機能を使って共有ファイルに指定する。感染者に気付かれ難いこともあり、事件の発覚が遅れ、漏洩した情報回収のめどが立たなくなるケースが跡を絶たない<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20060508/237006/ なぜ,流出したファイルの持ち主がわかるのですか]</ref>。 ワームのひとつ[[山田オルタナティブ]]には、パソコン自体を[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]サーバとして立ち上げ、パソコンに保存されているデータすべてをインターネットを通じて世界中に公開してしまい、なおかつワームに感染した者同士をHTTPリンクで相互接続する機能が付加されている<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20060508/237008/ 「山田オルタナティブ」とはどんなウイルスですか]</ref>。 === 被害実態 === ワームの被害は民間企業や個人だけにとどまらず、[[日本の警察|警察]]、[[陸上自衛隊]]、[[海上自衛隊]]、[[航空自衛隊]](のちに[[防衛庁]]はWinny対策の為に、新しく[[パーソナルコンピュータ]]を調達し、40億円の費用を賄うこととなった)、[[日本郵政公社]]、[[日本の刑務所|刑務所]]、[[日本の裁判所|裁判所]]、日本の原子力発電関連施設、一部の[[地方公共団体]]など官公庁でも流出事件が続発した。2006年3月には当時の[[安倍晋三]][[官房長官]]が広く国民に対してWinnyの利用を自粛するように呼びかけた。政府関係者が特定のソフトウェアに名指しで利用自粛を訴えるのは異例のことであり、それほどまでに重大なレベルの社会問題になっていたことの証明である。また、[[嫌がらせ]]のために、個人情報を盗み出して故意にWinnyに流出させるという手口も発覚した<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 組織の[[情報セキュリティ]]の観点からはWinnyは悪夢のような存在だった。従来型の[[WinMX]]は通信[[ポート番号]]が固定されているため、特定のポートを遮断すれば組織内での利用を防ぐことができたのであるが、Winnyはランダムで番号が割り当てられていたため対処が困難であった。また、通常の組織内ネットワークでは[[ファイアウォール]]の設定で外部にファイルを公開する[[サーバ|サーバー]]としての通信を遮断する設定がなされているが、Winnyではこれを回避する手段も実装されていた<ref>園田道夫「Winnyはなぜ破られたのか P2Pネットワークをめぐる攻防」 ISBN 978-4-86167-185-2 pp.98-109</ref>。 相次ぐ情報流出の被害から、職員にWinnyを使用しない誓約書の提出を求める事例もあり、[[北海道警]]はWinnyの禁止に加えて、公用のパソコンや外部記録媒体を庁外に持ち出すことや、私物パソコンで機密情報を扱うことを禁止した<ref>『毎日新聞』2006年3月25日 北海道版 27面</ref>。 本人が使用せずとも家族が利用したWinnyで被害に遭い、情報流出の責任を問われた[[銀行員]]が失業して[[家庭崩壊]]に至った例もあったとされたほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0901/13/news010.html|title=Winny利用の果て――家族崩壊した銀行マンの悲劇|website=ITmedia News|accessdate=2023-3-8}}</ref>、プライベートに関わる写真やセンシティブな個人情報が消せなくなるなどの[[人権侵害]]が起きていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/9697|title=絶対消去できない情報がWinnyでネットに流出 個人情報や機密情報が一瞬にして丸裸に!この難局をどう乗り切るか?|website=ダイヤモンドオンライン|accessdate=2023-3-8}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://internet.watch.impress.co.jp/docs/event/stnf/352462.html|title=高木浩光氏「Winnyは適法に使えない」|website=インプレス|accessdate=2023-3-8}}</ref>。 また、[[ウイルスバスター]]などの[[コンピュータウイルス]]対策ソフトを提供している[[トレンドマイクロ]]からも、社員がAntinnyに感染しWinnyへ個人情報を流出させる事故を発生し、[[住民基本台帳ネットワーク]]に関する情報(パスワード・使用手順)も流出していたことが確認された<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 ひとたびWinnyで流出した情報は、キャッシュを保持するコンピュータが存在する限り、継続的にWinnyのネットワーク上に留まり続けることが分かっており、それらのデータを削除することは、Winny利用者の全端末のデータをすべて削除しない限り永久に不可能である<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 また、Winny経由でウイルス感染したコンピュータが意図せず[[サイバー攻撃]]に使用される事例もあり、デジタル著作物の権利を保護する社団法人「コンピュータソフトウェア著作権協会」は[[2004年]]3月から約110日間にわたり[[DoS攻撃]]の被害を受け、連日サーバーがダウンしてURLの変更を余儀なくされた<ref>『毎日新聞』2005年1月25日号 大阪朝刊 27面</ref>。 ==== Winnyに関連した情報流出事件の例 ==== ;2005年 * [[経済産業省]][[原子力安全・保安院]]の保安検査官事務所の職員が管理する原発関連文章5点が流出。[[東京電力]][[柏崎刈羽原発]]など4原発に関わる文章だった<ref>『毎日新聞』2005年7月23日号 朝刊 28面</ref>。 * [[北海道電力]][[泊原発]]や[[九州電力]][[川内原発]]などの機密情報が[[三菱電機]]子会社社員のパソコンから大量に流出した。定期修繕工事の手順書や配管図などの詳細なデータが含まれ、テロ対策の観点から懸念が寄せられた<ref>『毎日新聞』2005年6月23日号 朝刊 1面</ref>。 * [[日本航空]]の乗務員のパソコンから、[[羽田空港]]や[[成田空港]]などの空港制限区域内に入るための暗証番号などの機密情報が流出した<ref>『毎日新聞』2005年12月9日号 朝刊 30面</ref>。 * [[関西電力]]社員のパソコンから原子力関連の資料が大量に流出<ref>『毎日新聞』2005年12月10日号 朝刊 27面</ref>。 ;2006年 * [[海上自衛隊]]の内部文章がWinny経由で流出、その中には「海上自衛隊演習」の詳細を記載した文章も含まれていた<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * [[ボーダフォン]]が携帯電話の基地局を設置する際に借用していた、計634人の地権者の住所と氏名がWinny経由で流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * [[朝日新聞]]が2003年から2005年の夏の高校野球の開催期間中にアルバイトとして雇用していた大学生約170人分の住所氏名等の個人情報がWinny経由で流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * 米軍[[三沢基地]]の建物補修等の工事を請け負った工事業者従業員の個人情報や作業日報がWinny経由で流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * [[北海道武蔵女子短期大学]]の受験者全1051人の個人情報(氏名、合否結果など)が、入試システムの構築を委託していた業者の社員の私用パソコンからWinny経由で流出した<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * Antinny経由で[[KDDI]]社員186人の名簿や情報システムの仕様書の一部が社員の私用パソコンから流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * [[斜里町]]役場で男性職員のパソコンからWinny経由で個人情報を含む1813件の情報流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * 斜里町役場で男性職員のパソコンからWinny経由で住基ネットの接続パスワードなどが流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * 「[[Yahoo! Japan]]」の仮想商店街の出店企業情報3169件が委託先企業からWinny経由で流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 * 「Yahoo! Japan」の仮想商店街に出店する店舗から8223件の顧客の個人情報(住所、氏名、生年月日など)がWinny経由で流出<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 ;2007年 * [[東大病院]]の医師が自宅の私用パソコンから約十年前に作成した患者のカルテなど150人分の個人情報を漏洩させる<ref name="takeda">武田圭史「Winny/Shareを介した情報漏洩事故の最新事情」日経コンピュータ 2007年5月14日号 p122~127</ref> * [[毎日新聞]]販売店の店主の私用パソコンから数十件の顧客の個人情報や接客マニュアルなどが漏洩<ref name="takeda"/> * [[山梨県警]]巡査長の私物PCから、犯罪被害者など約610人分の個人情報を含む捜査情報が流出<ref name="takeda"/>。 * [[NHK]]の番組制作委託先社員の私物パソコンから、約130人分の個人情報を含む取材情報が流出<ref name="takeda"/>。 * [[東京国税局]]職員の私物PCから職場から持ち出した約400人分の納税者の個人情報が流出<ref name="takeda"/>。 * [[三井生命]]の業務委託先社員の私物PCより、職場から持ち出した企業年金の顧客など1501人分の個人情報が流出<ref name="takeda"/>。 * [[大塚商会]]社員の私物PCから、有力見込先として市販の企業データなどから収集した5488社分の企業情報が流出した<ref name="takeda"/>。 ;2009年 * [[東京都立墨東病院]]の事務職員のPCから、患者の氏名、年齢、性別、疾患名等271人分を含む、640人分以上の個人情報が流出<ref>{{Cite web|和書|title=東京都立墨東病院、患者の個人情報271人分などWinny流出|url=https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/01/30/22267.html|website= INTERNET Watch ホームページ|date=2009-01-30 |accessdate=2023-01-18}}</ref>。 === 対応 === [[マイクロソフト]]は、2005年10月の[[Microsoft Update|Windows Update]]プログラムの中にWinnyのウイルスを駆除できる「[[悪意のあるソフトウェアの削除ツール]]」を同梱した。マイクロソフトは、2005年11月に、1ヶ月間でこのWindows Updateにより20万件以上のウイルス除去に成功したと発表した。しかしながら、上記マイクロソフト配布の削除ツールは、当初[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]、[[Microsoft Windows 2000|2000]]にしか対応しなかった(後に[[Windows Vista]]、[[Windows 7]]、[[Windows 8]]、[[Windows 10]]にも対応)。そのため、Windows 2000より前の古いバージョンの[[Microsoft Windows|Windows]]ではマイクロソフト製の対策ツールを使用して駆除することは出来ない。また、「Winny」を使っているユーザーのほとんどが日本人であるため、これらウイルスに感染するユーザーもまた日本人が大半となった<ref>[https://web.archive.org/web/20060206201727/http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2504 マイクロソフト、Telecom-ISAC Japan と協力し、20万を超えるAntinny ワームの駆除に成功](2006年2月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - マイクロソフト、2005年11月21日。</ref>。 === 情報漏洩を防ぐ === 前述のようにWinnyを利用することにより自らが情報漏洩などの被害を受けることもある。このため、「確実な方法はWinnyを使用しないことである」という意見が[[内閣官房]]など各方面で呼びかけられた<ref>[http://www.nisc.go.jp/press/inf_msrk.html Winnyを介して感染するコンピュータウイルスによる情報流出対策について]</ref>。IPAも、Winnyを導入しないことなどを対策として挙げている<ref>[https://www.ipa.go.jp/security/topics/20060310_winny.html Winnyによる情報漏えいを防止するために] - IPA</ref>。 民間企業もさまざまなWinny対策のサービスの提供を開始し、[[日本IBM]]はWinny対策として、Winnyなどが起動すると自動的に検知して終了処理を行い、監視サーバーに報告するセキュリティ機能を提供していたほか、[[マイクロソフト]]の日本法人も、Winny関連のセキュリティの注意喚起を行っており、[[シマンテック]]もAntinnyウイルスの対策ツールを配布していた<ref name="somu"/>。 == プロバイダによる規制 == Winnyでは匿名性を確保するためにデータを[[バケツリレー]]的に複数のノード間で転送していく、この設計ではリクエストを発行したピアから、データのアップロード元となるピアまでの間に複数のピアを余分に経由する。仮にn個のピアを中継する場合、「データの大きさ × n」分のデータ転送が余分に発生するため、ネットワークに負担を与えることになり、Winnyのデータ転送がネットワーク帯域のかなりの部分を占有することになった<ref name="nikkei-byte">仙石誠、北郷達郎「P2Pの真実」日経BYTE 2004年8月号 pp.20-43</ref>。 当時は多くのWinny利用者が大容量ファイルを長時間掛けて転送するため、帯域を圧迫し、一般ユーザーへの迷惑行為となっていた。このためWinnyの利用に対し、通信の量を制限するというプロバイダによる規制が広まった。また、通常のネットワーク通信であれば、決まった[[ポート番号]]が使用されるが、Winnyは初期インストール時にランダムにポート番号が割り当てられ、通信も暗号化されていたため、Winnyの通信のみを分離して遮断することが困難であった<ref name="nakamura"/>。 [[2006年]]3月、大手プロバイダの[[ぷららネットワークス]]は、Winnyの通信について完全遮断の方針を決定した。その理由について「相次ぐ個人情報や機密情報の流出を憂慮すべき事態と捉え、ユーザーが安心して利用できるネットワーク環境を提供することが通信事業者としての責務」と説明した。これ以前にもいくつかのプロバイダが、Winnyなどのファイル交換ソフトの利用者に連続かつ長時間にわたり回線容量をほぼ占有されてしまったことで、他の多くのユーザーの通信速度が低下するなどの通信クオリティの維持が困難になるなどのさまざまな不都合により、事前告知の有無を問わず、Winnyに対して部分的な規制を行っていた。ほかにもパナソニックネットワークサービシズは6月30日より、データ転送量(上り)が24時間当たり15ギガバイトを超える通信に対し、通信利用規制を実施することを発表。ダウンロードに関しては規制の対象外だった<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。 2006年5月、[[総務省]]はぷららが予定していたWinny規制について、「通信の秘密の侵害に抵触する可能性が高い」との見解を発表した。Winny特有の通信パターンを検出し、それに該当する通信を遮断するというものだったが、これが問題視された。これに対し通信量だけで判断し帯域を絞ることは問題視されなかった<ref name="somu">「止まらないWinnyによる情報漏えい」『月刊総務』2006年7月号 p17~28</ref>。なお、当時の総務省の一般的な見解としては、利用者の同意がない場合であっても「正当業務」「緊急避難」にあたるケースでは通信の秘密を侵害する行為であっても、「必要かつ相当な範囲内でも認められる」ともしており、ぷららは「Winnyの通信はデータ長やバイナリ・パターンで検知しており、あて先、送信元、データの中身はみていない。この行為が本当に通信の構成要素の保護に抵触するのか」と疑問を呈した<ref>『日経コミュニケーションズ』2006年6月1日号 pp.47</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite journal ja-jp | author = 北郷達郎、仙石誠 | year = 2004 | title = P2Pの真実 | journal = 日経バイト | issue = 255号 | serial = 2004年8月号 | publisher = 日経BP社 | issn = 0289-6508 | pages = 18-29 | ref = byte2004 }} * 金子勇:「Winnyの技術」,アスキー出版、ISBN 978-4756145482 (2005年10月). * 園田道夫:「Winnyはなぜ破られたのか―P2Pネットワークをめぐる攻防」,九天社,ISBN 978-4861671852(2007年8月). * 城所岩生:「国破れて著作権法あり ~誰がWinnyと日本の未来を葬ったのか」,みらいパブリッシング,ISBN 978-4434317095 (2023年3月10日). == 関連項目 == {{columns-list|3| * [[WinMX]] * [[Antinny]] * [[Nyzilla]] * [[Share (ソフトウェア)]] * [[Perfect Dark]] * [[ダウンロードソフト板]] * [[山田オルタナティブ]] * [[原田ウイルス]] * [[暴露ウイルス]] * [[WinnyCacheinfo]] * [[パソコン遠隔操作事件]] * [[マキシマムザホルモン]] - 楽曲「え・い・り・あ・ん」後半部より“STOP STOP Winny”を繰り返す <!-- できれば、社会的な反響として本文に組み入れたい。 --> }} == 外部リンク == * [http://kaneko-isamu.la.coocan.jp/ 金子勇のソフトウェアページ] - 作者サイト * {{Wayback|url=http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/2949/ |title=元公式サイト |date=20020129124404}} - 現在はWinny関連の記述は残っていない * {{Wayback |url=http://winny.info/2ch/47.html |title=47氏発言集 |date=20131022014942}} * [https://www.asahi.com/articles/ASR336RXMR32PTIL00H.html ネット上の「神」が望んだ技術者の未来は 映画「Winny」公開へ (朝日新聞2023年3月9日記事)] {{政府に関する情報漏洩・内部告発}} {{DEFAULTSORT:Winny}} [[Category:フリーウェア]] [[Category:P2P]] [[Category:著作権侵害]] [[Category:2ちゃんねる関連事象]] [[Category:匿名ネットワーク]] [[Category:ファイル共有ソフト]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/Winny
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イットリウム
イットリウム(ラテン語: yttrium 英語発音: [ˈɪtriəm])は、原子番号39の元素である。元素記号はYである。単体は軟らかく銀光沢をもつ金属である。遷移金属に属すがランタノイドと化学的性質が似ているので希土類元素に分類される。唯一の安定同位体Yのみ希土類鉱物中に存在する。単体は天然には存在しない。 1787年にカール・アクセル・アレニウス(英語版)がスウェーデンのイッテルビーの近くで未知の鉱物を発見し、町名にちなんで「イッテルバイト」と名づけた。ヨハン・ガドリンはアレニウスの見つけた鉱物からイットリウムの酸化物を発見し、アンデルス・エーケベリはそれをイットリアと名づけた。1828年にフリードリヒ・ヴェーラーは鉱物からイットリウムの単体を取り出した。イットリウムは蛍光体に使われ、赤色蛍光体はテレビのブラウン管ディスプレイやLEDに使われている。ほかには電極、電解質、電気フィルタ、レーザー、超伝導体などに使われ、医療技術にも応用されている。イットリウムは生理活性物質ではないが、その化合物は人間の肺に害をおよぼす。 元素記号には1920年代初頭まで Yt が使われていたが、のちに Y が使われるようになった。 イットリウムは軟らかく銀光沢を持つ金属である。第5周期と第3族に属す遷移金属であり、周期律から予想されるとおり、第3族で第4周期のスカンジウムより電気陰性度が小さく、第6周期のランタンよりも電気陰性度が大きい。また、第5族で第5周期のジルコニウムよりも電気陰性度が小さい。第5周期元素のdブロック元素のなかではイットリウムがもっとも原子番号が小さい。 純粋な単体は空気中で比較的安定だが、これは酸化イットリウム(III) (Y2O3) の膜が金属表面を覆って不動態化するためである。水蒸気中で750 °C付近まで加熱すると、膜の厚さは10 μmに達することがある。単体を細かくすると空気中で不安定となり、削り状のイットリウムは400 °C以上で自然発火しうる。窒素中では、単体を1,000 °Cに加熱すると窒化イットリウム (YN) が生成する。イットリウムには2つの同素体がある(α、β)。それぞれの結晶構造は六方最密充填構造と体心立方格子である。 イットリウムとランタノイド元素の性質はよく似ており、ともに希土類元素に属す。天然の希土類鉱物(英語版)は必ず複数の希土類元素を含んでいる。 イットリウムは、周期表中で近くに位置する元素よりも、ランタノイドに性質が似ている。もし物理的性質だけに着目すれば、イットリウムの原子番号は64.5-67.5に相当する。この値はガドリニウムとエルビウムの中間である。しかし、イットリウムの密度が4.47 g/cmであるのに対してルテチウムが9.84 g/cm、ジスプロシウムが8.56 g/cmであるように、イットリウムはほかのランタノイドより密度が低く、物理的性質の相違もある。 また反応次数もほぼ同じであり、テルビウムやジスプロシウムと化学反応性が似ている。原子半径 (180 pm) やイオン半径 (88 pm) も類似しており、溶液中ではまるで重希土類のようにふるまうため、重希土類のイオンは「イットリウム族」と呼ばれることがある。原子半径の類似性はランタノイド収縮による。 このようにイットリウムとランタノイドは非常に類似した化学的性質をもつが、相違点としては、イットリウムはもっぱら+3の原子価しか取らないのに対し、ランタノイドのおよそ半数は+3価以外の原子価も取ることが挙げられる。 +3価の遷移金属として、イットリウムはさまざまな無機化合物をつくり、通常3つの価電子をすべて結合に使うため、酸化数は+3である。たとえば酸化イットリウム(III) (Y2O3) は1つのイットリウム原子が6つの酸素原子と結合した構造をもち、白色固体の物質である。 フッ化物、水素化物、シュウ酸塩は水に溶けないが、臭化物、塩化物、ヨウ化物、窒化物、硫化物はすべて水に溶ける。Yイオンは5d軌道と4f軌道に電子が存在しないため電子遷移による可視光の吸収が起こらず、その溶液は無色である。 イットリウムやその化合物は水と容易に反応してY2O3が生成する。濃硝酸やフッ化水素酸との反応性は高くないが、ほかの強酸とは容易に反応する。 単体は200 °C以上でハロゲンと反応してフッ化イットリウム(III) (YF3)、塩化イットリウム(III) (YCl3)、臭化イットリウム(III) (YBr3) などのハロゲン化物をつくる。同様に、高温で炭素、リン、セレン、ケイ素、硫黄などと反応し、二元化合物をつくる。 炭素─イットリウム結合を持つ化合物を有機イットリウム化合物(英語版)という。そのなかには酸化数0のイットリウムを含むものがある。ある三量体化反応の触媒として有機イットリウム化合物が使われることがある。その化合物は、Y2O3と濃塩酸および塩化アンモニウムから得られるYCl3を出発物質として合成される。 ハプト数とは、隣接する配位子がどのように中心原子へ結合しているかを表すもので、ギリシャ文字のイータ η で表される。カルボランが d 金属原子にハプト数 η で配位している錯体として最初に発見されたのはイットリウム錯体であった。炭素インターカレーション化合物(英語版)であるグラファイト-Yやグラファイト-Y2O3を気化することにより、Y@C82のような球状の炭素の檻の中にイットリウム原子を内包した原子内包フラーレン(英語版)が生成する。電子スピン共鳴による研究で、Yと(C82)のイオン対の生成が示されている。またY3C、Y2C、YC2などの炭化物を水素化すると炭化水素が得られる。 太陽系のイットリウムは恒星内元素合成に由来し、約72%がs過程、約28%がr過程によるものである。s過程は数千年かけてゆっくりと進み、脈動する赤色巨星の内部で起こる。r過程は超新星爆発に伴って起こる速い反応である。いずれも軽い原子核の中性子捕獲により質量数が増加する。 イットリウムはウラン核分裂反応の主要な生成物である。核廃棄物管理の観点で重要な同位体は、半減期58.51日のYと半減期64時間のYである。Yは短い半減期を持ちながら、親核種のストロンチウム90 (Sr) の半減期が29年と長いため永続平衡(英語版)状態になる。 第3族元素の陽子の数は奇数なので安定同位体が少ない。イットリウムの安定同位体はYのみであり、これは天然に存在する。ほかの過程で生成した同位体が電子放出(中性子 → 陽子)で崩壊するための十分な時間をs過程が与えることにより、Yの存在量が多くなったと考えられている。s過程では質量数(A = 陽子 + 中性子)が90、138、208付近の原子核が選択的に生成する傾向がある。このとき中性子数はそれぞれ50、82、126となる。このような同位体は電子をあまり放出しないので、結果として存在量が多くなる。Yの質量数は90に近く、中性子数は50である。 質量数76から108まで、少なくとも32種のイットリウムの人工放射性同位体が確認されている。最も不安定な同位体は半減期150 nsのYであり、その次は半減期200 nsのYである。最も安定なものは半減期106.626日のYであり、その次は半減期58.51日のY、79.8時間のY、64時間のYである。ほかの同位体の半減期はすべて1日以内であり、そのほとんどが1時間以内である。 質量数88以下のイットリウム同位体は、主にβ崩壊(陽子 → 中性子)によりストロンチウム (Z = 38) の同位体になる。質量数90以上のものは、主にβ崩壊(中性子 → 陽子)によりジルコニウム (Z = 40) の同位体になる。また、質量数97以上のものはβ遅延中性子放出過程による崩壊が一部起こる。 質量数78から102まで、少なくとも20種の準安定同位体(励起状態の同位体)が知られている。YとYでは複数の励起状態が確認されている。基底状態より励起状態のほうが不安定なはずだが、Y、Y、Y、Y、Y、Y、Yは基底状態のものより長い半減期を持つ。その理由は、これらは核異性体転移だけでなくβ崩壊によっても崩壊するためである。 1787年、軍隊中尉のかたわら化学者をしていたカール・アクセル・アレニウスは、スウェーデンのストックホルム近郊の村イッテルビーの古い石切り場で、黒色の重い岩石を発見した。彼はこれを、当時見つかったばかりのタングステンが含まれる未知の鉱物だと考え、これを「イッテルバイト」と名づけた。さらなる分析のため、その試料が多数の化学者に送られた。 1789年、ヨハン・ガドリンはオーボ大学 (University of Åbo) でアレニウスの試料から新たな酸化物を発見し(当時は「アース」と呼ばれた)、1794年、分析を完了してその成果を発表した。1797年、アンデルス・エーケベリはこれを確認し、新たな酸化物を「イットリア (yttria)」と名づけた。数十年後、アントワーヌ・ラヴォアジエによる元素の近代的定義により、アースは元素へと還元することができると考えられるようになり、新たなアースの発見はそれに含まれる新たな元素の発見と同義であることが認識された。そしてイットリアには「イットリウム」が含まれると考えられた。 1843年、カール・グスタフ・モサンデルはイットリアから3種の酸化物、すなわち白色の酸化イットリウム(III)、黄色の酸化テルビウム(III,IV)(当時これは「エルビア」と呼ばれていた)、薔薇色の酸化エルビウム(これは「テルビア」と呼ばれていた)を発見した。四つ目の酸化物、酸化イッテルビウムは1878年、ジャン・マリニャックにより単離された。その後、新たな元素が単体としてこれらの酸化物から単離され、採石場のあったイッテルビー村にちなんで、それぞれイッテルビウム、テルビウム、エルビウムと命名された。さらに数十年後、7種の新たな金属が「ガドリンのイットリア」から発見された。イットリアは単一組成の酸化物ではなく鉱物であることがわかったため、マルティン・ハインリヒ・クラプロートはガドリンの名をとって、これをガドリナイトと改名した。 金属イットリウムは1828年、フリードリヒ・ヴェーラーが無水塩化イットリウムとカリウムを加熱することによって初めて単離した。 1987年に、イットリウム・バリウム・銅酸化物(英語版)が高温超伝導を示すことが発見された。この性質を示す物質としては2番目に見つかったもので、窒素の沸点以上で超伝導を示す物質としては、初めて見つかったものである。 イットリウムはほとんどの希土類鉱石に含まれ、いくつかのウラン鉱石にも含まれるが、単体は自然界に存在しない。地殻中の存在量は約31 ppmであり、これは28番目に大きく、銀の400倍である。土壌中には10-150 ppm(乾燥質量の平均で23 ppm)含まれ、海水中には9 pptほど含まれている。アポロ計画で採集された月の石は、イットリウムを比較的多く含む。 生体内での役割は知られていないが、ほとんどの生物に含まれ、ヒトでは肝臓、腎臓、脾臓、肺、骨に濃縮する傾向がある。ヒトの体には0.5 mg程度のイットリウムが含まれており、母乳には4 ppmほど含まれている。新鮮な野菜や作物には20-100 ppmほど含まれ、なかでもキャベツに最も多く含まれる。最も高濃度なのは樹木の種子であり、700 ppm以上含まれる。 イットリウムとランタノイドの物性が似ていることから、ともに同じような過程で鉱石中に濃縮される。そのため、これらは同じ鉱石、すなわち希土類鉱物中に存在する。鉱石中での軽希土と重希土の分離はわずかであって、完全なものとはならない。原子量は小さいが、イットリウムは重希土の中で濃縮される。 希土類元素の主な産出源として以下の四つが知られるが、モナザイトやバストネサイトなどの軽希土鉱物においては副生成物として少量のイットリウムが得られるのみであり、主要なイットリウム源はもっぱら重希土鉱物のゼノタイムに依る。 イットリウムを他の希土類から分離するのは困難であり、古典的な分離法である分別沈殿法では高純度なイットリウム化合物を得ることは事実上不可能である。イットリウムを分離するための前処理として、鉱石中に含まれる希土類のリン酸塩を熱濃硫酸に溶解させて希土類溶液を得る硫酸法が用いられている。この希土類溶液にシュウ酸を加えて重希土類をシュウ酸塩として沈降させ軽希土類と分離し、これを酸素中で加熱乾燥させることで酸化イットリウム(III)を60%ほど含有したイットリウム濃縮物が得られる。得られた濃縮物は塩酸に溶解された後、イオン交換クロマトグラフィーや溶媒抽出法によって各元素に分けられる。イオン交換法におけるキレート剤としては通常エチレンジアミン四酢酸 (EDTA) にあらかじめ銅(II)イオンや亜鉛(II)イオンなどの2価の金属イオンを吸着させたものが利用される。希土類元素とEDTAとの結合力はそれぞれの元素によって異なるため、イオン交換塔に希土類溶液を通すとEDTAとの結合力が強い順に希土類の混合物が分離され、イットリウムはジスプロシウムとテルビウムの間で得られる。この分離プロセスから明白なように、イオン交換膜法はバッチ処理を前提としているため大量生産には向いていないが、様々な組成の溶液を同一プロセスで処理できる利点がある。溶媒抽出法において利用される抽出剤としては、トリブチルリン酸やイソデカン酸などがある。イットリウムの抽出序列はランタノイド元素のほぼ中央にあり、また抽出序列の隣り合うランタノイド元素との分離効率がそれほど高くないため、抽出序列の異なる2種類の抽出剤を用いて2段階に分けて抽出される。溶媒抽出法は連続処理であるため大量生産に向いており、工業生産法としては溶媒抽出法が主流になっている。さらにフッ化水素と反応させると、フッ化イットリウムが得られる。 世界の年間の酸化イットリウム(III)生産量は、2001年に600トンに達した。また、世界の保有量は推計で900万トンに上る。毎年わずか数トンの金属イットリウムがフッ化イットリウムを酸化することにより生産され、カルシウムマグネシウム合金の金属スポンジに利用される。1,600 °C以上に加熱を行うアーク炉内でイットリウムを融解させることができる。 ユウロピウムイオン (Eu) をドープした酸化イットリウム(III) (Y2O3)、オルトバナジン酸イットリウム (YVO4)、二酸化硫化イットリウム(III) (Y2O2S) は蛍光体として、カラーテレビのブラウン管の赤色を出すために使われる。イットリウムが電子銃からのエネルギーを集め、それを蛍光体へ渡すと、ユウロピウムから赤色の光が放出される。Eu のほかテルビウム (Tb) もドーパントとして用いられ、これは緑色の蛍光を発する。 イットリウム化合物はエチレンを重合してポリエチレンを製造する際の触媒となる。金属としては高性能点火プラグの電極に使われる。また、プロパンを燃料とするランタンのガスマントルの製造に、放射性物質であるトリウムの代替として使われる。 研究中の用途として、固体電極や自動車排気ガスの酸素センサーとして期待される、イットリウムで安定化したジルコニアが挙げられる。 イットリウムはさまざまな人工ガーネット(英語版)の製造に使われる。イットリウム・鉄・ガーネット (Y3Fe5O12, YIG) は高性能マイクロ波電子フィルタである。イットリウム、鉄、アルミニウム、ガドリニウムのガーネット(Y3(Fe,Al)5O12、Y3(Fe,Ga)5O12など)は磁性を持つ。YIGを音響エネルギー発信機や変換器に用ると高効率のものが得られる。イットリウム・アルミニウム・ガーネット Y3Al5O12(YAG) はモース硬度8.5であり、模造ダイヤとして宝石に使われる。セリウムをドープしたイットリウム・アルミニウム・ガーネット (YAG:Ce) の結晶は、白色LEDの蛍光体に使われる。 YAG、酸化イットリウム(III)、テトラフルオロイットリウム(III)酸リチウム (LiYF4)、オルトバナジン酸イットリウム(III) (YVO4) に、ネオジム、エルビウム、イッテルビウムなどをドープしたものは、近赤外線レーザーに使われる。YAGレーザーは高出力で作動させることができ、金属の切削に使われる。ドープ済みYAG単結晶は通常チョクラルスキー法で生産される。 クロム、モリブデン、チタン、ジルコニウムに微量のイットリウム (0.1-0.2%) を添加すると、その粒径が小さくなる。アルミニウムやマグネシウムの合金に添加すると、強度が増加する。一般に合金にイットリウムを添加すると、結晶の緻密化によって被加工性が向上し、強固な酸化被膜の形成によって高温条件下での再結晶や酸化、酸による腐食が起こりにくくなる。このような合金への添加剤としての用途においては高純度であることを必要とされないことも多く、イットリウムの単離工程における中間生成物であるイットリウム濃縮物をそのまま還元して用いる場合もある。コバルト、鉄との合金は永久磁石として利用される。 イットリウムはバナジウムや非鉄金属を脱酸素するのに使われる。酸化イットリウム(III)は、宝石である立方晶のジルコニアを安定化させる。これは、純粋なジルコニアでは温度変化によって結晶系が単斜晶系から正方晶系へと変化して割れを生じるが、イットリウムを添加することで温度変化に関わらず常に正方晶系となるため熱耐性が得られることによる。 延性に富むダクタイル鋳鉄の製造用の球状化剤として、イットリウムが研究されている。酸化イットリウム(III)は高い融点を持ち、衝撃抵抗と低い熱膨張率を提供するので、セラミックやガラスの製造に使われる。これはたとえば、多孔性窒化ケイ素の生産における焼結添加物や、カメラレンズに使われる。また、物質科学研究などに使われるイットリウム化合物を合成するための原料としても使われる。 放射性同位体であるイットリウム90はイットリウム90-dota-tyr3-オクトレオチド(英語版)やイットリウム90イブリツモマブ・チウキセタンなどの医薬品に含まれている。これらの薬は悪性リンパ腫、白血病、子宮、結腸直腸、骨などの癌の治療に用いられている。これらはモノクローナル抗体に付着し、癌細胞へと結合して、これをイットリウム90の発するβ線で破壊する。 イットリウム90でできた針は、メスよりも正確に切断を行うことができるので、痛覚を伝達する脊髄の神経を切り離すのに使われる。イットリウム90は、関節リウマチなどにより膝などに炎症を起こしている患者の治療のため、放射線滑膜切除術を行う際にも使われる。 ロボットを補助的に利用し、側枝神経や組織への損傷を減少する目的で行われた、イヌでの前立腺全摘除術実験に、ネオジムをドープしたYAGレーザーが用いられた。一方、エルビウムがドープされたものは、美容外科において皮膚再生(スキン・リサーフェイシング)への利用が検討されている。 イットリウム・バリウム・銅酸化物 (YBa2Cu3O7, YBCO, 1-2-3) は1987年にアラバマ大学とヒューストン大学で開発された超伝導体である。この超電導体は約93 Kでその性質を現すが、液体窒素の沸点77.1 Kより高いという点で有用である。液体窒素は液体ヘリウムより安価なので、冷却のコストを大幅に減らすことができるためである。 イットリウム・バリウム・銅酸化物は化学式YBa2Cu3O7−dで表されるが、超電導性を示すには d は0.7より小さくなければならない。その理由はわかっていないが、空孔が結晶中の特定の場所(平面状または鎖状の銅酸化物)にしか発生せず、銅固有の酸化数を上げることが知られていて、これが超電導性に関係しているのだろうとされている。 1957年にBCS理論が発表されてから、低温超伝導性の理論はよく理解されるようになった。基礎となるのは結晶中の2電子間の相互作用の独自性である。しかし、BCS理論では高温超電導性を説明できず、詳細な機構は明らかになっていない。わかっているのは、超電導性を起こすには銅酸化物の組成を正確に制御する必要があるということである。 YBCOは、黒緑色、多結晶、多相の無機物で、ペロブスカイト構造を基にしている。研究者はペロブスカイトについて、実用的な高温超電導体の開発を目指している。 水溶性イットリウム化合物はわずかに有害であると考えられているが、不溶性化合物は無害である。動物実験により、イットリウムやその化合物は、種類によって程度は異なるが、肺や肝臓に損傷を与えることが示されている。ラットでは、クエン酸イットリウムの吸入により肺水腫や呼吸困難が生じ、塩化イットリウム(III)では肝臓水種、胸水、肺の充血が生じた。 ヒトがイットリウム化合物に曝されると肺疾患の原因となる可能性がある。バナジン酸イットリウムユウロピウムの粉塵に曝された労働者の目、肌、呼吸器に軽度の炎症が見つかった例があるが、これはイットリウムではなくバナジウムの影響による可能性もある。イットリウム化合物に急激に曝されると、息切れ、咳、胸痛、チアノーゼが起こることがある。アメリカ国立労働安全衛生研究所 (NIOSH) では、許容曝露濃度 (PEL) は1 mg/m、生命と健康に対する危険性 (IDLH) は500 mg/mを推奨している。イットリウムの粉塵は引火性である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "イットリウム(ラテン語: yttrium 英語発音: [ˈɪtriəm])は、原子番号39の元素である。元素記号はYである。単体は軟らかく銀光沢をもつ金属である。遷移金属に属すがランタノイドと化学的性質が似ているので希土類元素に分類される。唯一の安定同位体Yのみ希土類鉱物中に存在する。単体は天然には存在しない。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1787年にカール・アクセル・アレニウス(英語版)がスウェーデンのイッテルビーの近くで未知の鉱物を発見し、町名にちなんで「イッテルバイト」と名づけた。ヨハン・ガドリンはアレニウスの見つけた鉱物からイットリウムの酸化物を発見し、アンデルス・エーケベリはそれをイットリアと名づけた。1828年にフリードリヒ・ヴェーラーは鉱物からイットリウムの単体を取り出した。イットリウムは蛍光体に使われ、赤色蛍光体はテレビのブラウン管ディスプレイやLEDに使われている。ほかには電極、電解質、電気フィルタ、レーザー、超伝導体などに使われ、医療技術にも応用されている。イットリウムは生理活性物質ではないが、その化合物は人間の肺に害をおよぼす。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "元素記号には1920年代初頭まで Yt が使われていたが、のちに Y が使われるようになった。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "イットリウムは軟らかく銀光沢を持つ金属である。第5周期と第3族に属す遷移金属であり、周期律から予想されるとおり、第3族で第4周期のスカンジウムより電気陰性度が小さく、第6周期のランタンよりも電気陰性度が大きい。また、第5族で第5周期のジルコニウムよりも電気陰性度が小さい。第5周期元素のdブロック元素のなかではイットリウムがもっとも原子番号が小さい。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "純粋な単体は空気中で比較的安定だが、これは酸化イットリウム(III) (Y2O3) の膜が金属表面を覆って不動態化するためである。水蒸気中で750 °C付近まで加熱すると、膜の厚さは10 μmに達することがある。単体を細かくすると空気中で不安定となり、削り状のイットリウムは400 °C以上で自然発火しうる。窒素中では、単体を1,000 °Cに加熱すると窒化イットリウム (YN) が生成する。イットリウムには2つの同素体がある(α、β)。それぞれの結晶構造は六方最密充填構造と体心立方格子である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "イットリウムとランタノイド元素の性質はよく似ており、ともに希土類元素に属す。天然の希土類鉱物(英語版)は必ず複数の希土類元素を含んでいる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "イットリウムは、周期表中で近くに位置する元素よりも、ランタノイドに性質が似ている。もし物理的性質だけに着目すれば、イットリウムの原子番号は64.5-67.5に相当する。この値はガドリニウムとエルビウムの中間である。しかし、イットリウムの密度が4.47 g/cmであるのに対してルテチウムが9.84 g/cm、ジスプロシウムが8.56 g/cmであるように、イットリウムはほかのランタノイドより密度が低く、物理的性質の相違もある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また反応次数もほぼ同じであり、テルビウムやジスプロシウムと化学反応性が似ている。原子半径 (180 pm) やイオン半径 (88 pm) も類似しており、溶液中ではまるで重希土類のようにふるまうため、重希土類のイオンは「イットリウム族」と呼ばれることがある。原子半径の類似性はランタノイド収縮による。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このようにイットリウムとランタノイドは非常に類似した化学的性質をもつが、相違点としては、イットリウムはもっぱら+3の原子価しか取らないのに対し、ランタノイドのおよそ半数は+3価以外の原子価も取ることが挙げられる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "+3価の遷移金属として、イットリウムはさまざまな無機化合物をつくり、通常3つの価電子をすべて結合に使うため、酸化数は+3である。たとえば酸化イットリウム(III) (Y2O3) は1つのイットリウム原子が6つの酸素原子と結合した構造をもち、白色固体の物質である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "フッ化物、水素化物、シュウ酸塩は水に溶けないが、臭化物、塩化物、ヨウ化物、窒化物、硫化物はすべて水に溶ける。Yイオンは5d軌道と4f軌道に電子が存在しないため電子遷移による可視光の吸収が起こらず、その溶液は無色である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "イットリウムやその化合物は水と容易に反応してY2O3が生成する。濃硝酸やフッ化水素酸との反応性は高くないが、ほかの強酸とは容易に反応する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "単体は200 °C以上でハロゲンと反応してフッ化イットリウム(III) (YF3)、塩化イットリウム(III) (YCl3)、臭化イットリウム(III) (YBr3) などのハロゲン化物をつくる。同様に、高温で炭素、リン、セレン、ケイ素、硫黄などと反応し、二元化合物をつくる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "炭素─イットリウム結合を持つ化合物を有機イットリウム化合物(英語版)という。そのなかには酸化数0のイットリウムを含むものがある。ある三量体化反応の触媒として有機イットリウム化合物が使われることがある。その化合物は、Y2O3と濃塩酸および塩化アンモニウムから得られるYCl3を出発物質として合成される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ハプト数とは、隣接する配位子がどのように中心原子へ結合しているかを表すもので、ギリシャ文字のイータ η で表される。カルボランが d 金属原子にハプト数 η で配位している錯体として最初に発見されたのはイットリウム錯体であった。炭素インターカレーション化合物(英語版)であるグラファイト-Yやグラファイト-Y2O3を気化することにより、Y@C82のような球状の炭素の檻の中にイットリウム原子を内包した原子内包フラーレン(英語版)が生成する。電子スピン共鳴による研究で、Yと(C82)のイオン対の生成が示されている。またY3C、Y2C、YC2などの炭化物を水素化すると炭化水素が得られる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "太陽系のイットリウムは恒星内元素合成に由来し、約72%がs過程、約28%がr過程によるものである。s過程は数千年かけてゆっくりと進み、脈動する赤色巨星の内部で起こる。r過程は超新星爆発に伴って起こる速い反応である。いずれも軽い原子核の中性子捕獲により質量数が増加する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "イットリウムはウラン核分裂反応の主要な生成物である。核廃棄物管理の観点で重要な同位体は、半減期58.51日のYと半減期64時間のYである。Yは短い半減期を持ちながら、親核種のストロンチウム90 (Sr) の半減期が29年と長いため永続平衡(英語版)状態になる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "第3族元素の陽子の数は奇数なので安定同位体が少ない。イットリウムの安定同位体はYのみであり、これは天然に存在する。ほかの過程で生成した同位体が電子放出(中性子 → 陽子)で崩壊するための十分な時間をs過程が与えることにより、Yの存在量が多くなったと考えられている。s過程では質量数(A = 陽子 + 中性子)が90、138、208付近の原子核が選択的に生成する傾向がある。このとき中性子数はそれぞれ50、82、126となる。このような同位体は電子をあまり放出しないので、結果として存在量が多くなる。Yの質量数は90に近く、中性子数は50である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "質量数76から108まで、少なくとも32種のイットリウムの人工放射性同位体が確認されている。最も不安定な同位体は半減期150 nsのYであり、その次は半減期200 nsのYである。最も安定なものは半減期106.626日のYであり、その次は半減期58.51日のY、79.8時間のY、64時間のYである。ほかの同位体の半減期はすべて1日以内であり、そのほとんどが1時間以内である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "質量数88以下のイットリウム同位体は、主にβ崩壊(陽子 → 中性子)によりストロンチウム (Z = 38) の同位体になる。質量数90以上のものは、主にβ崩壊(中性子 → 陽子)によりジルコニウム (Z = 40) の同位体になる。また、質量数97以上のものはβ遅延中性子放出過程による崩壊が一部起こる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "質量数78から102まで、少なくとも20種の準安定同位体(励起状態の同位体)が知られている。YとYでは複数の励起状態が確認されている。基底状態より励起状態のほうが不安定なはずだが、Y、Y、Y、Y、Y、Y、Yは基底状態のものより長い半減期を持つ。その理由は、これらは核異性体転移だけでなくβ崩壊によっても崩壊するためである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1787年、軍隊中尉のかたわら化学者をしていたカール・アクセル・アレニウスは、スウェーデンのストックホルム近郊の村イッテルビーの古い石切り場で、黒色の重い岩石を発見した。彼はこれを、当時見つかったばかりのタングステンが含まれる未知の鉱物だと考え、これを「イッテルバイト」と名づけた。さらなる分析のため、その試料が多数の化学者に送られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1789年、ヨハン・ガドリンはオーボ大学 (University of Åbo) でアレニウスの試料から新たな酸化物を発見し(当時は「アース」と呼ばれた)、1794年、分析を完了してその成果を発表した。1797年、アンデルス・エーケベリはこれを確認し、新たな酸化物を「イットリア (yttria)」と名づけた。数十年後、アントワーヌ・ラヴォアジエによる元素の近代的定義により、アースは元素へと還元することができると考えられるようになり、新たなアースの発見はそれに含まれる新たな元素の発見と同義であることが認識された。そしてイットリアには「イットリウム」が含まれると考えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1843年、カール・グスタフ・モサンデルはイットリアから3種の酸化物、すなわち白色の酸化イットリウム(III)、黄色の酸化テルビウム(III,IV)(当時これは「エルビア」と呼ばれていた)、薔薇色の酸化エルビウム(これは「テルビア」と呼ばれていた)を発見した。四つ目の酸化物、酸化イッテルビウムは1878年、ジャン・マリニャックにより単離された。その後、新たな元素が単体としてこれらの酸化物から単離され、採石場のあったイッテルビー村にちなんで、それぞれイッテルビウム、テルビウム、エルビウムと命名された。さらに数十年後、7種の新たな金属が「ガドリンのイットリア」から発見された。イットリアは単一組成の酸化物ではなく鉱物であることがわかったため、マルティン・ハインリヒ・クラプロートはガドリンの名をとって、これをガドリナイトと改名した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "金属イットリウムは1828年、フリードリヒ・ヴェーラーが無水塩化イットリウムとカリウムを加熱することによって初めて単離した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1987年に、イットリウム・バリウム・銅酸化物(英語版)が高温超伝導を示すことが発見された。この性質を示す物質としては2番目に見つかったもので、窒素の沸点以上で超伝導を示す物質としては、初めて見つかったものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "イットリウムはほとんどの希土類鉱石に含まれ、いくつかのウラン鉱石にも含まれるが、単体は自然界に存在しない。地殻中の存在量は約31 ppmであり、これは28番目に大きく、銀の400倍である。土壌中には10-150 ppm(乾燥質量の平均で23 ppm)含まれ、海水中には9 pptほど含まれている。アポロ計画で採集された月の石は、イットリウムを比較的多く含む。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "生体内での役割は知られていないが、ほとんどの生物に含まれ、ヒトでは肝臓、腎臓、脾臓、肺、骨に濃縮する傾向がある。ヒトの体には0.5 mg程度のイットリウムが含まれており、母乳には4 ppmほど含まれている。新鮮な野菜や作物には20-100 ppmほど含まれ、なかでもキャベツに最も多く含まれる。最も高濃度なのは樹木の種子であり、700 ppm以上含まれる。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "イットリウムとランタノイドの物性が似ていることから、ともに同じような過程で鉱石中に濃縮される。そのため、これらは同じ鉱石、すなわち希土類鉱物中に存在する。鉱石中での軽希土と重希土の分離はわずかであって、完全なものとはならない。原子量は小さいが、イットリウムは重希土の中で濃縮される。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "希土類元素の主な産出源として以下の四つが知られるが、モナザイトやバストネサイトなどの軽希土鉱物においては副生成物として少量のイットリウムが得られるのみであり、主要なイットリウム源はもっぱら重希土鉱物のゼノタイムに依る。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "イットリウムを他の希土類から分離するのは困難であり、古典的な分離法である分別沈殿法では高純度なイットリウム化合物を得ることは事実上不可能である。イットリウムを分離するための前処理として、鉱石中に含まれる希土類のリン酸塩を熱濃硫酸に溶解させて希土類溶液を得る硫酸法が用いられている。この希土類溶液にシュウ酸を加えて重希土類をシュウ酸塩として沈降させ軽希土類と分離し、これを酸素中で加熱乾燥させることで酸化イットリウム(III)を60%ほど含有したイットリウム濃縮物が得られる。得られた濃縮物は塩酸に溶解された後、イオン交換クロマトグラフィーや溶媒抽出法によって各元素に分けられる。イオン交換法におけるキレート剤としては通常エチレンジアミン四酢酸 (EDTA) にあらかじめ銅(II)イオンや亜鉛(II)イオンなどの2価の金属イオンを吸着させたものが利用される。希土類元素とEDTAとの結合力はそれぞれの元素によって異なるため、イオン交換塔に希土類溶液を通すとEDTAとの結合力が強い順に希土類の混合物が分離され、イットリウムはジスプロシウムとテルビウムの間で得られる。この分離プロセスから明白なように、イオン交換膜法はバッチ処理を前提としているため大量生産には向いていないが、様々な組成の溶液を同一プロセスで処理できる利点がある。溶媒抽出法において利用される抽出剤としては、トリブチルリン酸やイソデカン酸などがある。イットリウムの抽出序列はランタノイド元素のほぼ中央にあり、また抽出序列の隣り合うランタノイド元素との分離効率がそれほど高くないため、抽出序列の異なる2種類の抽出剤を用いて2段階に分けて抽出される。溶媒抽出法は連続処理であるため大量生産に向いており、工業生産法としては溶媒抽出法が主流になっている。さらにフッ化水素と反応させると、フッ化イットリウムが得られる。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "世界の年間の酸化イットリウム(III)生産量は、2001年に600トンに達した。また、世界の保有量は推計で900万トンに上る。毎年わずか数トンの金属イットリウムがフッ化イットリウムを酸化することにより生産され、カルシウムマグネシウム合金の金属スポンジに利用される。1,600 °C以上に加熱を行うアーク炉内でイットリウムを融解させることができる。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ユウロピウムイオン (Eu) をドープした酸化イットリウム(III) (Y2O3)、オルトバナジン酸イットリウム (YVO4)、二酸化硫化イットリウム(III) (Y2O2S) は蛍光体として、カラーテレビのブラウン管の赤色を出すために使われる。イットリウムが電子銃からのエネルギーを集め、それを蛍光体へ渡すと、ユウロピウムから赤色の光が放出される。Eu のほかテルビウム (Tb) もドーパントとして用いられ、これは緑色の蛍光を発する。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "イットリウム化合物はエチレンを重合してポリエチレンを製造する際の触媒となる。金属としては高性能点火プラグの電極に使われる。また、プロパンを燃料とするランタンのガスマントルの製造に、放射性物質であるトリウムの代替として使われる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "研究中の用途として、固体電極や自動車排気ガスの酸素センサーとして期待される、イットリウムで安定化したジルコニアが挙げられる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "イットリウムはさまざまな人工ガーネット(英語版)の製造に使われる。イットリウム・鉄・ガーネット (Y3Fe5O12, YIG) は高性能マイクロ波電子フィルタである。イットリウム、鉄、アルミニウム、ガドリニウムのガーネット(Y3(Fe,Al)5O12、Y3(Fe,Ga)5O12など)は磁性を持つ。YIGを音響エネルギー発信機や変換器に用ると高効率のものが得られる。イットリウム・アルミニウム・ガーネット Y3Al5O12(YAG) はモース硬度8.5であり、模造ダイヤとして宝石に使われる。セリウムをドープしたイットリウム・アルミニウム・ガーネット (YAG:Ce) の結晶は、白色LEDの蛍光体に使われる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "YAG、酸化イットリウム(III)、テトラフルオロイットリウム(III)酸リチウム (LiYF4)、オルトバナジン酸イットリウム(III) (YVO4) に、ネオジム、エルビウム、イッテルビウムなどをドープしたものは、近赤外線レーザーに使われる。YAGレーザーは高出力で作動させることができ、金属の切削に使われる。ドープ済みYAG単結晶は通常チョクラルスキー法で生産される。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "クロム、モリブデン、チタン、ジルコニウムに微量のイットリウム (0.1-0.2%) を添加すると、その粒径が小さくなる。アルミニウムやマグネシウムの合金に添加すると、強度が増加する。一般に合金にイットリウムを添加すると、結晶の緻密化によって被加工性が向上し、強固な酸化被膜の形成によって高温条件下での再結晶や酸化、酸による腐食が起こりにくくなる。このような合金への添加剤としての用途においては高純度であることを必要とされないことも多く、イットリウムの単離工程における中間生成物であるイットリウム濃縮物をそのまま還元して用いる場合もある。コバルト、鉄との合金は永久磁石として利用される。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "イットリウムはバナジウムや非鉄金属を脱酸素するのに使われる。酸化イットリウム(III)は、宝石である立方晶のジルコニアを安定化させる。これは、純粋なジルコニアでは温度変化によって結晶系が単斜晶系から正方晶系へと変化して割れを生じるが、イットリウムを添加することで温度変化に関わらず常に正方晶系となるため熱耐性が得られることによる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "延性に富むダクタイル鋳鉄の製造用の球状化剤として、イットリウムが研究されている。酸化イットリウム(III)は高い融点を持ち、衝撃抵抗と低い熱膨張率を提供するので、セラミックやガラスの製造に使われる。これはたとえば、多孔性窒化ケイ素の生産における焼結添加物や、カメラレンズに使われる。また、物質科学研究などに使われるイットリウム化合物を合成するための原料としても使われる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "放射性同位体であるイットリウム90はイットリウム90-dota-tyr3-オクトレオチド(英語版)やイットリウム90イブリツモマブ・チウキセタンなどの医薬品に含まれている。これらの薬は悪性リンパ腫、白血病、子宮、結腸直腸、骨などの癌の治療に用いられている。これらはモノクローナル抗体に付着し、癌細胞へと結合して、これをイットリウム90の発するβ線で破壊する。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "イットリウム90でできた針は、メスよりも正確に切断を行うことができるので、痛覚を伝達する脊髄の神経を切り離すのに使われる。イットリウム90は、関節リウマチなどにより膝などに炎症を起こしている患者の治療のため、放射線滑膜切除術を行う際にも使われる。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ロボットを補助的に利用し、側枝神経や組織への損傷を減少する目的で行われた、イヌでの前立腺全摘除術実験に、ネオジムをドープしたYAGレーザーが用いられた。一方、エルビウムがドープされたものは、美容外科において皮膚再生(スキン・リサーフェイシング)への利用が検討されている。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "イットリウム・バリウム・銅酸化物 (YBa2Cu3O7, YBCO, 1-2-3) は1987年にアラバマ大学とヒューストン大学で開発された超伝導体である。この超電導体は約93 Kでその性質を現すが、液体窒素の沸点77.1 Kより高いという点で有用である。液体窒素は液体ヘリウムより安価なので、冷却のコストを大幅に減らすことができるためである。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "イットリウム・バリウム・銅酸化物は化学式YBa2Cu3O7−dで表されるが、超電導性を示すには d は0.7より小さくなければならない。その理由はわかっていないが、空孔が結晶中の特定の場所(平面状または鎖状の銅酸化物)にしか発生せず、銅固有の酸化数を上げることが知られていて、これが超電導性に関係しているのだろうとされている。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1957年にBCS理論が発表されてから、低温超伝導性の理論はよく理解されるようになった。基礎となるのは結晶中の2電子間の相互作用の独自性である。しかし、BCS理論では高温超電導性を説明できず、詳細な機構は明らかになっていない。わかっているのは、超電導性を起こすには銅酸化物の組成を正確に制御する必要があるということである。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "YBCOは、黒緑色、多結晶、多相の無機物で、ペロブスカイト構造を基にしている。研究者はペロブスカイトについて、実用的な高温超電導体の開発を目指している。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "水溶性イットリウム化合物はわずかに有害であると考えられているが、不溶性化合物は無害である。動物実験により、イットリウムやその化合物は、種類によって程度は異なるが、肺や肝臓に損傷を与えることが示されている。ラットでは、クエン酸イットリウムの吸入により肺水腫や呼吸困難が生じ、塩化イットリウム(III)では肝臓水種、胸水、肺の充血が生じた。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ヒトがイットリウム化合物に曝されると肺疾患の原因となる可能性がある。バナジン酸イットリウムユウロピウムの粉塵に曝された労働者の目、肌、呼吸器に軽度の炎症が見つかった例があるが、これはイットリウムではなくバナジウムの影響による可能性もある。イットリウム化合物に急激に曝されると、息切れ、咳、胸痛、チアノーゼが起こることがある。アメリカ国立労働安全衛生研究所 (NIOSH) では、許容曝露濃度 (PEL) は1 mg/m、生命と健康に対する危険性 (IDLH) は500 mg/mを推奨している。イットリウムの粉塵は引火性である。", "title": "危険性" } ]
イットリウムは、原子番号39の元素である。元素記号はYである。単体は軟らかく銀光沢をもつ金属である。遷移金属に属すがランタノイドと化学的性質が似ているので希土類元素に分類される。唯一の安定同位体89Yのみ希土類鉱物中に存在する。単体は天然には存在しない。 1787年にカール・アクセル・アレニウスがスウェーデンのイッテルビーの近くで未知の鉱物を発見し、町名にちなんで「イッテルバイト」と名づけた。ヨハン・ガドリンはアレニウスの見つけた鉱物からイットリウムの酸化物を発見し、アンデルス・エーケベリはそれをイットリアと名づけた。1828年にフリードリヒ・ヴェーラーは鉱物からイットリウムの単体を取り出した。イットリウムは蛍光体に使われ、赤色蛍光体はテレビのブラウン管ディスプレイやLEDに使われている。ほかには電極、電解質、電気フィルタ、レーザー、超伝導体などに使われ、医療技術にも応用されている。イットリウムは生理活性物質ではないが、その化合物は人間の肺に害をおよぼす。
{{混同|イッテルビウム}} {{Elementbox |name=yttrium |japanese name=イットリウム |number=39 |symbol=Y |left=[[ストロンチウム]] |right=[[ジルコニウム]] |above=[[スカンジウム|Sc]] |below=[[ルテチウム|Lu]] |series=遷移金属 |group=3 |period=5 |block=d |image name=Yttrium_sublimed_dendritic_and_1cm3_cube.jpg |image name comment= |appearance=銀白色 |atomic mass=88.90585 |electron configuration=&#91;[[クリプトン|Kr]]&#93; 4d<sup>1</sup> 5s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 9, 2 |phase=固体 |phase comment= |density gpcm3nrt=4.472 |density gpcm3mp=4.24 |melting point K=1799 |melting point C=1526 |melting point F=2779 |melting point pressure= |boiling point K=3609 |boiling point C=3336 |boiling point F=6037 |heat fusion=11.42 |heat vaporization=365 |heat capacity=26.53 |vapor pressure 1=1883 |vapor pressure 10=2075 |vapor pressure 100=(2320) |vapor pressure 1 k=(2627) |vapor pressure 10 k=(3036) |vapor pressure 100 k=(3607) |vapor pressure comment= |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''3''', 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/>。[[ヨハン・ガドリン]]はアレニウスの見つけた鉱物からイットリウムの酸化物を発見し、[[アンデルス・エーケベリ]]はそれをイットリアと名づけた。[[1828年]]に[[フリードリヒ・ヴェーラー]]は鉱物からイットリウムの単体を取り出した<ref name="CRC2008" />。イットリウムは[[蛍光体]]に使われ、赤色蛍光体はテレビの[[ブラウン管]]ディスプレイや[[LED]]に使われている<ref name="Cotton" />。ほかには[[電極]]、[[電解質]]、[[フィルタ回路|電気フィルタ]]、[[レーザー]]、[[超伝導体]]などに使われ、医療技術にも応用されている。イットリウムは[[生理活性|生理活性物質]]ではないが、その化合物は人間の肺に害をおよぼす<ref name="osha" />。 == 名称 == 元素記号には1920年代初頭まで '''Yt''' が使われていたが、のちに '''Y''' が使われるようになった<ref name="Pure" />。 == 特徴 == === 性質 === イットリウムは軟らかく銀光沢を持つ金属である。[[第5周期元素|第5周期]]と[[第3族元素|第3族]]に属す[[遷移金属]]であり、[[周期律]]から予想されるとおり、第3族で[[第4周期元素|第4周期]]の[[スカンジウム]]より[[電気陰性度]]が小さく、[[第6周期元素|第6周期]]の[[ランタン]]よりも電気陰性度が大きい。また、第5族で第5周期の[[ジルコニウム]]よりも電気陰性度が小さい<ref name ="Greenwood1997p946" /><ref name="Hammond" />。第5周期元素の[[dブロック元素]]のなかではイットリウムがもっとも原子番号が小さい。 純粋な[[単体]]は空気中で比較的安定だが、これは[[酸化イットリウム(III)]] (Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub>) の膜が金属表面を覆って[[不動態]]化するためである。[[水蒸気]]中で750 ℃付近まで加熱すると、膜の厚さは10 [[マイクロメートル|µm]]に達することがある<ref name="ECE817" />。単体を細かくすると空気中で不安定となり、削り状のイットリウムは400 ℃以上で[[自然発火]]しうる。窒素中では、単体を1,000 ℃に加熱すると[[窒化イットリウム]] (YN) が生成する<ref name="ECE817" />。イットリウムには2つの同素体がある(α、β)。それぞれの結晶構造は六方最密充填構造と体心立方格子である。 === ランタノイドとの類似点 === {{details|希土類元素}} イットリウムと[[ランタノイド]]元素の性質はよく似ており、ともに[[希土類元素]]に属す<ref name="IUPAC" />。天然の{{仮リンク|希土類鉱物|en|Rare earth mineral}}は必ず複数の希土類元素を含んでいる<ref name="Emsley498" />。 イットリウムは、周期表中で近くに位置する元素よりも、ランタノイドに性質が似ている<ref name="ECE810" />。もし物理的性質だけに着目すれば、イットリウムの原子番号は64.5-67.5に相当する。この値は[[ガドリニウム]]と[[エルビウム]]の中間である<ref name="ECE815" />。しかし、イットリウムの密度が4.47 g/cm<sup>3</sup>であるのに対して[[ルテチウム]]が9.84 g/cm<sup>3</sup>、ジスプロシウムが8.56 g/cm<sup>3</sup>であるように、イットリウムはほかのランタノイドより密度が低く、物理的性質の相違もある<ref name=shinkinzoku126>[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 126頁。</ref>。 また[[反応次数]]もほぼ同じであり<ref name="ECE817" />、[[テルビウム]]や[[ジスプロシウム]]と化学反応性が似ている<ref name="Cotton" />。原子半径 (180 pm) やイオン半径 (88 pm) も類似しており、溶液中ではまるで[[重希土]]類のようにふるまうため、重希土類のイオンは「イットリウム族」と呼ばれることがある<ref name="ECE817" /><ref name="Greenwood1997p945" />。原子半径の類似性は[[ランタノイド収縮]]による<ref name="Greenwood1997p1234" />。 このようにイットリウムとランタノイドは非常に類似した化学的性質をもつが、相違点としては、イットリウムはもっぱら+3の[[原子価]]しか取らないのに対し、ランタノイドのおよそ半数は+3価以外の原子価も取ることが挙げられる<ref name="ECE817" />。 === 化合物と化学反応 === {{see also|Category:イットリウムの化合物}} +3価の遷移金属として、イットリウムはさまざまな[[無機化合物]]をつくり、通常3つの[[価電子]]をすべて結合に使うため、酸化数は+3である<ref name="Greenwood1997p948" />。たとえば[[酸化イットリウム(III)]] (Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub>) は1つのイットリウム原子が6つの酸素原子と結合した構造をもち、白色固体の物質である<ref name="Greenwood1997p947" />。 [[フッ化物]]、[[水素化物]]、[[シュウ酸|シュウ酸塩]]は水に溶けないが、[[臭化物]]、[[塩化物]]、[[ヨウ化物]]、[[窒化物]]、[[硫化物]]はすべて水に溶ける<ref name="ECE817" />。Y<sup>3+</sup>イオンは5d軌道と4f軌道に電子が存在しないため[[電子遷移]]による可視光の吸収が起こらず、その溶液は無色である<ref name="ECE817" />。 イットリウムやその化合物は[[水]]と容易に反応してY<sub>2</sub>O<sub>3</sub>が生成する<ref name="Emsley498" />。濃[[硝酸]]や[[フッ化水素酸]]との反応性は高くないが、ほかの[[強酸]]とは容易に反応する<ref name="ECE817" />。 単体は200 ℃以上で[[ハロゲン]]と反応して[[フッ化イットリウム(III)]] (YF<sub>3</sub>)、[[塩化イットリウム(III)]] (YCl<sub>3</sub>)、[[臭化イットリウム(III)]] (YBr<sub>3</sub>) などの[[ハロゲン化物]]をつくる<ref name="osha" />。同様に、高温で[[炭素]]、[[リン]]、[[セレン]]、[[ケイ素]]、[[硫黄]]などと反応し、[[二元化合物]]をつくる<ref name="ECE817" />。 炭素─イットリウム結合を持つ化合物を{{仮リンク|有機イットリウム化合物|en|Organoyttrium chemistry}}という。そのなかには酸化数0のイットリウムを含むものがある<ref name="Cloke1993" /><ref name="Schumann" />{{#tag:ref|イットリウムが+3以外の酸化数をとる例として、融解した塩化イットリウム(III)中で+2のものが<ref name="Mikheev1992" />、酸化イットリウム(III)の気相中の[[クラスター]]で+1のものが観測された<ref name="Kang2005" />。|group=注}}。ある三量体化反応の[[触媒]]として有機イットリウム化合物が使われることがある<ref name="Schumann" />。その化合物は、Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub>と濃[[塩酸]]および[[塩化アンモニウム]]から得られるYCl<sub>3</sub>を出発物質として合成される<ref name="Turner" /><ref name="Spencer" />。 [[ハプト数]]とは、隣接する[[配位子]]がどのように中心原子へ結合しているかを表すもので、ギリシャ文字のイータ η で表される。[[カルボラン]]が d<sup>0</sup> 金属原子にハプト数 η<sup>7</sup> で配位している錯体として最初に発見されたのはイットリウム錯体であった<ref name="Schumann" />。{{仮リンク|炭素インターカレーション化合物|en|Graphite intercalation compound}}であるグラファイト-Yやグラファイト-Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub>を気化することにより、Y@C<sub>82</sub>のような球状の炭素の檻の中にイットリウム原子を内包した{{仮リンク|原子内包フラーレン|en|Endohedral fullerene}}が生成する<ref name="Cotton" />。[[電子スピン共鳴]]による研究で、Y<sup>3+</sup>と(C<sub>82</sub>)<sup>3−</sup>のイオン対の生成が示されている<ref name="Cotton" />。またY<sub>3</sub>C、Y<sub>2</sub>C、YC<sub>2</sub>などの[[炭化物]]を[[水素化]]すると[[炭化水素]]が得られる<ref name="ECE817" />。 === 元素合成と同位体 === {{main|イットリウムの同位体}} [[太陽系]]のイットリウムは[[恒星内元素合成]]に由来し、約72%が[[s過程]]、約28%が[[r過程]]によるものである<ref name="Pack" />。s過程は数千年かけてゆっくりと進み、[[脈動変光星|脈動]]する[[赤色巨星]]の内部で起こる<ref name="Greenwood1997p12-13" />。r過程は[[超新星]]爆発に伴って起こる速い反応である。いずれも軽い[[原子核]]の[[中性子捕獲]]により[[質量数]]が増加する。 イットリウムはウラン[[核分裂反応]]の主要な生成物である。核廃棄物管理の観点で重要な同位体は、半減期58.51日の<sup>91</sup>Yと半減期64時間の<sup>90</sup>Yである<ref name="NNDC" />。<sup>90</sup>Yは短い半減期を持ちながら、親核種の[[ストロンチウム]]90 (<sup>90</sup>Sr) の半減期が29年と長いため{{仮リンク|永続平衡|en|secular equilibrium}}状態になる。 [[第3族元素]]の[[陽子]]の数は奇数なので[[安定同位体]]が少ない<ref name="Greenwood1997p946" />。イットリウムの安定同位体は<sup>89</sup>Yのみであり、これは天然に存在する。ほかの過程で生成した同位体が[[ベータ崩壊|電子放出]](中性子 → 陽子)で崩壊するための十分な時間をs過程が与えることにより、<sup>89</sup>Yの存在量が多くなったと考えられている<ref name="Greenwood1997p12-13" /><ref group="注">正確には、[[中性子]]が[[陽子]]になるとき[[電子]]と[[反ニュートリノ]]が放出される。</ref>。s過程では[[質量数]](''A'' = 陽子 + 中性子)が90、138、208付近の[[原子核]]が選択的に生成する傾向がある<ref name="Greenwood1997p12-13" />{{#tag:ref|[[魔法数]]を参照。この理由は中性子捕獲断面積が非常に低いことによるものと考えられている<ref>{{Harvnb|Greenwood|1997|pp=12-13}}</ref>。|group="注"}}。このとき中性子数はそれぞれ50、82、126となる。このような同位体は電子をあまり放出しないので、結果として存在量が多くなる<ref name="CRC2008" />。<sup>89</sup>Yの質量数は90に近く、中性子数は50である。 質量数76から108まで、少なくとも32種のイットリウムの[[人工放射性同位体]]が確認されている<ref name="NNDC" />。最も不安定な同位体は半減期150 nsの<sup>106</sup>Yであり、その次は半減期200 nsの<sup>76</sup>Yである<ref name="NNDC" />。最も安定なものは半減期106.626日の<sup>88</sup>Yであり、その次は半減期58.51日の<sup>91</sup>Y、79.8時間の<sup>87</sup>Y、64時間の<sup>90</sup>Yである<ref name="NNDC" />。ほかの同位体の半減期はすべて1日以内であり、そのほとんどが1時間以内である<ref name="NNDC" />。 質量数88以下のイットリウム同位体は、主に[[陽電子放出|β<sup>+</sup>崩壊]](陽子 → 中性子)により[[ストロンチウム]] ([[原子番号|''Z'']] = 38) の同位体になる<ref name="NNDC" />。質量数90以上のものは、主に[[ベータ崩壊|β<sup>−</sup>崩壊]](中性子 → 陽子)により[[ジルコニウム]] (''Z'' = 40) の同位体になる<ref name="NNDC" />。また、質量数97以上のものはβ遅延中性子放出過程による崩壊が一部起こる<ref name="nubase" />。 質量数78から102まで、少なくとも20種の[[準安定同位体]](励起状態の同位体)が知られている<ref name="NNDC" /><ref group="注">準安定同位体は通常の核種よりも高いエネルギーを持っており、この状態は[[ガンマ線]]や[[転換電子]]を放出するまで続く。準安定同位体は質量数の横に m を記して示す。</ref>。<sup>80</sup>Yと<sup>97</sup>Yでは複数の励起状態が確認されている<ref name="NNDC" />。[[基底状態]]より励起状態のほうが不安定なはずだが、<sup>78m</sup>Y、<sup>84m</sup>Y、<sup>85m</sup>Y、<sup>96m</sup>Y、<sup>98m1</sup>Y、<sup>100m</sup>Y、<sup>102m</sup>Yは基底状態のものより長い半減期を持つ。その理由は、これらは[[核異性体転移]]だけでなくβ崩壊によっても崩壊するためである<ref name="nubase" />。 == 歴史 == 1787年、軍隊中尉のかたわら化学者をしていたカール・アクセル・アレニウスは、スウェーデンのストックホルム近郊の村[[イッテルビー]]の古い石切り場で、黒色の重い岩石を発見した。彼はこれを、当時見つかったばかりの[[タングステン]]が含まれる未知の鉱物だと考え<ref name="Emsley496" />、これを「イッテルバイト」と名づけた<ref group="注">イッテルバイト (ytterbite) は発見された場所の近くの村 (ytterby) の名前に由来し、語尾の -ite は鉱物であることを示している。</ref>。さらなる分析のため、その試料が多数の化学者に送られた<ref name="Krogt" />。 [[File:Johan Gadolin.jpg|thumb|150px|left|alt= 白黒の肖像画。若い男がコートを着てネッカチーフを着けている。髪はわずかに着色されるのみで、灰色に見える。|酸化イットリウム(III)を発見した[[ヨハン・ガドリン]]]] 1789年、[[ヨハン・ガドリン]]はオーボ大学 (University of Åbo) でアレニウスの試料から新たな酸化物を発見し(当時は「アース」と呼ばれた)、1794年、分析を完了してその成果を発表した<ref name="Gadolin" />。1797年、[[アンデルス・エーケベリ]]はこれを確認し、新たな酸化物を「イットリア (yttria)」と名づけた<ref name="Greenwood1997p944" />。数十年後、[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]による[[元素]]の近代的定義により、アースは元素へと還元することができると考えられるようになり、新たなアースの発見はそれに含まれる新たな元素の発見と同義であることが認識された。そしてイットリアには「イットリウム」が含まれると考えられた<ref group="注">アースは語尾に -a が、元素は -ium が付く。</ref>。 1843年、[[カール・グスタフ・モサンデル]]はイットリアから3種の酸化物、すなわち白色の[[酸化イットリウム(III)]]、黄色の[[酸化テルビウム|酸化テルビウム(III,IV)]](当時これは「エルビア」と呼ばれていた)、薔薇色の酸化エルビウム(これは「テルビア」と呼ばれていた)を発見した<ref name="Annalen" />。四つ目の酸化物、酸化イッテルビウムは1878年、[[ジャン・マリニャック]]により単離された<ref name="britan" />。その後、新たな元素が単体としてこれらの酸化物から単離され、採石場のあったイッテルビー村にちなんで、それぞれ[[イッテルビウム]]、[[テルビウム]]、[[エルビウム]]と命名された<ref name="Stwertka115" />。さらに数十年後、7種の新たな金属が「ガドリンのイットリア」から発見された<ref name="Krogt" />。イットリアは単一組成の酸化物ではなく鉱物であることがわかったため、[[マルティン・ハインリヒ・クラプロート]]はガドリンの名をとって、これをガドリナイトと改名した<ref name="Krogt" />。 金属イットリウムは1828年、[[フリードリヒ・ヴェーラー]]が無水[[塩化イットリウム]]と[[カリウム]]を加熱することによって初めて単離した<ref name="Heiserman" /><ref name="Wöhler" />。 : <chem>YCl3 + 3K -> 3KCl + Y</chem> 1987年に、{{仮リンク|イットリウム・バリウム・銅酸化物|en|yttrium barium copper oxide}}が[[高温超伝導]]を示すことが発見された。この性質を示す物質としては2番目に見つかったもので<ref name="Wu" />、窒素の沸点以上で[[超伝導]]を示す物質としては、初めて見つかったものである<ref group="注">[[YBCO]]の[[転移温度|超伝導転移温度]]は93 Kで、窒素の沸点は77 Kである。</ref>。 == 産出 == [[File:Xenotímio1.jpeg|thumb|200px|alt= 白い背景の上の三つの柱状をした茶色の結晶|リン酸イットリウムを主成分とするゼノタイムの結晶]] === 存在量 === イットリウムはほとんどの希土類鉱石に含まれ<ref name="Hammond" />、いくつかの[[天然ウラン|ウラン鉱石]]にも含まれるが、単体は自然界に存在しない<ref name="Lenntech" />。地殻中の存在量は約31 [[ppm]]であり、これは28番目に大きく、[[銀]]の400倍である<ref name="Emsley497" />。土壌中には10-150 ppm(乾燥質量の平均で23 ppm)含まれ、海水中には9 [[ppt]]ほど含まれている<ref name="Emsley497" />。[[アポロ計画]]で採集された[[月の石]]は、イットリウムを比較的多く含む<ref name="Stwertka115" />。 生体内での役割は知られていないが、ほとんどの生物に含まれ、ヒトでは肝臓、腎臓、脾臓、肺、骨に濃縮する傾向がある。ヒトの体には0.5 mg程度のイットリウムが含まれており、[[母乳]]には4 ppmほど含まれている<ref name="Emsley495" />。新鮮な野菜や作物には20-100 ppmほど含まれ、なかでもキャベツに最も多く含まれる<ref name="Emsley495" />。最も高濃度なのは樹木の種子であり、700 ppm以上含まれる<ref name="Emsley495" />。 === 生産 === イットリウムとランタノイドの物性が似ていることから、ともに同じような過程で鉱石中に濃縮される。そのため、これらは同じ鉱石、すなわち[[希土類鉱物]]中に存在する。鉱石中での軽希土と重希土の分離はわずかであって、完全なものとはならない。[[原子量]]は小さいが、イットリウムは重希土の中で濃縮される<ref name="Morteani" /><ref name="Kanazawaa" />。 希土類元素の主な産出源として以下の四つが知られる<ref name="Naumov" />が、モナザイトやバストネサイトなどの軽希土鉱物においては副生成物として少量のイットリウムが得られるのみであり、主要なイットリウム源はもっぱら重希土鉱物のゼノタイムに依る<ref name=shinkinzoku117>[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 117頁。</ref>。 [[File:Yttrium 1.jpg|thumb|right|200px|alt= 立方体に近い形をした暗灰色金属片。表面は平坦でない。|イットリウムのかけら。イットリウムと他の希土類元素を分離するのは困難である]] * 炭酸塩・フッ化物塩を含む軽希土である[[バストネサイト]] ({{chem|[(Ce, La, etc.)(CO|3|)F]}})。イットリウムの割合は平均0.1%で<ref name="CRC2008" /><ref name="Morteani" />、残り99.9%は他の16種の希土類元素である<ref name="Morteani" />。1960年から1990年にかけてのバストネサイトの主な産地はカリフォルニアのパス山希土鉱山であり、当時アメリカは最大の希土類産出国だった<ref name="Morteani" /><ref name="Naumov" />。 * [[モナザイト]] ({{chem|[(Ce, La, etc.)PO|4]}}) は大部分がリン酸塩で、侵食を受けた[[花崗岩]]の移動や重力による分離でつくられた[[漂砂鉱床]]を構成する。軽希土鉱石として、モナザイトは2%<ref name="Morteani" />(または3%<ref name="Stwertka116" />)ほどのイットリウムを含んでいる。19世紀初めに最大の鉱床がインドとブラジルで見つかり、両国は19世紀半ばまで最大のイットリウム産出国だった<ref name="Morteani" /><ref name="Naumov" />。 * {{仮リンク|ゼノタイム|en|Xenotime}}は希土類のリン酸塩で、リン酸イットリウム (YPO<sub>4</sub>) としてイットリウムを60%以上含む重希土鉱石である<ref name="Morteani" />。最大の鉱床は中国の[[白云鄂博]](バイユンオボ)であり、1990年代にパス山鉱が閉山したため中国は最大の重希土輸出国となった<ref name="Morteani" /><ref name="Naumov" />。 * イオン吸着型粘土(ログナン粘土)は花崗岩の風化によって形成され、重希土を1%程度含む<ref name="Morteani" />。濃縮物により鉱石は最終的に8%以上のイットリウムを含むようになる。イオン吸着型粘土は主に中国の[[華南]]地方で採掘される<ref name="Morteani" /><ref name="Naumov" /><ref name="chinese" /><ref name="Murakami" />。イットリウムは[[サマルスカイト]]や{{仮リンク|フェルグソナイト|en|Fergusonite}}中にもみられる<ref name="Emsley497" />。 イットリウムを他の希土類から分離するのは困難であり、古典的な分離法である分別沈殿法では高純度なイットリウム化合物を得ることは事実上不可能である<ref>[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 119頁。</ref>。イットリウムを分離するための前処理として、鉱石中に含まれる希土類のリン酸塩を[[硫酸|熱濃硫酸]]に溶解させて希土類溶液を得る硫酸法が用いられている。この希土類溶液に[[シュウ酸]]を加えて重希土類をシュウ酸塩として沈降させ軽希土類と分離し、これを酸素中で加熱乾燥させることで酸化イットリウム(III)を60%ほど含有したイットリウム濃縮物が得られる。得られた濃縮物は塩酸に溶解された後、[[イオン交換クロマトグラフィー]]や溶媒抽出法によって各元素に分けられる。イオン交換法におけるキレート剤としては通常[[エチレンジアミン四酢酸]] (EDTA) にあらかじめ銅(II)イオンや亜鉛(II)イオンなどの2価の金属イオンを吸着させたものが利用される。希土類元素とEDTAとの結合力はそれぞれの元素によって異なるため、イオン交換塔に希土類溶液を通すとEDTAとの結合力が強い順に希土類の混合物が分離され、イットリウムは[[ジスプロシウム]]と[[テルビウム]]の間で得られる。この分離プロセスから明白なように、イオン交換膜法はバッチ処理を前提としているため大量生産には向いていないが、様々な組成の溶液を同一プロセスで処理できる利点がある。溶媒抽出法において利用される抽出剤としては、トリブチルリン酸やイソデカン酸などがある。イットリウムの抽出序列はランタノイド元素のほぼ中央にあり、また抽出序列の隣り合うランタノイド元素との分離効率がそれほど高くないため、抽出序列の異なる2種類の抽出剤を用いて2段階に分けて抽出される。溶媒抽出法は連続処理であるため大量生産に向いており、工業生産法としては溶媒抽出法が主流になっている<ref>[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 118-127頁。</ref>。さらに[[フッ化水素]]と反応させると、[[フッ化イットリウム]]が得られる<ref name="Holleman" />。 世界の年間の酸化イットリウム(III)生産量は、2001年に600トンに達した。また、世界の保有量は推計で900万トンに上る<ref name="Emsley497" />。毎年わずか数トンの金属イットリウムが[[フッ化イットリウム]]を酸化することにより生産され、[[カルシウム]][[マグネシウム]]合金の金属スポンジに利用される。1,600 ℃以上に加熱を行う[[アーク炉]]内でイットリウムを融解させることができる<ref name="Emsley497" /><ref name="Holleman" />。 == 応用 == === 日用品 === [[File:Aperture Grille.jpg|thumb|alt=Forty columns of oval dots, 30 dots high. First red than green than blue. The columns of red starts with only four dots in red from the bottom becoming more with every column to the right|イットリウムは[[ブラウン管]]テレビの赤色を作り出すために使われる元素の一つである]] [[ユウロピウム]]イオン (Eu<sup>3+</sup>) を[[ドープ]]した[[酸化イットリウム(III)]] (Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)、[[オルトバナジン酸イットリウム]] (YVO<sub>4</sub>)、二酸化硫化イットリウム(III) (Y<sub>2</sub>O<sub>2</sub>S) は[[蛍光体]]として、[[カラーテレビ]]の[[ブラウン管]]の赤色を出すために使われる<ref name="CRC2008" /><ref name="Cotton" />{{#tag:ref|エムスリーによると、「普通はユウロピウム(III)をドープした二酸化硫化イットリウム(III)がカラーテレビの赤色成分として使われている。」<ref name="Emsley497" />|group=注}}。イットリウムが[[電子銃]]からのエネルギーを集め、それを蛍光体へ渡すと、ユウロピウムから赤色の光が放出される<ref name="ECE818" />。Eu<sup>3+</sup> のほか[[テルビウム]] (Tb<sup>3+</sup>) もドーパントとして用いられ、これは緑色の蛍光を発する。 イットリウム化合物は[[エチレン]]を[[重合]]してポリエチレンを製造する際の触媒となる<ref name="CRC2008" />。金属としては高性能[[点火プラグ]]の電極に使われる<ref name="Carley" />。また、[[プロパン]]を燃料とする[[ランプ (照明器具)#ランタン|ランタン]]の[[ガスマントル]]の製造に、放射性物質である[[トリウム]]の代替として使われる<ref name="Gilbert" />。 研究中の用途として、固体電極や自動車排気ガスの酸素センサーとして期待される、イットリウムで安定化したジルコニアが挙げられる<ref name="Cotton" />。 === ガーネット === [[File:Yag-rod.jpg|thumb|直径0.5 cmのNd:YAGレーザーロッド]] イットリウムはさまざまな{{仮リンク|人工ガーネット|en|Garnet#Synthetic garnets}}の製造に使われる<ref>{{Cite journal|url = http://www.minsocam.org/ammin/AM36/AM36_133.pdf|title = The role of yttrium and other minor elements in the garnet group|last = Jaffe|first = H.W.|journal = American Mineralogist|year = 1951|accessdate = 2008-08-26|pages = 133-155|format=pdf}}</ref>。イットリウム・鉄・ガーネット (Y<sub>3</sub>Fe<sub>5</sub>O<sub>12</sub>, YIG) は高性能[[マイクロ波]][[フィルタ回路|電子フィルタ]]である<ref name="CRC2008" />。イットリウム、[[鉄]]、[[アルミニウム]]、[[ガドリニウム]]のガーネット({{chem|Y|3|(Fe,Al)|5|O|12}}、{{chem|Y|3(Fe,Ga)|5|O|12}}など)は[[磁性]]を持つ<ref name="CRC2008" />。YIGを音響エネルギー発信機や変換器に用ると高効率のものが得られる<ref>{{cite journal|doi= 10.1016/j.jallcom.2006.05.023|title = Preparation and characterization of yttrium iron garnet (YIG) nanocrystalline powders by auto-combustion of nitrate-citrate gel|year= 2007|last= Vajargah|first = S. Hosseini|journal= Journal of Alloys and Compounds|volume= 430|issue =1-2|pages= 339-343|last2= Madaahhosseini|first2= H|last3= Nemati|first3= Z}}</ref>。[[イットリウム・アルミニウム・ガーネット]] {{chem|Y|3|Al|5|O|12}}(YAG) は[[モース硬度]]8.5であり、模造ダイヤとして[[宝石]]に使われる<ref name="CRC2008" />。[[セリウム]]をドープしたイットリウム・アルミニウム・ガーネット (YAG:Ce) の結晶は、白色[[LED]]の蛍光体に使われる<ref>{{Ref patent |country=US |number=6409938 |status=patent |title=Aluminum fluoride flux synthesis method for producing cerium doped YAG|gdate=2002-06-25 |invent1=Comanzo Holly Ann|assign1=General Electrics}}</ref><ref>{{cite book|author =GIA contributors|publisher = Gemological Institute of America|title = GIA Gem Reference Guide|year = 1995|isbn = 0-87311-019-6}}</ref><ref>{{cite conference|last = Kiss|first = Z. J.|last2=Pressley |first2= R. J.|title = Crystalline solid lasers|booktitle = Proceedings of the [[IEEE]]|pages = 1236-1248|volume = 54|issue = 10|publisher = IEEE|date = October 1966|url = http://ieeexplore.ieee.org/xpls/abs_all.jsp?arnumber=1447042|accessdate = 2008-08-16|id = issn: 0018-9219}}</ref>。 YAG、酸化イットリウム(III)、テトラフルオロイットリウム(III)酸リチウム (LiYF<sub>4</sub>)、オルトバナジン酸イットリウム(III) (YVO<sub>4</sub>) に、[[ネオジム]]、[[エルビウム]]、[[イッテルビウム]]などを[[ドープ]]したものは、近[[赤外線]]レーザーに使われる<ref name="cw">{{cite journal|first = J.|last = Kong|coauthors = Tang, D. Y.; Zhao, B.; Lu, J.; Ueda, K.; Yagi, H. and Yanagitani, T.|title = 9.2-W diode-pumped Yb:Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub> ceramic laser|journal = Applied Physics Letters|volume = 86|year = 2005|doi = 10.1063/1.1914958|pages = 116}}</ref><ref>{{cite journal|first = M.|last = Tokurakawa|coauthors = Takaichi, K.; Shirakawa, A.; Ueda, K.; Yagi, H.; Yanagitani, T. and Kaminskii, A. A.|title = Diode-pumped 188 fs mode-locked Yb<sup>3+</sup>:Y<sub>2</sub>O<sub>3</sub> ceramic laser|journal = Applied Physics Letters|volume = 90|pages = 071101| year = 2007|doi=10.1063/1.2476385}}</ref>。YAGレーザーは高出力で作動させることができ、金属の切削に使われる<ref name="Stwertka116" />。ドープ済みYAG単結晶は通常[[チョクラルスキー法]]で生産される<ref>{{cite journal|journal = Journal of the Serbian Chemical Society |year = 2002|volume = 67|issue = 4|pages = 91-300|doi = 10.2298/JSC0204291G|title = The growth of Nd: YAG single crystals|author = Golubović, Aleksandar V.; Nikolić, Slobodanka N.; Gajić, Radoš; Đurić, Stevan; Valčić, Andreja}}</ref>。 === 添加剤 === [[クロム]]、[[モリブデン]]、[[チタン]]、[[ジルコニウム]]に微量のイットリウム (0.1-0.2%) を添加すると、その粒径が小さくなる<ref>{{cite journal|author = PIDC contributors|title = Rare Earth metals & compounds|url = http://www.pidc.com/products_imaterials_oth.html|accessdate =2008-08-26|publisher = Pacific Industrial Development Corporation}}</ref>。[[アルミニウム]]や[[マグネシウム]]の合金に添加すると、[[強度]]が増加する<ref name="CRC2008" />。一般に合金にイットリウムを添加すると、結晶の緻密化によって被加工性が向上し、強固な酸化被膜の形成によって高温条件下での再結晶や酸化、酸による腐食が起こりにくくなる<ref name="ECE818" /><ref>[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 132頁。</ref>。このような合金への添加剤としての用途においては高純度であることを必要とされないことも多く、イットリウムの単離工程における中間生成物であるイットリウム濃縮物をそのまま還元して用いる場合もある<ref name="名前なし-1">[[#shinkinzoku1980|新金属協会 (1980)]] 131頁。</ref>。[[コバルト]]、[[鉄]]との合金は[[永久磁石]]として利用される。 イットリウムは[[バナジウム]]や[[非鉄金属]]を脱酸素するのに使われる<ref name="CRC2008" />。酸化イットリウム(III)は、宝石である[[立方晶]]の[[ジルコニア]]を安定化させる<ref>{{cite web|url = http://www.emporia.edu/earthsci/amber/go340/students/berg/cz.html|title = Cubic Zirconia|accessdate = 2008-08-26|first = Jessica|last = Berg|publisher=Emporia State University}}</ref>。これは、純粋なジルコニアでは温度変化によって結晶系が単斜晶系から正方晶系へと変化して割れを生じるが、イットリウムを添加することで温度変化に関わらず常に正方晶系となるため熱耐性が得られることによる<ref name="名前なし-1"/>。 [[展延性|延性]]に富む[[ダクタイル鋳鉄]]の製造用の球状化剤として、イットリウムが研究されている<ref name="CRC2008" />。[[酸化イットリウム(III)]]は高い[[融点]]を持ち、衝撃抵抗と低い[[熱膨張率]]を提供するので、[[セラミック]]や[[ガラス]]の製造に使われる<ref name="CRC2008" />。これはたとえば、多孔性[[窒化ケイ素]]の生産における焼結添加物や、カメラレンズに使われる<ref>{{Ref patent |country=US |number=5935888 |status=patent |title= Porous silicon nitride with rodlike grains oriented |gdate=1999-08-10 |assign1=Agency Ind Science Techn (JP)| assign2=Fine Ceramics Research Ass (JP)}}</ref><ref name="Emsley497" />。また、[[物質科学]]研究などに使われるイットリウム化合物を合成するための原料としても使われる。 === 医療 === 放射性同位体である[[イットリウム90]]は{{仮リンク|イットリウム90-dota-tyr3-オクトレオチド|en|Yttrium Y 90-DOTA-tyr3-octreotide}}や[[イブリツモマブ チウキセタン|イットリウム90イブリツモマブ・チウキセタン]]などの医薬品に含まれている。これらの薬は[[悪性リンパ腫]]、[[白血病]]、子宮、結腸直腸、骨などの[[癌]]の治療に用いられている<ref name="Emsley495"/>。これらは[[モノクローナル抗体]]に付着し、癌細胞へと結合して、これをイットリウム90の発する[[ベータ粒子|β線]]で破壊する<ref>{{cite journal|journal = Cancer Research|volume =64|pages = 6200-6206|year =2004|title = A Single Treatment of Yttrium-90-labeled CHX-A&#39;&#39;-C6.5 Diabody Inhibits the Growth of Established Human Tumor Xenografts in Immunodeficient Mice|last = Adams|first= Gregory P.|coauthors= Shaller, Calvin C.; Dadachova, Ekaterina; Simmons, Heidi H.; Horak, Eva M.; Tesfaye, Abohawariat; Klein-Szanto, Andres J. P.; Marks, James D.; Brechbiel, Martin W.; Weiner, Louis M.|doi = 10.1158/0008-5472.CAN-03-2382|pmid = 15342405|issue = 17}}</ref>。 イットリウム90でできた針は、メスよりも正確に切断を行うことができるので、痛覚を伝達する[[脊髄]]の神経を切り離すのに使われる<ref name="Emsley496" />。イットリウム90は、[[関節リウマチ]]などにより膝などに炎症を起こしている患者の治療のため、放射線滑膜切除術を行う際にも使われる<ref>{{cite journal|first = M.|last = Fischer|coauthors = Modder, G.|title = Radionuclide therapy of inflammatory joint diseases|journal = Nuclear Medicine Communications|volume = 23|issue = 9|pages = 829-831|year = 2002|doi = 10.1097/00006231-200209000-00003|pmid = 12195084}}</ref>。 ロボットを補助的に利用し、側枝神経や組織への損傷を減少する目的で行われた、イヌでの前立腺全摘除術実験に、ネオジムをドープしたYAGレーザーが用いられた<ref>{{cite journal|first = Troy|last = Gianduzzo|coauthors = Colombo Jr, Jose R.; Haber, Georges-Pascal; Hafron, Jason; Magi-Galluzzi, Cristina; Aron, Monish; Gill, Inderbir S.; Kaouk, Jihad H.|title = Laser robotically assisted nerve-sparing radical prostatectomy: a pilot study of technical feasibility in the canine model|journal = BJU International|volume = 102|issue = 5|page= 598|publisher = Glickman Urological Institute| location = Cleveland|year = 2008|pmid = 18694410|doi = 10.1111/j.1464-410X.2008.07708.x}}</ref>。一方、エルビウムがドープされたものは、美容外科において皮膚再生(スキン・リサーフェイシング)への利用が検討されている<ref name="Cotton" />。 === 超伝導体 === [[File:YBCO-modified.jpg|thumb|right|alt=Dark grey pills on a watchglass. One cubic piece of the same material on top of the pills.|[[YBCO]]超伝導体]] [[イットリウム系超伝導体|イットリウム・バリウム・銅酸化物]] ({{chem|YBa|2|Cu|3|O|7}}, YBCO, 1-2-3) は1987年にアラバマ大学とヒューストン大学で開発された[[超伝導体]]である<ref name="Wu" />。この超電導体は約93 Kでその性質を現すが、[[液体窒素]]の沸点77.1 Kより高いという点で有用である<ref name="Wu" />。液体窒素は[[液体ヘリウム]]より安価なので、冷却のコストを大幅に減らすことができるためである。 イットリウム・バリウム・銅酸化物は化学式{{chem|YBa|2|Cu|3|O|7−''d''}}で表されるが、超電導性を示すには ''d'' は0.7より小さくなければならない。その理由はわかっていないが、空孔が結晶中の特定の場所(平面状または鎖状の銅酸化物)にしか発生せず、銅固有の酸化数を上げることが知られていて、これが超電導性に関係しているのだろうとされている。 1957年に[[BCS理論]]が発表されてから、低温超伝導性の理論はよく理解されるようになった。基礎となるのは結晶中の2電子間の相互作用の独自性である。しかし、BCS理論では高温超電導性を説明できず、詳細な機構は明らかになっていない。わかっているのは、超電導性を起こすには銅酸化物の組成を正確に制御する必要があるということである<ref>{{cite web|url=http://www.ch.ic.ac.uk/rzepa/mim/century/html/ybco_text.htm |publisher=Imperial College|accessdate=2009-12-20|title=Yttrium Barium Copper Oxide - YBCO}}</ref>。 YBCOは、黒緑色、多結晶、多相の無機物で、[[ペロブスカイト構造]]を基にしている。研究者は[[灰チタン石|ペロブスカイト]]について、実用的な[[高温超電導体]]の開発を目指している<ref name="Stwertka116" />。 == 危険性 == 水溶性イットリウム化合物はわずかに有害であると考えられているが、不溶性化合物は無害である<ref name="Emsley495" />。動物実験により、イットリウムやその化合物は、種類によって程度は異なるが、肺や肝臓に損傷を与えることが示されている。ラットでは、クエン酸イットリウムの吸入により[[肺水腫]]や[[呼吸困難]]が生じ、[[塩化イットリウム(III)]]では肝臓水種、[[胸水]]、肺の充血が生じた<ref name="osha"/>。 ヒトがイットリウム化合物に曝されると肺疾患の原因となる可能性がある<ref name="osha" />。バナジン酸イットリウムユウロピウムの粉塵に曝された労働者の目、肌、呼吸器に軽度の炎症が見つかった例があるが、これはイットリウムではなく[[バナジウム]]の影響による可能性もある<ref name="osha" />。イットリウム化合物に急激に曝されると、息切れ、咳、胸痛、[[チアノーゼ]]が起こることがある<ref name="osha" />。[[アメリカ国立労働安全衛生研究所]] ([[:en:National Institute for Occupational Safety and Health|NIOSH]]) では、[[許容曝露濃度]] ([[:en:Permissible exposure limit|PEL]]) は1 mg/m<sup>3</sup>、[[生命と健康に対する危険性]] ([[:en:IDLH|IDLH]]) は500 mg/m<sup>3</sup>を推奨している<ref>{{cite web|author = NIOSH contributors|url = http://www.cdc.gov/niosh/npg/npgd0673.html|title = Yttrium|work = NIOSH Pocket Guide to Chemical Hazards|month = September|year = 2005|publisher = National Institute for Occupational Safety and Health|accessdate = 2008-08-03}}</ref>。イットリウムの粉塵は引火性である<ref name="osha" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist|2|refs= <ref name="magnet">{{Cite web|url=http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf|title=Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition|publisher=CRC press|accessdate=2011-03-20}}</ref> <ref name="CRC2008">{{Cite book|author=CRC contributors|editor = Lide, David R.|chapter=Yttrium|year=2007-2008|title=CRC Handbook of Chemistry and Physics|volume=4|page=41|location=New York|publisher=CRC Press|isbn = 978-0-8493-0488-0}}</ref> <ref name="osha">{{Cite web|author=OSHA contributors|url=http://www.osha.gov/SLTC/healthguidelines/yttriumandcompounds/recognition.html|title=Occupational Safety and Health Guideline for Yttrium and Compounds|accessdate=2011-03-20|publisher=United States Occupational Safety and Health Administration|date=2007-01-11}} (public domain text)</ref> <ref name ="Greenwood1997p946">{{Harvnb|Greenwood|1997|p=946}}</ref> <ref name="Hammond">{{Cite book|url=http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elements.pdf|title = The Elements|chapter=Yttrium|author=Hammond, C. 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Geoffrey N.|last = Cloke|title = Zero Oxidation State Compounds of Scandium, Yttrium, and the Lanthanides|doi = 10.1039/CS9932200017}}</ref> <ref name="Schumann">{{Cite journal|journal = Encyclopedia of Inorganic Chemistry|title = Scandium, Yttrium & The Lanthanides: Organometallic Chemistry|first = Herbert|last = Schumann|coauthors = Fedushkin, Igor L.|doi = 10.1002/0470862106.ia212|year = 2006}}</ref> <ref name="Mikheev1992">{{Cite journal|title = The anomalous stabilisation of the oxidation state 2+ of lanthanides and actinides|first = Mikheev|last = Nikolai B.|journal = Russian Chemical Reviews|volume = 61|issue = 10|year = 1992|doi = 10.1070/RC1992v061n10ABEH001011|pages = 990-998|last2 = Auerman|first2 = L N|last3 = Rumer|first3 = Igor A|last4 = Kamenskaya|first4 = Alla N|last5 = Kazakevich|first5 = M Z}}</ref> <ref name="Kang2005">{{Cite journal|doi = 10.5012/bkcs.2005.26.2.345|url = http://newjournal.kcsnet.or.kr/main/j_search/j_download.htm?code=B050237|title = Formation of Yttrium Oxide Clusters Using Pulsed Laser Vaporization|journal = Bull. 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Bernstein}}</ref> <ref name="Turner">{{Cite book|last = Turner, Jr.|first = Francis M.|coauthors = Berolzheimer, Daniel D.; Cutter, William P.; Helfrich, John|year = 1920|title = The Condensed Chemical Dictionary|location = New York|publisher = Chemical Catalog Company|pages = 492|url = https://books.google.co.jp/books?id=y8y0XE0nsYEC&pg=PA492&dq=%22Yttrium+chloride%22&redir_esc=y&hl=ja|accessdate = 2008-08-12}}</ref> <ref name="Spencer">{{Cite book|last = Spencer|first = James F.|year = 1919|title = The Metals of the Rare Earths|location = New York|publisher = Longmans, Green, and Co|pages = 135|url = https://books.google.co.jp/books?id=W2zxN_FLQm8C&pg=PA135&dq=%22Yttrium+chloride%22&redir_esc=y&hl=ja|accessdate =2008-08-12}}</ref> <ref name="Pack">{{Cite journal|journal = Geochimica et Cosmochimica Acta|volume = 71|issue = 18|year = 2007|doi = 10.1016/j.gca.2007.07.010|title = Geo- and cosmochemistry of the twin elements yttrium and holmium|first = Andreas|last = Pack|coauthor = Sara S. Russell, J. Michael G. Shelley and Mark van Zuilen|pages = 4592-4608}}</ref> <ref name="Greenwood1997p12-13">{{Harvnb|Greenwood|1997|pp=12-13}}</ref> <ref name="NNDC">{{Cite web|url = http://www.nndc.bnl.gov/chart/|author = NNDC contributors|editor = Alejandro A. Sonzogni (Database Manager)|title = Chart of Nuclides|publisher = National Nuclear Data Center, Brookhaven National Laboratory|accessdate = 2008-09-13|year = 2008|location = Upton, New York}}</ref> <ref name="nubase">{{Cite journal|last = Audi|first = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties|journal = Nuclear Physics A|volume = 729|pages = 3-128|publisher = Atomic Mass Data Center|year = 2003|doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001}}</ref> <ref name="Emsley496">[[#Emsley2001|Emsley 2001]], p. 496</ref> <ref name="Krogt">[[#Krogt|Van der Krogt 2005]]</ref> <ref name="Gadolin">[[#Gadolin1794|Gadolin 1794]]</ref> <ref name="Greenwood1997p948">{{Harvnb|Greenwood|1997|p=948}}</ref> <ref name="Greenwood1997p947">{{Harvnb|Greenwood|1997|p=947}}</ref> <ref name="Greenwood1997p944">{{Harvnb|Greenwood|1997|p=944}}</ref> <ref name="Annalen">{{Cite journal|journal=Annalen der Physik und Chemie|volume=60|year=1843|pages=297-315|title=Ueber die das Cerium begleitenden neuen Metalle Lathanium und Didymium, so wie über die mit der Yttererde vorkommen-den neuen Metalle Erbium und Terbium|first = Mosander|last = Carl Gustav|issue = 2|language= German|doi = 10.1002/andp.18431361008}}</ref> <ref name="britan">{{Cite news|author = ''Britannica'' contributors|encyclopedia = Encyclopaedia Britannica|year = 2005|publisher = Encyclopædia Britannica, Inc}}, "ytterbium"</ref> <ref name="Heiserman">{{Cite book|last = Heiserman|first = David L.|title = Exploring Chemical Elements and their Compounds|location = New York|publisher = TAB Books|isbn = 0-8306-3018-X|chapter = Element 39: Yttrium|pages = 150-152|year = 1992}}</ref> <ref name="Wöhler">{{Cite journal|journal = Annalen der Physik|volume = 89|issue = 8|pages = 577-582|title = Ueber das Beryllium und Yttrium|first = Friedrich|last = Wöhler|doi = 10.1002/andp.18280890805|year = 1828}}</ref> <ref name="Pure">{{Cite journal|journal = Pure Appl. 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ネオン
ネオン(英: neon [ˈniːɒn]、仏: néon)は、原子番号10の元素である。元素記号はNe。原子量は20.180。 ギリシャ語の「新しい」を意味する「νέος(neos)」に由来する。 ネオンは1898年にロンドンで、イギリス人化学者ウィリアム・ラムゼー卿(1852–1916年)とモーリス・トラバース(英語版)(1872–1961年)が発見した。この当時、すでにヘリウムとアルゴンの存在が知られていたこと、さらに周期律が知られていたことから、その存在が確実視されていたが、この発見によって周期表の空欄が1つ埋まった。発見に至った手法は液化空気の分留である。ラムゼーが、液体状になるまで冷却した大気を暖めて気化したガスをそれぞれ分留する実験を行っているとき、大気主成分(窒素・酸素・アルゴン)を取り除いたあとに残る物質からクリプトン・キセノン・ネオンをそれぞれ見つけた。 1910年12月、フランスの技術者ジョルジュ・クロードがネオンガスを封入した管に放電することで、新たな照明器具を発明した。パリの政府庁舎グラン・パレで公開後、1912年には彼は仲間たちとこの放電管をネオン管として販売し始め、理髪店で最初の広告として使用された。1915年に特許を取得し「クロードネオン社」を設立。1923年、彼らがネオン管をアメリカに紹介すると、早速ロサンゼルスのパッカード自動車販売代理店に2つの大きなネオンサインが備えられた。赤々と輝き人目を惹くネオンの広告は、他社との差別化を鮮明に映し出した。 1913年にジョゼフ・ジョン・トムソンが、陽極線(英語版)の成分分析を行っていた際、磁界や電界を通る流れを導き出し、写真乾板上に写り込んだ軌跡から偏向を計測して、ネオン原子の基本的性質の解明が始まった。写真には2本の光軌跡が見つかり、これは異なる放物線を描くネオンの偏向があることを示していた。トムソンは、これが同じネオン元素で分子量が異なるものが2種類あるために起こった現象と結論づけた。これは最初の安定的な同位体発見であり、その手法は改良され現在の質量分析法へと発展した。 単原子分子として存在し、単体は常温常圧で無色無臭の気体。融点−248.7 °C、沸点−246.0 °C(ただし融点沸点とも異なる実験値あり)。密度は0.900 g/L(0 °C、1 atm)、液体時は 1.21 g/mL(−246 °C)。空気中に18.2×10含まれ、貴ガスとしてはアルゴンに次ぐ割合で存在する。 質量磁化率−4.20×10 m/kg。水に溶解する体積比は0.012。 ネオンの三重点(約24.5561 K)はITS-90の定義定点になっている。 ネオンはガスとしてのみならず、物質全体でももっとも反応性に乏しい元素である。 ネオンは貴ガスとしては2番目に軽く、ガイスラー管に詰め放電すると橙赤色で光るため、ネオン管の封入気体として利用される。実際は、アルゴンや水銀などの添加物を用いてさまざまな色を出す。標準的な電圧と電流下において、ネオンのプラズマは貴ガス中でもっとも激しい光を放つ。人間の目には一般に赤 - オレンジ色に見えるこの光は、実際には多くの波長からなっている。強い緑色の光線も含まれるが、これは分光しないと判断できない。ネオン管は高電圧がかかると、管内に封入されているネオンがイオン化するために、サージ電流を素早く流す性質があり、落雷の電気をアースに流し機器類を守る避雷塔にも使われる。 ネオンは窒素や酸素よりも原子番号が大きく、原子1つを比べた場合は、ネオンの方が重い。しかし、ネオンは地球の地表付近でも単原子分子として存在できるのに対し、同じ条件で窒素や酸素は二原子分子として存在する。気体は同一体積当たりの分子数がおおよそ等しいので、ネオンは地球の地表付近の空気の大部分を占める窒素分子や酸素分子よりも軽く、このため、ネオンの気球はヘリウムと比べればゆっくりであるが上昇する。 液体ネオンの気化熱は1.8 kJ/mol であり、極低温環境での冷媒として非常に効率が高く、経済的である。 同じ質量で気体・液体の体積比率差が大きいこともネオンの特徴である。通常の気体:液体比率が500–800倍なのに対し、ネオンは1400倍にもなる。そのため貯蔵性・輸送性に優れる。また、ネオンは窒素分子に近い密度があるため、酸素とネオンを混合して作った人工空気の中では、ほとんど音速が変化しない。よって、酸素とヘリウムの混合気のような声の変化は起こさない。この特徴を生かして大深度潜水のテクニカルダイビングや宇宙で使用されることもある。 工業的には、空気を液化・分留して作る手段が唯一事業性を持てる。半導体製造ではエキシマレーザーとフッ化クリプトンレーザーのバッファガスとして欠かせないが、工業用のネオンはロシアで生産され、ウクライナで精製されるネオンのシェアが高かった為、2014年のクリミア危機で価格が高騰したことから、利用量の削減や再利用の技術開発が行われた。2016年にはアメリカのリンデが増産を発表した。 このほかにも、ヘリウムとの混合ガスはレーザー光の波長を揃えることができる(ヘリウムネオンレーザー)。 Ne、Ne、Neの3種類の安定同位体の存在が知られている。地球では、これらのうちNeが約9割を占めていて、Neが1割弱、Neはごくわずかである。
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ネオンは、原子番号10の元素である。元素記号はNe。原子量は20.180。
{{Otheruses|元素}} {{元素 |name=neon |number=10 |symbol=Ne |pronounce={{IPAc-en|ˈ|n|iː|ɒ|n}} |left=[[フッ素]] |right=[[ナトリウム]] |above=[[ヘリウム|He]] |below=[[アルゴン|Ar]] |series=貴ガス |series comment= |group=18 |period=2 |block=p |series color= |phase color=564654 |appearance=無色の気体に高電圧をかけると赤橙色に発光する。 |image name=Neon-glow.jpg |image size= |image name comment= |image name 2=Neon spectra.jpg |image name 2 comment=ネオンのスペクトル |atomic mass=20.1797 |atomic mass 2=6 |atomic mass comment= |electron configuration=1s{{sup|2}} 2s{{sup|2}} 2p{{sup|6}} |electrons per shell=2, 8 |phase=気体 |phase comment= |density gplstp=0.9002 |density gpcm3nrt= |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp= |density gpcm3bp=1.207<ref name=CRC>{{cite book| author = Hammond, C.R. |title = The Elements, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition| publisher =CRC press| date = 2000| page=19|isbn = 0849304814|url=http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elements.pdf}}</ref> |melting point K=24.56 |melting point C=−248.59 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|thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25= |speed of sound=(gas, 0 °C) 435 |speed of sound rod at 20= |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus= |Shear modulus= |Bulk modulus=654 |Poisson ratio= |Mohs hardness= |Vickers hardness= |Brinell hardness= |CAS number=7440-01-9 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=20 | sym=Ne | na='''90.48%''' | n=10 }} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=21 | sym=Ne | na=0.27% | n=11 }} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=22 | sym=Ne | na=9.25% | n=12 }} |isotopes comment= }} '''ネオン'''({{lang-en-short|neon}} {{IPA-en|ˈniːɒn|}}、{{lang-fr-short|néon}})は、[[原子番号]]10の[[元素]]である。[[元素記号]]は'''Ne'''。[[原子量]]は20.180。 == 名称 == [[ギリシャ語]]の「新しい」を意味する「{{el|νέος}}({{lang|el-latn|neos}})」に由来する<ref name="genso">{{Cite book|和書|date=1998年(初版1997年)|title=元素111の新知識|edition=第六刷|publisher=[[講談社]]|pages=72–74|chapter=【ネオン】|isbn=4-06-257192-7}}</ref>。 == 歴史 == [[File:Discovery of neon isotopes.JPG|thumb|150px|left|[[ジョゼフ・ジョン・トムソン]]の写真乾板。右下に2つのネオン同位体(ネオン20、ネオン22)の衝突痕が見られる]] ネオンは1898年に[[ロンドン]]で、[[イギリス]]人化学者[[ウィリアム・ラムゼー]]卿(1852&ndash;1916年)と{{仮リンク|モーリス・トラバース|en|Morris Travers}}(1872&ndash;1961年)が発見した<ref>{{cite journal|title = On the Companions of Argon|author = [[ウィリアム・ラムゼー]]、モーリス・W・トラバース|journal = Proceedings of the Royal Society of London|volume = 63|pages = 437–440|date = 1898年|doi = 10.1098/rspl.1898.0057}}</ref>。この当時、すでに[[ヘリウム]]と[[アルゴン]]の存在が知られていたこと、さらに[[周期律]]が知られていたことから、その存在が確実視されていたが、この発見によって周期表の空欄が1つ埋まった。発見に至った手法は液化空気の[[分留]]である。ラムゼーが、液体状になるまで[[冷却]]した[[大気]]を暖めて[[気化]]した[[気体|ガス]]をそれぞれ分留する[[実験]]を行っているとき、大気主成分([[窒素]]・[[酸素]]・[[アルゴン]])を取り除いたあとに残る物質から[[クリプトン]]・[[キセノン]]・'''ネオン'''をそれぞれ見つけた<ref>{{cite web |url=http://nautilus.fis.uc.pt/st2.5/scenes-e/elem/e01000.html |title=Neon: History |language=英語|accessdate=2007-02-27|publisher=Softciências}}</ref>。 1910年12月、[[フランス]]の技術者[[ジョルジュ・クロード]]がネオンガスを封入した管に放電することで、新たな[[照明]]器具を発明した。[[パリ]]の政府庁舎[[グラン・パレ]]で公開後、1912年には彼は仲間たちとこの放電管を[[ネオン管]]として販売し始め、理髪店で最初の[[広告]]として使用された。1915年に特許を取得し「クロードネオン社」を設立<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.neon-jp.org/98/neos71/history.html|language=日本語|title=ネオン史余話|author=小野博之|publisher=社団法人全日本ネオン協会|accessdate=2010-04-17}}</ref>。1923年、彼らがネオン管を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に紹介すると、早速[[ロサンゼルス]]の[[パッカード]]自動車販売代理店に2つの大きな[[ネオンサイン]]が備えられた。赤々と輝き人目を惹くネオンの[[広告]]は、他社との差別化を鮮明に映し出した<ref>{{cite news|url=http://nymag.com/shopping/features/41814/|title=Neon: A Brief History| last=Mangum|first= Aja |accessdate=2008-05-20| date =2007年12月8日|newspaper=New York Magazine}}</ref>。 1913年に[[ジョゼフ・ジョン・トムソン]]が、{{仮リンク|陽極線|en|Anode ray}}の成分分析を行っていた際、磁界や電界を通る流れを導き出し、写真乾板上に写り込んだ軌跡から偏向を計測して、ネオン原子の基本的性質の解明が始まった。写真には2本の光軌跡が見つかり、これは異なる放物線を描くネオンの偏向があることを示していた。トムソンは、これが同じネオン元素で分子量が異なるものが2種類あるために起こった現象と結論づけた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kutl.kyushu-u.ac.jp/seminar/MicroWorld3/3Part1/3P13/DiscoverNeutron.htm|language=日本語|title=1-3:中性子の発見|publisher=[[九州大学]]粒子物理学講座|accessdate=2010-04-17}}</ref>。これは最初の安定的な[[同位体]]発見であり、その手法は改良され現在の[[質量分析法]]へ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.iae.or.jp/KOUBO/innovation_itaku/talent/pdf/h19_k_4.pdf|format=PDF|language=日本語|title=核燃料サイクル工学実験教育テキスト|peges=81|publisher=財団法人エネルギー総合工学研究所|accessdate=2010-04-17}}</ref>と発展した。 == 性質・用途 == [[単原子分子]]として存在し、[[単体]]は常温常圧で無色無臭の[[気体]]。[[融点]]{{val|-248.7|u=degC}}、[[沸点]]{{val|-246.0|u=degC}}(ただし融点沸点とも異なる実験値あり)。[[密度]]は0.900&nbsp;g/L(0 &deg;C、1 atm)、[[液体]]時は 1.21&nbsp;g/mL({{val|-246|u=degC}})。空気中に{{val|18.2|e=-6}}含まれ、貴ガスとしては[[アルゴン]]に次ぐ割合で存在する。 [[磁化率|質量磁化率]]{{val|-4.20|e=−9|u=m{{sup|3}}/kg}}。[[水]]に[[溶解]]する体積比は0.012<ref name="rikagaku">{{Cite book|和書|date=1994|title=岩波理化学辞典|edition=第四版第九刷|publisher=[[岩波書店]]|pages=948|chapter=【ネオン】|isbn=4-00-080015-9}}</ref>。 ネオンの[[三重点]](約24.5561 K)は[[温度#国際温度目盛|ITS-90]]の定義定点になっている<ref>{{cite web |url=http://www.its-90.com/|title=The Internet resource for the International Temperature Scale of 1990|accessdate=2009-07-07}}</ref>。 ネオンはガスとしてのみならず、物質全体でももっとも反応性に乏しい元素である<ref name=inert>{{cite book|url=https://books.google.co.jp/books?id=IoFzgBSSCwEC&pg=PA70&redir_esc=y&hl=ja|title=Modelling Marvels|author=Lewars, Errol G. |publisher=Springer|date=2008年|isbn=1402069723|pages=70-71}}</ref>。 [[File:Neon discharge tube.jpg|thumb|left|ネオン放電管]] [[File:Neon emission.png|280px|thumb|left|ネオンのスペクトル。なお、可視光領域は対応する色で、紫外線(左)と赤外線(右)領域は白い線で現している]] [[File:NeTube.jpg|thumb|150px|right|ネオンサイン]] ネオンは貴ガスとしては2番目に軽く、[[ガイスラー管]]に詰め放電すると橙赤色で光るため、[[ネオン管]]の封入気体として利用される<ref name="rikagaku" />。実際は、[[アルゴン]]や[[水銀]]などの添加物を用いてさまざまな色を出す。標準的な電圧と電流下において、ネオンの[[プラズマ]]は貴ガス中でもっとも激しい光を放つ。人間の目には一般に赤 - オレンジ色に見えるこの光は、実際には多くの波長からなっている。強い[[緑色]]の光線も含まれるが、これは[[分光]]しないと判断できない<ref>{{cite web |url=http://www.electricalfun.com/plasma.htm|title=Plasma|language=英語|accessdate=2007-03-05}}</ref>。ネオン管は高電圧がかかると、管内に封入されているネオンがイオン化するために、サージ電流を素早く流す性質があり、[[落雷]]の電気を[[接地|アース]]に流し機器類を守る避雷塔にも使われる<ref name="genso" />。 ネオンは[[窒素]]や[[酸素]]よりも原子番号が大きく、原子1つを比べた場合は、ネオンの方が重い。しかし、ネオンは地球の地表付近でも単原子分子として存在できるのに対し、同じ条件で窒素や酸素は[[二原子分子]]として存在する。気体は同一体積当たりの分子数がおおよそ等しいので、ネオンは地球の地表付近の空気の大部分を占める窒素分子や酸素分子よりも軽く、このため、ネオンの[[気球]]はヘリウムと比べればゆっくりであるが上昇する<ref>{{cite book|title = Chemistry for Higher Tier|author = Gallagher, R.; Ingram, P. |publisher = University Press|date = 2001年|isbn = 9780199148172 |url = https://books.google.co.jp/books?id=SJtWSy69eVsC&pg=PA96&redir_esc=y&hl=ja}}</ref>。 液体ネオンの[[気化熱]]は1.8 k[[ジュール|J]]/mol であり、極低温環境での[[冷媒]]として非常に効率が高く、経済的である<ref name="genso" /><ref>{{cite web |url=http://www.nassmc.org/bulletin/dec05bulletin.html#table |title=NASSMC: News Bulletin |accessdate=2007-03-05 |date=2005年12月30日}}</ref>。 同じ質量で気体・液体の体積比率差が大きいこともネオンの特徴である。通常の気体:液体比率が500&ndash;800倍なのに対し、ネオンは1400倍にもなる。そのため貯蔵性・輸送性に優れる。また、ネオンは窒素分子に近い[[密度]]があるため、酸素とネオンを混合して作った人工空気の中では、ほとんど[[音速]]が変化しない。よって、酸素とヘリウムの混合気のような声の変化は起こさない。この特徴を生かして大深度潜水の[[テクニカルダイビング]]や[[宇宙]]で使用されることもある<ref name="genso" />。 工業的には、[[空気]]を[[液化]]・[[分留]]して作る手段が唯一事業性を持てる<ref name="genso" />。[[半導体]]製造では[[エキシマレーザー]]とフッ化クリプトンレーザーのバッファガスとして欠かせないが、工業用のネオンは[[ロシア]]で生産され、[[ウクライナ]]で精製されるネオンのシェアが高かった為、[[2014年クリミア危機|2014年のクリミア危機]]で価格が高騰したことから、利用量の削減や再利用の技術開発が行われた<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=【福田昭のセミコン業界最前線】 半導体不足を追い風に、2年連続で過去最大を更新する半導体市場 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/semicon/1391349.html |website=PC Watch |date=2022-02-28 |accessdate=2022-03-15 |language=ja |last=株式会社インプレス}}</ref>。2016年にはアメリカの[[リンデグループ|リンデ]]が増産を発表した<ref name=":0" />。 このほかにも、ヘリウムとの混合ガスは[[レーザー]]光の波長を揃えることができる([[ヘリウムネオンレーザー]])<ref name="genso" />。 == 同位体 == {{sup|20}}Ne、{{sup|21}}Ne、{{sup|22}}Neの3種類の安定同位体の存在が知られている。地球では、これらのうち{{sup|20}}Neが約9割を占めていて、{{sup|22}}Neが1割弱、{{sup|21}}Neはごくわずかである。 {{main|ネオンの同位体}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [http://periodic.lanl.gov/elements/10.html Neon]{{en icon}}([[ロスアラモス国立研究所]]) == 関連項目 == {{Commons&cat|Neon|Neon}} * [[ネオンテトラ]] - [[熱帯魚]]の一種。体側にあるネオンサインのような鮮明な模様から名づけられた。 == 外部リンク == * {{ICSC|0627}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ねおん}} [[Category:ネオン|*]] [[Category:元素]] [[Category:貴ガス]] [[Category:第2周期元素]]
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カリフォルニア大学ロサンゼルス校
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(カリフォルニアだいがくロサンゼルスこう、英語: University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにある総合州立大学である。校是は "Fiat lux"(そこに光あれ/Let There Be Light)。 UCLAは、過去卒業生から14人のノーベル賞受賞者を輩出し、Forbes America's Top College ランキング(2021)第8位、THE世界大学ランキング2024で第18位に位置するなど、国内ではカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)に次ぐ名門公立大学として、また世界でも名門校の1つとして知られる。 UCLAは、理系・文系共に国際的評価が高く、工学・理学・コンピュータ科学および医学・公衆衛生学、文系の経営学・法学分野は著名である。 MBAを提供するアンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(Anderson School of Management, UCLA Anderson)、法科大学院のUCLAロースクール(UCLA Law)、公衆衛生大学院のUCLAフィールディング公衆衛生大学院(UCLA Fielding)およびUCLAデビット・ゲフィン医科大学院(DGSOM)は、いずれも全米TOP15で名高い。 UCLAラスキン公共政策大学院(UCLA Luskin)は、全米TOP20となっている。 また、UCLA芸術&建築学部(UCLA Arts)は、総合大学としてはイェール美術学校(Yale School of Art)と並び全米トップクラスであり、芸術・美術系専門大学で3大トップスクールであるロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)、カリフォルニア芸術大学(CalArts)、シカゴ美術館附属美術大学(SAIC)に匹敵する。 カリフォルニア大学システム(UCシステム)の1校で、バークレー校に次ぐ歴史を持つ(1919年に設置)。 また、UCLAはカリフォルニア州の大学としては最も学生数が多い。5つの学部と7つの大学院から構成され、4万人を超える学生が在籍している。 UCLAは、230人以上のオリンピックメダリストを輩出し、全米大学体育協会(NCAA)で史上最多138回優勝を獲得するなど世界的に活躍するアスリートを多く輩出している。1969年10月29日にキャンパス内で行われたARPANET(国防総省高等研究計画局通信ネットワーク)上でのデータ送信実験は、インターネットが誕生した瞬間とされ、「インターネット誕生の地」としても知られる。 UCLAはカリフォルニア州ロサンゼルスに大学本部があり、419エーカーの広さを誇る大学キャンパスには、163の建物があり、100以上の学部・学科を有する。 UCLAの学部課程への入学希望の出願者数は2003年以来、例年全米最多であり、2020年には出願者数が13.9万人を突破し、出願数最多記録を更新した。 UCLAは、2021年度秋学期には139,485人が出願し、15,004人が合格した。合格率は10.8%パーセントと、同大学系列のバークレー校の14.5%を下回り、公立大学としては最も低い合格率である。 UCLAは名門公立大学の集まりであるパブリック・アイビーの一校であり、2017年までに、教授・卒業生・大学関係者から計24人のノーベル賞受賞者を輩出している。パシフィック12カンファレンスのうちの1校である。 UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の起源は、1881年3月に南カリフォルニア地域における教員養成を目的としてカリフォルニア州議会によって設立されたCalifornia State Normal School(現在のサンノゼ州立大学)の分校に遡る。 1882年8月にThe State Normal School at Los Angelesとして正式に開校し、教員の研修を目的とした小学校が付属する、南カリフォルニア地域での中心的な教育機関となる。 1887年にはLos Angeles State Normal Schoolと改称され、施設規模・学生数ともにより規模の大きなものとなる。 1914年にハリウッド地区バーモント通りに全施設が移設された。 1919年5月、教育施設、教育内容充実のために南カリフォルニア選出の議会代表員の請願を経て、カリフォルニア大学南部分校として2年制の教養課程を有した大学校へと昇格した。同校は同年の9月に開校し、初年度には1,500人の学生が同校の教養課程へ入学した。1925年には100人の女子学生、25人の男子学生に文学士号が授与され、同校初の学士が誕生した。 1927年に、分校から大学へと格上げされ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (University of California at Los Angeles、 UCLA) へと改称された(1958年にatがコンマ(,)に置き換えられ、現在の校名(University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー)となる。)。 同年、改称とともに現在の大学所在地ウェスト・ウッドに400エーカーの土地を州政府が購入、パウエル・ライブラリーやロイス・ホール等の施設が建設され、UCLAは大学としての諸整備が行われた。 1929年にUCLAは、新たなキャンパスでの授業が開始され、5,500人が学部生として入学する。 1933年には卒業生、所属教授、事務関係者、地域関係者からの強い要請に呼応する形で、UCLAに修士課程が設置され、修士号授与許可が下りた。 1936年にはUCバークレーの反対を押し切る形で、UCLAは大学独自に博士課程を設置し、博士号の授与を始めた。 しかしUCLAは、以前のカリフォルニア大学の一分校としてのイメージが世間には色濃く残っていた。UCLAの大学当局はそうしたイメージを払拭すべく、1951年に独自に「学長」を置き、UCバークレーから完全に独立した大学運営を確立しようとした。しかし、UCバークレーの大学首脳陣はUCLAの独立した大学運営を快く思わず、双方の大学当局は対立した。 1960年にUCLAの学長に選出されたフランクリン・マーフィーは、開明的な大学の運営改革を行い、それが功を奏し、UCLAはバークレー校からは完全に独立した大学運営を確立することに成功する。 UCLAが現在のウェストウッド(Westwood)の地に移設された際には、4つの施設しか存在しなかったが、現在では419エーカーの敷地内に163の施設が存在する。キャンパスは、ロサンゼルス市の西部、ウェストウッド商業地区の北部、有名なサンセット大通りの南部に位置し、ブレントウッド、ビバリーヒルズ、ベル・エアー等の高級住宅街に隣接する。 移設時に建設された4施設は、地元の建築設計事務所Allison & Allisonによって設計され、ロマネスク様式で統一されていた。1950年までに建設された施設は同様式で統一されていたが、建築設計事務所・設計者がWelton Becketに変わったことから、ミニマリズムがベースの建物がキャンパス拡張と共に多くなった。 UCLAのキャンパスは北部と南部にキャンパスがわかれている。移設時に大学施設の中心であった北部キャンパスにはロマネスク様式の建物が多く存在し、人文科学、社会科学、芸術系学部、法科大学院、ビジネス・スクール関連施設が存在する。南部キャンパスは生命科学、物理化学、数学、心理学部の施設そしてUCLAメディカル・センターをはじめとする健康科学関連の施設が存在する。キャンパス内の施設が常に改築や建設中の状態にあり、学生間では「Under Construction Like Always(UCLA:いつも工事中)」と揶揄(やゆ)されている。 UCLAの大学のキャンパス内には芝生、銅像庭園、噴水、博物館等が多く点在し、良質の学習・研究環境を提供している。その美しい景観から観光名所として世界各国からの訪問が多くあり、学生による観光客向けのキャンパス・ツアーも実施されている。エンターテイメント産業の中心地であるハリウッドに近いという地理的理由から、アーティストや映画人が輩出しており、映画・テレビの撮影に使われることも多い。UCLAのキャンパスで撮影された主な映画は「エリン・ブロコビッチ」、「アメリカン・パイ2」、「アダルト♂スクール」、「キューティ・ブロンド」(ハーバード・ロー・スクールが舞台だが撮影場所はUCLA)等がある。韓国ドラマ、ラブストーリー・イン・ハーバードでもUCLAの施設が撮影に利用された。 UCLAのカフェテリアは味、種類の両面でとても評価が高く、不評なことが多い大学のカフェテリアには珍しく学生の満足度も高い。カフェテリアでは世界各国の料理が楽しむことができ、様々な学生の要求にこたえられるように、いろいろな工夫が施されている。一例として、菜食主義者、非菜食主義者どちらも満足の行く食事ができるよう菜食主義者用の食事と非菜食主義者の2種類が用意されている。また、昼食の際の広大なキャンパス間の移動の手間を省くため昼食用にセルフ・サービスでサンドイッチを作るコーナーも用意されている。また、大学生協にあたるUCLAストアの2階にはTSUNAMIという日本食(主に寿司)と日本製のゲーム機を提供する一画が、また、Rieber Hallの後方にある小規模の売店Hilltopにもアボカド入りの寿司やいなり寿司が売られているなど、日本人にとって比較的住みやすい環境だと言えよう。 UCLAには学部課程に5つの学部 (School) 、研究課程に7つの専門大学院がある。また、健康科学研究機関としてこれら関係分野に4つの専門大学院が付設されている。2008年現在、学部課程に25000人、研究過程(大学院)に11000人の学生が在籍している。学部課程、研究過程に在籍する学生の大半が下記の教養学部 (The College of Letters and Science) に所属している。 1923年に創設されて以来、UCLAの中心的学部となっている教養学部 (The College of Letters and Science) には34の学科があり、129の学部課程専攻分野で900人の教授が教鞭をとっている。教養学部で提供されるプログラムは下記の5分野に大別される: UCLAの図書館群には800万冊以上の蔵書があり、その蔵書数は全米中の全ての教育・研究機関中11位にランクされる。学内最古の図書館であるユニバーシティー・ライブラリー(通称パウエル図書館)は1884年に建設され、パウエル図書館の名前は1944年に図書館長に任命されたローレンス・パウエルに因んで名付けられた。1973年に図書館長に任命されたページ・アッカーマンは、UCLA級の巨大図書館の館長に任命された全米初の女性となった。現在の図書館長は、2003年8月に着任したゲーリー・ストロング。 UCLAのシンボルであり、図書館群の中心的存在であるパウエル図書館は、学生の勉強の場として幅広く利用されている。定期試験期間中には開館時間が延長され、24時間の利用が可能である。試験期間中は学生が図書館に泊り込み勉強する姿が多く見られる。法科大学院図書館とは異なり、パウエル図書館への入館に際して特別な制限はない。(深夜の入館・利用にはID(Bruin Card)が必要) UCLAにはデイヴィッド・ゲフィン医科大学院 (David Geffen School of Medicine) をはじめとする4つの健康科学分野の専門大学院が付設されている。各大学院共に全米トップクラスの研究・教育実績を誇り、米国のみならず世界的な医療研究の拠点となっている。2005年には、カリフォルニア州政府によってUCLA内に新たに幹細胞研究機関を設置する5カ年計画が発表され、この分野でも、世界的研究拠点になることが期待されている。主要な研究機関の一つであるカリフォルニア・ナノシステム研究所 (The California NanoSystems Institute) はナノテクノロジー分野での先駆的研究を目標として、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の協力の下共同設置された。 UCLAメディカル・センターはサンタモニカ市内とロサンゼルス市内に主要医療施設を有し、ハーバーUCLAメディカル・センター (Harbor-UCLA Medical Center) ,オリーブ・ヴューUCLAメディカル・センターそして西海岸最大の非営利私立病院、セダーズ・サイナイ・メディカル・センターにて医療教育を行っている。1981年にUCLAのメディカル・センターの准教授、マイケル・ゴットリーブが世界で初めて、後にAIDSと命名され世界中に知られることとなる症状を診断し世界にその名をとどろかせた。UCLAはPETスキャンによる脳機能研究でも先駆的研究機関として知られる。 2012年のUSニューズ&ワールド・レポート誌によるランキング (Best Hospitals 2012) では、UCLAメディカル・センターは西海岸で最良の医療研究機関とされ、ジョンズ・ホプキンス大学付属病院 、メイヨー・クリニックなどに次ぐ全米第5位と高い評価を得ている。 カレッジ・スポーツ分野でのUCLAの活躍は学問分野における活躍と同様に目覚しく、全米中で各チームが強豪として知られる。UCLAのマスコットはブルーインズと呼ばれる熊で、チーム・カラーは"True Blue"と呼ばれる青と金 (このカラーは全カリフォルニア大学システムの大学に共通) 。パシフィック12カンファレンス に属する。 UCLA男子フットボール・チームは、パサデナ市内のローズボウルを活動本拠地として有し、男子・女子バスケットボール・チーム、バレーボール・チーム、女子体操チームはキャンパス内施設、ポーリー・パビリオンを活動拠点としている。その他にもUCLAは男子・女子クロス・カントリー、サッカー、漕艇、ゴルフ、テニス、水球チームを有する。 大学マスコットは熊 (Bruins) のジョーとジョセフィーンで公式応援歌は "Sons of Westwood"、 "Mighty Bruins"、校歌は "Hail to the Hills of Westwood" とされている。公式応援歌である "Mighty Bruins" は1984年に発表され、同年の対スタンフォード戦より応援歌として使用されている。歌詞は卒業生・在校生より募集され、2人の在校生の詞が採用された。作曲はアカデミー音楽賞受賞者である、ビル・コンティが担当し、先述の対スタンフォード戦でのお披露目ではコンティ自身が指揮した。 先述の通り、UCLAの各チームは全国的強豪として知られ、これまでの全米大学選手権での優勝数は127回に上る。この優勝数の内NCAA (全米大学体育協会) 優勝数は114回で、この数はスタンフォード大学に次いで全米大学チーム中第2位である。女子・水球チームが全米選手権において、史上最多の11回の優勝を誇る。(2017年12月時点) 数あるUCLAスポーツ・チームの中でも男子バスケット・チームの活躍は目覚しく、UCLAのカレッジ・スポーツを代表するチームと言っても過言ではない。UCLAのスポーツ史を振り返る際に忘れてはならない人物が、UCLAバスケットボール黄金時代を築き、20世紀最高の指導者とうたわれたジョン・ウッデンコーチである。彼がUCLAで指導した13年間で、UCLA男子バスケットボール・チームは10回の全米優勝を飾り、内1964年から1975年 (66年、74年を除く) までの連続7回の優勝は、伝説とまで言われている。また、1971-1974年には前人未到の88回の連続優勝記録を打ちたて、UCLA男子バスケットボール・チームの名を不動のものとした。NBA史上最高のセンターと言われ、マジック・ジョンソンと共にLAレイカーズ黄金期を築いたカリーム・アブドゥル・ジャバーは当時のチーム在籍者である。 UCLAは1928年のアムステルダムオリンピック以来、夏季オリンピックへは毎大会選手を送り続けており、参加した全オリンピックにてメダルを獲得している。2004年アテネオリンピックでは全米で最多となる56人の選手を送り込み、合計19のメダルを獲得した。2008年夏季北京オリンピックへも少なくとも34人のUCLA在籍生、卒業生が参加すると同校は公表している。 またUCLAのカレッジ・スポーツにおいて切っても切れない存在がUSC(南カリフォルニア大学)とのライバル関係である。両校は同じロサンゼルス市内、同じカンファレンスに属し、過去数々の名勝負を繰り広げてきた。NCAAでの全米優勝回数ランキングにでも、2位のUCLAに次ぐ優勝回数をUSCは誇り、UCLA最良のライバルとされる。このライバル関係はカレッジ・スポーツの枠を超えた、オリンピック選手輩出数でも見られ、メダル獲得数がUCLA、213個、USC、234個と接戦を繰り広げる。 2008年秋学期より、1年生としてUCLAに入学する学生の平均加重GPA(Weighted GPA)は4.34(通常GPAは4.00満点だが、大学レベルの授業や優秀者選抜クラスの授業をとることで4.00を超えるGPAをとることが可能)、通常GPAは3.85(4.00満点)、SAT(Reasoning)の平均スコアは2001点(2400点満点)である。 UCLAはプリンストン・レヴュー誌及びバロンズ教育誌による入学難易度指標で"Most Selective"(最難関)を与えられている。1998年度以来、出願者数は全米中で最多である。2019年度秋学期への出願者数は111,306人に上り、そのうち13,747人に入学許可が下り、合格率は12.4%であった。入学者の9割以上を占めるカリフォルニア州民の合格率は12%であった。 他の米国の大学同様、編入学は盛んである。例年UCLAでは、5,500人程度を編入枠として用意している。2018年度秋学期には23,756人が出願し、5,575人に合格許可が下りた。合格率は23%で、合格者の平均GPAは3.72となっている。合格者の93%がカリフォルニア州内のコミュニティー・カレッジ出身者となっている。一年生入学と同様、例年出願者数は増加傾向にあり、2005-2008年度の間に出願者は1,910人増加し、14.3%の増加(対2005年度比)となった。合格率も前年比で4.45%下がった(2007年度合格率:40.27%・2008年度合格率:35.82%・2018年度合格率:23%)。 UCLAは州立大学であるため明確な入学優先順位が存在し、カリフォルニア州民学生の入学が最優先となる。そのため、州外生、外国籍学生の入学はカリフォルニア州民よりも厳しいものとなり、必然的にカリフォルニア州民学生よりも高いテスト成績、GPA、課外活動歴等が必要となる。州外、外国籍学生はカリフォルニア州民学生よりも高いGPA(平均合格GPAよりも0.2-0.3程度高いGPA)が必要とされる。新入生において、2018年度秋学期には留学生・非州民生を合わせて19,370人が出願し、2,210人に合格許可が下りた。 UCLAの合格率は11%であり、州民より低い。編入学では、同時期には留学生・非州民生を合わせて4805人が出願し、935人に合格許可が下りた。合格率は19%となっている。 編入学に関しても、大学側の公式見解としては「入学前の学校がカリフォルニア州内の高校・大学であり、学生が入学前に2年間以上カリフォルニア州に滞在していた場合、カリフォルニア州民と同様に審査が行われる」としている。入学審査の中での優先順位はないとされているが、実際には州民優先の入学選考が行われていることは、一部の入試担当者の発言や大学が公表している編入生に関するデータから明らかである。 UCLAは州立大学であるため、UCLAの学生の大部分がカリフォルニア州民である。2017年秋の入学者統計では学部課程在籍者の78.0%がカリフォルニア州民となっている。しかし、他州出身者も多く在籍し出身州は米国全50州に渡り、外国籍学生の出身国も世界100カ国に上る。州立大学のためカリフォルニア州出身者と州外出身者では学費が異なり、カリフォルニア州出身者に課される学費(登録費等の諸費用含む)が年間約1万6,000ドルに対して、州外出身者は年間約4万6,000ドルとなっている。 UCLAの名物・伝統的な行事の一つにアンディ・ラン (Undie Run) がある。これは1950年代に学生間で自然発生的に始まった行事で期末テスト終了後、ストレス発散のために下着だけを身に着けて叫びながらキャンパス内を走り抜けるイベントである。 ハリウッドに近いと言う地理的な要因から、キャンパスに隣接するウェストウッドでは映画のプレミアム試写会が頻繁に行われる。レッドカーペットの上を歩くハリウッドスターたちを間近で見ることができることは、UCLA生の特典と言えよう。長年ライバル関係にある南カリフォルニア大学とのスポーツ試合は伝統の一戦になっており、例年、フットボールに限らず、バスケット、野球、陸上など全てのゲームで他校との試合以上の盛り上狩りを見せる。 Times Higher Education(THE) World University Rankings 2022 U.S. News Best Global Universities Rankings 2022 Academic Ranking of World Universities 2021 QS World University Rankings 2022 U.S. News Best Colleges 2022 U.S. News Best Grad Schools 2017-2018 UCLAのロサンゼルス市・地域に与える経済的影響は大きく、ロサンゼルス郡ではロサンゼルス郡、LAUSD (ロサンゼルス公立学校連盟) 、連邦政府に次いで4番目に大きい雇用機関であり、地域規模では7番目に位置する。2005年-2006年度には36億円の運営予算が給付され、内17.4%がカリフォルニア州政府から支出されている。 UCLAブランドの衣服やアクセサリーは国外でも広く販売されており、人気を博している。これはUCLAの学問・スポーツ両分野での名声、そして自由や一年中を通して降り注ぐ日差しに代表されるような南カリフォルニアのライフ・スタイルを強く喚起する、というのが理由とされる。 日本では1970年代にUCLAブームが起こり、UCLAのロゴの入ったトレーナーやTシャツなどの製品を身に付ける人が増えた。そのため、他のアメリカの大学に比べて日本におけるUCLAの知名度が高まる結果となった。UCLAブランド製品に対する高い人気は東アジアでのUCLAブランド・ストアの拡大に繋がり、1980年より、15店のUCLAストアが韓国で、43店が中国本土で営業している。メキシコ、シンガポール、ヨーロッパにも支店が開店しており、商標・ブランド管理部門のマネージャーであるシンディー・ホルムスの発表によるとUCLAブランドへ、海外から支払われるライセンス料は年間40万ドルに上ると言う。特に売り上げのほとんどは北東アジアで、日本でのUCLAグッズの売り上げはUCLAグッズの海外における売り上げの約25%に達する。 前述の通り、UCLAは非常に国際色豊かな教育・研究機関であり、世界各国から留学生を受け入れている。また、協定校プログラムを通して世界各国に学生を送り出しており、2005-6年度には、1966名の同学学生が英国、フランス、スペイン、イタリア、中国など世界各国の大学で就学に励んでおり、その数は全米で第7位となっている。UCLAは留学生数、海外留学派遣数ともにカリフォルニア大学システムの中で唯一全米TOP10内に位置している。 UCLA卒業生同士の親交、及び同学において習得した知識、学問、経験を社会に還元し、日米関係、国際理解の一層の推進を目標として1975年11月14日に堤猶二 (プリンスホテル副社長 (当時) ) らによりUCLA日本同窓会は発足した。米国の特定の大学卒業生による同窓会としては有数の歴史を誇り、日米両社会における卒業生たちの活躍に支えられ、2005年には30周年を迎え、会員数が1200人を超えるなど発足当時の目標を達成することを念頭に活発に活動を続けている。 同窓会目標は「UCLAで学んだ全ての人達の友情と有意義な人間関係を更に高め、以って良き日本人として積極的に地域社会に尽くすと共に、国際理解の向上と日米の関係の発展に寄与する」である。 歴代同窓会長 Japanese Student Association at UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校日本人学生会)はUCLA在学中の日本人学生によって運営されている大学公認の非営利団体である。1981年に創立されて以来、着実に会員数を増やし現在では新旧会員含め、1700人の学生・卒業生が登録されている。日本人学生会は「「日本」というアイデンティティー・文化・言語を共有する学生が集まり、様々な交流を通じて学生生活をより活性化させること」を活動趣旨とし、例年、日本人学生間の交流、就職活動サポート、異文化交流、留学生活支援などを目的としたイベントを通年多数開催している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カリフォルニア大学ロサンゼルス校(カリフォルニアだいがくロサンゼルスこう、英語: University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー) は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにある総合州立大学である。校是は \"Fiat lux\"(そこに光あれ/Let There Be Light)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "UCLAは、過去卒業生から14人のノーベル賞受賞者を輩出し、Forbes America's Top College ランキング(2021)第8位、THE世界大学ランキング2024で第18位に位置するなど、国内ではカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)に次ぐ名門公立大学として、また世界でも名門校の1つとして知られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "UCLAは、理系・文系共に国際的評価が高く、工学・理学・コンピュータ科学および医学・公衆衛生学、文系の経営学・法学分野は著名である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "MBAを提供するアンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(Anderson School of Management, UCLA Anderson)、法科大学院のUCLAロースクール(UCLA Law)、公衆衛生大学院のUCLAフィールディング公衆衛生大学院(UCLA Fielding)およびUCLAデビット・ゲフィン医科大学院(DGSOM)は、いずれも全米TOP15で名高い。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "UCLAラスキン公共政策大学院(UCLA Luskin)は、全米TOP20となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "また、UCLA芸術&建築学部(UCLA Arts)は、総合大学としてはイェール美術学校(Yale School of Art)と並び全米トップクラスであり、芸術・美術系専門大学で3大トップスクールであるロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)、カリフォルニア芸術大学(CalArts)、シカゴ美術館附属美術大学(SAIC)に匹敵する。", "title": null }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "カリフォルニア大学システム(UCシステム)の1校で、バークレー校に次ぐ歴史を持つ(1919年に設置)。", "title": null }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、UCLAはカリフォルニア州の大学としては最も学生数が多い。5つの学部と7つの大学院から構成され、4万人を超える学生が在籍している。", "title": null }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "UCLAは、230人以上のオリンピックメダリストを輩出し、全米大学体育協会(NCAA)で史上最多138回優勝を獲得するなど世界的に活躍するアスリートを多く輩出している。1969年10月29日にキャンパス内で行われたARPANET(国防総省高等研究計画局通信ネットワーク)上でのデータ送信実験は、インターネットが誕生した瞬間とされ、「インターネット誕生の地」としても知られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "UCLAはカリフォルニア州ロサンゼルスに大学本部があり、419エーカーの広さを誇る大学キャンパスには、163の建物があり、100以上の学部・学科を有する。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "UCLAの学部課程への入学希望の出願者数は2003年以来、例年全米最多であり、2020年には出願者数が13.9万人を突破し、出願数最多記録を更新した。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "UCLAは、2021年度秋学期には139,485人が出願し、15,004人が合格した。合格率は10.8%パーセントと、同大学系列のバークレー校の14.5%を下回り、公立大学としては最も低い合格率である。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "UCLAは名門公立大学の集まりであるパブリック・アイビーの一校であり、2017年までに、教授・卒業生・大学関係者から計24人のノーベル賞受賞者を輩出している。パシフィック12カンファレンスのうちの1校である。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の起源は、1881年3月に南カリフォルニア地域における教員養成を目的としてカリフォルニア州議会によって設立されたCalifornia State Normal School(現在のサンノゼ州立大学)の分校に遡る。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1882年8月にThe State Normal School at Los Angelesとして正式に開校し、教員の研修を目的とした小学校が付属する、南カリフォルニア地域での中心的な教育機関となる。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1887年にはLos Angeles State Normal Schoolと改称され、施設規模・学生数ともにより規模の大きなものとなる。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1914年にハリウッド地区バーモント通りに全施設が移設された。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1919年5月、教育施設、教育内容充実のために南カリフォルニア選出の議会代表員の請願を経て、カリフォルニア大学南部分校として2年制の教養課程を有した大学校へと昇格した。同校は同年の9月に開校し、初年度には1,500人の学生が同校の教養課程へ入学した。1925年には100人の女子学生、25人の男子学生に文学士号が授与され、同校初の学士が誕生した。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1927年に、分校から大学へと格上げされ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (University of California at Los Angeles、 UCLA) へと改称された(1958年にatがコンマ(,)に置き換えられ、現在の校名(University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー)となる。)。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "同年、改称とともに現在の大学所在地ウェスト・ウッドに400エーカーの土地を州政府が購入、パウエル・ライブラリーやロイス・ホール等の施設が建設され、UCLAは大学としての諸整備が行われた。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1929年にUCLAは、新たなキャンパスでの授業が開始され、5,500人が学部生として入学する。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1933年には卒業生、所属教授、事務関係者、地域関係者からの強い要請に呼応する形で、UCLAに修士課程が設置され、修士号授与許可が下りた。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1936年にはUCバークレーの反対を押し切る形で、UCLAは大学独自に博士課程を設置し、博士号の授与を始めた。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "しかしUCLAは、以前のカリフォルニア大学の一分校としてのイメージが世間には色濃く残っていた。UCLAの大学当局はそうしたイメージを払拭すべく、1951年に独自に「学長」を置き、UCバークレーから完全に独立した大学運営を確立しようとした。しかし、UCバークレーの大学首脳陣はUCLAの独立した大学運営を快く思わず、双方の大学当局は対立した。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1960年にUCLAの学長に選出されたフランクリン・マーフィーは、開明的な大学の運営改革を行い、それが功を奏し、UCLAはバークレー校からは完全に独立した大学運営を確立することに成功する。", "title": "概観" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "UCLAが現在のウェストウッド(Westwood)の地に移設された際には、4つの施設しか存在しなかったが、現在では419エーカーの敷地内に163の施設が存在する。キャンパスは、ロサンゼルス市の西部、ウェストウッド商業地区の北部、有名なサンセット大通りの南部に位置し、ブレントウッド、ビバリーヒルズ、ベル・エアー等の高級住宅街に隣接する。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "移設時に建設された4施設は、地元の建築設計事務所Allison & Allisonによって設計され、ロマネスク様式で統一されていた。1950年までに建設された施設は同様式で統一されていたが、建築設計事務所・設計者がWelton Becketに変わったことから、ミニマリズムがベースの建物がキャンパス拡張と共に多くなった。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "UCLAのキャンパスは北部と南部にキャンパスがわかれている。移設時に大学施設の中心であった北部キャンパスにはロマネスク様式の建物が多く存在し、人文科学、社会科学、芸術系学部、法科大学院、ビジネス・スクール関連施設が存在する。南部キャンパスは生命科学、物理化学、数学、心理学部の施設そしてUCLAメディカル・センターをはじめとする健康科学関連の施設が存在する。キャンパス内の施設が常に改築や建設中の状態にあり、学生間では「Under Construction Like Always(UCLA:いつも工事中)」と揶揄(やゆ)されている。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "UCLAの大学のキャンパス内には芝生、銅像庭園、噴水、博物館等が多く点在し、良質の学習・研究環境を提供している。その美しい景観から観光名所として世界各国からの訪問が多くあり、学生による観光客向けのキャンパス・ツアーも実施されている。エンターテイメント産業の中心地であるハリウッドに近いという地理的理由から、アーティストや映画人が輩出しており、映画・テレビの撮影に使われることも多い。UCLAのキャンパスで撮影された主な映画は「エリン・ブロコビッチ」、「アメリカン・パイ2」、「アダルト♂スクール」、「キューティ・ブロンド」(ハーバード・ロー・スクールが舞台だが撮影場所はUCLA)等がある。韓国ドラマ、ラブストーリー・イン・ハーバードでもUCLAの施設が撮影に利用された。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "UCLAのカフェテリアは味、種類の両面でとても評価が高く、不評なことが多い大学のカフェテリアには珍しく学生の満足度も高い。カフェテリアでは世界各国の料理が楽しむことができ、様々な学生の要求にこたえられるように、いろいろな工夫が施されている。一例として、菜食主義者、非菜食主義者どちらも満足の行く食事ができるよう菜食主義者用の食事と非菜食主義者の2種類が用意されている。また、昼食の際の広大なキャンパス間の移動の手間を省くため昼食用にセルフ・サービスでサンドイッチを作るコーナーも用意されている。また、大学生協にあたるUCLAストアの2階にはTSUNAMIという日本食(主に寿司)と日本製のゲーム機を提供する一画が、また、Rieber Hallの後方にある小規模の売店Hilltopにもアボカド入りの寿司やいなり寿司が売られているなど、日本人にとって比較的住みやすい環境だと言えよう。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "UCLAには学部課程に5つの学部 (School) 、研究課程に7つの専門大学院がある。また、健康科学研究機関としてこれら関係分野に4つの専門大学院が付設されている。2008年現在、学部課程に25000人、研究過程(大学院)に11000人の学生が在籍している。学部課程、研究過程に在籍する学生の大半が下記の教養学部 (The College of Letters and Science) に所属している。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1923年に創設されて以来、UCLAの中心的学部となっている教養学部 (The College of Letters and Science) には34の学科があり、129の学部課程専攻分野で900人の教授が教鞭をとっている。教養学部で提供されるプログラムは下記の5分野に大別される:", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "UCLAの図書館群には800万冊以上の蔵書があり、その蔵書数は全米中の全ての教育・研究機関中11位にランクされる。学内最古の図書館であるユニバーシティー・ライブラリー(通称パウエル図書館)は1884年に建設され、パウエル図書館の名前は1944年に図書館長に任命されたローレンス・パウエルに因んで名付けられた。1973年に図書館長に任命されたページ・アッカーマンは、UCLA級の巨大図書館の館長に任命された全米初の女性となった。現在の図書館長は、2003年8月に着任したゲーリー・ストロング。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "UCLAのシンボルであり、図書館群の中心的存在であるパウエル図書館は、学生の勉強の場として幅広く利用されている。定期試験期間中には開館時間が延長され、24時間の利用が可能である。試験期間中は学生が図書館に泊り込み勉強する姿が多く見られる。法科大学院図書館とは異なり、パウエル図書館への入館に際して特別な制限はない。(深夜の入館・利用にはID(Bruin Card)が必要)", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "UCLAにはデイヴィッド・ゲフィン医科大学院 (David Geffen School of Medicine) をはじめとする4つの健康科学分野の専門大学院が付設されている。各大学院共に全米トップクラスの研究・教育実績を誇り、米国のみならず世界的な医療研究の拠点となっている。2005年には、カリフォルニア州政府によってUCLA内に新たに幹細胞研究機関を設置する5カ年計画が発表され、この分野でも、世界的研究拠点になることが期待されている。主要な研究機関の一つであるカリフォルニア・ナノシステム研究所 (The California NanoSystems Institute) はナノテクノロジー分野での先駆的研究を目標として、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の協力の下共同設置された。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "UCLAメディカル・センターはサンタモニカ市内とロサンゼルス市内に主要医療施設を有し、ハーバーUCLAメディカル・センター (Harbor-UCLA Medical Center) ,オリーブ・ヴューUCLAメディカル・センターそして西海岸最大の非営利私立病院、セダーズ・サイナイ・メディカル・センターにて医療教育を行っている。1981年にUCLAのメディカル・センターの准教授、マイケル・ゴットリーブが世界で初めて、後にAIDSと命名され世界中に知られることとなる症状を診断し世界にその名をとどろかせた。UCLAはPETスキャンによる脳機能研究でも先駆的研究機関として知られる。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2012年のUSニューズ&ワールド・レポート誌によるランキング (Best Hospitals 2012) では、UCLAメディカル・センターは西海岸で最良の医療研究機関とされ、ジョンズ・ホプキンス大学付属病院 、メイヨー・クリニックなどに次ぐ全米第5位と高い評価を得ている。", "title": "キャンパス" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "カレッジ・スポーツ分野でのUCLAの活躍は学問分野における活躍と同様に目覚しく、全米中で各チームが強豪として知られる。UCLAのマスコットはブルーインズと呼ばれる熊で、チーム・カラーは\"True Blue\"と呼ばれる青と金 (このカラーは全カリフォルニア大学システムの大学に共通) 。パシフィック12カンファレンス に属する。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "UCLA男子フットボール・チームは、パサデナ市内のローズボウルを活動本拠地として有し、男子・女子バスケットボール・チーム、バレーボール・チーム、女子体操チームはキャンパス内施設、ポーリー・パビリオンを活動拠点としている。その他にもUCLAは男子・女子クロス・カントリー、サッカー、漕艇、ゴルフ、テニス、水球チームを有する。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "大学マスコットは熊 (Bruins) のジョーとジョセフィーンで公式応援歌は \"Sons of Westwood\"、 \"Mighty Bruins\"、校歌は \"Hail to the Hills of Westwood\" とされている。公式応援歌である \"Mighty Bruins\" は1984年に発表され、同年の対スタンフォード戦より応援歌として使用されている。歌詞は卒業生・在校生より募集され、2人の在校生の詞が採用された。作曲はアカデミー音楽賞受賞者である、ビル・コンティが担当し、先述の対スタンフォード戦でのお披露目ではコンティ自身が指揮した。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "先述の通り、UCLAの各チームは全国的強豪として知られ、これまでの全米大学選手権での優勝数は127回に上る。この優勝数の内NCAA (全米大学体育協会) 優勝数は114回で、この数はスタンフォード大学に次いで全米大学チーム中第2位である。女子・水球チームが全米選手権において、史上最多の11回の優勝を誇る。(2017年12月時点)", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "数あるUCLAスポーツ・チームの中でも男子バスケット・チームの活躍は目覚しく、UCLAのカレッジ・スポーツを代表するチームと言っても過言ではない。UCLAのスポーツ史を振り返る際に忘れてはならない人物が、UCLAバスケットボール黄金時代を築き、20世紀最高の指導者とうたわれたジョン・ウッデンコーチである。彼がUCLAで指導した13年間で、UCLA男子バスケットボール・チームは10回の全米優勝を飾り、内1964年から1975年 (66年、74年を除く) までの連続7回の優勝は、伝説とまで言われている。また、1971-1974年には前人未到の88回の連続優勝記録を打ちたて、UCLA男子バスケットボール・チームの名を不動のものとした。NBA史上最高のセンターと言われ、マジック・ジョンソンと共にLAレイカーズ黄金期を築いたカリーム・アブドゥル・ジャバーは当時のチーム在籍者である。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "UCLAは1928年のアムステルダムオリンピック以来、夏季オリンピックへは毎大会選手を送り続けており、参加した全オリンピックにてメダルを獲得している。2004年アテネオリンピックでは全米で最多となる56人の選手を送り込み、合計19のメダルを獲得した。2008年夏季北京オリンピックへも少なくとも34人のUCLA在籍生、卒業生が参加すると同校は公表している。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "またUCLAのカレッジ・スポーツにおいて切っても切れない存在がUSC(南カリフォルニア大学)とのライバル関係である。両校は同じロサンゼルス市内、同じカンファレンスに属し、過去数々の名勝負を繰り広げてきた。NCAAでの全米優勝回数ランキングにでも、2位のUCLAに次ぐ優勝回数をUSCは誇り、UCLA最良のライバルとされる。このライバル関係はカレッジ・スポーツの枠を超えた、オリンピック選手輩出数でも見られ、メダル獲得数がUCLA、213個、USC、234個と接戦を繰り広げる。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "2008年秋学期より、1年生としてUCLAに入学する学生の平均加重GPA(Weighted GPA)は4.34(通常GPAは4.00満点だが、大学レベルの授業や優秀者選抜クラスの授業をとることで4.00を超えるGPAをとることが可能)、通常GPAは3.85(4.00満点)、SAT(Reasoning)の平均スコアは2001点(2400点満点)である。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "UCLAはプリンストン・レヴュー誌及びバロンズ教育誌による入学難易度指標で\"Most Selective\"(最難関)を与えられている。1998年度以来、出願者数は全米中で最多である。2019年度秋学期への出願者数は111,306人に上り、そのうち13,747人に入学許可が下り、合格率は12.4%であった。入学者の9割以上を占めるカリフォルニア州民の合格率は12%であった。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "他の米国の大学同様、編入学は盛んである。例年UCLAでは、5,500人程度を編入枠として用意している。2018年度秋学期には23,756人が出願し、5,575人に合格許可が下りた。合格率は23%で、合格者の平均GPAは3.72となっている。合格者の93%がカリフォルニア州内のコミュニティー・カレッジ出身者となっている。一年生入学と同様、例年出願者数は増加傾向にあり、2005-2008年度の間に出願者は1,910人増加し、14.3%の増加(対2005年度比)となった。合格率も前年比で4.45%下がった(2007年度合格率:40.27%・2008年度合格率:35.82%・2018年度合格率:23%)。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "UCLAは州立大学であるため明確な入学優先順位が存在し、カリフォルニア州民学生の入学が最優先となる。そのため、州外生、外国籍学生の入学はカリフォルニア州民よりも厳しいものとなり、必然的にカリフォルニア州民学生よりも高いテスト成績、GPA、課外活動歴等が必要となる。州外、外国籍学生はカリフォルニア州民学生よりも高いGPA(平均合格GPAよりも0.2-0.3程度高いGPA)が必要とされる。新入生において、2018年度秋学期には留学生・非州民生を合わせて19,370人が出願し、2,210人に合格許可が下りた。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "UCLAの合格率は11%であり、州民より低い。編入学では、同時期には留学生・非州民生を合わせて4805人が出願し、935人に合格許可が下りた。合格率は19%となっている。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "編入学に関しても、大学側の公式見解としては「入学前の学校がカリフォルニア州内の高校・大学であり、学生が入学前に2年間以上カリフォルニア州に滞在していた場合、カリフォルニア州民と同様に審査が行われる」としている。入学審査の中での優先順位はないとされているが、実際には州民優先の入学選考が行われていることは、一部の入試担当者の発言や大学が公表している編入生に関するデータから明らかである。", "title": "入学" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "UCLAは州立大学であるため、UCLAの学生の大部分がカリフォルニア州民である。2017年秋の入学者統計では学部課程在籍者の78.0%がカリフォルニア州民となっている。しかし、他州出身者も多く在籍し出身州は米国全50州に渡り、外国籍学生の出身国も世界100カ国に上る。州立大学のためカリフォルニア州出身者と州外出身者では学費が異なり、カリフォルニア州出身者に課される学費(登録費等の諸費用含む)が年間約1万6,000ドルに対して、州外出身者は年間約4万6,000ドルとなっている。", "title": "学生・生活" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "UCLAの名物・伝統的な行事の一つにアンディ・ラン (Undie Run) がある。これは1950年代に学生間で自然発生的に始まった行事で期末テスト終了後、ストレス発散のために下着だけを身に着けて叫びながらキャンパス内を走り抜けるイベントである。", "title": "学生・生活" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ハリウッドに近いと言う地理的な要因から、キャンパスに隣接するウェストウッドでは映画のプレミアム試写会が頻繁に行われる。レッドカーペットの上を歩くハリウッドスターたちを間近で見ることができることは、UCLA生の特典と言えよう。長年ライバル関係にある南カリフォルニア大学とのスポーツ試合は伝統の一戦になっており、例年、フットボールに限らず、バスケット、野球、陸上など全てのゲームで他校との試合以上の盛り上狩りを見せる。", "title": "学生・生活" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "Times Higher Education(THE) World University Rankings 2022", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "U.S. News Best Global Universities Rankings 2022", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "Academic Ranking of World Universities 2021", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "QS World University Rankings 2022", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "U.S. News Best Colleges 2022", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "U.S. News Best Grad Schools 2017-2018", "title": "ランキング" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "UCLAのロサンゼルス市・地域に与える経済的影響は大きく、ロサンゼルス郡ではロサンゼルス郡、LAUSD (ロサンゼルス公立学校連盟) 、連邦政府に次いで4番目に大きい雇用機関であり、地域規模では7番目に位置する。2005年-2006年度には36億円の運営予算が給付され、内17.4%がカリフォルニア州政府から支出されている。", "title": "経済的影響" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "UCLAブランドの衣服やアクセサリーは国外でも広く販売されており、人気を博している。これはUCLAの学問・スポーツ両分野での名声、そして自由や一年中を通して降り注ぐ日差しに代表されるような南カリフォルニアのライフ・スタイルを強く喚起する、というのが理由とされる。", "title": "経済的影響" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "日本では1970年代にUCLAブームが起こり、UCLAのロゴの入ったトレーナーやTシャツなどの製品を身に付ける人が増えた。そのため、他のアメリカの大学に比べて日本におけるUCLAの知名度が高まる結果となった。UCLAブランド製品に対する高い人気は東アジアでのUCLAブランド・ストアの拡大に繋がり、1980年より、15店のUCLAストアが韓国で、43店が中国本土で営業している。メキシコ、シンガポール、ヨーロッパにも支店が開店しており、商標・ブランド管理部門のマネージャーであるシンディー・ホルムスの発表によるとUCLAブランドへ、海外から支払われるライセンス料は年間40万ドルに上ると言う。特に売り上げのほとんどは北東アジアで、日本でのUCLAグッズの売り上げはUCLAグッズの海外における売り上げの約25%に達する。", "title": "経済的影響" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "前述の通り、UCLAは非常に国際色豊かな教育・研究機関であり、世界各国から留学生を受け入れている。また、協定校プログラムを通して世界各国に学生を送り出しており、2005-6年度には、1966名の同学学生が英国、フランス、スペイン、イタリア、中国など世界各国の大学で就学に励んでおり、その数は全米で第7位となっている。UCLAは留学生数、海外留学派遣数ともにカリフォルニア大学システムの中で唯一全米TOP10内に位置している。", "title": "UCLA国際協定校" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "UCLA卒業生同士の親交、及び同学において習得した知識、学問、経験を社会に還元し、日米関係、国際理解の一層の推進を目標として1975年11月14日に堤猶二 (プリンスホテル副社長 (当時) ) らによりUCLA日本同窓会は発足した。米国の特定の大学卒業生による同窓会としては有数の歴史を誇り、日米両社会における卒業生たちの活躍に支えられ、2005年には30周年を迎え、会員数が1200人を超えるなど発足当時の目標を達成することを念頭に活発に活動を続けている。", "title": "UCLA 日本同窓会 (UCLA Japan Alumni Association)" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "同窓会目標は「UCLAで学んだ全ての人達の友情と有意義な人間関係を更に高め、以って良き日本人として積極的に地域社会に尽くすと共に、国際理解の向上と日米の関係の発展に寄与する」である。", "title": "UCLA 日本同窓会 (UCLA Japan Alumni Association)" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "歴代同窓会長", "title": "UCLA 日本同窓会 (UCLA Japan Alumni Association)" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "Japanese Student Association at UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校日本人学生会)はUCLA在学中の日本人学生によって運営されている大学公認の非営利団体である。1981年に創立されて以来、着実に会員数を増やし現在では新旧会員含め、1700人の学生・卒業生が登録されている。日本人学生会は「「日本」というアイデンティティー・文化・言語を共有する学生が集まり、様々な交流を通じて学生生活をより活性化させること」を活動趣旨とし、例年、日本人学生間の交流、就職活動サポート、異文化交流、留学生活支援などを目的としたイベントを通年多数開催している。", "title": "UCLA 日本人学生会 (Japanese Student Association at UCLA)" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "", "title": "主な著名人" } ]
カリフォルニア大学ロサンゼルス校。 UCLAは、過去卒業生から14人のノーベル賞受賞者を輩出し、Forbes America's Top College ランキング(2021)第8位、THE世界大学ランキング2024で第18位に位置するなど、国内ではカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)に次ぐ名門公立大学として、また世界でも名門校の1つとして知られる。 UCLAは、理系・文系共に国際的評価が高く、工学・理学・コンピュータ科学および医学・公衆衛生学、文系の経営学・法学分野は著名である。 MBAを提供するアンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(Anderson School of Management, UCLA Anderson)、法科大学院のUCLAロースクール(UCLA Law)、公衆衛生大学院のUCLAフィールディング公衆衛生大学院(UCLA Fielding)およびUCLAデビット・ゲフィン医科大学院(DGSOM)は、いずれも全米TOP15で名高い。 UCLAラスキン公共政策大学院(UCLA Luskin)は、全米TOP20となっている。 また、UCLA芸術&建築学部(UCLA Arts)は、総合大学としてはイェール美術学校(Yale School of Art)と並び全米トップクラスであり、芸術・美術系専門大学で3大トップスクールであるロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)、カリフォルニア芸術大学(CalArts)、シカゴ美術館附属美術大学(SAIC)に匹敵する。 カリフォルニア大学システム(UCシステム)の1校で、バークレー校に次ぐ歴史を持つ(1919年に設置)。 また、UCLAはカリフォルニア州の大学としては最も学生数が多い。5つの学部と7つの大学院から構成され、4万人を超える学生が在籍している。 UCLAは、230人以上のオリンピックメダリストを輩出し、全米大学体育協会(NCAA)で史上最多138回優勝を獲得するなど世界的に活躍するアスリートを多く輩出している。1969年10月29日にキャンパス内で行われたARPANET(国防総省高等研究計画局通信ネットワーク)上でのデータ送信実験は、インターネットが誕生した瞬間とされ、「インターネット誕生の地」としても知られる。
[[File:Janss Steps, Royce Hall in background, UCLA.jpg|thumb|290px]] {{Infobox university | name = カリフォルニア大学ロサンゼルス校 | native_name = University of California, Los Angeles | native_name_lang = eng | image = The University of California UCLA.svg | image_size = 150px | motto = Fiat lux ([[ラテン語]]) | mottoeng = [[:en:Let there be light|Let there be light]] | established = {{start date|1919}} | type = [[ランドグラント大学]](州立大学) | endowment = $3.89 billion (2021)<ref>{{cite web |url=https://www.nacubo.org/-/media/Nacubo/Documents/research/2021-NTSE-Public-Tables--Endowment-Market-Values--REVISED-February-18-2022.ashx?la=en&hash=FA57411CC4244B7D49C25377165FEC42FFBDEB56 |date=April 20, 2022 |accessdate=July 31, 2022 |title=2021 NACUBO-TIAA Study of Endowments (NTSE) Results}}</ref> | budget = $9.2 billion (2021)<ref>{{Cite web |last=UCLA |title=About UCLA: Fast facts |url=http://newsroom.ucla.edu/ucla-fast-facts |access-date=September 13, 2021 |publisher=Newsroom.ucla.edu |archive-date=August 12, 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170812004039/http://newsroom.ucla.edu/ucla-fast-facts |url-status=live }}</ref> | chancellor = Gene D. Block<ref>{{cite web |url=http://chancellor.ucla.edu/site-archive/inauguration |title=The Inauguration of Gene D. Block as Chancellor of UCLA |date=2008-05-13 |work=UCLA |accessdate=2015-03-08}}</ref> | provost = Scott L. Waugh<ref>{{cite web |url=http://www.ucla.edu/administration.html |title=UCLA Administration |accessdate=2007-05-20 |date= |work=Official site }}</ref> | students = 47,518 (2021)<ref name="ucla.edu">{{Cite web |title=UCLA APB - Enrollment |url=https://apb.ucla.edu/campus-statistics/enrollment |access-date=June 18, 2022 |publisher=UCLA Academic Planning and Budget |archive-date=June 4, 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220604014242/https://apb.ucla.edu/campus-statistics/enrollment |url-status=live }}</ref> | undergrad = 32,121 (2021)<ref name="ucla.edu" /> | postgrad = 13,994 (2021)<ref name="ucla.edu" /> | city = [[ロサンゼルス]] ウェストウッド | state = [[カリフォルニア州]] | country = [[アメリカ合衆国]] | coor = {{Coord|34|04|20.00|N|118|26|38.75|W|type:edu_region:US-CA|display=it}} | campus = [[都市的地域|都市部]]<br />419 acres (1.7 km²)<ref name="Campus Facts">{{cite web|url=http://finreports.universityofcalifornia.edu/index.php?file=10-11/pdf/fullreport_1011.pdf |format=PDF |title=UC Financial Reports – Campus Facts in Brief |pages=8–9 |<!-- date=2010-11 --> |publisher=University of California |accessdate=2012-11-17}}</ref> | former_names = Southern Branch of the University of California <br>(1919–1927)<br/>University of California at Los Angeles<br>(1927–1958) | athletics = [[全米大学体育協会|NCAA]] [[:en:NCAA Division I|Division I]] [[:en:NCAA Division I Football Bowl Subdivision|FBS]] – [[パシフィック12カンファレンス|Pac-12]] | nickname = [[UCLAブルーインズ|ブルーインズ]] | mascot = Joe Bruin<br />Josephine Bruin<ref>{{cite web |url=http://www.english.ucla.edu/ucla1960s/6263/bear.htm |title=Bruin Bear |accessdate=2007-05-20 |author=Ho, Melanie |year=2005 |work=UCLA English department |archiveurl = https://web.archive.org/web/20070219034235/http://www.english.ucla.edu/ucla1960s/6263/bear.htm |archivedate = February 19, 2007}}</ref> | website = {{url|ucla.edu}} | logo = [[File:University of California, Los Angeles logo.svg|200px]] | staff = 26,139 | faculty = 4,016<ref name="about">{{cite web |url=http://www.ucla.edu/about.html |title=UCLA Gateway |accessdate=2007-05-16|year=2007 |work=Official site }}</ref> | colors = UCLAブルー, UCLAゴールド<ref>{{cite web|title=Brand Colors|url=http://brand.ucla.edu/brand/digital/brand-colors/|work=UCLA Brand Guidelines|publisher=University of California, Los Angeles|date=October 16, 2015|accessdate=October 16, 2015}}</ref><br />{{color box|#3284BF}}&nbsp;{{color box|#FFE800}} | academic_affiliation = [[カリフォルニア大学]]<br />[[アメリカ大学協会|AAU]]<br />[[:en:Association of Public and Land-grant Universities|APLU]]<br />[[環太平洋大学協会|APLU]]<br />[[:en:Universities Research Association|URA]]<br />[[:en:Western Association of Schools and Colleges|WASC]] }} [[File:UCLA stairs.jpg|thumb|250px|UCLA stairs]] [[File:Royce Hall, University of California, Los Angeles (23-09-2003).jpg|thumb|250px|Royce Hall]] [[File:UCLA Anderson School of Management.jpg|thumb|250px|アンダーソン・スクール・オブ・マネジメント(UCLA Anderson)]] [[File:UCLA School of Law south entrance.jpg|thumb|250px|UCLAロースクール(UCLA Law)]] [[File:UCLA School of Public Affairs.jpg|thumb|250px|UCLAラスキン公共政策大学院(UCLA Luskin)]] [[File:UCLA Fielding School of Public Health - Main Entrance .jpg|thumb|250px|UCLAフィールディング公衆衛生大学院(UCLA Fielding)]] [[File:UCLA Geffen School of Medicine 2007.jpg|thumb|250px|UCLAデビット・ゲフィン医科大学院(DGSOM)]] [[File:UCLA Glorya Kaufman Hall.jpg|thumb|250px|UCLA芸術&建築学部(UCLA Arts)]] '''カリフォルニア大学ロサンゼルス校'''(カリフォルニアだいがくロサンゼルスこう、{{Lang-en|University of California, Los Angeles, '''UCLA'''}}、'''ユーシーエルエー''') は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]にある総合[[州立大学]]である。校是は "Fiat lux"(そこに光あれ/Let There Be Light)。 UCLAは、過去卒業生から14人の[[ノーベル賞]]受賞者が輩出し、Forbes America's Top College ランキング(2021)第8位、[[THE世界大学ランキング]]2024で第18位に位置するなど、国内では[[カリフォルニア大学バークレー校]](UCバークレー)に次ぐ名門公立大学として、また世界でも名門校の1つとして知られる。 UCLAは、[[理系]]・[[文系]]共に国際的評価が高く、工学・理学・コンピュータ科学および医学・公衆衛生学、文系の経営学・法学分野は著名である。 [[MBA]]を提供する[[:EN:UCLA Anderson School of Management|アンダーソン・スクール・オブ・マネジメント]](Anderson School of Management, '''UCLA Anderson''')、[[法科大学院]]の[[:EN:UCLA School of Law|UCLAロースクール]]('''UCLA Law''')、[[公衆衛生大学院]]の[[:EN:UCLA Fielding School of Public Health|UCLAフィールディング公衆衛生大学院]]('''UCLA Fielding''')および[[:EN:David Geffen School of Medicine at UCLA|UCLAデビット・ゲフィン医科大学院]]('''DGSOM''')は、いずれも'''全米TOP15'''で名高い。 [[:EN:UCLA Luskin School of Public Affairs|UCLAラスキン公共政策大学院]]('''UCLA Luskin''')は、'''全米TOP20'''となっている。 また、[[:EN:UCLA School of the Arts and Architecture|UCLA芸術&建築学部]]('''UCLA Arts''')は、総合大学としては[[イェール美術学校]](Yale School of Art)と並び全米トップクラスであり、[[芸術]]・[[美術]]系専門大学で3大トップスクールである[[ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン]](RISD)、[[カリフォルニア芸術大学]](CalArts)、[[シカゴ美術館附属美術大学]](SAIC)に匹敵する。 [[カリフォルニア大学]]システム(UCシステム)の1校で、バークレー校に次ぐ歴史を持つ([[1919年]]に設置)。 また、UCLAはカリフォルニア州の大学としては最も学生数が多い。5つの学部と7つの大学院から構成され、4万人を超える学生が在籍している。 UCLAは、230人以上の[[オリンピック]]メダリストが輩出し、[[全米大学体育協会]](NCAA)で史上最多138回優勝を獲得するなど世界的に活躍するアスリートが多く輩出している。1969年10月29日にキャンパス内で行われた[[ARPANET]](国防総省高等研究計画局通信ネットワーク)上でのデータ送信実験は、[[インターネット]]が誕生した瞬間とされ、「インターネット誕生の地」としても知られる<ref>{{Cite web|url=http://newsroom.ucla.edu/releases/birthplace-of-the-internet-celebrates-111333|title=UCLA, birthplace of the Internet, celebrates 40th anniversary of network's creation|accessdate=2018-09-11|last=Kromhout|first=Wileen Wong|website=UCLA Newsroom|language=en}}</ref>。 == 概観 == UCLAはカリフォルニア州[[ロサンゼルス]]に大学本部があり、419エーカーの広さを誇る大学キャンパスには、163の建物があり、100以上の学部・学科を有する。 UCLAの学部課程への入学希望の出願者数は2003年以来、例年全米最多であり、2020年には出願者数が13.9万人を突破し、出願数最多記録を更新した。 UCLAは、2021年度秋学期には139,485人が出願し、15,004人が合格した。合格率は10.8%と、同大学系列のバークレー校の14.5%を下回り、公立大学としては最も低い合格率である。 UCLAは名門公立大学の集まりである[[パブリック・アイビー]]の一校であり、2017年までに、教授・卒業生・大学関係者から計24人のノーベル賞受賞者が輩出している<ref>http://www.ucla.edu/alumnistudenthonors/nobel-alumni.html</ref>。[[パシフィック12カンファレンス]]のうちの1校である。 === 略歴 === UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の起源は、1881年3月に[[南カリフォルニア]]地域における教員養成を目的としてカリフォルニア州議会によって設立されたCalifornia State Normal School(現在の[[サンノゼ州立大学]])の分校に遡る。 1882年8月にThe State Normal School at Los Angelesとして正式に開校し、教員の研修を目的とした小学校が付属する、南カリフォルニア地域での中心的な教育機関となる。 1887年にはLos Angeles State Normal Schoolと改称され、施設規模・学生数ともにより規模の大きなものとなる。 1914年にハリウッド地区[[ハリウッド・ブールバード|バーモント通り]]に全施設が移設された。 1919年5月、教育施設、教育内容充実のために南カリフォルニア選出の議会代表員の請願を経て、カリフォルニア大学南部分校として2年制の教養課程を有した大学校へと昇格した。同校は同年の9月に開校し、初年度には1,500人の学生が同校の教養課程へ入学した。1925年には100人の女子学生、25人の男子学生に文学士号が授与され、同校初の学士が誕生した。 1927年に、分校から大学へと格上げされ、'''カリフォルニア大学ロサンゼルス校''' (University of California at Los Angeles、 '''UCLA''') へと改称された(1958年にatが[[コンマ]](,)に置き換えられ、現在の校名(University of California, Los Angeles, UCLA、ユーシーエルエー)となる。)。 同年、改称とともに現在の大学所在地ウェスト・ウッドに400エーカーの土地を州政府が購入、パウエル・ライブラリーやロイス・ホール等の施設が建設され、UCLAは大学としての諸整備が行われた。 1929年にUCLAは、新たなキャンパスでの授業が開始され、5,500人が学部生として入学する。 1933年には卒業生、所属教授、事務関係者、地域関係者からの強い要請に呼応する形で、UCLAに修士課程が設置され、修士号授与許可が下りた。 1936年にはUCバークレーの反対を押し切る形で、UCLAは大学独自に博士課程を設置し、博士号の授与を始めた。 しかしUCLAは、以前のカリフォルニア大学の一分校としてのイメージが世間には色濃く残っていた。UCLAの大学当局はそうしたイメージを払拭すべく、1951年に独自に「学長」を置き、UCバークレーから完全に独立した大学運営を確立しようとした。しかし、UCバークレーの大学首脳陣はUCLAの独立した大学運営を快く思わず、双方の大学当局は対立した。 1960年にUCLAの学長に選出されたフランクリン・マーフィーは、開明的な大学の運営改革を行い、それが功を奏し、UCLAはバークレー校からは完全に独立した大学運営を確立することに成功する。 == キャンパス == === キャンパス内施設 === UCLAが現在の[[ウェストウッド (カリフォルニア州)|ウェストウッド]]([[:en:Westwood, Los Angeles|Westwood]])の地に移設された際には、4つの施設しか存在しなかったが、現在では419エーカーの敷地内に163の施設が存在する。キャンパスは、[[ロサンゼルス]]市の西部、ウェストウッド商業地区の北部、有名なサンセット大通りの南部に位置し、ブレントウッド、[[ビバリーヒルズ]]、ベル・エアー等の高級住宅街に隣接する。 移設時に建設された4施設は、地元の[[建築設計事務所]]Allison & Allisonによって設計され、[[ロマネスク]]様式で統一されていた。1950年までに建設された施設は同様式で統一されていたが、[[建築設計事務所]]・設計者がWelton Becketに変わったことから、ミニマリズムがベースの建物がキャンパス拡張と共に多くなった。 UCLAのキャンパスは北部と南部にキャンパスがわかれている。移設時に大学施設の中心であった北部キャンパスにはロマネスク様式の建物が多く存在し、人文科学、社会科学、芸術系学部、法科大学院、ビジネス・スクール関連施設が存在する。南部キャンパスは生命科学、物理化学、数学、心理学部の施設そしてUCLAメディカル・センターをはじめとする健康科学関連の施設が存在する。キャンパス内の施設が常に改築や建設中の状態にあり、学生間では「Under Construction Like Always(UCLA:いつも工事中)」と揶揄(やゆ)されている。 [[ファイル:UCLA Franklin D. Murphy Sculpture Garden picture 4.jpg|thumb|マーフィー銅像庭園]] UCLAの大学のキャンパス内には芝生、銅像庭園、噴水、博物館等が多く点在し、良質の学習・研究環境を提供している。その美しい景観から観光名所として世界各国からの訪問が多くあり、学生による観光客向けのキャンパス・ツアーも実施されている。エンターテイメント産業の中心地であるハリウッドに近いという地理的理由から、アーティストや映画人が輩出しており、映画・テレビの撮影に使われることも多い。UCLAのキャンパスで撮影された主な映画は「[[エリン・ブロコビッチ]]」、「[[アメリカン・パイ (映画)|アメリカン・パイ]]2」、「[[アダルト♂スクール]]」、「[[キューティ・ブロンド]]」([[ハーバード・ロー・スクール]]が舞台だが撮影場所はUCLA)等がある。韓国ドラマ、[[ラブストーリー・イン・ハーバード]]でもUCLAの施設が撮影に利用された。 UCLAのカフェテリアは味、種類の両面でとても評価が高く、不評なことが多い大学のカフェテリアには珍しく学生の満足度も高い。カフェテリアでは世界各国の料理が楽しむことができ、様々な学生の要求にこたえられるように、いろいろな工夫が施されている。一例として、菜食主義者、非菜食主義者どちらも満足の行く食事ができるよう[[菜食主義]]者用の食事と非菜食主義者の2種類が用意されている。また、昼食の際の広大なキャンパス間の移動の手間を省くため昼食用にセルフ・サービスでサンドイッチを作るコーナーも用意されている。また、大学生協にあたるUCLAストアの2階にはTSUNAMIという日本食(主に寿司)と日本製のゲーム機を提供する一画が、また、Rieber Hallの後方にある小規模の売店Hilltopにもアボカド入りの寿司やいなり寿司が売られているなど、日本人にとって比較的住みやすい環境だと言えよう。 === 学部・研究科 === [[ファイル:UCLA-Wilson Plaza.jpg|thumb|ウィルソンプラザ]] UCLAには学部課程に5つの学部 (School) 、研究課程に7つの専門大学院がある。また、健康科学研究機関としてこれら関係分野に4つの専門大学院が付設されている。2008年現在、学部課程に25000人、研究過程(大学院)に11000人の学生が在籍している。学部課程、研究過程に在籍する学生の大半が下記の教養学部 (The College of Letters and Science) に所属している。 1923年に創設されて以来、UCLAの中心的学部となっている教養学部 (The College of Letters and Science) には34の学科があり、129の学部課程専攻分野で900人の教授が教鞭をとっている。教養学部で提供されるプログラムは下記の5分野に大別される: * 人文科学 (Humanities) * 社会科学 (Social Sciences) * 生命科学 (Life Sciences) * 物理科学 (Physical Sciences) * 国際機関 (The International Institution) === 図書館 === UCLAの図書館群には800万冊以上の蔵書があり、その蔵書数は全米中の全ての教育・研究機関中11位にランクされる。学内最古の図書館であるユニバーシティー・ライブラリー(通称パウエル図書館)は1884年に建設され、パウエル図書館の名前は1944年に図書館長に任命されたローレンス・パウエルに因んで名付けられた。1973年に図書館長に任命されたページ・アッカーマンは、UCLA級の巨大図書館の館長に任命された全米初の女性となった。現在の図書館長は、2003年8月に着任したゲーリー・ストロング。 [[ファイル:Powell Library, UCLA.jpg|thumb|left|パウエル図書館]] UCLAのシンボルであり、図書館群の中心的存在であるパウエル図書館は、学生の勉強の場として幅広く利用されている。定期試験期間中には開館時間が延長され、24時間の利用が可能である。試験期間中は学生が図書館に泊り込み勉強する姿が多く見られる。法科大学院図書館とは異なり、パウエル図書館への入館に際して特別な制限はない。(深夜の入館・利用にはID(Bruin Card)が必要) === 医療研究機関 === UCLAにはデイヴィッド・ゲフィン医科大学院 (David Geffen School of Medicine) をはじめとする4つの健康科学分野の専門大学院が付設されている。各大学院共に全米トップクラスの研究・教育実績を誇り、米国のみならず世界的な医療研究の拠点となっている。2005年には、カリフォルニア州政府によってUCLA内に新たに幹細胞研究機関を設置する5カ年計画が発表され、この分野でも、世界的研究拠点になることが期待されている。主要な研究機関の一つであるカリフォルニア・ナノシステム研究所 (The California NanoSystems Institute) はナノテクノロジー分野での先駆的研究を目標として、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の協力の下共同設置された<ref>http://www.today.ucla.edu/2004/041012closeup_senseofplace.html , http://www.cnsi.ucla.edu/staticpages/about-us</ref>。 UCLAメディカル・センターはサンタモニカ市内とロサンゼルス市内に主要医療施設を有し、ハーバーUCLAメディカル・センター (Harbor-UCLA Medical Center) ,オリーブ・ヴューUCLAメディカル・センターそして西海岸最大の非営利私立病院、セダーズ・サイナイ・メディカル・センターにて医療教育を行っている。1981年にUCLAのメディカル・センターの准教授、マイケル・ゴットリーブが世界で初めて、後にAIDSと命名され世界中に知られることとなる症状を診断し世界にその名をとどろかせた。UCLAはPETスキャンによる脳機能研究でも先駆的研究機関として知られる。 2012年の[[USニューズ&ワールド・レポート]]誌によるランキング (Best Hospitals 2012) では、UCLAメディカル・センターは西海岸で最良の医療研究機関とされ、[[ジョンズ・ホプキンス大学付属病院]] 、[[メイヨー・クリニック]]などに次ぐ全米第5位と高い評価を得ている<ref>http://health.usnews.com/health-news/best-hospitals/articles/2012/07/16/best-hospitals-2012-13-the-honor-roll</ref>。 == スポーツ == [[ファイル:Emerald Bowl, UCLA vs FSU, 2006.jpg|thumb|left|2006年、UCLA vs FSU戦]] [[File:UCLA Bruins script.svg|thumb|カレッジ・スポーツで使用されるUCLAのロゴ]] カレッジ・スポーツ分野でのUCLAの活躍は学問分野における活躍と同様に目覚しく、全米中で各チームが強豪として知られる。UCLAのマスコットはブルーインズと呼ばれる熊で、チーム・カラーは"True Blue"と呼ばれる青と金 (このカラーは全カリフォルニア大学システムの大学に共通) 。[[パシフィック12カンファレンス]] に属する。 UCLA男子フットボール・チームは、パサデナ市内の[[ローズボウル (競技場)|ローズボウル]]を活動本拠地として有し、男子・女子バスケットボール・チーム、バレーボール・チーム、女子体操チームはキャンパス内施設、[[ポーリー・パビリオン]]を活動拠点としている。その他にもUCLAは男子・女子クロス・カントリー、サッカー、漕艇、ゴルフ、テニス、水球チームを有する。 大学マスコットは熊 (Bruins) のジョーとジョセフィーンで公式応援歌は "Sons of Westwood"、 "Mighty Bruins"、校歌は "Hail to the Hills of Westwood" とされている。公式応援歌である "Mighty Bruins" は1984年に発表され、同年の対スタンフォード戦より応援歌として使用されている。歌詞は卒業生・在校生より募集され、2人の在校生の詞が採用された。作曲はアカデミー音楽賞受賞者である、[[ビル・コンティ]]が担当し、先述の対スタンフォード戦でのお披露目ではコンティ自身が指揮した。 先述の通り、UCLAの各チームは全国的強豪として知られ、これまでの全米大学選手権での優勝数は127回に上る。この優勝数の内NCAA (全米大学体育協会) 優勝数は114回で、この数はスタンフォード大学に次いで全米大学チーム中第2位である。女子・水球チームが全米選手権において、史上最多の11回の優勝を誇る。(2017年12月時点) 数あるUCLAスポーツ・チームの中でも男子バスケット・チームの活躍は目覚しく、UCLAのカレッジ・スポーツを代表するチームと言っても過言ではない。UCLAのスポーツ史を振り返る際に忘れてはならない人物が、UCLAバスケットボール黄金時代を築き、20世紀最高の指導者とうたわれた[[ジョン・ウッデン]]コーチである。彼がUCLAで指導した13年間で、UCLA男子バスケットボール・チームは10回の全米優勝を飾り、内1964年から1975年 (66年、74年を除く) までの連続7回の優勝は、伝説とまで言われている。また、1971-1974年には前人未到の88回の連続優勝記録を打ちたて、UCLA男子バスケットボール・チームの名を不動のものとした。NBA史上最高のセンターと言われ、[[マジック・ジョンソン]]と共にLAレイカーズ黄金期を築いた[[カリーム・アブドゥル・ジャバー]]は当時のチーム在籍者である。 UCLAは1928年の[[アムステルダムオリンピック]]以来、夏季オリンピックへは毎大会選手を送り続けており、参加した全オリンピックにてメダルを獲得している。2004年[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]では全米で最多となる56人の選手を送り込み、合計19のメダルを獲得した。2008年夏季[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]へも少なくとも34人のUCLA在籍生、卒業生が参加すると同校は公表している<ref>http://www.magazine.ucla.edu/features/beijing_preview/</ref>。 またUCLAのカレッジ・スポーツにおいて切っても切れない存在がUSC([[南カリフォルニア大学]])とのライバル関係である。両校は同じロサンゼルス市内、同じカンファレンスに属し、過去数々の名勝負を繰り広げてきた。NCAAでの全米優勝回数ランキングにでも、2位のUCLAに次ぐ優勝回数をUSCは誇り、UCLA最良のライバルとされる。このライバル関係はカレッジ・スポーツの枠を超えた、オリンピック選手輩出数でも見られ、メダル獲得数がUCLA、213個、USC、234個と接戦を繰り広げる。 == 入学 == [[ファイル:Dodd Hall.jpg|thumb|left|180px|ドッド・ホール]] [[ファイル:Royce Hall, vaulted arches, exterior, UCLA.jpg|thumb|left|180px|ロイス・ホール内部]] <div style="float:right" align="center"> {| class="wikitable" style="text-align:center" |+秋学期新一年入学者統計 |- ! &nbsp; !2018!! 2019 |- ! 出願者数(人) |113,748|| 111,306 |- ! 合格者数(人) |16,020|| 13,747 |- ! 合格率(%) |14.1|| 12.4 |} </div> 2008年秋学期より、1年生としてUCLAに入学する学生の平均加重[[GPA]](Weighted GPA)は4.34(通常GPAは4.00満点だが、大学レベルの授業や優秀者選抜クラスの授業をとることで4.00を超えるGPAをとることが可能)、通常GPAは3.85(4.00満点)、[[SAT_(大学進学適性試験)|SAT]](Reasoning)の平均スコアは2001点(2400点満点)である。 UCLAはプリンストン・レヴュー誌及びバロンズ教育誌による入学難易度指標で"Most Selective"(最難関)を与えられている。1998年度以来、出願者数は全米中で最多である。2019年度秋学期への出願者数は111,306人に上り、そのうち13,747人に入学許可が下り、合格率は12.4%であった。入学者の9割以上を占めるカリフォルニア州民の合格率は12%であった。 === 編入学 === 他の米国の大学同様、[[編入学]]は盛んである。例年UCLAでは、5,500人程度を編入枠として用意している。2018年度秋学期には23,756人が出願し、5,575人に合格許可が下りた。合格率は23%で、合格者の平均GPAは3.72となっている。合格者の93%がカリフォルニア州内の[[コミュニティー・カレッジ]]出身者となっている。一年生入学と同様、例年出願者数は増加傾向にあり、2005-2008年度の間に出願者は1,910人増加し、14.3%の増加(対2005年度比)となった。合格率も前年比で4.45%下がった(2007年度合格率:40.27%・2008年度合格率:35.82%・2018年度合格率:23%)。 === 非州民生の入学 === UCLAは州立大学であるため明確な入学優先順位が存在し、カリフォルニア州民学生の入学が最優先となる。そのため、州外生、外国籍学生の入学はカリフォルニア州民よりも厳しいものとなり、必然的にカリフォルニア州民学生よりも高いテスト成績、GPA、課外活動歴等が必要となる。州外、外国籍学生はカリフォルニア州民学生よりも高いGPA(平均合格GPAよりも0.2-0.3程度高いGPA)が必要とされる。新入生において、2018年度秋学期には留学生・非州民生を合わせて19,370人が出願し、2,210人に合格許可が下りた。 UCLAの合格率は11%であり、州民より低い。編入学では、同時期には留学生・非州民生を合わせて4805人が出願し、935人に合格許可が下りた。合格率は19%となっている。 編入学に関しても、大学側の公式見解としては「入学前の学校がカリフォルニア州内の高校・大学であり、学生が入学前に2年間以上カリフォルニア州に滞在していた場合、カリフォルニア州民と同様に審査が行われる」としている。入学審査の中での優先順位はないとされているが、実際には州民優先の入学選考が行われていることは、一部の入試担当者の発言や大学が公表している編入生に関するデータから明らかである。 == 学生・生活 == {| class="wikitable sortable" width="400" align="right" || '''学生の人種構成, 2007'''<ref>{{cite web | title= Enrollment Summary, Fall 2007 | url=http://www.aim.ucla.edu/Statistics/enrollment/SummaryFall2007.pdf | publisher= UCLA Office of Analysis and Information Management | accessdate=2008-04-01}}</ref><br /> (カッコ内は全学生数に占める割合) ||'''学部課程''' || '''研究課程''' |- |[[アフリカ系アメリカ人|アフリカ系米国人]] | 865人 (3.3%) | 438人 (3.8%) |- |[[アジア系アメリカ人|アジア系米国人]] | 9,968人 (38%) | 2,253人 (20%) |- |[[ヒスパニック]] or [[チカーノ]] | 3,812人 (15%) | 974人 (8.4%) |- |[[インディアン|ネイティブ・アメリカン]] | 108人 (0.4%) | 63人 (0.5%) |- |[[コーカソイド|欧州系米国人(白人)]] | 8,861人 (34%) | 4,643人 (40%) |- |外国籍学生<br /> (永住権取得者も含む) | 1075人 (4.1%) | 1695人 (15%) |- |合計 | 25,928人 | 11,548人 |} UCLAは州立大学であるため、UCLAの学生の大部分がカリフォルニア州民である。2017年秋の入学者統計では学部課程在籍者の78.0%がカリフォルニア州民となっている。しかし、他州出身者も多く在籍し出身州は米国全50州に渡り、外国籍学生の出身国も世界100カ国に上る。州立大学のためカリフォルニア州出身者と州外出身者では学費が異なり、カリフォルニア州出身者に課される学費(登録費等の諸費用含む)が年間約1万6,000ドルに対して、州外出身者は年間約4万6,000ドルとなっている。 UCLAの名物・伝統的な行事の一つにアンディ・ラン (Undie Run)[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071217_ucla_unide_run/] がある。これは1950年代に学生間で自然発生的に始まった行事で期末テスト終了後、ストレス発散のために下着だけを身に着けて叫びながらキャンパス内を走り抜けるイベントである。 ハリウッドに近いと言う地理的な要因から、キャンパスに隣接するウェストウッドでは映画のプレミアム試写会が頻繁に行われる。[[レッドカーペット]]の上を歩くハリウッドスターたちを間近で見ることができることは、UCLA生の特典と言えよう。長年ライバル関係にある[[南カリフォルニア大学]]とのスポーツ試合は伝統の一戦になっており、例年、フットボールに限らず、バスケット、野球、陸上など全てのゲームで他校との試合以上の盛り上狩りを見せる。 == ランキング == [[ファイル:UCLA Entrance Sign.jpg|thumb|校門]] === 主要世界大学ランキング === '''Times Higher Education(THE) World University Rankings 2022''' * Overall Ranking:第20位<ref>{{Cite news|title=World University Rankings 2022|date=2022/1/1|url=https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2022/world-ranking|accessdate=2022-04-10|publication-date=|language=en|work=Times Higher Education (THE)}}</ref> *Reputation Ranking(各学会での国際的な評判や認知度を基にしたランキング):第9位<ref>{{Cite news|title=World Reputation Rankings|date=2022/1/1|url=https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2021/reputation-ranking|accessdate=2022-04-10|language=en|work=Times Higher Education (THE)}}</ref> '''U.S. News Best Global Universities Rankings 2022''' * 第14位<ref>http://www.usnews.com/education/best-global-universities/rankings</ref> '''Academic Ranking of World Universities 2021''' * 第14位<ref>{{Cite web |url=http://www.shanghairanking.com/rankings/arwu/2021 |title=ARWU World University Rankings 2021 {{!}} Academic Ranking of World Universities 2019 {{!}} Top 500 universities {{!}} Shanghai Ranking - 2019 |accessdate=2021/1/1 |website=www.shanghairanking.com |publisher=}}</ref> '''QS World University Rankings 2022''' * 第40位<ref>{{Cite news|title=QS World University Rankings 2022|date=2022/1/1|url=https://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2022|accessdate=2022/1/1|language=en|work=Top Universities}}</ref> === U.S. News 大学ランキング === '''U.S. News Best Colleges 2022''' * 全米大学総合ランキング(学部):第20位<ref>https://www.usnews.com/best-colleges/rankings/national-universities</ref> * 全米公立大学ランキング(学部):第1位<ref>https://www.usnews.com/best-colleges/rankings/national-universities/top-public</ref> '''U.S. News Best Grad Schools 2017-2018''' * 経済学:第12位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/economics-rankings</ref> * 歴史学:第9位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/history-rankings</ref> * 政治学:第12位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/political-science-rankings</ref> * 心理学:第3位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/psychology-rankings</ref> * 社会学:第8位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/sociology-rankings</ref> * 英文学:第6位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-humanities-schools/english-rankings</ref> * 物理学:第17位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-science-schools/physics-rankings</ref> * 化学:第15位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-science-schools/chemistry-rankings</ref> * 生物学:第18位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-science-schools/biological-sciences-rankings</ref> * 工学:第16位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-engineering-schools/eng-rankings</ref> * 数学:第7位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-science-schools/mathematics-rankings</ref> * 医科大学院:第21位(Research)<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-medical-schools/primary-care-rankings</ref> * 法科大学院:第14位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-law-schools/law-rankings</ref> * 経営大学院:第18位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-business-schools/mba-rankings</ref> * 教育大学院:第3位<ref>http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-education-schools</ref> === その他ランキング === * Forbes全米億万長者出身校ランキング: 第9位 (同位: [[コーネル大学]]/ [[マサチューセッツ工科大学]]([[MIT]])/ [[ノースウェスタン大学]]/ [[カリフォルニア大学バークレー校]]/ [[南カリフォルニア大学]])<ref>http://www.forbes.com/2008/05/19/billionaires-harvard-education-biz-billies-cx_af_0519billieu.html</ref> == 経済的影響 == UCLAのロサンゼルス市・地域に与える経済的影響は大きく、ロサンゼルス郡ではロサンゼルス郡、LAUSD (ロサンゼルス公立学校連盟) 、連邦政府に次いで4番目に大きい雇用機関であり、地域規模では7番目に位置する。2005年-2006年度には36億円の運営予算が給付され、内17.4%がカリフォルニア州政府から支出されている。 === UCLAブランド === [[ファイル:UCLA hoodie.jpg|thumb|UCLAブランドのフード付きパーカー]] UCLAブランドの衣服やアクセサリーは国外でも広く販売されており、人気を博している。これはUCLAの学問・スポーツ両分野での名声、そして自由や一年中を通して降り注ぐ日差しに代表されるような南カリフォルニアのライフ・スタイルを強く喚起する、というのが理由とされる。 日本では1970年代にUCLAブームが起こり、UCLAのロゴの入ったトレーナーやTシャツなどの製品を身に付ける人が増えた。そのため、他のアメリカの大学に比べて日本における'''UCLA'''の知名度が高まる結果となった。UCLAブランド製品に対する高い人気は東アジアでのUCLAブランド・ストアの拡大に繋がり、1980年より、15店のUCLAストアが韓国で、43店が中国本土で営業している。メキシコ、シンガポール、ヨーロッパにも支店が開店しており、商標・ブランド管理部門のマネージャーであるシンディー・ホルムスの発表によるとUCLAブランドへ、海外から支払われるライセンス料は年間40万ドルに上ると言う。特に売り上げのほとんどは北東アジアで、日本でのUCLAグッズの売り上げはUCLAグッズの海外における売り上げの約25%に達する。 == UCLA国際協定校 == 前述の通り、UCLAは非常に国際色豊かな教育・研究機関であり、世界各国から留学生を受け入れている。また、協定校プログラムを通して世界各国に学生を送り出しており、2005-6年度には、1966名の同学学生が英国、フランス、スペイン、イタリア、中国など世界各国の大学で就学に励んでおり、その数は全米で第7位となっている<ref>http://www.newsroom.ucla.edu/portal/ucla/ucla-one-of-top-schools-for-foreign-40353.aspx</ref>。UCLAは留学生数、海外留学派遣数ともにカリフォルニア大学システムの中で唯一全米TOP10内に位置している。 === 海外協定校 === * {{JPN}} ** [[東京大学]] ** [[京都大学]] ** [[一橋大学]] ** [[東京工業大学]] ** [[大阪大学]] ** [[東北大学]] ** [[名古屋大学]] ** [[北海道大学]] ** [[九州大学]] ** [[千葉大学]] ** [[筑波大学]] ** [[明治大学]] ** [[上智大学]] ** [[明治学院大学]] ** [[国際基督教大学]] ** [[慶應義塾大学]] ** [[早稲田大学]] ** [[同志社大学]] ** [[都留文科大学]] * {{GBR}} ** [[ロンドン大学]] ** [[インペリアル・カレッジ・ロンドン]] ** [[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]] ** [[ダラム大学]] ** [[マンチェスター大学]] ** [[ブリストル大学]]など * {{FRA}} ** [[パリ政治学院]] ** [[高等師範学校]]など * {{CAN}} ** [[ブリティッシュコロンビア大学]] * {{CHN}} ** [[北京大学]] ** [[復旦大学]]など * {{KOR}} ** [[ソウル大学校]]<ref> http://www.useoul.edu/news/news0101_view.jsp?idx=128735 </ref> ** [[延世大学校]] == UCLA 日本同窓会 (UCLA Japan Alumni Association) == UCLA卒業生同士の親交、及び同学において習得した知識、学問、経験を社会に還元し、日米関係、国際理解の一層の推進を目標として1975年11月14日に[[堤猶二]] ([[プリンスホテル]]副社長 (当時) ) らによりUCLA日本同窓会は発足した。米国の特定の大学卒業生による同窓会としては有数の歴史を誇り、日米両社会における卒業生たちの活躍に支えられ、2005年には30周年を迎え、会員数が1200人を超えるなど発足当時の目標を達成することを念頭に活発に活動を続けている。 同窓会目標は「UCLAで学んだ全ての人達の友情と有意義な人間関係を更に高め、以って良き日本人として積極的に地域社会に尽くすと共に、国際理解の向上と日米の関係の発展に寄与する」である。 歴代同窓会長 * 初代会長:[[堤猶二]] (実業家/東京テアトル取締役/元プリンスホテル社長:1965年B.A) * 第2代会長:[[林瑞祥]] (実業家/ヒューマックシネマ会長) * 第3代会長:[[袖井林二郎]] (国際政治学者/法政大学名誉教授:1964年M.A) * 第4代会長:[[中部鉄次郎]](実業家/幸新実業社長) * 第5代会長:[[佐治信忠]] (実業家/サントリー代表取締役社長:1971年M.B.A) * 第6代会長:[[林瑞祥]] (実業家/ヒューマックシネマ会長) * 第7代会長:[[村井勝]] (実業家/元[[コンパック]]コンピューター日本法人会長) * 第8代会長:[[岡田達雄]] (実業家/グローバル・スポーツ・アライアンス常任理事) * 第9代会長:[[黒川清]] (医学博士/東京大学名誉教授、成蹊学園名誉理事、日本医療政策機構代表理事) * [http://www.uclajapan.gr.jp/ UCLA 日本同窓会] * [http://groups.yahoo.co.jp/group/ucla-japan-alumni/ UCLA 日本同窓会メーリングリスト] * [http://www.westcoast-acj.org/ West Coast Alumni Club of Japan (アメリカ西海岸主要大学の共同同窓会)] == UCLA 日本人学生会 (Japanese Student Association at UCLA) == Japanese Student Association at UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校日本人学生会)はUCLA在学中の日本人学生によって運営されている大学公認の非営利団体である。1981年に創立されて以来、着実に会員数を増やし現在では新旧会員含め、1700人の学生・卒業生が登録されている。<ref>http://www.studentgroups.ucla.edu/jsa/about.html </ref>日本人学生会は「「日本」というアイデンティティー・文化・言語を共有する学生が集まり、様々な交流を通じて学生生活をより活性化させること」を活動趣旨とし、例年、日本人学生間の交流、就職活動サポート、異文化交流、留学生活支援などを目的としたイベントを通年多数開催している。 * [http://www.studentgroups.ucla.edu/jsa/ UCLA 日本人学生会] == 主な著名人 == {{main|Category:カリフォルニア大学ロサンゼルス校出身の人物}} <ref>[[:en:List of University of California, Los Angeles people]] 詳細な卒業生リスト</ref> === ノーベル賞受賞者 === * [[リチャード・ヘック]] (化学者/ノーベル化学賞受賞:1954年M.S<化学部>) * [[ウィリアム・フォーサイス・シャープ|ウィリアム・シャープ]](経済学者/ノーベル経済学賞受賞:1955年B.A/1956年M.A<経済学部>) * [[グレン・シーボーグ]] (化学者/ノーベル化学賞受賞:1934年B.S<化学部>) * [[ロバート・メリフィールド]] (化学者/ノーベル化学賞受賞:1944年B.S/1949年M.S<化学部>) * [[ラルフ・バンシュ]] (政治学者・外交官/ノーベル平和賞受賞:1927年B.A-Summa Cum Laude<政治学部>) * [[エリノア・オストロム]] (政治学者/ノーベル経済学賞受賞(女性初):1954年B.A<政治学部>) === 学会・科学・工学分野 === * [[デレック・ボック]] (ハーバード大学元学長/UCLA Lab School) * [[ルイーズ・リチャードソン]] (オックスフォード大学総長:1981年M.A/cf.chancellor(英:名誉職),Pro-Vice chancellor) * [[トーマス・ユージーン・エバーハート]] (物理学者/カリフォルニア工科大学元学長:1955年M.S) * [[スティーブン・ミュラー]] (ジョンズ・ホプキンス大学学長) * [[ヒラリー・パトナム]] (哲学者/ハーバード大学教授) * [[マイク・デイヴィス]] (都市社会学者/カリフォルニア大学アーバイン校教授) * [[エリザベス・ロフタス]] (認知心理学者/カリフォルニア大学アーバイン校教授:1966年:B.A & B.S) * [[ワレン・ファレル]] (社会学者/マスキュリズム研究者:M.A(政治学)) * [[ジェフリー・マーシー]] (天文学者/太陽系外惑星の観測の第一人者:1976年B.S) * [[デイビッド・パターソン (計算機科学者)|デイビッド・パターソン]] (計算機科学者/カリフォルニア大学バークレー校教授:1969年B.A) * [[デイヴィッド・ホー]] (外科医/AIDS研究者:MD) * [[チェールス・E・ヤング]] (前UCLA学長) * [[フレッド・ホイップル]] (天文学者:1927年B.S) * [[フレッド・アンダーソン]] (アップル・コンピューターCFO:M.B.A) * [[ポール・バラン]] (情報工学者:分散型コミュニケーション・ネットワーク) * [[ジョン・ポステル]] (コンピューター科学者 (インターネットの神との異名を取る) /1966年B.S/1968年M.S/1974年Ph.D) * [[ヴィントン・サーフ]] (情報工学者 (インターネットの父の一人) ) * [[トム・アンダーソン]] (MySpace (SNS) 創設者:M.A) * [[ヘンリ・サミュエリ]] (電気工学者/[[ブロードコム]]設立者:1975年B.S/1976年M.S/1980年Ph.D) * [[洪致文]] ([[台湾]]の気象学者・地理学者・鉄道研究家、作家) * [[ナンシー・レブソン]] (宇宙工学者・計算機科学者/マサチューセッツ工科大学教授) * [[メディ・ヌリシラジ]] (情報科学者/大阪工業大学情報科学部元教授) === 宇宙飛行士 === * [[ウォルター・カニンガム]] (NASA宇宙飛行士:1960年B.A/1961年M.S) * {{仮リンク|ストーリー・マスグレーブ|en|Story Musgrave}} (NASA宇宙飛行士) * [[エリオット・シー]] (NASA宇宙飛行士) * [[ジョン・L・フィリップス]] (NASA宇宙飛行士:1984年M.S/1987年Ph.D) * {{仮リンク|王赣骏|en|Taylor Wang}} (NASA宇宙飛行士:1968年B.S/1969年M.S/1971年Ph.D) * [[アンナ・リー・フィッシャー]] (NASA宇宙飛行士:1971年B.S/1976年M.D) === 芸術・文学分野 === * [[キャサリン・アサロ]] (SF小説家:B.S) * [[ジェームス・ロバート・ベイカー]] (小説家) * [[ジョナサン・ケラーマン]] (臨床心理学者/作家:B.A) * [[ハリイ・タートルダヴ]] (作家:Ph.D) * [[ジュディ・シカゴ]] (フェミニスト/作家:M.A) * [[ロバート・A・ハインライン]] (SF作家 (世界SF界のビッグ・スリーの一人) * [[ビリー・ツィン]] (建築家:M.Arch) * [[エリック・オーエン・モス]] (建築家:B.A) * [[トム・ウィスコム]] (建築家:M.Arch) * [[ホリー・ランドール]] (カメラマン) * [[ランディ・ニューマン]](作曲家) * [[カマシ・ワシントン]](ジャズミュージシャン) * [[ジム・モリソン]](ロック歌手:[[ドアーズ]]の中心的メンバー。) * [[レイ・マンザレク]](ロックミュージシャン:[[ドアーズ]]の中心的メンバー。) * ロン・メイル(ミュージシャン:[[スパークス (バンド)|スパークス]]のメンバー) * ラッセル・メイル(ミュージシャン:[[スパークス (バンド)|スパークス]]のメンバー) * アンソニー・キーディス(ミュージシャン:[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]の創設者でメンバー) === 映画・TV分野 === [[ファイル:Francis Ford Coppola(CannesPhotoCall).jpg|thumb|フランシス・コッポラ]] * [[ジェームズ・ディーン]] (俳優) * [[フランシス・フォード・コッポラ]] (映画監督) * [[ショーン・アスティン]] (俳優:B.A) * [[エリザベス・バークレー]] (女優:B.A) * [[ゴア・ヴァービンスキー]] (映画監督 (パイレーツ・オブ・カリビアン監督) ) * [[バイロン・マン]] (俳優) * [[ポール・シュレイダー]] (映画監督) * [[マイク・コナーズ]] (俳優) * [[ゲイリー・ロックウッド]] (俳優) * [[ガブリエル・ユニオン]] (女優) * [[ジョージ・タケイ]] (俳優:B.A) * [[ジョエル・サーノウ]] (映画プロデューサー (「24」脚本作家) ) * [[ベン・スティラー]] (俳優:退学) * [[ジェームズ・フランコ]] (俳優) * [[スティーヴ・マーティン]] (俳優) * [[スティーヴ・グッテンバーグ]] (俳優) * [[ダニエル・パナベイカー]] (女優) * [[ケイ・パナベイカー]] (女優) * [[フランク・スポトニッツ]] (テレビプロデューサー、脚本家) * [[ダニカ・マッケラー]] (女優、プロデューサー) * [[ヘザー・ロックリア]] (女優) * [[ヘレン・ハント]] - 女優 (アカデミー賞、ゴールデングローブ賞) === 政治分野 === * [[トム・ブラッドレー]] (元ロサンゼルス市長:B.A) * 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[[佐治信忠]] (実業家/サントリー代表取締役社長:1971年M.B.A) * [[堤猶二]] (実業家/東京テアトル取締役/元プリンスホテル社長:1965年B.A) * [[古関義幸]](技術者/[[ビッグローブ]]社長:1981年M.S.) * [[長瀬文男]] (実業家/[[イマジカ・ロボット ホールディングス]]会長:1983年M.B.A) * [[林瑞祥]] (実業家/ヒューマックシネマ会長) * [[村井勝]] (実業家/コンパック初代会長:1962年M.B.A) * [[宮澤孝夫]](実業家/ハルメク社長) * [[富村隆一]](実業家/[[日本テレコム]]副社長) * [[湯浅卓]] (外国法弁護士・タレント:1984年LL.M) * [[田谷禎三]] (経済学者/元日本銀行政策委員会審議委員:1973年M.A/1976年Ph.D) * 田中義郎(教育学者/桜美林大学大学院教授:1985年Ph.D.) * [[袖井林二郎]] (国際政治学者/法政大学名誉教授:1964年M.A) * [[吉川眞]] (都市工学者/[[大阪工業大学]]名誉教授:1979年M.S) * [[高木英明]] (流体力学、応用確率過程、通信ネットワーク、サービス科学/筑波大学名誉教授:1983年Ph.D) * [[河東泰之]] (数学者/東京大学教授:1986年M.S/1989年Ph.D) * [[佐藤大八郎]] (数学者/1963年Ph.D) * [[多賀利明]](経営学者/元ペンシルベニア大学教授:M.B.A) * [[山崎養世]] (経済評論家/元ゴールドマン・サックス投信代表取締役社長:1988年M.B.A) * [[鄭大均]] (社会学者/立教大学教授:1978年M.A) * [[永久寿夫]] ([[PHP総合研究所]]常務取締役・国家経営研究本部長:1994年Ph.D) * [[所澤保孝]] (教育学者/関東学院大学人間環境学部教授:1996年Ph.D) * [[宮田律]] (政治学者/静岡県立大学助教授:M.A) * [[桒山敬己]] (文化人類学者/北海道大学教授:1989年Ph.D) * 山田礼子 (社会学者/同志社大学社会学部教授:1993年Ph.D) * [[井上哲浩]] (経営学者/慶應義塾大学院経営管理研究科教授:1996年Ph.D) * [[永田稔]](経営コンサルタント/立命館大学大学院経営管理研究科教授、ヒトラボジェイピー代表取締役:1997年M.B.A) * 中谷昇 (実業家/株式会社[[ジャステック]]代表取締役社長:2001年M.B.A) * [[菅原浩志]] ([[映画監督]]) * [[迫本淳一]](弁護士/[[松竹]]社長) * [[安田結子]] (実業家/ラッセル・レイノルズ・ アソシエイツ日本代表:M.B.A) * [[岩田松雄]] (実業家/スターバックスコーヒージャパンCEO:1990年M.B.A) * 山本まゆみ (人類学者/宮城大学基盤教育群教授) * [[川名孝一]] (アメリカ合衆国で活動した造園家・作庭家・ランドスケープアーキテクト/カリフォルニア大学教授) * [[高島英幸]] (英語教育学者) * [[綿貫理明]] (情報工学者/専修大学名誉教授:1976年M.S/1981年Ph.D) * [[山本晋吾]](国際救急医師Ph.D/東京大学医学部附属病院) === 著名教員 (過去の在籍者も含む) === [[ファイル:Warren Christopher.jpg|thumb|[[ウォーレン・クリストファー]]元国務長官 (UCLA政治学部教授) ]] [[ファイル:Dukakis1988rally.jpg|thumb|[[マイケル・デュカキス]]88年大統領選民主党候補 (UCLA公共政策学部教授) ]] * [[ポール・ボイヤー]] (生化学者/ノーベル化学賞受賞) * [[ドナルド・クラム]] (化学者/ノーベル化学賞受賞) * [[ルイ・イグナロ]] (薬理学者/ノーベル生理学・医学賞受賞] * [[ウィラード・リビー]] (化学者/ノーベル化学賞受賞) * [[バートランド・ラッセル]] (論理学者・数学者・哲学者/ノーベル文学賞受賞) * [[ジュリアン・シュウィンガー]] (理論物理学者/ノーベル物理学賞受賞) * [[ロイド・シャープレー]](経済学者/ノーベル経済学賞受賞) * [[フランク・オーウェン・ゲーリー]] (建築家/プリツカー賞受賞) * [[リチャード・マイヤー]] (建築家/プリツカー賞受賞) * [[トム・メイン]] (建築家/プリツカー賞受賞) * [[レム・コールハース]] (建築家/プリツカー賞受賞) * 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ハフニウム
ハフニウム(英: hafnium [ˈhæfniəm])は原子番号72の元素。元素記号は Hf。チタン族元素の一つ。 ニールス・ボーア研究所のあるコペンハーゲンのラテン語名 hafnia が語源。 灰色の金属(遷移金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は六方最密充填構造 (HCP) で、1760°C〜2230°Cの間では体心立方格子。比重は13.31、融点は2222 °C、沸点は4450 °C(融点、沸点とも異なる実験値あり)。展性、延性に富む。酸化力のある酸に溶けるが、アルカリには溶けない。高温で酸素、水素、窒素、ハロゲンと反応する。原子価は+2価、+3価、+4価(+4価が最も安定)。化学的、物理的性質はジルコニウムに似る。 天然ではハフニウムはジルコニウムの鉱物(ジルコン)にジルコニウムを置換して存在する。知られているハフニウムの鉱物(ハフニウムがジルコニウムよりも多い鉱物)はハフノンのみであるが、ジルコンに比べ非常に珍しい。苗木石(岐阜県苗木地方で見出されたもの)は最大7%程度のハフニウムを含む。 ジルコニウムとの分離は極めて難しく、有機溶媒でチオシアン酸ジルコニウムおよびハフニウムを抽出して分離するヘキソン(メチルイソブチルケトン)法と呼ばれる手法が開発された。 熱中性子の吸収断面積が大きく(これはジルコニウムとは逆の性質)、機械的強度、融点が高く、化学的にも安定で耐食性に優れることから、原子炉の制御棒の材料に利用される。また、酸化ハフニウムは、MOSFETのゲートからのリーク電流対策のための高誘電率 (High-k) 材料として注目されている。 その他、酸化物の沸点がタングステンよりも高いことから、酸化雰囲気下でのプラズマ電極やプラズマアークノズルなどにも用いられる。 また陽極酸化によって鮮やかな発色が得られることから宝飾品にも用いられる。 1922年、デンマークのニールス・ボーアは、当時未発見だった72番元素はランタノイドではなくジルコニウムに類似したものだと予言してニールス・ボーア研究所のディルク・コスター(英語版)とゲオルク・ド・ヘヴェシーにジルコンの分析を提唱。エックス線分析と分別結晶を繰り返すことにより1923年に発見。ハフニウムとジルコニウムは性質がよく似ているため、ジルコニウムとの分離が難しく発見が遅れ、天然元素としては最後から三番目に発見された(二番目はレニウム、最後はフランシウムであり、その後発見された元素は全て合成されたものである)。
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ハフニウムは原子番号72の元素。元素記号は Hf。チタン族元素の一つ。
{{otheruses|元素|ハッカー集団|ハフニウム (ハッカー集団)}} {{Expand English|Hafnium|date=2023-11}} {{Elementbox |name=hafnium |japanese name=ハフニウム |number=72 |symbol=Hf |pronounce={{IPAc-en|ˈ|h|æ|f|n|i|əm}} {{respell|HAF|nee-əm}} |left=[[ルテチウム]] |right=[[タンタル]] |above=[[ジルコニウム|Zr]] |below=[[ラザホージウム|Rf]] |series=遷移金属 |group=4 |period=6 |block=d |image name=Hf-crystal bar.jpg |appearance=銀灰色 |atomic mass=178.49 |electron configuration=&#91;[[キセノン|Xe]]&#93; 4f<sup>14</sup> 5d<sup>2</sup> 6s<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 18, 32, 10, 2 |phase=固体 |density gpcm3nrt=13.31 |density gpcm3mp=12 |melting point K=2506 |melting point C=2233 |melting point F=4051 |boiling point K=4876 |boiling point C=4603 |boiling point F=8317 |heat fusion=27.2 |heat vaporization=571 |heat capacity=25.73 |vapor pressure 1=2689 |vapor pressure 10=2954 |vapor pressure 100=3277 |vapor pressure 1 k=3679 |vapor pressure 10 k=4194 |vapor pressure 100 k=4876 |vapor pressure comment= |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''4''', 3, 2([[両性酸化物]]) |electronegativity=1.3 |number of ionization energies=3 |1st ionization energy=658.5 |2nd ionization energy=1440 |3rd ionization energy=2250 |atomic radius=[[1 E-10 m|159]] |covalent radius=[[1 E-10 m|175±10]] |magnetic ordering=[[常磁性]]<ref name=magnet>[http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf Magnetic susceptibility of the elements and inorganic compounds] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120112012253/http://www-d0.fnal.gov/hardware/cal/lvps_info/engineering/elementmagn.pdf |date=2012年1月12日 }}, in Handbook of Chemistry and Physics 81st edition, CRC press.</ref> |electrical resistivity at 20=331 n |thermal conductivity=23.0 |thermal expansion at 25=5.9 |speed of sound rod at 20=3010 |Young's modulus=78 |Shear modulus=30 |Bulk modulus=110 |Poisson ratio=0.37 |Mohs hardness=5.5 |Vickers hardness=1760 |Brinell hardness=1700 |CAS number=7440-58-6 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ハフニウム172|172]] | sym=Hf | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E7 s|1.87 y]] | dm=[[電子捕獲|ε]] | de=0.350 | pn=[[ルテチウム172|172]] | ps=[[ルテチウム|Lu]]}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ハフニウム174|174]] | sym=Hf | na=0.162% | hl=[[1 E22 s|2×10<sup>15</sup> y]] | dm=[[アルファ崩壊|α]] | de=2.495 | pn=[[イッテルビウム170|170]] | ps=[[イッテルビウム|Yb]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ハフニウム176|176]] | sym=Hf | na=5.206% | n=104}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ハフニウム177|177]] | sym=Hf | na=18.606% | n=105}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ハフニウム178|178]] | sym=Hf | na=27.297% | n=106}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ハフニウム178m2|178m2]] | sym=Hf | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E8 s|31 y]] | dm=[[核異性体転移|IT]] | de=2.446 | pn=[[ハフニウム178|178]] | ps=Hf}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ハフニウム179|179]] | sym=Hf | na=13.629% | n=107}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=[[ハフニウム180|180]] | sym=Hf | na=35.1% | n=108}} {{Elementbox_isotopes_decay | mn=[[ハフニウム182|182]] | sym=Hf | na=[[人工放射性同位体|syn]] | hl=[[1 E14 s|9×10<sup>6</sup> y]] | dm=[[ベータ崩壊|β<sup>-</sup>]] | de=0.373 | pn=[[タンタル182|182]] | ps=[[タンタル|Ta]]}} |isotopes comment= }} '''ハフニウム'''({{lang-en-short|hafnium}} {{IPA-en|ˈhæfniəm|}})は[[原子番号]]72の[[元素]]。[[元素記号]]は '''Hf'''。[[チタン族元素]]の一つ。 == 名称 == ニールス・ボーア研究所のある[[コペンハーゲン]]の[[ラテン語]]名 ''hafnia'' が語源。 == 特徴 == 灰色の[[金属]](遷移金属)。常温、常圧で安定な結晶構造は[[六方最密充填構造]] (HCP) で、1760℃〜2230℃の間では体心立方格子。比重は13.31、[[融点]]は2222 {{℃}}、[[沸点]]は4450 {{℃}}([[融点]]、沸点とも異なる実験値あり)。展性、延性に富む。酸化力のある[[酸]]に溶けるが、[[アルカリ]]には溶けない。高温で[[酸素]]、[[水素]]、[[窒素]]、[[ハロゲン]]と反応する。原子価は+2価、+3価、+4価(+4価が最も安定)。化学的、物理的性質は[[ジルコニウム]]に似る。 == 存在 == 天然ではハフニウムはジルコニウムの鉱物([[ジルコン]])にジルコニウムを置換して存在する。知られているハフニウムの[[鉱物]](ハフニウムがジルコニウムよりも多い鉱物)は[[ハフノン]]のみである<ref>[http://www.mindat.org/min-1792.html Hafnon ''mindat'']</ref><ref>[http://www.mindat.org/chemsearch.php?inc=Hf%2C&exc=&sub=Search+for+Minerals Chemical Search Hf ''mindat'']</ref>が、ジルコンに比べ非常に珍しい。苗木石(岐阜県[[苗木町|苗木地方]]で見出されたもの)は最大7%程度のハフニウムを含む。 ジルコニウムとの分離は極めて難しく、有機溶媒で[[チオシアン酸]]ジルコニウムおよびハフニウムを抽出して分離するヘキソン([[メチルイソブチルケトン]])法と呼ばれる手法が開発された。 == 用途 == [[熱中性子]]の[[反応断面積|吸収断面積]]が大きく(これは[[ジルコニウム]]とは逆の性質)、[[機械的強度]]、[[融点]]が高く、化学的にも安定で耐食性に優れることから、[[原子炉]]の[[制御棒]]の材料に利用される。また、酸化ハフニウムは、[[MOSFET]]のゲートからの[[リーク電流]]対策のための高誘電率 ([[High-k]]) 材料として注目されている。 その他、酸化物の沸点が[[タングステン]]よりも高いことから、酸化雰囲気下での[[プラズマ]]電極やプラズマアークノズルなどにも用いられる。 また[[陽極酸化皮膜|陽極酸化]]によって鮮やかな発色が得られることから宝飾品にも用いられる。 == 歴史 == 1922年、デンマークの[[ニールス・ボーア]]は、当時未発見だった72番元素は[[ランタノイド]]ではなく[[ジルコニウム]]に類似したものだと予言して[[ニールス・ボーア研究所]]の{{仮リンク|ディルク・コスター|en|Dirk Coster}}と[[ゲオルク・ド・ヘヴェシー]]にジルコンの分析を提唱。[[エックス線]]分析と[[分別結晶]]を繰り返すことにより<ref>{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 299|publisher =[[講談社]]|isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>[[1923年]]に発見。ハフニウムとジルコニウムは性質がよく似ているため、ジルコニウムとの分離が難しく発見が遅れ、天然元素としては最後から三番目に発見された(二番目は[[レニウム]]、最後は[[フランシウム]]であり、その後発見された元素は全て合成されたものである)。 == ハフニウムの化合物 == * [[炭化ハフニウム]] (HfC) ** [[炭化タンタルハフニウム]] (Ta<sub>x</sub>Hf<sub>1-x</sub>C<sub>y</sub>) * [[ケイ酸ハフニウム(IV)]] (HfSiO<sub>4</sub>) * [[酸化ハフニウム(IV)]] (HfO<sub>2</sub>) - 高誘電率[[ゲート絶縁膜]] * [[フッ化ハフニウム(IV)]] (HfF<sub>4</sub>) - フッ化ガラスの材料 * [[塩化ハフニウム(IV)]] (HfCl<sub>4</sub>) == 同位体 == {{Main|ハフニウムの同位体}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * [http://mineralhunters.web.fc2.com/naegi06_2.html 岐阜県苗木地方の希元素鉱物] * [http://www.chemenv.titech.ac.jp/watanabe/Pages/plasma2.html ハフニウムを用いたプラズマトーチ] {{commons|Hafnium}} {{元素周期表}} {{ハフニウムの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はふにうむ}} [[Category:ハフニウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第4族元素]] [[Category:第6周期元素]] [[Category:中性子毒]]
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桓武天皇
桓武天皇(かんむてんのう、737年〈天平9年〉- 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)は、日本の第50代天皇(在位:781年4月30日〈天応元年4月3日〉 - 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)。諱は山部(やまべ)。 平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇であり、桓武平氏の始祖となる。 白壁王(後の光仁天皇)の長男(第一皇子)として天平9年(737年)に産まれた。生母は百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠。当初は皇族としてではなく官僚としての出世が望まれて、大学頭や侍従に任じられた(光仁天皇即位以前は山部王と称された)。その状況が大きく変化するのは34歳の時に称徳天皇の崩御によって父の白壁王が急遽皇位を継承することになってからである。 父王の即位後は親王宣下と共に四品が授けられ、後に中務卿に任じられたものの、生母の出自が低かったため立太子は予想されていなかった。しかし、藤原氏などを巻き込んだ政争により、異母弟の皇太子の他戸親王の母である皇后の井上内親王が宝亀3年3月2日(772年4月9日)に、他戸親王が同年5月27日(7月2日)に相次いで突如廃されたために、宝亀4年1月2日(773年1月29日)に皇太子とされた。その影には式家の藤原百川による擁立があったとされる。なお井上内親王と他戸親王は同日に同じ幽閉先で逝去したが、他戸親王の実姉(桓武天皇の異母妹にあたる)の酒人内親王を妃として、朝原内親王を儲けた。 天応元年4月3日(781年4月30日)には父から譲位されて天皇に即き、翌日の4日(5月1日)には早くも同母弟の早良親王を皇太子と定め、11日後の15日(5月12日)に即位の詔を宣した。延暦2年4月18日(783年5月23日)に百川の兄の藤原良継の娘の藤原乙牟漏を皇后とし、彼女との間に安殿親王(後の平城天皇)と神野親王(後の嵯峨天皇)を儲けた。また、百川の娘で良継の外孫でもあった夫人の藤原旅子との間には大伴親王(後の淳和天皇)がいる。 右大臣に藤原是公を、中納言に藤原種継を抜擢し、これに大納言の藤原継縄(是公没後に右大臣)を加えた3名が特に重用され、前期の治世を支えた。 延暦4年(785年)9月頃には、早良親王を藤原種継暗殺の廉により廃太子の上で流罪に処し、親王が抗議のための絶食で配流中に薨去するという事件が起こった。これを受け、同年11月25日(785年12月31日)に安殿親王を皇太子とした。また、同年11月10日、交野柏原(現在の大阪府枚方市)において、日本で初めて、天を祀る郊祀を行った。 延暦6年(787年)11月5日に、交野柏原において、2度目の郊祀を行った。 延暦10年(791年)、藤原乙牟漏の亡きあとに神野親王(嵯峨天皇)の乳母を務めた大秦公忌寸浜刀自女に賀美能宿禰の姓を贈る(続日本紀)。 在位中の延暦25年3月17日(806年4月9日)に崩御。宝算70。安殿親王が平城天皇として即位した。 平城京における肥大化した奈良仏教各寺の影響力を厭い、天武天皇流が自壊して天智天皇流に皇統が戻ったこともあって、当時秦氏が開拓していたものの、ほとんど未開の山城国への遷都を行う。初め延暦3年(784年)に長岡京を造営するが、天災や後述する近親者の不幸・祟りが起こり、その原因を天皇の徳がなく天子の資格がないことにあると民衆に判断されるのを恐れて、わずか10年後の延暦13年(794年)、側近の和気清麻呂・藤原小黒麻呂(北家)らの提言もあり、気学における四神相応の土地相より長岡京から艮方位(東北)に当たる場所の平安京へ改めて遷都した。 また、蝦夷を服属させ東北地方を平定するため、3度にわたる蝦夷征討を敢行、延暦8年(789年)に紀古佐美を征東大使とする最初の軍は惨敗したが、延暦13年の2度目の遠征で征夷大将軍の大伴弟麻呂の補佐役として活躍した坂上田村麻呂を抜擢して、延暦20年(801年)の3度目の遠征で彼を征夷大将軍とする軍を送り、田村麻呂がアテルイら500人の蝦夷を京都へ護送した延暦21年(802年)に蝦夷の脅威は減退、延暦22年(803年)に田村麻呂が志波城を築いた時点でほぼ平定された。 しかし晩年の延暦24年(805年)には、平安京の造作と東北への軍事遠征がともに百姓を苦しめているとの藤原緒嗣(百川の長男)の建言を容れて、いずれも中断している(緒嗣と菅野真道とのいわゆる徳政相論)。 また、軍隊に対する差別意識と農民救済の意識から、健児制を導入したことで百姓らの兵役の負担は解消されたが、この制度も間もなく機能しなくなり、9世紀を通じて朝廷は軍事力がない状態になった。ただし、健児導入の目的について、紀古佐美の遠征軍が騎馬を巧みとする蝦夷に太刀打ちできなかったために、従来の中国大陸・朝鮮半島からの沿岸防備を念頭に置いて編成された農民を徴集した歩兵に代わって対蝦夷戦争に対応した騎兵の確保を目指した軍制改革であったとする新説も出されている。 文化面では『続日本紀』の編纂を発案したとされる。また最澄を還学生(短期留学生)として唐で天台宗を学ばせ、日本の仏教に新たな動きをもたらしたのも桓武天皇治下で、いわゆる「南都六宗」と呼ばれた既存仏教に対しては封戸の没収など圧迫を加えている。また後宮の紊乱ぶりも言われており、それが後の薬子の変へとつながる温床となったともされる。 その他、即位前の宝亀3年には井上内親王と他戸親王の、在位中の延暦4年には早良親王の不自然な薨去といった暗い事件が多々あった。井上内親王や早良親王の怨霊を恐れて延暦19年7月23日(800年8月16日)に後者に「崇道天皇」と追号し、前者は皇后位を復すと共にその墓を山陵と追称したりしている。 治世中は2度の遷都や東北への軍事遠征を主導し、地方行政を監査する勘解由使の設置など、歴代天皇の中でもまれに見る積極的な親政を実施したが、青年期に官僚としての教育を受けていたことや壮年期に達してからの即位がこれらの大規模な政策の実行を可能にしたと思われる。 ほか、多数(宮人、女嬬が数10人との説あり) 諱は山部(やまべ)。崩御の後に和風諡号として日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやてりのみこと)が贈られた。また山陵の名をもって柏原(かしわばら)天皇(帝)、天国押撥御宇(あめくにおしひらきあめのしたしらす)柏原天皇とも呼ばれた。 陵(みささぎ)は、宮内庁により桃山陵墓地内にある柏原陵(かしわばらのみささぎ)に治定(京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎)されている。宮内庁上の形式は円丘。 上記とは別に、伏見区深草大亀谷古御香町にある宮内庁の大亀谷陵墓参考地(おおかめだにりょうぼさんこうち)では、桓武天皇が被葬候補者に想定されている。 在世中に宇多野(うたの)への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ卜占によって賀茂神社の祟りであるとする結果が出され、改めて伏見の地が選ばれ、柏原陵が営まれた。これとは別に4月に柏原山陵に葬られた(『日本後紀』大同元年4月7日条)と記されているにもかかわらず、10月に改葬に関する記述があり(『類聚国史』巻35引用大同元年10月2日条及び『日本紀略』大同元年10月11日条)、天皇が崩御したその年のうちに最初の陵とは別の陵が築かれて改葬された可能性が指摘されている。これについて同年起きた水害による影響とする説(『大日本史』平城本紀)、山陵とは別に殯宮が設けられていた説、記事の誤りもしくは埋葬の延期があったとして改葬自体が自体を否定する説、桓武天皇との関係が思わしくなかった平城天皇が亡き父の祟りを恐れて完成した山陵を放棄して改葬を実施した説などが上げられている。 『延喜式』に記された永世不除の近陵として、古代から中世前期にかけて朝廷の厚い崇敬を集めた。柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉の築いた伏見城の敷地内に入ってしまったため、深草・伏見の間とのみ知られていた。元禄年間の修陵で深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定され、その後幕末に改めて桃山町の現陵の場所に定められた。もっともその根拠は乏しいと見られ、別に桃山丘陵の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため、確かな場所は不明とするほかない。 また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の一つ)において、他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。なお、後述するように平安京への遷都を行い、かつ同京最初の天皇となったことにちなんで、明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祀る平安神宮が創祀されている。 桓武天皇の生母である高野新笠の出身は、百済系渡来人氏族で史姓の和氏であり、中央政権に顕官を出す氏族ではなく、また新笠の母方の土師氏も有力な氏族ではなかった。光仁天皇の皇后の井上内親王が廃され、山部親王(桓武天皇)が皇太子となっても、新笠は皇后にはなれず、従三位・夫人の位までであった。 桓武天皇は即位間もなく、天応元年(781年)4月に母・新笠を皇太夫人とし、従兄弟にあたる和家麻呂は異例の出世を遂げ、祖母方の土師氏も、大枝(大江)朝臣・菅原朝臣などの姓を賜った。延暦8年12月28日(790年1月)に母・新笠が薨ずると皇太后位を贈り、延暦9年(790年)1月に新笠を葬る前日、和氏は百済武寧王の子孫であり、百済王族の遠祖である都慕王(東明王)は河伯の娘が日光により身籠ったものであるとして、これにちなんで新笠に「天高知日之子姫尊」の諡号を贈った。さらに、同年2月に「百済王氏は朕の外戚である」と詔を発し、百済王氏の位階を進めた。百済王氏を外戚と称することで、母・新笠の出身氏族を名目上高貴なものにし、その結果母の身分を上昇させようとした、と考えられる。在位中、百済王氏が本拠としていた交野にたびたび狩猟のため行幸し、百済王氏を重用した。また、後宮に百済王氏の教法・教仁・貞香を召しいれ、百済王明信を尚侍としている。 平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、天皇明仁は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った。 この発言は、テレビ各社のニュースでは重ねて報じられたが、日本の新聞各紙の報道は簡素だった。韓国では大きな反響を呼び、「皇室は韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの発言意図から逸脱した報道も多く行われたほか、当時の金大中大統領が年頭記者会見で歓迎の意を表するほどだった。なお、天皇明仁は平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同様の趣旨を発言している。
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"天応元年4月3日(781年4月30日)には父から譲位されて天皇に即き、翌日の4日(5月1日)には早くも同母弟の早良親王を皇太子と定め、11日後の15日(5月12日)に即位の詔を宣した。延暦2年4月18日(783年5月23日)に百川の兄の藤原良継の娘の藤原乙牟漏を皇后とし、彼女との間に安殿親王(後の平城天皇)と神野親王(後の嵯峨天皇)を儲けた。また、百川の娘で良継の外孫でもあった夫人の藤原旅子との間には大伴親王(後の淳和天皇)がいる。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "右大臣に藤原是公を、中納言に藤原種継を抜擢し、これに大納言の藤原継縄(是公没後に右大臣)を加えた3名が特に重用され、前期の治世を支えた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "延暦4年(785年)9月頃には、早良親王を藤原種継暗殺の廉により廃太子の上で流罪に処し、親王が抗議のための絶食で配流中に薨去するという事件が起こった。これを受け、同年11月25日(785年12月31日)に安殿親王を皇太子とした。また、同年11月10日、交野柏原(現在の大阪府枚方市)において、日本で初めて、天を祀る郊祀を行った。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "延暦6年(787年)11月5日に、交野柏原において、2度目の郊祀を行った。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "延暦10年(791年)、藤原乙牟漏の亡きあとに神野親王(嵯峨天皇)の乳母を務めた大秦公忌寸浜刀自女に賀美能宿禰の姓を贈る(続日本紀)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "在位中の延暦25年3月17日(806年4月9日)に崩御。宝算70。安殿親王が平城天皇として即位した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": 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"また、軍隊に対する差別意識と農民救済の意識から、健児制を導入したことで百姓らの兵役の負担は解消されたが、この制度も間もなく機能しなくなり、9世紀を通じて朝廷は軍事力がない状態になった。ただし、健児導入の目的について、紀古佐美の遠征軍が騎馬を巧みとする蝦夷に太刀打ちできなかったために、従来の中国大陸・朝鮮半島からの沿岸防備を念頭に置いて編成された農民を徴集した歩兵に代わって対蝦夷戦争に対応した騎兵の確保を目指した軍制改革であったとする新説も出されている。", "title": "治世" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "文化面では『続日本紀』の編纂を発案したとされる。また最澄を還学生(短期留学生)として唐で天台宗を学ばせ、日本の仏教に新たな動きをもたらしたのも桓武天皇治下で、いわゆる「南都六宗」と呼ばれた既存仏教に対しては封戸の没収など圧迫を加えている。また後宮の紊乱ぶりも言われており、それが後の薬子の変へとつながる温床となったともされる。", "title": "治世" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "その他、即位前の宝亀3年には井上内親王と他戸親王の、在位中の延暦4年には早良親王の不自然な薨去といった暗い事件が多々あった。井上内親王や早良親王の怨霊を恐れて延暦19年7月23日(800年8月16日)に後者に「崇道天皇」と追号し、前者は皇后位を復すと共にその墓を山陵と追称したりしている。", "title": "治世" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "治世中は2度の遷都や東北への軍事遠征を主導し、地方行政を監査する勘解由使の設置など、歴代天皇の中でもまれに見る積極的な親政を実施したが、青年期に官僚としての教育を受けていたことや壮年期に達してからの即位がこれらの大規模な政策の実行を可能にしたと思われる。", "title": "治世" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ほか、多数(宮人、女嬬が数10人との説あり)", "title": "后妃・皇子女" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "諱は山部(やまべ)。崩御の後に和風諡号として日本根子皇統弥照尊(やまとねこあまつひつぎいやてりのみこと)が贈られた。また山陵の名をもって柏原(かしわばら)天皇(帝)、天国押撥御宇(あめくにおしひらきあめのしたしらす)柏原天皇とも呼ばれた。", "title": "諱・諡号・追号・異名" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "陵(みささぎ)は、宮内庁により桃山陵墓地内にある柏原陵(かしわばらのみささぎ)に治定(京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎)されている。宮内庁上の形式は円丘。", "title": "陵・霊廟" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "上記とは別に、伏見区深草大亀谷古御香町にある宮内庁の大亀谷陵墓参考地(おおかめだにりょうぼさんこうち)では、桓武天皇が被葬候補者に想定されている。", "title": "陵・霊廟" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "在世中に宇多野(うたの)への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ卜占によって賀茂神社の祟りであるとする結果が出され、改めて伏見の地が選ばれ、柏原陵が営まれた。これとは別に4月に柏原山陵に葬られた(『日本後紀』大同元年4月7日条)と記されているにもかかわらず、10月に改葬に関する記述があり(『類聚国史』巻35引用大同元年10月2日条及び『日本紀略』大同元年10月11日条)、天皇が崩御したその年のうちに最初の陵とは別の陵が築かれて改葬された可能性が指摘されている。これについて同年起きた水害による影響とする説(『大日本史』平城本紀)、山陵とは別に殯宮が設けられていた説、記事の誤りもしくは埋葬の延期があったとして改葬自体が自体を否定する説、桓武天皇との関係が思わしくなかった平城天皇が亡き父の祟りを恐れて完成した山陵を放棄して改葬を実施した説などが上げられている。", "title": "陵・霊廟" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "『延喜式』に記された永世不除の近陵として、古代から中世前期にかけて朝廷の厚い崇敬を集めた。柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さらに豊臣秀吉の築いた伏見城の敷地内に入ってしまったため、深草・伏見の間とのみ知られていた。元禄年間の修陵で深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定され、その後幕末に改めて桃山町の現陵の場所に定められた。もっともその根拠は乏しいと見られ、別に桃山丘陵の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため、確かな場所は不明とするほかない。", "title": "陵・霊廟" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の一つ)において、他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。なお、後述するように平安京への遷都を行い、かつ同京最初の天皇となったことにちなんで、明治28年(1895年)に平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祀る平安神宮が創祀されている。", "title": "陵・霊廟" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "桓武天皇の生母である高野新笠の出身は、百済系渡来人氏族で史姓の和氏であり、中央政権に顕官を出す氏族ではなく、また新笠の母方の土師氏も有力な氏族ではなかった。光仁天皇の皇后の井上内親王が廃され、山部親王(桓武天皇)が皇太子となっても、新笠は皇后にはなれず、従三位・夫人の位までであった。", "title": "百済との関係" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "桓武天皇は即位間もなく、天応元年(781年)4月に母・新笠を皇太夫人とし、従兄弟にあたる和家麻呂は異例の出世を遂げ、祖母方の土師氏も、大枝(大江)朝臣・菅原朝臣などの姓を賜った。延暦8年12月28日(790年1月)に母・新笠が薨ずると皇太后位を贈り、延暦9年(790年)1月に新笠を葬る前日、和氏は百済武寧王の子孫であり、百済王族の遠祖である都慕王(東明王)は河伯の娘が日光により身籠ったものであるとして、これにちなんで新笠に「天高知日之子姫尊」の諡号を贈った。さらに、同年2月に「百済王氏は朕の外戚である」と詔を発し、百済王氏の位階を進めた。百済王氏を外戚と称することで、母・新笠の出身氏族を名目上高貴なものにし、その結果母の身分を上昇させようとした、と考えられる。在位中、百済王氏が本拠としていた交野にたびたび狩猟のため行幸し、百済王氏を重用した。また、後宮に百済王氏の教法・教仁・貞香を召しいれ、百済王明信を尚侍としている。", "title": "百済との関係" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "平成13年(2001年)12月18日、天皇誕生日前に恒例となっている記者会見において、天皇明仁は翌年に予定されていたサッカーワールドカップ日韓共催に関する「おことば」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。」との発言を行った。", "title": "百済との関係" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "この発言は、テレビ各社のニュースでは重ねて報じられたが、日本の新聞各紙の報道は簡素だった。韓国では大きな反響を呼び、「皇室は韓国人の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの発言意図から逸脱した報道も多く行われたほか、当時の金大中大統領が年頭記者会見で歓迎の意を表するほどだった。なお、天皇明仁は平城遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同様の趣旨を発言している。", "title": "百済との関係" } ]
桓武天皇は、日本の第50代天皇。諱は山部(やまべ)。 平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇であり、桓武平氏の始祖となる。
{{基礎情報 天皇 | 名 = 桓武天皇 | 代数= 第50 | 画像= Emperor Kammu large.jpg | 説明= 『桓武天皇像』<br/>[[延暦寺]] 蔵 | 在位= [[781年]][[4月3日]]{{Sfn|村尾|1987|p=46}} - [[806年]][[4月9日]] | 和暦在位期間= [[天応 (日本)|天応]]元年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]] - [[延暦]]25年[[3月16日 (旧暦)|3月17日]] | 即位礼= 781年[[5月12日]](天応元年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) | 大嘗祭= 781年[[12月4日]](天応元年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) | 時代= [[奈良時代]] - [[平安時代]] | 年号= [[天応 (日本)|天応]]<br />[[延暦]] | 漢風諡号= 桓武天皇 | 和風諡号= 日本根子皇統弥照天皇 | 首都= [[京都]] | 皇居= [[平城京|平城宮]]・[[長岡京|長岡宮]]・[[平安京|平安宮]] | 諱= 山部 | 幼称= | 別名= 柏原帝<br />日本根子皇統弥照尊<br />天國押撥御宇柏原天皇 | 生年= [[737年]]([[天平]]9年){{Sfn|村尾|1987|p=1}} | 生地=奈良 | 没年= [[806年]][[4月9日]]([[延暦]]25年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]){{Sfn|村尾|1987|p=248}} | 没地= 平安宮正寝柏原大輔 | 大喪儀= 806年[[4月28日]](延暦25年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]]) | 陵墓= 柏原陵 | 先代= [[光仁天皇]] | 次代= [[平城天皇]] | 子= [[平城天皇]]<br/>[[嵯峨天皇]]<br/>[[淳和天皇]]<br/>[[伊予親王]]<br/>[[葛原親王]]<br/>[[万多親王]]<br/>[[良岑安世]]ほか([[#后妃・皇子女|后妃・皇子女]]節参照) | 皇后= [[藤原乙牟漏]] | 妃= [[酒人内親王]] | 夫人= [[藤原旅子]]<br />[[藤原吉子]]<br />[[多治比真宗]]<br />[[藤原小屎]] | 父親= [[光仁天皇]] | 母親= [[高野新笠]] |追号=桓武天皇|崩御場所=平安京|誕生場所=平城京|天皇名=桓武天皇}} '''桓武天皇'''(かんむてんのう、[[737年]]〈[[天平]]9年〉- [[806年]][[4月9日]]〈[[延暦]]25年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]〉)は、[[日本]]の第50代[[天皇]](在位:[[781年]][[4月30日]]〈[[天応 (日本)|天応]]元年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]]〉 - [[806年]]4月9日〈[[延暦]]25年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]〉)。[[諱]]は'''山部'''(やまべ)。 [[平城京]]から[[長岡京]]および[[平安京]]への[[遷都]]を行った。また、[[践祚]]と日を隔てて[[即位]]した初めての天皇であり、[[平氏|桓武平氏]]の始祖となる。 == 略歴 == 白壁王(後の[[光仁天皇]])の[[長男]](第一皇子)として天平9年(737年)に産まれた。生母は[[百済]]系[[渡来人]]氏族の[[和氏]]の出身である[[高野新笠]]。当初は[[皇族]]としてではなく官僚としての出世が望まれて、[[大学頭]]や[[侍従]]に任じられた(光仁天皇即位以前は'''山部王'''と称された)。その状況が大きく変化するのは34歳の時に[[称徳天皇]]の[[崩御]]によって父の白壁王が急遽皇位を継承することになってからである。 父王の即位後は[[親王宣下]]と共に[[品位 (位階)|四品]]が授けられ、後に[[中務省|中務卿]]に任じられたものの、生母の出自が低かったため[[立太子]]は予想されていなかった。しかし、[[藤原氏]]などを巻き込んだ政争により、異母弟の[[皇太子]]の[[他戸親王]]の母である[[皇后]]の[[井上内親王]]が[[宝亀]]3年3月2日(772年4月9日)に、他戸親王が同年5月27日(7月2日)に相次いで突如廃されたために、宝亀4年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]([[773年]]1月29日)に皇太子とされた。その影には[[藤原式家|式家]]の[[藤原百川]]による擁立があったとされる<ref group="注釈">天皇は後年、「緒嗣の父(百川)微(な)かりせば、予豈(あ)に帝位を践むを得んや」との詔を発している(『[[続日本後紀]]』[[承和 (日本)|承和]]10年7月庚戌(23日)条)。</ref>。なお井上内親王と他戸親王は同日に同じ幽閉先で逝去したが、他戸親王の実姉(桓武天皇の異母妹にあたる)の[[酒人内親王]]を妃として、[[朝原内親王]]を儲けた。 [[天応 (日本)|天応]]元年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]](781年4月30日)には父から[[譲位]]されて天皇に即き、翌日の[[4月4日 (旧暦)|4日]]([[5月1日]])には早くも同母弟の[[早良親王]]を皇太子と定め、11日後の[[4月15日 (旧暦)|15日]]([[5月12日]])に[[即位]]の[[詔]]を宣した。[[延暦]]2年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]]([[783年]][[5月23日]])に百川の兄の[[藤原良継]]の娘の[[藤原乙牟漏]]を皇后とし、彼女との間に安殿親王(後の[[平城天皇]])と神野親王(後の[[嵯峨天皇]])を儲けた。また、百川の娘で良継の外孫でもあった[[夫人]]の[[藤原旅子]]との間には大伴親王(後の[[淳和天皇]])がいる。 右大臣に[[藤原是公]]を、中納言に[[藤原種継]]を抜擢し、これに大納言の[[藤原継縄]](是公没後に右大臣)を加えた3名が特に重用され、前期の治世を支えた<ref>西本昌弘「長岡京前期の政治的動向」『平安前期の政変と皇位継承』吉川弘文館、2022年 ISBN 978-4642046671 P75-104.(初出:『条里制・古代都市研究』36号、2021年)</ref>。 [[延暦]]4年([[785年]])9月頃には、早良親王を[[藤原種継]]暗殺の廉により[[廃太子]]の上で[[流罪]]に処し、親王が抗議のための絶食で配流中に薨去するという事件が起こった。これを受け、同年11月25日(785年12月31日)に安殿親王を皇太子とした。また、同年11月10日、[[交野ヶ原|交野柏原]](現在の[[大阪府]][[枚方市]])において、日本で初めて、天を祀る[[郊祀]]を行った。 延暦6年([[787年]])11月5日に、交野柏原において、2度目の郊祀を行った。 延暦10年([[791年]])、藤原乙牟漏の亡きあとに神野親王(嵯峨天皇)の乳母を務めた大秦公忌寸浜刀自女に賀美能宿禰の姓を贈る([[続日本紀]])。 在位中の延暦25年3月17日(806年4月9日)に[[崩御]]。宝算70。安殿親王が平城天皇として即位した。 == 治世 == [[平城京]]における肥大化した[[奈良仏教]]各寺の影響力を厭い、[[天武天皇]]流が自壊して[[天智天皇]]流に皇統が戻ったこともあって、当時[[秦氏]]が開拓していたものの、ほとんど未開の[[山城国]]への遷都を行う。初め延暦3年([[784年]])に[[長岡京]]を造営するが、天災や後述する近親者の不幸・祟りが起こり、その原因を天皇の徳がなく[[天子]]の資格がないことにあると民衆に判断されるのを恐れて、わずか10年後の延暦13年([[794年]])、側近の[[和気清麻呂]]・[[藤原小黒麻呂]]([[藤原北家|北家]])らの提言もあり、[[気学]]における[[四神相応]]の[[土地相]]より長岡京から艮方位(東北)に当たる場所の[[平安京]]へ改めて遷都した。 また、[[蝦夷]]を服属させ[[東北地方]]を平定するため、3度にわたる[[蝦夷征討]]を敢行、延暦8年([[789年]])に[[紀古佐美]]を[[征東大将軍|征東大使]]とする最初の軍は惨敗したが、延暦13年の2度目の遠征で[[征夷大将軍]]の[[大伴弟麻呂]]の補佐役として活躍した[[坂上田村麻呂]]を抜擢して、延暦20年([[801年]])の3度目の遠征で彼を征夷大将軍とする軍を送り、田村麻呂が[[アテルイ]]ら500人の蝦夷を京都へ護送した延暦21年([[802年]])に蝦夷の脅威は減退、延暦22年([[803年]])に田村麻呂が[[志波城]]を築いた時点でほぼ平定された。 しかし晩年の延暦24年([[805年]])には、平安京の造作と東北への軍事遠征がともに百姓を苦しめているとの[[藤原緒嗣]](百川の長男)の建言を容れて、いずれも中断している(緒嗣と[[菅野真道]]とのいわゆる[[徳政相論]])。 また、軍隊に対する差別意識と農民救済の意識から、[[健児]]制を導入したことで百姓らの兵役の負担は解消されたが、この制度も間もなく機能しなくなり、9世紀を通じて朝廷は軍事力がない状態になった。ただし、健児導入の目的について、紀古佐美の遠征軍が騎馬を巧みとする蝦夷に太刀打ちできなかったために、従来の中国大陸・朝鮮半島からの沿岸防備を念頭に置いて編成された農民を徴集した歩兵に代わって対蝦夷戦争に対応した騎兵の確保を目指した軍制改革であったとする新説も出されている<ref>吉川真司「馬からみた長岡京時代」(初出:国立歴史民俗博物館 編『桓武と激動の長岡京時代』山川出版社、2009年/所収:吉川『律令体制史研究』岩波書店、2022年 ISBN 978-4-00-025584-4)2022年、P102-103.</ref>。 文化面では『[[続日本紀]]』の編纂を発案したとされる。また[[最澄]]を還学生(短期留学生)として[[唐]]で[[天台宗]]を学ばせ、[[日本の仏教]]に新たな動きをもたらしたのも桓武天皇治下で、いわゆる「[[南都六宗]]」と呼ばれた既存仏教に対しては[[封戸]]の没収など圧迫を加えている。また[[後宮]]の紊乱ぶりも言われており、それが後の[[薬子の変]]へとつながる温床となったともされる。 その他、即位前の宝亀3年には井上内親王と他戸親王の、在位中の延暦4年には早良親王の不自然な[[死亡#その他の用語|薨去]]といった暗い事件が多々あった。井上内親王や早良親王の[[怨霊]]を恐れて延暦19年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]([[800年]][[8月16日]])に後者に「崇道天皇」と追号し、前者は皇后位を復すと共にその墓を山陵と追称したりしている。 治世中は2度の遷都や東北への軍事遠征を主導し、地方行政を監査する[[勘解由使]]の設置など、歴代天皇の中でもまれに見る積極的な[[親政]]を実施したが、青年期に官僚としての教育を受けていたことや壮年期に達してからの即位がこれらの大規模な政策の実行を可能にしたと思われる。 == 系譜 == {{ahnentafel top|桓武天皇の系譜|width=100%}} {{ahnentafel-compact5 |style=font-size: 90%; line-height: 110%; |border=1 |boxstyle=padding-top: 0; padding-bottom: 0; |boxstyle_1=background-color: #fcc; |boxstyle_2=background-color: #fb9; |boxstyle_3=background-color: #ffc; |boxstyle_4=background-color: #bfc; |boxstyle_5=background-color: #9fe; |1= 1. 第50代 桓武天皇 |2= 2. [[光仁天皇|第49代 光仁天皇]] |3= 3. [[高野新笠]] |4= 4. [[志貴皇子|施基親王]] |5= 5. [[紀橡姫]] |6= 6. [[和乙継]] |7= 7. [[土師真妹]] |8= 8. [[天智天皇|第38代 天智天皇]] |9= 9. [[道伊羅都売]] |10= 10. [[紀諸人]] |11= 11. 道氏 |16= 16. [[舒明天皇|第34代 舒明天皇]] |17= 17. [[斉明天皇|第35代 皇極天皇・<br />第37代 斉明天皇]] |20= 20. 紀国益? }}</center> {{ahnentafel bottom}} === 系図 === {{皇室白鳳奈良}} {{皇室平安初期}} == 后妃・皇子女 == * [[皇后]]:[[藤原乙牟漏]](760年 - 790年) - [[藤原良継]]女 ** 安殿親王([[平城天皇]])(774年 - 824年) ** 神野親王([[嵯峨天皇]])(786年 - 842年) ** [[高志内親王]](789年 - 809年) - 異母兄・大伴親王妃([[淳和天皇]]贈皇后) * 夫人(贈[[皇太后]]):[[藤原旅子]](759年 - 788年) - [[藤原百川]]女 ** 大伴親王([[淳和天皇]])(786年 - 840年) * 妃:[[酒人内親王]](754年 - 829年) - [[光仁天皇]]皇女 ** [[朝原内親王]](779年 - 817年) - [[斎宮|伊勢斎宮]]、異母兄・[[平城天皇]]妃 * 夫人:[[藤原吉子]](? - 807年) - [[藤原是公]]女 ** [[伊予親王]](783年 - 807年) * 夫人:[[多治比真宗]](769年 - 813年) - [[多治比長野]]女 ** [[葛原親王]](786年 - 853年) - [[平氏#桓武平氏|桓武平氏]]祖 ** [[佐味親王]](793年 - 825年) ** [[賀陽親王]](794年 - 871年) - 子孫の[[幸身王]]・[[時身王]]は[[平氏|平朝臣姓]]を賜った ** [[大徳親王]](798年 - 803年) ** [[因幡内親王]](? - 824年) ** [[安濃内親王]](? - 841年) * 夫人:[[藤原小屎]] - [[藤原鷲取]]女 ** [[万多親王]](788年 - 830年) - 子の[[正躬王]]・[[正行王]]は平朝臣姓を賜った * [[女御]]:[[紀乙魚]](? - 840年) - [[紀木津魚]]女? * 女御:[[百済王教法]](? - 840年) - [[百済王俊哲]]女 * 女御:[[橘御井子]] - [[橘入居]]の女 ** [[賀楽内親王]](? - 874年) ** [[菅原内親王]](? - 825年) * 女御:[[藤原仲子]] - [[藤原家依]]女 * 女御:[[橘常子]](788年 - 817年) - [[橘島田麻呂]]女 ** [[大宅内親王]](? - 849年) - 異母兄・[[平城天皇]]妃 * 女御:[[藤原正子]] - [[藤原清成]]女 * [[宮人]]:[[坂上又子]](? - 790年) - [[坂上苅田麻呂]]女 ** [[高津内親王]](? - 841年) - 異母兄・[[嵯峨天皇]]妃 * 宮人:[[坂上春子]](? - 834年)- [[坂上田村麻呂]]女 ** [[葛井親王]](798年 - 850年) ** [[春日内親王]](? - 832年) * 宮人:[[藤原河子]](? - 838年) - [[藤原大継]]女 ** [[仲野親王]](792年 - 867年) - 子の[[茂世王]]・[[利世王]]・[[惟世王]]は平朝臣姓を賜った ** [[安勅内親王]](? - 855年) ** [[大井内親王]](? - 865年) ** [[紀内親王]](799年 - 886年) ** [[善原内親王]](? - 863年) * 宮人:[[藤原東子 (藤原式家)|藤原東子]](? - 816年) - [[藤原種継]]女 ** [[甘南美内親王]](800年 - 817年) - 異母兄・[[平城天皇]]妃 * 宮人:[[藤原平子]](? - 833年) - [[藤原乙叡]]女 ** [[伊都内親王]](801年 - 861年) - [[阿保親王]]妃、[[在原業平]]母 * 宮人:[[紀若子]](? - ?) - [[紀船守]]女 ** [[明日香親王]](? - 834年) * 宮人:[[藤原上子]] - [[藤原小黒麻呂]]女 ** [[滋野内親王]](809年 - 857年) * 宮人:[[橘田村子]] - [[橘入居]]女 ** [[池上内親王]](? - 868年) * 宮人:[[河上好]](? - ?) - [[錦部春人]]女 ** [[坂本親王]](793年 - 818年) * 宮人:[[百済王教仁]](? - ?) - [[百済王武鏡]]女 ** [[太田親王]](? - 808年) * 宮人:[[百済王貞香]](? - ?) - [[百済王教徳]]女 ** [[駿河内親王]](801年 - 820年) * 宮人:[[中臣豊子]](? - ?) - [[中臣大魚]]女 ** [[布勢内親王]](? - 812年) - 伊勢斎宮 * 女嬬:[[多治比豊継]](? - ?) ** [[長岡岡成]](? - 848年) - [[臣籍降下]]、[[長岡氏|長岡朝臣姓]] * 女嬬:[[百済永継]] - [[飛鳥部奈止麻呂]]女、[[藤原内麻呂]]室、[[藤原冬嗣|冬嗣]]母 ** [[良岑安世]](785年 - 830年) - [[臣籍降下]]、[[良岑氏|良岑朝臣姓]] ほか、多数(宮人、女嬬が数10人との説あり) == 諱・諡号・追号・異名 == [[諱]]は'''山部'''(やまべ)<ref group="注釈">当時の皇子女の諱は[[乳母]]の[[氏#古代氏族としての「氏」|氏]]名(うじな)が採用される慣例であったため、「山部」という諱も[[山部氏]]の女性が乳母であったためと思われ、その場合の乳母は山部子虫であったと推定される(佐伯『新撰姓氏録の研究』)。</ref>。[[崩御]]の後に[[和風諡号]]として'''日本根子皇統弥照尊'''(やまとねこあまつひつぎいやてりのみこと)が贈られた。また山陵の名をもって'''柏原'''(かしわばら)'''天皇'''('''帝''')、'''天国押撥御宇'''(あめくにおしひらきあめのしたしらす)'''柏原天皇'''とも呼ばれた。 == 在位中の元号 == * [[天応 (日本)|天応]] * [[延暦]] == 陵・霊廟 == [[ファイル:桓武天皇陵.jpg|thumb|200px|桓武天皇陵]] [[天皇陵|陵]](みささぎ)は、[[宮内庁]]により[[桃山陵墓地]]内にある'''柏原陵'''(かしわばらのみささぎ)に治定([[京都府]][[京都市]][[伏見区]]桃山町永井久太郎)されている。宮内庁上の形式は円丘。 上記とは別に、伏見区[[深草]]大亀谷古御香町にある宮内庁の'''大亀谷陵墓参考地'''(おおかめだにりょうぼさんこうち)では、桓武天皇が被葬候補者に想定されている<ref>外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。</ref>。 在世中に宇多野(うたの)への埋葬を希望したとされるが、不審な事件が相次ぎ[[占い|卜占]]によって[[賀茂神社]]の祟りであるとする結果が出され、改めて伏見の地が選ばれ、柏原陵が営まれた<ref group="注釈">山田邦和によれば、桓武天皇は生前に埋葬を希望したのは宇多野ではなく深草山であり(『日本紀略』延暦11年8月4日条)、平城京にならって都の北側に陵墓を築こうとしたのは皇太子(後の平城天皇)の意向であったとする。ところが、宇多野は賀茂神社を祀る[[賀茂県主氏]]などの在地勢力の勢力圏に近いために彼らの反発を招き、それが宇多野への埋葬断念につながったとされている({{Cite book|和書|author=山田邦和|authorlink=山田邦和|editor=古代學協會|editor-link=古代学協会|others=[[角田文衞]]監修|year=2011|month=2|title=仁明朝史の研究 承和転換期とその周辺|publisher=思文閣出版|chapter=平安時代前期の陵墓選地|isbn=978-4-7842-1547-8|url=http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215478}})。</ref>。これとは別に4月に柏原山陵に葬られた(『日本後紀』大同元年4月7日条)と記されているにもかかわらず、10月に改葬に関する記述があり(『類聚国史』巻35引用大同元年10月2日条及び『日本紀略』大同元年10月11日条)、天皇が崩御したその年のうちに最初の陵とは別の陵が築かれて改葬された可能性が指摘されている。これについて同年起きた水害による影響とする説(『大日本史』平城本紀)、山陵とは別に[[殯宮]]が設けられていた説<ref group="注釈">[[黒板伸夫]]・[[森田悌]]編 訳注日本史料『日本後紀』([[集英社]]、2003年)、pp. 1198: 補注「柏原山陵」の解釈</ref>、記事の誤りもしくは埋葬の延期があったとして改葬自体が自体を否定する説、桓武天皇との関係が思わしくなかった平城天皇が亡き父の祟りを恐れて完成した山陵を放棄して改葬を実施した<ref group="注釈">西本昌弘によれば、『扶桑略記』に大同元年11月頃の話として、平城天皇が神野親王(嵯峨天皇)の皇太弟廃位を画策し、これを知った親王が父が眠る柏原山陵を遙拝したところ、平安京中を烟気が覆って昼なお暗い状態になった。驚いた天皇が占いを命じたところ、柏原山陵の祟りという結果が出たために、これを恐れた天皇が企てを断念したという逸話が載せられている。西本は『扶桑略記』が記すよりも少し前の時期に実際に廃太子の計画が存在しており、廃太子計画の失敗とそれに伴う父帝の祟りの可能性を危惧した天皇が改葬によって祟りを鎮めようとしたとしている(西本昌弘「桓武改葬と神野親王廃太子計画」『平安前期の政変と皇位継承』(吉川弘文館、2022年), pp. 145-156:初出:『続日本紀研究』359号(2005年))。</ref>説などが上げられている。 『[[延喜式]]』に記された永世不除の[[天皇陵|近陵]]として、[[古代]]から[[中世]]前期にかけて朝廷の厚い崇敬を集めた。柏原陵の在所は中世の動乱期において不明となり、さらに[[豊臣秀吉]]の築いた[[伏見城]]の敷地内に入ってしまったため、深草・伏見の間とのみ知られていた。[[元禄]]年間の修陵で深草鞍ヶ谷町浄蓮華院境内の谷口古墳が考定され、その後[[幕末]]に改めて桃山町の現陵の場所に定められた。もっともその根拠は乏しいと見られ、別に[[桃山丘陵]]の頂き付近に真陵の位置を求める説もあるため<ref>{{Cite book|和書|author=山田邦和|authorlink=山田邦和|year=2001|month=7|title=歴史検証天皇陵|series=[[別冊歴史読本]] 78|publisher=[[新人物往来社]]|isbn=4-404-02778-8|page= 134|ref=山田2001}}</ref>、確かな場所は不明とするほかない。 また[[皇居]]では、[[皇霊殿]]([[宮中三殿]]の一つ)において、他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。なお、後述するように[[平安京]]への[[遷都]]を行い、かつ同京最初の天皇となったことにちなんで、[[明治]]28年([[1895年]])に平安遷都1100年を記念して桓武天皇を祀る[[平安神宮]]が創祀されている。 == 百済との関係 == === 百済王氏等への厚遇 === 桓武天皇の生母である[[高野新笠]]の出身は、[[百済]]系[[渡来人]]氏族で[[史 (姓)|史]][[カバネ|姓]]の[[和氏]]であり、中央政権に顕官を出す氏族ではなく、また新笠の母方の[[土師氏]]も有力な氏族ではなかった。[[光仁天皇]]の皇后の[[井上内親王]]が廃され、山部親王(桓武天皇)が皇太子となっても、新笠は皇后にはなれず、[[従三位]]・[[夫人]]の位までであった。 桓武天皇は即位間もなく、天応元年(781年)4月に母・新笠を[[皇太夫人]]とし、従兄弟にあたる[[和家麻呂]]は異例の出世を遂げ、祖母方の土師氏も、[[大江氏|大枝(大江)朝臣]]・[[菅原氏|菅原朝臣]]などの姓を賜った。延暦8年12月28日(790年1月)に母・新笠が薨ずると[[皇太后]]位を贈り、延暦9年(790年)1月に新笠を葬る前日、和氏は百済[[武寧王]]の子孫であり、百済王族の遠祖である都慕王([[東明王]])は[[河伯]]の娘が日光により身籠ったものであるとして、これにちなんで新笠に「天高知日之子姫尊」の[[諡号]]を贈った<ref name="niigasa">『続日本紀』巻第四十「《延暦九年(七九〇)正月壬子【十五】(#延暦八年(七八九)十二月附載)》壬午。葬於大枝山陵。皇太后姓和氏。諱新笠。贈正一位乙継之女也。母贈正一位大枝朝臣真妹。后先出自百済武寧王之子純陀太子。皇后容徳淑茂。夙著声誉。天宗高紹天皇竜潜之日。娉而納焉。生今上。早良親王。能登内親王。宝亀年中。改姓為高野朝臣。今上即位。尊為皇太夫人。九年追上尊号。曰皇太后。其百済遠祖都慕王者。河伯之女感日精而所生。皇太后即其後也。因以奉諡焉。」 [http://www.j-texts.com/jodai/shoku40.html P4473《巻首》続日本紀巻第四十〈起延暦八年正月、尽十年十二月。〉」]</ref>。さらに、同年2月に「百済王氏は朕の外戚である」と詔を発し、[[百済王氏]]の位階を進めた<ref>『続日本紀』巻第四十「《延暦九年(七九〇)二月甲午【廿七】》○甲午…(中略)…是日。詔曰。百済王等者朕之外戚也。今所以擢一両人。加授爵位也。」 [http://www.j-texts.com/jodai/shoku40.html P4473《巻首》続日本紀巻第四十〈起延暦八年正月、尽十年十二月。〉」]</ref>。百済王氏を外戚と称することで、母・新笠の出身氏族を名目上高貴なものにし、その結果母の身分を上昇させようとした、と考えられる。在位中、百済王氏が本拠としていた[[交野]]にたびたび狩猟のため行幸し、百済王氏を重用した。また、後宮に百済王氏の[[百済王教法|教法]]・教仁・貞香を召しいれ、[[百済王明信]]を[[尚侍]]としている<ref>山下剛司「百済王氏存続の要因」(『佛教大学総合研究所紀要』 21号、2014年)35-54</ref>。 === 天皇明仁の発言 === [[平成]]13年([[2001年]])12月18日、[[天皇誕生日]]前に恒例となっている[[記者会見]]において、[[上皇明仁|天皇明仁]]は翌年に予定されていたサッカー[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]日韓共催に関する「[[おことば]]」の中で、「私自身としては、桓武天皇の生母が[[百済]]の[[武寧王]]の子孫であると、『[[続日本紀]]』<ref name="niigasa"/>に記されていることに、[[大韓民国|韓国]]とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に[[五経博士]]が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、[[聖王 (百済)|聖明王]]は、日本に[[仏教]]を伝えたことで知られております。」との発言を行った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html|title=天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容|author=[[宮内庁]] |accessdate=2008年11月7日 }}</ref>。 この発言は、テレビ各社のニュースでは重ねて報じられたが、日本の新聞各紙の報道は簡素だった<ref group="注釈">主要全国紙で本文において「ゆかり発言」を取り上げたのは『[[朝日新聞]]』のみであり、『[[毎日新聞|毎日]]』『[[読売新聞|読売]]』『[[産経新聞|産経]]』の主要諸紙は「おことば」を全文掲載したものの、この「ゆかり発言」は掲載せずに[[愛子内親王]]の話題を取り上げるのに留まった。</ref>。韓国では大きな反響を呼び、「[[皇室]]は[[朝鮮民族|韓国人]]の血筋を引いている」、「皇室百済起源論」「日王が秘められた事実を暴露」などの発言意図から逸脱した報道も多く行われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chosunonline.com/article/20011223000002|title=日王、朝鮮半島との血縁関係を初めて言及|author=朴正薫|publisher=[[朝鮮日報]]|date=2001-12-23 |accessdate=2008年11月7日 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chosunonline.com/article/20011224000021|title=「日王は百済の末裔」韓国人学者の主張|author=金基哲|publisher=[[朝鮮日報]]|date=2001-12-24 |accessdate=2008年11月7日 }}</ref>ほか、当時の[[金大中]]大統領が年頭記者会見で歓迎の意を表するほどだった<ref>『毎日新聞』2002年1月15日</ref>。なお、天皇明仁は[[平城京|平城]]遷都1300年記念祝典の挨拶でも、百済とのゆかりについて同様の趣旨を発言している<ref>金剛学園出演「歌垣」が結ぶ韓日中 平城遷都祭「花いちもんめ」一緒に (民団新聞) [http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=2&newsid=13507]</ref>。 == 登場作品 == ; 小説 * {{Cite book|和書|author=三田誠広|authorlink=三田誠広|year=2004|month=6|title=桓武天皇:平安の覇王|publisher=[[作品社]]|isbn=4-87893-649-5}} ; テレビドラマ * [[火怨・北の英雄 アテルイ伝]](2013年、NHK) - 演:[[近藤正臣]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=井上満郎|authorlink=井上満郎|year=2006|month=8|title=桓武天皇 <small>当年の費えといえども後世の頼り</small>|series=[[ミネルヴァ日本評伝選]]|publisher=[[ミネルヴァ書房]]|isbn=4-623-04693-1|ref=井上2006}} * {{Cite book|和書|author=緒形隆司|authorlink=緒形隆司|year=1994|month=1|title=暁の平安京 <small>桓武天皇史話</small>|publisher=[[光風社出版]]|isbn=4-87519-611-3|ref=緒形1993}} * {{Cite book|和書|author=佐伯有清|authorlink=佐伯有清|year=1963|month=4|title=新撰姓氏録の研究 <small>研究編</small>|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=4-642-02110-8|ref=佐伯1963}} * {{Cite book|和書|author=林睦朗|authorlink=林睦朗|year=1994|month=4|title=桓武朝論|series=古代史選書 7|publisher=[[雄山閣出版]]|isbn=4-639-01222-5|ref=林1994}} * {{Cite book|和書|author=村尾次郎|authorlink=村尾次郎|year=1987|month=7|title=桓武天皇|publisher=吉川弘文館|edition=新装版|series=[[人物叢書]] 新装版 112|isbn=4-642-05085-X|ref=村尾1987}} == 関連項目 == * [[勘解由使]] * [[御霊信仰]] * [[慈眼堂 (大津市)]] - 桓武天皇御骨塔在所 * [[令外官]] * [[最澄]] - 桓武天皇の内供奉十禅師 * [[陰陽師 (映画)]] - 桓武天皇の治世 * [[桓武海山]] * [[八須夫人]] - 第19代[[百済|百済王]]・[[久尓辛王]]の[[母親|生母]]、[[日本人|倭人]]であることが有力 == 外部リンク == {{Commonscat|Emperor Kammu}} * [http://www.heianjingu.or.jp/ 平安神宮] * [https://web.archive.org/web/20021208004851/http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01100.htm 日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 桓武平氏総括] {{歴代天皇一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かんむてんのう}} [[Category:桓武天皇|!]] [[Category:平安時代の天皇]] [[Category:奈良時代の天皇]] [[Category:大和国の人物]] [[Category:山城国の人物]] [[Category:平安時代の京都]] [[Category:都市の建設者]] [[Category:光仁天皇の子女]] [[Category:平安神宮]] [[Category:8世紀日本の天皇]] [[Category:9世紀日本の天皇]] [[Category:737年生]] [[Category:806年没]]
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単体
単体(たんたい、simple substance)とは、単一の元素からできている純物質のことである。 水素 (H2)、酸素 (O2) などの等核二原子分子や、ナトリウム (Na)、金 (Au) などの純金属が含まれる。 これに対して、水 (H2O) など2種類以上の元素からできている純物質は化合物という。 酸素 (O2) とオゾン (O3)、あるいは赤リンと白リンのように、同じ元素からできた単体であっても、異なる性質を示す場合がある。 このような単体同士の関係を同素体という。 また、その同素体を混ぜ合わせたもの(たとえばダイヤモンドとグラファイトを混ぜ合わせたもの)は、単一の炭素原子からできているが、密度・融点・沸点などの物理的性質が一定にさだまらないので純物質ではなく(したがって単体でもなく)、2種類の単体(炭素の同素体)の混合物である。
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単体(たんたい、simple substance)とは、単一の元素からできている純物質のことである。 水素 (H2)、酸素 (O2) などの等核二原子分子や、ナトリウム (Na)、金 (Au) などの純金属が含まれる。 これに対して、水 (H2O) など2種類以上の元素からできている純物質は化合物という。 酸素 (O2) とオゾン (O3)、あるいは赤リンと白リンのように、同じ元素からできた単体であっても、異なる性質を示す場合がある。 このような単体同士の関係を同素体という。 また、その同素体を混ぜ合わせたもの(たとえばダイヤモンドとグラファイトを混ぜ合わせたもの)は、単一の炭素原子からできているが、密度・融点・沸点などの物理的性質が一定にさだまらないので純物質ではなく(したがって単体でもなく)、2種類の単体(炭素の同素体)の混合物である。
{{otheruses|化学用語|位相幾何学の単体|単体 (数学) }} '''単体'''(たんたい、simple substance)とは、単一の[[元素]]からできている[[純物質]]のことである。 [[水素]] (H<sub>2</sub>)、[[酸素]] (O<sub>2</sub>) などの[[二原子分子|等核二原子分子]]や、[[ナトリウム]] (Na)、[[金]] (Au) などの純金属が含まれる。 これに対して、[[水]] (H<sub>2</sub>O) など2種類以上の元素からできている純物質は[[化合物]]という。 [[酸素]] (O<sub>2</sub>) と[[オゾン]] (O<sub>3</sub>)、あるいは赤[[リン]]と白リンのように、同じ元素からできた単体であっても、異なる性質を示す場合がある。 このような単体同士の関係を[[同素体]]という。 また、その同素体を混ぜ合わせたもの(たとえば[[ダイヤモンド]]と[[グラファイト]]を混ぜ合わせたもの)は、単一の[[炭素]][[原子]]からできているが、[[密度]]・[[融点]]・[[沸点]]などの[[物理学|物理]]的性質が一定にさだまらないので純物質ではなく(したがって単体でもなく)、2種類の単体([[炭素]]の同素体)の[[混合物]]である。 ==関連項目== *[[化合物]] - 単体とは反対に、2種類以上の元素からできている物質のこと。 *[[純物質]] *[[混合物]] *[[元素鉱物]] {{DEFAULTSORT:たんたい}} [[Category:化学物質]]
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化合物
化合物(かごうぶつ、英: chemical compound)とは、2種類以上の元素の原子を含んだ多数の同一分子(または分子実体(英語版))が、化学結合によって結合した化学物質のことである。したがって、1種類の元素の原子だけで構成された分子は化合物とは見なされない。化合物は、他の物質との相互作用を伴う化学反応によって、別の物質に変化することがある。この過程で、原子間の結合が切れたり、新たな結合が形成されることがある。 化合物は主に4種類あり、構成する原子がどのように結合しているかによって区別される。分子性化合物は共有結合で、イオン性化合物はイオン結合で、金属間化合物は金属結合で、配位化合物は配位共有結合で結合する。ただし非化学量論的化合物は例外的で、議論の余地がある境界事例となっている。 化学式とは、化合物分子に含まれる各元素の原子を標準的な元素記号で、下付き(英語版)の原子数とともに指定する記述方法である。多くの化合物には Chemical Abstracts Service(CAS)によって固有のCAS登録番号が割り当てられている。世界中で、350,000以上の化合物(化学物質の混合物を含む)が製造や使用のために登録されている。 2種類以上の原子(化学元素)が一定の化学量論的な比率で結合した物質を化合物(chemical compound)と呼ぶ。この概念は、純物質(純粋な化学物質)を考えると最も理解しやすい。化合物には、2種類以上の原子が一定の比率で含まれるため、化学反応によってより原子数の少ない化合物や物質に変換することができる。化学式とは、ある化合物を構成する原子の比率に関する情報を表わす方法で、化学元素を表す化学記号と、原子数を表す添字を使用する。たとえば、水は2個の水素原子と1個の酸素原子が結合した化合物で、化学式は H2O である。非化学量論的化合物の場合、その割合は調合に関して再現性があり、構成元素の定比率を得ることができるが、その割合は整数比ではない(たとえば、水素化パラジウム(英語版)の化学式は PdHx (0.02 < x < 0.58))。 化合物は、固有の定義された化学構造を持ち、化学結合によって定義された空間的配置のもとで一緒に保持されている。化合物の種類には、共有結合で結合した分子化合物、イオン結合で結合した塩、金属結合で結合した金属間化合物、または配位共有結合で結合した一部の化学錯体がある。純粋な化学元素は、しばしば複数の原子からなる分子を構成しているが(例: 二原子分子 H2 や多原子分子 S8 など)、二原子以上の要件を満たさないため一般に化合物とはみなされない。多くの化合物は、Chemical Abstracts Service(CAS)によって固有の数値識別子、すなわちCAS登録番号が割り当てられている。 真に非化学量論的な物質と、一定の比率を要する化合物とを区別する命名法はさまざまで、ときには一貫しないこともある。多くの固体化学物質(たとえば多くのケイ酸塩鉱物)は、化学物質ではありながら、元素の化学結合を一定の比率で反映する単純な式を持たず、このような結晶性物質は、しばしば非化学量論的化合物(あるいは不定比化合物)と呼ばれる。このような非化学量論的物質は、地球の地殻やマントルの大部分を形成しているが、その組成の多様性は、既知の「真の化合物」の結晶構造内に外来元素が混入していたり、既知の化合物の構造中に構成元素の過不足が起こって構造が乱れることが多いことから、化合物というよりは化合物に類似しているものという主張もある。また、化学的に同一と考えられる化合物でも、構成元素の重同位体や軽同位体の量が異なり、元素の質量比がわずかに変化することがある。 化合物を、有機化合物と無機化合物のいずれかに分類することもあるが、その境界は不明瞭である。基本的には炭素化合物はすべて有機化合物とされるが、炭素の酸化物はその例外として無機化合物とされる。 分子(molecule)とは、2つ以上の原子が化学結合で結合した、電気的に中性な集合である。分子は、酸素分子(O2)のように1つの化学元素の原子からなる等核分子と、水(H2O、2つの水素原子と1つの酸素原子)のように2つ以上の元素からなる異核分子に分けられる。分子とは、物質のすべての物理的および化学的特性を備えた最小の単位である。 イオン性化合物(ionic compound)とは、イオン結合と呼ばれる静電気力によって結合したイオンからなる化合物である。この化合物は全体として中性であるが、陽イオンと呼ばれる正に帯電したイオンと陰イオンと呼ばれる負に帯電したイオンで構成されている。これらには、塩化ナトリウム中のナトリウム(Na)や塩化物(Cl)のような単原子イオンもあれば、炭酸アンモニウム中のアンモニウム(NH+4)と炭酸イオン(CO2−3)のような多原子種もある。イオン性化合物内の個々のイオンは通常、複数の最近接イオンを持つため分子の一部とはみなされず、連続した三次元ネットワーク(通常は結晶構造)の一部とみなされる。 塩基性イオンである水酸化物(OH)や酸化物(O)を含むイオン性化合物は、塩基に分類される。これらのイオンを含まないイオン性化合物は塩(または塩類)とも呼ばれ、酸塩基反応によって生成することができる。また、イオン性化合物は、溶媒の蒸発、沈殿、凍結、固相反応(英語版)、または反応性金属(英語版)とハロゲンガスなどの反応性非金属との電子移動反応により、その構成イオンから生成することもある。イオン性化合物は一般に融点と沸点が高く、硬くて脆(もろ)い。これらは固体ではほとんど電気絶縁性(英語版)だが、融解または溶解するとイオンが移動するため導電性(英語版)を持つようになる。 金属間化合物(intermetallic compound)とは、2種類以上の金属元素の間で秩序のある固体の化合物を形成する金属合金の一種である。金属間化合物は一般に硬くて脆く、高温での機械的性質が優れている。これらは、化学量論的金属間化合物と、非化学量論的金属間化合物とに分類される。 配位化合物(coordination complex、錯化合物とも呼ぶ)とは、配位中心と呼ばれる(通常は金属の)中心原子またはイオンと、配位子または錯化剤と呼ばれる周囲の結合分子またはイオンの配列から構成される化合物である。金属含有化合物、特に遷移金属化合物の多くのは配位化合物である。金属原子を配位中心とする配位化合物を、dブロック元素の金属錯体と呼ぶ。 化合物は、さまざまな種類の結合や力によってつなぎ合っている。化合物内における結合の種類の違いは、その化合物に含まれる元素の種類に依存する。 ロンドン分散力は、分子間力の中で最も弱い力である。これは、隣接する2つの原子の電子が一時的に双極子を形成するように配置されたときに生じる一時的な引力である。また、ロンドン分散力は、非極性物質(英語版)を凝縮して液体にしたり、さらに環境の温度によって凍結した固体状態にする役割も担っている。 共有結合は、分子結合とも呼ばれ、2つの原子の間で電子が共有されるものである。この形式の結合は、主に元素周期表で近い位置にある元素の間で起こるほか、一部の金属と非金属の間でも見られる。こうした現象は、この結合の機構に起因するものである。周期表で近い位置にある元素は、電子に対する親和力が似ている、すなわち電気陰性度が似ている傾向がある。どちらの元素も電子を供与したり獲得したりする親和性が強くないため、電子を共有することになり、両方の元素がより安定したオクテットを持つようになる。 イオン結合は、元素間で価電子が完全に移動することで起こる結合である。共有結合とは反対に、この化学結合は互いに逆荷電した2つのイオンを生成する。イオン結合をする金属元素は通常、価電子を失って、正電荷を持つ陽イオンとなる。一方、非金属元素は金属から電子を獲得して、負電荷を持つ陰イオンとなる。前記のようにイオン結合は、電子供与体(通常は金属)と電子受容体(通常は非金属)の間で起こる。 水素結合は、電気陰性度が大きな原子に結合した水素原子が、相互作用する双極子または電荷を通じて、別の陰性原子と静電的な結合を形成することで起こる。 ある化合物が、化学反応によって別の化合物と相互作用することで、その化学組成を変換することができる。この過程では、相互作用するそれぞれの化合物で原子間の結合が切断され、その後、原子間に新しい結合が再形成される。概念的にこの反応は、AB + CD → AD + CB と記述することができる。ここで、A、B、C および D は、それぞれ固有の原子であり、AB、AD、CD および CB は、それぞれ固有の化合物である。
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化合物とは、2種類以上の元素の原子を含んだ多数の同一分子(または分子実体)が、化学結合によって結合した化学物質のことである。したがって、1種類の元素の原子だけで構成された分子は化合物とは見なされない。化合物は、他の物質との相互作用を伴う化学反応によって、別の物質に変化することがある。この過程で、原子間の結合が切れたり、新たな結合が形成されることがある。 化合物は主に4種類あり、構成する原子がどのように結合しているかによって区別される。分子性化合物は共有結合で、イオン性化合物はイオン結合で、金属間化合物は金属結合で、配位化合物は配位共有結合で結合する。ただし非化学量論的化合物は例外的で、議論の余地がある境界事例となっている。 化学式とは、化合物分子に含まれる各元素の原子を標準的な元素記号で、下付きの原子数とともに指定する記述方法である。多くの化合物には Chemical Abstracts Service(CAS)によって固有のCAS登録番号が割り当てられている。世界中で、350,000以上の化合物(化学物質の混合物を含む)が製造や使用のために登録されている。
{{Multiple image | direction = vertical | image1 = 2006-02-13 Drop-impact.jpg | image2 = Water-3D-balls.png | footer = [[水の性質|純水]](H<sub>2</sub>O)は化合物の一例である。この分子の[[球棒モデル]]は、2個の[[水素]](白)と1個の[[酸素]](赤)の空間的な配置を示す。 }} '''化合物'''(かごうぶつ、{{Lang-en-short|chemical compound}})とは、さまざまな[[元素|化学元素]]の[[原子]]が[[化学結合]]によって結合した[[分子]](または{{Ill2|分子実体|en|Molecular entity}})が、多数集まって構成された[[化学物質]]である。したがって、[[等核分子|1種類の元素の原子だけで構成された分子]]は化合物とは見なされない。化合物は、他の物質との相互作用を伴う[[化学反応]]によって、別の物質に変化することがある。この過程で、原子間の結合が切れたり、新たな結合が形成されることがある。 化合物は主に4種類あり、構成する原子がどのように結合しているかによって区別される。[[分子|分子性化合物]]は[[共有結合]]で、{{Ill2|イオン性化合物|en|Ionic compound}}は[[イオン結合]]で、[[金属間化合物]]は[[金属結合]]で、[[配位化合物]]は[[配位共有結合]]で結合する。ただし[[非化学量論的化合物]]は例外的で、議論の余地がある境界事例<!-- marginal case -->となっている。 [[化学式]]とは、化合物分子に含まれる各元素の原子を標準的な[[元素記号]]で、{{Ill2|上付き文字と下付き文字|en|Subscript and superscript|label=下付き}}の原子数とともに指定する記述方法である。多くの化合物には [[Chemical Abstracts Service]](CAS)によって固有の[[CAS登録番号]]が割り当てられている。世界中で、350,000以上の化合物(化学物質の混合物を含む)が製造や使用のために登録されている<ref>{{Cite journal|last1=Wang|first1=Zhanyun|last2=Walker|first2=Glen W.|last3=Muir|first3=Derek C. G.|last4=Nagatani-Yoshida|first4=Kakuko|date=2020-01-22|title=Toward a Global Understanding of Chemical Pollution: A First Comprehensive Analysis of National and Regional Chemical Inventories|journal=[[:en:Environmental Science & Technology|Environmental Science & Technology]]|volume=54|issue=5|pages=2575–2584|doi=10.1021/acs.est.9b06379|pmid=31968937|bibcode=2020EnST...54.2575W|doi-access=free}}</ref>。 == 化合物の定義 == 2種類以上の[[原子]]([[化学元素]])が一定の[[化学量論]]的な比率で結合した物質を化合物(''chemical compound'')と呼ぶ。この概念は、[[純物質]](純粋な[[化学物質]])を考えると最も理解しやすい<ref name="Whitten">{{Citation | last1 = Whitten | first1 = Kenneth W. | last2 = Davis | first2 = Raymond E. | last3 = Peck | first3 = M. Larry | title = General Chemistry | place = Fort Worth, TX | publisher = Saunders College Publishing/Harcourt College Publishers | year = 2000 | edition = 6th | isbn = 978-0-03-072373-5}}</ref>{{rp|15}}<ref name="Brown p.6">{{Citation | last1 = Brown | first1 = Theodore L. | last2 = LeMay | first2 = H. Eugene | last3 = Bursten | first3 = Bruce E. | last4 = Murphy | first4 = Catherine J. | last5 = Woodward | first5 = Patrick | title = Chemistry: The Central Science | place = Frenchs Forest, NSW | publisher = Pearson/Prentice Hall | year = 2013 | edition = 3rd | pages = 5–6 | url = https://books.google.com/books?id=zSziBAAAQBAJ&pg=PA6 | isbn = 9781442559462 | access-date = 2020-12-08 | archive-date = 2021-05-31 | archive-url = https://web.archive.org/web/20210531151453/https://books.google.com/books?id=zSziBAAAQBAJ&pg=PA6 | url-status = live }}</ref><ref name="Hill p.6">{{Citation | last1 = Hill | first1 = John W. | last2 = Petrucci | first2 = Ralph H. | last3 = McCreary | first3 = Terry W. | last4 = Perry | first4 = Scott S. | title = General Chemistry | place = Upper Saddle River, NJ | publisher = Pearson/Prentice Hall | year = 2005 | edition = 4th | page = 6 | url = http://www.pearsonhighered.com/educator/academic/product/0,3110,0131402838,00.html | isbn = 978-0-13-140283-6 | url-status = live | archive-url = https://web.archive.org/web/20090322043924/http://www.pearsonhighered.com/educator/academic/product/0,3110,0131402838,00.html | archive-date = 2009-03-22 }}</ref>。化合物には、2種類以上の原子が[[定比例の法則|一定の比率で含まれる]]ため、[[化学反応]]によってより原子数の少ない化合物や物質に変換することができる<ref name="Wilbraham p.36">{{Citation | last1 = Wilbraham | first1 = Antony | last2 = Matta | first2 = Michael | last3 = Staley | first3 = Dennis | last4 = Waterman | first4 = Edward | title = Chemistry | place = Upper Saddle River, NJ | publisher = Pearson/Prentice Hall | year = 2002 | edition = 1st | page = [https://archive.org/details/prenticehallchem0000wilb/page/36 36] | isbn = 978-0-13-251210-7 | url-access = registration | url = https://archive.org/details/prenticehallchem0000wilb/page/36 }}</ref>。[[化学式]]とは、ある化合物を構成する原子の比率に関する情報を表わす方法で、[[化学元素]]を表す化学記号と、原子数を表す添字を使用する。たとえば、[[水]]は2個の[[水素原子]]と1個の[[酸素]]原子が結合した化合物で、化学式は H<sub>2</sub>O である。[[非化学量論的化合物]]の場合、その割合は調合に関して再現性があり、構成元素の定比率を得ることができるが、その割合は整数比ではない(たとえば、{{Ill2|水素化パラジウム|en|Palladium hydride}}の化学式は PdH<sub>x</sub> (0.02 < x < 0.58))<ref name="PdH">{{cite journal|doi=10.1007/BF02667685|title=The H-Pd (hydrogen-palladium) System|year=1994|last1=Manchester|first1=F. D.|last2=San-Martin|first2=A.|last3=Pitre|first3=J. M.|journal=Journal of Phase Equilibria|volume=15|pages=62–83|s2cid=95343702}} [https://archive.today/20080229180236/http://www.msm.cam.ac.uk/mmc/people/jw476/pdh.html Phase diagram for Palladium-Hydrogen System]</ref>。 化合物は、固有の定義された[[化学構造]]を持ち、[[化学結合]]によって定義された空間的配置のもとで一緒に保持されている。化合物の種類には、[[共有結合]]で結合した[[分子]]化合物、[[イオン結合]]で結合した[[塩 (化学)|塩]]、[[金属結合]]で結合した[[金属間化合物]]、または[[配位共有結合]]で結合した一部の[[錯体|化学錯体]]がある<ref name="ChemPrinciples">{{cite book |last1=Atkins |first1=Peter |author-link1=Peter Atkins |last2=Jones |first2=Loretta |date=2004 |title=Chemical Principles: The Quest for Insight |isbn=978-0-7167-5701-6 |publisher=W.H. Freeman |url-access=registration |url=https://archive.org/details/chemicalprincipl00pete }}</ref>。純粋な[[化学元素]]は、しばしば複数の原子からなる分子を構成しているが(例: [[二原子分子]] H<sub>2</sub> や[[多原子分子]] S<sub>8</sub> など)、二原子以上の要件を満たさないため一般に化合物とはみなされない<ref name="ChemPrinciples" />。多くの化合物は、[[Chemical Abstracts Service]](CAS)によって固有の数値識別子、すなわち[[CAS登録番号]]が割り当てられている。 真に非化学量論的な物質と、一定の比率を要する化合物とを区別する命名法はさまざまで、ときには一貫しないこともある。多くの固体化学物質(たとえば多くの[[ケイ酸塩鉱物]])は、化学物質ではありながら、元素の化学結合を一定の比率で反映する単純な式を持たず、このような結晶性物質は、しばしば[[非化学量論的化合物]](あるいは不定比化合物)と呼ばれる。このような非化学量論的物質は、地球の[[地殻]]や[[マントル]]の大部分を形成しているが、その組成の多様性は、既知の「真の化合物」の結晶構造内に外来元素が混入していたり、既知の化合物の構造中に構成元素の過不足が起こって構造が乱れることが多いことから、化合物というよりは化合物に類似しているものという主張もある。また、化学的に同一と考えられる化合物でも、構成元素の重[[同位体]]や軽同位体の量が異なり、元素の質量比がわずかに変化することがある。 化合物を、[[有機化合物]]と[[無機化合物]]のいずれかに分類することもあるが、その境界は不明瞭である<ref name="Rikagaku227-12">[[化合物#岩波理化学辞典(4版)|岩波理化学辞典(4版)、p.227、【化合物】]]</ref>。基本的には[[炭素化合物]]はすべて有機化合物とされるが、炭素の酸化物はその例外として無機化合物とされる<ref>「基礎 有機化学」(新・物質科学ライブラリー4)p2 大須賀篤弘・東田卓著 サイエンス社 2004年4月10日初版発行</ref>。 == 種類 == === 分子 === {{Main|分子}} 分子(molecule)とは、2つ以上の原子が化学結合で結合した、[[電荷|電気的に中性]]な集合である<ref name="iupac">{{GoldBookRef| title=Molecule|file=M04002|accessdate=23 February 2016}}</ref><ref>{{cite book| author= Ebbin, Darrell D.| title= General Chemistry |edition=3rd| date= 1990| publisher= [[:en:Houghton Mifflin Co.|Houghton Mifflin Co.]]| location= Boston| isbn= 978-0-395-43302-7}}</ref><ref>{{cite book| author= Brown, T.L. |author2=Kenneth C. Kemp |author3=Theodore L. Brown |author4=Harold Eugene LeMay |author5=Bruce Edward Bursten |title= Chemistry – the Central Science | url= https://archive.org/details/studentlectureno00theo | url-access= registration |edition=9th| date= 2003| publisher= [[:en:Prentice Hall|Prentice Hall]]| location= New Jersey| isbn= 978-0-13-066997-1}}</ref>。分子は、[[酸素]]分子(O<sub>2</sub>)のように1つの化学元素の原子からなる[[等核分子]]と、[[水の性質|水]](H<sub>2</sub>O、2つの水素原子と1つの酸素原子)のように2つ以上の元素からなる[[異核分子]]に分けられる。分子とは、物質のすべての物理的および化学的特性を備えた最小の単位である<ref>{{Cite web |date=2011-02-02 |title=Definition of Molecule - NCI Dictionary of Cancer Terms - NCI |url=https://www.cancer.gov/publications/dictionaries/cancer-terms/def/molecule |access-date=2022-08-26 |website=www.cancer.gov |language=en}}</ref>。 === イオン性化合物 === {{Main|{{ill2|イオン性化合物|en|Ionic compound}}}} イオン性化合物(ionic compound)とは、[[イオン結合]]と呼ばれる[[静電気力]]によって結合した[[イオン]]からなる化合物である。この化合物は全体として中性であるが、[[陽イオン]]と呼ばれる正に[[電荷|帯電]]したイオンと[[陰イオン]]と呼ばれる負に帯電したイオンで構成されている。これらには、[[塩化ナトリウム]]中のナトリウム(Na<sup>+</sup>)や塩化物(Cl<sup>−</sup>)のような[[単原子イオン]]もあれば、[[炭酸アンモニウム]]中の[[アンモニウム]]({{chem|NH|4|+}})と[[炭酸イオン]]({{chem|CO|3|2−}})のような[[多原子イオン|多原子種]]もある。イオン性化合物内の個々のイオンは通常、複数の最近接イオンを持つため分子の一部とはみなされず、連続した三次元ネットワーク(通常は[[結晶構造]])の一部とみなされる。 塩基性イオンである[[水酸化物]](OH<sup>−</sup>)や[[酸化物]](O<sup>2−</sup>)を含むイオン性化合物は、[[塩基]]に分類される。これらのイオンを含まないイオン性化合物は[[塩 (化学)|塩(または塩類)]]とも呼ばれ、[[酸塩基反応]]によって生成することができる。また、イオン性化合物は、[[溶媒]]の[[蒸発]]、[[沈殿]]、[[凍結]]、{{Ill2|固相反応経路|en|Solid-state reaction route|label=固相反応}}、または{{Ill2|反応性系列|en|Reactivity series|label=反応性金属}}と[[ハロゲン]]ガスなどの反応性非金属との[[電子移動反応]]により、その構成イオンから生成することもある。イオン性化合物は一般に[[融点]]と沸点が高く、[[硬さ|硬く]]て[[脆性|脆(もろ)い]]。これらは固体ではほとんど{{Ill2|絶縁体 (電気)|en|Insulator (electricity)|label=電気絶縁性}}だが、[[融解]]または[[溶媒和|溶解]]するとイオンが移動するため{{Ill2|電気抵抗と伝導|en|Electrical resistivity and conductivity|label=導電性}}を持つようになる。 === 金属間化合物 === {{Main|金属間化合物}} 金属間化合物(intermetallic compound)とは、2種類以上の金属元素の間で秩序のある固体の化合物を形成する[[金属結合|金属]][[合金]]の一種である。金属間化合物は一般に硬くて脆く、高温での機械的性質が優れている<ref name=":0">{{Cite book|last1=Askeland|first1=Donald R.|last2=Wright|first2=Wendelin J.|url=https://www.worldcat.org/oclc/903959750|title=The science and engineering of materials|isbn=978-1-305-07676-1|edition=Seventh|location=Boston, MA|pages=387–389|chapter=11-2 Intermetallic Compounds|date=January 2015|oclc=903959750|access-date=2020-11-10|archive-date=2021-05-31|archive-url=https://web.archive.org/web/20210531151448/https://www.worldcat.org/title/science-and-engineering-of-materials/oclc/903959750|url-status=live}}</ref><ref>{{Cite book|last=Panel On Intermetallic Alloy Development, Commission On Engineering And Technical Systems|url=https://www.worldcat.org/oclc/906692179|title=Intermetallic alloy development : a program evaluation|date=1997|publisher=National Academies Press|isbn=0-309-52438-5|pages=10|oclc=906692179|access-date=2020-11-10|archive-date=2021-05-31|archive-url=https://web.archive.org/web/20210531151435/https://www.worldcat.org/title/intermetallic-alloy-development-a-program-evaluation/oclc/906692179|url-status=live}}</ref><ref>{{Cite book|last=Soboyejo, W. O.|url=http://worldcat.org/oclc/300921090|title=Mechanical properties of engineered materials|date=2003|publisher=Marcel Dekker|isbn=0-8247-8900-8|chapter=1.4.3 Intermetallics|oclc=300921090|access-date=2020-11-10|archive-date=2021-05-31|archive-url=https://web.archive.org/web/20210531151500/https://www.worldcat.org/title/mechanical-properties-of-engineered-materials/oclc/300921090|url-status=live}}</ref>。これらは、化学量論的金属間化合物と、非化学量論的金属間化合物とに分類される<ref name=":0" />。 === 配位化合物 === {{Main|配位化合物}} 配位化合物(coordination complex、錯化合物とも呼ぶ)とは、配位中心と呼ばれる(通常は[[金属]]の)中心原子またはイオンと、[[配位子]]または錯化剤と呼ばれる周囲の結合分子またはイオンの配列から構成される化合物である<ref>{{cite book |title= Introduction to Coordination Chemistry |first= Geoffrey A. |last= Lawrance |year= 2010 |publisher= Wiley |isbn= 9780470687123 |doi= 10.1002/9780470687123}}</ref><ref>{{GoldBookRef | title = complex | file = C01203}}</ref><ref>{{GoldBookRef | file = C01330 | title = coordination entity}}</ref>。金属含有化合物、特に[[遷移金属]]化合物の多くのは配位化合物である<ref>{{Greenwood&Earnshaw2nd}}</ref>。金属原子を配位中心とする配位化合物を、[[dブロック元素]]の金属錯体と呼ぶ。 == 結合と力 == 化合物は、さまざまな種類の結合や力によってつなぎ合っている。化合物内における結合の種類の違いは、その化合物に含まれる元素の種類に依存する。 [[ロンドン分散力]]は、[[分子間力]]の中で最も弱い力である。これは、隣接する2つの原子の[[電子]]が一時的に[[双極子]]を形成するように配置されたときに生じる一時的な引力である。また、ロンドン分散力は、{{Ill2|化学極性|en|Chemical polarity|label=非極性物質}}を凝縮して液体にしたり、さらに環境の温度によって凍結した固体状態にする役割も担っている<ref>{{Cite web|url=https://www.chem.purdue.edu/gchelp/liquids/disperse.html|title=London Dispersion Forces|website=www.chem.purdue.edu|access-date=2017-09-13|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170113112106/http://www.chem.purdue.edu/gchelp/liquids/disperse.html|archive-date=2017-01-13}}</ref>。 [[共有結合]]は、分子結合とも呼ばれ、2つの原子の間で電子が共有されるものである。この形式の結合は、主に[[元素周期表]]で近い位置にある元素の間で起こるほか、一部の金属と非金属の間でも見られる。こうした現象は、この結合の機構に起因するものである。周期表で近い位置にある元素は、電子に対する親和力が似ている、すなわち[[電気陰性度]]が似ている傾向がある。どちらの元素も電子を供与したり獲得したりする親和性が強くないため、電子を共有することになり、両方の元素がより安定した[[オクテット則|オクテット]]を持つようになる。 [[イオン結合]]は、元素間で[[価電子]]が完全に移動することで起こる結合である。共有結合とは反対に、この化学結合は互いに逆荷電した2つのイオンを生成する。イオン結合をする金属元素は通常、価電子を失って、正電荷を持つ[[陽イオン]]となる。一方、非金属元素は金属から電子を獲得して、負電荷を持つ[[陰イオン]]となる。前記のようにイオン結合は、電子供与体(通常は金属)と電子受容体(通常は非金属)の間で起こる<ref>{{Cite news|url=https://chem.libretexts.org/Core/Organic_Chemistry/Fundamentals/Ionic_and_Covalent_Bonds|title=Ionic and Covalent Bonds|date=2013-10-02|work=Chemistry LibreTexts|access-date=2017-09-13|language=en-US|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20170913183643/https://chem.libretexts.org/Core/Organic_Chemistry/Fundamentals/Ionic_and_Covalent_Bonds|archive-date=2017-09-13}}</ref>。 [[水素結合]]は、電気陰性度が大きな原子に結合した[[水素原子]]が、相互作用する双極子または電荷を通じて、別の陰性原子と[[静電気学|静電的]]な結合を形成することで起こる<ref>{{GoldBookRef |title=hydrogen bond |file=H02899}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.chem.purdue.edu/gchelp/liquids/hbond.html|title=Hydrogen Bonding|website=www.chem.purdue.edu|access-date=2017-10-28|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20110808201000/http://www.chem.purdue.edu/gchelp/liquids/hbond.html|archive-date=2011-08-08}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.chemguide.co.uk/atoms/bonding/hbond.html|title=intermolecular bonding – hydrogen bonds|website=www.chemguide.co.uk|access-date=2017-10-28|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20161219123038/http://chemguide.co.uk/atoms/bonding/hbond.html|archive-date=2016-12-19}}</ref>。 == 化学反応 == {{Main|化学反応}} ある化合物が、[[化学反応]]によって別の化合物と相互作用することで、その化学組成を変換することができる。この過程では、相互作用するそれぞれの化合物で原子間の結合が切断され、その後、原子間に新しい結合が再形成される。概念的にこの反応は、AB + CD → AD + CB と記述することができる。ここで、A、B、C および D は、それぞれ固有の原子であり、AB、AD、CD および CB は、それぞれ固有の化合物である。 == 参考項目 == * [[化学構造]] - 分子の原子とその化学結合の空間的配置 * [[IUPAC命名法]] - 化学組成とその構造に基づく化合物の命名規則 * [[有機化合物の一覧]] - 一般的な有機化合物の化学式とCAS番号のリスト * [[化合物一覧]] - 無機化合物の化学式のリスト * [[純物質]] と [[混合物]] * [[化合]] と [[分解]] == 脚注 == {{reflist}} == 推薦文献 == {{wiktionarypar|chemical compound}} {{Commons category|Chemical compounds}} * {{Citation|author=Robert Siegfried|title=From elements to atoms: a history of chemical composition|date=1 October 2002|publisher=American Philosophical Society|isbn=978-0-87169-924-4}} {{Branches of chemistry}} {{Natural sciences-footer}} {{元素別の化合物分類}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かこうふつ}} [[Category:物質]] [[Category:分子]] [[Category:化学]] [[Category:化合物|*]]
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四色定理
四色定理(よんしょくていり/ししょくていり、英: Four color theorem)とは、厳密ではないが日常的な直感で説明すると「平面上のいかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗り分けるには4色あれば十分だ」という定理である。 グラフ理論的に言えば、この定理はループのない平面グラフに対して次のことを述べている。平面グラフ G {\displaystyle G} に対して、その彩色数は χ ( G ) ≤ 4 {\displaystyle \chi (G)\leq 4} である。 四色定理の直観的な記述 - 「平面を連続した領域に分割したとき、隣接する2つの領域が同じ色を持たないように、領域は最大でも4つの色を使って着色できる」 - を正しく解釈する必要がある。 これを「地図の塗り分け」とすると、例えば飛び地を所属地と常に同じ色にしなければならない、とした場合、何色あっても足りない、といった問題などがある。例えば、簡略化した地図を考えてみましょう: この地図では、Aと書かれた二つの地域は同じ国に属している。もしこれらの領域に同じ色を与えたいならば、5つの色が必要になる。なぜなら、2つのA領域は一緒になって他の4つの領域に隣接し、それぞれの領域は他のすべての領域に隣接しているからである。なお別々の領域に同じ色を持たせることは、平面の外側にそれらをつなぐ'ハンドル'を追加することでモデル化できる。 このような構成によって、この問題はトーラス(種数1の曲面)上の地図の色付け問題と等価になる。 よってまず、日常的な直感から離れた表現で記述し直すと「境界線によって囲まれたいくつかの領域からなる平面図形があり、境界線の一部を共有する(隣り合った)領域は異なった色で塗らなければならない、としたとき、4色あれば十分である」となる。 グラフ理論でとらえると、 という定理になる(後述)。 なお、境界線ではなく、点のみを共有する領域は隣り合っているものとはみなされず、互いに同色で塗ってもよい(飛び地の場合と同じく、この条件なしではやはり何色あっても足りなくなる。現実の地図では稀だが、有名なものでは米国に、1点に4州が接する「フォー・コーナーズ」という地点がある)。また平面だけでなく、球面の場合も同様である(平面の地図に、全周囲となる領域を加え、それを反対側の1点に集めるようにして球にすればよい。逆も同様)。しかし、ドーナツや「繋がったドーナツ」のような、穴がある形状の表面については同様とはいかない(これも後述)。 証明される前は四色問題と呼ばれることもあり、1975年に証明されたのだが、未証明の期間が長かったため現在でも四色問題と呼ばれることがある。 3つの境界線が1点に集まっている場所があるため、3色必要であることはただちに明らかである。続いて、ある領域の周囲にいくつかの領域がある場合(日本地図では長野県のような場合)を考える。周囲の領域の個数が偶数であれば3色で塗り分けできるが(長野県の場合はそうなる)、奇数個の領域で囲まれている場合は3色での塗り分けは不可能で、どうしても4色が必要である。そして、4色あればどんな場合でも塗り分け可能なのか? ということが問題である。 前述のように、グラフ理論により「平面グラフは4彩色可能である」という定理となる(証明もグラフ理論によってなされている)。参考例を図に示すが、まず、地図の境界線をグラフの辺、境界線が接続する点をグラフの頂点としたグラフを作る。その双対グラフにおける頂点の彩色が、元の地図の塗分けと同じ問題となる。 また、このような領域の塗り分けが有限の色数で必ず可能となるのは平面(二次元)以下の次元までであり、三次元以上では領域の取り方次第でいくらでも色数が必要な例が作れる。 1852年に法科学生のフランシス・ガスリーが数学専攻である弟のフレデリック・ガスリー(英語版)に質問したのを発端に問題として定式化され、19世紀後半になって数学者がその話を聞いて証明を試みたが、多くの数学者の挑戦をはねのけ続けていた。 1879年、アルフレッド・ケンプ(英語版)による証明が『アメリカ数学ジャーナル』誌上で発表された。この証明は妥当と見なされていたが、1890年になってパーシー・ヒーウッド(英語版)により不備が指摘された。しかし、ケンプの証明で使われた論理に沿って、地図を塗り分けるには5色で十分であることが証明された。これは五色定理と呼ばれている。4色で十分かどうかは、グラフ理論における最も有名な未解決問題として残った。 1976年にケネス・アッペル(英語版)とヴォルフガング・ハーケンは、ハインリヒ・ヘーシュ(英語版)により考案された「放電法」と呼ばれる手続きを改良し、コンピュータを利用して約2000個の(後に1400個あまりに整理された)可約な配置からなる不可避集合を見出し、四色定理を「証明」するに至った。 これは一応は認められたが、人手による実行が(事実上)不可能なほどの複雑なプログラムの実行によるものであることから、ハードウェアやソフトウェア(コンピュータやそのプログラム)のバグの可能性などの懸念から、その確実さについて疑問視する向きもあった。たとえば、東京女子大の小西善二郎講師は、元のSystem/370は現在入手不可能だが、等価回路で元のアセンブラによるプログラムの欠陥がないとは言えない、としている。 しかしその後、1996年にニール・ロバートソン(英語版)らによりアルゴリズムやプログラムの改良が行われ、より簡易な手法(従来の放電手続きよりシンプルな放電手続きを考案し、不可避集合の数を1405個から633個に抑えた)による再証明が行われるなど、第三者による複数の改良された証明が行われ、証明は確実視されるようになっていった。2004年にはジョルジュ・ゴンティエ(英語版)が定理証明系Coqを用いて、よりシンプルな証明を行うなど、コンピュータの応用手法の洗練により、より確かな手続きで証明が行われるなどしているため、現在では四色問題は解決していると捉えられている。 四色定理の証明法は次の2段階に分けられる。 実際、もしも塗り分けに5色以上が必要な四色問題の反例となるグラフがあったとしたならば、その中で頂点の個数が最小のものを考える。すると、1.よりこのグラフは不可避集合に属する部分グラフを含む。2.により、この部分グラフを除いた、より頂点数の少ないグラフが既に四色問題の反例を与えることになる。しかし、それは最小の反例をとってきたという仮定に反する。 アッペルとハーケンはコンピュータによる実験を繰り返し、プログラムを何度も書き換えながら、可約なグラフから成る約2,000個のグラフからなる不可避集合を求めた。当時の大型汎用コンピュータであるIBM System/370を1,200時間以上使用したといわれている。 複雑に思える問題に対して簡潔にまとまった比較的短い証明(解答)を、エレガントな証明(解答)と言うことがある。四色定理に対するある種「力業による証明」は、これとは対極にあるものとして揶揄を込めて「エレファント(象)」な証明とも言われた。5色による塗り分けが可能であることの証明が簡潔なものであるのとは対照的である。 その後アルゴリズムは改良されたが、現在でもコンピュータを利用しないで済ませられる証明は得られていない。それどころか完全に自然言語を離れて、プログラムにバグがないことも含めた四色定理の証明全体をコンピュータ上の証明検証系システム(ソフトウェア)Coqによってチェックさせた仕事がある。またコンピュータを使うこと以上に、証明の構成法自体が四色定理の解決のために特化していて、他の問題との関係性に乏しいことも数学者の間で人気のない理由になっている。 以下の議論はEvery Planar Map is Four Colorable (Appel & Haken 1989)の序論に基づく要約である。欠点はあるが、ケンペの4色定理の最初の証明とされるものは、後に4色定理の証明に使われる基本的なツールの一部を提供した。ここでの説明は、上記の現代グラフ理論の定式化の観点から言い直したものである。 ケンペの議論は次のようなものである。まず,グラフで区切られた平面領域が三角分割されていない場合,つまり,境界にちょうど3つの辺がない場合,境界のない外側の領域も含めてすべての領域を三角形にするために,新しい頂点を導入することなく辺を追加することができる.この三角化グラフが4色以下で着色可能であれば,辺を削除しても同じ着色法が成り立つので,元のグラフも同様である.したがって,三角形化されたグラフの4色定理を証明するには,すべての平面グラフについて証明すれば十分であり,一般性を損なうことなくグラフが三角形化されていると仮定する. 頂点、辺、領域(面)の数を v, e, f とする。各領域は三角形であり、各辺は2つの領域で共有されるので、2e=3fとなる。これはオイラーの多面体定理v- e + f = 2 を使えば、6v- 2e = 12.さて、頂点の次数とは、その頂点に接する辺の数である。v_nを次数nの頂点の数、Dを任意の頂点の最大次数とする、 しかし、12 > 0であり、すべてのi≥ 6に対して6 - i ≤ 0なので、これは次数5以下の頂点が少なくとも1つあることを示している。 もし5色を必要とするグラフがあるとすれば、そのようなグラフは最小であり、どの頂点を取り除いても4色になる。このグラフをGと呼ぶ。もしd(v) ≤ 3 ならば,Gからvを取り除き,小さいグラフを4色化した後,vを再び加え,隣と異なる色を選んで4色化を拡張することができるからである. 先ほどと同様に、頂点vを取り除き、残った頂点を4色に着色する。もしvの4つの隣がすべて異なる色、例えば時計回りの順序で赤、緑、青、黄であれば、赤と青の隣を結ぶ赤と青の頂点の交互のパスを探す。このような経路はケンプ鎖と呼ばれる。赤と青の隣同士を結ぶケンペ鎖があるかもしれないし,緑と黄の隣同士を結ぶケンペ鎖があるかもしれない.連鎖していないのは赤と青の隣同士だとする。赤と青の交互のパスで赤の隣の頂点に接続されているすべての頂点を探索し、これらのすべての頂点で赤と青の色を逆にする。その結果、やはり4色使いになり、vを戻して赤に着色することができる。 これで残るのは次数5の頂点がGにある場合だけであるが、ケンペの議論にはこの場合の欠陥があった。HeawoodはKempeの間違いに気付くと同時に、5色しか必要でないことを証明することで満足するのであれば、(最小反例が6色を必要とすることだけを変えて)上記の議論を実行し、次数5の状況でKempeの鎖を使って五色定理を証明することができることに気付いた。 いずれにせよ、この次数5の頂点のケースを扱うには、頂点を取り除くよりも複雑な概念を必要とする。むしろ、(Gの)各頂点の次数が指定されたGの連結部分グラフである構成を考えることに議論の形式が一般化される。例えば、次数4の頂点の状況で説明されるケースは、Gにおいて次数4であるとラベル付けされた1つの頂点からなる構成である。上記と同様に、構成を削除して残りのグラフを4色化した場合、構成を再び追加したときに4色化も拡張できるように色付けを修正できることを示せば十分である。これが可能な構成を還元可能な構成と呼ぶ.ある構成の集合のうち少なくとも1つがGのどこかに必ず出現する場合、その集合を不可避な構成と呼ぶ。上の議論は、まず5つの構成(次数1の頂点、次数2の頂点、...、次数5の頂点)からなる不可避的な集合を与え、最初の4つが還元可能であることを示した。 Gは三角形であり、構成中の各頂点の次数は既知であり、構成内部の辺はすべて既知であるため、与えられた構成に隣接するGの頂点の数は決まっており、それらはサイクルで結ばれる。これらの頂点は配置の環を形成する。環にk個の頂点を持つ配置はk環構成であり、環を持つ配置は環構成と呼ばれる。上記の単純な場合と同様に、リングのすべての異なる4つのカラーリングを列挙することができる。構成のカラーリングに変更することなく拡張できるカラーリングは、最初は良いと呼ばれる。例えば、3つ以下の近傍を持つ上記の単一頂点の配置は、最初は良い配置であった。一般に、リングのカラーリングを良いものに変えるためには、上の4つの近傍がある場合のように、周囲のグラフを系統的に再カラーリングする必要がある。リングの4つのカラーリングの数が多いので、これはコンピュータの支援を必要とする主要なステップである。 最後に、この手順で漸化できる構成の不可避集合を特定することが残る。このような集合を発見するために使われる主要な方法は、放電法である。放電法の根底にある直感的な考え方は、平面グラフを電気的なネットワークとして考えることである。最初に正負の「電荷」が頂点に分配され、合計が正になるようにする。 上の式を思い出してほしい: 各頂点には6-deg(v)の初期電荷が割り当てられる。次に、ある頂点から隣接する頂点へ、規則に従って電荷を系統的に再分配することで電荷を「流す」(discharging procedure)。電荷は保存されるので、一部の頂点はまだ正の電荷を持っている。規則によって正電荷を持つ頂点の配置の可能性が制限されるので、そのような配置の可能性をすべて列挙すると、避けられない集合が得られる。 やむを得ない集合の中に還元可能でないものがある限り、(他の配置を導入しながら)それを取り除くように放電の手順を修正する。アペルとハーケンの最終的な排出手順は非常に複雑で、結果として得られる不可避的な構成集合の説明と合わせて400ページのボリュームを満たしたが、生成された構成が還元可能であることは機械的に確認することができた。不可避的コンフィギュレーションを記述した本そのものの検証は、数年にわたる査読によって行われた。 ここでは説明しないが、証明を完成させるために必要な技術的な詳細は、はめ込み 可約性'である。 一般に種数 g ≥ 0 の閉曲面(わかりやすく言えば、穴が g 個あるドーナツ)を塗り分けるのに最低限必要な色の数は、1890年にヒーウッドによって と予想された。この予測が g ≥ 1 に対して正しいことは、リンゲルとヤングスにより1968年に証明された。この式に形式的に平面の場合である g = 0 を代入すれば、4 となる(ただしこれをもって四色問題の証明とすることはできない)。 トーラス(円環、いわゆるドーナツの形、g=1の場合)上のグラフは、7色で彩色可能である。 「与えられた地図Gに対し、Gを3色で塗り分けできるかどうかを決定せよ」という問題を3彩色問題という。四色問題のときと同じく隣り合う土地を同じ色で塗ってはならない。 3彩色問題はNP完全問題の一つであることが知られている。 解決される少し前の1975年に一つのハプニングがあった。数学パズル(en:Recreational mathematics)で有名なマーティン・ガードナーが『サイエンティフィック・アメリカン』の連載コラム「Mathematical Games」において、これが四色問題の反例であるという(五色が必要だと主張する)境界の図を載せたのである。 「なぜか世間の注意をひかなかった6つの衝撃の発見」と題する4月号のこの記事は、実のところエイプリルフールの冗談であり、他の内容もやはりラマヌジャンの定数(ほとんど整数#ラマヌジャンの定数を参照)など、一見びっくりする数学ジョークというものであった。そして「四色問題の反例」は、実はマクレガーによる数学パズル問題で、四色での塗り分けは一見不可能に見えるが、実際に塗り分けを試みればあまり難航することもなく解ける(かもしれない)というものである。そのため、塗り分けができたぞという手紙が千通以上も寄せられることになったという。
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"title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "やむを得ない集合の中に還元可能でないものがある限り、(他の配置を導入しながら)それを取り除くように放電の手順を修正する。アペルとハーケンの最終的な排出手順は非常に複雑で、結果として得られる不可避的な構成集合の説明と合わせて400ページのボリュームを満たしたが、生成された構成が還元可能であることは機械的に確認することができた。不可避的コンフィギュレーションを記述した本そのものの検証は、数年にわたる査読によって行われた。", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ここでは説明しないが、証明を完成させるために必要な技術的な詳細は、はめ込み 可約性'である。", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "一般に種数 g ≥ 0 の閉曲面(わかりやすく言えば、穴が g 個あるドーナツ)を塗り分けるのに最低限必要な色の数は、1890年にヒーウッドによって", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "と予想された。この予測が g ≥ 1 に対して正しいことは、リンゲルとヤングスにより1968年に証明された。この式に形式的に平面の場合である g = 0 を代入すれば、4 となる(ただしこれをもって四色問題の証明とすることはできない)。", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "トーラス(円環、いわゆるドーナツの形、g=1の場合)上のグラフは、7色で彩色可能である。", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "", "title": "証明のアイディアの概要" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": 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四色定理とは、厳密ではないが日常的な直感で説明すると「平面上のいかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗り分けるには4色あれば十分だ」という定理である。
[[Image:Four Colour Map Example.svg|right|thumb|200px|4色に塗り分けられている(常にさらに外側の領域を想定することで、地図の外縁部は3色で塗り分け可能で、球面においても四色定理が成立することがわかる)]] '''四色定理'''(よんしょくていり/ししょくていり、{{Lang-en-short|Four color theorem}})とは、厳密ではないが日常的な直感で説明すると「平面上のいかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗り分けるには4色あれば十分だ」という定理である。 ==定理の正確な定式化== グラフ理論的に言えば、この定理はループのない[[平面グラフ]]に対して次のことを述べている。[[平面グラフ]]<math>G</math>に対して、その[[グラフ彩色|彩色数]]は<math>\chi(G) \leq 4</math>である。 四色定理の直観的な記述 - 「平面を連続した領域に分割したとき、隣接する2つの領域が同じ色を持たないように、領域は最大でも4つの色を使って着色できる」 - を正しく解釈する必要がある。 これを「地図の塗り分け」とすると、例えば[[飛地|飛び地]]を所属地と常に同じ色にしなければならない、とした場合、何色あっても足りない、といった問題などがある。例えば、簡略化した地図を考えてみましょう: [[File:4CT Inadequacy Example.svg|center|200px]] この地図では、''A''と書かれた二つの地域は同じ国に属している。もしこれらの領域に同じ色を与えたいならば、5つの色が必要になる。なぜなら、2つの''A''領域は一緒になって他の4つの領域に隣接し、それぞれの領域は他のすべての領域に隣接しているからである。なお別々の領域に同じ色を持たせることは、平面の外側にそれらをつなぐ'ハンドル'を追加することでモデル化できる。 [[File:4CT Inadequacy Explanation.svg|center|200px]] このような構成によって、この問題は[[トーラス]]([[種数]]1の曲面)上の地図の色付け問題と等価になる。 よってまず、日常的な直感から離れた表現で記述し直すと「境界線によって囲まれたいくつかの領域からなる平面図形があり、境界線の一部を共有する(隣り合った)領域は異なった色で塗らなければならない、としたとき、4色あれば十分である」となる。 [[グラフ理論]]でとらえると、 :「[[平面グラフ]]は4彩色可能である」 という定理になる(後述)。 なお、境界線ではなく、点のみを共有する領域は隣り合っているものとはみなされず、互いに同色で塗ってもよい(飛び地の場合と同じく、この条件なしではやはり何色あっても足りなくなる。現実の地図では稀だが、有名なものでは米国に、1点に4州が接する「[[フォー・コーナーズ (アメリカ合衆国)|フォー・コーナーズ]]」という地点がある)。また平面だけでなく、球面の場合も同様である(平面の地図に、全周囲となる領域を加え、それを反対側の1点に集めるようにして球にすればよい。逆も同様)。しかし、ドーナツや「繋がったドーナツ」のような、穴がある形状の表面については同様とはいかない(これも後述)。 証明される前は'''四色問題'''と呼ばれることもあり、1975年に証明されたのだが、未証明の期間が長かったため現在でも四色問題と呼ばれることがある。 3つの境界線が1点に集まっている場所があるため、3色必要であることはただちに明らかである。続いて、ある領域の周囲にいくつかの領域がある場合(日本地図では[[長野県]]のような場合)を考える。周囲の領域の個数が偶数であれば3色で塗り分けできるが(長野県の場合はそうなる{{efn2|新潟県・群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・富山県 の8県。}})、奇数個の領域で囲まれている場合は3色での塗り分けは不可能で、どうしても4色が必要である。そして、4色あればどんな場合でも塗り分け可能なのか? ということが問題である。 前述のように、[[グラフ理論]]により「[[平面グラフ]]は4彩色可能である」という定理となる(証明もグラフ理論によってなされている)。参考例を図に示すが、まず、地図の境界線をグラフの辺、境界線が接続する点をグラフの頂点としたグラフを作る。その[[双対]]グラフにおける頂点の彩色が、元の地図の塗分けと同じ問題となる。 [[Image:Four Colour Planar Graph.svg|center|]] また、このような領域の塗り分けが有限の色数で必ず可能となるのは平面(二次元)以下の次元までであり、三次元以上では領域の取り方次第でいくらでも色数が必要な例が作れる。 == 歴史 == [[Image:Map of USA with state names.svg|thumb|270px|(海や他国領土の色を除いて)4色に塗り分けられた[[アメリカ合衆国]]の州]] 1852年に法科学生の[[フランシス・ガスリー]]が数学専攻である弟の{{仮リンク|フレデリック・ガスリー|en| Frederick Guthrie}}に質問したのを発端に問題として定式化され、19世紀後半になって[[数学者]]がその話を聞いて証明を試みたが、多くの数学者の挑戦をはねのけ続けていた。 1879年、{{仮リンク|アルフレッド・ケンプ|en|Alfred Kempe}}による証明が『[[アメリカ数学ジャーナル]]』誌上で発表された。この証明は妥当と見なされていたが、1890年になって{{仮リンク|パーシー・ヒーウッド|en|Percy John Heawood}}により不備が指摘された。しかし、ケンプの証明で使われた論理に沿って、地図を塗り分けるには5色で十分であることが証明された。これは[[五色定理]]と呼ばれている。4色で十分かどうかは、[[グラフ理論]]における最も有名な未解決問題として残った。 [[1976年]]に{{仮リンク|ケネス・アッペル|en|Kenneth Appel}}と[[ヴォルフガング・ハーケン]]は、{{仮リンク|ハインリヒ・ヘーシュ|en|Heinrich Heesch}}により考案された「[[放電法]]」と呼ばれる手続きを改良し、[[コンピュータ]]を利用して約2000個の(後に1400個あまりに整理された)可約な配置からなる不可避集合を見出し、四色定理を「証明」するに至った<ref>K. Appel, W. Haken, "''Every planar map is four colorable''" (Bulletin of the American Mathematical Society Volume 82, Number 5, September 1976)</ref><ref>"''Every planar map is four colorable. Part II: Reducibility''" by K. Appel, W. Haken, and J. Koch (Illinois J. Math. Volume 21, Issue 3 (1977), 491–567.)</ref><ref>Contemporary mathematics 98 "''Every Planar Map is Four Colorable''" by Kenneth Appel and Wolfgang Haken</ref>。 これは一応は認められたが、人手による実行が(事実上)不可能なほどの複雑なプログラムの実行によるものであることから、ハードウェアやソフトウェア(コンピュータやその[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]])のバグの可能性などの懸念から、その確実さについて疑問視する向きもあった。たとえば、[[東京女子大]]の小西善二郎講師は、元のSystem/370は現在入手不可能だが、等価回路で元の[[アセンブラ]]によるプログラムの欠陥がないとは言えない、としている。 しかしその後、1996年に{{仮リンク|ニール・ロバートソン|en|Neil Robertson (mathematician)}}らによりアルゴリズムやプログラムの改良が行われ、より簡易な手法(従来の放電手続きよりシンプルな放電手続きを考案し、不可避集合の数を1405個から633個に抑えた)による再証明が行われる<ref>"''A new proof of the four-colour theorem''" by Neil Robertson, Damiel P. Sanders, Paul Seymour, and Robin Thomas (Electronic Research Announcements of the American Mathematical Society Volume 2, Number 1, August 1996)</ref>など、第三者による複数の改良された証明が行われ、証明は確実視されるようになっていった。2004年には{{仮リンク|ジョルジュ・ゴンティエ|en|Georges Gonthier}}が定理証明系[[Coq]]を用いて、よりシンプルな証明を行うなど<ref>"''A computer-checked proof of the Four Colour Theorem''" by Georges Gonthier (Microsoft Research Cambridge) http://www2.tcs.ifi.lmu.de/~abel/lehre/WS07-08/CAFR/4colproof.pdf</ref>、コンピュータの応用手法の洗練により、より確かな手続きで証明が行われるなどしているため、現在では四色問題は解決していると捉えられている。<!-- 四色定理は実用的には地図作製だけでなく、[[携帯電話]]の[[基地局]]配置にも応用されている。[[周波数]]の同じ[[電波]]同士で混信してしまう[[周波数分割多元接続|FDMA]]・[[時分割多元接続|TDMA]]方式の携帯電話システムでは、隣接する基地局同士に同じ周波数を割り当てないように、配慮している。 --><!-- 基地局のカバーエリアは、地図上の領域や平面グラフのように任意の広がりを持つことは一般に考えられない(3色では足りず、4色が必要であること、は、概説で述べたようにこの定理以前の単純な話である)。この分野に、基地局等に関しもし有用な理論があるとするなら、[[ドロネー図]]あるいは[[ボロノイ図]]に関する理論ではないだろうか? --> == コンピュータによる証明 == 四色定理の証明法は次の2段階に分けられる。 #どのような平面グラフをとってきても、その集合に属するグラフのどれか一つが部分グラフとして含まれるグラフの集合を考える。このような性質をもつグラフの集合を'''不可避集合'''という。 #不可避集合をうまく選ぶと、それに属するどのグラフも次の意味で'''可約'''にできる。すなわち、その部分グラフを含むグラフがあったとき、その部分グラフを除いたものが4色で塗り分けが可能ならば、グラフ全体も4色で塗り分けができる。 実際、もしも塗り分けに5色以上が必要な四色問題の反例となるグラフがあったとしたならば、その中で頂点の個数が最小のものを考える。すると、1.よりこのグラフは不可避集合に属する部分グラフを含む。2.により、この部分グラフを除いた、より頂点数の少ないグラフが既に四色問題の反例を与えることになる。しかし、それは最小の反例をとってきたという仮定に反する。 アッペルとハーケンはコンピュータによる実験を繰り返し、プログラムを何度も書き換えながら、可約なグラフから成る約2,000個のグラフからなる不可避集合を求めた。当時の[[メインフレーム|大型汎用コンピュータ]]であるIBM [[System/370]]{{efn2|「最高速のスーパコンピュータ」などと書かれていることがあるが、同機はいわゆる(クレイなどの)「スーパーコンピュータ」ではない。大成功を収めた1964年発表のSystem/360(360度さまざまな業務に対応できる意)に続く、1970年発表の後継機であり、1975年当時のIBMの主力機である。System/360同様System/370ファミリを形成しており、モデルによって性能に幅がある。}}を1,200時間以上使用したといわれている。 複雑に思える問題に対して簡潔にまとまった比較的短い証明(解答)を、エレガントな証明(解答)と言うことがある。四色定理に対するある種「力業による証明」は、これとは対極にあるものとして揶揄を込めて「エレファント([[ゾウ|象]])」な証明とも言われた。5色による塗り分けが可能であることの証明が簡潔なものであるのとは対照的である。 その後[[アルゴリズム]]は改良されたが、現在でもコンピュータを利用しないで済ませられる証明は得られていない。それどころか完全に自然言語を離れて、プログラムにバグがないことも含めた四色定理の証明全体をコンピュータ上の証明検証系システム(ソフトウェア)[[Coq]]によってチェックさせた仕事がある。またコンピュータを使うこと以上に、証明の構成法自体が四色定理の解決のために特化していて、他の問題との関係性に乏しいことも数学者の間で人気のない理由になっている。 ==証明のアイディアの概要== {{No footnotes|section|date=October 2023}} 以下の議論は''Every Planar Map is Four Colorable'' {{Harv|Appel|Haken|1989}}の序論に基づく要約である。欠点はあるが、ケンペの4色定理の最初の証明とされるものは、後に4色定理の証明に使われる基本的なツールの一部を提供した。ここでの説明は、上記の現代グラフ理論の定式化の観点から言い直したものである。 ケンペの議論は次のようなものである。まず,グラフで区切られた平面領域が''[[三角分割]]されていない場合,つまり,境界にちょうど3つの辺がない場合,境界のない外側の領域も含めてすべての領域を三角形にするために,新しい頂点を導入することなく辺を追加することができる.この[[平面グラフ|三角化グラフ]]が4色以下で着色可能であれば,辺を削除しても同じ着色法が成り立つので,元のグラフも同様である.したがって,三角形化されたグラフの4色定理を証明するには,すべての平面グラフについて証明すれば十分であり,一般性を損なうことなくグラフが三角形化されていると仮定する. 頂点、辺、領域(面)の数を ''v'', ''e'', ''f'' とする。各領域は三角形であり、各辺は2つの領域で共有されるので、2''e''=3''f''となる。これは[[オイラー標数|オイラーの多面体定理]]''v''- ''e'' + ''f'' = 2 を使えば、6''v''- 2''e'' = 12.さて、頂点の''次数''とは、その頂点に接する辺の数である。v_nを次数''n''の頂点の数、''D''を任意の頂点の最大次数とする、 :<math>6v - 2e = 6\sum_{i=1}^D v_i - \sum_{i=1}^D iv_i = \sum_{i=1}^D (6 - i)v_i = 12.</math>. しかし、12 > 0であり、すべての''i''≥ 6に対して6 - ''i'' ≤ 0なので、これは次数5以下の頂点が少なくとも1つあることを示している。 もし5色を必要とするグラフがあるとすれば、そのようなグラフは''最小''であり、どの頂点を取り除いても4色になる。このグラフを''G''と呼ぶ。もし''d''(''v'') ≤ 3 ならば,''G''から''v''を取り除き,小さいグラフを4色化した後,''v''を再び加え,隣と異なる色を選んで4色化を拡張することができるからである. [[File:Kempe Chain.svg|thumb|A graph containing a Kempe chain consisting of alternating blue and red vertices]] 先ほどと同様に、頂点''v''を取り除き、残った頂点を4色に着色する。もし''v''の4つの隣がすべて異なる色、例えば時計回りの順序で赤、緑、青、黄であれば、赤と青の隣を結ぶ赤と青の頂点の交互のパスを探す。このような経路は[[:en:Kempe chain|ケンプ鎖]]と呼ばれる。赤と青の隣同士を結ぶケンペ鎖があるかもしれないし,緑と黄の隣同士を結ぶケンペ鎖があるかもしれない.連鎖していないのは赤と青の隣同士だとする。赤と青の交互のパスで赤の隣の頂点に接続されているすべての頂点を探索し、これらのすべての頂点で赤と青の色を逆にする。その結果、やはり4色使いになり、''v''を戻して赤に着色することができる。 これで残るのは次数5の頂点が''G''にある場合だけであるが、ケンペの議論にはこの場合の欠陥があった。HeawoodはKempeの間違いに気付くと同時に、5色しか必要でないことを証明することで満足するのであれば、(最小反例が6色を必要とすることだけを変えて)上記の議論を実行し、次数5の状況でKempeの鎖を使って[[五色定理]]を証明することができることに気付いた。 いずれにせよ、この次数5の頂点のケースを扱うには、頂点を取り除くよりも複雑な概念を必要とする。むしろ、(Gの)各頂点の次数が指定された''G''の連結部分グラフである''構成''を考えることに議論の形式が一般化される。例えば、次数4の頂点の状況で説明されるケースは、''G''において次数4であるとラベル付けされた1つの頂点からなる構成である。上記と同様に、構成を削除して残りのグラフを4色化した場合、構成を再び追加したときに4色化も拡張できるように色付けを修正できることを示せば十分である。これが可能な構成を''還元可能な構成''と呼ぶ.ある構成の集合のうち少なくとも1つがGのどこかに必ず出現する場合、その集合を''不可避な構成''と呼ぶ。上の議論は、まず5つの構成(次数1の頂点、次数2の頂点、...、次数5の頂点)からなる不可避的な集合を与え、最初の4つが還元可能であることを示した。 G''は三角形であり、構成中の各頂点の次数は既知であり、構成内部の辺はすべて既知であるため、与えられた構成に隣接する''G''の頂点の数は決まっており、それらはサイクルで結ばれる。これらの頂点は配置の''環''を形成する。環に''k''個の頂点を持つ配置は''k''環構成であり、環を持つ配置は''環構成''と呼ばれる。上記の単純な場合と同様に、リングのすべての異なる4つのカラーリングを列挙することができる。構成のカラーリングに変更することなく拡張できるカラーリングは、''最初は良い''と呼ばれる。例えば、3つ以下の近傍を持つ上記の単一頂点の配置は、最初は良い配置であった。一般に、リングのカラーリングを良いものに変えるためには、上の4つの近傍がある場合のように、周囲のグラフを系統的に再カラーリングする必要がある。リングの4つのカラーリングの数が多いので、これはコンピュータの支援を必要とする主要なステップである。 最後に、この手順で漸化できる構成の不可避集合を特定することが残る。このような集合を発見するために使われる主要な方法は、[[放電法]]である。放電法の根底にある直感的な考え方は、平面グラフを電気的なネットワークとして考えることである。最初に正負の「電荷」が頂点に分配され、合計が正になるようにする。 上の式を思い出してほしい: :<math>\sum_{i=1}^D (6 - i)v_i = 12.</math> 各頂点には6-deg(''v'')の初期電荷が割り当てられる。次に、ある頂点から隣接する頂点へ、規則に従って電荷を系統的に再分配することで電荷を「流す」(''discharging procedure'')。電荷は保存されるので、一部の頂点はまだ正の電荷を持っている。規則によって正電荷を持つ頂点の配置の可能性が制限されるので、そのような配置の可能性をすべて列挙すると、避けられない集合が得られる。 やむを得ない集合の中に還元可能でないものがある限り、(他の配置を導入しながら)それを取り除くように放電の手順を修正する。アペルとハーケンの最終的な排出手順は非常に複雑で、結果として得られる不可避的な構成集合の説明と合わせて400ページのボリュームを満たしたが、生成された構成が還元可能であることは機械的に確認することができた。不可避的コンフィギュレーションを記述した本そのものの検証は、数年にわたる査読によって行われた。 ここでは説明しないが、証明を完成させるために必要な技術的な詳細は、''[[はめ込み]] 可約性'''である。 === 一般化 === 一般に種数 ''g'' ≥ 0 の閉曲面(わかりやすく言えば、穴が ''g'' 個あるドーナツ)を塗り分けるのに最低限必要な色の数は、[[1890年]]にヒーウッドによって :<math>\left\lfloor \frac{7+\sqrt{1+ 48g}}{2} \right\rfloor</math>(<math>\lfloor \cdot \rfloor</math>は[[床関数|フロア関数]]) と予想された。この予測が ''g'' ≥ 1 に対して正しいことは、リンゲルとヤングスにより[[1968年]]に証明された<ref>{{MathWorld|title=Map Coloring|urlname=MapColoring}}</ref>。この式に形式的に平面の場合である g = 0 を代入すれば、4 となる(ただしこれをもって四色問題の証明とすることはできない)。 [[トーラス]](円環、いわゆるドーナツの形、g=1の場合)上のグラフは、7色で彩色可能である。 [[Image:Torus with seven colours.svg|300px]] [[Image:Projection color torus.png|400px]] == 3彩色問題 == 「与えられた地図Gに対し、Gを3色で塗り分けできるかどうかを決定せよ」という問題を'''3彩色問題'''という。四色問題のときと同じく隣り合う土地を同じ色で塗ってはならない。 3彩色問題は[[NP完全問題]]の一つであることが知られている。 == 四色問題とジョーク == 解決される少し前の1975年に一つのハプニングがあった。[[数学パズル]]([[:en:Recreational mathematics]])で有名な[[マーティン・ガードナー]]が『[[サイエンティフィック・アメリカン]]』の連載コラム「Mathematical Games」において、これが四色問題の反例であるという(五色が必要だと主張する)境界の図を載せたのである<ref name="Gardner1977">{{harvtxt|ガードナー|一松|1977}}</ref><ref>{{Harvtxt|高木|1976|loc=XIV 最近の話題/パズルの最前線}}によると、日本版『サイエンス』誌6月号に掲載、と見える。</ref><ref name="一松1978pp197-204">{{Harvtxt|一松|1978|pp=197–204}}</ref>。 「なぜか世間の注意をひかなかった6つの衝撃の発見」と題する'''4月号の'''この記事は、実のところ[[エイプリルフール]]の冗談であり、他の内容もやはりラマヌジャンの定数([[ほとんど整数#ラマヌジャンの定数]]を参照)など、一見びっくりする数学ジョークというものであった。そして「四色問題の反例」は、実はマクレガーによる[[数学パズル]]問題で、四色での塗り分けは一見不可能に見えるが、実際に塗り分けを試みればあまり難航することもなく解ける(かもしれない{{efn2|ある程度は、解く者の試行錯誤が要求され、運の要素もある。}})というものである。そのため、塗り分けができたぞという手紙が千通以上も寄せられることになったという<ref name="一松1978pp197-204" /><ref>{{MathWorld|title=McGregor Map|urlname=McGregorMap}} このページでその問題が見られるが、解答(ネタバレ、spoiler)もすぐ隣にあるので、パズルとして楽しみたい場合は他を探すこと。</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == *{{Cite journal|和書|author1=アッペル|author2=ハーケン|author3=[[島内剛一]] 訳|year=1977|month=12|title=4色問題の解決|journal=サイエンス|issue=1977年12月号|pages=18-29|publisher=日経サイエンス|ref={{harvid|アッペル|ハーケン|1977}}}} *{{Citation|last1=Wilson|first1=Robin|author1-link=ロビン・ウィルソン|last2=Stewart|first2=Ian|author2-link=イアン・スチュワート|date=2013-11-10|title=Four Colors Suffice: How the Map Problem Was Solved|publisher=Princeton University Press|edition=Revised Color|series=Princeton Science Library|isbn=978-0-691-15822-8|url=http://press.princeton.edu/titles/10116.html}} - 改訂多色版。イアン・スチュワートによる前書を追加。 **{{Cite book|和書|first=ロビン|last=ウィルソン|author=ロビン・ウィルソン|title=四色問題|others=[[茂木健一郎]] 訳|publisher=新潮社|date=2004-11-30|isbn=978-4-10-545201-8|ref={{Harvid|ウィルソン|2004}}}} **{{Cite book|和書|first=ロビン|last=ウィルソン|author=ロビン・ウィルソン|title=四色問題|others=茂木健一郎 訳|series=新潮文庫 Science&History Collection|publisher=新潮社|date=2013-12-01|isbn=978-4-10-218461-5|url=http://www.shinchosha.co.jp/book/218461/|ref={{Harvid|ウィルソン|2013}}}} - 原著初版の翻訳。 *{{Cite journal|和書|first=マーティン|last=ガードナー|author-link=マーティン・ガードナー|others=[[一松信]] 訳|year=1975|month=6|title=数学ゲーム|journal=サイエンス|issue=1975年6月号|publisher=日経サイエンス|ref={{harvid|ガードナー|一松|1977}}}} *{{Cite book|和書|first=マーティン|last=ガードナー|author=マーティン・ガードナー|others=[[岩沢宏和]]・[[上原隆平]] 監訳|date=2016-04-20|title=ガードナーの新・数学娯楽 球を詰め込む・4色定理・差分法|publisher=日本評論社|pages=162-180|isbn=978-4-535-60423-0|ref={{harvid|ガードナー|岩沢|上原|2016}}}} *{{Cite journal|和書|author=島内剛一|date=1977-02~09|title=四色問題|journal=数学セミナー|issue=1977年2月~9月号|publisher=日本評論社|ref={{harvid|島内|1977}}}} *{{Cite book|和書|author=高木茂男|authorlink=高木茂男|year=1976|title=数学遊園地 数のもつ不思議さを楽しもう|publisher=講談社|series=ブルーバックス B-291|isbn=978-4-06-117891-5|ref={{Harvid|高木|1976}}}} *{{Cite book|和書|author=一松信|authorlink=一松信|title=四色問題 その誕生から解決まで|publisher=講談社|series=ブルーバックス B-351|date=1978-04-25|isbn=4-06-117951-9|ref={{Harvid|一松|1978}}}} **{{Cite book|和書|author=一松信|date=2016-05-29|title=四色問題 どう解かれ何をもたらしたのか|series=ブルーバックス B-1969|publisher=講談社|isbn=978-4-06-257969-8|url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000194930|ref={{Harvid|一松|2016}}}} *{{Cite journal|和書|author=[[広瀬健]]|date=1977-07~10|title=四色問題と電子計算機|journal=bit|issue=1977年7月~10月号|publisher=共立出版|ref={{harvid|広瀬|1977}}}} == 関連項目 == <!--項目の50音順--> *[[グラフ彩色]] *[[グラフ理論]] *[[五色定理]] *[[トーラス]] == 外部リンク == {{Commonscat|Four-color theorem}} *{{Kotobank|四色問題}} *{{高校数学の美しい物語|1187|四色定理の紹介と五色定理の証明}} *[http://www.justinmullins.com/four_colour_theorem.htm THE FOUR COLOUR THEOREM] - Robertsonらによる実際の633個の可約な不可避配置集合を見ることができる。[[双対グラフ]]表記のため、国が頂点、国境が枝で表される。最初の配置は[[バーコフのダイヤモンド]]であり、黒丸が5枝点を表す。以下、無印が6枝点、白丸が7枝点、四角が8枝点、三角が9枝点、五角形が10枝点で、最後の無印のみが11枝点となっている。 *[https://thomas.math.gatech.edu/FC/fourcolor.html 改良されたアルゴリズム] {{en icon}} *{{Mathworld|title=Four-Color Theorem|urlname=Four-ColorTheorem}} -(四色定理) *{{Mathworld|title=Map Coloring|urlname=MapColoring}} -(地図の塗り分け) *{{Mathworld|title=Torus Coloring|urlname=TorusColoring}} -(トーラスの塗り分け) {{DEFAULTSORT:よんしよくていり}} [[Category:グラフ理論の定理]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:地図学]]
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9,963
純物質
純物質(、英: pure substance)とは、一定の性質を持つ化学物質のこと。教科書などには純粋な物質や純粋物質と記されていることがある。純物質のうち、特に水素や酸素など単一の元素(厳密には同素体)からのみ構成されるものを単体、水など複数の元素が化合してできたものを化合物という。 純物質を構成しているそれぞれの元素の組成や密度・融点・沸点は一定であり、それらの物理的性質から物質の種類を判別することができる。複数の純物質が混合してできた物質は混合物という。 純物質は物理的方法(ろ過・蒸留・再結晶・クロマトグラフィーなど)ではこれ以上分離しない。しかし、化学的方法(電気分解など)を用いれば単体にまで分解することができる。
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{{読み仮名|'''純物質'''|じゅんぶっしつ|{{lang-en-short|pure substance}}}}とは、一定の性質を持つ[[化学物質]]のこと。教科書などには'''純粋な物質'''や'''純粋物質'''と記されていることがある。純物質のうち、特に[[水素]]や[[酸素]]など単一の[[元素]](厳密には[[同素体]])からのみ構成されるものを[[単体]]、[[水]]など複数の元素が化合してできたものを[[化合物]]という。 純物質を構成しているそれぞれの元素の[[化学式#組成式|組成]]や[[密度]]・[[融点]]・[[沸点]]は一定であり、それらの[[物理学|物理]]的性質から[[物質]]の種類を判別することができる。複数の純物質が混合してできた物質は[[混合物]]という。 純物質は物理的方法([[ろ過]]・[[蒸留]]・[[再結晶]]・[[クロマトグラフィー]]など)ではこれ以上分離しない。しかし、[[化学]]的方法([[電気分解]]など)を用いれば単体にまで[[分解]]することができる。 ==関連項目== *[[分解]] - [[化合]] *[[単体]] - [[化合物]] *[[混合物]] *[[化学物質]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆんふつしつ}} [[Category:化学]] [[Category:物質]] <!-- [[en:Pure substance]] は [[en:Chemical substance]] へのリダイレクト -->
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9,964
離散数学
離散数学(りさんすうがく、英: discrete mathematics)とは、原則として離散的な(言い換えると連続でない、とびとびの)対象を扱う数学のことである。有限数学または離散数理と呼ばれることもある。 グラフ理論、組み合わせ理論、最適化問題、計算幾何学、プログラミング、アルゴリズム論が絡む応用分野で、その領域を包括的・抽象的に表現する際に用いられることが多い。また、もちろん離散数学には整数論が含まれるが、初等整数論を超えると解析学などとも関係し(解析的整数論)、離散数学の範疇を超える。 離散数学の中核を成す分野として次の2つが挙げられる。 組合せ論とは「ひたすら数える」数学である。より一般的にいって、それは有限の数(とはいっても、星の数よりもはるかに大きな数のときもあるが)について考えるということである。その考え方の基本は ということである。 グラフ理論は(大まかに言うと)点と線の数学である。頂点(点)とそれらの接続(辺)を調べるという単純な考え方が基本となるが、現在、とても勢いのある分野へとなった。グラフ理論の中の多くの問題は、組合せ論に関係がある。例えば、グラフで2頂点の間の路に関する問題がある。この問題は、 ということになる。他にもグラフの彩色に関する問題など組合せ論との関りは深い。 他に、学校教育の領域で教えられているものには行列、集合、順列・組合せ、論理と証明、帰納法と漸化式、数列などがある。それら以外で、金融経済や産業経済の領域で科学技術として利用されているものにはゲーム理論、マルコフ連鎖、社会選択理論、投票理論、ビンパッキング問題、記号論などがある。 離散数学でよく使われる共通の問題解決法がある。それはアルゴリズムによる解決法である。問題の構造をアルゴリズムに置換え、分析することで問題を解決する。アルゴリズムの理論は帰納的な考えを含む。つまり、アルゴリズムの理論自体も離散数学の一角を成しているといえる。アルゴリズムの理論の対照を成すのが実証論である。実証論は整数論やトポロジーなどの伝統的な数学の顕著な特徴を持っている。数学的には実証論的な証明の方が綺麗だといわれる。
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離散数学とは、原則として離散的な(言い換えると連続でない、とびとびの)対象を扱う数学のことである。有限数学または離散数理と呼ばれることもある。 グラフ理論、組み合わせ理論、最適化問題、計算幾何学、プログラミング、アルゴリズム論が絡む応用分野で、その領域を包括的・抽象的に表現する際に用いられることが多い。また、もちろん離散数学には整数論が含まれるが、初等整数論を超えると解析学などとも関係し(解析的整数論)、離散数学の範疇を超える。
{{Otheruses|離散数学|[[朝鮮戦争]]により南北に離れ離れになってしまった離散家族など|離散家族}} '''離散数学'''(りさんすうがく、{{lang-en-short|discrete mathematics}})とは、原則として離散的な(言い換えると[[連続]]でない、とびとびの)対象を扱う[[数学]]のことである。'''有限数学'''または'''離散数理'''と呼ばれることもある。 [[グラフ理論]]、[[組合せ数学|組み合わせ理論]]、[[最適化問題]]、[[計算幾何学]]、[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]、[[アルゴリズム|アルゴリズム論]]が絡む<ref>秋山仁、R.L.Graham『入門有限・離散の数学;1 離散数学入門』朝倉書店、1993年、「はじめに」より</ref>応用分野で、その領域を包括的・抽象的に表現する際に用いられることが多い。また、もちろん離散数学には[[数論|整数論]]が含まれるが、初等整数論を超えると[[解析学]]などとも関係し(解析的整数論)、離散数学の範疇を超える。 == 離散数学の内容 == 離散数学の中核を成す分野として次の2つが挙げられる。 * [[組合せ数学|組合せ論]] * [[グラフ理論]] 組合せ論とは「ひたすら数える」数学である。より一般的にいって、それは有限の数(とはいっても、星の数よりもはるかに大きな数のときもあるが)について考えるということである。その考え方の基本は * 解決法は存在するか? * どれくらいの数の解決法があるか? * 最適の解決法があるか? ということである。 グラフ理論は(大まかに言うと)[[頂点 (グラフ理論)|点]]と[[線]]の数学である。頂点(点)とそれらの接続([[辺]])を調べるという単純な考え方が基本となるが、現在、とても勢いのある分野へとなった。グラフ理論の中の多くの問題は、組合せ論に関係がある。例えば、グラフで2頂点の間の路に関する問題がある。この問題は、 * 路は存在するか? * どれくらいの数の路があるか? * 最適の路を見つけられるか? ということになる。他にも[[グラフ彩色|グラフの彩色]]に関する問題など組合せ論との関りは深い。 他に、[[学校教育]]の領域で教えられているものには[[行列 (数学)|行列]]、[[集合]]、[[順列]]・[[組合せ]]、[[論理]]と[[証明 (数学)|証明]]、[[帰納法]]と[[漸化式]]、[[数列]]などがある。それら以外で、[[金融|金融経済]]や[[産業|産業経済]]の領域で[[テクノロジー|科学技術]]として利用されているものには[[ゲーム理論]]、[[マルコフ連鎖]]、[[社会選択理論]]、[[投票理論]]、[[ビンパッキング問題]]、[[記号論]]などがある。 == 離散数学で使われる解決方法 == 離散数学でよく使われる共通の問題解決法がある。それは[[アルゴリズム]]による解決法である。問題の構造をアルゴリズムに置換え、分析することで問題を解決する。アルゴリズムの理論は帰納的な考えを含む。つまり、アルゴリズムの理論自体も離散数学の一角を成しているといえる。アルゴリズムの理論の対照を成すのが実証論である。実証論は整数論や[[トポロジー]]などの伝統的な数学の顕著な特徴を持っている。数学的には実証論的な証明の方が綺麗だといわれる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * [[根上生也]]『情報数学講座3 離散構造』[[共立出版]]、1993年 * [[秋山仁]]、R.L.Graham『入門有限・離散の数学;1 離散数学入門』[[朝倉書店]]、1993年 * 惠羅博、小川健次郎、土屋守正、松井泰子『離散数学』横浜図書、2004年 * [http://www.hongo.wide.ad.jp/~jo2lxq/dm/ 落合秀也 離散数学] == 関連項目 == * [[デジタル]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:りさんすうかく}} [[Category:離散数学|*]] [[Category:数学に関する記事]]
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混合物
混合物(こんごうぶつ、mixture)とは、単体の複数の種類のものが混じり合ってできたもののこと。化学的には複数の物質が混じり合ってできた物質のことであり、例えば空気は窒素・酸素・アルゴン・二酸化炭素などの混合物である。化学物質の混合物であることを示す場合は、特に化学混合物 (chemical mixture) とも呼ぶ。 混合物の密度・融点・沸点などの物理的性質は、各成分の量比によって変化し、一定である。一般に、混合物の融点は純物質の融点よりも低くなるため、物質の純度を簡単に確かめる方法として用いられている。 混合物を成分ごとに分離・精製し、純物質にする方法としては、ろ過・蒸留・抽出・昇華・再結晶・クロマトグラフィーなどの手法が状況に応じて用いられる。例えば、「泥の混じった塩水」から純粋な水を得るためには、まずろ過によって泥を取り除く、蒸留によって水だけを取り出す、などがあげられる。
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混合物(こんごうぶつ、mixture)とは、単体の複数の種類のものが混じり合ってできたもののこと。化学的には複数の物質が混じり合ってできた物質のことであり、例えば空気は窒素・酸素・アルゴン・二酸化炭素などの混合物である。化学物質の混合物であることを示す場合は、特に化学混合物 とも呼ぶ。 混合物の密度・融点・沸点などの物理的性質は、各成分の量比によって変化し、一定である。一般に、混合物の融点は純物質の融点よりも低くなるため、物質の純度を簡単に確かめる方法として用いられている。 混合物を成分ごとに分離・精製し、純物質にする方法としては、ろ過・蒸留・抽出・昇華・再結晶・クロマトグラフィーなどの手法が状況に応じて用いられる。例えば、「泥の混じった塩水」から純粋な水を得るためには、まずろ過によって泥を取り除く、蒸留によって水だけを取り出す、などがあげられる。
'''混合物'''(こんごうぶつ、''mixture'')とは、単体の複数の種類のものが混じり合ってできたもののこと。[[化学]]的には複数の[[物質]]が混じり合ってできた物質のことであり、例えば[[空気]]は[[窒素]]・[[酸素]]・[[アルゴン]]・[[二酸化炭素]]などの混合物である。[[化学物質]]の混合物であることを示す場合は、特に'''化学混合物''' (chemical mixture) とも呼ぶ。 混合物の[[密度]]・[[融点]]・[[沸点]]などの[[物理学|物理]]的性質は、各成分の量比によって変化し、一定である。一般に、混合物の融点は[[純物質]]の融点よりも低くなるため、物質の[[定量分析#純度|純度]]を簡単に確かめる方法として用いられている。 混合物を成分ごとに分離・精製し、純物質にする方法としては、[[ろ過]]・[[蒸留]]・[[抽出]]・[[昇華 (化学)|昇華]]・[[再結晶]]・[[クロマトグラフィー]]などの手法が状況に応じて用いられる。例えば、「泥の混じった塩水」から純粋な水を得るためには、まずろ過によって泥を取り除く、[[蒸留]]によって水だけを取り出す、などがあげられる。 == 関連項目 == *[[純物質]] - 混合物とは異なり、1種類の[[単体]]あるいは[[化合物]]のみで構成される物質のこと。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こんこうふつ}} [[Category:物質]] [[Category:混合物|*]]
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P≠NP予想
P≠NP予想(P≠NPよそう、英: P is not NP)は、計算複雑性理論(計算量理論)における予想 (未解決問題) の1つで、「クラスPとクラスNPが等しくなる例は存在しない」というものである。P対NP問題(PたいNPもんだい、英: P versus NP)と呼ばれることもある。 理論計算機科学と現代数学上の未解決問題の中でも最も重要な問題の一つであり、2000年にクレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題の一つとして、この問題に対して100万ドルの懸賞金がかけられた。 クラスPとは、決定性チューリングマシンにおいて、多項式時間で判定可能な問題のクラスであり、クラスNPは、Yesとなる証拠(Witnessという)が与えられたとき、多項式時間でWitnessの正当性の判定(これを検証という)が可能な問題のクラスである。多項式時間で判定可能な問題は、多項式時間で検証可能であるので、P⊆NPであることは明らかであるが、PがNPの真部分集合であるか否かについては明確ではない。証明はまだないが、多くの研究者はP≠NPだと信じている。そして、このクラスPとクラスNPが等しくないという予想を「P≠NP予想」という。 仮にP=NPであると示された場合、多項式時間で検証可能な問題は全て多項式時間で判定可能であることを意味し、未だ効率の悪い指数時間アルゴリズムしかないさまざまな分野の問題に効率的な計算アルゴリズムが与えられる可能性が示される。しかし、多くの研究者が長年にわたって多項式時間オーダーのアルゴリズムの開発に取り組んでいるにもかかわらず、そのような効率的なアルゴリズムは見つかっていない。NP問題は数千種類が知られているが、P=NPが示された途端にそれらが全て多項式時間で解けるとは俄かに信じ難いことである。更に、P≠NPだと仮定して、何らかのNP完全問題の入力nビットについての既知の最良の計算量がO(k・poly(n,))であるようなときに、せめて基底のkを改善しよう(例えばk=2を1.9や1.8等に)という試みでさえ、ある程度進展した後に行き詰ることが経験的に知られている。これらの観察がP≠NP予想の重要な根拠の一つとなっている。 一方、P=NPと予想する研究者も皆無ではない。ドナルド・クヌースはその一人であり、次のような論拠を挙げている。 但し彼は同時に次のようにも述べている。 彼は存在が証明されているが実装は現実的に不可能と考えられているアルゴリズムを例として複数列挙している。 P≠NP問題が定式化されたのは1971年だが、関連する問題やその難しさ、潜在的な影響などについて先駆的な考察があった。 ジョン・ナッシュは、1955年に書いたNSA宛の手紙の中で、十分複雑な暗号を破るには鍵長の指数時間を要するだろうと述べた。もしこれを証明できれば(ナッシュは証明不能と考えていたが)、今日でいうP≠NPを意味することになる。何故なら鍵候補の検証自体は多項式時間で終わるからである。 1956年、クルト・ゲーデルは癌で入院していたジョン・フォン・ノイマン宛に手紙を書いた。その中で彼は定理の証明(今日ではcoNP完全であると判っている)を2次または線形時間で解けるだろうかと意見を求め、もしそれが可能なら数学の新定理の発見を自動化できるだろうと指摘した。 これに対するノイマンの返事は伝わっておらず、ノイマンは翌1957年に死去した。ハルトマニスは、この手紙がノイマンが健康だった間に出されていれば、この問題は既に解けるか研究史がもっと短縮されていたのではないかと嘆いている。 P≠NP予想の面白さと難しさは、複雑性クラスを分離するために利用・考案されてきた様々な証明手法が、証明手法自体の本質的な限界によりP≠NPを証明できないという、不可能性の証明がこれまで幾度も得られてきた点にある。つまり、時代が進めば進むほど証明の可能性が原理的に狭められてきた。だからと言ってP=NPの方が確からしいと傾いた訳でもなく、新たな証明手法が必要だと考えられてきた点がまた特徴的である。以下、試みられた証明手法と、その手法では証明できない理由。 複雑性クラスを分離するために最初期から主に1970年代末まで利用された証明手法として、集合論の創始者カントールが1891年に考案した対角線論法がある。これは一方のクラスの万能関数であって他方のクラスに属するものを構成し、その対角線部分に着目することで複雑性クラスを分離するもので、P≠EXPTIME(Hartmanis & Stearns (1965))を示す際などに適用された。このような証明手法の特徴として「相対化」と呼ばれる性質の保存がある。複雑性クラス C をオラクル A で相対化するとは、クラスCに属する計算機にオラクル A を付与した新しい複雑性クラス C を作ることである。ここで、複雑性クラス C,D について対角線論法によって C≠D が示されたとすると、その証明はオラクル A を持つ計算モデルに対しても通用するので、C≠D が同時に成り立つ。同様に、対角線論法によって C=D が示された場合は C=D がどのような A についても成り立つ。 ところが、Baker, Gill & Solovay (1975)は次のことを示した。 この結果により、対角線論法のように相対化が可能な証明手法では P≠NP を原理的に証明できないことが判明した。 1980年代に入り、集合論的手法ではない回路計算量に着目する新しい証明手法が開発された。これは今日「自然な証明」と呼ばれるもので、AC≠NC(Furst, Saxe & Sipser (1984))やmP/poly≠NP(Razborov (1985))などの成果を挙げた。この手法からP≠NPを見る場合は、Pを包含するクラスP/poly(英語版)に着目してP/poly≠NPを証明することが問題となる(そこから直ちにP≠NPが従う)。 ところが、当初の期待にもかかわらず、P/poly≠NPに向けた進展はぱったり止まってしまい、やがて研究者の間で何か原因があるのではないかと議論されるようになった。そんな中、Razborov & Rudich (1997)はその原因を突き止め、次のことを示した。 「自然な証明」は名前の通り自然な発想に基づく証明戦略であり、それまで得られた複雑性クラスの分離に関する殆ど全ての証明で利用されていた。ところが、そうした証明手法ではP≠NPを原理的に証明できないことが判明したのである。RazborovとRudichはこの成果により2007年のゲーデル賞を受賞した。但し彼らが定義した「自然な証明」には幾つか技術的な条件があることから、この条件を巧妙に回避することで障害を乗り越えようとする研究方向も存在する。 集合論的でも自然な証明でもない証明手法として「算術化」と呼ばれるものがある。これは論理式を有限体または有限環上の多項式に置き換えて考察するもので、IP=PSPACE(Lund,Fortnow,Karloff,Nisan,Shamir(1989))やMAEXP ⊈ {\displaystyle \not \subseteq } P/poly(Buhrman, Fortnow & Thierauf (1998))、PP ⊈ {\displaystyle \not \subseteq } Size(n)(Vinodchandran (2005))などの成果を挙げた。ここで、複雑性クラスの分離に用いる際は「算術化された対角線論法」を用いることになる。 ところが、こうした証明方法ではP≠NPを証明不可能であることがAaronson & Wigderson (2009)により示された。彼らは「代数化」という概念を導入し、算術化された集合論的方法によって得られた従来の結果は全て代数化できることを示した。一方、P=NPとP≠NPは何れも代数化できないことを示した。このため、算術化された集合論的手法による結果は全て代数化できるとすると、この方法ではP=NPとP≠NPは原理的に証明できないことになる。 以上の経緯から現在では、P≠NPを証明するためには、相対化されず、自然な証明ではなく、代数化できない証明手法が必要だと考えられている。そのような証明手法の候補は幾つかあるが、それらもまた何らかの限界が潜在しているかも知れず、証明手法に関する本質的な理解が今後に求められている。 その他の方向性として、P≠NPがそもそもZFCから独立なのではないかと疑う向きがあるが、こちらについても現状では否定的な結果が得られている。
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P≠NP予想は、計算複雑性理論(計算量理論)における予想 (未解決問題) の1つで、「クラスPとクラスNPが等しくなる例は存在しない」というものである。P対NP問題と呼ばれることもある。 理論計算機科学と現代数学上の未解決問題の中でも最も重要な問題の一つであり、2000年にクレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題の一つとして、この問題に対して100万ドルの懸賞金がかけられた。
'''P≠NP予想'''(P≠NPよそう、{{Lang-en-short|P is not NP}})は、[[計算複雑性理論]](計算量理論)における[[予想]] ([[数学上の未解決問題|未解決問題]]) の1つで、「[[P (計算複雑性理論)|クラスP]]と[[NP|クラスNP]]が等しくなる例は存在しない」というものである。'''P対NP問題'''(PたいNPもんだい、{{Lang-en-short|P versus NP}})と呼ばれることもある。 [[理論計算機科学]]と現代[[数学上の未解決問題]]の中でも最も重要な問題の一つであり、[[2000年]]に[[クレイ数学研究所]]の[[ミレニアム懸賞問題]]の一つとして、この問題に対して100万ドルの[[懸賞金]]がかけられた。 == 概要 == クラスPとは、決定性[[チューリングマシン]]において、[[多項式時間]]で判定可能な[[判定問題|問題]]のクラスであり、クラスNPは、Yesとなる証拠(Witnessという)が与えられたとき、多項式時間でWitnessの[[正当性 (計算機科学)|正当性]]の判定(これを検証という)が可能な問題のクラスである。多項式時間で判定可能な問題は、多項式時間で検証可能であるので、P⊆NPであることは明らかであるが、PがNPの真[[部分集合]]であるか否かについては明確ではない。証明はまだないが、多くの研究者はP≠NPだと信じている。そして、このクラスPとクラスNPが等しくないという予想を「P≠NP予想」という。 仮にP=NPであると示された場合、多項式時間で検証可能な問題は全て多項式時間で判定可能であることを意味し、未だ効率の悪い指数時間アルゴリズムしかないさまざまな分野の問題に効率的な計算アルゴリズムが与えられる可能性が示される。しかし、多くの研究者が長年にわたって多項式時間オーダーのアルゴリズムの開発に取り組んでいるにもかかわらず、そのような効率的なアルゴリズムは見つかっていない。NP問題は数千種類が知られているが、P=NPが示された途端にそれらが全て多項式時間で解けるとは俄かに信じ難いことである。更に、P≠NPだと仮定して、何らかの[[NP完全]]問題の入力nビットについての既知の最良の計算量がO(k<sup>n</sup>・''poly''(n,))であるようなときに、せめて基底のkを改善しよう(例えばk=2を1.9や1.8等に)という試みでさえ、ある程度進展した後に行き詰ることが経験的に知られている。これらの観察がP≠NP予想の重要な根拠の一つとなっている。 一方、P=NPと予想する研究者も皆無ではない。[[ドナルド・クヌース]]はその一人であり、次のような論拠を挙げている<ref name=Knuth2014>{{cite web | url=http://www.informit.com/articles/article.aspx?p=2213858&WT.rss_f=Article&WT.rss_a=Twenty%20Questions%20for%20Donald%20Knuth&WT.rss_ev=a | title=Twenty Questions for Donald Knuth|date=2014-05-20 | work=informit.com | publisher=InformIT | last=Knuth | first=Donald E. | authorlink=ドナルド・クヌース |accessdate=2017-06-10}}</ref>。 *P≠NPを証明する試みはことごとく失敗している(後述の[[#歴史]]参照) *NP問題をn<sup>M</sup>ステップで解くアルゴリズムがあるとする。このMは例えば[[クヌースの矢印表記|10↑↑↑↑3]]のような有限ながらも巨大な値を取れる。するとnビットの入力についてn<sup>M</sup>個の論理演算や加算演算、シフト演算などを実施する途轍もない種類のアルゴリズムが考えられる訳で、これが全て失敗するとは信じ難い 但し彼は同時に次のようにも述べている。 {{blockquote|「だが私が最も言いたいのは、たとえP=NPが証明できたとしても、それが実用上役に立つとは思えないということだ。何故ならそうした証明はまず間違いなく非構成的だろうからだ。Mは存在すると思うが、人類がその値を知ることは決してないだろうとも思う。それどころかMの上界を求めることすら出来ないのではないか」<ref name=Knuth2014/>}} 彼は存在が証明されているが実装は現実的に不可能と考えられているアルゴリズムを例として複数列挙している。 == 歴史 == ===起源=== P≠NP問題が定式化されたのは1971年だが、関連する問題やその難しさ、潜在的な影響などについて先駆的な考察があった。 ====ナッシュの手紙(1955年)==== [[ジョン・ナッシュ]]は、1955年に書いたNSA宛の手紙の中で、十分複雑な暗号を破るには鍵長の指数時間を要するだろうと述べた<ref>{{cite web |title=Letters from John Nash |url=https://www.nsa.gov/news-features/press-room/press-releases/2012/assets/files/nash-exhibit/nash_letters1.pdf | author=NSA |year=2012 | format=PDF | accessdate=2017-06-10}}</ref>。もしこれを証明できれば(ナッシュは証明不能と考えていたが)、今日でいうP≠NPを意味することになる。何故なら鍵候補の検証自体は多項式時間で終わるからである。 ====ゲーデルの手紙(1956年)==== 1956年、[[クルト・ゲーデル]]は癌で入院していた[[ジョン・フォン・ノイマン]]宛に手紙を書いた。その中で彼は定理の証明(今日ではcoNP完全であると判っている)を2次または線形時間で解けるだろうかと意見を求め<ref name=Hartmanis-Godel>{{cite journal | last1 = Hartmanis | first1 = Juris | year = | title = Godel, von Neumann, and the P = NP problem | url = https://doi.org/10.1142/9789812794499_0033 | journal = Bulletin of the European Association for Theoretical Computer Science | volume = 38 | issue = | pages = 101-107 | doi = 10.1142/9789812794499_0033}} この論文にはゲーデルの手紙の英訳(抄)も記載されている</ref>、もしそれが可能なら数学の新定理の発見を自動化できるだろうと指摘した。 これに対するノイマンの返事は伝わっておらず、ノイマンは翌1957年に死去した。[[ユリス・ハルトマニス|ハルトマニス]]は、この手紙がノイマンが健康だった間に出されていれば、この問題は既に解けるか研究史がもっと短縮されていたのではないかと嘆いている<ref name=Hartmanis-Godel/>。 ===証明の試みと難しさ=== P≠NP予想の面白さと難しさは、複雑性クラスを分離するために利用・考案されてきた様々な証明手法が、証明手法自体の本質的な限界によりP≠NPを証明できないという、不可能性の証明がこれまで幾度も得られてきた点にある。つまり、時代が進めば進むほど証明の可能性が原理的に狭められてきた。だからと言ってP=NPの方が確からしいと傾いた訳でもなく、新たな証明手法が必要だと考えられてきた点がまた特徴的である。以下、試みられた証明手法と、その手法では証明できない理由。 ====相対化==== 複雑性クラスを分離するために最初期から主に1970年代末まで利用された証明手法として、集合論の創始者[[ゲオルク・カントール|カントール]]が1891年に考案した対角線論法がある。これは一方のクラスの万能関数であって他方のクラスに属するものを構成し、その対角線部分に着目することで複雑性クラスを分離するもので、P≠EXPTIME({{harvtxt|Hartmanis|Stearns|1965}})を示す際などに適用された。このような証明手法の特徴として「相対化」と呼ばれる性質の保存がある。複雑性クラス C を[[神託機械|オラクル]] A で相対化するとは、クラスCに属する計算機にオラクル A を付与した新しい複雑性クラス C<sup>A</sup> を作ることである。ここで、複雑性クラス C,D について対角線論法によって C≠D が示されたとすると、その証明はオラクル A を持つ計算モデルに対しても通用するので、C<sup>A</sup>≠D<sup>A</sup> が同時に成り立つ。同様に、対角線論法によって C=D が示された場合は C<sup>A</sup>=D<sup>A</sup> がどのような A についても成り立つ。 ところが、{{harvtxt|Baker|Gill|Solovay|1975}}は次のことを示した。 *P<sup>A</sup>≠NP<sup>A</sup> となるオラクル A と、P<sup>B</sup>=NP<sup>B</sup> となるオラクル B が存在する この結果により、対角線論法のように相対化が可能な証明手法では P≠NP を原理的に証明できないことが判明した。 ====自然な証明==== {{main|自然な証明}} 1980年代に入り、集合論的手法ではない[[回路計算量]]に着目する新しい証明手法が開発された。これは今日「[[自然な証明]]」と呼ばれるもので、AC<sup>0</sup>≠NC<sup>1</sup>({{harvtxt|Furst|Saxe|Sipser|1984}})やmP/poly≠NP({{harvtxt|Razborov|1985}})などの成果を挙げた。この手法からP≠NPを見る場合は、Pを包含するクラス{{仮リンク|P/poly|en|P/poly}}に着目してP/poly≠NPを証明することが問題となる(そこから直ちにP≠NPが従う)。 ところが、当初の期待にもかかわらず、P/poly≠NPに向けた進展はぱったり止まってしまい、やがて研究者の間で何か原因があるのではないかと議論されるようになった。そんな中、{{harvtxt|Razborov|Rudich|1997}}はその原因を突き止め、次のことを示した。 *素因数分解の困難性を仮定すると、自然な証明ではP/poly≠NPを証明できない 「自然な証明」は名前の通り自然な発想に基づく証明戦略であり、それまで得られた複雑性クラスの分離に関する殆ど全ての証明で利用されていた。ところが、そうした証明手法ではP≠NPを原理的に証明できないことが判明したのである。RazborovとRudichはこの成果により2007年の[[ゲーデル賞]]を受賞した。但し彼らが定義した「自然な証明」には幾つか技術的な条件があることから、この条件を巧妙に回避することで障害を乗り越えようとする研究方向も存在する。 ====代数化==== 集合論的でも自然な証明でもない証明手法として「算術化」と呼ばれるものがある。これは論理式を有限体または有限環上の多項式に置き換えて考察するもので、IP=PSPACE(Lund,Fortnow,Karloff,Nisan,Shamir(1989))やMA<sub>EXP</sub> <math>\not\subseteq</math> P/poly({{harvtxt|Buhrman|Fortnow|Thierauf|1998}})、PP <math>\not\subseteq</math> Size(n<sup>k</sup>)({{harvtxt|Vinodchandran|2005}})などの成果を挙げた。ここで、複雑性クラスの分離に用いる際は「算術化された対角線論法」を用いることになる。 ところが、こうした証明方法ではP≠NPを証明不可能であることが{{harvtxt|Aaronson|Wigderson|2009}}により示された。彼らは「代数化」という概念を導入し、算術化された集合論的方法によって得られた従来の結果は全て代数化できることを示した。一方、P=NPとP≠NPは何れも代数化できないことを示した。このため、算術化された集合論的手法による結果は全て代数化できるとすると、この方法ではP=NPとP≠NPは原理的に証明できないことになる。 ====その他の方法==== 以上の経緯から現在では、P≠NPを証明するためには、相対化されず、自然な証明ではなく、代数化できない証明手法が必要だと考えられている。そのような証明手法の候補は幾つかあるが、それらもまた何らかの限界が潜在しているかも知れず、証明手法に関する本質的な理解が今後に求められている。 *NEXP <math>\not\subseteq</math> ACC<sup>0</sup>({{harvtxt|Williams|2010}})における手法 *{{harvtxt|Mulmuley|Sohoni|2001}}の代数幾何を利用した方法 *数学基礎論による方法 その他の方向性として、P≠NPがそもそも[[ツェルメロ=フレンケル集合論|ZFC]]から独立なのではないかと疑う向きがあるが、こちらについても現状では否定的な結果が得られている。 == 重要性 == === 他の問題との関係 === ; [[NP完全]] : 1971年に[[スティーブン・クック]]が定式化した概念で、クラスNPに属し、クラスNPに属する他の全問題が[[多項式時間変換|多項式時間帰着]]される問題をNP完全という。[[充足可能性問題]]をはじめとして、数千個以上の問題が[[NP完全]]であることが示されている。これらのNP完全問題の一つでもクラスPに属することを示せれば、P=NPとなる。 ; NP完全には含まれない問題 : NP-(P∪NP完全)となる問題のクラスをNPIとする。P≠NPであれば、NPIは空集合ではないことが示されている。そのような問題の候補として[[グラフ同型|グラフ同型問題]]がある。 ; [[Co-NP|coNP]] : NP問題の[[補問題]]からなるクラスを[[coNP]]という。NP≠coNPならば、P≠NPとなることが示されている。 <!-- === 現代暗号との関係 === P≠NP予想は、[[暗号理論]]の分野でも重要な位置を占めている。 例えば、[[RSA暗号]]は[[素因数分解]]、[[ElGamal暗号]]および[[楕円曲線暗号]](楕円曲線上のDLP)は[[離散対数問題]]の多項式時間による解法が存在しないことを安全性の根拠とした暗号であるが、これらの問題はどちらもクラスNPに属する問題に多項式時間帰着できる。仮にP≠NP予想が否定された場合(P=NPの場合)、素因数分解などが多項式時間で計算可能であることになり、これらの暗号の安全性は根底から覆ることになる。 *2002年8月6日に[[マニンドラ・アグラワル]]教授らによって[[AKS素数判定法]]が発表された。これによると与えられた[[自然数]]が[[素数]]であるかどうかを log ''n'' の[[多項式]]を[[上界]]とする[[決定的アルゴリズム|決定的]][[多項式時間]]で判定できる。これにより[[素数判定]]が実際に[[P (計算量理論)|クラスP]]に属することが示された。しかし、素因数分解が多項式時間でできるかどうかははっきりしていない。 --><!-- 「多項式時間による解法が存在しない」はともかく「これらの問題はどちらもクラスNPに属する問題に多項式時間帰着できる」ってホントですか? --><!-- それだけではなく、P=NPであれば「[[一方向性関数]]が存在しない」ことも証明できる。そして「一方向性関数が存在しない」ならば、多項式時間で破れない(暗号学的に安全な)[[公開鍵暗号]]や[[ハッシュ関数]]、[[擬似乱数]]が存在しないことが導かれる。逆に「一方向性関数が存在する」ならば、少なくとも多項式時間では破れない共通鍵暗号が構成できること、擬似乱数が存在することが証明されている。--><!-- 一方向性関数が存在しても、それだけで公開鍵暗号が構成できるかは、明らかではありません。--><!-- また、暗号方式とその平文・暗号文ペアを与えられて鍵の1ビットを判定する問題は、(通常)多項式時間で検証可能であるから、この暗号方式が[[既知平文攻撃]]の条件で鍵探索が困難であることを証明できるならば、多項式時間で判定不可能であることを示したことになり、P≠NP予想を証明できたことになる。 このように、P≠NP予想は[[計算量的安全性]]を通じて現代暗号理論と密接に関係している。--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===出典=== {{Reflist}} == 参考文献 == <!-- {{Cite book}}、{{Cite journal}} --> {{参照方法|date=2013年2月}} *{{citation | first1=Ketan D. | last1=Mulmuley | first2=Milind | last2=Sohoni | title=Geometric Complexity Theory I: An Approach to the P vs. NP and Related Problems | url=http://epubs.siam.org/doi/abs/10.1137/S009753970038715X | journal=SIAM J. Compput. | volume=31 | issue=2 | pages=496-526 | year=2001 | accessdate=2017-06-10 }} * Stephen Cook, "The P versus NP Problem", 2000. {{PDFlink|[http://www.claymath.org/sites/default/files/pvsnp.pdf]}} * Michael Sipser, ''Introduction to the Theory of Computation'', PWS Publishing Company, 1997. ISBN 0-534-94728-X. pp.372-377. (渡辺治・太田和夫 監訳, 『計算理論の基礎』, 共立出版社, 2000. ISBN 4-320-02948-8. pp.436-444) *{{citation | first1=Scott | last1=Aaronson | first2=Avi | last2=Wigderson | title=Algebrization: A New Barrier in Complexity Theory | url=http://dl.acm.org/citation.cfm?id=1490272 | year=2009 | journal=ACM Transactions on Computation Theory(TOCT) | volume=1 | issue=1 | accessdate=2017-06-10 }} *{{citation | first=N.V. | last=Vinodchandran | title=A Note on the Circuit Complexity of PP | url=http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0304397505004809 | journal=Theoretical Computer Science | year=2005 | volume=347 | issue=1-2 | pages=415-418 | accessdate=2017-06-10 }} *{{citation | first1=Harry | last1=Buhrman | first2=Lance | last2=Fortnow | first3=Thomas | last3=Thierauf | title=Nonrelativizing Separations | url=http://dl.acm.org/citation.cfm?id=793359 | year=1998 | accessdate=2017-06-10 }} *{{citation | first=Alexander A. | last=Razborov | year=1985 | title=Lower bounds for the monotone complexity of some boolean functions | url=http://www.mi.ras.ru/~razborov/clique.pdf | journal=Soviet Math. Dokl. |volume=31 | issue=2 | accessdate=2017-06-10 }} *{{citation | first1=Merrick | last1=Furst | first2=James B. | last2=Saxe | first3=Michael | last3=Sipser | title=Parity, Circuits, and the Polynomial-Time Hierarchy | url=https://wiki.epfl.ch/edicpublic/documents/Candidacy%20exam/Furst%20Saxe%20Sipser%20-%201984%20-%20Parity%20circuits%20and%20the%20polynomial-time%20hierarchy.pdf | year=1984 | journal=Math. Systems Theory | volume=17 | pages=13-27 | accessdate=2017-06-10 | format=PDF }} *{{Citation| last1 = Hartmanis | first1 = Juris | last2 = Stearns | first2 = Richard E. | author1-link=ユリス・ハルトマニス | author2-link=リチャード・スターンズ | doi = 10.2307/1994208 | journal = Transactions of the American Mathematical Society | pages=285-306 | title = On the computational complexity of algorithms | volume=117 | year=1965 | mr=0170805 | jstor=1994208 | accessdate=2017-06-10 }} * {{citation | first=龍明 | last=岡本 | title=相対化,自然な証明,代数化/P≠NP予想の難しさ | publisher=[[日本評論社]] | year=2009 | journal=数学セミナー | volume=48 | issue=12 | date=2009-12-01 | pages=20-25}} *{{cite journal | first1 = Alexander A. | last1=Razborov | first2=Steven |last2=Rudich | doi=10.1006/jcss.1997.1494 | title=Natural proofs | journal = Journal of Computer and System Sciences | volume=55 | pages=24-35 | year=1997 }} ([http://www.mi.ras.ru/~razborov/int.ps Draft]) *{{citation| first1=Theodore | last1=Baker | first2=John | last2=Gill | first3=Robert | last3=Solovay | title=Relativizations of the P=?NP question | journal=SIAM J. Comput. | volume=4 | issue=4 | pages=431-442 | year=1975 | accessdate=2017-06-10 | url=http://epubs.siam.org/doi/pdf/10.1137/0204037 }} *{{citation| first=Ryan | last=Williams | title=Non-Uniform ACC Circuit Lower Bounds | url=https://www.cs.cmu.edu/~ryanw/acc-lbs.pdf | year=2010 | date=2010-11-23 | accessdate=2017-06-10 }} == 関連項目 == <!-- {{Commonscat|P versus NP problem}} --> *[[数学上の未解決問題]] *[[計算機科学の未解決問題]] *[[懸賞金問題]] *[[多項式階層]] *[[法月綸太郎]]……推理小説におけるこの問題に関しての考察がある。 <!-- == 外部リンク == {{Cite web}} --> {{ミレニアム懸賞問題}} {{Normdaten}} {{Applied-math-stub}} {{DEFAULTSORT:PNPよそう}} [[Category:計算複雑性理論]] [[Category:予想]] [[Category:計算機科学の未解決問題]] [[Category:ミレニアム懸賞問題]] [[Category:数学に関する記事|Pひいのつとえぬひいよそう]]
2003-06-12T15:09:56Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/P%E2%89%A0NP%E4%BA%88%E6%83%B3
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P
Pは、ラテン文字(アルファベット)の 16 番目の文字。小文字は p 。ギリシャ文字のΠ(パイ)に由来し、キリル文字のПに相当する。 ギリシャ文字のΡ(ロー)、キリル文字のРは別字であり、どちらもラテン文字のRに相当する文字である。 また、アイスランド語におけるÞ(小文字:þ)も別字であり、これは英語に於ける"th"(但し、無声子音の方)に相当する。 亀甲文字では、 P p {\displaystyle {\mathfrak {P\ p}}} となる。 この文字が表す音素は、/p/ないしその類似音である。 ギリシア文字・Π(パイ)の右足を曲げた形に由来する。この結果、現在のラテン文字のRに相当するΡと同形になってしまったため、そちらの文字には中央から右下にヒゲを付け加えて区別するようになった。
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Pは、ラテン文字(アルファベット)の 16 番目の文字。小文字は p。ギリシャ文字のΠ(パイ)に由来し、キリル文字のПに相当する。 ギリシャ文字のΡ(ロー)、キリル文字のРは別字であり、どちらもラテン文字のRに相当する文字である。 また、アイスランド語におけるÞも別字であり、これは英語に於ける"th"(但し、無声子音の方)に相当する。
{{Otheruses|[[ラテン文字]]のp|[[アルメニア文字]]のթ|Թ|アルメニア文字のք|Ք|その他}} {{A-Z}} '''P'''は、[[ラテン文字]]([[アルファベット]])の [[16]] 番目の文字。小文字は '''p''' 。[[ギリシャ文字]]の{{Unicode|[[Π]]}}(パイ)に由来し、[[キリル文字]]の{{Unicode|[[П]]}}に相当する。 ギリシャ文字の{{Unicode|[[Ρ]]}}(ロー)、キリル文字の{{Unicode|[[Р]]}}は別字であり、どちらもラテン文字の[[R]]に相当する文字である。 また、[[アイスランド語]]における{{Unicode|[[Þ]]}}([[小文字]]:{{Unicode|þ}})も別字であり、これは[[英語]]に於ける"th"(但し、[[無声子音]]の方)に相当する。 == 字形 == [[File:P cursive.gif|thumb|250px|筆記体]] [[ファイル:Sütterlin-P.png|サムネイル|250x250ピクセル|[[ジュッターリーン体]]]] # 大文字は、縦棒の上部右に右半円を付けた形である。 # 小文字は[[書体#欧文書体|ミーンライン]]より下に書かれるが、[[書体#欧文書体|ベースライン]]を越えて下に突き出す。このため、実質的な大きさは大文字と同等である。半円は円で書かれることが多く、棒は接線となる。筆記体では縦棒を先に書き、折り返して丸を時計回りに書く。このため、棒の上部に前の字からの接続線が、円の下部に次の字への接続線が付く。このとき、丸の下部を棒まで戻さず、丸の下が空いたままにすることがある。 # 数式などで大文字のPを筆記する際は、棒の下に[[セリフ (文字)|セリフ]]を付けることで小文字と区別している。 [[フラクトゥール|亀甲文字]]では、<math>\mathfrak{P\ p}</math>となる。 == 呼称 == * [[ラテン語|羅]]・[[ドイツ語|独]]・[[オランダ語|蘭]]・[[ハンガリー語|洪]]・[[ポルトガル語|葡]]・[[インドネシア語|尼]]:ペー * [[フランス語|仏]]・[[スペイン語|西]]:ペ * [[イタリア語|伊]]:ピ * {{Lang-en-short|pee}}(ピー) * [[エスペラント|エス]]:ポー == 音素 == この文字が表す音素は、[[無声両唇破裂音|{{ipa|p}}]]ないしその類似音である。 * フランス語では語末のpを黙字とする。次の単語が母音で始まれば、このpを発音する。 == 歴史 == ギリシア文字・{{Unicode|[[Π]]}}(パイ)の右足を曲げた形に由来する。この結果、現在のラテン文字のRに相当するΡと同形になってしまったため、そちらの文字には中央から右下にヒゲを付け加えて区別するようになった。 == P の意味 == * [[リン]]の元素記号。 * アミノ酸の1つ[[プロリン]]の1文字略号。 * 音楽記号の[[ピアノ]] ('''p'''iano)(弱;フォルテ&lt;''f''orte&gt;の反対)。 * [[P (計算複雑性理論)]] - [[計算複雑性理論]]において、[[チューリングマシン|決定性チューリングマシン]]が[[多項式時間]]で解くことのできる[[決定問題]]のクラス。[[P≠NP予想]]など。 * 文献のページ ('''p'''age) を示す。 * 電気的接点/極を表す(スイッチの D'''P'''DT など、コネクタの 36'''P''' など) * [[プルスイッチ]]。構内電気設備配線用図記号 ([[JIS]] C 0303:2000) で用いられる。スイッチの図記号に傍記。 * 片、Piece * [[SI接頭語]] ** [[ペタ]](10<sup>15</sup>)(大文字) ** [[ピコ]](10<sup>−12</sup>)(小文字) * CGS単位系における[[粘度]]の単位[[ポアズ]] * 1g重を表すドイツの単位「ポント」(pond) * [[25|二十五]]を意味する数字。[[三十六進法]]など、二十六進法以上<small>(参照: [[位取り記数法#Nが十を超過]])</small>において二十五([[十進法]]の'''25''')を一桁で表すために用いられる。ただし、アルファベットの [[I]] と数字の [[1]] 、およびアルファベットの [[O]] と数字の [[0]] が混同し易いために、アルファベットの I と O を用いないことがあり、この場合、[[J]] が[[18|十八]]、[[K]] が[[19|十九]]、…、[[N]] が[[22|二十二]]、P が[[23|二十三]]を意味する。 * [[物理学]]で[[陽子]](小文字)または[[運動量]]を表す(大小)。 * [[光学]]で[[部分偏極状態]]の[[光]]の[[偏極度]] (degree of polarization) を表す。通常大文字で記す。 * [[化学]]で[[化学接頭辞・接尾辞一覧|パラ]] (para) 位をp-で表す。 * 主に[[化学]]で、[[水素イオン指数]]や[[酸解離定数]]などで、負の[[常用対数]] (<math>-\log_{10}</math>) の略記として使われる。 * [[圧力]] ('''p'''ressure) を表す。 * [[数学]]で筆記体で用いて(あるいは p.v. として)[[積分]]が[[コーシーの主値]] ('''p'''rincipal value) であることを表す。 * 数学で[[点 (数学)|点]]を示す記号。('''p'''oint) を表す。 * [[素数]]を示す記号。('''p'''rime number) を表す。 * <sub>''[[n]]''</sub>P<sub>''[[m]]''</sub> は[[順列]] ('''p'''ermutation) の総数。 * [[論理学]]では[[命題]] ('''p'''roposition) や[[一階述語論理|述語]] ('''p'''redicate) を表す。 ** [[LISP]]でブール値を返す[[関数 (プログラミング)|関数]]の名前は慣習的に p ('''p'''redicate) で終わる。 * [[確率]]ではある事象 ''E'' が起こる確率 ('''P'''robability) を ''P''(''E'') と表記する。 * per の略に使われ、「/」と書かれたり「毎」と訳されることがある。 :例: :* m''p''h([[:en:Miles per hour|Miles per hour]] = マイル毎時 = 時速。アメリカやイギリスで用いられる) :* k''p''h([[:en:Kilometres per hour|Kilometres per hour]] = キロメートル毎時 = 時速 = km/h) :* d''p''i([[:en:Dpi|dots per inch]] = ドッツパーインチ = 1 インチあたりのドット数) :* [[:en:rpm|rpm]](revolutions per minute = 1 分あたりの回転数。例えば[[レコード]]、[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]、[[エンジン]]などの回転速度の単位として使われる。) * [[顔文字]]で[[舌]]を出した[[口]]に使われる。例 :-P や :p * (X)[[HyperText Markup Language|HTML]] で段落 ('''p'''aragraph) を表す要素 * [[計算機科学]]で[[セマフォ]](プロセス同期のための仕組み)に対する基本操作 * 微量の 3 価[[元素]]を不純物として加えた[[半導体]]を表す([[P型半導体|'''p''' 型半導体]]←''p''ositive)⇔[[N型半導体]] * 地震波の第1波を示す[[地震波#P波_(P-wave)|P波]]の略 ('''P'''rimary wave)。 * [[遺伝学]]において、親世代を表す記号 ('''P'''arents)。 *[[鉄道]]の[[サインシステム]]において、[[JR西日本|JR]][[桜島線]]、[[Osaka Metro]][[南港ポートタウン線]] ('''P'''orttown)、[[近畿日本鉄道|近鉄]][[御所線]]、[[神戸新交通]][[ポートアイランド線]]([[三宮駅]]〜[[神戸空港駅]])('''P'''ort)、[[JR西日本|JR]][[芸備線]] ('''P'''urple) の[[路線記号]]として用いられる。 * 通貨の単位[[ペソ]]の略 * 通貨の単位[[パタカ]]の略、もしくは[[マカオ]]の通貨の単位[[マカオ・パタカ]]の略 * パリ ('''P'''aris) の略 * [[色彩学]]でいう、むらさき。紫 ('''P'''urple)。 * 古代ローマ人の個人名プブリウス ('''P'''ublius) の略。 * [[野球]]で[[投手]](ピッチャー、英:''Pitcher'')を表す略称。 * [[アメリカンフットボール]]で[[パンター (アメリカンフットボール)|パンター]]。 * 歩兵を表す[[チェス]]の駒[[ポーン]] ('''P'''awn) や[[将棋]]の[[歩兵 (将棋)|歩兵]]の略号。 * [[真空管]]の端子の1つ。プレート ('''P'''late) * [[テレビ]]・[[ラジオ]]の放送業界や音楽業界などで、[[プロデューサー]] ('''P'''roducer) の意味。 ** 転じて、[[ニコニコ動画]]を中心に、[[VOCALOID]]等の音声合成ソフトを用いた曲を発表する[[ミュージシャン]]の名称に'''○○P'''という形で称号的に用いられる事がある。 ** さらに転じて、放送業界・音楽業界・ゲーム業界などのプロデューサーの愛称・称号として'''○○P'''などと呼称されることがある。 * 映像の[[走査|プログレッシブ走査]]方式 ('''P'''rogressive)。 * ATS([[自動列車停止装置]])の一種で、パターン ('''P'''attern) 型。 * 電機業界で[[パナソニック]](旧社名:松下電器産業)を表す符丁 ('''P''' = '''''P''anasonic''')。 * [[保険]]業界で、[[保険料]]の意味に使われる。初回保険料を1P、2回目以降の保険料を2Pなど。 * 建物で[[ペントハウスアパートメント|塔屋]] ('''p'''enthouse) の略。P1、P2と数字の前に付ける。PHとする事もある。 * Pマーク又はPマーク取得担当者 * アメリカのロックバンド、「[[P (バンド)|P]]」。[[ABBA]]の「[[ダンシング・クイーン]]」をカヴァーしていた。 * playerの略(3P・4Pなど)。 * [[エリトリア]]で第1級国道 (Primary national highway) を表す。 * [[自動車]]や[[交通]]に関するもの ** [[駐車場]]・[[駐車]]可能範囲を示す記号(<span style="font-family:'BabelStone Modern',Quivira,'和田研中丸ゴシック2004絵文字','和田研中丸ゴシック2004ARIB','和田研細丸ゴシック2004絵文字','和田研細丸ゴシック2004ARIB','Nishiki-teki','和田研細丸ゴシックProN';"><big><big>&#127327;</big></big>,<big>&#127359;</big></span>)。'''P'''arking を表す。 ** [[自動車]]の[[オートマチックトランスミッション]]のパーキング([[駐車]])位置。ここに合わせないとキーが抜けない。通称'''Pレンジ'''。 ** [[昭和58年排出ガス規制]]の識別記号 ** [[トヨタ自動車|トヨタ]]車の形式名に於いて… *** [[トヨタ・パブリカ|パブリカ]]及び直接の後継車種、[[トヨタ・スターレット|スターレット]]を意味する車種識別記号。(例:EP82) *** エンジン形式のハイフンのあとに付いた場合、[[LPG自動車|LPG仕様]]であることを意味する。(例:3Y-PE) ** [[日産自動車|日産]]車のエンジン形式でもLPG仕様を意味する。(例:RB20P) * 容器包装における材質表示で紙 (paper) のこと == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align: center;" !大文字!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!小文字!!Unicode!!JIS X 0213!!文字参照!!備考 {{ULu|0050|80||1-3-48|0070|112||1-3-80|}} {{ULu|FF30|65328||1-3-48|FF50|65360||1-3-80|全角}} {{ULu|24C5|9413||‐|24DF|9439||1-12-41|丸囲み}} {{ULu|1F11F|127263||‐|24AB|9387||‐|括弧付き|bfont=ARIB外字フォント|sfont=MacJapanese}} {{ULu|1D40F|119823||‐|1D429|119849||‐|[[太字]]}} |} ==他の表現法== {{Letter other reps |NATO=Papa |Morse=・--・ |Character=P }} ==関連項目== *{{仮リンク|Ṕ|pl|Ṕ|label={{Unicode|Ṕ}}}} - [[アキュート・アクセント]] *{{仮リンク|Ṗ|zh|Ṗ|label={{Unicode|Ṗ}}}} - [[ドット符号]] *{{仮リンク|Ᵽ|en|P with stroke|label={{Unicode|Ᵽ}}}} - [[ストローク符号]] *{{仮リンク|Ƥ|en|Ƥ|label={{Unicode|Ƥ}}}} - [[フックつき文字]] *{{仮リンク|P̃|en|P̃|label={{Unicode|P̃}}}} - [[チルダ]] {{ラテン文字}} [[Category:ラテン文字]]
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ミレニアム懸賞問題
ミレニアム懸賞問題(ミレニアムけんしょうもんだい、英: millennium prize problems)とは、アメリカのクレイ数学研究所によって、2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられている7つの問題のことである。そのうち1つは解決済み、6つは2023年7月の時点で未解決である。ミレニアム賞問題、ミレニアム問題とも呼ばれる。 これらの問題は、それぞれの分野で非常に重要かつ難解な問題である。 賞金を得るためには、査読つきの専門雑誌に掲載された後、二年間の経過期間を経て解決が学界に受け入れられたことが確認されなくてはならない。なお、P≠NPとナビエ-ストークス方程式については、肯定的、否定的のいずれの解決に対しても賞金が与えられるが、他の問題については、否定的な解決は、それが問題の実効的な解決であるとみなされる場合に限り賞金が与えられる。否定的な解決であっても問題が修正を加えられた上で生き残る場合は、賞金は与えられない。 7つの予想のうち、ポアンカレ予想については2002年から2003年にかけてグリゴリー・ペレルマンによりこれを証明したとする3つのプレプリント(専門誌未査読の論文)が発表された。この証明は複数の数学者による4年の検証を経て正しいものと認められ、2010年3月18日にクレイ数学研究所はペレルマンの受賞を発表した。ただし、ペレルマンはこの受賞を拒否しており、彼に与えられる賞金100万ドルは数学界へ貢献するかたちで使われることになると発表している。 任意のコンパクトな単純ゲージ群 G に対して、非自明な量子ヤン・ミルズ理論が 'R 上に存在し、質量ギャップ Δ > 0 を持つことを証明せよ。 リーマンゼータ関数 ζ(s) の非自明な零点 s は全て、実部が 1/2 の直線上に存在する。 計算複雑性理論(計算量理論)におけるクラスPとクラスNPが等しくない。 3次元空間と(1次元の)時間の中で、初期速度を与えると、ナビエ–ストークス方程式の解となる速度ベクトル場と圧力のスカラー場が存在して、双方とも滑らかで大域的に定義されるか。 複素解析多様体のあるホモロジー類は、代数的なド・ラームコホモロジー類であろう、つまり、部分多様体のホモロジー類のポアンカレ双対の和として表されるようなド・ラームコホモロジー類であろう。 単連結な3次元閉多様体は3次元球面 S に同相である。 楕円曲線E上の有理点と無限遠点Oのなす有限生成アーベル群の階数(ランク)が、EのL関数 L(E, s) のs=1における零点の位数と一致する。
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ミレニアム懸賞問題とは、アメリカのクレイ数学研究所によって、2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられている7つの問題のことである。そのうち1つは解決済み、6つは2023年7月の時点で未解決である。ミレニアム賞問題、ミレニアム問題とも呼ばれる。
'''ミレニアム懸賞問題'''(ミレニアムけんしょうもんだい、{{Lang-en-short|millennium prize problems}})とは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[クレイ数学研究所]]によって、[[2000年]]に発表された100万ドルの[[懸賞金]]がかけられている7つの問題のことである。そのうち1つは解決済み、6つは2023年12月の時点で[[数学上の未解決問題|未解決]]である。'''ミレニアム賞問題'''、'''ミレニアム問題'''とも呼ばれる。 ==概説== これらの問題は、それぞれの分野で非常に重要かつ難解な問題である<ref name ="jaffe2006">{{Harvnb|Jaffe|2006}}</ref>。 賞金を得るためには、査読つきの専門雑誌に掲載された後、二年間の経過期間を経て解決が学界に受け入れられたことが確認されなくてはならない<ref name ="jaffe2006"></ref>。なお、P≠NPとナビエ-ストークス方程式については、肯定的、否定的のいずれの解決に対しても賞金が与えられるが、他の問題については、否定的な解決は、それが問題の実効的な解決であるとみなされる場合に限り賞金が与えられる。否定的な解決であっても問題が修正を加えられた上で生き残る場合は、賞金は与えられない<ref name ="carlson2006">{{Harvtxt|Jaffe|Wiles|2006}} の Rules for the Millennium Prizes の章を参照</ref><ref>{{Harvnb|CMI|2013}}</ref>。 7つの予想のうち、ポアンカレ予想については2002年から2003年にかけて[[グリゴリー・ペレルマン]]によりこれを証明したとする3つのプレプリント(専門誌未査読の論文)が発表された。この証明は複数の数学者による4年の検証を経て正しいものと認められ、2010年3月18日にクレイ数学研究所はペレルマンの受賞を発表した<ref>{{Harvnb|Carlson|2010}}</ref>。ただし、ペレルマンはこの受賞を拒否<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010734_00000|title=NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪(しっそう)の謎~|accessdate=2023-06-11|publisher=NHK}}</ref>しており、彼に与えられる賞金100万ドルは数学界へ貢献するかたちで使われることになると発表している。 == 一覧 == *[[ヤン–ミルズ方程式と質量ギャップ問題]] (Yang–Mills and Mass Gap) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> 任意のコンパクトな単純ゲージ群 G に対して、非自明な量子ヤン・ミルズ理論が {{math|''''R'''<sup>4</sup>}} 上に存在し、質量ギャップ {{math|Δ > 0}} を持つことを証明せよ。 </blockquote> *[[リーマン予想]] (Riemann Hypothesis) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> [[リーマンゼータ関数]] {{math|''ζ''(''s'')}} の非自明な零点 {{mvar|s}} は全て、実部が {{math|1/2}} の直線上に存在する。 </blockquote> *[[P≠NP予想]] (P vs NP Problem) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> 計算複雑性理論(計算量理論)におけるクラスPとクラスNPが等しくない。 </blockquote> *[[ナビエ–ストークス方程式の解の存在と滑らかさ]] (Navier–Stokes Equation) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> 3次元空間と(1次元の)時間の中で、初期速度を与えると、ナビエ–ストークス方程式の解となる速度ベクトル場と圧力のスカラー場が存在して、双方とも滑らかで大域的に定義されるか。 </blockquote> *[[ホッジ予想]] (Hodge Conjecture) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> 複素解析多様体のある[[ホモロジー (数学)|ホモロジー]]類は、代数的な[[ド・ラームコホモロジー]]類であろう、つまり、部分多様体のホモロジー類の[[ポアンカレ双対]]の和として表されるようなド・ラームコホモロジー類であろう。 </blockquote> *'''[[ポアンカレ予想]]''' (Poincaré Conjecture) - [[グリゴリー・ペレルマン]]により解決済。 <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> [[単連結]]な3次元[[閉多様体]]は[[3次元球面]] {{math|''S''<sup>3</sup>}} に[[同相]]である。 </blockquote> *[[バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想]] (BSD予想、Birch and Swinnerton-Dyer Conjecture) <blockquote style="padding:1ex; border:2px solid #808080; background:#ffffff"> 楕円曲線E上の有理点と無限遠点Oのなす有限生成アーベル群の階数(ランク)が、EのL関数 L(E, s) のs=1における零点の位数と一致する。 </blockquote> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===出典=== {{reflist}} == 参考文献 == *{{Citation|last=Carlson|first=James|date=19 March 2010|url=http://www.claymath.org/sites/default/files/millenniumprizefull.pdf|format=PDF|title=First Clay Mathematics Institute Millennium Prize Announced Today Prize for Resolution of the Poincaré Conjecture a Awarded to Dr. Grigoriy Perelman|publisher=Clay Mathematics Institute|language=英語|accessdate=2013-12-15}} *{{Citation|author=CMI|date=26 September, 2018|url=http://www.claymath.org/millennium-problems/rules-millennium-prizes|title=Rules for the Millennium Prizes|publisher=Clay Mathematics Institute|language=英語|accessdate=2019-03-09|ref={{Harvid|CMI|2013}}}} *{{Citation|last=Jaffe|first=Arthur M.|author-link=アーサー・M・ジャフィ|year=2006|month=6|title=The Millennium Grand Challenge in Mathematics|journal=Notices of AMS|publisher=American Mathematical Society|language=英語|pages=652-660|volume=63|issue=6|url=http://www.ams.org/notices/200606/fea-jaffe.pdf|format=PDF}} *{{Citation|editor1-last=Carlson|editor1-first=James|editor1-link=ジェームズ・カールソン|last1=Jaffe|first1=Arthur|author1-link=アーサー・ジャフィ|last2=Wiles|first2=Andrew|author2-link=アンドリュー・ワイルズ|year=2006|title=The Millennium Prize Problems|publisher=American Mathematical Society|language=英語|edition=Hardcover|isbn=978-0-8218-3679-8|url=http://www2.maths.ox.ac.uk/cmi/library/monographs/MPP.pdf}} == 関連文献 == *{{Cite book|和書|author=キース・デブリン|translator=山下純一|date=2004-08-25|title=興奮する数学 世界を沸かせる7つの未解決問題|publisher=岩波書店|isbn=978-4-00-005387-7|url=https://www.iwanami.co.jp/book/b263051.html|ref={{Harvid|デブリン|山下|2004}}}} - 原タイトル:''The millennium problems.'' *{{Cite book|和書|editor=数学セミナー編集部|editor-link=数学セミナー|authorlink=|year=2010|month=7|title=ミレニアム賞問題 7つの未解決問題はどうなったか?|series=数学セミナー増刊|publisher=日本評論社|url=http://www.nippyo.co.jp/book/5352.html|ref={{Harvid|数学セミナー編集部|2010}}}} *{{Cite book|和書|author=一松信 ほか|authorlink=一松信|year=2002|month=10|title=数学七つの未解決問題 あなたも100万ドルにチャレンジしよう!|publisher=森北出版|isbn=978-4-627-01961-4|url=http://www.morikita.co.jp/books/book/150|ref={{Harvid|一松ほか|2002}}}} *{{Cite journal|和書|author=一松信|year=2011|month=4|title=ミレニアム賞問題の経緯|journal=数学セミナー|volume=50|issue=4(通号 595)|pages=21-25|publisher=日本評論社|issn=0386-4960|url=https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/5517.html|ref={{harvid|一松|2011}}}} == 関連項目 ==<!--項目の50音順--> *[[ナビエ-ストークスの式]] *[[ヒルベルトの23の問題]] *[[ミレニアム]] *[[スメイルの問題]] == 外部リンク == *{{Official|http://www.claymath.org/millennium-problems|name=Millennium Prize Problems}} {{ミレニアム懸賞問題}} {{デフォルトソート:みれにあむけんしようもんたい}} [[Category:ミレニアム懸賞問題|*]] [[Category:数学のオープンプロブレム]] [[Category:数学に関する記事]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%A0%E6%87%B8%E8%B3%9E%E5%95%8F%E9%A1%8C
9,974
公的資金
公的資金(こうてきしきん)とは、国・地方公共団体またはこれらに準ずる者が企業に注入する資金である。なお外国では公的資金(英: public fund)のような表現はあまり用いられず、より直接的にtaxpayer moneyあるいはtax money、つまり「税金」と表現される場合が多い。ただし、直接の税金であるとは限らず、各国の中央銀行や各国の預金保険機構などの政策金融機関による特別融資という形式をとる場合がある。 経営破綻、または自己資本比率が低下し、経営が破綻する恐れのある金融機関や債務超過に陥った企業、特に第三セクターに対して投入されることがある。 後の経営状態の改善によって利益が生じた時点で国庫などに返還回収されると期待されるが、公的資金の注入を行っても経営が破綻してしまう場合もあり、その場合、失政や税の無駄遣いなどと批判される。 預金保険法に基づいて預金保険機構が金融機関の破綻処理を行う際に、受け皿となる金融機関または預金保険機構の委託を受けて債権の買い取りを行う整理回収機構に対しての資金援助という形で投入されたり、金融機能安定化法(旧安定化法)や金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律(早期健全化法)や金融機能の強化のための特別措置に関する法律(金融機能強化法)等に基づく資本注入のための劣後債や優先株式の購入資金の貸付けという形で投入されたりする。 なお、優先株式の形で投入された資金は、2期連続で優先株が無配当になるなど一定の条件で議決権を持つ普通株式へ転換することで実質的に国有化され、経営陣の更迭など、経営への介入が行われる。 資金援助としては、平成4年から平成23年までの間に延べ182件、25兆4,648億円が投入された。このうち、国債の償還(使用)により10兆4,326億円が手当てされ、現段階で国民負担として確定している。 資本注入としては、平成12年から平成27年までの間に延べ54件(34の金融機関)、12兆3,809億円が投入された。このうち、足利銀行は優先株式の発行による計1,050億円の資本増強措置を受けていたが、平成15年9月中間決算において債務超過となったために、優先株式は、その大部分をき損することになった。最終的には、平成18年2月に残余財産の分配27億円を受け、処分損1,022億円が生じた。 平成19年度末時点での公的資金未返済行は10行あり、その残高は計3兆3,840億円である。 平成23年度末時点での公的資金未返済行は18行であり、その残高は計2兆1,233億円である。東日本大震災の影響により資本増強措置を受けた金融機関が増えている。 平成27年6月に、りそな銀行及びあおぞら銀行が相次いで公的資金を完済し、日本における金融危機時に公的資金が注入された大手銀行で、完済していないのは新生銀行だけとなった。 令和3年度末時点で公的資金を注入されている金融機関は27あり、残高は7,225億円である。 令和4年度末時点で公的資金を注入されている金融機関は23あり、残高は6,595億円である。
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公的資金(こうてきしきん)とは、国・地方公共団体またはこれらに準ずる者が企業に注入する資金である。なお外国では公的資金のような表現はあまり用いられず、より直接的にtaxpayer moneyあるいはtax money、つまり「税金」と表現される場合が多い。ただし、直接の税金であるとは限らず、各国の中央銀行や各国の預金保険機構などの政策金融機関による特別融資という形式をとる場合がある。 経営破綻、または自己資本比率が低下し、経営が破綻する恐れのある金融機関や債務超過に陥った企業、特に第三セクターに対して投入されることがある。 後の経営状態の改善によって利益が生じた時点で国庫などに返還回収されると期待されるが、公的資金の注入を行っても経営が破綻してしまう場合もあり、その場合、失政や税の無駄遣いなどと批判される。
{{出典の明記|date=2023年3月}} '''公的資金'''(こうてきしきん)とは、[[国]]・[[地方公共団体]]またはこれらに準ずる者が[[企業]]に注入する[[資金]]である。なお外国では公的資金({{Lang-en-short|public fund}})のような表現はあまり用いられず、より直接的にtaxpayer moneyあるいはtax money、つまり「[[税金]]」と表現される場合が多い。ただし、直接の税金であるとは限らず、各国の[[中央銀行]]や各国の[[預金保険機構]]などの政策金融機関による特別融資という形式をとる場合がある。 [[経営破綻]]、または[[自己資本比率]]が低下し、経営が破綻する恐れのある[[金融機関]]や[[債務超過]]に陥った企業、特に[[第三セクター]]に対して投入されることがある。 後の経営状態の改善によって利益が生じた時点で国庫などに返還回収されると期待されるが、公的資金の注入を行っても経営が破綻してしまう場合もあり、その場合、失政や[[税]]の無駄遣いなどと批判される。 == 日本の金融機関への注入 == [[預金保険法]]に基づいて預金保険機構が金融機関の破綻処理を行う際に、受け皿となる金融機関または預金保険機構の委託を受けて債権の買い取りを行う[[整理回収機構]]に対しての資金援助という形で投入されたり、金融機能安定化法(旧安定化法)や[[金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律]](早期健全化法)や[[金融機能の強化のための特別措置に関する法律]](金融機能強化法)等に基づく資本注入のための[[劣後債]]や[[優先株式]]の購入資金の貸付けという形で投入されたりする。 なお、優先株式の形で投入された資金は、2期連続で優先株が無配当になるなど一定の条件で議決権を持つ普通[[株式]]へ転換することで実質的に国有化され、経営陣の更迭など、経営への介入が行われる。 資金援助としては、平成4年から平成23年までの間に延べ182件、25兆4,648億円が投入された。このうち、国債の償還(使用)により10兆4,326億円が手当てされ、現段階で国民負担として確定している<ref>{{Cite web|和書|title=資金援助等実績 : 預金保険機構 |url=https://www.dic.go.jp/katsudo/page_000880.html |website=www.dic.go.jp |access-date=2023-08-11}}</ref>。 資本注入としては、平成12年から平成27年までの間に延べ54件(34の金融機関)、12兆3,809億円が投入された。このうち、[[足利銀行]]は優先株式の発行による計1,050億円の資本増強措置を受けていたが、平成15年9月中間決算において債務超過となったために、優先株式は、その大部分をき損することになった。最終的には、平成18年2月に残余財産の分配27億円を受け、処分損1,022億円が生じた<ref>{{Cite web|和書|title=資本増強・資本参加(震災対応含む) : 預金保険機構 |url=https://www.dic.go.jp/katsudo/shihonzokyo.html |website=www.dic.go.jp |access-date=2023-08-11}}</ref>。 === 公的資金の返済状況 === 平成19年度末時点での公的資金未返済行は10行あり、その残高は計3兆3,840億円である<ref>{{Cite web|和書|title=第1 金融システムの安定化のために実施された公的資金による金融機関に対する資本増強措置の実施状況及び公的資金の返済状況等並びに預金保険機構の財務の状況について {{!}} 平成19年度決算検査報告 {{!}} 会計検査院 |url=https://report.jbaudit.go.jp/org/h19/2007-h19-1135-0.htm |website=report.jbaudit.go.jp |access-date=2023-08-11}}</ref>。 平成23年度末時点での公的資金未返済行は18行であり、その残高は計2兆1,233億円である<ref>{{Cite web|和書|title=東日本大震災に対処するために改正された金融機能強化法に基づく資本増強措置の実施状況及び資本増強措置に係る公的資金の返済状況並びに預金保険機構の財務状況について {{!}} 平成23年度決算検査報告 {{!}} 会計検査院 |url=https://report.jbaudit.go.jp/org/h23/2011-h23-1211-0.htm#1211-0-1 |website=report.jbaudit.go.jp |access-date=2023-08-11}}</ref>。東日本大震災の影響により資本増強措置を受けた金融機関が増えている。 平成27年6月に、[[りそな銀行]]及び[[あおぞら銀行]]が相次いで公的資金を完済し、日本における金融危機時に公的資金が注入された大手銀行で、完済していないのは[[SBI新生銀行|新生銀行]]だけとなった。 令和3年度末時点で公的資金を注入されている金融機関は27<ref>{{Cite web|和書|title=経営強化計画、協同組織金融機能強化方針 |url=https://www.fsa.go.jp/status/keieikyoka/2022b.html |website=www.fsa.go.jp |access-date=2023-08-13 |language=ja}}</ref>あり、残高は7,225億円である。 令和4年度末時点で公的資金を注入されている金融機関は23<ref>{{Cite web|和書|title=「経営強化計画」等の履行状況報告書バックナンバー(令和5年):金融庁 |url=https://www.fsa.go.jp/status/keieikyoka/2023b.html |website=www.fsa.go.jp |access-date=2023-08-13}}</ref>あり、残高は6,595億円である。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[公金]] * [[護送船団方式]] - [[金融ビッグバン]] {{Gov-stub}} {{Economy-stub}} {{DEFAULTSORT:こうてきしきん}} [[Category:金融機関]] [[category:財政]] [[Category:倒産法]] [[en:public funds]]
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オスカー1号
オスカー1号(OSCAR-1)は、1961年にアメリカ合衆国で打ち上げられた世界初のアマチュア衛星である。 2mバンド(144MHz帯、当時は144~148MHz)で、モールスの HI(「笑い」を意図する電信略号)の繰り返しをビーコンとして送出するだけの衛星ではあったが、米ソ二大国が威信をかけて宇宙開発を競うなかでアマチュア無線家の手作り衛星が宇宙に送られたということで話題になり、メディアも「税金を使わない衛星」などとして取り上げた。当時の2mバンドは、まだ広く市販されたリグなど無く、一部の技術力のあるアマチュア無線家(プロの通信エンジニアが趣味でアマチュア無線をやっているなど)以外は利用できる状況ではなく、また低軌道の宇宙無線通信であるから通常の地上局間の通信に使うローテーターに加え、仰角の制御も含めた追尾が必要であったわけだが、それでも世界の28カ国570人のアマチュア無線家からの受信報告が寄せられた。 続いて1962年に打上げられたオスカー2号(en:OSCAR 2)は、本機の経験が反映されているが基本的には同型の、直接の後継機である。その後、Project OSCARは3号と4号も打ち上げた。
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オスカー1号(OSCAR-1)は、1961年にアメリカ合衆国で打ち上げられた世界初のアマチュア衛星である。 2mバンド(144MHz帯、当時は144~148MHz)で、モールスの HI(「笑い」を意図する電信略号)の繰り返しをビーコンとして送出するだけの衛星ではあったが、米ソ二大国が威信をかけて宇宙開発を競うなかでアマチュア無線家の手作り衛星が宇宙に送られたということで話題になり、メディアも「税金を使わない衛星」などとして取り上げた。当時の2mバンドは、まだ広く市販されたリグなど無く、一部の技術力のあるアマチュア無線家(プロの通信エンジニアが趣味でアマチュア無線をやっているなど)以外は利用できる状況ではなく、また低軌道の宇宙無線通信であるから通常の地上局間の通信に使うローテーターに加え、仰角の制御も含めた追尾が必要であったわけだが、それでも世界の28カ国570人のアマチュア無線家からの受信報告が寄せられた。 続いて1962年に打上げられたオスカー2号は、本機の経験が反映されているが基本的には同型の、直接の後継機である。その後、Project OSCARは3号と4号も打ち上げた。
[[画像:OSCAR 1.jpg|thumb|200px|OSCAR-1]] '''オスカー1号'''('''OSCAR-1''')は、1961年に[[アメリカ合衆国]]で打ち上げられた世界初の[[アマチュア衛星]]である。 2mバンド(144MHz帯、当時は<ref>その後(日本の場合は警察無線に割譲する形で)狭くなっている</ref>144~148MHz)で、モールスの HI(「笑い」を意図する電信略号)の繰り返しをビーコンとして送出するだけの衛星ではあったが、米ソ二大国が威信をかけて<ref>実際のところ、大々的に宣伝される「威信をかけた宇宙開発」よりも、本機が相乗りした本務の衛星が[[偵察衛星]]だったように「秘密の宇宙開発」のほうがより実際は熾烈だったかもしれない。</ref>宇宙開発を競うなかで[[アマチュア無線]]家の手作り衛星が宇宙に送られたということで話題になり、[[メディア (媒体)|メディア]]も「税金を使わない衛星」などとして取り上げた。当時の2mバンドは、まだ広く市販されたリグなど無く、一部の技術力のあるアマチュア無線家(プロの通信エンジニアが趣味でアマチュア無線をやっているなど)以外は利用できる状況ではなく、また低軌道の宇宙無線通信であるから通常の地上局間の通信に使うローテーターに加え、仰角の制御も含めた追尾が必要であったわけだが、それでも世界の28カ国570人のアマチュア無線家からの受信報告が寄せられた。 続いて1962年に打上げられたオスカー2号([[:en:OSCAR 2]])は、本機の経験が反映されているが基本的には同型の、直接の後継機である。その後、Project OSCARは3号と4号も打ち上げた。 ==衛星の概要== *打ち上げ:[[1961年]][[12月12日]] [[ヴァンデンバーグ空軍基地]] *ロケット:[[ソー・アジェナ]]B([[ピギーバック衛星]]として) *本務衛星: ([[偵察衛星]])ディスカバラー36号([[:en:Discoverer 36]], あるいはCorona 9029。[[コロナ (人工衛星)]] の記事も参照のこと) *軌道:[[低軌道]] 245km×474km、軌道傾斜角81.2度 *運用終了:[[1962年]][[1月1日]] 電池の消耗による発信の停止(充電能力は無かった) *計画:「Project OSCAR」と名乗った、数名のアマチュア無線家グループ *開発:同グループの一員の Lance Ginner(K6GSJ)が主に担当した *形状:アジェナの側面に埋め込まれたため曲面をもった箱型 *質量:約5kg *機能:モールス符号によるビーコン(HI)を144.983MHzで送信(出力約140mW)。キーイング速度が衛星内部の温度に応じて変わるようになっているという、ごく単純だがテレメータの機能がある<ref>熱の問題は、対流による熱移動や、伝導によって熱を外部に捨てることができない宇宙機では、ほぼ最初の問題である</ref>。 ==注== <references/> ==関連項目== *[[アマチュア衛星]] *[[アマチュア無線]] *[[人工衛星]] {{DEFAULTSORT:おすかあ01}} [[Category:通信衛星]] [[Category:アメリカ合衆国の人工衛星]] [[Category:アマチュア衛星]] [[Category:1961年の宇宙飛行]]
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Java Servlet
Java Servlet(ジャバ サーブレット)とは、サーバ上でウェブページなどを動的に生成したりデータ処理を行うために、Javaで作成されたプログラム及びその仕様である。単にサーブレットと呼ばれることが多い。Jakarta EEの一機能という位置づけになっている。この機能を用いてショッピングサイトやオンラインバンキングなどをはじめとする多種多様な動的なWebサイトが構築されている。 Java Servletはサーバサイド技術として登場した。 同様の技術(すなわち対抗技術)としてはPerlなどを用いたCGI、PHPプログラムのプロセスをApache HTTP Server上で動かすことができるmod_phpなどのモジュール、マイクロソフトが提供するASPなどがある。CGIがクライアントのリクエストのたびに新しいプロセスを起動するのに対して、サーブレットはメモリに常駐して、リクエストのたびにプロセスより軽量なスレッドを起動するので、効率がよい。また、サーブレットはJavaで書かれているのでさまざまなプラットフォームで使うことができる。 Servlet 2.3からは、フィルター機能が追加され、Servletの実行前後に処理を差し込むことが可能となった。 サーブレットの技術の延長としてJSPがあるが、JSPはサーブレットを自動生成して動作している。厳密に言えばサーブレットとJSPは違う技術だが、これらは組み合わせて使うのが一般的なため、JSPもサーブレットの一部として扱われることが多い。 サーブレットの実行環境(実行するためのソフトウェア)はWebコンテナ、またはサーブレットコンテナと呼ばれる。これらの言葉はあまり区別されずに使われることも多いが、純粋にサーブレットの処理を行うものをサーブレットコンテナと呼び、サーブレットコンテナを含みJSPやHTTPサーバとしての機能も含むものをWebコンテナと呼ぶ傾向がある。 Webコンテナとしては、Apache Tomcat, Jetty, BEA WebLogic Server, IBM WebSphere Application Server, Resin, JBossなどがある。 当初、JavaはAppletなどのクライアント側でJavaプログラムを稼動させるクライアントサイドの技術として注目を集めていた。しかし、サーブレットの登場以降、サーバ側でJavaプログラムを稼動させる形態が急速に普及した。こうしたサーバ側でJavaプログラムを稼動させる形態をサーバサイドJavaと呼ぶ。 JSPの登場により、Java Servletはデータの入出力処理 (Controller) を担当することが推奨される。これはModel View Controller (MVC) による役割付けである。 以下は、service()メソッドが何回呼ばれたかを出力する単純なサーブレットである。 サーブレットはServletインタフェースを実装する必要がある。サーブレットの実装は通常、プロトコルに依存しない抽象クラスであるGenericServletか、HTTP用のサブクラスであるHttpServletクラスを継承することで行う。この例ではHttpServletクラスを継承している。 service()メソッドはサーブレットのリクエストごとの処理を記述するメソッドである。HttpServletクラスを継承する場合、ここからさらにdoGet(), doPost(), doPut(), doDelete()といったHTTPメソッドごとのメソッドに分岐させることができる。ただし、以下の例ではその機能を使わず、直接service()メソッドをオーバーライドしている。
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Java Servletとは、サーバ上でウェブページなどを動的に生成したりデータ処理を行うために、Javaで作成されたプログラム及びその仕様である。単にサーブレットと呼ばれることが多い。Jakarta EEの一機能という位置づけになっている。この機能を用いてショッピングサイトやオンラインバンキングなどをはじめとする多種多様な動的なWebサイトが構築されている。
{{出典の明記|date=2021年6月}} '''Java Servlet'''(ジャバ サーブレット)とは、[[サーバ]]上で[[ウェブページ]]などを動的に生成したりデータ処理を行うために、[[Java]]で作成された[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]及びその仕様である。単にサーブレットと呼ばれることが多い。[[Jakarta EE]]の一機能という位置づけになっている。この機能を用いてショッピングサイトやオンラインバンキングなどをはじめとする多種多様な動的なWebサイトが構築されている。 == 概要 == [[ファイル:JSP Model 2.svg|thumb|[[Model View Controller|MVC]]アーキテクチャにおけるJava Servlet, [[JavaServer Pages|JSP]], [[JavaBeans]]の位置づけ]] Java Servletはサーバサイド技術として登場した。 同様の技術(すなわち対抗技術)としては[[Perl]]などを用いた[[Common Gateway Interface|CGI]]、[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]プログラムのプロセスを[[Apache HTTP Server]]上で動かすことができるmod_phpなどのモジュール、[[マイクロソフト]]が提供する[[Active Server Pages|ASP]]などがある。CGIが[[クライアント (コンピュータ)|クライアント]]のリクエストのたびに新しい[[プロセス]]を起動するのに対して、サーブレットは[[メモリ]]に常駐して、リクエストのたびにプロセスより軽量な[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]を起動するので、効率がよい。また、サーブレットはJavaで書かれているのでさまざまなプラットフォームで使うことができる。 Servlet 2.3からは、フィルター機能が追加され、Servletの実行前後に処理を差し込むことが可能となった。 サーブレットの技術の延長として[[JavaServer Pages|JSP]]があるが、JSPはサーブレットを自動生成して動作している。厳密に言えばサーブレットとJSPは違う技術だが、これらは組み合わせて使うのが一般的なため、JSPもサーブレットの一部として扱われることが多い。 サーブレットの実行環境(実行するためのソフトウェア)はWebコンテナ、またはサーブレットコンテナと呼ばれる。これらの言葉はあまり区別されずに使われることも多いが、純粋にサーブレットの処理を行うものをサーブレットコンテナと呼び、サーブレットコンテナを含みJSPや[[Webサーバ|HTTPサーバ]]としての機能も含むものを[[Webコンテナ]]と呼ぶ傾向がある。 [[Webコンテナ]]としては、[[Apache Tomcat]], [[Jetty]], [[BEA WebLogic Server]], IBM [[WebSphere Application Server]], [[:en:Resin_Server|Resin]], [[JBoss]]などがある。 == サーバサイドJava == 当初、Javaは[[Applet]]などのクライアント側でJavaプログラムを稼動させるクライアントサイドの技術として注目を集めていた。しかし、サーブレットの登場以降、サーバ側でJavaプログラムを稼動させる形態が急速に普及した。こうしたサーバ側でJavaプログラムを稼動させる形態をサーバサイドJavaと呼ぶ。 == 役割 == JSPの登場により、Java Servletはデータの入出力処理 (Controller) を担当することが推奨される。これは[[Model View Controller]] (MVC) による役割付けである。 == 歴史 == {| class="wikitable" |+ Servletの歴史 ! バージョン !! リリース ||プラットフォーム||内容 |- | 1.0 | 1997/01 | -- | -- |- | 2.0 | | JDK 1.1 | Java Servlet Development Kit 2.0の一部としてリリース |- | 2.1 | 1998/11 | -- | 公式な初版、RequestDispatcher, ServletContextを追加 |- | 2.2 | 1999/08 | J2EE 1.2, J2SE 1.2 | J2EEの一部となる |- | 2.3 | 2001/08 | J2EE 1.3, J2SE 1.2 | Filter機能追加 |- | 2.4 | 2003/11 | J2EE 1.4, J2SE 1.3 | web.xml にXML Schema を利用 |- | 2.5 | 2005/09 | JavaEE 5, JavaSE 5 | JavaSE 5が必須となる, annotationをサポート |- | 3.0 | 2009/12 | JavaEE 6, JavaSE 6 | 開発容易性の実現, 動的設定, login/logoutメソッドサポート, 非同期Servlet, アノテーションSecurity, Fileアップロード |- | 3.1 | 2013/05 | JavaEE 7 | [[クラウドコンピューティング|クラウド]]対応, ノンブロッキング処理用I/O APIの追加, [[WebSocket]]等へのプロトコルアップグレードの対応, セキュリティ機能の強化<ref name="oracle20120806">{{Cite web|和書|url=https://blogs.oracle.com/wlc/entry/javaee_c116|title=Java Servlet 3.1の新機能――クラウド対応のJava EE 7でどう変わるのか?【Java EEエキスパート・シリーズ】|publisher=[[オラクル (企業)|オラクル]]|date=2012-08-06|accessdate=2014-02-23}}</ref> |- | 4.0 | 2017/09 | JavaEE 8 | [[HTTP/2]]サポート |- | 4.0.3 | 2019/09/10 | Jakarta EE 8 |「Java」の商標から名前が変更 |- | 5.0 | 2020/10/09 | Jakarta EE 9 | APIがパッケージjavax.servletからjakarta.servletに移動 |- | 6.0 | 2021/10/15 | Jakarta EE 10 | 非推奨の機能の削除と、リクエストされた拡張機能を実装 |} == 例 == 以下は、<code>service()</code>[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]が何回呼ばれたかを出力する単純なサーブレットである。 サーブレットは<code>Servlet</code>[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]を実装する必要がある。サーブレットの実装は通常、[[通信プロトコル|プロトコル]]に依存しない[[抽象型|抽象クラス]]である<code>GenericServlet</code>か、[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]用のサブクラスである<code>HttpServlet</code>クラスを継承することで行う。この例では<code>HttpServlet</code>クラスを継承している。 <code>service()</code>メソッドはサーブレットの[[リクエスト]]ごとの処理を記述するメソッドである。<code>HttpServlet</code>クラスを継承する場合、ここからさらに<code>doGet()</code>, <code>doPost()</code>, <code>doPut()</code>, <code>doDelete()</code>といった[[Hypertext Transfer Protocol#リクエストメソッド|HTTPメソッド]]ごとのメソッドに分岐させることができる。ただし、以下の例ではその機能を使わず、直接<code>service()</code>メソッドを[[オーバーライド]]している。 <syntaxhighlight lang="java"> import java.io.IOException; import javax.servlet.ServletConfig; import javax.servlet.ServletException; import javax.servlet.http.HttpServlet; import javax.servlet.http.HttpServletRequest; import javax.servlet.http.HttpServletResponse; public class ServletLifeCycleExample extends HttpServlet { private int count; @Override public void init(ServletConfig config) throws ServletException { super.init(config); getServletContext().log("init() called"); count = 0; } @Override protected void service(HttpServletRequest request, HttpServletResponse response) throws ServletException, IOException { getServletContext().log("service() called"); count++; response.getWriter().write("Incrementing the count: count = " + count); } @Override public void destroy() { getServletContext().log("destroy() called"); } } </syntaxhighlight> == Web.xml定義 == {| class="wikitable" |+ Web.xml定義 ! バージョン !! 定義内容 |- | 2.3 | <?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <!DOCTYPE web-app PUBLIC "-//Sun Microsystems, Inc.//DTD Web Application 2.3//EN" "http://java.sun.com/dtd/web-app_2_3.dtd"> <web-app> </web-app> |- | 2.4 |<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <web-app xmlns="http://java.sun.com/xml/ns/j2ee" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://java.sun.com/xml/ns/j2ee/web-app_2_4.xsd" version="2.4"> </web-app> |- | 2.5 |<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <web-app xmlns="http://java.sun.com/xml/ns/javaee" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://java.sun.com/xml/ns/javaee http://java.sun.com/xml/ns/javaee/web-app_2_5.xsd" version="2.5"> </web-app> |- | 3.0 |<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <web-app xmlns="http://java.sun.com/xml/ns/javaee" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xmlns:web="http://java.sun.com/xml/ns/javaee/web-app_3_0.xsd" xsi:schemaLocation="http://java.sun.com/xml/ns/javaee http://java.sun.com/xml/ns/javaee/web-app_3_0.xsd" id="WebApp_ID" version="3.0"> </web-app> |- | 3.1 |<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?> <web-app xmlns="http://xmlns.jcp.org/xml/ns/javaee" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance" xsi:schemaLocation="http://xmlns.jcp.org/xml/ns/javaee http://xmlns.jcp.org/xml/ns/javaee/web-app_3_1.xsd" version="3.1"> </web-app> |} == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wikibooks|Java|Java}} * [[Jakarta EE]] * [[アプリケーションサーバ]] * [[ウェブアプリケーション]] * [[JavaServer Pages]] * [[JavaBeans]] * [[アプレット]] == 外部リンク == * [https://jcp.org/aboutJava/communityprocess/final/jsr053/ Java Servlet 2.3] JSR-053 {{En icon}} * [https://jcp.org/aboutJava/communityprocess/final/jsr154/ Java Servlet 2.4] JSR-154 Final Release {{En icon}} * [https://jcp.org/aboutJava/communityprocess/mrel/jsr154/ Java Servlet 2.5] JSR-154 Maintenance Release {{En icon}} * [https://jcp.org/en/jsr/detail?id=315 Java Servlet 3.0] JSR-315 {{En icon}} * [https://jcp.org/en/jsr/detail?id=340 Java Servlet 3.1] JSR-340 {{En icon}} * [https://jcp.org/en/jsr/detail?id=369 Java Servlet 4.0] JSR-363 {{En icon}} {{Java}} {{Web interfaces}} {{Normdaten}} [[Category:ウェブ開発]] [[Category:Java specification requests|Servlet]] [[Category:Java enterprise platform|Servlet]] [[Category:Javaプラットフォーム|Servlet]]
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JavaServer Pages
JavaServer Pages (JSP) は、HTML内にJavaのコードを埋め込んでおき、Webサーバで動的にWebページを生成してクライアントに返す技術のこと。 Javaのコードは、<%と%>記号で囲まれた部分に書かれる。HTMLの中にスクリプトが断片的に見えるため、この記法をスクリプトレット (scriptlet) と呼ぶ。これよりプログラムコードをタグに見立てることができるため、プログラムとデザインの棲み分けができる。定義されたカスタムタグライブラリを使用すればスクリプトレットを使わずに独自のタグでコードを埋め込むことができる。 サーブレットの機能のひとつとして実装されている。 サーブレットと違い、HTMLの中でデザイン部分とプログラム部分を分けて書くためにある程度までウェブデザイナの負担を減らすこともできる。また、静的な出力が多い場合に適している。類似技術としてPHP、ASP、ASP.NETなどがある。 クライアントからのJSPの実行がリクエストされると、アプリケーションサーバのサーブレットコンテナはJSPソースファイルをサーブレットのソースコードに変換する。そしてさらにそのソースコードをその場でコンパイルして実行し、結果をクライアントに返信する。このため、最初はコンパイルの時間がかかるが、いちどコンパイルが実行されると2回目以降は必要なくなるため、結果としてアクセス速度が早くなる。 カスタムタグライブラリとしては、Javaの標準仕様の一部として定義されたJSTLや、Apache Strutsのようなフレームワークが独自に定義したものがあり、こうしたタグを使用することでより可読性を高めることができる。JSP2.0では、従来のタグハンドラクラスを作成しなくてもカスタムタグライブラリを作成できるタグファイルの仕組みが導入された。タグファイは、JSPの文法で作成されるファイルで拡張子は、「.tag」となる。 Model View Controllerアーキテクチャでは、JSPをView、Java ServletをController、JavaBeansをModelとして用いることが想定されている。 HTMLの中に以下の特殊タグを記述することができる。 ディレクティブの種類としては、以下のものがある。 アクションの種類としては、以下のものがある。 JSP2.0では、以下のものが追加になった。 Javaのコード中で以下の変数があらかじめ利用できる状態(暗黙オブジェクトとして)で用意されている。 JSTL(JavaServer Pages Standard Tag Library、JSP標準タグライブラリ)は、JSPでよく用いられる標準的な機能を定義したカスタムタグライブラリである。2001年に定義されたJ2EE 1.3において標準仕様の一つとして導入された。 JSTLでは、変数の操作やif文といった標準的な機能を提供するコアライブラリに加え、XMLや国際化、SQLのライブラリ、さらに文字列操作といった関数をまとめたライブラリが提供されている。 EL式(Expression Language、式言語)は、JSP 2.0で導入された新たな構文で、従来のスクリプトレットに代わってより可読性に優れたJSPファイルを記述できるようにしたもの。EL式はJSPをベースにしたWebアプリケーションフレームワークであるJSFにおいても独自に定義されていたが、後のJSP 2.1, JSF 1.2において一つの仕様に統合され(Unified EL、統合式言語)、さらに2013年のEL 3.0ではJSPから独立したJava EE 7の仕様の一つとなっている。 Expression Languageは、${}で表現する。 Expression Languageでは、以下のような暗黙オブジェクトが利用できる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "JavaServer Pages (JSP) は、HTML内にJavaのコードを埋め込んでおき、Webサーバで動的にWebページを生成してクライアントに返す技術のこと。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Javaのコードは、<%と%>記号で囲まれた部分に書かれる。HTMLの中にスクリプトが断片的に見えるため、この記法をスクリプトレット (scriptlet) と呼ぶ。これよりプログラムコードをタグに見立てることができるため、プログラムとデザインの棲み分けができる。定義されたカスタムタグライブラリを使用すればスクリプトレットを使わずに独自のタグでコードを埋め込むことができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "サーブレットの機能のひとつとして実装されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "サーブレットと違い、HTMLの中でデザイン部分とプログラム部分を分けて書くためにある程度までウェブデザイナの負担を減らすこともできる。また、静的な出力が多い場合に適している。類似技術としてPHP、ASP、ASP.NETなどがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "クライアントからのJSPの実行がリクエストされると、アプリケーションサーバのサーブレットコンテナはJSPソースファイルをサーブレットのソースコードに変換する。そしてさらにそのソースコードをその場でコンパイルして実行し、結果をクライアントに返信する。このため、最初はコンパイルの時間がかかるが、いちどコンパイルが実行されると2回目以降は必要なくなるため、結果としてアクセス速度が早くなる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "カスタムタグライブラリとしては、Javaの標準仕様の一部として定義されたJSTLや、Apache Strutsのようなフレームワークが独自に定義したものがあり、こうしたタグを使用することでより可読性を高めることができる。JSP2.0では、従来のタグハンドラクラスを作成しなくてもカスタムタグライブラリを作成できるタグファイルの仕組みが導入された。タグファイは、JSPの文法で作成されるファイルで拡張子は、「.tag」となる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Model View Controllerアーキテクチャでは、JSPをView、Java ServletをController、JavaBeansをModelとして用いることが想定されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "HTMLの中に以下の特殊タグを記述することができる。", "title": "構文" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ディレクティブの種類としては、以下のものがある。", "title": "構文" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "アクションの種類としては、以下のものがある。", "title": "構文" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "JSP2.0では、以下のものが追加になった。", "title": "構文" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Javaのコード中で以下の変数があらかじめ利用できる状態(暗黙オブジェクトとして)で用意されている。", "title": "構文" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "JSTL(JavaServer Pages Standard Tag Library、JSP標準タグライブラリ)は、JSPでよく用いられる標準的な機能を定義したカスタムタグライブラリである。2001年に定義されたJ2EE 1.3において標準仕様の一つとして導入された。", "title": "JSTL" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "JSTLでは、変数の操作やif文といった標準的な機能を提供するコアライブラリに加え、XMLや国際化、SQLのライブラリ、さらに文字列操作といった関数をまとめたライブラリが提供されている。", "title": "JSTL" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "EL式(Expression Language、式言語)は、JSP 2.0で導入された新たな構文で、従来のスクリプトレットに代わってより可読性に優れたJSPファイルを記述できるようにしたもの。EL式はJSPをベースにしたWebアプリケーションフレームワークであるJSFにおいても独自に定義されていたが、後のJSP 2.1, JSF 1.2において一つの仕様に統合され(Unified EL、統合式言語)、さらに2013年のEL 3.0ではJSPから独立したJava EE 7の仕様の一つとなっている。", "title": "EL式" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Expression Languageは、${}で表現する。", "title": "EL式" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Expression Languageでは、以下のような暗黙オブジェクトが利用できる。", "title": "EL式" } ]
JavaServer Pages (JSP) は、HTML内にJavaのコードを埋め込んでおき、Webサーバで動的にWebページを生成してクライアントに返す技術のこと。
{{出典の明記|date=2021年6月}} {{Infobox file format | name = JSP | mime = application/jsp | extension = .jsp | standard = [http://jcp.org/en/jsr/detail?id=245 JSR 245] | released = {{Start date|1999|06|02}} | latest release version = 3.0 | latest release date = {{Start date and age|2020|10|21}} | genre = [[テンプレートエンジン]] | extendedfrom = [[HyperText Markup Language|HTML]], [[Java]] | url = [http://www.oracle.com/technetwork/java/jsp-138432.html JavaServer Pages Technology] }} '''JavaServer Pages''' (JSP、もしくはJakarta Server Pages) は、[[HyperText Markup Language|HTML]]内に[[Java]]のコードを埋め込んでおき、[[Webサーバ]]で動的に[[ウェブページ|Webページ]]を生成してクライアントに返す技術のこと。 == 概要 == [[ファイル:JSP Model 2.svg|thumb|[[Model View Controller|MVC]]アーキテクチャにおけるJSP, [[Java Servlet]], [[JavaBeans]]の位置づけ]] Javaのコードは、<code><%</code>と<code>%></code>記号で囲まれた部分に書かれる。HTMLの中にスクリプトが断片的に見えるため、この記法をスクリプトレット (scriptlet) と呼ぶ。これよりプログラムコードをタグに見立てることができるため、プログラムとデザインの棲み分けができる。定義されたカスタムタグライブラリを使用すればスクリプトレットを使わずに独自のタグでコードを埋め込むことができる。 [[Java Servlet|サーブレット]]の機能のひとつとして実装されている。 サーブレットと違い、HTMLの中でデザイン部分とプログラム部分を分けて書くためにある程度までウェブデザイナの負担を減らすこともできる。また、静的な出力が多い場合に適している<ref>サーブレットではprintlnメソッドが頻繁に現れて、可読性が低下するため</ref>。類似技術として[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]、[[Active Server Pages|ASP]]、[[ASP.NET]]などがある。 クライアントからのJSPの実行がリクエストされると、[[アプリケーションサーバ]]の[[サーブレットコンテナ]]はJSPソースファイルをサーブレットのソースコードに変換する。そしてさらにそのソースコードをその場でコンパイルして実行し、結果をクライアントに返信する。このため、最初はコンパイルの時間がかかるが、いちどコンパイルが実行されると2回目以降は必要なくなるため、結果としてアクセス速度が早くなる。 カスタムタグライブラリとしては、Javaの標準仕様の一部として定義された[[#JSTL|JSTL]]や、[[Apache Struts]]のようなフレームワークが独自に定義したものがあり、こうしたタグを使用することでより可読性を高めることができる。JSP2.0では、従来のタグハンドラクラスを作成しなくてもカスタムタグライブラリを作成できるタグファイルの仕組みが導入された。タグファイは、JSPの文法で作成されるファイルで拡張子は、「.tag」となる。 [[Model View Controller]]アーキテクチャでは、JSPをView、[[Java Servlet]]をController、[[JavaBeans]]をModelとして用いることが想定されている。 == 構文 == ===タグ=== HTMLの中に以下の特殊タグを記述することができる。 {| class="wikitable" |+ JSPのタグ ! 名称 !! タグ !! 説明 |- ! ディレクティブ | &lt;%@ ディレクティブ %&gt;|| このJSPファイルの処理時の属性をWebコンテナに伝える |- ! 宣言 | &lt;%! 宣言 %&gt;|| JSPで使用する変数やメソッドを宣言する |- ! スクリプトレット | &lt;% Javaコード %&gt;|| タグ内にJavaのコードを自由に記述する |- ! 式 | &lt;%= 式 %&gt;|| 式の評価結果をHTMLの中に出力する |- ! アクション | &lt;jsp:アクション名&gt;|| JSPでよく行う処理をタグで簡潔に記述する |- ! コメント | &lt;%-- コメント --%&gt;|| JSPとしてのコメントを記述する |} ===ディレクティブ=== ディレクティブの種類としては、以下のものがある。 {| class="wikitable" |+ ディレクティブの種類 ! 名称 !! 説明 !! 例 |- ! page | JSPファイルのエンコーディングやJSPプログラムのコーディングに必要なimport文、セッション管理を行う || <%@ page contentType="text/html; charset=Windows-31J" pageEncoding="Windows-31J" %> |- ! include | テキストファイルやその他のJSPファイルをインクルードする。インクルードは、JSPからServletに変換される時に行われる。ファイルの拡張子としてJSPを使用せずに他の拡張子を使用する。一般的には、「.jspf」(JSP Fragment)が使用される。 || <%@ include file="header.jspf" %> |- ! taglib | カスタムタグを使用できるようにするための設定を行う || <%@ taglib uri="http://www.sample.com/tags/test" prefix="tst" %> |} === アクション === アクションの種類としては、以下のものがある。 ;<nowiki>jsp:include</nowiki> ;<nowiki>jsp:param</nowiki> ;<nowiki>jsp:forward</nowiki> ;<nowiki>jsp:plugin</nowiki> ;<nowiki>jsp:fallback</nowiki> ;<nowiki>jsp:getProperty</nowiki> ;<nowiki>jsp:setProperty</nowiki> ;<nowiki>jsp:useBean</nowiki> JSP2.0では、以下のものが追加になった。 ;<nowiki>jsp:attribute</nowiki> ;<nowiki>jsp:body</nowiki> ;<nowiki>jsp:doBody</nowiki> ;<nowiki>jsp:invoke</nowiki> ;<nowiki>jsp:element</nowiki> ===暗黙オブジェクト=== Javaのコード中で以下の変数があらかじめ利用できる状態(暗黙オブジェクトとして)で用意されている。 {| class="wikitable" |+ 暗黙オブジェクト ! 変数名 !! 説明 |- ! out | javax.servlet.jsp.JspWriterクラスのオブジェクト変数 |- ! request | javax.servlet.http.HttpServletRequestクラスのオブジェクト変数 |- ! response | javax.servlet.http.HttpServletResponseクラスのオブジェクト変数 |- ! pageContext | javax.servlet.jsp.PageContextクラスのオブジェクト変数 |- ! session | javax.servlet.http.HttpSessionクラスのオブジェクト変数 |- ! application | javax.servlet.ServletContextクラスのオブジェクト変数 |- ! config | javax.servlet.ServletConfigクラスのオブジェクト変数 |- ! page | javax.servlet.jsp.HttpJspPageクラスのオブジェクト変数 |- ! exception | java.lang.Throwableクラスのオブジェクト変数 |} == JSTL == JSTL({{Lang|en|JavaServer Pages Standard Tag Library}}、JSP標準タグライブラリ)は、JSPでよく用いられる標準的な機能を定義したカスタムタグ[[ライブラリ]]である。[[2001年]]に定義された[[Jakarta EE|J2EE]] 1.3において標準仕様の一つとして導入された。<ref>{{Cite web|和書|url=http://otn.oracle.co.jp/technology/global/jp/sdn/java/j2ee/techtips/2003/private/ett1222.html|title=エンタープライズ Java テクノロジ Tech Tips|publisher=[[オラクル (企業)|オラクル]]|date=2003-12-22|accessdate=2014-03-12}}</ref> JSTLでは、[[変数 (プログラミング)|変数]]の操作や[[if文]]といった標準的な機能を提供するコアライブラリに加え、[[Extensible Markup Language|XML]]や[[国際化と地域化|国際化]]、[[SQL]]のライブラリ、さらに[[文字列]]操作といった[[サブルーチン|関数]]をまとめたライブラリが提供されている。<ref>{{Cite web|url=http://docs.oracle.com/javaee/5/tutorial/doc/bnakc.html|title=Chapter 7 JavaServer Pages Standard Tag Library|work=The Java EE 5 Tutorial||publisher=[[オラクル (企業)|オラクル]]|language=英語|date=2010|accessdate=2014-03-12}}</ref> == EL式 == EL式({{Lang|en|Expression Language}}、式言語)は、JSP 2.0で導入された新たな構文で、従来のスクリプトレットに代わってより可読性に優れたJSPファイルを記述できるようにしたもの。EL式はJSPをベースにした[[Webアプリケーションフレームワーク]]である[[JavaServer Faces|JSF]]においても独自に定義されていたが、後のJSP 2.1, JSF 1.2において一つの仕様に統合され({{Lang|en|Unified EL}}、統合式言語)、さらに[[2013年]]のEL 3.0ではJSPから独立した[[Jakarta EE|Java EE]] 7の仕様の一つとなっている。<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.infoq.com/jp/news/2013/07/el3|title=Java EE 7が式言語の拡張を提供|publisher=InfoQ|date=2013-07-12|accessdate=2014-02-23}}</ref> Expression Languageは、${}で表現する。 <pre>${sessionScope.user.id}</pre> Expression Languageでは、以下のような暗黙オブジェクトが利用できる。 {| class="wikitable" |+ 暗黙オブジェクト ! 変数名 !! 説明 |- ! pageContext | javax.servlet.jsp.PageContextクラスのオブジェクト変数 |- ! pageScope | pageスコープからオブジェクトを取得 |- ! requestScope | requestスコープからオブジェクトを取得 |- ! sessionScope | sessionスコープからオブジェクトを取得 |- ! applicationScope | applicationスコープからオブジェクトを取得 |- ! param | リクエストパラメータを格納するMapオブジェクト |- ! paramValues | 複数の値を持つリクエストパラメータを格納するString型配列 |- ! header | リクエストヘッダーと値を格納するMapオブジェクト |- ! headerValues | 複数の値を持つリクエストヘッダーを格納するString型配列 |- ! cookie | クッキーを格納するMapオブジェクト |- ! initParam | コンテクスト初期化パラメータを格納するMapオブジェクト |- |} == 歴史 == {| class="wikitable" |+ 歴史 ! バージョン !! JSR !! リリース日 |- | 1.0 | | 1999年6月2日 |- | 1.1 | | 1999年12月17日 |- | 1.2 | [http://jcp.org/en/jsr/detail?id=53 53] | 2001年9月25日 |- | 2.0 | [http://jcp.org/en/jsr/detail?id=152 152] | 2003年11月24日 |- | 2.1 |rowspan="3"| [http://jcp.org/en/jsr/detail?id=245 245] | 2006年5月11日 |- | 2.2(2.1 Maintenance Release) | 2009年12月10日 |- | 2.3(2.1 Maintenance Release2) | 2013年6月12日 |} == 批判 == 「Murach's Java Servlets and JSP」という本は、JSPにJavaコードを埋め込むことは一般的にはやり方だと述べる。より良い手法は、JSPに埋め込まれたバックエンドのロジックをServlet内のJavaコードに移行することである。この場合、Servletは処理を担当し、JSPはHTMLの表示を担当します。これにより、コードを明確な分離ができる。{{sfn | Murach | Urban | 2014 | loc=§1 Get started right - The JSP for the second page | pp=46-47}} 2000年に、"Java Servlet Programming"の著者であるJason Hunterは、JSPに関するいくつかの「問題点」を述べた。彼はJSPは「Javaプラットフォームにとって最適な解決策ではないかもしれない」と述べる。<ref name="problems">[http://servlets.com/soapbox/problems-jsp.html The Problems with JSP] (January 25, 2000)</ref> == 脚注 == {{Reflist|2}} ===引用著作=== * {{cite book |last1=Murach |first1=Joel |last2=Urban |first2=Michael |title=Murach's Java Servlets and JSP |date=2014 |publisher=Mike Murach & Associates |isbn=978-1-890774-78-3 |url=https://www.murach.com/shop-books/web-development-books/murach-s-java-servlets-and-jsp-3rd-edition-detail |language=en}} == 関連項目 == {{Commonscat|Java Server Pages}} {{Wikibooks|Java|Java}} * [[Java Servlet]] * [[JavaServer Faces]] * [[Webコンテナ]] * [[アプリケーションサーバ]] == 外部リンク == *[http://www.oracle.com/technetwork/java/jsp-138432.html JavaServer Pages Technology] {{En icon}} *[https://jstl.java.net/ JSP Standard Tag Library] {{En icon}} *[http://tomcat.apache.org/taglibs/ Apache Taglibs] {{En icon}} - JSTL実装 *[http://www.javaroad.jp/servletjsp/ Javaの道 - Servlet・JSP] *[http://www.techscore.com/tech/Java/JavaEE/JSP/index/ TECHSCORE - JSP] {{Java}} {{Computer-stub}} [[Category:Java]] [[Category:ウェブ開発]] [[Category:テンプレートエンジン]] [[Category:Java specification requests]] [[Category:Java enterprise platform]]
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JSP
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JSP JavaServer Pages ジョブショップ・スケジューリング問題 - Job-shop Scheduling Problem Just Standard Profile: TOPPERS/JSPカーネル 日本社会党 - Japanese Socialist Party 日本歯周病学会 - Japanese Society of Periodontology 日本病理学会 - Japanese Society of Pathology 日本精神病理学会 - Japanese Society of Psychopathology 日本寄生虫学会 - Japanese Society of Parasitology 株式会社ジャパン・スポーツ・プロモーション - Japan Sports Promotion JSP (企業) - 三菱ガス化学系樹脂発泡製品専業化学メーカー JSPレコード - イギリスのレコードレーベル名
'''JSP''' * [[JavaServer Pages]] * [[ジョブショップ・スケジューリング問題]] - Job-shop Scheduling Problem * Just Standard Profile: [[TOPPERS/JSPカーネル]] * [[日本社会党]] - Japanese Socialist Party * [[日本歯周病学会]] - Japanese Society of Periodontology * [[日本病理学会]] - Japanese Society of Pathology * [[日本精神病理学会]] - Japanese Society of Psychopathology * [[日本寄生虫学会]] - Japanese Society of Parasitology * [[株式会社ジャパン・スポーツ・プロモーション]] - Japan Sports Promotion * [[JSP (企業)]] - 三菱ガス化学系樹脂発泡製品専業化学メーカー(東証1部 [http://www.nikkei.com/markets/company/index.aspx?scode=7942 7942]) * [[JSPレコード]] - イギリスの[[レコードレーベル]]名 {{aimai}}
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アイコン
アイコン (英語: icon) は、物事を簡単な絵柄で記号化して表現するもの。アメリカの哲学者パースによる記号の三分類の一つ。コンピュータ上の記号表記を指すことが多い。アイコンは「εικών」の中世・現代ギリシア語での読み「イコン」を「icon」とラテン文字に転写したものの英語読みである。 コンピュータにおけるアイコンはプログラムの内容を図や絵にして表しているもので、多くは16×16ピクセル - 128×128ピクセルほどの大きさの画像で表示される。 アイコンは、初心者がコンピュータインターフェースを操作するのを容易にするために、1970年代にゼロックス・パロアルト研究センターで最初に開発された。後にアイコンで操作されるインターフェースは、AppleのMacintoshによって一般にもたらされる。現在では主なオペレーティングシステムにおいて、ユーザーへの情報を表示するためにアイコンベースのグラフィカルユーザインターフェース (GUI) を使用している。 一例:(必ず使用されているというものではありません) キャラクタユーザインターフェース (CLI) 上のプログラムでは、ユーザが機能を呼び出すためには、その機能が割り当てられたファンクションキーを押すことなどで行っていたが、GUI中のほとんどの機能はアイコンによって表される。アイコン上にカーソルを移動させて、マウス(あるいはトラックボールなどのポインティングデバイス)のボタンをクリックすることで、機能を呼び出したりプログラムを開始する。アイコンは判別しやすく、機能を連想させる絵柄で、小さいものでなければならない(ユーザビリティの観点から、大きなアイコンが用いられる例もある)。多国間での使用を想定したソフトウェアの場合、文化の違いを考慮する必要がある。 しかしコンピュータ上のアイコンはアプリケーションが登録する独自の物なども多く、実際には絵だけで意味が分かることは多くないため、何らかの形で説明のための語が付いているものが多い。 色(光)の三原色とは、色を表す際の基本的な色であり、赤、緑、青の3種類の色のことである。色彩は、これらを混ぜることにより表される。以下は三原色の色の性質、その他特徴のあるアイコンの色である。
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アイコン は、物事を簡単な絵柄で記号化して表現するもの。アメリカの哲学者パースによる記号の三分類の一つ。コンピュータ上の記号表記を指すことが多い。アイコンは「εικών」の中世・現代ギリシア語での読み「イコン」を「icon」とラテン文字に転写したものの英語読みである。
{{Otheruseslist|絵記号|英語では「{{読み仮名|{{lang|en|Icon}}|アイコン}}」と呼ばれる[[正教会]]の聖像|イコン|かって刊行されていたパソコン雑誌|週刊アスキー|その他のアイコン|イコン (曖昧さ回避)}} {{WikipediaPage}} {{出典の明記|date=2013年1月}} '''アイコン''' ({{lang-en|icon}}) は、物事を簡単な絵柄で記号化して表現するもの。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の哲学者[[チャールズ・サンダース・パース|パース]]による[[記号]]の三分類の一つ。[[コンピュータ]]上の記号表記を指すことが多い。アイコンは「{{lang|grc|εικών}}」の中世・[[ギリシア語|現代ギリシア語]]での読み「イコン」<ref>[[古代ギリシア語]]再建音では「エイコーン」</ref>を「{{lang|und-Latn|icon}}」と[[ラテン文字]]に転写したものの英語読みである。 == コンピュータのアイコン == [[コンピュータ]]におけるアイコンは[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]の内容を[[図]]や[[絵]]にして表しているもので、多くは16×16[[ピクセル]] - 128×128ピクセルほどの大きさの画像で表示される。 アイコンは、初心者が[[ユーザインタフェース|コンピュータインターフェース]]を操作するのを容易にするために、1970年代に[[ゼロックス]]・[[パロアルト研究所|パロアルト研究センター]]で最初に開発された。後にアイコンで操作されるインターフェースは、[[Apple]]の[[Macintosh]]によって一般にもたらされる。現在では主な[[オペレーティングシステム]]において、[[ユーザー]]への情報を表示するためにアイコンベースの[[グラフィカルユーザインターフェース]] (GUI) を使用している。 一例:(必ず使用されているというものではありません) {|class=wikitable !図柄!!解説 |- |align=center|[[File:Stop hand.svg|40px|link=]]||[[警告]]を連想させる図柄(相手を[[制止]]する『[[手]]』と、[[危険]]を表す[[赤い]]『[[標識]]』のイメージ) |- |align=center|[[File:Sound-icon.png|40px]]||[[音声]]を連想させる図柄(音源である『[[スピーカー]]』と、そこから広がる『[[音波]]』のイメージ) |} === 機能とアイコン === [[キャラクタユーザインターフェース]] (CLI) 上の[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]では、ユーザが機能を呼び出すためには、その機能が割り当てられた[[ファンクションキー]]を押すことなどで行っていたが、GUI中のほとんどの機能はアイコンによって表される。アイコン上に[[カーソル]]を移動させて、[[マウス (コンピュータ)|マウス]](あるいは[[トラックボール]]などの[[ポインティングデバイス]])の[[ボタン (GUI)|ボタン]]を[[ポイント・アンド・クリック|クリック]]することで、機能を呼び出したりプログラムを開始する。アイコンは判別しやすく、機能を連想させる絵柄で、小さいものでなければならない([[ユーザビリティ]]の観点から、大きなアイコンが用いられる例もある)。多国間での使用を想定したソフトウェアの場合、[[文化_(代表的なトピック)|文化]]の違いを考慮する必要がある。 しかしコンピュータ上のアイコンは[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]が登録する独自の物なども多く、実際には絵だけで意味が分かることは多くないため、何らかの形で説明のための語が付いているものが多い。 ==アイコン色の性質== 色(光)の三原色とは、色を表す際の基本的な色であり、[[赤]]、[[緑]]、[[青]]の3種類の色のことである。色彩は、これらを混ぜることにより表される。以下は三原色の色の性質、その他特徴のあるアイコンの色である。 *三原色 **赤:目に付きやすい色であり、インパクトが強い。 **緑:目に優しい色である。暖色にも寒色にも属さず、温度感がないので使用する場所を選ばない。 **青:寒色の代表でクールな印象を持つ。空や海といった色を連想させ好感の持たれる色である。 *その他特徴のあるアイコン **[[進出色]]:同じ平面にありながら飛び出して見える色のこと。波長の長い暖色系の色に多い。 **[[後退色]]:同じ平面にありながら後ろに下がって見える色のこと。波長の短い寒色系の色に多い。 **[[膨張色]]:大きく膨張して見える色(明るい色)のこと。 **[[収縮色]]:小さく収縮して見える色(暗い色)のこと。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== {{Wiktionary}} {{Commonscat|Icons}} *[[ピクトグラム]] *[[アバター]] *[[ジャストシステム]] - 松下アイコン訴訟について *{{lang|en|[[Favicon]]}} *{{lang|en|[[Nuvola]]}} *[[ICO (ファイルフォーマット)]] {{GUIウィジェット}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あいこん}} [[Category:シンボル]] [[Category:グラフィカルユーザインタフェース]] [[Category:情報技術史]] [[Category:英語の語句]]
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法医学
法医学(ほういがく、英: forensic medicine、フォレンジック・メディスン)は、犯罪捜査や裁判などの法の適用過程で必要とされる医学的事項を研究または応用する社会医学のことをいう。法科学の一分野である。 人間以外の動物の死因を調べる法獣医学(英語版)、海洋法医学(英語版)もある。 法科学(Forensic sciences)の諸分野において頭に付けられる「フォレンジック(“Forensic”)」(形容詞)は、ラテン語の“forēnsis”つまり「フォーラム(広場)」に由来している。ローマ帝国時代、「起訴」とは、ローマ市街の中心にあるフォロ・ロマーノで聴衆を前に訴状を公開することであった。被告と原告はともに自らの主張を行い、よりよい主張をしてより広く受け入れられたものが裁判において判決を下すことができた。この起源は、現代における“forensic”という語の2つの用法のもとになっている。一つ目は「法的に有効な」という意味、そして2つ目が「公開発表の」という意味の形容詞である。 日本は明治維新期にドイツから近代的な法医学を採り入れた。当初はドイツ語のGerichtliche Medicinを直訳した「断訴医学」あるいは「裁判医学」が主に使われ、「法医学」は森鴎外や三宅秀の文章に散見されるにすぎなかった。「法医学」という名称の定着は、1890年に片山国嘉が立法にまで遡って研究する学問として「法医学」が適切であると主張し、医科大学教授会の賛同と文部省の許可を得て以降のことである。 日本法医学会は1982年に、法医学とは医学的解明助言を必要とする法律上の案件、事項について、科学的で公正な医学的判断を下すことによって、個人の基本的人権の擁護、社会の安全、福祉の維持に寄与することを目的とする医学である、と定義した。基本的人権の擁護も社会の安全も刑事司法と密接に関連する概念であるところ、この定義は、主に司法解剖を念頭に置いていると解される。 法医学はさらに応用法医学と基礎法医学に分けられる。一般には応用法医学のうち、刑事に関連するもの、特に司法解剖に関連する分野が法医学と認知されていることが多いが、法医学の領域はこれに限られない。法医学の実務としてはDNA型鑑定、司法解剖、行政解剖、個人情報、親子鑑定、精神鑑定などがある。 現代の医学の進歩はめざましく、それに伴い様々な倫理的・法律的な問題が浮上してきていることから、法学部の科目として法医学を開講する大学も増えている。その一方で、2007年の時津風部屋力士暴行死事件で、当初司法解剖が行われず事故死として処理されたように、医学面から犯罪性を調べる法医学者などの育成体制については減少傾向にあり、専門医が不在の県もあるために、警察庁が日本法医学会に体制の充実を求める要望書を提出する事態となっている。 紀元前300年頃 医師アンティスチウス(Antistius) が、暗殺されたガイウス・ユリウス・カエサル(BC44年没)の死亡原因を胸部の創傷だという診断を下している。これが確認されている史上初の法医学の実践例である。
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法医学は、犯罪捜査や裁判などの法の適用過程で必要とされる医学的事項を研究または応用する社会医学のことをいう。法科学の一分野である。 人間以外の動物の死因を調べる法獣医学、海洋法医学もある。
{{出典の明記|date=2011年12月}} '''法医学'''(ほういがく、{{lang-en-short|forensic medicine}}、フォレンジック・メディスン)は、[[犯罪]]捜査や[[裁判]]などの[[法 (法学)|法]]の適用過程で必要とされる医学的事項を研究または応用する[[社会医学]]のことをいう。[[法科学]]の一分野である。 人間以外の動物の死因を調べる{{ill2|法獣医学|en|Wildlife forensic science}}、{{ill2|海洋法医学|en|Marine forensics}}もある。 == 用語 == {{See also|法科学#用語}} [[法科学]](Forensic sciences)の諸分野において頭に付けられる「フォレンジック(“[[Wiktionary:forensic|Forensic]]”)」([[形容詞]])は、ラテン語の“forēnsis”つまり「フォーラム(広場)」に由来している<ref>{{ShorterOxfordEnglishDictionary}}</ref>。[[ローマ帝国]]時代、「[[起訴]]」とは、ローマ市街の中心にある[[フォロ・ロマーノ]]で聴衆を前に訴状を公開することであった。[[被告]]と[[原告]]はともに自らの主張を行い、よりよい主張をしてより広く受け入れられたものが裁判において判決を下すことができた。この起源は、現代における“forensic”という語の2つの用法のもとになっている。一つ目は「法的に有効な」という意味、そして2つ目が「公開発表の」という意味の形容詞である。 日本は[[明治維新]]期に[[ドイツ]]から近代的な法医学を採り入れた。当初はドイツ語の{{lang|de|Gerichtliche Medicin}}を直訳した「断訴医学」あるいは「裁判医学」が主に使われ、「法医学」は[[森鴎外]]や[[三宅秀]]の文章に散見されるにすぎなかった。「法医学」という名称の定着は、1890年に[[片山国嘉]]が立法にまで遡って研究する学問として「法医学」が適切であると主張し、医科大学教授会の賛同と[[文部省]]の許可を得て以降のことである<ref name="小関">{{Cite journal |和書|author= 小関恒雄|title=「法医学」なる語はいつ頃から使われたか|date= 1985|publisher= 日本医史学会|journal=日本医史学雑誌 |volume=31|issue=4|issn= 0549-3323|pages= 529-532}}</ref>。 [[日本法医学会]]は1982年に、法医学とは医学的解明助言を必要とする法律上の案件、事項について、科学的で公正な医学的判断を下すことによって、個人の基本的人権の擁護、社会の安全、福祉の維持に寄与することを目的とする医学である、と定義した<ref>{{Cite web|和書|title=日本法医学会:法医学の定義|url=http://www.jslm.jp/about/definition.html|website=www.jslm.jp|accessdate=2021-12-29}}</ref>。基本的人権の擁護も社会の安全も刑事司法と密接に関連する概念であるところ、この定義は、主に司法解剖を念頭に置いていると解される。 == 概要 == 法医学はさらに'''応用法医学'''と'''基礎法医学'''に分けられる。一般には応用法医学のうち、[[刑事]]に関連するもの、特に司法解剖に関連する分野が法医学と認知されていることが多いが、法医学の領域はこれに限られない。法医学の実務としては[[DNA型鑑定]]、[[司法解剖]]、[[行政解剖]]、[[個人識別|個人情報]]、[[親子鑑定]]、[[精神鑑定]]などがある。 現代の[[医学]]の進歩はめざましく、それに伴い様々な倫理的・法律的な問題が浮上してきていることから、法学部の科目として法医学を開講する大学も増えている。その一方で、2007年の[[時津風部屋力士暴行死事件]]で、当初司法解剖が行われず事故死として処理されたように、医学面から犯罪性を調べる法医学者などの育成体制については減少傾向にあり<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20071225STXKB025924122007.html 法医学教室、医師数4分の3に・予算も減少](2007年12月25日、日本経済新聞(共同通信配信))</ref>、専門医が不在の県もあるために、[[警察庁]]が[[日本法医学会]]に体制の充実を求める要望書を提出する事態となっている<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080123STXKD013823012008.html 遺体解剖、実施9%・警察庁、法医学会に体制充実要望](2008年1月23日、日本経済新聞(共同通信配信))</ref>。 == 歴史 == === 中国古代法医学 === * 紀元前475年-221年 ** 法律に、「程度の異なる損傷に応じて異なる処罰に処する」と明記 *「[[洗冤集録]](1247)」[[宋慈]](1186 - 1249) *「無冤録(1308)」[[王与]](1260 - 1346) === 古代ギリシア === 紀元前300年頃 * [[ヒポクラテス]] * [[アリストテレス]] * [[ガレノス]] ===古代ローマ=== 医師アンティスチウス(Antistius) が、暗殺された[[ガイウス・ユリウス・カエサル]](BC44年没)の死亡原因を胸部の創傷だという診断を下している。これが確認されている史上初の法医学の実践例である<ref name=hou>[http://jsmh.umin.jp/journal/59-3/59-3_419-424.pdf 法医学と検死の歴史] 著:石原 憲治 日本医史学雑誌 第 59 巻第 3 号(2013) p.419–424</ref>。 === ヨーロッパ === :12世紀にイタリアの医師が検死を行っている<ref name=hou/>。 :16世紀の法医学の先駆者{{ill2|Fortunato Fedele|it|Fortunato Fedele}} :17世紀、[[ロタ法廷]]の法律顧問・ローマ教皇の侍医{{ill|パオロ・ザッキア|en|Paul Zacchias}}が著した『Qvaestiones medico- legales』(訳:法医学的諸問題)にて法医学の書を記している<ref>{{Cite web |url=http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/siryo-search/ecolle/igakushi/hoigaku/hoigaku.html |title=Qvaestiones medico- legales |access-date=2022-09-25 |website=www.lb.nagasaki-u.ac.jp |publisher=長崎大学}}</ref>。 * {{ill2|カロリナ刑法典|fr|Lex Carolina}} - フランス法典。裁判を行う際に心証ではなく証拠に重きを置いた近代的法典。裁判の際には、医師の剖検を含めた助言が必要とされた<ref name=hou/>。 === 日本 === * 明治21年([[1888年]]) [[東京大学]][[医学部]]に裁判医学教室開設 * 明治24年([[1891年]]) 法医学教室に改称 *大正3年(1914年) 第1回日本法医学会総会開催<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jslm.jp/about/pdf/history.pdf|title=日本法医学会の歴史|accessdate=2021/12/29|publisher=日本法医学会}}</ref> == 関連する学問 == * [[法歯学]] * [[法心理学]] * [[外傷学]] * [[精神医学]] * {{仮リンク|法毒性学|en|Forensic toxicology}}、[[毒性学]] * [[法医病理学]] * {{ill2|法生物学|en|Forensic biology}} * {{仮リンク|法医学(広義)|en|Forensic medicine}} * [[法医昆虫学]] ‐ 死体へ昆虫が行う活動から死亡時刻などが割り出せる。 * {{ill2|創傷弾道学|de|Wundballistik}} ‐ 発射された銃弾が肉体にどのように影響を与えるか研究する学問。 == 著名な法医学者 == {{main|en:Category:Forensic scientists by nationality}} * [[佐藤喜宣]] * [[ジョセフ・ベル]] - 探偵小説の主人公[[シャーロック・ホームズ]]のモデルとなった医師・法医学者。エジンバラ大学には、ジョゼフ・ベル法医学センターが置かれている。 ==主題とした作品== {{Main|Category:法医学を題材とした作品}} * [[監察医・室生亜季子]] * [[法医学教室の事件ファイル]] * [[きらきらひかる (漫画)|きらきらひかる]] * [[ヴォイス〜命なき者の声〜]] * [[ブルドクター]] * [[ゼロの真実〜監察医・松本真央〜]] * [[アンナチュラル]] * [[屍活師 女王の法医学]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[法科学]] * [[検死]]、[[死因審問]] * [[検視]] * [[検視官]]・[[刑事調査官]] * [[死亡診断書]]、[[死体検案書]] * [[オートプシー・イメージング]] * [[生活反応]] * [[死後変化|死体現象]] * {{ill2|死に様|en|Manner of death}} * {{ill2|指紋法|de|Daktyloskopie}}、[[DNA型鑑定]]、[[遺伝子診断]]、[[血痕]]({{ill2|血痕パターン分析|en|Bloodstain pattern analysis}})、[[プランクトン]]検査(溺死体)、[[死後変化]] * [[解剖]] ** [[司法解剖]] ** [[行政解剖]] *** [[監察医]] * [[法医病理研究会]] * [[法科学鑑定研究所]] * [[科学捜査研究所]] *[[日本法医学会]] * {{ill2|国際鑑識学会|en|International Association for Identification}} ;関連する法律 * [[死体解剖保存法]] * [[警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律]] ‐ 平成24年法律第34号。通称:死因・身元調査法 == 外部リンク == * [http://www.jslm.jp/ 日本法医学会] * [https://square.umin.ac.jp/kpum-hoi/index.html 京都府立医科大学法医学教室] * [http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/index2.html 関西医科大学法医学講] * [http://www.twmu.ac.jp/Basic/legal-m/index.html 東京女子医科大学医学部法医学講座] * [http://houigakushikenbo.seesaa.net 法医学問題演習] * [http://www.f.kpu-m.ac.jp/k/hoi/ 京都府立医科大学法医学教室] {{法学のテンプレート}} {{Law-stub}} {{Medical-stub}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:ほういかく}} [[Category:法医学|*]] [[Category:医学の分野]] [[Category:死]] [[Category:法科学]]
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クリプトン
クリプトン(英: krypton)は原子番号36の元素。元素記号は Kr。貴ガス元素の一つ。 アルゴンに隠れてなかなか発見されなかったため、ギリシャ語で「隠れた」 (kryptos) から命名された。 常温、常圧で無色、無臭の気体。融点は-157.2 °C、沸点は-152.9 °C (-153.4 °C)、比重は2.82 (-157 °C)。重い気体であるため、吸引すると声が低くなる。空気中には1.14 ppmの割合で含まれている。空気を液化、分留することにより得られる。不活性であるがフッ素とは酸化数が+2の不安定な化合物を作る。また、水やヒドロキノンと包接化合物を作る。 不活性ガスであるため、白熱電球に封入されフィラメントの昇華を防ぐために用いられる。クリプトンが封入された白熱電球はクリプトンランプと呼ばれる。 1960年から1983年までは長さの単位メートルの基準としてクリプトンのスペクトルが用いられた。1 mは「クリプトン86原子の準位 2p と 5d の間の遷移に対応する光の真空中における波長の1,650,763.73倍に等しい長さ」と定義されていた。 クリプトンガスを吸いこんで空気中で発した声は、ヘリウムガスとは反対に、低くなる(メカニズムについては、ヘリウム#用途を参照)。ただし、純粋なクリプトンガスを吸い込むのは酸欠の危険を伴う。試すのであれば、しかるべき配合の、酸素との混合ガスを使わなければならない。 放電で励起されると独特の青白いスペクトル光を放出する。写真のフラッシュに利用されたり、フィルターでさまざまな色の光に分けて使われたりもする。 1898年、ウィリアム・ラムゼー (William Ramsay) とモーリス・トラバース (Morris W. Travers) によって、液体空気からキセノンとともに発見された。
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クリプトンは原子番号36の元素。元素記号は Kr。貴ガス元素の一つ。
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Travers) によって、液体空気から[[キセノン]]とともに発見された<ref>{{Cite |和書 |author =[[桜井弘]]|||title = 元素111の新知識|date = 1998| pages = 191|publisher =[[講談社]]| series = |isbn=4-06-257192-7 |ref = harv }}</ref>。 == クリプトンの化合物 == * [[二フッ化クリプトン]] (<chem>KrF2</chem>) * 包接化合物 ** <chem>Kr{}6H2O</chem> ** <chem>Kr</chem>[[ヒドロキノン|<chem>3C6H4(OH)2</chem>]] == 同位体 == {{Main|クリプトンの同位体}} == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{コトバンク}} {{Commons|Krypton}} {{元素周期表}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くりふとん}} [[Category:クリプトン|*]] [[Category:元素]] [[Category:貴ガス]] [[Category:第4周期元素]]
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チタン
チタン(独: Titan [tiˈtaːn] ( 音声ファイル)、英: titanium [taɪˈteɪniəm] ( 音声ファイル)、羅: titanium)は、原子番号22の元素。元素記号はTi。第4族元素、遷移元素のひとつ。 1791年、イギリス帝国の聖職者ウィリアム・グレゴールが「メナカイト (menachite)」と名付けた。発見地のメナカン谷にちなむ。 1795年、プロイセン王国のマルティン・ハインリヒ・クラプロートが「チタン」と名付けた。ギリシア神話における地球最初の子、ティーターンにちなむ。 金属光沢を持つ。性質は化学的・物理的にジルコニウムに近い。酸化物である酸化チタン(IV)は非常に安定な化合物で、白色顔料として利用され、また光触媒としての性質を持つ。この性質が貴金属に匹敵する金属チタンの耐食性や安定性をもたらしている(水溶液中の実際的安定順位は、ロジウム、ニオブ、タンタル、金、イリジウム、白金に次ぐ7番目。銀、銅より優れる)。 チタンは、酸化物が非常に安定で侵されにくく、空気中では空気に触れる表面が強力な酸化物(不動態酸化皮膜)で覆われる不動態となり、白金や金などの貴金属とほぼ同等の強い耐食性を持つ。貴金属並みの耐食性を持つ金属の中で、もっとも軽く安価な金属と言える。 常温では酸や食塩水(海水)などに対し高い耐食性を示し、少量の湿気が存在する場合は塩素系ガスとも反応しない。そのため純チタンはやや接着性に劣るが、逆に表面の汚れやごみなどの付着物を容易に取り除ける。一方、高温ではさまざまな元素と反応しやすくなるため、鋳造・溶接には酸素・窒素を遮断する大がかりな設備が必要であり、この点が製造の難しさのひとつの起因となっている。炭素・窒素とも反応してそれぞれ炭化物・窒化物を作り、これらは超硬合金の添加物としてしばしば利用される。 特に純度の高いチタンは無酸素空間においての塑性に優れ、鋼と似た色合いの銀灰色光沢を持つ。チタンは鋼鉄以上の強度を持つ一方、質量は鋼鉄の約55 %と非常に軽い。チタンはアルミニウムと比較して、約60 %重いものの、約2倍の強度を持つ。これらの特性により、チタンはアルミよりも金属疲労が起こりにくいが、工具鋼などの鉄鋼材料には劣る。 外観は銀灰色を呈する金属元素であり、比重は4.5。融点は1668 °C、沸点は3285 °C(3287 °Cの報告もあり)であり、遷移金属としては平均的な値である。常温常圧で安定な結晶として六方最密充填構造を持つが、880 °C以上で体心立方構造に転移する。純粋なものは耐食性が高く、展性・延性に富み、引張強度が大きい(硬くかつ粘り強い)。空気中では常温で酸化被膜を作り内部が保護される。フッ化水素酸には徐々に溶けフルオロ錯体 (TiF6) を生成し、加熱下の塩酸に溶けて青紫色の3価のイオン (Ti) を生成する。アルカリ水溶液とはほとんど反応しない。 150 °C以上でハロゲンと、700 °C以上で水素・酸素・窒素・炭素と反応する。安定な酸化数は+IIIまたは+IVである。磁石にわずかに引きつけられるほどの弱い常磁性や、きわめて低い電気伝導性・熱伝導性を持っている。 チタンには2つの同素体(α、β)があり、転移点は880 °C、結晶構造はそれぞれ六方最密充填構造と体心立方格子である。 金属チタンは強度・軽さ・耐食性・耐熱性・環境性能・色彩などを備え、さまざまな分野で活用されている。しかし、金属チタン(チタン合金)は比切削抵抗が高く熱伝導率が低いため、製錬・加工が難しく、費用もかかるため大量には使われていない。 化合物では酸化チタン(IV)が安価な白色顔料として広く用いられ、日常でも接する機会が多い。 チタンあるいはチタン合金は、一般の合金鋼と同等の強度を持ち、鉄よりも軽く、ステンレス鋼・アルミニウムよりも圧倒的に耐食性に優れており、500 °Cの高温でも有効な強度を保てる耐熱性といった性質から、航空機や潜水艦、自転車、ゴルフクラブなどの競技用機器、化学プラント、生体インプラントの材料、打楽器など多岐にわたって使用されるほか、合金鋼との脱酸剤や、ステンレス鋼において、炭素含有量を減少させる目的などにも使用される。 本格的な実用化は、1950年代の軍用ジェット機からであり、人類が実用化し始めてから時間が経過しておらず、人類にとって比較的若い金属である。 金属チタンの加工はかなり難しく、これは鉄鋼材料には備わっている熱処理による強度増幅能力がチタンにはわずかにしか備わっていないためである。金属チタン製の部品は高価なため、その用途は耐食性・耐熱性・軽量化と強度のバランスを考慮した狭い領域に限られるが、腕時計や眼鏡フレームの装用品には、広く使用されている。 1952年に、生体親和性(生体不活性とは異なる)が非常に高く骨と結合する(オッセオインテグレーション)ことが発見されると、デンタルインプラントのフィクスチャー(インプラント体)のほとんどが、チタンを使用するようになった。拒絶反応や金属アレルギーを防ぐため、グロー放電でクリーニングしたり、純度の高いチタンが使用される。また、人工関節・人工骨といった、整形外科分野でも利用されている。 合金の組成例 チタンの持つ優れた耐食性・疲労特性などより、航空機・装甲・軍艦・宇宙船・ミサイルなどに使用されている。重要な構造物には、アルミニウム・ジルコニウム・ニッケル・バナジウムなどの他元素との合金が使用されることが多い。 航空機では、熱環境に応じて他素材と使い分けられる傾向にある。耐熱性・強度を優先すると、チタン合金は1000 °Cを超える耐熱性を持たないため、ジェットエンジンのホットセクションには使われない。金属チタンは500 °C以下の部分で、ニッケル超合金よりも軽量化できるノズルなどに使われる。その他のより低温な機体構造には、より安価で軽量化できるアルミニウム合金を多用する。低温部でも鉄鋼よりも軽量化できることから、降着装置に用いた例もある。 旅客機の使用原単位の事例では、ボーイング777では59トン、747で45トン、737で18トン、エアバスA340で32トン、A330で18トン、A320で12トン、A380で77トンが使用されている。とりわけエアバスA380では、ジェットエンジンだけで11トン使用されている。 エアバスA380-861の第4エンジン爆発事故は2017年9月30日にグリーンランド上空で起こった。エールフランス66便で、エンジンはロールス・ロイス製トレント970である。ファンハブが想定寿命の1/4で破損した。原因はチタン合金の室温保持疲労 (Cold dwell fatigue) によるマクロゾーンの発生だった。目視点検で確認できる種類の疲労ではなかった。 本格的にチタンを構造材に採用した最初の例は、世界最初の実用超音速戦闘機でもあるF-100であり、1953 - 54年にかけてのアメリカ合衆国のチタン生産量の80 %が本機に使われた。ほか、ロッキードA-12、戦略偵察機SR-71などがある。特に機体重量においてチタン合金の使用割合がもっとも多いのは、1950年代に開発開始された戦略偵察機SR-71の93 %であり、加工の難しさから歩留まりは10 %程度だったとも言われているが、少量生産機ゆえに可能だったといえる。 量産機では、F-15が25.8 %にチタンを用いているが、当時としてはかなり高価な機体であった。その後は複合材料の発達により、強度・軽量を求められる部位への使用量は減っており、潤沢な製造原価を充てられる軍用機といえども、使用割合は下がっている。 チタンは海水に耐える優れた耐食性から、プロペラシャフトなどの海洋での利用事例もある。旧ソ連ではアルファ級・マイク級潜水艦などで、潜水艦製造にチタン合金を用いる技術を発展させてきた。 優れた耐食性から、チタン合金製の溶接管・熱交換器・タンク・反応容器・バルブなどの製品が、化学プラント・石油精製プラントに適用されている。ほか、製紙業の製造プロセスにも使用されている。 おもに航空宇宙分野で利用が拡大したチタンは、1970年代になると建材への適用事例が見られるようになった。 チタンの性質である、 が評価されるようになったことが要因である。 初期は海浜地区などの厳しい腐食環境での適用といった、1.耐食性能に着目した適用が中心だった。臨海部立地の施設・社屋・公共施設への採用が目立った(名古屋港水族館、フジテレビ本社ビル、JR函館駅、石川県内灘町役場など)。 1990年代後半以降、徐々にその他の性能が評価されての適用事例も増えてきた。とりわけ、2. 軽量性能(土瓦をチタン置換し耐震強化。例:浅草寺)、3. カラフルな色彩・光沢、4. 意匠性の高さ、5. 環境適合性が注目を集めており、神社仏閣・博物館などの世代を超えて使用する建造物への適用事例が増えている。 1. 耐久性能と組み合わせて検討すると、長期的に見て経済的(ライフサイクルコストの低減が可能)で、長期的な文化財の保全・安全性維持・環境維持に適している。加工性のよさ、多彩な発色で優美な雰囲気を出せることから複雑な伝統的なデザインにも適用されている。 日本の有名寺社では、浅草寺の宝蔵門・本堂・五重塔、金閣寺の茶室、北野天満宮の宝物殿、大徳寺、宮地嶽神社、高野山など、また、博物館では東京国立博物館(昭和館・平成館)、九州国立博物館、奈良国立博物館、島根県立美術館、佐川美術館の事例が上げられる。ほか、福岡ドーム、大分ドーム、東京国際展示場(東京ビッグサイト)などの競技場・展示場への適用も存在する。一部の寺院からは、科学的に解明されていないものの、寺社内のカラスによる鳥害が大幅に減少した、という報告もなされている。 世界では、各国の大規模公共施設(中華人民共和国:中国国家大劇院・杭州大劇院・江蘇大劇院など、中華民国:台北アリーナなど)での事例がある。 チタンの酸化皮膜の成長により屈折率が変化し、表面が変色する現象の克服が建材利用における重要な課題であり、チタンの建材への利用拡大の大きなネックであった。2001年に新日鐵住金が変色現象のメカニズムを解明し、変色の原因となるチタン表層の不純物を取り除く技術を確立した。以降も利用技術の開発が進んでおり、チタンの建材利用の拡大に向け、各社が技術革新を競っている。 後述の宝飾品に関係するが、豊かな色彩などの優れた意匠性から、関連技術・製品群をブランド化する企業が登場している(2017年新日鐵住金:TranTixxiiブランド)。 チタンの優れた耐食性から、橋梁・桟橋などの長期間使用されるインフラストラクチャーにも適用が進んでいる。象徴的な事例として、2011年(平成23年)に竣工した東京国際空港のD滑走路が存在し、桟橋部分の防食カバーにチタンが採用され、海上滑走路の長寿命化・メンテナンス低減に貢献している。 チタンの約95 %は酸化チタン(IV)として、おもに白色の顔料として絵具や合成樹脂などに使用される。酸化チタン(IV)で作られた絵具は赤外線の反射率が高いため、屋外での絵画の描写に向いているほか、セメントなどにも使用される。また光触媒としての性質を持ち、光を吸収して有機物を分解する。この性質によって、光のあたる場所では有機物による汚れが分解されるために白さが長く保たれる。しかし有機系の色素や合成樹脂も分解してしまうため、これらと混ぜて利用するのは難しい。 酸化チタン(IV)は紙に織り込むという方法でも使用される。チタンをパルプに織り込むことで、白く丈夫で薄くて透けない良質の紙を作ることが可能となった。一方で、金属化合物であるため重くなる。広辞苑など、長期にわたって使用される分厚い書籍に利用されるようになっている。 チタンの優れた耐久性・耐食性に加え、酸化皮膜の制御によってさまざまな色合いを発色でき、表面加工により光沢を自在にコントロールできることから、デザインジュエリーへの採用例が増えている。チタンの生体適合性が、金属アレルギーを発生させないため、アレルギー体質を持つ購入者の支持を集めているほか、チタンの優れた耐食性が海水の腐食環境に影響されないため、マリンスポーツの愛好家にも注目され始めている。 チタンの耐久性・耐食性に加え、軽量性・耐デント性から、カメラや時計ケースへの適用も増えている。また、一部のアーティストによる彫刻・装飾・家具などの例が散見されるようになってきた。また、硬貨やメダルとして使用する事例も少数ではあるが存在する。1999年に英領ジブラルタルのミレニアム記念硬貨として世界初のチタン硬貨が発行されたほか、オーストラリアのラグビーリーグ球団が、自球団の選手の表彰に純チタンメダルで表彰した事例がある。 日本では、国宝級の伝統技術の中でもチタンの特性に着目する例があり、江戸時代由来の歴史的金属製品である明珍火箸が代表的である。 チタンは、高い耐食性から自然界に流出しない環境負荷の低い金属であるが、この性能は人体に対しても同様であり、生体適合性に優れた金属であるといえる。義手・義足・人工骨・インプラントなどの人体に接触面を持つ医療器具に適用されており、今後技術開発が期待される用途である。 チタンの持つ軽量性と高強度を合わせもつ性能から、スポーツ用品にも多く適用されている。特に、ゴルフクラブ、スキーストック、テニスラケットなどが有名であり、スポーツ用品メーカー各社から製品が発売されている。 チタンは、軽量性、高い耐食性からの長寿命性・低流出性に加え、低比熱・低熱伝導性から熱を遮断する特性も有している。この特性に着目して高価格帯の製品を中心に調理器具・食器などで用いられる事例が増えている。チタン製刃物、チタン製タンブラーなどのほか、アウトドア用の調理器具・食器類が代表的である。 チタンの優れた耐食性から、核廃棄物の長期保管用のコンテナへの適用の研究も進んでいる。コンテナは製造工程で現在は避けられない欠陥を最小化した条件下だが、理論上10万年以上の保管を視野に入れている研究もある。既存のコンテナの外側を包むことで長寿命化するタイプも研究されている。 また、ほかにも以下の用途などに使用されている。 イギリス帝国で1791年、聖職者のウィリアム・グレゴールが彼の教区内で発見したが、一般的には知れ渡らなかった。ほぼ同じ時期にミュラー・フォン・ライヒェンシュタインが同様の物質を作ったが、彼はそれをチタンと特定できなかった。 1795年にはプロイセン王国のマルティン・ハインリヒ・クラプロートが、鉱石(ルチルかチタン鉄鉱のどちらかであるが、いずれかははっきりしていない)から独自に再発見した。しかしこのころは、まだチタンを単体として分離する手法が存在しなかった。 チタンの発見から100年以上経た1910年、ニュージーランド出身でアメリカの化学者であるマシュー・A・ハンターが、チタンを高純度 (99.9 %) で分離することに成功した。 1946年には、ルクセンブルクの工学者であるウィリアム・クロールがマグネシウムで還元するクロール法を考え出し、さらに高純度のチタンを作り出すことに成功する。 1950年代に、ジェット軍用機の軽量化を目的にアメリカ軍、ソ連軍がそれぞれ採用を開始した。 1950年代から60年代にかけての冷戦で、ソ連はアメリカ軍がチタンを使用することを防ぐための戦術として世界中のチタン市場を買い占めることを試みたが失敗した。また、当時発見されていたチタン鉱脈はほとんど東側諸国であったため、アメリカはチタンをソ連から調達していた。冷戦中ゆえアメリカは偽の会社を設立し、そこを通じてアメリカへ密輸入していた。アメリカ合衆国ではチタンの戦略的な重要性を認識したことから、ボーイング社など旅客機製造でのチタンの商用採用を軍が後押しした(商用財としてチタンを国内に蓄積)。スポンジチタンなどの原材料の国家備蓄も大々的に実施し、冷戦終結まで膨大な規模で維持した(2000年代に廃止)。 核技術の平和利用転換(原子力発電)にともない、核燃料の冷却に大量の海水を用いる必要性から、チタンの持つ高い耐食性が注目され、原子力発電所に大量に使用されることとなった。1970年代には、航空機と原子力といった戦略的に重要な産業がチタンの2大用途となった。 米ソに遅れて日本においても、1951年に大阪特殊製鉄所(現・大阪チタニウムテクノロジーズ)、1953年に東邦チタニウム(日本鉱業〈現・JX〉、第一物産〈現・三井物産〉、石塚家〈大阪特殊製鉄所の創業一族〉の三者合弁)が創業し、1954年には両社ともに小規模ながらスポンジチタン・チタンインゴットの量産体制を確立している。高度経済成長に伴う経済発展、当時の主要用途である原子力発電の拡大に伴って、日本においてもチタンの製造規模を継続的に拡大してきた。同時に、戦後急激に技術革新を進め世界一の技術力を誇るようになった鉄鋼メーカー(新日本製鐵、住友金属工業、神戸製鋼所など)が、保有する設備・技術を活用してチタンインゴットの圧延事業(展伸事業)に参入し、圧延以降の加工・利用技術も飛躍的に発展することとなった。20世紀末までに、日本は米ソと並ぶチタンの生産規模を誇るまでに発展した。中国においても、1960年代に激化した中ソ対立を背景に、軍事を主目的にチタン生産を開始。のちに中国と対立するインドも軍用目的にチタン生産に参入することとなる。 1970年代に、日本において建材などでのチタン民生利用が開始された。従来の伝統的な金属加工の技術を生かし、チタンの民生利用のための加工技術、加工業者群が日本全国に蓄積することとなる(新潟県燕市などが有名)。 2002年に世界初のチタン発色の制御技術が確立(日本・新日鐵住金)。 2005年までに中国におけるチタン生産規模が、日本、米国、旧ソ連圏(ロシア、カザフスタン、ウクライナ)に匹敵する規模にまで拡大。リーマンショックまでの世界経済の持続的発展期に航空機産業の拡大にともない、チタン需要も継続的に拡大した。 2011年に発生した東日本大震災の影響で、世界的に原子力発電所の新設計画が見直され、既設の原子力発電の稼働休止も相次ぎ、原子力発電用のチタン需要が世界的に減少。 2017年にチタン素材で世界初の意匠性・民生利用を全面に出したブランド展開を開始(日本・新日鐵住金)。 地球を構成する地殻の成分として9番目に多い元素(金属としてはアルミニウム、鉄、マグネシウムに次ぐ4番目)で、遷移元素としては鉄に次ぐ。普通に見られる造岩鉱物であるルチルやチタン鉄鉱といった鉱物の主成分である。自然界の存在は豊富であるが、さほど高くない集積度や製錬の難しさから、金属として広く用いられるようになったのは比較的最近(1950年代)である。 チタンは地殻中の存在量はかなり多く、金属ではアルミニウム・鉄・マグネシウムよりは少ないが銅・亜鉛・鉛などよりも豊富に存在する。このように豊富なチタンの工業的生産の歴史が浅いのは、チタンが活性な金属で高温になるとルツボや炉の内張りの耐火材料に使われるアルミナ (Al2O3)・マグネシア (MgO)・炭素と反応してしまうためで、なかなか酸化物を還元して純粋なチタン金属を得ることが難しかったためである。 また、酸素と結びつきやすいので、チタン原料の鉱石はすべて酸化物で、チタン単独の酸化物のルチル(金紅石、TiO2)かもしくはこれに酸化鉄が混じったチタン鉄鉱(イルメナイト、FeTiO3)の形になっているものが多い。。 他の形の鉱物では、板チタン石 (TiO2)、灰チタン石(ペロブスカイト、CaTiO3)およびくさび石(チタナイト、CaTiSiO5)などが存在するが、特にチタン鉄鉱とルチルが経済的に重要な役割を持っている。チタンのおもな採掘は、オーストラリア大陸やスカンディナヴィア半島、北アメリカ大陸などであり、1997年におけるチタンの世界のシェアは以下の順になっている。 アポロ17号が月面に到着した際に持ち出された岩石から12.1 %の TiO2 が検出されたほか、隕石の中からも検出されており、太陽やM型の恒星にも存在すると考えられている。 チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。 現在工業的生産がおこなわれている方法は、発明者の名を取って「クロール法」と呼ばれているもので、チタンを塩化物に変えてからマグネシウムで還元するものである。 チタンの鉱石は鉄分を含むものが多いことから、まずアーク炉で鉄分を還元してチタンをスラグ内に濃縮させ銑鉄と分離する。この酸化チタン含有物と炭素分のコークスやピッチを混ぜ合わせた豆炭のような団鉱を、塩化炉で800 °Cに過熱して塩素を入れると、チタンが揮発性の高い塩化チタン(IV)(TiCl4、沸点136 °C)として分離するので、これを蒸留して精製する。 この精製した塩化チタン(IV)を、不活性化ガスで満たされ下部に溶融マグネシウムがある反応室に送り込むと、塩素がマグネシウムと反応してチタンから分離する。単体となったチタンは海綿状に析出し始め、これが集まりスポンジチタンと呼ばれる大きな塊になる。 このように、チタンの精製はプロセスが複雑で鉄鋼のように連続生産ができないため、製鉄よりも費用がかかり高価になる。なお、真空蒸留によりスポンジチタンから分離された塩化マグネシウムは、塩素とマグネシウムの原料として再利用される。 硬いスポンジ状(というよりは「軽石」といった方が近い)チタンでは板にも線にもできないので、溶かして緻密な鋳塊にする必要があるが、先述のようにチタンは普通に加熱すると真空か不活性化ガス中でも炉の内壁と反応してしまうので、アーク溶接の方法で鋳塊を作る。これを「消耗電極アーク溶解法」という。 まずスポンジチタンをプレスで棒状に固め、これを電極として真空もしくは不活性化ガス中でぶら下げ下面にアークを飛ばすと溶けたチタンの雫が滴り落ちるので、これを反応しないように水冷した銅ルツボで受け止めると、溶融したチタンが固まり鋳塊となる。ただしこの方法では高融点金属や窒化チタンを取り除けないので、不純物を特に嫌うジェットエンジン向け材料などでは2、3度繰り返すか、電子ビーム溶融法など別の溶融方法でインゴットを製造する。 世界のチタン生産は、米国、ロシアならびにCIS諸国、日本、中国、インドが主要生産国となっており、各々有力企業が存在している(米国:AllegenyTechnology、TIMET、ロシア:VSMPO、中国:宝鶏など)。 チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。一般的に後者の工程を経て、プレス加工・切削加工などが行われ成形が施されたあと、最終製品として完成されることとなる。 日本では、前者は、東邦チタニウム、大阪チタニウムテクノロジーズなどの専業メーカーが代表的であり、後者は、日本製鉄、神戸製鋼所などの鉄鋼で世界有数の製造設備・圧延技術・加工技術・研究組織を有するメーカーが、技術的・コスト的優位性から代表的である。 戦後の米ソ冷戦構造のなか、軍拡競争を通じ、米国とソ連においてチタンの軍事利用技術が飛躍的に進歩したが、日本においては、米国からの統制下、航空機とならびチタンの製造も禁止されていた時期が長く続いた。チタンの軍事利用技術は、おもに構造物に利用するチタン合金であり、米国・ソ連が当該技術を中心に研究開発を進める一方、軍事に適さない純チタンの利用技術が日本の技術開発の中心であった。冷戦後の現在も、歴史的経緯からおおむねこのような構図が現在に引き継がれており、世界のチタン製造は、軍事利用メインの米国・ロシア・中国と、民生利用メインの日本を中心に占められている。 チタン非軍事利用、民生・意匠利用(建材・土木・日用品など)は、日本の技術開発が各国に比べて比較的進んでおり、当該技術を生かした製品の輸出も活発である(日本発の独自素材といえる)。 化合物中の原子価は+4価がもっとも安定であり、+2価および+3価のものも存在するが酸化されやすい。 チタンは5つの安定同位体を持つが、その中でも Ti がもっとも多く地球上に存在し、不安定同位体を含めたチタンの同位体は、39.99から57.966までの質量範囲(原子質量単位)を持つ。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "チタン(独: Titan [tiˈtaːn] ( 音声ファイル)、英: titanium [taɪˈteɪniəm] ( 音声ファイル)、羅: titanium)は、原子番号22の元素。元素記号はTi。第4族元素、遷移元素のひとつ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1791年、イギリス帝国の聖職者ウィリアム・グレゴールが「メナカイト (menachite)」と名付けた。発見地のメナカン谷にちなむ。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1795年、プロイセン王国のマルティン・ハインリヒ・クラプロートが「チタン」と名付けた。ギリシア神話における地球最初の子、ティーターンにちなむ。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "金属光沢を持つ。性質は化学的・物理的にジルコニウムに近い。酸化物である酸化チタン(IV)は非常に安定な化合物で、白色顔料として利用され、また光触媒としての性質を持つ。この性質が貴金属に匹敵する金属チタンの耐食性や安定性をもたらしている(水溶液中の実際的安定順位は、ロジウム、ニオブ、タンタル、金、イリジウム、白金に次ぐ7番目。銀、銅より優れる)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "チタンは、酸化物が非常に安定で侵されにくく、空気中では空気に触れる表面が強力な酸化物(不動態酸化皮膜)で覆われる不動態となり、白金や金などの貴金属とほぼ同等の強い耐食性を持つ。貴金属並みの耐食性を持つ金属の中で、もっとも軽く安価な金属と言える。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "常温では酸や食塩水(海水)などに対し高い耐食性を示し、少量の湿気が存在する場合は塩素系ガスとも反応しない。そのため純チタンはやや接着性に劣るが、逆に表面の汚れやごみなどの付着物を容易に取り除ける。一方、高温ではさまざまな元素と反応しやすくなるため、鋳造・溶接には酸素・窒素を遮断する大がかりな設備が必要であり、この点が製造の難しさのひとつの起因となっている。炭素・窒素とも反応してそれぞれ炭化物・窒化物を作り、これらは超硬合金の添加物としてしばしば利用される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "特に純度の高いチタンは無酸素空間においての塑性に優れ、鋼と似た色合いの銀灰色光沢を持つ。チタンは鋼鉄以上の強度を持つ一方、質量は鋼鉄の約55 %と非常に軽い。チタンはアルミニウムと比較して、約60 %重いものの、約2倍の強度を持つ。これらの特性により、チタンはアルミよりも金属疲労が起こりにくいが、工具鋼などの鉄鋼材料には劣る。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "外観は銀灰色を呈する金属元素であり、比重は4.5。融点は1668 °C、沸点は3285 °C(3287 °Cの報告もあり)であり、遷移金属としては平均的な値である。常温常圧で安定な結晶として六方最密充填構造を持つが、880 °C以上で体心立方構造に転移する。純粋なものは耐食性が高く、展性・延性に富み、引張強度が大きい(硬くかつ粘り強い)。空気中では常温で酸化被膜を作り内部が保護される。フッ化水素酸には徐々に溶けフルオロ錯体 (TiF6) を生成し、加熱下の塩酸に溶けて青紫色の3価のイオン (Ti) を生成する。アルカリ水溶液とはほとんど反応しない。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "150 °C以上でハロゲンと、700 °C以上で水素・酸素・窒素・炭素と反応する。安定な酸化数は+IIIまたは+IVである。磁石にわずかに引きつけられるほどの弱い常磁性や、きわめて低い電気伝導性・熱伝導性を持っている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "チタンには2つの同素体(α、β)があり、転移点は880 °C、結晶構造はそれぞれ六方最密充填構造と体心立方格子である。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "金属チタンは強度・軽さ・耐食性・耐熱性・環境性能・色彩などを備え、さまざまな分野で活用されている。しかし、金属チタン(チタン合金)は比切削抵抗が高く熱伝導率が低いため、製錬・加工が難しく、費用もかかるため大量には使われていない。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "化合物では酸化チタン(IV)が安価な白色顔料として広く用いられ、日常でも接する機会が多い。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "チタンあるいはチタン合金は、一般の合金鋼と同等の強度を持ち、鉄よりも軽く、ステンレス鋼・アルミニウムよりも圧倒的に耐食性に優れており、500 °Cの高温でも有効な強度を保てる耐熱性といった性質から、航空機や潜水艦、自転車、ゴルフクラブなどの競技用機器、化学プラント、生体インプラントの材料、打楽器など多岐にわたって使用されるほか、合金鋼との脱酸剤や、ステンレス鋼において、炭素含有量を減少させる目的などにも使用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "本格的な実用化は、1950年代の軍用ジェット機からであり、人類が実用化し始めてから時間が経過しておらず、人類にとって比較的若い金属である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "金属チタンの加工はかなり難しく、これは鉄鋼材料には備わっている熱処理による強度増幅能力がチタンにはわずかにしか備わっていないためである。金属チタン製の部品は高価なため、その用途は耐食性・耐熱性・軽量化と強度のバランスを考慮した狭い領域に限られるが、腕時計や眼鏡フレームの装用品には、広く使用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1952年に、生体親和性(生体不活性とは異なる)が非常に高く骨と結合する(オッセオインテグレーション)ことが発見されると、デンタルインプラントのフィクスチャー(インプラント体)のほとんどが、チタンを使用するようになった。拒絶反応や金属アレルギーを防ぐため、グロー放電でクリーニングしたり、純度の高いチタンが使用される。また、人工関節・人工骨といった、整形外科分野でも利用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "合金の組成例", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "チタンの持つ優れた耐食性・疲労特性などより、航空機・装甲・軍艦・宇宙船・ミサイルなどに使用されている。重要な構造物には、アルミニウム・ジルコニウム・ニッケル・バナジウムなどの他元素との合金が使用されることが多い。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "航空機では、熱環境に応じて他素材と使い分けられる傾向にある。耐熱性・強度を優先すると、チタン合金は1000 °Cを超える耐熱性を持たないため、ジェットエンジンのホットセクションには使われない。金属チタンは500 °C以下の部分で、ニッケル超合金よりも軽量化できるノズルなどに使われる。その他のより低温な機体構造には、より安価で軽量化できるアルミニウム合金を多用する。低温部でも鉄鋼よりも軽量化できることから、降着装置に用いた例もある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "旅客機の使用原単位の事例では、ボーイング777では59トン、747で45トン、737で18トン、エアバスA340で32トン、A330で18トン、A320で12トン、A380で77トンが使用されている。とりわけエアバスA380では、ジェットエンジンだけで11トン使用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "エアバスA380-861の第4エンジン爆発事故は2017年9月30日にグリーンランド上空で起こった。エールフランス66便で、エンジンはロールス・ロイス製トレント970である。ファンハブが想定寿命の1/4で破損した。原因はチタン合金の室温保持疲労 (Cold dwell fatigue) によるマクロゾーンの発生だった。目視点検で確認できる種類の疲労ではなかった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "本格的にチタンを構造材に採用した最初の例は、世界最初の実用超音速戦闘機でもあるF-100であり、1953 - 54年にかけてのアメリカ合衆国のチタン生産量の80 %が本機に使われた。ほか、ロッキードA-12、戦略偵察機SR-71などがある。特に機体重量においてチタン合金の使用割合がもっとも多いのは、1950年代に開発開始された戦略偵察機SR-71の93 %であり、加工の難しさから歩留まりは10 %程度だったとも言われているが、少量生産機ゆえに可能だったといえる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "量産機では、F-15が25.8 %にチタンを用いているが、当時としてはかなり高価な機体であった。その後は複合材料の発達により、強度・軽量を求められる部位への使用量は減っており、潤沢な製造原価を充てられる軍用機といえども、使用割合は下がっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "チタンは海水に耐える優れた耐食性から、プロペラシャフトなどの海洋での利用事例もある。旧ソ連ではアルファ級・マイク級潜水艦などで、潜水艦製造にチタン合金を用いる技術を発展させてきた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "優れた耐食性から、チタン合金製の溶接管・熱交換器・タンク・反応容器・バルブなどの製品が、化学プラント・石油精製プラントに適用されている。ほか、製紙業の製造プロセスにも使用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "おもに航空宇宙分野で利用が拡大したチタンは、1970年代になると建材への適用事例が見られるようになった。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "チタンの性質である、", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "が評価されるようになったことが要因である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "初期は海浜地区などの厳しい腐食環境での適用といった、1.耐食性能に着目した適用が中心だった。臨海部立地の施設・社屋・公共施設への採用が目立った(名古屋港水族館、フジテレビ本社ビル、JR函館駅、石川県内灘町役場など)。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1990年代後半以降、徐々にその他の性能が評価されての適用事例も増えてきた。とりわけ、2. 軽量性能(土瓦をチタン置換し耐震強化。例:浅草寺)、3. カラフルな色彩・光沢、4. 意匠性の高さ、5. 環境適合性が注目を集めており、神社仏閣・博物館などの世代を超えて使用する建造物への適用事例が増えている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1. 耐久性能と組み合わせて検討すると、長期的に見て経済的(ライフサイクルコストの低減が可能)で、長期的な文化財の保全・安全性維持・環境維持に適している。加工性のよさ、多彩な発色で優美な雰囲気を出せることから複雑な伝統的なデザインにも適用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "日本の有名寺社では、浅草寺の宝蔵門・本堂・五重塔、金閣寺の茶室、北野天満宮の宝物殿、大徳寺、宮地嶽神社、高野山など、また、博物館では東京国立博物館(昭和館・平成館)、九州国立博物館、奈良国立博物館、島根県立美術館、佐川美術館の事例が上げられる。ほか、福岡ドーム、大分ドーム、東京国際展示場(東京ビッグサイト)などの競技場・展示場への適用も存在する。一部の寺院からは、科学的に解明されていないものの、寺社内のカラスによる鳥害が大幅に減少した、という報告もなされている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "世界では、各国の大規模公共施設(中華人民共和国:中国国家大劇院・杭州大劇院・江蘇大劇院など、中華民国:台北アリーナなど)での事例がある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "チタンの酸化皮膜の成長により屈折率が変化し、表面が変色する現象の克服が建材利用における重要な課題であり、チタンの建材への利用拡大の大きなネックであった。2001年に新日鐵住金が変色現象のメカニズムを解明し、変色の原因となるチタン表層の不純物を取り除く技術を確立した。以降も利用技術の開発が進んでおり、チタンの建材利用の拡大に向け、各社が技術革新を競っている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "後述の宝飾品に関係するが、豊かな色彩などの優れた意匠性から、関連技術・製品群をブランド化する企業が登場している(2017年新日鐵住金:TranTixxiiブランド)。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "チタンの優れた耐食性から、橋梁・桟橋などの長期間使用されるインフラストラクチャーにも適用が進んでいる。象徴的な事例として、2011年(平成23年)に竣工した東京国際空港のD滑走路が存在し、桟橋部分の防食カバーにチタンが採用され、海上滑走路の長寿命化・メンテナンス低減に貢献している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "チタンの約95 %は酸化チタン(IV)として、おもに白色の顔料として絵具や合成樹脂などに使用される。酸化チタン(IV)で作られた絵具は赤外線の反射率が高いため、屋外での絵画の描写に向いているほか、セメントなどにも使用される。また光触媒としての性質を持ち、光を吸収して有機物を分解する。この性質によって、光のあたる場所では有機物による汚れが分解されるために白さが長く保たれる。しかし有機系の色素や合成樹脂も分解してしまうため、これらと混ぜて利用するのは難しい。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "酸化チタン(IV)は紙に織り込むという方法でも使用される。チタンをパルプに織り込むことで、白く丈夫で薄くて透けない良質の紙を作ることが可能となった。一方で、金属化合物であるため重くなる。広辞苑など、長期にわたって使用される分厚い書籍に利用されるようになっている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "チタンの優れた耐久性・耐食性に加え、酸化皮膜の制御によってさまざまな色合いを発色でき、表面加工により光沢を自在にコントロールできることから、デザインジュエリーへの採用例が増えている。チタンの生体適合性が、金属アレルギーを発生させないため、アレルギー体質を持つ購入者の支持を集めているほか、チタンの優れた耐食性が海水の腐食環境に影響されないため、マリンスポーツの愛好家にも注目され始めている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "チタンの耐久性・耐食性に加え、軽量性・耐デント性から、カメラや時計ケースへの適用も増えている。また、一部のアーティストによる彫刻・装飾・家具などの例が散見されるようになってきた。また、硬貨やメダルとして使用する事例も少数ではあるが存在する。1999年に英領ジブラルタルのミレニアム記念硬貨として世界初のチタン硬貨が発行されたほか、オーストラリアのラグビーリーグ球団が、自球団の選手の表彰に純チタンメダルで表彰した事例がある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "日本では、国宝級の伝統技術の中でもチタンの特性に着目する例があり、江戸時代由来の歴史的金属製品である明珍火箸が代表的である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "チタンは、高い耐食性から自然界に流出しない環境負荷の低い金属であるが、この性能は人体に対しても同様であり、生体適合性に優れた金属であるといえる。義手・義足・人工骨・インプラントなどの人体に接触面を持つ医療器具に適用されており、今後技術開発が期待される用途である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "チタンの持つ軽量性と高強度を合わせもつ性能から、スポーツ用品にも多く適用されている。特に、ゴルフクラブ、スキーストック、テニスラケットなどが有名であり、スポーツ用品メーカー各社から製品が発売されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "チタンは、軽量性、高い耐食性からの長寿命性・低流出性に加え、低比熱・低熱伝導性から熱を遮断する特性も有している。この特性に着目して高価格帯の製品を中心に調理器具・食器などで用いられる事例が増えている。チタン製刃物、チタン製タンブラーなどのほか、アウトドア用の調理器具・食器類が代表的である。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "チタンの優れた耐食性から、核廃棄物の長期保管用のコンテナへの適用の研究も進んでいる。コンテナは製造工程で現在は避けられない欠陥を最小化した条件下だが、理論上10万年以上の保管を視野に入れている研究もある。既存のコンテナの外側を包むことで長寿命化するタイプも研究されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "また、ほかにも以下の用途などに使用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "イギリス帝国で1791年、聖職者のウィリアム・グレゴールが彼の教区内で発見したが、一般的には知れ渡らなかった。ほぼ同じ時期にミュラー・フォン・ライヒェンシュタインが同様の物質を作ったが、彼はそれをチタンと特定できなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "1795年にはプロイセン王国のマルティン・ハインリヒ・クラプロートが、鉱石(ルチルかチタン鉄鉱のどちらかであるが、いずれかははっきりしていない)から独自に再発見した。しかしこのころは、まだチタンを単体として分離する手法が存在しなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "チタンの発見から100年以上経た1910年、ニュージーランド出身でアメリカの化学者であるマシュー・A・ハンターが、チタンを高純度 (99.9 %) で分離することに成功した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1946年には、ルクセンブルクの工学者であるウィリアム・クロールがマグネシウムで還元するクロール法を考え出し、さらに高純度のチタンを作り出すことに成功する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1950年代に、ジェット軍用機の軽量化を目的にアメリカ軍、ソ連軍がそれぞれ採用を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1950年代から60年代にかけての冷戦で、ソ連はアメリカ軍がチタンを使用することを防ぐための戦術として世界中のチタン市場を買い占めることを試みたが失敗した。また、当時発見されていたチタン鉱脈はほとんど東側諸国であったため、アメリカはチタンをソ連から調達していた。冷戦中ゆえアメリカは偽の会社を設立し、そこを通じてアメリカへ密輸入していた。アメリカ合衆国ではチタンの戦略的な重要性を認識したことから、ボーイング社など旅客機製造でのチタンの商用採用を軍が後押しした(商用財としてチタンを国内に蓄積)。スポンジチタンなどの原材料の国家備蓄も大々的に実施し、冷戦終結まで膨大な規模で維持した(2000年代に廃止)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "核技術の平和利用転換(原子力発電)にともない、核燃料の冷却に大量の海水を用いる必要性から、チタンの持つ高い耐食性が注目され、原子力発電所に大量に使用されることとなった。1970年代には、航空機と原子力といった戦略的に重要な産業がチタンの2大用途となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "米ソに遅れて日本においても、1951年に大阪特殊製鉄所(現・大阪チタニウムテクノロジーズ)、1953年に東邦チタニウム(日本鉱業〈現・JX〉、第一物産〈現・三井物産〉、石塚家〈大阪特殊製鉄所の創業一族〉の三者合弁)が創業し、1954年には両社ともに小規模ながらスポンジチタン・チタンインゴットの量産体制を確立している。高度経済成長に伴う経済発展、当時の主要用途である原子力発電の拡大に伴って、日本においてもチタンの製造規模を継続的に拡大してきた。同時に、戦後急激に技術革新を進め世界一の技術力を誇るようになった鉄鋼メーカー(新日本製鐵、住友金属工業、神戸製鋼所など)が、保有する設備・技術を活用してチタンインゴットの圧延事業(展伸事業)に参入し、圧延以降の加工・利用技術も飛躍的に発展することとなった。20世紀末までに、日本は米ソと並ぶチタンの生産規模を誇るまでに発展した。中国においても、1960年代に激化した中ソ対立を背景に、軍事を主目的にチタン生産を開始。のちに中国と対立するインドも軍用目的にチタン生産に参入することとなる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "1970年代に、日本において建材などでのチタン民生利用が開始された。従来の伝統的な金属加工の技術を生かし、チタンの民生利用のための加工技術、加工業者群が日本全国に蓄積することとなる(新潟県燕市などが有名)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2002年に世界初のチタン発色の制御技術が確立(日本・新日鐵住金)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2005年までに中国におけるチタン生産規模が、日本、米国、旧ソ連圏(ロシア、カザフスタン、ウクライナ)に匹敵する規模にまで拡大。リーマンショックまでの世界経済の持続的発展期に航空機産業の拡大にともない、チタン需要も継続的に拡大した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2011年に発生した東日本大震災の影響で、世界的に原子力発電所の新設計画が見直され、既設の原子力発電の稼働休止も相次ぎ、原子力発電用のチタン需要が世界的に減少。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2017年にチタン素材で世界初の意匠性・民生利用を全面に出したブランド展開を開始(日本・新日鐵住金)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "地球を構成する地殻の成分として9番目に多い元素(金属としてはアルミニウム、鉄、マグネシウムに次ぐ4番目)で、遷移元素としては鉄に次ぐ。普通に見られる造岩鉱物であるルチルやチタン鉄鉱といった鉱物の主成分である。自然界の存在は豊富であるが、さほど高くない集積度や製錬の難しさから、金属として広く用いられるようになったのは比較的最近(1950年代)である。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "チタンは地殻中の存在量はかなり多く、金属ではアルミニウム・鉄・マグネシウムよりは少ないが銅・亜鉛・鉛などよりも豊富に存在する。このように豊富なチタンの工業的生産の歴史が浅いのは、チタンが活性な金属で高温になるとルツボや炉の内張りの耐火材料に使われるアルミナ (Al2O3)・マグネシア (MgO)・炭素と反応してしまうためで、なかなか酸化物を還元して純粋なチタン金属を得ることが難しかったためである。 また、酸素と結びつきやすいので、チタン原料の鉱石はすべて酸化物で、チタン単独の酸化物のルチル(金紅石、TiO2)かもしくはこれに酸化鉄が混じったチタン鉄鉱(イルメナイト、FeTiO3)の形になっているものが多い。。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "他の形の鉱物では、板チタン石 (TiO2)、灰チタン石(ペロブスカイト、CaTiO3)およびくさび石(チタナイト、CaTiSiO5)などが存在するが、特にチタン鉄鉱とルチルが経済的に重要な役割を持っている。チタンのおもな採掘は、オーストラリア大陸やスカンディナヴィア半島、北アメリカ大陸などであり、1997年におけるチタンの世界のシェアは以下の順になっている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "アポロ17号が月面に到着した際に持ち出された岩石から12.1 %の TiO2 が検出されたほか、隕石の中からも検出されており、太陽やM型の恒星にも存在すると考えられている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "現在工業的生産がおこなわれている方法は、発明者の名を取って「クロール法」と呼ばれているもので、チタンを塩化物に変えてからマグネシウムで還元するものである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "チタンの鉱石は鉄分を含むものが多いことから、まずアーク炉で鉄分を還元してチタンをスラグ内に濃縮させ銑鉄と分離する。この酸化チタン含有物と炭素分のコークスやピッチを混ぜ合わせた豆炭のような団鉱を、塩化炉で800 °Cに過熱して塩素を入れると、チタンが揮発性の高い塩化チタン(IV)(TiCl4、沸点136 °C)として分離するので、これを蒸留して精製する。 この精製した塩化チタン(IV)を、不活性化ガスで満たされ下部に溶融マグネシウムがある反応室に送り込むと、塩素がマグネシウムと反応してチタンから分離する。単体となったチタンは海綿状に析出し始め、これが集まりスポンジチタンと呼ばれる大きな塊になる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "このように、チタンの精製はプロセスが複雑で鉄鋼のように連続生産ができないため、製鉄よりも費用がかかり高価になる。なお、真空蒸留によりスポンジチタンから分離された塩化マグネシウムは、塩素とマグネシウムの原料として再利用される。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "硬いスポンジ状(というよりは「軽石」といった方が近い)チタンでは板にも線にもできないので、溶かして緻密な鋳塊にする必要があるが、先述のようにチタンは普通に加熱すると真空か不活性化ガス中でも炉の内壁と反応してしまうので、アーク溶接の方法で鋳塊を作る。これを「消耗電極アーク溶解法」という。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "まずスポンジチタンをプレスで棒状に固め、これを電極として真空もしくは不活性化ガス中でぶら下げ下面にアークを飛ばすと溶けたチタンの雫が滴り落ちるので、これを反応しないように水冷した銅ルツボで受け止めると、溶融したチタンが固まり鋳塊となる。ただしこの方法では高融点金属や窒化チタンを取り除けないので、不純物を特に嫌うジェットエンジン向け材料などでは2、3度繰り返すか、電子ビーム溶融法など別の溶融方法でインゴットを製造する。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "世界のチタン生産は、米国、ロシアならびにCIS諸国、日本、中国、インドが主要生産国となっており、各々有力企業が存在している(米国:AllegenyTechnology、TIMET、ロシア:VSMPO、中国:宝鶏など)。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。一般的に後者の工程を経て、プレス加工・切削加工などが行われ成形が施されたあと、最終製品として完成されることとなる。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "日本では、前者は、東邦チタニウム、大阪チタニウムテクノロジーズなどの専業メーカーが代表的であり、後者は、日本製鉄、神戸製鋼所などの鉄鋼で世界有数の製造設備・圧延技術・加工技術・研究組織を有するメーカーが、技術的・コスト的優位性から代表的である。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "戦後の米ソ冷戦構造のなか、軍拡競争を通じ、米国とソ連においてチタンの軍事利用技術が飛躍的に進歩したが、日本においては、米国からの統制下、航空機とならびチタンの製造も禁止されていた時期が長く続いた。チタンの軍事利用技術は、おもに構造物に利用するチタン合金であり、米国・ソ連が当該技術を中心に研究開発を進める一方、軍事に適さない純チタンの利用技術が日本の技術開発の中心であった。冷戦後の現在も、歴史的経緯からおおむねこのような構図が現在に引き継がれており、世界のチタン製造は、軍事利用メインの米国・ロシア・中国と、民生利用メインの日本を中心に占められている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "チタン非軍事利用、民生・意匠利用(建材・土木・日用品など)は、日本の技術開発が各国に比べて比較的進んでおり、当該技術を生かした製品の輸出も活発である(日本発の独自素材といえる)。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "化合物中の原子価は+4価がもっとも安定であり、+2価および+3価のものも存在するが酸化されやすい。", "title": "化合物" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "チタンは5つの安定同位体を持つが、その中でも Ti がもっとも多く地球上に存在し、不安定同位体を含めたチタンの同位体は、39.99から57.966までの質量範囲(原子質量単位)を持つ。", "title": "同位体" } ]
チタンは、原子番号22の元素。元素記号はTi。第4族元素、遷移元素のひとつ。
{{otheruseslist|元素|映画|TITANE/チタン|その他|タイタン}} {{複数の問題 |独自研究=2017年6月 |出典の明記=2016年4月 |参照方法=2016年4月 }} {{Elementbox |name=titanium |japanese name=チタン |pronounce={{IPAc-en|t|aɪ|ˈ|t|eɪ|n|i|əm}}<br>{{respell|tye|TAY|nee-əm}} |number=22 |symbol=Ti |left=[[スカンジウム]] |right=[[バナジウム]] |above=- |below=[[ジルコニウム|Zr]] |series=遷移金属 |group=4 |period=4 |block=d |appearance=銀白色 |image name=Titan-crystal bar.JPG |image size=240px |atomic mass=47.867 |atomic mass 2=1 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[アルゴン|Ar]]&#93; 4s<sup>2</sup> 3d<sup>2</sup> |electrons per shell=2, 8, 10, 2 |phase=固体 |density gplstp= |density gpcm3nrt=4.506 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp=4.11 |melting point K=1941 |melting point C=1668 |melting point F=3034 |boiling point K=3560 |boiling point C=3287 |boiling point F=5949 |triple point K= |triple point kPa= |critical point K= |critical point MPa= |heat fusion=14.15 |heat fusion 2= |heat vaporization=425 |heat capacity=25.060 |vapor pressure 1=1982 |vapor pressure 10=2171 |vapor pressure 100=(2403) |vapor pressure 1 k=2692 |vapor pressure 10 k=3064 |vapor pressure 100 k=3558 |vapor pressure comment= |crystal structure=hexagonal |japanese crystal structure=[[六方晶系]] |oxidation states='''4''', 3, 2, 1<ref>{{cite journal|author=Andersson, N. ''et al.''|title=Emission spectra of TiH and TiD near 938 nm|url=http://aip.scitation.org/doi/10.1063/1.1539848|journal=J. Chem. 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[[金属光沢]]を持つ。性質は化学的・物理的に[[ジルコニウム]]に近い。[[酸化物]]である[[酸化チタン(IV)]]は非常に安定な[[化合物]]で、[[白色]][[顔料]]として利用され、また[[光触媒]]としての性質を持つ。この性質が貴金属に匹敵する金属チタンの[[腐食|耐食性]]や[[安定性]]をもたらしている(水溶液中の実際的安定順位は、[[ロジウム]]、[[ニオブ]]、[[タンタル]]、[[金]]、[[イリジウム]]、[[白金]]に次ぐ7番目。[[銀]]、[[銅]]より優れる)。 チタンは、酸化物が非常に安定で侵されにくく、空気中では空気に触れる表面が強力な酸化物(不動態酸化皮膜)で覆われる[[不動態]]となり、[[白金]]や[[金]]などの貴金属とほぼ同等の強い[[腐食|耐食性]]を持つ。貴金属並みの耐食性を持つ金属の中で、もっとも軽く安価な金属と言える。 常温では[[酸]]や[[食塩水]]([[海水]])などに対し高い耐食性を示し、少量の湿気が存在する場合は[[塩素]]系ガスとも反応しない。そのため純チタンはやや接着性に劣るが、逆に表面の汚れやごみなどの付着物を容易に取り除ける。一方、高温ではさまざまな元素と反応しやすくなるため、[[鋳造]]・[[溶接]]には[[酸素]]・[[窒素]]を遮断する大がかりな設備が必要であり、この点が製造の難しさのひとつの起因となっている。[[炭素]]・[[窒素]]とも反応してそれぞれ[[炭化物]]・[[窒化物]]を作り、これらは[[超硬合金]]の添加物としてしばしば利用される。 特に純度の高いチタンは無酸素空間においての[[塑性]]に優れ、[[鋼]]と似た色合いの銀灰色光沢を持つ。チタンは鋼鉄以上の[[強度]]を持つ一方、[[質量]]は鋼鉄の約55{{nbsp}}[[%]]と非常に軽い。チタンは[[アルミニウム]]と比較して、約60{{nbsp}}%重いものの、約2倍の強度を持つ。これらの特性により、チタンはアルミよりも[[金属疲労]]が起こりにくいが、[[工具鋼]]などの鉄鋼材料には劣る。 == 性質 == 外観は銀灰色を呈する金属元素であり、[[比重]]は4.5。[[融点]]は1668&nbsp;&deg;C、[[沸点]]は3285&nbsp;&deg;C(3287&nbsp;&deg;Cの報告もあり)であり、遷移金属としては平均的な値である。常温常圧で安定な結晶として[[六方最密充填構造]]を持つが、880&nbsp;&deg;C以上で[[体心立方構造]]に[[構造相転移|転移]]する。純粋なものは耐食性が高く、[[展延性|展性・延性]]に富み、引張強度が大きい(硬くかつ粘り強い)。空気中では常温で酸化被膜を作り内部が保護される。[[フッ化水素酸]]には徐々に溶けフルオロ[[錯体]] (TiF<sub>6</sub><sup>2&minus;</sup>) を生成し、加熱下の[[塩酸]]に溶けて青紫色の3価のイオン (Ti<sup>3+</sup>) を生成する。[[アルカリ]][[水溶液]]とはほとんど反応しない。 150 &deg;C以上で[[第17族元素|ハロゲン]]と、700&nbsp;&deg;C以上で[[水素]]・酸素・窒素・炭素と反応する。安定な[[酸化数]]は+IIIまたは+IVである。[[磁石]]にわずかに引きつけられるほどの弱い[[常磁性]]や、きわめて低い[[電気伝導|電気伝導性]]・[[熱伝導|熱伝導性]]を持っている。 チタンには2つの同素体(α、β)があり、転移点は880&nbsp;&deg;C、結晶構造はそれぞれ六方最密充填構造と体心立方格子である。 == 用途 == 金属チタンは強度・軽さ・耐食性・耐熱性・環境性能・色彩などを備え、さまざまな分野で活用されている。しかし、金属チタン(チタン合金)は比切削抵抗が高く熱伝導率が低いため、製錬・加工が難しく<ref>{{Cite web|url=https://tungaloy.com/jp/press-release/extendedforcemill/|title=チタン合金の荒加工に最適な長刃長カッタ『ExtendedForceMill』登場|publisher=[[タンガロイ]]|accessdate=2023-12-04}}</ref>、費用もかかるため大量には使われていない。 化合物では酸化チタン(IV)が安価な白色顔料として広く用いられ、日常でも接する機会が多い。 <gallery> File:Titanium nitride coating.jpg|窒化チタンでコーティングされた[[ドリル (工具)|ドリル]]の刃 File:Titanzylinder.jpg|チタンの円柱材 File:Titanium(IV) oxide.jpg|二酸化チタン粉末(最も広く使用されているチタン化合物) File:Metal cock rings.jpg|チタン製指輪(酸化皮膜技術で色彩を制御) </gallery> === 金属素材 === チタンあるいは[[チタン合金]]は、一般の合金鋼と同等の強度を持ち、鉄よりも軽く、ステンレス鋼・アルミニウムよりも圧倒的に耐食性に優れており、500&nbsp;&deg;Cの高温でも有効な強度を保てる耐熱性といった性質から、[[航空機]]や[[潜水艦]]、[[自転車]]、[[ゴルフ#ゴルフクラブ|ゴルフクラブ]]などの[[競技]]用機器、[[化学]][[プラント]]、[[生体]][[インプラント]]の材料、[[打楽器]]<ref>[http://www.kitanodrums.com/ キタノドラム]</ref>など多岐にわたって使用されるほか、[[合金鋼]]との脱酸剤や、[[ステンレス鋼]]において、[[炭素]]含有量を減少させる目的などにも使用される。 本格的な実用化は、[[1950年代]]の軍用ジェット機からであり、人類が実用化し始めてから時間が経過しておらず、人類にとって比較的若い金属である。 金属チタンの[[加工]]はかなり難しく、これは鉄鋼材料には備わっている熱処理による強度増幅能力がチタンにはわずかにしか備わっていないためである。金属チタン製の部品は高価なため、その用途は耐食性・耐熱性・軽量化と強度のバランスを考慮した狭い領域に限られるが、[[腕時計]]や[[眼鏡]]フレームの装用品には、広く使用されている。 [[1952年]]に、生体親和性(生体不活性とは異なる)が非常に高く[[骨]]と結合する([[オッセオインテグレーション]])ことが発見されると、[[デンタルインプラント]]のフィクスチャー(インプラント体)のほとんどが、チタンを使用するようになった。[[拒絶反応]]や[[金属アレルギー]]を防ぐため、[[グロー放電]]でクリーニングしたり、純度の高いチタンが使用される。また、[[人工関節]]・[[人工骨]]といった、[[整形外科学|整形外科]]分野でも利用されている。 '''合金の組成例''' * Ti-3Al-2.5V * Ti-6Al-4V * Ti-6Al-7Nb === 航空宇宙用途・海洋用途 === [[file:ILA 2008 Airbus A380 body.jpg|thumb|Airbus A380]] チタンの持つ優れた耐食性・疲労特性などより、航空機・装甲・軍艦・宇宙船・ミサイルなどに使用されている。重要な構造物には、[[アルミニウム]]・[[ジルコニウム]]・[[ニッケル]]・[[バナジウム]]などの他元素との合金が使用されることが多い。 航空機では、熱環境に応じて他素材と使い分けられる傾向にある。耐熱性・強度を優先すると、チタン合金は1000&nbsp;&deg;Cを超える耐熱性を持たないため、[[ジェットエンジン]]のホットセクションには使われない。金属チタンは500&nbsp;&deg;C以下の部分で、[[ニッケル]][[超合金]]よりも軽量化できる[[ノズル]]などに使われる。その他のより低温な[[機体]]構造には、より安価で軽量化できる[[アルミニウム合金]]を多用する。低温部でも鉄鋼よりも軽量化できることから、[[降着装置]]に用いた例もある。 [[旅客機]]の使用原単位の事例では、[[ボーイング777]]では59トン、[[ボーイング747|747]]で45トン、[[ボーイング737|737]]で18トン、[[エアバスA340]]で32トン、[[エアバスA330|A330]]で18トン、[[エアバスA320|A320]]で12トン、[[エアバスA380|A380]]で77トンが使用されている。とりわけエアバスA380では、[[ジェットエンジン]]だけで11トン使用されている。 ==== エールフランス66便エンジン爆発事故 ==== {{main|エールフランス66便エンジン爆発事故}} [[エアバスA380]]-861の第4エンジン爆発事故は2017年9月30日に[[グリーンランド]]上空で起こった。[[エールフランス]]66便で、エンジンは[[ロールス・ロイス]]製[[トレント]]970である。[[ファンハブ]]が想定寿命の1/4で破損した。原因はチタン合金の[[室温保持疲労]] (Cold dwell fatigue) による[[マクロゾーン]]の発生だった。目視点検で確認できる種類の疲労ではなかった。 本格的にチタンを構造材に採用した最初の例は、世界最初の実用[[超音速機|超音速]][[戦闘機]]でもある[[F-100 (戦闘機)|F-100]]であり、1953 - 54年にかけてのアメリカ合衆国のチタン生産量の80{{nbsp}}%が本機に使われた。ほか、ロッキードA-12、戦略偵察機SR-71などがある。特に機体重量においてチタン合金の使用割合がもっとも多いのは、[[1950年代]]に開発開始された戦略[[偵察機]][[SR-71 (航空機)|SR-71]]の93{{nbsp}}%であり、加工の難しさから[[歩留まり]]は10{{nbsp}}%程度だったとも言われているが、少量生産機ゆえに可能だったといえる。 量産機では、[[F-15 (戦闘機)|F-15]]が25.8{{nbsp}}%にチタンを用いているが、当時としてはかなり高価な機体であった。その後は[[複合材料]]の発達により、強度・軽量を求められる部位への使用量は減っており、潤沢な製造原価を充てられる[[軍用機]]といえども、使用割合は下がっている。 チタンは海水に耐える優れた耐食性から、プロペラシャフトなどの海洋での利用事例もある。[[ロシア海軍]]の[[シエラ型原子力潜水艦]]が船体にチタン合金を用いているが後継の[[アクラ型原子力潜水艦]]は潜水艦では一般的な吸音ゴム、[[ヤーセン型原子力潜水艦]]は[[ステルス艦]]同様のコーティング材を用いている。 === 工業設備・工業資材 === 優れた耐食性から、チタン合金製の溶接管・熱交換器・タンク・反応容器・バルブなどの製品が、化学プラント・石油精製プラントに適用されている。ほか、製紙業の製造プロセスにも使用されている。 === 建材 === [[file:Sensoji at night 7.jpg|thumb|チタン採用事例(浅草寺宝蔵門)((2)軽量性能(4)意匠性:瓦のチタン置換のみで耐震強化を実現。表面加工により瓦の風貌も維持)]] [[file:Hotel Marques de Riscal.jpg|thumb|チタン採用事例(Hotel Marques de Riscal)((3)色彩性能(6)加工性:カラフルなシルク生地のような色合いで赤白ワインを表現)]] [[File:Bilbao.Guggenheim13.jpg|thumb|スペインの[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]]] おもに航空宇宙分野で利用が拡大したチタンは、1970年代になると建材への適用事例が見られるようになった。 チタンの性質である、 # 耐食性能・耐久性能(理論上、数百年の耐用年数を持つ貴金属並みの耐食性) # 軽量性能(既存素材に比べて大幅に軽量化が図れ、建物全体として耐震強化が可能。例:土瓦からチタン製への置換で10分の1に近い軽量化) # カラフルな色彩・光沢(酸化皮膜の[[屈折率]]の違いによる独特な発色) # その表面加工による意匠性の高さ(金・銀発色から苔や木皮などに似せた光沢を抑えた渋みまで表現) # 環境適合性(他金属素材と異なり自然界に流出しない) # 加工性のよさ(表現できる幅が鉄鋼よりも広い) # 汚れの付着しにくさ # 非磁性などが、従来素材と比較して、[[メンテナンス]]の大幅軽減を見込め、中長期で経済的であること が評価されるようになったことが要因である。 初期は海浜地区などの厳しい腐食環境での適用といった、1.耐食性能に着目した適用が中心だった。臨海部立地の施設・社屋・公共施設への採用が目立った([[名古屋港水族館]]、[[FCGビル|フジテレビ本社ビル]]、JR[[函館駅]]、[[石川県]][[内灘町]]役場など)。 1990年代後半以降、徐々にその他の性能が評価されての適用事例も増えてきた。とりわけ、2. 軽量性能(土瓦をチタン置換し耐震強化。例:浅草寺)、3. カラフルな色彩・光沢、4. 意匠性の高さ、5. 環境適合性が注目を集めており、神社仏閣・博物館などの世代を超えて使用する建造物への適用事例が増えている。 1. 耐久性能と組み合わせて検討すると、長期的に見て経済的(ライフサイクルコストの低減が可能)で、長期的な文化財の保全・安全性維持・環境維持に適している。加工性のよさ、多彩な発色で優美な雰囲気を出せることから複雑な伝統的なデザインにも適用されている。 日本の有名寺社では、[[浅草寺]]の宝蔵門・本堂・五重塔、[[鹿苑寺|金閣寺]]の茶室、[[北野天満宮]]の宝物殿、[[大徳寺]]、[[宮地嶽神社]]、[[高野山]]など、また、博物館では[[東京国立博物館]](昭和館・平成館)、[[九州国立博物館]]、[[奈良国立博物館]]、[[島根県立美術館]]、[[佐川美術館]]の事例が上げられる。ほか、[[福岡ドーム]]、[[大分スポーツ公園総合競技場|大分ドーム]]、[[東京国際展示場|東京国際展示場(東京ビッグサイト)]]などの競技場・展示場への適用も存在する。一部の寺院からは、科学的に解明されていないものの、寺社内の[[カラス]]による鳥害が大幅に減少した、という報告もなされている。 世界では、各国の大規模公共施設(中華人民共和国:[[中国国家大劇院]]・杭州大劇院・江蘇大劇院など、中華民国:[[台北アリーナ]]など)での事例がある。 チタンの酸化皮膜の成長により屈折率が変化し、表面が変色する現象の克服が建材利用における重要な課題であり、チタンの建材への利用拡大の大きなネックであった。2001年に[[新日鐵住金]]が変色現象のメカニズムを解明し、変色の原因となるチタン表層の不純物を取り除く技術を確立した。以降も利用技術の開発が進んでおり、チタンの建材利用の拡大に向け、各社が技術革新を競っている。 後述の宝飾品に関係するが、豊かな色彩などの優れた意匠性から、関連技術・製品群をブランド化する企業が登場している(2017年[[新日鐵住金]]:[[TranTixxii]]ブランド)。 === 土木 === [[File:Haneda Airport D-Runway seen from sea surface.jpg|サムネイル|羽田空港滑走路・橋脚(チタンカバー採用事例)]] チタンの優れた耐食性から、橋梁・桟橋などの長期間使用される[[インフラストラクチャー]]にも適用が進んでいる。象徴的な事例として、[[2011年]]([[平成]]23年)に竣工した[[東京国際空港]]のD滑走路が存在し、桟橋部分の防食カバーにチタンが採用され、海上滑走路の長寿命化・メンテナンス低減に貢献している。 === 塗料・顔料 === チタンの約95{{nbsp}}%は酸化チタン(IV)として、おもに白色の顔料として[[絵具]]や[[合成樹脂]]などに使用される。酸化チタン(IV)で作られた絵具は[[赤外線]]の[[反射率]]が高いため、屋外での絵画の描写に向いているほか、[[セメント]]などにも使用される。また光触媒としての性質を持ち、光を吸収して[[有機物]]を分解する。この性質によって、光のあたる場所では有機物による汚れが分解されるために白さが長く保たれる。しかし有機系の色素や合成樹脂も分解してしまうため、これらと混ぜて利用するのは難しい。 === 紙 === [[ファイル:Anodized titanium colors.svg|サムネイル|陽極酸化技術により制御可能なチタンのカラーバリエーション]] 酸化チタン(IV)は[[紙]]に織り込むという方法でも使用される。チタンを[[パルプ]]に織り込むことで、白く丈夫で薄くて透けない良質の紙を作ることが可能となった。一方で、金属化合物であるため重くなる。[[広辞苑]]など、長期にわたって使用される分厚い書籍に利用されるようになっている。 === 宝飾品・硬貨・メダル・芸術作品 === [[File:Nikon F2-1.jpg|thumb|[[ニコン]]F2チタン]] チタンの優れた耐久性・耐食性に加え、酸化皮膜の制御によってさまざまな色合いを発色でき、表面加工により光沢を自在にコントロールできることから、デザインジュエリーへの採用例が増えている。チタンの生体適合性が、[[金属アレルギー]]を発生させないため、アレルギー体質を持つ購入者の支持を集めているほか、チタンの優れた耐食性が[[海水]]の腐食環境に影響されないため、マリンスポーツの愛好家にも注目され始めている。 チタンの耐久性・耐食性に加え、軽量性・耐デント性から、カメラや時計ケースへの適用も増えている。また、一部のアーティストによる彫刻・装飾・家具などの例が散見されるようになってきた。また、硬貨やメダルとして使用する事例も少数ではあるが存在する。1999年に英領ジブラルタルのミレニアム記念硬貨として世界初のチタン硬貨が発行されたほか、オーストラリアのラグビーリーグ球団が、自球団の選手の表彰に純チタンメダルで表彰した事例がある。 日本では、国宝級の伝統技術の中でもチタンの特性に着目する例があり、江戸時代由来の歴史的金属製品である[[明珍火箸]]が代表的である。 === 医療品(義手・義足・人工骨・インプラント) === チタンは、高い耐食性から自然界に流出しない環境負荷の低い金属であるが、この性能は人体に対しても同様であり、生体適合性に優れた金属であるといえる。[[義肢|義手・義足]]・[[人工骨]]・[[デンタルインプラント|インプラント]]などの人体に接触面を持つ医療器具に適用されており、今後技術開発が期待される用途である。 === スポーツ用品 === チタンの持つ軽量性と高強度を合わせもつ性能から、スポーツ用品にも多く適用されている。特に、ゴルフクラブ、スキーストック、テニスラケットなどが有名であり、スポーツ用品メーカー各社から製品が発売されている。 === 調理器具・食器 === チタンは、軽量性、高い耐食性からの長寿命性・低流出性に加え、低比熱・低熱伝導性から熱を遮断する特性も有している。この特性に着目して高価格帯の製品を中心に調理器具・食器などで用いられる事例が増えている。チタン製刃物、チタン製タンブラーなどのほか、アウトドア用の調理器具・食器類が代表的である。 === 核廃棄物貯蔵施設 === チタンの優れた耐食性から、核廃棄物の長期保管用のコンテナへの適用の研究も進んでいる。コンテナは製造工程で現在は避けられない欠陥を最小化した条件下だが、理論上10万年以上の保管を視野に入れている研究もある。既存のコンテナの外側を包むことで長寿命化するタイプも研究されている。 === その他 === {{出典の明記|section=1|date=2012年2月}} また、ほかにも以下の用途などに使用されている。 * 海水への耐蝕性から、海水の[[淡水]]化プラントにおける[[熱交換器]]で利用される。 * イオン化しにくいために金属[[アレルギー]]を引き起こしにくいことから、[[ピアス]]などの装身具の材料として利用される。 * 健康器具を兼ねたネックレスなどのアクセサリーの材料としての利用。 * 軽量でさびにくく高強度であることから、チタンジルコニウム合金の[[刃物]]として利用される。 * 酸化しにくい特徴を生かし、腕時計の腕に接する面での利用。 * [[ヨーヨー]]としての利用。 * [[形状記憶合金]]の材料としての利用。 * [[ニオブ]]などとの合金による超伝導素材。 * [[チタン酸バリウム]]あるいは[[チタン酸ストロンチウム]]は、その高誘電率により電子材料(積層セラミックコンデンサ)に用いられる。 * チタン酸ストロンチウムは高屈折材料として人工[[宝石]]や光学材料に用いられる。 * [[塩化チタン(IV)]]は[[ガラス]]の着色や、高湿度の空気中で発煙する性質を利用して[[煙幕]]や[[空中文字]]へ利用される。 * 酸化チタン(IV)の皮膚を保護する性質から[[日焼け止め]]剤として利用される。 * 酸化チタン(IV)は光触媒作用により有機物を分解するため、[[便器]]の表面に利用される。 * [[オレフィン]][[重合]]に関わる[[チーグラー・ナッタ触媒]]としての利用。 * チタン板をガスバーナーで熱するなど加工することによる、美術品の作成<ref>「山口さんのチタン画 「梅」と「天の川」銀座に」『毎日新聞』2006年7月6日、24面、地域のニュース。</ref>。 * 真空の質を向上させる際には真空槽内部に蒸着し、酸素などの活性ガスを化学的に吸着する目的で用いられる([[ゲッターポンプ]])。 * [[2016年]]ごろから、[[クレジットカード]]の[[プラチナカード]]に使われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/1064590/111000008/?rt=nocnt|title=クレカが金属製! 「ラグジュアリーカード」日本上陸|work=[[日経トレンディ]]|date=2016-11-15|accessdate=2017-10-29}}</ref>。 === チタン製品例の一覧 === <gallery> File:Titanium Piercing.JPG|チタン製のピアス。金属アレルギーを起こしにくく、銀などの貴金属と比べると頑丈で安価なチタンは、常時身につけるタイプの装身具の材料として人気がある。 File:Titanium welds.jpg|チタン製の[[自転車]]のフレーム File:GuggenheimBilbao.jpg|[[ビルバオ・グッゲンハイム美術館]]。ガラス以外の部分はほとんどがチタンの板で作られ、平らな面が一切ない。[[脱構築主義建築]]の傑作。 File:Titanium-spork 1.jpg|チタン製の[[スプーン]]。鋼鉄製よりも軽い。 File:Lateralcephplated.JPG|人間の[[頭蓋骨]]の[[X線]][[写真]]。骨折を治療するために、[[眼窩]]の部分にチタン製のプレートとネジが埋め込まれている。 File:医療にて.jpg|左腕にプレートが埋め込まれているのがはっきりとわかる。右腕は比較用。 File:Titanium-stamps.jpg|チタン製の印鑑 </gallery> == 歴史 == [[File:Martin Heinrich Klaproth.jpg|thumb|マルティン・ハインリヒ・クラプロート]] [[イギリス帝国]]で[[1791年]]、聖職者の[[ウィリアム・グレゴール]]が彼の教区内で発見したが、一般的には知れ渡らなかった。ほぼ同じ時期に[[ミュラー・フォン・ライヒェンシュタイン]]が同様の物質を作ったが、彼はそれをチタンと特定できなかった。 [[1795年]]には[[プロイセン王国]]の[[マルティン・ハインリヒ・クラプロート]]が、鉱石([[ルチル]]か[[チタン鉄鉱]]のどちらかであるが、いずれかははっきりしていない)から独自に再発見した。しかしこのころは、まだチタンを単体として分離する手法が存在しなかった。 チタンの発見から100年以上経た[[1910年]]、[[ニュージーランド]]出身でアメリカの化学者であるマシュー・A・ハンターが、チタンを高純度 (99.9{{nbsp}}%) で分離することに成功した<ref>[http://periodic.lanl.gov/22.shtml PERIODIC TABLE OF ELEMENTS: LANL] {{en icon}}</ref>。 1946年には、[[ルクセンブルク]]の工学者である[[ウィリアム・ジャスティン・クロール|ウィリアム・クロール]]がマグネシウムで還元する[[クロール法]]を考え出し、さらに高純度のチタンを作り出すことに成功する。 1950年代に、ジェット軍用機の軽量化を目的にアメリカ軍、ソ連軍がそれぞれ採用を開始した。 1950年代から60年代にかけての[[冷戦]]で、[[ソビエト連邦|ソ連]]は[[アメリカ軍]]がチタンを使用することを防ぐための戦術として世界中のチタン市場を買い占めることを試みたが失敗した。また、当時発見されていたチタン鉱脈はほとんど東側諸国であったため、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]はチタンをソ連から調達していた。冷戦中ゆえアメリカは偽の会社を設立し、そこを通じてアメリカへ密輸入していた<ref>『ステルス戦闘機 スカンク・ワークスの秘密』ベン・R. リッチ (著)、増田 興司 (訳) [[講談社]] (1997/01) {{ISBN2|4-06-208544-5}}</ref>。アメリカ合衆国ではチタンの戦略的な重要性を認識したことから、ボーイング社など旅客機製造でのチタンの商用採用を軍が後押しした(商用財としてチタンを国内に蓄積)。スポンジチタンなどの原材料の国家備蓄も大々的に実施し、冷戦終結まで膨大な規模で維持した(2000年代に廃止)。 核技術の平和利用転換(原子力発電)にともない、核燃料の冷却に大量の海水を用いる必要性から、チタンの持つ高い耐食性が注目され、原子力発電所に大量に使用されることとなった。1970年代には、航空機と原子力といった戦略的に重要な産業がチタンの2大用途となった。 米ソに遅れて日本においても、1951年に大阪特殊製鉄所(現・[[大阪チタニウムテクノロジーズ]])、1953年に[[東邦チタニウム]]([[ジャパンエナジー|日本鉱業]]〈現・[[JXTGホールディングス|JX]]〉、第一物産〈現・[[三井物産]]〉、石塚家〈大阪特殊製鉄所の創業一族〉の三者合弁)が創業し、1954年には両社ともに小規模ながらスポンジチタン・チタンインゴットの量産体制を確立している。高度経済成長に伴う経済発展、当時の主要用途である原子力発電の拡大に伴って、日本においてもチタンの製造規模を継続的に拡大してきた。同時に、戦後急激に技術革新を進め世界一の技術力を誇るようになった鉄鋼メーカー([[新日本製鐵]]、[[住友金属工業]]、[[神戸製鋼所]]など)が、保有する設備・技術を活用してチタンインゴットの圧延事業(展伸事業)に参入し、圧延以降の加工・利用技術も飛躍的に発展することとなった。20世紀末までに、日本は米ソと並ぶチタンの生産規模を誇るまでに発展した。中国においても、1960年代に激化した中ソ対立を背景に、軍事を主目的にチタン生産を開始。のちに中国と対立するインドも軍用目的にチタン生産に参入することとなる。 1970年代に、日本において建材などでのチタン民生利用が開始された。従来の伝統的な金属加工の技術を生かし、チタンの民生利用のための加工技術、加工業者群が日本全国に蓄積することとなる([[燕市|新潟県燕]]市などが有名)。 2002年に世界初のチタン発色の制御技術が確立(日本・新日鐵住金)。 2005年までに中国におけるチタン生産規模が、日本、米国、旧ソ連圏(ロシア、カザフスタン、ウクライナ)に匹敵する規模にまで拡大。リーマンショックまでの世界経済の持続的発展期に航空機産業の拡大にともない、チタン需要も継続的に拡大した。 2011年に発生した東日本大震災の影響で、世界的に原子力発電所の新設計画が見直され、既設の原子力発電の稼働休止も相次ぎ、原子力発電用のチタン需要が世界的に減少。 2017年にチタン素材で世界初の意匠性・民生利用を全面に出したブランド展開を開始(日本・新日鐵住金)。 == 分布 == [[地球]]を構成する[[地殻]]の成分として9番目に多い元素(金属としては[[アルミニウム]]、[[鉄]]、[[マグネシウム]]に次ぐ4番目)で、[[遷移元素]]としては[[鉄]]に次ぐ。普通に見られる[[造岩鉱物]]である[[金紅石|ルチル]]や[[イルメナイト|チタン鉄鉱]]といった[[鉱物]]の主成分である。自然界の存在は豊富であるが、さほど高くない集積度や[[製錬]]の難しさから、[[金属]]として広く用いられるようになったのは比較的最近(1950年代)である。 == 生産 == [[File:Hochreines Titan (99.999) mit sichtbarer Kristallstruktur.jpg|thumb|99.999 %の高純度を持つチタンの結晶。目に見える[[金属組織]]を持つ。]] チタンは地殻中の存在量はかなり多く、金属ではアルミニウム・鉄・マグネシウムよりは少ないが銅・亜鉛・鉛などよりも豊富に存在する。このように豊富なチタンの工業的生産の歴史が浅いのは、チタンが活性な金属で高温になるとルツボや炉の内張りの耐火材料に使われる[[アルミナ|アルミナ (Al<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)]]・[[マグネシア|マグネシア (MgO)]]・炭素と反応してしまうためで、なかなか酸化物を還元して純粋なチタン金属を得ることが難しかったためである。 また、酸素と結びつきやすいので、チタン原料の[[鉱石]]はすべて酸化物で、チタン単独の酸化物の[[金紅石|ルチル]](金紅石、TiO<sub>2</sub>)かもしくはこれに酸化鉄が混じった[[イルメナイト|チタン鉄鉱]](イルメナイト、FeTiO<sub>3</sub>)の形になっているものが多い。<ref>『原色現代科学大事典9化学』「第3章 金属ー生活を支える物質I」神保元二・山田圭一(責任編集)、堀内良(執筆)、株式会社学習研究社、1968年、p.71</ref>。 他の形の鉱物では、[[板チタン石]] (TiO<sub>2</sub>)、[[灰チタン石]](ペロブスカイト、CaTiO<sub>3</sub>)および[[くさび石]](チタナイト、CaTiSiO<sub>5</sub>)などが存在するが、特にチタン鉄鉱とルチルが経済的に重要な役割を持っている。チタンのおもな採掘は、[[オーストラリア|オーストラリア大陸]]や[[スカンディナヴィア半島]]、[[北アメリカ|北アメリカ大陸]]などであり、[[1997年]]におけるチタンの世界のシェアは以下の順になっている。 * {{Flag|AUS}} - 35.9 % * {{Flag|CAN}} - 21.0 % * {{Flag|SAF}} - 17.9 % * {{Flag|NOR}} - 6.1 % [[アポロ計画|アポロ17号]]が月面に到着した際に持ち出された[[岩石]]から12.1{{nbsp}}%の TiO<sub>2</sub> が検出されたほか、[[隕石]]の中からも検出されており、[[太陽]]や[[スペクトル分類|M型]]の恒星にも存在すると考えられている。 チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。 === {{Visible anchor|クロール法}}(スポンジチタン製造プロセス) === {{main|クロール法}} 現在工業的生産がおこなわれている方法は、発明者の名を取って「クロール法」と呼ばれているもので、チタンを塩化物に変えてからマグネシウムで還元するものである。 チタンの鉱石は鉄分を含むものが多いことから、まずアーク炉で鉄分を還元してチタンをスラグ内に濃縮させ銑鉄と分離する。この酸化チタン含有物と炭素分のコークスやピッチを混ぜ合わせた豆炭のような団鉱を、塩化炉で800&nbsp;&deg;Cに過熱して塩素を入れると、チタンが揮発性の高い[[塩化チタン(IV)]](TiCl<sub>4</sub>、沸点136&nbsp;&deg;C)として分離するので、これを[[蒸留]]して精製する。 この精製した塩化チタン(IV)を、不活性化ガスで満たされ下部に溶融[[マグネシウム]]がある反応室に送り込むと、塩素がマグネシウムと反応してチタンから分離する。単体となったチタンは海綿状に析出し始め、これが集まり'''スポンジチタン'''と呼ばれる大きな塊になる<ref>『原色現代科学大事典9化学』「第3章 金属ー生活を支える物質I」神保元二・山田圭一(責任編集)、堀内良(執筆)、株式会社学習研究社、1968年、p.71・72</ref>。 :; 四塩化チタンの生成:<chem>TiO2 + 2C + 2Cl2 -> TiCl4 + 2CO</chem> :; 金属チタンへの還元:<chem>TiCl4 + 2Mg -> Ti + 2MgCl2</chem> このように、チタンの精製はプロセスが複雑で鉄鋼のように連続生産ができないため、製鉄よりも費用がかかり高価になる。なお、真空蒸留によりスポンジチタンから分離された塩化マグネシウムは、塩素とマグネシウムの原料として再利用される。 === チタンインゴット製造プロセス === 硬いスポンジ状(というよりは「軽石」といった方が近い)チタンでは板にも線にもできないので、溶かして緻密な鋳塊にする必要があるが、先述のようにチタンは普通に加熱すると真空か不活性化ガス中でも炉の内壁と反応してしまうので、アーク溶接の方法で鋳塊を作る。これを「消耗電極アーク溶解法」という。 まずスポンジチタンをプレスで棒状に固め、これを電極として真空もしくは不活性化ガス中でぶら下げ下面にアークを飛ばすと溶けたチタンの雫が滴り落ちるので、これを反応しないように水冷した銅ルツボで受け止めると、溶融したチタンが固まり鋳塊となる<ref>『原色現代科学大事典9化学』「第3章 金属ー生活を支える物質I」神保元二・山田圭一(責任編集)、堀内良(執筆)、株式会社学習研究社、1968年、p.72</ref>。ただしこの方法では高融点金属や窒化チタンを取り除けないので、不純物を特に嫌うジェットエンジン向け材料などでは2、3度繰り返すか、電子ビーム溶融法など別の溶融方法でインゴットを製造する<ref name=koizumi>{{Citation |last=小泉 |first=昌明 |title=最近のチタンの溶解技術およびチタンインゴットの品質問題とその解決法 |journal=鉄と鋼 |volume=74 |number=2 |pages=215-223 |year=1988 |url=https://doi.org/10.2355/tetsutohagane1955.74.2_215 }}</ref>。 === チタン圧延(展伸)プロセス === === 世界におけるチタン製造 === 世界のチタン生産は、米国、ロシアならびにCIS諸国、日本、中国、インドが主要生産国となっており、各々有力企業が存在している(米国:[[:en:Allegheny_Technologies|AllegenyTechnology]]、[[:en:Titanium_Metals_Corporation|TIMET]]、ロシア:[[:en:VSMPO-AVISMA|VSMPO]]、中国:宝鶏など)。 === 日本におけるチタン製造 === チタン製造は、チタン鉱石を輸入してクロール法を用いてチタン金属分(スポンジチタン)を抽出しチタンインゴットを製造する精錬工程と、抽出されたチタンインゴットを用いて、チタン薄板、チタン厚板、チタン棒、チタン線、チタン管などの圧延製品(展伸品)を製造する圧延工程(展伸工程)のおもに2つの工程に分類される。一般的に後者の工程を経て、プレス加工・切削加工などが行われ成形が施されたあと、最終製品として完成されることとなる。 日本では、前者は、[[東邦チタニウム]]、[[大阪チタニウムテクノロジーズ]]などの専業メーカーが代表的であり、後者は、[[日本製鉄]]、[[神戸製鋼所]]などの鉄鋼で世界有数の製造設備・圧延技術・加工技術・研究組織を有するメーカーが、技術的・コスト的優位性から代表的である。 戦後の米ソ冷戦構造のなか、軍拡競争を通じ、米国とソ連においてチタンの軍事利用技術が飛躍的に進歩したが、日本においては、米国からの統制下、航空機とならびチタンの製造も禁止されていた時期が長く続いた。チタンの軍事利用技術は、おもに構造物に利用するチタン合金であり、米国・ソ連が当該技術を中心に研究開発を進める一方、軍事に適さない純チタンの利用技術が日本の技術開発の中心であった。冷戦後の現在も、歴史的経緯からおおむねこのような構図が現在に引き継がれており、世界のチタン製造は、軍事利用メインの米国・ロシア・中国と、民生利用メインの日本を中心に占められている。 チタン非軍事利用、民生・意匠利用(建材・土木・日用品など)は、日本の技術開発が各国に比べて比較的進んでおり、当該技術を生かした製品の輸出も活発である(日本発の独自素材といえる)。 == 化合物 == 化合物中の原子価は+4価がもっとも安定であり、+2価および+3価のものも存在するが酸化されやすい。 * [[酸化チタン(II)]] (TiO) * [[酸化チタン(IV)]] (TiO<sub>2</sub>) - 結晶にはルチル、アナターゼ、ブルッカイト型がある。白色顔料、[[光触媒]]としても注目されている。 * [[炭化チタン]] (TiC) * [[窒化チタン]] (TiN) * [[塩化チタン(III)]] (TiCl<sub>3</sub>) * [[塩化チタン(IV)]] (TiCl<sub>4</sub>) - 三塩化チタン、四塩化チタンともに[[チーグラー・ナッタ触媒]]として使われる。 * [[ニッケルチタン|NiTi]] - 代表的な[[形状記憶合金]] * [[チタン酸バリウム]] (BaTiO<sub>3</sub>) == 同位体 == {{main|チタンの同位体}} チタンは5つの[[安定同位体]]を持つが、その中でも <sup>48</sup>Ti がもっとも多く地球上に存在し、不安定同位体を含めたチタンの[[同位体]]は、39.99から57.966までの質量範囲([[原子質量単位]])を持つ。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[ニッケルチタンイエロー]] * [[チタン合金]] == 外部リンク == {{Sisterlinks | wikt = チタン | q = no | n = no }} * [http://www.titan-japan.com/ 一般社団法人 日本チタン協会] * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{チタンの化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちたん}} [[Category:チタン|*]] [[Category:元素]] [[Category:遷移金属]] [[Category:第4族元素]] [[Category:第4周期元素]]
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レコード
レコード(record, vinyl record。英語版ではPhonograph record)は、音声記録を意味し、主に樹脂などでできた円盤(最初期には円筒状の蝋管レコードを含む)に音楽や音声などの「振動」を刻み込み記録したメディアの一種を示すことが多い。 記録された音を音として聴ける状態にすることを「再生」という。まず、1.記録された「音の振動の振幅」を取り出すことで「音」が復元できる。しかし、狭い場所にコンパクトに記録された振動の変化量はわずかの変化量なので、2.人間にあった音量まで振幅量を大きくする「増幅」をおこなうことが初期の段階から必要であった。 後者の方法の歴史的発展段階で区分し、「針で読み取った振幅の情報」を、機械的に増幅する蓄音機の時代、と、電気信号に変えて増幅するレコードプレーヤーの時代に大まかに分類することができる。 語源は「記録」という意味の英語"record"である。「記録」の意味と混同されないためや、コンパクトディスクなどデジタルメディアと区別するため「アナログレコード」「アナログディスク(AD)」とも呼ばれる。 このほかにも後述する規格(SP、LP、EP)、回転数(78回転、45回転、33回転、16回転)、盤のサイズ(7インチ、10インチ、12インチ)などで呼ばれることもある。1950年代以降は塩化ビニールが主な材料となったため、シェラック、バイナル(ヴァイナル、ビニールの英語的発音)と材料で呼ぶこともあるが、ボイジャーに搭載されたレコード(銅製)のように、ビニール製以外のレコードも存在する。 音を記録した円盤であるため日本では「音盤」と呼ばれることもある。 一般的にレコードは音楽用記録メディア全体を示す言葉としても使われる。俗称ではそれを示す代名詞として、アナログレコードを取り扱っていない販売店でも「レコード店」と呼ぶことがある。また日本の著作権法上は、第2条第5号で「蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの(音をもっぱら映像とともに再生することを目的とするものを除く。)」としている。 世界初のレコード(音声記録)システムは、1857年、フランスのレオン・スコットが発明した「フォノトグラフ」である。スコットは、振動板に豚の毛をつけ煤を塗り、音声を紙の上に記録させた。再生装置がなかったため、フォノトグラフは実用にはつながらなかったが、1876年、グレアム・ベルが電話機を発明したことにより再生の目処がつき、複数の研究者が再生可能なレコードの発明に取り掛かった。 世界で初めて実際に稼動した、再生可能なレコードは、エジソンが 1877年12月6日(のちの「音の日」)に発明した「フォノグラフ」である。直径8cmの、錫箔を貼った真鍮の円筒に針で音溝を記録するという、基本原理は後のレコードと同じものである。フォノグラフは、日本では蘇言機、蓄音機と訳された。ただしこの当時はまだ、音楽用途はほとんど想定されておらず、エジソンも盲人を補助するための機器として考案している。 これに対し 1887年には、エミール・ベルリナーが「グラモフォン」を発明した。最大の特徴は水平なターンテーブルに載せて再生する円盤式であることで、発端はエジソンの円筒式レコード特許の回避のためだったが、結果として、円筒式より収納しやすく、原盤を用いた複製も容易になった。中央の部分にレーベルを貼付できることも、円筒式にない特長だった。CDやDVDやBDにつながる円盤型メディアの歴史は、このとき始まったと言える。さらにベルリナーは、記録面に対し針が振動する向きを、従来の垂直から水平に変更した。これにより音溝の深さが一定になり、音質が向上した。 エジソンもこれに対抗し、円筒の素材を蝋でコーティングした蝋管に変更し音質を向上させた。蝋が固まるときに収縮することを利用した、鋳造による複製方法も発明したが、量産性は円盤式には及ばなかった。 当初、アメリカではエジソンが、ヨーロッパではベルリナーが市場を支配した。円盤式は円周から中心に向かって半径が小さくなっていくので、音の情報は円周近くでは長い弧にわたってゆったりと記録されるが、中心近くでは短い弧の中にぎっしりと記録されることになり、音の質が円周近くと中心近くで変化する欠点を持ったものの、円盤式は同一音源の大量複製生産に適していたうえ、両面レコードの発明などもあり、最終的にベルリナーの円盤式レコードが市場を制した。なお、円筒式の記録媒体は音楽レコードとしては姿を消したがテープレコーダーの実用化まで簡易録音機、再生機としては使われ続け、後に、初期のコンピュータの補助記憶装置(磁気ドラム。ハードディスクドライブの先祖に当たる)に使われたことがある。 初期の円盤式レコードは回転数が製品により多少異なったが(更に再生する側の蓄音機も初期はぜんまい駆動が大勢を占めていたため、ターンテーブル回転速度の均質化が容易でなかった)、定速回転できる電気式蓄音機の発明により、後にSPレコード(SPは、Standard PlayingまたはStandard Playの略)と呼ばれる78回転盤(毎分78回転)がデファクトスタンダードとなった。 また、初期の円盤式レコードは、ゴムやエボナイトなどが原料といわれているが、やがてカーボンや酸化アルミニウム、硫酸バリウムなどの粉末をシェラック(カイガラムシの分泌する天然樹脂)で固めた混合物がレコードの主原料となり、シェラック盤と呼ばれた。しかしこの混合物はもろい材質で、そのためSPレコードは摩耗しやすく割れやすかった。落とすと瓦のように割れやすいことから、俗に「瓦盤」と呼ばれたほどである。 併用する再生装置のサウンドボックスの重量も相当あり、レコードを摩滅より守るため針の交換に重点が置かれ、レコード一面再生のたびに鋼鉄針を交換する必要があった。音量はサウンドボックスのサイズ、および針のサイズで調節され、大音量確保には盤の摩耗が避けられなかった。レコード盤の磨滅防止と針の経済性を配慮し、鉄針以外の材質を針に使用する実用例も生じた。柱サボテンのトゲを加工した「ソーン針」(thorn needle)が欧米などで流通し、日本では材質の軟らかい竹を使った「竹針」が広く用いられた(この種の植物性針は、いずれも蓄音機メーカーが供給していた)。植物性の針は絶対的な音量が鋼鉄針に劣るが、刃物で先端を削って尖らせることである程度再利用でき、レコード盤も傷めにくく、繊細な音質が珍重されもした。 これらの蓄音機の問題は、1920年代以降、電気式ピックアップと増幅機構を備えた電気式蓄音機の実用化である程度改善されたものの、第二次世界大戦後におけるピックアップ部分の大幅進歩までは引き続き蓄音機のハンデキャップだった。 また、収録時間が直径10インチ(25cm)で3分、12インチ(30cm)で5分と、サイズの割には短かったために、作品の規模の大きいクラシック音楽などでは、1曲でも多くの枚数が必要となり、レコード再生の途中で幾度となくレコードを取り替えねばならなかった。 特にオペラなどの全曲集では、数十枚組にもなるものまであり、大きな組み物はほとんどの場合、文字通りのハードカバーで分厚い写真アルバム状ケースに収納され販売していた。今でも3曲以上収録されたディスクやデジタル媒体のことを「アルバム」と呼ぶことがあるのはこれに由来している(普通は1枚の表裏で2曲まで)。また、SPレコードはすべての盤がモノラルであった。 また、ポピュラー曲に関しては、面ごとに違う演奏家によるレコードを複数枚集めたアルバムが作られる場合もあり、これを乗合馬車(ラテン語でomnibus)に見立てて、「オムニバス」と呼ぶようになった。現在「コンピレーション・アルバム」と言われるものがかつては「オムニバス・アルバム」と言われたのはこれが由来である。 長時間再生策として、放送録音用としては通常より径の大きなディスクが用いられることもあったが、これは大きすぎて扱いにくく、業務用としての使用に留まった。また溝を細く詰めることや回転数を落とすことで録音時間を伸ばす試みもあったが、シェラックの荒い粒子状素材のレコード盤材質でそのような特殊措置を採ると、再生による針の摩滅劣化や音溝破損が起きやすいために実用的ではなかった。高忠実度再生には荒い粒子の集合体であるSPレコードは不向きで、長時間の高忠実度記録再生は材質に塩化ビニールを用いるLPレコードが実用化されるまで待たなければならなかった。 第二次世界大戦時の日本において金属供出による代用陶器にレコード針も含まれており、陶磁器製のレコード針も流通した。 この間、音質面の改善として、1925年より始まる機械式録音から電気式録音への移行がある。これによって、ラジオ放送開始のあおりで急速に低下していた売上が持ち直すことができた。また、大編成オーケストラの録音なども容易になった。 その後の化学技術の進歩により、ポリ塩化ビニールを用いることによって細密な記録が可能となり、従来の鉄針からダイヤモンドやサファイアの宝石製の(いわゆる)永久針を使用すると共に、カートリッジの軽量化などの進歩により長時間再生・音質向上が実現された。ポリ塩化ビニールで作られたディスクはシェラックなどに比べ弾性があり、割れにくく丈夫で、しかも薄く軽くなり、格段に扱いやすくなった。 これらがLPレコードやEPレコードで、第二次世界大戦後の1940年代後半に実用化、急速に普及し、1950年代後半までに市場の主流となった。これらを総称して、ビニール盤、バイナルなどと呼ぶ。 ハンガリーからアメリカ合衆国に帰化した技術者ピーター・ゴールドマーク(Peter Goldmark, 1906 - 1977)を中心とするCBS研究所のチームが1941年から開発に着手、第二次大戦中の中断を経て1947年に実用化に成功。市販レコードは1948年6月21日にコロムビア社から最初に発売された。直径12インチ(30cm)で収録時間30分。それ以前のレコード同等のサイズで格段に長時間再生できるので、LP(long play)と呼ばれ、在来レコードより音溝(グルーヴ)が細いことから、マイクログルーヴ(microgroove)とも呼ばれた。また、回転数から33回転盤とも呼ばれる(実際には3分100回転、1分33 1/3回転)。これ以降、従来のシェラック製78回転盤は(主に日本で)SP(standard play)と呼ばれるようになった。 RCAビクター社が1949年に発売した。直径17cmで収録時間は溝の加工によって違うが、5分から8分程度。回転数から「45回転盤」とも呼ばれる。ジュークボックスのオートチェンジャー機能で1曲ずつ連続演奏する用途が想定された。オートチェンジャー対応を容易とするために保持部となる中心穴の径が大きく、ドーナツを想起させるため、「ドーナツ盤」とも呼ばれる。日本ではシングル盤とも呼ばれた。当時アメリカではRCAビクター製の45回転専用プレーヤーが流通した。のち、同サイズで33回転のものも登場。こちらは中心部の穴が通常サイズだったため、ドーナツ盤とは呼ばれない。 SP盤と比較した場合、LP盤はディスクをかけ替える手間なしに長時間再生が可能でクラシック音楽の全曲収録や短い曲の多数収録が可能、シングル盤はSP盤並の収録力(片面あたりポピュラー音楽1曲程度)のままでディスク小型化・オートチェンジャー適合化を実現している。 LPとシングル盤は初期の一時こそ競合関係にあったが、上記の性格の相違から市場での棲み分けが容易で、基礎技術自体はほとんど同一のためレコード針も共用できたことから、ほどなく双方の陣営が相手方の規格も発売し、双方がスタンダードとなるという形で決着がついた。この際、ビクターで多くのクラシック音楽レコードを録音していた当時の世界的著名指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが、曲を分割せずにすむLPを強く推したことが影響したといわれる。音響機器メーカーからは33回転と45回転(と78回転)の切り替え可能なターンテーブルも発売され、バイナル盤への規格移行が促された。 LPレコードの実用化では、第二次世界大戦中にドイツで実用化され、戦後のLPレコード開発時期と同じくして民生用に用いられ始めたテープレコーダーの普及が一役買った。テープレコーダーは長時間録音を容易としたうえ、それ以前の録音用レコード盤に比べても高音質での録音が可能であり、マスター音源としての総合性能が優秀であったためである。特に長時間の曲が多いクラシック音楽などでミスなく長時間の演奏を行うことは難しく、リテイクと編集を可能にするテープレコーダーが役立てられた。 逆に、LPレコードとテープレコーダーがSPレコード時代の1曲5分未満という制約を取り払い、時に1曲10分を超えるような長時間即興演奏を連続収録したアルバム形式の商業レコード発売を可能としたことで、結果的に音楽ジャンル自体の発展をも促したモダン・ジャズのような事例もある(1954年2月に録音され、同年発売されたアート・ブレイキーの『バードランドの夜 Vol.1』は、長時間の即興演奏をLP盤に収録し、1950年代中期以降の新世代モダン・ジャズであるハード・バップの先駆となった。これにはテープレコーダーの小型化に伴うライブ録音の容易化も大いに寄与した)。 レコード原盤を切り込む装置をカッティングマシンまたはカッティングレースと呼ぶが、溝を切る際マスターテープの再生ヘッドの前にモニタヘッドを取り付けることにより、音量に合わせて予めカッターの送り速度を調整すること(可変ピッチカッティング、variable groove)が可能になり、後年はコンピュータ化されて更に細かいカッターヘッド送りが可能になり、ダイナミックレンジ(録音出来る音の大小の差)の確保と録音時間を両立できるようになった。 45回転盤やLPレコードは、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理はSPレコードと変わらなかった。この方式は盤面上の埃やキズ、周りの振動に影響されやすく、メディア個体の再生回数が多くなると、音溝の磨耗により高域が減衰していく問題があった。また45-45方式のチャネルセパレーション(左右の音の分離)にも限界があった。 1980年代に入ってからは、扱いやすく消耗しにくいコンパクトディスク(CD)の開発・普及により、一般向け市場ではメディア、ソフト、ハードとも著しく衰退。一方で、在来システムの所有者やオリジナル盤への愛着などでアナログレコードを好む層も一定数存在し、アーティスト側もCDと並行してレコード盤を出すこともあった。 また、1970年代以降は「磨耗したレコードを通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せ、手動で回転させる」という表現技法が現れ、そこから発達する形でクラブの ディスクジョッキー (DJ)が演奏に用いるようになる。2000年代に入るとCDでDJプレイが可能になる機器も普及したが、直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ、そしてレコードという媒体そのものへの愛着などから根強い人気があり、DJプレイ用に発売されるシングルの主流を占めていた(12インチシングル)。これはアナログレコード再生用ターンテーブル及びカートリッジへの一定の需要を生み出していた。 上記のように主流のメディアでは無くなったが、細々と生産が続けられていた。 2000年代後半に入ると音楽はデジタル配信(ストリーミング)が主流となり、CDの売り上げは落ち始めた。一方アメリカのインディーズミュージシャンたちがアナログレコードで新譜をリリースするなどの動きが広がり、アメリカのレコードの売り上げは2005年の100万枚で底を打ち、2013年には610万枚にまで増えた。また、若者の間にレコードが格好良いというイメージが広がった結果、世界のアナログレコードの売り上げは2006年の3400万ドルで底を打ち、2013年には2億1800万ドルにまで跳ね上がった。 日本でも、1989年にアナログレコードの生産から撤退したソニーが2017年に再参入するなど(生産はソニーグループのプレス部門であるソニーDADCジャパン(現:ソニー・ミュージックソリューションズ)が担当、2010年代に入ってもはやインディーズのレベルではなく大手が参入する商業的なレベルまで市場が拡大している。2021年9月には、タワーレコードがアナログレコードの専門店を新規に出店している。 ソニー・ミュージックエンタテインメントは、2018年3月21日、29年ぶりに自社生産したレコードを販売すると発表した。2017年の日本国内におけるアナログレコードの生産枚数は106万枚、販売金額は19億円となり、2001年以来16年ぶりとなる100万枚超えを果たした。2020年には、生産額が2010年との比較で12倍となる21億1700万円となった。国内での生産力が限られている中で需要が増大したことで、生産が追いつかない状況となっている。 アメリカでは1986年以来、CDの売り上げがレコードを上回る状態が続いていたが、2020年上半期のアメリカにおけるレコードの売り上げが2億3210万ドル(約246億円)だったのに対し、CDの売り上げは1億2990万ドル(約137億円)となり、30年以上ぶりにレコードの売り上げがCDを上回った。なお同時期のストリーミングの売り上げは48億ドル(約5094億円)であった。 保存状態の良い中古レコードの取引も活発であり、特に日本で保管されていたものは全体的に質が高いことから、中古買い取りに参入する企業も現れている。 レコードは原材料のビニライト板を音溝が刻まれた金型(スタンパ)の間に入れ、熱と圧力を加えてプレスすることで作られる。プレス装置と型さえ数をそろえれば量産が容易である。このプレス型はスタンパと呼ばれ、オリジナルの原版(原盤)から以下の工程を経て複製されたものである。 このメタルマスタ作成が音質の要になるという事で、レコード全盛期にはさまざまな試みが行われた。ライブ演奏をそのままダブプレートに刻んで出来たラッカーから直接プレスする「ダイレクトカッティング」(ラッカーの溝はすぐに潰れるので出来るレコードは完全な限定版になる)、高音域をイコライザーで強調して周波数特性を伸ばした盤、通常より重たいディスクを使用した盤、33 1/3の半分のスピードでカッティングした盤がある(ハーフスピードカッティング)。 テルデック社が1982年に開発したダイレクト・メタル・マスタリング(Direct Metal Mastering, DMM)もそうした音質向上技術のひとつ。超音波を当てながらカッティングを施した銅円盤をそのままマザーとして用いる方式で、ノイズ低減や収録時間10%増加などのメリットがある。ただし収録内容によってはダイナミックレンジが狭くなる物もあった。このDMMはCDの急速な普及に押され、登場から数年のみ使用されたが、2000年代以降は海外製復刻盤や新譜でも若干使用される例がある。 2012年末、ユニバーサルミュージックが、染料を全く含まない透明なヴァージンビニライトを使用し、また「マザー」・「スタンパ」の2工程で起き得る“劣化”を可能な限り消すためこれを省いて「メタルマスタ」から直接プレスを行なう「100% PureLP」を新しく発売開始した。 直径や回転数をもとにSP盤(standard play, 78rpm)、LP盤(long play, 33rpm)、7インチシングル盤(45rpm)、EP(extended play, 45rpm)、12インチシングル盤などを区別する。 この盤には正式な名称が特に付けられていないため、このページでは便宜上「シングル盤」と表記する。 記録されるトラック数と様式をもとにモノラル盤、バイノーラル盤、45-45方式ステレオ盤、VL方式ステレオ盤、4チャンネルステレオ盤(別名、クワドラフォニック盤)、などを区別する。 モノラル方式の盤。音響の記録方式としては、音の大小を盤と水平方向の振動として記録する水平振幅記録、または垂直方向の振動として記録する垂直振幅記録がある。 モノラルLPレコードの外周・内周に半分ずつ左右別々のチャンネルの音溝を刻み、2本の枝分かれしたピックアップで再生することによりステレオ効果を得られるというもの。しかし、再生時間が短い、レコード特有の内周歪みによって左右で音質が変化しやすい、針の置き位置を定めにくいなどのデメリットも多く、下記のステレオ盤が普及する前に廃れた。1952年、米クック社が開発。 90度で交わるV型の溝のそれぞれの壁面に左右のチャンネルの振動を記録する直交振幅記録。原理は 1931年、英コロムビア社の技術者アラン・ブラムレイン(Alan Dower Blumlein, 1903 - 1942)が開発。 左右信号の和が水平振動になる点において、一般的なモノラル盤との親和性を確保したため、ステレオ盤の主力となった。45-45方式は1950年代半ばに米ウエスタン・エレクトリック(ウエストレック)社が規格化・実用化したものであるが、原理の考案から実用化までに時間がかかったのは、1930年代当時のレコードの主流材料だったシェラックでは高音質再生が不可能なことが大きな原因の1つだったという(このためブラムレインによるステレオ録音の試験では、トラック分割が容易な映画用サウンドトラックでの試行が先行していた)。 ちなみに、世界初の市販のステレオ盤は、1958年1月に米オーディオ・フィディリティー社から、日本初のそれは同年8月1日に日本ビクターから発売されている(詳細については、「日本ビクター#略歴」の項目を参照のこと)。 左右の信号を垂直(vertical)と水平(level)の振動として記録する直交振幅記録。これも1931年、英コロムビア社の技術者ブラムレインが前記の45-45方式とほぼ同時に開発した。 45-45方式と比べモノラルの主流を占める水平記録方式との互換性で劣ったのと、1957年末 - 1958年始めに米欧の各国で45-45方式がステレオレコードの標準規格に決定した為によるそれとの並存によるユーザーの不利益を避けるため、短期間で作られなくなった。1956年、英デッカ社と西ドイツのテルデック社により実用化試作機が作られ、その本格的な試作システムが米で翌年に公開されたという記録がある(詳細は「ffss」の項目を参照のこと)。 4チャンネルステレオ盤(別名、クワドラフォニック盤)には、互換性のない2方式が広く知られる。 2018年にReBeat社(オーストリア)が有意な信号を100kHzまで収録出来る"HD Vynil"規格を発表。2019年夏以降、この規格を採用したレコードが販売される予定である。レーザーで彫像・成形したセラミック製スタンパーを用い、20kHz以上の信号をピックアップ可能となる。条件は極めて限られ、音溝に対し同一形状の針先を用いた場合にのみ可能となる。 レコードの両面は、A面/B面と呼ばれる。シングル盤ではそれぞれ1曲が収められる。アルバム盤でも、A面とB面で傾向を変えることがある。 録音用媒体として流通した溝の切られていないレコード。原料によって「セルロース盤」「アルマイト盤」などとも。上記各種レコードの規格に準拠した、柔らかい樹脂等をコーティングした金属板。のちの音楽業界などで「ダブ・プレート」と呼ばれるものとほぼ同様のものである。1930年代から1950年代にかけて最も多く流通し、業務、または私的な録音のために用いられた。音楽業界・民生向けのほか、ラジオ放送局で番組収録の媒体として広く用いられた。 ソノシートは朝日ソノラマの登録商標で、フォノシート、シートレコードなどが正式名称である(英語では flexi disc)。薄く曲げられるビニール材質のレコード。一般的には17cm盤が多く、音質は良くないが製造コストが安いため、通常盤が高価だった1960年代頃に重宝され、朝日ソノラマ本体のソノシートページ上に置く自走式による専用のプレイヤーも発売された。 1970年代以降は、単独で販売するより雑誌の付録として綴じ込んで販売されることが多かった。海外では音楽雑誌などに有名アーティストの限定録音が付録し、後に高価で取り引きされることもあった。コンピュータープログラムを記録したものもあった。 薄いために折り目が付きやすく、盤面が歪んで針飛びの原因になりやすかった。B面の無いものも多かった。 発明は、フランスのアシェット社によるものだが、商業ベースにのせるため、日本で朝日新聞と凸版印刷がタイアップさせ、音の出る雑誌というかたちで出たものが最初である。 製作は、輪転印刷機で多量にシート状の塩化ビニールを溶かしたモール状のものを紙のようにロールにされたものに、印刷とスタンパーを兼ね備えたものでプレスされていく。カラーのもの、真四角に切られたものも多い。 (録音特性などについては、レコードプレーヤー#フォノイコライザーも参照) 音質の向上や盤面の有効利用(長い演奏時間の収録)を目的として、レコードの溝の振幅は(音の大きさが同じならば)周波数による変化があまりなくなるように録音されている。カートリッジとして一般的な電磁型の出力電圧は針先の動く速さに比例するので、このまま増幅すると高音の勝った音になってしまう。そこで、録音時の周波数特性(多くはRIAA型)とは逆の特性をもったフォノイコライザを通し、平坦な特性に戻す。 イコライザはアンプやミキサに内蔵されるのが通常だが、廉価な機器に使われた圧電型のカートリッジでは、出力は針先の変位つまり移動距離にほぼ比例するので、特別な回路を組むことなく、高音と低音のバランスが取れた音が得られた。 前述の通り記録・再生の特性が超高周波を含むか否かには疑問があるが、さらにカッティングの信号系統には(ON/OFF可能な)イコライザー、リミッターが含まれており、同じ音源のレコードとCDにさらなる音質の差を生じさせる原因となる。特に古い時代の音源がCD化(デジタルリマスタリング)される際、マスターの録音状態や劣化といった理由でノイズリダクションなどが施され、ここでも当時のレコードとの音質の差が生じている場合もある。 アナログレコードはプチプチと言う雑音などに味があると言われているが、記録特性の問題ではなく静電気や埃の処理などが原因である。そのため、適切に再生されればその様な音は混入しない。 21世紀になってもレコードはわずかながら生産されている。日本では東洋化成、およびソニー・ミュージックソリューションズ静岡プロダクションセンターでレコードのプレスが行われ、いずれも新譜での限定生産、テスト・レコードの販売や過去の名盤の再生産も行っている。少ない枚数の製作をプレスやカッティングで行う業者もあり、ラッカーとビニールの素材選択に対応するなどバラエティがある。また高額ながらカッティング・マシンもベスタクスからVRX-2000が発売され、個人がレコードを1枚からビニール/ラッカーを選んで作ることも可能である。またレコードからパソコンなどでノイズリダクション処理を施しつつCD-Rに録音するサービスも行われ、その際の再生にレーザーターンテーブルを用いる場合もある。SP盤時代のものやマスターテープの所在が不明の音源を市販CD化する際も、上記と同様の処理が行われている。 基本的に、CDと同じである。 日本においては、斜体のRを○で囲んだ文字でレコードを示す。
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5, "tag": "p", "text": "音を記録した円盤であるため日本では「音盤」と呼ばれることもある。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一般的にレコードは音楽用記録メディア全体を示す言葉としても使われる。俗称ではそれを示す代名詞として、アナログレコードを取り扱っていない販売店でも「レコード店」と呼ぶことがある。また日本の著作権法上は、第2条第5号で「蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの(音をもっぱら映像とともに再生することを目的とするものを除く。)」としている。", "title": "呼称" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "世界初のレコード(音声記録)システムは、1857年、フランスのレオン・スコットが発明した「フォノトグラフ」である。スコットは、振動板に豚の毛をつけ煤を塗り、音声を紙の上に記録させた。再生装置がなかったため、フォノトグラフは実用にはつながらなかったが、1876年、グレアム・ベルが電話機を発明したことにより再生の目処がつき、複数の研究者が再生可能なレコードの発明に取り掛かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "世界で初めて実際に稼動した、再生可能なレコードは、エジソンが 1877年12月6日(のちの「音の日」)に発明した「フォノグラフ」である。直径8cmの、錫箔を貼った真鍮の円筒に針で音溝を記録するという、基本原理は後のレコードと同じものである。フォノグラフは、日本では蘇言機、蓄音機と訳された。ただしこの当時はまだ、音楽用途はほとんど想定されておらず、エジソンも盲人を補助するための機器として考案している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これに対し 1887年には、エミール・ベルリナーが「グラモフォン」を発明した。最大の特徴は水平なターンテーブルに載せて再生する円盤式であることで、発端はエジソンの円筒式レコード特許の回避のためだったが、結果として、円筒式より収納しやすく、原盤を用いた複製も容易になった。中央の部分にレーベルを貼付できることも、円筒式にない特長だった。CDやDVDやBDにつながる円盤型メディアの歴史は、このとき始まったと言える。さらにベルリナーは、記録面に対し針が振動する向きを、従来の垂直から水平に変更した。これにより音溝の深さが一定になり、音質が向上した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "エジソンもこれに対抗し、円筒の素材を蝋でコーティングした蝋管に変更し音質を向上させた。蝋が固まるときに収縮することを利用した、鋳造による複製方法も発明したが、量産性は円盤式には及ばなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当初、アメリカではエジソンが、ヨーロッパではベルリナーが市場を支配した。円盤式は円周から中心に向かって半径が小さくなっていくので、音の情報は円周近くでは長い弧にわたってゆったりと記録されるが、中心近くでは短い弧の中にぎっしりと記録されることになり、音の質が円周近くと中心近くで変化する欠点を持ったものの、円盤式は同一音源の大量複製生産に適していたうえ、両面レコードの発明などもあり、最終的にベルリナーの円盤式レコードが市場を制した。なお、円筒式の記録媒体は音楽レコードとしては姿を消したがテープレコーダーの実用化まで簡易録音機、再生機としては使われ続け、後に、初期のコンピュータの補助記憶装置(磁気ドラム。ハードディスクドライブの先祖に当たる)に使われたことがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "初期の円盤式レコードは回転数が製品により多少異なったが(更に再生する側の蓄音機も初期はぜんまい駆動が大勢を占めていたため、ターンテーブル回転速度の均質化が容易でなかった)、定速回転できる電気式蓄音機の発明により、後にSPレコード(SPは、Standard PlayingまたはStandard Playの略)と呼ばれる78回転盤(毎分78回転)がデファクトスタンダードとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、初期の円盤式レコードは、ゴムやエボナイトなどが原料といわれているが、やがてカーボンや酸化アルミニウム、硫酸バリウムなどの粉末をシェラック(カイガラムシの分泌する天然樹脂)で固めた混合物がレコードの主原料となり、シェラック盤と呼ばれた。しかしこの混合物はもろい材質で、そのためSPレコードは摩耗しやすく割れやすかった。落とすと瓦のように割れやすいことから、俗に「瓦盤」と呼ばれたほどである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "併用する再生装置のサウンドボックスの重量も相当あり、レコードを摩滅より守るため針の交換に重点が置かれ、レコード一面再生のたびに鋼鉄針を交換する必要があった。音量はサウンドボックスのサイズ、および針のサイズで調節され、大音量確保には盤の摩耗が避けられなかった。レコード盤の磨滅防止と針の経済性を配慮し、鉄針以外の材質を針に使用する実用例も生じた。柱サボテンのトゲを加工した「ソーン針」(thorn needle)が欧米などで流通し、日本では材質の軟らかい竹を使った「竹針」が広く用いられた(この種の植物性針は、いずれも蓄音機メーカーが供給していた)。植物性の針は絶対的な音量が鋼鉄針に劣るが、刃物で先端を削って尖らせることである程度再利用でき、レコード盤も傷めにくく、繊細な音質が珍重されもした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "これらの蓄音機の問題は、1920年代以降、電気式ピックアップと増幅機構を備えた電気式蓄音機の実用化である程度改善されたものの、第二次世界大戦後におけるピックアップ部分の大幅進歩までは引き続き蓄音機のハンデキャップだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、収録時間が直径10インチ(25cm)で3分、12インチ(30cm)で5分と、サイズの割には短かったために、作品の規模の大きいクラシック音楽などでは、1曲でも多くの枚数が必要となり、レコード再生の途中で幾度となくレコードを取り替えねばならなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "特にオペラなどの全曲集では、数十枚組にもなるものまであり、大きな組み物はほとんどの場合、文字通りのハードカバーで分厚い写真アルバム状ケースに収納され販売していた。今でも3曲以上収録されたディスクやデジタル媒体のことを「アルバム」と呼ぶことがあるのはこれに由来している(普通は1枚の表裏で2曲まで)。また、SPレコードはすべての盤がモノラルであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、ポピュラー曲に関しては、面ごとに違う演奏家によるレコードを複数枚集めたアルバムが作られる場合もあり、これを乗合馬車(ラテン語でomnibus)に見立てて、「オムニバス」と呼ぶようになった。現在「コンピレーション・アルバム」と言われるものがかつては「オムニバス・アルバム」と言われたのはこれが由来である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "長時間再生策として、放送録音用としては通常より径の大きなディスクが用いられることもあったが、これは大きすぎて扱いにくく、業務用としての使用に留まった。また溝を細く詰めることや回転数を落とすことで録音時間を伸ばす試みもあったが、シェラックの荒い粒子状素材のレコード盤材質でそのような特殊措置を採ると、再生による針の摩滅劣化や音溝破損が起きやすいために実用的ではなかった。高忠実度再生には荒い粒子の集合体であるSPレコードは不向きで、長時間の高忠実度記録再生は材質に塩化ビニールを用いるLPレコードが実用化されるまで待たなければならなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦時の日本において金属供出による代用陶器にレコード針も含まれており、陶磁器製のレコード針も流通した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "この間、音質面の改善として、1925年より始まる機械式録音から電気式録音への移行がある。これによって、ラジオ放送開始のあおりで急速に低下していた売上が持ち直すことができた。また、大編成オーケストラの録音なども容易になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その後の化学技術の進歩により、ポリ塩化ビニールを用いることによって細密な記録が可能となり、従来の鉄針からダイヤモンドやサファイアの宝石製の(いわゆる)永久針を使用すると共に、カートリッジの軽量化などの進歩により長時間再生・音質向上が実現された。ポリ塩化ビニールで作られたディスクはシェラックなどに比べ弾性があり、割れにくく丈夫で、しかも薄く軽くなり、格段に扱いやすくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "これらがLPレコードやEPレコードで、第二次世界大戦後の1940年代後半に実用化、急速に普及し、1950年代後半までに市場の主流となった。これらを総称して、ビニール盤、バイナルなどと呼ぶ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ハンガリーからアメリカ合衆国に帰化した技術者ピーター・ゴールドマーク(Peter Goldmark, 1906 - 1977)を中心とするCBS研究所のチームが1941年から開発に着手、第二次大戦中の中断を経て1947年に実用化に成功。市販レコードは1948年6月21日にコロムビア社から最初に発売された。直径12インチ(30cm)で収録時間30分。それ以前のレコード同等のサイズで格段に長時間再生できるので、LP(long play)と呼ばれ、在来レコードより音溝(グルーヴ)が細いことから、マイクログルーヴ(microgroove)とも呼ばれた。また、回転数から33回転盤とも呼ばれる(実際には3分100回転、1分33 1/3回転)。これ以降、従来のシェラック製78回転盤は(主に日本で)SP(standard play)と呼ばれるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "RCAビクター社が1949年に発売した。直径17cmで収録時間は溝の加工によって違うが、5分から8分程度。回転数から「45回転盤」とも呼ばれる。ジュークボックスのオートチェンジャー機能で1曲ずつ連続演奏する用途が想定された。オートチェンジャー対応を容易とするために保持部となる中心穴の径が大きく、ドーナツを想起させるため、「ドーナツ盤」とも呼ばれる。日本ではシングル盤とも呼ばれた。当時アメリカではRCAビクター製の45回転専用プレーヤーが流通した。のち、同サイズで33回転のものも登場。こちらは中心部の穴が通常サイズだったため、ドーナツ盤とは呼ばれない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "SP盤と比較した場合、LP盤はディスクをかけ替える手間なしに長時間再生が可能でクラシック音楽の全曲収録や短い曲の多数収録が可能、シングル盤はSP盤並の収録力(片面あたりポピュラー音楽1曲程度)のままでディスク小型化・オートチェンジャー適合化を実現している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "LPとシングル盤は初期の一時こそ競合関係にあったが、上記の性格の相違から市場での棲み分けが容易で、基礎技術自体はほとんど同一のためレコード針も共用できたことから、ほどなく双方の陣営が相手方の規格も発売し、双方がスタンダードとなるという形で決着がついた。この際、ビクターで多くのクラシック音楽レコードを録音していた当時の世界的著名指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが、曲を分割せずにすむLPを強く推したことが影響したといわれる。音響機器メーカーからは33回転と45回転(と78回転)の切り替え可能なターンテーブルも発売され、バイナル盤への規格移行が促された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "LPレコードの実用化では、第二次世界大戦中にドイツで実用化され、戦後のLPレコード開発時期と同じくして民生用に用いられ始めたテープレコーダーの普及が一役買った。テープレコーダーは長時間録音を容易としたうえ、それ以前の録音用レコード盤に比べても高音質での録音が可能であり、マスター音源としての総合性能が優秀であったためである。特に長時間の曲が多いクラシック音楽などでミスなく長時間の演奏を行うことは難しく、リテイクと編集を可能にするテープレコーダーが役立てられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "逆に、LPレコードとテープレコーダーがSPレコード時代の1曲5分未満という制約を取り払い、時に1曲10分を超えるような長時間即興演奏を連続収録したアルバム形式の商業レコード発売を可能としたことで、結果的に音楽ジャンル自体の発展をも促したモダン・ジャズのような事例もある(1954年2月に録音され、同年発売されたアート・ブレイキーの『バードランドの夜 Vol.1』は、長時間の即興演奏をLP盤に収録し、1950年代中期以降の新世代モダン・ジャズであるハード・バップの先駆となった。これにはテープレコーダーの小型化に伴うライブ録音の容易化も大いに寄与した)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "レコード原盤を切り込む装置をカッティングマシンまたはカッティングレースと呼ぶが、溝を切る際マスターテープの再生ヘッドの前にモニタヘッドを取り付けることにより、音量に合わせて予めカッターの送り速度を調整すること(可変ピッチカッティング、variable groove)が可能になり、後年はコンピュータ化されて更に細かいカッターヘッド送りが可能になり、ダイナミックレンジ(録音出来る音の大小の差)の確保と録音時間を両立できるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "45回転盤やLPレコードは、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理はSPレコードと変わらなかった。この方式は盤面上の埃やキズ、周りの振動に影響されやすく、メディア個体の再生回数が多くなると、音溝の磨耗により高域が減衰していく問題があった。また45-45方式のチャネルセパレーション(左右の音の分離)にも限界があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1980年代に入ってからは、扱いやすく消耗しにくいコンパクトディスク(CD)の開発・普及により、一般向け市場ではメディア、ソフト、ハードとも著しく衰退。一方で、在来システムの所有者やオリジナル盤への愛着などでアナログレコードを好む層も一定数存在し、アーティスト側もCDと並行してレコード盤を出すこともあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また、1970年代以降は「磨耗したレコードを通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せ、手動で回転させる」という表現技法が現れ、そこから発達する形でクラブの ディスクジョッキー (DJ)が演奏に用いるようになる。2000年代に入るとCDでDJプレイが可能になる機器も普及したが、直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ、そしてレコードという媒体そのものへの愛着などから根強い人気があり、DJプレイ用に発売されるシングルの主流を占めていた(12インチシングル)。これはアナログレコード再生用ターンテーブル及びカートリッジへの一定の需要を生み出していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "上記のように主流のメディアでは無くなったが、細々と生産が続けられていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2000年代後半に入ると音楽はデジタル配信(ストリーミング)が主流となり、CDの売り上げは落ち始めた。一方アメリカのインディーズミュージシャンたちがアナログレコードで新譜をリリースするなどの動きが広がり、アメリカのレコードの売り上げは2005年の100万枚で底を打ち、2013年には610万枚にまで増えた。また、若者の間にレコードが格好良いというイメージが広がった結果、世界のアナログレコードの売り上げは2006年の3400万ドルで底を打ち、2013年には2億1800万ドルにまで跳ね上がった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "日本でも、1989年にアナログレコードの生産から撤退したソニーが2017年に再参入するなど(生産はソニーグループのプレス部門であるソニーDADCジャパン(現:ソニー・ミュージックソリューションズ)が担当、2010年代に入ってもはやインディーズのレベルではなく大手が参入する商業的なレベルまで市場が拡大している。2021年9月には、タワーレコードがアナログレコードの専門店を新規に出店している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ソニー・ミュージックエンタテインメントは、2018年3月21日、29年ぶりに自社生産したレコードを販売すると発表した。2017年の日本国内におけるアナログレコードの生産枚数は106万枚、販売金額は19億円となり、2001年以来16年ぶりとなる100万枚超えを果たした。2020年には、生産額が2010年との比較で12倍となる21億1700万円となった。国内での生産力が限られている中で需要が増大したことで、生産が追いつかない状況となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "アメリカでは1986年以来、CDの売り上げがレコードを上回る状態が続いていたが、2020年上半期のアメリカにおけるレコードの売り上げが2億3210万ドル(約246億円)だったのに対し、CDの売り上げは1億2990万ドル(約137億円)となり、30年以上ぶりにレコードの売り上げがCDを上回った。なお同時期のストリーミングの売り上げは48億ドル(約5094億円)であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "保存状態の良い中古レコードの取引も活発であり、特に日本で保管されていたものは全体的に質が高いことから、中古買い取りに参入する企業も現れている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "レコードは原材料のビニライト板を音溝が刻まれた金型(スタンパ)の間に入れ、熱と圧力を加えてプレスすることで作られる。プレス装置と型さえ数をそろえれば量産が容易である。このプレス型はスタンパと呼ばれ、オリジナルの原版(原盤)から以下の工程を経て複製されたものである。", "title": "レコードの生産" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "このメタルマスタ作成が音質の要になるという事で、レコード全盛期にはさまざまな試みが行われた。ライブ演奏をそのままダブプレートに刻んで出来たラッカーから直接プレスする「ダイレクトカッティング」(ラッカーの溝はすぐに潰れるので出来るレコードは完全な限定版になる)、高音域をイコライザーで強調して周波数特性を伸ばした盤、通常より重たいディスクを使用した盤、33 1/3の半分のスピードでカッティングした盤がある(ハーフスピードカッティング)。", "title": "レコードの生産" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "テルデック社が1982年に開発したダイレクト・メタル・マスタリング(Direct Metal Mastering, DMM)もそうした音質向上技術のひとつ。超音波を当てながらカッティングを施した銅円盤をそのままマザーとして用いる方式で、ノイズ低減や収録時間10%増加などのメリットがある。ただし収録内容によってはダイナミックレンジが狭くなる物もあった。このDMMはCDの急速な普及に押され、登場から数年のみ使用されたが、2000年代以降は海外製復刻盤や新譜でも若干使用される例がある。", "title": "レコードの生産" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2012年末、ユニバーサルミュージックが、染料を全く含まない透明なヴァージンビニライトを使用し、また「マザー」・「スタンパ」の2工程で起き得る“劣化”を可能な限り消すためこれを省いて「メタルマスタ」から直接プレスを行なう「100% PureLP」を新しく発売開始した。", "title": "レコードの生産" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "直径や回転数をもとにSP盤(standard play, 78rpm)、LP盤(long play, 33rpm)、7インチシングル盤(45rpm)、EP(extended play, 45rpm)、12インチシングル盤などを区別する。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "この盤には正式な名称が特に付けられていないため、このページでは便宜上「シングル盤」と表記する。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "記録されるトラック数と様式をもとにモノラル盤、バイノーラル盤、45-45方式ステレオ盤、VL方式ステレオ盤、4チャンネルステレオ盤(別名、クワドラフォニック盤)、などを区別する。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "モノラル方式の盤。音響の記録方式としては、音の大小を盤と水平方向の振動として記録する水平振幅記録、または垂直方向の振動として記録する垂直振幅記録がある。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "モノラルLPレコードの外周・内周に半分ずつ左右別々のチャンネルの音溝を刻み、2本の枝分かれしたピックアップで再生することによりステレオ効果を得られるというもの。しかし、再生時間が短い、レコード特有の内周歪みによって左右で音質が変化しやすい、針の置き位置を定めにくいなどのデメリットも多く、下記のステレオ盤が普及する前に廃れた。1952年、米クック社が開発。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "90度で交わるV型の溝のそれぞれの壁面に左右のチャンネルの振動を記録する直交振幅記録。原理は 1931年、英コロムビア社の技術者アラン・ブラムレイン(Alan Dower Blumlein, 1903 - 1942)が開発。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "左右信号の和が水平振動になる点において、一般的なモノラル盤との親和性を確保したため、ステレオ盤の主力となった。45-45方式は1950年代半ばに米ウエスタン・エレクトリック(ウエストレック)社が規格化・実用化したものであるが、原理の考案から実用化までに時間がかかったのは、1930年代当時のレコードの主流材料だったシェラックでは高音質再生が不可能なことが大きな原因の1つだったという(このためブラムレインによるステレオ録音の試験では、トラック分割が容易な映画用サウンドトラックでの試行が先行していた)。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ちなみに、世界初の市販のステレオ盤は、1958年1月に米オーディオ・フィディリティー社から、日本初のそれは同年8月1日に日本ビクターから発売されている(詳細については、「日本ビクター#略歴」の項目を参照のこと)。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "左右の信号を垂直(vertical)と水平(level)の振動として記録する直交振幅記録。これも1931年、英コロムビア社の技術者ブラムレインが前記の45-45方式とほぼ同時に開発した。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "45-45方式と比べモノラルの主流を占める水平記録方式との互換性で劣ったのと、1957年末 - 1958年始めに米欧の各国で45-45方式がステレオレコードの標準規格に決定した為によるそれとの並存によるユーザーの不利益を避けるため、短期間で作られなくなった。1956年、英デッカ社と西ドイツのテルデック社により実用化試作機が作られ、その本格的な試作システムが米で翌年に公開されたという記録がある(詳細は「ffss」の項目を参照のこと)。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "4チャンネルステレオ盤(別名、クワドラフォニック盤)には、互換性のない2方式が広く知られる。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2018年にReBeat社(オーストリア)が有意な信号を100kHzまで収録出来る\"HD Vynil\"規格を発表。2019年夏以降、この規格を採用したレコードが販売される予定である。レーザーで彫像・成形したセラミック製スタンパーを用い、20kHz以上の信号をピックアップ可能となる。条件は極めて限られ、音溝に対し同一形状の針先を用いた場合にのみ可能となる。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "レコードの両面は、A面/B面と呼ばれる。シングル盤ではそれぞれ1曲が収められる。アルバム盤でも、A面とB面で傾向を変えることがある。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "録音用媒体として流通した溝の切られていないレコード。原料によって「セルロース盤」「アルマイト盤」などとも。上記各種レコードの規格に準拠した、柔らかい樹脂等をコーティングした金属板。のちの音楽業界などで「ダブ・プレート」と呼ばれるものとほぼ同様のものである。1930年代から1950年代にかけて最も多く流通し、業務、または私的な録音のために用いられた。音楽業界・民生向けのほか、ラジオ放送局で番組収録の媒体として広く用いられた。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ソノシートは朝日ソノラマの登録商標で、フォノシート、シートレコードなどが正式名称である(英語では flexi disc)。薄く曲げられるビニール材質のレコード。一般的には17cm盤が多く、音質は良くないが製造コストが安いため、通常盤が高価だった1960年代頃に重宝され、朝日ソノラマ本体のソノシートページ上に置く自走式による専用のプレイヤーも発売された。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "1970年代以降は、単独で販売するより雑誌の付録として綴じ込んで販売されることが多かった。海外では音楽雑誌などに有名アーティストの限定録音が付録し、後に高価で取り引きされることもあった。コンピュータープログラムを記録したものもあった。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "薄いために折り目が付きやすく、盤面が歪んで針飛びの原因になりやすかった。B面の無いものも多かった。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "発明は、フランスのアシェット社によるものだが、商業ベースにのせるため、日本で朝日新聞と凸版印刷がタイアップさせ、音の出る雑誌というかたちで出たものが最初である。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "製作は、輪転印刷機で多量にシート状の塩化ビニールを溶かしたモール状のものを紙のようにロールにされたものに、印刷とスタンパーを兼ね備えたものでプレスされていく。カラーのもの、真四角に切られたものも多い。", "title": "レコードの諸形態" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "(録音特性などについては、レコードプレーヤー#フォノイコライザーも参照)", "title": "記録特性" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "音質の向上や盤面の有効利用(長い演奏時間の収録)を目的として、レコードの溝の振幅は(音の大きさが同じならば)周波数による変化があまりなくなるように録音されている。カートリッジとして一般的な電磁型の出力電圧は針先の動く速さに比例するので、このまま増幅すると高音の勝った音になってしまう。そこで、録音時の周波数特性(多くはRIAA型)とは逆の特性をもったフォノイコライザを通し、平坦な特性に戻す。", "title": "記録特性" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "イコライザはアンプやミキサに内蔵されるのが通常だが、廉価な機器に使われた圧電型のカートリッジでは、出力は針先の変位つまり移動距離にほぼ比例するので、特別な回路を組むことなく、高音と低音のバランスが取れた音が得られた。", "title": "記録特性" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "前述の通り記録・再生の特性が超高周波を含むか否かには疑問があるが、さらにカッティングの信号系統には(ON/OFF可能な)イコライザー、リミッターが含まれており、同じ音源のレコードとCDにさらなる音質の差を生じさせる原因となる。特に古い時代の音源がCD化(デジタルリマスタリング)される際、マスターの録音状態や劣化といった理由でノイズリダクションなどが施され、ここでも当時のレコードとの音質の差が生じている場合もある。", "title": "記録特性" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "アナログレコードはプチプチと言う雑音などに味があると言われているが、記録特性の問題ではなく静電気や埃の処理などが原因である。そのため、適切に再生されればその様な音は混入しない。", "title": "記録特性" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "21世紀になってもレコードはわずかながら生産されている。日本では東洋化成、およびソニー・ミュージックソリューションズ静岡プロダクションセンターでレコードのプレスが行われ、いずれも新譜での限定生産、テスト・レコードの販売や過去の名盤の再生産も行っている。少ない枚数の製作をプレスやカッティングで行う業者もあり、ラッカーとビニールの素材選択に対応するなどバラエティがある。また高額ながらカッティング・マシンもベスタクスからVRX-2000が発売され、個人がレコードを1枚からビニール/ラッカーを選んで作ることも可能である。またレコードからパソコンなどでノイズリダクション処理を施しつつCD-Rに録音するサービスも行われ、その際の再生にレーザーターンテーブルを用いる場合もある。SP盤時代のものやマスターテープの所在が不明の音源を市販CD化する際も、上記と同様の処理が行われている。", "title": "CD時代のレコード" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "基本的に、CDと同じである。", "title": "レコード製作に携わる人々" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "日本においては、斜体のRを○で囲んだ文字でレコードを示す。", "title": "符号位置" } ]
レコードは、音声記録を意味し、主に樹脂などでできた円盤(最初期には円筒状の蝋管レコードを含む)に音楽や音声などの「振動」を刻み込み記録したメディアの一種を示すことが多い。 記録された音を音として聴ける状態にすることを「再生」という。まず、1.記録された「音の振動の振幅」を取り出すことで「音」が復元できる。しかし、狭い場所にコンパクトに記録された振動の変化量はわずかの変化量なので、2.人間にあった音量まで振幅量を大きくする「増幅」をおこなうことが初期の段階から必要であった。 後者の方法の歴史的発展段階で区分し、「針で読み取った振幅の情報」を、機械的に増幅する蓄音機の時代、と、電気信号に変えて増幅するレコードプレーヤーの時代に大まかに分類することができる。
{{Otheruses|音響情報の記録メディア|その他}} {{Redirect|レコード盤|道路に施された通称「レコード盤」|グルービング工法}} [[ファイル:Record.jpg|thumb|150px|シングルレコード盤(ドーナツ盤ともいわれる)。]] '''レコード'''(record, vinyl record。英語版では[[:en:Phonograph record|Phonograph record]])は、[[音声]]記録を意味し、主に[[合成樹脂|樹脂]]などでできた円盤(最初期には円筒状の蝋管レコードを含む)に[[音楽]]や音声などの「[[振動]]<ref>{{Cite web|和書|title=レコードはどうやって音を出しているの?原理を簡単に解説! {{!}}|url=https://www.science-kido.com/single-post/principle-record/|website=www.science-kido.com|date=2018-01-25|accessdate=2021-11-04|language=ja}}</ref>」を刻み込み記録した[[メディア (媒体)|メディア]]の一種を示すことが多い。 記録された音を音として聴ける状態にすることを「再生」という。まず、1.記録された「音の振動の振幅」を取り出すことで「音」が復元できる。しかし、狭い場所にコンパクトに記録された振動の変化量はわずかの変化量なので、2.人間にあった音量まで振幅量を大きくする「増幅」をおこなうことが初期の段階から必要であった。 後者の方法の歴史的発展段階で区分し、「針で読み取った振幅の情報」を、機械的に増幅する[[蓄音機]]の時代、と、電気信号に変えて増幅する[[レコードプレーヤー]]の時代に大まかに分類することができる。 == 呼称 == [[語源]]は「[[記録]]」という意味の英語"record"である。「記録」の意味と混同されないためや、[[コンパクトディスク]]などデジタルメディアと区別するため「'''アナログレコード'''<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=アナログレコード “世界的な人気” 生産現場はフル稼働|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211104/k10013334741000.html|website=NHKニュース|accessdate=2021-11-04|last=日本放送協会}}</ref>」「'''[[アナログディスク]]'''(AD)」とも呼ばれる。 このほかにも後述する規格('''[[SPレコード|SP]]'''、'''LP'''、'''EP''')、回転数('''78回転'''、'''45回転'''、'''33回転'''、'''16回転''')、盤のサイズ('''7[[インチ]]、10インチ、12インチ''')などで呼ばれることもある。1950年代以降は[[塩化ビニール]]が主な材料となったため、'''[[シェラック]]'''、'''バイナル'''('''ヴァイナル'''、[[ビニール]]の英語的発音)と材料で呼ぶこともあるが<ref name="snacc">{{Cite web|和書|url=https://snaccmedia.com/2018/11/post-419/ |title=DJやレコード通がよく使う言葉「ヴァイナル」ってどんな意味? |publisher=snaccmedia.com |author= |date=2018-11-10 |accessdate=2021-06-14}}</ref><ref name="wired">{{Cite web|和書|url=https://wired.jp/2019/05/11/the-ux-of-vinyl-the-medium-is-the-message/ |title=その儀式性と触れる喜びを侮るなかれ。ヴァイナルはかくしてデジタル時代にも生き続ける |publisher=wired.jp |author= |date=2019-05-11 |accessdate=2021-06-14}}</ref>、[[ボイジャーのゴールデンレコード|ボイジャーに搭載されたレコード]]([[銅]]製)のように、ビニール製以外のレコードも存在する。 音を記録した円盤であるため日本では「'''音盤'''」と呼ばれることもある<ref>{{Cite web|和書|title=出品10万枚 音楽の宝探し 金沢駅で「秋の音盤祭」:北陸中日新聞Web|url=https://www.chunichi.co.jp/article/348563|website=中日新聞Web|accessdate=2021-11-04|language=ja}}</ref>。 一般的にレコードは音楽用記録メディア全体を示す言葉としても使われる。俗称ではそれを示す代名詞として、アナログレコードを取り扱っていない販売店でも「レコード店」と呼ぶことがある<ref>{{Cite web|和書|title=会えなくても「推し活」、ホテルの部屋でライブ映像鑑賞…ミラーボールで盛り上げ : 経済 : ニュース|url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211027-OYT1T50118/|website=読売新聞オンライン|date=2021-10-27|accessdate=2021-11-04|language=ja}}</ref>。また日本の著作権法上は、第2条第5号で「蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの(音をもっぱら映像とともに再生することを目的とするものを除く。)」としている。 == 歴史 == 世界初のレコード(音声記録)システムは、[[1857年]]、[[フランス]]の[[レオン・スコット]]が[[発明]]した「[[フォノトグラフ]]」である。スコットは、振動板に[[ブタ|豚]]の毛をつけ煤を塗り、音声を紙の上に記録させた。再生装置がなかったため、フォノトグラフは実用にはつながらなかったが、[[1876年]]、[[アレクサンダー・グラハム・ベル|グレアム・ベル]]が[[電話機]]を発明したことにより再生の目処がつき、複数の研究者が再生可能なレコードの発明に取り掛かった。 === 初期のレコード === 世界で初めて実際に稼動した、再生可能なレコードは、[[トーマス・エジソン|エジソン]]が [[1877年]][[12月6日]](のちの「[[音の日]]」)に発明した「フォノグラフ」である。直径8cmの、[[錫]]箔を貼った[[真鍮]]の[[円筒]]に針で[[音溝]]を記録するという、基本原理は後のレコードと同じものである。フォノグラフは、日本では蘇言機、蓄音機と訳された。ただしこの当時はまだ、音楽用途はほとんど想定されておらず、エジソンも盲人を補助するための機器として考案している。 これに対し [[1887年]]には、[[エミール・ベルリナー]]が「グラモフォン」を発明した。最大の特徴は水平なターンテーブルに載せて再生する円盤式であることで、発端はエジソンの円筒式レコード特許の回避のためだったが、結果として、円筒式より収納しやすく、原盤を用いた複製も容易になった。中央の部分に[[レコードレーベル|レーベル]]を貼付できることも、円筒式にない特長だった。CDやDVDやBDにつながる円盤型メディアの歴史は、このとき始まったと言える。さらにベルリナーは、記録面に対し針が振動する向きを、従来の垂直から水平に変更した。これにより音溝の深さが一定になり、[[音質]]が向上した。 エジソンもこれに対抗し、円筒の素材を蝋でコーティングした[[蝋管]]に変更し音質を向上させた。蝋が固まるときに収縮することを利用した、[[鋳造]]による複製方法も発明したが、量産性は円盤式には及ばなかった。 当初、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]ではエジソンが、[[ヨーロッパ]]ではベルリナーが市場を支配した。円盤式は円周から中心に向かって半径が小さくなっていくので、音の情報は円周近くでは長い弧にわたってゆったりと記録されるが、中心近くでは短い弧の中にぎっしりと記録されることになり、音の質が円周近くと中心近くで変化する欠点を持ったものの、円盤式は同一音源の大量複製生産に適していたうえ、両面レコードの発明などもあり、最終的にベルリナーの円盤式レコードが市場を制した。なお、円筒式の記録媒体は音楽レコードとしては姿を消したが[[テープレコーダー]]の実用化まで簡易録音機、再生機としては使われ続け、後に、初期のコンピュータの[[補助記憶装置]]([[磁気ドラム]]。ハードディスクドライブの先祖に当たる)に使われたことがある。 === 円盤式レコードの発達 === 初期の円盤式レコードは回転数が製品により多少異なったが(更に再生する側の蓄音機も初期は[[ぜんまい]]駆動が大勢を占めていたため、ターンテーブル回転速度の均質化が容易でなかった)、定速回転できる電気式蓄音機の発明により、後に[[SPレコード]](SPは、Standard PlayingまたはStandard Playの略)と呼ばれる78回転盤(毎分78回転)が[[デファクトスタンダード]]となった。 また、初期の円盤式レコードは、[[ゴム]]や[[エボナイト]]などが原料といわれているが、やがて[[カーボンブラック|カーボン]]や[[酸化アルミニウム]]、[[硫酸バリウム]]などの粉末を[[シェラック]]([[カイガラムシ]]の分泌する天然樹脂)で固めた混合物<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=レコードのできるまで|date=1970年9月10日|year=|publisher=白水社|author=ピエール・ジロトー}}</ref>がレコードの主原料となり、シェラック盤と呼ばれた。しかしこの混合物はもろい材質で、そのためSPレコードは摩耗しやすく割れやすかった。落とすと[[瓦]]のように割れやすいことから、俗に「瓦盤」と呼ばれたほどである<ref>“瓦版”に引っ掛けた洒落。[http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/kaiteki/kodawari_070803_2.html アナログレコードの音楽を手軽にデジタル録音できるプレーヤー] - 日経BP セカンドステージ</ref>。 併用する再生装置のサウンドボックスの重量も相当あり、レコードを摩滅より守るため針の交換に重点が置かれ、レコード一面再生のたびに鋼鉄針を交換する必要があった。音量はサウンドボックスのサイズ、および針のサイズで調節され、大音量確保には盤の摩耗が避けられなかった。レコード盤の磨滅防止と針の経済性を配慮し、鉄針以外の材質を針に使用する実用例も生じた。[[サボテン|柱サボテン]]のトゲを加工した「ソーン針」(thorn needle)が欧米などで流通し、日本では材質の軟らかい[[竹]]を使った「竹針」が広く用いられた(この種の植物性針は、いずれも蓄音機メーカーが供給していた)。植物性の針は絶対的な音量が鋼鉄針に劣るが、刃物で先端を削って尖らせることである程度再利用でき、レコード盤も傷めにくく、繊細な音質が珍重されもした。 これらの蓄音機の問題は、1920年代以降、電気式ピックアップと増幅機構を備えた電気式蓄音機の実用化である程度改善されたものの、第二次世界大戦後におけるピックアップ部分の大幅進歩までは引き続き蓄音機のハンデキャップだった。 また、収録時間が直径10インチ(25cm)で3分、12インチ(30cm)で5分と、サイズの割には短かったために、作品の規模の大きい[[クラシック音楽]]などでは、1曲でも多くの枚数が必要となり、レコード再生の途中で幾度となくレコードを取り替えねばならなかった。 特に[[オペラ]]などの全曲集では、数十枚組にもなるものまであり、大きな組み物はほとんどの場合、文字通りのハードカバーで分厚い写真[[アルバム]]状ケースに収納され販売していた。今でも3曲以上収録されたディスクやデジタル媒体のことを「アルバム」と呼ぶことがあるのはこれに由来している(普通は1枚の表裏で2曲まで)。また、SPレコードはすべての盤が[[モノラル]]であった。 また、ポピュラー曲に関しては、面ごとに違う演奏家によるレコードを複数枚集めたアルバムが作られる場合もあり、これを乗合馬車(ラテン語で''omnibus'')に見立てて、「[[オムニバス]]」と呼ぶようになった。現在「[[コンピレーション・アルバム]]」と言われるものがかつては「オムニバス・アルバム」と言われたのはこれが由来である。 長時間再生策として、放送録音用としては通常より径の大きなディスクが用いられることもあったが、これは大きすぎて扱いにくく、業務用としての使用に留まった。また溝を細く詰めることや回転数を落とすことで録音時間を伸ばす試みもあったが、シェラックの荒い粒子状素材のレコード盤材質でそのような特殊措置を採ると、再生による針の摩滅劣化や音溝破損が起きやすいために実用的ではなかった。高忠実度再生には荒い粒子の集合体であるSPレコードは不向きで、長時間の高忠実度記録再生は材質に塩化ビニールを用いるLPレコードが実用化されるまで待たなければならなかった。 [[第二次世界大戦]]時の日本において[[金属類回収令|金属供出]]による代用陶器にレコード針も含まれており、陶磁器製のレコード針も流通した{{要出典|date=2020年8月}}。 この間、音質面の改善として、1925年より始まる機械式録音から[[電気式録音]]への移行がある。これによって、ラジオ放送開始のあおりで急速に低下していた売上が持ち直すことができた。また、大編成オーケストラの録音なども容易になった。 === ビニール盤(バイナル)の出現 === その後の化学技術の進歩により、[[ポリ塩化ビニール]]を用いることによって細密な記録が可能となり、従来の鉄針からダイヤモンドやサファイアの宝石製の(いわゆる)永久針を使用すると共に、カートリッジの軽量化などの進歩により長時間再生・音質向上が実現された。ポリ塩化ビニールで作られたディスクはシェラックなどに比べ弾性があり、割れにくく丈夫で、しかも薄く軽くなり、格段に扱いやすくなった。 これらがLPレコードやEPレコードで、[[第二次世界大戦]]後の[[1940年代]]後半に実用化、急速に普及し、[[1950年代]]後半までに市場の主流となった。これらを総称して、ビニール盤、バイナルなどと呼ぶ。 ==== LPレコードの発売 ==== [[ハンガリー]]からアメリカ合衆国に帰化した技術者ピーター・ゴールドマーク([[:en:Peter Carl Goldmark|Peter Goldmark]], 1906 - 1977)を中心とするCBS研究所のチームが1941年から開発に着手、第二次大戦中の中断を経て1947年に実用化に成功。市販レコードは1948年6月21日に[[コロムビア・レコード|コロムビア社]]から最初に発売された。直径12インチ(30cm)で収録時間30分。それ以前のレコード同等のサイズで格段に長時間再生できるので、LP(long play)と呼ばれ、在来レコードより音溝([[グルーヴ]])が細いことから、マイクログルーヴ(microgroove)とも呼ばれた。また、回転数から33回転盤とも呼ばれる(実際には3分100回転、1分33 1/3回転)。これ以降、従来のシェラック製78回転盤は(主に日本で)SP(standard play)と呼ばれるようになった。 ==== シングル・レコードの発売 ==== [[RCAレコード|RCAビクター社]]が1949年に発売した。直径17cmで収録時間は溝の加工によって違うが、5分から8分程度。回転数から「45回転盤」とも呼ばれる。ジュークボックスの[[チェンジャーデッキ#レコードチェンジャー|オートチェンジャー]]機能で1曲ずつ連続演奏する用途が想定された。オートチェンジャー対応を容易とするために保持部となる中心穴の径が大きく、[[ドーナツ (菓子)|ドーナツ]]を想起させるため、「ドーナツ盤」とも呼ばれる。日本ではシングル盤とも呼ばれた。当時アメリカではRCAビクター製の45回転専用プレーヤーが流通した。のち、同サイズで33回転のものも登場。こちらは中心部の穴が通常サイズだったため、ドーナツ盤とは呼ばれない。 ==== LPとシングル盤の共存 ==== SP盤と比較した場合、LP盤はディスクをかけ替える手間なしに長時間再生が可能でクラシック音楽の全曲収録や短い曲の多数収録が可能、シングル盤はSP盤並の収録力(片面あたりポピュラー音楽1曲程度)のままでディスク小型化・オートチェンジャー適合化を実現している。 LPとシングル盤は初期の一時こそ競合関係にあったが、上記の性格の相違から市場での棲み分けが容易で、基礎技術自体はほとんど同一のためレコード針も共用できたことから、ほどなく双方の陣営が相手方の規格も発売し、双方がスタンダードとなるという形で決着がついた。この際、ビクターで多くのクラシック音楽レコードを録音していた当時の世界的著名指揮者の[[アルトゥーロ・トスカニーニ]]が、曲を分割せずにすむLPを強く推したことが影響したといわれる。音響機器メーカーからは33回転と45回転(と78回転)の切り替え可能なターンテーブルも発売され、バイナル盤への規格移行が促された。 LPレコードの実用化では、第二次世界大戦中にドイツで実用化され、戦後のLPレコード開発時期と同じくして民生用に用いられ始めた[[テープレコーダー]]の普及が一役買った。テープレコーダーは長時間録音を容易としたうえ、それ以前の録音用レコード盤に比べても高音質での録音が可能であり、マスター音源としての総合性能が優秀であったためである。特に長時間の曲が多いクラシック音楽などでミスなく長時間の演奏を行うことは難しく、リテイクと編集を可能にするテープレコーダーが役立てられた。 逆に、LPレコードとテープレコーダーがSPレコード時代の1曲5分未満という制約を取り払い、時に1曲10分を超えるような長時間即興演奏を連続収録したアルバム形式の商業レコード発売を可能としたことで、結果的に音楽ジャンル自体の発展をも促した[[モダン・ジャズ]]のような事例もある(1954年2月に録音され、同年発売された[[アート・ブレイキー]]の『[[バードランドの夜 Vol.1]]』は、長時間の即興演奏をLP盤に収録し、1950年代中期以降の新世代モダン・ジャズである[[ハード・バップ]]の先駆となった。これにはテープレコーダーの小型化に伴うライブ録音の容易化も大いに寄与した)。 レコード原盤を切り込む装置をカッティングマシンまたはカッティングレースと呼ぶが、溝を切る際マスターテープの再生ヘッドの前にモニタヘッドを取り付けることにより、音量に合わせて予めカッターの送り速度を調整すること(可変ピッチカッティング、variable groove)が可能になり、後年はコンピュータ化されて更に細かいカッターヘッド送りが可能になり、ダイナミックレンジ(録音出来る音の大小の差)の確保と録音時間を両立できるようになった。 === メディア媒体としての衰退・転化 === 45回転盤やLPレコードは、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理はSPレコードと変わらなかった。この方式は盤面上の埃やキズ、周りの振動に影響されやすく、メディア個体の再生回数が多くなると、音溝の磨耗により高域が減衰していく問題があった。また45-45方式のチャネルセパレーション(左右の音の分離)にも限界があった。 1980年代に入ってからは、扱いやすく消耗しにくい[[コンパクトディスク]](CD)の開発・普及により、一般向け市場ではメディア、ソフト、ハードとも著しく衰退。一方で、在来システムの所有者やオリジナル盤への愛着などでアナログレコードを好む層も一定数存在し、アーティスト側もCDと並行してレコード盤を出すこともあった。 また、1970年代以降は「磨耗したレコードを通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せ、手動で回転させる」という表現技法が現れ、そこから発達する形で[[ディスコ|クラブ]]の [[ディスクジョッキー]] (DJ)が演奏に用いるようになる。2000年代に入るとCDでDJプレイが可能になる機器も普及したが、直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ、そしてレコードという媒体そのものへの愛着などから根強い人気があり、DJプレイ用に発売されるシングルの主流を占めていた(12インチシングル)。これはアナログレコード再生用ターンテーブル及びカートリッジへの一定の需要を生み出していた。 上記のように主流のメディアでは無くなったが、細々と生産が続けられていた。 === レコードの復活 === 2000年代後半に入ると音楽はデジタル配信([[ストリーミング]])が主流となり、CDの売り上げは落ち始めた。一方アメリカのインディーズミュージシャンたちがアナログレコードで新譜をリリースするなどの動きが広がり、アメリカのレコードの売り上げは2005年の100万枚で底を打ち、2013年には610万枚にまで増えた。また、若者の間にレコードが格好良いというイメージが広がった結果、世界のアナログレコードの売り上げは2006年の3400万ドルで底を打ち、2013年には2億1800万ドルにまで跳ね上がった<ref>[http://president.jp/articles/-/14910 2億1800万ドル -なぜ今? アナログレコード大ブームの理由]</ref>。 日本でも、1989年にアナログレコードの生産から撤退したソニーが2017年に再参入するなど(生産はソニーグループのプレス部門である[[ソニーDADCジャパン]](現:[[ソニー・ミュージックソリューションズ]])が担当、2010年代に入ってもはやインディーズのレベルではなく大手が参入する商業的なレベルまで市場が拡大している。2021年9月には、[[タワーレコード]]がアナログレコードの専門店を新規に出店している<ref name=":1" />。 [[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]は、2018年3月21日、29年ぶりに自社生産したレコードを販売すると発表した<ref>[https://www.sankei.com/article/20180317-BWW4X46CW5K3TAQIHSTGR5HYAA/ アナログレコード人気再燃 ソニーが29年ぶり自社生産 2タイトルを21日発売] 産経新聞 2018年3月17日</ref>。2017年の日本国内におけるアナログレコードの生産枚数は106万枚、販売金額は19億円となり、2001年以来16年ぶりとなる100万枚超えを果たした<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1103002.html アナログレコード国内生産が16年ぶり100万枚越え。音楽ソフト全体は微減] - CNN</ref>。2020年には、生産額が2010年との比較で12倍となる21億1700万円となった<ref name=":1" />。国内での生産力が限られている中で需要が増大したことで、生産が追いつかない状況となっている<ref name=":1" />。 アメリカでは1986年以来、CDの売り上げがレコードを上回る状態が続いていたが、2020年上半期のアメリカにおけるレコードの売り上げが2億3210万ドル(約246億円)だったのに対し、CDの売り上げは1億2990万ドル(約137億円)となり、30年以上ぶりにレコードの売り上げがCDを上回った<ref>[https://www.cnn.co.jp/business/35159541.html レコードの売り上げ、CDを抜く1980年代以降で初めて] - AV Watch</ref>。なお同時期のストリーミングの売り上げは48億ドル(約5094億円)であった。 保存状態の良い中古レコードの取引も活発であり、特に日本で保管されていたものは全体的に質が高いことから、中古買い取りに参入する企業も現れている<ref name=":1" />。 <!-- ######################### 最低でも出典を追記してから再度掲載して下さい ==== “レコードの優位性”説 ==== {{出典の明記|section=1|date=2016年9月30日 (金) 01:10 (UTC)}} 2018年にReBeat社(オーストリア)が有意な信号を100kHzまで収録出来る"HD Vynil"規格を発表。レーザーで彫像・成形したセラミック製スタンパーを用い、20kHz以上の信号をピックアップ可能となる。 条件は極めて限られ、音溝に対し同一形状の針先を用いた場合にみ可能となる。 21世紀に入ってから、アナログレコードは原理的にはコンパクトディスクで欠落する20[[キロヘルツ|kHz]]以上の[[周波数]]帯域を損なわない特徴があるとされ再注目されて来た。 しかし実際に「レコードは高周波が記録されている・再生できる」かどうかには疑問がある。再生用のカートリッジは30kHz以上も再生可能と謳っている製品も珍しくないが、再生に使われる[[レコードプレイヤー#関連機器|RIAAイコライザー]]は20kHzを20Hzの超低音域に比べ約40[[デシベル|dB]]低減するため、カッティング時に逆の特性で持ち上げてあるとはいえ再生音の高周波成分は少なく、理論的な特性はCDと大きく違わないはずであるが、現実には聴覚上の音質はかなり異なる。 CDと比べても音が良いとされ高値で取り引きされる1950年代後半から1960年代のジャズのLPレコードオリジナル盤(当時プレスされたアメリカ盤)のほとんどはそもそも20kHz以上の音は技術的に録音出来なかった。 シンセサイザーなどの人工音なら20kHz以上の音声も発生可能だが、マイクロフォンで収音可能な周波数は、20kHz以上=100kHzまでの収録が可能になったのは、やはり21世紀に入ってからの事である。 レコード再生では[[高調波]]=歪みがデジタルに比べて非常に多く、微弱な電流を増幅するために増幅率の大きいアンプを使用するので、真空管、トランジスタ、FET、ICといった増幅素子から発生する[[雑音]]や機械的振動による雑音の影響も大きくなる。20kHz程度、好条件でも24kHz程度より高い周波数が原理的に含まれないデジタル録音のレコード盤と同音源によるCDとの周波数分布を比べてみると、レコードの再生音には再生系統で発生する歪みやアンプノイズが多く含まれていることが判明する。実は「レコードの高周波成分」は原音に入っているものではなく再生時に付け加えられたもの、とみなすこともできる(cf. [[サンプリング周波数]])。 --> == レコードの生産 == {{Main|en:Production of phonograph records}} レコードは原材料の[[ポリ塩化ビニル|ビニライト]]板を音溝が刻まれた金型(スタンパ)の間に入れ、熱と圧力を加えてプレスすることで作られる。プレス装置と型さえ数をそろえれば量産が容易である。このプレス型はスタンパと呼ばれ、オリジナルの原版(原盤)から以下の工程を経て複製されたものである<ref>[https://www.universal-music.co.jp/international/100purelp/ 100% Pure LP] ユニバーサルミュージックジャパン</ref>。 # 音を、[[アルミニウム]]板に[[ラッカー]]コーティングした「[[アセテート盤#マスターディスク|ラッカー盤]]([[ダブ・プレート]]とも)」にダイヤモンド針やサファイア針のカッティングマシンで刻み付け、原盤「ラッカー」(lacquer)を作る。 # 「ラッカー」そのままでは耐久性に乏しいので、表面に[[銀鏡反応]]で銀[[めっき]]を施し、その上に更に[[電解ニッケルめっき]]を、厚く施した上で剥離する。こうして出来た凸型のニッケル盤が「メタルマスタ」(metal master)で、これが保存用のマスターディスクになる。 # 「メタルマスタ」に厚い銅メッキを施し、剥がすと凹型の「マザー」(mother)ができる。これは生産用のマスターディスクになる。 # 「マザー」にニッケルや[[クロム]]で厚いメッキを施し剥がし、凸型の「スタンパ」(stamper)を作る。 # 「スタンパ」を用いて上記のプレスを行うことでレコード(凹型の溝)が完成する。スタンパは消耗品で、使い潰したら「マザー」からまた新しいスタンパを作る。ここで4.の工程が行なわれる。 # プレスしたそのままではビニライトがはみ出しており円形ではないので周囲を裁断、整形する。 このメタルマスタ作成が音質の要になるという事で、レコード全盛期にはさまざまな試みが行われた。ライブ演奏をそのままダブプレートに刻んで出来たラッカーから直接プレスする「[[ダイレクトカッティング]]」(ラッカーの溝はすぐに潰れるので出来るレコードは完全な限定版になる)、高音域をイコライザーで強調して周波数特性を伸ばした盤、通常より重たいディスクを使用した盤、33 1/3の半分のスピードでカッティングした盤がある(ハーフスピードカッティング)。 [[テルデック]]社が1982年に開発したダイレクト・メタル・マスタリング(Direct Metal Mastering, DMM)もそうした音質向上技術のひとつ。超音波を当てながらカッティングを施した銅円盤をそのままマザーとして用いる方式で、ノイズ低減や収録時間10%増加などのメリットがある。ただし収録内容によってはダイナミックレンジが狭くなる物もあった。このDMMはCDの急速な普及に押され、登場から数年のみ使用されたが、2000年代以降は海外製復刻盤や新譜でも若干使用される例がある。 2012年末、[[ユニバーサルミュージック]]が、染料を全く含まない透明なヴァージンビニライトを使用し、また「マザー」・「スタンパ」の2工程で起き得る“劣化”を可能な限り消すためこれを省いて「メタルマスタ」から直接プレスを行なう「100% PureLP」を新しく発売開始した<ref>[https://www.universal-music.co.jp/press-releases/2012-10-02/ 超高音質LP 「100% PureLP」 12月発売!] ユニバーサルミュージック公式リリース 2012年10月2日</ref>。 == レコードの諸形態 == === レコード盤の形状 === 直径や回転数をもとに[[SPレコード|SP盤]](standard play, 78rpm)、LP盤(long play, 33rpm)、7インチシングル盤(45rpm)、[[コンパクト盤|EP]](extended play, 45rpm)、12インチシングル盤などを区別する。 ==== SP盤 ==== [[ファイル:Portable 78rpm record player.jpg|thumb|100px|SPレコード盤とポータブル蓄音機]] * 回転数 : 78[[rpm (単位)|rpm]](SP初期は盤により回転数にバラつきがあった。蓄音機が手回し式なので、特に問題が無かった) * 直径 : 30cm(12インチ)または25cm(10インチ)/両面(初期は片面) * 記録時間が30cm盤で片面4分30秒程度と短い。当初は集音ラッパに吹き込む[[アコースティック録音]]であったが、1920年代より主流は[[マイクロフォン]]と[[アンプ (音響機器)|アンプ]]などを介した[[電気録音]]へと移って行った。 * ラジオ放送用マスターなど一部の用途では16インチ盤も使われた。 * モノラル記録(市販レコードでは実用的なステレオ録音の実現には至っていない) * 材質のシェラック混合物([[カーボンブラック|カーボン]]や[[酸化アルミニウム]]、[[硫酸バリウム]]などの粉末を[[シェラック]]([[カイガラムシ]]の分泌する天然樹脂)で固めた混合物)<ref name=":0" />は本来、塩化ビニール製のLPやEPよりかなり脆く、また経年変化によりさらに強度が損なわれるため、よく「落とすと割れる」と表現される。1950 - 1960年代には塩化ビニール製のSP盤も製造された(初期のLPレコードには「割れない」を強調するため「Unbreakable」と表示があった)。 * 適切に再生するには専用プレーヤー(蓄音機やレーザ方式のプレーヤーなど)が必要である。ターンテーブルが78回転対応になっているプレーヤーでも、ピックアップの針(カートリッジ)を専用品に交換していなければ正しく再生できない物もある。 {{-}} ==== LP盤 ==== [[ファイル:Vinyl record LP 10inch.JPG|thumb|150px|LPレコード盤(25cm)]] * 回転数 : 33 1/3rpm * 直径 : 30cm(12インチ)・25cm(10インチ)/両面 * 長時間記録できるので、クラシック曲の収録やアルバムとして使用された。 * モノラルまたは45-45ステレオ記録(一部は4チャンネル記録) * 1分に33 1/3回転(=3分で100回転)という速度は、無声映画のフィルム1巻15分の間に500回まわるというところに由来する。 * SP盤が主流の[[1925年]]に、LP盤の原型ともいえる長時間レコード(回転数はLPとほぼ同じで、片面約20分再生可能)を開発した、[[イギリス]]のウオルドというメーカーが日本に参入した。従来の蓄音機にコントローラーを取り付けることにより再生が可能だった。SPの価格から割り出すと通常のSPよりも安価で音質も良い、というのが売りだったようである。しかし技術上の問題などからウオルド自体が早々と撤退したこと、競合メーカーが10分程度の盤しか作れなかったなど、わずか3年 - 4年で製造が打ち切られ、普及には至らなかった。しかしその後、新しい盤質(塩化ビニール)などの技術開発が進み、1947年に[[コロムビア・レコード|米コロムビア・レコード]]が世界初のLPレコードの量産、商品化に成功し、翌年には世界初のそれを発売。米英を始め、各国の他のレコード会社もこれに続き普及が進み、遂には世界のアナログ盤の標準媒体の1つとなり、現在に至る。 {{-}} ==== 7インチシングル盤 ==== [[ファイル:Vinyl records single.JPG|thumb|150px|シングルレコード盤(センター付)]] '''この盤には正式な名称が特に付けられていないため、このページでは便宜上「シングル盤」と表記する。''' * 回転数 : 45rpm * 直径 : 17cm(7インチ) * 中心の穴の多く(アメリカ盤はほとんど)が大きく、[[ドーナツ (菓子)|ドーナツ]]の代表的な形であるリングドーナツと類似されるため、ドーナツ盤(Large center hole)とも呼ばれるが、これは [[ジュークボックス]]のオートチェンジャー機能対応のためで、通常のプレイヤーでの再生にはアダプター([[:en:45 rpm adapter|45 rpm adapter]])を使用する。 中心に折り取ることができるLPと同じ大きさの穴がついたもの(センター、日本盤や1960年代までのイギリス盤に多い。画像参照)や、盤に取り付ける薄いアダプター(insert、アメリカ、家庭用オートチェンジャーで使用可)もあった。 穴がLPと変わらないもの(1970年代以降のイギリス盤に多い)もある。ドーナツとあるが、前述の通りリングドーナツと形状が似ているというのみで、それ以外の関連性はない。 <!--- * もともとはSPの代替メディアとして登場し、当初は両面で3曲 - 4曲収録し複数枚をバインダーでとじたアルバムとして流通したが、一面あたりの記録時間が短いなどのデメリットから主にシングル盤(両面2曲)として使用されることとなった。[[要出典]]----> * モノラルまたは45-45ステレオ記録。アメリカでのシングル盤のステレオ化は日本やイギリスより遅れ、1970年くらいからである。 * 一部レーベルでこのタイプのみ、JIS規格の圧縮成型による製造の他、射出成型で製造されている場合もあった(1970年代に生産された日本コロムビアのシングル盤で、穴の周囲が3ミリほどビニールが露出しているタイプがその例であり、同社では一時期、邦盤シングルにてこのタイプと圧縮成型の製品が同じ品番であっても混在して販売されていたが、1980年4月新譜発売分以降は通常のJIS規格の圧縮成型のものに統一された)。 *アメリカではかつて[[ポリスチレン]](安価だが耐久性や音質が劣る。オイルに溶け易い)で一部のシングル盤を作っていた。 * 本来、EPとは下記の盤を指す<ref>A Short History of Twentieth-Century Technology</ref>が、日本ではこの盤と下記の盤を区別なくEPと呼ぶことも多いが明らかな間違いである。 {{-}} ==== EP盤 ==== * 回転数 : 45rpm * 直径 : 17cm(7インチ) * 45回転シングル盤と同じ大きさ、同じ回転数であるが、片面に2 - 3曲程度ずつ収録したものをこう呼ぶ。穴の大きさは大小両方が存在する(アメリカは大、日本では小がほとんど)。アメリカでは(45回転専用プレーヤー向けで)ほぼ1959年まで 。[[流行歌]]や映画の[[サウンドトラック|サントラ]]盤、新曲+発表済みの楽曲を収録されたものが多く、曲数の割りに比較的安価だったことから、LPを購入する予算がない、または目的の曲+αが聴ければ満足とする学生などの若年層にアメリカ以外で1960 - 1970年代初頭にかけ好評だった。イギリスではザ・ビートルズの『[[マジカル・ミステリー・ツアー (代表的なトピック)|マジカル・ミステリー・ツアー]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->』が2枚組EP(片面1-2曲)として、ミニアルバム的に綴じられた形態で発売された。イギリスではシングルと同じようにセンター(シングル盤の項参照)が設けられることが多かった。日本では誤って45回転シングルをEPと呼称することがあるので、厳密に区別して4曲入りEPとも呼ばれるが、EP盤は4曲とは限らない。あくまでシングルよりも収録曲数が増えた形式である<ref>オーディオ50年史 4章1節</ref>。概して音が小さく音質はあまり良くない。また、33回転のコンパクト盤は別種とされる。 ==== コンパクト盤 ==== [[ファイル:Compact-vinyl.JPG|thumb|150px|コンパクト盤]] * 回転数 : 33 1/3rpm * 直径 : 17cm(7インチ) * EP盤と同じ大きさで回転数を33 1/3に落として収録時間を長くしたものを日本では[[コンパクト盤]]・コンパクトLP・ミニLPと呼ぶ。穴の大きさはLPと同じ。邦楽、洋楽ともに[[流行歌]]や映画の[[サウンドトラック|サントラ]]盤が一般的で曲数が多く安価だったことから、LPを購入する予算がない、または代表曲+αが聴ければ満足とする学生などの若年層に[[1960年代|1960]] - [[1970年代]]初頭にかけて好評だった。ただし[[音質]]は通常のLPでの内周部にあたるために劣る。 {{-}} ==== 12インチシングル盤 ==== * 回転数 : 33 1/3rpm・45rpm * 直径 : 30cm(12インチ) * 大きさはLPと同じサイズながら、シングル盤やEP盤のように片面に一曲または数曲を収録したもの。外周部分にのみ音溝が刻まれていることから内周での音質劣化が避けられること、盤面のカッティングを少ない曲数分で行えるため音溝の間隔を広く(音量のレベルを高く)できることから、LPやシングル盤より音質が優れている。収録曲の再生時間が長い場合にも使われた。 * 通常、レコード店などで「12インチ」と言うとLP盤ではなく、このシングルのことを指す。呼称が定着するまでは一部で「ジャンボシングル」「ジャイアントシングル」などと呼ばれていたこともあった。 * DJがクラブなどでプレイするために販売・使用されるレコードのほとんど全てがこの形式である。DJが曲同士のミックスなどで使用しやすいように、収録曲の一曲が短くても6分程度、長いものでは9分程度の長さがあり、コンパクト盤では収録が難しいためである。またこうしたシングル盤では回転数は33回転と45回転の両方がある。 * 主にダンスミュージックにおいて、1980年代以降にリミックスが一般的になってきたことから、片面に3曲ほどのリミックスを収録するケースも見られるようになった。この結果、収録時間が片面で20 - 30分に及ぶ12インチシングルも登場するようになり、LP同様の音量であったり、内周の収録曲での音質劣化が見られるなど、音質の面では、必ずしもLPに勝るとは言えない盤も出てきている。 *レコード全盛の日本で、12インチでも回転数が7インチ盤と同様45rpmの物が多く、ラジオで12インチシングル収録曲を掛ける際、レコードがLPと同じサイズであるため33 1/3rpmと思い込んで、誤ってプレーヤーを33 1/3rpmの設定で掛けてしまうことが多かった。 === 溝の形状 === 記録されるトラック数と様式をもとにモノラル盤、バイノーラル盤、45-45方式ステレオ盤、VL方式ステレオ盤、[[4チャンネルステレオ]]盤(別名、クワドラフォニック盤)、などを区別する。 ==== モノラル盤 ==== [[モノラル]]方式の盤。音響の記録方式としては、音の大小を盤と水平方向の振動として記録する水平振幅記録、または垂直方向の振動として記録する垂直振幅記録がある。 ==== バイノーラル盤 ==== モノラルLPレコードの外周・内周に半分ずつ左右別々のチャンネルの音溝を刻み、2本の枝分かれしたピックアップで再生することによりステレオ効果を得られるというもの。しかし、再生時間が短い、レコード特有の内周歪みによって左右で音質が変化しやすい、針の置き位置を定めにくいなどのデメリットも多く、下記のステレオ盤が普及する前に廃れた。[[1952年]]、米クック社が開発。 ==== 45-45方式ステレオ盤 ==== 90度で交わるV型の溝のそれぞれの壁面に左右のチャンネルの振動を記録する直交振幅記録。原理は [[1931年]]、英[[EMI|コロムビア]]社の技術者アラン・ブラムレイン(Alan Dower Blumlein, 1903 - 1942)が開発。 左右信号の和が水平振動になる点において、一般的なモノラル盤との親和性を確保したため、ステレオ盤の主力となった。45-45方式は1950年代半ばに米ウエスタン・エレクトリック(ウエストレック)社が規格化・実用化したものであるが、原理の考案から実用化までに時間がかかったのは、1930年代当時のレコードの主流材料だったシェラックでは高音質再生が不可能なことが大きな原因の1つだったという(このためブラムレインによるステレオ録音の試験では、トラック分割が容易な映画用サウンドトラックでの試行が先行していた)。 ちなみに、世界初の市販のステレオ盤は、[[1958年]]1月に米オーディオ・フィディリティー社から、日本初のそれは同年[[8月1日]]に[[日本ビクター]]から発売されている(詳細については、「[[日本ビクター#略歴]]」の項目を参照のこと)。 ==== V-L方式ステレオ盤 ==== 左右の信号を垂直(vertical)と水平(level)の振動として記録する直交振幅記録。これも[[1931年]]、英[[EMI|コロムビア]]社の技術者ブラムレインが前記の45-45方式とほぼ同時に開発した。 45-45方式と比べモノラルの主流を占める水平記録方式との互換性で劣ったのと、[[1957年]]末 - [[1958年]]始めに米欧の各国で45-45方式がステレオレコードの標準規格に決定した為によるそれとの並存によるユーザーの不利益を避けるため、短期間で作られなくなった。[[1956年]]、英[[デッカ・レコード|デッカ]]社と[[西ドイツ]]の[[テルデック]]社により実用化試作機が作られ、その本格的な試作システムが米で翌年に公開されたという記録がある(詳細は「[[ffss]]」の項目を参照のこと)。 ==== 4チャンネルステレオ盤 ==== [[4チャンネルステレオ]]盤(別名、クワドラフォニック盤)には、互換性のない2方式が広く知られる。 ; CD-4盤 : [[日本ビクター]]の開発したディスクリート4チャンネル方式、原理的に機械的には45-45方式のステレオレコードと全く同じ溝に4つのチャンネルの信号を互いに完全に近い状態で分離させた記録再生が可能である。この方式では左右ごとの前後信号の和にあたる可聴帯域成分と、前後チャンネルの信号の差分を非常に高い搬送周波数(30kHz)でFM変調した信号、すなわち可聴帯域を超える成分、とを重畳して2チャンネルの溝に刻むため、通常のステレオレコードよりもはるかに細かい音溝の凹凸がある。再生に対応する機器がある場合には専用の(シバタ針など、通常のステレオ再生用よりもはるかに小さい曲率半径をもつ)4チャンネル針を用いる。プレイヤー内部、フォノイコライザー、デモジュレーターまでの配線は高い周波数に対応する必要がある。 CD-4盤は通常のモノラル、ステレオの再生装置でも再生出来ると販売されていたが、ソフトの破損や高い周波数によるノイズなどの問題がある。 ; SQマトリクス : [[ソニー]]の開発したマトリクス4チャンネル方式、電気的にエンコードされた信号は可聴帯域を超えることなく2チャンネルの溝に刻まれるため溝そのもの細かさは従来のステレオレコードと特に変わりはなく、取り扱いについては2チャンネル用の再生針や装置で再生しても損傷のリスクがないなど前述のCD-4盤よりも再生装置の機械部分、電子回路の必要性能が2チャンネル同等で安く済む反面、4つのチャンネル相互とりわけ前後間の分離についてはCD-4盤と比べて著しく不利である。 SQマトリクス盤は通常のモノラル、ステレオの再生装置でも問題無く再生出来る。また、デジタル化された音源であっても、SQマトリクス対応の再生機器に入力すれば4チャンネルで再生出来る。また、コンピュータのソフトウェアでも4チャンネル分離が可能である。 ==== HD Vinyl ==== 2018年にReBeat社(オーストリア)が有意な信号を100kHzまで収録出来る"HD Vynil"規格を発表。2019年夏以降、この規格を採用したレコードが販売される予定である。レーザーで彫像・成形したセラミック製スタンパーを用い、20kHz以上の信号をピックアップ可能となる。条件は極めて限られ、音溝に対し同一形状の針先を用いた場合にのみ可能となる<ref>{{Cite news |title=100kHzまで対応のレコード「HD Vinyl」'19年発売へ。開発社CEOに聞くその可能性 |newspaper=PHILE WEB |url=https://www.phileweb.com/news/audio/201804/17/19668.html |accessdate=2018-04-17}}</ref>。 === A面/B面 === {{Main|A面/B面}} レコードの両面は、A面/B面と呼ばれる。シングル盤ではそれぞれ1曲が収められる。アルバム盤でも、A面とB面で傾向を変えることがある。 === 録音盤 === {{Main|アセテート盤}} 録音用媒体として流通した溝の切られていないレコード。原料によって「セルロース盤」「アルマイト盤」などとも。上記各種レコードの規格に準拠した、柔らかい樹脂等をコーティングした金属板。のちの音楽業界などで「[[ダブ・プレート]]」と呼ばれるものとほぼ同様のものである。1930年代から1950年代にかけて最も多く流通し、業務、または私的な録音のために用いられた。音楽業界・民生向けのほか、[[ラジオ放送局]]で番組[[収録]]の媒体として広く用いられた。 === ソノシート === [[ファイル:Sonosheet.jpg|thumb|100px|ソノシート]] [[ソノシート]]は[[朝日ソノラマ]]の登録商標で、フォノシート、シートレコードなどが正式名称である(英語では [[:en:flexi disc|flexi disc]])。薄く曲げられるビニール材質のレコード。一般的には17cm盤が多く、音質は良くないが製造コストが安いため、通常盤が高価だった1960年代頃に重宝され、朝日ソノラマ本体のソノシートページ上に置く自走式による専用のプレイヤーも発売された。 1970年代以降は、単独で販売するより[[雑誌]]の付録として綴じ込んで販売されることが多かった。海外では音楽雑誌などに有名アーティストの限定録音が付録し、後に高価で取り引きされることもあった。コンピュータープログラムを記録したものもあった。 薄いために折り目が付きやすく、盤面が歪んで針飛びの原因になりやすかった。B面の無いものも多かった。 発明は、フランスの[[アシェット・フィリパッキ・メディア|アシェット]]社による<!-- フランスの出版業でアシェットはアシェット・フィリパッキだが、ソノシートの発明は未確認 -->ものだが、商業ベースにのせるため、日本で朝日新聞と凸版印刷がタイアップさせ、音の出る雑誌というかたちで出たものが最初である。 製作は、輪転印刷機で多量にシート状の塩化ビニールを溶かしたモール状のものを紙のようにロールにされたものに、印刷とスタンパーを兼ね備えたものでプレスされていく<ref>[[菅野沖彦]]「私のアナログ感覚」季刊analog、17号・18号</ref>。カラーのもの、真四角に切られたものも多い。 === 外観上のバリエーション === * '''ピクチャー・ディスク''' ** 三層の真ん中(表面層は無色透明で音溝を刻む)に[[アーティスト]]などの画像を印刷したプレミアム品。採用例は少なく、[[山下達郎]]『[[クリスマス・イブ (山下達郎の曲)|クリスマス・イブ]]』の初期プレス盤や、[[田原俊彦]]の『[[騎士道 (田原俊彦の曲)|騎士道]]』が代表的な事例。[[1978年]]頃に起こった第三次[[怪獣]]ブームの頃に大量発売された[[ウルトラシリーズ]]における主題歌集の一つである「決定版![[ウルトラマン]]のすべて」([[キングレコード]])や、『[[仮面ライダー (スカイライダー)|仮面ライダー]]』の主題歌「燃えろ! 仮面ライダー」(シングル盤)のような子供向け盤([[物品税]]が非課税の[[童謡]]扱い)でも採用された。製造上での制約により使用される材質の重量も通常レコードよりもかなり重く、必然的に重量盤に分類される。そのため保存状態に応じては通常のレコードよりも反りを生じる可能性が高く、静電気を利用した[[レコードクリーナー]]装置で掃除を試みても盤面の重さで回転台が途中で止まってしまう欠点がある。また通常の黒色などに着色されたレコードより[[S/N比]]で劣っている。レーザープレーヤーで再生出来ない。 * '''カラー・ディスク''' ** 通常版としては RCAレコードが1949年に発売を開始した初の45回転シングルシリーズがジャンル別に色分けされていた(その後コストの都合で黒に統一)。他には [[1960年代]]の英コロムビア([[HMV]]/現 : [[EMI]])、日本では[[EMIミュージック・ジャパン|東芝音楽工業]](現 : [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサル ミュージックLLC]])の半透明な赤いレコード(通称・赤盤)などが有名。東芝はエバークリーンレコードと呼び、帯電しにくい素材で、一般レコードと素材を区別するため赤盤とした。 ** カラー盤は初回限定版として売られるものが多い。 透明なものは裏面が透けるので曲の頭が分かりにくい。カーボンが入っていないためか音がビニール臭く感じる事もある。レーザープレーヤーで再生出来ない。多色のもの( 印刷ではなく素材に着色、中心から拡がった模様になる)もある。よくあるカラーのソノシートはこう呼ばない。 * '''変型ディスク''' ** 1982年日本公開の映画『[[ラ・ブーム]]』主題歌「愛のファンタジー」など、ハート型の意匠を持ったレコードも発売された。なお、同じような形のものが[[2002年]]に[[桑田佳祐]]の「[[白い恋人達]]」のアナログ盤でも採用されている。 ** 海外盤には多種存在する。多くはシングル。真四角なソノシートは多く、特に変型とは言わない。 * '''ボイスカードなど''' ** 1970年代に、有名[[アイドル]]の[[音声]]を記録した8cm程度のソノシートを題材とした[[芸能人|タレント]]での[[ブロマイド]][[写真]]の裏側部分に貼り付け、「声の出るウィスパー・カード」の商品名として展開されていた。[[ラジオ放送局]]の[[文化放送]]制作で、同名局の[[スタジオ]]で3分程の録音時間で収録された。通常のブロマイドより高いが、[[原盤権]]の関係で楽曲が収録されていない分、シングルレコードとの中間程度の価格設定だった。 * '''その他''' ** マザー盤表面に音溝に影響のない浅さでレーザーで絵を描き、プレスされたレコード。 ** {{仮リンク|マルチグルーブ・カッティング・レコード|en|Unusual types of gramophone records#Parallel grooves}} - 片面に2本以上の溝を記録し、再生する内容をランダムに行う。 == 記録特性 == (録音特性などについては、[[レコードプレーヤー#フォノイコライザー]]も参照) 音質の向上や盤面の有効利用(長い演奏時間の収録)を目的として、レコードの溝の[[振幅]]は(音の大きさが同じならば)周波数による変化があまりなくなるように録音されている<ref group="注">「音楽では低音が大音量のため高音が雑音に埋もれないよう高いほうを強めている」といった説明がなされることもあるが、一般に低音楽器が大振幅であるのは事実としても、本質的な理由ではない。</ref>。[[カートリッジ]]として一般的な電磁型<ref group="注">針先の位置変化で[[コイル]]を貫く[[磁界]]を変化させ、[[ファラデーの電磁誘導の法則]]により出力を得る方式。この法則では[[起電力]](電圧)は磁界の変化の割合に比例するので、針先が早く動くほど出力電圧は大きい。</ref>の出力電圧は針先の動く速さに比例するので、このまま増幅すると高音の勝った音になってしまう<ref group="注">高い音では振動するものが低い音より速く動いている。レコード溝の振幅が同一であっても、針先の振動は音が高いほど激しい。つまり針先の[[速度]]は音が高くなるほど大きくなる。</ref>。そこで、録音時の[[周波数特性]](多くはRIAA型)とは逆の特性をもった[[レコードプレーヤー#フォノイコライザー|フォノイコライザ]]を通し、平坦な特性に戻す。 イコライザはアンプやミキサに内蔵されるのが通常だが、廉価な機器に使われた圧電型<ref group="注">物質に加えられた力を電圧に変換する[[圧電効果]]を利用している。得られる電圧は力の大きさに依存し、その周波数つまり変化の速さとは基本的に無関係である。</ref>のカートリッジでは、出力は針先の[[変位]]つまり移動距離にほぼ比例するので、特別な回路を組むことなく、高音と低音のバランスが取れた音が得られた<ref group="注">変換に使用する物質([[圧電素子]])に加わる力は、針先の変位にほぼ比例する構造となっている。ゆえに出力電圧は溝の振幅の変位に比例し、録音された音の大きさが同じなら、周波数とは殆んど無関係である。なお素子の[[インピーダンス]]が容量性で、[[内部抵抗]]は周波数と共に小さくなることも与っている。</ref>。 前述の通り記録・再生の特性が超高周波を含むか否かには疑問があるが、さらにカッティングの信号系統には(ON/OFF可能な)イコライザー、[[リミッター (音響機器)|リミッター]]が含まれており、同じ音源のレコードとCDにさらなる音質の差を生じさせる原因となる。特に古い時代の音源がCD化(デジタルリマスタリング)される際、マスターの録音状態や劣化といった理由で[[ノイズリダクション]]などが施され、ここでも当時のレコードとの音質の差が生じている場合もある。 アナログレコードはプチプチと言う雑音などに味があると言われているが、記録特性の問題ではなく静電気や埃の処理などが原因である。そのため、適切に再生されればその様な音は混入しない。 == 他の類似媒体との比較 == ; 物理的凹凸、磁気、光学 : [[カセットテープ|カセット]]、[[オープンリール]]などのオーディオテープが[[磁気媒体]]であるのに対し、レコードの基本設計(前提)は物理的な凹凸を利用した媒体である(レーザを利用して凹凸をピックアップする[[レーザーターンテーブル]]もある)。また、[[コンパクトディスク]](CD)は光学的な記録媒体である。 <!-- [[コンパクトディスク]](CD)は蒸着によって形成されたアルミニウムの反射層を、プラスチックの一種である[[ポリカーボネート]]で作られた板で挟んだものである。ピットの有無によりデジタル信号を表現する(CDには音楽用以外の用途もある)。反射層のくぼんだ部分をピットといい、くぼみでない部分をランドという。ピットはランドより1/4波長くぼんでいる。ランドに当ったレーザー光は反射して戻ってくるが、ピットがある部分に当ったレーザ光は、ピットからの反射波とランドからの反射波とが1/2波長の位相差があるため打ち消しあい暗くなる。この明暗によりデジタル信号を読み取る。製造にはレコードと同様、スタンパを使用するプレス工程が用いられる。→CDの話。レコードの話でないのでコメントアウト--> ; 製造 : テープ状の記録媒体はプレスによる製造ができないが、レコードはCDと同様プレスによる大量生産が可能である。 ; ピックアップ : レコードは針と盤との接触、それによって生み出される振動を利用した再生システムであるのに対し、CDなどは[[レーザー]]光の反射を利用した非接触の再生システムになっている。 ; 音量による歪み : 音の質を左右する要素はCDなどのデジタル再生では小さい音量ほど歪みが増えるのに対し、テープやレコードでは音量が大きいほど歪みが増える点。これも同じマスターテープでCDとレコードを生産しても同じ音にならない原因である。ステレオ再生では[[クロストーク]]の発生が避けられない問題もある。左右幅が縮まることでやはり音の鋭さや奥行きの再現が不鮮明になりやすい上、各[[カートリッジ]]ごとにクロストークに違いがある。 ; 外周と内周の歪みの差 : レコードはテープやCDと異なり盤の外周に対し内周で歪みが増えるという特有の欠点がある。正しく調整されたリニアトラッキング・プレイヤーを用いれば問題は無いが、ピックアップ部が弧を描いて動作する通常のトーンアームではインサイドフォースやオーバーハングずれの影響を解消する事は容易ではない。 ; 外周と内周の帯域差 : レコードは角速度(回転数)が一定であり、内側に行くほど線速度が遅くなっていく。そのため、内側に録音された音ほど高周波特性が悪く(帯域が狭く)なっていくという特徴がある。この問題はレコードの回転数を上げることである程度は回避は可能であるが、諸々の条件から必然的に限界が存在する。 == その他 == {{複数の問題|section=1|雑多な内容の箇条書き=2020年11月|出典の明記=2020年11月|独自研究=2020年11月}} * 音楽が販売される媒体として、レコードは長い間、非常にポピュラーだった。このため、レコードがCDにとって代わられた現在でも、音楽を録音したものを制作・販売する会社は「[[レコード会社]]」と呼ばれる(世界的に見ても "〜Records" 表記のレコード会社が多い)。CDなどを販売する小売店が「レコード店」と呼ばれることも多い。[[著作権法]]でも「レコード」は第2条第5号にて「蓄音機用音盤、録音テープその他の物に音を固定したもの(音をもっぱら影像とともに再生することを目的とするものを除く。)をいう」と定義されており、ミュージックテープやCD、電子的な配信音源も同法では「レコード」である。 * フランス人はレコードの発明者を自国のシャルル・クロであるとしており、彼の名を記念したACCディスク大賞がある(ACC : Academy de Charles Cros)。 * 元々多くのレコード盤には[[帯電防止剤]]が添加されているが、かつては盤の材料に帯電防止剤を大量に添加する東芝音楽工業(現 : [[ユニバーサル ミュージック合同会社]])のようなメーカーも存在していた。日本ビクターでは「スーパーレコード」、東芝では「エバー・クリーン・レコード」と称し、東芝では区別のため赤い半透明の盤(赤盤)にしていた。しかし経年劣化によりこの添加物が化学変化を起こすためか、久しぶりに聴いたら音が歪んでいたという指摘もなされている。概して日本盤は添加剤のせいでノイズや静電気は少ないが、盤も音も柔らかく寿命が短いとされる。 * 可変ピッチ記録のLPレコードは溝の疎密から音の大小が推定できるため、慣れると長い曲の聴きたいところを簡単に頭出しすることもできた。 * 実用性には乏しいが、一枚のレコードの片面に複数の音溝をきざむこともでき、再生してみるまで、そのどれをトレースするかわからない、という趣向のレコードを作れた(実際に、そのランダムさを利用した競馬ゲーム(「スーパーレコードゲーム競馬」「スーパーレコードゲーム実名競馬」)や占い(「[[ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ|ルネ・ヴァン・ダール]]の星占い/愛の予感」)のレコードが作られた)。また、[[1994年]]に[[テクノポップ|テクノ]]DJの[[ジェフ・ミルズ]]が、盤面にループしている8本の音溝が刻まれており、再生すると4小節のリズムトラック8種類が無限に繰り返されるというクラブDJ向けの12インチシングルを発表している。 * レコード盤の溝は一般には音質の良い外側から刻まれるのに対し、反対の内側から録音再生していく方式を採っていた用途もあり、円盤式トーキーのためのレコードや、テープレコーダの普及以前に放送局などで広く用いられた円盤録音機に多く見られる。なお、通常のレコード盤の変わり種としても、実際にジョークのレコードとして販売された例がある。TACETが2012年に発売したLP「oreloB」は、[[モーリス・ラヴェル]]の[[ボレロ (ラヴェル)|ボレロ]]を内側から再生するように収録されるなど、より良好な音質を得るためにこのような音溝が彫られることがある。逆に、後のコンパクトディスクにおいては、ディスクの内側から再生する方式が標準とされることになる。 * 食べられる材質で製造された「食べられるレコード」も存在する。 ** [[1924年]]に[[神戸]]で[[煎餅]]レコードが販売されていた。[[タイヘイレコード]]設立者の[[森垣二郎]]が作ったものとされ、[[童謡]]が収録されていた。これを見た[[落語家]]の[[桂春団治 (初代)|初代桂春団治]]が[[1925年]]に、今度は大阪市の住吉区にあった「ニットーレコード(日東蓄音機)」の協力のもと、やはり煎餅レコードを作った。湿気ない様に缶にパッケージされていた。春団治のレコードの価格は8枚入りの1缶が1円50銭、10枚入りの1缶が1円95銭だった<ref>[http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/kancho/2010_06.html その15「食べるレコード」]、金沢蓄音器館、2010年6月。</ref><ref>[http://jocr.jp/blog/giants.php?itemid=22809 9月20日(木)おもしろ神戸ひょうご楽]、三上公也の“G”報アサイチ!、2012年9月20日。</ref>。[[1926年]]1月に[[天理教]]の大祭の人出の多さを当て込んで売り出されたが、値段の高さや、あいにくの雨で煎餅の多くが湿気ったことなどでほとんど売れず、春団治は大損した。落語やコントなどが収録され、「聴き飽きたら食べる」というコンセプトだった。 ** [[2012年]]には、[[ブレイクボット]]のアルバム『バイ・ユア・サイド(By Your Side)』の、本物の[[チョコレート]]で作られたレコードを限定120枚で発売した。同じ年、[[Rake (シンガーソングライター)|Rake]]の「[[フタリヒトツ]]」を収録したチョコレート製レコード「ChocoRake」が製造された<ref>[https://www.barks.jp/news/?id=1000077050 Rake、チョコで作ったレコード“ChocoRake”製作大成功]、BARKS音楽ニュース、2012年2月15日 12:19:49。</ref>。[[2013年]]にはクロアチアのロック歌手{{仮リンク|ズラタン・スティピシッチ・ジボーニ|en|Zlatan Stipišić Gibonni|preserve=1}}のシングル「20th Century Man」のチョコレート製レコードが限定で発売された。 * 玩具メーカーの[[バンダイ]]が、[[2004年]]に『8盤(エイトばん)』と称する直径8cm、厚さ約2mmの片面で約4分再生可能なレコード(33 1/3回転)と、1960-70年代各メーカーが市場に投入していたポータブル電蓄を模した小型の専用プレイヤーを開発して販売していた。交換針は汎用のT4Pのものが採用された。そのため普通のポータブル電蓄でもピッチコントロール付きだと自己責任ではあるが再生可能であった。当時、レトロ商品のヒットが相次いでおり、バンダイ自身も[[ガシャポン]][[フィギュア]]の「[[ぼくの小学校]]」シリーズをヒットさせていた事などから、新たな昭和ノスタルジー商品として企画された<ref>[http://www.bandai.co.jp/releases/J2003090101.html 「8盤レコード」シリーズを2004年2月中旬に発売]、バンダイ、2003年9月1日。</ref>。レコードは[[1950年代]] - 1980年代の[[アイドル歌謡曲]]・[[洋楽]]や子供番組の主題歌を、オリジナルのまま復刻・縮小したもので、[[おニャン子クラブ]](「おニャン子クラブ シングルメモリーズPart1」)・[[チェッカーズ]](「チェッカーズ ディスコグラフィー」)・『[[ひらけ!ポンキッキ]]』(「ひらけ!ポンキッキヒットパレード」)・[[1950年代]] - [[1960年代]]の洋楽[[ポピュラー音楽|ポップス]](「OLDIES THE BEST」)のシングル、[[朝日ソノラマ]]のソノシート(「朝日ソノラマセレクションPart1」)の復刻が発売された。<!--「おニャン子クラブ シングルメモリーズ」と「朝日ソノラマセレクション」は「Part1」と銘打っていたが、共にPart2以後が発売されることはなかった。-->しかし、片面盤のためカップリング曲は未収録で、しかもパッケージを開けるまで、何が入っているか全く分からない仕様で人気は出ず、<!--1980年代のアイドル歌謡曲ものの場合、中古やオークションで簡単にシングル盤が手に入ることから-->商業的には失敗に終わった。音質はソノシート並み、ステレオで記録されていたが、専用プレイヤーは結局モノラルの機種しか出なかった。イベントなどで展示してあったこの玩具を、レコードのかけ方を知らない若者が内周から針を落とす、という光景も見られたという<!--(溝とアームの関係は[[遠心力]]が関わるので言うまでもなく誤り)-->。 * [[東洋化成]]が2019年3月から展開している3インチレコードは、先述の8盤そのものである。改めて発売されたプレイヤーはCrosley製で[[オーディオテクニカ]]製のカートリッジが搭載されている。 * [[高田渡]]のシングル盤「大・ダイジェスト版三億円強奪事件の唄」は17cmのいわゆるドーナツ盤だが、スタジオ録音のA面は45rpm、ライブ録音のB面は33 1/3rpmと言う様にA面とB面で回転数が異なる。この様な変則7インチシングル盤が少なからずある。 * SPレコード盤は、太平洋戦争期を中心とした戦時期に、[[画鋲]]などの日用品を製造するための代用材料として利用されていたことが知られている<ref>[https://researchmap.jp/kimuragenti/published_papers/20419163 木村源知「戦時期における金属代用品の多様性と変遷―画鋲に着目した事例研究―」]『生活学論叢』Vol. 28, 1 - 15, 2016.3.31</ref><ref>[https://researchmap.jp/kimuragenti/published_papers/20419164 木村源知「戦時期における代用材料としてのレコード盤―画鋲の実物資料を用いた実証的研究―」]『道具学論集』Vol. 24, 14 - 26, 2019.3.31</ref>。 * CD時代の現在においてもレコードの雰囲気を出すためにレコード針がレコードの溝をトレースする際に出るノイズを意図的に挿入した楽曲が製作される。ただ、ブックレットには意図的にレコードノイズを入れた事を記してあらゆる誤解に対処している(ただし、前述のとおりこのようなノイズはレコードが適切に再生されれば一切入らない)。 == CD時代のレコード == 21世紀になってもレコードはわずかながら生産されている。日本では[[東洋化成]]、および[[ソニーDADCジャパン|ソニー・ミュージックソリューションズ静岡プロダクションセンター]]でレコードのプレスが行われ、いずれも新譜での限定生産、テスト・レコードの販売や過去の名盤の再生産も行っている。少ない枚数の製作をプレスやカッティングで行う業者もあり、ラッカーとビニールの素材選択に対応するなどバラエティがある。また高額ながらカッティング・マシンも[[ベスタクス]]からVRX-2000が発売され、個人がレコードを1枚からビニール/ラッカーを選んで作ることも可能である。またレコードからパソコンなどで[[ノイズリダクション]]処理を施しつつCD-Rに録音するサービスも行われ、その際の再生にレーザーターンテーブルを用いる場合もある。SP盤時代のものやマスターテープの所在が不明の音源を市販CD化する際も、上記と同様の処理が行われている。 <!-- == 取り扱い == {{出典の明記|date=2016年9月}} * レコードの大敵はホコリ・[[静電気]]・傷である。ホコリがあると物理的な振動を用いるレコードでは耳障りな「プチッ」という音をひろう。静電気は素材が塩ビであるため避けることはできず、静電気が発生することで埃を吸い付けることもあった。盤面の傷によっても雑音が発生し、複数の音溝にまたがるときには周期的な雑音が発生し、隣接する音溝へ「針飛び」が発生することもある。また、手の脂などにより、カビが生えることもある。このため、レコード再生の前には必ずホコリを取る「儀式」が必要だった。このためレコードのホコリ取りや、ホコリを防ぐため帯電防止・表面潤滑材などの周辺グッズが多数販売されていた。 * 現在ではクリーニングの技術も進歩し、かつてベルベットなどによっていたブラシやクロス(=布)にはホコリを出さない繊維も使われるようになり、大規模なレコードクリーニング装置も専用の洗浄液に浸して[[眼鏡]]のように超音波で汚れを落とすタイプや真空ノズルで汚れを吸い取るタイプがある。帯電防止スプレーも引き続き入手可能である。 * 一方で取り扱いがCDと異なる点の認識度は低い。水洗いが良いと聞いてレコードの洗浄に水道水を用いたり(不純物が多い可能性がある。この場合は[[純水]]を用いなければならない。ただしやはり保証の限りではない)、一部の評論家による「[[メラミン樹脂|メラミンスポンジ]]でレコードをクリーニングする」という記事を読んでLPレコードを擦って音溝を損傷したという実例もあるので注意が必要である。それでも洗わざるを得ない最大の理由はベルベットやスプレーでは取り切れず引き伸ばしてしまい再生時に針先に塊が付くほどの大量のカビでありこの場合台所洗剤なども用いて水洗するか超音波(業務用機器であるため非常に高価)で取り除くしか方法は無い。超音波洗浄機は万人が購入できる物とはいえないため水洗となるがその際レコードの曲名などの印刷面に関しても製造時期やレコード会社によっては塗料のみの印刷ならば問題ないが紙で印刷したものが多数でありその部分を強く擦ると剥がれるため十分に注意して洗浄、完全に乾燥させる必要がある。 * なおCDをメンテナンスする際は記録方向と垂直に放射状に拭くのに対し、レコードは溝の中を掃除するため円周方向に手入れをする。これはCDではセクターやトラック単位にデジタル機能のエラー訂正符号化によるエラー訂正が含まれているため、もしも円周にそって拭いて傷が入ると、CDの規格が想定しているエラー訂正の機能(エラーがランダムに入ると仮定)を越えたエラーを生じさせて訂正不能になってしまうためでもある。 * レコードは磁気的もしくは光学的な記録方式とは異なり、機械的な記録方式を用いているため、再生針や盤面の音溝の磨耗はどうしても避けられないという特性がある。そのため、再生針の管理には十分に注意する必要があり、ダイヤモンド再生針の場合で概ね200-1000時間程度の累積再生時間を過ぎると、針先の磨耗により音の細部などがぼやけたり、割れた感じに聞こえるようになり、雑音も多くなる。この状態を放置して運用すると音溝を損傷するので注意が必要である。また、針先の状態が健常であっても、概ね200-300回以上の再生回数を過ぎると、音溝の磨耗が大きくなり、高音部や音の細部などが徐々にぼやけた感じになり、雑音も増えてくるので、こうした劣化も配慮して利用する必要がある。 --> == レコード製作に携わる人々 == 基本的に、CDと同じである。 * '''音楽関係''' ** [[歌手]](ボーカリスト、[[シンガーソングライター]]) ** [[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]] ** [[スタジオ・ミュージシャン]] ** [[プロデューサー]](特に、[[音楽プロデューサー]]) ** ミュージカル・ディレクター、[[クリエイティブ・ディレクター]]、ミュージック・[[スーパーバイザー]]、ミュージック・アドバイザー * '''マネージメント関係''' ** プロデューサー(特に、[[エグゼクティブ・プロデューサー]]) ** [[ディレクター]] ** アーティストマネージメント担当(マネージャー)、アーティストコーディネーター、レコーディングマネージャー、レコーディングインストラクター、アーティストスーパーバイザー * '''技術関係([[レコーディング・エンジニア]]参照)''' ** レコーディングエンジニア ** ミキシングエンジニア(ミキサー、リミックスエンジニア、リミキサー) ** カッティングエンジニア([[マスタリング・エンジニア]]) * '''視覚関係(ビジュアル関係)''' ** ヘア・アーティスト、メイクアップ・アーティスト ** スタイリスト、コステュームアーティスト ** [[写真家]]、[[イラストレーター]]、[[デザイナー]](ビジュアルコンセプト担当、アート・ディレクター) == 符号位置 == 日本においては、斜体のRを[[囲み文字|○で囲んだ文字]]でレコードを示す。 {| class="wikitable" style="text-align:center" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|127276|1F12C|-|レコード|font=ARIB外字フォント}} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == {{Refbegin}} * {{Cite book|和書|author=藤本正熙|coauthors=柴田憲男・村岡輝雄・武藤幸一・佐田無修|editor=井上敏也|title=レコードとレコード・プレーヤー|publisher=ラジオ技術社|date=1979-02|ncid=BN03146347}} {{Refend}} == 関連項目 == {{Commonscat|Vinyl records}} {{ウィキポータルリンク|音響・映像機器|[[画像:P ICT.png|38px|Portal:音響・映像機器]]}} * [[レコード会社一覧]] * [[コンパクトディスク]] * [[コンパクト盤]] * [[ステレオ]] * [[録音再生機器]] * [[レコードプレーヤー]] * [[レーザーターンテーブル]] * [[蓄音機]] * [[アコースティック録音]] * [[電気録音]] * [[ダイレクトカッティング]] * [[ジュークボックス]] * [[規格品番]] * [[レコードクリーナー]] * [[アセテート盤]](レコード原盤のラッカー盤について) ** {{Ill2|Apollo Mastersの火災|en|Apollo Masters Corporation fire}} ‐ ラッカー盤製造技術を持つ最後の2社のうちの1社(Apollo/Transco)の火災。残ったのは日本の長野にあるパブリックレコード株式会社のみである。 * [[ディスクジョッキー|DJ]] * [[SPレコード]] * [[ボイジャーのゴールデンレコード]] * [[A面/B面]] * [[東洋化成]](2010年代、日本で唯一のレコード製作会社だった時期があった) == 外部リンク == * [https://www.riaj.or.jp/f/leg/chronicle/ レコード産業界の歴史]:一般社団法人日本レコード協会 * [https://www.youtube.com/watch?v=fw6S8rU8zrM/ THE MAKING (100)レコードができるまで] * [https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20231011-OYT8T50037/ 美人画の竹久夢二がレコード文化に寄与したものとは…東京で展覧会(読売新聞、2023年10月13日)] #日本でのレコード産業の勃興期 {{音楽}} {{Audio formats}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:れこおと}} [[Category:オーディオディスク]]
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カリウム
カリウム(ドイツ語: Kalium [ˈkaːliʊm]、新ラテン語: kalium)は原子番号19番の元素である。ポタシウム(剥荅叟母、Potassium [poʊˈtæsiəm]) 、加里(カリ)ともいう。元素記号はK。原子量は39.10。アルカリ金属、典型元素のひとつ。生物にとって必須元素である。 英語の potassium(ポタシウム)という名称は、potash という言葉に由来する。これは、様々なカリウム塩を抽出する初期の方法で、木や葉を燃やした灰 (ash) を鍋 (pot) に入れ、水を加えて加熱し、溶液を蒸発させるというものである。1807年にイギリスのハンフリー・デービーが電気分解によってカリウム元素を単離した際に、potash に因んで potassium と命名した。 「カリウム」という名称および元素記号"K"は、アルカリの語源である kali に由来しており、kali はアラビア語で「植物の灰」を意味する アラビア語: القَلْيَه (al-qalyah) に由来する。1797年、ドイツのマルティン・クラプロートは、リューサイト(英語版)とリチア雲母という鉱物の中に potash を発見し、potash が植物の成長の産物ではなく、実は新しい元素を含んでいることに気付き、これを kali と呼ぶことを提案した。1807年、ハンフリー・デービーが電気分解によってこの元素を単離した。1809年、ドイツのルートヴィヒ・ヴィルヘルム・ギルバート(英語版)がデービーの potassium に Kalium という名前を提案した。1814年、スウェーデンのイェンス・ベルセリウスは、kalium という名称と元素記号"K"を提案した。 英語圏とフランス語圏ではデービーが提案した「ポタシウム」という名称が採用され、ドイツ語圏ではギルバートが提案した「カリウム」という名称が採用された。国際純正・応用化学連合 (IUPAC) では、元素記号はドイツ語からKとした一方、IUPAC名は英語から potassium としている。 日本の医学、薬学、栄養学などの分野では、英語のポタシウム(Potassium [poʊˈtæsiəm])が使われることもある。しかし、実際の英語の発音は「ポタシアム」である。和名では、かつて加里(カリ)または剥荅叟母(ぽたしうむ)という当て字が用いられた。 カリウム以後、新たに発見された金属元素にはラテン語の派生名詞中性語尾「-ium」をつける習慣が一般化した。非金属に「-ium」がつけられるのはヘリウムだけである。(貴ガスに共通の語尾「-on」に直されようとしたこともあったが、定着しなかった。) カリウムの単体金属は激しい反応性を持つ。電子を1個失って陽イオンKになりやすく、自然界ではその形でのみ存在する。地殻中では2.6 %を占める7番目に存在量の多い元素であり、花崗岩やカーナライトなどの鉱石に含まれる。塩化カリウムの形で採取され、そのままあるいは各種の加工を経て別の化合物として、肥料、食品添加物、火薬などさまざまな用途に使用されている。 銀白色の金属で、常温・常圧で安定な結晶構造は体心立方構造(BCC)である。比重は0.86で水より軽く、リチウムに次いで2番目に比重の軽い金属である。融点は63.7 °C、沸点は774 °C。ナイフで簡単に切れる軟らかい金属である。 カリウムの電子配置は[Ar] 4sであり、電子を1つ失うことで非常に安定なアルゴンと同じ希ガス型の電子配置となる。そのため、カリウムの第1イオン化エネルギーは418.8 kJ/molと非常に低く、容易に電子を1つ失いKの陽イオンとなる。対照的に、電子を2個失えば安定な希ガス型の電子配置が崩れるため、第2イオン化エネルギーは3052 kJ/molと非常に高く、+2価の酸化状態の化合物は容易には形成されない。このようにカリウムは1価の陽イオンに非常になりやすい性質を有しているが、アルカリドイオンのKも知られている。 炎色反応において、カリウムとその化合物は淡紫色を呈する。主要な輝線は波長404.5 nmの紫色のスペクトル線および、波長769.9 nmと766.5 nmの赤色の対となったスペクトル線(双子線)である。ナトリウムと共存していると、ナトリウムの強い黄色の発色によって覆い隠されることもあるが、コバルトガラスを使うことでこのナトリウムの強く黄色い炎色を除去することができる。 アルカリ金属類の窒素以外の試薬に対する反応性は電気陰性度が低いほど高くなるため、カリウムは、より電気陰性度の大きいリチウム、ナトリウムよりも反応性が高く、より電気陰性度の小さいルビジウム、セシウムよりは反応性が低い。切断してすぐのカリウムの断面は銀色の外観をしているが、空気によってただちに酸化されて灰色へと変色していく。 水、ハロゲン元素と激しく発火して反応する。高温では水素とも反応し水素化カリウムを生成する。カリウムと水との反応においては、反応によって水素が発生し、さらに発生した水素が引火するに足る反応熱を生じるため爆発の危険がある。そのうえ、水素の燃焼によって生じた水が残ったカリウムと再び反応して水素をさらに発生させるため、金属カリウムが消費され尽くすまでこの反応は進行し続ける。このカリウムの性質は、金属カリウムやナトリウム-カリウム合金として、蒸留前に溶媒を乾燥させるための強力な乾燥剤として利用される。空気中においても酸素との接触により反応熱で自然発火することもある。そのため金属カリウムの保管は空気や水から遮断する必要があり、ほかのアルカリ金属と同様、鉱油やケロシンのようなアルカリ金属類と直接反応をしない炭化水素中やアルゴンで満たしたガラスアンプル中などで保管される。アルコールとも反応してアルコキシドを生成する。カリウムは液体アンモニアに対する溶解度が非常に高く、0 °Cで1000 gのアンモニアに対して480 gのカリウムが溶解する。その溶液は黄みがかった青色であり、その電気伝導度は液体金属に類似している。純粋な液体アンモニアに対しては、徐々に反応してKNH2を形成するが、微量の遷移金属元素の塩が存在していると反応が加速される。 カリウムの化合物は、Kイオンの水和エネルギーの高さのため水に対する溶解性が非常に高く、したがってカリウムイオンを沈降分離させることは困難である。考えられる沈降方法としては、テトラフェニルホウ酸ナトリウムやヘキサクロリド白金(IV)酸、亜硝酸コバルチナトリウムとの反応が挙げられる。 溶液中のカリウム濃度は、一般にフレーム測光法(英語版)や原子吸光分析、イオンクロマトグラフィーによって測定される。誘導結合プラズマ発光分光分析、イオン選択電極(英語版)なども利用される。イオン選択電極を用いて測定する場合には、イオン選択電極において通常用いられる塩化カリウムを用いた塩橋を使用すると、塩橋からのカリウムイオンの混入により分析誤差が生じるため、カリウムを分析する際には硝酸アンモニウムなどが用いられる。また、カリウムは非常にイオン化しやすいため、原子吸光分析を行う際にほかの共存元素のイオン化平衡に干渉(イオン化干渉)して、ほかの元素の測定値に影響を与える。 カリウムイオンは銀(1)イオンやタリウム(1)イオンとの“ナイトの動きの関係性”による類似点がよく知られている。“ナイトの動きの関係性”とは、主族元素後方において、ある元素と、その元素の一つ下の周期で二つ右の族であるような元素の間に相関が見られるという法則である。特にタリウムイオンは生化学的に類似性が強い。 カリウムは宇宙において、より軽い元素から合成される(元素合成)。カリウムの安定同位体は、超新星においてより軽い元素が急速に中性子捕獲することによってR過程を経由して形成される(超新星元素合成)。 カリウムには24種類の同位体が存在することが知られている。これらのうち、自然に産出するものはカリウム39(93.3 %)、カリウム40(0.0117 %)、カリウム41(6.7 %)の3つである。 これらのうち、質量数40のカリウム40は放射性同位体である。半減期はおよそ12.5億年であるため、地球創生時に取りこまれたものがいまだに自然界に残存している(元をただせば超新星爆発で核反応が起こって生成・放出されたものとされる)。カリウム40のうち11.2 %は、電子捕獲もしくは陽電子放出(β崩壊)によってアルゴン40へと崩壊し、88.8 %は陰電子崩壊(β 崩壊)によって非放射性の安定同位体であるカルシウム40となる。大気中に存在するアルゴンの多くの部分は、このカリウム40の崩壊により生成したものだと考えられている。また、大気中のアルゴン40の一部は宇宙線(太陽からの放射線)と反応することによりカリウム40となる。このためカリウム40は炭素14とともに常時生成されている。 カリウム40は、カリウムが商用の代用塩として大量に用いられるほどに自然界から十分な量が産出し、教室での実演のための放射線源に用いられる。このようにカリウムは大量に存在するうえに生体に含まれる量も多いため、健康な動物や人間にとって炭素14よりも大きな最大の内部被曝源である。70 kgの体重の人間において、1秒間にカリウム40はおよそ4400個崩壊する。天然カリウムの活性は31 Bq/gである。 単体のカリウムは、カリウムのその強い反応性のために自然中からは産出しない。カリウムはさまざまな化合物として地殻のおよそ2.6 %を占めており、地殻の2.8 %を占めるナトリウムに次いで地殻中で7番目に存在量の多い元素である(地殻中の元素の存在度も参照)。たとえば花崗岩はカリウムをおおよそ5 %と、地殻の平均量以上を含んでいる。金属カリウムは非常に電気的に陽性であり(電気陰性度)、また非常に反応性が高いため、鉱石から直接生産することは難しい。 工業原料としてのカリウム資源はほぼすべて塩化カリウムの形で採取される。年間生産量は3500万トン(K2O換算、2008年)である。2008年において、おもな産地はカナダ(30.0 %)、ロシア連邦(19.2 %)、ベラルーシ(14.2 %)である。推定埋蔵量はK2O換算でおよそ180億トン。カリウムは植物の成長に必須であるため、塩化カリウムの90 %以上はそのまま、もしくは硫酸カリウムの形で肥料(カリ肥料)として用いられる。残りは水酸化カリウムを経由して、炭酸カリウムとなる。 純粋なカリウム金属は水酸化カリウムの電気分解という、19世紀初期にハンフリー・デービーがカリウムを単離した方法とほぼ同じプロセスで単離することができる。この電気分解による製法は1920年代に開発され産業規模で用いられていたものの、金属ナトリウムと塩化カリウムを化学平衡を利用して反応させることによる熱的方法が1950年代には主流となった。この方法は反応時間および反応に用いるナトリウムの量を変えることでナトリウム-カリウム合金も生産することができる。フッ化カリウムと炭化カルシウムの反応を利用するグリースハイマー法もまた、カリウムの生産に利用される。 また、カーナライトやラングバイナイト(英語版)、ポリハライト(英語版)、カリ岩塩などカリウム含有量が非常に高い鉱石を用いて、商業生産できる規模のカリウム塩類を抽出することもできる。世界における主要なカリウムの供給源はカナダ、ロシア、ベラルーシ、ドイツ、イスラエル、アメリカ合衆国、ヨルダンだが、ほかにも世界中のさまざまな場所で採掘されている。カナダの行政区、サスカチュワン州の地下3000フィートには、地球上で最大のカリウム鉱床が発見されている。サスカチュワンでは大規模な鉱山が1960年代から操業しており、ブレアモア(英語版)地層において、鉱山に縦穴貫通孔を通すために湿った砂を凍らせる手法を開発した。サスカチュワンのおもなカリウム採掘会社としてポタッシュ・コープ(英語版)がある。 海はもうひとつの主要なカリウム源であるが、単位量あたりのカリウム含有量は0.39 g/Lと、ナトリウムが10.8 g/Lであるのと比べて非常に低い。これはカリウムが土壌に吸着されやすく、また植物によって吸収されるためである。 さまざまな方法でカリウム塩類をナトリウムおよびマグネシウム化合物から分離し、それによって生じたナトリウムやマグネシウムの副産物は地下に保存されるかボタ山に積み上げられる。採掘されたカリウム鉱石の大部分は処理されて最終的に塩化カリウムとなる。塩化カリウムは鉱山産業において、カリ(potash)、カリの塩(muriate of potash)もしくは単純にMOPと呼ばれる。 試薬グレードの金属カリウムは、1ポンドあたりおよそ10ドル(1 kgあたり22ドル)で売られている。純度の低いものは相応に安く販売される。カリウム金属市場は、金属カリウムの長期保管が困難であるために不安定である。金属カリウムは、その表面で超酸化カリウムが形成されないように乾燥した不活性ガスもしくは無水の鉱油中で保存しなければならない。この超酸化物は引っかかれた際に爆発を起こす、感圧性の爆薬である。超酸化物の形成が引き起こす爆発は、時に消火の難しい火災を引き起こす。 キログラム単位よりも多い量のカリウムは1 kgあたり700ドルと、非常に大きなコストが生じる。これは危険物の輸送に必要なコストのためである。 人体で8番目もしくは9番目に多く含まれる元素であり、体重のおよそ0.2 %を占めている(すなわち、60 kgの成人ではおよそ120 gのカリウムが含まれる)。これは硫黄や塩素と同程度の含有量であり、主要なミネラルでカリウムより多く含まれているのはカルシウムとリンのみである。 カリウムは人体に不可欠の電解質であり、脳および神経などにおけるニューロンの情報伝達に重要な役割を果たしている。カリウムはイオン(陽イオン)Kとしておもに細胞内に分布しており、その濃度は細胞内液が100–150 mol/m と高濃度に保たれているのに対し、細胞外液の濃度は3.5–4.5 mol/m程度と非常に小さく保たれている。これは、いわゆるナトリウム-カリウムイオンポンプの働きによるものである。このイオンポンプは、アデノシン三リン酸(ATP)を1個消費して、ナトリウムイオン3個を細胞外へと運び出し、カリウムイオン2個を細胞内へと運び込む。このイオンポンプの働きによって細胞の内外にイオン濃度差が生じ、細胞膜上に電気的な勾配を発生させる。この電気勾配は通常時は静止電位と呼ばれる値に保たれているが、カリウムイオンチャネルが開くとカリウムイオン濃度の高い細胞内からカリウムイオン濃度の低い細胞外へと濃度勾配の方向にカリウムイオンが移動し、また、ナトリウムイオンチャネルが開くと、同様にナトリウム濃度の高い細胞外からナトリウムイオン濃度の低い細胞内へとナトリウムイオンが移動する。カリウムイオンはナトリウムイオンよりもイオン半径が大きく、その違いによって細胞膜のイオンポンプおよびイオンチャネルはこれらを区別することができ、一方を通過させてもう一方を通過させないように選択的に機能することが可能である。このイオンチャネルの開閉による細胞内外のイオン濃度のバランスの変化によって膜電位(細胞外に対する細胞内電位)が変化し、それによって活動電位が発生(いわゆる「点火」)する。この活動電位が伝導することで情報が伝達されていく。活動電位が生じて細胞膜が脱分極(ナトリウムイオンの移動によって正の膜電位が発生)している場合には、カリウムイオンチャネルが開くことで再分極(膜電位が静止電位に戻る)させることになる。 また、右心房にある洞房結節から発生する活動電位によって心拍の調節が行われているが、そのためには適切なカリウムイオン濃度が必要である。静脈注射、あるいは何らかの異常によりカリウムイオンの血中濃度が過剰になる高カリウム血症となった場合、洞房結節のペースメーキングに変調を生じさせ、致命的な不整脈を引き起こしたり、心停止に至ることもある。また、心臓などの外科手術で心停止が必要な場合には塩化カリウムが用いられ、塩化カリウムはアメリカ合衆国において薬殺刑にも用いられる。 経口摂取の場合、吸収は比較的緩やかである。また、吸収後は細胞へ速やかに取り込まれることや、過剰分が腎臓のK調節機能により排泄されることなどから、細胞外液中濃度は低レベルに維持される。1981年にモネル・ケミカル・センシズ・センターが発表したアルカリ金属のハロゲン化物に対する味覚調査によると、臭化カリウムおよび塩化カリウムの溶液に対する味覚は、濃度が希薄な状態では苦味が強いが、濃くなるほど苦味が弱まって塩味が強くなる傾向が示された。 一日の所要量は約0.8–1.6 gとされる。2016年3月更新の厚生労働省「日本人の食事摂取基準」によると、目安量は男性3000 mg/日、女性2600 mg/日(いずれも15歳以上)と勧告されているが、アメリカ、イギリスでは生活習慣病予防の観点から、男女ともに目安量4700 mg/日、推奨量3500 mg/日としている。植物、動物の細胞には豊富に含まれており、通常の食事で生命を維持するために必要なカリウムは十分に賄われる。そのため、カリウムの血中濃度の低下による低カリウム血症(カリウム欠乏症)の顕著な徴候や症状が健康な人に現れることは稀である。カリウムの豊富な食品として、パセリや乾燥させたアンズ、粉ミルク、チョコレート、木の実(特にアーモンドとピスタチオ)、ジャガイモ、タケノコ、バナナ、アボカド、ダイズ、糠などに特に多く含まれるが、大部分の果実、野菜、肉、魚において人体に十分な量が含まれている。なお、カリウムの最適摂取量に関しては、いくつかの議論が存在する。たとえば、アメリカ医学研究所は2004年にカリウムの食事摂取量基準(英語版)を1日あたり4000 mg(100 mEq)と指定したが、アメリカ人の平均的カリウム摂取量はその半分程度しかないため、大部分が摂取不足であることになる。同様に欧州連合、特にドイツとイタリアにおいても、カリウムは一般的に摂取不足の傾向にあると考えられている。 高血圧についての疫学的研究および動物実験の結果、カリウム含有量の高い食品の摂取によって高血圧のリスクを低減できることが示され、高血圧を原因としない脳卒中についても低減されると考えられている。イタリアの研究者によるメタアナリシスに基づいた報告(2011年)によると、一日に1.46 g以上カリウムを摂取すると脳卒中のリスクが21 %低減するとされる。また、ラットを用いた研究において、カリウムの欠乏はチアミン(ビタミンB1)の摂取不足と複合すると心臓病を誘発することが示された。 医薬的用途のカリウムサプリメントはループ利尿薬やサイアザイド利尿薬と併用して使われることが多い。これは、利尿剤の薬効として尿が体外へ排出される際に副作用として排出されてしまうカリウムの補充を目的としている。典型的な医薬用サプリメントは、一回につき400 mg(10 mgEq、牛乳250 mLや100 %オレンジジュース200 mLに含まれるカリウムとほぼ同等)から800 mg(20 mgEq)の範囲で服用される。多くのサプリメントに使われている塩化カリウムは、胃や腸の粘膜に刺激を与えるため、消化管通過障害のある患者には禁忌である。また、カリウムイオンが高濃度となることで細胞破壊を引き起こす恐れもあるため、一般的に、浸出を緩やかにするタブレットやカプセルなどの形態で提供される。 非医薬的用途としてもカリウムサプリメントは広く利用されている。塩化カリウムのようなカリウム塩は水によく溶けるものの、濃度の高い溶液では味覚(苦味と塩味)を刺激するため、サプリメント飲料などにおいては、経口摂取の障害とならないよう口当たりをよくする研究も行われている。なお、健康的な悪影響を避けるため、アメリカでは処方箋不要なカリウム錠のカリウム含有量を一錠あたり99 mg以下に法規制している。 体内のカリウム濃度が高まると高カリウム血症が引き起こされ、致命的な不整脈を誘発する危険がある。健康であれば、カリウムを過剰に摂取しても腎臓の調節機能によりカリウム濃度は抑制されているが、腎臓病の患者においては、腎不全によってカリウム濃度の制御機能が低下しているため対応できない。このような腎不全による高カリウム血症の対症療法として、カリウムの摂取制限やカリウムイオン交換樹脂薬の服用などが行われる。 一方、嘔吐、下痢、多尿症などによって引き起こされる体液中のカリウム不足は、低カリウム血症として知られる致命的な状態を引き起こすことがある。これは、カリウムが生体の神経伝達において非常に重要な役割を担っていることと関連している。カリウム欠乏の徴候としては、筋力の低下、イレウス(腸閉塞)、心電図の異常、反射機能の低下が挙げられ、重度の場合では呼吸困難やアルカローシス、不整脈も認められる。 植物にとってカリウムは、新陳代謝を良くし、葉や茎を丈夫にする不可欠な要素である。植物の生育に欠かせないため、窒素、リン酸と並んで肥料の三要素の一つに数えられる。 カリウム不足になると植物の伸長が抑えられ、幼葉が青緑色になることがある。一方、カリウム過多になると、窒素、カルシウム、マグネシウムの吸収が阻害される。 カリウムはほかの多くの元素と同じように、金属カリウム単体としてよりも、カリウム化合物としての用途のほうが重要である。しかし、同じアルカリ金属であるナトリウムがカリウムとほぼ同じような用途を持つため、より安価なナトリウム塩で代替可能な用途も多く、コスト面で劣るカリウムの用途は非常に限られている。たとえば、2008年度の水酸化ナトリウムの日本における消費量は98万6744トンであるが、同年の水酸化カリウムの日本における消費量は2万8044トンでしかない。 カリウムイオンは植物にとって重要な主要栄養元素のひとつであり、さまざまなタイプの土壌に含まれている。近代の高収穫率な農業においては、土壌中のカリウムは自然に供給されるよりも非常に速い割合で消費されるため、肥料としてカリウムを人工的に土壌に補給する必要がある。大部分の種類の農作物に含まれるカリウム量は通常収穫量の0.5–2 %の範囲であり、それだけの量のカリウムが収穫ごとに土壌から持ち出される。カリウム肥料は農業や園芸、水耕栽培などの耕作、栽培において、塩化物(KCl)や硫酸塩(K2SO4)、硝酸塩(KNO3)のような形で利用される(また、植物由来の肥料である草木灰において炭酸塩(K2CO3)の形での利用がある)。世界で生産されるカリウム製品のおよそ93 %(2005年)が肥料として消費されており、そのうち90 %は塩化カリウムとして供給されている。塩化カリウムはカーナライト(KCl、MgCl2、6H2O)鉱石などから、塩化カリウムと塩化マグネシウムの溶解度差を利用して水中で分離することによって製造される。塩化物に敏感な作物や、硫黄分を必要とするような作物に対しては硫酸カリウムが用いられる。硫酸カリウムはラングバイナイト(英語版)(MgSO4、KCl、3H2O)やカイナイト(英語版)((Mg, K)SO4)のような鉱石の複分解によって生産される。硝酸カリウムの肥料としての消費量は非常に少ない。肥料成分の表記は通常、窒素、リン、カリウムの順に示され、カリウム量はK2Oとして表される。 前述のように、カリウムイオンは人の生命と健康を支えるのに重要な役目を果たす栄養素である。高血圧を抑えるためにナトリウムの摂取量を制限している人々によって、食塩の代替として塩化カリウムが用いられる(代用塩)。昆布、わかめ、ひじきなどの海藻類に多く含まれる。アメリカ合衆国農務省は、トマトペースト、オレンジジュース、テンサイ、ホワイトビーンズ、ジャガイモ、バナナその他多くのカリウムをよく含む食品をリストアップし、カリウム含有量をランク付けしている。一方で腎臓病の患者にはカリウム摂取制限を行う必要があり、近年は水耕栽培でカリウム含有量を大幅に抑えたレタスなどの生野菜の生産も行われている。 酒石酸カリウムナトリウム(KNaC4H4O6、ロッシェル塩)はベーキングパウダーの主成分であり、鏡に銀メッキをする際にも用いられる。臭素酸カリウムは強力な酸化剤(E924)であり、パン生地や魚肉練り製品の改良剤として用いられていた。また、亜硫酸水素カリウム(KHSO3)はワインやビールなどの防腐剤として用いられていたが、肉には用いられなかった。亜硫酸水素カリウムは織物や麦わらの漂白剤としてや、皮なめし剤としても用いられていた。 純粋なカリウム蒸気は数種類の磁気センサに用いられる。また、光電子素子としても用いられる。ナトリウムとカリウムの合金(NaK、ナトリウムカリウム合金)は熱交換媒体として原子炉の冷却材などに低融点合金として用いられる液体であり、希ガスや溶媒からわずかに含まれる二酸化炭素や水、あるいは酸素を高度に除去するための反応剤、乾燥剤としても用いられる。ナトリウムカリウム合金はまた、反応性蒸留(英語版)においても用いられる。ナトリウム、カリウム、セシウムをそれぞれ12 %、47 %、41 %含んだ三元合金は、合金としては最低である融点−78 °Cを持つ。 すべてのカリウム化合物は強いイオン性を有しているため、カリウムはしばし有用な陰イオンを保持させるのに用いられ、その一例として、クロム酸カリウム(K2CrO4)がある。クロム酸カリウムは黄色の染料やインク、爆薬や花火、皮なめし剤、ハエ取り紙、安全マッチなどさまざまな用途に用いられるが、これらはカリウムイオンの特性というよりはむしろクロム酸イオンの特性であり、カリウムイオンはクロム酸イオンを保持する役目を担っている。 水酸化カリウムは強塩基であり、強酸や弱酸を中和してpHをコントロールするために用いられる。また、カリウム塩類の生産や、エステルの加水分解反応、洗剤産業における油脂のけん化などにも用いられる。 硝酸カリウム(KNO3、硝石)は、火薬(黒色火薬)において酸化剤として働き、また肥料としても重要である。歴史的には、チリ硝石の主成分である硝酸ナトリウムに塩化カリウムを反応させる「転化法」と呼ばれる方法によって工業生産されていたが、ハーバー・ボッシュ法による空気から化学的に窒素を固定する手法(化学的窒素固定法)が確立してからは、炭酸カリウムもしくは水酸化カリウムを硝酸に溶解させる方法で作られるようになった。また、グアノや蒸発岩などの天然鉱石からも得られる。 シアン化カリウム(KCN、青酸カリ)は銅や貴金属(特に金や銀)を錯体を形成することによって溶解させる用途に使われ、それらの金属の電鋳や電解めっき、金鉱山の採掘にも用いられる。シアン化カリウムはまた、有機合成においてニトリル類を合成するためにも用いられ、さらには、シアン化銀とともにメッキ浴としても用いられる。シアン化カリウムはこのように多くの用途を有する有用な化合物であるが、生物に対して非常に強い毒性を示す。炭酸カリウム(K2CO3、ポタッシュ)は穏やかな乾燥剤として用いられ、ガラスや石鹸、カラーテレビのブラウン管、蛍光灯、織物の染料や顔料の製造にも利用される。過マンガン酸カリウム(KMnO4)は酸化剤や漂白剤、浄化物質として利用され、サッカリンの製造にも用いられる。塩素酸カリウム(KClO3)はマッチや爆薬に加えられる。臭化カリウム(KBr)は、以前は写真の定着剤や医薬品の鎮静剤として用いられていた。また、フェリシアン化カリウムやフェロシアン化カリウムも写真の作成に利用される。ヘキサフルオロケイ酸カリウム(K2SiF6)は琺瑯や陶器の釉薬、特殊ガラスなどの用途に利用される。ヨウ化カリウム(KI)は殺菌消毒薬などに使われる。 超酸化カリウムは橙色固体であり、持ち運び可能な酸素源として自給式ガスマスクに用いられる。気体の酸素よりも使用する容積が小さくて済むため、鉱山や潜水艦、宇宙船において呼吸のための酸素供給システムとしても広く用いられている。また、過酸化カリウムは二酸化炭素吸収剤として利用される。 ヘキサニトロコバルト(III)酸カリウム(K3[Co(NO2)6]、硝酸コバルトカリウムとも呼ばれる)はオーレオリンもしくはコバルトイエローと呼ばれる色の絵の具として用いられる。 カリウムアミドは、強い求核性を有するアミドアニオン(NH2)源として芳香族求核置換反応などに利用される強塩基性の化合物であり、液体アンモニアにカリウムを反応させることで得られる。また、有機金属化合物であるアルキル化カリウムは、しばし反応の中間体として利用されている。しかし、単離されたアルカリ金属のアルキル化合物は少なく、その例外的なものとしてメチルカリウム(CH3K)がある。これはメチル水銀とナトリウム-カリウム合金との反応によって得られ、副生成物としてナトリウムアマルガムが形成される。カリウムの金属有機化合物はイオン性物質であるため炭化水素などの有機溶媒への溶解性はそれほど高くない。また、反応性が強く空気中で発火し、水と激しく反応する。カリウムのアルコキシドは強塩基性の求核剤としてハロアルカンの脱離反応などに利用される。代表的なものにクライゼン縮合に利用されるカリウム tert-ブトキシドがある。このようなカリウムのアルコキシドは、水素化カリウムもしくは金属カリウムとアルコールとを反応させることによって合成される。水素化カリウムは、アルコールのヒドロキシ基からプロトンを引き抜くことが可能なほどの強力な塩基であり、反応後の副生成物が水素しか発生しない利点を有している。 臭化カリウムは、赤外分光法において分析試料の錠剤を作るためのマトリックスとして用いられる(臭化カリウム錠剤法)。フェリシアン化カリウム(ヘキサシアノ鉄(III)酸カリウム、赤血塩) K3[Fe(CN)6] は、チオクローム法と呼ばれるチアミン(ビタミンB1)の分析において、チアミンを酸化させる酸化剤として用いられる。また、フェリシアン化カリウムはフェロシアン化カリウム(ヘキサシアノ鉄(II)酸カリウム)K4[Fe(CN)6] とともに、鉄イオンの定性分析にも用いられる。二クロム酸カリウム(K2Cr2O7)や過マンガン酸カリウムは、その強い酸化力を利用して酸化還元滴定における1次標準物質として用いられる。また、一価のカリウムイオンのイオン半径はNH4のそれと非常に近い値であるので、NH4と置換が可能である。それゆえ、実験において水素結合の影響の有無を調べたい時に、水素結合を形成するNH4を、水素結合を形成しないKと置換して、結果に変化が生じるか否かを観察するということが行われる。 前述のカリウム40がアルゴン40へと崩壊する特性は、一般的に岩の放射年代測定に利用されている(カリウム-アルゴン法)。岩石がマグマから形成された時点では岩石中にアルゴン40は含まれていないが、岩石が形成されて以降は岩石中のカリウム40の崩壊によってアルゴン40が生成し岩石中に蓄積されていく。岩石中のアルゴン40の存在量は、岩石が形成されてからの時間に比例して増加していくため、岩石中のカリウム40の濃度と蓄積されたアルゴン40の量を測定することで岩石の年代を推定することができる。年代測定にもっとも適した鉱石には、白雲母、黒雲母、深成岩/広域変成岩の角閃石や火山岩の長石などがある。火山流や浅い貫入に由来する岩石試料もまた、加熱されて試料中のアルゴンが失われるような変化を受けていないそのままの状態の試料であれば、すべて年代測定することができる。年代測定以外では、カリウムの同位体は風化の研究における放射性トレーサーとして幅広く用いられる。また、カリウムが生命維持のために必要とされる栄養素であるため、生物地球化学的循環の研究にも用いられる。 カリウム40はフェルミ粒子であるため、低温物理学において使われることがある。2003年には50万個のカリウム40原子を用いてフェルミ凝縮による縮退物を生成することに成功し、2013年には10万個のカリウム40原子を用いて絶対零度を下回る負温度の状態を実現することに初めて成功した。 カリウムは、草木を焼いた灰として古来から利用されてきたが、これがナトリウム塩とは根本的に異なる物質であるということは理解されていなかった。元素としてのカリウムや、ほかの塩類から分離された独立した要素としてのカリウム塩類は古代ローマ時代には知られておらず、元素のラテン語名は古典ラテン語でなく、むしろ新ラテン語であった。カリウムは、カノのハウサ人による濃青色の織物を生産するために、灰とインディゴ、湯を混ぜ合わせて使われていた秘密の成分であった。 1736年、ゲオルク・シュタールはナトリウムとカリウムの塩の重要な差異について彼が提唱するに至った実験的な徴候を得、1736年、アンリ=ルイ・デュアメル・デュ・モンソーによってその違いが証明された。1807年、イギリスのハンフリー・デービーが新しく発見されたボルタ電池を用いて、水酸化カリウム(苛性カリ)を電気分解(溶融塩電解)することによって金属カリウムを初めて単離した。この元素は電気分解によって分離された最初の金属であった。植物はほとんどナトリウムを含有しないため、potashはおもにカリウム塩であり、残りの成分は主に水溶性の低いカルシウム塩である。 その数年後、デービーはカリウムを単離したのと類似した技術によって、植物塩でない、鉱石より誘導された水酸化ナトリウムから金属ナトリウムを単離し、カリウムとナトリウムの元素、塩類が違う物質であることを示した。この単離された金属ナトリウムおよび金属カリウムがともに元素であることが示されたが、この見解が一般に認められるまでには長い時間がかかった。 長い間、カリウムの大きな用途はガラス、石鹸と漂白剤の製造に限られていた。動物性油脂および木炭や植物油から作られるカリウム石鹸は軟石鹸として知られ、非常に水によく溶け柔らかい傾向があり重宝されていた。1840年ドイツのユストゥス・フォン・リービッヒによって、カリウムが植物のために必要な元素であり、しかも大部分の土壌においてカリウムが欠乏していることが発見され、カリウム塩類の需要は急激に増加した。モミの木から作られる木の灰がカリウム源として使われていたが、ドイツのシュタースフルト(英語版)近郊においてカリウム塩を含んだ鉱床が発見され、1868年にドイツでカリウム肥料の工業規模の生産が始まった。その他のカリウム鉱床は、1960年代までにカナダで大きなものが発見され、主要な生産源となった。 単体の金属カリウムは消防法第2条第7項および別表第一第3類1号により第3類危険物に指定されている。また毒物及び劇物取締法に定める劇物に該当する。 カリウムは水と激しく反応し、水酸化カリウムと水素ガスを発生させる。 この反応は発熱反応であり、その発熱量は発生した水素を引火させるのに十分な熱量である。そのため、酸素存在下において爆発するおそれがある。また、反応によって生じる水酸化カリウムは皮膚に炎症を起こし、眼球角膜を不可逆的に破壊し、失明を引き起こすほどの強アルカリである。 カリウムの微細粒子は空気中において室温で発火し、加熱されれば塊状金属でも発火する。発火したカリウムに水をかけると、カリウムの密度は0.89 g/cmと水より軽いため、燃焼しているカリウムが水に浮かび大気中の酸素にさらに曝されることになり、また、水とカリウムの反応によって水素と反応熱が生成するため、カリウムによる火災はより一層悪化する。そのため、通常の消火活動ではカリウムによる火に対して、効果がないか悪化させることとなる。カリウムの火の消火には、乾燥した塩化ナトリウム(食卓塩)、炭酸ナトリウム(ソーダ灰)、および二酸化ケイ素(砂)が効果的である。また、金属火災用に設計された一部の粉末消火器や、窒素およびアルゴンも効果的である。 カリウムはハロゲンと激しく反応し、臭素と反応すると爆発する。硫酸ともまた爆発的に反応する。燃焼によってカリウムは過酸化物や超酸化物を形成し、これらは油のような有機物もしくは金属カリウムと激しく反応する可能性がある。 カリウムは空気中の水蒸気と反応するため、通常乾燥した鉱油中で保管されるが、リチウムやナトリウムと異なり無期限に鉱油中に保存してはいけない。半年から1年以上保管されると、刺激に敏感な過酸化物が金属カリウム上や保管容器のふたの下に形成され、ふたを開けた際に爆発する。そのため、カリウムは酸素を含まない不活性な気体もしくは真空下で保存しない限り、3か月以上は保管しないことが推奨される。 金属カリウムは反応性が非常に高いため、扱う人の皮膚や目を完全に保護し、カリウムとの間に防爆壁を置くことが望ましく、非常に慎重に取り扱わなければならない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "カリウム(ドイツ語: Kalium [ˈkaːliʊm]、新ラテン語: kalium)は原子番号19番の元素である。ポタシウム(剥荅叟母、Potassium [poʊˈtæsiəm]) 、加里(カリ)ともいう。元素記号はK。原子量は39.10。アルカリ金属、典型元素のひとつ。生物にとって必須元素である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "英語の potassium(ポタシウム)という名称は、potash という言葉に由来する。これは、様々なカリウム塩を抽出する初期の方法で、木や葉を燃やした灰 (ash) を鍋 (pot) に入れ、水を加えて加熱し、溶液を蒸発させるというものである。1807年にイギリスのハンフリー・デービーが電気分解によってカリウム元素を単離した際に、potash に因んで potassium と命名した。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「カリウム」という名称および元素記号\"K\"は、アルカリの語源である kali に由来しており、kali はアラビア語で「植物の灰」を意味する アラビア語: القَلْيَه (al-qalyah) に由来する。1797年、ドイツのマルティン・クラプロートは、リューサイト(英語版)とリチア雲母という鉱物の中に potash を発見し、potash が植物の成長の産物ではなく、実は新しい元素を含んでいることに気付き、これを kali と呼ぶことを提案した。1807年、ハンフリー・デービーが電気分解によってこの元素を単離した。1809年、ドイツのルートヴィヒ・ヴィルヘルム・ギルバート(英語版)がデービーの potassium に Kalium という名前を提案した。1814年、スウェーデンのイェンス・ベルセリウスは、kalium という名称と元素記号\"K\"を提案した。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "英語圏とフランス語圏ではデービーが提案した「ポタシウム」という名称が採用され、ドイツ語圏ではギルバートが提案した「カリウム」という名称が採用された。国際純正・応用化学連合 (IUPAC) では、元素記号はドイツ語からKとした一方、IUPAC名は英語から potassium としている。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "日本の医学、薬学、栄養学などの分野では、英語のポタシウム(Potassium [poʊˈtæsiəm])が使われることもある。しかし、実際の英語の発音は「ポタシアム」である。和名では、かつて加里(カリ)または剥荅叟母(ぽたしうむ)という当て字が用いられた。", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "カリウム以後、新たに発見された金属元素にはラテン語の派生名詞中性語尾「-ium」をつける習慣が一般化した。非金属に「-ium」がつけられるのはヘリウムだけである。(貴ガスに共通の語尾「-on」に直されようとしたこともあったが、定着しなかった。)", "title": "語源" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "カリウムの単体金属は激しい反応性を持つ。電子を1個失って陽イオンKになりやすく、自然界ではその形でのみ存在する。地殻中では2.6 %を占める7番目に存在量の多い元素であり、花崗岩やカーナライトなどの鉱石に含まれる。塩化カリウムの形で採取され、そのままあるいは各種の加工を経て別の化合物として、肥料、食品添加物、火薬などさまざまな用途に使用されている。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "銀白色の金属で、常温・常圧で安定な結晶構造は体心立方構造(BCC)である。比重は0.86で水より軽く、リチウムに次いで2番目に比重の軽い金属である。融点は63.7 °C、沸点は774 °C。ナイフで簡単に切れる軟らかい金属である。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "カリウムの電子配置は[Ar] 4sであり、電子を1つ失うことで非常に安定なアルゴンと同じ希ガス型の電子配置となる。そのため、カリウムの第1イオン化エネルギーは418.8 kJ/molと非常に低く、容易に電子を1つ失いKの陽イオンとなる。対照的に、電子を2個失えば安定な希ガス型の電子配置が崩れるため、第2イオン化エネルギーは3052 kJ/molと非常に高く、+2価の酸化状態の化合物は容易には形成されない。このようにカリウムは1価の陽イオンに非常になりやすい性質を有しているが、アルカリドイオンのKも知られている。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "炎色反応において、カリウムとその化合物は淡紫色を呈する。主要な輝線は波長404.5 nmの紫色のスペクトル線および、波長769.9 nmと766.5 nmの赤色の対となったスペクトル線(双子線)である。ナトリウムと共存していると、ナトリウムの強い黄色の発色によって覆い隠されることもあるが、コバルトガラスを使うことでこのナトリウムの強く黄色い炎色を除去することができる。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "アルカリ金属類の窒素以外の試薬に対する反応性は電気陰性度が低いほど高くなるため、カリウムは、より電気陰性度の大きいリチウム、ナトリウムよりも反応性が高く、より電気陰性度の小さいルビジウム、セシウムよりは反応性が低い。切断してすぐのカリウムの断面は銀色の外観をしているが、空気によってただちに酸化されて灰色へと変色していく。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "水、ハロゲン元素と激しく発火して反応する。高温では水素とも反応し水素化カリウムを生成する。カリウムと水との反応においては、反応によって水素が発生し、さらに発生した水素が引火するに足る反応熱を生じるため爆発の危険がある。そのうえ、水素の燃焼によって生じた水が残ったカリウムと再び反応して水素をさらに発生させるため、金属カリウムが消費され尽くすまでこの反応は進行し続ける。このカリウムの性質は、金属カリウムやナトリウム-カリウム合金として、蒸留前に溶媒を乾燥させるための強力な乾燥剤として利用される。空気中においても酸素との接触により反応熱で自然発火することもある。そのため金属カリウムの保管は空気や水から遮断する必要があり、ほかのアルカリ金属と同様、鉱油やケロシンのようなアルカリ金属類と直接反応をしない炭化水素中やアルゴンで満たしたガラスアンプル中などで保管される。アルコールとも反応してアルコキシドを生成する。カリウムは液体アンモニアに対する溶解度が非常に高く、0 °Cで1000 gのアンモニアに対して480 gのカリウムが溶解する。その溶液は黄みがかった青色であり、その電気伝導度は液体金属に類似している。純粋な液体アンモニアに対しては、徐々に反応してKNH2を形成するが、微量の遷移金属元素の塩が存在していると反応が加速される。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "カリウムの化合物は、Kイオンの水和エネルギーの高さのため水に対する溶解性が非常に高く、したがってカリウムイオンを沈降分離させることは困難である。考えられる沈降方法としては、テトラフェニルホウ酸ナトリウムやヘキサクロリド白金(IV)酸、亜硝酸コバルチナトリウムとの反応が挙げられる。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "溶液中のカリウム濃度は、一般にフレーム測光法(英語版)や原子吸光分析、イオンクロマトグラフィーによって測定される。誘導結合プラズマ発光分光分析、イオン選択電極(英語版)なども利用される。イオン選択電極を用いて測定する場合には、イオン選択電極において通常用いられる塩化カリウムを用いた塩橋を使用すると、塩橋からのカリウムイオンの混入により分析誤差が生じるため、カリウムを分析する際には硝酸アンモニウムなどが用いられる。また、カリウムは非常にイオン化しやすいため、原子吸光分析を行う際にほかの共存元素のイオン化平衡に干渉(イオン化干渉)して、ほかの元素の測定値に影響を与える。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "カリウムイオンは銀(1)イオンやタリウム(1)イオンとの“ナイトの動きの関係性”による類似点がよく知られている。“ナイトの動きの関係性”とは、主族元素後方において、ある元素と、その元素の一つ下の周期で二つ右の族であるような元素の間に相関が見られるという法則である。特にタリウムイオンは生化学的に類似性が強い。", "title": "単体の特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "カリウムは宇宙において、より軽い元素から合成される(元素合成)。カリウムの安定同位体は、超新星においてより軽い元素が急速に中性子捕獲することによってR過程を経由して形成される(超新星元素合成)。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "カリウムには24種類の同位体が存在することが知られている。これらのうち、自然に産出するものはカリウム39(93.3 %)、カリウム40(0.0117 %)、カリウム41(6.7 %)の3つである。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "これらのうち、質量数40のカリウム40は放射性同位体である。半減期はおよそ12.5億年であるため、地球創生時に取りこまれたものがいまだに自然界に残存している(元をただせば超新星爆発で核反応が起こって生成・放出されたものとされる)。カリウム40のうち11.2 %は、電子捕獲もしくは陽電子放出(β崩壊)によってアルゴン40へと崩壊し、88.8 %は陰電子崩壊(β 崩壊)によって非放射性の安定同位体であるカルシウム40となる。大気中に存在するアルゴンの多くの部分は、このカリウム40の崩壊により生成したものだと考えられている。また、大気中のアルゴン40の一部は宇宙線(太陽からの放射線)と反応することによりカリウム40となる。このためカリウム40は炭素14とともに常時生成されている。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "カリウム40は、カリウムが商用の代用塩として大量に用いられるほどに自然界から十分な量が産出し、教室での実演のための放射線源に用いられる。このようにカリウムは大量に存在するうえに生体に含まれる量も多いため、健康な動物や人間にとって炭素14よりも大きな最大の内部被曝源である。70 kgの体重の人間において、1秒間にカリウム40はおよそ4400個崩壊する。天然カリウムの活性は31 Bq/gである。", "title": "同位体" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "単体のカリウムは、カリウムのその強い反応性のために自然中からは産出しない。カリウムはさまざまな化合物として地殻のおよそ2.6 %を占めており、地殻の2.8 %を占めるナトリウムに次いで地殻中で7番目に存在量の多い元素である(地殻中の元素の存在度も参照)。たとえば花崗岩はカリウムをおおよそ5 %と、地殻の平均量以上を含んでいる。金属カリウムは非常に電気的に陽性であり(電気陰性度)、また非常に反応性が高いため、鉱石から直接生産することは難しい。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "工業原料としてのカリウム資源はほぼすべて塩化カリウムの形で採取される。年間生産量は3500万トン(K2O換算、2008年)である。2008年において、おもな産地はカナダ(30.0 %)、ロシア連邦(19.2 %)、ベラルーシ(14.2 %)である。推定埋蔵量はK2O換算でおよそ180億トン。カリウムは植物の成長に必須であるため、塩化カリウムの90 %以上はそのまま、もしくは硫酸カリウムの形で肥料(カリ肥料)として用いられる。残りは水酸化カリウムを経由して、炭酸カリウムとなる。", "title": "産出" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "純粋なカリウム金属は水酸化カリウムの電気分解という、19世紀初期にハンフリー・デービーがカリウムを単離した方法とほぼ同じプロセスで単離することができる。この電気分解による製法は1920年代に開発され産業規模で用いられていたものの、金属ナトリウムと塩化カリウムを化学平衡を利用して反応させることによる熱的方法が1950年代には主流となった。この方法は反応時間および反応に用いるナトリウムの量を変えることでナトリウム-カリウム合金も生産することができる。フッ化カリウムと炭化カルシウムの反応を利用するグリースハイマー法もまた、カリウムの生産に利用される。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、カーナライトやラングバイナイト(英語版)、ポリハライト(英語版)、カリ岩塩などカリウム含有量が非常に高い鉱石を用いて、商業生産できる規模のカリウム塩類を抽出することもできる。世界における主要なカリウムの供給源はカナダ、ロシア、ベラルーシ、ドイツ、イスラエル、アメリカ合衆国、ヨルダンだが、ほかにも世界中のさまざまな場所で採掘されている。カナダの行政区、サスカチュワン州の地下3000フィートには、地球上で最大のカリウム鉱床が発見されている。サスカチュワンでは大規模な鉱山が1960年代から操業しており、ブレアモア(英語版)地層において、鉱山に縦穴貫通孔を通すために湿った砂を凍らせる手法を開発した。サスカチュワンのおもなカリウム採掘会社としてポタッシュ・コープ(英語版)がある。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "海はもうひとつの主要なカリウム源であるが、単位量あたりのカリウム含有量は0.39 g/Lと、ナトリウムが10.8 g/Lであるのと比べて非常に低い。これはカリウムが土壌に吸着されやすく、また植物によって吸収されるためである。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "さまざまな方法でカリウム塩類をナトリウムおよびマグネシウム化合物から分離し、それによって生じたナトリウムやマグネシウムの副産物は地下に保存されるかボタ山に積み上げられる。採掘されたカリウム鉱石の大部分は処理されて最終的に塩化カリウムとなる。塩化カリウムは鉱山産業において、カリ(potash)、カリの塩(muriate of potash)もしくは単純にMOPと呼ばれる。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "試薬グレードの金属カリウムは、1ポンドあたりおよそ10ドル(1 kgあたり22ドル)で売られている。純度の低いものは相応に安く販売される。カリウム金属市場は、金属カリウムの長期保管が困難であるために不安定である。金属カリウムは、その表面で超酸化カリウムが形成されないように乾燥した不活性ガスもしくは無水の鉱油中で保存しなければならない。この超酸化物は引っかかれた際に爆発を起こす、感圧性の爆薬である。超酸化物の形成が引き起こす爆発は、時に消火の難しい火災を引き起こす。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "キログラム単位よりも多い量のカリウムは1 kgあたり700ドルと、非常に大きなコストが生じる。これは危険物の輸送に必要なコストのためである。", "title": "商業生産" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "人体で8番目もしくは9番目に多く含まれる元素であり、体重のおよそ0.2 %を占めている(すなわち、60 kgの成人ではおよそ120 gのカリウムが含まれる)。これは硫黄や塩素と同程度の含有量であり、主要なミネラルでカリウムより多く含まれているのはカルシウムとリンのみである。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "カリウムは人体に不可欠の電解質であり、脳および神経などにおけるニューロンの情報伝達に重要な役割を果たしている。カリウムはイオン(陽イオン)Kとしておもに細胞内に分布しており、その濃度は細胞内液が100–150 mol/m と高濃度に保たれているのに対し、細胞外液の濃度は3.5–4.5 mol/m程度と非常に小さく保たれている。これは、いわゆるナトリウム-カリウムイオンポンプの働きによるものである。このイオンポンプは、アデノシン三リン酸(ATP)を1個消費して、ナトリウムイオン3個を細胞外へと運び出し、カリウムイオン2個を細胞内へと運び込む。このイオンポンプの働きによって細胞の内外にイオン濃度差が生じ、細胞膜上に電気的な勾配を発生させる。この電気勾配は通常時は静止電位と呼ばれる値に保たれているが、カリウムイオンチャネルが開くとカリウムイオン濃度の高い細胞内からカリウムイオン濃度の低い細胞外へと濃度勾配の方向にカリウムイオンが移動し、また、ナトリウムイオンチャネルが開くと、同様にナトリウム濃度の高い細胞外からナトリウムイオン濃度の低い細胞内へとナトリウムイオンが移動する。カリウムイオンはナトリウムイオンよりもイオン半径が大きく、その違いによって細胞膜のイオンポンプおよびイオンチャネルはこれらを区別することができ、一方を通過させてもう一方を通過させないように選択的に機能することが可能である。このイオンチャネルの開閉による細胞内外のイオン濃度のバランスの変化によって膜電位(細胞外に対する細胞内電位)が変化し、それによって活動電位が発生(いわゆる「点火」)する。この活動電位が伝導することで情報が伝達されていく。活動電位が生じて細胞膜が脱分極(ナトリウムイオンの移動によって正の膜電位が発生)している場合には、カリウムイオンチャネルが開くことで再分極(膜電位が静止電位に戻る)させることになる。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "また、右心房にある洞房結節から発生する活動電位によって心拍の調節が行われているが、そのためには適切なカリウムイオン濃度が必要である。静脈注射、あるいは何らかの異常によりカリウムイオンの血中濃度が過剰になる高カリウム血症となった場合、洞房結節のペースメーキングに変調を生じさせ、致命的な不整脈を引き起こしたり、心停止に至ることもある。また、心臓などの外科手術で心停止が必要な場合には塩化カリウムが用いられ、塩化カリウムはアメリカ合衆国において薬殺刑にも用いられる。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "経口摂取の場合、吸収は比較的緩やかである。また、吸収後は細胞へ速やかに取り込まれることや、過剰分が腎臓のK調節機能により排泄されることなどから、細胞外液中濃度は低レベルに維持される。1981年にモネル・ケミカル・センシズ・センターが発表したアルカリ金属のハロゲン化物に対する味覚調査によると、臭化カリウムおよび塩化カリウムの溶液に対する味覚は、濃度が希薄な状態では苦味が強いが、濃くなるほど苦味が弱まって塩味が強くなる傾向が示された。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "一日の所要量は約0.8–1.6 gとされる。2016年3月更新の厚生労働省「日本人の食事摂取基準」によると、目安量は男性3000 mg/日、女性2600 mg/日(いずれも15歳以上)と勧告されているが、アメリカ、イギリスでは生活習慣病予防の観点から、男女ともに目安量4700 mg/日、推奨量3500 mg/日としている。植物、動物の細胞には豊富に含まれており、通常の食事で生命を維持するために必要なカリウムは十分に賄われる。そのため、カリウムの血中濃度の低下による低カリウム血症(カリウム欠乏症)の顕著な徴候や症状が健康な人に現れることは稀である。カリウムの豊富な食品として、パセリや乾燥させたアンズ、粉ミルク、チョコレート、木の実(特にアーモンドとピスタチオ)、ジャガイモ、タケノコ、バナナ、アボカド、ダイズ、糠などに特に多く含まれるが、大部分の果実、野菜、肉、魚において人体に十分な量が含まれている。なお、カリウムの最適摂取量に関しては、いくつかの議論が存在する。たとえば、アメリカ医学研究所は2004年にカリウムの食事摂取量基準(英語版)を1日あたり4000 mg(100 mEq)と指定したが、アメリカ人の平均的カリウム摂取量はその半分程度しかないため、大部分が摂取不足であることになる。同様に欧州連合、特にドイツとイタリアにおいても、カリウムは一般的に摂取不足の傾向にあると考えられている。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "高血圧についての疫学的研究および動物実験の結果、カリウム含有量の高い食品の摂取によって高血圧のリスクを低減できることが示され、高血圧を原因としない脳卒中についても低減されると考えられている。イタリアの研究者によるメタアナリシスに基づいた報告(2011年)によると、一日に1.46 g以上カリウムを摂取すると脳卒中のリスクが21 %低減するとされる。また、ラットを用いた研究において、カリウムの欠乏はチアミン(ビタミンB1)の摂取不足と複合すると心臓病を誘発することが示された。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "医薬的用途のカリウムサプリメントはループ利尿薬やサイアザイド利尿薬と併用して使われることが多い。これは、利尿剤の薬効として尿が体外へ排出される際に副作用として排出されてしまうカリウムの補充を目的としている。典型的な医薬用サプリメントは、一回につき400 mg(10 mgEq、牛乳250 mLや100 %オレンジジュース200 mLに含まれるカリウムとほぼ同等)から800 mg(20 mgEq)の範囲で服用される。多くのサプリメントに使われている塩化カリウムは、胃や腸の粘膜に刺激を与えるため、消化管通過障害のある患者には禁忌である。また、カリウムイオンが高濃度となることで細胞破壊を引き起こす恐れもあるため、一般的に、浸出を緩やかにするタブレットやカプセルなどの形態で提供される。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "非医薬的用途としてもカリウムサプリメントは広く利用されている。塩化カリウムのようなカリウム塩は水によく溶けるものの、濃度の高い溶液では味覚(苦味と塩味)を刺激するため、サプリメント飲料などにおいては、経口摂取の障害とならないよう口当たりをよくする研究も行われている。なお、健康的な悪影響を避けるため、アメリカでは処方箋不要なカリウム錠のカリウム含有量を一錠あたり99 mg以下に法規制している。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "体内のカリウム濃度が高まると高カリウム血症が引き起こされ、致命的な不整脈を誘発する危険がある。健康であれば、カリウムを過剰に摂取しても腎臓の調節機能によりカリウム濃度は抑制されているが、腎臓病の患者においては、腎不全によってカリウム濃度の制御機能が低下しているため対応できない。このような腎不全による高カリウム血症の対症療法として、カリウムの摂取制限やカリウムイオン交換樹脂薬の服用などが行われる。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一方、嘔吐、下痢、多尿症などによって引き起こされる体液中のカリウム不足は、低カリウム血症として知られる致命的な状態を引き起こすことがある。これは、カリウムが生体の神経伝達において非常に重要な役割を担っていることと関連している。カリウム欠乏の徴候としては、筋力の低下、イレウス(腸閉塞)、心電図の異常、反射機能の低下が挙げられ、重度の場合では呼吸困難やアルカローシス、不整脈も認められる。", "title": "カリウムと人体" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "植物にとってカリウムは、新陳代謝を良くし、葉や茎を丈夫にする不可欠な要素である。植物の生育に欠かせないため、窒素、リン酸と並んで肥料の三要素の一つに数えられる。", "title": "カリウムと植物" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "カリウム不足になると植物の伸長が抑えられ、幼葉が青緑色になることがある。一方、カリウム過多になると、窒素、カルシウム、マグネシウムの吸収が阻害される。", "title": "カリウムと植物" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "カリウムはほかの多くの元素と同じように、金属カリウム単体としてよりも、カリウム化合物としての用途のほうが重要である。しかし、同じアルカリ金属であるナトリウムがカリウムとほぼ同じような用途を持つため、より安価なナトリウム塩で代替可能な用途も多く、コスト面で劣るカリウムの用途は非常に限られている。たとえば、2008年度の水酸化ナトリウムの日本における消費量は98万6744トンであるが、同年の水酸化カリウムの日本における消費量は2万8044トンでしかない。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "カリウムイオンは植物にとって重要な主要栄養元素のひとつであり、さまざまなタイプの土壌に含まれている。近代の高収穫率な農業においては、土壌中のカリウムは自然に供給されるよりも非常に速い割合で消費されるため、肥料としてカリウムを人工的に土壌に補給する必要がある。大部分の種類の農作物に含まれるカリウム量は通常収穫量の0.5–2 %の範囲であり、それだけの量のカリウムが収穫ごとに土壌から持ち出される。カリウム肥料は農業や園芸、水耕栽培などの耕作、栽培において、塩化物(KCl)や硫酸塩(K2SO4)、硝酸塩(KNO3)のような形で利用される(また、植物由来の肥料である草木灰において炭酸塩(K2CO3)の形での利用がある)。世界で生産されるカリウム製品のおよそ93 %(2005年)が肥料として消費されており、そのうち90 %は塩化カリウムとして供給されている。塩化カリウムはカーナライト(KCl、MgCl2、6H2O)鉱石などから、塩化カリウムと塩化マグネシウムの溶解度差を利用して水中で分離することによって製造される。塩化物に敏感な作物や、硫黄分を必要とするような作物に対しては硫酸カリウムが用いられる。硫酸カリウムはラングバイナイト(英語版)(MgSO4、KCl、3H2O)やカイナイト(英語版)((Mg, K)SO4)のような鉱石の複分解によって生産される。硝酸カリウムの肥料としての消費量は非常に少ない。肥料成分の表記は通常、窒素、リン、カリウムの順に示され、カリウム量はK2Oとして表される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "前述のように、カリウムイオンは人の生命と健康を支えるのに重要な役目を果たす栄養素である。高血圧を抑えるためにナトリウムの摂取量を制限している人々によって、食塩の代替として塩化カリウムが用いられる(代用塩)。昆布、わかめ、ひじきなどの海藻類に多く含まれる。アメリカ合衆国農務省は、トマトペースト、オレンジジュース、テンサイ、ホワイトビーンズ、ジャガイモ、バナナその他多くのカリウムをよく含む食品をリストアップし、カリウム含有量をランク付けしている。一方で腎臓病の患者にはカリウム摂取制限を行う必要があり、近年は水耕栽培でカリウム含有量を大幅に抑えたレタスなどの生野菜の生産も行われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "酒石酸カリウムナトリウム(KNaC4H4O6、ロッシェル塩)はベーキングパウダーの主成分であり、鏡に銀メッキをする際にも用いられる。臭素酸カリウムは強力な酸化剤(E924)であり、パン生地や魚肉練り製品の改良剤として用いられていた。また、亜硫酸水素カリウム(KHSO3)はワインやビールなどの防腐剤として用いられていたが、肉には用いられなかった。亜硫酸水素カリウムは織物や麦わらの漂白剤としてや、皮なめし剤としても用いられていた。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "純粋なカリウム蒸気は数種類の磁気センサに用いられる。また、光電子素子としても用いられる。ナトリウムとカリウムの合金(NaK、ナトリウムカリウム合金)は熱交換媒体として原子炉の冷却材などに低融点合金として用いられる液体であり、希ガスや溶媒からわずかに含まれる二酸化炭素や水、あるいは酸素を高度に除去するための反応剤、乾燥剤としても用いられる。ナトリウムカリウム合金はまた、反応性蒸留(英語版)においても用いられる。ナトリウム、カリウム、セシウムをそれぞれ12 %、47 %、41 %含んだ三元合金は、合金としては最低である融点−78 °Cを持つ。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "すべてのカリウム化合物は強いイオン性を有しているため、カリウムはしばし有用な陰イオンを保持させるのに用いられ、その一例として、クロム酸カリウム(K2CrO4)がある。クロム酸カリウムは黄色の染料やインク、爆薬や花火、皮なめし剤、ハエ取り紙、安全マッチなどさまざまな用途に用いられるが、これらはカリウムイオンの特性というよりはむしろクロム酸イオンの特性であり、カリウムイオンはクロム酸イオンを保持する役目を担っている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "水酸化カリウムは強塩基であり、強酸や弱酸を中和してpHをコントロールするために用いられる。また、カリウム塩類の生産や、エステルの加水分解反応、洗剤産業における油脂のけん化などにも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "硝酸カリウム(KNO3、硝石)は、火薬(黒色火薬)において酸化剤として働き、また肥料としても重要である。歴史的には、チリ硝石の主成分である硝酸ナトリウムに塩化カリウムを反応させる「転化法」と呼ばれる方法によって工業生産されていたが、ハーバー・ボッシュ法による空気から化学的に窒素を固定する手法(化学的窒素固定法)が確立してからは、炭酸カリウムもしくは水酸化カリウムを硝酸に溶解させる方法で作られるようになった。また、グアノや蒸発岩などの天然鉱石からも得られる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "シアン化カリウム(KCN、青酸カリ)は銅や貴金属(特に金や銀)を錯体を形成することによって溶解させる用途に使われ、それらの金属の電鋳や電解めっき、金鉱山の採掘にも用いられる。シアン化カリウムはまた、有機合成においてニトリル類を合成するためにも用いられ、さらには、シアン化銀とともにメッキ浴としても用いられる。シアン化カリウムはこのように多くの用途を有する有用な化合物であるが、生物に対して非常に強い毒性を示す。炭酸カリウム(K2CO3、ポタッシュ)は穏やかな乾燥剤として用いられ、ガラスや石鹸、カラーテレビのブラウン管、蛍光灯、織物の染料や顔料の製造にも利用される。過マンガン酸カリウム(KMnO4)は酸化剤や漂白剤、浄化物質として利用され、サッカリンの製造にも用いられる。塩素酸カリウム(KClO3)はマッチや爆薬に加えられる。臭化カリウム(KBr)は、以前は写真の定着剤や医薬品の鎮静剤として用いられていた。また、フェリシアン化カリウムやフェロシアン化カリウムも写真の作成に利用される。ヘキサフルオロケイ酸カリウム(K2SiF6)は琺瑯や陶器の釉薬、特殊ガラスなどの用途に利用される。ヨウ化カリウム(KI)は殺菌消毒薬などに使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "超酸化カリウムは橙色固体であり、持ち運び可能な酸素源として自給式ガスマスクに用いられる。気体の酸素よりも使用する容積が小さくて済むため、鉱山や潜水艦、宇宙船において呼吸のための酸素供給システムとしても広く用いられている。また、過酸化カリウムは二酸化炭素吸収剤として利用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ヘキサニトロコバルト(III)酸カリウム(K3[Co(NO2)6]、硝酸コバルトカリウムとも呼ばれる)はオーレオリンもしくはコバルトイエローと呼ばれる色の絵の具として用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "カリウムアミドは、強い求核性を有するアミドアニオン(NH2)源として芳香族求核置換反応などに利用される強塩基性の化合物であり、液体アンモニアにカリウムを反応させることで得られる。また、有機金属化合物であるアルキル化カリウムは、しばし反応の中間体として利用されている。しかし、単離されたアルカリ金属のアルキル化合物は少なく、その例外的なものとしてメチルカリウム(CH3K)がある。これはメチル水銀とナトリウム-カリウム合金との反応によって得られ、副生成物としてナトリウムアマルガムが形成される。カリウムの金属有機化合物はイオン性物質であるため炭化水素などの有機溶媒への溶解性はそれほど高くない。また、反応性が強く空気中で発火し、水と激しく反応する。カリウムのアルコキシドは強塩基性の求核剤としてハロアルカンの脱離反応などに利用される。代表的なものにクライゼン縮合に利用されるカリウム tert-ブトキシドがある。このようなカリウムのアルコキシドは、水素化カリウムもしくは金属カリウムとアルコールとを反応させることによって合成される。水素化カリウムは、アルコールのヒドロキシ基からプロトンを引き抜くことが可能なほどの強力な塩基であり、反応後の副生成物が水素しか発生しない利点を有している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "臭化カリウムは、赤外分光法において分析試料の錠剤を作るためのマトリックスとして用いられる(臭化カリウム錠剤法)。フェリシアン化カリウム(ヘキサシアノ鉄(III)酸カリウム、赤血塩) K3[Fe(CN)6] は、チオクローム法と呼ばれるチアミン(ビタミンB1)の分析において、チアミンを酸化させる酸化剤として用いられる。また、フェリシアン化カリウムはフェロシアン化カリウム(ヘキサシアノ鉄(II)酸カリウム)K4[Fe(CN)6] とともに、鉄イオンの定性分析にも用いられる。二クロム酸カリウム(K2Cr2O7)や過マンガン酸カリウムは、その強い酸化力を利用して酸化還元滴定における1次標準物質として用いられる。また、一価のカリウムイオンのイオン半径はNH4のそれと非常に近い値であるので、NH4と置換が可能である。それゆえ、実験において水素結合の影響の有無を調べたい時に、水素結合を形成するNH4を、水素結合を形成しないKと置換して、結果に変化が生じるか否かを観察するということが行われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "前述のカリウム40がアルゴン40へと崩壊する特性は、一般的に岩の放射年代測定に利用されている(カリウム-アルゴン法)。岩石がマグマから形成された時点では岩石中にアルゴン40は含まれていないが、岩石が形成されて以降は岩石中のカリウム40の崩壊によってアルゴン40が生成し岩石中に蓄積されていく。岩石中のアルゴン40の存在量は、岩石が形成されてからの時間に比例して増加していくため、岩石中のカリウム40の濃度と蓄積されたアルゴン40の量を測定することで岩石の年代を推定することができる。年代測定にもっとも適した鉱石には、白雲母、黒雲母、深成岩/広域変成岩の角閃石や火山岩の長石などがある。火山流や浅い貫入に由来する岩石試料もまた、加熱されて試料中のアルゴンが失われるような変化を受けていないそのままの状態の試料であれば、すべて年代測定することができる。年代測定以外では、カリウムの同位体は風化の研究における放射性トレーサーとして幅広く用いられる。また、カリウムが生命維持のために必要とされる栄養素であるため、生物地球化学的循環の研究にも用いられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "カリウム40はフェルミ粒子であるため、低温物理学において使われることがある。2003年には50万個のカリウム40原子を用いてフェルミ凝縮による縮退物を生成することに成功し、2013年には10万個のカリウム40原子を用いて絶対零度を下回る負温度の状態を実現することに初めて成功した。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "カリウムは、草木を焼いた灰として古来から利用されてきたが、これがナトリウム塩とは根本的に異なる物質であるということは理解されていなかった。元素としてのカリウムや、ほかの塩類から分離された独立した要素としてのカリウム塩類は古代ローマ時代には知られておらず、元素のラテン語名は古典ラテン語でなく、むしろ新ラテン語であった。カリウムは、カノのハウサ人による濃青色の織物を生産するために、灰とインディゴ、湯を混ぜ合わせて使われていた秘密の成分であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1736年、ゲオルク・シュタールはナトリウムとカリウムの塩の重要な差異について彼が提唱するに至った実験的な徴候を得、1736年、アンリ=ルイ・デュアメル・デュ・モンソーによってその違いが証明された。1807年、イギリスのハンフリー・デービーが新しく発見されたボルタ電池を用いて、水酸化カリウム(苛性カリ)を電気分解(溶融塩電解)することによって金属カリウムを初めて単離した。この元素は電気分解によって分離された最初の金属であった。植物はほとんどナトリウムを含有しないため、potashはおもにカリウム塩であり、残りの成分は主に水溶性の低いカルシウム塩である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "その数年後、デービーはカリウムを単離したのと類似した技術によって、植物塩でない、鉱石より誘導された水酸化ナトリウムから金属ナトリウムを単離し、カリウムとナトリウムの元素、塩類が違う物質であることを示した。この単離された金属ナトリウムおよび金属カリウムがともに元素であることが示されたが、この見解が一般に認められるまでには長い時間がかかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "長い間、カリウムの大きな用途はガラス、石鹸と漂白剤の製造に限られていた。動物性油脂および木炭や植物油から作られるカリウム石鹸は軟石鹸として知られ、非常に水によく溶け柔らかい傾向があり重宝されていた。1840年ドイツのユストゥス・フォン・リービッヒによって、カリウムが植物のために必要な元素であり、しかも大部分の土壌においてカリウムが欠乏していることが発見され、カリウム塩類の需要は急激に増加した。モミの木から作られる木の灰がカリウム源として使われていたが、ドイツのシュタースフルト(英語版)近郊においてカリウム塩を含んだ鉱床が発見され、1868年にドイツでカリウム肥料の工業規模の生産が始まった。その他のカリウム鉱床は、1960年代までにカナダで大きなものが発見され、主要な生産源となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "単体の金属カリウムは消防法第2条第7項および別表第一第3類1号により第3類危険物に指定されている。また毒物及び劇物取締法に定める劇物に該当する。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "カリウムは水と激しく反応し、水酸化カリウムと水素ガスを発生させる。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "この反応は発熱反応であり、その発熱量は発生した水素を引火させるのに十分な熱量である。そのため、酸素存在下において爆発するおそれがある。また、反応によって生じる水酸化カリウムは皮膚に炎症を起こし、眼球角膜を不可逆的に破壊し、失明を引き起こすほどの強アルカリである。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "カリウムの微細粒子は空気中において室温で発火し、加熱されれば塊状金属でも発火する。発火したカリウムに水をかけると、カリウムの密度は0.89 g/cmと水より軽いため、燃焼しているカリウムが水に浮かび大気中の酸素にさらに曝されることになり、また、水とカリウムの反応によって水素と反応熱が生成するため、カリウムによる火災はより一層悪化する。そのため、通常の消火活動ではカリウムによる火に対して、効果がないか悪化させることとなる。カリウムの火の消火には、乾燥した塩化ナトリウム(食卓塩)、炭酸ナトリウム(ソーダ灰)、および二酸化ケイ素(砂)が効果的である。また、金属火災用に設計された一部の粉末消火器や、窒素およびアルゴンも効果的である。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "カリウムはハロゲンと激しく反応し、臭素と反応すると爆発する。硫酸ともまた爆発的に反応する。燃焼によってカリウムは過酸化物や超酸化物を形成し、これらは油のような有機物もしくは金属カリウムと激しく反応する可能性がある。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "カリウムは空気中の水蒸気と反応するため、通常乾燥した鉱油中で保管されるが、リチウムやナトリウムと異なり無期限に鉱油中に保存してはいけない。半年から1年以上保管されると、刺激に敏感な過酸化物が金属カリウム上や保管容器のふたの下に形成され、ふたを開けた際に爆発する。そのため、カリウムは酸素を含まない不活性な気体もしくは真空下で保存しない限り、3か月以上は保管しないことが推奨される。", "title": "危険性" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "金属カリウムは反応性が非常に高いため、扱う人の皮膚や目を完全に保護し、カリウムとの間に防爆壁を置くことが望ましく、非常に慎重に取り扱わなければならない。", "title": "危険性" } ]
カリウムは原子番号19番の元素である。ポタシウム(剥荅叟母、Potassium ) 、加里(カリ)ともいう。元素記号はK。原子量は39.10。アルカリ金属、典型元素のひとつ。生物にとって必須元素である。
{{混同|ガリウム}} {{Elementbox |name=potassium |japanese name=カリウム |number=19 |symbol=K |left=[[アルゴン]] |right=[[カルシウム]] |above=[[ナトリウム|Na]] |below=[[ルビジウム|Rb]] |series=アルカリ金属 |series comment= |group=1 |period=4 |block=s |series color= |phase color= |appearance=銀白色 |image name=Potassium.JPG |image size= |image name comment= |image name 2=Potassium Spectrum.jpg |image name 2 comment=カリウムのスペクトル線 |atomic mass=39.0983 |atomic mass 2=1 |atomic mass comment= |electron configuration=&#91;[[アルゴン|Ar]]&#93; 4s{{sup|1}} |electrons per shell=2, 8, 8, 1 |color= |phase=固体 |phase comment= |density gplstp= |density gpcm3nrt=0.89 |density gpcm3nrt 2= |density gpcm3mp=0.828 |melting point K=336.53 |melting point C=63.38 |melting point F=146.08 |boiling point K=1032 |boiling point C=759 |boiling point F=1398 |triple point K=336.35 |triple point kPa= |critical point K=2223 |critical point MPa=16<ref>{{RubberBible92nd|page=4.122}}</ref> |heat fusion=2.33 |heat fusion 2= |heat vaporization=76.9 |heat capacity=29.6 |vapor pressure 1= |vapor pressure 10= |vapor pressure 100= |vapor pressure 1 k= |vapor pressure 10 k= |vapor pressure 100 k= |vapor pressure comment= |crystal structure=body-centered cubic |japanese crystal structure=[[体心立方]] |oxidation states=1(強[[塩基性]]酸化物) |electronegativity=0.82 |number of ionization energies=4 |1st ionization energy=418.8 |2nd ionization energy=3052 |3rd ionization energy=4420 |atomic radius=[[1 E-10 m|227]] |atomic radius calculated= |covalent radius=[[1 E-10 m|203±12]] |Van der Waals radius=[[1 E-10 m|275]] |magnetic ordering=[[常磁性]] |electrical resistivity= |electrical resistivity at 0= |electrical resistivity at 20=72 n |thermal conductivity=102.5 |thermal conductivity 2= |thermal diffusivity= |thermal expansion= |thermal expansion at 25=83.3 |speed of sound= |speed of sound rod at 20=2000 |speed of sound rod at r.t.= |Young's modulus=3.53 |Shear modulus=1.3 |Bulk modulus=3.1 |Poisson ratio= |Mohs hardness=0.4 |Vickers hardness= |Brinell hardness=0.363 |CAS number=7440-09-7 |isotopes= {{Elementbox_isotopes_stable | mn=39 | sym=K | na=93.26 % | n=20}} {{Elementbox_isotopes_decay3 | mn=40 | sym=K | na=0.012 % | hl=[[1 E16 s|1.248(3) × 10{{sup|9}}]] [[年|y]] | dm1=[[ベータ崩壊|β{{sup|&minus;}}]] | de1=1.311 | pn1=40 | ps1=[[カルシウム|Ca]] | dm2=[[電子捕獲|ε]] | de2=1.505 | pn2=40 | ps2=[[アルゴン|Ar]] | dm3=[[陽電子放出|β{{sup|+}}]] | de3=1.505 | pn3=40 | ps3=[[アルゴン|Ar]]}} {{Elementbox_isotopes_stable | mn=41 | sym=K | na=6.73 % | n=22}} |isotopes comment= }} '''カリウム'''({{lang-de|Kalium}} {{IPA-de|ˈkaːliʊm|}}、{{Lang-lan|kalium}})は[[原子番号]]19番の[[元素]]である。'''ポタシウム'''(剥荅叟母、{{en|Potassium}} {{IPA-en|poʊˈtæsiəm|}}) 、'''加里'''(カリ)ともいう。[[元素記号]]は'''K'''。[[原子量]]は39.10。[[第1族元素#アルカリ金属|アルカリ金属]]、[[典型元素]]のひとつ。[[生物]]にとって[[必須元素]]である。 ==語源== 英語の {{en|''potassium''}}(ポタシウム)という名称は、{{en|''potash''}} という言葉に由来する<ref>{{cite journal|first=Humphry|last=Davy|title=On some new phenomena of chemical changes produced by electricity, in particular the decomposition of the fixed alkalies, and the exhibition of the new substances that constitute their bases; and on the general nature of alkaline bodies|page=32|year=1808|volume=98|journal=Philosophical Transactions of the Royal Society|url=https://books.google.com/books?id=gpwEAAAAYAAJ&pg=PA32|doi=10.1098/rstl.1808.0001|doi-access=free}}</ref>。これは、様々なカリウム塩を抽出する初期の方法で、木や葉を燃やした灰 ({{en|''ash''}}) を鍋 ({{en|''pot''}}) に入れ、水を加えて加熱し、溶液を蒸発させるというものである。1807年にイギリスの[[ハンフリー・デービー]]が[[電気分解]]によってカリウム元素を単離した際に、{{en|''potash''}} に因んで {{en|''potassium''}} と命名した。 「カリウム」という名称および元素記号"K"は、[[アルカリ]]の語源である {{la|''kali''}} に由来しており、{{la|''kali''}} はアラビア語で「植物の灰」を意味する {{lang-ar|القَلْيَه}} ({{lang|ar-latn|''al-qalyah''}}) に由来する<ref name=murakami>{{cite book | 和書 | title = 元素を知る事典: 先端材料への入門 | author = 村上雅人 | publisher = 海鳴社 | year = 2004 | page = 100 | isbn = 9784875252207}}</ref>。1797年、ドイツの[[マルティン・ハインリヒ・クラプロート|マルティン・クラプロート]]は、{{仮リンク|リューサイト|en|Leucite}}と[[リチア雲母]]という鉱物の中に {{en|''potash''}} を発見し、{{en|''potash''}} が植物の成長の産物ではなく、実は新しい元素を含んでいることに気付き、これを {{la|''kali''}} と呼ぶことを提案した<ref>Klaproth, M. (1797) "Nouvelles données relatives à l'histoire naturelle de l'alcali végétal" (New data regarding the natural history of the vegetable alkali), ''Mémoires de l'Académie royale des sciences et belles-lettres'' (Berlin), pp. 9–13 ; [https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015073704093;view=1up;seq=103 see p. 13.] From p. 13: ''"Cet alcali ne pouvant donc plus être envisagé comme un produit de la végétation dans les plantes, occupe une place propre dans la série des substances primitivement simples du règne minéral, &I il devient nécessaire de lui assigner un nom, qui convienne mieux à sa nature.<br /> ''La dénomination de ''Potasche'' (potasse) que la nouvelle nomenclature françoise a consacrée comme nom de tout le genre, ne sauroit faire fortune auprès des chimistes allemands, qui sentent à quel point la dérivation étymologique en est vicieuse. Elle est prise en effet de ce qu'anciennement on se servoit pour la calcination des lessives concentrées des cendres, de pots de fer (''pott'' en dialecte de la Basse-Saxe) auxquels on a substitué depuis des fours à calciner.<br /> ''Je propose donc ici, de substituer aux mots usités jusqu'ici d'alcali des plantes, alcali végétal, potasse, &c. celui de ''kali'', & de revenir à l'ancienne dénomination de ''natron'', au lieu de dire alcali minéral, soude &c."''<br /> (This alkali [i.e., potash] — [which] therefore can no longer be viewed as a product of growth in plants — occupies a proper place in the originally simple series of the mineral realm, and it becomes necessary to assign it a name that is better suited to its nature.<br /> The name of "potash" (''potasse''), which the new French nomenclature has bestowed as the name of the entire species [i.e., substance], would not find acceptance among German chemists, who feel to some extent [that] the etymological derivation of it is faulty. Indeed, it is taken from [the vessels] that one formerly used for the roasting of washing powder concentrated from cinders: iron pots (''pott'' in the dialect of Lower Saxony), for which roasting ovens have been substituted since then.<br /> Thus I now propose to substitute for the until now common words of "plant alkali", "vegetable alkali", "potash", etc., that of ''kali'' ; and to return to the old name of ''natron'' instead of saying "mineral alkali", "soda", etc.)</ref>。1807年、[[ハンフリー・デービー]]が電気分解によってこの元素を単離した。1809年、ドイツの{{仮リンク|ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・ギルバート|en|Ludwig Wilhelm Gilbert}}がデービーの {{en|''potassium''}} に {{de|''Kalium''}} という名前を提案した<ref>{{cite journal|author=Davy, Humphry |year=1809|title=Ueber einige neue Erscheinungen chemischer Veränderungen, welche durch die Electricität bewirkt werden; insbesondere über die Zersetzung der feuerbeständigen Alkalien, die Darstellung der neuen Körper, welche ihre Basen ausmachen, und die Natur der Alkalien überhaupt|trans-title=On some new phenomena of chemical changes that are achieved by electricity; particularly the decomposition of flame-resistant alkalis [i.e., alkalies that cannot be reduced to their base metals by flames], the preparation of new substances that constitute their [metallic] bases, and the nature of alkalies generally|journal=Annalen der Physik|volume=31|issue=2|pages=113–175|url=https://books.google.com/books?id=vyswAAAAYAAJ&pg=PA157|quote=p. 157: In unserer deutschen Nomenclatur würde ich die Namen ''Kalium'' und ''Natronium'' vorschlagen, wenn man nicht lieber bei den von Herrn Erman gebrauchten und von mehreren angenommenen Benennungen ''Kali-Metalloid'' and ''Natron-Metalloid'', bis zur völligen Aufklärung der chemischen Natur dieser räthzelhaften Körper bleiben will. Oder vielleicht findet man es noch zweckmässiger fürs Erste zwei Klassen zu machen, ''Metalle'' und ''Metalloide'', und in die letztere ''Kalium'' und ''Natronium'' zu setzen. — Gilbert. (In our German nomenclature, I would suggest the names ''Kalium'' and ''Natronium'', if one would not rather continue with the appellations ''Kali-metalloid'' and ''Natron-metalloid'' which are used by Mr. Erman [i.e., German physics professor [[Paul Erman]] (1764–1851)] and accepted by several [people], until the complete clarification of the chemical nature of these puzzling substances. Or perhaps one finds it yet more advisable for the present to create two classes, ''metals'' and ''metalloids'', and to place ''Kalium'' and ''Natronium'' in the latter — Gilbert.)|bibcode=1809AnP....31..113D|doi=10.1002/andp.18090310202}}</ref>。1814年、スウェーデンの[[イェンス・ベルセリウス]]は、{{la|''kalium''}} という名称と元素記号"K"を提案した<ref>Berzelius, J. Jacob (1814) ''Försök, att, genom användandet af den electrokemiska theorien och de kemiska proportionerna, grundlägga ett rent vettenskapligt system för mineralogien'' [Attempt, by the use of electrochemical theory and chemical proportions, to found a pure scientific system for mineralogy]. Stockholm, Sweden: A. Gadelius., [https://archive.org/stream/bub_gb_Uw0-AAAAcAAJ#page/n91/mode/2up p. 87.]</ref>。 英語圏とフランス語圏ではデービーが提案した「ポタシウム」という名称が採用され、ドイツ語圏ではギルバートが提案した「カリウム」という名称が採用された<ref>[http://www.vanderkrogt.net/elements/element.php?sym=K 19. Kalium (Potassium) – Elementymology & Elements Multidict]. vanderkrogt.net</ref>。[[国際純正・応用化学連合]] (IUPAC) では、元素記号はドイツ語から'''K'''とした<ref>McNaught, A. D. and Wilkinson,A. eds. (1997). ''Compendium of Chemical Terminology'', 2nd ed. (the "Gold Book"). IUPAC. Blackwell Scientific Publications, Oxford.</ref>一方、[[IUPAC名]]は英語から {{en|''potassium''}} としている。 日本の[[医学]]、[[薬学]]、[[栄養学]]などの分野では、[[英語]]の'''ポタシウム'''({{en|Potassium}} {{IPA-en|poʊˈtæsiəm|}})が使われることもある。しかし、実際の英語の発音は「ポタシ'''ア'''ム」である。和名では、かつて'''加里'''(カリ)または'''剥荅叟母'''(ぽたしうむ)という当て字が用いられた。 カリウム以後、新たに発見された金属元素にはラテン語の派生名詞中性語尾「{{la|-ium}}」をつける習慣が一般化した。非金属に「{{la|-ium}}」がつけられるのは[[ヘリウム]]だけである。(貴ガスに共通の語尾「-on」に直されようとしたこともあったが、定着しなかった。) == 単体の特徴 == [[File:FlammenfärbungK.png|thumb|right|カリウムの炎色反応]] カリウムの単体金属は激しい反応性を持つ。電子を1個失って陽イオンK{{sup|+}}になりやすく、自然界ではその形でのみ存在する。地殻中では2.6&nbsp;%を占める7番目に存在量の多い元素であり、[[花崗岩]]や[[カーナライト]]などの鉱石に含まれる。[[塩化カリウム]]の形で採取され、そのままあるいは各種の加工を経て別の化合物として、肥料、食品添加物、火薬などさまざまな用途に使用されている。 === 物理的性質 === 銀白色の[[金属]]で、常温・常圧で安定な結晶構造は[[体心立方構造]](BCC)である<ref name=basic24>[[#櫻井鈴木中尾2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003)]] 24頁。</ref>。比重は0.86で水より軽く、[[リチウム]]に次いで2番目に比重の軽い金属である。[[融点]]は{{val|63.7|u=degC}}、[[沸点]]は{{val|774|u=degC}}<ref name=basic24/>。[[ナイフ]]で簡単に切れる軟らかい金属である。 カリウムの[[電子配置]]は[Ar] 4s{{sup|1}}であり、電子を1つ失うことで非常に安定な[[アルゴン]]と同じ希ガス型の電子配置となる。そのため、カリウムの第1[[イオン化エネルギー]]は418.8&nbsp;kJ/molと非常に低く、容易に電子を1つ失いK{{sup|+}}の陽イオンとなる。対照的に、電子を2個失えば安定な希ガス型の電子配置が崩れるため、第2イオン化エネルギーは3052&nbsp;kJ/molと非常に高く<ref name="K+++">{{cite book|author=James, Arthur M.; Lord, Mary P.|title=Macmillan's Chemical and Physical Data|publisher=Macmillan| location=London| year=1992|isbn=0-333-51167-0}}</ref>、+2価の酸化状態の化合物は容易には形成されない<ref name="K-">{{ cite journal|journal = Angewandte Chemie International Edition|year = 1979|last = Dye|first= J. L. |title = Compounds of Alkali Metal Anions|volume = 18|issue = 8|pages = 587–598|doi = 10.1002/anie.197905871}}</ref>。このようにカリウムは1価の陽イオンに非常になりやすい性質を有しているが、[[アルカリド]]イオンのK{{sup|−}}も知られている<ref name="K-"/>。 [[炎色反応]]において、カリウムとその化合物は淡紫色を呈する。主要な輝線は波長404.5 nmの紫色のスペクトル線および、波長769.9 nmと766.5 nmの赤色の対となったスペクトル線(双子線)である<ref name=chitani83>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 83頁。</ref>。ナトリウムと共存していると、ナトリウムの強い黄色の発色によって覆い隠されることもあるが、[[コバルトガラス]]を使うことでこのナトリウムの強く黄色い炎色を除去することができる<ref>{{cite web | publisher = About.com | title = Qualitative Analysis – Flame Tests | author = Helmenstine, Anne Marie | url = http://chemistry.about.com/library/weekly/aa110401a.htm | accessdate = 2011-05-09}}</ref>。 === 化学的性質 === アルカリ金属類の窒素以外の試薬に対する反応性は[[電気陰性度]]が低いほど高くなるため、カリウムは、より電気陰性度の大きい[[リチウム]]、[[ナトリウム]]よりも反応性が高く、より電気陰性度の小さい[[ルビジウム]]、[[セシウム]]よりは反応性が低い<ref>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 249-250頁。</ref>。切断してすぐのカリウムの断面は銀色の外観をしているが、空気によってただちに酸化されて灰色へと変色していく<ref name=webelements/>。 [[水]]、[[第17族元素|ハロゲン元素]]と激しく発火して反応する。高温では[[水素]]とも反応し[[水素化カリウム]]を生成する<ref>Davy (1808) p. 25.</ref>。カリウムと水との反応においては、反応によって[[水素]]が発生し、さらに発生した水素が引火するに足る反応熱を生じるため爆発の危険がある<ref name=Vollhardt361/>。そのうえ、水素の燃焼によって生じた水が残ったカリウムと再び反応して水素をさらに発生させるため、金属カリウムが消費され尽くすまでこの反応は進行し続ける<ref name="HollemanAF"/>。このカリウムの性質は、金属カリウムやナトリウム-カリウム合金として、蒸留前に溶媒を乾燥させるための強力な乾燥剤として利用される<ref name="HollemanAF"/><ref name=B35>[[#Burkhardt|Burkhardt (2006)]] p. 35.</ref>。[[空気]]中においても[[酸素]]との接触により反応熱で自然発火することもある<ref name=daijiten>化学大辞典編集委員会 (編)『化学大辞典』共立出版、1993年。</ref>。そのため金属カリウムの保管は空気や水から遮断する必要があり、ほかのアルカリ金属と同様、鉱油や[[ケロシン]]のようなアルカリ金属類と直接反応をしない[[炭化水素]]中やアルゴンで満たしたガラスアンプル中などで保管される<ref name=murakami/>。[[アルコール]]とも反応して[[アルコキシド]]を生成する<ref name=Cotton>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 253頁。</ref>。カリウムは液体[[アンモニア]]に対する溶解度が非常に高く、0&nbsp;&deg;Cで1000&nbsp;gのアンモニアに対して480&nbsp;gのカリウムが溶解する。その溶液は黄みがかった青色であり、その[[電気伝導度]]は液体金属に類似している。純粋な液体アンモニアに対しては、徐々に反応してKNH{{sub|2}}を形成するが、微量の[[遷移金属]]元素の塩が存在していると反応が加速される<ref name=B32>[[#Burkhardt|Burkhardt (2006)]] p. 32.</ref>。 カリウムの化合物は、K{{sup|+}}イオンの水和エネルギーの高さのため水に対する溶解性が非常に高く、したがってカリウムイオンを沈降分離させることは困難である。考えられる沈降方法としては、[[テトラフェニルホウ酸ナトリウム]]や[[ヘキサクロリド白金(IV)酸]]、[[亜硝酸コバルチナトリウム]]との反応が挙げられる<ref name="HollemanAF"/>。 溶液中のカリウム濃度は、一般に{{仮リンク|フレーム測光法|en|Photoelectric flame photometer}}や[[原子吸光|原子吸光分析]]、[[イオンクロマトグラフィー]]によって測定される<ref>[[日本工業規格]]、JIS K0102 工場排水試験方法。</ref><ref>[[日本工業規格]]、JIS K0400-49-20 水質―ナトリウム及びカリウムの定量―第2部:原子吸光法によるカリウムの定量。</ref>。[[誘導結合プラズマ|誘導結合プラズマ発光分光分析]]<ref>[[#日本分析化学学会|日本分析化学学会 (2008)]] 97頁。</ref>、{{仮リンク|イオン選択電極|en|Ion selective electrode}}なども利用される。イオン選択電極を用いて測定する場合には、イオン選択電極において通常用いられる塩化カリウムを用いた塩橋を使用すると、塩橋からのカリウムイオンの混入により分析誤差が生じるため、カリウムを分析する際には硝酸アンモニウムなどが用いられる<ref>{{Cite web|和書|title=イオン選択電極|url=http://www.aandt.co.jp/jpn/ea_paper/pdf/ise_at.pdf|author=榊徹|year=2003|publisher=エーアンドティー|page=5|accessdate=2011-09-28}}</ref>。また、カリウムは非常にイオン化しやすいため、原子吸光分析を行う際にほかの共存元素のイオン化平衡に干渉(イオン化干渉)して、ほかの元素の測定値に影響を与える<ref>[[#日本分析化学学会|日本分析化学学会 (2008)]] 106頁。</ref>。 カリウムイオンは銀(1)イオンやタリウム(1)イオンとの“ナイトの動きの関係性”による類似点がよく知られている。“ナイトの動きの関係性”とは、主族元素後方において、ある元素と、その元素の一つ下の周期で二つ右の族であるような元素の間に相関が見られるという法則である。特にタリウムイオンは生化学的に類似性が強い。<ref>{{Cite book|title=レイナーキャム無機化学(原著第4版)|date=2016年10月20日|year=|publisher=株式会社 東京化学同人}}</ref> == 同位体 == {{main|カリウムの同位体}} カリウムは宇宙において、より軽い元素から合成される([[元素合成]])。カリウムの安定同位体は、[[超新星]]においてより軽い元素が急速に[[中性子捕獲]]することによって[[R過程]]を経由して形成される([[超新星元素合成]])<ref>{{cite book | author = Cameron, A. G. W. | title = Stellar Evolution, Nuclear Astrophysics, and Nucleogenesis | publisher = Chalk River Laboratory report CRL-41 | month = June | year = 1957 | url=http://www.fas.org/sgp/eprint/CRL-41.pdf}}</ref>。 カリウムには24種類の同位体が存在することが知られている。これらのうち、自然に産出するものはカリウム39(93.3&nbsp;%)、[[カリウム40]](0.0117&nbsp;%)、[[カリウム41]](6.7&nbsp;%)の3つである。 [[File:Potassium-40-decay-scheme.svg|thumb|left|カリウム40の崩壊]] これらのうち、[[質量数]]40のカリウム40は[[放射性同位体]]である。[[半減期]]はおよそ12.5億年である<ref name=NUBASE/>ため、[[地球]]創生時に取りこまれたものがいまだに[[自然|自然界]]に残存している(元をただせば[[超新星|超新星爆発]]で核反応が起こって生成・放出されたものとされる)。カリウム40のうち11.2&nbsp;%は、[[電子捕獲]]もしくは[[陽電子放出]](β{{sup|+}}崩壊)によって[[アルゴン40]]へと[[放射性崩壊|崩壊]]し、88.8&nbsp;%は陰電子崩壊(β{{sup|−}} 崩壊)によって非放射性の安定同位体である[[カルシウム40]]となる<ref name="NUBASE">{{cite journal| first = Audi| last = Georges|title = The NUBASE Evaluation of Nuclear and Decay Properties| journal = Nuclear Physics A| volume = 729| pages = 3-128| publisher = Atomic Mass Data Center| year = 2003| doi=10.1016/j.nuclphysa.2003.11.001| bibcode=2003NuPhA.729....3A}}</ref>。[[大気]]中に存在する[[アルゴン]]の多くの部分は、このカリウム40の崩壊により生成したものだと考えられている。また、大気中のアルゴン40の一部は[[宇宙線]]([[太陽]]からの[[放射線]])と反応することによりカリウム40となる。このためカリウム40は[[炭素14]]とともに常時生成されている。 カリウム40は、カリウムが商用の代用塩として大量に用いられるほどに自然界から十分な量が産出し、教室での実演のための放射線源に用いられる。このようにカリウムは大量に存在するうえに生体に含まれる量も多いため、健康な動物や人間にとって[[炭素14]]よりも大きな最大の[[被曝#内部被曝(internal exposure)|内部被曝]]源である。70 kgの体重の人間において、1秒間にカリウム40はおよそ4400個崩壊する<ref>{{cite web | url = http://www.fas.harvard.edu/~scdiroff/lds/QuantumRelativity/RadioactiveHumanBody/RadioactiveHumanBody.html | title = Radioactive Human Body | author = President and Fellows Harvard College | work = Harvard Natural Sciences Lecture Demonstrations | accessdate = 2011-10-01}}</ref>。天然カリウムの活性は31&nbsp;[[ベクレル|Bq]]/gである<ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=KRVXMiQWi0cC&pg=PA32&hl=de | page = 32 | title = Radioactive fallout in soils, crops and food | isbn = 9789251028773 | author = Winteringham, F. P. W. | year = 1989 | publisher=Food and Agriculture Organization of the United Nations | location=Rome | series=FAO Soils Bulletin 61 | accessdate = 2011-05-15}}</ref>。 == 産出 == [[File:PotassiumFeldsparUSGOV.jpg|thumb|カリウムを含んでいる[[長石]](花崗岩などの主成分)]] [[単体]]のカリウムは、カリウムのその強い反応性のために自然中からは産出しない<ref name=HollemanAF>{{cite book | publisher = Walter de Gruyter | location = Berlin | year = 1985 | edition = 91-100 | pages = | isbn = 3-11-007511-3 | title = Lehrbuch der Anorganischen Chemie | first = Arnold F. | last = Holleman | coauthors = Wiberg, Egon; Wiberg, Nils | chapter = Potassium | language = German}}</ref>。カリウムはさまざまな化合物として[[地殻]]のおよそ2.6&nbsp;%を占めており、地殻の2.8&nbsp;%を占めるナトリウムに次いで地殻中で7番目に存在量の多い元素である([[地殻中の元素の存在度]]も参照)<ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=iXfhFnoQBQ0C&pg=PA80&hl=de | publisher = Thomson Brooks/Cole | location = Belmont, CA | year = 2007 | title = Physical Geology: Exploring the Earth | author = Monroe, James Stewart; Wicander, Reed; Hazlett, Richard W. | edition = 6th ed. | page = 80 | isbn = 9780495011484}}</ref>。たとえば[[花崗岩]]はカリウムをおおよそ5&nbsp;%と、地殻の平均量以上を含んでいる。金属カリウムは非常に電気的に陽性であり([[電気陰性度]])、また非常に反応性が高いため、鉱石から直接生産することは難しい<ref name=webelements>{{cite web | publisher = Webelements | title = Potassium: Key Information | url = http://www.webelements.com/webelements/elements/text/K/key.html | author = Winter, Mark | accessdate = 2011-05-08}}</ref>。 工業原料としてのカリウム資源はほぼすべて塩化カリウムの形で採取される。年間生産量は3500万トン(K{{sub|2}}O換算、2008年)である<ref name=nirs>{{Cite web|和書| title = 自然起源放射性物質データベース(窒素肥料・リン酸肥料・カリ肥料) | url = http://www.nirs.go.jp/db/anzendb/NORMDB/PDF/24.pdf | publisher = 独立行政法人 放射線医学総合研究所 | format = pdf | pages = 10-11 | accessdate = 2011-05-08}}</ref>。2008年において、おもな産地はカナダ(30.0&nbsp;%)、ロシア連邦(19.2&nbsp;%)、ベラルーシ(14.2&nbsp;%)である<ref name=nirs/>。推定埋蔵量はK{{sub|2}}O換算でおよそ180億トン<ref name=nirs/>。カリウムは植物の成長に必須であるため、塩化カリウムの90&nbsp;%以上はそのまま、もしくは硫酸カリウムの形で肥料(カリ肥料)として用いられる<ref name=jetoc>{{Cite web|和書| url = http://www.jetoc.or.jp/safe/doc/J7447-40-7.pdf | title = SIDS 初期評価プロファイル 塩化カリウム | publisher = 一般社団法人 日本化学物質安全・情報センター | format = pdf | page = 2 | accessdate = 2011-05-08}}</ref>。残りは水酸化カリウムを経由して、炭酸カリウムとなる。 == 商業生産 == [[File:Museo de La Plata - Silvita.jpg|thumb|ニューメキシコで産出した[[カリ岩塩]]]] 純粋なカリウム金属は[[水酸化カリウム]]の電気分解という、19世紀初期に[[ハンフリー・デービー]]がカリウムを単離した方法とほぼ同じプロセスで単離することができる<ref name=webelements/>。この電気分解による製法は1920年代に開発され産業規模で用いられていたものの、金属ナトリウムと塩化カリウムを[[化学平衡]]を利用して反応させることによる熱的方法が1950年代には主流となった。この方法は反応時間および反応に用いるナトリウムの量を変えることでナトリウム-カリウム合金も生産することができる。[[フッ化カリウム]]と[[炭化カルシウム]]の反応を利用するグリースハイマー法もまた、カリウムの生産に利用される<ref name="indus"/><ref>{{cite book|title=Ullmann's encyclopedia of industrial chemistry|author=Burkhardt, Elizabeth R.|editor=Ullmann, Fritz; Bohnet, Matthias|publisher=Wiley-VCH|location=Weinheim|chapter=Potassium and Potassium Alloys|volume=29|page=83|year=2003}}</ref>。 : <chem>Na + KCl -> NaCl + K</chem> (熱的方法) : <chem>2KF + CaC2 -> 2K + CaF2 + 2C</chem> (グリースハイマー法) また、[[カーナライト]]や{{仮リンク|ラングバイナイト|en|Langbeinite}}、{{仮リンク|ポリハライト|en|Polyhalite}}、[[カリ岩塩]]などカリウム含有量が非常に高い[[鉱石]]を用いて、商業生産できる規模のカリウム塩類を抽出することもできる<ref name=indus>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=zNicdkuulE4C&pg=PA723&redir_esc=y&hl=ja | title =Industrial Minerals & Rocks | publisher = Society for Mining, Metallurgy, and Exploration | location = Littleton, CO | year = 2006 | author=Prud'homme, Michel; Krukowski, Stanley T. | editor=Kogel, Jessica Elzea; Trivedi, Nikhil C.; Barker, James M.; Krukowsk, Stanley T. | chapter = Potash | pages = 723–740 | isbn = 9780873352338}}</ref>。世界における主要なカリウムの供給源は[[カナダ]]、[[ロシア]]、[[ベラルーシ]]、[[ドイツ]]、[[イスラエル]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ヨルダン]]だが、ほかにも世界中のさまざまな場所で採掘されている<ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=EHx51n3T858C&hl=de | title = Potash: deposits, processing, properties and uses | isbn = 9780412990717 | author = Garrett, Donald E. | year = 1996 | location = London | publisher = Chapman & Hall}}</ref>。カナダの行政区、[[サスカチュワン州]]の地下3000[[フィート]]には、地球上で最大のカリウム鉱床が発見されている。サスカチュワンでは大規模な鉱山が1960年代から操業しており、{{仮リンク|ブレアモア|en|Blairmore, Alberta}}地層において、鉱山に縦穴貫通孔を通すために湿った砂を凍らせる手法を開発した。サスカチュワンのおもなカリウム採掘会社として{{仮リンク|ポタッシュ・コープ|en|Potash Corporation of Saskatchewan}}がある<ref>{{cite book | title = Encyclopedia of the Great Plains | author = Wishart, David J. | url = https://books.google.de/books?id=rtRFyFO4hpEC&pg=PA433&hl=de | page = 433 | publisher = University of Nebraska Press | year = 2004 | isbn = 9780803247871}}</ref>。 [[海]]はもうひとつの主要なカリウム源であるが、単位量あたりのカリウム含有量は0.39 g/Lと、ナトリウムが10.8 g/Lであるのと比べて非常に低い<ref name=USGSCS2008>{{cite web | url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/potash/mcs-2008-potas.pdf | first = Joyce A. | last = Ober | publisher = United States Geological Survey | title = Mineral Commodity Summaries 2008: Potash | year=2008 | accessdate = 2008-11-20}}</ref><ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=NXEmcGHScV8C&pg=PA3&hl=de | publisher = Springer | year = 2009 | title = Seawater Desalination: Conventional and Renewable Energy Processes | author = Micale, Giorgio; Cipollina, Andrea; Rizzuti, Lucio | editor = Cipollina, Andrea; Micale, Giorgio; Rizzuti, Lucio | page = 3 | isbn = 9783642011498 | location = Berlin}}</ref><ref name=USGSYB2006>{{cite web | url = http://minerals.usgs.gov/minerals/pubs/commodity/potash/myb1-2006-potas.pdf | first = Joyce A. | last = Ober | publisher = United States Geological Survey | title = Mineral Yearbook 2006: Potash | year = 2007 | accessdate = 2008-11-20}}</ref>。これはカリウムが土壌に吸着されやすく、また植物によって吸収されるためである<ref>荻野博『典型元素の化合物』岩波講座 現代科学への入門 11、岩波書店、2004年、150頁。ISBN 4-00-011041-1。</ref>。 [[File:Wintershall Monte Kali 12.jpg|thumb|left|カリウム鉱山の採掘の結果生じた、主として塩化ナトリウムからなる[[ボタ山]](ドイツ)]] さまざまな方法でカリウム塩類をナトリウムおよびマグネシウム化合物から分離し、それによって生じたナトリウムやマグネシウムの副産物は地下に保存されるか[[ボタ山]]に積み上げられる。採掘されたカリウム鉱石の大部分は処理されて最終的に塩化カリウムとなる。塩化カリウムは鉱山産業において、カリ({{en|potash}})、カリの塩({{en|muriate of potash}})もしくは単純にMOPと呼ばれる<ref name="indus"/>。 [[試薬]]グレードの金属カリウムは、1[[ポンド (質量)|ポンド]]あたりおよそ10[[アメリカ合衆国ドル|ドル]](1 kgあたり22ドル)で売られている。純度の低いものは相応に安く販売される。カリウム金属市場は、金属カリウムの長期保管が困難であるために不安定である。金属カリウムは、その表面で[[超酸化カリウム]]が形成されないように乾燥した不活性ガスもしくは無水の鉱油中で保存しなければならない。この超酸化物は引っかかれた際に爆発を起こす、感圧性の爆薬である。超酸化物の形成が引き起こす爆発は、時に消火の難しい火災を引き起こす<ref>{{cite web | url = http://www.galliumsource.com/index.html | title = Potassium Metal 98.50% Purity | publisher = Galliumsource.com | date = | accessdate = 2010-10-16}}</ref>。 キログラム単位よりも多い量のカリウムは1 kgあたり700ドルと、非常に大きなコストが生じる。これは[[危険物]]の輸送に必要なコストのためである<ref>{{cite web | url = http://www.mcssl.com/store/gallium-source/potassium-metal | title = 004 – Potassium Metal | publisher = Mcssl.com | date = | accessdate = 2010-10-16}}</ref>。 == カリウムと人体 == 人体で8番目もしくは9番目に多く含まれる元素であり、体重のおよそ0.2&nbsp;%を占めている(すなわち、60 kgの成人ではおよそ120 gのカリウムが含まれる)<ref>{{cite journal | doi = 10.1016/0883-2889(92)90208-V | title = A simple calibration of a whole-body counter for the measurement of total body potassium in humans | year = 1992 | author = Abdelwahab, M.; Youssef, S.; Aly, A.; Elfiki, S.; Elenany, N.; Abbas, M. | journal = International Journal of Radiation Applications and Instrumentation. Part A. Applied Radiation and Isotopes | volume = 43 | issue = 10 | pages = 1285-1289}}</ref>。これは[[硫黄]]や[[塩素]]と同程度の含有量であり、主要な[[ミネラル]]でカリウムより多く含まれているのは[[カルシウム]]と[[リン]]のみである<ref>{{cite book | author = Chang, Raymond | title = Chemistry | url = https://books.google.co.jp/books?id=huSDQAAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja | accessdate = 2011-05-29 | year = 2007 | publisher = McGraw-Hill Higher Education | location = Boston | isbn = 9780071105958 | page = 52}}</ref>。 === 神経伝達 === [[File:Scheme sodium-potassium pump-ja.svg|thumb|right|400px|ナトリウム-カリウムポンプによるイオンの輸送]] {{main|イオンチャネル|膜電位|活動電位}} カリウムは人体に不可欠の[[電解質]]であり、[[脳]]および[[神経]]などにおける[[ニューロン]]の情報伝達に重要な役割を果たしている。カリウムは[[イオン]]([[カチオン|陽イオン]])K{{sup|+}}としておもに[[細胞]]内に分布しており、その濃度は[[細胞内液]]が{{val|100|-|150|u=mol/m3}} と高濃度に保たれているのに対し、[[細胞外液]]の濃度は3.5&ndash;4.5 mol/m<sup>3</sup>程度と非常に小さく保たれている。これは、いわゆる[[Na+/K+-ATPアーゼ|ナトリウム-カリウムイオンポンプ]]の働きによるものである<ref>{{cite book | last = Campbell | first = Neil | title = Biology | year = 1987 | isbn = 0-8053-1840-2 | page = 795 | publisher = Benjamin/Cummings | location = Menlo Park}}</ref>。このイオンポンプは、[[アデノシン三リン酸]](ATP)を1個消費して、ナトリウムイオン3個を細胞外へと運び出し、カリウムイオン2個を細胞内へと運び込む。このイオンポンプの働きによって細胞の内外にイオン濃度差が生じ、[[細胞膜]]上に電気的な勾配を発生させる。この電気勾配は通常時は静止電位と呼ばれる値に保たれているが、[[カリウムチャネル|カリウムイオンチャネル]]が開くとカリウムイオン濃度の高い細胞内からカリウムイオン濃度の低い細胞外へと濃度勾配の方向にカリウムイオンが移動し、また、ナトリウムイオンチャネルが開くと、同様にナトリウム濃度の高い細胞外からナトリウムイオン濃度の低い細胞内へとナトリウムイオンが移動する。カリウムイオンはナトリウムイオンよりもイオン半径が大きく、その違いによって細胞膜のイオンポンプおよびイオンチャネルはこれらを区別することができ、一方を通過させてもう一方を通過させないように選択的に機能することが可能である<ref>{{cite journal | pmid = 17472437 | title = Structural and thermodynamic properties of selective ion binding in a K+ channel | author=Lockless, S. W.; Zhou, M.; MacKinnon, R. | journal = PLoS Biol | year = 2007 | volume = 5 | issue = 5 | page = e121}}</ref>。このイオンチャネルの開閉による細胞内外のイオン濃度のバランスの変化によって[[膜電位]](細胞外に対する細胞内電位)が変化し、それによって[[活動電位]]が発生(いわゆる「点火」)する。この活動電位が伝導することで情報が伝達されていく。活動電位が生じて細胞膜が[[脱分極]](ナトリウムイオンの移動によって正の膜電位が発生)している場合には、カリウムイオンチャネルが開くことで[[再分極]](膜電位が静止電位に戻る)させることになる。 また、右心房にある[[洞結節|洞房結節]]から発生する[[活動電位]]によって心拍の調節が行われているが、そのためには適切なカリウムイオン濃度が必要である。静脈注射、あるいは何らかの異常によりカリウムイオンの血中濃度が過剰になる[[高カリウム血症]]となった場合、洞房結節のペースメーキングに変調を生じさせ、致命的な[[不整脈]]を引き起こしたり、心停止に至ることもある。また、心臓などの外科手術で心停止が必要な場合には塩化カリウムが用いられ、塩化カリウムは[[アメリカ合衆国]]において[[薬殺刑]]にも用いられる<ref name="hyper">{{cite book|publisher=Lippincott Williams & Wilkins|url = https://books.google.co.jp/books?id=BfdighlyGiwC&pg=PA903&redir_esc=y&hl=ja| chapter = Potassium Chloride and Potassium Permanganate|location = Philadelphia|pages = pp. 903-905|title = Medical toxicology|isbn = 9780781728454|last = Schonwald|first = Seth|year = 2004}}</ref>。 === 摂取と健康 === 経口摂取の場合、吸収は比較的緩やかである。また、吸収後は細胞へ速やかに取り込まれることや、過剰分が腎臓のK{{sup|+}}調節機能により排泄されることなどから、細胞外液中濃度は低レベルに維持される。1981年にモネル・ケミカル・センシズ・センターが発表したアルカリ金属のハロゲン化物に対する[[味覚]]調査によると、臭化カリウムおよび塩化カリウムの溶液に対する味覚は、濃度が希薄な状態では[[苦味]]が強いが、濃くなるほど苦味が弱まって[[塩味]]が強くなる傾向が示された<ref name="Marfy">{{cite journal|author=Marfy, Claire; Cardello, A. V.; Brand, Joseph G.|year=1981|title=Tastes of Fifteen Halide Salts Following Water and NaCl: Anion and Cation Effects|url=http://nsrdec.natick.army.mil/LIBRARY/80-89/R81-77.pdf|journal=Physiology & Behavior|volume=26|pages=1083-1095}}</ref><ref name="hashimoto">{{cite news|title=塩・話・解・題 43 ハロゲン化合物の味と安全性|newspaper=たばこ塩産業新聞 塩事業版|date=2008-10-25|author=橋本壽夫|url=https://web.archive.org/web/20140831080036/http://www.geocities.jp/t_hashimotoodawara/salt6/salt6-08-10.html|accessdate=2011-08-25|publisher=JTクリエイティブサービス}}</ref>。 一日の所要量は約0.8&ndash;1.6 gとされる<ref name="kouseishou" />。2016年3月更新の厚生労働省「日本人の食事摂取基準」によると、目安量は男性3000 mg/日、女性2600 mg/日(いずれも15歳以上)と勧告されている<ref name="kouseishou">{{Cite web|和書| url = https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114400.pdf | year = 2016 | title = 日本人の食事摂取基準 | editor = 「日本人の食事摂取基準」策定検討会 | publisher = 厚生労働省 | pages = 252-255 | accessdate = 2018-05-01}}</ref>が、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]では生活習慣病予防の観点から、男女ともに目安量4700 mg/日、推奨量3500 mg/日としている<ref name="kouseishou" />。植物、動物の細胞には豊富に含まれており、通常の食事で生命を維持するために必要なカリウムは十分に賄われる。そのため、カリウムの血中濃度の低下による[[低カリウム血症]](カリウム欠乏症)の顕著な徴候や症状が健康な人に現れることは稀である<ref name=kouseishou />。カリウムの豊富な食品として、[[パセリ]]や乾燥させた[[アンズ]]、[[粉ミルク]]、[[チョコレート]]、[[種実類|木の実]](特に[[アーモンド]]と[[ピスタチオ]])、[[ジャガイモ]]、[[タケノコ]]、[[バナナ]]、[[アボカド]]、[[ダイズ]]、[[糠]]などに特に多く含まれるが、大部分の[[果実]]、[[野菜]]、[[食肉|肉]]、[[魚]]において人体に十分な量が含まれている<ref>{{cite web | url = http://apjcn.nhri.org.tw/server/info/books-phds/books/foodfacts/html/data/data5b.html | title = Potassium Food Charts | publisher = Asia Pacific Journal of Clinical Nutrition | accessdate = 2011-05-18}}</ref>。なお、カリウムの最適摂取量に関しては、いくつかの議論が存在する。たとえば、[[アメリカ医学研究所]]は2004年にカリウムの{{仮リンク|食事摂取量基準|en|Dietary Reference Intake}}を1日あたり4000 mg(100 m[[化学当量|Eq]])と指定したが、[[アメリカ人]]の平均的カリウム摂取量はその半分程度しかないため、大部分が摂取不足であることになる<ref>{{cite journal | title = Racial differences in blood pressure in Evans County, Georgia: relationship to sodium and potassium intake and plasma renin activity | journal = Journal of Chronicle Diseases | volume = 33 | issue = 2 | pages = 87-94 | year = 1980 | pmid = 6986391 | doi = 10.1016/0021-9681(80)90032-6 | author=Grim, C. E.; Luft, F. C.; Miller, J. Z.; Meneely, G. R.; Battarbee, H. D.; Hames, C. G.; Dahl, L. K.}}</ref>。同様に[[欧州連合]]、特に[[ドイツ]]と[[イタリア]]においても、カリウムは一般的に摂取不足の傾向にあると考えられている<ref>{{cite journal | url = http://content.karger.com/ProdukteDB/produkte.asp?Aktion=ShowPDF&ProduktNr=223977&Ausgabe=230671&ArtikelNr=83312&filename=83312.pdf | format = PDF | last = Karger | first = S. | journal = Annals of Nutrition and Metabolism | year = 2004 | volume = 48 | issue = 2 (suppl) | pages = 1-16 | title = Energy and nutrient intake in the European Union | doi = 10.1159/000083041}}</ref>。 [[高血圧]]についての疫学的研究および動物実験の結果、カリウム含有量の高い食品の摂取によって高血圧のリスクを低減できることが示され、高血圧を原因としない[[脳卒中]]についても低減されると考えられている。イタリアの研究者による[[メタアナリシス]]に基づいた報告(2011年)によると、一日に1.46&nbsp;g以上カリウムを摂取すると脳卒中のリスクが21&nbsp;%低減するとされる<ref>{{cite journal|author=D'Elia, L.; Barba, G.; Cappuccio, F.; Strazzullo, P.|year=2011|title=Potassium Intake, Stroke, and Cardiovascular Disease: A Meta-Analysis of Prospective Studies|journal=The Journal of the American College of Cardiology|volume=57|issue=10|pages=1210-1219|doi=10.1016/j.jacc.2010.09.070}}</ref>。また、[[ラット]]を用いた研究において、カリウムの欠乏は[[チアミン]](ビタミンB{{sub|1}})の摂取不足と複合すると[[心臓病]]を誘発することが示された<ref name=Folis1942>{{cite journal | last = Folis | first = R. H. | year = 1942 | title = Myocardial Necrosis in Rats on a Potassium Low Diet Prevented by Thiamine Deficiency | journal = Bulletin of the Johns-Hopkins Hospital | volume = 71 | page = 235}}</ref>。 === サプリメント === 医薬的用途のカリウム[[サプリメント]]は[[利尿薬#ループ利尿薬|ループ利尿薬]]や[[サイアザイド利尿薬]]と併用して使われることが多い。これは、利尿剤の薬効として尿が体外へ排出される際に副作用として排出されてしまうカリウムの補充を目的としている。典型的な医薬用サプリメントは、一回につき400 mg(10 mg[[化学当量|Eq]]、牛乳250 mLや100 %オレンジジュース200 mLに含まれるカリウムとほぼ同等)から800 mg(20 mg[[化学当量|Eq]])の範囲で服用される。多くのサプリメントに使われている塩化カリウムは、胃や腸の粘膜に刺激を与えるため、消化管通過障害のある患者には禁忌である。また、カリウムイオンが高濃度となることで細胞破壊を引き起こす恐れもあるため、一般的に、浸出を緩やかにするタブレットやカプセルなどの形態で提供される。 非医薬的用途としてもカリウムサプリメントは広く利用されている。塩化カリウムのようなカリウム塩は水によく溶けるものの、濃度の高い溶液では味覚(苦味と塩味)を刺激するため、サプリメント飲料などにおいては、経口摂取の障害とならないよう口当たりをよくする研究も行われている<ref name=bitter>{{cite book | author = Committee on Optimization of Nutrient Composition of Military Rations for Short-Term, High-Stress Situations; Committee on Military Nutrition Research | title = Nutrient composition of rations for short-term, high-intensity combat operations | url = https://books.google.co.jp/books?id=kFatoIBbMboC&pg=PT287&redir_esc=y&hl=ja | accessdate = 2011-05-29 | year = 2006 | publisher = National Academies Press | location = Washington, D.C. | isbn = 9780309096416 | pages = pp. 287 ff}}</ref><ref>{{cite book | author = Shallenberger, R. S. | title = Taste chemistry | url = https://books.google.co.jp/books?id=8_bjyjgClq0C&pg=PA120&redir_esc=y&hl=ja | accessdate = 2011-05-29 | year = 1993 | location = London | publisher = Blackie Academic & Professional | isbn = 9780751401509 | pages = pp. 120 ff}}</ref>。なお、健康的な悪影響を避けるため、アメリカでは[[処方箋]]不要なカリウム錠のカリウム含有量を一錠あたり99 mg以下に法規制している。 === 過剰摂取と欠乏症 === 体内のカリウム濃度が高まると[[高カリウム血症]]が引き起こされ、致命的な[[不整脈]]を誘発する危険がある<ref>{{cite book|和書|author=中屋豊|title=よくわかる栄養学の基本としくみ|year=2009|publisher=秀和システム|isbn=9784798022871|pages=167頁}}</ref>。健康であれば、カリウムを過剰に摂取しても腎臓の調節機能によりカリウム濃度は抑制されているが、[[腎臓病]]の患者においては、腎不全によってカリウム濃度の制御機能が低下しているため対応できない。このような腎不全による高カリウム血症の対症療法として、カリウムの摂取制限やカリウムイオン交換樹脂薬の服用などが行われる<ref>{{cite book|和書|author=嶋津孝、下田妙子|title=臨床栄養学 疾病編|edition=第2版|series=エキスパート管理栄養士養成シリーズ|year=2010|publisher=化学同人|isbn=4759812296|page=159}}</ref>。 一方、[[嘔吐]]、[[下痢]]、[[多尿症]]などによって引き起こされる体液中のカリウム不足は、[[低カリウム血症]]として知られる致命的な状態を引き起こすことがある<ref>{{cite book | publisher = Lippincott Williams & Wilkins | location = Philadelphia, PA | url = https://books.google.co.jp/books?id=_XavFllbnS0C&pg=PA812&redir_esc=y&hl=ja | page = 812 | chapter = Potassium | title = Pediatric critical care medicine | isbn = 9780781794695 | author = Slonim, Anthony D.; Pollack, Murray M. | year = 2006}}</ref>。これは、カリウムが生体の神経伝達において非常に重要な役割を担っていることと関連している。カリウム欠乏の徴候としては、筋力の低下、[[イレウス]](腸閉塞)、[[心電図]]の異常、[[反射 (生物学)|反射]]機能の低下が挙げられ、重度の場合では呼吸困難や[[アルカローシス]]、[[不整脈]]も認められる<ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=c4xAdJhIi6oC&pg=PT257&redir_esc=y&hl=ja | page = 257 | chapter = hypokalemia | title = Essentials of Nephrology | location = New Delhi | publisher=BI Publications | isbn = 9788172253233 | author=Visveswaran, Kasi | edition= 2nd ed. | year = 2009}}</ref>。 == カリウムと植物 == 植物にとってカリウムは、新陳代謝を良くし、葉や茎を丈夫にする不可欠な要素である<ref name="gifu">[https://www.gifu.crcr.or.jp/media/chousakenkyu/kenkyu/environment_01.pdf 岐阜県街路樹等整備・管理の手引き] 岐阜県建設研究センター、岐阜県造園緑化協会、2022年4月23日閲覧。</ref>。[[植物]]の生育に欠かせないため、[[窒素]]、[[リン酸]]と並んで[[肥料の三要素]]の一つに数えられる。 カリウム不足になると植物の伸長が抑えられ、幼葉が青緑色になることがある<ref name="gifu" />。一方、カリウム過多になると、窒素、カルシウム、マグネシウムの吸収が阻害される<ref name="gifu" />。 == 用途 == カリウムはほかの多くの元素と同じように、金属カリウム単体としてよりも、カリウム化合物としての用途のほうが重要である。しかし、同じ[[アルカリ金属]]であるナトリウムがカリウムとほぼ同じような用途を持つため、より安価なナトリウム塩で代替可能な用途も多く、[[コスト]]面で劣るカリウムの用途は非常に限られている。たとえば、2008年度の水酸化ナトリウムの日本における消費量は98万6744トンであるが、同年の水酸化カリウムの日本における消費量は2万8044トンでしかない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/seidou/result/ichiran/02_kagaku.html|title=年報 平成20年|work=経済産業省生産動態統計|accessdate=2011-06-10}}</ref>。 === 肥料 === [[File:Patentkali (Potassium sulfate with magnesium).jpg|thumb|硫酸カリウムおよび硫酸マグネシウムからなる肥料]] カリウムイオンは植物にとって重要な主要栄養元素のひとつであり、さまざまなタイプの土壌に含まれている<ref name=greenwood73>[[#greenwood1997|Greenwood (1997)]] p.73</ref>。近代の高収穫率な農業においては、土壌中のカリウムは自然に供給されるよりも非常に速い割合で消費されるため、肥料としてカリウムを人工的に土壌に補給する必要がある。大部分の種類の農作物に含まれるカリウム量は通常収穫量の0.5&ndash;2&nbsp;%の範囲であり、それだけの量のカリウムが収穫ごとに土壌から持ち出される。カリウム肥料は[[農業]]や[[園芸]]、[[水耕栽培]]などの耕作、栽培において、塩化物(KCl)や硫酸塩(K{{sub|2}}SO{{sub|4}})、硝酸塩(KNO{{sub|3}})のような形で利用される(また、植物由来の肥料である[[草木灰]]において炭酸塩(K{{sub|2}}CO{{sub|3}})の形での利用がある)。世界で生産されるカリウム製品のおよそ93&nbsp;%(2005年<ref name=USGSYB2006/>)が肥料として消費されており、そのうち90&nbsp;%は塩化カリウムとして供給されている<ref name=greenwood73/>。塩化カリウムはカーナライト(KCl、MgCl{{sub|2}}、6H{{sub|2}}O)鉱石などから、塩化カリウムと[[塩化マグネシウム]]の溶解度差を利用して水中で分離することによって製造される<ref name=chitani108>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 108頁。</ref>。塩化物に敏感な作物や、硫黄分を必要とするような作物に対しては硫酸カリウムが用いられる。硫酸カリウムは{{仮リンク|ラングバイナイト|en|Langbeinite}}(MgSO{{sub|4}}、KCl、3H{{sub|2}}O)や{{仮リンク|カイナイト|en|Kainite}}((Mg, K)SO{{sub|4}})のような鉱石の[[複分解]]によって生産される<ref>[[#足立岩倉馬場2004|足立、岩倉、馬場 (2004)]] 52頁。</ref>。硝酸カリウムの肥料としての消費量は非常に少ない<ref name=Kent>{{cite book| pages = pp. 1111-1157 | first = Amit H. | last = Roy | url = https://books.google.co.jp/books?id=AYjFoLCNHYUC&pg=PA167&redir_esc=y&hl=ja | isbn = 9780387278438 | location = New York | publisher = Springer | title = Kent and Riegel's handbook of industrial chemistry and biotechnology | year = 2007 | volume = 1 | chapter = Fertilizers and Food Production | editor = Kent, James A.}}</ref>。肥料成分の表記は通常、窒素、リン、カリウムの順に示され、カリウム量はK{{sub|2}}Oとして表される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mate.pref.mie.lg.jp/sehikijun/pdf/4-sehiryou.pdf|title=施肥量決定の考え方、方法等|publisher=三重県中央農業改良普及センター|page=78|accessdate=2011-06-29}}</ref>。 === 食品 === 前述のように、カリウムイオンは人の生命と健康を支えるのに重要な役目を果たす栄養素である。[[高血圧]]を抑えるためにナトリウムの摂取量を制限している人々によって、[[食塩]]の代替として塩化カリウムが用いられる(代用塩)。[[昆布]]、[[わかめ]]、[[ひじき]]などの海藻類に多く含まれる。[[アメリカ合衆国農務省]]は、トマトペースト、[[オレンジジュース]]、[[テンサイ]]、ホワイトビーンズ、ジャガイモ、バナナその他多くのカリウムをよく含む食品をリストアップし、カリウム含有量をランク付けしている<ref>{{cite news | title = Potassium Content of Selected Foods per Common Measure, sorted by nutrient content | publisher = USDA National Nutrient Database for Standard Reference, Release 20 | url = http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/Data/SR20/nutrlist/sr20w306.pdf}}</ref>。一方で[[腎臓病]]の患者にはカリウム摂取制限を行う必要があり、近年は[[水耕栽培]]でカリウム含有量を大幅に抑えた[[レタス]]などの生野菜の生産も行われている。 [[酒石酸カリウムナトリウム]](KNaC{{sub|4}}H{{sub|4}}O{{sub|6}}、ロッシェル塩)は[[ベーキングパウダー]]の主成分であり、鏡に銀メッキをする際にも用いられる。[[臭素酸カリウム]]は強力な[[酸化剤]](E924)であり、パン生地や[[魚肉練り製品]]の改良剤として用いられていた<ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=XqKF7PqV02cC&pg=PA86&redir_esc=y&hl=ja | page = 86 | chapter = Bleaching and Maturing Agents | title = How Baking Works: Exploring the Fundamentals of Baking Science | isbn = 9780470392676 | author = Figoni, Paula I. | year = 2010 | publisher = John Wiley & Sons | location = Hoboken}}</ref>。また、亜硫酸水素カリウム(KHSO{{sub|3}})は[[ワイン]]や[[ビール]]などの防腐剤として用いられていたが、肉には用いられなかった<ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=eblAtwEXffcC&pg=PA4&redir_esc=y&hl=ja | publisher = Academic Press | location = Orlando | pages = pp. 4-6 | chapter = Uses and Exposure to Sulfites in Food | title = Advances in Food Research | volume = 30 | isbn = 9780120164301 | author = Chichester, C. O. | year = 1986}}</ref>。亜硫酸水素カリウムは織物や麦わらの漂白剤としてや、皮なめし剤としても用いられていた。 === 工業 === [[File:Cobalt yellow.jpg|thumb|150px|left|硝酸コバルトカリウム(コバルト・イエロー)]] 純粋なカリウム蒸気は数種類の[[磁気センサ]]に用いられる<ref>{{cite book | location = Oxford | publisher = Blackwell Science | url = https://books.google.co.jp/books?id=R_Y925b97ncC&pg=PA164&redir_esc=y&hl=ja | chapter = Optical Pumped Magnetometer | page = 164 | title = An introduction to geophysical exploration | isbn = 9780632049295 | author = Kearey, Philip; Brooks, M.; Hill, Ian | year = 2002}}</ref>。また、[[光電子素子]]としても用いられる。ナトリウムとカリウムの合金(NaK、[[ナトリウムカリウム合金]])は熱交換媒体として[[原子炉]]の冷却材などに低融点合金として用いられる液体であり、[[希ガス]]や溶媒からわずかに含まれる[[二酸化炭素]]や[[水]]、あるいは[[酸素]]を高度に除去するための反応剤、乾燥剤としても用いられる。ナトリウムカリウム合金はまた、{{仮リンク|反応性蒸留|en|Reactive distillation}}においても用いられる<ref>{{cite book | doi = 10.1021/ba-1957-0019.ch018 | volume = 19 | isbn = 9780841200203 | pages = pp. 169-173 | title = Advances in Chemistry | author = Werner, R. C.; Jackson, C. B. | year = 1957 | url = http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ba-1957-0019.ch018 | chapter = Chapter 18. The Manufacture of Potassium and NaK }} {{ISBN2|9780841221666}}.</ref>。ナトリウム、カリウム、[[セシウム]]をそれぞれ12&nbsp;%、47&nbsp;%、41&nbsp;%含んだ三元合金は、合金としては最低である融点{{val|-78|u=degC}}を持つ<ref name=greenwood76>[[#greenwood1997|Greenwood (1997)]] p. 76.</ref>。 すべてのカリウム化合物は強いイオン性を有しているため、カリウムはしばし有用な陰イオンを保持させるのに用いられ、その一例として、[[クロム酸カリウム]](K{{sub|2}}CrO{{sub|4}})がある。クロム酸カリウムは黄色の染料やインク、爆薬や花火、皮なめし剤、[[ハエ取り紙]]、安全[[マッチ]]<ref>{{cite journal | doi = 10.1021/ed017p515 | title = Ignition of the safety match | year = 1940 | author = Siegel, Richard S. | journal = Journal of Chemical Education | volume = 17 | issue = 11 | pages = 515}}</ref><!--クロム酸カリウムは安全マッチの頭薬としての用途においてはマイナーな化合物に見える-->などさまざまな用途に用いられるが、これらはカリウムイオンの特性というよりはむしろクロム酸イオンの特性であり、カリウムイオンはクロム酸イオンを保持する役目を担っている。 [[File:Potassium hydroxide.jpg|thumb|right|200px|水酸化カリウム]] [[水酸化カリウム]]は強塩基であり、強酸や弱酸を中和して[[水素イオン指数|pH]]をコントロールするために用いられる。また、カリウム塩類の生産や、[[エステル]]の[[加水分解]]反応、洗剤産業における[[油脂]]の[[けん化]]などにも用いられる<ref>{{cite book | location = Westport | publisher = Greenwood Press | url = https://books.google.co.jp/books?id=UnjD4aBm9ZcC&pg=PA4&redir_esc=y&hl=ja | chapter = Personal Cleansing Products: Bar Soap | title = Chemical Composition of Everyday Products | isbn = 9780313325793 | author = Toedt, John; Koza, Darrell; Cleef-Toedt, Kathleen Van | year = 2005}}</ref>。 [[File:Potassium nitrate.jpg|thumb|right|200px|硝酸カリウム]] [[硝酸カリウム]](KNO{{sub|3}}、[[硝石]])は、[[火薬]](黒色火薬)において[[酸化剤]]として働き、また肥料としても重要である。歴史的には、[[チリ硝石]]の主成分である[[硝酸ナトリウム]]に塩化カリウムを反応させる「転化法」と呼ばれる方法によって工業生産されていたが、[[ハーバー・ボッシュ法]]による[[空気]]から化学的に窒素を固定する手法([[窒素固定#化学的窒素固定|化学的窒素固定法]])が確立してからは、炭酸カリウムもしくは水酸化カリウムを硝酸に溶解させる方法で作られるようになった<ref name=chitani114>[[#千谷1959|千谷 (1959)]] 114頁。</ref>。また、[[グアノ]]や[[蒸発岩]]などの天然鉱石からも得られる。 [[File:Potassium-permanganate-sample.jpg|thumb|right|200px|過マンガン酸カリウム]] [[シアン化カリウム]](KCN、青酸カリ)は[[銅]]や[[貴金属]](特に[[金]]や[[銀]])を[[錯体]]を形成することによって溶解させる用途に使われ、それらの金属の[[:en:Electroforming|電鋳]]や[[電解めっき]]、金鉱山の採掘にも用いられる。シアン化カリウムはまた、有機合成において[[ニトリル]]類を合成するためにも用いられ、さらには、[[シアン化銀]]とともに[[メッキ]]浴としても用いられる<ref>{{cite book | 和書 | editor = 職業能力開発総合大学校能力開発研究センター | title = めっき科電気めっき作業法-2級技能士コース | publisher = 職業訓練教材研究会 | year = 2005 | page = 223 | isbn = 4786330043}}</ref>。シアン化カリウムはこのように多くの用途を有する有用な化合物であるが、生物に対して非常に強い毒性を示す<ref>{{cite book | 和書 | author = 加藤俊二 | title = 身の回りを化学の目で見れば | year = 1986 | publisher = 化学同人 | page = 162 | isbn = 4759801553}}</ref>。[[炭酸カリウム]](K{{sub|2}}CO{{sub|3}}、ポタッシュ)は穏やかな乾燥剤として用いられ、ガラスや[[石鹸]]、カラー[[テレビ]]の[[ブラウン管]]、[[蛍光灯]]、織物の染料や顔料の製造にも利用される。[[過マンガン酸カリウム]](KMnO{{sub|4}})は酸化剤や漂白剤、浄化物質として利用され、[[サッカリン]]の製造にも用いられる。[[塩素酸カリウム]](KClO{{sub|3}})はマッチや爆薬に加えられる。[[臭化カリウム]](KBr)は、以前は[[写真]]の定着剤や[[医薬品]]の鎮静剤として用いられていた<ref name=greenwood73>[[#greenwood1997|Greenwood (1997)]] p.73</ref>。また、[[フェリシアン化カリウム]]や[[フェロシアン化カリウム]]も写真の作成に利用される。[[ヘキサフルオロケイ酸カリウム]](K{{sub|2}}SiF{{sub|6}})は[[琺瑯]]や[[陶器]]の釉薬、特殊ガラスなどの用途に利用される。[[ヨウ化カリウム]](KI)は殺菌[[消毒薬]]などに使われる。 [[超酸化カリウム]]は橙色固体であり、持ち運び可能な酸素源として自給式[[ガスマスク]]に用いられる。気体の酸素よりも使用する容積が小さくて済むため、鉱山や[[潜水艦]]、[[宇宙船]]において呼吸のための酸素供給システムとしても広く用いられている<ref name=greenwood74>[[#greenwood1997|Greenwood (1997)]] p.74</ref><ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=oiWFhoRzPBQC&pg=PA93&redir_esc=y&hl=ja | title = The History of Underwater Exploration | first = Robert F. | last = Marx | publisher = Dover Publications | location = New York | year = 1990 | isbn = 9780486264875}}</ref>。また、[[過酸化カリウム]]は二酸化炭素吸収剤として利用される。 : <chem>4KO2 + 2CO2 -> 2K2CO3 + 3O2 (^)</chem> [[ヘキサニトロコバルト(III)酸カリウム]](K{{sub|3}}[Co(NO{{sub|2}}){{sub|6}}]、硝酸コバルトカリウムとも呼ばれる)はオーレオリンもしくはコバルトイエローと呼ばれる色の[[絵の具]]として用いられる<ref name=Getts>{{cite book | location = New York | publisher = Dover Publications | url = https://books.google.co.jp/books?id=bdQVgKWl3f4C&pg=PA109&redir_esc=y&hl=ja | title = Painting Materials: A Short Encyclopaedia | isbn = 9780486215976 | author = Gettens, Rutherford John; Stout, George Leslie | year = 1966 | pages = pp. 109-110}}</ref>。 ==== 反応試薬 ==== [[カリウムアミド]]は、強い求核性を有するアミドアニオン(NH{{sub|2}}{{sup|−}})源として芳香族求核置換反応などに利用される強塩基性の化合物であり、液体アンモニアにカリウムを反応させることで得られる<ref>[[#櫻井鈴木中尾2003|櫻井、鈴木、中尾 (2003)]] 128頁。</ref>。また、[[有機金属化合物]]であるアルキル化カリウムは、しばし反応の中間体として利用されている。しかし、単離されたアルカリ金属のアルキル化合物は少なく、その例外的なものとして[[メチルカリウム]](CH{{sub|3}}K)がある。これは[[メチル水銀]]とナトリウム-カリウム合金との反応によって得られ、副生成物としてナトリウムアマルガムが形成される。カリウムの金属有機化合物はイオン性物質であるため炭化水素などの有機溶媒への溶解性はそれほど高くない。また、反応性が強く空気中で発火し、水と激しく反応する<ref>[[#コットンウィルキンソン1987|コットン、ウィルキンソン (1987)]] 264頁。</ref>。カリウムの[[アルコキシド]]は強塩基性の求核剤としてハロアルカンの脱離反応などに利用される<ref>[[#ボルハルトショアー2004|ショアー、ボルハルト (2004)]] 359-361頁。</ref>。代表的なものに[[クライゼン縮合]]に利用される[[カリウム tert-ブトキシド]]がある。このようなカリウムのアルコキシドは、水素化カリウムもしくは金属カリウムとアルコールとを反応させることによって合成される。[[水素化カリウム]]は、アルコールのヒドロキシ基から[[プロトン]]を引き抜くことが可能なほどの強力な塩基であり、反応後の副生成物が水素しか発生しない利点を有している<ref>[[#ボルハルトショアー2004|ショアー、ボルハルト (2004)]] 360頁。</ref>。 ==== 化学分析 ==== 臭化カリウムは、[[赤外分光法]]において分析試料の錠剤を作るためのマトリックスとして用いられる(臭化カリウム錠剤法)<ref>{{cite book | 和書 | editor = 薬事日報社 | title = 医薬部外品原料規格-2006追補 | year = 2009 | publisher = 薬事日報社 | page = 16 | isbn = 4840811016}}</ref>。[[フェリシアン化カリウム]](ヘキサシアノ鉄(III)酸カリウム、赤血塩) K{{sub|3}}[Fe(CN){{sub|6}}] は、チオクローム法と呼ばれるチアミン(ビタミンB{{sub|1}})の分析において、チアミンを酸化させる酸化剤として用いられる<ref>{{cite book | 和書 | editor = 厚生労働省 | title = 食品衛生検査指針 理化学編 2005 | year = 2005 | publisher = 日本食品衛生協会 | pages = 76-77 | isbn = 4889250034}}</ref>。また、フェリシアン化カリウムは[[フェロシアン化カリウム]](ヘキサシアノ鉄(II)酸カリウム)K{{sub|4}}[Fe(CN){{sub|6}}] とともに、鉄イオンの[[定性分析]]にも用いられる<ref>{{cite book | 和書 | author = 萩中淳 | title = 分析科学 | year = 2007 | publisher = 化学同人 | page = 294 | isbn = 4759812520}}</ref>。[[二クロム酸カリウム]](K{{sub|2}}Cr{{sub|2}}O{{sub|7}})や過マンガン酸カリウムは、その強い酸化力を利用して酸化還元滴定における1次標準物質として用いられる<ref>{{cite book | 和書 | author = 本浄高治 | title = 基礎分析化学 | year = 1998 | publisher = 化学同人 | pages = 80-82 | isbn = 4759808205}}</ref>。また、一価のカリウムイオンのイオン半径はNH<sub>4</sub><sup>+</sup>のそれと非常に近い値であるので、NH<sub>4</sub><sup>+</sup>と置換が可能である。それゆえ、実験において水素結合の影響の有無を調べたい時に、水素結合を形成するNH<sub>4</sub><sup>+</sup>を、水素結合を形成しないK<sup>+</sup>と置換して、結果に変化が生じるか否かを観察するということが行われる。 === 同位体の用途 === 前述のカリウム40がアルゴン40へと崩壊する特性は、一般的に岩の[[放射年代測定]]に利用されている([[カリウム-アルゴン法]])。岩石が[[マグマ]]から形成された時点では岩石中にアルゴン40は含まれていないが、岩石が形成されて以降は岩石中のカリウム40の崩壊によってアルゴン40が生成し岩石中に蓄積されていく。岩石中のアルゴン40の存在量は、岩石が形成されてからの時間に比例して増加していくため、岩石中のカリウム40の濃度と蓄積されたアルゴン40の量を測定することで岩石の年代を推定することができる。年代測定にもっとも適した鉱石には、[[白雲母]]、[[黒雲母]]、[[深成岩]]/[[変成岩|広域変成岩]]の[[普通角閃石|角閃石]]や[[火山岩]]の[[長石]]などがある。火山流や浅い貫入に由来する岩石試料もまた、加熱されて試料中のアルゴンが失われるような変化を受けていないそのままの状態の試料であれば、すべて年代測定することができる<ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=k90iAnFereYC&pg=PA207&hl=de | pages = pp. 203-208 | chapter = Theory and Assumptions in Potassium-Argon Dating | title = Isotopes in the Earth Sciences | isbn = 9780412537103 | author = Bowen, Robert | year = 1988 | publisher = Chapman & Hall | location = London}}</ref><ref name=NUBASE/>。年代測定以外では、カリウムの同位体は[[風化]]の研究における[[放射性トレーサー]]として幅広く用いられる。また、カリウムが[[生命]]維持のために必要とされる[[栄養素]]であるため、[[生物地球化学的循環]]の研究にも用いられる。 カリウム40は[[フェルミ粒子]]であるため、[[低温物理学]]において使われることがある。[[2003年]]には50万個のカリウム40原子を用いて[[フェルミ凝縮]]による縮退物を生成することに成功し、[[2013年]]には10万個のカリウム40原子を用いて[[絶対零度]]を下回る[[負温度]]の状態を実現することに初めて成功した<ref>[http://www.mpg.de/6776082/negative_absolute_temperature A temperature below absolute zero ''Max Plank Gesellscaft'']</ref>。 == 歴史 == [[File:Sir Humphry Davy, Bt by Thomas Phillips.jpg|thumb|left|ハンフリー・デービー]] カリウムは、[[草木]]を焼いた[[灰]]として古来から利用されてきたが、これがナトリウム塩とは根本的に異なる物質であるということは理解されていなかった。元素としてのカリウムや、ほかの塩類から分離された独立した要素としてのカリウム塩類は[[古代ローマ]]時代には知られておらず、元素の[[ラテン語]]名は[[古典ラテン語]]でなく、むしろ[[:en:New Latin|新ラテン語]]であった<ref name=murakami>{{cite book | 和書 | title = 元素を知る事典: 先端材料への入門 | author = 村上雅人 | publisher = 海鳴社 | year = 2004 | page = 100 | isbn = 9784875252207}}</ref>。カリウムは、[[カノ]]の[[ハウサ人]]による濃青色の織物を生産するために、[[灰]]と[[インディゴ]]、[[湯]]を混ぜ合わせて使われていた秘密の成分であった<ref>{{cite news | url = https://edition.cnn.com/2010/WORLD/africa/11/26/nigeria.dye.tradition/index.html | work = CNN | author = Purefoy, Christian | title = Nigeria's 500-year-old dye tradition under threat | date = 2010-11-26 | accessdate = 2011-10-01}}</ref>。 [[1736年]]、[[ゲオルク・シュタール]]はナトリウムとカリウムの塩の重要な差異について彼が提唱するに至った実験的な徴候を得<ref name="1702Suspect">{{cite book|url = https://books.google.co.jp/books?id=b-ATAAAAQAAJ&pg=PA167&redir_esc=y&hl=ja|page = 167|title = Chymischer Schriften|author = Marggraf, Andreas Siegmund|year = 1761|publisher=Bey Arnold Wever|location=Berlin}}</ref>、[[1736年]]、[[アンリ=ルイ・デュアメル・デュ・モンソー]]によってその違いが証明された<ref>{{cite journal|url = http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k3533j/f73.image.r=Memoires%20de%20l%27Academie%20royale%20des%20Sciences.langEN|journal = Memoires de l'Academie royale des Sciences| title = Sur la Base de Sel Marine| last = du Monceau|first = H. L. D.| pages = 65-68| language = French | year = 1736}}</ref>。[[1807年]]、[[イギリス]]の[[ハンフリー・デービー]]が新しく発見された[[ボルタ電池]]を用いて、[[水酸化カリウム]](苛性カリ)を[[電気分解]](溶融塩電解)することによって金属カリウムを初めて単離した。この元素は電気分解によって分離された最初の金属であった<ref name=Enghag2004>{{cite book | author = Enghag, P. | year = 2004 | title = Encyclopedia of the Elements | publisher = Wiley-VCH | location=Weinheim | isbn = 3527306668 | chapter = 11. Sodium and Potassium}}</ref>。植物はほとんどナトリウムを含有しないため、potashはおもにカリウム塩であり、残りの成分は主に水溶性の低いカルシウム塩である。 その数年後、デービーはカリウムを単離したのと類似した技術によって、植物塩でない、鉱石より誘導された[[水酸化ナトリウム]]から金属ナトリウムを単離し、カリウムとナトリウムの元素、塩類が違う物質であることを示した<ref>Davy (1808) pp. 1–44.</ref><ref name=200disco>{{cite journal | doi = 10.1134/S1061934807110160 | title = History of the discovery of potassium and sodium (on the 200th anniversary of the discovery of potassium and sodium) | year = 2007 | author = Shaposhnik, V. A. | journal = Journal of Analytical Chemistry | volume = 62 | issue = 11 | pages = 1100-1102}}</ref><ref name="200disco"/><ref name=weeks>{{cite journal | doi = 10.1021/ed009p1231 | title = The discovery of the elements. XI. Some elements isolated with the aid of potassium and sodium: Zirconium, titanium, cerium, and thorium | year = 1932 | author = Weeks, Mary Elvira | journal = Journal of Chemical Education | volume = 9 | issue = 7 | pages = 1231}}</ref>。この単離された金属ナトリウムおよび金属カリウムがともに元素であることが示されたが、この見解が一般に認められるまでには長い時間がかかった<ref name="disco">{{cite journal|jstor = 228541|pages = 247-258|author = Siegfried, R.|title = The Discovery of Potassium and Sodium, and the Problem of the Chemical Elements|volume = 54|issue = 2|journal = Isis|year = 1963|doi = 10.1086/349704}}</ref>。 長い間、カリウムの大きな用途はガラス、石鹸と漂白剤の製造に限られていた<ref>{{cite journal | doi = 10.1021/ed003p749 | title = Historical notes upon the domestic potash industry in early colonial and later times | year = 1926 | author = Browne, C. A. | journal = Journal of Chemical Education | volume = 3 | issue = 7 | page = 749}}</ref>。動物性油脂および木炭や植物油から作られるカリウム石鹸は軟石鹸として知られ、非常に水によく溶け柔らかい傾向があり重宝されていた<ref name=greenwood73/><ref>{{Cite web|和書|title=石鹸の歴史|work=石鹸百科|url=http://www.live-science.com/honkan/soap/soaphistory01.html|publisher=生活と科学社|accessdate=2011-09-29|year=2009}}</ref>。1840年[[ドイツ]]の[[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]によって、カリウムが植物のために必要な元素であり、しかも大部分の土壌においてカリウムが欠乏していることが発見され<ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=Ya85AAAAcAAJ&redir_esc=y&hl=ja | title = Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf Agricultur und Physiologie | author = Liebig, Justus von | year = 1840 | publisher = Vieweg | location = Braunschweig}}</ref>、カリウム塩類の需要は急激に増加した。モミの木から作られる木の灰がカリウム源として使われていたが、ドイツの{{仮リンク|シュタースフルト|en|Staßfurt}}近郊においてカリウム塩を含んだ鉱床が発見され、1868年に[[ドイツ帝国#経済|ドイツ]]でカリウム肥料の工業規模の生産が始まった<ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=EYpIAAAAYAAJ&redir_esc=y&hl=ja | title = Die Staßfurter Kalisalze in der Landwirthschaft | author = Cordel, Oskar | year = 1868 | publisher = L. Schnock | location = Aschersleben, Germany}}</ref><ref>{{cite book | url = https://books.google.co.jp/books?id=J8Q6AAAAcAAJ&redir_esc=y&hl=ja | title = Die Kalidüngung in ihren Vortheilen und Gefahren | author = Birnbaum, Karl | year = 1869 | publisher=Wiegandt & Hempe | location=Berlin}}</ref><ref>{{cite book | url = https://books.google.de/books?id=qPkoOU4BvEsC&pg=PA46&hl=de | title = Fertilizer Manual | isbn = 9780792350323 | author = United Nations Industrial Development Organization; Int'l Fertilizer Development Center | year = 1998 | publisher = Kluwer Academic Publishers | location=Dordrecht, The Netherlands | pages=pp. 46 ff, 417 ff}}</ref>。その他のカリウム鉱床は、1960年代までにカナダで大きなものが発見され、主要な生産源となった<ref>{{cite journal | jstor = 3103338 | pages = 187-208 | author = Miller, H. | title = Potash from Wood Ashes: Frontier Technology in Canada and the United States | volume = 21 | issue = 2 | journal = Technology and Culture | year = 1980 | doi = 10.2307/3103338}}</ref><ref>{{cite journal | doi = 10.2113/gsecongeo.74.2.353 | title = Potash and politics | year = 1979 | author = Rittenhouse, P. A. | journal = Economic Geology | volume = 74 | issue = 2 | pages = 353-357}}</ref>。 == 危険性 == [[File:Potassium water 20.theora.ogv|thumb|金属カリウムと水との反応。カリウムと水との反応で生じた水素がピンクもしくは薄紫色で燃焼している(この炎色はカリウムの蒸気によるものである)。強アルカリ性の水酸化カリウムは水溶液として生成する]] 単体の金属カリウムは[[消防法]]第2条第7項および別表第一第3類1号により第3類[[危険物]]に指定されている<ref>{{Cite web|和書|url = https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC1000000186 |title =消防法(昭和二十三年法律第百八十六号)||website=e-Gov法令検索 |publisher=総務省行政管理局 |date=2018-6-27 |quote=2019年7月1日施行分|accessdate=2020-2-10}}</ref>。また[[毒物及び劇物取締法]]に定める劇物に該当する<ref>{{Cite web|和書|url=https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC0000000303 |title=毒物及び劇物取締法(昭和二十五年法律第三百三号)|website=e-Gov法令検索 |publisher=総務省行政管理局 |date=2018-6-27 |quote=2016年4月1日施行分|accessdate=2020-2-10}}</ref>。 カリウムは水と激しく反応し、水酸化カリウムと水素ガスを発生させる<ref name=Vollhardt361>[[#ボルハルトショアー2004|ショアー、ボルハルト (2004)]] 361頁。</ref>。 : <chem>2K(s) + 2H2O(l) -> 2KOH(aq) + H2 (^) (g)</chem> この反応は発熱反応であり、その発熱量は発生した水素を引火させるのに十分な熱量である。そのため、酸素存在下において爆発するおそれがある。また、反応によって生じる水酸化カリウムは皮膚に炎症を起こし、眼球角膜を不可逆的に破壊し、失明を引き起こすほどの強アルカリである。 カリウムの微細粒子は空気中において室温で発火し、加熱されれば塊状金属でも発火する。発火したカリウムに水をかけると、カリウムの密度は0.89&nbsp;g/cm{{sup|3}}と水より軽いため、燃焼しているカリウムが水に浮かび大気中の酸素にさらに曝されることになり、また、水とカリウムの反応によって水素と反応熱が生成するため、カリウムによる火災はより一層悪化する。そのため、通常の消火活動ではカリウムによる火に対して、効果がないか悪化させることとなる。カリウムの火の消火には、乾燥した[[塩化ナトリウム]](食卓塩)、炭酸ナトリウム(ソーダ灰)、および二酸化ケイ素(砂)が効果的である。また、金属火災用に設計された一部の粉末[[消火器]]や、[[窒素]]および[[アルゴン]]も効果的である。 カリウムはハロゲンと激しく反応し、[[臭素]]と反応すると爆発する。[[硫酸]]ともまた爆発的に反応する。燃焼によってカリウムは[[過酸化物]]や[[超酸化物]]を形成し、これらは[[油]]のような有機物もしくは金属カリウムと激しく反応する可能性がある<ref>{{cite web | url = http://www.hss.doe.gov/nuclearsafety/ns/techstds/docs/handbook/hbk1081d.html | year=1994 | title = Alkali Metals Sodium, Potassium, NaK, and Lithium | work=DOE Handbook | publisher = U.S. Department of Energy | location=Washington, D.C. | accessdate = 2010-10-16}}</ref>。 カリウムは空気中の水蒸気と反応するため、通常乾燥した鉱油中で保管されるが、[[リチウム]]やナトリウムと異なり無期限に鉱油中に保存してはいけない。半年から1年以上保管されると、刺激に敏感な過酸化物が金属カリウム上や保管容器のふたの下に形成され、ふたを開けた際に爆発する。そのため、カリウムは酸素を含まない不活性な気体もしくは真空下で保存しない限り、3か月以上は保管しないことが推奨される<ref>{{cite web | url = http://www.ncsu.edu/ehs/www99/right/handsMan/lab/Peroxide.pdf | title = Danger: peroxidazable chemicals | author = Wray, Thomas K. | year = 1992 | publisher = Environmental Health & Public Safety (North Carolina State University) | accessdate = 2011-05-16}}</ref>。 金属カリウムは反応性が非常に高いため、扱う人の皮膚や目を完全に保護し、カリウムとの間に防爆壁を置くことが望ましく、非常に慎重に取り扱わなければならない。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|25em}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | author = 足立吟也、岩倉千秋、馬場章夫 | year = 2004 | title = 新しい工業化学―環境との調和をめざして | publisher = 化学同人 | ref = 足立岩倉馬場2004 | isbn = 4759809554}} * {{cite book | 和書 | author = F・A・コットン、G・ウィルキンソン | others = 中原勝儼(訳) | title = コットン・ウィルキンソン無機化学(上) | publisher = 培風館 | year = 1987 | edition = 原書第4版 | isbn = 4563041920 | ref = コットンウィルキンソン1987}} * {{cite book | 和書 | author = 櫻井武、鈴木晋一郎、中尾安男 | year = 2003 | title = ベーシック無機化学 | publisher = 化学同人 | ref = 櫻井鈴木中尾2003 | isbn = 4759809031}} * {{cite book | 和書 | author = N・E・ショアー、K・P・C・ボルハルト |other = 村橋俊一ほか(訳) | year = 2004 | title = ボルハルト・ショアー現代有機化学(上) | publisher = 化学同人 | edition = 第4版 | ref = ボルハルトショアー2004 | isbn = 4759809635}} * {{cite book | 和書 | author = 千谷利三 | year = 1959 | title = 新版 無機化学(上巻) | publisher = 産業図書 | ref = 千谷1959}} * {{cite book|和書|title=ベーシック機器分析化学|author=日本分析化学会近畿支部(編)|year=2008|publisher=化学同人|isbn=4759811443|ref=日本分析化学学会}} * {{cite book | author = Greenwood, Norman N.; Earnshaw, Alan | year = 1997 | title = Chemistry of the Elements | edition = 2nd ed. | location = Oxford | publisher = Butterworth-Heinemann | isbn = 0750633654 | ref = greenwood1997}} * {{cite journal | first = Humphry | last = Davy | title = On some new phenomena of chemical changes produced by electricity, particularly the decomposition of the fixed alkalies, and the exhibition of the new substances which constitute their bases; and on the general nature of alkaline bodies | pages = 1-44 | year = 1808 | volume = 98 | journal = Philosophical Transactions of the Royal Society of London | url = https://books.google.co.jp/books?id=gpwEAAAAYAAJ&pg=PA57&q=&redir_esc=y&hl=ja | doi = 10.1098/rstl.1808.0001}} * {{cite book|doi = 10.1002/14356007.a22_031.pub2|title = Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry|year = 2006|author = Burkhardt, Elizabeth R. |chapter = Potassium and Potassium Alloys|publisher=Wiley-VCH|location=Weinheim|isbn = 3527306730|volume=A22|pages=pp. 31-38|ref=Burkhardt}} == 関連項目 == {{Commons|Potassium}} * [[被曝]] * [[バナナ等価線量]] * [[カリウムの化合物の一覧]] == 外部リンク == *{{PaulingInstitute|mic/minerals/potassium|Potassium}} * {{Hfnet|575|カリウム}} * {{ICSC|0716}} * {{Kotobank}} {{元素周期表}} {{カリウムの化合物}} {{カリウムのオキソ酸塩}} {{Good article}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:かりうむ}} [[Category:カリウム|*]] [[Category:元素]] [[Category:アルカリ金属]] [[Category:第4周期元素]] [[Category:必須ミネラル]] [[Category:劇物]] [[Category:第3類危険物]]
2003-06-13T12:28:57Z
2023-12-31T03:11:14Z
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ポリ塩化ビニル
ポリ塩化ビニル(ポリえんかビニル、polyvinyl chloride、PVC)または塩化ビニル樹脂とは合成樹脂(プラスチック)の1つで、塩化ビニル(クロロエチレン)の重合反応で得られる高分子化合物である。塩化ビニール、塩ビ、ビニールなどと略される。軟質ポリ塩化ビニルは、ソフトビニール(Soft Vinyl)、ソフビとも呼ばれる。しかし「ポリ」または「樹脂」を略した呼称は、その原料である単量体の塩化ビニルと混同するため、単量体の塩化ビニルを特に塩化ビニルモノマー (vinyl chloride monomer, VCM)と呼んで区別している。焼却によりダイオキシン類が発生するとして、懸念が示されたことがある。 ポリ塩化ビニルは塩化ビニルモノマー(CH2=CHCl)の付加重合により合成される。塩化ビニルモノマーの製法はクロロエチレンを参照のこと。 塩化ビニルモノマーを重合させただけの樹脂は硬くて脆く、結晶質であり、紫外線によりポリマー分子を構成する塩素原子が脱離し劣化黄変しやすい。そのため、柔らかくする可塑剤と劣化を防ぐ安定剤が加えられる。熱により軟化するため、熱可塑性樹脂に分類される。 添加する可塑剤の量によって硬質にも軟質にもなり、優れた耐水性・耐酸性・耐アルカリ性・耐溶剤性を持つ。但し一部の溶剤には溶解し、その性質を利用した塩化ビニル樹脂溶剤系接着剤等による接着性は良好。熱可塑性樹脂なので溶接も可能だが、特に硬質塩ビの場合、分子内から離脱した塩素による変質・劣化には注意を要する。また難燃性であり、電気絶縁性である。このような優れた物性を持ちながら、ソーダ工業における食塩水電気分解で副産する低価格の塩素ガスが重量の半分以上を占める主原料のため非常に値段が安い。そのため用途は多岐にわたり、衣類、壁紙、バッグ、椅子やソファの張地(ビニールレザー)、インテリア(クッション材、断熱材、防音材、保護材として)、縄跳び用などのロープ、電線被覆(絶縁材)、防虫網(網戸など)、包装材料、水道パイプ、建築材料、農業用資材(農ビ)、レコード盤、消しゴムなど多数あり、かつては玩具にもよく用いられた。最近では軽量化を図る目的で一部の自動車用のアンダーコート材としても用いられている。 更に塩素の割合を増やした「塩素化ポリ塩化ビニル」は、素のポリ塩化ビニルより高温構造強度があり、温水配管用などに使われる耐熱性硬質ポリ塩化ビニル管として、JIS K 6776などに規格化されている。 1990年代になりポリ塩化ビニル、ポリ塩化ビニリデンをはじめとする塩素系プラスチックがダイオキシン類の主要発生源と考えられるようになり、社会問題として浮上し不買運動にもつながった。現在ではダイオキシン類は塩素系プラスチックのみならず、塩素と芳香族化合物が含まれる廃棄物の焼却時に不完全燃焼になると発生すると考えられている。対処法として焼却炉の性能向上による不完全燃焼率の低減、分別収集により塩素を含むごみの焼却回避、リサイクル制度の拡充、塩素系プラスチックの使用量削減などが提案されている。また、業界団体からは焼却炉からのダイオキシン類の主要発生源はポリ塩化ビニルではなく食塩によるものとする研究も出されている。 20世紀末ごろ、いわゆる環境ホルモンへの関心が高まる中で、ポリ塩化ビニル中に含まれる可塑剤が食品中などに溶け出すことで人体に与える影響が懸念されるようになった。これまで可塑剤として広く用いられていたフタル酸エステルであるフタル酸ビス(2-エチルヘキシル)は油脂を含んだ食品中へ溶け出す可能性があり、食品が直接触れる容器や包装への使用が制限されるようになった。また、玩具のうちソフトビニール人形などの「乳幼児が口に接触することをその本質とするおもちゃ」に対してもフタル酸エステルを含むポリ塩化ビニルの使用が制限され、代替材料として熱可塑性エラストマーが用いられるようになった。 食品製造時に用いられているポリ手袋も同様の理由から問題視された。2000年6月、厚生省(現・厚生労働省)は食品製造時のポリ塩化ビニル製手袋の使用を中止するよう通達を出した。なお2003年の環境省検討会において、フタル酸エステルには環境ホルモン様作用が確認されなかったことが報告された。 重量比にして塩素が約半分を占めており石油消費量が小さいため、他の石油系プラスチックに比べてポリ塩化ビニルは重量あたりの二酸化炭素排出量が小さく、環境への影響が小さいプラスチックであるという見方ができる。樹脂化学業界団体は「塩化ビニルは製造プロセスにおけるエネルギー投入量が他の炭化水素系樹脂と比較して少なくて済む」「石油消費量が他の炭化水素系樹脂と比較して少なくて済む」「高断熱性で省エネに貢献する」などを主張している。 一方で、一般的な炭化水素系樹脂と比較して化学的性質がかなり異なるため、樹脂を再生利用する際にポリ塩化ビニルが混在していると障害の原因になりやすい。塩化ビニルの焼却ではダイオキシン類の生成を抑える工夫が必要になるため、高炉における還元剤として使用する場合に障害となる例や、ペットボトルの再生の障害となっている例などがある。リサイクル施設ではポリ塩化ビニルと他の樹脂とはX線の透過特性が異なる事を利用して分別している事例もある。
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ポリ塩化ビニルまたは塩化ビニル樹脂とは合成樹脂(プラスチック)の1つで、塩化ビニル(クロロエチレン)の重合反応で得られる高分子化合物である。塩化ビニール、塩ビ、ビニールなどと略される。軟質ポリ塩化ビニルは、ソフトビニール、ソフビとも呼ばれる。しかし「ポリ」または「樹脂」を略した呼称は、その原料である単量体の塩化ビニルと混同するため、単量体の塩化ビニルを特に塩化ビニルモノマー (vinyl chloride monomer, VCM)と呼んで区別している。焼却によりダイオキシン類が発生するとして、懸念が示されたことがある。
{{redirect|塩化ビニル|単量体である塩化ビニル(塩化ビニルモノマー)|クロロエチレン}} {{redirect|PVC|真正細菌の系統に関する仮説|PVC群|恒久仮想回線(permanent virtual circuit)|仮想回線}} {{複数の問題 | 独自研究 = 2016年9月 | 脚注の不足 = 2016年8月 }} [[ファイル:Plastic-recyc-03.svg|thumb|right|100px|PVCの[[樹脂識別コード]]]] '''ポリ塩化ビニル'''(ポリえんかビニル、polyvinyl chloride、'''PVC''')または'''塩化ビニル樹脂'''とは[[合成樹脂]](プラスチック)の1つで、塩化ビニル([[クロロエチレン]])の[[重合]]反応で得られる[[高分子化合物]]である。'''塩化ビニール'''、'''塩ビ'''、'''[[ビニール]]'''などと略される。軟質ポリ塩化ビニルは、'''[[ソフトビニール]]'''(Soft Vinyl)、'''ソフビ'''とも呼ばれる。しかし「ポリ」または「樹脂」を略した呼称は、その原料である[[単量体]]の塩化ビニルと混同するため、単量体の塩化ビニルを特に塩化ビニルモノマー (vinyl chloride monomer, '''VCM''')と呼んで区別している。焼却によりダイオキシン類が発生するとして、懸念が示されたことがある。 ==製法== ポリ塩化ビニルは塩化ビニルモノマー(CH<sub>2</sub>=CHCl)の[[重合反応|付加重合]]により合成される。塩化ビニルモノマーの製法は[[クロロエチレン]]を参照のこと。 [[Image:Vinyl chloride Polymerization V1.svg|250px|ポリ塩化ビニル合成の化学反応式]] ==用途== [[ファイル:Pipes.jpg|thumb|right|200px|ポリ塩化ビニル製パイプ]] [[ファイル:Greenhouse for rice.jpg|thumb|200px|right|[[ビニールハウス]]]] 塩化ビニルモノマーを重合させただけの樹脂は硬くて脆く、結晶質であり、[[紫外線]]によりポリマー[[分子]]を構成する[[塩素]][[原子]]が脱離し[[劣化]]黄変しやすい。そのため、柔らかくする[[可塑剤]]と劣化を防ぐ[[安定剤]]が加えられる。[[熱]]により軟化するため、[[熱可塑性樹脂]]に[[分類]]される。 添加する可塑剤の量によって硬質にも軟質にもなり、優れた耐[[水]]性・耐[[酸]]性・耐[[塩基|アルカリ]]性・耐[[溶剤]]性を持つ。但し一部の溶剤には溶解し、その性質を利用した[[接着剤#合成系接着剤|塩化ビニル樹脂溶剤系接着剤]]等による接着性は良好。熱可塑性樹脂なので溶接も可能だが、特に硬質塩ビの場合、分子内から離脱した塩素による変質・劣化には注意を要する。また[[難燃材料|難燃]]性であり、[[絶縁 (電気)|電気絶縁性]]である。このような優れた物性を持ちながら、[[ソーダ工業]]における食塩水電気分解で副産する低価格の塩素ガスが重量の半分以上を占める主原料のため非常に値段が安い<ref>2011年5月末時点で157.5円/kg(日経商品指数)。最も簡単な構造のポリエチレンでさえ218.0円/kgである。 - [[日本経済新聞]] 2011年5月30日</ref>。そのため用途は多岐にわたり、[[衣類]]、[[壁紙]]、[[バッグ]]、椅子やソファの張地([[人造皮革|ビニールレザー]])、[[インテリア]]([[クッション材]]、[[断熱材]]、[[防音材]]、保護材として)、[[縄跳び]]用などの[[ロープ]]、[[電線]]被覆(絶縁材)、防虫網([[網戸]]など)、[[包装]]材料、[[水道]][[パイプ]]、[[建築材料]]、[[農業]]用資材(農ビ)、[[レコード]]盤、[[消しゴム]]など多数あり、かつては[[玩具]]にもよく用いられた。最近では軽量化を図る目的で一部の[[自動車]]用の[[アンダーコート]]材としても用いられている<ref>例・[[トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ]]、9代目以降の[[トヨタ・カローラ|カローラシリーズ]]<!--、[[トヨタ・プレミオ|プレミオ]]/[[トヨタ・アリオン|アリオン]]、[[トヨタ・サクシード|サクシード]]/[[トヨタ・プロボックス|プロボックス]]-->、2代目以降の[[トヨタ・プリウス|プリウス]]等の一部の[[トヨタ自動車|トヨタ車]]、および<!--[[ダイハツ・ブーン|ブーン]]、[[ダイハツ・ビーゴ|ビーゴ]] 例なので一部で良いでしょう。-->、6代目以降の[[ダイハツ・ミラ|ミラ]]、3代目以降の[[ダイハツ・ムーヴ|ムーヴ]]、9代目以降の[[ダイハツ・ハイゼット|ハイゼットトラック]]、10代目以降の[[ダイハツ・ハイゼット|ハイゼットカーゴ]]等、[[2004年]]12月以降に製造された一部の[[ダイハツ工業|ダイハツ車]]に採用。</ref>。 更に塩素の割合を増やした「塩素化ポリ塩化ビニル」は、素のポリ塩化ビニルより高温構造強度があり、温水配管用などに使われる耐熱性硬質ポリ塩化ビニル管として、JIS K 6776などに規格化されている。 ==焼却時のダイオキシン類発生に対する懸念== [[1990年]]代になりポリ塩化ビニル、[[ポリ塩化ビニリデン]]をはじめとする塩素系プラスチックが[[ダイオキシン]]類の主要発生源と考えられるようになり、社会問題として浮上し不買運動にもつながった。現在ではダイオキシン類は塩素系プラスチックのみならず、塩素と[[芳香族化合物]]が含まれる廃棄物の焼却時に[[不完全燃焼]]になると発生すると考えられている。対処法として[[焼却炉]]の[[性能]]向上による不完全燃焼率の低減、[[分別収集]]により塩素を含む[[ごみ]]の焼却回避、[[リサイクル]]制度の拡充、塩素系プラスチックの使用量削減などが提案されている。また、業界団体からは焼却炉からのダイオキシン類の主要発生源はポリ塩化ビニルではなく食塩によるものとする研究<ref>塩化ビニル環境対策協議会 [https://www.pvc.or.jp/contents/news/27-6.html ダイオキシン生成への食塩の関与、京大との共同研究で確認]</ref>も出されている。 ==環境ホルモン問題に対する懸念== [[20世紀]]末ごろ、いわゆる[[環境ホルモン]]への関心が高まる中で、ポリ塩化ビニル中に含まれる[[可塑剤]]が[[食品]]中などに溶け出すことで[[人体]]に与える影響が懸念されるようになった。これまで可塑剤として広く用いられていた[[フタル酸エステル]]である[[フタル酸ビス(2-エチルヘキシル)]]は[[油脂]]を含んだ食品中へ溶け出す可能性があり、食品が直接触れる[[容器]]や[[包装]]への使用が[[制限]]されるようになった。また、[[玩具]]のうち[[ソフトビニール]]人形などの「[[乳幼児]]が[[口]]に接触することをその本質とするおもちゃ」に対してもフタル酸エステルを含むポリ塩化ビニルの使用が制限され<ref>[https://www.mhlw.go.jp/shingi/2002/06/s0611-2.html 薬事・食品衛生審議会の答申について]</ref>、代替材料として熱可塑性[[エラストマー]]が用いられるようになった。 食品[[製造]]時に用いられているポリ[[手袋]]も同様の理由から問題視された。[[2000年]]6月、[[厚生省]](現・[[厚生労働省]])は食品製造時のポリ塩化ビニル製手袋の使用を中止するよう通達を出した。なお[[2003年]]の[[環境省]]検討会において、[[フタル酸エステル]]には環境ホルモン様作用が確認されなかったことが報告された。 ==エネルギー問題との関連== [[重さ|重量]]比にして塩素が約半分を占めており石油消費量が小さいため、他の石油系プラスチックに比べてポリ塩化ビニルは重量あたりの[[二酸化炭素]]排出量が小さく、[[環境問題|環境への影響]]が小さいプラスチックであるという見方ができる<ref>{{PDFlink|[http://ec.europa.eu/enterprise/chemicals/sustdev/pvc-final_report_lca.pdf Life Cycle Assessment of PVC and of principal competing materials]}} {{en icon}}</ref>。樹脂化学業界団体は「塩化ビニルは製造プロセスにおけるエネルギー投入量が他の炭化水素系樹脂と比較して少なくて済む」「石油消費量が他の炭化水素系樹脂と比較して少なくて済む」「高断熱性で省エネに貢献する」などを主張している<ref>President 稼ぎ頭の勉強法 落ちこぼれの勉強法 2008年8月4日号 身近な「塩ビ」で環境に貢献!実証されたその凄い「省エネ性能」 塩ビ工業・環境協会会長 菅原公一</ref>。 一方で、一般的な炭化水素系樹脂と比較して化学的性質がかなり異なるため、樹脂を再生利用する際にポリ塩化ビニルが混在していると障害の原因になりやすい<ref>[http://www.jfe-holdings.co.jp/release/nkk/9810/1022.html]</ref>。塩化ビニルの焼却ではダイオキシン類の生成を抑える工夫が必要になるため、[[高炉]]における[[還元剤]]として使用する場合に障害となる例や、[[ペットボトル]]の再生の障害となっている例などがある。[[リサイクル]]施設ではポリ塩化ビニルと他の樹脂とは[[X線]]の透過特性が異なる事を利用して分別している事例もある。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考資料 == * [http://home.e06.itscom.net/chemiweb/ladybugs/kiji/t06901.htm 反農薬東京グループ(1997年)ダイオキシン問題-「食塩と塩化水素の関係をどうみるべきか] * [http://www.japanmetal.com/special/special_66.html 産業新聞社(公開日不記載)多彩な技術に期待― 動き出した塩ビリサイクル<上>] * [http://www4.justnet.ne.jp/~mituko/gomisyo1.htm あいちゴミ仲間ネットワーク会議(1999年)『環境とダイオキシン』 - どうすりゃいいの?塩ビ製品(1998年11月 消費者大会環境分科会報告資料)] ==関連項目== {{Commonscat|PVC}} * [[ビニル基]] * [[ビニールハウス]] * [[消しゴム]] == 外部リンク == * [https://www.vec.gr.jp/ 塩ビ工業・環境協会] * [https://www.pvc.or.jp/ 塩化ビニル環境対策協議会] * {{ICSC|1487}} * {{Kotobank}} {{プラスチック}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほりえんかひにる}} [[Category:有機塩素化合物]] [[Category:合成樹脂]]
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メディア
メディア(media 他) media(メディア)はmedium(メディウム)の複数形。 medium は、中間にあるもの、間に取り入って媒介するもの。
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メディア
'''メディア'''({{la|media}} 他) == Media == {{wiktionary|media}} {{la|media}}(メディア)は{{la|medium}}(メディウム)の複数形。 {{la|medium}} は、中間にあるもの、間に取り入って媒介するもの。 === 媒体 === * [[媒体]] - 分野によってさまざまな訳され方をする。 * [[メディア (媒体)]] - 情報の媒体。 ** [[マスメディア]] - [[マスコミュニケーション]]を行なうためのメディア。 * [[電子媒体]] - [[デジタルデータ]]の形で情報を記録、配布する媒体。 * [[伝送路]] - 情報を伝送する媒体。通信媒体、伝送媒体。 * [[巫女]] === 地理 === * [[メディア王国]] - メディア人が[[古代イラン]]に建てた王国。 * [[メディア (ペンシルベニア州)]] ({{interlang|en|Media, Pennsylvania|Media}}) - [[アメリカ合衆国]]・[[ペンシルベニア州]][[デラウェア郡 (ペンシルベニア州)|デラウェア郡]]。 * [[メディア (イリノイ州)]] ({{interlang|en|Media, Illinois|Media}}) - アメリカ合衆国・[[イリノイ州]][[ヘンダーソン郡 (イリノイ州)|ヘンダーソン郡]]。 === 企業 === * [[メディア (企業)]] - 2000年から2007年まで日本にあった[[電気通信]]事業者。 == Medea == * [[メーデイア]] - ギリシャ神話の[[コルキス]]の王女で、[[イアソン]]の妻。 * [[メディア (ギリシア悲劇)]] - メデイアをヒロインとする[[エウリピデス]]作の悲劇。 == 架空 == * [[真・女神転生#魔法とEXTRA|メディア]] - ゲーム『[[真・女神転生]]』の複数回復魔法。 * [[ぱにぽにの登場人物#1年D組|メディア]] - 漫画『[[ぱにぽに]]』の登場人物。 * [[クイズマジックアカデミーの登場人物#女子生徒|メディア]] - ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』の登場人物。 * [[聖闘士星矢Ω登場人物一覧#マルスの軍勢|メディア]] - アニメ『[[聖闘士星矢Ω]]』の登場人物。 ==関連項目== * {{prefix}} * {{intitle|"メディア" -"コメディアン"}} * [[メデア]] (曖昧さ回避) * (英語版)[[:en:Media|Media]]の曖昧さ回避ページ * (英語版)[[:en:Medea (disambiguation)|Medea]]の曖昧さ回避ページ {{aimai}} {{デフォルトソート:めていあ}} [[Category:媒体|*]] [[Category:英語の語句]] [[Category:英語の地名]] [[Category:同名の地名]]
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高エネルギー加速器研究機構
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(こうエネルギーかそくきけんきゅうきこう、英称:High Energy Accelerator Research Organization)は、高エネルギー物理学・加速器科学・物質構造科学などの総合研究機関として、国立大学法人法により設置された大学共同利用機関法人。2008年ノーベル物理学賞を受賞した小林誠特別栄誉教授が在籍する。 略称はKEK(ケイ・イー・ケイ、または、ケック。機構名のローマ字表記 Kou Enerugii Kasokuki Kenkyū Kikō の略。前身のひとつである高エネルギー物理学研究所のローマ字表記 Kou Enerugii Butsurigaku Kenkyūsho の略を引き継いでいる)。 人間文化研究機構、自然科学研究機構、情報・システム研究機構、宇宙航空研究開発機構と共に「総合研究大学院大学」を構成する。 1997年(平成9年)4月1日に文部省高エネルギー物理学研究所・東京大学原子核研究所・東京大学理学部附属中間子科学研究センターを改組・統合して発足し、2004年(平成16年)4月1日、「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」の施行に伴い、大学共同利用機関法人として成立した。 旧高エネルギー物理学研究所教授・素粒子原子核研究所長・高エネルギー加速器研究機構理事を歴任した、高エネルギー加速器研究機構名誉教授(2009年1月、特別栄誉教授)の小林誠は、2008年度のノーベル物理学賞を受賞した。 組織は以下の4つに大別される。加速器研究施設は、具体的にはKEKつくばキャンパスに設置された加速器群、J-PARC、国際リニアコライダー等の加速器本体の研究開発を行う組織を含んでいる。実験装置群なども、研究施設内で製作したり、各メーカーとの協力によって製作することもある。共通基盤研究施設は、スーパーコンピュータ群などを有する計算科学センター、超伝導低温工学センター、放射線科学センター、機械工学センターからなる。この他に事務機関、図書室、福利厚生等の管理・運営等をおこなう組織がある。 加速器研究施設と共通基盤研究施設、素粒子原子核研究所、及び物質構造科学研究所はそれぞれ、総合研究大学院大学高エネルギー加速器科学研究科の加速器科学専攻、素粒子原子核専攻、及び物質構造科学専攻の各基盤機関(博士課程の研究指導を担当する機関)となっている。 茨城県内では最高レベルの性能を誇る大型コンピュータシステムを運用している。 高エネルギー物理学実験には、加速器本体を制御する計算機と実験データを記録する大型サーバコンピュータが不可欠である。TRISTAN(トリスタン、Transposable Ring Intersecting Storage Accelerator in Nippon)計画では、加速器本体を制御するコンピュータとしてVAXシリーズが用いられ、実験結果のデータを記録するサーバとして、富士通の大型コンピュータが設置され、大規模マスストレージシステム(MSS: Mass Strage System)によってTBクラスのデータが記録されることになった。 基本アーキテクチャは、データバスが加速器実験の領域では標準となる高速データバスが用いられている。現在は、工業用の標準データバスシステム(10G-BASE)を基本として、各実験装置に搭載した組み込み用コンピュータで一次処理を行ったデータを、専用コンピュータに送るシステムとして運用。制御用も同じシステムからなる、二重冗長化データバスシステムで構成。 2006年3月1日から、KEKの研究に関わる分野や素粒子・原子核物理学に関連する分野の大型シミュレーション研究用として、IBMの「Blue Gene」(理論演算性能57.3TFLOPS)と日立製作所の「SR11000モデルK1」(理論演算性能2.15TFLOPS)が運用されている。 高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同で、大強度陽子加速器施設・J-PARCを推進している。 日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所敷地内(KEK東海キャンパス)に大強度陽子加速器施設が建設された。 2008年9月に初ミュオン発生、同12月には20kWの陽子ビーム出力による本格的な供用運転を開始した。2009年12月には120kWでの定常運転に成功し、現在は300kWの安定供給を目指して整備が進められている。 前身の1つである高エネルギー物理学研究所は、1992年9月30日、日本で最初にWebサーバを公開した組織である(「日本最初のホームページ」を参照)。 また、同研究所のドメイン名kek.jp(現在も継続使用中)は、汎用JPドメイン名に分類される形式をとっているが、汎用JPドメイン名の制度が設けられる以前から存在していた、数少ない例外的なドメイン名である。同様のドメイン名としては、ntt.jp、nttdata.jpがあるが、いずれも一旦廃止された後、汎用JPドメイン名として取得され直されている。 つくばキャンパスは、1977年(昭和52年)から年に一度、初秋に一般公開を実施している。KEKBトンネル内部やBELLE測定器を始めとしたほぼ全ての施設の見学が可能で、研究活動の紹介や物理現象を活用した実験などのイベントを開催する。また、茨城県やつくば市との協力によって、春の科学技術週間中にも特別公開や講演会などを実施している。 東海キャンパスがある、日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所のJ-PARCも、建設中の2008年8月に特別公開が実施されている。 常設展示ホール「KEKコミュニケーションプラザ」は、年末年始を除き見学可能(9時30分 - 16時30分、土日祝日も公開)。 コミュニケーションプラザ以外の研究施設は、10名以上の団体に限り、予約状況の確認した上で、事前に見学申込書を提出する事により見学可能(平日のみ・予約先着順、午前と午後各1団体まで)。説明員による解説あり。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(こうエネルギーかそくきけんきゅうきこう、英称:High Energy Accelerator Research Organization)は、高エネルギー物理学・加速器科学・物質構造科学などの総合研究機関として、国立大学法人法により設置された大学共同利用機関法人。2008年ノーベル物理学賞を受賞した小林誠特別栄誉教授が在籍する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "略称はKEK(ケイ・イー・ケイ、または、ケック。機構名のローマ字表記 Kou Enerugii Kasokuki Kenkyū Kikō の略。前身のひとつである高エネルギー物理学研究所のローマ字表記 Kou Enerugii Butsurigaku Kenkyūsho の略を引き継いでいる)。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "人間文化研究機構、自然科学研究機構、情報・システム研究機構、宇宙航空研究開発機構と共に「総合研究大学院大学」を構成する。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1997年(平成9年)4月1日に文部省高エネルギー物理学研究所・東京大学原子核研究所・東京大学理学部附属中間子科学研究センターを改組・統合して発足し、2004年(平成16年)4月1日、「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」の施行に伴い、大学共同利用機関法人として成立した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "旧高エネルギー物理学研究所教授・素粒子原子核研究所長・高エネルギー加速器研究機構理事を歴任した、高エネルギー加速器研究機構名誉教授(2009年1月、特別栄誉教授)の小林誠は、2008年度のノーベル物理学賞を受賞した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "組織は以下の4つに大別される。加速器研究施設は、具体的にはKEKつくばキャンパスに設置された加速器群、J-PARC、国際リニアコライダー等の加速器本体の研究開発を行う組織を含んでいる。実験装置群なども、研究施設内で製作したり、各メーカーとの協力によって製作することもある。共通基盤研究施設は、スーパーコンピュータ群などを有する計算科学センター、超伝導低温工学センター、放射線科学センター、機械工学センターからなる。この他に事務機関、図書室、福利厚生等の管理・運営等をおこなう組織がある。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "加速器研究施設と共通基盤研究施設、素粒子原子核研究所、及び物質構造科学研究所はそれぞれ、総合研究大学院大学高エネルギー加速器科学研究科の加速器科学専攻、素粒子原子核専攻、及び物質構造科学専攻の各基盤機関(博士課程の研究指導を担当する機関)となっている。", "title": "組織" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "茨城県内では最高レベルの性能を誇る大型コンピュータシステムを運用している。", "title": "コンピュータについて" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "高エネルギー物理学実験には、加速器本体を制御する計算機と実験データを記録する大型サーバコンピュータが不可欠である。TRISTAN(トリスタン、Transposable Ring Intersecting Storage Accelerator in Nippon)計画では、加速器本体を制御するコンピュータとしてVAXシリーズが用いられ、実験結果のデータを記録するサーバとして、富士通の大型コンピュータが設置され、大規模マスストレージシステム(MSS: Mass Strage System)によってTBクラスのデータが記録されることになった。", "title": "コンピュータについて" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "基本アーキテクチャは、データバスが加速器実験の領域では標準となる高速データバスが用いられている。現在は、工業用の標準データバスシステム(10G-BASE)を基本として、各実験装置に搭載した組み込み用コンピュータで一次処理を行ったデータを、専用コンピュータに送るシステムとして運用。制御用も同じシステムからなる、二重冗長化データバスシステムで構成。", "title": "コンピュータについて" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2006年3月1日から、KEKの研究に関わる分野や素粒子・原子核物理学に関連する分野の大型シミュレーション研究用として、IBMの「Blue Gene」(理論演算性能57.3TFLOPS)と日立製作所の「SR11000モデルK1」(理論演算性能2.15TFLOPS)が運用されている。", "title": "コンピュータについて" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同で、大強度陽子加速器施設・J-PARCを推進している。", "title": "J-PARCについて" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所敷地内(KEK東海キャンパス)に大強度陽子加速器施設が建設された。", "title": "J-PARCについて" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "2008年9月に初ミュオン発生、同12月には20kWの陽子ビーム出力による本格的な供用運転を開始した。2009年12月には120kWでの定常運転に成功し、現在は300kWの安定供給を目指して整備が進められている。", "title": "J-PARCについて" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "前身の1つである高エネルギー物理学研究所は、1992年9月30日、日本で最初にWebサーバを公開した組織である(「日本最初のホームページ」を参照)。", "title": "インターネット創成期との関わり" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また、同研究所のドメイン名kek.jp(現在も継続使用中)は、汎用JPドメイン名に分類される形式をとっているが、汎用JPドメイン名の制度が設けられる以前から存在していた、数少ない例外的なドメイン名である。同様のドメイン名としては、ntt.jp、nttdata.jpがあるが、いずれも一旦廃止された後、汎用JPドメイン名として取得され直されている。", "title": "インターネット創成期との関わり" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "つくばキャンパスは、1977年(昭和52年)から年に一度、初秋に一般公開を実施している。KEKBトンネル内部やBELLE測定器を始めとしたほぼ全ての施設の見学が可能で、研究活動の紹介や物理現象を活用した実験などのイベントを開催する。また、茨城県やつくば市との協力によって、春の科学技術週間中にも特別公開や講演会などを実施している。", "title": "施設見学" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "東海キャンパスがある、日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所のJ-PARCも、建設中の2008年8月に特別公開が実施されている。", "title": "施設見学" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "常設展示ホール「KEKコミュニケーションプラザ」は、年末年始を除き見学可能(9時30分 - 16時30分、土日祝日も公開)。", "title": "施設見学" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "コミュニケーションプラザ以外の研究施設は、10名以上の団体に限り、予約状況の確認した上で、事前に見学申込書を提出する事により見学可能(平日のみ・予約先着順、午前と午後各1団体まで)。説明員による解説あり。", "title": "施設見学" } ]
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構は、高エネルギー物理学・加速器科学・物質構造科学などの総合研究機関として、国立大学法人法により設置された大学共同利用機関法人。2008年ノーベル物理学賞を受賞した小林誠特別栄誉教授が在籍する。 略称はKEK。 人間文化研究機構、自然科学研究機構、情報・システム研究機構、宇宙航空研究開発機構と共に「総合研究大学院大学」を構成する。
{{出典の明記|date=2020年5月}} {{Infobox 研究所 | 名称 = 大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 | Width = 250 | 画像 = KEK and Mt Tsukuba.jpg | 脚注 = KEKつくばキャンパス([[茨城県]][[つくば市]]) | 画像2 = | 脚注2 = | 正式名称 = <!--正式名称が外国語である場合に、現地の言葉で名称を記入。それ以外の場合は無記入でOK--> | 英語名称 = High Energy Accelerator Research Organization | 略称 = KEK、高エネ研 | 組織形態 =[[大学共同利用機関法人]] | 本部名称 = <!--拠点が多数あってすぐ下の住所がどこのものか不明瞭な様な場合に記入。本部、事務局、などと記入。それ以外の場合は無記入でOK--> | 所在国 = {{JPN}} | 所在地郵便番号 = 305-0801 | 所在地 = [[茨城県]][[つくば市]][[大穂 (つくば市)|大穂]]1番地1 | 位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|36|9|5.14|N|140|4|26.2|E|}} | 予算 = 355億円(2021年度) | 人数 = 常勤職員数723人<br />(2021年現在) | 代表 = | 所長 = | 理事長 = | 代表職名 = 機構長<!--組織トップの肩書が上の三つ以外の場合、ここにその肩書を記入--> | 代表氏名 = [[山内正則]]<!--組織トップの肩書が上の三つ以外の場合、すぐ上で肩書を記入し、ここに人物の名前を記入--> | 活動領域 = | 設立年月日 = [[1997年]][[4月1日]] | 前身 = [[文部省]]高エネルギー物理学研究所<br />[[東京大学]]原子核研究所<br />[[東京大学理学部]]附属中間子科学研究センター | 設立者 = | 廃止年月日 = | 後身 = | 上位組織 = | 所管 = [[文部科学省]] | 下位組織 =[[素粒子原子核研究所]]<br />[[物質構造科学研究所]]<br />加速器研究施設<br />共通基盤研究施設 | 拠点 = | 保有施設 =[[KEKB]]、[[PFリング]] | 保有装置 = | 保有物分類1 = <!--施設でも装置でもない何かを保有している場合に、ここにその種別を記入。例えば船舶、衛星など--> | 保有物名称1 = <!--すぐ上の種別に属する保有物の名称をここに記入。例えばしんかい6500、など--> | 保有物分類2 = | 保有物名称2 = | 保有物分類3 = | 保有物名称3 = | 提供サービス = [[GRACEシステム]] | プロジェクト = | 参加プロジェクト = [[ベル実験]]、[[J-PARC]]建設、[[T2K]]実験、[[国際リニアコライダー]] | 特記事項 = [[日本最初のホームページ]] | ウェブサイト = https://www.kek.jp/ }} '''大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構'''(こうエネルギーかそくきけんきゅうきこう、英称:High Energy Accelerator Research Organization)は、[[高エネルギー物理学]]・加速器科学・物質構造科学などの総合[[研究所|研究機関]]として、[[国立大学法人法]]により設置された[[大学共同利用機関法人]]。[[2008年]][[ノーベル物理学賞]]を受賞した[[小林誠 (物理学者)|小林誠]][[特別栄誉教授]]が在籍する。 略称は'''KEK'''(ケイ・イー・ケイ、または、ケック。機構名の[[ローマ字]]表記 '''K'''ou '''E'''nerugii Kasokuki '''K'''enkyū Kikō の略。前身のひとつである高エネルギー物理学研究所のローマ字表記 '''K'''ou '''E'''nerugii Butsurigaku '''K'''enkyūsho の略を引き継いでいる)<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 三浦 弥 |year = 2007 |title = 大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 |url = http://www.nagase-landauer.co.jp/nl_letter/pdf/19/no360.pdf |format = PDF |journal = NLだより |serial = 360 |publisher = [[長瀬ランダウア]] |page = 2 }}</ref>。 [[人間文化研究機構]]、[[自然科学研究機構]]、[[情報・システム研究機構]]、[[宇宙航空研究開発機構]]と共に「[[総合研究大学院大学]]」を構成する。 == 概要 == [[1997年]]([[平成]]9年)[[4月1日]]に[[文部省]]高エネルギー物理学研究所・[[東京大学]]原子核研究所・東京大学理学部附属中間子科学研究センターを改組・統合して発足し、[[2004年]](平成16年)4月1日、「国立大学法人法等の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」の施行に伴い、大学共同利用機関法人として成立した。 旧高エネルギー物理学研究所教授・[[素粒子原子核研究所]]長・高エネルギー加速器研究機構理事を歴任した、高エネルギー加速器研究機構[[名誉教授]](2009年1月、[[特別栄誉教授]])の[[小林誠 (物理学者)|小林誠]]は、[[2008年]]度の[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。 == 所在地 == * つくばキャンパス:[[茨城県]][[つくば市]][[大穂 (つくば市)|大穂]]1番地1。[[筑波研究学園都市]]北部にある。 * 東海キャンパス:茨城県[[那珂郡]][[東海村]]白方白根2番地4。[[日本原子力研究開発機構]]・原子力科学研究所敷地内 == 組織 == 組織は以下の4つに大別される。加速器研究施設は、具体的にはKEKつくばキャンパスに設置された[[加速器]]群、[[J-PARC]]、[[国際リニアコライダー]]等の加速器本体の研究開発を行う組織を含んでいる。実験装置群なども、研究施設内で製作したり、各メーカーとの協力によって製作することもある。共通基盤研究施設は、[[スーパーコンピュータ]]群などを有する計算科学センター、[[超伝導]]低温工学センター、放射線科学センター、機械工学センターからなる。この他に事務機関、図書室、福利厚生等の管理・運営等をおこなう組織がある。 * [[素粒子原子核研究所]]:[[素粒子物理学]]、[[原子核物理学]]および[[宇宙物理学]]を研究する基礎物理研究所 * [[物質構造科学研究所]]:フォトンファクトリー([[PFリング]])、[[中性子]]、[[ミュー粒子|ミュオン]]を活用して、物質構造を研究する応用物理研究所 * 加速器研究施設:[[電子]]や[[陽子]]を[[光速]]近くまで加速する実験装置「加速器」を開発・運用するKEKの研究活動の根幹をなす組織 * 共通基盤研究施設:加速器を用いた研究を、高度な技術開発などにより支援する組織 加速器研究施設と共通基盤研究施設、素粒子原子核研究所、及び物質構造科学研究所はそれぞれ、[[総合研究大学院大学]]高エネルギー加速器科学研究科の加速器科学専攻、素粒子原子核専攻、及び物質構造科学専攻の各基盤機関([[大学院|博士課程]]の研究指導を担当する機関)となっている。 == 主な実験施設 == [[ファイル:KEKB Belle Detector.jpg|thumb|200px|right|BELLE検出器]] * [[KEKB]]:周長3.016kmの衝突型[[加速器#円形加速器|円形加速器]]。8.0GeV(80億[[電子ボルト]])の[[電子]]と3.5GeV(35億電子ボルト)の[[陽電子]]を衝突させることで、大量のB[[中間子]]・反B中間子対を作り出す。これを用いて、[[ベル実験|BELLE実験]]が行われている。BELLE実験とは13カ国、53研究機関、400人程度から構成される国際共同素粒子実験。KEKB加速器により加速された電子・陽電子の衝突によって生成される、年間1億個程度のB中間子・反B中間子対事象の崩壊過程をBELLE測定器で検出して調べることで、[[対称性の破れ|CP非保存]](粒子・反粒子の性質の違い)の研究を行う。現在の宇宙から[[反物質]]が消えた謎を解く鍵として、このCP非保存が重要な関わりを持つことが指摘され、B中間子系で大きなCP非保存が期待されていることから、BELLE実験は世界的に注目されている<ref>KEKBは、[[トップクォーク]]発見を目指して建設されたTRISTAN加速器のトンネルを活用して、新たに開発された加速器である。なお、トップクォーク発見では、重心系衝突エネルギーレベルで一桁上の性能を持つ、[[フェルミ国立加速器研究所]]のテバトロン(陽子-反陽子衝突型加速器)にその座を譲った。</ref>。 * フォトンファクトリー([[PFリング]]):周長187mの円形加速器で[[放射光]]実験に用いられる。 * [[PF-AR]]:加速する電子を単一のかたまり(単バンチ)にすることで高強度のパルス放射光を発生するリング。 * [[ニュートリノ]]ビームライン:約250km離れた[[スーパーカミオカンデ]]に向けてニュートリノビームを射ち込み、長基線[[ニュートリノ振動]]実験(K2K)を[[1999年]]から[[2004年]]まで行っていた<ref>[http://neutrino.kek.jp/index-j.html K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験(KEK-PS-E362)公式ホームページ]</ref>。茨城県東海村に建設された[[J-PARC]]では、さらにニュートリノビームの強度を高めた実験「[[T2K]]」が[[2009年]]から行われている。 ** KEK本部敷地内には、この他にも直線型の[[加速器#線形加速器|線形加速器]]などが設置されており、高エネルギー物理実験を行う総合研究所として機能している<ref>線形加速器で加速された電子と陽電子は、KEKB加速器の他、[[放射光]]実験施設にも供給される。高エネルギー[[X線]](硬X線)実験研究施設である、[[理化学研究所]][[SPring-8]]にも、同種の線形加速器が設置・運用されている。</ref>。 ** 円形陽子加速器、リングサイクロトロン(どちらも老朽化のため、共同利用を停止している)等もある。 == コンピュータについて == [[ファイル:20080831-R0012506.JPG|thumb|200px|right|[[Blue Gene]](2008年8月撮影)]] 茨城県内では最高レベルの性能を誇る大型コンピュータシステムを運用している。 高エネルギー物理学実験には、加速器本体を制御する計算機と実験データを記録する大型[[サーバ]][[コンピュータ]]が不可欠である。'''TRISTAN'''(トリスタン、'''T'''ransposable '''R'''ing '''I'''ntersecting '''St'''orage '''A'''ccelerator in '''N'''ippon)計画では、加速器本体を制御するコンピュータとして[[VAX]]シリーズが用いられ、実験結果のデータを記録するサーバとして、[[富士通]]の大型コンピュータが設置され、大規模マスストレージシステム(MSS: Mass Strage System)によって[[テラバイト|TB]]クラスのデータが記録されることになった。 [[コンピュータ・アーキテクチャ|基本アーキテクチャ]]は、[[バス (コンピュータ)|データバス]]が加速器実験の領域では標準となる高速データバスが用いられている。現在は、工業用の標準データバスシステム(10G-BASE)を基本として、各実験装置に搭載した組み込み用コンピュータで一次処理を行ったデータを、専用コンピュータに送るシステムとして運用。制御用も同じシステムからなる、二重[[冗長化]]データバスシステムで構成。 2006年3月1日から、KEKの研究に関わる分野や素粒子・原子核物理学に関連する分野の大型シミュレーション研究用として、[[IBM]]の「[[Blue Gene]]」(理論演算性能57.3[[テラ|T]][[FLOPS]])と[[日立製作所]]の「SR11000モデルK1」(理論演算性能2.15TFLOPS)が運用されている<ref>[http://scwww.kek.jp/ KEK Supercomputer System]、高エネルギー加速器研究機構・計算科学センター</ref>。 == J-PARCについて == 高エネルギー加速器研究機構と[[日本原子力研究開発機構]]が共同で、大強度[[陽子]]加速器施設・[[J-PARC]]を推進している。 日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所敷地内(KEK東海キャンパス)に大強度陽子加速器施設が建設された。 2008年9月に初ミュオン発生、同12月には20kWの陽子ビーム出力による本格的な供用運転を開始した。2009年12月には120kWでの定常運転に成功し、現在は300kWの安定供給を目指して整備が進められている。 == インターネット創成期との関わり == 前身の1つである高エネルギー物理学研究所は、[[1992年]][[9月30日]]、[[日本]]で最初に[[Webサーバ]]を公開した組織である(「[[日本最初のホームページ]]」を参照)。 また、同研究所のドメイン名'''kek.jp'''(現在も継続使用中)は、汎用JPドメイン名に分類される形式をとっているが、汎用JPドメイン名の制度が設けられる以前から存在していた、数少ない例外的なドメイン名である。同様のドメイン名としては、ntt.jp、nttdata.jpがあるが、いずれも一旦廃止された後、汎用JPドメイン名として取得され直されている。 == 施設見学 == === 一般公開 === つくばキャンパスは、[[1977年]](昭和52年)から年に一度、初秋に一般公開を実施している。KEKBトンネル内部やBELLE測定器を始めとしたほぼ全ての施設の見学が可能で、研究活動の紹介や物理現象を活用した実験などのイベントを開催する。また、[[茨城県]]や[[つくば市]]との協力によって、春の科学技術週間中にも特別公開や講演会などを実施している。 === 特別公開 === 東海キャンパスがある、日本原子力研究開発機構・原子力科学研究所のJ-PARCも、建設中の2008年8月に特別公開が実施されている。 === 通常見学 === 常設展示ホール「KEKコミュニケーションプラザ」は、年末年始を除き見学可能(9時30分 - 16時30分、土日祝日も公開)。 コミュニケーションプラザ以外の研究施設は、10名以上の団体に限り、予約状況の確認した上で、事前に見学申込書を提出する事により見学可能(平日のみ・予約先着順、午前と午後各1団体まで)。説明員による解説あり。 == 歴代機構長 == {|class="wikitable" |- !colspan="6" style="background-color:skyblue"|高エネルギー加速器研究機構 機構長 |- !代!!colspan="2"|氏名!!就任日!!退任日!!前職 |- !1 |[[ファイル:Hirotaka Sugawara cropped 3 Hirotaka Sugawara 19991006.jpg|60px]]||[[菅原寛孝]]||[[1997年]][[4月]]||[[2003年]][[3月]]||[[高エネルギー物理学研究所]]所長 |- !2 |[[ファイル:Yoji Totsuka cropped Yoji Totsuka 20030815 5.jpg|60px]]||[[戸塚洋二]]||2003年[[4月]]||[[2006年]][[3月]]||[[素粒子原子核研究所]]物理第三研究系[[教授]] |- !3 |[[ファイル:Atsuto Suzuki cropped 3 Atsuto Suzuki and Piermaria Oddone 201010.jpg|60px]]||[[鈴木厚人]]||2006年[[4月]]||2015年3月||[[東北大学]]副学長 |- !4 |No Image||[[山内正則]]||2015年[[4月]]||(現職)||素粒子原子核研究所所長 |- |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!--== 参考文献 ==--> <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} --> == 関連項目 == {{Commonscat|KEK (High Energy Accelerator Research Organization)}} * [[研究所]] === KEKの実験や研究など === * [[KEKB]] * [[ベル実験|Belle実験]] * [[日本最初のホームページ]] === 日本原子力研究開発機構との共同プロジェクト === * [[J-PARC]] === 国際プロジェクト === * [[国際リニアコライダー]] === フィクション登場事例 === * [[さよならジュピター]] - [[TOHOスタジオ|東宝映画]]とスタジオイオ([[小松左京]])が製作した映画『[[さよならジュピター]]』([[1984年]]公開)において、[[木星]]のミネルバ基地の[[ロケーション撮影|ロケ]]に、KEKBが稼働する前のTRISTAN加速器に設置する実験設備の工事中の現場が用いられた。 * [[首都消失]] - 同じく小松左京。小説版でVENUS実験に言及。 * [[神様のパズル]] - [[角川春樹事務所]]製作の映画『[[神様のパズル]]』([[2008年]]公開)に登場する加速器「むげん」の衝突点ロケに、[[KEKB加速器]]と[[ベル実験|Belle測定器]]が用いられた。 * [[SHORT TWIST]] - [[佐々木淳子]]の漫画『[[SHORT TWIST]]』(1988年)に、TRISTAN加速器を取材した架空の特殊加速器「イゾルデ」が登場している。なお、主人公の勤務する研究所の略称は「KE・KK」。 * [[エリアル]] - [[笹本祐一]]の小説『[[エリアル]]』に国立科学研究所SCEBAIの施設として超伝導粒子加速器イゾルデが登場。世界でも最大級の規模と出力を誇る直径12キロにおよぶ粒子加速器。タキオン検出から高次空間内の異常共振まで多彩な研究が可能。 == 外部リンク == * [https://www.kek.jp/ KEK:高エネルギー加速器研究機構] * {{Twitter|KEK_JP|KEK Japan}} * {{Twitter|ilc_tsushin|ILC通信}} {{大学共同利用機関法人}} {{文部科学省}} {{研究大学強化促進事業選定機関}} {{スーパー連携大学院コンソーシアム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こうえねるきいかそくきけんきゆうきこう}} [[Category:物理学系の研究所]] [[Category:原子核物理学]] [[Category:高エネルギー物理学]] [[Category:素粒子物理学の施設]] [[Category:高エネルギー加速器研究機構|*]] [[Category:大学共同利用機関法人]] [[Category:総合研究大学院大学]] [[Category:つくば市の研究所]] [[Category:1997年設立の組織]]
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民主主義
民主主義(みんしゅしゅぎ、英: Democracy、デモクラシー)とは人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。 民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。 民主主義には直接民主制と間接民主制の間の議論があり、また自由主義的なブルジョワ民主主義(自由民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義によるプロレタリア民主主義なども登場した。 「デモクラシー」(英語: democracy)の語源は 古代ギリシア語: δημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)で、これは「人民・民衆・大衆」などを意味する δῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味する κράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」「国民主権」などの意味を持つ 。 「デモクラシー」は、優れた人(貴族)による権力・支配を意味する「アリストクラティア」(貴族制や寡頭制などと訳される)との対比で使用された。両者は権力者や支配者の多寡(多数派か少数派か)に注目した用語である。なお「アリストクラティア」( ἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía)は「優れた人」を意味する ἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: aristos、アリストス)と、 「権力・支配」を意味するκράτος を組み合わせたものである。 しかし、古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は衆愚政治の意味で使われるようになり、古代ローマでは「デモクラシー」の語は使用されず、王政を廃止して元老院と市民集会が主権を持つ体制は「共和制」と呼ばれた。 近代の啓蒙主義により「デモクラシー」は、自由主義思想の用語として再び使われるようになった(自由民主主義)。近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、清教徒革命でのレヴェラーズ(Levellers、平等派、水平派)であり、更にフランス革命により君主制・貴族制・神政政治などと対比され、また20世紀以降は全体主義との対比でも使用される事が増えた。なお政治学では、非民主主義の総称は「権威主義(権威主義政体)」と呼ばれる。 日本語で「デモクラシー」は通常、主に政体を指す場合は「民主政」、主に制度を指す場合は「民主制」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳が分けられている。 なお政治学では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「民主主義」のカナ転写である「デモクラティズム」(英: democratism)が使用される場合もある。 なお、現代ギリシャ語ではδημοκρατία(ディモクラティア)は「民主制」を表すと同時に「共和国(共和制)」を表す語でもあり、国名の「~共和国」と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。 民主という漢語は、伝統的な中国語の語義によれば「民ノ主」すなわち君主の事であり書経や左伝に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン(丁韪良)万国公法(1863年または64年)であり、マーティンは a democratic republic を「民主之国」と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスのロバート・モリソン(馬礼遜)の「華英字典」(1822年)は democracy を「既不可無人統率亦不可多人乱管」(合意することができず、人が多くカオスである)という文脈で紹介し、ヘンリー・メドハースト(麥都思)の「英華字典」(1847年)はやや踏み込み「衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権」(衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある)と解説する。さらにドイツのロブシャイド(羅存徳)「英華字典」(1866年)は「民政、衆人管轄、百姓弄権」(民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ)と解説していた。19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は「民(たみ)が主」という語義と「民衆の主(ぬし、すなわち民選大統領)」という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では democracy および republic いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。これが万国公法の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。 民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。 古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配、自由、自治、法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義や経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。 とりわけ民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦は総力戦となり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国などでは帝政が終焉した。第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦のスターリン主義が加えられた。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった。 こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、「民主主義とは何か」が曖昧ともなっている。 民主主義の代表的な種類・分類には以下があるが、その分類や呼称は時代・立場・観点などにもよって異り、多くの議論が存在している。 直接民主主義は、集団の構成員による意思が集団の意思決定に、より直接的に反映されるべきと考える。直接民主主義の究極の形態は、構成員が直接的に集合し議論して決定する形態であり、高い正統性が得られる反面、特に大規模な集団では物理的な制約や、構成員に高い知見や負担が必要となる。また議員など代表者を選出する形態でも有権者の選択が重視され、議員は信任されたのではなく有権者の意思を委任された存在であり、有権者の意思に反する場合はリコールや再選挙の対象となりうる。 古代アテナイや古代ローマでは民会が実施された。現代ではイニシアチブ(国民発案、住民発案など)、レファレンダム(国民投票、住民投票など)、リコール(罷免)が直接民主主義に基づく制度とされ、都市国家の伝統を受け継ぐスイスやアメリカ合衆国のタウンミーティングなどでは構成員の参加による自治が重視されている。 間接民主主義(代表民主主義、代議制民主主義)は、主権者である集団の構成員が自分の代表者(議員、大統領など)を選出し、実際の意思決定を任せる方法・制度である。主権者による意思決定は間接的となるが、知識や意識が高く政治的活動が可能な時間や費用に耐えられる人物を選出する事が可能となる。選挙制度にもより、議員の位置づけ(支持者や選挙区の代表か、全体の代表か)、選挙の正当性(投票価値の平等性、区割りなどの適正性、投票集計の検証性など)、代表者(達)による決定の正当性(主権者の意思(世論、民意)が反映されているか)などが常に議論となる。 自由民主主義(自由主義的民主主義、立憲民主主義)は、自由主義による民主主義。人間は理性を持ち判断が可能であり、自由権や私的所有権や参政権などの基本的人権は自然権であるとして、立憲主義による権力の制限、権力分立による権力の区別分離と抑制均衡を重視する。古典的には、選出された議員は全員の代表であり、理性に従い議論と交渉を行い決定する自由を持つと考える。 宗教における民主主義。キリスト教民主主義、会衆制、仏教民主主義、イスラム民主主義など。 社会主義における民主主義には、フェビアン協会等による社会民主主義の潮流、民主社会主義、マルクス・レーニン主義(いわゆる共産主義)によるプロレタリア民主主義、人民民主主義、新民主主義などがある。 アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソン等による民主主義。共和制、自立を重視し、エリート主義に反対し、政党制と弱い連邦制(小さな政府)を主張した。 アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン等による民主主義。選挙権を土地所有者から全白人男性に拡大し、猟官制や領土拡張を進めた。 市民運動や住民運動など一般民衆による民主主義。ジェファーソン流民主主義を源泉とし、フランクリン・ルーズベルトが提唱した。 「防衛的民主制」とは、第二次世界大戦後のドイツ等、共産主義(コミュニズム)やファシズムなど自由民主制を否定する言動の自由や権利までは認めない民主制度。(西)ドイツ連邦憲法裁判所は判決の中で「自由の敵には無制限の自由は認めない」と断じて、ドイツ共産党を1956年から強制解散させている。 古代より多くの時代や地域あるいは共同体で、多様な合議制や、法やルールに基づいた合意形成や意思決定が存在したが、一般的には民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)の起源は古代ギリシャおよび古代ローマとされ、また近代的な意味での民主主義は17世紀以降の啓蒙思想や自由主義、それらの影響を受けたフランス革命、アメリカ独立革命などを経て形成され、20世紀に多くの諸国や地域に拡大した。 古代ギリシアのアテナイでは、民会による直接民主主義が行われた。民会の参加はアテナイ市民権を持つ全成人男性で、奴隷・女性・移住者は対象外であり、議論の後に多数決で決定された。 アテナイでは王制から貴族制に移行後は、貴族のアレオパゴス会議(元老院)による支配が行われ、民会の権限は限定的であった。紀元前7世紀にドラコンが従来の不文法を成文化し、貴族による法知識の独占が崩された。紀元前6世紀、ソロンは市民の奴隷への転落を禁止し、全ての市民が民会に参加することを認める法律を制定した(ソロンの改革)ため、市民と奴隷が明確に二分され、以後は市民間における自由と平等が保証された。続いて紀元前5世紀、クレイステネスが僭主ヒッピアスを追放し、従来の血縁による部族制から居住区(デーモス、デモクラシーの語源となった)制への移行、五百人評議会の設置、陶片追放の創設など、民主制の基礎を確立した。更に紀元前462年、ペリクレス等がアレオパゴス会議の権限を剥奪した。 しかしペルシア戦争後、ソフィスト等の批判で市民裁判によりソクラテスが処刑されると、弟子のプラトンは民主主義は衆愚政治に陥る危険があると考え哲人政治を主張した。またアリストテレスは六政体論を主張し、ポリテイア(国制)では「等しいものを等しく扱う」事が正義の本質とし、市民間の平等と相互支配(政治的支配)を重視したが、主人の奴隷に対する支配(主人的支配)や親の子に対する支配(王政的支配)は擁護した。これに対して後のストア派は自然法による奴隷を含めた全ての人間の平等を説いた。 アテナイを含む古代ギリシア衰退後は、民主主義(大衆支配)は合理的な統治形態ではないと考える時代が長く続いた。 古代ローマでは、古代ギリシアで使われたデモクラシーという言葉は衆愚政治を意味すると考え使用しなかったが、共和制移行後は貴族中心の元老院と平民の民会が意思決定機関となり、ローマ法が整備され、王政復活や独裁を防止するために執政官などの政務官は任期等が制限された。いわゆる帝政ローマへの移行後も、名目上は共和制で、ローマ皇帝は元首(プリンケプス)であった。 紀元前509年、古代ローマは王を追放し共和政ローマとなったが、貴族と平民の身分闘争が続き、紀元前494年 平民を保護する護民官が創設されて拒否権が与えられ、紀元前287年 ホルテンシウス法で民会が独自の立法機関となったが、グラックス兄弟などの改革は失敗した。またローマ市民権は被征服民族などに拡大され、212年のアントニヌス勅令で帝国内の全自由民(成人男性)に拡大された。 キケロは元老院(統治機関)、執政官(元首)、民会(議会)を権力分立と考えた。近代以降、元老院は上院、民会は下院、プリンケプスは元首となり、ローマ法はヨーロッパ法(普通法、ユス・コムーネ)に影響を与えた。 中世ではローマ教会など宗教的権威や王権神授説など絶対王政が支配的となったが、ヨーロッパでは都市国家や古代ローマの影響、各地の商業都市発達などもあり、多様な場所や形態で選挙君主制や議会、自治など民主的な概念や制度も存在した。古代からのものも含め、主な例には以下がある。 13世紀、イングランド王国のマグナ・カルタやスコットランド王国のアーブロース宣言で王権の制限が定められた。16世紀以降、ジャック=ベニーニュ・ボシュエやロバート・フィルマーが王権神授説を唱えて政治権力の教会権力からの独立を宣言し、ジャン・ボダンが「国家主権論」を唱え、1648年 ヴェストファーレン条約により中世とは異なる近代的な主権国家が成立した。 17世紀以降、啓蒙思想による自由主義が主張され、ヴォルテールは自由主義や人間の平等を主張した。17世紀、清教徒革命でリヴェラベーズ(平等派)が「民主主義」の用語を使用して社会契約や普通選挙を要求した。また人民主権の理論として社会契約論が唱えられた。ホッブスの社会契約論は、権力の正統性を神ではなく被支配者である人民に求めたが、国民による統治は構想しなかった。次にジョン・ロックの社会契約論は、更に国民の抵抗権(革命権)を認め、アメリカ独立革命に影響を与えた。またジャン・ジャック・ルソーの社会契約論は、堕落した文明社会を変革する方法として人民が一般意思(公共我)を創出するとし、また代表制を批判し直接民主主義の理念を提示し、後のフランス革命に影響を与えた。モンテスキューはブルジョワジー、特に知識階級の自由を権力の専制からいかに保障するかを考え、権力分立の形態として三権分立を構想した。 1775年、アメリカ独立革命が発生した。北アメリカのイギリス植民地では、植民地への重税や植民地からの輸入規制等への不満から、ミルトン、ハリントン、ロックの理論を学び、基本的人権と代表制(「代表なくして課税なし」)を確立した。1776年 トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言では社会契約論、人民主権、抵抗権(革命権)が明文の政治原理として採用された。各植民地は憲法制定など共和国としての制度を整え、タウンミーティングなど直接民主主義の伝統が形成されていった。特にペンシルベニア、バージニア等の共和国憲法は、人民の意思の反映、議会の優位を強く打ち出し、連邦の強化は専制に繋がるものとして警戒された。 独立戦争後の財政危機、無産階級の台頭による政治不安の中、有産階級は各植民地共和国の独立・自治を見直し、強力な中央連邦政府の樹立へ向かった。1787年採択のアメリカ合衆国憲法は、多数派の権力もまた警戒すべしとの考えから、権力分立の徹底と社会秩序の安定を重視し、議会の二院制、議会から独立した強力な大統領による行政権、立法に優位する司法権を確立した。この結果、ブルジョワジー中心の体制が確立した。その後、ジェファーソン流民主主義とジャクソン流民主主義が2大潮流となり、また大衆社会による議会制度の形骸化を受けて草の根民主主義も提唱された。 1789年からのフランス革命では、1791年憲法で人民主権、一般意思、主権の分割譲渡不可が明記された。更に1793年憲法(ジャコバン憲法)で、抵抗権、直接民主主義的要素などルソーの影響を強く受けた憲法が制定されたが、施行されずに終わった。 (人および市民の権利の宣言) (憲法) (人間および市民の権利の宣言) (憲法) 18世紀から20世紀にかけて、主要各国で男性普通選挙や、女性も含めた完全普通選挙が普及した。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦は総力戦となり女性の社会進出が進み、また民族自決を掲げて植民地の独立が続き、多数の主権国家が誕生した。 19世紀以降、社会主義の潮流の中より、従来のブルジョワ民主主義を欺瞞として暴力革命を唱える共産主義(マルクス・レーニン主義)が登場すると、共産主義陣営は資本主義陣営を帝国主義と批判し、資本主義陣営は共産主義陣営の共産党一党独裁を批判した。更に第一次世界大戦後、イタリアではファシズム、ドイツではナチズムが台頭し、国家主義や民族主義を掲げて民主主義を批判した。 2007年、国際連合総会は9月15日を「国際民主主義デー」とし、すべての加盟国および団体に対して公的意識向上のための貢献を感謝する決議を行った。 民主主義に関する思想、見解、発言には多数のものがあるが、世界的に著名なものには以下がある。 紀元前5世紀、ペルシア戦争の際、ペルシャ大王のクセルクセス1世と、ペルシャに亡命中の元スパルタ王のデマラトスの対話より。当時は一般的な専制政治のペルシャ王は統治の基本原則は恐怖であり、自由とは放任状態で統制のとれない状態と考えるが、例外的に法(ノモス)の権威の下に団結して自由を唱える市民団からなるポリスでは、法の下での平等な関係を踏まえた自治があり、言論が人を動かす道具で、ポリスの自由により市民が政治に参加できていた。 紀元前5世紀、古代アテナイの指導者ペリクレスによる葬送演説より。多数者の公平、法的平等、私生活の自由、法の支配などをポリスの理想と主張した。 紀元前4世紀、プラトンは著作『国家』で、国家の寡頭制の次の段階は民主制だが、行き過ぎた自由により崩壊して僭主制になるとし、理想を「哲人政治」と記した。自由の風潮がその極みに至ると無政府状態がはびこり、民衆指導者の中から独裁者が生まれる。 紀元前4世紀、アリストテレスは著作『政治学』で政治体制を支配者の数と、共通の利益にかなうかどうかで6政体に分類した。アリストテレスは現実に最善な政体はポリティア(ポリスの国制)と考え、それは寡頭政と民主政を混合したもので、富者と貧者の対立調停を主眼に置いて選挙と抽選を併用し、また支配と服従の両方を経験した中間階層の役割が安定の基礎と説いた。他方で民主政は「自由人の生まれで財産の無い者が多数であって支配者である」政体だが、「悪い政体」の中では「最も悪くないもの」で、民主政では法の支配が確保されるために民会は例外的にのみ開かれる事が大事で、民衆が農民ならば権利はあっても政治に参加する閑暇が無いため民主政は穏健なものとなるが、民衆が職人・商人・日雇いから成る場合は民主政は極端な形態に陥りやすい、と記した。また民主政治の前提条件に「自由」、「政権や権力の交代」、「平等」、「多数決原理」などを挙げた。 ポリュビオスは『歴史』を執筆し、ローマが短期間に覇権を確立した理由を分析した。王政・貴族政・民主政は、長く続くと腐敗や制度老朽化によりそれぞれ僭主政・寡頭政・衆愚政へ堕落し、僭主政は貴族により打倒され、衆愚政は独裁者を招き寄せるため、この六政体は永遠に循環する(政体循環論)。しかしローマ人は、単一の原理に基づく限りいかなる国制も衰えると考え、執政官・元老院・民会の三機関にそれぞれ王政的要素・貴族政的要素・民主政的要素を担わせた政治体制を構築することで政治の安定を実現した、と考えた。アリストテレスは富者と貧者の均衡を重視して寡頭政と民主政を混合させた国制(ポリテイア)を構想したが、ポリュビオスは諸機関の均衡を強調した。この混合政体論(権力分立論)は以後の政治論の重要なモデルとなった。 紀元前1世紀、共和政ローマのマルクス・トゥッリウス・キケロは、カエサルによる独裁を警戒し、法治理念を中心とした共和制を目指した。キケロは著作『法律』で、失われつつある共和制の理念をストア派の自然法思想によって補強し、個々の国家ではなく全人類を包括する理性の共同体こそが法や社会の基盤となると説いた。市民の直接的な政治参加を重視したギリシアのデモクラシーに対し、共和制ローマにおける法を通じての社会参加を示した。 16世紀 ニッコロ・マキャヴェッリは著作『君主論』で現実主義的な政治理論を主張した。 17世紀の清教徒革命の時代にトマス・ホッブズは従来の王権神授説に対して社会契約論を唱え、権力の正統性を人民に求めた。ホッブスは著作『リヴァイアサン』で「人間の人間としての権利」として自然権を主張し、全ての人間は生まれながらにして自由平等だが、自然状態は万人の万人に対する闘争のため、法の支配を実現するために支配服従契約を結んだと主張し、後の基本的人権に繋がった。ただしホッブスは、各個人は自然権行使権の全てを放棄して国家主権者(国王)に委ねたとし、契約により成立した国家への抵抗権や参政権は否定した。 17世紀の名誉革命時代にジョン・ロックは著作『統治二論』等で、人間は自然権を持つが、社会の秩序を守るために国民の信託により政府を設立したのであり、仮に政府が国民の意思に反する場合には抵抗権(革命権)を行使して政府を変える事が可能とした。ロックは人間は理性により自然法に従って生きる事が可能であり、社会契約により自然権の一部(解釈権)を国家に委ねたが、それ以外の自然権は留保しており、公権力が私人の生命・自由・財産を侵害する場合には統治契約違反として抵抗して戦う権利を肯定した。またハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権を分離し、立法権を有する国会が最高権を有すると主張し、イギリスで伝統的に形成されてきた立憲主義・権力分立・議会主義を社会契約論から理論づけた。 18世紀、ジャン=ジャック・ルソーは著作『人間不平等起源論』、『エミール (ルソー)』、『社会契約論』などで、人間は生来自由であるが、社会秩序のために社会契約を結んで国家成立したため、その政府は人民の一般意思に従う必要があるとした。一般意思とは「ただ共通の利益だけを考慮する」もので、特殊意思の総和である全体意思とは異なり、「常に公明正大であり、公共的な功利に向かっている」ものとした。主権は一般意思の行使であり、譲渡や分割や、一般意思からの逸脱はできない。ルソーは主権者である人民は立法権を行使し続けるべきと主張し、代表者(議員)という発想を、中世以来の政治的堕落の産物として批判した。また、すべての政体には特色と欠点があるが、最低限執行権と立法権の分離が必要で、定期的集会により政府の形態や執行者について投票で決めるべきとした。ルソーの社会契約論はホッブスやロックとは大幅に異なり、ギリシャのポリスを理想とし、社会契約による変革が不可能な時は天才的立法者の独裁による一般意思の強制的創出をも提唱しているが、代表制の欺瞞を指摘し直接民主主義の理念を提示した。 18世紀、シャルル・ド・モンテスキューは多くの統治制度を比較研究し、ブルジョワジー特に知識階級の自由を権力の専制から保障するために立法・行政・司法を同一人物または団体に独占させない権力分立(三権分立)を構想した。更に立法を庶民院と貴族院に分け、行政は国王が担い、司法は恣意を排した純粋に理論的操作であり権力性は無いと考えたため、庶民院・貴族院・君主の三権に当時のブルジョワジー・貴族階級・絶対王権の三階級が対応した。 エイブラハム・リンカーンは1863年のゲティスバーグ演説で有名な以下の演説を行った。 18世紀後半から19世紀前半にかけて、ジェレミ・ベンサムは自然権や社会契約などの抽象的理論を斥け、功利主義の立場から政治の目標を「最大多数の最大幸福」に置き、国家は個人の安全に必要な限度で存在すべき必要悪として、男子普通選挙などを提案した。 19世紀にジョン・スチュアート・ミルは、ベンサムと同じく功利主義に立ったが個人の精神的自由を重視し、少数者の自由を抑圧する多数者による専制に危惧を抱き、教養ある人々に複数の投票権を与える不平等選挙や、少数者も代表を選出しうる比例代表制を提案した。 19世紀 アレクシ・ド・トクヴィルは、自由主義的政治家として社会主義や急進的共和主義に反対し、著作『アメリカのデモクラシー』で民主政治の平等性を評価する半面、個人の平等化が集団的匿名的専制主義につながるという大衆デモクラシーの傾向を指摘した。 第3代アメリカ合衆国大統領のトーマス・ジェファーソンは、共和制を発展させ、民主主義と政治的機会の平等を唱え、州の権限を重視して連邦政府の権限制限に賛成した。 ウラジーミル・レーニンは、著作『国家と革命』で、国家は階級対立とともに発生した支配階級の被支配階級抑圧のための機関で、ブルジョワ議会主義などの小ブルジョア民主主義は欺瞞であり、社会主義の実現のためにはブルジョア国家を暴力革命によって粉砕してプロレタリア独裁を行う必要があり、その後の社会主義国家はコミューン型国家で、そのもとで民主主義はいっそう発展し、更に共産主義社会への移行とともに国家は死滅すると主張した。 ベニート・ムッソリーニは自由主義と社会主義の両方を批判し、ファシズムを提唱した。 アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』で、大衆は理性的ではなく、効果的なプロパガンダによって操作できる存在で、議会制民主主義は欺瞞であり、ドイツには指導者原理による指導者が必要と主張した。権力掌握後は独裁を行い、国民投票による事後承認を多用した。 少数者支配の集団では制度は支配者の効率や都合次第でも良いが、多数者支配である民主主義では多数者による支配(意思決定)を実現し、独裁や専制の発生を抑止するための制度が必要となるため、歴史的にも多数の理念・制度・議論が存在している。近代国家の政治制度論は近代政治思想の影響を受けて、国民の自由を妨げないための相互牽制(権力分立)、国民のための機関であるという正統性、国民の統合などを目指しているが、具体的な制度は必ずしも理論的産物ではなく、多様な伝統・歴史の産物でもある。 古代ギリシアのアテナイでは、市民が主権者で、民会を中心とした直接民主主義が行われた。また僭主など独裁の発生防止に陶片追放などが行われた。共和制ローマでは、ローマ市民が主権者で、元老院とローマ民会が意思決定機関となり、独裁の発生防止に執政官や非常時の独裁官等は任期制とされた。13世紀 イングランド王国では王権制限のためマグナ・カルタが制定され、立憲主義の先駆となった。 議会主義は政治的主導権が議会に与えられる政治運営の体制で、この場合の議会とは「国民の代表」とされる選挙された議員から成る会議体であり、政治的主導権とは立法権更には行政監督権限である。中世身分制議会は、国民代表ではなく諮問機関にすぎないため、議会主義における議会ではない。また、憲法上で議会の主導権が認められていても、実際の運用上で行政権を制御できない独裁国家などは議会主義と言えず、逆に制度上は諮問機関でも議会が内閣を選出する慣習ができれば議会主義が成り立っているといえる。議会は中世ヨーロッパの各国で貴族・僧侶・平民などの身分制議会が定期的に招集されるようになった事に始まり、中世封建制度が崩壊と絶対王政確立により廃止され、ブルジョワ革命による王政打倒後に近代議会が誕生した。但しイギリスではブルジョワ革命の比較的穏やかな進展により、身分制議会が国民を代表する近代議会に成長した。 近代議会は個々人の政治的主張を調整する事により社会を統合する機関であり、その統合は社会全体の代表者である議員達の自由で理性的な討論と説得、そして妥協の積み重ねによるが、現実に解決すべき政治的課題の緊急性から意見の一致が得られぬ場合には、集団的意思決定手段として、相対的多数者の意見が暫定的に議会の意思とされる。しかし議会による統合の観点より、多数派と少数派の差異は常に相対的とされて将来の状況変化や討論進展による逆転可能性が留保されている必要がある。議会制を採用していても、(a)相対主義的価値観の社会への浸透(複数の価値観が承認されうる社会) (b)議員とその背後の社会構成員の一体的同質性(階級、宗教、イデオロギー等の対立が激しくない社会) (c)理性的かつ客観的な判断ができる議員 (d)意見発表の自由とその機会の均等、などの条件が揃わない場合には議会主義は変質または形式化する。 近代議会を構成する議員は「国民の代表」のため、彼らの意思が国民全体の意思とされるが、この「代表」の意味はブルジョワ革命期より根本的な思想的対立がある。 議会政治の母国とされるイギリスでは、中世身分制議会が連続的に近代議会に発展した歴史より貴族院と庶民院の二院制だが、二院制の目的や性格は各国により異なる。 二院制は権力分立、自由主義を背景とした制度であり、フランス革命や社会主義のコミューン理論など自由主義よりも民主主義を代表する立場からは批判される。また政党の発達による両院の性格相違の減少もあり、新たに二院制を採用する国は少ない。 近代国家はブルジョワ革命の産物のため、自由主義の理念と専制的な権力に対する警戒から何らかの権力分立制度が採用されているが、国家の運営と行政の効率上は立法権と行政権の協働も要請され、その調和が課題となるが、各国の沿革や事情により複数のパターンがある。 18世紀のイギリスで形成された。国王の行政権が次第に大臣に移り、1742年に国王の信認を得ていたロバート・ウォルポール首相が議会の不信任により辞職し、大臣も議会の信任なくしては在職できない慣習が確立した。その後に連帯責任の原則、議会の首相指名による内閣成立制度などが整備された。議院内閣制では内閣成立の指名と内閣の責任追及において議会が内閣をコントロールし、内閣は議会の解散により議会に対する選挙民の信任を問いうる事で、両者間に抑制と均衡が成立する。このようなイギリス型の議会制度はウェストミンスターモデルとも呼ばれる。 アメリカ合衆国の政治体制として創始された。大統領は国民の間接選挙(実質的には直接選挙)により選出され、任期の間は弾劾決議成立を除き免職は無い。議会は大統領の責任を追及できない反面、大統領は議会を解散できない。また大統領は議会への法案提出権が無いが、議会で成立した法案の施行への拒否権がある(両院が3分の2以上の多数で再可決すれば拒否にかかわらず成立)。 アメリカ型の純粋な大統領制を採用する国は少ないが、儀礼象徴的な大統領制はドイツ、イタリア、スイスなど多数ある。フランスは直接国民投票によって選ばれ、首相任命権、議会解散権などの強大な権力を持ち、議院内閣制と大統領制の混合形態と考えられる。 政党は、17世紀のイギリス名誉革命の前後に生まれたトーリー党とホイッグ党が最初とされるが、19世紀後半迄の政党はいわゆる貴族政党(名望家政党)で、「財産と教養」ある階層によるサロン的なグループで、特に綱領や組織を持たず、個々の議員に対する拘束力は非常に緩かった。普通選挙実施後の現代の大衆政党(組織政党)は、議員以外にも多数の一般党員を全国的に組織し、綱領や役割組織も備え、党費により財政を賄い、議員や党員は党議に拘束され違反には除名などの罰則が設けられているが、これら拘束は「議員は全く自由な個人として討議し議決する」との近代議会主義の原則からは本来は認められないため、ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた。 普通選挙が進み近代ブルジョワ国家から現代大衆国家へ変質すると、従来の「理性的な個人」とされた財産と教養あるブルジョワジーによる議会主義が形骸化し、有権者と候補者を政治的に組織する媒体として政党(大衆政党)が登場した。政党は私的結社として生まれたが、一定の条件((1)普通選挙制と議会主義 (2)複数政党制の存在 (3)党内民主主義)を満たす場合には公的役割を果たしていると言える。また近代議会制民主主義の自由委任制は大衆社会では修正を余儀なくされ、有権者の意思を正しく議会に反映させるために選挙制度における人口比例が重要となった。 利益団体(圧力団体)は、政党以上に近代的な議会主義から離れており、特定の利益集団により民意や政治を歪める存在とも批判されるが、議会の統合機関としての役割低下に伴い大衆の直接的な要求を議会や行政府に働きかける側面も持つ。利益団体の発生は19世紀のアメリカでのロビイストで、利益団体の機能には、職能代表的機能、政策に対するチェック機能、政治家養成機能、団体構成員への教育機能、などがある。利益団体の分類はR・T・マッケンジーによる以下の3分類が一般的である。 民主主義(民主政、民主制)に関する議論は、その用語や概念自体に関する解釈を含めて多数の議論が存在するが、主な議論の要素には以下があり、各要素は相互に関連している。 民主主義では集団の重要な意思決定を構成員が行うため、構成員の正統性や範囲などが議論となる。民主主義は特定の範囲のもの(同質性)を平等に扱うため、全人類を範囲としない限り、その範囲外のもの(異質性)は区別し排除する事になる。 古代ギリシアのポリスでは、市民はポリスの軍務を担える者とされ、そのため重装歩兵などの装備や軍務を自費で担える、一定資産を持つ成人男性の自由民のみが市民とされ、無産者、奴隷、女性、他のポリスからの移住者や子孫などは原則として除外された。しかしサラミスの海戦でガレー船の漕ぎ手が貢献すると無産市民も発言力を高めた。共和制ローマではローマ市民権が被支配民族や被支配地域に徐々に拡大され、アウグストゥス以降は兵役満期後の属州民の子供にも拡大され、更にアントニヌス勅令でローマ帝国内の全自由民に拡大された。 近代のブルジョワ民主主義による議会制民主主義では、「理性や教養を持つ市民」が議会で議論し決定するとされ、そのため「理性や教養を持つ市民」とされた有産階級の成人男性のみが参政権を持つ制限選挙が行われた。フランス人権宣言では全ての人間は普遍的に人権を持ち平等とされたが、以後も無産者、女性、植民地住民などは参政権は無く、各国で徐々に普通選挙や女性参政権、あるいは植民地独立などが進んだ。またフランス革命以降、多くの時代や地域で言語・民族・宗教などの社会的同質性によるナショナリズムを統合の理念とした国民国家が普及したが、その反面として少数民族、異教徒、外国人、難民などへの差別や排斥も発生している。現代の現実的な民主主義は国民的な同質性原理により、国民意識が普遍的人権より上位におかれている。現代でも一部の植民地、保護国、属領などでは本国に対する参政権は無い。外国人参政権の範囲は国により対応が異なる。 議会制民主主義(代表制民主主義、間接民主主義)では、選挙や議員の位置づけについて複数の潮流がある。 アテナイでは、市民全員参加の民会や、選出された評議員による五百人評議会などがあった。共和制ローマでは、元老院と民会があり、現在の貴族院(上院)と庶民院(下院)の起源となった。 代表制原理には多数の議論がある。間接民主主義を重視する観点からは、有権者は適切と考える人物に投票し、選出された議員や大統領は全構成員の代表として信任されたとされ、自己の理性と知見に従い自由に議論し決定する。この観点からは、次の選挙まで議員の身分は保証され、次の選挙まで民意反映の機会もなく、選挙制度や政党は重視されない。他方、直接民主主義を重視する観点からは、理想は直接参加であるが、議員を選出する場合でも信任ではなく限定的な委任であり、議員が有権者の意思に反する場合にはリコール等も認められる。 近代の自由主義によるブルジョワ民主主義では権力による独裁を警戒し、当初の選挙は「理性と教養ある市民」とされた有産階級の成人男性のみによる制限選挙で、選出された議員は全体の代表として自由に議論でき、また権力分立として三権分立や二院制も採用された。この観点からは、普通選挙は無産階級による多数派支配が警戒された。ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた。しかし普通選挙が進展した大衆社会となり、階級対立など社会の同質性が低下して議会の形骸化が進展し、支持する勢力を議会に送り込むために選挙制度や政党、更には圧力団体の重要性が増大した。 人民の意思の反映(人民主権)をより重視する立場からは、普通選挙や女性参政権など公民権の拡大、議会の優越(議会主義)、直接民主主義的要素(イニシアティブ、リコール、レファレンダム)などが唱えられる。ジャン=ジャック・ルソーは議会制民主主義(間接民主主義)の欺瞞を主張し、フランス1793年憲法(ジャコバン憲法)は直接民主主義的要素を採用した。また多くの国や組織で、特に重要な意思決定にはレファレンダムが併用されるようになった。 ウラジーミル・レーニンは前衛党(共産党)が多数派の労働者・農民を代表するとして一党独裁を行った(レーニン主義、党の指導性)。またアドルフ・ヒトラーは自己をドイツ民族の指導者と主張して独裁を行い(指導者原理)、カール・シュミットはアドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。これらの独裁を批判する立場や理念には、自由主義、多元主義、経験主義、保守主義や、法の支配、権力分立などがある。 デモクラシーは古代ギリシアの政体論の一分類として生れ、自由で平等な市民による相互支配が本質で、全市民による民会での意思決定だけではなく、公職は抽選により、民衆裁判への市民参加が重視された。アリストテレスは、デモクラシーでは支配と服従の両方を経験する事が重要とした。これに対して選挙は貴族政的な制度であり、選挙によって選出された代表者の意思決定を大幅に取り入れて、市民が代議士に政治を委ねる近代のデモクラシーは「自由な寡頭制」の面もあり、同じくデモクラシーと呼べるかは問題が残るが、しかし市民による自己統治の理念は現代でも重要な意味を持っている。 民主主義は構成員全体による意思決定のため、全構成員による集会や、代表者による議会のいずれの場合でも、合意形成方法が議論となる。 大別して以下の決定方式がある。 一般的には、議論による説得・妥協・交渉などを続けて全会一致となるまで合意形成を図る事が理想的だが、意見集約が困難で期限が求められる場合には多数決も採用される。しかし多数決は「多数派による専制」(トグウィル)ともなり、特に階級や民族など同質性が低い集団では、多数派と少数派が固定化し、議会における実質的な審議機能が低下すると、民主主義による全体の統合機能が形骸化する。 また自由な議論には言論の自由、多元主義、情報公開などが前提となるため、形式的には民主主義でもこれら前提が実質的には不十分な場合には非自由主義的民主主義などとも呼ばれる。自由主義や多元主義の観点からは、複数の意見が存在して議論や選択の余地がある事自体が健全であり、説得や状況によって現在の少数派も将来は多数派になる可能性が確保されている事が、議会や民主主義の統合機能には必要となる。 古代アテナイでは議論を行った後に、決着しない場合には多数決が行われた。モンテスキューは二院制による慎重な審議を主張し、ルソーは人民主権を重視して一院制を主張した。多くの近代憲法では、憲法改正など重要な意思決定には単純過半数より厳しい、半数を超える成立要件やレファレンダム要件などが定められている。 民主主義と独裁や専制は、歴史的にも多数の議論が存在している。古代より民主政の一部では非常時における独裁の制度があり、また人民の意思の実現には革命や独裁なども含めた強権が必要との主張も存在する。他方で独裁の実施者の多くは、非常事態における民主主義の防衛などを独裁の理由として主張している。 古代アテナイの民主政では、独裁の発生を防ぐため公職の抽選や陶片追放が行われた。ソクラテスが市民による公開裁判で死刑になった後、プラトンは民主政は衆愚政治に陥ると考えて哲人政治を主張し、アリストテレスは民主政(共和制、国政)が堕落すると王政(僭主政)になると考えた。共和制ローマでは非常時に任期限定の独裁官を設置できたが、カエサルが民衆人気を背景に終身独裁官となり帝政ローマの基礎を築いた。 ロック、モンテスキューらは独裁を防ぐため権力分立を主張したが、ルソーは人民主権のためには強制的な力の創出が必要とも主張した。フランス革命では民衆を支持基盤とするジャコバン派が恐怖政治を行い、ナポレオン・ボナパルトは国会の議決と国民投票を経て「フランス人民の皇帝」となった。またバブーフは完全平等社会の実現のため私有財産制の廃止と独裁を主張し、後のブランキやカール・マルクスに影響を与えた。エドマンド・バークらはフランス革命を批判し保守主義の潮流となった。 マルクスは資本主義社会から社会主義社会への過渡期にはプロレタリア独裁が必要として独裁を肯定したが、その独裁は短期間で激しくないと考えていた。レーニンはブルジョワ民主主義を欺瞞と批判し、社会主義革命後に「最も完全な民主主義」が実現すると記し、ロシア革命後に一党独裁を行い、約10年で共産主義社会は実現すると約束したが、1年後に約束を撤回した。レーニンの後継者となったヨシフ・スターリンは「社会主義建設が進むほど階級闘争も激化する」との階級闘争激化論を掲げた(スターリニズム)。マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国は共産党を指導政党を憲法等に明記し、事実上の一党独裁と呼ばれる。なおソ連などの一党制に対し、中華人民共和国などは統一戦線理論に基づく複数政党制(ヘゲモニー政党制)を採用し人民民主主義(または新民主主義)と称した。 第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。法学者のカール・シュミットは、独自の法学思想によむて、第一次大戦後のヴァイマル共和政、議会制民主主義、自由主義を批判した。民衆の望む政治を行う事こそが民主主義と考え、アドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。ユダヤ系ドイツ人エーリヒ・フロムは1941年に亡命地アメリカで、「近代社会は、前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えたが、同時に個人的自我の実現、すなわち個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得できず、かえって不安をつくり上げた」とし、ドイツの世論・民衆が自由民主主義体制の否定を支持していった様相を「自由からの逃走」と呼んだ。戦後のドイツ連邦共和国ではファシズム・共産主義という自由民主制度を否定する政党を禁止にしている。 多数派による支配を意味する民主主義と、個人の自由を最大限に尊重する自由主義が緊張関係にある事は、フランス革命以来、繰り返し強調されてきた。バンジャマン・コンスタン、アレクシ・ド・トクヴィル、ジョン・スチュアート・ミル等は、次第に権力を増大させ、道徳的・知的な権威さえも確保しつつあった「民主主義」(の名の下に政治を支配する多数派)の圧力から、個人の自由を守る自由主義の視点より議論を展開した(自由民主主義)。他方でカール・シュミットは、ジャン=ジャック・ルソーの一般意思論を踏まえ、民主主義は最終的には一連の同一性(ドイツ語: Identität)の承認により成り立つため、価値の多元性を前提とする自由主義や議会は民主主義の妨害要素で、官僚化により形骸化した議会よりも、人民の喝采により支持を受けた独裁者による民主主義(人民の主権的決断・独裁)を提示し、議会制(間接民主主義)を補う国民票決や国民発案(直接民主主義)を主張した。 民主主義は構成員(人民、民衆、国民)による意思決定であるため、構成員全体の意思(世論、輿論、民意、人民の意思)が反映されるべきだが、それが正しいまたは適切であるか、更には世論とは存在し提示可能なものか、などの議論がある。 プラトンは民主主義は衆愚政治に陥ると考えた。マキャベリやヒトラーは、大衆は愚かであると考えた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由主義の観点から多数派による専制を警戒し、権力分立が必要と主張した。 ジェームズ・ブライスは著書『近代民主政治』で、近代デモクラシーでは「世論」こそ政治が従わねばならない基準とした。またジャン=ジャック・ルソーによる一般意思も理想化された世論と言える。 しかしアメリカ合衆国で選挙予測から始まった世論調査の進歩もあり、1922年 ウォルター・リップマンは著作『世論』で、世論は先入観によるステレオタイプ的思考に影響され、マスメディアが現実には情報を意識的・無意識的に取捨選択して大衆のステレオタイプ的思考を促進しており、世論は容易に操作され、変化されると述べた。他方でポール・ラザースフェルドは著書『人々の選択』で、マスメディアによる投票者への影響は直接的ではなく間接的で、有権者はオピニオンリーダーとのパーソナル・コミュニケーションにより自らの意思を形成していく、と述べた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "民主主義(みんしゅしゅぎ、英: Democracy、デモクラシー)とは人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "民主主義には直接民主制と間接民主制の間の議論があり、また自由主義的なブルジョワ民主主義(自由民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義によるプロレタリア民主主義なども登場した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「デモクラシー」(英語: democracy)の語源は 古代ギリシア語: δημοκρατία(dēmokratía、デーモクラティアー)で、これは「人民・民衆・大衆」などを意味する δῆμος(古代ギリシア語ラテン翻字: dêmos、デーモス)と、「権力・支配」などを意味する κράτος(古代ギリシア語ラテン翻字: kratos、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」「国民主権」などの意味を持つ 。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "「デモクラシー」は、優れた人(貴族)による権力・支配を意味する「アリストクラティア」(貴族制や寡頭制などと訳される)との対比で使用された。両者は権力者や支配者の多寡(多数派か少数派か)に注目した用語である。なお「アリストクラティア」( ἀριστοκρατία(古代ギリシア語ラテン翻字: aristokratía)は「優れた人」を意味する ἄριστος(古代ギリシア語ラテン翻字: 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"民主という漢語は、伝統的な中国語の語義によれば「民ノ主」すなわち君主の事であり書経や左伝に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン(丁韪良)万国公法(1863年または64年)であり、マーティンは a democratic republic を「民主之国」と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスのロバート・モリソン(馬礼遜)の「華英字典」(1822年)は democracy を「既不可無人統率亦不可多人乱管」(合意することができず、人が多くカオスである)という文脈で紹介し、ヘンリー・メドハースト(麥都思)の「英華字典」(1847年)はやや踏み込み「衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権」(衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある)と解説する。さらにドイツのロブシャイド(羅存徳)「英華字典」(1866年)は「民政、衆人管轄、百姓弄権」(民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ)と解説していた。19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は「民(たみ)が主」という語義と「民衆の主(ぬし、すなわち民選大統領)」という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に堀達之助が作成した英和対訳袖珍辞書では democracy および republic いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。これが万国公法の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "古代ギリシアの民主主義は、寡頭制(少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、法の支配、自由、自治、法的平等などの概念と関連していた。しかしその後は長く衆愚政治を意味するようになり、17世紀以降に啓蒙主義による自由主義の立場から再評価され、社会契約論により国民主権の正統性理念となり、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などのブルジョワ革命に大きな影響を与えた。民主主義は功利主義や経験主義の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "とりわけ民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。第一次世界大戦は総力戦となり、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国などでは帝政が終焉した。第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。第二次世界大戦では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、冷戦の開始後は「全体主義」にソビエト連邦のスターリン主義が加えられた。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、「民主主義とは何か」が曖昧ともなっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "民主主義の代表的な種類・分類には以下があるが、その分類や呼称は時代・立場・観点などにもよって異り、多くの議論が存在している。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "直接民主主義は、集団の構成員による意思が集団の意思決定に、より直接的に反映されるべきと考える。直接民主主義の究極の形態は、構成員が直接的に集合し議論して決定する形態であり、高い正統性が得られる反面、特に大規模な集団では物理的な制約や、構成員に高い知見や負担が必要となる。また議員など代表者を選出する形態でも有権者の選択が重視され、議員は信任されたのではなく有権者の意思を委任された存在であり、有権者の意思に反する場合はリコールや再選挙の対象となりうる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "古代アテナイや古代ローマでは民会が実施された。現代ではイニシアチブ(国民発案、住民発案など)、レファレンダム(国民投票、住民投票など)、リコール(罷免)が直接民主主義に基づく制度とされ、都市国家の伝統を受け継ぐスイスやアメリカ合衆国のタウンミーティングなどでは構成員の参加による自治が重視されている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "間接民主主義(代表民主主義、代議制民主主義)は、主権者である集団の構成員が自分の代表者(議員、大統領など)を選出し、実際の意思決定を任せる方法・制度である。主権者による意思決定は間接的となるが、知識や意識が高く政治的活動が可能な時間や費用に耐えられる人物を選出する事が可能となる。選挙制度にもより、議員の位置づけ(支持者や選挙区の代表か、全体の代表か)、選挙の正当性(投票価値の平等性、区割りなどの適正性、投票集計の検証性など)、代表者(達)による決定の正当性(主権者の意思(世論、民意)が反映されているか)などが常に議論となる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "自由民主主義(自由主義的民主主義、立憲民主主義)は、自由主義による民主主義。人間は理性を持ち判断が可能であり、自由権や私的所有権や参政権などの基本的人権は自然権であるとして、立憲主義による権力の制限、権力分立による権力の区別分離と抑制均衡を重視する。古典的には、選出された議員は全員の代表であり、理性に従い議論と交渉を行い決定する自由を持つと考える。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "宗教における民主主義。キリスト教民主主義、会衆制、仏教民主主義、イスラム民主主義など。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "社会主義における民主主義には、フェビアン協会等による社会民主主義の潮流、民主社会主義、マルクス・レーニン主義(いわゆる共産主義)によるプロレタリア民主主義、人民民主主義、新民主主義などがある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソン等による民主主義。共和制、自立を重視し、エリート主義に反対し、政党制と弱い連邦制(小さな政府)を主張した。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国大統領アンドリュー・ジャクソン等による民主主義。選挙権を土地所有者から全白人男性に拡大し、猟官制や領土拡張を進めた。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "市民運動や住民運動など一般民衆による民主主義。ジェファーソン流民主主義を源泉とし、フランクリン・ルーズベルトが提唱した。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "「防衛的民主制」とは、第二次世界大戦後のドイツ等、共産主義(コミュニズム)やファシズムなど自由民主制を否定する言動の自由や権利までは認めない民主制度。(西)ドイツ連邦憲法裁判所は判決の中で「自由の敵には無制限の自由は認めない」と断じて、ドイツ共産党を1956年から強制解散させている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "古代より多くの時代や地域あるいは共同体で、多様な合議制や、法やルールに基づいた合意形成や意思決定が存在したが、一般的には民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)の起源は古代ギリシャおよび古代ローマとされ、また近代的な意味での民主主義は17世紀以降の啓蒙思想や自由主義、それらの影響を受けたフランス革命、アメリカ独立革命などを経て形成され、20世紀に多くの諸国や地域に拡大した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "古代ギリシアのアテナイでは、民会による直接民主主義が行われた。民会の参加はアテナイ市民権を持つ全成人男性で、奴隷・女性・移住者は対象外であり、議論の後に多数決で決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "アテナイでは王制から貴族制に移行後は、貴族のアレオパゴス会議(元老院)による支配が行われ、民会の権限は限定的であった。紀元前7世紀にドラコンが従来の不文法を成文化し、貴族による法知識の独占が崩された。紀元前6世紀、ソロンは市民の奴隷への転落を禁止し、全ての市民が民会に参加することを認める法律を制定した(ソロンの改革)ため、市民と奴隷が明確に二分され、以後は市民間における自由と平等が保証された。続いて紀元前5世紀、クレイステネスが僭主ヒッピアスを追放し、従来の血縁による部族制から居住区(デーモス、デモクラシーの語源となった)制への移行、五百人評議会の設置、陶片追放の創設など、民主制の基礎を確立した。更に紀元前462年、ペリクレス等がアレオパゴス会議の権限を剥奪した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "しかしペルシア戦争後、ソフィスト等の批判で市民裁判によりソクラテスが処刑されると、弟子のプラトンは民主主義は衆愚政治に陥る危険があると考え哲人政治を主張した。またアリストテレスは六政体論を主張し、ポリテイア(国制)では「等しいものを等しく扱う」事が正義の本質とし、市民間の平等と相互支配(政治的支配)を重視したが、主人の奴隷に対する支配(主人的支配)や親の子に対する支配(王政的支配)は擁護した。これに対して後のストア派は自然法による奴隷を含めた全ての人間の平等を説いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "アテナイを含む古代ギリシア衰退後は、民主主義(大衆支配)は合理的な統治形態ではないと考える時代が長く続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "古代ローマでは、古代ギリシアで使われたデモクラシーという言葉は衆愚政治を意味すると考え使用しなかったが、共和制移行後は貴族中心の元老院と平民の民会が意思決定機関となり、ローマ法が整備され、王政復活や独裁を防止するために執政官などの政務官は任期等が制限された。いわゆる帝政ローマへの移行後も、名目上は共和制で、ローマ皇帝は元首(プリンケプス)であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "紀元前509年、古代ローマは王を追放し共和政ローマとなったが、貴族と平民の身分闘争が続き、紀元前494年 平民を保護する護民官が創設されて拒否権が与えられ、紀元前287年 ホルテンシウス法で民会が独自の立法機関となったが、グラックス兄弟などの改革は失敗した。またローマ市民権は被征服民族などに拡大され、212年のアントニヌス勅令で帝国内の全自由民(成人男性)に拡大された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "キケロは元老院(統治機関)、執政官(元首)、民会(議会)を権力分立と考えた。近代以降、元老院は上院、民会は下院、プリンケプスは元首となり、ローマ法はヨーロッパ法(普通法、ユス・コムーネ)に影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "中世ではローマ教会など宗教的権威や王権神授説など絶対王政が支配的となったが、ヨーロッパでは都市国家や古代ローマの影響、各地の商業都市発達などもあり、多様な場所や形態で選挙君主制や議会、自治など民主的な概念や制度も存在した。古代からのものも含め、主な例には以下がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "13世紀、イングランド王国のマグナ・カルタやスコットランド王国のアーブロース宣言で王権の制限が定められた。16世紀以降、ジャック=ベニーニュ・ボシュエやロバート・フィルマーが王権神授説を唱えて政治権力の教会権力からの独立を宣言し、ジャン・ボダンが「国家主権論」を唱え、1648年 ヴェストファーレン条約により中世とは異なる近代的な主権国家が成立した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "17世紀以降、啓蒙思想による自由主義が主張され、ヴォルテールは自由主義や人間の平等を主張した。17世紀、清教徒革命でリヴェラベーズ(平等派)が「民主主義」の用語を使用して社会契約や普通選挙を要求した。また人民主権の理論として社会契約論が唱えられた。ホッブスの社会契約論は、権力の正統性を神ではなく被支配者である人民に求めたが、国民による統治は構想しなかった。次にジョン・ロックの社会契約論は、更に国民の抵抗権(革命権)を認め、アメリカ独立革命に影響を与えた。またジャン・ジャック・ルソーの社会契約論は、堕落した文明社会を変革する方法として人民が一般意思(公共我)を創出するとし、また代表制を批判し直接民主主義の理念を提示し、後のフランス革命に影響を与えた。モンテスキューはブルジョワジー、特に知識階級の自由を権力の専制からいかに保障するかを考え、権力分立の形態として三権分立を構想した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1775年、アメリカ独立革命が発生した。北アメリカのイギリス植民地では、植民地への重税や植民地からの輸入規制等への不満から、ミルトン、ハリントン、ロックの理論を学び、基本的人権と代表制(「代表なくして課税なし」)を確立した。1776年 トーマス・ジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言では社会契約論、人民主権、抵抗権(革命権)が明文の政治原理として採用された。各植民地は憲法制定など共和国としての制度を整え、タウンミーティングなど直接民主主義の伝統が形成されていった。特にペンシルベニア、バージニア等の共和国憲法は、人民の意思の反映、議会の優位を強く打ち出し、連邦の強化は専制に繋がるものとして警戒された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "独立戦争後の財政危機、無産階級の台頭による政治不安の中、有産階級は各植民地共和国の独立・自治を見直し、強力な中央連邦政府の樹立へ向かった。1787年採択のアメリカ合衆国憲法は、多数派の権力もまた警戒すべしとの考えから、権力分立の徹底と社会秩序の安定を重視し、議会の二院制、議会から独立した強力な大統領による行政権、立法に優位する司法権を確立した。この結果、ブルジョワジー中心の体制が確立した。その後、ジェファーソン流民主主義とジャクソン流民主主義が2大潮流となり、また大衆社会による議会制度の形骸化を受けて草の根民主主義も提唱された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1789年からのフランス革命では、1791年憲法で人民主権、一般意思、主権の分割譲渡不可が明記された。更に1793年憲法(ジャコバン憲法)で、抵抗権、直接民主主義的要素などルソーの影響を強く受けた憲法が制定されたが、施行されずに終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "(人および市民の権利の宣言)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "(憲法)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "(人間および市民の権利の宣言)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "(憲法)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "18世紀から20世紀にかけて、主要各国で男性普通選挙や、女性も含めた完全普通選挙が普及した。特に第一次世界大戦や第二次世界大戦は総力戦となり女性の社会進出が進み、また民族自決を掲げて植民地の独立が続き、多数の主権国家が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "19世紀以降、社会主義の潮流の中より、従来のブルジョワ民主主義を欺瞞として暴力革命を唱える共産主義(マルクス・レーニン主義)が登場すると、共産主義陣営は資本主義陣営を帝国主義と批判し、資本主義陣営は共産主義陣営の共産党一党独裁を批判した。更に第一次世界大戦後、イタリアではファシズム、ドイツではナチズムが台頭し、国家主義や民族主義を掲げて民主主義を批判した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2007年、国際連合総会は9月15日を「国際民主主義デー」とし、すべての加盟国および団体に対して公的意識向上のための貢献を感謝する決議を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "民主主義に関する思想、見解、発言には多数のものがあるが、世界的に著名なものには以下がある。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "紀元前5世紀、ペルシア戦争の際、ペルシャ大王のクセルクセス1世と、ペルシャに亡命中の元スパルタ王のデマラトスの対話より。当時は一般的な専制政治のペルシャ王は統治の基本原則は恐怖であり、自由とは放任状態で統制のとれない状態と考えるが、例外的に法(ノモス)の権威の下に団結して自由を唱える市民団からなるポリスでは、法の下での平等な関係を踏まえた自治があり、言論が人を動かす道具で、ポリスの自由により市民が政治に参加できていた。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "紀元前5世紀、古代アテナイの指導者ペリクレスによる葬送演説より。多数者の公平、法的平等、私生活の自由、法の支配などをポリスの理想と主張した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "紀元前4世紀、プラトンは著作『国家』で、国家の寡頭制の次の段階は民主制だが、行き過ぎた自由により崩壊して僭主制になるとし、理想を「哲人政治」と記した。自由の風潮がその極みに至ると無政府状態がはびこり、民衆指導者の中から独裁者が生まれる。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "紀元前4世紀、アリストテレスは著作『政治学』で政治体制を支配者の数と、共通の利益にかなうかどうかで6政体に分類した。アリストテレスは現実に最善な政体はポリティア(ポリスの国制)と考え、それは寡頭政と民主政を混合したもので、富者と貧者の対立調停を主眼に置いて選挙と抽選を併用し、また支配と服従の両方を経験した中間階層の役割が安定の基礎と説いた。他方で民主政は「自由人の生まれで財産の無い者が多数であって支配者である」政体だが、「悪い政体」の中では「最も悪くないもの」で、民主政では法の支配が確保されるために民会は例外的にのみ開かれる事が大事で、民衆が農民ならば権利はあっても政治に参加する閑暇が無いため民主政は穏健なものとなるが、民衆が職人・商人・日雇いから成る場合は民主政は極端な形態に陥りやすい、と記した。また民主政治の前提条件に「自由」、「政権や権力の交代」、「平等」、「多数決原理」などを挙げた。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ポリュビオスは『歴史』を執筆し、ローマが短期間に覇権を確立した理由を分析した。王政・貴族政・民主政は、長く続くと腐敗や制度老朽化によりそれぞれ僭主政・寡頭政・衆愚政へ堕落し、僭主政は貴族により打倒され、衆愚政は独裁者を招き寄せるため、この六政体は永遠に循環する(政体循環論)。しかしローマ人は、単一の原理に基づく限りいかなる国制も衰えると考え、執政官・元老院・民会の三機関にそれぞれ王政的要素・貴族政的要素・民主政的要素を担わせた政治体制を構築することで政治の安定を実現した、と考えた。アリストテレスは富者と貧者の均衡を重視して寡頭政と民主政を混合させた国制(ポリテイア)を構想したが、ポリュビオスは諸機関の均衡を強調した。この混合政体論(権力分立論)は以後の政治論の重要なモデルとなった。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "紀元前1世紀、共和政ローマのマルクス・トゥッリウス・キケロは、カエサルによる独裁を警戒し、法治理念を中心とした共和制を目指した。キケロは著作『法律』で、失われつつある共和制の理念をストア派の自然法思想によって補強し、個々の国家ではなく全人類を包括する理性の共同体こそが法や社会の基盤となると説いた。市民の直接的な政治参加を重視したギリシアのデモクラシーに対し、共和制ローマにおける法を通じての社会参加を示した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "16世紀 ニッコロ・マキャヴェッリは著作『君主論』で現実主義的な政治理論を主張した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "17世紀の清教徒革命の時代にトマス・ホッブズは従来の王権神授説に対して社会契約論を唱え、権力の正統性を人民に求めた。ホッブスは著作『リヴァイアサン』で「人間の人間としての権利」として自然権を主張し、全ての人間は生まれながらにして自由平等だが、自然状態は万人の万人に対する闘争のため、法の支配を実現するために支配服従契約を結んだと主張し、後の基本的人権に繋がった。ただしホッブスは、各個人は自然権行使権の全てを放棄して国家主権者(国王)に委ねたとし、契約により成立した国家への抵抗権や参政権は否定した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "17世紀の名誉革命時代にジョン・ロックは著作『統治二論』等で、人間は自然権を持つが、社会の秩序を守るために国民の信託により政府を設立したのであり、仮に政府が国民の意思に反する場合には抵抗権(革命権)を行使して政府を変える事が可能とした。ロックは人間は理性により自然法に従って生きる事が可能であり、社会契約により自然権の一部(解釈権)を国家に委ねたが、それ以外の自然権は留保しており、公権力が私人の生命・自由・財産を侵害する場合には統治契約違反として抵抗して戦う権利を肯定した。またハリントンの提唱した権力分立制を発展させ、立法権と行政権を分離し、立法権を有する国会が最高権を有すると主張し、イギリスで伝統的に形成されてきた立憲主義・権力分立・議会主義を社会契約論から理論づけた。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "18世紀、ジャン=ジャック・ルソーは著作『人間不平等起源論』、『エミール (ルソー)』、『社会契約論』などで、人間は生来自由であるが、社会秩序のために社会契約を結んで国家成立したため、その政府は人民の一般意思に従う必要があるとした。一般意思とは「ただ共通の利益だけを考慮する」もので、特殊意思の総和である全体意思とは異なり、「常に公明正大であり、公共的な功利に向かっている」ものとした。主権は一般意思の行使であり、譲渡や分割や、一般意思からの逸脱はできない。ルソーは主権者である人民は立法権を行使し続けるべきと主張し、代表者(議員)という発想を、中世以来の政治的堕落の産物として批判した。また、すべての政体には特色と欠点があるが、最低限執行権と立法権の分離が必要で、定期的集会により政府の形態や執行者について投票で決めるべきとした。ルソーの社会契約論はホッブスやロックとは大幅に異なり、ギリシャのポリスを理想とし、社会契約による変革が不可能な時は天才的立法者の独裁による一般意思の強制的創出をも提唱しているが、代表制の欺瞞を指摘し直接民主主義の理念を提示した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "18世紀、シャルル・ド・モンテスキューは多くの統治制度を比較研究し、ブルジョワジー特に知識階級の自由を権力の専制から保障するために立法・行政・司法を同一人物または団体に独占させない権力分立(三権分立)を構想した。更に立法を庶民院と貴族院に分け、行政は国王が担い、司法は恣意を排した純粋に理論的操作であり権力性は無いと考えたため、庶民院・貴族院・君主の三権に当時のブルジョワジー・貴族階級・絶対王権の三階級が対応した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "エイブラハム・リンカーンは1863年のゲティスバーグ演説で有名な以下の演説を行った。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "18世紀後半から19世紀前半にかけて、ジェレミ・ベンサムは自然権や社会契約などの抽象的理論を斥け、功利主義の立場から政治の目標を「最大多数の最大幸福」に置き、国家は個人の安全に必要な限度で存在すべき必要悪として、男子普通選挙などを提案した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "19世紀にジョン・スチュアート・ミルは、ベンサムと同じく功利主義に立ったが個人の精神的自由を重視し、少数者の自由を抑圧する多数者による専制に危惧を抱き、教養ある人々に複数の投票権を与える不平等選挙や、少数者も代表を選出しうる比例代表制を提案した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "19世紀 アレクシ・ド・トクヴィルは、自由主義的政治家として社会主義や急進的共和主義に反対し、著作『アメリカのデモクラシー』で民主政治の平等性を評価する半面、個人の平等化が集団的匿名的専制主義につながるという大衆デモクラシーの傾向を指摘した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "第3代アメリカ合衆国大統領のトーマス・ジェファーソンは、共和制を発展させ、民主主義と政治的機会の平等を唱え、州の権限を重視して連邦政府の権限制限に賛成した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ウラジーミル・レーニンは、著作『国家と革命』で、国家は階級対立とともに発生した支配階級の被支配階級抑圧のための機関で、ブルジョワ議会主義などの小ブルジョア民主主義は欺瞞であり、社会主義の実現のためにはブルジョア国家を暴力革命によって粉砕してプロレタリア独裁を行う必要があり、その後の社会主義国家はコミューン型国家で、そのもとで民主主義はいっそう発展し、更に共産主義社会への移行とともに国家は死滅すると主張した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ベニート・ムッソリーニは自由主義と社会主義の両方を批判し、ファシズムを提唱した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "アドルフ・ヒトラーは著書『我が闘争』で、大衆は理性的ではなく、効果的なプロパガンダによって操作できる存在で、議会制民主主義は欺瞞であり、ドイツには指導者原理による指導者が必要と主張した。権力掌握後は独裁を行い、国民投票による事後承認を多用した。", "title": "思想" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "少数者支配の集団では制度は支配者の効率や都合次第でも良いが、多数者支配である民主主義では多数者による支配(意思決定)を実現し、独裁や専制の発生を抑止するための制度が必要となるため、歴史的にも多数の理念・制度・議論が存在している。近代国家の政治制度論は近代政治思想の影響を受けて、国民の自由を妨げないための相互牽制(権力分立)、国民のための機関であるという正統性、国民の統合などを目指しているが、具体的な制度は必ずしも理論的産物ではなく、多様な伝統・歴史の産物でもある。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "古代ギリシアのアテナイでは、市民が主権者で、民会を中心とした直接民主主義が行われた。また僭主など独裁の発生防止に陶片追放などが行われた。共和制ローマでは、ローマ市民が主権者で、元老院とローマ民会が意思決定機関となり、独裁の発生防止に執政官や非常時の独裁官等は任期制とされた。13世紀 イングランド王国では王権制限のためマグナ・カルタが制定され、立憲主義の先駆となった。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "議会主義は政治的主導権が議会に与えられる政治運営の体制で、この場合の議会とは「国民の代表」とされる選挙された議員から成る会議体であり、政治的主導権とは立法権更には行政監督権限である。中世身分制議会は、国民代表ではなく諮問機関にすぎないため、議会主義における議会ではない。また、憲法上で議会の主導権が認められていても、実際の運用上で行政権を制御できない独裁国家などは議会主義と言えず、逆に制度上は諮問機関でも議会が内閣を選出する慣習ができれば議会主義が成り立っているといえる。議会は中世ヨーロッパの各国で貴族・僧侶・平民などの身分制議会が定期的に招集されるようになった事に始まり、中世封建制度が崩壊と絶対王政確立により廃止され、ブルジョワ革命による王政打倒後に近代議会が誕生した。但しイギリスではブルジョワ革命の比較的穏やかな進展により、身分制議会が国民を代表する近代議会に成長した。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "近代議会は個々人の政治的主張を調整する事により社会を統合する機関であり、その統合は社会全体の代表者である議員達の自由で理性的な討論と説得、そして妥協の積み重ねによるが、現実に解決すべき政治的課題の緊急性から意見の一致が得られぬ場合には、集団的意思決定手段として、相対的多数者の意見が暫定的に議会の意思とされる。しかし議会による統合の観点より、多数派と少数派の差異は常に相対的とされて将来の状況変化や討論進展による逆転可能性が留保されている必要がある。議会制を採用していても、(a)相対主義的価値観の社会への浸透(複数の価値観が承認されうる社会) (b)議員とその背後の社会構成員の一体的同質性(階級、宗教、イデオロギー等の対立が激しくない社会) (c)理性的かつ客観的な判断ができる議員 (d)意見発表の自由とその機会の均等、などの条件が揃わない場合には議会主義は変質または形式化する。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "近代議会を構成する議員は「国民の代表」のため、彼らの意思が国民全体の意思とされるが、この「代表」の意味はブルジョワ革命期より根本的な思想的対立がある。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "議会政治の母国とされるイギリスでは、中世身分制議会が連続的に近代議会に発展した歴史より貴族院と庶民院の二院制だが、二院制の目的や性格は各国により異なる。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "二院制は権力分立、自由主義を背景とした制度であり、フランス革命や社会主義のコミューン理論など自由主義よりも民主主義を代表する立場からは批判される。また政党の発達による両院の性格相違の減少もあり、新たに二院制を採用する国は少ない。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "近代国家はブルジョワ革命の産物のため、自由主義の理念と専制的な権力に対する警戒から何らかの権力分立制度が採用されているが、国家の運営と行政の効率上は立法権と行政権の協働も要請され、その調和が課題となるが、各国の沿革や事情により複数のパターンがある。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "18世紀のイギリスで形成された。国王の行政権が次第に大臣に移り、1742年に国王の信認を得ていたロバート・ウォルポール首相が議会の不信任により辞職し、大臣も議会の信任なくしては在職できない慣習が確立した。その後に連帯責任の原則、議会の首相指名による内閣成立制度などが整備された。議院内閣制では内閣成立の指名と内閣の責任追及において議会が内閣をコントロールし、内閣は議会の解散により議会に対する選挙民の信任を問いうる事で、両者間に抑制と均衡が成立する。このようなイギリス型の議会制度はウェストミンスターモデルとも呼ばれる。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国の政治体制として創始された。大統領は国民の間接選挙(実質的には直接選挙)により選出され、任期の間は弾劾決議成立を除き免職は無い。議会は大統領の責任を追及できない反面、大統領は議会を解散できない。また大統領は議会への法案提出権が無いが、議会で成立した法案の施行への拒否権がある(両院が3分の2以上の多数で再可決すれば拒否にかかわらず成立)。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "アメリカ型の純粋な大統領制を採用する国は少ないが、儀礼象徴的な大統領制はドイツ、イタリア、スイスなど多数ある。フランスは直接国民投票によって選ばれ、首相任命権、議会解散権などの強大な権力を持ち、議院内閣制と大統領制の混合形態と考えられる。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "政党は、17世紀のイギリス名誉革命の前後に生まれたトーリー党とホイッグ党が最初とされるが、19世紀後半迄の政党はいわゆる貴族政党(名望家政党)で、「財産と教養」ある階層によるサロン的なグループで、特に綱領や組織を持たず、個々の議員に対する拘束力は非常に緩かった。普通選挙実施後の現代の大衆政党(組織政党)は、議員以外にも多数の一般党員を全国的に組織し、綱領や役割組織も備え、党費により財政を賄い、議員や党員は党議に拘束され違反には除名などの罰則が設けられているが、これら拘束は「議員は全く自由な個人として討議し議決する」との近代議会主義の原則からは本来は認められないため、ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "普通選挙が進み近代ブルジョワ国家から現代大衆国家へ変質すると、従来の「理性的な個人」とされた財産と教養あるブルジョワジーによる議会主義が形骸化し、有権者と候補者を政治的に組織する媒体として政党(大衆政党)が登場した。政党は私的結社として生まれたが、一定の条件((1)普通選挙制と議会主義 (2)複数政党制の存在 (3)党内民主主義)を満たす場合には公的役割を果たしていると言える。また近代議会制民主主義の自由委任制は大衆社会では修正を余儀なくされ、有権者の意思を正しく議会に反映させるために選挙制度における人口比例が重要となった。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "利益団体(圧力団体)は、政党以上に近代的な議会主義から離れており、特定の利益集団により民意や政治を歪める存在とも批判されるが、議会の統合機関としての役割低下に伴い大衆の直接的な要求を議会や行政府に働きかける側面も持つ。利益団体の発生は19世紀のアメリカでのロビイストで、利益団体の機能には、職能代表的機能、政策に対するチェック機能、政治家養成機能、団体構成員への教育機能、などがある。利益団体の分類はR・T・マッケンジーによる以下の3分類が一般的である。", "title": "制度" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "民主主義(民主政、民主制)に関する議論は、その用語や概念自体に関する解釈を含めて多数の議論が存在するが、主な議論の要素には以下があり、各要素は相互に関連している。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "民主主義では集団の重要な意思決定を構成員が行うため、構成員の正統性や範囲などが議論となる。民主主義は特定の範囲のもの(同質性)を平等に扱うため、全人類を範囲としない限り、その範囲外のもの(異質性)は区別し排除する事になる。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "古代ギリシアのポリスでは、市民はポリスの軍務を担える者とされ、そのため重装歩兵などの装備や軍務を自費で担える、一定資産を持つ成人男性の自由民のみが市民とされ、無産者、奴隷、女性、他のポリスからの移住者や子孫などは原則として除外された。しかしサラミスの海戦でガレー船の漕ぎ手が貢献すると無産市民も発言力を高めた。共和制ローマではローマ市民権が被支配民族や被支配地域に徐々に拡大され、アウグストゥス以降は兵役満期後の属州民の子供にも拡大され、更にアントニヌス勅令でローマ帝国内の全自由民に拡大された。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "近代のブルジョワ民主主義による議会制民主主義では、「理性や教養を持つ市民」が議会で議論し決定するとされ、そのため「理性や教養を持つ市民」とされた有産階級の成人男性のみが参政権を持つ制限選挙が行われた。フランス人権宣言では全ての人間は普遍的に人権を持ち平等とされたが、以後も無産者、女性、植民地住民などは参政権は無く、各国で徐々に普通選挙や女性参政権、あるいは植民地独立などが進んだ。またフランス革命以降、多くの時代や地域で言語・民族・宗教などの社会的同質性によるナショナリズムを統合の理念とした国民国家が普及したが、その反面として少数民族、異教徒、外国人、難民などへの差別や排斥も発生している。現代の現実的な民主主義は国民的な同質性原理により、国民意識が普遍的人権より上位におかれている。現代でも一部の植民地、保護国、属領などでは本国に対する参政権は無い。外国人参政権の範囲は国により対応が異なる。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "議会制民主主義(代表制民主主義、間接民主主義)では、選挙や議員の位置づけについて複数の潮流がある。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "アテナイでは、市民全員参加の民会や、選出された評議員による五百人評議会などがあった。共和制ローマでは、元老院と民会があり、現在の貴族院(上院)と庶民院(下院)の起源となった。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "代表制原理には多数の議論がある。間接民主主義を重視する観点からは、有権者は適切と考える人物に投票し、選出された議員や大統領は全構成員の代表として信任されたとされ、自己の理性と知見に従い自由に議論し決定する。この観点からは、次の選挙まで議員の身分は保証され、次の選挙まで民意反映の機会もなく、選挙制度や政党は重視されない。他方、直接民主主義を重視する観点からは、理想は直接参加であるが、議員を選出する場合でも信任ではなく限定的な委任であり、議員が有権者の意思に反する場合にはリコール等も認められる。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "近代の自由主義によるブルジョワ民主主義では権力による独裁を警戒し、当初の選挙は「理性と教養ある市民」とされた有産階級の成人男性のみによる制限選挙で、選出された議員は全体の代表として自由に議論でき、また権力分立として三権分立や二院制も採用された。この観点からは、普通選挙は無産階級による多数派支配が警戒された。ルソー、ワシントン、ジェファーソンらは政党否定論を唱えた。しかし普通選挙が進展した大衆社会となり、階級対立など社会の同質性が低下して議会の形骸化が進展し、支持する勢力を議会に送り込むために選挙制度や政党、更には圧力団体の重要性が増大した。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "人民の意思の反映(人民主権)をより重視する立場からは、普通選挙や女性参政権など公民権の拡大、議会の優越(議会主義)、直接民主主義的要素(イニシアティブ、リコール、レファレンダム)などが唱えられる。ジャン=ジャック・ルソーは議会制民主主義(間接民主主義)の欺瞞を主張し、フランス1793年憲法(ジャコバン憲法)は直接民主主義的要素を採用した。また多くの国や組織で、特に重要な意思決定にはレファレンダムが併用されるようになった。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ウラジーミル・レーニンは前衛党(共産党)が多数派の労働者・農民を代表するとして一党独裁を行った(レーニン主義、党の指導性)。またアドルフ・ヒトラーは自己をドイツ民族の指導者と主張して独裁を行い(指導者原理)、カール・シュミットはアドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。これらの独裁を批判する立場や理念には、自由主義、多元主義、経験主義、保守主義や、法の支配、権力分立などがある。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "デモクラシーは古代ギリシアの政体論の一分類として生れ、自由で平等な市民による相互支配が本質で、全市民による民会での意思決定だけではなく、公職は抽選により、民衆裁判への市民参加が重視された。アリストテレスは、デモクラシーでは支配と服従の両方を経験する事が重要とした。これに対して選挙は貴族政的な制度であり、選挙によって選出された代表者の意思決定を大幅に取り入れて、市民が代議士に政治を委ねる近代のデモクラシーは「自由な寡頭制」の面もあり、同じくデモクラシーと呼べるかは問題が残るが、しかし市民による自己統治の理念は現代でも重要な意味を持っている。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "民主主義は構成員全体による意思決定のため、全構成員による集会や、代表者による議会のいずれの場合でも、合意形成方法が議論となる。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "大別して以下の決定方式がある。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "一般的には、議論による説得・妥協・交渉などを続けて全会一致となるまで合意形成を図る事が理想的だが、意見集約が困難で期限が求められる場合には多数決も採用される。しかし多数決は「多数派による専制」(トグウィル)ともなり、特に階級や民族など同質性が低い集団では、多数派と少数派が固定化し、議会における実質的な審議機能が低下すると、民主主義による全体の統合機能が形骸化する。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "また自由な議論には言論の自由、多元主義、情報公開などが前提となるため、形式的には民主主義でもこれら前提が実質的には不十分な場合には非自由主義的民主主義などとも呼ばれる。自由主義や多元主義の観点からは、複数の意見が存在して議論や選択の余地がある事自体が健全であり、説得や状況によって現在の少数派も将来は多数派になる可能性が確保されている事が、議会や民主主義の統合機能には必要となる。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "古代アテナイでは議論を行った後に、決着しない場合には多数決が行われた。モンテスキューは二院制による慎重な審議を主張し、ルソーは人民主権を重視して一院制を主張した。多くの近代憲法では、憲法改正など重要な意思決定には単純過半数より厳しい、半数を超える成立要件やレファレンダム要件などが定められている。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "民主主義と独裁や専制は、歴史的にも多数の議論が存在している。古代より民主政の一部では非常時における独裁の制度があり、また人民の意思の実現には革命や独裁なども含めた強権が必要との主張も存在する。他方で独裁の実施者の多くは、非常事態における民主主義の防衛などを独裁の理由として主張している。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "古代アテナイの民主政では、独裁の発生を防ぐため公職の抽選や陶片追放が行われた。ソクラテスが市民による公開裁判で死刑になった後、プラトンは民主政は衆愚政治に陥ると考えて哲人政治を主張し、アリストテレスは民主政(共和制、国政)が堕落すると王政(僭主政)になると考えた。共和制ローマでは非常時に任期限定の独裁官を設置できたが、カエサルが民衆人気を背景に終身独裁官となり帝政ローマの基礎を築いた。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ロック、モンテスキューらは独裁を防ぐため権力分立を主張したが、ルソーは人民主権のためには強制的な力の創出が必要とも主張した。フランス革命では民衆を支持基盤とするジャコバン派が恐怖政治を行い、ナポレオン・ボナパルトは国会の議決と国民投票を経て「フランス人民の皇帝」となった。またバブーフは完全平等社会の実現のため私有財産制の廃止と独裁を主張し、後のブランキやカール・マルクスに影響を与えた。エドマンド・バークらはフランス革命を批判し保守主義の潮流となった。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "マルクスは資本主義社会から社会主義社会への過渡期にはプロレタリア独裁が必要として独裁を肯定したが、その独裁は短期間で激しくないと考えていた。レーニンはブルジョワ民主主義を欺瞞と批判し、社会主義革命後に「最も完全な民主主義」が実現すると記し、ロシア革命後に一党独裁を行い、約10年で共産主義社会は実現すると約束したが、1年後に約束を撤回した。レーニンの後継者となったヨシフ・スターリンは「社会主義建設が進むほど階級闘争も激化する」との階級闘争激化論を掲げた(スターリニズム)。マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国は共産党を指導政党を憲法等に明記し、事実上の一党独裁と呼ばれる。なおソ連などの一党制に対し、中華人民共和国などは統一戦線理論に基づく複数政党制(ヘゲモニー政党制)を採用し人民民主主義(または新民主主義)と称した。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "第一次世界大戦後、「世界で最も民主的な憲法」と言われたヴァイマル憲法下のドイツで、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党がドイツ民族の危機を訴えて1932年7月ドイツ国会選挙で大躍進し、更に国民投票で「総統」となった。法学者のカール・シュミットは、独自の法学思想によむて、第一次大戦後のヴァイマル共和政、議会制民主主義、自由主義を批判した。民衆の望む政治を行う事こそが民主主義と考え、アドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。ユダヤ系ドイツ人エーリヒ・フロムは1941年に亡命地アメリカで、「近代社会は、前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えたが、同時に個人的自我の実現、すなわち個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得できず、かえって不安をつくり上げた」とし、ドイツの世論・民衆が自由民主主義体制の否定を支持していった様相を「自由からの逃走」と呼んだ。戦後のドイツ連邦共和国ではファシズム・共産主義という自由民主制度を否定する政党を禁止にしている。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "多数派による支配を意味する民主主義と、個人の自由を最大限に尊重する自由主義が緊張関係にある事は、フランス革命以来、繰り返し強調されてきた。バンジャマン・コンスタン、アレクシ・ド・トクヴィル、ジョン・スチュアート・ミル等は、次第に権力を増大させ、道徳的・知的な権威さえも確保しつつあった「民主主義」(の名の下に政治を支配する多数派)の圧力から、個人の自由を守る自由主義の視点より議論を展開した(自由民主主義)。他方でカール・シュミットは、ジャン=ジャック・ルソーの一般意思論を踏まえ、民主主義は最終的には一連の同一性(ドイツ語: Identität)の承認により成り立つため、価値の多元性を前提とする自由主義や議会は民主主義の妨害要素で、官僚化により形骸化した議会よりも、人民の喝采により支持を受けた独裁者による民主主義(人民の主権的決断・独裁)を提示し、議会制(間接民主主義)を補う国民票決や国民発案(直接民主主義)を主張した。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "民主主義は構成員(人民、民衆、国民)による意思決定であるため、構成員全体の意思(世論、輿論、民意、人民の意思)が反映されるべきだが、それが正しいまたは適切であるか、更には世論とは存在し提示可能なものか、などの議論がある。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "プラトンは民主主義は衆愚政治に陥ると考えた。マキャベリやヒトラーは、大衆は愚かであると考えた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由主義の観点から多数派による専制を警戒し、権力分立が必要と主張した。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ジェームズ・ブライスは著書『近代民主政治』で、近代デモクラシーでは「世論」こそ政治が従わねばならない基準とした。またジャン=ジャック・ルソーによる一般意思も理想化された世論と言える。", "title": "議論" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "しかしアメリカ合衆国で選挙予測から始まった世論調査の進歩もあり、1922年 ウォルター・リップマンは著作『世論』で、世論は先入観によるステレオタイプ的思考に影響され、マスメディアが現実には情報を意識的・無意識的に取捨選択して大衆のステレオタイプ的思考を促進しており、世論は容易に操作され、変化されると述べた。他方でポール・ラザースフェルドは著書『人々の選択』で、マスメディアによる投票者への影響は直接的ではなく間接的で、有権者はオピニオンリーダーとのパーソナル・コミュニケーションにより自らの意思を形成していく、と述べた。", "title": "議論" } ]
民主主義とは人民が権力を握り、それを自ら行使する政治原理、政治運動、政治思想である。日本では民主制、民主政体などとも訳される。 民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。 民主主義には直接民主制と間接民主制の間の議論があり、また自由主義的なブルジョワ民主主義(自由民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義によるプロレタリア民主主義なども登場した。
{{Otheruses|一般的な「democracy」の訳語|『[[社会契約論]]』などにおける「democracy」の訳語|民主政}} {{民主主義}} {{統治体制}} [[ファイル:Democracy Index 2022.svg|サムネイル|400x400ピクセル|[[エコノミスト]]の[[民主主義指数]]による2022年の世界の民主主義の[[デ・ファクト|デ・ファクト(事実上)]]の状態<ref>{{Cite web |url=https://www.eiu.com/n/campaigns/democracy-index-2022/ |title=Democracy Index 2022 – Economist Intelligence Unit |website=EIU.com |access-date=4 February 2023 |archive-url= |archive-date= |url-status=}}</ref>。濃い緑が最も民主的(指数10)、濃い赤が最も非民主的(指数0)]] [[ファイル:Democracy claims.svg|thumb|400px|2022年の世界の民主主義の[[デ・ジュリ|デ・ジュリ(法律上)]]の状態。民主主義と自称していないのは、[[サウジアラビア]]、[[アラブ首長国連邦]]、[[カタール]]、[[ブルネイ]]、[[バチカン]]のみ。中国、北朝鮮、ラオスは憲法で自国を[[人民民主主義|人民民主主義国家]]と記載。]] '''民主主義'''(みんしゅしゅぎ、{{Lang-en-short|Democracy}}、'''デモクラシー''')とは[[人民]]が[[権力]]を握り、それを自ら[[行使]]する[[政治体制|政治原理]]、[[社会運動|政治運動]]、[[政治哲学|政治思想]]である{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019|p=「民主主義」}}。日本では'''民主制'''、'''[[民主政|民主政体]]'''などとも訳される<ref>[https://ejje.weblio.jp/content/democracy weblio - democracy]</ref>。 民主主義という用語は[[古代ギリシャ]]で「多数者の支配」を意味し、[[君主制|君主政治]]や[[貴族制|貴族政治]]との対比で使用された{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019|p=「民主主義」}}。しかしその後は[[衆愚政治]]などを意味する否定的な用語として使用され続け、[[近代]]より肯定的な概念として復権して、[[第一次世界大戦]]後には全世界に普及した{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019|p=「民主主義」}}。 民主主義には[[直接民主主義|直接民主制]]と[[間接民主主義|間接民主制]]の間の議論があり{{Sfn|ブリタニカ・ジャパン|2019|p=「民主主義」}}、また[[自由主義]]的な[[ブルジョワ民主主義]]([[自由民主主義]])の他に、経済的[[平等]]を重視する[[社会主義]]による[[プロレタリア民主主義]]なども登場した{{Sfn|平凡社|2019|p=「民主主義」}}。 == 概要 == === デモクラシー === 「デモクラシー」({{lang-en|democracy}})の語源は {{lang-grc|δημοκρατία}}({{lang|grc|dēmokratía}}、デーモクラティアー)で、これは「[[人民]]・[[民衆]]・[[大衆]]」などを意味する {{lang|grc|δῆμος}}({{lang-*-Latn|grc|dêmos}}、デーモス)と、「[[権力]]・[[支配]]」などを意味する {{lang|grc|κράτος}}({{lang-*-Latn|grc|kratos}}、クラトス)を組み合わせたもので、「人民権力」「民衆支配」「[[国民主権]]」などの意味を持つ <ref>[https://web.archive.org/web/20070914202111/http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus:text:1999.04.0057:entry%3d%2324422 Demokratia, Henry George Liddell, Robert Scott, "A Greek-English Lexicon", at Perseus]</ref>。 「デモクラシー」は、優れた人([[貴族]])による権力・支配を意味する「アリストクラティア」([[貴族制]]や[[寡頭制]]などと訳される)との対比で使用された。両者は権力者や支配者の多寡(多数派か少数派か)に注目した用語である。なお「アリストクラティア」( {{lang|grc|ἀριστοκρατία}}({{lang-*-Latn|grc|aristokratía}})は「優れた人」を意味する {{lang|grc|ἄριστος}}({{lang-*-Latn|grc|aristos}}、アリストス)と、 「権力・支配」を意味する{{lang|grc|κράτος}} を組み合わせたものである。 しかし、古代ギリシアの衰退以降は「デモクラシー」の語は[[衆愚政治]]の意味で使われるようになり、[[古代ローマ]]では「デモクラシー」の語は使用されず、[[王政]]を廃止して[[元老院]]と[[市民集会]]が主権を持つ体制は「[[共和制]]」と呼ばれた。 [[近代]]の[[啓蒙主義]]により「デモクラシー」は、[[自由主義]]思想の用語として再び使われるようになった([[自由民主主義]])。近代の政治思想上で初めて明確にデモクラシー要求を行ったのは、[[清教徒革命]]でのレヴェラーズ([[:en:Levellers|Levellers]]、平等派、水平派)であり<ref>[[#杉田|杉田]] p14</ref>、更に[[フランス革命]]により君主制・[[貴族制]]・[[神政政治]]などと対比され、また20世紀以降は[[全体主義]]との対比でも使用される事が増えた。なお[[政治学]]では、非民主主義の総称は「[[権威主義]](権威主義政体)」と呼ばれる。 === 民主政と民主制 === 日本語で「デモクラシー」は通常、主に[[政体]]を指す場合は「'''[[民主政]]'''」、主に制度を指す場合は「'''民主制'''」、主に思想・理念・運動を指す場合は「民主主義」などと訳が分けられている。 なお[[政治学]]では、特に思想・理念・運動を明確に指すために「民主主義」のカナ転写である「'''デモクラティズム'''<ref name=":0" />」({{lang-en-short|democratism}}<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=Democratism : Explaining International Politics with Democracy Beyond the State (New Horizons in International Relations series) |url=https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781802204247 |website=紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア |access-date=2022-07-03 |language=ja}}</ref>)が使用される場合もある。 なお、現代[[ギリシャ語]]では'''[[:el:Δημοκρατία|δημοκρατία]]'''(ディモクラティア)は「民主制」を表すと同時に「[[共和国]]([[共和制]])」を表す語でもあり、国名の「~共和国」と言う場合にもδημοκρατίαが用いられる。 === 「民主」という語 === <ref>この項、({{Cite journal|和書|author=陳力衛 |date=2011-11 |url=http://id.nii.ac.jp/1109/00002948/ |title=「民主」と「共和」 : 近代日中概念の形成とその相互影響 |journal=成城大学経済研究 |ISSN=03874753 |publisher=成城大学経済学会 |issue=194 |pages=9-35 |naid=110009557639 |ref=harv}})から、「民主」という語の履歴について解説する目的で引用した。</ref>民主という漢語は、伝統的な中国語の語義によれば「民ノ主」すなわち君主の事であり[[書経]]や[[左伝]]に見られる用法である。これをdemocracyやrepublicに対置させる最初期のものはウィリアム・マーティン(丁韪良)[[万国公法]](1863年または64年)であり、マーティンは a democratic republic を「民主之国」と対訳していた。しかしこの漢訳は、中国や日本でその後しばらく見られるようになる democracy と republic の概念に対する理解、あるいはその訳述に対する混乱の最初期の現れであった。マーティンより以前、イギリスの[[ロバート・モリソン (宣教師)|ロバート・モリソン]](馬礼遜)の「華英字典」(1822年)は democracy を「既不可無人統率亦不可多人乱管」(合意することができず、人が多くカオスである)という文脈で紹介し、[[ウォルター・ヘンリー・メドハースト|ヘンリー・メドハースト]](麥都思)の「英華字典」(1847年)はやや踏み込み「衆人的国統、衆人的治理、多人乱管、少民弄権」(衆人の国制、衆人による統治理論、人が多く道理が乱れていることをさすことがあり、少数の愚かな者が高権を弄ぶさまをさすことがある)と解説する。さらにドイツのロブシャイド(羅存徳)「英華字典」(1866年)は「民政、衆人管轄、百姓弄権」(民の政治、多くの人が道理を通そうとしたり批判したりする、多くの名のある者が高権を弄ぶ)と解説していた。19世紀後半の漢語圏の理解はこの点で一つに定まっておらず、陳力衛によれば Democracy は「民(たみ)が主」という語義と「民衆の主(ぬし、すなわち民選大統領)」という語義が混在していたのである。一方で日本では democracy および republic に対しては当初はシンプルで区別なく対処しており、1862年に[[堀達之助]]が作成した[[英和対訳袖珍辞書]]では democracy および republic いずれにも「共和政治」の邦訳を充てていた。これが[[万国公法]]の渡来とその強力な受容により「民主」なる語の併用と混用の時代を迎えることとなる。 === 理念への評価 === 民主主義(デモクラシー、[[民主政]]、民主制)は、組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権([[主権]])を持つという[[政体]]・[[制度]]・[[政治哲学#概要|政治思想]]であるが、その概念、理念、範囲、制度などは古代より多くの主張や議論がある。 [[古代ギリシア]]の民主主義は、[[寡頭制]](少数派支配)に対する人民支配(民衆支配、多数派支配)であり、[[法の支配]]、[[自由]]、[[自治]]、[[法の下の平等|法的平等]]などの概念と関連していた。しかしその後は長く[[衆愚政治]]を意味するようになり、17世紀以降に[[啓蒙主義]]による[[自由主義]]の立場から再評価され、[[社会契約論]]により[[国民主権]]の正統性理念となり、[[名誉革命]]、[[アメリカ合衆国の独立|アメリカ独立革命]]、[[フランス革命]]などの[[ブルジョワ革命]]に大きな影響を与えた。民主主義は[[功利主義]]や[[経験主義]]の立場からも評価されるが、同時に古代より多数派による専制や、民衆の支持を背景に少数独裁に転じる危険性も存在する。 とりわけ民主主義の理念に対する評価は、2つの世界大戦をきっかけとして20世紀に激変した。[[第一次世界大戦]]は[[総力戦]]となり、[[ドイツ帝国]]、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[ロシア帝国]]などでは帝政が終焉した<ref name="宇野p194-195">[[#宇野|宇野p194-195]]</ref>。[[第一次世界大戦]]後、「世界で最も民主的な憲法」と言われた[[ヴァイマル憲法]]下の[[ヴァイマル共和政|ドイツ]]で、[[アドルフ・ヒトラー]]率いる[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]がドイツ民族の危機を訴えて[[1932年7月ドイツ国会選挙]]で大躍進し、更に[[国民投票]]で「[[総統]]」となった。[[第二次世界大戦]]では「民主主義と全体主義の対決」という意味づけが特に途中から参戦したアメリカ合衆国によって強調され、[[冷戦]]の開始後は「全体主義」に[[ソビエト連邦]]の[[スターリン主義]]が加えられた<ref name="宇野p194-195" />。戦争中は銃後の女性を含め多くの国民が戦争に動員され、戦争に貢献する以上は政治的発言も認められるべきとして、結果として選挙権の拡大につながった<ref name="宇野p194-195" />。 {{main|人民民主主義}} こうして民主主義の正当性は高まり、最も独裁的な国家すら自らこそが真の民主主義を体現していると主張するようになり、民主主義の理念を否定する体制が事実上なくなった反面、「民主主義とは何か」が曖昧ともなっている<ref name="宇野p194-195" />。 == 種類 == 民主主義の代表的な種類・分類には以下があるが、その分類や呼称は時代・立場・観点などにもよって異り、多くの議論が存在している。 === 直接民主制(direct democracy) === [[ファイル:Landsgemeinde - Glarus 2014 - 1.jpg|thumb|right|130px|スイス・[[グラールス州]]の州民集会。2014年。]] {{main|直接民主主義|#ルソー}} 直接民主主義は、集団の構成員による意思が集団の意思決定に、より直接的に反映されるべきと考える。直接民主主義の究極の形態は、構成員が直接的に集合し議論して決定する形態であり、高い正統性が得られる反面、特に大規模な集団では物理的な制約や、構成員に高い知見や負担が必要となる。また議員など代表者を選出する形態でも有権者の選択が重視され、議員は信任されたのではなく有権者の意思を委任された存在であり、有権者の意思に反する場合は[[リコール]]や再選挙の対象となりうる。  古代[[アテナイ]]や[[古代ローマ]]では[[民会]]が実施された。現代では[[発案|イニシアチブ(国民発案、住民発案など)]]、レファレンダム([[国民投票]]、[[住民投票]]など)、リコール(罷免)が直接民主主義に基づく制度とされ、都市国家の伝統を受け継ぐ[[スイス]]や[[アメリカ合衆国]]の[[タウンミーティング]]などでは構成員の参加による自治が重視されている。 === 間接民主制(indirect democracy) === [[ファイル:Election MG 3455.JPG|thumb|right|130px|[[2007年フランス大統領選挙]]で投票する女性]] {{main|間接民主主義|#代表制原理|#代表制}} 間接民主主義(代表民主主義、代議制民主主義)は、主権者である集団の構成員が自分の代表者(議員、大統領など)を選出し、実際の意思決定を任せる方法・制度である。主権者による意思決定は間接的となるが、知識や意識が高く政治的活動が可能な時間や費用に耐えられる人物を選出する事が可能となる。選挙制度にもより、議員の位置づけ(支持者や選挙区の代表か、全体の代表か)、選挙の正当性(投票価値の平等性、区割りなどの適正性、投票集計の検証性など)、代表者(達)による決定の正当性(主権者の意思(世論、民意)が反映されているか)などが常に議論となる。 === 自由民主制(Liberal democracy) === {{main|自由民主主義|ブルジョワ民主主義}} 自由民主主義(自由主義的民主主義、立憲民主主義)は、[[自由主義]]による民主主義。人間は理性を持ち判断が可能であり、[[自由権]]や[[私的所有権]]や[[参政権]]などの[[基本的人権]]は[[自然権]]であるとして、[[立憲主義]]による権力の制限、[[権力分立]]による権力の区別分離と抑制均衡を重視する。古典的には、選出された議員は全員の代表であり、理性に従い議論と交渉を行い決定する自由を持つと考える。 === 宗教民主主義 === [[宗教]]における民主主義。[[キリスト教民主主義]]、[[会衆制]]、仏教民主主義、[[:en:Islamic democracy|イスラム民主主義]]など。 === 社会主義関連の民主制 === [[社会主義]]における民主主義には、[[フェビアン協会]]等による[[社会民主主義]]の潮流、[[民主社会主義]]、[[マルクス・レーニン主義]](いわゆる[[共産主義]])による[[プロレタリア民主主義]]、[[人民民主主義]]、[[新民主主義]]などがある。 === ジェファーソン流民主主義 === {{main|ジェファーソン流民主主義}} [[アメリカ合衆国大統領]][[トーマス・ジェファーソン]]等による民主主義。共和制、自立を重視し、[[エリート主義]]に反対し、政党制と弱い連邦制([[小さな政府]])を主張した。 === ジャクソン流民主主義 === {{main|ジャクソン流民主主義}} [[アメリカ合衆国大統領]][[アンドリュー・ジャクソン]]等による民主主義。選挙権を土地所有者から全白人男性に拡大し、[[猟官制]]や領土拡張を進めた。 === 草の根民主制(Grassroots democracy) === {{main|草の根民主主義}} [[市民運動]]や[[住民運動]]など一般民衆による民主主義。[[ジェファーソン流民主主義]]を源泉とし、[[フランクリン・ルーズベルト]]が提唱した<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%8D%89%E3%81%AE%E6%A0%B9%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-55129 草の根民主主義 - コトバンク]</ref>。 === 戦う民主主義(防衛的民主制度,Defensive democracy) === {{main|戦う民主主義}} 「[[防衛的民主制]]」とは、[[第二次世界大戦]]後の[[ドイツ]]等、共産主義(コミュニズム)やファシズムなど自由民主制を否定する言動の自由や権利までは認めない民主制度。(西)ドイツ連邦憲法裁判所は判決の中で「自由の敵には無制限の自由は認めない」と断じて、[[ドイツ共産党]]を1956年から強制解散させている<ref>佐瀬昌盛 『西ドイツ戦う民主主義 ワイマールは遠いか』PHP研究所、p167、1979年。{{ISBN2|978-4569203171}}。</ref>。 == 歴史 == [[古代]]より多くの時代や地域あるいは[[共同体]]で、多様な[[合議制]]や、[[法 (法学)|法]]や[[規則|ルール]]に基づいた[[合意形成]]や[[意思決定]]が存在したが、一般的には民主主義(デモクラシー、[[民主政]]、民主制)の起源は[[古代ギリシャ]]および[[古代ローマ]]とされ、また近代的な意味での民主主義は17世紀以降の[[啓蒙思想]]や[[自由主義]]、それらの影響を受けた[[フランス革命]]、[[アメリカ合衆国の独立|アメリカ独立革命]]などを経て形成され、[[20世紀]]に多くの諸国や地域に拡大した。 === 古代ギリシア === [[ファイル:Cleisthenes.jpg|thumb|right|120px|「[[アテナイ]]民主主義の父」と呼ばれる[[クレイステネス]]の像([[オハイオ州]]議事堂)]] {{main|アテナイ|民会|アテナイの民主主義}} [[古代ギリシア]]の[[アテナイ]]では、[[民会]]による'''[[直接民主主義]]'''が行われた。民会の参加はアテナイ市民権を持つ全成人男性で、奴隷・女性・移住者は対象外であり、議論の後に[[多数決]]で決定された。 アテナイでは[[王制]]から[[貴族制]]に移行後は、貴族の[[アレオパゴス会議]](元老院)による支配が行われ、[[民会]]の権限は限定的であった。[[紀元前]]7世紀に[[ドラコン (立法者)|ドラコン]]が従来の[[不文法]]を成文化し、貴族による法知識の独占が崩された。紀元前6世紀、[[ソロン]]は市民の奴隷への転落を禁止し、全ての市民が[[民会]]に参加することを認める法律を制定した(ソロンの改革)ため、市民と奴隷が明確に二分され、以後は市民間における自由と平等が保証された<ref name="宇野p28-29">[[#宇野|宇野p28-29]]</ref>。続いて紀元前5世紀、[[クレイステネス]]が[[僭主]][[ヒッピアス]]を追放し、従来の血縁による部族制から居住区([[デモス|デーモス]]、デモクラシーの語源となった)制への移行、[[五百人評議会]]の設置、[[陶片追放]]の創設など、民主制の基礎を確立した。更に紀元前462年、[[ペリクレス]]等が[[アレオパゴス会議]]の権限を剥奪した。 しかし[[ペルシア戦争]]後、[[ソフィスト]]等の批判で市民裁判により[[ソクラテス]]が処刑されると、弟子の[[プラトン]]は民主主義は[[衆愚政治]]に陥る危険があると考え[[哲人政治]]を主張した。また[[アリストテレス]]は六政体論を主張し、ポリテイア(国制)では「等しいものを等しく扱う」事が正義の本質とし、市民間の平等と相互支配(政治的支配)を重視したが、主人の奴隷に対する支配(主人的支配)や親の子に対する支配(王政的支配)は擁護した<ref name="宇野p15-43">[[#宇野|宇野p15-43]]</ref>。これに対して後の[[ストア派]]は'''[[自然法]]'''による奴隷を含めた全ての人間の平等を説いた<ref name="宇野p15-43" />。 アテナイを含む古代ギリシア衰退後は、民主主義(大衆支配)は合理的な統治形態ではないと考える時代が長く続いた。 === 古代ローマ === [[ファイル:Stemma reggio emilia municipio.jpg|thumb|right|120px|[[レッジョ・エミリア]]にある[[SPQR]]の紋章。[[共和制ローマ]]の主権者である「元老院とローマの人民(市民)」を表す。]] {{main|共和政ローマ|元老院|民会 (ローマ)|執政官}} [[古代ローマ]]では、古代ギリシアで使われたデモクラシーという言葉は衆愚政治を意味すると考え使用しなかったが、[[共和制]]移行後は貴族中心の[[元老院]]と平民の[[民会 (ローマ)|民会]]が意思決定機関となり、[[ローマ法]]が整備され、王政復活や[[独裁]]を防止するために[[執政官]]などの[[政務官 (ローマ)|政務官]]は任期等が制限された。いわゆる[[帝政ローマ]]への移行後も、名目上は共和制で、[[ローマ皇帝]]は[[元首]]([[プリンケプス]])であった。 紀元前509年、古代ローマは王を追放し[[共和政ローマ]]となったが、貴族と平民の身分闘争が続き、紀元前494年 平民を保護する[[護民官]]が創設されて拒否権が与えられ、紀元前287年 [[ホルテンシウス法]]で民会が独自の立法機関となったが、[[グラックス兄弟]]などの改革は失敗した。また[[ローマ市民権]]は被征服民族などに拡大され、212年の[[アントニヌス勅令]]で帝国内の全自由民(成人男性)に拡大された。 [[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]は元老院(統治機関)、執政官(元首)、民会(議会)を[[権力分立]]と考えた。近代以降、元老院は[[上院]]、民会は[[下院]]、[[プリンケプス]]は[[元首]]となり、ローマ法はヨーロッパ法([[普通法]]、ユス・コムーネ)に影響を与えた。 === 中世 === [[中世]]では[[ローマ教会]]など宗教的権威や[[王権神授説]]など[[絶対王政]]が支配的となったが、ヨーロッパでは[[都市国家]]や[[古代ローマ]]の影響、各地の商業都市発達などもあり、多様な場所や形態で[[選挙君主制]]や[[議会]]、自治など民主的な概念や制度も存在した。古代からのものも含め、主な例には以下がある。 * [[カトリック教会]]の[[コンクラーヴェ]](教皇選挙) * 古代ゲルマン社会の[[ディング]] * 中世[[イタリア]]の[[ヴェネツィア共和国]]、[[ジェノヴァ共和国]]、[[フィレンツェ共和国]]、[[ピサ共和国]]、[[ルッカ共和国]]、[[アマルフィ]]、[[サンマリノ]]などの[[都市国家]]と[[コムーネ]] * [[スイス]]の[[スイスの地方行政区画|各州(カントン)]](19世紀の連邦制移行迄は各州が主権国家) * [[ポーランド・リトアニア共和国]]の[[国王自由選挙]] * [[アイスランド]]の[[アルシング]](930年、世界初の近代議会) * [[神聖ローマ帝国]]の[[帝国議会 (神聖ローマ帝国)|帝国議会]] * [[イングランド王国]]の議会(1066年) * 日本の[[堺]]などの[[自由都市]] === 近代国家の成立と啓蒙思想 === [[ファイル:Magna Carta (British Library Cotton MS Augustus II.106).jpg|thumb|130px|[[1215年]]に作られた、マグナ・カルタの認証付写本]] 13世紀、[[イングランド王国]]の[[マグナ・カルタ]]や[[スコットランド王国]]の[[アーブロース宣言]]で王権の制限が定められた。16世紀以降、[[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ]]や[[ロバート・フィルマー]]が[[王権神授説]]を唱えて政治権力の[[教会]]権力からの独立を宣言し、[[ジャン・ボダン]]が「国家主権論」を唱え、1648年 [[ヴェストファーレン条約]]により中世とは異なる近代的な[[主権国家]]が成立した<ref>[[#浅羽|浅羽 p60-61]]</ref>。 17世紀以降、[[啓蒙思想]]による[[自由主義]]が主張され、[[ヴォルテール]]は自由主義や人間の平等を主張した。17世紀、[[清教徒革命]]でリヴェラベーズ(平等派)が「民主主義」の用語を使用して社会契約や[[普通選挙]]を要求した。また人民主権の理論として社会契約論が唱えられた。[[ホッブス]]の社会契約論は、権力の正統性を神ではなく被支配者である人民に求めたが、国民による統治は構想しなかった。次に[[ジョン・ロック]]の社会契約論は、更に国民の抵抗権(革命権)を認め、[[アメリカ合衆国の独立|アメリカ独立革命]]に影響を与えた<ref>[[#浅羽|浅羽 p64]]</ref>。また[[ジャン・ジャック・ルソー]]の社会契約論は、堕落した文明社会を変革する方法として人民が[[一般意思]](公共我)を創出するとし、また代表制を批判し直接民主主義の理念を提示し<ref>[[#浅羽|浅羽 p65-66]]</ref>、後のフランス革命に影響を与えた。[[モンテスキュー]]はブルジョワジー、特に知識階級の自由を権力の専制からいかに保障するかを考え、権力分立の形態として[[三権分立]]を構想した<ref>[[#浅羽|浅羽 p66-67]]</ref>。 === アメリカ独立革命 === [[ファイル:Declaration of Independence (1819), by John Trumbull.jpg|thumb|right|200px|『[[独立宣言 (絵画)|独立宣言]]』([[ジョン・トランブル]]画)]] 1775年、[[アメリカ独立戦争|アメリカ独立革命]]が発生した。北アメリカのイギリス植民地では、植民地への重税や植民地からの輸入規制等への不満から、ミルトン、[[ジェームズ・ハリントン|ハリントン]]、[[ジョン・ロック|ロック]]の理論を学び、基本的人権と代表制(「[[代表なくして課税なし]]」)を確立した。1776年 [[トーマス・ジェファーソン]]が起草した[[アメリカ独立宣言]]では社会契約論、人民主権、[[抵抗権|抵抗権(革命権)]]が明文の政治原理として採用された。各植民地は憲法制定など共和国としての制度を整え、[[タウンミーティング]]など[[直接民主主義]]の伝統が形成されていった。特に[[ペンシルベニア州|ペンシルベニア]]、[[バージニア州|バージニア]]等の共和国憲法は、人民の意思の反映、議会の優位を強く打ち出し、連邦の強化は専制に繋がるものとして警戒された<ref name="浅羽p68">[[#浅羽|浅羽p68-71]]</ref>。 独立戦争後の財政危機、[[無産階級]]の台頭による政治不安の中、有産階級は各植民地共和国の独立・自治を見直し、強力な中央連邦政府の樹立へ向かった。1787年採択の[[アメリカ合衆国憲法]]は、多数派の権力もまた警戒すべしとの考えから、権力分立の徹底と社会秩序の安定を重視し、議会の二院制、議会から独立した強力な大統領による行政権、立法に優位する司法権を確立した。この結果、ブルジョワジー中心の体制が確立した<ref name="浅羽p68" />。その後、[[ジェファーソン流民主主義]]と[[ジャクソン流民主主義]]が2大潮流となり、また大衆社会による議会制度の形骸化を受けて[[草の根民主主義]]も提唱された。 {{quotation|われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。|[[アメリカ独立宣言]] (1776年)}} {{quotation|これまで英国の王が有していたすべての憲法の権威は、社会全体の共通の利益のため契約によって人民から由来し、人民が保持するものとなった。|[[バージニア憲法]] (1776年)}} === フランス革命 === [[ファイル:Constitution de 1793. Page 4 - Archives Nationales - AE-I-10-4.jpg|thumb|right|120px|[[1793年憲法|フランス1793年憲法]]]] 1789年からの[[フランス革命]]では、[[1791年憲法]]で人民主権、[[一般意思]]、主権の分割譲渡不可が明記された。更に[[1793年憲法]]([[ジャコバン]]憲法)で、抵抗権、直接民主主義的要素などルソーの影響を強く受けた憲法が制定されたが、施行されずに終わった。 {{quotation| (人および市民の権利の宣言) :*第1条 人間は、自由かつ権利において平等として生まれ、かつ生存する。(後略) :*第3条 すべての主権の根源は、本質的に国民にある。(後略) :*第6条 法律は一般意思の表明である。すべての市民は、個人的、または彼らの代表者によって、その作成に協力する権利を持つ。(後略) (憲法{{efn2|条文番号は編別ではなく通番。}}) :*第11条 主権は1つで、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にもかからない。'''主権は国民に属する'''。(後略) :*第56条 フランスには、法律の権威に優越する権利は存在しない。国王は、法律によってのみ統治し、かつ国王が服従を強要することができるのは、ただ法律の名においてのみである。|[[1791年憲法|フランス1791年憲法]]<ref>山本浩三、「[https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000009318 一七九一年の憲法(一)訳]」『同志社法學』11巻 4号、同志社法學會、124-136頁、1960年1月20日、{{NAID|110000400935}}</ref>}} {{quotation| (人間および市民の権利の宣言) :*第33条 '''圧政にたいする抵抗は、人間のほかの権利の当然の結果である。''' (憲法) :*第7条 主権者人民は、フランス市民の総体である。 :*第10条 主権者人民は、法律を審議する。|[[1793年憲法|フランス1793年憲法]]<ref>山本浩三、「[https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000009332 一七九三年の憲法(訳)]」『同志社法學』11巻 6号、同志社法學會、103-112頁、1960年3月20日、{{NAID|110000400948}}</ref>}} === 現代 === [[ファイル:Number of nations 1800-2003 scoring 8 or higher on Polity IV scale.png|thumb|Polity IV プロジェクトの評価で8点以上となった国の数(人口50万人以上)、1800年から2003年まで<ref>[http://www.systemicpeace.org/polity/polity4.htm The Polity IV project]</ref>]] {{see also|普通選挙|女性参政権|公民権運動}} 18世紀から20世紀にかけて、主要各国で男性普通選挙や、女性も含めた完全普通選挙が普及した。特に[[第一次世界大戦]]や[[第二次世界大戦]]は[[総力戦]]となり女性の社会進出が進み、また[[民族自決]]を掲げて[[植民地]]の独立が続き、多数の[[主権国家]]が誕生した。 19世紀以降、社会主義の潮流の中より、従来のブルジョワ民主主義を欺瞞として暴力革命を唱える[[共産主義]]([[マルクス・レーニン主義]])が登場すると、共産主義陣営は資本主義陣営を[[帝国主義]]と批判し、資本主義陣営は共産主義陣営の[[共産党]][[一党独裁]]を批判した。更に第一次世界大戦後、イタリアでは[[ファシズム]]、[[ドイツ]]では[[ナチズム]]が台頭し、[[国家主義]]や[[民族主義]]を掲げて民主主義を批判した。 2007年、[[国際連合総会]]は9月15日を「[[国際民主主義デー]]」とし、すべての加盟国および団体に対して公的意識向上のための貢献を感謝する決議を行った<ref name="UN_ARES627_page3">{{UN document |docid=A-RES-62-7 |type=Resolution |body=General Assembly |session=62 |resolution_number=7 |highlight=rect_190,214_834,598 |page=3 |accessdate=2008-08-23|title=Support by the United Nations system of the efforts of Governments to promote and consolidate new or restored democracies|date=8 November 2007}}</ref>。 == 思想 == 民主主義に関する思想、見解、発言には多数のものがあるが、世界的に著名なものには以下がある。 === デマラトス === [[紀元前5世紀]]、[[ペルシア戦争]]の際、[[アケメネス朝|ペルシャ]]大王の[[クセルクセス1世]]と、ペルシャに亡命中の元[[スパルタ]]王の[[デマラトス]]の対話より。当時は一般的な[[専制政治]]のペルシャ王は統治の基本原則は恐怖であり、[[自由]]とは放任状態で統制のとれない状態と考えるが、例外的に'''[[ノモス|法(ノモス)]]'''の権威の下に団結して'''自由'''を唱える市民団からなる[[ポリス]]では、法の下での平等な関係を踏まえた自治があり、言論が人を動かす道具で、ポリスの自由により市民が政治に参加できていた<ref name="佐々木p15-25"/>。 {{quotation|(クセルクセス1世)デマラトスよ、一千の兵がこれほどの大軍を相手に戦うなど、そなたは何という笑止なことを申すのか。(中略)それたの者たちが一人の指揮者の采配の元にあるのではなく、ことごとくが一様に自由であるとするならば、どうしてこれほどの大軍に向かって対抗し得ようか。(中略)一人の統率下にあれば、指揮官を恐れる心から実力以上の力も出そうし、鞭に脅かされて寡勢を顧みず大軍に向かって突撃もしよう。しかしながら自由に放任しておけば、そのいずれもするはずがなかろう。<br /> (デマラトス)彼らは自由であるとはいえ、いかなる点においても自由であると申すのではありません。彼らは[[ノモス|法(ノモス)]]と申す主君を頂いておりまして、彼らがこれを怖れることは、殿のご家来が殿を怖れるどころではないのでございます。いずれにせよ彼らはこの主君の命じるままに行動いたしますが、この主君の命じますことは常に一つ、すなわちいかなる大軍を迎えても決して敵に後ろを見せることを許さず、あくまでも己の部署にふみとどまって敵を制するか自ら討たれるかせよ、ということでございます。|[[ヘロドトス]]「[[歴史 (ヘロドトス)|歴史]]」<ref name="佐々木p15-25">[[#佐々木|佐々木]] p15-21</ref>}} === ペリクレス === [[ファイル:Pericles Pio-Clementino Inv269 n2.jpg|thumb|right|120px|[[ペリクレス]]]] [[紀元前5世紀]]、古代[[アテナイ]]の指導者[[ペリクレス]]による葬送演説より。多数者の'''公平'''、'''[[法の下の平等|法的平等]]'''、私生活の自由、[[法の支配]]などをポリスの理想と主張した。 {{quotation|われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、'''民主政治'''と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世に分かれば、無分別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公の高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起こそうとも、ポリスに益をなす力を持つ人ならば、貧しさゆえに道を閉ざされることはない。われらはあくまで自由に公に尽くす道を持ち、また日々互いに猜疑の目を恐れることなく自由な生活を享受している。(中略)私の生活においてわれらは互いに掣肘を加えることはしない、だが事公に関するときは、法を犯す振る舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかるものに従い、法を敬い、とくに侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼ぶさます不文の掟とを、熱く尊ぶことを忘れない。<br /> まとめて言えば、我等のポリス全体はギリシア人が追うべき理想の顕現であり、われら一人一人の市民は、人生の広い諸活動に通暁し、自由人の品位を持し、己の治世の円熟を期することができると思う。|[[トゥキディデス]]『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史]]』<ref>トゥキディデス『戦史』([[久保正彰 (西洋古典文学者)|久保正彰]]訳、[[岩波文庫]])第2巻37、41より</ref>}} === プラトン === [[紀元前4世紀]]、[[プラトン]]は著作『[[国家 (対話篇)|国家]]』で、国家の[[寡頭制]]の次の段階は民主制だが、行き過ぎた自由により崩壊して[[僭主制]]になるとし、理想を「[[哲人王 (プラトン)|哲人政治]]」と記した<ref name="名前なし-1">[[#野上|野上p30-46]]</ref>。自由の風潮がその極みに至ると無政府状態がはびこり、民衆指導者の中から独裁者が生まれる<ref>{{Cite web|和書|title=民主主義が独裁政治へ転落する道とは 2400年前に指摘されていたシナリオ:朝日新聞GLOBE+ |url=https://globe.asahi.com/article/13741701 |website=朝日新聞GLOBE+ |accessdate=2022-04-11 |language=ja-JP}}</ref>。 {{quotation|(民主制国家の)人々は自由であり、その国家は行動の自由と言論の自由に満ちている。そこでは何人(なんぴと)も、自分のしたい放題のことをすることが許されている、ということになるのではないか。(中略)あまりに行き過ぎた自由は、個人と国家を問わず、行き過ぎた隷属以外のどこへも変化しない。僭主制とは、民主制以外の国制から生まれてくるものではないようだ。思うに、極端な自由から、最も大きく最も激しい隷属があらわれてくるようだ。|[[プラトン]]『[[国家 (対話篇)|国家]]』第八巻<ref name="名前なし-1"/>}} === アリストテレス === [[ファイル:Aristotle Altemps Inv8575.jpg|thumb|right|120px|[[アリストテレス]]]] [[紀元前4世紀]]、[[アリストテレス]]は著作『[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]』で[[政治体制]]を支配者の数と、共通の利益にかなうかどうかで6政体に分類した<ref name="佐々木p31-36">[[#佐々木|佐々木]] p31-36</ref>。アリストテレスは現実に最善な政体はポリティア(ポリスの国制)と考え、それは寡頭政と民主政を混合したもので、富者と貧者の対立調停を主眼に置いて選挙と抽選を併用し、また支配と服従の両方を経験した中間階層の役割が安定の基礎と説いた<ref name="宇野p15-22">[[#宇野|宇野p15-22]]</ref>。他方で[[民主政]]は「[[自由人]]の生まれで財産の無い者が多数であって支配者である」政体だが、「悪い政体」の中では「最も悪くないもの」で、[[民主政]]では法の支配が確保されるために[[民会]]は例外的にのみ開かれる事が大事で、民衆が農民ならば権利はあっても政治に参加する閑暇が無いため[[民主政]]は穏健なものとなるが、民衆が職人・商人・日雇いから成る場合は[[民主政]]は極端な形態に陥りやすい、と記した<ref name="佐々木p31-36"/>。また民主政治の前提条件に「自由」、「政権や権力の交代」、「平等」、「[[多数決]]原理」などを挙げた<ref name="野上p148-150">[[#野上|野上p148-150]]</ref>。 :{| class="wikitable" style="font-size: 85%;" |+ アリストテレスの六政体論 <ref name="宇野p15-22">[[#宇野|宇野p15-22]]</ref> ! !! 一人による支配 !! 少数者による支配 !! 多数者による支配{{efn2|意訳を含め、良い政体を[[民主政]]、悪い政体を[[衆愚政治]]とする出典も存在する([[#浅羽|浅羽]] p57、など)。}} |- ! 共通の利益にかなう(良い)政体 | バシレイア(basileia [[君主制|王政]]) ||アリストクラティア(aristokratia [[貴族制|貴族政]])|| ポリテイア(politeia ポリスの国制、[[共和制]]) |- ! 共通の利益にかなわない(悪い)政体 | テュランニス(tyrannis [[僭主|僭主政]])|| オリガルキア(oligarchia [[寡頭制|寡頭政]])|| デモクラティア(demokratia '''[[民主政]]''') |} {{quotation|民主制的国制の根本原理は自由である。そして自由の一つは順番に支配されたり、支配することである。というのは民主制的「正」は、人の値打ちに応じてではなくて、人の数に応じて等しきものを持つことであるが、(中略)大衆は必然的に[[主権]]者であり、また何事によらず、より多数の者が決定することが最終的なものであり、またそれが正しいことである。(中略)次のようなことが民主制的なことである - すなわちすべての人々がもろもろの役人をすべての人から選挙すること、すべての人々が一方において個々の人を支配し、他方において個々の人が順番にすべての人を支配すること、もろもろの役は財産を全然その資格としないこと、あるいはできるだけ小額を資格とすること、同一人がどんな役にも二度と就かないこと...(中略)貧乏な人々が裕福な人々よりも少しも多く支配に与らないこと、あるいはただ貧乏人だけ主権者であることなく、すべての人々が数に応じて等しくそうであることが、(中略)そうであってこそ国制には平等と自由が存在すると人々は信ずるだろうからである。|[[アリストテレス]]『[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]』第6章<ref name="野上p148-150" />}} {{quotation|国家共同体でも中間的な人々によって支配されているものが最善であり、(中略)未熟粗暴な民主制からも寡頭制からも独裁制は生じてくるものであるが、中間的な国制やそれにちかいものから生じることははるかに少ない。|[[アリストテレス]]『[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]』第4巻 第11章<ref name="野上p131-132">[[#野上|野上p131-132]]</ref>}} === ポリュビオス === [[ポリュビオス]]は『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』を執筆し、ローマが短期間に覇権を確立した理由を分析した。王政・貴族政・民主政は、長く続くと腐敗や制度老朽化によりそれぞれ僭主政・寡頭政・衆愚政へ堕落し、僭主政は貴族により打倒され、衆愚政は独裁者を招き寄せるため、この六政体は永遠に循環する(政体循環論)。しかしローマ人は、単一の原理に基づく限りいかなる国制も衰えると考え、執政官・元老院・民会の三機関にそれぞれ王政的要素・貴族政的要素・民主政的要素を担わせた政治体制を構築することで政治の安定を実現した、と考えた。アリストテレスは富者と貧者の均衡を重視して寡頭政と民主政を混合させた国制(ポリテイア)を構想したが、ポリュビオスは諸機関の均衡を強調した。この混合政体論('''[[権力分立|権力分立論]]''')は以後の政治論の重要なモデルとなった<ref name="宇野p28-29">[[#宇野|宇野p28-29]]</ref>。 === キケロ === [[ファイル:Cicero - Musei Capitolini.JPG|thumb|right|120px|[[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]]] 紀元前1世紀、[[共和政ローマ]]の[[マルクス・トゥッリウス・キケロ]]は、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]による独裁を警戒し、法治理念を中心とした共和制を目指した。キケロは著作『法律』で、失われつつある共和制の理念を[[ストア派]]の[[自然法]]思想によって補強し、個々の国家ではなく全人類を包括する理性の共同体こそが法や社会の基盤となると説いた<ref name="宇野p32-36">[[#宇野|宇野p32-36]]</ref>。市民の直接的な政治参加を重視したギリシアのデモクラシーに対し、共和制ローマにおける法を通じての社会参加を示した<ref name="宇野p32-36" />。 === マキャヴェッリ === [[16世紀]] [[ニッコロ・マキャヴェッリ]]は著作『[[君主論]]』で[[現実主義]]的な[[政治理論]]を主張した。 {{quotation|大衆は常に、外見だけを見て、また出来事の結果だけで判断してしまうものだ。|[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]『[[君主論]]』第18章<ref>[[#野上|野上p12]]</ref>}} === ホッブズ === [[ファイル:Thomas Hobbes (portrait).jpg|thumb|right|120px|[[トマス・ホッブズ]]]] [[17世紀]]の[[清教徒革命]]の時代に[[トマス・ホッブズ]]は従来の[[王権神授説]]に対して'''[[社会契約|社会契約論]]'''を唱え、権力の正統性を人民に求めた。ホッブスは著作『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』で「人間の人間としての権利」として[[自然権]]を主張し、全ての人間は生まれながらにして自由平等だが、自然状態は[[万人の万人に対する闘争]]のため、[[法の支配]]を実現するために支配服従契約を結んだと主張し、後の[[基本的人権]]に繋がった<ref name="佐々木P40">[[#佐々木|佐々木]] p40-44</ref>。ただしホッブスは、各個人は自然権行使権の全てを放棄して国家主権者(国王)に委ねたとし、契約により成立した国家への[[抵抗権]]や[[参政権]]は否定した<ref>[[#浅羽|浅羽]] p62-63</ref>。 {{quotation|自然権とは、各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の欲するままに彼自身の力を用いるという、各人の自由である。従って、かれ自身の判断と[[理性]]において、そのために最も適当と思われるあらゆる事を、行う自由である。|[[トマス・ホッブズ]]『[[リヴァイアサン (ホッブズ)|リヴァイアサン]]』第14章<ref name="佐々木P40"/>}} === ロック === [[ファイル:Locke-John-LOC.jpg|thumb|right|120px|[[ジョン・ロック]]]] [[17世紀]]の[[名誉革命]]時代に[[ジョン・ロック]]は著作『[[統治二論]]』等で、人間は自然権を持つが、社会の秩序を守るために国民の[[信託]]により[[政府]]を設立したのであり、仮に政府が国民の意思に反する場合には'''[[抵抗権|抵抗権(革命権)]]'''を行使して政府を変える事が可能とした<ref>『ジョージ王朝時代のイギリス』 ジョルジュ・ミノワ著 手塚リリ子・手塚喬介訳 白水社文庫クセジュ 2004年10月10日発行 p.8</ref>。ロックは人間は[[理性]]により[[自然法]]に従って生きる事が可能であり、社会契約により自然権の一部(解釈権)を国家に委ねたが、それ以外の自然権は留保しており、公権力が私人の生命・自由・財産を侵害する場合には統治契約違反として抵抗して戦う権利を肯定した<ref name="名前なし-3">[[#浅羽|浅羽]] p63-65</ref>。また[[ジェームズ・ハリントン|ハリントン]]の提唱した[[権力分立]]制を発展させ、[[立法]]権と[[行政]]権を分離し、立法権を有する[[国会]]が最高権を有すると主張し、イギリスで伝統的に形成されてきた[[立憲主義]]・[[権力分立]]・[[議会主義]]を社会契約論から理論づけた<ref name="名前なし-3"/>。 === ルソー === [[ファイル:Jean-Jacques Rousseau (painted portrait).jpg|thumb|right|120px|[[ジャン=ジャック・ルソー]]]] [[18世紀]]、[[ジャン=ジャック・ルソー]]は著作『[[人間不平等起源論]]』、『[[エミール|エミール (ルソー)]]』、『[[社会契約論]]』などで、人間は生来自由であるが、社会秩序のために社会契約を結んで国家成立したため、その政府は人民の'''[[一般意思]]'''に従う必要があるとした。一般意思とは「ただ共通の利益だけを考慮する」もので、特殊意思の総和である全体意思とは異なり、「常に公明正大であり、公共的な功利に向かっている」ものとした<ref>[[#中里]] p185-201</ref>。[[主権]]は一般意思の行使であり、譲渡や分割や、一般意思からの逸脱はできない。ルソーは[[主権|主権者]]である人民は立法権を行使し続けるべきと主張し、代表者([[議員]])という発想を、中世以来の政治的堕落の産物として批判した<ref name="名前なし-4">[[#佐々木|佐々木]] p45</ref>。また、すべての政体には特色と欠点があるが、最低限執行権と立法権の分離が必要で、定期的集会により政府の形態や執行者について投票で決めるべきとした<ref>[[#中里]] p206-211</ref>。ルソーの社会契約論はホッブスやロックとは大幅に異なり、ギリシャのポリスを理想とし、社会契約による変革が不可能な時は天才的立法者の[[独裁]]による一般意思の強制的創出をも提唱しているが、代表制の欺瞞を指摘し'''[[直接民主主義]]'''の理念を提示した<ref name="名前なし-5">[[#浅羽|浅羽]] p65-66</ref>。 {{quotation|人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている。あるものは他人の主人と信じているが、事実は彼ら以上に奴隷である。国家的秩序は神聖な権利で、他のあらゆる権利の基礎をなしている。それにもかかわらず、この権利は自然から由来するものでなく、したがっていくつかの合意にもとづくものである。(中略)最強者であっても、自己の力を権利に、彼に対する服従を義務に変えなかったならば、いつでも支配者でいられるほど強力なわけではない。(中略)自己保存のためには、力を集合して力の総和をつくって、障害の抵抗を克服できるようにし、ただ一つの原動力でこれらの力を動かし、そろって作用させるよりほかに方法はない。|[[ジャン=ジャック・ルソー]]『社会契約論』第1編<ref>[[#野上|野上]] p66-69</ref>}} {{quotation|(イギリス人は)自らが自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるや否や、彼らは奴隷となる。(中略)主権が譲り渡すことができないと同じ理由で、主権は代表されることはできない。それは本質的に一般意思に存する。そして意思は代表されない。意思は自分のものか、あるいは他人のものである。その中間はない。それゆえに、人民の代議士は一般意思を代表しているものでもないし、代表することもできない。彼らはその用達人でしかない。彼らは決定的に何ものも決めることはできない。人民が誰も批准しなかった一切の法律は無効である。それは法律ではない。|ジャン=ジャック・ルソー<ref name="名前なし-4"/>}} === モンテスキュー === [[ファイル:Montesquieu 1.png|thumb|right|120px|[[シャルル・ド・モンテスキュー]]]] [[18世紀]]、[[シャルル・ド・モンテスキュー]]は多くの統治制度を比較研究し、[[ブルジョワジー]]特に知識階級の自由を権力の専制から保障するために立法・行政・司法を同一人物または団体に独占させない権力分立('''三権分立''')を構想した。更に立法を[[庶民院]]と[[貴族院]]に分け、行政は国王が担い、司法は恣意を排した純粋に理論的操作であり権力性は無いと考えたため、庶民院・貴族院・君主の三権に当時のブルジョワジー・貴族階級・絶対王権の三階級が対応した<ref name="名前なし-5"/>。 === リンカーン === [[ファイル:Abraham Lincoln November 1863.jpg|thumb|right|120px|[[エイブラハム・リンカーン]]]] [[エイブラハム・リンカーン]]は1863年の[[ゲティスバーグ演説]]で有名な以下の演説を行った。 {{quotation|これらの勇敢な父祖たちの死を無駄にしないために、神のもとで新しい自由を生み出し、そして、'''人民の人民による人民のための政治・統治'''がこの地上から失われてしまわないよう高らかに決意しなければならない。 |[[エイブラハム・リンカーン]]}} === ベンサム === 18世紀後半から19世紀前半にかけて、[[ジェレミ・ベンサム]]は自然権や社会契約などの抽象的理論を斥け、[[功利主義]]の立場から政治の目標を「'''最大多数の最大幸福'''」に置き、国家は個人の安全に必要な限度で存在すべき[[必要悪]]として、[[普通選挙|男子普通選挙]]などを提案した<ref>[[#浅羽|浅羽]] p75</ref>。 === ミル === [[19世紀]]に[[ジョン・スチュアート・ミル]]は、ベンサムと同じく功利主義に立ったが個人の精神的自由を重視し、少数者の自由を抑圧する'''多数者による専制'''に危惧を抱き、教養ある人々に複数の投票権を与える不平等選挙や、少数者も代表を選出しうる[[比例代表制]]を提案した<ref>[[#浅羽|浅羽]] p75-76</ref>。 === トクヴィル === [[ファイル:Alexis de tocqueville cropped.jpg|thumb|right|120px|[[アレクシ・ド・トクヴィル]]]] [[19世紀]] [[アレクシ・ド・トクヴィル]]は、自由主義的政治家として[[社会主義]]や急進的共和主義に反対し、著作『[[アメリカのデモクラシー]]』で民主政治の平等性を評価する半面、個人の平等化が集団的匿名的専制主義につながるという'''大衆デモクラシー'''の傾向を指摘した<ref name="野上p55-58">[[#野上|野上p55-58]]</ref>。 {{quotation|合衆国においては誰でも法に遵う(したがう)ことに一種の個人的利益を見出しているという事実がある。今日、多数(派)に属さない人も、おそらく明日にはその列にあるだろうという期待があるからである。|[[アレクシ・ド・トクヴィル]]『[[アメリカのデモクラシー]]』第6章<ref name="野上p95"> [[#野上|野上p95]]</ref>。}} {{quotation|(アメリカ合衆国では)多数が疑念を抱いている限り議論があるが、しかしいったん断固として多数が意見を表明すれば、各人は沈黙する。(中略)(アメリカを支配する力は)僅かの非難にさえ傷つき、少しでも痛いところをつかれると猛り立つ。(中略)多数は常に自讃の中に生きている。(中略)精神の自由がアメリカにはないからである。|[[アレクシ・ド・トクヴィル]]『[[アメリカのデモクラシー]]』第7章<ref name="野上p55-58" />}} === ジェファーソン === {{main|ジェファーソン流民主主義}} 第3代[[アメリカ合衆国大統領]]の[[トーマス・ジェファーソン]]は、[[共和制]]を発展させ、民主主義と政治的機会の平等を唱え、[[州の権限]]を重視して連邦政府の権限制限に賛成した。 {{quotation|われわれの[[選良]]を信頼して、われわれの権利の安全に対する懸念を忘れるようなことがあれば、それは危険な考え違いである。信頼はいつも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来するのである。われわれ[[アメリカ合衆国憲法|連邦憲法]]は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する場合は、それゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非行を行わぬように拘束する必要がある。|[[ケンタッキー州およびバージニア州決議]]、1776年}} === レーニン === {{main|マルクス主義|レーニン主義|マルクス・レーニン主義|プロレタリア独裁}} [[ウラジーミル・レーニン]]は、著作『[[国家と革命]]』で、国家は[[階級対立]]とともに発生した支配階級の被支配階級抑圧のための機関で、ブルジョワ議会主義などの[[小ブルジョア]]民主主義は欺瞞であり、社会主義の実現のためにはブルジョア国家を[[暴力革命]]によって粉砕して[[プロレタリア独裁]]を行う必要があり、その後の[[社会主義国|社会主義国家]]は[[コミューン]]型国家で、そのもとで民主主義はいっそう発展し、更に[[共産主義]]社会への移行とともに[[国家死滅|国家は死滅する]]と主張した<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%A8%E9%9D%A9%E5%91%BD-65222 『国家と革命』 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、世界大百科事典、他]</ref>。 {{quotation| *支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧し、蹂躙するかを、数年にただ一度決めること - この点に議会制立憲国をはじめ最も民主的な共和国においてもブルジョア議会主義の真の本質がある。(中略)議会制度からの活路は、もちろん、代議機関と選挙制の廃棄にあるのではなく、代議機関をおしゃべり小屋から「行動的」団体へ転化することにある。「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、執行府であると同時に立法府でもある行動的」団体でなければならなかった。<ref>[http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/kokkaku3.html ウラジーミル・レーニン『国家と革命』第3章]</ref>。 *(国家が社会の名において[[生産手段]]を掌握した後の、すなわち[[社会主義革命]]後の時代では)この時期の「国家」の政治形態がもっとも完全な民主主義であることを、われわれはみな知っている。(中略)民主主義もまた国家であり、したがって、国家が死滅するときには民主主義もまた消滅する。(中略)あらゆる国家は、被抑圧階級を「抑圧するための特殊な力」である。だから、あらゆる国家は不自由で、非人民的である<ref>[http://red-mole.net/bunko/kisobunken/kokkaku1.html ウラジーミル・レーニン『国家と革命』第1章]</ref>。|[[ウラジーミル・レーニン]]『[[国家と革命]]』}} === ムッソリーニ === [[ベニート・ムッソリーニ]]は自由主義と社会主義の両方を批判し、[[ファシズム]]を提唱した。 {{quotation|民主主義は理論上は美しく、実践上は誤り。諸君はいつかそのようなアメリカの姿を見るだろう。|[[ベニート・ムッソリーニ]] - 1928年}} === ヒトラー === [[アドルフ・ヒトラー]]は著書『[[我が闘争]]』で、大衆は理性的ではなく、効果的な[[プロパガンダ]]によって操作できる存在で、議会制民主主義は欺瞞であり、ドイツには[[指導者原理]]による指導者が必要と主張した。[[ナチ党の権力掌握|権力掌握]]後は独裁を行い、[[国民投票]]による事後承認を多用した。 {{quotation|大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。 |[[アドルフ・ヒトラー]]『我が闘争』}} == 制度 == 少数者支配の集団では制度は支配者の効率や都合次第でも良いが、多数者支配である民主主義では多数者による支配(意思決定)を実現し、独裁や専制の発生を抑止するための制度が必要となるため、歴史的にも多数の理念・制度・議論が存在している。近代国家の政治制度論は近代政治思想の影響を受けて、国民の自由を妨げないための相互牽制(権力分立)、国民のための機関であるという正統性、国民の統合などを目指しているが、具体的な制度は必ずしも理論的産物ではなく、多様な伝統・歴史の産物でもある<ref name="名前なし-6">[[#浅羽|浅羽]] p80-81</ref>。 === 近代以前 === [[ファイル:Discurso funebre pericles.PNG|thumb|right|200px|[[アテナイ]]で有名な葬送演説をする[[ペリクレス]]を描いた絵(19世紀、Philipp Foltz)]] [[古代ギリシア]]の[[アテナイ]]では、市民が主権者で、[[民会]]を中心とした[[直接民主主義]]が行われた。また[[僭主]]など独裁の発生防止に[[陶片追放]]などが行われた。[[共和制ローマ]]では、[[ローマ市民権|ローマ市民]]が主権者で、[[元老院]]と[[民会 (ローマ)|ローマ民会]]が意思決定機関となり、独裁の発生防止に[[執政官]]や非常時の[[独裁官]]等は任期制とされた。13世紀 [[イングランド王国]]では王権制限のため[[マグナ・カルタ]]が制定され、[[立憲主義]]の先駆となった。 === 議会 === ==== 議会主義 ==== [[議会主義]]は政治的主導権が議会に与えられる政治運営の体制で、この場合の議会とは「国民の代表」とされる選挙された議員から成る会議体であり、政治的主導権とは立法権更には行政監督権限である<ref name="名前なし-6"/>。中世身分制議会は、国民代表ではなく諮問機関にすぎないため、議会主義における議会ではない。また、憲法上で議会の主導権が認められていても、実際の運用上で行政権を制御できない[[独裁国家]]などは議会主義と言えず、逆に制度上は諮問機関でも議会が内閣を選出する慣習ができれば議会主義が成り立っているといえる<ref name="浅羽80">[[#浅羽|浅羽]] p80-89</ref>。議会は中世ヨーロッパの各国で貴族・僧侶・平民などの身分制議会が定期的に招集されるようになった事に始まり、中世[[封建制度]]が崩壊と絶対王政確立により廃止され、[[ブルジョワ革命]]による王政打倒後に近代議会が誕生した。但しイギリスではブルジョワ革命の比較的穏やかな進展により、身分制議会が国民を代表する近代議会に成長した<ref name="浅羽80" />。 ==== 多数決原理 ==== 近代議会は個々人の政治的主張を調整する事により社会を統合する機関であり、その統合は社会全体の代表者である議員達の自由で理性的な討論と説得、そして妥協の積み重ねによるが、現実に解決すべき政治的課題の緊急性から意見の一致が得られぬ場合には、集団的意思決定手段として、相対的多数者の意見が暫定的に議会の意思とされる<ref name="浅羽80" />。しかし議会による統合の観点より、多数派と少数派の差異は常に相対的とされて将来の状況変化や討論進展による逆転可能性が留保されている必要がある。議会制を採用していても、(a)[[相対主義]]的価値観の社会への浸透(複数の価値観が承認されうる社会) (b)議員とその背後の社会構成員の一体的同質性([[階級]]、[[宗教]]、[[イデオロギー]]等の対立が激しくない社会) (c)理性的かつ客観的な判断ができる議員 (d)意見発表の自由とその機会の均等、などの条件が揃わない場合には議会主義は変質または形式化する<ref name="浅羽80" />。 ==== 代表制原理 ==== 近代議会を構成する議員は「国民の代表」のため、彼らの意思が国民全体の意思とされるが、この「代表」の意味はブルジョワ革命期より根本的な思想的対立がある<ref name="浅羽80" />。 *[[国民]](ナシオン)代表原理 - 自由[[委任]]制(信託制)、[[間接民主主義|間接民主制]] ::[[ホイッグ党 (イギリス)|イギリスのホイッグ党]]の主張、[[エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス]]らによる[[1791年憲法|フランス1791年憲法]]などが起源。各議員は全国民の代表として全国民のために政治活動し、自分の[[選挙区]]や出身階級などの利害のためには活動してはならないと考え、[[リコール]]などの直接民主主義的制度は禁止される。この原理の代表は、具体的に現実の国民の意思と結びついている必要は無いため、身分制選挙や制限選挙により選出された議員でも国民を代表できる<ref name="浅羽80" />。 *[[人民]](プープル)代表原理 - 拘束[[委任]]制、[[直接民主主義|直接民主制]] ::起源は中世身分制議会の諸身分代表で、議員の地方代表性を強調した[[トーリー党 (イギリス)|イギリスのトーリー党]]、道徳的市民が直接民主制の人民集会で一般意思を表示すべしとしたルソー、その思想を反映した[[1793年憲法|フランスの1793年憲法]]などに例が見られる。各議員は現実に存在する一定の人民から委託を受けた代表で、議会は社会全体の縮図と捉える。議員は全て直接普通選挙で選ばれ、選出母体の意思を忠実に議会で代弁し主張すべきため、選出母体の意思に反した場合はリコールが認められる。討論による説得や妥協は困難なため、同質性の高い小共同体など以外では採用が難しいが、[[アメリカ合衆国]]の[[タウンミーティング]]などが精神を受け継いでいる<ref name="浅羽80" />。 ==== 二院制 ==== 議会政治の母国とされるイギリスでは、中世身分制議会が連続的に近代議会に発展した歴史より[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]と[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]の[[両院制|二院制]]だが、二院制の目的や性格は各国により異なる<ref name="浅羽86">[[#浅羽|浅羽]] p86-89</ref>。 * 階級別 - [[イギリス]]、かつての[[プロイセン]]など * 連邦の各邦の代表による一院を加える - [[アメリカ合衆国]]、[[スイス]]、[[ロシア連邦議会|ロシア]]など * 選出方法に差を設けて「数」と「理」を各院に代表させる - フランス、[[イタリア]]、日本など * 立法作用を慎重にする - [[ノルウェー]](下院議員間の互選で4分の1が上院議員となる) 二院制は権力分立、自由主義を背景とした制度であり、フランス革命や社会主義の[[コミューン]]理論など自由主義よりも民主主義を代表する立場からは批判される。また[[政党]]の発達による両院の性格相違の減少もあり、新たに二院制を採用する国は少ない<ref name="浅羽86" />。 {{quotation|一院と同じ決議をするなら無用、違う決議をするなら有害|[[エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス]] (1789年)<ref name="浅羽86" />}} === 権力分立 === 近代国家はブルジョワ革命の産物のため、自由主義の理念と専制的な権力に対する警戒から何らかの権力分立制度が採用されているが、国家の運営と行政の効率上は立法権と行政権の協働も要請され、その調和が課題となるが、各国の沿革や事情により複数のパターンがある<ref name="浅羽89">[[#浅羽|浅羽]] p89-97</ref>。 *[[議院内閣制]] - 行政府(内閣)を議会の信任により成立・存立させ、議会に対して責任を負わせる<ref name="浅羽89" /> *[[大統領制]] - 行政府(大統領)を独立して選挙し、直接国民に対して責任を負わせる<ref name="浅羽89" /> *[[議会統治制]] - 行政府を完全に議会に従属させ、その責任を認めない (スイスなど) ==== 議院内閣制 ==== [[ファイル:Houses.of.parliament.overall.arp.jpg|thumb|right|120px|[[イギリスの議会]]が設置されている[[ウェストミンスター宮殿]]]] 18世紀のイギリスで形成された。国王の行政権が次第に大臣に移り、1742年に国王の信認を得ていた[[ロバート・ウォルポール]]首相が議会の不信任により辞職し、大臣も議会の信任なくしては在職できない慣習が確立した。その後に連帯責任の原則、議会の首相指名による内閣成立制度などが整備された<ref name="浅羽89" />。議院内閣制では内閣成立の指名と内閣の責任追及において議会が内閣をコントロールし、内閣は[[解散 (議会)|議会の解散]]により議会に対する選挙民の信任を問いうる事で、両者間に抑制と均衡が成立する<ref name="浅羽89" />。このようなイギリス型の議会制度は[[ウェストミンスター]]モデルとも呼ばれる。 *長所 - (1)議会主義の貫徹が達成できる (2)議会と内閣の共働で政策を推進できる (3)内閣の責任 = 議会の多数派の責任が明瞭で国民の選挙による責任追及が容易<ref name="浅羽89" />。 *短所 - 議会の多数派が内閣を組織するため、内閣の予算や法案が容易に通過し、[[野党]]の追及が困難(権力分立が不十分。[[二大政党制]]では政権交代による権力分立でこの弊害を緩和)<ref name="浅羽89" /> ==== 大統領制 ==== [[ファイル:Whitehousetour cropped.jpg|thumb|right|120px|[[アメリカ合衆国]]の[[ホワイトハウス]]]] アメリカ合衆国の政治体制として創始された。大統領は国民の間接選挙(実質的には直接選挙)により選出され、任期の間は弾劾決議成立を除き免職は無い。議会は大統領の責任を追及できない反面、大統領は議会を解散できない。また大統領は議会への法案提出権が無いが、議会で成立した法案の施行への[[拒否権]]がある(両院が3分の2以上の多数で再可決すれば拒否にかかわらず成立)。 *長所 - 徹底した権力分立(全国民から直接選ばれるとの強い正統性を背景にした、大統領への強力な行政権限の集中)<ref name="浅羽89" /> *短所 - (1)立法府と行政府の対立による非効率 (2)失政責任を大統領と議会多数派が押しつけ合う事が可能 (3)民主主義の未定着国で大統領が独裁者と化す危険性<ref name="浅羽89" /> アメリカ型の純粋な大統領制を採用する国は少ないが、儀礼象徴的な大統領制はドイツ、イタリア、スイスなど多数ある。フランスは直接国民投票によって選ばれ、首相任命権、議会解散権などの強大な権力を持ち、議院内閣制と大統領制の混合形態と考えられる<ref name="浅羽89" />。 === 政党 === {{main|政党|政党制}} 政党は、17世紀のイギリス[[名誉革命]]の前後に生まれた[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]と[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]が最初とされるが、19世紀後半迄の政党はいわゆる貴族政党([[名望家政党]])で、「財産と教養」ある階層によるサロン的なグループで、特に[[綱領]]や組織を持たず、個々の議員に対する拘束力は非常に緩かった<ref name="浅羽122">[[#浅羽|浅羽 p122-143]]</ref>。[[普通選挙]]実施後の現代の[[大衆政党]](組織政党)は、議員以外にも多数の一般党員を全国的に組織し、綱領や役割組織も備え、党費により財政を賄い、議員や党員は党議に拘束され違反には除名などの罰則が設けられているが、これら拘束は「議員は全く自由な個人として討議し議決する」との近代議会主義の原則からは本来は認められないため、[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]、[[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]、[[トーマス・ジェファーソン|ジェファーソン]]らは政党否定論を唱えた<ref name="浅羽122" />。 普通選挙が進み近代ブルジョワ国家から現代[[大衆国家]]へ変質すると、従来の「理性的な個人」とされた財産と教養あるブルジョワジーによる議会主義が形骸化し、有権者と候補者を政治的に組織する媒体として政党(大衆政党)が登場した。政党は私的結社として生まれたが、一定の条件((1)普通選挙制と議会主義 (2)[[複数政党制]]の存在 (3)党内民主主義)を満たす場合には公的役割を果たしていると言える<ref name="浅羽122" />。また近代議会制民主主義の自由委任制は大衆社会では修正を余儀なくされ、有権者の意思を正しく議会に反映させるために選挙制度における人口比例が重要となった<ref name="浅羽122" />。 {{quotation|政党は混沌たる候補者群の中に秩序をもたらす。|[[ジェームズ・ブライス]]『近代民主政治』<ref name="浅羽122" />}} === 利益団体 === [[ファイル:Martin Luther King - March on Washington.jpg|thumb|120px|right|20世紀の著名な社会運動である[[アフリカ系アメリカ人公民権運動|アメリカ公民権運動]]を指導した[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア]]]] {{main|利益団体}} 利益団体(圧力団体)は、政党以上に近代的な議会主義から離れており、特定の利益集団により民意や政治を歪める存在とも批判されるが、議会の統合機関としての役割低下に伴い大衆の直接的な要求を議会や行政府に働きかける側面も持つ。利益団体の発生は19世紀のアメリカでの[[ロビー活動|ロビイスト]]で、利益団体の機能には、職能代表的機能、政策に対するチェック機能、政治家養成機能、団体構成員への教育機能、などがある。利益団体の分類はR・T・マッケンジーによる以下の3分類が一般的である<ref name="浅羽149">[[#浅羽|浅羽 p149-158]]</ref>。 *部分利益集団 - 社会の一部を構成する、[[職能団体]]、[[宗教団体]]、[[少数民族]]などの諸集団による共通利益の擁護(例:[[労働組合]]、[[農協]]、[[業界団体|経営者団体]]、消費者団体、等) *促進的団体 - 一定の社会的主張の実現を目指す団体(例:人権擁護団体、[[環境保護団体]]、等) *潜在的集団 - 社会的にたまたま共通の利益に立った者たちが結集した団体(例:[[公害]]反対などの[[住民運動]]、被害者同盟、等) == 議論 == 民主主義([[民主政]]、民主制)に関する議論は、その用語や概念自体に関する解釈を含めて多数の議論が存在するが、主な議論の要素には以下があり、各要素は相互に関連している。 === 構成員 === {{see also|市民|公民権|制限選挙|普通選挙|女性参政権|外国人参政権|公民権運動|差別}} 民主主義では集団の重要な意思決定を構成員が行うため、構成員の正統性や範囲などが議論となる。民主主義は特定の範囲のもの(同質性)を平等に扱うため、全人類を範囲としない限り、その範囲外のもの(異質性)は区別し排除する事になる<ref name="名前なし-7">[[#佐伯|佐伯 p103-109]]</ref>。 [[古代ギリシア]]の[[ポリス]]では、[[市民]]はポリスの軍務を担える者とされ、そのため[[重装歩兵]]などの装備や軍務を自費で担える、一定資産を持つ成人男性の自由民のみが市民とされ、無産者、奴隷、女性、他のポリスからの移住者や子孫などは原則として除外された。しかし[[サラミスの海戦]]で[[ガレー船]]の漕ぎ手が貢献すると無産市民も発言力を高めた。[[共和制ローマ]]では[[ローマ市民権]]が被支配民族や被支配地域に徐々に拡大され、[[アウグストゥス]]以降は兵役満期後の属州民の子供にも拡大され、更に[[アントニヌス勅令]]でローマ帝国内の全自由民に拡大された。 近代のブルジョワ民主主義による議会制民主主義では、「理性や教養を持つ市民」が議会で議論し決定するとされ、そのため「理性や教養を持つ市民」とされた[[ブルジョワジー|有産階級]]の成人男性のみが参政権を持つ[[制限選挙]]が行われた。[[人間と市民の権利の宣言|フランス人権宣言]]では全ての人間は普遍的に人権を持ち平等とされたが、以後も無産者、女性、植民地住民などは参政権は無く、各国で徐々に[[普通選挙]]や[[女性参政権]]、あるいは[[植民地]]独立などが進んだ。またフランス革命以降、多くの時代や地域で[[言語]]・[[民族]]・[[宗教]]などの社会的同質性による[[ナショナリズム]]を統合の理念とした[[国民国家]]が普及したが、その反面として[[少数民族]]、[[異教徒]]、[[外国人]]、[[難民]]などへの差別や排斥も発生している。現代の現実的な民主主義は国民的な同質性原理により、国民意識が普遍的人権より上位におかれている<ref name="名前なし-7"/>。現代でも一部の[[植民地]]、[[保護国]]、[[属領]]などでは本国に対する参政権は無い。[[外国人参政権]]の範囲は国により対応が異なる。 === 代表制 === {{see also|#代表制原理|直接民主主義|間接民主主義|議会}} [[議会制民主主義]](代表制民主主義、[[間接民主主義]])では、選挙や議員の位置づけについて複数の潮流がある<ref name="浅羽80" />。 [[アテナイ]]では、市民全員参加の[[民会]]や、選出された評議員による[[五百人評議会]]などがあった。共和制ローマでは、[[元老院]]と[[民会 (ローマ)|民会]]があり、現在の[[貴族院]]([[上院]])と[[庶民院]]([[下院]])の起源となった。 代表制原理には多数の議論がある。間接民主主義を重視する観点からは、有権者は適切と考える人物に投票し、選出された議員や大統領は全構成員の代表として信任されたとされ、自己の理性と知見に従い自由に議論し決定する。この観点からは、次の選挙まで議員の身分は保証され、次の選挙まで民意反映の機会もなく、選挙制度や政党は重視されない。他方、直接民主主義を重視する観点からは、理想は直接参加であるが、議員を選出する場合でも信任ではなく限定的な委任であり、議員が有権者の意思に反する場合にはリコール等も認められる。 近代の自由主義によるブルジョワ民主主義では権力による独裁を警戒し、当初の選挙は「理性と教養ある市民」とされた有産階級の成人男性のみによる制限選挙で、選出された議員は全体の代表として自由に議論でき、また権力分立として三権分立や二院制も採用された。この観点からは、普通選挙は無産階級による多数派支配が警戒された。[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]、[[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]、[[トーマス・ジェファーソン|ジェファーソン]]らは政党否定論を唱えた<ref name="浅羽122" />。しかし普通選挙が進展した大衆社会となり、階級対立など社会の同質性が低下して議会の形骸化が進展し、支持する勢力を議会に送り込むために選挙制度や[[政党]]、更には[[圧力団体]]の重要性が増大した。 人民の意思の反映([[人民主権]])をより重視する立場からは、[[普通選挙]]や[[女性参政権]]など公民権の拡大、議会の優越([[議会主義]])、直接民主主義的要素([[イニシアティブ]]、[[リコール]]、[[レファレンダム]])などが唱えられる。[[ジャン=ジャック・ルソー]]は議会制民主主義(間接民主主義)の欺瞞を主張し、[[1793年憲法|フランス1793年憲法]]([[ジャコバン]]憲法)は直接民主主義的要素を採用した。また多くの国や組織で、特に重要な意思決定にはレファレンダムが併用されるようになった。 [[ウラジーミル・レーニン]]は[[前衛党]]([[共産党]])が多数派の労働者・農民を代表するとして[[一党独裁]]を行った([[レーニン主義]]、[[党の指導性]])。また[[アドルフ・ヒトラー]]は自己をドイツ民族の指導者と主張して独裁を行い([[指導者原理]])、[[カール・シュミット]]は[[アドルフ・ヒトラー]]を最も民主主義的と評価した。これらの独裁を批判する立場や理念には、自由主義、[[多元主義]]、[[経験主義]]、[[保守主義]]や、[[法の支配]]、[[権力分立]]などがある。 デモクラシーは古代ギリシアの政体論の一分類として生れ、自由で平等な市民による相互支配が本質で、全市民による[[民会]]での意思決定だけではなく、公職は抽選により、民衆裁判への市民参加が重視された<ref name="宇野p20">[[#宇野|宇野p20]]</ref>。[[アリストテレス]]は、デモクラシーでは支配と服従の両方を経験する事が重要とした<ref name="宇野p20" />。これに対して選挙は貴族政的な制度であり、選挙によって選出された代表者の意思決定を大幅に取り入れて、市民が代議士に政治を委ねる近代のデモクラシーは「自由な寡頭制」の面もあり、同じくデモクラシーと呼べるかは問題が残るが、しかし市民による自己統治の理念は現代でも重要な意味を持っている<ref name="宇野p20" />。 === 意思決定方法 === {{see also|全会一致|多数決|少数決|熟議民主主義}} 民主主義は構成員全体による[[意思決定]]のため、全構成員による集会や、代表者による議会のいずれの場合でも、合意形成方法が議論となる。 大別して以下の決定方式がある。 * [[全会一致]] - 全構成員または全出席者の賛成をもって決する。民主主義の理念上、最大の正統性が得られる。各構成員が拒否権を持つ事と同等で多数派による専制の懸念が無いが、説得や調整が重要となり、対立を含む議案では合意形成の困難性が高い。([[国際連盟]]の総会・理事会、[[国際連合安全保障理事会常任理事国|国連安保理常任理事国]]の[[国際連合安全保障理事会における拒否権|拒否権]]など) * [[多数決]](過半数) - 全構成員または全出席者の、過半数をもって決する。効率的な意思決定が可能だが、多数派による専制となり議会が形骸化する、過半数で勝敗が分かれるため僅かな状況変化により結論が二転三転する、過半数形成のための駆け引きや取引が重要となる、などの懸念もある。(古代アテナイの民会、多くの近代議会における通常の立法など) * 多数決(特別多数) - 全構成員または全出席者の、過半数よりも更に多い特定の数などをもって決する。特に重要な意思決定を慎重に行う目的で採用される([[国際連合憲章]]改正の発議<ref>[http://www.unic.or.jp/info/un/charter/amendment/ 国連憲章の改正 - 国際連合広報センター]</ref>、[[硬性憲法]]の改正など) 一般的には、議論による説得・妥協・交渉などを続けて全会一致となるまで合意形成を図る事が理想的だが、意見集約が困難で期限が求められる場合には多数決も採用される。しかし多数決は「多数派による専制」(トグウィル)ともなり、特に階級や民族など同質性が低い集団では、多数派と少数派が固定化し、議会における実質的な審議機能が低下すると、民主主義による全体の統合機能が形骸化する。 また自由な議論には[[言論の自由]]、[[多元主義]]、[[情報公開]]などが前提となるため、形式的には民主主義でもこれら前提が実質的には不十分な場合には[[非自由主義的民主主義]]などとも呼ばれる。自由主義や多元主義の観点からは、複数の意見が存在して議論や選択の余地がある事自体が健全であり、説得や状況によって現在の少数派も将来は多数派になる可能性が確保されている事が、議会や民主主義の統合機能には必要となる。 古代アテナイでは議論を行った後に、決着しない場合には多数決が行われた。モンテスキューは[[二院制]]による慎重な審議を主張し、ルソーは人民主権を重視して[[一院制]]を主張した。多くの近代憲法では、憲法改正など重要な意思決定には単純過半数より厳しい、半数を超える成立要件やレファレンダム要件などが定められている。 === 独裁との関連 === {{see also|独裁官|独裁|専制|国家緊急権|非常事態宣言|戒厳令|開発独裁}} [[ファイル:Ingres, Napoleon on his Imperial throne.jpg|thumb|right|120px|[[玉座のナポレオン|玉座のナポレオン1世]]。[[ナポレオン・ボナパルト]]は[[フランス革命戦争]]に際して軍事独裁政権を樹立し、国会の議決と国民投票を経て[[フランス皇帝|フランス人民の皇帝]]に即位した。]] 民主主義と独裁や専制は、歴史的にも多数の議論が存在している。古代より[[民主政]]の一部では非常時における独裁の制度があり、また人民の意思の実現には革命や独裁なども含めた強権が必要との主張も存在する。他方で独裁の実施者の多くは、非常事態における民主主義の防衛などを独裁の理由として主張している。 古代[[アテナイ]]の[[民主政]]では、独裁の発生を防ぐため公職の抽選や[[陶片追放]]が行われた。[[ソクラテス]]が市民による公開裁判で死刑になった後、[[プラトン]]は[[民主政]]は[[衆愚政治]]に陥ると考えて[[哲人政治]]を主張し、[[アリストテレス]]は[[民主政]](共和制、国政)が堕落すると王政(僭主政)になると考えた。[[共和制ローマ]]では非常時に任期限定の[[独裁官]]を設置できたが、[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]が民衆人気を背景に終身独裁官となり[[帝政ローマ]]の基礎を築いた。 [[ジョン・ロック|ロック]]、[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]らは独裁を防ぐため[[権力分立]]を主張したが、[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]は[[人民主権]]のためには強制的な力の創出が必要とも主張した。フランス革命では民衆を支持基盤とする[[ジャコバン派]]が[[恐怖政治]]を行い、[[ナポレオン・ボナパルト]]は国会の議決と[[国民投票]]を経て「[[フランス皇帝|フランス人民の皇帝]]」となった。また[[フランソワ・ノエル・バブーフ|バブーフ]]は[[平等主義|完全平等]]社会の実現のため[[私的所有権|私有財産制]]の廃止と独裁を主張し、後の[[ルイ・オーギュスト・ブランキ|ブランキ]]や[[カール・マルクス]]に影響を与えた。[[エドマンド・バーク]]らはフランス革命を批判し[[保守|保守主義]]の潮流となった。 マルクスは資本主義社会から社会主義社会への過渡期には[[プロレタリア独裁]]が必要として独裁を肯定したが、その独裁は短期間で激しくないと考えていた<ref name="名前なし-8">[[#浅羽2|浅羽『右翼と左翼』 p88-92]]</ref>。レーニンはブルジョワ民主主義を欺瞞と批判し、[[社会主義革命]]後に「最も完全な民主主義」が実現すると記し、[[ロシア革命]]後に[[一党独裁]]を行い、約10年で共産主義社会は実現すると約束したが、1年後に約束を撤回した<ref name="名前なし-8"/>。レーニンの後継者となった[[ヨシフ・スターリン]]は「社会主義建設が進むほど階級闘争も激化する」との階級闘争激化論を掲げた([[スターリニズム]])。[[マルクス・レーニン主義]]を掲げる[[社会主義国]]は[[党の指導性|共産党を指導政党]]を憲法等に明記し、事実上の[[一党独裁]]と呼ばれる。なおソ連などの[[一党制]]に対し、[[中華人民共和国]]などは[[統一戦線]]理論に基づく複数政党制([[ヘゲモニー政党制]])を採用し[[人民民主主義]](または[[新民主主義]])と称した<ref>{{Cite web|和書|title=人民民主主義とは |url=https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-539070 |website=コトバンク |access-date=2022-08-20 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典 三訂版,百科事典マイペディア,デジタル大辞泉,世界大百科事典 |last=第2版,世界大百科事典内言及}}</ref>。 [[第一次世界大戦]]後、「世界で最も民主的な憲法」と言われた[[ヴァイマル憲法]]下の[[ヴァイマル共和政|ドイツ]]で、[[アドルフ・ヒトラー]]率いる[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]がドイツ民族の危機を訴えて[[1932年7月ドイツ国会選挙]]で大躍進し、更に[[国民投票]]で「[[総統]]」となった。法学者の[[カール・シュミット]]は、独自の法学思想によむて、第一次大戦後のヴァイマル共和政、議会制民主主義、自由主義を批判した。民衆の望む政治を行う事こそが民主主義と考え、アドルフ・ヒトラーを最も民主主義的と評価した。ユダヤ系ドイツ人[[エーリヒ・フロム]]は1941年に亡命地アメリカで、「近代社会は、前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えたが、同時に個人的自我の実現、すなわち個人の知的、感情的、また感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得できず、かえって不安をつくり上げた」とし、ドイツの世論・民衆が自由民主主義体制の否定を支持していった様相を「[[自由からの逃走]]」と呼んだ<ref>{{Cite web|和書|title=自由からの逃走とは |url=https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%80%83%E8%B5%B0-76808 |website=コトバンク |access-date=2022-08-20 |language=ja |first=日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 |last=小項目事典}}</ref>。戦後のドイツ連邦共和国ではファシズム・共産主義という自由民主制度を否定する政党を禁止にしている<ref>{{Cite journal|和書|author=山岸喜久治 |url=https://hdl.handle.net/2065/2190 |title=ドイツ連邦共和国における政党禁止の法理 |journal=早稲田法学 |ISSN=0389-0546 |publisher=早稲田大学法学会 |date=1992-02 |volume=67 |issue=3 |pages=81-156 |id={{CRID|1050282677444383744}} |hdl=2065/2190}}</ref>。 === 自由主義との関連 === {{see also|自由主義|自由民主主義|非自由主義的民主主義|数の暴力}} 多数派による支配を意味する民主主義と、個人の自由を最大限に尊重する自由主義が緊張関係にある事は、フランス革命以来、繰り返し強調されてきた<ref name="シュミットp114-125">[[#シュミット|シュミット p114-125]]</ref>。[[バンジャマン・コンスタン]]、[[アレクシ・ド・トクヴィル]]、[[ジョン・スチュアート・ミル]]等は、次第に権力を増大させ、道徳的・知的な権威さえも確保しつつあった「民主主義」(の名の下に政治を支配する多数派)の圧力から、個人の自由を守る自由主義の視点より議論を展開した([[自由民主主義]])。他方で[[カール・シュミット]]は、[[ジャン=ジャック・ルソー]]の[[一般意思]]論を踏まえ、民主主義は最終的には一連の同一性({{lang-de|Identität}})の承認により成り立つため、価値の多元性を前提とする自由主義や議会は民主主義の妨害要素で、官僚化により形骸化した議会よりも、人民の喝采により支持を受けた独裁者による民主主義(人民の主権的決断・独裁)を提示し、議会制([[間接民主主義]])を補う[[国民投票|国民票決]]や[[発案|国民発案]]([[直接民主主義]])を主張した<ref name="シュミットp114-125" />。 === 世論と衆愚政治 === {{see also|世論|輿論|一般意志|世論調査|世論操作|戦略投票|同調圧力}} 民主主義は構成員(人民、民衆、国民)による意思決定であるため、構成員全体の意思([[世論]]、輿論、民意、人民の意思)が反映されるべきだが、それが正しいまたは適切であるか、更には世論とは存在し提示可能なものか、などの議論がある。 プラトンは民主主義は[[衆愚政治]]に陥ると考えた。マキャベリやヒトラーは、大衆は愚かであると考えた。ロック、モンテスキュー、ジェファーソンなどは自由主義の観点から多数派による専制を警戒し、権力分立が必要と主張した。 [[ジェームズ・ブライス]]は著書『近代民主政治』で、近代デモクラシーでは「世論」こそ政治が従わねばならない基準とした。また[[ジャン=ジャック・ルソー]]による[[一般意思]]も理想化された世論と言える<ref name="浅羽159">[[#浅羽|浅羽 p159-164]]</ref>。 しかしアメリカ合衆国で選挙予測から始まった[[世論調査]]の進歩もあり、1922年 [[ウォルター・リップマン]]は著作『[[世論 (リップマン)|世論]]』で、世論は[[先入観]]による[[ステレオタイプ]]的思考に影響され、[[マスメディア]]が現実には情報を意識的・無意識的に取捨選択して大衆のステレオタイプ的思考を促進しており、世論は容易に操作され、変化されると述べた<ref name="浅羽159" />。他方で[[ポール・ラザースフェルド]]は著書『人々の選択』で、マスメディアによる投票者への影響は直接的ではなく間接的で、有権者は[[オピニオンリーダー]]とのパーソナル・コミュニケーションにより自らの意思を形成していく、と述べた<ref name="浅羽159" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist2}} ===出典=== {{Reflist|3|refs= <ref name=":0">{{Cite web|和書|title=統一日報 : 歴史を変えた誤訳-‘民主主義’ |url=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=71267 |website=[[統一日報]] |access-date=2022-07-03}}</ref> }} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=浅羽通明|authorlink=浅羽通明|date=2006年|title=右翼と左翼|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=4-344-98000-X|ref=浅羽2}} *{{Cite book|和書|author=浅羽通明|authorlink=浅羽通明|date=2011年|title=新書で大学の教養科目をモノにする 政治学|publisher=[[光文社]]|isbn=978-4334036294|ref=浅羽}} * {{Cite book |和書 |last1 = 芦部 |first1 = 信喜 |authorlink1 = 芦部信喜 |last2 = 高橋 |first2 = 和之(補訂) |authorlink2 = 高橋和之_(憲法学者) |year = 2019 |title=憲法 |edition = 第七版第1刷 |publisher = [[岩波書店]] |isbn = 978-4000613224 |ref = harv}} *{{Cite book|和書|author=宇野重規|authorlink=宇野重規|date=2013年|title=西洋政治思想史|publisher=[[有斐閣]]|isbn=978-4-641-22001-0|ref=宇野}} * {{Cite journal |和書 |last = 荻野 |first = 雄<!--|authorlink = 荻野雄--> |title = 政治的リテラシーを高める政治教育のために:高校生専門体験講座での実践から |journal = 教職キャリア高度化センター教育実践研究紀要 |volume = 3 |publisher = 京都教育大学教育創生リージョナルセンター機構教職キャリア高度化センター |date = 2021-03-31 |pages = 75-83 |issn = 24345156 |url = https://hdl.handle.net/20.500.12176/9564 |naid = 120007139923 |ref = harv}} *{{Cite book|和書|author=佐伯啓思|authorlink=佐伯啓思|date=2016年|title=反・民主主義論|publisher=[[新潮社]]|isbn=978-4-10-610687-3|ref=佐伯}} *{{Cite book|和書|author=佐々木毅|authorlink=佐々木毅|date=2007年|title=民主主義という不思議な仕組み|publisher=[[筑摩書房]]|isbn=978-4480687654|ref=佐々木}} *{{Cite book|和書|authorlink=カール・シュミット|last=シュミット|first=カール|translator =[[仲正昌樹]] 監訳・解説、[[松島裕一]]|date=2018年|title=国民票決と国民発案 - ワイマール憲法の解釈および直接民主制に関する一考察|publisher=[[作品社]]|isbn=978-4-86182-679-5|ref=シュミット}} * {{Cite book |和書 | author = 小学館国語辞典編集部 | title = 精選版 日本国語大辞典 | chapter = 近代社会 | year = 2019 | url = https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A-161802#E7.B2.BE.E9.81.B8.E7.89.88.20.E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.9B.BD.E8.AA.9E.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E5.85.B8 | ref = {{SfnRef|小学館国語辞典編集部|2019a}} }} * {{Cite book |和書 | author = 小学館国語辞典編集部 | title = 精選版 日本国語大辞典 | chapter = 民主主義 | year = 2019 | url = 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{{kotobank|1=民主主義 |2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}--> * {{Cite book |和書 | author = 平凡社 | title = 百科事典マイペディア | chapter = 民主主義 | year = 2019 | url = https://kotobank.jp/word/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-140069#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 | ref = {{SfnRef|平凡社|2019}} }}<!-- {{kotobank|1=民主主義 |2=百科事典マイペディア}}--> * {{Cite book |和書 | authorlink = 松村明 | last = 松村 | first = 明 | year = 2019 | publisher = [[三省堂]] | title = [[大辞林]] 第三版 | chapter = 近代社会 | url = https://web.archive.org/web/20200803174834/https://kotobank.jp/word/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%A4%BE%E4%BC%9A-161802 | ref={{SfnRef|松村|2019a}} }} * {{Cite book |和書 | authorlink = 松村明 | last = 松村 | first = 明 | year = 2019 | publisher = [[小学館]] | title = [[デジタル大辞泉]] | chapter = 市民社会 | url = https://kotobank.jp/word/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%A4%BE%E4%BC%9A-75239#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 | ref={{SfnRef|松村|2019b}} }} * {{Cite book |和書 | authorlink = 松村明 | last = 松村 | first = 明 | year = 2019 | publisher = [[小学館]] | title = [[デジタル大辞泉]] | chapter = 民主主義 | url = https://kotobank.jp/word/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-140069#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 | ref={{SfnRef|松村|2019c}} }}<!-- {{kotobank|1=民主主義 |2=デジタル大辞泉}}--> * {{Cite book |和書 | author = Weblio | year = 2019 | publisher = ウェブリオ株式会社 | title = Weblio英和・和英辞典 | chapter = democracy | url = https://ejje.weblio.jp/content/democracy | ref = {{SfnRef|Weblio|2019}} }} == 関連項目 == * [[個人主義]] * [[平等主義]] * [[立憲主義]] * [[民主化]] * [[政党政治]] * [[衆愚政治]] * [[E-デモクラシー]](デジタル民主主義) ** [[インターネット民主主義]] * [[大正デモクラシー]] * [[政治]] * [[国家]] * [[ポリアーキー]](多数支配) * [[カキストクラシー]] * [[民主主義指数]] * [[国際民主主義デー]] * [[政治体制]] * [[民主主義の赤字]] * [[自由度の指数]] * [[蹄鉄理論]] == 外部リンク == {{Wikiquote|民主主義}} {{Wiktionary}} * [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/xenophon/athe.html アテナイ人の国制] * {{SEP|democracy|Democracy}} * {{Kotobank}} {{政治的スペクトル}} {{政治思想}} {{社会哲学と政治哲学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:みんしゆしゆき}} [[Category:民主主義|*]] [[Category:政治システム]] [[Category:社会システム]] [[Category:法理論]] [[Category:自由主義]] [[Category:市民]] [[Category:市民活動]] [[Category:政治哲学]] [[Category:ギリシャの発明]]
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1646年
1646年(1646 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1646年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1646}} {{year-definition|1646}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[正保]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2306年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[順治]]3年 *** [[張献忠]] : [[大順 (張献忠)|大順]]3年 ** [[南明]] : [[隆武]]2年 ** [[朱亶セキ|朱亶塉]]([[南明]]): [[定武]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[仁祖]]24年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3979年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[福泰]]4年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[順徳 (莫朝)|順徳]]9年 * [[仏滅紀元]] : 2188年 - 2189年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1055年 - 1056年 * [[ユダヤ暦]] : 5406年 - 5407年 * [[ユリウス暦]] : 1645年12月22日 - 1646年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1646}} == できごと == * [[日光東照宮]]の[[徳川家康]]を祀る[[4月 (旧暦)|4月]]の例祭に[[持明院基定]]が臨時[[奉幣|奉幣使]]として[[後光明天皇]]より遣わされ、[[日光例幣使街道|日光例幣使]]の先例となる<ref> {{Cite web|和書 |url=https://www.city.tochigi.lg.jp/site/tourism/50197.html |title=日光例幣使道とは |publisher=[[栃木市]] |date= |accessdate=2022-08-06}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.city.nikko.lg.jp/profile/rekishi/nikko3.html |title=旧日光市歴史年表(江戸1) |website= |publisher=[[日光市]] |date= |accessdate=2022-08-06}} </ref>。 * [[6月9日]] - [[宮城県]]南部でM6.5~M6.7の地震、陸前、会津などで被害{{要出典|date=2021-03}}。 * [[オットー・フォン・ゲーリケ]]、[[マクデブルク]][[市長]]に就任(-[[1676年]]) * [[鄭芝龍]]が[[清]]に降る。息子の[[鄭成功]]は[[永明王]]を奉じて反抗を続ける。 == 誕生 == {{see also|Category:1646年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月23日]](正保3年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[徳川綱吉]]、[[江戸幕府]]第5代[[征夷大将軍]](+ [[1709年]]) * [[4月15日]] - [[クリスチャン5世 (デンマーク王)|クリスチャン5世]]、[[デンマーク]][[国王]](+ [[1699年]]) * [[7月1日]] - [[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[哲学者]]、[[数学者]]、[[化学者]](+ [[1716年]]) * [[8月19日]] - [[ジョン・フラムスティード]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/John-Flamsteed John Flamsteed British astronomer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[天文学者]](+ [[1719年]]) == 死去 == {{see also|Category:1646年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月18日]](正保2年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]]) - [[細川忠興]]{{Sfn|永尾|p=178}}、[[織田信長]]・[[豊臣秀吉]]・[[徳川家康]]に仕えた[[大名]](* [[1563年]]) * [[1月27日]](正保2年[[12月11日 (旧暦)|12月11日]]) - [[沢庵宗彭]]、[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1573年]]) * [[5月11日]](正保3年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[柳生宗矩]]、[[剣術|剣術家]](* [[1571年]]) * [[7月16日]](正保3年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[伊達成実]]、[[伊達政宗]]の家臣(* [[1568年]]) * [[9月10日]](正保3年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[細川忠隆]]、細川忠興の長男(* [[1580年]]) * [[9月14日]] - 第3代[[エセックス伯]][[ロバート・デヴァルー (第3代エセックス伯)|ロバート・デヴァルー]] 、イングランドの貴族・軍人。[[清教徒革命]]時の議会軍司令官(* [[1591年]]) * [[9月24日]] - [[ドゥアルテ・ローボ]]、作曲家(* [[1565年]]頃) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1646}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1646ねん}} [[Category:1646年|*]]
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1726年
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1726年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
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HP-UX
HP-UX (Hewlett-Packard UNIX) は、ヒューレット・パッカード (HP) (1939年創業)、現ヒューレット・パッカード・エンタープライズ (HPE) 製の UNIX オペレーティングシステムである。ワークステーションおよび中・大規模システム用サーバに採用されている。System V(初期はSystem III)ベースのプロプライエタリUNIXである。 企業の基幹系システムに用いる中・大規模サーバに要求される、高い信頼性を持つとされる。特に通信、金融/証券系のシステムにおいて、TCP/IP に準拠した既存パッケージを改造する事無く、簡易なシェルスクリプトの生成にて適用できる高可用クラスタパッケージ MC/ServiceGuard(現在名は HP Serviceguard) が評価され、日本でも多くの通信、金融/証券系ユーザの基幹系システムプラットホームとして稼動している。MC/ServiceGuard の動作監視機能(TOC タイマ)をカーネルに組み込んでおり、商用クラスタ構成での信頼性・実績を持つ。 日本では、NTTドコモのiモードのサーバに使われていることで有名。 自社のPA-RISC及び、インテルのItanium系CPUでの動作を保証している。Itanium系では、EPIC採用のためPA-RISC系とはCPUアーキテクチャが異なるが、エミュレータ(Ariesバイナリトランスレータ)によりバイナリレベルの互換性を提供している。ただし、エミュレーションによるパフォーマンスへの影響を回避してItanium系本来のパフォーマンスを得るためには、ソースコードの再コンパイルが必要となる。またCPUアーキテクチャの変更によりオブジェクトサイズが大きくなる傾向がある。 大規模システムでは大容量かつ大量のデータを扱うため、高いレベルでの入出力データ処理能力や高可用性を要求される。システムが確保可能なディスク領域は、論理ボリュームマネージャ (LVM, VxVM) によって管理され、データエリアの柔軟な管理や障害発生時の代替処理に対応する。一方で、ジャーナル・ファイル・システム (VxFS) によって、大容量データの入出力や更新処理を効率よく行えるように最適化されている。また、障害発生時にもファイル構造の復旧を速やかに行えるようになっている。VxVMやVxFSは、かつて存在したVERITASの商用パッケージを採用したものである。 日本のベンダであるNEC・日立製作所・沖電気工業・三菱電機などがOEM販売を、さらにNEC・日立製作所が自社開発による互換サーバを販売している。NECはNX7700iシリーズやシグマグリッドを、日立はBladeSymphonyの1000シリーズのうちIPFブレードを製造していた。。 初期のバージョンはApollo/Domainシステムに対応していた。モトローラ68000シリーズのプロセッサに基づいたHP 9000シリーズ200、300、400システムや、HPのFOCUSアーキテクチャに基づいたHP 9000シリーズ500システムでも用いられていた。 2009年現在はPA-RISCレンジのプロセッサとIA-64プロセッサに対応している。バージョンはHP-UX 11i v3 (B.11.31) である。11iとは 11.0のインターネット対応機能強化版の位置付け。11i v1 (B.11.11) において、NTTドコモのiモードゲートウェイシステム (CIRCUS) の提案を行う際に強化した機能を標準化し、その上にスレッド動作をN:Mスレッドに変更している。
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HP-UX は、ヒューレット・パッカード (HP) (1939年創業)、現ヒューレット・パッカード・エンタープライズ (HPE) 製の UNIX オペレーティングシステムである。ワークステーションおよび中・大規模システム用サーバに採用されている。System VベースのプロプライエタリUNIXである。
{{Infobox_OS | name = HP-UX | logo =HP-UX logo.svg | screenshot = | caption = | developer = [[ヒューレット・パッカード・エンタープライズ]] | family = [[UNIX System V]] | released = 1984 | source_model = [[クローズドソース]] | working_state = Current | latest_release_version = 11i v3 2019 Update | latest_release_date = {{Release date and age|2019|05}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hpe.com/global/softwarereleases/releases-media2/HPEredesign/latest/AR1905/OEUR_letter_Japanese.pdf |title=HP-UX 11i v3 オペレーティング環境アップデートリリース(OEUR) (2019年版) |accessdate=2019-11-14}}</ref> | marketing_target = [[サーバ]] | language = [[多言語|多言語対応]] | package_manager = [[Software Distributor|SD-UX]] | ui = [[Common Desktop Environment|CDE]] [[GNOME]] [[KDE]] | kernel_type = [[モノリシックカーネル]] | supported_platforms = [[PA-RISC]], [[IA-64]] | license = [[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]] | website = [https://www.hpe.com/jp/ja/servers/hp-ux.html HP-UX搭載HPE Integrity] }} '''HP-UX''' ('''H'''ewlett-'''P'''ackard '''U'''NI'''X''') は、[[ヒューレット・パッカード]] (HP) (1939年創業)、現[[ヒューレット・パッカード・エンタープライズ]] (HPE) 製の [[UNIX]] [[オペレーティングシステム]]である。ワークステーションおよび中・大規模システム用[[サーバ]]に採用されている。[[UNIX System V|System V]](初期は[[UNIX System III|System III]])ベースの[[プロプライエタリソフトウェア|プロプライエタリ]]UNIXである。 == 特徴 == 企業の基幹系システムに用いる中・大規模[[サーバ]]に要求される、高い信頼性を持つとされる。特に通信、金融/証券系のシステムにおいて、[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] に準拠した既存パッケージを改造する事無く、簡易な[[シェル|シェルスクリプト]]の生成にて適用できる高可用[[コンピュータ・クラスター|クラスタ]]パッケージ [[MC/ServiceGuard]](現在名は HP Serviceguard) が評価され、日本でも多くの通信、金融/証券系ユーザの基幹系システムプラットホームとして稼動している。MC/ServiceGuard の動作監視機能(TOC タイマ)をカーネルに組み込んでおり、商用クラスタ構成での信頼性・実績を持つ。 日本では、[[NTTドコモ]]の[[iモード]]のサーバに使われていることで有名<ref>{{cite news|title=UNIX magagine 2009年4月号|publisher=アスキー・メディアワークス|url=http://ascii.asciimw.jp/books/magazines/unix/20090318.shtml|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090411104424/http://ascii.asciimw.jp/books/magazines/unix.shtml|archivedate=2009-4-11}}</ref>。 自社の[[PA-RISC]]及び、[[インテル]]の[[Itanium]]系[[CPU]]での動作を保証している。Itanium系では、[[EPICアーキテクチャ|EPIC]]採用のため[[PA-RISC]]系とはCPUアーキテクチャが異なるが、[[エミュレータ]](Ariesバイナリトランスレータ)により[[バイナリ]]レベルの互換性を提供している。ただし、エミュレーションによるパフォーマンスへの影響を回避してItanium系本来のパフォーマンスを得るためには、[[ソースコード]]の再コンパイルが必要となる。またCPUアーキテクチャの変更によりオブジェクトサイズが大きくなる傾向がある。 大規模システムでは大容量かつ大量のデータを扱うため、高いレベルでの入出力データ処理能力や[[高可用性]]を要求される。システムが確保可能なディスク領域は、[[論理ボリュームマネージャ]] (LVM, [[VxVM]]) によって管理され、データエリアの柔軟な管理や障害発生時の代替処理に対応する。一方で、[[ジャーナリングファイルシステム|ジャーナル・ファイル・システム]] ([[VxFS]]) によって、大容量データの入出力や更新処理を効率よく行えるように最適化されている。また、障害発生時にもファイル構造の復旧を速やかに行えるようになっている。VxVMやVxFSは、かつて存在した[[VERITAS]]の商用パッケージを採用したものである。 日本のベンダである[[日本電気|NEC]]・[[日立製作所]]・[[沖電気工業]]・[[三菱電機]]などがOEM販売を、さらにNEC・日立製作所が自社開発による互換サーバを販売している。NECは[http://jpn.nec.com/nx7700i/ NX7700iシリーズ]やシグマグリッドを、日立は[http://www.hitachi.co.jp/products/bladesymphony/index.html BladeSymphony]の1000シリーズのうちIPFブレードを製造していた。。 == 歴史 == 初期のバージョンは[[アポロコンピュータ|Apollo/Domain]]システムに対応していた。[[モトローラ]][[MC68000|68000]]シリーズのプロセッサに基づいた[[HP 9000]]シリーズ200、300、400システムや、HPのFOCUSアーキテクチャに基づいたHP 9000シリーズ500システムでも用いられていた。 2009年現在はPA-RISCレンジのプロセッサと[[IA-64]]プロセッサに対応している。バージョンはHP-UX 11i v3 (B.11.31) である。11iとは 11.0のインターネット対応機能強化版の位置付け。11i v1 (B.11.11) において、NTTドコモのiモード[[ゲートウェイ]]システム ([[CIRCUS (システム)|CIRCUS]]) の提案を行う際に強化した機能を標準化し、その上に[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]動作をN:Mスレッドに変更している。 == 出典 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[UNIX]] * [[ヒューレット・パッカード・エンタープライズ]] (Hewlett Packard Enterprise, HPE) ** [[日本ヒューレット・パッカード]] == 外部リンク == * [http://www.hpe.com/ Hewlett Packard Enterprise] ** [http://www.hpe.com/jp/hpux 日本ヒューレット・パッカード — HP-UX] ** [https://h50146.www5.hpe.com/products/software/oe/hpux/developer/column/sg_text.pdf 日本ヒューレット・パッカード — HAクラスターの教科書] * [https://linuxjf.osdn.jp/JFdocs/LVM-HOWTO.html LinuxJF_Project - LVM_HowTo] {{Unix-like}} [[Category:Unix系オペレーティングシステム]] [[Category:System V]] [[Category:ヒューレット・パッカード・エンタープライズ]] [[Category:1984年のソフトウェア]]
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足利尊氏
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。 河内源氏義国流足利氏本宗家の8代目棟梁。足利貞氏の次男として生まれる。歴代当主の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏「たかうじ」(源高氏)と名乗っていた。佐々木道誉も同時期に同様にして名乗った佐々木高氏(源高氏)と本姓(源氏)名前ともに同姓同名。共に鎌倉幕府を打倒した新田義貞は同族である。正慶2年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への反乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が諱に使われていない。 後醍醐天皇の新体制である建武の新政下で、持明院統に近く冷遇されていた貴族西園寺公宗と北条高時の弟泰家の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党北条時行が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり、恩賞を独自に配布した。これを独自の武家政権を樹立する構えと解釈した天皇との関係が悪化、建武の乱が勃発した。箱根・竹下の戦いでは大勝するが、第一次京都合戦および打出・豊島河原の戦いで敗北し、一時は九州に都落ちしたものの、光厳上皇が尊氏に対し新田義貞追討の院宣を発給し、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧。光明天皇践祚を支援し、光明天皇より征夷大将軍に補任され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。一度は京に降った後醍醐天皇は、すぐ後、吉野に脱出し南朝を創始することになった。 幕府を開いてのち、尊氏は是円・真恵兄弟らへの諮問のもと、その基本方針となる『建武式目』を発布。 征夷大将軍として幕府の軍事を取り仕切り守護を纏めた。これを支えた保守派の直義に対して、尊氏の執事高師直は執事施行状など尊氏の意を受け先進的な体制を取りいれていた。 後醍醐天皇の崩御後は、その菩提を弔うため天竜寺を建立し、全国の戦没者を弔うため66の安国寺利生塔を設立させた。その後、師直派と直義派との間で観応の擾乱が起こった。師直・直義の死により乱は終息したが、その後も南朝や実子の足利直冬など反対勢力の打倒に奔走し、晩年には政治にも手腕を発揮して統治の安定に努めた。 勅撰歌人である武家歌人としても知られ、『新千載和歌集』は尊氏の執奏により後光厳天皇が撰進を命じたものであり、以後の勅撰和歌集は、二十一代集の最後の『新続古今和歌集』まですべて将軍の執奏によることとなった。 尊氏は嘉元3年 (旧暦)(1305年)、足利氏当主の貞氏の次男として生まれた。確実な生誕地は不明で、足利氏の本貫(名字の根拠の地)である下野国足利荘(栃木県足利市)・上杉氏の本貫である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(京都府綾部市上杉)・鎌倉幕府の本拠地である相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)などの説がある。京都の綾部安国寺には、足利尊氏が浸かったといわれる生湯の井戸や母・清子が男子出生を祈願した地蔵菩薩が残されており、尊氏の産着や毛髪なども保存されている。日本史研究者の清水克行によれば、当時の足利氏は幕府の実質的支配者である北条得宗家と友好関係を保つため鎌倉に活動拠点を移していたため、2013年時点では鎌倉誕生説が最も有力な見解とされてきたが、鎌倉での記録もないため、京都綾部誕生説か鎌倉誕生説かは未だ決着がつかないままとなっている。。 母は貞氏側室・上杉清子(兄に貞氏正室・北条顕時の娘が産んだ足利高義がいる)。後世に編纂された『難太平記』では尊氏が出生して産湯につかった際、2羽の山鳩が飛んできて1羽は尊氏の肩に止まり、1羽は柄杓に止まったという伝説を伝えている。元応元年(1319年)10月10日、15歳にして従五位下に叙し治部大輔に任ぜられる。また、同日に元服をし、得宗・北条高時の偏諱を賜り高氏(通称は又太郎)と名乗ったとされる。足利氏の嫡男は「三郎」を名乗る決まりになっていたが、兄であり貞氏嫡男の高義の死後であるにもかかわらず「又太郎」と名付けられたのは、貞氏が北条氏との姻戚関係を重視し高義の遺児が家督を継承することを重視してのことと考えられる。。15歳での叙爵は北条氏であれば得宗家・赤橋家に次ぎ、大仏家・金沢家と同格の待遇であり、北条氏以外の御家人に比べれば圧倒的に優遇されていた。そして北条氏一族の有力者であった赤橋流北条氏の赤橋(北条)守時の妹・赤橋登子を正室に迎える。その後、守時は鎌倉幕府の執権となる。元弘元年/元徳3年(1331年)、父・貞氏が死去すると、足利氏の家督は嫡流である兄・高義が父より先(高氏の元服以前)に亡くなっていたため、高氏が継ぐことになった。 元弘元年/元徳3年(1331年)、後醍醐天皇が2度目の倒幕を企図し、笠置で挙兵した(元弘の乱)。鎌倉幕府は高氏に派兵を命じ、高氏は天皇の拠る笠置と楠木正成の拠る下赤坂城の攻撃に参加した。このとき、父・貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退したが許されなかった。『太平記』は、このことから高氏が幕府に反感を持つようになったとされる。また、足利氏は承久の乱で足利義氏が大将の1人として北条泰時を助けて勝利を導いて以来、対外的な戦いでは足利氏が大将を務めるのが嘉例とされ、幕府及び北条氏はその嘉例の再来を高氏に期待したもので、裏を返せば北条氏が足利氏に圧力を加えても決して滅ぼそうとはしなかった理由でもあった。勝利に貢献した高氏の名声は高まったが、不本意な出陣だったためか、同年11月他の大将を置いて朝廷に挨拶もせず、さっさと鎌倉へ戻っており、花園上皇を呆れさせている(『花園天皇宸記』)。 元弘の乱は結局失敗に終わり、倒幕計画に関わった貴族・僧侶が多数逮捕され、死刑・配流などの厳罰に処された。後醍醐天皇も廃位され、代わって持明院統の光厳天皇が践祚した。元弘2年/正慶元年(1332年)3月には後醍醐天皇は隠岐島に配流された。幕府は高氏の働きに、従五位上の位階を与えることで報いた(『花園天皇宸記』裏書)。 正慶2年(元弘3年/西暦1333年)後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆国船上山に籠城した。高氏は当時病中だったが再び幕命を受け、西国の討幕勢力を鎮圧するために名越高家とともに司令官として上洛した。このとき、高氏は妻・登子、嫡男・千寿王(後の義詮)を同行しようとしたが、幕府は人質としてふたりを鎌倉に残留させている。 高氏は京都への上洛途中、三河国八つ橋まで来たところで、幕府に謀反を起こすことを吉良貞義を含めた腹心に打ち明け、同意を得た。三河国で謀反の志を打ち明けた理由は、三河国が足利氏一族や被官が濃密に分布していたからであると考えられる。その後、海老名季行を密かに船上山へ参候させ、後醍醐により討幕の密勅を受け取った。 高氏らは上洛し、名越高家が緒戦で戦死したことを踏まえ、4月29日、船上山と京都を繋ぐ山陰道の要衝であり、また千種忠顕軍が展開していた丹波国の篠村八幡宮(京都府亀岡市)で反幕府の兵を挙げた。諸国に多数の軍勢催促状を発し、播磨国の赤松円心、近江国の佐々木道誉らの反幕府勢力を糾合して入洛し、5月7日に六波羅探題を滅亡させた。この際、高氏は九州の薩摩国にまで催促状を出しているが、これは距離的に六波羅攻略のためでないのは明らかで、将来高氏自身が独立して政治を行う時のために九州の豪族を味方につけるのが目的だったと考えられる。関東では、同時期に上野国の御家人である新田義貞を中心とした叛乱が起こり、鎌倉を制圧して幕府を滅亡に追い込んだ。この軍勢には、鎌倉からの脱出に成功した千寿王も尊氏の名代として参加している。一方、高氏の庶長子・竹若丸は伯父であり、走湯山密巌院別当だった覚遍に伴われて山伏姿で密かに上洛しようとしたが、途中で北条の手の者に捕られ、殺害されている。静岡市駿河区には竹若丸と従者を供養したと伝わる将軍塚が残り、付近の円福寺の将軍堂には竹若丸の騎馬像を胎内に納めた足利尊氏坐像が安置されている。 高氏が倒幕を決意した原因は、『太平記』や『梅松論』に見えるように、亡父の法要を満足にできぬまま出兵させられたことが1番に挙げられる。また足利氏は、建長2年(1250年)の閑院内裏造営や、建治元年(1275年)の六条八幡宮造営などで、多額の費用を負担させられており、北条氏による足利氏への経済的要求は他の御家人と比較して突出していた。加えて『吾妻鏡』には、足利義氏と結城朝光が書状の書式をめぐって争った際、義氏が足利氏を源氏一門として別格であると主張したのに対し、朝光は御家人としての立場は変わらないと主張し、その論争に仲裁に入った幕府は朝光の主張を正当なものとした、という記述がある。この裁定は、御家人の中に特別な存在を認めることは幕府(=北条氏)にとって得策ではなかったからである。しかし、逆にこの出来事を『吾妻鏡』に記したことは、『吾妻鏡』が「北条氏得宗政権を正当化する弁解状だった」ように、こうした話を挿入すること自体に、北条氏が足利氏を特別視し、その立場に対する警戒心(足利氏を抑え込もうという意識)が現れているとも考えられる。 鎌倉幕府の滅亡後、高氏は後醍醐天皇から勲功第一とされ、従四位下に叙され、鎮守府将軍・左兵衛督に任ぜられ、また30箇所の所領を与えられた。元弘3年/正慶2年(1333年)8月5日には従三位に昇叙、武蔵守を兼ねるとともに、天皇の諱「尊治」から偏諱を受け尊氏と改名した。尊氏は建武政権において参議という中枢機関の要職に就き、足利家の執事である高師直、その弟・高師泰をはじめとする家臣も多数起用されたことから、後醍醐天皇からはかなり厚遇されていたようである。新政府の各種機関に名を連ねていないことで世間から「尊氏なし」と揶揄されたが、実際は奉行所をいち早く立ち上げ、後醍醐天皇の綸旨を受け通達する文書を多数出しており、更には後醍醐天皇の命により北条高時を供養するため宝戒寺の建立にも携わっていたことから、尊氏は建武政権時から既に武士を束ねるべく頭角を表していたと言える。 正慶2年(元弘3年/1333年)、義良親王(のちの後村上天皇)が陸奥太守に、北畠顕家が鎮守府大将軍に任じられて陸奥国に駐屯することになると、尊氏も、成良親王を上野太守に擁立して直義とともに鎌倉に駐屯させている。また、鎌倉幕府滅亡に大きな戦功をあげながら父に疎まれ不遇であった護良親王は、尊氏をも敵視し政権の不安定要因となっていたが、建武元年(1334年)には父・後醍醐天皇の命で逮捕され、鎌倉の直義に預けられて幽閉の身となった。最期は中先代の乱で直義によって殺害された。 建武2年(1335年)信濃国で北条高時の遺児北条時行を擁立した北条氏残党の反乱である中先代の乱が起こり、時行の軍勢は鎌倉を一時占拠する。直義は鎌倉を脱出する際に独断で護良を殺害している。尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の官職を望んだが許されず、8月2日、天皇の許可を得ないまま4万の軍勢を率いて鎌倉に向かった。天皇はやむなく征東将軍の号を与えた。尊氏は直義の軍勢と合流し相模川の戦いで時行を駆逐して、8月19日には鎌倉を回復した。 尊氏は、中先代の乱の戦後処理のため、また関東の防御を固めるため京都には戻らず鎌倉に留まった。上洛の命にも応じなかったため11月、後醍醐天皇は義貞に尊良親王をともなわせて尊氏討伐を命じた。さらに奥州からは北畠顕家も南下を始めていた。尊氏は赦免を求めて寺に蟄居し出家すべく断髪(一束切)するが、直義・師直などの足利方が各地で劣勢となると「直義が死ねば自分が生きていても無益である」と宣言し出陣する。『太平記』ではこの時、異形の尊氏が敵に狙われぬよう鎌倉中の武士が皆一切切になったという逸話が残っている。12月、尊氏は新田軍を箱根・竹ノ下の戦いで破り、京都へ進軍を始めた。この間、尊氏は持明院統の光厳上皇と連絡を取り、叛乱の正統性を得る工作をしている。建武3年(1336年)正月、尊氏は入京を果たし、後醍醐天皇は比叡山へ退いた。しかしほどなくして奥州から上洛した北畠顕家と楠木正成・新田義貞の攻勢に晒される。1月30日の戦いで敗れた尊氏は篠村八幡宮に撤退して京都奪還を図る。この時の尊氏が京都周辺に止まって反撃の機会を狙っていたことは、九州の大友近江次郎に出兵と上洛を命じた尊氏の花押入りの2月4日付軍勢催促状(「筑後大友文書」)から推測できる。だが、2月11日に摂津国豊島河原の戦いで新田軍に大敗を喫したために戦略は崩壊する。尊氏は摂津国兵庫から播磨国室津に退き、赤松円心の進言を容れて京都を放棄して九州に下った。 九州への西下途上、長門国赤間関(山口県下関市)で少弐頼尚に迎えられ、筑前国宗像大社の宗像氏範の支援を受ける。建武3年(延元元年/1336年)宗像大社参拝後の3月初旬、筑前国多々良浜の戦いにおいて天皇方の菊池武敏らを破り、大友貞順(近江次郎)ら天皇方勢力を圧倒して勢力を立て直した尊氏は、京に向かう途中の鞆で光厳上皇の院宣を獲得し、西国の武士を急速に傘下に集めて再び東上した。5月25日の湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を破り、6月には京都を再び制圧した(延元の乱)。 尊氏は洛中をほぼ制圧したが、このころ再び遁世願望が頭を擡げ8月17日に「この世は夢であるから遁世したい。信心を私にください。今生の果報は総て直義に賜り直義が安寧に過ごせることを願う」という趣旨の願文を清水寺に納めている。足利の勢力は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れた。和議に応じた後醍醐天皇は11月2日に光厳上皇の弟光明天皇に神器を譲った。 1336年11月7日、尊氏は、明法家(法学者)の是円(中原章賢)・真恵兄弟らへ諮問して『建武式目』十七条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言した。内容が厳格なため直義の意向が強く働いたのではないかとする説があるが根拠はない。むしろ『建武以来追加』で尊氏は下知に従わない守護に対し将軍自ら裁定を下すことを沙汰しており、その厳格さがうかがえる。 実質的には、この『建武式目』をもって室町幕府の発足とする。尊氏は源頼朝と同じ権大納言に任じられ、自らを「鎌倉殿」と称した。一方、後醍醐天皇は12月に京を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ、光明に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して(北朝と南朝とのどちらが本物の三種の神器を保有していたかは不明)独自の朝廷(南朝)を樹立した。 新政権において、尊氏は軍事指揮権と恩賞権、そして守護の補任と、武士の棟梁として君臨し、その他の業務を直義と師直に任せた。 佐藤進一はこの状態を、主従制的支配権を握る尊氏と統治権的支配権を所管する直義との両頭政治であり、鎌倉幕府以来、将軍が有していた権力の二元性が具現したものと評価した(「室町幕府論」『岩波講座日本歴史7』岩波書店、1963年)。 しかし、室町幕府創設時は尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、『建武以来追加』には上記のとおり尊氏による御沙汰が多く反映されている。尊氏は建武の新政においても奉行所を設置し後醍醐天皇の勅命を受けその手腕を発揮しており、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴などの日常的な実務を直義が担っていたとする見解も出てきている。 幕府体制が落ち着くと次第に直義の発給数は増えてゆくが、その数は尊氏が最も多く出した発給数と比較しても6分の1と少なく、尊氏とほぼ同じか多くても2倍にも満たない。 また、直義が出した軍勢催促も尊氏が口頭で指示を出した旨が島津家文書に残されており、将軍という立場ゆえの上位下達の存在を無視するわけにはいかない。 暦応元年(1338年)、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ、室町幕府が名実ともに成立した。翌年、後醍醐天皇が吉野で崩御すると、尊氏は夢窓疎石に勧められ、「報恩謝徳」「怨霊納受」のため、光厳上皇の院宣で天龍寺造営を開始した。造営費を支弁するため、元へ天龍寺船が派遣されている。さらに、光厳上皇の院宣をもとに、諸国に安国寺と利生塔の建立をさせた。南朝との戦いは基本的に足利方が優位に戦いを進め、北畠顕家、新田義貞、楠木正成の遺児正行などが次々に戦死し、小田治久、結城親朝は南朝を離反して幕府に従ったほか、貞和4年(1348年)には高師直が吉野を攻め落として全山を焼き払うなどの戦果をあげている。 対して直義も貞和元年あたりから直冬を養子に迎えたり神護寺に自身と尊氏の肖像画を奉納するなど自己顕示が活発化、師直との対立が目立つようになる。 この頃直義は異様に大きな花押を書いているが、これを直義の自信からくる権威の現れと見るか、認めてもらいたいとするフラストレーションと見るか意見が分かれている。 高師直が数々の功績をあげ、尊氏に最も近い存在へと登り詰めるなか上杉重能などがこれに反発。直義派の対立として現れていく。この対立はついに観応の擾乱と呼ばれる内部抗争に発展した。尊氏は当然、幕府として内紛を抑えるべく中立的立場を取っていた。貞和5年(1349年)、直義が師直を襲撃しようとするも師直側の反撃を受けた直義が逃げ込んだ尊氏邸を師直の兵が包囲し、直義の引退を求める事件が発生した(御所巻)。直義は出家し政務を退くこととなった。直義の排除には師直・尊氏の間で了解があったとか、直義の師直襲撃にも尊氏が言質を与えていたとする説もあるが共に根拠はなく、むしろ尊氏は「世間の噂、人々の舌端は畏るべし」と周囲に惑わされる直義を諭し仲裁に勤めていた。 師直は直義に代わって政務を担当させるため尊氏の嫡男・義詮を鎌倉から呼び戻し、尊氏は代わりに次男・基氏を下して鎌倉公方とし、東国統治のための鎌倉府を設置した。 直義の引退後、尊氏庶子で直義猶子の直冬が九州で直義派として勢力を拡大していたため、尊氏は師直や守護に命じて直冬に出家し上洛するよう勧めたが直冬はこれに応じなかった。 観応元年(1350年)、直冬討伐のため尊氏は自ら中国地方へ遠征した。 すると直義は京都を脱出して南朝に降伏し、桃井直常、畠山国清ら直義派の武将たちもこれに従った。直義の勢力が強大になると、義詮は劣勢となって京を脱出し、京に戻ろうとした尊氏も光明寺合戦や打出浜の戦いで敗れた。尊氏は高師直・師泰兄弟の出家・配流を条件に直義と和睦し、観応2年(正平6年/1351年)に和議が成立した。尊氏は直義と師直の争いを利用して巧みに両者を排除したのではないかとする説があるが、観応2年3月6日に直義の錦小路邸を訪れた際、宴席で「師直の死を惜しみ誅死に立腹の言動あるも大事に至らず」と園太暦にその一連の様子が残されており、観応の擾乱における尊氏の立ち位置はあくまで幕府として内乱を抑えたに過ぎないと考えるべきであろう。 直義は義詮の補佐として政務に復帰した。この一連の戦の勝者は直義、敗者は尊氏であるとする見方もあるが、勅命も将軍の許しもない直義派の戦は単なる幕府に対する謀叛である。当然尊氏は幕府として将軍の裁定を下すべく、論功行賞では尊氏派の武将の優先を直義に約束させ、高兄弟を滅ぼした上杉能憲の死罪を主張し、直義との交渉の末これを流罪にした。また謁見に現れた直義派の細川顕氏を降参人とみなし太刀を抜いて激怒するなど、勝ち戦で上機嫌だった顕氏は尊氏の迫力に気圧され一転して恐怖に震えたという。 尊氏の恩情で復帰した直義も、その保守的で頑な性格と、一連の騒動、また尊氏や義詮を支える幕府や守護が既に脇を固めていたこともあり、次第に孤立し出奔した。この頃の無気力な直義は、生真面目が故の燃え尽き症候群に陥っていたのではないかとする見解もある。 尊氏は佐々木道誉の謀反を名目に近江へ、義詮は赤松則祐の謀反を名目として播磨へ、京の東西へ出陣する形となったが、佐々木や赤松の謀反の真相は不明で(後に彼らは尊氏に帰順)、尊氏は南朝と和睦交渉を行い停戦に持ち込んでいる。この動きに対して直義は京を放棄して北陸を経由して鎌倉へ逃亡した。尊氏と南朝の和睦は同年10月に成立し、この和睦によって尊氏は南朝から直義追討の綸旨を得たが、尊氏自身がかつて擁立した北朝の崇光天皇は廃されることになった(正平一統)。そして尊氏は直義を追って東海道を進み、薩埵峠の戦い (南北朝時代)(静岡県静岡市清水区)、相模国早川尻(神奈川県小田原市)の戦いなどで撃ち破り、交渉の末直義と共に鎌倉に帰還した。直義は、観応3年(正平7年1352年)2月26日、高師直の一周忌に急死したとされているが、『鎌倉九代後記』では2月25日の基氏元服前とも記録されており、翌日の幕府の通達によって2月26日と記録されたとの見解もある。 『太平記』では毒殺の疑いを匂わせるように描かれたが、この「毒殺の噂」に言及しているのは『太平記』だけであり真相は不明である。 清水克行は尊氏の毒殺説を支持しているが、度重なる和睦交渉の末共に鎌倉へ帰還している尊氏がわざわざ師直の命日に暗殺を企てるとは無理があり、また執着心からは程遠い尊氏の性格からしてあり得ない。万が一毒殺とするなら師直派の残党による遺恨を疑うべきであろう。 なお、観応の擾乱前夜の貞和5年(1349年)後半ごろから、薨去数年前の文和4年(1355年)後半ごろまで、尊氏は将軍自ら政務を行い、嫡子の義詮と共同統治を行った。日本史研究者の森茂暁と亀田俊和はこの時期の尊氏・義詮の政治的手腕を高く評価している。しかし、室町幕府創設時には尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、建武以来追加には尊氏による御沙汰が多く反映されている。建武の新政においても奉行所を開設し後醍醐天皇の勅命を受ける立場にあり、観応の擾乱から突然政治的手腕を発揮したというのは無理があると言えよう。近年、佐藤進一氏が提言した二頭政治への矛盾が指摘されており、尊氏が直義や師直亡き後、統治を滞りなく進められたのも、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴を含む日常的実務を直義が担っていたと考えた方が自然である。 尊氏が京を不在にしている間に南朝方との和睦は破られた。宗良親王・新田義興・義宗・北条時行などの南朝方から襲撃された尊氏は武蔵国へ退却するが、すぐさま反撃し関東の南朝勢力を破って鎌倉を奪還した(武蔵野合戦)。 一方、畿内でも南朝勢力が義詮を破って京を占拠、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇と皇太子直仁親王を拉致し、更に尊氏は唯一無二の天皇となった後村上天皇により将軍を解任されたため、足利政権の正当性は失なわれるという危機が発生する。しかし近江へ逃れた義詮はすぐに京を奪還し(八幡の戦い)、9月には佐々木道誉が後光厳天皇擁立に成功した為北朝が復活、尊氏が将軍に返り咲いたことにより、足利政権も正当性を取り戻した。しかし今度は、佐々木道誉と対立して南朝に下った山名時氏と楠木正儀が京を襲撃して、義詮を破り京を占拠した。 尊氏は義詮の救援要請をうけ後光厳天皇のいる仮御所(垂井頓宮)を参内、義詮と合流してともに京を奪還した。 文和3年(1354年)には直冬を奉じた旧直義派による京への大攻勢を受けるが、これを撃退して京を奪還した。この一連の合戦では神南での山名氏勢力との決戦から洛中の戦に到るまで道誉と則祐の補佐をうけた義詮の活躍が非常に大きかったが、最終的には東寺の直冬の本陣に尊氏の軍が自ら突撃して直冬を敗走させた。尊氏はこの際自ら直冬の首実検をしているが結局討ち漏らしている。 尊氏は島津師久の要請に応じて自ら直冬や畠山直顕、懐良親王の征西府の討伐を行なうために九州下向を企てるが、義詮に制止され果せなかった。延文3年(1358年)4月30日、京都二条万里小路第(現在の京都市下京区)で薨去した。死因は背中の腫れ物である。 『後深心院関白記』によると延文3年(1358年)5月2日庚子の条に、尊氏の葬儀が真如寺 (京都市) で行われたとあり、5月6日甲辰の条の初七日からの中陰法要は、等持院において行われたことがわかる。 墓所は京都の等持院と鎌倉の長寿寺。これを反映して死後の尊氏は、京都では「等持院」、関東では「長寿院」と呼び表されている。 そして、尊氏の死から丁度百日後に、孫の義満が生まれている。 尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石が次の3点から説明している(『梅松論』)。 1つ目の戦場での勇猛さだが、ある戦場で矢が雨のように尊氏の頭上に降り注ぎ、近臣が危ないからと自重を促すと、「やはり」尊氏は笑って取り合わなかったという。『源威集』でも、文和4年(1355年)の東寺合戦で危機的状況に陥った際、尊氏は「例の笑み」を浮かべ、「合戦で負ければそれでお終いなのだから、敵が近づいてきたら自害する時機だけを教えてくれればよい」と答え全く動揺することがなかった、という。『源威集』の著者は「たとえ鬼神が近づいてきたとしても、全く動揺する気配がない」と尊氏の胆力を褒めちぎっている。 2つ目の敵への寛容さも、畠山国清や斯波高経など一度敵方に走ったものでも、尊氏は降参すればこれを許容し、幕閣に迎えている。 3つ目の部下への気前の良さは、『梅松論』にある八朔の逸話によって窺い知ることができる。当時、旧暦の8月1日に贈答しあう風習が流行し、尊氏のもとには山のように贈り物が届けられた。しかし、尊氏は届いたそばから次々と人にあげてしまうので、結局その日の夕方には尊氏のもとに贈り物は何一つ残らなかったという。 こうした姿勢は戦場でも同様で、尊氏は戦場で功績を上げた者を見ると、即座に恩賞を約束する感状を多く発給し家臣を安心させている。中には軍忠状が提出された即日に発給された感状もあり、この即時性がもたらす効果は幕府の求心力にも繋がった。また、佩用していた腰刀を直接家臣二人に与えたり、自らの母衣を引きちぎりカタバミの紋を与えたり、自身が所用する軍 を与えるなど、武家の棟梁らしいカリスマ的な行動が多く伝えられている。。一方、七条合戦で瀕死の重傷を負った那須資藤が尊氏の前に運ばれてきたとき、尊氏は目に涙を浮かべひたすら資藤の忠義に感謝したという(『源威集』)。また、尊氏は鎧が目立つため家臣から陣の後方に下がるよう勧められても、敵が迫るなか退避のために乗馬するよう献言されても一向に引かず、自ら最前線に立ち、命をかけて戦う武士たちを鼓舞し続けたという。 こうした無欲で家臣想いな尊氏に家臣たちは、みな「命を忘れて死を争い、勇み戦うことを思わない者はいなかった」といい(『梅松論』)、これが尊氏最大の人間的魅力だった。 一方、朝敵となることを避けるため出家をしたり(『太平記』)、直義や南朝との停戦を試みるなど(観応の擾乱)、恭順や交渉で戦を回避する、政治家としての側面も待ち合わせている。 武力で権威を保持してきた鎌倉幕府や建武政権とは異なり、尊氏の慎重で温厚な人柄こそが室町幕府の存続に不可欠だったとも言える。 『等持院殿御遺書』には、『一老子ノ敎ヲ學デ、一切ノ上ニ得失ヲ沙汰スベシ、取事アレバ捨事アリ、得者ハ必失ト云リ、爰ヲ以見ヨ、賦歛ヲ重ジ臨時ノ課役ヲ掛民ヲ貪、其得則バ大ヒニ失アラン、亦諸國公納取事多バ、必大利ヲ捨事アラン』 “老子の教えを学び、一切の得失を沙汰せよ。得るところあれば、捨つるところあり。何かを得れば必ず何かが失われる。これを忘れるな。臨時の税を民に掛ければ、大いなる失が起こる。諸国の税を重くすれば、大利を捨てるとこころえよ” 天下人でありながら欲から一線を引いた尊氏の生涯の行動は、老子の風を思わせるものが多い。 尊氏は正月の書き初めでも、毎年「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」と書いたと伝えられる。 以下に尊氏の性格を評した一文を掲載する。 彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。 さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。 彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである。 正室であった赤橋登子所生(義詮・基氏・鶴王)以外の子に対して冷淡であったかのような見方がされているが、谷口研吾は、これは正室である登子の意向によるものであり、その背景として実家(赤橋流北条氏)という後ろ盾を失った彼女が自身とその子供たちを守るために他の女性の子供を排除せざるを得なかったからとする。 しかし登子が政治の表舞台に登場する記録は一切なく、足利氏は鎌倉時代から嫡流以外を仏門や他家に輩出することで勢力を拡大しており、直冬だけが冷遇されてきた訳ではない。 また還俗前の直冬は北条家ゆかりの東勝寺の喝食として格別の待遇を受けていた。鎌倉幕府の滅亡がなければ仏門で将来を約束されていたはずである。 尊氏が義詮を嫡子として家督相続の混乱を回避していたにもかかわらず、直義が尊氏の意向に背き直冬を養子に迎え観応の擾乱をより複雑にさせたことが問題であるといえる。 1960年代、歴史研究者の佐藤進一は尊氏を双極性障害(1960年代当時の呼称は躁鬱病)ではないかと推測していた。 佐藤は、尊氏が中先代の乱の鎮圧に後醍醐天皇の許可なしに向かう途上で、既に後醍醐への反乱を計画していたと想定した。そして、その後それにもかかわらず尊氏は素直に後醍醐の召還命令に応じようとしたり、いざ後醍醐との戦いである建武の乱が発生すると鎌倉の浄光明寺に引きこもってしまったことなどを挙げ、その行動の矛盾点を指摘した。佐藤は尊氏の行動を歯切れが悪いと批判し、その行動矛盾の理由について、天皇に反乱してはならないという日本古来の「番犬思想」とこの時代に舶来した儒学的易姓革命思想の板挟みになったことや、後醍醐との個人的親近感に基づく解釈などを取り上げている。 さらに、佐藤は、尊氏の父の貞氏の発狂歴や、祖父の家時の自殺伝説(いわゆる置文伝説)、そして曾孫の義教の性格などを挙げ、足利将軍家の血筋を「異常な血統」と評している。そして、尊氏の行動の複雑さは、双極性障害が遺伝的に受け継がれたものであると主張した。 その後2010年代に、歴史研究者の呉座勇一は佐藤の説を強く否定し、当時の史料に基づく限り、尊氏の行動は後醍醐への忠誠心と直義への兄弟愛で終始一貫しており、異常であるのはむしろ佐藤の不自然な想定の方であるとした。 呉座はまず第一に、精神医学の専門家ではない者が十分な証拠もなしに「双極性障害は遺伝的なものである」「患者の行動は常人には理解できないほど異常である」と決めつけることは、現実の患者への差別・偏見を招く恐れがあり、慎重になるべきであるとする。 第二に、佐藤が尊氏の行動に「番犬思想」として歯切れの悪さを感じるのは、佐藤ら戦後すぐの歴史研究者たちに政治的偏向による先入観がかかっていたからであると主張する。実際には、史料的に尊氏が後醍醐への反乱を意図していたと確証するものはない。むしろ、『梅松論』(14世紀半ば)は、中先代の乱参戦を「天下のため」「弟の直義を救うため」とし、建武の乱で引きこもりをやめて後醍醐に対峙したのも弟を救うためにやむを得ずとしており、呉座も『梅松論』説を支持する。呉座の推測によれば、尊氏は天下や後醍醐のために良かれと思って独断で行動していたが、厳密な許可を得ずとも後醍醐は自分の行動を追認してくれるだろうと楽観視しており、そこに尊氏と後醍醐の行き違いがあったのだという。つまり、佐藤の側に尊氏は当初から後醍醐への反乱を計画していたという先入観があるために、その行動が佐藤視点ではどっちつかずとして複雑に見えたのではないか、と主張した。 観応の擾乱前の室町幕府の政治体制については、幕府の九州探題(九州方面軍総指揮官)を務めた今川了俊の『難太平記』に、世人は尊氏を「弓矢の将軍」と称し、直義は「政道」を任されたとあることから、一般に、擾乱前は、軍事を担当とする足利尊氏と政治を担当する足利直義の二頭政治が取られていたという理解が定説となっている。第二次世界大戦後、佐藤進一はこの説をさらに深化させ、尊氏は主従制的支配権(人を支配する権限)を、直義は統治的支配権(領域を支配する権限)を持っており、質的差異があったのではないか、と指摘した。 これに対し、呉座勇一は、「二頭政治」という呼び方では、両者の権限が拮抗していたかのような誤解を与えるのではないか、『難太平記』のも両者の関係にほころびが生じてからの描写であり、平時のものとは言い難い、と指摘した 。 亀田俊和も呉座に同意し、(足利義満の「室町殿」体制になぞらえて)下京三条坊門高倉に住む直義を中心とする「三条殿」体制と言って良いのではないか、とした。また、亀田は室町幕府初期の政治体制は建武政権末期の政治体制(後醍醐天皇が恩賞を与え、訴訟は雑訴決断所が行う)と似通っていることを指摘し、尊氏は後醍醐天皇の施策を意識的に継承し、尊氏が後醍醐天皇の権限(恩賞給付能力、政体の新たな力を創造する能力)を、直義が雑訴決断所の権限を担当することになったのではないか、とした(ただし、尊氏が理想としたのは建武政権ではなく、建武式目に見えるように「北条義時・北条泰時の執権政治」であり、実際は頼朝の幕府体制に遡っている)。 しかし、尊氏は元弘以来、建武の新政、室町幕府創立期と多くの発給文書を出しており、高師直が担当した膨大な執事施行状には全て尊氏の意志が反映されている。室町幕府発足時には建武式目の制定や守護や地頭の補任など幕府の根幹となる政策を自ら行なっている。建武5年に通達された『建武以来追加』の冒頭で尊氏は守護の在り方について厳しい見解を述べ(御沙汰)、更に暦応3年の御沙汰では施行不能に陥った場合将軍自ら裁決することとし、康永3年の足利尊氏自筆消息(島津家文書)には直義に命令を下した旨が書かれており、国家的事案における尊氏の最高権力者としての権限が示唆されている。 尊氏が将軍として評定や内談方を凌ぐ最高の権限を有していたことは幕府として当然のことであり、また直義が雑訴など日常的な執務を担うことで将軍である尊氏を支える立場にあったーこれは源頼朝が武士の棟梁として幕政を行っていた鎌倉幕府初期の体制を尊氏が意識していたことからも明らかであり、事実室町幕府は将軍と守護の関係がより強固となってゆく。 佐藤進一による二頭政治も呉座勇一説や亀田俊和説も、直義の雑訴業務を幕府の最高指導者とするには確証がなく、観応の擾乱における尊氏の権力保持を裏付けるには矛盾が生じる。 尊氏は、武将、政治家としてだけでなく、芸術家としても足跡を残している人物で、取り分け室町時代を代表する武家歌人として名高い。 連歌については『菟玖波集』に68句が入集しており武家では道誉に次ぎ二番目に多く入集している。 専ら連歌に専念した道誉と異なり和歌についても足跡が多く、『続後拾遺和歌集』(正中3年(1326年))から『新続古今和歌集』(永享11年(1439年))まで、6種の勅撰集に計86首の和歌が入撰している。幕府成立初期、観応の擾乱前の心境を詠んだものとして、『風雅和歌集』(貞和2年(1346年))では、「いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに〈前大納言尊氏〉」とあって、50歳になっても(実際は『風雅和歌集』完成時まだ数え47歳)まだ自身に迷いのあることを嘆き遁世を願っており、尊氏の性格や当時の政局を窺える歌となっている。 また、『新千載集』を企画し、勅撰集の武家による執奏という先例を打ち立てた。 源頼義父子が名人として知られていた笙を豊原龍秋から学び、後醍醐天皇の前でも笙を披露している(『続史愚抄』建武2年5月25日条)。後に後光厳天皇も尊氏に倣って龍秋から笙を学んだ(『園太暦』延文3年8月6・8・14日条)。 地蔵菩薩や達磨大師を描いた水墨画も伝わっており、画才にも優れた人物だった。この他にも扇流しの元祖であるというエピソードもある。 真言宗においては第65代醍醐寺座主の三宝院賢俊を崇敬し、武家護持僧(祈祷の霊力で将軍を守護する僧)とした。賢俊は公卿日野俊光の子だったため、これが後の足利将軍家と日野家の縁戚関係の端緒となった。賢俊入滅にあたっては、その四十九日供養に、尊氏自ら筆を取って『理趣経』を写したが、この写本(醍醐寺蔵)は重要文化財に指定されている。 天台宗においては、後醍醐天皇の側近の一人だった恵鎮房円観に帰依した。尊氏は、北条高時を鎮魂する寺社を作るようにという後醍醐の勅命を受け継いで鎌倉に宝戒寺を建立し、円観をその名目上の開山としている。円観はまた、史上最大の軍記物語『太平記』の原型である『原太平記』(散逸)の編纂を指揮した人物とみられている。 臨済宗においては、後醍醐天皇が抜擢した夢窓疎石に深く帰依し、後醍醐崩御後はその鎮魂のために天龍寺を建立させた。夢窓はまた世界的作庭家としても著名である。 真言律宗においては、後醍醐天皇の庇護を受けた浄土寺(広島県尾道市)を尊氏もまた庇護した。 また、京都の鞍馬山、奈良の信貴山と並ぶ、 日本三大毘沙門天のひとつである足利市の大岩毘沙門天を信仰していた。 尊氏は、足利氏重代の薙刀である骨食(ほねかみ)を愛刀としていた。この武具は本阿弥家の鑑定では、鎌倉時代の藤四郎吉光の作とされる。 『梅松論』下に、延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日)の多々良浜の戦いに臨む尊氏の武具について、「将軍其日は筑後入道妙恵が、頼尚を以進上申たりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あり。一は御重代の骨食也。重藤の御弓に上矢をさゝる。御馬は黒粕毛、是は宗像の大宮司が昨日進上申たりしなり」とあるのが、足利氏の骨食(骨喰)についての古い記述である。 また、同時代史料である『常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』(鎌田妙長、長享元年)に、長享元年(1487年)9月12日、第9代将軍足利義尚が六角高頼征伐のため近江国坂本に出陣した際、小者に「御長刀ほねかみと申す御重代をかつ」がせていたとあることから、骨食が薙刀であったこと、尊氏以降は足利将軍家重代の武器として伝えられていたこと、「ほねかみ」と訓まれていたことなどがわかる。 のち大脇差に磨り上げられ、骨喰(ほねばみ)として知られるようになり、大友家・豊臣家・徳川家・大日本帝国政府などの手を経て、大正末期に豊国神社の所有となり、旧国宝(現在の重要文化財)に指定されている。 建武3年(1336)立花家の先祖が足利尊氏に従い武勲をたてた際、尊氏から拝領したと伝わる短刀。国宝。 前記の『梅松論』より時代が下るものの、第8代将軍足利義政の同朋衆だった能阿弥の『能阿弥本銘尽』(現存最古の写本は文明15年(1483年)成立)によれば、尊氏は京都へ上洛する途上、長船派の刀工の兼光を取り立て、屋敷を与えたという 。備前長船兼光の作品は、後世には最上大業物の一つに数えられるほど斬れ味の良い刀である。 なお、世間的に流布している説では、建武の乱で九州落ちする尊氏を支援するため兼光が名刀を献上したとか、兼光が尊氏に献上した刀は甲冑をも両断する名刀「兜割り」であったとか伝えられるが、前者は『備陽国志』・後者は『備前軍記』など近世以降の文献に現れる物語である。 白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜は、足利尊氏が篠村八幡宮に奉納したとの伝承を持つ鎧だが、明治末期、京都からアメリカに流出した。メトロポリタン美術館所蔵。 萩原朔太郎 『萩原朔太郎全集 第九卷』で、萩原は尊氏を、 彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。 さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。 彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである。 底本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房 1976(昭和51)年5月25日初版発行 尊氏を逆賊とする評価は、江戸時代に徳川光圀が創始した水戸学に始まる。水戸学は朱子学名分論の影響を強く受けており、皇統の正統性を重視していた。そのため、正統な天皇(後醍醐天皇)を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれることとなった。水戸学に発する尊氏観はその後も継承され、尊王思想が高まった幕末期には尊皇攘夷論者によって等持院の尊氏・義詮・義満3代の木像が梟首される事件も発生している(足利三代木像梟首事件)。 1934年(昭和9年)、斎藤実内閣の商工大臣で男爵だった中島久万吉は、足利尊氏を再評価すべきという過去の文章を発掘されて野党からの政権批判の材料とされ、大臣職を辞任した(「中島久万吉」項目参照)。 森茂暁は、一次史料による実証的分析を通して、尊氏が数多くの発給文書を残していることを指摘し、尊氏が鎌倉将軍とは違って最高指導者としての親裁権を活用し、動乱の苦難と産みの苦しみを乗り越えて室町幕府のおおよその骨格を形作った人物であると述べた。そして、南北朝の動乱の群像でも最も中心的な役割を果たした存在とし、南北朝時代は現代に繋がる日本文化の原型とされるのであるから、その時代の骨格を作った尊氏は「日本文化の実質的な開創者の一人といっても過言ではない」と評した。 亀田俊和は、『源威集』で、観応の擾乱後の尊氏が「征夷大将軍の名に恥じない立派な大将」として書かれているとし、武家故実に詳しい武田信武の8年前の兵装を記憶していてそれを評価した描写を取り上げ、尊氏のカリスマが高かったのは、単に経済的利益給与に気前が良かっただけではなく、こうした部下への細やかな観察と適切な評価にも優れていたことも特長なのでないか、とした。そして、室町幕府がまがりなりにも200年以上続く長期政権となったのは、尊氏が「諸政策の恩賞化」によって、「努力が報われる政治」を行ったことが主な理由なのではないか、とした。亀田はこのような尊氏の能力を観応の擾乱で必要に迫られ覚醒したと述べているが、建武政権や室町幕府発足における尊氏の発給文書の数は直義や師直の数とは比べものにならないほど多く、元々備わっていた能力とすべきである。足利氏の棟梁であり参議もこなしていた尊氏が、将軍職に就くことで、その一部の政務を直義と師直に分配したに過ぎない。 今東光は『毒舌日本史』で、子孫が困るほど気前が良い人物であるとし、戦国時代に生まれていれば上杉謙信や武田信玄よりも器量は上で織田信長と対抗できるとも評している。また、尊氏の天下を認めようとしなかった後醍醐天皇を暗に批判している。 歴史小説家の海音寺潮五郎は「武将列伝」で、井沢元彦は「逆説の日本史」で、後醍醐天皇にとどめを刺さなかった点や内部抗争の処理に失敗した点を突き、「人柄が良くカリスマは高いが、組織の運営能力の点では源頼朝や徳川家康に劣っている」「戦争には強いが政治的センスはまるでない」と評価している。 今川貞世(了俊)の『難太平記』(応永9年(1402年))によれば、足利氏の先祖である源義家は、置文(一種の遺書)に、自分は七代の孫に生まれ変わり、天下を取るだろうと予言したという。ところが、その七代目にあたる足利家時(尊氏と同じく足利頼氏側室の上杉氏の子)は、自分の世には天下を取ることが出来ないことを悟り、自分の寿命を縮めることと引き替えに、子孫3代のうちに足利家が天下を取ることを祈願して自刃し、その孫がまさに尊氏であるとされる。貞世自身の証言によれば、貞世は尊氏と直義の前でこの置文を拝見した経験があり、尊氏兄弟は「今天下を取る事ただこの発願(ほつがん)なりけり」と言ったという。 足利氏の有力武将の証言というだけあって、かつては信頼の置ける話とされ、足利氏には代々天下を取る野望が有り、その使命感に駆られて、尊氏は北条高時や後醍醐天皇への離反を繰り返し、ついに天下を牛耳ったのだと説明されることがあった。 この説に疑問を提起したのは、大正・昭和期の研究者である中村直勝である。観応元年(1350年)もしくはその翌年に書かれたと思われる直義の書状に、「故報国寺殿」(家時)が「心仏」(高師氏)に与えたという遺書を閲覧し感激したとある。直義の書簡の宛先は高師秋(師直の従兄弟)であるから、家時の書状は代々高一族が保管していたと見られ、しかも直義がその存在を知ったのは後醍醐との対決から15年も後のことである。したがって、家時の書状の存在自体は確実であるが、これを足利氏の天下取りの動機に求めることはできない、という。 佐藤進一は、さらに、建武の乱が発生した時の貞世は11歳に過ぎないことを指摘し、仮にもし貞世が尊氏・直義の眼前で家時置文なるものを見たという証言が本当であるとしても、それは幕府が成立した後のことであろうから、やはり天下取りの動機の史料的根拠としては弱いとしている。 20世紀末からは、動機の根拠どころか、家時の書状の内容自体が、はたして『難太平記』の言うように天下取りを指示したものかどうか、疑問視されるようになった。川合康によれば、足利氏が源氏嫡流と見なされるようになったのは、幕府が成立した後の工作の結果であり、貞世が語る義家・家時の伝説もその「源氏嫡流工作」の一環であるという。細川重男によれば、これは2016年時点での有力説である。 【騎馬武者像(伝足利尊氏像)】 京都国立博物館所蔵の「騎馬武者像(重要文化財)」は、京都守屋家の旧蔵だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって「守屋家本」とも呼ばれる。本像は、1749年に西川祐信の「絵本武者備考」で騎馬武者像と足利尊氏の詞書として紹介され、1800年江戸時代に松平定信編纂の『集古十種』で、尊氏の肖像として紹介された。その後1920年(大正9年)に歴史学者の黒板勝美が論文の中で改めて尊氏像という説を発表したことで定着した。しかし、1937年(昭和12年)に美術史家の谷信一が早くもこの説に疑問を呈しており、1968年(昭和43年)にも、古文書学者の荻野三七彦が尊氏像説を否定する論考を発表している。それらの論拠とは、主に以下のようなものであるが、戦後、レントゲン撮影など科学的根拠や新たな記録により、足利尊氏像であるとする説も浮上している。 1 足利義詮の花押 画像上部に書かれた花押は、2代将軍義詮のものである。父の画像の上に子が自らの名を記すのは、即ち親を下に見ていることになり、当時の慣習からして極めて無礼な行為となるため、有り得ない。 「将又等持院様軍陣御影 幅青地錦御直垂浅黄糸御鎧廿四さしたる御矢重藤御弓大クワカタ打タル御甲、栗毛なる御馬ニ(略)御影ノ上ニホウケウ院(宝筐院=足利義詮.)様御判居之」 『室町家御案内書案下』 との記録があり、等持院(足利尊氏)の肖像画の上に宝筐院(足利義詮)の花押が記されていたことが分かっているため、1の説は否定されている。 2 肖像画の様相 出陣時の整った姿ではなく、兜のない髻の解けたざんばら髪の頭、折れた矢、抜き身の状態の刀など、征夷大将軍という武将として最高位の人物を描いたにしては、あまりにも荒々しすぎる。 『梅松論』における多々良浜の戦いに臨む尊氏の出で立ちが本像に近く、京都に凱旋した尊氏がこの時の姿を画工に描かせたという記録が残る ことから、やはり尊氏像で正しいとする意見もある。『太平記』によると、尊氏は後醍醐天皇へ叛旗を翻す直前に寺に籠もって元結を切り落としたといい、「騎馬武者像」の「一束切」のざんばら髪は、その後翻意して挙兵した際の姿を髣髴とさせるものではあり、その点をもって尊氏像と見なされてきたと考えられている。『太平記』では挙兵の際に味方の武士たちがみな尊氏にならって元結を切り落とした逸話も伝えている。 3 刀や馬具の紋 刀や馬具に描かれている輪違の紋が、足利家ではなく高家の家紋であり、像主は高師直、もしくは子師詮、師冬である。 戦後、肖像画のレントゲン撮影による科学的な研究がされ、輪違紋と見られる箇所が江戸時代の補修で新たに描き加えられたものと判明した。 また、高家の紋と推定された輪違紋(七宝)は江戸時代の高階家の紋を参考にしたもので、『太平記』に記された輪違紋は「寄懸り輪違」となっている。 南北朝時代に馬具に家紋を施した例はなく、また家紋とするには鎧の精密さと比べて描画の丁寧さに欠ける点からも、単に擦れた箇所を補っただけのことと考えるほうが自然である。 こうした動きに決着がつかないことから、2000年代頃から学校の歴史教科書では尊氏像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている。 【伝平重盛像(神護寺三像)】 鎌倉時代に藤原隆信が描いたとされる神護寺三像のうちの「伝平重盛像」は、平重盛を描いたものと考えられてきたが、1995年に美術史家の米倉迪夫や歴史学者の黒田日出男らによって尊氏像であるとの説が提示された。すぐさま美術史家から、画風や様式が南北朝期に下るものではないとする反論が出て論争になったが、近年は総じて新説が認められる傾向にある。 その他、広島県尾道市の浄土寺に尊氏を描いたと伝える束帯姿の肖像画(右最上部に掲示)が所蔵されており、京都市の天龍寺にも室町時代後期に描かれたとされる束帯姿の絹本着色「足利尊氏肖像画」が伝わっている。また、守屋家本とは異なる騎馬姿の尊氏像が神奈川県立歴史博物館にあり、「征夷大将軍源朝臣尊氏卿」と明記された江戸時代後期の肖像画が現存している。 2017年、栃木県立博物館研究員らによって、尊氏を描いたものとされる肖像画が発見され 、個人蔵の絹本着色、束帯姿の肖像画が同博物館で公開された。この肖像画は「天神(菅原道真)絵賛」として伝来していたもので、原本ではなく室町時代中期に複製されたものであると推測される。同肖像画には臨済宗大覚寺派の僧伯英徳儁による讃が付され、そこには尊氏を指す「長寿寺殿」の業績が記されている。 江戸時代に描かれた錦絵には、歌川国芳の「太平記兵庫合戦」(兵庫福海寺で尊氏を探す白藤彦七郎)、歌川芳虎の「太平記合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)、橋本周延の「足利尊氏兵庫合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)等がある。 尊氏の木像は、大分県国東市の安国寺(重要文化財)のものが最も古い。面貌表現が写実的で理想化が少なく、尊氏の生前か死後間もなく造像されたと見られる。尊氏の木像というと、足利氏の菩提寺である京都市北区の等持院のものがよく知られている。こちらは体部の表現にやや時代が下る造形が見られるものの、頭部は安国寺木像や浄土寺肖像と共通する図様で造られており、中世を下らない時期の作品と考えられる。他には、静岡県静岡市の清見寺(文明17年(1485年)以前の作)、京都市右京区の天龍寺(16世紀の作)、栃木県さくら市の龍光寺(寛文6年(1666年)の再興像)、神奈川県鎌倉市の長寿寺(元禄2年(1689年)の再興像)、栃木県足利市の鑁阿寺(江戸時代・19世紀の作)、同市の善徳寺、同県真岡市の能仁寺などに所蔵されている。また、現代になって作られた銅像が足利市鑁阿寺参道と京都府綾部市安国寺町に設置されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "河内源氏義国流足利氏本宗家の8代目棟梁。足利貞氏の次男として生まれる。歴代当主の慣例に従い、初めは得宗・北条高時の偏諱を受け高氏「たかうじ」(源高氏)と名乗っていた。佐々木道誉も同時期に同様にして名乗った佐々木高氏(源高氏)と本姓(源氏)名前ともに同姓同名。共に鎌倉幕府を打倒した新田義貞は同族である。正慶2年(1333年)に後醍醐天皇が伯耆国船上山で挙兵した際、その鎮圧のため幕府軍を率いて上洛したが、丹波国篠村八幡宮で幕府への反乱を宣言、六波羅探題を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の偏諱を受け、高氏の名を尊氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の通字は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が諱に使われていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "後醍醐天皇の新体制である建武の新政下で、持明院統に近く冷遇されていた貴族西園寺公宗と北条高時の弟泰家の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党北条時行が起こした中先代の乱により窮地に陥った弟・足利直義救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも鎌倉に留まり、恩賞を独自に配布した。これを独自の武家政権を樹立する構えと解釈した天皇との関係が悪化、建武の乱が勃発した。箱根・竹下の戦いでは大勝するが、第一次京都合戦および打出・豊島河原の戦いで敗北し、一時は九州に都落ちしたものの、光厳上皇が尊氏に対し新田義貞追討の院宣を発給し、再び太宰府天満宮を拠点に上洛して京都を制圧。光明天皇践祚を支援し、光明天皇より征夷大将軍に補任され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。一度は京に降った後醍醐天皇は、すぐ後、吉野に脱出し南朝を創始することになった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "幕府を開いてのち、尊氏は是円・真恵兄弟らへの諮問のもと、その基本方針となる『建武式目』を発布。 征夷大将軍として幕府の軍事を取り仕切り守護を纏めた。これを支えた保守派の直義に対して、尊氏の執事高師直は執事施行状など尊氏の意を受け先進的な体制を取りいれていた。 後醍醐天皇の崩御後は、その菩提を弔うため天竜寺を建立し、全国の戦没者を弔うため66の安国寺利生塔を設立させた。その後、師直派と直義派との間で観応の擾乱が起こった。師直・直義の死により乱は終息したが、その後も南朝や実子の足利直冬など反対勢力の打倒に奔走し、晩年には政治にも手腕を発揮して統治の安定に努めた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "勅撰歌人である武家歌人としても知られ、『新千載和歌集』は尊氏の執奏により後光厳天皇が撰進を命じたものであり、以後の勅撰和歌集は、二十一代集の最後の『新続古今和歌集』まですべて将軍の執奏によることとなった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "尊氏は嘉元3年 (旧暦)(1305年)、足利氏当主の貞氏の次男として生まれた。確実な生誕地は不明で、足利氏の本貫(名字の根拠の地)である下野国足利荘(栃木県足利市)・上杉氏の本貫である丹波国何鹿郡八田郷上杉荘(京都府綾部市上杉)・鎌倉幕府の本拠地である相模国鎌倉(神奈川県鎌倉市)などの説がある。京都の綾部安国寺には、足利尊氏が浸かったといわれる生湯の井戸や母・清子が男子出生を祈願した地蔵菩薩が残されており、尊氏の産着や毛髪なども保存されている。日本史研究者の清水克行によれば、当時の足利氏は幕府の実質的支配者である北条得宗家と友好関係を保つため鎌倉に活動拠点を移していたため、2013年時点では鎌倉誕生説が最も有力な見解とされてきたが、鎌倉での記録もないため、京都綾部誕生説か鎌倉誕生説かは未だ決着がつかないままとなっている。。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "母は貞氏側室・上杉清子(兄に貞氏正室・北条顕時の娘が産んだ足利高義がいる)。後世に編纂された『難太平記』では尊氏が出生して産湯につかった際、2羽の山鳩が飛んできて1羽は尊氏の肩に止まり、1羽は柄杓に止まったという伝説を伝えている。元応元年(1319年)10月10日、15歳にして従五位下に叙し治部大輔に任ぜられる。また、同日に元服をし、得宗・北条高時の偏諱を賜り高氏(通称は又太郎)と名乗ったとされる。足利氏の嫡男は「三郎」を名乗る決まりになっていたが、兄であり貞氏嫡男の高義の死後であるにもかかわらず「又太郎」と名付けられたのは、貞氏が北条氏との姻戚関係を重視し高義の遺児が家督を継承することを重視してのことと考えられる。。15歳での叙爵は北条氏であれば得宗家・赤橋家に次ぎ、大仏家・金沢家と同格の待遇であり、北条氏以外の御家人に比べれば圧倒的に優遇されていた。そして北条氏一族の有力者であった赤橋流北条氏の赤橋(北条)守時の妹・赤橋登子を正室に迎える。その後、守時は鎌倉幕府の執権となる。元弘元年/元徳3年(1331年)、父・貞氏が死去すると、足利氏の家督は嫡流である兄・高義が父より先(高氏の元服以前)に亡くなっていたため、高氏が継ぐことになった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "元弘元年/元徳3年(1331年)、後醍醐天皇が2度目の倒幕を企図し、笠置で挙兵した(元弘の乱)。鎌倉幕府は高氏に派兵を命じ、高氏は天皇の拠る笠置と楠木正成の拠る下赤坂城の攻撃に参加した。このとき、父・貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退したが許されなかった。『太平記』は、このことから高氏が幕府に反感を持つようになったとされる。また、足利氏は承久の乱で足利義氏が大将の1人として北条泰時を助けて勝利を導いて以来、対外的な戦いでは足利氏が大将を務めるのが嘉例とされ、幕府及び北条氏はその嘉例の再来を高氏に期待したもので、裏を返せば北条氏が足利氏に圧力を加えても決して滅ぼそうとはしなかった理由でもあった。勝利に貢献した高氏の名声は高まったが、不本意な出陣だったためか、同年11月他の大将を置いて朝廷に挨拶もせず、さっさと鎌倉へ戻っており、花園上皇を呆れさせている(『花園天皇宸記』)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "元弘の乱は結局失敗に終わり、倒幕計画に関わった貴族・僧侶が多数逮捕され、死刑・配流などの厳罰に処された。後醍醐天皇も廃位され、代わって持明院統の光厳天皇が践祚した。元弘2年/正慶元年(1332年)3月には後醍醐天皇は隠岐島に配流された。幕府は高氏の働きに、従五位上の位階を与えることで報いた(『花園天皇宸記』裏書)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "正慶2年(元弘3年/西暦1333年)後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆国船上山に籠城した。高氏は当時病中だったが再び幕命を受け、西国の討幕勢力を鎮圧するために名越高家とともに司令官として上洛した。このとき、高氏は妻・登子、嫡男・千寿王(後の義詮)を同行しようとしたが、幕府は人質としてふたりを鎌倉に残留させている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "高氏は京都への上洛途中、三河国八つ橋まで来たところで、幕府に謀反を起こすことを吉良貞義を含めた腹心に打ち明け、同意を得た。三河国で謀反の志を打ち明けた理由は、三河国が足利氏一族や被官が濃密に分布していたからであると考えられる。その後、海老名季行を密かに船上山へ参候させ、後醍醐により討幕の密勅を受け取った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "高氏らは上洛し、名越高家が緒戦で戦死したことを踏まえ、4月29日、船上山と京都を繋ぐ山陰道の要衝であり、また千種忠顕軍が展開していた丹波国の篠村八幡宮(京都府亀岡市)で反幕府の兵を挙げた。諸国に多数の軍勢催促状を発し、播磨国の赤松円心、近江国の佐々木道誉らの反幕府勢力を糾合して入洛し、5月7日に六波羅探題を滅亡させた。この際、高氏は九州の薩摩国にまで催促状を出しているが、これは距離的に六波羅攻略のためでないのは明らかで、将来高氏自身が独立して政治を行う時のために九州の豪族を味方につけるのが目的だったと考えられる。関東では、同時期に上野国の御家人である新田義貞を中心とした叛乱が起こり、鎌倉を制圧して幕府を滅亡に追い込んだ。この軍勢には、鎌倉からの脱出に成功した千寿王も尊氏の名代として参加している。一方、高氏の庶長子・竹若丸は伯父であり、走湯山密巌院別当だった覚遍に伴われて山伏姿で密かに上洛しようとしたが、途中で北条の手の者に捕られ、殺害されている。静岡市駿河区には竹若丸と従者を供養したと伝わる将軍塚が残り、付近の円福寺の将軍堂には竹若丸の騎馬像を胎内に納めた足利尊氏坐像が安置されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "高氏が倒幕を決意した原因は、『太平記』や『梅松論』に見えるように、亡父の法要を満足にできぬまま出兵させられたことが1番に挙げられる。また足利氏は、建長2年(1250年)の閑院内裏造営や、建治元年(1275年)の六条八幡宮造営などで、多額の費用を負担させられており、北条氏による足利氏への経済的要求は他の御家人と比較して突出していた。加えて『吾妻鏡』には、足利義氏と結城朝光が書状の書式をめぐって争った際、義氏が足利氏を源氏一門として別格であると主張したのに対し、朝光は御家人としての立場は変わらないと主張し、その論争に仲裁に入った幕府は朝光の主張を正当なものとした、という記述がある。この裁定は、御家人の中に特別な存在を認めることは幕府(=北条氏)にとって得策ではなかったからである。しかし、逆にこの出来事を『吾妻鏡』に記したことは、『吾妻鏡』が「北条氏得宗政権を正当化する弁解状だった」ように、こうした話を挿入すること自体に、北条氏が足利氏を特別視し、その立場に対する警戒心(足利氏を抑え込もうという意識)が現れているとも考えられる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "鎌倉幕府の滅亡後、高氏は後醍醐天皇から勲功第一とされ、従四位下に叙され、鎮守府将軍・左兵衛督に任ぜられ、また30箇所の所領を与えられた。元弘3年/正慶2年(1333年)8月5日には従三位に昇叙、武蔵守を兼ねるとともに、天皇の諱「尊治」から偏諱を受け尊氏と改名した。尊氏は建武政権において参議という中枢機関の要職に就き、足利家の執事である高師直、その弟・高師泰をはじめとする家臣も多数起用されたことから、後醍醐天皇からはかなり厚遇されていたようである。新政府の各種機関に名を連ねていないことで世間から「尊氏なし」と揶揄されたが、実際は奉行所をいち早く立ち上げ、後醍醐天皇の綸旨を受け通達する文書を多数出しており、更には後醍醐天皇の命により北条高時を供養するため宝戒寺の建立にも携わっていたことから、尊氏は建武政権時から既に武士を束ねるべく頭角を表していたと言える。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "正慶2年(元弘3年/1333年)、義良親王(のちの後村上天皇)が陸奥太守に、北畠顕家が鎮守府大将軍に任じられて陸奥国に駐屯することになると、尊氏も、成良親王を上野太守に擁立して直義とともに鎌倉に駐屯させている。また、鎌倉幕府滅亡に大きな戦功をあげながら父に疎まれ不遇であった護良親王は、尊氏をも敵視し政権の不安定要因となっていたが、建武元年(1334年)には父・後醍醐天皇の命で逮捕され、鎌倉の直義に預けられて幽閉の身となった。最期は中先代の乱で直義によって殺害された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "建武2年(1335年)信濃国で北条高時の遺児北条時行を擁立した北条氏残党の反乱である中先代の乱が起こり、時行の軍勢は鎌倉を一時占拠する。直義は鎌倉を脱出する際に独断で護良を殺害している。尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の官職を望んだが許されず、8月2日、天皇の許可を得ないまま4万の軍勢を率いて鎌倉に向かった。天皇はやむなく征東将軍の号を与えた。尊氏は直義の軍勢と合流し相模川の戦いで時行を駆逐して、8月19日には鎌倉を回復した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "尊氏は、中先代の乱の戦後処理のため、また関東の防御を固めるため京都には戻らず鎌倉に留まった。上洛の命にも応じなかったため11月、後醍醐天皇は義貞に尊良親王をともなわせて尊氏討伐を命じた。さらに奥州からは北畠顕家も南下を始めていた。尊氏は赦免を求めて寺に蟄居し出家すべく断髪(一束切)するが、直義・師直などの足利方が各地で劣勢となると「直義が死ねば自分が生きていても無益である」と宣言し出陣する。『太平記』ではこの時、異形の尊氏が敵に狙われぬよう鎌倉中の武士が皆一切切になったという逸話が残っている。12月、尊氏は新田軍を箱根・竹ノ下の戦いで破り、京都へ進軍を始めた。この間、尊氏は持明院統の光厳上皇と連絡を取り、叛乱の正統性を得る工作をしている。建武3年(1336年)正月、尊氏は入京を果たし、後醍醐天皇は比叡山へ退いた。しかしほどなくして奥州から上洛した北畠顕家と楠木正成・新田義貞の攻勢に晒される。1月30日の戦いで敗れた尊氏は篠村八幡宮に撤退して京都奪還を図る。この時の尊氏が京都周辺に止まって反撃の機会を狙っていたことは、九州の大友近江次郎に出兵と上洛を命じた尊氏の花押入りの2月4日付軍勢催促状(「筑後大友文書」)から推測できる。だが、2月11日に摂津国豊島河原の戦いで新田軍に大敗を喫したために戦略は崩壊する。尊氏は摂津国兵庫から播磨国室津に退き、赤松円心の進言を容れて京都を放棄して九州に下った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "九州への西下途上、長門国赤間関(山口県下関市)で少弐頼尚に迎えられ、筑前国宗像大社の宗像氏範の支援を受ける。建武3年(延元元年/1336年)宗像大社参拝後の3月初旬、筑前国多々良浜の戦いにおいて天皇方の菊池武敏らを破り、大友貞順(近江次郎)ら天皇方勢力を圧倒して勢力を立て直した尊氏は、京に向かう途中の鞆で光厳上皇の院宣を獲得し、西国の武士を急速に傘下に集めて再び東上した。5月25日の湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を破り、6月には京都を再び制圧した(延元の乱)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "尊氏は洛中をほぼ制圧したが、このころ再び遁世願望が頭を擡げ8月17日に「この世は夢であるから遁世したい。信心を私にください。今生の果報は総て直義に賜り直義が安寧に過ごせることを願う」という趣旨の願文を清水寺に納めている。足利の勢力は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れた。和議に応じた後醍醐天皇は11月2日に光厳上皇の弟光明天皇に神器を譲った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1336年11月7日、尊氏は、明法家(法学者)の是円(中原章賢)・真恵兄弟らへ諮問して『建武式目』十七条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言した。内容が厳格なため直義の意向が強く働いたのではないかとする説があるが根拠はない。むしろ『建武以来追加』で尊氏は下知に従わない守護に対し将軍自ら裁定を下すことを沙汰しており、その厳格さがうかがえる。 実質的には、この『建武式目』をもって室町幕府の発足とする。尊氏は源頼朝と同じ権大納言に任じられ、自らを「鎌倉殿」と称した。一方、後醍醐天皇は12月に京を脱出して吉野(奈良県吉野郡吉野町)へ逃れ、光明に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して(北朝と南朝とのどちらが本物の三種の神器を保有していたかは不明)独自の朝廷(南朝)を樹立した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "新政権において、尊氏は軍事指揮権と恩賞権、そして守護の補任と、武士の棟梁として君臨し、その他の業務を直義と師直に任せた。 佐藤進一はこの状態を、主従制的支配権を握る尊氏と統治権的支配権を所管する直義との両頭政治であり、鎌倉幕府以来、将軍が有していた権力の二元性が具現したものと評価した(「室町幕府論」『岩波講座日本歴史7』岩波書店、1963年)。 しかし、室町幕府創設時は尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、『建武以来追加』には上記のとおり尊氏による御沙汰が多く反映されている。尊氏は建武の新政においても奉行所を設置し後醍醐天皇の勅命を受けその手腕を発揮しており、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴などの日常的な実務を直義が担っていたとする見解も出てきている。 幕府体制が落ち着くと次第に直義の発給数は増えてゆくが、その数は尊氏が最も多く出した発給数と比較しても6分の1と少なく、尊氏とほぼ同じか多くても2倍にも満たない。 また、直義が出した軍勢催促も尊氏が口頭で指示を出した旨が島津家文書に残されており、将軍という立場ゆえの上位下達の存在を無視するわけにはいかない。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "暦応元年(1338年)、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ、室町幕府が名実ともに成立した。翌年、後醍醐天皇が吉野で崩御すると、尊氏は夢窓疎石に勧められ、「報恩謝徳」「怨霊納受」のため、光厳上皇の院宣で天龍寺造営を開始した。造営費を支弁するため、元へ天龍寺船が派遣されている。さらに、光厳上皇の院宣をもとに、諸国に安国寺と利生塔の建立をさせた。南朝との戦いは基本的に足利方が優位に戦いを進め、北畠顕家、新田義貞、楠木正成の遺児正行などが次々に戦死し、小田治久、結城親朝は南朝を離反して幕府に従ったほか、貞和4年(1348年)には高師直が吉野を攻め落として全山を焼き払うなどの戦果をあげている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "対して直義も貞和元年あたりから直冬を養子に迎えたり神護寺に自身と尊氏の肖像画を奉納するなど自己顕示が活発化、師直との対立が目立つようになる。 この頃直義は異様に大きな花押を書いているが、これを直義の自信からくる権威の現れと見るか、認めてもらいたいとするフラストレーションと見るか意見が分かれている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "高師直が数々の功績をあげ、尊氏に最も近い存在へと登り詰めるなか上杉重能などがこれに反発。直義派の対立として現れていく。この対立はついに観応の擾乱と呼ばれる内部抗争に発展した。尊氏は当然、幕府として内紛を抑えるべく中立的立場を取っていた。貞和5年(1349年)、直義が師直を襲撃しようとするも師直側の反撃を受けた直義が逃げ込んだ尊氏邸を師直の兵が包囲し、直義の引退を求める事件が発生した(御所巻)。直義は出家し政務を退くこととなった。直義の排除には師直・尊氏の間で了解があったとか、直義の師直襲撃にも尊氏が言質を与えていたとする説もあるが共に根拠はなく、むしろ尊氏は「世間の噂、人々の舌端は畏るべし」と周囲に惑わされる直義を諭し仲裁に勤めていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "師直は直義に代わって政務を担当させるため尊氏の嫡男・義詮を鎌倉から呼び戻し、尊氏は代わりに次男・基氏を下して鎌倉公方とし、東国統治のための鎌倉府を設置した。 直義の引退後、尊氏庶子で直義猶子の直冬が九州で直義派として勢力を拡大していたため、尊氏は師直や守護に命じて直冬に出家し上洛するよう勧めたが直冬はこれに応じなかった。 観応元年(1350年)、直冬討伐のため尊氏は自ら中国地方へ遠征した。 すると直義は京都を脱出して南朝に降伏し、桃井直常、畠山国清ら直義派の武将たちもこれに従った。直義の勢力が強大になると、義詮は劣勢となって京を脱出し、京に戻ろうとした尊氏も光明寺合戦や打出浜の戦いで敗れた。尊氏は高師直・師泰兄弟の出家・配流を条件に直義と和睦し、観応2年(正平6年/1351年)に和議が成立した。尊氏は直義と師直の争いを利用して巧みに両者を排除したのではないかとする説があるが、観応2年3月6日に直義の錦小路邸を訪れた際、宴席で「師直の死を惜しみ誅死に立腹の言動あるも大事に至らず」と園太暦にその一連の様子が残されており、観応の擾乱における尊氏の立ち位置はあくまで幕府として内乱を抑えたに過ぎないと考えるべきであろう。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "直義は義詮の補佐として政務に復帰した。この一連の戦の勝者は直義、敗者は尊氏であるとする見方もあるが、勅命も将軍の許しもない直義派の戦は単なる幕府に対する謀叛である。当然尊氏は幕府として将軍の裁定を下すべく、論功行賞では尊氏派の武将の優先を直義に約束させ、高兄弟を滅ぼした上杉能憲の死罪を主張し、直義との交渉の末これを流罪にした。また謁見に現れた直義派の細川顕氏を降参人とみなし太刀を抜いて激怒するなど、勝ち戦で上機嫌だった顕氏は尊氏の迫力に気圧され一転して恐怖に震えたという。 尊氏の恩情で復帰した直義も、その保守的で頑な性格と、一連の騒動、また尊氏や義詮を支える幕府や守護が既に脇を固めていたこともあり、次第に孤立し出奔した。この頃の無気力な直義は、生真面目が故の燃え尽き症候群に陥っていたのではないかとする見解もある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "尊氏は佐々木道誉の謀反を名目に近江へ、義詮は赤松則祐の謀反を名目として播磨へ、京の東西へ出陣する形となったが、佐々木や赤松の謀反の真相は不明で(後に彼らは尊氏に帰順)、尊氏は南朝と和睦交渉を行い停戦に持ち込んでいる。この動きに対して直義は京を放棄して北陸を経由して鎌倉へ逃亡した。尊氏と南朝の和睦は同年10月に成立し、この和睦によって尊氏は南朝から直義追討の綸旨を得たが、尊氏自身がかつて擁立した北朝の崇光天皇は廃されることになった(正平一統)。そして尊氏は直義を追って東海道を進み、薩埵峠の戦い (南北朝時代)(静岡県静岡市清水区)、相模国早川尻(神奈川県小田原市)の戦いなどで撃ち破り、交渉の末直義と共に鎌倉に帰還した。直義は、観応3年(正平7年1352年)2月26日、高師直の一周忌に急死したとされているが、『鎌倉九代後記』では2月25日の基氏元服前とも記録されており、翌日の幕府の通達によって2月26日と記録されたとの見解もある。 『太平記』では毒殺の疑いを匂わせるように描かれたが、この「毒殺の噂」に言及しているのは『太平記』だけであり真相は不明である。 清水克行は尊氏の毒殺説を支持しているが、度重なる和睦交渉の末共に鎌倉へ帰還している尊氏がわざわざ師直の命日に暗殺を企てるとは無理があり、また執着心からは程遠い尊氏の性格からしてあり得ない。万が一毒殺とするなら師直派の残党による遺恨を疑うべきであろう。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、観応の擾乱前夜の貞和5年(1349年)後半ごろから、薨去数年前の文和4年(1355年)後半ごろまで、尊氏は将軍自ら政務を行い、嫡子の義詮と共同統治を行った。日本史研究者の森茂暁と亀田俊和はこの時期の尊氏・義詮の政治的手腕を高く評価している。しかし、室町幕府創設時には尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、建武以来追加には尊氏による御沙汰が多く反映されている。建武の新政においても奉行所を開設し後醍醐天皇の勅命を受ける立場にあり、観応の擾乱から突然政治的手腕を発揮したというのは無理があると言えよう。近年、佐藤進一氏が提言した二頭政治への矛盾が指摘されており、尊氏が直義や師直亡き後、統治を滞りなく進められたのも、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴を含む日常的実務を直義が担っていたと考えた方が自然である。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "尊氏が京を不在にしている間に南朝方との和睦は破られた。宗良親王・新田義興・義宗・北条時行などの南朝方から襲撃された尊氏は武蔵国へ退却するが、すぐさま反撃し関東の南朝勢力を破って鎌倉を奪還した(武蔵野合戦)。 一方、畿内でも南朝勢力が義詮を破って京を占拠、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇と皇太子直仁親王を拉致し、更に尊氏は唯一無二の天皇となった後村上天皇により将軍を解任されたため、足利政権の正当性は失なわれるという危機が発生する。しかし近江へ逃れた義詮はすぐに京を奪還し(八幡の戦い)、9月には佐々木道誉が後光厳天皇擁立に成功した為北朝が復活、尊氏が将軍に返り咲いたことにより、足利政権も正当性を取り戻した。しかし今度は、佐々木道誉と対立して南朝に下った山名時氏と楠木正儀が京を襲撃して、義詮を破り京を占拠した。 尊氏は義詮の救援要請をうけ後光厳天皇のいる仮御所(垂井頓宮)を参内、義詮と合流してともに京を奪還した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "文和3年(1354年)には直冬を奉じた旧直義派による京への大攻勢を受けるが、これを撃退して京を奪還した。この一連の合戦では神南での山名氏勢力との決戦から洛中の戦に到るまで道誉と則祐の補佐をうけた義詮の活躍が非常に大きかったが、最終的には東寺の直冬の本陣に尊氏の軍が自ら突撃して直冬を敗走させた。尊氏はこの際自ら直冬の首実検をしているが結局討ち漏らしている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "尊氏は島津師久の要請に応じて自ら直冬や畠山直顕、懐良親王の征西府の討伐を行なうために九州下向を企てるが、義詮に制止され果せなかった。延文3年(1358年)4月30日、京都二条万里小路第(現在の京都市下京区)で薨去した。死因は背中の腫れ物である。 『後深心院関白記』によると延文3年(1358年)5月2日庚子の条に、尊氏の葬儀が真如寺 (京都市) で行われたとあり、5月6日甲辰の条の初七日からの中陰法要は、等持院において行われたことがわかる。 墓所は京都の等持院と鎌倉の長寿寺。これを反映して死後の尊氏は、京都では「等持院」、関東では「長寿院」と呼び表されている。 そして、尊氏の死から丁度百日後に、孫の義満が生まれている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった夢窓疎石が次の3点から説明している(『梅松論』)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1つ目の戦場での勇猛さだが、ある戦場で矢が雨のように尊氏の頭上に降り注ぎ、近臣が危ないからと自重を促すと、「やはり」尊氏は笑って取り合わなかったという。『源威集』でも、文和4年(1355年)の東寺合戦で危機的状況に陥った際、尊氏は「例の笑み」を浮かべ、「合戦で負ければそれでお終いなのだから、敵が近づいてきたら自害する時機だけを教えてくれればよい」と答え全く動揺することがなかった、という。『源威集』の著者は「たとえ鬼神が近づいてきたとしても、全く動揺する気配がない」と尊氏の胆力を褒めちぎっている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2つ目の敵への寛容さも、畠山国清や斯波高経など一度敵方に走ったものでも、尊氏は降参すればこれを許容し、幕閣に迎えている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "3つ目の部下への気前の良さは、『梅松論』にある八朔の逸話によって窺い知ることができる。当時、旧暦の8月1日に贈答しあう風習が流行し、尊氏のもとには山のように贈り物が届けられた。しかし、尊氏は届いたそばから次々と人にあげてしまうので、結局その日の夕方には尊氏のもとに贈り物は何一つ残らなかったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "こうした姿勢は戦場でも同様で、尊氏は戦場で功績を上げた者を見ると、即座に恩賞を約束する感状を多く発給し家臣を安心させている。中には軍忠状が提出された即日に発給された感状もあり、この即時性がもたらす効果は幕府の求心力にも繋がった。また、佩用していた腰刀を直接家臣二人に与えたり、自らの母衣を引きちぎりカタバミの紋を与えたり、自身が所用する軍 を与えるなど、武家の棟梁らしいカリスマ的な行動が多く伝えられている。。一方、七条合戦で瀕死の重傷を負った那須資藤が尊氏の前に運ばれてきたとき、尊氏は目に涙を浮かべひたすら資藤の忠義に感謝したという(『源威集』)。また、尊氏は鎧が目立つため家臣から陣の後方に下がるよう勧められても、敵が迫るなか退避のために乗馬するよう献言されても一向に引かず、自ら最前線に立ち、命をかけて戦う武士たちを鼓舞し続けたという。 こうした無欲で家臣想いな尊氏に家臣たちは、みな「命を忘れて死を争い、勇み戦うことを思わない者はいなかった」といい(『梅松論』)、これが尊氏最大の人間的魅力だった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "一方、朝敵となることを避けるため出家をしたり(『太平記』)、直義や南朝との停戦を試みるなど(観応の擾乱)、恭順や交渉で戦を回避する、政治家としての側面も待ち合わせている。 武力で権威を保持してきた鎌倉幕府や建武政権とは異なり、尊氏の慎重で温厚な人柄こそが室町幕府の存続に不可欠だったとも言える。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "『等持院殿御遺書』には、『一老子ノ敎ヲ學デ、一切ノ上ニ得失ヲ沙汰スベシ、取事アレバ捨事アリ、得者ハ必失ト云リ、爰ヲ以見ヨ、賦歛ヲ重ジ臨時ノ課役ヲ掛民ヲ貪、其得則バ大ヒニ失アラン、亦諸國公納取事多バ、必大利ヲ捨事アラン』 “老子の教えを学び、一切の得失を沙汰せよ。得るところあれば、捨つるところあり。何かを得れば必ず何かが失われる。これを忘れるな。臨時の税を民に掛ければ、大いなる失が起こる。諸国の税を重くすれば、大利を捨てるとこころえよ” 天下人でありながら欲から一線を引いた尊氏の生涯の行動は、老子の風を思わせるものが多い。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "尊氏は正月の書き初めでも、毎年「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」と書いたと伝えられる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "以下に尊氏の性格を評した一文を掲載する。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。 さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。 彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "正室であった赤橋登子所生(義詮・基氏・鶴王)以外の子に対して冷淡であったかのような見方がされているが、谷口研吾は、これは正室である登子の意向によるものであり、その背景として実家(赤橋流北条氏)という後ろ盾を失った彼女が自身とその子供たちを守るために他の女性の子供を排除せざるを得なかったからとする。 しかし登子が政治の表舞台に登場する記録は一切なく、足利氏は鎌倉時代から嫡流以外を仏門や他家に輩出することで勢力を拡大しており、直冬だけが冷遇されてきた訳ではない。 また還俗前の直冬は北条家ゆかりの東勝寺の喝食として格別の待遇を受けていた。鎌倉幕府の滅亡がなければ仏門で将来を約束されていたはずである。 尊氏が義詮を嫡子として家督相続の混乱を回避していたにもかかわらず、直義が尊氏の意向に背き直冬を養子に迎え観応の擾乱をより複雑にさせたことが問題であるといえる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1960年代、歴史研究者の佐藤進一は尊氏を双極性障害(1960年代当時の呼称は躁鬱病)ではないかと推測していた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "佐藤は、尊氏が中先代の乱の鎮圧に後醍醐天皇の許可なしに向かう途上で、既に後醍醐への反乱を計画していたと想定した。そして、その後それにもかかわらず尊氏は素直に後醍醐の召還命令に応じようとしたり、いざ後醍醐との戦いである建武の乱が発生すると鎌倉の浄光明寺に引きこもってしまったことなどを挙げ、その行動の矛盾点を指摘した。佐藤は尊氏の行動を歯切れが悪いと批判し、その行動矛盾の理由について、天皇に反乱してはならないという日本古来の「番犬思想」とこの時代に舶来した儒学的易姓革命思想の板挟みになったことや、後醍醐との個人的親近感に基づく解釈などを取り上げている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "さらに、佐藤は、尊氏の父の貞氏の発狂歴や、祖父の家時の自殺伝説(いわゆる置文伝説)、そして曾孫の義教の性格などを挙げ、足利将軍家の血筋を「異常な血統」と評している。そして、尊氏の行動の複雑さは、双極性障害が遺伝的に受け継がれたものであると主張した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "その後2010年代に、歴史研究者の呉座勇一は佐藤の説を強く否定し、当時の史料に基づく限り、尊氏の行動は後醍醐への忠誠心と直義への兄弟愛で終始一貫しており、異常であるのはむしろ佐藤の不自然な想定の方であるとした。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "呉座はまず第一に、精神医学の専門家ではない者が十分な証拠もなしに「双極性障害は遺伝的なものである」「患者の行動は常人には理解できないほど異常である」と決めつけることは、現実の患者への差別・偏見を招く恐れがあり、慎重になるべきであるとする。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "第二に、佐藤が尊氏の行動に「番犬思想」として歯切れの悪さを感じるのは、佐藤ら戦後すぐの歴史研究者たちに政治的偏向による先入観がかかっていたからであると主張する。実際には、史料的に尊氏が後醍醐への反乱を意図していたと確証するものはない。むしろ、『梅松論』(14世紀半ば)は、中先代の乱参戦を「天下のため」「弟の直義を救うため」とし、建武の乱で引きこもりをやめて後醍醐に対峙したのも弟を救うためにやむを得ずとしており、呉座も『梅松論』説を支持する。呉座の推測によれば、尊氏は天下や後醍醐のために良かれと思って独断で行動していたが、厳密な許可を得ずとも後醍醐は自分の行動を追認してくれるだろうと楽観視しており、そこに尊氏と後醍醐の行き違いがあったのだという。つまり、佐藤の側に尊氏は当初から後醍醐への反乱を計画していたという先入観があるために、その行動が佐藤視点ではどっちつかずとして複雑に見えたのではないか、と主張した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "観応の擾乱前の室町幕府の政治体制については、幕府の九州探題(九州方面軍総指揮官)を務めた今川了俊の『難太平記』に、世人は尊氏を「弓矢の将軍」と称し、直義は「政道」を任されたとあることから、一般に、擾乱前は、軍事を担当とする足利尊氏と政治を担当する足利直義の二頭政治が取られていたという理解が定説となっている。第二次世界大戦後、佐藤進一はこの説をさらに深化させ、尊氏は主従制的支配権(人を支配する権限)を、直義は統治的支配権(領域を支配する権限)を持っており、質的差異があったのではないか、と指摘した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "これに対し、呉座勇一は、「二頭政治」という呼び方では、両者の権限が拮抗していたかのような誤解を与えるのではないか、『難太平記』のも両者の関係にほころびが生じてからの描写であり、平時のものとは言い難い、と指摘した 。 亀田俊和も呉座に同意し、(足利義満の「室町殿」体制になぞらえて)下京三条坊門高倉に住む直義を中心とする「三条殿」体制と言って良いのではないか、とした。また、亀田は室町幕府初期の政治体制は建武政権末期の政治体制(後醍醐天皇が恩賞を与え、訴訟は雑訴決断所が行う)と似通っていることを指摘し、尊氏は後醍醐天皇の施策を意識的に継承し、尊氏が後醍醐天皇の権限(恩賞給付能力、政体の新たな力を創造する能力)を、直義が雑訴決断所の権限を担当することになったのではないか、とした(ただし、尊氏が理想としたのは建武政権ではなく、建武式目に見えるように「北条義時・北条泰時の執権政治」であり、実際は頼朝の幕府体制に遡っている)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "しかし、尊氏は元弘以来、建武の新政、室町幕府創立期と多くの発給文書を出しており、高師直が担当した膨大な執事施行状には全て尊氏の意志が反映されている。室町幕府発足時には建武式目の制定や守護や地頭の補任など幕府の根幹となる政策を自ら行なっている。建武5年に通達された『建武以来追加』の冒頭で尊氏は守護の在り方について厳しい見解を述べ(御沙汰)、更に暦応3年の御沙汰では施行不能に陥った場合将軍自ら裁決することとし、康永3年の足利尊氏自筆消息(島津家文書)には直義に命令を下した旨が書かれており、国家的事案における尊氏の最高権力者としての権限が示唆されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "尊氏が将軍として評定や内談方を凌ぐ最高の権限を有していたことは幕府として当然のことであり、また直義が雑訴など日常的な執務を担うことで将軍である尊氏を支える立場にあったーこれは源頼朝が武士の棟梁として幕政を行っていた鎌倉幕府初期の体制を尊氏が意識していたことからも明らかであり、事実室町幕府は将軍と守護の関係がより強固となってゆく。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "佐藤進一による二頭政治も呉座勇一説や亀田俊和説も、直義の雑訴業務を幕府の最高指導者とするには確証がなく、観応の擾乱における尊氏の権力保持を裏付けるには矛盾が生じる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "尊氏は、武将、政治家としてだけでなく、芸術家としても足跡を残している人物で、取り分け室町時代を代表する武家歌人として名高い。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "連歌については『菟玖波集』に68句が入集しており武家では道誉に次ぎ二番目に多く入集している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "専ら連歌に専念した道誉と異なり和歌についても足跡が多く、『続後拾遺和歌集』(正中3年(1326年))から『新続古今和歌集』(永享11年(1439年))まで、6種の勅撰集に計86首の和歌が入撰している。幕府成立初期、観応の擾乱前の心境を詠んだものとして、『風雅和歌集』(貞和2年(1346年))では、「いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに〈前大納言尊氏〉」とあって、50歳になっても(実際は『風雅和歌集』完成時まだ数え47歳)まだ自身に迷いのあることを嘆き遁世を願っており、尊氏の性格や当時の政局を窺える歌となっている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "また、『新千載集』を企画し、勅撰集の武家による執奏という先例を打ち立てた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "源頼義父子が名人として知られていた笙を豊原龍秋から学び、後醍醐天皇の前でも笙を披露している(『続史愚抄』建武2年5月25日条)。後に後光厳天皇も尊氏に倣って龍秋から笙を学んだ(『園太暦』延文3年8月6・8・14日条)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "地蔵菩薩や達磨大師を描いた水墨画も伝わっており、画才にも優れた人物だった。この他にも扇流しの元祖であるというエピソードもある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "真言宗においては第65代醍醐寺座主の三宝院賢俊を崇敬し、武家護持僧(祈祷の霊力で将軍を守護する僧)とした。賢俊は公卿日野俊光の子だったため、これが後の足利将軍家と日野家の縁戚関係の端緒となった。賢俊入滅にあたっては、その四十九日供養に、尊氏自ら筆を取って『理趣経』を写したが、この写本(醍醐寺蔵)は重要文化財に指定されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "天台宗においては、後醍醐天皇の側近の一人だった恵鎮房円観に帰依した。尊氏は、北条高時を鎮魂する寺社を作るようにという後醍醐の勅命を受け継いで鎌倉に宝戒寺を建立し、円観をその名目上の開山としている。円観はまた、史上最大の軍記物語『太平記』の原型である『原太平記』(散逸)の編纂を指揮した人物とみられている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "臨済宗においては、後醍醐天皇が抜擢した夢窓疎石に深く帰依し、後醍醐崩御後はその鎮魂のために天龍寺を建立させた。夢窓はまた世界的作庭家としても著名である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "真言律宗においては、後醍醐天皇の庇護を受けた浄土寺(広島県尾道市)を尊氏もまた庇護した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "また、京都の鞍馬山、奈良の信貴山と並ぶ、 日本三大毘沙門天のひとつである足利市の大岩毘沙門天を信仰していた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "尊氏は、足利氏重代の薙刀である骨食(ほねかみ)を愛刀としていた。この武具は本阿弥家の鑑定では、鎌倉時代の藤四郎吉光の作とされる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "『梅松論』下に、延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日)の多々良浜の戦いに臨む尊氏の武具について、「将軍其日は筑後入道妙恵が、頼尚を以進上申たりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あり。一は御重代の骨食也。重藤の御弓に上矢をさゝる。御馬は黒粕毛、是は宗像の大宮司が昨日進上申たりしなり」とあるのが、足利氏の骨食(骨喰)についての古い記述である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "また、同時代史料である『常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』(鎌田妙長、長享元年)に、長享元年(1487年)9月12日、第9代将軍足利義尚が六角高頼征伐のため近江国坂本に出陣した際、小者に「御長刀ほねかみと申す御重代をかつ」がせていたとあることから、骨食が薙刀であったこと、尊氏以降は足利将軍家重代の武器として伝えられていたこと、「ほねかみ」と訓まれていたことなどがわかる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "のち大脇差に磨り上げられ、骨喰(ほねばみ)として知られるようになり、大友家・豊臣家・徳川家・大日本帝国政府などの手を経て、大正末期に豊国神社の所有となり、旧国宝(現在の重要文化財)に指定されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "建武3年(1336)立花家の先祖が足利尊氏に従い武勲をたてた際、尊氏から拝領したと伝わる短刀。国宝。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "前記の『梅松論』より時代が下るものの、第8代将軍足利義政の同朋衆だった能阿弥の『能阿弥本銘尽』(現存最古の写本は文明15年(1483年)成立)によれば、尊氏は京都へ上洛する途上、長船派の刀工の兼光を取り立て、屋敷を与えたという 。備前長船兼光の作品は、後世には最上大業物の一つに数えられるほど斬れ味の良い刀である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "なお、世間的に流布している説では、建武の乱で九州落ちする尊氏を支援するため兼光が名刀を献上したとか、兼光が尊氏に献上した刀は甲冑をも両断する名刀「兜割り」であったとか伝えられるが、前者は『備陽国志』・後者は『備前軍記』など近世以降の文献に現れる物語である。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜は、足利尊氏が篠村八幡宮に奉納したとの伝承を持つ鎧だが、明治末期、京都からアメリカに流出した。メトロポリタン美術館所蔵。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "萩原朔太郎 『萩原朔太郎全集 第九卷』で、萩原は尊氏を、 彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。 さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。 彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである。 底本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房 1976(昭和51)年5月25日初版発行", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "尊氏を逆賊とする評価は、江戸時代に徳川光圀が創始した水戸学に始まる。水戸学は朱子学名分論の影響を強く受けており、皇統の正統性を重視していた。そのため、正統な天皇(後醍醐天皇)を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれることとなった。水戸学に発する尊氏観はその後も継承され、尊王思想が高まった幕末期には尊皇攘夷論者によって等持院の尊氏・義詮・義満3代の木像が梟首される事件も発生している(足利三代木像梟首事件)。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1934年(昭和9年)、斎藤実内閣の商工大臣で男爵だった中島久万吉は、足利尊氏を再評価すべきという過去の文章を発掘されて野党からの政権批判の材料とされ、大臣職を辞任した(「中島久万吉」項目参照)。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "森茂暁は、一次史料による実証的分析を通して、尊氏が数多くの発給文書を残していることを指摘し、尊氏が鎌倉将軍とは違って最高指導者としての親裁権を活用し、動乱の苦難と産みの苦しみを乗り越えて室町幕府のおおよその骨格を形作った人物であると述べた。そして、南北朝の動乱の群像でも最も中心的な役割を果たした存在とし、南北朝時代は現代に繋がる日本文化の原型とされるのであるから、その時代の骨格を作った尊氏は「日本文化の実質的な開創者の一人といっても過言ではない」と評した。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "亀田俊和は、『源威集』で、観応の擾乱後の尊氏が「征夷大将軍の名に恥じない立派な大将」として書かれているとし、武家故実に詳しい武田信武の8年前の兵装を記憶していてそれを評価した描写を取り上げ、尊氏のカリスマが高かったのは、単に経済的利益給与に気前が良かっただけではなく、こうした部下への細やかな観察と適切な評価にも優れていたことも特長なのでないか、とした。そして、室町幕府がまがりなりにも200年以上続く長期政権となったのは、尊氏が「諸政策の恩賞化」によって、「努力が報われる政治」を行ったことが主な理由なのではないか、とした。亀田はこのような尊氏の能力を観応の擾乱で必要に迫られ覚醒したと述べているが、建武政権や室町幕府発足における尊氏の発給文書の数は直義や師直の数とは比べものにならないほど多く、元々備わっていた能力とすべきである。足利氏の棟梁であり参議もこなしていた尊氏が、将軍職に就くことで、その一部の政務を直義と師直に分配したに過ぎない。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "今東光は『毒舌日本史』で、子孫が困るほど気前が良い人物であるとし、戦国時代に生まれていれば上杉謙信や武田信玄よりも器量は上で織田信長と対抗できるとも評している。また、尊氏の天下を認めようとしなかった後醍醐天皇を暗に批判している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "歴史小説家の海音寺潮五郎は「武将列伝」で、井沢元彦は「逆説の日本史」で、後醍醐天皇にとどめを刺さなかった点や内部抗争の処理に失敗した点を突き、「人柄が良くカリスマは高いが、組織の運営能力の点では源頼朝や徳川家康に劣っている」「戦争には強いが政治的センスはまるでない」と評価している。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "今川貞世(了俊)の『難太平記』(応永9年(1402年))によれば、足利氏の先祖である源義家は、置文(一種の遺書)に、自分は七代の孫に生まれ変わり、天下を取るだろうと予言したという。ところが、その七代目にあたる足利家時(尊氏と同じく足利頼氏側室の上杉氏の子)は、自分の世には天下を取ることが出来ないことを悟り、自分の寿命を縮めることと引き替えに、子孫3代のうちに足利家が天下を取ることを祈願して自刃し、その孫がまさに尊氏であるとされる。貞世自身の証言によれば、貞世は尊氏と直義の前でこの置文を拝見した経験があり、尊氏兄弟は「今天下を取る事ただこの発願(ほつがん)なりけり」と言ったという。", "title": "伝説・創作" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "足利氏の有力武将の証言というだけあって、かつては信頼の置ける話とされ、足利氏には代々天下を取る野望が有り、その使命感に駆られて、尊氏は北条高時や後醍醐天皇への離反を繰り返し、ついに天下を牛耳ったのだと説明されることがあった。", "title": "伝説・創作" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "この説に疑問を提起したのは、大正・昭和期の研究者である中村直勝である。観応元年(1350年)もしくはその翌年に書かれたと思われる直義の書状に、「故報国寺殿」(家時)が「心仏」(高師氏)に与えたという遺書を閲覧し感激したとある。直義の書簡の宛先は高師秋(師直の従兄弟)であるから、家時の書状は代々高一族が保管していたと見られ、しかも直義がその存在を知ったのは後醍醐との対決から15年も後のことである。したがって、家時の書状の存在自体は確実であるが、これを足利氏の天下取りの動機に求めることはできない、という。", "title": "伝説・創作" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "佐藤進一は、さらに、建武の乱が発生した時の貞世は11歳に過ぎないことを指摘し、仮にもし貞世が尊氏・直義の眼前で家時置文なるものを見たという証言が本当であるとしても、それは幕府が成立した後のことであろうから、やはり天下取りの動機の史料的根拠としては弱いとしている。", "title": "伝説・創作" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "20世紀末からは、動機の根拠どころか、家時の書状の内容自体が、はたして『難太平記』の言うように天下取りを指示したものかどうか、疑問視されるようになった。川合康によれば、足利氏が源氏嫡流と見なされるようになったのは、幕府が成立した後の工作の結果であり、貞世が語る義家・家時の伝説もその「源氏嫡流工作」の一環であるという。細川重男によれば、これは2016年時点での有力説である。", "title": "伝説・創作" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "【騎馬武者像(伝足利尊氏像)】 京都国立博物館所蔵の「騎馬武者像(重要文化財)」は、京都守屋家の旧蔵だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって「守屋家本」とも呼ばれる。本像は、1749年に西川祐信の「絵本武者備考」で騎馬武者像と足利尊氏の詞書として紹介され、1800年江戸時代に松平定信編纂の『集古十種』で、尊氏の肖像として紹介された。その後1920年(大正9年)に歴史学者の黒板勝美が論文の中で改めて尊氏像という説を発表したことで定着した。しかし、1937年(昭和12年)に美術史家の谷信一が早くもこの説に疑問を呈しており、1968年(昭和43年)にも、古文書学者の荻野三七彦が尊氏像説を否定する論考を発表している。それらの論拠とは、主に以下のようなものであるが、戦後、レントゲン撮影など科学的根拠や新たな記録により、足利尊氏像であるとする説も浮上している。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "1 足利義詮の花押", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "画像上部に書かれた花押は、2代将軍義詮のものである。父の画像の上に子が自らの名を記すのは、即ち親を下に見ていることになり、当時の慣習からして極めて無礼な行為となるため、有り得ない。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "「将又等持院様軍陣御影 幅青地錦御直垂浅黄糸御鎧廿四さしたる御矢重藤御弓大クワカタ打タル御甲、栗毛なる御馬ニ(略)御影ノ上ニホウケウ院(宝筐院=足利義詮.)様御判居之」 『室町家御案内書案下』 との記録があり、等持院(足利尊氏)の肖像画の上に宝筐院(足利義詮)の花押が記されていたことが分かっているため、1の説は否定されている。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "2 肖像画の様相", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "出陣時の整った姿ではなく、兜のない髻の解けたざんばら髪の頭、折れた矢、抜き身の状態の刀など、征夷大将軍という武将として最高位の人物を描いたにしては、あまりにも荒々しすぎる。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "『梅松論』における多々良浜の戦いに臨む尊氏の出で立ちが本像に近く、京都に凱旋した尊氏がこの時の姿を画工に描かせたという記録が残る ことから、やはり尊氏像で正しいとする意見もある。『太平記』によると、尊氏は後醍醐天皇へ叛旗を翻す直前に寺に籠もって元結を切り落としたといい、「騎馬武者像」の「一束切」のざんばら髪は、その後翻意して挙兵した際の姿を髣髴とさせるものではあり、その点をもって尊氏像と見なされてきたと考えられている。『太平記』では挙兵の際に味方の武士たちがみな尊氏にならって元結を切り落とした逸話も伝えている。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "3 刀や馬具の紋", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "刀や馬具に描かれている輪違の紋が、足利家ではなく高家の家紋であり、像主は高師直、もしくは子師詮、師冬である。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "戦後、肖像画のレントゲン撮影による科学的な研究がされ、輪違紋と見られる箇所が江戸時代の補修で新たに描き加えられたものと判明した。 また、高家の紋と推定された輪違紋(七宝)は江戸時代の高階家の紋を参考にしたもので、『太平記』に記された輪違紋は「寄懸り輪違」となっている。 南北朝時代に馬具に家紋を施した例はなく、また家紋とするには鎧の精密さと比べて描画の丁寧さに欠ける点からも、単に擦れた箇所を補っただけのことと考えるほうが自然である。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "こうした動きに決着がつかないことから、2000年代頃から学校の歴史教科書では尊氏像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "【伝平重盛像(神護寺三像)】", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "鎌倉時代に藤原隆信が描いたとされる神護寺三像のうちの「伝平重盛像」は、平重盛を描いたものと考えられてきたが、1995年に美術史家の米倉迪夫や歴史学者の黒田日出男らによって尊氏像であるとの説が提示された。すぐさま美術史家から、画風や様式が南北朝期に下るものではないとする反論が出て論争になったが、近年は総じて新説が認められる傾向にある。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "その他、広島県尾道市の浄土寺に尊氏を描いたと伝える束帯姿の肖像画(右最上部に掲示)が所蔵されており、京都市の天龍寺にも室町時代後期に描かれたとされる束帯姿の絹本着色「足利尊氏肖像画」が伝わっている。また、守屋家本とは異なる騎馬姿の尊氏像が神奈川県立歴史博物館にあり、「征夷大将軍源朝臣尊氏卿」と明記された江戸時代後期の肖像画が現存している。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "2017年、栃木県立博物館研究員らによって、尊氏を描いたものとされる肖像画が発見され 、個人蔵の絹本着色、束帯姿の肖像画が同博物館で公開された。この肖像画は「天神(菅原道真)絵賛」として伝来していたもので、原本ではなく室町時代中期に複製されたものであると推測される。同肖像画には臨済宗大覚寺派の僧伯英徳儁による讃が付され、そこには尊氏を指す「長寿寺殿」の業績が記されている。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "江戸時代に描かれた錦絵には、歌川国芳の「太平記兵庫合戦」(兵庫福海寺で尊氏を探す白藤彦七郎)、歌川芳虎の「太平記合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)、橋本周延の「足利尊氏兵庫合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)等がある。", "title": "尊氏の肖像" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "尊氏の木像は、大分県国東市の安国寺(重要文化財)のものが最も古い。面貌表現が写実的で理想化が少なく、尊氏の生前か死後間もなく造像されたと見られる。尊氏の木像というと、足利氏の菩提寺である京都市北区の等持院のものがよく知られている。こちらは体部の表現にやや時代が下る造形が見られるものの、頭部は安国寺木像や浄土寺肖像と共通する図様で造られており、中世を下らない時期の作品と考えられる。他には、静岡県静岡市の清見寺(文明17年(1485年)以前の作)、京都市右京区の天龍寺(16世紀の作)、栃木県さくら市の龍光寺(寛文6年(1666年)の再興像)、神奈川県鎌倉市の長寿寺(元禄2年(1689年)の再興像)、栃木県足利市の鑁阿寺(江戸時代・19世紀の作)、同市の善徳寺、同県真岡市の能仁寺などに所蔵されている。また、現代になって作られた銅像が足利市鑁阿寺参道と京都府綾部市安国寺町に設置されている。", "title": "尊氏の肖像" } ]
足利 尊氏は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏。
{{redirect|足利高氏|後に第3代古河公方となった足利高氏|足利高基}} {{基礎情報 武士 | 氏名 = 足利 尊氏 | 画像 = Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg | 画像サイズ = 250px | 画像説明 = 絹本著色伝足利尊氏像([[浄土寺 (尾道市)|浄土寺]]蔵) | 時代 = [[鎌倉時代]]末期 - [[室町時代]]([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]])初期 | 生誕 = [[嘉元]]3年[[7月27日]]([[1305年]][[8月18日]]){{efn|name="birthdate"}} | 死没 = [[延文]]3年[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]([[1358年]][[6月7日]])<br>[[享年]]54(満52歳没) | 改名 = 又太郎(幼名)→高氏→尊氏 | 別名 = | 諡号 = | 神号 = | 戒名 = 等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿 | 墓所 = [[京都府]][[京都市]][[北区 (京都市)|北区]]萬年山[[等持院]]<br/>[[神奈川県]][[鎌倉市]]寶亀山[[長寿寺 (鎌倉市)|長寿寺]] | 官位 = [[従五位上]]、[[鎮守府将軍]]、[[従四位下]]、[[兵衛府|左兵衛督]]、[[従三位]]、[[武蔵国司|武蔵守]]、[[正三位]]、[[参議]]、[[征東将軍]]、[[従二位]]、[[大納言|権大納言]]、[[征夷大将軍]]、[[正二位]]、[[贈位|贈]][[従一位]]、贈[[左大臣]]、贈[[太政大臣]] | 幕府 = [[鎌倉幕府]]→[[建武の新政]]→[[室町幕府]]初代征夷大将軍(在任:[[1338年]] - [[1358年]]) | 主君 =[[守邦親王]]([[北条高時]])→[[守邦親王]]([[北条守時]])→[[後醍醐天皇]]→[[光明天皇]]→[[崇光天皇]]→[[後村上天皇]]{{efn|name="gomurakami"|尊氏は[[観応の擾乱]]末期に行われた[[正平の一統]]により、短期間([[1351年]] - [[1352年]])ではあるが南朝に降っている{{sfn|亀田|2017|loc=§5.2 正平の一統――尊氏、南朝方に転じる}}。伝統的通説では政治的権力を保持するための便宜上の策略であったとされる{{sfn|亀田|2017|loc=§5.2 正平の一統――尊氏、南朝方に転じる}}。一方、日本史研究者の[[亀田俊和]]は、不本意な事情で後醍醐と敵対してしまった尊氏は、以前から南朝と和睦する好機を窺っており、この講和にも本心かつ真剣であったのではないかとしている{{sfn|亀田|2017|loc=§5.2 正平の一統――尊氏、南朝方に転じる}}。}}→[[後光厳天皇]] | 氏族 = [[河内源氏]][[源義国|義国]]流[[足利氏]]([[足利将軍家]]) | 父母 = 父:[[足利貞氏]]、母:[[上杉清子]] | 兄弟 = [[足利高義|高義]]、'''尊氏'''、[[足利直義|直義]]、源淋(田摩御坊){{efn|兄高義の子とする説もある。}} | 妻 = [[正室]]:北条守時の妹・'''[[赤橋登子]]'''<br/>[[側室]]:[[加古基氏]]の娘、[[越前局]]ほか | 子 = [[足利竹若丸|竹若丸]]、[[足利直冬|直冬]]、'''[[足利義詮|義詮]]'''、[[足利基氏|基氏]]、[[鶴王]]、[[足利尊氏#系譜|他]] | 特記事項 = }} '''足利 尊氏'''(あしかが たかうじ)は、[[鎌倉時代]]末期から[[室町時代]]([[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]])前期の日本の[[武将]]。[[室町幕府]]初代[[征夷大将軍]]<ref>上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 29頁。</ref>(在職:[[1338年]] - [[1358年]])。[[鎌倉幕府]]の[[御家人]]。[[足利貞氏]]の次男。[[足利将軍家]]の祖。姓名は'''源 尊氏'''(みなもと の たかうじ)。正式名称は足利又太郎源尊氏(あしかがまたたろうげんたかうじ)。 == 概要 == [[河内源氏]][[源義国|義国]]流[[足利氏]]本宗家の8代目[[棟梁]]。[[足利貞氏]]の次男として生まれる。歴代当主の慣例に従い、初めは[[得宗]]・[[北条高時]]の[[偏諱]]を受け'''高'''氏「たかうじ」(源高氏)と名乗っていた。[[佐々木道誉]]も同時期に同様にして名乗った佐々木'''高氏'''(源高氏){{Sfn|紺戸|1979|pp=11-14}}<ref>{{Citation|和書|author=臼井信義|chapter=尊氏の父祖 ―頼氏・家時年代考―|editor=田中大喜|editor-link=田中大喜|series=シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻|title=下野足利氏|publisher=[[戎光祥出版]]|year=2013|page=69}}</ref>と本姓([[源氏]])名前ともに同姓同名。共に鎌倉幕府を打倒した[[新田義貞]]は同族である。[[正慶]]2年([[1333年]])に[[後醍醐天皇]]が[[伯耆国]][[船上山]]で挙兵した際、その[[鎮圧]]のため幕府軍を率いて[[上洛]]したが、[[丹波国]][[篠村八幡宮]]で幕府への反乱を宣言、[[六波羅探題]]を滅ぼした。幕府滅亡の勲功第一とされ、後醍醐天皇の諱・尊治(たかはる)の[[偏諱]]を受け、高氏の名を'''尊'''氏(たかうじ)に改める。鎌倉時代の足利宗家当主の[[通字]]は「氏」であったため、室町幕府の将軍15人の中で唯一「義」の字が諱に使われていない。 後醍醐天皇の新体制である[[建武の新政]]下で、[[持明院統]]に近く冷遇されていた貴族[[西園寺公宗]]と[[北条高時]]の弟[[北条泰家|泰家]]の反乱計画発覚など政情不安が続く中、鎌倉方の残党[[北条時行]]が起こした[[中先代の乱]]により窮地に陥った弟・[[足利直義]]救援のため東下し、乱を鎮圧したあとも[[鎌倉]]に留まり、[[恩賞]]を独自に配布した。これを独自の[[武家政権]]を樹立する構えと解釈した天皇との関係が悪化、[[建武の乱]]が勃発した。[[箱根・竹下の戦い]]では大勝するが、[[第一次京都合戦]]および[[豊島河原合戦|打出・豊島河原の戦い]]で敗北し、一時は[[九州]]に都落ちしたものの、[[光厳上皇]]が尊氏に対し[[新田義貞]]追討の[[院宣]]を発給し、再び[[太宰府天満宮]]を拠点に上洛して[[京都]]を制圧。[[光明天皇]][[践祚]]を支援し、[[光明天皇]]より征夷大将軍に[[補任]]され新たな武家政権(室町幕府)を開いた。一度は京に降った後醍醐天皇は、すぐ後、[[吉野]]に脱出し[[南朝 (日本)|南朝]]を創始することになった。 幕府を開いてのち、尊氏は[[是円]]・[[真恵]]兄弟らへの[[諮問]]のもと、その基本方針となる『[[建武式目]]』を発布。 征夷大将軍として幕府の軍事を取り仕切り守護を纏めた。これを支えた保守派の直義に対して、尊氏の[[執事 (室町幕府)|執事]][[高師直]]は執事施行状など尊氏の意を受け先進的な体制を取りいれていた。 後醍醐天皇の崩御後は、その[[菩提]]を弔うため[[天竜寺]]を建立し、全国の戦没者を弔うため66の安国寺利生塔を設立させた。その後、師直派と直義派との間で[[観応の擾乱]]が起こった。師直・直義の死により乱は終息したが、その後も南朝や実子の[[足利直冬]]など反対勢力の打倒に奔走し、晩年には政治にも手腕を発揮して統治の安定に努めた。 勅撰[[歌人]]である武家歌人としても知られ、『[[新千載和歌集]]』は尊氏の執奏により[[後光厳天皇]]が撰進を命じたものであり、以後の[[勅撰和歌集]]は、[[二十一代集]]の最後の『[[新続古今和歌集]]』まですべて将軍の執奏によることとなった。 == 生涯 == === 誕生と家督相続 === 尊氏は[[嘉元]]3年 [[7月27日 (旧暦)|(旧暦)]]([[1305年]]){{sfn|森|2017|loc=§足利尊氏関連年表}}{{efn|name="birthdate"|『[[賢俊]]僧正日記』『足利家官位記』により尊氏の誕生の年は判明する{{sfn|森|2017|loc=§足利尊氏関連年表}}。一方、[[森茂暁]]による評伝・[[清水克行]]の評伝ともに日付までは記載していない{{sfn|清水|2013|pp=19–20}}{{sfn|森|2017|loc=§足利尊氏関連年表}}。}}、[[足利氏]]当主の[[足利貞氏|貞氏]]の次男として生まれた{{sfn|清水|2013|pp=20–22}}。確実な生誕地は不明で、足利氏の[[本貫]](名字の根拠の地)である[[下野国]][[足利荘]]([[栃木県]][[足利市]])・[[上杉氏]]の本貫である[[丹波国]]何鹿郡八田郷[[上杉荘]]([[京都府]][[綾部市]]上杉)・[[鎌倉幕府]]の本拠地である[[相模国]][[鎌倉]]([[神奈川県]][[鎌倉市]])などの説がある{{sfn|清水|2013|p=20}}。京都の[[綾部安国寺]]には、足利尊氏が浸かったといわれる生湯の井戸や母・清子が男子出生を祈願した地蔵菩薩が残されており、尊氏の産着や毛髪なども保存されている。日本史研究者の[[清水克行]]によれば、当時の足利氏は幕府の実質的支配者である[[北条得宗家]]と友好関係を保つため鎌倉に活動拠点を移していたため、2013年時点では鎌倉誕生説が最も有力な見解とされてきたが、鎌倉での記録もないため、京都綾部誕生説か鎌倉誕生説かは未だ決着がつかないままとなっている。{{sfn|清水|2013|p=20}}。 母は貞氏[[側室]]・[[上杉清子]](兄に貞氏[[正室]]・[[北条顕時]]の娘が産んだ[[足利高義]]がいる)。後世に編纂された『[[難太平記]]』では尊氏が出生して[[産湯]]につかった際、2羽の山鳩が飛んできて1羽は尊氏の肩に止まり、1羽は柄杓に止まったという伝説を伝えている。[[元応]]元年([[1319年]])[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]、15歳にして[[従五位下]]に叙し[[治部省|治部大輔]]に任ぜられる。また、同日に[[元服]]をし、[[得宗]]・[[北条高時]]の偏諱を賜り'''高氏'''(通称は又太郎)と名乗ったとされる{{efn|『[[続群書類従]]』第五輯上所収「足利系図」の尊氏の付記に「元應元年叙從五位下。同日任治部大輔。<small>'''十五歳元服。無官。号足利又太郎。'''</small>」とある(参考:紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(所収:『中央史学』二、1979年)P.11))。}}。足利氏の嫡男は「三郎」を名乗る決まりになっていたが、兄であり貞氏嫡男の高義の死後であるにもかかわらず「又太郎」と名付けられたのは、貞氏が北条氏との姻戚関係を重視し高義の遺児が家督を継承することを重視してのことと考えられる。<ref name="名前なし-1">櫻井彦 樋口州男 錦昭江『足利尊氏のすべて』2008年 新人物往来社</ref>。15歳での[[叙爵]]は北条氏であれば得宗家・[[赤橋流北条氏|赤橋家]]に次ぎ、[[大仏流北条氏|大仏家]]・[[金沢流北条氏|金沢家]]と同格の待遇であり、北条氏以外の御家人に比べれば圧倒的に優遇されていた<ref name="maeda">前田治幸「鎌倉幕府家格秩序における足利氏」(初出:阿部猛 編『中世政治史の研究』(日本史史料研究会、2010年)/所収:田中大喜 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第九巻 下野足利氏』(戒光祥出版、2013年)ISBN 978-4-86403-070-0</ref>。そして北条氏一族の有力者であった赤橋流北条氏の[[北条守時|赤橋(北条)守時]]の妹・[[赤橋登子]]を正室に迎える。その後、守時は鎌倉幕府の[[執権]]となる。[[元弘]]元年/[[元徳]]3年([[1331年]])、父・貞氏が死去すると、足利氏の[[家督]]は嫡流である兄・高義が父より先(高氏の元服以前)に亡くなっていたため、高氏が継ぐことになった。 [[ファイル:Washū nyoirindō kassen LCCN2008660438.jpg|サムネイル|300px|楠木正成の戦を描いた[[勝川春亭]]画「和州如意輪堂合戦」。右上方に足利尊氏が描かれている。]] === 元弘の乱 === {{main|元弘の乱}} 元弘元年/元徳3年(1331年)、[[後醍醐天皇]]が2度目の倒幕を企図し、笠置で挙兵した([[元弘の乱]])。鎌倉幕府は高氏に派兵を命じ、高氏は天皇の拠る笠置と[[楠木正成]]の拠る[[下赤坂城]]の攻撃に参加した。このとき、父・[[足利貞氏|貞氏]]の喪中であることを理由に出兵動員を辞退したが許されなかった。『[[太平記]]』は、このことから高氏が幕府に反感を持つようになったとされる。また、足利氏は[[承久の乱]]で足利義氏が大将の1人として[[北条泰時]]を助けて勝利を導いて以来、対外的な戦いでは足利氏が大将を務めるのが嘉例とされ、幕府及び北条氏はその嘉例の再来を高氏に期待したもので、裏を返せば北条氏が足利氏に圧力を加えても決して滅ぼそうとはしなかった理由でもあった<ref name=maeda/>。勝利に貢献した高氏の名声は高まったが、不本意な出陣だったためか、同年11月他の大将を置いて[[朝廷 (日本)|朝廷]]に挨拶もせず、さっさと鎌倉へ戻っており、[[花園天皇|花園上皇]]を呆れさせている(『[[花園天皇宸記]]』)。 元弘の乱は結局失敗に終わり、倒幕計画に関わった[[貴族]]・[[僧侶]]が多数逮捕され、[[死刑]]・[[配流]]などの厳罰に処された。[[後醍醐天皇]]も[[廃位]]され、代わって[[持明院統]]の[[光厳天皇]]が[[践祚]]した。元弘2年/[[正慶]]元年([[1332年]])3月には後醍醐天皇は[[隠岐島]]に配流された。幕府は高氏の働きに、従五位上の位階を与えることで報いた(『花園天皇宸記』裏書)。 [[File:Shinomura-hachimangi, honden.jpg|thumb|200px|right|[[篠村八幡宮]]と足利高氏旗あげの地碑([[京都府]][[亀岡市]])]] [[正慶]]2年([[元弘]]3年/西暦[[1333年]])後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆国船上山に籠城した。高氏は当時病中だったが再び幕命を受け、西国の討幕勢力を鎮圧するために[[北条高家|名越高家]]とともに[[司令官]]として上洛した。このとき、高氏は妻・登子、[[嫡男]]・千寿王(後の[[足利義詮|義詮]])を同行しようとしたが、幕府は[[人質]]としてふたりを鎌倉に残留させている。 高氏は京都への上洛途中、[[三河国]]八つ橋まで来たところで、幕府に謀反を起こすことを[[吉良貞義]]を含めた腹心に打ち明け、同意を得た。三河国で謀反の志を打ち明けた理由は、三河国が足利氏一族や被官が濃密に分布していたからであると考えられる<ref name="名前なし-2">新井孝重『護良親王:武家よりも君の恨めしく渡らせ給ふ』2016年 ミネルヴァ書房</ref>。その後、海老名季行を密かに[[船上山]]へ参候させ、後醍醐により討幕の密勅を受け取った。 高氏らは上洛し、名越高家が緒戦で戦死したことを踏まえ、4月29日、船上山と京都を繋ぐ[[山陰道]]の要衝であり、また[[千種忠顕]]軍が展開していた[[丹波国]]の[[篠村八幡宮]]([[京都府]][[亀岡市]])で反幕府の兵を挙げた。諸国に多数の軍勢催促状を発し、[[播磨国]]の[[赤松則村|赤松円心]]、[[近江国]]の[[佐々木道誉]]らの反幕府勢力を糾合して入洛し、5月7日に[[六波羅探題]]を滅亡させた。この際、高氏は九州の[[薩摩国]]にまで催促状を出しているが、これは距離的に六波羅攻略のためでないのは明らかで、将来高氏自身が独立して政治を行う時のために九州の豪族を味方につけるのが目的だったと考えられる<ref name="名前なし-2"/>。[[関東]]では、同時期に[[上野国]]の御家人である[[新田義貞]]を中心とした叛乱が起こり、鎌倉を制圧して幕府を滅亡に追い込んだ。この軍勢には、鎌倉からの脱出に成功した千寿王も尊氏の名代として参加している。一方、高氏の庶長子・[[足利竹若丸|竹若丸]]は伯父であり、走湯山密巌院別当だった[[覚遍]]に伴われて山伏姿で密かに上洛しようとしたが、途中で北条の手の者に捕られ、殺害されている。静岡市駿河区には竹若丸と従者を供養したと伝わる[[将軍塚]]が残り、付近の[[円福寺]]の[[将軍堂]]には竹若丸の騎馬像を胎内に納めた足利尊氏坐像が安置されている。 高氏が倒幕を決意した原因は、『[[太平記]]』や『[[梅松論]]』に見えるように、亡父の法要を満足にできぬまま出兵させられたことが1番に挙げられる<ref name="名前なし-1"/>。また足利氏は、[[建長]]2年([[1250年]])の閑院内裏造営や、[[建治]]元年([[1275年]])の[[六条八幡宮]]造営などで、多額の費用を負担させられており、北条氏による足利氏への経済的要求は他の御家人と比較して突出していた<ref name="名前なし-1"/>。加えて『[[吾妻鏡]]』には、[[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]と[[結城朝光]]が書状の書式をめぐって争った際、義氏が足利氏を源氏一門として別格であると主張したのに対し、朝光は御家人としての立場は変わらないと主張し、その論争に仲裁に入った幕府は朝光の主張を正当なものとした、という記述がある。この裁定は、御家人の中に特別な存在を認めることは幕府(=北条氏)にとって得策ではなかったからである<ref name="名前なし-1"/>。しかし、逆にこの出来事を『吾妻鏡』に記したことは、『吾妻鏡』が「北条氏得宗政権を正当化する弁解状だった<ref>奥富敬之「『吾妻鏡』の編纂者と編纂目的を探る」</ref>」ように、こうした話を挿入すること自体に、北条氏が足利氏を特別視し、その立場に対する警戒心(足利氏を抑え込もうという意識)が現れているとも考えられる<ref name="名前なし-1"/>。 === 建武の新政=== {{main|建武の新政|後醍醐天皇}} 鎌倉幕府の滅亡後、高氏は後醍醐天皇から勲功第一とされ、[[従四位下]]に叙され、[[鎮守府将軍]]・[[兵衛府|左兵衛督]]に任ぜられ、また30箇所の所領を与えられた。元弘3年/正慶2年([[1333年]])[[8月5日 (旧暦)|8月5日]]には[[従三位]]に[[昇叙]]、[[武蔵守]]を兼ねるとともに、天皇の諱「尊治」から偏諱を受け'''尊氏'''と改名した{{efn|『[[公卿補任]]』に「<sup>足利</sup>源尊氏<small>二十九</small> 八月五日叙。元左兵衛督從四位下。今日以高字爲尊。同日兼武蔵守。」とある([[国史大系|新訂増補国史大系本]]より)。『足利家官位記』(『[[群書類従]]』第四輯所収)にも「元弘三年……同八月五日叙從三位。越階。同日兼武蔵守。今日以高爲尊。」と同様の記述が見られる。『[[太平記]]』でも「是のみならず、忝も[[後醍醐天皇|天子]]の[[偏諱|御諱の字]]を被下て、高氏と名のられける高の字を改めて、尊の字にぞ被成ける。」とあり、後醍醐天皇からの一字拝領であることが窺える。但しこの文章は、巻十三「足利殿東国下向事付時行滅亡事」にあり、すなわち2年後の[[中先代の乱]](詳細は本文を参照)の時の改名としているが、実際には『公卿補任』や『足利家官位記』が示す1333年8月5日が正確と考えられている([[後藤丹治]]・釜田喜三郎・[[岡見正雄]]校注 『太平記』、[[日本古典文学大系]]、[[岩波書店]])。}}。尊氏は建武政権において[[参議]]という中枢機関の要職に就き、足利家の執事である高師直、その弟・[[高師泰]]をはじめとする家臣も多数起用されたことから、後醍醐天皇からはかなり厚遇されていたようである。新政府の各種機関に名を連ねていないことで世間から「尊氏なし」と揶揄されたが、実際は奉行所をいち早く立ち上げ、後醍醐天皇の[[綸旨]]を受け通達する文書を多数出しており、更には後醍醐天皇の命により[[北条高時]]を供養するため[[宝戒寺]]の建立にも携わっていたことから、尊氏は建武政権時から既に武士を束ねるべく頭角を表していたと言える。 [[正慶]]2年(元弘3年/[[1333年]])、義良親王(のちの[[後村上天皇]])が[[陸奥守|陸奥太守]]に、[[北畠顕家]]が[[鎮守府将軍|鎮守府大将軍]]に任じられて[[陸奥国]]に駐屯することになると、尊氏も、[[成良親王]]を[[上野守|上野太守]]に擁立して直義とともに鎌倉に駐屯させている。また、鎌倉幕府滅亡に大きな戦功をあげながら父に疎まれ不遇であった[[護良親王]]は、尊氏をも敵視し政権の不安定要因となっていたが、[[建武 (日本)|建武]]元年([[1334年]])には父・後醍醐天皇の命で逮捕され、鎌倉の直義に預けられて幽閉の身となった。最期は[[中先代の乱]]で[[直義]]によって殺害された。 === 中先代の乱 === {{main|中先代の乱}} 建武2年([[1335年]])[[信濃国]]で北条高時の遺児[[北条時行]]を擁立した北条氏残党の反乱である[[中先代の乱]]が起こり、時行の軍勢は鎌倉を一時占拠する。直義は鎌倉を脱出する際に独断で護良を殺害している。尊氏は後醍醐天皇に征夷大将軍の[[官職]]を望んだが許されず、8月2日、天皇の許可を得ないまま4万の軍勢を率いて鎌倉に向かった。天皇はやむなく[[征東将軍]]の号を与えた。尊氏は直義の軍勢と合流し[[相模川の戦い]]で時行を駆逐して、8月19日には鎌倉を回復した。 === 建武の乱 === {{main|建武の乱}} 尊氏は、中先代の乱の戦後処理のため、また関東の防御を固めるため京都には戻らず鎌倉に留まった。上洛の命にも応じなかったため11月、後醍醐天皇は義貞に[[尊良親王]]をともなわせて尊氏討伐を命じた。さらに奥州からは[[北畠顕家]]も南下を始めていた。尊氏は赦免を求めて寺に蟄居し出家すべく断髪(一束切)する{{efn|尊氏は出家や遁世を願ったり、『太平記』では劣勢となった尊氏が切腹をしようとして周囲に止められたという創作により精神的に不安定(双極性障害)であったのではないかと佐藤進一氏は唱えているが、医学的根拠も引用文献もなく、近年その行き過ぎた説が尊氏像を不透明にさせていると問題視されている。}}が、直義・師直などの足利方が各地で劣勢となると「直義が死ねば自分が生きていても無益である」と宣言し出陣する。『太平記』ではこの時、異形の尊氏が敵に狙われぬよう鎌倉中の武士が皆一切切になったという逸話が残っている。12月、尊氏は新田軍を[[箱根・竹ノ下の戦い]]で破り、京都へ進軍を始めた。この間、尊氏は[[持明院統]]の[[光厳天皇|光厳上皇]]と連絡を取り、叛乱の正統性を得る工作をしている。建武3年([[1336年]])正月、尊氏は入京を果たし、後醍醐天皇は[[比叡山]]へ退いた。しかしほどなくして奥州から上洛した北畠顕家と楠木正成・新田義貞の攻勢に晒される。1月30日の戦いで敗れた尊氏は[[篠村八幡宮]]に撤退して京都奪還を図る。この時の尊氏が京都周辺に止まって反撃の機会を狙っていたことは、九州の[[大友貞順|大友近江次郎]]に出兵と上洛を命じた尊氏の[[花押]]入りの2月4日付軍勢催促状(「筑後大友文書」)から推測できる。だが、2月11日に[[摂津国]][[豊島河原の戦い]]で新田軍に大敗を喫したために戦略は崩壊する。尊氏は摂津国兵庫から[[播磨国]][[室津]]に退き、[[赤松則村|赤松円心]]の進言を容れて京都を放棄して九州に下った。 九州への西下途上、[[長門国]]赤間関([[山口県]][[下関市]])で[[少弐頼尚]]に迎えられ、[[筑前国]][[宗像大社]]の[[宗像氏範]]の支援を受ける。[[建武 (日本)|建武]]3年([[延元]]元年/[[1336年]])宗像大社参拝後の3月初旬、筑前国[[多々良浜の戦い]]において天皇方の[[菊池武敏]]らを破り、大友貞順(近江次郎)ら天皇方勢力を圧倒して勢力を立て直した尊氏は、京に向かう途中の[[鞆の浦|鞆]]で光厳上皇の[[院宣]]を獲得し、西国の武士を急速に傘下に集めて再び東上した。5月25日の[[湊川の戦い]]で新田義貞・楠木正成の軍を破り、6月には京都を再び制圧した([[延元の乱]])。 尊氏は洛中をほぼ制圧したが、このころ再び遁世願望が頭を擡げ8月17日に「この世は夢であるから遁世したい。信心を私にください。今生の果報は総て直義に賜り直義が安寧に過ごせることを願う」という趣旨の願文を[[清水寺]]に納めている{{efn|この願文は文法や文字に乱れが大きい。}}。足利の勢力は、比叡山に逃れていた天皇の顔を立てる形での和議を申し入れた。和議に応じた後醍醐天皇は11月2日に光厳上皇の弟[[光明天皇]]に[[三種の神器|神器]]を譲った。 === 室町幕府 設立=== {{main|室町幕府}} 1336年11月7日、尊氏は、[[明法家]](法学者)の[[是円]](中原章賢)・[[真恵]]兄弟らへ諮問して『建武式目』十七条を定め、政権の基本方針を示し、新たな武家政権の成立を宣言した。内容が厳格なため直義の意向が強く働いたのではないかとする説があるが根拠はない。むしろ『建武以来追加』で尊氏は下知に従わない守護に対し将軍自ら裁定を下すことを沙汰しており、その厳格さがうかがえる。 実質的には、この『建武式目』をもって室町幕府の発足とする。尊氏は[[源頼朝]]と同じ[[権大納言]]に任じられ、自らを「[[鎌倉殿]]」と称した。一方、後醍醐天皇は12月に京を脱出して吉野([[奈良県]][[吉野郡]][[吉野町]])へ逃れ、光明に譲った三種の神器は偽物であり自らが帯同したものが本物であると称して(北朝と南朝とのどちらが本物の三種の神器を保有していたかは不明)独自の朝廷([[南朝 (日本)|南朝]])を樹立した。 新政権において、尊氏は軍事指揮権と恩賞権、そして守護の補任と、武士の棟梁として君臨し、その他の業務を直義と師直に任せた。 [[佐藤進一]]はこの状態を、主従制的支配権を握る尊氏と統治権的支配権を所管する直義との両頭政治であり、鎌倉幕府以来、将軍が有していた権力の二元性が具現したものと評価した(「室町幕府論」『岩波講座日本歴史7』岩波書店、1963年)。 しかし、室町幕府創設時は尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、『建武以来追加』には上記のとおり尊氏による御沙汰が多く反映されている。尊氏は建武の新政においても奉行所を設置し後醍醐天皇の勅命を受けその手腕を発揮しており、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴などの日常的な実務を直義が担っていたとする見解も出てきている。 幕府体制が落ち着くと次第に直義の発給数は増えてゆくが、その数は尊氏が最も多く出した発給数と比較しても6分の1と少なく、尊氏とほぼ同じか多くても2倍にも満たない。 また、直義が出した軍勢催促も尊氏が口頭で指示を出した旨が島津家文書に残されており、将軍という立場ゆえの上位下達の存在を無視するわけにはいかない。 [[暦応]]元年([[1338年]])、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任じられ<ref>{{Kotobank|足利尊氏}}</ref>、室町幕府が名実ともに成立した。翌年、後醍醐天皇が吉野で[[崩御]]すると、尊氏は夢窓疎石に勧められ、「報恩謝徳」「怨霊納受」のため、[[光厳上皇]]の院宣で[[天龍寺]]造営を開始した。造営費を支弁するため、[[元 (王朝)|元]]へ[[天龍寺船]]が派遣されている。さらに、[[光厳上皇]]の院宣をもとに、諸国に[[安国寺利生塔|安国寺と利生塔]]の建立をさせた。南朝との戦いは基本的に足利方が優位に戦いを進め、北畠顕家、新田義貞、楠木正成の遺児[[楠木正行|正行]]などが次々に戦死し、[[小田治久]]、[[結城親朝]]は南朝を離反して幕府に従ったほか、[[貞和]]4年([[1348年]])には高師直が吉野を攻め落として全山を焼き払うなどの戦果をあげている。 対して直義も貞和元年あたりから直冬を養子に迎えたり神護寺に自身と尊氏の肖像画を奉納するなど自己顕示が活発化、師直との対立が目立つようになる。 この頃直義は異様に大きな花押を書いているが、これを直義の自信からくる権威の現れと見るか、認めてもらいたいとするフラストレーションと見るか意見が分かれている。 === 観応の擾乱 === [[ファイル:Toujiin AshikagaTakauji haka.jpg|thumb|220px|尊氏の墓([[等持院]])]] [[ファイル:足利尊氏3596.JPG|thumb|180px|足利尊氏邸跡・京都市中京区高倉通御池上ル東側]] {{main|観応の擾乱}} 高師直が数々の功績をあげ、尊氏に最も近い存在へと登り詰めるなか[[上杉重能]]などがこれに反発。直義派の対立として現れていく。この対立はついに[[観応の擾乱]]と呼ばれる内部抗争に発展した。尊氏は当然、幕府として内紛を抑えるべく[[中立]]的立場を取っていた。[[貞和]]5年([[1349年]])、直義が師直を襲撃しようとするも師直側の反撃を受けた直義が逃げ込んだ尊氏邸を師直の兵が包囲し、直義の引退を求める事件が発生した([[御所巻]])。直義は[[出家]]し政務を退くこととなった。直義の排除には師直・尊氏の間で了解があったとか、直義の師直襲撃にも尊氏が言質を与えていたとする説もあるが共に根拠はなく、むしろ尊氏は「世間の噂、人々の舌端は畏るべし」と周囲に惑わされる直義を諭し仲裁に勤めていた。 師直は直義に代わって政務を担当させるため尊氏の嫡男・義詮を鎌倉から呼び戻し、尊氏は代わりに次男・[[足利基氏|基氏]]を下して[[鎌倉公方]]とし、東国統治のための[[鎌倉府]]を設置した。 直義の引退後、尊氏庶子で直義猶子の[[足利直冬|直冬]]が九州で直義派として勢力を拡大していたため、尊氏は師直や守護に命じて直冬に出家し上洛するよう勧めたが直冬はこれに応じなかった。 [[観応]]元年([[1350年]])、直冬討伐のため尊氏は自ら[[中国地方]]へ遠征した。 すると直義は京都を脱出して南朝に降伏し、[[桃井直常]]、[[畠山国清]]ら直義派の武将たちもこれに従った。直義の勢力が強大になると、義詮は劣勢となって京を脱出し、京に戻ろうとした尊氏も[[光明寺合戦]]や[[打出浜の戦い]]で敗れた。尊氏は高師直・師泰兄弟の出家・配流を条件に直義と和睦し、[[観応]]2年(正平6年/[[1351年]])に和議が成立した。尊氏は直義と師直の争いを利用して巧みに両者を排除したのではないかとする説があるが、観応2年3月6日に直義の錦小路邸を訪れた際、宴席で「師直の死を惜しみ誅死に立腹の言動あるも大事に至らず」と園太暦にその一連の様子が残されており、観応の擾乱における尊氏の立ち位置はあくまで幕府として内乱を抑えたに過ぎないと考えるべきであろう。 直義は義詮の補佐として政務に復帰した。この一連の戦の勝者は直義、敗者は尊氏であるとする見方もあるが、勅命も将軍の許しもない直義派の戦は単なる幕府に対する謀叛である。当然尊氏は幕府として将軍の裁定を下すべく、[[論功行賞]]では尊氏派の武将の優先を直義に約束させ、高兄弟を滅ぼした上杉能憲の死罪を主張し、直義との交渉の末これを流罪にした。また[[謁見]]に現れた直義派の[[細川顕氏]]を降参人とみなし[[太刀]]を抜いて激怒するなど、勝ち戦で上機嫌だった顕氏は尊氏の迫力に気圧され一転して恐怖に震えたという。 尊氏の恩情で復帰した直義も、その保守的で頑な性格と、一連の騒動、また尊氏や義詮を支える幕府や守護が既に脇を固めていたこともあり、次第に孤立し出奔した。この頃の無気力な直義は、生真面目が故の燃え尽き症候群に陥っていたのではないかとする見解もある。 尊氏は[[佐々木道誉]]の謀反を名目に[[近江国|近江]]へ、義詮は[[赤松則祐]]の謀反を名目として播磨へ、京の東西へ出陣する形となったが、佐々木や赤松の謀反の真相は不明で(後に彼らは尊氏に帰順)、尊氏は南朝と和睦交渉を行い停戦に持ち込んでいる。この動きに対して直義は京を放棄して北陸を経由して鎌倉へ逃亡した。尊氏と南朝の和睦は同年10月に成立し、この和睦によって尊氏は南朝から直義追討の綸旨を得たが、尊氏自身がかつて擁立した[[北朝 (日本)|北朝]]の[[崇光天皇]]は廃されることになった([[正平一統]])。そして尊氏は直義を追って[[東海道]]を進み、[[薩埵峠の戦い (南北朝時代)]]([[静岡県]][[静岡市]][[清水区]])、[[相模国]]早川尻([[神奈川県]][[小田原市]])の戦いなどで撃ち破り、交渉の末直義と共に鎌倉に帰還した。直義は、[[観応]]3年(正平7年[[1352年]])2月26日、高師直の一周忌に急死したとされているが、『[[鎌倉九代後記]]』では2月25日の基氏元服前とも記録されており、翌日の幕府の通達によって2月26日と記録されたとの見解もある。 『太平記』では毒殺の疑いを匂わせるように描かれたが、この「毒殺の噂」に言及しているのは『太平記』だけであり真相は不明である。 清水克行は尊氏の毒殺説を支持しているが、度重なる和睦交渉の末共に鎌倉へ帰還している尊氏がわざわざ師直の命日に暗殺を企てるとは無理があり、また執着心からは程遠い尊氏の性格からしてあり得ない。万が一毒殺とするなら師直派の残党による遺恨を疑うべきであろう。 なお、[[観応の擾乱]]前夜の[[貞和]]5年([[1349年]])後半ごろから{{sfn|森|2017|loc=§4.3.2 尊氏の発給文書}}、薨去数年前の[[文和]]4年([[1355年]])後半ごろまで{{sfn|森|2017|loc=§4.3.4 義詮の発給文書}}、尊氏は将軍自ら政務を行い、嫡子の義詮と共同統治を行った{{sfn|森|2017|loc=§5.1.3 将軍権力の一元化}}。[[日本史]]研究者の[[森茂暁]]と[[亀田俊和]]はこの時期の尊氏・義詮の政治的手腕を高く評価している{{sfn|森|2017|loc=§はじめに}}{{sfn|亀田|2017|loc=§終.3 その後の室町幕府――努力が報われる政権へ}}。しかし、室町幕府創設時には尊氏の発給文書は直義の3倍にも上り、建武以来追加には尊氏による御沙汰が多く反映されている。建武の新政においても奉行所を開設し後醍醐天皇の勅命を受ける立場にあり、観応の擾乱から突然政治的手腕を発揮したというのは無理があると言えよう。近年、佐藤進一氏が提言した二頭政治への矛盾が指摘されており、尊氏が直義や師直亡き後、統治を滞りなく進められたのも、幕府の根幹となる事案は将軍である尊氏が担い、雑訴を含む日常的実務を直義が担っていたと考えた方が自然である。 === 晩年 === 尊氏が京を不在にしている間に南朝方との[[和睦]]は破られた。[[宗良親王]]・[[新田義興]]・[[新田義宗|義宗]]・北条時行などの南朝方から襲撃された尊氏は[[武蔵国]]へ退却するが、すぐさま反撃し関東の南朝勢力を破って鎌倉を奪還した([[武蔵野合戦]])。 一方、[[畿内]]でも南朝勢力が義詮を破って京を占拠、北朝の光厳・光明・崇光の三上皇と[[皇太子]][[直仁親王]]を拉致し、更に尊氏は唯一無二の天皇となった後村上天皇により将軍を解任されたため、足利政権の正当性は失なわれるという危機が発生する。しかし近江へ逃れた義詮はすぐに京を奪還し([[八幡の戦い]])、9月には佐々木道誉が[[後光厳天皇]]擁立に成功した為北朝が復活、尊氏が将軍に返り咲いたことにより、足利政権も正当性を取り戻した。しかし今度は、佐々木道誉と対立して南朝に下った[[山名時氏]]と[[楠木正儀]]が京を襲撃して、義詮を破り京を占拠した。 尊氏は義詮の救援要請をうけ後光厳天皇のいる仮御所([[垂井頓宮]])を参内、義詮と合流してともに京を奪還した。 [[文和]]3年([[1354年]])には直冬を奉じた旧直義派による京への大攻勢を受けるが、これを撃退して京を奪還した。この一連の合戦では神南での山名氏勢力との決戦から洛中の戦に到るまで道誉と則祐の補佐をうけた義詮の活躍が非常に大きかったが、最終的には東寺の直冬の本陣に尊氏の軍が自ら突撃して直冬を敗走させた。尊氏はこの際自ら直冬の[[首実検]]をしているが結局討ち漏らしている。 尊氏は[[島津師久]]の要請に応じて自ら直冬や[[畠山直顕]]、[[懐良親王]]の征西府の討伐を行なうために[[九州]]下向を企てるが、義詮に制止され果せなかった<ref name="足利直冬p174">瀬野精一郎『人物叢書‐足利直冬』吉川弘文館、2005年、p.174</ref>。[[延文]]3年([[1358年]])4月30日、京都二条万里小路第(現在の京都市[[下京区]])で薨去した<ref name="足利直冬p174"/>。死因は背中の腫れ物である{{sfn|亀田|2017|loc=§終.3.6 合理化する訴訟}}。 『[[後深心院関白記]]』によると[[延文]]3年([[1358年]])5月2日[[庚子]]の条に、尊氏の[[葬儀]]が[[真如寺 (京都市)]] で行われたとあり、5月6日[[甲辰]]の条の初七日からの[[中陰]]法要は、[[等持院]]において行われたことがわかる。 墓所は京都の等持院と鎌倉の[[長寿寺 (鎌倉市)|長寿寺]]。これを反映して死後の尊氏は、京都では「等持院」、関東では「長寿院」と呼び表されている。 そして、尊氏の死から丁度百日後に、孫の[[足利義満|義満]]が生まれている。 == 年表 == {| class="wikitable" |- !style="width:6em;"|和暦 !style="width:6em;"|北朝<ref group="注釈">建武3年(1336年)まで南北朝分裂はしていない。</ref> !style="width:6em;"|南朝<ref group="注釈">[[建武 (日本)|建武]]3年([[1336年]])以前の所在地は京都、それ以降は南北朝統一まで奈良。</ref> !style="width:4em;"|西暦 !style="width:5em;"|月日<br />([[旧暦]]) !内容<!--内容は簡潔に記してください--> !style="width:5em;"|出典 |- |[[嘉元]]3年 |([[後二条天皇]]) | |[[1305年]] |7月27日 |生誕。 |&nbsp; |- |[[元応]]元年 | |([[後醍醐天皇]]) |[[1319年]] |10月10日 |[[従五位下]][[治部省|治部大輔]]に叙任。 |[[公卿補任]] |- |元応2年 | |(後醍醐天皇) |[[1320年]] |9月5日 |治部大輔辞任。 |公卿補任 |- |[[元徳]]2年 | |(後醍醐天皇) |[[1330年]] |6月18日 |嫡子[[足利義詮|義詮]]誕生。 |&nbsp; |- |[[正慶]]元年 |[[光厳天皇]] |後醍醐天皇 |[[1332年]] |6月6日 |[[従五位上]]に昇叙。 |公卿補任 |- |rowspan="4"|正慶2年 |rowspan="4"|光厳天皇 |rowspan="4"|後醍醐天皇 |rowspan="4"|[[1333年]] |6月5日 |[[鎮守府将軍]]。内昇殿許される。 |&nbsp; |- |6月12日 |[[従四位下]][[兵衛府|左兵衛督]]に昇叙転任。 |&nbsp; |- |8月5日 |[[従三位]]に昇叙し、[[武蔵守]]兼任。名を尊氏と改める。 |公卿補任 |- |&nbsp; ||[[元弘の乱]](~) |&nbsp; |- |rowspan="2"|[[建武 (日本)|建武]]元年 |rowspan="2"| |rowspan="2"|後醍醐天皇 |rowspan="2"|[[1334年]] |1月5日 |[[正三位]]に昇叙。 |&nbsp; |- |9月4日 |[[参議]]に補任。左兵衛督如元。 |&nbsp; |- |rowspan="4"|建武2年 |rowspan="4"| |rowspan="4"|後醍醐天皇 |rowspan="3"|[[1335年]] |7-8月 |[[中先代の乱]] |&nbsp; |- |8月9日 |[[征東将軍]]宣下。 |&nbsp; |- |8月30日 |[[従二位]]に昇叙。 |&nbsp; |- |[[1336年]] |11月26日 |征東将軍を止む。 |&nbsp; |- |rowspan="4"|建武3年 |rowspan="4"|[[光明天皇]] |rowspan="4"|後醍醐天皇 |rowspan="4"|[[1336年]] |2月頃 |[[北朝 (日本)|北朝]]方、[[多々良浜の戦い]] |太平記 |- |5月25日 |北朝方、[[湊川の戦い]] |太平記 |- |11月7日 |北朝方、[[建武式目]]制定。 |&nbsp; |- |11月26日 |北朝方、[[大納言|権大納言]]に転任。 |&nbsp; |- |[[暦応]]元年 |光明天皇 |後醍醐天皇 |[[1338年]] |8月11日 |[[正二位]]に昇叙。[[征夷大将軍]]宣下。 |&nbsp; |- |暦応3年 |光明天皇 |[[後村上天皇]] |[[1340年]] |3月5日 |次男[[足利基氏|基氏]]誕生、兵庫に福海寺(福海興国禅寺)建立。 |&nbsp; |- |[[観応]]年間 |[[崇光天皇]] |後村上天皇 |[[1350年]]<br />-[[1351年|51年]] |&nbsp; |[[南朝 (日本)|南朝]]方、[[観応の擾乱]]。征夷大将軍解任。 |&nbsp; |- |[[文和]]元年 | |後村上天皇 |[[1352年]] |2月26日 |弟[[足利直義|直義]]死去。 |&nbsp; |- |rowspan="2"|[[延文]]3年 |rowspan="2"|[[後光厳天皇]] |rowspan="2"|後村上天皇 |rowspan="2"|[[1358年]] |4月30日 |死去。 |&nbsp; |- |6月3日 |贈[[従一位]][[左大臣]]。 |&nbsp; |- |[[永徳]]元年 |[[後円融天皇]] |長慶天皇 |[[1381年]] |4月28日 |贈[[太政大臣]]。 |&nbsp; |} == 人物 == === 性格 === ==== 性格の概観 ==== 尊氏の人間的な魅力を、個人的に親交のあった[[夢窓疎石]]が次の3点から説明している(『[[梅松論]]』)。 * 1つ、心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。 * 2つ、生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。 * 3つ、心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。 1つ目の戦場での勇猛さだが、ある戦場で矢が雨のように尊氏の頭上に降り注ぎ、近臣が危ないからと自重を促すと、「やはり」尊氏は笑って取り合わなかったという<ref name="gaun">『臥雲日件録抜尤』〉享徳4年正月19日条</ref>。『[[源威集]]』でも、文和4年(1355年)の[[東寺]]合戦で危機的状況に陥った際、尊氏は「例の笑み」を浮かべ、「合戦で負ければそれでお終いなのだから、敵が近づいてきたら[[自害]]する時機だけを教えてくれればよい」と答え全く動揺することがなかった、という。『源威集』の著者は「たとえ鬼神が近づいてきたとしても、全く動揺する気配がない」と尊氏の胆力を褒めちぎっている。 2つ目の敵への寛容さも、[[畠山国清]]や[[斯波高経]]など一度敵方に走ったものでも、尊氏は降参すればこれを許容し、幕閣に迎えている。 3つ目の部下への気前の良さは、『[[梅松論]]』にある[[八朔]]の逸話によって窺い知ることができる。当時、[[旧暦]]の[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]に[[贈答]]しあう風習が流行し、尊氏のもとには山のように贈り物が届けられた。しかし、尊氏は届いたそばから次々と人にあげてしまうので、結局その日の夕方には尊氏のもとに贈り物は何一つ残らなかったという。 ==== 将軍としての資質 ==== こうした姿勢は戦場でも同様で、尊氏は戦場で功績を上げた者を見ると、即座に恩賞を約束する感状を多く発給し家臣を安心させている。中には軍忠状が提出された即日に発給された感状もあり、この即時性がもたらす効果は幕府の求心力にも繋がった。また、佩用していた腰刀を直接家臣二人に与えたり、自らの母衣を引きちぎりカタバミの紋を与えたり、自身が所用する軍<ref>「[http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/exhibition_pre54.html 日月図軍扇]」 [[九州国立博物館]]蔵。尊氏の[[花押]]と、「観応2年(1351年)正月七日[[摂津国|津の国]]宿河原」で拝領した旨を記した小片が挟まれている。</ref> を与えるなど、武家の棟梁らしいカリスマ的な行動が多く伝えられている。<ref>江田郁夫 「コラム 戦場の足利尊氏」峰岸純夫 江田郁夫編 『足利尊氏再発見 一族をめぐる肖像・仏像・古文書』 吉川弘文館、2011年、pp.135-144。</ref>。一方、七条合戦で瀕死の重傷を負った[[那須資藤]]が尊氏の前に運ばれてきたとき、尊氏は目に涙を浮かべひたすら資藤の忠義に感謝したという(『[[源威集]]』)。また、尊氏は鎧が目立つため家臣から陣の後方に下がるよう勧められても、敵が迫るなか退避のために乗馬するよう献言されても一向に引かず、自ら最前線に立ち、命をかけて戦う武士たちを鼓舞し続けたという。 こうした無欲で家臣想いな尊氏に家臣たちは、みな「命を忘れて死を争い、勇み戦うことを思わない者はいなかった」といい(『梅松論』)、これが尊氏最大の人間的魅力だった<ref>清水(2013)pp.40-42。</ref>。 ==== 政治家としての側面 ==== 一方、[[朝敵]]となることを避けるため出家をしたり(『[[太平記]]』)、直義や南朝との停戦を試みるなど([[観応の擾乱]])、恭順や交渉で戦を回避する、政治家としての側面も待ち合わせている。 武力で権威を保持してきた鎌倉幕府や建武政権とは異なり、尊氏の慎重で温厚な人柄こそが室町幕府の存続に不可欠だったとも言える。 ==== 等持院殿御遺書 ==== 『等持院殿御遺書』には、『一老子ノ敎ヲ學デ、一切ノ上ニ得失ヲ沙汰スベシ、取事アレバ捨事アリ、得者ハ必失ト云リ、爰ヲ以見ヨ、賦歛ヲ重ジ臨時ノ課役ヲ掛民ヲ貪、其得則バ大ヒニ失アラン、亦諸國公納取事多バ、必大利ヲ捨事アラン』 “老子の教えを学び、一切の得失を沙汰せよ。得るところあれば、捨つるところあり。何かを得れば必ず何かが失われる。これを忘れるな。臨時の税を民に掛ければ、大いなる失が起こる。諸国の税を重くすれば、大利を捨てるとこころえよ” 天下人でありながら欲から一線を引いた尊氏の生涯の行動は、老子の風を思わせるものが多い。 尊氏は[[正月]]の[[書き初め]]でも、毎年「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」と書いたと伝えられる<ref name="gaun" />。 以下に尊氏の性格を評した一文を掲載する。 ==== 萩原朔太郎 ==== 彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。  さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。  彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである<ref>底本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房 1976(昭和51)年5月25日初版発行</ref>。 ==== 家族関係 ==== 正室であった赤橋登子所生(義詮・基氏・鶴王)以外の子に対して冷淡であったかのような見方がされているが、[[谷口研吾]]は、これは正室である登子の意向によるものであり、その背景として実家(赤橋流北条氏)という後ろ盾を失った彼女が自身とその子供たちを守るために他の女性の子供を排除せざるを得なかったからとする<ref name=taniguti>谷口研語「足利尊氏の正室、赤橋登子」 芥川龍男編『日本中世の史的展開』(文献出版、1997年)所収</ref>。 しかし登子が政治の表舞台に登場する記録は一切なく、足利氏は鎌倉時代から嫡流以外を仏門や他家に輩出することで勢力を拡大しており、直冬だけが冷遇されてきた訳ではない。 また還俗前の直冬は北条家ゆかりの東勝寺の喝食として格別の待遇を受けていた。鎌倉幕府の滅亡がなければ仏門で将来を約束されていたはずである。 尊氏が義詮を嫡子として家督相続の混乱を回避していたにもかかわらず、直義が尊氏の意向に背き直冬を養子に迎え観応の擾乱をより複雑にさせたことが問題であるといえる。 ==== 佐藤進一の双極性障害説と呉座勇一の批判 ==== [[1960年代]]、歴史研究者の[[佐藤進一]]は尊氏を[[双極性障害]](1960年代当時の呼称は躁鬱病)ではないかと推測していた{{sfn|佐藤|2005|pp=139–141}}。 佐藤は、尊氏が中先代の乱の鎮圧に後醍醐天皇の許可なしに向かう途上で、既に後醍醐への反乱を計画していたと想定した{{sfn|佐藤|2005|pp=139–141}}。そして、その後それにもかかわらず尊氏は素直に後醍醐の召還命令に応じようとしたり、いざ後醍醐との戦いである[[建武の乱]]が発生すると[[鎌倉]]の[[浄光明寺]]に引きこもってしまったことなどを挙げ、その行動の矛盾点を指摘した{{sfn|佐藤|2005|pp=139–141}}。佐藤は尊氏の行動を歯切れが悪いと批判し、その行動矛盾の理由について、天皇に反乱してはならないという日本古来の「番犬思想」とこの時代に舶来した儒学的[[易姓革命]]思想の板挟みになったことや、後醍醐との個人的親近感に基づく解釈などを取り上げている{{sfn|佐藤|2005|pp=136–138}}。 さらに、佐藤は、尊氏の父の貞氏の発狂歴や、祖父の[[足利家時|家時]]の自殺伝説(いわゆる置文伝説)、そして曾孫の[[足利義教|義教]]の性格などを挙げ、[[足利将軍家]]の血筋を「異常な血統」と評している{{sfn|佐藤|2005|pp=139–141}}。そして、尊氏の行動の複雑さは、双極性障害が遺伝的に受け継がれたものであると主張した{{sfn|佐藤|2005|pp=139–141}}。 その後[[2010年代]]に、歴史研究者の[[呉座勇一]]は佐藤の説を強く否定し{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}、当時の史料に基づく限り、尊氏の行動は後醍醐への忠誠心と直義への兄弟愛で終始一貫しており、異常であるのはむしろ佐藤の不自然な想定の方であるとした{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。 呉座はまず第一に、精神医学の専門家ではない者が十分な証拠もなしに「双極性障害は遺伝的なものである」「患者の行動は常人には理解できないほど異常である」と決めつけることは、現実の患者への差別・偏見を招く恐れがあり、慎重になるべきであるとする{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。 第二に、佐藤が尊氏の行動に「番犬思想」として歯切れの悪さを感じるのは、佐藤ら[[戦後]]すぐの歴史研究者たちに政治的偏向による先入観がかかっていたからであると主張する{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。実際には、史料的に尊氏が後醍醐への反乱を意図していたと確証するものはない{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。むしろ、『梅松論』(14世紀半ば)は、中先代の乱参戦を「天下のため」「弟の直義を救うため」とし、建武の乱で引きこもりをやめて後醍醐に対峙したのも弟を救うためにやむを得ずとしており、呉座も『梅松論』説を支持する{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。呉座の推測によれば、尊氏は天下や後醍醐のために良かれと思って独断で行動していたが、厳密な許可を得ずとも後醍醐は自分の行動を追認してくれるだろうと楽観視しており、そこに尊氏と後醍醐の行き違いがあったのだという{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。つまり、佐藤の側に尊氏は当初から後醍醐への反乱を計画していたという先入観があるために、その行動が佐藤視点ではどっちつかずとして複雑に見えたのではないか、と主張した{{sfn|呉座|2014|loc=§3.3 足利尊氏は躁鬱病か?}}。 === 二頭政治か否か === [[観応の擾乱]]前の室町幕府の政治体制については、幕府の[[九州探題]](九州方面軍総指揮官)を務めた[[今川貞世|今川了俊]]の『[[難太平記]]』に、世人は尊氏を「弓矢の将軍」と称し、直義は「政道」を任されたとあることから、一般に、擾乱前は、軍事を担当とする足利尊氏と政治を担当する足利直義の二頭政治が取られていたという理解が定説となっている{{sfn|呉座|2014|loc=第三章 南北朝内乱という新しい「戦争」>「政道」を任された弟}}。[[第二次世界大戦]]後、佐藤進一はこの説をさらに深化させ、尊氏は主従制的支配権(人を支配する権限)を、直義は統治的支配権(領域を支配する権限)を持っており、質的差異があったのではないか、と指摘した{{sfn|亀田|2017|loc=第1章 初期室町幕府の体制>2 創造と保全――将軍足利尊氏と三条殿直義の政治機能の分担}}。 これに対し、呉座勇一は、「二頭政治」という呼び方では、両者の権限が拮抗していたかのような誤解を与えるのではないか、『難太平記』のも両者の関係にほころびが生じてからの描写であり、平時のものとは言い難い、と指摘した{{sfn|呉座|2014|loc=第三章 南北朝内乱という新しい「戦争」>「政道」を任された弟}} 。 [[亀田俊和]]も呉座に同意し、(足利義満の「室町殿」体制になぞらえて)下京三条坊門高倉に住む直義を中心とする「三条殿」体制と言って良いのではないか、とした{{sfn|亀田|2017|loc=第1章 初期室町幕府の体制>1 「三条殿」足利直義――事実上の室町幕府最高指導者}}。また、亀田は室町幕府初期の政治体制は[[建武政権]]末期の政治体制(後醍醐天皇が恩賞を与え、訴訟は[[雑訴決断所]]が行う)と似通っていることを指摘し、尊氏は後醍醐天皇の施策を意識的に継承し、尊氏が後醍醐天皇の権限(恩賞給付能力、政体の新たな力を創造する能力)を、直義が雑訴決断所の権限を担当することになったのではないか、とした{{sfn|亀田|2017|loc=第1章 初期室町幕府の体制>2 創造と保全――将軍足利尊氏と三条殿直義の政治機能の分担}}(ただし、尊氏が理想としたのは建武政権ではなく、[[建武式目]]に見えるように「[[北条義時]]・[[北条泰時]]の[[執権]]政治」であり、実際は頼朝の幕府体制に遡っている<ref name="名前なし-1"/>)。 しかし、尊氏は元弘以来、建武の新政、室町幕府創立期と多くの発給文書を出しており{{sfn|上島有}}、高師直が担当した膨大な[[執事施行状]]{{sfn|亀田|室町幕府執事施行状の形成と展開 : 下文施行システムを中心として}}には全て尊氏の意志が反映されている。室町幕府発足時には[[建武式目]]の制定や守護や地頭の補任など幕府の根幹となる政策を自ら行なっている。建武5年に通達された『[[建武以来追加]]』の冒頭で尊氏は守護の在り方について厳しい見解を述べ([[御沙汰]])、更に暦応3年の[[御沙汰]]では施行不能に陥った場合将軍自ら裁決することとし、康永3年の足利尊氏自筆消息(島津家文書)には直義に命令を下した旨が書かれており、国家的事案における尊氏の最高権力者としての権限が示唆されている。 尊氏が将軍として評定や内談方を凌ぐ最高の権限を有していたことは幕府として当然のことであり、また直義が雑訴など日常的な執務を担うことで将軍である尊氏を支える立場にあったーこれは源頼朝が武士の棟梁として幕政を行っていた鎌倉幕府初期の体制を尊氏が意識していたことからも明らかであり、事実室町幕府は将軍と守護の関係がより強固となってゆく。 佐藤進一による[[二頭政治]]も呉座勇一説や亀田俊和説も、直義の雑訴業務を幕府の最高指導者とするには確証がなく、観応の擾乱における尊氏の権力保持を裏付けるには矛盾が生じる。 === 勅撰歌人 === 尊氏は、武将、政治家としてだけでなく、芸術家としても足跡を残している人物で、取り分け室町時代を代表する武家歌人として名高い{{要出典|date=2021年12月}}。 [[連歌]]については『[[菟玖波集]]』に68句が入集しており武家では[[佐々木道誉|道誉]]に次ぎ二番目に多く入集している。 専ら連歌に専念した道誉と異なり和歌についても足跡が多く、『続後拾遺和歌集』([[正中 (元号)|正中]]3年([[1326年]]))から『[[新続古今和歌集]]』([[永享]]11年([[1439年]]))まで、6種の勅撰集に計86首の和歌が入撰している{{sfn|森|2017|loc=終章 果たして尊氏は「逆賊」か>足利尊氏の死去}}。幕府成立初期、観応の擾乱前の心境を詠んだものとして、『[[風雅和歌集]]』([[貞和]]2年([[1346年]]))では、「いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに〈前大納言尊氏〉」とあって、50歳になっても(実際は『風雅和歌集』完成時まだ数え47歳)まだ自身に迷いのあることを嘆き遁世を願っており、尊氏の性格や当時の政局を窺える歌となっている{{sfn|森|2017|loc=終章 果たして尊氏は「逆賊」か>足利尊氏の死去}}。 また、『[[新千載集]]』を企画し、勅撰集の武家による執奏という先例を打ち立てた{{要出典|date=2021年12月}}。 === その他の芸能 === 源頼義父子が名人として知られていた[[笙]]を[[豊原龍秋]]から学び、後醍醐天皇の前でも笙を披露している(『続史愚抄』建武2年5月25日条)。後に後光厳天皇も尊氏に倣って龍秋から笙を学んだ(『園太暦』延文3年8月6・8・14日条)<ref>豊永聡美「後光厳天皇と音楽」(初出:『日本歴史』567号(1998年)/所収:豊永『中世の天皇と音楽』(吉川弘文館、2006年) ISBN 4-642-02860-9 P130-151)</ref>。 地蔵菩薩や達磨大師を描いた水墨画も伝わっており、画才にも優れた人物だった。この他にも扇流しの元祖であるというエピソードもある。 === 信仰 === [[真言宗]]においては第65代[[醍醐寺]]座主の[[三宝院]][[賢俊]]を崇敬し、武家護持僧(祈祷の霊力で将軍を守護する僧)とした。賢俊は公卿[[日野俊光]]の子だったため、これが後の[[足利将軍家]]と[[日野家]]の縁戚関係の端緒となった。賢俊入滅にあたっては、その[[中陰法要|四十九日供養]]に、尊氏自ら筆を取って『[[理趣経]]』を写したが、この写本(醍醐寺蔵)は[[重要文化財]]に指定されている<ref>{{Citation | 和書 | last=田中 | first=久夫 | author-link=田中久夫 | contribution=賢俊 | title=[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]] | publisher=[[吉川弘文館]] | publication-date=1997 }}</ref>。 [[天台宗]]においては、後醍醐天皇の側近の一人だった[[円観|恵鎮房円観]]に帰依した。尊氏は、北条高時を鎮魂する寺社を作るようにという後醍醐の勅命を受け継いで鎌倉に[[宝戒寺]]を建立し、円観をその名目上の開山としている。円観はまた、史上最大の[[軍記物語]]『[[太平記]]』の原型である『原太平記』(散逸)の編纂を指揮した人物とみられている。 [[臨済宗]]においては、後醍醐天皇が抜擢した[[夢窓疎石]]に深く帰依し、後醍醐崩御後はその鎮魂のために[[天龍寺]]を建立させた。夢窓はまた世界的作庭家としても著名である。 [[真言律宗]]においては、後醍醐天皇の庇護を受けた[[浄土寺 (尾道市)|浄土寺]]([[広島県]][[尾道市]])を尊氏もまた庇護した。 また、京都の鞍馬山、奈良の信貴山と並ぶ、 日本三大毘沙門天のひとつである[[足利市]]の大岩毘沙門天を信仰していた。 === 愛用の武具 === ==== 骨食(骨喰藤四郎) ==== {{main|骨喰藤四郎}} 尊氏は、[[足利氏]]重代の[[薙刀]]である'''[[骨喰藤四郎|骨食]]'''(ほねかみ)を愛刀としていた<ref name="fukunaga-honekami">{{ Citation | 和書 | last=福永 | first=酔剣 | author-link=福永酔剣 | title=日本刀大百科事典 | publisher=[[雄山閣]] | year=1993 | isbn = 4-639-01202-0 | contribution=ほねばみ【骨喰み】 | volume=5 | pages=28–30 }}</ref>。この武具は[[本阿弥家]]の鑑定では、[[鎌倉時代]]の[[粟田口吉光|藤四郎吉光]]の作とされる<ref name="fukunaga-honekami"/>。 『梅松論』下に、延元元年/建武3年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]([[1336年]][[4月13日]])の多々良浜の戦いに臨む尊氏の武具について、「将軍其日は[[少弐貞経|筑後入道妙恵]]が、[[少弐頼尚|頼尚]]を以進上申たりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あり。一は御重代の'''骨食'''也。重藤の御弓に上矢をさゝる。御馬は黒粕毛、是は[[宗像大宮司の一覧|宗像の大宮司]]が昨日進上申たりしなり」{{sfn|梅松論下|1928|p=[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879789/92 129]}}とあるのが、足利氏の骨食(骨喰)についての古い記述である<ref name="fukunaga-honekami" />。 また、同時代史料である『常徳院殿様江州御動座当時在陣衆着到』([[鎌田妙長]]、長享元年)に、[[長享]]元年([[1487年]])[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]、第9代将軍[[足利義尚]]が[[六角高頼]]征伐のため近江国坂本に出陣した際、小者に「御長刀ほねかみと申す御重代をかつ」がせていたとあることから、骨食が薙刀であったこと、尊氏以降は[[足利将軍家]]重代の武器として伝えられていたこと、「ほねかみ」と訓まれていたことなどがわかる<ref name="fukunaga-honekami" />。 のち[[脇差|大脇差]]に磨り上げられ、骨喰(ほねばみ)として知られるようになり、[[大友家]]・[[豊臣家]]・[[徳川家]]・[[大日本帝国]]政府などの手を経て、大正末期に[[豊国神社]]の所有となり、旧国宝(現在の[[重要文化財]])に指定されている<ref name="fukunaga-honekami"/>。 ==== 吉光 ==== 建武3年(1336)立花家の先祖が足利尊氏に従い武勲をたてた際、尊氏から拝領したと伝わる短刀。国宝。 ==== 備前長船兼光 ==== {{main|備前長船兼光}} 前記の『梅松論』より時代が下るものの、第8代将軍[[足利義政]]の[[同朋衆]]だった[[能阿弥]]の『[[能阿弥本銘尽]]』(現存最古の写本は[[文明 (日本)|文明]]15年([[1483年]])成立)によれば、尊氏は京都へ上洛する途上、[[長船派]]の刀工の[[備前長船兼光|兼光]]を取り立て、屋敷を与えたという <ref name="fukunaga-osafunekaji"> {{ Citation | 和書 | last=福永 | first=酔剣 | author-link=福永酔剣 | title=日本刀大百科事典 | publisher=[[雄山閣]] | year=1993 | isbn = 4-639-01202-0 | contribution=おさふねかじ【長船鍛冶】 | volume=1 | pages=217–221 }} </ref>。備前長船兼光の作品は、後世には[[最上大業物]]の一つに数えられるほど斬れ味の良い刀である<ref name="fukunaga-kanemitsu">{{ Citation | 和書 | last=福永 | first=酔剣 | author-link=福永酔剣 | title=日本刀大百科事典 | publisher=[[雄山閣]] | year=1993 | isbn = 4-639-01202-0 | contribution=かねみつ【兼光】 | volume=2 | pages=33–35 }}</ref>。 なお、世間的に流布している説では、建武の乱で九州落ちする尊氏を支援するため兼光が名刀を献上したとか<ref name="fukunaga-osafunekaji" />、兼光が尊氏に献上した刀は甲冑をも両断する名刀「[[兜割り]]」であったとか伝えられるが<ref name="fukunaga-kanemitsu"/>、前者は『[[備陽国志]]』・後者は『[[備前軍記]]』など近世以降の文献に現れる物語である<ref name="fukunaga-osafunekaji" /><ref name="fukunaga-kanemitsu"/>。 ==== 白糸褄取威大鎧 ==== [[ファイル:Armor (Yoroi) MET DT784.jpg|thumb|200px|白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜。]] 白糸褄取威大鎧(兜・袖欠)および黒韋腰白威筋兜は、足利尊氏が[[篠村八幡宮]]に奉納したとの伝承を持つ鎧だが、明治末期、京都からアメリカに流出した。[[メトロポリタン美術館]]所蔵<ref>山上八郎『日本甲冑100選』p. 112(秋田書店、1974年)</ref>。 == 評価 == === 作家からの評価 === [[萩原朔太郎]] 『萩原朔太郎全集 第九卷』で、萩原は尊氏を、 彼は人生の存在を、根柢的に悲劇と見、避けがたい惡の宿命として觀念しながら大乘的の止揚によつて、また一切の存在を必然として肯定した。それ故に彼の場合は、敵も味方も悲劇であり、戰爭そのものが痛ましい宿命だつた。世に憎むべき人間は一人もなく、「敵」といふ言葉すらが、尊氏にとつては不可解だつた。  さうした尊氏の外貌は、彼を理解しない武人等の眼に、おそらく馬鹿な「好人物」として見えたであらう。そして人々は彼を利用し、自己の野心の傀儡にした。既にして利用を終れば、忽ちまたこれを棄て、今日の味方は明日の敵となつて叛逆した。實に尊氏の一生は、忘恩者と裏切者との不斷の接戰に一貫して居る。  彼はその最後まで、自己の欲しない戰を戰ひながら、宿命の悲劇を嘆き續けて生きたのである。 底本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房    1976(昭和51)年5月25日初版発行 === 第二次世界大戦までの評価 === [[File:Takauji asikaga.JPG|thumb|足利尊氏木像([[等持院]])]] 尊氏を逆賊とする評価は、[[江戸時代]]に[[徳川光圀]]が創始した[[水戸学]]に始まる。水戸学は[[朱子学]]名分論の影響を強く受けており、皇統の正統性を重視していた。そのため、正統な天皇(後醍醐天皇)を放逐した尊氏は逆賊として否定的に描かれることとなった。水戸学に発する尊氏観はその後も継承され、尊王思想が高まった[[幕末]]期には[[尊皇攘夷]]論者によって等持院の尊氏・義詮・義満3代の木像が梟首される事件も発生している([[足利三代木像梟首事件]])。 1934年(昭和9年)、[[斎藤実]]内閣の[[商工大臣]]で[[男爵]]だった[[中島久万吉]]は、足利尊氏を再評価すべきという過去の文章を発掘されて野党からの政権批判の材料とされ、大臣職を辞任した(「中島久万吉」項目参照)。 === 第二次世界大戦後の評価 === [[森茂暁]]は、[[一次史料]]による実証的分析を通して、尊氏が数多くの発給文書を残していることを指摘し、尊氏が鎌倉将軍とは違って最高指導者としての親裁権を活用し、動乱の苦難と産みの苦しみを乗り越えて室町幕府のおおよその骨格を形作った人物であると述べた{{sfn|森|2017|loc=はじめに}}。そして、南北朝の動乱の群像でも最も中心的な役割を果たした存在とし、南北朝時代は現代に繋がる日本文化の原型とされるのであるから、その時代の骨格を作った尊氏は「日本文化の実質的な開創者の一人といっても過言ではない」と評した{{sfn|森|2017|loc=おわりに}}。 [[亀田俊和]]は、『[[源威集]]』で、[[観応の擾乱]]後の尊氏が「征夷大将軍の名に恥じない立派な大将」として書かれているとし、武家故実に詳しい[[武田信武]]の8年前の兵装を記憶していてそれを評価した描写を取り上げ、尊氏のカリスマが高かったのは、単に経済的利益給与に気前が良かっただけではなく、こうした部下への細やかな観察と適切な評価にも優れていたことも特長なのでないか、とした{{sfn|亀田|2017|loc=第6章 新体制の胎動>2 正平一統の破綻と武蔵野合戦}}。そして、室町幕府がまがりなりにも200年以上続く長期政権となったのは、尊氏が「諸政策の恩賞化」によって、「努力が報われる政治」を行ったことが主な理由なのではないか、とした{{sfn|亀田|2017|loc=終章 観応の擾乱とは何だったのか?>3 その後の室町幕府――努力が報われる政権へ}}。亀田はこのような尊氏の能力を観応の擾乱で必要に迫られ覚醒したと述べているが、建武政権や室町幕府発足における尊氏の発給文書の数は直義や師直の数とは比べものにならないほど多く、元々備わっていた能力とすべきである。足利氏の棟梁であり参議もこなしていた尊氏が、将軍職に就くことで、その一部の政務を直義と師直に分配したに過ぎない。 [[今東光]]は『毒舌日本史』{{要ページ番号|date=2020年2月}}で、子孫が困るほど気前が良い人物であるとし、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に生まれていれば[[上杉謙信]]や[[武田信玄]]よりも器量は上で[[織田信長]]と対抗できるとも評している。また、尊氏の天下を認めようとしなかった後醍醐天皇を暗に批判している。 歴史小説家の[[海音寺潮五郎]]は「武将列伝」で、[[井沢元彦]]は「逆説の日本史」で、後醍醐天皇にとどめを刺さなかった点や内部抗争の処理に失敗した点を突き、「人柄が良くカリスマは高いが、組織の運営能力の点では[[源頼朝]]や[[徳川家康]]に劣っている」「戦争には強いが政治的センスはまるでない」と評価している。 == 伝説・創作 == === 置文伝説 === [[今川貞世]](了俊)の『[[難太平記]]』([[応永]]9年([[1402年]]))によれば、[[足利氏]]の先祖である[[源義家]]は、[[置文]](一種の遺書)に、自分は七代の孫に生まれ変わり、天下を取るだろうと予言したという{{sfn|佐藤|2005|pp=129–130}}。ところが、その七代目にあたる[[足利家時]](尊氏と同じく[[足利頼氏]]側室の上杉氏の子)は、自分の世には天下を取ることが出来ないことを悟り、自分の寿命を縮めることと引き替えに、子孫3代のうちに足利家が天下を取ることを祈願して自刃し、その孫がまさに尊氏であるとされる{{sfn|佐藤|2005|pp=129–130}}。貞世自身の証言によれば、貞世は尊氏と[[足利直義|直義]]の前でこの置文を拝見した経験があり、尊氏兄弟は「今天下を取る事ただこの発願(ほつがん)なりけり」と言ったという{{sfn|佐藤|2005|pp=129–130}}。 足利氏の有力武将の証言というだけあって、かつては信頼の置ける話とされ、足利氏には代々天下を取る野望が有り、その使命感に駆られて、尊氏は[[北条高時]]や[[後醍醐天皇]]への離反を繰り返し、ついに天下を牛耳ったのだと説明されることがあった{{sfn|佐藤|2005|pp=129–130}}。 この説に疑問を提起したのは、[[大正]]・[[昭和]]期の研究者である[[中村直勝]]である{{sfn|佐藤|2005|pp=130–131}}。[[観応]]元年([[1350年]])もしくはその翌年に書かれたと思われる直義の書状に、「故報国寺殿」(家時)が「心仏」([[高師氏]])に与えたという遺書を閲覧し感激したとある{{sfn|佐藤|2005|pp=130–131}}。直義の書簡の宛先は[[高師秋]]([[高師直|師直]]の従兄弟)であるから、家時の書状は代々[[高氏|高一族]]が保管していたと見られ、しかも直義がその存在を知ったのは後醍醐との対決から15年も後のことである{{sfn|佐藤|2005|pp=130–131}}。したがって、家時の書状の存在自体は確実であるが、これを足利氏の天下取りの動機に求めることはできない、という{{sfn|佐藤|2005|pp=130–131}}。 [[佐藤進一]]は、さらに、[[建武の乱]]が発生した時の貞世は11歳に過ぎないことを指摘し、仮にもし貞世が尊氏・直義の眼前で家時置文なるものを見たという証言が本当であるとしても、それは幕府が成立した後のことであろうから、やはり天下取りの動機の史料的根拠としては弱いとしている{{sfn|佐藤|2005|pp=131–132}}。 20世紀末からは、動機の根拠どころか、家時の書状の内容自体が、はたして『難太平記』の言うように天下取りを指示したものかどうか、疑問視されるようになった{{sfn|細川|2016|pp=86–89}}。[[川合康]]によれば、足利氏が[[源氏嫡流]]と見なされるようになったのは、幕府が成立した後の工作の結果であり、貞世が語る義家・家時の伝説もその「源氏嫡流工作」の一環であるという{{sfn|細川|2016|pp=86–89}}。[[細川重男]]によれば、これは2016年時点での有力説である{{sfn|細川|2016|pp=86–89}}。 == 尊氏の肖像 == [[ファイル:Ashikaga Takauji.JPG|thumb|220px|従来尊氏像とされてきた騎馬武者像]] [[ファイル:Taira Shigemori.jpg|thumb|250px|[[神護寺三像]]より伝[[平重盛]]像。尊氏像とする説もある。]] 【騎馬武者像([[伝足利尊氏像]])】<br> [[京都国立博物館]]所蔵の「騎馬武者像([[重要文化財]])<ref>e国宝に画像と解説有り([https://archive.fo/Gvtc 外部リンク])</ref>」は、京都[[守屋氏|守屋家]]の旧蔵だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって「守屋家本」とも呼ばれる。本像は、1749年に西川祐信の「絵本武者備考」で騎馬武者像と足利尊氏の詞書として紹介され、1800年[[江戸時代]]に[[松平定信]]編纂の『[[集古十種]]』で、尊氏の肖像として紹介された。その後[[1920年]](大正9年)に歴史学者の[[黒板勝美]]が論文の中で改めて尊氏像という説を発表したことで定着した。しかし、[[1937年]](昭和12年)に美術史家の[[谷信一]]が早くもこの説に疑問を呈しており、[[1968年]](昭和43年)にも、古文書学者の[[荻野三七彦]]が尊氏像説を否定する論考を発表している。それらの論拠とは、主に以下のようなものであるが、戦後、レントゲン撮影など科学的根拠や新たな記録により、足利尊氏像であるとする説も浮上している。 ① 足利義詮の花押 * 足利尊氏否定説 画像上部に書かれた[[花押]]は、2代将軍[[足利義詮|義詮]]のものである。父の画像の上に子が自らの名を記すのは、即ち親を下に見ていることになり、当時の慣習からして極めて無礼な行為となるため、有り得ない。 * 足利尊氏肯定説 「将又[[等持院]]様軍陣御影 幅青地錦御直垂浅黄糸御鎧廿四さしたる御矢重藤御弓大クワカタ打タル御甲、栗毛なる御馬ニ(略)御影ノ上ニホウケウ院([[宝筐院]]=[[足利義詮]].)様御判居之」 『[[室町家御案内書案下]]』 との記録があり、[[等持院]](足利尊氏)の肖像画の上に[[宝筐院]]([[足利義詮]])の花押が記されていたことが分かっているため、①の説は否定されている。 ② 肖像画の様相 * 足利尊氏否定説 出陣時の整った姿ではなく、兜のない髻の解けたざんばら髪の頭、折れた矢、抜き身の状態の刀など、征夷大将軍という武将として最高位の人物を描いたにしては、あまりにも荒々しすぎる。 * 足利尊氏肯定説 『梅松論』における多々良浜の戦いに臨む尊氏の出で立ちが本像に近く、京都に凱旋した尊氏がこの時の姿を画工に描かせたという記録が残る<ref>武田左京亮文秀像に寄せた[[蘭坡景茝]]の賛文(『雪樵独唱集』収録)</ref> ことから、やはり尊氏像で正しいとする意見もある<ref>[[宮島新一]]『肖像画』吉川弘文館、1994年、pp.235-240、ISBN 4-642-06601-2。同『肖像画の視線』吉川弘文館、2010年、pp.29-35、ISBN 978-4-642-06360-9。</ref>。『太平記』によると、尊氏は後醍醐天皇へ叛旗を翻す直前に寺に籠もって元結を切り落としたといい、「騎馬武者像」の「一束切」のざんばら髪は、その後翻意して挙兵した際の姿を髣髴とさせるものではあり、その点をもって尊氏像と見なされてきたと考えられている。『太平記』では挙兵の際に味方の武士たちがみな尊氏にならって元結を切り落とした逸話も伝えている。 ③ 刀や馬具の紋 * 足利尊氏否定説 刀や馬具に描かれている輪違の紋が、足利家ではなく[[高氏|高家]]の家紋であり、像主は[[高師直]]<ref>[[藤本正行]] 『鎧をまとう人びと』[[吉川弘文館]]、2000年、pp.164-189、ISBN 978-4-642-07762-0。</ref><ref>下坂守「守屋家本騎馬武者像の像主について」『京都国立博物館学叢』第4号、1982年。[https://web.archive.org/web/20130215150202/https://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/gaku/pdf_data/4/004_ronbun_b.pdf 京博公式サイトに掲載]([[PDF]])</ref>、もしくは子[[高師詮|師詮]]<ref>[[黒田日出男]] 『肖像画を読む』角川書店、1998年</ref>、[[高師冬|師冬]]である。 * 足利尊氏肯定説 戦後、肖像画のレントゲン撮影による科学的な研究がされ、輪違紋と見られる箇所が江戸時代の補修で新たに描き加えられたものと判明した。 また、高家の紋と推定された輪違紋(七宝)は江戸時代の高階家の紋を参考にしたもので、『[[太平記]]』に記された輪違紋は「[[寄懸り輪違]]」となっている。 南北朝時代に馬具に家紋を施した例はなく、また家紋とするには鎧の精密さと比べて描画の丁寧さに欠ける点からも、単に擦れた箇所を補っただけのことと考えるほうが自然である。 こうした動きに決着がつかないことから、2000年代頃から学校の歴史教科書では尊氏像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている<ref>[https://web.archive.org/web/20191113160143/https://www.sankei.com/west/news/130327/wst1303270057-n1.html 見慣れた肖像画は別人?「足利尊氏像」→「騎馬武者像」 源頼朝像の真偽も…] - 産経新聞WEST、2013年3月27日</ref>。 【[[伝平重盛像]]([[神護寺三像]])】 [[鎌倉時代]]に[[藤原隆信]]が描いたとされる[[神護寺三像]]のうちの「伝平重盛像」は、[[平重盛]]を描いたものと考えられてきたが、[[1995年]]に美術史家の[[米倉迪夫]]や歴史学者の[[黒田日出男]]らによって尊氏像であるとの説が提示された。すぐさま[[美術史家]]から、画風や様式が南北朝期に下るものではないとする反論が出て論争になったが、近年は総じて新説が認められる傾向にある。 その他、[[広島県]][[尾道市]]の[[浄土寺 (尾道市)|浄土寺]]に尊氏を描いたと伝える[[束帯]]姿の肖像画(右最上部に掲示)が所蔵されており、京都市の[[天龍寺]]にも室町時代後期に描かれたとされる束帯姿の絹本着色「足利尊氏肖像画」が伝わっている。また、守屋家本とは異なる騎馬姿の尊氏像が[[神奈川県立歴史博物館]]にあり、「征夷大将軍源朝臣尊氏卿」と明記された[[江戸時代]]後期の肖像画が現存している。 2017年、[[栃木県立博物館]]研究員らによって、尊氏を描いたものとされる肖像画が発見され<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASK9W3TBGK9WULZU009.html 足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見] - 朝日新聞DIGITAL、2017年10月27日</ref> 、個人蔵の絹本着色、束帯姿の肖像画が同博物館で公開された。この肖像画は「天神([[菅原道真]])絵賛」として伝来していたもので、原本ではなく室町時代中期に複製されたものであると推測される。同肖像画には[[臨済宗]]大覚寺派の僧[[伯英徳儁]]による讃が付され、そこには尊氏を指す「長寿寺殿」の業績が記されている<ref>『企画展 名馬と武将』[[馬の博物館]] 2019年</ref>。 江戸時代に描かれた[[錦絵]]には、[[歌川国芳]]の「太平記兵庫合戦」(兵庫[[福海寺]]で尊氏を探す白藤彦七郎<ref>[[国立国会図書館]]デジカル化資料([{{NDLDC|1312571}} 外部リンク])。</ref>)、[[歌川芳虎]]の「太平記合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)、[[橋本周延]]の「足利尊氏兵庫合戦図」(尊氏、兵庫福海寺に避難する図)等がある。 尊氏の木像は、[[大分県]][[国東市]]の[[安国寺 (国東市)|安国寺]]([[重要文化財]])のものが最も古い。面貌表現が写実的で理想化が少なく、尊氏の生前か死後間もなく造像されたと見られる。尊氏の木像というと、足利氏の菩提寺である京都市[[北区 (京都市)|北区]]の[[等持院]]のものがよく知られている。こちらは体部の表現にやや時代が下る造形が見られるものの、頭部は安国寺木像や浄土寺肖像と共通する図様で造られており、中世を下らない時期の作品と考えられる。他には、[[静岡県]][[静岡市]]の[[清見寺]]([[文明 (日本)|文明]]17年([[1485年]])以前の作)、京都市[[右京区]]の[[天龍寺]]([[16世紀]]の作)、[[栃木県]][[さくら市]]の[[龍光寺 (さくら市)|龍光寺]]([[寛文]]6年([[1666年]])の再興像)、[[神奈川県]][[鎌倉市]]の[[長寿寺 (鎌倉市)|長寿寺]]([[元禄]]2年([[1689年]])の再興像)、栃木県[[足利市]]の[[鑁阿寺]]([[江戸時代]]・[[19世紀]]の作)、同市の[[善徳寺 (足利市)|善徳寺]]、同県[[真岡市]]の[[能仁寺 (真岡市)|能仁寺]]などに所蔵されている。また、現代になって作られた銅像が足利市鑁阿寺参道と京都府[[綾部市]]安国寺町に設置されている。 == 系譜 == * 父:[[足利貞氏]] * 母:[[上杉清子]] * 異母兄:[[足利高義]] * 弟:[[足利直義]] * 正室:[[赤橋登子]] ** 男子:[[足利義詮]] ** 男子:[[足利基氏]] ** 女子:[[鶴王]](没後に従二位と「頼子」の名が与えられ(『師守記』貞治4年5月8日条)、[[崇光天皇]]の后妃に擬えられている<ref name=taniguti/>) * 側室:[[加古基氏|加古六郎基氏]]の女(『尊卑分脈』) ** 男子:[[足利竹若丸|竹若丸]](長男とされる) * 側室?(『太平記』では「越前局」とするが未詳) ** 男子:[[足利直冬]] * その他生母不明の子女 ** 女子:某([[康永]]元年([[1342年]])10月2日、6歳で死去) ** 男子:[[足利聖王丸|聖王丸]](康永4年([[1345年]])8月1日、7歳で死去) ** 女子:某([[足利直義|直義]]養女。法名了清。[[貞和]]3年([[1347年]])10月14日、5歳で死去) ** 女子:某(貞和2年([[1346年]])7月9日、3歳で死去(『師守記』『門葉記』)、彼女も赤橋登子所生の可能性がある<ref name=taniguti/>) ** 男子:[[英仲法俊]]([[応永]]23年([[1416年]]2月26日没、77歳) {{足利尊氏の系譜}} == 偏諱を与えた人物 == {{col-begin}} {{col-2}} * [[粟飯原氏光|粟飯原'''氏'''光]]([[粟飯原氏]]) * [[饗庭氏直|饗庭'''氏'''直('''尊'''宣)]](近臣・寵童) * [[伊東氏祐|伊東'''氏'''祐]]{{efn|「南家伊東氏藤原姓大系図」伊東祐重項の傍注に「……祐重継家尊氏公賜御字改氏祐」とある。同系図は、飯田達夫「南家 伊東氏藤原姓大系図」(所収:『[[宮崎県]]地方史研究紀要』三輯、1977年)や『[[伊東市]]史 史料偏 古代・中世』(2006年)にて活字化されている。}}(別名:祐重、[[日向伊東氏]]第8代当主で[[伊東祐安 (室町時代)|伊東祐安]]の父) * [[宇都宮氏綱|宇都宮'''氏'''綱]]<ref>江田郁夫 「総論 下野宇都宮氏」(所収:江田郁夫 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』([[戎光祥出版]]、2011年)P.13)。</ref> * [[大友氏泰|大友'''氏'''泰]] * [[大友氏時|大友'''氏'''時]] * [[長井氏元|長井'''氏'''元]] * [[小俣氏連|小俣'''氏'''連]] * [[小俣尊光|小俣'''尊'''光]] * [[小山氏政|小山'''氏'''政]] * [[小笠原氏長|小笠原'''氏'''長]] * [[金山氏実|金山'''氏'''実]] * [[吉良尊義|吉良'''尊'''義]](初め義貴) {{col-2}} * [[高坂氏重|高坂'''氏'''重]]([[高坂氏]]) * [[斯波氏経|斯波'''氏'''経]] * [[斯波氏頼|斯波'''氏'''頼]] * [[島津氏久|島津'''氏'''久]] * [[曽我氏助|曽我'''氏'''助]] * [[千葉氏胤|千葉'''氏'''胤]] * [[宍戸氏朝|宍戸'''氏'''朝]] * [[土岐氏光|土岐'''氏'''光]]([[土岐頼遠]]の子。[[今岑氏]]を称する) * [[富樫氏春|富樫'''氏'''春]]([[富樫氏]]、[[富樫昌家]]の父) * [[宮氏信|宮'''氏'''信]] * [[吉見氏頼|吉見'''氏'''頼]]([[吉見氏]]) * [[六角氏頼|六角'''氏'''頼]]<ref>『瑞石歴代雑記』。詳細は当該項目(六角氏頼の項)を参照のこと。</ref> {{col-end}} ;(補足) # 「尊」の字は前述の通り、元々[[後醍醐天皇]](名は尊治)から1字を与えられたものであり、これを与えられた饗庭尊宣、吉良尊義の両名に関しては、尊氏から破格の待遇を受けていたことがうかがえる。 # [[渋川義宗|吉見'''尊'''頼]]([[吉見義世]]の子、のち[[渋川直頼]]の猶子となり渋川義宗を称す)の「尊」に関しては尊氏から受けたものというよりは、尊氏と同じく後醍醐天皇から1字を受けたものと推測される。 # 曾孫の[[尊満|'''尊'''満]]([[足利義満]]の[[庶長子]])や[[足利義尊|足利義'''尊''']](直冬の孫)をはじめ、子孫にも尊氏に肖って「尊」の字を用いる人物が見られる。 == 関連作品 == <!--[[Wikipedia:関連作品]]より「記事の対象が、大きな役割を担っている(主役、準主役、メインキャラクター、キーパーソン、メインレギュラー、メインライバル、メイン敵役、ラスボス等)わけではない作品」や未作成記事作品を追加しないで下さい。--> === テレビドラマ === * 『[[太平記 (NHK大河ドラマ)|太平記]]』(1991年、[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]]、演:[[真田広之]]) * 『[[怒濤日本史]](足利尊氏)』(1966年、[[毎日放送|MBS]]、演:[[神山繁]]) === 小説 === * [[吉川英治]]『[[私本太平記]](全13巻)』毎日新聞社、1959年~1962年。講談社からは、「吉川英治歴史時代文庫」の一環として、全7巻にて1990年2月~同年4月の間に発刊。 * [[山岡荘八]]『新太平記(全5巻)』講談社、1971年~1972年。また、1986年8月~同年11月の間に「山岡荘八歴史文庫」の一環として全5巻で発刊。 * [[大森隆司]]『足利尊氏:室町幕府を開いた男(上)(下)』下野新聞社、1989年6月。 * [[松崎洋二]]『足利尊氏』新人物往来社、1990年3月。 * [[村上元三]]『足利尊氏(上)(下)』(徳間文庫)徳間書店、1991年4月。 * [[童門冬二]]『足利尊氏』富士見書房、1994年12月。 * [[杉本苑子]]『風の群像(上)(下)』日本経済新聞社 1997年6月。  * [[桜田晋也]]『足利尊氏』祥伝社、1999年9月 ※1988年角川書店発刊の「足利高氏」の改訂版として発刊。 * [[森村誠一]]『太平記(1)~(6)』(角川文庫)角川書店、2004年12月~2005年2月 * [[垣根涼介]]『極楽征夷大将軍』文藝春秋、2023年5月10日。 === 漫画 === * [[湯口聖子]]『[[夢語りシリーズ|夢語りシリーズ 風の墓標]]』(1989 - 1991年、秋田書店) * [[沢田ひろふみ]]『[[山賊王]]』(2000年 - 2009年、講談社) * [[河部真道]]『[[バンデット -偽伝太平記-]]』(2016年 - 2017年、講談社) * [[松井優征]]『[[逃げ上手の若君]]』(2021年 - 、集英社) === マスコット === * たかうじ君 - 足利市の[[ゆるキャラ]]<ref>{{Cite web |url=https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/industory/000061/000332/p000068.html |title=足利市イメージキャラクター「たかうじ君」を紹介します! |access-date=2023-09-27 |publisher=足利市役所 |date=2023-02-01}}</ref> === 舞台 === * [[桜嵐記]]([[宝塚歌劇]])(2021年、[[宝塚歌劇]]・[[月組]]公演、演:[[風間柚乃]]) * [[ながされ・る君へ〜足利尊氏太変記]]([[る・ひまわり]])(2023年12月、[[明治座]]、演:[[相葉裕樹]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist|2}} === 出典 === {{reflist|25em}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2021年9月8日}} === 古典 === * 『[[梅松論]]』 ** {{ Citation | 和書 | editor=内外書籍株式会社 | title=新校群書類従 | volume=16 | publisher=内外書籍 | year=1928 | url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879789 | doi=10.11501/1879789 | chapter=梅松論 下 | chapter-url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879789/88 | pages=121-143 | id={{NDLJP|1879789}} | ref = {{harvid|梅松論下|1928}} }} * 『[[太平記]]』 * 『[[源威集]]』 === 主要文献 === * [[会田雄次]]ほか『足利尊氏』 思索社、1991年1月 ISBN 4-7835-1161-6 * [[上島有]]『足利尊氏文書の総合的研究(本文編・写真編)』国書刊行会、2001年2月 ISBN 4-336-04284-5 * [[桑田忠親]]『足利将軍列伝』 秋田書店、1975年 * [[小松茂美]]『足利尊氏文書の研究』(研究篇、図版篇、解説篇、目録・資料篇の全4冊) 旺文社、1997年9月 ISBN 4-01-071143-4 * {{Citation | 和書 | last=清水 | first=克行 | author-link=清水克行 | title=足利尊氏と関東 | publisher=吉川弘文館 | series=人をあるく | year=2013 | isbn=978-4642067720 }} * [[櫻井彦]]・[[樋口州男]]・[[錦昭江]]編『足利尊氏のすべて』新人物往来社、2008年9月 ISBN 978-4-404-03532-5 * [[佐藤和彦]]監修『足利尊氏』ポプラ社(徹底大研究日本の歴史人物シリーズ4)、2003年4月、ISBN 4-591-07553-2 * [[瀬野精一郎]]『足利直冬』吉川弘文館、[[2005年]] ISBN 464205233X * [[高柳光寿]]『足利尊氏(新装版)』春秋社、1987年9月 ISBN 4-393-48207-7 * [[栃木県立博物館]]発行・編集『開館三〇周年特別企画展 足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝』展図録、2012年 ISBN 978-4-88758-069-5 * 松崎洋二『足利尊氏』新人物往来社、1990年3月 ISBN 9784404017031 * [[峰岸純夫]]『足利尊氏と直義 京の夢、鎌倉の夢』[[吉川弘文館]]、2009年 ISBN 978-4-642-05672-4 * 峰岸純夫・江田郁夫編『足利尊氏再発見 一族をめぐる肖像・仏像・古文書』吉川弘文館、2011年 ISBN 978-4-642-08065-1 * {{ Citation | 和書 | last=森 | first=茂暁 | author-link=森茂暁 | title=足利尊氏 | publisher=[[KADOKAWA]] | series=角川選書 583 | date=2017 | isbn = 978-4047035935 }} * [[山路愛山]]『足利尊氏』岩波書店、1949年 === その他 === * {{ Citation | 和書 | last=亀田 | first=俊和 | author-link=亀田俊和 | title=観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い | publisher=[[中央公論新社]] | series=中公新書 2443 | year=2017 | isbn=978-4121024435 }} * {{ Citation | 和書 | last=呉座 | first=勇一 | author-link=呉座勇一 | title=戦争の日本中世史 「下剋上」は本当にあったのか | publisher=[[新潮社]] | year=2014 | isbn = 978-4106037399 }} * {{ Citation | 和書 | last=佐藤 | first=進一 | author-link=佐藤進一 | title=南北朝の動乱 | publisher=[[中央公論社]] | series=日本の歴史 9 | date=1965 }} ** {{ Citation | 和書 | last=佐藤 | first=進一 | title=日本歴史9 南北朝の動乱 | publisher=中央公論社 | series=中公文庫 | edition=改 | year=2005 | isbn=978-4122044814 }} - 1965年版の単行本が1974年に文庫版となったものの改版。 * {{ Citation | 和書 | last=細川 | first=重男 | author-link=細川重男 | editor=日本史史料研究会 | editor2-last=呉座 | editor2-first=勇一 | chapter=【後醍醐と尊氏の関係】4 足利尊氏は「建武政権」に不満だったのか? | title=南朝研究の最前線 : ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで | pages=84–108 | publisher=[[洋泉社]] | series=歴史新書y | year=2016 | isbn = 978-4800310071 }} == 関連項目 == {{Wikiquote|足利尊氏}} {{commons|Category:Ashikaga Takauji}} * [[広島県]][[尾道市]]・[[浄土寺 (尾道市)|浄土寺]]-尊氏の束帯肖像を所蔵。また同市内にある[[時宗]][[西郷寺]]の本尊・阿弥陀如来像は「尊氏持念仏」の伝承があり、胎内から尊氏の院号(「等持院殿」)が刻まれた位牌が発見された。 == 外部リンク == * {{Kotobank}} * [https://www.pref.tochigi.lg.jp/c05/intro/tochigiken/hakken/jinbutsu1_08.html 人物「江戸時代以前」足利尊氏] - 栃木県 * {{Webcat|533879}} {{足利宗家歴代当主|1331年 - 1358年}} {{征夷大将軍|第17代:1338年 - 1358年}} {{室町幕府将軍}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あしかか たかうし}} [[Category:足利尊氏|*]] [[Category:室町幕府の征夷大将軍|たかうし]] [[Category:鎌倉幕府御家人]] [[Category:南北朝時代の武将]] [[Category:足利将軍家|たかうし]] [[Category:従一位受位者]] [[Category:下野国の人物]] [[Category:14世紀日本の政治家]] [[Category:14世紀アジアの統治者]] [[Category:1305年生]] [[Category:1358年没]]
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最短経路問題
グラフ理論における最短経路問題(さいたんけいろもんだい、英: shortest path problem)とは、重み付きグラフの与えられた2つのノード間を結ぶ経路の中で、重みが最小の経路を求める最適化問題である。 このような分類がされているのは、後者の問題が単に前者の問題を初期条件(ノード)を変えて繰り返し解くのではなく、アルゴリズムの過程で得た情報を利用して計算量を減らすことが可能となるからでもある。 最短経路の距離は部分構造最適性が成立しており、下記漸化式が成立する。証明は『アルゴリズムイントロダクション』(ISBN 978-4764904088)などを参照。 単一始点の場合 c ( s , v ) = 1 {\displaystyle c(s,v)=1} なら幅優先探索が、 c ( s , v ) ≥ 0 {\displaystyle c(s,v)\geq 0} ならダイクストラ法が、そうでないならベルマン-フォード法が使える。 辺の重みが非負値の2頂点対最短経路問題で、最短経路の距離の下限値が分かっている場合はA*を使うと、ダイクストラ法よりも速く求まる。 最短経路問題の身近な応用例には、鉄道の経路案内(駅すぱあと、駅探、NAVITIMEなど)がある。駅をノードとし、駅と駅の所要時間を重みとしたエッジとして、鉄道線路をグラフ化して最短経路を求めている。 最短経路とは逆の問題で、最長単純道問題もある。最短経路の場合は、最短経路の部分問題もやはり最短経路であるが、最長単純道の場合、部分構造最適性が成立しておらず、貪欲法などで解くことが出来ない。辺の重みなしであっても、NP完全問題である。
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グラフ理論における最短経路問題とは、重み付きグラフの与えられた2つのノード間を結ぶ経路の中で、重みが最小の経路を求める最適化問題である。
[[グラフ理論]]における'''最短経路問題'''(さいたんけいろもんだい、{{lang-en-short|shortest path problem}})とは、重み付き[[グラフ理論|グラフ]]の与えられた2つの[[グラフ理論|ノード]]間を結ぶ[[グラフ理論|経路]]の中で、重みが最小の[[道 (グラフ理論)|経路]]を求める[[最適化問題]]である。 == 種類 == ; 2頂点対最短経路問題 : 特定の2つのノード間の最短経路問題。一般的に単一始点最短経路問題のアルゴリズムを使用する。 ; 単一始点最短経路問題 (SSSP:Single Source Shortest Path) : 特定の1つのノードから他の全ノードとの間の最短経路問題。この問題を解く[[アルゴリズム]]としては、[[ダイクストラ法]]や[[ベルマン-フォード法]]がよく知られている。 ; <nowiki>全点対最短経路問題 (APSP : All Pair Shortest Path)</nowiki> : グラフ内のあらゆる2ノードの組み合わせについての最短経路問題。この問題を解く[[アルゴリズム]]としては、[[ワーシャル-フロイド法]]が知られている。 このような分類がされているのは、後者の問題が単に前者の問題を初期条件(ノード)を変えて繰り返し解くのではなく、アルゴリズムの過程で得た情報を利用して計算量を減らすことが可能となるからでもある。 == 単一始点最短経路問題 == ===辺の重みなし有向グラフ=== {| class=wikitable ! アルゴリズム !! 計算量 !! 作者 |- | [[幅優先探索]] || <math>O(E)</math> || |} ===辺の重みが非負値の有向グラフ=== {| class=wikitable ! アルゴリズム !! 計算量 !! 作者 |- | || <math>O(V^2 EL)</math> || {{harvnb|Ford|1956}} |- | [[ベルマン-フォード法]] || <math>O(VE)</math> || {{harvnb|Bellman|1958}}, {{harvnb|Moore|1959}} |- | || <math>O(V^2 \log{V})</math> || {{harvnb|Dantzig|1958}}, {{harvnb|Dantzig|1960}}, Minty (cf. {{harvnb|Pollack|Wiebenson|1960}}), {{harvnb|Whiting|Hillier|1960}} |- | [[ダイクストラ法]](リスト) || <math>O(V^2)</math> || {{harvnb|Leyzorek|Gray|Johnson|Ladew|1957}}, {{harvnb|Dijkstra|1959}} |- | ダイクストラ法(修正[[二分ヒープ]]) || <math>O((E+V) \log{V})</math> || |- | . . . || . . . || . . . |- | ダイクストラ法([[フィボナッチヒープ]]) || <math>O(E+V \log{V})</math> || {{harvnb|Fredman|Tarjan|1984}}, {{harvnb|Fredman|Tarjan|1987}} |- | || <math>O(E \log{\log{L}})</math> || {{harvnb|Johnson|1982}}, {{harvnb|Karlsson|Poblete|1983}} |- | Gabow 法 || <math>O(E \log{\frac{E}{V}} L)</math> || {{harvnb|Gabow|1983b}}, {{harvnb|Gabow|1985b}} |- | || <math>O(E+V \sqrt{\log{L}})</math> || {{harvnb|Ahuja|Mehlhorn|Orlin|Tarjan|1990}} |} ===辺の重みが任意の実数の有向グラフ=== {| class=wikitable ! アルゴリズム !! 計算量 !! 作者 |- | [[ベルマン-フォード法]] || <math>O(VE)</math> || {{harvnb|Bellman|1958}}, {{harvnb|Moore|1959}} |} == 漸化式 == 最短経路の距離は部分構造最適性が成立しており、下記漸化式が成立する。証明は『アルゴリズムイントロダクション』(ISBN 978-4764904088)などを参照。 :<math>V</math> が頂点、<math>E</math> が辺、<math>c(s, v)</math> が辺の重み、<math>\mathrm{dist}(s, v)</math> が最短経路の距離。<math>s, v, w \in V</math>。<math>w \ne s</math>。 :<math>\mathrm{dist}(s, s) = 0</math> とおく。 :<math>\mathrm{dist}(s, w) = \min \{ \mathrm{dist}(s, v) + c(v, w) \mid (v, w) \in E \}</math> が成立する。 単一始点の場合 <math>c(s, v) = 1</math> なら[[幅優先探索]]が、<math>c(s, v) \ge 0</math> なら[[ダイクストラ法]]が、そうでないなら[[ベルマン-フォード法]]が使える。 == ヒューリスティックスの併用 == 辺の重みが非負値の2頂点対最短経路問題で、最短経路の距離の下限値が分かっている場合は[[A*]]を使うと、[[ダイクストラ法]]よりも速く求まる。 == 応用 == 最短経路問題の身近な応用例には、鉄道の経路案内([[駅すぱあと]]、[[駅探]]、[[NAVITIME]]など)がある。駅をノードとし、駅と駅の所要時間を重みとしたエッジとして、鉄道線路をグラフ化して最短経路を求めている。 == 類似問題 == === 最長単純道 === 最短経路とは逆の問題で、最長[[道 (グラフ理論)|単純道]]問題もある。最短経路の場合は、最短経路の部分問題もやはり最短経路であるが、最長単純道の場合、部分構造最適性が成立しておらず、[[貪欲法]]などで解くことが出来ない。辺の重みなしであっても、[[NP完全問題]]である。 === 最短閉路 === * [[巡回セールスマン問題]] - グラフ内の全頂点を通り、始点に帰ってくる最短閉路を求める問題。[[NP困難]]であることが知られている。 * [[中国人郵便配達問題]] - グラフ内の全ての辺を1回以上通り、始点に帰ってくる最短閉路を求める問題。 ==参考文献== {{refbegin}} *{{cite journal |last2=Mehlhorn |first2=Kurt |last3=Orlin |first3=James |last4=Tarjan |first4=Robert E. |date=April 1990 |title=Faster algorithms for the shortest path problem |url=http://www.dtic.mil/cgi-bin/GetTRDoc?AD=ADA194031 |journal=Journal of the ACM |publisher=ACM |volume=37 |issue=2 |pages=213–223 |ref=harv |last1=Ahuja |first1=Ravindra K. |author4link=Robert Tarjan |doi=10.1145/77600.77615|hdl=1721.1/47994 |s2cid=5499589 |hdl-access=free }} * {{cite journal |last=Bellman |first=Richard |year=1958 |title=On a routing problem |journal=Quarterly of Applied Mathematics |volume=16 |issue= |pages=87–90 |mr=0102435 |ref=harv|authorlink=Richard Bellman |doi=10.1090/qam/102435|doi-access=free }} *{{cite journal |last=Dantzig |first=G. B. |date=January 1960 |title=On the Shortest Route through a Network |journal=Management Science |volume=6 |issue=2 |pages=187–190 |ref=harv |doi=10.1287/mnsc.6.2.187}} * {{cite book |title=Investigation of Model Techniques — First Annual Report — 6 June 1956 — 1 July 1957 — A Study of Model Techniques for Communication Systems |last2=Gray |first2=R. S. |last3=Johnson |first3=A. A. |last4=Ladew |first4=W. C. |last5=Meaker |first5=S. R., Jr. |last6=Petry |first6=R. M. |last7=Seitz |first7=R. N. |publisher=Case Institute of Technology |year=1957 |location=Cleveland, Ohio |ref=harv|last1=Leyzorek |first1=M.}} {{refend}} {{アルゴリズム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さいたんけいろもんたい}} [[Category:グラフ理論]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:組合せ最適化]] [[Category:数学の問題]]
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10,004
化学の分野一覧
化学の分野一覧(かがくのぶんやいちらん)は、化学の名のつく学問分野の一覧。 各分野間には関連領域が存在するため明確に区別することは難しい。 別称を含む。
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化学の分野一覧(かがくのぶんやいちらん)は、化学の名のつく学問分野の一覧。 各分野間には関連領域が存在するため明確に区別することは難しい。 別称を含む。
'''化学の分野一覧'''(かがくのぶんやいちらん)は、[[化学]]の名のつく[[学問]]分野の一覧。 各分野間には関連領域が存在するため明確に区別することは難しい。 別称を含む。 ==あ行== ===あ=== ===い=== *[[イアトロ化学]] - [[医化学]] - [[位置化学]] - [[一般化学]] - [[医薬品化学]] ===う=== *[[宇宙化学]] ===え=== *[[衛生化学]] - [[栄養化学]] ===お=== *[[応用化学]] - [[音響化学]] - [[音波化学]] ==か行== ===か=== *[[界面化学]] - [[海洋化学]] - [[化学工学]] - [[核化学]] - [[河川化学]] - [[環境化学]] - [[環境分析化学]] - [[環境免疫化学]] ===き=== *[[機器分析化学]] - [[基礎化学]] - [[気相化学]] - [[機能材料化学]] - [[凝縮体化学]] ===く=== *[[組み合わせ化学]] - [[グリーンケミストリー]] ===け=== *[[計算化学]] - [[計算機化学]] - [[計算熱力学]] - [[計量化学]] - [[血液化学]] - [[結晶化学]] - [[ゲノミクス]] ===こ=== *[[高温化学]] - [[酵素化学]] - [[合成化学]] - [[構造化学]] - [[工業化学]] - [[膠質化学]] - [[鉱物化学]] - [[高分子化学]] - [[湖沼化学]] - [[固体化学]] - [[コロイド化学]] ==さ行== ===さ=== *[[裁判化学]] - [[錯体化学]] ===し=== *[[磁気化学]] - [[脂質化学]] - [[写真化学]] - [[触媒化学]] - [[情報化学]] - [[食料化学]] ===す=== *[[水産化学]] - [[数理化学]] - [[スピン化学]] ===せ=== *[[生化学]](生物化学) - [[成層圏化学]] - [[生体模倣化学]] - [[生体認識化学]] - [[生物医薬化学]] - [[生物地球化学]] - [[生物物理化学]] - [[生物分析化学]] - [[生物無機化学]](無機生化学) - [[生物有機化学]] - [[生理化学]] - [[石炭化学]] - [[石油化学]] - [[繊維化学]] - [[遷移金属化学]] - [[染料化学]] ===そ=== *[[素子化学]] - [[素粒子化学]] ==た行== ===た=== *[[大気化学]] - [[タンパク質化学]] ===ち=== *[[地球化学]] - [[畜産化学]] - [[超分子|超分子化学]] ===つ=== ===て=== *[[低温化学]] - [[天然物化学]] - [[電気化学]] - [[電池化学]] ===と=== *[[同位体|同位体化学]] - [[毒物化学]] - [[土壌化学]] ==な行== ===な=== *[[ナノケミストリー]] ===に=== ===ぬ=== ===ね=== *[[熱化学]](化学熱力学) - [[熱分解化学]] ===の=== *[[農芸化学]] - [[農産化学]] - [[脳神経化学]] ==は行== ===は=== *[[配位化学]] - [[発酵化学]] - [[半導体電気化学]] - [[反応化学]] ===ひ=== *[[光化学]] - [[光電気化学]] - [[微生物化学]] - [[病理化学]] ===ふ=== *[[物質化学]] - [[物性化学]] - [[物理化学]] - [[分光化学]] - [[分光電気化学]] - [[分析化学]] ===へ=== ===ほ=== *[[法化学]] - [[放射化学]] - [[放射線化学]] - [[ポジトロニウム化学]] - [[ホットアトム化学]] ==ま行== ===ま=== ===み=== ===む=== *[[無機化学]] ===め=== *[[免疫化学]] - [[免疫細胞化学]] ===も=== *[[木材化学]] ==や行== ===や=== *[[冶金化学]] - [[薬化学]] - [[薬品合成化学]] - [[薬理化学]] ===ゆ=== *[[有機化学]] - [[有機金属化学]] - [[有機電気化学]] - [[油脂化学]] ===よ=== *[[溶液化学]] ==ら行== ===ら=== ===り=== *[[量子化学]] - [[量子生物化学]] - [[理論化学]] - [[林産化学]] - [[臨床化学]] ===る=== ===れ=== ===ろ=== ==わ行== ===わ=== *[[惑星化学]] [[Category:化学の一覧|ふんやいちらん]] [[Category:化学の分野|*]]
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10,007
星座
星座(せいざ、英: constellation)は、天球を赤経・赤緯の線に沿った境界線で区切った領域のこと。かつては、複数の恒星が天球上に占める見かけの配置を、その特徴から連想した人、神、動物、物などさまざまな事物の名前で呼んだものであった。古来さまざまな地域・文化や時代に応じていろいろなグループ化の方法や星座名が用いられた。 天文学的には恒星同士の見かけの並びに特段の意味はない。プレアデス(すばる)などの散開星団を除き、星座を構成する星は互いに天体力学的な関連をもって並んでいるわけではなく、地球からの距離もまちまちで、太陽系の位置からたまたま同じ方向に見えるだけである。しかし、古来星座にまつわるさまざまな伝説・神話が伝承されているため、これらの物語が宇宙や天体観測に興味を持つきっかけとなる人も多く、天文学の入門として広く話題に取り上げられ、親しまれている。 星座以外に、特定の星の並びに対してつけられた非公式な呼び名としてアステリズム(英: asterism、星群)もある。たとえば、「北斗七星」はおおぐま座の一部で、くまのしっぽにあたる目立った7個の星がひしゃく状をなすことからつけられた名前である。 国際天文学連合(IAU)が定めた88の星座には、境界線は定められている。しかし、星のつなぎ方(星座線)は定められていない。 古代エジプトの遺跡で、星の並びを人などに見立てた図が発見されている。この星座は総称してデカン(英語版)と呼ばれ、一年を360日として10日ごとの区画に割る指標として用いられていた。しかし、一部を除いて同定されていないものが多く、現在も研究が続けられている(エジプト天文学(英語版))。これが記録に残る最古の星座である。なお、現在の88星座に直接結びついてはいない。星同士を結んで星座を作る風習がのちにメソポタミア文明に伝わり(バビロニア天文学(英語版))、ここで現在の星座の原型ができたと考えられる。ただし、エジプトとは独立して、別個に星座を作ったという可能性もある。 最初に決められた星座は、黄道十二星座である。物的な証拠は残っていない。しかし、メソポタミア文明以前から住み着いていた羊飼いによって設定されたという説がある。ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが間接的な証拠とされるが、羊飼いが設定した星座は12個ではなかった可能性もある。ただし、欧米ではこの「羊飼い説」はその資料を探すのも困難で、物的資料からも星座の起源は紀元前5世紀ごろとされて久しい。日本でのみ羊飼い説が信じられている。しかし、最近の関連図書ではようやく紀元前5世紀が正しいとするものも出てきた。 これらの黄道の星座はメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となった。メソポタミアのムル・アピン(英語版)粘土板(紀元前6世紀、写しは大英博物館蔵)には、黄道十二星座を含め66の星座のリストが存在し、メソポタミアの神に基づくエンリルの道、アヌの道、エアの道に大別される。これらは古代エジプトを通じて古代ギリシアに伝わり、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定した。ギリシア人が設定した星座にはみな神話がついている。 古代ギリシアでの星座への言及でもっとも古いものは、紀元前9世紀のホメロスの二大叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』で、星座名としてはおおぐま座、オリオン座、うしかい座が登場した。 紀元前4世紀の天文学者エウドクソスは、現代につながる44星座を決定したとされるが、その著書は残っていない。かわりに紀元前3世紀の小アジア生まれのマケドニアの詩人アラトスがこの44星座を詩にし、これが残っている。プレアデスとヒュアデスの2星団を星座にしているほかは、ほぼ現行のものが使われていた。 現代につながる49星座の設定者は紀元前2世紀の天文学者ヒッパルコスで、アラトスのものに修正を加え、現在にすべてつながる46星座を決定した。この後、トレミーの48星座とかみのけ座を合わせた全49星座を決定したという説もあるが、その著書は残っていない。 紀元2世紀、クラウディオス・プトレマイオスがトレミーの48星座を決定した。彼はかみのけ座を認めなかった。この48星座を決定した者はヒッパルコスだという主張もあるが、著書の残るプトレマイオスの名をとり、今でもこれらの星座は「トレミーの48星座」と呼ばれ続けている。なお、トレミーはプトレマイオスの英語読みである。これは長く標準となり、16世紀までは変更が加えられることはなかった。 中国では星空を天上世界の官僚機構に見立て、星同士を結ぶ線で構成される形を「星官」と呼んだ。西洋の星座と違い、1星や2星といった少数の星によって構成されるものも多いことが特徴である。古来より天文家ごとに星官の名称は異なっていたが、三国時代の陳卓が石氏・甘氏・巫咸三家の星官を統合して283官1,464星とし、以後、この体系が沿用された。なお宋代の「蘇州・石刻天文図」には1,440星が刻されている。 星官は西洋天文学の星座と異なり、それ自体に星空を分割した区画の意味は含まれていない。天球上をある程度の面積をもった領域に区分した天区には三垣二十八宿の体系が作られた。個々の天区は天の北極付近および黄道沿いにある主要な星官に距星が置かれ、その距星のある星官によって名前がつけられている。 また二十八宿を7宿ごとにまとめた四象があり、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀に四分された。 なお、三垣二十八宿や四象は星官にもとづいた不均等区分の天球分割法であるが、中国天文学にはこのほかに天球を12の区画に均等区分した十二次や十二辰といったものがあった。十二次・十二辰の領域や境界は二十八宿の度数を座標系として使用することによって表された。 16世紀、大航海時代が始まると、プトレマイオスが観測できなかった南天にも星が続々と見つかった。16世紀末に、オランダの航海者ペーテル・ケイセルとフレデリック・デ・ハウトマンが遺した記録を元に、1603年にヨハン・バイエルが『ウラノメトリア』に南天の星座を描き、以後「バイエル星座」として知られるようになった。これ以降、さまざまな天文学者が続々と新しい星座を設定したが、ヨハネス・ヘヴェリウスの7星座とニコラ・ルイ・ド・ラカーユの14星座を除くと、そのほとんどは現行の88星座に採用されていない。 この時代には南天だけでなく、北天でも星が少なくこれまで星座が設定されていなかった領域にいくつかの星座が設定された。また、当時の支配者層である王侯貴族にちなんで名付けられた星座も作られたが、そのほとんどは88星座に採用されなかった。ドイツの天文学者で宗教家のジュリアス・シラーは、キリスト教の伝聞に基づいた星座を設定し1627年に出版したが、現在はどれも使われていない。 現在の88星座の原型となったのは、アメリカの天文学者エドワード・ピッカリングが1908年に刊行した『ハーバード改訂光度カタログ (Harvard Revised Photometry Catalogue)』である。この星表では、北天はフリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダーの『アルゲランダー星図 (Uranometria Nova)』(1843年)やそれを改訂したエドゥアルト・ハイスの『Atlas Coelestis Novus』(1872年)、南天はベンジャミン・グールドの『Uranometria Argentina』(1877 - 1879年)で使用された星座を引用していた。20世紀初頭に標準参照されたこの星表で使われた星座がほぼそのまま採用されることとなる。 1922年にIAUの第1回総会がローマで開催された際、全天の星座は88個とされ、同時にその名称が承認された。名称と合わせて、デンマークのアイナー・ヘルツシュプルングとアメリカのヘンリー・ノリス・ラッセルの提案により、アルファベット3文字で表記する略号も定められた。またこのとき、ベルギーのウジェーヌ・デルポルトとカスティールズは、北天の星座に対して赤道座標の経線と緯線に平行な円弧で境界線を設けることを提案した。これは、グールドが南天の星座に対して境界線を定めたのと同じ手法であった。IAUは、1925年にケンブリッジで開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立し、デルポルトに赤緯-12.5°以北の天球上の境界線を策定するよう要請した。デルポルトはグールドと同じく1875.0分点を基準とした境界線の案を1925年10月から1927年9月にかけて策定してIAUに提出し、この案が1928年にライデンで開催された第3回IAU総会で承認された。IAUは、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請、これを受けたデルポルトはグールドの定めた境界線のうち斜めに線が引かれたものを修正し、なおかつ1つの恒星も所属する星座が変わらないように境界線の改訂案を策定した。この案がIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から『Délimitation Scientifique des Constellations』と『Atlas Céleste』という2つの出版物として刊行されたことにより、現在の88の星座の境界線も確定された。このようにして、各星座の名称と領域が厳密に決められたことによって、あらゆる太陽系外の天体は必ずどれか1つの星座に属することとなった。 現在の88星座は、「トレミーの48星座」をベースに、近世に考案された新たな星座を加えることで成立したが、採用されなかった星座も数多くある。たとえば、ジェローム・ラランドが考案した「しぶんぎ座」は、現在はうしかい座やりゅう座の一部とされている。これにちなんでりゅう座ι星近辺を輻射点とする流星群には正式に「しぶんぎ座流星群 (Quadrantids)」の名がつけられている。 88の星座とそのラテン語での正式名は決まったあとも、日本語での訳名は各天文団体ごとに若干異なる訳名が使われていた。1944年に学術研究会議(現・日本学術会議)が訳名を定めるとこれが全国的に使われるようになった。その後数度の改定を経ており、1994年の「学術用語集天文学編(増訂版)」で「はい座」が「はえ座」と改称されたのがもっとも新しい改定である。なお、学術用語としての星座名は、平仮名または片仮名で表記される。 また、これら学術用語とは別に、星の並び(アステリズム)に対して地方によってさまざまな呼称が存在する(星・星座に関する方言を参照)。 ★:りゅうこつ座・とも座・ほ座の3星座は、かつてはアルゴ座としてひとつの星座だった。 北半球では星空は北極星を中心に反時計回りの方向で動いて見える。北半球において南を向いて星空を観察すると星は東から昇り西へと沈む。南半球では天の南極を中心とした星空の動きが見えるが、天の南極の位置には天の北極の北極星にあたるような明るい星は存在しない。北半球と南半球とでは星座が上下逆さまに見えるため印象も大きく異なる。極付近に近づくにしたがって星は横方向に流れるような動きになる。 下記は日本からの観望の例である(ここでは大気差、山などの遮蔽物、光害、低高度での大気の影響は考慮せず、単純に緯度と星座の赤緯のみで判断する)。以下に記載していない55の星座は、理論上は日本のどこからでも全域を見ることができる日時がある。なお、星は高度が低いほど大気の影響を受け、特に20度以下では著しく像が悪化する。たとえば、みなみのかんむり座は理論上は札幌市から全域を観望できるが、実際には九州・沖縄まで行かないと肉眼では観望しづらい。
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星座は、天球を赤経・赤緯の線に沿った境界線で区切った領域のこと。かつては、複数の恒星が天球上に占める見かけの配置を、その特徴から連想した人、神、動物、物などさまざまな事物の名前で呼んだものであった。古来さまざまな地域・文化や時代に応じていろいろなグループ化の方法や星座名が用いられた。
{{Otheruses|天球上の星座|星占いやその他|星座 (曖昧さ回避)}} '''星座'''(せいざ、{{lang-en-short|constellation}})は、[[天球]]を[[赤経]]・[[赤緯]]の線に沿った境界線で区切った領域のこと{{R|IAU1922|astro-dic}}。かつては、複数の[[恒星]]が天球上に占める見かけの配置を、その特徴から連想した人、神、動物、物などさまざまな事物の名前で呼んだものであった{{R|astro-dic}}。古来さまざまな地域・文化や時代に応じていろいろなグループ化の方法や星座名が用いられた。 [[ファイル:Celestial chart (asterisms and areas) (esp).png|thumb|right|400px|左は北半球、右は南半球の星座]] == 概要 == 天文学的には恒星同士の見かけの並びに特段の意味はない。[[プレアデス星団|プレアデス]](すばる)などの散開星団を除き、星座を構成する星は互いに[[天体力学]]的な関連をもって並んでいるわけではなく、地球からの距離もまちまちで、[[太陽系]]の位置からたまたま同じ方向に見えるだけである。しかし、古来星座にまつわるさまざまな伝説・神話が伝承されているため、これらの物語が宇宙や天体観測に興味を持つきっかけとなる人も多く、天文学の入門として広く話題に取り上げられ、親しまれている。 星座以外に、特定の星の並びに対してつけられた非公式な呼び名として[[アステリズム]]({{lang-en-short|asterism}}、[[星群]])もある。たとえば、「[[北斗七星]]」はおおぐま座の一部で、くまのしっぽにあたる目立った7個の星がひしゃく状をなすことからつけられた名前である。 [[国際天文学連合]](IAU)が定めた88の星座には、境界線は定められている{{R|tanoshimu-8}}。しかし、星のつなぎ方(星座線)は定められていない{{R|tanoshimu-8}}。 == 歴史 == === 古代エジプト・メソポタミア・ギリシア === [[古代エジプト]]の遺跡で、星の並びを人などに見立てた図が発見されている。この星座は総称して'''{{仮リンク|デカン (星座)|label=デカン|en|Decan}}'''と呼ばれ、一年を360日として10日ごとの区画に割る指標として用いられていた。しかし、一部を除いて同定されていないものが多く、現在も研究が続けられている({{仮リンク|エジプト天文学|en|Egyptian astronomy}})。これが記録に残る最古の星座である。なお、現在の88星座に直接結びついてはいない。星同士を結んで星座を作る風習がのちに[[メソポタミア]]文明に伝わり({{仮リンク|バビロニア天文学|en|Babylonian astronomy}})、ここで現在の星座の原型ができたと考えられる。ただし、エジプトとは独立して、別個に星座を作ったという可能性もある。 最初に決められた星座は、[[黄道十二星座]]である。物的な証拠は残っていない。しかし、メソポタミア文明以前から住み着いていた羊飼いによって設定されたという説がある。ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが間接的な証拠とされるが、羊飼いが設定した星座は12個ではなかった可能性もある。ただし、欧米ではこの「羊飼い説」はその資料を探すのも困難で、物的資料からも星座の起源は[[紀元前5世紀]]ごろとされて久しい。日本でのみ羊飼い説が信じられている。しかし、最近の関連図書ではようやく紀元前5世紀が正しいとするものも出てきた。 これらの黄道の星座はメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となった。メソポタミアの{{ill2|ムル・アピン|en|MUL.APIN}}粘土板([[紀元前6世紀]]、写しは[[大英博物館]]蔵)には、黄道十二星座を含め66の星座のリストが存在し、メソポタミアの神に基づく[[エンリル]]の道、[[アヌ (メソポタミア神話)|アヌ]]の道、[[エンキ|エア]]の道に大別される。これらは古代[[エジプト]]を通じて古代ギリシアに伝わり、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定した。ギリシア人が設定した星座にはみな神話がついている。 [[古代ギリシア]]での星座への言及でもっとも古いものは、[[紀元前9世紀]]の[[ホメロス]]の二大叙事詩『[[イーリアス]]』『[[オデュッセイア]]』で、星座名としてはおおぐま座、オリオン座、うしかい座が登場した。 [[紀元前4世紀]]の天文学者エウドクソスは、現代につながる44星座を決定したとされるが、その著書は残っていない。かわりに[[紀元前3世紀]]の小アジア生まれのマケドニアの詩人[[アラトス]]がこの44星座を詩にし、これが残っている。プレアデスとヒュアデスの2星団を星座にしているほかは、ほぼ現行のものが使われていた。 現代につながる49星座の設定者は[[紀元前2世紀]]の天文学者[[ヒッパルコス]]で、アラトスのものに修正を加え、現在にすべてつながる46星座を決定した。この後、トレミーの48星座とかみのけ座を合わせた全49星座を決定したという説もあるが、その著書は残っていない。 紀元[[2世紀]]、[[クラウディオス・プトレマイオス]]が[[トレミーの48星座]]を決定した。彼はかみのけ座を認めなかった。この48星座を決定した者はヒッパルコスだという主張もあるが、著書の残るプトレマイオスの名をとり、今でもこれらの星座は'''「トレミーの48星座」'''と呼ばれ続けている。なお、トレミーはプトレマイオスの英語読みである。これは長く標準となり、16世紀までは変更が加えられることはなかった。 === 古代中国 === ; 星の集合体 中国では星空を天上世界の官僚機構に見立て、星同士を結ぶ線で構成される形を「[[星官]]」と呼んだ。西洋の星座と違い、1星や2星といった少数の星によって構成されるものも多いことが特徴である。古来より天文家ごとに星官の名称は異なっていたが、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[陳卓]]が石氏・甘氏・巫咸三家の星官を統合して283官1,464星とし、以後、この体系が沿用された。なお[[宋 (王朝)|宋]]代の「[[蘇州市|蘇州]]・石刻天文図」には1,440星が刻されている<ref name="shibasen"/>。 ; 天球上の領域 星官は西洋天文学の星座と異なり、それ自体に星空を分割した区画の意味は含まれていない。天球上をある程度の面積をもった領域に区分した天区には[[三垣]][[二十八宿]]の体系が作られた。個々の天区は[[天の北極]]付近および[[黄道]]沿いにある主要な星官に[[距星]]が置かれ、その距星のある星官によって名前がつけられている。 また二十八宿を7宿ごとにまとめた[[四神|四象]]があり、東方[[青竜|青龍]]・北方[[玄武]]・西方[[白虎]]・南方[[朱雀]]に四分された。 なお、三垣二十八宿や四象は星官にもとづいた不均等区分の天球分割法であるが、中国天文学にはこのほかに天球を12の区画に均等区分した[[十二次]]や[[十二辰]]といったものがあった。十二次・十二辰の領域や境界は二十八宿の度数を座標系として使用することによって表された。 === 大航海時代以降 === 16世紀、[[大航海時代]]が始まると、プトレマイオスが観測できなかった南天にも星が続々と見つかった。16世紀末に、オランダの航海者[[ペーテル・ケイセル]]と[[フレデリック・デ・ハウトマン]]が遺した記録を元に、[[1603年]]に[[ヨハン・バイエル]]が『[[ウラノメトリア]]』に南天の星座を描き、以後「[[バイエル星座]]」として知られるようになった{{R|Ridpath}}。これ以降、さまざまな天文学者が続々と新しい星座を設定したが、[[ヨハネス・ヘヴェリウス]]の7星座と[[ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ]]の14星座を除くと、そのほとんどは現行の88星座に採用されていない。 この時代には南天だけでなく、北天でも星が少なくこれまで星座が設定されていなかった領域にいくつかの星座が設定された。また、当時の支配者層である王侯貴族にちなんで名付けられた星座も作られたが、そのほとんどは88星座に採用されなかった。ドイツの天文学者で宗教家のジュリアス・シラーは、キリスト教の伝聞に基づいた星座を設定し1627年に出版したが、現在はどれも使われていない{{R|Hara}}{{efn2|name="注1"}}。 === 現在の星座(IAU方式)=== 現在の88星座の原型となったのは、アメリカの天文学者[[エドワード・ピッカリング]]が1908年に刊行した『[[輝星星表|ハーバード改訂光度カタログ]] (Harvard Revised Photometry Catalogue)』である{{R|Ridpath2}}。この星表では、北天は[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー]]の『アルゲランダー星図 (Uranometria Nova)』(1843年)やそれを改訂した[[エドゥアルト・ハイス]]の『Atlas Coelestis Novus』(1872年)、南天は[[ベンジャミン・グールド]]の『Uranometria Argentina』(1877 - 1879年)で使用された星座を引用していた{{R|Ridpath2|HR}}。20世紀初頭に標準参照されたこの星表で使われた星座がほぼそのまま採用されることとなる。 1922年にIAUの第1回総会が[[ローマ]]で開催された際、全天の星座は88個とされ、同時にその名称が承認された{{R|Ridpath2|Schlesinger1933}}。名称と合わせて、[[デンマーク]]の[[アイナー・ヘルツシュプルング]]と[[アメリカ]]の[[ヘンリー・ノリス・ラッセル]]の提案により、アルファベット3文字で表記する略号も定められた{{R|Ridpath2|Schlesinger1933}}{{efn2|name="注2"}}。またこのとき、[[ベルギー]]の[[ウジェーヌ・デルポルト]]とカスティールズは、北天の星座に対して[[赤道座標]]の[[経線]]と[[緯線]]に平行な円弧で境界線を設けることを提案した{{R|Springer}}。これは、グールドが南天の星座に対して境界線を定めたのと同じ手法であった{{R|Springer}}。IAUは、1925年に[[ケンブリッジ]]で開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立し{{R|Springer}}、デルポルトに赤緯-12.5°以北の天球上の境界線を策定するよう要請した{{R|Springer}}。デルポルトはグールドと同じく1875.0[[分点]]を基準とした境界線の案を1925年10月から1927年9月にかけて策定してIAUに提出し、この案が1928年に[[ライデン]]で開催された第3回IAU総会で承認された{{R|Springer}}。IAUは、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請、これを受けたデルポルトはグールドの定めた境界線のうち斜めに線が引かれたものを修正し、なおかつ1つの恒星も所属する星座が変わらないように境界線の改訂案を策定した{{R|Springer}}。この案がIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から『Délimitation Scientifique des Constellations』と『Atlas Céleste』という2つの出版物として刊行されたことにより、現在の88の星座の境界線も確定された{{R|Schlesinger1933}}。このようにして、各星座の名称と領域が厳密に決められたことによって、あらゆる太陽系外の天体は必ずどれか1つの星座に属することとなった。 現在の88星座は、「トレミーの48星座」をベースに、近世に考案された新たな星座を加えることで成立したが、[[現存しない星座|採用されなかった星座]]も数多くある。たとえば、[[ジェローム・ラランド]]が考案した「[[しぶんぎ座]]」は、現在は[[うしかい座]]や[[りゅう座]]の一部とされている。これにちなんでりゅう座&iota;星近辺を輻射点とする流星群には正式に「[[しぶんぎ座流星群]] (Quadrantids)」の名がつけられている。 === 和名 === 88の星座とそのラテン語での正式名は決まったあとも、日本語での訳名は各天文団体ごとに若干異なる訳名が使われていた。1944年に学術研究会議(現・[[日本学術会議]])が訳名を定めるとこれが全国的に使われるようになった。その後数度の改定を経ており、1994年の「学術用語集天文学編(増訂版)」で「はい座」が「はえ座」と改称されたのがもっとも新しい改定である。なお、学術用語としての星座名は、平仮名または片仮名で表記される。 また、これら学術用語とは別に、星の並び([[アステリズム]])に対して地方によってさまざまな呼称が存在する([[星・星座に関する方言]]を参照)。 == 星座の一覧 == === 国際天文学連合による88星座 === {{main|星座の一覧}} <!-- [[星座の一覧]]を参照し、並べ替えできる表にしました。ただし項目名は「略称」を採用せず略号のママ。 --> {|class="sortable wikitable" |- !和名||略号||ラテン語名||備考||class=unsortable|提案された記号<ref>例えば Peter Grego (2012) ''The Star Book: Stargazing Throughout the Seasons in the Northern Hemisphere''. F+W Media.</ref>{{efn2|これらの記号は、占星家によって提案され、占星家のコミュニティで用いられているものであり、'''天文学とは全く関係がない'''ことに注意。}} |- |[[アンドロメダ座]]||{{lang|la|And}}||{{lang|la|Andromeda}}|| ||[[File:Andromeda symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[いっかくじゅう座]]||{{lang|la|Mon}}||{{lang|la|Monoceros}}|| ||[[File:Monoceros symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[いて座]]||{{lang|la|Sgr}}||{{lang|la|Sagittarius}}|| ||[[File:Sagittarius symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[いるか座]]||{{lang|la|Del}}||{{lang|la|Delphinus}}|| ||[[File:Delphinus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[インディアン座]]||{{lang|la|Ind}}||{{lang|la|Indus}}|| ||[[File:Indus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[うお座]]||{{lang|la|Psc}}||{{lang|la|Pisces}}|| ||[[File:Pisces symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[うさぎ座]]||{{lang|la|Lep}}||{{lang|la|Lepus}}|| ||[[File:Lepus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[うしかい座]]||{{lang|la|Boo}}||{{lang|la|Bo&ouml;tes}}|| ||[[File:Bootes symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[うみへび座]]||{{lang|la|Hya}}||{{lang|la|Hydra}}|| ||[[File:Hydra symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[エリダヌス座]]||{{lang|la|Eri}}||{{lang|la|Eridanus}}|| ||[[File:Eridanus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おうし座]]||{{lang|la|Tau}}||{{lang|la|Taurus}}|| ||[[File:Taurus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おおいぬ座]]||{{lang|la|CMa}}||{{lang|la|Canis Major}}|| ||[[File:Canis Major symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おおかみ座]]||{{lang|la|Lup}}||{{lang|la|Lupus}}|| ||[[File:Lupus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おおぐま座]]||{{lang|la|UMa}}||{{lang|la|Ursa Major}}|| ||[[File:Ursa Major symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おとめ座]]||{{lang|la|Vir}}||{{lang|la|Virgo}}|| ||[[File:Virgo symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[おひつじ座]]||{{lang|la|Ari}}||{{lang|la|Aries}}|| ||[[File:Aries symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[オリオン座]]||{{lang|la|Ori}}||{{lang|la|Orion}}|| ||[[File:Orion symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[がか座]]||{{lang|la|Pic}}||{{lang|la|Pictor}}||旧称は {{lang|la|Equuleus Pictoris}}||[[File:Pictor symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[カシオペヤ座]]||{{lang|la|Cas}}||{{lang|la|Cassiopeia}}|| ||[[File:Cassiopeia symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[かじき座]]||{{lang|la|Dor}}||{{lang|la|Dorado}}|| ||[[File:Dorado symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[かに座]]||{{lang|la|Cnc}}||{{lang|la|Cancer}}|| ||[[File:Cancer symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[かみのけ座]]||{{lang|la|Com}}||{{lang|la|Coma Berenices}}||古来は星群だった||[[File:Coma Berenices symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[カメレオン座]]||{{lang|la|Cha}}||{{lang|la|Chamaeleon}}|| ||[[File:Chamaeleon symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[からす座]]||{{lang|la|Crv}}||{{lang|la|Corvus}}|| ||[[File:Corvus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[かんむり座]]||{{lang|la|CrB}}||{{lang|la|Corona Borealis}}|| ||[[File:Corona Borealis symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[きょしちょう座]]||{{lang|la|Tuc}}||{{lang|la|Tucana}}|| ||[[File:Tucana symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ぎょしゃ座]]||{{lang|la|Aur}}||{{lang|la|Auriga}}|| ||[[File:Auriga symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[きりん座]]||{{lang|la|Cam}}||{{lang|la|Camelopardalis}}|| ||[[File:Camelopardalis symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[くじゃく座]]||{{lang|la|Pav}}||{{lang|la|Pavo}}|| ||[[File:Pavo symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[くじら座]]||{{lang|la|Cet}}||{{lang|la|Cetus}}|| ||[[File:Cetus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ケフェウス座]]||{{lang|la|Cep}}||{{lang|la|Cepheus}}|| ||[[File:Cepheus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ケンタウルス座]]||{{lang|la|Cen}}||{{lang|la|Centaurus}}|| ||[[File:Centaurus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[けんびきょう座]]||{{lang|la|Mic}}||{{lang|la|Microscopium}}|| ||[[File:Microscopium symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こいぬ座]]||{{lang|la|CMi}}||{{lang|la|Canis Minor}}|| ||[[File:Canis Minor symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こうま座]]||{{lang|la|Equ}}||{{lang|la|Equuleus}}|| ||[[File:Equuleus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こぎつね座]]||{{lang|la|Vul}}||{{lang|la|Vulpecula}}||旧称は {{lang|la|Vulpecula Cum Ansere}}||[[File:Vulpecula symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こぐま座]]||{{lang|la|UMi}}||{{lang|la|Ursa Minor}}|| ||[[File:Ursa Minor symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こじし座]]||{{lang|la|LMi}}||{{lang|la|Leo Minor}}|| ||[[File:Leo Minor symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[コップ座]]||{{lang|la|Crt}}||{{lang|la|Crater}}|| ||[[File:Crater symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[こと座]]||{{lang|la|Lyr}}||{{lang|la|Lyra}}|| ||[[File:Lyra symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[コンパス座]]||{{lang|la|Cir}}||{{lang|la|Circinus}}|| ||[[File:Circinus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[さいだん座]]||{{lang|la|Ara}}||{{lang|la|Ara}}|| ||[[File:Ara symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[さそり座]]||{{lang|la|Sco}}||{{lang|la|Scorpius}}||別名 {{lang|la|Scorpio}}||[[File:Scorpius symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[さんかく座]]||{{lang|la|Tri}}||{{lang|la|Triangulum}}|| ||[[File:Triangulum symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[しし座]]||{{lang|la|Leo}}||{{lang|la|Leo}}|| ||[[File:Leo symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[じょうぎ座]]||{{lang|la|Nor}}||{{lang|la|Norma}}|| ||[[File:Norma symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[たて座]]||{{lang|la|Sct}}||{{lang|la|Scutum}}|| ||[[File:Scutum symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ちょうこくぐ座]]||{{lang|la|Cae}}||{{lang|la|Caelum}}|| ||[[File:Caelum symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ちょうこくしつ座]]||{{lang|la|Scl}}||{{lang|la|Sculptor}}|| ||[[File:Sculptor symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[つる座]]||{{lang|la|Gru}}||{{lang|la|Grus}}|| ||[[File:Grus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[テーブルさん座]]||{{lang|la|Men}}||{{lang|la|Mensa}}||旧称は {{lang|la|Mons Mens&aelig;}}||[[File:Mensa symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[てんびん座]]||{{lang|la|Lib}}||{{lang|la|Libra}}|| ||[[File:Libra symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[とかげ座]]||{{lang|la|Lac}}||{{lang|la|Lacerta}}|| ||[[File:Lacerta symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[とけい座]]||{{lang|la|Hor}}||{{lang|la|Horologium}}|| ||[[File:Horologium symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[とびうお座]]||{{lang|la|Vol}}||{{lang|la|Volans}}||旧称は {{lang|la|Piscis Volans}}||[[File:Volans symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[とも座]]||{{lang|la|Pup}}||{{lang|la|Puppis}}||★||[[File:Puppis symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[はえ座]]||{{lang|la|Mus}}||{{lang|la|Musca}}|| ||[[File:Musca symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[はくちょう座]]||{{lang|la|Cyg}}||{{lang|la|Cygnus}}|| ||[[File:Cygnus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[はちぶんぎ座]]||{{lang|la|Oct}}||{{lang|la|Octans}}|| ||[[File:Octans symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[はと座]]||{{lang|la|Col}}||{{lang|la|Columba}}|| ||[[File:Columba symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ふうちょう座]]||{{lang|la|Aps}}||{{lang|la|Apus}}|| ||[[File:Apus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ふたご座]]||{{lang|la|Gem}}||{{lang|la|Gemini}}|| ||[[File:Gemini symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ペガスス座]]||{{lang|la|Peg}}||{{lang|la|Pegasus}}|| ||[[File:Pegasus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[へび座]]||{{lang|la|Ser}}||{{lang|la|Serpens}}|| ||[[File:Serpens symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[へびつかい座]]||{{lang|la|Oph}}||{{lang|la|Ophiuchus}}|| ||[[File:Ophiuchus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ヘルクレス座]]||{{lang|la|Her}}||{{lang|la|Hercules}}|| ||[[File:Hercules symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ペルセウス座]]||{{lang|la|Per}}||{{lang|la|Perseus}}|| ||[[File:Perseus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ほ座]]||{{lang|la|Vel}}||{{lang|la|Vela}}||★||[[File:Vela symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ぼうえんきょう座]]||{{lang|la|Tel}}||{{lang|la|Telescopium}}|| ||[[File:Telescopium symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ほうおう座]]||{{lang|la|Phe}}||{{lang|la|Phoenix}}|| ||[[File:Phoenix symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ポンプ座]]||{{lang|la|Ant}}||{{lang|la|Antlia}}|| ||[[File:Antlia symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[みずがめ座]]||{{lang|la|Aqr}}||{{lang|la|Aquarius}}|| ||[[File:Aquarius symbol (fixed width).svg|20px]] |- |[[みずへび座]]||{{lang|la|Hyi}}||{{lang|la|Hydrus}}|| ||[[File:Hydrus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[みなみじゅうじ座]]||{{lang|la|Cru}}||{{lang|la|Crux}}|| ||[[File:Crux symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[みなみのうお座]]||{{lang|la|PsA}}||{{lang|la|Piscis Austrinus}}|| ||[[File:Piscis Austrinus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[みなみのかんむり座]]||{{lang|la|CrA}}||{{lang|la|Corona Australis}}|| ||[[File:Corona Australis symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[みなみのさんかく座]]||{{lang|la|TrA}}||{{lang|la|Triangulum Australe}}|| ||[[File:Triangulum Australe symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[や座]]||{{lang|la|Sge}}||{{lang|la|Sagitta}}|| ||[[File:Sagitta symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[やぎ座]]||{{lang|la|Cap}}||{{lang|la|Capricornus}}||別名 {{lang|la|Capricorn}}||[[File:Capricornus symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[やまねこ座]]||{{lang|la|Lyn}}||{{lang|la|Lynx}}|| ||[[File:Lynx symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[らしんばん座]]||{{lang|la|Pyx}}||{{lang|la|Pyxis}}|| ||[[File:Pyxis symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[りゅう座]]||{{lang|la|Dra}}||{{lang|la|Draco}}|| ||[[File:Draco symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[りゅうこつ座]]||{{lang|la|Car}}||{{lang|la|Carina}}||★||[[File:Carina symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[りょうけん座]]||{{lang|la|CVn}}||{{lang|la|Canes Venatici}}|| ||[[File:Canes Venatici symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[レチクル座]]||{{lang|la|Ret}}||{{lang|la|Reticulum}}|| ||[[File:Reticulum symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ろ座]]||{{lang|la|For}}||{{lang|la|Fornax}}|| ||[[File:Fornax symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[ろくぶんぎ座]]||{{lang|la|Sex}}||{{lang|la|Sextans}}|| ||[[File:Sextans symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |- |[[わし座]]||{{lang|la|Aql}}||{{lang|la|Aquila}}|| ||[[File:Aquila symbol (Moskowitz, fixed width).svg|20px]] |} ★:[[りゅうこつ座]]・[[とも座]]・[[ほ座]]の3星座は、かつては[[アルゴ座]]としてひとつの星座だった。 === 現在採用されていない星座 === {{div col}} * [[アルゴ座]] * [[アンティノウス座]] * [[いんさつしつ座|いんさつしつ(印刷室)座]] * [[おうしゃく座|おうしゃく(王杓)座]] * [[大マゼラン雲|おおぐも(大雲)座]] * [[おんどり座]] * [[かんししゃメシエ座|かんししゃ(監視者)メシエ座]] * [[きたばえ座|きたばえ(北蝿)座]] * [[けいききゅう座|けいききゅう(軽気球)座]] * [[ケルベルス座]] * [[子蟹座]] * [[ザクセン選帝侯の双剣座]] * [[小マゼラン雲|こぐも(小雲)座]] * [[しぶんぎ座|しぶんぎ(四分儀)座]] * [[しょうさんかく座|しょうさんかく(小三角)座]] * [[ジョージのこと座|ジョージのこと(琴)座]] * [[ジョン・ヒルの星座]] * [[そくていさく座|そくていさく(測程索)座]] * [[チグリス座]] * [[チャールズのかしのき座|チャールズのかしのき(樫の木)座]] * [[つぐみ座]] * [[帝国宝珠座]] * [[でんききかい座|でんききかい(電気機械)座]] * [[となかい座]] * [[ねこ座]] * [[ハーシェルのぼうえんきょう座|ハーシェルのぼうえんきょう(望遠鏡)座]] * [[ひどけい座|ひどけい(日時計)座]] * [[ふくろう座]] * [[ブランデンブルクのおうしゃく座|ブランデンブルクのおうしゃく(王笏)座]] * [[フリードリヒのえいよ座|フリードリヒのえいよ(栄誉)座]] * [[ポニアトフスキーのおうし座|ポニアトフスキーのおうし(牡牛)座]] * [[ボルタ電池座]] * [[らしんばん座|帆柱座]] * [[ポロフィラックス]] * [[マエナルスさん座|マエナルスさん(山)座]] * [[南の矢座]] * [[モモンガ座]] * [[ゆり座]] * [[ヨルダン座]] {{div col end}} == 北半球・南半球からの観望 == 北半球では星空は[[北極星]]を中心に反時計回りの方向で動いて見える{{R|komai}}。北半球において南を向いて星空を観察すると星は東から昇り西へと沈む{{R|komai}}。南半球では[[天の南極]]を中心とした星空の動きが見えるが、天の南極の位置には[[天の北極]]の北極星にあたるような明るい星は存在しない{{R|komai}}。北半球と南半球とでは星座が上下逆さまに見えるため印象も大きく異なる{{R|komai}}。極付近に近づくにしたがって星は横方向に流れるような動きになる{{R|komai}}。 下記は日本からの観望の例である(ここでは[[大気差]]、山などの遮蔽物、[[光害]]、低高度での大気の影響は考慮せず、単純に緯度と星座の[[赤緯]]のみで判断する)。以下に記載していない55の星座は、理論上は日本のどこからでも全域を見ることができる日時がある。なお、星は高度が低いほど大気の影響を受け、特に20度以下では著しく像が悪化する{{R|vixen}}。たとえば、みなみのかんむり座は理論上は札幌市から全域を観望できるが、実際には九州・沖縄まで行かないと肉眼では観望しづらい。 ; 日本からはまったく見えない星座 * [[カメレオン座]] * [[テーブルさん座]] * [[はちぶんぎ座]] ; 日本からは一部だけしか見えない星座 : <>内は、これ以南で星座の一部を見ることが可能な主な地域。 * [[インディアン座]] - <[[札幌市]]> * [[かじき座]] - <[[青森市]]> * [[きょしちょう座]] - <[[熊本市]]> * [[くじゃく座]] - <熊本市> * [[コンパス座]] - <熊本市> * [[とびうお座]] - <[[西表島]]> * [[はえ座]] - <西表島> * [[ふうちょう座]] - <[[沖ノ鳥島]]> * [[みずへび座]] - <[[鹿児島市]]> * [[みなみのさんかく座]] - <[[那覇市]]> * [[りゅうこつ座]] - <[[新潟市]]> ; 日本の一部の地域からは、まったく見えない星座 : 上記11星座(日本からは一部だけしか見えない星座)も含む。()内は、これ以南で星座の全域を見ることが可能な主な地域。<>内は、これ以南で星座の一部を見ることが可能な主な地域。 * [[さいだん座]] - (沖ノ鳥島)<札幌市> * [[ぼうえんきょう座]] - (鹿児島市)<札幌市> * [[みなみじゅうじ座]] - (西表島)<熊本市> * [[レチクル座]] - (沖ノ鳥島) - <[[東京都]]([[本州]]島内の地域)> ; 日本の一部の地域からは、一部だけしか見えない星座 : ()内は、これ以南で星座の全域を見ることが可能な主な地域。 {{div col}} * [[いて座]] - (札幌市) * [[エリダヌス座]] - (鹿児島市) * [[おおかみ座]] - ([[大分市]]) * [[がか座]] - (西表島) * [[ケンタウルス座]] - (西表島) * [[けんびきょう座]] - (札幌市) * [[さそり座]] - (札幌市) * [[じょうぎ座]] - (那覇市) * [[ちょうこくぐ座]] - (青森市) * [[つる座]] - (鹿児島市) * [[とけい座]] - (沖ノ鳥島) * [[とも座]] - (新潟市) * [[ほ座]] - (那覇市) * [[ほうおう座]] - (鹿児島市) * [[みなみのかんむり座]] - (札幌市) {{div col end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|refs= <ref name="注1">[[はと座]]は、シラーのキリスト教星座星図にも登場するが、これはシラーのオリジナルではなく[[ペトルス・プランシウス]]が16世紀末に考案したもので、ノアの箱舟の伝承と結び付けるアイデアもプランシウスやバイエルが先んじている。</ref> <ref name="注2">ヘルツシュプルングは元素記号と同じような2文字の略号を提唱しており、3文字の略号はほぼラッセルのオリジナルである。ヘルツシュプルング自身は3文字の略号が採用されたことに不満を漏らしていた。</ref> }} === 出典 === {{Reflist|25em|refs= <ref name="Hara">{{Cite book|和書 | author=原恵 | author-link=原恵 | title=星座の神話 - 星座史と星名の意味 | publisher=[[恒星社厚生閣]] | date=2007-02-28 | edition=新装改訂版4刷 | page=30 | isbn=978-4-7699-0825-8}}</ref> <ref name="Ridpath">{{Cite web | last=Ridpath|first=Ian|authorlink=イアン・リドパス | title= Stars and storytellers | url=http://www.ianridpath.com/startales/startales1c.htm | work=Star Tales|accessdate=2017-02-06}}</ref> <ref name="IAU1922">{{Cite web | url=https://www.iau.org/public/themes/constellations/ | title=The Constellations | access-date=2015-07-24 | publisher=[[国際天文学連合]]}}</ref> <ref name="shibasen">{{Cite book|和書 | author=司馬遷 | author-link=司馬遷 | title=[[史記]]・上(天官書) | translator=近藤光男、頼 惟勤、吉田光邦 | 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Williams, Katherine Bracher, Richard Jarrell, Jordan D. Marché, F. Jamil Ragep | pages=288-289 | publisher=Springer Science & Business Media|year= 2007|isbn=9780387304007}}</ref> <ref name="Schlesinger1933">{{cite journal|display-authors=1 | last1=Schlesinger | first1=Frank | last2=Bosler | first2=Jean | last3=Chant | first3= Clarence | last4=De Vos van Steenwijk | first4=Jacob Evert | last5= Fisher | last6=Grabowski | last7=Horn d’Arturo | last8=Ludendorff | last9=Russell | last10=Strömgren | last11=Stroobant | title=3. 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Robocode
『Robocode』(ロボコード)は、オープンソースの教育ゲームである。JavaやVer1.7.2以降の.NET Framework(C#やVB.NETなど)の熟達に役立つ。 単純なロボットはわずか数分で作成できるが、本格的に完成させる場合は数ヶ月かかることがある。 参加者は小型戦車を自動制御するプログラムを作成し、競技場で別の戦車と戦う。 各戦車は移動、射撃、位置の走査が可能であり、プログラムにミスがある場合はあれば壁や他のロボットに衝突する。 シンプルではあるが必勝策はなく、戦車に何千行ものコードを戦略として持たせることができる。 優秀な戦車の中には、統計学やニューラルネットワークを組み込んでいるものもある。
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『Robocode』(ロボコード)は、オープンソースの教育ゲームである。JavaやVer1.7.2以降の.NET Framework(C#やVB.NETなど)の熟達に役立つ。 単純なロボットはわずか数分で作成できるが、本格的に完成させる場合は数ヶ月かかることがある。
{{翻訳中途|[[:en:Robocode]]|date=2013年12月}} {{Infobox software | name = Robocode | logo = | screenshot = [[File:Robocode-logo.png|250px|[[Splash screen]]]] | caption = | collapsible = | author = Mathew Nelson | developer = Flemming N. Larsen | released = {{Start date|2001|02}} | latest release version = 1.9.3.2 | latest release date = {{Start date and age|2018|04|04}} | programming language = Java、[[.NET Framework]] ([[C#]]、[[VB.NET]]など) | operating system = [[クロスプラットフォーム]] ([[Java]]及び[[.NET Framework]]が必須) | platform = [[Java]] | size = 5.0 MB | language = [[英語]] | status = Active | genre = プログラミングゲーム | license = [[Eclipse Public License]] <ref>[http://sourceforge.net/projects/robocode/ Robocode download | SourceForge.net]</ref> | website = https://robocode.sourceforge.io/ }} 『'''Robocode'''』(ロボコード)は、[[オープンソース]]の[[教育]][[ゲーム]]である。[[Java]]やVer1.7.2以降の[[.NET Framework]]([[C Sharp|C#]]や[[VB.NET]]など)の熟達に役立つ。 単純なロボットはわずか数分で作成できるが、本格的に完成させる場合は数ヶ月かかることがある。 ==内容== 参加者は小型戦車を自動制御するプログラムを作成し、競技場で別の戦車と戦う。 各戦車は移動、射撃、位置の走査が可能であり、プログラムにミスがある場合はあれば壁や他のロボットに衝突する。 シンプルではあるが必勝策はなく、戦車に何千行ものコードを戦略として持たせることができる。 優秀な戦車の中には、[[統計学]]や[[ニューラルネットワーク]]を組み込んでいるものもある。 ==脚注== {{reflist}} == 外部リンク == * {{Official website|https://robocode.sourceforge.io/ }} * [https://sourceforge.net/projects/robocode/ Robocode] on SourceForge.net * [http://robowiki.net/ RoboWiki] * [http://www.ibm.com/developerworks/jp/java/library/j-robocode/ 闘え、Robocode (ロボコード) ! - IBM] * [http://www.solar-system.tuis.ac.jp/~iseki/Robocode/ Fight!! Robocode in TUIS] * [http://ara.moo.jp/robocode/index.htm ロボコードについて] {{Software-stub}} {{DEFAULTSORT:ろほこおと}} [[Category:Java]] [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:クロスプラットフォームのソフトウェア]]
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10,009
NECグループ
NECグループ(英: NEC Group)は、日本電気を中核とする、住友グループの一角を成す企業グループである。 太字は東京証券取引所上場企業。「【NEC**】」は対外的に使用される通称。 2001年4月にNECシステムテクノロジーに統合された各社。 2014年4月にNECソリューションイノベータに統合された各社。 2016年4月にNECソリューションイノベータに合併。 ※社名はグループ離脱時の名称で記載。 NECエレクトロニクスのルネサステクノロジとの合併(→ルネサスエレクトロニクス)と持分会社への変更に伴い、関係会社から離脱した各社。
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NECグループは、日本電気を中核とする、住友グループの一角を成す企業グループである。
{{Pathnavbox| {{Pathnav|日本電気}} {{Pathnav|住友グループ}} }} {{基礎情報_グループ |名称 = NECグループ |外国語表記 = {{Lang|en|NEC Group}} |ロゴ = NEC logo.svg |色 = #1414a0 |文字 = 白 |創業者 = [[岩垂邦彦]] |創立 = |国籍 = JPN |中核企業 = [[日本電気]] |会員数 = |従業員数 = |中核施設 = [[日本電気本社ビル]] |中心的人物 = |主要業務 = |標章 = |主要提携先 = |前身 = |後身 = |別名 = |外部リンク = }} '''NECグループ'''({{Lang-en-short|NEC Group}})は、[[日本電気]]を中核とする、[[住友グループ]]の一角を成す[[企業]]グループである。 == NECグループの主要各社 == '''太字'''は[[東京証券取引所]]上場企業。「【NEC**】」は対外的に使用される通称。 <!---「株式会社」は省略---> *[[アドバンスド・マスク・インスペクション・テクノロジー]] *[[アビームコンサルティング]](旧デロイトトーマツコンサルティング、NECグループの[[コンサルティング]]機能を集約すべく子会社化) *[[アラクサラネットワークス]] *[[N&J金融ソリューションズ]] *'''[[NECキャピタルソリューション]]''' (旧NECリース) *[[NECスペーステクノロジー]](旧NEC東芝スペースシステム) *[[NECセキュリティ]](インフォセックを母体に2023年4月発足<ref>{{Cite news|url=https://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/1489646.html|title=NEC、サイバーセキュリティ事業を推進する「NECセキュリティ株式会社」を設立|newspaper=クラウドWatch|date=2023-03-31|accessdate=2023-04-03}}</ref>) *[[NECソリューションイノベータ]](2014年4月に旧NECソフトウェアグループ7社を再編統合した企業) *[[NECトーキンテクノサービス]] *[[NECトーキン物産]] *[[NECネクサソリューションズ]]([[ITアウトソーシング|アウトソーシング]]、[[開発#システム開発|システム開発]]・導入等) *'''[[NECネッツエスアイ]]'''(旧日本電気システム建設、傘下に複数の子会社を持つネットワーク工事・保守中心にネットワークインテグレーションまで含めた[[システムインテグレーター|SIer]]、2007年4月子会社化したNECテレネットワークスを吸収合併、2015年4月子会社のNECネッツエスアイ・エンジニアリングを吸収合併) *[[NECネッツエスアイ・サービス]] *[[NECネットイノベーション]] *[[NECネットワーク・センサ]](航空宇宙・防衛領域の通信・電子装置やセンサ等の製造・販売および保守を担当、2015年4月1日にネットコムセックを統合<ref>{{Cite press release | 和書 | title = NEC、航空宇宙・防衛分野の生産・保守関係会社2社を合併 | publisher = 日本電気株式会社 | date =2015-04-01 | url =https://jpn.nec.com/press/201504/20150401_03.html | accessdate =2020-03-10 }}</ref>) *[[NECビジネスプロセッシング]] *[[NECファシリティーズ]](旧日電厚生サービス、不動産の取り扱いなど) *[[NECフィールディング]](NECグループ製品の保守を主な仕事としている) *[[NECプラットフォームズ]](旧日通工→NECインフロンティア。2001年6月にNEC本体の事業所用電話システム・[[販売時点情報管理|POS]]端末事業を統合して社名変更。2014年7月1日に、[[NECインフロンティア]]が[[NECアクセステクニカ]]・NECインフロンティア東北・[[NECコンピューターテクノ]]を合併の上、改称) *[[NECフレンドリースタフ]]([[特例子会社]]) *[[NECマグナスコミュニケーションズ]] *[[NECマネジメントパートナー]](NECプロサポート・NECパーチェシングサービス・NECデザイン&プロモーション・NECラーニングの4社が2014年4月に統合。2015年4月以降、NEC本体の本社管理部門・事業部スタフ部門の集約先となる<ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/20150217-a016/ NEC、バックオフィス事業をNECマネジメントパートナーに集約] - マイナビニュース(2015年2月17日)</ref>。) *[[NECライベックス]] *[[OCC (企業)|OCC]]([[住友電気工業|住友電工]]と共同出資・海底光ケーブル事業等) *[[カイノア・テクノロジーズ]] *[[キーウェアソリューションズ]] *[[KIS (企業)|KIS]] *[[航空システムサービス]] *[[国際社会経済研究所]] *[[三和コンピュータ]] *[[シーイーエヌソリューションズ]] *[[シー・キューブド・アイ・システムズ]] *[[NEC静岡ビジネス]](旧静岡日電ビジネス) *[[シャープNECディスプレイソリューションズ]]([[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]・[[プロジェクタ]]等)<ref group="注釈">旧NECディスプレイソリューションズ。2020年11月1日付で株式の66%を[[シャープ]]に譲渡し、社名を変更した(参考:[https://www.nec-display.com/press/2020/1102.html 新生「シャープNECディスプレイソリューションズ」が事業開始] - シャープNECディスプレイソリューションズ、2020年11月2日)。</ref> *[[シンシア (東京都品川区)|シンシア]] *[[セイ・テクノロジーズ]] *[[高砂製作所]] *[[中国サンネット]] *[[トッパンNECサーキットソリューションズ]] *[[日通NECロジスティクス]]<ref group="注釈">旧NECロジスティクス。2013年12月、株式の49%をNECから[[日本通運]]に譲渡したことに伴い改称。2014年12月1日付で株式保有比率は日本通運側が過半数となった([https://www.nittsu-necl.co.jp/news/20141201-1.html])が、NECグループにはとどまっている。</ref> *[[ニットー冷熱製作所]] *'''[[日本航空電子工業]]''' *'''[[NCS&A]]''' *'''[[日本電気]]''' *[[日本電気航空宇宙システム]]【NEC航空宇宙システム】 *[[日本電気通信システム]]【NEC通信システム】(旧NEC通信システムを含む通信関係を扱う日本電気子会社7社が2003年1月に合併した会社) *[[日本電気特許技術情報センター]]【NEC特許技術情報センター】 *[[日本電子総合サービス]] *[[パステムソリューションズ]] *[[PCテクノロジー]] *[[フォワード・インテグレーション・システム・サービス]] *[[ベストコムソリューションズ]] *[[リバンスネット]] *レノボNECホールディングス(2011年7月、[[レノボ]]との合弁により発足したパソコン事業の[[持株会社]]<ref group="注釈">旧NECパーソナルプロダクツのパソコン事業を分離した[[NECパーソナルコンピュータ]]は、レノボNECホールディングスの子会社。レノボNECホールディングスはNECにとって[[持分法]]適用会社のため関連会社となるが、持分法適用会社の子会社であるNECパーソナルコンピュータはNECの関連会社からは外れる。</ref>) *[[ワイイーシーソリューションズ]] == かつてのNECグループの企業 == === 清算・グループ内統合により消滅 === <!--- 社名五十音順 ---> *[[アドコアテック]] - 松下電器産業グループとTIとの合弁として2006年に設立、2011年6月30日付けで解散、同年9月30日付けで清算<ref name="adocor">[https://news.panasonic.com/jp/press/data/jn060727-4/jn060727-4.html 第3世代以降の携帯電話の通信プラットフォームの開発会社を設立]</ref>。 *[[NECアクセステクニカ]] - 旧静岡日本電気。[[ファクシミリ]]・[[ADSL]]向け端末機器等。2014年7月にNECプラットフォームズに統合。 *[[NEC Avio赤外線テクノロジー]] - 2008年に日本アビオニクスの赤外線事業と旧NEC三栄を統合して設立されたが、2012年に日本アビオニクスへ吸収合併。 *[[NECアベニュー]] - 音楽関連事業会社。のちにはゲームソフト開発も手がけたが、1995年にNECインターチャネル(後述)にゲーム事業を譲渡、1998年には残存事業も譲渡して消滅。ただし、当社の手がけていた事業はその後の事業譲渡で現在はすべてNECグループを離れている([[NECインターチャネル]]の項目を参照)。 *[[NECエンジニアリング]] - 2017年4月、NECプラットフォームズに統合。 *NECカスタマックス - 旧NECパーソナルシステム<ref name="it"/>。パソコンの商品企画・販売担当。2003年7月にNECカスタムテクニカと合併してNECパーソナルプロダクツとなる<ref name="necp"/>。 *NECカスタムテクニカ - 2001年10月に、米沢日本電気・群馬日本電気・日本電気データ機器・新潟日本電気を統合して発足<ref name="it"/>。2003年7月にNECカスタマックスと合併してNECパーソナルプロダクツとなる<ref name="necp">[http://www.necp.co.jp/company/history/index.html NECパーソナルコンピュータの歩み(沿革)] - NECパーソナルコンピュータ</ref>。 *NECコントロールシステム - 2013年4月、NECエンジニアリングに吸収合併。 *NECコンピュータテクノ - 2014年7月にNECプラットフォームズに統合。 *NECシージーネット - 2009年に[[NECシステムテクノロジー]]に吸収合併。 *NEC商品サービス - NEC商品のフィールドサービス会社。後にNEC情報システムズに吸収合併。 *[[NEC情報システムズ]] - 2017年4月、NECソリューションイノベータに吸収合併。 *NECツーリスト - 旅行代理店。2009年にNECプロサポートに吸収合併。同社の旅行業部門としてインハウス型旅行代理店業務を継続。2014年4月にNECマネジメントパートナーに統合。 *NECデザイン&プロモーション - NECデザイン、NECメディアプロダクツが2009年1月に合併して発足。2014年4月にNECマネジメントパートナーに再統合。 *NECテレネットワークス - 2006年4月NECとの株式交換により、[[NECネッツエスアイ]]の完全子会社化。2007年4月NECネッツエスアイに吸収合併され消滅。 *NECトータルインテグレーションサービス - 1974年3月に[[通産省]]の指導によりNECと[[東芝]]の合弁で作られた日電東芝情報システム<ref>[http://museum.ipsj.or.jp/guide/pdf/magazine/IPSJ-MGN441015.pdf 通産省と日本のコンピュータ メーカー] - 情報処理学会</ref>が前身。[[Advanced Comprehensive Operating System|ACOS]]の開発・販売で知られた。2004年に東芝が撤退し、100%NEC系列になった<ref>[http://userweb.pep.ne.jp/shigmats/utusback/ntis.htm NTIS] うつせみ、2004年 5月16日</ref>。2009年10月に事業をNEC本体とNECネクサソリューションズに統合<ref>[http://www.nec.co.jp/ntis/20090706_01.pdf 事業再編のご挨拶] - 日本電気(2009年7月6日)</ref>。 *[[NECネットワークプロダクツ]] - 2011年4月1日に[[NECアンテン]]、[[東北日本電気]]、[[NECワイヤレスネットワークス]]が合併して発足。2017年4月にNECプラットフォームズに統合。 *NECパーチェシングサービス - 日本電気ファクトリエンジニアリング、NECオープンプロキュアメント、NECプレオマートが2009年1月に合併した会社。2014年4月にNECマネジメントパートナーに再統合された。 *NECバイタルスタフ - 人材派遣・人材紹介サービス。2007年にNECプロサポートに統合。 *NECビューテクノロジー - プロジェクター製造。旧NECホームエレクトロニクスから。2007年4月に[[NECディスプレイソリューションズ]]に合併。ただし、登記上の存続法人は当社となっている。 *NECプロサポート - 人事・総務サービスを担当。2009年にNECツーリストを合併。2014年4月にNECマネジメントパートナーに統合。 *[[NECモバイルコミュニケーションズ]] - 2010年にモバイルターミナル事業本部と[[カシオ日立モバイルコミュニケーションズ]]が統合し、NECカシオ モバイルコミュニケーションズを設立。2014年10月1日付で[[カシオ]]と[[日立製作所]]が保有する株式をNECが買い取る形で完全子会社化。2016年3月に携帯電話事業を再びNEC本体に戻したことで解散。 *NECラーニング - 旧日本電気総合経営研究所→NECユニバーシティ(1997年から)。研修サービスを担当。2014年4月にNECマネジメントパートナーに統合。 *[[日本電気ホームエレクトロニクス]] - 通称・NECホームエレクトロニクス、旧・新日本電気<ref group="注釈">後述の[[ルネサス エレクトロニクス]]の地域子会社(旧関西日本電気)と同一、のちに分離。</ref>、2000年3月解散。一般家電製品・[[市民ラジオ]]・[[アマチュア無線]]機器(CQ-Pシリーズ)・[[家庭用ゲーム]]機器([[PCエンジン]]・[[PC-FX]])を生産販売。かつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のテレビドラマ『[[白い巨塔 (1978年のテレビドラマ)|白い巨塔(1978年放映版)]]』で[[冠スポンサー]]になっていた。 *[[秋田日本電気]]【NEC秋田】 - 液晶ディスプレイの製造担当。2007年9月にNEC液晶テクノロジーに統合。 *群馬日本電気【NEC群馬】 - デスクトップパソコンの製造担当<ref name="pcw">{{Cite news|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1030707.html|title=Lenovo全製品の修理をNEC PCの群馬事業場で実施~マザーボード修理の内製化を初めて公開|newspaper=PC WATCH|date=2016-11-18|accessdate=2019-04-14}}</ref>。2001年10月にNECカスタムテクニカに統合<ref name="it"/>。施設としてはNECカスタマックスの保守・サービス拠点となり、NECパーソナルプロダクツを経て、現在はNECパーソナルコンピュータの群馬事業場<ref name="pcw"/><ref>[https://www.lenovojp.com/business/special/042/ NECパーソナルコンピュータ群馬事業場] - レノボジャパン</ref>。 *埼玉日本電気【NEC埼玉】 - 携帯電話の製造担当。2017年3月に閉鎖、人員はNECプラットフォームズが継承<ref name="nnp150227">{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ27HV8_X20C15A2TJ2000/|title=NECが国内2工場閉鎖へ 埼玉・長野、700人異動 |newspaper=日本経済新聞|date=2015-02-27|accessdate=2019-04-14}}</ref>。 *サイバーウィング - NECビッグローブ子会社のネット広告事業会社。2014年3月末で解散<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1401/08/news121.html アドネットワークのサイバーウィングが解散] - ITmediaニュース2014年1月8日</ref>。 *[[ネッツエスアイ東洋]] - 旧・東洋ネットワーク。2005年4月[[東洋通信機]]から装置事業を分割し、その株式をNECネッツエスアイが取得して子会社化。2015年3月限りでNECマグナスコミュニケーションズに吸収合併される。 *長野日本電気【NEC長野】 - 車載機器の製造担当。2017年3月に閉鎖、人員はNECプラットフォームズが継承<ref name="nnp150227"/>。 *日本電気データ機器【NECデータ機器】 - 2001年にNECカスタムテクニカに統合<ref name="it"/>。 *ネットコムセック - 2010年4月1日に旧ネットコムセック、NECマイクロ波管、東洋無線システム<ref group="注釈">2004年4月、[[宮崎エプソン|東洋通信機]]の防衛部門を分社化し日本電気に譲渡</ref>および東通電子<ref group="注釈">元東洋通信機の子会社</ref>を統合<ref>{{Cite press release|和書|title=防衛分野向け通信機器事業を担当する関係会社4社の合併について |publisher=日本電気株式会社|date=2010-04-01|url =http://www.nec.co.jp/press/ja/1004/0102.html| accessdate =2020-03-10}}</ref>。2015年4月、NECネットワーク・センサに吸収合併。 *[[パッカードベル|パッカードベルNECジャパン]] - 米国で低価格PCを販売していた[[パッカードベル]]の日本法人。1999年解散。 *[[山梨日本電気]]【NEC山梨】 - 2017年4月にNECプラットフォームズに統合。 *米沢日本電気【NEC米沢】 - ノート型パソコンの製造開発を担当。2001年にNECカスタムテクニカに統合<ref name="it">{{Cite news|url=https://www.atmarkit.co.jp/news/200108/29/nec.html|title=NECがコンシューマ事業の体制を改革、「リピーターを増やす」|newspaper=IT media|date=2001-08-29|accessdate=2019-04-14}}</ref>。施設としては現在のNECパーソナルコンピュータおよびNECエンベデットプロダクツの米沢事業場。 ==== 旧NECソフトウェアグループ ==== 2001年4月に[[NECシステムテクノロジー]]に統合された各社。 *神戸日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア神戸】 *岡山日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア岡山】 *中国日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア中国】 *四国日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア四国】 2014年4月にNECソリューションイノベータに統合された各社。 *NECシステムテクノロジー *NECソフトウェア東北 *九州日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア九州】 *中部日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア中部】 *[[北陸日本電気ソフトウェア]]【NECソフトウェア北陸】 *北海道日本電気ソフトウェア【NECソフトウェア北海道】 2016年4月にNECソリューションイノベータに合併。 *[[NECソフト沖縄]] === 事業譲渡・株式売却等で離脱 === ※社名はグループ離脱時の名称で記載。<!--- 社名五十音順---> *アネルバ - [[キヤノン]]に売却し、同社の完全子会社[[キヤノンアネルバ]]となる。 *安藤電気 - 株式交換により、[[横河電機]]完全子会社となった。現在は現親会社への営業譲渡によりすでに解散。 *[[アンリツ]] - かつては持分法適用関連会社であったが、2011年3月に株式を売却し除外。 *NECアベニュー音楽出版 - NECアベニューの関連会社として発足。NECアベニュー消滅後も存続した。2005年にアイシー音楽出版に社名を変更し、NECグループより離脱。2006年にインデックスグループ([[インデックス・ホールディングス]]及びインターチャネル・ホロン)が全株式を取得しインデックス ミュージックに変更。2008年にティー ワイ リミテッド傘下に入り[[ティー ワイ エンタテインメント]]となる。 *NECインターチャネル - 1995年にNECアベニューおよび日本電気ホームエレクトロニクスのゲームソフト制作部門等を統合して発足。1998年にNECアベニューの残存事業も譲受。2004年にインデックスが株式70%を取得。[[インターチャネル・ホロン|インターチャネル]]に全事業を譲渡した。 *NECエナジーデバイス - 車載用リチウム電池事業会社。後述のオートモーティブエナジーサプライに追随する形で中国のエンビジョングループに2019年3月末に株式を売却し、エンビジョンAESCエナジーデバイスとなってグループを離脱。 *NECエンベデッドプロダクツ - 旧NECパーソナルプロダクツのストレージ事業を継承し、登記上はNECパーソナルプロダクツが名称変更した形だった。2022年9月末に全株式を[[メイコー]]に譲渡<ref>[https://jpn.nec.com/press/202207/20220728_02.html NECエンベデッドプロダクツ社の株式譲渡について] - 日本電気プレスリリース(2022年7月28日)2023年1月5日閲覧。</ref>、10月1日より「メイコーエンベデットプロダクツ」に社名を変更している<ref>{{PDFlink|[https://www.meiko-elec.com/pdf/news/2022/20220905.pdf 子会社の商号変更に関するお知らせ]}} - メイコー(2022年9月5日)2023年1月5日閲覧。</ref>。 *NECエンベデッドテクノロジー - 上記NECエンベデッドプロダクツと同時にメイコーに株式譲渡し、「メイコーエンベデッドテクノロジー」に社名を変更。 *[[トーキン|NECトーキン]](旧東北金属工業) - 2017年4月、KEMET Corporationが全株式を取得してグループを離脱。 *[[BIGLOBE|NECビッグローブ]] - 2014年4月、[[日本産業パートナーズ]]に株式を売却してグループを離脱。 *NEC SCHOTT コンポーネンツ株式会社 合弁相手であったドイツSCHOTTにNEC保有株式の全てを売却。 *NECパーソナルプロダクツ - 2003年7月にNECカスタムテクニカとNECカスタマックスが合併したパソコン事業会社<ref name="necp"/>。2011年7月に[[レノボ]]の資本参加により出資されたレノボNECホールディングスの子会社・[[NECパーソナルコンピュータ]]となり、NECの連結対象より外れる<ref name="necp"/>。ストレージ事業はNECエンベデットプロダクツが継承。 *NECプラズマディスプレイ - プラズマテレビ生産会社。現・[[パイオニア]]プラズマディスプレイ。 *NECマシナリー - キヤノンがTOBをかけて子会社の[[キヤノンマシナリー]]となる。 *NECモバイリング - グループ離脱時点で東京証券取引所第一部上場企業だった。2013年6月、[[丸紅]]の完全子会社であるMXホールディングスが行った[[株式公開買付け]]に応募し、全株式売却<ref>[http://www.nec-mobiling.com/html/news/articles/pressrelease/pdf/2013-06-13_02.pdf 主要株主である筆頭株主及び親会社の異動に関するお知らせ]NECモバイリング株式会社 2013年6月13日</ref>。2013年8月15日に[[MXモバイリング]]に商号変更<ref>[http://www.nec-mobiling.com/html/news/articles/pressrelease/pdf/2013-06-28_02.pdf 商号の変更及び定款の一部変更に関するお知らせ]NECモバイリング株式会社 2013年6月28日</ref>。2013年9月に丸紅の完全子会社(孫会社)となり上場廃止。 *NECライティング - 旧NECホームエレクトロニクスから独立した蛍光灯などの照明機器事業会社。2019年4月に日本みらいキャピタルが出資する[[ホタルクス]](日本みらいキャピタル95%、NEC5%)に事業譲渡後、2020年3月3日清算結了。 *[[Tianma Japan|NLTテクノロジー]] - 旧NEC液晶テクノロジー。2011年に深圳中航光電子に保有株式の70%を売却、その時点では持分法適用会社であったが、2012年度中に持分法適用対象外となり、グループより外れる<ref>{{PDFlink|[http://jpn.nec.com/ir/pdf/report/175/report175_02.pdf 第175期連結計算書類の連結注記表]}} - 日本電気(2013年、p.1を参照)</ref>。現・Tiannma Japan。 *[[マイクロンメモリジャパン|エルピーダメモリ]] - [[日立製作所]]と合弁で作られたメモリ専業メーカー。2005年9月にNECと日立が保有株式の一部を売却し、同社の連結決算上の持分法対象外となった。その後、[[会社更生法]]適用を受けてアメリカの[[マイクロン・テクノロジ]]傘下となり、2014年2月28日に[[マイクロンメモリジャパン]]に改称。 *オートモーティブエナジーサプライ - [[日産自動車]]と共同出資で設立した自動車用電池事業会社。2019年1月末に両社の保有株式を中国のエンビジョングループに売却して離脱<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38740650Q8A211C1TJ2000/|title=日産、車載電池子会社の売却前倒し|newspaper=日本経済新聞|date=2018-12-10|accessdate=2019-04-13}}</ref>。 *[[昭和オプトロニクス]] - [[京セラ]]が、NECが保有する93.53%分の株式全てを譲り受ける。 *セブンインターネットラボ - 2012年10月、[[セブンネットショッピング]]に吸収合併。 *ソニーNECオプティアーク - 現・[[ソニーオプティアーク]]。 *多摩電気工業 - 株式交換により現在は[[コーア|KOA]]完全子会社。現・真田KOA(2014年4月より)。液晶ディスプレイ用バックライト事業は、多摩ファインオプトとして分離後に、[[オムロン]]の完全子会社を経て2009年9月に解散。 *田村電機製作所 - NECと[[沖電気工業|沖電気]]がともに筆頭株主だった。2004年に沖電気グループの大興電機製作所と経営統合し、系列から離脱。現・[[サクサホールディングス]]。 *東北化工 - 元はNECトーキンの関連会社。2010年、株式会社エフ・シー・シーが完全子会社化。 *東洋通信機 - 株式譲渡・事業統合により、現在は[[セイコーエプソン]]およびその子会社である[[宮崎エプソン]]が事業を引き継いでいる。ただし、券売機等の一部事業は分社化(東洋ネットワークシステムズ→ネッツエスアイ東洋)してNECネッツエスアイに全株売却、防衛部門も東洋無線システムとして分社化、その後ネットコムセックと統合、のちNECネットワーク・センサに吸収合併。 *新潟日本電気【NEC新潟】 - 2001年8月に富士ゼロックス(現:[[富士フイルムビジネスイノベーション]])へ全株式を譲渡。富士ゼロックスマニュファクチュアリング新潟事業所となっていたが、2019年2月末で事業所自体が閉鎖された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fxmfg.co.jp/company/office |title=事業所閉鎖、新事業所発足のお知らせ |accessdate=2019-03-04 |publisher=富士ゼロックスマニュファクチュアリング |archive-url=https://web.archive.org/web/20190413111709/https://www.fxmfg.co.jp/company/office |archive-date=2019-04-13 |deadlinkdate=2023-07-28 |language=ja}}</ref>。 *[[日本アビオニクス]] - 米・ヒューズ社との合弁で設立。2020年1月に[[日本産業パートナーズ]]傘下のNAJホールディングス株式会社へ全株式譲渡。 *[[日本SGI]] - 2001年に株式を取得してグループ会社となったが、2011年3月中に再度[[アメリカ合衆国|米]][[シリコングラフィックス]]に売却。 *[[日本電気硝子]] - 2010年2月3日に保有していた株式6482万8000株を売却して議決権比率が11.3%となり、持分法適用関連会社からはずれる。「事業のシナジー効果が少なくなり、関連会社と位置付ける必要性が高くなくなった」としている<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2010020300654 NEC、日本電気硝子株を売却=特別利益200億円]時事ドットコム2010年2月3日</ref>。2013年2月5日にはさらに株を売却し、保有率は0.65%まで低下している<ref>[http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE91405W20130205 日本電気硝子、NECが保有株を大和証券に売却] - ロイター2013年2月5日</ref>。 *日本電気真空硝子 - 2010年6月30日をもって[[日本山村硝子]]へ売却し、グループ離脱、山村フォトニクスとなる。 *日本電気精器 - 英ラムダ社の日本法人([[ネミック・ラムダ]])が日本電気精器を買収し吸収合併、[[デンセイ・ラムダ]]となる。株式交換により、現在は[[TDK]]の完全子会社。 *広島日本電気【NEC広島】 - 半導体の前工程を担当。2004年9月にエルピーダメモリの子会社である[[広島エルピーダメモリ]]に事業譲渡されたが、エルピーダメモリの[[マイクロン・テクノロジ]]への売却により現在はマイクロンメモリジャパンの広島工場。 *[[ホンダエレシス]] - 2014年3月、他の株主とともに日本電産グループへ売却。現・日本電産エレシス。 *[[明星電気]] - [[大和証券|大和証券グループ]]が保有株式を肩代わり、同グループの傘下に入る。その後、2012年秋頃のTOBをもって[[IHI]]グループ入り。 *[[ルネサスエレクトロニクス]] - 旧NECエレクトロニクス。2010年4月にルネサス テクノロジと合併。2013年9月30日、ルネサス側の第三者割当増資により株式の保有比率が低下し、持分法適用対象外となる<ref>[http://jpn.nec.com/ir/pdf/securities/2013/2013176_04.pdf 2013年度有価証券報告書] - 日本電気株式会社(PDFファイル)。p.93(PDFの96ページ目)を参照。</ref>。 ==== ルネサスエレクトロニクス移管の半導体生産会社 ==== NECエレクトロニクスのルネサステクノロジとの合併(→ルネサスエレクトロニクス)と持分会社への変更に伴い、関係会社から離脱した各社。 *NECセミコンダクターズ関西 - 2008年に[[関西日本電気]]【NEC関西】と福井日本電気【NEC福井】が合併して発足。現在は再度再編され、[[ルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング]]。 *NECセミコンダクターズ九州・山口 - 九州日本電気【NEC九州】・山口日本電気【NEC山口】・福岡日本電気【NEC福岡】が2度の再編統合により2008年に発足。現在は再度再編され、[[ルネサス セミコンダクタ パッケージ&テスト ソリューションズ]] *NECセミコンダクターズ山形(旧・山形日本電気【NEC山形】、2008年改称) - ルネサス山形セミコンダクタとなったのち、2014年4月からはソニーセミコンダクタ山形テクノロジーセンターとなり、2016年4月から[[ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング山形テクノロジーセンター]]に改称。 *NECマイクロシステム - ルネサスマイクロシステムとなったのち、ルネサスデザインとの統合により2014年8月からルネサスシステムデザイン。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[NECソフトウェアグループ]] * [[NECナイメヘン]] - [[オランダ]][[サッカー]]・[[エールディヴィジ]]1部所属。ただし上掲[[日本電気]]・NECグループ各社との人材・資本関係は一切なし。 == 外部リンク == * [https://jpn.nec.com/profile/index.html NEC:会社概要] {{NEC Group}} {{Company-stub}} {{DEFAULTSORT:えぬいいしいくるうふ}} [[Category:NECグループ|*]] [[Category:住友グループ]]
2003-06-14T09:32:17Z
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10,013
誤差
誤差(ごさ、error)は、測定や計算などで得られた値 M と、指定値あるいは理論的に正しい値あるいは真値 T の差 ε であり、 で表される。 基本的には、何らかの特定の意味をもつ対象について、実際に得られた値が、本来の値からどれだけずれているかを表す量である。ただし、一般には真値が分からない場合に測定や見積りを行うのであり、データのばらつきや、測定の分解能以下の不確かさを内包する。したがって、この場合の誤差は、実測値だけから統計的に見積もられるべき量となる。データを定量的に議論する際には、常に、あらゆる種類の誤差の可能性を考慮しなければならない。 誤差の発生原因としては、測定する際に生じる測定誤差や、データを計算する際に生じる計算誤差、標本調査による統計誤差(標準誤差)等が挙げられる。また実際におきる現象と数学的なモデルに違いがある場合にも誤差は生じる。 本来数値で表されるものには光速のように値が定義そのものであったり、円周率のように定義から値が一意に決まるものを除いて必ず誤差がある。また円周率 (π) などは、(直径に対する円周の長さの割合という)定義からは数値が一意に決まるにもかかわらず、それが無理数であるために、それを現実に小数で表示しようとすると必ず誤差(丸め誤差)が生じる。科学的な文脈において数値を扱う際には誤差が存在しない場合を除いて必ず誤差が表示されている。台風の予想円などは身近にある誤差表示の一例である。 また、これらのことから、工業製品等の設計を行うときに製作段階での誤差を考慮して「まち」や「あそび」を作り誤差の発生分を吸収できるようにする。つまり、設計者は常に部品製作上で許容される誤差範囲を設計に織り込んでおり、この誤差範囲を公差(寸法公差・幾何公差)という。 ある測定における測定値に、同じ方法を用いて測定する限り、「真の値」に対して系統的にずれて測定されるような誤差が存在する場合、それを系統誤差と呼ぶ。系統誤差はその原因と傾向が分かっている場合には測定値から取り除くことができるが、通常は完全に取り除くことは不可能である。 系統誤差の値は常に一定であるとは限らない。温度、湿度、或いは単に時間の経過など何らかの外的要因が被測定物に対して作用するのとは別に測定器自体に作用して測定結果を狂わせる場合があるが、このようなものも系統誤差のうちに含む。 例として端が磨耗した竹の物差しを使っていろいろな大きさの升の深さを測ることを考える。この場合測定値は真の値に対して磨耗した分だけ常に大きくなることが予想される。大きさがあらかじめ分かっているほかの物体を同じ物差しで測ることによってこのずれの大きさを決定することができるので、この物差しを使った先の測定結果から升の深さを求めることができる。 しかし系統誤差の原因と傾向をこのように特定することは一般には難しい。たとえばこの物差しの目盛の間隔が製造上の問題や保管方法の問題によって狂っていた場合、同じ物を測れば同じように測定されるのでこれも系統誤差の一種であるがこの傾向を別の方法によって較正することは先ほどの例に比べて格段に難しい。また測定の繰り返し自体によって物差しの磨耗が進行するかもしれない。この場合先ほどとったような簡単な方法ではもはや系統誤差を取り除くことは不可能である。 一般に測定値における系統誤差は様々な原因による誤差の積み重ねであり、その中には特定することがほとんど不可能であるようなものも含まれる。したがって原因と傾向がわかっているものについて極力取り除く努力をしたとしてもある程度の系統誤差が残ることはやむを得ないことといえる。重要なのは最後に残る系統誤差をできる限り小さくした上で、その上限値を正確に把握していることである。 系統誤差が測定の繰り返しに対して一定であるのに対して、測定ごとにばらつく誤差のことを偶然誤差という。 再び端が磨耗した竹の物差しを考える。一般的には磨耗した端はもはや直線ではないと考えられる。したがって物差しを当てるたびに実際に升と接触する点が変わり或いは物差しがわずかに傾き測定結果をばらつかせると考えられる。 偶然誤差の多くは測定方法自体によって規定されるので測定方法自体を改善しない限り取り除くことはできない。また偶然誤差は毎回ランダムな値をとるので測定後に取り除くことができない。偶然誤差によって測定の精度が決定されることが多い。しかし、繰り返し測定により十分に多くの回数の測定によって特定の分布を得ることができれば、その測定方法に即した最適な方法(平均をとる、最頻値を採用するなど)によって真の値の推定値の精度を上げることができる。 上記の議論はある1つの対象物に対する測定に際して起こる誤差について議論してきたが、測定対象となる事象自体がある分布を持っているような対象に対する測定を行う場合がある。工場などで生産する製品の寸法が規格寸法に対してある一定の範囲に収まっているかどうかを測定する場合などである。 この場合、測ろうとしている対象が持つばらつきと、測定方法自体がもつ誤差を区別して考えなければ混乱を生じることになる。たとえば、ある部品の寸法精度が±1%の範囲に収まっているかどうかを検定したいときに、測定方法自体が±1%の誤差を持っていたとすると測定自体が意味をなさなくなってしまったりする。このような測定に用いる測定装置は、あらかじめ測定誤差を検定した上で、測ろうとしている精度に対して誤差が十分に小さいことを確認しておく必要がある。 ばらつきを持つ複数の値の平均値を求めたい場合がある。たとえば、日本人の身長の平均などである。このような測定を行う場合、普通全数を測定することはせず対象とする母集団からランダムに選んだ標本を用いて測定することになる。このような場合求められる平均値の精度は調べた人数等による(推計統計学)が、その他に測定自体の精度も勘案しなければならない。系統誤差が無視できるような測定方法をとるとして、偶然誤差については一つの測定対象を繰り返し測定する場合と同様、測定回数を上げることによって十分に小さくすることが出来る。詳細な議論は避けるが、ほとんどの場合、平均値に統計的な意味があるくらい十分に多くの対象について測定したならば、偶然誤差の影響も十分に小さくなるが、母集団が小さかった場合など誤差が無視できるだけの測定数と統計的に意味のある測定数が異なる場合もある。このような場合には測定誤差による影響を別に考慮する必要がある。 上記のように測定値から誤差を無くすことは不可能である。したがってわれわれが知り得るのは常に誤差付の値でしかない。しかしながら測定すべき量には測定方法とは無関係なある定まった値があると考えるのが合理的である。この値のことを誤差理論において 真の値または真値 と呼んでいる。真値が未知であるとする立場では、真値の代わりに測定によって得られた最確値を真値と考える。最確値としては同じ測定を複数回だけしたときの平均値を用いることが多い。 なお、量子力学によるとそもそも物理量そのものが確定した値を持たず、ある確率分布に従った拡がりを持つ(不確定性)。物理量自体が元から内包している不確定性と、それ以外の原因で発生する誤差は厳密に区別して考える必要がある。 一般に測定によって最終的に求めたい値が一つの測定の結果から得られるとは限らず、それぞれ固有の誤差を持つ複数の値から求めなければならない場合が多い。複数回の測定結果の平均を取る場合などもそのうちの一つである。 たとえば最終的に求めたい値 z が2つの測定値 x, y から z = f(x, y) という関係式で求められる場合、x, y の標準偏差をそれぞれ sx, sy とすると、z の標準偏差 sz は次の誤差伝播の公式により求められる: 数値に対して丸め(まるめ、英: rounding)を行う場合に、すなわちその数値のどこかの桁で切り上げ・切り捨てなど端数処理を行った場合に生じる誤差を丸め誤差(まるめごさ、英: rounding error, round-off error)という。 反復計算において、必要とされる回数より少ない回数で反復を止めること(打ち切り)によって生じる誤差が打切り誤差である。 無限級数をはじめの数項だけで計算することによる誤差が代表的である。例えば、sin x のマクローリン展開は である。これを最初の3項で計算する と打ち切り誤差が生じる。 浮動小数点数の計算のように精度が限られている条件下で、絶対値の大きい数と絶対値の小さい数を加減算したとき、絶対値の小さい数が無視されてしまう現象。次のような例がある。 有効桁数が11桁ある場合では と期待する結果が得られるが、 有効桁数が10桁までしか無い場合は となってしまう。 桁落ち(けたおち、英: cancellation)とは、値がほぼ等しく丸め誤差を持つ数値同士の減算を行った場合、有効数字が減少すること。絶対値がほぼ等しく符号が異なる数値どうしの加算の場合も同様。固定小数点数では、上位の桁にゼロが並んだ数になり、意味のある値が入っている桁が下のわずかな桁だけとなるのでわかりやすい。浮動小数点数では、上位の桁がゼロになると、正規化によってそれを詰め、以下の桁に "0" を強制的に挿入するので、以降の計算の下位の桁が意味が無いものになる。演算式の変形などで、桁落ちを避けるのが基本である。 有効数字8桁で を計算する。 (1) 式の通りに計算すると、 有効数字が5桁になってしまう。 有効数字が8桁なので本来なら±0.00000005%程度の誤差であるはずが、±0.00005%程度、ざっと1,000倍の誤差を含むことになる。 (2) 式を変形して、ほぼ等しい数値同士の減算を回避すると、 となり、有効数字8桁の結果が得られる。ただし、常にこのような回避が可能であるわけではない。 本質は、元となるデータ 31.638584 と 31.606961 とが、すでに最下位桁に丸め誤差を含む近似値である点にある。(1) では、差の上位3桁がゼロになることによって、この丸め誤差が大きな相対誤差になってしまう。(もし、これらの元データが丸め誤差を含まない値であった場合は、結果も全く誤差を含まない点に注意を要する。) 最大の問題はこの後、丸め誤差を含んだ桁が上位有効桁の喪失に伴う正規化によって上位桁に大きく移動することになるため、大きな誤差を含んだまま失われた有効桁数が見かけ上回復するところにある。これによって、後続する演算が全て「巨大な誤差」を「有効桁」として演算を続けることになり、最終的な演算結果は見かけどおりの有効桁数を持っていない状態になる。 乗除算および加算(符号が異なる減算)に関しては有効桁数の減少(上位有効桁の喪失)を伴わないのでこの問題は発生しない。また正規化を行わない固定小数点形式でもこの問題は発生しない(そもそも固定小数点の場合は精度の考え方が異なるため)。(※丸め誤差が累積する問題は発生するが、それは桁落ち誤差ではない)
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誤差(ごさ、error)は、測定や計算などで得られた値 M と、指定値あるいは理論的に正しい値あるいは真値 T の差 ε であり、 で表される。
'''誤差'''(ごさ、error)は、測定や計算などで得られた値 ''M'' と、指定値あるいは理論的に正しい値あるいは真値 ''T'' の差 ''ε'' であり、 :<math>\varepsilon = M - T </math> で表される<ref>[[岡村総吾]]監訳『IEEE電気・電子用語事典』[[丸善]]、1989年</ref><ref>西野治『標準電気工学講座 電気計測』第1章、[[コロナ社 (出版社)|コロナ社]]、1985年</ref>。 == 概要 == 基本的には、何らかの特定の意味をもつ対象について、実際に得られた値が、本来の値からどれだけずれているかを表す量である。ただし、一般には真値が分からない場合に測定や見積りを行うのであり、データのばらつきや、測定の分解能以下の不確かさを内包する。したがって、この場合の誤差は、実測値だけから統計的に見積もられるべき量となる。データを[[定量的]]に議論する際には、常に、あらゆる種類の誤差の可能性を考慮しなければならない。 誤差の発生原因としては、測定する際に生じる'''[[#測定誤差|測定誤差]]'''や、[[データ]]を計算する際に生じる'''[[#計算誤差の種類|計算誤差]]'''、[[標本調査]]による'''統計誤差'''([[標準誤差]])等が挙げられる。また実際におきる現象と数学的なモデルに違いがある場合にも誤差は生じる。 本来数値で表されるものには[[光速]]のように値が定義そのものであったり、円周率のように定義から値が一意に決まるものを除いて必ず誤差がある。また[[円周率]] ([[π|{{π}}]]) などは、(直径に対する円周の長さの割合という)定義からは数値が一意に決まるにもかかわらず、それが[[無理数]]であるために、それを現実に小数で表示しようとすると必ず誤差(丸め誤差)が生じる。科学的な文脈において数値を扱う際には誤差が存在しない場合を除いて必ず誤差が表示されている。台風の予想円などは身近にある誤差表示の一例である。 また、これらのことから、工業製品等の[[設計]]を行うときに製作段階での誤差を考慮して「まち」や「あそび」を作り誤差の発生分を吸収できるようにする。つまり、設計者は常に部品製作上で許容される誤差範囲を設計に織り込んでおり、この誤差範囲を[[公差]](寸法公差・幾何公差)という。 == 測定誤差 == === 系統誤差 === ある[[測定]]における測定値に、同じ方法を用いて測定する限り、「真の値」に対して系統的にずれて測定されるような誤差が存在する場合、それを系統誤差と呼ぶ。系統誤差はその原因と傾向が分かっている場合には測定値から取り除くことができるが、通常は完全に取り除くことは不可能である。 系統誤差の値は常に一定であるとは限らない。[[温度]]、[[湿度]]、或いは単に時間の経過など何らかの外的要因が被測定物に対して[[作用]]するのとは別に測定器自体に作用して測定結果を狂わせる場合があるが、このようなものも系統誤差のうちに含む。 例として端が磨耗した竹の[[物差し]]を使っていろいろな大きさの[[升]]の深さを測ることを考える。<!--一般的にはこういう用途に竹定規は向いてないよね。普通は先端の磨耗を考えて1cmくらい余らせて測るもんだからね→竹定規-->この場合測定値は真の値に対して磨耗した分だけ常に大きくなることが予想される。大きさがあらかじめ分かっているほかの物体を同じ物差しで測ることによってこのずれの大きさを決定することができるので、この物差しを使った先の測定結果から升の深さを求めることができる。 しかし系統誤差の原因と傾向をこのように特定することは一般には難しい。たとえばこの物差しの目盛の間隔が製造上の問題や保管方法の問題によって狂っていた場合、同じ物を測れば同じように測定されるのでこれも系統誤差の一種であるがこの傾向を別の方法によって[[較正]]することは先ほどの例に比べて格段に難しい。また測定の繰り返し自体によって物差しの磨耗が進行するかもしれない。この場合先ほどとったような簡単な方法ではもはや系統誤差を取り除くことは不可能である。 一般に測定値における系統誤差は様々な原因による誤差の積み重ねであり、その中には特定することがほとんど不可能であるようなものも含まれる。したがって原因と傾向がわかっているものについて極力取り除く努力をしたとしてもある程度の系統誤差が残ることはやむを得ないことといえる。重要なのは最後に残る系統誤差をできる限り小さくした上で、その上限値を正確に把握していることである。 === 偶然誤差 === 系統誤差が測定の繰り返しに対して一定であるのに対して、測定ごとにばらつく誤差のことを偶然誤差という。 再び端が磨耗した竹の物差しを考える。一般的には磨耗した端はもはや直線ではないと考えられる。したがって物差しを当てるたびに実際に升と接触する点が変わり或いは物差しがわずかに傾き測定結果をばらつかせると考えられる。 偶然誤差の多くは測定方法自体によって規定されるので測定方法自体を改善しない限り取り除くことはできない。また偶然誤差は毎回[[ランダム]]な値をとるので測定後に取り除くことができない。偶然誤差によって測定の精度が決定されることが多い。しかし、繰り返し測定により十分に多くの回数の測定によって特定の分布を得ることができれば、その測定方法に即した最適な方法([[平均]]をとる、最頻値を採用するなど)によって真の値の推定値の精度を上げることができる。 ==== 偶然誤差の大きさを表す指標 ==== *[[二乗平均平方根誤差]] (RMSE: Root Mean Square Error) *[[標準偏差]] *[[半値幅]]:分布の最頻値に対して頻度が半分になる点における分布の幅。FWHM (Full Width at Half Maximum) とも呼ばれる。 *[[公算誤差]] === 測定対象が1つではないときの測定誤差 === 上記の議論はある1つの対象物に対する測定に際して起こる誤差について議論してきたが、測定対象となる事象自体がある分布を持っているような対象に対する測定を行う場合がある。工場などで生産する製品の寸法が規格寸法に対してある一定の範囲に収まっているかどうかを測定する場合などである。 この場合、測ろうとしている対象が持つ[[統計的ばらつき|ばらつき]]と、測定方法自体がもつ誤差を区別して考えなければ混乱を生じることになる。たとえば、ある部品の寸法精度が±1%の範囲に収まっているかどうかを検定したいときに、測定方法自体が±1%の誤差を持っていたとすると測定自体が意味をなさなくなってしまったりする。このような測定に用いる測定装置は、あらかじめ測定誤差を検定した上で、測ろうとしている精度に対して誤差が十分に小さいことを確認しておく必要がある。 === 平均値の測定 === ばらつきを持つ複数の値の平均値を求めたい場合がある。たとえば、日本人の身長の平均などである。このような測定を行う場合、普通全数を測定することはせず対象とする母集団からランダムに選んだ[[標本 (統計学)|標本]]を用いて測定することになる。このような場合求められる平均値の精度は調べた人数等による([[推計統計学]])が、その他に測定自体の精度も勘案しなければならない。系統誤差が無視できるような測定方法をとるとして、偶然誤差については一つの測定対象を繰り返し測定する場合と同様、測定回数を上げることによって十分に小さくすることが出来る。詳細な議論は避けるが、ほとんどの場合、平均値に統計的な意味があるくらい十分に多くの対象について測定したならば、偶然誤差の影響も十分に小さくなるが、母集団が小さかった場合など誤差が無視できるだけの測定数と統計的に意味のある測定数が異なる場合もある。このような場合には測定誤差による影響を別に考慮する必要がある。 === 真の値 === 上記のように測定値から誤差を無くすことは不可能である。したがってわれわれが知り得るのは常に誤差付の値でしかない。しかしながら測定すべき量には測定方法とは無関係なある定まった値があると考えるのが合理的である。この値のことを誤差理論において '''真の値'''または'''真値''' と呼んでいる。真値が未知であるとする立場では、真値の代わりに測定によって得られた'''最確値'''を真値と考える。最確値としては同じ測定を複数回だけしたときの平均値を用いることが多い。 なお、[[量子力学]]によるとそもそも[[物理量]]そのものが確定した値を持たず、ある[[確率分布]]に従った拡がりを持つ([[不確定性]])。物理量自体が元から内包している不確定性と、それ以外の原因で発生する誤差は厳密に区別して考える必要がある。<!--この量子力学的揺らぎそのものを測定対象とする場合もある。粒子の崩壊によって開放されるエネルギーの揺らぎから粒子の寿命を決定する測定等である。この場合測定誤差が量子力学的揺らぎよりも十分に小さくなければならない。--> === 誤差の伝播 === 一般に測定によって最終的に求めたい値が一つの測定の結果から得られるとは限らず、それぞれ固有の誤差を持つ複数の値から求めなければならない場合が多い。複数回の測定結果の平均を取る場合などもそのうちの一つである。 たとえば最終的に求めたい値 {{mvar|z}} が2つの測定値 {{math|''x'', ''y''}} から {{math|1=''z'' = ''f''(''x'', ''y'')}} という関係式で求められる場合、{{math|''x'', ''y''}} の標準偏差をそれぞれ {{math|''s{{sub|x}}'', ''s{{sub|y}}''}} とすると、{{mvar|z}} の標準偏差 {{mvar|s{{sub|z}}}} は次の'''誤差伝播の公式'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mathwords.net/gosadenpa |title=誤差伝播の公式の意味と証明 |website=具体例で学ぶ数学 |accessdate=2022-01-22}}</ref>により求められる: :<math>s_z=\sqrt{\left(\frac{\partial f}{\partial x}s_x\right)^2+\left(\frac{\partial f}{\partial y}s_y\right)^2}.</math> == 計算誤差の種類 == === 丸め誤差 === 数値に対して'''丸め'''(まるめ、{{lang-en-short|rounding}})を行う場合に、すなわちその数値のどこかの桁で切り上げ・切り捨てなど[[端数処理]]を行った場合に生じる誤差を'''丸め誤差'''(まるめごさ、{{lang-en-short|rounding error, round-off error}})という<ref name ="Oishi">{{Cite book |和書 |author=大石進一(編著) |authorlink=大石進一 |title=精度保証付き数値計算の基礎 |date=2018-07 |publisher=[[コロナ社 (出版社)|コロナ社]] |ISBN=978-4-339-02887-4}}</ref><ref name="Yamamoto1">{{Cite book |和書 |author=山本哲朗 |title=数値解析入門 |edition=増訂版 |date=2003-06 |publisher=[[サイエンス社]] |series=サイエンスライブラリ 現代数学への入門 14 |ISBN=4-7819-1038-6}}</ref>。 === 打ち切り誤差 === 反復計算において、必要とされる回数より少ない回数で反復を止めること('''打ち切り''')によって生じる誤差が打切り誤差である<ref name ="Oishi"/><ref name="Yamamoto1"/>。 [[無限級数]]をはじめの数項だけで計算することによる誤差が代表的である。例えば、[[三角関数|sin]] ''x'' の[[マクローリン展開]]は :<math>\sin x=x-\frac{x^3}{3!} +\frac{x^5}{5!} -\frac{x^7}{7!} +\cdots</math> である。これを最初の3項で計算する :<math>\sin x=x-\frac{x^3}{3!} +\frac{x^5}{5!}</math> と打ち切り誤差が生じる。 === 情報落ち === [[浮動小数点数]]の計算のように精度が限られている条件下で、[[絶対値]]の大きい数と絶対値の小さい数を加減算したとき、絶対値の小さい数が無視されてしまう現象<ref>[[#algo|奥村 (1991)]]、pp.&nbsp;125&ndash;126。</ref>。次のような例がある。 有効桁数が11桁ある場合では :2.0000000000 × 10{{sup|10}} + 1.0000000000 =2.0000000001 × 10{{sup|10}} と期待する結果が得られるが、 有効桁数が10桁までしか無い場合は :2.000000000 × 10{{sup|10}} + 1.000000000 = 2.000000000 × 10{{sup|10}} となってしまう。 === 桁落ち === 桁落ち(けたおち、{{lang-en-short|cancellation}})とは、値がほぼ等しく丸め誤差を持つ数値同士の減算を行った場合、[[有効数字]]が減少すること<ref name="Yamamoto1"/><ref>[[#algo|奥村 (1991)]]、p.&nbsp;69。</ref>。絶対値がほぼ等しく符号が異なる数値どうしの加算の場合も同様。固定小数点数では、上位の桁にゼロが並んだ数になり、意味のある値が入っている桁が下のわずかな桁だけとなるのでわかりやすい。浮動小数点数では、上位の桁がゼロになると、[[指数表記#正規化|正規化]]によってそれを詰め、以下の桁に "0" を強制的に挿入するので、以降の計算の下位の桁が意味が無いものになる。演算式の変形などで、桁落ちを避けるのが基本である。 ;例: 有効数字8桁で :<math>\sqrt{1001} -\sqrt{999}</math> を計算する。 :<math>\sqrt{1001} =31.6385840\cdots \simeq 31.638584</math> :<math>\sqrt{999} =31.6069612\cdots \simeq 31.606961</math> (1) 式の通りに計算すると、 :<math>\sqrt{1001} -\sqrt{999} \simeq 31.638584-31.606961=0.031623</math> 有効数字が5桁になってしまう。 有効数字が8桁なので本来なら±0.00000005%程度の誤差であるはずが、±0.00005%程度、ざっと1,000倍の誤差を含むことになる。 (2) 式を変形して、ほぼ等しい数値同士の減算を回避すると、 :<math>\sqrt{1001} -\sqrt{999}</math> :<math>=\frac{(\sqrt{1001} -\sqrt{999})(\sqrt{1001} +\sqrt{999})}{(\sqrt{1001} +\sqrt{999})}</math> :<math>=\frac{2}{(\sqrt{1001} +\sqrt{999})}</math> :<math>\simeq \frac{2}{31.638584+31.606961} =\frac{2}{63.245545}</math> :<math>\simeq 0.031622781</math> となり、有効数字8桁の結果が得られる。ただし、常にこのような回避が可能であるわけではない。 本質は、元となるデータ 31.638584 と 31.606961 とが、すでに最下位桁に丸め誤差を含む近似値である点にある。(1) では、差の上位3桁がゼロになることによって、この丸め誤差が大きな相対誤差になってしまう。(もし、これらの元データが丸め誤差を含まない値であった場合は、結果も全く誤差を含まない点に注意を要する。) 最大の問題はこの後、丸め誤差を含んだ桁が上位有効桁の喪失に伴う正規化によって上位桁に大きく移動することになるため、大きな誤差を含んだまま失われた有効桁数が'''見かけ上'''回復するところにある。これによって、後続する演算が全て「巨大な誤差」を「有効桁」として演算を続けることになり、最終的な演算結果は見かけどおりの有効桁数を持っていない状態になる。 乗除算および加算(符号が異なる減算)に関しては有効桁数の減少(上位有効桁の喪失)を伴わないのでこの問題は発生しない。また正規化を行わない固定小数点形式でもこの問題は発生しない(そもそも固定小数点の場合は精度の考え方が異なるため)。(※丸め誤差が累積する問題は発生するが、それは桁落ち誤差ではない) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == *{{cite book|和書 |title = C言語による最新アルゴリズム事典 |publisher = [[技術評論社]] |author = 奥村晴彦 |authorlink = 奥村晴彦 |year = 1991 |isbn = 4-87408-414-1 |ref = algo }} {{参照方法|date=2014年8月|section=1}} *{{cite book|和書 |author = [[:en:John R. Taylor|John R. Taylor]] |editor = 林茂雄, 馬場凉(訳) |title = 計測における誤差解析入門 |publisher = [[東京化学同人]] |isbn = 480790521X |year = 2000 |ref = テイラー }} *{{cite book|和書 |title = 誤差論 |author = [[カール・フリードリヒ・ガウス|カール・F・ガウス]] |editor = 飛田武幸、石川耕春(訳) |publisher = [[紀伊国屋書店]] |year = 1981 }} *{{cite book|和書 |title = 最小二乗法の歴史 |author = 安藤洋美 |publisher = [[現代数学社]] |year = 1995 }} <!-- {{Cite book}} --> <!-- {{Cite journal}} --> == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20160611062933/http://pc.nikkeibp.co.jp/pc21/special/gosa/ “達人”芳坂和行氏に学ぶ、エクセル「演算誤差」対策講座 ([[ウェイバックマシン]])] == 関連項目 == <!-- {{Commonscat|Error}} --> *[[不確かさ (測定)]] *[[最小二乗法]] *[[標準誤差]] *[[浮動小数点数]] *[[標準数#JIS C 60063の標準数列]] *[[正確度と精度]] *[[計算機イプシロン]] *[[数値解析#誤差の発生と伝播]] {{DEFAULTSORT:こさ}} [[Category:誤差と残差|*]] [[Category:統計学]] [[Category:測定]] [[Category:数学に関する記事]]
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四酸化二窒素
四酸化二窒素(しさんかにちっそ、dinitrogen tetroxide or nitrogen peroxide)は化学式 N2O4で表される窒素酸化物の一種である。窒素の酸化数は+4。強い酸化剤で高い毒性と腐食性を有する。四酸化二窒素はロケットエンジンの推進剤で酸化剤として注目されてきた。また化学合成においても有用な試薬である。固体では無色であるが、液体、気体では平衡副生成物の為、呈色している場合が多い(構造と特性に詳細)。 分子構造は平面的でありN-N結合距離は1.78 Å、N-O 結合距離は1.19 Åである。不対電子を持たないため、二酸化窒素 (NO2) と異なり反磁性を示す 。四酸化二窒素自体は無色であるが、次の化学平衡の存在により二酸化窒素に由来する色、すなわち気体では赤褐色、液体では黄色に呈色している。 また、加熱によって平衡が二酸化窒素側に移動する。 必然的に、二酸化窒素を含むスモッグは、四酸化二窒素を成分として含む。 アンモニアを触媒的に酸化する反応により製造される。このとき希釈により反応温度を下げる目的で水蒸気が注入される。水の大部分を凝縮により除去し、さらに冷却すると、反応ガス中の一酸化窒素は酸化されて二酸化窒素となる。残った水は反応して硝酸となり除去される。最後に、冷媒液化装置で処理するとほぼ純粋な四酸化二窒素が得られる。 四酸化二窒素はこれまでに開発されたロケット推進剤のうち主要なものの1つである。1950年代よりアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦のロケットに貯蔵可能な酸化剤として使われている。四酸化二窒素はヒドラジン系ロケット燃料(非対称ジメチルヒドラジン (UDMH) やモノメチルヒドラジン (MMH))と組み合わせて自己着火性推進剤を構成する。 四酸化二窒素のロケット推進剤の一つとして初期においては空軍の大陸間弾道ミサイルを起原に持ち、多くの衛星発射を行なったタイタンロケットに使用されている。合衆国のジェミニ宇宙船やアポロ宇宙船にも使用され、スペースシャトル、多くの静止衛星や深宇宙探査機にも使われ続けている。四酸化二窒素の酸化剤は NASA がシャトルの後継としている次世代往還機においても使われ続けると見られている。そして、ロシアのプロトンロケットや中国の長征ロケットでは主要酸化剤としても利用されている。 推進剤の用途では四酸化二窒素は単に「四酸化窒素」 (Nitrogen Tetroxide) と表示され、'NTO' と表された略号が頻繁に使われる。付け加えるとチタン合金の応力腐食欠陥を防止する目的でNTOは数パーセントの一酸化窒素が添加されている場合が多く、そのように製造された推進剤等級の NTO は Mixed Oxides of Nitrogen (en:Mixed Oxides of Nitrogen, MON) と呼び表される。今日の多くの人工衛星は NTO の代わりに MON が使用される。例えばスペースシャトルの姿勢制御システムには MON3(3wt% の一酸化窒素を含有する NTO)が使用されている。 四酸化二窒素が可逆的に NO2 に解裂する性質が研究され解離気体 (dissociating gas) と呼ばれる先進動力発生システムに利用されている。冷却された四酸化二窒素は圧縮し加熱されると分子量が半分の二酸化窒素に解離する。この熱い二酸化窒素は管内で膨張させると圧力が低下し冷却される。この冷却効果がヒートシンクとして働き、元の分子量の四酸化二窒素が再生する。この解離気体のブレイトンサイクルは動力変換装置の効率向上に役立つと考えられている。 四酸化二窒素には多様な化学が知られている。 硝酸は四酸化二窒素から大量合成されている。この化学種は水と反応として硝酸と亜硝酸とを生じる。 副生成物の亜硝酸は加熱により不均化を起こし、 硝酸の収量を増やすと共に一酸化窒素を副成する。 四酸化二窒素は硝酸ニトロシル [ NO + ] [ NO 3 − ] {\displaystyle {\ce {[NO^+][NO3^{-}]}}} 塩として振る舞い、強い酸化剤を形成する。 テトラフルオロホウ酸ニトロシル NOBF 4 {\displaystyle {\ce {NOBF4}}} (en:Nitrosyl fluoroborate) を参照のこと。
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四酸化二窒素(しさんかにちっそ、dinitrogen tetroxide or nitrogen peroxide)は化学式 N2O4で表される窒素酸化物の一種である。窒素の酸化数は+4。強い酸化剤で高い毒性と腐食性を有する。四酸化二窒素はロケットエンジンの推進剤で酸化剤として注目されてきた。また化学合成においても有用な試薬である。固体では無色であるが、液体、気体では平衡副生成物の為、呈色している場合が多い(構造と特性に詳細)。
{{Chembox | Name = 四酸化二窒素 | ImageFile = Dinitrogen-tetroxide-3D-vdW.png <!-- | ImageSize = 200px --> | ImageName = 四酸化二窒素 | IUPACName = 四酸化二窒素 | Section1 = {{Chembox Identifiers | CASNo = 10544-72-6 | CASNo_Ref = {{cascite}} | EINECS = 234-126-4 | UNNumber = 1067 | RTECS = QW9800000 }} | Section2 = {{Chembox Properties | Formula = N<sub>2</sub>O<sub>4</sub> | MolarMass = 92.011 g/mol | Appearance = 無色気体 | Density = 1.443 g/cm<sup>3</sup> (液体, 21 ℃) | Solubility = [[加水分解]] | MeltingPt = -11.2 ℃ (261.9 K) | BoilingPt = 21.1 ℃ (294.3 K) | VaporPressure = 96 kPa (20 ℃)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.itcilo.it/english/actrav/telearn/osh/ic/10102440.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2005年8月26日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050908172746/http://www.itcilo.it/english/actrav/telearn/osh/ic/10102440.htm |archivedate=2005年9月8日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref> }} | Section3 = {{Chembox Structure | MolShape = 平面, ''D''<sub>2h</sub> | Dipole = 0 }} | Section4 = {{Chembox Thermochemistry | DeltaHf = -35.05 kJ/mol | Entropy = 150.38 J K<sup>-1</sup> mol<sup>-1</sup> }} | Section7 = {{Chembox Hazards | ExternalMSDS = [https://web.archive.org/web/20070926195143/http://encyclopedia.airliquide.com/sds/en/090_AL_EN.pdf External MSDS] | EUIndex = 007-002-00-0 | EUClass = 猛毒 ('''T+''')<br/>腐食性 ('''C''') | RPhrases = {{R26}}, {{R34}} | SPhrases = {{S1/2}}, {{S9}}, {{S26}}, {{S28}}, {{S36/37/39}}, {{S45}} | NFPA-H = 3 | NFPA-F = 0 | NFPA-R = 0 | NFPA-O = OX | FlashPt = 不燃性 | LD50 = | PEL = }} | Section8 = {{Chembox Related | OtherFunctn = [[亜酸化窒素]]<br />[[一酸化窒素]]<br />[[三酸化二窒素]]<br />[[二酸化窒素]]<br />[[五酸化二窒素]]<br />[[三酸化窒素]] | Function = [[窒素酸化物]] | OtherCpds = }} }} '''四酸化二窒素'''(しさんかにちっそ、dinitrogen tetroxide or nitrogen peroxide)は[[化学式]] N<sub>2</sub>O<sub>4</sub>で表される[[窒素酸化物]]の一種である。窒素の酸化数は+4。強い[[酸化剤]]で高い毒性と腐食性を有する。四酸化二窒素は[[ロケットエンジンの推進剤]]で[[酸化剤]]として注目されてきた。また化学合成においても有用な試薬である。[[固体]]では無色であるが、液体、気体では平衡副生成物の為、呈色している場合が多い([[#構造と特性|構造と特性]]に詳細)。 == 構造と特性 == 分子構造は平面的でありN-N結合距離は1.78 Å、N-O 結合距離は1.19 Åである。[[不対電子]]を持たないため、[[二酸化窒素]] (NO<sub>2</sub>) と異なり[[反磁性]]を示す<ref>Holleman, A. F.; Wiberg, E. "Inorganic Chemistry" Academic Press: San Diego, 2001. ISBN 0-12-352651-5.</ref> 。四酸化二窒素自体は無色であるが、次の化学平衡の存在により二酸化窒素に由来する色、すなわち気体では赤褐色、液体では黄色に呈色している。 : <chem>2NO2 <=> N2O4</chem> <math>\rm \mbox{ +(57.23 kJ/mol)}</math> また、加熱によって平衡が二酸化窒素側に移動する。 必然的に、二酸化窒素を含む[[スモッグ]]は、四酸化二窒素を成分として含む。 == 製造方法 == [[アンモニア]]を[[触媒|触媒的]]に[[酸化]]する反応により製造される。このとき希釈により反応温度を下げる目的で水蒸気が注入される。水の大部分を凝縮により除去し、さらに冷却すると、反応ガス中の一酸化窒素は酸化されて二酸化窒素となる。残った水は反応して[[硝酸]]となり除去される。最後に、冷媒液化装置で処理するとほぼ純粋な四酸化二窒素が得られる。 == ロケット推進剤としての利用 == 四酸化二窒素はこれまでに開発されたロケット推進剤のうち主要なものの1つである。[[1950年代]]より[[アメリカ合衆国]]と[[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]のロケットに貯蔵可能な酸化剤として使われている。四酸化二窒素は[[ヒドラジン]]系ロケット燃料([[非対称ジメチルヒドラジン]] (UDMH) や[[モノメチルヒドラジン]] (MMH))と組み合わせて[[自己着火性推進剤]]を構成する。 四酸化二窒素のロケット推進剤の一つとして初期においては空軍の[[大陸間弾道ミサイル]]を起原に持ち、多くの衛星発射を行なった[[タイタンロケット]]に使用されている。合衆国の[[ジェミニ宇宙船]]や[[アポロ宇宙船]]にも使用され、[[スペースシャトル]]、多くの[[静止衛星]]や[[宇宙探査機|深宇宙探査機]]にも使われ続けている。四酸化二窒素の酸化剤は [[アメリカ航空宇宙局|NASA]] がシャトルの後継としている次世代往還機においても使われ続けると見られている。そして、[[ロシア]]の[[プロトン (ロケット)|プロトンロケット]]や[[中華人民共和国|中国]]の[[長征 (ロケット)|長征ロケット]]では主要酸化剤としても利用されている。 推進剤の用途では四酸化二窒素は単に「四酸化窒素」 (Nitrogen Tetroxide) と表示され、'NTO' と表された略号が頻繁に使われる。付け加えると[[チタン]]合金の応力腐食欠陥を防止する目的でNTOは数パーセントの[[一酸化窒素]]が添加されている場合が多く、そのように製造された推進剤等級の NTO は Mixed Oxides of Nitrogen ([[:en:Mixed Oxides of Nitrogen]], MON) と呼び表される。今日の多くの人工衛星は NTO の代わりに MON が使用される。例えばスペースシャトルの[[姿勢制御システム]]には MON3(3wt% の一酸化窒素を含有する NTO)が使用されている[http://www.friends-partners.org/partners/mwade/props/rocindex.htm]。 == 動力源に使用される四酸化二窒素 == 四酸化二窒素が可逆的に NO<sub>2</sub> に解裂する性質が研究され解離気体 (dissociating gas) と呼ばれる先進動力発生システムに利用されている。冷却された四酸化二窒素は圧縮し加熱されると分子量が半分の二酸化窒素に解離する。この熱い二酸化窒素は管内で膨張させると圧力が低下し冷却される。この冷却効果がヒートシンクとして働き、元の分子量の四酸化二窒素が再生する。この解離気体の[[ブレイトンサイクル]]は動力変換装置の効率向上に役立つと考えられている。 == 化学反応 == 四酸化二窒素には多様な化学が知られている<ref>{{cite journal| author=Addison, C. C.|title= Dinitrogen Tetroxide, Nitric Acid, and Their Mixtures as Media for Inorganic Reactions| journal=Chemical Reviews|year= 1980| volume= 80| pages= 21-39|doi=10.1021/cr60323a002}}</ref>。 === 硝酸製造の中間原料 === 硝酸は四酸化二窒素から大量合成されている。この化学種は水と反応として[[硝酸]]と[[亜硝酸]]とを生じる。 : <chem>N2O4 + H2O -> HNO2 + HNO3</chem> 副生成物の亜硝酸は加熱により[[不均化]]を起こし、 [[硝酸]]の収量を増やすと共に[[一酸化窒素]]を副成する。 ===金属硝酸塩の合成=== 四酸化二窒素は硝酸ニトロシル <chem>[NO^+][NO3^{-}]</chem> 塩として振る舞い、強い酸化剤を形成する。 : <chem>2N2O4 + M -> 2NO + M(NO3)2</chem> :: <chem> (M = Cu, Zn, Sn) </chem> [[テトラフルオロホウ酸ニトロシル]] <chem>NOBF4</chem> ([[:en:Nitrosyl fluoroborate]]) を参照のこと。 ==出典== {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} ==外部リンク== * [https://web.archive.org/web/20040205090004/http://www.npi.gov.au/database/substance-info/profiles/67.html National Pollutant Inventory - Oxides of nitrogen fact sheet]{{en icon}} * [http://www.cdc.gov/niosh/npg/npgd0454.html NIOSH Pocket Guide to Chemical Hazards]: Nitrogen tetroxide{{en icon}} * [https://web.archive.org/web/20070926195143/http://encyclopedia.airliquide.com/sds/en/090_AL_EN.pdf Air Liquide Gas Encyclopedia:NO<sub>2</sub> / N<sub>2</sub>O<sub>4</sub>]{{en icon}} == 関連項目 == * [[ロケット]] * [[ロケットエンジンの推進剤]] * [[モノメチルヒドラジン]] * [[非対称ジメチルヒドラジン]] {{窒素の化合物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しさんかにちつそ}} [[Category:酸化物]] [[Category:無機窒素化合物]] [[Category:酸化剤]]
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マニ教
マニ教(マニきょう、摩尼教、英: Manichaeism)は、サーサーン朝ペルシャのマニを開祖とする、二元論的な宗教。 ゾロアスター教・キリスト教・仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教であった。マニ教は、過去に興隆したものの現在ではほとんど信者はおらず、消滅したとされてきたが、今日でも中華人民共和国の福建省泉州市においてマニ教寺院が現存する。 マニ教は、寛容な諸教混交の立場を表明しており、その宗教形式(ユダヤ・キリスト教の継承、「預言者の印璽」、断食月)は、ローマ帝国やアジア各地への伝道により広範囲に広まった。マニ教の教団は伝道先でキリスト教や仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした。これについては、マニの生まれ育ったバビロニアのヘレニズム的環境も大きく影響している。この地では多様な民族・言語・慣習・文化が共存し、他者の思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした折衷主義は格別珍しいことではなかった。そして、古代オリエントの住民は、各自のアイデンティティを保つため、特定の宗教・慣習・文化に執着する傾向も薄かったと考えられる。 マニ教はゾロアスター教を母体にユダヤ教の預言者の概念を取り入れ、ザラスシュトラ・釈迦・イエスを預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後の預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた(後述)。そのほかにグノーシス主義の影響を受けた。ゾロアスター教の影響から善悪二元論を採ったが、享楽的なイラン文化と一線を画す仏教的な禁欲主義が特徴である。 マニ教は徹底した二元論的教義を有し、宇宙は光・闇、善・悪、精神・物質のそれぞれ2つの原理の対立に基づいており、光・善・精神と闇・悪・肉体の2項がそれぞれ明確に分けられていた始原の宇宙への回帰と、マニ教独自の救済とを教義の核心としている。 この点について、善悪・生死の対立を根本とするゾロアスター教の二元論よりも、物質・肉体への嫌悪感が非常に強く、禁欲的かつ現世否定的な傾向があるギリシア哲学的な二元論の影響がうかがえる。 マニ教の神話では、 とされる。 このように、マニ教の神話にはキリスト教原罪思想やグノーシス主義の影響が見られる。そして、人間の肉体は闇に汚されていると考えた一方で、光は地上に飛び散ったために、植物は光を有していると見なした。そのため、後述のように斎戒や菜食主義の実践を重視する。また、結婚・性交は子孫を宿すことで、悪である肉体の創造に繋がる忌避すべき行為と考えられた。また、マニ教は禁欲主義を主張し、肉体を悪の住処、霊魂を善の住処と見なしていることに一つの特徴がある。 『敦煌文献』をフランスにもたらしたことで知られる東洋学者のポール・ペリオは中国でマニ教断簡(現フランス国立図書館所蔵)を発見しているが、それによれば、宇宙は「三際」と称される3時期に区分される。 以上の内容は、8世紀のテオドール・バル=コーナイによるシリア語文献の内容とも合致する。 上述のように、マニは悪から逃れることを説き、そのためには人間の繁殖までをも否定した。ゾロアスター教の教義は、善神アフラ・マズダーと悪神アンラ・マンユの2神を対立させるが、この善悪2神はそれぞれ精神と物質との両面を含んでいる。しかし、マニ教では、光と闇の結合が宇宙を生んだと考えるので、宇宙の創成は究極的には悪の力の作用であるととらえ、やがて全宇宙は崩壊すると考える。そのとき初めて光による救済が起こり、闇からの解放がなされると説くのである。 マニ教では、ザラスシュトラ、イエス・キリスト、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はいずれも神の使いと見なされるが、イエスに関しては、肉体を持たない「真のキリスト」と、それとは対立する十字架にかけられた人の子イエス(ナザレのイエス)とを峻別する。「神の子」を否定するこのようなイエス観は、イスラム教教祖ムハンマドにも継承され、イスラム教のキリスト教理解に大きな影響をあたえた。 マニ教のイエス観は様々な像を結んでいる。 マニは世界宗教の教祖としては珍しく自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した。マニは当時の中東のリンガ・フランカであったアラム語の一方言での叙述が多かった。マニは教義を万人対象とするために、多くの人が理解できる言葉で経典を書き記したと思われる。また、彼は速やかに経典を各地の言語に翻訳させたが、その際、彼は教義の厳密な訳出より各地に伝わる在来の信仰・用語を利用して自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への翻案すら認め、異民族・遠隔地の布教に功を奏した。 マニの著作としては、『大福音書』『生命の宝(いのちの書)』『プラグマテエイア』『秘儀の書』『巨人の書』『書簡』などの聖典が断片的に確認されるほか、サーサーン朝第2代の王シャープール1世に捧げたパフラヴィー語文献『シャープーラカン』が遺存している。これらのうち、『生命の宝』が『シャープーラカン』に次いで古いと推定される。ほかに『讃美歌と祈祷集』、マニ自身の手による『宇宙図およびその註釈』(後述)があり、また、マニの没後、弟子らによってまとめられたマニと弟子たちとの対話集『ケファライア(講話集)』があった。 マニは、人間は物質でありつつ、アダムとエバの子孫として大量の光の本質を有する矛盾した存在であると説き、人間は「真理の道」に従って智慧を得て現世救済に当たり、自身の救済されるべき本質を理解して自らを救済しなければならないと主張した。このような考えに立って、マニは生存中に自ら教団を組織した。 マニ教の教団組織は仏教に倣ったと考えられる。マニは教師12人・司教72人・長老360人からなる後継者を、2群の信者に分け、それぞれ守るべき戒律も異なるものとした。 仏教における出家信者・僧侶に相当するのが義者(エレクトゥス electus, 「選ばれた者」)であり、聖職者として五戒(「真実」「非殺生・非暴力」「貞潔」「菜食」「清貧」)を守り、厳しい修道に励むことを期待された。肉食は心と言葉の清浄さを保つために禁止され、飲酒も禁じられた。また、殺生に関して、動物を殺めることや、植物の根を抜くことも禁じられた。そして、メロン・キュウリなどの透き通った野菜やブドウなどの果物は光の要素を多く含んでおり、聖職者はこれらをできるだけ多く食べ、光の要素を開放しなければならないとされた。最終的に、これらはマニ教で行われる唯一の秘蹟と定められた。 俗人よりなる聴問者(聴聞者、アウディトゥス auditus )は、比較的緩やかな生活を許され、十戒を守ることを期待された。十戒はユダヤ教の「モーセの十戒」に似ており、俗人はそれほど強く戒律を守ることは求められなかった。聴問者は結婚して子をもうけることが許され、生産活動に従事して聖職者たちを支えた。聴問者たちも、いずれは「選ばれた者」になることが期待されていたものと考えられる。 以上のように、マニ教の教団は、清浄で道徳的な生活を送り、また、そのことによって壮大な宇宙の戦いに参画しているという意識に支えられていた。 マニ教では、白い衣服を身につけ、五感を抑制することが求められ、通常は一日一食の菜食主義で週に1度は断食した。洗礼も行われたが、水は用いられなかった。また、1日に4~7回祈祷を捧げ、信者相互では告白の儀式がなされた。 後述するマニの殉教はマニ教最大の祝祭ベーマ(英語版)の祭祀となった。ベーマ(ベマ)とはギリシア語で「座」を意味する。ベーマの祭礼では、誰も座ることのできない椅子が用意される。この祭礼は年末(春分のころ)に執り行われ、祭り中にマニが「座」(椅子)の上に降臨すると信じられた。 ベーマの祝祭に先立つ1ヶ月間には断食が要求され、これがイスラム教におけるラマダーン月の先駆となったと考えられている。 預言者マニ(216年-277年頃)は、パルティア貴族の父パティーク、パルティア王族出身の母マルヤムのもと、バビロニアで生まれた。マニが4歳のとき、パティークの入っていたユダヤ教系キリスト教のグノーシス主義洗礼教団エルカサイ派に連れていかれ、ユダヤ教的・グノーシス主義的教養の横溢する環境で成長した。マニが12歳のとき、自らの使命を明らかにする神の「啓示」に初めて接したといわれる。その後、ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義の影響を受けて、ユダヤ教から独立した宗教を形成していった。西暦240年頃、マニが24歳の時に再び聖天使パラクレートス(アル・タウム)からの啓示をうけ、開教したとされる。 マニは各地で宣教活動を行い、サーサーン朝のシャープール1世宮廷に招聘・重用された これらにより、マニはサーサーン朝全域とその周囲に伝道して信者を増やし、教会を組織し、弟子の教育に努め、ローマ帝国にも宣教師を送った。この布教は大成功を収め、マニ教はエジプトのアレクサンドリアはじめ北アフリカ各地にも伝播した。 マニは、世界宗教の教祖としては珍しく、自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した。シャープール1世に捧げた宗教書『シャープーラカン』では、王とマニとの間の宗教上の相互理解について記述されている。マニはまた、芸術の才能にも恵まれ、彩色画集の教典をも自ら著しており、常にその画集を携えて布教したといわれる。そのため、マニは青年時代、絵師としての訓練を受けたという伝承も生まれている。 272年、シャープールが死去し、バハラーム1世の時代になると、マニはゾロアスター教神官団の憎悪に晒された。276年、マニは大マグのカルティール(キルディール)に陥れられ、投獄された。マニの最期については良く分かっていない。 パルティア以来の諸文化交流の一産物 であるマニ教は、のちに西は北アフリカ・イベリア半島から、東はインド・中国に広がった。マニは「教えの神髄」の福音伝道を重視し、自ら著述した教典を各言語に翻訳させ、入信者を得るために各地で優勢な宗教の教義に寄せさせた。ゾロアスター教の優勢な地域ではゾロアスター教の神々、西方ではイエス・キリストの福音を前面に据え、東方では仏陀の悟りを強調して宣教するなど、各地ごとに布教目的で柔軟に用語・教義を変相させた。この結果、世界宗教へと発展したが、教義の一貫性は保持されなかった。 マニは自分の死後に備えて、教会組織を作り上げていた。これは仏教教団の影響とみる説とエルカサル教団を参考にしているという説がある。また、整然としたマニ教教会組織はゾロアスター教神官団の組織編成に影響を与えた可能性が指摘されている。 マニ教教会のヒエラルキーは以下の通り。マニの出身地バビロニアの伝統に従って聖職者の人数は12に倍数が用いられている。 マニの死後、デーン・サーラールの座を巡り、教祖の直弟子ガブリアールとそれ以前に記録のないスィースィン(マニの親戚?)の間で争われた。結局、スィースィンがサーラールに就任し教団本部をサーサーン朝の首都クテシフォンからバビロンに移した。スィースィンのもとでアラビア半島にも伝教が行われ、アラブ人都市国家ヒーラの王アムル・イブン・アディーを改宗させるなど、メソポタミア南部に教線を伸ばした。286/293年、カルティールに呼び出されたスィースィンと「3人の長老(教祖の直弟子?)」が処刑されてしまう。このことは教祖の死に次いでマニ教団に衝撃を与えることとなり、マニ教の5大祭りのうち第2と第4がこれに因んでいた。また、一部のマニ教徒がローマ帝国やアラブ人国家に亡命した。 第三代デーン・サーラールにはインド伝道を担当していたマニの直弟子ハッティーが就任した。ちょうどサーサーン朝7代目皇帝ナルセ1世の治世と重なり、カルティールの政治力が失われた時期だったため、マニ教にとって比較的安定した時期となった。その後、マニ教の内部資料は途絶えてしまう。 4世紀、9代目皇帝シャープール2世とゾロアスター神官団の長アードゥルバードによっての治世でマニ教は再び迫害された。第10代皇帝アルダシール2世に時代には、ゾロアスター教で悪の存在と考えられた蟻を踏み潰すよう住民たちに迫った。マニ教徒にとってはすべての生き物は光を内側に秘めた存在なので殺してはならない。これによってマニ教徒をあぶりだし、異端を根絶しようとした。 ただしマニ教は聖典の整備という点でゾロアスター教に優位に立っていた。ゾロアスター教には口伝伝承しかなく(『アヴェスター』の書籍化は6世紀まで待たなければならなかった)、またキリスト教・ユダヤ教でも特定の書物を聖典として明確に区分したのは3~4世紀であり、マニ教はこれらの宗教に先立っていた。そのため知的水準の高い人ほどゾロアスター教よりマニ教に魅力を感じ、多くのゾロアスター教徒がマニ教に改宗した。そこでゾロアスター教はキリスト教徒の用いていたパフラヴィー文字を改良してアヴェスター文字を作り『アヴェスター』を著した。しかしこれは大昔の口語アヴェスター語を文字化したものなので、当時の人々にも理解できるようパフレヴィー語の注釈『ザンド』が執筆された。こうしてゾロアスター教の聖典が整備されると、マニ教の聖典はゾロアスター神官団によって出来損ないの『ザンド』とみなされ、攻撃されるようになった。528年のマズダク教の乱が鎮圧されると、マニ教への圧力が強まり、多くの教徒が中央アジアに逃れた。 7世紀に登場したイスラム教には、マニ教との類似点が見られる。マニは、アラム語のマニ教教典『大福音書』で、 と述べているが、イスラム教の教祖ムハンマドも「預言者の印璽」を名乗った。また、マニ教の一般信者(聴問者)の5つの義務は「戒律」「祈祷」「布施」「断食」「懺悔」であり、ムスリムの義務「五行」との類似が指摘される。いずれにしろアラビア半島でイスラム教団が結成され、7世紀半ばにはサーサーン朝を滅ぼした(イスラーム教徒のペルシア征服)。 イスラム教徒の支配は場当たり的で、当初のマニ教は迫害されなかったため、多くのマニ教徒が中央アジアから帰還した。クテシフォン本部の比重が再び高まったため、カリフ、ワリード1世の時代にデーン・サーラールのミフルによって、自立していた東方のマニ教会が再び統合された。一方で権力基盤を失ったゾロアスター教は求心力が低下し、マニ教に改宗する者が相次いだ。またミフルはムスリムに配慮して教義を変更したため、信者たちからの反発を受けた。次々代のミクラースの時代になると、教会は現実を重視するミフル派と教祖以来の教えを守るミクラース派に分裂してしまう。この対立はアフリカから来たアブー・ヒラール・ダイフーリーなる人物によって調停された 750年に成立したアッバース朝はマニ教に対して大弾圧を行った。マニの絵画に唾を吐かせ、鳥を食わせ、マニ教徒だとわかるとその場で斬首したという。10世紀前半には迫害に耐えられなくなったマニ教教会は中央アジアのサマルカンドに本部を移し、クテシフォンに300人いたマニ教徒は5人に激減した。 西方では、ローマがキリスト教の国教化前にローマ帝国全域にマニ教信者が増加し、原始キリスト教と並ぶ大勢力となった。ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、領内のマニ教拡大に不安を覚え、297年にペルシアのスパイとしてマニ教徒迫害の勅令を発布した。4世紀~5世紀のキリスト教教父アウグスティヌスもカルタゴ遊学の一時期マニ教を信奉したが、その後回心してキリスト教徒となった。 中世ヨーロッパの代表的な異端カタリ派(アルビジョワ派)について、現世否定的な善悪二元論など、マニ教の影響が指摘される マニの直弟子マール・アンモーとアルサケス家(パルティア王族)のアルタバーンは旧パルティア(イラン高原北東部)で宣教活動を行っていたと伝えられている。 マニ教は西アジアからユーラシア大陸の東西に拡大し、ウイグルでも多くの信者を獲得した。 唐においては694年に伝来して「摩尼教」・「末尼教」と音写され、教義からは「明教」・「二宗教」との訳語もあった。「白衣白冠の徒」と言われた東方のマニ教(明教)は、景教(キリスト教ネストリウス派)・祆教(ゾロアスター教)と共に、三夷教・三夷寺と呼ばれ、代表的な西方起源の諸宗教の一つと見なされた。武則天(則天武后)は官寺として首都長安に大雲寺を建立した。これには、ウイグルとの関係を良好に保つ意図があったとも言われている。768年、大雲光明寺が建てられ、こののち8世紀後葉から9世紀初頭に長江流域の大都市や洛陽・太原などの都邑にもマニ教寺院が建てられた。 しかし、843年、唐の武宗によって禁教されるに至った。845年に始まった「会昌の廃仏」では、仏教と三夷教が禁止され、多くの聖職者・宣教者は還俗させられ、マニ教僧も多くの殉教者を出したことが、唐にあった日本の円仁の『入唐求法巡礼行記』に記されている。 回鶻(ウイグル)においては、8世紀後半の3代牟羽可汗時代にマニ教が国教とされるほどの隆盛と国家的保護を得た。やがて反マニ教勢力の巻き返しにより弾圧されたが、8世紀末から9世紀初頭の7代懐信可汗によって再び国教化された。しかしその後、イラン・アフガニスタンに続いて、ウイグルでもイスラム化が進み、14世紀後半のティムールによるティムール朝建国以降は中央アジアのイスラム化はさらに進行した。 三武一宗の法難(会昌の廃仏)後の五代十国時代から宋において、マニ教は仏教・道教の一派として流布し続けた。歴史小説『水滸伝』の舞台となった北宋の「方臘の乱」の首謀者方臘はマニ教徒だったとも言われる。マニ教は、弾圧のなかで呪術的要素を強め、取り締まりに手を焼く権力者から「魔教」とまで称された。官憲によるマニ教取り締まりはしばしば江南地方や四川でなされ、その中でマニ教信者は「喫菜事魔の輩」(「菜食で魔に仕える輩」の意)とも呼ばれた。 宗教に寛容な元朝のもとでは、明教(マニ教)が復興し、福建省泉州と浙江省温州を中心に教勢を拡げた。明教と弥勒信仰が習合した白蓮教は、元末に紅巾の乱を起こし、その指導者朱元璋が建てた明の国号は「明教」に由来したとも言われる。しかし明が安定期に入ると、マニ教は危険視されて弾圧された。15世紀には教勢衰退が著しかったが、秘密結社を通じて19世紀末まで受け継がれた。1900年の北清事変(義和団の乱)の契機となった排外主義的な拳闘集団である義和団なども、そうした秘密結社の一つと言われる。 なお、藤原道長『御堂関白記』など、日本の古代・中世における日記の具注暦に日曜日を「密」と記すのは、マニ教信者が日曜日を聖なる日として断食日にあてた暦法が日本にまで至ったことの証左であると言われる。 20世紀まで、マニとマニ教に関する信頼できる情報は少なかった。前近代における利用可能なものとしては以下の資料が知られていた。 1904年・1905年、中国北西部トルファン(現新疆ウイグル自治区)でアルベルト・グリュンヴェーデル率いるドイツの探検隊によりマニ教寺院・写本・壁画などの関連資料が多数発見され、研究が進んだ。トルファンではマニ教のイラン語文献が発見され、高昌ではフレスコ画によるマニ肖像壁画も残っている。1906年以降は上述のポール・ペリオがトルキスタンを訪れ、マニ教文献含む数多くの文献をフランスにもたらした。 1931年、エジプトのマディーナト・アル=マーディーでマニ教のパピルス製コプト語蔵書が見つかった。この中には、マニの生涯と教義を要約した『ケファライア』の一部が含まれている。 1969年、上エジプトで、西暦400年頃に属する羊皮紙に古代ギリシア語で書かれた写本が発見された。それは現在、ドイツのケルン大学(ノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン市)に保管され、「ケルンのマニ写本(英語版)」と呼ばれる。この写本は、マニの経歴・思想の発展を叙述する聖人伝で、マニの教義に関する情報と彼自身の書いた著作の断片を含む。 現在では、各国の研究者が国際マニ教学会を結成し、共同研究や情報交換がおこなわれている。 マニ教の宇宙観は、天十層と大地八層からなり、布教にあたって経典のほか、これを図示した『宇宙図(アールダハング)およびその註釈』も使用していた。 『宇宙図』は散逸していたが、2010年、元代前後に描かれたとみられる『宇宙図(英語版)』が日本で発見された。これは、京都大学大学院文学研究科行動文化学専攻言語学専修の教授吉田豊(現・名誉教授)らの調査によるもので、世界で初めてマニ教の宇宙図がほぼ完全な形で確認され、極めて貴重な発見として国際的に高い評価を受けた。 13世紀から14世紀にかけて中国で描かれたマニの肖像画が近年日本で発見され、藤田美術館に収蔵されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "マニ教(マニきょう、摩尼教、英: Manichaeism)は、サーサーン朝ペルシャのマニを開祖とする、二元論的な宗教。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ゾロアスター教・キリスト教・仏教などの流れを汲み、経典宗教の特徴をもつ。かつては北アフリカ・イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸一帯で広く信仰された世界宗教であった。マニ教は、過去に興隆したものの現在ではほとんど信者はおらず、消滅したとされてきたが、今日でも中華人民共和国の福建省泉州市においてマニ教寺院が現存する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "マニ教は、寛容な諸教混交の立場を表明しており、その宗教形式(ユダヤ・キリスト教の継承、「預言者の印璽」、断食月)は、ローマ帝国やアジア各地への伝道により広範囲に広まった。マニ教の教団は伝道先でキリスト教や仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした。これについては、マニの生まれ育ったバビロニアのヘレニズム的環境も大きく影響している。この地では多様な民族・言語・慣習・文化が共存し、他者の思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした折衷主義は格別珍しいことではなかった。そして、古代オリエントの住民は、各自のアイデンティティを保つため、特定の宗教・慣習・文化に執着する傾向も薄かったと考えられる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "マニ教はゾロアスター教を母体にユダヤ教の預言者の概念を取り入れ、ザラスシュトラ・釈迦・イエスを預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを天使から啓示を受けた最後の預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた(後述)。そのほかにグノーシス主義の影響を受けた。ゾロアスター教の影響から善悪二元論を採ったが、享楽的なイラン文化と一線を画す仏教的な禁欲主義が特徴である。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "マニ教は徹底した二元論的教義を有し、宇宙は光・闇、善・悪、精神・物質のそれぞれ2つの原理の対立に基づいており、光・善・精神と闇・悪・肉体の2項がそれぞれ明確に分けられていた始原の宇宙への回帰と、マニ教独自の救済とを教義の核心としている。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "この点について、善悪・生死の対立を根本とするゾロアスター教の二元論よりも、物質・肉体への嫌悪感が非常に強く、禁欲的かつ現世否定的な傾向があるギリシア哲学的な二元論の影響がうかがえる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "マニ教の神話では、", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "とされる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このように、マニ教の神話にはキリスト教原罪思想やグノーシス主義の影響が見られる。そして、人間の肉体は闇に汚されていると考えた一方で、光は地上に飛び散ったために、植物は光を有していると見なした。そのため、後述のように斎戒や菜食主義の実践を重視する。また、結婚・性交は子孫を宿すことで、悪である肉体の創造に繋がる忌避すべき行為と考えられた。また、マニ教は禁欲主義を主張し、肉体を悪の住処、霊魂を善の住処と見なしていることに一つの特徴がある。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "『敦煌文献』をフランスにもたらしたことで知られる東洋学者のポール・ペリオは中国でマニ教断簡(現フランス国立図書館所蔵)を発見しているが、それによれば、宇宙は「三際」と称される3時期に区分される。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "以上の内容は、8世紀のテオドール・バル=コーナイによるシリア語文献の内容とも合致する。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "上述のように、マニは悪から逃れることを説き、そのためには人間の繁殖までをも否定した。ゾロアスター教の教義は、善神アフラ・マズダーと悪神アンラ・マンユの2神を対立させるが、この善悪2神はそれぞれ精神と物質との両面を含んでいる。しかし、マニ教では、光と闇の結合が宇宙を生んだと考えるので、宇宙の創成は究極的には悪の力の作用であるととらえ、やがて全宇宙は崩壊すると考える。そのとき初めて光による救済が起こり、闇からの解放がなされると説くのである。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "マニ教では、ザラスシュトラ、イエス・キリスト、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)はいずれも神の使いと見なされるが、イエスに関しては、肉体を持たない「真のキリスト」と、それとは対立する十字架にかけられた人の子イエス(ナザレのイエス)とを峻別する。「神の子」を否定するこのようなイエス観は、イスラム教教祖ムハンマドにも継承され、イスラム教のキリスト教理解に大きな影響をあたえた。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "マニ教のイエス観は様々な像を結んでいる。", "title": "教義" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "マニは世界宗教の教祖としては珍しく自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した。マニは当時の中東のリンガ・フランカであったアラム語の一方言での叙述が多かった。マニは教義を万人対象とするために、多くの人が理解できる言葉で経典を書き記したと思われる。また、彼は速やかに経典を各地の言語に翻訳させたが、その際、彼は教義の厳密な訳出より各地に伝わる在来の信仰・用語を利用して自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への翻案すら認め、異民族・遠隔地の布教に功を奏した。", "title": "教典" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "マニの著作としては、『大福音書』『生命の宝(いのちの書)』『プラグマテエイア』『秘儀の書』『巨人の書』『書簡』などの聖典が断片的に確認されるほか、サーサーン朝第2代の王シャープール1世に捧げたパフラヴィー語文献『シャープーラカン』が遺存している。これらのうち、『生命の宝』が『シャープーラカン』に次いで古いと推定される。ほかに『讃美歌と祈祷集』、マニ自身の手による『宇宙図およびその註釈』(後述)があり、また、マニの没後、弟子らによってまとめられたマニと弟子たちとの対話集『ケファライア(講話集)』があった。", "title": "教典" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "マニは、人間は物質でありつつ、アダムとエバの子孫として大量の光の本質を有する矛盾した存在であると説き、人間は「真理の道」に従って智慧を得て現世救済に当たり、自身の救済されるべき本質を理解して自らを救済しなければならないと主張した。このような考えに立って、マニは生存中に自ら教団を組織した。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "マニ教の教団組織は仏教に倣ったと考えられる。マニは教師12人・司教72人・長老360人からなる後継者を、2群の信者に分け、それぞれ守るべき戒律も異なるものとした。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "仏教における出家信者・僧侶に相当するのが義者(エレクトゥス electus, 「選ばれた者」)であり、聖職者として五戒(「真実」「非殺生・非暴力」「貞潔」「菜食」「清貧」)を守り、厳しい修道に励むことを期待された。肉食は心と言葉の清浄さを保つために禁止され、飲酒も禁じられた。また、殺生に関して、動物を殺めることや、植物の根を抜くことも禁じられた。そして、メロン・キュウリなどの透き通った野菜やブドウなどの果物は光の要素を多く含んでおり、聖職者はこれらをできるだけ多く食べ、光の要素を開放しなければならないとされた。最終的に、これらはマニ教で行われる唯一の秘蹟と定められた。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "俗人よりなる聴問者(聴聞者、アウディトゥス auditus )は、比較的緩やかな生活を許され、十戒を守ることを期待された。十戒はユダヤ教の「モーセの十戒」に似ており、俗人はそれほど強く戒律を守ることは求められなかった。聴問者は結婚して子をもうけることが許され、生産活動に従事して聖職者たちを支えた。聴問者たちも、いずれは「選ばれた者」になることが期待されていたものと考えられる。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "以上のように、マニ教の教団は、清浄で道徳的な生活を送り、また、そのことによって壮大な宇宙の戦いに参画しているという意識に支えられていた。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "マニ教では、白い衣服を身につけ、五感を抑制することが求められ、通常は一日一食の菜食主義で週に1度は断食した。洗礼も行われたが、水は用いられなかった。また、1日に4~7回祈祷を捧げ、信者相互では告白の儀式がなされた。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "後述するマニの殉教はマニ教最大の祝祭ベーマ(英語版)の祭祀となった。ベーマ(ベマ)とはギリシア語で「座」を意味する。ベーマの祭礼では、誰も座ることのできない椅子が用意される。この祭礼は年末(春分のころ)に執り行われ、祭り中にマニが「座」(椅子)の上に降臨すると信じられた。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ベーマの祝祭に先立つ1ヶ月間には断食が要求され、これがイスラム教におけるラマダーン月の先駆となったと考えられている。", "title": "教団" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "預言者マニ(216年-277年頃)は、パルティア貴族の父パティーク、パルティア王族出身の母マルヤムのもと、バビロニアで生まれた。マニが4歳のとき、パティークの入っていたユダヤ教系キリスト教のグノーシス主義洗礼教団エルカサイ派に連れていかれ、ユダヤ教的・グノーシス主義的教養の横溢する環境で成長した。マニが12歳のとき、自らの使命を明らかにする神の「啓示」に初めて接したといわれる。その後、ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義の影響を受けて、ユダヤ教から独立した宗教を形成していった。西暦240年頃、マニが24歳の時に再び聖天使パラクレートス(アル・タウム)からの啓示をうけ、開教したとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "マニは各地で宣教活動を行い、サーサーン朝のシャープール1世宮廷に招聘・重用された これらにより、マニはサーサーン朝全域とその周囲に伝道して信者を増やし、教会を組織し、弟子の教育に努め、ローマ帝国にも宣教師を送った。この布教は大成功を収め、マニ教はエジプトのアレクサンドリアはじめ北アフリカ各地にも伝播した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "マニは、世界宗教の教祖としては珍しく、自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した。シャープール1世に捧げた宗教書『シャープーラカン』では、王とマニとの間の宗教上の相互理解について記述されている。マニはまた、芸術の才能にも恵まれ、彩色画集の教典をも自ら著しており、常にその画集を携えて布教したといわれる。そのため、マニは青年時代、絵師としての訓練を受けたという伝承も生まれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "272年、シャープールが死去し、バハラーム1世の時代になると、マニはゾロアスター教神官団の憎悪に晒された。276年、マニは大マグのカルティール(キルディール)に陥れられ、投獄された。マニの最期については良く分かっていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "パルティア以来の諸文化交流の一産物 であるマニ教は、のちに西は北アフリカ・イベリア半島から、東はインド・中国に広がった。マニは「教えの神髄」の福音伝道を重視し、自ら著述した教典を各言語に翻訳させ、入信者を得るために各地で優勢な宗教の教義に寄せさせた。ゾロアスター教の優勢な地域ではゾロアスター教の神々、西方ではイエス・キリストの福音を前面に据え、東方では仏陀の悟りを強調して宣教するなど、各地ごとに布教目的で柔軟に用語・教義を変相させた。この結果、世界宗教へと発展したが、教義の一貫性は保持されなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "マニは自分の死後に備えて、教会組織を作り上げていた。これは仏教教団の影響とみる説とエルカサル教団を参考にしているという説がある。また、整然としたマニ教教会組織はゾロアスター教神官団の組織編成に影響を与えた可能性が指摘されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "マニ教教会のヒエラルキーは以下の通り。マニの出身地バビロニアの伝統に従って聖職者の人数は12に倍数が用いられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "マニの死後、デーン・サーラールの座を巡り、教祖の直弟子ガブリアールとそれ以前に記録のないスィースィン(マニの親戚?)の間で争われた。結局、スィースィンがサーラールに就任し教団本部をサーサーン朝の首都クテシフォンからバビロンに移した。スィースィンのもとでアラビア半島にも伝教が行われ、アラブ人都市国家ヒーラの王アムル・イブン・アディーを改宗させるなど、メソポタミア南部に教線を伸ばした。286/293年、カルティールに呼び出されたスィースィンと「3人の長老(教祖の直弟子?)」が処刑されてしまう。このことは教祖の死に次いでマニ教団に衝撃を与えることとなり、マニ教の5大祭りのうち第2と第4がこれに因んでいた。また、一部のマニ教徒がローマ帝国やアラブ人国家に亡命した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "第三代デーン・サーラールにはインド伝道を担当していたマニの直弟子ハッティーが就任した。ちょうどサーサーン朝7代目皇帝ナルセ1世の治世と重なり、カルティールの政治力が失われた時期だったため、マニ教にとって比較的安定した時期となった。その後、マニ教の内部資料は途絶えてしまう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "4世紀、9代目皇帝シャープール2世とゾロアスター神官団の長アードゥルバードによっての治世でマニ教は再び迫害された。第10代皇帝アルダシール2世に時代には、ゾロアスター教で悪の存在と考えられた蟻を踏み潰すよう住民たちに迫った。マニ教徒にとってはすべての生き物は光を内側に秘めた存在なので殺してはならない。これによってマニ教徒をあぶりだし、異端を根絶しようとした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ただしマニ教は聖典の整備という点でゾロアスター教に優位に立っていた。ゾロアスター教には口伝伝承しかなく(『アヴェスター』の書籍化は6世紀まで待たなければならなかった)、またキリスト教・ユダヤ教でも特定の書物を聖典として明確に区分したのは3~4世紀であり、マニ教はこれらの宗教に先立っていた。そのため知的水準の高い人ほどゾロアスター教よりマニ教に魅力を感じ、多くのゾロアスター教徒がマニ教に改宗した。そこでゾロアスター教はキリスト教徒の用いていたパフラヴィー文字を改良してアヴェスター文字を作り『アヴェスター』を著した。しかしこれは大昔の口語アヴェスター語を文字化したものなので、当時の人々にも理解できるようパフレヴィー語の注釈『ザンド』が執筆された。こうしてゾロアスター教の聖典が整備されると、マニ教の聖典はゾロアスター神官団によって出来損ないの『ザンド』とみなされ、攻撃されるようになった。528年のマズダク教の乱が鎮圧されると、マニ教への圧力が強まり、多くの教徒が中央アジアに逃れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "7世紀に登場したイスラム教には、マニ教との類似点が見られる。マニは、アラム語のマニ教教典『大福音書』で、", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "と述べているが、イスラム教の教祖ムハンマドも「預言者の印璽」を名乗った。また、マニ教の一般信者(聴問者)の5つの義務は「戒律」「祈祷」「布施」「断食」「懺悔」であり、ムスリムの義務「五行」との類似が指摘される。いずれにしろアラビア半島でイスラム教団が結成され、7世紀半ばにはサーサーン朝を滅ぼした(イスラーム教徒のペルシア征服)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "イスラム教徒の支配は場当たり的で、当初のマニ教は迫害されなかったため、多くのマニ教徒が中央アジアから帰還した。クテシフォン本部の比重が再び高まったため、カリフ、ワリード1世の時代にデーン・サーラールのミフルによって、自立していた東方のマニ教会が再び統合された。一方で権力基盤を失ったゾロアスター教は求心力が低下し、マニ教に改宗する者が相次いだ。またミフルはムスリムに配慮して教義を変更したため、信者たちからの反発を受けた。次々代のミクラースの時代になると、教会は現実を重視するミフル派と教祖以来の教えを守るミクラース派に分裂してしまう。この対立はアフリカから来たアブー・ヒラール・ダイフーリーなる人物によって調停された", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "750年に成立したアッバース朝はマニ教に対して大弾圧を行った。マニの絵画に唾を吐かせ、鳥を食わせ、マニ教徒だとわかるとその場で斬首したという。10世紀前半には迫害に耐えられなくなったマニ教教会は中央アジアのサマルカンドに本部を移し、クテシフォンに300人いたマニ教徒は5人に激減した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "西方では、ローマがキリスト教の国教化前にローマ帝国全域にマニ教信者が増加し、原始キリスト教と並ぶ大勢力となった。ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、領内のマニ教拡大に不安を覚え、297年にペルシアのスパイとしてマニ教徒迫害の勅令を発布した。4世紀~5世紀のキリスト教教父アウグスティヌスもカルタゴ遊学の一時期マニ教を信奉したが、その後回心してキリスト教徒となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "中世ヨーロッパの代表的な異端カタリ派(アルビジョワ派)について、現世否定的な善悪二元論など、マニ教の影響が指摘される", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "マニの直弟子マール・アンモーとアルサケス家(パルティア王族)のアルタバーンは旧パルティア(イラン高原北東部)で宣教活動を行っていたと伝えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "マニ教は西アジアからユーラシア大陸の東西に拡大し、ウイグルでも多くの信者を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "唐においては694年に伝来して「摩尼教」・「末尼教」と音写され、教義からは「明教」・「二宗教」との訳語もあった。「白衣白冠の徒」と言われた東方のマニ教(明教)は、景教(キリスト教ネストリウス派)・祆教(ゾロアスター教)と共に、三夷教・三夷寺と呼ばれ、代表的な西方起源の諸宗教の一つと見なされた。武則天(則天武后)は官寺として首都長安に大雲寺を建立した。これには、ウイグルとの関係を良好に保つ意図があったとも言われている。768年、大雲光明寺が建てられ、こののち8世紀後葉から9世紀初頭に長江流域の大都市や洛陽・太原などの都邑にもマニ教寺院が建てられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "しかし、843年、唐の武宗によって禁教されるに至った。845年に始まった「会昌の廃仏」では、仏教と三夷教が禁止され、多くの聖職者・宣教者は還俗させられ、マニ教僧も多くの殉教者を出したことが、唐にあった日本の円仁の『入唐求法巡礼行記』に記されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "回鶻(ウイグル)においては、8世紀後半の3代牟羽可汗時代にマニ教が国教とされるほどの隆盛と国家的保護を得た。やがて反マニ教勢力の巻き返しにより弾圧されたが、8世紀末から9世紀初頭の7代懐信可汗によって再び国教化された。しかしその後、イラン・アフガニスタンに続いて、ウイグルでもイスラム化が進み、14世紀後半のティムールによるティムール朝建国以降は中央アジアのイスラム化はさらに進行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "三武一宗の法難(会昌の廃仏)後の五代十国時代から宋において、マニ教は仏教・道教の一派として流布し続けた。歴史小説『水滸伝』の舞台となった北宋の「方臘の乱」の首謀者方臘はマニ教徒だったとも言われる。マニ教は、弾圧のなかで呪術的要素を強め、取り締まりに手を焼く権力者から「魔教」とまで称された。官憲によるマニ教取り締まりはしばしば江南地方や四川でなされ、その中でマニ教信者は「喫菜事魔の輩」(「菜食で魔に仕える輩」の意)とも呼ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "宗教に寛容な元朝のもとでは、明教(マニ教)が復興し、福建省泉州と浙江省温州を中心に教勢を拡げた。明教と弥勒信仰が習合した白蓮教は、元末に紅巾の乱を起こし、その指導者朱元璋が建てた明の国号は「明教」に由来したとも言われる。しかし明が安定期に入ると、マニ教は危険視されて弾圧された。15世紀には教勢衰退が著しかったが、秘密結社を通じて19世紀末まで受け継がれた。1900年の北清事変(義和団の乱)の契機となった排外主義的な拳闘集団である義和団なども、そうした秘密結社の一つと言われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なお、藤原道長『御堂関白記』など、日本の古代・中世における日記の具注暦に日曜日を「密」と記すのは、マニ教信者が日曜日を聖なる日として断食日にあてた暦法が日本にまで至ったことの証左であると言われる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "20世紀まで、マニとマニ教に関する信頼できる情報は少なかった。前近代における利用可能なものとしては以下の資料が知られていた。", "title": "研究史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1904年・1905年、中国北西部トルファン(現新疆ウイグル自治区)でアルベルト・グリュンヴェーデル率いるドイツの探検隊によりマニ教寺院・写本・壁画などの関連資料が多数発見され、研究が進んだ。トルファンではマニ教のイラン語文献が発見され、高昌ではフレスコ画によるマニ肖像壁画も残っている。1906年以降は上述のポール・ペリオがトルキスタンを訪れ、マニ教文献含む数多くの文献をフランスにもたらした。", "title": "研究史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1931年、エジプトのマディーナト・アル=マーディーでマニ教のパピルス製コプト語蔵書が見つかった。この中には、マニの生涯と教義を要約した『ケファライア』の一部が含まれている。", "title": "研究史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1969年、上エジプトで、西暦400年頃に属する羊皮紙に古代ギリシア語で書かれた写本が発見された。それは現在、ドイツのケルン大学(ノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン市)に保管され、「ケルンのマニ写本(英語版)」と呼ばれる。この写本は、マニの経歴・思想の発展を叙述する聖人伝で、マニの教義に関する情報と彼自身の書いた著作の断片を含む。", "title": "研究史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "現在では、各国の研究者が国際マニ教学会を結成し、共同研究や情報交換がおこなわれている。", "title": "研究史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "マニ教の宇宙観は、天十層と大地八層からなり、布教にあたって経典のほか、これを図示した『宇宙図(アールダハング)およびその註釈』も使用していた。", "title": "日本におけるマニ教資料" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "『宇宙図』は散逸していたが、2010年、元代前後に描かれたとみられる『宇宙図(英語版)』が日本で発見された。これは、京都大学大学院文学研究科行動文化学専攻言語学専修の教授吉田豊(現・名誉教授)らの調査によるもので、世界で初めてマニ教の宇宙図がほぼ完全な形で確認され、極めて貴重な発見として国際的に高い評価を受けた。", "title": "日本におけるマニ教資料" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "13世紀から14世紀にかけて中国で描かれたマニの肖像画が近年日本で発見され、藤田美術館に収蔵されている。", "title": "マニ肖像画" } ]
マニ教は、サーサーン朝ペルシャのマニを開祖とする、二元論的な宗教。
[[ファイル:Manicheans.jpg|right|thumb|270px|マニ教の聖職者(「マニ教経典断簡」、[[タリム盆地]]・[[高昌]]故城出土、[[ミニアチュール]]、紙本著色、8-9世紀、[[ベルリン美術館|国立アジア美術館]](旧インド美術館)所蔵) ---- 白装束に高帽子を被ったマニ教聖職者が、掛け布をひいたテーブルに座り[[写経]]をしている場面。背景には花が咲き、マニ教徒が[[聖餐]]に用いた[[ブドウ]]の実がなる。西アジア起源の宗教では、「3本の木」は生命の象徴で、欠落部には元々3本の木が描かれていたと推測される。中央の色紙形は後期[[ソグド文字]]。裏にも絵・経典が記され、マニ教関係書籍の扉頁または最終ページと見られる<ref name="図録">[[マニ教#図録|『ドイツ・トゥルファン探検隊 西域美術展』図録(1991)]]。なお同図録には、他にも西域出土のマニ教絵画が数点掲載されている。</ref><ref name="aoki">[[マニ教#青木|青木(2010)pp.39-40]]</ref>]] '''マニ教'''(マニきょう、摩尼教、{{lang-en-short|Manichaeism}})は、[[サーサーン朝]][[ペルシャ]]の'''[[マニ (預言者)|マニ]]'''を開祖とする、[[二元論]]的な[[宗教]]<ref name="kamioka">[[マニ教#上岡|上岡(1988)pp.140-141]]</ref>。 == 概要 == [[ゾロアスター教]]・[[キリスト教]]・[[仏教]]などの流れを汲み、[[アブラハムの宗教|経典宗教]]の特徴をもつ。かつては[[北アフリカ]]・[[イベリア半島]]から[[中国]]にかけて[[ユーラシア#ユーラシア大陸|ユーラシア大陸]]一帯で広く信仰された[[世界宗教]]であった。マニ教は、過去に興隆したものの現在ではほとんど信者はおらず、消滅したとされてきたが、今日でも[[中華人民共和国]]の[[福建省]][[泉州市]]においてマニ教[[寺院]]が現存する。 ==教義== === 宗教混合 === マニ教は、寛容な諸教混交の立場を表明しており、その宗教形式(ユダヤ・キリスト教の継承、「預言者の印璽」、[[断食月]])は、[[ローマ帝国]]や[[アジア]]各地への伝道により広範囲に広まった<ref name="lar">[[マニ教#ラルース|『ラルース 図説 世界人物百科I』(2004)pp.215-217]]</ref>。マニ教の[[教団]]は伝道先でキリスト教や仏教を名のることで巧みに教線を伸ばした<ref name=kato/>。これについては、マニの生まれ育った[[バビロニア]]の[[ヘレニズム]]的環境も大きく影響している。この地では多様な[[民族]]・[[言語]]・[[慣習]]・文化が共存し、他者の思想信条や慣習には極力立ち入らない環境で、そうした[[折衷主義]]は格別珍しいことではなかった。そして、[[古代オリエント]]の住民は、各自の[[アイデンティティ]]を保つため、特定の宗教・慣習・文化に[[執着]]する傾向も薄かったと考えられる<ref name="yamamoto21">[[マニ教#山本|山本(1998)pp.21-25]]</ref>。 マニ教はゾロアスター教を母体に[[ユダヤ教]]の預言者の概念を取り入れ、[[ザラスシュトラ]]・[[釈迦]]・[[イエス・キリスト|イエス]]を預言者の後継と解釈。マニ自身も自らを[[天使]]から啓示を受けた最後の預言者(「預言者の印璽」)と位置づけた(後述)。そのほかに[[グノーシス主義]]の影響を受けた。ゾロアスター教の影響から善悪二元論を採ったが、享楽的なイラン文化と一線を画す仏教的な禁欲主義が特徴である<ref name="iwamura152">[[マニ教#岩村|岩村(1975)pp.152-154]]</ref><ref name="yamamoto31">[[マニ教#山本|山本(1998)pp.31-34]]</ref>。 ; [[キリスト教]]・[[ユダヤ教]] : かつての研究者は、[[イラン神話]]・[[メソポタミア神話]]・[[ゾロアスター教]]・[[ズルワーン教]]・[[マンダ教]]など、東方の宗教にマニ教の起源を求めていた。しかし、資料の発見によってマニ自身がユダヤ教・キリスト教に由来する[[エルカサイ教団]]出身であることが分かり、その思想的起源は[[セム的一神教]]にあったことが判明した。そのため、それ以外の宗教は壮年期以降に獲得したものであったとされる<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]ページ。</ref>。 ; [[グノーシス主義]] : マニ教をグノーシス主義の一派とする見方がある。マニ教の精神・物質二元論はグノーシス主義と一致している。 : 近年では、マニ教資料が大部分のグノーシス主義思想家を非難していることや宇宙の存在に積極的な意義を認めていることから、グノーシス主義と一線を画しているとする向きもある<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]156-157ページ。</ref>。 ; [[ゾロアスター教#分類|ミスラ教]] : ミスラ(ミフル)教は[[ミスラ]]神を崇拝した宗教([[ミトラ教]]とは異なる)。パルティアで盛んに信仰されたと思われる。マニ教神話では本来[[太陽神]]であるミスラが戦闘神・[[創造神]]として、オフルマズド([[ザラスシュトラ]]が最高神として想定した[[アフラ・マズダー]])を凌ぐ活躍をしており、ミスラ教の影響がうかがえる。[[パルティア]]人の血を引き、パルティア時代末期に生まれたマニにとってミスラの存在は大きかったと思われる<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]157-158ページ。</ref>。 ; [[ゾロアスター教]] : サーサーン朝の[[国教]]。マニ教はゾロアスター教の影響から善悪二元論を採ったが、享楽的なイラン文化と一線を画していると言われる<ref name=iwamura152/><ref name=yamamoto31/>。しかし、マニ教神話に登場するオフルマズドはほとんど活躍せず、現代に伝わる二元論的ゾロアスター教とは一線を画す。近年では二元論的ゾロアスター教が成立したのは5~6世紀頃であり、逆に二元論的ゾロアスター教がマニ教から影響を受けたとする説もある。その場合、マニ教に影響を与えたのはゾロアスター教の滅びた分派[[ズルワーン教]]となる<ref name="青木(2010)158-163ページ。">[[マニ教#青木|青木(2010)]]158-163ページ。</ref>。 :; [[ズルワーン教]] :: ズルワーン教は時間の神[[ズルワーン]]を崇拝する宗教。特に3~5世紀にかけてサーサーン朝の国教であったとも言われる。 :: マニ教とズルワーン主義は最高神がズルワーンであることや、厭世的な人間論が一致しているとされる<ref name="青木(2010)158-163ページ。"/>。 ; [[メソポタミア神話]] : あまり重要でない部分でマニ教に借用されているとされる。『[[エノク書]]』など『[[旧約聖書]]』[[外典]]を介して、『[[ギルガメシュ叙事詩]]』の影響を受けている<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]164ページ。</ref>。 ===二元論=== マニ教は徹底した二元論的教義を有し、宇宙は[[光]]・[[闇]]、[[善]]・[[悪]]、[[精神]]・[[物質]]のそれぞれ2つの[[原理]]の対立に基づいており、光・善・精神と闇・悪・肉体の2項がそれぞれ明確に分けられていた始原の[[宇宙]]への回帰と、マニ教独自の[[救済]]とを教義の核心としている<ref name=kamioka/><ref name="kato">[[マニ教#加藤|加藤「マニ教」(2004)]]</ref>。 この点について、善悪・生死の対立を根本とするゾロアスター教の二元論よりも、物質・肉体への嫌悪感が非常に強く、禁欲的かつ[[現世]]否定的な傾向がある[[ギリシア哲学]]的な二元論の影響がうかがえる<ref name=yamamoto31/>。 ===神話=== [[ファイル:Mithra&Antiochus.jpg|160px|right|thumb|[[ミスラ]](右)と[[アンティオコス1世 (コンマゲネ王)|アンティオコス]]王のレリーフ。ミスラはイラン神話に登場する太陽神。ゾロアスター教では契約の神として崇拝された]] マニ教の[[神話]]では、 # 原初、「光の王国」に「光明の父」または「偉大なる父([[ズルワーン]])」が、「闇の王国」に「闇の王子([[アフリマン]])」がそれぞれ所在し、共存していた。「光の王国」は[[光]]・[[風]]・[[火]]・[[水]]・[[エーテル]]が実態で、「光明の父」は[[理性]]・[[心]]・[[知識]]・[[思考]]・[[理解]]と翻訳しうる5つの精神作用を持ち、それを手足、また[[住まい]]としていた。しかし、「闇の王子」はそれを手に入れるために光を侵し、闇に囚われた光を回復する戦いが開始された。「光明の父」は「光明の母」を呼び出した<ref name=yamamoto31/>。 # 「光明の母」により最初の人「原人オフルミズド([[アフラ・マズダー]])」が生み出された。原人は、光の5元素を武器に闇の勢力と戦うが、敗れて闇に吸収されてしまう(「第一の創造」)。原人は闇の底より助けを求めた<ref name=yamamoto31/>。 # 「光明の父」は「光の友」と「偉大な建設者(バームヤズド)」「生ける霊([[ミスラ|ミフルヤズド]])」を呼び出す。偉大な建設者は「新しい天国」を作り、「生ける霊」は闇に囚われていた原人を救出し、「新しい天国」へ連れて行った(「第二の創造」)。 # 原人と共に闇に囚われた光の元素は闇に飲み込まれたままであったが、これは闇の勢力にとって毒であった。一方「生ける霊」とその5人の息子たちは、闇に囚われた光の元素を救うため、闇の勢力に大きな戦争を仕掛けた。そして、このとき倒された闇の悪魔たちの死体から現実の世界が作られた<ref name=yamamoto31/>。悪魔から剥ぎ取られた[[皮]]により十天が作られ、[[骨]]は[[山]]、[[屎尿|排泄物]]・[[身体]]は[[大地]]となった<ref name=yamamoto31/>。 # 「光明の父」は「第三の使者」を呼び出し、さらに「光の乙女」「輝くイエス」「偉大な心」「公正な正義」を呼び出す<ref name="yamamoto34">[[マニ教#山本|山本(1998)pp.34-37]]</ref>。闇の[[執政官]]アルコーンには男女の別があるが、男には「光の乙女」、女には肢体輝く美しい青年の姿で顕現し、[[射精]]・[[流産]]によってアルコーンが呑みこんだ光の元素を放出させる。放出した精子は海の巨獣(光の戦士によって倒される)と[[植物]]に、水子は大地に二本足のもの、四本足のもの、飛ぶもの、泳ぐもの、這うものという5種の[[動物]]になった<ref name=yamamoto31/><ref name=yamamoto34/>。 # 闇の側では、虜にした光の元素を閉じ込めるため「物質」が「肉体」の形をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、女も同様に大女魔を作った。大悪魔と大女魔は憧憬の対象「第三の使者」を模して人祖[[アダム]]とエバ([[イヴ]])を創造した<ref name=yamamoto34/>。そのため、アダムは闇の創造物だが、大量の光の要素を持ち、その末裔たる人間は闇によって汚れていても智慧によって内部の光を認識できる、と説く。対してエバは、光の要素を持ちつつ智慧を与えられず、アルコーンと交接して[[カインとアベル]]を産む。[[嫉妬]]に駆られたアダムはエバと交わり、[[セト (聖書)|セト]]が生まれて人の営みが始まる。 とされる。 このように、マニ教の[[神話]]にはキリスト教[[原罪]]思想やグノーシス主義の影響が見られる。そして、人間の肉体は闇に汚されていると考えた一方で、光は地上に飛び散ったために、植物は光を有していると見なした。そのため、後述のように斎戒や[[菜食主義]]の実践を重視する。また、[[結婚]]・[[性行為|性交]]は[[子孫]]を宿すことで、悪である肉体の創造に繋がる忌避すべき行為と考えられた。また、マニ教は禁欲主義を主張し、肉体を悪の住処、霊魂を善の住処と見なしていることに一つの特徴がある。 ===三際=== [[ファイル:Pelliotpaul.jpg|160px|right|thumb|マニ教断簡を発見した[[ポール・ペリオ]]]] 『[[敦煌文献]]』を[[フランス]]にもたらしたことで知られる東洋学者の[[ポール・ペリオ]]は中国でマニ教断簡(現[[フランス国立図書館]]所蔵)を発見しているが、それによれば、宇宙は「三際」と称される3時期に区分される<ref name=kato/>。 # 初際 - まだ[[天地]]がなく、明暗の違いがあるのみである。明の性質は智慧、暗の性質は愚昧だが、まだ[[矛盾]]・対立は生じていない<ref name=kato/> # 中際 - 暗(闇)が明(光)を侵し始め、明が訪れては暗に入り込んで両者は混合していく。人は、ここにおける大いなる苦しみのために、目に映ずる形体の世界から逃れようと希望する。そして人は、この世(「[[火宅]]」)を逃れるには、真偽・光闇を判別し、自ら救われるための機縁を捕まえなくてはいけない<ref name=kato/> # 後際 - 教育・[[回心]]とを終える。これにより、真偽・光闇はそれぞれ由来の地「根の国」に帰る。光は大いなる光に、闇は闇の塊に回帰する<ref name=kato/> 以上の内容は、[[8世紀]]のテオドール・バル=コーナイによる[[シリア語]]文献の内容とも合致する<ref name=kato/>。 ===禁欲主義=== 上述のように、マニは悪から逃れることを説き、そのためには人間の繁殖までをも否定した<ref name=iwamura152/>。ゾロアスター教の教義は、善神[[アフラ・マズダー]]と悪神[[アンラ・マンユ]]の2神を対立させるが、この善悪2神はそれぞれ精神と物質との両面を含んでいる。しかし、マニ教では、光と闇の結合が宇宙を生んだと考えるので、宇宙の創成は究極的には悪の力の作用であるととらえ、やがて全宇宙は崩壊すると考える<ref name=iwamura152/>。そのとき初めて光による救済が起こり、闇からの解放がなされると説くのである<ref name=iwamura152/>。 === イエス観 === {{See also|イスラームにおけるイーサー}} マニ教では、[[ザラスシュトラ]]、イエス・キリスト、[[釈迦]](ガウタマ・シッダールタ)はいずれも神の使いと見なされるが、イエスに関しては、肉体を持たない「真の[[イエス・キリスト|キリスト]]」と、それとは対立する[[十字架]]にかけられた人の子イエス([[ナザレのイエス]])とを峻別する<ref name=iwamura152/>。「神の子」を否定するこのようなイエス観は、[[イスラム教]]教祖[[ムハンマド]]にも継承され、イスラム教のキリスト教理解に大きな影響をあたえた<ref name=iwamura152/>。 マニ教のイエス観は様々な像を結んでいる<ref name=yamamoto34/>。 * 人の子イエス - マニが自らに先立つ預言者 * 救世主イエス - [[アダム]]に[[知恵|智慧]]を授けた * 宇宙の終末に現れて[[正邪]]を裁いて輝くイエス * [[十字架]]に架けられて苦しむイエス * 物質に囚われた「光の元素」の[[比喩]] == 教典 == マニは世界宗教の教祖としては珍しく自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した<ref name=kamioka/>。マニは当時の[[中東]]の[[リンガ・フランカ]]であった[[アラム語]]の一方言での叙述が多かった。マニは教義を万人対象とするために、多くの人が理解できる言葉で経典を書き記したと思われる。また、彼は速やかに経典を各地の[[言語]]に[[翻訳]]させたが、その際、彼は教義の厳密な訳出より各地に伝わる在来の信仰・[[用語]]を利用して自由に翻訳することを勧めた。場合によっては馴染みやすい信仰への[[翻案]]すら認め、[[異民族]]・遠隔地の布教に功を奏した<ref name=yamamoto26/>。 マニの著作としては、『大福音書』『生命の宝(いのちの書)』『プラグマテエイア』『秘儀の書』『巨人の書』『書簡』などの聖典が断片的に確認されるほか、サーサーン朝第2代の王[[シャープール1世]]に捧げた[[パフラヴィー語]]文献『シャープーラカン』が遺存している<ref name=kamioka/><ref name="yamamoto26">[[マニ教#山本|山本(1998)pp.26-31]]</ref>。これらのうち、『生命の宝』が『シャープーラカン』に次いで古いと推定される<ref name=yamamoto26/>。ほかに『讃美歌と祈祷集』、マニ自身の手による『宇宙図およびその註釈』(後述)があり、また、マニの没後、弟子らによってまとめられたマニと弟子たちとの[[対話]]集『ケファライア(講話集)』があった<ref name=yamamoto26/>。 == 教団 == マニは、人間は物質でありつつ、アダムとエバの子孫として大量の光の本質を有する[[矛盾]]した存在であると説き<ref name="yamamoto37">[[マニ教#山本|山本(1998)pp.37-39]]</ref>、人間は「真理の道」に従って智慧を得て現世救済に当たり、自身の救済されるべき[[本質]]を理解して自らを救済しなければならないと主張した<ref name=yamamoto37/>。このような考えに立って、マニは生存中に自ら教団を組織した<ref name=kamioka/>。 マニ教の教団組織は仏教に倣ったと考えられる<ref name=kamioka/>。マニは[[聖職者|教師]]12人・[[司教]]72人・[[長老]]360人からなる後継者を、2群の[[信者]]に分け、それぞれ守るべき戒律も異なるものとした<ref name=kamioka/><ref name=gaisetsujo>{{Cite web|和書|url=http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html |title=叡智の光_マニ教概説・序説 Introduction of Manichaean Religion |publisher= |accessdate=2019-04-25}}</ref>。 仏教における[[出家]]信者・[[僧侶]]に相当するのが義者(エレクトゥス ''electus'', 「選ばれた者」)であり、[[聖職者]]として五戒(「真実」「非殺生・非暴力」「貞潔」「菜食」「清貧」)を守り、厳しい修道に励むことを期待された<ref name=kamioka/><ref name=kato/><ref name=gaisetsujo/>。肉食は心と言葉の清浄さを保つために禁止され、飲酒も禁じられた<ref name=yamamoto37/>。また、[[殺生]]に関して、動物を殺めることや、植物の[[根]]を抜くことも禁じられた<ref name=yamamoto37/>。そして、[[メロン]]・[[キュウリ]]などの透き通った[[野菜]]や[[ブドウ]]などの[[果物]]は光の要素を多く含んでおり、聖職者はこれらをできるだけ多く食べ、光の要素を開放しなければならないとされた<ref name=yamamoto37/>。最終的に、これらはマニ教で行われる唯一の[[秘跡|秘蹟]]と定められた<ref name=aoki/>。 俗人よりなる聴問者(聴聞者、アウディトゥス ''auditus'' )は、比較的緩やかな生活を許され、十戒を守ることを期待された<ref name=kamioka/><ref name=kato/>。十戒はユダヤ教の「[[モーセの十戒]]」に似ており、俗人はそれほど強く戒律を守ることは求められなかった<ref name=yamamoto37/>。聴問者は[[結婚]]して子をもうけることが許され、生産活動に従事して聖職者たちを支えた<ref name=yamamoto37/>。聴問者たちも、いずれは「選ばれた者」になることが期待されていたものと考えられる<ref name=yamamoto37/>。 以上のように、マニ教の教団は、清浄で道徳的な生活を送り、また、そのことによって壮大な宇宙の戦いに参画しているという意識に支えられていた<ref name=yamamoto37/>。 ===儀式・祭祀=== マニ教では、白い[[衣服]]を身につけ、五感を抑制することが求められ、通常は一日一食の菜食主義で週に1度は[[断食]]した<ref name=yamamoto37/>。[[洗礼]]も行われたが、水は用いられなかった<ref name=yamamoto37/>。また、1日に4~7回[[祈祷]]を捧げ、信者相互では告白の儀式がなされた<ref name=yamamoto37/>。 後述するマニの[[殉教]]はマニ教最大の[[祝祭]]{{仮リンク|ベーマ (マニ教)|label=ベーマ|en|Bema}}の[[祭祀]]となった。ベーマ(ベマ)とは[[ギリシア語]]で「座」を意味する<ref name=gaisetsujo/>。ベーマの祭礼では、誰も座ることのできない[[椅子]]が用意される<ref name=gaisetsujo/>。この祭礼は年末([[春分]]のころ)に執り行われ、祭り中にマニが「座」(椅子)の上に降臨すると信じられた<ref name=yamamoto37/>。 ベーマの祝祭に先立つ1ヶ月間には[[断食]]が要求され、これがイスラム教における[[ラマダーン]]月の先駆となったと考えられている<ref name=kamioka/>。 ==歴史== ===預言者マニ=== {{main|マニ (預言者)}} [[ファイル:Mani.jpg|200px|thumb|預言者[[マニ (預言者)|マニ]]]] 預言者マニ(216年-277年頃)は、[[パルティア]]貴族の父パティーク、パルティア王族出身の母マルヤムのもと、[[バビロニア]]で生まれた。マニが4歳のとき、パティークの入っていたユダヤ教系キリスト教のグノーシス主義洗礼教団エルカサイ派に連れていかれ、ユダヤ教的・グノーシス主義的教養の横溢する環境で成長した<ref name=yamamoto26/>。マニが12歳のとき、自らの使命を明らかにする[[神]]の「[[啓示]]」に初めて接したといわれる<ref name="kato2">[[マニ教#加藤2|加藤「マニ」(2004)]]</ref>。その後、ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義の影響を受けて、ユダヤ教から独立した宗教を形成していった。西暦[[240年]]頃、マニが24歳の時に再び聖天使[[パラクレートス]](アル・タウム)からの啓示をうけ、開教したとされる<ref name=kato2/>。 マニは各地で宣教活動を行い、[[サーサーン朝]]の[[シャープール1世]][[宮廷]]に招聘・重用された<ref name=yamamoto26/><ref name=kato2/> これらにより、マニはサーサーン朝全域とその周囲に伝道して信者を増やし、[[教会]]を組織し、弟子の教育に努め、ローマ帝国にも[[宣教師]]を送った。この布教は大成功を収め、マニ教は[[エジプト]]の[[アレクサンドリア]]はじめ[[北アフリカ]]各地にも伝播した<ref name=yamamoto26/>。 マニは、世界宗教の[[教祖]]としては珍しく、自ら経典を書き残したが、その多くは散逸した。シャープール1世に捧げた宗教書『シャープーラカン』では、王とマニとの間の宗教上の相互理解について記述されている<ref name=lar/>。マニはまた、[[芸術]]の才能にも恵まれ、彩色[[画集]]の教典をも自ら著しており、常にその画集を携えて布教したといわれる<ref name=gaisetsujo />。そのため、マニは青年時代、[[絵師]]としての訓練を受けたという[[伝承]]も生まれている<ref name=gaisetsujo/>。 [[272年]]、シャープールが死去し、[[バハラーム1世]]の時代になると、マニはゾロアスター教神官団の憎悪に晒された<ref name=lar/>。[[276年]]、マニは大マグの[[カルティール]](キルディール)に陥れられ、投獄された<ref name=kato/>。マニの最期については良く分かっていない。 パルティア以来の諸文化交流の一産物<ref name=iwamura152/> であるマニ教は、のちに西は[[北アフリカ]]・[[イベリア半島]]から、東はインド・中国に広がった<ref name=iwamura152/>。マニは「教えの神髄」の福音伝道を重視し、自ら著述した教典を各言語に翻訳させ、入信者を得るために各地で優勢な宗教の教義に寄せさせた。ゾロアスター教の優勢な地域ではゾロアスター教の神々、西方では[[イエス・キリスト]]の福音を前面に据え、東方では[[仏陀]]の[[悟り]]を強調して宣教するなど、各地ごとに布教目的で柔軟に用語・教義を変相させた。この結果、世界宗教へと発展したが、教義の一貫性は保持されなかった<ref name=gaisetsujo/>。 === 中東での展開 === [[ファイル:ManichaeismSpread.jpg|thumb|400px|left|マニ教の拡大]] マニは自分の死後に備えて、教会組織を作り上げていた。これは仏教教団の影響とみる説とエルカサル教団を参考にしているという説がある。また、整然としたマニ教教会組織はゾロアスター教神官団の組織編成に影響を与えた可能性が指摘されている<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]171-173ページ</ref>。 マニ教教会の[[ヒエラルキー]]は以下の通り。マニの出身地バビロニアの伝統に従って聖職者の人数は12に倍数が用いられている<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]ページ</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:small" |+ マニ教のヒエラルキー ! !! パフラヴィー語(単数形)/中国語 !! 人数 !! 備考 |- |rowspan="5"| 聖職者 || [[デーン・サーラール]] / [[法王]] || 1人 || 在クテシフォン |- | フェレスタグ / 承法教道者 || 12人 || |- | イスパダグ / 伝法者 || 72人 || |- | マヒスタグ / 法堂主 || 360人 || |- | ウィズィーダグ / 一切善人 || 無制限 || |- | 一般信徒 || ニヨーシャグ / 一切浄聴者 || 無制限 || |} マニの死後、デーン・サーラールの座を巡り、教祖の直弟子ガブリアールとそれ以前に記録のないスィースィン(マニの親戚?)の間で争われた。結局、スィースィンがサーラールに就任し教団本部をサーサーン朝の首都クテシフォンから[[バビロン]]に移した。スィースィンのもとでアラビア半島にも伝教が行われ、アラブ人都市国家[[ヒーラ]]の王アムル・イブン・アディーを改宗させるなど、メソポタミア南部に教線を伸ばした<ref group="注">ヒーラから[[メッカ]]にマニ教の影響が伝わり、[[イスラム教]]成立に影響を与えたという説もある。</ref><ref name=青木19p144-157>青木健『新ゾロアスター教史』(刀水書房、2019年)44-54ページ</ref>。286/293年、カルティールに呼び出されたスィースィンと「3人の長老(教祖の直弟子?)」が処刑されてしまう。このことは教祖の死に次いでマニ教団に衝撃を与えることとなり、マニ教の5大祭りのうち第2と第4がこれに因んでいた。また、一部のマニ教徒がローマ帝国やアラブ人国家に亡命した<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]188-190ページ</ref>。 第三代デーン・サーラールにはインド伝道を担当していたマニの直弟子ハッティーが就任した。ちょうどサーサーン朝7代目皇帝[[ナルセ1世]]の治世と重なり、カルティールの政治力が失われた時期だったため、マニ教にとって比較的安定した時期となった。その後、マニ教の内部資料は途絶えてしまう<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]190-192ページ</ref>。 4世紀、9代目皇帝[[シャープール2世]]とゾロアスター神官団の長アードゥルバードによっての治世でマニ教は再び迫害された。第10代皇帝[[アルダシール2世]]に時代には、ゾロアスター教で悪の存在と考えられた[[アリ|蟻]]を踏み潰すよう住民たちに迫った。マニ教徒にとってはすべての生き物は光を内側に秘めた存在なので殺してはならない。これによってマニ教徒をあぶりだし、異端を根絶しようとした<ref>[[マニ教#青木|青木(2010)]]192-194ページ</ref>。 ただしマニ教は聖典の整備という点でゾロアスター教に優位に立っていた。ゾロアスター教には口伝伝承しかなく(『[[アヴェスター]]』の書籍化は6世紀まで待たなければならなかった)、またキリスト教・ユダヤ教でも特定の書物を聖典として明確に区分したのは3~4世紀であり、マニ教はこれらの宗教に先立っていた。そのため知的水準の高い人ほどゾロアスター教よりマニ教に魅力を感じ、多くのゾロアスター教徒がマニ教に改宗した。そこでゾロアスター教はキリスト教徒の用いていたパフラヴィー文字を改良して[[アヴェスター文字]]を作り『アヴェスター』を著した。しかしこれは大昔の口語[[アヴェスター語]]を文字化したものなので、当時の人々にも理解できるようパフレヴィー語の注釈『[[ザンド]]』が執筆された。こうしてゾロアスター教の聖典が整備されると、マニ教の聖典はゾロアスター神官団によって出来損ないの『ザンド』とみなされ、攻撃されるようになった。528年の[[マズダク教]]の乱が鎮圧されると、マニ教への圧力が強まり、多くの教徒が中央アジアに逃れた<ref name=青木19p144-157/>。 [[7世紀]]に登場したイスラム教には、マニ教との類似点が見られる。マニは、アラム語のマニ教教典『大福音書』で、{{quotation|キリストによってパラクレートス(聖霊・慰安者・弁護者)と呼ばれたのは、他でもない彼(マニ)であり、彼こそは「預言者たちの印璽」である。}}と述べているが<ref name=gaisetsu1>{{Cite web|和書|url=http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-r1.html |title=叡智の光_マニ教概説 Religion of Manichaeism |publisher= |accessdate=2019-04-25}}</ref>、イスラム教の教祖[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]も「預言者の印璽」を名乗った<ref name=gaisetsujo/>。また、マニ教の一般信者(聴問者)の5つの[[義務]]は「戒律」「[[祈祷]]」「[[布施]]」「断食」「[[懺悔]]」であり、[[ムスリム]]の義務「[[五行 (イスラム教)|五行]]<ref group="注">[[信仰告白]]([[シャハーダ]])・[[礼拝]]([[サラート]])・[[喜捨]]([[ザカート]])・[[断食]]([[サウム]])・[[巡礼]]([[ハッジ]])。</ref>」との類似が指摘される<ref name=gaisetsujo/>。いずれにしろ[[アラビア半島]]でイスラム教団が結成され、7世紀半ばにはサーサーン朝を滅ぼした([[イスラーム教徒のペルシア征服]])<ref name="青木p218">[[マニ教#青木|青木(2010)]]218-220ページ</ref>。 イスラム教徒の支配は場当たり的で、当初のマニ教は迫害されなかったため、多くのマニ教徒が中央アジアから帰還した。クテシフォン本部の比重が再び高まったため、[[カリフ]]、[[ワリード1世]]の時代にデーン・サーラールのミフルによって、自立していた東方のマニ教会が再び統合された。一方で権力基盤を失ったゾロアスター教は求心力が低下し、マニ教に改宗する者が相次いだ。またミフルはムスリムに配慮して教義を変更したため、信者たちからの反発を受けた。次々代のミクラースの時代になると、教会は現実を重視するミフル派と教祖以来の教えを守るミクラース派に分裂してしまう。この対立はアフリカから来たアブー・ヒラール・ダイフーリーなる人物によって調停された<ref name=青木p218/> 750年に成立した[[アッバース朝]]はマニ教に対して大弾圧を行った。マニの絵画に唾を吐かせ、鳥を食わせ、マニ教徒だとわかるとその場で斬首したという。10世紀前半には迫害に耐えられなくなったマニ教教会は中央アジアの[[サマルカンド]]に本部を移し、クテシフォンに300人いたマニ教徒は5人に激減した<ref name=gaisetsujo/>。 === ローマ宣教とその影響 === [[ファイル:Diocletian bust.png|160px|right|thumb|マニ教とキリスト教を弾圧した[[ディオクレティアヌス]]帝]] 西方では、[[古代ローマ|ローマ]]がキリスト教の国教化前にローマ帝国全域にマニ教信者が増加し、[[原始キリスト教]]と並ぶ大勢力となった<ref name=gaisetsujo/>。[[ローマ皇帝]][[ディオクレティアヌス]]は、領内のマニ教拡大に不安を覚え、[[297年]]にペルシアの[[スパイ]]としてマニ教徒迫害の[[勅令]]を発布した<ref name=lar/>。4世紀~[[5世紀]]のキリスト教[[教父]][[アウグスティヌス]]も[[カルタゴ]]遊学の一時期マニ教を信奉したが、その後回心して[[キリスト教徒]]となった<ref name=lar/><ref name=gaisetsujo />。 中世[[ヨーロッパ]]の代表的な異端[[カタリ派]](アルビジョワ派)について、現世否定的な善悪二元論など、マニ教の影響が指摘される{{efn2|ただし、二元論的グノーシス主義宗教であるパウロ派・ボゴミール派・カタリ派などは、マニ教の影響を受けた「マニ教的異端」ではあっても、教祖としてマニを承認しないのでマニ教分派とはいえない<ref name=gaisetsujo />。}} === 東方での展開 === マニの直弟子マール・アンモーとアルサケス家(パルティア王族)のアルタバーンは旧パルティア(イラン高原北東部)で宣教活動を行っていたと伝えられている<ref name=青木19p144-157/>。 マニ教は西アジアからユーラシア大陸の東西に拡大し、[[ウイグル]]でも多くの信者を獲得した。 [[ファイル:Museum für Indische Kunst Dahlem Berlin Mai 2006 066.jpg|right|thumb|200px|[[高昌]]出土のマニ教聖職者(8世紀-9世紀、[[フレスコ画]]) ---- 国立アジア美術館(旧インド美術館)所蔵。「白衣白冠」が確認できる。もとは寺院跡にあった大画面障壁画の一部<ref name="図録"/>]] [[唐]]においては[[694年]]に伝来して「'''摩尼教'''」・「'''末尼教'''」と音写され、教義からは「'''明教'''」・「'''二宗教'''」との訳語もあった。「白衣白冠の徒」と言われた東方のマニ教(明教)は、景教(キリスト教[[ネストリウス派]])・祆教(ゾロアスター教)と共に、[[三夷教]]・三夷寺と呼ばれ、代表的な西方起源の諸宗教の一つと見なされた<ref name="tonami">[[マニ教#礪波|礪波(1988)p.141]]</ref>。[[武則天]](則天武后)は官寺として首都[[長安]]に大雲寺を建立した<ref name=kato/><ref name=tonami/>。これには、ウイグルとの関係を良好に保つ意図があったとも言われている<ref name=kato/>。[[768年]]、[[大雲光明寺]]が建てられ、こののち8世紀後葉から[[9世紀]]初頭に[[長江]]流域の大都市や[[洛陽]]・[[太原]]などの都邑にもマニ教寺院が建てられた<ref name=tonami/>。 [[ファイル:ManichaeanElectaeKocho10thCentury.jpg|right|thumb|200px|高昌出土のマニ教祭司の絵(10世紀)]] しかし、[[843年]]、唐の[[武宗 (唐)|武宗]]によって禁教されるに至った<ref name=tonami/>。[[845年]]に始まった「[[会昌の廃仏]]」では、仏教と三夷教が禁止され、多くの聖職者・宣教者は還俗させられ、マニ教僧も多くの殉教者を出したことが、唐にあった日本の[[円仁]]の『[[入唐求法巡礼行記]]』に記されている<ref name=tonami/>。 [[回鶻]]([[ウイグル]])においては、8世紀後半の3代[[牟羽可汗]]時代にマニ教が国教とされるほどの隆盛と国家的保護を得た。やがて反マニ教勢力の巻き返しにより弾圧されたが、8世紀末から9世紀初頭の7代[[懐信可汗]]によって再び国教化された。しかしその後、イラン・[[アフガニスタン]]に続いて、ウイグルでもイスラム化が進み、14世紀後半の[[ティムール]]による[[ティムール朝]]建国以降は中央アジアのイスラム化はさらに進行した。 [[三武一宗の法難]](会昌の廃仏)後の[[五代十国時代]]から[[宋 (王朝)|宋]]において、マニ教は仏教・道教の一派として流布し続けた。[[歴史小説]]『[[水滸伝]]<ref group="注">[[施耐庵]]あるいは[[羅貫中]]による明代の[[伝奇]]的歴史小説。「[[中国四大奇書]]」の一つ。</ref>』の舞台となった[[北宋]]の「[[方臘の乱]]」の首謀者[[方臘]]はマニ教徒だったとも言われる。マニ教は、弾圧のなかで[[呪術]]的要素を強め、取り締まりに手を焼く権力者から「魔教」とまで称された。官憲によるマニ教取り締まりはしばしば江南地方や[[四川省|四川]]でなされ、その中でマニ教信者は「喫菜事魔の輩」(「菜食で魔に仕える輩」の意)とも呼ばれた。 宗教に寛容な[[元 (王朝)|元朝]]のもとでは、明教(マニ教)が復興し、福建省[[泉州市|泉州]]と[[浙江省]][[温州市|温州]]を中心に教勢を拡げた。明教と[[弥勒菩薩|弥勒]]信仰が習合した[[白蓮教]]は、元末に[[紅巾の乱]]を起こし、その指導者[[朱元璋]]が建てた[[明]]の国号は「明教」に由来したとも言われる。しかし明が安定期に入ると、マニ教は危険視されて弾圧された。[[15世紀]]には教勢衰退が著しかったが、[[秘密結社]]を通じて[[19世紀]]末まで受け継がれた。[[1900年]]の北清事変([[義和団の乱]])の契機となった排外主義的な拳闘集団である義和団なども、そうした秘密結社の一つと言われる。 [[ファイル:Jinjiang Cao'an 20120229-10.jpg|right|thumb|280px|現存する唯一のマニ教寺院と目される[[晋江市]](福建省)の草庵摩尼教寺 ---- 仏教に仮託された女神マニ(摩尼光仏)が祀られている]] なお、[[藤原道長]]『[[御堂関白記]]』など、日本の古代・中世における[[日記]]の[[具注暦]]に[[日曜日]]を「密」と記すのは、マニ教信者が日曜日を聖なる日として断食日にあてた[[暦法]]が日本にまで至ったことの証左であると言われる<ref name=tonami/>。 === 現代明教 === * 福建省[[晋江市]] - 元代([[1339年]])に建立された[[草庵摩尼教寺]]が現存し、中国政府により[[全国重点文物保護単位|国家重要文化財]](「全国重点文物」)に指定されている。同寺では、「家内安全」「商売繁盛」の[[札]]が売られ、旧暦4月16日には摩尼光仏(マニ)の聖誕祭が行われている。本来のマニ教から逸脱した面もあるが、マニへの供え物に[[食肉|肉]]を用意しない、原人が変形した「明使」の存在など、かろうじてマニ教の原形を留めていると言われる * 福建省[[霞浦県]]上万村 - 孫綿なる人物がこの村に住む林一族の第8世の5男・林瞪(1003~59年)に明教を伝え、林瞪が一族中興の祖の祖として代々村でまつられた。そのため、この村はマニ教村であるといわれる。ただし、この村を訪れた[[青木健 (宗教学者)|青木健]]は、そこに西方にみられるマニ教的な要素は見られず、中国的先祖崇拝の対象がたまたま明教徒だっただけではないかと考察している<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/59948 |title=中国・福建省の「マニ教村」を、マニ教研究者が訪ねてみた|accessdate=2020-03-19}}</ref> == 研究史 == [[20世紀]]まで、マニとマニ教に関する信頼できる[[情報]]は少なかった。前近代における利用可能なものとしては以下の資料が知られていた<ref name="iranica">{{cite encyclopedia|first=W. |last=Sundermann |url=http://www.iranica.com/articles/fehrest#iii |title=Al-Fehrest, iii. Representation of Manicheism.|encyclopedia=Encyclopedia Iranica|date=1999|accessdate=2017-08-31}}</ref>。 * {{仮リンク|ヘゲモニウス|en|Hegemonius}}『Acta Archelai』(4世紀) - 反マニ教の立場からのマニ批判 * {{仮リンク|テオドーロス・バル・コーナイ|en|Theodore Bar Konai|label=}}『{{lang|la|Scholia}}』(8世紀) - [[ネストリウス派]]の立場からマニ教の宇宙論に関する解説 * [[イブン・アン=ナディーム|イブン・アン=ナディーム]]『[[フィフリスト]]』(10世紀) - バグダードの書籍商によるマニの生涯とその教説に関する解説 [[1904年]]・[[1905年]]、中国北西部[[トルファン]](現[[新疆ウイグル自治区]])で[[アルベルト・グリュンヴェーデル]]率いる[[ドイツ]]の探検隊によりマニ教寺院・写本・[[壁画]]などの関連資料が多数発見され、研究が進んだ。トルファンではマニ教の[[イラン語]][[文献]]が発見され、高昌ではフレスコ画によるマニ肖像壁画も残っている<ref name=lar/>。[[1906年]]以降は上述のポール・ペリオが[[トルキスタン]]を訪れ、マニ教文献含む数多くの文献をフランスにもたらした。 [[1931年]]、エジプトの[[マディーナト・アル=マーディー|マディーナト・アル=マーディー]]でマニ教の[[パピルス]]製[[コプト語]]蔵書が見つかった<ref name=lar/>。この中には、マニの生涯と教義を要約した『ケファライア』の一部が含まれている<ref name=lar/>。 [[1969年]]、[[上エジプト]]で、西暦[[400年]]頃に属する[[羊皮紙]]に[[古代ギリシア語]]で書かれた[[写本]]が発見された。それは現在、ドイツの[[ケルン大学]]([[ノルトライン=ヴェストファーレン州]][[ケルン|ケルン市]])に保管され、「{{仮リンク|ケルンのマニ写本|en|Cologne Mani-Codex}}」と呼ばれる。この写本は、マニの経歴・[[思想]]の発展を叙述する聖人伝で、マニの教義に関する情報と彼自身の書いた著作の断片を含む。 現在では、各国の研究者が[[国際マニ教学会]]を結成し、共同研究や情報交換がおこなわれている。 {{Wide image|摩尼教文獻.jpg|1000px|漢字によるマニ教文献、紙本、巻軸。 ---- 尺寸:26cm x 150cm, 年代:唐 [[開元]]19年(西暦[[731年]]) }} ==日本におけるマニ教資料== ===宇宙図=== [[ファイル:Yüen dynasty Manichaean diagram of the Universe.jpg|thumb|right|220px|『{{仮リンク|マニ教宇宙図|label=宇宙図|en|Manichaean Diagram of the Universe}}』:マニ教の[[宇宙論]]]] マニ教の[[宇宙観]]は、[[天]]十層と[[大地]]八層からなり、布教にあたって[[経典]]のほか、これを図示した『宇宙図(アールダハング)およびその註釈』も使用していた。 『宇宙図』は散逸していたが、[[2010年]]、[[元 (王朝)|元]]代前後に描かれたとみられる『{{仮リンク|マニ教宇宙図|label=宇宙図|en|Manichaean Diagram of the Universe}}』が[[日本]]で発見された<ref name=47news>{{Cite news |url=http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092601000366.html |title=国内にマニ教「宇宙図」 世界初、京大教授ら確認 |date=2010-09-26 |newspaper=47NEWS |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130615215517/http://www.47news.jp:80/CN/201009/CN2010092601000366.html |archivedate=2013-06-15}}</ref>。これは、[[京都大学]]大学院文学研究科行動文化学専攻言語学専修の教授[[吉田豊 (言語学者)|吉田豊]](現・名誉教授)らの調査によるもので、世界で初めてマニ教の宇宙図がほぼ完全な形で確認され、極めて貴重な発見として国際的に高い評価を受けた<ref name=47news/>。 ==マニ肖像画== 13世紀から14世紀にかけて中国で描かれたマニの肖像画が近年日本で発見され、[[藤田美術館]]に収蔵されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM4Z3GLSM4ZPTFC005.html|title=収蔵庫に眠る地蔵菩薩絵画、実はマニ教創始者像 奈良博|website=asahi.com|accessdate=2021-01-14}}</ref>。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Reflist|group="注"}} ===出典=== {{Reflist|2}} ==参考文献== *{{Cite book|和書|author=|chapter=|editor1-first=|editor1-last=東京国立博物館|editor1-link=東京国立博物館|editor2-first=|editor2-last=京都国立博物館|editor2-link=京都国立博物館|editor3-first=|editor3-last=朝日新聞社編集|editor3-link=朝日新聞社|year=1991|month=|title=「ドイツ・トゥルファン探検隊 西域美術展」図録|series=|publisher=|isbn=|ref=図録}} *{{Cite book|和書|author=岩村忍|authorlink=岩村忍|chapter=|editor=|year=1975|month=1|title=世界の歴史5 西域とイスラム|series=中公文庫|publisher=中央公論社|isbn=|ref=岩村}} *{{Cite book|和書|author=上岡弘二|authorlink=上岡弘二|chapter=マニ教|editor=平凡社|editor-link=平凡社|year=1988|month=3|title=[[世界大百科事典]]27 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泉州歴史網-摩尼教(明教)](中国語) *{{Wayback|url=http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/yomimono/mani.html |title=中国におけるマニ教 |date=20060502114524}}{{リンク切れ|date=2019年4月25日 (木) 08:53 (UTC)}} {{Authority control}} {{デフォルトソート:まにきよう}} [[Category:マニ教|!]] [[Category:マニ (預言者)]] [[Category:グノーシス主義]] [[Category:イランの宗教]] [[Category:中東の宗教]] [[Category:中国の宗教]] [[Category:中央アジアの宗教]] [[Category:アジアの宗教]] [[Category:古代キリスト教の異端]]
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ザラスシュトラ
ザラスシュトラ(アヴェスタ語: Zaraθuštra、ペルシア語: زرتشت Zartošt、紀元前7世紀 - 没年不明)は、ゾロアスター教の開祖。古代アーリア人の宗教の神官。その生涯については謎が多い。ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、アフラ・マズダーとして唯一の崇拝対象とした。 日本語では英語名 "Zoroaster" の転写であるゾロアスターの名で知られるが、これは古代ギリシア語での呼称であるゾーロアストレース(Ζωροάστρης, Zōroastrēs)に由来する。また、フリードリヒ・ニーチェの著作『ツァラトゥストラはこう語った』と、同作に触発されてリヒャルト・シュトラウスが作曲した同名の交響詩の影響で、ドイツ語読みの「ツァラトゥストラ」 (Zarathustra) としても知られる。 ザラスシュトラはハエーチャスパ族の神官一族スピターマ家に生まれた。15歳で聖紐クスティーを身にまとい、「原イラン多神教」とも呼ばれる宗教の神官階級として教育を受けた。20歳のときに原イラン多神教に反旗を翻し、一族を離れて旅に出た。いたるところで原イラン多神教の神官たちから嫌われ、一箇所に定住することができず、部族から部族を行き巡ったという。 30代ごろにザラスシュトラは2人の妻を得て6人の子供に恵まれたが、原イラン多神教神官たちの妨害を受けて信徒獲得はできず出身部族を離れ、トゥーラーン人を布教対象にした。しかし彼らの王を怒らせ追放されてしまう。その後ライバルのマズダー教神官と対決したり、ダエーワを崇拝する王にアフラ・マズダーを崇拝するよう迫ったが10年余り信徒獲得はならなかった。 40歳の時、従兄マドヨーイモーンハが帰依してザラスシュトラは待望の弟子を得た。ここから彼の布教活動は好転し、続いて「スィースターンの賢者」サエーナーが100人の弟子を引き連れてザラスシュトラの教団に加わった。 42歳の時、オラナタ族の王カウィ・ウィーシュタースパによって取り立てられ、世俗権力の後ろ盾を得た。これによって原イラン多神教の神官団は追放され、ザラスシュトラは生活の糧と宗教権力を手に入れた。さらにザラスシュトラは宰相フラシャオシュトラ・フォーグマの娘を娶り、フラシャオシュトラの弟ジャーマースパ・フォーグマに自分の娘を嫁がせ、権力基盤を固めた。このようにして行われたザラスシュトラの「宗教改革」によって、新たに倫理観に裏付けされた二元論・終末論を軸とした一神教的な「原ゾロアスター教」と呼ばれる信仰体系が誕生した。周辺の部族はオラナタ族が怪しげな新興宗教に改宗したことに反発し、何度か戦争が行われたが、オラナタ族が勝利してザラスシュトラの正しさが証明されたとされる。その後、ザラスシュトラは礼拝中に暗殺されたとも伝えられている。既存の宗教・政治勢力を覆したため恨みを買う要素は大いにあったと思われる。ザラスシュトラの死後も教団は世俗権力の後ろ盾のもと、娘婿のジャーマースパに引き継がれた。ジャーマースパは原ゾロアスター教の急進的な教義をより原イラン多神教寄りに修正した。 ザラスシュトラがいつどこで生まれたのか詳細は分かっていない。ナポリ大学教授ラルド・ニョリは伝承からザラスシュトラの在世年代は紀元前620年 - 紀元前550年であると想定した。また、アヴェスター語が古層から新層への発展にどれだけの歳月を要したのか、アヴェスター語とサンスクリット語の発展にどれほど対応関係があったのかという非常に曖昧な手掛かりから紀元前1700年~紀元前1000年のいずれかに生きていたとする説もあるが、誇大に遡る詩人の説などは現在の歴史学者によって否定されており、紀元前650~600年ごろが有力視されている。 古代ギリシア人は、アケメネス朝ペルシアを通じてザラスシュトラの名を知り、ザラスシュトラの記録を残した。その中では、彼らの時代よりも5千年以上過去の人物であるとされるなど、神話的に把握されていた。従って、古代ギリシアの文献記録の記述は歴史上のザラスシュトラについて正確とは言い難い。ただし、紀元前4世紀頃には既にこのような伝承が存在していたことを確認できるという点では史料価値がある。ザラスシュトラが何者であったのかは完全に不明であり、伝説の人物となっている。ギリシャの歴史家の著述の中には、紀元前6000年以上遡るバビロンでピュタゴラスに秘教を伝授したなどの説もある。とにかく、ザラスシュトラをヤーウェよりも前に生まれた人物であると決めつける研究が行われていた。 ザラスシュトラの故郷については以下の説がある。 ザラスシュトラ本来の教えは、イランの神話的聖典『アヴェスター』内の「ガーサー(英語版)(韻文讃歌)」部分の記述が近いと考えられる。しかしガーサーに使われたガーサー語は非常に難解で、現代では『リグ・ヴェーダ』を参考になんとか意味を割り出せる程度にしか解読できていない(そもそもガーサー語は宗教言語であり、ザラスシュトラ自身はソグド語の祖語を母語としていたという説もある)。 一神教を最初に提唱したともいわれるが、ガーサーには「アフラ・マズダーとほかのアフラたち」という表現も見られ、唯一神の存在を主張していたわけではない。またセム的一神教と異なり超越的な神が預言者を通じて人類にメッセージを送ることはなく、人間がアフラ・マズダーに呼びかけるために聖呪を用いる構造となっている。 また、ガーサーは本来呪文に過ぎず、後代の編集によって一定の世界観が作り出されていると推定されている。 ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、アフラ・マズダーとして唯一の崇拝対象とした。また、アフラ・マズダーは宇宙に秩序をもたらそうと努力していると説き、これが後に二元論に発展した。また、アフラ神群の神々を天使とし、ダエーワ神群を悪魔とみなした。 ゾロアスター教の衰退後、ザラスシュトラへの崇敬はイスラム教徒に引き継がれた。ゾロアスター教の教義とは別の隠された「光の叡智」を唱えた神秘的な存在として、大いにイスラム教徒たちの間で尊敬された。この虚構のイメージは東ローマ帝国やルネサンス期の西ヨーロッパに伝わった。 ルネサンス期、新プラトン主義者にとっては、ゾロアスターはプラトン主義哲学とキリスト教信仰の源流となる人物であるとされた。さらに2世紀の偽書もゾロアスターの著作とされたことで、「バビロニア占星術の大家、プラトン主義哲学の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」という荒唐無稽なイメージが付与されることとなった。このようにオカルト化されたゾロアスター像は肥大化し、様々な知識の最高の体現者とみなされ、人智学にも影響を与えた。18世紀、パールシーたちの伝えてきた文献がヨーロッパにもたらされたことで、知識人たちはゾロアスターの叡智が垣間見えると期待したが、そこには古代の呪文しか書かれていなかった。これによりザラスシュトラの実像に迫ることができるようになったが、その後もゾロアスター像は変遷を遂げ、フリードリヒ・ニーチェが自著『ツァラトゥストラはこう語った』に自らの思想を仮託したり、ナチスがアーリア民族の偉人として位置づけるなど、様々な立場から利用された。これらの見方は日本人のザラスシュトラに対するイメージに大きな影響を与えている。
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ザラスシュトラは、ゾロアスター教の開祖。古代アーリア人の宗教の神官。その生涯については謎が多い。ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、アフラ・マズダーとして唯一の崇拝対象とした。 日本語では英語名 "Zoroaster" の転写であるゾロアスターの名で知られるが、これは古代ギリシア語での呼称であるゾーロアストレースに由来する。また、フリードリヒ・ニーチェの著作『ツァラトゥストラはこう語った』と、同作に触発されてリヒャルト・シュトラウスが作曲した同名の交響詩の影響で、ドイツ語読みの「ツァラトゥストラ」 (Zarathustra) としても知られる。
[[ファイル:Zoroaster - Page 567 of the 1849 Bombay Shahnama v2.jpg|サムネイル|306x306ピクセル|19世紀に[[ムンバイ]]で公刊された『[[シャー・ナーメ]]』に描かれたザラスシュトラ(左)]] '''ザラスシュトラ'''({{lang-ae|'''Zaraθuštra'''}}、{{lang-fa|'''زرتشت'''}} Zartošt、[[紀元前7世紀]] - 没年不明)は、[[ゾロアスター教]]の開祖。古代[[アーリア人]]の宗教の神官。その生涯については謎が多い。ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、[[アフラ・マズダー]]として唯一の崇拝対象とした。 日本語では英語名 "Zoroaster" の転写である'''ゾロアスター'''の名で知られるが、これは[[古代ギリシア語]]<!-- 古典期? -->での呼称である'''ゾーロアストレース'''(Ζωροάστρης, Zōroastrēs)に由来する。また、[[フリードリヒ・ニーチェ]]の著作『[[ツァラトゥストラはこう語った]]』と、同作に触発されて[[リヒャルト・シュトラウス]]が作曲した[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|同名の交響詩]]の影響で、ドイツ語読みの「ツァラトゥストラ」 (Zarathustra) としても知られる。 == 経歴 == ザラスシュトラはハエーチャスパ族の神官一族スピターマ家に生まれた。15歳で聖紐クスティーを身にまとい、「原イラン多神教<ref name=ADACHI>[http://www.jswaa.org/jswaa/JWAA_08_2007_011-033.pdf 原イラン多神教と嘴形注口土器]</ref>」とも呼ばれる宗教の神官階級として教育を受けた。20歳のときに原イラン多神教に反旗を翻し、一族を離れて旅に出た。いたるところで原イラン多神教の神官たちから嫌われ、一箇所に定住することができず、部族から部族を行き巡ったという<ref name=AOKI38>{{Cite book |和書 |author=青木健|authorlink=青木健 (宗教学者) |year=2008 |month=3 |title=ゾロアスター教 |publisher=[[講談社]] |series=講談社選書メチエ |isbn=4062584085 |ref=青木 }} 38-40ページ。</ref><ref>[[青木健 (宗教学者)|青木健]]『新ゾロアスター教史』([[刀水書房]]、2019年)24ページ。</ref>。 30代ごろにザラスシュトラは2人の妻を得て6人の子供に恵まれたが、原イラン多神教神官たちの妨害を受けて信徒獲得はできず出身部族を離れ、トゥーラーン人を布教対象にした。しかし彼らの王を怒らせ追放されてしまう。その後ライバルのマズダー教神官と対決したり、[[ダエーワ]]を崇拝する王にアフラ・マズダーを崇拝するよう迫ったが10年余り信徒獲得はならなかった<ref>前掲『新ゾロアスター教史』26-29ページ</ref>。 40歳の時、従兄マドヨーイモーンハが帰依してザラスシュトラは待望の弟子を得た。ここから彼の布教活動は好転し、続いて「スィースターンの賢者」サエーナーが100人の弟子を引き連れてザラスシュトラの教団に加わった<ref>前掲『新ゾロアスター教史』30ページ</ref>。 42歳の時、オラナタ族の王カウィ・ウィーシュタースパによって取り立てられ、世俗権力の後ろ盾を得た。これによって原イラン多神教の神官団は追放され、ザラスシュトラは生活の糧と宗教権力を手に入れた。さらにザラスシュトラは宰相フラシャオシュトラ・フォーグマの娘を娶り、フラシャオシュトラの弟ジャーマースパ・フォーグマに自分の娘を嫁がせ、権力基盤を固めた<ref name=AOKI38/>。このようにして行われたザラスシュトラの「宗教改革」によって、新たに倫理観に裏付けされた二元論・終末論を軸とした一神教的な「原ゾロアスター教」と呼ばれる信仰体系が誕生した<ref name=ADACHI/>。周辺の部族はオラナタ族が怪しげな新興宗教に改宗したことに反発し、何度か戦争が行われたが、オラナタ族が勝利してザラスシュトラの正しさが証明されたとされる。その後、ザラスシュトラは礼拝中に暗殺されたとも伝えられている。既存の宗教・政治勢力を覆したため恨みを買う要素は大いにあったと思われる。ザラスシュトラの死後も教団は世俗権力の後ろ盾のもと、娘婿のジャーマースパに引き継がれた。ジャーマースパは原ゾロアスター教の急進的な教義をより原イラン多神教寄りに修正した<ref name=AOKI38/>。 == 年代と地域の比定 == ザラスシュトラがいつどこで生まれたのか詳細は分かっていない。[[ナポリ大学]]教授ラルド・ニョリは伝承からザラスシュトラの在世年代は紀元前620年 - 紀元前550年であると想定した。また、[[アヴェスター語]]が古層から新層への発展にどれだけの歳月を要したのか、アヴェスター語と[[サンスクリット語]]の発展にどれほど対応関係があったのかという非常に曖昧な手掛かりから紀元前1700年~紀元前1000年のいずれかに生きていたとする説もある<ref>前掲『新ゾロアスター教史』17-18ページ</ref>が、誇大に遡る詩人の説などは現在の歴史学者によって否定されており、紀元前650~600年ごろが有力視されている。 ===古代の研究=== 古代ギリシア人は、[[アケメネス朝]][[ペルシア]]を通じてザラスシュトラの名を知り、ザラスシュトラの記録を残した。その中では、彼らの時代よりも5千年以上過去の人物であるとされるなど、神話的に把握されていた。従って、[[古代ギリシア]]の文献記録の記述は歴史上のザラスシュトラについて正確とは言い難い。ただし、紀元前4世紀頃には既にこのような伝承が存在していたことを確認できるという点では史料価値がある。ザラスシュトラが何者であったのかは完全に不明であり、伝説の人物となっている。[[ギリシャ]]の歴史家の著述の中には、紀元前6000年以上遡る[[バビロン]]で[[ピュタゴラス]]に秘教を伝授したなどの説もある。とにかく、ザラスシュトラをヤーウェよりも前に生まれた人物であると決めつける研究が行われていた。 ===故郷=== ザラスシュトラの故郷については以下の説がある<ref>前掲『新ゾロアスター教史』18-21ページ</ref>。 * [[バクトリア]] - [[ギリシア語]]文献による。19世紀の有力説 * [[アゼルバイジャン]]-[[テヘラン]]間 - [[パフレヴィー語]]文献による * [[ホラズム]] - [[言語学]]的見地から(後に否定) * [[スィースターン・バルーチェスターン州|スィースターン]] - [[アヴェスター]]の記述から推定 * [[カザフステップ]] - アヴェスターの記述から推定 * [[タジキスタン]]東部 - アヴェスターの記述から推定 == 教え == {{See also|ゾロアスター教}} ザラスシュトラ本来の教えは、[[イラン]]の神話的聖典『[[アヴェスター]]』内の「{{仮リンク|ガーサー|en|Gathas}}(韻文讃歌)」部分の記述が近いと考えられる。しかしガーサーに使われた[[ガーサー語]]は非常に難解で、現代では『[[リグ・ヴェーダ]]』を参考になんとか意味を割り出せる程度にしか解読できていない(そもそもガーサー語は宗教言語であり、ザラスシュトラ自身は[[ソグド語]]の祖語を母語としていたという説もある)<ref>前掲『新ゾロアスター教史』36ページ</ref>。 [[一神教]]を最初に提唱したともいわれるが、ガーサーには「アフラ・マズダーとほかのアフラたち」という表現も見られ、唯一神の存在を主張していたわけではない。また[[セム]]的一神教と異なり超越的な神が預言者を通じて人類にメッセージを送ることはなく、人間がアフラ・マズダーに呼びかけるために聖呪を用いる構造となっている<ref>前掲『新ゾロアスター教史』36-37ページ</ref>。 また、ガーサーは本来呪文に過ぎず、後代の編集によって一定の世界観が作り出されていると推定されている<ref>前掲『新ゾロアスター教史』37ページ</ref>。 ザラスシュトラはアフラ神群とマズダー(叡智)を結び付け、アフラ・マズダーとして唯一の崇拝対象とした。また、アフラ・マズダーは宇宙に秩序をもたらそうと努力していると説き、これが後に二元論に発展した。また、アフラ神群の神々を天使とし、[[ダエーワ]]神群を悪魔とみなした<ref>前掲『新ゾロアスター教史』37-42ページ</ref>。 == ザラスシュトラ伝説 == ゾロアスター教の衰退後、ザラスシュトラへの崇敬はイスラム教徒に引き継がれた。ゾロアスター教の教義とは別の隠された「光の叡智」を唱えた神秘的な存在として、大いにイスラム教徒たちの間で尊敬された。この虚構のイメージは東ローマ帝国や[[ルネサンス]]期の[[西ヨーロッパ]]に伝わった<ref>[[#青木|青木(2008)p.176-180]]</ref>。 [[Image:Sanzio 01 Zoroaster Ptolmey.jpg|thumb|300px|[[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]作『[[アテナイの学堂]]』(部分)。天空儀を持っている人物がザラスシュトラ]] ルネサンス期、[[ネオ・プラトニズム|新プラトン主義者]]にとっては、ゾロアスターは[[プラトン主義]]哲学とキリスト教信仰の源流となる人物であるとされた。さらに2世紀の偽書もゾロアスターの著作とされたことで、「[[バビロニア]]占星術の大家、プラトン主義哲学の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」という荒唐無稽なイメージが付与されることとなった。このようにオカルト化されたゾロアスター像は肥大化し、様々な知識の最高の体現者とみなされ、[[人智学]]にも影響を与えた。18世紀、パールシーたちの伝えてきた文献がヨーロッパにもたらされたことで、知識人たちはゾロアスターの叡智が垣間見えると期待したが、そこには古代の呪文しか書かれていなかった。これによりザラスシュトラの実像に迫ることができるようになったが、その後もゾロアスター像は変遷を遂げ、[[フリードリヒ・ニーチェ]]が自著『[[ツァラトゥストラはこう語った]]』に自らの思想を仮託したり、[[ナチス]]がアーリア民族の偉人として位置づけるなど、様々な立場から利用された。これらの見方は日本人のザラスシュトラに対するイメージに大きな影響を与えている<ref>[[#青木|青木(2008)p.188-199]]</ref>。 == 親族 == * ポルシュ・アスパ・スピターマ - 父 * ドゥグターウ - 母 * ラトゥシュタル - 兄 * ラングシュタル - 兄 * ワースリガー - 弟 * ハンダニシュ - 弟 * アーラーストヤ・スピターマ - 伯父(父の兄弟) * マドヨーイモーンハ・スピターマ - 従兄(アーラーストヤの息子) * アルワズ - 第1妻 ** イサトワーストラ - 長男 ** フルーニ - 長女 ** スリティ - 次女 ** ポルチスター - 三女。宰相ジャーマースパ・フォーグマ(後の教団後継者)と結婚 * 名称不明の第2妻 ** - ナワタトナラ - 次男 ** - ウルチフル - 三男 * フウォーウィー - 第3妻。フラシャオシュトラ・フォーグマ(ジャーマースパの兄)の娘 ** ウフシュヤト・エレタ ** ウフシュヤト・ネマフ ** サオシュヤント == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == * [[青木健 (宗教学者)|青木健]]『ゾロアスター教』[[講談社選書メチエ]]、ISBN 4062584085 * 青木健『ゾロアスター教史』[[刀水書房]]〈刀水歴史全書〉 **全面新版『新ゾロアスター教史』刀水歴史全書、ISBN 4887084501 === 関連文献 === * 野田恵剛訳『原典完訳 アヴェスタ ゾロアスター教の聖典』[[国書刊行会]]、2020年 * 青木健『ゾロアスター教の興亡』刀水書房 * [[伊藤義教]]『ゾロアスター研究』[[岩波書店]]、ISBN 4000012193 * 伊藤義教『ゾロアスター教論集』[[平河出版社]]、ISBN 4892033154 * [[岡田明憲]]『ゾロアスター教 神々への賛歌』平河出版社、ISBN 4892030538 * 岡田明憲『ゾロアスター教の悪魔払い』平河出版社、ISBN 4892030821 * 岡田明憲『ゾロアスターの神秘思想』 [[講談社現代新書]] * [[前田耕作]]『宗祖ゾロアスター』 [[ちくま新書]]/[[ちくま学芸文庫]]、ISBN 448008777X * P・R・ハーツ『ゾロアスター教』 奥西峻介訳、[[青土社]]〈シリーズ世界の宗教〉 * [[メアリー・ボイス]]『ゾロアスター教』 山本由美子訳、[[筑摩書房]]/[[講談社学術文庫]]、2010年、ISBN 406291980X * 山本由美子『マニ教とゾロアスター教』 [[山川出版社]]〈世界史リブレット〉、1998年 * [[フリードリヒ・ニーチェ]]『[[ツァラトゥストラはこう語った]]』 [[氷上英廣]]訳、[[岩波文庫]](全2巻) * ニーチェ『ツァラトゥストラ』 [[手塚富雄]]訳、[[中公文庫]]、改版2018年 * 『ツァラトゥストラ ニーチェ全集 9・10』 [[吉沢伝三郎]]訳、[[ちくま学芸文庫]] * ニーチェ『ツァラトゥストラ』 [[丘沢静也]]訳、[[光文社古典新訳文庫]](全2巻) * 村井則夫『ニーチェ ツァラトゥストラの謎』 [[中央公論新社]]〈[[中公新書]]〉、2008年 == 関連項目 == *[[枢軸時代]] * [[魔笛]](歌劇) * [[アーリア人]] * [[火炎崇拝]] * [[アトラ・ハシース|ジウスドラ]] * [[斎藤勇東大名誉教授惨殺事件]] {{デフォルトソート:さらすしゆとら}} {{Zoroastrianism long}} {{Authority control}} [[Category:ザラスシュトラ|*]] [[Category:イランの預言者]] [[Category:紀元前6世紀の哲学者]] [[Category:紀元前6世紀の宗教]] [[Category:ゾロアスター教]] [[Category:宗教・宗派の開祖]] [[Category:神話・伝説の人物]]
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10,018
情報科学
情報科学(じょうほうかがく、英語: computer and information science, computer science)とは「計算機による情報処理に関連する科学技術の一分野」を指す言葉であり、「計算機科学」や「情報工学」ともいう。または、情報科学(英: information science)は「情報の機能,構造,転送及び情報システムの管理に関する研究」を指す。 語感としては、情報工学が情報分野についての工学であるのに対し、情報科学は情報分野についての科学である。「情報工学」という語では「工学」的な分野に重心があるのに対し、「情報科学」ではもっぱらおおまかに「科学」という語が指す範囲となる。しかし実態としては、大学の工学部などで他の学科が「〜工学部」という名前であるから工学部のほうは「情報工学科」で、理学部のほうは「情報科学科」となっている、といった程度の使い分けということが多い(また、その教育内容としては、基本的にはどちらも同じように情報処理学会などの標準的カリキュラムに準拠しており、あるいは個々の所属教官の専攻内容に依るのであって、「工学」と「科学」の違いといったようなものはそれらの学科の間に基本的には存在しない)。 欧米の「information science」の訳語としての使用である。日本語では情報学とされることも多いようである。この周辺の語では、諸言語間で混乱が起きている。米国の図書館学(図書館情報学も参照)の研究者らが、日本では「情報学」と呼んでいる分野を指して"information science"と呼び始めたため、コンピュータ・サイエンス側では、日本では「情報科学」と呼んでいる分野を"informatics"(インフォマティクスを参照)と呼ぶようになった、というねじれがある。
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情報科学とは「計算機による情報処理に関連する科学技術の一分野」を指す言葉であり、「計算機科学」や「情報工学」ともいう。または、情報科学は「情報の機能,構造,転送及び情報システムの管理に関する研究」を指す。
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10,019
情報理論
情報理論(じょうほうりろん、英: Information theory)は、情報・通信を数学的に論じる学問である。応用数学の中でもデータの定量化に関する分野であり、可能な限り多くのデータを媒体に格納したり通信路で送ったりすることを目的としている。情報エントロピーとして知られるデータの尺度は、データの格納や通信に必要とされる平均ビット数で表現される。例えば、日々の天気が3ビットのエントロピーで表されるなら、十分な日数の観測を経て、日々の天気を表現するには「平均で」約3ビット/日(各ビットの値は 0 か 1)と言うことができる。 情報理論の基本的な応用としては、ZIP形式(可逆圧縮)、MP3(非可逆圧縮)、DSL(伝送路符号化)などがある。この分野は、数学、統計学、計算機科学、物理学、神経科学、電子工学などの交差する学際領域でもある。その影響は、ボイジャー計画の深宇宙探査の成功、CDの発明、携帯電話の実現、インターネットの開発、言語学や人間の知覚の研究、ブラックホールの理解など様々な事象に及んでいる。 情報理論の基本となる概念は人間のコミュニケーション手段として最も広く使われている「言語」である。言語に関する重要な2つの観点がある。第1に、最もよく使われる単語(例えば、「日」、「私」、「それ」)はそれほど使われない単語(例えば、「唯々諾々」、「開口一番」、「対馬海流」)よりも短く、結果として文はそれほど長くならない。このような単語長のトレードオフはデータ圧縮に通じるものがあり、情報源符号化の基盤となっている。第2に、自動車が通りかかったなどのノイズのために文の最初の方を聞き逃しても、聞いていた人はメッセージの言わんとするところを理解できる(場合もある)。そのような言語の堅牢性は電気通信システムの基本であり、通信におけるその種の堅牢性を構築するのが通信路符号化である。情報源符号化と通信路符号化は情報理論の基礎となる概念である。 情報源符号化と通信路符号化では、メッセージの内容の重要性を全く考慮していない。例えば、「またおいでください」という決まり文句と、緊急時の叫び「救急車を呼んでくれ!!」は長さは似たようなものだが、その内容の重要性はかなり異なる。情報理論では、メッセージの重要性や意味には立ち入らない。すなわち、データの質は扱わず、確率論的に扱えるデータの量だけを扱う。 情報理論は、1948年、クロード・シャノンが Bell System Technical Journal に投稿した論文 "A Mathematical Theory of Communication"(通信の数学的理論)を始まりとする。古典的情報理論の中心パラダイムは、ノイズの多い通信路上で情報を転送する際の技術的問題であった。最も基本的な成果はシャノンの情報源符号化定理であり、ある事象を表現するために必要となる平均「ビット」数はその情報エントロピーであるとされた。また、シャノンの通信路符号化定理では、ノイズの多い通信路で信頼できる通信を行えることが示され、その際の転送レートの上限を通信路容量と称した。実際の通信速度を通信路容量に近づけるには、適切な符号化が必要となる。 情報理論は、過去半世紀の間に工学の手法として定着するまでになった様々な分野と密接に関連している。それは、人工知能、複雑系、サイバネティックス、情報学、機械学習、システム工学などである。情報理論は数学理論としても深遠であり、その応用も幅広い。その中でも特に符号理論は広く応用されている。 符号理論は、具体的な「符号」の方式を確立する分野であり、効率を上げ、エラー発生率をシャノンが定式化した通信路容量のレベルに近づけることを研究する分野である。符号は、データ圧縮(情報源符号化)と誤り検出訂正(通信路符号化)が主要な技法である。後者については、シャノンの研究のとおりの方式が可能であると証明するまで長い年月を要した。情報理論の符号に関する第3の技法は暗号化アルゴリズムである。符号理論や情報理論の成果は暗号理論や暗号解読に広く応用されている。 情報理論は、情報検索、諜報活動、賭博、統計学、さらには作曲にまで使われている。 1948年6月と10月、クロード・シャノンは Bell System Technical Journal 誌で古典的論文 "A Mathematical Theory of Communication" を発表し、情報理論を学問分野として確立し、世界的な注目を浴びた。 この論文以前、ベル研究所で考えられていた情報の理論は限定的であり、あらゆる事象が同じ確率で発生することを暗黙の前提としていた。1924年、ハリー・ナイキストの論文 Certain Factors Affecting Telegraph Speed(テレグラフの速度を制限する要因)では、通信システムにおける「情報; intelligence」と「回線速度」の定量化に関する理論が述べられている。それによると、情報の転送速度 W は W = K log m {\displaystyle W=K\log m} で表され、m は選択可能な電圧レベル数、K はある定数である。1928年、ラルフ・ハートレーの論文 Transmission of Information(情報の伝送)では、測定可能な量として「情報; information」という用語が使われている。その中で情報の定量化は H = log S n = n log S {\displaystyle H=\log S^{n}=n\log S} で表され、S は文字の種類数、n は伝送された文字数であるとした。後に十進の情報量を表す単位をハートレー(Hartまたはhartley)と呼ぶようになった。1940年、アラン・チューリングは、第二次世界大戦時のドイツ軍の暗号統計解析の一部として同様の考え方を使った。 確率の異なる事象群を扱う情報理論の基礎となる数学は、ルートヴィッヒ・ボルツマンとウィラード・ギブスによる統計力学からもたらされた。情報理論におけるエントロピーと熱力学におけるエントロピーは単なる用語の類似以上の関連がある(ランダウアーの原理参照)。 シャノンの革新的論文については、ベル研究所での研究で1944年末ごろには実際の研究はほとんど済んでいた。シャノンの理論は情報理論の基礎となる静的プロセスとしての通信のモデルを提案し、論文冒頭で次のように表明している。 「通信の基本的課題は、ある地点で選択されたメッセージを正確または近似的に別の地点で再生することである」 それと共に次のような概念が提唱された。 情報の数学的理論は確率論と統計学に基づいている。最も重要な情報の定量的尺度はエントロピーと伝達情報量である。エントロピーは確率変数の情報の尺度であり、メッセージの圧縮しやすさの度合いである。伝達情報量は2つの確率変数間に共通する情報の尺度であり、通信路における通信速度を決定するのに使われる。 以下の式に出てくる対数の底は、情報エントロピーの単位を決定するのに使われる。現在最も一般に使われている情報の単位はビットであり、2を底とする対数に基づいている。そのため通常、底は 2 とみなされる。さらに、通常定義されない 0 log 0 {\displaystyle 0\log 0\,} を 0 とする。 離散確率変数 M {\displaystyle M} のエントロピー H {\displaystyle H} とは、 M {\displaystyle M} の値の不確かさの尺度である。ここでの「ビット」の定義は重要である。例えば、通常の感覚(0 と 1)で 1000 ビットを転送するとしよう。事前にそのビット群の内容(0 と 1 の送信順序)がわかっている場合、論理的には通信によって得られる情報はゼロである。逆に個々のビットが 0 なのか 1 なのか五分五分の確率であった場合(かつビット間に相互の関連が存在しない場合)、1000 ビットで得られる情報は最大となる。これらの中間で、情報の定量化は次のように表される。 M {\displaystyle \mathbb {M} \,} を確率変数 M {\displaystyle M} の発するメッセージ m {\displaystyle m} の集合とし、 p ( m ) = P r ( M = m ) {\displaystyle p(m)=Pr(M=m)} としたとき、 M {\displaystyle M} のエントロピーは次のようになる(単位はビット)。 エントロピーの重要な特徴として、メッセージ空間内の全メッセージが全て同じ確率でありうる場合に(つまり最も予測が難しい場合)、エントロピー値が最大の H ( M ) = log | M | {\displaystyle H(M)=\log |\mathbb {M} |} となる。 関数 H を確率分布で表すと次のようになる: これの重要かつ特殊な場合を2値エントロピー関数と呼び、次のようになる: 2つの離散確率変数 X {\displaystyle X} と Y {\displaystyle Y} の結合エントロピーとは、単にその組 ( X , Y ) {\displaystyle (X,Y)} のエントロピーである。例えば、 ( X , Y ) {\displaystyle (X,Y)} がチェスの駒の位置を表すとする。 X {\displaystyle X} が行、 Y {\displaystyle Y} が列を表すとすると、その結合エントロピーとは、駒の位置のエントロピーを表す。数学的には次のようになる。 X {\displaystyle X} と Y {\displaystyle Y} が独立なら、結合エントロピーは単純に個々のエントロピーの総和となる。類似の概念として交差エントロピーがあるが、違うものである。 Y = y {\displaystyle Y=y} のときの X {\displaystyle X} の条件付きエントロピーとは、 Y = y {\displaystyle Y=y} が既知であるときの X {\displaystyle X} のエントロピーである。前述の例で言えば、列が決まっているときの駒の行位置のエントロピーとなる。 Y = y {\displaystyle Y=y} のときの X {\displaystyle X} の条件付きエントロピーは次のようになる: ここで p ( x | y ) {\displaystyle p(x|y)} は、ある y {\displaystyle y} に関する x {\displaystyle x} の条件付き確率である。 確率変数 Y {\displaystyle Y} における X {\displaystyle X} の条件付きエントロピーとは、 Y {\displaystyle Y} についての平均条件付きエントロピーであり、次のようになる: これを Y {\displaystyle Y} に関する X {\displaystyle X} のあいまい度とも呼ぶ。このように条件付きエントロピーには、確率変数についての定義と、それが特定の値の場合の定義があるので、混同しないこと。これらのエントロピーには次の関係が成り立つ。 もう1つの重要な情報の尺度として伝達情報量(相互情報量とも呼ぶ)がある。これは、ある確率変数を観測することによって別の確率変数について得られる情報量の尺度である。これは通信において重要な概念であり、妥当な通信量を決定するのに使われる。 Y {\displaystyle Y} との関連での X {\displaystyle X} の伝達情報量(概念的には Y {\displaystyle Y} を観測することで得られる X {\displaystyle X} に関する情報量を意味する)は次のように表される: 伝達情報量の基本特性は次の式で表される: この意味は、Y を知っていれば、知らない場合よりも X の符号化で平均して I ( X ; Y ) {\displaystyle I(X;Y)} ビット節約できることを意味する。伝達情報量は対称的であるため、次のようにも表せる: 関連する尺度として、自己情報量、自己相互情報量(PMI)、カルバック・ライブラー情報量、差分エントロピーなども情報理論では重要である。 イーサネットなどの通信路上の通信が情報理論構築の主な動機である。電話を使ったことのある人なら誰でも経験することだが、そのような通信路では正確な信号の再現に失敗することもよくあり、ノイズや一時的な信号の途絶などにより信号が識別不能となることがある。そのようなノイズの多い通信路でどれだけの情報を伝えることが期待できるだろうか? 離散的な通信路による通信を考える。X を転送されるメッセージの集合とし、Y をある一定時間内にその通信路経由で受信したメッセージの集合とする。ここで、 p ( y | x ) {\displaystyle p(y|x)} を x が送信されたときに y が受信される条件付き確率の分布関数とする。ここで、 p ( y | x ) {\displaystyle p(y|x)} がその通信路に固有の属性であるとする(この通信路のノイズの性質を表している)。この通信路での X と Y の同時分布は、我々がこの通信路に送り出すメッセージの周辺分布 f ( x ) {\displaystyle f(x)} から求められる。この条件で通信できる情報量を最大化したい。この尺度となるのが伝達情報量であり、伝達情報量の最大値を通信路容量と呼んで次の式で表す: 通信路容量は情報レート R(ここで R は記号ごとのビット数)による通信と次のような関係がある。R < C であるような情報レートで符号誤り率 ε > 0 である場合、十分大きな数 N について、コードの長さが N で情報レートが R 以上かつ誤り率が ε 以下となるような符号化アルゴリズムが存在し、非常に低い誤り率で通信を行える可能性がある。さらに R > Cであるような情報レートでは、低い誤り率で通信を行うことは不可能である。 逐次的にメッセージを生成するプロセスは情報源と見なすことができる。メモリを持たない情報源の発するメッセージは互いに独立で同一の分布に従う確率変数であり、エルゴード性と定常性が特徴である。そのような情報源は常に確率的である。これらの用語は情報理論以外でよく研究されている。 情報レート (rate) とは、記号ごとの平均エントロピーである。メモリを持たない情報源では、これは単に各記号のエントロピーを表すが、一般に次のような式で表される: 正確に言えば、これは単位時間当たりの期待される条件付きエントロピーであり、それまでに生成されたメッセージ群から得られる。情報理論では、言語の「レート」や言語の「エントロピー」を扱うのも特別なことではない。例えば、ソースが英語の散文であった場合などにそのような言い方が出てくる。メモリのない情報源の情報レートは単に H ( M ) {\displaystyle H(M)} となる。これは、メモリのない情報源では、それまでのメッセージ群と次のメッセージとの間に理論上何も関係がないためである。情報源の情報レートは、冗長性と圧縮の程度に関係する。 符号理論は、情報理論の中でも最も重要かつ直接的な応用分野である。その領域は、情報源符号化理論(データ圧縮)と通信路符号化理論(誤り検出訂正)に大別される。データの統計的記述を用いて、符号化に必要とされるビット数(情報源の情報エントロピー)を定量化する。 圧縮と転送に関する符号理論は情報理論に裏打ちされている。ただし、それは1対1の通信に関してのみである。発信者が複数の場合(複数アクセス通信路)、受信者が複数の場合(同報通信路)、仲介者がいる場合(リレー通信路)、それらの複合であるコンピュータネットワークなどについて、転送後の圧縮は最適とは言えないかもしれない。このようなマルチエージェント通信モデルを扱うのはネットワーク情報理論 (Network Information Theory) である。 情報理論の概念は、暗号理論や暗号解読でも広く使われている。シャノン自身、現在では判別距離と呼ばれている暗号理論上重要な概念を定義した。平文の冗長性に基づき、暗号文の復号で平文が一意に定まるのに必要な暗号文の量の下限を定めるものである。 シャノンの情報理論は、暗号理論での利用が示すよりずっと重要である。諜報機関は機密情報の保持に情報理論を応用し、常により安全な方法で敵に関する情報を最大限引き出そうとしている。シャノン・ハートレイの定理は、情報を秘密にしておく困難さを示している。一般に機密情報の漏洩を完全に防ぐことは不可能であり、ただ漏洩の速度を遅くできるだけである。さらに、ある情報に触れる人間が多ければ多いほど、その情報の冗長性は増していく。そして、冗長性の高い情報を封じ込めることは極めて困難である。このような機密情報の避けられない漏洩は、人々が何かを知ることでその振る舞いに影響が出てしまうという心理学的事実によるものである。 情報理論の応用例として、GPSの符号化方式での信号隠蔽がある。このシステムでは擬似乱数を使って信号をノイズフロアのレベル以下に抑えている。そのため、一般の電波受信者は信号があることにさえ気づかないが、秘密の擬似乱数列を使ってある期間の信号を積分することで信号を検出できる。GPSシステムでは、C/A信号は一般に公開されているが、P(Y)信号に使われている擬似乱数列は秘密とされている。同様の手法は短距離の秘密通信にも使われており、低電力で敵に気づかれずに通信が可能である。これはステガノグラフィーの一種とも言える。また、スペクトラム拡散通信も参照されたい。 情報理論のその他の応用として、ギャンブルや投資への応用、知覚のメカニズムを解明する認知心理学、ブラックホールと情報のパラドックス、バイオインフォマティクス、音楽などがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "情報理論(じょうほうりろん、英: Information theory)は、情報・通信を数学的に論じる学問である。応用数学の中でもデータの定量化に関する分野であり、可能な限り多くのデータを媒体に格納したり通信路で送ったりすることを目的としている。情報エントロピーとして知られるデータの尺度は、データの格納や通信に必要とされる平均ビット数で表現される。例えば、日々の天気が3ビットのエントロピーで表されるなら、十分な日数の観測を経て、日々の天気を表現するには「平均で」約3ビット/日(各ビットの値は 0 か 1)と言うことができる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "情報理論の基本的な応用としては、ZIP形式(可逆圧縮)、MP3(非可逆圧縮)、DSL(伝送路符号化)などがある。この分野は、数学、統計学、計算機科学、物理学、神経科学、電子工学などの交差する学際領域でもある。その影響は、ボイジャー計画の深宇宙探査の成功、CDの発明、携帯電話の実現、インターネットの開発、言語学や人間の知覚の研究、ブラックホールの理解など様々な事象に及んでいる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "情報理論の基本となる概念は人間のコミュニケーション手段として最も広く使われている「言語」である。言語に関する重要な2つの観点がある。第1に、最もよく使われる単語(例えば、「日」、「私」、「それ」)はそれほど使われない単語(例えば、「唯々諾々」、「開口一番」、「対馬海流」)よりも短く、結果として文はそれほど長くならない。このような単語長のトレードオフはデータ圧縮に通じるものがあり、情報源符号化の基盤となっている。第2に、自動車が通りかかったなどのノイズのために文の最初の方を聞き逃しても、聞いていた人はメッセージの言わんとするところを理解できる(場合もある)。そのような言語の堅牢性は電気通信システムの基本であり、通信におけるその種の堅牢性を構築するのが通信路符号化である。情報源符号化と通信路符号化は情報理論の基礎となる概念である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "情報源符号化と通信路符号化では、メッセージの内容の重要性を全く考慮していない。例えば、「またおいでください」という決まり文句と、緊急時の叫び「救急車を呼んでくれ!!」は長さは似たようなものだが、その内容の重要性はかなり異なる。情報理論では、メッセージの重要性や意味には立ち入らない。すなわち、データの質は扱わず、確率論的に扱えるデータの量だけを扱う。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "情報理論は、1948年、クロード・シャノンが Bell System Technical Journal に投稿した論文 \"A Mathematical Theory of Communication\"(通信の数学的理論)を始まりとする。古典的情報理論の中心パラダイムは、ノイズの多い通信路上で情報を転送する際の技術的問題であった。最も基本的な成果はシャノンの情報源符号化定理であり、ある事象を表現するために必要となる平均「ビット」数はその情報エントロピーであるとされた。また、シャノンの通信路符号化定理では、ノイズの多い通信路で信頼できる通信を行えることが示され、その際の転送レートの上限を通信路容量と称した。実際の通信速度を通信路容量に近づけるには、適切な符号化が必要となる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "情報理論は、過去半世紀の間に工学の手法として定着するまでになった様々な分野と密接に関連している。それは、人工知能、複雑系、サイバネティックス、情報学、機械学習、システム工学などである。情報理論は数学理論としても深遠であり、その応用も幅広い。その中でも特に符号理論は広く応用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "符号理論は、具体的な「符号」の方式を確立する分野であり、効率を上げ、エラー発生率をシャノンが定式化した通信路容量のレベルに近づけることを研究する分野である。符号は、データ圧縮(情報源符号化)と誤り検出訂正(通信路符号化)が主要な技法である。後者については、シャノンの研究のとおりの方式が可能であると証明するまで長い年月を要した。情報理論の符号に関する第3の技法は暗号化アルゴリズムである。符号理論や情報理論の成果は暗号理論や暗号解読に広く応用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "情報理論は、情報検索、諜報活動、賭博、統計学、さらには作曲にまで使われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1948年6月と10月、クロード・シャノンは Bell System Technical Journal 誌で古典的論文 \"A Mathematical Theory of Communication\" を発表し、情報理論を学問分野として確立し、世界的な注目を浴びた。", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "この論文以前、ベル研究所で考えられていた情報の理論は限定的であり、あらゆる事象が同じ確率で発生することを暗黙の前提としていた。1924年、ハリー・ナイキストの論文 Certain Factors Affecting Telegraph Speed(テレグラフの速度を制限する要因)では、通信システムにおける「情報; intelligence」と「回線速度」の定量化に関する理論が述べられている。それによると、情報の転送速度 W は W = K log m {\\displaystyle W=K\\log m} で表され、m は選択可能な電圧レベル数、K はある定数である。1928年、ラルフ・ハートレーの論文 Transmission of Information(情報の伝送)では、測定可能な量として「情報; information」という用語が使われている。その中で情報の定量化は H = log S n = n log S {\\displaystyle H=\\log S^{n}=n\\log S} で表され、S は文字の種類数、n は伝送された文字数であるとした。後に十進の情報量を表す単位をハートレー(Hartまたはhartley)と呼ぶようになった。1940年、アラン・チューリングは、第二次世界大戦時のドイツ軍の暗号統計解析の一部として同様の考え方を使った。", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "確率の異なる事象群を扱う情報理論の基礎となる数学は、ルートヴィッヒ・ボルツマンとウィラード・ギブスによる統計力学からもたらされた。情報理論におけるエントロピーと熱力学におけるエントロピーは単なる用語の類似以上の関連がある(ランダウアーの原理参照)。", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "シャノンの革新的論文については、ベル研究所での研究で1944年末ごろには実際の研究はほとんど済んでいた。シャノンの理論は情報理論の基礎となる静的プロセスとしての通信のモデルを提案し、論文冒頭で次のように表明している。", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "「通信の基本的課題は、ある地点で選択されたメッセージを正確または近似的に別の地点で再生することである」", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "それと共に次のような概念が提唱された。", "title": "歴史的背景" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "情報の数学的理論は確率論と統計学に基づいている。最も重要な情報の定量的尺度はエントロピーと伝達情報量である。エントロピーは確率変数の情報の尺度であり、メッセージの圧縮しやすさの度合いである。伝達情報量は2つの確率変数間に共通する情報の尺度であり、通信路における通信速度を決定するのに使われる。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "以下の式に出てくる対数の底は、情報エントロピーの単位を決定するのに使われる。現在最も一般に使われている情報の単位はビットであり、2を底とする対数に基づいている。そのため通常、底は 2 とみなされる。さらに、通常定義されない 0 log 0 {\\displaystyle 0\\log 0\\,} を 0 とする。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "離散確率変数 M {\\displaystyle M} のエントロピー H {\\displaystyle H} とは、 M {\\displaystyle M} の値の不確かさの尺度である。ここでの「ビット」の定義は重要である。例えば、通常の感覚(0 と 1)で 1000 ビットを転送するとしよう。事前にそのビット群の内容(0 と 1 の送信順序)がわかっている場合、論理的には通信によって得られる情報はゼロである。逆に個々のビットが 0 なのか 1 なのか五分五分の確率であった場合(かつビット間に相互の関連が存在しない場合)、1000 ビットで得られる情報は最大となる。これらの中間で、情報の定量化は次のように表される。 M {\\displaystyle \\mathbb {M} \\,} を確率変数 M {\\displaystyle M} の発するメッセージ m {\\displaystyle m} の集合とし、 p ( m ) = P r ( M = m ) {\\displaystyle p(m)=Pr(M=m)} としたとき、 M {\\displaystyle M} のエントロピーは次のようになる(単位はビット)。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "エントロピーの重要な特徴として、メッセージ空間内の全メッセージが全て同じ確率でありうる場合に(つまり最も予測が難しい場合)、エントロピー値が最大の H ( M ) = log | M | {\\displaystyle H(M)=\\log |\\mathbb {M} |} となる。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "関数 H を確率分布で表すと次のようになる:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "これの重要かつ特殊な場合を2値エントロピー関数と呼び、次のようになる:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2つの離散確率変数 X {\\displaystyle X} と Y {\\displaystyle Y} の結合エントロピーとは、単にその組 ( X , Y ) {\\displaystyle (X,Y)} のエントロピーである。例えば、 ( X , Y ) {\\displaystyle (X,Y)} がチェスの駒の位置を表すとする。 X {\\displaystyle X} が行、 Y {\\displaystyle Y} が列を表すとすると、その結合エントロピーとは、駒の位置のエントロピーを表す。数学的には次のようになる。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "X {\\displaystyle X} と Y {\\displaystyle Y} が独立なら、結合エントロピーは単純に個々のエントロピーの総和となる。類似の概念として交差エントロピーがあるが、違うものである。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "Y = y {\\displaystyle Y=y} のときの X {\\displaystyle X} の条件付きエントロピーとは、 Y = y {\\displaystyle Y=y} が既知であるときの X {\\displaystyle X} のエントロピーである。前述の例で言えば、列が決まっているときの駒の行位置のエントロピーとなる。 Y = y {\\displaystyle Y=y} のときの X {\\displaystyle X} の条件付きエントロピーは次のようになる:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ここで p ( x | y ) {\\displaystyle p(x|y)} は、ある y {\\displaystyle y} に関する x {\\displaystyle x} の条件付き確率である。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "確率変数 Y {\\displaystyle Y} における X {\\displaystyle X} の条件付きエントロピーとは、 Y {\\displaystyle Y} についての平均条件付きエントロピーであり、次のようになる:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "これを Y {\\displaystyle Y} に関する X {\\displaystyle X} のあいまい度とも呼ぶ。このように条件付きエントロピーには、確率変数についての定義と、それが特定の値の場合の定義があるので、混同しないこと。これらのエントロピーには次の関係が成り立つ。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "もう1つの重要な情報の尺度として伝達情報量(相互情報量とも呼ぶ)がある。これは、ある確率変数を観測することによって別の確率変数について得られる情報量の尺度である。これは通信において重要な概念であり、妥当な通信量を決定するのに使われる。 Y {\\displaystyle Y} との関連での X {\\displaystyle X} の伝達情報量(概念的には Y {\\displaystyle Y} を観測することで得られる X {\\displaystyle X} に関する情報量を意味する)は次のように表される:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "伝達情報量の基本特性は次の式で表される:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この意味は、Y を知っていれば、知らない場合よりも X の符号化で平均して I ( X ; Y ) {\\displaystyle I(X;Y)} ビット節約できることを意味する。伝達情報量は対称的であるため、次のようにも表せる:", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "関連する尺度として、自己情報量、自己相互情報量(PMI)、カルバック・ライブラー情報量、差分エントロピーなども情報理論では重要である。", "title": "情報に関する数学的理論" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "イーサネットなどの通信路上の通信が情報理論構築の主な動機である。電話を使ったことのある人なら誰でも経験することだが、そのような通信路では正確な信号の再現に失敗することもよくあり、ノイズや一時的な信号の途絶などにより信号が識別不能となることがある。そのようなノイズの多い通信路でどれだけの情報を伝えることが期待できるだろうか?", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "離散的な通信路による通信を考える。X を転送されるメッセージの集合とし、Y をある一定時間内にその通信路経由で受信したメッセージの集合とする。ここで、 p ( y | x ) {\\displaystyle p(y|x)} を x が送信されたときに y が受信される条件付き確率の分布関数とする。ここで、 p ( y | x ) {\\displaystyle p(y|x)} がその通信路に固有の属性であるとする(この通信路のノイズの性質を表している)。この通信路での X と Y の同時分布は、我々がこの通信路に送り出すメッセージの周辺分布 f ( x ) {\\displaystyle f(x)} から求められる。この条件で通信できる情報量を最大化したい。この尺度となるのが伝達情報量であり、伝達情報量の最大値を通信路容量と呼んで次の式で表す:", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "通信路容量は情報レート R(ここで R は記号ごとのビット数)による通信と次のような関係がある。R < C であるような情報レートで符号誤り率 ε > 0 である場合、十分大きな数 N について、コードの長さが N で情報レートが R 以上かつ誤り率が ε 以下となるような符号化アルゴリズムが存在し、非常に低い誤り率で通信を行える可能性がある。さらに R > Cであるような情報レートでは、低い誤り率で通信を行うことは不可能である。", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "逐次的にメッセージを生成するプロセスは情報源と見なすことができる。メモリを持たない情報源の発するメッセージは互いに独立で同一の分布に従う確率変数であり、エルゴード性と定常性が特徴である。そのような情報源は常に確率的である。これらの用語は情報理論以外でよく研究されている。", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "情報レート (rate) とは、記号ごとの平均エントロピーである。メモリを持たない情報源では、これは単に各記号のエントロピーを表すが、一般に次のような式で表される:", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "正確に言えば、これは単位時間当たりの期待される条件付きエントロピーであり、それまでに生成されたメッセージ群から得られる。情報理論では、言語の「レート」や言語の「エントロピー」を扱うのも特別なことではない。例えば、ソースが英語の散文であった場合などにそのような言い方が出てくる。メモリのない情報源の情報レートは単に H ( M ) {\\displaystyle H(M)} となる。これは、メモリのない情報源では、それまでのメッセージ群と次のメッセージとの間に理論上何も関係がないためである。情報源の情報レートは、冗長性と圧縮の程度に関係する。", "title": "通信路容量" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "符号理論は、情報理論の中でも最も重要かつ直接的な応用分野である。その領域は、情報源符号化理論(データ圧縮)と通信路符号化理論(誤り検出訂正)に大別される。データの統計的記述を用いて、符号化に必要とされるビット数(情報源の情報エントロピー)を定量化する。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "圧縮と転送に関する符号理論は情報理論に裏打ちされている。ただし、それは1対1の通信に関してのみである。発信者が複数の場合(複数アクセス通信路)、受信者が複数の場合(同報通信路)、仲介者がいる場合(リレー通信路)、それらの複合であるコンピュータネットワークなどについて、転送後の圧縮は最適とは言えないかもしれない。このようなマルチエージェント通信モデルを扱うのはネットワーク情報理論 (Network Information Theory) である。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "情報理論の概念は、暗号理論や暗号解読でも広く使われている。シャノン自身、現在では判別距離と呼ばれている暗号理論上重要な概念を定義した。平文の冗長性に基づき、暗号文の復号で平文が一意に定まるのに必要な暗号文の量の下限を定めるものである。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "シャノンの情報理論は、暗号理論での利用が示すよりずっと重要である。諜報機関は機密情報の保持に情報理論を応用し、常により安全な方法で敵に関する情報を最大限引き出そうとしている。シャノン・ハートレイの定理は、情報を秘密にしておく困難さを示している。一般に機密情報の漏洩を完全に防ぐことは不可能であり、ただ漏洩の速度を遅くできるだけである。さらに、ある情報に触れる人間が多ければ多いほど、その情報の冗長性は増していく。そして、冗長性の高い情報を封じ込めることは極めて困難である。このような機密情報の避けられない漏洩は、人々が何かを知ることでその振る舞いに影響が出てしまうという心理学的事実によるものである。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "情報理論の応用例として、GPSの符号化方式での信号隠蔽がある。このシステムでは擬似乱数を使って信号をノイズフロアのレベル以下に抑えている。そのため、一般の電波受信者は信号があることにさえ気づかないが、秘密の擬似乱数列を使ってある期間の信号を積分することで信号を検出できる。GPSシステムでは、C/A信号は一般に公開されているが、P(Y)信号に使われている擬似乱数列は秘密とされている。同様の手法は短距離の秘密通信にも使われており、低電力で敵に気づかれずに通信が可能である。これはステガノグラフィーの一種とも言える。また、スペクトラム拡散通信も参照されたい。", "title": "応用" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "情報理論のその他の応用として、ギャンブルや投資への応用、知覚のメカニズムを解明する認知心理学、ブラックホールと情報のパラドックス、バイオインフォマティクス、音楽などがある。", "title": "応用" } ]
情報理論は、情報・通信を数学的に論じる学問である。応用数学の中でもデータの定量化に関する分野であり、可能な限り多くのデータを媒体に格納したり通信路で送ったりすることを目的としている。情報エントロピーとして知られるデータの尺度は、データの格納や通信に必要とされる平均ビット数で表現される。例えば、日々の天気が3ビットのエントロピーで表されるなら、十分な日数の観測を経て、日々の天気を表現するには「平均で」約3ビット/日と言うことができる。 情報理論の基本的な応用としては、ZIP形式(可逆圧縮)、MP3(非可逆圧縮)、DSL(伝送路符号化)などがある。この分野は、数学、統計学、計算機科学、物理学、神経科学、電子工学などの交差する学際領域でもある。その影響は、ボイジャー計画の深宇宙探査の成功、CDの発明、携帯電話の実現、インターネットの開発、言語学や人間の知覚の研究、ブラックホールの理解など様々な事象に及んでいる。
{{No footnotes|date=2023年8月}} {{情報理論}} '''情報理論'''(じょうほうりろん、{{lang-en-short|Information theory}})は、[[情報]]・[[通信]]を[[数学]]的に論じる[[学問]]である。[[応用数学]]の中でも[[データ]]の[[定量的研究|定量化]]に関する分野であり、可能な限り多くのデータを[[メディア (媒体)|媒体]]に格納したり[[通信路]]で送ったりすることを目的としている。[[情報エントロピー]]として知られるデータの尺度は、データの格納や通信に必要とされる平均[[ビット]]数で表現される。例えば、日々の[[天気]]が3ビットのエントロピーで表されるなら、十分な日数の観測を経て、日々の天気を表現するには「平均で」約3ビット/日(各ビットの値は 0 か 1)と言うことができる。 情報理論の基本的な応用としては、[[ZIP (ファイルフォーマット)|ZIP形式]]([[可逆圧縮]])、[[MP3]]([[非可逆圧縮]])、[[デジタル加入者線|DSL]]([[伝送路符号化]])などがある。この分野は、[[数学]]、[[統計学]]、[[計算機科学]]、[[物理学]]、[[神経科学]]、[[電子工学]]などの交差する学際領域でもある。その影響は、[[ボイジャー計画]]の深宇宙探査の成功、[[コンパクトディスク|CD]]の発明、[[携帯電話]]の実現、[[インターネット]]の開発、[[言語学]]や人間の[[知覚]]の研究、[[ブラックホール]]の理解など様々な事象に及んでいる。 == 概要 == 情報理論の基本となる概念は人間のコミュニケーション手段として最も広く使われている「言語」である。言語に関する重要な2つの観点がある。第1に、最もよく使われる単語(例えば、「日」、「私」、「それ」)はそれほど使われない単語(例えば、「唯々諾々」、「開口一番」、「対馬海流」)よりも短く、結果として文はそれほど長くならない。このような単語長の[[トレードオフ]]は[[データ圧縮]]に通じるものがあり、[[符号化方式#情報源符号化|情報源符号化]]の基盤となっている。第2に、自動車が通りかかったなどの[[ノイズ]]のために文の最初の方を聞き逃しても、聞いていた人はメッセージの言わんとするところを理解できる(場合もある)。そのような言語の堅牢性は電気通信システムの基本であり、通信におけるその種の堅牢性を構築するのが[[通信路符号化]]である。情報源符号化と通信路符号化は情報理論の基礎となる概念である。 情報源符号化と通信路符号化では、メッセージの内容の重要性を全く考慮していない。例えば、「またおいでください」という決まり文句と、緊急時の叫び「救急車を呼んでくれ!!」は長さは似たようなものだが、その内容の重要性はかなり異なる。情報理論では、メッセージの重要性や意味には立ち入らない。すなわち、データの質は扱わず、確率論的に扱えるデータの量だけを扱う。 情報理論は、[[1948年]]、[[クロード・シャノン]]が Bell System Technical Journal に投稿した[[論文]] "A Mathematical Theory of Communication"([[通信の数学的理論]])を始まりとする。古典的情報理論の中心[[パラダイム]]は、ノイズの多い通信路上で情報を転送する際の技術的問題であった。最も基本的な成果は[[シャノンの情報源符号化定理]]であり、ある事象を表現するために必要となる平均「ビット」数はその[[情報エントロピー]]であるとされた。また、[[シャノンの通信路符号化定理]]では、ノイズの多い通信路で信頼できる通信を行えることが示され、その際の転送レートの上限を[[通信路容量]]と称した。実際の通信速度を通信路容量に近づけるには、適切な符号化が必要となる。 情報理論は、過去半世紀の間に工学の手法として定着するまでになった様々な分野と密接に関連している。それは、[[人工知能]]、[[複雑系]]、[[サイバネティックス]]、[[情報学]]、[[機械学習]]、[[システム工学]]などである。情報理論は数学理論としても深遠であり、その応用も幅広い。その中でも特に[[符号理論]]は広く応用されている。 [[符号理論]]は、具体的な「[[符号]]」の方式を確立する分野であり、効率を上げ、エラー発生率をシャノンが定式化した通信路容量のレベルに近づけることを研究する分野である。符号は、[[データ圧縮]](情報源符号化)と[[誤り検出訂正]](通信路符号化)が主要な技法である。後者については、シャノンの研究のとおりの方式が可能であると証明するまで長い年月を要した。情報理論の符号に関する第3の技法は[[暗号]]化アルゴリズムである。符号理論や情報理論の成果は[[暗号理論]]や[[暗号解読]]に広く応用されている。 情報理論は、[[情報検索]]、[[諜報活動]]、[[賭博]]、[[統計学]]、さらには[[作曲]]にまで使われている。 ==歴史的背景== [[1948年]]6月と10月、[[クロード・シャノン]]は ''Bell System Technical Journal'' 誌で古典的論文 "A Mathematical Theory of Communication" を発表し、情報理論を学問分野として確立し、世界的な注目を浴びた。 この論文以前、[[ベル研究所]]で考えられていた情報の理論は限定的であり、あらゆる事象が同じ確率で発生することを暗黙の前提としていた。[[1924年]]、[[ハリー・ナイキスト]]の論文 ''Certain Factors Affecting Telegraph Speed''(テレグラフの速度を制限する要因)では、通信システムにおける「情報; intelligence」と「回線速度」の定量化に関する理論が述べられている。それによると、情報の転送速度 ''W'' は <math>W = K \log m</math> で表され、''m'' は選択可能な電圧レベル数、''K'' はある定数である。[[1928年]]、[[ラルフ・ハートレー]]の論文 ''Transmission of Information''(情報の伝送)では、測定可能な量として「情報; information」という用語が使われている。その中で情報の定量化は <math>H = \log S^n = n \log S</math> で表され、''S'' は文字の種類数、''n'' は伝送された文字数であるとした。後に十進の情報量を表す単位をハートレー(Hartまたはhartley)と呼ぶようになった。[[1940年]]、[[アラン・チューリング]]は、第二次世界大戦時のドイツ軍の暗号統計解析の一部として同様の考え方を使った。 確率の異なる事象群を扱う情報理論の基礎となる数学は、[[ルートヴィッヒ・ボルツマン]]と[[ウィラード・ギブス]]による[[統計力学]]からもたらされた。情報理論におけるエントロピーと[[熱力学]]におけるエントロピーは単なる用語の類似以上の関連がある([[ランダウアーの原理]]参照)。 シャノンの革新的論文については、ベル研究所での研究で[[1944年]]末ごろには実際の研究はほとんど済んでいた。シャノンの理論は情報理論の基礎となる静的プロセスとしての通信のモデルを提案し、論文冒頭で次のように表明している。 <blockquote>「通信の基本的課題は、ある地点で選択されたメッセージを正確または近似的に別の地点で再生することである」</blockquote> それと共に次のような概念が提唱された。 * 情報源の[[情報量|情報エントロピー]]、[[冗長性 (情報理論)|冗長性]]、[[情報源符号化]] * ノイズのある通信路での[[伝達情報量]]、[[通信路容量]]、[[通信路符号化]] * [[シャノン=ハートレーの定理]]の応用としてのガウスノイズのある通信路での通信路容量 * 情報の基本単位である[[ビット]] ==情報に関する数学的理論== {{Main|情報量}} 情報の数学的理論は[[確率論]]と[[統計学]]に基づいている。最も重要な情報の定量的尺度は[[情報エントロピー|エントロピー]]と[[伝達情報量]]である。エントロピーは[[確率変数]]の情報の尺度であり、メッセージの[[データ圧縮|圧縮]]しやすさの度合いである。伝達情報量は2つの確率変数間に共通する情報の尺度であり、[[通信路]]における通信速度を決定するのに使われる。 以下の式に出てくる[[対数]]の底は、[[情報エントロピー]]の[[物理単位|単位]]を決定するのに使われる。現在最も一般に使われている情報の単位は[[ビット]]であり、2を底とする対数に基づいている。そのため通常、底は 2 とみなされる。さらに、通常定義されない <math>0 \log 0 \,</math> を 0 とする。 ===エントロピー=== [[画像:Binary entropy plot.png|thumbnail|right|200px|[[ベルヌーイ試行]]のエントロピーを成功確率の関数 <math>H_\mbox{b}(p)</math> として表したもの。'''[[2値エントロピー関数]]'''と呼ばれる。エントロピーは1ビットの成功確率が1/2であるときに最大となる。例えば細工のないコイントスなど。]] 離散確率変数 <math>M</math> の'''[[情報量|エントロピー]]''' <math>H</math> とは、<math>M</math> の値の'''不確かさ'''の尺度である。ここでの「ビット」の定義は重要である。例えば、通常の感覚(0 と 1)で 1000 ビットを転送するとしよう。事前にそのビット群の内容(0 と 1 の送信順序)がわかっている場合、論理的には通信によって得られる情報はゼロである。逆に個々のビットが 0 なのか 1 なのか五分五分の確率であった場合(かつビット間に相互の関連が存在しない場合)、1000 ビットで得られる情報は最大となる。これらの中間で、情報の定量化は次のように表される。<math>\mathbb{M}\,</math> を確率変数 <math>M</math> の発するメッセージ <math>m</math> の集合とし、<math>p(m)=Pr(M=m)</math> としたとき、<math>M</math> のエントロピーは次のようになる(単位はビット)。 :<math> H(M) = \mathbb{E}_{M} [-\log p(m)] = -\sum_{m \in \mathbb{M}} p(m) \log p(m)</math> エントロピーの重要な特徴として、メッセージ空間内の全メッセージが全て同じ確率でありうる場合に(つまり最も予測が難しい場合)、エントロピー値が最大の <math>H(M) = \log |\mathbb{M}|</math> となる。 関数 ''H'' を確率分布で表すと次のようになる: :<math>H(p) = -\sum_{i=1}^k p(i) \log p(i),</math>  ここで <math> \sum_{i=1}^k p(i) = 1 </math> これの重要かつ特殊な場合を'''[[二値エントロピー関数|2値エントロピー関数]]'''と呼び、次のようになる: :<math>H_\mbox{b}(p) = H(p, 1-p) = - p \log p - (1-p)\log (1-p)\,</math> 2つの離散確率変数 <math>X</math> と <math>Y</math> の'''[[結合エントロピー]]'''とは、単にその組 <math>(X, Y)</math> のエントロピーである。例えば、<math>(X,Y)</math> が[[チェス]]の駒の位置を表すとする。<math>X</math> が行、<math>Y</math> が列を表すとすると、その結合エントロピーとは、駒の位置のエントロピーを表す。数学的には次のようになる。 :<math>H(X, Y) = \mathbb{E}_{X,Y} [-\log p(x,y)] = - \sum_{x, y} p(x, y) \log p(x, y) \,</math> <math>X</math> と <math>Y</math> が[[独立 (確率論)|独立]]なら、結合エントロピーは単純に個々のエントロピーの総和となる。類似の概念として[[交差エントロピー]]があるが、違うものである。 <math>Y=y</math> のときの <math>X</math> の条件付きエントロピーとは、<math>Y=y</math> が既知であるときの <math>X</math> のエントロピーである。前述の例で言えば、列が決まっているときの駒の行位置のエントロピーとなる。<math>Y=y</math> のときの <math>X</math> の条件付きエントロピーは次のようになる: : <math> H(X|y) = \mathbb{E}_{{X|Y}} [-\log p(x|y)] = -\sum_{x \in X} p(x|y) \log p(x|y)</math> ここで <math>p(x|y)</math> は、ある <math>y</math> に関する <math>x</math> の[[条件付き確率]]である。 確率変数 <math>Y</math> における <math>X</math> の'''[[情報量|条件付きエントロピー]]'''とは、<math>Y</math> についての平均条件付きエントロピーであり、次のようになる: :<math> H(X|Y) = \mathbb E_Y \{H(X|y)\} = -\sum_{y \in Y} p(y) \sum_{x \in X} p(x|y) \log p(x|y)</math> :<math> = - \sum_{x,y} p(x,y) \log \frac{p(x,y)}{p(y)}</math> :<math> = \sum_{x,y} p(x,y) \log \frac{p(y)}{p(x,y)}</math> これを <math>Y</math> に関する <math>X</math> の'''あいまい度'''とも呼ぶ。このように条件付きエントロピーには、確率変数についての定義と、それが特定の値の場合の定義があるので、混同しないこと。これらのエントロピーには次の関係が成り立つ。 : <math> H(X|Y) = H(X,Y) - H(Y) \,</math> ===伝達情報量などの情報定量化=== もう1つの重要な情報の尺度として'''[[伝達情報量]]'''('''相互情報量'''とも呼ぶ)がある。これは、ある確率変数を観測することによって別の確率変数について得られる情報量の尺度である。これは通信において重要な概念であり、妥当な通信量を決定するのに使われる。<math>Y</math> との関連での <math>X</math> の伝達情報量(概念的には <math>Y</math> を観測することで得られる <math>X</math> に関する情報量を意味する)は次のように表される: :<math>I(X;Y) = \sum_{y\in Y} p(y)\sum_{x\in X} p(x|y) \log \frac{p(x|y)}{p(x)} = \sum_{x,y} p(x,y) \log \frac{p(x,y)}{p(x)\, p(y)}</math> 伝達情報量の基本特性は次の式で表される: : <math>I(X;Y) = H(X) - H(X|Y)\,</math> この意味は、''Y'' を知っていれば、知らない場合よりも ''X'' の符号化で平均して <math>I(X; Y)</math> ビット節約できることを意味する。伝達情報量は対称的であるため、次のようにも表せる: : <math>I(X;Y) = I(Y;X) = H(X) + H(Y) - H(X,Y)\,</math> 関連する尺度として、[[情報量|自己情報量]]、[[自己相互情報量]](PMI)、[[カルバック・ライブラー情報量]]、[[差分エントロピー]]なども情報理論では重要である。 ==通信路容量== [[画像:Channel Concept Diagram.png|thumb|right|350px|通信路の概念図]] {{Main|シャノンの通信路符号化定理}} [[イーサネット]]などの通信路上の通信が情報理論構築の主な動機である。[[電話]]を使ったことのある人なら誰でも経験することだが、そのような通信路では正確な信号の再現に失敗することもよくあり、ノイズや一時的な信号の途絶などにより信号が識別不能となることがある。そのようなノイズの多い通信路でどれだけの情報を伝えることが期待できるだろうか? 離散的な通信路による通信を考える。''X'' を転送されるメッセージの集合とし、''Y'' をある一定時間内にその通信路経由で受信したメッセージの集合とする。ここで、<math>p(y|x)</math> を x が送信されたときに y が受信される[[条件付き確率]]の分布関数とする。ここで、<math>p(y|x)</math> がその通信路に固有の属性であるとする(この通信路のノイズの性質を表している)。この通信路での ''X'' と ''Y'' の[[同時分布]]は、我々がこの通信路に送り出すメッセージの周辺分布 <math>f(x)</math> から求められる。この条件で通信できる情報量を最大化したい。この尺度となるのが[[伝達情報量]]であり、伝達情報量の最大値を'''[[通信路容量]]'''と呼んで次の式で表す: :<math> C = \max_{f} I(X;Y).\! </math> 通信路容量は情報レート ''R''(ここで ''R'' は記号ごとのビット数)による通信と次のような関係がある。''R < C'' であるような情報レートで符号誤り率 ε > 0 である場合、十分大きな数 ''N'' について、コードの長さが ''N'' で情報レートが R 以上かつ誤り率が ε 以下となるような符号化アルゴリズムが存在し、非常に低い誤り率で通信を行える可能性がある。さらに ''R > C''であるような情報レートでは、低い誤り率で通信を行うことは不可能である。 ===特定通信路モデルでの通信路容量=== [[画像:BinarySynmetricChannel.png|thumb|right|2元対称通信路]] [[画像:BinaryErasureChannel.png|thumb|right|2元消失通信路]] * 連続的なアナログ通信路のノイズは主にガウス雑音である。[[シャノン・ハートレイの定理]]。 * [[2元対称通信路]] (Binary Symmetric Channel, BSC)でバイナリ値の取り違えが発生する確率を ''p'' とする。BSCの通信路容量は <math>1 - H_\mbox{b}(p)</math> ビットであり、ここで <math>H_\mbox{b}</math> は[[2値エントロピー関数]]である。 * [[2元消失通信路]] (Binary Erasure Channel, BEC) で消失が発生する確率を ''p'' とする。消失とは入力側が入力したバイナリ値が出力側に届かない状態であり、結果として出力側は ''0'' と ''1'' 以外に ''e'' (erasure)という第3の状態をとる。BECの通信路容量は ''1 - p''ビットである。 ===情報源理論=== 逐次的にメッセージを生成するプロセスは'''[[情報源]]'''と見なすことができる。メモリを持たない情報源の発するメッセージは互いに独立で同一の分布に従う確率変数であり、[[エルゴード理論|エルゴード性]]と[[定常過程|定常性]]が特徴である。そのような情報源は常に[[確率過程|確率的]]である。これらの用語は情報理論以外でよく研究されている。 ====レート==== 情報'''レート''' (rate) とは、記号ごとの平均エントロピーである。メモリを持たない情報源では、これは単に各記号のエントロピーを表すが、一般に次のような式で表される: :<math>r=\mathbb E H(M_t|M_{t-1},M_{t-2},M_{t-3}, \ldots).</math> 正確に言えば、これは単位時間当たりの期待される条件付きエントロピーであり、それまでに生成されたメッセージ群から得られる。情報理論では、言語の「レート」や言語の「エントロピー」を扱うのも特別なことではない。例えば、ソースが英語の散文であった場合などにそのような言い方が出てくる。メモリのない情報源の情報レートは単に <math>H(M)</math> となる。これは、メモリのない情報源では、それまでのメッセージ群と次のメッセージとの間に理論上何も関係がないためである。情報源の情報レートは、[[冗長性 (情報理論)|冗長性]]と[[データ圧縮|圧縮]]の程度に関係する。 ==応用== ===符号理論=== {{Main|符号理論}} [[符号理論]]は、情報理論の中でも最も重要かつ直接的な応用分野である。その領域は、情報源符号化理論([[データ圧縮]])と通信路符号化理論([[誤り検出訂正]])に大別される。データの統計的記述を用いて、符号化に必要とされるビット数(情報源の情報エントロピー)を定量化する。 * データ圧縮(情報源符号化): 圧縮方式は次の2つに分類される: *# [[可逆圧縮]]: データの復元が正確に行われる *# [[非可逆圧縮]]: 歪関数によって指定された忠実度レベルでデータを再現するために必要なビット数を割り当てる。この情報理論のサブセットを[[レート歪理論]]と呼ぶ。 * 誤り訂正符号(通信路符号化): データ圧縮によって可能な限り[[冗長性 (情報理論)|冗長性]]を排除する一方、誤り訂正符号を付与することで正しい性質の冗長性を導入し、ノイズのある通信路でデータを効率的かつ忠実に転送可能にする。 圧縮と転送に関する符号理論は情報理論に裏打ちされている。ただし、それは1対1の通信に関してのみである。発信者が複数の場合(複数アクセス通信路)、受信者が複数の場合(同報通信路)、仲介者がいる場合(リレー通信路)、それらの複合である[[コンピュータネットワーク]]などについて、転送後の圧縮は最適とは言えないかもしれない。このようなマルチエージェント通信モデルを扱うのはネットワーク情報理論 (Network Information Theory) である。 ===諜報活動と秘密保持=== 情報理論の概念は、[[暗号理論]]や[[暗号解読]]でも広く使われている。シャノン自身、現在では[[判別距離]]と呼ばれている暗号理論上重要な概念を定義した。[[平文]]の[[冗長性 (情報理論)|冗長性]]に基づき、[[暗号文]]の復号で平文が一意に定まるのに必要な暗号文の量の下限を定めるものである。 {{要出典範囲|date=2017年7月|シャノンの情報理論は、暗号理論での利用が示すよりずっと重要である。諜報機関は機密情報の保持に情報理論を応用し、常により安全な方法で敵に関する情報を最大限引き出そうとしている。[[シャノン・ハートレイの定理]]は、情報を秘密にしておく困難さを示している。一般に機密情報の漏洩を完全に防ぐことは不可能であり、ただ漏洩の速度を遅くできるだけである。さらに、ある情報に触れる人間が多ければ多いほど、その情報の冗長性は増していく。そして、冗長性の高い情報を封じ込めることは極めて困難である。このような機密情報の避けられない漏洩は、人々が何かを知ることでその振る舞いに影響が出てしまうという心理学的事実によるものである。}} ===擬似乱数生成=== 情報理論の応用例として、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の符号化方式での信号隠蔽がある。このシステムでは[[擬似乱数]]を使って信号を[[ノイズフロア]]のレベル以下に抑えている。そのため、一般の電波受信者は信号があることにさえ気づかないが、秘密の擬似乱数列を使ってある期間の信号を[[積分法|積分]]することで信号を検出できる。GPSシステムでは、C/A信号は一般に公開されているが、P(Y)信号に使われている擬似乱数列は秘密とされている。同様の手法は短距離の秘密通信にも使われており、低電力で敵に気づかれずに通信が可能である。これは[[ステガノグラフィー]]の一種とも言える。また、[[スペクトラム拡散]]通信も参照されたい。 ===その他の応用=== 情報理論のその他の応用として、[[ギャンブル]]や[[投資]]への応用、知覚のメカニズムを解明する[[認知心理学]]、[[ブラックホール#蒸発|ブラックホールと情報のパラドックス]]、[[バイオインフォマティクス]]、[[ジェームズ・テニー|音楽]]などがある。 ==参考文献== ===古典的論文=== * [[クロード・シャノン|Shannon, C.E.]] (1948), "A Mathematical Theory of Communication", ''Bell System Technical Journal'', 27, pp. 379–423 & 623–656, July & October, 1948. [http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/shannon1948.pdf PDF.] ([http://cm.bell-labs.com/cm/ms/what/shannonday/paper.html Notes and other formats.]) **(邦訳)[[クロード・シャノン]]著、ワレン・ウィーバー著、植松友彦訳『[http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480092229/ 通信の数学的理論]』、筑摩書房、〈ちくま学芸文庫Math&Science〉、2009年。ISBN 978-4-480-09222-9 ===その他の論文=== * R.V.L. Hartley, "Transmission of Information," ''Bell System Technical Journal'', July 1928 * J. L. Kelly, Jr., "[http://www.arbtrading.com/reports/kelly.pdf A New Interpretation of Information Rate]," ''Bell System Technical Journal'', Vol. 35, July 1956, pp. 917-26 * R. Landauer, "Information is Physical" ''Proc. Workshop on Physics and Computation PhysComp'92'' (IEEE Comp. Sci.Press, Los Alamitos, 1993) pp. 1-4. * R. Landauer, "[http://www.research.ibm.com/journal/rd/441/landauerii.pdf Irreversibility and Heat Generation in the Computing Process]" ''IBM J. Res. Develop.'' Vol. 5, No. 3, 1961 ===情報理論の教科書的書籍=== * [[甘利俊一]]: ''情報理論'' 筑摩書房(ちくま学芸文庫), 2011. ISBN 978-4-480-09358-5 ** [[甘利俊一]]: ''情報理論'' ダイヤモンド社, 1970. *[[今井秀樹]]: ''情報理論'' 昭晃堂, 1984. * Claude E. Shannon, Warren Weaver. ''The Mathematical Theory of Communication.'' Univ of Illinois Press, 1949. ISBN 0-252-72548-4 * Robert Gallager. ''Information Theory and Reliable Communication.'' New York: John Wiley and Sons, 1968. ISBN 0-471-29048-3 * Robert B. Ash. ''Information Theory''. New York: Interscience, 1965. ISBN 0-470-03445-9. New York: Dover 1990. ISBN 0-486-66521-6 * Thomas M. Cover, Joy A. Thomas. ''Elements of information theory'' ** 1st Edition. New York: Wiley-Interscience, 1991. ISBN 0-471-06259-6. ** 2nd Edition. New York: Wiley-Interscience, 2006. ISBN 0-471-24195-4. * Stanford Goldman. ''Information Theory''. New York: Prentice Hall, 1953. New York: Dover 1968 ISBN 0-486-62209-6, 2005 ISBN 0-486-44271-3 * Fazlollah M. Reza. ''An Introduction to Information Theory''. New York: McGraw-Hill 1961. New York: Dover 1994. ISBN 0-486-68210-2 * Raymond W. Yeung. ''[http://iest2.ie.cuhk.edu.hk/~whyeung/book/ A First Course in Information Theory]'' Kluwer Academic/Plenum Publishers, 2002. ISBN 0-306-46791-7 * David J. C. MacKay. ''[http://www.inference.phy.cam.ac.uk/mackay/itila/book.html Information Theory, Inference, and Learning Algorithms]'' Cambridge: Cambridge University Press, 2003. ISBN 0-521-64298-1 * Masud Mansuripur. ''Introduction to Information Theory''. New York: Prentice Hall, 1987. ISBN 0-13-484668-0 ===その他の書籍=== * James Bamford, ''The Puzzle Palace'', Penguin Books, 1983. ISBN 0-14-006748-5 * Leon Brillouin, ''Science and Information Theory'', Mineola, N.Y.: Dover, [1956, 1962] 2004. ISBN 0-486-43918-6 * A. I. Khinchin, ''Mathematical Foundations of Information Theory'', New York: Dover, 1957. ISBN 0-486-60434-9 * H. S. Leff and A. F. Rex, Editors, ''Maxwell's Demon: Entropy, Information, Computing'', Princeton University Press, Princeton, NJ (1990). ISBN 0-691-08727-X * Tom Siegfried, ''The Bit and the Pendulum'', Wiley, 2000. ISBN 0-471-32174-5 * Charles Seife, ''Decoding The Universe'', Viking, 2006. ISBN 0-670-03441-X ==関連項目== * [[情報学]] * [[確率]] * [[統計]] * [[情報量|エントロピー]] * [[形式科学]] ===応用=== * [[暗号理論]] * [[暗号解読]] * [[諜報活動]] * [[ギャンブル]] ===理論=== * [[符号理論]] * [[信号検出理論]] * [[フィッシャー情報]] * [[コルモゴロフ複雑性]] ===概念=== * [[情報量]](エントロピー) * [[冗長性 (情報理論)]] * [[通信路]] * [[情報源]] * [[伝達情報量]] * [[差分エントロピー]] * [[カルバック・ライブラー情報量]] * [[通信路容量]] * [[エンコーダ]] * [[デコーダ]] == 外部リンク == * {{Cite journal|和書|author=井上純一 |title=2004年度 情報理論講義ノート |year=2004 |url=https://hdl.handle.net/2115/374 |journal=情報源・通信路の確率モデル |publisher=北海道大学情報科学院・情報科学研究院}} {{数学}} {{コンピュータ科学}} {{データ圧縮}} {{作曲}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しようほうりろん}} [[Category:クロード・シャノン]] [[Category:情報理論|*]] [[Category:離散数学]] [[Category:通信工学]] [[Category:数学に関する記事]]
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