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青木和代
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青木 和代(あおき かずよ、1947年8月27日 - )は、希楽星所属の日本の女優、声優。東京都出身。身長150 cm。体重55 kg。血液型はO型。
麹町学園女子高等学校卒業。
1969年に舞台芸術学院に入団したことがきっかけでデビュー。デビュー作はテレビドラマ『だいこんの花』。
かつては劇団NLT、プロダクション・エムスリーに所属していた。
声優として演じる役柄は、肝っ玉母さん、恰幅の良いおばさん役が多いが、一方で少年役も演じている。特に豪快でちょっとがさつなところのあるおばさん、太った少年役で知られる。
趣味は温泉、パチンコと韓流ドラマ鑑賞。長所は明るいこと、短所はいいかげんなこと。
姉と弟がいる。ペットとして猫を飼っている。
好きな色は黄色。
普通自動車免許を持っている。
テレビ朝日アスクの声優講師も務めている。
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青木 和代は、希楽星所属の日本の女優、声優。東京都出身。身長150 cm。体重55 kg。血液型はO型。
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| 芸名 = 青木 和代
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| 本名 = 青木 和代<ref name="talent">{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2020年版)|page=419|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-904674-11-6|date=2020-01-26}}</ref>
| 別名義 = <!-- 別芸名がある場合に記載。愛称の欄ではありません -->
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| 生年 = 1947
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| 主な作品 = '''アニメ'''<br />『[[未来少年コナン]]』<br />『[[ドラえもん (1979年のテレビアニメ) |ドラえもん]]』 <br /> '''人形劇'''<br />『[[ドレミファ・どーなっつ!]]』 <!-- 誰もが認める代表作品を記述 -->
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'''青木 和代'''(あおき かずよ、[[1947年]][[8月27日]]<ref name="希楽星">{{Cite web|和書|author=|url=http://www.kira-boshi.com/prof-aoki_kazuyo.html|title=青木 和代|website=希楽星|publisher=[[希楽星]]|work=|accessdate=2022-05-02}}</ref><ref name="goo">{{Cite web|和書|url=https://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/W93-0028.html|title=青木和代(アオキ カズヨ)|work=[[goo|gooニュース]]|publisher=[[NTTレゾナント]]|accessdate=2022-05-02}}</ref> - )は、[[希楽星]]所属{{R|希楽星}}の[[日本]]の[[俳優|女優]]、[[声優]]。[[東京都]]出身{{R|希楽星|goo}}。身長{{val|150|ul=cm}}{{R|希楽星}}。体重{{val|55|ul=kg}}{{R|希楽星}}。血液型は[[ABO式血液型|O型]]{{R|goo}}。
== 来歴 ==
[[麹町学園女子中学校・高等学校|麹町学園女子高等学校]]卒業{{R|talent}}。
[[1969年]]に[[舞台芸術学院]]に入団したことがきっかけでデビュー{{R|goo}}。デビュー作はテレビドラマ『[[だいこんの花]]』{{R|goo}}。
かつては[[劇団NLT]]{{R|希楽星}}、[[Grue|プロダクション・エムスリー]]に所属していた{{R|声優事典 第二版}}。
== 人物 ==
声優として演じる役柄は、肝っ玉母さん、恰幅の良いおばさん役が多いが、一方で少年役も演じている<ref name="履歴書">{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/84322047|title=【声優の履歴書】第82回『ドラえもん』(テレビ朝日版・第1期)ジャイアンの母・ジャイ子を演じた青木和代|publisher=リアルライブ|date=2015-02-26|accessdate=2021-11-05}}</ref>。特に豪快でちょっとがさつなところのあるおばさん、太った少年役で知られる<ref name="声優事典">{{Cite book|和書|author=小川びい|title=こだわり声優事典'97|publisher=[[徳間書店]]|series=ロマンアルバム|pages=5-6|date=1997-03-10|isbn=4-19-720012-9}}</ref>。
趣味は[[温泉]]{{R|goo}}、[[パチンコ]]<ref name="自身">{{Cite web|和書|author=|url=https://jisin.jp/life/beauty/1618919/amp/|title=【動画】青木和代さん63歳 ネ申の「カラーコンタクト」&「透明テープ」で40代に生まれ変わった!?|website=女性自身[光文社女性週刊誌]|publisher=[[光文社]]|date=2011-07-12|work=|accessdate=2022-05-02}}</ref>と[[韓国ドラマ|韓流ドラマ]]鑑賞{{R|自身}}。長所は明るいこと{{R|goo}}、短所はいいかげんなこと{{R|goo}}。
姉と弟がいる{{R|goo}}。[[ペット]]として[[ネコ|猫]]を飼っている{{R|goo}}。
好きな色は[[黄色]]{{R|goo}}。
[[普通自動車]][[日本の運転免許|免許]]を持っている{{R|希楽星}}。
[[テレビ朝日アスク]]の声優講師も務めている。
== 出演 ==
=== 映画 ===
* 「[[大地の子守歌#映画|大地の子守歌]]」(1976年6月12日)
* 「[[曽根崎心中#劇映画|曽根崎心中]]」(1978年4月29日) - お玉 役
* 「[[ねらわれた学園 (1981年の映画)|ねらわれた学園]]」(1981年7月11日) - 主婦 役
* 「[[夏の別れ (映画)|夏の別れ]]」(1981年10月10日) - 朝倉家別荘女中 役
* 「[[泪橋 (小説)#映画|泪橋]]」(1983年6月17日) - たんご屋 役
* 「[[絆 -きずな-]]」(1998年6月6日) - 徹子 役
* 「スリ」(2000年11月4日) - 断酒会会員 役
* 「[[美しい夏キリシマ]]」(2003年12月6日) - はるの母 役
* 「[[犬と歩けば チロリとタムラ]]」(2004年5月1日) - 大家 役
* 「[[真夜中の弥次さん喜多さん#映画|真夜中の弥次さん喜多さん]]」(2005年4月2日)
* 「誰がために」(2005年10月15日)
* 「[[県庁の星#映画|県庁の星]]」(2006年2月25日) - 藤村華子 役
* 「[[しゃべれども しゃべれども#映画|しゃべれども しゃべれども]]」(2007年5月26日) - 八重子 役
* 「[[やじきた道中 てれすこ]]」(2007年7月11日) - 飯屋の女 役
* 「[[おっぱいの詩#映画|Mayu -ココロの星-]]」(2007年9月15日)
* 「[[百万円と苦虫女]]」(2008年7月19日) - 真澄 役
* 「[[ボーイズ・オン・ザ・ラン#映画|ボーイズ・オン・ザ・ラン]]」(2010年1月30日)
* 「Zアイランド」(2015年5月16日)
* 「[[おとなの事情 スマホをのぞいたら]]」(2021年1月8日) - 零士の母 役
=== テレビドラマ ===
==== NHK ====
* [[大河ドラマ]]「[[いのち (NHK大河ドラマ)|いのち]]」第43話(1986年10月26日) - 患者 役
* 「[[チロルの挽歌|チロルの挽歌 前編]]」(1992年4月11日) - 衣料品店の客 役
* 「[[茂七の事件簿 ふしぎ草紙|茂七の事件簿 新ふしぎ草紙]]」第4話(2002年7月19日)
* 「[[転がしお銀|転がしお銀 父娘あだ討ち江戸日記]]」第1話 - 最終話(2003年10月10日 - 12月5日) - おたね 役
* 「[[ドリーム〜90日で1億円〜]]」第8話(2004年4月8日)
* 「[[ナイフの行方]]」前編(2014年12月22日)
* 「[[富士ファミリー]]」(2016年1月2日)
* 「[[夏目漱石の妻]]」第2話(2016年10月1日)
* [[連続テレビ小説]]「[[ちむどんどん]]」第92話・第96話・第101話・第105話(2022年8月16日・8月22日・8月29日・9月2日) - 調理員 役
==== 日本テレビ ====
* 「[[太陽にほえろ!]]」
** 第237話「あやまち」(1977年2月4日) - 女将 役
** 第276話「初恋」(1977年11月11日)
** 第291話「トラック刑事」(1978年2月24日)
** 第304話「バスジャックの日」(1978年5月26日)
** 第361話「殺人鬼」(1979年6月29日) - 目撃者 役
** 第656話「いじめ」(1985年7月19日) - 相良テツオの母 役
* [[木曜ゴールデンドラマ]]
** 「[[羆嵐#テレビドラマ|恐怖! パニック!! 人喰熊 史上最大の惨劇 羆嵐]]」(1980年11月27日) - 斉田の妻 役
** 「離婚同棲」(1986年7月24日)
** 「最後の恋」(1988年7月14日)
* [[火曜サスペンス劇場]]
** 「[[十万分の一の偶然#1981年版|10万分の1の偶然]]」(1981年12月29日)
** 「[[ハネムーン (テレビドラマ)|ハネムーン]]」(1986年6月10日)
** 「同窓生」(1988年9月6日)
** 「[[小京都ミステリー]]」第1作(1989年1月24日) - 大崎 役
** 「[[救急指定病院 (テレビドラマ)|救急指定病院]]」
*** 第1作「死亡事故発生!」(1992年5月12日) - 石室加代 役
*** 第6作「意識不明で緊急入院した救急隊員」(1996年9月17日) - 吉杉 役
** 「[[救命救急センター (テレビドラマ)|救命救急センター]]」第1作(2000年7月18日)
** 「考古学者 佐久間玲子」第2作(2002年6月18日)
** 「[[取調室 (テレビドラマ)|取調室]]」第19作(2003年5月27日) - 節子 役
** 「[[箱根湯河原温泉交番]]」第2作(2004年7月27日)
* 「[[透明人間 (テレビドラマ)|透明人間]]」(1996年4月13日 - 7月6日)
* 「[[天使が消えた街 (テレビドラマ)|天使が消えた街]]」第8話(2000年5月31日)
* 「[[ぼくの魔法使い]]」第5話・第6話・最終話(2003年5月17日・5月24日・7月5日) - 看護師 役
* 「[[喰いタン (テレビドラマ)#Part1|喰いタン]]」第3話(2006年1月28日) - 栄養士 役
* 「[[神はサイコロを振らない (小説)#テレビドラマ|神はサイコロを振らない 〜君を忘れない〜]]」第1話(2006年1月18日)
* 「[[セクシーボイスアンドロボ#テレビドラマ|セクシーボイスアンドロボ]]」第6話(2007年5月15日)
* 「[[黄金の豚-会計検査庁 特別調査課-]]」第2話(2010年10月27日)
* 「[[ゴーストママ捜査線#テレビドラマ|ゴーストママ捜査線]]」第5話(2012年8月11日)
* 「[[シェアハウスの恋人]]」第1話・第3話(2013年1月16日・1月30日)
* 「[[リバース〜警視庁捜査一課チームZ〜]]」(2013年4月4日) - 女性 役
* 「[[東京バンドワゴン#テレビドラマ|東京バンドワゴン〜下町大家族物語]]」第3話(2013年10月26日)
* 「[[奇跡の教室]]」(2014年6月28日) - 銭湯の番台のおばさん 役
* 「[[THE LAST COP/ラストコップ]]」(2015年6月29日)
* 「[[忘却探偵シリーズ#テレビドラマ|掟上今日子の備忘録]]」第5話(2015年11月7日) - 須永昼兵衛の訃報をニュース速報で見た近所の女性 役
* 「[[エンド・クレジットに最適な夏#テレビドラマ|青春探偵ハルヤ〜大人の悪を許さない!〜]]」最終話(2015年12月24日)
* 「[[天才バカボン#テレビドラマ|天才バカボン]]」
** 「天才バカボン〜家族の絆」(2016年3月11日) - バスの乗客 役
** 「天才バカボン2」(2017年1月6日) - フィギュアスケートの観客 役<ref>{{Cite tweet|author=しのへけい子|user=shinopiiii|number=817173935800205313|title=@2016Bakabon 本日夜9時から日テレで放映される『天才バカボン2』 私は前回同様、#青木和代 さんと一緒に出てます。 スケート場の観客から探して見るのだ🎵 万が一、見つけられない場合に備えて録画もするのだ~⤴ #上田晋也 #マイケル富岡 #オカリナ #船越英一郎|date=2017-01-06|accessdate=2022-05-02}}</ref>
** 「天才バカボン3〜愛と青春のバカ田大学」(2018年5月4日)
* 「[[中年スーパーマン左江内氏#テレビドラマ|スーパーサラリーマン左江内氏]]」第4話(2017年2月4日) - 円子の母(声) 役<ref>{{Cite tweet|author=「今日から俺は‼️劇場版」絶賛配信&豪華版BOX発売中✨|user=kyoukaraoreha_n|number=1464574207816204289|title=#左江内氏 でも、もや夫のばあちゃん役は青木和代さんでした🤣縁がある🤣 #二月の勝者 まもなく‼️|date=2021-11-27|accessdate=2022-05-02}}</ref>
* 「[[正義のセ#テレビドラマ|正義のセ]]」最終話(2018年6月13日) - 清江 役
* 「[[ドロ刑#テレビドラマ|ドロ刑 -警視庁捜査三課-]]」第1話(2018年10月13日) - 野次馬 役
* 「[[もみ消して冬〜わが家の問題なかったことに〜|もみ消して冬 2019夏 〜夏でも寒くて死にそうです〜]]」(2019年6月29日)
* 「[[知らなくていいコト]]」第5話(2020年2月5日)
* 「[[ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜#テレビドラマ|ハコヅメ〜たたかう!交番女子〜]]」第3話・第7話(2021年7月21日・9月1日) - 山崎多恵 役
* 「[[二月の勝者-絶対合格の教室-#テレビドラマ|二月の勝者-絶対合格の教室-]]」第7話(2021年11月27日) - 石田静枝 役<ref>{{Cite tweet|author=二月の勝者-絶対合格の教室-【公式】ご視聴ありがとうございました‼️|user=2gatsu_ntv|number=1464164874041569283|title=王羅とおばあちゃん👦🧑🦱 明日の7話では 王羅の家庭環境や、学校生活のこと🏫 おばあちゃんや、お母さんとのこと👭 色々とグッとくるお話満載🥲 勉強が苦手なのに毎日休まず 塾に通う王羅、、、素顔に ウルっときちゃいます😭 王羅はおばあちゃん似でした🤣 #二月の勝者 #横山歩 #青木和代|date=2021-11-26|accessdate=2022-05-02}}</ref>
==== TBS ====
* 「[[もうひとつの春]]」第6話(1975年5月8日)
* 「[[仮面劇場#テレビドラマ|仮面劇場]]」第3話(1978年9月30日) - 仲居 役
* 「[[体の中を風が吹く#1979年版|体の中を風が吹く]]」(1979年5月14日 - 7月6日)
* 「[[噂の刑事トミーとマツ|噂の刑事トミーとマツ 第1シリーズ]]」
** 第36話「トミマツやりすぎ! 課長をタイホ」(1980年6月18日) - 旅館女将 役
** 第57話「トミマツ腰抜け、 女は魔物だ!」(1980年11月12日)
* 「[[しづの生涯]]」(1981年5月4日 - 7月2日)
* 「[[夫婦 (1982年のテレビドラマ)|夫婦]]」(1982年1月4日 - 3月5日) - 山田夫人 役
* 「[[わが子よ|わが子よII]]」(1982年7月5日 - 8月27日)
* [[ザ・サスペンス]]「[[消えたスクールバス|消えたスクールバス 園児集団蒸発「それは夏祭りから始まった」]]」(1982年7月24日)
* 「[[家族づくり]]」(1983年9月5日 - 10月28日)
* 「[[スクール☆ウォーズ#スクール☆ウォーズ 〜泣き虫先生の7年戦争〜|スクール☆ウォーズ 〜泣き虫先生の7年戦争〜]]」第10話(1984年12月8日) - 丸茂和子 役
* 「[[うちの子にかぎって…#第2期|うちの子にかぎって… 第2シリーズ]]」
** 第5話「スチュワーデス物語」(1985年5月10日) - オバさん 役
** 最終話「うちの子にかぎって…は永遠に不滅です!」(1985年7月26日) - 主婦 役
* 「[[子供が見てるでしょ!]]」(1985年10月11日 - 12月20日) - 松原夫人 役
* 水曜ドラマスペシャル
** 「[[恋子の毎日#テレビドラマ|恋子の毎日]]」(1986年3月12日)
** 「ベスト・フレンド」(1987年4月15日) - マンションの隣人 役
* 「[[パパはニュースキャスター]]」第2話(1987年1月16日) - 大塚愛が母親と住んでいたアパートの隣人 役
* 「[[ママはアイドル]]」第5話(1987年5月12日) - 旅館の仲居 役
* 「[[パパは年中苦労する]]」第7話(1988年5月20日) - セールスウーマン 役
* 「[[3年B組金八先生#第3シリーズ・SP7|3年B組金八先生 第3シリーズ]]」第11話(1988年12月19日) - 大竹明美の母 役
* 「[[キツイ奴ら]]」第4話(1989年1月25日)
* [[月曜ドラマスペシャル]]「脱獄山脈」(1990年1月12日)
* 「[[クリスマス・イブ (テレビドラマ)|クリスマス・イブ]]」第2話(1990年10月19日)
* 「[[デパート!夏物語]]」第2話(1991年7月9日)
* 「[[ルージュの伝言#テレビドラマ|ルージュの伝言]]」第19話(1991年8月7日)
* 「[[東京エレベーターガール]]」第3話(1992年1月24日)
* 「熱い胸さわぎ 第1章 Bye Bye My Love」(1992年4月1日 - 4月22日)
* 「[[ずっとあなたが好きだった]]」最終話(1992年9月25日) - 紹介のおばさん 役
* 「[[愛するということ (テレビドラマ)|愛するということ]]」(1993年1月8日 - 3月19日) - 弁当屋のおばちゃん 役
* 「[[誰にも言えない]]」第1話(1993年7月9日) - デパートの客 役
* 「[[新幹線物語'93夏]]」第4話(1993年7月27日)
* 「[[十年愛|十年愛 スペシャル]]」(1993年10月8日)
* 「[[カミさんの悪口]]」シリーズ
** 「カミさんの悪口」第9話(1993年12月12日)
** 「カミさんの悪口2」最終話(1995年3月26日)
* 「[[ママじゃないってば!]]」第5話・第9話(1994年1月11日・1月17日)
* 「[[スウィート・ホーム (テレビドラマ)|スウィート・ホーム]]」第3話・第4話(1994年1月23日・1月30日)
* 「[[長男の嫁#長男の嫁|長男の嫁]]」第7話(1994年5月26日)
* 「[[僕が彼女に、借金をした理由。]]」第1話(1994年10月14日)
* 「[[お兄ちゃんの選択]]」最終話(1994年12月25日)
* 「[[魔の季節]]」第1話・最終話(1995年4月15日・6月15日)
* 「[[新婚なり!]]」(1995年7月7日 - 9月22日)
* 「[[愛していると言ってくれ]]」第1話(1995年7月7日)
* 「[[協奏曲 (テレビドラマ)|協奏曲]]」最終話(1996年12月13日)
* [[ドラマ30]]
**「[[失業白書]]」(1997年3月31日 - 5月30日、[[CBCテレビ|CBC]]制作)
* 「[[ふぞろいの林檎たち|ふぞろいの林檎たち パートIV]]」第11話(1997年6月20日)
* 「[[理想の上司]]」第2話(1997年4月20日)
* 「[[いちばん大切なひと]]」最終話(1997年6月27日)
* 「[[青い鳥 (テレビドラマ)|青い鳥]]」 - 食事屋の店主 役
** 「青い鳥」第6話・第7話(1997年11月14日・11月21日)
** 「青い鳥 完結編」(1997年12月26日)
* 「[[再婚トランプ#テレビドラマ|再婚トランプ]]」第7話・第13話・第21話・第24話(1998年11月3日・11月11日・11月23日・11月26日)
* 「[[天国に一番近い男#MONOカンパニー編|天国に一番近い男]]」第10話(1999年3月12日) - おばちゃん 役
* 「[[ビューティフルライフ]]」第1話・第3話・第4話・第9話(2000年1月16日・1月30日・2月6日・3月12日) - 近所の田辺のおばちゃん 役
* 「[[池袋ウエストゲートパーク (テレビドラマ)|池袋ウエストゲートパーク]]」第7話(2000年5月26日)
* 「[[Summer Snow (テレビドラマ)|Summer Snow]]」第8話(2000年8月25日)
* 「[[天までとどけ#新・天までとどけ|新・天までとどけ]]」シリーズ - 力丸須磨子 役
** 「新・天までとどけ2」第1話 - 第3話・第8話・第16話・第18話・第20話・第23話 - 第26話・第29話・第33話・最終話(2001年2月26日 - 2月28日・3月7日・3月19日・3月21日・3月23日・3月28日 - 4月2日・4月5日・4月11日・4月20日)
** 「新・天までとどけ3」第2話・第7話・第19話・第28話・第39話(2002年4月16日・4月23日・5月9日・5月22日・6月6日)
** 「新・天までとどけ4」第9話・第10話・第22話・第23話・第39話(2003年3月21日・3月24日・4月8日・4月9日・5月1日)
* [[月曜ミステリー劇場]]
** 「[[流れ星お銀!事件解決いたします]]」第2作(2001年7月16日) - 腰山の近所の住人 役
** 「探偵・喜多嶋翔子の調査報告書」(2002年7月29日) - 近所の住人 役
* 「[[温泉へ行こう]]」シリーズ
** 「温泉へ行こう3」第20話・第21話(2002年2月25日・2月26日)
** 「温泉へ行こう5」第9話(2004年12月9日)
* 「[[夢のカリフォルニア (テレビドラマ)|夢のカリフォルニア]]」第1話(2002年4月12日)
* 「[[渡る世間は鬼ばかり|渡る世間は鬼ばかり 第6シリーズ]]」第16話(2002年7月18日)
* 「[[大好き!五つ子|大好き!五つ子4]]」第5話・第10話(2002年7月26日・8月2日)
* 「少年」(2002年11月26日)
* 「[[顔 (2003年のテレビドラマ)|顔]]」第1話(2003年4月15日)
* 「[[あなたの人生お運びします!]]」第4話・第6話・第7話・最終話(2003年5月1日・5月15日・5月21日・6月19日)
* 「[[さとうきび畑の唄]]」(2003年9月28日)
* 「向田邦子の恋文」(2004年1月2日)<ref>{{Cite web|author=|url=https://www.twellv.co.jp/program/drama/mk_selection/archive-mk_selection/mk-selection-002/|title=向田邦子の恋文|website=BS12|publisher=[[ワールド・ハイビジョン・チャンネル]]|work=無料ドラマ・映画|accessdate=2022-05-02}}</ref>
* 「[[奥さまは魔女 (テレビドラマ)#日本版「奥さまは魔女」|奥さまは魔女]]」(2004年1月16日)
* 「[[オレンジデイズ]]」第6話(2004年5月16日)
* 「[[タイガー&ドラゴン (テレビドラマ)|タイガー&ドラゴン]]」(2005年1月9日)
* 「[[白夜行#テレビドラマ|白夜行]]」第9話(2006年3月9日) - 唐沢礼子の近所のおばさん 役
* 「[[吾輩は主婦である]]」第3話・第6話・第11話・第12話・第20話・第23話・第28話・第30話・第32話 - 第34話・最終話(2006年5月24日・5月29日・6月5日・6月6日・6月16日・6月21日・6月28日・6月30日・7月4日 - 7月6日・7月14日) - 鈴木 役
* 「[[誰よりもママを愛す]]」最終話(2006年9月10日) - 患者 役
* 「[[セーラー服と機関銃#2006年版|セーラー服と機関銃]]」第1話(2006年10月13日) - 酒井好子 役
* 「[[夫婦道]]」第3話(2007年4月26日) - 狭山茶「高鍋園」の常連客 役
* [[月曜ゴールデン]]
** 「[[ロング・ウェディングロード!〜東京VS大阪ワケアリ婚物語]]」(2007年7月30日) - オバ軍団 役
** 「[[おふくろ先生の診療日記]]」第1作(2008年2月25日) - 住民 役
** 「[[湯けむりバスツアー 桜庭さやかの事件簿]]」第1作(2009年4月27日) - 照恵 役
** 「母の贈物」(2009年9月14日) - 椎名典子 役
* 「[[三代目のヨメ!]]」第3話・第4話・第6話・第8話・第10話・第11話・第13話 - 第19話・第22話 - 第25話・第27話・第30話・第31話・第33話 - 第37話・第39話・最終話(2008年1月9日・1月10日・1月14日・1月16日・1月18日・1月21日・1月23日 - 1月31日・2月5日 - 2月8日・2月12日・2月15日・2月18日・2月20日 - 2月26日・2月28日・2月19日)
* 「[[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (テレビドラマ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]]」第1話(2009年8月1日) - 人形焼屋のおばちゃん 役
* 「[[JIN-仁- (テレビドラマ)|JIN-仁-]]」第1話・第2話(2009年10月11日・10月18日) - 長屋の住人 役
* 「[[父よ、あなたはえらかった〜1969年のオヤジと僕]]」(2009年11月16日)
* 「[[小公女セイラ]]」最終話(2009年12月19日) - おばさん 役
* 「[[美男ですね#美男ですね(日本リメイク版)|美男ですね]]」第3話(2011年7月29日) - 廉をメンと言った女性 役
* 「[[私はシャドウ#テレビドラマ|専業主婦探偵〜私はシャドウ]]」第6話(2011年11月25日) - 福寿和子 役
* 「[[ATARU]]」第5話(2012年5月13日) - 食堂のおばさん 役
* 「[[とんび (小説)#TBS版(2013年)|とんび]]」第1話 - 第3話(2013年1月13日 - 1月27日) - 番台のおばちゃん 役<ref>{{Cite web|和書|author=|url=https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d2187/|title=とんび|website=TBSチャンネル - TBS - TBSテレビ|publisher=[[TBSテレビ]]|work=ドラマ・時代劇|accessdate=2022-05-02}}</ref>
* 「[[空飛ぶ広報室#テレビドラマ|空飛ぶ広報室]]」最終話(2013年6月23日)
* 「[[刑事のまなざし#テレビドラマ|刑事のまなざし]]」第4話(2013年10月28日)
* 「[[99.9-刑事専門弁護士-|99.9-刑事専門弁護士- SEASON II]]」最終話(2018年3月18日) - 山岡真一の母 役
* 「[[義母と娘のブルース#テレビドラマ|義母と娘のブルース 2020年謹賀新年スペシャル]]」(2020年1月2日)
* 「[[恋はつづくよどこまでも#テレビドラマ|恋はつづくよどこまでも]]」第1話・第2話(2020年1月14日・1月21日) - 熊本信子 役
* 「[[天国と地獄〜サイコな2人〜]]」第8話(2021年3月7日) - コ・アースの女性清掃員 役
==== フジテレビ ====
* 「[[ふしぎ犬トントン]]」第4話(1978年11月20日)
* 「[[陽はまた昇る (1979年のテレビドラマ)|陽はまた昇る]]」第18話(1979年9月8日)
* 「[[旅がらす事件帖]]」第5話(1980年11月4日) - おとよ 役
* [[月曜ドラマランド]]「どっきり天馬先生」第4作(1983年5月16日)
* 「[[見送って#テレビドラマ|見送って]]」(1986年5月19日)
* 「[[びんびんシリーズ#教師びんびん物語(1988年)| 教師びんびん物語]]」第11話(1988年6月13日)
* 「[[意地悪ばあさん (テレビドラマ)#フジテレビ版|傑作 意地悪ばあさん・抱腹絶倒! 意地悪ギャグ決定版]]」(1989年1月5日)
* 「[[夏の嵐 (1989年のテレビドラマ)|夏の嵐]]」第52話(1989年9月12日)
* 「[[日本一のカッ飛び男]]」第9話(1990年6月4日)
* 「[[キモチいい恋したい!]]」第4話(1990年7月23日) - 教授の妻 役
* 「[[世にも奇妙な物語]]」「人面草」(1990年9月13日)
* 「[[東京ラブストーリー#テレビドラマ|東京ラブストーリー]]」第5話(1991年2月4日)
* 金曜ドラマシアター
** 「[[波の塔#1991年版|松本清張作家活動40年記念・波の塔]]」(1991年5月24日)
** 「[[君たちがいて僕がいる]]」第1作(1992年4月17日)
* 「1970ぼくたちの青春」(1991年6月21日)
* 「[[ホテルウーマン]]」第1話(1991年10月7日)
* 「[[振り返れば奴がいる]]」第10話(1993年3月17日) - 笹岡房江 役
* 「[[チャンス! (テレビドラマ)|チャンス!]]」第3話(1993年4月28日)
* 「[[もう涙は見せない]]」第7話(1993年12月1日)
* 「[[おいしい関係#テレビドラマ(日本版)|おいしい関係]]」(1996年10月14日 - 12月16日)
* 「[[彼女たちの結婚]]」(1997年1月9日 - 3月20日)
* 「[[木曜の怪談#魔法じかけのフウ|木曜の怪談'97『魔法じかけのフウ』]]」(1997年7月3日 - 8月14日)
* 「[[こんな恋のはなし]]」第1話・第3話(1997年7月3日・7月17日)
* 「[[きらきらひかる (漫画)#テレビドラマ|きらきらひかる]]」第6話(1998年2月17日)
* 「[[はるちゃん#テレビドラマ|はるちゃん3]]」(1999年4月5日 - 7月2日)
* 「[[古畑任三郎|古畑任三郎 3rd season]]」第3話(1999年4月27日) - 勝野 役
* 「[[氷の世界 (テレビドラマ)|氷の世界]]」第3話・第4話(1999年10月25日・11月1日)
* 「[[OUT〜妻たちの犯罪〜]]」第3話(1999年10月26日)
* 「[[ショムニ (テレビドラマ)|ショムニ]]」シリーズ
** 「ショムニ 第2シリーズ」最終話(2000年6月28日)
** 「ショムニFINAL」最終話(2002年9月18日) - 食堂のおばちゃん 役
* 「[[花村大介]]」第8話(2000年8月22日) - 近所の証言者のおばちゃん 役
* 「[[世にも奇妙な物語]]」「[[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2000年)#断定男|'00秋の特別編『断定男』]]」(2000年10月4日) - おばちゃん 役
* 「[[編集王#テレビドラマ|編集王]]」第5話(2000年11月7日)
* [[ゴールデン洋画劇場]]「三億円事件〜20世紀最後の謎〜」(2000年12月30日)
* 「[[ムコ殿#ムコ殿|ムコ殿]]」(2001年4月12日 - 6月28日)
* 「[[お水の花道#テレビドラマ|新・お水の花道]]」第9話(2001年6月5日)
* 「[[救命病棟24時|救命病棟24時 第2シリーズ]]」第3話(2001年7月17日) - 釣りが趣味の患者の妻 役
* [[金曜エンタテイメント]]
** 「死を呼ぶ降霊実験! 新米ツアコン典子の心霊スポットバスツアー」(2001年8月10日)
** 「[[積木くずし#積木くずし真相 〜あの家族、その後の悲劇〜|積木くずし真相 〜あの家族、その後の悲劇〜]]」前編(2005年9月2日)
** 「[[細うで繁盛記#2006年・2007年版|新・細うで繁盛記]]」第1作(2006年1月20日) - お多福 役
* 「[[水曜日の情事]]」第2話(2001年10月17日)
* 「[[人にやさしく (テレビドラマ)|人にやさしく]]」第2話・第5話・最終話(2002年1月14日・2月4日・3月18日)
* 「[[恋するトップレディ]]」第6話(2002年2月12日)
* 「[[初体験 (テレビドラマ)|初体験]]」第8話(2002年2月26日)
* 「[[ビッグマネー!〜浮世の沙汰は株しだい〜]]」第9話(2002年6月6日)
* 「[[天体観測 (テレビドラマ)|天体観測]]」第1話 - 第9話・第11話・最終話(2002年7月2日 - 8月27日・9月10日・9月17日) - 健太の母 役
* 「[[ナースのお仕事#『ナースのお仕事4』(パート4)|ナースのお仕事4]]」第7話(2002年8月13日)
* 「オカンは宇宙を支配する」(2002年9月23日)
* 「[[め組の大吾#テレビドラマ|FIRE BOYS 〜め組の大吾〜]]」第8話(2004年2月24日)
* 「女達の罪と罰」(2004年4月6日) - 食堂の店員 役
* 「[[ワンダフルライフ (テレビドラマ)|ワンダフルライフ]]」第8話(2004年6月1日)
* 「[[危険なアネキ]]」第6話(2005年11月21日)
* 「[[風の輪舞#2006年版|新・風のロンド]]」第51話(2006年3月16日)
* 「[[ブスの瞳に恋してる#テレビドラマ|ブスの瞳に恋してる]]」第10話(2006年6月13日) - 青木 役
* 「[[僕の歩く道]]」第8話(2006年11月28日) - 中年女性客 役
* 「[[のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ]]」第8話(2006年12月4日) - 通行人 役
* 「[[東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (テレビドラマ)#連続ドラマ版|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜]]」第5話(2007年2月5日) - 患者 役
* 「[[ガリレオ (テレビドラマ)|ガリレオ]]」第1話(2007年10月15日) - 証言者のおばちゃん 役
* 「[[白と黒 (テレビドラマ)|白と黒]]」第12話(2008年7月15日)
* 「[[33分探偵|帰ってこさせられた33分探偵]]」最終話(2009年4月18日) - 吉村敏子 役
* [[金曜プレステージ]]
** 「[[ホストの女房]]」(2009年9月4日)
** 「[[屋台弁護士]]」第3作(2009年9月11日) - きよ子 役
* 「[[謎解きはディナーのあとで (テレビドラマ)|謎解きはディナーのあとで]]」第9話・最終話(2011年12月13日・12月20日) - 田口米子 役
* 「[[リッチマン、プアウーマン]]」第4話(2012年7月30日)
* 「[[天国の恋]]」第28話(2013年12月4日) - 元春の叔母 役
* 「[[ビター・ブラッド#テレビドラマ|ビター・ブラッド〜最悪で最強の親子刑事〜]]」第7話(2014年5月27日) - 鍵山の母 役
* 「[[それでも僕は君が好き#テレビドラマ|それでも僕は君が好き]]」第1話 - 最終話(2015年9月29日 - 10月2日) - 祐輔の祖母 役<ref>{{Cite web|和書|author=|url=https://www.fujitv.co.jp/b_hp/sorekimi/index.html|title=それでも僕は君が好き|website=フジテレビ|publisher=[[フジテレビジョン]]|work=|accessdate=2022-05-02}}</ref>
* 「[[民衆の敵〜世の中、おかしくないですか!?〜]]」第2話・第9話(2017年10月30日・12月18日) - 八百屋のおばさん 役
* 「[[全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの#テレビドラマ|全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの Season 2]]」第1話(2022年3月7日)<ref>{{Cite tweet|author=【公式】『全っっっっっ然知らない街を歩いてみたもののSeason2』|user=zenzenshiranai2|number=1498475986014584832|title=第1話「南行徳」ゲスト出演者発表! シルビア・グラブ 伊藤修子 阿部亮平、栄信、市川欣希 小野了、青木和代 小林美江、石倉良信、石井智也 中村里帆、牧田哲也、千代將太 ゆでたまご安井、シイナナルミ #全っっっっっ然知らない街を歩いてみたものの #全知ら2 #南行徳 #ゲスト出演者|date=2022-03-01|accessdate=2022-05-02}}</ref>
==== テレビ朝日 ====
* 「[[だいこんの花#だいこんの花(第1部)|だいこんの花]]」(1970年10月22日 - 12月24日)
* 「[[必殺からくり人・富嶽百景殺し旅]]」第1話(1978年8月25日) - おヤス 役
* 「[[あばれはっちゃく]]」シリーズ
** 「俺はあばれはっちゃく」第8話(1979年3月24日) - 公一の母 役
** 「男!あばれはっちゃく」第36話・第40話・第44話・第48話・第50話・第51話・第60話・第66話・第82話・第100話・第101話(1980年11月29日・12月27日・1981年1月31日・2月28日・3月14日・3月21日・5月23日・7月4日・10月31日・1982年3月13日・3月20日) - 加納章のかあちゃん、君代 役
** 「俺は男だ!あばれはっちゃく」(1982年1月2日)
** 「熱血あばれはっちゃく」(1982年4月10日 - 1983年3月26日)
* 「[[女捜査官#新・女捜査官|新・女捜査官]]」第5話・第6話(1983年5月13日・5月20日)
* [[土曜ワイド劇場]]
** 「窓の中の殺人」(1983年12月10日)
** 「[[渡り番頭・鏡善太郎の推理]]」第1作(2000年2月12日)
** 「[[ドクVSデカ|ドクVSデカ〜心療内科医&殺人課刑事の捜査ファイル〜]]」第1作(2002年12月14日) - 柏木 役
** 「遺言執行人」(2003年8月9日)
** 「[[デパート仕掛け人!天王寺珠美の殺人推理]]」第1作(2007年9月15日) - 宮部貴子 役
** 「弁護士・茜沢翔子の人生相談承ります!」(2008年9月20日) - 同僚 役
** 「[[隠蔽捜査 (テレビドラマ)#テレビ朝日版| 隠蔽捜査2〜果断〜]]」(2008年10月4日) - 小川博美 役
* 「[[凪の光景#テレビ朝日版|凪の光景]]」(1990年2月8日 - 3月15日)
* 「[[本当にあった怖い話]]」「午前四時半の侵入者」(1992年7月20日)
* 「[[往診ドクター事件カルテ]]」第4話(1992年11月3日)
* 「[[ホテルドクター]]」第7話(1993年2月23日)
* 「[[さんかくはぁと]]」第6話(1995年2月13日)
* 「[[名探偵保健室のオバさん#テレビドラマ|名探偵保健室のオバさん]]」第5話(1997年2月3日)
* 「[[独身3!!]]」第1話・最終話(2003年10月10日・12月19日)
* 「[[スカイハイ (漫画)#テレビドラマ|スカイハイ2]]」第7話(2004年2月27日)
* 「[[はるか17#テレビドラマ|はるか17]]」第1話(2005年7月1日)
* 「[[エラいところに嫁いでしまった!#テレビドラマ|エラいところに嫁いでしまった!]]」第1話・第2話(2007年1月11日・1月18日) - 叔母 役
* 「[[特命係長 只野仁 (テレビドラマ)|特命係長 只野仁 3rdシーズン]]」第3話(2007年1月26日) - 掃除のおばちゃん 役
* 「[[生きる (2007年のテレビドラマ)|生きる]]」(2007年9月9日) - 市民たち 役
* 「[[未来講師めぐる]]」第3話(2008年1月25日) - スーパー店員 役
* 「[[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]]」シリーズ
** 「ドクターX〜外科医・大門未知子 第3シリーズ」最終話(2014年12月18日) - 女将 役
** 「ドクターX〜外科医・大門未知子 第6シリーズ」第1話・最終話(2019年10月17日・12月19日) - 野村幸子 役<ref>{{Cite web|和書|title=第10話 ドクターX〜外科医・大門未知子〜「ope.10」{{!}}芸能ニュースならザテレビジョン|url=https://thetv.jp/program/0000958879/10/|website=ザテレビジョン|accessdate=2022-05-02|language=ja|last=ザテレビジョン}}</ref>
* 「[[五年目のひとり]]」(2016年11月19日) - 住人 役
* 「[[トットちゃん!]]」第23話・第25話(2017年11月1日・11月3日) - 疎開先の近所のおばちゃん 役
* [[日曜ワイド]]「[[刑事・横道逸郎]]」(2018年3月11日) - 主婦 役
* 「[[リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜]]」第2話(2018年10月18日)
==== テレビ東京 ====
* 「[[女無宿人 半身のお紺]]」第7話(1991年2月17日)
* 「[[田舎で暮らそうよ]]」(1999年7月14日 - 9月15日) - まかないおばちゃん 役
* [[木曜洋画劇場]]「開幕ベルは華やかに」(2002年1月3日)
* 「[[Deep Love#第2部『Deep Love 〜ホスト〜』|Deep Love 〜ホスト〜]]」第6話(2005年2月11日)
* 「[[モリのアサガオ#テレビドラマ|モリのアサガオ]]」第4話(2010年11月8日) - 聞き込みされる女性 役
* 「[[勇者ヨシヒコと魔王の城]]」第7話(2011年8月19日) - ジャイタンの母 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/yoshihiko/smp/cast/chara031.html|title=ジャイタンの母(青木和代)|work=勇者ヨシヒコ完全図鑑|publisher=[[テレビ東京]]|accessdate=2022-05-02}}</ref>
* 「[[三匹のおっさん#テレビドラマ|三匹のおっさん〜正義の味方、見参!!〜]]」第3話(2014年1月31日) - ヨネ子 役
* 「[[メンズ校#テレビドラマ|メンズ校]]」第2話(2020年10月15日) - 牧主税の祖母(声) 役
* 「[[ダメな男じゃダメですか?#テレビドラマ|ダメな男じゃダメですか?]]」第5話(2022年3月3日)
==== その他 ====
* 「[[天才てれびくんワイド#ザ・ドリームサーフィン|ザ・ドリームサーフィン]]」第6話(2000年5月15日 - 5月17日、NHK教育テレビジョン) - 福田の母 役
* [[女と愛とミステリー]](BSジャパン)
** 「[[喪服の訪問者#2001年版|悪の仮面]]」(2001年9月9日) - 主婦 役
** 「[[北アルプス山岳救助隊・紫門一鬼]]」第6作(2004年11月24日) - 大家 役
* [[水曜ミステリー9]](BSジャパン)
** 「[[ドクター・ヨシカの犯罪カルテ]]」第1作(2006年5月24日)
** 「[[多摩南署たたき上げ刑事・近松丙吉]]」第7作(2007年9月5日) - 介護用品店主 役
** 「[[神楽坂署生活安全課]]」第4作(2008年4月30日) - 騒音苦情の住民 役
** 「[[葬儀屋松子の事件簿]]」第2作(2013年1月23日) - 吾妻みどり荘大家 役
* 「[[ラストメール#ラストメール|ラストメール]]」第7話・最終話(2008年11月27日・12月18日、BS朝日)
* 「ボクが彼女をすきになった理由」(2011年11月6日、関西テレビ)
* 「ワタシが彼をすきになった理由」(2011年11月7日、関西テレビ)
* 「[[ヒトリシズカ (小説)#テレビドラマ|ヒトリシズカ]]」第4話(2012年11月11日、WOWOW)
* 「[[逃亡花#テレビドラマ|逃亡花]]」第10話(2018年6月24日、BSジャパン) - 五所川原一子 役<ref>{{Cite web|和書|title=第10話 逃亡花「奪われた女」{{!}}芸能ニュースならザテレビジョン|url=https://thetv.jp/program/0000937112/10/|website=ザテレビジョン|accessdate=2022-05-02|language=ja|last=ザテレビジョン}}</ref>
* 「[[しずかちゃんとパパ]]」第4話(2022年4月3日、NHK BSプレミアム) - けんちん祭り実行委員会のメンバー 役
=== 特撮 ===
* 「[[不思議少女ナイルなトトメス]]」第46話(1991年11月24日、フジテレビ) - 恋する悪魔(声) 役
* 「[[激走戦隊カーレンジャー]]」第21話(1996年7月19日、テレビ朝日) - AAアバンバ(声) 役
* 「[[超星艦隊セイザーX]]」第30話(2006年4月29日、テレビ東京) - 旅館の女将 役
* 「[[生物彗星WoO]]」第3話・第11話(2006年5月7日・7月16日、NHK) - ばあちゃま 役
=== ラジオドラマ ===
* [[青春アドベンチャー]]「ザ・ワンダーボーイ」(2002年5月13日 - 5月31日、NHK-FM) - マザー・スー 役<ref>{{Cite web|和書|title=放送済みの作品(2002年)|url=https://www.nhk.or.jp/audio/old/prog_se_former2002.html|work=青春アドベンチャー(FM)|website=NHK オーディオドラマ ホームページ|publisher=[[日本放送協会]]|accessdate=2022-05-02}}</ref>
=== バラエティ・再現 ===
* 「[[まんがはじめて物語]]」(1978年5月6日 - 1984年3月31日、TBS)
* [[世界まるごとHOWマッチ]](1983年4月7日 - 1990年4月5日、TBS)
* 「[[前略ヒロミ様]]『コント 三つ子物語』」(1996年4月 - 9月、フジテレビ) - 母 役
* 「[[こたえてちょーだい!]]」(2001年4月2日 - 2007年3月30日、フジテレビ)
* 「[[ディスカバ!99]]」(2003年5月28日、TBS)
* 「[[ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!]]」(2003年7月23日、フジテレビ)
* 「必見! 湯けむり穴場宿から実験放送! ちゅご!」(2004年11月7日、日本テレビ)
* 「[[踊る!さんま御殿!!]]」(2004年12月14日、日本テレビ)
* 「[[タモリのジャポニカロゴス]]『いいまつがい』」(2005年10月11日 - 2008年9月9日、フジテレビ)
* 「[[SMAP×SMAP]]」(2006年9月18日、フジテレビ)
* 「[[大胆MAP]]」(2008年4月6日、テレビ朝日)
* 「[[世直しバラエティー カンゴロンゴ]]」(2009年2月8日、NHK)
* 「[[歌うコンシェルジュ]]」(2011年5月18日、NHK)
* 「[[お願い!ランキング]]」(2012年3月10日、テレビ朝日)
* 「世界の衝撃映像の現場に突撃! 危ないからヤメなさいっ!」(2014年8月12日、テレビ東京) - ナレーター
* 「未解決事件・追跡プロジェクト」(2015年3月22日、NHK)
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1975年 |
* [[フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬]](子供達)
| 1976年 |
* [[ろぼっ子ビートン]](女の人たち)
| 1977年 |
* [[あしたへアタック!]](太田トミ子{{R|あしたへアタック!}})
* [[巨人の星 (アニメ)#新・巨人の星II|新・巨人の星II]]
| 1978年 |
* [[はいからさんが通る#テレビアニメ|はいからさんが通る]](元下女)
* [[未来少年コナン]]('''ジムシィ'''{{R|未来少年コナン}})
| 1979年 |
* [[赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン]](チャーリー・スローン)
* [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]](1979年 - 2005年、ジャイアンのママ、ジャイ子〈2代目〉)
* [[まえがみ太郎]](牛鬼<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1321/| title = まえがみ太郎| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-29}}</ref>)
* [[未来ロボ ダルタニアス]](正坊)
| 1980年 |
* [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん]]
* [[こぐまのミーシャ]]([[onちゃん#初代マスコットキャラ「くん太」|くん太]])
* [[トム・ソーヤーの冒険 (アニメ)|トム・ソーヤーの冒険]]('''ハックルベリー・フィン〈ハック〉'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1370/| title = トム・ソーヤーの冒険| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-10}}</ref>)
* [[森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット]](男の子)
* [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)]](ワイルニャ・オカチメンコ)
| 1981年 |
* [[新竹取物語 1000年女王]](始の母)
* [[ど根性ガエル#1981年版|新・ど根性ガエル]]
* [[百獣王ゴライオン]](女官長ヒス)
* [[まいっちんぐマチコ先生]](タケオ)
* [[名犬ジョリィ]]
| 1982年 |
* [[おはよう!スパンク]]
* [[逆転イッパツマン]](セーコ)
* [[ゲームセンターあらし]](看護婦)
* [[とんでモン・ペ]](看護婦)
* [[忍者ハットリくん]](ユキ子の母)
* [[フクちゃん]](ガン太)
* [[プロゴルファー猿]]TVスペシャル('''大丸'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8082| title = プロゴルファー猿| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2021-07-30}}</ref>)
| 1983年 |
* [[愛してナイト#テレビアニメ|愛してナイト]](母親)
* [[アルプス物語 わたしのアンネット]](ジャン)
* [[ミームいろいろ夢の旅]](武)
| 1984年 |
* [[星銃士ビスマルク]](グレハム夫人、マルロ)
* [[宗谷物語]](女将)
* [[らんぽう]](大家、青葉ハナ、五里山虎子)
| 1985年 |
* [[おねがい!サミアどん]](1985年 - 1986年、ロバート)
* [[オヨネコぶーにゃん]](猫の泥棒)
* [[ハイスクール!奇面組]](海武ツヤ)
* [[六三四の剣]](梶)
* [[名探偵ホームズ]](マルタ)
| 1986年 |
* [[オズの魔法使い (テレビアニメ)|オズの魔法使い]](かぼちゃくん)
* [[機動戦士ガンダムΖΖ]](アンマ)
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第3作)]](1986年 - 1987年、秋山、小豆ばばあ、ケラケラ女)
* [[Bugってハニー]]
* [[めぞん一刻 (アニメ)|めぞん一刻]](1986年 - 1988年、一の瀬花枝<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8305|title=めぞん一刻|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-12-25}}</ref>)
| 1987年 |
* [[ウルトラB]](ドータ)
* [[ついでにとんちんかん]](疫病神の母)
* 瞳のなかの少年 十五少年漂流記(サービス<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1524/| title = 瞳のなかの少年 十五少年漂流記| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2022-05-02}}</ref>)
| 1988年 |
* [[エスパー魔美]](ヒロ)
* [[グリム名作劇場]](猫)
| 1989年 |
* [[おぼっちゃまくん]]('''袋小路金満''')
* [[ミスター味っ子]](おから)
* [[笑ゥせぇるすまん]]
| 1990年 |
* [[オバタリアン]](広江)
* [[かりあげクン]](女将さん、姫川静香)
* [[チンプイ]](モォーヤ)
* [[つる姫じゃ〜っ!]]('''イネさん''')
* [[まじかる☆タルるートくん]](じゃば夫の母)
| 1991年 |
* [[アニメひみつの花園]](スーザン)
* [[それいけ!アンパンマン]](ミットくん)
| 1994年 |
* [[クッキングパパ#アニメ|クッキングパパ]](牧田女医)
| 1996年 |
* [[快傑ゾロ (アニメ)|快傑ゾロ]](ゴンザレスの母)
| 1997年 |
* [[忍ペンまん丸]](タヌ太郎の母)
| 2001年 |
* [[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]](素子の母)
| 2002年 |
* [[花田少年史]](柳原タツ)
| 2006年 |
* [[あたしンち]](おばさんA)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](2006年 - 2012年、市村、光井珠実)
| 2010年 |
* [[スティッチ!|スティッチ 〜ずっと最高のトモダチ〜]](ジャンバの元妻)
| 2011年 |
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](玄さん)
| 2013年 |
* [[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]](2013年 - 2014年、主婦、女房、岩波の妻)
| 2015年 |
* [[俺物語!!]]('''剛田ゆり子'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=MANTANWEB(まんたんウェブ)|title=俺物語!! : 井上喜久子&浪川大輔の出演決定 玄田哲章、茅野愛衣も|url=https://mantan-web.jp/article/20150207dog00m200014000c.html|accessdate=2015-02-07}}</ref>)
* [[怪盗ジョーカー|怪盗ジョーカー シーズン2]](盗賊お頭)
| 2016年 |
* [[くまみこ]](徳山)
| 2022年 |
* [[ピーター・グリルと賢者の時間 Super Extra]](女王)<!-- 2022-10-10 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1979年 |
* [[未来少年コナン]]('''ジムシィ'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1330/| title = 未来少年コナン (劇場版)| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-03}}</ref>)
| 1980年 |
* [[ドラえもん のび太の恐竜]](ジャイアンのママ)
* [[まことちゃん]](作業員)
| 1983年 |
* [[うる星やつら オンリー・ユー]](司令)
* [[ドラえもん のび太の海底鬼岩城]](ジャイアンのママ)
| 1984年 |
* [[ドラえもん のび太の魔界大冒険]](ジャイアンのママ)
* [[パパママバイバイ]](新八)
* 未来少年コナン 巨大機ギガントの復活('''ジムシィ'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1460/| title = 未来少年コナン 巨大機ギガントの復活| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-03}}</ref>)
| 1986年 |
* [[ドラえもん のび太と鉄人兵団]](ジャイアンのママ)
| 1987年 |
* [[ドラえもん のび太と竜の騎士]](ジャイアンの母<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/2237|title=ドラえもん のび太と竜の騎士|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2020-04-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190406054152/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/2237|archivedate=2019-04-06}}</ref>)
| 1988年 |
* [[めぞん一刻 (アニメ)|めぞん一刻 完結篇]](一の瀬花枝)
| 1989年 |
* [[ドラえもん のび太の日本誕生]](ジャイアンの母)
| 1990年 |
* [[ちびまる子ちゃん (映画)|ちびまる子ちゃん]]('''ブー太郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1597/| title = ちびまる子ちゃん 劇場版| publisher = 日本アニメーション | accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
| 1991年 |
* [[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!|ドラミちゃん アララ♥少年山賊団!]](タケ蔵の母)
| 1997年 |
* [[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]](パンダ)
| 1998年 |
* [[帰ってきたドラえもん]](ジャイママ)
| 2001年 |
* [[がんばれ!ジャイアン!!]]('''ジャイ子''')
| 2002年 |
* [[ぼくの生まれた日]](ジャイアンのママ)
| 2003年 |
* [[ドラえもん のび太とふしぎ風使い]](ジャイアンのママ<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/8283|title=ドラえもん のび太とふしぎ風使い|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2020-04-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190405154034/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/8283|archivedate=2019-04-05}}</ref>)
| 2004年 |
* [[ドラえもん のび太のワンニャン時空伝]](ジャイアンのママ)
}}
=== OVA ===
* [[しあわせのかたち]](1990年、ムキちゃん、ナレーション2、シモママ)
* [[めぞん一刻 (アニメ)|めぞん一刻番外編 一刻島ナンパ始末記]](1991年、一の瀬花枝)
=== ゲーム ===
* [[未来少年コナン#ゲーム|未来少年コナン]](1992年、'''ジムシィ''')
* [[リンダキューブ]](1995年、ミーム)
* [[金田一少年の事件簿#ゲーム|金田一少年の事件簿2 地獄遊園殺人事件]](1998年、佐藤ハル)
* [[ゲゲゲの鬼太郎 異聞妖怪奇譚]](2003年)
* 化石モンスター スペクトロブス(2010年、グレッタ)
* [[リトルビッグプラネット2]](2011年、ネガティビトロン)
* [[エクストルーパーズ]](2012年、おばちゃん〈ソフィ〉)
=== 吹き替え ===
==== 洋画 ====
* [[ウェイクアップ!ネッド]](リジー)
* [[風と共に去りぬ (映画)|風と共に去りぬ]](マミー〈[[ハティ・マクダニエル]]〉)※ソフト版
* [[クロコダイル・ダンディー]] ※フジテレビ版
* [[ドラグネット 正義一直線]]
* [[パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々/魔の海]](グレイシスター2)
* [[フィラデルフィア・エクスペリメント]](マー・ウィリス)※テレビ朝日版
* [[フック (映画)|フック]]
* [[マスク (1994年の映画)|マスク]](ピーンマン夫人)※日本テレビ版
* [[ルディ・レイ・ムーア (映画)|ルディ・レイ・ムーア]](叔母〈ルーネル〉)
* [[レディ・キラーズ]](マンソン婦人〈[[イルマ・P・ホール]]〉)
==== 海外ドラマ ====
* [[永遠のワルツ/白い犬とワルツを]](ニーリー)
* [[ダーマ&グレッグ]](セリア)
* [[デスパレートな妻たち|デスパレートな妻たち6]] 第22話
* [[ハリーズ・ロー 裏通り法律事務所]](イヴォンヌ・モリス)
* [[ビッグ・ショーのファミリー・ショー]](レジー〈ジェイミー・モイアー〉)
* [[ダーマ&グレッグ|ふたりは最高! ダーマ&グレッグ]](セリア)
* [[フルハウス (1987年のテレビドラマ)|フルハウス]] 第1シーズン第4話(シンスキー)
* [[フレンズ (1994年のテレビドラマ)|フレンズ]] 第1シーズン第5話(コインランドリーの女性)
* [[世にも不思議なアメージング・ストーリー]]([[メイベル・キング]])
==== 海外アニメ ====
* [[アトランティス 帝国最後の謎]](パッカード)
* [[あの夏のルカ]](おばあちゃん<ref>{{Cite news|url=https://www.fukikaeru.com/?p=15950|title=あの夏のルカ|publisher=ふきカエル大作戦!!|date=2021-06-01|accessdate=2021-06-01}}</ref>)
* [[長くつ下のピッピ]](マチルダのおばさん)
=== 人形劇 ===
* 「[[おかあさんといっしょ]]『[[ドレミファ・どーなっつ!]]』」(1992年10月5日 - 2000年4月1日、'''青井空男''')
=== CM ===
* [[エスビー食品|S&B]] ママチャップカレー(1978年)
* [[花王]] ザブ(1980年)※『俺はあばれはっちゃく』の出演者 [[久里千春]]、[[吉田友紀]]と共演。
* [[パナホーム]] ナショナル住宅(1997年、一の瀬花枝)※顔出しで出演
* [[メットライフ生命保険]](2007年)
* [[カナフレックス]](2010年)
== 出典 ==
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<ref name="声優事典 第二版">{{Cite book|和書 |chapter= 女性篇 |date=1996-03-30 |editor= 掛尾良夫 |title=声優事典 第二版 |page=329 |publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn= 4-87376-160-3}}</ref>
<ref name="あしたへアタック!">{{Cite web|和書|accessdate=2016-06-23 |publisher=[[日本アニメーション]] |title=あしたへアタック! |url=https://www.nippon-animation.co.jp/work/1264/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="未来少年コナン">{{Cite web|和書|accessdate=2016-06-03 |publisher=日本アニメーション |title=未来少年コナン |url=https://www.nippon-animation.co.jp/work/1295/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* [http://www.kira-boshi.com/prof-aoki_kazuyo.html 希楽星によるプロフィール]
* {{Wayback|url=http://www.kira-boshi.com/prof-aoki_kazuyo.html|title=希楽星による公式プロフィール|date=20150822110343}}
* {{Wayback|url=http://www.kira-boshi.com/onna_pro_aoki.htm|title=希楽星による公式プロフィール|date=20060221183532}}
* {{日本タレント名鑑|W93-0028}}
* [https://thetv.jp/person/0000005397/ 青木和代のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* {{Kinejun name}}
* {{Oricon name|227022}}
* {{Movie Walker name|82261}}
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* {{JMDb name|0223310}}
* {{Tvdrama-db name|青木和代}}
{{希楽星}}
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{{DEFAULTSORT:あおき かすよ}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:日本の女優]]
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[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1947年生]]
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青森伸
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青森 伸(あおもり しん、本名:一戸 和男(いちのへ かずお)、1941年10月20日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。青森県出身。青二プロダクション所属。
芸名は出身地の青森県にちなむ。
青森県立柏木農業高等学校卒業。劇団未来劇場、NHK弘前放送劇団を経て、東京アナウンスアカデミー卒業。
以前は東京俳優生活協同組合、シグマ・セブン( - 2013年8月)に所属していた。
声種はバリトン。ちょっと高音域の声であり、ひとくせありな役柄が似合う。
方言は津軽弁で、方言の演技指導をすることもある。
声優としては、1980年から1990年代の『週刊少年ジャンプ』連載作品を原作とするアニメに多く出演している。
俳優としては大河ドラマなどの時代劇や刑事ドラマに多数出演している。
また、ナレーターとしても活躍し、独特の語りで親しまれている。
私生活面では大の釣り好きとして知られ、釣り番組に顔出し出演することもある。他の趣味として家庭菜園での野菜作りを挙げている。
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青森 伸は、日本の声優、俳優、ナレーター。青森県出身。青二プロダクション所属。 芸名は出身地の青森県にちなむ。
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{{声優
| 名前 = 青森 伸
| ふりがな = あおもり しん
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| 本名 = 一戸 和男<br />(いちのへ かずお)<ref name="声優名鑑"> 『声優名鑑』、325頁、[[成美堂出版]]、1999年、ISBN 978-4415008783</ref>
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| 出身地 = {{JPN}}・[[青森県]]<ref name="青二プロダクションアーカイブ">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20151201200801/http://www.aoni.co.jp/actor/a/aomori-shin.html|title=青二プロダクション 青森伸(Wayback Machineによるアーカイブ)|accessdate=2019-10-06}}</ref>
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| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|青二プロダクションアーカイブ}}
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| 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20130810062731/http://sigma7.co.jp/profile/m_01.html|title=シグマ・セブン 青森伸(Wayback Machineによるアーカイブ)|accessdate=2020-08-15}}
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| 身長2 = 178{{R|青二プロダクションアーカイブ}}
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| 活動 = {{声優/活動
| 職種 = 声優
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{{声優/活動
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'''青森 伸'''(あおもり しん、本名:'''一戸 和男'''(いちのへ かずお)、[[1941年]][[10月20日]]<ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/青森伸/#person-110075384_|title=青森伸(あおもりしん)の解説 - goo人名事典|accessdate=2019-10-06}}</ref> - )は、[[日本]]の[[声優]]、[[俳優]]、[[ナレーター]]。[[青森県]]出身{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。[[青二プロダクション]]所属{{R|青二}}。
[[芸名]]は出身地の青森県にちなむ。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}}
== 略歴 ==
[[青森県立柏木農業高等学校]]卒業{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。劇団未来劇場<ref name="talent">{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(1991年版)|page=2|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=|date=1991}}</ref>、NHK弘前放送劇団{{R|talent}}を経て、[[東京アナウンスアカデミー]]卒業{{R|talent}}。
以前は[[東京俳優生活協同組合]]、[[シグマ・セブン]]{{R|シグマ・セブンアーカイブ}}( - 2013年8月)に所属していた{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。
== 人物 ==
[[音域#人声の音域|声種]]は[[バリトン]]{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。ちょっと高音域の声であり、ひとくせありな役柄が似合う<ref>{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 6|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>。
[[日本語の方言|方言]]は[[津軽弁]]で{{R|青二プロダクションアーカイブ}}、方言の演技指導をすることもある{{R|シグマ・セブンアーカイブ}}。
声優としては、1980年から1990年代の『[[週刊少年ジャンプ]]』連載作品を原作とするアニメに多く出演している。
俳優としては[[大河ドラマ]]などの[[時代劇]]や[[刑事ドラマ]]に多数出演している。
また、ナレーターとしても活躍し、独特の語りで親しまれている。
私生活面では大の[[釣り]]好きとして知られ、釣り番組に顔出し出演することもある{{R|シグマ・セブンアーカイブ}}。他の趣味として[[家庭菜園]]での[[野菜]]作りを挙げている{{R|シグマ・セブンアーカイブ}}。
== 出演 ==
=== テレビドラマ ===
* [[柔道一直線#テレビドラマ版|柔道一直線]] 第7話「必殺二段車」(1969年、[[TBSテレビ|TBS]]) - [[梶原一騎]]の声
* [[だいこんの花]] (1970年、NET)
* [[火曜日の女シリーズ]]「恋の罠」(1970年、NTV / 東宝)※一戸和男でクレジット
* [[時間ですよ]] 第2シリーズ (1971年 - 1972年、TBS)
* [[白い影]] 第4話「主治医のミス」(1973年、TBS) - 雑誌記者
* [[ポーラテレビ小説]]12作 「やっちゃば育ち」(1974年、TBS)
* [[鞍馬天狗 (1974年のテレビドラマ)|鞍馬天狗]](1974年、[[日本テレビ|NTV]])
* [[6羽のかもめ]](1974年 - 1975年、フジテレビ)
* [[悪魔のようなあいつ]] 第3話「ジュリーに首ったけ」(1975年、TBS)
* [[俺たちの勲章]] 第13話「誘拐」(1975年、NTV 東宝) - 信濃警察刑事
* 燃えよ!ダルマ大臣 高橋是清伝(1976年、フジテレビ) - [[前田正名]]
* [[高原へいらっしゃい]] (1976年、TBS)
* [[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] (NHK)
** [[山田太一 (脚本家)|山田太一シリーズ]] / [[男たちの旅路]] (1976年)
** [[鎌田敏夫|鎌田敏夫シリーズ]] / [[十字路 (1978年のテレビドラマ)|十字路]] 第二部第1話「みちのく編 ブルートレインの少年」(1978年)
* [[破れ傘刀舟 悪人狩り]] (NET)
** 第62話「許されざる愛」(1975年) - 直七
** 第98話「死神のくれた赤ん坊」(1976年) - 政
* [[飛べ!孫悟空]] (1977年、TBS) - ゴリラの大将(声)
* [[岸辺のアルバム]](1977年、TBS)
* [[まひる野]](1977年 フジテレビ)
* [[青春の門]](1977年 - 1978年、毎日放送) <small>※方言指導</small>
* [[新五捕物帳]] 第12話 「母ごころ夢の富くじ」(1978年) - 清之助
* [[水曜劇場]] [[ムー一族]](1978年、TBS) - 一条家若番頭
* [[熱中時代]] 第22話「お雛さまとさびしい宇宙人」(1979年、日本テレビ) - 綿菓子屋
* [[熱い嵐]](1979年、TBS)
* [[日本巌窟王]] 第8回「虎穴に入る男」(1979年)
* [[池中玄太80キロ]](1980年、日本テレビ)
* [[大河ドラマ]]
** [[獅子の時代]](1980年、[[日本放送協会|NHK]]) - 橋川信三、方言指導
** [[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]](1986年NHK大河ドラマ) - [[古川忠隆|古川弾正]]
* [[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]](1981年、TBS) - 武者
* [[天皇の料理番]] 第12話「水飴とかけがえのない女」(1981年、TBS) - 前田
* [[ポーツマスの旗]](1981年、NHK)
* [[天まであがれ!]] 第14話(1982年) - 訪問販売店店主
* ポーラテレビ小説 「[[おゆう]]」(1983年、TBS)
* [[裸の大将放浪記]] 第11話「別れが悲しかったので」(1983年、関西テレビ) - 巡査
* [[事件記者チャボ!]] 第1話「チャボが大騒ぎでやってきた」(1983年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 警官A
* 花丸銀平(1984年、NHK銀河テレビ小説)
* [[ザ・サスペンス]] / 狙われた女教師(1984年、TBS)
* グランド劇場 「気になるアイツ」(1985年、日本テレビ)
* [[誇りの報酬]] 第25話「あの美女は誰だ?!」(1986年、日本テレビ) - 梅田
* 哀しみの女(1987年、TBS)
* [[火曜スーパーワイド]] 津軽海峡 おんな三人春景色(1988年、テレビ朝日) - マスター
* [[混浴露天風呂連続殺人]]シリーズ7(1988年、朝日放送)
* [[刑事貴族3]] 第16話「その時、愛を抱いて逝った」(1992年、日本テレビ)
* [[月曜ミステリー劇場]] [[終着駅殺人事件]](2001年、TBS)方言指導
* [[西村京太郎]]サスペンス・[[十津川警部シリーズ (渡瀬恒彦)|十津川警部シリーズ]] 第24作(2002年、TBS)
* [[霧の旗#2003年版|松本清張サスペンス特別企画・霧の旗]](2003年9月16日、TBS)
* [[さとうきび畑の唄]](2003年9月28日、フジテレビ) - アナウンス
* [[告発弁護士シリーズ]]4(2003年、TBS) - 野沢裁判長
* [[月曜ゴールデン]](TBS)
** [[税務調査官・窓際太郎の事件簿]](19)(2009年) - 平松、TVの声
** 税務調査官・窓際太郎の事件簿〜第20回記念!沖縄編〜(2010年) - TVの声
** 税務調査官 窓際太郎の事件簿(25)(2013年) - 青森弁の方言指導
** 税務調査官 窓際太郎の事件簿(26)(2014年) - TVの声
** 税務調査官 窓際太郎の事件簿(31)(2016年) - TVの声
** [[寒流 (松本清張)#2013年版|松本清張没後20年スペシャル・寒流]](2013年) - 奈美の父(電話の声)
* [[内部調査官・水平直の報告書]](2011年、TBS)
* 連続ドラマW [[沈まぬ太陽]] 第1部 第2話(2016年、WOWOW) - [[内閣総理大臣]]
=== 映画 ===
* [[激動の昭和史 軍閥]](1970年、東宝)
* 悪魔ですとーりー DEVIL DE STORY(1983年)
=== 舞台 ===
* 未来劇場 第36回公演「猿のセレナータ」(1979年)
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1967年 |
* [[新ジャングル大帝 進めレオ!]]
| 1969年 |
* [[ウメ星デンカ]]
* [[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]](1969年 - 2014年)
| 1975年 |
* [[アンデス少年ペペロの冒険]](クイ)
* [[タイムボカン]](オカーネギ)
| 1976年 |
* [[新ドン・チャック物語]](ドットタイガー、カポーネ)
* [[母をたずねて三千里]](アンドレア)
* [[妖怪伝 猫目小僧]](なき男)
| 1977年 |
* [[あらいぐまラスカル]](マッコイ)
* [[合身戦隊メカンダーロボ]](ユルンガス博士)
* [[超人戦隊バラタック]](コソット)
| 1978年 |
* [[ペリーヌ物語]](客 他)
| 1979年 |
* [[こぐまのミーシャ]](1979年 - 1980年、コンゴ{{R|こぐまのミーシャ}} 他)
| 1980年 |
* [[スーキャット]](ナレーター)
* [[トム・ソーヤーの冒険 (アニメ)|トム・ソーヤーの冒険]](男B)
* [[とんでも戦士ムテキング]](タコサク<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7223|title=とんでも戦士ムテキング|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>)
| 1981年 |
* [[まんが 水戸黄門]](極悪坊)
* [[名犬ジョリィ]](警官B)
* [[ヤットデタマン]](フレンド)
| 1982年 |
* [[逆転イッパツマン]](ドッグホエラー)
| 1983年 |
* [[亜空大作戦スラングル]](ダイアン、ゼネラル・タブ)
* [[ストップ!! ひばりくん!]](虎造)
* [[Dr.スランプ アラレちゃん]](1983年 - 1984年、親分、キラースナイパー)
* [[ふしぎの国のアリス (テレビアニメ)|ふしぎの国のアリス]](カラスの船長)
| 1984年 |
* [[OKAWARI-BOY スターザンS]](狩上ハチロー{{R|スターザンS}})
* [[機甲界ガリアン]](1984年 - 1985年、審問官)
* [[超攻速ガルビオン]](ブルーテス)
| 1985年 |
* [[蒼き流星SPTレイズナー]](ズール)
* [[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]](現場監督)
| 1986年 |
* [[ドテラマン]](ヒッツ鬼、フロシ鬼)
* [[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]([[レッドリボン軍|メタリック軍曹]])
| 1987年 |
* [[アニメ80日間世界一周]](新聞社社長{{R|アニメ80日間世界一周}})
* [[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]](1987年 - 1988年、蒲生伸吉、マスター) - 2シリーズ
| 1988年 |
* [[いきなりダゴン]](ゴジ{{R|いきなりダゴン}})
* [[ミスター味っ子]](1988年 - 1989年、滝沢彦之助)
* [[トッポ・ジージョ|夢見るトッポ・ジージョ]](ニコロ)
| 1989年 |
* [[アイドル伝説えり子]](西条)
* [[悪魔くん]](アムドスキアス)
* [[たいむとらぶるトンデケマン!]](ポセイドン)
* [[天空戦記シュラト]](カリ)
* [[魔法使いサリー]](アバコ)
* [[YAWARA!]](プロデューサー)
| 1990年 |
* [[NG騎士ラムネ&40]](コクテン)
* [[美味しんぼ]](富井修、田中プロデューサー、木曽友二)
* [[ジャングルブック・少年モーグリ]](ドールの頭目)
| 1991年 |
* [[魔法のプリンセス ミンキーモモ]](デストラーデ警部)
* [[横山光輝 三国志]]([[文醜]])
* [[笑ゥせぇるすまん]](1991年 - 1992年、越葉庄介、出口、日練詩作)
| 1992年 |
* [[スペースオズの冒険]](ドクター・ライ)
* [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-#1991年版『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』|ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作)]](マトリフ)
| 1993年 |
* [[忍たま乱太郎]](矢沢永吉)
* [[熱血最強ゴウザウラー]](ギーグ<ref name="gou">{{Cite web|和書| url = http://www.eldran.net/gosaurar/world/index.html#cast| title =熱血最強ゴウザウラー |website = エルドラン公式サイト| publisher = サンライズ| accessdate = 2022-03-03}}</ref>、機械神<ref name="gou"/>、拳一の父)
* [[平成イヌ物語バウ]](犬神{{R|平成イヌ物語バウ}})
* [[幽☆遊☆白書 (テレビアニメ)|幽☆遊☆白書]](黒桃太郎)
| 1994年 |
* [[機動武闘伝Gガンダム]](カラト委員長)
* [[とっても!ラッキーマン]](です代の父)
* [[ドラゴンボールZ]](キビト)
* [[覇王大系リューナイト]](海賊船長)
* [[ハックルベリー・フィン物語]](親父)
| 1995年 |
* [[アメリカ物語 ファイベルの冒険]](パパ)
* [[怪盗セイント・テール]](菅原)
* [[恐竜冒険記ジュラトリッパー]](イソローク)
* [[ストリートファイターII V]](老人)
| 1996年 |
* [[機動新世紀ガンダムX]](フィクス・ブラッドマン)
* [[快傑ゾロ (アニメ)|快傑ゾロ]](ディアス)
* [[地獄先生ぬ〜べ〜]](はたもんば)
* [[はじめ人間ゴン]](のうふ)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年 - 2008年、小川雅行、小宮山泰司、宝田太、倉田栄三、小倉巡査、高橋久道)
| 1997年 |
* [[手塚治虫の旧約聖書物語]](ソロモン)
* [[ドラゴンボールGT]](ビッシュの父、七星龍)
* ドラゴンボールGTスペシャル 悟空外伝!勇気の証しは四星球(ゲットー)
| 1998年 |
* [[快傑蒸気探偵団 TV ANIMATION SERIES]](ジモシー)
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第4作)]](刑天)
* [[ドクタースランプ]](チビルの父)
* [[遊☆戯☆王 (アニメ第1作)|遊☆戯☆王]](金倉)
| 1999年 |
* [[THE ビッグオー]](オリバー・ガーランド)
* [[ルパン三世 愛のダ・カーポ〜FUJIKO'S Unlucky Days〜]](古美術商)
| 2000年 |
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](悪代官)
* [[週刊ストーリーランド]](2000年 - 2001年、源五郎、居酒屋のおやじ、プロデューサー、管理人、バス運転手)
* [[タイムボカン2000 怪盗きらめきマン]](オデコロン{{R|怪盗きらめきマン}}、大久保デコ左衛門)
* [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]](2000年 - 2002年、担当医、ジャック)
* [[ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom]](父親)
| 2001年 |
* [[ゴーゴー五つ子ら・ん・ど]](かわばたの父)
| 2003年 |
* [[アストロボーイ・鉄腕アトム]](ブルダ博士)
* [[GAD GUARD]](ピンス)
* [[鋼の錬金術師 (アニメ)|鋼の錬金術師]](2003年 - 2004年、医師、バスク・グラン)
* [[ブラック・ジャック2時間スペシャル 〜命をめぐる4つの奇跡〜]](刑事)
| 2004年 |
* [[サムライチャンプルー]](小五郎)
* [[みさきクロニクル〜ダイバージェンス・イヴ〜]](高等執行員)
* [[焼きたて!!ジャぱん]](板前)
| 2005年 |
* [[ギャラリーフェイク]](小森老人)
* [[創聖のアクエリオン]](夜翅〈ヨハネス〉)
* [[BLACK CAT]](トルネオ=ルドマン)
* [[MONSTER (漫画)|MONSTER]](男)
| 2006年 |
* [[蒼天の拳]](周)
| 2007年 |
* [[GR-GIANT ROBO-]](男)
* [[のだめカンタービレ]](三善誠一郎<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180302103913/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/9872| title = のだめカンタービレ| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2017-02-12}}</ref>)
* [[まじめにふまじめ かいけつゾロリ]](ラッパ)
| 2008年 |
* [[アリソンとリリア]](エルバー<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180217202803/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/10500| title = アリソンとリリア| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-08-05}}</ref>)
* [[鉄のラインバレル]](児玉総理)
* [[ゴルゴ13]](黒幕)
| 2009年 |
* [[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST]](バスク・グラン)
| 2010年 |
* [[動物かんきょう会議]](イグアナ兄弟のイーグ<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C13557|title=動物かんきょう会議|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>とガーラ)<!--メディア芸術データベースはそのインターフェイスの都合、途中で切られてしまうのだが、丁度「イグアナのガーラ」のところで切れていて確認出来ない。-->
| 2011年 |
* [[デュエル・マスターズ (アニメ)|デュエル・マスターズ シリーズ]](2011年 - 2014年、切札勝三) - 4シリーズ
* [[ポケットモンスター ベストウイッシュ]](市長)
| 2014年 |
* [[暴れん坊力士!!松太郎]](雷神親方)
* [[ドラゴンボール改]](キビト)
* [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]](チンジャオ)
| 2015年 |
* [[ONE PIECE エピソードオブサボ 〜3兄弟の絆 奇跡の再会と受け継がれる意志〜]](チンジャオ)
| 2016年 |
* [[ドラゴンボール超]](キビト)
| 2017年 |
* [[タイガーマスクW]](老村長)<!-- 2017-01-29 -->
* [[鬼平 (アニメ)|鬼平]](坪井主水)<!-- 2017-03-28 -->
* デュエル・マスターズ(切札勝三)<!-- 2017-11-05 -->
| 2018年 |
* [[グランクレスト戦記]](サトゥルス)<!-- 2018-01-06 -->
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第6作)]](2018年 - 2019年、海座頭<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1531473286|title=『ゲゲゲの鬼太郎』第16話先行場面カット&あらすじ到着! 海座頭役に青森伸さん出演&鬼太郎列車がリニューアル!|work=アニメイトタイムズ|date=2018-07-14|accessdate=2018-07-14}}</ref>、金井大吉<ref>{{Cite web|和書|url=https://cho-animedia.jp/article/2019/02/16/10904.html|title=のっぺらぼうがSNSでアイドルと知り合いにーTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第44話あらすじ&先行カットが到着|work=超!アニメディア|date=2019-02-16|accessdate=2019-02-16}}</ref>)<!-- 2018-07-15 -->
| 2019年 |
* [[博多明太!ぴりからこちゃん]](あま王様)<!-- 2019-08-11 -->
| 2021年 |
* [[デュエル・マスターズ キング!]](切札勝三)<!-- 2021-10-31 -->
* [[闘神機ジーズフレーム]](ウィルマース)<!-- 2021-11-30 -->
| 2022年 |
* [[デジモンゴーストゲーム]](ジュレイモン)<!-- 2022-01-30 -->
* [[SHAMAN KING]](ホロホロの祖父)
| 2023年 |
* [[逃走中 グレートミッション]](松之丞の父)<!-- 2023-06-18 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1987年 |
* [[プロゴルファー猿|プロゴルファー猿 甲賀秘境!影の忍法ゴルファー参上]](カラス麻呂<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410121|title=プロゴルファー猿 甲賀秘境! 影の忍法ゴルファー参上!|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>)
| 1988年 |
* [[ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険]](メタリック軍曹)
| 1989年 |
* [[宇宙皇子]](役人)
| 1990年 |
* ヘヴィ(キングコング)
| 1991年 |
* とべ!くじらのピーク(ゴルサ)
| 1992年 |
* [[機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光]](ユーリー・ハスラー)
* [[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 ぶちやぶれ!!新生6大将軍]](マトリフ)
| 1994年 |
* 土俵の鬼たち
* [[バウ (漫画)|平成イヌ物語バウ]](犬神<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1696/| title = 平成イヌ物語バウ 劇場版| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-05-17}}</ref>)
| 1995年 |
* [[ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる]](ヒルデガーン{{R|龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる}})
| 1996年 |
* [[APO APOワールド ジャイアント馬場90分一本勝負]](ブラッディ)
* 賢治のトランク
* [[チョッちゃん物語#アニメ版|チョッちゃん物語]](中野)
* [[ブラック・ジャック (OVA)#劇場版|ブラック・ジャック 劇場版]](ブレーン会長)
| 1997年 |
* [[クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡]](魔人ジャーク)
* [[愛は風の如く#映画|ヘルメス-愛は風の如く]](カイペイヤ)
| 2004年 |
* [[ドラえもん のび太のワンニャン時空伝]](ネコジャラ軍兵士<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C411284|title=ドラえもん のび太のワンニャン時空伝|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>)
| 2007年 |
* [[創聖のアクエリオン|劇場版 アクエリオン]](夜翅)
| 2017年 |
* [[青鬼 (ゲーム)|青鬼 THE ANIMATION]](テープの声〈津軽弁〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C413614|title=青鬼 THE ANIMATION|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>)
| 2018年 |
* [[ドラゴンボール超 ブロリー]](執事)
}}
=== OVA ===
{{dl2
| 1986年 |
* [[機甲界ガリアン|機甲界ガリアン 大地の章]](審問官B)
* [[機甲界ガリアン 鉄の紋章]](武将B)
| 1987年 |
* [[魔神伝|真魔神伝 バトルロイヤルハイスクール]](馬場)
| 1988年 |
* [[現世守護神ぴーひょろ一家]](悪霊)
* [[渋谷ホンキィトンク]]
* [[トウキョウ・バイス]](小寺課長)
* [[ドラゴンズヘブン|DRAGON'S HEAVEN]](騎士)
| 1990年 |
* [[マッド☆ブル34]](ブラックタトゥ)
| 1991年 |
* [[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]](ユーリー・ハスラー)
* [[創竜伝]](鳥羽靖一郎)
* [[迷走王 ボーダー|迷走王ボーダー 社会復帰編]](黒川)
| 1992年 |
* [[世界の光 親鸞聖人]](性信房)
* [[ハード&ルーズ|ハード&ルーズ 私立探偵〜土岐正造トラブル・ノート〜]](久保)
| 1994年 |
* [[湘南純愛組!]](校長先生)
| 2000年 |
* [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説外伝 螺旋迷宮]](ツィーテン元帥)
| 2003年 |
* [[IZUMO (ゲーム)|IZUMO]]
| 2006年 |
* [[サンリオ]]世界名作映画館「[[アヒルのペックル]]の[[アラジンと魔法のランプ]]」(魔法使い)
| 2007年 |
* [[創星のアクエリオン]](夜翅)
<!--メディア芸術データベースに間違いがないのであれば、創星のアクエリオンは2005年…。
<ref>{{Cite web |url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C11116|title=創聖のアクエリオン|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>
-->
}}
=== Webアニメ ===
* [[クレヨンしんちゃん外伝 おもちゃウォーズ]](2016年、ナレーション)
* [[バキ]](2020年、執事)<!-- 2020-06-04 -->
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1991年 |
* [[R-TYPE|R-TYPE COMPLETE CD]](ナレーション)
| 1996年 |
* [[ドラゴンボールZ 偉大なるドラゴンボール伝説]](キビト)
| 1997年 |
* My Dream On Air〜が待てなくて〜(喫茶マスター)
| 1998年 |
* [[3×3 EYES|3×3EYES 〜転輪王幻夢〜]](トンガリキの老人)
| 1999年 |
* [[エースコンバット3 エレクトロスフィア]](ゼネラル司令官)
| 2000年 |
* [[機動戦士ガンダム ギレンの野望 ジオンの系譜]](ユーリー・ハスラー、デラーズフリート士官)
* [[クロスファイア (PlayStation 2)|クロスファイア]](ジェームス・O・グレン少将)
* [[ケロケロキング]]
| 2001年 |
* [[風のクロノア2 〜世界が望んだ忘れもの〜]](モメット)
| 2002年 |
* [[機動戦士ガンダム ギレンの野望 ジオン独立戦争記]](ユーリー・ハスラー、ジオニック社重役)
* [[サーヴィランス 監視者]](カブラ・コルデロ)
| 2003年 |
* [[機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙]](ユーリー・ハスラー)
| 2004年 |
* [[ドラゴンボールZ2]](キビト)
| 2005年 |
* [[ドラゴンボールZ3]](キビト)
| 2006年 |
* [[ドラゴンボールZ Sparking! NEO]](ヒルデガーン)
| 2007年 |
* [[ドラゴンボールZ 真武道会2]](キビト)
* [[ドラゴンボールZ Sparking! METEOR]](ヒルデガーン)
| 2008年 |
* [[アローン・イン・ザ・ダーク]](テオ・パディントン)
* [[機動戦士ガンダム ギレンの野望 アクシズの脅威]](ユーリー・ハスラー)
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ シネマランド カチンコガチンコ大活劇!]]
| 2009年 |
* [[機動戦士ガンダム ギレンの野望 アクシズの脅威V]](ユーリー・ハスラー)
* [[スーパーロボット大戦NEO]](機械神)
* [[ドラゴンボール 天下一大冒険]](メタリック軍曹)
| 2010年 |
* [[ゴッド・オブ・ウォー|ゴッド・オブ・ウォーIII]]
* [[ドラゴンボールDS2 突撃!レッドリボン軍]](メタリック軍曹)
| 2011年 |
* [[機動戦士ガンダム 新ギレンの野望]](ユーリー・ハスラー)
* [[ドラゴンボール アルティメットブラスト]](ヒルデガーン)
| 2013年 |
* [[スーパーロボット大戦Operation Extend]](機械神)
| 2014年 |
* [[シャリーのアトリエ 〜黄昏の海の錬金術士〜]](テオクーガ<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[電撃PlayStation]]|issue=Vol.564|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|date=2014-04-10}}</ref>)
* [[ドラゴンボールヒーローズ]](2014年 - 、キビト、七星龍) - 4作品<ref group="注">『ドラゴンボールヒーローズ』、『ドラゴンボールヒーローズ アルティメットミッション』シリーズ(2、X)、『[[スーパードラゴンボールヒーローズ]]』</ref>
* ONE PIECE 超グランドバトル! X(チンジャオ)
| 2015年 |
* [[ドラゴンボールZ 超究極武闘伝]](キビト、ヒルデガーン、七星龍)
| 2016年 |
* [[ドラゴンボールフュージョンズ]](ヒルデガーンベビー)
| 2018年 |
* [[戦場のヴァルキュリア4]](アンドレ・デュノア<ref>{{Cite web|publisher=[[セガゲームス]]|work=戦場のヴァルキュリア4|url=http://portal.valkyria.jp/vc4/character/inner.html?page=andore|title=CHARACTER|accessdate=2018-02-20}}</ref>)
| 2019年 |
* [[キングダム ハーツIII]](ジョシャミー・ギブス航海士)<!-- 2019-01-25 -->
* [[スーパードラゴンボールヒーローズ ワールドミッション]](キビト、七星龍、ヒルデガーン)<!-- 2019-04-04 -->
| 2020年 |
* [[ドラゴンボールZ カカロット]](キビト)<!-- 2020-01-16 -->
| 2021年 |
* [[テイルズオブアライズ]](ケルザレク)<!-- 2021-09-09 -->
| 2022年 |
* [[鋼の錬金術師 MOBILE]](バスク・グラン)<!-- 2022-08-04 -->
| 2024年 |
* [[ペルソナ3 リロード]](無達<ref>{{Cite web|和書|url= https://p-ch.jp/news/12013/|title= 『ペルソナ3 リロード』真田、美鶴、風花の新戦闘服と「タルタロス」の紹介、街中で出会えるキャラクターなど最新情報を続々公開! |work=ペルソナチャンネル|date=2023-11-09|accessdate=2023-11-09}}</ref>)<!-- 2024 -->
}}
=== ドラマCD ===
* インテグラ(社長)
* 可愛いひと。4(高根惣一郎)
* [[季節を抱きしめて]](真二の父)
* [[北の漁場]](エンの父)
* コルセーアシリーズ(バルバロッサ)
* 女王様の料理人〜美食の悦楽〜(江田会長)
* DEAD LOCK(ホーズ)
* 願い叶えたまえ3(会長)
* [[BLACK CAT]](トルネオ=ルドマン)
* [[仏ゾーン|仏ゾーン1:覚醒の章]](自覚大師、マイク箕浦)
* [[美女が野獣]](番台のオヤジ)
* 無敵なあの子(友生の父)
=== ラジオドラマ ===
* [[深夜版ラジオマンガ]](1977年、TBS)
* [[ラジオ図書館]] 結婚15の歓び(1985年)
* [[NHK-FM]] [[青春アドベンチャー|青春アドベンチャーロード]] 皇帝の密使(1986年)
* [[青山二丁目劇場]]
** 「東原画伯兄弟」(2015年) - 花村
** 「死ぬ気で伝えるメッセージ」(2015年) - 大武社長
** 「上手に離婚をする方法」(2015年) - 杉田
** 「最後の言葉」(2016年) - マスター
** 「じいちゃんとの約束」(2016年) - 祖父
** 「堀の内」(2017年) - ご隠居
** 「明日を待つ子供たち」(2017年) - 孝司
** 「空に記す〜新潟編〜」(2018年) - 靖
** 「あなたの人生、書きます」(2021年) - 飯島実
=== 吹き替え ===
==== 俳優 ====
* '''[[オジー・デイヴィス]]'''
** [[依頼人|ザ・クライアント 依頼人]](ハリー・ルーズベルト判事)※ソフト版
** [[ドクター・ドリトル]](アーチャー・ドリトル)※ソフト版
** [[十二人の怒れる男 評決の行方]](陪審員2番)※ソフト版
==== 映画 ====
* [[赤ちゃんはトップレディがお好き]](ヒューズ・ララビー〈[[パット・ヒングル]]〉)
* [[あなたが寝てる間に…]](ジェリー・ウォレス〈ジェイソン・バーナード〉)
* [[アイ,ロボット]](ナレーター、命令の声)
* [[アラン・ドロンの刑事物語]](マブロス〈ジャン=ルイ・フルキエ〉)
* [[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]](サルタン)※日本テレビ版
* [[ヴァンパイア/最期の聖戦]](アルバ枢機卿〈[[マクシミリアン・シェル]]〉)※ソフト版
* [[X-FILE|X-ファイル MASTER PLAN]]
* X-ファイル ペイシェントX
* [[カーリー・スー]](アルバート〈[[ブランスコム・リッチモンド]]〉)※日本テレビ版
* [[ガンメン]](シャベス〈[[リチャード・C・サラフィアン]]〉)
* [[キャスパー (映画)|キャスパー]](ファッツォ)※ビデオ版
* [[クリフハンガー (映画)|クリフハンガー]](ウォルター・ライト〈[[ポール・ウィンフィールド]]〉)※[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]版、(エージェント・マイケルズ、財務省のエージェント)※フジテレビ版
* [[刑事ニコ/法の死角]](ニコの同僚〈ロン・ディーン〉)※[[テレビ朝日]]版
* [[K-9/友情に輝く星]](ディロン〈シャーマン・ハワード〉)※ソフト版
* [[ゴースト・スクリーム]](サイモン卿〈[[パトリック・スチュワート]]〉)※ビデオ版
* [[ゴーン・フィッシン']]
* [[ザ・インターネット]]
* [[死の標的]](ピート・ストーン〈ピーター・ジェイソン〉、武器商人)※フジテレビ版
* [[ジキル&ハイド (映画)|ジキル&ハイド]](メアリーの父〈[[マイケル・ガンボン]]〉)
* [[スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け]]('''[[ダース・シディアス|シーヴ・パルパティーン]]'''〈[[イアン・マクダーミド]]〉<ref>{{Cite web|和書|work=アニメイトタイムズ|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1576498523|title=『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』若本規夫さん、島田敏さん、高島雅羅さんらレジェンド声優出演! 津田健次郎さん(カイロ・レン)、永宝千晶さん(レイ)らも続投!|date=2019-12-17|accessdate=2019-12-17}}</ref>)
* [[ランゴリアーズ|スティーヴン・キングのランゴリアーズ]](ドン・ギャフニー〈[[フランキー・フェイソン]]〉)
* [[スナッパー/私のパパはだれ]](ジョージ・バージェス〈パット・ラファン〉)
* [[スニーカーズ]]
* [[青春の城 コビントン・クロス]](バークリー〈フォーブス・コリンズ〉)
* [[ダイナウォーズ/恐竜王国への大冒険]]
* [[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]](スパイサー・ラブジョイ執事〈[[デビッド・ワーナー]]〉)※ソフト版・3D版
* [[007 ゴールデンアイ]](ジャック・ウェイド〈[[ジョー・ドン・ベイカー]]〉)※ソフト版
* [[チキンラン]](ニック〈[[ティモシー・スポール]]〉)
* [[ザ・フラッシュ#『超音速ヒーロー ザ・フラッシュ』|超音速ヒーロー ザ・フラッシュ]] ※日本テレビ版
* [[ツインドラゴン]]
* [[TENET テネット]](マイケル・クロズビー卿〈[[マイケル・ケイン]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=14958|title=TENET テネット|work=ふきカエル大作戦!!|date=2020-12-08|accessdate=2020-12-08}}</ref>)
* [[逃亡者 (1993年の映画)|逃亡者]](ケリー刑事〈ロン・ディーン〉)※テレビ朝日版
* [[ドランクモンキー 酔拳]](レイ〈フォン・ギンマン〉)※テレビ東京版
* [[トランスポーター2]](ステイプルトン〈[[キース・デヴィッド]]〉)
* [[トゥルー・ロマンス]](ヴァージル〈[[ジェームズ・ガンドルフィーニ]]〉)
* [[永遠に美しく…]](医師〈[[シドニー・ポラック]]〉)※DVD版
* [[ネイビー・シールズ (1990年の映画)|ネイビー・シールズ]](ウエスト・コーカー提督〈リチャード・ヴェンチャー〉)※テレビ朝日版
* [[灰の記憶]](ムスフェルド軍曹〈[[ハーヴェイ・カイテル]]〉)
* [[裸のランチ]](ハンス〈ロバート・A・シルヴァーマン〉)
* [[パイレーツオブカリビアン|パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ]](ギブス航海士〈[[ケヴィン・マクナリー]]〉)
** [[パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち]]
** [[パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト]]
** [[パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド]]
** [[パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=4713|work=話題のふきカエ|title=パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉|website=ふきカエル大作戦!!|accessdate=2022-01-11}}</ref>
** [[パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=7250|work=話題のふきカエ|title=パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊|website=ふきカエル大作戦!!|accessdate=2022-01-11}}</ref>
* [[バック・イン・ザ・USSR (映画)|バック・イン・ザ・USSR]](チャゾフ〈[[ブライアン・ブレスド]]〉)
* [[プーと大人になった僕]](ナレーター<ref>{{Cite news|publisher=|work=ふきカエル大作戦!!|url=https://www.fukikaeru.com/?p=10304|title=プーと大人になった僕|date=2018-09-14|accessdate=2018-09-14}}</ref>)
* [[PLANET OF THE APES/猿の惑星]](アター〈[[マイケル・クラーク・ダンカン]]〉<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/016655/index.php| title = PLANET OF THE APES/猿の惑星| publisher = WOWOW| date = 2016-06-24| accessdate = 2016-07-27}}</ref>)※DVD版
* [[フランケンシュタインの復活]](クローグ警視〈ライオネル・アトウィル〉)
* [[フリー・ウィリー]](ウェイド〈[[リチャード・リール]]〉)※テレビ朝日版
* [[ブレインストーム]]
* [[ペイ・フォワード 可能の王国]](トールセン氏〈ゲイリー・ワーンツ〉)
* [[ホーンティング]](マロー教授〈[[リーアム・ニーソン]]〉)
* [[保険調査員フランク25]](ゲイリー・オーエンズ〈本人〉)
* [[マイティ・ジョー]](シュトラッサー〈[[ラデ・シェルベッジア]]〉)
* [[魔性弁護人]](裁判官、ゲイブ〈ケン・ライアン〉)
* [[ミオとミラミス 勇者の剣]](刀鍛冶〈スヴァレ・アンケル・オーズダル〉)
* [[ミッション・クレオパトラ]](アモンボーフィス〈[[ジェラール・ダルモン]]〉)
* [[愉快なシーバー家]](ヒンクリー)#17
* [[48時間 (映画)|48時間]]
* [[48時間PART2/帰って来たふたり]] ※日本テレビ版
* [[リッチー・リッチ]](リチャード・リッチ〈[[マーティン・マル]]〉)
* [[リトル・ブッダ]]
* [[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ|ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝 天地笑覇]](老師様〈[[シー・キエン]]〉)
==== テレビドラマ ====
* [[アナザー・ライフ〜天国からの3日間〜]](チャーリー・ウィンターズ / チャーリー・サマーズ〈ロン・グラス〉)#8
* [[アリー my Love]](ペリー、ウィリアム・ローラー)
* [[アボンリーへの道]](アーチー・ギリス〈ジョン・フリーゼン〉)
* [[ER緊急救命室]]シリーズ
** シーズン4(チャック・アーテバン〈マイケル・ケイガン〉)#15
** シーズン5(マシュー・リン教授〈[[ロスコー・リー・ブラウン]]〉)#19
** シーズン12(デクスター・ジェンキンス〈ルー・ベティ・Jr〉)#14
** シーズン13(エドガー・ディクソン〈デヴィッド・ジーン・トーマス〉)#12
* [[WITHOUT A TRACE/FBI 失踪者を追え!|WITHOUT A TRACE/FBI 失踪者を追え!2]](フェザーズ)#20
* [[オビ=ワン・ケノービ (テレビドラマ)|オビ=ワン・ケノービ]]([[ダース・シディアス|シーヴ・パルパティーン皇帝]]〈イアン・マクダーミド〉)
* [[L.A.ロー 七人の弁護士]](ジョゼフ・ラッセル〈[[ジェームズ・ピケンズ・Jr]]〉、対立候補)
* [[華麗なるペテン師たち]](アーサー・ボンド〈[[フィリップ・ジャクソン]]〉)#6
* [[恐竜家族]](アル・ハリス、タイ・ワーナー〈[[ジョン・ポリト]]〉)
* [[刑事ヴァランダー|刑事ヴァランダー4 ザ・ファイナル]](マックス・クールー〈ジョン・カーニー〉)
* [[ザ・シークレット・ハンター]](警部補)
* [[サブリナ (テレビドラマ)|サブリナ]] #108
* [[ザ・ホワイトハウス]]3(ジャック〈ゲイリー・ファーマー〉)#51
* [[三国志演義 (テレビドラマ)|三国志演義]](諸葛噡)※NHK-BS2版
* [[ストーリーテラー (テレビドラマ)|ジム・ヘンソンのストーリーテラー]](ニック)
* [[新スーパーマン]](ゼイリン将軍〈J・A・プレストン〉)
* [[シークエスト]](ヤング博士〈[[ロスコー・リー・ブラウン]]〉)
* [[シークレット・アイズ〜華麗なる作戦]](デビッド・ジャレット〈[[エドワード・アルバート]]〉)
* [[刑事コロンボ|新・刑事コロンボ 迷子の兵隊]](ウィニック教官〈ジェームズ・ラシュリー〉)
* [[心理探偵フィッツ]](マイケル・ハーベイ〈デヴィッド・コールダー〉)
* [[スピン・シティ]](ロイド・ドラム〈マイク・ホッジ〉)
* [[ダークスカイ]](ボブ)
* [[ターザンの大冒険]](アレクセイ)※NHK-BS2版
* [[タイムマシーンにお願い]](ブラシ〈[[ケン・フォリー]]〉)
* [[デスパレートな妻たち]](ショウ〈[[リチャード・ラウンドトゥリー]]〉)
* [[ドクター・フー]](大統領)
* [[ファン・ジニ (テレビドラマ)|ファン・ジニ]](ムミョンの父)
* [[ふたりはふたご]](コンラッド神父〈[[ウェイン・ティピット]]〉)
* [[プロビデンス (テレビドラマ)|プロビデンス]](アンソニー博士〈マイケル・ウィンターズ〉)
* [[プライベート・プラクティス 迷えるオトナたち|プライベート・プラクティス4]](ラリー・キャノン〈オバ・ババチュンド〉)
* [[フラグルロック]]
* [[ブラザーズ&シスターズ]](ウィリアム・ウォーカー〈[[トム・スケリット]]〉)
* [[フリッパー]](ダルトン船長〈ガス・マーキュリオ〉)
* [[冒険野郎マクガイバー]](スタンピー〈リー・ウェイバー〉)
* [[マペット・ショー]]
* [[名探偵ポワロ]] ※NHK版
** 「安いマンションの事件」(殺し屋 / マフィア)
** 「[[ひらいたトランプ]]」(ヒューズ大佐〈[[ロバート・パフ]]〉)
* [[名探偵モンク|名探偵モンク2]](クリスティーヌ刑務所長〈ジョン・コスラン・Jr.〉)#16
* 名探偵モンク4(レイ・ニコルソン市長〈[[シャイ・マクブライド]]〉)#2
* [[ヤングライダーズ]](ホレース、編集長、開拓者)
* [[霊能者アザーズ]](エルマー〈[[ビル・コッブス]]〉)
==== アニメ ====
* [[アラジンの大冒険]](アマール〈2代目〉、オマール)
* [[キム・ポッシブル]](ドクター・ドラッケン)
* [[ぎゃあ!!!リアル・モンスターズ]](グロンブル)
* [[くまのプーさん (ディズニー)|くまのプーさん]]('''[[ディズニー版くまのプーさんのキャラクター一覧#ナレーター|ナレーター]]'''〈2代目〉)
** [[くまのプーさん 完全保存版]]※ブエナ・ビスタ版
** [[くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!]]
** [[ティガー・ムービー プーさんの贈りもの]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C411047|title=ティガームービープーさんの贈りもの|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-01-11}}</ref>
** くまのプーさん みんなのクリスマス
** くまのプーさん ルーの楽しい春の日
** [[ザ・ブック・オブ・プー]]
** [[くまのプーさん (2011年の映画)|くまのプーさん (2011)]]
** くまのプーさん ちいさなぼうけん
* [[西遊記 孫悟空対白骨婦人]](熊怪)
* [[ザ・シンプソンズ]](シーモア・スキナー校長〈アーミン・タムザリアン〉、ジュリアス・ヒバート医師、コミック・ブック・ガイ 他)
** [[ザ・シンプソンズ MOVIE]](シーモア・スキナー校長〈アーミン・タムザリアン〉、ジュリアス・ヒバート医師)
* [[スクービー・ドゥー|スクービー&スクラッピードゥー]]
* [[スター・ウォーズ:テイルズ・オブ・ジェダイ]]([[ダース・シディアス|シーヴ・パルパティーン]])
* [[ババール|ぞうのババール]](ラタックス)
* [[タンタンの冒険旅行]](ラスタポプロス)
* [[チキンラン]](ニック)
* [[ネクスト・アベンジャーズ: 未来のヒーローたち]](ブルース・バナー / [[ハルク (マーベル・コミック)|ハルク]])※ディズニーXD版
* [[バットマン (アニメ)|バットマン]](カタツムリのジョーイ)
* [[ピンクパンサー (アニメ)|ピンクパンサー]](強盗兄)
* [[フィリックス]](ビル、海賊の船長、鯨、ヘドロ大王)
* [[リトルフット]](好き者)※ソフト版
=== 特撮 ===
{{dl2
| 1971年 |
* [[仮面ライダー]](村人)
| 1972年 |
* [[サンダーマスク]](流星鉄仮面の声)
* [[人造人間キカイダー]](アカオニオコゼの声)
| 1973年 |
* [[イナズマン]](イシバンバラの声)
* [[キカイダー01]](ミニゴリラの声)
| 1974年 |
* [[イナズマンF]](ジェットデスパーの声)
| 1975年 |
* [[秘密戦隊ゴレンジャー]](ガンマン仮面の声、風車仮面の声、眼鏡仮面の声)
| 1976年 |
* [[宇宙鉄人キョーダイン]](デスガッターの声〈3代目〉、ガトリンガーの声〈2代目〉)
* [[ぐるぐるメダマン]](海ボーズの声)
| 1977年 |
* [[快傑ズバット]](ナレーター)
* [[ジャッカー電撃隊]](デビルスフィンクスの声、テンタクルス入道の声)
| 1978年 |
* [[スパイダーマン (東映)|スパイダーマン]](ゴキブリコンビナートの声、ガニ魔の声)
| 1979年 |
* [[バトルフィーバーJ]](コブラ怪人の声、ギザ歯怪人の声、ノロイ怪人の声)
| 1982年 |
* [[宇宙刑事ギャバン]](ガマラモンスターの声、ウラミロードショーのナレーション)
* [[バッテンロボ丸]](クラゲの声)
| 1986年 |
* [[もりもりぼっくん]](神父)
| 1990年 |
* [[地球戦隊ファイブマン]](銀河魔神バールギンの声)
}}
=== ナレーション ===
* [[生きる×2]](テレビ朝日)
* [[NHKネットクラブ]]
* [[NNNドキュメント]]
* [[NHKアーカイブス]] BSスペシャル番組
* 快楽釣美人([[フジテレビ]])※顔出し出演
* [[機動戦士ガンダム ギレンの野望 アクシズの脅威]] 特典DVD(戦略指南ナレーション)
* [[逆転人生]]「一獲千金!マグロの初競り」(NHK-Eテレ、2020年12月14日) - 語り
* [[クラシック・ロイヤルシート]](NHK-BS2)
* 慶応応援部 本編
* [[月曜ミステリー劇場]] 税務調査官 窓際太郎の事件簿シリーズ 番宣(TBS)
* [[CNNデイブレイク]]([[テレビ朝日]])
* シルクロード紀行 DVD(2004年発売)
* [[静岡発そこ知り|そこ知り2001]](SBS静岡放送)
* しながわのチカラ 第4回、5回([[ケーブルテレビ品川]])
* [[情報プレゼンター とくダネ!]](フジテレビ)
* [[聖戦士ダンバイン]] [[クローバー (玩具メーカー)|クローバー]] 超合金シリーズ(1978年、テレビCM)
* 世界のクイズ番組QUIZ!([[BSフジ]])
* [[投稿!特ホウ王国]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[にっぽん釣りの旅]]([[日本放送協会|NHK]])
* BSスペシャル・日本の旧家(1996年、[[日本放送協会|NHK]])
* にんにく健康物語([[BS日テレ]])
* [[薄桜記]] 番宣(2012年、[[BSプレミアム]])
* [[BS世界のドキュメンタリー]]([[NHK-BS1]])
* [[プレミアの巣窟]](フジテレビ)
* ビデオ 縁の魔境ネパール大密林 新世界紀行 魔境編(2008年、しがボランティアネット)
=== ボイスオーバー ===
* [[システィーナ礼拝堂壁画修復]]記録 第6回(日本テレビ)
* [[知ってるつもり?!]](日本テレビ) - [[アドルフ・アイヒマン]]の声
* [[世界一受けたい授業]](日本テレビ) - マイケル・ダントニオの声
* [[地球ドラマチック]](NHK総合)
** 進化の秘密 第2回「私たちの未来」(2005年)
* [[知への旅]](NHK教育)
* [[中居正広の金曜日のスマたちへ]](TBS)
* 中居正広のキンスマスペシャル(TBS)
* BS世界のドキュメンタリー(NHK-BS1)
* [[ニノさん]](2020年、日本テレビ)
* [[日立 世界・ふしぎ発見!]](TBS)
* [[美の巨人たち]](テレビ東京)
=== バラエティ ===
* [[ここんちプラネット]] 番組内ミニドラマ(1986年、[[テレビ東京]]) - バスケット部の顧問
* 水曜JUNK [[山里亮太の不毛な議論]] 番組内ミニドラマ(2011年、[[TBSラジオ]]) - 早見あかり
=== その他コンテンツ ===
* オーディオドラマ「聴くドラマ聖書」(2019年、朗読)
* [[石井竜也]]コンサートツアー2018「-陣 JIN-」(2018年、城田野海山の声)
* [[機動戦士ガンダム0079カードビルダー]](ユーリー・ハスラー)
* クマのプーさん展(2019年、ザ・ミュージアム、[[あべのハルカス美術館]]) - 語り(音声ガイド)
* 日本名作絵本 かぐや姫〈[[竹取物語]]〉([[大伴御行]])
* [[東京ディズニーランド]]
** [[プーさんのハニーハント]](ナレーター)
* みんなと学ぶ小学校国語教師用指導書音声編一年(2011年 / 朗読)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
|refs=
<ref name="こぐまのミーシャ">{{Cite web|和書|accessdate= 2023-06-25 |publisher=日本アニメーション |title= こぐまのミーシャ |url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1337/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="スターザンS">{{Cite web|和書| accessdate=2022-11-13 | publisher=[[タツノコプロ]] | title=作品データベース OKAWARI-BOY スターザンS |url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/starzans.html}}</ref>
<ref name="アニメ80日間世界一周">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-17 | publisher = [[日本アニメーション]] | title = アニメ80日間世界一周 | url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1520/ | website= 日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="いきなりダゴン">{{Cite web|和書|accessdate= 2023-06-06 |publisher=日本アニメーション |title= いきなりダゴン |url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1542/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="平成イヌ物語バウ">{{Cite web|和書|accessdate= 2016-05-17 |publisher=日本アニメーション |title= 平成イヌ物語バウ |url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1674/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
<ref name="怪盗きらめきマン">{{Cite web|和書| accessdate = 2016-06-11 | publisher = タツノコプロ | title = タイムボカン2000 怪盗きらめきマン | url = https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/kiramekiman.html}}</ref>
<ref name="龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる">{{Cite web|和書| accessdate=2022-06-10 |publisher=[[東映アニメーション]] |title = キャラクター/キャスト | url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_doragonball_ryuken/character/ | website = 東映アニメーション作品ラインナップ | work=ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* [https://www.aoni.co.jp/search/aomori-shin.html 青二プロダクションによる公式プロフィール]
* {{日本タレント名鑑|M93-0022}}
* [https://thetv.jp/person/0000064444/ 青森伸のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/青森伸/#person-110075384_ 青森伸の解説 - goo人名事典]
* {{Kinejun name|}}
* {{Oricon name|226850}}
* {{Movie Walker name}}
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[[Category:日本の男性声優]]
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[[Category:青森県出身の人物]]
[[Category:1941年生]]
[[Category:存命人物]]
|
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11,317 |
青山穣
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青山 穣(あおやま ゆたか、1965年1月30日 - )は、日本の男性声優。愛知県出身。ケンユウオフィス所属。
かつては九プロダクションに所属していた。
小学生の頃に『がんばれ!ベアーズ』などを見たことで映画に興味を持ち、映画館に1日中こもる日もあるほど夢中になる。
「中学生になったら映画研究会に入ろう」と考えていたが、実際に中学校に入学すると映画研究会は無かったため、演劇部に入部した。しかし、40人ほどいたその演劇部員は女子がほとんどで男子部員は青山のみだっため、男1人という疎外感から「高校に入ったら今度こそ映画研究会に」と、密かに考える。だが、進学した愛知県の男子高校は再び映画研究会が無かったため演劇部に入部。ここで過激な訓練を受けながらも芝居の魅力に取り付かれたといい、甲子園より狭き門(中部6県から1校だけ)といわれる高校演劇の全国大会へ出場。このことが役者を目指す大きなきっかけになったという。
日本大学芸術学部演劇学科へ進学後は「演劇にまつわる全てを学ぼう」と、演劇青年として芝居漬けの毎日を過ごし、卒業後は教員からの勧めでイギリスロンドンに留学。イギリス演劇を2〜3年ほど学んだ。帰国後は「ヨーロッパ演劇を学んだため、今度は日本の古典劇もちゃんと勉強しなければ」と思い、歌舞伎座でアルバイトをしつつ、同時に小劇場を主宰。また、ほかの舞台には客演で「星の数」ほど出演したという。
歌舞伎座でのアルバイトをしている時、ある人物から「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」と勧められたことで声優の仕事に興味を持ち、映像テクノアカデミアに入学。卒業後、指導を受けた吹替ディレクターによって、とあるシリーズの主役に抜擢された。
方言は名古屋弁。資格は普通自動車免許。
声優としては、数多くのテレビアニメ、外画吹き替えなどで活躍。
役柄としては、クセのある悪役を演じる機会が多い。このことについて、「悪を演じるのが楽しいのは確か」「悪って複雑で、大概は最後に死なないといけない」「その死に向かって演じてやろうというドラマチックな楽しさは必ずある」と語っている。『モンスターズ・インク』のランドール・ボッグス役は、インタビューで「初めて来た少し大きなクセのある役」に挙げており、「私にとってはすごく面白い役でした」と語っている。
先が見えず、不安や悩みを抱えている後輩に対しては「若いうちから、声優の訓練だけしてデビューする、それで自分の引き出しは枯れないのか、長続きするのか?」「プロになるにあたって、デビューが遅すぎるなんていうことは決して無い」「訓練を積め、色々な経験をせよ、世界を見て来い」との言葉も掛けている。
アニメ『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』などナレーターとしての活動もある。青山本人によると、ナレーションは「自分の立ち位置、視点」が定められていないため「今も悩み続けています」と述べながらも、先輩である矢島正明の言葉から、ナレーションをキャラクターとして捉え担当するようになったという。
太字はメインキャラクター。
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"text": "歌舞伎座でのアルバイトをしている時、ある人物から「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」と勧められたことで声優の仕事に興味を持ち、映像テクノアカデミアに入学。卒業後、指導を受けた吹替ディレクターによって、とあるシリーズの主役に抜擢された。",
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青山 穣は、日本の男性声優。愛知県出身。ケンユウオフィス所属。
|
{{声優
| 名前 = 青山 穣
| ふりがな = あおやま ゆたか
| 画像ファイル =
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| 画像コメント =
| 本名 = 青山 穣<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2004年版)|page=4|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-9901242-2-9|date=2004-04-08}}</ref>
| 愛称 =
| 性別 = [[男性]]
| 出生地 =
| 出身地 = {{JPN}}・[[愛知県]]<ref name="アニメハック声優情報">{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/person/100505/|title=青山 穣 : 声優情報|work=アニメハック|publisher=映画.com|accessdate=2020-01-11}}</ref>
| 死没地 =
| 生年 = 1965
| 生月 = 1
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| 没月 =
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| 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|アニメハック声優情報}}
| 身長 =
| 職業 = [[声優]]
| 事務所 = [[ケンユウオフィス]]{{R|アニメハック声優情報}}
| 配偶者 = あり
| 著名な家族 =
| 公式サイト = [https://kenyu-office.com/aoyamayutaka/ 青山 穣:Aoyama Yutaka|株式会社ケンユウオフィス]
| 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M98-0004|title=青山 穣|work=日本タレント名鑑|accessdate=2023-07-08}}
| ref2name = meikan
| 身長2 = 174<ref name="databank">{{Cite web|和書|url=https://www.talent-databank.co.jp/search/profile/2000049087|title=青山 穣 - タレントデータバンク|accessdate=2020-01-11}}</ref>
| 体重 = 70
| 活動期間 = [[1990年代]] -
| デビュー作 =
}}
'''青山 穣'''(あおやま ゆたか、[[1965年]][[1月30日]]{{R|meikan|アニメハック声優情報}} - )は、[[日本]]の[[男性]][[声優]]。[[愛知県]]出身{{R|アニメハック声優情報}}。[[ケンユウオフィス]]所属{{R|アニメハック声優情報}}。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}}
== 来歴 ==
かつては[[九プロダクション]]に所属していた<ref name="ケンユウオフィス">{{Cite web|和書|url=https://kenyu-office.com/aoyamayutaka/|title=青山 穣:Aoyama Yutaka|株式会社ケンユウオフィス|accessdate=2020-01-11}}</ref>。
小学生の頃に『[[がんばれ!ベアーズ]]』などを見たことで[[映画]]に興味を持ち、[[映画館]]に1日中こもる日もあるほど夢中になる<ref name="interview">{{Cite web|和書|url=https://www.vta.tfc.co.jp/actor/graduation/%e9%9d%92%e5%b1%b1%e7%a9%a3/ |title=卒業生インタビュー 青山穣 いろいろな経験が「自分の芝居」を創る|publisher=映像テクノアカデミア |accessdate=2022-06-08}}</ref>。
「中学生になったら映画研究会に入ろう」と考えていたが、実際に中学校に入学すると映画研究会は無かったため、演劇部に入部した。しかし、40人ほどいたその演劇部員は女子がほとんどで男子部員は青山のみだっため、男1人という疎外感から「高校に入ったら今度こそ映画研究会に」と、密かに考える{{R|interview}}。だが、進学した愛知県の男子高校は再び映画研究会が無かったため演劇部に入部。ここで過激な訓練を受けながらも芝居の魅力に取り付かれたといい、[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]より狭き門(中部6県から1校だけ)といわれる高校演劇の全国大会へ出場{{R|interview}}。このことが役者を目指す大きなきっかけになったという{{R|interview}}。
[[日本大学芸術学部]]演劇学科へ進学後は「演劇にまつわる全てを学ぼう」と、演劇青年として芝居漬けの毎日を過ごし、卒業後は教員からの勧めで[[イギリス]][[ロンドン]]に[[留学]]。イギリス演劇を2〜3年ほど学んだ{{R|interview}}。帰国後は「ヨーロッパ演劇を学んだため、今度は日本の[[古典劇]]もちゃんと勉強しなければ」と思い、[[歌舞伎座]]で[[アルバイト]]をしつつ、同時に小劇場を主宰。また、ほかの舞台には客演で「星の数」ほど出演したという{{R|interview}}。
歌舞伎座でのアルバイトをしている時、ある人物から「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」と勧められたことで声優の仕事に興味を持ち、[[映像テクノアカデミア]]に入学{{R|interview}}。卒業後、指導を受けた吹替ディレクターによって、とあるシリーズの主役に抜擢された{{R|interview}}。
== 人物 ==
[[日本語の方言|方言]]は[[名古屋弁]]{{R|ケンユウオフィス}}。[[資格]]は[[普通自動車]][[日本の運転免許|免許]]{{R|ケンユウオフィス}}。
声優としては、数多くの[[テレビアニメ]]、外画[[吹き替え]]などで活躍{{R|databank}}。
役柄としては、クセのある[[悪役]]を演じる機会が多い。このことについて、「悪を演じるのが楽しいのは確か」「悪って複雑で、大概は最後に死なないといけない」「その死に向かって演じてやろうというドラマチックな楽しさは必ずある」と語っている{{R|interview}}。『[[モンスターズ・インク]]』のランドール・ボッグス役は、インタビューで「初めて来た少し大きなクセのある役」に挙げており、「私にとってはすごく面白い役でした」と語っている{{R|interview}}。
先が見えず、不安や悩みを抱えている後輩に対しては「若いうちから、声優の訓練だけしてデビューする、それで自分の引き出しは枯れないのか、長続きするのか?」「プロになるにあたって、デビューが遅すぎるなんていうことは決して無い」「訓練を積め、色々な経験をせよ、世界を見て来い」との言葉も掛けている{{R|interview}}。
アニメ『[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]]』などナレーターとしての活動もある。青山本人によると、ナレーションは「自分の立ち位置、視点」が定められていないため「今も悩み続けています」と述べながらも、先輩である[[矢島正明]]の言葉から、ナレーションをキャラクターとして捉え担当するようになったという{{R|interview}}<ref>{{Cite news|title=【連載】『かぐや様は告らせたい』ナレーション・青山穣さんインタビュー前編|ナレーションで手応えを感じたエピソード|agency=アニメイトタイムズ|date=2021-01-11|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1553249688|accessdate=2022-06-08}}</ref>。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[ルパン三世 ワルサーP38]]
| 1998年 |
* [[剣風伝奇ベルセルク]](サムソン、兵士A、拷問官)
* [[ルパン三世 炎の記憶〜TOKYO CRISIS〜]]
| 1999年 |
* [[GTO (漫画)|GTO]](太垣)
| 2000年 |
* [[学校の怪談 (テレビアニメ)|学校の怪談]](坂田先生 他)
* [[キョロちゃん]](宇宙キング)
* [[サクラ大戦TV]](警官A)
* [[∀ガンダム]](作業長)
* [[ニャニがニャンだー ニャンダーかめん]](ミケ 他)
| 2001年 |
* [[破邪巨星Gダンガイオー]](補佐官)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](2001年 - 2023年、山本航一、山崎哲史、榊泰三、赤柴徹、バーのマスター林)
* [[よばれてとびでて!アクビちゃん]](町田ディレクター)
| 2002年 |
* [[最終兵器彼女]](兵士C)
* [[灰羽連盟]](時計屋の親方)
| 2003年 |
* [[L/R -Licensed by Royal-]](DJビリー)
* [[キノの旅 -the Beautiful World-]](船頭)
* [[探偵学園Q]](遠山金三郎、Mrライオン)
* [[PEACE MAKER鐵]](陰陽師・布瑠部神実)
* [[ミッドナイトホラースクール]](悲しみの泉)
* [[無限戦記ポトリス]](マインスポーケン)
| 2004年 |
* [[GANTZ]](JJ)
* [[ごくせん]](理事長)
* [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]](モヤ忍アニキ)
* [[BLEACH (アニメ)|BLEACH]](としりん、[[護廷十三隊#伊江村八十千和|伊江村八十千和]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://pierrot.jp/title/bleach/chara_02.html |title=Character 護廷十三隊 伊江村八十千和|publisher=株式会社ぴえろ |work=BLEACH公式サイト |accessdate=2022-12-15}}</ref>)
* [[MONSTER (漫画)|MONSTER]](医者、記者B、客B、警部)
| 2005年 |
* [[アイシールド21]](トニー、師匠)
* [[機動戦士ガンダム0079カードビルダー]](コズン・グラハム)
* [[ギャラリーフェイク]](ムハマド)
* [[交響詩篇エウレカセブン]](ヴォダラク父)
* [[SoltyRei]](リゼンブル救助隊リーダー)
* [[焼きたて!!ジャぱん]](シャドウ・ホワイト)
| 2006年 |
* [[あたしンち]](刑事)
* [[格闘美神 武龍 REBIRTH]](ユアン)
* [[ガラスの艦隊]](コンラッド<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/garakan/| title = ガラスの艦隊| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-05-16}}</ref>)
* [[銀河鉄道物語 〜永遠への分岐点〜]](ラザフォード)
* [[CLUSTER EDGE]](技術者)
* [[バーテンダー (漫画)|バーテンダー]](田島)
| 2007年 |
* [[英國戀物語エマ 第二幕]](ヴィルヘルム・メルダース)
* [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](2007年 - 2018年、岡田似蔵<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.bn-pictures.co.jp/gintama/character/05.php |title=鬼兵隊|人物紹介 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ]] |work=銀魂公式サイト |accessdate=2023-03-18}}</ref>、ゲーマー星人A) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2007年 - 2008年)、第4期『銀魂.』(2018年)}}
* [[CLANNAD-クラナド-]](紳士)
* [[CLAYMORE]](宿屋の主人)
* [[恋する天使アンジェリーク〜かがやきの明日〜]](エドガー)
* [[古代王者 恐竜キング Dキッズ・アドベンチャー]](2007年 - 2008年、ウンガロ、半蔵) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2007年 - 2008年)、第2期『翼竜伝説』(2008年)}}
* [[シグルイ]](丹波埴也斎)
* [[DARKER THAN BLACK -黒の契約者-]](イツァーク)
* [[デビルメイクライ (アニメ)|Devil May Cry]](アレックス)
* [[東京魔人學園剣風帖 龖]](ヤン、吾妻橋、凶津煉児) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2007年)、第2期『第弐幕』(2007年)}}
* [[NARUTO -ナルト- 疾風伝]]([[暁 (NARUTO)#サソリ|サソリ〈ヒルコ〉]])
* [[忍たま乱太郎]](2007年 - 2023年、佐武昌義〈虎若の父〉〈初代〉、伊助の父、目細民弥、場潟右衛 他)
* [[遙かなる時空の中で3 紅の月]](怨重)
* [[やっとかめ探偵団]](堀井民治)
* [[ぼくらの]](神岡署長)
* [[ロミオ×ジュリエット]](貴族の男)
| 2008年 |
* [[イタズラなKiss]](ロビンス)
* [[きらりん☆レボリューション STAGE3]](ナレーション)
* [[黒執事 (アニメ)|黒執事]](2008年 - 2010年、アーサー・ランドル卿) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2008年 - 2009年)、第2期『II』(2010年)}}
* [[ゴルゴ13]](カール・ローマン)
* [[スレイヤーズ (アニメ)|スレイヤーズ シリーズ]](2008年 - 2009年、海賊B、山賊A) - 2シリーズ{{Ras|第4期『REVOLUTION』(2008年)、第5期『EVOLUTION-R』(2009年)}}
* [[ちびまる子ちゃん]](2008年 - 2013年、老人A、老人B、おもちゃ屋、おじさん、山田の祖父〈2代目〉)
* [[鉄腕バーディー DECODE]](2008年 - 2009年、ルー・メギウス) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2008年)、第2期『鉄腕バーディー DECODE:02』(2009年)}}
* [[のだめカンタービレ|のだめカンタービレ シリーズ]](2008年 - 2010年、ピエール) - 2シリーズ{{Ras|第2期『巴里編』(2008年)、第3期『フィナーレ』(2010年)}}
* [[秘密 〜The Revelation〜]](解説者、刑事A〈ベテラン〉)
* [[BLUE DRAGON 天界の七竜]](シュミット)
* [[ポルフィの長い旅]](カルロス)
* [[魔人探偵脳噛ネウロ]](トガシ)
* [[魍魎の匣]](里村)
| 2009年 |
* [[グイン・サーガ (テレビアニメ)|グイン・サーガ]](ラウディ)
* [[ご姉弟物語]](屋台の男性A)
* [[真マジンガー 衝撃!Z編 on television]](ジャンゴ)
* [[蒼天航路]](荀攸)
* [[Phantom 〜Requiem for the Phantom〜]](メンデス)
* [[遊☆戯☆王5D's]](マルコム)
* [[RIDEBACK -ライドバック-]](ヒュー・ガトーム)
| 2010年 |
* [[オオカミさんと七人の仲間たち]](ハーメル)
* [[COBRA THE ANIMATION]](セブン)
* [[世紀末オカルト学院]](歴史家)
* [[閃光のナイトレイド]]
* [[戦う司書 The Book of Bantorra]](ヴーエキサル=メリオト)
* [[はなまる幼稚園]](土田の父)
* [[FAIRY TAIL]](2010年 - 2019年、ジュラ・ネェキス、クロドア、ジャックポット、フランマルス、ハデス) - 3シリーズ{{Ras|第1期(2010年 - 2013年)、第2期(2014年 - 2016年)、第3期(2018年 - 2019年)}}
| 2011年 |
* [[エックスメン (2011年のアニメ)|X-MEN]](ニューロン)
* [[逆境無頼カイジ 破戒録篇]](医者)
* [[聖痕のクェイサーII]](クリフォード)
* [[世界一初恋2]](政宗の父)
* [[花咲くいろは]](老紳士)
* [[プリティーリズム・オーロラドリーム]](プロデューサー、おじいさん2)
| 2012年 |
* [[宇宙兄弟]](茄子田シゲオ)
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](2012年 - 2017年、万田房雄、TVの医者、カスカベブルー〈須木鋤郎〉、学生)
* [[TARI TARI]](コンドルクインズ陽気)
* [[ハヤテのごとく! CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU]](ラスベガスの警官、強盗、ボス)
* [[LUPIN the Third -峰不二子という女-]](イヤホンガイドのアナウンス<ref>{{Cite web | url = http://fujiko.tv/episode/| title = Episode| publisher = LUPIN the Third -峰不二子という女-公式サイト | accessdate = 2016-06-07}}</ref>)
| 2013年 |
* [[宇宙戦艦ヤマト2199]]([[タラン|ヴェルテ・タラン]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=宇宙戦艦ヤマト2199|url=http://yamato2199.net/staff_cast.html|title=スタッフ&キャスト|accessdate=2011-12-23}}</ref>)※2012年劇場先行公開
* [[有頂天家族]](2013年 - 2017年、毘沙門) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2013年)、第2期『2』(2017年)}}
* [[ストライク・ザ・ブラッド (アニメ)|ストライク・ザ・ブラッド]](叶瀬賢生)
* [[THE UNLIMITED 兵部京介]](ハジム)
* [[とある科学の超電磁砲S]](医者、ナレーション)
| 2014年 |
* [[ガンダム Gのレコンギスタ]](サラマンドラ艦長、クノッソス艦長)
* [[最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。]](神前哲也<ref>{{Cite web|和書|publisher=『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』アニメ公式サイト|title=スタッフ&キャスト|url=http://www.imocyo-anime.com/staffcast/|accessdate=2013-12-12}}</ref>)
* [[残響のテロル]](島田)
* [[白銀の意思 アルジェヴォルン]](ヒュウガ・イワオ)
* [[SHIROBAKO]](河野)
* [[神撃のバハムート GENESIS]](ゴラン)
* [[ハマトラ]](番組司会者)
* [[プリパラ (アニメ)|プリパラ]](ドロシー&レオナの父親)
* [[棺姫のチャイカ]](フォーデン)
* [[ログ・ホライズン (アニメ)|ログ・ホライズン]](2014年 - 2021年、マルヴェス) - 2シリーズ{{Ras|第1シリーズ(2014年)、第3シリーズ(2021年)}}
| 2015年 |
* [[アルスラーン戦記]](2015年 - 2016年、ボードワン) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2015年)、第2期『風塵乱舞』(2016年)}}
* [[うたの☆プリンスさまっ♪|うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEシリーズ]](2015年 - 2016年、演出家、石動玄) - 2シリーズ{{Ras|第3期『レボリューションズ』(2015年)、第4期『レジェンドスター』(2016年)}}
* [[おそ松さん]](スーツの男、ハローワークの受付、マネージャー)
* [[機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]](2015年 - 2017年、トド・ミルコネン<ref>{{Cite web |url=http://g-tekketsu.com/1st/character/24.php |title=Character|work=機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ |accessdate=2015-11-17}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2015年 - 2016年)、第2期(2016年 - 2017年)}}
* [[食戟のソーマ (アニメ)|食戟のソーマ]](ナチュラルチーズの久作)
* [[ヘヴィーオブジェクト]](仕官)
| 2016年 |
* [[Re:ゼロから始める異世界生活 (アニメ)|Re:ゼロから始める異世界生活]](リッケルト) - 2020年に第1期新編集版が放送<!-- 2016-06-27 -->
* [[アクティヴレイド -機動強襲室第八係- 2nd]](角山博満)
* [[機動戦士ガンダムUC RE:0096]](ガエル・チャン)
* [[斉木楠雄のΨ難]](2016年 - 2018年、美術館・館長 / マイケル・スコフィールド、借金取り) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2016年)、第2期(2018年)}}
* [[タブー・タトゥー]](アジタ)
* [[チア男子!!]](陳教授)
* [[D.Gray-man HALLOW]](千年伯爵<ref>{{Cite web|work=TVアニメ「D.Gray-man HALLOW」公式サイト|url=https://dgrayman-anime.com/caststaff/|title=Cast / Staff|accessdate=2016-03-26}}</ref>、マナ・ウォーカー)
* [[Dimension W]](蒔田清純)
* [[デジモンユニバース アプリモンスターズ]](2016年 - 2017年、亜衣の父、バイラモン、専門家)
* [[TO BE HERO]]('''山田さん''')
* [[ドリフターズ (漫画)|ドリフターズ]]([[ハンニバル|ハンニバル・バルカ]]<ref>{{Cite web|url=http://www.nbcuni.co.jp/rondorobe/anime/drifters/staffcast/index.html|title=STAFF & CAST|work=アニメ「ドリフターズ」公式サイト|accessdate=2016-04-09}}</ref>)
* [[ヘボット!]](2016年 - 2017年、'''ハクセンチョウ'''、'''ポリドロケン''' 他)
* [[モンスターハンター ストーリーズ RIDE ON]](ララ)
* [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]](2016年 - 2021年、海賊リーダー、ページワン)
| 2017年 |
* [[スクールガールストライカーズ]](諫見博士)
* [[“栄光なき天才たち”からの物語]](日本水泳連盟・理事C<ref>{{Cite web|和書|url=https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=eikou|title=キャスト|work=「“栄光なき天才たち”からの物語」公式サイト|publisher=NHKアニメワールド|accessdate=2017-03-25}}</ref>)<!-- 2017-03-25 -->
* [[境界のRINNE]](来世育蔵)<!-- 2017-04-08 -->
* [[トミカハイパーレスキュー ドライブヘッド 機動救急警察]](牛頭寛治)<!-- 2017-04-22 -->
* [[正解するカド]](ロシア大使)<!-- 2017-04-28 -->
* [[妖怪アパートの幽雅な日常]](前田さん)<!-- 2017-07-03 -->
* [[魔法陣グルグル (2017年のアニメ)|魔法陣グルグル]](ギザイア)<!-- 2017-08-09 -->
* [[100%パスカル先生]](金森ブラッド)<!-- 2017-10-21 -->
* [[タイムボカン 逆襲の三悪人]](アンデルセン)<!-- 2017-11-11 -->
* [[血界戦線 & BEYOND]](虫〈人型〉)<!-- 2017-11-12 -->
* [[将国のアルタイル]](ユルゲン)<!-- 2017-11-18 -->
* [[クラシカロイド]](副会長)<!-- 2017-12-20 -->
| 2018年 |
* [[ダメプリ ANIME CARAVAN]](ブラン)<!-- 2018-02-07 -->
* [[オーバーロードII]](スタッファン・ヘーウィッシュ)<!-- 2018-02-20 -->
* [[デュエル・マスターズ (アニメ)|デュエル・マスターズ]](闇執事)<!-- 2018-02-04 -->
* [[デュエル・マスターズ!]](2018年 - 2019年、闇執事、ビックリーノ)<!-- 2018-04-08 -->
* [[ゴールデンカムイ]](後藤)<!-- 2018-04-09 -->
* [[ハイスクールD×D HERO]](ベルザード)<!-- 2018-05-22 -->
* [[TO BE HEROINE]](師傅<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tobe-hero.com/season2/index.php?m=content&c=index&a=lists&catid=22|title=CAST・STAFF|work= TO BE HEROINE|accessdate=2017-05-10}}</ref>)<!-- 2018-06-09 -->
* [[ウマ娘 プリティーダービー (アニメ)|ウマ娘 プリティーダービー]](委員長)<!-- 2018-06-18 -->
* [[Back Street Girls -ゴクドルズ-]](小黒田徹)<!-- 2018-07-04 -->
* [[フルメタル・パニック! Invisible Victory]](ロイ・シールズ)<!-- 2018-07-18 -->
* [[深夜!天才バカボン]](編集者)<!-- 2018-08-15 -->
* [[DOUBLE DECKER! ダグ&キリル]](ザベル)<!-- 2018-10-28 -->
* [[ラディアン]](2018年 - 2020年、エドムンド、ギュリス卿<ref>{{Cite web|和書|url=https://www6.nhk.or.jp/anime/topics/detail.html?i=5560|title=「ラディアン」 第2シリーズ 追加キャストの発表、第4弾!!|work=NHKアニメワールド|publisher=[[日本放送協会]]|accessdate=2019-09-11}}</ref>、魔法騎士、シャドウ) - 2シリーズ{{Ras|第1シリーズ(2018年)<!-- 2018-12-01 -->、第2シリーズ(2019年 - 2020年)}}
| 2019年 |
* [[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]](2019年 - 2023年、ナレーション<ref>{{Cite web|url=https://kaguya.love/1st/#staff|title=STAFF&CAST|work=TVアニメ『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』公式サイト|accessdate=2019-10-19}}</ref>) - 3シリーズ + 特別編{{Ras|第1期(2019年)<!-- 2019-01-12 -->、第2期『かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』<ref>{{Cite tweet|user=anime_kaguya|number=1208190347056054272|title=アニメ第2期新映像公開!|accessdate=2019-12-21}}</ref>(2020年)<!-- 2020-04-11 -->、第3期『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』<ref>{{Cite web|url=https://kaguya.love/#staffcast|title=STAFF&CAST|work=TVアニメ「かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-」公式サイト|accessdate=2021-10-21}}</ref>(2022年)<!-- 2022-04-09 -->、テレビスペシャル『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』(2023年)<!-- 2023-04-01 -->}}
* [[不機嫌なモノノケ庵 續]](オイスケ)<!-- 2019-02-23 -->
* [[転生したらスライムだった件 (アニメ)|転生したらスライムだった件]](2019年 - 2021年、ミョルマイル<ref>{{Cite web|url=http://www.ten-sura.com/character/#ch19|title=CHARACTER|work=TVアニメ「転生したらスライムだった件」公式サイト|accessdate=2018-12-26}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2019年)<!-- 2019-02-26 -->、第2期第1部(2021年)}}
* [[盾の勇者の成り上がり (アニメ)|盾の勇者の成り上がり]](治療師)<!-- 2019-02-27 -->
* [[スター☆トゥインクルプリキュア]](アブラハム)<!-- 2019-04-21 -->
* [[デュエル・マスターズ!!]](闇執事)<!-- 2019-05-26 -->
* [[KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-]](西園寺飛利歌<ref>{{Cite web|和書|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|url=https://natalie.mu/comic/news/327255|title=「キンプリ」アレクの母役に緒方恵美、レオの双子の姉役に若井友希・澁谷梓希|date=2019-04-09|accessdate=2019-04-17}}</ref>)<!-- 2019-05-28 -->
* [[キャロル&チューズデイ]](ジェリー<ref>{{Cite web|title=CHARACTER|work= TVアニメ「キャロル&チューズデイ」公式サイト|url=http://caroleandtuesday.com/chara/jerry.html|accessdate=2019-07-10}} </ref>)<!-- 2019-07-11 -->
* [[通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?]](王様)<!-- 2019-07-13 -->
* [[ロード・エルメロイII世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-]](グルドア・ダヴェナント)<!-- 2019-07-21 -->
* [[キラッとプリ☆チャン]](2019年 - 2020年、ダン・E・スミス)<!-- 2019-07-28 -->
* [[炎炎ノ消防隊]](2019年 - 2020年、Dr.ジョバンニ<ref>{{Cite web|和書|url=https://fireforce-anime.jp/news/detail.php?d=190910_01|title=グスタフ本田、Dr.ジョヴァンニ、火代子 黄、ラルフス三世を演じるキャストが解禁!|work=TVアニメ『炎炎ノ消防隊 弐ノ章』|date=2019-09-10|accessdate=2019-12-24}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://fireforce-anime.jp/staffcast/|title=STAFF & CAST|work=TVアニメ『炎炎ノ消防隊 弐ノ章』|accessdate=2020-05-22}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2019年)<!-- 2019-09-14 -->、第2期『弐ノ章』(2020年)}}
* [[歌舞伎町シャーロック]](2019年 - 2020年、'''ミッシェル・ベルモント'''<ref>{{Cite web|url=http://pipecat-kabukicho.jp/staff.html|title=STAFF&CAST|work=オリジナルTVアニメ「歌舞伎町シャーロック」公式サイト|accessdate=2018-12-25}}</ref>)<!-- 2019-10-12 -->
* [[バビロン (小説)|バビロン]](坂部蔵主)<!-- 2019-11-04 -->
* [[ルパン三世 プリズン・オブ・ザ・パスト]](オレジャーネ)<!-- 2019-11-29 -->
* [[慎重勇者〜この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる〜]](イクスフォリアの魔王)<!-- 2019-12-25 -->
| 2020年 |
* [[あひるの空]](古賀)<!-- 2020-01-15 -->
* [[アルテ (漫画)|アルテ]](アルテの父)<!-- 2020-04-04 -->
* [[おしりたんてい]](イモリ男)<!-- 2020-04-25 -->
* [[アサティール 未来の昔ばなし]](国王)<!-- 2020-05-30 -->
* [[GO!GO!アトム]]<!-- 2020-06-25 -->
* [[デカダンス (アニメ)|デカダンス]](ターキー)<!-- 2020-07-15 -->
* [[ノー・ガンズ・ライフ]](ジョン・ポッドパイ)<!-- 2020-08-07 -->
| 2021年 |
* [[たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語]](ピリド)<!-- 2021-03-08 -->
* [[宇宙なんちゃら こてつくん]](2021年 - 2023年、校長先生<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/422315|title=「宇宙なんちゃら こてつくん」キャラの声聴ける新PV、青山穣らの出演も決定|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-03-29|accessdate=2021-03-29}}</ref>)<!-- 2021-04-07 -->
* [[EDENS ZERO]](2021年 - 2023年、シビル) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2021年)<!-- 2021-05-02 -->、第2期(2023年)<!-- 2023-04-02 -->}}
* [[現実主義勇者の王国再建記]](2021年 - 2022年、マルクス) - 2シリーズ{{Ras|第一部(2021年)<!-- 2021-07-04 -->、第二部(2022年)<!-- 2022-01-30 -->}}
* [[MUTEKING THE Dancing HERO]](マット<ref>{{Cite web|title=CAST|url=https://muteking.jp/cast/|work=MUTEKING公式サイト|accessdate=2021-03-27}}</ref>)<!-- 2021-10-03 -->
* [[月とライカと吸血姫]](モジャイスキー博士)<!-- 2021-10-04 -->
* [[マブラヴ オルタネイティヴ]](橘雅清<ref>{{Cite web|和書|url=https://muv-luv-alternative-anime.com/news/detail.php?id=1094712|title=第一話オリジナルストーリーのキャスト陣を公開しました|work=アニメ マブラヴ オルタネイティヴ 公式HP|accessdate=2021-10-07}}</ref>)<!-- 2021-10-07 -->
* [[先輩がうざい後輩の話]](部長<ref>{{Cite web|和書|url=https://senpaiga-uzai-anime.com/news/#news17|title=TVアニメ「先輩がうざい後輩の話」追加キャスト公開!|website=TVアニメ「先輩がうざい後輩の話」公式サイト|accessdate=2021-09-17}}</ref>)<!-- 2021-10-10 -->
| 2022年 |
* [[平家物語 (アニメ)|平家物語]]([[平時忠]])<!-- 2022-01-13 -->
* [[リーマンズクラブ]](忍足景行)<!-- 2022-02-13 -->
* [[エスタブライフ グレイトエスケープ]]<ref>{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20220330dog00m200035000c.html|title=エスタブライフ:テレビアニメに豪華ゲスト声優 山口勝平、高木渉、草尾毅、雨宮天、釘宮理恵、銀河万丈|newspaper=まんたんウェブ|publisher=MANTANWEB|date=2022-03-30|accessdate=2022-03-30}}</ref>(一発屋のトイチ)<!-- 2022-04-14 -->
* [[魔法使い黎明期]](ルートラ大聖教主教)<!-- 2022-07-01 -->
* [[黒の召喚士]](奴隷商人)<!-- 2022-07-09 -->
* [[機動戦士ガンダム 水星の魔女]](2022年 - 2023年、ゴドイ) - 2シリーズ{{Ras|Season1(2022年 - 2023年)<!-- 2022-10-30 -->、Season2(2023年)<!-- 2023-04-09 -->}}
* [[転生したら剣でした]](オーギュスト)<!-- 2022-11-09 -->
* [[BLEACH 千年血戦篇]](伊江村八十千和)<!-- 2022-11-29 -->
| 2023年 |
* [[ノケモノたちの夜]](神父)<!-- 2023-01-08 -->
* [[陰の実力者になりたくて!]](オリアナ国王) - 2シリーズ{{Ras|1st season(2023年)<!-- 2023-01-18 -->、2nd season(2023年)<!-- 2023-11-29 -->}}
* [[進撃の巨人 (アニメ)|進撃の巨人]](ミュラー長官) - 2シリーズ{{Ras|The Final Season 完結編(前編)(2023年)<!-- 2023-03-04 -->、The Final Season 完結編(後編)(2023年)<!-- 2023-11-05 -->}}
* [[デュエル・マスターズ WIN 決闘学園編]](AIロボ先生)<!-- 2023-04-02 -->
* [[この素晴らしい世界に爆焔を! (アニメ)|この素晴らしい世界に爆焔を!]](とろすけ)<!-- 2023-04-13 -->
* [[マッシュル-MASHLE-]](ファルマン・クレゴス)<!-- 2023-04-22 -->
* [[贄姫と獣の王]](カメレオン族A)<!-- 2023-04-27 -->
* [[天国大魔境]](桑田)<!-- 2023-05-13 -->
* [[Dr.STONE NEW WORLD]](イバラ<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/525308|title=「Dr.STONE」宝島を支配するイバラ役に青山穣、モズ役を興津和幸・キリサメ役を本渡楓|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-05-19|accessdate=2023-05-19}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1クール(2023年)<!-- 2023-05-25 -->、第2クール(2023年)<!-- 2023-10-12 -->}}
* [[無職転生 II 〜異世界行ったら本気だす〜]](ジーナス・ハルファス)<!-- 2023-08-07 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1998年 |
* [[スプリガン (漫画)|スプリガン]](幹部C)
| 1999年 |
* [[ガンドレス]](スメラギ大尉)
| 2000年 |
* [[機動戦士ガンダム|機動戦士ガンダムII 哀・戦士篇 特別版]](コズン)
| 2010年 |
* [[劇場版 銀魂 新訳紅桜篇]](岡田似蔵)
* [[ルー=ガルー 忌避すべき狼|ルー=ガルー]](石田理一郎)
| 2012年 |
* [[名探偵コナン 11人目のストライカー]](警備員)
| 2016年 |
* [[デジモンアドベンチャー tri.|デジモンアドベンチャー tri. 第3・5・6章]](2016年 - 2018年、望月教授) - 3作品
| 2017年 |
* [[青鬼 THE ANIMATION]](渡辺)<!-- 2017-02-11 -->
* [[夜明け告げるルーのうた]](タコ婆<ref>[https://kenyu-office.com/post-3251/ 青山穣・新谷真弓出演!映画『夜明け告げるルーのうた』] - ケンユウオフィス</ref>)<!-- 2017-05-19 -->
* [[交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1]](ヴォダラク父)<!-- 2017-09-16 -->
| 2018年 |
* [[映画 ドライブヘッド〜トミカハイパーレスキュー 機動救急警察〜]](牛頭寛治<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/drivehead/movie/character/|title=キャラクター|work=TBSテレビ『映画ドライブヘッド〜トミカハイパーレスキュー 機動救急警察〜』|accessdate=2020-11-05}}</ref>)<!-- 2018-08-24 -->
* [[フリクリ オルタナ]](神田束太<ref>{{Wayback|url=http://flcl-anime.com/alterna/caststaff/|title=STAFF&CAST|劇場版「フリクリ オルタナ」公式サイト|date=20190915082257}}</ref>)<!-- 2018-09-07 -->
| 2020年 |
* [[ガンダム Gのレコンギスタ#劇場版|Gのレコンギスタ II・III]](2020年 - 2021年、サラマンドラ艦長) - 2作品<!-- 2020-02-21 -->
* [[映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日]](アブラハム)<!-- 2020-10-31 -->
| 2022年 |
* [[鹿の王 ユナと約束の旅]](迂多瑠)<!-- 2022-02-04 -->
* [[映画 ゆるキャン△]](編集長)<!-- 2022-07-01 -->
| 2023年 |
* [[BLUE GIANT]](川喜田)<!-- 2023-02-17 --> }}
=== OVA ===
{{dl2
| 1994年 |
* [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]]
| 2001年 |
* [[めだかの学校 (漫画)|めだかの学校]](ポチくん)
| 2002年 |
* [[殺し屋1|殺し屋1 THE ANIMATION EPISODE 0]](父)
| 2004年 |
* [[天罰エンジェルラビィ☆]](長老)
| 2006年 |
* [[スカイガールズ]](嶋秋嵩)
* [[HELLSING]](英国国防総省スタッフ)
| 2010年 |
* [[エア・ギア#OVA|エア・ギア 黒の羽と眠りの森 -Break on the sky-]](ナレーション)
* [[機動戦士ガンダムUC]](2010年 - 2014年、ガエル・チャン<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180303050456/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/11782| title = 機動戦士ガンダムUC| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-20}}</ref>)
| 2013年 |
* FAIRY TAIL × RAVE(ジャックポットMKII)
| 2014年 |
* [[リトルバスターズ!|リトルバスターズ! EX]](叔父)
| 2016年 |
* [[ブラッククローバー]](レブチ)
| 2017年 |
* [[機動戦士ガンダム サンダーボルト]](ペトロ・ガルシア)
| 2019年 |
* [[ストライク・ザ・ブラッド (アニメ)|ストライク・ザ・ブラッド]](2019年 - 2020年、叶瀬賢生) - 2シリーズ
| 2021年 |
* [[かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜]](ナレーション<ref>{{Cite web|和書|url=https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-908401-4|title=かぐや様は告らせたい 第22巻 アニメDVD同梱版 〜天才たちの恋愛頭脳戦〜/赤坂 アカ|publisher=集英社|accessdate=2021-05-30}}</ref>) - コミックス第22巻OVA付き同梱版<!-- 2021-05-19 -->
}}
=== Webアニメ ===
* [[ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン]](2015年、ラオモトの声<ref>{{Cite web|和書|work=『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』公式サイト|title=キャラクター/ラオモトの声|url=http://www.ninjaslayer-animation.com/character/60.html|accessdate=2015-09-12}}</ref>)
* [[クレヨンしんちゃん外伝 エイリアン vs. しんのすけ]](2016年、丸出蛸助)
* [[HERO MASK]](2018年、ジェフリー・コナー<ref>{{Cite web|url=http://heromask.jp/staff_cast.html|title=STAFF/CAST|work=「HERO MASK」公式サイト|accessdate=2018-11-02}}</ref>)<!-- 2018-12-03 -->
* [[矢場とん]]オリジナルアニメ「[[大須のぶーちゃん]]」(2019年、吽くん、安藤くんパパ<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.cyclone-graphics.com/works/boochan/|title= 大須のぶーちゃん|work= CYCLONE GRAPHICS|accessdate=2019-10-28}}</ref>)
* [[OBSOLETE]](2019年、コマンダー)<!-- 2019-12-03 -->
* [[バキ]](2020年、寂海王<ref>{{Cite web|url=https://baki-anime.jp/cast-staff|title=CAST&STAFF|work=アニメ「バキ」大擂台賽編公式サイト|accessdate=2020-04-02}}</ref>)<!-- 2020-06-04 -->
* [[スプリガン (漫画)|スプリガン]](2022年、ラルフ・クーリー)<!-- 2022-06-18 -->
* [[LUPIN ZERO]](2022年 - 2023年、大佐)<!-- 2022-12-30 -->
* 伊藤潤二『マニアック』(2023年、'''互須'''<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/495022|title=「伊藤潤二『マニアック』」配信は来年1月、追加タイトルとキャストも解禁|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-09-25|accessdate=2022-09-25}}</ref>)<!-- 2023-01-19 -->
* [[グラップラー刃牙#第3作『範馬刃牙』|範馬刃牙]](2023年、寂海王)
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1999年 |
* [[リフレインラブ#リフレインラブ2|リフレインラブ2]](臼木一浩)
| 2001年 |
* [[暴れん坊プリンセス]](魔物ラフター、勇者ロビン、ラヒドラ、賞金稼ぎ〈親分〉)
| 2003年 |
* [[ラチェット&クランク2 ガガガ!銀河のコマンドーっす]](チューン工房Xの経営者)
* デカボイス(アンディ・マッケンジー)
| 2005年 |
* [[機動戦士ガンダム 一年戦争]]([[コズン・グラハム]]、[[フラナガン・ブーン]])
* [[紅忍 血河の舞]](銀平衛)
* [[テイルズ オブ コモンズ]]('''清雲''')
* [[ローグギャラクシー]]('''ジュピス・トゥーキー・マクガネル''')
| 2006年 |
* [[アーマード・コア4]](サーダナ)
* [[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]](紳士)
* [[BLEACH 〜放たれし野望〜]](伊江村八十千和)
* [[マブラヴ オルタネイティヴ]](ネウストラシムイ艦長)
* [[ワイルドアームズ ザ フィフスヴァンガード]](カルティケヤ)
| 2007年 |
* [[銀魂 万事屋ちゅ〜ぶ ツッコマブル動画]](岡田似蔵、チンピラ風の男、新撰組隊士A、チンピラA、新生鬼兵隊隊士A、悪の組織一般兵C、映画館の店長)
* [[召喚少女 〜ElementalGirl Calling〜]](ベン、オジジィ)
* [[スターオーシャン|スターオーシャン1 First Departure]](デル・アーガスィ)
* [[NARUTO -ナルト- ナルティメットヒーロー|NARUTO -ナルト- 疾風伝 ナルティメットアクセル2]](サソリ・ヒルコ)
* [[Microsoft Flight Simulator X]]
| 2008年 |
* [[KANE&LYNCH: DEAD MEN]](リフィック)
* [[白騎士物語]](アミル)
| 2009年 |
* [[アサシン クリード II]](フランチェスコ・デ・パッツィ)
* [[KILLZONE 2]](メール・ラデック大佐)
* [[007 慰めの報酬 (ゲーム)|007 慰めの報酬]](ドミニク・グリーン)
| 2010年 |
* 維新恋華 龍馬外伝([[勝海舟]])
* [[コール オブ デューティ ブラックオプス]](エドワード リヒトーフェン)
* [[NARUTO -ナルト- (ゲーム)|NARUTO -ナルト- ナルティメットストーム2]](サソリ・ヒルコ)
| 2011年 |
* [[Kinect: ディズニーランド・アドベンチャーズ]](キツネどん)
* [[遙かなる時空の中で5]]([[ハリー・パークス]])
| 2012年 |
* Kinect ラッシュ: ディズニー/ピクサー アドベンチャー(プロフェッサー・ゼット / ザンダップ)
* Dragon Age II(セバスチャン)
* [[FAIRY TAIL|FAIRY TAIL ゼレフ覚醒]](ジュラ・ネェキス<ref>{{Cite web|和書|publisher=フェアリーテイル ゼレフ覚醒|url=http://www.konami.jp/fairytail_zeref/character/|title=キャラクター|accessdate=2012-03-07}}</ref>)
* [[龍が如く5 夢、叶えし者]](真鍋幹二)
* [[コール オブ デューティ ブラックオプス2]](エドワード リヒトーフェン)
| 2013年 |
* [[KILLER IS DEAD]](セバスチャン<ref>{{Cite web|和書|publisher=4gamer.net|url=https://www.4gamer.net/games/154/G015406/20130712085/|title=「KILLER IS DEAD」がロックバンド JESSE and THE BONEZと楽曲タイアップ。「BOSSMAN」および「ACCESS VIOLATION」を収録 - 4Gamer.net|accessdate=2013-08-04}}</ref>)
* [[銀魂のすごろく]](岡田似蔵)
* [[ソニック ロストワールド]](ザズ)
* [[プレイステーション オールスター・バトルロイヤル]](ラデック)
| 2014年 |
* [[相州戦神館學園 八命陣|相州戦神館學園 八命陣 天之刻]](百鬼空亡<ref>{{Cite web|publisher=相州戦神館學園 八命陣 天之刻|url=http://www.light.gr.jp/light/products/ssg_cs/character/b_chara06.html|title=Character|accessdate=2014-10-05}}</ref>)
* [[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇]])
* [[白猫プロジェクト]](アルベルト/RB<ref>{{Cite web|和書|work=白猫プロジェクト 公式サイト|title=登場キャラクター/ディーダ島|url=http://colopl.co.jp/shironekoproject/character/|accessdate=2015-09-09}}</ref>)
* [[Rewrite (ゲーム)|Rewrite]](刑事)
| 2015年 |
* [[アンティル・ドーン 惨劇の山荘|UNTIL DAWN -惨劇の山荘-]](ドクター・ヒル)
* [[ブラッドボーン]](初代教区長ローレンス、悪夢の主ミコラーシュ)
* [[トロピコ5]](オークスワース卿)
* [[ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君]](ザバン)
* [[コール オブ デューティ ブラックオプス3]]('''エドワード・リヒトーフェン'''、'''リヒトーフェン1.0''')
* [[Fallout4]]
| 2016年 |
* [[SDガンダム GGENERATION GENESIS]](コズン・グラハム、ガエル・チャン)<!-- 2016-11-22 -->
* [[ライフ イズ ストレンジ|Life Is Strange]](サミュエル・テイラー)
* [[コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア|Call of duty Infinit Warfere ZOMBIES]](ウィラード・ワイラー)
* [[League of Legends]](コグ=マウ、シンジド、ジェイス、ブリッツクランク)
| 2017年 |
* [[ホライゾン・ゼロドーン|Holizon zero dawn]] (レッシュ)
* [[ニード・フォー・スピード ペイバック|Need for Speed Payback]](マーカス・"ギャンブラー"ウィアー)
| 2018年 |
* [[銀魂乱舞]](岡田似蔵)<!-- 2018-01-18 -->
* 進撃の巨人2(オリジナルナレーション)<!-- 2018-03-15 -->
* [[フルメタル・パニック!|フルメタル・パニック! 戦うフー・デアーズ・ウィンズ]](ロイ・シールズ)<!-- 2018-05-31 -->
* [[ザ・キング・オブ・ファイターズ|THE KING OF FIGHTERS ALLSTAR]]([[ヴォルフガング・クラウザー]])
* [[ライフ イズ ストレンジ ビフォア ザ ストーム|Life Is Strange: Before the Storm]](サミュエル・テイラー)
* [[コール オブ デューティ ブラックオプス4]]('''エドワード・リヒトーフェン'''、'''リヒトーフェン1.0''')
| 2019年 |
* [[キングダム ハーツIII]](ランドール)<!-- 2019-01-25 -->
* [[アルカ・ラスト 終わる世界と歌姫の果実]](サイファ)<!-- 2019-08 -->
* [[Borderlands 3]](マーカス<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=https://www.famitsu.com/news/201907/17179784.html|title=『ボーダーランズ3』超ハッピー&クレイジーな最新トレーラー”公開!日本語版吹き替え声優も発表|accessdate=2019-07-17}}</ref>)<!-- 2019-09-13 -->
* [[スターオーシャン|スターオーシャン1 First Departure R]](デル・アーガスィ)<!-- 2019-12-05 -->
| 2020年 |
* [[ゼノブレイド ディフィニティブ・エディション]](ラダム)<!-- 2020-05-29 -->
* [[ウォッチドッグス レギオン]](デヴィッド・フォード〈シネマティックトレーラー〉)<!-- 2020-10-29 -->
* [[サイバーパンク2077]](ヴィクター)<!-- 2020-12-10 -->
* [[Destiny 2]](2020年 - 2022年、セイント14、フィンチ、サバスンのワーム)
| 2021年 |
* [[Re:ゼロから始める異世界生活#ゲーム|Re:ゼロから始める異世界生活 偽りの王選候補]](リッケルト<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スパイク・チュンソフト]]|work=Re:ゼロから始める異世界生活 偽りの王選候補|url=https://www.spike-chunsoft.co.jp/re-zero/|title=PS4/Switch/PC『Re:ゼロから始める異世界生活 偽りの王選候補』キャラクタートレーラー2|accessdate=2021-01-01}}</ref>)<!-- 2021-01-28-->
* [[北斗の拳|北斗の拳 LEGENDS ReVIVE]](2021年 - 2023年、[[北斗の拳の登場人物一覧#オウガイ|オウガイ]])<!-- 2021-04-11 -->
* 白夜極光(ソルラド<ref>{{Cite web|和書|work=Social Game Info|url=https://gamebiz.jp/news/297659|title=Tencent Games、『白夜極光』で「白夜城」の陣営PVを公開! 悠木碧、小清水亜美らが演じるキャラクター情報も|accessdate=2021-06-08}}</ref>)<!-- 2021-06-17 -->
* [[LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶]](坂東秀美)<!-- 2021-09-24 -->
* ONE PIECE トレジャークルーズ(ページワン)
| 2022年 |
* ダイイングライト2 ステイヒューマン(ホーコン)<!-- 2022-02-04 -->
* [[共闘ことばRPG コトダマン]](Dr.ジョヴァンニ<ref>{{Cite web2|url=https://kotodaman.jp/info/detail/076573jc7BY3H8QBQG.html|title=コトダマン×TVアニメ「炎炎ノ消防隊」コラボ開催!!|work=【公式】共闘ことばRPG コトダマン|publisher=[[XFLAG]]|date=2022-08-24|accessdate=2022-08-27}}</ref>)<!-- 2022-08-25 -->
* [[ソウルハッカーズ2]](ヒューズ)<!-- 2022-08-25 -->
* [[スターオーシャン6 THE DIVINE FORCE]](レミントン・クルツマン、行商星人サンタ)<!-- 2022-10-27 -->
* たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語〜ドタバタ英雄譚〜(ピリド)<!-- 2022-10-31 -->
|2023年|
* [[モンスターストライク]](『かぐや様』ナレーション)<!-- 2023-04-08 -->
* [[アーマード・コアVI ファイアーズオブルビコン]](チャティ・スティック)<!-- 2023-08-25 -->
* [[マリオ+ラビッツ ギャラクシーバトル]]「レイマン・イン・ザ・ファントムショー」(ファントム) - DLC追加キャラクター<!-- 2023-08-30 -->
* [[STAR OCEAN THE SECOND STORY R]] <!-- 2023-11-02 -->
}}
=== ドラマCD ===
* [[赤い刀]](ナレーション)
* 鬼絆 KIZUNA 彼方なる陽を求めて(勅使)
* [[クロックタワー3]](ジョン・ヘイグ)
* [[低俗霊DAYDREAM]](用心棒A)
* 遙かなる時空の中で5 夜明け前 壱(ハリー・パークス)
* [[-ヒトガタナ-]](赤坂穿吾)
* [[“文学少女”]](高見沢)
* [[ルードヴィッヒ革命]](父王)
* 第13回 東方M-1ぐらんぷり(易者)
* 第14回 東方M-1ぐらんぷり(易者)
* 第18回 東方M-1ぐらんぷり(易者)
* Rosebd Gravity(ガンマ)
=== 吹き替え ===
==== 担当俳優 ====
{{dl2
| [[スティーヴ・ブシェミ]] |
* [[アルマゲドン (映画)|アルマゲドン]](ロックハウンド)※フジテレビ版
* [[嘘はフィクサーのはじまり]]('''ラビ''')
* [[コン・エアー]]('''ガーランド・グリーン''')※テレビ朝日版
* [[チャックとラリー おかしな偽装結婚!?]]('''クリント・フィッツァー''')
* [[バートン・フィンク]](チェット)※DVD版
* [[灰の記憶]]('''アブラモヴィッチ''')
* [[ビッグ・フィッシュ]](ノザー・ウィンズロー)※機内上映版
* [[ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え!]](ウェスリー)
* [[Mr.ディーズ]](クレイジー・アイズ)
* [[モンスターズ・インク]]('''ランドール・ボッグス''')
* [[モンスターズ・ユニバーシティ]]('''ランドール・ボッグス''')
}}
==== 映画 ====
* [[アート・オブ・ウォー2]]('''ジョン・ギャレット'''〈[[ロックリン・マンロー]]〉)
* [[愛してる、愛してない...]]('''ロイック'''〈[[サミュエル・ル・ビアン]]〉)
* アイスブレーカー(ビル・フォスター〈[[ステイシー・キーチ]]〉)
* [[アグネスと幸せのパズル]]('''ロバート'''〈[[イルファーン・カーン]]〉)
* [[悪魔のいけにえ]](ヒッチハイカー〈[[エドウィン・ニール]]〉)※BD版
* [[悪魔の毒々モンスター 新世紀絶叫バトル]](カブキマン巡査部長 / 悪のカブキマン、[[レミー・キルミスター]])
* [[悪魔を憐れむ歌 (映画)|悪魔を憐れむ歌]](エドガー・リース〈[[イライアス・コティーズ]]〉)※ソフト版
* [[アナコンダ2]]('''ビル・ジョンスン'''〈[[ジョニー・メスナー]]〉)
* [[あの頃ペニー・レインと]]
* [[アベンジャーズ (2012年の映画)|アベンジャーズ]](パット・キアーナン)
* [[甘い人生 (映画)|甘い人生]]
* [[アルティメット (映画)|アルティメット]](大佐)
* [[アルマゲドン2010]](ピッツ)
* [[暗殺の瞬間]](トム〈[[ビョルン・フローバルグ]]〉)
* アンルーリー/復讐の街(ラミ〈[[リシャール・ボーランジェ]]〉)
* [[怒りの河]]('''エマーソン・コール'''〈[[アーサー・ケネディ]]〉)※ソフト版
* [[怒りの戦場 CODE:PIRANHA]](キリル・マズール〈[[ウラジミール・マシコフ]]〉)
* [[イントゥ・ザ・ブルー]](レイエス〈[[ジェームズ・フレイン]]〉)
* インプラント(サム・バーンサイド〈[[イーサン・エンブリー]]〉)
* [[陰謀のセオリー]]
* [[ウェス・クレイヴンズ ウィッシュマスター]](ジョニー・ヴァレンタイン〈[[トニー・トッド]]〉、ナレーター〈[[アンガス・スクリム]]〉)
* [[ウォルト・ディズニーの約束]]
* 裏窓の女 -甘い嘘-(ジャン=ユード・ギメ)
* エイリアン・ネイション4(ジェイソン・ウェブスター)
* [[エスケープ・フロム・L.A.]](ビバリーヒルズ公衆衛生局長官〈[[ブルース・キャンベル]]〉)※フジテレビ版
* [[エディ・マーフィの劇的1週間]](トッド、カール・シモンズ〈[[リチャード・シフ]]〉)
* [[エバー・アフター]](ヴィルヘルム・グリム)
* [[エベレスト 3D]]('''ジョン・クラカワー'''〈[[マイケル・ケリー]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/movie/2015/10/post-243.html |title=石丸謙二郎、小山力也、山寺宏一ら『エベレスト 3D』日本語吹き替え版キャストに決定|publisher=リアルサウンド|accessdate=October 04, 2015}}</ref>)
* [[オーシャンズ8]](ユーリ〈ジェームズ・ビベリー〉<ref>{{Cite news|publisher=ふきカエル大作戦!!|title=話題のふきカエ オーシャンズ8|url=https://www.fukikaeru.com/?p=9936|date=2018-08-09|accessdate=2018-08-10}}</ref>)
* [[狼 男たちの挽歌・最終章]](エディ、殺し屋)※カルチュア・パブリッシャーズ版
* 大津波(ステファン・ドアマーゲン〈[[ハンス・ツィッシュラー]]〉)
* オクトパス IN N.Y.(市長、マッド・ドッグ)
* [[男たちの挽歌]](キン〈[[ケネス・ツァン]]〉、ワンの代理を名乗る男)※カルチュア・パブリッシャーズ版
* [[男たちの挽歌 II]](ルン〈[[ディーン・セキ]]〉、キン〈ケネス・ツァン〉)※カルチュア・パブリッシャーズ版
* [[オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式]]('''ルー'''〈[[ロブ・コードリー]]〉)
* [[オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式2]]('''ルー'''〈ロブ・コードリー〉)
* [[オリバー・ツイスト (2005年の映画)|オリバー・ツイスト]](トビー・クラキット〈[[マーク・ストロング]]〉)
* 快盗ブラック・タイガー(ゴオ)
* [[崖っぷちの男]](野次馬の男)
* カジノ・ヒート(ヘフター警部〈[[ケイリー=ヒロユキ・タガワ]]〉)
* ガジュラ(パパラッチ)
* [[華氏451]]('''フェビアン'''〈[[アントン・ディフリング]]〉)※ソフト版
* カッレくんの冒険(クラース)
* [[仮面の男]](宮廷顧問〈[[ヒュー・ローリー]]〉)
* GEAR ギア(TJ・ベイカー)
* [[喜劇王]](監督)
* [[救命艇 (映画)|救命艇]](コバック)※PDDVD版
* [[キング・オブ・エジプト]](アヌビス〈ゴラン・D・クルート〉)
* [[グッド・バーガー]](グリフェン〈[[J・オーガスト・リチャーズ]]〉)
* [[グランドコントロール 乱気流]]('''クルーズ'''〈[[ロバート・ショーン・レナード]]〉)※旧ソフト版
* [[クレージーモンキー 笑拳]] ※ブロードウェイ版
* クレイジー・シックス(マオ〈[[マリオ・ヴァン・ピーブルズ]]〉)
* [[黒い司法 0%からの奇跡]](トミー・チャップマン〈[[レイフ・スポール]]〉)
* クロコダイル2(ソル)
* [[GAMER]](フリーク〈[[ジョン・レグイザモ]]〉)
* [[劇場版 ドーラといっしょに大冒険]]('''コール'''〈[[マイケル・ペーニャ]]〉)
* [[拳精]] ※ブロードウェイ版
* [[ゴースト・オブ・ミシシッピー]]
* [[ゴールド/金塊の行方]]('''ブライアン・ウルフ'''〈[[コリー・ストール]]〉)
* [[恋におちたシェイクスピア]](ランバート、ノル)
* [[恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ]](チャーリー〈[[デイキン・マシューズ]]〉)※BD・DVD版
* [[交渉人 (映画)|交渉人]](ヘルマン〈[[ネスター・セラーノ]]〉)※テレビ朝日版
* [[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]](モー・グリーン〈[[アレックス・ロッコ]]〉)※コッポラ・リストレーション版
* コニー&カーラ(ティボー)
* [[コラテラル]](リチャード〈[[ピーター・バーグ]]〉)
* [[コレクター (1997年の映画)|コレクター]](ジョン・サンプソン〈[[ビル・ナン]]〉)※ソフト版
* [[コン・エクスプレス]]('''スミアノフ'''〈[[アーノルド・ヴォスルー]]〉)
* [[13F]]('''ジェイソン・ホイットニー''' / '''ジェリー・アシュトン'''〈[[ヴィンセント・ドノフリオ]]〉)
* [[サイコ (1998年の映画)|サイコ]](ボブ・サマーフィールド〈[[フリー (ミュージシャン)|フリー]]〉)
* [[サイモン・バーチ]](サイモンの父)
* [[ザスーラ]](ロボット)※ソフト版
* [[ザ・スナイパー (2005年の映画)|ザ・スナイパー]](ジュリアン・ノーブル〈[[ピアース・ブロスナン]]〉)
* [[サスペリア2000]](アレックス・リット〈リック・ジャナシ〉)
* [[ザ・ネスト]](チャーチ)
* SURVIVOR/野獣地帯(ウェックス)
* [[ザ・フーリガン]](マーティン〈[[ショーン・パートウィー]]〉)
* ザ・ブリード/NIGHT WORLD(マルコム・ジョーンズ)
* [[ザ・ロック (映画)|ザ・ロック]](マーヴィン・イシャーウッド)※テレビ朝日版
* [[G.I.ジェーン]](ニューベリー)※ソフト版
* [[ジェシカおばさんの事件簿#テレビ映画|ジェシカおばさんの事件簿]]
** ジェシカおばさんの事件簿/南南西に進路を取れ(ロン・グズマン)
** ジェシカおばさんの事件簿/寒い国から来た標的(ユーリ・マレンコヴィッチ〈[[ダンカン・レガー]]〉)
** ジェシカおばさんの事件簿/ふたつの墓の謎(ジェブ・バックネル)
** ジェシカおばさんの事件簿/遺言に隠された謎(トム・マロイ)
* [[シェフ! 〜三ツ星レストランの舞台裏へようこそ〜]]('''ジャッキー・ボノ'''〈ミカエル・ユーン〉)
* [[ジェミニマン (映画)|ジェミニマン]](ユーリ・コヴァッチ〈イリア・ヴォロック〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=12604|title=ジェミニマン|publisher=ふきカエル大作戦!!|date=2019年10月25日|accessdate=2019年10月28日}}</ref>)
* [[アップ・ザ・クリーク|史上最悪のボートレース ウハウハザブーン]](警備員)
* [[シックス・センス]](スタンリー・カニンガム)※ソフト版
* ジャガー(クマレ〈[[ダニー・トレホ]]〉)
* [[蛇鶴八拳]] ※ブロードウェイ版
* [[ジャック (映画)|ジャック]](留置場の警官)※ソフト版
* [[シャッター アイランド]](ジョージ・ノイス〈[[ジャッキー・アール・ヘイリー]]〉)
* [[ジャンゴ 繋がれざる者]](鉱業社の従業員 / 襲撃者〈[[クエンティン・タランティーノ]]〉)
* [[ジョーズ]](タフト氏)※テレビ東京版
* 新レッドブル(ズコフ大佐〈[[リチャード・リンチ]]〉)
* [[スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー]](トーテンコフ博士〈[[ローレンス・オリヴィエ]]〉)
* [[スカイ・ファイター]](スティーブン博士)
* [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望]](ゴールドリーダー〈アンガス・マッキネス〉)※特別篇ソフト版
* [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲]](ダック・ラルター〈[[ジョン・モートン (俳優)|ジョン・モートン]]〉)※DVD・BD版
* [[ストーカー (2002年の映画)|ストーカー]](デュアン〈[[アンディ・コミュー]]〉)
* ストーリーブック 屋根裏の魔法使い(パウチ)
* [[ストレンジャー・コール]]('''ストレンジャー'''〈[[トミー・フラナガン (俳優)|トミー・フラナガン]]〉)
* スノーデイ/学校お休み大作戦(雪かき命〈[[クリス・エリオット]]〉)
* [[スパイダーマン:ホームカミング]](マック・ガーガン〈マイケル・マンド〉<ref>{{cite news|url=http://www.fukikaeru.com/?p=7616|title=話題のふきカエ スパイダーマン:ホームカミング|work=ふきカエル大作戦!!|date=2017-08-02|accessdate=2017-09-28}}</ref>)
* [[スマーフ (映画)|スマーフ]](バニティ)
* [[スラップ・ショット]](ジャン・ギー・ドルアン)※ソフト版
* [[スラムドッグ$ミリオネア]](警部〈イルファーン・カーン〉)
* [[S.W.A.T.]](T・J・マッケイブ〈[[ジョシュ・チャールズ]]〉)※ソフト版
* [[戦場にかける橋]](グローガン〈パーシー・ハーバート〉)※ソフト版
* [[ソー 生命の木とアスガルドの神々]](ロキ〈[[リチャード・グリエコ]]〉)
* [[ソウル・フード (1997年の映画)|ソウル・フード]](シミュエル・ジェームズ)
* [[ソルジャー (映画)|ソルジャー]](ルブリック少尉)※フジテレビ版
* [[ダークシティ]](ミスター・ハンド〈[[リチャード・オブライエン]]〉)※ソフト版
* [[ダークナイト]](ドーピー〈[[マイケル・ストヤノフ]]〉)※テレビ朝日版
* [[ダークナイト ライジング]](フィリップ・ストライバー〈[[バーン・ゴーマン]]〉)
* [[ダーク・ブラッド]]('''ハリー'''〈[[ジョナサン・プライス]]〉)
* [[大脱出]]('''ホブス所長'''〈[[ジム・カヴィーゼル]]〉)
* [[大脱走]](ヴェルナー)※テレビ東京版
* [[ダウンサイズ (映画)|ダウンサイズ]](デイヴ〈[[ジェイソン・サダイキス]]〉)
* [[タキシード (2002年の映画)|タキシード]](ディートリッヒ・バニング〈リッチー・コスター〉)
* [[ダッドナップ パパ誘拐計画]](モーリス〈フィル・ルイス〉)
* [[ダドリーの大冒険]](バリー)
* [[007シリーズ]]
** [[007/ダイヤモンドは永遠に (映画)|007/ダイヤモンドは永遠に]](ホワイト〈[[ジミー・ディーン]]〉<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/001791/index.php| title = 007 ダイヤモンドは永遠に| publisher = WOWOW| date = 2016-06-24| accessdate = 2016-07-30}}</ref>、ピーター・フランクス)※ソフト版
** [[007/消されたライセンス]](フランツ・サンチェス〈[[ロバート・デヴィ]]〉)※ソフト版
** [[トゥモロー・ネバー・ダイ|007/トゥモロー・ネバー・ダイ]](チャールズ・ロビンソン〈[[コリン・サーモン]]〉)※テレビ朝日版
** [[007/慰めの報酬]](エルヴィス〈アナトール・トーブマン〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://007fukikae.com/special/008.html| title = スペシャル企画| publisher = 007TV放送吹替初収録DVDシリーズ| accessdate = 2023-06-16}}</ref>)※キングレコード版
* [[ダブル・ジョパディー]](カッター〈[[マイケル・ガストン]]〉)※ソフト版
* [[ダンテズ・ピーク]](ターナー保安官)※ソフト版、(パイロット〈[[クリストファー・マレー (俳優)|クリストファー・マレー]]〉)※テレビ朝日版
* [[チェイシング・エイミー]](コレクター、ジム・ヒックス)
* [[地球が静止した日]](サム)
* [[チャーリーズ・エンジェル (2000年の映画)|チャーリーズ・エンジェル]](痩せ男〈[[クリスピン・グローヴァー]]〉)※テレビ朝日版
* [[チャーリーズ・エンジェル フルスロットル]](痩せ男〈クリスピン・グローヴァー〉)※テレビ朝日版
* [[チャンス! (1996年の映画)|チャンス!]](ハーレー・メイソン〈[[ジェリー・ハーディン]]〉)
* [[沈黙の陰謀]](ポーグ〈[[サイラス・ウィアー・ミッチェル (俳優)|サイラス・ウィアー・ミッチェル]]〉)※ソフト版
* [[沈黙の追撃]]('''フレッチャー捜査官'''〈[[ウィリアム・ホープ]]〉)
* [[追跡者 (1998年の映画)|追跡者]](マイク・コンロイ、スターク)※ソフト版
* [[ディープ・インパクト (映画)|ディープ・インパクト]](アイラ・モスカテル)
* [[ディープ・ブルー (1999年の映画)|ディープ・ブルー]](トム・スコギンス〈[[マイケル・ラパポート]]〉)※日本テレビ版
* [[ディープ・ブルー2]](カール・デュラント〈[[マイケル・ビーチ]]〉)
* DISCO ディスコ(ウォルター〈サミュエル・ル・ビアン〉)
* [[デス・プルーフ in グラインドハウス]](ウォーレン〈クエンティン・タランティーノ〉)
* [[デッドロック (2000年の映画)|デッドロック]](ベーガン医師)
* [[デトロイト・ロック・シティ (映画)|デトロイト・ロック・シティ]](マクナルティ神父、ベスの父〈[[ロジャー・バートン]]〉、チャンゴ)
* [[テラー トレイン]](車掌〈ヴァレンティン・ガネフ〉)
* トークショー(ロバート・アイガー、ディック・エバーソル)
* [[ドクター・ドリトル2]](ワニ〈[[ケヴィン・ポラック]]〉、ミスター・イタチ)※テレビ朝日版
* [[トッツィー]](ジェフ・スラッター〈[[ビル・マーレイ]]〉)※ソフト版
* [[隣のリッチマン]]
* [[トムとジェリー (2021年の映画)|トムとジェリー]](ブッチ<!-- 〈声:[[ニッキー・ジャム]]〉 --><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=15490|title=トムとジェリー (2021)|website=ふきカエル大作戦!!|date=2021-03-15|accessdate=2021-03-15}}</ref>)
* [[トラブル・イン・ハリウッド]](スコット〈[[スタンリー・トゥッチ]]〉)
* [[トランザム7000VS激突パトカー軍団]](ドン・ウィリアムズ、守衛〈ジェリー・レスター〉)※ソフト版
* [[トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン]](ダッチ〈[[アラン・テュディック]]〉)
* [[トリック・ベイビー]](クレフィロ刑事、裁判長〈[[ジョン・ランディス]]〉)
* [[トリプルX ネクスト・レベル]](コッブ)※テレビ朝日版
* [[ナイルの宝石]] ※テレビ朝日版
* [[なんちゃって家族]](ブラッド・ガードリンガー〈[[エド・ヘルムズ]]〉)
* [[ニューオーリンズ・トライアル]](エディ・ウィース)※機内上映版
* ニューヨーク セレナーデ(マーク〈[[テイト・ドノヴァン]]〉)
* [[ニンジャ・チアリーダー]](レッド〈マイケル・フィッツギボン〉)
* [[ノーマンズ・ランド]] ※テレビ東京版
* [[バーティカル・リミット]](シリル・ベンチ)※テレビ朝日版
* [[ハート・オブ・ストーン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaekingdom.com/post-22534/|title=ハート・オブ・ストーン -日本語吹き替え版|website=吹替キングダム|date=2023-08-14|accessdate=2023-08-14}}</ref>
* [[バイカーボーイズ]](ソウル・トレイン〈[[オーランド・ジョーンズ]]〉)
* 破壊的防御システム:エンクリプト(エバーショー)
* [[ハッカビーズ]](スティーブン・ニミエリ)
* [[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ]]
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー]](ジェラルド・ストリックランド〈[[ジェームズ・トールカン]]〉)※BSジャパン版
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]](ジェラルド・ストリックランド〈ジェームズ・トールカン〉、ビフ・タネン博物館のナレーション)※BSジャパン版
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3]](ストリックランド保安官〈ジェームズ・トールカン〉)※BSジャパン版
* [[バッファロー'66]](スコット・ウッズ)
* [[バニシング・チェイス/激突!潜入捜査網25時]](クーパー〈[[デビッド・ワーナー (俳優)|デビッド・ワーナー]]〉)
* [[パニック・ルーム]]('''ラウール'''〈[[ドワイト・ヨアカム]]〉)※テレビ朝日版
* [[パニッシャー (2004年の映画)|パニッシャー]](タトゥーのマイク)
* [[母の眠り]](ケイシー)
* [[ハムナプトラ/失われた砂漠の都]](バーンズ)※ソフト版
* [[ハムナプトラ2/黄金のピラミッド]](スパイビー)※テレビ朝日版
* [[パラダイス・アーミー]]('''ジョン・ウィンガー'''〈ビル・マーレイ〉)※配信版
* [[判決/クライム・オブ・ザ・センチュリー]]
* [[ピーターラビット (映画)|ピーターラビット]](ミスター・トッド<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.fukikaeru.com/?p=9186| title = ピーターラビット| publisher = ふきカエル大作戦!!| date = 2018-04-26| accessdate = 2018-04-27}}</ref>)
** [[ピーターラビット2/バーナバスの誘惑]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.fukikaeru.com/?p=16075| title = ピーターラビット2/バーナバスの誘惑 -日本語吹き替え版| publisher = ふきカエル大作戦| date = 2021-06-21| accessdate = 2021-06-23}}</ref>
* [[陽だまりのイレブン]](デメトリス)
* [[ピッチ・パーフェクト]](ジョン・スミス〈[[ジョン・マイケル・ヒギンズ]]〉)※ユニバーサル・ピクチャーズ版
* [[ピッチ・パーフェクト2]](ジョン・スミス〈ジョン・マイケル・ヒギンズ〉)
* ピノキオとゼペット(ベルナルド)
* [[ビバリーヒルズ・チワワ]](コヨーテ)
* [[ビバリーヒルズ・チワワ2]](マキブル審査委員長〈[[フィル・ルイス]]〉)
* [[ビューティフル・マインド]](マーティン・ハンセン〈[[ジョシュ・ルーカス]]〉)
* [[ヒルズ・ハブ・アイズ]](リザード〈[[ロバート・ジョイ]]〉)
* [[ピンチ・シッター]](フリオ〈J・B・スムーヴ〉)
* [[ファーザーズ・デイ]](ラス・トレイナー〈[[チャールズ・ロケット]]〉、スコット〈[[メル・ギブソン]]〉)
* ファイナル・ファイター 鉄拳英雄(トニー)
* ファイブ・エイセス(ショーン・ハガティ〈[[マイケル・マグレイディ]]〉)
* [[ファンタスティック・フォー (2015年の映画)|ファンタスティック・フォー]](自動音声)
* [[フェイス/オフ]](フィッチ)※テレビ朝日版
* [[フォレスト・ガンプ/一期一会]](ウェスリー)※フジテレビ版
* [[復讐のエトランゼ]](デ・パブロ)
* [[プラウド・メアリー (映画)|プラウド・メアリー]]('''ビリー・ブラウン''')
* [[ブラック・デイズ]](マーティン・ロバーツ)
* [[ブラック・ナイト (映画)|ブラック・ナイト]](デレク)
* [[ブラックホーク・ダウン]](ショーン・ネルソン特技下士官〈[[ユエン・ブレムナー]]〉)※ソフト版
* [[フラッシュフラッド]]
* [[プラトーン]](ドク、マニー・ワシントン、モアハウス)※ソフト版
* [[プラネット・テラー in グラインドハウス]](兵士〈クエンティン・タランティーノ〉)
* [[ブルー・ストリーク]]('''ディーコン'''〈[[ピーター・グリーン (俳優)|ピーター・グリーン]]〉)
* [[ブルース・ブラザース]]('''エルウッド・ブルース'''〈[[ダン・エイクロイド]]〉)※BD版
* プレイヤー/死の祈り(レニー・モロー)
* [[ペイチェック 消された記憶]]
* [[ペイバック]](レアリー刑事)※ソフト版
* BOYS(バド・ヴァレンタイン〈[[スキート・ウールリッチ]]〉)
* [[ボーン・コレクター]](本屋の店員)※テレビ朝日版
* ボーン・ダディ(トレント)
* ぼくの名犬テンペスト(ロミオ)
* [[ゾンビ特急地獄行き|ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急地獄行]]('''プジャルドフ神父'''〈アルベルト・デ・メンドーサ〉)
* ボロワーズ/床下の小さな住人たち(ジェフ)
* [[マーシャル・ロー (映画)|マーシャル・ロー]](フロイド・ローズ〈[[ランス・レディック]]〉)
* [[マイアミ・ガイズ -俺たちはギャングだ-]](ミゲル、ジミー・ホイッスルズ〈[[ルイス・ロンバルディ]]〉)
* [[マイ・ビッグ・ファット・ドリーム]](ニコ)
* [[マイ・ファニー・レディ]](セス・ギルバート〈[[リス・エヴァンス]]〉)
* [[マイ・ボディガード (2004年の映画)|マイ・ボディガード]](ダニエル・ロサ・サンチェス)※ソフト版
* [[マシニスト]]
* [[マスター・アンド・コマンダー]](ハワード)
* [[マッケンナの黄金]]('''コロラド'''〈[[オマル・シャリーフ]]〉)※DVD版
* [[マッド・シティ]]([[ジェイ・レノ]])※ソフト版
* マトリックスシリーズ ※フジテレビ版
** [[マトリックス (映画)|マトリックス]]
** [[マトリックス リローデッド]](ローランド、ジャックス、エージェント・ジャクソン、オペレーター)
** [[マトリックス レボリューションズ]](ローランド)
* [[ミーン・マシーン]](ラチェット)
* [[Mr.ダマー2 1/2]](廷吏)
* [[ミステリー、アラスカ]](ジム・フォックス)
* [[ミッション:インポッシブル]](アレクサンダー・ゴリツィン〈[[マーセル・ユーレス]]〉)※テレビ朝日版
* [[ミッション:インポッシブル2|M:I-2]](ヒュー・スタンプ〈[[リチャード・ロクスバーグ]]〉)
* [[ミッション:インポッシブル3|M:i:III]](キンブロー)※フジテレビ版
* [[ミッション: 8ミニッツ]](マックス・デノフ)
* ミラクル・マスクマン(ヤクザのボス)
* [[メギド (映画)|メギド]](守護者〈[[ウド・キア]]〉、ロシアの指導者)
* [[Merry Christmas! 〜ロンドンに奇跡を起こした男〜]](マッツィーニ)
* [[メリーに首ったけ]](ドム・ウォガノウスキー〈[[クリス・エリオット]]〉)
* [[燃えよ!ピンポン]](カール・ウルフシュターク〈[[トーマス・レノン]]〉)
* [[誘拐騒動/ニャンタッチャブル]](メルヴィン〈[[トーマス・F・ウィルソン]]〉)※VHS版
* [[ゆかいなブレディー家/トラブルinハワイ]](ブレント〈[[デヴィッド・ラムゼイ]]〉、ウォーレン・マロニー〈[[ブライアン・ヴァン・ホルト]]〉)
* [[ヨギ & ブーブー わんぱく大作戦]](ブラウン市長)
* [[ライフ・イズ・ビューティフル]](ブルーノ)※ソフト版
* [[ライラの冒険 黄金の羅針盤]](教会組織の使者〈[[サイモン・マクバーニー]]〉)※テレビ朝日版
* [[ラスト・キャッスル]](ザモロ)
* [[ラストゲーム]](ドン・パグノッティー)
* [[ラストサマー]](ハンク、保安官)※ソフト版
* [[ラッキーナンバー7]](ブリコウスキー〈スタンリー・トゥッチ〉)
* [[乱気流/タービュランス]](アル・アークエット連邦保安官)※ソフト版
* ランダム・ショット(ドミニカ)
* リアル・ブラッド(サル・サントリ〈[[アルフレッド・モリーナ]]〉)
* レーシング・エンジェルズ(ラスティ・ノールトン)
* [[レギオン (映画)|レギオン]](ガブリエル〈[[ケヴィン・デュランド]]〉)
* [[レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い]](ジェームズ・オバニオン)※BD版
* レスリー・ニールセンの2001年宇宙への旅(ブラッドフォード・シュイッツ中尉)
* [[レッド・ウォーター/サメ地獄]](ジーン・ブラッドリー〈[[ギデオン・エメリー]]〉)※テレビ東京版
* [[レッド・オクトーバーを追え!]](メレキン)※テレビ朝日版
* [[レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで]]('''ジョン・ギヴィングス'''〈[[マイケル・シャノン]]〉)
* [[ローガン・ラッキー]]('''ジョー・バング'''〈[[ダニエル・クレイグ]]〉)
* [[ロードキラー]](氷トラックの運転手)※テレビ東京版
* [[ロボコップ]]('''クラレンス・ボディッカー'''〈[[カートウッド・スミス]]〉、オムニ社会長〈[[ダン・オハーリー]]〉)※カルチュア・パブリッシャーズ版
* [[ロボコップ2]](オールドマン会長〈ダン・オハーリー〉、ケイン〈[[トム・ヌーナン]]〉)※カルチュア・パブリッシャーズ版
* [[ワールド・ウォーZ]](隊長)
* [[ワイルドシングス]](フランキー、デイヴ)※ソフト版
* [[私がクマにキレた理由]]('''ミスターX'''〈[[ポール・ジアマッティ]]〉)
* 私がこわされるとき(ダン・ポダラス〈[[デヴィッド・キュービット]]〉)
==== ドラマ ====
* [[iCarly]](デブソン先生)
* [[アガサ・クリスティー ミス・マープル]] 無実はさいなむ(フィリップ・デュラント〈[[リチャード・アーミティッジ]]〉)
* [[ARROW/アロー]](アダム・ハント〈ブライアン・マーキンソン〉)
* [[アンドロメダ (テレビドラマ)|アンドロメダ]](レヴ・ベム〈[[ブレント・ステイト]]〉)
* [[ER緊急救命室]]
** シーズンIII #4(ホワード〈ブルース・ビーティ〉)
** シーズンXV #20(エド・ミクデー〈マイケル・ガンビーノ〉)
* [[ヴァンパイア・ダイアリーズ]](ジョン・ギルバート〈[[デイヴィッド・アンダース]]〉)
* [[WITHOUT A TRACE/FBI 失踪者を追え!]] #77(ジョージ・アンダーソン)
* [[エージェント・オブ・シールド]](フランクリン・ホール博士〈[[イアン・ハート (俳優)|イアン・ハート]]〉)
* [[エド (テレビドラマ)|エド〜人生のスプリット〜]](フィル・スタッブス〈[[マイケル・イアン・ブラック]]〉)
* [[NCIS: ニューオーリンズ]] シーズン1 #8(ジェームズ・ウォーカー)
* [[F.B.EYE!! 相棒犬リーと女性捜査官スーの感動!事件簿]]('''デミトリアス'''〈[[マーク・ゴメス]]〉)
* [[エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY]] シーズン4 #16、シーズン6 #18(ヘンリー・バスカヴィル〈[[トム・エヴェレット・スコット]]〉)
* [[オクニョ 運命の女]](チョン・デシク〈チェ・ミンチョル〉<ref>{{Cite web|和書|url=http://www9.nhk.or.jp/kaigai/okunyo/chara/|title=登場人物|publisher=NHK|accessdate=2017-02-16}}</ref>)
* [[OZ/オズ]](カリーム・サイード〈[[イーモン・ウォーカー]]〉)
* [[オレのことスキでしょ。]](イ・ソンギ)
* [[カリフォルニケーション]] シーズン6 #7・12([[マリリン・マンソン]])
* [[華麗なるペテン師たち|華麗なるペテン師たち3]](ティム・ミレン〈ポール・ケイ〉)
* [[機甲戦虫紀LEXX]](ヨッツクリー〈[[マルコム・マクダウェル]]〉)
* [[キャッスル 〜ミステリー作家は事件がお好き]] シーズン3 #9(ウェストフィールド〈[[ライル・ラヴェット]]〉)
* [[クリミナル・マインド FBI行動分析課|クリミナル・マインド8 FBI行動分析課]] #10(Mr. コンラッド〈マーク・ポヴィネッリ〉)
* [[GRIMM/グリム|GRIMM2]](エリック・レナード〈ジェームズ・フレイン〉)
* [[クローザー (テレビドラマ)|クローザー]] シーズン3(ビル・ホーソン)
* [[サード・ウォッチ]]
* ザ・ハンガー シーズン1 #15(吸血鬼〈[[ジャンカルロ・エスポジート]]〉)
* [[ザ・ホワイトハウス]] シーズン1 #18(ドラム)
* [[CIA:ザ・エージェンシー]](ジョシュア・ナンキン〈[[デヴィッド・クレノン]]〉)
* [[CSI:科学捜査班|CSI:14 科学捜査班]] #20(ゲイリー・コーロフ〈[[スティーヴ・ヴァレンタイン]]〉)
* [[CSI:ニューヨーク|CSI:ニューヨーク7]] #8(ゴードン・スプラウス〈ジェフリー・ヴィンセント・パライズ〉)
* [[CSI: ベガス]](ヒューゴ・ラミレス〈メル・ロドリゲス〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[WOWOW]]|url=https://www.wowow.co.jp/detail/174822|title=CSI:ベガス|accessdate=2022-04-07}}</ref>)
* [[ジーニアス (テレビドラマ)|ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン]](ジョン・エドガー・フーヴァー〈[[T・R・ナイト]]〉)
* [[主任警部アラン・バンクス]]2(フレミング)
* [[主任警部モース]]
** ニコラス・クインの静かな世界(ニコラス・クイン)
** 死はわが隣人(ジャクソン)
* [[シンデレラのお姉さん]](ヤン・ヘジン)
* [[新入社員 (テレビドラマ)|新入社員〜SUPER ROOKIE]](イ・ボンサム〈[[オ・ジホ]]〉)
* [[新ビバリーヒルズ青春白書]](チャールズ)
* [[スイート・ライフ]]('''モーズビー'''〈フィル・ルイス〉)
** [[スイート・ライフ オン・クルーズ]]
** スイート・ライフ/ザ・ムービー
* [[スウォーズマン 笑傲江湖]](ツオ・レンチャン〈[[顧冠忠|クウ・クワンツォン]]〉)
*[[スタートレック:ディープ・スペース・ナイン]](ドレックス)
* [[スタートレック:ヴォイジャー]]('''[[トゥヴォック]]'''〈[[ティム・ラス]]〉)
* [[スタートレック:エンタープライズ]](ソヴァル〈[[ゲイリー・グラハム]]〉)※第4シーズンのみ
* [[スパルタカス (2010年のテレビドラマ)|スパルタカス]](バイゾ〈[[ジョン・ロウルズ]]〉)
* [[S.W.A.T. (テレビドラマ)|S.W.A.T.]] シーズン2 #18(ルイス曹長)
* [[7デイズ 時空大作戦]](ジョン・バラード〈[[サム・ウィップル]]〉)
* [[その冬、風が吹く]](チョ・ムチョル〈[[キム・テウ]]〉)
* [[そりゃないぜ!? フレイジャー]]
** シーズン1 #5(ダグ〈[[ジェフ・ダニエルズ]]〉)、#6(フィリップ・ヘイソン〈[[ジョン・ルービンスタイン]]〉、ゲリー)
** シーズン3 #17(ダグ・ハーヴェイ〈ジョン・サイガン〉)
* [[孫子兵法 (テレビドラマ)|孫子兵法]](宗北)
* [[大草原の小さな家]](ジョン〈[[ハリス・ユーリン]]〉)※NHK BS4K版
* [[チャームド 〜魔女3姉妹〜]]
** シーズン7(錬金術師)
** シーズン8(死の天使)
* [[ドールハウス (2009年のテレビドラマ)|ドールハウス Dollhouse]](アルファ〈[[アラン・テュディック]]〉)
* [[24 -TWENTY FOUR-]] シーズン3、4(デイヴ・コンロン〈[[トーマス・アラナ]]〉)
* [[トゥルー・コーリング]](アンドリュー・ウェッブ:#3 他)
* [[TRUE DETECTIVE|TRUE DETECTIVE/ロサンゼルス]]('''フランク・セミヨン'''〈[[ヴィンス・ヴォーン]]〉)
* [[Dr.HOUSE]] シーズン2 #12(アダムの父親)
* [[トンイ]](ハン内官)
* [[NIP/TUCK マイアミ整形外科医]]('''ショーン・マクナマラ医師'''〈[[ディラン・ウォルシュ]]〉)
* [[PERSON of INTEREST 犯罪予知ユニット]]
* [[バーン・ノーティス 元スパイの逆襲]](ケント〈[[ジェフリー・ジョンソン]]〉、スティーヴ・ケイヒル)
* [[ハイテク武装車バイパー]] シーズン1 #1・3(アレック・コナー)
* 80日間世界一周(トーマス・ニードリング〈アンソニー・フラナガン〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スター・チャンネル]]|work=80日間世界一周公式サイト|url=https://www.star-ch.jp/drama/aroundtheworldin80days/sid=1/p=c/|title=キャスト&スタッフ|accessdate=2022-10-12}}</ref>)
* [[春のワルツ]]
* [[パワーレンジャー・ロスト・ギャラクシー]](モーターマンティス)
* [[バンド・オブ・ブラザース]](リン・コンプトン中尉〈[[ニール・マクドノー]]〉)
* [[HEROES (テレビドラマ)|HEROES/ヒーローズ]](ネイサン・ペトレリ〈[[エイドリアン・パスダー]]〉)
* [[ダーマ&グレッグ|ふたりは最高!ダーマ&グレッグ]]
** シーズン1 #23(ハワード)
** シーズン3 #9(ギレルモ、プリモ)
** シーズン5 #9(航空会社スーパーバイザー〈[[ティム・バグレー]]〉)
* [[THE BLACKLIST/ブラックリスト]](ミスター・ヴァルガス〈[[ポール・ルーベンス]]〉)、(ジュリアン・ゲール〈[[エンリケ・ムルシアーノ]]〉)
** シーズン1 #11(カール・ホフマン〈[[フランク・ホエーリー]]〉)
** シーズン2 #14(タイラー・キング)、#21(カラクルト〈[[マイケル・マッシー]]〉)
* [[フラッシュポイント-特殊機動隊SRU-]](ジャック・スワンソン〈[[ヘンリー・ツェニー]]〉、ジョエル・グレイブス)
* [[FRINGE/フリンジ]](セプテンバー〈監視人〉〈[[マイケル・セルベリス]]〉)
* [[ベター・コール・ソウル]]('''ナチョ'''〈マイケル・マンド〉)
* [[BONES -骨は語る-|BONES]]
** シーズン4 #10(ブレイク)
** シーズン5 #2(ラトリッジ)
** シーズン9 #15(ジェフリー)
** シーズン10 #7(メイソン・バーンズ)
* [[僕の彼女は九尾狐]](パン・ドゥホン〈[[ソン・ドンイル]]〉)
* [[ホテル・バビロン]](フラー)
* [[ホミサイド/殺人捜査課]]('''フランク・ペンブルトン'''〈[[アンドレ・ブラウアー]]〉)
* [[ホワイトカラー (テレビドラマ)|ホワイトカラー]](ルイーズ)
* [[MACGYVER/マクガイバー]] シーズン2 #21(ブース)
* [[メンタリスト (テレビドラマ)|THE MENNTALIST メンタリストの捜査ファイル]](スティーブ、ゴーマン連邦保安官)
* [[ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る]](ヴァス)
* [[ラスベガス (テレビドラマ)|ラスベガス]](ギュンターシェフ〈ハリー・グローナー〉)
* [[リーサル・ウェポン (テレビドラマ)|リーサル・ウェポン]] Season2 #4(ダン・クーパー〈エイドリアン・パスダー〉)
* [[リスナー 心を読む青い瞳]](フロスト博士)
* [[LAW & ORDER:性犯罪特捜班]](カルロ)
* [[ローマ警察殺人課アウレリオ・ゼン 3つの事件]](アメデオ・オルシーニ・コロナ)
* [[LOST]](マシュー)
==== アニメ ====
* [[アーロと少年]](ブッバ)
* [[アダムス・ファミリー (2019年の映画)|アダムス・ファミリー]](ノーマン<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.fukikaeru.com/?p=14484| title = アダムス・ファミリー| publisher = ふきカエル大作戦!!| date = 2020-09-11| accessdate = 2020-09-11}}</ref>)
* [[アドベンチャー・タイム]](モーティー・ロジャー)
* [[アメリカン・ドラゴン (アニメ)|アメリカン・ドラゴン]](ロトウッド)
* [[ガーゴイルズ]](アントン・バーソロミュー・セバリアス)
* [[カーズ2]]('''プロフェッサー・ゼット''' / '''ザンダップ教授''')
* [[怪盗グルーシリーズ]]
** [[怪盗グルーの月泥棒 3D]](スチュアート、フレッド・マクデイド)
** [[怪盗グルーのミニオン危機一発]](スチュアート)
** [[ミニオンズ]]('''スチュアート'''、英キャスター)
** [[ミニオンズ:アルバイト大作戦]](ナレーター)
** [[ミニオンズ フィーバー]](パイロット2<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=18469|title=ミニオンズ フィーバー -日本語吹き替え版|website=ふきカエル大作戦!!|date=2022-06-28|accessdate=2022-06-29}}</ref>)
* [[ガジェット警部|ガジェット警部 最後の事件]]('''ガジェット警部''')
* [[くもりときどきミートボール]]
* [[おおきいあかい クリフォード|クリフォード]](マック)
* [[グリンチ (2018年の映画)|グリンチ]](トム<ref>{{cite news|url=https://www.fukikaeru.com/?p=10674|title=話題のふきカエ グリンチ|publisher=ふきカエル大作戦!!|date=2018-12-07|accessdate=2018-12-22}}</ref>)
* [[ケンタウロスワールド]](将軍<ref>{{Cite web|和書|title=青山穣,かぬか光明 出演 Netflix「ケンタウロスワールド Season2」 |url=https://kenyu-office.com/post-26592/ |website=株式会社ケンユウオフィス |accessdate=2022-02-04 |language=ja}}</ref>)
* [[サウスパーク]]([[チャールズ・マンソン]]〈WOWOW版シーズン2〉、ジェフリー・メイナード〈WOWOW版シーズン4〉、[[メル・ギブソン]] 他〈FOX版〉)
* [[ジャングル大騒動 -南極からのSOS-]](ギルバート)
* [[シュガー・ラッシュ]]('''サワー・ビル''')
** [[シュガー・ラッシュ:オンライン]]<ref>{{cite news|url=https://www.fukikaeru.com/?p=10747|title=話題のふきカエ シュガー・ラッシュ:オンライン|publisher=ふきカエル大作戦!!|date=2018-12-16|accessdate=2018-12-22}}</ref>(サワー・ビル)
* [[シルベスター&トゥイーティー ミステリー]]
* [[シンドバッド 7つの海の伝説]]
* [[スター・ウォーズ クローン大戦|スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ]](タル・メルク)
* [[スターシップ・トゥルーパーズ]](ジェフ・ゴサード)
* [[スタートレック:ローワー・デッキ]](ドクター・ミグリーモ)
* [[スーパーマン (アニメ)|スーパーマン]](ジャクス・ウル将軍)
* [[スパイダーマン・アンリミテッド]]([[ヴェノム (マーベル・コミック)|'''エディ・ブロック''' / '''ヴェノム''']])
* [[トゥーストゥーピッドドッグス]]('''リトルドッグ''')
* [[動物園通り64番地]](レジナルド)
* [[ドーラといっしょに大冒険|ドーラ]](ピッグ船長、歌う門、雪だるま、ブーツのパパ、貝)
* [[トムとジェリー 夢のチョコレート工場]](アーサー・スラグワーズ)
* [[トランスフォーマー アドベンチャー]](ナイトストライク)
* [[ねずみの騎士デスペローの物語]](アンドレ)
* [[バービーとペガサスの魔法]]('''ウェンロック''')
* [[バットマン:ブレイブ&ボールド]](マンバット)
* [[びっくりスケアリー]]('''デイヴ''')
* [[ファンタスティック Mr.FOX]](ラット<!-- 〈声:[[ウィレム・デフォー]]〉 -->)
* [[プチバンピ]](船長<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20111113070218/http://www.petit-vampi.com/chara.html| title = キャラクター(Wayback Machineによる2011年11月13日時点のアーカイブ)| publisher = プチバンピオフィシャルサイト| accessdate = 2023-05-28}}</ref>)
* [[ペット (映画)|ペット]]('''バディ''')
* [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]]('''ハデス''')
* [[モンスターVSエイリアン]]('''ギャラクサー''')
* [[モンスター・ホテル クルーズ船の恋は危険がいっぱい?!]](サカナ男、スタン、あらゆる全てのサカナ男<ref>{{Cite news|publisher=|work=ふきカエル大作戦!!|url=https://www.fukikaeru.com/?p=10389|title=モンスター・ホテル クルーズ船の恋は危険がいっぱい?!|date=2018-10-04|accessdate=2018-10-04}}</ref>)
* [[ライアンを探せ!]]('''ラリー''')
* [[ランゴ]](ファーガス)
==== ドキュメンタリー ====
* 激戦タラワ〜日米将兵の再会([[ヒストリーチャンネル]]、元米兵)
=== デジタルコミック ===
* [[VOMIC]] [[銀魂]](岡田似蔵)
=== 特撮 ===
* [[ビーファイターカブト]](1996年、'''BCビーザック'''の声)
* [[ゴジラアイランド]](1997年、ナレーター、暗黒大皇帝の声、キャメロンの声)
* [[スーパー戦隊シリーズ]]
** [[電磁戦隊メガレンジャー]](1997年、コンドルネジラーの声)
** [[救急戦隊ゴーゴーファイブ]](1999年、竜巻サイマ獣トルネデウスの声)
** [[未来戦隊タイムレンジャー]](2000年、悪徳警察官アーノルドKの声)
** [[機界戦隊ゼンカイジャー]](2021年、スシワルドの声<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei.co.jp/tv/zenkaiger/story/1225864_3141.html|title=機界戦隊ゼンカイジャー 第6カイ! 不快不可解ゴミあつかい!|publisher=東映|accessdate=2021-04-04}}</ref>)<!-- 2021-04-04 -->
* [[スターぼうず]](2000年、ナレーション)
=== ナレーション ===
* [[地球ドラマチック]](ボイスオーバー)
** 「[[スコットランド]]"巨石神殿"の謎」
** 「あなたの知らない"[[自由の女神]]"〜隠された謎に迫る〜」
** 「[[古代エジプト]] 大[[ピラミッド]]の新事実」
** 「よみがえるアイスマン 〜科学とアートが明かす謎〜」
* [[どーよ・この味!グルメに挑戦!]]
* [[向谷鉄道倶楽部]]
* [[追跡!金運王国]]
* [[ダイキン工業]] うるさら7 CM「会議」篇(声の出演)
* [[ショップジャパン]] 「ワンダーコア」
* [[モーガン・フリーマンが語る宇宙|モーガン・フリーマン 時空を超えて]](声の出演)
=== その他コンテンツ ===
* [[東京ディズニーランド]]
** [[モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”]](ランドール)
== 脚注 ==
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
* [https://kenyu-office.com/aoyamayutaka/ ケンユウオフィス 公式プロフィール]
* [https://www.vta.tfc.co.jp/graduate/2012/08/post-44.html 青山穣 卒業生インタビュー 映像テクノアカデミア]
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[[Category:日本の男性声優]]
[[Category:日本のナレーター]]
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[[Category:日本大学出身の人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:1965年生]]
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赤土眞弓
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赤𡈽 眞弓(あかど まゆみ、1965年6月28日 - )は、日本の女性声優。リアライズ所属。福島県出身。
苗字の二文字目の「土」は、実際には右上に点のついた「𡈽」(U+2123D)が正しい字である。その代用として、赤土’眞弓のように表記されることもある。
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{{声優
| 名前 = 赤{{JIS2004フォント|𡈽}} 眞弓
| ふりがな = あかど まゆみ
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| 出生地 = {{JPN}}・[[福島県]]
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}}
'''赤{{JIS2004フォント|𡈽}} 眞弓'''(あかど まゆみ、[[1965年]][[6月28日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。リアライズ所属{{要出典|date=2019年9月|title=現在の所属事務所について}}。<!-- フリーとするソースもある。要確認 -->[[福島県]]出身。
苗字の二文字目の「土」は、実際には右上に点のついた「{{JIS2004フォント|𡈽}}」(U+2123D)が正しい字である。その代用として、'''赤土’眞弓'''のように表記されることもある。
== 出演作品 ==
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1994年 |
* [[赤ずきんチャチャ]](1994年 - 1995年、やっこちゃん)
| 1996年 |
* [[水色時代]](代田橋先生)
* [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (アニメ)|るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]](太助、老婆、松)
| 1997年 |
* [[ケロケロちゃいむ]](みずたま、ヒノタマ)
* [[こどものおもちゃ]](ばびっと〈代役〉)
| 1998年 |
* [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]](老人)
* [[さくらももこ劇場 コジコジ]](1998年 - 1999年、知恵子、若い知恵子)
* [[発明BOYカニパン]](カットソー)
| 2000年 |
* [[ドキドキ伝説 魔法陣グルグル|ドキドキ♡伝説 魔法陣グルグル]](おばあさん)
* [[メダロット (アニメ)|メダロット魂]](ワカバ)
| 2002年 |
* [[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル(第3作)]](物知り婆さん)
* [[真・女神転生デビルチルドレン|真・女神転生Dチルドレン ライト&ダーク]](老婦人)
* [[Dr.リンにきいてみて!]](品川の母)
* [[満月をさがして]](田中さん)
| 2003年 |
* [[GUNSLINGER GIRL]](マリア=ペトリス部長)
* こちら葛飾区亀有公園前派出所(小野正子、佐々木小春)
| 2004年 |
* こちら葛飾区亀有公園前派出所(美代)
| 2005年 |
* [[アイシールド21]](岡婦長、雪光の母)
| 2006年 |
* [[おねがいマイメロディ 〜くるくるシャッフル!〜]](香取恵の母)
* [[僕等がいた]](竹内の母)
| 2007年 |
* [[人造昆虫カブトボーグ V×V]](おババ)
| 2009年 |
* [[毎日かあさん]](まあくんママ、看護師長、子供、親戚)
| 2012年 |
* [[超訳百人一首 うた恋い。]](乳母)
}}
=== OVA ===
* 赤ずきんチャチャ(1995年 - 1996年、やっこちゃん)
=== ゲーム ===
* 赤ずきんチャチャ お騒がせ!パニックレース(1996年、やっこちゃん)
* ルルリ・ラ・ルラ(1998年、レイナス)
== 関連項目 ==
* [[福島県出身の人物一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://thetv.jp/person/0000124758/ 赤土真弓のプロフィール {{!}} WEBザテレビジョン]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/赤土眞弓/#person-110075478_ 赤土眞弓の解説 - goo人名事典]
* {{allcinema name}}
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[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:福島県出身の人物]]
[[Category:1965年生]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9C%9F%E7%9C%9E%E5%BC%93
|
11,319 |
ラーメン (曖昧さ回避)
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ラーメン
|
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"text": "ラーメン",
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] |
ラーメン
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'''ラーメン'''
==一覧==
* [[ラーメン]] - 中国から日本に伝わった[[麺]][[料理]]
** [[拉麺]] - 上記のラーメンの元である中国の麺および麺料理
* [[ラーメン (骨組)]] - [[建築]]の[[構造]]形式
* [[ラーメンズ]] - [[お笑いタレント|お笑いコンビ]]
* らーめん - 日本の[[漫画家]]。[[大石コウ]]の別名義。
* [[ラーメンマン]] - [[ゆでたまご]]の漫画『[[キン肉マン]]』および『[[闘将!!拉麵男]]』などに登場する架空の人物
== 関連項目 ==
* [[特別:Prefixindex/ラーメン|ラーメンで始まる記事の一覧]]
*{{intitle|ラーメン}}
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2021-11-21T05:44:37Z
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[
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"Template:Intitle"
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11,327 |
パーリ語
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パーリ語(パーリご、पाळि、Pāḷi、巴利語、タイ語: ภาษาบาลี)は、南伝上座部仏教の典籍(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。
古代中西部インドにおけるアーリヤ系言語、プラークリット(俗語)を代表する言語である。使用歴は長く、パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀頃まで遡る。プラークリットの中でも最も古い言語の一つである。パーリ語で書かれた上座部仏教経典の散文やその注釈は、5-6世紀以後にまで及び、その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、パーリ語を使用した新しい文献がある。
文語・雅語であるサンスクリット(梵語)と比べると、俗語であるパーリ語は、例えば「息子」を意味する「(梵) putra」 が 「(巴) putta」 となるように子音の同化が目立ち、また「刹那」を意味する「(梵) kṣaṇa」 が 「(巴) khaṇa」のような変化も見られる。しかし、パーリ語は他のプラークリットと比べると総じて音韻的・構造的な崩れが少なく、プラークリットの中では最もサンスクリットに近い。名詞、動詞の組織は基本的にはサンスクリットと同じである。ただ名詞では格の融合、動詞では態の区別、過去時制の区別が明確ではない。さらに構文は、一般に定動詞表現が中心であり、語順が一定して動詞が文末に来る。語彙は時にサンスクリットより古い形を持つ。例えば「ここに」は 「(梵) iha」 より古形の 「(巴) idha」 となっている。
現在パーリ語は上座部仏教の経典と儀式に用いられる文語(典礼言語)として形を留めるのみであり、元来どの地方の方言であったかは不明確である。上座部仏教では自らの経典を仏の直接の教えとする観点から北東部のマガダ語と同一と見られてきた。しかし現在ではアショーカ王碑文との比較からインド中西部のウッジャイン周辺で用いられたピシャーチャ語の一種とする説が有力である。ただし、マガダ語とパーリ語は、言語的にそれほど相違しておらず、語彙をほぼ共有し、文法上の差異もさほどないなど、むしろかなり近似的な関係にあったと推定されている。
最古の仏教文献は、釈迦の故郷であるマガダ地方の東部方言からパーリ語へ翻訳されたと推定されている。このために、パーリ語はアショーカ王碑文のうち西部のギルナールの言語に最も近いが、その中にマガダ語的な要素が指摘されている。
大乗仏教でサンスクリット語が多用されたのに対し上座部仏教においてパーリ語が多用されたのは、仏教伝道において民衆に分かりやすい口語(すなわちプラークリット)を利用することでその効果を高めるためであったからと推測される。後に、観念的な議論を特徴とする大乗仏教が盛んになると専門性の低いとされたパーリ語よりもサンスクリットが用いられることになる。
パーリ語などのプラークリットはサンスクリットとインド近代語の中間の発展形態であり、またサンスクリットと同様クメール語など東南アジアの言語にも大きな影響を与えた。
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パーリ語は、南伝上座部仏教の典籍(『パーリ語経典』)で主に使用される言語。バーリ語とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では pl などと略称される。 古代中西部インドにおけるアーリヤ系言語、プラークリット(俗語)を代表する言語である。使用歴は長く、パーリ語で書かれた偈の歴史は紀元前3世紀頃まで遡る。プラークリットの中でも最も古い言語の一つである。パーリ語で書かれた上座部仏教経典の散文やその注釈は、5-6世紀以後にまで及び、その後も今日までスリランカ(セイロン島)を中心として、パーリ語を使用した新しい文献がある。
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'''パーリ語'''(パーリご、{{翻字併記|pi|पाळि|{{Unicode|Pāḷi}}|N|区=、}}、巴利語、{{lang-th|ภาษาบาลี}})は、南伝[[上座部仏教]]の[[三蔵|典籍]](『[[パーリ語経典]]』)で主に使用される言語。'''バーリ語'''とも。なお日本における仏教関連の辞典や書物では ''pl'' などと略称される。
古代中西部インドにおける[[インド・アーリア語|アーリヤ系]]言語、[[プラークリット]](俗語)を代表する言語である。使用歴は長く、パーリ語で書かれた[[偈]]の歴史は[[紀元前3世紀]]頃まで遡る。プラークリットの中でも最も古い言語の一つである<ref name=naka100>『バウッダ [佛教]』 [[中村元 (哲学者)|中村元]] [[講談社学術文庫]] p.100</ref>。パーリ語で書かれた上座部仏教経典の散文やその注釈は、[[5世紀|5]]-[[6世紀]]以後にまで及び、その後も今日まで[[スリランカ]]([[セイロン島]])を中心として、パーリ語を使用した新しい文献がある。
== サンスクリットとの差異 ==
文語・雅語である[[サンスクリット]](梵語)と比べると、俗語であるパーリ語は、例えば「息子」を意味する「(梵) {{transl|sa|putra}}」 が 「(巴) {{transl|pi|putta}}」 となるように子音の同化が目立ち、また「刹那」を意味する「(梵) {{transl|sa|kṣaṇa}}」 が 「(巴) {{transl|pi|khaṇa}}」のような変化も見られる。しかし、パーリ語は他のプラークリットと比べると総じて音韻的・構造的な崩れが少なく、プラークリットの中では最もサンスクリットに近い<ref name=naka100 />。名詞、動詞の組織は基本的にはサンスクリットと同じである。ただ名詞では格の融合、動詞では態の区別、過去時制の区別が明確ではない。さらに構文は、一般に定動詞表現が中心であり、語順が一定して動詞が文末に来る。語彙は時にサンスクリットより古い形を持つ。例えば「ここに」は 「(梵) {{transl|sa|iha}}」 より古形の 「(巴) {{transl|pi|idha}}」 となっている。
== 仏教との関係 ==
現在パーリ語は[[上座部仏教]]の経典と儀式に用いられる文語([[典礼言語]])として形を留めるのみであり、元来どの地方の方言であったかは不明確である。上座部仏教では自らの経典を仏の直接の教えとする観点から北東部の[[マガダ語]]と同一と見られてきた。しかし現在では[[アショーカ王]][[アショーカ王碑文 |碑文]]との比較からインド中西部の[[ウッジャイン]]周辺で用いられた[[ピシャーチャ語]]の一種とする説が有力である<ref name=naka100 />。ただし、マガダ語とパーリ語は、言語的にそれほど相違しておらず、語彙をほぼ共有し、文法上の差異もさほどないなど、むしろかなり近似的な関係にあったと推定されている<ref>『バウッダ [佛教]』 [[中村元 (哲学者)|中村元]] [[講談社学術文庫]] p.101</ref>。
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パーリ語などの[[プラークリット]]は[[サンスクリット]]とインド近代語の中間の発展形態であり、また[[サンスクリット]]と同様[[クメール語]]など東南アジアの言語にも大きな影響を与えた。
== 脚注 ==
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== 関連項目==
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*[[パーリ語経典]]
*[[上座部仏教]]
*[[マハーワンサ]]
*[[インド・ヨーロッパ語族]]
*[[インド・イラン語派]]
*[[インド語派]]
*[[サンスクリット]]
*[[プラークリット]]
*[[シンハラ語]]
*[[ビルマ語]]
*[[モン語]]
*[[クメール語]]
*[[タイ語]]
*[[ラオス語]]
*[[釈興然]]
== 外部リンク ==
* [http://www.j-theravada.net/2-thera.html 日本テーラワーダ仏教協会] - パーリ語による初期仏典の朗唱の音声ファイルが公開されている。
* [http://dhamma.webnode.com Dhammapada: word-by-world translation]
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安保
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日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安保)
安保闘争 - 日米安保の締結・延長への反対運動
日米安全保障協議委員会 安保(あんぽ、あんぼ、あぼ) 日本人の姓のひとつ。
丹党の氏族のひとつ、安保氏。
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'''安保'''(あんぽ)
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徳川氏
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徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、旧字体: 德川氏)は、武家・華族だった日本の氏族。永禄9年(1566年)に松平氏当主・松平家康が改姓したのに始まる。江戸時代には将軍家、およびその限られた親族(御三家・御三卿など)の家名となった。維新後には徳川氏からは12家が華族に列した(公爵家 3家、侯爵家 2家、伯爵家 2家、子爵家 1家、男爵家 4家)。
徳川氏は、松平氏(安祥/安城松平家)当主の徳川家康が得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりである。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。また、石川正西の『聞見録』によれば、家康は自分が清和源氏の子孫であると信じて疑っておらず、それを立証できること願っていたという。
江戸時代に成立した藩翰譜によると、ルーツは三河国(愛知県)の庄屋である松平太郎左衛門信重に婿養子に入った、時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥である。彼は得川氏(世良田氏)の末裔を自称し、諸国を流浪するなかで大浜称名寺で開かれた連歌会での出会いが信重の養子に入るきっかけと伝えられる。還俗して松平親氏と名のったという。
永禄9年(1566年)、官職を得ていて朝臣でもあった松平家康が朝廷の許可を得て、家康個人のみが「徳川」に「復姓」(事実上の改姓)し、従五位下三河守に叙任された。このとき正親町天皇は先例のない申請に対して躊躇し不信を述べたが、吉田兼右が万里小路家の文書を改鋳し、得川氏が二流に分かれ、一方が「藤原姓」となったという先例が発見されたとした。この件には近衛前久が関与しており、その経緯を子である近衛信尹に送った書状が現存している。
ここで重要なのは、松平一族が徳川に改姓したのではなく、「徳川」は家康個人のみに許される称号であったことである(嫡男の信康については、父の家康が信康の元服以前の永禄9年(1566年)に既に徳川に改姓しているため、生前は徳川 信康と名乗っていたとする説もあった。江戸時代に入ってから江戸幕府が「徳川」姓は徳川将軍家と御三家・御三卿のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「岡崎三郎 松平 信康」に格下げされたとする説である。だが織田信長が佐久間信盛に宛てた天正3年(1575年)6月28日付書状の中において、娘婿の信康を「松平 三郎」と呼んでいることから、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明した)。「徳川」姓は、家康個人が松平氏内部で専制権力を確立して、派生した松平一族と家臣団を統制するために使われたと考えられる。初代家康が慶長10年(1605年)に将軍職と当主の座を辞して隠居するまでに徳川姓を許されたのは、世子の秀忠ただ一人であった。公認される限り11人いた家康の男子で徳川姓を許されたのは、三男で世子の秀忠、及び御三家の祖となる九男義直・十男頼宣・十一男頼房(1636年(寛永13年)7月、徳川賜姓し、松平姓から改姓した)の4名にすぎない。後の3名は、秀忠が二代当主(将軍)になって以後に元服したものである。
その後も将軍家のほかに徳川姓を許されるのは、家康直系の子孫(親藩)のうちでも特に徳川御三家(尾張家・紀州家・水戸家)、御三卿(田安家・一橋家・清水家)およびこれらの後嗣のみ(但し、一時期これら以外に駿河徳川家、甲府徳川家、館林徳川家も存在した)だった。
それ以外の親族は松平氏を称し、また武士は徳川氏を名のることは憚り、農民・町人は原則として苗字の使用を許されなかったため、徳川の苗字は絶対的権威を持つこととなった。
なお、戦国時代から江戸時代の大名の佐竹氏の家中には、徳川氏と遠祖を同じくするとした得川義季の子孫を称する新田氏流得川氏の末裔という常陸徳川氏がいて、親藩ですら限られた家系しか徳川氏の名乗りが許されない中、単なる秋田藩大名の家臣の立場で徳川氏を堂々と名乗っていた。
日光東照宮に残る家康の口宣案等はすべて源家康となっており、徳川氏が源氏を継続的に称していたことになっているが、これは三代将軍徳川家光の代である1645年(正保2年)に、散逸した分を補填したとして改変されたものであると見られている。
永禄9年(1566年)の叙爵は実際には、「系図発見」の経緯もあって藤原家康としておこなわれており、この時点では藤原氏を称していた。笠谷和比古は源氏の棟梁である足利将軍家に家康がつてを持たなかっただけでなく、将軍家が当時当主不在であるという異常事態を迎えており、取り次ぎを行った近衛前久が官位奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘を行っている。
以降、家康の姓氏使用についてはかなり恣意的であり、藤原氏や源氏をその度毎に使い分けるなどしている。徳川氏が源氏であるという見解が明確に整えられたのは後のことであり、源氏の名家である吉良氏から源義国からの系図を借り受けてのことであった。これを近衛前久が発給時期不詳の書状で「将軍望に付ての事」と指摘していることもあり、家康の源氏名乗りは将軍職就任を目的とした、1603年(慶長8年)の征夷大将軍就任直前のものであるという見解が渡辺世祐や中村孝也の研究以来定説となってきていた。
ただし同時代史料によると、松平氏3代の信光は加茂朝臣(賀茂)姓を名乗ったものがあり、松平氏の葵紋も賀茂氏とのつながりをうかがわせるものもあることなどから、実際には賀茂氏の部民であるという指摘も行われている。清康の時代にもすでに安祥松平氏は清和源氏(源姓:世良田氏)と名乗ったこともあり、家康自身も今川からの独立直後である永禄4年(1561年)に発給した菅沼氏への安堵状にて「源元康」と署しており(「菅沼家譜」・『久能山東照宮所蔵文書』)、永禄4年(1561年)から永禄6年(1563年)の間に、5点の正文を含む6点に「源氏」の署名がみられる。
米田雄介が官務である「壬生家文書」にある口宣を調査したところ、天正14年(1585年)の権中納言就任以前の口宣はすべて藤原姓であるが、天正15年(1586年)などは不明であり、天正20年(1592年)9月、徳川家を清華の家格とする「清華成り」の発給の際には源姓となり、以降一貫して源姓を称していた事が明らかになっている。米田は源氏改姓を天正20年と見ているが、笠谷は『聚楽行幸記』で家康が「大納言源家康」と署名したという記事を指摘し、天正16年(1588年)の聚楽第行幸頃の時期であると見ており、足利義昭の出家による将軍家消滅が契機であったと見ている。以降の現存する発給文書でも源姓となっている。
天正15年(1586年)には秀忠が豊臣朝臣を下賜(かし)されており、家康とともに羽柴の苗字を許されているが、当時称豊臣・羽柴の許可は大名のみならず医師等まで幅広く行われていた。
最後の将軍である徳川慶喜は大政奉還後に鳥羽・伏見の戦いを起こしたことで朝敵となったが、慶喜の謹慎引退後に徳川宗家を相続した徳川家達には駿河国静岡藩70万石が与えられ、版籍奉還で知藩事と華族に列したのを経て、廃藩置県まで知藩事を務めた。華族令施行後には公爵に叙せられ、貴族院議長などを歴任した。
御三家は幕末には徳川将軍家とは距離を置いていたのでいずれも朝敵になることはなく、廃藩置県まで知藩事を務めた後、華族令施行後侯爵に叙せられた(水戸家は後に公爵に陞爵。)。御三卿も伯爵に叙せられた。華族の爵位基準を定めた叙爵内規は諸侯華族について原則として現米で爵位を定めているが、徳川一門 7家だけ旧・家格を尊重して現米と無関係に爵位を定めていた。
さらに1902年(明治35年)には徳川慶喜にも宗家と別に公爵位が与えられ、徳川慶喜家を興した。
明治時代以降の徳川一門は「敗軍の将」とは思えない厚遇を受けたが、これは明治維新の性格に由来するものであり、明治の日本ではフランス革命やロシア革命のような敗者の大量処刑は起きず、敗者を滅ぼすより利用する道を選び、復讐より国の統一を優先した。徳川一門の優遇はその象徴であったといえる。
江戸時代には徳川宗家・御三家・御三卿の相続人以外の子供は松平になったのに対し、明治以降は徳川姓の者の子供は相続人以外でも全員徳川姓となった(他家養子入りなどを除く。)。相続人以外で華族になった者に徳川厚(徳川公爵家の分家として男爵。)、徳川誠(徳川慶喜公爵家の分家として男爵。)、徳川義恕(尾張徳川侯爵家の分家として男爵。)、徳川武定(松戸徳川男爵家。水戸徳川侯爵家の分家として子爵。)がある。
また明治以降は平民苗字必称義務令で苗字のない者が苗字創設を行っている関係で徳川姓であれば、必ず旧・将軍家の徳川氏と関係があるとは言えない。
徳川家康個人の男系子孫たる徳川氏諸家は、松平の名乗りのみを認められた家康子孫の諸松平家(越前松平家・会津松平家等)とともに親藩を構成し、江戸時代の約265年にわたって日本の支配層として君臨した。明治維新の後も、徳川氏は武家の最上流として華族に遇せられ、宗家は公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵に列せられた。2023年(令和5年)現在、徳川家康の子孫で徳川を姓とする家は、これらの家々やその分家である。
2023年(令和5年)現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。他方、次の家は絶家した。
2012年(平成24年)、徳川記念財団所蔵が所蔵している歴代将軍の肖像画の紙形(下絵)が公開された。
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"text": "ここで重要なのは、松平一族が徳川に改姓したのではなく、「徳川」は家康個人のみに許される称号であったことである(嫡男の信康については、父の家康が信康の元服以前の永禄9年(1566年)に既に徳川に改姓しているため、生前は徳川 信康と名乗っていたとする説もあった。江戸時代に入ってから江戸幕府が「徳川」姓は徳川将軍家と御三家・御三卿のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「岡崎三郎 松平 信康」に格下げされたとする説である。だが織田信長が佐久間信盛に宛てた天正3年(1575年)6月28日付書状の中において、娘婿の信康を「松平 三郎」と呼んでいることから、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明した)。「徳川」姓は、家康個人が松平氏内部で専制権力を確立して、派生した松平一族と家臣団を統制するために使われたと考えられる。初代家康が慶長10年(1605年)に将軍職と当主の座を辞して隠居するまでに徳川姓を許されたのは、世子の秀忠ただ一人であった。公認される限り11人いた家康の男子で徳川姓を許されたのは、三男で世子の秀忠、及び御三家の祖となる九男義直・十男頼宣・十一男頼房(1636年(寛永13年)7月、徳川賜姓し、松平姓から改姓した)の4名にすぎない。後の3名は、秀忠が二代当主(将軍)になって以後に元服したものである。",
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"text": "その後も将軍家のほかに徳川姓を許されるのは、家康直系の子孫(親藩)のうちでも特に徳川御三家(尾張家・紀州家・水戸家)、御三卿(田安家・一橋家・清水家)およびこれらの後嗣のみ(但し、一時期これら以外に駿河徳川家、甲府徳川家、館林徳川家も存在した)だった。",
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"text": "それ以外の親族は松平氏を称し、また武士は徳川氏を名のることは憚り、農民・町人は原則として苗字の使用を許されなかったため、徳川の苗字は絶対的権威を持つこととなった。",
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"text": "なお、戦国時代から江戸時代の大名の佐竹氏の家中には、徳川氏と遠祖を同じくするとした得川義季の子孫を称する新田氏流得川氏の末裔という常陸徳川氏がいて、親藩ですら限られた家系しか徳川氏の名乗りが許されない中、単なる秋田藩大名の家臣の立場で徳川氏を堂々と名乗っていた。",
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"text": "日光東照宮に残る家康の口宣案等はすべて源家康となっており、徳川氏が源氏を継続的に称していたことになっているが、これは三代将軍徳川家光の代である1645年(正保2年)に、散逸した分を補填したとして改変されたものであると見られている。",
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"text": "永禄9年(1566年)の叙爵は実際には、「系図発見」の経緯もあって藤原家康としておこなわれており、この時点では藤原氏を称していた。笠谷和比古は源氏の棟梁である足利将軍家に家康がつてを持たなかっただけでなく、将軍家が当時当主不在であるという異常事態を迎えており、取り次ぎを行った近衛前久が官位奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘を行っている。",
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"text": "以降、家康の姓氏使用についてはかなり恣意的であり、藤原氏や源氏をその度毎に使い分けるなどしている。徳川氏が源氏であるという見解が明確に整えられたのは後のことであり、源氏の名家である吉良氏から源義国からの系図を借り受けてのことであった。これを近衛前久が発給時期不詳の書状で「将軍望に付ての事」と指摘していることもあり、家康の源氏名乗りは将軍職就任を目的とした、1603年(慶長8年)の征夷大将軍就任直前のものであるという見解が渡辺世祐や中村孝也の研究以来定説となってきていた。",
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"text": "ただし同時代史料によると、松平氏3代の信光は加茂朝臣(賀茂)姓を名乗ったものがあり、松平氏の葵紋も賀茂氏とのつながりをうかがわせるものもあることなどから、実際には賀茂氏の部民であるという指摘も行われている。清康の時代にもすでに安祥松平氏は清和源氏(源姓:世良田氏)と名乗ったこともあり、家康自身も今川からの独立直後である永禄4年(1561年)に発給した菅沼氏への安堵状にて「源元康」と署しており(「菅沼家譜」・『久能山東照宮所蔵文書』)、永禄4年(1561年)から永禄6年(1563年)の間に、5点の正文を含む6点に「源氏」の署名がみられる。",
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"text": "米田雄介が官務である「壬生家文書」にある口宣を調査したところ、天正14年(1585年)の権中納言就任以前の口宣はすべて藤原姓であるが、天正15年(1586年)などは不明であり、天正20年(1592年)9月、徳川家を清華の家格とする「清華成り」の発給の際には源姓となり、以降一貫して源姓を称していた事が明らかになっている。米田は源氏改姓を天正20年と見ているが、笠谷は『聚楽行幸記』で家康が「大納言源家康」と署名したという記事を指摘し、天正16年(1588年)の聚楽第行幸頃の時期であると見ており、足利義昭の出家による将軍家消滅が契機であったと見ている。以降の現存する発給文書でも源姓となっている。",
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"text": "天正15年(1586年)には秀忠が豊臣朝臣を下賜(かし)されており、家康とともに羽柴の苗字を許されているが、当時称豊臣・羽柴の許可は大名のみならず医師等まで幅広く行われていた。",
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"text": "最後の将軍である徳川慶喜は大政奉還後に鳥羽・伏見の戦いを起こしたことで朝敵となったが、慶喜の謹慎引退後に徳川宗家を相続した徳川家達には駿河国静岡藩70万石が与えられ、版籍奉還で知藩事と華族に列したのを経て、廃藩置県まで知藩事を務めた。華族令施行後には公爵に叙せられ、貴族院議長などを歴任した。",
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"text": "御三家は幕末には徳川将軍家とは距離を置いていたのでいずれも朝敵になることはなく、廃藩置県まで知藩事を務めた後、華族令施行後侯爵に叙せられた(水戸家は後に公爵に陞爵。)。御三卿も伯爵に叙せられた。華族の爵位基準を定めた叙爵内規は諸侯華族について原則として現米で爵位を定めているが、徳川一門 7家だけ旧・家格を尊重して現米と無関係に爵位を定めていた。",
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"text": "さらに1902年(明治35年)には徳川慶喜にも宗家と別に公爵位が与えられ、徳川慶喜家を興した。",
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"text": "明治時代以降の徳川一門は「敗軍の将」とは思えない厚遇を受けたが、これは明治維新の性格に由来するものであり、明治の日本ではフランス革命やロシア革命のような敗者の大量処刑は起きず、敗者を滅ぼすより利用する道を選び、復讐より国の統一を優先した。徳川一門の優遇はその象徴であったといえる。",
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"text": "江戸時代には徳川宗家・御三家・御三卿の相続人以外の子供は松平になったのに対し、明治以降は徳川姓の者の子供は相続人以外でも全員徳川姓となった(他家養子入りなどを除く。)。相続人以外で華族になった者に徳川厚(徳川公爵家の分家として男爵。)、徳川誠(徳川慶喜公爵家の分家として男爵。)、徳川義恕(尾張徳川侯爵家の分家として男爵。)、徳川武定(松戸徳川男爵家。水戸徳川侯爵家の分家として子爵。)がある。",
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"text": "また明治以降は平民苗字必称義務令で苗字のない者が苗字創設を行っている関係で徳川姓であれば、必ず旧・将軍家の徳川氏と関係があるとは言えない。",
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"text": "徳川家康個人の男系子孫たる徳川氏諸家は、松平の名乗りのみを認められた家康子孫の諸松平家(越前松平家・会津松平家等)とともに親藩を構成し、江戸時代の約265年にわたって日本の支配層として君臨した。明治維新の後も、徳川氏は武家の最上流として華族に遇せられ、宗家は公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵に列せられた。2023年(令和5年)現在、徳川家康の子孫で徳川を姓とする家は、これらの家々やその分家である。",
"title": "徳川と松平"
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"text": "2023年(令和5年)現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。他方、次の家は絶家した。",
"title": "徳川と松平"
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"text": "2012年(平成24年)、徳川記念財団所蔵が所蔵している歴代将軍の肖像画の紙形(下絵)が公開された。",
"title": "肖像画"
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] |
徳川氏は、武家・華族だった日本の氏族。永禄9年(1566年)に松平氏当主・松平家康が改姓したのに始まる。江戸時代には将軍家、およびその限られた親族(御三家・御三卿など)の家名となった。維新後には徳川氏からは12家が華族に列した。
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{{Otheruseslist|'''[[徳川家康]]が創始した[[日本]]の[[氏族]]'''|その他の用法|徳川氏 (曖昧さ回避)}}
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{{日本の氏族
|家名= 徳川氏
|家紋= Mitsubaaoi.svg
|家紋名称= {{ruby|[[三つ葉葵|徳川葵]]|とくがわあおい}}<br />(定紋・[[徳川宗家|将軍家]])<ref>「紋章・マーク・シンボル」野ばら社。{{要ページ番号|date= 2023年10月22日}}</ref>
|本姓= '''称'''・[[清和源氏]][[新田氏|新田支流]]<br/>'''称'''・[[賀茂氏|賀茂]][[朝臣]]<br/>'''称'''・[[藤原氏|藤原]]朝臣
|家祖= [[徳川家康]]
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|支流= [[徳川御三家|御三家]]<br/> ([[尾張徳川家|尾張家]]・[[紀州徳川家|紀州家]]・[[水戸徳川家|水戸家]])<br/>[[駿河徳川家|駿河家]]<br/>御両典([[甲府徳川家|甲府家]]・[[館林徳川家|館林家]])<br/>[[御三卿]]<br/>([[田安徳川家|田安家]]・[[一橋徳川家|一橋家]]・[[清水徳川家|清水家]])<br/>[[徳川慶喜家|慶喜家]]([[華族]]・[[公爵]])
}}
'''徳川氏'''(とくがわし/とくがわうじ、{{旧字体|'''德川氏'''}})は、[[武家]]・[[華族]]だった[[日本]]の[[氏族]]。[[永禄]]9年([[1566年]])に[[松平氏]][[家長|当主]]・[[徳川家康|松平家康]]が改姓したのに始まる<ref name="旺文社">{{Kotobank|徳川氏|2=旺文社日本史事典 三訂版}}</ref>。[[江戸時代]]には[[江戸幕府|幕府]][[征夷大将軍|将軍]]を世襲した[[徳川宗家|徳川将軍家]]、およびその限られた親族([[徳川御三家|御三家]]・[[御三卿]]など)の家名となった<ref name="kokusidaijiten"/>。[[明治維新|維新]]後には徳川氏からは12家が華族に列した([[公爵]]家 3家、[[侯爵]]家 2家、[[伯爵]]家 2家、[[子爵]]家 1家、[[男爵]]家 4家){{sfn|小田部雄次|2006|p=322 - 323/325/340/344 - 345/360}}。
__TOC__{{-}}
== 歴史 ==
=== 出自 ===
[[File:Tokugawa Ieyasu2.JPG|thumb|250px|[[徳川家康]]([[狩野寿信]] 画)]]
{{出典の明記|date= 2023年10月21日 (土) 15:25 (UTC)|section= 1}}
徳川氏は、[[松平氏|松平氏(安祥/安城松平家)]]当主の[[徳川家康]]が[[得川氏]]の末裔を称した際に[[嘉字]]を用いて徳川と称したことが始まりである。しかし『徳川家譜』に記される[[家系]]に関しては『[[尊卑分脈]]』の該当[[記録]]に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の[[家系]]との同一性は実証できていない<ref name="kokusidaijiten">[[辻達也]] 「徳川氏」『[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]』([[吉川弘文館]])</ref>。また、[[石川正西]]の『聞見録』によれば、家康は自分が清和源氏の[[子孫]]であると信じて疑っておらず、それを立証できること願っていたという<ref>[[村岡幹生]] 「松平氏〈有徳人〉の系譜と徳川〈正史〉のあいだ」・[[平野明夫]] 編 『家康研究の最前線』([[洋泉社]]、[[2016年]]([[平成]]28年))。後、村岡 『戦国期三河松平氏の研究』([[岩田書院]]、[[2023年]]([[令和]]5年))所収。2023年(令和5年)、P21.</ref>。
[[江戸時代]]に成立した藩翰譜によると、ルーツは[[三河国]]([[愛知県]])の[[庄屋]]である松平太郎左衛門信重に[[婿養子]]に入った、[[時宗]]の遊行僧と伝えられる[[徳阿弥]]である<ref name="kokusidaijiten"/>{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=36}}。彼は得川氏([[世良田氏]])の末裔を自称し<ref name="kokusidaijiten"/>、諸国を流浪するなかで大浜[[称名寺 (碧南市)|称名寺]]<ref>[[称名寺 (府中市)]]</ref>で開かれた[[連歌]]会での出会いが信重の養子に入るきっかけと伝えられる。[[還俗]]して[[松平親氏]]と名のったという<ref name="kokusidaijiten"/>{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=36}}。
=== 徳川氏の創設 ===
[[永禄]]9年([[1566年]])、[[官職]]を得ていて[[朝臣]]でもあった松平家康が[[朝廷 (日本)|朝廷]]の許可を得て、家康個人のみが「徳川」に「[[復姓]]」(事実上の[[改姓]])し、[[従五位|従五位下]][[三河国司|三河守]]に叙任された。このとき[[正親町天皇]]は先例のない申請に対して躊躇し不信を述べたが、[[吉田兼右]]が[[万里小路家]]の文書を改鋳し、得川氏が二流に分かれ、一方が「[[藤原氏|藤原姓]]」となったという先例が発見されたとした{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=38}}。この件には[[近衛前久]]が関与しており、その経緯を子である[[近衛信尹]]に送った書状が現存している{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=34}}。
ここで重要なのは、松平一族が徳川に改姓したのではなく、「徳川」は家康[[個人]]のみに許される称号であったことである{{Refnest|group="注"|家康嫡男の[[松平信康|信康]]については、家康が信康の元服以前の[[永禄]]9年([[1566年]])に既に徳川に改姓しているため、生前は'''徳川 信康'''と名乗っていたとする説もあった。[[江戸時代]]に入ってから[[江戸幕府]]が「徳川」姓は[[徳川宗家|将軍家]]と[[徳川御三家|御三家]]・[[御三卿]]のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「岡崎三郎 松平 信康」に格下げされたとする解釈である<ref>[[谷口克広]]:信長と家康-清州同盟の実体 (p212)</ref>。だが[[織田信長]]が[[佐久間信盛]]に宛てた[[天正]]3年([[1575年]])6月28日付書状の中において、娘婿の信康を「松平 三郎」と呼んでいることから、家康が徳川姓に改称した後も信康は松平姓のままだったことが判明した<ref>[[柴裕之]] 「松平信康事件は、なぜ起きたのか?」 [[渡邊大門]]編 『家康伝説の嘘』([[柏書房]]、[[2015年]](平成27年)</ref>。}}。「徳川」姓は、家康個人が松平氏内部で専制権力を確立して、派生した松平一族と家臣団を統制するために使われたと考えられる。初代家康が[[慶長]]10年([[1605年]])に将軍職と当主の座を辞して[[隠居]]するまでに徳川姓を許されたのは、世子の[[徳川秀忠|秀忠]]ただ一人であった。公認される限り11人いた家康の男子で徳川姓を許されたのは、三男で世子の秀忠、及び御三家の祖となる九男[[徳川義直|義直]]・十男[[徳川頼宣|頼宣]]・十一男[[徳川頼房|頼房]]<ref group="注">[[1636年]]([[寛永]]13年)7月に徳川賜姓するまでは松平姓を称した。</ref>の4名にすぎない。後の3名は、秀忠が二代当主(将軍)になって以後に[[元服]]したものである。
その後も[[徳川宗家|将軍家]]のほかに徳川姓を許されるのは、家康直系の子孫([[親藩]])のうちでも特に[[徳川御三家|御三家]]([[尾張徳川家|尾張家]]・[[紀州徳川家|紀州家]]・[[水戸徳川家|水戸家]])、江戸時代中期に創設された[[御三卿]]([[田安徳川家|田安家]]・[[一橋徳川家|一橋家]]・[[清水徳川家|清水家]])およびこれらの後嗣のみに限られた<ref group="注">但し、一時期これら以外に[[駿河徳川家]]、[[甲府徳川家]]、[[館林徳川家]]も存在した。</ref>。それ以外の親族は松平氏を称し、また[[武士]]は徳川氏を名のることは憚り、[[農民]]・[[町人]]は原則として苗字の使用を許されなかったため、徳川の苗字は絶対的権威を持つこととなった<ref name="ニッポニカ">{{Kotobank|徳川氏|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}</ref>。
なお、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から江戸時代の[[大名]]の[[佐竹氏]]の家中には、'''徳川氏'''と遠祖を同じくするとした[[得川義季]]の子孫を称する新田氏流[[得川氏]]の末裔という常陸徳川氏がいて、[[親藩]]ですら限られた家系しか徳川氏の名乗りが許されない中、単なる大名の家臣([[久保田藩]]士)の立場で'''徳川氏'''を堂々と名乗っていた<ref>[[樋口清之]]監修・[[丹羽基二]]著 『姓氏 姓氏研究の決定版』([[秋田書店]]、[[1970年]](昭和45年)、p.228)</ref>。
=== 本姓について ===
[[日光東照宮]]に残る家康の口宣案等はすべて源家康となっており、徳川氏が[[源氏]]を継続的に称していたことになっているが、これは三代将軍[[徳川家光]]の代である[[1645年]]([[正保]]2年)に、散逸した分を補填したとして改変されたものであると見られている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=34}}。
永禄9年([[1566年]])の叙爵は実際には、「系図発見」の経緯もあって藤原家康としておこなわれており、この時点では[[藤原氏]]を称していた。[[笠谷和比古]]は源氏の棟梁である[[足利将軍家]]に家康がつてを持たなかっただけでなく、当時は[[室町幕府]]将軍の不在という異常事態にあり<ref group="注">永禄8年([[1565年]])の[[永禄の変]]で[[足利義輝]]が殺害されてから永禄11年([[1568年]])に[[足利義栄]]が就任するまで、将軍は空位であった。</ref>、取り次ぎを行った[[近衛前久]]が[[官位]]奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘を行っている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=39}}。
以降、家康の姓氏使用についてはかなり恣意的であり、藤原氏や源氏をその度毎に使い分けるなどしている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=34}}。徳川氏が源氏であるという見解が明確に整えられたのは後のことであり、源氏の名家である[[吉良氏]]から[[源義国]]からの系図{{Refnest|group="注"|name="keizu"|谷口雄太は家康が新田氏の祖である新田義重からの系図ではなく、その父である義国からの[[系図]]を足利氏流である吉良氏から借りた背景として、[[得河氏]]が足利氏の一門であったからとしている。谷口は新田氏流を『太平記』の影響で後世に成立したフィクションであるとして、実際においては(家康自身の認識も含めて)新田氏とその一族は足利氏流であったとする立場に立つ<ref>[[谷口雄太]] 「足利一門再考 -[足利的秩序]とその崩壊-」・『史学雑誌』 122巻12号(2013年(平成25年))/所収:谷口『中世足利氏の血統と権威』([[吉川弘文社]]、[[2019年]](令和元年)) {{ISBN|978-4-642-02958-2}} 2019年(令和元年)、P184 - 191・202.</ref>。}}を借り受けてのことであった{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=34}}。これを近衛前久が発給時期不詳の書状で「'''将軍望に付ての事'''」と指摘していることもあり、家康の源氏名乗りは将軍職就任を目的とした、[[1603年]]([[慶長8年]])の[[征夷大将軍]]就任直前のものであるという見解が[[渡辺世祐]]や[[中村孝也]]の研究以来定説となってきていた{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=34}}。
ただし同時代史料によると、松平氏3代の信光は[[賀茂氏|加茂朝臣(賀茂)]]姓を名乗ったものがあり、松平氏の葵紋も賀茂氏とのつながりをうかがわせるものもあることなどから、実際には賀茂氏の部民であるという指摘も行われている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=36}}。清康の時代にもすでに安祥松平氏は清和源氏(源姓:[[世良田氏]])と名乗ったこともあり<ref>小和田哲男「松平清康」『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)。</ref>、家康自身も今川からの独立直後である永禄4年([[1561年]])に発給した[[菅沼氏]]への安堵状にて「源元康」と署しており(「菅沼家譜」・『久能山東照宮所蔵文書』)<ref>『静岡県史〈資料編:中世3〉』p1102。『愛知県史〈織豊1〉』 p61。</ref>、永禄4年(1561年)から永禄6年([[1563年]])の間に、5点の[[正文]]を含む6点に「源氏」の署名がみられる{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=40}}。
[[米田雄介]]が[[官務]]である「[[壬生家 (小槻氏)|壬生家]]文書」にある[[口宣]]を調査したところ、天正14年([[1585年]])の[[中納言|権中納言]]就任以前の口宣はすべて藤原姓であるが、天正15年(1586年)などは不明であり、[[天正]]20年([[1592年]])9月、徳川家を[[清華家|清華]]の[[家格#武家の家格|家格]]とする「清華成り」の発給の際には源姓となり、以降一貫して源姓を称していた事が明らかになっている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=35}}<ref name="yoneda">[[米田雄介]]「徳川家康・秀忠の叙位任官文書について」『栃木史学』〈8号〉、[[1994年]]。</ref>。米田は源氏改姓を天正20年と見ているが、笠谷は『[[聚楽行幸記]]』で家康が「大納言源家康」と署名したという記事を指摘し、天正16年([[1588年]])の[[聚楽第]][[行幸]]頃の時期であると見ており、[[足利義昭]]の[[出家]]による[[足利将軍家|将軍家消滅]]が契機であったと見ている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=46}}。以降の現存する発給文書でも源姓となっている{{sfn|笠谷和比古|1997|pp=40}}。
天正15年([[1586年]])には秀忠が[[豊臣氏|豊臣]][[朝臣]]を下賜(かし)されており{{sfn|村川浩平|1996|pp=81}}、家康とともに[[羽柴氏|羽柴]]の苗字を許されているが{{sfn|村川浩平|1996|pp=75}}、当時称豊臣・羽柴の許可は大名のみならず[[医師]]等まで幅広く行われていた{{sfn|村川浩平|1996|pp=66 - 68}}。
=== 明治以降 ===
[[ファイル:Iesato and Yoshinobu.JPG|thumb|明治時代の[[徳川家達]]と[[徳川慶喜]]]]
最後の将軍である[[徳川慶喜]]は[[大政奉還]]後に[[鳥羽・伏見の戦い]]を起こしたことで[[朝敵]]となったが、慶喜の謹慎引退後に徳川宗家を相続した[[徳川家達]]には[[駿河国]][[静岡藩]][[石高|70万石]]が与えられ、[[版籍奉還]]で[[知藩事]]と[[華族]]に列したのを経て、[[廃藩置県]]まで知藩事を務めた。[[華族令]]施行後には[[公爵]]に叙せられ、[[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]]などを歴任した。
御三家は[[幕末]]には徳川将軍家とは距離を置いていたのでいずれも朝敵になることはなく、廃藩置県まで知藩事を務めた後、[[華族令]]施行後[[侯爵]]に叙せられた([[水戸徳川家|水戸家]]は後に公爵に陞爵){{sfn|浅見雅男|1994|p=245}}。御三卿も[[伯爵]]に叙せられた。華族の爵位基準を定めた叙爵内規は諸侯華族について、原則として現米で爵位を定めていたが、徳川一門の7家だけは旧・[[家格]]を尊重し、現米と無関係に爵位を定めていた{{sfn|浅見雅男|1994|p=245}}。
さらに[[1902年]]([[明治]]35年)には徳川慶喜にも[[宗家]]と別に公爵位が与えられ、[[徳川慶喜家]]を興した{{sfn|小田部雄次|2006|p=354}}。
明治[[時代]]以降の徳川一門は「敗軍の将」とは思えない厚遇を受けたが、これは[[明治維新]]の[[性格]]に由来するものであり、明治の日本では[[フランス革命]]や[[ロシア革命]]のような敗者の大量処刑は起きず、敗者を滅ぼすより利用する道を選び、復讐より国の統一を優先した。徳川一門の優遇はその象徴であったといえる{{sfn|浅見雅男|1994|p=245}}。
江戸時代には徳川将軍家・御三家・御三卿の[[相続人]]以外の[[子供]]は松平を称したのに対し、明治以降は徳川姓の者の子供は相続人以外でも全員徳川姓となった(他家養子入りなどを除く)。相続人以外で[[華族]]になった者に[[徳川厚]](徳川公爵家の分家として[[男爵]])、[[徳川誠]](徳川慶喜公爵家の分家として男爵)、[[徳川義恕]]([[尾張徳川家|尾張徳川侯爵家]]の分家として男爵)、[[徳川武定]]([[松戸徳川家|松戸徳川男爵家]]。[[水戸徳川家|水戸徳川侯爵家]]の分家として[[子爵]])がある{{sfn|小田部雄次|2006|p=345}}。
また明治以降は[[平民苗字必称義務令]]で'''苗字のない者が苗字創設を行っている関係で徳川姓であれば、必ず旧・将軍家の徳川氏と関係があるとは言えない。'''
== 系譜 ==
=== 宗家 ===
; [[徳川宗家]]([[征夷大将軍]]・[[静岡藩]]主・[[公爵]])
{{See also|徳川宗家}}
<div class="NavFrame" style="width:100%;">
<div class="NavHead" style="padding:1.5px; line-height:1.7; letter-spacing:1px;">[[宗家]](将軍家)[[系図]]</div>
<div class="NavContent" style="text-align:left;">
'''凡例'''
1) 実線は実子、点線は養子
2) '''太字'''は当主(将軍)。数字は[[家督]]継承順。
3) 女子および幼時早世した人物は省略。
{{familytree/start|style=font-size:70%}}
{{familytree|border=0|001|001='''[[徳川家康]]'''{{Sup|1}}}}
{{familytree|border=0| |)|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|.}}
{{familytree|border=0|101|102|002|103|104|105|106|107|108|101=[[松平信康]]|102=[[結城秀康]]<br />([[越前松平家|越前松平]])|002=[[徳川秀忠|'''秀忠''']]{{Sup|2}}|103=[[松平忠吉]]|104=[[武田信吉]]|105=[[松平忠輝]]|106=[[徳川義直|義直]]<br />([[尾張徳川家|尾張家]])|107=[[徳川頼宣|頼宣]]<br />([[紀州徳川家|紀州家]])|108=[[徳川頼房|頼房]]<br />([[水戸徳川家|水戸家]])}}
{{familytree|border=0| |,|-|-|v|-|-|(}}
{{familytree|border=0|003|202|203|003=[[徳川家光|'''家光''']]{{Sup|3}}|202=[[徳川忠長|忠長]]|203=[[保科正之]]<br />([[会津松平家|会津松平]])}}
{{familytree|border=0| |)|-|-|v|-|-|.}}
{{familytree|border=0|004|Ko1|303|004=[[徳川家綱|'''家綱''']]{{Sup|4}}|Ko1=[[徳川綱重|綱重]]|303=[[徳川綱吉|綱吉]]}}
{{familytree|border=0| |:|||)|-|-|.}}
{{familytree|border=0|005|Ko2|Ko3|005=[[徳川綱吉|'''綱吉''']]{{Sup|5}}|Ko2=[[徳川家宣|綱豊]]|Ko3=[[松平清武]]<br />([[越智松平家|越智松平]])}}
{{familytree|border=0| |:}}
{{familytree|border=0|006|006=[[徳川家宣|'''家宣''']]{{Sup|6}}}}
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{{familytree|border=0|007|007=[[徳川家継|'''家継''']]{{Sup|7}}}}
{{familytree|border=0| |:}}
{{familytree|border=0|008|008=[[徳川吉宗|'''吉宗''']]{{Sup|8}}<ref group="*">(紀州)[[徳川光貞]]の四男。頼宣の孫。</ref>}}
{{familytree|border=0| |)|-|-|v|-|-|.}}
{{familytree|border=0|009|802|803|009=[[徳川家重|'''家重''']]{{Sup|9}}|802=[[徳川宗武|宗武]]<br />([[田安徳川家|田安家]])|803=[[徳川宗尹|宗尹]]<br />([[一橋徳川家|一橋家]])}}
{{familytree|border=0| |)|-|-|.}}
{{familytree|border=0|010|902|010=[[徳川家治|'''家治''']]{{Sup|10}}|902=[[徳川重好|重好]]<br />([[清水徳川家|清水家]])}}
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{{familytree|border=0|1001|011|1001=[[徳川家基|家基]]|011=[[徳川家斉|'''家斉''']]{{Sup|11}}<ref group="*">(一橋)[[徳川治済]]の長男。宗尹の孫。</ref>}}
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{{familytree|border=0|012|1102|1103|1104|1105|1106|1107|1108|1109|1110|1111|1112|1113|1114|012=[[徳川家慶|'''家慶''']]{{Sup|12}}|1102=[[徳川敦之助|敦之助]]|1103=[[徳川斉順|斉順]]|1104=[[徳川斉明|斉明]]|1105=[[徳川斉荘|斉荘]]|1106=[[池田斉衆]]|1107=[[松平斉民]]|1108=[[徳川斉温|斉温]]|1109=[[松平斉良]]|1110=[[徳川斉彊|斉彊]]|1111=[[松平斉善]]|1112=[[蜂須賀斉裕]]|1113=[[松平斉省]]|1114=[[松平斉宣]]}}
{{familytree|border=0| |)|-|-|.|||!}}
{{familytree|border=0|013|1202|014a|013=[[徳川家定|'''家定''']]{{Sup|13}}|1202=[[徳川慶昌|慶昌]]|014a=[[徳川家茂|慶福]]}}
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{{familytree|border=0|014|014=[[徳川家茂|'''家茂''']]{{Sup|14}}}}
{{familytree|border=0| |:}}
{{familytree|border=0|015|015=[[徳川慶喜|'''慶喜''']]{{Sup|15}}<ref group="*">(水戸)[[徳川斉昭]]の七男。一橋家9代当主。</ref>}}
{{familytree|border=0| |D|~|~|V|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|v|-|-|.}}
{{familytree|border=0|Hi08|016|1501|1502|1503|1504|1505|Hi08=[[徳川茂徳|茂栄]]<ref group="*">高須藩主・[[松平義建]]の五男。一橋家10代当主。</ref>|016=[[徳川家達|'''家達''']]{{Sup|16}}<ref group="*">(田安)[[徳川慶頼]]の三男。</ref>|1501=[[徳川厚|厚]]|1502=[[池田仲博]]|1503=[[徳川慶久|慶久]]<br />([[徳川慶喜家|別家]])|1504=[[勝精]]|1505=[[徳川誠|誠]]}}
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{{familytree|border=0||||017|017=[[徳川家正|'''家正''']]{{Sup|17}}}}
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{{familytree|border=0|1701|018|1701=[[徳川家英|家英]]|018=[[徳川恒孝|'''恒孝''']]{{Sup|18}}<ref group="*">(会津)[[松平一郎]]の次男。母は家正長女・豊子。</ref>}}
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{{familytree|border=0||||019|019=[[徳川家広|'''家広''']]{{Sup|19}}}}
{{familytree/end}}
</div>
</div>
=== 御三家 ===
; 尾張徳川家([[尾張藩]]主・[[侯爵]])
{{See|尾張徳川家}}
; 紀州徳川家([[紀州藩]]主・侯爵)
{{See|紀州徳川家}}
; 水戸徳川家([[水戸藩]]主・侯爵 → 公爵)
{{See|水戸徳川家}}
=== 御三卿 ===
; 田安徳川家([[伯爵]])
{{See|田安徳川家}}
; 一橋徳川家(伯爵)
{{See|一橋徳川家}}
; 清水徳川家(伯爵 → [[士族]] → [[男爵]])
{{See|清水徳川家}}
=== 明治以降の分家 ===
; 徳川慶喜家(公爵)
* 徳川公爵家別家
{{See|徳川慶喜家}}
; 松戸徳川家([[子爵]])
* 水戸徳川公爵家分家
{{See|松戸徳川家}}
; [[徳川厚]]家(男爵)
* 徳川公爵家分家
; [[徳川誠]]家(男爵)
* 徳川慶喜公爵家分家
; [[徳川義恕]]家(男爵)
* 尾張徳川侯爵家分家
== 徳川と松平 ==
[[徳川家康]]個人の男系子孫たる徳川氏諸家は、松平の名乗りのみを認められた家康子孫の諸松平家([[越前松平家]]・[[会津松平家]]等)とともに[[親藩]]を構成し、[[江戸時代]]の約265年にわたって日本の支配層として君臨した。[[明治維新]]の後も、徳川氏は[[武家]]の最上流として[[華族]]に遇せられ、宗家は[[公爵]]、御三家は[[侯爵]]、御三卿は[[伯爵]]に列せられた。2023年(令和5年)[[現在]]、徳川家康の子孫で徳川を姓とする家は、これらの家々やその分家である。
* [[徳川宗家]](旧・将軍家)
** [[徳川厚|徳川厚家]](徳川宗家分家)
* [[尾張徳川家]]([[徳川御三家|御三家]])
** [[徳川義恕|徳川義恕家]](尾張徳川家分家)
* [[紀州徳川家]](御三家)
* [[水戸徳川家]](御三家)
** [[松戸徳川家]](水戸徳川家分家)
* [[田安徳川家]]([[御三卿]])
* [[一橋徳川家]](御三卿)
* [[清水徳川家]](御三卿)
* [[徳川誠|徳川誠家]](徳川別家分家)
2023年(令和5年)現在の子孫は、[[徳川・松平一門の会]]に所属し、その会員数は約600名である。他方、以下の家は断絶した。
* [[駿河徳川家]] - 当主[[徳川忠長]]が[[切腹]]して絶家<ref group="注" name="tokugawasei">徳川姓とする史料が現存せず、松平姓であったとされる。</ref>
* [[甲府徳川家]]([[御両典]]) - 2代当主[[徳川家宣|徳川綱豊]]が6代将軍を継いだため絶家<ref group="注" name="tokugawasei"/>
* [[館林徳川家]](御両典) - 2代当主[[徳川徳松]]が夭折したため絶家<ref group="注" name="tokugawasei"/>
* [[徳川慶喜家]](徳川宗家別家) - 4代当主[[徳川慶朝]]が[[死亡|死去]]したため絶家<ref group="注">慶朝には2男1女の[[子供]]がいたが、[[離婚]]時にいずれも[[妻]]に引き取られた。</ref>
== 縁故社寺・菩提寺 ==
* [[増上寺]](東京都) - 徳川氏[[菩提寺]]。
* [[寛永寺]](東京都) - [[徳川将軍家]]菩提寺。[[徳川家光|家光]]開基。
* [[輪王寺]](栃木県) - 徳川将軍家墓所。東照宮、二荒山神社と総称して二社一寺。
* [[大樹寺]](愛知県) - 徳川将軍家菩提寺。[[松平氏]]菩提寺。歴代当主の[[墓]]がある。
* [[建中寺]](愛知県) - [[尾張徳川家]]菩提寺。
* [[興正寺]](愛知県) - 尾張徳川家祈願寺。
* [[法蔵寺 (岡崎市)]] - 松平氏菩提寺。
* [[高月院]](愛知県) - 松平氏菩提寺。
* [[長保寺]](和歌山県) - 紀州徳川家菩提寺。歴代当主の墓がある。
* [[常福寺]](茨城県)‐ [[水戸徳川家]]菩提寺。
* [[南明院]] - [[東福寺]][[塔頭]]。歴代将軍の位牌が収められている。
* [[日光東照宮|東照宮]](栃木県) - 総本社として[[久能山東照宮]]など全国の[[東照宮]]に家康を祀る。
== 肖像画 ==
[[2012年]](平成24年)、[[徳川記念財団]]所蔵が所蔵している歴代将軍の[[肖像画]]の[[紙形]](下絵)が公開された<ref>[https://archive.is/20121210040840/www.asahi.com/culture/intro/TKY201208070563.html 将軍の肖像画、下絵はリアル 徳川宗家に伝来、研究進む] {{ja icon}} - [[朝日新聞]] 2012年(平成24年)[[8月8日]]</ref><ref>[http://blog.goo.ne.jp/fukuchan2010/e/b62fe5049e2da6ae0d5eef78030a7817 鶴は千年、亀は萬年。] {{ja icon}} - 2012年(平成24年)[[8月8日]]付</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 系図注釈 ===
{{Reflist|group="*"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 『徳川諸家系譜』([[群書類従|続群書類従完成会]]、[[1974年]]([[昭和]]49年))
* 『[[徳川実紀]]』
* 『[[朝野旧聞裒藁]]』[[林述斎]]監修
* [[木村高敦]]『[[武徳編年集成]]』
* [[松平家忠]]『[[家忠日記]]』
* [[以心崇伝]]『[[本光国師日記]]』
* 『[[駿府記]]』
* [[大久保忠教]]『[[三河物語]]』
* [[中村孝也]]『徳川家康文書の研究』[[日本学術振興会]]、新修:[[吉川弘文館]]
* 中村孝也『家康の族葉』[[講談社]]、[[1965年]](昭和40年)、ASIN B000JADK2G
* [[北島正元]]『徳川家康』[[中公文庫]]、{{ISBN| 978-4122010048}}
* 北島正元『江戸幕府』[[小学館]]〈日本の歴史16〉、[[1975年]](昭和50年)、{{ISBN| 978-4096210161}}
* [[辻達也]]『江戸幕府』(該当文献不明){{Full citation needed|date= 2023年10月1日 (日) 21:34 (UTC)}}
* [[小和田哲男]]『徳川家康』(該当文献不明){{Full citation needed|date= 2023年10月1日 (日) 21:34 (UTC)}}
* [[本多隆成]]『徳川家康』(該当文献不明){{Full citation needed|date= 2023年10月1日 (日) 21:34 (UTC)}}
* [[所理喜夫]]『徳川将軍権力の構造』([[吉川弘文館]]、[[1984年]](昭和59年)) {{ISBN| 978-4642030670}}
* [[久保田昌希]]「三河松平氏の特質」(該当文献不明){{Full citation needed|date= 2023年10月1日 (日) 21:34 (UTC)}}
* 『愛知県史』
* 渡邊世祐「徳川氏の姓氏に就て」(『史学雑誌』30編11号、[[1919年]]([[大正]]8年))
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* {{Cite book|和書|editor=|author=笠谷和比古|authorlink=笠谷和比古|chapter= |title=関ケ原合戦と近世の国制
|year=2001|month=2|publisher=[[思文閣出版]] |series=|isbn=978-4784210671 |ref=笠谷}}
* {{Cite journal|和書|author=笠谷和比古 |year=1997 |title=徳川家康の源氏改姓問題 |journal= 日本研究|volume= |issue=16 |pages=33-48 |publisher=国際日本文化研究センター |naid=40004808755 |ref = harv}}
* {{Cite journal|和書|author=村川浩平 |year=1996|title=羽柴氏下賜と豊臣姓下賜 |journal= 駒澤史学 |volume= |issue=49 |pages=57-89 |publisher=駒澤大学 |naid=110007003055 |ref = harv}}
* {{Cite book|和書|date=2006年(平成18年)|title=華族 近代日本貴族の虚像と実像|author=小田部雄次|authorlink=小田部雄次|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公新書]]1836|isbn= 978-4121018366|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|url= http://hon.gakken.jp/book/1340521300 |title=信長と家康-清須同盟の実体|series=学研新書|author=谷口克広|publisher=[[学研パブリッシング]]|year=2012|month=1|isbn=978-4054052130|ref=harv}}
** {{Cite book|和書|url=|title=信長と家康の軍事同盟-利害と戦略の二十一年|series=|author=谷口克広|publisher=[[吉川弘文館]]|year=2019|month=11|isbn=978-4642071116|ref=harv}} 上記著作の改題、「補論」追加、出版社変更、単行本で再刊
* {{Cite book|和書|date=1994年(平成6年)|title=華族誕生 名誉と体面の明治|author=浅見雅男|authorlink=浅見雅男|publisher=[[リブロポート]]|ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{関連項目過剰|date= 2023年10月21日 (土) 15:25 (UTC)}}
* [[松平状]]
* [[徳川将軍一覧]]
* [[徳川将軍家御台所]]
* [[徳川家霊廟]]
* [[増上寺]]
* [[寛永寺]]
* [[伝通院]]
* [[大樹寺]]
* [[暘城会]] - (旧・徳川幕臣会) - 徳川家幕臣の末裔の会
* [[村正]] - 徳川家に災難をもたらす「妖刀」として忌避されていた。
=== 徳川家関連自治体 ===
徳川家に関連する自治体には、以下の都や市町村がある。ただし、「[[山内一豊#一豊公&千代様サミット|一豊公&千代様サミット]]」や「[[伊達氏#幕末から明治以降|伊達交流サミット]]」のような市町村連合は、今のところは結成されていない。
* [[太田市]] - 徳川家発祥の市。[[群馬県]]太田市徳川町
* [[豊田市]] - 松平氏発祥の地。豊田市松平町
* [[岡崎市]] - 徳川家康の生地。
* [[静岡市]] - [[駿府]]。家康が幼少期、[[大御所]]時代を過ごす。慶喜の[[隠居]]地。[[駿府城]]、[[久能山東照宮]]
* [[浜松市]] - 家康が17年に渡り[[浜松城]]に在城
* [[東京都]] - [[江戸]]。[[江戸幕府]]
* [[日光市]] - [[日光東照宮]]
* [[名古屋市]] - 尾張徳川家
* [[和歌山市]] - 紀州徳川家
* [[水戸市]] - 水戸徳川家
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tokugawa clan}}
* [http://www.tokugawa.ne.jp/ 財団法人 徳川記念財団 公式サイト] {{ja icon}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:とくかわし}}
[[Category:徳川氏|!]]
[[Category:日本の氏族]]
[[Category:東海地方の氏族]]
[[Category:日本の公爵家|氏とくかわ]]<!-- 宗家・慶喜・水戸家 -->
[[Category:日本の侯爵家|氏とくかわ]]<!-- 紀州・尾張家 -->
[[Category:日本の伯爵家|氏とくかわ]]<!-- 田安・一橋家 -->
[[Category:日本の子爵家|氏とくかわ]]<!-- 松戸 -->
[[Category:日本の男爵家|氏とくかわ]]<!-- 清水・徳川誠・徳川厚・徳川義恕家 -->
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2003-07-13T00:34:51Z
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分
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分(ふん、英: minute)、単位記号 min は、時間の非SI単位であり、60秒に等しい。分は、国際単位系 (SI) ではSI併用単位(国際単位系 (SI) と併用できる非SI単位)となっている。計量法では、時間の法定計量単位の一つである。
1 分は 1 時間の 1/60 であり、1 秒の 60 倍である。ただし時刻としては、協定世界時 (UTC) において閏秒が適用された場合、1 分が 59 秒または 61 秒で終わる。
単位記号は、英語の minute を略した min である(「min.」とピリオドを付してはならない。)。この記号は国際単位系でも計量法でも同じである。非標準の記号として「′ 」が使われることもあるが、これは角度の単位の分の記号である。
天文学、暦学、航海術などでは、単位記号として m が用いられることがある(赤経#概要)。例えば暦象年表では、分(時)の略符を「m」としており、太陽の視赤経の値として、「184653.385」などとしている。この記号「m」については、国際単位系国際文書では、単位記号の規定は必須(mandatory)であるとして、「min」以外の記号は禁止している。
古代において、時間の基本となる単位は日であった。それが24に分割されて「時間」という単位が生まれた。後に、より細かな時間の分割が必要になり、分と秒という単位が作られた。「分」「秒」という単位が最初に見られるのは、精密な機械式時計が発明された 1250年ごろで、ラテン語でそれぞれ pars minuta prima(第一の細かな部分)、pars minuta secunda(第二の細かな部分)と呼ばれた。ここから、分は英語で minute、秒は second minute と呼ばれるようになり、後に秒は単に second と呼ばれるようになった。
分が1時間を60分割しているのは、バビロニア発祥の六十進法によるものである。現代のような十進法による小数の概念が発表されるのは、ヨーロッパ数学においては1585年の事であり、それ以前は1未満の数を表す場合は分数を用いるか、もしくはバビロニア数学からの導入である六十進法の小数(分母を60の累乗に固定した分数)を用いるか、どちらかであった。
ただし当時の機械式時計も、現在ほど正確に時を刻む訳ではなく、そもそも秒針が存在せず、さらには分針が存在する時計も少なかった。この時代の「分」や「秒」は、あくまで天文学や、航海における速度計算などの、概念上の存在であった。
分や秒が概念上の存在ではなく、実際に時計で計測される時間の単位となった(そこまで時計の精度が向上する)のは、1656年にクリスティアーン・ホイヘンスが振り子時計を製作して以降の事である。分と言う時間の単位が市民の生活に現れたのは、鉄道の開通以降のことである。複数の列車が特定の駅ですれ違うための運行ダイヤグラムの作成のためには、時だけでは不足であった。
上述のような事情により、本来の分の定義は「1/60 時間」であるが、SI では秒が時間の基本単位であるため、分の定義は「60 秒」である。
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分、単位記号 min は、時間の非SI単位であり、60秒に等しい。分は、国際単位系 (SI) ではSI併用単位となっている。計量法では、時間の法定計量単位の一つである。
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{{Otheruses}}
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|画像=[[File:Junghans Additionsstoppuhr, 1960er-Jahre (2 qu).JPG|250px]]<br>左上の針が分を示す
}}
'''分'''(ふん、{{lang-en-short|minute}})、[[単位記号]] '''min''' は、[[時間]]の[[非SI単位]]であり、60[[秒]]に等しい<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000357_20190520_501CO0000000006&keyword=%E8%A8%88%E9%87%8F%E5%8D%98%E4%BD%8D%E4%BB%A4 計量単位令] 別表第1、項番三、時間、分</ref>。分は、[[国際単位系]] (SI) では[[SI併用単位]]([[国際単位系]] (SI) と併用できる[[非SI単位]])となっている。[[計量法]]では、時間の[[法定計量単位]]の一つである。
== 概要 ==
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-06}}
1 分は 1 [[時間 (単位)|時間]]の 1/60 であり、1 [[秒]]の 60 倍である。ただし[[時刻]]としては、[[協定世界時]] (UTC) において[[閏秒]]が適用された場合、1 分が 59 秒または 61 秒で終わる。
== 記号 ==
[[単位記号]]は、英語の {{lang|en|minute}} を略した '''min''' である(「min.」とピリオドを付してはならない。)。この記号は国際単位系でも計量法でも同じである。非標準の記号として「[[プライム|′]] 」が使われることもあるが、これは角度の単位の[[分 (角度)|分]]の記号である。
天文学、暦学、航海術などでは、単位記号として '''m''' が用いられることがある([[赤経#概要]])。例えば暦象年表では、分(時)の略符を「m」としており<ref>[https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/cande/pdf/cande2021.pdf 暦象年表 2021年] 、p.3「略符」の表、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 国立天文台、2020-06-18第2版</ref>、太陽の視[[赤経]]の値として、「18<sup>h</sup>46<sup>m</sup>53.<sup>s</sup>385」<ref>[https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/cande/pdf/cande2021.pdf 暦象年表 2021年] 、p.6 太陽の視赤経、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 国立天文台、2020-06-18第2版</ref>などとしている。この記号「m」については、[[国際単位系国際文書]]では、[[単位記号]]の規定は必須(mandatory)であるとして、「min」以外の記号は禁止している。
== 歴史 ==
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-06}}
{{see also|時計の歴史}}
古代において、時間の基本となる単位は[[日]]であった。それが24に分割されて「時間」という単位が生まれた。後に、より細かな時間の分割が必要になり、分と秒という単位が作られた。「分」「秒」という単位が最初に見られるのは、精密な機械式時計が発明された [[1250年]]ごろで、[[ラテン語]]でそれぞれ ''{{lang|la|pars minuta prima}}''(第一の細かな部分)、''{{lang|la|pars minuta secunda}}''(第二の細かな部分)と呼ばれた。ここから、分は英語で minute、秒は second minute と呼ばれるようになり、後に秒は単に second と呼ばれるようになった。
分が1時間を60分割しているのは、[[バビロニア]]発祥の[[六十進法]]によるものである。現代のような[[十進法]]による[[小数]]の概念が発表されるのは、[[ヨーロッパ]]数学においては[[1585年]]の事であり、それ以前は1未満の数を表す場合は[[分数]]を用いるか、もしくは[[バビロニア数学]]からの導入である六十進法の小数(分母を60の累乗に固定した分数)を用いるか、どちらかであった。
ただし当時の機械式時計も、現在ほど正確に時を刻む訳ではなく、そもそも秒針が存在せず、さらには分針が存在する時計も少なかった。この時代の「分」や「秒」は、あくまで[[天文学]]や、航海における速度計算などの、概念上の存在であった。
分や秒が概念上の存在ではなく、実際に時計で計測される時間の単位となった(そこまで時計の精度が向上する)のは、[[1656年]]に[[クリスティアーン・ホイヘンス]]が振り子時計を製作して以降の事である。分と言う時間の単位が市民の生活に現れたのは、[[鉄道]]の開通以降のことである。複数の列車が特定の駅ですれ違うための運行ダイヤグラムの作成のためには、時だけでは不足であった。
上述のような事情により、本来の分の定義は「1/60 時間」であるが、SI では[[秒]]が時間の基本単位であるため、分の定義は「60 秒」である。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[1 E1 s]] - 分で計られる時間のリスト
* [[秒]]
* [[時間 (単位)|時]]
* [[SI併用単位]]
* [[日]]
* [[月 (暦)]]
* [[年]]
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{{DEFAULTSORT:ふん}}
[[Category:時間の単位]]
[[Category:SI併用単位]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86
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バレーボール選手一覧
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バレーボール選手一覧(バレーボールせんしゅいちらん)は、バレーボール選手およびビーチバレー選手の一覧である。日本・韓国・北朝鮮・中国・チャイニーズタイペイ以外の国・地域の選手は、Last name(姓)で掲載している。カテゴリーで検索した場合にはこちらから検索のこと。
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__NOTOC__
{{KTOC}}
==あ行==
===あ===
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;男子
* {{flagicon|JPN}} [[相澤寿]]
* {{flagicon|BRA}} [[チアーゴ・アウヴェス]]
* {{flagicon|JPN}} [[青木一平]]
* {{flagicon|JPN}} [[青木晋平]]
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* {{flagicon|JPN}} [[朝日健太郎]]
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* {{flagicon|BRA}} [[ダンテ・アマラウ]]
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* {{flagicon|USA}} [[ウラジミール・アレクノ]]
* {{flagicon|EGY}} [[ハムディ・アワド]]
* {{flagicon|USA}} [[マット・アンダーソン (バレーボール)|マット・アンダーソン]]
* {{flagicon|FRA}} [[ステファン・アンティガ]]
* {{flagicon|GER}} [[ビョルン・アンドレ]]
* {{flagicon|SSR1955}} [[オレーク・アントロポフ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[会田きよ子]]
* {{flagicon|TUR}} [[ナズ・アイデミル]]
* {{flagicon|JPN}} [[青柳京古]]
* {{flagicon|AZE}} [[ヤナ・マティアソフスカ=アガエワ]]
* {{flagicon|JPN}} [[秋山美幸]]
* {{flagicon|USA}} [[フォルケ・アキンラデウォ]]
* {{flagicon|JPN}} [[芥川愛加]]
* {{flagicon|RUS}} [[マリナ・アクロワ]]
* {{flagicon|ITA}} [[タイスマリー・アゲロ]]
* {{flagicon|JPN}} [[浅尾美和]]
* {{flagicon|JPN}} [[浅津ゆうこ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[芦野真未]]
* {{flagicon|JPN}} [[芦野李沙]]
* {{flagicon|POL}} [[ハリナ・アシュキエロビッチ]]
* {{flagicon|JPN}} [[愛宕諒子]]
* {{flagicon|JPN}} [[足立留美]]
* {{flagicon|USA}} [[レイチェル・アダムズ]]
* {{flagicon|KAZ}} [[サナ・アナルクロワ]](旧姓・ヤルラガショワ)
* {{flagicon|GER}} [[マレーン・アピッツ]]
* {{flagicon|THA}} [[ウィラワン・アピヤポン]]
* {{flagicon|TUR}} [[エルギュル・アブジュ]]
* {{flagicon|AZE}} [[アイシャン・アブドゥラジモワ]]
* {{flagicon|JPN}} [[雨堤みなみ]]
* {{flagicon|CRO}} [[エレナ・アライベク]]
* {{flagicon|JPN}} [[荒木絵里香]]
* {{flagicon|JPN}} [[荒木夕貴]]
* {{flagicon|JPN}} [[荒木田裕子]]
* {{flagicon|JPN}} [[荒谷栞]]
* {{flagicon|DOM}} [[カンディダ・アリアス]]
* {{flagicon|ITA}} [[ヴァレンティナ・アリゲッティ]]
* {{flagicon|JPN}} [[有田佳織]]
* {{flagicon|JPN}} [[有田沙織]]
* {{flagicon|ITA}} [[キアラ・アルカンジェリ]]
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* {{flagicon|USA}} [[ラーマット・アルハッサン]]
* {{flagicon|BRA}} [[カロリナ・アルブケルケ]]
* {{flagicon|BEL}} [[フレヤ・アールブレヒト]]
* {{flagicon|ITA}} [[サラ・アンツァネッロ]]
* {{flagicon|SRB}} [[アナ・アントニエビッチ]]
* {{flagicon|COL}} [[パオラ・アンプディア]]
* {{flagicon|DOM}} [[ロサリン・アンヘレス]]
{{Col-end}}
===い===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|JPN}} [[飯塚俊彦]]
* {{flagicon|JPN}} [[五十嵐元]]
* {{flagicon|JPN}} [[石川祐希]]
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* {{flagicon|JPN}} [[岩田正之]]
* {{flagicon|JPN}} [[岩田稔 (バレーボール)|岩田稔]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|KOR}} [[イ・スクジャ]]
* {{flagicon|KOR}} [[イ・ソヨン (バレーボール)|イ・ソヨン]]
* {{flagicon|KOR}} [[イ・ソラ (バレーボール)]]
* {{flagicon|KOR}} [[イ・ダヨン]]
* {{flagicon|KOR}} [[イ・チェヨン (バレーボール)|イ・チェヨン]]
* {{flagicon|KOR}} [[イ・ヒョヒ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[位田愛]]
{{Col-end}}
===う===
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;男子
* {{flagicon|POL}} [[ミハウ・ヴィニャルスキ]]
* {{flagicon|MNE}} [[ヴェセリン・ヴコヴィッチ (バレーボール)|ヴェセリン・ヴコヴィッチ]]
* {{flagicon|JPN}} [[植田辰哉]]
* {{flagicon|JPN}} [[上田剛史 (バレーボール)|上田剛史]]
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* {{flagicon|RUS}} [[コンスタンチン・ウシャコフ]]
* {{flagicon|JPN}} [[内冨寛法]]
* {{flagicon|JPN}} [[臺光章]]
* {{flagicon|JPN}} [[梅野聡]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|USA}} [[サラ・ウィルハイト]]
* {{flagicon|USA}} [[キム・ウィロビー]]
* {{flagicon|JPN}} [[上坂瑠子]]
* {{flagicon|JPN}} [[上田かおり]]
* {{flagicon|JPN}} [[上野香織 (バレーボール)|上野香織]]
* {{flagicon|JPN}} [[上村麻衣]]
* {{flagicon|POL}} [[アンナ・ヴェルブリンスカ]](旧姓: バランスカ)
* {{flagicon|USA}} [[カーリー・ウォパット]]
* {{flagicon|USA}} [[ケリー・ウォルシュ・ジェニングス]]
* {{flagicon|JPN}} [[宇賀神みずき]]
* {{flagicon|JPN}} [[浮島杏加子]]
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* {{flagicon|UKR}} [[オレーナ・ウスティメンコ]]
* {{flagicon|TUR}} [[ポレン・ウスルペフリワン]]
* {{flagicon|JPN}} [[宇田沙織]]
* {{flagicon|JPN}} [[内瀬戸真実]]
* {{flagicon|JPN}} [[内田役子]]
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* {{flagicon|JPN}} [[梅津一美]]
* {{flagicon|JPN}} [[浦田景子]]
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* {{flagicon|RUS}} [[エカテリーナ・ウラノワ]]
* {{flagicon|JPN}} [[卜部里菜]]
* {{flagicon|ALG}} [[リディア・ウルム]]
{{Col-end}}
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;男子
* {{flagicon|RUS}} [[アンドレイ・エゴルチェフ]]
* {{flagicon|PUR}} [[エンリケ・エスカランテ]]
* {{flagicon|FIN}} [[ミッコ・エスコ]]
* {{flagicon|AUS}} [[トーマス・エドガー (バレーボール)|トーマス・エドガー]]
* {{flagicon|FRA}} [[ユベール・エノ]]
* {{flagicon|IRI}} [[ミラド・エバディプール]]
* {{flagicon|POL}} [[スザンナ・エフィミエンコ=ムウォトコフスカ]]
* {{flagicon|CMR}} [[エンダキ・エムブレイ]]
* {{flagicon|CUB}} [[オズワルド・エルナンデス]]
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* {{flagicon|BRA}} [[アンドレ・エレル]]
* {{flagicon|CHN}} [[袁偉民]]
* {{flagicon|BRA}} [[グスタボ・エンドレス]]
* {{flagicon|BRA}} [[ムーリオ・エンドレス]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[江口友里香]]
* {{flagicon|JPN}} [[江口理代]]
* {{flagicon|ITA}} [[パオラ・エゴヌ]]
* {{flagicon|RUS}} [[エフゲーニャ・エステス]](旧姓: アルタモノワ)
* {{flagicon|JPN}} [[江越由佳]]
* {{flagicon|DOM}} [[カルラ・エチェニケ]]
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* {{flagicon|PUR}} [[ステファニー・エンライト]]
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{{Col-begin}}
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;男子
* {{flagicon|FIN}} [[マッティ・オイヴァネン]]
* {{flagicon|FIN}} [[ミッコ・オイヴァネン]]
* {{flagicon|JPN}} [[大上正裕]]
* {{flagicon|JPN}} [[大浦正文]]
* {{flagicon|JPN}} [[王金剛]]
* {{flagicon|JPN}} [[大木貴之]]
* {{flagicon|JPN}} [[大古誠司]]
* {{flagicon|JPN}} [[大角竜敏]]
* {{flagicon|JPN}} [[大竹壱青]]
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* {{flagicon|JPN}} [[岡野昌弘]]
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* {{flagicon|JPN}} [[岡本秀明]]
* {{flagicon|JPN}} [[小川貴史]]
* {{flagicon|JPN}} [[荻野正二]]
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* {{flagicon|JPN}} [[奥谷信彦]]
* {{flagicon|KEN}} [[ゴッドフリー・オクム]]
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* {{flagicon|JPN}} [[尾上健司]]
* {{flagicon|JPN}} [[小野寺太志]]
* {{flagicon|RUS}} [[アレクセイ・オブモチャエフ]]
* {{flagicon|CRO}} [[イゴール・オムルチェン]]
* {{flagicon|RUS}} [[ルスラン・オリフベル]]
* {{flagicon|KEN}} [[デニス・オンソム]]
* {{flagicon|KEN}} [[ジェームス・オンテレ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[及川英香]]
* {{flagicon|JPN}} [[生沼スミエ]]
* {{flagicon|CHN}} [[王一梅]]
* {{flagicon|CHN}} [[王潔]]
* {{flagicon|CHN}} [[王娜 (バレーボール)|王娜]]
* {{flagicon|CHN}} [[王凡]]
* {{flagicon|CHN}} [[王娜]]{{要曖昧さ回避|date=2018年9月}}
* {{flagicon|JPN}} [[大内世莉香]]
* {{flagicon|CHN}} [[黄影]]
* {{flagicon|JPN}} [[近江あかり]]
* {{flagicon|JPN}} [[大楠鼓雪]]
* {{flagicon|JPN}} [[大須賀咲香]]
* {{flagicon|JPN}} [[大竹里歩]]
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* {{flagicon|JPN}} [[大友愛]](一時、山本姓)
* {{flagicon|JPN}} [[大貫美奈子]]
* {{flagicon|JPN}} [[大沼綾子]]
* {{flagicon|JPN}} [[大野果奈]]
* {{flagicon|JPN}} [[大野果歩]]
* {{flagicon|JPN}} [[大庭こずえ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[大山加奈]]
* {{flagicon|JPN}} [[大山未希]]
* {{flagicon|PUR}} [[カリーナ・オカシオ]]
* {{flagicon|JPN}} [[岡野知子]]
* {{flagicon|JPN}} [[岡野弘子]]
* {{flagicon|JPN}} [[岡本真理子]]
* {{flagicon|JPN}} [[岡本祥佳]]
* {{flagicon|JPN}} [[岡本かおり (手話キャスター)]]
* {{flagicon|JPN}} [[小川杏奈]]
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* {{flagicon|JPN}} [[小川かず子]]
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* {{flagicon|JPN}} [[奥田恭子]]
* {{flagicon|JPN}} [[小口樹葉]]
* {{flagicon|SRB}} [[マーヤ・オグニェノビッチ]]
* {{flagicon|POL}} [[ベレニカ・オクニェフスカ]]
* {{flagicon|JPN}} [[オクム大庭冬美ハウィ]]
* {{flagicon|JPN}} [[奥村麻依]]
* {{flagicon|JPN}} [[奥山優奈]]
* {{flagicon|PUR}} [[アレクサンドラ・オケンド]]
* {{flagicon|JPN}} [[長内美和子]]
* {{flagicon|JPN}} [[尾崎睦 (競輪選手)|尾崎睦]]
* {{flagicon|TUR}} [[ネリマン・オズソイ]]
* {{flagicon|TUR}} [[オズレム・オズチェリック]]
* {{flagicon|TUR}} [[ニライ・オズデミル]]
* {{flagicon|TUR}} [[アイスン・オズベク]]
* {{flagicon|CRO}} [[ナターシャ・オスモクロビッチ]]
* {{flagicon|JPN}} [[小高笑子]]
* {{flagicon|JPN}} [[小田桃香]]
* {{flagicon|JPN}} [[落合真理]]
* {{flagicon|USA}} [[エレーナ・オーデン]]
* {{flagicon|USA}} [[キム・オーデン]]
* {{flagicon|USA}} [[ビバリー・オーデン]]
* {{flagicon|TUR}} [[ギュルデニズ・オナル]]
* {{flagicon|TUR}} [[ネディナ・オネル]]
* {{flagicon|JPN}} [[小野優美子]]
* {{flagicon|JPN}} [[小野沢愛子]]
* {{flagicon|JPN}} [[帯川きよら]]
* {{flagicon|RUS}} [[ナタリア・ゴンチャロワ (バレーボール)]]
* {{flagicon|JPN}} [[小山綾菜]]
* {{flagicon|JPN}} [[小山修加]]
* {{flagicon|BRA}} [[エリザンジェラ・オリベイラ]]
* {{flagicon|BRA}} [[スエリ・オリベイラ]]
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* {{flagicon|TUR}} [[ハティジェ・オルゲ]]
* {{flagicon|USA}} [[アレクシス・オルガード]]
* {{flagicon|USA}} [[キャサリーン・オルソフスキー]]
* {{flagicon|PER}} [[カルラ・オルティス]]
* {{flagicon|CUB}} [[ヤイマ・オルティス]]
* {{flagicon|ITA}} [[セレナ・オルトラーニ]]
* {{flagicon|RUS}} [[エカテリーナ・オルロワ]]
* {{flagicon|ROM}} [[ネーカ・オンイェジェクウェ]]
{{Col-end}}
==か行==
===か===
{{Col-begin}}
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;男子
* {{flagicon|USA}} [[ガブリエル・ガードナー]]
* {{flagicon|JPN}} [[海藤正樹]]
* {{flagicon|JPN}} [[甲斐祐之]]
* {{flagicon|SRB}} [[ゾラン・ガイッチ]]
* {{flagicon|IRI}} [[ファルハッド・ガエミ]]
* {{flagicon|JPN}} [[加賀龍哉]]
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* {{flagicon|BUL}} [[マテイ・カジースキ]]
* {{flagicon|JPN}} [[加藤明]]
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* {{flagicon|JPN}} [[金井修也]]
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* {{flagicon|ARG}} [[ギジェルモ・ガルシア (バレーボール)|ギジェルモ・ガルシア]]
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* {{flagicon|JPN}} [[神林正文]]
* {{flagicon|KOR}} [[カン・マンス]]
{{Col-2}}
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* {{flagicon|CHN}} [[夏欣怡]]
* {{flagicon|POL}} [[カタジナ・ガイガウ]]
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* {{flagicon|GER}} [[ベリト・カウフフェルト]]
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{{Col-end}}
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{{Col-begin}}
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;男子
* {{flagicon|JPN}} [[木内学]]
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* {{flagicon|CHN}} [[魏秋月]]
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* {{flagicon|KOR}} [[キム・ミンジ (バレーボール)|キム・ミンジ]]
* {{flagicon|KOR}} [[キム・ヨンギョン]] - 1988年生のウィングスパイカー
* {{flagicon|KOR}} [[キム・ヨンギョン (1993年生)]] - 1993年生のリベロ
* {{flagicon|JPN}} [[木村亜沙美]]
* {{flagicon|JPN}} [[木村久美 (バレーボール)|木村久美]]
* {{flagicon|JPN}} [[木村沙織]]
* {{flagicon|JPN}} [[木村沙織 (1988年生)]]
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* {{flagicon|JPN}} [[木村有希 (バレーボール)|木村有希]]
* {{flagicon|CAN}} [[ジェイニー・ギモンド]]
* {{flagicon|USA}} [[エリザベス・キャンベル (バレーボール)|エリザベス・キャンベル]]
* {{flagicon|CHN}} [[龔翔宇]]
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* {{flagicon|BRA}} [[エバンドロ・グエッラ]]
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* {{flagicon|ITA}} [[マルティーナ・グイッジ]]
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* {{flagicon|POL}} [[アルカディウシュ・ゴアシュ]]
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{{Col-end}}
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{{Col-begin}}
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* {{flagicon|BUL}} [[アンドレイ・ジェコフ]]
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* {{flagicon|THA}} [[タパパイプーン・シャイシー]]
* {{flagicon|USA}} [[カースティ・ジャクソン]]
* {{flagicon|TRI}} [[シネイド・ジャック]]
* {{flagicon|BRA}} [[アルレネ・シャビエル]]
* {{flagicon|THA}} [[ジャラスポーン・ブンダサック]]
* {{flagicon|TUR}} [[ビシュラ・ジャンス]]
* {{flagicon|CHN}} [[周暁蘭]]
* {{flagicon|CHN}} [[周蘇紅]]
* {{flagicon|GER}} [[コリーナ・シュシュケ]]
* {{flagicon|CHN}} [[朱婷]]
* {{flagicon|SRB}} [[ベスナ・ツィタコビッチ|ベスナ・ジュリシッチ]](旧姓ツィタコビッチ)
* {{flagicon|RUS}} [[アナスタシア・シュリャホバヤ]]
* {{flagicon|CHN}} [[朱玲]]
* {{flagicon|GER}} [[レオニー・シュベルトマン]]
* {{flagicon|AUT}} [[ドリス・シュワイガー]]
* {{flagicon|JPN}} [[庄司夕起]]
* {{flagicon|ITA}} [[シモーナ・ジョーリ]]
* {{flagicon|USA}} [[ジュリアン・ジョンソン]](旧姓・フォーセット)
* {{flagicon|CHN}} [[徐雲麗]]
* {{flagicon|JPN}} [[白井貴子 (バレーボール)|白井貴子]]
* {{flagicon|JPN}} [[白井美沙紀]]
* {{flagicon|JPN}} [[白垣里紗]]
* {{flagicon|CUB}} [[ユシディ・シリエ]]
* {{flagicon|POL}} [[マグダレナ・シリバ]]
* {{flagicon|GER}} [[ウィープケ・ジルゲ]]
* {{flagicon|BRA}} [[アデニジア・シルバ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ジャッキー・シルバ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ジョイセ・シルバ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ラケル・シルバ]]
* {{flagicon|ITA}} [[イマコラータ・シレッシ]]
* {{flagicon|JPN}} [[新鍋理沙]]
* {{flagicon|USA}} [[テイラー・シンプソン]]
{{Col-end}}
===す===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|JPN}} [[菅直哉]]
* {{flagicon|JPN}} [[菅原貞敬]]
* {{flagicon|JPN}} [[杉崎大和]]
* {{flagicon|JPN}} [[杉本公雄]]
* {{flagicon|JPN}} [[杉山マルコス]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木健太 (バレーボール)|鈴木健太]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木寛史]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木孝政 (バレーボール)|鈴木孝政]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木悠二]]
* {{flagicon|SRB}} [[サーシャ・スタロビッチ]]
* {{flagicon|USA}} [[クレイトン・スタンリー]]
* {{flagicon|USA}} [[ボブ・ストブルトリック]]
* {{flagicon|RUS}} [[アレクセイ・スピリドノフ (バレーボール)|アレクセイ・スピリドノフ]]
* {{flagicon|BUL}} [[ディミタル・ズラタノフ]]
* {{flagicon|ITA}} [[フリスト・ズラタノフ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[末国愛里]]
* {{flagicon|JPN}} [[菅山かおる]]
* {{flagicon|JPN}} [[杉原若葉]]
* {{flagicon|JPN}} [[杉本早希]]
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* {{flagicon|JPN}} [[杉山祥子]]
* {{flagicon|USA}} [[ダニエル・スコット]]
* {{flagicon|POL}} [[カタジナ・スコブロニスカ]]
* {{flagicon|POL}} [[カタジナ・スコルパ]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木晶子 (バレーボール)|鈴木晶子]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木千代]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木未来]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木洋美]]
* {{flagicon|JPN}} [[鈴木裕子 (バレーボール)|鈴木裕子]]
* {{flagicon|NED}} [[キム・スタエレンス]]
* {{flagicon|NED}} [[ハイーネ・スタエレンス]]
* {{flagicon|NED}} [[デビー・スタム]]
* {{flagicon|RUS}} [[エフゲーニャ・スタルツェワ]]
* {{flagicon|SRB}} [[サーシャ・スタロビッチ]]
* {{flagicon|NED}} [[キンタ・ステーンベルヘン]]
* {{flagicon|BRA}} [[マリアーネ・ステインブレシェル]]
* {{flagicon|SRB}} [[ヨバナ・ステバノビッチ]]
* {{flagicon|JPN}} [[須藤佳代子]]
* {{flagicon|JPN}} [[周藤玲美]]
* {{flagicon|NED}} [[フェムケ・ストルテンボルフ]]
* {{flagicon|BEL}} [[ドミニカ・ストルミロ]]
* {{flagicon|KAZ}} [[マリナ・ストロジェンコ]]
* {{flagicon|JPN}} [[砂田遥]]
* {{flagicon|USA}} [[メアリー・スパイサー]]
* {{flagicon|SRB}} [[アーニャ・スパソイエビッチ]]
* {{flagicon|BRA}} [[アンドレイア・スフォルジン]]
* {{flagicon|USA}} [[ヘイリー・スペルマン]]
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* {{flagicon|SSR1955}} [[イリーナ・スミルノーワ]]
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* {{flagicon|NED}} [[ロンネケ・スローティエス]]
{{Col-end}}
===せ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|JPN}} [[関田誠大]]
* {{flagicon|ARG}} [[ルチアーノ・デ・セッコ]]
* {{flagicon|JPN}} [[瀬戸口竜矢]]
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* {{flagicon|ISR}} [[アリー・セリンジャー]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[清家ちえ]]
* {{flagicon|BRA}} [[バルバラ・セイシャス]]
* {{flagicon|PUR}} [[デボラ・セイルハマー]]
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* {{flagicon|JPN}} [[関舞]]
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* {{flagicon|JPN}} [[千野葉子]]
{{Col-end}}
===そ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|BRA}} [[バラセ・デ・ソウザ]]
* {{flagicon|RUS}} [[アレクサンドル・ソコロフ (バレーボール)]]
* {{flagicon|BUL}} [[ツヴェタン・ソコロフ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[外山裕樹]]
* {{flagicon|JPN}} [[蘇武幸志]]
* {{flagicon|ITA}} [[アンドレア・ゾルジ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|CHN}} [[楚金玲]]
* {{flagicon|CHN}} [[曾春蕾]]
* {{flagicon|BRA}} [[エリア・ソウザ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ガブリエラ・ソウザ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ジョゼファ・ファビオラ・ソウザ]]
* {{flagicon|JPN}} [[曽我啓菜]]
* {{flagicon|ARG}} [[エミルセ・ソサ]]
* {{flagicon|RUS}} [[リュボフ・シャチコワ|リュボフ・ソコロワ]](シャチコワ姓も使用)
* {{flagicon|CHN}} [[孫玥]]
* {{flagicon|TUR}} [[ギョズデ・ソンスルマ]]
* {{flagicon|ITA}} [[インドレ・ソロカイテ]]
{{Col-end}}
==た行==
===た===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|BRA}} [[ジョアン・パウロ・タヴァレス]]
* {{flagicon|JPN}} [[高尾和行]]
* {{flagicon|JPN}} [[高杉洋平]]
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* {{flagicon|JPN}} [[高橋和人]]
* {{flagicon|JPN}} [[高橋賢 (バレーボール)|高橋賢]]
* {{flagicon|JPN}} [[高橋健太郎 (バレーボール)|高橋健太郎]]
* {{flagicon|JPN}} [[高橋幸造]]
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* {{flagicon|SRB}} [[ジェリコ・タナスコビッチ]]
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* {{flagicon|INA}} [[ココ・プラセティオ・ダルクンコロ]]
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* {{flagicon|THA}} [[ビヤラット・タンタパイティ]]
* {{flagicon|JPN}} [[丹山禎昭]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|NED}} [[ラウラ・ダイケマ]]
* {{flagicon|PER}} [[セシリア・タイト]]
* {{flagicon|BRA}} [[アナ・チエミ・タカギ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[高橋幸子 (バレーボール)|高橋幸子]]
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* {{flagicon|JPN}} [[田原香理]](旧姓: 飯田)
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* {{flagicon|JPN}} [[田村翔子 (バレーボール)|田村翔子]]
* {{flagicon|USA}} [[ジェニファー・タマス]](旧姓: ジョインズ)
* {{flagicon|TUR}} [[セニイェ・ダルベレル]]
* {{flagicon|CHN}} [[単丹娜]]
* {{flagicon|JPN}} [[丹山美紗緒]]
{{Col-end}}
===ち===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|SSR1955}} [[ユーリ・チェスノコフ]]
* {{flagicon|ITA}} [[マテイ・チェルニック]]
* {{flagicon|ITA}} [[アルベルト・チゾーラ]]
* {{flagicon|JPN}} [[千々木駿介]]
* {{flagicon|JPN}} [[千葉進也]]
* {{flagicon|CRO}} [[アンジェルコ・チュク]]
* {{flagicon|RUS}} [[イゴール・チュレポフ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|KOR}}[[チェ・ガンヒ (バレーボール)|チェ・ガンヒ]]
* {{flagicon|SRB}} [[スザナ・チェービッチ]]
* {{flagicon|SSR1955}} [[エレーナ・チェブキナ]]
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* {{flagicon|SSR1955}} [[リュドミラ・チェルニショワ]]
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* {{flagicon|POL}} [[クリスティーナ・チャイコフスカ]]
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* {{flagicon|TUR}} [[キュブラ・チャルシュカン]]
* {{flagicon|KOR}} [[チャン・ソヨン (バレーボール)|チャン・ソヨン]]
* {{flagicon|GER}} [[ケールスティン・チューリヒ]]
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* {{flagicon|CHN}} [[張宇]]
* {{flagicon|CHN}} [[張越紅]]
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* {{flagicon|JPN}} [[張紫音]](旧名:{{flagicon|CHN}} 張芳赫)
* {{flagicon|CHN}} [[張常寧]]
* {{flagicon|CHN}} [[張娜 (バレーボール)|張娜]]
* {{flagicon|CHN}} [[趙蕊蕊]]
* {{flagicon|CHN}} [[張萍]]
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* {{flagicon|CHN}} [[張磊 (バレーボール)|張磊]]
* {{flagicon|KOR}} [[チョ・ヘジョン]]
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* {{flagicon|CHN}} [[陳静]]
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{{Col-end}}
===つ===
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;男子
* {{flagicon|JPN}} [[築城智]]
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{{Col-2}}
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* {{flagicon|SRB}} [[ベスナ・ツィタコビッチ]]
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* {{flagicon|JPN}} [[辻知恵]](旧姓: 名取)
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* {{flagicon|JPN}} [[土屋かおり (バレーボール)|土屋かおり]]
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{{Col-end}}
===て===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|RUS}} [[スタニスラフ・ディネイキン]]
* {{flagicon|USA}} [[スティーブ・ティモンズ]]
* {{flagicon|ITA}} [[ダニエレ・デジデリオ]]
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{{Col-2}}
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* {{flagicon|CHN}} [[丁霞]]
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{{Col-end}}
===と===
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* {{flagicon|JPN}} [[筧本翔昴]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[土井さくら]]
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{{Col-end}}
==な行==
===な===
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;男子
* {{flagicon|JPN}} [[内藤和也]]
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;女子
* {{flagicon|KOR}} [[ナ・ヒョンジョン]]
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{{Col-end}}
===に===
{{Col-begin}}
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;男子
* {{flagicon|SRB}} [[ミロシュ・ニキッチ]]
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* {{flagicon|RUS}} [[マリナ・ニクーリナ]]
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;男子
* {{flagicon|JPN}} [[野口拓也 (ビーチバレー)|野口拓也]]
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* {{flagicon|JPN}} [[野口彩佳]]
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{{Col-end}}
==は行==
===は===
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;男子
* {{flagicon|KOR}} [[パク・チョルウ]]
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* {{flagicon|KOR}} [[ハ・ジュンイム]]
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* {{flagicon|BEL}} [[リエスベット・ヴァインデヴォーゲル]]
* {{flagicon|FRA}} [[クリスティナ・バウアー]]
* {{flagicon|BRA}} [[エリザンジェラ・パウリノ]]
* {{flagicon|USA}} [[ヘザー・バウン]]
* {{flagicon|USA}} [[ローレン・パオリーニ]]
* {{flagicon|GER}} [[アティカ・バガー]]
* {{flagicon|JPN}} [[芳賀舞波]]
* {{flagicon|KOR}} [[パク・チョンア (バレーボール)|パク・チョンア]]
* {{flagicon|KOR}} [[パク・ミヒ]]
* {{flagicon|TUR}} [[デニズ・ハクイェメズ]]
* {{flagicon|JPN}} [[白田博子]]
* {{flagicon|USA}} [[ジェナ・ハグランド]]
* {{flagicon|USA}} [[ナタリー・ハグランド]]
* {{flagicon|JPN}} [[畠山亜希子]]
* {{flagicon|JPN}} [[橋口英子]]
* {{flagicon|JPN}} [[橋本涼加]]
* {{flagicon|JPN}} [[橋本直子]]
* {{flagicon|TUR}} [[イエリズ・バシャ]]
* {{flagicon|BUL}} [[エリツァ・バシレバ]]
* {{flagicon|RUS}} [[エレーナ・バシレフスカヤ]]
* {{flagicon|RUS}} [[アレクサンドラ・パシンコワ]]
* {{flagicon|CZE}} [[クリスティナ・パストロバ]]
* {{flagicon|USA}} [[エリザベス・バックマン]]
* {{flagicon|ITA}} [[パオラ・パッジ]]
* {{flagicon|JPN}} [[服部晃佳]]
* {{flagicon|JPN}} [[服部安佑香]]
* {{flagicon|JPN}} [[服部梨花]]
* {{flagicon|USA}} [[タイーバ・ハニーフ]]
* {{flagicon|JPN}} [[羽根翠]](旧姓: 高橋)
* {{flagicon|CAN}} [[サラ・パバン]]
* {{flagicon|RUS}} [[アナスタシア・バビキナ]]
* {{flagicon|CZE}} [[アネタ・ハブリチコバ]]
* {{flagicon|KAZ}} [[イエレナ・パブロワ]]
* {{flagicon|SSR1955}} [[ラリッサ・パブロワ]]
* {{flagicon|KOR}} [[ハ・ヘジン]]
* {{flagicon|CZE}} [[エレナ・ハベルコバ]]
* {{flagicon|BRA}} [[ミシェリ・パボン]]
* {{flagicon|BRA}} [[モニーキ・パボン]]
* {{flagicon|JPN}} [[浜恵子 (バレーボール)|浜恵子]]
* {{flagicon|JPN}} [[濱口華菜里]]
* {{flagicon|JPN}} [[濱野礼奈]]
* {{flagicon|JPN}} [[濵松明日香]]
* {{flagicon|ALG}} [[ナウェル・ハムシェ]]
* {{flagicon|THA}} [[ハッタヤ・バムルンスック]]
* {{flagicon|JPN}} [[早坂梢依]]
* {{flagicon|JPN}} [[林琴奈]]
* {{flagicon|JPN}} [[林日向子]]
* {{flagicon|JPN}} [[林蓉子]]
* {{flagicon|JPN}} [[原桂子]](旧姓: 鶴田)
* {{flagicon|PER}} [[バネッサ・パラシオス]]
* {{flagicon|CUB}} [[ヨアナ・パラシオス]]
* {{flagicon|ITA}} [[ジェニー・バラッツァ]]
* {{flagicon|TUR}} [[ハンデ・バラドゥン]]
* {{flagicon|DOM}} [[アンネリス・バルガス]]
* {{flagicon|CUB}} [[メリッサ・バルガス]]
* {{flagicon|ITA}} [[クリスティナ・バルチェリーニ]]
* {{flagicon|RUS}} [[クセニア・パルベツ]]
* {{flagicon|USA}} [[シンシア・バルボッサ]]
* {{flagicon|AZE}} [[エレーナ・パルホメンコ]]
* {{flagicon|AZE}} [[オクサナ・パルホメンコ]]
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* {{flagicon|CRO}} [[カタリナ・バルン]]
* {{flagicon|BRA}} [[ジュシエリ・クリスチナ・バレト]]
* {{flagicon|PUR}} [[ナタリア・バレンティン]]
* {{flagicon|CUB}} [[ソイラ・バロス]]
* {{flagicon|BRA}} [[レイラ・バロス]]
* {{flagicon|GER}} [[デニーゼ・ハンケ]]
* {{flagicon|USA}} [[マイカ・ハンコック]]
* {{flagicon|JPN}} [[榛澤舞子]]
* {{flagicon|USA}} [[クリスタ・バンサント]]
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* {{flagicon|THA}} [[ピヤヌット・パンノイ]]
* {{flagicon|KOR}} [[ハン・ユミ]]
* {{flagicon|USA}} [[ケイラ・バンワース]]
{{Col-end}}
===ひ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|FIN}} [[パシ・ヒヴァリネン]]
* {{flagicon|SRB}} [[ノヴィツァ・ビエリツァ]]
* {{flagicon|JPN}} [[樋口時彦]]
* {{flagicon|FRA}} [[ピエール・ピュジョル]]
* {{flagicon|JPN}} [[日高誠]]
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* {{flagicon|BRA}} [[ナウベルチ・ビテンクール]]
* {{flagicon|ITA}} [[ダミアーノ・ピッピ]]
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* {{flagicon|ITA}} [[エマヌエーレ・ビラレッリ]]
{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|SRB}} [[アナ・ビエリツァ]]
* {{flagicon|JPN}} [[東万純]]
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* {{flagicon|JPN}} [[日高萌]]
* {{flagicon|ITA}} [[フランチェスカ・ピッチニーニ]]
* {{flagicon|GER}} [[ザスキア・ヒッペ]]
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* {{flagicon|DOM}} [[アナヨルキラ・ビネット]]
* {{flagicon|BEL}} [[ヤスミーン・ビーバウ]]
* {{flagicon|KOR}} [[ピョ・スンジュ]]
* {{flagicon|CHN}} [[馮坤]]
* {{flagicon|JPN}} [[兵動希]](旧姓: 仁木)
* {{flagicon|JPN}} [[兵頭由希]]
* {{flagicon|JPN}} [[平井香菜子]]
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* {{flagicon|THA}} [[ピンピチャヤ・コクラム]]
{{Col-end}}
===ふ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|ESP}} [[ギリェルモ・ファラスカ]]
* {{flagicon|NED}} [[オロフ・ファンダールミューレン]]
* {{flagicon|BEL}} [[イルカ・ファンデフェイフェル]]
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* {{flagicon|BRA}} [[ルイス・フェリペ・フォンテレス]]
* {{flagicon|JPN}} [[深尾吉英]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|RUS}} [[オリガ・ファテーエワ]]
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* {{flagicon|SSR1955}} [[リュドミラ・ブルダコワ]]
* {{flagicon|CRO}} [[ベルナルダ・ブルチッチ]]
* {{flagicon|JPN}} [[古橋美知子]](旧姓: 塩川)
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{{Col-end}}
===へ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|CUB}} [[エウヘニオ・ヘオルヘ]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|BRA}} [[アドリアナ・ベアール]]
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{{Col-end}}
===ほ===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|POL}} [[トマシュ・ボイトビッチ]]
* {{flagicon|USA}} [[ロイ・ボール]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|POL}} [[カタジナ・ポウェチ]]
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* {{flagicon|MNE}} [[タチアナ・ボーカン]]
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{{Col-end}}
== ま行 ==
===ま===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
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* {{flagicon|JPN}} [[前田和樹]]
* {{flagicon|JPN}} [[前田悟]]
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* {{flagicon|JPN}} [[前村直樹]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|CAN}} [[シャニース・マーセル]]
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* {{flagicon|JPN}} [[松崎さ代子]]
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* {{flagicon|JPN}} [[松田紀子 (バレーボール)]]
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* {{flagicon|JPN}} [[松本亜弥華]](旧姓・{{flagicon|CHN}} 王亜辰)
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* {{flagicon|JPN}} [[丸山亜季 (バレーボール)|丸山亜季]]
* {{flagicon|JPN}} [[丸山裕子 (バレーボール)|丸山裕子]]
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{{Col-end}}
===み===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|SRB}} [[ヴァーサ・ミイッチ]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|JPN}} [[三上彩]]
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{{Col-end}}
===む===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
* {{flagicon|IRI}} [[モハンマド・ムーサビ]]
* {{flagicon|RUS}} [[ドミトリー・ムセルスキー]]
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* {{flagicon|JPN}} [[向井久子]]
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;男子
* {{flagicon|ITA}} [[マルコ・メオーニ]]
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{{Col-2}}
;女子
* {{flagicon|USA}} [[ミスティ・メイトレーナー]]
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{{Col-end}}
===も===
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
;男子
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{{Col-end}}
==や行==
===や===
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===ゆ===
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==ら行==
===ら===
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;男子
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* {{flagicon|GER}} [[カティ・ラツバイト]]
* {{flagicon|POL}} [[ミレナ・ラデツカ]]
* {{flagicon|SRB}} [[ダニツァ・ラデンコビッチ]]
* {{flagicon|SRB}} [[ボヤナ・ラドゥロヴィッチ]]
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===り===
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==わ行==
===わ===
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== 関連項目 ==
* [[オリンピックバレーボール競技メダリスト一覧]]
* [[バレーボール大会一覧]]
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[[Category:バレーボール選手一覧|*]]
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時間 (単位)
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時間(じかん)または時(じ、記号:h)は、時間の非SI単位である。ただしSI併用単位(国際単位系(SI)と併用できる非SI単位)である。なお、SIや日本の計量法では、単位の名称は「時」のみであって「時間」ではない。
日本語では、時刻については時(じ)の呼称が用いられ、時間間隔を言うときは通常「時間」の呼称を用いる。また同じ漢字で時(とき)と読む言葉は、昔の日本の時法における単位である。十二時辰、あるいは以下の不定時法の節を参照されたい。
1時間は、歴史的には地球における1日(より正確には1平均太陽日)の 1/24 の時間間隔として定義されてきた。現在は、秒が時間の基本単位であるので、1時間は「秒の3600倍」と定義される。1時間は60分である。
単位記号の h は、1948年の第9回国際度量衡総会(CGPM)の決議7によって定められたものである。かつてはhr などが用いられたことがあったが、国際単位系(SI)および日本の計量法体系では、記号「h」のみが認められており、それ以外の記号は用いてはならない。
各地の古代文明(エジプト、メソポタミア、インダス、黄河)で使われ出した時間の分割は、日の出と日の入(あるいは夜明けと日暮れ)の間を12分割、もしくは1日を12の2倍で24分割した物であった。12の12倍で144分割ではなかった。いずれにしても分割は12の倍数によるものであり、これは月や方角などにも用いられてきた。
現在の時間の定義が定まるまで、以下のように定義は変遷した。
当初は、日の出から日の入まで(あるいは夜明けから日暮れまで)の 1/12 が1時間(日本では、1/6 が1時(とき))とされた。よって、季節によってその長さが大きく変わり、昼の1時間(1とき)は夏は長く冬は短くなる。また、緯度によっても変わることになるが、人の行動範囲が狭い間はこれについては問題にならなかった。この時法を不定時法という。東アジアでは、近世まで不定時法が用いられていた。
後に、視太陽日(正午から次の正午までの間、または日暮れから次の日暮れまでの間)の 1/24 が1時間とされた。これにより、季節による1時間の長さの変動は小さくなったが、それでも視太陽日の長さは季節によりわずかに異なるので、月に数度、時計を調整する必要があった。
その後、平均太陽日の 1/24 を1時間とするようになった。これで、1時間の長さは常に一定になったと思われたが、地球の自転は一定ではなく、10オーダーの変動(1日 = 86400秒につき1~2ミリ秒程度)があることがわかり、この定義も使用されなくなった。以降の定義の変遷および「1日の長さ」については、「秒」「閏秒」「地球の自転」を参照のこと。
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時間(じかん)または時(じ、記号:h)は、時間の非SI単位である。ただしSI併用単位(国際単位系と併用できる非SI単位)である。なお、SIや日本の計量法では、単位の名称は「時」のみであって「時間」ではない。 日本語では、時刻については時(じ)の呼称が用いられ、時間間隔を言うときは通常「時間」の呼称を用いる。また同じ漢字で時(とき)と読む言葉は、昔の日本の時法における単位である。十二時辰、あるいは以下の不定時法の節を参照されたい。 1時間は、歴史的には地球における1日(より正確には1平均太陽日)の 1/24 の時間間隔として定義されてきた。現在は、秒が時間の基本単位であるので、1時間は「秒の3600倍」と定義される。1時間は60分である。 単位記号の h は、1948年の第9回国際度量衡総会(CGPM)の決議7によって定められたものである。かつてはhr などが用いられたことがあったが、国際単位系(SI)および日本の計量法体系では、記号「h」のみが認められており、それ以外の記号は用いてはならない。
|
{{otheruses|「時間」という単位|その他の時間の単位|時間の単位}}
{{単位
|名称=時
|読み=じ
|英語=Hour
|フランス語=Heure
|記号=h
|単位系 =[[非SI単位]]、[[SI併用単位]]
|物理量=[[時間]]
|定義=60 [[分]]
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|画像=[[Image:HildesheimSchuhstr060529.jpg|250px]]<br/>[[時計]]
}}
'''時間'''(じかん)または'''時'''(じ、記号:'''h''')は、[[時間]]の[[非SI単位]]である。ただし[[SI併用単位]]([[国際単位系]](SI)と併用できる[[非SI単位]])である<ref>{{Cite book|和書|url=https://www.nmij.jp/library/units/si/R8/SI8J.pdf|format=PDF|title=国際文書第 8 版 (2006) 国際単位系(SI)日本語版|author=訳・監修 [[独立行政法人|(独)]]産業技術総合研究所 計量標準総合センター|page=36|quote=表 6 SI 単位と併用される非 SI 単位|isbn=92-822-2213-6|accessdate=2016-04-12}}</ref>。なお、SIや日本の[[計量法]]では、単位の名称は「時」のみであって「時間」ではない<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051#404AC0000000051-Mpat_1 計量法 別表第一] 「物象の状態の量」の「時間」の欄</ref>。
日本語では、[[時刻]]については'''時(じ)'''の呼称が用いられ、時間間隔を言うときは通常「'''時間'''」の呼称を用いる。また同じ漢字で'''時(とき)'''と読む言葉は、昔の日本の時法における単位である。[[十二時辰]]、あるいは以下の不定時法の節を参照されたい。
1時間は、歴史的には[[地球]]における1[[日]](より正確には1平均[[太陽日]])の 1/24 の時間間隔として定義されてきた。現在は、秒が時間の基本単位であるので、1時間は「秒の3600倍」と定義される。1時間は60[[分]]である。
[[単位記号]]の '''h''' は、[[1948年]]の第9回[[国際度量衡総会]](CGPM)の決議7によって定められたものである。かつては'''hr''' などが用いられたことがあったが、[[国際単位系]](SI)および日本の[[計量法]]体系では、記号「'''h'''」のみが認められており、それ以外の記号は用いてはならない<ref>計量単位規則(平成四年十一月三十日通商産業省令第八十号)別表第二(第2条関係)「時間」の欄 {{Wikisource-inline|計量単位規則#別表}}</ref>。
==歴史==
{{要出典|範囲=各地の古代文明([[エジプト文明|エジプト]]、[[メソポタミア文明|メソポタミア]]、[[インダス文明|インダス]]、[[中国文明|黄河]])で使われ出した時間の分割は、[[日の出]]と日の入(あるいは夜明けと日暮れ)の間を[[12]]分割、もしくは1日を12の2倍で[[24]]分割した物であった。12の12倍で[[144]]分割ではなかった。いずれにしても分割は12の倍数によるものであり、これは[[月 (暦)|月]]や[[方位|方角]]などにも用いられてきた。|date=2023年6月}}
現在の時間の定義が定まるまで、以下のように定義は変遷した。
===不定時法===
当初は、日の出から日の入まで(あるいは夜明けから日暮れまで)の 1/12 が1時間(日本では、[[1/6]] が1時(とき))とされた。よって、季節によってその長さが大きく変わり、昼の1時間(1とき)は夏は長く冬は短くなる。また、緯度によっても変わることになるが、人の行動範囲が狭い間はこれについては問題にならなかった。この時法を'''不定時法'''という。東アジアでは、近世まで不定時法が用いられていた。
===定時法===
後に、視太陽日(正午から次の正午までの間、または日暮れから次の日暮れまでの間)の 1/24 が1時間とされた。これにより、季節による1時間の長さの変動は小さくなったが、それでも視太陽日の長さは季節によりわずかに異なるので、月に数度、時計を調整する必要があった。
その後、[[平均太陽日]]の 1/24 を1時間とするようになった。これで、1時間の長さは常に一定になったと思われたが、[[地球の自転]]は一定ではなく、10<sup>-8</sup>[[オーダー (物理学)|オーダー]]の変動(1日 = {{val|86400}}秒につき1~2ミリ秒程度)があることがわかり、この定義も使用されなくなった。以降の定義の変遷および「1日の長さ」については、「[[秒]]」「[[閏秒]]」「[[地球の自転]]」を参照のこと。
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現在では、1日は24時間、[[30]]日(≒1箇[[月 (暦)|月]])は[[720]]時間と定義されているが、当初は[[12]]時間と定義されていた。日本でも、かつては[[十二支]]を用いて、1日を12等分していた。
これは、30日を[[360]]°(一周)とすると、12°が1日に相当するためである。[[時計]]の12分割はこれに由来する。
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== Counting hours ==
Every definition of the hour came with its own starting point for counting the hours.
* In ancient and medieval cultures, in which the division between night and day mattered far more than in societies with widespread use of artificial light, the counting of hours started with sunrise. So sunrise was always exactly at the ''beginning'' of the first hour, noon at the end of the sixth hour and sunset exactly at the end of the twelfth hour. This meant that the length of hours varied with the season.
* In so-called ''Italian time'' the first hour started at sunset (or the end of dusk, i. e., half an hour after sunset, depending on local custom). The hours were numbered from 0 to 23. So the Sun rose at, for instance, Lugano in December around 14:46 and noon was around 19:23; in June the Sun rose at 7:51 and noon was around 15:55. Sunset was always at 24:00. This manner of counting hours had the advantage that everyone could easily read the clock to see how much time they had to finish their day's work without artificial light. It was introduced in [[Italy]] during the [[14th century]] and lasted until the mid-[[18th century]], or in some regions until the mid-[[19th century]]. It was also used in [[Poland]] and [[Bohemia]] until the [[17th century]].
* In the modern [[12-hour clock]] counting the hours starts at midnight and restarts at noon. Hours are numbered 12, 1, 2, ..., 11. [[solar time|Solar noon]] is always close to 12 noon, differing according to the [[equation of time]] (by up to about fifteen minutes either way). At the [[equinox]]es sunrise is around 6 [[A.M.]] (''ante meridiem'', ''before noon''), and sunset around 6 [[P.M.]] (''post meridiem'', ''after noon'').
* In the modern [[24-hour clock]] counting the hours starts at midnight and hours are numbered from 0 to 23. Solar noon is always close to 12:00 (again differing according to the equation of time). At the equinoxes sunrise is around 06:00 and sunset around 18:00.
Sunrise and sunset are much more conspicuous points in the day than noon or midnight; starting to count then was, for most people in most societies, much easier than starting at noon or midnight. However, with modern astronomical equipment (and the telegraph or similar means to transfer a time signal in a split-second), this issue is much less relevant.
[[Sundial]]s often show the hour length and count according to some of the older definitions and countings.
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== 出典 ==
<references />
== 関連項目 ==
*[[太陽時]]
*[[時刻]]
*[[時間の比較]]
*[[1 E3 s]] - 約1時間のリスト
*[[1時間競走]]
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折口信夫
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折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20年〉2月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク、「靄煙渓」とも)と名乗ったこともある。
歌人としては正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
1887年2月11日大阪府西成郡木津村(現:大阪市浪速区敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの四男として生まれる。
1890年木津幼稚園に通う。1892年木津尋常小学校(現在の大阪市立敷津小学校)に入学する。1894年叔母えいから贈られた『東京名所図会』の見開きに初めて自作歌を記す。感謝の念篤く『古代研究』に、この叔母への献詞を載せている。
1896年大阪市南区竹屋町、育英高等小学校に入学する。1899年4月大阪府第五中学校(後の天王寺中学)に入学する。中学の同級生には武田祐吉(国文学者)、岩橋小弥太(国史学者)、西田直二郎などがいた。
1900年夏に大和の飛鳥坐神社を一人で訪れた折に、9歳上の浄土真宗の僧侶で仏教改革運動家である藤無染(ふじ・むぜん)と出会って初恋を知ったという説がある。富岡多惠子によると、迢空という号は、このとき無染に付けられた愛称に由来している可能性があるという。
1901年15歳になったこの年に父親から橘千蔭『万葉集略解』を買ってもらう。『文庫』『新小説』に投稿した短歌一首ずつが入選する。
1902年成績が下がる。暮れに自殺未遂。1903年3月自殺未遂。作歌多し。
1904年3月卒業試験にて、英会話作文・幾何・三角・物理の4科目で落第点を取り、原級にとどまる。この時の悲惨さが身に沁みたため、後年、教員になってからも、教え子に落第点は絶対につけなかった。同じく後年、天王寺中学から校歌の作詞を再三頼まれたが、かたくなに拒み続けたと伝えられる。大和に3度旅行した際、室生寺奥の院で自殺を図った若き日の釈契沖に共感、誘惑に駆られる。
1905年3月天王寺中学校を卒業する。医学を学ばせようとする家族の勧めに従って第三高等学校受験に出願する前夜、にわかに進路を変えて上京し、新設の國學院大學の予科に入学する。藤無染と同居する。この頃に約500首の短歌を詠む。
1907年國學院予科修了、本科国文科に進んだ。この時期國學院大學において国学者三矢重松に教えを受け強い影響を受ける。また短歌に興味を持ち根岸短歌会などに出入りした。1910年7月國學院大學国文科を卒業する。卒業論文は「言語情調論」。1911年10月大阪府立今宮中学校の嘱託教員(国漢担当)となる。
1912年8月伊勢、熊野の旅に出た。1913年12月「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。1914年3月今宮中学校を退職し、上京する。折口を慕って上京した生徒達を抱え、高利貸の金まで借りるどん底の暮らしを経験したという。
1916年國學院大學内に郷土研究会を創設する。この時30歳。『万葉集』全二十巻(4516首)の口語訳上・中・下を刊行する。1917年1月私立郁文館中学校教員となる。2月「アララギ」同人となり選歌欄を担当する。一方で、國學院大學内に郷土研究会を創設するなどして活発に活動する。1919年1月大學臨時代理講師となる。万葉辞典を刊行する。
1921年7~9月柳田國男から沖縄の話を聞き、最初の沖縄・壱岐旅行。1922年1月雑誌「白鳥」を創刊する。4月國學院大學教授となり、穂積忠の師匠となる。
1923年6月慶應義塾大学文学部講師となる。第2回沖縄旅行。1924年1月亡師三矢重松の「源氏物語全講会」を遺族の勧めで再興する。後慶應義塾大学に移し没年まで続ける。またこの年には「アララギ」を去って北原白秋らと歌誌『日光』を創刊する。
1925年5月処女歌集『海やまのあひだ』を刊行。1927年6月國學院の学生らを伴い能登半島に採訪旅行し、藤井春洋の生家を訪う。1928年4月慶應義塾大学文学部教授となり芸能史を開講する。
1929年、川田順、斎藤茂吉、前田夕暮、松村英一、北原白秋らが設立した日本歌人協会(東京市本郷区駒込)の会員となる。
1932年文学博士の称号を受ける。日本民俗協会の設立にかかわり、幹事となる。1935年11月大阪木津の折口家から分家する。第3回沖縄旅行。1940年4月國學院大學学部講座に「民俗学」を新設する。愛知県三沢の花祭り、長野県新野雪祭りを初めて見る。
1941年8月中国へ旅し、北京にて講演を行う。12月8日太平洋戦争に突入、藤井春洋応召。1942年『天地に宣る』を出版。1944年藤井春洋、硫黄島に着任。春洋を養嗣子として入籍。1945年3月大阪の生家が戦災により焼失する。大本営より藤井春洋の居る硫黄島の玉砕発表。8月15日敗戦の詔を聞くと箱根山荘に40日間籠もる。
1948年4月『古代感愛集』により日本芸術院賞を受賞。12月第一回日本学術会議会員に選出。1949年7月能登一ノ宮に春洋との父子墓を建立する。1950年と翌51年は宮中御歌会選者。
1953年7月初め箱根仙石原の別荘に行くも健康すぐれず。8月31日衰弱進み慶應義塾大学病院に入院する。9月3日胃癌により永眠。養子として迎えた春洋(戦死)とともに、気多大社がある石川県羽咋市一ノ宮町に建立した墓に眠る。折口家の菩提寺願泉寺(大阪市)に分骨が納められている。
柳田國男との間には以下のようなエピソードがあった。
1915年(大正4年)の『郷土研究』誌に載った論文で、互いに似通った折口と柳田の論文が前後して載せられるという事件があった。折口が昨年のうちに送ったものが採用されず、柳田の「柱松考」が3月号、折口の「髯籠の話」が4-5月号に載ったというものだが、それを後に振り返って折口が言った「先生の「柱松考」を先に見ていれば、わたしは「髯籠の話」など書かなかった」という言葉に、潔癖さ、厳しさが表れている。
そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「マレビト」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である。両者は国学発展の祖に当たる賀茂真淵・本居宣長と同じく、教えを受けながらも正当だと思ったところは譲らず、真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。なお『遠野物語』(現行版は角川ソフィア文庫)に折口の跋文(おくがき)がある。
柳田は、折口より12歳年上で、1945年(昭和20年)夏の敗戦時には、共に60歳を越えていた。戦後にのぞみ、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣藤井春洋の硫黄島玉砕という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的であり、敗戦の詔を聞くと四十日間喪に服し、自分の死ぬまで遺影前の供養を欠かさなかったという。第二次大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)で失った戦死者の鎮魂は大きな課題で、戦没者が生前に殉じる価値を見出そうとした皇国などといった概念も昭和天皇の人間宣言とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の神や魂といった問題意識は共有していて、折口はその問題を、晩年の論考「民族史観における他界観念」に収斂させていくこととなる。
柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、日本文化の起源に遡ろうとした帰納的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトやヨリシロという独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした演繹的な性格を持っていたとされる。
折口家は木津の願泉寺門徒の百姓であったが、曽祖父彦七の時から商家となり、生薬と雑貨を商った。
祖父の造酒(みき)ノ介はもと、大和の明日香村岡寺前の岡本善右衛門の八男であったが、同地の古社飛鳥坐(あすかにいます)神社の累代の神主家飛鳥助信の養子となった上で、折口家に養子として入り、医を本業として従来の家業を兼ねた。
父・秀太郎は河内国の名主の家の次男で、折口家の養子となり医を継いだ。信夫が生まれて7年のち双生児の弟が誕生するが、実は母こうが生んだのではなくて、同居する叔母ゆうと父の秀太郎との間に生まれたのであった。こうした家庭内の愛情にかかわる葛藤も、信夫の心に深い陰影を刻んだ。
長兄が医者の後を継いだ。
春のことぶれ 卒業する二兎人に
関連文献は数百冊あり、下記はあくまで一部、品切絶版を多く含む
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折口 信夫は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空と号した詩人・歌人でもあった。 折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク、「靄煙渓」とも)と名乗ったこともある。 歌人としては正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
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'''折口 信夫'''(おりくち しのぶ〈のぶを〉{{efn2|[[岩橋小弥太]]によると、本来の読み方は「'''のぶを'''」であって、國學院在籍時から「しのぶ」と名乗るようになったという<ref name="omoide">岩橋小弥太「折口信夫博士の思出」、『國學院雑誌』69巻11号(1968年11月) p.25</ref>。}}、[[1887年]]〈[[明治]]20年〉[[2月11日]] - [[1953年]]〈[[昭和]]28年〉[[9月3日]])は、[[日本]]の[[民俗学者]]、[[日本文学研究者|国文学者]]、[[日本語学者|国語学者]]であり、'''釈迢空'''(しゃく ちょうくう)と号した[[詩人]]・[[歌人]]でもあった。
折口の成し遂げた[[研究]]は、「'''[[折口学]]'''」と総称されている。[[柳田國男]]の高弟として[[民俗学]]の基礎を築いた。みずからの[[顔]]の青[[痣]](あざ){{efn2|この痣から、中学時代は「インキ婆々」というあだ名がついていた<ref name="omoide"/>。}}をもじって、'''靄遠渓'''(あい・えんけい=青インク、「'''靄煙渓'''」とも)と名乗ったこともある。
[[歌人]]としては[[正岡子規]]の「[[根岸短歌会]]」、後「[[アララギ]]」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。[[1924年]]([[大正]]13年)[[北原白秋]]と同門の[[古泉千樫]]らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
== 経歴==
[[画像:折口信夫生誕の地.jpg|thumb|200px|「折口信夫生誕の地」の碑と文学碑(大阪市浪速区敷津西1丁目)]]
[[1887年]]2月11日[[大阪府]][[西成郡]][[木津村 (大阪府)|木津村]](現:[[大阪市]][[浪速区]]敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの四男として生まれる。
[[1890年]]木津幼稚園に通う。[[1892年]]木津[[尋常小学校]](現在の[[大阪市立敷津小学校]])に入学する。[[1894年]]叔母えいから贈られた『東京名所図会』の見開きに初めて自作歌を記す。感謝の念篤く『古代研究』に、この叔母への献詞を載せている。
[[1896年]]大阪市南区竹屋町、育英[[高等小学校]]に入学する。[[1899年]]4月[[大阪府立天王寺高等学校|大阪府第五中学校(後の天王寺中学)]]に入学する。中学の同級生には[[武田祐吉]](国文学者)、[[岩橋小弥太]](国史学者)、[[西田直二郎]]などがいた。
[[1900年]]夏に[[大和]]の[[飛鳥坐神社]]を一人で訪れた折に、9歳上の[[浄土真宗]]の[[僧侶]]で仏教改革運動家である[[藤無染]](ふじ・むぜん)と出会って初恋を知ったという説がある。[[富岡多惠子]]によると、迢空という号は、このとき無染に付けられた愛称に由来している可能性<ref>[[富岡多惠子]]『釋迢空ノート』</ref>があるという。
[[1901年]]15歳になったこの年に父親から[[加藤千蔭|橘千蔭]]『万葉集略解』{{efn2|江戸後期の歌人加藤千蔭の筆名、1800年(寛政12年)『万葉集』二十巻を注釈した著述で、明治以降も度々刊行された。折口が読んだのは明治33年版。}}を買ってもらう<ref name="kodaiwoyuku"/>。『文庫』『新小説』に投稿した[[短歌]]一首ずつが入選する。
[[1902年]]成績が下がる。暮れに[[自殺]]未遂。[[1903年]]3月自殺未遂。作歌多し。
[[1904年]]3月卒業試験にて、[[英会話]]作文・[[幾何学|幾何]]・三角・[[物理]]の4科目で[[落第]]点を取り、原級にとどまる。この時の悲惨さが身に沁みたため、後年、教員になってからも、教え子に落第点は絶対につけなかった。同じく後年、天王寺中学から[[校歌]]の作詞を再三頼まれたが、かたくなに拒み続けたと伝えられる。大和に3度旅行した際、[[室生寺]]奥の院で自殺を図った若き日の[[釈契沖]]に共感、誘惑に駆られる。
[[1905年]]3月天王寺中学校を卒業する。[[医学]]を学ばせようとする家族の勧めに従って[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]]受験に出願する前夜、にわかに進路を変えて上京し、新設の[[國學院大學]]の[[予科]]に入学する。藤無染と同居する。この頃に約500首の短歌を詠む。
[[1907年]]國學院予科修了、本科[[国文科]]に進んだ。この時期國學院大學において[[国学者]][[三矢重松]]に教えを受け強い影響を受ける。また[[短歌]]に興味を持ち[[根岸短歌会]]などに出入りした。[[1910年]]7月國學院大學国文科を卒業する。[[卒業論文]]は「言語情調論」。[[1911年]]10月[[大阪府立今宮高等学校|大阪府立今宮中学校]]の嘱託教員(国漢担当)となる。
[[1912年]]8月[[伊勢]]、[[熊野]]の旅に出た。[[1913年]]12月「三郷巷談」を[[柳田國男]]主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。[[1914年]]3月今宮中学校を退職し、上京する。折口を慕って上京した生徒達を抱え、[[高利貸]]の金まで借りるどん底の暮らしを経験したという<ref>加藤守雄『わが師 折口信夫』118頁</ref>。
[[1916年]]國學院大學内に郷土研究会を創設する。この時30歳。『万葉集』全二十巻(4516首)の口語訳上・中・下を刊行する。[[1917年]]1月私立[[郁文館中学校]]教員となる。2月「[[アララギ]]」同人となり選歌欄を担当する。一方で、國學院大學内に郷土研究会を創設するなどして活発に活動する。[[1919年]]1月大學臨時代理講師となる。万葉辞典を刊行する。
[[1921年]]7~9月[[柳田國男]]から[[沖縄県|沖縄]]の話を聞き、最初の沖縄・壱岐旅行。[[1922年]]1月雑誌「白鳥」を創刊する。4月國學院大學[[教授]]となり、[[穂積忠]]の師匠となる<ref>{{コトバンク|穂積忠}}</ref>。
[[1923年]]6月[[慶應義塾大学文学部]]講師となる。第2回沖縄旅行。[[1924年]]1月亡師三矢重松の「源氏物語全講会」を遺族の勧めで再興する。後慶應義塾大学に移し没年まで続ける。またこの年には「アララギ」を去って[[北原白秋]]らと歌誌『[[日光]]』を創刊する。
[[1925年]]5月処女歌集『海やまのあひだ』を刊行。[[1927年]]6月國學院の学生らを伴い[[能登半島]]に採訪旅行し、[[折口春洋|藤井春洋]]の生家を訪う。[[1928年]]4月慶應義塾大学文学部教授となり芸能史を開講する。
1929年、[[川田順]]、[[斎藤茂吉]]、[[前田夕暮]]、[[松村英一]]、[[北原白秋]]らが設立した[[日本歌人協会]]([[東京市]][[本郷区]][[駒込]])の会員となる<ref>{{Citation|和書| author=| year=| url =https://dl.ndl.go.jp/pid/1077746/1/211| title=日本歌人協会| volume=| volume-title=文芸年鑑 昭和5年版| publisher= | page=409| quote=| ref =harv}}</ref>。
[[1932年]][[文学博士]]の称号を受ける。日本民俗協会の設立にかかわり、幹事となる。[[1935年]]11月大阪木津の折口家から[[分家]]する。第3回沖縄旅行。[[1940年]]4月國學院大學学部講座に「民俗学」を新設する。愛知県三沢の[[花祭 (霜月神楽)|花祭り]]、長野県新野雪祭りを初めて見る。
[[1941年]]8月中国へ旅し、北京にて講演を行う。12月8日[[太平洋戦争]]に突入、藤井春洋応召。1942年『天地に宣る』を出版。[[1944年]][[折口春洋|藤井春洋]]、硫黄島に着任。春洋を[[養嗣子]]として入籍。[[1945年]]3月大阪の生家が戦災により焼失する。大本営より藤井春洋の居る[[硫黄島の戦い|硫黄島の玉砕]]発表。8月15日敗戦の詔を聞くと箱根山荘に40日間籠もる。
[[1948年]]4月『古代感愛集』により[[日本芸術院賞]]を受賞<ref>「朝日新聞」1948年4月29日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、2頁。</ref>。12月第一回日本学術会議会員に選出。[[1949年]]7月能登一ノ宮に春洋との父子墓を建立する。[[1950年]]と翌51年は[[歌会始|宮中御歌会]]選者。
[[1953年]]7月初め[[箱根町|箱根仙石原]]の別荘<ref>没後に別荘は、國學院大學の厚生施設「叢隠居」に改修された。</ref>に行くも健康すぐれず。8月31日衰弱進み[[慶應義塾大学病院]]に入院する。9月3日[[胃癌]]により永眠。養子として迎えた春洋(戦死)とともに、[[気多大社]]がある[[石川県]][[羽咋市]]一ノ宮町に建立した墓に眠る。折口家の菩提寺[[願泉寺 (大阪市)|願泉寺]](大阪市)に分骨が納められている。
== 柳田國男との関係 ==
{{出典の明記|date=2011年9月22日 (木) 05:04 (UTC)|section=1|ソートキー=人1953年没}}
[[柳田國男]]との間には以下のようなエピソードがあった。
[[1915年]](大正4年)の『郷土研究』誌に載った[[論文]]で、互いに似通った折口と柳田の論文が前後して載せられるという[[事件]]があった。折口が昨年のうちに送ったものが採用されず、柳田の「柱松考」が3月号、折口の「髯籠の話」が4-5月号に載ったというものだが、それを後に振り返って折口が言った「先生の「柱松考」を先に見ていれば、わたしは「髯籠の話」など書かなかった」という言葉に、潔癖さ、厳しさが表れている。
そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「[[まれびと|マレビト]]」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である<ref>折口信夫『古代研究I』12~13頁</ref>。両者は[[国学]]発展の祖に当たる[[賀茂真淵]]・[[本居宣長]]と同じく、教えを受けながらも正当だと思ったところは譲らず、真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。なお『[[遠野物語]]』(現行版は[[角川ソフィア文庫]])に折口の跋文(おくがき)がある。
柳田は、折口より12歳年上で、[[1945年]](昭和20年)夏の[[敗戦]]時には、共に60歳を越えていた。戦後にのぞみ、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の[[日本人]]は[[桜]]の[[散華|花が散る]]ように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする[[民族]]が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、[[海]]に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣[[藤井春洋]]の[[硫黄島の戦い|硫黄島玉砕]]という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的であり、[[玉音放送|敗戦の詔]]を聞くと四十日間[[喪]]に服し、自分の死ぬまで[[遺影]]前の供養を欠かさなかったという。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]([[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]])で失った戦死者の[[鎮魂]]は大きな課題で、[[戦没者]]が生前に殉じる価値を見出そうとした[[皇国]]などといった概念も[[昭和天皇]]の[[人間宣言]]とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の[[神]]や[[魂]]といった問題意識は共有していて、折口はその問題を、晩年の論考「民族史観における他界観念」に収斂させていくこととなる<ref>折口信夫『古代研究I』14~20頁</ref>。
柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、[[日本文化]]の[[起源]]に遡ろうとした[[帰納]]的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトや[[依り代|ヨリシロ]]という独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした[[演繹]]的な性格を持っていたとされる。
== 人物 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2013年3月12日 (火) 20:17 (UTC)|ソートキー=人1953年没}}
{{出典の明記|date=2011年9月22日 (木) 05:04 (UTC)|section=1|ソートキー=人1953年没}}
* [[天文学者]]の[[萩原雄祐]]は府立今宮中学校時代に折口に師事したことで知られている。
* 中学校時代に出版されて間もない「[[国歌大観]]」を一夏掛け精読し、兄の友人であった[[加藤順三]]に「和歌の表現の至りつくしたのは、[[玉葉和歌集|玉葉集]]・[[風雅和歌集|風雅集]]ですよ。」と語った<ref>折口信夫『歌の話・歌の円寂する時 他一篇』解説[[岡野弘彦]](岩波文庫、2009年)</ref>。
* 少年期に3度[[自殺]]未遂を図っている。
* [[三島由紀夫]]の短篇『[[三熊野詣]]』に登場する国文学者の藤宮や<ref>『殉教』解説[[高橋睦郎]]([[新潮文庫]]、1982年、改版2004年)</ref><ref>[[佐藤秀明 (国文学者)|佐藤秀明]]『日本の作家100人 三島由紀夫』([[勉誠出版]]、2006年)</ref>、[[舟崎克彦]]の長篇『ゴニラバニラ』に登場する民俗学者の折節萎(おりふし・しぼむ)は折口がモデルといわれている。
* [[同性愛|同性愛者]]([[男色]]家)であり、以下のようなエピソードが伝わる。
** 折口は高弟の[[加藤守雄]]に同衾を強要しようとしたことがあった(未遂)。養子の[[折口春洋]](旧姓藤井)は家計をすべて預かり、事実上の[[配偶者]]だった。折口春洋の死後は、[[1947年]]から[[岡野弘彦]]が[[書生]]として同居し、死期を看取った。
** このような折口の[[性的指向]]に対して柳田は批判的で、折口の前で加藤に向かって「加藤君、牝鶏(おそらく鶏姦の意)になっちゃいけませんよ」と忠告した<ref>『わが師 折口信夫』 204-205頁には「土間に下りていた折口先生の表情がみるみる蒼白になった。じっとうつむいたまま、立ちすくんでいられる。…“柳田先生はいつもぼくをいじめなさる。ぼくのだいじにしている弟子を、みんなとってしまわれる”ほとんど泣きべそをかくような声であった」という記述がある</ref>こともある。
** 折口自身は「[[同性愛]]を[[変態性欲|変態]]だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」と述べている<ref>『わが師 折口信夫』 208頁。</ref>。
** 『口ぶえ』という、男子中学生同士の恋を叙情的に描いた若い頃の[[小説]]がある。
* 折口が主査となり博士号を授与した、[[西角井正慶]]、[[高崎正秀]]、[[藤野岩友]]、[[今泉忠義]]、[[大場磐雄]]の高弟五人を指して'''折口信夫の五博士'''という。各博士たちは、折口の学問を継承し、各自の分野において優れた業績を残した。「五博士」という言い方は、折口自身が言い始めた。大場磐雄による西角井正慶の追悼文(「西角井正慶さんのみたまにささげる詞」『芸能』第13巻第2号(通巻144号) 1971年2月)には、「先生(引用者注・折口信夫)によつて学位を頂き、先生から五博士と呼んで下さつた仲間」と書かれている。
* [[1931年]](昭和6年)に[[石川県立大聖寺高等学校|石川県立大聖寺高等女学校]]の校歌を手がけたことを皮切りに20数校の校歌及び[[國學院大學全學應援團|國大音頭]]の作詞を手がける<ref>[http://homepage2.nifty.com/55-gogo/sub5.html#校歌 東筑高校校歌について考える] 東京東筑53期の会ホームページ、[[福岡県立東筑高等学校]]の作詞については折口によるものではないという異説がある</ref>。
* 昭和の初め頃の数年間、[[コカイン]]を常用していた。そのために嗅覚がほとんど失われていた。「まれびと」や「日本文学の発生」といった初期の代表的論文はコカインを常用していた時期に執筆したものである<ref>『折口信夫の記』P230, 岡野弘彦、中央公論社, 1996、『折口信夫の晚年』P76ほか、岡野弘彦、中央公論社, 1977</ref>。
== 系譜 ==
折口家は木津の[[願泉寺]]門徒の[[百姓]]であったが、曽祖父彦七の時から[[商人|商家]]となり、[[生薬]]と[[雑貨]]を商った<ref name="『新潮日本文学アルバム 26 折口信夫』より">『新潮日本文学アルバム 26 折口信夫』より</ref>。
祖父の造酒ノ介(みきのすけ)は元、大和の[[明日香村]]岡寺前の岡本善右衛門の八男であったが、同地の古社である[[飛鳥坐神社]]の累代の[[神主|神主家]]飛鳥助信の[[養子]]となった上で、折口家に養子として入り、[[医師|医]]を本業として従来の家業を兼ねた。
父・秀太郎は[[河内国]]の[[庄屋|名主]]の家の次男で、折口家の養子となり医を継いだ。信夫が生まれて7年のち[[双生児]]の弟が誕生するが、実は母こうが生んだのではなくて、同居する[[叔母]]ゆうと父の秀太郎との間に生まれたのであった。こうした家庭内の愛情にかかわる葛藤も、信夫の心に深い陰影を刻んだ<ref name="『新潮日本文学アルバム 26 折口信夫』より"/>。
長兄が医者の後を継いだ<ref name="kodaiwoyuku">芳賀日出男『折口信夫と古代を旅ゆく』慶應義塾大学出版会 2009年</ref>。
{{chart/start|align=center|style=font-size:90%|summary=折口信夫の家系図}}
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{{chart/end}}
== 受賞歴 ==
* [[1948年]]([[昭和]]23年)、『古代感愛集』により昭和22年度[[日本芸術院賞]]受賞。
* [[1957年]](昭和32年)、第1期全集が昭和31年度[[恩賜賞 (日本芸術院)|日本芸術院恩賜賞]]受賞<ref>『朝日新聞』1957年2月28日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、11頁。</ref>。
== 著作 ==
=== 主な集成 ===
* 「'''折口信夫全集''' 新版」([[中央公論新社]](全37巻別巻3)、1995-2002年)
** 旧版「折口信夫全集」(全31巻別巻1)は3度刊行 - [[1970年代]]に[[中公文庫]]版が刊(度々再版)
* 「'''折口信夫全集 ノート編'''」(全18巻別巻1)、折口博士記念古代研究所編、中央公論社
** 「折口信夫全集 ノート編 ''' 追補編'''」(全5巻)- 併せて約18年かけ刊行
* 「折口信夫芸能史講義 戦後篇」 [[慶應義塾大学出版会]](上・下)、2015-2016年
*: 伊藤好英・藤原茂樹・池田光編、[[池田彌三郎|池田彌(弥)三郎]]による没年までの講義ノートを書籍化
* 「精選折口信夫I 異郷論・祭祀論」 岡野弘彦編・[[長谷川政春]]解題、慶應義塾大学出版会、2018-2019年
** 「同II 文学発生論・物語史論」、「同III 短歌史論・迢空短歌編」
** 「同IV 芸能史論」、「同V 随想ほか・迢空詩編」、「同VI アルバム」
* 「釋迢空短歌綜集」 [[河出書房新社]]、1987年
=== 著名な作品 ===
* [[海やまのあひだ]](歌集)
* [[春のことぶれ]](歌集)
* [[倭をぐな]](歌集)。短歌新聞社・文庫で再刊、1999年
* [[遠やまひこ]](歌集)
* [[山の端]](歌集)。「釋迢空詩集」[[思潮社]]〈[[現代詩文庫]]〉、初版1975年。新書版
* 口訳万葉集。[[河出書房新社]] ほか
* [[死者の書 (小説)|死者の書]] (小説)。「-・身毒丸」中公文庫(新版1999年) ほか
* '''古代研究''' [[中公クラシックス]](I-IV)で再刊
* 日本文学の発生序説
* かぶき讃(最晩年刊の著作)、中公文庫 2004年
* 日本芸能史六講(晩年の講義録)、[[講談社学術文庫]] 1991年
* 歌の円寂する時(歌論)
* 世々の歌びと(歌人論)
=== 天皇・神道論 ===
* 御即位式と大嘗祭と <ref>『歴史教育』第3巻第8号、歴史教育研究會。1928年12月</ref>
* [[金枝篇|穀物の神を殺す行事]]([[ジェームズ・フレイザー|フレイザー]]著、折口信夫訳) <ref>『土俗と伝説』第1巻第1-2号、文武堂。1918年8月</ref>
* 原始信仰 <ref>『郷土科学講座1』、郷土科学研究会。1931年9月</ref>
* 剣と玉 <ref>上代文化研究会公開講演会筆記</ref><ref>『上代文化』第7号、上代文化研究会。1931年12月</ref>
* 皇子誕生の物語 <ref>『東京日日新聞』、[[東京日日新聞社]]。1933年12月</ref>
* 大倭宮廷の剏業期 <ref>『[[改造 (雑誌)|改造]]』第14巻第1号、[[改造社]]。1933年1月</ref>
* 道徳の発生 <ref>『表現』第2巻第4号、表現社。1933年4月</ref>
; 戦後
* 神道の新しい方向 <ref>第一放送。1946年6月。</ref><ref>『民俗学の話』、共同出版社。1949年6月</ref>
* 神道宗教化の意義 <ref>関東地区神職講習会講演筆記。1946年8月</ref><ref>神社新報社、1947年10月</ref>
* 女帝考 <ref>『思索』第3号。1946年。</ref>
* 神道の友人よ <ref>『[[神社新報]]』第27号、[[神社新報社]]。1947年</ref>
* 民族教より人類教へ <ref>[[神社本庁]]創立満一周年記念講演会筆記</ref><ref>『神社新報』第27号、神社新報社。1947年</ref>
* 民族史観における他界観念 <ref>『古典の新研究』第1輯、角川書店。1952年10月</ref>
=== 近年の文庫判 ===
*「古代研究」 [[角川ソフィア文庫]](全6巻)、2016年12月-2017年5月、新版解説・安藤礼二。旧版は[[角川文庫]]
*「日本文学の発生序説」 角川ソフィア文庫、2017年6月、注解・[[井口樹生]]、新版解説・[[三浦雅士]]。同上
*「死者の書」 角川ソフィア文庫、2017年7月、注解・池田彌三郎、新版解説・持田叙子。同上
*「釈迢空全歌集」 岡野弘彦編、[[角川ソフィア文庫]]、2016年6月
*「釈迢空歌集」 [[富岡多惠子]]編、[[岩波文庫]]、2010年
*「折口信夫古典詩歌論集」 [[藤井貞和]]編、岩波文庫、2012年。13篇
*「歌の話・歌の円寂する時 他一篇」 岩波文庫、2009年。他は女流短歌史
*「死者の書・口ぶえ」 岩波文庫、2010年。注・解説安藤礼二
*「口訳万葉集」 [[岩波現代文庫]](上中下)、2017年。解説[[持田叙子]]
*「折口信夫 近代浪漫派文庫24」 [[新学社]]、2005年。[[歴史的仮名遣|歴史的仮名づかい]]で表記
*「折口信夫 1887-1953 [[ちくま日本文学]] 025」 [[筑摩書房]](文庫判)、2008年
*「折口信夫集 神の嫁 文豪怪談傑作選」 [[東雅夫]]編、ちくま文庫、2009年
*「折口信夫文芸論集」 [[安藤礼二]]編、[[講談社文芸文庫]]、2010年
*「折口信夫天皇論集」 安藤礼二編、講談社文芸文庫、2011年
*「折口信夫芸能論集」 安藤礼二編、講談社文芸文庫、2012年
*「古事記の研究」 中公文庫、2019年9月。解説[[三浦佑之]]
=== 代表歌 ===
春のことぶれ 卒業する二兎人に
* 道なかに人かへりみずたちつくす道祖神とわれとさびしと言はむ
* 櫻の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ 今昔秀歌百撰83。選者:山本直人(東洋大学講師)
* 葛の花踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり (海やまのあひだ)
* いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみをもぎはなちたり (海やまのあひだ)
* 水底に、うつそみの面わ沈透(シヅ)き見ゆ。來む世も、我の寂しくあらむ (海やまのあひだ)
=== その他 ===
* [[栃木県立茂木高等学校]]校歌 - 作詞
* [[福岡県立東筑高等学校]]校歌 - 作詞
* [[青森県立八戸工業高等学校]]校歌 - 作詞
* [[愛知県立瀬戸高等学校]]校歌 - 作詞
* [[石川県立羽咋高等学校]]校歌 - 作詞
* [[石川県立金沢二水高等学校]]校歌 - 作詞
* [[石川県立大聖寺高等学校]]校歌 - 作詞
* [[宮城県佐沼高等学校]]校歌 - 作詞
* [[宮城県塩釜高等学校]]前校歌 - 作詞
*[[霞ケ浦高等学校]]校歌- 作詞
== 主な評論・評伝 ==
関連文献は数百冊あり、下記はあくまで一部、品切絶版を多く含む
=== 門下生の回想・研究 ===
* [[池田彌三郎]]・[[加藤守雄]]・[[岡野弘彦]]編『折口信夫回想』 中央公論社、1968年
* 岡野弘彦『折口信夫伝 その思想と学問』 [[中央公論新社]]、2000年。[[ちくま学芸文庫]]、2020年。ISBN 4480099638
* 岡野弘彦『[[粉河寺]]の朝の少年折口』(解説「古代研究I 祭りの発生」)[[中公クラシックス]]、2002年
* 岡野弘彦『最後の弟子が語る 折口信夫』 [[平凡社]]、2019年。ISBN 4582838103
* [[西村亨]]『折口信夫とその古代学』 中央公論新社、1999年
* 西村亨『折口名彙と折口学』 桜楓社、1985年
* [[塚崎進]]『釈迢空・折口信夫の人生』 桜楓社、1987年
* [[加藤守雄]]『折口信夫伝 釈迢空の形成』 [[角川書店]]、1979年 評伝研究
* [[池田彌三郎]]・加藤守雄『迢空・折口信夫研究』 角川書店、1973年 対話集
*『池田彌三郎著作集(7) 折口信夫研究』 角川書店、1979年
* 池田彌三郎『私説折口信夫』 [[中公新書]]、1972年 入門書
* 池田彌三郎編『日本民俗文化大系(2) 折口信夫 まれびと論』 [[講談社]]、1978年 著作抜粋と解説
* 池田彌三郎『まれびとの座 折口信夫と私』 中央公論社、1961年。中公文庫、1977年 回想記・日記
* 池田彌三郎『わが幻の歌びとたち 折口信夫とその周辺』 [[角川学芸出版|角川選書]]、1978年。オンデマンド版2009年 日記
* 池田彌三郎『孤影の人 折口信夫と釈迢空のあいだ』 [[旺文社文庫]]、1981年
* 池田彌三郎・谷川健一『柳田国男と折口信夫』 思索社、1980年。岩波同時代ライブラリー、1994年 対話集
*『折口信夫事典』 西村亨編、[[大修館書店]]、1988年、増補版1998年。ISBN 4469012580
*『迢空・折口信夫事典』 有山大五・石内徹・馬渡憲三編、[[勉誠出版]]、2000年2月、ISBN 458506012X
*『折口信夫・釈迢空 その人と学問』 [[國學院大學]]折口博士記念古代研究所・[[小川直之]]編
*:[[おうふう]]、2005年。ISBN 4273033631 没後50年記念出版、9名10編の論考
=== 論考集 ===
*『折口信夫 日本文学研究資料叢書』 同刊行会編・有精堂出版、1972年、新版1989年
*『現代詩手帖 臨時増刊 特集折口信夫・釋迢空』1973年6月号、思潮社 - [[鷲巣繁男]] [[高橋睦郎]] [[伊藤幹治]]ほか
*『[[角川学芸出版|短歌 臨時増刊号]] 迢空・折口信夫特集』1973年11月号、角川書店 - [[馬場あき子]] [[伊馬春部]] [[宮柊二]]ほか
*『折口信夫 人と思想』 谷川健一編、三一書房、1974年 - 諸家の論考・討論
*『折口信夫 文芸読本』河出書房新社、1976年、新版1984年 - [[室生犀星]] [[山本健吉]] [[前登志夫]]ほか
*『[[現代思想 (雑誌)|現代思想]] 生誕100年記念総特集 折口信夫』臨時増刊1987年3月号、[[青土社]] - [[川村二郎]] [[佐藤正英]]ほか
*『別冊国文学 折口信夫必携』 岡野弘彦・西村亨編、学燈社、1987年5月、新版1993年
*『柳田国男と折口信夫 学問と創作の間 日本文学研究資料新集』 [[高橋広満]]編・有精堂出版、1989年
*『[[谷川健一]]全集 第十九巻 人物二 折口信夫 ほか』 [[冨山房]]インターナショナル、2008年3月。ISBN 4902385546
*『現代思想 総特集 折口信夫』臨時増刊2014年4月号、青土社 - 安藤礼二 藤井貞和 [[小松和彦]]ほか
=== 主に文学者たちの評伝研究 ===
*「折口信夫対話」(全3巻)、池田彌三郎・加藤守雄ほか編、角川選書、1975〜1978年
*:『1 日本の詩歌』、『2 古典と現代』、『3 万葉集輪講』- [[谷崎潤一郎]]、[[川端康成]]等との対談など
**『折口信夫対話集』 安藤礼二編・解説、講談社文芸文庫、2013年。ISBN 4062901978
* [[戸板康二]]『折口信夫坐談』 中央公論社、1972年 のち中公文庫 - 折口の片言隻句を記述
* [[山本健吉]]『釈迢空』 角川選書、1972年 - 弟子の一人
* [[穂積生萩]] 『私の折口信夫』 中公文庫、2001年
* [[山折哲雄]] 『物語の始原へ 折口信夫の方法』 小学館、1997年
* 山折哲雄・穂積生萩 『執深くあれ 折口信夫のエロス』 [[小学館]]、1997年11月。ISBN 4096261165 - 対話集
* [[藤井貞和]] 『折口信夫の詩の成立 詩形/短歌/学』 中央公論新社、2000年 ISBN 4120030121
* 藤井貞和 『釈迢空 詩の発生と<折口学>私領域からの接近』 [[講談社学術文庫]]、1994年
* [[吉増剛造]] 『生涯は夢の中径 折口信夫と歩行』 [[思潮社]]、1999年
* [[富岡多恵子]] 『釋迢空ノート』 岩波書店、2000年10月、[[岩波現代文庫]]、2006年7月。ISBN 4006021062
* 富岡多恵子・安藤礼二 『折口信夫の青春』 ぷねうま舎、2013年。ISBN 4906791166
* [[安藤礼二]] 『神々の闘争 折口信夫論』 [[講談社]]、2004年。ISBN 4062126907
* 安藤礼二 『折口信夫』 講談社、2014年。ISBN 4062192047
* [[持田叙子]] 『歌の子詩の子、折口信夫』 [[幻戯書房]]、2016年。ISBN 4864881073
* 持田叙子『折口信夫 秘恋の道』慶應義塾大学出版会、2018年
* 伊藤好英 『折口信夫 民俗学の場所』 勉誠出版、2016年。ISBN 4585230475
* [[辰巳正明]] 『折口信夫 東アジア文化と日本学の成立』 [[笠間書院]]、2007年。ISBN 4305703556
* 奈良橋善司 『釈迢空 折口信夫論』 おうふう、2003年
* 石内徹 『折口信夫 日本の作家100人、人と文学』 [[勉誠出版]]、2003年8月。ISBN 4585051635
* 木村純二 『折口信夫 いきどほる心 再発見日本の哲学』 講談社、2008年/講談社学術文庫、2016年
* [[上野誠]]『魂の古代学 問いつづける折口信夫』 [[新潮選書]]、2008年
**『折口信夫 魂の古代学』 角川ソフィア文庫、2014年。ISBN 4044092141
* 上野誠『折口信夫的思考 越境する民俗学者』青土社、2018年。ISBN 4791771184
* [[林浩平]]『折口信夫 霊性の思索者』 [[平凡社新書]]、2009年。ISBN 4582855032
* [[植村和秀]]『折口信夫 日本の保守主義者』 [[中公新書]]、2017年。ISBN 4121024583
* [[斎藤英喜]]『折口信夫 神性を拡張する復活の喜び』[[ミネルヴァ書房]]〈[[ミネルヴァ日本評伝選|日本評伝選]]〉、2019年
====その他====
*『折口信夫紀行 武田太郎写真集』風書房、1974年
**『折口信夫の世界 回想と写真紀行』 芸能学会編、岩崎美術社、1992年。増訂版
*『折口信夫と古代を旅ゆく』 [[芳賀日出男]]写真・解説、慶應義塾大学出版会、2009年
**『写真でみる折口信夫の世界』 芳賀日出男、[[角川学芸出版]]〈角川ソフィア文庫〉、2017年
*『ビデオ・学問と情熱17 折口信夫』 岡野弘彦監修 [[紀伊國屋書店]]、2000年
**DVD版『学問と情熱 折口信夫 人間を深く愛する神ありて』 同上、2007年
*『精選折口信夫VI アルバム』 岡野弘彦編、國學院大學折口博士記念古代研究所監修、慶應義塾大学出版会、2019年
== 折口信夫が登場する作品 ==
; 小説
* 『[[猿丸幻視行]]』([[井沢元彦]])
* [[大塚英志]]『[[木島日記]]』(角川書店:2000年7月15日初版発行〈2000年7月14日発売〉 ISBN 4-04-873234-X<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/199999873234/ |title=「木島日記」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>、角川文庫:2003年3月25日発売 ISBN 4-04-419112-3<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200103000641/ |title=「木島日記」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>、角川文庫改版:2017年9月23日発売 ISBN 978-4-04-106268-5<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000584/ |title=「木島日記」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>。初出はKADOKAWAミステリ1999年11月号、12月号、2000年1月号、3月号〜5月号) - 第22回[[吉川英治文学新人賞]]候補作。
* [[大塚英志]]『[[木島日記]] 乞丐相』(角川書店:2001年11月10日初版発行〈2001年11月16日発売〉 ISBN 4-04-873327-3<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200000000239/ |title=「木島日記 乞丐相」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>、角川文庫:2004年3月25日発売 ISBN 4-04-419118-2<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200301000491/ |title=「木島日記 乞丐相」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>、角川文庫改版:2017年9月23日発売 ISBN 978-4-04-106269-2<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000585/ |title=「木島日記 乞丐相」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>。初出はKADOKAWAミステリ2000年12月号〜2001年6月号) - 巻末に「キャラクターファイル」が収録されている。
* [[大塚英志]]『[[木島日記]] もどき開口』(角川書店:2017年11月2日発売 ISBN 978-4-04-104221-2<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/321601000157/ |title=「木島日記 もどき開口」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>。初出は『[[怪 (ムック)|怪]]』vol.0026〈2009年4月〉~vol.0047〈2016年3月〉)
* [[大塚英志]]『[[木島日記]] うつろ舟』(星海社:2022年7月28日発売 。初出は『KADOKAWAミステリ』2002年4〜5、7〜11月号、2003年1、3月号)
* [[大塚英志]]『[[木島日記]] もどき開口』 上巻(星海社:2023年4月25日発売 ISBN 978-4065316207 <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seikaisha.co.jp/information/2023/04/16-post-modoki-1.html |title=「木島日記 もどき開口 上巻」 大塚 英志 - 星海社 |accessdate=2023/04/25 |publisher=星海社}}</ref>。初出は角川書店。巻末にスピンオフ新作「根津しんぶん」収録)
* [[大塚英志]]『[[木島日記]] もどき開口』 下巻(星海社:2023年4月25日発売 ISBN 978-4065316214 <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seikaisha.co.jp/information/2023/04/16-post-modoki-2.html |title=「木島日記 もどき開口 下巻」 大塚 英志 - 星海社 |accessdate=2023/04/25 |publisher=星海社}}</ref>。初出は角川書店。巻末に初期設定小説「人喰い異聞」収録)
; 漫画
* [[大塚英志]]・原作 + [[森美夏]]・画『[[木島日記]]』 新装版:角川書店([[角川コミックス・エース]]、装幀:[[鈴木成一]])、全3巻
** 上:2009年4月28日発行 ISBN 978-4-04-715161-1<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200809000354/ |title=「木島日記 上」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>
** 中:2009年4月28日発行 ISBN 978-4-04-715196-3<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200809000355/ |title=「木島日記 中」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>
** 下:2009年4月28日発行 ISBN 978-4-04-715227-4<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kadokawa.co.jp/product/200809000356/ |title=「木島日記 下」 大塚 英志 - KADOKAWA |accessdate=2022/01/30 |publisher=KADOKAWA}}</ref>
* 『[[月に吠えらんねえ]]』([[清家雪子]])全11巻 講談社
== 脚注 ==
;注釈
{{notelist2}}
;出典
{{reflist|2}}
=== 主な引用文献 ===
*『新潮日本文学アルバム26 折口信夫』 岡野弘彦解説、[[新潮社]]、1985年 - 入門書
* 加藤守雄『わが師 折口信夫』 [[文藝春秋]]、1967年。朝日文庫、1991年12月 - 回想
* [[岡野弘彦]]『折口信夫の晩年』 中央公論社、1969年。[[中公文庫]]、1977年・復刊1991年。[[慶應義塾大学出版会]]、2017年
* 岡野弘彦『折口信夫の記』 中央公論社、1996年
== 関連項目 ==
* [[迢空賞]]
* [[三田文学]]
* [[伊馬春部]]
* [[澤木四方吉]]
* [[角川源義]]
* [[貴種流離譚]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Shinobu Orikuchi}}
{{ウィキポータルリンク|民俗学|[[画像:WLM logo-2.svg|34px|Portal:民俗学]]}}
* [http://www.horagai.com/www/who/050orik1.htm 折口信夫:作家事典]
* {{青空文庫著作者|933|折口 信夫}}
* [http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000058306.html 大阪市:大阪市文学碑]
** [http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000058/58306/11_origuti.pdf 折口 信夫文学碑(PDF形式, 155.92KB)]
** [http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000058/58306/11_itizu.pdf 位置図(PDF形式, 61.55KB)]
* [http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000863.html 大阪市浪速区:「折口信夫(おりくちしのぶ)生誕の地」の碑と文学碑 ]
* [https://www.city.hakui.lg.jp/kankou/kankoushisetsu/4919.html 折口信夫(おりくちしのぶ)父子 ゆかりの地]/[[羽咋市|羽咋市公式ホームページ]]
* {{Wayback |url=http://www.podcast.tv/video-podcasts/「折口信夫、戦争と平和」-折口信夫会-多摩美術大学芸術人類学研究所共催シンポジウム-89126.html |title=「折口信夫、戦争と平和」 折口信夫会+多摩美術大学芸術人類学研究所共催シンポジウム - Higher Education Video Podcast - Podcast.tv |date=20150108150650 }}
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[[Category:折口信夫|*]]
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[[Category:日本のLGBTの著作家]]
[[Category:LGBTの詩人]]
[[Category:ゲイの学術関係者]]
[[Category:日本藝術院賞受賞者]]
[[Category:國學院大學の教員]]
[[Category:慶應義塾大学の教員]]
[[Category:日本の中等教育の教員]]
[[Category:日本文学報国会の人物]]
[[Category:大阪府立天王寺高等学校出身の人物]]
[[Category:國學院大學出身の人物]]
[[Category:大阪市出身の人物]]
[[Category:胃癌で亡くなった人物]]
[[Category:1887年生]]
[[Category:1953年没]]
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2023-12-10T21:44:39Z
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秋元千賀子
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秋元 千賀子(あきもと ちかこ、1949年12月17日 - )は、日本の女性声優。北海道出身。Ritrovo所属。
テレビタレントセンター卒業。
以前は黒沢良事務所、同人舎プロダクション、オフィス薫に所属していた。
2023年に第17回声優アワードの功労賞を受賞。
声種はアルト(格調高く気品のある声)。
趣味・特技は日本舞踊(水木流)、茶道(裏千家)、旅行、水泳。
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秋元 千賀子は、日本の女性声優。北海道出身。Ritrovo所属。
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'''秋元 千賀子'''(あきもと ちかこ、[[1949年]][[12月17日]]<ref name="ritrovoprof" /><ref>{{Cite book|和書|author=|title=芸能手帳タレント名簿録Vol.29('94〜'95)|page=12|publisher=連合通信社・[[音楽専科社]]|isbn=|date=1994}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=|title=出演者名簿(1995年版)|page=11|publisher=[[著作権情報センター]]|isbn=|date=1994}}</ref> - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[北海道]]出身<ref name="ritrovoprof" />。Ritrovo所属<ref name="ritrovoprof" />。
== 来歴 ==
[[テレビタレントセンター]]卒業<ref name="声優の世界">{{Cite book|和書|author=|title=声優の世界-アニメーションから外国映画まで |series = [[ファンタスティックコレクション]]別冊|page=68|publisher=[[朝日ソノラマ]]|isbn=|date=1979-10-30}}</ref>。
以前は黒沢良事務所{{R|声優の世界}}、[[同人舎プロダクション]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑 アニメーションから洋画まで…|page=8|publisher=[[近代映画社]]|isbn=|year=1985}}</ref>、[[オフィス薫]]<ref>{{Cite book |和書 |title=声優名鑑 |publisher=[[成美堂出版]] |page=11 |date=1999-08-10 |isbn=4-415-00878-X}}</ref>に所属していた。
[[2023年]]に第17回[[声優アワード]]の功労賞を受賞。
== 人物 ==
[[音域#人声の音域|声種]]は[[アルト]](格調高く気品のある声){{R|声優の世界}}。
趣味・特技は[[日本舞踊]](水木流)、[[茶道]]([[裏千家]])、[[旅行]]、[[水泳]]{{R|声優の世界}}。
== 出演 ==
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1971年 |
* [[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]([[花沢花子]]〈2代目〉<ref>{{Cite web2|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=7321|title=サザエさん|アニメ歴代声優一覧・キャラクター・登場人物・最新情報一覧|website=[[アニメイトタイムズ]]|date=2023-10-31|accessdate=2023-11-01}}</ref>)
| 1974年 |
* [[ゼロテスター|ゼロテスター 地球を守れ!]](荒石ゴーの母)
| 1977年 |
* [[一発貫太くん]](戸馳一郎{{R|一発貫太くん}})
* [[超合体魔術ロボ ギンガイザー]](母)
* [[ドカベン]](女中)
| 1978年 |
* [[宝島 (テレビアニメ) |宝島]]
* [[魔女っ子チックル]] (岩田トラ子)
| 1979年 |
* [[ベルサイユのばら]](1979年 - 1980年)
| 1980年 |
* [[無敵ロボ トライダーG7]](竹尾加代〈2代目〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.sunrise-inc.co.jp/trider-g7/staff/takeo_family.html#002 | title = 社員紹介 |website = 竹尾ゼネラルカンパニーWebサイト | publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド) |サンライズ]] | accessdate = 2022-03-17}}</ref>、恵子)
| 1981年 |
* [[おはよう!スパンク]]
| 1982年 |
* [[南の虹のルーシー]](ジェーン・マック)
* [[野生のさけび]]
| 1986年 |
* [[ロボタン]](雨森寛子)
| 1991年 |
* [[トラップ一家物語]](ロッテ・レーマン)
* [[わたしとわたし ふたりのロッテ]](ワイゲンターラー)
| 1992年 |
* [[クッキングパパ]](初子、伊藤校長)
* [[フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ]](主婦、ヴェルシュ)
| 1994年 |
* [[ツヨシしっかりしなさい]](校長)
* [[ファージングウッドのなかまたち]](フクロウ女史)
| 1996年 |
* [[スレイヤーズ (アニメ)#スレイヤーズNEXT|スレイヤーズNEXT]](アクアばあちゃん)
| 1997年 |
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1997年 - 2011年、児島郁子、香保里の母、[[佐藤美和子|美和子]]の母、犬伏考子)
| 1998年 |
* [[MASTERキートン]](新庄のおばさん、女性)
| 1999年 |
* [[週刊ストーリーランド]](ナレーション)
* [[∀ガンダム]](ジェシカ)
| 2001年 |
* [[逮捕しちゃうぞ (アニメ)#第2期|逮捕しちゃうぞ SECOND SEASON]](岸田)
* [[ちっちゃな雪使いシュガー]](レジーナ)
| 2002年 |
* [[OVERMANキングゲイナー]](店員)
* [[超重神グラヴィオン]](おばちゃん)
* [[ぴたテン]](婦長)
| 2011年 |
* [[よんでますよ、アザゼルさん。]](ゼルエル母)
}}
=== OVA ===
* [[ダーティペア (アニメ)|ダーティペア]](1987年、マダム・バー)
* [[超時空世紀オーガス|超時空世紀オーガス02]](1993年、シル)
* [[機動戦士ガンダム THE ORIGIN]](2015年 - 2016年、高等弁務官)<!-- 2015-10-31 -->
=== 劇場アニメ ===
* [[機動戦士ガンダム#劇場版三部作|機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 特別版]](2000年、コーリン育児官)
* [[∀ガンダム|劇場版∀ガンダムI 地球光]](2002年、ジェシカ)
* 劇場版∀ガンダムII 月光蝶(2002年、ジェシカ)
* [[東のエデン|東のエデン 劇場版II Paradise Lost]](2010年、飯沼千草)
=== ドラマCD ===
* [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ|新世紀GPXサイバーフォーミュラ PICTURELAND 3 ファースト・ラブ、ネバー・ラブ]](グーデリアンの母)
=== 吹き替え ===
==== 洋画 ====
* [[アイランド (1980年の映画)|アイランド]] ※テレビ朝日版
* [[ギルバート・グレイプ]](ボニー・グレイプ〈[[ダーレン・ケイツ]]〉)
* [[キンキーブーツ]]
* [[偶然の恋人]](ドナ〈[[キャロライン・アーロン]]〉)
* [[ゴースト/ニューヨークの幻]](ローザ・サンティアゴ〈[[アンジェリカ・エストラーダ]]〉)※ソフト版
* [[氷の接吻]]
* [[ゴールデン・チャイルド]] ※テレビ朝日版
* [[サルバドル/遥かなる日々]](キャシー・ムーア〈[[シンシア・ギブ]]〉)※フジテレビ版
* [[シザーハンズ]](ティンカー〈[[スーザン・ブロンマート]]〉)※ソフト版
* [[シティ・オブ・ジョイ]]
* [[シャーロック・ホームズの素敵な挑戦]](マダム〈[[レジーヌ]]〉)
* [[ジュマンジ]](マーサ・シェパード、トーマス夫人〈[[ジリアン・バーバー]]〉)※VHS・旧盤DVD版
* [[新シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険]]
* [[スウィーニー・トッド (映画)|スウィーニー・トッド]](ラヴェット夫人〈[[ジョアンナ・ラムレイ]]〉)
* [[ゼイリブ]]
* [[セクレタリアト/奇跡のサラブレッド]](ミス・エリザベス・ハム〈[[マーゴ・マーティンデイル]]〉)
* [[タイタンの戦い (2010年の映画)|タイタンの戦い]](グライアイの魔女)
* [[ダーティハリー5]]
* [[月の輝く夜に]](ナンシー)※JAL機内上映版
* [[トワイライトゾーン/超次元の体験]]
* [[摩天楼はバラ色に]](ジーン〈[[キャロル・アン・スージー]]〉)※フジテレビ版(思い出の復刻版BD収録)
* [[ハード・ターゲット]] ※フジテレビ版
* [[バトルランナー (映画)|バトルランナー]](アグネス・マッカードル夫人〈[[ドナ・ハーディ]]〉) ※フジテレビ版(BD収録)
* [[ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀]] ※TBS版
* [[星の王子 ニューヨークへ行く]] ※ソフト版
* [[ホーム・アローン]](レスリー・マカリスター〈[[テリー・スネル]]〉)※ソフト版
* [[ホーム・アローン2]](レスリー・マカリスター〈テリー・スネル〉)※フジテレビ版
* [[マレーナ]]
* [[ミシシッピー・バーニング]] ※ソフト版
* [[めぐり逢えたら]](バーバラ・リード〈[[ルクランシェ・デュラン]]〉)※フジテレビ版
* [[猛獣大脱走]]
* [[ラットレース (映画)|ラットレース]](リス売り〈[[キャシー・ベイツ]]〉)
* [[レナードの朝]](ローズ)※ソフト版
* [[レプリカント (映画)|レプリカント]](ミセス・ライリー〈[[パム・ハイアット]]〉)※ソフト版
* [[ローズ家の戦争]](スーザン〈[[マリアンネ・ゼーゲブレヒト]]〉)※テレビ版
* [[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]](ペギー〈[[エイミー・ライダー]]〉)※ビデオ版
==== 海外ドラマ ====
* [[ER緊急救命室]]
** シーズン3 #1(ケラー〈[[カレン・ヘンセル]]〉)
** シーズン4 #6(マーシュ)
** シーズン15 #7(バーサ・メンデンホール〈[[ダイアナ・ダグラス]]〉)
* [[イヴのすべて]](ソン・ジョンスク〈[[パク・ウォンスク]]〉)
* [[コールドケース 迷宮事件簿|コールドケース6]]
* [[シンデレラマン (テレビドラマ)|シンデレラマン]](カン会長)
* [[フルハウス (アメリカ合衆国のテレビドラマ)|フルハウス]](ミンディ)
==== 海外アニメ ====
* [[バットマン (アニメ)|バットマン]]
* [[101匹わんちゃん (TVシリーズ)]](ナニー)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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<ref name="一発貫太くん">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-04 | publisher=[[タツノコプロ]] | title=作品データベース | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/ippatsu_kantakun.html}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* [https://ritrovo-japan.site/%E6%89%80%E5%B1%9E%E4%BF%B3%E5%84%AA/%E7%A7%8B%E5%85%83%E5%8D%83%E8%B3%80%E5%AD%90/ ritrovoによる公式プロフィール]
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[[Category:日本の女性声優]]
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[[Category:過去のぷろだくしょん★A組所属者]]
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秋元羊介
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秋元 羊介(あきもと ようすけ、1944年2月5日 - )は、日本の声優、俳優。東京都出身。オフィスPAC所属。
法政大学経済学部卒業後、文学座養成所6期を経て1971年より三朋プロダクション(現:新倉事務所)に所属し、『砲艦サンパブロ』の吹き替えでデビュー。1974年に荻事務所、1977年に山口事務所への移籍を経て、1982年から2015年11月まで江崎プロダクション(現・マウスプロモーション)に所属していた。2015年12月よりオフィスPACに所属。
かつては俳優としても時代劇・現代劇を問わず、さまざまな作品に出演しており、宣弘社作品の常連でもあった。
太めの声で下町の親父から悪役のボス役を演じる。
趣味はスポーツ、トレーニング。オートバイ歴は約30年。
『機動武闘伝Gガンダム』の東方不敗マスター・アジアにはかなりの思い入れがある。コスパのラジオCMにも『Gガンダム』でドモン・カッシュ役を演じた関智一と共に出演している。これはコスパ運営会社のタブリエ・コミュニケーションズの取締役・やまけんが同作品の大ファンということから実現したパロディCMである。
今川泰宏の関わっている作品の多くに出演しており、前述の東方不敗や衝撃のアルベルトなど、今川作品における重要な役所を多く担っている。
太字はメインキャラクター。
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秋元 羊介は、日本の声優、俳優。東京都出身。オフィスPAC所属。
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{{声優
| 名前 = 秋元 羊介
| ふりがな = あきもと ようすけ
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| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 田鹿 幸雄<ref>{{Cite book|和書|year=1999|title=声優名鑑|page=331|publisher=成美堂出版|isbn=978-4415008783}}</ref>{{R|岩佐}}<br />(たじか ゆきお)<ref>{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 |edition=第二版|page=12|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn = 4-87376-160-3}}</ref>
| 愛称 =
| 性別 = [[男性]]
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| 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]]{{R|岩佐|vip-times}}<ref name="PAC">{{Cite web|和書|url=http://www.office-pac.jp/talent/profile/?id=akimoto-y|title=秋元羊介|オフィスPAC|accessdate=2019-08-27}}</ref>
| 死没地 =
| 生年 = 1944
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| 事務所 = [[オフィスPAC]]{{R|PAC}}
| 配偶者 = あり
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| 公式サイト = [http://www.office-pac.jp/talent/profile/?id=akimoto-y 秋元羊介|オフィスPAC]
| 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M93-0053|title=秋元 羊介|work=日本タレント名鑑|accessdate=2023-02-11}}
| ref2name = vip-times
| 身長2 = 172{{R|PAC}}
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}}{{声優/活動
| 職種 = 俳優
| 活動名義 =
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'''秋元 羊介'''(あきもと ようすけ、[[1944年]][[2月5日]]{{R|岩佐|vip-times}}<ref>{{Cite book|和書|year=2004|title=日本音声製作者名鑑2004 |volume=vol.1|page=10|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4095263014}}</ref> - )は、[[日本]]の[[声優]]、[[俳優]]。[[東京都]]出身{{R|岩佐|PAC|vip-times}}。[[オフィスPAC]]所属{{R|PAC}}。
== 経歴 ==
[[法政大学]][[経済学部]]卒業{{R|岩佐|mause}}後、[[文学座]]養成所6期を経て[[1971年]]より三朋プロダクション(現:新倉事務所)に所属し{{R|mause}}、『[[砲艦サンパブロ]]』の吹き替えでデビュー{{R|ANIME}}。[[1974年]]に荻事務所、[[1977年]]に山口事務所への移籍を経て、[[1982年]]から2015年11月まで江崎プロダクション(現・[[マウスプロモーション]])に所属していた{{R|mause}}。2015年12月より[[オフィスPAC]]に所属{{R|PAC}}。
かつては俳優としても[[時代劇]]・現代劇を問わず、さまざまな作品に出演しており、[[宣弘社]]作品の常連でもあった。
== 人物 ==
太めの声で下町の親父から[[悪役]]のボス役を演じる<ref>{{Cite book |和書 |title=日本音声製作者名鑑2007 |publisher=[[小学館]] |page=12 |date=2007-03-25 |isbn=978-4-09-526302-1}}</ref>。
趣味は[[スポーツ]]{{R|PAC}}、トレーニング{{R|vip-times}}。[[オートバイ]]歴は約30年。
『[[機動武闘伝Gガンダム]]』の[[東方不敗マスター・アジア]]にはかなりの思い入れがある。[[コスパ]]のラジオ[[コマーシャルメッセージ|CM]]にも『Gガンダム』で[[ドモン・カッシュ]]役を演じた[[関智一]]と共に出演している。これはコスパ運営会社の[[タブリエ・コミュニケーションズ]]の取締役・[[やまけん]]が同作品の大ファンということから実現したパロディCMである。
[[今川泰宏]]の関わっている作品の多くに出演しており、前述の東方不敗や衝撃のアルベルトなど、今川作品における重要な役所を多く担っている。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1983年 |
* [[コブラ (アニメ)#スペースコブラ|スペースコブラ]]
| 1984年 |
* [[よろしくメカドック]](三堀)
| 1985年 |
* [[ダーティペア (アニメ)|ダーティペア]](マツモト)
* [[タッチ (漫画)|タッチ]](1985年 - 1986年、監督、上村、勢南の監督、教師A)
| 1986年 |
* [[マシンロボ クロノスの大逆襲]]('''ガルディ''')
| 1987年 |
* [[アニメ三銃士]](座長)
* [[エスパー魔美]](1987年 - 1989年、銀河王、プロデューサー)
* [[機甲戦記ドラグナー]](ロイ、艦長)
* [[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]](1987年 - 1988年、スネーク、友村、高原) - 2シリーズ{{Ras|第1作(1987年)、第2作『2』(1988年)}}
* [[北斗の拳2]](ボルツ)
| 1988年 |
* [[グリム名作劇場]](騎士)
* [[闘将!!拉麵男]](犬操)
* [[のらくろクン]](民宿の主人)
| 1989年 |
* [[美味しんぼ]](1989年 - 1993年、理事A、永田先生、審査員A) - 1シリーズ + 特別編1作品
* [[昆虫物語 みなしごハッチ]](ビード、ウスバカゲロウ、アレイの父)
* [[獣神ライガー]](おじいさん)
* [[それいけ!アンパンマン]](1989年 - 1994年、ドーナツマン〈初代〉、トンガラシ〈代役〉)
* [[魔動王グランゾート]](世界樹)
* [[ミスター味っ子]](源一)
* [[ミラクルジャイアンツ童夢くん]](有田修三)
* [[ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!]](運転手)
| 1990年 |
* [[雲のように風のように]](亥野)
* [[ジャングル大帝]](スコット)
* [[魔法のエンジェルスイートミント]](スピッツ、アナウンサー、カントク、ポリスマン)
* [[ルパン三世 ヘミングウェイ・ペーパーの謎]]
| 1991年 |
* [[絶対無敵ライジンオー]](飛鳥の父)
* [[21エモン]](キャプテン)
* [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]](船長)
* [[ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え]](海辺首相)
* [[わたしとわたし ふたりのロッテ]](ベルナウ編集長)
| 1992年 |
* [[ルパン三世 ロシアより愛をこめて]]
| 1993年 |
* [[ジャングルの王者ターちゃん]](王翬、ミスターR)
* [[若草物語 ナンとジョー先生]](フリッツ・ベア先生<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1658/| title = 若草物語 ナンとジョー先生| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-23}}</ref>)
| 1994年 |
* [[機動武闘伝Gガンダム]](1994年 - 1995年、ナレーション、ストーカー、'''[[東方不敗マスター・アジア|マスター・アジア]]'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.g-gundam.net/chara/16.html |title=CHARACTER キャラクター紹介|publisher=『機動武闘伝Gガンダム』 公式サイト|accessdate=2021-09-02}}</ref>)
* [[魔法騎士レイアース]](村長)
| 1995年 |
* [[行け!稲中卓球部]](一条雄大、神父)
* [[怪盗セイント・テール]](大倉)
* [[鬼神童子ZENKI]](護人)
* [[NINKU -忍空-]](緑川)
* [[忍たま乱太郎]](1995年 - 2001年、和尚、ドクタケ城主〈代役〉、根津見中太郎、主人、たまちゃんの父親、ドクタケ忍者)
* [[バーチャファイター (アニメ)|バーチャファイター]](モレノ)
| 1996年 |
* [[スレイヤーズNEXT]](セイグラム)
* [[逮捕しちゃうぞ (アニメ)|逮捕しちゃうぞ]](1996年 - 2007年、男A、伊刈寅之助) - 2シリーズ{{Ras|第1期(1996年)、第3期『フルスロットル』(2007年)}}
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年 - 2021年、寺井黄之助〈第356話〉、江田、早瀬達夫、武田信一、海老名稔、八坂清、門脇弁蔵、堺重吉、河井和幸、月形龍太郎、今井徹夫、範田力、林編集長、山中敏彦、浦井垂人、大蔵金治、足立了全、鷲山伸人、蝶野欽治 他)
* [[YAT安心!宇宙旅行]](サラゲータ)
| 1997年 |
* [[EAT-MAN]](1997年 - 1998年、エド・デサルヴォ、トラヴィス) - 2シリーズ{{Ras|『EAT-MAN』(1997年)、『EAT-MAN'98』(1998年)}}
* [[CLAMP学園探偵団]](所長)
* [[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター グッド・バイ・ マイ・スイート・ハート]](幹部1)
* [[中華一番!]](レン総督)
* [[ポケットモンスター (1997-2002年のアニメ)|ポケットモンスター]]([[ジムリーダー (アニメポケットモンスター)#ナツメ|ナツメ]]の父)
* [[ルパン三世 ワルサーP38]]
| 1998年 |
* [[ガサラキ]](空知検校)
* [[剣風伝奇ベルセルク]](武官B)
* [[星方武侠アウトロースター]](ジーンの父親)
* [[Bビーダマン爆外伝]](シルドーク)
| 1999年 |
* [[週刊ストーリーランド]](1999年 - 2001年、中年男、高野、医者、源三、司会)
| 2000年 |
* [[機巧奇傳ヒヲウ戦記]](勘兵衛)
* [[最遊記シリーズ]](2000年 - 2003年、申大人、店のオヤジ) - 2シリーズ{{Ras|第1作『幻想魔伝 最遊記』(2000年)、第2作『最遊記RELOAD』(2003年)}}
* [[ごぞんじ!月光仮面くん]](宇宙漁師)
* [[Sci-Fi HARRY]](刑事部長)
* [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]](おじさん、父)
* [[陽だまりの樹]](塚原次郎左衛門)
* [[ルパン三世 1$マネーウォーズ]]
| 2001年 |
* [[激闘!クラッシュギアTURBO]](水守タイカン)
* [[地球少女アルジュナ]](堂島所長)
* [[ノワール (アニメ)|ノワール]](カノラ将軍)
* [[はじめの一歩]](田中運輸社長)
| 2002年 |
* [[あたしンち]](理容師 他)
* [[キャプテン翼 (アニメ)|キャプテン翼(第3作)]](エドワルド・ファンサール)
* [[キディ・グレイド]](ドゥズィエム)
* [[機動戦士ガンダムSEED]]([[機動戦士ガンダムSEEDの登場人物#シーゲル・クライン|シーゲル・クライン]]{{R|ガンダムSEED}})
* [[天使な小生意気]](岳山の父)
* [[パタパタ飛行船の冒険]](リチャード・グレン<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.telecom-anime.com/patapata/japanese/staff_cast/staff_cast.html |title=スタッフ&キャスト |work=パタパタ飛行船の冒険 公式サイト |publisher=[[テレコム・アニメーションフィルム]]、[[トムス・エンタテインメント]]、[[WOWOW]]、ココ・エンターブライズ、[[セガ]]、ゼット |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021022123917/http://www.telecom-anime.com/patapata/japanese/staff_cast/staff_cast.html|archivedate= 2002-10-22 |accessdate=2016-05-07}}</ref>)
| 2003年 |
* [[アストロボーイ・鉄腕アトム]](機長)
* [[ガングレイヴ]](ジェスター)
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](2003年 - 2021年、先生、おじさん、武蔵野剣太の父、ホセのパパ、古田割泰三、多胡阿毛三 他)
* [[ストラトス・フォー]](ロバート・レイノルズ)
* [[SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK]](艦長)
* [[高橋留美子劇場]](老紳士)
* [[探偵学園Q]](太田黒保)
* [[デジガールPOP!]](ドクター・ヒール)
* [[FIRESTORM (アニメ)|FIRESTORM]](総司令)
* [[プラネテス]](ローランド)
* [[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]](ハギ老人)
* [[LAST EXILE]](デーヴィッド・マドセイン)
* [[ヒカルの碁]](中村茂蔵)
| 2004年 |
* [[アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル]](ルーサー・クラッケンソープ)
* [[エリア88]](ボリス)
* [[巌窟王 (テレビアニメ)|巌窟王]](ジェラール・ド・ヴィルフォール主席判事<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/gankutsuou/| title = 巌窟王| publisher = [[ゴンゾ]] | accessdate = 2016-05-15}}</ref>)
* [[ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹]](西澤グループ総裁直轄精鋭部隊隊長)
* [[絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク]](メイザース)
* [[攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG]](内務大臣)
* [[tactics (漫画)|tactics]](北原)
* [[鉄人28号 (2004年版アニメ)|鉄人28号(第4作)]](スリルサスペンス)
* [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]](ワサビ次郎長)
* [[火の鳥 (漫画)|火の鳥 黎明編]](兵士)
* [[無人惑星サヴァイヴ]](校長)
* [[MONSTER (漫画)|MONSTER]](マウラー)
* [[勇午 〜交渉人〜]](シャドル、親方)
* [[RAGNAROK THE ANIMATION]](ダークロード)
| 2005年 |
* [[ギャラリーフェイク]](ビル・トラヴァース)
* [[これが私の御主人様]](義貴の父)
* [[戦国英雄伝説 新釈 眞田十勇士 The Animation]]([[大久保忠隣|大久保相模守忠隣]]<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.sanada10.com/staffcast/index.htm | title = キャストリスト | work = 新釈 眞田十勇士 公式サイト |publisher=「新釈 眞田十勇士」製作委員会 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100724010514/http://www.sanada10.com/staffcast/index.htm |archivedate=2012-07-24| accessdate = 2016-06-12}}</ref>)
* [[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第2期)]](2005年 - 2020年、父、イヌ人間、課長〈2代目〉、上司)
| 2006年 |
* [[いぬかみっ!]](ドクトル)
* [[うたわれるもの]](ニウェ)
* [[エンジェル・ハート]](重役)
* [[おとぎ銃士 赤ずきん]](司祭)
* [[コードギアス 反逆のルルーシュ]](ポワドン)
* [[彩雲国物語 (アニメ)|彩雲国物語]](2006年 - 2007年、櫂瑜) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2006年 - 2007年)、第2期(2007年)}}
* [[ザ・サード 〜蒼い瞳の少女〜]](ウォーケン)
* [[蒼天の拳]](黄西飛<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C12603| title = 蒼天の拳| website = [[メディア芸術データベース]] |publisher=[[文化庁]] |accessdate=2023-02-10}}</ref>)
* [[バーテンダー (漫画)|バーテンダー]](笠原静雄)
* [[ブラック・ジャック21]](ローゼンバーグ)
* [[BLACK LAGOON]](専務、安沢) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2006年)、第2期『The Second Barrage』(2006年)}}
* [[ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ]](ダノン<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C13152| title = ルパン三世 セブンデイズ ラプソディ| website = メディア芸術データベース |publisher=文化庁 |accessdate=2023-02-10}}</ref>)
| 2007年 |
* [[ウエルベールの物語 〜Sisters of Wellber〜]](2007年 - 2008年、ランバノフ・ハン) - 2シリーズ{{Ras|第一幕(2007年)、第二幕(2008年)}}
* [[スカルマン]](船越英明)
* [[素敵探偵ラビリンス]](奥津伊佐久)
* [[地球へ…]](ゼル機関長)
* [[東京魔人學園剣風帖 龖]](御厨) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2007年)、第2期『第弐幕』(2007年)}}
* [[ひぐらしのなく頃に (アニメ)|ひぐらしのなく頃に解]](海江田校長)
* [[MOONLIGHT MILE]](パオロ・デ・ロッシ)
* [[REIDEEN]](野田幕僚長 / 野田群司令)
* [[ロミオ×ジュリエット]](中年貴族)
| 2008年 |
* [[アリソンとリリア]](谷守)
* [[君が主で執事が俺で]](大佐〈田尻耕〉)
* [[ゴルゴ13]](ベントナ)
* [[ストライクウィッチーズ]](マロニー大将)
* [[のらみみ2]](蒲公英)
* [[美肌一族]](事務局長、記者、神父)
| 2009年 |
* [[スレイヤーズEVOLUTION-R]](タフォーラシア国民B)
* [[聖剣の刀鍛冶]](ハンニバル・クエイサー)
* [[蒼天航路]]([[張曼成]])
* [[戦う司書 The Book of Bantorra]](ワイザフ)
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ]](オガム)
* [[テイルズ オブ ジ アビス]](ヘンケン)
* [[プリンセスラバー!]](アルフレッド)
* [[ミチコとハッチン]](エドワード)
| 2010年 |
* [[イナズマイレブン (アニメ)|イナズマイレブン]](2010年 - 2011年、ガルシルド・ベイハン)
* [[SDガンダム三国伝 Brave Battle Warriors]](袁紹バウ)
* [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](ホウイチ)
* [[ご姉弟物語]](衛生局課長)
* [[閃光のナイトレイド]](老人)
* [[伝説の勇者の伝説]](カーラル・フロワード)
* [[HEROMAN]](ワトキンス)
| 2011年 |
* [[ドラゴンクライシス!]]
* [[NARUTO -ナルト- 疾風伝]](雷の里の大名)
* [[ぬらりひょんの孫 千年魔京]](花開院秀元〈27代目〉)
| 2012年 |
* [[戦国コレクション]](室長)
* [[たまごっち! ゆめキラドリーム]](いかりっち)
* [[LUPIN the Third -峰不二子という女-]](警部<ref>{{Cite web | url = http://fujiko.tv/episode/| title = Episode| work = LUPIN the Third -峰不二子という女-公式サイト |publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-07 |deadlinkdate=2023-02-10}}</ref>)
| 2013年 |
* [[宇宙戦艦ヤマト2199]]([[ヒス|レドフ・ヒス]]<ref>{{Cite web|和書| url = http://yamato2199.net/character_his.html| title = キャラクター| work = 宇宙戦艦ヤマト2199公式サイト |publisher = 宇宙戦艦ヤマト2199製作委員会 | accessdate = 2016-06-07}}</ref>)※2012年劇場先行公開
* [[COPPELION]](白外套)
| 2014年 |
* [[ガンダムビルドファイターズトライ]](学園長)
* [[テンカイナイト]](ヴィリウス<ref>{{Cite news |和書 |date=2014-02-21 |url=https://mantan-web.jp/article/20140220dog00m200083000c.html?utm_medium=twitter&utm_source=twitterfeed|title=テンカイナイト : ボンズ初のキッズアニメ 「爆丸」のスピンマスターのブロック玩具が登場 |newspaper=[[MANTANWEB]]|publisher=MANTAN|accessdate=2014-02-26}}</ref>)
* [[信長協奏曲]]([[斎藤道三|斉藤道三]]<ref>{{Cite news |和書 |title=信長協奏曲アニメ化!さらに小栗旬主演でドラマ&映画化 |newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |date=2014-05-08 |url=https://natalie.mu/comic/news/116136|accessdate=2014-05-08}}</ref>)
* [[バディ・コンプレックス]](ヴィクトル・リャザン)
* [[ハマトラ (アニメ)|ハマトラ]](ガスケ<ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-05 |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1385968999 |title=テレビアニメ『ハマトラ』さらなる追加キャラ&キャストが判明! |publisher=アニメイトTV|accessdate=2013-12-04}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://hamatorapj.com/reply/cast.html |title=Cast&Staff |publisher=TVアニメ「Re:␣ ハマトラ(リプライ ハマトラ)」公式サイト|accessdate=2014-04-30}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2014年)、第2期『Re:␣ ハマトラ』(2014年)}}
* [[名探偵コナン 江戸川コナン失踪事件 〜史上最悪の2日間〜]](刑事)
| 2015年 |
* [[うしおととら]](白天山の老妖怪)
* [[ガンスリンガー ストラトス]](真加部主水<ref>{{Cite web |url=http://www.guns-project.jp/staffcast/ |title=Staff & Cast |website=TVアニメ『ガンスリンガー ストラトス』オフィシャルサイト |publisher=[[アニプレックス]]、[[スクウェア・エニックス]]、[[TOKYO MX]]、[[日本BS放送]]、[[KADOKAWA]]、[[アスキー・メディアワークス]] |accessdate=2014-12-09}}</ref>)
* [[黒子のバスケ (アニメ)|黒子のバスケ]](理事長)
* [[GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり]](北条重則)
* [[攻殻機動隊 ARISE ALTERNATIVE ARCHITECTURE]](サダモト)
* [[デュラララ!!×2 転]](澱切)
* [[ルパン三世 PART IV]](ヴォルフ)
| 2016年 |
* [[怪盗ジョーカー]](ファラオ)
* [[ファンタシースターオンライン2 ジ アニメーション]](ドゥドゥ)
* [[舟を編む]](南さん)
* [[魔法つかいプリキュア!]](ドクロクシー)
* [[名探偵コナン エピソード“ONE” 小さくなった名探偵]](瀬羽尊徳)
| 2017年 |
* [[パズドラクロス]](2017年 - 2018年、ルークス)<!-- 2017-03-19 -->
* [[鬼平犯科帳#テレビアニメ|鬼平]](老盗)<!-- 2017-04-04 -->
| 2018年 |
* [[多田くんは恋をしない]](悪人)<!-- 2018-04-05 -->
* [[ルパン三世 PART5]](議長)<!-- 2018-09-05 -->
* [[ゾンビランドサガ]](天本)<!-- 2018-11-22 -->
| 2019年 |
* [[ポプテピピック TVスペシャル]] 朱雀ver.('''ピピ美'''〈第14話Bパート〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2132746/full/|title=アニメ『ポプテピピック』放送媒体毎にキャスト変更 前代未聞のできごとにネット上騒然|publisher=[[ORICON NEWS]]|date=2019-04-01|accessdate=2019-04-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://hoshiiro.jp/news/|title=「ポプテピピック TVスペシャル」Blu-ray&DVD収録内容詳細決定!|website=TVアニメ「ポプテピピック」公式サイト|date=2019-04-02|accessdate=2019-04-02}}</ref>)<!-- 2019-04-01 -->
* [[ファンタシースターオンライン2 エピソード・オラクル]](2019年 - 2020年、レギアス<ref>{{Cite web|和書|url=https://pso2.jp/anime_eporacle/staffcast/|title=STAFF&CAST/スタッフ&キャスト|work=TVアニメ『ファンタシースターオンライン2 エピソード・オラクル』公式サイト|publisher=SEGA|accessdate=2019-09-22}}</ref>)<!-- 2019-10-07 -->
* [[真・中華一番!]](ラコン)<!-- 2019-12-07 -->
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第6作)]](夜叉)<!-- 2019-12-22 -->
| 2020年 |
* [[けだまのゴンじろー]](バケザン先生)<!-- 2020-02-01 -->
* [[アルテ (漫画)|アルテ]](ウベルティーノ<ref>{{Cite web|url=http://arte-anime.com/#caststaff |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211216225821/http://arte-anime.com/#caststaff |archivedate=2021-12-16 |title=CAST & STAFF|work=TVアニメ「アルテ」公式サイト|accessdate=2020-03-13|deadlinkdate=2023-02-10}}</ref>)<!-- 2020-05-02 -->
* [[宇崎ちゃんは遊びたい!]](2020年 - 2022年、亜細亜紀彦<ref>{{Cite web|和書|url=https://uzakichan.com/#cast|title=スタッフ&キャスト|work=TVアニメ「宇崎ちゃんは遊びたい!」公式サイト|accessdate=2022-03-04}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2020年)<!-- 2020-07-17 -->、第2期『ω』(2022年)<!-- 2022-10-01 -->}}
| 2022年 |
* [[黒の召喚士]]('''ジェラール'''<ref>{{Cite web|和書|url= https://kuronoshokanshi.com/character/05/ |title=ジェラール |publisher=TVアニメ「黒の召喚士」公式サイト |date= |accessdate=2022-07-24}}</ref><ref>{{Cite news |和書|date=2022-03-26 |url=https://mantan-web.jp/article/20220326dog00m200026000c.html|title=黒の召喚士:テレビアニメが7月スタート 追加キャストに蘭笛、秋元羊介、鈴木みのり |newspaper=[[MANTANWEB]]|publisher=MANTAN|accessdate=2022-03-26}}</ref>)<!-- 2022-07-16 -->
| 2023年 |
* [[冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた]](ドルトス<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/541324|title=アニメ「Sランク娘」親子愛感じるPV第2弾 戸谷菊之介や杉田智和らの出演も決定|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-09-15|accessdate=2023-09-15}}</ref>)<!-- 2023-10-12 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1980年代 |
* [[機動戦士ガンダム]](1981年、ジオン兵 他)
* [[タッチ2 さよならの贈り物]](1986年、上村監督)
* [[タッチ3 君が通り過ぎたあとに -DON'T PASS ME BY-]](1987年、須見工監督)
* [[AKIRA (アニメ映画)|AKIRA]](1988年、店長)
* [[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]](1988年、ムサカ艦長)
* [[伊勢湾台風物語]](1989年、阿久根忠雄)
* [[ヴイナス戦記]](1989年、マギーの父)
| 1990年代 |
* [[それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲]](1990年、ドーナツマン)
* [[アップフェルラント物語]](1992年、クラフト)
* [[機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光]](1992年、ディック・アレン)
* [[ドラえもん のび太と夢幻三剣士]](1994年、映画のナレーション)
* [[ドラえもん のび太の創世日記]](1995年、タイムパトロールA)
* [[ドラえもん のび太と銀河超特急]](1996年、ヤドリA)
* [[ブラック・ジャック 劇場版]](1996年、トムス・ジョンストン)
* [[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]](1997年、熊虎C)
* [[劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲]](1998年、博士)
* [[パーフェクトブルー]](1998年、手嶋<ref>{{Cite web | url = https://www.madhouse.co.jp/works/1999-1997/works_movie_perfectblue.html| title = PERFECT BLUE| publisher = [[マッドハウス]]| accessdate = 2016-06-16}}</ref>)
| 2000年代 |
* [[カウボーイビバップ 天国の扉]](2001年、解析班A)
* [[アテルイ (アニメ映画)|アテルイ]](2002年、シギ)
* [[XEVIOUS]](2002年、パットナム)
* [[ドラえもん のび太とふしぎ風使い]](2003年、カンジン<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C411234| title = ドラえもん のび太とふしぎ風使い| website = メディア芸術データベース |publisher=文化庁|accessdate=2023-02-10}}</ref>)
* [[アップルシード]](2004年、ニュースセンター局員)
* [[NITABOH 仁太坊-津軽三味線始祖外聞]](2004年)
* [[超劇場版ケロロ軍曹]](2006年、指令)
* [[いぬかみっ! THE MOVIE 特命霊的捜査官・仮名史郎っ!]](2007年、ドクトル)
| 2010年代 |
* [[攻殻機動隊 ARISE]](2013年、サダモト国防省副大臣)
| 2020年代 |
* [[宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち]](2021年、レドフ・ヒス)<!-- 2021-10-08 -->
}}
=== OVA ===
{{dl2
| 1987年 |
* [[ダーティペア (アニメ)|ダーティペア]](カッチャー)
* [[ぴえろ魔法少女シリーズ|魔女っ子クラブ4人組 A空間からのエイリアンX]](外人、代表C)
| 1988年 |
* [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]](1988年 - 1989年、憂国騎士団のリーダー、レムラー中佐、ヒルデスハイム伯爵)
| 1989年 |
* [[機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争]]('''[[ハーディ・シュタイナー]]'''<ref>{{Cite web | url = http://www.gundam0080.net/staff_cast/index.html| title = STAFF&CAST| work = 『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』公式サイト |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]| accessdate = 2017-04-09}}</ref>)
| 1990年 |
* [[独身アパートどくだみ荘|独身アパートどくだみ荘III]]
* [[魔動王グランゾート 最後のマジカル大戦]](アルガ)
| 1991年 |
* [[江口寿史の寿五郎ショウ]](上司、執事)
* [[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY]]([[機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYの登場人物#ディック・アレン|ディック・アレン]])
* [[創竜伝]](殺し屋ボス)
| 1992年 |
* [[源氏 (漫画)|源氏]](華井{{R|源氏}})
* [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日]](1992年 - 1998年、'''衝撃のアルベルト'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://yokoyama-mitsuteru.com/database/user/Search.php?main_table_no=4&template_name=visual_details.html&m_prk=21&search_type_m_prk=3|title =ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日|publisher=横山光輝 Official Web|accessdate=2020-12-28}}</ref>)
| 1993年 |
* [[超時空世紀オーガス02]](ケラチ)
* [[ブラック・ジャック (OVA)|ブラック・ジャック]](パトリック)
| 1994年 |
* [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日|素足のGinRei Episode.1 盗まれた戦闘チャイナを捜せ大作戦!!]](アルベルト)
* [[プラスチックリトル]](ナレロフ・アルト・モーディッシュ)
| 1995年 |
* [[GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎]](ヤクザB、社長)
* [[沈黙の艦隊]](1995年 - 1998年、赤垣三郎、沼田政志、ミハイル・マレンコフ)
* [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日|鉄腕GinRei Episode.23 禁断の果実を奪還せよ 極楽大作戦!!]](アルベルト)
| 1996年 |
* [[鉄腕バーディー]](院長)
* [[僕のセクシャルハラスメント]](2代目社長)
| 1997年 |
* [[変 (漫画)|変]](極道)
* [[八雲立つ]](布椎稚国)
| 1998年 |
* [[サイキックフォース]](六道玄真)
* [[真ゲッターロボ 世界最後の日]](ランバート)
* [[MASTERキートン]](刑事A)
| 2003年 |
* [[はじめの一歩 間柴vs木村 死刑執行]](田中運輸の社長)
| 2004年 |
* [[ストラトス・フォー]](ロバート・レイノルズ)
| 2005年 |
* [[最終兵器彼女 Another love song]](将校)
| 2006年 |
* [[HELLSING]](リチャード・ヘルシング)
| 2007年 |
* [[装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ]](委員)
| 2011年 |
* [[最遊記外伝]](賀孟)
* [[装甲騎兵ボトムズ 孤影再び]](商売仲間)
* [[ひぐらしのなく頃に煌]](海江田校長)
| 2018年 |
* [[宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち]](レドフ・ヒス<ref>{{Cite book|和書 |author= |year=2018 |title=「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第五章 煉獄篇」劇場パンフレット |publisher=[[バンダイナムコアーツ]] |page=20}}</ref>)※[[非映画コンテンツ|ODS]]作品、2018年秋テレビ放送開始予定
}}
=== Webアニメ ===
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン vs Wooo]](2011年、父)
* [[ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン]](2015年、ドラゴン・ゲンドーソー)
* [[無限の住人-IMMORTAL-]](2019年、天津三郎<ref>{{Cite web|url=https://mugen-immortal.com/caststaff/|title=CAST/STAFF|website=『無限の住人-IMMORTAL-』公式サイト|accessdate=2019-09-13}}</ref>)<!-- 2019-10-24 -->
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1993年 |
* [[ナイトトラップ]](コリンズ)
| 1994年 |
* [[機動武闘伝Gガンダム (スーパーファミコン)|機動武闘伝Gガンダム]]([[東方不敗マスター・アジア]]、ジャッジボイス)
| 1995年 |
* [[魔法騎士レイアース]](ルキノ)
| 1996年 |
* [[新スーパーロボット大戦]](東方不敗マスター・アジア、エリート兵士)
* [[サイキックフォース]](六道玄真)
| 1997年 |
* サイキックフォース パズル大戦(六道玄真)
* [[スーパーロボット大戦F]](東方不敗マスター・アジア、ストーカー)
* [[天外魔境 第四の黙示録]](大統領)
* [[魔法少女プリティサミー|魔法少女プリティサミー 〜恐るべし身体測定!核爆発5秒前!!〜]](ウー大佐)
| 1998年 |
* [[スーパーロボットスピリッツ]](東方不敗マスター・アジア、ジャッジボイス)
* [[スーパーロボット大戦F完結編]](東方不敗マスター・アジア、ストーカー)
* [[ソニックウィングス|ソニックウィングス アサルト]](ヴォルク<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.dreamsquare.co.jp/sw2/aslt3.html |title=アサルト 声の出演(ウェブアーカイブによるキャッシュ)| publisher=[[ビデオシステム]]|accessdate=2023-01-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/19971015044821/http://www.dreamsquare.co.jp/sw2/aslt3.html|archivedate=1997-10-15}}</ref>)<!-- 1998-03-19 -->
* [[玉繭物語]](トトヤム、ヤジャコ)
* [[堕落天使]](鬼瓦寅男)
* [[テイルコンチェルト]](ハウンド三世、ラッセル・ライブレッド)
* [[立体忍者活劇 天誅]](郷田松之信)
* [[レイディアントシルバーガン]](五十嵐=剛)
* [[ロストチルドレン]](トランプ)
| 1999年 |
* [[SDガンダム GGENERATION|SDガンダム GGENERATIONシリーズ]](1999年 - 2020年、ハーディ・シュタイナー、ディック・アレン、東方不敗マスター・アジア、ストーカー、ゼノン・ティーゲル) - 13作品{{Ras|『ZERO』(1999年)<!-- 1999-08-12 -->、『F』(2000年)<!-- 2000-08-03 -->、『F.I.F』(2001年)<!-- 2001-05-02 -->、『DA』(2002年)<!-- 2002-10-31 -->、『NEO』(2002年)<!-- 2002-11-28 -->、『SEED』(2004年)<!-- 2004-02-19 -->、『SPIRITS』(2007年)<!-- 2007-11-29 -->、『WARS』(2009年)<!-- 2009-08-06-->、『WORLD』(2011年)<!-- 2011-02-24 -->、『3D』(2011年)<!-- 2011-12-22 -->、『OVER WORLD』(2012年)<!-- 2012-09-27 -->、『GENESIS』(2016年)<!-- 2016-11-22 -->、『CROSSRAYS』(2019年 - 2020年)<!-- 2019-11-28 -->}}
* [[スーパーヒーロー作戦]](東方不敗)
* [[スーパーロボット大戦コンプリートボックス]](ゴルド・バゴルド)
* [[パワーストーン (ゲーム)|パワーストーン]](1999年 - 2000年) - 2作品{{Ras|『パワーストーン』(1999年)<!-- 1999-02- -->、『2』(2000年)<!-- 2000-04- -->}}
* [[リトル・ウィッチ レネット 〜スワンの涙ラプソディ〜]](レネットの父)
| 2000年 |
* [[シド・マイヤーズ アルファ・ケンタウリ]](学院長プロホール・ザハロフ)
* [[スーパーロボット大戦α]](ハーディ・シュタイナー、衝撃のアルベルト、ザンスカール兵)
* [[Sorcerous Stabber ORPHEN 魔術士オーフェン]]('''ゼイアス''')
* [[立体忍者活劇 天誅 弐]](郷田松之信)
| 2001年 |
* [[スーパーロボット大戦α for Dreamcast]](ハーディ・シュタイナー、衝撃のアルベルト、ザンスカール兵)
* [[デ・ジ・キャラット ファンタジー]](グレッグ)
| 2002年 |
* [[ELYSION 〜永遠のサンクチュアリ〜]](グルーチョ)
* [[侍 (スパイクのゲーム)|侍]](黒生鉄心)
* [[JOCKEY'S ROAD]](能登正人)
* [[スーパーロボット大戦IMPACT]](東方不敗マスター・アジア、ガルディ)
| 2003年 |
* [[侍道2]](黒生鉄生)
* [[天誅 参]](郷田松之信)
* [[マックスペイン]](アルフレッド・ウォーデン)
| 2004年 |
* [[烈火の炎|アニメバトル 烈火の炎 FINAL BURNING]](海魔)
* [[宇宙戦艦ヤマト イスカンダルへの追憶]]([[山崎奨]])
* [[宇宙戦艦ヤマト 二重銀河の崩壊]](山崎奨)
* [[九龍妖魔學園紀]](千貫厳十郎)
* [[スーパーロボット大戦GC]](ハーディ・シュタイナー)
* [[東京魔人學園外法帖]]血風録(オーディン)
* [[ラクガキ王国2 魔王城の戦い]](王様、魔王)
| 2005年 |
* [[宇宙戦艦ヤマト 暗黒星団帝国の逆襲]](山崎奨)
* [[エウレカセブン TR1:NEW WAVE]](ドッティ)
* [[カウボーイビバップ 追憶の夜曲]](クルト・マイヤー)
* [[キングダム ハーツII]]([[XIII機関#No. III ザルディン|ザルディン]])
* [[新選組群狼伝]]([[芹沢鴨]])
* 天誅 忍大全(郷田松之信)
* [[Twelve〜戦国封神伝〜]](尾張・マサナガ)
| 2006年 |
* [[うたわれるもの 散りゆく者への子守唄]](ニウェ)
* [[エウレカセブン NEW VISION]](ドッティ)
* [[クラッシュ・バンディクー フェスティバル]](ネオ・コルテックス)
* [[テイルズ オブ ファンタジア|テイルズ オブ ファンタジア -フルボイスエディション-]](オルソン・ドロー、アルヴァニスタ国王)
* 天誅 DARK SHADOW(郷田松之信)
* [[天誅 千乱]](郷田松之信)
* [[ファイナルファンタジーXII]](ジャッジ・ベルガ)
* [[ボクらの太陽 Django & Sabata]](ストーカー)
* [[マブラヴ オルタネイティヴ]](全年齢版)(大和艦長 田所)
* [[夜明け前より瑠璃色な|夜明け前より瑠璃色な〜Brighter than dawning blue〜]](鷹見沢左門)
| 2007年 |
* [[オペレーション・ダークネス]]([[アドルフ・ヒトラー]])
* [[ガンダム無双]](東方不敗マスター・アジア)
* [[キングダム ハーツII#キングダム ハーツII ファイナル ミックス+|キングダム ハーツII ファイナル ミックス]](ザルディン)
* [[すもももももも〜地上最強のヨメ〜 継承しましょ!? 恋の花ムコ争奪戦!!]](美月臣羅)
* 白銀のソレイユ-Successor of Wyrd《運命の継承者》-(師匠)
* [[ひぐらしのなく頃に祭]](海江田校長)
* [[ロストオデッセイ]](セド・バルモア)
| 2008年 |
* [[アオイシロ]](鈴木佑快)
* ガンダム無双2(東方不敗マスター・アジア)
* [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダム]](東方不敗マスター・アジア)
* [[君が主で執事が俺で 〜お仕え日記〜]](大佐)
* Shadow Assault 〜TENCHU〜(郷田松之信)
* [[白騎士物語|白騎士物語 -古の鼓動-]](ベルシタン)
* [[スーパーロボット大戦A PORTABLE]](東方不敗マスター・アジア)
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ 花冠の大地]](オガム)
* [[テイルズ オブ ハーツ]](チェン)
* [[Fable II]](バーナム)
* [[Fallout 3]](ジョン・ヘンリー・エデン)
* [[428 〜封鎖された渋谷で〜]](工藤静夫〈顔出し〉、車内兵士A)
| 2009年 |
* [[ウィザードリィ 囚われし魂の迷宮]](ディメント5世)
* [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダムNEXT]](東方不敗マスター・アジア)
* [[キングダム ハーツ 358/2 Days]]('''ザルディン''')
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ外伝 -アヴァロンの謎-]](オガム)
* [[マグナカルタ2]](ヒュアレン・ジャース)
| 2010年 |
* [[ALAN WAKE]](オーディン・アンダーソン)
* [[イナズマイレブン3 世界への挑戦!!]](ガルシルド)
* [[黄金夢想曲]](山羊)
* ガンダム無双3(東方不敗マスター・アジア)
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス]](東方不敗マスター・アジア)
* [[キングダム ハーツ バース バイ スリープ]](ディラン)
* [[白騎士物語|白騎士物語 -光と闇の覚醒-]](ベルシタン)
* [[ひまわり -Pebble in the Sky- Portable]](ジョニー)
* [[プリンセスラバー!|プリンセスラバー! 〜Eternal Love For My Lady〜]](アルフレッド)
| 2011年 |
* [[うみねこのなく頃に散 〜真実と幻想の夜想曲〜]](川畑船長)
* [[エルソード]](ホレイショ)
* [[ガチトラ! 〜暴れん坊教師 in High School〜]](片山昌三)
* [[機動戦士ガンダム オンライン]](シュタイナー)
* [[機動戦士ガンダム 新ギレンの野望]](ハーディ・シュタイナー)
* [[ファイナルファンタジー零式]](ナレーション)
* [[ブラック★ロックシューター THE GAME]](ザハ)
| 2012年 |
* [[ガンスリンガー ストラトス]](真加部主水<ref>{{Cite web |url=http://gunslinger-stratos.jp/gs1/characters/index_17.html |title=CHARACTERS |work=GUNSLINGER STRATOS - ガンスリンガーストラトス |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |accessdate=2017-12-15}}</ref>)
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス フルブースト]](東方不敗マスター・アジア)
* ケイオスリングスII(バックス)
* [[幻想水滸伝 紡がれし百年の時]](ボールドン)
* [[デビルサマナー ソウルハッカーズ]](村正<ref>{{Cite journal|和書 |editor=浜村弘一 |title= 続報 デビルサマナー ソウルハッカーズ|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2012年6月21日号 |pages=135 |publisher=[[エンターブレイン]] |date=2012-06-07}}</ref>)
* [[十鬼の絆 〜関ヶ原奇譚〜]](汐見秋士<ref>{{Cite journal|和書 |date=2012-05-10 |editor=江口聡 |title=十鬼の絆 |journal=[[電撃Girl's Style]] |issue=2012年6月号 |page=8 |publisher=[[アスキー・メディアワークス]] |id = 雑誌06533-06}}</ref>)
* Dragon Age II(バートランド)
* [[ファンタシースターオンライン2]](ドゥドゥ、ジャン、レギアス、ヒ・ロガ)
* [[リトルウィッチ パルフェ 黒猫魔法店物語]](シュワルツ・ワルダー)
| 2013年 |
* [[KILLER IS DEAD]](浜田山<ref>{{Cite news |title=「KILLER IS DEAD」がロックバンド JESSE and THE BONEZと楽曲タイアップ。「BOSSMAN」および「ACCESS VIOLATION」を収録 |newspaper=[[4Gamer.net]] |date=2013-07-12 |publisher=Aetas |url=https://www.4gamer.net/games/154/G015406/20130712085/ |accessdate=2013-08-04}}</ref>)
* [[キングダム ハーツ HD 1.5 リミックス]](ザルディン)
* [[クリスタル◆コンクエスト]]
* [[真・女神転生IV]](K<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[ファミ通|週刊ファミ通]]|issue=2013年3月28日号|publisher=エンターブレイン|date=2013-03-14 |pages={{要ページ番号|date=2017年12月}}}}</ref>、ホワイトメン)
* [[HEROES' VS]](マスターガンダム<ref name="ReferenceA">{{Cite journal |和書 |journal=[[電撃PlayStation]] |issue=Vol.530 |date=2012-11-08 |pages={{要ページ番号|date=2017年12月}}}}</ref>)
* [[スーパーロボット大戦Operation Extend]](ハーディ・シュタイナー)
* テイルズ オブ ハーツ R(チェン・コラーロ<ref>{{Cite web|和書|date=2012-12-10 |url=http://www.famitsu.com/news/201212/10025717.html|title=『テイルズ オブ ハーツ R』旅の途上で出会うキーパソンたちを紹介!|work=ファミ通.com |publisher=エンターブレイン |accessdate=2012-12-10}}</ref>)
* 十鬼の絆 花結綴り(汐見秋士<ref>{{Cite journal|和書 |date=2013-03-09 |editor=江口聡 |title=十鬼の絆 花結綴り |journal=電撃Girl's Style |issue=2013年4月号 |page=94 |publisher=[[アスキー・メディアワークス]] |id = 雑誌06533-04}}</ref>)
* HEROES' VS(マスターガンダム{{R|ReferenceA}})
* [[魔導巧殻]](ガルムス)
* [[メトロ ラストライト]](モスクビン書記長<ref>{{Cite web |url=http://www.spike-chunsoft.co.jp/enterthemetro/index2.html|title=CHARACTER|website=メトロ ラストライト 公式サイト |publisher=[[スパイク・チュンソフト]]|accessdate=2013-12-29 |deadlinkdate=2023-02-10}}</ref>)
| 2014年 |
* VANITY of VANITIES(風清揚<ref>{{Cite web|和書|publisher=VANITY of VANITIES|url=http://vov.mk-style.com/pages/teaser/cv#秋元羊介|title=出演キャスト紹介|accessdate=2014-05-13 |deadlinkdate=2017-12-15}}</ref>)
* ガンスリンガー ストラトス2(真加部主水<ref>{{Cite journal|和書|journal=電撃ARCADEゲーム|issue=vol.40|publisher=[[アスキー・メディアワークス]] |pages={{要ページ番号|date=2017年12月}} |date=2013-12-27}}</ref>)
* [[ガールフレンド(仮)]](悪神輿男、悪鬼教官)
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス マキシブースト]](東方不敗マスター・アジア)
* [[グランブルーファンタジー]](ゴブリンキング)
* [[キングダム ハーツ HD 2.5 リミックス]](ザルディン/ディラン)
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ カスカベ映画スターズ!]](ブリブリ魔人)
* コアマスターズ(ウィリアム<ref>{{Cite web|和書|publisher=GMOゲームポット株式会社|url=http://www.coremasters.jp/index.aspx|title=コアマスターズ 公式サイト|accessdate=2014-03-01 |deadlinkdate=2017-12-15}}</ref>)
* [[新・世界樹の迷宮2 ファフニールの騎士]](ラガード公宮の大臣〈ダンフォード〉<ref>{{Cite web|和書|url=http://sq-atlus.jp/ssq2/character/minister.html|title=キャラクター|website=新・世界樹の迷宮2 公式サイト |publisher=[[アトラス (ゲーム会社)|アトラス]]|accessdate=2014-09-12}}</ref>)
| 2015年 |
* [[ウィッチャー3 ワイルドハント]](エレディン<ref>{{Cite web|url=http://www.spike-chunsoft.co.jp/witcher3/character/eredin.php|title=CHARACTER|work=ウィッチャー3 ワイルドハント |publisher=スパイク・チュンソフト |accessdate=2014-09-29}}</ref>)
* [[ひぐらしのなく頃に粋]](校長先生)
* ひまわり-Pebble in the Sky- PS Vita版(ジョニー<ref>{{Cite web|和書|url=http://prot.co.jp/psv/himawari/character.html|title=登場人物|publisher=[[プロトタイプ (企業)|プロトタイプ]] |accessdate=2015-07-05}}</ref>)
| 2016年 |
* [[真・女神転生IV FINAL]](マーラ)
* [[ジャストコーズ3]]('''セバスティアノ・ディラベロ''')
* [[スーパーロボット大戦X-Ω]](東方不敗マスター・アジア)
* [[名探偵ピカチュウ 〜新コンビ誕生〜]]('''マイク・ベイカー''')
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス フォース]](東方不敗マスター・アジア)
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス マキシブースト ON]](東方不敗マスター・アジア)
* [[バトルフィールド1]](ルカ・ヴィンチェンツォ・コッキオラ)
| 2017年 |
* [[仁王 (ゲーム)|仁王]]([[鳥居元忠]])
* [[ファイナルファンタジーXIV|ファイナルファンタジーXIV: 紅蓮の解放者]](ゴウセツ)
| 2018年 |
* [[名探偵ピカチュウ]]('''マイク・ベイカー'''<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.pokemon.co.jp/ex/meitantei_pikachu/character/|title= 物語を彩る登場人物とポケモンたち|work= 『名探偵ピカチュウ』公式サイト|accessdate=2018-04-08}}</ref>)<!-- 2018-03-23 -->
* [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス2]](東方不敗マスター・アジア)<!-- 2018-10-30 -->
* [[ファンタシースターオンライン2|PSO2 ニュージェネシス]](男性追加ボイス〈03、25、26、87、157〉、男性共通ドゥドゥボイス)
| 2019年 |
* [[スーパーロボット大戦T]](東方不敗マスター・アジア、ストーカー)<!-- 2019-03-20 -->
* デモンエクスマキナ(ナイト<ref>{{Cite web|publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]]|work=デモンエクスマキナ 公式Webサイト|url=https://dxm.marv.jp/character/five_hells/index.html?pos=5|title=CHARACTERS|accessdate=2019-09-10}}</ref>)<!-- 2019-09-13 -->
* [[ガンダムネットワーク大戦]](ハーディ・シュタイナー<ref>{{Cite web|和書|title=『ガンダムネットワーク大戦』ララァやアイナが新指揮官として追加|url=https://dengekionline.com/articles/17815|website=電撃オンライン|accessdate=2022-07-14}}</ref>)<!-- 2019-11-14 -->
* [[アトリエオンライン 〜ブレセイルの錬金術士〜]](カンゾウ<ref>{{Cite web|和書|date=2019-09-15|url= https://www.4gamer.net/games/383/G038342/20190915042/ |title=[TGS 2019]「アトリエ オンライン」は大型アップデートでseason.2に突入,新キャラも公開されたステージイベントをレポート|publisher=[[4Gamer.net]]|accessdate=2019-10-07}}</ref>)<!-- 2019-11-29 -->
| 2020年 |
* [[真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTER]]<!-- 2020-10-29 -->
| 2021年 |
* [[真・女神転生V]](ベルゼブブ)<!-- 2021-11-11 -->
| 2022年 |
* [[ライブ・ア・ライブ]](森部生士)<!-- 2022-07-22 -->
* [[SDガンダム バトルアライアンス]](東方不敗マスター・アジア<ref>{{cite web|url=https://gba.ggame.jp/character/detail.php?s=g&id=qz7wh2nn|title=CHARACTER|work=【公式】SDガンダム バトルアライアンス(バトアラ)|バンダイナムコエンターテインメント公式サイト|publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント ]]|accessdate=2022-07-20}}</ref>)<!-- 2022-08-25 -->
* [[機動戦士ガンダム アーセナルベース]](東方不敗マスター・アジア)<!-- 2022-11-24 -->
| 2023年 |
* [[モンスターストライク]](東方不敗マスター・アジア)<!-- 2023-01-14 -->
* [[超探偵事件簿 レインコード]](ザンゲ=イレイザー)<!-- 2023-06-30 -->
* [[なつもん! 20世紀の夏休み]](パパさん<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スパイク・チュンソフト]]|work=なつもん! 20世紀の夏休み|url=https://www.spike-chunsoft.co.jp/natsumon/character/|title=登場人物|accessdate=2023-06-19}}</ref>)<!-- 2023-07-28 -->
}}
=== ドラマCD ===
* [[Vassalord.]](サミュエル・カザン)
* [[うりポッ]](ホセ)
* [[機動武闘伝Gガンダム]]シリーズ
** GUNDAM FIGHT-ROUND1&2(ストーカー)
** GUNDAM FIGHT-ROUND3('''東方不敗マスター・アジア'''、ストーカー、楽曲「ステ犬のブルース」ボーカル)
* [[九龍妖魔學園紀]](千貫厳十郎)
* [[彩雲国物語]] 恋愛指南争奪戦!(櫂瑜)
* [[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード秘密基地セット]](モリソン)
* [[東京魔人學園伝奇|東京魔人學園]]月紅伝(御厨)
* [[十鬼の絆 〜関ヶ原奇譚〜|十鬼の絆]]シリーズ(汐見秋士)
** 十鬼の絆 ドラマCD 〜大原女騒動〜<ref>{{Cite web|和書|publisher=TEAM Entertainment|title=十鬼の絆 ドラマCD ~大原女騒動~|url=http://www.team-e.co.jp/products/gnca-7176.html|accessdate=2012-08-13 |deadlinkdate=2017-12-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121107184955/http://www.team-e.co.jp/products/gnca-7176.html |archivedate=2012-11-07}}</ref>
** 十鬼の絆 ドラマCD 〜伝説の果実〜<ref>{{Cite web|和書|publisher=TEAM Entertainment|title=十鬼の絆 ドラマCD ~伝説の果実~|url=http://www.team-e.co.jp/products/gnca-7180.html|accessdate=2012-09-29 |deadlinkdate=2017-12-15 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121107185005/http://www.team-e.co.jp/products/gnca-7180.html |archivedate=2012-11-07}}</ref>
* [[ニンジャスレイヤー|ニンジャスレイヤー ザイバツ強襲!]](ドラゴン・ゲンドーソー<ref>{{Cite web|和書|url=http://ninjaslayer.jp/book02/ |title=書籍(第2部)|work=ニンジャスレイヤー物理書籍公式サイト |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2017-12-15}}</ref>)
* [[バーヴェリアン四重奏]](川上荘一)
* [[流行り神 警視庁怪異事件ファイル|流行り神 ドラマCD]](高坂善一郎)
* BE×BOY CD COLLECTION 疵 スキャンダル(桐原英輔)
* [[ひぐらしのなく頃に]](校長)
* [[ひまわり (ぶらんくのーと)|ひまわり]](ジョニー)
* [[サウンドピクチャーボックス ミュウツーの誕生|ミュウツーの誕生]](ドクトル・フジ博士)
* [[八雲立つ]] 音盤物語(闇己の叔父)
=== オーディオブック ===
* [[永遠の0]](長谷川梅男)
* [[天地明察]](建部昌明)
=== 吹き替え ===
==== 担当俳優 ====
{{dl2
| [[グレゴリー・イッツェン]] |
* [[シカゴホープ]](カイル・ミッチェル博士)
* {{仮リンク|フェーム/青春の旅立ち|en|Fame (1982 TV series)}} シーズン1 #5(レストン医師)
* [[メンタリスト (テレビドラマ)|THE MENTALIST メンタリストの捜査ファイル]](ヴァージル・ミネリCBI局長)
| [[ケヴィン・マクナルティ (俳優)|ケヴィン・マクナルティ]] |
* [[カナディアン・エクスプレス]](ジェームズ・ドーベック)※フジテレビ版
* [[スターゲイト SG-1]](ワーナー軍医長)
* [[ダークエンジェル (テレビドラマ)|ダークエンジェル]] シーズン1 #18(ギル)※ソフト版
* [[ハイテク武装車バイパー]](メトカーフ)
* [[ヤング・スーパーマン]](エリックの父)
| [[ジェームズ・コスモ]] |
* [[エニグマ奪還]](ハートリー)
* [[ダーク・マテリアルズ|ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤]](ファーダー・コーラム)
* {{仮リンク|ユアン少年と小さな英雄|label=ぼくとボビーの大逆転|en|The Adventures of Greyfriars Bobby}}(ジェームズ・ブラウン)
| [[ジェフ・フェイヒー]] |
* [[NCIS:ニューオーリンズ]] シーズン5 #17(チャーリー・コンロイ)
* [[クリミナル・マインド FBI行動分析課|クリミナル・マインド4 FBI行動分析課]](ケイン)
* デッドライン<!-- 1997年にアメリカで放映されたテレビ映画。2023年2月時点では英語版ウィキペディアに項目なし。-->(ダン・コリンズ)
* [[特捜刑事マイアミ・バイス]] シーズン3 #1(エディ・ケイ)
* [[LOST]](フランク・J・ラピーダス)
| [[チェルシー・ロス]] |
* [[人生の特等席]](スミッティ)
* [[スーパーコップ90]](トム・カトラー)※テレビ東京版
* [[ビルとテッドの地獄旅行]](オーツ大佐)※テレビ東京版
| [[マイケル・アイアンサイド]] |
* [[幻想のドリアン・グレイ]](アラン)
* [[マインドストーム]](アーミテージ)
* {{仮リンク|レッド・スコルピオン2|en|Red Scorpion 2}}(ウエスト大佐)
}}
==== 映画 ====
* [[アーク 失われたマヤの財宝]](サリナス〈ファン・パトリシオ・アレナス〉)
* {{仮リンク|アーネスト、監獄に行く!|en|Ernest Goes to Jail}}(ヴィニー)
* [[愛が微笑む時]](ハリソン・ウィンスロー〈[[チャールズ・グローディン]]〉)
* {{仮リンク|愛に翼を|en|Paradise (1991 film)}}(アール・マッコイ、アーネスト・パーケット)
* [[愛の妖精 アニーベル]](マイケル・ペロー)※ソフト版
* [[愛の落日]](ヴィゴット〈[[ラデ・シェルベッジア]]〉)
* [[アイ・ラブ・トラブル]](ケニー・ベーコン〈[[ポール・グリーソン]]〉)
* [[I love ペッカー]](ボーザック)
* [[アイランド (1980年の映画)|アイランド]]
* [[アウト・オブ・サイト]](リチャード・リプリー〈[[アルバート・ブルックス]]〉)※ソフト版
* [[アウトロー・ポリス/傷だらけのバッジ]](ボーク〈フォーリー・スミス〉)
* {{仮リンク|赤い殺意 (1992年の映画)|label=赤い殺意|en|Traces of Red}}(エミリオ、マーティン)
* {{仮リンク|赤毛のアン/アンの結婚|en|Anne of Green Gables: The Continuing Story}}(パウエル医師)※ソフト版
* [[悪魔たち、天使たち]](ニックの部下〈ジャック・ウォレス〉)
* [[悪魔のいけにえ]](フランクリン〈[[ポール・A・パーテイン]]〉)※テレビ東京版
* {{仮リンク|悪魔の毒々おばあちゃん|en|Rabid Grannies}}(ハービー〈ジャック・マヤー〉)
* [[アビス]](ベンディックス〈[[クリス・エリオット]]〉)※ソフト版、(シュニック)
* [[ア・フュー・グッドメン]](デイヴ・スプラドリング中尉〈[[マット・クレイヴン]]〉)
* [[アメリカン・ミー]](ドン・アントニオ・スカグネッリ)
* [[アラスカ・ケビン 史上最大の犬ぞり大作戦]]
* [[アリゲーター/愛と復讐のワニ人間]](リッチ)
* [[暗殺者 (映画)|暗殺者]](ケッチャム〈[[ミューズ・ワトソン]]〉)※ソフト版
* {{仮リンク|アンダーフィールド|en|The Informant (1997 film)}}(レニー警部〈[[ティモシー・ダルトン]]〉)
* {{仮リンク|アンビリーバブル (2003の映画)|label=アンビリーバブル|en|It's All About Love}}(デヴィッド〈[[アラン・アームストロング (俳優)|アラン・アームストロング]]〉)
* [[遺産相続は命がけ!?]](エド〈[[ボブ・バラバン]]〉)
* [[イズント・シー・グレート]](アリストテレス・オナシス〈[[フランク・ヴィンセント]]〉、[[ジョニー・カーソン]])
* [[イノセントマン/仕組まれた罠]](ダニー・スカリース〈リチャード・ヤング〉)
* [[イブラヒムおじさんとコーランの花たち]](イブラヒム〈[[オマル・シャリーフ]]〉)
* 刺青 BLUE TIGER(薬剤師)
* [[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]](保安官)※日本テレビ版
* [[インフェルノ (1980年の映画)|インフェルノ]](ジョン)※TBS版
* [[ウィロー]](ミーゴッシュ〈デヴィッド・スタインバーグ〉)※ソフト版
* [[ウィンブルドン (映画)|ウィンブルドン]](エドワード・コルト〈[[バーナード・ヒル]]〉)
* [[ウェインズ・ワールド]]([[アリス・クーパー]])
* [[ウォール街 (映画)|ウォール街]](チャッキー、パノス)※フジテレビ版
* [[拳銃無宿 (テレビドラマ)#続編|ウォンテッド]](チャーリー・ヒギンズ、アブドゥール・レンザ)
* [[ウルフ (映画)|ウルフ]](ウェイド刑事、ゲイリー)※ソフト版
* [[エース・ベンチュラ]](エミリオ)
* [[英雄の条件]](ビン・リー・カオ大佐)※フジテレビ版
* [[エイリアン2]](ドレイク〈[[マーク・ロルストン]]〉)※DVD・VHS版
* [[エグゼクティブ・コマンド]](ディーノ〈ティム・アベル〉)※フジテレビ版
* エクセプション/殺意のダイヤモンド(ローレンス・ケラーマン〈[[ウィリアム・ディヴェイン]]〉)
* [[エクソシスト (映画)|エクソシスト]](チャック)※日本テレビ版
* [[エクソシスト3]](学長〈リー・リチャードソン〉)※フジテレビ版
* [[エゴイスト EGOIST]](アルコット〈[[ジェームズ・コバーン]]〉)
* SF地底からの侵略/無差別襲撃!戦慄の殺人有機ガス(スタン)
* [[HANGER 18/ハンガー18|SF謎の宇宙船遭遇]](ゴードン・ケイン〈[[ロバート・ヴォーン]]〉)
* [[エッジ・オブ・ダークネス]](ホイールズ〈ビル・カーシェンバウアー〉)
* [[F/X2 イリュージョンの逆転]](被告、刑務官、警官1)※VHS版
* [[L.A. ギャング ストーリー]](マックス・ケナード巡査〈[[ロバート・パトリック]]〉)
* [[L.A.コンフィデンシャル]](ブレッド・チェイス〈[[マット・マッコイ]]〉、カーライル)※ソフト版
* [[エントラップメント]](ハース〈[[ケヴィン・マクナリー]]〉)※ソフト版
* [[エンドレス・ラブ]](ビリー〈[[トム・クルーズ]]〉)※日本テレビ版
* {{仮リンク|オーガズモ|en|Orgazmo}}(マックス・オービソン)
* [[オーシャンズ・ウォー]]('''ウィリアム・スノー大尉'''〈[[エリック・ロバーツ]]〉)
* [[オードリー・ヘプバーン (映画)|オードリー・ヘプバーン]]([[ピーター・ボグダノヴィッチ]]〈本人〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=18859|title=オードリー・ヘプバーン -日本語吹き替え版|website=ふきカエル大作戦!!|date=2022-08-31|accessdate=2022-08-31}}</ref>)
* オーバーキル(コロナル)
* [[追いつめられて]](ゲイツ〈ジョン・ダキーノ〉)※テレビ朝日版
* [[黄金の七人]](アルフレッド〈[[モーリス・ポリ]]〉)※テレビ東京版
* [[狼男アメリカン]](酒場の青年、タクシー運転手)
* [[狼 男たちの挽歌・最終章]](エディ)※ソフト版
* [[狼たちの処刑台]](ハリー・ブラウン〈[[マイケル・ケイン]]〉)
* [[狼どもの戦場]](クライン〈マンフレッド・レーマン〉)
* [[オスカー (1991年の映画)|オスカー]](ソーントン・プール医師〈[[ティム・カリー]]〉、ヴァン・リーランド)
* {{仮リンク|オフビート (1986年の映画)|label=オフビート|en|Off Beat (1986 film)}}(ピート〈[[ジョー・マンテーニャ]]〉)※テレビ東京版
* [[オペレーション (映画)|オペレーション]](ジャン=ジャック〈[[クリスチャン・クラヴィエ]]〉)
* [[俺たちは天使じゃない (1989年の映画)|俺たちは天使じゃない]](保安官助手〈[[ブルーノ・カービー]]〉)
* [[女と女と井戸の中]](ロッド・ボーダーン)
* [[カジュアリティーズ]](ブラウン〈[[エリック・キング]]〉)※ソフト版
* [[カットスロート・アイランド]](トロッター〈アンガス・ライト〉)※フジテレビ版
* [[カナディアン・エクスプレス]](ジャック・ウートン)※ソフト版
* [[カムバック!]](ロン・パーフィット〈[[イアン・マクシェーン]]〉)
* 仮面秘書(エリック・ブラッドフォード〈[[バリー・ボストウィック]]〉)
* [[カラーズ 天使の消えた街]](ベイリー〈サイ・リチャードソン〉、囚人4、委員1)
* {{仮リンク|ガルガメス|en|Galgameth}}(ウィリアム)
* [[カンパニー・オブ・ヒーローズ バルジの戦い]](グリューネヴァルト博士〈[[ユルゲン・プロホノフ]]〉)
* {{仮リンク|頑張れフリッパー|en|Flipper's New Adventure}}(クランペット)
* [[ガン・ホー]](ポ-ル〈[[クリント・ハワード]]〉)
* [[危険な情事]](チャック)
* [[キスへのプレリュード]](フレッド叔父さん)※ソフト版
* [[キッド (2000年の映画)|キッド]](ヴィヴィアン〈[[マシュー・ペリー (俳優)|マシュー・ペリー]]〉、ジョッシュ、[[ニック・チンランド]])
* [[キバリーヒルズ・コップ]](トニー・シャーマン)
* [[キャット・ピープル#キャット・ピープル (1982)|キャット・ピープル]](イェートマン・ブリューワー)※ソフト版
* [[キャノンズ]](ウェスキット〈[[レオン・リッピー]]〉、ガーバー〈[[トビン・ベル]]〉)
* [[キャプテン・ロン]](ドナルドソン〈[[ポール・アンカ]]〉)
* [[キャンディマン (1992年の映画)|キャンディマン]](バーク医師)
* [[Q&A (映画)|Q&A]](ホセ・マルピカ、トニー・ヴァスケス)※ソフト版
* {{仮リンク|キューティ・ツインズ/シュートをねらえ!|en|Double Teamed}}(校長先生〈サム・ダルトン〉)
* [[恐怖の報酬]](ビル・オブライエン〈ウィリアム・タッブス〉)※テレビ東京版
* [[虚栄のかがり火]](レイ・アンドルイッチ)
* [[銀河伝説クルール]]
* [[キングコング (1976年の映画)|キングコング]] ※日本テレビ版
* [[キングサイズ (映画)|キングサイズ]](ワズ〈[[マチェイ・コズラウスキー]]〉)
* [[クイズ・ショウ]](ダン・エンライト〈[[デヴィッド・ペイマー]]〉)
* [[蜘蛛女]](ジョーイ)※ソフト版
* [[クライム & ダイヤモンド]](マイコー〈[[リチャード・ドレイファス]]〉)
* [[クライモリ デッド・リターン]](チャベス〈[[テイマー・ハッサン]]〉)
* {{仮リンク|クラッシュ!!!|en|Crash and Burn (2008 film)}}(マニー)
* [[グラン・トリノ]](ティム・ケネディ、ダレル)
* [[クリープショー]](ハンク・ブレイン〈[[エド・ハリス]]〉、チャーリー・ガーソン)
* [[クリスティーン (映画)|クリスティーン]](マイケル・カニンガム)※テレビ朝日版
* [[クリスマス・キャロル (1984年の映画)|クリスマス・キャロル]](ボブ・クラチット〈[[デビッド・ワーナー]]〉)
* [[クリフハンガー (映画)|クリフハンガー]](ライアン、FBIマセスン捜査官)※ソフト版
* [[グラン・ブルー (映画)|グレート・ブルー]](ノヴェリ〈[[セルジオ・カステリット]]〉)※テレビ朝日版
* {{仮リンク|クレイジー・ピープル|en|Crazy People}}(ドラッカー〈[[J・T・ウォルシュ]]〉)
* [[グレムリン (映画)|グレムリン]](モロー先生)※ソフト版
* [[グレムリン2 新・種・誕・生]] ※ソフト版
* [[黒馬物語 (1994年の映画)|黒馬物語 ブラックビューティー]](グレイ〈[[ショーン・ビーン]]〉)
* [[クロコダイル・ダンディー]](トレヴァー)※フジテレビ版
* [[クロコダイル・ダンディー2]](ホセ〈[[ルイス・ガスマン]]〉)※ソフト版、(デニング、DEA捜査官〈[[スティーヴン・ルート]]〉)※フジテレビ版
* [[ケーブルガイ]](エリック・ロバーツ)
* {{仮リンク|ゲーム・オブ・デス|en|Game of Death (2010 film)}}(スミス〈[[ロバート・デヴィ]]〉)
* [[刑事ジョー ママにお手あげ]](トニー〈ジョン・ウェズリー〉)
* [[刑事ジョン・ブック 目撃者]](ファーギー〈アンガス・マッキネス〉)※フジテレビ版
* [[刑事ニコ/法の死角]](チチ・ラモーネ・テスタメンテ、ゼーガンの側近)※TBS版、(オハラ巡査)※テレビ朝日版
* {{仮リンク|刑事ハンサム|en|Handsome (film)}}(ケンダ警部補〈ジョー・ケンダ〉)
* [[汚れなき瞳の中に]](サンダース〈[[トム・バウアー]]〉)
* 激突!キョンシー小僧VS史上最強のカンフー悪魔軍団(村長)
* [[ゲッティング・イーブン]](アレックス)
* [[ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン (映画)|ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン]](おじいさん〈サリヴァン・ウォーカー〉)
* [[ゴースト/ニューヨークの幻]](銀行の同僚)※ソフト版
* [[ゴーストバスターズ]](看守〈[[レジナルド・ヴェルジョンソン]]〉、[[ラリー・キング]])※フジテレビ版
* [[ゴーストバスターズ2]](最初の警官)※テレビ朝日版、(ジャック・ハードメイヤー〈[[カート・フラー]]〉)※機内上映版
* [[コードネームはファルコン]]
* [[コールド・ブラッド/殺しの紋章]](バンキー・コモ〈[[デニス・ファリーナ]]〉)
* [[豪華客船ゴライアス号の奇跡]](ジェフ・セルカーク中佐〈[[ロバート・フォスター]]〉)
* {{仮リンク|声なき殺人者|en|Il coltello di ghiaccio}}(ローラント〈アラン・スコット〉)
* [[GODZILLA]](知事)※ソフト版
* [[コットンクラブ (映画)|コットンクラブ]](マイク・コッポラ)※TBS版
* [[コナン・ザ・グレート]](レクソール〈ベン・デヴィッドソン〉)※日本テレビ版
* [[コマンドー]](フォレスタル)※テレビ朝日版
* [[コマンドー・レオパルド|コマンドー軍団2]](ヴェニテス将軍)
* [[ゴリラ (1986年の映画)|ゴリラ]](フランク)※TBS版
* [[殺したい女]](サムの家の警官、ステレオ店の客)
* [[殺しのドレス]](リヴィ医師〈[[デヴィッド・マーギュリーズ]]〉)※ソフト版、(テッド)※テレビ朝日版
* [[コン・エアー]](クレイジー・ビリー〈ニック・チンランド〉)※ソフト版
* [[コンフェッション (2002年の映画)|コンフェッション]](ジーン・ジーン・ザ・ダンシング・マシーン)
* [[13デイズ]](カーティス・ルメイ〈[[ケヴィン・コンウェイ (俳優)|ケヴィン・コンウェイ]]〉)※ソフト版
* [[サイクロンZ (映画)|サイクロンZ]](マフィアのボス〈[[ジェームス・ティエン]]〉、マフィア〈ラム・ウェイ〉)
* [[サイバーロボ]](ラリー・ガリーノ一等兵)
* [[サイボーグコップ]](ステックマン博士)
* [[西遊記リローデッド]](玉皇大帝〈[[リュー・チャーフィー]]〉)
* [[ドラゴンキョンシー|再来!キョンシーズ]](強盗)
* [[ザ・インターネット]](アラン・チャンピオン〈[[デニス・ミラー (コメディアン)|デニス・ミラー]]〉)※フジテレビ版
* [[ザ・キープ]](リュッツ〈ジョン・ヴァイン〉)
* {{仮リンク|策謀のシナリオ|en|Art Heist}}(マキシモフ)
* [[依頼人|ザ・クライアント 依頼人]](ジャック・ナンス〈[[ジョン・ディール]]〉、患者)※ソフト版
* [[ザ・デイ・アフター]]
* {{仮リンク|マッリの種|label=ザ・テロリスト 少女戦士マッリ|en|The Terrorist (1998 film)}}(指揮官)
* [[ザ・トレンチ(塹壕)]](テルフォード・ウィンター軍曹〈[[ダニエル・クレイグ]]〉)
* [[ザ・ビジター]](ジェイク・ダーハム〈[[グレン・フォード]]〉)
* [[ザ・ファン]](バーニー〈カート・フラー〉)※ソフト版
* [[ザ・フライ2 二世誕生]](セス・ブランドル〈[[ジェフ・ゴールドブラム]]〉)※ソフト版
* [[フラッシュ (DCコミックス)#ビデオムービー|ザ・フラッシュ2/超音速のSFヒーローに謎の怪人が逆襲]](バロウズ〈ヴィト・ダンブロシオ〉)※テレビ朝日版
* ザ・リベンジャー(ハーラン〈[[マイケル・ボーウェン]]〉)
* [[サルバドル/遥かなる日々]]
* [[サンダー (映画)|サンダー/怒りの復讐]]
* [[サンダーバード 劇場版]] ※VHS版
* [[サンダーハート]](リチャード・イエロー・ホーク)
* [[サンタクロース (映画)|サンタクロース]] ※テレビ朝日版
* [[サンタクローズ]](オハラ〈クリス・ベンソン〉)
* [[3人のゴースト]](役員)
* [[G.I.ジェーン]](軍参謀総長〈[[ジョン・マイケル・ヒギンズ]]〉)※フジテレビ版
* [[シー・オブ・ラブ (映画)|シー・オブ・ラブ]](レイモンド・ブラウン、黒人〈[[サミュエル・L・ジャクソン]]〉)※ソフト版
* [[ジーザス (映画)|ジーザス]](シモン・ペテロ)
* {{仮リンク|シアターの怪人|en|Phantom of the Megaplex}}(タイラー・ジェスマン〈[[カルロ・ロタ]]〉)
* [[シェーン]](フレッド・ルイス〈エドガー・ブキャナン〉)※スター・チャンネル版
* [[JM (映画)|JM]](J・ボーン〈[[アイス-T]]〉)
* [[ジェイコブス・ラダー]](ポール〈[[プルイット・テイラー・ヴィンス]]〉)※日本テレビ版
* {{仮リンク|ジェシカ/超次元からの侵略|label=ジェシカ/妖次元の誘惑|en|Invitation to Hell (1984 film)}}(ラリー・フェリス、フランク・ステップソン)
* ジェネックス・ゾンビ(シェク署長〈ホイ・シウミン〉)
* [[地獄の黙示録]](サンディエゴのマイク)※日本テレビ版
* [[シティ・オブ・ジョイ]](ラム)
* [[7月4日に生まれて]](中尉〈[[デヴィッド・ウォーショフスキー]]〉)※テレビ朝日版
* [[七福星]](殺し屋〈チュン・ファト〉、リウ〈ジェームス・ティエン〉)
* [[死にゆく者への祈り]](フレッド・ヴァーレー)
* [[シマロン (1931年の映画)|シマロン]](リッキー)
* [[ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ!]](ルークの父)
* [[ジャッカル (映画)|ジャッカル]](ガッツィ・ムラド〈[[ラヴィル・イシヤノフ]]〉)※日本テレビ版
* {{仮リンク|シャドー・チェイサー2|en|Project Shadowchaser II}}(ジョン・オハラ)
* [[上海ブルース]](ビッグ・ボス〈ラン・コン〉)
* [[13日の金曜日シリーズ#13日の金曜日 PART3|13日の金曜日PART3]](ロコ〈ケヴィン・オブライエン〉)
* [[ショーガール (1995年の映画)|ショーガール]](フィル・ニューカーク)
* {{仮リンク|ジョージ (映画)|label=ジョージ|en|My Brother the Pig}}(リチャード・コールドウェル〈[[ジャッジ・ラインホルド]]〉)
* [[ジョーズ2]](アンドリュース)※日本テレビ版
* [[ジョーズ'87 復讐篇]](クラレンス)※テレビ朝日版
* [[ショート・サーキット (映画)|ショート・サーキット]](デューク)
* [[死霊の牙|シルバー・ブリット/死霊の牙]](保安官助手〈デヴィッド・ハート〉)
* [[白と黒のナイフ]](テッド・フィッツパトリック)
* 新キョンシーズ(ザオ)
* [[スーパーガール (DCコミックス)#劇場映画|スーパーガール]](エディ〈[[マット・フリューワー]]〉)
* [[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン]](ハリー刑事、ヘイリー軍曹)※テレビ朝日旧録版
* [[スウィーニー・トッド (映画)|スウィーニー・トッド]](ラトリッジ少佐)
* [[スウォーズマン#スウォーズマン 剣士列伝|スウォーズマン 剣士列伝]](林震南)
* [[スカーフェイス (映画)|スカーフェイス]](シェフィールド〈[[マイケル・オールドレッジ]]〉)※ソフト版
* [[赤と黒の十字架|スカーレット&ブラック]](レス・テイト伍長)
* [[スカイ・ハイ (1975年の映画)|スカイ・ハイ]](モリー・グロース〈[[ヒュー・キース・バーン]]〉)
* [[スカイホーク 鷹拳]](レオ〈カーター・ワン〉)
* [[スカウト/涙の81球|スカウト]]([[ジョージ・スタインブレナー]])
* [[スクリーマーズ]](ベッカー)※フジテレビ版
* [[スズメバチ (映画)|スズメバチ]] ※テレビ東京版
* [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望]](タンブリス中尉)※日本テレビ版2
* [[スネーク・アイズ (1998年の映画)|スネーク・アイズ]](CJ)※ソフト版
* [[スノーホワイト (1997年の映画)|スノーホワイト]](ポック)
* [[スピーシーズ2]](カーター・バージェス〈[[ジョージ・ズンザ]]〉)※フジテレビ版
* [[スペース・サタン]](ジェームズ〈ダグラス・ランバート〉)※フジテレビ版
* [[スペースバンパイア]] ※テレビ朝日旧録版
* [[スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい]]
* [[300 〈スリーハンドレッド〉 〜帝国の進撃〜]](老いた評議員)
* [[スリーメン&ベビー]](サッチ〈[[アール・ハインドマン]]〉)※フジテレビ版
* [[セカンド・チャンス (1983年の映画)|セカンド・チャンス]](ビーズリー〈[[オリヴァー・リード]]〉)
* [[セブン (映画)|セブン]](脂ぎったFBI捜査官、図書館の警備員)※テレビ朝日版
* [[17 セブンティーン]](ダニー・ホーガン)
* [[0011ナポレオン・ソロ|0011ナポレオン・ソロ2]](セフェラン〈[[アンソニー・ザーブ]]〉)
* [[戦火の勇気]](ジョエル・ウォールデン〈[[ケン・ジェンキンス]]〉)※フジテレビ版
* [[洗脳 (映画)|洗脳]](コックス巡査〈[[スティーヴ・レイルズバック]]〉)
* {{仮リンク|狼男・謎の連続殺人|label=戦慄の狼男|en|Moon of the Wolf}}(アーロン・ウィタカー〈[[デビッド・ジャンセン]]〉)
* [[続・恐竜の島]](グラハム少尉)※日本テレビ版
* [[訴訟 (映画)|訴訟]](アンソニー・パトリコーラ)
* [[その名にちなんで (映画)|その名にちなんで]](ゴーシュ)
* [[空の大怪獣Q]](マーレイ警部補〈ジェームズ・ディクソン〉)
* [[ゾンビコップ]](ロジャー・モーティス刑事〈[[トリート・ウィリアムズ]]〉)
* ダーク・アベンジャー/暗闇からの復讐者(ピーター・キングホーン〈ロバート・ヴォーン〉)
* [[ダークマン]](スキップ)※VHS版
* [[ターゲット (1985年の映画)|ターゲット]](クレイ〈ガイ・ボイド〉)
* [[ダーティ・ダンシング]](マジシャン)※フジテレビ版
* [[ターミナルフォース/叛逆のサイバーコップ]](サミュエル・ワシントン〈[[ヴァーノン・ウェルズ (俳優)|ヴァーノン・ウェルズ]]〉)
* [[ターミナル・ベロシティ]](ブラッド)※テレビ朝日版
* [[ターミネーター (映画)|ターミネーター]](男性客2)※テレビ朝日版、(男性客3、警官)※VHS版
* [[ターミネーター2]](トッド〈[[ザンダー・バークレー]]〉)※ VHS・DVD版、(マイルズ・ベネット・ダイソン〈[[ジョー・モートン]]〉)※フジテレビ版
* [[ダイアリー・オブ・ザ・デッド]](アンドリュー教授〈[[スコット・ウェントワース]]〉)
* [[大逆転]](バーテンダー〈[[ビル・コッブス]]〉)※フジテレビ版
* [[大狂乱]](バーニー・ゴールド〈リチャード・ブラッドフォード〉)
* [[ダイ・ハード]](カール〈[[アレクサンドル・ゴドゥノフ]]〉)※フジテレビ版
* [[ダイ・ハード2]](ガーバー〈[[ドン・ハーヴェイ]]〉)※テレビ朝日版
* [[タイムコップ]] ※テレビ朝日版
* [[太陽の雫]](フォルガッシュ伯爵)
* ダウンドラフト(ルディ)
* [[多重人格 (映画)|多重人格]](チャールズ・ダフィ〈ジョシュ・テイラー〉)
* [[黄昏のチャイナタウン]](ローチ警部補〈[[デヴィッド・キース]]〉)
* [[タッカー (映画)|タッカー]](ジミー・サクヤマ〈[[マコ岩松]]〉)
* [[ダニエル・スティール/ある愛のかたち]](ハワード)
* {{仮リンク|TABOO タブー|en|I'm Losing You (film)}}(フィリップ・ダグロム〈[[バック・ヘンリー]]〉、リトヴァック医師〈[[ダニエル・フォン・バーゲン]]〉)
* [[007シリーズ]]
** [[007/死ぬのは奴らだ (映画)|007/死ぬのは奴らだ]](ストラッター)※TBS新録版
** [[007/ムーンレイカー (映画)|007/ムーンレイカー]](ドラックスの技術者)※TBS版
** [[007/オクトパシー]](ビジャイ〈[[ビジャイ・アムリトラジ]]〉)※TBS版
** [[007/美しき獲物たち]](ゾリンの客)※TBS版
** [[007/リビング・デイライツ]](ソンダース)※TBS版
** [[007/消されたライセンス]](ラスムセン)※TBS版
* [[ダブルタップ]](ヤン)
* [[ダブルチーム (映画)|ダブルチーム]] ※テレビ朝日版
* {{仮リンク|ダブル・ビジョン (映画)|label=ダブル・ビジョン|en|Double Vision (2002 film)}}(フィル)
* [[ダンス・ウィズ・ウルブズ]]
* {{仮リンク|ダンス オブ テロリスト|en|The Dancer Upstairs (film)}}(メリノ局長)
* {{仮リンク|チーター 三人とチーター友情物語|en|Cheetah (1989 film)}}(デヴィッド)
* [[小さな命が呼ぶとき]](エリック・ローリング〈[[パトリック・ボーショー]]〉)
* [[地球が燃えつきる日]](ロックマン〈マイケル・コプサ〉)
* チャイルド・コレクター/溺死体(パディ・フリン)
* [[沈黙の戦艦]](ドーマー〈[[コルム・ミーニイ]]〉)※ソフト版
* [[2ガンズ]](テューウェイ〈[[フレッド・ウォード]]〉)
* [[ツインズ (映画)|ツインズ]](アル・グレコ〈[[デヴィッド・カルーソ]]〉)※ソフト版
* [[ツイン・ドラゴン]](クワン〈カーク・ウォン〉)※ソフト版
* [[ディープ・エンド (2001年の映画)|ディープ・エンド]](ジャック・ホール〈[[ピーター・ドゥナット]]〉)
* [[ディスクロージャー (映画)|ディスクロージャー]](ジョン・レヴィン)※テレビ朝日版
* [[ディック・トレイシー (映画)|ディック・トレイシー]](パット・パットン)
* ディトネイター(ブリックランド〈[[スタン・ショウ]]〉)
* [[デイライト (映画)|デイライト]] ※テレビ朝日版
* [[敵、ある愛の物語]](ベニー)
* [[テキサスSWAT]]
* [[デス・ハント]](ジョージ・ワシントン・リンカーン・“サンドッグ”・ブラウン〈[[カール・ウェザース]]〉)
* {{仮リンク|デビル・ストレンジャー|en|Meeting Evil}}(フランク警部補〈ミューズ・ワトソン〉)
* [[デューン/砂の惑星 (1984年の映画)|デューン/砂の惑星]](声B)※日本テレビ版
* [[デリンジャー (映画)|デリンジャー]](リード・ヤングブラッド〈[[フランク・マクレー]]〉)※テレビ東京版
* [[天と地]](アイン)
* [[トータル・フィアーズ]](ラシター大将〈[[ジョン・ビーズリー (俳優)|ジョン・ビーズリー]]〉)※ソフト版
* [[トータル・リコール]](トニー〈[[ディーン・ノリス]]〉)※テレビ朝日版
* [[トイ・ソルジャー (1991年の映画)|トイ・ソルジャー]](クレーマー将軍〈[[R・リー・アーメイ]]〉)※VHS版
* [[トゥームレイダー2 (映画)|トゥームレイダー2]](ガス・ペトラキ)※ソフト版
* [[12モンキーズ]](動物学者〈サイモン・ジョーンズ〉)※フジテレビ版
* [[トゥルー・ロマンス]](リー・ドノウィッツ〈[[ソウル・ルビネック]]〉)※ソフト版
* [[ドクター・ドリトル2]](ダフ判事、オスの亀〈[[トム・ケニー]]〉)※テレビ朝日版
* [[トップガン (映画)|トップガン]](ヴィンス)※フジテレビ版
* [[ドラキュリアン]](ドラキュラ伯爵〈[[ダンカン・レガー]]〉)
* [[ドラゴン電光石火'98]](カドゥーサ)
* [[トラブル・バスター (1988年の映画)|トラブル・バスター]](ノリンジャー〈ミカエル・ドルーカー〉、刑事)
* [[ドレスの下はからっぽ]](ジョルジュ・ザノーニ)
* [[ナイトライフ]](ジョン〈アンソニー・ギアリー〉)
* [[ナバロンの要塞 (映画)|ナバロンの要塞]](ブラウン無線兵)※TBS版
* [[ナポリと女と泥棒たち]](アゴーニャ〈ウーゴ・ファンガレッジ〉)※テレビ東京版
* [[2010年 (映画)|2010年]](ウォルター・カーナウ博士〈[[ジョン・リスゴー]]〉)※TBS版
* [[2番目のキス]](ダグ・ミークス〈[[ジェームズ・シッキング]]〉)
* [[ニューオーリンズ・トライアル]](ハーマン・グライムズ、プラスキー)※機内上映版
* [[ニューヨークの恋人]](ミラード)※ソフト版
* [[ネイビー・シールズ (1990年の映画)|ネイビー・シールズ]]
* [[ネバー・ダイ・アローン]](ワトキンス〈[[アート・エヴァンス]]〉、ウォーターズ)
* [[ノー・トゥモロー]](ノア〈[[ゲイリー・ビジー]]〉)
* [[ノーマンズ・ランド]](ジョーズ)※テレビ朝日版
* [[農場の死]](エドガー・ギャレット〈[[ウォーレン・クラーク]]〉)
* [[ノック・オフ]](キャリントン大佐)※テレビ東京版
* [[バーチャル・ウォーズ]](ハロルド・パーケット)
* [[バード・オン・ワイヤー]](デックス)※ソフト版
* [[ハード・トゥ・キル]](マックス・クェンテロ〈[[ブランスコム・リッチモンド]]〉)※テレビ朝日版
* [[ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場]](ロイ・ジェニングス〈[[ボー・スヴェンソン]]〉)※TBS版
* [[パーフェクト・カップル]](リチャード・ジェモンズ〈[[ビリー・ボブ・ソーントン]]〉)
* [[パーフェクト ストーム]](ジェレミー・ミッチェル軍曹〈[[ダッシュ・ミホク]]〉、ダグラス・コスコ)
* [[地上最強の美女バイオニック・ジェミー#続編|バイオニック・ジェミー 蘇った地上最強の美女]](サンチャゴ〈[[テリー・カイザー]]〉)
* [[陪審員 (映画)|陪審員]] ※ソフト版
* {{仮リンク|ハイスクール・ドリーム|en|Rock 'n' Roll High School Forever}}(デイル)
* {{仮リンク|ハウスゲスト/あんただ〜れ?|en|Houseguest}}(ポーリー・ガスペリーニ〈[[ポール・ベン=ヴィクター]]〉)
* [[バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー]](ローハイド〈[[クランシー・ブラウン]]〉)
* [[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ]]
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー]](ゴールディー・ウィルソン〈ドナルド・フュリラブ〉)※ソフト版
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]](イトー・フジツー、謎の一家〈父〉)※ソフト版
** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3]](酒場の老人2〈[[ハリー・ケリー・ジュニア]]〉)※日本テレビ版
* [[バックドラフト (映画)|バックドラフト]](グリンドル)※テレビ朝日版
* {{仮リンク|ハックフィンの大冒険|en|The Adventures of Huck Finn (1993 film)}}(エイブ・ターナー)
* [[バットマン (映画)|バットマン]](ニック)※テレビ朝日版
* [[バットマン リターンズ]](市長〈[[マイケル・マーフィー (俳優)|マイケル・マーフィー]]〉)※ソフト版
* [[バットマン フォーエヴァー]](銀行の守衛〈[[ジョー・グリファシ]]〉)※ソフト版
* [[バットマン ビギンズ]](ローブ〈[[コリン・マクファーレン]]〉)※日本テレビ版
* [[パトリオット・ゲーム]](ロバート・ハイランド警部補)※フジテレビ版
* [[パトリス・ルコントの大喝采]](シャピロン〈[[ミシェル・ブラン]]〉)
* [[バトルガンM‐16]](ジョジョ・ロス、ジーノ)
* [[バトルランナー (映画)|バトルランナー]](キャプテン・フリーダム〈[[ジェシー・ベンチュラ]]〉)※フジテレビ版
* [[ハネムーン・イン・ベガス]](バディ・ウォーカー〈[[トニー・シャルーブ]]〉)
* [[ハリウッドにくちづけ]](ジョー・ピアース〈[[ロブ・ライナー]]〉)
* {{仮リンク|ハリケーン・チェイサー|en|Storm (1999 film)}}(ダニエル・プラット)
* [[パリ警視J]](シモン警部〈ロジェ・デュマ〉、コック)
* [[張り込み]](ジャック〈[[フォレスト・ウィテカー]]〉)※日本テレビ版
* [[ハンティング・パーティ]](フランクリン・ハリス〈[[ジェームズ・ブローリン]]〉)
* [[ピースメーカー (映画)|ピースメーカー]](ディートリッヒ・シューマッハ)※ソフト版
* [[PTU]](肥祥叔)
* [[ピザボーイ 史上最凶のご注文]](フィッシャー氏)
* [[美女と野獣 (1946年の映画)|美女と野獣]](ルドヴィック)※TBS版
* [[必殺処刑チーム]](サリー〈[[ダニー・グローヴァー]]〉)
* [[必殺マグナム]](サンタナ、トニー・ヴィンチェンゾ)※フジテレビ版
* [[瞳が忘れない/ブリンク]](トーマス・リッジリー〈[[ジェームズ・レマー]]〉)
* [[ビバリーヒルズ・コップ]] ※テレビ朝日版
* [[評決]](グルーバー医師)
* [[ピラニア (映画)|ピラニア]](デヴィッド)
* [[ビルとテッドの大冒険]](ベートーベン)
* [[ピンク・キャデラック]](リッキーZ〈[[ジェフリー・ルイス (俳優)|ジェフリー・ルイス]]〉)※TBS版
* [[フーズ・ザット・ガール (1987年の映画)|フーズ・ザット・ガール]](ドイル刑事)
* [[ファイナル・オプション]](アイラ・ポッター将軍〈[[ロバート・ウェッバー]]〉、ライアン〈ノーマン・ロドウェイ〉)※ソフト版、(ヘイゲン大尉〈ボブ・シャーマン〉、ポープ〈ナイジェル・ハンフリーズ〉)※テレビ朝日版
* [[フィールド・オブ・ドリームス]](マーク)※DVD版
* [[フィラデルフィア・エクスペリメント]](整備士〈[[グレン・モーシャワー]]〉、ボイヤー巡査、マンデル)※フジテレビ版
* [[風雲 ストームライダーズ]](剣聖〈[[アンソニー・ウォン (香港俳優)|アンソニー・ウォン]]〉)
* [[フェア・ゲーム (1995年の映画)|フェア・ゲーム]](メイヤーソン副署長〈[[クリストファー・マクドナルド]]〉)
* [[フェイス・イン・ラブ]](ゾラの父親〈ジョン・ビーズリー〉)
* [[42 〜世界を変えた男〜]]
* [[普通じゃない]](メイヒュー〈[[イアン・マクニース]]〉)※テレビ朝日版
* フライング・キッズ(ピータース)
* [[フライングハイ]](バスタ〈フランク・アシュモア〉)
* {{仮リンク|ブラウンズ・レクイエム|en|Brown's Requiem (film)}}(キャスカート〈[[ブライオン・ジェームズ]]〉)
* [[プラダを着た悪魔]](アーヴ・ラヴィッツ)※ソフト版
* [[フラッシュ・ゴードン (映画)|フラッシュ・ゴードン]](フィコ〈[[リチャード・オブライエン]]〉)※テレビ朝日版
* [[プランサー トナカイの贈り物]](ハーブ〈マーク・ロルストン〉)※VHS・LD版
* [[プリズン・ダウン]](ハーディング〈ダニー・グローヴァー〉)
* [[プリティ・ウーマン]](刑事〈[[ハンク・アザリア]]〉)※ソフト版
* [[プリティ・プリンセス]](パオロ〈[[ラリー・ミラー]]〉、サンフランシスコ市長)
* [[プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング]](パオロ〈ラリー・ミラー〉)
* [[フリントストーン/モダン石器時代]](スレート社長〈[[ダン・フロレク]]〉、公開捜査番組の司会者〈[[ジェイ・レノ]]〉)
* [[ブルーサンダー (映画)|ブルーサンダー]](フレッチャー)※ソフト版
* [[ブルースチール (1990年の映画)|ブルースチール]](スタンレー・ホイト部長〈[[ケヴィン・ダン]]〉)※VHS版
* [[プルーフ・オブ・ライフ]](イアン・ハーヴェイ〈[[マイケル・キッチン]]〉)
* {{仮リンク|フル・ブラッド|en|Treasure Hunt (1994 film)}}(ホンチン〈フィリップ・コク〉)
* [[ブルベイカー]](ウッドワード〈[[M・エメット・ウォルシュ]]〉)
* [[プレタポルテ (映画)|プレタポルテ]](クリント・ラムロー〈[[ライル・ラヴェット]]〉)
* [[ブロークン・アロー]](ベアード国防省長官〈[[カートウッド・スミス]]〉)※ソフト版
* [[プロジェクトA2 史上最大の標的]](警部補)※ソフト版
* [[プロジェクトS]](ロジャー・デヴィッドソン)
* [[ブロス/やつらはときどき帰ってくる]](カール・ミューラー〈[[ウィリアム・サンダーソン]]〉)※テレビ東京版
* [[ペインテッド・デザート|ペインテッド・デザート タフ劇場版]](ジョニー〈フランク・シベロ〉)
* [[ヘヴンズ・バーニング]](ジョナ)
* [[ベガス・バケーション]](ジリー〈[[ジェリー・ワイントローブ]]〉)
* [[ペネロピ (映画)|ペネロピ]](ヴィンダーマン)
* [[ペリカン文書 (映画)|ペリカン文書]](ギャヴィン・ヴァーヒークFBI顧問〈[[ジョン・ハード]]〉)※テレビ朝日版
* [[変態村]](バルテル)
* [[ペンタグラム/悪魔の烙印]](マッザ)※VHS版
* [[ホーム・アローン2]](ベネット巡査)※フジテレビ版
* [[ボーン・ワイルド サバンナに生きて]](J.V.〈[[ジョン・ヴァーティ]]〉)
* ボクの彼女は地球人(ウッディ〈[[マイケル・マッキーン]]〉)
* [[星の王子 ニューヨークへ行く]](Tシャツ売り)※ソフト版
* [[ポセイドン・アドベンチャー2]](カストープ)※TBS版
* [[ボディガード (1992年の映画)|ボディガード]](トニー・シペリ〈[[マイク・スター]]〉)※フジテレビ版
* [[ボディ・ターゲット]] ※ソフト版
* [[炎の少女チャーリー]](キャップ・ホリスター〈[[マーティン・シーン]]〉)
* [[ボブ★ロバーツ]](チェット・マグレガー〈[[レイ・ワイズ]]〉)
* [[ポリスアカデミーシリーズ#ポリスアカデミー3 全員再訓練!|ポリスアカデミー3 全員再訓練!]](カイル・ブランクス)
* [[ポリスアカデミーシリーズ#ポリスアカデミー5 マイアミ特別勤務|ポリスアカデミー5 マイアミ特別勤務]](ハースト本部長)※ソフト版
* [[ポリスアカデミーシリーズ#新ポリスアカデミー バトルロイヤル|ポリスアカデミー6 バトルロイヤル]](ハースト本部長)※ソフト版
* [[ポリス・ストーリー2/九龍の眼]](チュウ・タオ)※DVD・BD版
* [[ボンベイ・トーキー/愛と憎しみの日々]](ハリ〈ジア・モヒーディン〉)
* [[マーヴェリック (1994年の映画)|マーヴェリック]](ユージーン〈ジェフリー・ルイス〉)※ソフト版
* [[マーキュリー・ライジング]] ※テレビ朝日版
* [[マイ・ビッグ・ファット・ウェディング]](タキ)
* {{仮リンク|マイ・ビューティフル・ジョー|en|Beautiful Joe (film)}}(ラリー)
* [[マイ・プライベート・アイダホ]](リチャード・ウォーターズ〈[[ジェームズ・ルッソ]]〉)
* マイ・フレンド・フランケン(ローマン教授〈ラリー・ミラー〉)
* [[マイ・ボディガード (2004年の映画)|マイ・ボディガード]](ミゲル・マンザーノ〈[[ジャンカルロ・ジャンニーニ]]〉)※機内上映版
* [[マキシマム・リスク]] ※テレビ朝日版
* {{仮リンク|魔女は16才|en|Teen Witch}}(アルモンド)
* {{仮リンク|マスター・アンド・ウォリアー|en|Kidnapped (1995 film)}}(エビニーザー〈[[パトリック・マラハイド]]〉)
* [[マック (映画)|マック]](ミドミル〈ヴィニー・トレンテ〉)※機内上映版
* {{仮リンク|抹殺者|en|The Body (2001 film)}}(ハミッド〈マクラム・ホーリー〉)
* [[マネー・トレイン]](ブラウン)※ソフト版
* [[マネー・ピット]](アート・シャーク〈ジョー・マンテーニャ〉)※TBS版
* [[マルコヴィッチの穴]](マーティン船長、ジョンソン・ヘイワード)
* [[マン・オン・ザ・ムーン]]([[ジェリー・ローラー]]、バド・フリードマン)
* {{仮リンク|ミーシャ・バートンの Sex in Ohio|en|The Oh in Ohio}}(ウェイン〈[[ダニー・デヴィート]]〉)
* [[ミシェル・ヴァイヨン]](会長、ルネ)
* Mr.エンジェル/神様の賭け(フリーボディ〈マイケル・オールドレッジ〉)
* [[ミスター・サンタを探して]]
* {{仮リンク|ミスター・ロビンの口説き方|en|Seducing Mr. Perfect}}(ミンジョンの父)
* [[ミッシング (1982年の映画)|ミッシング]](パリス、ロハス警部)※ソフト版
* [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (映画)#ミュータント・タートルズ (映画)|ミュータント・タートルズ]](ピザ配達員)※VHS版
* [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (映画)#ミュータント・ニンジャ・タートルズ2|ミュータント・ニンジャ・タートルズ2]] ※ソフト版、劇場公開版
* [[ミレニアム/1000年紀]](ロジャー・キーン〈[[モーリー・チェイキン]]〉)
* 無名家族/復讐の狼たち(部長)
* [[名犬ラッシー (映画)|名犬ラッシー]](マーレイ裁判長〈[[ロバート・ハーディ (俳優)|ロバート・ハーディ]]〉)
* [[メガフォース]](ザック〈ラルフ・ウィルコックス〉)
* [[めぐり逢う大地]](バーン〈トム・マッカマス〉)
* [[メジャーリーグ2]](ロジャー・ドーン〈[[コービン・バーンセン]]〉)
* [[メル・ブルックスの大脱走]](ラトコフスキー〈[[ジョージ・ワイナー]]〉、ドイツ兵1、ドイツ兵19)
* [[メンフィス・ベル (1990年の映画)|メンフィス・ベル]](ブルース・デリンジャー大佐〈ジョン・リスゴー〉)※テレビ版
* [[猛獣大脱走]]
* [[モスクワ・ゼロ]](トルストイ)
* [[野獣女戦士アマゾネス・クイーン]](ストライモン)
* [[野獣教師]](クラウド・ローレイ校長〈[[アーニー・ハドソン]]〉)※VHS版
* [[ユー・ガット・メール]](ケビン・スキャンロン〈[[デイヴ・シャペル]]〉)※フジテレビ版
* [[勇気ある追跡]](ファレル)※テレビ朝日版
* [[ユニバーサル・ソルジャー]] ※ソフト版
* [[夜が明けるまで]](ドーラン〈[[ブルース・ダーン]]〉)
* [[夜の訪問者 (映画)|夜の訪問者]] ※日本テレビ版
* [[40歳の童貞男]](ジョー)
* [[48時間PART2/帰って来たふたり]] ※日本テレビ版
* [[ライオンと呼ばれた男]](ヴェルヌ弁護士)
* [[ライオンハート (映画)|ライオンハート]](ラッセル〈[[ブライアン・トンプソン]]〉)※ソフト版
* [[ライトスタッフ]](ヴァージル・グリソム〈フレッド・ウォード〉)
* ラストスクリーム(ハリー〈[[チャールズ・ネイピア (俳優)|チャールズ・ネイピア]]〉)
* [[ラスト・ボーイスカウト]](マイク・マシューズ〈[[ブルース・マッギル]]〉)※フジテレビ版
* [[モアイの謎|ラパ・ニュイ/モアイの謎]](ハオア〈ザック・ウォレス〉)
* [[ランボー]](バルフォード〈[[マイケル・タルボット]]〉)※TBS版
* [[リーサル・ウェポン]](ジョシュア〈ゲイリー・ビジー〉)※TBS版
* [[リコシェ (映画)|リコシェ]](エリオット・フロイド本部長)※VHS版
* [[リバイアサン (1989年の映画)|リバイアサン]](ヘリパイロット)※テレビ朝日版
* [[ル・ジタン]](弟のリナルディ)
* [[ルトガー・ハウアー 処刑脱獄]](ボブ・コーベット)※テレビ東京版
* [[霊幻道士2 キョンシーの息子たち!]](アークアの友人〈[[午馬|ウー・マ]]〉)
* [[霊幻道士3 キョンシーの七不思議]](招待客〈[[ユン・ケイ]]〉)
* [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]](サティポ〈[[アルフレッド・モリーナ]]〉)※ソフト版
* [[REC/レック]](警官)
* [[RED/レッド]](ガブリエル・シンガー〈ジェームズ・レマー〉)
* [[北京のふたり|レッド・コーナー 北京のふたり]](ボブ・ゲリー〈[[ブラッドリー・ウィットフォード]]〉)
* [[レッド・スコルピオン]](エラーノ)※ソフト版
* [[レッドブル (映画)|レッドブル]](ギャラガー〈[[リチャード・ブライト (俳優)|リチャード・ブライト]]〉)※VHS版、(ユーリ)※テレビ朝日版
* {{仮リンク|レプティリア (映画)|label=レプティリア|en|Crocodile (2000 film)}}(バーマン保安官)
* {{仮リンク|レボリューション6|en|What to Do in Case of Fire?}}(マノフスキー)
* [[レンタル・キッズ/お子様貸します!]](クリフ〈トニー・ロサト〉)
* [[ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー]](ジャン・ドドンナ将軍〈[[イアン・マッケルヒニー]]〉)
* [[ロードキラー]](氷トラックの運転手)※ソフト版
* [[ロケッティア]] ※テレビ朝日版
* [[ロスト・ソウルズ]](マイク・スマイス〈ジョン・ビーズリー〉)
* [[ロッキー (映画)|ロッキー]](マイク)
* ロボコップシリーズ(ドナルド・ジョンソン〈フェルトン・ペリー〉)※テレビ朝日版
** [[ロボコップ]](キニー)※VHS版
** [[ロボコップ2]]
** [[ロボコップ3]]
* [[ワイアット・アープ (1994年の映画)|ワイアット・アープ]](ジョニー・ビーハン〈[[マーク・ハーモン]]〉)※ソフト版
* [[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]](フランキー〈[[ジョー・ペシ]]〉)※DVD版
* [[ワンス・アラウンド]](トニー・ベラ)
==== ドラマ ====
* {{仮リンク|悪魔の異形|en|Hammer House of Horror}} #4(チャールズ・オースティン)
* [[アメリカン・ヒーロー]] #40(ジョージ・タナカ)
* [[ER緊急救命室]]
** シーズン3(マニー、ゾゴイビー、ディラシアス)
** シーズン4(レイブソン)
** シーズン7(ワトキンズ)
* [[THE EVENT/イベント]](ジェームズ・デンプシー博士〈[[ハル・ホルブルック]]〉)
* [[インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険]]
* {{仮リンク|VINYL -ヴァイナル- Sex, Drugs, Rock'n'Roll & NY|en|Vinyl (TV series)}}(モーリー・ゴールド〈ポール・ベン=ヴィクター〉)
* [[WITHOUT A TRACE/FBI 失踪者を追え!]](ボブ〈[[デヴィッド・ペイマー]]〉、トレセル、マルコム・ポープ)
* {{仮リンク|APB ハイテク捜査網|en|APB (TV series)}}(ジョー・リーヴス〈[[ジョン・ハード]]〉)
* [[SF起源 タイムゲイト]](アーサー・ブラウンロー)
* [[X-ファイル]] ※ソフト版
** シーズン1 第17話「[[E.B.E (X-ファイルのエピソード)|E.B.E]]」(ランハイム / フランク・ドルース)
** シーズン1 第18話「[[奇跡の人 (X-ファイルのエピソード)|奇跡の人]]」(モーリス・ダニエルズ保安官)
* [[NCIS 〜ネイビー犯罪捜査班]](トーマス・モロー〈[[アラン・デイル]]〉)※シーズン10から
** シーズン2(ブッシュネル大佐〈マディソン・メーソン〉)
** シーズン4(ディミトリ・ボロフ大将)
* [[OZ/オズ]](ニノ・シベッタ〈[[トニー・ムサンテ]]〉)
* [[俺たち賞金稼ぎ!!フォール・ガイ]] シーズン2 #10(アル・バートン)
* [[女刑事キャグニー&レイシー]](ビクター・イスペッキー刑事〈[[マーティン・コーヴ]]〉)
* [[恐竜家族]](リポーター)
* [[THE KILLING/キリング]]
* [[グッド・ワイフ|グッド・ワイフ2]](カイル・マーフィー、ケヴィン・ヘインズ〈マット・マロイ〉)
** [[グッド・ファイト]](ロン〈デニス・アーント〉)
* [[クライム・ストーリー]](ダニー・クライチャック〈[[ビル・スミトロヴィッチ]]〉)
* [[クリミナル・マインド FBI行動分析課]]
** シーズン3(ハリス)
** シーズン4(クイン)
** シーズン5(ビル)
** シーズン6(ショーン・マカリスター刑事〈[[アンガス・マクファーデン]]〉)
** シーズン7(トーズ中尉)
** シーズン9(エドワード・コールダー〈[[マーシャル・R・ティーグ]]〉)
** シーズン10(ロイ・ブルックス〈[[エドワード・アズナー]]〉)
* [[GRIMM/グリム]] シーズン5(ダニエル・トロイア〈[[リチャード・ポートナウ]]〉)
* [[グレイズ・アナトミー 恋の解剖学]](ヨルダン・フランクリン〈ジャック・シアラー〉)
** グレイズ・アナトミー8 恋の解剖学(チャック・ケイン〈[[リー・メジャース]]〉)
* [[刑事ヴァランダー|刑事ヴァランダー3 白夜の戦慄]](フレドリック)
* [[刑事ナッシュ・ブリッジス]](マックス・ペティット〈[[ジェフ・ピアソン]]〉)
** シーズン5 #13(ホルト・クルーガー)
* [[マルティン・ベック#ヨースタ・エクマン版|刑事マルティン・ベック]] 警官殺し(モード船長)
* {{仮リンク|コード・ブラック 生と死の間で|en|Code Black (TV series)}}(ピート・ディレーニー〈[[ボー・ブリッジス]]〉)
* [[コールドケース 迷宮事件簿|コールドケース6]](ディック・ウォレス〈現在〉)
* [[こちらブルームーン探偵社]]
** シーズン2 #10(ヨゼフ・グッドマン)
** シーズン3 #11(モー・ハイラー、留置場の男〈[[ロバート・ウール]]〉)
** シーズン5 #13(ウォルター・ホワイトブレッド)
* [[ザ・コミッシュ]](マイク・ローズ)
* [[ザ・プラクティス ボストン弁護士ファイル]](ジョン・ライデル〈ジョン・カペロス〉)
* [[ザ・プリテンダー 仮面の逃亡者]](マイケル・メッガー)
* [[三国志演義 (テレビドラマ)|三国志演義]](韓当、潘璋)※NHK-BS2版
* [[CSI:科学捜査班]]
** シーズン6(ウォーレン・マシューズ大佐〈チャールズ・ネイピア〉)
** シーズン8(ルー・ゲッダ〈ジョン・キャポディス〉)
** シーズン11(アーネスト・グールド〈[[エリオット・グールド]]〉)
* [[CSI:ニューヨーク|CSI:ニューヨーク7]](ルーサー・デヴァーロ〈[[エドワード・ジェームズ・オルモス]]〉)
* [[シークエスト]](マーレイ・ゴールドウォーター〈スティーブン・クロニッシュ〉)
* [[ジーニアス (テレビドラマ)|ジーニアス]](ミロシュ・マリッチ〈ペジャ・ビヤラク〉)
* [[ジェシカおばさんの事件簿]]
** スポットライトが死を照らす(マーティン)
** テニスのスター天に昇る(トラビス警部)
** 停電は殺しのチャンス(ストーニー)
* [[明日があるなら|シドニー・シェルダンの明日があるなら]](バッジ・ホランダー〈[[ジェフリー・ジョーンズ]]〉、ローレンス判事)※テレビ東京版
* [[ストーリーテラー (テレビドラマ)|ジム・ヘンソンのストーリーテラー]](宿屋の主人〈デヴィッド・フリーシュマン〉)
* [[シャーロック・ホームズの冒険 (テレビドラマ)|シャーロック・ホームズの冒険]]
** ボヘミアの醜聞(聖職者)
** マスグレーブ家の儀式書(レジナルド・マスグレイヴ)※追加収録部分
* [[笑傲江湖 (2001年のテレビドラマ)|笑傲江湖]](王元覇)
* [[私立探偵ハリー]](ホッファー〈ロバート・リード〉)
* [[私立探偵マグナム]]
** シーズン1 #17(デヴィッド・クラーク)
** シーズン2 #4(ユーリ・ドルゴフ)
* [[死を呼ぶスキャンダル]](テッド・セリグソン〈[[ダブニー・コールマン]]〉)
* [[新アウターリミッツ]] シーズン1 #10(カルリト)
* [[新・アンタッチャブル]](トミー・テイラー〈[[キューバ・グッディング・ジュニア]]〉)
* [[刑事コロンボ|新・刑事コロンボシリーズ]]
** だまされたコロンボ(ハーブ市長補佐)
** 奇妙な助っ人(シファ警部)
* [[新スタートレック]](ガリン博士〈[[リチャード・カンシーノ]]〉、Q2〈コービン・バーンセン〉)
* [[SCORPION/スコーピオン]](エルキンズ〈ジョシュ・クラーク〉)
* [[スターゲイト SG-1]](セルゲイ・イワノフ中佐)
* [[スタートレック:ディープ・スペース・ナイン]](ボラス〈[[デニス・クリストファー]]〉、コバーン提督)
* [[ストライクバック:極秘ミッション|ストライクバック4:極秘ミッション]]
* [[スパイ大作戦]] ※追加録音分
** シーズン3 #1 #2(ボビー〈[[ロバート・コンラッド]]〉)
** シーズン3 #20(ジーグラー大佐〈デイヴィッド・シェイナー〉)
** [[スパイ大作戦|新スパイ大作戦 隣国侵攻!狙われた油田]](スーチェク大尉)
* [[スピン・シティ]] シーズン6 #14(レイ・クロフォード〈マーティン・シーン〉)
* [[ハリーズ・ロー 裏通り法律事務所|続ハリーズ・ロー 裏通り法律事務所]](レイモンド判事〈ダン・ラウリア〉)
* [[ダークエンジェル (テレビドラマ)|ダークエンジェル]] シーズン1 #3(テレンス・リーソン所長)※ソフト版
* [[第一容疑者]]1 連鎖(レジ・マッキニー)
* 第一容疑者4 消えた幼児(トニー・マディマン警部補)
* [[タッチング・イーブル〜闇を追う捜査官〜]](ハンク)
* [[チャーリーズ・エンジェル|地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル]](ロジャース刑事、クラリェヴォ)※追加吹き替え分
** シーズン1 #22(ブレシュニク)※追加収録部分
* [[CHUCK/チャック]](ベン・ローパン〈[[ジェームズ・ホン]]〉)
* [[推奴 (テレビドラマ)|推奴 〜チュノ〜]]
* [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]]
** シーズン2 #13(トミー)、#19(サラザール)
** シーズン3 #8(デニス・スレード)
* [[フラッシュ (DCコミックス)#超音速ヒーロー ザ・フラッシュ|超音速ヒーロー ザ・フラッシュ]](テッド・プレミンジャー〈ポール・リンク〉、スタンリー・モース〈ヴィクター・リバーズ〉)※日本テレビ版
* [[超感覚刑事ザ・センチネル]](マイク・ハーリー〈[[レオン・ラッサム]]〉)
* [[ツイン・ピークス]](ベンジャミン・ホーン〈[[リチャード・ベイマー]]〉)
* ツイン・ピークス The Return(ベンジャミン・ホーン〈リチャード・ベイマー〉)
* [[ディフェンダーズ 闘う弁護士]](ポール・デニス)
* [[24 -TWENTY FOUR-]] シーズン2(ブラッド・ハモンド〈ランドル・メル〉)
* [[特捜刑事マイアミ・バイス]]
** シーズン1 #9(フロイド・ヒギンズ〈[[ジョン・パンコウ]]〉)、#17(ジャック・デイヴィス〈ジョー・モートン〉)
** シーズン2 #3(マーヴェル・クイン牧師〈[[リトル・リチャード]]〉)、#14(ジャン・ファバール)
** シーズン3 #2(ジョゼフ・テイチナー)、#4(フォックス〈ケヴィン・コンウェイ〉)、#7(メンデス)、#15(ヌイン・ヴァン・トラン〈[[ハイン・S・ニョール]]〉)
* [[ドクタークイン 大西部の女医物語]](カール、リッグス、ステレット、フランクリン)
* [[特攻野郎Aチーム]]
** シーズン1 #3(アンドレ〈[[フィリップ・プロクター]]〉)
** シーズン2 #6(ライダー〈ブライオン・ジェームズ〉、トム・ハート)
** シーズン4 #21(カルロス・"ブルームーン"・メンドーザ)
** シーズン5 #10(ブラザー・マリノ)
* [[ナイトライダー]] シーズン1 #2(サンダーソン少佐)、#3(スニーカー)
* [[NY市警緊急出動部隊 トゥルー・ブルー]](ジョーイ巡査)
* {{仮リンク|忍者ジョン&マックス|en|The Master (American TV series)}}(オーカサ〈[[ショー・コスギ]]〉)
* [[バーン・ノーティス 元スパイの逆襲]]
* [[地上最強の美女バイオニック・ジェミー#リメイク版|バイオニック・ウーマン]] #3(ヴァン・フリート)
* [[ハイテク武装車バイパー]] パイロット版(タウンゼント〈[[ウィリアム・ラス]]〉)
* [[バビロン5]](ジ・ローン〈[[キム・ストラウス]]〉)
* [[HAWAII FIVE-0]]
** シーズン3 #11、シーズン7 #11(チョイ叔父さん〈[[ジョージ・タケイ]]〉)
** シーズン5 #2(グラハム・ローデス海軍中将〈パトリック・セント・エスプリト〉)
* [[犯罪捜査官ネイビーファイル]](ハンク・オリン〈[[ブルース・ウェイツ]]〉)
* [[ヒーロー (2009年のテレビドラマ)|ヒーロー]](チョ・ヨンドク)
* [[美女と野獣]](タイラー・バックマン〈[[ジェフリー・ノードリング]]〉)
* {{仮リンク|フォーティチュード/極寒の殺人鬼|en|Fortitude (TV series)}}(ヘンリー・タイソン〈[[マイケル・ガンボン]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/drama/fortitude/sid=1/p=c/|title=フォーティチュード/極寒の殺人鬼 キャスト&スタッフ|website=スター・チャンネル|accessdate=2021-11-28}}</ref>)
* [[THE BLACKLIST/ブラックリスト]] シーズン1 #18(フレドリック・オズボーン、ワヒード・ダビ、ミッチェル トラヴァース)
* [[FRINGE/フリンジ]](ジェームズ・ヴァン・ホーン上院議員〈ジェラルド・プランケット〉)
* [[ブルーサンダー (映画)#テレビドラマ版|ブルー・サンダー]](ベンジャミン・ケルティ〈[[サム・アンダーソン]]〉)
* [[フレンズ (1994年のテレビドラマ)|フレンズ]](ジェイ・レノ〈本人〉)
* [[ブロッサム (テレビドラマ)|ブロッサム]]([[レジー・ジャクソン]]〈本人〉)
* {{仮リンク|ベルグレービア 秘密だらけの邸宅街|en|Belgravia (TV series)}}(ペレグリン・ベラシス / ブロッケンハースト伯爵〈[[トム・ウィルキンソン]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/drama/belgravia/sid=1/p=c/|title=ベルグレービア 秘密だらけの邸宅街 キャスト&スタッフ|website=スター・チャンネル|accessdate=2021-09-07}}</ref>)
* [[ボーイ・ミーツ・ワールド]](ラム〈[[ダン・ラウリア]]〉)
* [[ホークアイ (テレビドラマ)|ホークアイ]](アーマンド3世)<!-- 2021-11-24 -->
* [[ボードウォーク・エンパイア 欲望の街]]
* [[BONES -骨は語る-|BONES]](ヘクター・アルバラード〈マイク・ゴメス〉)
* [[冒険野郎マクガイバー]]
** シーズン1 #3(ニコライ・グロツキー)、#7(デイヴ・レディング)、#12(将校)、#16(アントン)、#20(ブライアン・アシュフォード〈[[ジョン・デ・ランシー (俳優)|ジョン・デ・ランシー]]〉)、#22(エミリオ)
** シーズン2 #3(トニー)、#7(ジルベール・アルノー)、#13(ロバート・ジュリアン)、#16(アーニー〈[[ロバート・パストレリ]]〉)、#21(警部補〈バック・ヤング〉)、#22(ゾルキン)
* {{仮リンク|炎のエマ|en|A Woman of Substance (TV series)}}(ウインストン〈ドミニク・ガード〉)
* [[ポリス・ストーリー (テレビドラマ)|ポリス・ストーリー/許されぬ誤ち]](ジョン・アンダーソン〈[[ジェームズ・ファレンティノ]]〉)
* [[ボルジア家 愛と欲望の教皇一族]](オルシーニ枢機卿)
* [[マードック・ミステリー 〜刑事マードックの捜査ファイル〜]] #12(ギル・パトリック)
* {{仮リンク|また会う日まで (テレビドラマ)|label=また会う日まで|en|Judith Krantz's Till We Meet Again}}(ルッテマン〈[[ヴォルフ・カーラー]]〉)
* [[マペット放送局]](ジェイ・レノ)
* [[ミステリアスアイランド]](ジャック〈C・デービッド・ジョンソン〉)
* [[ミス・マープル (1980年代のテレビシリーズ)|ミス・マープル]]
** パディントン発4時50分(ハロルド・クラッケンソープ)
** 書斎の死体(アーサー・バントリー大佐、エドワーズ)
** 牧師館の殺人(ローレンス・レディング)
* [[ミッシング -サイキック捜査官-]](ウォルター・コナーズ)
* [[ミディアム 霊能者アリソン・デュボア|ミディアム2 霊能者アリソン・デュボア]] #5(老人の亡霊)
** ミディアム7 最終章(ギロリー保安官)
* [[名探偵ポワロ]] ※NHK版
** ミューズ街の殺人(ドクター・ブレット)
** 安いマンションの事件(テディ・パーカー)
** 二重の手がかり(ホテル支配人、私立探偵ブレーク)
** 満潮に乗って(アーデン)
** 海上の悲劇(警官)
** イタリア貴族殺害事件(刑事)
** ポワロのクリスマス(雑貨屋店主)
* [[名探偵モンク|名探偵モンク1]] #11
* {{仮リンク|モーツァルト・イン・ザ・ジャングル|en|Mozart in the Jungle}}(トーマス〈[[マルコム・マクダウェル]]〉)
* [[ヤングライダーズ]] シーズン1 #18(モーガン)
* [[愉快なシーバー家]](ジュリー)
* {{仮リンク|ラブ・ボート|en|The Love Boat}}(アイザック・ワシントン〈テッド・ランゲ〉)
* [[リバーデイル (テレビドラマ)|リバーデイル]](ウェザビー校長〈ピーター・ブライアント〉)
* [[レジェンド・オブ・アロー]](ノッティンガム卿〈マルコム・マクダウェル〉)※ソフト版
* [[ロズウェル - 星の恋人たち]](セリグマン先生)
* ロンサム・ダブ(モンキー・ジョン〈[[マシュー・カウルズ]]〉)
==== アニメ ====
* [[アラジン (1992年の映画)|アラジンの大冒険]](主人、家臣、衛兵、兵士 他)
* [[インヴェイジョンUSA]](ドク)
* [[ザ・シンプソンズ]](ハーラン・ダンダリンガー校長〈初代〉、美術教師、警部)
* [[ジャスティス・リーグ (アニメ)|ジャスティス・リーグ]](ヴァンダル・サベージ〈初代〉)
* [[ジャッキー・チェン・アドベンチャー]](ダオラン・ウォン)
* [[スター・ウォーズ 反乱者たち]](ジャン・ドドンナ将軍)
* [[タンタンの冒険旅行|タンタンの冒険]](スナイパー、ステファン)
* [[地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー]](ストーカー)
* [[チップとデールの大作戦]](署長、ダドリー)※新吹き替え版
* [[ドラゴン水滸伝]](武吉)
* [[バットマン (アニメ)|バットマン]](グラント・ウォーカー)
* [[ハッピー フィート]](ボスペンギン)
** [[ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊]](長老エッグバート)
* [[パパはグーフィー]]
* [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (1987年のアニメ)|ミュータント・タートルズ(1987年東和ビデオ版)]](ロックステディ)
* [[ルーニー・テューンズ]](船長、男)
* [[モンスター・ホテル2]](マイク<!-- 〈声:[[ニック・オファーマン]]〉 -->)
=== 特撮 ===
* [[アイアンキング]](1972年、不知火順四郎)
* [[人造人間キカイダー]](1973年、科学者)<!-- 1973-03-31 -->
* [[スーパーロボット レッドバロン]](1974年、鉄面党エージェント、吉村博士)
* [[恐竜戦隊コセイドン]](1979年、湯村秀人)
* [[ウルトラマン80]](1980年、鈴木航海士)<!-- 1980-11-05 -->
* [[ぼくら野球探偵団]](1980年、山本)
* [[電磁戦隊メガレンジャー]](1997年、トカゲネジラーの声)<!-- 1997-11-23 -->
* [[獣拳戦隊ゲキレンジャー]](2007年、臨獣バンゴリン拳ムザンコセの声)<!-- 2007-04-22 -->
* [[侍戦隊シンケンジャー]](2009年、アヤカシ・イクサズレの声)<!-- 2009-11-15 -->
* [[手裏剣戦隊ニンニンジャー]](2015年、超上級妖怪シュテンドウジの声)
=== デジタルコミック ===
* [[VOMIC]] [[キングダム (漫画)|キングダム]](昌文君)
* VOMIC [[CLOTH ROAD]](グスタフ)
* VOMIC [[月華美刃]](萩じい)
* VOMIC [[この音とまれ!]](久遠源)
=== テレビドラマ ===
* [[NHK大河ドラマ]]
** [[三姉妹]](1967年)
** [[春の坂道]](1971年) - [[三浦正次]] 役
* [[三匹の侍]] 第6シリーズ 第18話「裏切りの季節」(1969年) - 岩佐半次郎 役
* [[右門捕物帖]] 第180話「十八番手柄 いざよい河岸の女」(1970年、NTV / 東宝)
* [[特別機動捜査隊]](NET / 東映)
** 第502話「親なき子」(1971年)
** 第531話「わが作戦敗れたり」(1972年)
** 第737話「歪んだクリスマス」(1975年)
** 第757話「霊柩車を撃て!」(1976年)
** 第796話「夕陽の波止場」(1977年) - 小谷 役
* [[ガッツジュン]](1971年、TBS) - 萩原監督 役
* しがらき物語(1972年、NET)
* [[助け人走る]] 第6話「上意大悲恋」(1973年、ABC / 松竹) - 古川主馬 役
* [[追跡 (1973年のテレビドラマ)|追跡]] 第5話(1973年、KTV / C.A.L.)
* [[隠密剣士#隠密剣士 突っ走れ!|隠密剣士 突っ走れ!]] 第10話「忍者を助ける信太郎」(1974年、TBS / [[宣弘社|宣弘社プロダクション]])
* [[特捜記者]] 第3話「密航者は誰だ」(1974年、KTV / 松竹)
* [[夜明けの刑事]] 第67話「君は妻娘を殺されたらどうする!!」(1976年、TBS)
* [[太陽にほえろ!]] 第220話「ジュンの復讐」(1976年、NTV / 東宝) - 佐々木大造の部下 役
* [[大江戸捜査網]] 第4シリーズ(1976年、東京12チャンネル / 三船プロダクション)
** 第104話「美女群盗伝」
** 第130話「理由なき殺人」
* [[伝七捕物帳]] 第154話「狙われた赤ン坊 」(1977年、日本テレビ / [[ユニオン映画]]) - 佐吉 役
* [[破れ奉行]] 第35話「闇に散った怨み花」(1977年、NET / [[中村プロダクション]]) - 役人 役
* [[特捜最前線]](NET / 東映)
** 第26話「娘よ!父の罪を赦せ」(1977年)
** 第55話「アリバイ・駈けこんで来た女!」(1978年)
** 第90話「ジングルベルと銃声の街!」(1978年)
** 第118話「子供の消えた十字路」(1979年)
** 第239話「神代警視正の犯罪!」(1981年)
* [[大追跡 (テレビドラマ)|大追跡]] 第5話「潜入刑事」(1978年、NTV / 国際放映)
* [[破れ新九郎]](NET / 中村プロダクション)
** 第12話「血風!帰らざる街道」(1978年) - 佐吉 役
** 第18話「血涙、地獄の子連れ狼」(1979年) - 市助 役
* [[ゆうひが丘の総理大臣]](NTV / ユニオン映画)
** 第5話「先生は先生で兄貴じゃない!」(1978年)
** 第38話「恋の芽生えは出合いから!」(1979年)
* [[江戸の旋風|江戸の旋風シリーズ]](CX / 東宝)
** [[江戸の旋風#同心部屋御用帳 江戸の旋風(第4シリーズ)|同心部屋御用帳 江戸の旋風IV]] 第13話「錆びた十手」(1979年) - 暗闇配下の盗賊 役
** [[江戸の旋風#新・江戸の旋風|新・江戸の旋風]](1980年)
*** 第12話「恋風孫兵衛・春の嵐吹く」 - 野猿の甚助 役
*** 第31話「掠奪された花嫁」 - 明暗衆首領・陣内 役
* [[江戸の朝焼け]] 第12話「愛すればこそ」(1980年、CX)
* [[鬼平犯科帳 (萬屋錦之介)]] 第1シリーズ 第18話「[[葵小僧|妖盗葵小僧]]」(1980年、NET / 中村プロダクション) - 日野屋手代・幸次郎 役
* [[仕掛人・藤枝梅安|仕掛人・藤枝梅安 梅安流れ星]](1982年、CX / 東宝)
=== ボイスオーバー ===
* 新プラネット([[サイエンスチャンネル]])
* [[BS世界のドキュメンタリー]](NHK-BS1)
** 「[[ウサーマ・ビン・ラーディン|ビンラディン]]は生きているのか?」(2010年、[[デヴィッド・レイ・グリフィン]])
* ロイヤル・スキャンダル 〜エリザベス女王の苦悩〜(2012年、[[NHK BSプレミアム]])
=== CM ===
* [[インターネットラジオ]][[音泉]]-コスパCM-【Gガンダム編】
* SDガンダム GジェネレーションSEED CM(東方不敗マスター・アジア)
* [[森永製菓]][[ヴェルタース オリジナル]]CM【おじいさんは語る編】(おじいさんの吹き替え)
* [[バンダイ]]「DXシャイニングガンダム」
* [[レイ・フォース]]「スタートリング オデッセイ2 魔竜戦争」CM
=== その他コンテンツ ===
* [[機動戦士ガンダム0079カードビルダー]](ハーディ・シュタイナー、ディック・アレン)
* [[バンダイ]][[ガシャポン]]「[[サウンドロップ|サウンドロップコンパクト]]ガンダム30周年宿命のライバル編」(2009年8月、東方不敗マスターアジア)
* [[パチスロ]]「[[グラディウス・ザ・スロット]]」(マゼラン<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kpenet.jp/contents/kpe_11_02gd_hp/top.html |title=パチスロ「GRADIUS -THE SLOT-」OFFICIAL SITE |publisher=[[KPE]] |year=2011 |accessdate=2013-08-11 |deadlinkdate=2017-12-15}}</ref>)
== ディスコグラフィ ==
=== キャラクターソング ===
{| class="wikitable" style="font-size:small;"
! 発売日 !! 商品名 !! 歌 !! 楽曲 !! 備考
|-
| {{nobr|1995年3月24日}} || 機動武闘伝Gガンダム GUNDAM FIGHT-ROUND5
| '''秋元羊介'''
| 「男道、獣道/マスターアジアの恨み節」
| テレビアニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』関連曲
|-
| 2021年11月3日 || 宇崎ちゃんは遊びたい! サウンドこれくしょん
| 亜細亜実([[竹達彩奈]])、榊󠄀逸仁([[髙木朋弥]])、亜細亜紀彦('''秋元羊介''')
| 「Enjoy!カフェごはん」
| テレビアニメ『[[宇崎ちゃんは遊びたい!|宇崎ちゃんは遊びたい!]]』関連曲
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Ras}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
|refs=
<ref name="mause">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.mausu.net/talent/tpdb_view.cgi?UID=71|title=マウスプロモーション公式サイト:所属タレント|work=タレントプロフィール|author=|publisher=[[マウスプロモーション]]|accessdate=2010-05-16 |deadlinkdate=2017-12-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111230115739/http://www.mausu.net/talent/tpdb_view.cgi?UID=71 |archivedate=2011-11-30}}</ref>
<ref name="岩佐">{{Cite book|和書|date=2001-08-10|editor=岩佐陽一|title=シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全 宣弘社ヒーローの世界|publisher=[[双葉社]]|pages=184-186|chapter[ガッツジュン 広報資料再録 レギュラーメンバー紹介 |isbn=978-4575292626}}</ref>
<ref name="ガンダムSEED">{{Cite web|和書|accessdate=2023-02-10 |publisher = サンライズ |title= シーゲル・クライン CHARACTER 機動戦士ガンダムSEED |url= https://www.gundam-seed.net/seed/character/detail.php?id=37 |website =機動戦士ガンダムSEEDシリーズ公式サイト |work =機動戦士ガンダムSEED}}</ref>
<ref name="源氏">{{Cite web|和書| url = http://jcstaff.co.jp/sakuhin/nenpyo/1992/03_genji/genji.htm | title = 源氏 第一部 | publisher = [[ジェー・シー・スタッフ]] | accessdate = 2023-10-31}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* {{Official|1=http://www.office-pac.jp/talent/profile/?id=akimoto-y|name=秋元羊介|オフィスPAC}}
* {{日本タレント名鑑|M93-0053}}
* [https://thetv.jp/person/0000082027/ 秋元羊介のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* [https://seigura.com/directory/123/ 秋元 羊介|声優名鑑 - 声優グランプリweb]
* {{Kinejun name}}
* {{Oricon name|216491}}
* {{Movie Walker name|115066}}
* {{映画.com name|11103}}
* {{allcinema name}}
* {{JMDb name|0477950}}
* {{IMDb name|0015342|Yôsuke Akimoto}}
{{オフィスPAC}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:あきもと ようすけ}}
[[Category:日本の男性声優]]
[[Category:日本の男優]]
[[Category:日本の舞台俳優]]
[[Category:剣劇俳優]]
[[Category:オフィスPAC]]
[[Category:過去のマウスプロモーション所属者]]
[[Category:法政大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1944年生]]
[[Category:存命人物]]
|
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|
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|
11,339 |
秋谷智子
|
秋谷 智子(あきや ともこ、1976年5月14日 - )は、日本の女性声優。千葉県出身。血液型はAB型。身長169cm。
就職活動中に学校で披露した芝居を楽しいと感じ、記念に芸能プロダクションを受験し、そのまま受かる。以降CMの仕事を行っていたが、1999年にテレビアニメ『おジャ魔女どれみ』の藤原はづき役にオーディションで選ばれ、声優デビューする。
2001年までスターダストに所属。2007年8 - 9月頃から2008年までケッケコーポレーション預かりとなっていた。
2013年12月22日にTwitterにて女児を出産したことを報告した。
太字はメインキャラクター。
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秋谷 智子は、日本の女性声優。千葉県出身。血液型はAB型。身長169cm。
|
{{存命人物の出典明記|date=2013年5月19日 (日) 13:37 (UTC)}}
{{声優
| 名前 = 秋谷 智子
| ふりがな = あきや ともこ
| 画像ファイル =
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| 生年 = 1976
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| 血液型 = [[ABO式血液型|AB型]]
| 身長 = 169 cm
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| 事務所 =
| 配偶者 = あり
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| 公式サイト =
| 活動期間 = [[1999年]] -
| デビュー作 = [[藤原はづき]](『[[おジャ魔女どれみ]]』)
| 活動 =
}}
'''秋谷 智子'''(あきや ともこ、[[1976年]][[5月14日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[千葉県]]出身。[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|AB型]]。身長169cm<ref>『おジャ魔女どれみ16 Naive』305頁。</ref>。
== 経歴 ==
就職活動中に学校で披露した芝居を楽しいと感じ、記念に芸能プロダクションを受験し、そのまま受かる<ref name="doremi16306">『おジャ魔女どれみ16 Naive』306頁。</ref>。以降CMの仕事を行っていたが<ref name="doremi16306" />、[[1999年]]にテレビアニメ『[[おジャ魔女どれみ]]』の[[藤原はづき]]役にオーディションで選ばれ、声優デビューする<ref>元々は春風ぽっぷ役でオーディションを受けていた{{要出典|date=2017年8月}}。</ref>。
[[2001年]]まで[[スターダストプロモーション|スターダスト]]に所属。[[2007年]]8 - 9月頃から[[2008年]]まで[[ケッケコーポレーション]]預かりとなっていた。
[[2013年]][[12月22日]]にTwitterにて女児を出産したことを報告した<ref>{{Cite web|url=https://twitter.com/akiyatomoko/status/415141537995964417|title=秋谷智子@akiyatomoko|accessdate=2014-01-18}}</ref>。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
* [[おジャ魔女どれみ]](1999年 - 2003年、'''[[藤原はづき]]''') - 4シリーズ
* [[金色のガッシュ!!|金色のガッシュベル!!]](2003年 - 2006年、水野鈴芽)
* [[出ましたっ!パワパフガールズZ]](2006年 - 2007年、キーン先生)
* [[キャシャーン Sins]](2008年、ソフィータ)
* [[俺の妹がこんなに可愛いわけがない (アニメ)|俺の妹がこんなに可愛いわけがない]](2010年、みやび)
* [[夢喰いメリー]](2011年、'''光凪由衣''')
=== OVA ===
* [[おジャ魔女どれみ|おジャ魔女どれみナ・イ・ショ]](2004年、'''藤原はづき''')
=== 劇場アニメ ===
* [[おジャ魔女どれみ#劇場版|映画 おジャ魔女どれみ シリーズ]](2000年 - 2001年、'''藤原はづき''') - 2作品
* [[金色のガッシュ!!|劇場版 金色のガッシュベル!! シリーズ]](2004年 - 2005年、水野鈴芽) - 2作品
* [[チョコレート・アンダーグラウンド]](2009年、マートル・パーキンス<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20180302103917/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/11041|title=チョコレート アンダーグラウンド ぼくらのチョコレート戦争|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2016-08-10}}</ref>)
* [[魔女見習いをさがして]](2020年、藤原はづき<ref>{{Cite web|work=映画「魔女見習いをさがして」公式サイト|url=https://www.lookingfor-magical-doremi.com/character/|title=CHARACTER/CAST|accessdate=2020-08-18}}</ref>、女子中学生〈妹〉)<!-- 2020-11-13 -->
=== Webアニメ ===
* [[ペンギン娘#Webアニメ|ペンギン娘♥はぁと]](2008年、リーフ)
* [[おジャ魔女どれみ|おジャ魔女どれみ お笑い劇場]](2019年、'''藤原はづき'''<ref>{{Cite news|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1553388755|title=『おジャ魔女どれみ』20周年記念〜マジカルステージ〜【AJ2019】|newspaper=アニメイトタイムズ|publisher=アニメイト|date=2019-03-24|accessdate=2021-03-15}}</ref>)<!--2019-03-23-->
=== ドラマCD ===
* [[おジャ魔女どれみ|おジャ魔女どれみ シリーズ]] (1999年 - 2015年、'''藤原はづき''')
* [[明日のナージャ|明日のナージャ シリーズ]] (2003年 - 2004年、ニコル)
=== ゲーム ===
{{dl2
| 2002年 |
* [[おジャ魔女どれみドッカ〜ン!にじいろパラダイス]]('''藤原はづき''')
| 2004年 |
* [[おジャ魔女あどべんちゃ〜ないしょのまほう]]('''藤原はづき''')
* [[金色のガッシュベル!! 激闘!最強の魔物達]](水野鈴芽)
* [[金色のガッシュベル!! うなれ!友情の電撃2]](水野鈴芽)
| 2005年 |
* 金色のガッシュベル!! ザ・カードバトル for GBA(水野鈴芽)
| 2011年 |
* [[俺の妹がこんなに可愛いわけがない ポータブル]](みやび)
| 2019年 |
* [[ぷよぷよ!!クエスト]](藤原はづき<ref>{{Cite web|和書|url=https://puyopuyoquest.sega-net.com/news/191102_74132.html|title=『おジャ魔女どれみ』コラボイベント開催決定!|work=ぷよぷよ!!クエスト(ぷよクエ)公式サイト|publisher=セガ|date=2019-11-02|accessdate=2020-09-05}}</ref>)<!-- 2019-11-15 -->
| 2020年 |
* [[きららファンタジア]]([[夢喰いメリー#主要人物|光凪由衣]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.4gamer.net/games/385/G038590/20201124109/|title=「きららファンタジア」,“夢喰いメリー”のキャラクターが登場するピックアップ召喚を開催|work=[[4Gamer.net]]|date=2020-11-24|accessdate=2020-11-24}}</ref>)<!-- 2020-11-25 -->
}}
=== 吹き替え ===
* くノ一五人衆VS女ドラゴン軍団(翔)
=== 実写 ===
* CM [[大正製薬|大正]]漢方胃腸薬
* CM [[花王]]「[[バブ]]」
* CM [[サントリー]]「マグナムドライ」
=== CD ===
* [[おジャ魔女どれみ]]シリーズ('''藤原はづき''')
** 「おジャ魔女 ソロヴォーカルコレクション 藤原はづき篇」
*** 月夜の魔法
**** 作詞:大森祥子、作曲:[[奥慶一]]
*** 明日の私
**** 作詞:大森祥子、作曲:奥慶一
** 「MAHO堂 CDコレクションソロ 藤原はづき」
*** [[耳をすまして]]
**** 作詞・作曲:杉山加奈、編曲:丸尾めぐみ
** 「キャラクター・ミニアルバム 藤原はづき」
*** 内緒の法則
**** 作詞:大森祥子、作曲・編曲:[[松浦有希]]
** 「FRIENDS MAHO堂ソロVocalアルバム」
*** OK!
**** 作詞・作曲:[[井上望]]、編曲:信田かずお
** 他、[[おジャ魔女どれみのディスコグラフィ#MAHO堂|MAHO堂]]メンバーとしての曲は当該項目を参照。
* [[金色のガッシュベル!!]]シリーズ(水野鈴芽)
** 「金色のガッシュベル!! キャラクターソングシリーズ ガールズサイド」
** 「金色のガッシュベル!! Collection of Golden Songs」
*** ハートのコンパス
* [[夢喰いメリー]]('''光凪由衣''')
** 「[[夢喰いメリーのキャラクターソング#夢喰いメリー キャラクターソング 光凪由衣|夢喰いメリー キャラクターソング 光凪由衣]]」
*** ツナガル輪
**** 作詞:オミ織葉、作曲・編曲:minami
*** ケミカル・マジカル・クッキング
**** 作詞:夕野ヨシミ、作曲・編曲:SRM
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|akiyatomoko}}
* {{Allcinema name|name=秋谷智子}}
{{Normdaten}}
{{Voice-stub}}
{{デフォルトソート:あきや ともこ}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:過去のスターダストプロモーション所属者]]
[[Category:過去のケッケコーポレーション所属者]]
[[Category:千葉県出身の人物]]
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
|
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|
2023-11-29T21:56:16Z
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|
11,340 |
秋山久美
|
秋山 久美(あきやま くみ、1976年2月10日 - )は、日本の女性歌手、声優。アトランティス・エンタテイメント・プロダクション所属。茨城県出身。
2006年2月10日のBIRTHDAY LIVE後、活動休止中。
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秋山 久美は、日本の女性歌手、声優。アトランティス・エンタテイメント・プロダクション所属。茨城県出身。 2006年2月10日のBIRTHDAY LIVE後、活動休止中。
|
{{存命人物の出典明記|date=2020年6月}}
{{声優
| 名前 = 秋山 久美
| ふりがな = あきやま くみ
| 本名 =
| 愛称 =
| 出生地 = {{JPN}}・[[茨城県]]
| 血液型 =
| 生年 = 1976
| 生月 = 2
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| デビュー作 =
| 代表作 =
| その他 =
}}
'''秋山 久美'''(あきやま くみ、[[1976年]][[2月10日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[歌手]]、[[声優]]。[[アトランティス・エンタテイメント・プロダクション]]所属。[[茨城県]]出身。
2006年2月10日のBIRTHDAY LIVE後、活動休止中。
==出演作品==
===テレビアニメ===
*[[魔法少女プリティサミー]]
===ゲーム===
*[[ドキドキプリティリーグ|DOKI DOKI プリティーリーグ]]([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]])(長島茂子)
*[[ドキドキプリティリーグ|ドキドキプリティリーグ Lovely Star]](長島茂子)
===ラジオ===
*[[X ENTERTAINMENT]](メインパーソナリティ)
*[[小森まなみのPop'n!パジャマ]](レギュラーコーナー担当)
*[[宮村優子の直球で行こう!]](レギュラーコーナー担当)
*[[ドキドキプリティリーグ]]([[文化放送]]・1996年4月~1997年3月 [[小野坂昌也]]と一緒にパーソナリティを務めた)
== ディスコグラフィー ==
=== シングル ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!!!発売日!!タイトル!!c/w!!収録アルバム!!型番!!備考
|-
|1
|[[1996年]]8月21日
|'''WILD BLOOD'''
|君だけを見つめてる
|Primary(#1)
|PIDA-1029
|[[エクシング]]「[[Fighting Illusion]] K-1 GRAND PRIX」主題歌&CM曲(#1)<br/>[[フジテレビ]]系「[[SRS (テレビ番組)|SRS-スペシャルリングサイド]]」タイアップ曲(#2)
|-
|2
|1996年9月4日
|'''三度目の夏<ラスト・チャンス>'''
|いつの日かきっと
|Primary(#1=New Version)
|PIDA-1032
|[[文化放送|QR]]系ラジオ「DOKIDOKIプリティリーグ」OP/EDテーマ(#1/#2)
|-
|3
|1996年10月23日
|'''PERSONA'''
|Proceed
|Primary(#1,2)
|PIDA-1036
|[[テレビ東京]]系アニメ「魔法少女プリティサミー」EDテーマ(#1)<br/>QR系ラジオ「DOKIDOKIプリティリーグ」新OPテーマ(#2) 両A面シングル
|}
=== アルバム ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!!!発売日!!タイトル!!型番
|-
|1
|[[1997年]]1月29日
|'''Primary'''
|PICA-1124
|-
|2
|[[2003年]]6月4日
|'''Pleasin''''
|KZEN-AS001
|}
== 外部リンク ==
* [http://kumi.hiho.jp/ * KUMI AKIYAMA *] - 公式ホームページ(閉鎖中)
{{Normdaten}}
{{Singer-substub}}
{{Voice-substub}}
{{DEFAULTSORT:あきやま くみ}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:アニメソング歌手]]
[[Category:ミスマガジン]]
[[Category:茨城県出身の人物]]
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]]
| null |
2020-06-03T15:49:36Z
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[
"Template:Normdaten",
"Template:Singer-substub",
"Template:Voice-substub",
"Template:存命人物の出典明記",
"Template:声優"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E4%B9%85%E7%BE%8E
|
11,341 |
あきやまるな
|
あきやま るな(本名:秋山 照子(あきやま てるこ)1954年4月17日 - 2014年3月8日)は、日本の女性声優。東京都中野区出身。81プロデュース最終所属。
旧芸名は本名のほか、秋山 るな(あきやま るな)、あきやま ひかり。
小学生の頃は看護婦になることが夢だったが、中学時代に外国映画を見るようになってからは声優を目指した。『0011ナポレオン・ソロ』のイリヤの野沢那智に憧れていた。
1973年、桜美林高等学校卒業。
女優に憧れて芝居の勉強をしていたが、東京アナウンス学院に入学したことがきっかけで、声優に進路を転換し、声優デビュー。
テレビタレントセンター20期生。
かつてはぷろだくしょんバオバブに所属していた。一時はアクセントに所属していた時期もあった。
2014年3月8日に虚血性心不全のため死去。満59歳没。
頭身の低い役が多かった。
姉がいる。
中学時代は演劇部、高校時代は「何とかして身長を伸ばそう」とバスケット部に所属していた。
趣味・特技はファンク、ヒップホップ、旅行、読書。
あきやまの没後、持ち役を受け継いだ声優は以下の通り。
太字はメインキャラクター。
|
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] |
あきやま るなは、日本の女性声優。東京都中野区出身。81プロデュース最終所属。 旧芸名は本名のほか、秋山 るな、あきやま ひかり。
|
{{声優
| 名前 = あきやま るな
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| 本名 = 秋山 照子<ref name="nichigai">{{Cite book|和書|title=テレビ・タレント人名事典(第6版) |publisher=日外アソシエーツ |date=2004年6月 |page=22 |isbn=978-4-8169-1852-0}}</ref>(あきやま てるこ){{R|声優事典 第二版}}
| 愛称 =
| 性別 = [[女性]]
| 出生地 =
| 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]][[中野区]]<ref name="ジ・アニメ">{{Cite journal|和書|date = 1983-04|title =声優クローズあっぷ|journal = ジ・アニメ|issue = 1983年5月号|page =168|publisher = [[近代映画社]]}}</ref>
| 死没地 =
| 生年 = 1954
| 生月 = 4
| 生日 = 17
| 没年 = 2014
| 没月 = 3
| 没日 = 8
| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]<ref name="excite">{{Cite news |和書|url=https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PE3f33150eac55533aa919c05c2e3a692709bde8dc/|title=あきやま るな|newspaper= Excite News |date= |agency=エキサイト株式会社|accessdate= 2023-11-05}}</ref><ref name="声優名鑑1985">{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑 アニメーションから洋画まで…|page=8|publisher=[[近代映画社]]|isbn=|year=1985}}</ref><ref name="声優事典">{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |pages= 6-7|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref>
| 身長 =
| 職業 = [[声優]]
| 事務所 = [[81プロデュース]](最終所属)<ref name="81prof">{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=344|title=あきやま るな - (メモリアル):株式会社81プロデュース‐声優プロダクション|accessdate=2023-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221009114237/https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=344|archivedate=2022-10-09}}</ref>
| 配偶者 = あり
| 著名な家族 =
| 公式サイト = {{81プロフィール}}
| 公称サイズ出典 = {{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(1989年版)|page=278|publisher=VIPタイムズ社|date=1989}}
| ref2name = talent
| 身長2 = 150
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| 活動期間 = [[1975年]] - [[2014年]]
| デビュー作 = チルチル(『[[わんぱく大昔クムクム]]{{R|声優名鑑1985|nichigai}})
}}
'''あきやま るな'''(本名:'''秋山 照子'''{{R|nichigai}}(あきやま てるこ){{R|声優事典 第二版}}[[1954年]][[4月17日]]{{R|声優名鑑1985}}<ref name="tvbangumi">週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年11月14日号 p.44「プロフィール」</ref> - [[2014年]][[3月8日]]{{R|excite}})は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[東京都]][[中野区]]出身{{R|ジ・アニメ}}。[[81プロデュース]]最終所属{{R|81prof}}。
旧[[芸名]]は本名のほか、'''秋山 るな'''(あきやま るな){{R|tvbangumi}}、'''あきやま ひかり'''{{R|声優名鑑1985}}<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(1987年版)|page=269|publisher=VIPタイムズ社|date=1987}}</ref>。
== 来歴 ==
小学生の頃は看護婦になることが夢だったが、中学時代に外国映画を見るようになってからは声優を目指した{{R|ジ・アニメ}}。『[[0011ナポレオン・ソロ]]』のイリヤの[[野沢那智]]に憧れていた{{R|ジ・アニメ}}。
[[1973年]]、[[桜美林中学校・高等学校|桜美林高等学校]]卒業{{R|tvbangumi}}。
女優に憧れて芝居の勉強をしていたが、[[東京アナウンス学院]]に入学したことがきっかけで、声優に進路を転換し、声優デビュー{{R|tvbangumi}}。
[[テレビタレントセンター]]20期生{{R|talent}}。
かつては[[ぷろだくしょんバオバブ]]に所属していた{{R|声優事典 第二版}}。一時は[[アクセント (芸能プロダクション)|アクセント]]に所属していた時期もあった{{R|talent}}。
[[2014年]][[3月8日]]に[[虚血性心疾患|虚血性心不全]]のため死去。満59歳没<ref name="cinema">{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0061349|title=「がんこちゃん」声優・あきやまるなさん死去 虚血性心不全のため|work=シネマトゥデイ|date=2014-03-12|accessdate=2014-03-12}}</ref>。
== 人物 ==
頭身の低い役が多かった{{R|声優事典}}。
姉がいる{{R|tvbangumi}}。
中学時代は演劇部、高校時代は「何とかして身長を伸ばそう」とバスケット部に所属していた{{R|ジ・アニメ}}。
趣味・特技は[[ファンク]]、[[ヒップホップ]]{{R|81prof}}、旅行、読書{{R|声優名鑑1985}}。
== 後任 ==
あきやまの没後、持ち役を受け継いだ声優は以下の通り。
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1"
|-
!後任!!役名!!概要作品!!後任の初担当作品
|-
|[[根本圭子]]<ref>[https://web.archive.org/web/20150629185658/http://gree.jp/kawata_taeko/blog/entry/762430580 川田妙子 公式ブログ/ざわざわ森のがんこちゃん - GREE]</ref>||がんこちゃん||『[[ざわざわ森のがんこちゃん]]』||2015年10月放送分
|}
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1975年 |
* [[わんぱく大昔クムクム]](チルチル)
| 1979年 |
* [[ゼンダマン]](ダンゴロー)
| 1980年 |
* [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん(第2作)]]
* [[タイムパトロール隊オタスケマン]](小野小町、お花、みほ、ワルダー、オペレーター、恐竜の子供、星野ひとみ、小坊主、東南ミナミ、女性隊員、美人の声、テレボット)
* [[とんでも戦士ムテキング]](女の子)
| 1981年 |
* [[ゴールドライタン]](コスモスの少女)
* [[ど根性ガエル#1981年版|新・ど根性ガエル]]
* [[忍者ハットリくん]](1981年 - 1987年、'''ゆめ子''')
* [[ヤットデタマン]](お花)
| 1982年 |
* [[逆転イッパツマン]](子々竹破多子、結ばれないタコ)
* [[ゲームセンターあらし]](生徒E)
* [[十五少年漂流記]](ドール)
* [[新みつばちマーヤの冒険]]('''マーヤ'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1419/| title = 新みつばちマーヤの冒険| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2023-04-10}}</ref>)
* [[トンデラハウスの大冒険]](ツク坊)
* [[魔法のプリンセス ミンキーモモ]](レイ、シベール、アン、みぞれ)
| 1983年 |
* [[イタダキマン]](パメラ)
* [[キャプテン (漫画)|キャプテン]]
* [[銀河漂流バイファム]](1983年 - 1984年、'''ペンチ・イライザ'''<ref>{{Cite web|url=http://www.vifam.net/staffcast/index.html|title=TV CAST|publisher=銀河漂流バイファム|accessdate=2021-04-29}}</ref>)
* [[サイコアーマー・ゴーバリアン]](ピケ)
* [[特装機兵ドルバック]](メル)
* [[パソコントラベル探偵団]]('''飛鳥悠''')
* [[フクちゃん]](アキオくん)
* [[魔法の天使クリィミーマミ]](マリアン王女)
* [[レディジョージィ]](ラップ、マリア)
| 1984年 |
* [[アタッカーYOU!]](葉月サニー)
* [[OKAWARI-BOY スターザンS]](マーメイ)
* [[よろしくメカドック]](女の子、ポーターズ)
| 1985年 |
* [[超獣機神ダンクーガ]](ダニエラ、クララ)
* [[超力ロボ ガラット]](1984年 - 1985年、女の子、ボーズ)
* [[へーい!ブンブー]]{{R|へーい!ブンブー}}(子供)
| 1986年 |
* [[オズの魔法使い (テレビアニメ)|オズの魔法使い]](ジンジャー)
| 1987年 |
* [[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]](リリー)
| 1988年 |
* [[エスパー魔美]](杏子)
* [[それいけ!アンパンマン]](みるくぼうや〈初代〉、たまごちゃん〈2代目〉)
| 1989年 |
* [[青いブリンク]](ウンモ)
| 1990年 |
* [[美味しんぼ]](順子、ミス・カリフォルニア)
* [[昆虫物語 みなしごハッチ]](マー坊、タンマ、クマオ)
* [[魔法のエンジェルスイートミント]](ノエル)
* [[YAWARA!]](1990年 - 1996年、加賀邦子) - 1シリーズ + 特別編1作品
* [[笑ゥせぇるすまん]](白川冴子)
| 1994年 |
* [[コボちゃん|コボちゃんスペシャル 祭りがいっぱい!]](ヒロコ)
| 1998年 |
* [[銀河漂流バイファム13]]('''ペンチ・イライザ''')
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1998年 - 2006年、伊東めぐみ)
| 2001年 |
* [[アークエ・ファミリー]](アーマ)
| 2002年 |
* [[キ・ファイターテラン]](チチア)
| 2003年 |
* [[ボボボーボ・ボーボボ]](しじみ弟)
| 2004年 |
* [[アークエとガッチンポー]](2004年 - 2005年、アーマ) - 2シリーズ
* [[とっとこハム太郎 (アニメ)|とっとこハム太郎 はむはむぱらだいちゅ!]](キジくん)
}}
=== 劇場アニメ ===
* [[まことちゃん]](1980年)
* [[忍者ハットリくん ニンニン忍法絵日記の巻]](1982年、'''ゆめ子''')
* [[忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻]](1983年、'''ゆめ子''')
* [[忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ]](1984年、'''ゆめ子''')
* [[忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵]](1985年、'''夢子''')
* [[それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲]](1990年、ミルクぼうや)
* [[それいけ!アンパンマン つみき城のひみつ#それいけ!アンパンマン アンパンマンとゆかいな仲間たち|それいけ!アンパンマン アンパンマンとゆかいな仲間たち]](1992年、ミルクぼうや)
=== OVA ===
* [[銀河漂流バイファム|銀河漂流バイファム カチュアからの便り]](1984年、'''ペンチ・イライザ'''<ref name="vifam">{{Cite web|url=http://www.vifam.net/staffcast/ova.html|title=OVA CAST|publisher=銀河漂流バイファム|accessdate=2021-04-29}}</ref>)
* 銀河漂流バイファム 集まった13人(1984年、'''ペンチ・イライザ'''{{R|vifam}})
* 銀河漂流バイファム 消えた12人(1985年、'''ペンチ・イライザ'''{{R|vifam}}、ボギー)
* 銀河漂流バイファム “ケイトの記憶” 涙の奪回作戦!!(1985年、'''ペンチ・イライザ'''{{R|vifam}})
* [[魔法のプリンセス ミンキーモモ|魔法のプリンセス ミンキーモモ 夢の中の輪舞]](1985年、レイ)
* [[夢次元ハンターファンドラ]](美女兵士)
* [[ザ・ヒューマノイド 哀の惑星レザリア]](1986年、イグナシア)
* さばくの国の王女さま(2001年)<ref>{{Cite web|url=https://www.animenewsnetwork.com/encyclopedia/anime.php?id=19969|title=The Princess of the Desert Kingdom (OAV)|publisher=[[Anime News Network]]|language=en|accessdate=2023-04-02}}</ref>
=== ドラマCD ===
* [[銀河漂流バイファム|銀河漂流バイファム 「金曜劇場」 ジェイナス愛の航海日誌…気分はもう主役]](ペンチ・イライザ)
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[白いドレスの女]](ヘザー・クラフト)※テレビ朝日版
* [[幽幻道士|来来キョンシーズ!]](ベビーキョンシー)
==== ドラマ ====
* [[ミステリー・グースバンプス]](タラ・ウェブスター)
==== アニメ ====
* [[おまかせ!プルーデンスおばさん]](ルイス)
* [[マジック・スクール・バス]] シリーズ(ジャネット)
=== 人形劇 ===
* [[ざわざわ森のがんこちゃん]]('''がんこちゃん'''〈初代〉)
* [[プリンプリン物語]](フラワー、ボーズワースの母)
=== テレビ番組 ===
* [[ママとあそぼう!ピンポンパン]](バピちゃん)
=== ラジオ ===
* [[週刊ラジオアニメック]](アシスタント)
== 脚注 ==
{{Reflist
|refs=
<ref name="声優事典 第二版">{{Cite book|和書 |chapter= 女性篇 |date=1996-03-30 |editor= 掛尾良夫 |title=声優事典 第二版 |page=331 |publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn= 4-87376-160-3}}</ref>
<ref name="へーい!ブンブー">{{Cite web|和書|accessdate=2023-03-09 |publisher=日本アニメーション |title=へーい! ブンブー |url=https://www.nippon-animation.co.jp/work/1482/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
* {{81プロフィール}}
* [https://thetv.jp/person/0000076554/ あきやまるなのプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* {{Oricon name|216513|name=秋山るな}}
* {{Oricon name|312697|name=あきやまるな}}
* {{Movie Walker name|83484|name=秋山るな}}
* {{Movie Walker name|186059|name=あきやまるな}}
* {{映画.com name|224006|name=あきやまるな}}
* {{allcinema name|2=あきやまるな}}
* {{JMDb name|0165600|name=秋山るな}}
* {{JMDb name|0002570|name=あきやまひかり}}
{{voice-stub}}
{{デフォルトソート:あきやま るな}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:過去のアクセント所属者]]
[[Category:過去のぷろだくしょんバオバブ所属者]]
[[Category:過去の81プロデュース所属者]]
[[Category:桜美林高等学校出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1954年生]]
[[Category:2014年没]]
|
2003-07-13T03:58:58Z
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2023-12-31T10:25:34Z
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11,342 |
尾張藩
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尾張藩(おわりはん)は、尾張一国(愛知県西部)と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、「名古屋藩」とも呼ばれた。明治の初めには名古屋藩を正式名称と定めた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。
尾張は慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦い終結まで清洲城主・福島正則が24万石で支配していた。戦功により福島正則は安芸広島藩に加増移封された。
関ヶ原の戦いの戦功(先陣)により徳川家康の四男・松平忠吉が入封(清洲藩、52万石)する。慶長11年(1606年)、家康の直轄領であった知多郡(知多半島)も忠吉に加増される。しかし慶長12年(1607年)に忠吉に嗣子がなく死去して天領となった。
代わって甲斐甲府藩から同じく家康の九男で忠吉の弟である徳川義直が47万2344石で入封し、清洲城から新たに築かれた名古屋城に移って(清洲越し)、ここに尾張藩が成立した。
藩領は随時加増されてゆき、元和5年(1619年)5月16日に56万3206石となった。さらに、寛文11年(1671年)紀伊徳川家との格差をつけて御三家筆頭の家格を示すため、給人領(渡辺半蔵はじめ16家1党に将軍の朱印状をもって与えられた知行地)5万石を加増され61万9500石の知行高が確定した。 領域は尾張のほぼ一国のほか、美濃・三河・信濃(木曽郡のヒノキ御用林)・近江・摂津と広範囲に跨って飛地が存在した。 中でも木曽の御用林から得られる木材資源は藩財政の安定に寄与する重要なものであった。また、表高こそ62万石弱であったが、新田開発を推し進めた結果、実高は100万石近くに達したといわれる。 財政には比較的余裕があったことから、領民には四公六民の低い税率が課されたという。 三河(加茂郡)や近江(蒲生郡)、摂津(川辺郡)にあったのは、すべて給人領である。
尾張藩は百姓一揆が、水戸(35件)や紀伊(30件)に比べ少なかった藩とされている。江戸時代を通じて尾張国内で21件の一揆が記録されている。
勝海舟は、『氷川清話』(明治31年、1898年)の中で「日本国中で、古来民政のよく行き届いたところは、まず甲州と尾州と小田原との三ヶ所」であるとし、尾張(尾州)については、「租税を軽うし、民力を養った」「織田信長の遺徳がいまだ人民に慕われている」「当時の善政良法が、今なお歴々として残っている」としている。
初代藩主・徳川義直は着任当初まだ幼少であったため、初期の藩政は家康の老臣たちによって行なわれたが、成長してからは義直自ら米の増産を目的とした用水整備・新田開発・年貢制度の確立などに務めて藩政を確立している。
第2代藩主・徳川光友は寺社政策に尽力したが、寺社再建を行いすぎて藩財政が苦しくなり、藩札発行するも失敗して藩財政が苦しくなった。このため、光友以後の藩主は倹約令や上米などの財政改革を行なって藩財政を黒字にさせたりもしたが、天災なども相次いで藩財政は結局は悪化した。
第3代藩主徳川綱誠は、実母の千代姫が3代将軍徳川家光の長女であった。それゆえ、御家門の中でも最も将軍家に近い存在であった。異母兄松平義昌は陸奥梁川藩3万石を得て大久保松平家として独立、同母弟松平義行は美濃高須藩3万石を得て四谷松平家として独立、異母弟松平友著は尾張藩内で家禄を得て川田窪松平家を称し、三つの分家御連枝ができあがる。
第4代藩主・徳川吉通は、第6代将軍徳川家宣から高く評価され、家宣の子鍋松(後の徳川家継)が幼く政務に耐えられないと判断し、第7代将軍に就任するように要請されるほどの人格者であったが、家宣薨去1年後に25歳と言う若さで急死してしまう。 第5代藩主は、幼い徳川五郎太が継ぐも、数え年3歳で急死してしまい、家督は叔父である徳川継友が継承。
第6代藩主・徳川継友は第7代将軍・徳川家継が重病に臥した際、第8代将軍候補の有力者であった。第6代将軍御台所の天英院の姪の近衛安己を婚約者に持ち、祖母が第3代将軍家光の長女であり、将軍家に最も近い存在であったからである。 しかし、同じ御三家の紀州藩主・徳川吉宗が将軍に就任した。その後、尾張徳川家は御三家で唯一、血統上で将軍を輩出することなく明治維新を迎えることとなる。第4代藩主徳川吉通は、「尾張は将軍位を争わず」と述べており、尾張藩では家訓として将軍位を継承することよりも、徳川家康より与えられた尾張藩を護ることのほうが大切であるとされていたためである。
歴代藩主で最も有名なのが、その継友の弟であり、第7代藩主となった徳川宗春である。宗春は倹約を主とする江戸の幕閣の政策を批判し、名古屋城下に芝居小屋や遊廓の設置を許可し、規制緩和政策を推進した。 これは江戸幕府の緊縮財政に対して真っ向から対立するものであった。
享保20年(1735年)に入ると幕府よりも5ヶ月早く遊興徘徊を禁じる令を出す。また、翌年の元文元年に行われた幕府の元文の改鋳によるインフレ政策に先立って、すでにインフレ状態にあった尾張藩内の引き締め政策を展開した。しかし、幕府より一手先を行く宗春の政策は幕閣に警戒感を与えてしまっていた。
丁度その頃は、幕府は朝廷が禁じた『大日本史』の出版を強行し、幕府と朝廷に緊張が走っていた。 元文3年(1738年)朝廷が、反幕府の象徴的儀式である大嘗会を開くことになる。宗春と御付家老成瀬正泰が参勤交代で江戸に下向すると、もう一人の御付家老竹腰正武が、名古屋で宗春の政策をことごとく否定していた。そのために尾張藩内は少なからず騒乱状態となる。
翌年の元文4年(1739年)に、大嘗会に使いに出ていた使者が江戸に戻り将軍吉宗に報告すると、吉宗は病と称し引きこもってしまう。 そして数日後、吉宗は、尾張藩内の騒乱状態を理由に宗春を隠居謹慎処分に処した。その日に、吉宗は朝廷の中心であった一条兼香に多額の献金をし、宗春の甥である二条宗基に諱の「宗」の字を与え、朝廷対策を打った。
尾張藩は初祖義直の頃から朝廷との縁が深く、「王命に依って催さるる事」とされていた。 朝廷は宗春を高く評価しており、宗春は朝廷と幕府の間に挟まれて隠居謹慎せざるを得なくなってしまった。
宗春の後を継いで第8代藩主となったのは、従弟の徳川宗勝である。宗勝は宗春時代の藩政を改め、倹約令を中心とした緊縮財政政策を行ない、藩財政を再建する一方で、学問を意奨励して巾下学問所を創設した。
第9代藩主・徳川宗睦は父・宗勝の政策を受け継いで財政改革を継続し、その治世は38年間におよんだ。 一時期は財政が好転したこともあったが、宝暦治水にもかかわらず庄内川の氾濫など、天災による被害を受けて財政が結局は悪化した。市中の富商56人から金5000両を調達し、幕府に2万両の公金拝借を願い出た。以後、財政難によりこの金策は繰り返されていくこととなる。なお、この宗睦の時代にも学問が奨励され、天明3年(1783年)には藩校・明倫堂が創設されている。 軍制改革も実施され、寛政5年には幕府の「海軍防備令」に即応した知多半島の防備を再編成し、上方の変事に対応する計画を策定した。更にこの作戦に応じた歩兵銃砲主体の編成を大番組・寄合組・馬廻り組を拡充させた。寛政11年(1799年)12月に宗睦は死去した。宗睦の実子は早世していたため、ここに義直以来の尾張徳川家の男系の血統は藩主家から断絶した。
代わって寛政12年(1800年)1月に第10代藩主となったのは、一橋家から養子として迎えられた徳川斉朝である。 斉朝は、尾張藩第4代藩主徳川吉通の外孫である二条宗基の曾孫にあたり尾張徳川家の血を受け継いでいた。しかし、ここで尾張の男系血統は藩祖義直から断絶する。
第11代藩主・徳川斉温や第12代藩主・徳川斉荘・第13代藩主・徳川慶臧らは、第11代将軍・徳川家斉の実子か、あるいは御三卿から迎えられた養子などであった(いずれも紀州藩主から将軍となった徳川吉宗の血統の一橋家の血筋)。 彼らは寿命や在任期間が短かったこともあったが、尾張に入国せずに江戸に在住することが多かったこともあって、藩政は停滞期に入り、藩財政は赤字になった。慶臧の継承により、尾張藩は幕府への財政依存が更に高まり、嘉永元年に米切手(藩札)の回収を条件に10万両が幕府から貸与されている。
このため、藩内では幕府迎合的で御三卿・徳川将軍家などからの養子を藩主に迎えて財政支援を期待する付家老などの江戸派に反対して、幕府からの藩政介入に反発し独立志向の金鉄党(尾張派、寛政軍革により拡充された大番組を中心として結成)を中心に藩主擁立運動が起こった。結局、将軍家御三卿系の養子は阻止された。
支藩美濃高須藩から本家を継いだ幕末の第14代藩主・徳川慶恕(後の慶勝、血統としては水戸系)は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めている。
しかし安政5年(1858年)に将軍後継者問題・条約勅許問題などから一橋派に与して井伊直弼ら南紀派と対立し、この政争に敗れた慶勝は紀州家からの将軍擁立を妨害するために押しかけ登城を行ったことなどにより、直弼の安政の大獄によって強制的に隠居処分に処され、第15代藩主には慶勝の弟・徳川茂徳がなった。
だが、直弼が桜田門外の変で暗殺され、文久3年(1863年)9月13日には茂徳に代わり、慶勝の子・徳川義宜が第16代藩主となったため、慶勝は隠居として藩政の実権を掌握し、幕政にも参与して公武合体派の重鎮として活躍し尾張藩は藩主と元藩主の二重支配体制となり、第一次長州征伐の総督に立てられるなどした。慶勝は第二次長州征伐の総督にも任命されたが、辞退している。
大政奉還後に慶勝は新政府の議定に任ぜられ、小御所会議で決定された辞官納地を慶喜に求める使者となっている。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いによって新政府と幕府の対立が明らかになると慶勝も新政府側につき、藩内の佐幕派は青松葉事件によって弾圧された。 鳥羽・伏見の戦いの後に明治新政府により東征軍が編成されると、前藩主徳川慶勝は東海道諸藩の触頭に任命され、佐幕色の強かった東海道譜代諸藩、代官、旗本、それと勤王側の在野の国学グループへ勤王誘引使を送り中立化へ動かして新政府軍の東海道通過を容易にした。
明治3年(1870年)には財政難に陥った支藩の高須藩を吸収。
明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県により廃藩し、名古屋県となった。その後、犬山県との統合、愛知県への改称、額田県との統合を経て、現在の愛知県となった。
廃藩置県後の、尾張徳川家の家政機関については、尾張徳川家#尾張徳川侯爵家を参照のこと。
支藩としては陸奥梁川藩と美濃高須藩がある。
親藩・御連枝 3万石
江戸上屋敷を四谷大窪に置いた。
江戸下屋敷 尾張藩の家臣団は、幕府より附属された者、甚太郎衆や忍新参衆などの松平忠吉の遺臣、甲斐時代に義直に仕えた者、尾張藩成立後に取り立てられた者、平岩親吉の遺臣らで構成された。幕下御附属衆の6氏(成瀬、竹腰、渡辺、石河、山村、千村)は将軍徳川家康または将軍徳川秀忠の命によって尾張藩に附属され、代々将軍に拝謁する資格を所持した家柄だった。御附属列衆も幕臣から尾張藩に附属された者であるが、こちらは将軍への拝謁資格はなかった。
このうち成瀬・竹腰の2家が狭義の御附家老で、「両家年寄」と称する。
上記の成瀬・竹腰・渡辺(半蔵)・石河の4家に、志水を加えた5家を「万石以上」の格式とし、渡辺(半蔵)・石河・志水の3家が年寄(家老)に就任した場合は、「万石以上年寄」と称する。
尾張藩は江戸に総坪数は31万1000坪余にもなる屋敷を所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた。
当初は天神山町(四条烏丸北西)にあった。しかし禁門の変で罹災したことでメインの藩邸として吉田邸が整備されることとなり、尾張藩は、文久3年(1863年)10 月頃に、屋敷を設けるための土地を吉田村に購入した。それ以降、主殿をはじめとする諸施設が徐々に営れ、京都における同藩の拠点として重要な役割を担うに至った。愛知県公文書館に架蔵される「吉田御屋敷之図」には、「三万三千三百三十三坪」と書きこまれており、尾張藩の吉田邸の面積が確かめられる。吉田邸は、明治4年(1871年)に処分され、京都大学吉田キャンパスの敷地となった。これまでにおこなわれた京都大学本部構内における発掘調査で、尾張藩吉田邸に関係するものと考えられる遺構が検出されている。邸内には熱田神宮も勧請された。
尾張藩は東海道を往来する大名らを招待し供応するため、寛永元年(1624年)初代藩主の徳川義直の命で神戸(ごうど)の浜を埋め立てて出島を造り、そこに東浜御殿を造営した。「厚覧草」によれば寛永11年(1634年)には、三代将軍徳川家光が上洛の際に止宿した。その敷地は1万平方メートル以上、海上城郭の様相を誇っていたとされ、御殿は名古屋城本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている。鯱をいただいた小天守閣のような西側の高楼は、桑名城の天守閣に対抗して建造されたものという。これを桑名楼と呼び、東側の楼閣を寝覚(ねざめ)楼と言い城郭のような構えであった。東浜御殿の位置は、現在の名古屋市熱田区内田町付近であったと推定される。
尾張藩は承応3年(1654年)に七里の渡しの北西に西浜御殿を築いた。現在、その跡は残っておらず、西浜御殿があった白鳥コミュニティセンター(名古屋市熱田区神戸町)北側に看板が立っているだけである。2018年に徳川林政史研究所(東京)において詳細な間取図が発見された。西浜御殿は平坦な邸だが内部の調度が豪華を極めていたという。歌川広重の浮世絵「宮 熱田濱之鳥居」にも画面左端にその姿が描かれている。
当初、尾張藩では領内の村々の年貢を徴収するにあたり、天正年間の太閤検地で調べた石高(元高)を基準としていたが、4割以上を徴収していた村もあり、4割未満を徴収していた村もあって一定ではなかった。
正保2年(1645年)に、領内の寺社領を除き、それまで六公四民であった年貢を四公六民(尾張藩が4割を徴収し、百姓は6割を自分の収入とする)ことを定めた。これにより実収入の増加を図るために、元高の65万3千石余を、24万千石余を増やして89万4千石とした概高(ならしだか)に改め、高の40%を基準として年貢を課することにしたので、これによって尾張藩の収入は、約10万石増加した。
その際に従来4割以上徴収していた村の石高を増やし、4割未満を徴収していた村の石高は減らした。このことを正保四ツ概(しょうほうよつならし)と呼んだ。
これにより、尾張藩は10万石程度、実収入が増えることとなった。
寛文元年(1661年)9月、尾張藩は藩士に対する世禄制を改正した。つまり藩士が子孫に相続する度に、禄高を減らしていくという仕組みであった。これによって藩士は大いに困惑し、ついに衰微断絶となった家も少なくなかったという。
ただし、附家老(家康より附庸の命令を受けた家老)で1万石以上の大名格である、犬山城主 成瀬隼人正=3万5千石、今尾城主 竹腰氏=2万石、駒塚城主 石河氏=2万石、三河寺部の渡辺氏=1万石、知多郡の志水氏=1万石)と、特別待遇の木曽の山村甚兵衛家、久々利村の千村平右衛門家の両氏は減禄の対象から除かれていた。
尾張藩は138年後の寛政11年(1794年)に世禄制を復活した。以後藩士は相続の際の減禄から免れることとなった。
寛文4年(1664年)6月、尾張藩は目付役の佐藤半太夫以下の役人を木曽谷に派遣し、木曽の山々の巡見を行った。
その結果、川筋の材木の伐採に適した所は全て伐り尽くされて乱伐が進んでいたことから、林政改革を行うこととなった。
この改革の眼目の一つは、木曾代官の山村甚兵衛家に一任していた木曽山林の伐木・運材の支配を尾張藩の直轄事業に移し、統制と改革を行うことであった。
それは第一に、山村甚兵衛家および木曽谷の住民に与えられていた山林利用の既得権の大幅な削減であった。具体的には、山村甚兵衛家が家康以来受けていた御免白木5千駄の原木を雑木に切り替え、木曽谷の村々へ与えていた御免白木6千駄を3千駄に減らした。
統制の第二の点は、尾張藩が木曽谷の村々への民政の直接的支配強化に重点を置いたことである。
改革の第二の点は、留山を指定して、山林資源の保持を図ったことである。
また尾張領は御用商人による伐採を停止したり、運材の統制・管理を強化した。この施策は、山林乱伐を防ぐ森林保護政策の先駆であったが、森林資源でくらしを立てていた木曽の領民にとっては厳しい経済統制となった。
寛文5年(1665年)、尾張藩は、それまで山村甚兵衛家に支配を任せていた木曽川中流の錦織役所を廃止し、新たに尾張藩直轄の錦織川並材木奉行所と、牧野川並材木奉行所の両方を新設した。
寛文5年(1665年)、尾張藩は、山林管理のために上松材木役所を設置して材木奉行を派遣した。初代奉行には佐藤半太夫が任命された。奉行定員は2名で1名は、木曽川中流の美濃国可児郡錦織村に存在した尾張藩の錦織川並材木奉行を兼任した
寛政6年(1789年)、尾張藩は羽書(藩札)を発行し、その後、羽書の回収にあたっての課役銀(夫銀・堤銀)の倍額増徴などの財政政策を実施して、藩財政の緊縮と増収を図った。
明治維新後に、美濃国中島郡2村(八神城主・毛利源内預所の旧幕府領)、北見国網走郡、斜里郡が加わった。
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"text": "尾張藩(おわりはん)は、尾張一国(愛知県西部)と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、「名古屋藩」とも呼ばれた。明治の初めには名古屋藩を正式名称と定めた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。",
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"text": "尾張は慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦い終結まで清洲城主・福島正則が24万石で支配していた。戦功により福島正則は安芸広島藩に加増移封された。",
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"text": "関ヶ原の戦いの戦功(先陣)により徳川家康の四男・松平忠吉が入封(清洲藩、52万石)する。慶長11年(1606年)、家康の直轄領であった知多郡(知多半島)も忠吉に加増される。しかし慶長12年(1607年)に忠吉に嗣子がなく死去して天領となった。",
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"text": "代わって甲斐甲府藩から同じく家康の九男で忠吉の弟である徳川義直が47万2344石で入封し、清洲城から新たに築かれた名古屋城に移って(清洲越し)、ここに尾張藩が成立した。",
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"text": "藩領は随時加増されてゆき、元和5年(1619年)5月16日に56万3206石となった。さらに、寛文11年(1671年)紀伊徳川家との格差をつけて御三家筆頭の家格を示すため、給人領(渡辺半蔵はじめ16家1党に将軍の朱印状をもって与えられた知行地)5万石を加増され61万9500石の知行高が確定した。 領域は尾張のほぼ一国のほか、美濃・三河・信濃(木曽郡のヒノキ御用林)・近江・摂津と広範囲に跨って飛地が存在した。 中でも木曽の御用林から得られる木材資源は藩財政の安定に寄与する重要なものであった。また、表高こそ62万石弱であったが、新田開発を推し進めた結果、実高は100万石近くに達したといわれる。 財政には比較的余裕があったことから、領民には四公六民の低い税率が課されたという。 三河(加茂郡)や近江(蒲生郡)、摂津(川辺郡)にあったのは、すべて給人領である。",
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"text": "尾張藩は百姓一揆が、水戸(35件)や紀伊(30件)に比べ少なかった藩とされている。江戸時代を通じて尾張国内で21件の一揆が記録されている。",
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"text": "勝海舟は、『氷川清話』(明治31年、1898年)の中で「日本国中で、古来民政のよく行き届いたところは、まず甲州と尾州と小田原との三ヶ所」であるとし、尾張(尾州)については、「租税を軽うし、民力を養った」「織田信長の遺徳がいまだ人民に慕われている」「当時の善政良法が、今なお歴々として残っている」としている。",
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"text": "初代藩主・徳川義直は着任当初まだ幼少であったため、初期の藩政は家康の老臣たちによって行なわれたが、成長してからは義直自ら米の増産を目的とした用水整備・新田開発・年貢制度の確立などに務めて藩政を確立している。",
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"text": "第2代藩主・徳川光友は寺社政策に尽力したが、寺社再建を行いすぎて藩財政が苦しくなり、藩札発行するも失敗して藩財政が苦しくなった。このため、光友以後の藩主は倹約令や上米などの財政改革を行なって藩財政を黒字にさせたりもしたが、天災なども相次いで藩財政は結局は悪化した。",
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"text": "第3代藩主徳川綱誠は、実母の千代姫が3代将軍徳川家光の長女であった。それゆえ、御家門の中でも最も将軍家に近い存在であった。異母兄松平義昌は陸奥梁川藩3万石を得て大久保松平家として独立、同母弟松平義行は美濃高須藩3万石を得て四谷松平家として独立、異母弟松平友著は尾張藩内で家禄を得て川田窪松平家を称し、三つの分家御連枝ができあがる。",
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"text": "第4代藩主・徳川吉通は、第6代将軍徳川家宣から高く評価され、家宣の子鍋松(後の徳川家継)が幼く政務に耐えられないと判断し、第7代将軍に就任するように要請されるほどの人格者であったが、家宣薨去1年後に25歳と言う若さで急死してしまう。 第5代藩主は、幼い徳川五郎太が継ぐも、数え年3歳で急死してしまい、家督は叔父である徳川継友が継承。",
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"text": "第6代藩主・徳川継友は第7代将軍・徳川家継が重病に臥した際、第8代将軍候補の有力者であった。第6代将軍御台所の天英院の姪の近衛安己を婚約者に持ち、祖母が第3代将軍家光の長女であり、将軍家に最も近い存在であったからである。 しかし、同じ御三家の紀州藩主・徳川吉宗が将軍に就任した。その後、尾張徳川家は御三家で唯一、血統上で将軍を輩出することなく明治維新を迎えることとなる。第4代藩主徳川吉通は、「尾張は将軍位を争わず」と述べており、尾張藩では家訓として将軍位を継承することよりも、徳川家康より与えられた尾張藩を護ることのほうが大切であるとされていたためである。",
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"text": "歴代藩主で最も有名なのが、その継友の弟であり、第7代藩主となった徳川宗春である。宗春は倹約を主とする江戸の幕閣の政策を批判し、名古屋城下に芝居小屋や遊廓の設置を許可し、規制緩和政策を推進した。 これは江戸幕府の緊縮財政に対して真っ向から対立するものであった。",
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"text": "享保20年(1735年)に入ると幕府よりも5ヶ月早く遊興徘徊を禁じる令を出す。また、翌年の元文元年に行われた幕府の元文の改鋳によるインフレ政策に先立って、すでにインフレ状態にあった尾張藩内の引き締め政策を展開した。しかし、幕府より一手先を行く宗春の政策は幕閣に警戒感を与えてしまっていた。",
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"text": "丁度その頃は、幕府は朝廷が禁じた『大日本史』の出版を強行し、幕府と朝廷に緊張が走っていた。 元文3年(1738年)朝廷が、反幕府の象徴的儀式である大嘗会を開くことになる。宗春と御付家老成瀬正泰が参勤交代で江戸に下向すると、もう一人の御付家老竹腰正武が、名古屋で宗春の政策をことごとく否定していた。そのために尾張藩内は少なからず騒乱状態となる。",
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"text": "翌年の元文4年(1739年)に、大嘗会に使いに出ていた使者が江戸に戻り将軍吉宗に報告すると、吉宗は病と称し引きこもってしまう。 そして数日後、吉宗は、尾張藩内の騒乱状態を理由に宗春を隠居謹慎処分に処した。その日に、吉宗は朝廷の中心であった一条兼香に多額の献金をし、宗春の甥である二条宗基に諱の「宗」の字を与え、朝廷対策を打った。",
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"text": "尾張藩は初祖義直の頃から朝廷との縁が深く、「王命に依って催さるる事」とされていた。 朝廷は宗春を高く評価しており、宗春は朝廷と幕府の間に挟まれて隠居謹慎せざるを得なくなってしまった。",
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"text": "宗春の後を継いで第8代藩主となったのは、従弟の徳川宗勝である。宗勝は宗春時代の藩政を改め、倹約令を中心とした緊縮財政政策を行ない、藩財政を再建する一方で、学問を意奨励して巾下学問所を創設した。",
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"text": "第9代藩主・徳川宗睦は父・宗勝の政策を受け継いで財政改革を継続し、その治世は38年間におよんだ。 一時期は財政が好転したこともあったが、宝暦治水にもかかわらず庄内川の氾濫など、天災による被害を受けて財政が結局は悪化した。市中の富商56人から金5000両を調達し、幕府に2万両の公金拝借を願い出た。以後、財政難によりこの金策は繰り返されていくこととなる。なお、この宗睦の時代にも学問が奨励され、天明3年(1783年)には藩校・明倫堂が創設されている。 軍制改革も実施され、寛政5年には幕府の「海軍防備令」に即応した知多半島の防備を再編成し、上方の変事に対応する計画を策定した。更にこの作戦に応じた歩兵銃砲主体の編成を大番組・寄合組・馬廻り組を拡充させた。寛政11年(1799年)12月に宗睦は死去した。宗睦の実子は早世していたため、ここに義直以来の尾張徳川家の男系の血統は藩主家から断絶した。",
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"text": "代わって寛政12年(1800年)1月に第10代藩主となったのは、一橋家から養子として迎えられた徳川斉朝である。 斉朝は、尾張藩第4代藩主徳川吉通の外孫である二条宗基の曾孫にあたり尾張徳川家の血を受け継いでいた。しかし、ここで尾張の男系血統は藩祖義直から断絶する。",
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"text": "第11代藩主・徳川斉温や第12代藩主・徳川斉荘・第13代藩主・徳川慶臧らは、第11代将軍・徳川家斉の実子か、あるいは御三卿から迎えられた養子などであった(いずれも紀州藩主から将軍となった徳川吉宗の血統の一橋家の血筋)。 彼らは寿命や在任期間が短かったこともあったが、尾張に入国せずに江戸に在住することが多かったこともあって、藩政は停滞期に入り、藩財政は赤字になった。慶臧の継承により、尾張藩は幕府への財政依存が更に高まり、嘉永元年に米切手(藩札)の回収を条件に10万両が幕府から貸与されている。",
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"text": "このため、藩内では幕府迎合的で御三卿・徳川将軍家などからの養子を藩主に迎えて財政支援を期待する付家老などの江戸派に反対して、幕府からの藩政介入に反発し独立志向の金鉄党(尾張派、寛政軍革により拡充された大番組を中心として結成)を中心に藩主擁立運動が起こった。結局、将軍家御三卿系の養子は阻止された。",
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"text": "支藩美濃高須藩から本家を継いだ幕末の第14代藩主・徳川慶恕(後の慶勝、血統としては水戸系)は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めている。",
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"text": "しかし安政5年(1858年)に将軍後継者問題・条約勅許問題などから一橋派に与して井伊直弼ら南紀派と対立し、この政争に敗れた慶勝は紀州家からの将軍擁立を妨害するために押しかけ登城を行ったことなどにより、直弼の安政の大獄によって強制的に隠居処分に処され、第15代藩主には慶勝の弟・徳川茂徳がなった。",
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"text": "だが、直弼が桜田門外の変で暗殺され、文久3年(1863年)9月13日には茂徳に代わり、慶勝の子・徳川義宜が第16代藩主となったため、慶勝は隠居として藩政の実権を掌握し、幕政にも参与して公武合体派の重鎮として活躍し尾張藩は藩主と元藩主の二重支配体制となり、第一次長州征伐の総督に立てられるなどした。慶勝は第二次長州征伐の総督にも任命されたが、辞退している。",
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"text": "大政奉還後に慶勝は新政府の議定に任ぜられ、小御所会議で決定された辞官納地を慶喜に求める使者となっている。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いによって新政府と幕府の対立が明らかになると慶勝も新政府側につき、藩内の佐幕派は青松葉事件によって弾圧された。 鳥羽・伏見の戦いの後に明治新政府により東征軍が編成されると、前藩主徳川慶勝は東海道諸藩の触頭に任命され、佐幕色の強かった東海道譜代諸藩、代官、旗本、それと勤王側の在野の国学グループへ勤王誘引使を送り中立化へ動かして新政府軍の東海道通過を容易にした。",
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"text": "明治3年(1870年)には財政難に陥った支藩の高須藩を吸収。",
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"text": "廃藩置県後の、尾張徳川家の家政機関については、尾張徳川家#尾張徳川侯爵家を参照のこと。",
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"text": "支藩としては陸奥梁川藩と美濃高須藩がある。",
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"text": "親藩・御連枝 3万石",
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"text": "江戸上屋敷を四谷大窪に置いた。",
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"text": "江戸下屋敷 尾張藩の家臣団は、幕府より附属された者、甚太郎衆や忍新参衆などの松平忠吉の遺臣、甲斐時代に義直に仕えた者、尾張藩成立後に取り立てられた者、平岩親吉の遺臣らで構成された。幕下御附属衆の6氏(成瀬、竹腰、渡辺、石河、山村、千村)は将軍徳川家康または将軍徳川秀忠の命によって尾張藩に附属され、代々将軍に拝謁する資格を所持した家柄だった。御附属列衆も幕臣から尾張藩に附属された者であるが、こちらは将軍への拝謁資格はなかった。",
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"text": "このうち成瀬・竹腰の2家が狭義の御附家老で、「両家年寄」と称する。",
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"text": "上記の成瀬・竹腰・渡辺(半蔵)・石河の4家に、志水を加えた5家を「万石以上」の格式とし、渡辺(半蔵)・石河・志水の3家が年寄(家老)に就任した場合は、「万石以上年寄」と称する。",
"title": "家臣団"
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"text": "尾張藩は江戸に総坪数は31万1000坪余にもなる屋敷を所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた。",
"title": "江戸屋敷"
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"text": "当初は天神山町(四条烏丸北西)にあった。しかし禁門の変で罹災したことでメインの藩邸として吉田邸が整備されることとなり、尾張藩は、文久3年(1863年)10 月頃に、屋敷を設けるための土地を吉田村に購入した。それ以降、主殿をはじめとする諸施設が徐々に営れ、京都における同藩の拠点として重要な役割を担うに至った。愛知県公文書館に架蔵される「吉田御屋敷之図」には、「三万三千三百三十三坪」と書きこまれており、尾張藩の吉田邸の面積が確かめられる。吉田邸は、明治4年(1871年)に処分され、京都大学吉田キャンパスの敷地となった。これまでにおこなわれた京都大学本部構内における発掘調査で、尾張藩吉田邸に関係するものと考えられる遺構が検出されている。邸内には熱田神宮も勧請された。",
"title": "京藩邸"
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"text": "尾張藩は東海道を往来する大名らを招待し供応するため、寛永元年(1624年)初代藩主の徳川義直の命で神戸(ごうど)の浜を埋め立てて出島を造り、そこに東浜御殿を造営した。「厚覧草」によれば寛永11年(1634年)には、三代将軍徳川家光が上洛の際に止宿した。その敷地は1万平方メートル以上、海上城郭の様相を誇っていたとされ、御殿は名古屋城本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている。鯱をいただいた小天守閣のような西側の高楼は、桑名城の天守閣に対抗して建造されたものという。これを桑名楼と呼び、東側の楼閣を寝覚(ねざめ)楼と言い城郭のような構えであった。東浜御殿の位置は、現在の名古屋市熱田区内田町付近であったと推定される。",
"title": "東浜御殿"
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"text": "尾張藩は承応3年(1654年)に七里の渡しの北西に西浜御殿を築いた。現在、その跡は残っておらず、西浜御殿があった白鳥コミュニティセンター(名古屋市熱田区神戸町)北側に看板が立っているだけである。2018年に徳川林政史研究所(東京)において詳細な間取図が発見された。西浜御殿は平坦な邸だが内部の調度が豪華を極めていたという。歌川広重の浮世絵「宮 熱田濱之鳥居」にも画面左端にその姿が描かれている。",
"title": "西浜御殿"
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"text": "その際に従来4割以上徴収していた村の石高を増やし、4割未満を徴収していた村の石高は減らした。このことを正保四ツ概(しょうほうよつならし)と呼んだ。",
"title": "年貢と正保四ツ概"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "これにより、尾張藩は10万石程度、実収入が増えることとなった。",
"title": "年貢と正保四ツ概"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "寛文元年(1661年)9月、尾張藩は藩士に対する世禄制を改正した。つまり藩士が子孫に相続する度に、禄高を減らしていくという仕組みであった。これによって藩士は大いに困惑し、ついに衰微断絶となった家も少なくなかったという。",
"title": "藩士に対する減禄制"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "ただし、附家老(家康より附庸の命令を受けた家老)で1万石以上の大名格である、犬山城主 成瀬隼人正=3万5千石、今尾城主 竹腰氏=2万石、駒塚城主 石河氏=2万石、三河寺部の渡辺氏=1万石、知多郡の志水氏=1万石)と、特別待遇の木曽の山村甚兵衛家、久々利村の千村平右衛門家の両氏は減禄の対象から除かれていた。",
"title": "藩士に対する減禄制"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "尾張藩は138年後の寛政11年(1794年)に世禄制を復活した。以後藩士は相続の際の減禄から免れることとなった。",
"title": "藩士に対する減禄制"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "寛文4年(1664年)6月、尾張藩は目付役の佐藤半太夫以下の役人を木曽谷に派遣し、木曽の山々の巡見を行った。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "その結果、川筋の材木の伐採に適した所は全て伐り尽くされて乱伐が進んでいたことから、林政改革を行うこととなった。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "この改革の眼目の一つは、木曾代官の山村甚兵衛家に一任していた木曽山林の伐木・運材の支配を尾張藩の直轄事業に移し、統制と改革を行うことであった。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "それは第一に、山村甚兵衛家および木曽谷の住民に与えられていた山林利用の既得権の大幅な削減であった。具体的には、山村甚兵衛家が家康以来受けていた御免白木5千駄の原木を雑木に切り替え、木曽谷の村々へ与えていた御免白木6千駄を3千駄に減らした。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "統制の第二の点は、尾張藩が木曽谷の村々への民政の直接的支配強化に重点を置いたことである。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "改革の第二の点は、留山を指定して、山林資源の保持を図ったことである。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "また尾張領は御用商人による伐採を停止したり、運材の統制・管理を強化した。この施策は、山林乱伐を防ぐ森林保護政策の先駆であったが、森林資源でくらしを立てていた木曽の領民にとっては厳しい経済統制となった。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "寛文5年(1665年)、尾張藩は、それまで山村甚兵衛家に支配を任せていた木曽川中流の錦織役所を廃止し、新たに尾張藩直轄の錦織川並材木奉行所と、牧野川並材木奉行所の両方を新設した。",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "寛文5年(1665年)、尾張藩は、山林管理のために上松材木役所を設置して材木奉行を派遣した。初代奉行には佐藤半太夫が任命された。奉行定員は2名で1名は、木曽川中流の美濃国可児郡錦織村に存在した尾張藩の錦織川並材木奉行を兼任した",
"title": "木曽谷に対する林政改革"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "寛政6年(1789年)、尾張藩は羽書(藩札)を発行し、その後、羽書の回収にあたっての課役銀(夫銀・堤銀)の倍額増徴などの財政政策を実施して、藩財政の緊縮と増収を図った。",
"title": "羽書(藩札)の発行と回収"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "明治維新後に、美濃国中島郡2村(八神城主・毛利源内預所の旧幕府領)、北見国網走郡、斜里郡が加わった。",
"title": "幕末の領地"
}
] |
尾張藩(おわりはん)は、尾張一国(愛知県西部)と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩。徳川御三家中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国名古屋城(愛知県名古屋市)に居城したので、「名古屋藩」とも呼ばれた。明治の初めには名古屋藩を正式名称と定めた。藩主は尾張徳川家。表石高は61万9500石。
|
{{基礎情報 過去の国
|略名 =
|日本語国名 = 尾張藩
|公式国名 =
|建国時期 = [[1610年]]
|亡国時期 = [[1871年]]
|先代1 = 清洲藩
|先旗1 = Japanese crest Tokugawa Aoi (old design).svg
|先代2 =
|先旗2 =
|次代1 = 名古屋県
|次旗1 =
|次代2 =
|次旗2 =
|国旗画像 = <!-- 画像ファイル名を入力。例: Flag of Japan.svg -->
|国旗リンク = <!-- リンクを手動で入力する場合に指定 -->
|国旗幅 = <!-- 初期値125px -->
|国旗縁 =
|国章画像 = Japanese crest Owari mitu Aoi.svg
|国章リンク = 尾州中納言葵
|国章幅 = <!-- 初期値85px -->
|標語 =
|標語追記 =
|国歌 =
|国歌追記 =
|位置画像 =
|位置画像説明 =
|位置画像幅 = <!-- 初期値250px -->
|公用語 = [[日本語]]
|首都 = [[名古屋市|名古屋]]
|元首等肩書 = [[#歴代藩主一覧|藩主]]
|元首等年代始1 = [[1610年]]
|元首等年代終1 = [[1650年]]
|元首等氏名1 = [[徳川義直]]
|元首等年代始2 = [[1864年]]
|元首等年代終2 = [[1871年]]
|元首等氏名2 = [[徳川義宜]]
|首相等肩書 = [[御附家老]]
|首相等年代始1 = [[1610年]]
|首相等年代終1 = [[1611年]]
|首相等氏名1 = [[平岩親吉]]
|首相等年代始2 = [[1616年]]
|首相等年代終2 = [[1625年]]
|首相等氏名2 = [[成瀬正成]]
|面積測定時期1 =
|面積値1 =
|面積測定時期2 =
|面積値2 =
|人口測定時期1 =
|人口値1 =
|人口測定時期2 =
|人口値2 =
|変遷1 = 成立
|変遷年月日1 = [[1610年]]
|変遷2 = [[廃藩置県]]
|変遷年月日2 = [[1871年]]
|通貨 = [[江戸時代の三貨制度|三貨]]
|通貨追記 =
|時間帯 =
|夏時間 =
|時間帯追記 =
|ccTLD =
|ccTLD追記 =
|国際電話番号 =
|国際電話番号追記 =
|現在 = {{JPN}}
|注記 =
}}
{{Location map |Japan
|label=尾張藩<br>親藩<br>61万9千石
|lat_deg=35|lat_min=11|lat_sec=7.77
|lon_deg=136|lon_min=53|lon_sec=56.71
|position=right
|width=250
|caption=尾張藩の位置
|mark=Mitsuba Aoi inverted.jpg
|marksize=10
|relief=1
}}
'''尾張藩'''(おわりはん)は、[[尾張国|尾張]]一国([[愛知県]]西部)と[[美濃国|美濃]]、[[三河国|三河]]及び[[信濃国|信濃]]([[木曾谷|木曽]]の山林)の各一部を治めた[[親藩]]。[[徳川御三家]]中の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。尾張国[[名古屋城]](愛知県[[名古屋市]])に居城したので、「'''名古屋藩'''」とも呼ばれた。明治の初めには名古屋藩を正式名称と定めた。藩主は[[尾張徳川家]]。表石高は61万9500石。
==歴史==
[[File:Nagoya Castle 1979.1.48P01B.jpg|thumb|left|名古屋城(1880年代)]]
===藩の前史===
{{See also|清洲藩}}
尾張は[[慶長]]5年([[1600年]])9月、[[関ヶ原の戦い]]終結まで[[清洲城]]主・[[福島正則]]が24万石で支配していた。戦功により福島正則は[[安芸国|安芸]][[広島藩]]に加増移封された。
===藩史===
[[File:Tokugawa Yoshinao.jpg|thumb|200px|left|尾張藩初代藩主[[徳川義直]]]]
[[File:Kioi-Oari-Hyoushiki.JPG|thumb|200px|right|尾張名古屋藩屋敷跡(東京都千代田区)の石碑]]
[[関ヶ原の戦い]]の戦功(先陣)により[[徳川家康]]の四男・'''[[松平忠吉]]'''が入封([[清洲藩]]、52万石)する。慶長11年(1606年)、家康の直轄領であった[[知多郡]]([[知多半島]])も忠吉に加増される。しかし慶長12年([[1607年]])に忠吉に嗣子がなく死去して天領となった。
代わって[[甲斐国|甲斐]][[甲府藩]]から同じく家康の九男で忠吉の弟である[[徳川義直]]が47万2344石で入封し、清洲城から新たに築かれた名古屋城に移って([[清洲越し]])、ここに尾張藩が成立した。
藩領は随時加増されてゆき、[[元和 (日本)|元和]]5年([[1619年]])5月16日に56万3206石となった。さらに、[[寛文]]11年([[1671年]])[[紀伊徳川家]]との格差をつけて御三家筆頭の家格を示すため、[[給人]]領([[渡辺守綱|渡辺半蔵]]はじめ16家1党に将軍の[[領知朱印状|朱印状]]をもって与えられた知行地)5万石を加増され61万9500石の知行高が確定した。
領域は尾張のほぼ一国のほか、[[美濃国|美濃]]・[[三河国|三河]]・[[信濃国|信濃]]([[木曽郡]]の[[ヒノキ]]御用林)・[[近江国|近江]]・[[摂津国|摂津]]と広範囲に跨って飛地が存在した。
中でも木曽の御用林から得られる木材資源は藩財政の安定に寄与する重要なものであった。また、表高こそ62万石弱であったが、新田開発を推し進めた結果、'''実高は100万石近くに達したといわれる。'''
財政には比較的余裕があったことから、領民には四公六民の低い税率が課されたという。
三河([[加茂郡]])や近江([[蒲生郡]])、摂津([[川辺郡]])にあったのは、すべて給人領である。
尾張藩は百姓[[一揆]]が、水戸(35件)<ref>水戸藩と分家の額田藩でない県南と[[鹿行]]も含めると常陸で59件(木村由美子『茨城の百姓一揆と義民伝承』(筑波書林)</ref>や紀伊(30件)<ref>うち2件は[[紀州徳川家|紀伊徳川]]以前の浅野幸長・長晟の北山一揆・[[紀州一揆]](日高一揆)</ref>に比べ少なかった藩とされている。江戸時代を通じて尾張国内で21件の一揆が記録されている<ref>『百姓一揆の発生地と件数』出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)</ref><ref>[http://jlogos.com/ausp/word.html?id=7355765 尾張藩]『角川日本地名大辞典(旧地名編)』</ref><ref>大規模な死者がでた例としては、寛文年間以降に、決起したキリシタンが数百人単位で名古屋の千本松原などに埋められた「濃尾崩れ」、明治維新後に、3万人以上が参加し百姓側に多くの死傷者が出た「[[稲葉騒動]]」が起きている。</ref>。
[[勝海舟]]は、『[[氷川清話]]』([[明治]]31年、[[1898年]])の中で「日本国中で、古来民政のよく行き届いたところは、まず[[甲斐国|甲州]]と尾州と[[小田原城|小田原]]との三ヶ所」であるとし、尾張(尾州)については、「租税を軽うし、民力を養った」「[[織田信長]]の遺徳がいまだ人民に慕われている」「当時の善政良法が、今なお歴々として残っている」としている。
====初代====
初代藩主・[[徳川義直]]は着任当初まだ幼少であったため、初期の藩政は家康の老臣たちによって行なわれたが、成長してからは義直自ら米の増産を目的とした用水整備・新田開発・年貢制度の確立などに務めて藩政を確立している。
====二代目====
第2代藩主・[[徳川光友]]は寺社政策に尽力したが、寺社再建を行いすぎて藩財政が苦しくなり、藩札発行するも失敗して藩財政が苦しくなった。このため、光友以後の藩主は倹約令や上米などの財政改革を行なって藩財政を黒字にさせたりもしたが、天災なども相次いで藩財政は結局は悪化した。
====三代目====
第3代藩主[[徳川綱誠]]は、実母の千代姫が3代将軍[[徳川家光]]の長女であった。それゆえ、御家門の中でも最も将軍家に近い存在であった。異母兄[[松平義昌]]は陸奥[[梁川藩]]3万石を得て大久保松平家として独立、同母弟[[松平義行]]は美濃[[高須藩]]3万石を得て四谷松平家として独立、異母弟[[松平友著]]は尾張藩内で家禄を得て川田窪松平家を称し、三つの分家[[御連枝]]ができあがる。
====四代目・五代目====
第4代藩主・[[徳川吉通]]は、第6代将軍[[徳川家宣]]から高く評価され、家宣の子鍋松(後の[[徳川家継]])が幼く政務に耐えられないと判断し、第7代将軍に就任するように要請されるほどの人格者<ref name="名前なし-1">『圓覺院様御伝二十五箇条』近松茂矩記</ref>であったが、家宣薨去1年後に25歳と言う若さで急死してしまう。
第5代藩主は、幼い[[徳川五郎太]]が継ぐも、数え年3歳で急死してしまい、家督は叔父である[[徳川継友]]が継承。
====六代目====
第6代藩主・[[徳川継友]]は第7代将軍・[[徳川家継]]が重病に臥した際、第8代将軍候補の有力者であった。第6代将軍御台所の天英院の姪の近衛安己を婚約者に持ち、祖母が第3代将軍家光の長女であり、将軍家に最も近い存在であったからである。
しかし、同じ御三家の[[紀州藩]]主・[[徳川吉宗]]が将軍に就任した。その後、尾張徳川家は御三家で唯一、血統上で将軍を輩出することなく明治維新を迎えることとなる。<ref group="注">八代吉宗、十四代家茂が紀州からであり、十五代慶喜は、水戸家出身で後に御三卿一橋家の養子になり、その後将軍になっている。</ref>第4代藩主[[徳川吉通]]は、「尾張は将軍位を争わず」と述べており、尾張藩では家訓として将軍位を継承することよりも、[[徳川家康]]より与えられた尾張藩を護ることのほうが大切であるとされていたためである<ref name="名前なし-1"/>。
====七代目====
[[File:Tokugawa Muneharu.jpg|thumb|200px|[[徳川宗春]]]]
歴代藩主で最も有名なのが、その継友の弟であり、第7代藩主となった[[徳川宗春]]である。宗春は倹約を主とする江戸の幕閣の政策を批判し、名古屋城下に芝居小屋や遊廓の設置を許可し、規制緩和政策を推進した。
これは江戸幕府の緊縮財政に対して真っ向から対立するものであった<ref>吉宗から三か条の詰問を受けたにもかかわらず、宗春は無視して政策を推し進めたとする説もあるが、吉宗から咎めを受けたという公式記録は存在していない。</ref>。
[[享保]]20年([[1735年]])に入ると幕府よりも5ヶ月早く遊興徘徊を禁じる令を出す。また、翌年の元文元年に行われた幕府の元文の改鋳によるインフレ政策に先立って、すでにインフレ状態にあった尾張藩内の引き締め政策を展開した。しかし、幕府より一手先を行く宗春の政策は幕閣に警戒感を与えてしまっていた。
丁度その頃は、幕府は朝廷が禁じた『大日本史』の出版を強行し、幕府と朝廷に緊張が走っていた。
[[元文]]3年([[1738年]])朝廷が、反幕府の象徴的儀式である[[大嘗会]]を開くことになる。宗春と御付家老[[成瀬正泰]]が参勤交代で江戸に下向すると、もう一人の御付家老[[竹腰正武]]が、名古屋で宗春の政策をことごとく否定していた。そのために尾張藩内は少なからず騒乱状態となる。
翌年の元文4年([[1739年]])に、大嘗会に使いに出ていた使者が江戸に戻り将軍吉宗に報告すると、吉宗は病と称し引きこもってしまう。
そして数日後、吉宗は、尾張藩内の騒乱状態を理由に宗春を隠居謹慎処分に処した。その日に、吉宗は朝廷の中心であった[[一条兼香]]に多額の献金をし、宗春の甥である[[二条宗基]]に諱の「宗」の字を与え、朝廷対策を打った<ref>『徳川実紀』</ref>。
尾張藩は初祖義直の頃から朝廷との縁が深く、「王命に依って催さるる事」<ref>徳川義直『軍書合鑑』</ref>とされていた。
朝廷は宗春を高く評価しており<ref>『一条兼香公記』には、紀州藩を批判し、尾張藩を持ち上げる記述が散見される。</ref>、宗春は朝廷と幕府の間に挟まれて隠居謹慎せざるを得なくなってしまった。
====八代目====
宗春の後を継いで第8代藩主となったのは、従弟の[[徳川宗勝]]である。宗勝は宗春時代の藩政を改め、倹約令を中心とした緊縮財政政策を行ない、藩財政を再建する一方で、学問を意奨励して巾下学問所を創設した。
====九代目====
第9代藩主・[[徳川宗睦]]は父・宗勝の政策を受け継いで財政改革を継続し、その治世は38年間におよんだ。
一時期は財政が好転したこともあったが、[[宝暦治水]]にもかかわらず庄内川の氾濫など、天災による被害を受けて財政が結局は悪化した。市中の富商56人から金5000両を調達し、幕府に2万両の公金拝借を願い出た。以後、財政難によりこの金策は繰り返されていくこととなる。なお、この宗睦の時代にも学問が奨励され、[[天明]]3年([[1783年]])には[[藩校]]・明倫堂が創設されている。
軍制改革も実施され、寛政5年には幕府の「海軍防備令」に即応した知多半島の防備を再編成し、上方の変事に対応する計画を策定した。更にこの作戦に応じた歩兵銃砲主体の編成を大番組・寄合組・馬廻り組を拡充させた。[[寛政]]11年([[1799年]])12月に宗睦は死去した。宗睦の実子は早世していたため、ここに義直以来の尾張徳川家の男系の血統は藩主家から断絶した。
====十代目====
代わって寛政12年([[1800年]])1月に第10代藩主となったのは、[[一橋家]]から養子として迎えられた[[徳川斉朝]]である。
斉朝は、尾張藩第4代藩主[[徳川吉通]]の外孫である二条宗基の曾孫にあたり尾張徳川家の血を受け継いでいた。しかし、ここで尾張の男系血統は藩祖義直から断絶する<ref>第4代藩主吉通の長女信受院千姫は、五摂家の九条家に嫁ぎ、その血筋は多くの家に繋がっていき、現在の皇室とも繋がっている。また、御附家老竹腰家にも第2代藩主光友の血筋は伝わっている</ref>。
====十一代目~十三代目====
第11代藩主・[[徳川斉温]]や第12代藩主・[[徳川斉荘]]・第13代藩主・[[徳川慶臧]]らは、第11代将軍・[[徳川家斉]]の実子か、あるいは[[御三卿]]から迎えられた養子などであった(いずれも紀州藩主から将軍となった徳川吉宗の血統の一橋家の血筋)。
彼らは寿命や在任期間が短かったこともあったが、尾張に入国せずに[[江戸]]に在住することが多かったこともあって、藩政は停滞期に入り、藩財政は赤字になった。慶臧の継承により、尾張藩は幕府への財政依存が更に高まり、嘉永元年に米切手([[藩札]])の回収を条件に10万両が幕府から貸与されている。
このため、藩内では幕府迎合的で御三卿・[[徳川将軍家]]などからの養子を藩主に迎えて財政支援を期待する付家老などの江戸派に反対して、幕府からの藩政介入に反発し独立志向の金鉄党(尾張派、寛政軍革により拡充された大番組を中心として結成)を中心に藩主擁立運動が起こった。結局、将軍家御三卿系の養子は阻止された。
====十四代目~十六代目====
支藩[[美濃国|美濃]][[高須藩]]から本家を継いだ[[幕末]]の第14代藩主・[[徳川慶勝|徳川慶恕]](後の慶勝、血統としては水戸系)は、養子藩主時代の人事を一新し、財政改革にも一応の成功を収めている。
しかし[[安政]]5年([[1858年]])に将軍後継者問題・条約勅許問題などから[[一橋派]]に与して[[井伊直弼]]ら[[南紀派]]と対立し、この政争に敗れた慶勝は紀州家からの将軍擁立を妨害するために押しかけ登城を行ったことなどにより、直弼の[[安政の大獄]]によって強制的に隠居処分に処され、第15代藩主には慶勝の弟・[[徳川茂徳]]がなった。
だが、[[井伊直弼|直弼]]が[[桜田門外の変]]で[[暗殺]]され、[[文久]]3年([[1863年]])9月13日には茂徳に代わり、慶勝の子・[[徳川義宜]]が第16代藩主となったため、慶勝は隠居として藩政の実権を掌握し、幕政にも参与して[[公武合体|公武合体派]]の重鎮として活躍し尾張藩は藩主と元藩主の二重支配体制となり、[[長州征討|第一次長州征伐]]の総督に立てられるなどした。慶勝は第二次長州征伐の総督にも任命されたが、辞退している。
====明治時代====
;明治維新
[[大政奉還]]後に慶勝は新政府の[[議定]]に任ぜられ、[[小御所会議]]で決定された辞官納地を慶喜に求める使者となっている。[[慶応]]4年([[1868年]])の[[鳥羽・伏見の戦い]]によって新政府と幕府の対立が明らかになると慶勝も新政府側につき、藩内の佐幕派は[[青松葉事件]]によって弾圧された。
鳥羽・伏見の戦いの後に明治新政府により東征軍が編成されると、前藩主[[徳川慶勝]]は東海道諸藩の触頭に任命され、佐幕色の強かった東海道譜代諸藩、代官、旗本、それと勤王側の在野の国学グループへ勤王誘引使を送り中立化へ動かして新政府軍の東海道通過を容易にした。
[[明治]]3年([[1870年]])には財政難に陥った支藩の高須藩を吸収。
;廃藩置県
明治4年([[1871年]])[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]の[[廃藩置県]]により廃藩し、[[名古屋県]]となった。その後、[[犬山県]]との統合、愛知県への改称、[[額田県]]との統合を経て、現在の愛知県となった。
廃藩置県後の、尾張徳川家の[[家政機関]]については、[[尾張徳川家#尾張徳川侯爵家]]を参照のこと。
== 歴代藩主一覧 ==
=== 徳川家(尾張徳川家) ===
{| class="wikitable" style="background-color:white"
|-
!代!!名!!よみ!!極位極官!!就封!!在任期間!!前藩主との続柄・備考
|-
| style="text-align:center"|1||[[徳川義直|義直]]||よしなお||従二位行権大納言<ref>公文書において官が低く位が高いときは、位・官の間に「[[行]]」の字を入れる。大納言は正三位に相当。</ref>|| ||[[慶長]]12年-[[慶安]]3年<br />[[1607年]] - [[1650年]]||[[徳川家康]] 9男
|-
| style="text-align:center"|2||[[徳川光友|光友]]||みつとも||従二位行権大納言||遺領相続||慶安3年 - [[元禄]]6年<br />[[1650年]] - [[1693年]]||先代の長男
|-
| style="text-align:center"|3||[[徳川綱誠|綱誠]]||style="white-space:nowrap"|つななり||権中納言従三位||家督相続||元禄6年 - 元禄12年<br />[[1693年]] - [[1699年]]||先代の長男
|-
| style="text-align:center"|4||[[徳川吉通|吉通]]||よしみち||権中納言従三位||遺領相続||元禄12年 - [[正徳 (日本)|正徳]]3年<br />[[1699年]] - [[1713年]]||先代の9男
|-
| style="text-align:center"|5||[[徳川五郎太|五郎太]]||ごろうた||無位無官<br />(死後、従三位参議追贈)||遺領相続||正徳3年(7月 - 10月)<br />[[1713年]]||先代の長男
|-
| style="text-align:center"|6||[[徳川継友|継友]]||つぐとも||権中納言従三位||遺領相続||正徳3年 - [[享保]]15年<br />[[1713年]] - [[1730年]]||先代の叔父<br />(3代綱誠の11男)<br />'''養子'''
|-
| style="text-align:center"|7||[[徳川宗春|宗春]]||むねはる||権中納言従三位||遺領相続||享保15年 - [[元文]]4年<br />[[1730年]] - [[1739年]]||先代の弟<br />(3代綱誠の19男)<br />'''養子'''
|-
| style="text-align:center"|8||[[徳川宗勝|宗勝]]||むねかつ||権中納言従三位||遺領相続(正式な相続ではなく、先代宗春謹慎に伴い没収の後、改めて藩主として指名する形式)||元文4年 - [[宝暦]]11年<br />[[1739年]] - [[1761年]]||2代光友の孫<br />(はじめ支藩の[[高須藩]]主)<br />'''養子'''
|-
| style="text-align:center"|9||[[徳川宗睦|宗睦]]||むねちか||従二位行権大納言||遺領相続||宝暦11年 - [[寛政]]11年<br />[[1761年]] - [[1799年]]||先代の2男
|-
|10||[[徳川斉朝|斉朝]]||なりとも||正二位行権大納言||遺領相続||寛政11年 - [[文政]]10年<br />[[1799年]] - [[1827年]]||[[征夷大将軍|将軍]][[徳川家斉|家斉]]の甥<br />'''養子'''
|-
|11||[[徳川斉温|斉温]]||なりはる||従二位行権大納言||家督相続||文政10年 - [[天保]]10年<br />[[1827年]] - [[1839年]]||先代の従兄弟<br />(将軍家斉の19男)<br />'''養子'''
|-
|12||[[徳川斉荘|斉荘]]||なりたか||従二位行権大納言<br />||家督相続||天保10年 - [[弘化]]2年<br />[[1839年]] - [[1845年]]||先代の兄<br />(将軍家斉の12男)<br />'''養子'''
|-
|13||[[徳川慶臧|慶臧]]||よしつぐ||権中納言従三位||遺領相続||弘化2年 - [[嘉永]]2年<br />[[1845年]] - [[1849年]]||[[御三卿]][[徳川斉匡|田安斉匡]]の7男<br />'''養子'''
|-
|14||[[徳川慶勝|慶恕]]||よしくみ||権中納言従三位||遺領相続||嘉永2年 - [[安政]]5年<br />[[1849年]] - [[1858年]]||支藩[[高須藩]][[松平義建]]2男<br />'''養子'''
|-
|15||[[徳川茂徳|茂徳]]||もちなが||従二位行権大納言||家督相続||安政5年 - [[文久]]3年<br />[[1858年]] - [[1863年]]||先代の弟<br />(支藩高須藩松平義建5男)<br />'''養子'''
|-
|16||[[徳川義宜|義宜]]||よしのり||従三位行左近衛権中将||家督相続||文久3年 - [[明治]]2年<br />[[1863年]] - [[1869年]]||先代の甥<br />(14代慶恕の3男)<br />'''養子'''
|-
|17||[[徳川慶勝|慶勝]]||よしかつ||正二位行権大納言||家督相続||明治2年 -<br />[[1869年]] -||14代藩主慶恕が再承
|}
==藩校==
*[[明倫堂]] - [[寛延]]2年([[1749年]])創立、現・[[愛知県立明和高等学校]]
*[[洋学校]] - [[明治]]3年([[1870年]])創立、現・[[愛知県立旭丘高等学校]]
== 支藩・御連枝 ==
支藩としては[[陸奥国|陸奥]][[梁川藩]]と[[美濃国|美濃]][[高須藩]]がある。
=== 梁川松平家(大久保松平家) ===
*[[梁川藩]](やながわはん)3万石([[福島県]][[伊達郡]]、1683年 - 1730年) - 4代を継いだ松平通春が宗家断絶により尾張藩主[[徳川宗春]]になったため廃藩した。
[[親藩]]・[[御連枝]] 3万石
#[[松平義昌|義昌]](よしまさ)〔従四位下、出雲守・少将〕 尾張藩主・[[徳川光友|徳川右衛門督光友]]の子
#[[松平義方|義方]](よしかた)〔従四位下、出雲守・少将・侍従〕
#[[松平義真|義真]](よしざね)〔従四位下、式部大輔・侍従〕
#通春(みちはる)〔従五位下、主計頭・侍従〕 尾張藩主徳川右衛門督綱誠の子 後、尾張藩主・[[徳川宗春]]となる
江戸上屋敷を四谷大窪に置いた。
=== 高須松平家(四谷松平家) ===
*[[高須藩]](たかすはん)3万石([[岐阜県]][[海津郡]]、1700年 - 1870年) - 1870年に尾張本藩と合併された。10代藩主[[松平義建|義建]]の男子は合わせて6人が高須藩を含めた諸藩の藩主の地位に就いた(尾張藩主・[[徳川慶勝]](二男)、[[浜田藩]]主・[[松平武成]](三男)、尾張藩主・[[徳川茂徳]](五男、最初は11代高須藩主[[松平義比]])[[会津藩]]主・[[松平容保]](七男)、[[桑名藩]]主・[[松平定敬]](九男)、13代高須藩主[[松平義勇]](十男))。江戸屋敷は四谷に所在した。
#[[松平義行|義行]](よしゆき)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕 尾張藩主・[[徳川光友]]の子・母は3代将軍徳川家光の長女千代姫
#[[松平義孝|義孝]](よしたか)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕 尾張藩主・[[徳川綱誠]]の子。叔父義行の養子となる
#[[徳川宗勝|義淳]](よしあつ)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕→尾張藩主・徳川宗勝となる。 川田窪[[松平友著]]の嫡男。義孝の養子となり、後に尾張藩8代藩主となる。
#[[松平義敏|義敏]](よしとし)〔従四位下、左近衛権少将兼中務大輔〕
#[[徳川治行|義柄(]](よしとも)〔従四位下、侍従兼摂津守〕→ 尾張藩主・徳川宗睦の養子となり徳川治行となる。
#[[松平義裕|義裕]](よしひろ)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕
#[[松平義当|勝当]](かつまさ)〔従四位上、左近衛権少将兼弾正大弼〕
#[[松平義居|義居]](よしすえ)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕 [[一橋徳川家|一橋家]]・徳川治済の子。
#[[松平義和|義和]](よしより)〔従四位下、左近衛権少将兼中務大輔〕 水戸藩主徳川治保の子。
#[[松平義建|義建]](よしたつ)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕
#[[徳川茂徳|義比]](よしちか)〔従四位下、左近衛権少将兼摂津守〕→尾張藩主・徳川茂徳となる。
#[[松平義端|義端]](よしまさ)〔早世のため無位無官〕
#[[松平義勇|義勇]](よしたけ)〔従五位〕
#[[松平義生|義生]](よしなり)〔従五位〕
=== 川田窪松平家 ===
*徳川光友の十一男・松平友著が元禄6年([[1693年]])、5000石を[[内分分知|内分]]される。翌元禄7年([[1694年]])にはさらに1万石を内分され、正徳元年([[1711年]])に分家独立する。市ヶ谷川田窪に江戸屋敷を構えた。[[定府]]。享保17年([[1732年]])、子の松平友淳が高須松平家を継ぎ断絶する。
#[[松平友著]](ともあき)〔従五位下、但馬守〕 尾張藩主・[[徳川光友]]の庶子
#松平友淳(ともあつ)〔従五位下、但馬守〕→高須藩主・松平義淳→尾張藩主・徳川宗勝となる。
== 家臣団 ==
[[江戸藩邸|江戸下屋敷]]
尾張藩の家臣団は、幕府より附属された者、[[松平家忠 (東条松平家)|甚太郎]]衆や[[忍藩|忍]]新参衆などの松平忠吉の遺臣、[[甲府藩|甲斐]]時代に義直に仕えた者、尾張藩成立後に取り立てられた者、[[平岩親吉]]の遺臣らで構成された。幕下御附属衆の6氏(成瀬、竹腰、渡辺、石河、山村、千村)は将軍徳川家康または将軍徳川秀忠の命によって尾張藩に附属され、代々将軍に拝謁する資格を所持した家柄だった。御附属列衆も幕臣から尾張藩に附属された者であるが、こちらは将軍への拝謁資格はなかった。
=== 幕下御附属衆 ===
このうち成瀬・竹腰の2家が狭義の[[御附家老]]で、「両家年寄」と称する。
*[[成瀬氏|成瀬家]]([[犬山城]]3万5千石、[[犬山藩]])慶応4年(1868年)1月24日、独立大名となる。維新後[[子爵]]
*成瀬家(成瀬半太夫家、藩内1500石→4000石)
*:成瀬正信([[成瀬正則|正則]]の長男)-
*成瀬家(成瀬吉太夫家、藩内4000石)
*:成瀬長則([[成瀬正則|正則]]の次男)-
*成瀬家(成瀬能登守家、藩内1000石)
*:成瀬正継([[加賀藩]]重臣[[成瀬吉正]]の三男)-
*[[竹腰氏|竹腰家]]([[今尾陣屋]]3万石、[[今尾藩]])慶応4年(1868年)1月24日、独立大名となる。維新後[[男爵]]
*:[[竹腰正信]](初代藩主・義直の異父兄) - [[竹腰正晴|正晴]] - [[竹腰友正|友正]] = [[竹腰正映|正映]](正信の三男正辰の長男) = [[竹腰正武|正武]]([[石川章長]]の四男) = [[竹腰勝起|勝起]]([[徳川宗勝]]の五男) - [[竹腰睦群|睦群]] - [[竹腰正定|正定]] - [[竹腰正富|正富]] = [[竹腰正旧|正舊]]([[三宅康直]]の四男)
*[[渡辺氏#徳川譜代の三河渡辺氏|渡辺家]](渡辺半蔵家、[[三河国|三河]][[寺部城|寺部陣屋]]1万4000石・家老)維新後男爵
*:([[渡辺綱]] - )[[渡辺守綱]] - [[渡辺重綱|重綱]] - [[渡辺治綱|治綱]] - [[渡辺宣綱|宣綱]] = [[渡辺定綱|定綱]](重綱の七男長綱の二男) - [[渡辺直綱 (尾張藩士)|直綱]] = [[渡辺綱保|綱保]](定綱の三男) - [[渡辺綱通|綱通]] = [[渡辺綱光|綱光]]([[奥殿藩|奥殿藩主]]・[[松平乗穏]]の二男) = [[渡辺規綱|規綱]](奥殿藩主・松平乗友の二男、綱光の甥) - [[渡辺寧綱|寧綱]] - [[渡辺綱倫|綱倫]] - [[渡辺綱聡|綱聡]] - 修二
*渡辺家(渡辺半十郎(新左衛門)家<ref>[http://www.awin-urustim-music.com/Watanabe/main/index.htm]</ref>、藩内2000石・国老中、名古屋城代、江戸家老、年寄など)
*:[[渡辺秀綱]](守綱の弟政綱の嫡子) - 景綱 - 相綱 - 元綱 - [[渡辺久綱|久綱]] = 綱忠(元綱の五男) - 董綱 - 半十郎 - 維綱 - [[渡辺在綱|在綱]]
*渡辺家(渡辺半九郎(源太左衛門)家、藩内1500石・城代並、年寄など)
*:渡辺顕綱(守綱二男宗綱の二男綱久の嫡子) - 富綱 - 年綱 = 豊綱(成瀬織部正恕二男、年綱婿養子) - 愷綱 - 壽綱 - 半九郎
*[[石河家]]([[美濃国|美濃]][[駒塚村|駒塚]][[陣屋]]1万石・家老)維新後男爵
*:[[石川光忠]](初代藩主・義直の異父兄) - [[石川正光|正光]] - [[石川章長|章長]] - [[石河正章]] - [[石河忠喜|忠喜]] = [[石河光當|光當]] - [[石河光籌|光籌]] = [[石河光豊|光豊]] - [[石河光茂|光茂]] - [[石河光晃|光晃]]
*石河家(中石河家、1500石)
*:石河宗直(石川光忠次男) - 宗令 - 宗幸 - 邦命 - 直澄 - 直秩 - 好生 - 賢綱
*石河家(西石河家、1000石)
*:石川忠昌(石川光忠三男) - 正相 - 興利 - [[石河光當|正茂]] - 祥昌 - 祥久 - 當厚 - 當頭 - 當博 - 正基
*[[木曾衆#山村甚兵衛家|山村甚兵衛家]](山村甚兵衛、5700石 尾張藩大年寄・[[山村代官屋敷#木曽代官|木曽代官]]・[[福島関所]]関守・[[美濃]][[中津川代官所]]・[[久々利役所]])
*:[[山村良勝]] - [[山村良安|良安]] - [[山村良豊|良豊]] - 良忠 - 良景 - 良及 - [[山村良啓|良啓]] - 良由 - 良喬 - 良熙 - 良祺 - 良醇
*[[木曾衆#千村平右衛門家|千村平右衛門家]](千村平右衛門、4400石 尾張藩大年寄・美濃[[千村陣屋]]・信濃[[伊那郡|伊那]][[預地]]支配・[[遠江国|遠江]][[天竜川]]榑木改役・表[[交代寄合]]並)
*:幕府と尾張藩に両属しており、[[参勤交代]]もした。維新後に[[木曾氏|木曽]]姓へ復姓。
*:[[千村良重]] - 重長 - 基寛 - 仲興 - 仲成 - 政成 - 政武 - 頼久 - 頼房 - 仲雄 - 仲泰 - 仲展
=== 重臣 ===
*[[志水氏|志水家]](尾張[[大高城|大高]]1万石・家老・藩主外戚)
*:[[石清水八幡宮]]社人・紀姓田中氏の分家。初代宗清は[[徳川義直]]の外祖父(生母・[[お亀の方]]の父)。
*:志水宗清 - [[志水忠宗|忠宗]] - 忠政 - 忠継 - 宗秀 - 忠休 = 忠梁 - 忠如 - 忠珍 - 忠喬 - 忠受 - 忠勤 = 忠厚 = 忠受(再襲) - 忠賢 - 忠平
上記の成瀬・竹腰・渡辺(半蔵)・石河の4家に、志水を加えた5家を「万石以上」の格式とし、渡辺(半蔵)・石河・志水の3家が年寄(家老)に就任した場合は、「万石以上年寄」と称する。
*[[滝川氏|滝川家]](藩内6000石・家老、御附属列衆)
*:旧姓[[木全忠澄|木全氏]]、元[[滝川一益]]重臣。一益の改易後、秀吉・家康・秀忠に仕え、[[元和 (日本)|元和]]2年(1616年)、家康の遺命により徳川義直に附属した。
*:[[滝川忠征]] - 時成 - 征成 - 時令 - 善成 - 忠栄 - 忠厚 - 忠暁 - 忠攄 - 忠雄 - 忠学
*[[山澄氏|山澄家]](藩内5000石・城代家老、瑞公御部屋新参衆)
*:伊勢国司北畠支流・川方氏の末裔
*:山澄英龍 - 英重 = 英貞 = 龍豊 - 龍明 - 豊尚 = 龍騰
*[[毛利氏 (源氏)|毛利家]](毛利源内、美濃[[八神城|八神]]2000石、美濃[[中島郡 (岐阜県)|中島郡]][[預地]]支配、尾張衆)
*:[[源義家]]六男、[[源義隆]]の末裔。「家柄に付代々無役」とされ、藩の役職には就かなかった。尾張藩主から所領安堵の黒印状を与えられたことはなく、[[寛延]]3年([[1750年]])以降に<ref>梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(後編)」(『金沢大学文学部論集 史学・考古学・地理学篇』18号、1998年)P.44</ref>幕府から[[預地]]の支配も任されていることから、尾張藩士と同時に幕臣でもあったとされる。<ref>梶川勇作「尾張藩における「給人領」とその給人(前編)」(『金沢大学文学部論集 史学科篇』10号、1990年)P.44</ref>1.美濃国中島郡を本領とし、2.[[土岐氏]]・[[斎藤氏#美濃斎藤氏|斎藤氏]]・信長・秀吉・家康に仕えた後に、家康の命で徳川義直に附属した、3.松平忠吉の家臣であったことはない源姓毛利氏が尾張衆に分類されていることについては、疑問視する見解もある。<ref>梶川勇作「近世の尾張藩における尾張衆とその知行地(後編)」(『金沢大学文学部 地理学報告』8号、1997年)P.40、P.50</ref>
*:[[毛利広盛]] - [[毛利広義|広義]] - 広豊 - 広尚 - 広説 - 頼容 - 広直 - 広吉 - 広居 - 広賢 - 広貫
*[[生駒氏|生駒家]](尾張[[小折城|小折]]4000石・家老、尾張衆)
*:織田信長[[側室]]、[[織田信忠]]生母[[生駒吉乃|生駒夫人]]の実家
*:[[生駒利豊]] - [[生駒利勝|利勝]] - [[生駒宗勝|宗勝]] - [[生駒致長|致長]] - 致稠 - 周房 - 周邑 - 周詢 - 周武 - 周晃 - 周行 - 以後存続
*横井家(尾張[[赤目城|赤目]]4000石、尾張衆)
*:[[鎌倉幕府]][[執権]][[北条氏]]、[[北条高時]]の遺児[[北条時行]]の末裔
*:[[横井時泰]] - 時安 - 時峰 - 時盛 - 時真 - 時尹 - 有時-時宣 - 時保
*澤井家(2500石、尾張衆)
*:澤井元慶 - 元重 - 元智 - 元旭 - 元倚 - 元照 - 元矩 - 元算 - 元寛 - 元俊 - 繁蔵 - 馬次郎
*[[阿部氏 (徳川譜代)|阿部家]](4000石、元[[松平忠吉]]家老、甚太郎衆)
*:阿部正興([[阿部正勝]]三男) - 正致 - 正治 - 正寛 - 正恭 - 正茂 - 正嘉 - 正長 - 正信 - 正直 - 正傷
*[[肥田氏|肥田家]](藩内2000石、城代家老、駿河新参衆)
*:[[肥田孫左衛門]]-土岐[[肥田氏]]の分流
*[[間宮氏|間宮家]](3000石、駿河新参衆)
*:初代正等は旗本[[間宮之等]]の子。
*:間宮正等 - 之政 - 之峯 - 之惟 - 正業 - 正統 - 正萬
*[[水野氏#河和水野家(戸田流)|水野家]](尾張[[河和町|河和]]1460石、駿河新参衆)
*:河和城主[[戸田氏#尾張藩士・河和水野家|戸田守光]]の子・光康が、紆余曲折の後、母が[[水野信元]]の娘であった縁で水野姓を称し、慶長6年(1601年)、河和に復帰した。
*:戸田守光 - 水野光康 - 政康 - 伊頼 - 康寛=康村(康寛の甥) - 康友 - 康般 - 康民 - 康功 - 康年
*[[千賀氏|千賀家]](尾張[[師崎]]1400石、船奉行、[[篠島]]・[[日間賀島]]代官、清洲新参衆)
*:元[[佐治氏#尾張国の佐治氏|佐治氏]]重臣。慶長11年(1606年)、家康直轄領であった[[知多郡]]が松平忠吉に加増されたときに、転封をよしとせず、忠吉に附属替えとなった。
*:[[千賀信親]] - 貞信 - 信直 - 信賢 - 著信 - 方信 - 武信 - 補信 - 信立
*[[大道寺氏|大道寺家]](藩内4000石・城代家老。当初2000石→[[大坂の陣]]後に2500石)
*:[[大道寺直重]](元・[[松平忠吉]]付属。[[小田原北条氏]]家臣[[大道寺政繁]]次男) - 直時-直治 - 直秀 - 直澄 - 直長 - 直長 - 直方 - 直寅 - 直良 - 直近 - 直之
*[[織田氏#その他の信長の子の末裔|織田家]](藩内4000石・国家老 慶安以後新参衆)
*:[[織田貞幹]]([[織田信長]]の曾孫) - 長恒 - 貞辰 - 信傅 - 信庸 - 信建 - 信重
*[[荒川氏|荒川家]](1200石、忍新参衆)
*:[[荒川義広]] - 家義 - 弘秋 = 吉政 - 義任 - 頼廉 - 頼資 - 頼標 - 頼忠 - 頼敏 - 頼重 - 蔵主 - 鑯弥
==江戸屋敷==
尾張藩は江戸に総坪数は31万1000坪余にもなる屋敷を所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた。
*上屋敷【市谷屋敷】は当主の住まいで政庁も置かれた。明治4年(1871年)、兵部省用地として召し上げられ、以後は一貫して陸軍用地となり、現在は[[防衛省]]の敷地となっている。
*中屋敷【麹町屋敷】は、江戸城外堀の四谷門内(現東京都[[千代田区]]麹町)に拝領した屋敷。総坪数1万7870坪余あった。幕末を迎え、明治2年(1869年)に政府に接収された。
*下屋敷【戸山屋敷】は、和田戸山(現[[新宿区]]戸山〉にあり避災邸と休息用の別邸を兼ねた下屋敷として整備された。
*蔵屋敷は、江戸初期南八丁堀にあったが[[明暦の大火]]のあと築地地区の埋立地に移転された。
== 京藩邸 ==
当初は天神山町([[四条烏丸]]北西)にあった。しかし[[禁門の変]]で罹災したことでメインの藩邸として吉田邸が整備されることとなり、尾張藩は、[[文久]]3年([[1863年]])10 月頃に、屋敷を設けるための土地を吉田村に購入した。それ以降、主殿をはじめとする諸施設が徐々に営れ、京都における同藩の拠点として重要な役割を担うに至った。愛知県公文書館に架蔵される「吉田御屋敷之図」には、「三万三千三百三十三坪」と書きこまれており、尾張藩の吉田邸の面積が確かめられる。吉田邸は、明治4年([[1871年]])に処分され、[[京都大学吉田キャンパス]]の敷地となった。これまでにおこなわれた京都大学本部構内における発掘調査で、尾張藩吉田邸に関係するものと考えられる遺構が検出されている。邸内には熱田神宮も勧請された。
== 東浜御殿 ==
尾張藩は東海道を往来する大名らを招待し供応するため、[[寛永]]元年([[1624年]])初代藩主の[[徳川義直]]の命で神戸(ごうど)の浜を埋め立てて出島を造り、そこに'''東浜御殿'''を造営した。「厚覧草」によれば寛永11年([[1634年]])には、三代将軍[[徳川家光]]が上洛の際に止宿した。その敷地は1万平方メートル以上、海上城郭の様相を誇っていたとされ、御殿は[[名古屋城]]本丸御殿に匹敵する壮麗な仕様であったと考えられている。鯱をいただいた小天守閣のような西側の高楼は、[[桑名城]]の天守閣に対抗して建造されたものという。これを桑名楼と呼び、東側の楼閣を寝覚(ねざめ)楼と言い城郭のような構えであった。東浜御殿の位置は、現在の名古屋市熱田区内田町付近であったと推定される。
== 西浜御殿 ==
尾張藩は[[承応]]3年([[1654年]])に[[七里の渡し]]の北西に西浜御殿を築いた。現在、その跡は残っておらず、西浜御殿があった白鳥コミュニティセンター(名古屋市熱田区神戸町)北側に看板が立っているだけである。2018年に徳川林政史研究所(東京)において詳細な間取図が発見された。西浜御殿は平坦な邸だが内部の調度が豪華を極めていたという。[[歌川広重]]の浮世絵「宮 熱田濱之鳥居」にも画面左端にその姿が描かれている。
== 尾張藩主の別荘 ==
*[[小牧御殿]](愛知県[[小牧市]])
*[[坂下御殿]](愛知県[[春日井市]])
*[[朝宮御殿]](愛知県[[春日井市]])
*[[横須賀御殿]](愛知県[[東海市]]高横須賀町御亭)徳川光友が、寛文6年(1669年)に建てた別荘。臨江亭とも言ったが、光友が亡くなった後の正徳5年(1715年)に取り壊されたが、その70年後の天明5年(1785年)に、新しく[[横須賀代官所]]が置かれた。
== 陣屋・奉行所・代官所 ==
*[[寺部陣屋]](愛知県[[豊田市]]) - [[三河国]]加茂郡寺部村にあった、尾張藩家老の渡辺氏1万4千石の陣屋。
*[[千村陣屋]](岐阜県[[可児市]]) - 美濃国[[可児郡]][[久々利村]]にあった江戸幕府の[[交代寄合]]で[[木曾衆]]の一つ千村平右衛門家の陣屋。尾張藩と幕府との両方に仕えた。
*[[熱田奉行所]](名古屋市[[熱田区]]) - [[宮宿]](熱田湊)にあった尾張藩の奉行所。船舶の取締りをする船奉行、その下に船番所・船会所などをおいて、旅人や貨物の検察・保安にあたった。
*[[錦織川並材木奉行所#白鳥材木奉行所|白鳥材木奉行所]](名古屋市熱田区) - 熱田の白鳥には尾張藩の材木貯木場もあった。熱田湊とも呼んでいた。
*[[鳴海代官所]](名古屋市緑区)- 東海道[[鳴海宿]]にあった。尾張藩の代官所。鳴海陣屋とも呼ばれた。
*[[北方代官所]](愛知県一宮市)-天明元年(1781年)に北方堤防上に北方代官所(陣屋)が設置され、その管轄は、尾張、美濃の両国にまたがっており、併せて'''川並奉行所'''も置かれていた。
*[[小牧代官所]](愛知県[[小牧市]])
*[[水野代官所]](愛知県[[瀬戸市]])
*[[佐屋代官所]](愛知県[[愛西市]]) - 尾張国[[海東郡]]佐屋湊にあった。尾張藩の代官所。
*[[鵜多須代官所]](愛知県[[愛西市]])
*[[清須代官所]](愛知県[[清須市]])
*[[横須賀代官所]](愛知県[[東海市]])
*[[円城寺川並奉行所]](岐阜県[[羽島郡]][[笠松町]]) - 尾張藩は円城寺に川並奉行を置き、 木曽川を通る船や積荷を取り締まりを行った。
*[[太田代官所]](岐阜県[[美濃加茂市]]) - 美濃国加茂郡太田村にあった。尾張藩の代官所。
*[[上有知代官所]](岐阜県[[美濃市]]) - 美濃国[[武儀郡]]上有知村にあった。尾張藩の代官所。
*[[山村代官屋敷|木曾代官所]](長野県[[木曽郡]][[木曽町]]福島) - 信濃国[[福島宿 (中山道)]]に置かれた。木曽代官・福島関所関守を務めた山村甚兵衛家の代官所。
*[[木曾材木奉行所]]([[長野県]]木曽郡[[上松町]])- [[寛文]]4年([[1664年]])、尾張藩が行った林政改革後に設置された。上松材木役所、上松陣屋、原畑役所とも呼ばれた。
*[[錦織川並材木奉行所]]([[岐阜県]][[加茂郡]][[八百津町]])錦織 - 寛文5年([[1665年]])、これまでの山村甚兵衛家の錦織役所は廃止され、尾張藩直轄の川並奉行所が、錦織と牧野に新設された。錦織には、江戸以前から綱場が設けられていた。家康時代から山村甚兵衛家が管理し久々利村に住した[[木曾衆#久々利九人衆|久々利九人衆]]が交代で勤めていたが、寛文5年に尾張藩直轄になって山村甚兵衛家の役人は引き揚げた。錦織の綱場は、木曽川合渡から川狩輸送した材木を、ここで川切して筏に組み熱田湊(尾張藩貯木場)まで輸送した。
*[[錦織川並材木奉行所#牧野川並材木奉行所|牧野川並材木奉行所]]([[岐阜県]][[加茂郡]][[八百津町]]牧野)- [[享保]]11年([[1726年]])に番所に格下げとなり[[嘉永]]元年に廃止された。
== 年貢と正保四ツ概 ==
当初、尾張藩では領内の村々の[[年貢]]を徴収するにあたり、[[天正]]年間の[[太閤検地]]で調べた[[石高]](元高)を基準としていたが、4割以上を徴収していた村もあり、4割未満を徴収していた村もあって一定ではなかった。
[[正保]]2年([[1645年]])に、領内の[[寺社領]]を除き、それまで六公四民であった年貢を'''四公六民'''(尾張藩が4割を徴収し、[[百姓]]は6割を自分の収入とする)ことを定めた。これにより実収入の増加を図るために、元高の65万3千石余を、24万千石余を増やして89万4千石とした概高(ならしだか)に改め、高の40%を基準として年貢を課することにしたので、これによって尾張藩の収入は、約10万石増加した。
その際に従来4割以上徴収していた村の石高を増やし、4割未満を徴収していた村の石高は減らした。このことを'''正保四ツ概'''(しょうほうよつならし)と呼んだ。<ref>(濃飛通史・濃陽徇行記)</ref>
これにより、尾張藩は10万石程度、実収入が増えることとなった。
== 藩士に対する減禄制 ==
[[寛文]]元年([[1661年]])9月、尾張藩は藩士に対する世禄制を改正した。つまり藩士が子孫に相続する度に、禄高を減らしていくという仕組みであった。これによって藩士は大いに困惑し、ついに衰微断絶となった家も少なくなかったという<ref>(林菫一著・尾張藩の給知制)</ref>。
ただし、附家老(家康より附庸の命令を受けた家老)で1万石以上の大名格である、犬山城主 成瀬隼人正=3万5千石、今尾城主 竹腰氏=2万石、駒塚城主 石河氏=2万石、三河寺部の渡辺氏=1万石、知多郡の志水氏=1万石)と、特別待遇の木曽の山村甚兵衛家、久々利村の千村平右衛門家の両氏は減禄の対象から除かれていた。
尾張藩は138年後の[[寛政]]11年([[1794年]])に世禄制を復活した。以後藩士は相続の際の減禄から免れることとなった。
== 木曽谷に対する林政改革 ==
[[寛文]]4年([[1664年]])6月、尾張藩は目付役の佐藤半太夫以下の役人を木曽谷に派遣し、木曽の山々の巡見を行った。
その結果、川筋の材木の伐採に適した所は全て伐り尽くされて乱伐が進んでいたことから、林政改革を行うこととなった。
この改革の眼目の一つは、木曾代官の山村甚兵衛家に一任していた木曽山林の伐木・運材の支配を尾張藩の直轄事業に移し、統制と改革を行うことであった。
それは第一に、山村甚兵衛家および木曽谷の住民に与えられていた山林利用の既得権の大幅な削減であった。具体的には、山村甚兵衛家が家康以来受けていた御免白木5千駄の原木を雑木に切り替え、木曽谷の村々へ与えていた'''御免白木'''<ref>使用が許可された材木を割って半製品にした材料</ref>6千駄を3千駄に減らした。
統制の第二の点は、尾張藩が木曽谷の村々への民政の直接的支配強化に重点を置いたことである<ref>近世林業史の研究・岐阜県史</ref>。
改革の第二の点は、'''留山'''<ref>伐採を禁じた山林</ref>を指定して、山林資源の保持を図ったことである。
また尾張領は御用商人による伐採を停止したり、運材の統制・管理を強化した。この施策は、山林乱伐を防ぐ森林保護政策の先駆であったが、森林資源でくらしを立てていた木曽の領民にとっては厳しい経済統制となった。
寛文5年([[1665年]])、尾張藩は、それまで山村甚兵衛家に支配を任せていた木曽川中流の'''錦織役所'''を廃止し、新たに尾張藩直轄の[[錦織川並材木奉行所]]と、[[錦織川並材木奉行所#牧野川並材木奉行所|牧野川並材木奉行所]]の両方を新設した。
寛文5年(1665年)、尾張藩は、山林管理のために'''上松材木役所'''を設置して材木奉行を派遣した。初代奉行には佐藤半太夫が任命された。奉行定員は2名で1名は、木曽川中流の[[美濃国]][[可児郡]]錦織村に存在した尾張藩の[[錦織川並材木奉行所|錦織川並材木奉行]]を兼任した
== 羽書(藩札)の発行と回収 ==
寛政6年([[1789年]])、尾張藩は[[羽書]](藩札)を発行し、その後、羽書の回収にあたっての課役銀([[伝馬宿入用#高掛物として夫銀・堤銀・伝馬銀|夫銀・堤銀]])の倍額増徴などの財政政策を実施して、藩財政の緊縮と増収を図った。
== 幕末の領地 ==
* [[尾張国]]
** [[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]のうち - 125村
** [[春日井郡]]のうち - 199村
** [[丹羽郡]]のうち - 108村
** [[中島郡 (愛知県)|中島郡]]のうち - 160村
** [[葉栗郡]]のうち - 41村
** [[海東郡]]のうち - 153村
** [[海西郡 (愛知県)|海西郡]]のうち - 98村
** [[知多郡]]のうち - 147村
* [[三河国]]
** [[加茂郡 (三河国)|加茂郡]]のうち - 20村
* [[美濃国]]
** [[厚見郡]]のうち - 12村(うち4村が[[笠松県]]に編入)
** [[各務郡]]のうち - 6村
** [[羽栗郡]]のうち - 27村(うち2村が笠松県に編入、1村が同県と[[相給]]となる)
** [[中島郡 (岐阜県)|中島郡]]のうち - 15村(うち6村が笠松県に編入)
** [[石津郡]]のうち - 10村(うち3村が笠松県に編入)
** [[多芸郡]]のうち - 5村(うち1村が笠松県と相給となる)
** [[不破郡]]のうち - 8村
** [[安八郡]]のうち - 24村(うち2村が笠松県に編入)
** [[池田郡]]のうち - 7村(うち6村が笠松県に編入)
** [[大野郡]]のうち - 10村(うち9村が笠松県に編入)
** [[本巣郡]]のうち - 5村(うち1村が笠松県に編入)
** [[方県郡]]のうち - 7村(うち3村が笠松県に編入)
** [[山県郡 (岐阜県)|山県郡]]のうち - 4村(うち2村が笠松県に編入)
** [[武儀郡]]のうち - 115村
** [[加茂郡]]のうち - 44村(うち22村が笠松県に編入)
** [[可児郡]]のうち - 55村(うち18村が笠松県に編入、1村が同県と相給となる)
** [[土岐郡]]のうち - 15村(うち8村が笠松県に編入)
** [[恵那郡]]のうち - 12村(うち4村が笠松県に編入、4村が同県と相給となる)
* [[信濃国]]
** [[筑摩郡]]のうち - 32村
[[明治維新]]後に、美濃国中島郡2村([[八神城]]主・毛利源内[[預地|預所]]の旧[[天領|幕府領]])、[[北見国]][[網走郡]]、[[斜里郡]]が加わった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Owari Domain}}
* [[名古屋市]](市章は[[藩主]]の合印)
* [[江戸藩邸]](跡地の多くは公共施設となった)
* [[吉田生風庵]] - 尾張徳川茶会、名古屋の茶家
* [[新陰流]]
* [[円明流]]
* [[猪谷流]]
* [[夢想流]](尾張藩では「家流」と呼ばれた)
* [[和新心流]](尾張藩では「関口流」と呼ばれ、大関口流と小関口流の2派があった)
* [[福沢流]]
* [[貫流]]
* [[一条不二流]]
* [[日守流]]
* [[柳生の大太刀]]
* [[伝馬銀]]
* [[鸚鵡籠中記]]
* [[青松葉事件]]
* [[田中不二麿]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
* [https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari/theme_08/index.html 常設展 尾張の歴史|尾張藩の成立] - [[名古屋市博物館]]
* [http://codh.rois.ac.jp/bukan/book/200018823/001/ 尾張(尾張大納言宗睦) | 大名家情報 - 武鑑全集]
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浅井清己
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浅井 清己(あさい きよみ、1974年4月12日 - )は、日本の女性声優。ディーカラー所属。東京都出身。既婚。
小学生のころに『風の谷のナウシカ』を見て、声優に憧れる。声優を志す前は一時期児童劇団に在籍しており、その時のスタッフとデビュー間もない頃のアフレコスタジオで再会したが、デビュー間もないということもあっておとなしくしていたことを、その後にみたび再会したそのスタッフに劇団で活発で五月蝿かった時と全然違うと指摘されたことがある。その後、若気の至りの大恋愛の末結婚しようと決めた頃、コンビニで立ち読みした公募ガイドに載っていたオーディションを受け、特別賞を受賞したことをきっかけとして声優になった。
2010年2月まではマウスプロモーションに所属していた。同年4月よりディーカラー所属。2011年11月11日、Twitterで結婚したことを発表。
男の子、女の子(小さい子)を演じることを得意にしている。
趣味はダイビング。特技は水泳。
ゲームはダンジョン物を好む。『君のぞらじお』において「初体験は『ザ・ブラックオニキス』。ファミコン版よりセガ・マークIII版」と語っている。また、UYAMUYAというユニットを吉住梢と共に組んでいる。日商簿記2級と珠算2級の資格を所有。
高校卒業後就職し、OLをしていた(『君のぞらじお海賊版』#4)。実家は米屋。お兄ちゃんっ子。一番太った時で体重が44kg。37kgくらいに落ちたときもあった。
太字はメインキャラクター。
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浅井 清己は、日本の女性声優。ディーカラー所属。東京都出身。既婚。
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| 本名 = 浅井 清己(旧姓)<ref>{{Cite book|和書|author=|title=芸能手帳タレント名簿録Vol.44('09〜'10)|page=12|publisher=連合通信社・[[音楽専科社]]|isbn=|date=2009-04-24}}</ref>
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'''浅井 清己'''(あさい きよみ、[[1974年]]<ref>『タレントデータバンク2010』、793項、株式会社タレントデータバンク、2010年、ISBN 978-4990457112</ref>[[4月12日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[ディーカラー]]所属{{R|prof}}。[[東京都]]出身{{R|prof}}。既婚。
{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}}
== 概要 ==
=== 経歴 ===
小学生のころに『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』を見て、声優に憧れる。声優を志す前は一時期児童劇団に在籍しており、その時のスタッフとデビュー間もない頃のアフレコスタジオで再会したが、デビュー間もないということもあっておとなしくしていたことを、その後にみたび再会したそのスタッフに劇団で活発で五月蝿かった時と全然違うと指摘されたことがある<ref>『[[君のぞらじお]]』第86回「[[ラジオすかいてんぷる]]」より。</ref>。その後、若気の至りの大恋愛の末[[結婚]]しようと決めた頃、[[コンビニエンスストア|コンビニ]]で立ち読みした公募ガイドに載っていた[[オーディション]]を受け、特別賞を受賞したことをきっかけとして声優になった。
[[2010年]]2月までは[[マウスプロモーション]]に所属していた。同年4月より[[ディーカラー]]所属。[[2011年]][[11月11日]]、[[Twitter]]で[[結婚]]したことを発表<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://twitter.com/kiyoasa/status/134937736883871744|title=Twitter / @kiyoasa: つうことで本日最強ゾロ目ディに婚姻届提出してきました ...|publisher=|accessdate=2011-11-12}}</ref>。
=== 人物・エピソード ===
男の子、女の子(小さい子)を演じることを得意にしている<ref>{{Cite journal|和書|journal=日本音声製作者名鑑2007|issue=|page=141|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-526302-1|date=2007-03}}</ref>。
趣味は[[スクーバダイビング|ダイビング]]{{R|prof}}。特技は[[水泳]]{{R|prof}}。
[[ゲーム]]は[[ダンジョン]]物を好む。『君のぞらじお』において「初体験は『[[ザ・ブラックオニキス]]』。[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]版より[[セガ・マークIII]]版」と語っている。また、[[UYAMUYA]]というユニットを[[吉住梢]]と共に組んでいる。[[日商簿記]]2級と[[珠算]]2級の資格を所有。
高校卒業後就職し、OLをしていた(『[[君のぞらじお#君のぞらじお海賊版|君のぞらじお海賊版]]』#4)。実家は米屋。お兄ちゃんっ子。一番太った時で体重が44kg。37kgくらいに落ちたときもあった。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
===テレビアニメ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[烈火の炎]](森川願子)
| 1999年 |
* [[GTO (漫画)|GTO]](浅野麻由子<ref>{{Cite web | url = https://web.archive.org/web/20180228161558/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/6813| title = GTO| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-09-08}}</ref>、宮崎、オルテガ)
| 2000年 |
* [[学校の怪談 (テレビアニメ)|学校の怪談]](生徒たち、アナウンス、女子生徒、江藤あや)
* [[キョロちゃん (アニメ)|キョロちゃん]](子供A)
* [[週刊ストーリーランド]](姉、晴美)
* [[星界の戦旗]](乗員4、乗員1)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](アナウンス、生徒B)
| 2001年 |
* [[仰天人間バトシーラー]](ヘリコボーズ / ジェットオショー)
* [[グラップラー刃牙]](ニーナ・チャコフスキー、康子、子夜叉猿、米沢家メイド 他)
* [[ジーンシャフト]](ヒューン、研究者A)
* [[GALS!|超GALS! 寿蘭]](2001年 - 2002年、公園の娘、インタビュアー、女性の声、友人、生徒 他)
* [[旋風の用心棒]](美雪のクラスメート、AVモデル)
* [[ニャニがニャンだー ニャンダーかめん]](子ガエル)
* [[魔法少女猫たると]](キャンディー)
| 2002年 |
* [[アクエリアンエイジ|アクエリアンエイジ Sign for Evolution]](女子高生)
* [[ウルトラマニアック]](バンブー)
* [[最終兵器彼女]](せいこ、娘)
* [[東京アンダーグラウンド]](生徒、受付嬢、係員)
* [[東京ミュウミュウ]]('''タルト'''、ホンチャ、女子生徒、アナウンス、いじわるな女生徒、部員、狙われた女性、マスコミ)
* [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]](2002年 - 2003年、アゲハ、日向ハナビ)
* [[パタパタ飛行船の冒険]](ケマル<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20021022123917/http://www.telecom-anime.com/patapata/japanese/staff_cast/staff_cast.html|title=スタッフ&キャスト|publisher=パタパタ飛行船の冒険 公式サイト|accessdate=2016-05-07}}</ref>)
| 2003年 |
* [[奇鋼仙女ロウラン]](少年期ヤマト)
* [[君が望む永遠]](大空寺あゆ)
* [[銀河鉄道物語]](ジェイン・ゴールドマン)
* [[最遊記シリーズ|最遊記RELOAD]](ユンファ)
* [[それいけ!アンパンマン]](2003年 - 2007年、コーヒーキャラメル、こんにゃくん)
* [[探偵学園Q]](女子高生)
* [[マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ]](女生徒B)
* [[魔探偵ロキ|魔探偵ロキRAGNAROK]](グリンブルスティ)
| 2004年 |
* [[A15]]シリーズ([[変身3部作]])
** 超変身コス∞プレイヤー('''イコ・スー''' / '''ディアンレイヤー''')
** ヒットをねらえ!(早坂みく)
** LOVE♥LOVE?('''早坂みく''')
* [[神無月の巫女]](イズミ)
* [[舞-HiME]](深優・グリーア)
* [[美鳥の日々]](悪ガキB)
* [[無人惑星サヴァイヴ]](メノリ〈幼少期〉)
* [[流星戦隊ムスメット]](晃一)
| 2005年 |
* [[IGPX]](ジェシカ・ダーリン)
* [[D.C. 〜ダ・カーポ〜 (アニメ)|D.C.S.S. 〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜]](子供)
* [[舞-乙HiME]](ミユ、カーラ・ベリーニ)
* [[雪の女王 (NHKアニメ)|雪の女王]](オルガ)
| 2006年 |
* [[桜蘭高校ホスト部]](桜塚希美子、少年)
* [[出ましたっ!パワパフガールズZ]](被害者OL)
* [[ぷるるんっ!しずくちゃん]](マミちゃん)
* [[まじめにふまじめ かいけつゾロリ]](きよし)
| 2007年 |
* [[ザ・リプレイス 大人とりかえ作戦]](ライリー・ユージン・ディアリング)
* [[DARKER THAN BLACK -黒の契約者-]](ジュライ)
| 2008年 |
* [[BLEACH (アニメ)|BLEACH]](リリネット・ジンジャーバック<ref>{{Cite web|和書|url= https://pierrot.jp/title/bleach/chara_06.html |title=Character 十刃 リリネット・ジンジャーバック|publisher=株式会社ぴえろ |work=BLEACH公式サイト |accessdate=2022-12-26}}</ref>)
| 2009年 |
* [[しゅごキャラ!!どきっ]](中山チヨコ)
* [[DARKER THAN BLACK -流星の双子-]]('''ジュライ''')
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ 花冠の大地|ティアーズ・トゥ・ティアラ]](エポナ)
| 2010年 |
* [[NARUTO -ナルト- 疾風伝]](2010年 - 2017年、日向ハナビ)
* [[ポケットモンスター ダイヤモンド&パール]]([[ロケット団 (アニメポケットモンスター)#マトリ|マトリ]])
* [[ポケットモンスター ベストウイッシュ]](2010年 - 2011年、マトリ、女性客、アロエの[[ヨーテリー]]、[[ミネズミ]]、[[モンメン]]、アーティーの[[イシズマイ]])
| 2011年 |
* [[俺たちに翼はない]](日野英里子)
| 2016年 |
* [[ポケットモンスター XY|ポケットモンスター XY&Z]](マトリ)
| 2017年 |
* [[ポケットモンスター サン&ムーン]](2017年 - 2018年、マトリ、[[ピチュー]]、[[キャモメ]]、[[ママンボウ]]、アローラ[[ニャース]] 他)
* [[BORUTO-ボルト- -NARUTO NEXT GENERATIONS-]](2017年 - 、'''日向ハナビ''')
| 2020年 |
* [[ポケットモンスター (2019年のアニメ)|ポケットモンスター]](2020年 - 2021年、マトリ)<!-- 2020-06-14 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
* [[ぼくの孫悟空 (2003年の映画)|ぼくの孫悟空]](2003年)
* [[THE LAST -NARUTO THE MOVIE-]](2014年、日向ハナビ)
=== OVA ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[今日から俺は!!]](女生徒B)
| 1999年 |
* [[ヴァイスクロイツ|Weiß kreuz]]
| 2000年 |
* [[からくりの君]](子供A)
| 2001年 |
* [[うさぎちゃんでCue!!]]
| 2003年 |
* [[HAND MAID マイ]](サイバドール・アイ)
| 2004年 |
* [[アカネマニアックス〜流れ星伝説剛田〜|アカネマニアックス]](大空寺あゆ)
* [[王ドロボウJING|王ドロボウJING in Seventh Heaven]](天使)
* [[おジャ魔女どれみ#『おジャ魔女どれみナ・イ・ショ』(第5シリーズ)|おジャ魔女どれみナ・イ・ショ]](佐藤なつみ)
| 2006年 |
* [[君が望む永遠〜Next Season〜]](大空寺あゆ)
* [[舞-乙HiME Zwei]](ミユ)
| 2008年 |
* [[舞-乙HiME 0〜S.ifr〜]](ミユ)
| 2011年 |
* [[俺たちに翼はない|俺たちに翼はない if]](日野英里子)
}}
=== Webアニメ ===
* [[あゆまゆ劇場]](2006年、'''大空寺あゆ''')
* [[亡念のザムド]](2008年、キーオ)
=== ゲーム ===
{{dl2
| 2001年 |
* [[Love Songs アイドルがクラスメ〜ト]]('''観月唯香'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ゲーム『Love Songs アイドルがクラスメ~ト』公式|url=http://www.d3p.co.jp/lovesongs/charamenu.htm|title=キャラクター紹介|accessdate=2014-04-04}}</ref>)
| 2002年 |
* [[君が望む永遠]] コンシューマー版(大空寺あゆ)
* [[ロマンスは剣の輝きII〜銀の虹をさがして〜]](チム)
| 2003年 |
* [[君が望む永遠〜Rumbling hearts〜]](大空寺あゆ)
* [[バテン・カイトス 終わらない翼と失われた海]](フィー)
| 2004年 |
* [[攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX]](田上トシミ〈少女義体〉)
* [[センチメンタルプレリュード]](綾崎雛乃)
* [[烈火の炎|アニメバトル 烈火の炎〜Flame of Recca FINAL BURNING〜]](鬼凜、風神)
* [[ホーンテッドマンション (ゲーム)|ホーンテッドマンション]](花嫁、貴婦人)
| 2005年 |
* [[サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜]](蘭丸)
* [[舞-HiME 運命の系統樹]](深優・グリーア)
* [[Like Life an hour]]('''竜胆寺絆'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ゲーム『LikeLife every hour』公式|url=http://www.piacci.co.jp/likelife/chara05.html|title=キャラクター|accessdate=2014-04-04}}</ref>、起留)
| 2006年 |
* [[マブラヴ オルタネイティヴ]]全年齢版(イルマ・テスレフ)
* [[ロックマンゼクス]](ルアール・ジ・アビスロイド)<!-- 2006-07-06 -->
| 2007年 |
* [[神曲奏界ポリフォニカ#ブラック・シリーズ|神曲奏界ポリフォニカ THE BLACK]](マチヤ・マティア)
* [[召喚少女 〜ElementalGirl Calling〜]](ドロッテ)
| 2008年 |
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ 花冠の大地]](エポナ)
| 2009年 |
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラ外伝 -アヴァロンの謎-]](エポナ)
* [[ぼくのなつやすみ4 瀬戸内少年探偵団「ボクと秘密の地図」]](ジュニア〈吉田次郎〉)
| 2010年 |
* 維新恋華 龍馬外伝([[沖田総司]]〈子供時代〉)
* [[みんなのテニス ポータブル]](パオラ)
| 2011年 |
* [[乙女はお姉さまに恋してるPortable 2人のエルダー]]('''度會史''')
* [[水月 弐]](立花紫)
| 2012年 |
* [[水月 弐 〜PORTABLE〜]](立花紫)
* [[ヒーローズファンタジア]](深優・グリーア、ジュライ)
| 2013年 |
* エンゲージナイツ 〜新約英雄大戦〜(アルキメデス、孫子<ref>{{Cite web|和書|publisher=エンゲージナイツ 〜新約英雄大戦〜 公式サイト|url=http://ek.gamania.co.jp/game_data/character.aspx|title=エンゲージナイト紹介|accessdate=2013-09-01}}</ref>)
| 2014年 |
* [[俺たちに翼はない]](日野英里子)
| 2015年 |
* [[PROJECT X ZONE 2:BRAVE NEW WORLD]](蘭丸<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201510/08090047.html#page02|title=『PROJECT X ZONE 2:BRAVE NEW WORLD』芭月涼(『シェンムー』)など新たな登場キャラクターを一挙公開|accessdate=2015-10-07}}</ref>)
| 2016年 |
* [[乙女理論とその周辺 -Bon Voyage-]](華花<ref>{{Cite web|和書|publisher=dramatic create|work=PS Vita版 乙女理論とその周辺 -Bon Voyage-|url=http://dramaticcreate.com/otomeriron/chara07.html|title=キャラクター|accessdate=2016-08-10}}</ref>)
* [[NARUTO -ナルト- 疾風伝 ナルティメットストーム4]](日向ハナビ<ref>{{Cite web|和書|work=NARUTO -ナルト- 疾風伝 ナルティメットストーム4|url=http://naruto-game.bngames.net/character/01_09.html|title=キャラクター|accessdate=2015-07-21}}</ref>)
| 2021年 |
* [[モンスターストライク]](リリネット・ジンジャーバック)
}}
=== ドラマCD ===
* [[Love Songs アイドルがクラスメ〜ト|Love Songs アイドルがクラスメ〜ト ドラマアルバム ミッション・スプラッシュ]]('''観月唯香'''、2001年)
* [[ワガママだけど愛しくて]]1(真弓、2005年)
* [[俺たちに翼はない|俺たちに翼はない ドラマCD 2nd Season 第二巻]](日野英里子、2009年)
* [[どみなのド!]](桐井音瀬)<ref>[[チャンピオンRED]]2010年1月号付録ドラマCD</ref>
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[悪魔の棲む家 (2005年の映画)|悪魔の棲む家]](マイケル・ラッツ〈[[ジミー・ベネット]]〉)
* [[あの頃ペニー・レインと]](エストレラ・スター)
* [[ALI アリ]]
* [[インビジブル (2000年の映画)|インビジブル]] ※テレビ朝日版
* [[エーミールと探偵たち (映画)|エーミールと探偵たち]]
* [[エネミー・オブ・アメリカ]](エリック・ディーン)※フジテレビ版
* [[オールド・ルーキー]]
* [[お兄ちゃんはデンマザー]](エミリー)
* [[キャスパー (映画)|キャスパー]]('''キャスパー''')※DVD版
* [[キューティ・ブロンド3]](ジニー)
* [[撃鉄 GEKITETZ ワルシャワの標的]](クラリッサ)
* [[サイダーハウス・ルール (映画)|サイダーハウス・ルール]]
* [[ジャンパー (映画)|ジャンパー]](ミリーの少女時代)※DVD・BD版
* [[スコーピオン・キング (映画)|スコーピオン・キング]] ※日本テレビ版
* [[ステップフォード・ワイフ]]
* [[ダーク・ブルー]]
* [[探偵少女レクシー]](テイラー・ゴールド)
* [[翼をください (映画)|翼をください]]
* [[デイブは宇宙船]](ジョシュ・モリソン)
* [[バーバー (映画)|バーバー]]
* [[ハットしてキャット]]
* [[ハリー・ポッターと賢者の石]]
* [[ハリー・ポッターと秘密の部屋]]
* [[フォーチュン・クッキー (映画)|フォーチュン・クッキー]]
* [[ブラック・スワン (映画)|ブラック・スワン]](ヴェロニカ)
* [[ボルケーノ]] ※テレビ朝日版
* [[ホワイト・オランダー]](ゼビー)
* [[ボーン・スプレマシー]]
* [[マグダレンの祈り]]
* [[ミスティック・リバー]]
* [[リベリオン]](ロビー)
* [[ルルの冒険〜黄金の塊〜]](シルベスタ)
==== ドラマ ====
* [[ER緊急救命室]]シリーズ
** シーズンⅤ #21(シャノン・ミッチェル〈[[マギー・ローソン]]〉)
** シーズンⅥ #18(イアン・パーカー〈コナー・マシューズ〉)
** シーズンⅦ #5(ジェイスン〈ルイス・ガルシア〉)
** シーズンⅧ #15(ブリアン・クーパー〈ホリストン・コールマン〉)
** シーズンⅨ #10(ジェーン・アービー〈ブリトニー・リー・ハーヴィ〉)
** シーズンX #4(エリカ・クロフォード〈ライオン・ニコール・ブラウン〉)
** シーズンXI #4(セイジ・リチャードソン〈T・J・ホール〉)
* [[グレイズ・アナトミー 恋の解剖学]]5
* [[サード・ウォッチ]](チャーリー・ヨーカス)
* [[ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア]]
* [[ジェシー!]] シーズン3
* [[チャームド|チャームド2 魔女3姉妹]](ジェニー)
* [[ティーンズ救命隊]]
* [[ドリームハイ]]
* [[走れ!ケリー]](スペンサー)
* [[ブログ犬 スタン]](エイヴリー)
* [[ホテリアー]](キム・ユンヒ)
==== アニメ ====
* [[エル・ドラド 黄金の都]]
* [[ノートルダムの鐘II]]
* [[パウ・パトロール]](アレックス)
* [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]](女の子)
=== 音声CD ===
* 教育出版『国語表現I 改訂版』音声CD
=== ラジオ ===
* [[山田太郎ものがたり]]
* [[君のぞらじお]]
* [[ラジオあゆまゆ劇場]](2008年1月15日 - 6月17日)
==== ラジオCD ====
* ラジオCD「[[ささら、まーりゃんの生徒会会長ラジオ for ToHeart2]]」Vol.7、10(2010年1月29日、2011年1月28日)
* [[SCRUM Radio〜らむらじ〜]] ラジオCD Vol.3(2013年12月)
=== 実写 ===
* [[舞-HiME|HiMEをかたる 命&深優]](2010年1月22日-、[[日本BS放送|BS11]]) - BS11にて再放送中の[[舞-HiME]]内のコーナー番組。[[清水愛]]と共演。
=== その他コンテンツ ===
* しまじろうコンサート しまじろうともりのきかんしゃ(2017年、リリー)
* [[クレシェンド (オーディオドラマ)|クレシェンド]](オーディオドラマ、2019年<ref>{{Cite web|和書|title=配信開始しました。(2019.2.22)|url=https://www.lisbo.jp/feature/678|website=LisBo|date=2019-02-22|accessdate=2021-04-25}}</ref>、少年健三<ref>[https://www.lisbo.jp/detail/3055 株式会社ピコハウス LisBo クレシェンド 序章 花祭りの夜]</ref>)
== ディスコグラフィ ==
{{main2|UYAMUYAでの活動|UYAMUYA}}
=== キャラクターソング ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! style="width:4.5em" | 発売日 !! 商品名 !! 歌 !! 楽曲 !! 備考
|-
! colspan="5" | 2001年
|-
| 4月25日
| Love Songs アイドルがクラスメ〜ト キャラクターソングシリーズ2 観月唯香/天城未優
| 観月唯香('''浅井清己''')
| 「emotion」
| ゲーム『[[Love Songs アイドルがクラスメ〜ト]]』関連曲
|-
! colspan="5" | 2003年
|-
| rowspan=2|4月23日
| rowspan=2|カメラ=万年筆
| rowspan=2|[[小林沙苗]]、'''浅井清己'''、[[松来未祐]]
| 「カメラ=万年筆」
| OVA『[[HAND MAID マイ]]』オープニングテーマ
|-
| 「ハンドメイドでNe!」
| OVA『HAND MAID マイ』エンディングテーマ
|-
! colspan="5" | 2004年
|-
| 2月4日
| 君が望む永遠 Character Image Song series Portrait*4 あゆ
| 大空寺あゆ('''浅井清己''')
| 「PANIC」<br/>「あゆ様論」
| テレビアニメ『[[君が望む永遠]]』関連曲
|-
| 11月3日
| センチメンタルプレリュード サウンドトラック
| {{vau|SPガールズ|link=1}}
| 「想い出がいっぱい」
| ゲーム『[[センチメンタルプレリュード]]』エンディングテーマ
|-
! colspan="5" | 2005年
|-
| 6月8日
| 舞-HiME Character Vocal Album Vol.2 初恋方程式 第2楽章
| 深優('''浅井清己''')
| 「Angel's dew」
| テレビアニメ『[[舞-HiME]]』関連曲
|-
! colspan="5" | 2008年
|-
| 6月25日
| 君が望む永遠〜Next Season〜 キャラクターイメージCD vol.3
| 大空寺あゆ('''浅井清己''')、玉野まゆ([[吉住梢]])
| 「ウェイトレス物語」
| OVA『[[君が望む永遠〜Next Season〜]]』イメージソング
|-
! colspan="5" | 2011年
|-
| 12月14日
| [[ブリコン 〜BLEACH CONCEPT COVERS〜#ブリコン 〜BLEACH CONCEPT COVERS〜 2|ブリコン 〜BLEACH CONCEPT COVERS〜 2]]
| コヨーテ・スターク([[小山力也]])、リリネット・ジンジャーバック('''浅井清己''')
| 「[[オレンジ (Lil'Bの曲)|オレンジ]]」
| テレビアニメ『[[BLEACH (アニメ)|BLEACH]]』関連曲
|}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
{{Vau}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* [http://d-color.co.jp/print/index/27 ディーカラーによるプロフィール]
* {{Twitter|kiyoasa|きよみん}}
* [https://thetv.jp/person/1000037314/ 浅井清己のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* [https://seigura.com/directory/127/ 浅井 清己|声優名鑑 - 声優グランプリweb]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/浅井清己/#person-110085573_ 浅井清己の解説 - goo人名事典]
* {{Allcinema name}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あさい きよみ}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:過去のマウスプロモーション所属者]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:1974年生]]
|
2003-07-13T04:22:31Z
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11,345 |
陸上
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陸上(りくじょう)
陸上(くがみ)
陸上(くがうえ)
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陸上(りくじょう) 陸の上。
陸上競技の略。
陸上自衛隊の略。
陸上特殊無線技士(海上特殊無線技士、航空特殊無線技士に対して)。 陸上(くがみ) 鳥取県鳥取市岩美町陸上 陸上(くがうえ) 苗字
|
'''陸上'''(りくじょう)
* [[陸]]の上。
* [[陸上競技]]の略。
* [[陸上自衛隊]]の略。
* [[陸上特殊無線技士]]([[海上特殊無線技士]]、[[航空特殊無線技士]]に対して)。
'''陸上'''(くがみ)
* [[鳥取県]][[鳥取市]][[岩美町]]陸上
'''陸上'''(くがうえ)
* 日本の苗字
{{aimai}}
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[[Category:日本の地名|くかみ]]
[[Category:日本語の姓|くかうえ]]
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11,347 |
走幅跳
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走幅跳(はしりはばとび、英: long jump)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて遠くへ跳ぶ能力を競う競技。
競技の着地点は普通、安全性と記録の行いやすさから砂場となっている。その砂場にできた競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
走幅跳は、おおよそ4つの局面からなる。助走局面と踏み切り局面、空中局面及び着地局面である。その跳躍記録は、助走のスピードと高い関係があることが分かっている。
踏み切り板は、白く塗装された木で出来ており、踏み切った足がこれより前に出た場合、無効試技(ファウル)となる。なお、ウレタン舗装された全天候型の助走路の場合、選手のレベルに応じて踏み切り板の位置を変更出来る構造となっている。
1935年にジェシー・オーエンスが史上初めて8mを越えた (8m13cm)。この記録は1960年にラルフ・ボストンが8m21cmで破るまで25年にわたって世界記録として残った。このボストンの更新以降の7年間は毎年のように世界記録が更新され(うち4回はボストンが更新)、1967年時点で8m35cmが世界記録であった。しかし、1968年にボブ・ビーモンが、高地ながらそれまでの世界記録を55cm上回る8m90cmの跳躍をし、その後23年にわたって世界記録として残った。ビーモンの記録は、1991年にマイク・パウエルが8m95cmで更新し、パウエルの記録も2023年現在まで32年破られていない。つまり、ここ55年間で1度しか世界記録が更新されていない。
古代オリンピックにおいては「ハルテーレス」という1.5から4.5kg程度のおもりを両手に持って跳躍を行っていた。
助走の距離は設けられていないが、走幅跳を行う大会は他の競技も実施するためあまり長い距離は他競技者の妨げになり失格となる。1970年にアメリカの運動力学者が考案した前方宙返りを加えて跳躍するスタイルが存在したが、危険性が高いと判断され公式大会で行われるようになってから半年後の1974年8月に禁止された。
日本においては1998年(平成10年)までは教育の一環として小学校、中学校での運動能力テストの種目であったが、現在のスポーツテストでは行われていない。
陸上競技における正しい表記は走幅跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では走り幅跳びと表記されることもある。
女子は1926年夏から日本記録として公認されている。
|
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走幅跳は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて遠くへ跳ぶ能力を競う競技。
|
[[ファイル:Sdiri vole.jpg|thumb|250px|走幅跳の競技場面]]
'''走幅跳'''(はしりはばとび、{{Lang-en-short|long jump}})は、[[陸上競技]]の[[跳躍競技]]に属する種目で、助走をつけて遠くへ跳ぶ能力を競う競技。
== 概要 ==
競技の着地点は普通、安全性と記録の行いやすさから[[砂場]]となっている。その砂場にできた競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
走幅跳は、おおよそ4つの局面からなる。助走局面と踏み切り局面、空中局面及び着地局面である。その跳躍記録は、助走のスピードと高い関係があることが分かっている。
踏み切り板は、白く塗装された[[木]]で出来ており、踏み切った足がこれより前に出た場合、無効試技([[ファウル]])となる。なお、ウレタン舗装された全天候型の助走路の場合、選手のレベルに応じて踏み切り板の位置を変更出来る構造となっている。
[[ファイル:Greek jumping weights.jpg|thumb|150px|古代ギリシャで使われたハルテーレス]]
[[1935年]]に[[ジェシー・オーエンス]]が史上初めて8mを越えた (8m13cm)。この記録は[[1960年]]に[[ラルフ・ボストン]]が8m21cmで破る<ref name=boston>https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=false&firstDay=1960-01-01&lastDay=1968-12-31</ref>まで25年にわたって世界記録として残った。このボストンの更新以降の7年間は毎年のように世界記録が更新され(うち4回はボストンが更新)、1967年時点で8m35cmが世界記録であった<ref name=boston/>。しかし、1968年に[[ボブ・ビーモン]]が、高地ながらそれまでの世界記録を55cm上回る8m90cmの跳躍をし<ref>https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=true&firstDay=1900-01-01&lastDay=1968-12-31</ref>、その後23年にわたって世界記録として残った。ビーモンの記録は、1991年に[[マイク・パウエル]]が8m95cmで更新し、パウエルの記録も2023年現在まで32年破られていない。つまり、ここ55年間で1度しか世界記録が更新されていない。
[[古代オリンピック]]においては「ハルテーレス」という1.5から4.5kg程度のおもりを両手に持って跳躍を行っていた。
助走の距離は設けられていないが、走幅跳を行う大会は他の競技も実施するためあまり長い距離は他競技者の妨げになり失格となる<ref>{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2004 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 10 |publisher=講談社 }}</ref>。1970年にアメリカの運動力学者が考案した前方宙返りを加えて跳躍するスタイルが存在したが、危険性が高いと判断され公式大会で行われるようになってから半年後の1974年8月に禁止された<ref>{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2005 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 11 |publisher=講談社 }}</ref>。
日本においては[[1998年]](平成10年)までは教育の一環として小学校、中学校での運動能力テストの種目であったが、現在の[[スポーツテスト]]では行われていない。
陸上競技における正しい表記は'''走幅跳'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''走り幅跳び'''と表記されることもある。
女子は[[1926年]]夏から日本記録として公認されている。<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号329p</ref>
== 主なルール ==
* 試技開始の合図があってから1分以内に試技を開始しなければならない。ただし同一競技者が連続して試技を行なう場合は2分以内とする。
* 助走は助走路内であれば距離は自由。背走しても構わない。
* 助走路の外に、2個まで目印となるマーカーを置くことが出来る。
* 踏み切ってから着地するまでの間は前方宙返り以外はどんな動きをしても構わない。
* 各選手に3回の試技が与えられ、上位8番目の記録の選手にはさらに3回の試技が与えられ、合計6回の試技の中での最高記録により順位を決める。
**4回目以降は、3回目までの記録が低い選手から先に試技を行うように試技順が変更される。
**予選競技および混成競技においては全ての選手が3回の試技となる。「予選通過記録」が設定されている場合、それを突破した者は以降の試技を行えない。
**予選通過記録の突破者が決勝進出の上限人数(基本は12人)に満たない場合は、突破者を含めた全体の記録の上位者が進出となる。
**以上の項目は[[三段跳]]および投てき競技でも同様である。
* 次の場合は無効試技となる。
** 踏み切り線の前の地面に身体の一部が触れる。
** 踏み切り板 (120cm) の外側で踏み切る。
** 着地の時、競技者の身体の跡より踏み切り線に近い砂場の外側に触れる。
* 記録は、競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
*[[1974年]]頃、踏み切った後、体操競技のように空中回転して跳ぶ方法が考案されたが危険であるとされたため間もなく禁止された(第185条「助走あるいは跳躍動作中に宙返りのようなフォームを使ったときには無効試技とする」)。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|1||8m95||+0.3||[[マイク・パウエル]]||{{USA}}||[[東京]]||[[1991年]][[8月30日]]
|-
|2||8m90A||+2.0||[[ボブ・ビーモン]]||{{USA}}||[[メキシコシティ]]||[[1968年]][[10月18日]]
|-
|3||8m87||-0.2||[[カール・ルイス]]||{{USA}}||[[東京]]||[[1991年]][[8月30日]]
|-
|4||8m86A||+1.9||[[ロベルト・エミアン]]||{{SSR}}||[[:en:Tsakhkadzor|ツァグカゾール]]||[[1987年]][[5月22日]]
|-
| rowspan="3" |5|| rowspan="3" |8m74||+1.4||[[ラリー・マイリックス]]||{{USA}}||[[インディアナポリス]]||[[1988年]][[7月18日]]
|-
| +2.0||{{仮リンク|エリック・ウォルダー|en|Erick Walder}}||{{USA}}||[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]||[[1994年]][[4月2日]]
|-
| -1.2||[[ドワイト・フィリップス]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2009年]][[6月7日]]
|-
|8||8m73||+1.2||[[イルビング・サラディノ]]||{{PAN}}||[[ヘンゲロー]]||[[2008年]][[5月2日]]
|-
|9||8m71||+1.9||[[イバン・ペドロソ]]||{{CUB}}||[[サラマンカ]]||[[1995年]][[7月18日]]
|-
|10||8m69||+0.5||{{仮リンク|タジェイ・ゲイル|en|Tajay Gayle}}||{{JAM}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[9月28日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|1||7m52||+1.4||[[ガリナ・チスチャコワ]]||{{SSR}}||[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]||[[1988年]][[6月11日]]
|-
|rowspan="2"|2||rowspan="2"|7m49||+1.3||rowspan="2"|[[ジャッキー・ジョイナー・カーシー]]||rowspan="2"|{{USA}}||[[ニューヨーク]]||[[1994年]][[5月22日]]
|-
||+1.7||[[セストリエーレ]]||[[1994年]][[7月31日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|7m48||+1.2||rowspan="2"|[[ハイケ・ドレクスラー]]||rowspan="2"|{{DDR}}||[[ノイブランデンブルク]]||[[1988年]][[7月9日]]
|-
||+0.4||[[ローザンヌ]]||[[1992年]][[7月8日]]
|-
|4||7m43||+1.4||[[アニソアラ・スタンチウ]]||{{ROM1965}}||[[ブカレスト]]||[[1983年]][[6月4日]]
|-
|5||7m42||+2.0||[[タチアナ・コトワ]]||{{RUS}}||[[アヌシー]]||[[2002年]][[6月23日]]
|-
|6||7m39||+0.5||{{仮リンク|エレーナ・ベレフスカヤ|en|Yelena Belevskaya}}||{{URS}}||[[ブリャンスク]]||[[1987年]][[7月18日]]
|-
|7||7m37||||[[イネッサ・クラベッツ]]||{{EUN}}||[[キエフ]]||[[1992年]][[6月13日]]
|-
|8||7m33||+0.4||[[タチアナ・レベデワ]]||{{RUS}}||[[トゥーラ (ロシア)|トゥーラ]]||[[2004年]][[7月31日]]
|-
| rowspan="4" |9|| rowspan="4" |7m31||+1.5||{{仮リンク|オレーナ・フロポトノヴァ|en|Olena Khlopotnova}}||{{URS}}||[[アルマトイ]]||[[1985年]][[9月12日]]
|-
| +1.9|| rowspan="2" |[[マリオン・ジョーンズ]]||rowspan="2"|{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[1998年]][[5月31日]]
|-
||-0.1||[[チューリッヒ]]||[[1998年]][[8月12日]]
|-
| +1.7||[[ブリトニー・リース]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2016年]][[7月2日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!記録!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||8m65||+1.3||[[ルヴォ・マニョンガ]]||{{RSA}}||[[ポチェフストルーム]]||[[2017年]][[4月22日]]
|-
|[[アジア]]||8m48||+0.6||[[モハメド・アル=フワリディ]]||{{KSA}}||[[ソットヴィル=レ=ルーアン]]||[[2006年]][[7月2日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||8m86||+1.9||[[ロベルト・エミアン]]||{{URS}}||Tsaghkadzor||[[1987年]][[5月22日]]
|-
|[[北アメリカ]]||8m95||+0.3||[[マイク・パウエル]]||{{USA}}||[[東京]]||[[1991年]][[8月30日]]
|-
|[[南アメリカ]]||8m73||+1.2||[[イルビング・サラディノ]]||{{PAN}}||[[ヘンゲロ]]||[[2008年]][[5月24日]]
|-
|[[オセアニア]]||8m54||+1.7||{{仮リンク|ミッチェル・ワット|en|Mitchell Watt}}||{{AUS}}||[[ストックホルム]]||[[2011年]][[7月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!記録!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||7m17||+1.1||[[エセ・ブルーメ]]||{{NGR}}||[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]||[[2021年]][[5月29日]]
|-
|[[アジア]]||7m01||+1.4||{{仮リンク|姚偉麗|en|Yao Weili}}||{{CHN}}||[[済南市|済南]]||[[1993年]][[6月5日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||7m52||+1.4||[[ガリナ・チスチャコワ]]||{{SSR}}||[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]||[[1988年]][[6月11日]]
|-
|rowspan=2|[[北アメリカ]]
|rowspan=2|7m49||+1.3||rowspan=2|[[ジャッキー・ジョイナー・カーシー]]||rowspan=2|{{USA}}||[[ニューヨーク]]||[[1994年]][[5月22日]]
|-
||+1.7||[[セストリエーレ]]||[[1994年]][[7月31日]]
|-
|[[南アメリカ]]||7m26||+1.8||[[マウレン・マギ]]||{{BRA}}||[[ボゴタ]]||[[1999年]][[6月24日]]
|-
|[[オセアニア]]||7m13||+2.0||[[ブルック・ストラットン]]||{{AUS}}||[[チュラビスタ]]||[[2022年]][[7月9日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|1||8m35||+1.1||{{仮リンク|セルゲイ・モルグノフ|en|Sergey Morgunov}}||{{RUS}}||[[チェボクサル]]||[[2012年]][[6月20日]]
|-
|2||8m34||0.0||[[ランディ・ウィリアムズ (陸上選手)|ランディ・ウィリアムズ]]||{{USA}}||[[ミュンヘン]]||[[1972年]][[9月8日]]
|-
|3||8m33||+2.0||{{仮リンク|マイケル・マッソ|en|Maykel Massó}}||{{CUB}}||[[マドリード]]||[[2017年]][[7月14日]]
|-
|4||8m31||+0.8||{{仮リンク|石雨豪|en|Shi Yuhao}}||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[2017年]][[6月25日]]
|-
|5||8m30||+1.8||{{仮リンク|ミルティアディス・テントグルー|en|Miltiádis Tentóglou}}||{{GRE}}||[[パトラ]]||[[2017年]][[6月18日]]
|-
| rowspan="2" |6|| rowspan="2" |8m28||+0.8||{{仮リンク|ルイス・ブエノ|en|Luis Bueno}}||{{CUB}}||[[ハバナ]]||[[1988年]][[7月16日]]
|-
| +0.8||[[フアン・ミゲル・エチェバリア]]||{{CUB}}||[[マドリード]]||[[2017年]][[7月14日]]
|-
|8||8m27||+1.7||{{仮リンク|エウゼビオ・カセレス|en|Eusebio Cáceres|es|Eusebio Cáceres}}||{{ESP}}||[[バルセロナ]]||[[2010年]][[7月30日]]
|-
|9||8m25||+0.9||{{仮リンク|王嘉男|en|Wang Jianan (athlete)}}||{{CHN}}||[[上海]]||[[2015年]][[5月17日]]
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |8m24||+0.2||{{仮リンク|エリック・メトカルフ|en|Eric Metcalf}}||{{USA}}||[[インディアナポリス]]||[[1986年]][[6月6日]]
|-
| +1.8||{{仮リンク|ヴラディミル・オッカン|fr|Volodymyr Ochkan}}||{{SSR}}||[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]||[[1987年]][[6月21日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|1||7m14||+1.1||[[ハイケ・ドレクスラー]]||{{GDR}}||[[ブラチスラヴァ]]||[[1983年]][[6月4日]]
|-
|2||7m03||+1.3||[[ダリヤ・クリシナ|ダリア・クリシュナ]]||{{RUS}}||[[ジュコーフスキー (モスクワ州)|ジュコーフスキー]]||[[2010年]][[6月26日]]
|-
|3||7m00||-0.2||{{仮リンク|ブリギット・グロスヘニング|en|Birgit Großhennig|de|Birgit Großhennig}}||{{GDR}}||[[ベルリン]]||[[1984年]][[6月9日]]
|-
|4||6m94||-0.5||{{仮リンク|マグダレナ・クリストファ|en|Magdalena Khristova}}||{{BUL}}||[[カラマタ]]||[[1996年]][[6月22日]]
|-
|5||6m91||0.0||[[アニソアラ・スタンチウ]]||{{ROM}}||[[ブカレスト]]||[[1981年]][[5月23日]]
|-
|6||6m90||+1.4||{{仮リンク|ベバリー・キンチェ|en|Beverly Kinch}}||{{GBR}}||[[ヘルシンキ]]||[[1983年]][[8月14日]]
|-
|7||6m88||+0.6||[[ナタリヤ・シェフチェンコ]]||{{URS}}||[[ソチ]]||[[1984年]][[5月26日]]
|-
|8||6m84|| ||[[ラリサ・バルタ]]||{{URS}}||[[クラスノダール]]||[[1983年]][[8月6日]]
|-
|9||6m83||+1.7||[[ケイト・ホール]]||{{USA}}||[[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]||[[2015年]][[6月21日]]
|-
|10||6m82||+1.7||[[フィオナ・メイ]]||{{GBR}}||[[サドバリー]]||[[1988年]][[7月30日]]
|}
=== U18世界最高記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!記録!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|8m28||+1.8||{{仮リンク|マイケル・マッソ|en|Maykel Massó}}||{{CUB}}||[[ハバナ]]||[[2016年]][[5月28日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!記録!!風速!!名前!!国籍!!場所!!日付
|-
|6m91||+1.0||[[ハイケ・ドレクスラー]]||{{GDR}}||[[イェーナ]]||[[1981年]][[8月9日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8m40||+1.5||[[城山正太郎]]||[[ゼンリン]]||[[2019年]][[8月17日]]
|-
|2||8m36||+0.6||[[橋岡優輝]]||[[富士通]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|3||8m26||+1.0||[[吉田弘道]]||[[神崎郡陸上競技協会]]||[[2023年]][[5月21日]]
|-
|4||8m25||+1.6||[[森長正樹]]||日本大学||[[1992年]][[5月5日]]
|-
|5||8m23||+0.6||[[津波響樹]]||[[東洋大学]]||[[2019年]][[8月17日]]
|-
|6||8m20||+1.8||[[寺野伸一]]||[[サンクラブ]]||[[2004年]][[6月6日]]
|-
|7||8m18||+1.3||[[菅井洋平]]||[[ミズノ]]||[[2015年]][[4月18日]]
|-
|8||8m17||+0.7||[[山川夏輝]]||[[佐賀県スポーツ協会]]||[[2022年]][[6月19日]]
|-
|9||8m15||+2.0||[[田川茂 (陸上選手)|田川茂]]||ミズノ||[[1999年]][[6月12日]]
|-
|10||8m13||+0.7||[[朝原宣治]]||[[同志社大学]]||[[1993年]][[12月3日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||6m97||+0.5||[[秦澄美鈴|秦 澄美鈴]]||[[シバタ工業]]||[[2023年]][[7月14日]]
|-
|2||6m86||+1.6||[[井村久美子|池田久美子]]||[[スズキアスリートクラブ|スズキ]]||[[2006年]][[5月6日]]
|-
|3||6m84||+1.2||[[甲斐好美]]||[[VOLVER]]||[[2015年]][[10月24日]]
|-
|4||6m82||+1.6||[[花岡麻帆]]||[[オフィス24]]||[[2001年]][[6月10日]]
|-
|5||6m65||+1.4||[[桝見咲智子]]||[[九電工]]||[[2009年]][[6月28日]]
|-
|6||6m61||+1.9||[[高松仁美]]||[[ジョージ・メイソン大学]]||[[1995年]][[4月15日]]
|-
|7||6m59||-0.3||[[岡山沙英子]]||[[広島JOC]]||[[2013年]][[6月7日]]
|-
|8||6m58||+1.0||[[磯貝美奈子]]||[[群馬大学]]||[[1987年]][[5月10日]]
|-
|9||6m50||+0.7||[[高良彩花]]||[[筑波大学]]||[[2022年]][[9月9日]]
|-
| rowspan="3" |10|| rowspan="3" |6m48||+0.1||[[河津里美]]||[[藤蔭高等学校]]教員||[[1988年]][[9月1日]]
|-
| +1.8||[[髙武華子]]||福岡大学||[[2012年]][[4月7日]]
|-
| +1.3||[[清水珠夏]]||[[中央大学]]||[[2012年]][[5月19日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8m12||+1.7||藤原孝輝||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[8月5日]]
|-
|2||8m10||0.0||[[下仁]]||千葉陸協||[[1991年]][[6月14日]]
|-
| rowspan="3" |3|| rowspan="3" |8m09||+0.8||[[森長正樹]]||[[日本大学]]||[[1991年]][[9月22日]]
|-
| +2.0||[[津波響樹]]||[[東洋大学]]||[[2017年]][[9月9日]]
|-
| +1.2||[[橋岡優輝]]||[[日本大学]]||[[2018年]][[6月23日]]
|-
|6||7m92||0.0||[[泉谷駿介]]||[[順天堂大学]]||[[2019年]][[9月13日]]
|-
|7||7m89||+1.1||舞永夏稀||[[太成学院大学高等学校|太成学院高等学校]]||[[2020年]][[9月18日]]
|-
| rowspan="3" |8|| rowspan="3" |7m87||+1.9||品田直宏||[[札幌国際情報高等学校]]||[[2003年]][[6月17日]]
|-
| +0.9||鈴木秀明||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[2005年]][[6月17日]]
|-
| +1.0||小田大樹||[[日本大学]]||[[2015年]][[6月7日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
| rowspan="2" |1|| rowspan="2" |6m44||0.0||[[中野瞳]]||[[兵庫県立長田高等学校]]||[[2007年]][[6月3日]]
|-
| +0.8||[[高良彩花]]||[[園田学園中学校・高等学校|園田学園高等学校]]||[[2018年]][[6月9日]]
|-
| rowspan="2" |3|| rowspan="2" |6m43||+0.8||[[井村久美子|池田久美子]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[2000年]][[10月18日]]
|-
| +1.6||[[桝見咲智子]]||[[英明高等学校]]||[[2002年]][[6月1日]]
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |6m40||+1.2||[[磯貝美奈子]]||[[群馬大学]]||[[1985年]][[6月2日]]
|-
| +2.0||高武華子||[[福岡大学]]||[[2009年]][[7月18日]]
|-
|7||6m38|| ||高松仁美||[[埼玉県立春日部東高等学校]]||[[1992年]][[12月3日]]
|-
|8||6m33||+1.3||馬場貴子||[[園田学園中学校・高等学校|園田学園高等学校]]||[[1999年]][[8月4日]]
|-
|9||6m29||+0.8||[[花岡麻帆]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1994年]][[6月12日]]
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |6m28||+1.6||宮本早紀子||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1994年]][[8月3日]]
|-
| +1.9||中原ゆかり||[[日本女子体育大学]]||[[2004年]][[7月4日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8m12||+1.7||藤原孝輝||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[8月5日]]
|-
|2||7m96||+1.8||[[森長正樹]]||[[太成学院大学高等学校]]||[[1989年]][[11月3日]]
|-
|3||7m89||+1.1||舞永夏稀||[[太成学院大学高等学校]]||[[2020年]][[9月18日]]
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |7m87||+1.9||品田直宏||[[北海道札幌国際情報高等学校]]||[[2003年]][[6月17日]]
|-
| +0.9||鈴木秀明||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[2005年]][[6月17日]]
|-
|6||7m85||+1.6||[[渡辺大輔 (陸上選手)|渡辺大輔]]||[[八王子学園八王子高等学校・中学校|八王子高等学校]]||[[1993年]][[10月26日]]
|-
|7||7m81||+1.8||北川凱||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2020年]][[9月26日]]
|-
|8||7m80||+2.0||佐久間滉大||[[法政大学第二中・高等学校|法政大学第二高等学校]]||[[2014年]][[8月1日]]
|-
| rowspan="2" |9|| rowspan="2" |7m76||0.0||杉林孝法||[[星稜中学校・高等学校|星稜高等学校]]||[[1993年]][[9月18日]]
|-
| +2.0||足達一馬||[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高等学校]]||[[2016年]][[3月28日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
| rowspan="2" |1|| rowspan="2" |6m44||0.0||中野瞳||[[兵庫県立長田高等学校]]||[[2007年]][[6月3日]]
|-
| +0.8||[[高良彩花]]||[[園田学園中学校・高等学校|園田学園高等学校]]||[[2018年]][[6月9日]]
|-
|3||6m43||+1.6||[[桝見咲智子]]||[[英明高等学校]]||[[2002年]][[6月1日]]
|-
|4||6m38|| ||高松仁美||[[埼玉県立春日部東高等学校]]||[[1992年]][[12月3日]]
|-
|5||6m33||+1.3||馬場貴子||[[園田学園中学校・高等学校|園田学園高等学校]]||[[1999年]][[8月4日]]
|-
|6||6m29||+0.8||[[花岡麻帆]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1994年]][[6月12日]]
|-
|7||6m28||+1.6||宮本早紀子||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1994年]][[8月3日]]
|-
| rowspan="2" |8|| rowspan="2" |6m26|| ||山下博子||[[福岡県立三潴高等学校]]||[[1969年]][[6月1日]]
|-
| +0.9||川添千秋||[[愛媛県立松山北高等学校]]||[[2018年]][[6月16日]]
|-
|10||6m23||+1.7||[[中津川亜月]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2018年]][[6月15日]]
|-
|}
=== 高校学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+'''男子・高校1年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||7m67||+0.5||深沢瑞樹||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||2020年7月10日
|-
|2||7m55||+0.6||藤川健司||[[徳島県立脇町高等学校]]
|2000年10月16日
|-
|3||7m50||+1.2||酒井由吾
|[[東京都立南多摩中等教育学校]]
|2015年10月5日
|-
|4||7m48||+0.6||柳田大輝||[[東京農業大学第二高等学校]]
|2019年10月7日
|-
|5
|7m47||+0.0||嘉山大介||[[埼玉県立深谷商業高等学校]]||2006年10月28日
|-
|}
{| class="wikitable"
|+'''男子・高校2年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8m12||+1.7||藤原孝輝||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]
|2019年8月5日
|-
|2||7m89||+1.1||舞永夏稀||[[太成学院大学高等学校]]||2020年9月18日
|-
|3||7m81||+1.8||北川凱||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||2020年9月26日
|-
|4||7m79||+1.6||鈴木秀明||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||2004年6月18日
|-
|5||7m75||+1.7||皆川澄人||[[白樺学園高等学校]]||2007年8月4日
|-
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||7m40||-1.3||和田晃輝||[[枚方市立楠葉西中学校]]||[[2016年]][[9月18日]]
|-
|2||7m39||+1.3||元木涼介||[[東みよし町立三加茂中学校]]||[[2020年]][[8月23日]]
|-
|3||7m32||+0.3||佐々木勝利||[[大仙市立大曲南中学校]]||[[1992年]][[8月16日]]
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |7m29||+1.4||高垣圭秀||[[有田市立文成中学校]]||[[1991年]][[10月15日]]
|-
| +0.8||片山大地||[[杉並区立和田中学校]]||[[2019年]][[8月9日]]
|-
|6||7m23||+1.0||深沢瑞樹||[[早川町立早川中学校]]||[[2019年]][[8月9日]]
|-
| rowspan="2" |7|| rowspan="2" |7m22||-1.3||趙振||[[東大阪市立盾津中学校]]||[[2013年]][[8月22日]]
|-
| +0.9||栁田大輝||[[館林市立第一中学校]]
|[[2018年]][[8月21日]]
|-
| rowspan="3" |9
| rowspan="3" |7m21||+0.8||井上大地||[[八王子市立打越中学校]]||[[2014年]][[10月21日]]
|-
||0.0||丸山陽生良||[[福井市足羽第一中学校]]||[[2018年]][[8月8日]]
|-
||+1.5||箭内洸斗||[[田村市立船引中学校]]||[[2020年]][[8月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||6m20||-0.1||藤山有希||[[南足柄市立足柄台中学校]]||[[2016年]][[10月7日]]
|-
|2||6m19||+1.3||[[井村久美子|池田久美子]]||[[酒田市立第三中学校]]||[[1995年]][[11月19日]]
|-
|3||6m16||+0.6||杉村奏笑||[[旭市立第二中学校]]||[[2014年]][[7月27日]]
|-
|4||6m14||+0.3||高松仁美||[[川口市立榛松中学校]]||[[1988年]][[11月12日]]
|-
|5||6m13||+0.9||城島直美||[[さいたま市立常盤中学校|浦和市立常盤中学校]]||[[1983年]][[5月8日]]
|-
|6||6m12||+1.0||[[高良彩花]]||[[西宮市立西宮浜中学校]]||[[2015年]][[7月26日]]
|-
|7||6m11||+1.1||天城帆乃香||[[浜松市立天竜中学校]]||[[2012年]][[8月11日]]
|-
|8||6m08||+0.7||[[桝見咲智子]]||明善中学校||[[1999年]][[8月28日]]
|-
|9||6m02||+1.7||[[吉田文代]]||[[多古町立多古中学校]]||[[1996年]][[8月20日]]
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |6m00||+1.5||岡島奏音||[[多気町松阪市学校組合立多気中学校]]||[[2022年]][[7月21日]]
|-
| +1.9||成澤柚日||[[太田市立藪塚本町中学校]]||[[2022年]][[8月10日]]
|-
|}
=== 中学学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+'''男子・中学1年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||6m44||-0.6||松田敬佑||[[鹿児島市立福平中学校]]||[[2009年]][[10月23日]]
|-
|2||6m40||-0.7||井倉大翔||[[函館市立湯川中学校|函館市立赤川中学校]]||[[2017年]][[10月27日]]
|-
|3||6m38||+2.0||久保木裕也||[[香取市立香取中学校]]||[[2005年]][[10月28日]]
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |6m37||+0.8||松本望||[[埼玉栄中学校・高等学校|私立埼玉栄中学校]]||[[2011年]][[7月18日]]
|-
| +1.9||箭内洸斗||[[田村市立船引中学校]]||[[2018年]][[7月26日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+'''男子・中学2年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||7m13||+0.0||清水重臣||[[宮崎市立宮崎西中学校]]||[[1977年]][[3月27日]]
|-
|2||7m06||+0.3||日下部光||[[高山市立松倉中学校]]||[[1985年]][[11月2日]]
|-
|3||7m01||+1.1||橋本悠叶||[[白山市立北星中学校]]||[[2019年]][[7月14日]]
|-
|4
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|}
{| class="wikitable"
|+'''女子・中学1年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||5m97||+0.0||[[井村久美子|池田久美子]]||[[酒田市立第三中学校]]||[[1993年]][[10月17日]]
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|-
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|4||5m60||+1.4||宮原凛成||[[坂城町立坂城中学校]]||[[2017年]][[7月15日]]
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |5m58||+1.9||畑善子||[[本通中学校|函館市立本通中学校]]||[[1997年]][[7月20日]]
|-
| +0.3||白土莉紅||[[八日市場二中学校|匝瑳市立八日市場第二中学校]]||[[2017年]][[10月8日]]
|-
|}
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|+'''女子・中学2年歴代5傑'''
!位!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||6m14||+0.3||高松仁美||[[川口市立榛松中学校]]||[[1988年]][[11月12日]]
|-
|2||6m04||+1.3||[[井村久美子|池田久美子]]
|[[酒田市立第三中学校]]||[[1994年]][[8月23日]]
|-
|3||5m97||+0.1||吉岡里紗||[[川西町三宅町式下中学校組合立式下中学校]]||[[2015年]][[10月23日]]
|-
|4||5m91||+0.4||成澤柚日||[[太田市立藪塚本町中学校]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|5||5m90||+1.7||[[桝見咲智子]]||[[明善中学校]]||[[1998年]][[7月5日]]
|-
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
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!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
| rowspan="2" |1932|| rowspan="2" |[[1932年ロサンゼルスオリンピックの陸上競技|第10回オリンピック競技大会(ロサンゼルス)]]|| rowspan="2" |{{USA}}||[[南部忠平]]||{{3位}}||7m45
|-
|[[田島直人]]||6位||7m15
|-
|1936||[[1936年ベルリンオリンピックの陸上競技|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]||{{DEU1935}}||田島直人||{{3位}}||7m74
|-
|1984||[[1984年ロサンゼルスオリンピックの陸上競技|第23回オリンピック競技大会(ロサンゼルス)]]||{{USA}}||[[臼井淳一]]||7位||7m87
|-
|2019||[[2019年世界陸上競技選手権大会|第17回世界陸上競技選手権大会(ドーハ)]]||{{QAT}}||[[橋岡優輝]]||8位||7m97
|-
|2021||[[2020年東京オリンピックの陸上競技|第32回オリンピック競技大会(東京)]]||{{JAP}}||橋岡優輝||6位||8m10
|}
*1932年ロサンゼルスオリンピックで南部忠平が3位となり、この種目で初のメダリストとなった。1932年ロサンゼルスオリンピックで南部忠平と1936年ベルリンオリンピックで田島直人がそれぞれ3位で、オリンピック・世界陸上を通じて日本人男子選手の最高位の成績である。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[立ち幅跳び]]
* [[三段跳]]
* [[はさみ跳び]]
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Long jump}}
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/fan 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
* [http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/ 日本陸上競技連盟 ルールブック]
* [http://www.iaaf.org/statistics/toplists/inout=o/age=n/season=0/sex=M/all=y/legal=A/disc=LJ/detail.html Toplists(男子)](IAAF)
* [http://www.iaaf.org/statistics/toplists/inout=o/age=n/season=0/sex=W/all=y/legal=A/disc=LJ/detail.html Toplists(女子)](IAAF)
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[[Category:跳ぶ]]
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走高跳
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走高跳(走り高跳び、はしりたかとび、英語: High Jump)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて片足で踏み切り、飛び越えるバーの高さを競う競技である。近代陸上競技としては19世紀のイギリスで始まった。「はさみ跳び」「ベリーロール」「背面跳び」などの跳躍方法があり、現在では「背面跳び」が主流となっている。2021年現在の世界記録は、男子は1993年のハビエル・ソトマヨルによる2.45m、女子は1987年のステフカ・コスタディノヴァによる2.09mである。
バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法。 1874年頃にはすでに用いられており、 ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した。 バー正面からの直線助走で行う「はさみ跳び」は日本においては「正面跳び」と呼ばれた。
バー正面から助走し、脚を交互に広げ、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方。19世紀後半にマイケル・スウィーニー(英語版)が編み出した。日本では「正面跳び」と呼ばれた。
斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方。20世紀初頭にジョージ・ホーリンが開発したとされる。背が下向きとなるバリエーションは「ロールオーバー(Roll Over)」と呼ばれた。
ウエスタンロール(英語版)と同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方。1930年代にデビッド・アルブリットンが編み出したとされる。1950年代になるとソ連の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた。
バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法。ディック・フォスベリーが考案し、1968年メキシコシティーオリンピックで金メダルを獲得し、世に広まった。現在、最も使われている跳び方となっている。
古代ギリシャの競技会では高跳び競技は行われていなかった様である。一方、「垂直方向への跳躍能力」を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技はアジア・アフリカの先住民族などの世界各地で確認されており、またケルトの人々のあいだでは一般的に行われていた様である。
18世紀のドイツでは子供向けの体育教育の一環として高跳びが用いられており、また1834年発行の『英国男性の身体訓練』には軍事訓練の一つとして紹介されている。この頃は「バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する」といった跳び方で、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である。
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった。助走路の制約や着地の安全性の観点より、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」、「バー正面から助走するはさみ跳び(正面跳び)」、「正面を向いたままで走り幅跳びの様な跳び方」、「正面を向いたままでハードルを飛び越える様な跳び方」といった様々な方法が取られていた。1864年の第1回オックスフォード対ケンブリッジ大学対抗戦では1.66mの記録が残っている。その後、イギリスにおいては、1875年にはAAC選手権でマイケル・ジョージ・グレイズブルック(英語版)が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した。
走高跳がアメリカに伝わると、1868年には初の正式な競技会が開催された(記録は1.67m)。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良、また、マイケル・スウィーニー(英語版)がさらに改良し「イースタンカットオフ(英語版)」を編み出した。「イースタンカットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した。「イースタンカットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた。
また、1896年アテネオリンピックでオリンピック競技に初めて採用され、アメリカのエラリー・クラークが1.81mで金メダルを獲得した。
20世紀に入ると、ジョージ・ホーリンが「斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「ウエスタンロール(英語版)」を開発した。「ウエスタンロール」に対しては「ダイビングの様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」との規則が追加されることになった。「ウエスタンロール」によって、1912年にはジョージ・ホーリンが2.00mを、1937年にはメル・ウォーカー(英語版)が2.09mを記録した。「ウエスタンロール」は1936年ベルリンオリンピック頃までは主流の跳び方であった。
1933年には「頭の位置は腰より高く」との規則が、また1936年には「頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない」との規則がそれぞれ撤廃された。この時期にデビッド・アルブリットンが「ウエスタンロール」と同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す」といった新しい跳び方「ベリーロール」を編み出した、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど、この当時の最も効率的な跳び方として、主流の跳躍方法となった。
「ベリーロール」で、1956年にはチャールズ・デュマ(英語版)が2.15m、翌1957年にはソ連のユーリー・ステパノフをが2.16mを記録したほか、1960年にはほぼすべての競技者が「ベリーロール」を使用する様になっていた。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による「ベリーロール」の技術改良により、1963年にはワレリー・ブルメルが228cmまで記録を伸ばした。
背面跳びの登場(1968年)後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが、1978年にウラジミール・ヤシュチェンコ(英語版)が出した室内記録2.35m、屋外での記録2.34mが、「ベリーロール」での最後の世界記録となった。
1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、「曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する」といった新しい跳躍方法「背面跳び」がディック・フォスベリーにより編み出された。1968年メキシコシティーオリンピックでディック・フォスベリーがこの跳び方で金メダルを獲得し(記録2.24m)、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった。1970年代は「ベリーロール」と「背面跳び」は互いに競っていたが、1980年代以降は「背面跳び」が世界で最も使われている跳び方となっている。2021年現在の世界記録は、1993年にハビエル・ソトマヨルが「背面跳び」で出した2.45mである。
女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年のアムステルダム大会より正式種目となった。ヨランダ・バラシュは「はさみ跳び」を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した。「ベリーロール」では、1971年にイローナ・グーゼンバウアーが1.92mを記録、1977年にはローズマリー・アッカーマンは女子初の2.00mを記録した。1978年にサラ・シメオニが「背面跳び」で2.01mを記録、1987年にはステフカ・コスタディノヴァが「背面跳び」で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている。
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走高跳は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて片足で踏み切り、飛び越えるバーの高さを競う競技である。近代陸上競技としては19世紀のイギリスで始まった。「はさみ跳び」「ベリーロール」「背面跳び」などの跳躍方法があり、現在では「背面跳び」が主流となっている。2021年現在の世界記録は、男子は1993年のハビエル・ソトマヨルによる2.45m、女子は1987年のステフカ・コスタディノヴァによる2.09mである。
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[[ファイル:Yelena Slesarenko failing 2007.jpg|thumb|300px|right|[[2004年アテネオリンピックの陸上競技|アテネオリンピック]] の[[金メダル|金メダリスト]]、[[エレーナ・スレサレンコ]]による[[背面跳び]] ]]
'''走高跳'''(走り高跳び、はしりたかとび、[[英語]]: High Jump)は、[[陸上競技]]の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて片足で踏み切り、飛び越えるバーの高さを競う競技である。近代陸上競技としては19世紀の[[イギリス]]で始まった。「[[はさみ跳び]]」「[[ベリーロール]]」「[[背面跳び]]」などの跳躍方法があり、現在では「背面跳び」が主流となっている。2021年現在の世界記録は、男子は1993年の[[ハビエル・ソトマヨル]]による2.45m、女子は1987年の[[ステフカ・コスタディノヴァ]]による2.09mである。
== ルール ==
; シューズ
* 靴底の[[スパイクシューズ|スパイク]]は長さ12㎜以内のものが11本まで取り付け可能で、靴底の厚さは20㎜以内のものが使用できる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|pages=133-135,138}}。
; マーカー
* 助走の目安となるマーカー(目印)を2個まで置くことができる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=220}}。
* 主催者側がマーカーを用意していない場合は、選手側が用意した[[粘着テープ]]などを使うことができるが、[[チョーク]]やその類似品、消えないマーカーは使用できない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=220}}。
; 試技時間
* 試技開始の合図があってから、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は3分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が同一の高さを連続して試技を行う場合は2分以内に、試技を行わなければならない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=226}}。
* [[混成競技]]の場合は、競技者が4人以上の場合は1分以内、競技者が2-3人の場合は1分30秒以内、競技者が最後の1人の場合は2分以内、競技者が2人以上の場合で同一競技者が連続して試技を行う場合(高さが変わっても適用)は2分以内に、試技を行わなければならない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=226}}。
; 試技
* 審判員より事前告知された高さのうち、競技者は任意の高さから開始してもよい{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=230}}。
* 跳躍は、片足で踏み切らなければならない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=235}}。
* 跳躍中の動作により、バーが落下した場合は無効試技(失敗)となる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=235}}。
* バーを越えずに、バーの向こう側に触れたり身体の一部が出た場合は、無効試技(失敗)となる。ただし、跳躍になんら有利でないと審判が判断した場合は無効試技とはならない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=235}}。
* 3回続けて失敗すると、次の跳躍をすることが出来ない。{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=230}}。
* ある高さを跳ばずにパスをして次の高さを試技することができる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=230}}。
* ある高さの1回目あるいは2回目を失敗した状態でパスをすることもできるが、次の高さは「3-(前の高さで失敗した回数)」回しか試技が行えない{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=230}}。
* 最後の1人の試技では、試技者の希望の高さを聞いてバーを上げる{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=231}}。
; 順位決定方法
* 複数の競技者で最後に超えた高さが同一の場合は、順位を以下のように決定する。
# 最後に超えた高さの試技回数が最も少ない方。
# 上記1が同一の場合、試技全体(最後に超えた高さおよびそれまでの高さまでを含めた試技数の全体)のうち、無効試技数の少ない方。{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|page=232}}
* なおそれでも1位が決定しなかった場合は当事者どうしの決戦試技(ジャンプオフ)がおこなわれる。ただし、競技者は決戦試技を拒否することができ、この場合は同率1位となる。<ref>{{Cite web|和書|title=俺もお前も金メダル! 男子走り高跳び決勝で珍事 | 陸上 | 東京オリンピック|url=https://sports.nhk.or.jp//olympic/highlights/content/731840e9-b014-41aa-90a9-bd7280c28c18/|website=東京2020オリンピック {{!}} NHK|accessdate=2021-08-02|language=ja-JP}}</ref>2位以下の場合は同順位となる。{{sfn|日本陸上競技連盟|2021|pages=232-234}}
== 跳躍方法 ==
[[File:EthelCatherwood1928.jpg|thumb|210px|[[1928年アムステルダムオリンピック]]の金メダリスト、[[エセル・キャサーウッド]] による[[はさみ跳び]]]]
; はさみ跳び(英語:Scissors jump)
{{関連記事|はさみ跳び|:en:Scissors jump}}
バーに近い脚→バーから遠い脚を交互に振り上げてバーを超す方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
1874年頃にはすでに用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}、 ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が1874年にバーから遠い脚をやや後方に配置する跳び方に改良した{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「はさみ跳びはページが初めて使用した」<ref name="iaaf">{{cite web |url=http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |title=High jump - Introduction |accessdate=2021-07-14 |website=oaaf.org Hme of World Athletics |publisher=International Association of Athletics Federations |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20121025120949/http://www.iaaf.org/community/athletics/trackfield/newsid=9458.html |archivedate=2012-10-25 }}</ref>とする資料もある。}}。
バー正面からの直線助走で行う「はさみ跳び」は日本においては「[[正面跳び]]」と呼ばれた<ref name="岡尾惠市3">{{Cite web|和書|url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190319/ |title=陸上競技のルーツをさぐる30 走高跳の歴史<そのIII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-12 |date=2019-03-19 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>{{sfn|真鍋周平|2020|page=43}}。
; イースタンカットオフ(英語:Eastern Cut-off)
{{関連記事|:en:Eastern cut-off}}
バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二">{{Cite web|和書|url=https://www.hamaspo.com/karube/bmid_2012101515193500004 |title=苅部俊二のダッシュ!!>vol.31「走高跳」 |author=苅部俊二 |accessdate=2021-07-08 |date=2012-10-20 |website=ハマスポ |publisher=横浜市スポーツ協会 }}</ref>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}。19世紀後半に{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}が編み出した<ref name="iaaf"/>。日本では「正面跳び」と呼ばれた<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市3"/>。
; ウエスタンロール(英語:Western Roll)
{{関連記事|:en:Western roll}}
斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う、といった跳び方<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。20世紀初頭に[[ジョージ・ホーリン]]が開発したとされる{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。背が下向きとなるバリエーションは「ロールオーバー(Roll Over)」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。
; ベリーロール(英語:Belly Roll、別名:ステラドル Straddle)
{{関連記事|ベリーロール|:en:Straddle technique}}
{{仮リンク|ウエスタンロール|en|Western roll}}と同様に斜めに助走し、バーに近い脚で踏み切り、頭部から飛び込み、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す跳び方<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1930年代に[[デビッド・アルブリットン]]が編み出したとされる<ref name="苅部俊二"/>{{refnest|group="注"|name="1919-1930"}}。1950年代になると[[ソ連]]の指導者・選手により、クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法に改良され、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。
; 背面跳び(英語:Fosbury Flop)
{{関連記事|背面跳び|:en:Fosbury Flop}}
バーに向かって半円を描くように助走し、バーから遠い脚で踏み切ると同時にバーに背を向ける方向に回転し、頭部から飛び込み、体を反ってバーを越え、そのまま背中で着地する方法{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=91}}。[[ディック・フォスベリー]]が考案し<ref name="苅部俊二"/>、[[1968年メキシコシティーオリンピック]]で[[金メダル]]を獲得し、世に広まった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。現在、最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
== 歴史 ==
; 近代陸上競技以前の高跳び
[[古代オリンピック|古代ギリシャの競技会]]では高跳び競技は行われていなかった様である<ref name="iaaf"/><ref name="苅部俊二"/>{{refnest|group="注"|「当初は実施されていなかった」{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、「実施された形跡はほとんどない」<ref name="岡尾惠市1">{{Cite web|和書|url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190305/ |title=陸上競技のルーツをさぐる28 走高跳の歴史<そのI> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-05 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、「実施されていた」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、とする資料もある。}}。一方、「垂直方向への跳躍能力」を誇示したり競ったりする儀式・祭事・競技は[[アジア]]・[[アフリカ]]の[[先住民族]]などの世界各地で確認されており<ref name="岡尾惠市1"/>、また[[ケルト人|ケルトの人々]]のあいだでは一般的に行われていた様である<ref name="iaaf"/>。
18世紀の[[ドイツ]]では子供向けの[[体育]]教育の一環として高跳びが用いられており{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、また1834年発行の『英国男性の身体訓練』には[[軍事訓練]]の一つとして紹介されている<ref name="苅部俊二"/><ref name="岡尾惠市2">{{Cite web|和書|url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190312/ |title=陸上競技のルーツをさぐる29 走高跳の歴史<そのII> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-08 |date=2019-03-12 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>。この頃は「バー正面から助走を行い、膝を曲げて跳び、足から安全に着地する」といった跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、高さを競うとともに跳躍姿勢の美しさも求められるものだった様である<ref name="岡尾惠市2"/>。
; 近代陸上競技としての走高跳の黎明
19世紀になるとイギリスの各学校で始まった陸上競技大会の一種目として走高跳が行われる様になり{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}、1865年には「同一の高さの試技は3回まで」「両足踏み切り禁止」といった現在に繋がるルールが制定された<ref name="iaaf"/>。当時の競技環境は、走幅跳のようなバー正面からの直線の助走路で、着地場所は普通の地面や芝生で{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}<ref name="岡尾惠市3"/>、着地の安全対策としてその上になめし皮やベッドマットを敷いたりする程度であった<ref name="岡尾惠市3"/>。助走路の制約や着地の安全性の観点より{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}、当時の跳躍は「バー正面から助走し膝を折り畳んで跳ぶ」<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}、「バー正面から助走する[[はさみ跳び]]([[正面跳び]])」{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|真鍋周平|2020|page=42}}{{refnest|group="注"|「(後の)1874年にウィリアム・バード・ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>、「着地地点に砂場が出現した後にはさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、「正面を向いたままで[[走り幅跳び]]の様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>、「正面を向いたままで[[ハードル]]を飛び越える様な跳び方」<ref name="岡尾惠市3"/>といった様々な方法が取られていた{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。1864年の第1回[[オックスフォード大学|オックスフォード]]対[[ケンブリッジ大学|ケンブリッジ]]大学対抗戦では1.66mの記録が残っている<ref name="岡尾惠市2"/>。その後、イギリスにおいては、1875年にはAAC選手権で{{仮リンク|マイケル・ジョージ・グレイズブルック|en|Michael George Glazebrook}}が1.80mを、1880年にはキャリック・オン・シュア・スポーツでパトリック・ダヴァン(Patrick Davin)が1.90mの記録を残した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。
; アメリカでの跳躍法の改良
走高跳が[[アメリカ]]に伝わると、1868年には初の正式な競技会が開催された(記録は1.67m){{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。その後、着地地点を砂場にし着地の安全対策が進むと、クリアランス時に無理な態勢をとっても安全に着地できる様になり<ref name="岡尾惠市3"/>、1874年にはウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)が「はさみ跳び」を改良{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=11}}{{refnest|group="注"|「ページが初めて使用した」<ref name="iaaf"/>と、「砂場になり、はさみ跳びが出現した」<ref name="岡尾惠市3"/>、とする資料もある。}}、また、{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}がさらに改良し「{{仮リンク|イースタンカットオフ|en|Eastern cut-off}}」を編み出した<ref name="iaaf"/>。「イースタンカットオフ」は、バー正面から助走し、脚を交互に広げ<ref name="苅部俊二"/>、クリアランス時に体がバーと水平になる様に前屈方向に回転させることでお尻をより持ち上げる跳び方で{{sfn|真鍋周平|2020|page=44}}、1880年代にはアメリカにおいて主流の跳び方となり<ref name="苅部俊二"/>、1895年にはマイケル・スウィーニーがこの跳び方で1.97mを記録した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}。「イースタンカットオフ」やその派生の跳び方は、1940年頃まで、速い助走を好む選手に用いられていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=10}}。
また、[[1896年アテネオリンピック]]でオリンピック競技に初めて採用され、アメリカの[[エラリー・クラーク]]が1.81mで金メダルを獲得した{{sfn|真鍋周平|2020|page=40}}。
20世紀に入ると、[[ジョージ・ホーリン]]が「斜めから助走し、バー側の脚で踏み切り、踏み切り脚を横向きの体の下側に引き寄せ、体は横回転してバーを越え、着地は脚から行う」といった新しい跳び方「{{仮リンク|ウエスタンロール|en|Western roll}}」を開発した<ref name="岡尾惠市3"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}{{refnest|group="注"|背が下向きとなるバリエーションは「ロール・オーバー」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。}}。「ウエスタンロール」に対しては「[[飛込競技|ダイビング]]の様であり走高跳の跳躍方法とはいえない」と異議が申し立てられ、「頭部は腰より高い位置に置き、両足から先にバーを越えること」との規則が追加されることになった<ref name="岡尾惠市3"/>。「ウエスタンロール」によって、1912年にはジョージ・ホーリンが2.00mを、1937年には{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}が2.09mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=45}}。「ウエスタンロール」は[[1936年ベルリンオリンピック]]頃までは主流の跳び方であった{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。
; ベリーロールの登場
1933年には「頭の位置は腰より高く」との規則が、また1936年には「頭や胴体よりも足が先にバーを越えなければならない」との規則がそれぞれ撤廃された<ref name="iaaf"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。この時期に[[デビッド・アルブリットン]]が「ウエスタンロール」と同様に斜めに助走し、クリアランス時はバーを中心に腹ばいの状態で胴体を回転させバーを越す」といった新しい跳び方「[[ベリーロール]]」を編み出した<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{refnest|group="注"|name="1919-1930"|「1919年頃までには登場したが、普及したのが1930年代」{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}とする資料もある。}}、デビッド・アルブリットンはこの跳び方で1936年に2.07mを記録するなど<ref name="岡尾惠市4">{{Cite web|和書|url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20190326/ |title=陸上競技のルーツをさぐる31 走高跳の歴史<そのIV> |author=岡尾惠市 |accessdate=2021-07-13 |date=2019-03-26 |publisher=筑波大学陸上競技部OB・OG会 }}</ref>、この当時の最も効率的な跳び方として{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}、主流の跳躍方法となった{{sfn|真鍋周平|2020|page=46}}。
「ベリーロール」で、1956年には{{仮リンク|チャールズ・デュマ|en|Charles Dumas}}が2.15m、翌1957年にはソ連の{{仮リンク|ユーリー・ステパノフ (陸上競技選手)|label=ユーリー・ステパノフ|en|Yuri Stepanov (athlete)}}をが2.16mを記録したほか{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}{{refnest|group="注"|この当時は靴底の厚さについての規制が無く、最大5cmものの特注厚底靴が競技に使われていた。ステパノフのこの記録もこのような厚底靴を使用したもので、翌1958年には[[国際陸連]]により靴底の厚さが規制されるようになった。<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/disciplines/jumps/high-jump |title=High Jump |accessdate=2021-07-14 |publisher=World Athletics }}</ref>}}、1960年にはほぼすべての競技者が「ベリーロール」を使用する様になっていた{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}。1950年代から始まるソ連の指導者・選手による「ベリーロール」の技術改良{{refnest|group="注"|クリアランス時に上体をバーの着地側下方に倒す方法で、「ソ連式ベリーロール」「ダイブ・ストラドル」と呼ばれた{{sfn|真鍋周平|2020|page=50}}。}}により、1963年には[[ワレリー・ブルメル]]が228cmまで記録を伸ばした{{sfn|真鍋周平|2020|page=49}}。
[[背面跳び]]の登場(1968年)後の1970年代も、ベリーロールを用いる選手と、背面跳びを用いる選手が混在し、互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1978年に{{仮リンク|ウラジミール・ヤシュチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}が出した室内記録2.35m{{sfn|Richard Hymans|2021|page=478}}、屋外での記録2.34mが{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}、「ベリーロール」での最後の世界記録となった<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/news/news/volodomir-yashchenko-the-last-king-of-the-str |title=Yashchenko, the last king of the straddle |accessdate=2021-07-11 |date=1999-12-01 |publisher=WORLD ATHLETICS |language=en }}</ref>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。
; 背面跳びの登場
1960年代半ばには、着地用マットの整備が進むと、「曲線で助走し、背面を下側にバーを越え肩や背中で着地する」といった新しい跳躍方法「背面跳び」が[[ディック・フォスベリー]]により編み出された<ref name="iaaf"/><ref name="苅部俊二"/>{{sfn|Jürgen Schiffer|2009|page=9}}{{sfn|細谷真澄|1977|page=94}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=51-52}}。[[1968年メキシコシティーオリンピック]]でディック・フォスベリーがこの跳び方で金メダルを獲得し(記録2.24m)<ref name="岡尾惠市4"/>、多くの選手がこの跳び方を採用するようになった{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}。1970年代は「ベリーロール」と「背面跳び」は互いに競っていたが{{sfn|真鍋周平|2020|page=52}}、1980年代以降は「背面跳び」が世界で最も使われている跳び方となっている<ref name="苅部俊二"/>{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}。2021年現在の世界記録は、1993年に[[ハビエル・ソトマヨル]]が「背面跳び」で出した2.45mである{{sfn|真鍋周平|2020|page=56}}{{sfn|Richard Hymans|2021|page=177}}。
; 女子競技とパラリンピック
女子競技はアメリカにおいて1895年に初めて開催され、オリンピックでは1928年の[[1928年アムステルダムオリンピック|アムステルダム大会]]より正式種目となった<ref name="iaaf"/>。[[ヨランダ・バラシュ]]は「はさみ跳び」を使い、1958年1.78mを皮切りに1961年1.91mまで世界記録を更新し、1971年まで世界記録を保持した{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}{{sfn|真鍋周平|2020|pages=59-60}}。「ベリーロール」では、1971年に[[イローナ・グーゼンバウアー]]が1.92mを記録、1977年には[[ローズマリー・アッカーマン]]は女子初の2.00mを記録した{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。1978年に[[サラ・シメオニ]]が「背面跳び」で2.01mを記録、1987年には[[ステフカ・コスタディノヴァ]]が「背面跳び」で2.09mを記録し、これが2021年現在の女子世界記録となっている{{sfn|真鍋周平|2020|page=60}}。
[[パラリンピック]]では、男女とも1976年の[[1976年トロントパラリンピック|トロント大会]]より実施されるようになった<ref>{{cite kotobank |word=走高跳び |encyclopedia=日本大百科全書(ニッポニカ) |accessdate=2021-07-11 }}</ref>。
== 記録 ==
=== 世界記録の変遷 ===
{| class="wikitable"
|+ 世界記録の変遷 男子{{sfn|Richard Hymans|2021|pages=171-177}}{{refnest|group="注"|国際陸上連盟(IAAF)設立以前の1912年3月29日までの記録はアマチュア記録のみを記載。}}
!日付!!記録!!名前!!国籍!!跳躍方法など
|-
|1850年9月21日||1.675m||フランシス・テンプル(Francis Temple)|| rowspan="12" |{{GBR}}||
|-
|1860年3月27日||1.70m||ロバート・バートン(Robert Burton)||
|-
|1864年7月9日||1.705m||トーマス・ミッチェル(Thomas Mitchell)||
|-
|1866年3月5日||1.725m||ジョン・ルーペル(John Roupell)||
|-
|1866年3月23日||1.75m||トーマス・リトル(Thomas Little)||
|-
|1866年3月23日||1.75m||ジョン・ルーペル||
|-
|1871年4月3日||1.765m||ロバート・ミッチェル(Robert Mitchell)||
|-
|1873年7月7日||1.785m||トーマス・ダヴィン(Thomas Davin)||
|-
|1874年3月30日||1.80m|| rowspan="3" |{{仮リンク|マーシャル・ブルックス|en|Marshall Brooks}}||
|-
|1876年3月17日||1.83m||「a feet first technique」<ref name="iaaf"/>
|-
|1876年4月7日||1.89m||
|-
|1880年7月5日||1.90m||パトリック・ダヴァン(Patrick Davin)||
|-
|1887年8月15日||1.91m|| rowspan="2" |ウィリアム・バード・ページ(William Byrd Page)|| rowspan="3" |{{USA}}||
|-
|1887年10月7日||1.93m||
|-
|1892年10月8日||1.935m||{{仮リンク|マイケル・スウィーニー|en|Michael Sweeney (athlete)}}||イースタンカットオフ{{sfn|Richard Hymans|2021|page=172}}
|-
|1895年8月19日||1.945m||ジェームズ・ライアン(James Ryan)||{{GBR}}||
|-
|1895年8月28日||1.955m|| rowspan="3" |マイケル・スウィーニー|| rowspan="17" |{{USA}}||
|-
|1895年9月2日||1.965m||
|-
|1895年9月21日||1.97m||イースタンカットオフ<ref name="苅部俊二"/>
|-
|1912年3月29日||1.985m|| rowspan="2" |[[ジョージ・ホーリン]]|| rowspan="5" |ウエスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=173}}
|-
|1912年5月18日||2.00m
|-
|1914年5月2日||2.01m||{{仮リンク|エドワード・ビーソン|fr|Edward Beeson}}
|-
|1924年5月27日||2.03m||[[ハロルド・オズボーン]]
|-
|1933年5月13日||2.04m||{{仮リンク|ウォルター・マーティ|en|Walter Marty}}
|-
|1934年4月28日||2.06m||ウォルター・マーティ||
|-
|1936年7月12日||2.07m||[[コーネリアス・ジョンソン]]||ウエスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1936年7月12日||2.07m||[[デビッド・アルブリットン]]||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1937年8月12日||2.09m||{{仮リンク|メル・ウォーカー|en|Mel Walker (athlete)}}||ウエスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1941年4月26日||2.10m|| rowspan="3" |{{仮リンク|レスター・スティアーズ|en|Les Steers}}|| rowspan="3" |ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1941年5月24日||2.105m
|-
|1941年6月17日||2.11m
|-
|1953年6月27日||2.12m||{{仮リンク|ウォルト・デイビス|en|Walt Davis}}||ウエスタン・ロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1956年6月29日||2.15m||{{仮リンク|チャールズ・デュマ|en|Charles Dumas}}|| rowspan="12" |ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=174}}
|-
|1957年7月13日||2.16m||{{仮リンク|ユーリー・ステパノフ (陸上競技選手)|label=ユーリー・ステパノフ|en|Yuri Stepanov (athlete)}}||{{URS}}
|-
|1960年4月30日||2.17m|| rowspan="3" |[[ジョン・トーマス (陸上選手)|ジョン・トーマス]]|| rowspan="3" |{{USA}}
|-
|1960年6月24日||2.18m
|-
|1960年7月1日||2.22m
|-
|1961年6月18日||2.23m|| rowspan="6" |[[ワレリー・ブルメル]]|| rowspan="6" |{{URS}}
|-
|1961年7月16日||2.24m
|-
|1961年8月31日||2.25m
|-
|1962年7月22日||2.26m
|-
|1962年9月29日||2.27m
|-
|1963年7月21日||2.28m
|-
|1970年11月8日||2.29m||{{仮リンク|倪志欽|zh|倪志欽}}||{{CHN}}
|-
|1973年7月11日||2.30m|| rowspan="3" |[[ドワイト・ストーンズ]]|| rowspan="3" |{{USA}}|| rowspan="3" |背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1976年6月5日||2.31m
|-
|1976年8月4日||2.32m
|-
|1977年7月3日||2.33m|| rowspan="2" |{{仮リンク|ウラジミール・ヤシチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}||{{URS}}|| rowspan="2" |ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1978年6月16日||2.34m||{{URS}}
|-
|1980年5月25日||2.35m||[[ヤチェク・ウショラ]]||{{POL}}|| rowspan="11" |背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=176}}
|-
|1980年8月1日||2.36m||[[ゲルト・ベッシク]]||{{GDR}}
|-
|1983年6月11日||2.37m|| rowspan="3" |[[朱建華]]|| rowspan="3" |{{CHN}}
|-
|1983年9月22日||2.38m
|-
|1984年6月10日||2.39m
|-
|1985年8月11日||2.40m||[[ルドルフ・ポバルニツィン]]||{{URS}}
|-
|1985年9月4日||2.41m||[[イゴール・パクリン]]||{{URS}}
|-
|1987年6月30日||2.42m||[[パトリック・ショーベリ]]||{{SWE}}
|-
|1988年9月8日||2.43m|| rowspan="3" |[[ハビエル・ソトマヨル]]|| rowspan="3" |{{CUB}}
|-
|1989年7月29日||2.44m
|-
|1993年7月27日||2.45m
|}
{| class="wikitable"
|+ 世界記録の変遷 女子{{sfn|Richard Hymans|2021|pages=336-343}}{{refnest|group="注"|国際女子スポーツ連盟(FSFI)設立以前の1920年11月13日までの記録は木製バー使用の記録のみを記載(ロープ、竹製バー使用の記録は未記載)。}}
!日付!!記録!!名前!!国籍!!跳躍方法など
|-
|1911年7月12日||1.27m||エミリー・コンスタブル(Emily Constable)||{{GBR}}|| rowspan="20" |はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=337}}
|-
|1918年6月16日||1.32m||{{仮リンク|ヘレーネ・リッテナウアー|pl|Helene Rittenauer}}|| rowspan="3" |{{AUT}}
|-
|1918年6月29日||1.335m||{{仮リンク|マリア・ケラー|de|Maria Keller (Sportlerin)}}
|-
|1918年6月29日||1.335m||{{仮リンク|ヒルデ・ラー|pl|Hilde Lahr}}
|-
|1919年4月27日||1.40m||テア・バーショウ(Thea Barschow)||{{GER}}
|-
|1920年11月13日||1.42m|| rowspan="2" |エリーゼ・コンスタン(Elise Constant)|| rowspan="2" |{{FRA}}
|-
|1921年3月26日||1.472m
|-
|1921年7月17日||1.50m||ヴァルトラウデ・シュミット(Waltraude Schmidt)|| rowspan="2" |{{GER}}
|-
|1923年6月10日||1.51m||ゲルトルード・デューリンク(Gertrude Döring)
|-
|1925年7月11日||1.524m||フィリス・グリーン(Phyllis Green)||{{GBR}}
|-
|1926年7月21日||1.536m||ヴィオラ・エドワーズ(Viola Edwards)||{{USA}}
|-
|1926年8月2日||1.552m||フィリス・グリーン||{{GBR}}
|-
|1926年9月6日||1.58m||[[エセル・キャサーウッド]]||{{CAN}}
|-
|1927年3月10日||1.585m|| rowspan="2" |{{仮リンク|マージョリー・クラーク|en|Marjorie Clark}}|| rowspan="2" |{{SAF}}
|-
|1928年6月23日||1.60m
|-
|1929年3月30日||1.603m||{{仮リンク|ジーン・シャーリー|en|Jean Shiley}}||{{USA}}
|-
|1929年8月18日||1.605m||[[リエン・ヒソルフ]]||{{HOL}}
|-
|1930年4月19日||1.612m||ジーン・シャーリー||{{USA}}
|-
|1932年6月12日||1.62m||リエン・ヒソルフ||{{HOL}}
|-
|1932年8月7日||1.65m||ジーン・シャーリー|| rowspan="2" |{{USA}}
|-
|1932年8月7日||1.65m||[[ベーブ・ディドリクソン=ザハリアス]]||「ダイビング・ロール」{{sfn|Richard Hymans|2021|page=338}}
|-
|1939年5月29日||1.66m||[[ドロシー・オーダム]]||{{GBR}}||
|-
|1943年5月30日||1.71m||[[フランシナ・ブランカース=クン]]||{{HOL}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1951年7月7日||1.72m||[[シーラ・レーウィル]]||{{GBR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1954年5月22日||1.73m||[[アレクサンドラ・チュジナ]]||{{URS}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年5月5日||1.74m||{{仮リンク|セルマ・ホプキンス|en|Thelma Hopkins (athlete)}}||{{GBR}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年7月14日||1.75m||[[ヨランダ・バラシュ]]||{{ROM}}||はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1956年12月1日||1.76m||[[ミルドレッド・マクダニエル]]||{{USA}}||ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=339}}
|-
|1957年11月17日||1.77m||{{仮リンク|鄭鳳栄|en|Zheng Fengrong}}||{{CHN}}||イースタンカットオフ{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1958年6月7日||1.78m|| rowspan="12" |ヨランダ・バラシュ|| rowspan="12" |{{ROM}}|| rowspan="12" |はさみ跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1958年6月22日||1.80m
|-
|1958年7月31日||1.81m
|-
|1958年10月4日||1.82m
|-
|1958年10月18日||1.83m
|-
|1959年9月21日||1.84m
|-
|1960年6月6日||1.85m
|-
|1960年7月10日||1.86m
|-
|1961年4月15日||1.87m
|-
|1961年6月18日||1.88m
|-
|1961年7月8日||1.90m
|-
|1961年7月16日||1.91m
|-
|1971年9月4日||1.92m||[[イローナ・グーゼンバウアー]]||{{AUT}}|| rowspan="6" |ベリーロール{{sfn|Richard Hymans|2021|page=340}}
|-
|1972年9月24日||1.94m||[[ヨルダンカ・ブラゴエワ]]||{{BUL1971}}
|-
|1974年9月8日||1.95m||[[ローズマリー・アッカーマン|ローズマリー・ヴィチャス]]||{{GDR}}
|-
|1976年5月8日||1.96m|| rowspan="3" |[[ローズマリー・アッカーマン]](旧姓:ヴィチャス)|| rowspan="3" |{{GDR}}
|-
|1977年8月14日||1.97m
|-
|1977年8月26日||2.00m
|-
|1978年8月4日||2.01m||[[サラ・シメオニ]]||{{ITA}}|| rowspan="4" |背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=341}}
|-
|1982年9月8日||2.02m|| rowspan="2" |[[ウルリケ・マイフェルト]]|| rowspan="2" |{{FRG}}
|-
|1983年8月21日||2.03m
|-
|1983年8月21日||2.03m|| rowspan="3" |[[タマラ・ブイコワ]]|| rowspan="3" |{{URS}}
|-
|1983年8月25日||2.04m||
|-
|1984年6月22日||2.05m|| rowspan="2" |背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=342}}
|-
|1984年7月20日||2.07m||[[リュドミラ・アンドノワ]]||{{BUL1971}}
|-
|1986年5月31日||2.08m|| rowspan="2" |[[ステフカ・コスタディノヴァ]]||{{BUL1971}}||
|-
|1987年8月30日||2.09m||{{BUL}}||背面跳び{{sfn|Richard Hymans|2021|page=342}}
|}
=== 世界歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 世界歴代10傑 男子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/men/senior |title=All time Top lists>Senior Outdoor High Jump Men |accessdate=2021-07-17 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref>
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|1||2.45m||[[ハビエル・ソトマヨル]]||{{CUB}}||1993年7月27日
|-
|2||2.43m||[[ムタズ・エサ・バルシム]]||{{QAT}}||2014年9月5日
|-
| rowspan="3" |3|| rowspan="3" |2.42m||[[パトリック・ショーベリ]]||{{SWE}}||1987年6月30日
|-
|[[ボーダン・ボンダレンコ]]||{{UKR}}||2014年6月14日
|-
|[[イワン・ウーホフ]]
|{{RUS}}
|2014年2月15日
|-
|6||2.41m||[[イゴール・パクリン]]||{{URS}}||1985年9月4日
|-
| rowspan="7" |7|| rowspan="7" |2.40m||[[ルドルフ・ポバルニツィン]]||{{URS}}||1985年8月11日
|-
|{{仮リンク|ソリン・マテイ|en|Sorin Matei}}||{{ROM}}||1990年6月20日
|-
|[[チャールズ・オースチン]]||{{USA}}||1991年8月7日
|-
|{{仮リンク|ビャチェスラフ・ヴォロニン|en|Vyacheslav Voronin}}||{{RUS}}||2000年8月5日
|-
|{{仮リンク|デレク・ドルーアン|en|Derek Drouin}}||{{CAN}}||2014年4月25日
|-
|{{仮リンク|アンドリー・プロツェンコ|en|Andriy Protsenko}}||{{UKR}}||2014年7月3日
|-
|{{仮リンク|ダニール・リセンコ|en|Danil Rysenko}}||{{RUS}}||2018年7月21日
|}
{| class="wikitable"
|+ 世界歴代10傑 女子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/women/senior |title=All time Top lists>Senior Outdoor High Jump Women |accessdate=2021-07-17 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref>
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|1||2.09m||[[ステフカ・コスタディノヴァ]]||{{BUL1971}}||1987年8月30日
|-
| rowspan="2" |2
| rowspan="2" |2.08m
|[[カイサ・ベリークヴィスト]]
|{{SWE}}
|2006年2月6日
|-
|[[ブランカ・ブラシッチ]]||{{CRO}}||2009年8月31日
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |2.07m||[[リュドミラ・アンドノワ]]||{{BUL1971}}||1984年7月20日
|-
|[[アンナ・チチェロワ]]||{{RUS}}||2011年7月22日
|-
| rowspan="5" |6
| rowspan="5" |2.06m
|[[ヘストリー・クルーテ]]||{{RSA}}||2003年8月31日
|-
|[[エレーナ・スレサレンコ]]||{{RUS}}||2004年8月28日
|-
|[[アリアネ・フリードリヒ]]||{{GER}}||2009年6月14日
|-
|[[マリア・ラシツケネ]]||{{RUS}}||2017年7月6日
|-
|[[ヤロスラワ・マフチク]]
|{{UKR}}
|2021年2月2日
|}
=== 世界各エリア記録 ===
{| class="wikitable"
|+ エリア記録 男子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/by-discipline/jumps/high-jump/outdoor/men |title=Record>High Jump>Men - SENIOR - Outdoor |accessdate=2021-07-11 |publisher=WORLD ATHLETICS |language=en }}</ref>
!エリア!!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|[[アフリカ]]||2.38m||[[ジャック・フライターク]]||{{RSA}}||2005年3月5日
|-
|[[アジア]]||2.43m||[[ムタズ・エサ・バルシム]]||{{QAT}}||2014年9月5日
|-
|[[ヨーロッパ]]||2.42m||[[パトリック・ショーベリ]]||{{SWE}}||1987年6月30日
|-
|[[北中米カリブ陸上競技連盟|北中米カリブ海]]||2.45m||[[ハビエル・ソトマヨル]]||{{CUB}}||1993年7月27日
|-
|[[南アメリカ]]||2.33m||{{仮リンク|ジルマール・マヨ|en|Gilmar Mayo}}||{{COL}}||1994年10月17日
|-
|rowspan=2|[[オセアニア]]
|rowspan=2|2.36m||[[ティム・フォーサイス]]||{{AUS}}||1997年3月2日
|-
|{{仮リンク|ブランドン・スターク|en|Brandon Starc}}||{{AUS}}||2018年8月26日
|}
{| class="wikitable"
|+ エリア記録 女子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/by-discipline/jumps/high-jump/outdoor/women |title=Record>High Jump>Women - SENIOR - Outdoor |accessdate=2021-07-17 |publisher=WORLD ATHLETICS |language=en }}</ref>
!エリア!!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|[[アフリカ]]||2.06m||[[ヘストリー・クルーテ]]||{{RSA}}||2003年8月31日
|-
|[[アジア]]||2.00m||{{仮リンク|ナデジダ・ドゥボヴィツカヤ|en|Nadezhda Dubovitskaya}}||{{KAZ}}||2021年6月8日
|-
|[[ヨーロッパ]]||2.09m||[[ステフカ・コスタディノヴァ]]||{{BUL1971}}||1987年8月30日
|-
|[[北中米カリブ陸上競技連盟|北中米カリブ海]]||2.05m||{{仮リンク|チャウント・ロー|en|Chaunté Lowe}}||{{USA}}||2010年6月26日
|-
|[[南アメリカ]]||1.96m||{{仮リンク|ソランジュ・ウィッテフェーン|en|Solange Witteveen}}||{{ARG}}||1997年9月8日
|-
|[[オセアニア]]||2.02m||[[エレノール・パターソン]]||{{AUS}}||2022年7月20日
|}
=== U20世界記録 ===
{| class="wikitable"
|+ U20 世界歴代10傑 男子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/men/u20 |title=All time Top lists>U20 Outdoor High Jump Men |accessdate=2021-07-18 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref>
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
| rowspan="2" |1|| rowspan="2" |2.37m||{{仮リンク|ドラグティン・トピッチ|en|Dragutin Topić}}||{{YUG}}||1990年8月12日
|-
|[[スティーブ・スミス (陸上選手)|スティーブ・スミス]]||{{GBR}}||1992年9月20日
|-
|3||2.36m||[[ハビエル・ソトマヨル]]||{{CUB}}||1986年2月23日
|-
|4||2.35m||[[ディートマー・メーゲンブルク]]||{{FRG}}||1980年5月26日
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |2.34m||{{仮リンク|ウラジミール・ヤシチェンコ|en|Vladimir Yashchenko}}||{{URS}}||1978年6月16日
|-
|[[ティム・フォーサイス]]||{{AUS}}||1992年7月4日
|-
| rowspan="3" |7|| rowspan="3" |2.33m||[[朱建華]]||{{CHN}}||1982年12月1日
|-
|[[パトリック・ショーベリ]]||{{SWE}}||1983年7月9日
|-
|{{仮リンク|マクシム・ネダセカウ|en|Maksim Nedasekau}}||{{BLR}}||2017年7月22日
|-
|10||2.32m||{{仮リンク|黄海強|zh|黃海強}}||{{CHN}}||2006年8月17日
|}
{| class="wikitable"
|+ U20 世界歴代10傑 女子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/women/u20 |title=All time Top lists>U20 Outdoor High Jump Women |accessdate=2021-07-18 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref>
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|1||2.05m||[[ヤロスラヴァ・マフチク]]||{{UKR}}||2018年10月15日
|-
| rowspan="2" |2|| rowspan="2" |2.01m||{{仮リンク|オルガ・トゥルチャク|en|Olga Turchak}}||{{URS}}||1986年7月7日
|-
|{{仮リンク|ハイケ・バルック|de|Heike Balck}}||{{GDR}}||1989年6月18日
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |2.00m||[[ステフカ・コスタディノヴァ]]||{{BUL1971}}||1984年8月25日
|-
|[[アリーナ・アスタフェイ]]||{{ROU}}||1988年7月29日
|-
|6||1.99m||{{仮リンク|ヴァシュティ・カニンガム|en|Vashti Cunningham}}||{{USA}}||2017年6月23日
|-
| rowspan="2" |7|| rowspan="2" |1.98m||{{仮リンク|シルビア・コスタ|en|Silvia Costa (athlete)}}||{{CUB}}||1983年7月11日
|-
|[[エレーナ・エレシナ]]||{{URS}}||1988年8月13日
|-
|9
|1.97m
|[[アンジェリーナ・トピッチ]]
|{{SRB}}
|2023年6月9日
|-
| rowspan="6" |10|| rowspan="6" |1.96m||{{仮リンク|シャーメイン・ウィーバーズ|en|Charmaine Weavers}}||{{RSA}}||1981年4月4日
|-
|{{仮リンク|スヴェトラーナ・レセヴァ|en|Svetlana Leseva}}||{{BUL1971}}||1986年8月11日
|-
|{{仮リンク|マリーナ・カプツォーワ|en|Marina Kuptsova}}||{{RUS}}||2000年7月26日
|-
|[[ブランカ・ブラシッチ]]||{{CRO}}||2002年7月20日
|-
|{{仮リンク|アイリーン・パルシテ|en|Airinė Palšytė}}||{{LTU}}||2011年8月21日
|-
|{{仮リンク|エレノア・パターソン|en|Eleanor Patterson}}||{{AUS}}||2013年12月7日
|}
{| class="wikitable"
|+ U18 世界記録 男子 / 女子<ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/men/u18 |title=All time Top lists>U18 Outdoor High Jump Men |accessdate=2021-07-18 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/high-jump/outdoor/women/u18 |title=All time Top lists>U18 Outdoor High Jump Women |accessdate=2021-07-18 |publisher=World Athletics |language=en }}</ref>
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
|男子||2.33m||[[ハビエル・ソトマヨル]]||{{CUB}}||1984年5月19日
|-
! !!記録!!名前!!国籍!!日付
|-
| rowspan="5" |女子
| rowspan="5" |1.96m
|{{仮リンク|シャーメイン・ウィーバーズ|en|Charmaine Weavers}}||{{RSA}}||1981年4月4日
|-
|{{仮リンク|オルガ・トゥルチャク|en|Olga Turchak}}||{{URS}}||1984年9月7日
|-
||{{仮リンク|エレノア・パターソン|en|Eleanor Patterson}}||{{AUS}}||2013年12月7日
|-
|{{仮リンク|ヴァシュティ・カニンガム|en|Vashti Cunningham}}||{{USA}}||2015年8月1日
|-
|[[アンジェリーナ・トピッチ]]
|{{SRB}}
|2022年6月26日
|}
=== 日本歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 日本歴代10傑 男子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021japanmen |title=2021日本最新ランキング【男子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref>
!順!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2.35m||[[戸邉直人]]||つくばツインピークス||2019年2月2日
|-
|2||2.33m||[[醍醐直幸]]||[[富士通]]||2006年7月2日
|-
|3||2.32m||君野貴弘||[[順天堂大学]]||1993年9月18日
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |2.31m||[[吉田孝久]]||[[ミズノ]]||1993年5月9日
|-
|真野友博||[[九電工]]||2020年9月20日
|-
| rowspan="3" |6|| rowspan="3" |2.30m||[[阪本孝男]]||東海スポーツ||1984年5月6日
|-
|[[衛藤昂]]||[[味の素AGF|AGF]]||2017年4月16日
|-
|赤松諒一||[[アワーズ]]||2023年7月22日
|-
| rowspan="8" |9|| rowspan="8" |2.28m||氏野修次||[[近畿大学附属和歌山中学校・高等学校|近大和歌山高校]]教員||1984年7月21日
|-
|井上基史||[[筑波大学]]||1987年6月7日
|-
|野中悟||[[京都府立洛北高等学校|洛北高校]]教員||1993年6月13日
|-
|宇野雅昭||[[福岡大学]]||1993年8月8日
|-
|尾上三知也||[[スズキ (企業)|スズキ]]||1997年5月5日
|-
|高張広海||日立ICT||2015年5月10日
|-
|[[平松祐司]]||筑波大学||2015年5月16日
|-
|藤田渓太郎||佐竹食品AC||2020年10月24日
|}
{| class="wikitable"
|+ 日本歴代10傑 女子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021japanwomen |title=2021日本最新ランキング【女子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref>
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1.96m||[[今井美希]]||[[ミズノ]]||2001年9月15日
|-
| rowspan="2" |2||1.95m||[[佐藤恵 (陸上選手)|佐藤恵]]||福岡大学||1987年5月17日
|-
|1.95m||[[太田陽子]]||[[三起商行|ミキハウス]]||2002年7月21日
|-
|4||1.93m||[[福光久代]]||[[日本製紙|大昭和製紙]]||1981年6月7日
|-
|5||1.92m||[[福本幸|青山幸]]||[[吹田市立第一中学校]]教員||2004年7月3日
|-
| rowspan="2" |6|| rowspan="2" |1.90m||[[八木たまみ]]||[[関東学園大学]]||1978年10月19日
|-
|貞廣千波||[[中京女子大学]]||1994年11月2日
|-
| rowspan="2" |8|| rowspan="2" |1.86m||松井昌美||[[京都府立桃山高等学校]]教員||1988年7月9日
|-
|岩切麻衣湖||プレジャー企画||2001年5月26日
|-
| rowspan="3" |10|| rowspan="3" |1.85m||[[曽根幹子]]||大昭和製紙||1975年11月8日
|-
|津田シェリアイ||築地銀だこAC||2020年9月20日
|-
|髙橋渚||メイスンワーク||2023年3月5日
|}
=== 日本ジュニア記録 ===
{| class="wikitable"
|+ U20 日本記録 男子 / 女子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaaf.or.jp/record/u20/?segment=1 |title=U20日本記録>男子 |accessdate=2021-07-18 |publisher=日本陸上競技連盟 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaaf.or.jp/record/u20/?segment=2 |title=U20日本記録>女子 |accessdate=2021-07-18 |publisher=日本陸上競技連盟 }}</ref>
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|男子||2.29m||君野貴弘||[[順天堂大学]]||1992年9月20日
|-
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|女子||1.93m||[[太田陽子]]||[[日本体育大学]]||1993年9月18日
|}
{| class="wikitable"
|+ 高校記録 男子 / 女子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021hsmen |title=2021高校最新ランキング【男子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021hswomen |title=2021高校最新ランキング【女子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref>
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|男子||2.23m||[[戸邉直人]]||[[専修大学松戸中学校・高等学校|専大松戸高校]]||2009年10月5日
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! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|女子||1.90m||[[佐藤恵 (陸上選手)|佐藤恵]]||[[新潟市立万代高等学校|新潟市立沼垂高校]]||1983年7月10日
|}
{| class="wikitable"
|+ 中学記録 男子 / 女子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021jhmen |title=2021中学最新ランキング【男子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/ranking2021/2021jhwomen |title=2021中学最新ランキング【女子】 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref>
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|男子||2.10m||境田裕之||旭川市立春光台中学校||1986年11月2日
|-
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|女子||1.87m||[[佐藤恵 (陸上選手)|佐藤恵]]||新潟市立木戸中学校||1981年10月25日
|}
=== オリンピック・世界選手権における日本人入賞者 ===
{| class="wikitable"
|+ オリンピック・世界選手権における日本人入賞者 男子 / 女子<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rikujyokyogi.co.jp/olympicwinningaprize |title=日本の五輪入賞者一覧 |accessdate=2021-07-18 |website=月陸Online |publisher=陸上競技社 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaaf.or.jp/history/world/02.html |title=陸上競技ヒストリー>世界選手権入賞者>第1回〜第10回(1986〜2005) |accessdate=2021-07-18 |publisher=日本陸上競技連盟 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jaaf.or.jp/history/world/ |title=陸上競技ヒストリー>世界選手権入賞者第11回~(2007~) |accessdate=2021-07-18 |publisher=日本陸上競技連盟 }}</ref>
! !!開催年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|rowspan=5|男子
|1928年||[[1928年アムステルダムオリンピックの陸上競技|第9回オリンピック・アムステルダム大会]]||{{NED}}||[[木村一夫]]||6位||1.88m
|-
|1932年||[[1932年ロサンゼルスオリンピックの陸上競技|第10回オリンピック・ロサンゼルス大会]]||{{USA}}||木村一夫||6位||1.94m
|-
|rowspan=3|1936年
|rowspan=3|[[1936年ベルリンオリンピックの陸上競技|第11回オリンピック・ベルリン大会]]
|rowspan=3|{{DEU1935}}
|[[矢田喜美雄]]||5位||1.97m
|-
|[[朝隈善郎]]
|rowspan=2|6位
|rowspan=2|1.94m
|-
|[[田中弘 (陸上選手)|田中弘]]
|-
|女子||1992年||[[1992年バルセロナオリンピックの陸上競技|第25回オリンピック・バルセロナ大会]]||{{ESP}}||[[佐藤恵 (陸上選手)|佐藤恵]]||7位||1.91m
|-
|}
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{reflist|3}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |autho=日本陸上競技連盟 |title=陸上競技ルールブック |edition=2021年度版(正誤表反映版) |date=2021-04-16 |publisher=[https://www.jaaf.or.jp/about/rule/ 日本陸上競技連盟] |isbn=978-4-583-11350-0 |url=https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/2021/all-rule_fix.pdf |format=PDF |accessdate=2021-07-18 |ref=harv }}
* {{Cite journal |和書 |author = Jürgen Schiffer |date = 2009-03 |title = The high jump Overview |journal = [https://www.worldathletics.org/news/news/iaaf-new-studies-in-athletics-current-issue-3-3 New Studies in Athletics] |volume = 24 |issue = 3 |pages = 9-22 |publisher = International Association of Athletics Federations |url = https://www.worldathletics.org/nsa/article/filter?&authorId=5461fcbf1111ff42acac6a07&articleTitle=The%20high%20jump&year=2009&volume=24&issue=3 |accessdate = 2021-07-15 |ref=harv }}
* {{citation |和書 |url=https://b3461dd9-e816-4209-a11e-8a7de4ec68f1.usrfiles.com/ugd/b3461d_d37cc5a23df8438ab2eb7304281243f0.pdf |title=走り高跳びの教科書 |author=真鍋周平 |edition=上巻 Ver.1.0.5 |accessdate=2021-07-08 |date=2020-05-05 |website=[https://highjumper.jimdofree.com/ 走り高跳びの教科書] |publisher=トヨタ自動車陸上競技部 |ref=harv }}
* {{Cite journal |和書 |author = 細谷真澄 |date = 1977-11-30 |title = 走高跳の技術についての一考察 |journal = 横浜国立大学教育紀要 |volume = 17 |pages = 89-98 |publisher = 横浜国立大学 |issn = 05135656 |url = https://hdl.handle.net/10131/2136 |accessdate = 2021-07-13 |ref=harv }}
* {{Cite book |和書 |editor = Richard Hymans |title = Progression of World Athletics Records |edition = 2020年版 |date = 2021-04-16 |publisher = [https://www.worldathletics.org/news/news/progression-of-world-athletics-records-on-sal World Athletics] |language = en |url = https://media.aws.iaaf.org/misc/eBook/index.html |accessdate = 2021-07-14 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧#走高跳]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧#走高跳]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|High jump}}
* [https://www.worldathletics.org/disciplines/jumps/high-jump ワールドアスレティックス 走高跳]
* [https://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟]
* [https://www.jaaf.or.jp/about/rule/ 日本陸上競技連盟 陸上競技ルールブック]
* {{YouTube|p_7T76GcJOQ|オリンピックにおける男子走高跳の変遷}}
{{陸上競技}}{{スポーツ一覧}}{{Normdaten}}
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[[Category:陸上競技種目]]
[[Category:跳ぶ]]
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鉄道模型
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鉄道模型(てつどうもけい)とは、実物の鉄道車両を、一定の比率や軌間になるよう縮小した模型。
一定の縮尺(スケール)や軌間(ゲージ)になるよう実物の鉄道車両を縮小した模型であり、線路や駅舎や鉄道周囲の建物や自然風景なども鉄道模型に含む。鉄道模型の列車は基本的には動力も備え、それ自体で走行するものである。
大きさ(縮小率)としては、指先でつまめるような小さなサイズの物から、実物の数分の一の縮尺で、乗用台車を牽引し人が跨って乗れるほどの大きさのものまである。
なお実物の鉄道と鉄道模型との間には、サイズ以外の差異もある。例えば、実際の鉄道路線との違いとして、鉄道模型の多くの軌道のカーブが単心曲線なのに対して、実際の鉄道路線ではカーブの前後に緩和曲線を挿入してある場合が多い。他にも電車の模型の場合には、給電方法などに違いが見られる。
当初は高価な趣味であった。かつてはブリキ製の玩具との境界はあいまいだったものの、次第に決められた縮尺・軌間によって車両やレイアウト・ジオラマを製作して、コレクションしたり線路上を走行させて鉄道の情景を楽しむための規格が定められるようになっていった。一般に普及するにつれて庶民の狭小な住宅事情を反映し、小サイズの模型がより普及する傾向にある。
鉄道模型の、他の種類の模型と異なる特徴として、車両と軌間が常に対となっている、ということが挙げられる。鉄道模型は線路上を走行させるものであるためそうなっている。縮尺によってサイズは様々だが、ある程度の数の縮尺に集約されている。これは縮尺に規格を定める事で既製品を利用できるようにするためである。
なお遊戯施設などで実物の鉄道の1/3サイズで製作され、客車の内部に人が乗車できる物(例 - イギリス:ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道、日本:伊豆修善寺虹の郷)や、鉄道車両の実物大試作モックアップなども広い意味での「模型」ではあるが、一般的にはこれらを鉄道模型とは言わない。
イングランドにおいて19世紀初頭から生産されていた。当初それらは、実物の宣伝用として製作されていた。
1862年に、ロンドンのメイヤーズがカタログに蒸気機関車を掲載した。1898年にはバセット・ロークが創業し、ドイツのビングなどを下請けにしてスケールモデルを供給し始めた。バセット・ロークは1921年にOOゲージを発売した。
1835年に、アドラー号と亜鉛製の人形と客車が販売された。1840年には、最初のドイツ製の板金による鉄道模型の生産の記録が残っている。1886年、ビングが最初の製品を発売した。1887年、Schonnerが縮尺約1/22・軌間65 mmと、縮尺約1/12・軌間115 mmの蒸気機関車と客車と線路を発売した。
1891年、メルクリンがライプツィヒ・メッセに最初の鉄道模型を出品した。メルクリンは最初に0番、1番、2番、3番という名称の鉄道模型を生産した。1901年に雑誌上で初めて鉄道模型の標準化・規格化について議論され、1891年のメルクリンの規格を元にすることが決まった。
1922年にビングから0番規格の半分のサイズのOO番(OOゲージ)が発売され、Bing-Tischeisenbahn(ビング卓上鉄道)の名で展開された。当初はぜんまい式だったが、1924年には電気式になった。1935年春にトリックスから、秋にはメルクリンからOOゲージ製品が発売された。
幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航し、蒸気で走る模型を披露したとの記録がある。また、ペリーが黒船で浦賀に来航した際に、江戸幕府に蒸気機関車の模型を献上したとされる。嘉永6年(1853年)佐賀藩の精煉方であった田中久重が蒸気車の雛型(模型)を作った。桂小五郎がナポレオン号(山口県立山口博物館蔵)を持ち帰った記録もある。また、加賀の大野弁吉が蒸気機関車の模型を作った記録がある。これらの機関車は2003年に国立科学博物館で開催された江戸大博覧会で展示された。このように日本では実物よりも先に模型の方が完成した。これにより蒸気機関に関する理解が深まった。その後、鉄道省で教材として作られた。電気を動力とする鉄道模型は1890年の上野で東京電燈スプレーグ式電車が運転された第3回内国勧業博覧会において展示されたと思われる。この模型は円形テーブルの上に敷かれた軌道を手回しのダイナモで走らせる仕様であった。後に、この模型は日本のライブスチームのパイオニアである田口武二郎の父田口卯吉が入手したという。この模型は東京市に寄贈された。
明治後半には上野の菊屋や銀座の伊東屋に舶来の模型機関車が並べられるようになり、ドイツやアメリカから2番、1番、Oゲージ等の鉄道模型が輸入され、愛好者層を中心に徐々に普及した。関東や関西の百貨店は鉄道模型に力を入れるようになり、三越で販売した国産の鉄道模型セットに入っていたトランス(製造関電機製作所)には三越のロゴマークを描いていた。第2次世界大戦前のメーカーとしては朝日屋 (大阪府)、関電機製作所、西尾音吉模型工場、千代田計器工作所など、そして現在も営業しているカワイモデルである。しかし当時の模型はぜいたく品であり、富裕層の子弟の高価な玩具であった。なお関電機製作所ではアメリカやイギリスに輸出していた。
1924年創刊された『子供の科学』に本間清人が電気機関車の作り方、庭園鉄道のレイアウトなど模型製作記事を連載した。続いて山北藤一郎が電気機関車や電気関係の製作記事を連載した。そして子供の科学代理部(後の科学教材社)によりモーター、車輪、レール、トランス等鉄道模型の部品の販売を開始し、さらに子供の科学展覧会を開催して鉄道模型の発展に貢献した。本間清人は『子供の科学』誌で「50mmゲージ」を提唱、これが日本における鉄道模型の標準軌間のさきがけとなった。この時代の縮尺であるが、発売された製品は足回りやパンタグラフは約1/40、連結器は1/20位で車体は各人の好みで1/21から1/30位と統一されていなかった。『科学画報』で「模範的電気機関車の作り方」を執筆した香西健は1/30・35mmゲージを採用。1927年日本橋三越で開催された子供の科学主催第1回模型の国展覧会でこの規格の電気機関車が最優等賞を獲得し注目を浴び、1929年に創刊された『鉄道 (雑誌)』はこのゲージを推進した。メーカーも追随して製品を発売するようになり、35mmゲージは戦前の日本の鉄道模型模型規格の主流となった。ミトイ会(35をもじった)という模型クラブが創立され、会場を借りてしばしば公開運転を行い、その様子がニュース映画に取り上げられていた。一方Oゲージ由来の32mmゲージを縮尺1/40-1/42で制作して楽しむ愛好者もいて、千代田計器工作所からは完成品も発売されていた。1938年『模型鉄道』誌上で湯山一郎が「模型鐵道の標準軌間」を発表した。この記事は、日本独自の道を行く35mmゲージと比べ軌間32 mmのOゲージにすれば、アメリカ型もイギリス型も日本型も(縮尺は調整するが)同じ線路上を走行可能だとしてOゲージの利点を説き、日本型の縮尺については1/45を推奨した。しかし35mmゲージ擁護派からの反発は両者の争いを生み、それは日本が第2次世界大戦に敗戦するまで続いた。また『科学と模型』に「16番ゲージ日本標準規格に就て」を発表した山崎喜陽も国賊非国民と攻撃を受けていた。
第2次世界大戦が終わると、模型店には鉄道模型好きのアメリカ人将校達がやってきて、手の込んだ高価な模型を注文し模型店は活況を呈するようになった。やがてOゲージ、HOゲージを輸出するようになり、外貨獲得に努めた。天賞堂、カツミ模型店はアメリカ向け高級真鍮製品を手掛け高い評価を得ていた。またトビー模型店の欧州向け製品は、当時欧州で大量生産されていたプラ製品に比べディテールや走行性能、美しい塗装など定評があった。他にもフジヤマ、ユナイテッド=合同、熊田貿易、オリオン等の外国型専門のメーカーがあった。1960年代になると16番ゲージが愛好者層を中心として普及していったが、日本型車両の製品はメーカーが輸出品中心もあり例えば天賞堂は1968年時点蒸気機関車は9600形のみ電気機関車は1966年時点EB10形、ED42形、EF15形、EF30形、EF62形という状況であった。また製品の優劣が激しく雑誌の製品紹介で「悪口をかかないのに苦労した」という状態であった。時代は下り為替レートの関係で輸出が困難な時代が到来した後は、国内市場にシフトしてゆき、日本型も質量とも充実していった。1980年代以降、Nゲージの普及により、愛好者層が拡大し現在に至る。また、実物の軽便鉄道や産業用軌道を再現するナローゲージモデルを楽しむ愛好者もいる。
1945年にアメリカのH.P.プロダクツから縮尺1/120・軌間12 mmの鉄道模型(TTゲージ)が発売された。後にイギリスや西ドイツでも展開された。1960年の初頭にイギリスのローンスターと西ドイツのアーノルトから軌間9 mmの鉄道模型が相次いで発売され、後にNゲージとして発展していった。1972年、西ドイツのメルクリンから縮尺1/220・軌間6.5 mmのZゲージが登場した。当時はこれ以上小さい模型は無いという意味からZと名付けられたが、2008年に日本の栄進堂からさらに小さな縮尺1/450・軌間3 mmのTゲージが発売された。なお、量産品ではなく、個人の製作した内部に動力を備えて自走する車両ではオーストラリアの愛好家が縮尺1/480で製作した記録がある。
鉄道模型には縮尺(スケール)や軌間(ゲージ)、電動式の物は電流・電圧など様々な規格が存在し、それら規格に基いて製品化されている。また自作する場合は、それら規格に適合するように製作されることが多い。
鉄道模型の規格はメーカーや鉄道模型の愛好者団体(NMRAやMOROPなど)により決められているので国・地域、メーカーなどにより違いが見られ、共通性はあるものの、完全に同一ではない。各地域の規格は、軌間はメートル法とヤード・ポンド法での相違以外おおむね同一だが、名称や縮尺は互いに異なっている場合もある。本稿においては日本で慣用されている名称・軌間・縮尺を主に用いる。
規格の名称は日本やイギリスではゲージ、アメリカ(NMRA規格など)ではスケールと呼ばれている。
各規格は、原則として実物の標準軌の軌間1435 mmを縮小した物である(スタンダードゲージモデル)。それ以外に、標準軌より狭い狭軌軌間を再現したナローゲージや、広軌軌間を再現したブロードゲージも存在する。
スケールは「ものさし」・「縮尺」のことであり、サイズは寸法である。日本ではメートル法が採用されているので分数表示が主流であるものの、ヤード・ポンド法を採用しているアメリカでは、1フィート (304.8 mm) を何インチにするかという表示法が用いられる。
イギリスではヤード・ポンド法とメートル法と組み合わせた1フィートを何mmとするかという表示法、mmスケールが用いられる。イギリスの鉄道模型の縮尺は、mmスケールに基づく事例が多い。
当初は鉄道線路を構成する2本のレールの中心間距離で表されていたが、現在ではレールの頭部の内側の距離を表す。
実物を縮小するとゲージは好きなように決められるが、実際にはある程度の数の軌間に集約される。
原則として実物の標準軌(1435 mm)を基準として縮小された物が、模型の標準規格である。日本や南アフリカなどでの実物には狭軌も多く見られるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。フィンランドやアイルランドなどでは実物は広軌であるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。
鉄道模型の1分野で、スケールモデルに対する用語である。初期の鉄道模型はこのタイプの製品が多く、特にアメリカで盛んである。元来は高級な模型であったが、クリスマスプレゼント用の大量消費時代が到来した1936年頃に、ライオネルが発展可能なシステムを提示してから一挙にアメリカの標準模型として大衆化された。文字通り「tinplate」でブリキ製の鉄道模型を指す言葉であり、ハイレール (hi-rail) という言葉と同義である。背の高い中空レールを用いる玩具的鉄道模型であって、ハイ・フランジ車両が走るように作られており、中央三線式の集電方式が主流である。年少者のみならず大人の趣味としても認知され、大規模な交換会・スワップミートが数日にわたって開かれる。
Oゲージの場合、おおむね縮尺1/64 - 1/48であるが一定しない。小さく作れば大型機でも小半径の走行が可能であるため、縮尺1/58としている製品もある。ティンプレートはOゲージが多いものの、アメリカンフライヤーではSゲージもある。これは当初より2線式を採用していた。
ヨーロッパや日本でも同様な製品について、トイトレインやティンプレートと呼ばれる場合がある。日本ではOゲージや16番ゲージの短縮型(ショーティー)製品が該当する物とされている。
メルクリンやライオネルに代表される方式で、中央三線式を採用しているが、交流方式であることは必ずしも三線式であることを意味するわけではなく、少数ながら交流二線式や、直流三線式(後述)の鉄道模型も存在する。1930年代には効率の良い整流器や強力な永久磁石が民生用には出回っていなかったので、直巻電動機と電磁石による方向転換装置(逆転機)との組み合わせが採用された。絶縁車輪を用いなくても良いので今でも根強い人気がある。
電子工学の進歩に伴い、多重制御方式(後述)を好むユーザーが増えてきたため、交流とは言えども正弦波ではない交流駆動の模型が増えている。
直流を得るには蓄電池あるいは小型の整流器を必要とした。自動車産業の発達したアメリカ合衆国では、セレン整流器が民生用として市販され始めたので、これを流用して「直流12 V」という規格が成立した。通常は左右のレールのみから集電する直流二線式が用いられるものの、少数ながら直流三線式の鉄道模型も存在する。トリックスでは、直流二線式の「トリックス・インターナショナル」に対して、直流三線式の「トリックス・エクスプレス」が存在する。
直流二線式では、主に車両から見て右側にあるレールにプラスの電気が流れている時に前進する製品が多い。
直流方式の利点は、機械的な逆転装置なくして自由に前進後退を選べることであった。交流方式の直巻電動機の界磁を車載整流器で一定方向磁界とすれば(これを Polarized と言う)手元のスイッチひとつで進行方向を切り替えることができた。第二次世界大戦後は永久磁石の界磁となり、これは分巻電動機の1種であって模型車両の駆動用電動機として最も適しているとは言えないが、広く用いられるようになった。
現在の最も進んだ駆動方式では、電子制御でモーターの回転数を実物を模した加減速曲線で駆動し、Bemf(逆起電力)を測定して回転数を一定に保つ方式をとっている。また、永久磁石に吸着されない無鉄心型モーター(コアレスモーター)を採用し、逆駆動するウォームギヤとの組み合わせで押して動く(Free-rolling mechanism )動力車が実用化されている。
12 V という電圧は先述のように自動車産業から派生した規格であったが、線路が長くなると電気抵抗が無視できなくなり、電流値を減らして電圧降下を小さくすることができる高電圧化の論議が1980年代に始まった。24 Vへの昇圧という動きもあったが、効率の良いモーターの採用と共に、その声は聞こえなくなった。Oゲージ、Gゲージではレイアウトの規模が大きいので、12 V 車でも場合により16 - 18 V を採用する場合もある。
同一の線路上の複数の車両を個別に制御する方式の総称である。車両の運転のみならず、警笛、前照灯・尾灯の点滅なども、この概念に含まれる。1960年代頃からは直流に交流を混ぜて流し、周波数によって識別する方式としてゼネラル・エレクトリックのアストラック(Automatic Simultaneous Train Controls 、ASTRAC)や、交流と直流を同時に流す方式などがあったものの、アナログ方式ではせいぜい数台を制御することが限度であった。三線式の線路を使用したメルクリンのデルタシステムもあった。デジタル式ではホーンビィのZERO-1やメルクリンのメルクリンデジタル等があった。他にCTC-16というデジタル式もあった。いずれも専用のデコーダを搭載する物で、一部を除き従来の車両と同じ線路上を走らせることはできなかった。
2000年代以降はデジタルコマンドコントロール(DCC)が世界的な標準になり、欧米では予めDCCの搭載を想定したコネクタを装備した車両が普及している。DCCでは理論上、アドレス長が10 bitの場合、同時に1024台に指令を出すことができる。
鉄道模型が登場した頃は、手で押す仕様であった。時代の進歩と共に、ぜんまい駆動や蒸気による自力走行できる物になり、最終的に電気による外部からのコントロールが可能になった。
それは、人間が乗ってコントロールする必要があったり、あるいは動き始めたら放置せねばならない蒸気駆動より、室内で楽しめるより小さな電動模型への進化であった。もちろん蒸気駆動はライブスチームとして特化した進化を遂げたが、電動模型はより小さなサイズへと向かった。
初期の鉄道模型ではゼンマイ式の動力の物が存在した。それらはスプリングモーターと称された。現在でも一部のブリキ製鉄道玩具に使用される。
当初は簡易なボイラーと単動首振りエンジンを組み合わせた、動き出したら水または燃料が尽きるまで走り続ける物が多かった。そのうちに実物と全く同等な構造で、人間を乗せた車両を牽いて走る模型が主流となった。これは給水、焚火、運転が実物と同様で、タービン発電機やインジェクタまで装備する物が現れた。またアメリカで実用化された関節式機関車を、実物と同じボールジョイントの給排気管で結ぶ模型も出現した。また、蒸気タービンで発電して電動モーターで走る模型も試作されている。
手軽に運転できる電動式模型の普及により一時期廃れていたが、1970年代半ば頃から一部の熱心な愛好者と彼らに支えられた新たなメーカーの参入により、以前に比べれば実現のハードルが低くなってきている。また、各地で愛好者が集う運転会も開催されてきた。
また、メルクリンなどの既存のメーカーも新製品を出しつつある。電子工学の進歩により、小型模型をラジオ・コントロールすることが可能になり、1番ゲージでは多くの人達が楽しむようになった。2000年代に入るとイギリスのホーンビィからOOゲージの電熱蒸気機関車が発売され、外部から汽笛吹鳴までコントロールできる完成品も発売された。これらはライブスチームと呼ばれる、庭園鉄道の1分野として楽しまれている。
電動模型は、家庭への配電と同時に始まった。当時の電池は高価な割りに性能が低かったからである。交流による家庭への配電が開始される前に一部の地域では直流で配電されていた。
当初採用されていた蒸気機関あるいはゼンマイ式の二線式軌道に集電用の第三軌条を付け加えることにより、電動化が実現された。二線式を採用するには車輪と車軸を絶縁しなければならないので、それまでに売った車両の改造をしなければならなかったが、実物に習い中央の第三軌条から集電すればそれまでの製品との不整合がなくなる。日本では実物に中央三線式の鉄道が存在しなかったため、このタイプの集電方式は玩具的であると嫌われたが、逆に欧米では本物と同じであるとして受け入れられてきた。
当初は直巻電動機を自作し変圧器または抵抗器で制御していた。抵抗器には食塩水を用いた物もあった。小型のモーターが模型用として発売された後は、モーターを納める動力車の大きさが決まってしまう事態が起きた。すなわち模型のサイズの小型化はモーターのサイズの小型化の歴史でもあった。界磁コイルを軸の延長上に移したり、両軸モーターを作り車軸や台車間に納めたり、この時期の工夫は目覚しい。
界磁が電磁石の直巻電動機は、交流でも直流でも回転し、実物同様、機関車、電車の駆動には適する特性を持っていた。起動時に電流の2乗に比例して起動トルクが発生し、回転が上がると同時に電流が減少する。速度に応じて徐々に電圧を上げれば実感的な運転ができるわけである。しかし、進行方向の逆転には界磁の極性を反転させねばならなかった。ライオネル、メルクリンらは、電流を瞬間的に遮断することにより作動する逆転リレーなどを開発し市販した。しかし分岐器を通過する際に誤動作することがあり、モーターの回転による遠心力を用いた誤動作防止装置が一部の愛好者によって開発された。
1930年代になると直流駆動への試みが始まった。一部の地域では直流で配電されていたが、大部分の地域では交流による配電だった。アメリカ合衆国ではモータリゼーションにより自動車用の小型の整流器が民生用として発売されたのを受け、界磁電流をセレン整流器で整流して走行電流の極性を反転して逆行させる工夫がなされた。また電圧は自動車用の12 Vを標準電圧として採用した。
1940年代になると永久磁石を界磁にしたマグネット・モーターが市販されるようになった。これは、小型軽量で消費電力も少なかったが、分巻特性を持ち、与えられた電圧と回転数が正比例する物であった。すると、抵抗による電流制御よりも電子部品による電圧制御によるコントロールが望ましくなる。これはトランジスタ・コントローラの発達を促し、レオスタットを駆逐した。
マグネット・モーターは、停止時に界磁が電機子を吸着して動き難くするコッギング(英語ではteethingと言う)が避けられず、機関車は手で押して動かすことは不可能であった。マグネット・モーターの軸を手で廻すと、あたかもサイコロを転がす如く、特定の位置で引っかかりを感じるが、直巻電動機を採用していたライオネル、メルクリンの機関車は、レールに手で押し付けて押せばモーターが回転する。また、最近ではコッギングがなくスムーズな走行でより大きなトルクが出せるコアレス・モーターやコッギングはあるが、より強いトルクが出せるブラシレスモーターも普及しつつある。
モーターから車輪までの動力伝達にはウォームギヤが多用される。スパーギヤ、ベベルギヤの使用は少ないが、一部高級機種ではウォームギアの1種であるコースティング・ギヤの使用も認められる。それは前者では一段(少ない部品で)で大きなギヤ比を実現でき、また、モーター軸と駆動軸が直交することが省スペース化とモーターの配置上で大変便利だからである。しかし制動装置の無い鉄道模型で使用されるウォームギヤは安全性の観点から逆駆動できない物が多いため、特殊なクラッチを用いて歯車の自動切り離しをする手法も現れた。しかしこの手法は一過性の物で、製品に反映される性格の仕様ではなかった。一方、コースティング・ギヤを使用した機種では逆駆動の問題は解決している。
マグネット・モーターの一種のコアレス・モーターは鉄心を持たないムービング・コイル型モーターで、それをスパーギヤで減速すると押して動く動力車ができる。しかし限られた空間に収められるギヤはギヤ比が1:4程度の物であり、あまりにも牽引力が弱く、最高速が速過ぎる物であった。1984年にコースティング・ギヤが開発され、高効率と静粛性を併せ持つ動力車が実現した。
これらの電動模型は同一線路上では全ての動力車が同一の動きをする。しかし、それでは不満足な愛好者は多重制御方式へと向かい、それはデジタルコマンドコントロールとして実現された。
一部の愛好者やメーカーによって内燃機関を搭載した鉄道模型が製造されている。生産数は少ないが熱心な愛好者の手によって伝承されている。内燃機関にはガソリンエンジンやグローエンジンを使用し、実物のガス・エレクトリック方式のように発電機を駆動して電気モーターで推進する物や、減速機を介して動輪を駆動する物が存在する。またレシプロ機関だけでなくガスタービンを動力とした物も一部の愛好者の手で作られている。
1940年代より、電気式蓄音機の出力をレールにつなぎ、車両に搭載したスピーカーから音を出す構造の物が存在した。その後改良され、1970年代には蒸気機関車のロッドの動きに同期してブラスト音を出すPFMサウンドが出現した。また、外部の音源からの音声信号を無線で飛ばし、車載の受信機で受信してスピーカーから再生する物もあった。1990年代にはデジタル式の音源を備えた物が普及していった。2000年代以降、サウンド機能のあるDCCデコーダー以外にもカンタムサウンドやMRCシンクロサウンドボックスのように従来のアナログコントローラーを使用し、車載のデジタル音源から車両の電圧変化に応じて音を出す物も見られるようになった。
社名(ブランド名)の形式で挙げる。
|
[
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"text": "鉄道模型(てつどうもけい)とは、実物の鉄道車両を、一定の比率や軌間になるよう縮小した模型。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
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"text": "一定の縮尺(スケール)や軌間(ゲージ)になるよう実物の鉄道車両を縮小した模型であり、線路や駅舎や鉄道周囲の建物や自然風景なども鉄道模型に含む。鉄道模型の列車は基本的には動力も備え、それ自体で走行するものである。",
"title": "概要"
},
{
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"text": "大きさ(縮小率)としては、指先でつまめるような小さなサイズの物から、実物の数分の一の縮尺で、乗用台車を牽引し人が跨って乗れるほどの大きさのものまである。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
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"text": "なお実物の鉄道と鉄道模型との間には、サイズ以外の差異もある。例えば、実際の鉄道路線との違いとして、鉄道模型の多くの軌道のカーブが単心曲線なのに対して、実際の鉄道路線ではカーブの前後に緩和曲線を挿入してある場合が多い。他にも電車の模型の場合には、給電方法などに違いが見られる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "当初は高価な趣味であった。かつてはブリキ製の玩具との境界はあいまいだったものの、次第に決められた縮尺・軌間によって車両やレイアウト・ジオラマを製作して、コレクションしたり線路上を走行させて鉄道の情景を楽しむための規格が定められるようになっていった。一般に普及するにつれて庶民の狭小な住宅事情を反映し、小サイズの模型がより普及する傾向にある。",
"title": "概要"
},
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"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "鉄道模型の、他の種類の模型と異なる特徴として、車両と軌間が常に対となっている、ということが挙げられる。鉄道模型は線路上を走行させるものであるためそうなっている。縮尺によってサイズは様々だが、ある程度の数の縮尺に集約されている。これは縮尺に規格を定める事で既製品を利用できるようにするためである。",
"title": "概要"
},
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"text": "なお遊戯施設などで実物の鉄道の1/3サイズで製作され、客車の内部に人が乗車できる物(例 - イギリス:ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道、日本:伊豆修善寺虹の郷)や、鉄道車両の実物大試作モックアップなども広い意味での「模型」ではあるが、一般的にはこれらを鉄道模型とは言わない。",
"title": "概要"
},
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"text": "イングランドにおいて19世紀初頭から生産されていた。当初それらは、実物の宣伝用として製作されていた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "1862年に、ロンドンのメイヤーズがカタログに蒸気機関車を掲載した。1898年にはバセット・ロークが創業し、ドイツのビングなどを下請けにしてスケールモデルを供給し始めた。バセット・ロークは1921年にOOゲージを発売した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "1835年に、アドラー号と亜鉛製の人形と客車が販売された。1840年には、最初のドイツ製の板金による鉄道模型の生産の記録が残っている。1886年、ビングが最初の製品を発売した。1887年、Schonnerが縮尺約1/22・軌間65 mmと、縮尺約1/12・軌間115 mmの蒸気機関車と客車と線路を発売した。",
"title": "歴史"
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"text": "1891年、メルクリンがライプツィヒ・メッセに最初の鉄道模型を出品した。メルクリンは最初に0番、1番、2番、3番という名称の鉄道模型を生産した。1901年に雑誌上で初めて鉄道模型の標準化・規格化について議論され、1891年のメルクリンの規格を元にすることが決まった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "1922年にビングから0番規格の半分のサイズのOO番(OOゲージ)が発売され、Bing-Tischeisenbahn(ビング卓上鉄道)の名で展開された。当初はぜんまい式だったが、1924年には電気式になった。1935年春にトリックスから、秋にはメルクリンからOOゲージ製品が発売された。",
"title": "歴史"
},
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"text": "幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航し、蒸気で走る模型を披露したとの記録がある。また、ペリーが黒船で浦賀に来航した際に、江戸幕府に蒸気機関車の模型を献上したとされる。嘉永6年(1853年)佐賀藩の精煉方であった田中久重が蒸気車の雛型(模型)を作った。桂小五郎がナポレオン号(山口県立山口博物館蔵)を持ち帰った記録もある。また、加賀の大野弁吉が蒸気機関車の模型を作った記録がある。これらの機関車は2003年に国立科学博物館で開催された江戸大博覧会で展示された。このように日本では実物よりも先に模型の方が完成した。これにより蒸気機関に関する理解が深まった。その後、鉄道省で教材として作られた。電気を動力とする鉄道模型は1890年の上野で東京電燈スプレーグ式電車が運転された第3回内国勧業博覧会において展示されたと思われる。この模型は円形テーブルの上に敷かれた軌道を手回しのダイナモで走らせる仕様であった。後に、この模型は日本のライブスチームのパイオニアである田口武二郎の父田口卯吉が入手したという。この模型は東京市に寄贈された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 13,
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"text": "明治後半には上野の菊屋や銀座の伊東屋に舶来の模型機関車が並べられるようになり、ドイツやアメリカから2番、1番、Oゲージ等の鉄道模型が輸入され、愛好者層を中心に徐々に普及した。関東や関西の百貨店は鉄道模型に力を入れるようになり、三越で販売した国産の鉄道模型セットに入っていたトランス(製造関電機製作所)には三越のロゴマークを描いていた。第2次世界大戦前のメーカーとしては朝日屋 (大阪府)、関電機製作所、西尾音吉模型工場、千代田計器工作所など、そして現在も営業しているカワイモデルである。しかし当時の模型はぜいたく品であり、富裕層の子弟の高価な玩具であった。なお関電機製作所ではアメリカやイギリスに輸出していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1924年創刊された『子供の科学』に本間清人が電気機関車の作り方、庭園鉄道のレイアウトなど模型製作記事を連載した。続いて山北藤一郎が電気機関車や電気関係の製作記事を連載した。そして子供の科学代理部(後の科学教材社)によりモーター、車輪、レール、トランス等鉄道模型の部品の販売を開始し、さらに子供の科学展覧会を開催して鉄道模型の発展に貢献した。本間清人は『子供の科学』誌で「50mmゲージ」を提唱、これが日本における鉄道模型の標準軌間のさきがけとなった。この時代の縮尺であるが、発売された製品は足回りやパンタグラフは約1/40、連結器は1/20位で車体は各人の好みで1/21から1/30位と統一されていなかった。『科学画報』で「模範的電気機関車の作り方」を執筆した香西健は1/30・35mmゲージを採用。1927年日本橋三越で開催された子供の科学主催第1回模型の国展覧会でこの規格の電気機関車が最優等賞を獲得し注目を浴び、1929年に創刊された『鉄道 (雑誌)』はこのゲージを推進した。メーカーも追随して製品を発売するようになり、35mmゲージは戦前の日本の鉄道模型模型規格の主流となった。ミトイ会(35をもじった)という模型クラブが創立され、会場を借りてしばしば公開運転を行い、その様子がニュース映画に取り上げられていた。一方Oゲージ由来の32mmゲージを縮尺1/40-1/42で制作して楽しむ愛好者もいて、千代田計器工作所からは完成品も発売されていた。1938年『模型鉄道』誌上で湯山一郎が「模型鐵道の標準軌間」を発表した。この記事は、日本独自の道を行く35mmゲージと比べ軌間32 mmのOゲージにすれば、アメリカ型もイギリス型も日本型も(縮尺は調整するが)同じ線路上を走行可能だとしてOゲージの利点を説き、日本型の縮尺については1/45を推奨した。しかし35mmゲージ擁護派からの反発は両者の争いを生み、それは日本が第2次世界大戦に敗戦するまで続いた。また『科学と模型』に「16番ゲージ日本標準規格に就て」を発表した山崎喜陽も国賊非国民と攻撃を受けていた。",
"title": "歴史"
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"text": "第2次世界大戦が終わると、模型店には鉄道模型好きのアメリカ人将校達がやってきて、手の込んだ高価な模型を注文し模型店は活況を呈するようになった。やがてOゲージ、HOゲージを輸出するようになり、外貨獲得に努めた。天賞堂、カツミ模型店はアメリカ向け高級真鍮製品を手掛け高い評価を得ていた。またトビー模型店の欧州向け製品は、当時欧州で大量生産されていたプラ製品に比べディテールや走行性能、美しい塗装など定評があった。他にもフジヤマ、ユナイテッド=合同、熊田貿易、オリオン等の外国型専門のメーカーがあった。1960年代になると16番ゲージが愛好者層を中心として普及していったが、日本型車両の製品はメーカーが輸出品中心もあり例えば天賞堂は1968年時点蒸気機関車は9600形のみ電気機関車は1966年時点EB10形、ED42形、EF15形、EF30形、EF62形という状況であった。また製品の優劣が激しく雑誌の製品紹介で「悪口をかかないのに苦労した」という状態であった。時代は下り為替レートの関係で輸出が困難な時代が到来した後は、国内市場にシフトしてゆき、日本型も質量とも充実していった。1980年代以降、Nゲージの普及により、愛好者層が拡大し現在に至る。また、実物の軽便鉄道や産業用軌道を再現するナローゲージモデルを楽しむ愛好者もいる。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 16,
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"text": "1945年にアメリカのH.P.プロダクツから縮尺1/120・軌間12 mmの鉄道模型(TTゲージ)が発売された。後にイギリスや西ドイツでも展開された。1960年の初頭にイギリスのローンスターと西ドイツのアーノルトから軌間9 mmの鉄道模型が相次いで発売され、後にNゲージとして発展していった。1972年、西ドイツのメルクリンから縮尺1/220・軌間6.5 mmのZゲージが登場した。当時はこれ以上小さい模型は無いという意味からZと名付けられたが、2008年に日本の栄進堂からさらに小さな縮尺1/450・軌間3 mmのTゲージが発売された。なお、量産品ではなく、個人の製作した内部に動力を備えて自走する車両ではオーストラリアの愛好家が縮尺1/480で製作した記録がある。",
"title": "歴史"
},
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"tag": "p",
"text": "鉄道模型には縮尺(スケール)や軌間(ゲージ)、電動式の物は電流・電圧など様々な規格が存在し、それら規格に基いて製品化されている。また自作する場合は、それら規格に適合するように製作されることが多い。",
"title": "規格"
},
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"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "鉄道模型の規格はメーカーや鉄道模型の愛好者団体(NMRAやMOROPなど)により決められているので国・地域、メーカーなどにより違いが見られ、共通性はあるものの、完全に同一ではない。各地域の規格は、軌間はメートル法とヤード・ポンド法での相違以外おおむね同一だが、名称や縮尺は互いに異なっている場合もある。本稿においては日本で慣用されている名称・軌間・縮尺を主に用いる。",
"title": "規格"
},
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"text": "規格の名称は日本やイギリスではゲージ、アメリカ(NMRA規格など)ではスケールと呼ばれている。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "各規格は、原則として実物の標準軌の軌間1435 mmを縮小した物である(スタンダードゲージモデル)。それ以外に、標準軌より狭い狭軌軌間を再現したナローゲージや、広軌軌間を再現したブロードゲージも存在する。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "スケールは「ものさし」・「縮尺」のことであり、サイズは寸法である。日本ではメートル法が採用されているので分数表示が主流であるものの、ヤード・ポンド法を採用しているアメリカでは、1フィート (304.8 mm) を何インチにするかという表示法が用いられる。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "イギリスではヤード・ポンド法とメートル法と組み合わせた1フィートを何mmとするかという表示法、mmスケールが用いられる。イギリスの鉄道模型の縮尺は、mmスケールに基づく事例が多い。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "当初は鉄道線路を構成する2本のレールの中心間距離で表されていたが、現在ではレールの頭部の内側の距離を表す。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "実物を縮小するとゲージは好きなように決められるが、実際にはある程度の数の軌間に集約される。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "原則として実物の標準軌(1435 mm)を基準として縮小された物が、模型の標準規格である。日本や南アフリカなどでの実物には狭軌も多く見られるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。フィンランドやアイルランドなどでは実物は広軌であるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "鉄道模型の1分野で、スケールモデルに対する用語である。初期の鉄道模型はこのタイプの製品が多く、特にアメリカで盛んである。元来は高級な模型であったが、クリスマスプレゼント用の大量消費時代が到来した1936年頃に、ライオネルが発展可能なシステムを提示してから一挙にアメリカの標準模型として大衆化された。文字通り「tinplate」でブリキ製の鉄道模型を指す言葉であり、ハイレール (hi-rail) という言葉と同義である。背の高い中空レールを用いる玩具的鉄道模型であって、ハイ・フランジ車両が走るように作られており、中央三線式の集電方式が主流である。年少者のみならず大人の趣味としても認知され、大規模な交換会・スワップミートが数日にわたって開かれる。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "Oゲージの場合、おおむね縮尺1/64 - 1/48であるが一定しない。小さく作れば大型機でも小半径の走行が可能であるため、縮尺1/58としている製品もある。ティンプレートはOゲージが多いものの、アメリカンフライヤーではSゲージもある。これは当初より2線式を採用していた。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "ヨーロッパや日本でも同様な製品について、トイトレインやティンプレートと呼ばれる場合がある。日本ではOゲージや16番ゲージの短縮型(ショーティー)製品が該当する物とされている。",
"title": "規格"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "メルクリンやライオネルに代表される方式で、中央三線式を採用しているが、交流方式であることは必ずしも三線式であることを意味するわけではなく、少数ながら交流二線式や、直流三線式(後述)の鉄道模型も存在する。1930年代には効率の良い整流器や強力な永久磁石が民生用には出回っていなかったので、直巻電動機と電磁石による方向転換装置(逆転機)との組み合わせが採用された。絶縁車輪を用いなくても良いので今でも根強い人気がある。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "電子工学の進歩に伴い、多重制御方式(後述)を好むユーザーが増えてきたため、交流とは言えども正弦波ではない交流駆動の模型が増えている。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "直流を得るには蓄電池あるいは小型の整流器を必要とした。自動車産業の発達したアメリカ合衆国では、セレン整流器が民生用として市販され始めたので、これを流用して「直流12 V」という規格が成立した。通常は左右のレールのみから集電する直流二線式が用いられるものの、少数ながら直流三線式の鉄道模型も存在する。トリックスでは、直流二線式の「トリックス・インターナショナル」に対して、直流三線式の「トリックス・エクスプレス」が存在する。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "直流二線式では、主に車両から見て右側にあるレールにプラスの電気が流れている時に前進する製品が多い。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "直流方式の利点は、機械的な逆転装置なくして自由に前進後退を選べることであった。交流方式の直巻電動機の界磁を車載整流器で一定方向磁界とすれば(これを Polarized と言う)手元のスイッチひとつで進行方向を切り替えることができた。第二次世界大戦後は永久磁石の界磁となり、これは分巻電動機の1種であって模型車両の駆動用電動機として最も適しているとは言えないが、広く用いられるようになった。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "現在の最も進んだ駆動方式では、電子制御でモーターの回転数を実物を模した加減速曲線で駆動し、Bemf(逆起電力)を測定して回転数を一定に保つ方式をとっている。また、永久磁石に吸着されない無鉄心型モーター(コアレスモーター)を採用し、逆駆動するウォームギヤとの組み合わせで押して動く(Free-rolling mechanism )動力車が実用化されている。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "12 V という電圧は先述のように自動車産業から派生した規格であったが、線路が長くなると電気抵抗が無視できなくなり、電流値を減らして電圧降下を小さくすることができる高電圧化の論議が1980年代に始まった。24 Vへの昇圧という動きもあったが、効率の良いモーターの採用と共に、その声は聞こえなくなった。Oゲージ、Gゲージではレイアウトの規模が大きいので、12 V 車でも場合により16 - 18 V を採用する場合もある。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "同一の線路上の複数の車両を個別に制御する方式の総称である。車両の運転のみならず、警笛、前照灯・尾灯の点滅なども、この概念に含まれる。1960年代頃からは直流に交流を混ぜて流し、周波数によって識別する方式としてゼネラル・エレクトリックのアストラック(Automatic Simultaneous Train Controls 、ASTRAC)や、交流と直流を同時に流す方式などがあったものの、アナログ方式ではせいぜい数台を制御することが限度であった。三線式の線路を使用したメルクリンのデルタシステムもあった。デジタル式ではホーンビィのZERO-1やメルクリンのメルクリンデジタル等があった。他にCTC-16というデジタル式もあった。いずれも専用のデコーダを搭載する物で、一部を除き従来の車両と同じ線路上を走らせることはできなかった。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2000年代以降はデジタルコマンドコントロール(DCC)が世界的な標準になり、欧米では予めDCCの搭載を想定したコネクタを装備した車両が普及している。DCCでは理論上、アドレス長が10 bitの場合、同時に1024台に指令を出すことができる。",
"title": "制御方式"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "鉄道模型が登場した頃は、手で押す仕様であった。時代の進歩と共に、ぜんまい駆動や蒸気による自力走行できる物になり、最終的に電気による外部からのコントロールが可能になった。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "それは、人間が乗ってコントロールする必要があったり、あるいは動き始めたら放置せねばならない蒸気駆動より、室内で楽しめるより小さな電動模型への進化であった。もちろん蒸気駆動はライブスチームとして特化した進化を遂げたが、電動模型はより小さなサイズへと向かった。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "初期の鉄道模型ではゼンマイ式の動力の物が存在した。それらはスプリングモーターと称された。現在でも一部のブリキ製鉄道玩具に使用される。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "当初は簡易なボイラーと単動首振りエンジンを組み合わせた、動き出したら水または燃料が尽きるまで走り続ける物が多かった。そのうちに実物と全く同等な構造で、人間を乗せた車両を牽いて走る模型が主流となった。これは給水、焚火、運転が実物と同様で、タービン発電機やインジェクタまで装備する物が現れた。またアメリカで実用化された関節式機関車を、実物と同じボールジョイントの給排気管で結ぶ模型も出現した。また、蒸気タービンで発電して電動モーターで走る模型も試作されている。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "手軽に運転できる電動式模型の普及により一時期廃れていたが、1970年代半ば頃から一部の熱心な愛好者と彼らに支えられた新たなメーカーの参入により、以前に比べれば実現のハードルが低くなってきている。また、各地で愛好者が集う運転会も開催されてきた。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "また、メルクリンなどの既存のメーカーも新製品を出しつつある。電子工学の進歩により、小型模型をラジオ・コントロールすることが可能になり、1番ゲージでは多くの人達が楽しむようになった。2000年代に入るとイギリスのホーンビィからOOゲージの電熱蒸気機関車が発売され、外部から汽笛吹鳴までコントロールできる完成品も発売された。これらはライブスチームと呼ばれる、庭園鉄道の1分野として楽しまれている。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "電動模型は、家庭への配電と同時に始まった。当時の電池は高価な割りに性能が低かったからである。交流による家庭への配電が開始される前に一部の地域では直流で配電されていた。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "当初採用されていた蒸気機関あるいはゼンマイ式の二線式軌道に集電用の第三軌条を付け加えることにより、電動化が実現された。二線式を採用するには車輪と車軸を絶縁しなければならないので、それまでに売った車両の改造をしなければならなかったが、実物に習い中央の第三軌条から集電すればそれまでの製品との不整合がなくなる。日本では実物に中央三線式の鉄道が存在しなかったため、このタイプの集電方式は玩具的であると嫌われたが、逆に欧米では本物と同じであるとして受け入れられてきた。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "当初は直巻電動機を自作し変圧器または抵抗器で制御していた。抵抗器には食塩水を用いた物もあった。小型のモーターが模型用として発売された後は、モーターを納める動力車の大きさが決まってしまう事態が起きた。すなわち模型のサイズの小型化はモーターのサイズの小型化の歴史でもあった。界磁コイルを軸の延長上に移したり、両軸モーターを作り車軸や台車間に納めたり、この時期の工夫は目覚しい。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "界磁が電磁石の直巻電動機は、交流でも直流でも回転し、実物同様、機関車、電車の駆動には適する特性を持っていた。起動時に電流の2乗に比例して起動トルクが発生し、回転が上がると同時に電流が減少する。速度に応じて徐々に電圧を上げれば実感的な運転ができるわけである。しかし、進行方向の逆転には界磁の極性を反転させねばならなかった。ライオネル、メルクリンらは、電流を瞬間的に遮断することにより作動する逆転リレーなどを開発し市販した。しかし分岐器を通過する際に誤動作することがあり、モーターの回転による遠心力を用いた誤動作防止装置が一部の愛好者によって開発された。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "1930年代になると直流駆動への試みが始まった。一部の地域では直流で配電されていたが、大部分の地域では交流による配電だった。アメリカ合衆国ではモータリゼーションにより自動車用の小型の整流器が民生用として発売されたのを受け、界磁電流をセレン整流器で整流して走行電流の極性を反転して逆行させる工夫がなされた。また電圧は自動車用の12 Vを標準電圧として採用した。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1940年代になると永久磁石を界磁にしたマグネット・モーターが市販されるようになった。これは、小型軽量で消費電力も少なかったが、分巻特性を持ち、与えられた電圧と回転数が正比例する物であった。すると、抵抗による電流制御よりも電子部品による電圧制御によるコントロールが望ましくなる。これはトランジスタ・コントローラの発達を促し、レオスタットを駆逐した。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "マグネット・モーターは、停止時に界磁が電機子を吸着して動き難くするコッギング(英語ではteethingと言う)が避けられず、機関車は手で押して動かすことは不可能であった。マグネット・モーターの軸を手で廻すと、あたかもサイコロを転がす如く、特定の位置で引っかかりを感じるが、直巻電動機を採用していたライオネル、メルクリンの機関車は、レールに手で押し付けて押せばモーターが回転する。また、最近ではコッギングがなくスムーズな走行でより大きなトルクが出せるコアレス・モーターやコッギングはあるが、より強いトルクが出せるブラシレスモーターも普及しつつある。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "モーターから車輪までの動力伝達にはウォームギヤが多用される。スパーギヤ、ベベルギヤの使用は少ないが、一部高級機種ではウォームギアの1種であるコースティング・ギヤの使用も認められる。それは前者では一段(少ない部品で)で大きなギヤ比を実現でき、また、モーター軸と駆動軸が直交することが省スペース化とモーターの配置上で大変便利だからである。しかし制動装置の無い鉄道模型で使用されるウォームギヤは安全性の観点から逆駆動できない物が多いため、特殊なクラッチを用いて歯車の自動切り離しをする手法も現れた。しかしこの手法は一過性の物で、製品に反映される性格の仕様ではなかった。一方、コースティング・ギヤを使用した機種では逆駆動の問題は解決している。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "マグネット・モーターの一種のコアレス・モーターは鉄心を持たないムービング・コイル型モーターで、それをスパーギヤで減速すると押して動く動力車ができる。しかし限られた空間に収められるギヤはギヤ比が1:4程度の物であり、あまりにも牽引力が弱く、最高速が速過ぎる物であった。1984年にコースティング・ギヤが開発され、高効率と静粛性を併せ持つ動力車が実現した。",
"title": "駆動方式"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "これらの電動模型は同一線路上では全ての動力車が同一の動きをする。しかし、それでは不満足な愛好者は多重制御方式へと向かい、それはデジタルコマンドコントロールとして実現された。",
"title": "駆動方式"
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "一部の愛好者やメーカーによって内燃機関を搭載した鉄道模型が製造されている。生産数は少ないが熱心な愛好者の手によって伝承されている。内燃機関にはガソリンエンジンやグローエンジンを使用し、実物のガス・エレクトリック方式のように発電機を駆動して電気モーターで推進する物や、減速機を介して動輪を駆動する物が存在する。またレシプロ機関だけでなくガスタービンを動力とした物も一部の愛好者の手で作られている。",
"title": "駆動方式"
},
{
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"text": "1940年代より、電気式蓄音機の出力をレールにつなぎ、車両に搭載したスピーカーから音を出す構造の物が存在した。その後改良され、1970年代には蒸気機関車のロッドの動きに同期してブラスト音を出すPFMサウンドが出現した。また、外部の音源からの音声信号を無線で飛ばし、車載の受信機で受信してスピーカーから再生する物もあった。1990年代にはデジタル式の音源を備えた物が普及していった。2000年代以降、サウンド機能のあるDCCデコーダー以外にもカンタムサウンドやMRCシンクロサウンドボックスのように従来のアナログコントローラーを使用し、車載のデジタル音源から車両の電圧変化に応じて音を出す物も見られるようになった。",
"title": "サウンドシステム"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "社名(ブランド名)の形式で挙げる。",
"title": "主なメーカー・ブランド"
}
] |
鉄道模型(てつどうもけい)とは、実物の鉄道車両を、一定の比率や軌間になるよう縮小した模型。
|
'''鉄道模型'''(てつどうもけい)とは、実物の[[鉄道車両]]を、一定の[[比率]]や[[軌間]]になるよう[[縮小]]した[[模型]]。
== 概要 ==
[[File:HO Layout 1.jpg|thumb|right|250px|<center>軌間{{Track gauge|16.5mm|lk=on|addcat=no}}のHOゲージのレイアウト</center>]]
[[File:Golden State Model Railroad 01.jpg|thumb|right|250px|<center>Oゲージのジオラマ</center>]]
一定の[[縮尺]](スケール)や[[軌間]](ゲージ)になるよう実物の鉄道車両を縮小した模型であり、[[線路 (鉄道)|線路]]や駅舎や鉄道周囲の建物や自然風景なども鉄道模型に含む。鉄道模型の列車は基本的には動力も備え、それ自体で走行するものである。
大きさ(縮小率)としては、指先でつまめるような小さなサイズの物から、実物の数分の一の縮尺で、乗用台車を牽引し人が跨って乗れるほどの大きさのものまである。
なお実物の鉄道と鉄道模型との間には、サイズ以外の差異もある。例えば、実際の鉄道路線との違いとして、鉄道模型の多くの軌道のカーブが単心曲線なのに対して、実際の鉄道路線ではカーブの前後に緩和曲線を挿入してある場合が多い<ref>坂本 衛 『鉄道施設がわかる本』 p.33 山海堂 2004年2月23日発行 ISBN 4-381-10495-1</ref>。他にも電車の模型の場合には、給電方法などに違いが見られる。
当初は高価な趣味であった。かつては[[ブリキ]]製の[[玩具]]との境界はあいまいだったものの、次第に決められた縮尺・軌間によって車両や[[レイアウト (鉄道模型)|レイアウト]]・[[ジオラマ]]を製作して、コレクションしたり線路上を走行させて鉄道の情景を楽しむための規格が定められるようになっていった。一般に普及するにつれて庶民の狭小な住宅事情を反映し、小サイズの模型がより普及する傾向にある。
鉄道模型の、他の種類の模型と異なる特徴として、車両と[[軌間]]が常に対となっている、ということが挙げられる。鉄道模型は[[線路 (鉄道)|線路]]上を走行させるものであるためそうなっている。[[縮尺]]によってサイズは様々だが、ある程度の数の縮尺に集約されている。これは縮尺に規格を定める事で既製品を利用できるようにするためである。
なお遊戯施設などで実物の鉄道の1/3サイズで製作され、客車の内部に人が乗車できる物(例 - イギリス:[[ロムニー・ハイス&ディムチャーチ鉄道]]、日本:伊豆修善寺[[虹の郷]])や、鉄道車両の実物大試作モックアップなども広い意味での「模型」ではあるが、一般的にはこれらを鉄道模型とは言わない。
== 歴史 ==
[[File:Modell der Rocket von Goethe.png|thumb|ロケット号の模型 (Goethe, verschwunden). Abbi. ''Archiv d. ProMediaTeam Ltd.'']]
=== イギリス ===
[[イングランド]]において[[19世紀]]初頭から生産されていた。当初それらは、実物の宣伝用として製作されていた。
[[1862年]]に、[[ロンドン]]のメイヤーズがカタログに[[蒸気機関車]]を掲載した。[[1898年]]には[[バセット・ローク]]が創業し、[[ドイツ]]の[[ビング (模型製造会社)|ビング]]などを下請けにして[[スケールモデル]]を供給し始めた。バセット・ロークは[[1921年]]に[[OOゲージ]]を発売した。
=== ドイツ ===
[[1835年]]に、[[アドラー (機関車)|アドラー]]号と[[亜鉛]]製の人形と[[客車]]が販売された。[[1840年]]には、最初のドイツ製の[[板金]]による鉄道模型の生産の記録が残っている。[[1886年]]、[[ビング (模型製造会社)|ビング]]が最初の製品を発売した。[[1887年]]、Schonnerが縮尺約1/22・軌間65 mmと、縮尺約1/12・軌間115 mmの蒸気機関車と客車と線路を発売した。
[[1891年]]、[[メルクリン]]が[[ライプツィヒ・メッセ]]に最初の鉄道模型を出品した。メルクリンは最初に0番、1番、2番、3番という名称の鉄道模型を生産した。[[1901年]]に雑誌上で初めて鉄道模型の[[標準化]]・[[規格]]化について議論され、1891年のメルクリンの規格を元にすることが決まった。
[[1922年]]にビングから0番規格の半分のサイズのOO番([[OOゲージ]])が発売され、Bing-Tischeisenbahn(ビング卓上鉄道)の名で展開された。当初は[[ぜんまいばね|ぜんまい]]式だったが、[[1924年]]には電気式になった。[[1935年]]春に[[トリックス]]から、秋には[[メルクリン]]からOOゲージ製品が発売された。
=== 日本 ===
[[File:FirstModelLocomotiveToJpan.jpg|thumb|right|350px|日本に伝来した鉄道模型:嘉永年間渡来蒸気車]]
[[File:Model steam locomotive by Tanaka Hisashige and others.jpg|thumb|right|250px|[[田中久重]]らが製作した[[蒸気機関車]]の[[雛型]](嘉永6年(1853年))]]
幕末に[[ロシア帝国|帝政ロシア]]の[[エフィム・プチャーチン|プチャーチン]]が来航し、[[ライブスチーム|蒸気で走る模型]]を披露したとの記録がある。また、[[マシュー・ペリー|ペリー]]が[[黒船]]で[[浦賀]]に来航した際に、[[江戸幕府]]に蒸気機関車の模型を献上したとされる<ref>[[昌平坂学問所]]の河田八之助(河田興)が跨って乗車した記録がある。{{Cite book|和書|title=昌平坂学問所日記 |volume=3|editor=斯文会・橋本昭彦|publisher=斯文会・東洋書院 (発売) |date=2006-01 |isbn=4885943825 |ncid=BA3981881X |ref=harv}}を参照</ref>。嘉永6年(1853年)[https://www.city.saga.lg.jp/main/3855.html 佐賀藩の精煉方]であった[[田中久重]]が蒸気車の雛型(模型)を作った。[[木戸孝允|桂小五郎]]がナポレオン号([[山口県立山口博物館]]蔵)を持ち帰った記録もある。また、[[加賀国|加賀]]の[[大野弁吉]]が蒸気機関車の模型を作った記録がある。これらの機関車は[[2003年]]に[[国立科学博物館]]で開催された江戸大博覧会で展示された<ref>[http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikaku/kaikaku33.html 江戸大博覧会]</ref>。このように日本では実物よりも先に模型の方が完成した。これにより蒸気機関に関する理解が深まった。その後、[[鉄道省]]で教材として作られた。電気を動力とする鉄道模型は1890年の上野で[[東京電燈スプレーグ式電車]]が運転された第3回[[内国勧業博覧会]]において展示されたと思われる。この模型は円形テーブルの上に敷かれた軌道を手回しのダイナモで走らせる仕様であった。後に、この模型は日本のライブスチームのパイオニアである田口武二郎の父[[田口卯吉]]が入手したという<ref name="TMS498">上田龍史「日本鉄道模型小史」『鉄道模型趣味』No.498</ref>。この模型は東京市に寄贈された<ref>田口武二郎「日本で最初に走った電車と模型電車」『鉄道ピクトリアル』No.377</ref>。
明治後半には上野の菊屋や銀座の[[伊東屋]]に舶来の模型機関車が並べられるようになり<ref name="fun7">鉄道友の会60年のあゆみ編纂委員会, Railfan編集部 編.『鉄道友の会60年のあゆみ』、鉄道友の会、2014年、7頁</ref>、ドイツやアメリカから[[2番ゲージ|2番]]、[[1番ゲージ|1番]]、[[Oゲージ]]等の鉄道模型が輸入され、愛好者層を中心に徐々に普及した。関東や関西の百貨店は鉄道模型に力を入れるようになり、三越で販売した国産の鉄道模型セットに入っていたトランス(製造関電機製作所)には三越のロゴマークを描いていた<ref>田口達也『ヴィンテージ鉄道模型大全』誠文堂新光社、9頁</ref>。第2次世界大戦前のメーカーとしては[[朝日屋 (大阪府)]]、[[関電機製作所]]、[[西尾理化学機械製作所|西尾音吉模型工場]]、[[千代田計器工作所]]など、そして現在も営業している[[カワイモデル]]である。しかし当時の模型はぜいたく品であり、富裕層の子弟の高価な玩具であった{{efn|子供が部屋中に線路を敷き詰め模型を走らせている写真が掲載されている。この子供は、後の歌舞伎役者[[片岡仁左衛門 (13代目)]]で、この価格はライブスティーム並みと見られる<ref>山崎喜陽「[[ミキスト]]」『鉄道模型趣味』No.437、57頁</ref>。}}{{efn|[[原信太郎]]が祖母に買ってもらったライオネルの電気機関車と客車セットは、[[濱口雄幸]]首相の月給450円より高い495円であった<ref>原信太郎『原信太郎鉄道模型のすべて』誠文堂新光社、2008年、150頁</ref>。}}。なお関電機製作所ではアメリカやイギリスに輸出していた<ref> 田口達也『ヴィンテージ鉄道模型大全』誠文堂新光社、90頁</ref>。
1924年創刊された『[[子供の科学]]』に本間清人{{efn|[[少年技師ハンドブック]]シリーズを執筆}}{{efn|東京帝国大学工学部の助手であった<ref>『工作の時代『子供の科学』で大人になった』INAX出版、2007年、67頁</ref>}}が電気機関車の作り方、庭園鉄道のレイアウトなど模型製作記事を連載した。続いて山北藤一郎<ref>[{{NDLDC|1169553/125}} 「電気機関車の作り方」『模型製作ABC』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>{{efn|芝浦製作所に勤務していた。}}が電気機関車や電気関係の製作記事を連載した。そして子供の科学代理部(後の[[科学教材社]]<ref>{{Cite | 和書 | last = 小川 | first = 菊松 | authorlink = 小川菊松 | title = 出版興亡五十年 | publisher = [[誠文堂新光社]] | date = 1953-08-05 | pages = 485-487 }}</ref>)によりモーター、車輪、レール、トランス等鉄道模型の部品の販売を開始し、さらに子供の科学展覧会を開催して鉄道模型の発展に貢献した<ref name="TMS498"/>。本間清人は『子供の科学』誌で「50mmゲージ」を提唱{{efn|本間は『我等の標準5cm』と呼び「軌間の幅は大きすぎず小さすぎず記憶しやすい数をさだめ」<ref>本間清人『電気機関車と電車の作り方』新光社、1930年29-30頁</ref>とし、また酒井喜房は日本でも[[メートル法]]を採用する機運があった時期であり、ラウンドナンバーで判り易いという単純な理由ではないかと見ている<ref>酒井喜房「モデルレールローダーの研究室」『模型と工作』1964年3月)</ref>。}}、これが日本における鉄道模型の標準軌間のさきがけとなった。この時代の縮尺であるが、発売された製品は足回りやパンタグラフは約1/40、[[連結器]]は1/20位で車体は各人の好みで1/21から1/30位と統一されていなかった。『[[科学画報]]』で「模範的電気機関車の作り方」を執筆した香西健は1/30・[[35mmゲージ]]を採用。1927年日本橋三越で開催された子供の科学主催第1回模型の国展覧会でこの規格の電気機関車が最優等賞を獲得し注目を浴び、1929年に創刊された『[[鉄道 (雑誌)]]』はこのゲージを推進した<ref name="TMS498"/>。メーカーも追随して製品を発売するようになり<ref>上田龍史「日本鉄道模型小史」『鉄道模型趣味』No.499</ref>、35mmゲージは戦前の日本の鉄道模型模型規格の主流となった。ミトイ会(35をもじった)という模型クラブが創立され、会場を借りてしばしば公開運転を行い、その様子が[[ニュース映画]]に取り上げられていた<ref>「座談会 模型鉄道昔々」『とれいん』No.19</ref>。一方[[Oゲージ]]由来の32mmゲージを縮尺1/40-1/42で制作して楽しむ愛好者もいて、千代田計器工作所からは完成品も発売されていた。1938年『模型鉄道』{{efn|[[カワイモデル]]が1936年に創刊した鉄道模型雑誌。同誌は月極読者を会員として青写真設計図の配布・見学会など行い最盛期には会員数500人を超えていた。}}誌上で湯山一郎{{efn|1942年[[川崎車両]]に入社しC62の設計にもかかわる。}}が「模型鐵道の標準軌間」を発表した。この記事は、日本独自の道を行く35mmゲージと比べ軌間32 mmのOゲージにすれば、アメリカ型もイギリス型も日本型も(縮尺は調整するが)同じ線路上を走行可能だ{{efn|この考え方は16番につながる。}}としてOゲージの利点を説き、日本型の縮尺については1/45を推奨した。しかし35mmゲージ擁護派からの反発は両者の争いを生み、それは日本が第2次世界大戦に敗戦するまで続いた<ref>上田龍史「日本鉄道模型小史」『鉄道模型趣味』No.500</ref>{{efn|35mmゲージ擁護派からは「日本人なら35mm・1/30という国鉄のスケールどおりのゲージをつかうべきで、32mm・1/45など外国のゲージを採用するファンは非国民である」等の当時の模型に対する国粋的風潮を後ろ盾に論陣を張っていた<ref>山崎喜陽「ミキスト」『鉄道模型趣味』No.542</ref>。}}。また『[[科学と模型]]』に「[[16番ゲージ]]日本標準規格に就て」を発表した[[山崎喜陽]]も国賊非国民と攻撃を受けていた<ref>[[松本謙一]]「山崎喜陽氏を偲んで」『[[とれいん (雑誌)]]』No.349</ref>。
第2次世界大戦が終わると、模型店には鉄道模型好きのアメリカ人将校達がやってきて、手の込んだ高価な模型を注文し模型店は活況を呈するようになった。やがて[[Oゲージ]]、[[HOゲージ]]を輸出するようになり、外貨獲得に努めた<ref> 田口達也『ヴィンテージ鉄道模型大全』誠文堂新光社、 149頁</ref>。[[天賞堂]]、[[カツミ|カツミ模型店]]はアメリカ向け高級真鍮製品を手掛け高い評価を得ていた。またトビー模型店の欧州向け製品は、当時欧州で大量生産されていたプラ製品に比べディテールや走行性能、美しい塗装など定評があった。他にも[[フジヤマ (模型メーカー)|フジヤマ]]、ユナイテッド=合同、[[熊田貿易]]、オリオン等の外国型専門のメーカーがあった<ref>水野良太郎『鉄道模型入門』廣済堂、1977年、76-79頁</ref>。[[1960年代]]になると[[16番ゲージ]]が愛好者層を中心として普及していったが{{efn|『子供の科学』1963年1月号掲載の[[科学教材社]]の通販カタログよりOゲージ製品が消えた。}}、日本型車両の製品はメーカーが輸出品中心もあり例えば天賞堂は1968年時点<ref>TMS編集部「国鉄蒸気誌上展」『鉄道模型趣味』No.239-240</ref>蒸気機関車は9600形のみ電気機関車は1966年時点<ref>TMS編集部「市販国鉄電気誌上展」『鉄道模型趣味』No.212</ref>EB10形、ED42形、EF15形、EF30形、EF62形という状況であった。また製品の優劣が激しく雑誌の製品紹介で「悪口をかかないのに苦労した<ref>山崎喜陽「ミキスト」『鉄道模型趣味』No.175</ref>」という状態であった{{efn|輸出品と比べて日本型が見劣りするのは1962年大卒初任給17,815円の時代にカツミ模型店のOゲージ[[ユニオン・パシフィック鉄道4000形蒸気機関車|ビッグボーイ]]は336ドル(日本円120,960円)もしたからである<ref>なんこう「米国型Oゲージ図鑑」『とれいん』No.384、38頁</ref>。}}。時代は下り[[円高|為替レートの関係で輸出が困難な時代]]が到来した後は、国内市場にシフトしてゆき、日本型も質量とも充実していった<ref>『Tenshodo Book 1949-1999』天賞堂、2000年、21頁</ref>。[[1980年代]]以降、[[Nゲージ]]の普及により{{efn|1983年頃の有力卸業者の鉄道模型の1年間の売上高は110-120億円で、このうちNゲージ関連が80-85%を占めていた<ref>山崎喜陽「ミキスト」『鉄道模型趣味』 No.444</ref>。}}、愛好者層が拡大し現在に至る。また、実物の[[軽便鉄道]]や産業用軌道を再現するナローゲージモデルを楽しむ愛好者もいる。
=== 小型化 ===
[[File:T_review_04.jpg|thumb|250px|量産品としては世界最小の軌間{{Track gauge|3mm|lk=on|addcat=no}}のTゲージの動力車。]]
[[1945年]]にアメリカのH.P.プロダクツから縮尺1/120・軌間12 mmの鉄道模型([[TTゲージ]])が発売された。後に[[イギリス]]や[[西ドイツ]]でも展開された。[[1960年]]の初頭にイギリスの[[:en:Lone Star Toys|ローンスター]]と西ドイツの[[アーノルト (鉄道模型)|アーノルト]]から軌間9 mmの鉄道模型が相次いで発売され、後に[[Nゲージ]]として発展していった。[[1972年]]、西ドイツのメルクリンから縮尺1/220・軌間6.5 mmの[[Zゲージ]]が登場した。当時はこれ以上小さい模型は無いという意味からZと名付けられたが、[[2008年]]に日本の[[栄進堂]]からさらに小さな縮尺1/450・軌間3 mmの[[Tゲージ]]が発売された。なお、量産品ではなく、個人の製作した内部に動力を備えて自走する車両ではオーストラリアの愛好家が縮尺1/480で製作した記録がある<ref>{{Cite web |url=http://www.zen98812.zen.co.uk/480scale.html |title=Electrically Driven Locomotives In 1/480th Scale |publisher= |accessdate=2015-09-09}}</ref>。
== 規格 ==
鉄道模型には縮尺(スケール)や軌間(ゲージ)、電動式の物は[[電流]]・[[電圧]]など様々な規格が存在し、それら規格に基いて製品化されている。また自作する場合は、それら規格に適合するように製作されることが多い。
鉄道模型の規格はメーカーや鉄道模型の愛好者団体([[全米鉄道模型協会|NMRA]]や[[MOROP]]など)により決められているので国・地域、メーカーなどにより違いが見られ、共通性はあるものの、完全に同一ではない。各地域の規格は、軌間はメートル法とヤード・ポンド法での相違以外おおむね同一だが、名称や縮尺は互いに異なっている場合もある。本稿においては日本で慣用されている名称・軌間・縮尺を主に用いる。
規格の名称は日本やイギリスではゲージ、アメリカ(NMRA規格など)ではスケールと呼ばれている。
各規格は、原則として実物の[[標準軌]]の軌間1435 mmを縮小した物である(スタンダードゲージモデル)。それ以外に、標準軌より狭い狭軌軌間を再現したナローゲージや、広軌軌間を再現したブロードゲージも存在する。
{| class="wikitable" style="width:100%;"
|+ 鉄道模型規格概略
|-
! 軌間
! 規格
! 縮尺(主なもの)
! 概要
|-
| style="white-space:nowrap" | 190.5 mm
| style="white-space:nowrap" | 7.5インチゲージ
| style="white-space:nowrap" | 1/7.5、1/5.6
| 主にライブスチームで採用。
|-
| style="white-space:nowrap" | 184.15 mm
| style="white-space:nowrap" | 7-1/4インチゲージ<br/>7.25インチゲージ
| 1/7.8
| 主に欧米のライブスチームで採用。
|-
| 127 mm
| 5インチゲージ<br/>5番ゲージ
| 1/12、1/8.4
| 主にライブスチームで採用。
|-
| 89 mm
| 3.5インチゲージ<br/>3番ゲージ(III)
| 1/16、1/12
| 主にライブスチームで採用。20世紀初頭にイギリスで制定された3番(III)ゲージ〔縮尺1/24・軌間64 mm〕は現在の2番(II)ゲージに相当する規格なので注意が必要である。
|-
| 70.7 mm
| Fゲージ
| 1/20.3
| もともとは軌間45 mmで軌間3フィート(914 mm)車両の模型を作るために生まれた縮尺で、後に同縮尺で標準軌車両の模型を作る者も現れた。
|-
| 64 mm
| [[2番ゲージ]](II)
| 1/22.5
| 現在の2番(II)ゲージは、20世紀初頭にイギリスで制定された3番(III)ゲージ〔縮尺1/24・軌間64 mm〕を起源とする規格である。20世紀初頭にイギリスで制定された2番(II)ゲージ〔縮尺1/27・軌間51 mm〕は廃れて、現在ではNMRA規格、NEM規格のどちらにも記載されていない。
|-
| 50 mm
| 50 mmゲージ
| 不定
| 戦前の日本において、子供の科学誌で本間清人が製作記事を執筆し普及した。後に35 mmゲージが普及すると廃れた。
|-
| rowspan="2" | 45 mm
| [[1番ゲージ]](I)
| 1/30.5、1/32
| 観賞用や、ライブスチームに用いられる。1/30.5(10 mmスケール)は主にイギリスで採用されている。
|-
| [[Gゲージ]]
| style="white-space:nowrap" | 1/22.5、1/24、1/29
| ドイツのレーマンの製品を端緒とする庭園鉄道向けの軌間。元々は2番ゲージのナローゲージである。全体的にデフォルメ(ショーティー)されておりやや玩具的だが、根強い愛好者がいる。
|-
| 35 mm
| [[35mmゲージ|35 mmゲージ]]
| 1/30
| 日本において戦前、[[科学画報]]誌で香西健が提唱した。戦後、モーターの小型化、Oゲージ、HOゲージの普及により衰退。
|-
| 32 mm{{efn|アメリカでは31.75 mm(1-1/4インチ)}}
| [[Oゲージ]]<br/>0、零番、0番
| 1/43、1/45、1/48
|
|-
| 29.9 mm
| [[Qゲージ]]<br/>Proto48
| 1/48
| アメリカのOゲージ(Oスケール)の縮尺1/48では標準軌は29.9 mmであるため、Oゲージから派生した規格。
|-
| 24 mm
| [[OJゲージ]]
| 1/45
| 日本において、精密性を求める愛好者の間でOゲージから派生した。
|-
| style="white-space:nowrap" | 22.5 mm{{efn|ヨーロッパでは軌間22.5 mm、アメリカでは軌間22.42 mm。}}
| [[Sゲージ]]
| 1/64
| アメリカのアメリカンフライヤーなどで採用されている。1番の半分のサイズであったことからH1(ハーフ1)とも呼ばれていた。
|-
| 19 mm
| [[OOゲージ]]
| 1/76
| アメリカンOOとも。アメリカのOOゲージは軌間16.5 mmではなく、縮尺1/76から算出した軌間19 mmを採用した。現在では廃れている。
|-
| 18.83 mm
| P4ゲージ
| 1/76
| OOゲージの派生規格の1つで、P4ゲージまたはProto4と呼ばれる。OOゲージ、EMゲージよりも縮尺と軌間の関係がより正確である。
|-
| 18.2 mm
| EMゲージ
| 1/76
| OOゲージの派生規格の1つ。OOゲージよりも縮尺と軌間の関係がより正確である。'''E'''ighteen '''M'''illimetresが名称の由来[http://www.emgs.org/]。
|-
| rowspan="2" | 16.5 mm
| [[HOゲージ]]
| 1/80、1/87
| 北米やヨーロッパ大陸で最も普及している。日本型は主に1/80で製造される他、1950年代のヨーロッパにおいて技術上の問題で採用されたことがある。
|-
| [[OOゲージ]]
| 1/76
| 主にイギリスで普及。OO/HOなどとHOと併記される場合もある。
|-
| 12 mm
| [[TTゲージ]]
| 1/101.6、1/120
| [[東ヨーロッパ]]で広く普及している。イギリスでは縮尺1/101.6の3mmスケールが採用されている。
|-
| 9 mm
| [[Nゲージ]]
| 1/150、1/160
|
|-
| 6.5 mm
| [[Zゲージ]]
| 1/220
|-
| 3 mm
| [[Tゲージ]]
| 1/450
| 2010年時点で日本で量産・市販された内で最小の鉄道模型。
|}
=== 縮尺(スケール) ===
スケールは「ものさし」・「縮尺」のことであり、サイズは寸法である。日本では[[メートル法]]が採用されているので分数表示が主流であるものの、[[ヤード・ポンド法]]を採用しているアメリカでは、1[[フィート]] (304.8 mm) を何[[インチ]]にするかという表示法が用いられる。
* 例えば、1フィートを1インチとすれば、それは1/12サイズ(1インチスケール)であり、1/2インチとすれば1/24サイズ(1/2インチスケール)である。同じように3/8、1/4、3/16、1/8とすれば、それぞれ1/32サイズ、1/48サイズ、1/64サイズ、1/96サイズと表示される。
イギリスではヤード・ポンド法とメートル法と組み合わせた1フィートを何mmとするかという表示法、mmスケールが用いられる。イギリスの鉄道模型の縮尺は、mmスケールに基づく事例が多い。
: 10mmスケール=1/30.5・・・イギリスにおける1番ゲージの縮尺
: 7mmスケール=1/43.5・・・イギリスにおけるOゲージの縮尺
: 4mmスケール=1/76.2・・・OOゲージの縮尺
: 3.5mmスケール=1/87・・・HOゲージの縮尺(初期のOOゲージもこの縮尺であった。)
: 3mmスケール=1/101.6・・イギリスにおけるTTゲージの縮尺
: 2mmスケール=1/152・・・OOOゲージの縮尺、またこの縮尺で9.42mm軌間の模型規格もある。
<!--アメリカでは「Oゲージスケール」、「HOゲージスケール」と呼ばれる「ものさし(スケール)」が市販されている。これを用いると、図面や模型に当てることにより実物の寸法が直ちにわかる。これらの目盛りの単位はフィートである。-->
=== 軌間(ゲージ)===
当初は鉄道線路を構成する2本のレールの中心間距離で表されていたが、現在ではレールの頭部の内側の距離を表す。
実物を縮小するとゲージは好きなように決められるが、実際にはある程度の数の[[軌間]]に集約される。
; 標準軌とナローゲージ・ブロードゲージ
原則として実物の標準軌(1435 mm)を基準として縮小された物が、模型の標準規格である。日本や南アフリカなどでの実物には狭軌も多く見られるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。フィンランドやアイルランドなどでは実物は広軌であるものの、市販されている模型は標準軌仕様とする場合が多い。
* ナローゲージ:実物の狭軌鉄道(ナローゲージ)を模型化した規格の総称。市販されている線路や車両は比較的多い。
* ブロードゲージ:実物の広軌鉄道(ブロードゲージ)を模型化した規格の総称。市販されている線路や車両はわずかで、採用する愛好者は非常に少ない。またヨーロッパのNEM規格では、1700 mmまでの広軌は標準軌と同じ規格として扱われている。
* ナローゲージとブロードゲージの規格表記法
:ヨーロッパ式では、「'''XXm'''」、「'''XXe'''」、「'''XXi(XXf)'''」、「'''XXp'''」と記す。これらの呼称と実物軌間との対応は下表の通りであり、実物軌間と一対一の対応ではない。
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|-
|-
!rowspan="2"|
!colspan="5"|実物の軌間
|-
!1250mm以上1700mm以下!!850mm以上1250mm未満!!650mm以上850mm未満!!400mm以上650mm未満!!300mm以上400mm未満
|-
!規格名
|'''XX'''<br/ >(スタンダードゲージモデル)
|'''XXm'''
|'''XXe'''
|'''XXi (XXf)'''
|'''XXp'''
|-
|}
:アメリカ式では、実物の軌間と模型規格を対応させて実物が3フィート軌間のナローゲージ規格を「'''XXn3'''」、2フィート半軌間のナローゲージ規格を「'''XXn2 1/2'''」のように記す。
:イギリスでは、OO9のような「'''XXY'''」もしくは「'''XX-Y'''」(Yは模型の軌間)という規格表記も用いられる。
=== コースとファイン ===
; コース(coarse)
: 「粗い」という意味。鉄道模型は玩具から発達してきたので、脱線し難いことが不可欠な条件の1つであった。そのために、実物と比べて高い[[フランジ]]と厚いタイヤを用い、[[分岐器]]は幅の広いフランジウェイを持つフログが必要であった。「コース」が玩具的というわけではなく、走行性能(実用性)を重視した物なので、鉄道模型の標準となることが多い。
; ファイン(fine)
: 「細かい」という意味。その後「ファイン」な模型を欲する人が出現してきた。車輪・線路、特にポイントの[[フログ]]を、実物を小さくしたかのように作った模型の一群をファインゲージと呼ぶ。どの縮尺・軌間の鉄道模型においても使われる用語。精密な作業を伴うが、軽量な鉄道模型においてはしばしば走行性能の犠牲を伴う事がある。広過ぎる軌間を、縮尺に近づける作業を含む場合もある。[[Oゲージ]]以上ではProto48などのグループが活動している。[[HOゲージ]]以下ではなかなか難しいが、Proto87などのグループが研究している。
=== トイトレイン、ティンプレート ===
鉄道模型の1分野で、[[スケールモデル]]に対する用語である。初期の鉄道模型はこのタイプの製品が多く、特にアメリカで盛んである。元来は高級な模型であったが、クリスマスプレゼント用の大量消費時代が到来した1936年頃に、[[ライオネル]]が発展可能なシステムを提示してから一挙にアメリカの標準模型として大衆化された。文字通り「tinplate」でブリキ製の鉄道模型を指す言葉であり、ハイレール (hi-rail) という言葉と同義である。背の高い中空レールを用いる玩具的鉄道模型であって、ハイ・フランジ車両が走るように作られており、中央三線式の集電方式が主流である。年少者のみならず大人の趣味としても認知され、大規模な交換会・スワップミートが数日にわたって開かれる。
Oゲージの場合、おおむね縮尺1/64 - 1/48であるが一定しない。小さく作れば大型機でも小半径の走行が可能であるため、縮尺1/58としている製品もある。ティンプレートはOゲージが多いものの、[[アメリカンフライヤー]]ではSゲージもある。これは当初より2線式を採用していた。
ヨーロッパや日本でも同様な製品について、トイトレインやティンプレートと呼ばれる場合がある。日本ではOゲージや16番ゲージの[[ショーティー|短縮型(ショーティー)]]製品が該当する物とされている。
== 制御方式 ==
[[File:3-rail system.svg|thumb|right|100px|交流三線式]]
=== 交流方式 ===
[[メルクリン]]や[[ライオネル]]に代表される方式で、中央三線式を採用しているが、交流方式であることは必ずしも三線式であることを意味するわけではなく、少数ながら交流二線式や、直流三線式(後述)の鉄道模型も存在する。[[1930年代]]には効率の良い[[整流器]]や強力な[[磁石|永久磁石]]が[[民生用]]には出回っていなかったので、[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]と[[電磁石]]による方向転換装置(逆転機)との組み合わせが採用された。[[絶縁 (電気)|絶縁]][[輪軸 (鉄道車両)|車輪]]を用いなくても良いので今でも根強い人気がある。
電子工学の進歩に伴い、多重制御方式(後述)を好むユーザーが増えてきたため、[[交流]]とは言えども[[正弦波]]ではない交流駆動の模型が増えている。
=== 直流方式 ===
[[File:2-rail system.svg|thumb|right|100px|直流二線式]]
[[File:RightPlus.JPG|thumb|right|100px|線路に流れる電気と車両の進行方向の関係]]
直流を得るには[[蓄電池]]あるいは小型の[[整流器]]を必要とした。[[自動車産業]]の発達したアメリカ合衆国では、[[セレン整流器]]が民生用として市販され始めたので、これを流用して「直流12 V」という規格が成立した。通常は左右のレールのみから集電する直流二線式が用いられるものの、少数ながら直流三線式の鉄道模型も存在する。[[トリックス]]では、直流二線式の「トリックス・インターナショナル」に対して、直流三線式の「トリックス・エクスプレス」が存在する。
直流二線式では、主に車両から見て右側にあるレールにプラスの電気が流れている時に前進する製品が多い<ref>NHK趣味悠々 ようこそ!鉄道模型の世界へ ~レイアウト制作入門~(日本放送出版協会)p10</ref>。
直流方式の利点は、機械的な逆転装置なくして自由に前進後退を選べることであった。交流方式の[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]の[[界磁]]を車載整流器で一定方向磁界とすれば(これを Polarized と言う)手元のスイッチひとつで進行方向を切り替えることができた。[[第二次世界大戦]][[戦後|後]]は[[磁石|永久磁石]]の[[界磁]]となり、これは[[分巻整流子電動機|分巻電動機]]の1種であって模型車両の駆動用電動機として最も適しているとは言えないが、広く用いられるようになった。
* [[直巻整流子電動機|直巻電動機]]は、動力車の起動時に[[電流]]の2乗に比例して[[トルク]]が発生し、実物の発車(起動)状況を再現し易く、巡航時には電流値が減少し、登り坂では回転が落ちて電流値が上昇し、牽引力が増す。それに対し永久磁石による[[界磁]]を持つモーターでは、磁石が[[電機子]]を吸引することにより、車輪を廻しても[[歯車|ギヤ]]を介してモーターが回転しないため、実物の鉄道車両が[[惰行]]する様子を再現できない{{efn|模型車両では列車重量に比して車軸[[軸受]]や[[フランジ]]・レール間の[[摩擦力|摩擦抵抗]]が非常強いため、[[スケールスピード]]で実物通りに何分間も惰行するようなことは元々望めない。また、通常の電動式鉄道模型車両は[[ブレーキ|制動装置]]を持たないため、惰行を許す設計を採った場合、下り勾配での速度制御や、勾配上での停止や留置に対する転動対策も必要となる。}}。
現在の最も進んだ駆動方式では、電子制御でモーターの回転数を実物を模した加減速曲線で駆動し、Bemf(逆起電力)を測定して回転数を一定に保つ方式をとっている。また、永久磁石に吸着されない[[コアレスモータ|無鉄心型モーター(コアレスモーター)]]を採用し、[[コースティング・ギヤ|逆駆動するウォームギヤ]]との組み合わせで押して動く(''Free-rolling mechanism'' )動力車が実用化されている。
12 V という電圧は先述のように[[自動車産業]]から派生した規格であったが、線路が長くなると[[電気抵抗]]が無視できなくなり、電流値を減らして電圧降下を小さくすることができる高電圧化の論議が[[1980年代]]に始まった。24 Vへの昇圧という動きもあったが、効率の良いモーターの採用と共に、その声は聞こえなくなった。[[Oゲージ]]、[[Gゲージ]]では[[レイアウト (鉄道模型)|レイアウト]]の規模が大きいので、12 V 車でも場合により16 - 18 V を採用する場合もある。
=== 多重制御方式 ===
同一の線路上の複数の車両を個別に制御する方式の総称である。車両の運転のみならず、[[警笛]]、[[前照灯]]・[[尾灯]]の点滅なども、この概念に含まれる。[[1960年代]]頃からは直流に交流を混ぜて流し、[[周波数]]によって識別する方式として[[ゼネラル・エレクトリック]]のアストラック(''Automatic Simultaneous Train Controls'' 、'''ASTRAC''')や、交流と直流を同時に流す方式などがあったものの、[[アナログ]]方式ではせいぜい数台を制御することが限度であった。三線式の線路を使用したメルクリンのデルタシステムもあった。[[デジタル]]式では[[ホーンビィ]]のZERO-1やメルクリンのメルクリンデジタル等があった。他にCTC-16というデジタル式もあった。いずれも専用の[[エンコード#デコード|デコーダ]]を搭載する物で、一部を除き従来の車両と同じ線路上を走らせることはできなかった。
[[2000年代]]以降は[[デジタルコマンドコントロール]](DCC)が世界的な標準になり、欧米では予めDCCの搭載を想定したコネクタを装備した車両が普及している。DCCでは理論上、[[アドレス]]長が10 [[ビット|bit]]の場合、同時に1024台に指令を出すことができる。
== 駆動方式 ==
鉄道模型が登場した頃は、手で押す仕様であった。時代の進歩と共に、ぜんまい駆動や蒸気による自力走行できる物になり、最終的に電気による外部からのコントロールが可能になった。
それは、人間が乗ってコントロールする必要があったり、あるいは動き始めたら放置せねばならない蒸気駆動より、室内で楽しめるより小さな電動模型への進化であった。もちろん蒸気駆動は[[ライブスチーム]]として特化した進化を遂げたが、電動模型はより小さなサイズへと向かった。
=== ゼンマイ駆動 ===
初期の鉄道模型では[[ぜんまいばね|ゼンマイ]]式の動力の物が存在した。それらはスプリングモーターと称された。現在でも一部のブリキ製鉄道玩具に使用される。
=== 蒸気機関を利用した方式 ===
当初は簡易なボイラーと単動首振りエンジンを組み合わせた、動き出したら水または燃料が尽きるまで走り続ける物が多かった。そのうちに実物と全く同等な構造で、人間を乗せた車両を牽いて走る模型が主流となった。これは給水、焚火、運転が実物と同様で、タービン発電機や[[インジェクタ]]まで装備する物が現れた。またアメリカで実用化された関節式機関車を、実物と同じボールジョイントの給排気管で結ぶ模型も出現した。また、蒸気タービンで発電して電動モーターで走る模型も試作されている。
手軽に運転できる電動式模型の普及により一時期廃れていたが、1970年代半ば頃から一部の熱心な愛好者と彼らに支えられた新たなメーカーの参入により、以前に比べれば実現のハードルが低くなってきている。また、各地で愛好者が集う運転会も開催されてきた。
また、[[メルクリン]]などの既存のメーカーも新製品を出しつつある。電子工学の進歩により、小型模型をラジオ・コントロールすることが可能になり、[[1番ゲージ]]では多くの人達が楽しむようになった。2000年代に入るとイギリスの[[ホーンビィ]]から[[OOゲージ]]の電熱蒸気機関車が発売され、外部から汽笛吹鳴までコントロールできる完成品も発売された。これらは[[ライブスチーム]]と呼ばれる、[[庭園鉄道]]の1分野として楽しまれている。
=== 電気モーターを利用した方式 ===
電動模型は、家庭への配電と同時に始まった。当時の[[電池]]は高価な割りに性能が低かったからである。[[交流]]による家庭への配電が開始される前に一部の地域では[[直流]]で配電されていた。
当初採用されていた蒸気機関あるいはゼンマイ式の二線式軌道に集電用の第三軌条を付け加えることにより、電動化が実現された。二線式を採用するには[[輪軸 (鉄道車両)|車輪と車軸]]を[[絶縁 (電気)|絶縁]]しなければならないので、それまでに売った車両の改造をしなければならなかったが、実物に習い中央の第三軌条から集電すればそれまでの製品との不整合がなくなる。日本では実物に中央三線式の鉄道が存在しなかったため、このタイプの集電方式は玩具的であると嫌われたが、逆に欧米では本物と同じであるとして受け入れられてきた。
当初は[[直巻整流子電動機|直巻電動機]]を自作し[[変圧器]]または[[抵抗器]]で制御していた。抵抗器には食塩水を用いた物もあった。小型の[[電動機|モーター]]が模型用として発売された後は、モーターを納める動力車の大きさが決まってしまう事態が起きた。すなわち模型のサイズの小型化はモーターのサイズの小型化の歴史でもあった。[[界磁]]コイルを軸の延長上に移したり、両軸モーターを作り車軸や[[鉄道車両の台車|台車]]間に納めたり、この時期の工夫は目覚しい。
界磁が[[電磁石]]の直巻電動機は、交流でも直流でも回転し、実物同様、[[機関車]]、[[電車]]の駆動には適する特性を持っていた。起動時に[[電流]]の2乗に比例して起動[[トルク]]が発生し、回転が上がると同時に電流が減少する。[[速さ|速度]]に応じて徐々に[[電圧]]を上げれば実感的な運転ができるわけである。しかし、進行方向の逆転には界磁の極性を反転させねばならなかった。[[ライオネル]]、[[メルクリン]]らは、電流を瞬間的に遮断することにより作動する逆転[[継電器|リレー]]などを開発し市販した。しかし[[分岐器]]を通過する際に誤動作することがあり、モーターの回転による[[遠心力]]を用いた誤動作防止装置が一部の愛好者によって開発された。
[[1930年代]]になると直流駆動への試みが始まった。一部の地域では直流で配電されていたが、大部分の地域では交流による配電だった。[[アメリカ合衆国]]では[[モータリゼーション]]により[[自動車]]用の小型の[[整流器]]が民生用として発売されたのを受け、界磁電流を[[セレン整流器]]で整流して走行電流の極性を反転して逆行させる工夫がなされた。また電圧は自動車用の12 Vを標準電圧として採用した。
[[1940年代]]になると[[磁石|永久磁石]]を界磁にした[[永久磁石界磁形整流子電動機|マグネット・モーター]]が市販されるようになった。これは、小型軽量で[[消費電力]]も少なかったが、[[分巻整流子電動機|分巻特性]]を持ち、与えられた電圧と回転数が正比例する物であった。すると、抵抗による電流制御よりも電子部品による電圧制御によるコントロールが望ましくなる。これは[[トランジスタ・コントローラ]]の発達を促し、[[レオスタット]]を駆逐した。
マグネット・モーターは、停止時に界磁が電機子を吸着して動き難くするコッギング(英語ではteethingと言う)が避けられず、機関車は手で押して動かすことは不可能であった。マグネット・モーターの軸を手で廻すと、あたかもサイコロを転がす如く、特定の位置で引っかかりを感じるが、直巻電動機を採用していたライオネル、メルクリンの機関車は、レールに手で押し付けて押せばモーターが回転する。また、最近ではコッギングがなくスムーズな走行でより大きなトルクが出せる[[コアレスモータ|コアレス・モーター]]やコッギングはあるが、より強いトルクが出せる[[ブラシレスモーター]]も普及しつつある。
モーターから車輪までの動力伝達には[[ウォームギヤ]]が多用される。[[スパーギヤ]]、[[ベベルギヤ]]の使用は少ないが、一部高級機種ではウォームギアの1種である[[コースティング・ギヤ]]の使用も認められる。それは前者では一段(少ない[[部品]]で)で大きな[[歯車比|ギヤ比]]を実現でき、また、モーター軸と駆動軸が直交することが省スペース化とモーターの配置上で大変便利だからである。しかし[[ブレーキ|制動装置]]の無い鉄道模型で使用されるウォームギヤは安全性の観点から逆駆動できない物が多いため、特殊な[[クラッチ]]を用いて歯車の自動切り離しをする手法も現れた。しかしこの手法は一過性の物で、製品に反映される性格の仕様ではなかった。一方、[[コースティング・ギヤ]]を使用した機種では逆駆動の問題は解決している。
マグネット・モーターの一種のコアレス・モーターは鉄心を持たない[[ムービング・コイル]]型モーターで、それをスパーギヤで減速すると押して動く動力車ができる。しかし限られた空間に収められるギヤはギヤ比が1:4程度の物であり、あまりにも牽引力が弱く、最高速が速過ぎる物であった。[[1984年]]にコースティング・ギヤが開発され、高効率と静粛性を併せ持つ動力車が実現した。
これらの電動模型は同一線路上では全ての動力車が同一の動きをする{{efn|それぞれの車両([[動力車]])のモーター特性(起動電流値、トルク特性、消費電力など)、歯車比、摺動抵抗、(特に勾配で差が顕著となる)重量が異なる場合は速度がシンクロすることは無い。}}。しかし、それでは不満足な愛好者は多重制御方式へと向かい、それは[[デジタルコマンドコントロール]]として実現された。
=== 内燃機関を利用した方式 ===
一部の愛好者やメーカーによって[[内燃機関]]を搭載した鉄道模型が製造されている。生産数は少ないが熱心な愛好者の手によって伝承されている。内燃機関には[[ガソリンエンジン]]や[[グローエンジン]]を使用し、実物のガス・エレクトリック方式のように[[発電機]]を駆動して電気モーターで推進する物や、[[減速機]]を介して[[動輪]]を駆動する物が存在する。また[[レシプロエンジン|レシプロ機関]]だけでなく[[ガスタービン]]を動力とした物も一部の愛好者の手で作られている。
== サウンドシステム ==
[[1940年代]]より、電気式[[蓄音機]]の出力をレールにつなぎ、車両に搭載した[[スピーカー]]から音を出す構造の物が存在した。その後改良され、[[1970年代]]には蒸気機関車の[[ロッド]]の動きに同期してブラスト音を出す[[PFMサウンド]]が出現した。また、外部の音源からの音声信号を[[無線]]で飛ばし、車載の[[受信機]]で受信してスピーカーから再生する物もあった。[[1990年代]]にはデジタル式の音源を備えた物が普及していった。2000年代以降、サウンド機能のあるDCCデコーダー以外にもカンタムサウンドやMRCシンクロサウンドボックスのように従来のアナログコントローラーを使用し、車載のデジタル音源から車両の電圧変化に応じて音を出す物も見られるようになった。
== 遊び方 ==
;運転する
: 列車模型を線路に載せ、実物の鉄道車両のように走行させるという楽しみ方がある。小型の模型はテーブル上や床上で手軽に扱え、これらを「お座敷レイアウト」「フロアーレイアウト」などと言う。大形の模型は「庭園鉄道」のように庭などに敷設して楽しむ。
: また情景のついた[[レイアウト (鉄道模型)|レイアウト]]・ジオラマ上で車両を走らせる場合もある。レイアウトは愛好者自身が製作・保有する場合が多いものの、模型店の中には、サービスの一環として備え付けのレイアウト・ジオラマを来店客に開放している店も見られ、レイアウトを有料で時間貸しする[[レンタルレイアウト]]もある。
: さらに、近年では先頭車両に超小型のテレビカメラを仕込み、その映像を無線で受信するモニターテレビとコントローラーを組み合わせて、あたかも運転席からの情景を見ながらの運転も楽しむ事が出来るようになってきた。この場合にはレイアウト・ジオラマのトンネル内などからの情景も楽しめる。
;収集する
: 製品化された車両は、日本型に限っても数多い。これを収集する楽しみ方もある。人によって集め方は様々で、自分の好きな国、地域、年代、鉄道会社、模型メーカー、車種、列車、形式などテーマを決めて車両を集める。ただし単に完成品を購入して観賞するだけでなく、鉄道模型の場合は、欲しい車両を改造・自作する場合もあり、テーマに合わせたレイアウト・ジオラマを作り、コレクションを走らせる楽しみ方もある。
;車両を製作する
: 鉄道模型も含めた模型趣味の楽しみ方の基本として、模型工作が挙げられる。一口に車両を製作すると言っても多種多様だが、完成品の車両をより実車に即した形態になるよう手を加える細密化加工、元の車両から別の形式や仕様を作り出す車両改造、真鍮やプラスチック等の素材と部品 (パーツ) から車両を造り上げるスクラッチビルド (全自作) に大別される。
;レイアウト・ジオラマを製作する
: 鉄道模型における、もう1つの模型工作として、情景を備えたレイアウト・ジオラマの製作がある。鉄道模型クラブの中にはメンバー共同で集合式 ([[モジュールレイアウト]]) や分割式のレイアウト・ジオラマを製作している例もある。個人では実現が難しい長大編成列車でも、このような方法であれば比較的実現し易い。
;イベントに参加する
: メーカーやクラブなどが開催するイベントを見学したり、製品について出来栄えや使い勝手などの感想を交換したり、スワップミートと呼ばれる交換会・中古市に参加するといった楽しみ方がある。
: 日本国内外の主なイベント - [[国際鉄道模型コンベンション]]、[[鉄道模型ショウ]]、[[Oスケールウェスト]]など
== 主なメーカー・ブランド ==
{{seealso|日本の鉄道模型メーカーの一覧|日本国外の鉄道模型メーカーの一覧|Category:鉄道模型メーカー}}
=== 日本 ===
社名(ブランド名)の形式で挙げる。
* [[エンドウ (鉄道模型メーカー)|エンドウ]]
* [[カツミ]]
* [[関水金属]] (KATO)
* [[天賞堂]]
* [[トミーテック]] ([[TOMIX]])
=== アメリカ ===
* {{仮リンク|アトラス (鉄道模型)|label=アトラス|en|Atlas Model Railroad}}
* [[アメリカンフライヤー]]
* {{仮リンク|ホライズン・ホビー|en|Horizon Hobby}}、[[アサーン]]
* [[ケーディー|ケーディー/マイクロトレインズ]]
* [[ウッドランドシーニックス]]
* [[ライオネル]]
=== ヨーロッパ ===
* [[ACE Trains]]
* [[Dapol]]
* [[Peco]]
* [[PIKO]]
* [[Schöenner]]
* [[アーノルト (鉄道模型)]]
* [[グラハム・ファリッシュ]]
* [[ハグ (鉄道模型)]]
* [[バセット・ローク]]
* [[ファーラー]]
* [[フライシュマン (鉄道模型メーカー)]]
* [[フルグレックス]]
* [[ホーンビィ]]、[[エアフィックス]]
* [[ビング (模型製造会社)]]
* [[メルクリン]]
=== その他 ===
* [[バックマン (鉄道模型)|バックマン]]
== 鉄道模型を扱った番組、作品 ==
* {{ill2|The Biggest Little Railway in the World|en|The Biggest Little Railway in the World}}。 イギリス Love Productions制作のドキュメンタリー番組で、イギリスでは2018年に放送<ref>[https://biggestlittlerailway.fandom.com/wiki/Overview The Biggest Little Railway In The World Wiki]</ref>。 日本ではNHK教育チャンネルで『小さなミニチュア鉄道の大冒険 スコットランドの大地をゆく』というタイトルで放送<ref>[https://www.nhk.jp/p/ts/ZZM3WQ19NP/ NHK公式ページ]</ref>。Oゲージ(32 mm)のミニチュア蒸気機関車Silver Lady号を、高低差が激しく蒸気機関車が走れなかった[[スコットランド]]の大地の71 マイル (114 km)の区間 (屋外、[[アウトドア]])にOゲージの仮設軌道を敷いて、実際に縦断させるという(大)プロジェクトのドキュメンタリー。総計56人のボランティアが参加し、鉄路敷設班と運行班に別れ、高低差がある場所や川などは鉄橋ならぬ手作りの木橋を日曜大工仕事で掛けてOゲージの鉄道を敷設しつつ進んだ、トラブル続出の、面白おかしいプロジェクト。
* [[鉄道模型ちゃんねる]] - [[BSジャパン]]のドキュメンタリー番組
* [[鉄道ジオラマ王国建設計画]] - [[MONDO TV]]のドキュメンタリー番組
* [[バトルゲージ]] - [[桜河貞宗]]の漫画作品
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Rail transport modelling|鉄道模型}}
* [[模型]]
* [[ライブスチーム]]
* [[スケールモデル]]
* [[ミニチュアワンダーランド]]
* [[スロットカー]]
* [[プラレール]]
{{See also|模型用語一覧|プラモデル#模型製作に用いる工具と材料}}
== 外部リンク ==
* {{Curlie|World/Deutsch/Freizeit/Hobbys/Modellbau/Eisenbahnen/|Modelleisenbahn}}
* [http://www.modellbahnnormen.de/ Übersicht über Modellbahnnormen]
* [http://www.nmra.org/ 全米鉄道模型協会] - 世界最大の鉄道模型団体
* [http://www.themodelrailwayclub.org/ 鉄道模型クラブ(イギリス)] - 知られている世界最古の鉄道模型団体(1910年設立)
* [http://www.rmweb.co.uk RMweb] - イギリスを拠点とする鉄道模型の記事と議論
{{Normdaten}}
{{模型}}
{{鉄道模型}}
{{DEFAULTSORT:てつとうもけい}}
[[Category:鉄道模型|*]]
[[Category:趣味]]
|
2003-07-13T05:35:50Z
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2023-10-01T07:19:54Z
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11,350 |
棒高跳
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棒高跳(ぼうたかとび)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、ポールの反発力を使って高く跳ぶ能力を競う競技。使用されるポールは長く、しなやかな材質のものが用いられ、同じような跳躍競技である走高跳よりも格段に高い記録が出る。
なお、棒高跳は跳躍競技に含まれるが、走幅跳 (Long Jump)、走高跳 (High Jump) のような「ジャンプ」とは呼ばず、「手で棒を用いて飛び越える」というスタイルから、英語ではPole Vault(ポウル・ボールト)と表記され、競技者も「ジャンパー」ではなく「ボールター」と呼ばれる。
陸上競技における正しい表記は棒高跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では棒高跳びと表記されることもある。
オリンピックでは、男子は1896年の第1回アテネオリンピックから、女子は2000年シドニーオリンピックから正式種目となった。
女子は1993年以降の記録を日本記録として公認している。
ルール上、ポールの長さ、太さ、材質などに制限はない。
初期の頃は木製ポールが使われていたが、弾力性に乏しく記録の大幅な向上は見られなかった。また、木材の耐久性の問題で競技中にポールが折れることが多発し、それによる怪我もつきなかった。
その後、柔軟性を確保できる竹製が普及した。竹が簡単に手に入る日本では1936年ベルリンオリンピックでメダルを獲得した西田修平・大江季雄をはじめとするトップレベルの選手を輩出するなど、棒高跳びが盛んになった。1988年ソウルオリンピックまでは、当時の十種競技のトップレベルの選手であるデイリー・トンプソンも竹製を使用していた。
その後も材質の変遷は進み、金属製を経て、現在はガラス繊維強化プラスチック製や炭素繊維強化プラスチック製のポールが使われ、記録も大幅に伸びるようになった。
など。
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"text": "なお、棒高跳は跳躍競技に含まれるが、走幅跳 (Long Jump)、走高跳 (High Jump) のような「ジャンプ」とは呼ばず、「手で棒を用いて飛び越える」というスタイルから、英語ではPole Vault(ポウル・ボールト)と表記され、競技者も「ジャンパー」ではなく「ボールター」と呼ばれる。",
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"text": "その後、柔軟性を確保できる竹製が普及した。竹が簡単に手に入る日本では1936年ベルリンオリンピックでメダルを獲得した西田修平・大江季雄をはじめとするトップレベルの選手を輩出するなど、棒高跳びが盛んになった。1988年ソウルオリンピックまでは、当時の十種競技のトップレベルの選手であるデイリー・トンプソンも竹製を使用していた。",
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"text": "その後も材質の変遷は進み、金属製を経て、現在はガラス繊維強化プラスチック製や炭素繊維強化プラスチック製のポールが使われ、記録も大幅に伸びるようになった。",
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] |
棒高跳(ぼうたかとび)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、ポールの反発力を使って高く跳ぶ能力を競う競技。使用されるポールは長く、しなやかな材質のものが用いられ、同じような跳躍競技である走高跳よりも格段に高い記録が出る。 なお、棒高跳は跳躍競技に含まれるが、走幅跳、走高跳 のような「ジャンプ」とは呼ばず、「手で棒を用いて飛び越える」というスタイルから、英語ではPole Vault(ポウル・ボールト)と表記され、競技者も「ジャンパー」ではなく「ボールター」と呼ばれる。 陸上競技における正しい表記は棒高跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では棒高跳びと表記されることもある。 オリンピックでは、男子は1896年の第1回アテネオリンピックから、女子は2000年シドニーオリンピックから正式種目となった。 女子は1993年以降の記録を日本記録として公認している。
|
'''棒高跳'''(ぼうたかとび)は、[[陸上競技]]の[[跳躍競技]]に属する種目で、[[ポール (陸上競技)|ポール]]の反発力を使って高く跳ぶ能力を競う競技。使用されるポールは長く、しなやかな材質のものが用いられ、同じような跳躍競技である[[走高跳]]よりも格段に高い記録が出る。
なお、棒高跳は跳躍競技に含まれるが、[[走幅跳]] (Long Jump)、走高跳 (High Jump) のような「ジャンプ」とは呼ばず、「手で棒を用いて飛び越える」というスタイルから、英語では'''Pole Vault'''(ポウル・ボールト)と表記され、競技者も「ジャンパー」ではなく「ボールター」と呼ばれる。
陸上競技における正しい表記は'''棒高跳'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''棒高跳び'''と表記されることもある。
オリンピックでは、男子は[[1896年]]の第1回[[1896年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]から、女子は[[2000年シドニーオリンピック]]から正式種目となった。
女子は[[1993年]]以降の記録を日本記録として公認している<ref>[[陸上競技マガジン]]1999年記録集計号329p</ref>。
== ルール ==
* 大会ごとに設定されたバーの高さに挑戦していき成功した競技者は次の高さに挑戦できる(20cmや10cmの間隔で上がっていくが大会ごとに異なり事前に説明がある)。3回続けて失敗すると競技終了。最後に成功した高さがその競技者の記録となる。
* 試技をパスして次の高さに進むことができる。ただし、パスした高さは成功とは認められない。
* 同一記録で複数の競技者が並んだ場合はその高さをより少ない回数でクリアした競技者が上位となり、それも同じ場合は失敗試技の総数が少ない方が上位となる。失敗試技の総数も同じ場合は同順位となる(1位は除く)。
* 1位記録で複数の競技者が並んだ場合、サドンデス方式の順位決定戦(ジャンプオフ)を行う。1位記録より1段階高い高さからスタートし、成功者が出るまで高さを下げて続行する。同じ高さの同一試技数で複数の競技者が成功した場合、バーの高さを1段階上げて続行する。これを決着がつくまで繰り返す。
* 競技者が4人以上残っている場合は試技開始の合図があってから1分以内に試技を開始しなければならない。
* 競技者が残り2~3人になった場合は試技開始の合図があってから3分以内に試技を開始しなければならない。
* 競技者が残り1人になった場合はバーの高さを1㎝単位で設定できる。なお、試技は試技開始の合図があってから5分以内に開始しなければならない。
* 自分のポールを使って良い。私物のポールは所有者の同意がなければ使用できない。
* ポールの材質・長さ・太さは任意だが、表面は滑らかでなければならない。
* ポールより高く跳んで構わない。
* バーを越えずに、体の部分やポールがボックスの垂直面の前方の地面や着地場所に触れた時に、無効試技となる。
* (失敗試技による頭からの落下を想定し)ヘルメットを着用しても良い。ただし、着用義務のルールはない(世界的な大会では、トビー・スティーブンソンが有名)。
== 用器具 ==
=== ポール ===
[[ファイル:Perches.jpg|thumb|テープが巻かれた様々なポール]]
{{See also|ポール (陸上競技)}}
ルール上、ポールの長さ、太さ、材質などに制限はない。
; ポールの材質
初期の頃は木製ポールが使われていたが、弾力性に乏しく記録の大幅な向上は見られなかった。また、木材の耐久性の問題で競技中にポールが折れることが多発し、それによる怪我もつきなかった。
その後、柔軟性を確保できる竹製が普及した。竹が簡単に手に入る日本では[[1936年ベルリンオリンピック]]でメダルを獲得した[[西田修平]]・[[大江季雄]]をはじめとするトップレベルの選手を輩出するなど、棒高跳びが盛んになった。[[1988年ソウルオリンピック]]までは、当時の[[十種競技]]のトップレベルの選手である[[デイリー・トンプソン]]も竹製を使用していた。
その後も材質の変遷は進み、金属製を経て、現在は[[ガラス繊維]][[繊維強化プラスチック|強化プラスチック]]製や[[炭素繊維強化プラスチック]]製のポールが使われ、記録も大幅に伸びるようになった。
=== その他 ===
* バー
* ボックス
* 着地マット
* 助走路
== 跳躍 ==
{{multiple image
|direction =
|width = 150
|header = バーを飛び越える際の様子
|image1 = Men decathlon PV French Athletics Championships 2013 t141910a.jpg
|image2 = Men decathlon PV French Athletics Championships 2013 t141910b.jpg
|image3 = Men decathlon PV French Athletics Championships 2013 t141910c.jpg
|image4 = Men decathlon PV French Athletics Championships 2013 t141911a.jpg
|image5 = Men decathlon PV French Athletics Championships 2013 t141911b.jpg
}}
{{-}}
== 競技大会 ==
* [[夏季オリンピック]]
* [[世界陸上競技選手権大会]]
* [[IAAFダイヤモンドリーグ]]
* [[日本陸上競技選手権大会]]
など。
== 記録 ==
=== 世界歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外
!位
!記録
!氏名
!国籍
!日付
|-
|1||6m23||[[アルマンド・デュプランティス]]||{{SWE}}||2023年9月17日
|-
|2||6m14||[[セルゲイ・ブブカ]]||{{UKR}}||1994年7月31日
|-
|3
|6m07
|KC・ライトフット
|{{USA}}
|2023年6月2日
|-
|4
|6m06
|サム・ケンドリクス
|{{USA}}
|2019年7月27日
|-
| rowspan="3" |7
| rowspan="3" |6m05
|[[マクシム・タラソフ]]||{{RUS}}||1999年6月16日
|-
|{{仮リンク|ドミトリー・マルコフ|en|Dmitri Markov}}||{{AUS}}||2001年8月9日
|-
|[[ルノー・ラビレニ]]||{{FRA}}||2015年5月30日
|-
|8||6m04||[[ブラッド・ウォーカー]]||{{USA}}||2008年6月8日
|-
|rowspan="3"|10
|rowspan="3"|6m03
|{{仮リンク|オッカート・ブリッツ|en|Okkert Brits}}||{{RSA}}||1995年8月18日
|-
|{{仮リンク|ジェフ・ハートウィグ|en|Jeff Hartwig}}||{{USA}}||2000年6月14日
|-
|{{仮リンク|チアゴ・ブラス・ダ・シウヴァ|en|Thiago Braz da Silva}}||{{Flag|BRA}} ||2016年8月15日
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子 室内
!位
!記録
!氏名
!国籍
!日付
|-
|1||6m22||[[アルマンド・デュプランティス]]||{{SWE}}||2023年2月25日
|-
|2||6m16||ルノー・ラビレニ||{{FRA}}||2014年2月15日
|-
|3||6m15||[[セルゲイ・ブブカ]]||{{UKR}}||1993年2月21日
|-
|4||6m06||[[スティーブン・フッカー]]||{{AUS}}||2009年2月7日
|-
|5
|6m05
|[[クリストファー・ニルセン]]
|{{USA}}
|2022年3月5日
|-
| rowspan="2" |6
| rowspan="2" |6m02
|[[ロディオン・ガタウリン]]||{{SSR1955}}||1989年2月4日
|-
|{{仮リンク|ジェフ・ハートウィグ|en|Jeff Hartwig}}||{{USA}}||2002年3月10日
|-
|8
|6m01
|[[サム・ケンドリクス]]
|{{USA}}
|2020年2月8日
|-
| rowspan="6" |9
| rowspan="6" |6m00
|[[マクシム・タラソフ]]||{{RUS}}||1999年2月5日
|-
|[[ジャン・ガルフィオン]]||{{FRA}}||1999年3月6日
|-
|{{仮リンク|ダニー・エッカー|en|Danny Ecker}}||{{GER}}||2001年2月11日
|-
|{{仮リンク|ショウナシー・バーバー|en|Shawnacy Barber}}||{{CAN}}||2016年1月15日
|-
|{{仮リンク|ピョートル・リセク|en|Piotr Lisek}}||{{POL}}||2017年2月4日
|-
|[[センドレ・グトルムセン]]
|{{NOR}}
|2023年3月11日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外
!位!!記録!!氏名!!国籍!!日付
|-
|1||5m06||[[エレーナ・イシンバエワ]]||{{RUS}}||2009年8月28日
|-
|2||5m01||[[アンジェリカ・シドロワ]]||{{RUS}}||2021年9月9日
|-
|3||5m00||{{仮リンク|サンディ・モリス|en|Sandi Morris}}||{{USA}}||2016年9月9日
|-
|4||4m95||{{仮リンク|ケイティ・ナジョット|en|Katie Nageotte}}||{{USA}}||2021年6月26日
|-
|5||4m94||{{仮リンク|エリザ・マッカートニー|en|Eliza McCartney}}||{{NZL}}||2018年7月17日
|-
|6||4m93||[[ジェニファー・サー]]||{{USA}}||2018年4月14日
|-
|rowspan="3"|7
|rowspan="3"|4m91
|-
|{{仮リンク|ヤリスレイ・シルバ|en|Yarisley Silva}}||{{CUB}}||2015年8月2日
|-
|{{仮リンク|エカテリニ・ステファニディ|en|Ekaterini Stefanidi}}||{{GRE}}||2017年8月6日
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |4m90||{{仮リンク|ホリー・ブラッドショー|en|Holly Bradshaw}}||{{GBR}}||2021年6月26日
|-
|[[ニナ・ケネディ]]||{{AUS}}||2023年8月24日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 室内
!位
!記録
!氏名
!国籍
!日付
|-
|1||5m03||[[ジェニファー・サー]]||{{USA}}||2016年1月30日
|-
|2||5m01||[[エレーナ・イシンバエワ]]||{{RUS}}||2012年2月23日
|-
| rowspan="2" |3|| rowspan="2" |4m95||{{仮リンク|サンディ・モリス|en|Sandi Morris}}||{{USA}}||2016年3月12日
|-
|[[アンジェリカ・シドロワ]]
|{{RUS}}
|2020年2月29日
|-
|4
|4m94
|{{仮リンク|ケイティ・ナゲオッティ|en|Katie Nageotte}}
|{{USA}}
|2021年5月11日
|-
|rowspan="2"|6
|rowspan="2"|4m90
|{{仮リンク|デミ・ペイン|en|Demi Payne}}||{{USA}}||2016年2月20日
|-
|{{仮リンク|エカテリニ・ステファニディ|en|Ekaterini Stefanidi}}||{{GRE}}||2016年2月20日
|-
|8||4m87||{{仮リンク|ホーリー・ブラッドショー|en|Holly Bleasdale}}||{{GBR}}||2012年1月21日
|-
|rowspan="2"|9
|rowspan="2"|4m85
|[[スベトラーナ・フェオファノワ]]||{{RUS}}||2004年2月22日
|-
|[[アンナ・ロゴフスカ]]||{{POL}}||2011年3月6日
|}
=== 六大州のエリア記録 ===
{| class="wikitable"
|+男子 屋外
!エリア!!記録!!氏名!!国籍!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]
|6m03
|{{仮リンク|オッカート・ブリッツ|en|Okkert Brits}}
|{{Flag|RSA}}
|[[ケルン]]
|1995年8月18日
|-
|[[アジア]]
|6m00
|{{仮リンク|アーネスト・ジョン・オビエナ|en|Ernest John Obiena}}
|{{PHL}}
|[[ベルゲン]]
|2023年6月10日
|-
|[[北アメリカ]]
|6m04
|[[ブラッド・ウォーカー]]
|{{Flag|USA}}
|[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]
|2008年6月8日
|-
|[[南アメリカ]]
|6m03
|{{仮リンク|チアゴ・ブラス・ダ・シウヴァ|en|Thiago Braz da Silva}}
|{{Flag|BRA}}
|[[リオデジャネイロ]]
|2016年8月15日
|-
|[[ヨーロッパ]]
|6m23
|[[アルマンド・デュプランティス]]
|{{Flag|SWE}}
|[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]
|2023年9月17日
|-
|[[オセアニア]]
|6m05
|{{仮リンク|ドミトリー・マルコフ|en|Dmitri Markov}}
|{{Flag|AUS}}
|[[エドモントン]]
|2001年8月9日
|}
{| class="wikitable"
|+女子 屋外
!エリア!!記録!!氏名!!国籍!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]
|4m42
|{{仮リンク|エルマリー・ジェリーツ|en|Elmarie Gerryts}}
|{{Flag|RSA}}
|{{仮リンク|ヴェーゼル|en|Saulheim}}
|2000年6月12日
|-
|[[アジア]]
|4m72
|[[李玲 (棒高跳)|李玲]]
|{{Flag|PRC}}
|[[上海]]
|2019年5月18日
|-
|[[北アメリカ]]
|5m00
|{{仮リンク|サンディ・モリス|en|Sandi Morris}}
|{{Flag|USA}}
|[[ブリュッセル]]
|2016年9月9日
|-
|[[南アメリカ]]
|4m87
|[[ファビアナ・ムレル]]
|{{Flag|BRA}}
|[[サンベルナルド・ド・カンポ]]
|2016年7月3日
|-
|[[ヨーロッパ]]
|5m06
|[[エレーナ・イシンバエワ]]
|{{Flag|RUS}}
|[[チューリッヒ]]
|2009年8月28日
|-
|[[オセアニア]]
|4m94
|{{仮リンク|エリザ・マッカートニー|en|Eliza McCartney}}
|{{Flag|NZL}}
|[[ヨックグリム]]
|2018年7月17日
|}
=== U20世界記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外
!位!!記録!!氏名!!国籍!!日付
|-
| 1
| 6m05
| [[アルマンド・デュプランティス]]
| {{SWE}}
| 2018年8月12日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外
!位!!記録!!氏名!!国籍!!日付
|-
| 1
| 4m64
| {{仮リンク|エリザ・マッカートニー|en|Eliza McCartney}}
| {{NZL}}
| 2015年12月19日
|}
=== 日本歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m83||[[澤野大地]]||[[ニシスポーツ]]||2005年5月3日
|-
|2||5m75||[[山本聖途]]||[[中京大学]]||2013年6月23日
|-
| rowspan="2" |3|| rowspan="2" |5m71||[[小林史明 (陸上選手)|小林史明]]||[[日体大AC]]||2002年7月21日
|-
|[[江島雅紀]]||[[日本大学]]||2019年8月18日
|-
| rowspan="3" |5|| rowspan="3" |5m70||[[横山学]]||[[百十四銀行]]||2000年4月29日
|-
|[[荻田大樹]]||[[ミズノ]]||2013年4月20日
|-
|[[竹川倖生]]
|[[丸元産業]]
|2021年6月26日
|-
|8||5m61||[[澤慎吾]]||[[きらぼし銀行]]||2019年8月18日
|-
| rowspan="5" |9|| rowspan="5" |5m60||[[鈴木康太郎|鈴木康太]]||[[中京大学]]||2017年7月16日
|-
|[[松澤ジアン成治]]||[[新潟アルビレックスRC]]||2018年6月9日
|-
|[[米倉照恭]]||[[ミキハウス|ゼンリン]]||1996年5月6日
|-
|[[来間弘樹]]||[[ストライダーズAC]]||2020年10月2日
|-
|[[石川拓磨]]
|[[東京海上日動CS]]
|2021年6月26日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||4m48||[[諸田実咲]]||[[アットホーム]]||2023年10月2日
|-
|2||4m40||[[我孫子智美]]||[[滋賀レイクスターズ]]||2012年6月9日
|-
|3||4m36||[[錦織育子]]||[[三慶サービス]]||2006年4月29日
|-
|4||4m35||[[近藤高代]]||[[長谷川体育施設]]||2004年5月29日
|-
|5||4m33||[[那須眞由]]||[[KAGOTANI]]||2022年4月24日
|-
|6||4m31||[[中野真実]]||三観陸協||2004年5月5日
|-
|7||4m30||[[竜田夏苗]]||[[日本発条|ニッパツ]]||2019年7月7日
|-
|8||4m23||[[仲田愛]]||[[鹿屋体育大学]]||2010年9月18日
|-
|9||4m21||[[小野真澄]]||[[札幌陸協]]||2003年6月6日
|-
| rowspan="4" |10|| rowspan="4" |4m20||[[浜名愛]]||[[しきしま倶楽部]]||2014年5月17日
|-
|[[今野美穂]]||[[トーエル]]||2015年5月31日
|-
|[[田中伶奈]]||[[吉田石油店]]||2023年5月3日
|-
|[[台信愛]]||[[日本体育大学]]||2023年6月24日
|}
=== 高校歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m51||[[古澤一生]]||[[前橋育英高等学校]]||2020年8月8日
|-
|2||5m50||[[江島雅紀]]||[[神奈川県立荏田高等学校]]||2016年10月7日
|-
|3||5m41||[[笹瀬弘樹]]||[[浜松市立高等学校]]||2007年8月5日
|-
|4||5m40||[[澤野大地]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||1998年8月3日
|-
|5
|5m35
|[[原口篤志]]
|[[奈良県立王寺工業高等学校]]
|2021年11月3日
|-
| rowspan="4" |7|| rowspan="4" |5m30||[[井村俊雄]]||[[明石市立明石商業高等学校]]||2000年6月24日
|-
|[[森拓朗]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||2001年7月1日
|-
|[[北田琉偉]]||[[大阪府立大塚高等学校]]||2022年11月6日
|-
|[[渡邉瑛斗]]||[[大阪府立大塚高等学校]]||2022年11月19日
|-
|10
|5m25||[[沢慎吾]]||[[島根県立大社高等学校]]||2014年7月31日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1
|4m16
|[[村田蒼空]]
|[[群馬県立前橋女子高等学校]]
|2022年7月2日
|-
|2||4m13||[[古林愛理]]||[[明石市立明石商業高等学校]]||2020年10月11日
|-
|3||4m12||[[田中伶奈]]||[[香川県立観音寺第一高等学校]]||2018年10月27日
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |4m10||[[南野弥生]]||[[北海道札幌手稲高等学校]]||2003年10月27日
|-
|[[柳川美空]]
|[[前橋育英高等学校]]
|2023年6月3日
|-
|6||4m02||[[山地里奈]]||[[香川県立観音寺第一高等学校]]||2017年8月19日
|-
| rowspan="4" |10
| rowspan="4" |4m00
|[[小林美月]]
|[[明星学園高等学校]]
|2022年4月24日
|-
|[[我孫子智美]]||[[光泉カトリック中学校・高等学校|光泉高等学校]]||2005年9月19日
|-
|[[小田嶋怜美]]||[[木更津総合高等学校]]||2011年9月24日
|-
|[[大坂谷明里]]||[[兵庫県立社高等学校]]||2020年8月9日
|}
==== 高校生に関する各種記録 ====
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外・高校1年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m22||[[古澤一生]]||[[前橋育英高等学校]]||2018年10月16日
|-
|2||5m20||[[江島雅紀]]||[[神奈川県立荏田高等学校]]||2014年10月25日
|-
| rowspan="2" |3|| rowspan="2" |5m10||[[浅野喜洋]]||[[兵庫県立神戸甲北高等学校]]||2002年3月10日
|-
|[[笹瀬弘樹]]||[[浜松市立高等学校]]||2005年8月3日
|-
|5||5m00||[[森拓朗]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||1999年10月30日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外・高校1年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||4m01||[[柳川美空]]||[[前橋育英高等学校]]||2021年10月22日
|-
|2
|3m90
|[[村田蒼空]]
|[[群馬県立前橋女子高等学校]]
|2020年10月23日
|-
|3||3m86||[[仲田愛]]||[[広島県立西条農業高等学校]]||2005年3月31日
|-
|4||3m85||[[森郁子]]||[[兵庫県立神戸甲北高等学校]]||2000年10月6日
|-
|5||3m81||[[小田嶋怜美]]||[[木更津総合高等学校]]||2010年3月22日
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外・高校2年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m36||[[江島雅紀]]||[[神奈川県立荏田高等学校]]||2015年10月24日
|-
|2||5m31||[[笹瀬弘樹]]||[[浜松市立高等学校]]||2006年10月6日
|-
|3||5m30||[[古澤一生]]||[[前橋育英高等学校]]||2019年5月17日
|-
|4||5m25||[[澤野大地]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]|| 1997年9月20日
|-
|5||5m22||[[新井拓摩]]||[[日本体育大学柏高等学校]]||2014年10月18日
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外・高校2年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||4m02||[[山地里奈]]||[[香川県立観音寺第一高等学校]]||2017年8月19日
|-
| rowspan="2" |2|| rowspan="2" |4m00||[[田中伶奈]]||[[香川県立観音寺第一高等学校]]||2017年6月24日
|-
|[[古林愛理]]||[[明石市立明石商業高等学校]]||2019年6月15日
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |3m90||[[仲田愛]]||[[広島県立西条農業高等学校]]||2005年4月29日
|-
|[[台信愛]]||[[福岡県立中間高等学校]]||2018年7月15日
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外・高校3年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m51||[[古澤一生]]||[[前橋育英高等学校]]||2020年8月8日
|-
|2||5m46||[[江島雅紀]]||[[神奈川県立荏田高等学校]]||2016年10月7日
|-
|3||5m41||[[笹瀬弘樹]]||[[浜松市立高等学校]]||2007年8月5日
|-
|4||5m40||[[澤野大地]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||1998年8月3日
|-
|5
|5m35
|[[原口篤志]]
|[[奈良県立王寺工業高等学校]]
|2021年5月3日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子 屋外・高校3年歴代5傑
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1
|4m16
|[[村田蒼空]]
|[[群馬県立前橋女子高等学校]]
|2022年7月2日
|-
|2||4m13||[[古林愛理]]||[[明石市立明石商業高等学校]]||2020年10月11日
|-
|3||4m12||[[田中伶奈]]||[[香川県立観音寺第一高等学校]]||2018年10月27日
|-
|4||4m10||[[南野弥生]]||[[北海道札幌手稲高等学校]]||2003年10月27日
|-
|5
|4m07
|[[柳川美空]]
|[[前橋育英高等学校]]
|2023年5月13日
|}
=== 中学歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子 屋外
!位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|1||5m05||古澤一生||[[高崎市立新町中学校]]||2017年7月28日
|-
|2||4m92||笹瀬弘樹||[[湖西市立新居中学校|新居町立新居中学校]]||2004年10月17日
|-
|3||4m90||浅野喜洋||[[神戸市立広陵中学校]]||2001年3月31日
|-
|4||4m80||野呂仁人||[[玉城町立玉城中学校]]||2017年10月14日
|-
|5
|4m78
|岸本都夢
|[[高松市立玉藻中学校]]
|2021年8月26日
|-
|6||4m76||小野真二||[[浜松市立東陽中学校]]||1998年3月31日
|-
|7||4m75||岡田祐司||[[神戸市立長坂中学校]]||1997年8月22日
|-
|7||4m75||松沢勝治||[[伊那市立春富中学校]]||2011年10月15日
|-
|9||4m73||鈴木将宏||[[浜松市立西部中学校]]||1995年8月21日
|-
|10||4m72||田辺広晃||[[浜松市立西部中学校]]||1995年3月31日
|}
=== 日本人各種記録 ===
{| class="wikitable"
|+男子 屋外
!
!記録
!氏名
!所属
!日付
|-
| 学生
| 5m75
| 山本聖途
| [[中京大学]]
| 2013年6月23日
|-
| Jr日本
| 5m65
| 江島雅紀
| [[日本大学]]
| 2017年7月6日
|}
{| class="wikitable"
|+女子 屋外
!
!記録
!氏名
!所属
!日付
|-
| 学生
| 4m23
| 仲田愛
| [[鹿屋体育大学]]
| 2010年9月18日
|-
| Jr日本
| 4m15
| 田中伶奈
| [[香川大学]]
| 2019年5月1日
|}
==== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ====
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small;"
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1928||[[1928年アムステルダムオリンピック|第9回オリンピック競技大会(アムステルダム)]]||{{NED}}||[[中沢米太郎]]||6位||3m90
|-
| rowspan="2" |1932|| rowspan="2" |[[1932年ロサンゼルスオリンピック|第10回オリンピック競技大会(ロサンゼルス)]]|| rowspan="2" |{{USA}}||[[西田修平]]||{{2位}}||4m30
|-
|[[望月倭夫]]||5位||4m00
|-
| rowspan="3" |1936|| rowspan="3" |[[1936年ベルリンオリンピック|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]|| rowspan="3" |{{DEU1935}}||[[西田修平]]||{{2位}}||4m25
|-
|[[大江季雄]]||{{3位}}||4m25
|-
|[[安達清]]||6位||4m00
|-
|1952||[[1952年ヘルシンキオリンピック|第15回オリンピック競技大会(ヘルシンキ)]]|| rowspan="2" |{{FIN}}||[[沢田文吉]]||6位||4m20
|-
|2005||[[2005年世界陸上競技選手権大会|第10回世界陸上競技選手権大会(ヘルシンキ)]]||[[澤野大地]]||8位||5m50
|-
|2013||[[2013年世界陸上競技選手権大会|第14回世界陸上競技選手権大会(モスクワ)]]||{{RUS}}||[[山本聖途]]||6位||5m75
|-
|2016||[[2016年リオデジャネイロオリンピック|第31回オリンピック競技大会(リオデジャネイロ)]]||{{BRA}}||[[澤野大地]]||7位||5m50
|}
*1928年アムステルダムオリンピックで[[中沢米太郎]]が6位入賞したのが、この種目で日本人選手最初の入賞者となった。1932年ロサンゼルスオリンピックで[[西田修平]]が2位となり、この種目で初のメダリストとなっている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [http://www.iaaf.org/records/toplists/jumps/pole-vault/outdoor/men/senior TOP LISTS - MEN SENIOR OUTDOOR] IAAF.
* [http://www.iaaf.org/records/toplists/jumps/pole-vault/outdoor/women/senior TOP LISTS - WOMEN SENIOR OUTDOOR] IAAF.
* [http://www.iaaf.org/records/by-discipline/jumps/pole-vault/outdoor/men RECORDS BY DISCIPLINE - MEN SENIOR OUTDOOR] IAAF.
* [http://www.iaaf.org/records/by-discipline/jumps/pole-vault/outdoor/women RECORDS BY DISCIPLINE - WOMEN SENIOR OUTDOOR] IAAF.
== 関連項目 ==
; 記録
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Pole vault}}
* [https://www.worldathletics.org/ ワールドアスレティックス](世界陸連)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
** [http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/handbook_pdf/05.pdf 『陸上競技審判ハンドブック2015-2016』(フィールド競技審判員)]
** [http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/pdf/16.pdf 『日本陸上競技連盟競技規則』(第4部 フィールド競技)]
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}{{Normdaten}}
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[[Category:棒高跳|*]]
|
2003-07-13T05:41:48Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%92%E9%AB%98%E8%B7%B3
|
11,351 |
三段跳
|
三段跳(さんだんとび)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、ホップ・ステップ(スキップ)・ジャンプと3回跳び、その距離を競う競技。助走をつける走り三段跳と助走をつけない立ち三段跳があるが単に三段跳といえば通常走り三段跳を指す。
ホップとステップは同じ脚で連続的にすることになる。例えば、右足で踏み切った選手はさらにステップも右足、ジャンプを左足で行う。なお、ワールドアスレティックスのルールでは「ホップでは、踏み切ったのと同じ足を競技者はまず地面につけなければならない。ステップでは反対側の足をつけなければならず、そこから続いてジャンプが遂行される」となっており、ホップとステップは着地によって定義されている。
多くの世界的・国内の主要な試合では、踏み切り板は砂場の手前の端から13m離れている。ただし、高校においては11m、中学においては9mなど、競技者のレベルに合わせて調節される。
日本の織田幹雄は1928年アムステルダムオリンピックで15m21を跳び、日本人初となるオリンピック金メダルをもたらした。
また同じく日本の南部忠平 (1904 - 1997) は、1932年に開催されたロサンゼルス五輪の三段跳に出場し、15m72の世界記録(当時)を樹立して金メダルを獲得。さらに、1936年ベルリンオリンピックでは田島直人が16m00の世界記録(当時)で金メダルを獲得し日本人選手で3連覇となり、その後の競技の発展に大きく貢献した。
陸上競技における正しい表記は三段跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では三段跳びと表記されることもある。
女子は1926年から日本記録として公認されてきたが、戦後一旦公認対象種目から外された。その後1986年から再度日本記録として公認されて現在に至っている。
三段跳の起源は古代アイルランドまで遡り、水溜まりをいかに少ない歩数で渡りきれるか、という遊びが競技化したという説が有力である。
古代オリンピックの歴史的文献には時々、15m以上の跳躍記録が出てくる。スポーツ史研究家たちは、これらは複数段の跳躍の記録に違いなく、三段跳の起源にあたると結論づけている。しかし三段跳が古代オリンピックの種目だった証拠は無く、それらの異常に長い跳躍距離は、正確な記録をつけるというより、勝利を祝う詩人たちの芸術的放埓さによる可能性がある。
三段跳は、初の近代オリンピックであるアテネ大会の種目になったが、当時は同じ足で2回ホップを踏んでジャンプするというものだった(踏み切り→同じ足でホップ→またホップにより跳躍)。最初の近代オリンピック金メダリストのジェームズ・コノリーはその三段跳の選手であった。女子の三段跳が種目に加わったのは1996年のアトランタ大会からである。
初期の近代オリンピックには助走をつけない立ち三段跳もあったが、第2回(1900年・パリ)と第3回(1904年・セントルイス)で種目に採用されたのみで、オリンピック以外を含めても今日行われることは稀である。
日本では1874年(明治7年)に海軍兵学寮で開かれた競闘遊戯会(運動会)の1種目「うさぎのつきみ」が三段跳の始まりであるとされる。日本陸上競技選手権大会の種目に加わったのは1918年(大正7年)の第6回大会からで、当時は英語名の hop step and jump をそのままカタカナにした「ホップステップアンドジャンプ」を正式な種目名としていた。これではあまりに長いので、新聞では「ホ・ス・ジャンプ」と略記し、選手の間では「ホスジャン」と呼んでいた。1929年(昭和4年)、これに日本語名を付けようと関東学生陸上競技連盟(関東学連)の北沢清が提案し、織田幹雄がドイツ語名の Dreisprung やフランス語名の Triple saut を参考に「三段跳」と「三回跳」の2案を考案した。関東学連は役員会で、「三段跳の方がしっくりくる」との理由で三段跳の名称を採用し、同年の関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)のプログラムで初めて「三段跳」の文字が登場した。当初、新聞業界は「三段跳」という名称を批判したが、漢字3文字で表記できる便利さからこの名称で定着した。
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] |
三段跳(さんだんとび)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、ホップ・ステップ(スキップ)・ジャンプと3回跳び、その距離を競う競技。助走をつける走り三段跳と助走をつけない立ち三段跳があるが単に三段跳といえば通常走り三段跳を指す。
|
'''三段跳'''(さんだんとび)は、[[陸上競技]]の[[跳躍競技]]に属する種目で、[[ホップ・ステップ・ジャンプ|ホップ・ステップ(スキップ)・ジャンプ]]と3回跳び、その距離を競う競技。助走をつける'''走り三段跳'''と助走をつけない'''立ち三段跳'''があるが単に三段跳といえば通常走り三段跳を指す。
== 解説 ==
[[File:Triple Jump,Idowu Phillips, Beijing 08.jpg|thumb|center|800px|北京オリンピックにおける[[フィリップス・イドウ]]の試技]]
ホップとステップは同じ脚で連続的にすることになる。例えば、右足で踏み切った選手はさらにステップも右足、ジャンプを左足で行う。なお、[[ワールドアスレティックス]]のルールでは「ホップでは、踏み切ったのと同じ足を競技者はまず地面につけなければならない。ステップでは反対側の足をつけなければならず、そこから続いてジャンプが遂行される<!-- The hop shall be made so that an athlete lands first on the same foot as that from which he has taken off; in the step he shall land on the other foot, from which, subsequently, the jump is performed. --><ref>{{cite web|url=https://www.worldathletics.org/download/download?filename=0277615c-b22b-423f-8d44-2a93fc26854b.pdf&urlslug=C1.1%20-%20Competition%20Rules|title=IAAF Competition Rules 2012-2013 |accessdate=2016-12-09}}</ref>」となっており、ホップとステップは着地によって定義されている。
多くの世界的・国内の主要な試合では、踏み切り板は砂場の手前の端から13[[メートル|m]]離れている。ただし、高校においては11m、中学においては9mなど、競技者のレベルに合わせて調節される。
日本の[[織田幹雄]]は[[1928年アムステルダムオリンピックの陸上競技・男子三段跳|1928年アムステルダムオリンピック]]で15m21を跳び、日本人初となる[[近代オリンピック|オリンピック]][[金メダル]]をもたらした{{sfn|財団法人 日本オリンピック委員会 監修|1994|p=113}}。
また同じく日本の[[南部忠平]] (1904 - 1997) は、[[1932年]]に開催された[[1932年ロサンゼルスオリンピックの陸上競技|ロサンゼルス五輪]]の三段跳に出場し、15m72の世界記録(当時)を樹立して金メダルを獲得。さらに、[[1936年ベルリンオリンピック]]では[[田島直人]]が16m00の世界記録(当時)で金メダルを獲得し日本人選手で3連覇となり、その後の競技の発展に大きく貢献した。
陸上競技における正しい表記は'''三段跳'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''三段跳び'''と表記されることもある。
女子は[[1926年]]から日本記録として公認されてきたが、戦後一旦公認対象種目から外された。その後[[1986年]]から再度日本記録として公認されて現在に至っている。<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号329p</ref>
== 歴史 ==
三段跳の起源は古代アイルランドまで遡り、水溜まりをいかに少ない歩数で渡りきれるか、という遊びが競技化したという説が有力である。
古代オリンピックの歴史的文献には時々、15m以上の跳躍記録が出てくる。スポーツ史研究家たちは、これらは複数段の跳躍の記録に違いなく、三段跳の起源にあたると結論づけている<ref>Rosenbaum, Mike (2012). An Illustrated History of the Triple Jump. Retrieved from http://trackandfield.about.com/od/triplejump/ss/illustriplejump.htm.</ref>。しかし三段跳が古代オリンピックの種目だった証拠は無く、それらの異常に長い跳躍距離は、正確な記録をつけるというより、勝利を祝う詩人たちの芸術的放埓さによる可能性がある<ref>Koski, Rissanen & Tahvanainen (2004). Antiikin urheilu. Olympian kentiltä Rooman areenoille. [The Sports of Antiquity. From the Fields of Olympia to Roman Arenas.] Jyväskylä: Atena Kustannus Oy. ISBN 951-796-341-6</ref>。
三段跳は、初の近代オリンピックである[[1896年アテネオリンピック|アテネ大会]]の種目になったが、当時は同じ足で2回ホップを踏んでジャンプするというものだった(踏み切り→同じ足でホップ→またホップにより跳躍)。最初の近代オリンピック金メダリストの[[ジェームズ・コノリー (陸上選手)|ジェームズ・コノリー]]はその三段跳の選手であった{{sfn|織田|1972|pp=188-189}}。女子の三段跳が種目に加わったのは1996年の[[アトランタオリンピック|アトランタ大会]]からである<ref>{{cite web|url=http://www.sports-reference.com/olympics/summer/1996/ATH/womens-triple-jump.html|title=Athletics at the 1996 Atlanta Summer Games: Women's Triple Jump|publisher=Sports-reference.com|date=|accessdate=2013-08-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140221230735/http://www.sports-reference.com/olympics/summer/1996/ATH/womens-triple-jump.html|archivedate=2014年2月21日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。
初期の近代オリンピックには助走をつけない立ち三段跳もあったが、[[1900年パリオリンピック|第2回(1900年・パリ)]]<ref>このパリオリンピックで[[レイ・ユーリー]]が記録した10m58が立ち三段跳の世界最高記録である。</ref>と[[1904年セントルイスオリンピック|第3回(1904年・セントルイス)]]で種目に採用されたのみで、オリンピック以外を含めても今日行われることは稀である。
日本では[[1874年]](明治7年)に[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学寮]]で開かれた競闘遊戯会([[運動会]])の1種目「うさぎのつきみ」が三段跳の始まりであるとされる{{sfn|織田|1972|p=188}}。[[日本陸上競技選手権大会]]の種目に加わったのは[[1918年]](大正7年)の第6回大会からで、当時は[[英語]]名の ''hop step and jump'' をそのまま[[カタカナ]]にした「ホップステップアンドジャンプ」を正式な種目名としていた{{sfn|織田|1972|p=189}}。これではあまりに長いので、[[新聞]]では「ホ・ス・ジャンプ」と略記し、選手の間では「ホスジャン」と呼んでいた{{sfn|織田|1972|p=189}}。[[1929年]](昭和4年)、これに[[日本語]]名を付けようと[[関東学生陸上競技連盟]](関東学連)の[[北沢清]]が提案し、織田幹雄が[[ドイツ語]]名の ''Dreisprung'' や[[フランス語]]名の ''Triple saut'' を参考に「三段跳」と「三回跳」の2案を考案した{{sfn|織田|1972|p=189}}。関東学連は役員会で、「三段跳の方がしっくりくる」との理由で三段跳の名称を採用し、同年の[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](関東インカレ)のプログラムで初めて「三段跳」の文字が登場した{{sfn|織田|1972|pp=189-190}}。当初、新聞業界は「三段跳」という名称を批判したが、漢字3文字で表記できる便利さからこの名称で定着した{{sfn|織田|1972|p=190}}。
== 男子 ==
* 風速 (m/s) は追い風を+で表記、向かい風を-で表記する。
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!記録!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | 世界記録
|-
|世界||18m29||+1.3||[[ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)|ジョナサン・エドワーズ]]||{{GBR}}||[[1995年]]8月7日
|-
|U20世界||17m87||+1.3||[[ジェイドン・ヒバート]]||{{JAM}}||[[2023年]]5月13日
|-
|U18世界||17m41||+1.0||[[ジョーダン・ディアス]]||{{CUB}}||[[2018年]]6月8日
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | エリア記録
|-
|[[アフリカ]]||18m07||±0.0|| [[ユーグファブリス・ザンゴ]]||{{BUR}}||[[2021年]]1月16日
|-
|[[アジア]]||17m59||+0.0||[[:en:Li Yanxi|Li Yanxi]]||{{CHN}}||[[2009年]]10月26日
|-
|[[ヨーロッパ]]||18m29||+1.3||[[ジョナサン・エドワーズ]]||{{GBR}}||[[1995年]]8月7日
|-
|[[北アメリカ|北中米]][[カリブ海地域|カリブ]]||18m21||+0.2||[[クリスチャン・テイラー]]||{{USA}}||[[2015年]]8月27日
|-
|[[オセアニア]]||17m46||+1.7||[[:en:Ken Lorraway|Ken Lorraway]]||{{AUS}}||[[1982年]]8月7日
|-
|[[南米]]||17m90||+0.4||{{仮リンク|ジャデル・グレゴリオ|en|Jadel Gregório}}||{{BRA}}||[[2007年]]5月20日
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | 日本記録
|-
|日本||17m15||+0.9||[[山下訓史]]||[[日本電気]]||[[1986年]]6月1日
|-
|U20日本||16m38||−0.4||宮尾真仁||[[東洋大学]]||[[2023年]]6月5日
|-
|U18日本||15m84||+0.0||渡邉容史||[[愛媛県立松山北高等学校]]||[[1997年]]10月28日
|-
|学生||17m00||+1.3||[[伊藤陸]]||[[近畿大学工業高等専門学校]]||[[2021年]]9月19日
|-
|高校||16m10||+0.8||[[山本凌雅]]||[[長崎県立諫早農業高等学校]]||[[2013年]]10月7日
|-
|中学||14m58||+1.8||小栗忠||[[浜松市]]立笠井中学校||[[1992年]]10月4日
|}
==女子 ==
{| class="wikitable"
!記録!!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | 世界記録
|-
|世界||15m67||+0.7||{{ill2|ユリマール・ロハス|en|Yulimar Rojas}}||{{VEN}}||[[2021年]]8月1日
|-
|U20世界||14m62||+1.0||[[テレザ・マリノワ]]||{{BGR}}||[[1996年]]8月25日
|-
|U18世界||14m57||+0.2||[[:en:Huang Qiuyan|Huang Qiuyan]]||{{CHN}}||[[1997年]]10月19日
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | エリア記録
|-
|[[アフリカ]]||15m39||+0.5||[[フランソワーズ・ムバンゴ|フランソワーズ・ムーバンゴ]]||{{CMR}}||[[2008年]]8月17日
|-
|[[アジア]]||15m25||+1.7||{{仮リンク|オルガ・リパコワ|en|Olga Rypakova}}||{{KAZ}}||[[2010年]]9月4日
|-
|[[ヨーロッパ]]||15m50||+0.9||イネッサ・クラベッツ||{{UKR}}||[[1995年]]8月10日
|-
|[[北アメリカ|北中米]][[カリブ海地域|カリブ]]||15m29||+0.3||[[ヤミレ・アルダマ]]||{{CUB}}||[[2003年]]7月11日
|-
|[[オセアニア]]||14m04||+2.0||[[:en:Nicole Boegman|Nicole Mladenis]]||{{AUS}}||[[2002年]]3月9日
|-
|[[南米]]|||15m67||+0.7||{{ill2|ユリマール・ロハス|en|Yulimar Rojas}}||{{VEN}}||[[2021年]]8月1日
|-
! colspan="6" style="text-align: center;" | 日本記録
|-
|日本||14m16||+0.7||[[森本麻里子]]||内田建設AC||[[2023年]]6月3日
|-
|U20日本||12m97||+1.4||村山梢||[[中京大学]]||[[1997年]]7月5日
|-
|U18日本||12m92||+0.2||村山梢||[[初芝高等学校]]||[[1995年]]11月3日
|-
|学生||13m81||−0.2||船田茜理||[[武庫川女子大学]]||[[2022年]]8月7日
|-
|高校||12m96||+0.9||河添千秋||[[愛媛県立松山北高等学校]]||[[2018年]]6月18日
|-
|中学||12m03||+1.3||剱持早紀||[[山梨市]]立山梨南中学校||[[2009年]]11月1日
|}
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|18m29||+1.3||[[ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)|ジョナサン・エドワーズ]]||{{GBR}}||[[1995年]]8月7日
|-
|2
|18m21||+0.2||[[クリスチャン・テイラー]]||{{USA}}||[[2015年]]8月27日
|-
|3
|18m14||+0.4||[[ウィル・クレイ]]||{{USA}}||[[2019年]]6月29日
|-
|4
|18m09||−0.4||[[ケニー・ハリソン]]||{{USA}}||[[1996年]]7月27日
|-
|5
|18m08||+0.0||{{仮リンク|ペドロ・パブロ・ピチャルド|en|Pedro Pablo Pichardo}}||{{CUB}}||[[2015年]]5月28日
|-
|6
|18m07(室内)||±0.0||[[ユーグ・ファブリス・ザンゴ]]||{{BUR}}||[[2021年]]1月16日
|-
|7
|18m04||+0.3||[[テディ・タムゴー]]||{{FRA}}||[[2013年]]8月18日
|-
|8
|17m97||+1.5||[[ウィリー・バンクス (陸上選手)|ウィリー・バンクス]]||{{USA}}||[[1985年]]6月16日
|-
|rowspan=2|9
|rowspan=2|17m92||+1.6||[[フリスト・マルコフ]]||{{BUL}}||[[1987年]]8月31日
|-
||+1.9||{{仮リンク|ジェームス・ベックフォード|en|James Beckford (athlete)}}||{{JAM}}||[[1995年]]5月20日
|-
| colspan=6 style="width:0em"| [[ワールドアスレティックス|世界陸連]]記録参照 <ref>{{cite web|url=https://www.worldathletics.org/records/by-discipline/jumps/triple-jump/outdoor/men|title=Toplists Triple Jump|author=IAAF|date=2015-07-11|accessdate=2015-07-11}}</ref>
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|15m74<br />(室内)<br />||±0.0||{{ill2|ユリマール・ロハス|en|Yulimar Rojas}}||{{VEN}}||[[2022年]]3月20日
|-
|2
|15m50||+0.9||[[イネッサ・クラベッツ]]||{{UKR}}||[[1995年]]8月10日
|-
|3
|15m39||+0.5||[[フランソワーズ・ムバンゴ]]||{{CMR}}||[[2008年]]8月17日
|-
|4
|15m34||−0.5||[[タチアナ・レベデワ]]||{{RUS}}||[[2004年]]7月4日
|-
|5
|15m32||+0.9||[[クリソピギ・デベツィ]]||{{GRE}}||[[2004年]]8月21日
|-
|6
|15m31||+0.0||[[カテリーン・イバルグエン]]||{{COL}}||[[2014年]]7月18日
|-
|7
|15m29||+0.3||[[ヤミレ・アルダマ]]||{{CUB}}||[[2003年]]7月11日
|-
|8
|15m28||+0.9||[[ヤルヘリス・サビヌ]]||{{CUB}}||[[2007年]]8月31日
|-
|9
|15m25||+1.7||{{仮リンク|オルガ・リパコワ|en|Olga Rypakova}}||{{KAZ}}||[[2010年]]9月4日
|-
|rowspan=2|10
|rowspan=2|15m20||+0.0||[[サルカ・カスパルコワ]]||{{CZE}}||[[1997年]]8月4日
|-
||−0.3||[[テレザ・マリノワ]]||{{BUL}}||[[2000年]]9月24日
|-
| colspan=6 style="width:0em"| [[ワールドアスレティックス|世界陸連]]記録参照 <ref>{{cite web|url=https://www.worldathletics.org/records/by-discipline/jumps/triple-jump/outdoor/women/|title=Toplists Triple Jump|author=IAAF|date=2015-07-11|accessdate=2015-07-11}}</ref>
|}
== 世界記録の変遷 ==
* 水色の背景は[[ワールドアスレティックス|世界陸連]]から世界記録と公認されなかった記録を意味する。
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|+ 男子
!距離
!風速
!名前
!所属
!日付
|-
|15m52
|
|{{仮リンク|ダニエル・アハーン|en|Dan Ahearn}}
|{{Flagicon|GBR}} [[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]
|1911年5月30日
|-
|15m52
|
|[[ニック・ウィンター]]
|{{AUS}}
|1924年7月12日
|-
|15m58
| +0.5
|[[織田幹雄]]
|{{JPN}}
|1931年10月27日
|-
|15m72
|
|[[南部忠平]]
|{{JPN}}
|1932年8月4日
|- style="background:#cef6f5;"
|15m75
|
|[[原田正夫]]
|{{JPN}}
|1934年9月16日
|- style="background:#cef6f5;"
|15m82
|
|[[大島鎌吉]]
|{{JPN}}
|1934年9月16日
|-
|15m78
|
|[[ジャック・メトカーフ]]
|{{AUS}}
|1935年12月14日
|-
|16m00
| +0.6
|[[田島直人]]
|{{JPN}}
|1936年8月6日
|-
|16m00
| +1.6
| rowspan="4" |[[アデマール・ダ・シルバ]]
| rowspan="4" |{{BRA1889}}
|1950年12月3日
|-
|16m01
| +1.2
|1951年9月30日
|-
|16m12
|
|1952年7月23日
|-
|16m22
| +0.7
|1952年7月23日
|-
|16m23
| +1.5
|[[レオニード・シチェルバコフ]]
|{{SSR1923}}
|1953年7月19日
|-
|16m56
| +0.2
|アデマール・ダ・シルバ
|{{BRA1889}}
|1955年3月16日
|-
|16m59
| +1.0
|[[:fr:Oleg Ryakhovskiy|Oleg Ryakhovskiy]]
| rowspan="2" |{{SSR1955}}
|1958年7月28日
|-
|16m70
| +0.0
|[[オレグ・フェドセーエフ]]
|1959年5月3日
|-
|17m03
| +1.0
|[[ヨゼフ・シュミット]]
|{{POL1928}}
|1960年8月5日
|-
|17m10
| +0.0
| rowspan="2" |[[ジュゼッペ・ジェンティーレ]]
| rowspan="2" |{{ITA}}
|1968年10月16日
|-
|17m22
| +0.0
|1968年10月17日
|-
|17m23
| +2.0
|[[ヴィクトル・サネイエフ]]
|{{SSR1955}}
|1968年10月17日
|-
|17m27
| +2.0
|[[ネルソン・プルデンシオ]]
|{{BRA1968}}
|1968年10月17日
|-
|17m39
| +2.0
|ヴィクトル・サネイエフ
|{{SSR1955}}
|1968年10月17日
|-
|17m40
| +0.4
|{{仮リンク|ペドロ・ペレス|en|Pedro Pérez}}
|{{CUB}}
|1971年8月5日
|-
|17m44
| -0.5
|ヴィクトル・サネイエフ
|{{SSR1955}}
|1972年10月17日
|-
|17m89
| +0.0
|[[ジョアン・カルロス・ジ・オリヴェイラ]]
|{{BRA1968}}
|1975年10月15日
|-
|17m97
| +1.47
|[[ウィリー・バンクス (陸上選手)|ウィリー・バンクス]]
|{{USA}}
|1985年6月16日
|-
|17m98
| +1.8
| rowspan="3" |[[ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)|ジョナサン・エドワーズ]]
| rowspan="3" |{{GBR}}
|1995年7月18日
|-
|18m16
| +1.3
|1995年8月7日
|-
|18m29
| +1.3
|1995年8月7日
|-
| colspan=5 style="width:0em"| [[国際陸上競技連盟|世界陸連(IAAF)]]記録参照 <ref>{{Cite web|和書|url=http://iaaf-ebooks.s3.amazonaws.com/2015/Progression-of-IAAF-World-Records-2015/index.htm|title=Progression of IAAF World Records - 2015 edition(178-180ページ参照)|author=IAAF|date=2017-12-11|accessdate=2017-12-11}}</ref>
|}
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|+ 女子
!距離
!風速
!名前
!所属
!日付
|-
|14m54
| +1.1
|{{仮リンク|李恵栄|en|Li Huirong}}
|{{CHN}}
|1990年8月25日
|-
|14m95
| −0.2
|[[イネッサ・クラベッツ]]
|{{URS}}
|1991年6月10日
|-
|14m97
| +0.9
|{{仮リンク|ヨランダ・チェン|en|Yolanda Chen}}
| rowspan="2" |{{RUS1991}}
|1993年6月18日
|-
|15m09
| +0.5
|{{仮リンク|アンナ・ビリュコワ|en|Anna Biryukova}}
|1993年8月21日
|-
|15m50
| +0.9
|[[イネッサ・クラベッツ]]
|{{UKR}}
|1995年8月10日
|-
|15m67
| +0.7
| rowspan="2" |{{ill2|ユリマール・ロハス|en|Yulimar Rojas}}
| rowspan="2" |{{VEN}}
|2021年8月1日
|-
|15m74
|±0.0
|2022年3月20日
|-
| colspan=5 style="width:0em"| [[国際陸上競技連盟|世界陸連(IAAF)]]記録参照 <ref>{{Cite web|和書|url=http://iaaf-ebooks.s3.amazonaws.com/2015/Progression-of-IAAF-World-Records-2015/index.htm|title=Progression of IAAF World Records - 2015 edition(325ページ参照)|author=IAAF|date=2017-12-11|accessdate=2017-12-11}}</ref>
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|17m15||+0.9||[[山下訓史]]||[[日本電気|NEC]]||1986年6月1日
|-
|2
|17m02||+2.0||[[杉林孝法]]||[[ミキハウス]]||2000年7月16日
|-
|3
|17m00||+1.3||[[伊藤陸]]||[[近畿大学工業高等専門学校]]||2021年9月19日
|-
|4
|16m98||+1.5||[[石川和義]]||[[筑波大学]]||2004年10月10日
|-
|5
|16m88||+1.2||[[小松隆志]]||[[高知県立高知農業高等学校]]教員||1994年10月14日
|-
|5
|16m88||+0.2||[[長谷川大悟]]||[[日立]]ICT||2016年4月29日
|-
|7
|16m87||+1.8||[[山本凌雅]]||[[順天堂大学]]||2017年4月29日
|-
|8
|16m85||−1.1||[[山下航平]]||筑波大学||2016年5月22日
|-
|9
|16m76||+1.8||中西正美||[[日本体育大学]]研究員||1981年4月29日
|-
|10
|16m75||±0.0||池畠旭佳瑠||[[駿河台大学]]AC||2020年7月26日
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|14m16
| +0.7
|森本麻里子
|[[内田建設AC]]
|2023年6月3日
|-
|2
|14m04||+1.1||[[花岡麻帆]]||三英社||1999年10月1日
|-
|3
|13m82
| +1.3
|髙島真織子
|[[九電工]]
|2023年6月3日
|-
|4
|13m81||−0.2||船田茜理||[[武庫川女子大学]]||2022年8月7日
|-
|5
|13m65
| +0.3
|河合栞奈
|[[大阪成蹊大学]]
|2019年9月15日
|-
|6
|13m52||+0.7||宮坂楓||[[ニッパツ]]||2016年10月15日
|-
|7
|13m50||+0.4||吉田文代||[[中央大学]]||2003年6月6日
|-
|8
|13m42||+1.8||剱持早紀||[[長谷川体育施設]]||2019年4月21日
|-
|9
|13m40||+1.3||西内誠子||須崎市立上分中学校教員||1998年4月29日
|-
|10
|13m39
|−0.8
|佐藤友香
|[[七十七銀行]]
|2004年10月27日
|}
== 日本記録の変遷 ==
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|+ 男子
!距離
!風速
!名前
!所属
!日付
|-
|10m96
|
|原川五郎
|[[日本体育大学]]
|1918年11月3日
|-
|11m57
|
|森田俊彦
|[[東京農業大学]]
|1919年4月19日
|-
|11m86
|
|松本兼二郎
|[[東京大学]]
|1919年4月27日
|-
|12m31
|
|奥山一三
|[[神戸商業大学 (旧制)#神戸高商時代|神戸高等商業学校]]
|1919年9月7日
|-
|12m45
|
|佐藤信一
|[[東京高等師範学校]]
|1919年11月8日
|-
|12m48
|
| rowspan="2" |坂東誠吾
| rowspan="2" |[[法政大学]]
|1920年4月25日
|-
|12m76
|
|1920年11月3日
|-
|13m45
|
|佐藤信一
|東京高等師範学校
|1922年4月23日
|-
|14m27
|
| rowspan="10" |[[織田幹雄]]
| rowspan="2" |[[広島高等師範学校]]
|1923年5月22日
|-
|14m35
|
|1924年7月12日
|-
|14m805
|
| rowspan="5" |[[早稲田大学]]
|1925年9月27日
|-
|15m343
|
|1927年8月6日
|-
|15m355
|
|1927年8月29日
|-
|15m41
|
|1928年5月19日
|-
|15m45
|
|1929年5月26日
|-
|15m48
|
| rowspan="3" |早稲田大学クラブ
|1931年6月28日
|-
|15m50
|
|1931年10月11日
|-
|15m58
| +0.5
|1931年10月27日
|-
|15m72
|
|[[南部忠平]]
|浪速倶楽部
|1932年8月4日
|-
|15m75
|
|[[原田正夫]]
|[[京都大学]]
| rowspan="2" |1934年9月16日
|-
|15m82
|
|[[大島鎌吉]]
|浪速クラブ
|-
|16m00
| +0.6
|[[田島直人]]
|[[日本コークス工業|三井鉱山株式会社]]
|1936年8月6日
|-
|16m48
|
|[[小掛照二]]
|[[日本製紙#大昭和製紙陸上競技部|大昭和製紙]]
|1956年10月7日
|-
|16m48
|
|[[岡崎高之]]
|[[八幡製鐵]]
|1964年4月9日
|-
|16m58
|
| rowspan="2" |村木征人
|[[東京女子体育大学]]教員
|1969年8月3日
|-
|16m63
|
|[[東海大学]]教員
|1972年4月23日
|-
|16m67
| +0.6
|[[井上敏明]]
|[[法政大学]]
|1972年10月27日
|-
|16m76
|
|中西正美
|[[日本体育大学]]研究員
|1981年4月29日
|-
|16m77
| +1.4
| rowspan="3" |[[山下訓史]]
| rowspan="2" |[[筑波大学]]
|1985年6月2日
|-
|16m92
|
|1985年10月5日
|-
|17m15
| +0.9
|[[日本電気]]
|1986年6月1日
|-
| colspan=5 style="width:0em"| [[月刊陸上競技]]記録参照 <ref name="GR">{{Cite journal|和書||date = 2018年4号月別冊付録||title = 日本記録変遷||journal = [[月刊陸上競技]]||issue = 第5号||volume = 第52巻||publisher = [[講談社]]||pages = 149・154}}</ref>
|}
{| class="wikitable" style="font-size:90%"
|+ 女子
!距離
!風速
!名前
!所属
!日付
|-
|12m23
|
|城戸律子
|[[日本製鉄九州製鉄所八幡地区#新日本製鐵時代|新日本製鐵八幡]]
|1986年11月3日
|-
|12m30
|
|土屋由美子
|[[日本製紙#大昭和製紙陸上競技部|大昭和製紙]]
|1987年5月3日
|-
|12m30
|
|古閑昭美
|[[筑波大学]]
|1987年10月11日
|-
|12m44
| +1.3
| rowspan="2" |土屋由美子
| rowspan="2" |大昭和製紙
|1988年6月17日
|-
|12m54
|
|1988年11月3日
|-
|12m60
| +0.2
|[[磯貝美奈子]]
|[[ナイキ]]ジャパン
|1989年6月17日
|-
|12m77
|
|土屋由美子
|大昭和製紙
|1989年8月26日
|-
|12m81
| +1.6
|前川明子
|添上クラブ
|1990年6月9日
|-
|12m86
|
| rowspan="2" |森岡洋子
| rowspan="2" |[[日本製紙#大昭和製紙陸上競技部|大昭和製紙]]
|1992年10月25日
|-
|13m06
|
|1993年5月5日
|-
|13m23
|
| rowspan="2" |橋岡直美
|[[あさひ銀行]]
|1993年8月1日
|-
|13m23
| +1.0
|[[ゼンリン]]
|1995年6月9日
|-
|13m31
| +1.4
|阿部祥子
|[[福岡大学]]
|1995年10月19日
|-
|13m35
| +1.9
|西内誠子
|高知女子クラブ
|1996年10月6日
|-
|13m35
|
|[[花岡麻帆]]
|[[順天堂大学]]
| rowspan="2" |1998年4月29日
|-
|13m40
| +1.3
|西内誠子
|高知女子クラブ
|-
|13m69
| +1.0
| rowspan="3" |花岡麻帆
|順天堂大学
|1998年5月17日
|-
|13m72
|
| rowspan="2" |三英社
| rowspan="2" |1999年10月1日
|-
|14m04
| +1.1
|-
|14m16
| +0.7
|森本麻里子
|内田建設AC
|2023年6月3日
|-
| colspan=5 style="width:0em"| [[月刊陸上競技]]記録参照 <ref name="GR" />
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|16m13
| +0.6
|宮尾真仁
|[[洛南高等学校]]
|2022年11月4日
|-
|2
|16m10||+0.8||[[山本凌雅]]||[[長崎県立諫早農業高等学校]]||2013年10月7日
|-
|3
|16m05||+1.4||野﨑千皓||[[洛南高等学校]]||2015年10月17日
|-
|4
|16m04||+1.9||荒木基||[[和歌山北高等学校]]||2018年10月8日
|-
| rowspan="2" |6
| rowspan="2" |15m84||+0.0||渡邉容史||[[愛媛県立松山北高等学校]]||1997年10月28日
|-
| +0.7
|廣田麟太郎
|[[長崎日本大学中学校・高等学校|長崎日本大学高等学校]]
|2020年10月24日
|-
|7
|15m82||+1.3||田中宏祐||[[摂津高等学校]]||2019年9月8日
|-
|8
|15m81||+1.1||[[小松隆志]]||[[高知県立安芸高等学校]]||1985年10月21日
|-
|9
|15m80||−0.6||井村慧士||[[太成学院大学高等学校]]||2019年5月27日
|-
| rowspan="2" |10
| rowspan="2" |15m77||+1.3||山本邦彦||[[富山県立高岡工芸高等学校]]||1990年10月23日
|-
| +1.8||小栗忠||[[浜松西高等学校]]||1995年5月7日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!距離!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|13m10||+0.7||王迪||[[富山県立富山商業高等学校]]||2001年8月18日
|-
|2
|12m96||+0.9||河添千秋||[[愛媛県立松山北高等学校]]||2018年6月18日
|-
| rowspan="2" |3
| rowspan="2" |12m92||+0.2||村山梢||[[初芝高等学校]]||1995年11月3日
|-
| +1.6||[[竹田小百合]]||[[北海道恵庭北高等学校]]||2007年8月19日
|-
| rowspan="2" |5
| rowspan="2" |12m89||+0.8||[[吉田文代]]||[[成田高等学校]]||1999年8月27日
|-
| +0.4||前田和香||[[奈良県立添上高等学校]]||2008年11月3日
|-
|7
|12m86||+1.2||中村紗華||[[神奈川県立伊志田高等学校]]||2017年10月8日
|-
|8
|12m81
| +0.6
|田口侑楽
|[[国際高等学院]]
|2023年5月13日
|-
|9
|12m80||+1.4||三木麗奈||[[兵庫県立姫路商業高等学校]]||2021年7月10日
|-
|10
|12m79
| +1.7
|田中美憂
|[[埼玉県立松山女子高等学校]]
|2021年10月22日
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1924||[[パリオリンピック (1924年)|第8回オリンピック競技大会(パリ)]]||{{FRA}}||[[織田幹雄]]||6位||14m35
|-
| rowspan="2" |1928|| rowspan="2" |[[アムステルダムオリンピック|第9回オリンピック競技大会(アムステルダム)]]|| rowspan="2" |{{NED}}||織田幹雄||{{優勝}}||15m21
|-
|[[南部忠平]]||4位||15m01
|-
| rowspan="2" |1932|| rowspan="2" |[[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|第10回オリンピック競技大会(ロサンゼルス)]]||{{USA1912}}||南部忠平||{{優勝}}||15m72
|-
|{{USA1912}}||[[大島鎌吉]]||{{3位}}||15m12
|-
| rowspan="3" |1936|| rowspan="3" |[[ベルリンオリンピック|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]|| rowspan="3" |{{DEU1935}}||[[田島直人]]||{{優勝}}||16m00
|-
|[[原田正夫]]||{{2位}}||15m66
|-
|大島鎌吉||6位||15m07
|-
|1952||[[ヘルシンキオリンピック|第15回オリンピック競技大会(ヘルシンキ)]]||{{FIN}}||[[飯室芳男]]||6位||14m99
|-
|}
*1924年パリオリンピックで[[織田幹雄]]が6位入賞し、1928年アムステルダムオリンピックでは織田がこの種目で優勝し金メダルを獲得。1928年の同大会から1936年ベルリンオリンピックまで日本人男子選手が3連覇を達成した。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{cite book|和書|author=織田幹雄|title=金メダル|publisher=早稲田大学出版部|date=1972-07-01|page=215|ref={{sfnref|織田|1972}}}}{{全国書誌番号|71011638}}
* {{cite book|和書|author=財団法人 日本オリンピック委員会 企画・監修|title=近代オリンピック100年の歩み|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|date=1994-07-20|page=461|isbn=4-583-03135-1|ref={{sfnref|財団法人 日本オリンピック委員会 監修|1994}}}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Triple jump}}
{{Wiktionary|三段跳}}
* [https://worldathletics.org ワールドアスレティックス](旧:国際陸上競技連盟 - IAAF)
* [https://www.jaaf.or.jp 日本陸上競技連盟] (JAAF)
* {{Wayback |date=20181209210014 |url=mastersathletics.net |title=マスターズ陸上競技 }}
{{陸上競技}}
{{スポーツ一覧}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:さんたんとひ}}
[[Category:三段跳|*]]
|
2003-07-13T05:49:51Z
|
2023-11-11T06:52:28Z
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[
"Template:Cite book",
"Template:Wiktionary",
"Template:陸上競技",
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AE%B5%E8%B7%B3
|
11,353 |
砲丸投
|
砲丸投(ほうがんなげ)は、陸上競技のうち、フィールド競技に属し、投てき競技の種目で、砲丸を遠くに投げる能力を競う競技である。
陸上競技における正しい表記は砲丸投であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では砲丸投げと表記されることもある。
砲丸の重さは、性別(男子・女子)と年齢(一般・高校・中学)によって定められている。2.135メートル(7フィート)の円内から前方に投てきする。投てきの円内を中心とする、34.92度の扇形の内側の地面に落下したものだけが有効な試技となり、それ以外の場所に落ちた投てきは記録なし(ファール)となる。線上はファールである。またサークルの中心から左右に横線が引かれており、その線の後ろ以外から出るとファールとなる。
規定上、砲丸が両肩を結ぶ線より後方になってはならないため、砲丸をあご若しくは首の付近で固定し、片手で押し出すように投げる。いわゆる野球のピッチャー投げ、または投てきの手を伸ばし円盤投げの手法で投てきするのは、ファウルとなる。
また、滑りにくくするために炭酸マグネシウム(陸上用語では炭マグ(タンマグ))を砲丸や首につける選手もいる。
パリー・オブライエン(アメリカ)によって1950年代に考案された投法で、投てき方向に背を向ける形で構え、後ろ向きに助走(グライド)し、投てき方向に半回転しながら砲丸を突き出す。上体の起こしと捻りから生まれる力をより長い時間砲丸に加えることで、それまでの投法よりも飛距離を稼げることから1980年代までは世界的に最も用いられた投てき方法だった。
グライド投法は(回転投法に比べ)習得しやすく、助走なしの場合より1m~2.5mの飛距離アップが見込めることから、現在でも混成競技やサブ種目として砲丸投に取り組む選手に人気の投法である。
グライド投法の最高記録は1988年のウルフ・ティンマーマン(旧東ドイツ)による23m06cmである。
1970年代にブライアン・オールドフィールド(アメリカ)、アレクサンドル・バリシニコフ(ソ連)などが用いて好記録を樹立したことで注目され、現在では砲丸投の主流な投法である。2017年の世界陸上では決勝に進出した全選手が回転投法を用いた。
円盤投と同じく、片足から片足へ体重を移動させながら投てき方向に向かって1回転半し、ターンによる体の加速を砲丸に加えながら突き出す。
グライド投法と比較すると、回転投法は要求される動きが難しいテクニックのため、自分に合う最適な動きに調整するために多くの時間が必要とされている。
日本の陸上競技の円盤投及び砲丸投は、実力が世界レベルに遠い。世界では、1980年代の時点で、男女共にジュニア記録でも20メートルを超えているのに対し、日本ではまだ20メートルの壁を破った選手が居ない。
現在、日本は高校生まではグライド投法が主流であるが、大学で回転投法に移行する選手が多くなっている。(2023年日本インカレでは出場選手19人中17人が回転投法である。)
しかし、安定した記録を出せるまでに習熟するには時間のかかる投法であることから、敬遠する選手がいることも事実である。
砲丸投の原型は、重い物を遠くに投げる「力比べ」である。その昔、石や砲弾を投げるスポーツが行なわれていた。近代的な規定は19世紀のスコットランドの競技が原形である。19世紀末当時のサークルは2メートル強の大きさの四角い囲いだったが、後に現在のような円形のものに変更された。
重さは以下のように定められている。直径は、一般男子用が11cmから13cm、一般女子用が9.5cmから11cmである。2006年より中学と高校でそれぞれ現在の規格に移行した。混成競技では高校の八種競技は6kgになったが、中学の四種競技では旧来の4kgを現在でも用いている。
|
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"title": "砲丸"
}
] |
砲丸投(ほうがんなげ)は、陸上競技のうち、フィールド競技に属し、投てき競技の種目で、砲丸を遠くに投げる能力を競う競技である。 陸上競技における正しい表記は砲丸投であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では砲丸投げと表記されることもある。
|
{{Otheruses|陸上競技|兵器の「砲丸」|砲弾}}
[[ファイル:Dylan Armstrong 2.jpg|サムネイル|248x248ピクセル|砲丸投げの[[:en:Dylan_Armstrong|ディラン・アームストロング]]選手。]]
'''砲丸投'''(ほうがんなげ)は、[[陸上競技]]のうち、フィールド競技に属し、[[投擲|投てき]]競技の種目で、砲丸を遠くに投げる能力を競う競技である。
陸上競技における正しい表記は'''砲丸投'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''砲丸投げ'''と表記されることもある。
== 規定 ==
砲丸の重さは、[[性別]](男子・女子)と[[年齢]](一般・高校・中学)によって定められている。2.135メートル(7[[フィート]])の円内から前方に投てきする。投てきの円内を中心とする、34.92度の扇形の内側の地面に落下したものだけが有効な試技となり、それ以外の場所に落ちた投てきは記録なし([[ファール]])となる。線上はファールである。またサークルの中心から左右に横線が引かれており、その線の後ろ以外から出るとファールとなる。
== 投てき方法 ==
[[ファイル:Shot put area.JPG|サムネイル|砲丸投のサークルと試技エリア]]
規定上、砲丸が両肩を結ぶ線より後方になってはならないため、砲丸をあご若しくは首の付近で固定し、片手で押し出すように投げる。いわゆる野球のピッチャー投げ、または投てきの手を伸ばし円盤投げの手法で投てきするのは、ファウルとなる。
また、滑りにくくするために[[炭酸マグネシウム]](陸上用語では'''炭マグ'''('''タンマグ'''))を砲丸や首につける選手もいる<ref group="注">他の陸上競技([[円盤投]]、[[やり投]]、[[ハンマー投]]、[[棒高跳]])でも同理由で使用されている。</ref>。
=== グライド投法(オブライエン投法) ===
[[パリー・オブライエン]](アメリカ)によって1950年代に考案された投法で、投てき方向に背を向ける形で構え、後ろ向きに助走(グライド)し、投てき方向に半回転しながら砲丸を突き出す。上体の起こしと捻りから生まれる力をより長い時間砲丸に加えることで、それまでの投法よりも飛距離を稼げることから1980年代までは世界的に最も用いられた投てき方法だった。
グライド投法は(回転投法に比べ)習得しやすく、助走なしの場合より1m~2.5mの飛距離アップが見込めることから、現在でも混成競技やサブ種目として砲丸投に取り組む選手に人気の投法である。
グライド投法の最高記録は1988年の[[ウルフ・ティンマーマン]](旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]])による23m06cmである。
=== 回転投法 ===
1970年代に[[:en:Brian_Oldfield|ブライアン・オールドフィールド]](アメリカ)、[[アレクサンドル・バリシニコフ]](ソ連)などが用いて好記録を樹立したことで注目され、現在では砲丸投の主流な投法である。2017年の世界陸上では決勝に進出した全選手が回転投法を用いた。
[[円盤投]]と同じく、片足から片足へ体重を移動させながら投てき方向に向かって1回転半し、ターンによる体の加速を砲丸に加えながら突き出す。
グライド投法と比較すると、回転投法は要求される動きが難しいテクニックのため、自分に合う最適な動きに調整するために多くの時間が必要とされている。
=== 国内での運用 ===
日本の[[陸上競技]]の[[円盤投]]及び砲丸投は、実力が世界レベルに遠い。世界では、1980年代の時点で、男女共にジュニア記録でも20[[メートル]]を超えているのに対し、日本ではまだ20メートルの壁を破った選手が居ない。
現在、日本は高校生まではグライド投法が主流であるが、大学で回転投法に移行する選手が多くなっている。(2023年日本インカレでは出場選手19人中17人が回転投法である。)
しかし、安定した記録を出せるまでに習熟するには時間のかかる投法であることから、敬遠する選手がいることも事実である。
== 起源 ==
砲丸投の原型は、重い物を遠くに投げる「力比べ」である。その昔、[[投石|石]]や[[砲弾]]を投げるスポーツが行なわれていた。近代的な規定は19世紀の[[スコットランド]]の競技が原形である<ref>{{Cite web |url=https://www.worldathletics.org/disciplines/throws/shot-put |title=Shot Put - History|accessdate=2022-03-28 |publisher=[[ワールドアスレティックス]]}}</ref>。19世紀末当時のサークルは2メートル強の大きさの四角い囲いだったが、後に<!--時期不明-->現在のような円形のものに変更された<ref>{{Cite book|title=Projectile Dynamics in Sport: Principles and Applications|publisher=Routledge|year=2010|page=131|last=White|first=Colin|url=https://books.google.co.jp/books?id=K218AgAAQBAJ&pg=PA131|language=en|isbn=9781134027620|chapter=7.1.1 The shot put}}</ref>。
== 砲丸 ==
重さは以下のように定められている。[[直径]]は、一般男子用が11cmから13cm、一般女子用が9.5cmから11cmである。2006年より中学と高校でそれぞれ現在の規格に移行した。混成競技では高校の[[八種競技]]は6kgになったが、中学の[[四種競技]]では旧来の4kgを現在でも用いている。
* 一般男子:7.260kg(16[[ポンド (質量)|ポンド]])
* 一般女子:4kg
* 高校男子:6kg(旧12ポンド=5.443kg)
* 高校女子:4kg
* 中学男子:5kg(旧4kg)
* 中学女子:2.721kg(6ポンド)
* 世界ジュニア規格男子:6kg
* 世界ユース規格男子:5kg
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||23m56||[[ライアン・クルーザー]]||{{USA}}||[[ロサンゼルス]]||[[2023年]][[5月27日]]
|-
|2||23m23||[[ジョー・コヴァクス]]||{{USA}}||[[チューリッヒ]]||[[2022年]][[9月7日]]
|-
|3||23m12||[[ランディー・バーンズ]]||{{USA}}||[[ロサンゼルス]]||[[1990年]][[5月20日]]
|-
|4||23m06||[[ウルフ・ティンマーマン]]||{{GDR}}||[[ハニア]]||[[1988年]][[5月22日]]
|-
|5||22m91||[[アレッサンドロ・アンドレイ]]||{{ITA}}||[[ヴィアレッジョ]]||[[1987年]][[8月12日]]
|-
|6||22m90||[[トマス・ウォルシュ]]||{{NZL}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|7||22m86||[[ブライアン・オールドフィールド]]||{{USA}}||[[エルパソ (テキサス州)|エルパソ]]||[[1975年]][[5月10日]]
|-
|8||22m75||[[ウェルナー・ギュンター]]||{{SUI}}||[[ケルン]]||[[1988年]][[8月23日]]
|-
|9||22m67||[[ケビン・トス]]||{{USA}}||[[ローレンス市 (カンザス州)|ローレンス]]||[[2003年]][[4月19日]]
|-
|10||22m64||[[ウド・バイヤー]]||{{GDR}}||[[ベルリン]]||[[1986年]][[8月20日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22m63||[[ナタリア・リソフスカヤ]]||{{SSR}}||[[モスクワ]]||[[1987年]][[6月7日]]
|-
|2||22m45||[[イローナ・スルピアネク]]||{{GDR}}||[[ポツダム]]||[[1980年]][[5月11日]]
|-
|3||22m32||[[ヘレナ・フィビンゲロバ]]||{{TCH}}||[[ニトラ]]||[[1977年]][[8月20日]]
|-
|4||22m19||[[クラウディア・ロッシュ]]||{{FRG}}||[[:en:Hainfeld|ハインフェルト]]||[[1987年]][[8月23日]]
|-
|5||21m89||[[イワンカ・フリストワ]]||{{BUL1971}}||[[ベルメケン]]||[[1976年]][[7月4日]]
|-
|6||21m86||[[マリアンヌ・アダム]]||{{GDR}}||[[ライプツィヒ]]||[[1979年]][[6月23日]]
|-
|7||21m76||[[李梅素]]||{{PRC}}||[[石家荘市|石家荘]]||[[1988年]][[4月23日]]
|-
|8||21m73||[[ナタリア・アフリメンコ]]||{{URS}}||[[:en:Leselidze|Leselidze]]||[[1988年]][[5月21日]]
|-
|9||21m69||[[ヴィタ・パブリシュ]]||{{UKR}}||[[ブダペスト]]||[[1998年]][[8月20日]]
|-
|10||21m66||[[隋新梅]]||{{PRC}}||[[北京市|北京]]||[[1990年]][[6月9日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||21m97||[[ヤヌス・ロバーツ]]||{{RSA}}||[[ユージーン]]||[[2001年]][[6月2日]]
|-
|[[アジア]]||21m49||[[テージンデル・パール・シン]]||{{IND}}||[[インド]]||[[2021年]][[6月21日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||23m06||[[ウルフ・ティンマーマン]]||{{GDR}}||[[ハニア]]||[[1988年]][[5月22日]]
|-
|[[北アメリカ]]||23m56||[[ライアン・クルーザー]]||{{USA}}||[[ロサンゼルス]]||[[2023年]][[5月27日]]
|-
|[[南アメリカ]]||22m61||{{仮リンク|ダルラン・ロマニ|en|Darlan Romani}}||{{BRA}}||[[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|[[オセアニア]]||22m90||[[トマス・ウォルシュ]]||{{NZL}}||ドーハ||[[2019年]][[10月5日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||18m43||[[ヴィヴィアン・チュクウエメカ]]||{{NGR}}||{{仮リンク|ウォルナット (カリフォルニア州)|label=ウォルナット|en|Walnut, California}}||[[2003年]][[4月19日]]
|-
|[[アジア]]||21m76||[[李梅素]]||{{PRC}}||[[石家荘市|石家荘]]||[[1988年]][[4月23日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||22m63||[[ナタリア・リソフスカヤ]]||{{SSR}}||[[モスクワ]]||[[1987年]][[6月7日]]
|-
|[[北アメリカ]]||20m96||[[ベルシー・ラサ]]||{{CUB}}||[[メキシコシティ]]||[[1992年]][[5月2日]]
|-
|[[南アメリカ]]||19m30||[[エリザンジェラ・アドリアーノ]]||{{BRA}}||[[トゥンハ]]||[[2001年]][[7月14日]]
|-
|[[オセアニア]]||21m24||[[バレリー・ビリ|バレリー・アダムス]]||{{NZ}}||[[大邱]]||[[2011年]][[8月29日]]
|}
== U20世界記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!!!距離!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||23m00||[[:en:Jacko Gill|Jacko Gill]]||{{NZL}}||[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]||[[2013年]][[8月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!!!距離!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||20m54||[[アストリッド・クンバーヌス]]||{{DDR}}||[[:en:Orimattila|Orimattila]]||[[1989年]][[7月1日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|1||18m88||[[中村太地 (陸上選手)|中村太地]]||[[チームミズノアスレティック|チームミズノ]]||[[2018年]][[5月20日]]
|-
|2||18m78||[[畑瀬聡]]||群馬綜合ガードシステム||[[2015年]][[6月28日]]
|-
| rowspan="2" |3|| rowspan="2" |18m64||[[山田壮太郎]]||[[法政大学]]||[[2009年]][[10月5日]]
|-
|[[武田歴次]]||[[栃木スポーツ協会]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |18m53||[[野口安忠]]||[[日本大学]]||[[1998年]][[5月3日]]
|-
|奥村 仁志
|東京陸協
|[[2023年]][[7月29日]]
|-
|7||18m51||アツオビン・ジェイソン||[[福岡大学]]||[[2023年]][[10月15日]]
|-
|8
|18m43
|[[村川洋平|村川 洋平]]
|[[スズキアスリートクラブ|スズキ]]
|[[2006年]][[7月2日]]
|-
|9
|18m36
|岩佐 隆時
|チーム佐賀スポーツピラミッド
|[[2023年]][[6月4日]]
|-
|10||18m29||森下 大地||第一学院高教||[[2020年]]<small>[[8月22日]]</small>
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|1||18m22||[[森千夏]]||[[スズキアスリートクラブ|スズキ]]||[[2004年]][[4月18日]]
|-
|2||17m57||[[豊永陽子]]||徳島陸協||[[2004年]][[6月5日]]
|-
|3||16m79||[[市岡寿実]]||[[国士舘大学|国士舘大学職員]]||[[2004年]][[6月5日]]
|-
|4||16m57||[[郡菜々佳]]||[[九州共立大学]]||[[2017年]][[9月8日]]
|-
|5||16m47||太田亜矢||[[福岡大学]]||[[2017年]][[5月14日]]
|-
|6||16m22||[[鈴木文]]||スポーツプラザ丸長||[[1993年]][[4月29日]]
|-
|7||16m05||[[篠崎浩子]]||福島県体協||[[1997年]][[5月5日]]
|-
|8||16m04||大野史佳||[[埼玉大学]]||[[2021年]][[4月29日]]
|-
|9||16m00||[[林香代子]]||熊本高教||[[1977年]][[12月4日]]
|-
|9||16m00||白井裕紀子||滋賀陸協||[[2012年]][[9月1日]]
|}
== 日本人各種最高記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!記録!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|ジュニア記録(7.26kg)||17m40||[[畑瀬聡]]||[[日本大学]]||[[2001年]][[9月29日]]
|-
|ジュニア記録(6.0kg)||19m28||アツオビン・ジェイソン||[[大阪桐蔭高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|高校記録(6.0kg)||19m28||アツオビン・ジェイソン||[[大阪桐蔭高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|中学記録(5.0kg)||17m85||奥村仁志||大野市立和泉中学校||[[2015年]][[10月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!記録!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|ジュニア記録(4.0kg)||16m24||[[郡菜々佳]]||[[九州共立大学]]||[[2016年]][[10月23日]]
|-
|高校記録(4.0kg)||15m70||[[郡菜々佳]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[10月5日]]
|-
|中学記録(2.721kg)||17m45||奥山琴未||[[岡山市立上道中学校]]||[[2019年]][[6月9日]]
|}
== 出典・参考文献 ==
* [http://www.iaaf.org/records/toplists/throws/shot-put/outdoor/men/senior Top Lists Men All Time] - [[IAAF]]
* [http://www.iaaf.org/records/toplists/throws/shot-put/outdoor/women/senior Top Lists Women All Time] - [[IAAF]]
* [http://www.iaaf.org/records/by-discipline/throws/shot-put/outdoor/men Area Outdoor Records - Men] - IAAF
* [http://www.iaaf.org/records/by-discipline/throws/shot-put/outdoor/women Area Outdoor Records - Women] - IAAF
* ロベルト・L・ケルチェターニ著 『近代陸上競技の歴史 1860-1991 誕生から現代まで<男女別>』 [[ベースボール・マガジン社]] 1992年 ISBN 4-583-02945-4
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
* [[スポーツ器具の一覧]]
* [[投擲|投てき]]
* [[辻谷工業]] - [[1996年アトランタオリンピック|アトランタ]]・[[2000年シドニーオリンピック|シドニー]]・[[2004年アテネオリンピック|アテネ五輪]]3大会連続で上位8人の入賞者全員がこの会社の砲丸を使用した。
== 外部リンク ==
{{Commons|Reese Hoffa}}
* [http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/pdf/16.pdf 日本陸上競技連盟競技規則 第4部フィールド競技]
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟]
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟]
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{スポーツ一覧}}
{{陸上競技}}
{{Normdaten}}
{{Athletics-stub}}
{{DEFAULTSORT:ほうかんなけ}}
[[Category:陸上競技用具]]
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-13T06:10:20Z
|
2023-11-11T15:37:19Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B2%E4%B8%B8%E6%8A%95
|
11,354 |
浅井晴美
|
浅井 晴美(あさい はるみ、1972年2月15日 - )は、日本の女性声優。現在はフリー。愛知県出身。
太字はメインキャラクター。
|
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浅井 晴美は、日本の女性声優。現在はフリー。愛知県出身。
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{{声優
| 名前 = 浅井 晴美
| ふりがな = あさい はるみ
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| 本名 =
| 愛称 = はる姉
| 性別 = [[女性]]
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| 血液型 = [[ABO式血液型|AB型]]
| 身長 =
| 生年 = 1972
| 生月 = 2
| 生日 = 15
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| 没月 =
| 没日 =
| 職業 = [[声優]]
| 所属 = [[フリーランス|フリー]]
| 活動期間 = [[1990年代]] -
| デビュー作 =
}}
'''浅井 晴美'''(あさい はるみ、[[1972年]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=晴☆夏秋冬|url=http://harunatsuakihuyu.sakeblog.net/|title=プロフィール|accessdate=2015-04-25}}</ref>[[2月15日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。現在は[[フリーランス|フリー]]。[[愛知県]]出身。
== 人物 ==
* 「[[オフィスCHK#外部リンク|CHK声優センター名古屋校]]」出身。東京校に転属の後、上位事務所にあたる「[[オフィスCHK]]」に昇格所属。同事務所に[[2010年]][[3月31日]]まで所属していた。声優センターのウェブサイトに地方校出身者としてコメントを寄せている。
* [[2006年]][[7月]]、[[壱智村小真]]、[[櫻井浩美]]と自主制作でネットラジオ『[[studio TeaParty]]』を開始する。番組内での愛称は、'''はる姉'''(はるねえ)。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1999年 |
* [[神風怪盗ジャンヌ]](女生徒)
* [[デジモンアドベンチャー]](女の子)
| 2001年 |
* [[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]]('''木之下南'''、トモミ 他)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](2001年 - 2015年、新庄真紀、国分秋穂、中桐鹿子)
| 2002年 |
* [[あたしンち]](2002年 - 2016年、浅田<ref>{{Cite web|和書|work=アニメあたしンち | ANIMAX|url=https://www.shin-ei-animation.jp/2016/atashinchi/staff/index.html|title=スタッフ|accessdate=2022-11-22}}</ref>) - 2シリーズ
| 2003年 |
* [[幻影闘士バストフレモン]](ヘスティア / リドル、マダム・シュガー)
* [[MOUSE (漫画)|MOUSE]](フォン)
| 2004年 |
* [[まるマシリーズ#テレビアニメ|今日からマ王!]](少年期アルフォード)
* [[なるたる]](ひろ子の母)
| 2006年 |
* [[しましまとらのしまじろう]](鹿のお母さん)
| 2007年 |
* [[やっとかめ探偵団]](芝浦かねよ)
| 2008年 |
* [[恋姫†無双 (アニメ)|恋姫†無双]](2008年 - 2010年、'''夏侯惇''') - 3シリーズ
| 2009年 |
* [[戦争童話]] [[青い瞳の女の子のお話]](井上花代)
| 2010年 |
* [[ご姉弟物語]](大崎)
| 2011年 |
* [[忍たま乱太郎]](2011年 - 2021年、利梵、女主人)
| 2012年 |
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](女性B)
}}
=== OVA ===
{{dl2
| 2004年 |
* [[Phantom -PHANTOM THE ANIMATION-]]
| 2009年 |
* 恋姫†無双†はわわっDVD七巻はOVAすぺしゃるですよ〜†('''夏侯惇''')
| 2010年 |
* 真・恋姫†無双†はにゃDVD第七巻はOVAすぺしゃるなのだ†('''夏侯惇''')
| 2012年 |
* [[華ヤカ哉、我ガ一族|華ヤカ哉、我ガ一族 キネトグラフ]]<!--前篇-->(本条院トキ<ref>{{Cite web|和書|publisher=OVA 華ヤカ哉、我ガ一族 公式サイト|url=http://www.hanayaka-anime.com/staff.html|title=制作班|accessdate=2012-04-26}}</ref>)
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 2002年 |
* [[Piaキャロットへようこそ!!3|Piaキャロットへようこそ!! -さやかの恋物語-]](ラジオ音声)
| 2006年 |
* [[鉄コン筋クリート]](阿久津)
}}
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1999年 |
* [[ぷらすぷらむ]](フローラ)
| 2001年 |
* [[エクソダスギルティー|エクソダスギルティー ネオス]](フレア)
* [[復讐 〜陵辱の刃〜]](後藤希)
| 2002年 |
* [[ファーランドシンフォニー]](アイシャ)
* [[マジデスファイト!]](セレスト)
| 2003年 |
* [[Iris 〜イリス〜]](桑坂夏実)
| 2005年 |
* [[F.E.A.R. (ゲームソフト)|F.E.A.R.]](ジン・スンクワン)
| 2007年 |
* [[スターオーシャン|スターオーシャン1 First Departure]]
* [[チョコボの不思議なダンジョン 時忘れの迷宮]]
* [[まじしゃんず・あかでみい]](ジャネット・ランファン)
| 2008年 |
* [[恋姫†夢想 〜ドキッ☆乙女だらけの三国志演義〜]]('''夏侯惇''')
| 2009年 |
* [[キラ☆キラ|キラ☆キラ 〜Rock'n'RollShow〜]](吉沢先生)
| 2010年 |
* [[華ヤカ哉、我ガ一族]](本条院トキ)
| 2014年 |
* [[恋姫†演武]]('''夏侯惇'''<ref>{{Cite web|publisher=恋姫†演武|url=http://koihime-ac.jp/character/gi2.html|title=CHARACTER|accessdate=2014-08-21}}</ref>)
| 2018年 |
* 天涯ニ舞ウ、粋ナ花(多岐川綾乃<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[オトメイト]]|work=天涯ニ舞ウ、粋ナ花|url=http://www.otomate.jp/tengai/chara/c17.php|title=登場人物|accessdate=2017-11-30}}</ref>)
* [[ピオフィオーレの晩鐘]](ジュリア・チェステ<ref>{{Cite web|publisher=[[オトメイト]]|work=ピオフィオーレの晩鐘|title=Characters|url=http://www.otomate.jp/piofiore/chara/?page=giulia|accessdate=2018-01-16}}</ref>)
| 2019年 |
* スターオーシャン1 First Departure R<!-- 2019-12-05 -->
| 2020年 |
* [[アクション対魔忍]]('''水城不知火'''<ref>{{Cite web|work=アクション対魔忍|publisher=[[リリス (ブランド)|LiLiTH]]|url=https://www.actiontaimanin.com/character/|title=CHARACTER|accessdate=2020-08-16}}</ref>)<!-- 2020-06-30 -->
* ピオフィオーレの晩鐘 -Episodio1926-(ジュリア・チェステ<ref>{{Cite web|publisher=[[オトメイト]]|work=ピオフィオーレの晩鐘 -Episodio1926-|title=Character|url=https://www.otomate.jp/piofiore/1926/|accessdate=2020-06-10}}</ref>)<!-- 2020-10-08 -->
| 2023年 |
* [[薔薇と椿 〜お豪華絢爛版〜]]('''椿小路沙織'''、三田悦子、妖精ピンク、ティアマト)<!-- 2023-09-19 -->
* [[STAR OCEAN THE SECOND STORY R]] <!-- 2023-11-02 -->
}}
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[ALONE/アローン]](ジェニー〈[[アナベル・ウォーリス]]〉)
* [[犬いなる遺産]]
* [[イン・ザ・ベッドルーム]]
* [[ヴィレッジ (映画)|ヴィレッジ]]
* [[嘘の心]]
* [[エア・バディ2]]
* [[エアポート2001]]
* [[エイプリルの七面鳥]]
* [[エンド・オブ・ザ・ワールド (2012年の映画)|エンド・オブ・ザ・ワールド]](ダイアン)
* [[王の願い ハングルの始まり]](昭憲王后〈チョン・ミソン〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=TCエンタテインメント|url=https://www.tc-ent.co.jp//products/detail/TCED-6065|title=王の願い ハングルの始まり|accessdate=2021-11-07}}</ref>)
* 狼男 (サム 〈[[キンバリー・J・ブラウン]]〉)
* [[喜劇王]]
* [[キング・コング (2005年の映画)|キング・コング]]
* [[グッバイ、レーニン!]]
* [[グリーン・ナイト]](ガウェインの母)
* [[コーラス (映画)|コーラス]]
* [[ザ・リスト 官能の罠]]
* [[ジェネラル 天国は血の匂い]]
* [[シカゴ・ドライバー]]
* 68キル(モニカ〈シェイラ・ヴァンド〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wowow.co.jp/detail/113137/-/02|title=68キル|website=WOWOWオンライン|accessdate=2021-03-18}}</ref>)
* [[重要参考人 (映画)|重要参考人]]
* [[スカートの奥で]]
* [[スパイダーズ]]
* [[スモールワールド/15センチの魔法]](シュミット校長先生〈アーニャ・クリング〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=インターフィルム|url=http://www.interfilm.co.jp/Detail/21/ifd_1072/ifd_1072.html|title=スモールワールド/15センチの魔法|accessdate=2021-01-06}}</ref>)
** [[スモール・アドベンチャー/パパママ救出大作戦]]<ref>{{Cite web|和書|publisher=インターフィルム|url=http://www.interfilm.co.jp/Detail/21/ifd_1077/ifd_1077.html|title=スモール・アドベンチャー/パパママ救出大作戦|accessdate=2021-03-08}}</ref>
* [[聖なる犯罪者]](リディア〈アレクサンドラ・コニェチュナ〉<ref>{{Cite web|和書|work=PONYCANYON NEWS|url=https://news.ponycanyon.co.jp/2021/04/53137|title=第92回アカデミー賞(R)ノミネート!映画『聖なる犯罪者』がデジタル配信&ブルーレイ発売決定!豪華吹替声優陣からのコメントも到着|accessdate=2021-04-28}}</ref>)
* [[ダーク・タイド]]('''ケイト'''〈[[ハル・ベリー]]〉)
* [[第一の嘘]]
* [[ダブル・クライム]]
* [[チョコレート (映画)|チョコレート]]
* [[ディープ・ライジング]]
* [[666 (映画)|666]](デビルズ・サイン)
* [[デモンズ・ナイト]]
* [[21ブリッジ]](リー)
* [[ドッグ・ソルジャー (2002年の映画)|ドッグ・ソルジャー]](ミーガン〈エマ・クレズビー〉)
* [[ドリームキャッチャー 呪われた魔除け]]('''ゲイル'''〈[[ラダ・ミッチェル]]〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=株式会社アメイジングD.C.|url=http://www.amazing-dc.jp/dvd/202106/dvd12.php|title=ドリームキャッチャー 呪われた魔除け|accessdate=2021-04-17}}</ref>)
* [[トリックベイビー]]
* [[虹蛇と眠る女]]('''キャサリン'''〈[[ニコール・キッドマン]]〉)
* [[ノーエスケープ]]
* [[背徳令嬢]]
* [[ハイ・ライフ (2018年の映画)|ハイ・ライフ]](ディブス〈[[ジュリエット・ビノシュ]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=29957|title=ハイ・ライフ|website=スター・チャンネル|accessdate=2021-11-19}}</ref>)
* [[ハプニング (映画)|ハプニング]]
* パリ、憎しみという名の罠(ドリー)
* [[フォーン・ブース]]
* [[ブラック・ダイヤモンド]]
* [[フラッシュフラッド]]
* [[ブリザード (映画)|ブリザード]]
* [[プロフェッツ・ゲーム]]
* [[ブロンドの甘い罠]]
* [[ベイサイド・ウェポン]]
* [[ベッカムに恋して]]
* [[ポゼスト 狂血]]
* [[マティアス&マキシム]](マノン〈[[アンヌ・ドルヴァル]]〉<ref>{{Cite web|和書|work=リアルサウンド|url=https://realsound.jp/movie/2021/01/post-698138.html|title=森久保祥太郎&寺島拓篤、『マティアス&マキシム』BD&DVD収録の日本語吹替版キャストに|accessdate=2021-01-28}}</ref>)
* [[ミッシング (2003年の映画)|ミッシング]]
* [[モンスーン・ウェディング]]
* [[夢見る頃を過ぎても (映画)|夢見る頃を過ぎても]]
* [[ライフ・オブ・クライム]]('''ミッキー'''〈[[ジェニファー・アニストン]]〉)
* [[ラグタイム しっちゃかめっちゃか大騒動]]
* [[リクルート (映画)|リクルート]]
* [[ルナ・パパ]]
* [[恋愛適齢期]]
* [[ローラーボール (2002年の映画)|ローラーボール]] ※テレビ東京版
* [[ロブスター (映画)|ロブスター]]('''近眼の女'''〈[[レイチェル・ワイズ]]〉)
==== ドラマ ====
* [[オー・マイ・クムビ]]('''コ・カンヒ'''〈[[パク・ジニ]]〉)
* [[射鵰英雄伝 (2003年のテレビドラマ)|射鵰英雄伝]](韓小瑩)
* [[パワーレンジャー・ライトスピード・レスキュー]](バイプラ、サイモン、子供の頃のカーター・クレイソン、子供の頃のライアン・ミッチェル、ジョアン)
* [[レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 書剣恩仇録]](ホチントン)
==== アニメ ====
* [[アグリードール (映画)|アグリードール]]
* ウィーリー ヒロイン救出大作戦(ママ)
* [[かたつむリンピック]](グラディス)
* [[氷の国のスイフティ 北極危機一髪!]](マグダ<!-- 〈声:[[アンジェリカ・ヒューストン]]〉 --><ref>{{Cite web|和書|publisher=インターフィルム|url=http://www.interfilm.co.jp/Detail/20/ifd_1033/ifd_1033.html|title=氷の国のスイフティ 北極危機一髪!|accessdate=2020-07-03}}</ref>)
* [[ティーン・タイタンズ (アニメ)|ティーン・タイタンズ]](レンタルビデオショップの店員)
* [[ナッツジョブ リバティパーク奪還作戦!!]](プレシャス<!-- 〈声:[[マーヤ・ルドルフ]]〉 -->)
* [[フォスターズ・ホーム]]('''フランキー'''; 2005〜2006年)
* [[レスキューせんエリアスと海ではたらく仲間たち]](海のクイーン)
*[[レゴ ニンジャゴー (テレビアニメ)]](ドッグシャンク)
*れいぞうこのくにのココモン(キャンディパン)
=== ドラマCD ===
* [[アクエリアンエイジ]](藤宮真由美、ルシフェル)
* 君臨せよ(町の女)
* [[THE MANZAI (小説)|THE MANZAI]](瀬田の母)
* [[Dクラッカーズ]](姫木梓)
* 伯爵様は魅惑のハニーがお好き(遠山聖子)
* [[プラネットガーディアン]](エリザ)
* ドラマCD[[フルーツバスケット (漫画)|フルーツバスケット]](木之下南)
* 僕の銀狐(8歳の孝之)
* [[真夜中の弥次さん喜多さん|真夜中の弥次さん喜多さん 愛と幻覚のセレナーデ]](アケミ)
* 恋愛のスキル
=== オーディオブック ===
* 無花果の実のなるころに お蔦さんの神楽坂日記
* ヴィクトリア朝怪奇冒険譚シリーズ 全3巻
* ウェディング・ドレスに紅いバラ
* うどん キツネつきの
* 裏染天馬シリーズ
**体育館の殺人
**水族館の殺人
**風ヶ丘五十円玉祭りの謎
**図書館の殺人
* オーリエラントの魔道師シリーズ 3巻 太陽の石
* [[押絵の奇蹟]]
* 終わらない歌
* [[駈込み訴え]]
* [[風立ちぬ (小説)|風立ちぬ]]
* 風とタンポポ ~惑星環物語~
* 機巧姫流離譚(からくりひめりゅうりたん)
* [[硝子の塔の殺人]]
* 記憶翻訳者 全2巻
* 君に読ませたいミステリがあるんだ
* [[グイン・サーガ]] 1~7巻
* [[崩れる脳を抱きしめて]]
* [[クラッシャージョウ]] 1巻 連帯惑星ピザンの危機
* 暗闇にレンズ
* 剣崎比留子シリーズ 1~2巻
** [[屍人荘の殺人]]
** 魔眼の匣の殺人
** [[兇人邸の殺人]]
* 強欲な羊
* 五色の殺人者
* サーチライトと誘蛾灯
* 時空旅行者の砂時計
* ずっとお城で暮らしてる
* 星界シリーズ
** [[星界の紋章]] 全3巻
** [[星界の戦旗]] 1~5巻
** [[星界の断章]] 1~3巻
* ゼピュロシア・サーガ 西風の戦
* [[総理の夫|総理の夫 First Gentleman 新版]]
* [[小さき者へ]]
* 天駆せよ法勝寺
* 夏の呼吸
* 夏の魔術シリーズ 全4巻
* 七十四秒の旋律と孤独
* ぬばたまおろち、しらたまおろち
* [[野菊の墓]]
* BISビブリオバトル部シリーズ 1~2巻
* ビースト・ストランディング
* 病棟シリーズ
** [[仮面病棟]]
** 時限病棟
* 風牙
* [[放課後はミステリーとともに]] 全2巻
* 星砕きの娘
* 滅びの鐘
* マヴァール年代記 1~2巻
* 〈マリア&漣〉シリーズ
** ジェリーフィッシュは凍らない
** ブルーローズは眠らない
* ミツハの一族
* メグル
* もろこし銀侠伝
* [[幽霊塔]]
* よろこびの歌
* ラインの虜囚
* [[嗤う淑女]]シリーズ 全2巻
<!--50音順-->
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://studioteaparty.web.fc2.com/ studio TeaParty](自主制作のインターネットラジオ)
* [https://harunatsuakihuyu.sakeblog.net/ 公式ブログ -晴☆夏秋冬]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/浅井晴美/#person-110082596_ 浅井晴美の解説 - goo人名事典]
* {{Kinejun name}}
* {{Movie Walker name|193594}}
* {{Allcinema name}}
{{DEFAULTSORT:あさい はるみ}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:1972年生]]
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11,355 |
円盤投
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円盤投(えんばんなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、円盤を遠くに投げる能力を競う競技である。
陸上競技における正しい表記は円盤投であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では円盤投げと表記されることもある。
やり投と同じく、古代オリンピックから種目だったとされる。また、もう一つの起源としてネアンデルタール人のムスティエ文化の中でも円盤型の石が使用されていたことが確認されている。
2.5メートルの円形の場所(サークル)から投げ、水平面34.92度の角度のライン内に入ったものだけが有効試技(良し)となり、ラインに触れる、またはサークル外(サークルの1.25mにあるライン前)に出る、もしくはラインの後ろからであっても投げた勢いを殺せずそのままサークルから出てしまうと無効試技(ファール)となる。 また、円盤投では落ちた地点にペグ(地面に突き刺し、選手・審判にどこに落ちたかをわからせる道具。数字が書かれている。)を使うこともある(特に高校・中学校の大会で多い)。
|
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"title": "ルール"
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円盤投(えんばんなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、円盤を遠くに投げる能力を競う競技である。 陸上競技における正しい表記は円盤投であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では円盤投げと表記されることもある。
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[[Image:Greek statue discus thrower 2 century aC.jpg|thumb|200px|[[ミュロン]]作「円盤投」(2世紀頃の縮小複製、[[グリュプトテーク]]蔵]]
'''円盤投'''(えんばんなげ)は、[[陸上競技]]の[[投擲]]競技に属する種目で、[[円盤]]を遠くに投げる能力を競う競技である。
陸上競技における正しい表記は'''円盤投'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''円盤投げ'''と表記されることもある。
== 起源 ==
[[ファイル:Discobolus Kleomelos Louvre G111.jpg|thumb|150px|古代ギリシャの陶器に描かれた、円盤投げをする若い男(紀元前510年~500年、[[ルーブル美術館]]蔵)]]
<!--円盤投の起源と思われる描写が[[ホメロス]]の『[[イリアス]]』の中に見られ、←★23歌『パトロクロスの葬送競技』の事だと思うが、23歌を確認したところ円盤投は行っていない-->[[やり投]]と同じく、古代オリンピックから種目だったとされる。また、もう一つの起源として[[ネアンデルタール人]]の[[ムスティエ文化]]の中でも円盤型の石が使用されていたことが確認されている。
== ルール ==
2.5[[メートル]]の円形の場所(サークル)から投げ、水平面34.92度の角度のライン内に入ったものだけが有効試技('''良し''')となり、ラインに触れる、またはサークル外(サークルの1.25mにあるライン前)に出る、もしくはラインの後ろからであっても投げた勢いを殺せずそのままサークルから出てしまうと無効試技('''ファール''')となる。
また、円盤投では落ちた地点に'''ペグ'''(地面に突き刺し、選手・審判にどこに落ちたかをわからせる道具。数字が書かれている。)を使うこともある(特に高校・中学校の大会で多い)。
== 重さ ==
*一般男子:2キログラム
*一般女子:1キログラム
*高校男子:1.75キログラム(旧1.5キログラム)
*高校女子:1キログラム
*世界ジュニア規格男子:1.75キログラム
*中学男子:1.5キログラム(2012年度から1.5キログラムに変更された。それ以前は1キログラムで試技されていた。)
*中学女子:1キログラム
==男子・記録==
{| class="wikitable"
!記録!!距離!!名前!!所属!!日付!!大会名
|-
|世界||74m08||[[ユルゲン・シュルト]]||{{DDR}}||[[1986年]][[6月6日]]||
|-
|アジア||69m32||[[エサン・ハダディ]]||{{IRI}}||[[2008年]][[6月3日]]||
|-
|日本||62m59||[[堤雄司]]||[[綜合警備保障#主要関連会社|ALSOK群馬]]||[[2020年]][[3月27日]]||国士舘大学競技会
|-
|学生||60m69||幸長慎一||[[四国大学]]院(M2)||[[2021年]][[5月29日]]||徳島県チャレンジ記録会
|-
|Jr日本(1.75kg)||58m80||安藤夢||[[東海大学]](2)||[[2016年]][[6月6日]]||アジアジュニア
|-
|Jr日本(2.00kg)||54m92||安藤夢||[[東海大学]](2)||[[2016年]][[5月4日]]||東海大競技会
|-
|高校(1.5kg)||61m53||堤雄司||[[北海道札幌拓北高等学校]](3)||[[2007年]][[6月22日]]||北海道高校総体
|-
|高校(1.75kg)||58m38||山下航生||[[岐阜市立岐阜商業高等学校]](3)||[[2018年]][[10月20日]]||U20日本選手権
|-
|中学(1.0kg)||69m08||石山歩||[[福崎町立福崎東中学校]](3)||[[2011年]][[7月21日]]||中播地区中学総体
|-
|中学(1.5kg)||51m23||[[幸長慎一]]||[[姫路市立東中学校]](3)||[[2012年]][[10月27日]]||ジュニアオリンピック
|}
==女子・記録==
{| class="wikitable"
!記録!!距離!!名前!!所属!!日付!!大会名
|-
|世界||76m80||[[ガブリエレ・ラインシュ]]||{{DDR}}||[[1988年]][[7月9日]]||
|-
|アジア||71m68||{{仮リンク|肖艶玲|zh|肖艷玲}}||{{CHN}}||[[1992年]][[3月14日]]||
|-
|日本||59m03||[[郡菜々佳]]||[[九州共立大学]](3)||[[2019年]][[3月23日]]||九州共立大学競技会
|-
|学生||59m03||[[郡菜々佳]]||[[九州共立大学]](3)||[[2019年]][[3月23日]]||九州共立大学競技会
|-
|Jr日本||55m53||齋藤真希||[[東京女子体育大学]](2)||[[2020年]][[10月25日]]||北九州カーニバル
|-
|高校||54m00||齋藤真希||[[山形県立鶴岡工業高等学校]](3)||[[2019年]][[3月29日]]||東海大種目別競技会
|-
|中学||44m57||齋藤真希||庄内町立余目中学校(3)||[[2015年]][[10月10日]]||酒田市秋季記録会
|-
|}
== 男子・世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
!位!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|style="text-align: right;"|1||74m08||[[ユルゲン・シュルト]]||{{GDR}}||[[1986年]][[6月6日]]
|-
|style="text-align: right;"|2||73m88||[[ウィルギリウス・アレクナ]]||{{LTU}}||[[2000年]][[8月3日]]
|-
|style="text-align: right;"|3||73m38||[[ゲルド・カンテル]]||{{EST}}||[[2006年]][[9月4日]]
|-
| rowspan="3" style="text-align: right;" |4|| rowspan="3" |71m86||[[ユーリ・ドゥムチェフ]]||{{URS}}||[[1983年]][[5月29日]]
|-
|{{仮リンク|ダニエル・スタール|en|Daniel Ståhl}}||{{SWE}}||[[2019年]][[6月29日]]
|-
|[[クリスチャン・チェー]]||{{Flagicon|SVN}}[[スロベニア]]||[[2023年]][[6月16日]]
|-
| style="text-align: right;" |7||71m84||{{仮リンク|ピョートル・マラチョフスキ|en|Piotr Małachowski}}||{{POL}}||[[2013年]][[6月8日]]
|-
| style="text-align: right;" |8||71m70 ||{{仮リンク|ローベルト・ファゼカシュ|en|Róbert Fazekas}}||{{HUN}}||[[2002年]][[7月14日]]
|-
| style="text-align: right;" |9||71m50 ||[[ラルス・リーデル]]||{{GER}}||[[1997年]][[5月3日]]
|-
| style="text-align: right;" |10||71m32 ||{{仮リンク|ベン・プラックネット|en|Ben Plucknett}}||{{USA}}||[[1983年]][[7月4日]]
|}
== 女子・世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
!位!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|style="text-align: right;"|1||76m80||[[ガブリエレ・ラインシュ]]||{{GDR}}||[[1988年]][[7月9日]]
|-
|style="text-align: right;" rowspan="2"|2||rowspan="2"|74m56||{{仮リンク|ズデンカ・シルハバ|en|Zdeňka Šilhavá}}||{{TCH}}||[[1984年]][[8月26日]]
|-
|[[イルケ・ヴィルダ]]||{{GDR}}||[[1989年]][[7月23日]]
|-
|style="text-align: right;"|4||74m08||[[ディアナ・ガンスキー]]||{{GDR}}||[[1987年]][[7月20日]]
|-
|style="text-align: right;"|5||73m84 ||{{仮リンク|ダニエラ・コスティアン|en|Daniela Costian}}||{{ROM1965}}||[[1988年]][[4月30日]]
|-
|style="text-align: right;"|6||73m36 ||{{仮リンク|イリーナ・メシンスキ|en|Irina Meszynski}}||{{GDR}}||[[1984年]][[8月17日]]
|-
|style="text-align: right;"|7||73m28 ||{{仮リンク|ガリーナ・サヴィンコワ|en|Galina Savinkova}}||{{URS}}||[[1984年]][[9月8日]]
|-
|style="text-align: right;"|8||73m22 ||[[ツベタンカ・フリストワ]]||{{BUL1971}}||[[1987年]][[4月19日]]
|-
|style="text-align: right;"|9||73m10 ||{{仮リンク|ギゼラ・バイヤー|en|Gisela Beyer}}||{{GDR}}||[[1984年]][[7月20日]]
|-
|style="text-align: right;"|10||72m92 ||[[マルティナ・ヘルマン]]||{{GDR}}||[[1987年]][[8月20日]]
|}
== 男子・日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable sortable"
|+
!位!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
| style="text-align: right;" |1||62m59||[[堤雄司]]||[[綜合警備保障#主要関連会社|ALSOK群馬]]||[[2020年]][[3月27日]]
|-
| style="text-align: right;" |2||62m52 ||[[幸長慎一]]||[[四国大学]]職||[[2023年]][[4月8日]]
|-
| style="text-align: right;" |3||62m16||[[湯上剛輝]]||[[トヨタ自動車]]||[[2018年]][[6月24日]]
|-
| style="text-align: right;" |4||60m22||[[川崎清貴]]||[[大昭和製紙]]||[[1979年]][[4月22日]]
|-
| style="text-align: right;" |5||60m10 ||[[畑山茂雄]]||[[ゼンリン]]||[[2007年]][[6月3日]]
|-
| style="text-align: right;" |6||58m53 ||米沢茂友樹||オリコ陸上部||[[2017年]][[6月25日]]
|-
| style="text-align: right;" |7||58m36||知念豪||[[ゼンリン]]||[[2016年]][[6月26日]]
|-
| style="text-align: right;" |8||58m08||山崎祐司||竜ヶ崎一高教||[[1986年]][[4月12日]]
|-
| style="text-align: right;" |9||57m18 ||[[小林志郎]]||[[新潟日報社]]||[[2009年]][[6月25日]]
|-
| style="text-align: right;" |10||56m83 ||蓬田和正||国士舘クラブ||[[2013年]][[7月6日]]
|}
== 女子・日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
!位!!距離!!名前!!所属!!日付
|-
|1||59m03||[[郡菜々佳]]||[[九州共立大学]]||[[2019年]][[3月23日]]
|-
|2||58m62||[[室伏由佳]]||[[ミズノ]]||[[2007年]][[5月13日]]
|-
|3||57m43||齋藤真希||[[東京女子大学]]||[[2022年]][[5月20日]]
|-
|4||56m51||中西美代子||[[ミキハウス]]||[[2000年]][[10月18日]]
|-
|5||56m08||[[北森郁子]]||添上高教||[[1987年]][[6月13日]]
|-
|6||55m17||山口智子||呉市体育振興||[[2005年]][[10月2日]]
|-
|7||54m46||辻川美乃利||[[筑波大学]]院||[[2019年]][[5月1日]]
|-
|8||54m22||髙橋亜弓||[[筑波大学]]院||[[2012年]][[9月12日]]
|-
|9||54m05||川口紅音||第一学院高等学校||[[2022年]][[3月26日]]
|-
|10||53m67||池田理恵||原町高教||[[2001年]][[4月22日]]
|-
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
| rowspan="2" |1936|| rowspan="2" |[[ベルリンオリンピック|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]|| rowspan="2" |{{DEU1935}}||[[中村コウ]]||4位||38m24
|-
|[[峰島秀]]||5位||37m35
|-
|1952||[[ヘルシンキオリンピック|第15回オリンピック競技大会(ヘルシンキ)]]||{{FIN}}||[[吉野トヨ子]]||4位||43m81
|-
|}
*現在日本においては、男女ともに選手層の薄い種目の一つであるが、戦前の[[ベルリンオリンピック]]では、女子で中村コウが4位、峰島秀が5位と2名の入賞者を出し、[[ヘルシンキオリンピック]]では[[吉野トヨ子]]が4位入賞したことがあるかつての日本女子投擲伝統の種目でもある。女子は[[1928年]]から日本記録として公認されている。<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号330p</ref> 男子では、[[荒木紀一]]([[中央大学]])が唯一[[1964年東京オリンピック]]代表候補選手に選出されている。
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Discus throw}}
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/fan 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
* [http://www.jaaf.or.jp/athlete/rule/ 日本陸上競技連盟 ルールブック]
{{スポーツ一覧}}
{{陸上競技}}
{{古代オリンピック}}
{{Normdaten}}{{DEFAULTSORT:えんはんなけ}}
[[Category:陸上競技種目]]
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%9B%A4%E6%8A%95
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11,356 |
野本絵理
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野本 絵理(のもと えり、1969年2月24日 - )は、日本の女性声優。千葉県出身。旧名は、馬田 賀弥子(ばだ かやこ)、馬田 かやこ、麻丘 夏未(あさおか なつみ)。
東京アナウンス学院出身。1994年から2012年5月までマウスプロモーションに所属していた。
アニメ、外画の吹き替えを数多く担当しており、VP、ナレーション、舞台等でも活躍している。
趣味・特技はスキー、フルート。
1990年
1990年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2003年
1990年
1993年
1996年
2000年
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1999年
1994年
1995年
1996年
1998年
2000年
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] |
野本 絵理は、日本の女性声優。千葉県出身。旧名は、馬田 賀弥子、馬田 かやこ、麻丘 夏未。
|
{{声優
| 名前 = 野本 絵理
| ふりがな = のもと えり
| 画像ファイル =
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| 画像コメント =
| 愛称 =
| 性別 = [[女性]]
| 本名 = 馬田 佳屋子<br/>(ばだ かやこ)<ref name="jiten">{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 第二版|page=332|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn = 4-87376-160-3 }}</ref>
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}}
'''野本 絵理'''(のもと えり、[[1969年]]<ref>『タレントデータバンク2010』、794項、株式会社タレントデータバンク、2010年、ISBN 978-4990457112</ref>[[2月24日]]<ref name="nifty">{{Cite web|和書|url=http://talent.nifty.com/cs/catalog/talent_tdb-talent/catalog_2000066119_1.htm |title=野本 絵理|@nifty タレント図鑑 |accessdate=2012-07-08|archiveurl=https://archive.li/eoeQ|archivedate=2012-07-17}}</ref> - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[千葉県]]出身<ref name="nifty"/>。旧名は、'''馬田 賀弥子'''(ばだ かやこ)、'''馬田 かやこ'''、'''麻丘 夏未'''(あさおか なつみ)<ref name="jiten" />。
== 略歴 ==
[[東京アナウンス学院]]出身<ref name="mausu">{{Cite web|和書|date=|url=http://www.mausu.net/talent/tpdb_view.cgi?UID=54|title=野本 絵理|publisher=マウスプロモーション|accessdate=2023-11-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110617062536/http://www.mausu.net/talent/tpdb_view.cgi?UID=54|archivedate=2011-06-17}}</ref>。1994年から2012年5月まで[[マウスプロモーション]]に所属していた<ref name="mausu" />。
== 人物 ==
アニメ、外画の吹き替えを数多く担当しており、VP、ナレーション、舞台等でも活躍している<ref name="nifty"/>。
趣味・特技はスキー、フルート<ref name="mausu" />。
== 出演 ==
=== テレビアニメ ===
* [[それいけ!アンパンマン]](アリ女王)
'''1990年'''
* [[つる姫じゃ〜っ!]](吾作<ref name="jiten" />)
'''1990年'''
* [[クッキングパパ]](保母、少年、大介の母、マリ 他)
'''1993年'''
* [[ムカムカパラダイス]](ローザ姫<ref name="jiten" />)
'''1994年'''
* [[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]](店員)
* [[BLUE SEED]](アナウンサー)
'''1995年'''
* [[バーチャファイター (アニメ)|バーチャファイター]](ダミー、ドミニカ)
* [[ママはぽよぽよザウルスがお好き]](磯部みどり先生)
'''1996年'''
* [[ハーメルンのバイオリン弾き]](リラ)
'''1997年'''
* [[EAT-MAN]]
* [[VIRUS|VIRUS ‐VIRUS BUSTER SERGE‐]](ビジョン)
* [[BØY|HARELUYA II BØY]](ナオミ)
*[[勇者王ガオガイガー]](少年)
'''1998年'''
* [[serial experiments lain]](秘書)
* [[魔術士オーフェン (アニメ)|魔術士オーフェン]](マリスの母)
'''1999年'''
* [[イソップワールド]](ポーラ)
* [[臣士魔法劇場 リスキー☆セフティ]](綾瀬恵)
* [[セラフィムコール]](赤崎先生、母親)
* [[∀ガンダム]](エストロリータ)
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](スチュワーデスA)
* [[レレレの天才バカボン]](火事場の女、美代子)
'''2003年'''
* [[GAD GUARD]](ヒルダ・F・ハーモニー)
* [[人間交差点]](看護士)
=== OVA ===
'''1990年'''
* [[機動戦士SDガンダム|機動戦士SDガンダムMk-III]]([[キャラ・スーン]]、破羅守当音)
'''1993年'''
* [[らんま1/2|らんま1/2 シャンプー豹変! 反転宝珠の禍]]
'''1996年'''
* [[KEY THE METAL IDOL]](看護婦、猯尾谷の人々 他)
* [[地獄堂霊界通信]]
'''2000年'''
* [[エクスドライバー]]
=== 劇場アニメ ===
'''1995年'''
* [[ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス]](機内アナウンス)
'''1999年'''
* [[め組の大吾|め組の大吾 火事場のバカヤロー]](要救助者)
=== ゲーム ===
'''1994年'''
* COMIC [[爆れつハンター]] (町人1)
'''1995年'''
* [[制服伝説 プリティ・ファイター|制服伝説プリティ・ファイターX]](紺野警子)
'''1996年'''
* [[ガーディアンヒーローズ]](カティ・サーク)
'''1998年'''
* [[新世代ロボット戦記ブレイブサーガ]](芹沢愛美)
'''2000年'''
* [[ブレイブサーガ2]](芹沢愛美)
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[イージー・マネー/一獲千金]](アリスン〈[[ジェニファー・ジェイソン・リー]]〉)※[[テレビ東京]]版
* [[キャンディマン3]](リナ)
* [[刑事ジョー ママにお手上げ]] ※[[フジテレビジョン|フジテレビ]]版
* [[依頼人|ザ・クライアント 依頼人]](カレン)※ソフト版
* [[007 ゴールデンアイ]](キャロライン)※ソフト版
==== テレビドラマ ====
* [[クライム・ストーリー]](ロニー、ファーニー)
* [[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー|パワーレンジャー]](インストラクター)
==== アニメ ====
* [[ザ・シンプソンズ]](科学者)
=== ドラマCD ===
* [[KEY THE METAL IDOL|KEY THE METAL IDOL RADIO PROGRAM #1「友だち」]](女生徒B)
* [[ストリートファイターZERO|ストリートファイターZERO2外伝 さくら・もっとも危ない女子高生]](由美)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20110617062536/http://www.mausu.net/talent/tpdb_view.cgi?UID=54 マウスプロモーションによる公式プロフィール](2011年6月17日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
* [https://thetv.jp/person/1000015018/ 麻丘夏未のプロフィール {{!}} WEBザテレビジョン]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/野本絵理/#person-110159543_ 野本絵理の解説 - goo人名事典]
<!--映画.com 287357 はおそらくこの野本さんだが、2021-12-02時点でこのwikipediaページとマウスプロモーション公式などに挙げられていない一作品のみなので…
* {{映画.com name|id=287357|name=馬田賀弥子}}
-->
{{voice-stub}}
{{DEFAULTSORT:のもと えり}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:千葉県出身の人物]]
[[Category:1969年生]]
[[Category:過去のマウスプロモーション所属者]]
[[Category:存命人物]]
|
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11,357 |
ハンマー投
|
ハンマー投(ハンマーなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、ハンマーを遠くに投げる能力を競う競技である。アイルランドが発祥のスポーツで、金槌に鎖を付けて投げていたというのが始まりとされている。
ハンマーは、長さが男子1.175 - 1.215メートル、女子1.160 - 1.195メートルのワイヤーの先に砲丸がついている。ハンマー全体(砲丸・ワイヤー・グリップ)の重さの合計は、男子が7.260キロ(16ポンド)、女子が4.000キロ(8.82ポンド)。直径2.135メートル(7フィート)の円形の場所から投げる。水平面の角度34.92度のラインの内側に入ったものだけが有効試技となる。
回転数は選手によって異なるが、通常は3回転か4回転で投げる。世界記録保持者のユーリ・セディフは3回転投げ、日本記録保持者の室伏広治は4回転投げである。以前は3回転投げが主流であったが、現在ほとんどのトップアスリートは4回転で投げている。
重いハンマーを高回転で安定的に投げる技術力と、投げる瞬間、背筋に掛かる400kg以上の負荷を支える強靭な肉体の双方が必要で、総合的に体の筋肉と精神面を含めてある程度の時間と経験を積まなければトップアスリートにはなれないとされる。それ故にこの種目におけるトップアスリートは20代後半から30代の選手が比較的多い。20代半ばであればこの競技ではまだ若手と言われる年齢である。その為、他の陸上競技と比しても選手寿命は非常に長く、40代でなお現役の選手は他の競技と比べれば非常に多い。
陸上競技における正しい表記はハンマー投であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面ではハンマー投げと表記されることもある。
女子は1993年から日本記録として公認されている。
*記録を出した当時はソビエト連邦
*記録を出した当時はソビエト連邦
*記録を出した当時はソビエト連邦。アジア陸上競技連盟はAshraf Amgad Elseifyの記録をジュニアアジア記録としている。
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] |
ハンマー投(ハンマーなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、ハンマーを遠くに投げる能力を競う競技である。アイルランドが発祥のスポーツで、金槌に鎖を付けて投げていたというのが始まりとされている。
|
[[ファイル:John Flanagan.jpg|thumb|250px|オリンピック3大会連続で金メダルを獲得した[[ジョン・フラナガン (陸上選手)|ジョン・フラナガン]]]]
[[File:Throwing Cage - geograph.org.uk - 33131.jpg|thumb|ハンマー投用のケージ]]
'''ハンマー投'''(ハンマーなげ)は、[[陸上競技]]の[[投擲]]競技に属する種目で、'''ハンマー'''を遠くに投げる能力を競う競技である。[[アイルランド]]が発祥の[[スポーツ]]で、[[槌|金槌]]に[[鎖]]を付けて投げていたというのが始まりとされている。
[[ファイル:Men's Hammer Throw Final - 28th Summer Universiade 2015 Gwangju.webm|サムネイル]]
== 概要 ==
ハンマーは、長さが男子1.175 - 1.215[[メートル]]、女子1.160 - 1.195メートルのワイヤーの先に砲丸がついている。ハンマー全体(砲丸・ワイヤー・グリップ)の重さの合計は、男子が7.260[[キログラム|キロ]](16ポンド)、女子が4.000キロ(8.82ポンド)<ref>この値はジュニアを含めて男女とも[[砲丸投]]の砲丸の重さに等しい</ref>。直径2.135メートル(7[[フィート]])の円形の場所から投げる。水平面の角度34.92度<ref>この角度は、投てき角度を示すラインがサークルの中心から20mの地点において12m(20×0.600)の間隔になる角度である</ref>のラインの内側に入ったものだけが有効試技となる。
回転数は選手によって異なるが、通常は3回転か4回転で投げる。世界記録保持者の[[ユーリ・セディフ]]は3回転投げ、日本記録保持者の[[室伏広治]]は4回転投げである。以前は3回転投げが主流であったが、現在ほとんどのトップ[[アスリート]]は4回転で投げている。
重いハンマーを高回転で安定的に投げる技術力と、投げる瞬間、背筋に掛かる400kg以上の負荷を支える強靭な肉体の双方が必要で、総合的に体の筋肉と精神面を含めてある程度の時間と経験を積まなければトップアスリートにはなれないとされる。それ故にこの種目におけるトップアスリートは20代後半から30代の選手が比較的多い。20代半ばであればこの競技ではまだ若手と言われる年齢である。その為、他の陸上競技と比しても選手寿命は非常に長く、40代でなお現役の選手は他の競技と比べれば非常に多い。
陸上競技における正しい表記は'''ハンマー投'''であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では'''ハンマー投げ'''と表記されることもある。
女子は[[1993年]]から日本記録として公認されている<ref>「[[陸上競技マガジン]]」[[1999年]]記録集計号330p</ref>。
==世界歴代10傑==
{| class="wikitable sortable mw-collapsible"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||86m74||[[ユーリ・セディフ]]||{{SSR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1986年]][[8月30日]]
|-
|2||86m04||[[セルゲイ・リトビノフ]]||{{SSR}}||[[ドレスデン]]||[[1986年]][[7月3日]]
|-
|3||84m90||[[ワディム・デフヤトフスキー]]||{{BLR}}||[[ミンスク]]||[[2005年]][[7月21日]]
|-
|4||84m86||[[室伏広治]]||{{JPN}}||[[プラハ]]||[[2003年]][[6月29日]]
|-
|5||84m62||[[イゴール・アスタプコビッチ]]||{{BLR}}||[[セビリア]]||[[1992年]][[6月6日]]
|-
|6||84m48||[[イゴール・ニクリン]]||{{SSR}}||[[ローザンヌ]]||[[1990年]][[7月12日]]
|-
|7||84m40||[[ユーリー・タム]]||{{SSR}}||[[バンスカー・ビストリツァ]]||[[1984年]][[9月9日]]
|-
|8||84m32||[[イワン・チホン]]||{{BLR}}||[[ミンスク]]||[[2003年]][[8月8日]]
|-
|9||84m19||[[アドリアン・アヌシュ]]||{{HUN}}||[[ソンバトヘイ]]||[[2003年]][[8月10日]]
|-
|10||83m93||{{仮リンク|パベウ・ファイデク|en|Paweł Fajdek}}||{{POL}}||[[シュチェチン]]||[[2015年]][[8月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|4.000キログラム
|-
|1||82m98||[[アニタ・ヴォダルチク]]||{{POL}}||[[ワルシャワ]]||[[2016年]][[8月28日]]
|-
|2
|80m31
|{{仮リンク|デアンナ・プライス|en|DeAnna Price}}
|{{USA}}
|[[ユージン]]
|[[2021年]][[6月27日]]
|-
|3
|79m80
|[[ブルック・アンダーソン]]
|{{USA}}
|[[バージン]]
|[[2023年]][[4月20日]]
|-
|4||79m42||[[ベティ・ハイドラー]]||{{GER}}||[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]||[[2011年]][[5月21日]]
|-
|5||78m80||[[タチアナ・ルイセンコ]]||{{RUS}}||[[モスクワ]]||[[2013年]][[8月16日]]
|-
|6
|78m67
|[[カムリン・ロジャーズ]]
|{{CAN}}
|[[ロサンゼルス]]
|[[2023年]][[5月26日]]
|-
|7
|78m00
|[[ジャニー・カサナボイド]]
|{{USA}}
|[[ツーソン]]
|[[2022年]][[5月21日]]
|-
|8||77m78||{{仮リンク|グウェン・ベリー|en|Gwen Berry}}||{{USA}}||[[ホジュフ]]||[[2018年]][[6月8日]]
|-
|9||77m68||{{仮リンク|王崢|en|Wang Zheng (hammer thrower)}}||{{CHN}}||[[成都市]]||[[2014年]][[3月29日]]
|-
|10||77m33||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[仁川広域市|仁川]]||[[2014年]][[9月28日]]
|}
* イワン・チホンは2005年7月3日に世界歴代2位となる86m73を記録していたが、2014年にドーピング違反への措置として[[国際陸上競技連盟]]により2004年8月22日から2006年8月21日までの記録を抹消された<ref>[http://www.iaaf.org/news/iaaf-news/ivan-tikhon-nadzeya-ostapchuk-results-annulle REVISION OF RESULTS FOLLOWING SANCTIONS OF TSIKHAN AND OSTAPCHUK] IAAF 2014年4月27日</ref>ためベスト記録は2003年8月8日に記録した84m32となる<ref>[http://www.iaaf.org/athletes/belarus/ivan-tsikhan-130443#personal-bests ATHLETE PROFILE IVAN TSIKHAN]</ref>。
==エリア記録==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|[[アフリカ]]||81m27||{{仮リンク|モスタファ・アル=ガメル|en|Mostafa Al-Gamel}}||{{EGY}}||[[カイロ]]||[[2014年]][[3月21日]]
|-
|[[アジア]]||84m86||[[室伏広治]]||{{JPN}}||[[プラハ]]||[[2003年]][[6月29日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||86m74||[[ユーリ・セディフ]]||{{SSR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1986年]][[8月30日]]
|-
|[[北アメリカ]]||82m71||[[ルディ・ウィンクラー]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[6月20日]]
|-
|[[南アメリカ]]||78m63||{{仮リンク|ワグナー・ドミンゴス|en|Wagner Domingos}}||{{BRA}}||[[ツェリェ]]||[[2016年]][[6月19日]]
|-
|[[オセアニア]]||79m29||{{仮リンク|スチュアート・レンデル|en|Stuart Rendell}}||{{AUS}}||[[ヴァラジュディン]]||[[2002年]][[7月6日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|4.000キログラム
|-
|[[アフリカ]]||75m64||[[アネット・エキクンウォケ]]||{{NGA}}||[[ツーソン]] ||[[2021年]][[5月22日]]
|-
|[[アジア]]||77m68||{{仮リンク|王崢|en|Wang Zheng (hammer thrower)}}||{{CHN}}||[[成都市]]||[[2014年]][[3月29日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||82m98||[[アニタ・ヴォダルチク]]||{{POL}}||[[ワルシャワ]]||[[2016年]][[8月28日]]
|-
|[[北アメリカ]]||80m31||{{仮リンク|デアンナ・プライス|en|DeAnna Price}}||{{USA}}||[[ユージン]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|[[南アメリカ]]||73m74||{{仮リンク|ジェニファー・ダルグレン|en|Jennifer Dahlgren}}||{{ARG}}||[[ブエノスアイレス]]||[[2010年]][[4月10日]]
|-
|[[オセアニア]]||74m61||[[ジュリア・ラトクリフ]]||{{NZL}}||[[ツーソン]]||[[2021年]][[5月20日]]
|}
==U20世界歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||78m33||[[オリ=ペッカ・カルヤライネン]]||{{FIN}}||[[セイナヨキ]]||[[1999年]][[8月5日]]
|-
|2||78m14||[[ローラント・ステウク]]||{{GDR}}||[[ライプツィヒ]]||[[1978年]][[6月30日]]
|-
|3||78m00||[[セルゲイ・ドロゾン]]||{{UKR}}||[[モスクワ]]||[[1983年]][[8月7日]]*
|-
|4
|77m78
|[[ミハイロ・コハン]]
|{{UKR}}
|[[ドーハ]]
|[[2019年]][[10月2日]]
|-
|5
|76m67
|[[クリストス・フランゼスカキス]]
|{{GRC}}
|[[Pravets]]
|[[2019年]][[9月2日]]
|-
|6||76m54||[[ワレーリー・グブキン]]||{{BLR}}||[[ミンスク]]||[[1986年]][[6月27日]]*
|-
|7||76m42||[[ルスラン・ディキー]]||{{TJK}}||[[トリヤッチ]]||[[1991年]][[9月7日]]*
|-
|8||76m37||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2013年]][[4月10日]]
|-
|9||75m59||[[Guram Feroyev]]||{{RUS}}||[[カザン]]||[[2002年]][[6月26日]]
|-
|10||75m52||[[セルゲイ・キルマソフ]]||{{URS}}||[[ハルキウ]]||[[1989年]][[6月4日]]
|-
!colspan="6"|6.000キログラム
|-
|1||85m57||[[:en:Ashraf Amgad Elseify|Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
|2
|84m73
|[[ミハイロ・コハン]]
|{{UKR}}
|[[ボロース]]
|[[2019年]][[6月19日]]
|-
|3
|84m22
|[[クリストス・フランゼスカキス]]
|{{GRC}}
|[[ボロース]]
|[[2019年]][[6月19日]]
|-
|4||82m97||[[ハビエル・シエンフェゴス]]||{{ESP}}||[[マドリード]]||[[2009年]][[6月17日]]
|-
|5||82m84||[[:en:Quentin Bigot|Quentin Bigot]]||{{FRA}}||[[ボンドゥフル]]||[[2011年]][[10月16日]]
|-
|6||82m64||[[ベンス・ハラツ]]||{{HUN}}||[[ソンバトヘイ]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|7||82m62||[[エブゲニー・アイダミロフ]]||{{RUS}}||[[トゥーラ (ロシア)|トゥーラ]]||[[2006年]][[7月22日]]
|-
|8
|81m75
|[[フリプ・ピスクノフ]]
|{{UKR}}
|[[グロッセート|グロッセト]]
|[[2017年]][[6月21日]]
|-
|9
|81m73
|[[Aliaksandr SHYMANOVICH]]
|{{BLR}}
|[[ブレスト]]
|[[2017年]][[4月28日]]
|-
|10||81m34||[[クリスティアン・パルシュ]]||{{HUN}}||[[ソンバトヘイ]]||[[2001年]][[9月2日]]
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|4.000キログラム
|-
|1
|73m43
|[[シリヤ・コソネン]]
|{{FIN}}
|[[バーサ]]
|[[2021年]][[6月28日]]
|-
|2||73m24||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[長沙市|長沙]]||[[2005年]][[6月24日]]
|-
|3||71m71||[[カミラ・スコリモフスカ]]||{{POL}}||[[メルボルン]]||[[2001年]][[9月9日]]
|-
|4
|71m09
|[[Rose LOGA]]
|{{FRA}}
|[[オーボンヌ]]
|[[2021年]][[1月31日]]
|-
|5||70m62||[[:en:Alexandra Tavernier|Alexandra Tavernier]]||{{FRA}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
| rowspan="2" |7|| rowspan="2" |70m39||[[マリヤ・スマリャチコワ]]||{{BLR}}||[[ミンスク]]||[[2004年]][[6月26日]]
|-
|[[レカ・ジュラーツ]]||{{HUN}}||[[ブダペスト]]||[[2015年]][[5月23日]]
|-
|8||69m73||[[ナタリヤ・ゾロトゥヒナ]]||{{UKR}}||[[キエフ]]||[[2004年]][[7月24日]]
|-
|9||69m63||[[ビアンカ・フロレンティーナ・ペリエ]]||{{ROU}}||[[ブカレスト]]||[[2009年]][[8月16日]]
|-
|10||69m32||[[ソフィヤ・パルキナ]]||{{RUS}}||[[ジュコーフスキー (モスクワ州)|ジュコーフスキー]]||[[2017年]][[6月16日]]
|}
===ユース世界最高記録===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|73m66||[[ウラジスラフ・ピスクノフ]]||{{UKR}}||[[キエフ]]||[[1994年]][[6月11日]]
|-
!colspan="5"|6.000キログラム
|-
|85m57||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
!colspan="5"|5.000キログラム
|-
|87m82||Mykhaylo Kokhan||{{UKR}}||[[ジェール]]||[[2018年]][[7月7日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|70m60||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[南寧市|南寧]]||[[2003年]][[10月18日]]
|}
==アジア歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||84m86||[[室伏広治]]||{{JPN}}||[[プラハ]]||[[2003年]][[6月29日]]
|-
|2||83m46||[[アンドレイ・アブドゥバリエフ]]||{{UZB}}||[[ソチ]]||[[1990年]][[5月26日]]*
|-
|3||80m71||[[ジルショド・ナザロフ]]||{{TJK}}||[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]||[[2013年]][[5月25日]]
|-
|4||79m74||[[アリ・モハメド・アル=ジンカウィ]]||{{KUW}}||[[ツェリェ]]||[[2009年]][[9月2日]]
|-
|5||78m22||[[Sukhrob Khodyayev]]||{{UZB}}||[[アルマトイ]]||[[2015年]][[7月25日]]
|-
|6||78m19||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2016年]][[5月27日]]
|-
|7||77m90||[[ニコライ・ダヴィドフ]]||{{KGZ}}||[[モスクワ]]||[[1995年]][[7月22日]]
|-
|8||77m60||[[ウラジミール・レソヴォイ]]||{{KAZ}}||[[アルマトイ]]||[[1977年]][[6月27日]]*
|-
|9
|77m57
|[[シュクロブ・コドジャエブ]]
|{{UZB}}
|[[アルマトイ]]
|[[2021年]][[6月8日]]
|-
|10||77m40||[[Kaveh Mousavi]]||{{IRI}}||Zhirovichi||[[2016年]][[7月8日]]
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|4.000キログラム
|-
|1||77m68||[[王崢]]||{{CHN}}||[[成都市]]||[[2014年]][[3月29日]]
|-
|2||77m33||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[仁川広域市|仁川]]||[[2014年]][[9月28日]]
|-
|3
|75m29
|[[ハンナ・スカイダン]]
|{{AZE}}
|[[バクー]]
|[[2017年]][[5月16日]]
|-
|4||75m02||[[羅娜]]||{{CHN}}||[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]||[[2018年]][[5月26日]]
|-
|5
|74m47
|[[Jiangyan LI]]
|{{CHN}}
|[[西安市]]
|[[2021年]][[9月20日]]
|-
|6||73m06||[[劉婷婷]]||{{CHN}}||[[ハレ (ザーレ)|ハレ]]||[[2014年]][[5月17日]]
|-
|7
|72m93
|[[Jie ZHAO]]
|{{CHN}}
|[[淮安市]]
|[[2022年]][[6月7日]]
|-
|8||72m51||[[劉瑛慧]]||{{CHN}}||[[イズミル]]||[[2005年]][[8月16日]]
|-
|9||72m36||[[顧原]]||{{CHN}}||[[パドヴァ]]||[[2004年]][[7月4日]]
|-
|10
|71m03
|[[Li JI]]
|{{CHN}}
|[[黄石市]]
|[[2022年]][[7月16日]]
|}
==U20アジア歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||76m42||[[ルスラン・ディキー]]||{{TJK}}||[[トリヤッチ]]||[[1991年]][[9月7日]]*
|-
|2||76m37||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2013年]][[4月10日]]
|-
|3||74m20||[[Sukhrob Khodyayev]]||{{UZB}}||[[アルマトイ]]||[[2012年]][[6月18日]]
|-
|4
|72m91
|[[Qi WANG]]
|{{CHN}}
|[[南京市]]
|[[2020年]][[5月30日]]
|-
|5||72m70||[[アリ・モハメド・アル=ジンカウィ]]||{{KUW}}||[[アンマン]]||[[2003年]][[9月8日]]
|-
|6||71m01||[[馬良 (陸上選手)|馬良]]||{{CHN}}||[[長沙市|長沙]]||[[2003年]][[10月26日]]
|-
|7
|69m75
|[[Ayubkhon FAYOZOV]]
|{{UZB}}
|[[タシケント]]
|[[2022年]][[3月22日]]
|-
|8||69m35||[[モハメド・ファラジ・アル=カービ]]||{{QAT}}||[[ポチェフストルーム]]||[[1986年]][[6月27日]]
|-
|9
|68m69
|[[Mohammadi MEHDI]]
|{{IRN}}
|[[テヘラン]]
|[[2013年]][[9月6日]]
|-
|10||68m38||[[斉大凱]]||{{CHN}}||[[鄭州市|鄭州]]||[[2006年]][[5月27日]]
|-
!colspan="6"|6.000キログラム
|-
|1||85m57||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
|2||78m41||[[アリ・モハメド・アル=ジンカウィ]]||{{KUW}}||[[クウェート]]||[[2003年]][[3月2日]]
|-
|3
|76m86
|[[Ashish JAKHAR]]
|{{IND}}
|[[岐阜]]
|[[2018年]][[6月7日]]
|-
|4
|76m30
|[[Qi WANG]]
|{{CHN}}
|[[太原市]]
|[[2019年]][[8月14日]]
|-
|5||76m16||[[:en:Suhrob Khodjaev|Suhrob Khodjaev]]||{{UZB}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
|6||75m98||[[Gong Shixian]]||{{CHN}}||[[福州市|福州]]||[[2015年]][[10月23日]]
|-
|7||75m97||[[斉大凱]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[2006年]][[8月18日]]
|-
|8
|74m62
|[[Ayubkhon FAYOZOV]]
|{{UZB}}
|[[カリ]]
|[[2022年]][[8月2日]]
|-
|9
|74m08
|[[Damneet SINGH]]
|{{IND}}
|[[岐阜]]
|[[2018年]][[6月7日]]
|-
|10||72m81||[[趙義海]]||{{CHN}}||[[イポー]]||[[2004年]][[6月15日]]
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦。[[アジア陸上競技連盟]]は[[Ashraf Amgad Elseify]]の記録をジュニアアジア記録としている。
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|4.000キログラム
|-
|1||73m24||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[長沙市|長沙]]||[[2005年]][[6月24日]]
|-
|2
|67m52
|[[Jie ZHAO]]
|{{CHN}}
|[[成都市]]
|[[2021年]][[4月2日]]
|-
|3
|67m40
|[[Ji Li]]
|{{CHN}}
|[[洛陽市]]
|[[2019年]][[5月29日]]
|-
|4||67m21||[[楊美萍]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[2004年]][[7月18日]]
|-
|5
|67m05
|[[Zarina NOSIRSHONOVA]]
|{{UZB}}
|[[タシケント]]
|[[2021年]][[6月29日]]
|-
|6||66m97||[[顧原]]||{{CHN}}||[[広州市|広州]]||[[2001年]][[11月22日]]
|-
|7||66m86||[[Zhou Mengyuan]]||{{CHN}}||[[貴陽市|貴陽]]||[[2018年]][[6月17日]]
|-
|8||66m26||[[張莉]]||{{CHN}}||[[合肥市|合肥]]||[[2010年]][[6月13日]]
|-
|9||65m72||[[郝帥 (陸上選手)|郝帥]]||{{CHN}}||[[鄭州市|鄭州]]||[[2006年]][[5月27日]]
|-
|10||65m67||[[王洋]]||{{CHN}}||[[肇慶市|肇慶]]||[[2007年]][[5月18日]]
|}
===ユースアジア最高記録===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|67m62||[[Qi WANG]]||{{CHN}}||[[太原市]]||[[2018年]][[9月14日]]
|-
!colspan="5"|6.000キログラム
|-
|85m57||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[バルセロナ]]||[[2012年]][[7月14日]]
|-
!colspan="5"|5.000キログラム
|-
|85m26||[[Ashraf Amgad Elseify]]||{{QAT}}||[[レーデ]]||[[2011年]][[7月20日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|70m60||[[張文秀]]||{{CHN}}||[[南寧市|南寧]]||[[2003年]][[10月18日]]
|}
==日本歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||84m86||[[室伏広治]]||[[ミズノ]]||[[2003年]][[6月29日]]
|-
|2||75m96||[[室伏重信]]||[[中京大学]]教員||[[1984年]][[7月15日]]
|-
|3||74m08||[[土井宏昭]]||[[ファイテン]]||[[2007年]][[6月16日]]
|-
|4||72m92||柏村亮太||[[ヤマダホールディングス]]||[[2023年]][[5月3日]]
|-
|5||72m47||[[海老原亘]]||三英社||[[2000年]][[6月25日]]
|-
|6||72m43||野口裕史||群馬綜合ガードシステム||[[2013年]][[10月7日]]
|-
|7||72m01||福田翔大||[[日本大学]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|8||71m39||中川達斗||[[九州共立大学]]院||[[2022年]][[9月9日]]
|-
|9||71m34||古旗崇裕||[[BUAC]]||[[2022年]][[6月10日]]
|-
|10||71m22||墨訓熙||[[小林クリエイト]]||[[2022年]][[7月15日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|1||69m89||[[アイリス・ジョイ・マッカーサー]]||[[NMFA]]||[[2023年]][[4月7日]]
|-
|2||67m77||[[室伏由佳]]||[[ミズノ]]||[[2004年]][[8月1日]]
|-
|3||67m26||[[綾真澄]]||[[丸善工業]]||[[2006年]][[8月19日]]
|-
|4||66m79||渡邊茜||[[丸和運輸機関]]||[[2016年]][[5月3日]]
|-
|5||65m33||[[村上来花]]||[[九州共立大学]]||[[2023年]][[4月1日]]
|-
|6||65m32||[[勝山眸美]]||[[オリコ]]||[[2018年]][[6月3日]]
|-
|7||64m44||佐伯珠実||チャンピオン||[[2019年]][[9月22日]]
|-
|8||62m94||小舘充華||[[染めQテクノロジィ]]||[[2022年]][[7月10日]]
|-
|9
|62m59
|藤本咲良
|[[コンドーテック]]
|[[2023年]][[4月1日]]
|-
|10||62m02||浅田鈴佳||[[武庫川女子大学]]||[[2017年]][[6月24日]]
|}
==日本学生歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||73m82||[[室伏広治]]||[[中京大学]](4)||[[1996年]][[10月6日]]
|-
|2||72m66||[[土井宏昭]]||[[中京大学]](6)||[[2002年]][[9月16日]]
|-
|3||72m01||福田翔大||[[日本大学]](5)||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|4||71m39||中川達斗||[[九州共立大学]]院(M2)||[[2022年]][[9月9日]]
|-
|5
|70m49
|小田航平
|[[九州共立大学]]院(M2)
|[[2023年]][[4月22日]]
|-
|6||70m46||保坂雄志郎||[[筑波大学]]院(M2)||[[2015年]][[4月29日]]
|-
|7||70m23||古旗崇裕||[[中京大学]]院(M2)||[[2020年]][[10月2日]]
|-
|8||70m06||木村友大||[[九州共立大学]](3)||[[2017年]][[9月15日]]
|-
|9||70m05||墨訓熙||[[中京大学]]院(M2)||[[2017年]][[6月10日]]
|-
|10||69m71||植松直紀||[[中京大学]](4)||[[2016年]][[6月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|1||65m33||村上来花||[[九州共立大学]](2)||[[2023年]][[4月1日]]
|-
|2||64m43||[[綾真澄]]||[[中京大学]](4)||[[2001年]][[10月16日]]
|-
|3||63m82||勝山眸美||[[筑波大学]](4)||[[2016年]][[7月23日]]
|-
|4||61m94||勝冶玲海||[[九州共立大学]](3)||[[2022年]][[6月10日]]
|-
|5||61m87||小舘充華||[[流通経済大学]](4)||[[2020年]][[10月10日]]
|-
|6||61m16||奥村梨里佳||[[九州共立大学]](3)||[[2023年]][[3月19日]]
|-
|7||61m15||渡邉ももこ||[[筑波大学]](4)||[[2022年]][[9月9日]]
|-
|8||60m89||関口清乃||[[筑波大学]](4)||[[2019年]][[8月3日]]
|-
|9||60m78||[[山城美貴]]||[[中京大学]](3)||[[2007年]][[6月10日]]
|-
|10||60m67||渡邊茜||[[九州共立大学]](4)||[[2013年]][[7月5日]]
|}
==U20日本歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||68m00||[[室伏広治]]||[[中京大学]](1)||[[1993年]][[8月1日]]
|-
!colspan="5"|6.000キログラム
|-
|1||71m46||木村友大||[[九州共立大学]](1)||[[2015年]][[9月25日]]
|-
|2||70m28||佐々木秀斗||[[岐阜協立大学]](2)||[[2020年]][[10月23日]]
|-
|3||70m02||服部優允||[[中京大学]](2)||[[2018年]][[4月7日]]
|-
|4||69m15||久門大起||[[日本大学]](1)|| [[2019年]][[10月19日]]
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |68m99||墨訓熙||[[中京大学]](2)||[[2013年]][[10月20日]]
|-
|山口翔輝夜
|[[兵庫県立社高等学校]](3)
|[[2022年]][[10月8日]]
|-
|7||68m33||柏村亮太||[[倉吉北高等学校]](3)||[[2009年]][[10月3日]]
|-
|8||68m25||垂井祐志||[[四国学院大学香川西高等学校]](3)||[[2020年]][[10月23日]]
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |68m22||中村美史||[[尼崎市立尼崎高等学校]](3)||[[2017年]][[6月15日]]
|-
|執行大地||[[尼崎市立尼崎高等学校]](3)||[[2019年]][[10月19日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|1||65m33||村上来花||[[九州共立大学]]||[[2023年]][[4月1日]]
|-
|2||60m49||渡邉ももこ||[[筑波大学]]||[[2019年]][[9月15日]]
|-
|3||59m50||勝山眸美||[[筑波大学]]||[[2013年]][[6月29日]]
|-
|4||58m72||嶋本美海||[[奈良県立添上高等学校]]||[[2023年]][[7月9日]]
|-
|5||57m43||本村夏鈴||[[九州共立大学]]||[[2014年]][[9月6日]]
|-
|6||57m41||桑原翠||[[九州共立大学]]||[[2017年]][[7月8日]]
|-
|7||57m35||関口清乃||[[筑波大学]]||[[2016年]][[4月16日]]
|-
|8||57m12||小舘充華||[[流通経済大学]]||[[2017年]][[9月10日]]
|-
|9||56m79||奥村梨里佳||[[奈良県立添上高等学校]]||[[2019年]][[8月4日]]
|-
|10||56m73||大崎かな||[[筑波大学]]||[[2011年]][[9月10日]]
|}
===ユース日本最高記録===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|61m76||[[室伏広治]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]](2)||[[1991年]]
|-
!colspan="5"|6.000キログラム
|-
|66m38||墨訓熙||[[愛知県立起工業高等学校]](3)||[[2011年]][[10月23日]]
|-
!colspan="5"|5.000キログラム
|-
|70m38||久門大起||[[今治明徳高等学校]](2)||[[2017年]][[4月8日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|62m88||村上来花||[[青森県立弘前実業高等学校]](3)||[[2021年]][[4月17日]]
|}
==日本高校歴代10傑==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|7.260キログラム(16ポンド)
|-
|1||66m30||[[室伏広治]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1992年]][[10月24日]]
|-
|2||60m06||根本太樹||[[霞ヶ浦高等学校附属中学校・霞ヶ浦高等学校|霞ヶ浦高等学校]]||[[2011年]][[8月21日]]
|-
|3||59m04||八鍬政之||[[埼玉県立行田進修館高等学校|埼玉県立行田高等学校]]||[[1996年]][[9月25日]]
|-
!colspan="5"|6.000キログラム
|-
|1
|68m99
|山口翔輝夜
|[[兵庫県立社高等学校]]
|[[2022年]][[10月8日]]
|-
|2||68m33||柏村亮太||[[倉吉北高等学校]]||[[2009年]][[10月3日]]
|-
|3||68m25||垂井祐志||[[四国学院大学香川西高等学校]]||[[2020年]][[10月23日]]
|-
| rowspan="2" |4|| rowspan="2" |68m22||中村美史||[[尼崎市立尼崎高等学校]]||[[2017年]][[6月15日]]
|-
|執行大地||[[尼崎市立尼崎高等学校]]||[[2019年]][[10月19日]]
|-
|6||67m22||迫田力哉||[[広島県立西条農業高等学校]]||[[2021年]][[3月27日]]
|-
|7||66m82||小河彪||[[三重県立久居高等学校]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|8||66m80||秋山玲二郎||[[四国学院大学香川西高等学校]]||[[2022年]][[10月8日]]
|-
|9||66m66||福田翔大||[[大阪桐蔭高等学校]]||[[2018年]][[10月21日]]
|-
|10||66m46||服部優允||[[尼崎市立尼崎高等学校]]||[[2017年]][[1月21日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!順位!!記録!!名前!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|4.000キログラム
|-
|1||62m88||村上来花||[[青森県立弘前実業高等学校]]||[[2021年]][[4月17日]]
|-
|2||58m72||嶋本美海||[[奈良県立添上高等学校]]||[[2023年]][[7月9日]]
|-
|3||56m84||関口清乃||[[埼玉県立進修館高等学校]]||[[2016年]][[3月26日]]
|-
|4||56m79||奥村梨里佳||[[奈良県立添上高等学校]]||[[2019年]][[8月4日]]
|-
|5||56m46||勝山眸美||[[埼玉県立進修館高等学校]]||[[2012年]][[10月6日]]
|-
|6||56m21||有汲颯妃||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2021年]][[11月13日]]
|-
|7||56m09||渡邉ももこ||[[福井県立敦賀高等学校]]||[[2019年]][[3月23日]]
|-
|8||55m58||嶋本美海||[[奈良県立添上高等学校]]||[[2022年]][[10月21日]]
|-
|9||55m57||桑原翠||[[和歌山県立日高高等学校]]||[[2016年]][[10月22日]]
|-
|10||55m18||本村夏鈴||[[沖縄県立那覇西高等学校]]||[[2013年]][[9月7日]]
|}
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
|+ 男子・旧規格参考記録
!順位!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
!colspan="5"|6.350キログラム(14ポンド)
|-
|1||73m52||[[室伏広治]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1992年]][[11月3日]]
|-
|2||67m57||堀部尊教||[[北海道釧路工業高等学校]]||[[2000年]][[9月9日]]
|-
|3||67m32||等々力信弘||[[名古屋中学校・高等学校|名古屋学院高等学校]]||[[1985年]][[8月31日]]
|-
|4||65m54||山本聡||[[埼玉県立春日部東高等学校]]||[[1987年]]10月
|-
|5||64m76||花田章裕||[[花園中学校・高等学校|花園高等学校]]||[[2000年]][[8月3日]]
|-
|6||64m52||鈴木隼人||[[静岡県立浜松工業高等学校]]||[[1997年]][[10月26日]]
|-
|7||63m90||川下智志||[[今治明徳高等学校]]||[[1994年]][[6月16日]]
|-
|8||63m70||八鍬政之||[[埼玉県立進修館高等学校|埼玉県立行田高等学校]]||[[1996年]]
|-
|9||63m62||本田浩誠||[[熊本県立甲佐高等学校]]||[[1996年]][[10月3日]]
|-
|9||63m62||船田富士展||[[今治明徳高等学校]]||[[2000年]][[8月3日]]
|-
|}
==その他の記録==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!種別!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|ユース日本 旧規格6.350kg(14ポンド)||68m22||[[室伏広治]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1991年]][[10月15日]]
|-
|中学 7.260kg||46m40||鈴木隼人||[[浜松市立与進中学校]]||[[1995年]][[4月15日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!種別!!記録!!氏名!!所属!!日付
|-
|中学 4.000kg||41m20||村尾茉優||[[徳島県立徳島聴覚支援学校|徳島県立聾学校]]||[[2011年]][[3月13日]]
|}
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ハンマースローチャレンジ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [https://www.iaaf.org/home 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [https://www.jaaf.or.jp/guide/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{スポーツ一覧}}
{{陸上競技}}
{{Normdaten}}
[[Category:陸上競技種目|はんまあなけ]]
|
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|
11,359 |
やり投
|
やり投(やりなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、助走をつけて、槍(やり)を遠くに投げる能力を競う競技である。
男子は800g規格、女子は600g規格の投擲記録。
|
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やり投(やりなげ)は、陸上競技の投擲競技に属する種目で、助走をつけて、槍(やり)を遠くに投げる能力を競う競技である。
|
{{簡易区別|投げ遣り(なげやり)}}
{{出典の明記|date=2019年1月}}
[[画像:Matti Järvinen.jpg|thumb|250px|right|やり投げ]]
'''やり投'''(やりなげ)は、[[陸上競技]]の[[投擲]]競技に属する種目で、[[走る|助走]]をつけて、[[槍]](やり)を遠くに投げる能力を競う競技である。
== 競技解説 ==
* やりの重さは、男子が800[[グラム]]、女子が600グラム。やりの長さは、男子が2.6~2.7m、女子が2.2~2.3m<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/1912.pdf|title=日本陸上競技連盟競技規則/第4部フィールド競技 第187条-投てき種目 第193条やり投|accessdate=2020年2月1日|publisher=日本陸上競技連盟|pages=p.300-p.312,p.325-p.331}}</ref>{{efn|ただし、U18では、やりの重さは、男子が700[[グラム]]、女子が500グラム。やりの長さは、男子が2.3~2.4m、女子が2.0~2.1m<ref name=":0" />。}}。
* 水平面の角度約29度{{efn|28.96度。この角度は、投てき角度を示すラインがサークルの中心から20mの地点において10m(20×0.500)の間隔になる角度である。}}のラインの内側に落下したものだけが有効試技となる。ただし、やりが地面に落下するまでは助走路に留まらなければならない<ref name=":0" />。
* やりの重心の位置が変更されるルール改正により、男子は[[1986年]]、女子は[[1999年]]以降の記録が公認記録となる<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号325p、330p</ref><ref name="ae0a179d-5267-42bf-a478-5d22c567e7d2">[https://www.worldathletics.org/download/downloadnsa?filename=ae0a179d-5267-42bf-a478-5d22c567e7d2.pdf Why did the senior javelin specification have to be changed?]</ref>(旧規格の世界記録は、男子が1984年に[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[ウベ・ホーン]]が人類初の100mを超える記録となった104.80m<ref name="ae0a179d-5267-42bf-a478-5d22c567e7d2"/>、女子は[[1988年]][[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[ペトラ・フェルケ|ペトラ・マイヤー=フェルケ]]が投げた80.00mである)。
* [[円盤投]]・[[砲丸投]]・[[ハンマー投]]のような回転投法は認められていない<ref name=":0" />。
* [[日本陸上競技連盟]]による正式表記は'''やり投'''である<ref name=":0" />。
{{中央|<gallery widths="150px" heights="120px">
A mens and womens javelin 2.png|やり全体の形状
Looking at me, i'm admiring the beauty.jpg|やり先の形状
Pedana del lancio del giavellotto.jpg|フィールド図
Javelin throw W at TNT Fortuna Meeting in Kladno 16June2011 135.jpg|助走路付近
2017 European Athletics U23 Championships, javelin throw women final3 16-07-2017.jpg|赤と白の旗を持つ審判員
</gallery>}}
== 記録 ==
=== 世界歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||98m48||[[ヤン・ゼレズニー]]||{{CZE}}||[[イェーナ]]||[[1996年]][[5月25日]]
|-
|2||97m76||[[ヨハネス・ベター|ヨハネス・フェッター]]||{{GER}}||[[ベルリン]]||[[2020年]][[9月6日]]
|-
|3||93m90||[[トーマス・レーラー]]||{{GER}}||[[ドーハ]]||[[2017年]][[5月5日]]
|-
|4||93m09||[[アキ・パルヴィアイネン]]||{{FIN}}||[[クオルタネ]]||[[1999年]][[6月26日]]
|-
|5
|93m07
|[[アンダーソン・ピーターズ]]
|{{GRN}}
|ドーハ
|[[2022年]][[5月13日]]
|-
|6||92m72||[[ジュリアス・イェゴ]]||{{KEN}}||[[北京]]||[[2015年]][[8月26日]]
|-
|7||92m61||[[セルゲイ・マカロフ (陸上選手)|セルゲイ・マカロフ]]||{{RUS}}||[[シェフィールド]]||[[2002年]][[6月30日]]
|-
|8||92m60||[[レイモンド・ヘクト]]||{{GER}}||[[オスロ]]||[[1995年]][[7月21日]]
|-
|9||92m06||[[アンドレアス・ホフマン]]||{{GER}}||[[オッフェンブルク]]||[[2018年]][[6月2日]]
|-
|10||91m69||[[コンスタンティノス・ガツィウディス]]||{{GRE}}||[[クオルタネ]]||[[2000年]][[6月24日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||72m28||[[バルボラ・シュポタコバ]]||{{CZE}}||[[シュトゥットガルト]]||[[2008年]][[9月13日]]
|-
|2||71m70||[[オスレイディス・メネンデス]]||{{CUB}}||[[ヘルシンキ]]||[[2005年]][[8月14日]]
|-
|3||71m40||[[マリア・アンドレイチク]]||{{POL}}||[[スプリト]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|4||70m53||[[マリア・アバクモワ]]||{{RUS}}||[[ベルリン]]||[[2013年]][[9月1日]]
|-
|5||70m20||[[クリスティーナ・オーバークフォル]]||{{GER}}||[[ミュンヘン]]||[[2007年]][[6月23日]]
|-
|6||69m48||[[トリネ・ハッテスタート]]||{{NOR}}||[[オスロ]]||[[2000年]][[7月28日]]
|-
|7||69m35||[[サネッテ・ビルジョエン|サネッテ・]]フィリューン||{{RSA}}||[[ニューヨーク]]||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|8||69m19||[[クリスティン・フッソング]]||{{GER}}||[[ホジュフ]]||[[2021年]][[5月30日]]
|-
|9||68m92||[[キャスリンミッチェル|キャスリン・ミッチェル]]||{{AUS}}||[[ゴールドコースト (クイーンズランド州)|ゴールドコースト]]||[[2018年]][[4月11日]]
|-
|10||68m43||[[サラ・コラク]]||{{CRO}}||[[ローザンヌ]]||[[2017年]][[7月6日]]
|}
=== 日本 ===
==== 日本歴代10傑 ====
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||87m60||[[溝口和洋]]||[[ゴールドウイン]]||[[サンノゼ]]||[[1989年]][[5月27日]]
|-
|2||86m83||[[新井涼平 (陸上選手)|新井涼平]]||[[スズキアスリートクラブ|スズキ浜松AC]]||[[長崎市|長崎]]||[[2014年]][[10月21日]]
|-
|3||85m96||[[村上幸史]]||スズキ浜松AC||[[広島広域公園陸上競技場|広島]]||[[2013年]][[4月29日]]
|-
|4||84m28||[[ディーン元気]]||[[早稲田大学]]||[[広島広域公園陸上競技場|広島]]||[[2012年]][[4月29日]]
|-
|5||83m54||﨑山雄太||愛媛陸協||[[大阪]]||[[2023年]][[5月6日]]
|-
|6||82m52||[[小南拓人]]||[[染めQテクノロジィ|染めQ]]||[[広島広域公園陸上競技場|広島]]||[[2021年]][[4月29日]]
|-
|7||81m84||[[吉田雅美]]||[[大京]]||[[ニース]]||[[1990年]][[7月10日]]
|-
|8||81m73||寒川建之介||奈良陸協||[[奈良]]||[[2020年]][[7月18日]]
|-
|9||81m63||小椋健司||栃木県スポーツ協会||[[新潟市|新潟]]||[[2021年]][[6月6日]]
|-
|10||81m55||長谷川鉱平||大体大TC||[[大阪]]||[[2016年]][[5月21日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||67m38||[[北口榛花]]||[[JAL]]||[[ブリュッセル]]||[[2019年|2023年]][[10月27日|9月8日]]
|-
|2||63m80||[[海老原有希]]||スズキ浜松AC||[[等々力陸上競技場|川崎]]||[[2015年]][[5月10日]]
|-
|3||62m88||[[佐藤友佳]]||[[ニコニコのり]]||[[東平尾公園博多の森陸上競技場|福岡]]||[[2019年]][[6月28日]]
|-
|4||62m39||武本紗栄||[[大阪体育大学]]||[[平塚競技場|平塚]]||[[2021年]][[6月5日]]
|-
|5||62m37||[[斉藤真理菜]]||[[国士舘大学]]||[[台北]]||[[2017年]][[8月25日]]
|-
|6||61m75||[[上田百寧]]||[[福岡大学]]||[[新潟市|新潟]]||[[2021年]][[6月6日]]
|-
|7||61m15||三宅貴子||[[ミキハウス]]||[[茨城県|茨城]]||[[2001年]][[5月6日]]
|-
|8||61m10|| 長 麻尋||国士舘クラブ||[[大阪]]||[[2023年]][[5月6日]]
|-
|9||60m86||宮下梨沙||[[大阪薫英女学院]]教員||[[大阪]]||[[2016年]][[9月24日]]
|-
|10||59m94||山下実花子||[[九州共立大学]]||[[愛媛県|愛媛]]||[[2017年]][[10月8日]]
|}
==== 学生歴代10傑 ====
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||84m28||[[ディーン元気]]||[[早稲田大学]]||[[2012年]][[4月29日]]
|-
|2||80m59||[[村上幸史]]||[[日本大学]]||[[2001年]][[9月30日]]
|-
|3||80m09||巌優作||[[筑波大学]]||[[2023年]][[4月15日]]
|-
|4||79m99||長沼元||[[国士舘大学]]||[[2019年]][[9月14日]]
|-
|5||79m44||石山歩||[[中京大学]]||[[2018年]][[10月27日]]
|-
|6||79m17||小南拓人||[[国士舘大学]]||[[2017年]][[6月9日]]
|-
|7||78m77||中西啄真||[[大阪体育大学]]||[[2018年]][[7月8日]]
|-
|8||78m71||鈴木凜||[[九州共立大学]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|9||78m54||天野雅教||[[東海大学]]||[[1986年]][[6月1日]]
|-
|10||78m32||植徹||[[中京大学]]||[[1996年]][[9月16日]]
|-
|10||78m32||小椋健司||[[日本大学]]||[[2017年]][[9月8日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||66m00||[[北口榛花]]||[[日本大学]]||[[2019年]][[10月27日]]
|-
|2||62m39||武本紗栄||[[大阪体育大学]]||[[2021年]][[6月5日]]
|-
|3||62m37||斎藤真理菜||[[国士舘大学]]||[[2017年]][[8月25日]]
|-
|4||61m75||上田百寧||[[福岡大学]]||[[2021年]][[6月6日]]
|-
|5||59m94||山下実花子||[[九州共立大学]]||[[2017年]][[10月8日]]
|-
|6||59m22||佐藤友佳||[[東大阪大学]]||[[2012年]][[5月13日]]
|-
|7||58m98||久世生宝||[[筑波大学]]||[[2013年]][[6月7日]]
|-
|8||58m87||奈良岡翠蘭||[[日本大学]]||[[2021年]][[4月18日]]
|-
|9||58m76||山内愛||[[大阪成蹊大学]]||[[2015年]][[5月17日]]
|-
|10||58m57||長麻尋||[[国士舘大学]]||[[2021年]][[3月28日]]
|}
==== 高校歴代10傑 ====
男子は800g規格、女子は600g規格の投擲記録。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||76m54||[[村上幸史]]||[[今治明徳高等学校]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|2||74m96||巌優作||[[尼崎市立尼崎高等学校]]||[[2021年]][[3月14日]]
|-
|3||74m26||島田浩次||[[京都府立東稜高等学校]]||[[1987年]][[10月28日]]
|-
|4||74m20||森秀||[[今治明徳高等学校]]||[[2014年]][[5月4日]]
|-
|5||73m98||山田啓太||[[福島県立安積高等学校]]||[[2005年]][[8月5日]]
|-
|6||73m28||長沼元||[[岩手県立高田高等学校]]||[[2015年]][[10月5日]]
|-
|7||72m53||寒川建之介||[[奈良県立十津川高等学校]]||[[2012年]][[10月7日]]
|-
|8||72m52||森澤公雄||[[鳥取県立鳥取商業高等学校]]||[[1988年]][[7月3日]]
|-
|9||72m30||鈴木凜||[[山梨学院中学高等学校]]||[[2021年]][[3月14日]]
|-
|10||72m26||植徹||[[美作高等学校]]||[[1992年]][[8月5日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||58m90||[[北口榛花]]||[[北海道旭川東高等学校]]||[[2015年]][[10月16日]]
|-
|2||58m59||山下実花子||[[京都共栄学園高等学校]]||[[2015年]][[7月11日]]
|-
|3||57m31||佐藤友佳||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2010年]][[7月29日]]
|-
|4
|57m17
|櫻井希美
|[[済美高等学校 (岐阜県)]]
|[[2022年]][[10月9日]]
|-
|5||56m84||久世生宝||[[岡山県立倉敷中央高等学校]]||[[2012年]][[6月10日]]
|-
|6||56m76||斎藤真理菜||[[茨城県立土浦湖北高等学校]]||[[2013年]][[10月18日]]
|-
|7||56m48||長麻尋||[[和歌山県立和歌山北高等学校]]||[[2016年]][[7月30日]]
|-
|8||56m44||武本紗栄||[[尼崎市立尼崎高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|9||56m01||梶原美波||[[大阪薫英女学院高等学校]]||[[2013年]][[10月18日]]
|-
|10||55m53||岡林つぐみ||[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]||[[2016年]][[10月9日]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
; 注釈
{{notelist}}
; 出典
{{Reflist}}
== 出典・参考文献 ==
* [https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/throws/javelin-throw/outdoor/men/senior Top Lists Men All Time] - [[IAAF]]
* [https://www.worldathletics.org/records/all-time-toplists/throws/javelin-throw/outdoor/women/senior Top Lists Women All Time] - [[IAAF]]
== 関連項目 ==
* [[ジャベリックスロー]] - 小中学生および障害者スポーツにおけるやり投に類する種目。日本独自のもの。
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Javelin throw}}
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{スポーツ一覧}}
{{陸上競技}}
{{古代オリンピック}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やりなけ}}
[[Category:陸上競技種目]]
[[Category:槍]]
|
2003-07-13T06:40:38Z
|
2023-10-13T16:55:42Z
| false | false | false |
[
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"Template:スポーツ一覧",
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"Template:Commonscat",
"Template:FIN"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%82%8A%E6%8A%95
|
11,360 |
浅川悠
|
浅川 悠(あさかわ ゆう、1975年3月20日 - )は、日本の女性声優。東京都出身。
日本ナレーション演技研究所出身。 1996年、文化放送『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』内で結成された『ドリカンクラブ』の一員となる。同年10月からは文化放送「斉藤一美のとんカツワイド」内に設けられたドリカンクラブのコーナー「とんカツファイト」に、冨永みーな、堀江由衣らと共に出演していた。
2007年2月22日、同じく声優の森久保祥太郎と入籍したことを自身のwebサイトで公表したものの、2009年1月14日に自身のブログで離婚したことを明かした。
2008年2月12日、自身がインターネットに触れる機会が減少したことなどを理由に個人サイト「おるすばん失神道」を閉鎖すると発表し、翌日0時、一部を除きサイトが閉鎖された。その際、閉鎖したトップページには「飽きた」とも書かれており、コメントにも自身の心情を表す部分に伏字が使われている。
2014年10月1日、デビュー当時から所属していたアーツビジョンを離れ、フリーで活動することを公表した。
2021年5月1日、慶應義塾大学に入学したことをTwitterにて報告した。
元気な少年、勝ち気な女の子などを演じる。
会話は主にツッコミを中心で思っている事はズバッと言う「姉御タイプ」。
特技は英会話と柔道。RIP SLYMEの日本武道館でのコンサートの開演前の英語アナウンスを担当したこともあり、『トラスティベル ショパンの夢』では声を演じるロンドの台詞に活かされている。
TBSラジオ『まっくんの E.B Club』にて、パーソナリティの奥井雅美が病欠した回のピンチヒッターを務めたことがある。同番組内で『アキハバラ電脳組』のラジオドラマが放送されていた関係でゲストとして出演したこともある。
太字はメインキャラクター。
※はインターネット配信
2002年
|
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] |
浅川 悠は、日本の女性声優。東京都出身。
|
{{声優
| 名前 = 浅川 悠
| ふりがな = あさかわ ゆう
| 画像ファイル = Yuu Asakawa by Gage Skidmore.jpg
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 同じ
| 愛称 =
| 性別 = [[女性]]
| 出生地 =
| 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]]<ref name="アニメイトタイムズ">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=1834|title=浅川悠のアニメキャラ・最新情報まとめ|publisher=アニメイトタイムズ|accessdate=2020-09-03}}</ref><ref name="goo人名事典">{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/浅川悠/|title=浅川悠(あさかわゆう)の解説 - goo人名事典|accessdate=2019-08-07}}</ref>
| 死没地 =
| 生年 = 1975
| 生月 = 3
| 生日 = 20
| 没年 =
| 没月 =
| 没日 =
| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]{{R|goo人名事典}}
| 身長 = 160 [[センチメートル|cm]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2014年版)|page=427|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-904674-05-5|date=2014-01-30}}</ref>
| 職業 = [[声優]]
| 事務所 = [[フリーランス|フリー]]
| 配偶者 = [[森久保祥太郎]](2007年 - 2009年)
| 著名な家族 =
| 公式サイト =
| 活動 = {{声優/活動
| 職種 = 声優
| 活動期間 = [[1996年]] -
| ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ゲーム]]、[[吹き替え]]
| デビュー作 =
}}}}
'''浅川 悠'''(あさかわ ゆう、[[1975年]][[3月20日]]<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.artsvision.co.jp/actress/women-c/c-24-2.html|title= 浅川悠|publisher=[[アーツビジョン]] |accessdate=2022-12-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030404050533/http://www.artsvision.co.jp/actress/women-c/c-24-2.html|archivedate=2003-04-04}}</ref> - )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]。[[東京都]]出身{{R|アニメイトタイムズ|goo人名事典}}。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}}
== 来歴 ==
[[日本ナレーション演技研究所]]出身<ref>[https://nichinare.com/about/native.html?code=Sgoogle 主な出身者と出演作品] 日本ナレーション演技研究所</ref>。
1996年、[[文化放送]]『[[SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン]]』内で結成された『[[SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン#ドリカンクラブ|ドリカンクラブ]]』の一員となる。同年10月からは文化放送「[[斉藤一美のとんカツワイド]]」内に設けられたドリカンクラブのコーナー「とんカツファイト」に、[[冨永みーな]]、[[堀江由衣]]らと共に出演していた。
[[2007年]][[2月22日]]、同じく声優の[[森久保祥太郎]]と入籍したことを自身のwebサイトで公表したものの、[[2009年]][[1月14日]]に自身のブログで[[離婚]]したことを明かした<ref>{{Cite web|和書|date=2009-01-14|url=https://web.archive.org/web/20090119004832/http://ameblo.jp/tacit/entry-10192414530.html|title=ご報告|work=|publisher=浅川悠ブログ『… tacit consent …』|accessdate=2013-07-03 19:00}}</ref>。
[[2008年]][[2月12日]]、自身が[[インターネット]]に触れる機会が減少したことなどを理由に個人サイト「おるすばん失神道」を閉鎖すると発表し、翌日0時、一部を除きサイトが閉鎖された。その際、閉鎖したトップページには「飽きた」とも書かれており、コメントにも自身の心情を表す部分に伏字が使われている。
[[2014年]][[10月1日]]、デビュー当時から所属していた[[アーツビジョン]]を離れ、[[フリーランス|フリー]]で活動することを公表した<ref>{{Cite web|和書|date=2014-10-01|url=https://web.archive.org/web/20141006172012/http://ameblo.jp/tacit/entry-11932733734.html|title=聞いて?|work=|publisher=浅川悠ブログ『… tacit consent …』|accessdate=2014-10-01}}</ref>。
[[2021年]][[5月1日]]、[[慶應義塾大学]]に入学したことを[[Twitter]]にて報告した<ref>{{Cite tweet |author=浅川悠 Yuu Asakawa |user=Julia320 |number=1388523267669970946 |title=配信で先にお話しましたが、2021年春から慶應大学生になりました🎉✨どの課程かとか、学部かとか、今の所は伏せさせてください。まあ、その内なんとなく分かるんじゃないかな?😆名前を書くだけで卒業できる高校卒業から何十年後に慶應大学に入れるとは思っていませんでした。卒業目指して頑張ります |date=2021-05-01 |accessdate=2021-05-02 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501215245/https://twitter.com/Julia320/status/1388523267669970946 |archivedate=2021-05-01}}</ref>。
== 人物 ==
元気な少年、勝ち気な女の子などを演じる<ref>{{Cite web |url=http://www.artsvision.co.jp/actress/actress2.html|title=ACTRESS|publisher=[[アーツビジョン]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010210042856/http://www.artsvision.co.jp/actress/actress2.html|archivedate=2001-10-21 |accessdate=2022-05-26}}</ref>。
会話は主にツッコミを中心で思っている事はズバッと言う「姉御タイプ」。
特技は[[英会話]]と[[柔道]]。[[RIP SLYME]]の[[日本武道館]]でのコンサートの開演前の[[英語]]アナウンスを担当したこともあり、『[[トラスティベル ショパンの夢]]』では声を演じるロンドの台詞に活かされている。
[[TBSラジオ]]『まっくんの E.B Club』にて、パーソナリティの[[奥井雅美]]が病欠した回のピンチヒッターを務めたことがある。同番組内で『[[アキハバラ電脳組]]』の[[ラジオドラマ]]が放送されていた関係でゲストとして出演したこともある。
== 出演 ==
'''太字'''はメインキャラクター。
=== テレビアニメ ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[エルフを狩るモノたちII]](レナ)
* [[バトルアスリーテス大運動会]](無名)
* [[フォーチュン・クエストL]](パメラ<ref group="注">エンディングクレジットには「浅野悠」と誤記されている。</ref>)
| 1998年 |
* [[アキハバラ電脳組]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/103377/|title=アキハバラ電脳組 : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-12-03}}</ref>('''東十条つぐみ''')
* [[聖ルミナス女学院]](カトリーヌ・ドブクワイエ)
* [[超魔神英雄伝ワタル]](マリ夫、ミケル)
* [[爆走兄弟レッツ&ゴー!! MAX]](草薙漸<ref>{{Cite web|和書|url= https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C9527 |title= 爆走兄弟レッツ&ゴー!! MAX【草薙漸】|publisher=メディア芸術データベース |date= |accessdate=2022-07-27}}</ref>)
* [[花さか天使テンテンくん]]('''ベンテン'''<ref> {{Cite web|和書|url= https://www.nippon-animation.co.jp/work/1787/ |title=作品紹介 花さか天使 テンテンくん|publisher=NIPPON ANIMATION |date= |accessdate=2022-07-06}}</ref>)
* [[バブルガムクライシス TOKYO 2040]](1998年 - 1999年、'''プリス''')
* [[ふしぎなメルモ|ふしぎなメルモ(リニューアル版)]](男の子)
* [[ロードス島戦記-英雄騎士伝-]](シーリス)
| 1999年 |
* [[宇宙海賊ミトの大冒険]](カクノシン)
* [[ゴクドーくん漫遊記]](ナーニャ)
* [[ジバクくん]](アリババ)
* [[神八剣伝]]('''レイ・ヨゾラ''')
* [[セイバーマリオネットJtoX]](令文)
* [[セラフィムコール]]('''紅かすみ''')
* [[Bビーダマン爆外伝V]](かめんボン / プリンセスボン)
| 2000年 |
* [[銀装騎攻オーディアン]](看護兵)
* [[とっとこハム太郎 (アニメ)|とっとこハム太郎]](2000年 - 2011年、木村太一、トンガリくん) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2000年)、第4期『でちゅ』(2011年)}}
* [[ヴァンドレッド]](2000年 - 2001年、'''ジュラ・ベーシル・エルデン''') - 2シリーズ{{Ras|第1期(2000年)、第2期『the second stage』(2001年)}}
* [[ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom]]('''霧間凪''')
* [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](2000年 - 2016年、長良ハルカ、星野輝美、緒方俊也、キササ、江口珠恵、滝沢美咲 他)
* [[ラブひな]](2000年 - 2001年、'''青山素子'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/lovehina/toshokan/staff_casts/cast.html|title=町立図書館 書架 - スタッフ・キャスト|work=ラブひな|publisher=テレビ東京|accessdate=2023-04-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161027193055/https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/lovehina/toshokan/staff_casts/cast.html|archivedate=2016-10-27|deadlinkdate=2023-04-17}}</ref>) - 1シリーズ + 特別編2作品{{Ras|テレビシリーズ(2000年)、特番『クリスマス・スペシャル 〜サイレント・イヴ〜』(2000年12月25日)、特番『春スペシャル 〜キミ サクラチルナカレ!!〜』(2001年4月2日)}}
| 2001年 |
* [[激闘!クラッシュギアTURBO]](滝ヒロオミ)
* [[爆転シュート ベイブレード (アニメ)|爆転シュート ベイブレード]](ラジュー)
* [[ヒカルの碁 (アニメ)|ヒカルの碁]](三谷祐輝<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=3205 |title= ヒカルの碁|アニメ声優・キャラクター・登場人物・最新情報一覧 |website= |publisher=animate Times|date= |accessdate=2022-07-06}}</ref>)
| 2002年 |
* [[あずまんが大王]]('''榊''')
* [[超重神グラヴィオン]](2002年 - 2004年、'''ミヅキ・立花'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/gravion/| title = 超重神グラヴィオン| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-06-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/gravionzwei/| title = 超重神グラヴィオンZwei| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-06-29}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2002年)、第2期『Zwei』(2004年)}}
* [[ラーゼフォン]](三輪忍)
| 2003年 |
* [[アソボット戦記五九]](キャットルーク)
* [[カレイドスター]](パメラ)
* [[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル(第3期)]](女性隊員A)
* [[クラッシュギアNitro]]('''TB''')
* [[金色のガッシュベル!!]](木山つくし)
* [[ストラトス・フォー]](クリス・カルマン)
* [[冒険遊記プラスターワールド]]('''要トウマ'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180303050508/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/8303| title = 冒険遊記プラスターワールド| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-05}}</ref>)
| 2004年 |
* [[GIRLSブラボー first season]](女子生徒C、英語ナレーション)
* [[今日からマ王!]](2004年 - 2008年、ベルマ) - 3シリーズ{{Ras|第1シリーズ(2004年)、第2シリーズ(2005年)、第3シリーズ(2008年)}}
* [[SAMURAI 7]](サナエ)
* [[スウィート・ヴァレリアン]](ポップ)
* [[スクールランブル (アニメ)|スクールランブル]](2004年 - 2006年、刑部絃子) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2004年 - 2005年)、第2期『二学期』(2006年)}}
* [[ぷぎゅる]]('''カナト''')
* [[DearS]](桑岡さん、映子)
* [[遙かなる時空の中で-八葉抄-]](セフル)
* [[ルパン三世 盗まれたルパン 〜コピーキャットは真夏の蝶〜]]('''ベッキー'''<ref>{{Cite news | url = https://web.archive.org/web/20140826224004/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=470| title = ルパン三世 盗まれたルパン 〜コピーキャットは真夏の蝶〜| newspaper = | publisher = トムス・エンタテインメント| date = | accessdate = 2016-05-02}}</ref>)
| 2005年 |
* [[うえきの法則]](カプーショ<ref>{{Cite web|和書|publisher=うえきの法則|url=https://mv.avex.jp/ueki/staff.html|title=スタッフ&キャスト|accessdate=2023-03-17}}</ref>)
* [[格闘美神 武龍]](2005年 - 2006年、ラッキー下田) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2005年)、第2期『REBIRTH』(2006年)}}
* [[ガンパレード・オーケストラ (アニメ)|ガンパレード・オーケストラ]](工藤百華)
* [[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]](クリスタ・オーベルク)
* [[スターシップ・オペレーターズ]](里見レンナ)
* [[ツバサ・クロニクル]](カルディナ)
* [[BUZZER BEATER]](2005年 - 2007年、ラズーリ) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2005年)、第2期(2007年)}}
* [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック]](トム)
* [[MÄR-メルヘヴン-]](2006年 - 2007年、サラ・バンド)
| 2006年 |
* [[斬魔大聖デモンベイン|機神咆吼デモンベイン]](マコト)
* [[スパイダーライダーズ 〜オラクルの勇者たち〜]](2006年 - 2007年、ビーレイン、ホターラ) - 2シリーズ{{Ras|第1・2クール『〜オラクルの勇者たち〜』(2006年)、第3・4クール『〜よみがえる太陽〜』(2007年)}}
* [[それいけ!アンパンマン]](ポッポちゃん〈初代〉)
* [[Fate/stay night]]('''ライダー''')
* [[夜明け前より瑠璃色な-Crescent Love-]](カレン・クラヴィウス)
* [[らぶドル Lovely Idol]](片桐沙有紀)
| 2007年 |
* [[一騎当千 (漫画)|一騎当千 シリーズ]](2007年 - 2010年、趙雲子龍) - 3シリーズ{{Ras|第2期『Dragon Destiny』(2007年)、第3期『Great Guardians』(2008年)、第4期『XTREME XECUTOR』(2010年)}}
* [[D.C.II 〜ダ・カーポII〜]](2007年 - 2008年、水越舞佳<ref>{{Cite web|和書|url= https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C11466 |title= D.C.Ⅱ~ダ・カーポⅡ~【水越舞佳】 |publisher=メディア芸術データベース |date= |accessdate=2022-07-27}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2007年)、第2期『D.C.II S.S. 〜ダ・カーポII セカンドシーズン〜』(2008年)}}
* [[PRISM ARK]]('''シスター・ヘル''' / '''テレサ・ティレット''')
* [[MOONLIGHT MILE|MOONLIGHT MILE 2ndシーズン -Touch down-]](ルーシー)
| 2008年 |
* [[君が主で執事が俺で]]('''南斗星''')
* [[NARUTO -ナルト- 疾風伝]](フウカ)
* [[のらみみ]](ケイコ)
* [[BAMBOO BLADE|バンブーブレード]](小西)
* [[Mission-E]](勝浦美晴)
* [[我が家のお稲荷さま。]](槐)
| 2009年 |
* [[11eyes]]('''草壁美鈴''')
* [[うみものがたり 〜あなたがいてくれたコト〜]](女海賊)
* [[極上!!めちゃモテ委員長]](坂下マキ)
| 2010年 |
* [[アマガミSS]](2010年 - 2012年、塚原響<ref>{{Cite web|和書|url= https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C12301 |title=アマガミ SS【塚原 響】 |publisher=メディア芸術データベース |date= |accessdate=2022-07-27}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2010年)、第2期『アマガミSS+ plus』(2012年)}}
* [[けいおん!!]](河口紀美)
* [[スーパーロボット大戦OG -ジ・インスペクター-]](アギーハ)
* [[聖痕のクェイサー]](エヴァ=シルバー)
* [[ちゅーぶら!!]](高遠先生)
| 2011年 |
* [[快盗天使ツインエンジェル〜キュンキュン☆ときめきパラダイス!!〜]](西条節子)
* [[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第2期)]](足田駿)
* [[とっとこハム太郎 (アニメ)|とっとこハム太郎でちゅ]](トンガリくん)
* [[ぬらりひょんの孫 千年魔京]](邪魅)
* [[フリージング (漫画)|フリージング]](アーネット=マックミルラン<ref>{{Cite web|和書|publisher=TVアニメ『フリージング』公式サイト|url=https://web.archive.org/web/20130402131015/http://freezing.tv/season1/staff/index.html|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2013-10-20}}</ref>)
* [[真剣で私に恋しなさい!!]]('''川神百代'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20170401233106/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/14767| title = 真剣で私に恋しなさい!!| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2017-01-07}}</ref>)
* [[魔乳秘剣帖]](瑞希)
* [[Rio RainbowGate!]](クイーン)
| 2012年 |
* [[アイカツ! (アニメ)|アイカツ!]](月影ほのか)
* [[うぽって!!]](ふじこ先生〈FG42〉<ref>{{Cite web|publisher=アニメ うぽって!! 公式サイト|url=http://www.upotte.jp/staff/|title=STAFF&CAST|accessdate=2012-03-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130824105615/http://www.upotte.jp/staff/|archivedate=2013-08-24|deadlinkdate=2014-08-15}}</ref>)
* [[黒魔女さんが通る!!]](地留土麗)
* [[恋と選挙とチョコレート]]('''東雲皐月'''<ref>{{Cite web|publisher=「恋と選挙とチョコレート」 公式サイト|url=http://www.koichoco.com/staff/index.html|title=Staff/Cast|accessdate=2012-04-28}}</ref>)
* [[探検ドリランド (アニメ第1作)|探検ドリランド]](アンジェラ)
* [[トリコ]](少年)
* [[BRAVE10]]('''アナスタシア'''<ref>{{Cite web | url = https://web.archive.org/web/20180301164608/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/15568| title = BRAVE10| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-27}}</ref>)
| 2013年 |
* [[アラタカンガタリ〜革神語〜]](オソメ)
* [[俺の妹がこんなに可愛いわけがない。]](藤真美咲)
* [[ささみさん@がんばらない]](月読呪々)
* [[閃乱カグラ]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|date=2012-12-18|url=http://senran.tv/staff.html|title=キャスト&スタッフ|work=|author=|publisher=TVアニメ『閃乱カグラ』公式サイト|accessdate=2012-12-19 09:59}}</ref>)
* [[Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ]](ライダー)<!-- 2013-07-20 -->
* [[恋愛ラボ]](吉田先生)
| 2014年 |
* [[アカメが斬る!]]('''レオーネ'''<ref>{{Cite web|publisher=TVアニメ『アカメが斬る!』公式サイト|title=STAFF&CAST|url=http://akame.tv/staff_cast.html|accessdate=2014-05-21}}</ref>)
* [[悪魔のリドル]](イレーナ)
* [[さばげぶっ!]](カフェのオーナー)
* [[それでも世界は美しい]](ミーナ)
* [[ノブナガン]]('''アイザック・ニュートン'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ノブナガン|title=キャラクター アイザック・ニュートン|url=https://www.vap.co.jp/nobunagun/character/newton.html|accessdate=2013-12-12}}</ref>)
* [[Fate/stay night Unlimited Blade Works (2014年のアニメ)|Fate/stay night [Unlimited Blade Works]]]('''ライダー'''<ref>{{Cite web|publisher=「Fate/stay night」TVアニメ公式サイト|title=STAFF/CAST|url=http://www.fate-sn.com/ubw/staff/|accessdate=2014-07-28}}</ref>)
* [[名探偵コナン 江戸川コナン失踪事件 〜史上最悪の2日間〜]](アナウンサー、出版社の社員)
| 2015年 |
* [[新妹魔王の契約者]]('''長谷川千里'''<ref>{{Cite web |url=http://anime-shinmaimaou.com/staffcast _s1|title=STAFF&CAST |work=新妹魔王の契約者(テスタメント) アニメ公式サイト |accessdate=2014-10-10}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://anime-shinmaimaou.com/staffcast |title=STAFF&CAST S2|work=新妹魔王の契約者(テスタメント) アニメ公式サイト |accessdate=2015-06-20}}</ref> / アフレイア) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2015年)、第2期『BURST』(2015年)}}
* [[魔法少女リリカルなのはViVid]](ミカヤ・シェベル)
* [[みんな集まれ!ファルコム学園SC]](イリア・プラティエ)
| 2016年 |
* [[orange (高野苺の漫画)|orange]](英語教師、男子生徒)
* [[ぐだぐだオーダー]](ライダーさん〈stay night〉)
* [[ViVid Strike!]](ミカヤ・シェベル<ref>{{Cite web|work=TVアニメ「Vivid Strike !」オフィシャルサイト |url=http://vivid-strike.com/character/character10.html|title=CHARACTER|publisher=ViVid Strike PROJECT |accessdate=2017-01-21}}</ref>)
* [[Fate/Grand Order -First Order-]](メドゥーサ)
* [[魔装学園H×H]](ゼルシオーネ)
| 2017年 |
* [[スクールガールストライカーズ Animation Channel]](ティエラ先生<ref>{{Cite web|和書|url= http://sgs-anime.com/character/tierra_sensei/ |title=ティエラ先生 CV 浅川 悠|work= TVアニメ「スクールガールストライカーズ Animation Channel」公式サイト|publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]]|accessdate=2022-07-27}}</ref>)<!-- 2017-01-07 -->
* [[セイレン (アニメ)|セイレン]](永沢琹<ref>{{Cite web|和書|work=「セイレン」公式ホームページ|title=永沢琹|url=https://www.tbs.co.jp/anime/seiren/chara/nagasawa_shiori.html|publisher=TBSテレビ|accessdate=2017-03-17}}</ref>)<!-- 2017-02-03 -->
* [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](ロッテン前田)<!-- 2017-02-24 -->
* [[ノラと皇女と野良猫ハート]]('''夕莉シャチ'''<ref name="animatetimes20170519">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1495176982|title=『ノラとと』今夏、ショートアニメで放送決定!メイン声優も解禁に|work=[[アニメイトタイムズ]]|date=2017-05-19|accessdate=2017-05-19}}</ref>)<!-- 2017-07-12 -->
| 2018年 |
* [[キリングバイツ]](六条香織<ref>{{Cite web|work=TVアニメ「キリングバイツ」公式サイト|title=STAFF&CAST|url=https://killingbites-anime.com/staffcast/index.html|accessdate=2017-11-01}}</ref> / シベット)<!-- 2018-02-03 -->
* [[Cutie Honey Universe]](Re:アイアンサドー)<!-- 2018-06-10 -->
* [[京都寺町三条のホームズ]](藤原慶子<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201809/25041_201809282459.html |title= 京都寺町三条のホームズ 第十二話『後継者の条件』キャスト2 藤原慶子 |publisher=BSテレ東 |date=2018-09-28 |accessdate=2022-07-27}}</ref>)<!-- 2018-09-25 -->
* [[ソラとウミのアイダ]](鳴海高子<ref>{{Cite web|url=http://soraumi-anime.com/staff-cast/|title=STAFF&CAST|website=TVアニメ『ソラとウミのアイダ』|accessdate=2018-09-10}}</ref>)<!-- 2018-10-04 -->
| 2019年 |
* [[Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-]](2019年 - 2020年、'''アナ'''<ref>{{Cite web|url=https://anime.fate-go.jp/ep7-tv/staffcast/|title=STAFF&CAST|work=TVアニメ「Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-」公式サイト|accessdate=2019-02-25}}</ref>、アヴェンジャー / ティアマト<ref group="注">[[Netflix]]で配信されている7、8話中盤までの字幕ではティアマトと表記されているため。</ref> / ゴルゴーン)<!-- 2019-10-12 -->
| 2020年 |
* [[ド級編隊エグゼロス]](リア蟲<ref>{{Cite web|url=https://hxeros.com/staffcast/|title=STAFF/CAST|work=TVアニメ「ド級編隊エグゼロス」公式サイト|accessdate=2021-07-30}}</ref>)<!-- 2020-09-19 -->
| 2021年 |
* [[ゲッターロボ アーク]](橘翔<ref>{{Cite web|和書|url=https://getterrobot-arc.com/#character|title=キャラ キャスト|work=【公式】アニメ『ゲッターロボ アーク』|accessdate=2021-07-30}}</ref>)<!-- 2021-08-08 -->
| 2022年 |
* [[ぷちセカ]]('''巡音ルカ'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=TOKYO MX|work=ぷちセカ|url=https://s.mxtv.jp/anime/puchiseka/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2022-01-06}}</ref>) - Original CV<!-- 2022-01-14 -->
* [[真・一騎当千]]('''趙雲子龍'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/454545|title=「真・一騎当千」2022年春放送!孫権仲謀役は大橋彩香、山田朝右衛門役は種崎敦美|website=[[コミックナタリー]]|date=2021-11-22|accessdate=2021-11-22}}</ref>)<!-- 2022-05-17 -->
* [[アークナイツ【黎明前奏/PRELUDE TO DAWN】]](??? / PRTS)<!-- 2022-10-29 -->
| 2023年 |
* [[BIRDIE WING -Golf Girls' Story-]](ユーハ・ハミライル)<!-- 2023-06-17 -->
}}
=== 劇場アニメ ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[劇場版 天地無用! 真夏のイヴ]]
| 1999年 |
* [[アキハバラ電脳組 2011年の夏休み]]('''東十条つぐみ''')
| 2001年 |
* [[あずまんが大王|あずまんが大王 THE MOVIE]](榊)
* [[劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険]](トンガリくん)
| 2002年 |
* [[劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス]](トンガリくん)
| 2003年 |
* [[劇場版 とっとこハム太郎 ハムハムグランプリン オーロラ谷の奇跡 リボンちゃん危機一髪!]](トンガリくん)
* [[ラーゼフォン 多元変奏曲]](三輪忍)
| 2004年 |
* [[劇場版 とっとこハム太郎 はむはむぱらだいちゅ! ハム太郎とふしぎのオニの絵本塔]](トンガリくん)
| 2005年 |
* [[機動戦士Ζガンダム#劇場版|機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者- I - III]](2005年 - 2006年、[[ロザミア・バダム|ロザミア・バタム]]) - 3部作
| 2006年 |
* [[新SOS大東京探検隊]](滝川桃代)
| 2008年 |
* [[HELLS ANGELS]](クロノラ<ref>{{Cite web2|url=https://www.madhouse.co.jp/hells/|title=「HELLS ANGELS」公式サイト|accessdate=2023-05-26}}</ref>)
| 2010年 |
* [[Fate/stay night (アニメ)|劇場版 Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS]](ライダー)
| 2011年 |
* [[けいおん!#映画|映画けいおん!]](河口紀美)
| 2014年 |
* [[アイカツ! (アニメ)#劇場版|劇場版 アイカツ!]](月影ほのか)
| 2017年 |
* [[KING OF PRISM -PRIDE the HERO-]](ハリウッドスターB)<!-- 2017-06-10 -->
* [[Fate/stay night (アニメ)#劇場アニメ第2作(シリーズ)|劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] I - III]](2017年 - 2020年、'''ライダー'''<ref>{{Cite web|url=https://www.fate-sn.com/1st/staffcast/cast.html|work=劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」I.presage flower |title=STAFF/CAST |accessdate=2018-07-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.fate-sn.com/2nd/staffcast/cast.html|work=劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」 II.lost butterfly |title=STAFF/CAST |accessdate=2019-12-31}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.fate-sn.com/staffcast/?page=cast|work=劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」III.spring song |title=STAFF/CAST |accessdate=2019-12-31}}</ref>) - 3作品<!-- 2017-10-14 -->
| 2019年 |
* [[名探偵コナン 紺青の拳]](シェリリン・タン)<!-- 2019-04-12 -->
}}
=== OVA ===
{{dl2
| 1997年 |
* [[フォトン (OVA)|フォトン]](ポチ2〜28号)
| 1998年 |
* [[青の6号 (アニメ)|青の6号]](ミューティオたち)
| 2000年 |
* [[真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ]]('''橘翔''')
| 2001年 |
* [[ヴァンドレッド]](2001年 - 2002年、'''ジュラ・ベーシル・エルデン''') - 2作品
* [[ラブひな]](2001年 - 2002年、'''青山素子''') - 2作品
| 2002年 |
* [[アーケードゲーマーふぶき]]('''十文字ちづる''')
* [[遙かなる時空の中で-紫陽花ゆめ語り-]](セフル)
* [[ふたりエッチ]](菊池みゆき)
* [[とっとこハム太郎 (アニメ)#OVA|とっとこハム太郎]](2002年 - 2004年、トンガリくん) - 4作品
| 2003年 |
* [[遙かなる時空の中で2-白き龍の神子-]](和仁)
| 2004年 |
* [[ストラトス・フォー|ストラトス・フォー OVAシリーズ]](2004年 - 2006年、クリス・カルマン) - 3作品
| 2005年 |
* [[スクールランブル (アニメ)|スクールランブル OVAシリーズ]](2005年 - 2008年、刑部絃子) - 2作品
* [[魔女っ娘つくねちゃん]](ばあちゃん)
* [[円盤皇女ワるきゅーレ]](2005年 - 2006年、ネスティー<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokinoyu.net/books/|title=★キャスト&スタッフ|website=☆円盤皇女ワるきゅーレ☆|accessdate=2023-12-17}}</ref>) - 2作品
| 2006年 |
* [[今日の5の2]](今井コウジ)
| 2008年 |
* [[快盗天使ツインエンジェルシリーズ|快盗天使ツインエンジェル]](西条女史)
| 2010年 |
* [[11eyes volume7 OVA Special]]('''草壁美鈴''')
| 2011年 |
* [[カーニバル・ファンタズム]](ライダー)
* [[ショコラの魔法|ショコラの魔法 〜タルトレット 静寂の雨〜]](妹尾柚月) - [[ちゃお]]2011年8月号付録DVD
| 2012年 |
* [[一騎当千 (漫画)|一騎当千 OVAシリーズ]](2012年 - 2015年、趙雲子龍<ref>{{Cite web|和書|publisher=アニメ「一騎当千 集鍔闘士血風録」|url=http://www.ikkitousen.com/sk/cast.html|title=キャスト・スタッフ|accessdate=2014-10-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ikkitousen.com/cast.html |title=キャスト・スタッフ |work=アニメ「一騎当千 Extravaganza Epoch」公式サイト |publisher= |accessdate=2014-10-28}}</ref>) - 2作品
| 2013年 |
* [[恋と選挙とチョコレート]]('''東雲皐月''') - BD/DVD第7巻
| 2015年 |
* [[閃乱カグラ ESTIVAL VERSUS -水着だらけの前夜祭-]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|work=TVアニメ『閃乱カグラ』公式サイト|url=http://senran.tv/products/ova.html|title=OVA|accessdate=2014-12-26}}</ref>)
* [[新妹魔王の契約者|新妹魔王の契約者 第13話(OVA) 東城刃更のハードスウィートな日常]]('''長谷川千里''')
| 2017年 |
* [[ViVid Strike!]](ミカヤ・シェベル) - 第3・4巻<!-- 2017-02-22 -->
| 2019年 |
* [[終末のハーレム|終末のハーレムVR]](龍造寺朱音<ref>{{Cite web|和書|url=https://pictures.dmm.com/lineup/end-harem-vr/|title=終末のハーレムVR|publisher=DMM pictures|accessdate=2020-07-30}}</ref>)<!-- 2019-03-04 -->
* [[Fate/kaleid liner Prisma☆Illya プリズマ☆ファンタズム]](ライダー)<!-- 2019-06-14 -->
| 2023年 |
* [[OVA アズールレーン Queen's Orders]](イーシェン)<!-- 2023-07-27 -->
}}
=== Webアニメ ===
* [[FLAG (アニメ)|FLAG]](2006年、ラウェル・スーミン<ref>{{Cite web | url = http://www.mxtv.co.jp/flag/cast_staff.html| title = FLAG| publisher = TOKYO MX| accessdate = 2016-06-26}}</ref>)
* [[衛宮さんちの今日のごはん]](2018年 - 2019年、'''ライダー'''<ref>{{Cite web|和書|work=アニメ「衛宮さんちの今日のごはん」公式サイト|title=スタッフ・キャスト|url=http://emiya-gohan.com/staffcast/|accessdate=2018-01-01}}</ref>)<!-- 2018-03-01 -->
* [[Fate/Grand Order 藤丸立香はわからない (アニメ)|Fate/Grand Order 藤丸立香はわからない]](2023年、ステンノ、エウリュアレ、メドゥーサ)<!-- 2023-03-07 -->
=== ゲーム ===
{{dl2
| 1996年 |
* [[ワルキューレの伝説 外伝 ローザの冒険]](フェアリーズC)
| 1998年 |
* [[愛しあう事しかできない]]('''なな子''')
* [[英雄志願 -Gal Act Heroism-]]('''アヤメ''')
* [[アナザー・メモリーズ]](ティカ・ネドラン)
* [[東京魔人學園剣風帖]]('''桜井小蒔''')
* [[爆走兄弟レッツ&ゴー!! エターナルウィングス]](草薙漸)
* [[ファーランドサーガ 時の道標]](サーラ)
| 1999年 |
* [[いつか、重なりあう未来へ]](オポ)
* マリオネットカンパニー(天徳ゆうき)
* [[Little Lovers SHE SO GAME]](志摩一子)
| 2000年 |
* [[遙かなる時空の中で]](セフル)
* [[RPGツクール2000#サンプルゲーム|RPGツクール2000 サンプルゲーム『花嫁の冠』]]('''マリオン''')
| 2001年 |
* [[ドキドキプリティリーグ Lovely Star]]('''斉木梁''')
* [[遙かなる時空の中で2]](和仁)
| 2002年 |
* [[アーマード・コア3]]('''レイン・マイヤーズ''')
* [[あずまんがドンジャラ大王]]('''榊''')
* [[あずまんが大王パズルボブル]]('''榊''')
* [[Ever17 -the out of infinity-]]('''小町つぐみ''')
* [[ギガンティック ドライブ]](京野沙希)
* [[ギャラクシーエンジェル]](リセルヴァ・キアンティ)
* [[東京魔人學園外法帖]]('''桜井小鈴''')
* [[Braveknight 〜リーヴェラント英雄伝〜]]('''エルディア=マクレイド''')
| 2003年 |
* [[Ever17 -the out of infinity- Premium Edition]]('''小町つぐみ''')
* [[あずまんが大王アドバンス]]('''榊''')
* [[Angelic Vale|Angelic Vale Progress 〜ウェスペールの迷宮〜]]('''アウローラ''')
* [[吸血姫夕維 千夜抄]](折口美奈)
* [[SAKURA 〜雪月華〜]](葛葉)
* [[スターオーシャン Till the End of Time]]('''ネル・ゼルファー''')
* [[D→A:BLACK]] / [[D→A:WHITE]](2003年 - 2004年、'''御堂愛''') - 2作品
* [[バテン・カイトス 終わらない翼と失われた海]](エイメ)
| 2004年 |
* [[青い涙 (ゲーム)|青い涙]](雀)
* [[鬼武者3]](ミシェル・オベール)
* [[斬魔大聖デモンベイン|機神咆吼デモンベイン]](マコト)
* [[ジャック×ダクスター2]](アシュリン)
* [[シンフォニック=レイン]](コーデル・ベルドナーシェ)
* スターオーシャン Till till End of Time ディレクターズカット('''ネル・ゼルファー''')
* [[スーパーロボット大戦GC]](橘翔)
* [[九龍妖魔學園紀]] - 特別出演
* [[転生學園幻蒼録]](鳳翔凛、一之瀬詩月)
* [[東京魔人學園外法帖血風録]]('''桜井小鈴''')
* [[遙かなる時空の中で3]]([[平清盛]])
| 2005年 |
* [[Ever17 -out of infinity-]]('''小町つぐみ''')
* [[スクールランブル|スクールランブル 姉さん事件です!]](刑部絃子)
* [[天地の門]](エンラン)
* [[遙かなる時空の中で3#『遙かなる時空の中で3 十六夜記』|遙かなる時空の中で3 十六夜記]](平清盛)
* 魔法先生ネギま! 1時間目お子ちゃま先生は魔法使い!(英子)
* [[らぶドル 〜Lovely Idol〜]]('''片桐沙有紀''')
* [[リアライズ -Panorama Luminary-]](三沢由紀恵)
| 2006年 |
* [[機神飛翔デモンベイン]](マコト)
* [[格闘美神 武龍]](ラッキー下田)
* [[転生學園月光録]](鳳翔凛)
* [[Quartett! 〜THE STAGE OF LOVE〜]](シニーナ・ビノテーク)
* [[ガンパレード・オーケストラ]](工藤百華)
* [[グローランサーV]](シェリス)
* [[サモンナイト4]](アロエリ)
* [[スーパーロボット大戦XO]](橘翔)
* スクールランブル二学期 恐怖の(?)夏合宿!洋館に幽霊現る!?お宝を巡って真っ向勝負!!!の巻(刑部絃子)
* [[ダージュ オブ ケルベロス ファイナルファンタジーVII]]('''シャルア・ルーイ''')
* [[遙かなる時空の中で 舞一夜]](セフル)
* [[遙かなる時空の中で3 運命の迷宮]](幻影)
* [[ボクらの太陽 Django&Sabata]](ビーティー)
* [[マブラヴ オルタネイティヴ]] 全年齢版(宗像美冴)
* [[夜明け前より瑠璃色な-Brighter than dawning blue-]](2006年 - 2009年、カレン・クラヴィウス) - 2作品
* [[レッスルエンジェルス サバイバー]](神田幸子、伊達遥)
| 2007年 |
* [[SDガンダム GGENERATION]](2007年 - 2016年、[[ロザミア・バタム]]) - 6作品{{Ras|『SPIRITS』<!-- 2007-11-29 -->(2007年)、『WARS』<!-- 2009-08-06 -->(2009年)、『WORLD』<!-- 2011-02-24 -->『3D』<!-- 2011-12-22 -->(2011年)、『OVER WORLD』<!-- 2012-09-27 -->(2012年)、『GENESIS』<!-- 2016-11-22 -->(2016年)}}
* [[ガンダム バトルクロニクル]](ロザミア・バタム)
* [[死角探偵 空の世界 〜Thousand Dreams〜]](緑遥)
* [[トラスティベル 〜ショパンの夢〜]](ロンド)
* [[ファイアーエムブレム 暁の女神]](ヨファ、ワユ)
* [[Fate/stay night|Fate]]シリーズ('''ライダー''')
** [[とびだせ!トラぶる花札道中記]]
** [[Fate/stay night|Fate/stay night [Realta Nua]]]
** [[フェイト/タイガーころしあむ]]
* [[名探偵コナン#ゲーム|名探偵コナン 追憶の幻想]](的場ユリ)
* [[ルミナスアーク]](マヴィ)
| 2008年 |
* [[Ever17 -the out of infinity-|infinity plus]]('''小町つぐみ''')
* [[君が主で執事が俺で お仕え日記]]('''南斗星''')
* [[スーパーロボット大戦A|スーパーロボット大戦A PORTABLE]](ロザミア・バタム)
* [[スーパーロボット大戦Z]](ミヅキ・立花、ロザミア・バタム)
* [[フェイト/タイガーころしあむ アッパー]](ライダー)
* [[PRISM ARK -AWAKE-]]('''シスター・ヘル''')
* [[レッスルエンジェルス サバイバー2]](神田幸子、伊達遥)
| 2009年 |
* [[アマガミ]](塚原響)
* [[アンティフォナの聖歌姫 〜天使の楽譜 Op.A〜]](ヴィオローネ)
* [[11eyes CrossOver]]('''草壁美鈴''')
* [[ウィザードリィ 囚われし魂の迷宮]]('''オデッタ・オードリアス・ルビーブラッド''')
* [[ファイナルファンタジーXIII]](レブロ)
* [[Ever17 -the out of infinity- Premium Edition]]('''小町つぐみ''')※PSP版
* infinity plus portable('''小町つぐみ''')
* [[アーマード・コア3|アーマード・コア3 ポータブル]]('''レイン・マイヤーズ''')
| 2010年 |
* [[アルトネリコ3 世界終焉の引鉄は少女の詩が弾く]](ハーヴェスターシャ)
* [[SDガンダム カプセルファイターオンライン]](オペレーターTYPE D)
* [[ティンクル☆くるせいだーすGoGo!]](リースリング遠山)
* [[ぱすてるチャイムContinue]](アゼル・アゼリーン)
* [[夜明け前より瑠璃色な PORTABLE]](カレン・クラヴィウス)
* [[ラブルートゼロ|ラブルートゼロ KissKiss☆ラビリンス]]('''安達八重子''')
* [[ALAN WAKE]](サラ・ブレーカー)
| 2011年 |
* [[AQUAPAZZA]](ナレーション)
* [[快盗天使ツインエンジェル〜時とセカイの迷宮〜]](西条女史)
* [[水月 弐]]('''小野寺麻巳''')
* [[Ever17]]('''小町つぐみ''') - Xbox 360版
* [[閃乱カグラ -少女達の真影-]](大道寺先輩)
* [[第2次スーパーロボット大戦Z|第2次スーパーロボット大戦Z 破界篇 / 再世篇]](2011年 - 2012年、ミヅキ・立花)
* [[初音ミク -Project DIVA-|初音ミク -Project DIVA- extend]]([[巡音ルカ]])
* [[ファイナルファンタジーXIII-2]](レブロ)
| 2012年 |
* [[アガレスト戦記 Mariage]]('''彩華'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=アガレスト戦記 Mariage|url=http://www.compileheart.com/agarest_m/#chara|title=キャラクター|accessdate=2011-05-10}}</ref>)
* [[いますぐお兄ちゃんに妹だっていいたい!]](東雲皐月<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201202/02009355.html|title=『恋チョコ』のスタッフが贈る新作『いますぐお兄ちゃんに妹だっていいたい!』|accessdate=2012-02-24}}</ref>)
* [[英雄伝説 零の軌跡 Evolution]](イリア・プラティエ<ref>『[[電撃PlayStation]]』 Vol.517 2012年4月26日号</ref>)
* [[Ever17 -the out of infinity-|インフィニティ セレクション]]('''小町つぐみ''')
* 君が主で執事が俺で お仕え日記 ぽーたぶる('''南斗星'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201207/13017772.html|title=『君が主で執事が俺で〜お仕え日記〜ぽーたぶる』がPSPに登場!――初回限定版も同時発売|accessdate=2012-07-11}}</ref>)
* [[グラナド・エスパダ]](ベアトリーチェ)
* [[恋と選挙とチョコレート PORTABLE]]('''東雲皐月'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=恋と選挙とチョコレート ポータブル | アスキー・メディアワークス公式サイト|url=http://d-game.dengeki.com/koichoco/chara/satsuki.html|title=CHARACTER 東雲皐月|accessdate=2012-05-10}}</ref>)
* [[水月 弐 〜PORTABLE〜]]('''小野寺麻巳''')
* [[閃乱カグラ Burst -紅蓮の少女達-]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.marv.jp/special/game/3ds/kaguraBurst/character/daidoji.html |title=キャラクター 大道寺先輩 |work=『閃乱カグラ Burst -紅蓮の少女達-』公式サイト |accessdate=2017-06-19}}</ref>)
* [[ねんどろいど じぇねれ〜しょん]](ライダー)
* [[WHITE ALBUM2 幸せの向こう側]]('''風岡麻理'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201208/31020370.html|title=『ホワイトアルバム2 幸せの向こう側』新シナリオを追加してプレイステーション3で登場!|accessdate=2012-08-30}}</ref>)
* [[真剣で私に恋しなさい!!R]]('''川神百代'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://minatostation.com/majikoi/character/index.html|title=登場人物|publisher=真剣で私に恋しなさい!!R|accessdate=2011-10-08}}</ref>)
* [[マックス アナーキー]](サーシャ・イヴァノフ)
* [[マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ|マブラヴ オルタネイティヴ クロニクルズ 再誕]](宗像美冴<ref>{{Cite web|date=|url=https://archive.ph/Jsfz|title=Muv-Luv UNLIMITED THE DAY AFTER|publisher=|accessdate=2012-03-12}}</ref>)
* [[未来日記 (漫画)|未来日記 13人目の日記所有者 RE:WRITE]]('''霧崎あざみ'''<ref>{{Cite web|和書|date=|url=http://www.kadokawa.co.jp/game/mirainikki/main.php?globalnavi=06|title=キャラクター|work=未来日記 13人目の日記所有者 RE:WRITE公式サイト|author=|publisher=[[角川グループホールディングス]]|accessdate=2013-05-15}}</ref>)
* [[嫁コレ]](東雲皐月)
| 2013年 |
* [[俺の妹がこんなに可愛いわけがない。 ハッピーエンド|俺の妹がこんなに可愛いわけがない。HappyenD]](藤真美咲)
* [[KILLER IS DEAD]](ベティ<ref>{{Cite web|和書|publisher=電撃オンライン|url=http://dengekionline.com/elem/000/000/645/645688/|title=『キラー イズ デッド』のプレミアムコンテンツパック限定エピソード“血を奪った男”を紹介! ベティとセバスチャンの関係とは?|accessdate=2013-10-14}}</ref>)
* [[限界凸騎 モンスターモンピース]](仮面の麗人<ref>{{Cite web|和書|publisher=限界凸騎 モンスターモンピース|url=http://www.compileheart.com/mon-mon/|title=SPECIAL オープニング|accessdate=2012-11-16}}</ref>)
* [[SNOW BOUND LAND]](フィネ<ref>{{Cite journal|和書|month=8|journal=[[B's-LOG]]|issue=2013年10月号|pages=|author=|year=2013|publisher=[[エンターブレイン]]}}</ref>)
* [[閃乱カグラ SHINOVI VERSUS -少女達の証明-]](大道寺先輩<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2013年3月21日号|publisher=エンターブレイン|date=2013-03-07}}</ref>)
* [[閃乱カグラ NewWave]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|date=2013-12-26|url=https://www.4gamer.net/games/193/G019343/20131226117/|title=「閃乱カグラ NewWave」,新たに“マルチレイド”システムを実装|accessdate=2014-03-21}}</ref>)
* [[ティアーズ・トゥ・ティアラII 覇王の末裔]](アエミリア<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201308/08037969.html|title=『ティアーズ・トゥ・ティアラII 覇王の末裔』システムの詳細が判明!|accessdate=2013-08-08}}</ref>)
* [[ファンタジスタドール ガールズロワイヤル]](A.S.<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファンタジスタドール ガールズロワイヤル|url=http://blog.fdfp.drecom.jp/info/176|title=新カードイラストと豪華声優陣を一挙大公開〜っ!|accessdate=2013-08-23}}</ref>)
* [[maimai]](2013年 - 2020年、ガイドボイス<ref>{{Cite web|和書|publisher=… tacit consent …|url=https://web.archive.org/web/20170307080618/http://ameblo.jp/tacit/entry-12251852861.html|title=maimaiよろしくね|… tacit consent …|accessdate=2017-03-12}}</ref>、乙姫<ref>{{Twitter status|Julia320|1009795807380324354}}</ref>) - 12作品{{Ras|『GreeN』(2013年)、『GreeN PLUS』『ORANGE』(2014年)、『ORANGE PLUS』『PiNK』(2015年)、『PiNK PLUS』『MURASAKi』(2016年)、『MURASAKi PLUS』(2017年)、『MiLK PLUS』『FiNALE』(2018年)、『でらっくす』(2019年)、『でらっくすPLUS』(2020年)}}
* [[MIND≒0]](希咲麗華<ref>{{Cite web|publisher=MIND≒0公式サイト|url=http://mind0.net/top.html#characters|title=Characters|accessdate=2013-07-02}}</ref>)
| 2014年 |
* [[穢翼のユースティア Angel's blessing]]('''エリス・フローラリア'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=穢翼のユースティア Angel's blessing|url=http://dramaticcreate.com/eustia/character/chara_02.html|title=人物紹介|accessdate=2014-03-13}}</ref>)
* [[CV 〜キャスティングボイス〜]]('''瀧玲華'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=CV キャスティングボイス|url=http://cv.bngames.net/character/taki_reika.php|title=キャラクターとCV|accessdate=2014-04-25}}</ref>)
* [[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜|グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜→グリモアA〜私立グリモワール魔法学園〜]](2014年 - 2019年、'''生天目つかさ'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=グリモア 〜私立グリモワール魔法学園〜 公式サイト|url=http://grimoire.applibot.co.jp/preregister/grimoire_new/detail.html?char|title=キャラクター紹介|accessdate=2014-07-14}}</ref>)
* [[コール オブ デューティ アドバンスド・ウォーフェア]]('''イロナ'''<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2014年11月3日号|publisher=エンターブレイン|date=2014-10-30}}</ref>)
* [[スクールガールストライカーズ]](ティエラ先生<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]]|url= http://schoolgirlstrikers.jp/member/tierra.html|title=ティエラ先生 CV:浅川 悠 |work=スクールガールストライカーズ2公式サイト|accessdate=2022-07-06}}</ref>)
* [[閃乱カグラ2 -真紅-]](大道寺先輩<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2014年6月5日号|publisher=エンターブレイン|date=2014-05-22}}</ref>)
* [[デカ盛り 閃乱カグラ]](大道寺先輩<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2014年3月27日号|publisher=エンターブレイン|date=2014-03-13}}</ref>)
* ファントム オブ キル<ref>{{Cite web|publisher=ファントム オブ キル 公式サイト|url=https://pk.fg-games.co.jp/cast/|title=Cast & Staff|accessdate=2014-09-11}}</ref>
* [[Fate/hollow ataraxia]](ライダー<ref>{{Cite web|publisher=PSVita「フェイト/ホロウ
アタラクシア」|url=http://www.typemoon.com/products/hollowvita/character/|title=CHARACTER|accessdate=2014-06-19}}</ref>、ステンノ / ステンノー、エウリュアレ)
* [[FREEDOM WARS フリーダムウォーズ|フリーダムウォーズ]]('''ナタリア・“9”・ウー'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201312/19045205.html|title=『フリーダムウォーズ』、咎人(トガビト)が生きる場所|accessdate=2013-12-19}}</ref>)
* [[マジカ★マジカ]](筑紫瑞穂<ref>{{Cite web|和書|publisher=ソーシャルゲームインフォ|url=https://gamebiz.jp/news/130296|title=more games、『マジカ★マジカ』が登録ユーザー数100万人を突破! 中村繪里子、浅川悠など13名の豪華声優陣によるキャラクターボイスを配信|accessdate=2014-05-15}}</ref>)
| 2015年 |
* [[閃乱カグラ ESTIVAL VERSUS -少女達の選択-]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201503/23074766.html|title=『閃乱カグラ ESTIVAL VERSUS -少女達の選択-』新プレイアブルキャラクター“大道寺先輩”&“凛”をファミ通.comで先行公開!|accessdate=2015-03-23}}</ref>)
* [[Fate/Grand Order]](2015年 - 2023年、エウリュアレ、メドゥーサ、ステンノ<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[TYPE-MOON#TYPE-MOONエース|TYPE-MOONエース]]|issue=VOL.11 別冊付録「Fate/Grand Order Servant Storage」|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-04-23}}</ref>、ゴルゴーン) - 2作品{{Ras|『Grand Order』(2015年 - 2023年)<!-- 2015-07-30 -->、『[[Fate/Grand Order Arcade|Arcade]]』(2018年)<!-- 2018-07-26 -->}}
* [[メタルサーガ 〜荒野の方舟〜]](オペレーター〈あっさりサバサバ系〉<ref>{{Cite web|和書|work=メタルサーガ 〜荒野の方舟〜|url=http://swninfo.success-corp.co.jp/smartphone/metalsaga_sp/characters.html|title=キャラクター|accessdate=2015-03-23}}</ref>)
* モンスターハンター エクスプロア('''デビルー'''、シャロン博士<ref>{{Cite web|和書|publisher=カプコンオンラインゲームズ|work=モンスターハンター エクスプロア 公式プロモーションサイト|url=http://www.mh-xr.jp/pc/character.html|title=キャラクター|accessdate=2015-09-03}}</ref>)
* [[モンスター娘のいる日常オンライン]](ローエ、メメコ、レイ、妖子)
| 2016年 |
* アイカツ! フォトonステージ!!(月影ほのか)
* [[UPPERS]]('''大道寺先輩'''<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2016年4月14日号|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-03-31}}</ref>) - DLC追加キャラクター
* [[ウォッチドッグス2]]('''シターラ・ダーワン'''<ref>{{Cite web|和書|work=電撃オンライン|url=http://dengekionline.com/elem/000/001/388/1388178/|title=『ウォッチドッグス2』マーカス(声優:内田夕夜)やドゥシャン(声優:藤原啓治)など吹き替え声優が判明|accessdate=2016-10-14}}</ref>)
* グランドサマナーズ(メリア<ref>{{Cite web|和書|publisher=アスキー・メディアワークス|work=電撃オンライン|url=http://dengekionline.com/elem/000/001/391/1391478/|title=『グラサマ』マルチバトルの詳細が公開。山路和弘さんと浅川悠さんが演じる仲間の情報も|date=2016-10-18|accessdate=2016-10-18}}</ref>)
* [[グランブルーファンタジー]](2016年 - 2022年、アンスリア<ref>{{Cite web|和書|publisher=Cygames|work=『グランブルーファンタジー』公式サイト|url=http://granbluefantasy.jp/pages/?p=10584 |title=イベント「氷炎牆に鬩ぐ」開催・レジェンドガチャ更新・小説「グランブルーファンタジー VI」発売のお知らせ |date=2016-11-30 |accessdate=2017-01-03}}</ref>、プレデター<ref>{{Cite web|和書|publisher=Cygames|work=『グランブルーファンタジー』公式サイト|url=http://granbluefantasy.jp/pages/?p=12879 |title=レジェンドガチャ更新のお知らせ |date=2017-05-19 |accessdate=2017-06-08}}</ref>、[[ファイナルファンタジーXIの登場人物#ウルミア|ウルミア]])
* 東京ダンジョンRPG ひめローグっ!('''早乙女璃梨'''<ref>{{Cite web|和書|work=東京ダンジョンRPG ひめローグっ!|url=http://www.magical-gear.com/|title=ゲーム紹介|accessdate=2016-01-29}}</ref>)
* [[Fate/EXTELLA]](2016年 - 2018年、メドゥーサ<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2016年9月22日号|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-09-08}}</ref>) - 2作品<ref>{{Cite web|和書|url=http://fate-extella-link.jp/character/medusa/ |title=キャラクター |accessdate=2018-02-28 |publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]] |work=Fate/EXTELLA LINK 公式サイト}}</ref>
* [[メダロット ガールズミッション]](白鳥翔子<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2016年1月21日増刊号|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-01-07}}</ref>)
* [[スターオーシャン:アナムネシス]](ネル・ゼルファー)
| 2017年 |
* [[かまいたちの夜 輪廻彩声]](香山春子<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2016年12月1日号|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2016-11-17}}</ref>)
* [[閃乱カグラ PEACH BEACH SPLASH]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]]|work=『閃乱カグラ PEACH BEACH SPLASH』公式サイト|url=http://senrankagura.marv.jp/series/kaguraPBS/character/|title=キャラクター|accessdate=2017-01-30}}</ref>)
* [[ノラと皇女と野良猫ハート]]('''夕莉シャチ'''<ref>{{Cite web|和書|work=PS Vita「ノラと皇女と野良猫ハート」公式サイト|url=http://nora-anime.net/psvita/|title=キャラクター|accessdate=2017-06-22}}</ref>)
* [[ファイアーエムブレム ヒーローズ]](2017年 - 2020年、ワユ、ヨファ)
* [[Shadowverse]](2017年 - 2018年、ライダー、魔海の女王、ハートガーディアン、飢餓の絶傑・ギルネリーゼ)
* [[LAPLACE LINK -ラプラスリンク-]](篠崎チトセ<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[gloops]]|work=LAPLACE LINK -ラプラスリンク-|url=http://laplacelink.jp/|title=アーティスト|accessdate=2015-11-13}}</ref>)
* [[ソラとウミのアイダ]](鳴海高子)
| 2018年 |
* [[アズールレーン]](2018年 - 2023年、レンジャー<ref>[http://www.azurlane.jp/news-item.html?i=1029 メンテナンスのお知らせ(1/19 10:00-16:00)]</ref>、逸仙)
* 永遠的7日之都(巡音ルカ) - 中国製スマホゲーム
* [[閃乱カグラ Burst Re:Newal]](大道寺先輩<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]]|work=『閃乱カグラ Burst Re:Newal』公式サイト|url=https://senrankagura.marv.jp/series/burst_re/character/index.html|title=キャラクター|accessdate=2017-08-31}}</ref>)
* [[放置少女〜百花繚乱の萌姫たち〜]](趙雲子龍)<!-- 2018-05-31 -->
| 2019年 |
* [[ノラと皇女と野良猫ハート2]]('''夕莉シャチ'''<ref>{{Cite web|work=PS Vita/PS4/Switch「ノラと皇女と野良猫ハート2」公式サイト|url=https://nora-anime.net/nora2cs/|title=MAIN CHARACTER |accessdate=2018-11-09}}</ref>)<!-- 2019-02-28 -->
* [[シノビマスター 閃乱カグラ NEW LINK]](2019年 - 2021年、大道寺先輩、趙雲)<!-- 2019-09-20 -->
* [[アナザーエデン 時空を超える猫]](ラディアス)
* [[御城プロジェクト:RE〜CASTLE DEFENSE〜]](結城城、箕輪城、ホッホオスターヴィッツ城)
| 2020年 |
* [[一騎当千 エクストラバースト]]('''趙雲子龍'''<ref>{{Cite web|publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]]|work=『一騎当千 エクストラバースト』公式サイト|url=https://www.marv.jp/product/ikki_eb/character/chouun/|title=CHARACTER|accessdate=2020-03-30}}</ref>)<!-- 2020-05-25 -->
* [[九龍妖魔學園紀 ORIGIN OF ADVENTURE]](マダム・バタフライ)<!-- 2020-06-04 -->
* [[英雄伝説 創の軌跡]](イリア・プラティエ<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2020年5月7日号|publisher=[[KADOKAWA]]|date=2020-04-23}}</ref>)<!-- 2020-08-27 -->
* [[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク]]('''巡音ルカ'''<ref>{{Cite web|publisher=[[セガゲームス]]|work=プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク|url=https://pjsekai.sega.jp/character/virtualsinger/luka/index.html|title=CHARACTER|accessdate=2020-09-30}}</ref>) - 「ORIGINAL CV」表記<!-- 2020-09-30 -->
* [[ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか 〜メモリア・フレーゼ〜]](アルガナ・カリフ<ref>{{Twitter status|danmachimemoria|1326148345606230016}}</ref>)<!-- 2020-10-08 -->
| 2021年 |
* [[ブラック・サージナイト]](扶桑)<!-- 2021-05-20 -->
* 終末のアーカーシャ(エノサ<ref>{{Twitter status2|akashabook_jp|1389429579484385280|2021年5月4日|5=2021年5月4日}}</ref>)<!-- 2021-07-29 -->
* [[東方ダンマクカグラ]]('''八雲紫'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[ディー・エヌ・エー|DeNA]]|work=東方ダンマクカグラ【ダンカグ】公式サイト|url=https://danmaku.jp/character/|title=キャラ|accessdate=2021-02-01}}</ref>)<!-- 2021-08-04 -->
* グランサガ(テレミス<ref>{{Cite web|和書|work=魂を込めたRPG|GRAN SAGA(グランサガ)|url=https://gransaga.jp/#granweapon|title=グランウェポン|accessdate=2021-09-07}}</ref>)<!-- 2021-12-25 -->
| 2022年 |
* 白昼夢の青写真('''世凪'''、'''波多野凛'''、'''オリヴィア・ベリー'''、'''桃ノ内すもも'''<ref>{{Cite web|和書|title=白昼夢の青写真 |url=https://laplacian.jp/yonagi/ |website= Laplacian |accessdate=2022-02-11 |language=ja}}</ref>)
* [[穢翼のユースティア]]('''エリス・フローラリア'''<ref>{{Cite web|和書|url =https://www.gamer.ne.jp/news/202202240050/|title=PS4/Switch「穢翼のユースティア」が6月23日に発売決定!高解像度でノーヴァス・アイテルが美しく蘇る|publisher=[[GAMER]]|accessdate =2022-02-25}}</ref>)<!-- 2022-06-23 -->
* [[機動戦士ガンダム U.C. ENGAGE]](2022年 - 2023年、ロザミア・バダム / ロザミィ<ref>{{cite web|url= https://gundam-uce.ggame.jp/character/|title=CHARACTER|work= 機動戦士ガンダム U.C. ENGAGE 公式サイト|accessdate=2022-10-09}}</ref>)<!-- 2022-10-05 -->
* [[メメントモリ (ゲーム)|メメントモリ]]('''ベル'''<ref>{{Cite web|work=メメントモリ|url=https://mememori-game.com/gallery/belle/|title=GALLERY|accessdate=2021-08-20}}</ref>)<!-- 2022-11-01 -->
* [[無期迷途]]('''ナイチンゲール''')
}}
=== ドラマCD ===
{{dl2
| 時期不明 |
* [[アキハバラ電脳組]]シリーズ('''東十条つぐみ''')
* [[からっと!]]('''アルト''' / '''鹿島歩人''')
* [[されど罪人は竜と踊る|Sneaker CD Special されど罪人は竜と踊る 禁じられた数字]]('''ジャベイラ・ゴーフ・ザトクリフ''')
| 1997年 |
* [[声優志願の英雄志願]]('''アヤメ''')
| 1998年 |
* [[街 〜運命の交差点〜|ピンクなCD:青ムシSHOW]]('''セーラードールズ4号''')
* [[聖ルミナス女学院|聖ルミナス女学院(1) オーディオドラマ スクール・デイズ]](カトリーヌ・ドブクワイエ)
| 1999年 |
* 新音盤物語「[[八雲立つ]]」巻之弐「天邪鬼来たりて」(女子高生A)
* 風の歌 星の道
* [[バブルガムクライシス TOKYO 2040|BUBBLEGUM CRISIS COLLECTORS FILE 1999]]('''プリス・S・アサギリ''')
| 2000年 |
* [[CLAMP学園]] 怪奇現象研究会事件ファイル(唯加詩美)
* [[宇宙海賊ミトの大冒険|宇宙海賊ミトの大冒険「ざ・むーびー?」]](カクノシン)
* [[世界でいちばん大嫌い|世界でいちばん大嫌い オリジナルCDドラマ]]('''秋吉万葉''')※花とゆめ全員サービス
* [[天使禁猟区|天使禁猟区 星幽界編-3 疾風未来]](ラジエル)
| 2001年 |
* [[天使禁猟区|天使禁猟区 形成界編-1 光天闇路]]('''ラジエル''')
* [[ヴァンドレッド|ドラマCD AUDIO DRAMA VANDREAD]]('''ジュラ・ベーシル・エルデン''')
* [[世界でいちばん大嫌い|世界でいちばん大嫌い しあわせ日和]]('''秋吉万葉''')
* [[Sense Off 〜a sacred story in the wind〜]]('''埴島珠季''')
| 2003年 |
* [[スターオーシャン Till the End of Time|スターオーシャン Till the End of Time Vol.1 新しき風の凱歌]]('''ネル・ゼルファー''')
* [[らぶドル 〜Lovely Idol〜|らぶドル 1st.project]]('''片桐沙有紀''')
* [[カオス レギオン]](シーラ・リヴィエール)
* [[Club AT-X やっぱりアニメが好き。|Club AT-X やっぱりアニメが好き。 三姉妹物語ドラマCD]](2003年 - 2004年、'''ユウ''') - 2作品
* [[幻奏戦記Ru/Li/Lu/Ra#英雄様いらっしゃ〜い|英雄様いらっしゃ〜い]](エイミー如月)
* [[SAKURA 〜雪月華〜|SAKURA〜雪月華〜『序章・黎明編』]](葛葉)
* [[覇王♥愛人]]('''火龍''')
* [[JUNK FORCE]]('''ウーティ''')
| 2004年 |
* [[ながされて藍蘭島]] Vol.1、2(りん)
* らぶドル Radio Project('''片桐沙有紀''')
* らぶドル 3rd.project('''片桐沙有紀''')
* ドラマCD らぶドル〜Lovely Idol〜('''片桐沙有紀''')
* [[絶対彼氏。|絶対彼氏。フィギュアなDARLING]](英美)
| 2005年 |
* [[イタズラなKiss]] ドラマCD版(松本綾子)
* [[PRISM ARK]] スペシャルサウンドパッケージ・ORANGE、YELLOW、GREEN、BLUE(2005年 - 2006年、'''シスター・ヘル''')
| 2006年 |
* [[ことのはの巫女とことだまの魔女と]](獅子尾ハル)
** 限定版コミックス封入ドラマCD「こといろの日々とことほぎの君と」
** マドリガル・ハロウィン
* [[夜明け前より瑠璃色な|ドラマCD「夜明け前より瑠璃色な-Crescent Love-」]](カレン・クラヴィウス)
* ドラマCD Snow Flower('''友崎理奈''')
| 2007年 |
* [[S・A]](東堂明)
* [[君が主で執事が俺で|君が主で執事が俺で ドラマCD Vol.1 - 8]](2007年 - 2008年、'''南斗星'''、九鬼揚羽〈Vol.1のみ〉)
* [[アーネンエルベの一日]](ライダー、ステンノ、エウリュアレ)
* [[PRISM ARK|PRISM ARK れいんぼ〜☆ドラマCD全3枚]](2007年 - 2008年、'''シスター・ヘル''')
* [[ラブルートゼロ#CD|ラブルートゼロ 失恋と嘘、迷子な僕ら。]]('''安達八重子''')
* [[シュラキ〜朱羅姫〜]] オリジナルドラマCD 第1、2話(弓月怜祢)
| 2008年 |
* [[PRISM ARK|PRISM ARK ドラマCD シスター・ヘル プリズム変化]]('''シスター・ヘル''')
* ラブルートゼロ Do you love me? ラブ√1/2('''安達八重子''')
* ラブルートゼロ サヨナラと言えない僕らは…('''安達八重子''')
* [[カレン坂高校 可憐放送部]](及川月子)
* [[ちぇんじ123]](ひびき)
* [[月光のカルネヴァーレ]] ドラマCD「狂乱のコンプレアンノ」(ペルラ)
* [[StrikerS サウンドステージX]](ルネッサ・マグナス)
* 恋の心に黒い羽(高知希)
| 2009年 |
* ラブルートゼロ Do you wanna kiss me? ラブ√1/3('''安達八重子''')
* AZ(遊女)
| 2010年 |
* [[真剣で私に恋しなさい!|真剣で私に恋しなさい!! ドラマCD Vol.1 - 5]]('''川神百代''')
* [[プリズム☆ま〜じカル 〜 PRISM Generations! 〜|プリズム☆ま〜じカル まじかる☆ドラマCD]](トモキ)
* [[声優かっ!#ドラマCD|声優かっ! CUTE3ヒロイン♥ドラマCD]]('''木野姫''')※[[花とゆめ]]2010年4号付録
* 「声優かっ!」ドキドキ♪ドラマCD応募者全員サービス('''木野姫''')
| 2011年 |
* Wイケ声まつり♥ドラマCD('''木野姫''')
* [[はたらく魔王さま!]]('''遊佐恵美''')<small>※「[[電撃文庫MAGAZINE]]」Vol.18付録「豪華声優陣×第17回電撃小説大賞コラボCD」</small>
* [[つきツキ!]](南条巴)
* [[THE IDOLM@STER Dearly Stars#漫画|アイドルマスター Innocent Blue for ディアリースターズ ドラマCD]]('''尾崎玲子''')
* [[穢翼のユースティア]]('''エリス・フローラリア'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=アニメイトTV|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1314260618|title=『穢翼のユースティア』前史の物語を描くドラマCDシリーズ出演キャストを遂に公開! ドラマCD用オリジナルテーマ曲制作も決定!|accessdate=2011-08-28}}</ref>)
| 2012年 |
* [[恋と選挙とチョコレート|TVアニメ『恋と選挙とチョコレート』オリジナルドラマCD「消えた大島棒を探せ!?」]]('''東雲皐月''')
* 恋チョコドラマCD「ショッケン出動!皐月の依頼はイチャイチャデート!?」('''東雲皐月''')
| 2013年 |
* 恋と選挙とチョコレート BD・DVD7完全生産限定版特典 ふたりきりシチュエーションドラマCD「恋チョコプラス3」('''東雲皐月''')
* [[コハエース]]('''ライダー''')
** コハトーーク※『[[コンプティーク]]』2013年10月号付録
** TYPE-MOON×ロードス島戦記 コンプはじめて物語 ※『コンプティーク』2013年12月号付録
* [[天使1/2方程式]](杉本万葉)※コミックス第4・7巻ドラマCD付初回限定版<ref>{{Cite web|和書|publisher=コミックナタリー|title=日高万里「天使1/2方程式」ドラマCD化、花澤香菜ら出演|url=https://natalie.mu/comic/news/95837|accessdate=2013-07-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=白泉社|title=「天使1/2方程式」7巻ドラマCD付き初回限定版|url=http://www.hanayume.com/tenshi_limited/|accessdate=2016-01-20}}</ref>
| 2014年 |
* [[Fate/hollow ataraxia]] ドラマCD あるいは怪物という名の食卓(ライダー)※『コンプティーク』2014年8月号付録
* ドラマCD「[[辻堂さんのドラマティックロード]]」Vol.2(辻堂真琴)
| 2015年 |
* 異世界魔法は遅れてる! ドラマCD「水明誘拐」('''氷帝'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=とらのあな|url=http://www.toranoana.jp/toranoanarecords/isekai/index.html|title=異世界魔法は遅れてる! ドラマCD「水明誘拐」|accessdate=2015-01-24}}</ref>)
* [[落ちてきた龍王と滅びゆく魔女の国]]('''ハリガン・ハリウェイ・ハインドラ'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[とらのあな]]|url=http://www.toranoana.jp/info/dojin/naga/index.html|title=ドラマCD「落ちてきた龍王と滅びゆく魔女の国」発売決定!|accessdate=2015-08-27}}</ref>)
| 2016年 |
* [[Fate/Grand Order|Fate ぐだぐだオーダー]] ドラマCD「帰ってきたぐだぐだお得テクニック」(メドゥーサ)
}}
=== 吹き替え ===
==== 映画 ====
* [[アタック・ナンバーハーフ2 全員集合!]](アン)
* [[恋のミニスカウエポン]](マックス〈[[ミーガン・グッド]]〉)
* [[ザ・チャレンジ (2003年の映画)|ザ・チャレンジ]](ケリー)
* {{仮リンク|スー・チーのSEX&禅|en|Sex and Zen II}}('''ヤウ'''〈[[ロレッタ・リー]]〉)
* [[スカイ・ハイ (2005年の映画)|スカイ・ハイ]](マジェンダ〈[[ケリー・ヴィッツ]]〉)
* [[チャプター27]](ジェリ)
* [[チャレンジ・キッズ 未来に架ける子どもたち]](エイプリル・デジデオ)
* [[トップ・ランナー]](ケイティ〈モーヴェン・クリスティ〉)
* [[ぴちぴちカイサとおてんばエヴァ]](エヴァ)
* [[マンディ・レイン 血まみれ金髪女子高生]]('''マンディ・レイン'''〈[[アンバー・ハード]]〉)
==== ドラマ ====
* [[コールドケース 迷宮事件簿|コールドケース4]] #20(ベッカ〈女子高生〉)
* [[パワーレンジャー・サムライ]](ダユウ)
* [[プライベート・プラクティス 迷えるオトナたち|プライベート・プラクティス2 迷えるオトナたち]] #17
==== アニメ ====
* [[ザ・バットマン]](ジェーン・ブレイズデール)
* [[スーパーマン (アニメ)|スーパーマン]](タリア)
* [[ダイナソー・アイランド 恐竜たちの大地]]('''ジャッキー''')
* [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]](女性)
* [[ラマだった王様 学校へ行こう!]]('''マリーナ''')
=== デジタルコミック ===
* [[VOMIC]] [[スイッチガール!!]](2007年、'''田宮仁香''')
=== CM ===
* [[ライコス|ライコスジャパン]] 掲示板編
* [[週刊少年サンデー#少年サンデーCM劇場|少年サンデーCM劇場]]「[[天使な小生意気]]」(天使恵)
=== 特撮 ===
* [[テツワン探偵ロボタック]](1998年、ミミーナの声)
* [[テツワン探偵ロボタック&カブタック 不思議の国の大冒険]](1998年、ミミーナの声)
* [[超星艦隊セイザーX]](2005年、水将軍アクアルの声)
* [[劇場版 超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち]](2005年、水将軍アクアルの声)
=== ラジオ ===
<!-- 単発のゲスト出演などは不要。レギュラー番組のみ。年月日は冗長か。 -->
※は[[インターネットラジオ|インターネット配信]]
* [[WE2 タマゴの…キミ|タマゴの…キミ]](1996年 - 1997年、TBSラジオ)
* [[VOICE CREW|VOICE CREW SONG ANALIST]](1997年、[[エフエムナックファイブ|NACK5]])
* [[DEEPER STREET木曜日|浅川悠とオフサイド大西のDEEPER STREET木曜日]](1997年 - 1999年、[[全国FM放送協議会|JFN]]系列)
* 浅川悠のMai for ゆう(時期不明)
* [[Club AT-X やっぱりアニメが好き。]](2002年 - 2004年、[[文化放送]])
* [[潮風放送局〜みなとSTATIONらじお! 〜風間ファミリー編〜]](2010年 - 2012年、『[[君が主で執事が俺で]]』公式ホームページ※)
* Otaku-Verse Zero(2010年、[[K'z Station]]別枠※)
=== ラジオCD ===
* [[声優志願の英雄志願]](1997年)
* 声優BESTトークコレクション 女性編 キャラアニラジオステーションベスト(2002年)
* [[いつでも召喚!サモンナイト4#ジオCD|DJ+ドラマCD「いつでも召喚!サモンナイト4」Vol.1、2]](2007年)
* ラジオCD「[[Fate/stay tune]]」第2巻(2007年)
* [[潮風放送局〜みなとらじお!#潮風放送局〜みなとらじお!|潮風放送局〜みなとらじお! CD #1]](2007年11月30日)
* [[一騎当千DDR〜Dragon Destiny Radio〜]](2008年、第20回ゲスト)
* ぱじゃまラジオ プリズムナイト ドライ(2008年9月26日)
* [[潮風放送局〜みなとSTATIONらじお! 〜君が主で執事が俺で編〜]] CD #5(2009年8月28日)
* [[潮風放送局〜みなとSTATIONらじお! 〜風間ファミリー編〜]] CD#01 - 05(2010年 - 2012年)
* ラジオCD「[[ラジオ 11eyes]]」(2010年3月19日)
* [[恋と選挙とチョコレートのディスコグラフィ#ラジオCD|緒方恵美のショッケン乱YO!! ラジオCDだいいちだん!]](2012年8月24日)
=== 映像商品 ===
* LOVE・LIVE HINA ひなたガールズが大阪な(2000年11月22日)
* コイゴコロ咲く花 イベントDVD(2009年3月26日)
* 百歌SAY!RUN!2009
=== パチスロ・パチンコ ===
* [[快盗天使ツインエンジェル]](2006年、西条女史)
* [[パチスロ一騎当千 Dragon Destiny]](2008年、趙雲子龍)
* エージェント・クライシス(2011年、鮎川マキ)
* [[CRぱちんこRio -Rainbow Road-]](2014年、アニータ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.heiwanet.co.jp/latest/cr_rio2/character.html|title=キャラクター|CRぱちんこRio -Rainbow Road-|accessdate=2020-05-22}}</ref>)
* [[閃乱カグラ -少女達の真影-|パチンコCR閃乱カグラ]](2016年、大道寺先輩)
* パチスロ閃乱カグラ(2017年、大道寺先輩)
=== その他コンテンツ ===
* [[まぜてよ★生ボイス]](時期不明、アプリ)'''[[巡音ルカ]]'''
* [[衛星アニメ劇場]](2008年 - 2009年、[[日本放送協会|NHK]]衛星第2 ナビゲーター)
* バーチャル・シンガー「[[VOCALOID|VOCALOID2]] [[キャラクター・ボーカル・シリーズ]]03」(2009年)'''巡音ルカ'''
* [[名探偵夢水清志郎事件ノート]] 番外編 『天象館(プラネタリウム)の謎』(2013年、プラネタリウム)岩崎真衣
* [[Ever17 -the out of infinity-]](2013年、アプリ)'''小町つぐみ'''
* [[終末のハーレム#ボイスドラマ|終末のハーレム]](2017年、オーディオドラマ)龍造寺朱音<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shonenjump.com/kikujump/harem/|title=『聴くジャン!』第4弾『終末のハーレム』|publisher=集英社|accessdate=2019-02-12}}</ref>
* 秘密のサロンとクールメイド(2022年、ASMR)'''マグノリア'''
== ディスコグラフィ ==
=== アルバム ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! 枚 !! 発売日 !! タイトル !! 規格品番 !! [[オリコンチャート|オリコン]]<br/>最高位
|-
! 1st
| 2002年9月26日 || '''gaze''' || PICA-7046 || 圈外
|}
=== 企画アルバム ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! 枚 !! 発売日 !! タイトル !! 規格品番 !! オリコン<br/>最高位
|-
! 1st
| 2002年3月20日 || '''BirthdayDisc;PISCES''' || SCDC-00167 || 圈外
|}
=== キャラクターソング ===
{{VOICE Notice Hidden|
◆ 「キャラクター(声優名)」で統一すること。
◆ 当記事の声優のみ「キャラクター('''声優名''')」とすること。
◆ ユニットの場合は{{Vau}}を用いる。使い方は[[Template:Vau]]を参照。}}
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! style="width:4.5em"|発売日 !! 商品名 !! 歌 !! 楽曲 !! 備考
|-
! colspan="5" | 1998年
|-
| 1月21日
| [[街 〜運命の交差点〜#サウンドトラック|街 オリジナル サウンド トラック]]
| '''浅川悠'''
| 「無敵美少女セーラードールズ」
| ドラマCD『[[街 〜運命の交差点〜|ピンクなCD:青ムシSHOW]]』エンディング曲
|-
| 7月1日
| 英雄志願 オリジナル・サウンドトラック
| '''浅川悠'''、[[前田このみ]]
| 「男なら一度くらい」
|
|-
| 7月24日
| アキハバラ電脳組 Rebis-C.T.i.A/O.S.T
| [[島涼香]]、[[吉住梢]]、'''浅川悠'''
| 「BABY MAYBE LOVE」
|
|-
| 9月4日
| アキハバラ電脳組 Rubification-C.T.i.A/C.I.S
| '''浅川悠'''
| 「UP TO DREAM」
|
|-
| rowspan="2"|10月23日
| rowspan="2"|アキハバラ電脳組 オリジナルサウンドトラック Azoth-C.T.i.A/O.S.T
| '''浅川悠'''
| 「恋しましょ ねばりましょ -TSUGUMIX-」
|
|-
| [[かかずゆみ]]、'''浅川悠'''
| 「Be with me〜この夢が叶う瞬間〜」
|
|-
| 11月18日
| 東京魔人学園奏楽抄
| [[堀江由衣]]、'''浅川悠'''、[[川鍋雅樹]]、[[石黒貴之]]、[[笹沼晃]]、[[加瀬康之]]、[[斉藤周]]、[[小上裕通]]、[[津村まこと]]、[[永迫舞]]
| 「桜之杜」
|
|-
| 11月27日
| アキハバラ電脳組 FIRST ANNIVERSARY
| 島涼香、吉住梢、'''浅川悠'''
| 「EVE-EVE MERRY CHRISTMAS」
|
|-
| 12月23日
| フォトン「のうたえくすとら」
| TOMO、'''浅川悠'''
| 「がんばれパパチャ!」
|
|-
! colspan="5"|1999年
|-
| rowspan="2"|1月27日
| rowspan="2"|[[聖ルミナス女学院#聖ルミナス女学院(3) イメージアルバム ガールズ・トーク|聖ルミナス女学院(3) イメージアルバム ガールズ・トーク]]
| カトリーヌ・ドブクワイエ('''浅川悠''')
| 「Na Na Na」
| テレビアニメ『[[聖ルミナス女学院]]』関連曲
|-
| {{vau|ルミナスガールズ・オールスターズ}}
| 「To-bi-ra」
| テレビアニメ『聖ルミナス女学院』挿入歌
|-
| 4月2日
| アキハバラ電脳組 ドラマシアターDennohgumi-2010夏
| rowspan="3"|島涼香、吉住梢、'''浅川悠'''
| 「KEEP ON SMILING!」
|
|-
| 6月4日
| アキハバラ電脳組 ドラマシアターDennohgumi-2010秋
| 「夢の味方」
|
|-
| 7月23日
| アキハバラ電脳組 ドラマシアターDennohgumi-2011春
| 「Distance」<br/>「Go for dream〜夢の扉をあけて〜」
|
|-
| 9月21日
| 宇宙海賊ミトの大冒険 歌え!ミトの大冒険 ボーカル&バラエティアルバム
| '''浅川悠'''、[[くまいもとこ]]、[[堀秀行]]、[[笠原留美]]
| 「一番ミトが好き!」
| テレビアニメ『[[宇宙海賊ミトの大冒険]]』関連曲
|-
| rowspan="2"|9月22日
| rowspan="2"|アキハバラ電脳組 Birth-C.T.i.A/T.H.S
| 島涼香、吉住梢、'''浅川悠'''
| 「BABY MAYBE LOVE〈NEW MIX〉」<br/>「KEEP ON SMILING!」<br/>「恋しましょ ねばりましょ〈T.H.S MIX〉」<br/>「夢の味方」<br/>「EVE-EVE MERRY CHRISTMAS」<br/>「Go for dream〜夢の扉をあけて〜」<br/>「Birth〈T.H.S MIX〉」
| rowspan="2"|
|-
| '''浅川悠'''
| 「HOT SPICE〈TSUGUMI SPICY MIX〉」<br/>「UP TO DREAM」
|-
| 12月22日 || 東京魔人学園月紅伝詩篇〜雪街
| {{vau|真神学園高校聖歌隊}}
| 「We Wish You A Merry Christmas」
|
|-
! colspan="5" | 2000年
|-
| 1月28日
| ラブひな コミックスイメージアルバム
| ?
| 「?」
| テレビアニメ『[[ラブひな]]』関連曲
|-
| 2月16日
| セラフィムコール EDテーマカップリングコレクション4 紅かすみ&柊彩乃
| 紅かすみ('''浅川悠''')
| 「Endless tomorrow」
| テレビアニメ『[[セラフィムコール]]』第9話エンディングテーマ
|-
| 2月25日
| アキハバラ電脳組 ヴォーカルアルバム Monument-C.T.i.A/H&H
| ?
| 「?」
|
|-
| 11月29日
| WOWOWアニメ「ヴァンドレッド」オープニング主題歌〜TRUST
| [[かかずゆみ]]、'''浅川悠'''、[[折笠富美子]]、[[豊口めぐみ]]
| 「いくとせはるか」
| テレビアニメ『[[ヴァンドレッド]]』挿入歌
|-
! colspan="5"|2001年
|-
| 9月5日
| ヴァンドレッド ヴォーカルコレクション Girl's Serenade
| ジュラ・ベーシル・エルデン('''浅川悠''')
| 「Slow Down」
| テレビアニメ『[[ヴァンドレッド]]』関連曲
|-
| 10月26日
| JUSTICE
| rowspan="2"|{{vau|メジェール・パイレーツ}}
| 「SPACY SPICY LOVE」
| OVA『[[ヴァンドレッド 胎動篇]]』オープニングテーマ
|-
| 11月30日
| ヴァンドレッド the second stage ボーカル&オリジナル・サウンドトラック
| 「SPACY SPICY LOVE(別バージョン?)」
|
|-
! colspan="5"|2002年
|-
| rowspan="4"|5月22日 || rowspan="2"|スターチャイルド ガールズキャラクターソングベスト
| [[島涼香]]、[[吉住梢]]、'''浅川悠'''
| 「恋しましょねばりましょ〈T.H.S MIX〉」<br/>「Birth〈T.H.S MIX〉」
|
|-
| 堀江由衣、倉田雅世、'''浅川悠'''、高木礼子、野田順子、雪乃五月、小林由美子
| 「Friendship」
| テレビアニメ『[[ラブひな]]』関連曲
|-
| rowspan="2"|あずまんが大王 キャラクターCD Vol.2 榊さん
| 榊さん('''浅川悠''')
| 「心は少女でパラシュート」
| テレビアニメ『[[あずまんが大王]]』第17、19話挿入歌
|-
| 榊さん('''浅川悠''')、美浜ちよ([[金田朋子]])
| 「魔法猫に会える日は」
| テレビアニメ『あずまんが大王』関連曲
|-
| 10月25日
| ヴァンドレッド 激闘篇 DVD初回製造特典 ヴァンドレッド ヴォーカルコレクションアルバム
| {{vau|メジェール・パイレーツ}}
| 「PROOF」
| OVA『[[ヴァンドレッド 激闘篇]]』エンディングテーマ
|-
| 12月25日
| あずまんが大王 ヴォーカルコレクション『うたいましょ』
| 榊さん('''浅川悠''')
| 「心は少女でパラシュート」
| テレビアニメ『あずまんが大王』関連曲
|-
! colspan="5"|2003年
|-
| 1月22日
| 青山素子ミニアルバム 春夏秋冬恋繚乱
| 青山素子('''浅川悠''')
| 「サクラのキモチ」<br/>「ダリアのチカラ」<br/>「リコリスのエイエン」<br/>「スノードロップのキセキ」<br/>「月の如く ボーカルニューレコーディング」<br/>「真剣 ボーカルニューレコーディング」
| テレビアニメ『[[ラブひな]]』関連曲
|-
| 3月19日
| Ever17 シングルコレクションAction3
| 小町つぐみ('''浅川悠''')
| 「squall rise above」
| ゲーム『[[Ever17]]』関連曲
|-
! colspan="5"|2004年
|-
| 3月24日
| D→A:BLACK Dream Collection VOL.6 御堂愛
| 御堂愛('''浅川悠''')
| 「銀の足跡」
| ゲーム『[[D→A:BLACK]]』関連曲
|-
| 12月30日
| 遥か、君のもとへ…
| セフル('''浅川悠''')、森村蘭([[桑島法子]])
| 「flowin'〜浮云〜」
| テレビアニメ『[[遙かなる時空の中で-八葉抄-]]』エンディングテーマ
|-
| rowspan="2"|7月22日
| rowspan="2"|シアワセ革命
| rowspan="2"|{{vau|Lovely Idol}}
| 「シアワセ革命」
| ゲーム『[[らぶドル 〜Lovely Idol〜]]』オープニングテーマ
|-
| 「ココロの矢印は上向き」
| ゲーム『らぶドル 〜Lovely Idol〜』エンディングテーマ
|-
! colspan="5"|2005年
|-
| rowspan="2"|5月25日
| rowspan="2"|『らぶドル〜Lovely Idol〜』ヴォーカル&サウンドトラック らぶドルShow 第一幕
| 片桐沙有紀('''浅川悠''')
| 「SONG」
| ゲーム『[[らぶドル 〜Lovely Idol〜]]』片桐沙有紀エンディングテーマ
|-
| {{vau|Innocent6Naughty Guardians}}
| 「稲妻レボリューション」
| ゲーム『らぶドル 〜Lovely Idol〜』Innocent6Naughty Guardiansエンディングテーマ
|-
| 6月22日
| 夏の向こう側
| [[井上喜久子]]、[[門脇舞]]、'''浅川悠'''
| 「宇宙の花」
| OVA『[[円盤皇女ワるきゅーレ 星霊節の花嫁]]』エンディングテーマ
|-
| 10月28日
| PRISM ARK スペシャルサウンドパッケージ・YELLOW
| シスター・ヘル('''浅川悠''')
| 「nomadic lady」
| ラジオドラマ『[[PRISM ARK]]』関連曲
|-
! colspan="5"|2007年
|-
| 5月30日
| [[Fate/stay night キャラクターイメージソング#VI:ライダー|「Fate/stay night」キャラクターイメージソングVI:ライダー]]
| ライダー('''浅川悠''')
| 「瞬時の渦」<br/>「瞬時の渦 NUMBER201 Re-mix」
| テレビアニメ『[[Fate/stay night]]』関連曲
|-
| 12月5日
| PRISM ARK PRIVATE SONG Vol.5 シスター・ヘル
| シスター・ヘル('''浅川悠''')
| 「せつなさの向こうへ」
| テレビアニメ『[[PRISM ARK]]』関連曲
|-
! colspan="5"|2008年
|-
| 6月25日
| [[君が主で執事が俺で キャラクターソングミニアルバム&トークCD]]
| 南斗星('''浅川悠''')
| 「木漏れ日を感じて」
| テレビアニメ『[[君が主で執事が俺で]]』関連曲
|-
! colspan="5"|2010年
|-
| 2月19日
| [[アマガミ キャラクターソング#vol.8 塚原響|アマガミ キャラクターソングvol.8 塚原響「恋の偏差値」]]
| 塚原響('''浅川悠''')
| 「恋の偏差値」<br/>「恋の偏差値〜Classic mode arrange〜」
| ゲーム『[[アマガミ]]』関連曲
|-
! colspan="5" | 2011年
|-
| 4月27日
| 愛で斬るなら痛くな〜い!〜Anime Cast Ver.〜/だって真剣恋だもん!
| rowspan="2"|川神百代('''浅川悠''')、川神一子([[友永朱音]])、椎名京([[氷青]])、クリスティアーネ([[伊藤静]])、黛由紀江([[後藤邑子]])
| 「愛で斬るなら痛くな〜い!〜Anime Cast Ver.〜」<br/>「だって真剣恋だもん!」
| テレビアニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』関連曲
|-
| rowspan="2"|11月9日
| rowspan="2"|君の真剣をちょうだい
| 「君の真剣をちょうだい」
| テレビアニメ『真剣で私に恋しなさい!!』エンディングテーマ
|-
| rowspan="3"|川神百代('''浅川悠''')
| 「痛快☆青春ファイター」
| rowspan="3"|テレビアニメ『真剣で私に恋しなさい!!』関連曲
|-
| 11月25日
| 真剣で私に恋しなさい!! 第1巻 タカヒロさん書き下ろしCD「百代をひとりじめ!」
| 「君の真剣をちょうだい(百代ソロVer.)」
|-
| 12月7日
| MAJI-SONGS
| 「共に朝日を追いかけて」
|-
! colspan="5"|2012年
|-
| 1月27日
| 穢翼のユースティア -Original CharacterSong Series- ERIS/FIONE
| エリス・フローラリア('''浅川悠''')
| 「Clientesの無垢」
| ゲーム『[[穢翼のユースティア]]』関連曲
|-
| 8月22日
| [[CHOCOLATE SELECTION]]
| 東雲皐月('''浅川悠''')
| 「Real Me」
| rowspan="2"|テレビアニメ『[[恋と選挙とチョコレート]]』関連曲
|-
| 10月24日
| 恋チョコデュエットソングCD 1 千里&皐月
| 住吉千里([[中村繪里子]])、東雲皐月('''浅川悠''')
| 「Can’t Stop Loving!」<ref group=注 name=solover>ソロヴァージョンも収録</ref>
|-
! colspan="5"|2013年
|-
| 3月20日
| [[K-ON! MUSIC HISTORY'S BOX]]
|
| 「」
|
|-
! colspan="5"|2014年
|-
| 2月19日
| ノブナガン Original Soundtrack
| 小椋しお([[武藤志織]])、ニュートン('''浅川悠''')、ガリレオ([[上坂すみれ]])
| 「ちいさな星 ver.α」
| テレビアニメ『[[ノブナガン]]』エンディングテーマ
|-
| 4月4日
| デカ盛り 閃乱カグラ 全曲入り大盛りデジタルサウンドトラック<ref group=注 name=配信作品>配信作品</ref>
| 大道寺('''浅川悠''')
| 「羅刹修羅道」
| ゲーム『[[デカ盛り 閃乱カグラ]]』関連曲
|-
! colspan="5"|2017年
|-
| 8月25日
| ネ!コ!
| パトリシア・オブ・エンド([[高森奈津美]])、黒木未知([[仙台エリ]])、夕莉シャチ('''浅川悠''')、明日原ユウキ([[種﨑敦美]])
| 「ネ!コ!」
| テレビアニメ『[[ノラと皇女と野良猫ハート]]』主題歌
|}
=== その他参加楽曲 ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
! style="width:4.5em"|発売日 !! 商品名 !! 歌 !! 楽曲 !! 備考
|-
! colspan="5"|2006年
|-
| 2月22日
| [[非公認! 聖飢魔IIカヴァーアルバム VOICE]]
| '''浅川悠'''
| 「[[WINNER!]]」
|
|-
! colspan="5"|2009年
|-
| 3月18日
| [[百歌声爛#女性声優編III|百歌声爛 女性声優編III]]
| '''浅川悠'''
| 「」
|
|}
== その他 ==
=== 作詞 ===
'''2002年'''
* lilith
* Can’t stand
* rest
* Second wind
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
{{Ras}}
{{Vau}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
{{commons category}}
* {{Wayback|url=https://ameblo.jp/tacit/ |title=… tacit consent … |date=20081206004603}} - 本人によるブログ
* {{Twitter|Julia320|Yuu Asakawa}}
* {{Instagram|yuu_asakawa_insta|Yuu Asakawa/JPvoice actress}}
* {{Facebook|yuu.asakawa.320|Yuu Asakawa}}
* {{Twitch|yuu_twitch|yuu_twitch}}
* {{YouTube|channel = UClxFK1kq9FX4MNXj0lflkuA|Yuu Asakawa}}
* [http://www.kzstation.com/ovz/ Otaku-Verse Zero] {{en icon}}
* [https://web.archive.org/web/20031009140324/http://www5.plala.or.jp/Stages/ 夏樹リオ+浅川悠 オフィシャルサイト Stages]
* [https://thetv.jp/person/0000139781/ 浅川悠のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン]
* [https://seigura.com/directory/129/ 浅川 悠|声優名鑑 - 声優グランプリweb]
* [https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/浅川悠/#person-110041675_ 浅川悠の解説 - goo人名事典]
* {{Kinejun name}}
* {{Oricon name|229528}}
* {{Movie Walker name|151049}}
* {{映画.com name|11245}}
* {{Allcinema name}}
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{{DEFAULTSORT:あさかわ ゆう}}
[[Category:日本の女性声優]]
[[Category:過去のアーツビジョングループ所属者]]
[[Category:日本ナレーション演技研究所出身の人物]]
[[Category:代々木アニメーション学院の卒業生]]
[[Category:日本のTwitchストリーマー]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1975年生]]
[[Category:存命人物]]
|
2003-07-13T06:55:03Z
|
2023-12-30T12:22:23Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E5%B7%9D%E6%82%A0
|
11,361 |
岐阜市
|
岐阜市(ぎふし)は、岐阜県の中南部に位置する市。岐阜県の県庁所在地および人口が最多の市で、中核市に指定されている。
戦国時代には金華山の麓の旧岐阜町が美濃斎藤氏のちに織田信長が治める城下町として発展。 江戸時代には幕府の直轄地のちに尾張藩領となり岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町からなる商工業の中心地として栄えた。 また南部に位置する旧加納町は、加納藩の城下町と同時に中山道の宿場町でもあり、加納宿は今でもその面影を残している。 戦後は繊維産業で栄えた。現代では中京圏(名古屋都市圏)に属し、名古屋市の衛星都市・ベッドタウン的な性格を持つ一方で、岐阜県の行政・商業・情報の拠点として機能している。
織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井ノ口を岐阜と改めたとするのが定説だが、異論も一部にある。
岐阜県の南部に位置し、濃尾平野の北端に当たる。 北部には山林を有し、南部には市街地が広がっている。 また市内を横切るように、北東から南西にかけて長良川が流れており、市の大部分は長良川と支流の扇状地と自然堤防地帯にあたる。 市内に流れる長良川は日本三大清流の一つと言われている。長良川の中流流域が1985年(昭和60年)に「名水百選」に選ばれた。また1998年(平成10年)に「日本の水浴場55選」に、2001年(平成13年)に「日本の水浴場88選」に選定されている。一方、扇状地の長良川は典型的な天井川で、市の中心部より川の水面の方が常に高く、大雨の際には洪水の危険が伴う。
概ね太平洋岸気候の特徴を示すが、夏は暑く冬は寒い内陸性気候の特徴も示す。 海岸に位置する愛知県の伊良湖、三重県の尾鷲などと比べ、夏は直射日光で最高気温が高く、熱帯夜も大都市である京都市とほぼ同じ日数となっており、非常に蒸し暑い。冬は寒く、名古屋よりも最低気温は低い。冬の平年の降雪量・最深積雪量は関東以西の太平洋側主要都市では最も多い。 これは、日本海若狭湾からの距離が太平洋側の平野部としては比較的近く、冬型の気圧配置となって強い寒気が流れ込んだ際、風向きによっては日本海寒帯気団収束帯で発達した雪雲が両白山地・伊吹山地を越えて流れ込みやすいためである。ケッペンの気候区分ではCfa(温暖湿潤気候)となる。
柳ヶ瀬(岐阜市)も参照。
岐阜市の中心市街地であり、オフィスや商業施設が立ち並ぶエリアである。中心市街地の空洞化が著しく、柳ヶ瀬の再活性化が市の重要課題になっている。 近年、岐阜駅前は、名古屋都心部などへの鉄道アクセスのよさなど利便性が見直され、オフィスビルや高層マンションの建設など再開発事業(高島屋南市街地再開発事業や岐阜駅北中央地区再開発事業)が展開。
伊奈葉神社南の山から、西に暗渠となった区割りの堀で区切られた北の区域は、かつて戦国時代からの旧岐阜町にあたる。 金華山、岐阜城、長良川温泉などの観光資源を抱える風光明媚なエリアである。金華山の袂にある伊奈波神社から米屋町周辺では大正年間の旧家屋や洋館などが建ち並び、長良川鵜飼いが実施される鵜飼い船の乗り込み口周辺の玉井町筋(湊町、玉井町、元浜町)は米屋町同様に旧家屋が複数建ち並ぶ。
岐阜の大動脈でもある国道21号がエリアの東西を貫いており、各務原市との境界付近に東海北陸自動車道岐阜各務原インターチェンジが設置されている。ロードサイドには各種郊外型店舗が林立し、カラフルタウン岐阜など、郊外型の大型商業施設も立地している。岐阜県庁舎、岐阜県警察本部、福祉・農業会館など県関連の官公庁のほか、岐阜県美術館、岐阜県図書館、県民ふれあい会館などの文化施設もこのエリアに所在する。
濃尾平野の北端で標高の低い山が点在し、山を切り開いた団地(例:大洞団地、三田洞団地など)が数多く見られる。長良川河畔の岐阜メモリアルセンターには長良川陸上競技場や長良川球場など各種スポーツ施設があり、スポーツのイベント会場として広く利用されている。このエリアには畜産センターや岐阜ファミリーパークなどの大型の公園、岐阜大学、岐阜運転者講習センター、岐阜刑務所など大型の公共施設が多い。マーサ21(イオン岐阜店)など大型商業施設も立地している。また、東海環状自動車道岐阜インターチェンジの設置が予定されている。
岐阜市は統計などでは50の地区(地域区分)に分けられる。これらの地区は小学校の学区に準ずるが、一部の地区は2000年代の小学校の統廃合以前の小学校の学区で区分されている。各地名についてはTemplate:岐阜市の町・字および岐阜市の地名を参照。
岐阜市の人口は1980年代の約42万人をピークに、緩やかに減少傾向となっている。2022年現在、東海三県の都市で名古屋市、豊田市に次いで3番目に人口が多い。
岐阜県
「岐阜を制する者は、日本を制する」と言われるように、日本の中部に位置する岐阜は、日本を統一する人によって都合が良い立地の地域でした。 200年以上、有力守護大名である七頭の土岐氏による支配下にあったが、家臣の斎藤道三が反乱を起こし、1542年に美濃国統一。稲葉山の山頂に稲葉山城を築城し、城下町「井ノ口」を整備。美濃国から全国統一への展望を思い描いた。 また同じころ、隣国尾張国で急成長する織田信長と斎藤道三の娘である濃姫が政略結婚し、周辺諸国の大名に対し、強力な軍事同盟を誇示した。 しかし、16世紀半ばとなると、斎藤義龍によるクーデターで斎藤道三は倒されたが、間もなく斎藤義龍も病死してしまい、斎藤氏は衰退する。 その機に乗じて、織田信長が美濃攻略に成功し、織田信長により支配される。 1567年に織田信長は仏教の僧侶と相談した後に、「井ノ口」の地名を、中国の伝説上の皇帝である炎帝が本拠としたとされる岐山と孔子の生誕地である曲阜から文字を取り「岐阜」と改名した。その際に稲葉山の名称も「金華山」と改名し今日に至る。
岐阜の経済はこのころ、織田信長の拡大する勢力の中心に位置していたため、大きく成長しました。 また、商工業者・芸能者の営業販売の独占を行っていた「座」を撤廃して、市民が自由に経済活動のできる「楽市楽座」を実施。 ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイスによると、当時の岐阜城下は「賑やかなバビロニア」と表現されるほど栄えた。
江戸時代になると、江戸幕府は江戸までの街道を整備し、五街道の1つである中山道が確立された。 一国一城令により岐阜城は廃城とされ、新たに築城された加納城の城下町に加納宿が設置し、美濃国最大の宿場町となり、岐阜和傘などの伝統工芸品が製造される。また、大河である長良川の手前にも河渡宿が設置され、川を渡る人々が往来や滞在をして繁栄した。
国家機関の一部は岐阜合同庁舎内にある。
1本部4署11分署で構成されている。
他に隣町の笠松町にある笠松郵便局が受け持つ地域がある。
1960年代は繊維産業が盛んであり、繁華街の柳ヶ瀬には1千もの商店や飲食店が軒を連ね、大変な賑わいがあったという。しかし、海外の安い製品に押されて岐阜市が衰退するのに伴って、岐阜近鉄百貨店や新岐阜百貨店、岐阜パルコ、ジャスコ、ダイエー、長崎屋、タマコシ(センサ)、岐阜メルサと中心市街地の大型商業施設が次々と閉店。名古屋の衛星都市化が加速する中、市は岐阜駅前に開発の軸を移すことを考えている。ただし柳ヶ瀬でも岐阜髙島屋の南地域の約6,500m2に複合商業施設(柳ヶ瀬グラッスル35)が再開発によって建設された。
学習塾や飲食店、衣料品店などが入居する。
本店を設置している銀行・協同組織金融機関は以下のとおりである。
全国放送および、中京広域圏(東海3県を範囲とする)を放送対象地域とするテレビ放送については、おおむね愛知県瀬戸市にある瀬戸デジタルタワーからの電波を受信して視聴している。なお、市内に所在する岐阜放送・NHK岐阜放送局については、岐阜県を放送対象地域としている。
また、岐阜市内には、NHK名古屋放送局ラジオ第1放送の予備送信所が設置されており、名古屋親局(NHK鍋田ラジオ放送所)が万が一送信できなくなった場合に運用される。(周波数:729kHz、空中線電力:1 kW)
国公立
私立
国立
市立
私立
市立
私立
市立
私立
岐阜市内に空港は存在しない。最寄りの空港は、中部国際空港・名古屋空港である。 中部国際空港へは、名鉄岐阜駅から中部国際空港駅まで結ばれている。
岐阜駅から名古屋駅までJRの快速電車で最速およそ20分で行けるため、名古屋方面への通勤・通学には至便である。一方で市内には鉄道空白地帯が多く、市内輸送はバス交通やマイカーに依存している。
中心駅:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅
2005年(平成17年)3月までは岐阜市内線や名鉄揖斐線、名鉄美濃町線、名鉄田神線があった。(通称600V線区)
かつては名鉄バス、岐阜市交通事業部(岐阜市営バス)が市内を運行していたが、2004年9月と2005年3月にそれぞれ廃止され、路線は共に岐阜バスに譲渡された。
他に名神高速道路・岐阜羽島IC(羽島市)も利用できる。
かつてのミス岐阜・ミス長良川にあたる「ぎふ長良川メイツ」が、岐阜市のイメージアップと観光PRに務めている。
岐阜市名誉市民条例および岐阜市名誉市民条例施行規則により名誉市民章が贈呈された人物。
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"text": "岐阜市(ぎふし)は、岐阜県の中南部に位置する市。岐阜県の県庁所在地および人口が最多の市で、中核市に指定されている。",
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"text": "戦国時代には金華山の麓の旧岐阜町が美濃斎藤氏のちに織田信長が治める城下町として発展。 江戸時代には幕府の直轄地のちに尾張藩領となり岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町からなる商工業の中心地として栄えた。 また南部に位置する旧加納町は、加納藩の城下町と同時に中山道の宿場町でもあり、加納宿は今でもその面影を残している。 戦後は繊維産業で栄えた。現代では中京圏(名古屋都市圏)に属し、名古屋市の衛星都市・ベッドタウン的な性格を持つ一方で、岐阜県の行政・商業・情報の拠点として機能している。",
"title": "概要"
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"text": "織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井ノ口を岐阜と改めたとするのが定説だが、異論も一部にある。",
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"text": "岐阜県の南部に位置し、濃尾平野の北端に当たる。 北部には山林を有し、南部には市街地が広がっている。 また市内を横切るように、北東から南西にかけて長良川が流れており、市の大部分は長良川と支流の扇状地と自然堤防地帯にあたる。 市内に流れる長良川は日本三大清流の一つと言われている。長良川の中流流域が1985年(昭和60年)に「名水百選」に選ばれた。また1998年(平成10年)に「日本の水浴場55選」に、2001年(平成13年)に「日本の水浴場88選」に選定されている。一方、扇状地の長良川は典型的な天井川で、市の中心部より川の水面の方が常に高く、大雨の際には洪水の危険が伴う。",
"title": "地理"
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"text": "概ね太平洋岸気候の特徴を示すが、夏は暑く冬は寒い内陸性気候の特徴も示す。 海岸に位置する愛知県の伊良湖、三重県の尾鷲などと比べ、夏は直射日光で最高気温が高く、熱帯夜も大都市である京都市とほぼ同じ日数となっており、非常に蒸し暑い。冬は寒く、名古屋よりも最低気温は低い。冬の平年の降雪量・最深積雪量は関東以西の太平洋側主要都市では最も多い。 これは、日本海若狭湾からの距離が太平洋側の平野部としては比較的近く、冬型の気圧配置となって強い寒気が流れ込んだ際、風向きによっては日本海寒帯気団収束帯で発達した雪雲が両白山地・伊吹山地を越えて流れ込みやすいためである。ケッペンの気候区分ではCfa(温暖湿潤気候)となる。",
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"text": "柳ヶ瀬(岐阜市)も参照。",
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"text": "岐阜市の中心市街地であり、オフィスや商業施設が立ち並ぶエリアである。中心市街地の空洞化が著しく、柳ヶ瀬の再活性化が市の重要課題になっている。 近年、岐阜駅前は、名古屋都心部などへの鉄道アクセスのよさなど利便性が見直され、オフィスビルや高層マンションの建設など再開発事業(高島屋南市街地再開発事業や岐阜駅北中央地区再開発事業)が展開。",
"title": "地理"
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"text": "伊奈葉神社南の山から、西に暗渠となった区割りの堀で区切られた北の区域は、かつて戦国時代からの旧岐阜町にあたる。 金華山、岐阜城、長良川温泉などの観光資源を抱える風光明媚なエリアである。金華山の袂にある伊奈波神社から米屋町周辺では大正年間の旧家屋や洋館などが建ち並び、長良川鵜飼いが実施される鵜飼い船の乗り込み口周辺の玉井町筋(湊町、玉井町、元浜町)は米屋町同様に旧家屋が複数建ち並ぶ。",
"title": "地理"
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"text": "岐阜の大動脈でもある国道21号がエリアの東西を貫いており、各務原市との境界付近に東海北陸自動車道岐阜各務原インターチェンジが設置されている。ロードサイドには各種郊外型店舗が林立し、カラフルタウン岐阜など、郊外型の大型商業施設も立地している。岐阜県庁舎、岐阜県警察本部、福祉・農業会館など県関連の官公庁のほか、岐阜県美術館、岐阜県図書館、県民ふれあい会館などの文化施設もこのエリアに所在する。",
"title": "地理"
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"text": "濃尾平野の北端で標高の低い山が点在し、山を切り開いた団地(例:大洞団地、三田洞団地など)が数多く見られる。長良川河畔の岐阜メモリアルセンターには長良川陸上競技場や長良川球場など各種スポーツ施設があり、スポーツのイベント会場として広く利用されている。このエリアには畜産センターや岐阜ファミリーパークなどの大型の公園、岐阜大学、岐阜運転者講習センター、岐阜刑務所など大型の公共施設が多い。マーサ21(イオン岐阜店)など大型商業施設も立地している。また、東海環状自動車道岐阜インターチェンジの設置が予定されている。",
"title": "地理"
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"text": "岐阜市は統計などでは50の地区(地域区分)に分けられる。これらの地区は小学校の学区に準ずるが、一部の地区は2000年代の小学校の統廃合以前の小学校の学区で区分されている。各地名についてはTemplate:岐阜市の町・字および岐阜市の地名を参照。",
"title": "地理"
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"text": "岐阜市の人口は1980年代の約42万人をピークに、緩やかに減少傾向となっている。2022年現在、東海三県の都市で名古屋市、豊田市に次いで3番目に人口が多い。",
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"text": "岐阜県",
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"title": "地理"
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"text": "「岐阜を制する者は、日本を制する」と言われるように、日本の中部に位置する岐阜は、日本を統一する人によって都合が良い立地の地域でした。 200年以上、有力守護大名である七頭の土岐氏による支配下にあったが、家臣の斎藤道三が反乱を起こし、1542年に美濃国統一。稲葉山の山頂に稲葉山城を築城し、城下町「井ノ口」を整備。美濃国から全国統一への展望を思い描いた。 また同じころ、隣国尾張国で急成長する織田信長と斎藤道三の娘である濃姫が政略結婚し、周辺諸国の大名に対し、強力な軍事同盟を誇示した。 しかし、16世紀半ばとなると、斎藤義龍によるクーデターで斎藤道三は倒されたが、間もなく斎藤義龍も病死してしまい、斎藤氏は衰退する。 その機に乗じて、織田信長が美濃攻略に成功し、織田信長により支配される。 1567年に織田信長は仏教の僧侶と相談した後に、「井ノ口」の地名を、中国の伝説上の皇帝である炎帝が本拠としたとされる岐山と孔子の生誕地である曲阜から文字を取り「岐阜」と改名した。その際に稲葉山の名称も「金華山」と改名し今日に至る。",
"title": "歴史"
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"text": "岐阜の経済はこのころ、織田信長の拡大する勢力の中心に位置していたため、大きく成長しました。 また、商工業者・芸能者の営業販売の独占を行っていた「座」を撤廃して、市民が自由に経済活動のできる「楽市楽座」を実施。 ポルトガルのイエズス会宣教師ルイス・フロイスによると、当時の岐阜城下は「賑やかなバビロニア」と表現されるほど栄えた。",
"title": "歴史"
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"text": "江戸時代になると、江戸幕府は江戸までの街道を整備し、五街道の1つである中山道が確立された。 一国一城令により岐阜城は廃城とされ、新たに築城された加納城の城下町に加納宿が設置し、美濃国最大の宿場町となり、岐阜和傘などの伝統工芸品が製造される。また、大河である長良川の手前にも河渡宿が設置され、川を渡る人々が往来や滞在をして繁栄した。",
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"text": "国家機関の一部は岐阜合同庁舎内にある。",
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"text": "1本部4署11分署で構成されている。",
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"text": "他に隣町の笠松町にある笠松郵便局が受け持つ地域がある。",
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"text": "1960年代は繊維産業が盛んであり、繁華街の柳ヶ瀬には1千もの商店や飲食店が軒を連ね、大変な賑わいがあったという。しかし、海外の安い製品に押されて岐阜市が衰退するのに伴って、岐阜近鉄百貨店や新岐阜百貨店、岐阜パルコ、ジャスコ、ダイエー、長崎屋、タマコシ(センサ)、岐阜メルサと中心市街地の大型商業施設が次々と閉店。名古屋の衛星都市化が加速する中、市は岐阜駅前に開発の軸を移すことを考えている。ただし柳ヶ瀬でも岐阜髙島屋の南地域の約6,500m2に複合商業施設(柳ヶ瀬グラッスル35)が再開発によって建設された。",
"title": "経済"
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"text": "学習塾や飲食店、衣料品店などが入居する。",
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"text": "本店を設置している銀行・協同組織金融機関は以下のとおりである。",
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"text": "全国放送および、中京広域圏(東海3県を範囲とする)を放送対象地域とするテレビ放送については、おおむね愛知県瀬戸市にある瀬戸デジタルタワーからの電波を受信して視聴している。なお、市内に所在する岐阜放送・NHK岐阜放送局については、岐阜県を放送対象地域としている。",
"title": "情報通信・生活基盤"
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"text": "また、岐阜市内には、NHK名古屋放送局ラジオ第1放送の予備送信所が設置されており、名古屋親局(NHK鍋田ラジオ放送所)が万が一送信できなくなった場合に運用される。(周波数:729kHz、空中線電力:1 kW)",
"title": "情報通信・生活基盤"
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"text": "国公立",
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"text": "岐阜市内に空港は存在しない。最寄りの空港は、中部国際空港・名古屋空港である。 中部国際空港へは、名鉄岐阜駅から中部国際空港駅まで結ばれている。",
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"text": "岐阜駅から名古屋駅までJRの快速電車で最速およそ20分で行けるため、名古屋方面への通勤・通学には至便である。一方で市内には鉄道空白地帯が多く、市内輸送はバス交通やマイカーに依存している。",
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"text": "中心駅:JR岐阜駅、名鉄岐阜駅",
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"text": "2005年(平成17年)3月までは岐阜市内線や名鉄揖斐線、名鉄美濃町線、名鉄田神線があった。(通称600V線区)",
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"text": "かつては名鉄バス、岐阜市交通事業部(岐阜市営バス)が市内を運行していたが、2004年9月と2005年3月にそれぞれ廃止され、路線は共に岐阜バスに譲渡された。",
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"text": "かつてのミス岐阜・ミス長良川にあたる「ぎふ長良川メイツ」が、岐阜市のイメージアップと観光PRに務めている。",
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"text": "岐阜市名誉市民条例および岐阜市名誉市民条例施行規則により名誉市民章が贈呈された人物。",
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岐阜市(ぎふし)は、岐阜県の中南部に位置する市。岐阜県の県庁所在地および人口が最多の市で、中核市に指定されている。
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{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
{{日本の市
| 自治体名 = 岐阜市
| 画像 = {{Multiple image
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| 画像の説明 = <table style="width:280px; margin:2px auto; border-collapse:collapse">
<tr><td style = "width:100%" colspan="2">[[ツインアーチ138]]から見た<br />岐阜市遠景と[[花房山 (岐阜県)|花房山]]</tr>
<tr><td style = "width:50%">[[岐阜城]]<td style="width:50%">[[川原町 (岐阜市)|川原町]]</tr>
<tr><td style = "width:50%">[[繁華街]] [[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]<td style="width:50%">[[岐阜ファミリーパーク]]</tr>
<tr><td style = "width:50%">[[岐阜大仏]]<td style="width:50%">[[長良川鵜飼]]</tr>
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| 市旗 = [[ファイル:Flag of Gifu, Gifu.svg|100px|border|岐阜市旗]]
| 市旗の説明 = 岐阜市旗
| 市章 = [[ファイル:Emblem of Gifu, Gifu.svg|70px|岐阜市章]]
| 市章の説明 = 岐阜市章<br />1909年8月27日制定
| 都道府県 = 岐阜県
| コード = 21201-6
| 隣接自治体 = [[大垣市]]、[[関市]]、[[山県市]]、[[本巣市]]、[[瑞穂市]]、[[羽島市]]、[[各務原市]]、[[羽島郡]][[笠松町]]、[[岐南町]]、[[本巣郡]][[北方町]]
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| 郵便番号 = 500-8701
| 所在地 = 岐阜市司町40番地1<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-21|display=inline,title}}<br />[[File:Gifu City Hall 2021-10 from south-west.jpg|220px|岐阜市役所]]
{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=230|frame-height=200|type=shape-inverse|fill=#fffff0|stroke-color=#cc0000|stroke-width=1|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=35.44|frame-longitude=136.78|text=市庁舎位置}}
| 外部リンク = {{Official website}}
| 位置画像 = {{基礎自治体位置図|21|201|image=Gifu in Gifu Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}
| 特記事項 =
}}
'''岐阜市'''(ぎふし)は、[[岐阜県]]の中南部に位置する[[市]]。岐阜県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]および人口が最多の市で、[[中核市]]に指定されている。
== 概要 ==
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[金華山 (岐阜県)|金華山]]の麓の旧岐阜町が美濃[[斎藤氏]]のちに[[織田信長]]が治める[[城下町]]として発展。
[[江戸時代]]には幕府の直轄地のちに[[尾張藩]]領となり岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町からなる商工業の中心地として栄えた。
また南部に位置する旧[[加納町]]は、[[加納藩]]の[[城下町]]と同時に[[中山道]]の[[宿場町]]でもあり、[[加納宿]]は今でもその面影を残している。
戦後は[[アパレル産業|繊維産業]]で栄えた。現代では[[中京圏]]([[名古屋都市圏]])に属し、[[名古屋市]]の[[衛星都市]]・[[ベッドタウン]]的な性格を持つ一方で、岐阜県の行政・商業・情報の拠点として機能している。
===名称の由来===
{{main2|岐阜の名の由来|岐阜県#県名の由来}}
織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井ノ口を岐阜と改めたとするのが定説だが、異論も一部にある{{誰|date=2018年7月}}。
== 地理 ==
[[ファイル:Gifu city center area Aerial photograph.1987.jpg|thumb|200px|岐阜市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の24枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
===位置===
[[岐阜県]]の南部に位置し、[[濃尾平野]]の北端に当たる。
北部には山林を有し、南部には市街地が広がっている。
また市内を横切るように、北東から南西にかけて[[長良川]]が流れており、市の大部分は長良川と支流の[[扇状地]]と[[自然堤防|自然堤防地帯]]にあたる。
市内に流れる長良川は[[清流|日本三大清流]]の一つと言われている。長良川の中流流域が[[1985年]](昭和60年)に「[[名水百選]]」に選ばれた。また1998年(平成10年)に「[[日本の水浴場55選]]」に、2001年(平成13年)に「日本の水浴場88選」に選定されている。一方、扇状地の長良川は典型的な[[天井川]]で、市の中心部より川の水面の方が常に高く、大雨の際には洪水の危険が伴う。
===地形===
[[ファイル:Kinka zan.jpg|thumb|200px|金華山]]
====山岳====
;主な山
{{flatlist|
*[[金華山 (岐阜県)|金華山]]
*[[百々ヶ峰]]
*[[鷺山]]
*[[御望山]]
*[[権現山 (岐阜市)|権現山]]
}}
==== 河川 ====
;主な川
{{flatlist|
*[[長良川]]
*[[武儀川]]
*[[津保川]]
*[[伊自良川]]
*[[鳥羽川]]
*[[板屋川 (岐阜県)|板屋川]]
*[[荒田川 (岐阜県)|荒田川]]
*[[論田川 (岐阜県)|論田川]]
*[[大江川 (岐阜市)|大江川]]
*[[境川 (岐阜県)|境川]]
*[[天王川 (岐阜県)|天王川]]
}}
[[File:Rivers-in-GifuCity.jpg|thumb|center|300px|岐阜市周辺主要河川の位置関係図]]
=== 気候 ===
概ね[[太平洋岸気候]]の特徴を示すが、夏は暑く冬は寒い[[内陸性気候]]の特徴も示す。
海岸に位置する愛知県の[[伊良湖岬|伊良湖]]、三重県の[[尾鷲市|尾鷲]]などと比べ、夏は直射日光で最高気温が高く、[[熱帯夜]]も大都市である[[京都市]]とほぼ同じ日数となっており、非常に蒸し暑い。冬は寒く、名古屋よりも最低気温は低い。冬の平年の降雪量・最深積雪量は関東以西の太平洋側主要都市では最も多い。
これは、[[日本海]][[若狭湾]]からの距離が太平洋側の平野部としては比較的近く、冬型の[[気圧配置]]となって強い寒気が流れ込んだ際、風向きによっては[[日本海寒帯気団収束帯]]で発達した雪雲が[[両白山地]]・[[伊吹山地]]を越えて流れ込みやすいためである。<br>[[ケッペンの気候区分]]ではCfa([[温暖湿潤気候]])となる。
* 観測史上最高気温:39.8(℃)([[2007年]]8月16日)
* 観測史上最低気温:-14.3(℃)([[1927年]]1月24日)
* 観測史上最深積雪:58cm([[1936年]]2月1日)
* 日照時間年平均値:2,108.6時間(全都道府県庁所在地中7位タイ)
* 夏日最多日数:153日([[2019年]](令和元年))
* 真夏日最多日数:91日([[2004年]](平成16年))
* 猛暑日最多日数:34日([[2018年]](平成30年))
* 熱帯夜最多日数:49日([[2018年]](平成30年))
* 冬日最多日数:102日([[1884年]](明治17年))
{{Gifu weatherbox}}
=== 地域 ===
[[ファイル:Gihutouzaidori tetsumeicyo.JPG|thumb|200px|岐阜市中心市街地の金園町]]
[[ファイル:Gifu Kinkabashi street ac.jpg|thumb|200px|金華橋通]]
{{独自研究|date=2017年2月21日 (火) 08:48 (UTC)|section=1|ソートキー=}}
;岐阜駅周辺 - 柳ヶ瀬
[[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬(岐阜市)]]も参照。
[[ファイル:Gifu City Tower 43 and Gifu Sky Wing 37.jpg|サムネイル|再開発により建てられた岐阜シティタワーと岐阜スカイウイング]]
岐阜市の中心市街地であり、オフィスや商業施設が立ち並ぶエリアである。中心市街地の空洞化が著しく、[[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]の再活性化が市の重要課題になっている<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=<県都の明日は> (1)柳ケ瀬の活性化|url=https://www.chunichi.co.jp/article/feature/gifushichosen2018/list/CK2018011602000252.html|website=中日新聞 CHUNICHI Web|accessdate=2020-02-16|language=ja}}</ref>。
近年、[[岐阜駅]]前は、[[名古屋市|名古屋]][[都心|都心部]]などへの鉄道アクセスのよさなど利便性が見直され、オフィスビルや高層マンションの建設など再開発事業(高島屋南市街地再開発事業や岐阜駅北中央地区再開発事業)が展開。
;金華山周辺
[[ファイル:Gifu Castle.jpg|thumb|200px|[[岐阜城]]天守閣]]
伊奈葉神社南の山から、西に暗渠となった区割りの堀で区切られた北の区域は、かつて戦国時代からの旧岐阜町にあたる。
[[金華山 (岐阜県)|金華山]]、[[岐阜城]]、[[長良川温泉]]などの観光資源を抱える風光明媚なエリアである。金華山の袂にある伊奈波神社から米屋町周辺では大正年間の旧家屋や洋館などが建ち並び、[[長良川鵜飼|長良川鵜飼い]]が実施される鵜飼い船の乗り込み口周辺の玉井町筋(湊町、玉井町、元浜町)は米屋町同様に旧家屋が複数建ち並ぶ。
;南部
[[ファイル:岐阜県庁.jpg|thumb|200px|[[岐阜県庁]]]]
岐阜の大動脈でもある国道21号がエリアの東西を貫いており、各務原市との境界付近に[[東海北陸自動車道]][[岐阜各務原インターチェンジ]]が設置されている。ロードサイドには各種郊外型店舗が林立し、[[カラフルタウン岐阜]]など、郊外型の大型商業施設も立地している。[[岐阜県庁舎]]、[[岐阜県警察]]本部、[[福祉・農業会館 (岐阜県)|福祉・農業会館]]など県関連の官公庁のほか、[[岐阜県美術館]]、[[岐阜県図書館]]、[[県民ふれあい会館 (岐阜県)|県民ふれあい会館]]などの文化施設もこのエリアに所在する。
;北部
[[ファイル:岐阜大仏-正法寺 (岐阜市) Gifudaibutsu005.jpg|サムネイル|岐阜大仏]]
濃尾平野の北端で標高の低い山が点在し、山を切り開いた団地(例:大洞団地、三田洞団地など)が数多く見られる。長良川河畔の[[岐阜メモリアルセンター]]には[[長良川陸上競技場]]や[[長良川球場]]など各種スポーツ施設があり、スポーツのイベント会場として広く利用されている。このエリアには[[畜産センター (岐阜市)|畜産センター]]や[[岐阜ファミリーパーク]]などの大型の公園、[[岐阜大学]]、[[岐阜運転者講習センター]]、[[岐阜刑務所]]など大型の公共施設が多い。[[マーサ21]]([[イオン (店舗ブランド)|イオン]]岐阜店)など大型商業施設も立地している。また、[[東海環状自動車道]][[岐阜インターチェンジ]]の設置が予定されている。
==== 地区一覧 ====
岐阜市は統計などでは50の地区(地域区分)に分けられる<ref>[https://www.city.gifu.lg.jp/3380.htm 岐阜市統計書]</ref>。これらの地区は小学校の学区に準ずるが、一部の地区は2000年代の小学校の統廃合以前の小学校の学区で区分されている。各地名については[[Template:岐阜市の町・字]]および[[岐阜市の地名]]を参照。
;[[ファイル:岐阜公園-三重塔gifukoen001.jpg|サムネイル|岐阜公園の三重塔]]中心部
*[[岐阜市立金華小学校|金華]]・[[岐阜市立京町小学校|京町]]・[[岐阜市立明徳小学校|明徳]]・[[岐阜市立徹明小学校|徹明]]・[[岐阜市立梅林小学校|梅林]]・[[岐阜市立白山小学校|白山]]・[[岐阜市立華陽小学校|華陽]]・[[岐阜市立本郷小学校|本郷]]・[[岐阜市立木之本小学校|木之本]]
;西部
*[[岐阜市立網代小学校|網代]]・[[岐阜市立方県小学校|方県]]・[[岐阜市立西郷小学校|西郷]]・[[岐阜市立黒野小学校|黒野]]・[[岐阜市立木田小学校|木田]]・[[岐阜市立七郷小学校|七郷]]・[[岐阜市立合渡小学校|合渡]]
;北部
*[[岐阜市立岩野田小学校|岩野田]]・[[岐阜市立岩野田北小学校|岩野田北]]・[[岐阜市立常磐小学校|常磐]]・[[岐阜市立鷺山小学校|鷺山]]・[[岐阜市立長良西小学校|長良西]]・[[岐阜市立長良小学校|長良]]・[[岐阜市立長良東小学校|長良東]]
;北東部
*[[岐阜市立三輪北小学校|三輪北]]・[[岐阜市立三輪南小学校|三輪南]]・[[岐阜市立藍川小学校|藍川]]
;東部
*[[岐阜市立芥見小学校|芥見]]・[[岐阜市立芥見東小学校|芥見東]]・[[岐阜市立芥見南小学校|芥見南]]・[[岐阜市立岩小学校|岩]]
;日光
*[[岐阜市立早田小学校|早田]]、[[岐阜市立則武小学校|則武]]、[[岐阜市立城西小学校|城西]]、[[岐阜市立島小学校|島]]
;南東部
*[[岐阜市立日野小学校|日野]]・[[岐阜市立長森西小学校|長森西]]・[[岐阜市立長森北小学校|長森北]]・[[岐阜市立長森東小学校|長森東]]・[[岐阜市立長森南小学校|長森南]]
;南部
*[[岐阜市立厚見小学校|厚見]]・[[岐阜市立加納小学校|加納]]※加納東とも表記<ref>[https://www.city.gifu.lg.jp/33723.htm 地区別避難施設一覧「南部(厚見・加納東・加納西・茜部)」岐阜市]</ref>・[[岐阜市立加納西小学校|加納西]]・[[岐阜市立茜部小学校|茜部]]
;南西部
*[[岐阜市立三里小学校|三里]]・[[岐阜市立本荘小学校|本荘]]・[[岐阜市立鏡島小学校|鏡島]]・[[岐阜市立市橋小学校|市橋]]・[[岐阜市立鶉小学校|鶉]]・[[岐阜市立且格小学校|日置江]]・[[岐阜市立柳津小学校|柳津]]
<gallery>
ファイル:金神社2004.jpg|[[金神社 (岐阜市)|金神社]](金町)
ファイル:金公園.JPG|[[金公園]](金町)
ファイル:岐阜県岐阜総合庁舎.JPG|[[岐阜総合庁舎]](司町)
ファイル:Kawara machi 1.JPG|[[川原町 (岐阜市)|川原町界隈]]
ファイル:Gifu - panoramio - kcomiida.jpg|[[玉宮町]]界隈
ファイル:Gifu Media Cosmos nightview ac (4).jpg|[[みんなの森 ぎふメディアコスモス]]
ファイル:岐阜県岐阜市柳ケ瀬 - panoramio.jpg|柳ヶ瀬商店街
</gallery>
=== 人口 ===
岐阜市の人口は1980年代の約42万人をピークに、緩やかに減少傾向となっている。2022年現在、東海三県の都市で[[名古屋市]]、[[豊田市]]に次いで3番目に人口が多い。{{人口統計|code=21201|name=岐阜市|image=Demography21201.svg}}
===隣接自治体===
{{Flagicon|岐阜県}}'''[[岐阜県]]'''
{{表2列|
*[[関市]]
*[[山県市]]
*[[本巣市]]
*[[瑞穂市]]
*[[羽島市]]
|
*[[各務原市]]
*[[大垣市]]
*[[本巣郡]]:[[北方町]]
*[[羽島郡]]:[[笠松町]]
*羽島郡:[[岐南町]]
}}
==歴史==
===古代===
;弥生時代~古墳時代
*[[琴塚古墳]]など[[弥生時代]]後期を代表する大規模な[[古墳]]が見られる。
;飛鳥時代
*[[老洞・朝倉須恵器窯跡]]など[[須恵器]]の製造が行われた[[窯跡]]が発見されるなど、[[窯業]]が盛んだったことが分かる。
===中世===
;戦国時代
「岐阜を制する者は、日本を制する」と言われるように、日本の中部に位置する岐阜は、日本を統一する人によって都合が良い立地の地域でした。
200年以上、有力[[守護大名]]である[[七頭]]の[[土岐氏]]による支配下にあったが、家臣の[[斎藤道三]]が反乱を起こし、[[1542年]]に[[美濃国]]統一。[[稲葉山]]の山頂に[[稲葉山城]]を築城し、[[城下町]]「井ノ口」を整備。[[美濃国]]から全国統一への展望を思い描いた。
また同じころ、隣国[[尾張国]]で急成長する[[織田信長]]と[[斎藤道三]]の娘である[[濃姫]]が政略結婚し、周辺諸国の[[大名]]に対し、強力な軍事同盟を誇示した。
しかし、16世紀半ばとなると、[[斎藤義龍]]によるクーデターで[[斎藤道三]]は倒されたが、間もなく[[斎藤義龍]]も病死してしまい、[[斎藤氏]]は衰退する。
その機に乗じて、[[織田信長]]が美濃攻略に成功し、[[織田信長]]により支配される。
[[1567年]]に[[織田信長]]は[[仏教]]の[[僧侶]]と相談した後に、「井ノ口」の地名を、中国の伝説上の皇帝である[[神農氏|炎帝]]が本拠としたとされる[[岐山県|岐山]]と[[孔子]]の生誕地である[[曲阜]]から文字を取り「岐阜」と改名した。その際に[[稲葉山]]の名称も「[[金華山]]」と改名し今日に至る。
岐阜の経済はこのころ、[[織田信長]]の拡大する勢力の中心に位置していたため、大きく成長しました。
また、商工業者・芸能者の営業販売の独占を行っていた「[[座]]」を撤廃して、市民が自由に経済活動のできる「[[楽市楽座]]」を実施。
[[ポルトガル]]の[[イエズス会]][[宣教師]][[ルイス・フロイス]]によると、当時の岐阜城下は「賑やかなバビロニア」と表現されるほど栄えた。
===近世===
[[File:Gifu's Handcraft Artisan House CASA ac.jpg|thumb|200px|[[岐阜和傘]]の販売所]]
;江戸時代
[[江戸時代]]になると、[[江戸幕府]]は[[江戸]]までの[[街道]]を整備し、[[五街道]]の1つである[[中山道]]が確立された。
[[一国一城令]]により[[岐阜城]]は廃城とされ、新たに築城された[[加納城]]の[[城下町]]に[[加納宿]]が設置し、[[美濃国]]最大の[[宿場町]]となり、[[岐阜和傘]]などの[[伝統工芸品]]が製造される。また、大河である[[長良川]]の手前にも[[河渡宿]]が設置され、川を渡る人々が往来や滞在をして繁栄した。
===近代===
;明治時代
*[[1889年]]([[明治]]22年)7月1日、岐阜町と今泉村など周辺4村および[[上加納村]]の北半分が合併し市制施行する。人口2万5,750人、面積10km<sup>2</sup>。
* [[1891年]](明治24年)10月28日、[[濃尾地震]]。死者245名、負傷者1,260名、家屋全半壊3,993戸、全半焼2,343戸。市域の約37%を焼失する。
* [[1903年]](明治36年)4月1日、[[稲葉郡]]上加納村を編入。
* [[1909年]](明治42年)8月27日、岐阜市章が決定される。
;大正時代
* [[1917年]]([[大正]]6年)、現住人口:53,781名<ref>[[内務省 (日本)|内務省]]衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行</ref>。
===近現代===
;昭和時代(戦前)
* [[1931年]]([[昭和]]6年)4月1日、稲葉郡[[本荘村 (岐阜県)|本荘村]]・[[日野村 (岐阜県)|日野村]]を編入。
* [[1932年]](昭和7年)7月1日、稲葉郡[[長良村]]を編入。
* [[1934年]](昭和9年)12月5日、稲葉郡[[島村 (岐阜県稲葉郡)|島村]]を編入。
* [[1935年]](昭和10年)6月15日、稲葉郡[[三里村 (岐阜県)|三里村]]・[[鷺山村]]を編入。
* [[1940年]](昭和15年)2月11日、稲葉郡[[加納町]]・[[則武村]]を編入。
* [[1940年]](昭和15年)7月1日、稲葉郡[[南長森村]]・[[北長森村]]・[[木田村 (岐阜県)|木田村]]・[[常磐村 (岐阜県)|常磐村]]を編入。
* [[1945年]](昭和20年)7月9日、[[岐阜空襲]]。死者863名、負傷者520名、焼失戸数2万426戸。
;昭和時代(戦後)
* [[1949年]](昭和24年)7月1日、[[山県郡 (岐阜県)|山県郡]][[岩野田村]]を編入。
* [[1950年]](昭和25年)8月20日、稲葉郡[[黒野村 (岐阜県稲葉郡)|黒野村]]・[[方県村]]・[[茜部村]]・[[鶉村 (岐阜県)|鶉村]]・[[市橋村 (岐阜県稲葉郡)|市橋村]]、[[本巣郡]][[七郷村 (岐阜県)|七郷村]]・[[西郷村 (岐阜県)|西郷村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019">{{Cite web|和書| url = https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/204926.pdf | title = 令和元年岐阜県統計書 | pages = 3-6 | publisher = [https://www.pref.gifu.lg.jp/ 岐阜県] | date = 2020-07 | format = PDF | accessdate = 2020-10-02}}</ref>。
* [[1950年]](昭和25年)12月10日、稲葉郡[[岩村 (岐阜県)|岩村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1955年]](昭和30年)2月11日、稲葉郡[[鏡島村]]・[[厚見村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1958年]](昭和33年)4月1日、稲葉郡[[日置江村]]・[[芥見村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1959年]](昭和34年)4月1日、本巣郡[[合渡村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1961年]](昭和36年)4月1日、山県郡[[三輪村 (岐阜県)|三輪村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1963年]](昭和38年)4月1日、本巣郡[[網代村]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1966年]](昭和41年)2月1日、新市庁舎(現在の本庁舎)が今沢町に完成。
* [[1969年]](昭和44年)2月1日、本巣郡[[本巣町]](現在の[[本巣市]])大字外山と境界変更(伊洞地区を編入)<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1973年]](昭和48年)
**3月27日、岐阜市民憲章制定。
**7月7日、柳ヶ瀬で大火。繁華街の110軒が全半焼<ref>「岐阜・柳ヶ瀬で大火 110軒焼く」『朝日新聞』昭和48年(1973年)7月8日朝刊、13版、23面</ref>。
* [[1974年]](昭和49年)4月1日、[[羽島郡]][[笠松町]]桜町、羽衣町の一部と境界変更<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[1978年]](昭和53年)2月8日、[[イタリア]]の[[フィレンツェ|フィレンツェ市]]と[[姉妹都市]]提携を結ぶ。
* [[1979年]](昭和54年)
**2月11日、[[中華人民共和国]] [[浙江省]]の[[杭州市]]と[[友好都市]]提携を結ぶ。
**3月15日、市制90周年を記念し「[[岐阜市民の歌]]」を制定。
* [[1982年]](昭和57年)2月22日、[[ブラジル]] [[サンパウロ州]]の[[カンピーナス|カンピーナス市]]と姉妹都市提携を結ぶ。
* [[1988年]](昭和63年)5月11日、[[アメリカ合衆国]] [[オハイオ州]]の[[シンシナティ|シンシナティ市]]と姉妹都市提携を結ぶ。
===現代===
;平成時代
* [[1989年]]([[平成]]元年)6月1日、本巣郡[[北方町]]と境界変更。
* [[1994年]](平成6年)3月22日、[[オーストリア]]の[[ウィーン|ウィーン市]]マイドリング区(12区)と姉妹都市提携を結ぶ。
* [[1996年]](平成8年)4月1日、[[中核市]]に指定される。
* [[1998年]](平成10年)10月1日、[[武儀郡]][[武芸川町]]との境界確定。
* [[1999年]](平成11年)9月1日、山県郡[[高富町]](現在の[[山県市]])と境界変更。
* [[2002年]](平成14年)3月1日、[[関市]]と境界変更。
* [[2006年]](平成18年)1月1日、羽島郡[[柳津町 (岐阜県)|柳津町]]を編入<ref name="gifupref-tokeisho-2019" />。
* [[2007年]](平成19年)5月28日、[[カナダ]] [[オンタリオ州]]の[[サンダーベイ (オンタリオ州)|サンダーベイ市]]と姉妹都市提携を結ぶ。
* [[2015年]](平成27年)7月18日、[[みんなの森 ぎふメディアコスモス]]開館。
* [[2017年]](平成29年)1月1日 - 12月31日、『岐阜市信長公450プロジェクト』([[織田信長]]の岐阜入城・岐阜命名450周年記念事業)を開催<ref>[http://www.nobunaga450.jp/project 岐阜市信長公450(よんごーまる)プロジェクトについて] 岐阜市信長公450プロジェクト公式サイト</ref>。
;令和時代
* [[2021年]](令和3年)5月3日、岐阜市司町地内に新庁舎が開庁<ref>[https://www.city.gifu.lg.jp/40609.htm 新庁舎のご案内]岐阜市.2021年6月6日閲覧</ref>。
==行政==
===市長===
{{Main|岐阜市長}}
===行政組織===
*2006年1月1日に編入した旧[[羽島郡]][[柳津町 (岐阜県)|柳津町]]の地域をもって「柳津町[[地域自治区]]」が設置されていたが、2016年3月31日に廃止された。
===事務所===
* [[岐阜市西部事務所]]
* [[岐阜市東部事務所]]
* [[岐阜市北部事務所]]
* [[岐阜市南部東事務所]] ※[[岐阜市南部コミュニティセンター]]に併設
* [[岐阜市南部西事務所]]
* [[岐阜市日光事務所]] ※[[岐阜市日光コミュニティセンター]]に併設
* [[岐阜市柳津地域事務所]]
* [[岐阜市ステーションプラザ]] ([[岐阜駅]]構内1階)
==議会==
===市議会===
{{main|岐阜市議会}}
===県議会===
{{Main|岐阜県議会}}
* 定数:9名
* 選挙区:岐阜市選挙区
* 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日
{| class="wikitable"
|-
!議員名!!会派名!!備考
|-
| 中川裕子 || [[日本共産党]] ||
|-
| 渡辺嘉山 || 県民クラブ || 党籍は[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]
|-
| 長屋光征 || 県政[[自由民主党 (日本)|自民]]クラブ ||
|-
| 若井敦子 || 県政自民クラブ ||
|-
| 玉田和浩 || 県政自民クラブ ||
|-
| 広瀬修 || 県政自民クラブ ||
|-
| 澄川寿之 || 岐阜県議会[[公明党]] ||
|-
| 水野吉近 || 岐阜県議会公明党 ||
|-
| 平野恭子 || [[無所属]] ||
|}
=== 衆議院 ===
;岐阜県第1区
* 選挙区:[[岐阜県第1区|岐阜1区]](岐阜市(旧[[柳津町 (岐阜県)|柳津町]]域以外))
* 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
* 当日有権者数:326,022人
* 投票率:52.31%
{| class="wikitable"
! 当落 !! 候補者名 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 重複
|- style="background-color:#ffc0cb"
| align="center" | 当 || [[野田聖子]] || align="center" | 61 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 前 || 103,805票 || align="center" | ○
|-
| || 川本慧佑 || align="center" | 30 || [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] || align="center" | 新 || align="right" | 48,629票 || align="center" | ○
|-
| || 山越徹 || align="center" | 51 || [[日本共産党]] || align="center" | 新 || align="right" | 9,846票 ||
|-
| || [[土田正光]] || align="center" | 77 || 改革未来党 || align="center" | 新 || align="right" | 3,698票 ||
|}
;岐阜県第3区
* 選挙区:[[岐阜県第3区|岐阜3区]](岐阜市(旧[[柳津町 (岐阜県)|柳津町]]域)、[[関市]]、[[美濃市]]、[[羽島市]]、[[各務原市]]、[[山県市]]、[[瑞穂市]]、[[本巣市]]、[[羽島郡]]、[[本巣郡]])
* 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
* 当日有権者数:422,993人
* 投票率:54.55%
{| class="wikitable"
! 当落 !! 候補者名 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 重複
|- style="background-color:#ffc0cb"
| align="center" | 当 || [[武藤容治]] || align="center" | 66 || [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || align="center" | 前 || 132,357票 || align="center" | ○
|-
| || [[阪口直人]] || align="center" | 58 || [[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]] || align="center" | 元 || align="right" | 93,616票 || align="center" | ○
|}
==官公庁・施設==
[[ファイル:Gifu District Court and Chubu Electric Power Gifu blanch ac (2).jpg|thumb|200px|[[岐阜地方裁判所]]]]
[[ファイル:Gifu Local Meteorological Observatory01.jpg|thumb|200px|[[岐阜地方気象台]]]]
[[ファイル:岐阜合同庁舎・金竜町庁舎.JPG|thumb|200px|[[岐阜労働局]]]]
[[ファイル:Tokai-Nosekyoku Gifu Nose-jimusyo01.JPG|thumb|200px|[[岐阜農政事務所]]]]
[[ファイル:Gifu General Government Office Building of Gifu Prefecture 02.JPG|thumb|200px|[[岐阜総合庁舎]]]]
===国家機関===
国家機関の一部は[[岐阜合同庁舎]]内にある。
====裁判所====
* [[岐阜地方裁判所]]
* [[岐阜家庭裁判所]]
* [[岐阜簡易裁判所]]
====内閣府====
;[[警察庁]]
* [[中部管区警察局]]岐阜県情報通信部
====総務省====
* 中部[[管区行政評価局]]岐阜行政監視行政相談センター
====法務省====
* [[名古屋法務局|岐阜地方法務局]]
* [[岐阜刑務所]]
** 岐阜拘置支所
* 岐阜少年鑑別所
* 岐阜保護観察所
; [[出入国在留管理庁]]
* [[名古屋出入国在留管理局]]岐阜出張所
;[[検察庁]]
* [[岐阜地方検察庁]]
* [[岐阜区検察庁]]
====財務省====
* [[東海財務局]]岐阜財務事務所
* [[名古屋税関]]岐阜政令派出所
; [[国税庁]]
* [[名古屋国税局]]岐阜北税務署
* 名古屋国税局岐阜南税務署
====厚生労働省====
*[[東海北陸厚生局]]岐阜事務所
*[[岐阜労働局]]
**岐阜労働基準監督署
**岐阜公共職業安定所
; [[日本年金機構]]
* 岐阜北年金事務所
* 岐阜南年金事務所
====農林水産省====
* [[東海農政局]]岐阜県拠点
====国土交通省====
* 中部[[地方整備局]]岐阜国道事務所
*中部地方整備局木曽川上流河川事務所
** 長良川第一出張所
** 木曽川水系ダム統合管理事務所
* [[中部運輸局]][[岐阜運輸支局]]
; [[気象庁]]
* [[岐阜地方気象台]]
====防衛省====
;自衛隊
*[[自衛隊岐阜地方協力本部]]
**岐阜募集案内所
===施設===
[[ファイル:岐阜県警本部庁舎01.jpg|thumb|200px|[[岐阜県警察]]]]
[[ファイル:Gifu Fire Department 1.JPG|thumb|200px|[[岐阜市消防本部]]]]
[[ファイル:Gifu Prefectural General Medical Center01.JPG|thumb|200px|[[岐阜県総合医療センター]]]]
[[ファイル:151219 Gifu Prefectural Library Japan05n.jpg|thumb|200px|[[岐阜県図書館]]]]
[[ファイル:The-Museum-of-Fine-Arts-Gifu-1.jpg|thumb|200px|[[岐阜県美術館]]]]
[[ファイル:Gifu central post office.JPG|thumb|200px|[[岐阜中央郵便局]]]]
[[ファイル:Gifu Arena 1.jpg|thumb|200px|[[岐阜アリーナ]]]]
[[ファイル:Gifu-City-Culture-Center-1.jpg|thumb|200px|[[岐阜市文化センター]]]]
[[ファイル:Nagaragawa Baseball and Athletics Stadium.jpg|thumb|[[岐阜メモリアルセンター]]<br>[[長良川球場]]と[[長良川競技場]]などがある]]
====警察====
;本部
*[[岐阜県警察]]
;警察署
*[[岐阜北警察署]]
*[[岐阜中警察署]]
*[[岐阜南警察署]]
*[[岐阜羽島警察署]]
====消防====
1本部4署11分署で構成されている。
;[[岐阜市消防本部]](岐阜市美江寺町2-9)
{|
| style="vertical-align: top;"|
岐阜中消防署<br>(岐阜市美江寺町2-9)
*東分署
*東南分署
*鵜飼分署
*精華分署
| style="vertical-align: top;"|
岐阜南消防署<br>(岐阜市茜部大野1-12)
*西分署
*柳津分署
| style="vertical-align: top;"|
岐阜北消防署<br>(岐阜市鷺山1769-496)
*黒野分署
*島分署
*岩崎分署
*三輪分署
|}
;消防団
*岐阜市北消防団
*岐阜市中消防団
*岐阜市南消防団
====医療====
;主な病院
*[[岐阜県総合医療センター]]
*[[岐阜大学医学部附属病院]]
*[[岐阜市民病院]]
*[[国立病院機構長良医療センター]]
*[[岐阜赤十字病院]]
*[[岐阜中央病院]]
*[[朝日大学病院]]
*[[平野総合病院]]
*[[河村病院 (岐阜県)|河村病院]]
*[[澤田病院 (岐阜県)|澤田病院]]
*[[みどり病院 (岐阜県)|みどり病院]]
*[[笠松病院 (岐阜県)|笠松病院]]
*[[柳津病院]]
*[[近石病院]]
*岐阜南病院
====交流施設====
* [[岐阜市文化産業交流センター]] ([http://plaza-gifu.jp/ じゅうろくプラザ])
* [[岐阜産業会館]]
;コミュニティセンター
* [[岐阜市東部コミュニティセンター]]
* [[岐阜市西部コミュニティセンター]]
* [[岐阜市北部コミュニティセンター]]
* [[岐阜市南部コミュニティセンター]]
* [[岐阜市日光コミュニティセンター]]
* [[岐阜市長森コミュニティセンター]]
* [[岐阜市市橋コミュニティセンター]]
* [[岐阜市北東部コミュニティセンター]]
; 地区公民館
{{columns-list|3|
* 三輪北公民館
* 三輪南公民館
* 岩野田公民館
* 岩野田北公民館
* 長良公民館
* 長良東公民館
* 長良西公民館
* 常磐公民館
* 鷺山公民館
* 藍川公民館
* 則武公民館
* 島公民館
* 早田公民館
* 城西公民館
* 黒野公民館
* 方県公民館
* 網代公民館
* 西郷公民館
* 七郷公民館
* 木田公民館
* 合渡公民館
* 金華公民館
* 京町公民館
* 明徳公民館
* 徹明公民館
* 本郷公民館
* 木之本公民館
* 梅林公民館
* 白山公民館
* 華陽公民館
* 本荘公民館
* 三里公民館
* 鏡島公民館
* 市橋公民館
* 日置江公民館
* 鶉公民館
* 茜部公民館
* 厚見公民館
* 加納東公民館
* 加納西公民館
* 芥見公民館
* 芥見東公民館
* 芥見南公民館
* 岩公民館
* 日野公民館
* 長森北公民館
* 長森南公民館
* 長森東公民館
* 長森西公民館
* 柳津公民館
}}
====図書館====
;主な図書館
* [[岐阜県図書館]]
* [[岐阜市立図書館]]
====郵便局====
;主な郵便局
* [[岐阜中央郵便局]] - [[ゆうちょ銀行]]岐阜店、[[かんぽ生命保険]]岐阜支店を併設
* [[岐阜北郵便局]]
* [[岐阜西郵便局]]
* [[岐阜東郵便局]]
* 厳美郵便局
他に隣町の[[笠松町]]にある[[笠松郵便局]]が受け持つ地域がある。
====文化施設====
;美術館・博物館
* [[加藤栄三・東一記念美術館]]
* [[岐阜市歴史博物館]]
* [[名和昆虫博物館]]
* [[歯の博物館 (岐阜県)|歯の博物館]] 2010年閉鎖
* [[岐阜県美術館]]
* [[岐阜市科学館]]
* [[水の資料館 (岐阜市)|水の資料館]]
* [[水の体験学習館]]
* [[岐阜天文台]]
* [[岐阜市文化センター]]
* [[三甲美術館]]
* [[長良川うかいミュージアム]](岐阜市長良川鵜飼伝承館)
* [[みつばちの家]]
* [[原三溪記念室]]
* [[岐阜市平和資料室]]
* [[抱石庵]](久松真一記念館)
;ホール・劇場
* [[岐阜市文化センター]]
* [[岐阜市民会館]]
* [[県民ふれあい会館 (岐阜県)|県民ふれあい会館(OKBふれあい会館)]][[サラマンカホール]]
* [[長良川国際会議場]]
* [[未来会館|ぎふ清流文化プラザ(旧:未来会館)長良川ホール]]
;生涯学習施設
* [[ハートフルスクエアーG]]
* [[岐阜市柳津生涯学習センター]]
====運動施設====
*[[岐阜メモリアルセンター]]
*[[岐阜アリーナ]]
;野球場
*[[長良川球場]]
*[[岐阜市八ツ草球場]]
*[[岐阜ファミリーパーク野球場]]
;競輪場
*[[岐阜競輪場]]
;体育館
* [[岐阜市民総合体育館]]
* [[岐阜市南部スポーツセンター]]
* [[岐阜市東部体育館]]
* [[岐阜市西部体育館]]
* [[岐阜市北部体育館]]
* [[岐阜市北西部体育館]]
* [[岐阜市岐陽体育館]] (旧・[[岐阜市立岐陽中学校]]体育館)
* [[岐阜市もえぎの里多目的体育館]]
* [[岐阜ファミリーパーク体育館]]
* 岐阜市体育ルーム
* [[岐阜県福祉友愛アリーナ]]
;プール
* [[岐阜市南部市民プール]]
* [[岐阜市北部市民プール]]
* [[岐阜市本荘市民プール]]
* [[岐阜県福祉友愛プール]]
;運動場
* 厚八運動場 (旧・[[岐阜市岐南町組合立厚八中学校]]) ※所在地は[[岐南町]]。岐南町との共同管理
* 島西運動場
* 柳津運動場
* 高桑運動広場
* 坂巻運動広場
* フィールドかけぼら
* 諏訪山運動場
* 岐陽運動場 (旧・岐阜市立岐陽中学校跡地)
====その他の施設====
* [[岐阜総合庁舎]] ※玄関部分のみ保存
* [[岐阜市勤労会館]]
* [[岐阜市勤労者ふれあいセンター]](サンライフ岐阜)
* [[岐阜市もえぎの里]]
* [[岐阜市長良川防災・健康ステーション]]
* 柳ケ瀬健康ステーション ※2022年11月閉鎖
* [[岐阜市少年自然の家]]
* [[中山道加納宿まちづくり交流センター]]
* [[岐阜市教育研究所]]
== 対外関係 ==
=== 姉妹都市・提携都市 ===
==== 海外 ====
;姉妹都市
{|class="wikitable"
![[都市]]!![[国]]!![[地域]]!!年月日
|-
|[[フィレンツェ|フィレンツェ市]]
|{{Flagicon|ITA}}[[イタリア共和国]]
|[[トスカーナ州]]
|[[1978年]]([[昭和]]53年)[[2月8日]]
|-
|[[杭州市]]
|{{Flagicon|CHN}}[[中華人民共和国]]
|[[浙江省]]
|[[1979年]](昭和54年)[[2月21日]]
|-
|[[カンピーナス|カンピーナス市]]
|{{Flagicon|BRA}}[[ブラジル連邦共和国]]
|[[サンパウロ州]]
|[[1982年]](昭和57年)[[2月22日]]
|-
|[[シンシナティ|シンシナティ市]]
|{{Flagicon|USA}}[[アメリカ合衆国]]
|[[オハイオ州]]
|[[1988年]](昭和63年)[[5月11日]]
|-
|[[マイドリング|マイドリング区]]
|{{Flagicon|AUT}}[[オーストリア共和国]]
|[[ウィーン|ウィーン市]]
|[[1994年]]([[平成]]6年)[[3月22日]]
|-
|[[サンダーベイ (オンタリオ州)|サンダーベイ市]]
|{{Flagicon|CAN}}[[カナダ連邦]]
|[[オンタリオ州]]
|[[2007年]](平成19年)[[5月28日]]
|}
==== 国内 ====
;提携都市
{|class="wikitable"
![[都市]]!![[都道府県]]!![[地方]]!!年月日
|-
|[[富山市]]
|{{Flagicon|富山県}}[[富山県]]
|[[中部地方]]
|[[2007年]](平成19年)[[12月26日]]<ref>都市間交流協定締結 - [[東海北陸自動車道]]の2008年(平成20年)全線開通による交流拡大への期待によるもの</ref>
|-
|[[飯田市]]
|{{Flagicon|長野県}}[[長野県]]
|中部地方
|[[2013年]](平成25年)[[1月18日]]<ref>
{{Cite web|和書
| url =https://minamishinshu.jp/news/politics/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E5%B8%82%E3%81%A8%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82%E3%81%8C%E7%9B%B8%E4%BA%92%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%8D%94%E5%AE%9A.html
| title = 飯田市と岐阜市が相互応援協定
| accessdate = 2021-12-05
| publisher = 南信州新聞}}
</ref>
|}
;その他
*岐阜市青少年国際教育夢プロジェクト事業
*:市内在住の青少年を海外へ派遣。海外の人々とのふれあいを通じ、国際化時代に対応した青少年の育成を図ること、また、国際的視野にたち自らの将来に夢や志をもって生きようとする青少年の育成を図ることが目的<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.gifu.lg.jp/kosodate/kyouikusoudan/1004062/1004063/1004064.html |title=岐阜市青少年国際教育夢プロジェクト事業 |access-date=2023-03-05 |publisher=岐阜市 |date=2022-08-31}}</ref>。
*{{Flagicon|JPN}}[[織田信長サミット]]
*:織田信長との関係が深い市町および関係を大切にしている市町の集まり
== 経済 ==
===第三次産業===
====商業====
1960年代は繊維産業が盛んであり、繁華街の柳ヶ瀬には1千もの商店や飲食店が軒を連ね、大変な賑わいがあったという<ref name=":0" />。しかし、海外の安い製品に押されて岐阜市が衰退するのに伴って、[[岐阜近鉄百貨店]]や[[新岐阜百貨店]]、岐阜[[パルコ]]、ジャスコ、ダイエー、長崎屋、タマコシ(センサ)、岐阜メルサと中心市街地の大型商業施設が次々と閉店。名古屋の[[衛星都市]]化が加速する中、市は[[岐阜駅]]前に開発の軸を移すことを考えている<ref>{{Cite web|和書|title=岐阜の柴橋市長「再開発、岐阜駅前が課題に」|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31343200U8A600C1940M00/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2020-02-16|language=ja}}</ref>。ただし[[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]でも岐阜[[髙島屋]]の南地域の約6,500㎡に複合商業施設(柳ヶ瀬グラッスル35)が再開発によって建設された<ref>{{Cite web|和書|title=高島屋南市街地再開発組合(通称「TMK」) 公式ホームページ【岐阜・柳ヶ瀬】|url=http://www.tmk-gifu.com/|website=www.tmk-gifu.com|accessdate=2019-05-05}}</ref>。
;主な商業施設
* 岐阜[[髙島屋]]
*: [[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]地区で唯一の[[百貨店]]。高島屋の子会社である(株)岐阜高島屋が運営。[[2005年]](平成17年)に大規模なリニューアル工事を実施した。リニューアル後の業績は好調で、約160億円にまで落ち込んだ年商を約200億円程度にまで回復させている(2006年)。
*: また、2008年には新館(無印良品岐阜高島屋)をオープンさせている。
* 岐阜[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]
*: [[名鉄岐阜駅]]内にある、大型店舗である。
* ACTIVE-G
*: JR岐阜駅構内西側に位置する商業・文化施設。飲食店やスポーツクラブが入居する。
* アスティ岐阜
*: JR岐阜駅構内中央・東側に位置する商業施設。成城石井やマツモトキヨシのほか、飲食店や本屋などが入居する。
* [[岐阜シティ・タワー43]]
学習塾や飲食店、衣料品店などが入居する。
* [[イクト]]
*: 名鉄岐阜駅にある商業施設。スーパーマーケットのパレマルシェや衣料品店、英会話教室などが入居する。
* [[オーキッドパーク]]
*: [[エディオン]]、[[トライアル]]、[[ニトリ]]、[[セリア (100円ショップ)|セリア]]などが入居している複合商業施設。
<gallery>
Gifu Takashimaya 140224.JPG|[[髙島屋|岐阜高島屋]]
Shin-Gifu 2012 (7371750270).jpg|[[ロフト (雑貨店)|ロフト新岐阜店]]
Gifu Broadcasting System.jpg|[[岐阜シティ・タワー43]]
Meitetsu gifu ect.JPG|[[イクト]]
Orchid Park Gifu01.jpg|[[オーキッドパーク]]
</gallery>
* [[マーサ21]] - イオン岐阜店を核店舗とする大型ショッピングセンター。
* [[カラフルタウン岐阜]] - [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]柳津店を核店舗とする大型ショッピングセンター。
* [[UDリテール | MEGAドン・キホーテUNY]]岐阜店(旧アピタ岐阜店)
* [[イオン柳津店]]
* [[Vタウン長良店]] - [[バロー (チェーンストア)|バロー]]長良店を核店舗とするショッピングセンター。
* [[Vタウン芥見店]] - [[バロー (チェーンストア)|バロー]]芥見店を核店舗とするショッピングセンター。
<gallery>
Masa21 01.JPG|[[マーサ21]]
Colorful Town Gifu2008-1.jpg|[[カラフルタウン岐阜]]
APITA Gifu 20130921.jpg|[[アピタ|アピタ岐阜店]](現・[[UDリテール | MEGAドン・キホーテUNY]]岐阜店)
Aeon yanaizu.jpg|[[イオン柳津店]]
</gallery>
;以前在った商業施設
* 岐阜[[メルサ]] (ファッション館とグルメ館があり、ファッション館8Fにはコンサートホール(名称:メルサホール)がある。名古屋鉄道系列。2009年閉館。ファッション館は空き店舗、グルメ館はシグザ神田となる。)
* 岐阜[[パルコ]](2006年8月20日閉店 跡地はコインパーキング)
* [[新岐阜百貨店]](2005年12月28日閉店 - 解体 - 2007年6月[[名鉄岐阜駅]]駅舎新築竣工、跡地には商業施設[[イクト]])
* [[岐阜近鉄百貨店]](現:[[岐阜中日ビル]])
* [[ダイエー]]岐阜店(現:ライオンズマンション)
* [[長崎屋]]岐阜店(広場として整備される予定)
* [[岐阜センサ]](ファッション専門店ビル):タマコシ(現・[[平和堂]])の倒産による閉店 - 平成29年度(2017年)に解体・更地化された(現プレサンスロジェ岐阜長良橋通り)
===本社を置く企業===
; 運輸業
* [[岐阜乗合自動車|岐阜乗合自動車(岐阜バス)グループ]]
* [[日の丸自動車 (岐阜県)|日の丸自動車]](本社・営業所)
* [[日本タクシー (岐阜県)|日本タクシー]](本社・営業所)
* [[名鉄交通|岐阜名鉄タクシー]]
* [[濃飛倉庫運輸]]
* [[岐阜観光索道]]([[金華山ロープウェイ]])
; アパレル
* [[水甚]]
* [[美濃屋]]
; 製造業
* [[ナベヤ (企業)|ナベヤ]](鋳物)
* [[ベンテンドー]](製菓)
* [[ヤマニパッケージ]](製紙)
* [[ハビックス]](不織布)
* [[アピ]]([[養蜂]]・健康食品・医薬品)
* [[日本泉酒造]]([[酒造]])
; 卸売業・小売業・サービス業
* [[髙島屋|岐阜髙島屋]](百貨店)
* [[平成薬品]](医薬品・医療機器卸売り)
* [[アルフレッサ日建産業]](医薬品)
* [[ユニオン]](建設コンサルタント)
* [[トーカイ]](医療・福祉)
* [[電算システム]](情報処理)
* [[アダチムセン]](電気機器販売)
* [[GIFUSHO]](衣類・食品):県立岐阜商業高校が設立した企業<ref name="gn1602">{{Cite web|和書|url=http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20160203/201602030857_26655.shtml?utm_content=buffer6dc7f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer|title=県岐阜商高が株式会社設立 全校生徒が株主|publisher=[[岐阜新聞]]|date=2016-02-03|accessdate=2018-02-24}}</ref>)
* [[ギフライス]](米穀卸売)
* ひまわり(コンビニエンスストア)
* [[FC岐阜|岐阜フットボールクラブ]](サッカークラブの運営)
* [[岐阜トヨタ自動車]](自動車ディーラー)
* [[トヨタカローラネッツ岐阜]](自動車ディーラー)
; 建設業
* [[大日本土木]]
* [[昭和コンクリート工業]]
* [[岐阜造園]]
; 金融業
* [[十六フィナンシャルグループ]]
===拠点を置く企業 ===
==== 生活協同組合 ====
* [[全国労働者共済生活協同組合連合会|全労済]]岐阜県本部
===金融機関===
本店を設置している銀行・協同組織金融機関は以下のとおりである。
* [[十六銀行]](地方銀行)
* [[岐阜信用金庫]](信用金庫)
* [[岐阜商工信用組合]](信用協同組合)
* [[イオ信用組合]](信用協同組合)
* [[岐阜県医師信用組合]](信用協同組合)
* [[岐阜県信用農業協同組合連合会]](JA農協連)
===証券===
;支店
* [[三菱UFJモルガン・スタンレー証券]]
* [[SMBC日興証券]]
* [[大和証券]]
* [[野村証券]]
* [[みずほ証券]]
* [[十六TT証券]]
* 岡地証券
* 大徳証券
* 大万証券
* [[豊証券]]
===保険===
;支社・支店
{{columns-list|colwidth=20em|
* [[メットライフ生命保険]](支社)
* [[かんぽ生命保険]](支店)
* [[ジブラルタ生命保険]](支社)
* [[セコム損害保険]](支社)
* [[ソニー生命保険]](支社)
* [[共栄火災海上保険]](支社)
* [[住友生命保険]](支社)
* 損害保険ジャパン(支社)
* [[第一生命保険]](支社)
* [[大同生命保険]](支社)
* [[東京海上日動火災保険]](支社)
| style="vertical-align: top;"|
* [[日本生命保険]](支社)
* [[富国生命保険]](支社)
* [[プルデンシャル生命保険]](支社)
* [[明治安田生命保険]](支社)
* [[あいおいニッセイ同和損害保険]]
* [[朝日火災海上保険]]
* [[朝日生命保険]]
* [[日新火災海上保険]]
* [[AIG損害保険]](営業支店)
* [[三井住友海上火災保険]]
* [[東京海上日動火災保険]]
}}
;営業所
* [[アクサ生命保険]]
* [[エヌエヌ生命保険]]
* [[大樹生命保険]]
=== 岐阜市発祥の企業 ===
* [[双葉社]] - 日本の[[出版社]]。[[1948年]](昭和23年)岐阜市で創業、[[1954年]](昭和29年)に[[東京都]]に本社移転。現在の本社は東京都[[新宿区]]。
* [[ライドオンエクスプレスホールディングス]] - [[銀のさら]]などを含む宅配専門のチェーン店を展開する企業。1992年(平成4年)4月に岐阜市にて創業。
* [[フライト・プラン]] -かつて存在していた家庭用ゲームソフト開発会社。現在では[[アポロソフト]]と[[FELISTELLA]]に分裂している。
* 株式会社 タム・タム
* [[イギン]] - 婦人フォーマルウェアの製造・販売を行う会社。創業者・[[井上銀一]]が岐阜市で既製服([[オートクチュール]])の販売を行う「井上商店」として[[1947年]](昭和22年)創業。[[1956年]](昭和31年)に法人登記し設立。現在も岐阜市に登記上の本店と岐阜営業所が所在するが、本社機能は[[東京都]]にある。
==情報通信・生活基盤==
===マスメディア===
====新聞社・通信社====
;地方紙・ブロック紙
*[[岐阜新聞|岐阜新聞社]]
*[[中日新聞社]] 岐阜支社
** 中日新聞印刷 岐阜工場 - ※岐阜県(東濃地域除く)および[[滋賀県]]・[[福井県]]向けの[[中日新聞]]・[[中日スポーツ]]と[[日刊県民福井]]を印刷。
*[[中部経済新聞社]] 岐阜支局
; 全国紙
* [[朝日新聞社]] 岐阜総局
* [[毎日新聞社]] 岐阜支局
* [[読売新聞東京本社]] 岐阜支局
* [[日本経済新聞社]] 岐阜支局
====放送局====
;テレビ・ラジオ
全国放送および、[[東海地方|中京]][[広域放送|広域圏]]([[東海3県]]を範囲とする)を[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]とするテレビ放送については、おおむね[[愛知県]][[瀬戸市]]にある[[瀬戸デジタルタワー]]からの電波を受信して視聴している。なお、市内に所在する[[岐阜放送]]・[[NHK岐阜放送局]]については、岐阜県を放送対象地域としている。
* 岐阜放送
** [[岐阜放送ラジオ]]
* NHK岐阜放送局
** [[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHK-FM放送|FM放送]]<ref group="注釈">[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ(Eテレ)]]および、ラジオ第1・[[NHKラジオ第2放送|第2放送]]はいずれも名古屋局の放送エリアである。</ref>
* [[シーシーエヌ]](ケーブルテレビ)
また、岐阜市内には、[[NHK名古屋放送局]][[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]の予備送信所が設置されており、[[NHK鍋田ラジオ放送所|名古屋親局(NHK鍋田ラジオ放送所)]]が万が一送信できなくなった場合に運用される。(周波数:729[[キロヘルツ|kHz]]、[[空中線電力]]:1 kW)
===ライフライン===
====電力====
*[[中部電力パワーグリッド]](岐阜支社)
====ガス====
*[[東邦ガス]](岐阜事業所)
== 教育 ==
[[File:Gifu University; April 2012.jpg|thumb|200px|[[岐阜大学]]]]
[[ファイル:Gifu Shotoku Gakuen University1.jpg|thumb|200px|[[岐阜聖徳学園大学]]]]
=== 大学 ===
'''国公立'''
* [[岐阜大学]] :岐阜市柳戸
* [[岐阜薬科大学]] :岐阜市三田洞東
* [[岐阜市立女子短期大学]] :岐阜市一日市場北町
'''私立'''
* [[岐阜聖徳学園大学]] :岐阜CP‐岐阜市中鶉、羽島CP‐岐阜市柳津町高桑西
** [[岐阜聖徳学園大学短期大学部|同 短期大学部]] :岐阜市中鶉
* [[岐阜女子大学]] :岐阜市太郎丸
* [[岐阜保健大学]] :岐阜市東鶉
* [[平成医療短期大学]] :岐阜市黒野
* [[放送大学#学習センター|放送大学]](岐阜学習センター):岐阜市薮田南([[県民ふれあい会館 (岐阜県)|県民ふれあい会館第2棟2階]])
===専修学校===
{{div col|colwidth=18em}}
* 石木編物専門学校 ※休校中
* [[コロムビア・ファッション・カレッジ]]
* [[飯原服装専門学校]]
* [[岐阜調理専門学校]]
* [[城南高等専修学校]]
* [[岐阜美容専門学校]]
* [[ベルフォートアカデミーオブビューティ]]
* 岐阜歯科衛生専門学校 ※2016年より休校中
* [[岐阜保健短期大学医療専門学校]]
* [[ToBuCo専門学校]]
* [[岐阜市医師会看護学校]]
* [[大原簿記医療観光専門学校]] 岐阜校
* [[大原法律公務員専門学校]] 岐阜校
{{div col end}}
=== 高等学校 ===
{{div col|colwidth=16em}}
{{no col break|'''県立・市立'''
* [[岐阜県立岐阜高等学校]]
* [[岐阜県立岐阜北高等学校]]
* [[岐阜県立加納高等学校]]
* [[岐阜県立岐山高等学校]]
* [[岐阜県立長良高等学校]]
* [[岐阜県立羽島北高等学校]]
* [[岐阜県立岐阜総合学園高等学校]]
* [[岐阜県立岐阜商業高等学校]]
* [[岐阜県立岐南工業高等学校]]
* [[岐阜県立岐阜城北高等学校]]
* [[岐阜県立華陽フロンティア高等学校]]
* [[岐阜市立岐阜商業高等学校]]
}}
{{no col break|'''私立'''
* [[鶯谷中学校・高等学校|鶯谷高等学校]]※中高併設
* [[富田高等学校 (岐阜県)|富田高等学校]]
* [[岐阜東中学校・高等学校|岐阜東高等学校]]※中高併設
* [[済美高等学校 (岐阜県)|済美高等学校]]
* [[聖マリア女学院中学校・高等学校|聖マリア女学院高等学校]]※中高併設
* [[岐阜聖徳学園高等学校]]
* [[城南高等学校 (岐阜県)|城南高等学校]]
* [[ぎふ国際高等学校]]
* [[ウィッツ青山学園高等学校]]岐阜キャンパス※2017年廃校
}}
{{div col end}}
=== 義務教育学校 ===
'''国立'''
* [[岐阜大学教育学部附属小中学校]]
=== 中学校 ===
{{div col|colwidth=16em}}
'''市立'''
* [[岐阜市立岐阜清流中学校]]
* [[岐阜市立岐阜中央中学校]]
* [[岐阜市立本荘中学校]]
* [[岐阜市立梅林中学校]]
* [[岐阜市立加納中学校]]
* [[岐阜市立長森中学校]]
* [[岐阜市立長良中学校]]
* [[岐阜市立島中学校]]
* [[岐阜市立岩野田中学校]]
* [[岐阜市立精華中学校]]
* [[岐阜市立藍川中学校]]
* [[岐阜市立三輪中学校]]
* [[岐阜市立岐北中学校]]
* [[岐阜市立厚見中学校]]
* [[岐阜市立青山中学校]]
* [[岐阜市立陽南中学校]]
* [[岐阜市立藍川東中学校]]
* [[岐阜市立岐阜西中学校]]
* [[岐阜市立藍川北中学校]]
* [[岐阜市立長森南中学校]]
* [[岐阜市立東長良中学校]]
* [[岐阜市立境川中学校]]
'''私立'''
* [[岐阜聖徳学園大学附属中学校]]
* [[聖マリア女学院中学校・高等学校|聖マリア女学院中学校]]※中高併設
* [[岐阜東中学校・高等学校|岐阜東中学校]]※中高併設
* [[鶯谷中学校・高等学校|鴬谷中学校]]※中高併設
{{div col end}}
=== 小学校 ===
{{div col|colwidth=16em}}
'''市立'''
* [[岐阜市立岐阜小学校]]
* [[岐阜市立明郷小学校]]
* [[岐阜市立徹明さくら小学校]]
* [[岐阜市立白山小学校]]
* [[岐阜市立梅林小学校]]
* [[岐阜市立華陽小学校]]
* [[岐阜市立本荘小学校]]
* [[岐阜市立日野小学校]]
* [[岐阜市立長良小学校]]
* [[岐阜市立島小学校]]
* [[岐阜市立三里小学校]]
* [[岐阜市立鷺山小学校]]
* [[岐阜市立加納小学校]]
* [[岐阜市立加納西小学校]]
* [[岐阜市立則武小学校]]
* [[岐阜市立西郷小学校]]
* [[岐阜市立市橋小学校]]
* [[岐阜市立岩小学校]]
* [[岐阜市立鏡島小学校]]
* [[岐阜市立厚見小学校]]
* [[岐阜市立長良西小学校]]
* [[岐阜市立長森南小学校]]
* [[岐阜市立長森北小学校]]
* [[岐阜市立常磐小学校]]
* [[岐阜市立木田小学校]]
* [[岐阜市立岩野田小学校]]
* [[岐阜市立黒野小学校]]
* [[岐阜市立方県小学校]]
* [[岐阜市立茜部小学校]]
* [[岐阜市立鶉小学校]]
* [[岐阜市立七郷小学校]]
* [[岐阜市立早田小学校]]
* [[岐阜市立且格小学校]]
* [[岐阜市立芥見小学校]]
* [[岐阜市立合渡小学校]]
* [[岐阜市立三輪南小学校]]
* [[岐阜市立三輪北小学校]]
* [[岐阜市立網代小学校]]
* [[岐阜市立城西小学校]]
* [[岐阜市立藍川小学校]]
* [[岐阜市立長良東小学校]]
* [[岐阜市立長森西小学校]]
* [[岐阜市立芥見東小学校]]
* [[岐阜市立岩野田北小学校]]
* [[岐阜市立長森東小学校]]
* [[岐阜市立柳津小学校]]
'''私立'''
* [[岐阜聖徳学園大学附属小学校]]
{{div col end}}
=== 幼稚園・認定こども園 ===
{{div col|colwidth=16em}}
'''市立'''
*岐阜市立加納幼稚園
*岐阜市立岐阜東幼稚園
'''私立'''
*[[中部学院大学・中部学院大学短期大学部附属幼稚園]]
*こばと幼稚園
*こばと西幼稚園
*こばと第三幼稚園
*若葉第一幼稚園
*若葉第二幼稚園
*若葉第三幼稚園
*いづみ中央幼稚園
*明照幼稚園
*こじか幼稚園
*いづみ第二幼稚園
*はなぞの幼稚園
*ひかり幼稚園
*かぐや第一幼稚園
*かぐや第三幼稚園
*まどか幼稚園
*まどか南幼稚園
*ゆりかご幼稚園
*みのり幼稚園
*芥見幼稚園
*芥見第二幼稚園
*若草第二幼稚園
*東海第一幼稚園
*東海第二幼稚園
*ながら幼稚園
*サニーサイドインターナショナルスクール
*むつみ幼稚園
*長森幼稚園
*ながもり第二幼稚園
*くるみ幼稚園
*岐阜幼稚園
*芽含幼稚園
*天使幼稚園
*ほんごう幼稚園
*諏訪幼稚園
*[[岐阜聖徳学園大学附属幼稚園]]
*黒野こども園
*認定こども園ながらこどもの森
*沖ノ橋認定こども園
*加納西認定こども園
*ひきえ子ども園
*幼保連携型認定こども園カトレヤこども園
*ハートンこまづめ認定こども園
*清流認定こども園
*大洞こども園
*認定こども園芽含幼稚園
{{div col end}}
===フリースクール===
* 児童・思春期デイケア こらっじょ (市民病院内)
* フリースクール Mahalo
* 学校法人KTC学園 [[おおぞら高等学院]]岐阜校
* 特定非営利活動法人 教育・地域交流機構
* NPO法人えん あいぎふ自由学校
===自動車学校===
;指定自動車教習所
* [[三田洞自動車学校]]
* [[聖徳自動車学園]]
=== 各種学校 ===
* [[岐阜市医師会准看護学校]]
* 加納高等珠算簿記学校 ※休校中
* 中日喫茶調理学院岐阜校
* [[ホツマインターナショナルスクール]](日本語学校)
* [[岐阜朝鮮初中級学校]]
* [[河合塾]]岐阜校
* 岐阜編物専門学院 ※休校中
* いぬい洋裁学院
==交通==
===空港===
岐阜市内に空港は存在しない。最寄りの空港は、[[中部国際空港]]・[[名古屋空港]]である。
[[中部国際空港]]へは、[[名鉄岐阜駅]]から[[中部国際空港駅]]まで結ばれている。
===鉄道===
岐阜駅から名古屋駅までJRの快速電車で最速およそ20分で行ける<ref>{{Cite web|和書|title=名古屋から岐阜 時刻表(JR東海道本線(熱海-米原)) - NAVITIME|url=https://www.navitime.co.jp/diagram/depArrTimeList?departure=00008576&arrival=00001467&line=00000112&updown=1|website=www.navitime.co.jp|accessdate=2020-02-16}}</ref>ため、名古屋方面への通勤・通学には至便である。一方で市内には鉄道空白地帯が多く、市内輸送はバス交通やマイカーに依存している。
[[ファイル:Gifu station south entrance.jpg|thumb|[[岐阜駅]]南口]]
[[ファイル:名鉄岐阜駅(Meitetsu Gifu Station) - panoramio.jpg|thumb|[[名鉄岐阜駅]]]]
中心駅:'''[[岐阜駅|JR岐阜駅]]'''、'''[[名鉄岐阜駅]]'''
====鉄道路線====
;[[東海旅客鉄道]](JR東海)
:{{JR海駅番号|CA}} [[東海道本線]]:- '''[[岐阜駅]]''' - [[西岐阜駅]] -
:{{JR海駅番号|CG}} [[高山本線]]:'''岐阜駅''' - [[長森駅]] -
;[[日本貨物鉄道]](JR貨物)
:{{Color|black|■}}東海道本線:[[岐阜貨物ターミナル駅]]
;[[名古屋鉄道]](名鉄)
:{{名鉄駅番号|NH}} [[名鉄名古屋本線|名古屋本線]]:- [[茶所駅]] - [[加納駅 (岐阜県)|加納駅]] - '''[[名鉄岐阜駅]]'''
:{{名鉄駅番号|KG}} [[名鉄各務原線|各務原線]]:'''名鉄岐阜駅''' - [[田神駅]] - [[細畑駅]] - [[切通駅]] - [[手力駅]] - [[高田橋駅]] -
:{{名鉄駅番号|TH}} [[名鉄竹鼻線|竹鼻線]]:- [[柳津駅 (岐阜県)|柳津駅]] -
2005年(平成17年)3月までは[[名鉄岐阜市内線|岐阜市内線]]や[[名鉄揖斐線]]、[[名鉄美濃町線]]、[[名鉄田神線]]があった。(通称600V線区)
===バス===
====路線バス====
{{Double image aside|right|Mercedes-Benz O530 CITARO-G Gifu Bus 0001.jpg|260|Mercedes-Benz O530 CITARO-G Gifu Bus 0001 inside.jpg|100|「清流ライナー」|客室}}
* [[岐阜乗合自動車|岐阜バス]]
* [[岐阜市コミュニティバス]]
* [[名阪近鉄バス]]:柳津町とその周辺のみ
かつては[[名鉄バス]]、[[岐阜市交通事業部]](岐阜市営バス)が市内を運行していたが、2004年9月と2005年3月にそれぞれ廃止され、路線は共に岐阜バスに譲渡された。
====自動運転バス====
* [[ギフハートバス]]
** 2023年11月25日から2028年3月31日まで運行予定
===道路===
====高速道路====
;[[中日本高速道路]](NEXCO中日本)
*{{Ja Exp Route Sign|E41}} [[東海北陸自動車道]]
:(各務原市)- (4)[[岐阜各務原インターチェンジ|岐阜各務原IC]](料金所は[[各務原市]]) - [[蘇原バスストップ|蘇原BS]] -(関市)
*{{Ja Exp Route Sign|C3}} [[東海環状自動車道]]
:(関市)- (11-1)[[岐阜三輪パーキングエリア|岐阜三輪スマートIC]] -(山県市)- [[岐阜インターチェンジ|岐阜IC]](未供用) -(本巣市)
他に[[名神高速道路]]・[[岐阜羽島インターチェンジ|岐阜羽島IC]](羽島市)も利用できる。
====国道====
*[[国道21号]]([[中山道]])
*[[国道22号]](岐阜街道。[[美濃路]]。重複区間)
*[[国道156号]](郡上街道)
*[[国道157号]]
*[[国道248号]]
*[[国道256号]]
*[[国道303号]]
====県道====
;主要地方道
{{columns-list|colwidth=20em|
* [[岐阜県道1号岐阜南濃線]]
* [[岐阜県道・愛知県道14号岐阜稲沢線]]
* [[岐阜県道31号岐阜垂井線]]
* [[岐阜県道53号岐阜関ケ原線]]
* [[岐阜県道54号岐阜停車場線]]
* [[岐阜県道59号北野乙狩線]]
* [[岐阜県道77号岐阜環状線]]
* [[岐阜県道78号岐阜大野線]]
* [[岐阜県道79号関本巣線]]
* [[岐阜県道91号岐阜美山線]]
* [[岐阜県道92号岐阜巣南大野線]]
* [[岐阜県道93号川島三輪線]]
* [[岐阜県道94号岐阜美濃線]]
* [[岐阜県道95号芋島鵜沼線]]
}}
;一般県道
{{columns-list|colwidth=20em|
* [[岐阜県道151号岐阜羽島線]]
* [[岐阜県道152号岐阜各務原線]]
* [[岐阜県道153号羽島茶屋新田線]]
* [[岐阜県道154号笠松墨俣線]]
* [[岐阜県道157号鶉羽島線]]
* [[岐阜県道163号墨俣合渡岐阜線]]
* [[岐阜県道164号鶉笠松線]]
* [[岐阜県道167号金原上西郷線]]
* [[岐阜県道168号屋井黒野線]]
* [[岐阜県道173号文殊茶屋新田線]]
* [[岐阜県道175号岐阜岐南線]]
* [[岐阜県道176号安食粟野線]]
* [[岐阜県道180号松原芋島線]]
* [[岐阜県道181号岐阜那加線]]
* [[岐阜県道183号正木岐阜線]]
* [[岐阜県道187号岐阜停車場城南線]]
* [[岐阜県道190号忠節停車場線]]
* [[岐阜県道194号茶屋新田堀津線]]
* [[岐阜県道195号岐阜千本松原公園自転車道線]]
* [[岐阜県道201号溝口下白金線]]
* [[岐阜県道203号岐阜小倉公園自転車道線]]
* [[岐阜県道205号長森各務原線]]
* [[岐阜県道287号上白金真砂線]]
}}
====市内道路通称名====
{{columns-list|colwidth=20em|
* [[岐阜西通り]]
* [[忠節橋通り]]
* [[金華橋通り]]
* [[長良橋通り]]
* [[加納中通り]]
* [[岐阜東通り]]
* さぎやま道山通り
* [[岐阜東西通り]]
* 長住町通り
* [[岐阜環状線]]
}}
===道の駅===
*[[道の駅柳津]](岐阜県道1号岐阜南濃線沿い)
== 観光 ==
かつての[[ミス岐阜]]・ミス長良川にあたる「ぎふ長良川メイツ」が、岐阜市のイメージアップと観光PRに務めている。
=== 名所・旧跡 ===
[[ファイル:岐阜城2 Gifu Castle - panoramio.jpg|thumb|200px|[[岐阜城]]]]
[[ファイル:加納城石垣.JPG|thumb|200px|[[加納城]]]]
[[ファイル:Bouddha gifu.jpg|thumb|200px|[[正法寺 (岐阜市大仏町)|正法寺]]([[岐阜大仏]])]]
[[ファイル:751006 Kotoduka Kofun aerial.jpg|thumb|200px|[[琴塚古墳]]]]
;主な城郭
* [[岐阜城]](稲葉山城、国の史跡)・[[金華山 (岐阜県)|金華山]]
* [[加納城|加納城跡]](国の史跡)
* [[鷺山城|鷺山城跡]]
* [[黒野城|黒野城跡]](市の史跡)
* 賀夫良城(市指定史跡・[[金神社]])
* [[長森城|長森城跡]]
* [[長森城#切通陣屋の歴史|切通陣屋跡]](長森城と同一箇所)
* [[川手城|川手城跡]]
* [[上茜部城|上茜部城跡]]
* [[柳津城|柳津城跡]]
* [[高桑城|高桑城跡]]
;主な寺院
*金鳳山[[正法寺 (岐阜市大仏町)|正法寺]]: 金華山の麓にある寺院。この寺院には大仏堂があり、そこにある大仏([[岐阜大仏]])は奈良・鎌倉と並び日本三大仏の一つと言われている。大仏は1832年([[天保]]3年)に作られたもので、かご大仏としては日本一の大きさを誇る。
*[[常在寺 (岐阜市)|常在寺]]: [[日蓮宗]][[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]派の寺院。1450年([[宝徳]]2年)に[[守護代]]の[[斎藤妙椿]]により建立される。本尊は[[文殊菩薩]]。[[斎藤氏]]は[[斎藤道三]]のころに[[下克上]]により[[美濃国]]の国主となる。常在寺は斎藤氏の菩提寺となっており、墓所や道三、[[斎藤義龍]]の肖像画(いずれの肖像画も国の[[重要文化財]]に指定)なども所蔵されている。
*[[瑞龍寺 (岐阜市)|瑞龍寺]]
*[[乙津寺]]:おっしんじ(鏡島弘法): 岐阜市鏡島にある臨済宗の古刹で、738年に[[行基]]菩薩が開山した。通称名の「鏡島弘法」の方が一般に知られている。十一面千手観音像をはじめ文化財を多数所有している。
*[[法華寺 (岐阜市)|法華寺]](三田洞弘法)
*雄総山[[護国之寺]]:ゆうそうさん ごこくしじ: 岐阜市長良雄総にある[[高野山]][[真言宗]]の寺で、寺伝によれば746年に[[聖武天皇]]の勅願により建立された。岐阜市内唯一の[[国宝]]「[[金銅獅子唐草紋鉢]]」をはじめ岐阜県・岐阜市指定の各種の文化財を所有している。
*金粟山[[大龍寺 (岐阜市)|大龍寺]]: 岐阜市粟野、別名「高富大龍寺」「だるま観音」。
*[[美江寺]]: 岐阜市美江寺町、天平年間の開山。
*[[延算寺]]: 岐阜市岩井、別名「岩井山かさ神」「瘡神薬師」
*[[真長寺]] (三輪釈迦)
*[[崇福寺 (岐阜市)|崇福寺]]: 岐阜市長良福光、[[織田信長]]ゆかりの寺
*[[願成寺 (岐阜市)|願成寺]]: 岐阜市大洞、国の天然記念物の[[中将姫誓願桜]]が境内にある。
*玉性院: 節分の日の2月3日に行われる節分つり込み祭りが有名。この祭りは赤鬼に扮した厄男を神輿に、お福に扮した厄女を御所車に乗せ、おはらいをして無病息災を祈るもの。厄払い祈祷の豆まきは昼ごろから随時行われる。また、節分期には豆まきの宣伝と交通安全を推進するために、巨大な赤鬼の張りぼてを立てている。
*岐阜別院
**岐阜市西野町 - [[浄土真宗本願寺派]]([[西本願寺]])の[[本願寺岐阜別院]]
**岐阜市小熊町 - [[真宗大谷派]]([[東本願寺]])の[[真宗大谷派岐阜別院]]
*[[善光寺 (岐阜市)|善光寺]](岐阜善光寺): 伊奈波神社に隣接。
*妙照寺:身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院。慶長5年(1600年)に岐阜中納言織田秀信公より竹中半兵衛重治の屋敷跡であるに寄進され移転した。[[松尾芭蕉]]は貞享5年(1688年)6月に訪れて約1ヶ月滞在した<ref>{{Cite web|和書
| authorlink = http://www.gifucvb.or.jp/index.php?cmsdsessionid=
| coauthors =
| title = 妙照寺
| work =
| publisher = 公益財団法人 岐阜観光コンベンション協会
| date =
| url = http://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00043&cmsdsessionid=
| format =
| doi =
| accessdate = 2016-08-07}}</ref>。
*[[震災紀念堂]]:[[濃尾地震]]の犠牲者の[[慰霊施設]]。
;主な神社
*[[伊奈波神社]]: 金華山山麓にある神社。西暦85年([[景行天皇]]14年)の時代に創立されたと言われ、1900年以上の歴史を持つ。主祭神は五十瓊敷入彦命。毎年4月の第一土曜日には例祭の宵宮がある。初詣スポットとして多くの人びとを集める。近年、茶室を増設。美濃の国の三ノ宮。
*[[加納天満宮]]: JR岐阜駅の南側ほど近いところにある。15世紀、文安の時代に土岐の長臣[[斎藤利永|斎藤帯刀左衛門利永]]により立てられた。10月には天満まつりがある。他の天満宮同様、[[菅原道真]]を祀る。
*[[金神社 (岐阜市)|金神社]]: 岐阜市中心部にある神社。金大神の鎮座は[[成務天皇]]の時代(西暦135年)と伝える。境内には古墳「賀夫良城」があり[[物部氏]]である物部臣賀夫良命がこの地に赴任し国府に定め、金大神を崇拝されたと伝えられている。現在、主祭神は、渟熨斗姫命。商売繁盛のご利益があるとして市民から信仰を集めている。近年、神社境内の整備も進み、正月・祭礼日には多くの人が訪れ、11月23日の[[新嘗祭]]には「こがねさんの秋まつり」を行い、市民に親しまれている。: 金公園と文化センターは隣接している。
*[[橿森神社]]: 岐阜市中心部にある神社。夫婦和合、子供の神社として知られている。祭神の[[市隼雄命]]は[[五十瓊敷入彦命]]と[[渟熨斗姫命]]の子である。
*[[岐阜護國神社]]
*[[長良天神神社]]
*[[葛懸神社]]: [[裸祭り]]の[[池ノ上みそぎ祭]]で知られる。
*[[溝旗神社]]
*[[手力雄神社 (岐阜市)|手力雄神社]]: 岐阜市東部に鎮座する神社。火薬や花火を仕込んだ神輿を、裸男が火の粉を浴びつつ担ぐ豪壮な「[[手力の火祭]]」で有名。
*[[伊波乃西神社]]([[彦坐王|日子坐命]]陵)
*[[三輪神社 (岐阜市)|三輪神社]]
*[[茜部神社]]
*[[本荘神社 (岐阜市)|本荘神社]]
*[[天神神社 (岐阜市柳津町)|天神神社]]
*[[若江神社]]
*[[鶉田神社]]
*[[方県津神社]]
*[[津神社]]
*[[縣神社 (岐阜市)|縣神社]]
*[[比奈守神社]]
*[[加納八幡神社]]
;主なキリスト教会
*芥見キリスト教会:[[同盟福音基督教会]]
*インマヌエル岐阜キリスト教会:[[イムマヌエル綜合伝道団]]
*華陽教会:[[日本基督教団]]
*長良キリスト教会:[[日本同盟基督教団]]
*岐阜グレイスチャーチ(長良キリスト教会伝道所):日本同盟基督教団
*岐阜加納教会:[[日本キリスト改革派教会]]
*岐阜教会:[[日本キリスト教会]]
*岐阜教会:[[在日大韓基督教会]]
*岐阜教会:[[聖イエス会]]
*岐阜キリスト教会:[[同盟福音基督教会]]
*岐阜グレースキリスト教会
*岐阜聖書バプテスト教会:[[日本バプテスト・バイブル・フェローシップ]]
*[[岐阜聖パウロ教会]]:[[日本聖公会]]
*岐阜バプテスト教会:[[日本バプテスト連盟]]
*聖泉キリスト教会
*クリスチャン・コミュニティー・チャーチ
*ハレルヤチャーチ岐阜:日本福音ペンテコステ教団
*ヨハン岐阜キリスト教会
*TLEA岐阜教会
;主なイスラム教モスク
*岐阜モスク
;主な遺跡
* [[琴塚古墳]](国の史跡)
=== 観光スポット ===
;自然
*[[金華山]] - [[金華山ドライブウェイ]](天気が良いと、[[名古屋市]]や[[伊勢湾]]方面まで見渡せる)
*[[長良川]]
**[[長良川鵜飼]]
**[[小紅の渡し]]
;公園
*[[岐阜公園]]
*[[梅林公園]]
*岩戸公園
*[[島南公園]]
*[[畜産センター (岐阜市)|畜産センター]]
*[[岐阜ファミリーパーク]]
*[[長良公園]]
*[[清水緑地]]
**[[湊コミュニティ水路]]
;宿場町
*[[中山道]]
**53.[[加納宿]]
**54.[[河渡宿]]
;湊町
*[[川原町 (岐阜市)|川原町]]
;温泉
* [[長良川温泉]](源泉は岐阜市北部三田洞地区)
* [[三田洞神仏温泉]]
;繁華街・歓楽街
* [[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]](商店街)
* [[金津園]](日本三大[[ソープ街]]の一つである西日本最大級の[[ソープランド]]街。岐阜駅南側にある)
* [[玉宮町 (岐阜市)|玉宮町]]
<gallery>
Kanojuku-nakasendo.JPG|[[中山道]] [[加納宿]]
川原町 (岐阜市)-目抜き通りkawaramachi003.jpg|[[川原町 (岐阜市)|川原町]] 目抜き通り
File:清水緑地 - panoramio.jpg|[[清水緑地]]
Minato Community Watercourse 1.JPG|[[湊コミュニティ水路]]
Gifu Family Park Adventure 03.JPG|[[岐阜ファミリーパーク]]
GifuHotelParkOnsen1.jpg|[[長良川温泉]]
岐阜県岐阜市柳ケ瀬 - panoramio.jpg|[[柳ヶ瀬 (岐阜市)|柳ヶ瀬]]
金津園の2丁目付近.JPG|[[金津園]]
</gallery>
== 文化・名物 ==
[[ファイル:Ukai_gifu_1.jpg|thumb|200px|長良川河畔で行われている[[鵜飼い]]]]
[[ファイル:日本遺産「信長公の戦国城下町・岐阜」横断幕.jpg|thumb|200px|[[長良川鵜飼]]船着場]]
[[ファイル:Gifu cyouchin0000000001.JPG|thumb|200px|[[岐阜提灯]]]]
[[ファイル:Nagaragawa150506-1.JPG|thumb|200px|[[岐阜メモリアルセンター長良川競技場]]]]
[[ファイル:Agripark.jpg|thumb|200px|JAぎふアグリパーク鈴ヶ坂]]
=== 祭事・催事 ===
;主な祭事・催事
* [[美江寺まつり]] (3月の第1日曜日)
* [[岐阜まつり]](4月5日)
* [[道三まつり]](4月の第1土曜と翌日日曜)
* [[手力の火祭]](4月の第2土曜日と8月の第2日曜日)
* [[高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン]](4月の第3又は第4日曜日)※日本のハーフマラソンで初めて[[ワールドアスレティックス]]のゴールドラベルを獲得。
* [[全国選抜長良川中日花火大会]](7月最終土曜日)
* [[長良川全国花火大会]](8月第一土曜日)
* [[長良川薪能]](8月)
* [[ぎふ信長まつり]](10月の第1土曜と翌日日曜)
* [[池ノ上みそぎ祭]](12月の第2土曜)
* [[岐阜フラッグアート展]]
* [[全日本学生落語選手権・策伝大賞]]
* [[ぎふアジア映画祭]](9月から12月ごろ)
* [[こよみのよぶね]]([[冬至]]の夜、[[長良橋]]付近の[[長良川]]で行われる)
* [[長良川おんぱく]]
* せんい祭
* 全国エンタメまつり
* 問屋EXPO
====盆踊り====
*[[盆踊り]]のレパートリーには、[[荻野目洋子]]の[[ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)|ダンシング・ヒーロー]]に合わせて「1・2・3・4の掛け声にあわせて鉄砲を撃つ」風習がある。岐阜市の一部の学校では、[[運動会]]の演目で同曲を踊り、そこで指鉄砲の振り付けを習う<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nagoyatv.com/news/?id=015069 |title=メーテレニュース「ダンシング・ヒーロー」は東海の盆踊り定番曲 童謡「おさるのかごや」と融合も 地域差を調べてみた |publisher =名古屋テレビ放送株式会社 |date=2022-09-17 |accessdate=2023-03-09}}</ref>。
=== 伝統芸能 ===
* [[落語]]-落語の祖と言われている[[安楽庵策伝]]が生まれた岐阜市は落語発祥の地とされている。毎年[[全日本学生落語選手権・策伝大賞]]という落語の全国大会が開催されている。
* 狂俳-岐阜公園には「狂俳発祥の地」碑があることから発祥の地とされている。
=== 名物・名産 ===
* [[岐阜提灯]]
* [[岐阜和傘]]
* [[岐阜うちわ]]
* 美濃筒引き本染め
* [[若鮎]](鮎菓子) - 長良川の鵜飼にちなんで鮎を形どった銘菓。カステラ生地で求肥を包んだものやせんべい、あられなど種類もさまざま<ref>{{Cite web|和書
| authorlink =http://www.e-wagasi.co.jp/ayu/index.html
| coauthors =
| title = 岐阜のあゆ菓子を全国へPR!
| work =
| publisher = 岐阜県鮎菓子普及協会
| date =
| url = http://www.e-wagasi.co.jp/ayu/member.html
| format =
| doi =
| accessdate = 2016-08-08}}</ref>。
* 枝豆まんじゅう - 枝豆を餡に使った薄皮まんじゅう<ref>{{Cite web|和書
| authorlink =http://www.kankou-gifu.jp/
| coauthors =
| title = 岐阜の枝豆ブームの火付け役
| work =
| publisher = 一般社団法人 岐阜県観光連盟公式サイト
| date =
| url = http://www.kankou-gifu.jp/product/302/
| format =
| doi =
| accessdate = 2016-08-08}}</ref>
* 柿羊羹<ref>{{Cite web|和書
| authorlink =http://www.kankou-gifu.jp/
| coauthors =
| title = 濃い甘みとなめらかな舌触り「柿羊羹」
| work =
| publisher = 一般社団法人 岐阜県観光連盟公式サイト
| date =
| url = http://www.kankou-gifu.jp/product/article/meika/
| format =
| doi =
| accessdate = 2016-08-08}}</ref>
* [[みょうがぼち]]
* [[いかだばえ]] - 寒バエの佃煮。丸ごと食べられる。
* [[アユ|鮎]] - 塩焼き、刺身、一夜干し、昆布巻きなど様々な調理方法がある。
* [[ベトコンラーメン]]
* 天ぷら中華
* 冷やしたぬきそば - 市内蕎麦店「更科」が発祥の[[ソウルフード]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nagoyatv.com/dode/program-corner/tokusyu_wed/arayuru/entry-32881.html |title=「冷やしたぬきそばブーム」 |publisher =名古屋テレビ放送株式会社 |date=2022-09-07 |accessdate=2023-03-09}}</ref>。
===音楽===
*岐阜県交響楽団
=== スポーツチーム ===
{| class="sortable wikitable" style="text-align:center;font-size:85%;"
|-
! 名称
! 競技種目
! 所属リーグ
! 本拠地
! 運営会社・団体
! 設立
|-
! [[長良クラブ]]
| [[サッカー]]
| [[東海社会人サッカーリーグ]](2部)
| [[岐阜メモリアルセンター長良川競技場]]など
| [[岐阜県立長良高等学校]]サッカー部OB
| [[1968年]](昭和43年)
|-
! [[JAぎふリオレーナ]]
| [[バレーボール]]
| [[V.LEAGUE|Vリーグ]](V2)
| JAぎふアグリパーク鈴ヶ坂など
| ぎふ農業協同組合(JAぎふ)
| [[1979年]](昭和54年)
|-
! [[FC岐阜]]
| [[サッカー]]
| [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]([[J2リーグ|J2]])
| [[岐阜メモリアルセンター長良川競技場]]など
| [[FC岐阜|株式会社岐阜フットボールクラブ]]
| [[2001年]](平成13年)
|-
! [[岐阜スゥープス]]
| [[バスケットボール]]
| [[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ|Bリーグ]]([[ジャパン・バスケットボールリーグ|B3]])
| [[岐阜アリーナ]]
| [[岐阜スゥープス|岐阜バスケットボール株式会社]]
| [[2003年]](平成15年)
|-
! [[FC岐阜SECOND]]
| [[サッカー]]
| [[東海社会人サッカーリーグ]](1部)
| 岐阜県フットボールセンターなど
| [[FC岐阜|株式会社岐阜フットボールクラブ]]
| [[2006年]](平成18年)
|}
== 著名人 ==
<!-- 記事が存在する人物のみ記載 -->
=== 出身者 ===
; 政治家・官僚
* [[武藤容治]](衆議院議員、自民党)
* [[松田岩夫]](参議院議員、自民党)
* [[野田卯一]](元建設大臣、元経済企画庁長官、元衆議院議員、自民党)
* [[渡辺嘉蔵]](元衆議院議員、社会党)
* [[古田肇]](岐阜県知事)
* [[梶原拓]](元岐阜県知事)
* [[上松陽助]](元岐阜県知事、元岐阜市長)
* [[舩後靖彦]](参議院議員)
* [[若山貴嗣]](岐阜市議会議員、岐阜放送元アナウンサー)
* [[園田康博]](元衆議院議員、民主党)
* [[若井敦子]](岐阜県議会議員、西濃運輸空手道部監督)
* [[吉本明子]]([[中央労働委員会]]事務局長、元[[人材開発統括官]]、元[[愛知県]][[副知事 (日本)|副知事]]、元[[小松市]][[副市町村長|助役]])
* [[松本太]](外交官、駐イラク大使)
; 実業家
* [[藍川清成]]([[愛知電気鉄道]]社長、[[名古屋鉄道]]社長)
* [[各務鎌吉]]([[東京海上火災保険]]社長、会長)
* [[垣見吉彦]]([[サントリープロダクツ]]社長、[[サントリー生命科学財団]]理事長)
* [[西岡徹人]]([[SUNSHOW GROUP]]代表)
* [[原富太郎]]([[横浜銀行|横浜興信銀行]]頭取)
* [[山本亜土]](名古屋鉄道会長)
* [[吉田勝利]](岐阜フットボールクラブ([[FC岐阜]])取締役、サッカー解説者)
* [[森田敬和]](クイズ解答者)
; 学界
* [[川島武宜]](法学者「日本人の法意識」)
* [[川出敏裕]](刑事訴訟法学者、東京大学教授)
* [[酒井正三郎]](経済学者、名古屋大学名誉教授)
* [[大栗博司]](理論物理学者)
* [[中井猛之進]](植物学者、[[東京帝国大学]]教授、[[国立科学博物館]]館長)
; 画家
* [[北蓮蔵]]([[洋画家]])
* [[加藤栄三]]([[日本画家]])
* [[加藤東一]](日本画家)
* [[川崎小虎]](日本画家)
; 写真家
*[[杉山宣嗣]]
; 作家
* [[小島信夫]]
* [[塩谷鵜平]]([[俳人]])
* [[森田草平]]
* [[なるせゆうせい]](脚本家)
* [[奥田英朗]]
* [[林雄介]](作家、政治評論家)
; 漫画家
* [[雷句誠]]([[金色のガッシュ!!]])
* [[新田朋子]]
* [[清原なつの]]
* [[本田恵子]]
* [[あいざわ遥]]
* [[山田貴敏]]([[Dr.コトー診療所]])
* [[白井カイウ]]([[約束のネバーランド]])
; 映画監督
* [[篠田正浩]](映画監督)
* [[神山征二郎]](映画監督)
; デザイナー
* [[日比野克彦]](アート)
* [[山本寛斎]](ファッションデザイナー)
* [[けみ芥見]]([[芸術家]]、ファッションデザイナー、[[アートディレクター]])
; 建築家
* [[西澤徹夫]] - 建築家
; 棋士
* [[山口仁子梨]]([[将棋]][[女流棋士 (将棋)|女流棋士]])
* [[山口稀良莉]](将棋女流棋士)
* [[岩佐美帆子]](将棋女流棋士)
* [[土田正光]](囲碁棋士)
* [[石榑郁郎]](囲碁棋士)
; 声優
* [[立花慎之介]]
* [[美名]]
; タレント
* [[ドーキンズ英里奈]]
* [[やながせゆっこ]]
* [[林詩遥子]]
* [[西田有沙]]
* [[Mr.マリック]]([[マジシャン (奇術)|マジシャン]])
; アイドル
* [[奈月 (タレント)|奈月]]([[グラビアアイドル]]、旧芸名:奈月セナ)
* [[熊田曜子]](グラビアアイドル)
* [[八代みなせ]](グラビアアイドル)
* [[古田愛理]](グラビアアイドル)
* [[長尾しおり]]([[SUPER☆GIRLS]]メンバー)
* [[伊藤寧々]](元[[乃木坂46]]メンバー)<ref>{{Cite news|title=元乃木坂46の伊藤寧々さん、地元クラブのFC岐阜応援マネージャーに就任|newspaper=サッカーキング|date=2015-06-23|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20150623/324761.html|accessdate=2016-02-03|publisher=フロムワン}}</ref>
* [[堀未央奈]](元乃木坂46メンバー)
; 芸能人
* [[中条きよし]](俳優、歌手)
* [[あいざき進也]](歌手)
* [[柳家燕弥]]([[落語家]])
* [[酒井雲]](浪曲師)
* [[綾野剛]](俳優)
* [[伊藤英明]](俳優)
* [[岡田奈々]](女優、元アイドル歌手)
* [[ブルボンヌ]]([[ドラァグクイーン]]、[[随筆家|エッセイスト]])
* [[長谷部優]](歌手、[[Dream (音楽グループ)|DRM]]のメンバー)
* [[見田村千晴]](シンガーソングライター)
* [[江崎普子]]([[1986年]][[ミス・ユニバース・ジャパン|ミス・ユニバース日本代表]])
; スポーツ選手
* [[高橋尚子]](マラソン選手)
* [[青木沙弥佳]](短距離選手)
* [[早田俊幸]](長距離走、マラソン選手)
* [[高木守道]](プロ野球選手、監督)
* [[勅使川原郁恵]]([[ショートトラックスピードスケート]]選手)
* [[和田一浩]](野球選手)
* [[岩田慎司]](野球選手)
* [[青木高広]](野球選手)
* [[森祇晶]](野球選手、監督、野球解説者)
* [[髙橋純平]](野球選手)
* [[中神拓都]](野球選手)
* [[朝倉健太]](プロ野球選手)
* [[赤塚瑞樹]](野球選手)
* [[森山泰行]](サッカー選手)
* [[片桐淳至]](サッカー選手)
* [[高原寿康]](サッカー選手)
* [[下川健一]](サッカー選手)
* [[羽田一平]](サッカー選手)
* [[鈴木亨]](ゴルフ選手)
* [[三浦恵子]](ホッケー選手)
* [[坪井保菜美]]([[新体操]]選手)
* [[東明有美]](サッカー選手)
* [[今井月]](競泳選手)
* [[飯田将成]](格闘家、元プロボクサー)
* [[清水綾乃 (射撃選手)|清水綾乃]](ライフル射撃選手、陸上自衛官)
* [[中嶋茜]]([[ゴールボール]]選手)
* [[村瀬心椛]]([[スノーボード|スノーボーダー]])
; アナウンサー
* [[中尾晃一郎]]
* [[梅田淳]]
* [[青山紀子]]
* [[粕谷康太郎]]
* [[鷲見玲奈]](岐阜市プロモーション大使<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/120051|title=フリーアナ・鷲見玲奈さん、岐阜市プロモーション大使就任|accessdate=2022-08-25}}</ref>)
* [[小野厚徳]](Talk company代表、元[[ブルームバーグテレビジョン]]のアンカーマン、元[[ショップチャンネル]]のキャスト)
* [[林美玖]]
=== ゆかりの人物 ===
* [[永井氏|尚庸流永井家]] : [[加納藩|加納藩主]]
<gallery>
Nashi.png|丸に梨の切り口([[加納藩|加納藩主]][[永井氏|永井家]][[家紋]])
</gallery>
=== 名誉市民 ===
岐阜市名誉市民条例および岐阜市名誉市民条例施行規則により名誉市民章が贈呈された人物。
{|class="wikitable"
|-
! 贈呈日 !! 氏名 !! 贈呈理由
|-
| [[1956年]](昭和31年)5月3日
| {{ruby|[[松尾国松]]|まつお くにまつ}} || 6期22年にわたり[[岐阜市#市長|市長]]を務める。
|-
| 1956年(昭和31年)10月9日
| {{ruby|[[山田永俊]]|やまだ ながとし}} || 4期にわたり市議会議員を務める。
|-
| [[1970年]](昭和45年)11月3日
| {{ruby|[[松尾吾策]]|まつお ごさく}} || 15年余の間市長を務める。
|-
| [[1971年]](昭和46年)9月10日
| {{ruby|[[東前豊]]|ひがし まえとよ}} || 2期8年にわたり市長を務める。
|-
| [[1972年]](昭和47年)8月3日
| {{ruby|[[渡辺甚吉 (14代)|渡辺甚吉]]|わたなべ じんきち}} || 岐阜薬専([[岐阜薬科大学]])創設の際、建設費を全額寄附。
|-
| [[1975年]](昭和50年)9月9日
| {{ruby|[[早川光治郎]]|はやかわ みつじろう}} || 10期連続42年にわたり市議会議員を務める。
|-
| [[1979年]](昭和54年)8月22日
| {{ruby|[[桑原善吉 (11代)|桑原善吉]]|くわばら ぜんきち}} || 通算24年にわたり岐阜商工会議所会頭を務める。
|-
| [[1990年]](平成2年)2月6日
| {{ruby|[[上松陽助]]|うえまつ ようすけ}} || 2期6年市長、3期12年知事を務める。
|-
| [[1994年]](平成6年)4月28日
| {{ruby|[[蒔田浩]]|まきた ひろし}} || 4期16年にわたり市長を務める。
|-
| [[1995年]](平成7年)5月1日
| {{ruby|[[安田梅吉]]|やすだ うめきち}} || 16年にわたり岐阜商工会議所の正副会頭を務める。
|-
| [[1996年]](平成8年)7月1日
| {{ruby|[[加藤東一]]|かとう とういち}} || [[日本画]]([[日展]]第一科)を中心に活躍。
|-
| [[2007年]](平成19年)9月21日
| {{ruby|林春雄|はやし はるお}} || 全国最多の15期58年にわたり、市議会議員を務める。
|}
== 岐阜市を舞台にした作品 ==
; [[音楽]]
* [[柳ヶ瀬ブルース]](1966年)([[美川憲一]])
* [[長良川艶歌]](1984年)([[五木ひろし]])
* [[金津園]](2013年)([[鳴ル銅鑼]])
; 映画
* [[柳ヶ瀬ブルース]](1967年 [[東映]]) 監督 [[村山新治]]、脚本 [[成澤昌茂]]、音楽 [[八木正生]]、主演 [[梅宮辰夫]]
* [[ルドルフとイッパイアッテナ#劇場アニメ|ルドルフとイッパイアッテナ (劇場アニメ)]]([[斉藤洋]])<ref>{{Cite web|和書
| authorlink =http://www.ntv.co.jp/
| coauthors = https://www.toho.co.jp/
| title = 映画『ルドルフとイッパイアッテナ』公式サイト
| work =
| publisher = 企画制作「[[日本テレビ放送網]]」 配給「[[東宝]]」
| date = 2016-8-6
| url = http://www.rudolf-ippaiattena.com/
| format =
| doi =
| accessdate = 2016-08-08}}</ref>
; 小説
* 篝火([[川端康成]])
* 南方の火(川端康成)
* 美濃([[小島信夫]])
; 児童文学
* [[ルドルフとイッパイアッテナ]](斉藤洋) - 主人公の黒猫ルドルフがかつて住んでいた街が岐阜市である。本作でルドルフが岐阜に住んでいたころに行った[[岐阜城]]や、[[金華山ロープウェー]]から岐阜市内の街並みを眺めている描写が描かれている他、作品発表当時([[1987年]])はまだ走っていた[[名鉄岐阜市内線]](2005年に廃止)も登場している。
:また、次作の『[[ルドルフともだちひとりだち]]』では、ルドルフは[[東京都|東京]]([[江戸川区]])から[[首都高速7号小松川線|首都高速7号線]]、[[東名高速道路]]、[[国道22号]]を経由して岐阜市へ帰って来る<ref group="注釈">しかし、ある出来事がきっかけで再び東京へと戻った。</ref>。
; 漫画・アニメ・ライトノベル
* [[恋愛ラボ]]
* [[みそララ]]
* [[僕らはみんな河合荘]] - [[宮原るり]]
* [[僕は友達が少ない]] - ちなみに原作者の[[平坂読]]の出身地も岐阜県である。
* 変人のサラダボウル
* [[聲の形]] - メインの舞台は[[大垣市]]であるが一部岐阜市をモデルとした風景が作中に登場している。
* [[小市民シリーズ]]
* [[安達としまむら]]
* [[虹いろイヤリング]]([[下川香苗]])
* [[君と歩かなかった青春]](水沢菜穂子)
== その他 ==
* [[岐阜市まちなか博士認定試験]] - 岐阜市の[[ご当地検定]]
* [[日本の音風景100選]]:[[長良川鵜飼|長良川の鵜飼]]
* 車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]は'''[[岐阜運輸支局#岐阜運輸支局(「岐阜」ナンバー)|岐阜]]'''ナンバーで、岐阜市のほか、美濃地方で使われている。
* [[西日本電信電話|NTT]]の[[日本の市外局番|市外局番]]は'''058'''(岐阜[[単位料金区域|MA]]。各務原市{{efn|[[川島町 (岐阜県)|川島地区]]は一宮市と同じ'''0586'''(一宮MA)。}}や羽島市、羽島郡、瑞穂市(一部を除く)、本巣市の一部{{efn|[[糸貫町|糸貫地区]]、[[真正町|真正地区]]}}、本巣郡北方町と同じ){{efn|元々柳津地区を除く岐阜市の市外局番は0582を、旧柳津町の市外局番は0583を使用しており、前者は200番台が、後者は300番台の市内局番が多く用いられる。}}。
*市内中心部から4kmほど離れた[[鷺山]]地区は、[[第二次世界大戦]]終戦後の1948年ごろから市が復興市営住宅として整備したが、入居優先で地番や住所を整備しなかったため、同番地(1769-2番地)に250世帯400人以上が暮らしている。地区内では公的文書には使用出来ない6つの独自町名(通称町名)が存在していた。2019年2月4日、住居表示実施により隣接する地区を含め[[鷺山南]]に変更<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/west/news/180223/wst1802230020-n1.html|title=同じ住所に250世帯 「岐阜市鷺山1769の2」70年経て解消へ動き出すも「今更…」の声も|accessdate=2019-02-12|publisher=産経新聞}}</ref>。
*鷺山1769の2独自(通称)町名<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.gifu.lg.jp/32572.htm|title=平成31年2月4日に鷺山南地区の住居表示を実施しました。|accessdate=2019-02-12|publisher=岐阜市役所}}</ref>
** 鷺山玉川町
** 鷺山白鷺町
** 鷺山向井町
** 鷺山緑ヶ丘
** 鷺山中洲
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 関連項目 ==
<!-- この項目に関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
{{Multimedia|岐阜市の画像}}
{{Sisterlinks
|commons=岐阜市
|commonscat=Gifu
|q=no
|v=no
|d=Q45798
|voy=ja:岐阜市
}}
{{See also|Category:岐阜市}}
* [[日本の地方公共団体一覧]]
* [[日本の市町村の廃置分合]]
== 外部リンク ==
{{osm box|r|4716682}}
'''行政'''
* {{Official website}}
'''観光'''
* [http://gifujyou.com/ 岐阜城盛り上げ隊]、岐阜城ボランティア団体
* [http://www.gifucity-archive.jp/ 岐阜市digital archive]
* {{Googlemap|岐阜市}}
* {{ウィキトラベル インライン|岐阜市|岐阜市}}
'''ソーシャルメディア'''
* {{Facebook|cityofgifu|岐阜市役所}}
* {{YouTube|user = gifucitychannel|岐阜市公式チャンネル}}
* {{Twitter|city_gifu|岐阜市役所}}
* {{Instagram|gifusta|ギフスタ!【岐阜市公式】}}
* {{LINE公式アカウント|gifucity}}
{{Geographic Location
|Centre = 岐阜市
|North = [[山県市]]
|Northeast = [[関市]]
|East = [[各務原市]]
|Southeast = [[岐南町]]
|South = [[羽島市]]、[[笠松町]]
|Southwest = [[大垣市]]
|West = [[北方町]]<br/>[[瑞穂市]]
|Northwest = [[本巣市]]
}}
{{岐阜市の町・字}}
{{岐阜県の自治体}}
{{日本の都道府県庁所在地}}
{{日本の中核市}}
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{{デフォルトソート:きふし}}
[[Category:岐阜市|*]]
[[Category:岐阜県の市町村]]
[[Category:都道府県庁所在地]]
[[Category:中核市]]
[[Category:城下町]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
|
2003-07-13T08:48:25Z
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2023-12-29T20:20:53Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82
|
11,362 |
200メートル競走
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200メートル競走(英語: 200 metres)は、200メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技のトラック種目で、短距離走に分類される。カーブ120メートルと直線80メートルを走る。競技会や関係者の間では200m(200メートル)や200と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは200メートル走と呼ばれることもある。オリンピックでは1900年のパリオリンピックより競技種目となっている。
*記録を出した当時はソビエト連邦
*薬物検査が行われなかったのでジュニア世界記録として公認されていない
1周200mのトラックを走る室内の200メートル競走は、過去には世界室内選手権などの主要国際大会でも実施されていた。しかし、室内での200メートル競走は内側のレーンを走る選手がきついカーブを走るため不利になり、外側のレーンを走る選手が有利になる点などが問題視されていた。国際陸上競技連盟は2003年11月の評議員会で、世界室内選手権の200メートル競走を2006年大会から実施しないことを決めた。ヨーロッパ室内選手権では2005年大会を最後に、アジア室内選手権では2004年大会を最後に200メートル競走は実施されていない。
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200メートル競走(英語: 200 metres)は、200メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技のトラック種目で、短距離走に分類される。カーブ120メートルと直線80メートルを走る。競技会や関係者の間では200m(200メートル)や200と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは200メートル走と呼ばれることもある。オリンピックでは1900年のパリオリンピックより競技種目となっている。 戦前の日本では直線で行われた記録も公認されていたが、1968年以降は現在のように曲走路の記録のみが公認記録となっている。
世界的には男子では、アメリカ勢を中心としたアフリカ系選手がオリンピックや世界選手権で上位を占めることが多く、それ以外の選手が上位入賞するケースは稀で、中でもアジア系の選手の上位入賞は皆無に等しかったが2003年世界選手権パリ大会で末續慎吾(日本)が銅メダルを獲得する快挙を達成した。
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'''200メートル競走'''({{lang-en|200 metres}})は、200メートルをいかに短い時間で走るかを競う[[陸上競技]]のトラック種目で、[[短距離走]]に分類される。カーブ120メートルと直線80メートルを走る。競技会や関係者の間では'''200m(200メートル)'''や'''200'''と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは'''200メートル走'''と呼ばれることもある。オリンピックでは[[1900年]]の[[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]より競技種目となっている。
* 戦前の日本では直線で行われた記録も公認されていたが、[[1968年]]以降は現在のように曲走路の記録のみが公認記録となっている<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号318p</ref>。
* 世界的には男子では、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]勢を中心としたアフリカ系選手が[[夏季オリンピック|オリンピック]]や[[世界選手権]]で上位を占めることが多く、それ以外の選手が上位入賞するケースは稀で、中でもアジア系の選手の上位入賞は皆無に等しかったが[[2003年世界陸上選手権|2003年世界選手権パリ大会]]で[[末續慎吾]]([[日本]])が[[銅メダル]]を獲得する快挙を達成した。
== 世界記録 ==
=== 歴代10傑 ===
* 同タイムの場合は先に記録されたものを上に記載する。
* 風速([[メートル毎秒|m/s]])は追い風を+で表記、向かい風を-で表記する。
* タイム横にあるAの表記は、[[標高]]1000メートル以上の地点において記録された[[100メートル競走#概要|高地記録]]であることを意味する。
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒19||style="text-align:right"|-0.3||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[ベルリン]]||[[2009年]]8月20日
|-
|2||19秒26||style="text-align:right"|+0.7||[[ヨハン・ブレーク]]||{{JAM}}||[[ブリュッセル]]||[[2011年]]9月16日
|-
|3||19秒31||style="text-align:right"|+0.4||[[ノア・ライルズ]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]]7月22日
|-
|4||19秒32||style="text-align:right"|+0.4||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[アトランタ]]||[[1996年]]8月1日
|-
|5||19秒49||style="text-align:right"|+1.4||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[バトンルージュ (ルイジアナ州)|バトンルージュ]]||[[2022年]]4月30日
|-
|6||19秒50||style="text-align:right"|+1.6||[[レツィレ・テボゴ]]||{{BWA}}||ロンドン||[[2023年]]7月23日
|-
|7||19秒53||style="text-align:right"|+0.7||[[ウォルター・ディックス]]||{{USA}}||ブリュッセル||[[2011年]]9月16日
|-
|8||19秒57||style="text-align:right"|+0.4||[[ジャスティン・ガトリン]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2015年]]6月28日
|-
|9||19秒58||style="text-align:right"|+1.3||[[タイソン・ゲイ]]||{{USA}}||[[ニューヨーク]]||[[2009年]]5月30日
|-
|10||19秒62||style="text-align:right"|-0.5||[[アンドレ・ドグラス]]||{{CAN}}||[[東京]]||[[2021年]]8月4日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒34||style="text-align:right"|+1.3||[[フローレンス・グリフィス=ジョイナー]]||{{USA}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]]9月29日
|-
|2||21秒41||style="text-align:right"|+0.1||[[:en:Shericka Jackson|シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||[[ブダペスト]]||[[2023年]]8月25日
|-
|3||21秒53||style="text-align:right"|+0.8||[[エレーン・トンプソン]]||{{JAM}}||東京||[[2021年]]8月3日
|-
|4||21秒60||style="text-align:right"|-0.4||[[:en:Gabrielle Thomas|ギャビー・トーマス]]||{{USA}}||ユージーン||[[2023年]]7月9日
|-
|5||21秒62||style="text-align:right"|-0.6||[[マリオン・ジョーンズ]]||{{USA}}||[[ヨハネスブルグ]]||[[1998年]]9月11日
|-
|6||21秒63||style="text-align:right"|+0.2||[[ダフネ・シパーズ]]||{{NED}}||[[北京]]||[[2015年]]8月28日
|-
|7||21秒64||style="text-align:right"|+0.8||[[マリーン・オッティ]]||{{JAM}}||[[ブリュッセル]]||[[1991年]]9月13日
|-
|8||21秒69||style="text-align:right"|+1.0||[[アリソン・フェリックス]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2012年]]6月30日
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|21秒71||style="text-align:right"|+0.7||[[マリタ・コッホ]]||{{DDR}}||[[カール=マルクス=シュタット]]||[[1979年]]6月10日
|-
|style="text-align:right"|+1.2||[[ハイケ・ドレクスラー]]||{{DDR}}||[[イェーナ]]||[[1986年]]6月29日
|}
=== 歴代パフォーマンス10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref name="IAAF-M">[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/men/senior 200m men senior outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒19||style="text-align:right"|-0.3||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[ベルリン]]||[[2009年]]8月20日
|-
|2||19秒26||style="text-align:right"|+0.7||[[ヨハン・ブレーク]]||{{JAM}}||[[ブリュッセル]]||[[2011年]]9月16日
|-
|3||19秒30||style="text-align:right"|-0.9||ウサイン・ボルト||{{JAM}}||[[北京市|北京]]||[[2008年]]8月20日
|-
|4||19秒31||style="text-align:right"|+0.4||[[ノア・ライルズ]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]7月22日
|-
|rowspan=2|5||rowspan=2|19秒32||style="text-align:right"|+0.4||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[アトランタ]]||[[1996年]]8月1日
|-
|style="text-align:right"|+0.4||ウサイン・ボルト||{{JAM}}||[[ロンドン]]||[[2012年]]8月9日
|-
|7||19秒40||style="text-align:right"|+0.8||ウサイン・ボルト||{{JAM}}||[[大邱広域市|大邱]]||[[2011年]]9月3日
|-
|8||19秒44||style="text-align:right"|+0.4||ヨハン・ブレーク||{{JAM}}||ロンドン||[[2012年]]8月9日
|-
|9||19秒46||style="text-align:right"|+0.8||ノア・ライルズ||{{USA}}||[[モナコ]]||[[2022年]]8月10日
|-
|10||19秒47||style="text-align:right"|+1.6||[[ノア・ライルズ]]||{{USA}}||[[ロンドン]]||[[2023年]]7月23日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref name="IAAF-W">[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/women/senior 200m women senior outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒34||style="text-align:right"|+1.3||[[フローレンス・グリフィス=ジョイナー]]||{{USA}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]]9月29日
|-
|2||21秒41||style="text-align:right"|+0.1|||[[シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||[[ブダペスト]]||[[2023年]]8月25日
|-
|3||21秒45||style="text-align:right"|+0.6|||[[シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]7月22日
|-
|4||21秒53||style="text-align:right"|+0.8||[[エレーン・トンプソン]]||{{JAM}}||東京||[[2021年]]8月3日
|-
|5||21秒55||±0.0||[[シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]||[[2022年]]6月26日
|-
|6||21秒56||style="text-align:right"|+1.7||フローレンス・グリフィス=ジョイナー||{{USA}}||ソウル||[[1988年]]9月29日
|-
|7||21秒57||style="text-align:right"|+0.3||[[シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||ユージーン||[[2023年]]9月17日
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|8||21秒60||style="text-align:right"|-0.4||[[:en:Gabrielle Thomas|ギャビー・トーマス]]||{{USA}}||ユージーン||[[2023年]]7月9日
|-
|9||21秒61||style="text-align:right"|+1.3||ギャビー・トーマス||{{USA}}||ユージーン||[[2021年]]6月26日
|-
|10||21秒62A||style="text-align:right"|-0.6||[[マリオン・ジョーンズ]]||{{USA}}||[[ヨハネスブルグ]]||[[1998年]]9月11日
|-
|}
=== 抹消された主な記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
!抹消理由!!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|ドーピング違反||19秒74||style="text-align:right"|+1.6||[[タイソン・ゲイ]]||{{USA}}||[[デモイン (アイオワ州)|デモイン]]||[[2013年]]6月23日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
!抹消理由!!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|ドーピング違反||21秒84||style="text-align:right"|+0.7||[[マリオン・ジョーンズ]]||{{USA}}||[[シドニー]]||[[2000年]]9月28日
|-
|}
== エリア記録 ==
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/200-metres/outdoor/men 200m men records by discipline] - IAAF</ref>
!エリア!!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||19秒50||style="text-align:right"|+1.6||[[レツィレ・テボゴ]]||{{BWA}}||[[ロンドン]]||[[2023年]]7月23日
|-
|[[アジア]]||19秒88||style="text-align:right"|+0.9||[[謝震業]]||{{CHN}}||[[ロンドン]]||[[2019年]]7月21日
|-
|[[ヨーロッパ]]||19秒72A||style="text-align:right"|+1.8||[[ピエトロ・メンネア]]||{{ITA}}||[[メキシコシティ]]||[[1979年]]9月12日
|-
|[[北中米カリブ陸上競技連盟|北中米カリブ]]||19秒19||style="text-align:right"|-0.3||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[ベルリン]]||[[2009年]]8月20日
|-
|[[南アメリカ]]||19秒81||style="text-align:right"|-0.3||[[アロンソ・エドワード]]||{{PAN}}||ベルリン||[[2009年]]8月20日
|-
|[[オセアニア]]||20秒06||style="text-align:right"|±0.0||[[ピーター・ノーマン]]||{{AUS}}||メキシコシティ||[[1968年]]10月15日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/200-metres/outdoor/women 200m women records by discipline] - IAAF</ref>
!エリア!!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||21秒78||style="text-align:right"|+0.6||[[クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||[[チューリッヒ]]||[[2021年]]9月9日
|-
|[[アジア]]||22秒01||style="text-align:right"|±0.0||[[李雪梅]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]]10月22日
|-
|[[ヨーロッパ]]||21秒63||style="text-align:right"|+0.2||[[ダフネ・シパーズ]]||{{NED}}||[[北京]]||[[2015年]]8月28日
|-
|[[北中米カリブ陸上競技連盟|北中米カリブ]]||21秒34||style="text-align:right"|+1.3||[[フローレンス・グリフィス=ジョイナー]]||{{USA}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]]9月29日
|-
|[[南アメリカ]]||22秒47||style="text-align:right"|+1.7||[[ヴィトーリア・クリスチナ・ホーザ]]||{{BRA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]]7月19日
|-
|[[オセアニア]]||22秒23||style="text-align:right"|+0.8||{{仮リンク|メリンダ・ゲインズフォード=テイラー|en|Melinda Gainsford-Taylor}}||{{AUS}}||シュトゥットガルト||[[1997年]]7月13日
|}
=== アフリカ記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代10傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒50||style="text-align:right"|+1.6||[[レツィレ・テボゴ]]||{{BOT}}||[[ロンドン]]||[[2023年]]7月23日
|-
|2||19秒68||style="text-align:right"|+0.4||[[フランク・フレデリクス]]||{{NAM}}||[[アトランタ]]||[[1996年]]8月1日
|-
|3||19秒69A||style="text-align:right"|-0.5||{{仮リンク|クラレンス・ムンヤイ|en|Clarence Munyai}}||{{RSA}}||[[プレトリア]]||[[2018年]]3月16日
|-
|4||19秒73||style="text-align:right"|+0.8||{{仮リンク|Divine Oduduru|en|Divine Oduduru}}||{{NGR}}||[[オースティン]]||[[2019年]]6月7日
|-
|5||19秒76||style="text-align:right"|+0.6||[[ウドディ・オヌズーリケ]]||{{NGR}}||[[オースティン]]||[[2023年]]6月7日
|-
|6||19秒77||style="text-align:right"|±0.0||[[アイザック・マクワラ]]||{{BOT}}||[[マドリード]]||[[2017年]]7月14日
|-
|7||19秒79||style="text-align:right"|+1.3||[[James DADZIE]]||{{GHA}}||[[ラボック]]||[[2023年]]4月29日
|-
|8||19秒82||style="text-align:right"|+0.6||[[ルクソロ・アダムズ]]||{{RSA}}||[[パリ]]||[[2022年]]6月18日
|-
|9||19秒83||style="text-align:right"|+1.6||[[ジョゼフ・ファーンブレ]]||{{LBR}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]6月10日
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|19秒84||style="text-align:right"|+1.7||[[フランシス・オビクウェル]]||{{NGR}}||[[セビリア]]||[[1999年]]8月25日
|-
|style="text-align:right"|+1.2||[[ウェイド・バン・ニーキルク]]||{{RSA}}||[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]||[[2017年]]6月10日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒78||style="text-align:right"|+0.6||[[クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||[[チューリッヒ]]||[[2021年]]9月9日
|-
|2||21秒96||style="text-align:right"|+1.3||[[フェイバー・オフィリ]]||{{NGR}}||[[フロリダ]]||[[2022年]]4月15日
|-
|3||21秒98||style="text-align:right"|+1.1||[[アミナトウ・セイニ]]||{{NER}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]7月18日
|-
|4||22秒04||style="text-align:right"|+0.5||[[ブレッシング・オカグバレ]]||{{NGR}}||[[アビリーン (テキサス州)|アビリーン]]||[[2018年]]3月24日
|-
|5||22秒06||style="text-align:right"|+0.7||Evette DE KLERK||{{RSA}}||[[ポロクワネ]]||[[1989年]]4月8日
|}
=== アジア記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代10傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒88||style="text-align:right"|+0.9||[[謝震業]]||{{CHN}}||[[ロンドン]]||[[2019年]]7月21日
|-
|2||19秒97||style="text-align:right"|-0.4||[[フェミ・オグノデ]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2015年]]9月11日
|-
|3||20秒03||style="text-align:right"|+0.6||[[末續慎吾]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2003年]]6月7日
|-
|4||20秒04||style="text-align:right"|+1.1||[[ラミル・グリエフ]]||{{AZE}}||[[ベオグラード]]||[[2009年]]7月10日
|-
|5||20秒08||style="text-align:right"|+0.8||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||{{JPN}}||[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]||[[2019年]]6月7日
|-
|6||20秒11||style="text-align:right"|+1.8||[[飯塚翔太]]||{{JPN}}||[[名古屋市|名古屋]]||[[2016年]]6月26日
|-
|7||20秒13||style="text-align:right"|+0.6||[[藤光謙司]]||{{JPN}}||[[ルツェルン]]||[[2015年]]7月14日
|-
|8||20秒14||style="text-align:right"|+1.0||[[高瀬慧]]||{{JPN}}||[[熊谷市|熊谷]]||[[2015年]]5月17日
|-
|9||20秒16||style="text-align:right"|+1.9||[[伊東浩司]]||{{JPN}}||[[熊本市|熊本]]||[[1998年]]10月2日
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|20秒19||style="text-align:right"|+0.3||[[サリム・イード・ヤクーブ]]||{{BHR}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]]8月16日
|-
|style="text-align:right"|+1.7||[[プリポールブーンソン]]||{{THA}}||[[アルマイト]]||[[2022年]]6月26日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代10傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒01||style="text-align:right"|±0.0||[[李雪梅]]||{{CHN}}||[[上海]]||[[1997年]]10月22日
|-
|2||22秒27||style="text-align:right"|+1.2||Elvira Barbashina||{{UZB}}||[[モスクワ]]||[[1986年]]7月8日*
|-
|3||22秒28||style="text-align:right"|+0.7||[[スサンティカ・ジャヤシンゲ]]||{{SRI}}||[[シドニー]]||[[2000年]]9月28日
|-
|4||22秒36||style="text-align:right"|±0.0||{{仮リンク|劉暁梅|en|Liu Xiaomei (athlete)}}||{{CHN}}||上海||[[1997年]]10月22日
|-
|5||22秒43||style="text-align:right"|+0.9||[[エディディオン・オディオン]]||{{BHR}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]6月9日
|-
|6||22秒48||style="text-align:right"|+0.1||{{enlink|Damayanthi Dharsha|p=off|s=off}}||{{SRI}}||[[バンコク]]||[[1998年]]12月18日
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|22秒51||style="text-align:right"|+1.9||[[サルワ・エイド・ナセル]]||{{BHR}}||[[カリフォルニア]]||[[2019年]]6月30日
|-
|style="text-align:right"|±0.0||[[ダナー・アブドゥルラザク]]||{{Flagicon|IRQ}}[[イラク]]||[[ラデス]]||[[2021年]]2月20日
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|22秒56||style="text-align:right"|-0.3||[[王恵珍]]||{{TPE}}||[[宜蘭市|宜蘭]]||[[1992年]]10月30日
|-
|style="text-align:right"|-2.1||{{仮リンク|陳兆静|en|Chen Zhaojing}}||{{CHN}}||[[北京]]||[[1993年]]9月13日
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
=== ヨーロッパ記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代10傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒72A||style="text-align:right"|+1.8||[[ピエトロ・メンネア]]||{{ITA}}||[[メキシコシティ]]||[[1979年]][[9月12日]]
|-
|2||19秒73||style="text-align:right"|+1.6||[[ツァーネル・ヒューズ]]||{{GBR}}||[[ロンドン]]||[[2023年]][[7月23日]]
|-
|3||19秒76||style="text-align:right"|+0.7||[[ラミル・グリエフ]]||{{TUR}}||[[ベルリン]]||[[2018年]][[8月9日]]
|-
|4||19秒80||style="text-align:right"|+0.8||[[クリストフ・ルメートル]]||{{FRA}}||[[大邱広域市|大邱]]||[[2011年]][[9月3日]]
|-
|5||19秒81||style="text-align:right"|+0.4||[[チュランディ・マルティナ]]||{{NED}}||[[ローザンヌ]]||[[2016年]][[8月25日]]
|-
|6||19秒85||style="text-align:right"|-0.5||[[コンスタンティノス・ケンテリス]]||{{GRE}}||[[ミュンヘン]]||[[2002年]][[8月9日]]
|-
|7||19秒87A||style="text-align:right"|+1.8||[[ジョン・レジス]]||{{GBR}}||[[セストリエーレ]]||[[1994年]][[7月31日]]
|-
|8||19秒89||style="text-align:right"|+1.3||[[ジェイスマ・サイディ・ンドゥレ]]||{{NOR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[2007年]][[9月23日]]
|-
|9||19秒95||style="text-align:right"|+0.4||[[ネサニエル・ミッチェル=ブレーク]]||{{GBR}}||[[タスカルーサ (アラバマ州)|タスカルーサ]]||[[2016年]][[5月14日]]
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|19秒97||style="text-align:right"|+0.8||[[アダム・ジェミリ]]||{{GBR}}||[[ブリュッセル]]||[[2016年]][[9月9日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.2||[[ミカエルメバ・ゼゼ]]||{{FRA}}||[[ラ・ショー・ド・フォン]]||[[2022年]][[7月3日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒63||style="text-align:right"|+0.2||[[ダフネ・シパーズ]]||{{NED}}||[[北京]]||[[2015年]][[8月28日]]
|-
|rowspan=2|2||rowspan=2|21秒71||style="text-align:right"|+0.7<br>+0.3|||[[マリタ・コッホ]]||{{GDR}}||[[カール=マルクス=シュタット]]<br>[[ポツダム]]||[[1979年]][[6月10日]]<br>[[1984年]][[7月21日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.2<br>-0.8||[[ハイケ・ドレクスラー]]||{{GDR}}||[[イェーナ]]<br>[[シュトゥットガルト]]||[[1986年]][[6月29日]]<br>[[1986年]][[8月29日]]
|-
|rowspan=2|4||rowspan=2|21秒74||style="text-align:right"|+0.4||[[マルリース・ゲール]]||{{GDR}}||[[エアフルト]]||[[1984年]][[6月3日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.2||[[ジルケ・グラディッシュ=メラー]]||{{GDR}}||[[ローマ]]||[[1987年]][[9月3日]]
|}
=== 北中米カリブ記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒19||style="text-align:right"|-0.3||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[ベルリン]]||[[2009年]]8月20日
|-
|2||19秒26||style="text-align:right"|+0.7||[[ヨハン・ブレーク]]||{{JAM}}||[[ブリュッセル]]||[[2011年]]9月16日
|-
|3||19秒31||style="text-align:right"|+0.4||[[ノア・ライルズ]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]7月22日
|-
|4||19秒32||style="text-align:right"|+0.4||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[アトランタ]]||[[1996年]]8月1日
|-
|5||19秒49||style="text-align:right"|+1.4||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[バトンルージュ (ルイジアナ州)|バトンルージュ]]||[[2022年]]4月30日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒34||style="text-align:right"|+1.3||[[フローレンス・グリフィス=ジョイナー]]||{{USA}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]]9月29日
|-
|2||21秒45||style="text-align:right"|+0.6||[[シェリカ・ジャクソン]]||{{JAM}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]]7月27日
|-
|3||21秒53||style="text-align:right"|+0.8||[[エレーン・トンプソン]]||{{JAM}}||[[東京]]||[[2021年]]8月3日
|-
|4||21秒61||style="text-align:right"|+1.3||[[:en:Gabrielle Thomas|ギャビー・トーマス]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]]6月26日
|-
|5||21秒62A||style="text-align:right"|-0.6||[[マリオン・ジョーンズ]]||{{USA}}||[[ヨハネスブルグ]]||[[1998年]]9月11日
|}
=== 南アメリカ記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒81||style="text-align:right"|-0.3||[[アロンソ・エドワード]]||{{PAN}}||[[ベルリン]]||[[2009年]]8月20日
|-
|2||19秒87||style="text-align:right"|-0.1||[[アレックス・キニョネス]]||{{ECU}}||[[ローザンヌ]]||[[2019年]]6月5日
|-
|3||19秒89||style="text-align:right"|-0.8||[[クラウディネイ・ダ・シルバ]]||{{BRA}}||[[ミュンヘン]]||[[1999年]]9月11日
|-
|4||19秒96||style="text-align:right"|+0.4||[[ロブソン・ダ・シルバ]]||{{BRA}}||[[ブリュッセル]]||[[1989年]]8月25日
|-
|5||19秒97||style="text-align:right"|+1.3||[[Issamade ASINGA]]||{{SUR}}||[[ラボック]]||[[2023年]]4月29日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒47||style="text-align:right"|+1.4||[[ヴィトーリア・クリスチナ・ホーザ]]||{{BRA}}||[[ユージーン]]||[[2022年]]7月19日
|-
|2||22秒48||style="text-align:right"|+1.0||{{仮リンク|アナ・クラウディア・レモス|en|Ana Cláudia Lemos}}||{{BRA}}||[[サンパウロ]]||[[2011年]]8月6日
|-
|3||22秒53||style="text-align:right"|+0.1||{{enlink|Nercely Soto|p=off|s=off}}||{{VEN}}||[[カラカス]]||[[2012年]]5月12日
|-
|4
|22秒59
| +1.8
|[[Lorraine MARTINS]]
|{{BRA}}
|[[クイアバ]]
|[[2023年]]7月9日
|-
|5||22秒60A|| style="text-align:right" |+1.6||{{仮リンク|ルシマール・アパレシダ・デモーラ|en|Lucimar de Moura}}||{{BRA}}||[[ボゴタ]]||[[1999年]]6月26日
|}
=== オセアニア記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||20秒06A||style="text-align:right"|±0.0||[[ピーター・ノーマン]]||{{AUS}}||[[メキシコシティ]]||[[1968年]]10月15日
|-
|2||20秒18||style="text-align:right"|+0.3||{{仮リンク|ディーン・カポビアンコ|en|Dean Capobianco}}||{{AUS}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1993年]]8月20日
|-
|3||20秒19||style="text-align:right"|+1.6||John Dinan||{{AUS}}||[[キャンベラ]]||[[1986年]]3月6日
|-
|4||20秒30||style="text-align:right"|+1.8||{{enlink|Steve Brimacombe|p=off|s=off}}||{{AUS}}||[[ブリスベン]]||[[1996年]]2月17日
|-
|5||20秒31||style="text-align:right"|-0.4||[[ジェレミー・ドッドソン]]||{{SAM}}||[[北京市|北京]]||[[2015年]]8月25日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒23||style="text-align:right"|+0.8||{{仮リンク|メリンダ・ゲインズフォード=テイラー|en|Melinda Gainsford-Taylor}}||{{AUS}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1997年]]7月13日
|-
|2||22秒25||style="text-align:right"|+1.3||[[キャシー・フリーマン]]||{{AUS}}||[[ビクトリア (ブリティッシュコロンビア州)|ビクトリア]]||[[1994年]]8月26日
|-
|3||22秒35||style="text-align:right"|+1.8||{{仮リンク|デニス・ロバートソン=ボイド|en|Denise Boyd}}||{{AUS}}||[[シドニー]]||[[1980年]]3月23日
|-
|4||22秒45||style="text-align:right"|+1.1||[[レリーン・ボイル]]||{{AUS}}||[[ミュンヘン]]||[[1972年]]9月7日
|-
|5||22秒50||style="text-align:right"|+0.1||{{仮リンク|エラ・ネルソン|en|Ella Nelson}}||{{AUS}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]]8月16日
|}
== エイジ記録 ==
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref name="Age">{{PDFlink|[http://iaaf-ebooks.s3.amazonaws.com/Moscow-2013-Statistics/sources/projet/IAAF-Moscow.pdf WORLD AND CONTINENTAL RECORDS] 2013 IAAF World Championships in Moscow statistics book|32.8 [[メガバイト|MB]]}} 2013年12月12日閲覧</ref><ref>[http://www.world-masters-athletics.org/records/outdoor-men Records Outdoor Men] - [[世界マスターズ陸上競技協会|WMA]]</ref>
!記録!!タイム!!風速!!名前!!所属!!年齢!!場所!!日付
|-
|U18世界最高記録||19秒84||style="text-align:right"|+0.3||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||17歳||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|U20世界記録||19秒49||style="text-align:right"|+1.4||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||18歳||[[バトンルージュ (ルイジアナ州)|バトンルージュ]]||[[2022年]][[4月30日]]
|-
|35歳以上世界最高記録||20秒05A||style="text-align:right"|+2.0||[[アイザック・マクワラ]]||{{BOT}}||35歳||[[ナイロビ]]||[[2021年]][[9月18日]]
|-
|rowspan=2|40歳以上世界最高記録||rowspan=2|20秒64||style="text-align:right"|+1.3||rowspan=2|[[トロイ・ダグラス]]||rowspan=2|{{NED}}||rowspan=2|40歳||[[ユトレヒト]]||[[2003年]][[8月9日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.7||[[パリ]]||[[2003年]]8月27日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref name="Age" /><ref>[http://www.world-masters-athletics.org/records/outdoor-women Records Outdoor Women] - [[世界マスターズ陸上競技協会|WMA]]</ref>
!記録!!タイム!!風速!!名前!!所属!!年齢!!場所!!日付
|-
|U18世界最高記録||22秒42||style="text-align:right"|+1.7||[[エイミー・ハント]]||{{GBR}}||17歳||[[マンハイム]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|U20世界記録||21秒78||style="text-align:right"|+0.6||[[クリスティン・エムボマ|クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||18歳||[[東京|チューリッヒ]]||[[2021年]][[8月3日|9月9日]]
|-
|35歳以上世界最高記録||21秒81||style="text-align:right"|+0.6||[[シェリー=アン・フレーザー=プライス]]||{{JAM}}||35歳||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月21日]]
|-
|40歳以上世界最高記録||22秒72||style="text-align:right"|+1.4||マリーン・オッティ||{{SLO}}||44歳||[[アテネ]]||[[2004年]][[8月23日]]
|}
*薬物検査が行われなかったのでジュニア世界記録として公認されていない<ref>[http://www.tbs.co.jp/seriku/2005/pn/athletes/allyson-f.html 出場選手紹介 アリソン・フェリックス] - TBSヘルシンキ世界陸上ページ</ref>
== U20世界記録 ==
=== 歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒49||style="text-align:right"|+1.4||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[バトンルージュ (ルイジアナ州)|バトンルージュ]]||[[2022年]][[4月30日]]
|-
|2||19秒93||style="text-align:right"|+1.4||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[デヴォンシャー (バミューダ諸島)|デヴォンシャー]]||[[2004年]][[4月11日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|19秒96||style="text-align:right"|-1.0||[[Blessing Akwasi AFRIFAH]]||{{ISR}}||[[カリ]]||[[2022年]][[8月4日]]
|-
|style="text-align:right"|-1.0||[[レツィレ・テボゴ]]||{{BOT}}||[[カリ]]||[[2022年]][[8月4日]]
|-
|5||19秒97||style="text-align:right"|+1.3||[[Issamade ASINGA]]||{{SUR}}||[[ラボック (テキサス州)|ラボック]]||[[2023年]][[4月29日]]
|-
|6||20秒04||style="text-align:right"|+0.1||[[ラミル・グリエフ]]||{{AZE}}||[[ベオグラード]]||[[2009年]][[7月10日]]
|-
|7||20秒07||style="text-align:right"|+1.5||{{仮リンク|ローレンゾ・ダニエル|en|Lorenzo Daniel}}||{{USA}}||[[スタークビル (ミシシッピ州)|スタークビル]]||[[1985年]][[5月18日]]
|-
|8||20秒08||style="text-align:right"|+0.1||[[ウドディ・オヌズーリケ]]||{{NGR}}||[[ファイエットビル]]||[[2022年]][[5月27日]]
|-
|9||20秒09||style="text-align:right"|+1.6||[[ノア・ライルズ]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2016年]][[7月9日]]
|-
|10||20秒10A||style="text-align:right"|+1.7||{{仮リンク|クラレンス・ムンヤイ|en|Clarence Munyai}}||{{RSA}}||[[プレトリア]]||[[2017年]][[3月4日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒78||style="text-align:right"|+0.6||[[クリスティン・エムボマ|クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||[[東京|チューリッヒ]]||[[2021年]][[9月9日]]
|-
|2||22秒17||style="text-align:right"|+1.3||[[シャカリ・リチャードソン]]||{{USA}}||[[オースティン]]||[[2019年]][[6月8日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|22秒18||style="text-align:right"|+0.8||[[アリソン・フェリックス]]||{{USA}}||[[アテネ]]||[[2004年]][[8月25日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.1||[[ベアトリス・マシリンギ]]||{{NAM}}||[[ナミビア]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|5||22秒19||style="text-align:right"|+1.5||[[ナタリア・ボチナ]]||{{URS}}||[[モスクワ]]||[[1980年]][[7月30日]]
|-
|6||22秒21||style="text-align:right"|+1.1||[[フェイバー・オフィリ]]||{{NGA}}||[[ナミビア]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|7||22秒37||style="text-align:right"|+1.3||{{仮リンク|ザビーネ・ギュンター|en|Sabine Günther}}||{{DDR}}||[[コトブス]]||[[1982年]][[6月26日]]
|-
|8||22秒39||style="text-align:right"|+1.5||{{仮リンク|シドニー・マクローリン|en|Sydney McLaughlin}}||{{USA}}||[[ゲインズビル (フロリダ州)|ゲインズビル]]||[[2018年]][[3月29日]]
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|22秒42||style="text-align:right"|+0.4||{{仮リンク|ゲジーネ・ヴァルター|en|Gesine Walther}}||{{DDR}}||[[ポツダム]]||[[1981年]][[8月29日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.7||[[エイミー・ハント]]||{{GBR}}||[[マンハイム]]||[[2019年]][[6月30日]]
|}
=== 歴代パフォーマンス10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/men/junior 200m men junior outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒49||style="text-align:right"|+1.4||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[バトンルージュ (ルイジアナ州)|バトンルージュ]]||[[2022年]][[4月30日]]
|-
|2||19秒69||style="text-align:right"|-0.3||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[6月26日]]
|-
|3||19秒72||style="text-align:right"|-0.1||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||ユージーン||[[2023年]][[7月9日]]
|-
|rowspan="2"|4||rowspan="2"|19秒77||style="text-align:right"|+0.3||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||ユージーン||[[2022年]][[7月19日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.6||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[オスロ]]||[[2023年]][[6月15日]]
|-
|6||19秒80||style="text-align:right"|+0.4||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||ユージーン||[[2022年]][[7月21日]]
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|19秒84||style="text-align:right"|+0.3||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||ユージーン||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.8||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[モナコ]]||[[2022年]][[8月10日]]
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|19秒88||style="text-align:right"|+1.1||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||ユージーン||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.8||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[セーケシュフェヘールバール]]||[[2022年]][[8月8日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/women/junior 200m women junior outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒78||style="text-align:right"|+0.6||[[クリスティン・エムボマ|クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||[[チューリッヒ]]||[[2021年]][[9月9日]]
|-
|2||21秒81||style="text-align:right"|+0.8||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|21秒84||style="text-align:right"|+1.1||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[ナイロビ]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.4||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[ブリュッセル]]||[[2021年]][[9月4日]]
|-
|5||21秒87||style="text-align:right"|+0.6||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[ハボローネ]]||[[2022年]][[4月30日]]
|-
|6||21秒97||style="text-align:right"|+0.3||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||東京||[[2021年]][[8月2日]]
|-
|7||22秒04||style="text-align:right"|+0.3||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[ザグレブ]]||[[2021年]][[9月14日]]
|-
|8||22秒11A||style="text-align:right"|-0.5||[[アリソン・フェリックス]]||{{USA}}||[[メキシコシティ]]||[[2003年]][[5月3日]]
|-
|9||22秒11||style="text-align:right"|+0.7||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||東京||[[2021年]][[8月2日]]
|-
|10||22秒12||style="text-align:right"|±.0.||クリスティン・ムボマ||{{NAM}}||[[アラバマ]]||[[2022年]][[3月22日]]
|}
=== ユース世界最高記録 ===
==== 歴代5傑 ====
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒84||style="text-align:right"|+0.3||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|2||20秒13||style="text-align:right"|±0.0||[[ウサイン・ボルト]]||{{JAM}}||[[ブリッジタウン]]||[[2003年]][[7月20日]]
|-
|3||20秒19||style="text-align:right"|+1.7||[[プリポールブーンソン]]||{{THA}}||[[アルマイト]]||[[2022年]][[6月26日]]
|-
||4||20秒34||style="text-align:right"|-0.4||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||{{JPN}}||[[サンティアゴ・デ・カリ]]||[[2015年]][[7月19日]]
|-
|rowspan="2"|5||rowspan="2"|20秒37||style="text-align:right"|+1.6||[[ダブリャン・ブラントン]]||{{USA}}||[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]||[[2001年]][[5月12日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.9||{{enlink|Thomas Somers (athlete)|Thomas Somers|p=off|s=off}}||{{GBR}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2014年]][[7月24日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒42||style="text-align:right"|+1.7||[[エイミー・ハント]]||{{GBR}}||[[マンハイム]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|2||22秒43||style="text-align:right"|-0.7||[[キャンダス・ヒル]]||{{USA}}||[[サンティアゴ・デ・カリ]]||[[2015年]][[7月19日]]
|-
|3||22秒47||style="text-align:right"|+0.4||[[ケイリン・ホイットニー]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2015年]][[6月28日]]
|-
|4||22秒48||style="text-align:right"|+1.9||[[タマリ・デイヴィス]]||{{USA}}||[[ジャクソンビル]]||[[2018年]][[5月5日]]
|-
|5||22秒50||style="text-align:right"|-0.1||[[ブリアナ・ウィリアムズ]]||{{JAM}}||[[タンペレ]]||[[2018年]][[6月14日]]
|-
|}
==== 歴代パフォーマンス5傑 ====
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/men/youth 200m men youth outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒84||style="text-align:right"|+0.3||[[エリヨン・ナイトン]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|2||19秒88||style="text-align:right"|+1.1||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|3||19秒93||style="text-align:right"|-0.5||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月5日]]
|-
|4||20秒02||style="text-align:right"|-0.2||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|5||20秒04||style="text-align:right"|-0.2||エリヨン・ナイトン||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/outdoor/women/youth 200m women youth outdoor All time best] - IAAF</ref>
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒42||style="text-align:right"|+1.7||[[エイミー・ハント]]||{{GBR}}||[[マンハイム]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|2||22秒43||style="text-align:right"|-0.7||[[キャンダス・ヒル]]||{{USA}}||[[サンティアゴ・デ・カリ]]||[[2015年]][[7月19日]]
|-
|3||22秒47||style="text-align:right"|+0.4||[[ケイリン・ホイットニー]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2015年]][[6月28日]]
|-
|rowspan="2"|5||rowspan="2"|22秒49||style="text-align:right"|+1.3||ケイリン・ホイットニー||{{USA}}||ユージーン||[[2014年]][[7月6日]]
|-
|style="text-align:right"|-0.1||ケイリン・ホイットニー||{{USA}}||ユージーン||[[2015年]][[6月28日]]
|}
== 日本記録 ==
=== 日本歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||20秒03||style="text-align:right"|+0.6||[[末續慎吾]]||[[ミズノ]]||[[横浜市|横浜]]||[[2003年]]6月7日
|-
|2||20秒08||style="text-align:right"|+0.8||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[フロリダ大学]]||[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]||[[2019年]]6月7日
|-
|3||20秒11||style="text-align:right"|+1.8||[[飯塚翔太]]||[[ミズノ]]||[[名古屋]]||[[2016年]]6月26日
|-
|4||20秒13||style="text-align:right"|+0.6||[[藤光謙司]]||[[ゼンリン]]||[[ルツェルン]]||[[2015年]]7月14日
|-
|5||20秒14||style="text-align:right"|+1.0||[[高瀬慧]]||[[富士通]]||[[熊谷市|熊谷]]||[[2015年]]5月17日
|-
|6||20秒16||style="text-align:right"|+1.9||[[伊東浩司]]||[[富士通]]||[[熊本市|熊本]]||[[1998年]]10月2日
|-
|7||20秒22||style="text-align:right"|+1.3||[[高平慎士]]||[[富士通]]||[[広島市|広島]]||[[2009年]]6月26日
|-
|rowspan="2"|8||rowspan="2"|20秒23||style="text-align:right"|+0.7||[[小池祐貴]]||[[全日本空輸]]||[[ジャカルタ]]||[[2018年]]8月29日
|-
|style="text-align:right"|-0.4||[[鵜澤飛羽]]||[[筑波大学]]||[[バンコク]]||[[2023年]]7月16日
|-
|10||20秒26||style="text-align:right"|+1.0||[[上山紘輝]]||[[住友電工]]||[[アメリカ|オレゴン]]||[[2022年]]7月18日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
||1||22秒88||style="text-align:right"|+1.8||[[福島千里]]||[[北海道ハイテクノロジー専門学校|北海道ハイテク]]AC||[[名古屋]]||[[2016年]]6月26日
|-
||2||23秒15||style="text-align:right"|+1.5||[[高橋萌木子]]||[[平成国際大学]]||[[袋井市|袋井]]||[[2009年]]5月3日
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|23秒17||style="text-align:right"|-0.1||[[鶴田玲美]]||[[南九州ファミリーマート]]||[[新潟スタジアム|新潟]]||[[2020年]]10月3日
|-
|style="text-align:right"|±0.0||[[君嶋愛梨沙]]||土木管理総合試験所||[[ヤンマースタジアム長居|長居]]||[[2023年]]6月4日
|-
||5||23秒33||style="text-align:right"|+0.4||[[信岡沙希重]]||[[ミズノ]]||[[鳥取市|鳥取]]||[[2004年]]6月6日
|-
||6||23秒35||style="text-align:right"|+0.4||[[渡辺真弓]]||[[東邦銀行]]||[[袋井]]||[[2013年]]5月3日
|-
||7||23秒39||style="text-align:right"|-0.2||[[市川華菜]]||[[ミズノ]]||[[大阪市|大阪]]||[[2017年]]6月24日
|-
|8||23秒41||style="text-align:right"|-1.0||[[兒玉芽生]]||[[福岡大学]]||[[岐阜]]||[[2022年]]9月25日
|-
|9||23秒44||style="text-align:right"|-0.2||[[青野朱李]]||[[山梨学院大学]]||[[京都]]||[[2022年]]9月11日
|-
|10||23秒45||style="text-align:right"|+0.9||[[齋藤愛美]]||[[倉敷中央高等学校]]||[[愛知]]||[[2016年]]10月23日
|}
=== 日本歴代パフォーマンス10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||20秒03||style="text-align:right"|+0.6||[[末續慎吾]]||[[ミズノ]]||横浜||[[2003年]]6月7日
|-
|2||20秒08||style="text-align:right"|+0.8||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[フロリダ大学]]||[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]||[[2019年]]6月7日
|-
|3||20秒11||style="text-align:right"|+1.8||[[飯塚翔太]]||[[ミズノ]]||[[名古屋市瑞穂公園陸上競技場|名古屋]]||[[2016年]]6月26日
|-
|rowspan="2"|4||rowspan="2"|20秒13||style="text-align:right"|+0.6||[[藤光謙司]]||[[ゼンリン]]||[[ルツェルン]]||[[2015年]]7月14日
|-
|style="text-align:right"|+1.1||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[フロリダ大学]]||[[ジャクソンビル (フロリダ州)|ジャクソンビル]]||[[2019年]]5月25日
|-
||6||20秒14||style="text-align:right"|+1.0||[[高瀬慧]]||[[富士通]]||[[熊谷市|熊谷]]||[[2015年]]5月17日
|-
||7||20秒16||style="text-align:right"|+1.9||[[伊東浩司]]||[[富士通]]||[[熊本市|熊本]]||[[1998年]]10月2日
|-
||8||20秒20||style="text-align:right"|+1.2||[[末續慎吾]]||[[ミズノ]]||[[大阪市|大阪]]||[[2007年]]6月30日
|-
||9||20秒21||style="text-align:right"|+1.4||[[飯塚翔太]]||[[中央大学]]||[[袋井]]||[[2013年]]5月3日
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|20秒22||style="text-align:right"|±0.0||[[末續慎吾]]||[[ミズノ]]||[[パリ]]||[[2003年]]8月28日
|-
|style="text-align:right"|+1.3||[[高平慎士]]||[[富士通]]||[[広島市|広島]]||[[2009年]]6月26日
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||22秒88||style="text-align:right"|+1.8||[[福島千里]]||[[北海道ハイテクノロジー専門学校|北海道ハイテク]]AC||[[名古屋市瑞穂公園陸上競技場|名古屋]]||[[2016年]]6月26日
|-
|2||22秒89||style="text-align:right"|-0.2||福島千里||北海道ハイテクAC||[[袋井市|袋井]]||[[2010年]]5月3日
|-
|3||23秒00||style="text-align:right"|+1.7||福島千里||北海道ハイテクAC||[[広島市|広島]]||[[2009年]]6月26日
|-
|4||23秒11||style="text-align:right"|+1.0||福島千里||北海道ハイテクAC||[[川崎市|川崎]]||[[2015年]]5月10日
|-
|5||23秒12||style="text-align:right"|±0.0||福島千里||北海道ハイテクAC||袋井||[[2012年]]5月3日
|-
|rowspan="2"|6||rowspan="2"|23秒13||style="text-align:right"|+1.4||福島千里||北海道ハイテクAC||[[ルツェルン]]||[[2016年]]6月14日
|-
|style="text-align:right"|-0.7||福島千里||北海道ハイテクAC||袋井||[[2011年]]5月3日
|-
|8||23秒14||style="text-align:right"|+1.5||福島千里||北海道ハイテクAC||袋井||[[2009年]]5月3日
|-
|9||23秒15||style="text-align:right"|+1.5||[[高橋萌木子]]||[[平成国際大学]]||袋井||[[2009年]]5月3日
|-
|rowspan="3"|10||rowspan="3"|23秒17||style="text-align:right"|-0.2||高橋萌木子||平成国際大学||袋井||[[2010年]]5月3日
|-
|style="text-align:right"|-0.1||鶴田玲美||南九州ファミリーマート||新潟||[[2020年]]10月3日
|-
|style="text-align:right"|±0.0||君嶋愛梨沙||土木管理総合試験所||[[ヤンマースタジアム長居|長居]]||[[2023年]]6月4日
|}
=== 学生歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||20秒08||style="text-align:right"|+0.8||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[フロリダ大学]]||[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]||[[2019年]]6月8日
|-
|2||20秒21||style="text-align:right"|+1.4||[[飯塚翔太]]||[[中央大学]]||[[袋井]]||[[2013年]]5月3日
|-
|3||20秒23||style="text-align:right"|-0.4||鵜澤飛羽||[[筑波大学]]||[[バンコク]]||[[2023年]]7月16日
|-
|4||20秒26||style="text-align:right"|-0.9||[[末續慎吾]]||[[東海大学]]||横浜||[[2000年]]9月9日
|-
|5||20秒29||style="text-align:right"|+0.6||[[大前祐介]]||[[早稲田大学]]||[[松本市|松本]]||[[2001年]]6月30日
|-
|rowspan="3"|6||rowspan="3"|20秒35||style="text-align:right"|+1.2||[[高平慎士]]||[[順天堂大学]]||横浜||[[2006年]]5月21日
|-
|style="text-align:right"|+1.2||[[塚原直貴]]||東海大学||横浜||[[2006年]]5月21日
|-
|style="text-align:right"|-0.3||[[橋元晃志]]||早稲田大学||[[袋井]]||[[2013年]]5月3日
|-
|9||20秒40||style="text-align:right"|+0.8||山下潤||[[筑波大学]]||[[福井市|福井]]||[[2019年]]8月17日
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|20秒41||style="text-align:right"|-0.5||[[山縣亮太]]||[[慶応義塾大学]]||東京||[[2013年]]5月26日
|-
|style="text-align:right"|±0.0||[[原翔太]]||[[上武大学]]||横浜||[[2014年]]5月25日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||23秒15||style="text-align:right"|+1.5||[[高橋萌木子]]||[[平成国際大学]]||[[袋井]]||[[2009年]]5月3日
|-
|rowspan="2"|2||rowspan="2"|23秒44||style="text-align:right"|-0.1||[[兒玉芽生]]||[[福岡大学]]||[[新潟市|新潟]]||[[2020年]]10月3日
|-
|style="text-align:right"|-0.2||[[青野朱李]]||[[山梨学院大学]]||[[京都]]||[[2022年]]9月11日
|-
|4||23秒51||style="text-align:right"|+0.4||[[市川華菜]]||[[中京大学]]||[[大阪市|大阪]]||[[2012年]]6月9日
|-
|5||23秒63||style="text-align:right"|+1.8||[[土井杏南]]||[[大東文化大学]]||袋井||[[2014年]]5月3日
|-
|6||23秒64||style="text-align:right"|±0.0||[[丹野麻美]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[東京]]||[[2007年]]6月10日
|-
|7||23秒66||style="text-align:right"|-0.6||中村水月||[[大阪成蹊大学]]||[[大阪市|大阪]]||[[2017年]]5月12日
|-
|8||23秒67||style="text-align:right"|+1.3||[[和田麻希]]||[[龍谷大学]]||[[平塚市|平塚]]||[[2007年]]9月9日
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|23秒68||style="text-align:right"|+0.7||[[今井沙緒里]]||[[至学館大学]]||[[松本市|松本]]||[[2010年]]8月30日
|-
|style="text-align:right"|+0.4||[[青山聖佳]]||[[大阪成蹊大学]]||大阪||[[2015年]]10月18日
|}
=== U20日本歴代10傑 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||20秒29||[[大前祐介]]||[[早稲田大学]]||[[2001年]]6月30日
|-
|2||20秒32||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||東京陸協||[[2017年]]6月25日
|-
|3||20秒35||[[橋元晃志]]||[[早稲田大学]]||[[2013年]]5月3日
|-
|4||20秒41||[[桐生祥秀]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2013年]]6月15日
|-
|5||20秒57||[[高橋和裕]]||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1994年]]6月19日
|-
|6||20秒58||[[飯塚翔太]]||[[中央大学]]||[[2010年]]5月3日
|-
|7||20秒59||井本佳伸||[[東海大学]]||[[2018年]]5月26日
|-
|8||20秒61||[[小池祐貴]]||[[慶應義塾大学]]||[[2014年]]5月3日
|-
|rowspan=2|9||rowspan=2|20秒62||[[山縣亮太]]||[[慶應義塾大学]]||[[2011年]]5月22日
|-
|田中佑典||[[日本ウェルネススポーツ大学]]||[[2017年]]9月10日
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒45||齋藤愛美||[[倉敷中央高等学校]]||[[2016年]]10月23日
|-
|2||23秒48||[[中村宝子]]||[[静岡県立浜松西高等学校]]||[[2006年]]8月5日
|-
|3||23秒52||小針陽葉||[[富士市立高等学校|富士市高等学校]]||[[2023年]]5月3日
|-
|4||23秒61||青野朱李||[[山形県立山形中央高等学校]]||[[2018年]]5月26日
|-
|5||23秒63||[[土井杏南]]||[[大東文化大学]]||[[2014年]]5月3日
|-
|6||23秒65||[[神保祐希]]||[[石川県立金沢二水高等学校]]||[[2013年]]6月16日
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|23秒67|||石堂陽奈||[[立命館慶祥高等学校]]||[[2019年]]8月7日
|-
|税田ジェニファー璃美||[[城西大学附属城西高等学校]]||[[2022年]]5月3日
|-
|9||23秒68||[[青山聖佳]]||[[大阪成蹊大学]]||[[2015年]]10月18日
|-
|10||23秒71||[[高橋萌木子]]||[[埼玉栄高等学校]]||[[2006年]]8月5日
|-
|}
=== 高校歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||20秒34||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西大学附属城西高等学校]]||[[2015年]][[7月19日]]
|-
|2||20秒41||[[桐生祥秀]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2013年]][[6月15日]]
|-
|3||20秒57||[[高橋和裕]]||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1994年]][[6月19日]]
|-
|4||20秒71||松本一輝||[[花園中学校・高等学校|花園高等学校]]||[[2001年]][[6月16日]]
|-
|5||20秒73||木村峻也||[[新潟産業大学附属高等学校]]||[[2022年]][[10月15日]]
|-
|rowspan="2"|6||rowspan="2"|20秒77||愛敬彰太郎|||[[三重県立桑名高等学校]]||[[2012年]][[7月7日]]
|-
|染谷佳大||[[つくば秀英高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
||8||20秒78||若菜敬||[[栃木県立佐野高等学校・附属中学校|栃木県立佐野高等学校]]||[[2023年]][[6月1日]]
|-
|rowspan=2|9||rowspan=2|20秒79||[[石塚祐輔]]||[[茨城県立土浦第三高等学校]]||[[2005年]][[8月5日]]
|-
|[[金丸祐三]]||[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]||[[2005年]][[11月3日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒45||齋藤愛美||[[倉敷中央高等学校]]||[[2016年]][[10月23日]]
|-
|2||23秒48||[[中村宝子]]||[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|静岡県立浜松西高等学校]]||[[2006年]][[8月5日]]
|-
|3||23秒52||小針陽葉||[[富士市立高等学校]]||[[2023年]][[5月3日]]
|-
|4||23秒61||青野朱李||[[山形県立山形中央高等学校]]||[[2018年]][[5月26日]]
|-
|5||23秒65||[[神保祐希]]||[[石川県立金沢二水高等学校]]||[[2013年]][[6月16日]]
|-
|rowspan="2"|6||rowspan="2"|23秒67||税田ジェニファー璃美|||[[城西大学附属城西高等学校]]||[[2022年]][[5月3日]]
|-
|石堂陽奈||[[立命館慶祥高等学校]]||[[2019年]][[8月7日]]
|-
|8||23秒71||[[高橋萌木子]]||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2006年]][[8月5日]]
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|23秒76||[[鈴木智実]]||[[名古屋経済大学市邨高等学校]]||[[1997年]][[10月5日]]
|-
|高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[8月7日]]
|}
====高校学年別歴代記録 ====
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||21秒09||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西大学附属城西高等学校]]||[[2014年]][[10月5日]]
|-
|2||21秒10||[[山本慎吾]]||[[太成学院大学中学校・高等学校|太成高等学校]]||[[2001年]][[9月9日]]
|-
|3||21秒18||黒川哲雄||[[新潟明訓中学校・高等学校|新潟明訓高等学校]]||[[2004年]][[8月22日]]
|-
|4||21秒20||伊藤翔太||[[長崎県立諫早高等学校]]||[[2012年]][[8月11日]]
|-
|5||21秒23||重谷大樹||[[九州産業大学付属九州産業高等学校]]||[[2018年]][[10月21日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒94||河野千波||[[東京学館浦安中学校・高等学校|東京学館浦安高等学校]]||[[2004年]][[10月3日]]
|-
|2||23秒98||[[鈴木智実]]||[[名古屋経済大学市邨高等学校]]||[[1995年]][[8月4日]]
|-
|3||24秒07||[[高橋萌木子]]||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2004年]][[10月25日]]
|-
|4||24秒08||五木田佑美||[[東京学館高等学校]]||[[1998年]][[10月11日]]
|-
|5||24秒12||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2012年]][[10月6日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
||1||20秒34||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西大学附属城西高等学校]]||[[2015年]][[7月19日]]
|-
||2||20秒70||[[桐生祥秀]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2012年]][[10月21日]]
|-
||3||20秒78||若菜敬||[[栃木県立佐野高等学校・附属中学校|栃木県立佐野高等学校]]||[[2023年]][[6月1日]]
|-
||4||20秒82||[[橋元晃志]]||[[鹿児島県立川薩清修館高等学校]]||[[2011年]][[10月23日]]
|-
||5||20秒83||鵜澤飛羽||[[宮城県築館高等学校]]||[[2019年]][[9月1日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒45||齋藤愛美||[[倉敷中央高等学校]]||[[2016年]][[10月23日]]
|-
|2||23秒52||小針陽葉||[[富士市立高等学校]]||[[2023年]][[5月3日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|23秒67||税田ジェニファー璃美|||[[城西大学附属城西高等学校]]||[[2022年]][[5月3日]]
|-
|石堂陽奈||[[立命館慶祥高等学校]]||[[2019年]][[8月7日]]
|-
|5||23秒78||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2013年]][[7月12日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||20秒41||[[桐生祥秀]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2013年]][[6月15日]]
|-
|2||20秒54||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西大学附属城西高等学校]]||[[2016年]][[5月3日]]
|-
|3||20秒57||[[高橋和裕]]||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1994年]][[6月19日]]
|-
|4||20秒71||松本一輝||[[花園中学校・高等学校|花園高等学校]]||[[2001年]][[6月16日]]
|-
|5||20秒73||木村峻也||[[新潟産業大学付属高等学校]]||[[2022年]][[10月15日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
!位!!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒48||[[中村宝子]]||[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|静岡県立浜松西高等学校]]||[[2006年]][[8月5日]]
|-
|2||23秒61||青野朱李||[[山形県立山形中央高等学校]]||[[2018年]][[5月26日]]
|-
|3||23秒65||[[神保祐希]]||[[石川県立金沢二水高等学校]]||[[2013年]][[6月16日]]
|-
|4||23秒71||[[高橋萌木子]]||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2006年]][[8月5日]]
|-
|rowspan="2"|5||rowspan="2"|23秒76||[[鈴木智実]]||[[名古屋経済大学市邨高等学校]]||[[1997年]][[10月5日]]
|-
|高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[8月7日]]
|}
=== 中学歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||21秒18||[[日吉克実]]||[[伊豆市立修善寺中学校]]||[[2010年]][[8月22日]]
|-
|2||21秒36||[[為末大]]||[[広島市立五日市中学校]]||[[1993年]][[10月31日]]
|-
|3||21秒37||河室裕貴||[[弥富市立弥富中学校]]||[[2009年]][[8月22日]]
|-
|4||21秒38||イブラヒム貞哉||[[横浜市立永田中学校]]||[[2015年]][[8月7日]]
|-
|5||21秒55||岡部和憲||[[名張市立北中学校]]||[[1996年]][[10月19日]]
|-
|6||21秒58||桑田隆史||[[寝屋川市立第四中学校]]||[[1988年]][[8月20日]]
|-
|7||21秒61||[[桐生祥秀]]||[[彦根市立南中学校]]||[[2010年]][[8月22日]]
|-
|rowspan=2|8||rowspan=2|21秒65||綱川隼人||[[我孫子市立白山中学校]]||[[2008年]][[8月19日]]
|-
|[[宮本大輔 (陸上選手)|宮本大輔]]||[[周南市立周陽中学校]]||[[2014年]][[8月19日]]
|-
|rowspan=2|10||rowspan=2|21秒66||久保塚高志||[[みどり市立笠懸中学校]]||[[2014年]][[7月31日]]
|-
|マデロ・ケンジ||[[佐野市立城東中学校]]||[[2017年]][[8月21日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒99||ハッサン・ナワール||[[松戸市立第五中学校]]||[[2019年]][[10月11日]]
|-
|2||24秒12||土橋智花||[[盛岡市立見前中学校]]||[[2010年]][[8月22日]]
|-
|rowspan=2|3||rowspan=2|24秒31||川中葵琳||[[愛媛大学教育学部附属中学校]]||[[2016年]][[8月6日]]
|-
|佐藤志保里||[[江差町立江差中学校]]||[[2019年]][[8月22日]]
|-
|5||24秒35||島田幸羽||[[大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校|大阪市立咲くやこの花中学校]]||[[2021年]][[7月18日]]
|-
|6||24秒36||[[君嶋愛梨沙]]||[[岩国市立麻里布中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|-
|7||24秒37||野林祐実||[[熊本市立桜木中学校]]||[[2010年]][[8月8日]]
|-
|8||24秒38||秋澤理沙||[[燕市立吉田中学校]]||[[2022年]][[7月17日]]
|-
|9||24秒39||福岡梓音||[[福岡市立柏原中学校]]||[[2021年]][[7月28日]]
|-
|10||24秒45||[[土井杏南]]||[[朝霞市立朝霞第一中学校]]||[[2010年]][[6月11日]]
|}
==== 中学学年別歴代記録 ====
{|class="wikitable"
|+ 男子・中学1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||22秒80||鷹祥永||[[由仁町立由仁中学校]]||[[2015年]][[7月11日]]
|-
|2||23秒00||遠藤純貴||[[共和町立共和中学校]]||[[2006年]][[9月24日]]
|-
|3||23秒01||山田楓河||[[美幌町立美幌中学校]]||[[2017年]][[7月30日]]
|-
|4||23秒17||[[田嶋和也]]||[[白河市立白河第二中学校]]||[[2004年]][[10月12日]]
|-
|5||23秒22||永田駿斗||[[大村市立玖島中学校]]||[[2010年]][[3月14日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・中学1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||24秒59||ハッサン・ナワール||[[松戸市立第五中学校]]||[[2017年]][[8月20日]]
|-
|2||25秒09||藤原采音||[[小野市立小野中学校]]||[[2015年]][[9月26日]]
|-
|3||25秒13||岡林結衣||[[高知市立大津中学校]]||[[2022年]][[8月19日]]
|-
|4||25秒16||税田ジェニファー璃美||[[横須賀市立大津中学校]]||[[2018年]][[10月6日]]
|-
|rowspan=3|5||rowspan=3|25秒33||臼井文音||[[帯広市立南町中学校]]||[[2013年]][[6月29日]]
|-
|島田幸羽||[[大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校|大阪市立咲くやこの花中学校]]||[[2019年]][[8月10日]]
|-
|人見仁菜||[[足寄町立足寄中学校]]||[[2023年]][[9月17日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||21秒71||[[日吉克実]]||[[伊豆市立修善寺中学校]]||[[2009年]][[7月4日]]
|-
|2||22秒00||桑田隆史||[[寝屋川市立第四中学校]]||[[1987年]][[8月22日]]
|-
|rowspan=2|3||rowspan=2|22秒06||[[田嶋和也]]||[[白河市立白河第二中学校]]||[[2002年]][[8月24日]]
|-
|関根功織||[[栃木市立栃木南中学校]]||[[2016年]][[7月28日]]
|-
|5||22秒14||宮本大輔||[[周南市立周陽中学校]]||[[2014年]][[3月27日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||24秒36||君嶋愛梨沙||[[岩国市立麻里布中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|-
|2||24秒51||ハッサン・ナワール||[[松戸市立第五中学校]]||[[2018年]][[7月30日]]
|-
|3||24秒52||佐藤志保里||[[江差町立江差中学校]]||[[2018年]][[8月19日]]
|-
|4||24秒62||秋澤理沙||[[燕市立吉田中学校]]||[[2021年]][[8月18日]]
|-
|5||24秒79||尾崎星||[[鳥取市立西中学校]]||[[2016年]][[8月9日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||21秒18||[[日吉克実]]||[[伊豆市立修善寺中学校]]||[[2010年]][[8月22日]]
|-
|2||21秒36||[[為末大]]||[[広島市立五日市中学校]]||[[1993年]][[10月31日]]
|-
|3||21秒37||河室裕貴||[[弥富市立弥富中学校]]||[[2009年]][[8月22日]]
|-
|4||21秒38||イブラヒム貞哉||[[横浜市立永田中学校]]||[[2015年]][[8月7日]]
|-
|5||21秒55||岡部和憲||[[名張市立北中学校]]||[[1996年]][[10月19日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||23秒99||ハッサン・ナワール||[[松戸市立第五中学校]]||[[2019年]][[10月11日]]
|-
|2||24秒12||土橋智花||[[盛岡市立見前中学校]]||[[2010年]][[8月22日]]
|-
|rowspan=2|3||rowspan=2|24秒31||川中葵琳||[[愛媛大学教育学部附属中学校]]||[[2016年]][[8月6日]]
|-
|佐藤志保里||[[江差町立江差中学校]]||[[2019年]][[8月22日]]
|-
|5||24秒35||島田幸羽||[[大阪市立咲くやこの花中学校・高等学校|大阪市立咲くやこの花中学校]]||[[2021年]][[7月18日]]
|}
== 室内の200メートル競走 ==
1周200mのトラックを走る室内の200メートル競走は、過去には[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]などの主要国際大会でも実施されていた。しかし、室内での200メートル競走は内側のレーンを走る選手がきついカーブを走るため不利になり、外側のレーンを走る選手が有利になる点などが問題視されていた。国際陸上競技連盟は2003年11月の評議員会で、世界室内選手権の200メートル競走を2006年大会から実施しないことを決めた<ref>{{PDFlink|[http://www.iaaf.org/download/download?filename=2d853208-7ab9-4860-8146-e3cc0bf862eb.pdf&urlslug=2003 NEWSLETTER N.60] [[国際陸上競技連盟]]|1.4 [[メガバイト|MB]]}} 2015年11月12日閲覧</ref><ref>{{cite web|url=http://www.iaaf.org/news/news/the-200m-finally-loses-the-indoor-lottery|title=The 200m finally loses the indoor lottery|publisher=[[国際陸上競技連盟]]|date=2004-03-06|accessdate=2015-11-12 }}</ref>。[[ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会|ヨーロッパ室内選手権]]では2005年大会を最後に、[[アジア室内陸上競技選手権大会|アジア室内選手権]]では2004年大会を最後に200メートル競走は実施されていない。
=== 主な記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/200-metres/indoor/men 200m men indoor records by discipline] - [[国際陸上競技連盟]]</ref><ref name="2018WICSH">[https://www.iaaf.org/ebooks/2018/WIC/index.html IAAF World Indoor Championships Birmingham 2018 statistics handbook (ebook) / WORLD & CONTINENTAL INDOOR RECORDS(男子は240ページ、女子は246ページ参照)] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!記録!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|世界
|-
|[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録]]||19秒92||[[フランク・フレデリクス]]||{{NAM}}||[[リエヴァン]]||[[1996年]][[2月18日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}世界記録||20秒37||[[ウォルター・ディックス]]||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2005年]][[3月11日]]
|-
|{{abbr|U18|18歳未満}}世界最高記録||20秒79||[[Nyckoles HARBOR]]||{{USA}}||[[ラボック]]||[[2022年]][[1月22日]]
|-
|-
|{{abbr|O35|35歳以上}}世界最高記録||20秒59||[[:en:Douglas Turner (sprinter)|Douglas Turner]]||{{GBR}}||[[バーミンガム]]||[[2002年]][[2月17日]]
|-
|{{abbr|O40|40歳以上}}世界最高記録||21秒94||{{仮リンク|エンリコ・サラセニ|en|Enrico Saraceni}}||{{ITA}}||[[ジェノヴァ]]||[[2005年]][[2月13日]]
|-
!colspan="6"|大会
|-
|[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]||20秒10||[[フランク・フレデリクス]]||{{NAM}}||[[前橋市|前橋]]||[[1999年]][[3月6日]]
|-
|[[ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会|ヨーロッパ室内選手権]]||20秒36||[[ブルーノ・マリーローズ]]||{{FRA}}||[[リエヴァン]]||[[1987年]][[2月22日]]
|-
|[[アジア室内陸上競技選手権大会|アジア室内選手権]]||21秒56||新井智之||{{JPN}}||[[テヘラン]]||[[2004年]][[2月7日]]
|-
!colspan="6"|エリア
|-
|[[アフリカ陸上競技連盟|アフリカ]]<br />[[イギリス連邦|コモンウェルス]]||19秒92||[[フランク・フレデリクス]]||{{NAM}}||[[リエヴァン]]||[[1996年]][[2月18日]]
|-
|[[アジア陸上競技連盟|アジア]]||20秒63||[[伊東浩司]]||{{JPN}}||[[前橋市|前橋]]||[[1999年]][[3月5日]]
|-
|[[ヨーロッパ陸上競技連盟|ヨーロッパ]]||20秒25||[[リンフォード・クリスティ]]||{{GBR}}||[[リエヴァン]]||[[1995年]][[2月19日]]
|-
|[[北アメリカ]]||20秒02||[[イライジャ・ホール=トンプソン]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|[[中央アメリカ・カリブ陸上競技連盟|中央アメリカ・カリブ]]||20秒26||[[オバデレ・トンプソン]]||{{BAR}}||[[前橋市|前橋]]||[[1999年]][[3月6日]]
|-
|[[南アメリカ陸上競技連盟|南アメリカ]]||20秒65||[[ロブソン・ダ・シルバ]]||{{BRA}}||[[ジンデルフィンゲン]]||[[1989年]][[2月26日]]
|-
|[[オセアニア]]||20秒71||{{仮リンク|ダミアン・マーシュ|en|Damien Marsh}}||{{AUS}}||[[トロント]]||[[1993年]][[3月14日]]
|-
!colspan="6"|日本
|-
|[[陸上競技の日本記録一覧|日本記録]]||20秒63||[[伊東浩司]]||{{flagicon|JPN}} [[富士通]]||[[前橋市|前橋]]||[[1999年]][[3月5日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}日本記録||21秒23||[[高平慎士]]||{{flagicon|JPN}} [[旭川大学高等学校|旭川大高]]||[[横浜市|横浜]]||[[2003年]][[2月22日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref name="2018WICSH" /><ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/200-metres/indoor/women 200m women indoor records by discipline] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!記録!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|世界
|-
|[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録]]||21秒87||[[マリーン・オッティ]]||{{JAM}}||[[リエヴァン]]||[[1993年]][[2月13日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}世界記録||22秒40||[[ビアンカ・ナイト]]||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2008年]][[3月14日]]
|-
|{{abbr|U18|18歳未満}}世界最高記録||23秒15||{{仮リンク|イレイェン・エーケルンド|en|Irene Ekelund}}||{{SWE}}||[[ノーショーピング]]||[[2013年]][[2月17日]]
|-
|{{abbr|O35|35歳以上}}世界最高記録||23秒04||[[:en:Sandra Myers|Sandra Myers]]||{{ESP}}||[[トリノ]]||[[1996年]][[2月17日]]
|-
|{{abbr|O40|40歳以上}}世界最高記録||23秒93||[[マリーン・オッティ]]||{{SLO}}||[[ウィーン]]||[[2003年]][[1月28日]]
|-
!colspan="6"|大会
|-
|[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]||22秒15||[[イリーナ・プリワロワ]]||{{RUS}}||[[トロント]]||[[1993年]][[3月14日]]
|-
|[[ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会|ヨーロッパ室内選手権]]||22秒39||[[マリタ・コッホ]]||{{GDR}}||[[ブダペスト]]||[[1983年]][[3月5日]]
|-
|[[アジア室内陸上競技選手権大会|アジア室内選手権]]||23秒91||Xie Rong||{{CHN}}||[[テヘラン]]||[[2004年]][[2月7日]]
|-
!colspan="6"|エリア
|-
|[[アフリカ陸上競技連盟|アフリカ]]||22秒11A||[[フェイバー・オフィリ]]||{{NGR}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月10日]]
|-
|[[アジア陸上競技連盟|アジア]]||22秒99||[[スサンティカ・ジャヤシンゲ]]||{{SRI}}||[[リスボン]]||[[2001年]][[3月9日]]
|-
|[[ヨーロッパ陸上競技連盟|ヨーロッパ]]||22秒10||[[イリーナ・プリワロワ]]||{{RUS}}||[[リエヴァン]]||[[1995年]][[2月19日]]
|-
|[[北アメリカ]]||22秒09||[[アビー・ステイナー]]||{{USA}}||[[テキサス]]||[[2022年]][[2月26日]]
|-
|[[中央アメリカ・カリブ陸上競技連盟|中央アメリカ・カリブ]]<br />[[イギリス連邦|コモンウェルス]]||21秒87||[[マリーン・オッティ]]||{{JAM}}||[[リエヴァン]]||[[1993年]][[2月13日]]
|-
|[[南アメリカ陸上競技連盟|南アメリカ]]||23秒15||[[:en:Brenessa Thompson|Brenessa Thompson]]||{{GUY}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[2月24日]]
|-
|[[オセアニア]]||22秒64||{{仮リンク|メリンダ・ゲインズフォード=テイラー|en|Melinda Gainsford-Taylor}}||{{AUS}}||[[バルセロナ]]||[[1995年]][[3月10日]]<br />[[1995年]][[3月11日]]
|-
!colspan="6"|日本
|-
|[[陸上競技の日本記録一覧|日本記録]]||24秒11||[[小島初佳|新井初佳]]||{{flagicon|JPN}} [[ピップ|ピップフジモト]]||[[横浜市|横浜]]||[[2000年]][[2月26日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}日本記録||24秒44||[[千葉麻美|丹野麻美]]||{{flagicon|JPN}} [[福島県立郡山東高等学校|郡山東高]]||[[横浜市|横浜]]||[[2004年]][[2月21日]]
|}
=== 世界歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/indoor/men/senior 200m men indoor All time best] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||19秒92||[[フランク・フレデリクス]]||{{NAM}}||[[リエヴァン]]||[[1996年]][[2月18日]]
|-
|2||20秒02||[[イライジャ・ホール=トンプソン]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|3||20秒08||{{仮リンク|エジョウヴォコーエン・オドゥドゥル|en|Ejowvokoghene Oduduru}}||{{NGR}}||[[ラボック]]||[[2019年]][[2月23日]]
|-
|4||20秒10||[[ウォーレス・スピアモン]]||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2005年]][[3月11日]]
|-
|5||20秒11||[[クリスチャン・コールマン]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2017年]][[3月11日]]
|-
|6||20秒12||[[マシュー・ボーリング]]||{{USA}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|7||20秒13||[[Courtney LINDSEY]]||{{USA}}||[[ラボック]]||[[2023年]][[2月25日]]
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|20秒17||[[Tarsis Orogot]]||{{UGA}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|[[ウドディ・オヌズーリケ]]||{{NGR}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月10日]]
|-
|10||20秒19||[[トレイボン・ブロメル]]||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2015年]][[3月14日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 女子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/200-metres/indoor/women/senior 200m women indoor All time best] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||21秒87||[[マリーン・オッティ]]||{{JAM}}||[[リエヴァン]]||[[1993年]][[2月13日]]
|-
|2||22秒01||[[ジュリアン・アルフレッド]]||{{flagicon|Saint Lucia}}[[セントルシア]]||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|3||22秒09||[[アビー・ステイナー]]||{{USA}}||[[テキサス]]||[[2022年]][[2月26日]]
|-
|4||22秒10||[[イリーナ・プリワロワ]]||{{RUS}}||[[リエヴァン]]||[[1995年]][[2月19日]]
|-
|5||22秒11||[[ファイバー・オフィリ]]||{{NGR}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|6||22秒27||[[ハイケ・ドレクスラー]]||{{GDR}}||[[インディアナポリス]]||[[1987年]][[3月7日]]
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|22秒33||[[グウェン・トーレンス]]||{{USA}}||[[アトランタ]]||[[1996年]][[3月2日]]
|-
|[[Adaejah HODGE]]||{{VGB}}||[[ボストン]]||[[2023年]][[3月12日]]
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|22秒38||[[ベロニカ・キャンベル=ブラウン]]||{{JAM}}||[[バーミンガム]]||[[2005年]][[2月18日]]
|-
|[[ガブリエル・トーマス]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{|class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|2003||[[2003年世界陸上競技選手権大会|第9回世界陸上競技選手権大会(パリ)]]||{{FRA}}||[[末續慎吾]]||{{3位}}||20秒38
|-
|2017||[[2017年世界陸上競技選手権大会|第16回世界陸上競技選手権大会(ロンドン)]]||{{GBR}}||[[サニブラウン・アブデル・ハキーム]]||7位||20秒63
|}
*2003年世界陸上競技選手権大会で[[末續慎吾]]が3位となり、この種目で日本人初のメダリストとなった。なお、この[[銅メダル]]は五輪・世界選手権を通じて短距離種目で日本人初のメダルでもあった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 参考文献 ==
* 記録年鑑2014、『月刊陸上競技』2015年4月号(第49巻第5号)別冊付録、講談社。
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.world-masters-athletics.org/index.php 世界マスターズ陸上競技協会](WMA)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}
{{DEFAULTSORT:200めえとるきようそう}}
[[Category:陸上競技種目]]
[[Category:短距離走]]
|
2003-07-13T09:15:13Z
|
2023-11-10T22:59:29Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/200%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0
|
11,363 |
400メートル競走
|
400メートル競走(400メートルきょうそう、英語: 400 metres)は、400メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技のトラック種目の一つである。時として中距離走に間違われることもあるが、短距離走に分類される。競技会や関係者の間では400m(400メートル)や400と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは400メートル走と呼ばれることもある。
陸上トラックをちょうど1周する。レースには瞬発力だけでなく、フィニッシュまでできる限りスピードを落とさずに走りきる持久力も必要である。
人間の身体が最大出力での無酸素運動を維持できるのは40秒前後が限界といわれており、400メートルという距離は大半の競技者にとってその限界を超えた長さである。そのためレースは大変過酷なものとなり、初心者ではゴール後に倒れて呼吸困難に陥ったり、嘔吐するなどの光景も珍しくない。このため「陸上競技で最もきつい種目」と形容されることもある。
この種目の女子では、1985年から30年以上にわたり世界記録が更新されていない。
*記録を出した当時はソビエト連邦
室内の400mは基本的に1周200mのトラックを2周する。スタートして第2曲走路の終わりまでは割り当てられたレーンを走り、それ以降はオープンレーンとなる。室内の200mと同じく外枠のレーンが有利である。世界室内選手権のメダリストも外枠(4-6レーン)の選手が多数を占める。
|
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] |
400メートル競走は、400メートルをいかに短い時間で走るかを競う陸上競技のトラック種目の一つである。時として中距離走に間違われることもあるが、短距離走に分類される。競技会や関係者の間では400m(400メートル)や400と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは400メートル走と呼ばれることもある。 陸上トラックをちょうど1周する。レースには瞬発力だけでなく、フィニッシュまでできる限りスピードを落とさずに走りきる持久力も必要である。 人間の身体が最大出力での無酸素運動を維持できるのは40秒前後が限界といわれており、400メートルという距離は大半の競技者にとってその限界を超えた長さである。そのためレースは大変過酷なものとなり、初心者ではゴール後に倒れて呼吸困難に陥ったり、嘔吐するなどの光景も珍しくない。このため「陸上競技で最もきつい種目」と形容されることもある。 この種目の女子では、1985年から30年以上にわたり世界記録が更新されていない。
|
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'''400メートル競走'''(400メートルきょうそう、{{lang-en|400 metres}})は、400[[メートル]]をいかに短い時間で走るかを競う[[陸上競技]]のトラック種目の一つである。時として[[中距離走]]に間違われることもあるが、[[短距離走]]に分類される。競技会や関係者の間では'''400m(400メートル)'''や'''400'''と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは'''400メートル走'''と呼ばれることもある。
陸上トラックをちょうど1周する。レースには瞬発力だけでなく、フィニッシュまでできる限りスピードを落とさずに走りきる[[持久力]]も必要である。
人間の身体が最大出力での無酸素運動を維持できるのは40秒前後が限界といわれており、400メートルという距離は大半の競技者にとってその限界を超えた長さである。そのためレースは大変過酷なものとなり、初心者ではゴール後に倒れて呼吸困難に陥ったり、嘔吐するなどの光景も珍しくない。このため'''「陸上競技で最もきつい種目」'''と形容されることもある{{要出典|date=2022年6月}}。
この種目の女子では、1985年から30年以上にわたり世界記録が更新されていない。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||43秒03||[[ウェイド・バンニーキルク]]||{{RSA}}||[[2016年]][[8月15日]]
|-
|2||43秒18||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[1999年]][[8月26日]]
|-
|3||43秒29||[[ブッチ・レイノルズ]]||{{USA}}||[[1988年]][[8月17日]]
|-
|4||43秒45||[[ジェレミー・ウォリナー]]||{{USA}}||[[2007年]][[8月31日]]
|-
|4||43秒45||[[マイケル・アーサー・ノーマン・ジュニア|マイケル・ノーマン]]||{{USA}}||[[2019年]][[4月20日]]
|-
|6||43秒48||[[スティーヴン・ガーディナー]]||{{BAH}}||[[2019年]][[10月4日]]
|-
|7||43秒50||[[クインシー・ワッツ]]||{{USA}}||[[1992年]][[8月5日]]
|-
|8||43秒64||[[フレッド・カーリー (陸上選手)|フレッド・カーリー]]||{{USA}}||[[2019年]][[7月27日]]
|-
|9||43秒65||[[ラショーン・メリット]]||{{USA}}||[[2015年]][[8月26日]]
|-
|10||43秒70||[[Champion Allison|チャンピオン・アリソン]]||{{USA}}||[[2022年]][[6月25日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||47秒60||[[マリタ・コッホ]]||{{DDR}}||[[1985年]][[10月6日]]
|-
|2||47秒99||[[ヤルミラ・クラトフビロバ]]||{{CSR}}||[[1983年]][[8月10日]]
|-
|3||48秒14||{{仮リンク|サルワ・イード・ナセル|en|Salwa Eid Naser}}||{{BHR}}||[[2019年]][[10月3日]]
|-
|4||48秒25||[[マリー=ジョゼ・ペレク]]||{{FRA}}||[[1996年]][[7月29日]]
|-
|5||48秒27||[[オルガ・ブリズギナ]]||{{SSR}}||[[1985年]][[10月6日]]
|-
|6||48秒36||[[ショーナ・ミラー]]||{{BAH}}||[[2021年]][[8月6日]]
|-
|7||48秒59||{{仮リンク|タチアナ・コチェンボヴァ|en|Taťána Kocembová}}||{{CSR}}||[[1983年]][[8月10日]]
|-
|8||48秒63||[[キャシー・フリーマン]]||{{AUS}}||[[1996年]][[7月29日]]
|-
|9||48秒70||[[サーニャ・リチャーズ]]||{{USA}}||[[2006年]][[9月16日]]
|-
|10||48秒74||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[2023年]][[7月8日]]
|}
* 2021年6月30日に[[クリスティン・ムボマ]]が48秒54を記録し、これは当時のU20世界記録を上回る・世界歴代7位に当たるものだったが、テストステロン値が基準値を上回っており公認されていない<ref>[https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/37666 18歳のムボマが女子400mで世界歴代7位の48秒54!U20世界記録も大幅更新 _ 月陸Online|月刊陸上競技]</ref><ref>[https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/68830 東京五輪200m銀ムボマが100mで自己新11秒15 U20世界選手権2位のマシリンギ11秒25 _ 月陸Online|月刊陸上競技]</ref>。
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||43秒03||[[ウェイド・バンニーキルク]]||{{RSA}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月15日]]
|-
|[[アジア]]||43秒93||[[ユーセフ・マスラヒ]]||{{KSA}}||[[北京]]||[[2015年]][[8月23日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||44秒26||[[ハドソン・スミス]]||{{GBR}}||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|[[北アメリカ]]||43秒18||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[セビリア]]||[[1999年]][[8月26日]]
|-
|[[南アメリカ]]||43秒93||{{仮リンク|アントニー・サンブラーノ|en|Anthony Zambrano}}||{{COL}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|[[オセアニア]]||44秒38||[[ダレン・クラーク (陸上選手)|ダレン・クラーク]]||{{AUS}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]][[9月26日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||49秒10||[[ファリラット・オグンコヤ]]||{{NGR}}||[[アトランタ]]||[[1996年]][[7月29日]]
|-
|[[アジア]]||48秒14||{{仮リンク|サルワ・イード・ナセル|en|Salwa Eid Naser}}||{{BHR}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月3日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||47秒60||[[マリタ・コッホ]]||{{GDR}}||[[キャンベラ]]||[[1985年]][[10月6日]]
|-
|[[北アメリカ]]||48秒36||[[ショーナ・ミラー]]||{{BAH}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月6日]]
|-
|[[南アメリカ]]||49秒64||[[ヒメナ・レストレポ]]||{{COL}}||[[バルセロナ]]||[[1992年]][[8月5日]]
|-
|[[オセアニア]]||48秒63||[[キャシー・フリーマン]]||{{AUS}}||[[アトランタ]]||[[1996年]][[7月29日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||43秒87||[[スティーブ・ルイス]]||{{USA}}||[[1988年]]9月28日
|-
|2||44秒22||[[バボロキ・テベ]]||{{BOT}}||[[2016年]]5月21日
|-
|3||44秒25||[[カラボ・シバンダ]]||{{BOT}}||[[2016年]]8月14日
|-
|4||44秒27||[[アブダレラ・ハルーン]]||{{QAT}}||[[2015年]]7月5日
|-
|5||44秒36||[[キラニ・ジェームス]]||{{GRN}}||[[2011年]]9月8日
|-
|6||44秒45||[[ルグエリン・サントス]]||{{DOM}}||[[2012年]]5月27日
|-
|7||44秒58||[[アンソニー・パセラ]]||{{BOT}}||[[2021年]]8月21日
|-
|8||44秒66||[[ハムダン・アル=ビシ]]||{{KSA}}||[[2000年]]10月20日
|-
|9||44秒66||[[ラショーン・メリット]]||{{USA}}||[[2005年]]5月7日
|-
|10||44秒69||{{仮リンク|ダレル・ロビンソン|en|Darrell Robinson}}||{{USA}}||[[1982年]]7月24日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||49秒22||[[クリスティン・ムボマ]]||{{NAM}}||[[2021年]][[4月17日]]
|-
|2||49秒42||[[グリット・ブロイアー]]||{{GER}}||[[1991年]]8月27日
|-
|3||49秒53||[[ベアトリス・マシリンギ]]||{{NAM}}||[[2021年]]4月11日
|-
|4||49秒57||[[アシング・ムー]]||{{SSD}}||[[2021年]]6月12日
|-
|5||49秒77||[[クリスティナ・ブレーマー]]||{{GDR}}||[[1976年]]5月9日
|-
|6||49秒88||[[セルワ・エイド・ナセル]]||{{BHR}}||[[2017年]]9月1日
|-
|7||49秒89||[[サーニャ・リチャーズ]]||{{USA}}||[[2004年]]7月17日
|-
|8||50秒01||[[李晶]]||{{CHN}}||[[1997年]]10月18日
|-
|9||50秒07||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[2018年]]4月30日
|-
|10||50秒19||[[マリタ・コッホ]]||{{GDR}}||[[1976年]]7月10日
|}
=== U18世界最高記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
||44秒84||Justin Robinson||{{USA}}||[[アルバカーキ]]||[[2019年]][[6月8日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
||50秒01||[[李晶]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||43秒93||[[ユーセフ・マスラヒ]]||{{KSA}}||[[2015年]]8月23日
|-
|2||44秒07||[[アブダレラ・ハルーン]]||{{QAT}}||[[2018年]]7月21日
|-
|3||44秒36||[[アリ・ハミス]]||{{BHR}}||[[2016年]]8月14日
|-
|4||44秒56||{{仮リンク|モハメド・アル=マルキー|en|Mohammed Al-Malki}}||{{OMN}}||[[1988年]]8月12日
|-
|5||44秒60||[[アブデラマン・サンバ]]||{{QAT}}||[[2019年]]4月9日
|-
|6||44秒61||{{仮リンク|スガ・ティラカラトネ|en|Sugath Thilakaratne}}||{{SRI}}||[[1998年]]7月20日
|-
|7||44秒64||[[ブランドン・シンプソン]]||{{BHR}}||[[2006年]]8月27日
|-
|rowspan="2"|8||rowspan="2"|44秒66||[[イブラヒム・イスマイル]]||{{QAT}}||[[2000年]]8月30日
|-
|[[ハムダン・アル=ビシ]]||{{KSA}}||[[2000年]]10月20日
|-
|10||44秒77||[[佐藤拳太郎]]||{{JPN}}||[[2023年]]8月20日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||48秒14||サルワ・イード・ナセル||{{BHR}}||[[2019年]]10月3日
|-
|2||49秒81||[[馬玉芹]]||{{CHN}}||[[1993年]]9月11日
|-
|3||50秒01||[[李晶]]||{{CHN}}||[[1997年]]10月18日
|-
|4||50秒39||Du Xiujie||{{CHN}}||[[1995年]]8月18日
|-
|5||50秒52||{{enlink|Marina Shmonina|p=off|s=off}}||{{UZB}}||[[1990年]]7月6日*
|-
|6||50秒68||{{enlink|Tatyana Roslanova|p=off|s=off}}||{{KAZ}}||[[2004年]]6月5日
|-
|7||50秒72||[[ケミ・アデコヤ]]||{{BHR}}||[[2016年]]8月13日
|-
|8||50秒79||[[ヒマ・ダーシ]]||{{IND}}||[[2018年]]9月28日
|-
|9||51秒00||Nina Kravchenko||{{KAZ}}||[[1983年]]8月30日*
|-
|10||51秒05||[[Damayanthi Dharsha]]||{{SRI}}||[[2000年]]8月30日
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||44秒77||[[佐藤拳太郎]]||[[富士通]]||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月20日]]
|-
|2||44秒78||[[高野進]]||[[東海大学]]||[[東京]]||[[1991年]][[6月16日]]
|-
|3||44秒88||[[佐藤風雅]]||[[ミズノ]]||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|4||45秒03||[[山村貴彦]]||[[日本大学]]||[[横浜市|横浜]]||[[2000年]][[9月9日]]
|-
|5||45秒04||[[中島佑気ジョセフ]]||[[東洋大学]]||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|6||45秒05||[[小坂田淳]]||[[大阪ガス]]||[[横浜市|横浜]]||[[2000年]][[9月9日]]
|-
|7||45秒13||[[ウォルシュ・ジュリアン]]||[[富士通]]||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月3日]]
|-
|8||45秒16||[[金丸祐三]]||[[法政大学]]||[[大阪]]||[[2009年]][[5月9日]]
|-
|9||45秒18||[[山口有希]]||[[ミズノ]]||[[静岡市|静岡]]||[[2003年]][[10月29日]]
|-
|10||45秒19||[[岩崎立来]]||[[三重県スポーツ協会]]||[[山口市|山口]]||[[1998年|2023年7月29日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||51秒75||[[千葉麻美|丹野麻美]]||ナチュリル||[[静岡市|静岡]]||[[2008年]][[5月3日]]
|-
|2||52秒38||[[青山聖佳]]||[[大阪成蹊大学|大阪成蹊AC]]||[[大阪]]||[[2020年]][[7月23日]]
|-
|3||52秒52||[[杉浦はる香]]||[[浜松市立高等学校]]||[[東京]]||[[2013年]][[6月8日]]
|-
|4||52秒74||[[松本奈菜子]]||[[東邦銀行]]||[[アルマトイ]]||[[2022年]][[6月9日]]
|-
|5||52秒86||[[小林茉由]]||[[J.VIC]]||[[大阪]]||[[2021年]][[6月25日]]
|-
|6||52秒95||[[柿沼和恵]]||[[ミズノ]]||[[大阪]]||[[2001年]][[5月24日]]
|-
|rowspan=2|7|| rowspan="2" |53秒05||[[木田真有]]||ナチュリル||[[静岡市|静岡]]||[[2008年]][[5月3日]]
|-
|[[青木沙弥佳]]||[[東邦銀行]]||[[新潟市|新潟]]||[[2015年]][[6月27日]]
|-
|9||53秒07||[[久保山晴菜]]||[[今治病院|今村病院]]||[[大阪]]||[[2023年]][[5月6日]]
|-
|10||53秒08||[[久保倉里美]]||[[新潟アルビレックスランニングクラブ|新潟アルビレックス]]||[[大阪]]||[[2007年]][[6月30日]]
|-
|}
== 学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒03||[[山村貴彦]]||[[日本大学]]||[[2000年]][[9月9日]]
|-
|2||45秒04||[[中島佑気ジョセフ]]||[[東洋大学]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|3||45秒16||[[金丸祐三]]||[[法政大学]]||[[2009年]][[5月9日]]
|-
|4||45秒18||[[山口有希]]||[[東海大学]]||[[2003年]][[10月29日]]
|-
|5||45秒35||[[ウォルシュ・ジュリアン]]||[[東洋大学]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|6||45秒44||[[森田真治]]||[[同志社大学]]||[[1999年]][[5月13日]]
|-
|7||45秒48||[[伊藤博人]]||[[順天堂大学]]||[[2017年]][[6月23日]]
|-
|8||45秒50||[[佐藤光浩]]||[[仙台大学]]||[[2003年]][[6月7日]]
|-
|9||45秒54||[[今泉堅貴]]||[[筑波大学]]||[[2015年|2023年]][[6月27日|6月4日]]
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |45秒58||[[佐藤拳太郎]]||[[城西大学]]||[[2003年|2015年]][[10月29日|6月27日]]
|-
|[[地主直央]]||[[法政大学]]||[[2023年]][[8月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||51秒80||[[千葉麻美|丹野麻美]]||[[福島大学]]||[[2005年]][[9月19日]]
|-
|2||52秒85||[[青山聖佳]]||[[大阪成蹊大学]]||[[2016年]][[9月2日]]
|-
|3||53秒22||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学]]||[[2016年]][[5月13日]]
|-
|4||53秒27||[[広沢真愛]]||[[日本体育大学]]||[[2018年]][[9月8日]]
|-
|5||53秒37||[[岩田優奈]]||[[中央大学]]||[[2018年]][[7月21日]]
|-
|6||53秒40||[[青木沙弥佳]]||[[福島大学]]||[[2007年]][[6月8日]]
|-
|7||53秒40||[[渡辺なつみ (陸上選手)|渡辺なつみ]]||[[福島大学]]||[[2007年]][[6月29日]]
|-
|8||53秒47||[[佐藤真有|木田真有]]||[[福島大学]]||[[2002年]][[7月21日]]
|-
|8||53秒47||[[田中千智]]||[[福岡大学]]||[[2008年]][[9月12日]]
|-
|10||53秒50||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学]]||[[2018年]][[5月11日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満の選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒18||[[山口有希]]||[[東海大学]]||2003年10月29日
|-
|2||45秒41||[[金丸祐三]]||[[法政大学]]||2006年5月6日
|-
|3||45秒52||[[北川貴理]]||[[順天堂大学]]||2015年6月27日
|-
|4||45秒69||[[加藤修也]]||[[静岡県立浜名高等学校]]||2013年11月2日
|-
|5||45秒77||石川慎二||[[日本大学]]||2000年10月20日
|-
|6||45秒82||[[井本佳伸]]||[[東海大学]]||2018年5月3日
|-
|7||45秒92||[[ウォルシュ・ジュリアン]]||[[東洋大学]]||2015年7月26日
|-
|8||45秒94||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||1996年10月16日
|-
|9||46秒01||[[高平慎士]]||[[順天堂大学]]||2003年10月29日
|-
|10||46秒09||[[中島佑気ジョセフ]]||[[東洋大学]]||2021年6月6日
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||52秒52||[[杉浦はる香]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2013年]]6月8日
|-
|2||52秒88||[[千葉麻美|丹野麻美]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[2004年]]6月13日
|-
|3||52秒99||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2014年]]9月27日
|-
|4||53秒17||大木彩夏||[[新島学園中学校・高等学校|新島学園高等学校]]||[[2013年]]6月8日
|-
|5||53秒22||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学]]||[[2016年]]5月13日
|-
|6||53秒31||高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]]5月3日
|-
|7||53秒40||[[渡辺なつみ (陸上選手)|渡辺なつみ]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[2007年]]6月29日
|-
|8||53秒44||青木りん||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2016年]]6月24日
|-
|9||53秒45||[[柿沼和恵]]||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1992年]]9月18日
|-
|10||53秒50||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学]]||[[2018年]]5月11日
|-
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒47||[[金丸祐三]]||[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]||[[2005年]][[9月19日]]
|-
|2||45秒69||[[加藤修也]]||[[静岡県立浜名高等学校]]||[[2013年]][[11月2日]]
|-
|3||45秒94||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[1996年]][[10月16日]]
|-
|4||46秒10||[[山村貴彦]]||[[清風中学校・高等学校|清風高等学校]]||[[1997年]][[10月4日]]
|-
|5||46秒35||藤森亮||[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|静岡県立浜松西高等学校]]||[[1996年]][[10月16日]]
|-
| rowspan="2" |6|| rowspan="2" |46秒37||[[渡辺高博]]||[[愛媛県立新居浜東高等学校]]||[[1988年]][[8月1日]]
|-
|[[中道大貴]]||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高校]]||[[2022年]][[10月2日]]
|-
|8||46秒38||[[井本佳伸]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2017年]][[10月9日]]
|-
|9||46秒41||北谷直輝||[[神戸市立科学技術高等学校]]||[[2016年]][[7月21日]]
|-
|10||46秒45||寺田克也||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[2000年]][[7月20日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||52秒52||[[杉浦はる香]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2013年]][[6月8日]]
|-
|2||52秒99||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2014年]][[9月27日]]
|-
|3||53秒17||大木彩夏||[[新島学園中学校・高等学校|新島学園高等学校]]||[[2013年]][[6月8日]]
|-
|4||53秒30||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[7月29日]]
|-
|5||53秒31||高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[5月3日]]
|-
|6||53秒44||青木りん||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2016年]][[6月24日]]
|-
|7||53秒45||[[柿沼和恵]]||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1992年]][[9月18日]]
|-
|8||53秒56||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2017年]][[10月9日]]
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|53秒59||[[千葉麻美|丹野麻美]]||[[福島県立郡山東高等学校]]||[[2003年]][[10月29日]]
|-
|松本奈菜子||[[浜松市立高等学校]]||[[2014年]][[6月20日]]
|}
=== 高校学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||47秒31||山木伝説||[[九里学園高等学校]]||[[2011年]][[8月3日]]
|-
|2||47秒48||西畑匡||[[中京大学附属中京高等学校|中京高等学校]]||[[1991年]][[10月14日]]
|-
|3||47秒53||菊田響生||[[法政大学第二中学校・高等学校|法政大学第二高等学校]]||[[2022年]][[6月17日]]
|-
|4||47秒63||吉岡勇二||[[神奈川県立希望ケ丘高等学校|神奈川県立希望ヶ丘高等学校]]||[[1983年]][[10月17日]]
|-
|5||47秒66||[[八木均]]||[[東京農業大学第二高等学校]]||[[1987年]][[10月28日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||54秒51||高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2017年]][[11月3日]]
|-
|2||54秒95||伊東美由紀||[[宮崎県立宮崎北高等学校]]||[[1996年]][[9月29日]]
|-
|3||54秒96||高畑いずみ||[[滋賀県立長浜高等学校]]||[[1981年]][[8月3日]]
|-
|4||55秒07||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高校]]||[[2015年]][[10月31日]]
|-
|5||55秒31||徳田由美子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1989年]][[6月23日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒89||[[金丸祐三]]||[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]||[[2004年]][[10月28日]]
|-
|2||46秒55||木下祐一||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[11月4日]]
|-
|3||46秒65||稲垣誠司||[[広島県立西条農業高等学校]]||[[1990年]][[10月25日]]
|-
|4||46秒72||高橋弘樹||[[福島県立小高工業高等学校]]||[[1995年]][[10月18日]]
|-
|5||46秒75||赤松寿長||[[花園中学校・高等学校|花園高等学校]]||[[2003年]][[10月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||53秒40||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2013年]][[10月7日]]
|-
|2||53秒49||大木彩夏||[[新島学園中学校・高等学校|新島学園高等学校]]||[[2012年]][[6月23日]]
|-
|3||53秒74||山地佳寿美||[[明善高等学校]]||[[1985年]][[10月23日]]
|-
|4||53秒78||高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2018年]][[8月2日]]
|-
|5||54秒05||松尾季奈||[[兵庫県立須磨東高等学校]]||[[2017年]][[10月7日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒47||[[金丸祐三]]||[[大阪高等学校 (私立)|大阪高等学校]]||[[2005年]][[9月19日]]
|-
|2||45秒69||[[加藤修也]]||[[静岡県立浜名高等学校]]||[[2013年]][[11月2日]]
|-
|3||45秒94||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[1996年]][[10月16日]]
|-
|4||46秒10||[[山村貴彦]]||[[清風中学校・高等学校|清風高等学校]]||[[1997年]][[10月4日]]
|-
|5||46秒35||藤森亮||[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|静岡県立浜松西高等学校]]||[[1996年]][[10月16日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||52秒52||[[杉浦はる香]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2013年]][[6月8日]]
|-
|2||52秒99||[[青山聖佳]]||[[島根県立松江商業高等学校]]||[[2014年]][[9月27日]]
|-
|3||53秒17||大木彩夏||[[新島学園中学校・高等学校|新島学園高等学校]]||[[2013年]][[6月8日]]
|-
|4||53秒30||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[7月29日]]
|-
|5||53秒31||高島咲季||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[5月3日]]
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||48秒18||谷川鈴扇||[[邑楽町立邑楽中学校]]||[[2009年]][[8月24日]]
|-
|2||48秒25||柳澤純希||[[七飯町立大中山中学校]]||[[2006年]][[8月21日]]
|-
|3||48秒37||岩崎万知||[[糸魚川市立糸魚川中学校]]||[[1992年]][[8月21日]]
|-
|4||48秒47||西畑匡||[[岡崎市立竜南中学校]]||[[1990年]][[8月19日]]
|-
|rowspan="2"|5||rowspan="2"|48秒48||平川慧||[[うるま市立あげな中学校]]||[[2020年]][[10月18日]]
|-
|タムラ・ラウロ||[[可児市立中部中学校]]||[[2022年]][[6月5日]]
|-
|7||48秒52||堀越勇介||[[大月市立富浜中学校]]||[[1988年]][[10月18日]]
|-
|8||48秒56||伊藤健太||[[草加市立新栄中学校]]||[[2009年]][[8月24日]]
|-
|9||48秒58||山﨑琉惟||[[出雲市立第三中学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|10||48秒66||ブルガ・アリエル||[[佐野市立城東中学校]]||[[2018年]][[8月21日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||55秒66||人見仁菜||[[足寄町立足寄中学校]]||[[2023年]][[10月14日]]
|-
|2||56秒64||井戸アビゲイル風果||[[美濃加茂市立西中学校]]||[[2016年]][[11月3日]]
|-
|3||56秒68||大川寿美香||[[三田国際学園中学校・高等学校|三田国際学園中学校]]||[[2019年]][[3月23日]]
|-
|4||56秒70||建部カオリ||[[浜松市立湖東中学校]]||[[2010年]][[11月3日]]
|-
|5||56秒98||下村香穂||[[神戸市立白川台中学校]]||[[2011年]][[3月19日]]
|-
|6||57秒06||富田理恵||[[浜松市立曳馬中学校]]||[[2000年]][[4月16日]]
|-
|7||57秒08||寺山聡子||[[小郡市立小郡中学校]]||[[1987年]][[6月28日]]
|-
|8||57秒11||中村敏子||[[神戸市立鷹匠中学校]]||[[1978年]][[10月29日]]
|-
|9||57秒28||小林真由美||[[北海道教育大学附属函館中学校|北教大函館中学校]]||[[1989年]][[9月18日]]
|-
|10||57秒41||東田望||[[大和郡山市立郡山南中学校]]||[[1987年]][[5月3日]]
|-
| ||手動|| || ||
|-
|※||55秒9||奥埜めぐみ||[[高砂市立竜山中学校]]||[[1992年]][[6月28日]]<!--
|-
|※||57秒37||向井拓海||[[高松市立一宮中学校]]||[[2012年]][[6月28日]]-->
|}
=== 中学学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学1年歴代最高記録
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||51秒94||有川湧貴||[[浜松市立天竜中学校]]||[[2010年]][[11月13日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学1年歴代最高記録
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||55秒66||人見仁菜||足寄町立足寄中学校||[[2023年]][[10月14日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||49秒18||谷川鈴扇||[[邑楽町立邑楽中学校]]||[[2008年]][[8月21日]]
|-
|2||49秒55||タムラ・ラウロ||[[可児市立中部中学校]]||[[2021年]][[10月30日]]
|-
|3||49秒83||柳澤純希||[[七飯町立大中山中学校]]||[[2005年]][[8月25日]]
|-
|4||49秒97||有川湧貴||[[浜松市立天竜中学校]]||[[2011年]][[11月3日]]
|-
|5||50秒17||西尾隆弘||[[横浜市立十日市場中学校]]||[[1991年]][[8月21日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||57秒75||樫部結香||[[周南市立太華中学校]]||[[2006年]][[9月30日]]
|-
|2||57秒82||大山桜花||[[高松市立香川第一中学校]]||[[2017年]][[9月30日]]
|-
|3||58秒02||松本奈菜子||[[静岡市立清水第四中学校]]||[[2011年]][[3月27日]]
|-
|4||58秒43||山藤好恵||[[足利市立第二中学校]]||[[1996年]][[6月23日]]
|-
|5||58秒50||砂田芽緯||[[姫路市立置塩中学校]]||[[2017年]][[9月10日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||48秒18||谷川鈴扇||[[邑楽町立邑楽中学校]]||[[2009年]][[8月24日]]
|-
|2||48秒25||柳澤純希||[[七飯町立大中山中学校]]||[[2006年]][[8月21日]]
|-
|3||48秒37||岩崎万知||[[糸魚川市立糸魚川中学校]]||[[1992年]][[8月21日]]
|-
|4||48秒47||西畑匡||[[岡崎市立竜南中学校]]||[[1990年]][[8月19日]]
|-
|5||48秒48||タムラ・ラウロ||[[可児市立中部中学校]]||[[2022年]][[6月5日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||56秒64||井戸アビゲイル風果||[[美濃加茂市立西中学校]]||[[2016年]][[11月3日]]
|-
|2||56秒68||大川寿美香||[[三田国際学園中学校・高等学校|三田国際学園中学校]]||[[2019年]][[3月23日]]
|-
|3||56秒70||建部カオリ||[[浜松市立湖東中学校]]||[[2010年]][[11月3日]]
|-
|4||56秒98||下村香穂||[[神戸市立白川台中学校]]||[[2011年]][[3月19日]]
|-
|5||57秒06||富田理恵||[[浜松市立曳馬中学校]]||[[2000年]][[4月16日]]
|}
== 室内の400メートル競走 ==
室内の400mは基本的に1周200mのトラックを2周する。スタートして第2曲走路の終わりまでは割り当てられたレーンを走り、それ以降はオープンレーンとなる。[[200メートル競走#室内の200メートル競走|室内の200m]]と同じく外枠のレーンが有利である。[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]のメダリストも外枠(4-6レーン)の選手が多数を占める。
=== 主な記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/400-metres/indoor/men 400m men indoor records by discipline] - [[国際陸上競技連盟]]</ref><ref name="2018WICSH">[https://www.iaaf.org/ebooks/2018/WIC/index.html IAAF World Indoor Championships Birmingham 2018 statistics handbook (ebook) / WORLD & CONTINENTAL INDOOR RECORDS(男子は240ページ、女子は246ページ参照)] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!記録!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|世界
|-
|[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録]]||44秒52||[[マイケル・アーサー・ノーマン・ジュニア]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}世界記録||44秒80||[[キラニ・ジェームス]]||{{GRN}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2011年]][[2月27日]]
|-
|{{abbr|U18|18歳未満}}世界最高記録||46秒01||{{enlink|Tyrese Cooper|p=off|s=off}}||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2017年]][[2月10日]]
|-
|{{abbr|O35|35歳以上}}世界最高記録||45秒58||[[クリス・ブラウン (陸上選手)|クリス・ブラウン]]||{{BAH}}||[[ソポト]]||[[2014年]][[3月8日]]
|-
|{{abbr|O40|40歳以上}}世界最高記録||48秒95||{{仮リンク|エンリコ・サラセニ|en|Enrico Saraceni}}||{{ITA}}||[[オービエール]]||[[2008年]][[3月22日]]
|-
!colspan="6"|エリア
|-
|[[アフリカ陸上競技連盟|アフリカ]]||45秒51||{{仮リンク|サンデー・バダ|en|Sunday Bada}}||{{NGR}}||[[パリ]]||[[1997年]][[3月9日]]
|-
|[[アジア陸上競技連盟|アジア]]||45秒39||[[アブダレラ・ハルーン]]||{{QAT}}||[[ストックホルム]]||[[2015年]][[2月19日]]
|-
|[[ヨーロッパ陸上競技連盟|ヨーロッパ]]||45秒05||[[トーマス・シェーンレーベ]]||{{GDR}}||[[ジンデルフィンゲン]]||[[1988年]][[2月5日]]
|-
|[[北アメリカ]]||44秒52||[[マイケル・アーサー・ノーマン・ジュニア]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|[[中央アメリカ・カリブ陸上競技連盟|中央アメリカ・カリブ]]<br />[[イギリス連邦|コモンウェルス]]||44秒80||[[キラニ・ジェームス]]||{{GRN}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2011年]][[2月27日]]
|-
|[[南アメリカ陸上競技連盟|南アメリカ]]||46秒07||[[ジョン アレハンドロ・ペルラサ]]||{{COL}}||[[ボストン]]||[[2019年]][[3月9日]]
|-
|[[オセアニア]]||45秒44||{{仮リンク|スティーブン・ソロモン|en|Steven Solomon}}||{{AUS}}||[[クレムソン (サウスカロライナ州)|クレムソン]]||[[2018年]][[2月23日]]
|-
!colspan="6"|大会
|-
|[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]||45秒00||[[ジャリーム・リチャーズ]]||{{TTO}}||[[ベオグラード]]||[[2022年]][[3月19日]]
|-
|[[ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会|ヨーロッパ室内選手権]]||45秒33||[[パヴェル・マスラーク]]||{{CZE}}||[[プラハ]]||[[2015年]][[3月7日]]
|-
|[[アジア室内陸上競技選手権大会|アジア室内選手権]]||45秒88||[[アブダレラ・ハルーン]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2016年]][[2月20日]]
|-
!colspan="6"|日本
|-
|[[陸上競技の日本記録一覧|日本記録]]||45秒76||[[苅部俊二]]||[[富士通]]||[[パリ]]||[[1997年]][[3月9日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}日本記録||47秒69||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校|広島皆実高校]]||[[前橋市|前橋]]||[[1997年]][[2月8日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子<ref name="2018WICSH" /><ref>[http://www.iaaf.org/records/by-discipline/sprints/400-metres/indoor/women 400m women indoor records by discipline] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!記録!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
!colspan="6"|世界
|-
|[[陸上競技の世界記録一覧|世界記録]]||49秒26||{{仮リンク|フェムケ・ボル|en|Femke Bol}}||{{NED}}||[[ヘルダーラント州|ヘルダーランド]]||[[2023年]][[2月19日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}世界記録||50秒36||{{仮リンク|シドニー・マクローリン|en|Sydney McLaughlin}}||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|{{abbr|U18|18歳未満}}世界最高記録||51秒84||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[ニューヨーク]]||[[2016年]][[3月13日]]
|-
|{{abbr|O35|35歳以上}}世界最高記録||51秒99||{{enlink|Helena Fuchsová|p=off|s=off}}||{{CZE}}||[[プラハ]]||[[2001年]][[2月18日]]
|-
|{{abbr|O40|40歳以上}}世界最高記録||56秒15||Barbara Aknin||{{FRA}}||[[クレルモン=フェラン]]||[[2008年]][[3月22日]]
|-
!colspan="6"|エリア
|-
|[[アフリカ陸上競技連盟|アフリカ]]||50秒73||{{仮リンク|チャリティ・オパラ|en|Charity Opara}}||{{NGR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1998年]][[2月1日]]
|-
|[[アジア陸上競技連盟|アジア]]||51秒45||{{仮リンク|アデコヤ・オルワケミ|en|Kemi Adekoya}}||{{BHR}}||[[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]||[[2016年]][[3月19日]]
|-
|[[ヨーロッパ陸上競技連盟|ヨーロッパ]]||49秒26||{{仮リンク|フェムケ・ボル|en|Femke Bol}}||{{NED}}||[[ヘルダーラント州|ヘルダーランド]]||[[2023年]][[2月19日]]
|-
|[[北アメリカ]]||49秒48A||[[ブリットン・ウィルソン]]||{{USA}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|[[中央アメリカ・カリブ陸上競技連盟|中央アメリカ・カリブ]]||50秒21||[[ショーナ・ミラー=ウイボ|ショーナ・ミラー=ウィボ]]||{{BAH}}||[[ニューヨーク]]||[[2021年]][[2月13日]]
|-
|[[南アメリカ陸上競技連盟|南アメリカ]]||51秒57||[[アリーヤー・エイブラムス]]||{{GUY}}||[[ニューヨーク]]||[[2022年]][[3月18日]]
|-
|[[オセアニア]]||52秒17||[[マリー・ホーランド]]||{{AUS}}||[[ブダペスト]]||[[1989年]][[3月4日]]
|-
|[[イギリス連邦|コモンウェルス]]||50秒02||{{仮リンク|ニコラ・サンダース|en|Nicola Sanders}}||{{GBR}}<br />({{ENG}})||[[バーミンガム]]||[[2007年]][[5月3日]]
|-
!colspan="6"|大会
|-
|[[世界室内陸上競技選手権大会|世界室内選手権]]||50秒04||[[オレシャ・クラスノモベツ]]||{{RUS}}||[[モスクワ]]||[[2006年]][[3月12日]]
|-
|[[ヨーロッパ室内陸上競技選手権大会|ヨーロッパ室内選手権]]||49秒59||[[ヤルミラ・クラトフビロバ]]||{{TCH}}||[[ミラノ]]||[[1982年]][[3月7日]]
|-
|[[アジア室内陸上競技選手権大会|アジア室内選手権]]||51秒67||{{仮リンク|アデコヤ・オルワケミ|en|Kemi Adekoya}}||{{BHR}}||[[ドーハ]]||[[2016年]][[2月20日]]
|-
!colspan="6"|日本
|-
|[[陸上競技の日本記録一覧|日本記録]]||53秒64||[[丹野麻美]]||[[福島大学]]||[[天津市|天津]]||[[2005年]][[3月1日]]
|-
|{{abbr|U20|20歳未満}}日本記録||55秒35||小林美佳||[[兵庫県立姫路商業高等学校|姫路商業高校]]||[[天津市|天津]]||[[1996年]][[2月27日]]
|}
=== 世界歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/400-metres/indoor/men/senior 400m men indoor All time best] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||44秒52||[[マイケル・アーサー・ノーマン・ジュニア|マイケル・ノーマン]]||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|2||44秒57||[[カーロン・クレメント]]||{{USA}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2005年]][[3月12日]]
|-
|3||44秒62||{{仮リンク|ランドルフ・ロス (陸上選手)|label=ランドルフ・ロス|en|Randolph Ross|preserve=1}}||{{USA}}||[[バーミンガム (アラバマ州)|バーミンガム]]||[[2022年]][[3月12日]]
|-
|4||44秒63||[[マイケル・ジョンソン]]||{{USA}}||[[アトランタ]]||[[1995年]][[3月4日]]
|-
|5||44秒75||[[イライジャ・ゴッドウィン]]||{{USA}}||[[ファイエットビル]]||[[2023年]][[2月25日]]
|-
|6||44秒78||[[ノア・ウィリアムズ]]||{{USA}}||[[ファイエットビル]]||[[2021年]][[3月13日]]
|-
|7||44秒80||[[キラニ・ジェームス]]||{{GRN}}||[[フェイエットビル (アーカンソー州)|フェイエットビル]]||[[2011年]][[2月27日]]
|-
|8||44秒82||[[ティレル・リチャード]]||{{USA}}||[[バーミンガム]]||[[2019年]][[3月9日]]
|-
|9||44秒85||{{仮リンク|フレッド・カーリー (陸上選手)|label=フレッド・カーリー|en|Fred Kerley|preserve=1}}||{{USA}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2017年]][[3月11日]]
|-
|10||44秒86||[[アキーム・ブルームフィールド]]||{{JAM}}||[[カレッジステーション (テキサス州)|カレッジステーション]]||[[2018年]][[3月10日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子<ref>[http://www.iaaf.org/records/toplists/sprints/400-metres/indoor/women/senior 400m women indoor All time best] - [[国際陸上競技連盟]]</ref>
!!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||49秒26||{{仮リンク|フェムケ・ボル|en|Femke Bol}}||{{NED}}||[[ヘルダーラント州|ヘルダーランド]]||[[2023年]][[2月19日]]
|-
|2||49秒48A||[[ブリットン・ウィルソン]]||{{USA}}||[[アルバカーキ|アルバーカキ]]||[[2023年]][[3月11日]]
|-
|3||49秒59||[[ヤルミラ・クラトフビロバ]]||{{TCH}}||[[ミラノ]]||[[1982年]][[3月7日]]
|-
|4||49秒68||[[ナタリア・ナザロワ]]||{{RUS}}||[[モスクワ]]||[[2004年]][[2月18日]]
|-
|5||49秒76||{{enlink|Taťána Kocembová|p=off|s=off}}||{{TCH}}||[[ウィーン]]||[[1984年]][[2月2日]]
|-
|6||50秒01||[[ザビーネ・ブッシュ]]||{{GDR}}||[[ウィーン]]||[[1984年]][[2月2日]]
|-
|7||50秒02||{{仮リンク|ニコラ・サンダース|en|Nicola Sanders}}||{{GBR}}||[[バーミンガム]]||[[2007年]][[3月3日]]
|-
|8||50秒04||[[オレシャ・クラスノモベツ]]||{{RUS}}||[[モスクワ]]||[[2006年]][[2月18日]]
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|50秒15||{{enlink|Olga Zaytseva|p=off|s=off}}||{{RUS}}||[[モスクワ]]||[[2006年]][[1月25日]]
|-
|[[タリサ・ディグス]]||{{USA}}||[[ファイエットビル]]||[[2023年]][[2月25日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
|-
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1991||[[1991年世界陸上競技選手権大会|第3回世界陸上競技選手権大会(東京)]]||{{JPN}}||[[高野進]]||7位||45秒39
|-
|1992||[[バルセロナオリンピック|第25回オリンピック競技大会(バルセロナ)]]||{{ESP}}||[[高野進]]||8位||45秒18
|-
|}
*[[高野進]]が1991年[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]400mで決勝進出を果たして45秒39で7位入賞。1992年[[1992年バルセロナオリンピックの陸上競技|バルセロナ五輪]]400mでも決勝進出、日本のオリンピック短距離選手として1932年[[1932年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルス五輪]]の[[吉岡隆徳]]以来となる60年ぶりのファイナリストとなり45秒18で8位入賞の成績を残した。なお、バルセロナ五輪を最後に、日本から男子400mのファイナリストは誕生していない。
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
* [[クォーターホース]](1/4マイル(約400m)での競走目的に作られた馬。人を背負って402mを20秒274で走破する。)
== 脚注 ==
{{Reflist|group=注}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟 (IAAF)]{{en icon}}
* [http://www.jaaf.or.jp/fan/ 日本陸上競技連盟 (JAAF)]{{ja icon}}
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]{{en icon}}
{{陸上競技}}
{{デフォルトソート:400めとるきようそう}}
[[Category:陸上競技種目]]
[[Category:短距離走]]
|
2003-07-13T09:21:18Z
|
2023-10-14T15:52:32Z
| false | false | false |
[
"Template:GRN",
"Template:DOM",
"Template:NAM",
"Template:UZB",
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"Template:TCH",
"Template:JAM",
"Template:ENG",
"Template:ESP",
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"Template:要出典",
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"Template:陸上競技",
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/400%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0
|
11,364 |
800メートル競走
|
800メートル競走(800メートルきょうそう、英語: 800 metres)は、800メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、中距離走に分類される。
陸上トラックを2周する。スタート直後はセパレートゾーンを走り、1周目第2コーナーを抜けるとオープンレーンになる。
近年では世界のトップレベルが100m当たり13秒を切るなどスピード化の傾向が著しい。その様な短距離走に近いスピードで疾走する上、オープンレーン区間に入ってからのポジション争いや駆け引きなどが激しく、接触・転倒などのアクシデントも多いため、「陸上の格闘技」という異名があり、欧州などでは注目度と人気が高い。競技会や関係者の間では800m(800メートル)や800と略される場合がほとんどである。また、中学校や高等学校の体育祭などでは800メートル走と呼ばれることもある。
800m競走での現在の世界における日本選手のレベルは男女とも高いとは言えないが、オリンピックの日本女子選手における最初のメダルは、1928年アムステルダムオリンピックにおいてこの種目で獲得した人見絹枝の銀メダルである。だがその当時、女子800mは日本陸連から公認記録としては認められず、人見の成績は公認されても記録は公認されなかった。女子800mの公式記録が公認されたのは1929年からである。
*記録を出した当時はソビエト連邦
*記録を出した当時はソビエト連邦
|
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] |
800メートル競走は、800メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、中距離走に分類される。
|
'''800メートル競走'''(800メートルきょうそう、{{lang-en|800 metres}})は、800[[メートル]]を走るタイムを競う[[陸上競技]]のトラック種目で、[[中距離走]]に分類される。
== 概要 ==
陸上トラックを2周する。スタート直後はセパレートゾーンを走り<ref>競技会によっては、参加人数・実施組数・トラックのレーン数の兼ね合いから、この種目のみ1つのレーンに2人の選手が入った状態でスタートすることがある。</ref>、1周目第2コーナーを抜けるとオープンレーンになる。
近年では世界のトップレベルが100m当たり13秒を切るなどスピード化の傾向が著しい。その様な[[短距離走]]に近いスピードで疾走する上、オープンレーン区間に入ってからのポジション争いや駆け引きなどが激しく、接触・転倒などのアクシデントも多いため、「'''陸上の格闘技'''」という異名があり、[[ヨーロッパ|欧州]]などでは注目度と人気が高い。競技会や関係者の間では'''800m(800メートル)'''や'''800'''と略される場合がほとんどである。また、[[中学校]]や[[高等学校]]の[[運動会|体育祭]]などでは'''800メートル走'''と呼ばれることもある。
800m競走での現在の世界における日本選手のレベルは男女とも高いとは言えないが、[[夏季オリンピック|オリンピック]]の日本女子選手における最初のメダルは、[[1928年アムステルダムオリンピック]]において[[1928年アムステルダムオリンピックの陸上競技・女子800m|この種目]]で獲得した[[人見絹枝]]の銀メダルである。だがその当時、女子800mは[[日本陸上競技連盟|日本陸連]]から公認記録としては認められず、人見の成績は公認されても記録は公認されなかった。女子800mの公式記録が公認されたのは[[1929年]]からである<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号326p</ref>。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分40秒91||[[デイヴィッド・ルディシャ]]||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|-
|2||1分41秒11||[[ウィルソン・キプケテル]]||{{DNK}}||[[ケルン]]||[[1997年]][[8月24日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|1分41秒73||[[セバスチャン・コー]]||{{GBR}}||[[フィレンツェ]]||[[1981年]][[6月10日]]
|-
||[[ナイジェル・アモス]]||{{BOT}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|-
|5||1分41秒77||[[ジョアキン・クルス]]||{{BRA}}||[[ケルン]]||[[1984年]][[8月26日]]
|-
|6||1分42秒05||{{仮リンク|エマニュエル・コリル|en|Emmanuel Korir}}||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2018年]][[7月22日]]
|-
|7||1分42秒23||[[アブバケール・カキ]]||{{SUD}}||[[オスロ]]||[[2010年]][[6月4日]]
|-
|8||1分42秒28||{{仮リンク|サミー・コスケイ|en|Sammy Koskei}}||{{KEN}}||[[ケルン]]||[[1984年]][[8月26日]]
|-
|rowspan="2"|9||rowspan="2"|1分42秒34||[[ウィルフレッド・ブンゲイ]]||{{KEN}}||[[リエティ]]||[[2002年]][[9月8日]]
|-
||{{仮リンク|ドノヴァン・ブレイザー|en|Donavan Brazier}}||{{USA}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月1日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分53秒28||[[ヤルミラ・クラトフビロバ]]||{{CSR}}||[[ミュンヘン]]||[[1983年]][[7月26日]]
|-
|2||1分53秒43||[[ナデジダ・オリザレンコ]]||{{SSR1955}}||[[モスクワ]]||[[1980年]][[7月27日]]
|-
|3||1分54秒01||[[パメラ・ジェリモ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[2008年]][[8月29日]]
|-
|4
|1分54秒25
|[[キャスター・セメンヤ]]
|{{RSA}}
|[[パリ]]
|[[2018年]][[6月30日]]
|-
|5||1分54秒44||[[アナ・フィデリア・キロット]]||{{CUB}}||[[バルセロナ]]||[[1989年]][[9月9日]]
|-
|6||1分54秒81||{{仮リンク|オルガ・ミネエワ|en|Olga Mineyeva}}||{{SSR1955}}||[[モスクワ]]||[[1980年]][[7月27日]]
|-
|7||1分54秒94||[[タチアナ・カザンキナ]]||{{SSR1955}}||[[モントリオール]]||[[1976年]][[7月26日]]
|-
|8||1分55秒04||[[アシング・ムー]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|9||1分55秒05||[[ドイナ・メリンテ]]||{{ROM1965}}||[[ブカレスト]]||[[1982年]][[8月1日]]
|-
|rowspan="2"|10||rowspan="2"|1分55秒19||[[マリア・ムトラ]]||{{MOZ}}||[[チューリッヒ]]||[[1994年]][[8月17日]]
|-
|[[ヨランダ・チェプラク]]||{{SLO}}||{{仮リンク|ヒュースデン=ゾルダー|en|Heusden-Zolder}}||[[2002年]][[7月20日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||1分40秒91||[[デイヴィッド・レクタ・ルディシャ]]||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|-
|[[アジア]]||1分42秒79||[[ユスフ・サード・カメル]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2008年]][[7月29日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||1分41秒11||[[ウィルソン・キプケテル]]||{{DEN}}||[[ケルン]]||[[1997年]][[8月24日]]
|-
|[[北アメリカ]]||1分42秒34||[[ドノヴァン・ブレイザー]]||{{USA}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月1日]]
|-
|[[南アメリカ]]||1分41秒77||[[ジョアキン・クルス]]||{{BRA}}||[[ケルン]]||[[1984年]][[8月26日]]
|-
|[[オセアニア]]||1分44秒00||{{仮リンク|ピーター・ボル|en|Peter Bol (runner)}}||{{AUS}}||[[パリ]]||[[2022年]][[6月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||1分54秒01||[[パメラ・ジェリモ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[2008年]][[8月29日]]
|-
|[[アジア]]||1分55秒54||[[劉東]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||1分53秒28||[[ヤルミラ・クラトフビロバ]]||{{CSR}}||[[ミュンヘン]]||[[1983年]][[7月26日]]
|-
|[[北アメリカ]]||1分54秒44||[[アナ・フィデリア・キロット]]||{{CUB}}||[[バルセロナ]]||[[1989年]][[9月9日]]
|-
|[[南アメリカ]]||1分56秒68||[[レティティア・フリースデ]]||{{SUR}}||[[ヨーテボリ]]||[[1995年]][[8月13日]]
|-
|[[オセアニア]]||1分58秒09||[[カトリオナ・ビセット]]||{{AUS}}||[[ホジュフ]]||[[2021年]][[6月20日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分41秒73||[[ナイジェル・アモス]]||{{BOT}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|-
|2||1分42秒37||[[モハメド・アマン]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2013年]][[9月6日]]
|-
|3||1分42秒53||[[ティモシー・キトゥム]]||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|-
|4||1分42秒69||[[アブバケール・カキ]]||{{SUD}}||[[オスロ]]||[[2008年]][[6月6日]]
|-
|5||1分43秒13||[[アブラハム・キプチルチル・ロティッチ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2012年]][[7月20日]]
|-
|6||1分43秒27||[[エマニョエル・ワニョンイ]]||{{KEN}}||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|7||1分43秒40||[[レオナルド・キルワ・コセンチャ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2012年]][[7月20日]]
|-
|8||1分43秒55||[[ドノヴァン・ブレイザー]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2016年]][[6月10日]]
|-
|9||1分43秒56||[[ロベルト・キプトゥー・ビウォット]]||{{KEN}}||[[バルセロナ]]||[[2015年]][[7月8日]]
|-
|10||1分43秒64||[[ジャペス・キムタイ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[1997年]][[8月13日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分54秒01||[[パメラ・ジェリモ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[2008年]][[8月29日]]
|-
|2||1分55秒04||[[アシング・ムー]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|3||1分55秒45||[[キャスター・セメンヤ]]||{{RSA}}||[[ベルリン]]||[[2009年]][[8月19日]]
|-
|4
|1分55秒88
|[[キーリー・ホジキンソン]]
|{{GBR}}
|[[東京]]
|[[2021年]][[8月3日]]
|-
|5||1分56秒59||[[フランシーヌ・ニヨンサバ]]||{{BDI}}||[[ブリュッセル]]||[[2012年]][[9月7日]]
|-
|6||1分57秒18||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|7||1分57秒45||[[ヒルデカルト・ウルリッヒコーナー]]||{{GDR}}||[[プラハ]]||[[1978年]][[8月31日]]
|-
|8||1分57秒62||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月22日]]
|-
|9||1分57秒63||[[マリア・ムトラ]]||{{MOZ}}||[[東京]]||[[1991年]][[8月26日]]
|-
|10||1分57秒74||[[サイリー・ディアゴ]]||{{CUB}}||[[ハバナ]]||[[2014年]][[5月25日]]
|-
|}
=== U18世界最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1分42秒53||[[ティモシー・キトゥム]]||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2012年]][[8月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1分57秒18||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分42秒79||[[ユスフ・サード・カメル]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2008年]][[7月29日]]
|-
|2||1分43秒66||[[モハメド・アルサリ]]||{{KSA}}||[[ローマ]]||[[2009年]][[5月8日]]
|-
|3||1分43秒82||[[ムサブ・アブドゥラーマン・バラ]]||{{QAT}}||[[バルセロナ]]||[[2015年]][[7月8日]]
|-
|4||1分43秒86||[[アブドゥルアズィーズ・ラダン・モハマド]]||{{KSA}}||[[パレンバン]]||[[2013年]][[9月26日]]
|-
|5||1分44秒02||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[リエティ]]||[[2007年]][[9月9日]]
|-
|6||1分44秒05||[[ラシド・ラムジ]]||{{BHR}}||[[マドリード]]||[[2006年]][[7月17日]]
|-
|7||1分44秒13||[[モハメド・ムトラック・アル=アジミ]]||{{KUW}}||[[アテネ]]||[[2006年]][[7月3日]]
|-
|8||1分44秒14||[[李鎮日]]||{{KOR}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1994年]][[6月17日]]
|-
|9||1分44秒27||[[マジド・サイード・スルタン]]||{{QAT}}||[[仁川広域市|仁川]]||[[2005年]][[9月4日]]
|-
|10||1分44秒33||[[アブバケール・ハイダル・アブダラ]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[4月22日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分55秒54||[[劉東]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|2||1分56秒0||[[ワレンティナ・ゲラシモワ]]||{{KAZ}}||[[キエフ]]||[[1976年]][[6月12日]]*
|-
|3||1分56秒21||[[ザミラ・ザイツェワ]]||{{UZB}}||[[レニングラード]]||[[1983年]][[7月27日]]*
|-
|4||1分56秒24||[[曲雲霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|5||1分56秒96||[[劉莉]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|6
|1分57秒00
|[[王春雨]]
|{{CHN}}
|[[東京]]
|[[2021年]][[8月3日]]
|-
|7||1分57秒18||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|8||1分57秒54||[[ナデージダ・ザボロティネワ]]||{{KAZ}}||[[モスクワ]]||[[1986年]][[7月6日]]*
|-
|9||1分57秒62||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月22日]]
|-
|10||1分57秒77||[[呂億]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月9日]]
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
== U20アジア歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分44秒02||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[リエティ]]||[[2007年]][[9月9日]]
|-
|2||1分44秒27||[[マジド・サイード・スルタン]]||{{QAT}}||[[仁川広域市|仁川]]||[[2005年]][[9月4日]]
|-
|3||1分44秒39||[[モハメド・アルサリ]]||{{KSA}}||[[ラピンラハティ]]||[[2005年]][[7月3日]]
|-
|4||1分46秒08||[[アリ・アル・デラーン]]||{{KSA}}||[[インディアナポリス]]||[[2009年]][[6月17日]]
|-
|5||1分46秒34||[[李鎮日]]||{{KOR}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1992年]][[9月18日]]
|-
|6||1分46秒39||[[ハンザ・ドリウッチ]]||{{QAT}}||[[コロンボ]]||[[2011年]][[6月12日]]
|-
|7||1分46秒51||[[アブドゥラーマン・スレイマン]]||{{QAT}}||[[カストル (タルヌ県)|カストル]]||[[2003年]][[8月6日]]
|-
|8||1分46秒56||[[Haining Teng]]||{{CHN}}||[[コロンボ]]||[[2012年]][[6月12日]]
|-
|9
|1分46秒59
|[[クレイ・アーロン・竜波]]
|{{JPN}}
|[[福岡県|福岡]]
|[[2019年]][[6月28日]]
|-
|10||1分46秒63||[[サレム・アメール・アル=バドリ]]||{{QAT}}||[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]||[[2002年]][[7月19日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||1分57秒18||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|2||1分57秒62||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月22日]]
|-
|3||1分57秒77||[[呂億]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|4||1分58秒16||[[林娜]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月22日]]
|-
|5||1分59秒01||[[劉琪芳]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|-
|6||1分59秒74||[[劉青]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[2005年]][[10月21日]]
|-
|7||2分00秒44||[[張小蘭]]||{{CHN}}||[[鄭州市|鄭州]]||[[1998年]][[6月14日]]
|-
|8||2分00秒65||[[リュボフ・キリュクヒナ・チョーマ]]||{{UZB}}||[[キエフ]]||[[1982年]][[7月27日]]*
|-
|9||2分00秒73||[[畢坦娜]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[1996年]][[5月5日]]
|-
|10||2分01秒34||[[王春雨]]||{{CHN}}||[[南昌市|南昌]]||[[2011年]][[10月23日]]
|}
*記録を出した当時はソビエト連邦
=== U18アジア最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1分44秒34||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[コネリアーノ・ベネト]]||[[2005年]][[6月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1分57秒18||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
| rowspan="2" |1|| rowspan="2" |1分45秒75||[[川元奨]]||[[日本大学]]||[[2014年]][[5月11日]]
|-
|[[源裕貴]]
|[[環太平洋大学]]
|[[2021年]][[7月17日]]
|-
|3
|1分45秒85
|[[金子魅玖人]]
|[[中央大学]]
|[[2021年]][[7月17日]]
|-
|4||1分46秒16||[[横田真人 (陸上選手)|横田真人]]||[[慶應義塾大学]]||[[2009年]][[10月18日]]
|-
|5
|1分46秒17
|[[薄田健太郎]]
|[[筑波大学]]
|[[2022年]][[5月3日]]
|-
|6||1分46秒18||[[小野友誠]]||[[法政大学]]||[[1994年]][[6月26日]]
|-
|7||1分46秒22||[[近野義人]]||[[ダイエー]]||[[1994年]][[6月29日]]
|-
|8
|1分46秒49
|[[四方悠瑚]]
|[[宝塚市陸協]]
|[[2022年]][[5月3日]]
|-
| rowspan="2" |9|| rowspan="2" |1分46秒52||[[松本啓典]]||[[自衛隊体育学校]]||[[2010年]][[10月11日]]
|-
|[[松本純弥 (陸上選手)|松本純弥]]||FAJ||[[2023年]][[6月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分00秒45||[[佐藤美保|杉森美保]]||[[京セラ]]||[[2005年]][[6月5日]]
|-
|2||2分00秒92||[[北村夢]]||[[日本体育大学]]||[[2017年]][[9月10日]]
|-
|3||2分01秒90||[[久保瑠里子]]||[[デオデオ]]||[[2011年]][[8月6日]]
|-
|4||2分02秒10||[[西村美樹]]||[[東京学芸大学]]||[[2003年]][[6月8日]]
|-
|5||2分02秒36||[[田中希実]]||[[豊田自動織機|豊田自動織機TC]]||[[2021年]][[9月20日]]
|-
|6||2分02秒57||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|7||2分02秒64||[[千葉麻美|丹野麻美]]||[[ナチュリル]]||[[2009年]][[10月4日]]
|-
|8||2分02秒71||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学]]||[[2018年]][[5月3日]]
|-
|9||2分02秒74||[[卜部蘭]]||[[NIKE TOKYO TC]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|10||2分03秒08||[[池崎愛里]]||[[ダイソー]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
| rowspan="2" |1|| rowspan="2" |1分45秒75||[[川元奨]]||[[日本大学]]||[[2014年]][[5月11日]]
|-
|[[源裕貴]]
|[[環太平洋大学]]
|[[2021年]][[7月17日]]
|-
|3
|1分45秒85
|[[金子魅玖人]]
|[[中央大学]]
|[[2021年]][[7月17日]]
|-
|4||1分46秒16||[[横田真人 (陸上選手)|横田真人]]||[[慶應義塾大学]]||[[2009年]][[10月18日]]
|-
|5
|1分46秒17
|[[薄田健太郎]]
|[[筑波大学]]
|[[2022年]][[5月3日]]
|-
|6||1分46秒18||[[小野友誠]]||[[法政大学]]||[[1994年]][[6月26日]]
|-
|7
|1分46秒73
|[[根本大輝]]
|[[順天堂大学]]
|[[2022年]][[5月3日]]
|-
|8 ||1分47秒02||[[松本純弥 (陸上選手)|松本純弥]]||[[法政大学]]||[[2020年]][[9月13日]]
|-
| rowspan="2" |9|| rowspan="2" |1分47秒13||[[村松寛久]]||[[山梨学院大学]]||[[1996年]][[9月16日]]
|-
|[[山﨑優希]]||[[広島経済大学]]||[[2022年]][[6月22日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分00秒92||[[北村夢]]||[[日本体育大学]]||[[2017年]][[9月10日]]
|-
|2||2分02秒10||[[西村美樹]]||[[東京学芸大学]]||[[2003年]][[6月8日]]
|-
|3||2分02秒71||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学]]||[[2018年]][[5月3日]]
|-
|4||2分02秒73||[[塩見綾乃]]||[[立命館大学]]||[[2018年]][[5月20日]]
|-
|5||2分03秒42||[[陣内綾子]]||[[佐賀大学]]||[[2008年]][[10月4日]]
|-
|6||2分03秒45||[[岡本久美子 (陸上選手)|岡本久美子]]||[[筑波大学]]||[[1995年]][[8月30日]]
|-
|7||2分03秒52||[[真下まなみ]]||[[筑波大学]]||[[2012年]][[10月21日]]
|-
|8
|2分03秒75
|[[渡辺愛]]
|[[園田学園女子大学]]
|[[2023年]][[7月5日]]
|-
|9||2分03秒96||[[大森郁香]]||[[日本大学]]||[[2014年]][[5月25日]]
|-
|10||2分04秒27||伊藤美穂||[[順天堂大学]]||[[2014年]][[5月25日]]
|-
|}
== U20日本歴代10傑 ==
* 樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分46秒59||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]|||[[2019年]][[6月28日]]
|-
|2||1分46秒89||[[川元奨]]||[[日本大学]]||[[2012年]][[5月26日]]
|-
|3||1分47秒13||[[村松寛久]]||[[山梨学院大学]]||[[1996年]][[9月16日]]
|-
|4||1分47秒28||[[小野友誠]]||[[法政大学]]||[[1993年]][[4月29日]]
|-
|5||1分47秒30||[[金子魅玖人]]||[[中央大学]]||[[2020年]][[8月23日]]
|-
|6||1分47秒67||[[舘義和]]||[[順天堂大学]]||[[1988年]][[10月10日]]
|-
|7||1分47秒69||[[後田築]]||[[創成館高等学校]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|8||1分47秒80||[[松本純弥 (陸上選手)|松本純弥]]||[[法政大学]]||[[2019年]][[6月27日]]
|-
|9||1分47秒92||[[落合晃]]||[[滋賀学園中学校・高等学校|滋賀学園高等学校]]||[[2023年]][[8月5日]]
|-
|10||1分47秒97||[[立迫大徳]]||[[鹿児島城西高等学校]]||[[2023年]][[10月17日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分02秒23||[[西村美樹]]||[[東京学芸大学]]||[[2001年]][[5月12日]]
|-
|2||2分02秒57||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|3||2分02秒71||[[川田朱夏]]||[[東大阪大学]]||[[2018年]][[5月3日]]
|-
|4||2分03秒45||[[岡本久美子 (陸上選手)|岡本久美子]]||[[筑波大学]]||[[1995年]][[8月30日]]
|-
|5||2分03秒99||[[陣内綾子]]||[[佐賀大学]]||[[2005年]][[6月5日]]
|-
|6||2分04秒29||[[福田翔子]]||[[島根県立松江北高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
|7||2分04秒35||[[竹澤涼子]]||大阪陸協||[[1998年]][[12月15日]]
|-
|8||2分04秒44||[[久保瑠里子]]||[[広島県立広島井口高等学校]]||[[2006年]][[7月2日]]
|-
|9||2分04秒53||[[池田真理子]]||[[ワコール]]||[[1994年]][[6月12日]]
|-
|10||2分04秒73||[[ヒリアー紗璃苗]]||[[明星中学校・高等学校 (東京都)|明星高等学校]]||[[2019年]][[6月29日]]
|}
=== U18日本最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1分46秒59||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[6月28日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|2分04秒44||[[久保瑠里子]]||[[広島県立広島井口高等学校]]||[[2006年]][[7月2日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分46秒59||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[6月28日]]
|-
|2||1分47秒69||後田築||[[創成館高等学校]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|3||1分47秒92||落合晃||[[滋賀学園中学校・高等学校|滋賀学園高等学校]]||[[2023年]][[8月5日]]
|-
|4||1分47秒97||立迫大徳||[[鹿児島城西高等学校]]||[[2023年]][[10月17日]]
|-
|5||1分48秒08||前田恋弥||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2014年]][[10月19日]]
|-
|6||1分48秒26||兵藤ジュダ||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2021年]][[7月31日]]
|-
|7||1分48秒46||[[川元奨]]||[[長野県北佐久農業高等学校]]||[[2010年]][[10月24日]]
|-
|8||1分48秒50||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[1999年]][[5月30日]]
|-
|9||1分48秒57||久田朔||[[大阪市立桜宮高等学校]]||[[2021年]][[7月31日]]
|-
|10||1分48秒62||三武潤||[[城西大学附属城西中学校・高等学校|城西大学附属城西高等学校]]||[[2012年]][[8月1日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分02秒57||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|2||2分02秒74||川田朱夏||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|3||2分04秒00||[[西村美樹]]||[[東京高等学校 (私立)|東京高等学校]]||[[2000年]][[8月5日]]
|-
|4||2分04秒15||西田有里||[[滋賀県立草津東高等学校]]||[[2023年]][[9月30日]]
|-
|5||2分04秒29||[[福田翔子]]||[[島根県立松江北高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
|6||2分04秒44||久保瑠里子||[[広島県立広島井口高等学校]]||[[2006年]][[7月2日]]
|-
|7||2分04秒73||ヒリアー紗璃苗||[[明星中学校・高等学校 (東京都)|明星高等学校]]||[[2019年]][[6月29日]]
|-
|8||2分04秒82||[[新井文子]]||[[高崎健康福祉大学高崎高等学校|群馬女子短期大学附属高等学校]]||[[1985年]][[10月23日]]
|-
|9||2分04秒85||池崎愛里||[[広島市立舟入高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
|10||2分05秒16||平野綾子||[[神奈川県立横須賀高等学校]]||[[2012年]][[8月1日]]
|}
*2002年より[[日本国籍]]のない高校生の記録は日本高校国内国際記録とされた。
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分52秒56||ジェームス・ムワンギ||[[青森山田中学校・高等学校|青森山田高等学校]]||[[2002年]][[8月5日]]
|-
|2||1分53秒82||カラム・イムラン||[[東海大学付属第三高等学校]]||[[2010年]][[6月19日]]
|-
|3||1分57秒46||マーティン・ワウエル||[[青森山田中学校・高等学校|青森山田高等学校]]||[[2005年]][[5月22日]]
|-
|4||1分58秒40||ジョセフ・モワウラ・カマウ||[[おかやま山陽高等学校]]||[[2003年]][[5月26日]]
|-
|5||1分58秒67||ウィリアム・デラング||[[青森山田中学校・高等学校|青森山田高等学校]]||[[2007年]][[5月26日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分05秒27||ジュリア・モンビ||[[青森山田中学校・高等学校|青森山田高等学校]]||[[2002年]][[8月5日]]
|-
|2||2分05秒56||オンゴリ・モラー・フィレス||[[山梨学院大学附属中学校・高等学校|山梨学院大学附属高等学校]]||[[2004年]][[8月5日]]
|-
|3||2分06秒88||オバレ・ドリカ||[[山梨学院大学附属中学校・高等学校|山梨学院大学附属高等学校]]||[[2006年]][[8月4日]]
|-
|4||2分08秒66||ルーシー・ワゴイ・カブー||[[青森山田高等学校]]||[[2000年]][[8月5日]]
|-
|5||2分10秒17||グレース・キフバ||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[2009年]][[7月31日]]
|}
=== 高校学年別記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|1分50秒19
|落合晃
|[[滋賀学園中学校・高等学校|滋賀学園高等学校]]
|[[2022年]][[6月19日]]
|-
|2||1分50秒33||[[菊池晴太]]||[[岩手県立盛岡第四高等学校]]||[[2023年]][[10月17日]]
|-
|3||1分50秒67||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|4||1分51秒06||小野友誠||[[静岡県立浜松商業高等学校]]||[[1989年]][[10月29日]]
|-
|5||1分51秒40||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[1997年]][[6月22日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分05秒84||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2004年]][[6月20日]]
|-
|2||2分06秒19||[[久保凛]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2023年]][[6月18日]]
|-
|3||2分06秒22||[[市川良子]]||[[洗足学園中学校・高等学校|洗足学園高等学校]]||[[1992年]][[10月25日]]
|-
|4||2分07秒11||倉岡奈々||[[鹿児島市立鹿児島女子高等学校]]||[[2013年]][[8月2日]]
|-
|5||2分07秒12||上田万葵||[[広島市立舟入高等学校]]||[[2017年]][[10月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分47秒51||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校]]||[[2018年]][[10月14日]]
|-
|2||1分47秒92||落合晃||[[滋賀学園中学校・高等学校|滋賀学園高等学校]]||[[2023年]][[8月5日]]
|-
|3||1分48秒87||後田築||[[創成館高等学校]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|4||1分49秒58||立迫大徳||[[鹿児島城西高等学校]]||[[2022年]][[6月12日]]
|-
|5||1分49秒92||坂元龍晟||[[鹿児島県立鹿児島南高等学校]]||[[2022年]][[5月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分05秒03||川田朱夏||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
|2||2分05秒30||徳田由美子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1990年]][[9月28日]]
|-
|3||2分05秒36||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|-
|4||2分05秒69||竹澤涼子||[[大分県立鶴崎工業高等学校]]||[[1996年]][[10月16日]]
|-
|5||2分05秒79||[[橋本歩]]||[[和歌山県立日高高等学校]]||[[2000年]][[6月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|1分46秒59
|[[クレイ・アーロン・竜波]]
|[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]
|[[2019年]][[6月28日]]
|-
|2||1分47秒69||後田築||[[創成館高等学校]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|3||1分48秒08||前田恋弥||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2014年]][[10月19日]]
|-
|4||1分48秒26||[[兵藤ジュダ]]||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2021年]][[7月31日]]
|-
|5||1分48秒46||[[川元奨]]||[[長野県北佐久農業高等学校]]||[[2010年]][[10月24日]]
|-
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分02秒57||[[塩見綾乃]]||[[京都文教中学校・高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|2||2分02秒74||川田朱夏||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2017年]][[8月1日]]
|-
|3||2分04秒00||[[西村美樹]]||[[東京高等学校 (私立)|東京高等学校]]||[[2000年]][[8月5日]]
|-
|4||2分04秒15||[[西田有里]]||[[滋賀県立草津東高等学校]]||[[2023年]][[9月30日]]
|-
|5||2分04秒29||[[福田翔子]]||[[島根県立松江北高等学校]]||[[2016年]][[8月1日]]
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable sortable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分52秒43||馬場勇一郎||[[豊田市立上郷中学校]]||[[2016年]][[7月27日]]
|-
|2||1分52秒44||杉本仁||[[瀬戸内市立邑久中学校]]
|[[2019年]][[10月15日]]
|-
|3||1分53秒15||和田仁志||[[駒ヶ根市立赤穂中学校]]||[[1983年]][[8月28日]]
|-
|4||1分53秒27||[[辻隼]]||[[敦賀気比高等学校・付属中学校|敦賀気比高等学校付属中学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|5||1分53秒43||山田和生||[[音更町立音更中学校]]||[[2023年]][[8月12日]]
|-
|6||1分53秒53||[[佐藤清治]]||[[佐久市立浅間中学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|7||1分53秒67||足立俊治||[[丹波市立柏原中学校]]||[[1990年]][[10月25日]]
|-
|8||1分53秒98||谷下駿貴||[[阿南市立阿南第一中学校]]||[[2004年]][[8月24日]]
|-
|9||1分54秒02||田牧慎也||[[大宮町大台町組合立青陵中学校]]||[[1990年]][[10月25日]]
|-
|10||1分54秒04||柳沢崇宏||[[上越市立大潟町中学校]]||[[2004年]][[8月24日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分07秒19||高橋ひな||[[姫路市立山陽中学校]]||[[2013年]][[10月5日]]
|-
|2||2分07秒51||岡田芽||[[北斗市立上磯中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|-
|3||2分07秒81||[[市川良子]]||[[光市立浅江中学校]]||[[1991年]][[6月15日]]
|-
|4
|2分08秒46
|大山桜花
|[[高松市立香川第一中学校]]
|[[2018年]][[8月20日]]
|-
|5||2分08秒51||武田志帆||[[坂戸市立住吉中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|-
|6||2分08秒68||[[鈴木亜由子]]||[[豊橋市立豊城中学校]]||[[2006年]][[7月15日]]
|-
|7||2分08秒94||倉岡奈々||[[鹿屋市立吾平中学校]]||[[2012年]][[7月22日]]
|-
|8||2分08秒95||中川文華||[[朝霞市立朝霞第三中学校]]||[[2011年]][[6月11日]]
|-
|9||2分09秒10||人見仁菜||[[足寄町立足寄中学校]]||[[2023年]][[8月23日]]
|-
|10||2分09秒20||松本奈菜子||[[静岡市立清水第四中学校]]||[[2011年]][[8月21日]]
|-
|}
=== 中学学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学1年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分00秒92||西山令||[[岡崎市立葵中学校]]||[[2008年]][[7月21日]]
|-
|2
|2分02秒44
|梅原俊太
|[[石川走友会]]
|[[2021年]][[3月20日]]
|-
|3
|2分02秒46
|小谷政志
|[[さいたま市立本太中学校]]
|[[2022年]][[10月14日]]
|-
|4
|2分02秒76
|杉本仁
|[[瀬戸内市立邑久中学校]]
|[[2017年]][[9月30日]]
|-
|5||2分02秒95||大類康靖||[[桐生市立新里中学校]]||[[2014年]][[3月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分09秒10||人見仁菜||[[足寄町立足寄中学校]]||[[2023年]][[8月23日]]
|-
|2||2分12秒45||下森美咲||[[北九州市立熊西中学校]]||[[2018年]][[10月21日]]
|-
|3||2分13秒14||[[高松望ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校・高等学校|大阪薫英女学院中学校]]||[[2010年]][[10月24日]]
|-
|4||2分13秒34||[[横江里沙]]||[[稲美町立稲美北中学校]]||[[2007年]][[8月21日]]
|-
|5||2分13秒97||谷藤千夏||[[船橋市立海神中学校]]||[[2013年]][[10月6日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学2年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分55秒8||和田仁志||[[駒ヶ根市立赤穂中学校]]||[[1982年]][[9月19日]]
|-
|2||1分55秒82||梅原俊太||[[小山市立間々田中学校]]||[[2021年]][[8月8日]]
|-
|3||1分55秒97||渡辺敦紀||[[岩出市立岩出第二中学校]]||[[2021年]][[8月19日]]
|-
|4||1分56秒00||小谷政志||[[さいたま市立本太中学校]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|5||1分56秒32||杉本仁||[[瀬戸内市立邑久中学校]]||[[2018年]][[10月20日]]
|-
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分09秒63||長森結愛||[[富山市立大沢野中学校]]||[[2023年]][[7月8日]]
|-
|2||2分09秒67||谷本有紀菜||[[田布施町立田布施中学校]]||[[2006年]][[8月20日]]
|-
|3||2分10秒17||石原万結||[[岡山市立京山中学校]]||[[2023年]][[8月22日]]
|-
|4||2分10秒19||高橋ひな||[[姫路市立山陽中学校]]||[[2012年]][[8月21日]]
|-
|5||2分10秒38||武田亜子||[[三島市立南中学校]]||[[2019年]][[8月22日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学3年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||1分52秒43||馬場勇一郎||[[豊田市立上郷中学校]]||[[2016年]][[7月27日]]
|-
|2||1分52秒44||杉本仁||[[瀬戸内市立邑久中学校]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|3||1分53秒15||和田仁志||[[駒ヶ根市立赤穂中学校]]||[[1983年]][[8月28日]]
|-
|4||1分53秒27||[[辻隼]]||[[敦賀気比高等学校・付属中学校|敦賀気比高等学校付属中学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|5||1分53秒43||山田和生||[[音更町立音更中学校]]||[[2023年]][[8月12日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||2分07秒19||高橋ひな||[[姫路市立山陽中学校]]||[[2013年]][[10月5日]]
|-
|2||2分07秒51||岡田芽||[[北斗市立上磯中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|-
|3||2分07秒81||[[市川良子]]||[[光市立浅江中学校]]||[[1991年]][[6月15日]]
|-
|4
|2分08秒46
|大山桃花
|[[高松市立香川第一中学校]]
|[[2018年]][[8月20日]]
|-
|5||2分08秒51||武田志帆||[[坂戸市立住吉中学校]]||[[2009年]][[8月23日]]
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}
{{DEFAULTSORT:800めえとるきようそう}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-13T09:28:12Z
|
2023-10-17T06:24:11Z
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"Template:KSA"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/800%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0
|
11,365 |
1500メートル競走
|
1500メートル競走(せんごひゃくメートルきょうそう, 英語: 1500 metres)は、1500メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、中距離走に分類される。
世界的には、かつて、男子では英国をはじめとする欧州勢、女子ではソ連(現:ロシア)・旧東ドイツなどの東欧勢が圧倒的に強い時期があったが、現在では男女ともアフリカ勢(特にケニア)のレベルも高い。この種目もほかの中長距離種目と同様にスピード化が進み、陸上競技未経験者の感覚ではほとんど短距離走と変わらない速度で走り続けなければならない過酷な種目となっている。名選手を多数指導したヱスビー食品陸上部の元監督である中村清はかつて、1936年ベルリンオリンピックのこの種目の日本代表選手であった。競技会や関係者の間では1500m(1500メートル)や1500、あるいはセンゴと略される場合がほとんどである。また、中学校・高等学校の体育祭や体力測定などでは1500メートル走と呼ばれることもある。なお、夏季オリンピックにおいて本競技は男子は第1回からの正式種目であるが、女子は1928年アムステルダムオリンピックの800メートル競走でゴール後に選手が続々と倒れこんだことから(人見絹枝のエピソードの項を参照)、正式種目となったのは1972年のミュンヘンオリンピックから、日本でも公式記録の公認は1969年と遅かった。
400メートルトラックではこれを3周と300メートル(3.75周、33⁄4周)走る。このためスタート位置がバックストレートの入り口(第2コーナー出口)となる。1000メートルを超える距離なのでオープンコースであり、スタートラインは弧状である。セパレートレーンの種目よりも一度に多くの選手が出走できるので、国内レベルの競技会では予選・決勝の2ラウンド制をとることがほとんどだが、近年のオリンピックや世界選手権のように準決勝が行われるケースもある。ラウンド制の場合は12名あるいは15名で決勝戦を行なうのが一般的である。
※記録を出した1982年当時はソビエト連邦
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"title": "競技方法"
},
{
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"text": "※記録を出した1982年当時はソビエト連邦",
"title": "アジア歴代10傑"
}
] |
1500メートル競走は、1500メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、中距離走に分類される。
|
{{出典の明記|date=2015年10月24日 (土) 08:13 (UTC)}}
'''1500メートル競走'''(せんごひゃくメートルきょうそう, {{lang-en|1500 metres}})は、1500[[メートル]]を走るタイムを競う[[陸上競技]]のトラック種目で、[[中距離走]]に分類される。
== 詳細 ==
世界的には、かつて、男子では[[イギリス|英国]]をはじめとする[[ヨーロッパ|欧州]]勢、女子では[[ソ連]](現:[[ロシア]])・旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]などの[[東ヨーロッパ|東欧]]勢が圧倒的に強い時期があったが、現在では男女とも[[アフリカ]]勢(特に[[ケニア]])のレベルも高い。この種目もほかの中長距離種目と同様にスピード化が進み、陸上競技未経験者の感覚ではほとんど短距離走と変わらない速度で走り続けなければならない過酷な種目となっている<ref group="注">男子の世界記録は100メートル当たり13.8秒を切らなければならない。</ref>。名選手を多数指導した[[ヱスビー食品]]陸上部の元監督である[[中村清]]はかつて、[[1936年ベルリンオリンピック]]のこの種目の日本代表選手であった。競技会や関係者の間では'''1500m(1500メートル)'''や'''1500'''、あるいは'''センゴ'''と略される場合がほとんどである。また、中学校・高等学校の体育祭や体力測定などでは'''1500メートル走'''と呼ばれることもある。なお、[[夏季オリンピック]]において本競技は男子は第1回からの正式種目であるが、女子は[[1928年アムステルダムオリンピック]]の[[800メートル競走]]でゴール後に選手が続々と倒れこんだことから([[人見絹枝]]のエピソードの項を参照)、正式種目となったのは[[1972年]]の[[ミュンヘンオリンピック]]から、日本でも公式記録の公認は[[1969年]]と遅かった<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号326P</ref>。
== 競技方法 ==
400メートル[[トラック (陸上競技)|トラック]]ではこれを3周と300メートル(3.75周、3{{分数|3|4}}周)走る。このためスタート位置がバックストレートの入り口(第2コーナー出口)となる。1000メートルを超える距離なのでオープンコースであり、スタートラインは弧状である。セパレートレーンの種目よりも一度に多くの選手が出走できるので、国内レベルの競技会では予選・決勝の2ラウンド制をとることがほとんどだが、近年のオリンピックや世界選手権のように準決勝が行われるケースもある。ラウンド制の場合は12名あるいは15名で決勝戦を行なうのが一般的である。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|style="text-align:right"|1||3分26秒00||[[ヒシャム・エルゲルージ]]||{{MAR}}||[[ローマ]]||[[1998年]][[7月14日]]
|-
|style="text-align:right"|2||3分26秒34||[[バーナード・ラガト]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2001年]][[8月24日]]<ref group="注">後にアメリカ国籍に変更</ref>
|-
|style="text-align:right"|3||3分26秒69||[[アスベル・キプロプ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
| style="text-align:right" |4||3分27秒14||{{仮リンク|ヤコブ・インゲブリクセン|en|Jakob Ingebrigtsen}}||{{NOR}}||[[シレジア]]||[[2023年]][[7月16日]]
|-
| style="text-align:right" |5||3分27秒37||[[ヌールディン・モルセリ]]||{{ALG}}||[[ニース]]||[[1995年]][[7月12日]]
|-
| style="text-align:right" |6||3分27秒64||{{仮リンク|サイラス・キプラガト|en|Silas Kiplagat}}||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2014年]][[7月18日]]
|-
|style="text-align:right"|7||3分28秒12||[[ノア・ヌゲニ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[2000年]][[8月11日]]
|-
|style="text-align:right"|8||3分28秒28||{{仮リンク|ティモシー・チェルイヨット|en|Timothy Cheruiyot}}||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2021年]][[7月9日]]
|-
|style="text-align:right" |9||3分28秒75||[[タウフィク・マフルーフィ]]||{{ALG}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
|style="text-align:right" |10||3分28秒76||{{仮リンク|モハメド・カティル|en|Mohamed Katir}}||{{ESP}}||[[モナコ]]||[[2021年]][[7月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分49秒11||[[フェイス・キピエゴン]]||{{KEN}}||[[フィレンツェ]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|2||3分50秒07||[[ゲンゼベ・ディババ]]||{{ETH}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
|3||3分50秒46||[[曲雲霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|4||3分50秒98||[[姜波]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|5||3分51秒34||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|6||3分51秒92||[[王軍霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|7||3分51秒95||{{仮リンク|シファン・ハッサン|en|Sifan Hassan}}||{{NED}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|8||3分52秒47||[[タチアナ・カザンキナ]]||{{URS}}||[[チューリッヒ]]||[[1980年]][[8月13日]]
|-
|9||3分53秒91||{{仮リンク|尹麗麗|en|Yin Lili}}||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|10||3分53秒96||[[パウラ・イバン]]||{{ROM}}||[[ソウル]]||[[1988年]][[10月1日]]
|-
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||3分26秒00||[[ヒシャム・エルゲルージ]]||{{MAR}}||[[ローマ]]||[[1998年]][[7月14日]]
|-
|[[アジア]]||3分29秒14||[[ラシド・ラムジ]]||{{BHR}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||3分27秒14||[[ヤコブ・インゲブリクトセン]]||{{NOR}}||[[シレジア]]||[[2023年]][[7月16日]]
|-
|[[北アメリカ]]||3分29秒02||{{仮リンク|ヤレッド・ヌグ-ス|en|Yared Nuguse}}||{{USA}}||[[オスロ]]||[[2023年]][[6月15日]]
|-
|[[南アメリカ]]||3分33秒25||[[ハドソン・デ・スーザ]]||{{BRA}}||[[リエティ]]||[[2005年]][[8月28日]]
|-
|[[オセアニア]]||3分29秒41||{{仮リンク|オリ-・ホア|en|Ollie Hoare}}||{{AUS}}||[[オスロ]]||[[2023年]][[6月15日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||3分49秒11||[[フェイス・キピエゴン]]||{{KEN}}||[[フィレンツェ]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|[[アジア]]||3分50秒46||[[曲雲霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||3分51秒95||[[シファン・ハッサン]]||{{NED}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|[[北アメリカ]]||3分54秒99||[[シェルビー・フーリハン]]||{{USA}}||[[ドーハ]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|[[南アメリカ]]||4分05秒67||[[レティティア・フリースデ]]||{{SUR}}||[[東京]]||[[1991年]][[8月31日]]
|-
|[[オセアニア]]||3分57秒27||[[Linden HALL]]||{{AUS}}||[[シレジア]]||[[2023年]][[7月16日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分28秒81||[[ロナルド・ケモイ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2014年]][[7月18日]]
|-
|2||3分30秒10||[[ロバート・キプトー・ビウォット]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
|3||3分30秒16||[[ヤコブ・インゲブリクトセン]]||{{NOR}}||[[ローザンヌ]]||[[2019年]][[6月5日]]
|-
|4||3分30秒24||[[コーネリウス・チルチル]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2002年]][[7月19日]]
|-
|5
|3分30秒30
|[[Reynold Kipkorir CHERUIYOT]]
|{{KEN}}
|[[ホジュフ]]
|[[2023年]][[7月16日]]
|-
|6||3分31秒13||[[ムルゲタ・ウェンディム]]||{{ETH}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2004年]][[7月31日]]
|-
|7||3分31秒42||[[アレックス・キプチルチル]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2003年]][[9月5日]]
|-
| rowspan="2" |9|| rowspan="2" |3分31秒49
|[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[アテネ]]||[[2007年]][[7月2日]]
|-
|[[ジョージ・マナンゴイ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2019年]][[6月12日]]
|-
|10||3分31秒54||[[アイザック・キプロノ・ソンゴク]]||{{KEN}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2003年]][[8月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分51秒34||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|2||3分53秒91||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|3||3分53秒97||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|4||3分54秒52||[[張玲]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|5
|3分54秒93
|[[ビルケ・ヘイロム]]
|{{ETH}}
|[[ホジュフ]]
|[[2023年]][[7月16日]]
|-
|6||3分56秒98||[[フェイス・キピエゴン]]||{{KEN}}||[[ドーハ]]||[[2013年]][[5月10日]]
|-
|7||3分58秒93||[[ディリベ・ウェルテジ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月8日]]
|-
|8||3分59秒53||[[ダウィト・セヤウム]]||{{ETH}}||[[マラケシュ]]||[[2014年]][[6月8日]]
|-
|9||3分59秒60||[[ゲレテ・ブルカ]]||{{ETH}}||[[リエティ]]||[[2005年]][[8月28日]]
|-
|10||3分59秒81||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|}
=== U18世界最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|3分33秒72||[[ニコラス・キプタヌイ・ケンボイ]]||{{KEN}}||[[チューリッヒ]]||[[2006年]][[8月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|3分54秒52||[[張玲]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分29秒14||[[ラシド・ラムジ]]||{{BHR}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|-
|2||3分31秒04||[[ダハム・ナジェム・バシル]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2005年]][[5月13日]]
|-
|3||3分31秒34||[[サディク・ミホウ]]||{{QAT}}||[[ヘンゲロ]]||[[2017年]][[6月11日]]
|-
|4||3分31秒49||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[アテネ]]||[[2007年]][[7月2日]]
|-
|5||3分31秒56||[[ユスフ・サード・カメル]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2009年]][[7月28日]]
|-
|6||3分31秒82||[[モハメド・オスマン・シャヒーン]]||{{KSA}}||[[ヘンゲロ]]||[[2011年]][[5月29日]]
|-
|7||3分32秒10||[[モハメド・スレイマン]]||{{QAT}}||[[チューリッヒ]]||[[1997年]][[8月13日]]
|-
|8||3分32秒41||[[アダム アリ・ムサブ]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2021年]][[2月14日]]
|-
|9||3分33秒04||[[ベンソン・ソライ]]||{{BHR}}||[[ドーハ]]||[[2013年]][[5月10日]]
|-
|10||3分33秒51||[[サイフ・サイード・シャヒーン]]||{{QAT}}||[[ベルリン]]||[[2006年]][[9月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分50秒46||[[曲雲霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|2||3分50秒98||[[姜波]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|3||3分51秒34||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|4||3分51秒92||[[王軍霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|5||3分53秒91||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|6||3分53秒97||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|7||3分54秒52||[[張玲]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|8||3分55秒07||[[董艶梅]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|9||3分56秒14||[[ザミラ・ザイツェワ]]||{{UZB}}||[[キエフ]]||[[1982年]][[7月27日]]*
|-
|10||3分56秒18||[[マリヤム・ユースフ・ジャマール]]||{{BHR}}||[[リエティ]]||[[2006年]][[8月27日]]
|}
※記録を出した1982年当時はソビエト連邦
== U20アジア歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分31秒49||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[アテネ]]||[[2007年]][[7月2日]]
|-
|2||3分33秒69||[[Hamza Driouch]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2012年]][[5月11日]]
|-
|3||3分34秒61||[[モハメド・アル・ガルニ]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2011年]][[12月20日]]
|-
|4||3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||{{JPN}}||[[千歳市|千歳]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|5||3分37秒82||[[Linus KIPLAGAT]]||{{BHR}}||[[リンブルグ]]||[[2013年]][[6月13日]]
|-
|6||3分38秒40||[[韓剛]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|7||3分38秒49||[[佐藤清治]]||{{JPN}}||[[延岡]]||[[1999年]][[5月22日]]
|-
|8||3分38秒53||[[ナセル・スレイマン]]||{{QAT}}||[[ブラチスラヴァ]]||[[1997年]][[6月10日]]
|-
|9||3分38秒94||[[飯澤千翔]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2019年]][[10月26日]]
|-
|10||3分39秒02||[[陳兵]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||3分51秒34||[[郎営来]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|2||3分53秒91||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|3||3分53秒97||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|4||3分54秒52||[[張玲]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|-
|5||3分59秒81||[[王媛]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|6||4分00秒05||[[呂億]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|7||4分01秒71||[[李穎]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|8||4分04秒00||[[劉青]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[2005年]][[10月19日]]
|-
|9||4分04秒84||[[李競男]]||{{CHN}}||[[パリ]]||[[2000年]][[6月23日]]
|-
|10||4分05秒14||[[劉東]]||{{CHN}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1992年]][[9月20日]]
|}
=== U18アジア最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|3分33秒86||[[ベラル・マンスール・アリ]]||{{BHR}}||[[ミラノ]]||[[2005年]][[6月1日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|3分54秒52||[[張玲]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月18日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分35秒42||[[河村一輝]]||[[トーエネック]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2
|3分36秒55
|[[飯澤千翔]]
|[[東海大学]]
|[[2022年]][[10月2日]]
|-
|3||3分36秒59||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|4||3分36秒63||[[荒井七海]]||[[Honda陸上競技部|Honda]]||[[2022年]][[6月22日]]
|-
|5||3分36秒69||[[遠藤日向]]||[[住友電工]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|6||3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|7||3分37秒36||[[森田佳祐]]||[[SUBARU]]||[[2022年]][[7月16日]]
|-
|8||3分37秒42||[[小林史和]]||[[NTN]]||[[2004年]][[7月31日]]
|-
|9||3分37秒90||[[戸田雅稀]]||[[サンベルクス]]||[[2019年]][[7月9日]]
|-
|10||3分37秒99||[[坂東悠汰]]||[[富士通陸上競技部|富士通]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分59秒19||[[田中希実]]||[[豊田自動織機]]TC||[[2021年]][[8月2日|8月4日]]
|-
|2||4分07秒86||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2006年]][[9月24日]]
|-
|3||4分07秒90||[[卜部蘭]]||[[積水化学]]||[[2021年]][[8月2日]]
|-
|4||4分09秒30||[[佐藤美保|杉森美保]]||[[京セラ女子陸上競技部|京セラ]]||[[2005年]][[4月9日]]
|-
|5||4分09秒41||[[後藤夢]]||[[豊田自動織機]]||[[2022年]][[7月2日]]
|-
|6||4分09秒79||[[木村友香 (陸上選手)|木村友香]]||[[資生堂]]||[[2022年]][[7月2日]]
|-
|7||4分10秒00||[[吉川美香]]||[[パナソニック女子陸上競技部|パナソニック]]||[[2007年]][[5月5日]]
|-
|8||4分10秒08||[[陣内綾子]]||[[九電工]]||[[2013年]][[8月3日]]
|-
|9||4分10秒39||[[田村育子]]||[[グローバリー]]||[[2002年]][[6月23日]]
|-
|10||4分11秒10||[[弘山晴美]]||[[資生堂]]||[[1994年]][[4月29日]]
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分35秒69||[[エノック・オムワンバ]]||[[山梨学院大学]]||[[2015年]][[5月15日]]
|-
|2||3分36秒55||[[飯澤千翔]]||[[東海大学]]||[[2022年]][[10月2日]]
|-
|3||3分36秒59||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|4||3分37秒96||[[ギタウ・ダニエル]]||[[日本大学]]||[[2009年]][[5月30日]]
|-
|5||3分38秒4||[[石井隆士]]||[[日本体育大学]]||[[1976年]][[6月30日]]
|-
|6
|3分38秒65||[[舟津彰馬]]||[[中央大学]]||[[2018年]][[4月21日]]
|-
|7||3分38秒69||[[高橋佑輔]]||[[北海道大学|北海道大学大学院]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|8||3分38秒72||[[ジョセファト・ムチリ・ダビリ]]||[[流通経済大学]]||[[2004年]][[7月7日]]
|-
|9||3分39秒56||[[村山紘太]]||[[城西大学]]||[[2014年]][[9月5日]]
|-
|10||3分39秒60||[[佐藤清治]]||[[順天堂大学]]||[[2000年]][[5月13日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分12秒72||[[道下美槻]]||[[立教大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2||4分13秒14||[[岡本久美子 (陸上選手)|岡本久美子]]||[[筑波大学]]||[[1997年]][[9月12日]]
|-
|3||4分13秒82||[[樫原沙紀]]||[[筑波大学]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|4||4分14秒5||[[桑城奈苗]]||[[筑波大学]]||[[2003年]][[10月13日]]
|-
|5||4分15秒25||[[佐藤由美]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[7月7日]]
|-
|6||4分15秒71||[[柳樂あずみ]]||[[名城大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|7||4分16秒37||[[飯野摩耶]]||[[東京農業大学]]||[[2014年]][[7月19日]]
|-
|8||4分16秒48||[[張三妮]]||[[名古屋商科大学]]||[[1994年]][[6月11日]]
|-
|9||4分16秒52||[[髙松智美ムセンビ]]||[[名城大学]]||[[2019年]][[6月28日]]
|-
|10||4分16秒76||[[和田有菜]]||[[名城大学]]||[[2018年]][[5月5日]]
|}
=== 日本人学生歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分36秒55||[[飯澤千翔]]||[[東海大学]]||[[2022年]][[10月2日]]
|-
|2||3分36秒59||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|3||3分38秒4||[[石井隆士]]||[[日本体育大学]]||[[1976年]][[6月30日]]
|-
|4||3分38秒65||[[舟津彰馬]]||[[中央大学]]||[[2018年]][[4月21日]]
|-
|5||3分38秒69||[[高橋佑輔]]||[[北海道大学|北海道大学大学院]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|6||3分39秒56||[[村山紘太]]||[[城西大学]]||[[2014年]][[9月5日]]
|-
|7||3分39秒60||[[佐藤清治]]||[[順天堂大学]]||[[2000年]][[5月13日]]
|-
|8||3分39秒91||[[佐久間秀徳]]||[[明治大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|9||3分40秒49||[[館澤亨次]]||[[東海大学]]||[[2018年]][[5月20日]]
|-
|10||3分40秒59||[[村上康則]]||[[順天堂大学]]||[[2005年]][[6月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分12秒72||[[道下美槻]]||[[立教大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2||4分13秒14||[[岡本久美子 (陸上選手)|岡本久美子]]||[[筑波大学]]||[[1997年]][[9月12日]]
|-
|3||4分13秒82||[[樫原沙紀]]||[[筑波大学]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|4||4分14秒5||[[桑城奈苗]]||[[筑波大学]]||[[2003年]][[10月13日]]
|-
|5||4分15秒25||[[佐藤由美]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[7月7日]]
|-
|6||4分15秒71||[[柳樂あずみ]]||[[名城大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|7||4分16秒37||[[飯野摩耶]]||[[東京農業大学]]||[[2014年]][[7月19日]]
|-
|8||4分16秒52||[[髙松智美ムセンビ]]||[[名城大学]]||[[2019年]][[6月28日]]
|-
|9||4分16秒76||[[和田有菜]]||[[名城大学]]||[[2018年]][[5月5日]]
|-
|10||4分16秒87||[[小暮真緒]]||[[順天堂大学]]||[[2022年]][[5月20日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である ジュニア選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2||3分38秒49||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[1999年]][[5月22日]]
|-
|3||3分38秒94||[[飯澤千翔]]||[[東海大学]]||[[2019年]][[10月26日]]
|-
|4||3分41秒6||[[中村孝生]]||[[日本体育大学]]||[[1977年]][[10月28日]]
|-
|5||3分41秒86||[[兵藤ジュダ]]||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|6||3分42秒02||[[藤脇友介]]||[[山梨学院大学]]||[[1992年]][[9月20日]]
|-
|7||3分42秒22||[[間瀬田純平]]||[[佐賀県立鳥栖工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|8||3分42秒44||[[田母神一喜]]||[[中央大学]]||[[2016年]][[10月30日]]
|-
|9||3分42秒58||[[佐藤大樹 (陸上競技)|佐藤大樹]]||[[東海大学]]||[[2006年]][[5月27日]]
|-
|10||3分42秒81||[[河村一輝]]||[[明治大学]]||[[2016年]][[9月24日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分07秒86||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2006年]][[9月24日]]
|-
|2||4分12秒87||[[澤田結弥]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|3||4分13秒53||[[杉村奈美]]||[[リクルートホールディングス|リクルート]]||[[1992年]][[9月20日]]
|-
|4||4分13秒68||[[田中希実]]||[[ND 28AC]]||[[2018年]][[9月15日]]
|-
|5||4分14秒32||[[田崎優理]]||[[ヤマダホールディングス]]||[[2020年]][[9月18日]]
|-
|6||4分14秒56||[[八島あつみ]]||[[日本生命]]||[[1994年]][[9月24日]]
|-
|7||4分14秒69||[[市川良子]]||[[洗足学園高等学校]]||[[1993年]][[9月18日]]
|-
|8||4分14秒74||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|9||4分15秒25||[[佐藤由美]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[7月7日]]
|-
|10||4分15秒50||[[ドルーリー朱瑛里]]||[[岡山県立津山高等学校]]||[[2023年]][[8月3日]]
|}
=== U18日本最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|4分12秒85||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2005年]][[9月19日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2||3分38秒49||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[1999年]][[5月22日]]
|-
|3||3分41秒86||[[兵藤ジュダ]]||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|4||3分42秒22||[[間瀬田純平]]||[[佐賀県立鳥栖工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|5||3分44秒36||[[尾熊迅斗]]||[[東京実業高等学校]]||[[2023年]][[9月23日]]
|-
|6||3分44秒57||[[半澤黎斗]]||[[学校法人石川高等学校]]||[[2017年]][[7月30日]]
|-
|rowspan=2|7
|rowspan=2|3分44秒62
|[[石塚陽士]]||[[早稲田実業学校高等部]]||[[2020年]][[7月24日]]
|-
|[[甲木康博]]||[[城西大学附属城西高等学校]]||[[2020年]][[8月23日]]
|-
|9||3分44秒86||[[クレイ・アーロン・竜波]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2019年]][[4月20日]]
|-
|10||3分44秒87||[[長嶋幸宝]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分07秒86||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2006年]][[9月24日]]
|-
|2||4分12秒87||[[澤田結弥]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|3||4分14秒69||[[市川良子]]||[[洗足学園高等学校]]||[[1993年]][[9月18日]]
|-
|4||4分14秒74||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|5||4分15秒43||[[田中希実]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|6||4分15秒50||[[ドルーリー朱瑛里]]||[[岡山県立津山高等学校]]||[[2023年]][[8月3日]]
|-
|7||4分15秒82||[[高橋ひな]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2016年]][[7月30日]]
|-
|8||4分15秒86||[[田島愛梨]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2022年]][[5月28日]]
|-
|9||4分15秒98||[[由水沙季]]||[[筑紫女学園高等学校]]||[[2012年]][[7月30日]]
|-
|10||4分16秒01||[[近藤希美]]||[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大付属相模高等学校]]||[[2023年]][[8月3日]]
|}
=== 高校生に関する各種記録 ===
*2002年より[[日本国籍]]のない高校生の記録は日本高校国内国際記録とされた。
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分40秒21||[[ジョセファト・ムチリ・ダビリ]]||[[流通経済大学付属柏中学校・高等学校|流通経済大学付属柏高等学校]]||[[2003年]][[7月30日]]
|-
|2||3分42秒59||[[ジョン・カリウキ]]||[[滋賀学園高等学校]]||[[2003年]][[7月30日]]
|-
|3||3分43秒29||[[ジェームス・ムワンギ]]||[[青森山田高等学校]]||[[2003年]][[7月30日]]
|-
|4||3分43秒29||[[サムエル・カビル]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2001年]][[8月3日]]
|-
|5||3分43秒43||[[ダニエル・ジェンガ]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[1994年]]8月
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分06秒54||[[カリバ・カロライン]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2023年]][[8月3日]]
|-
|2||4分07秒06||[[ヘレン・エカラレ]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2017年]][[7月30日]]
|-
|3||4分09秒60||[[ルーシー・ワゴイ・カブー]]||[[青森山田高等学校]]||[[2002年]][[8月3日]]
|-
|4||4分09秒90||[[ローズメリー・ワンジル]]||[[青森山田高等学校]]||[[2013年]][[7月31日]]
|-
|5||4分10秒67||[[シンシア・ジェリ・バイレ]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2020年]][[7月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分44秒6||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[1997年]][[7月19日]]
|-
|2||3分46秒17||[[林田洋翔]]||[[瓊浦高等学校]]||[[2017年]][[7月30日]]
|-
|3||3分46秒82||[[鈴木琉胤]]||[[八千代松陰中学校・高等学校|八千代松陰高等学校]]||[[2022年]][[8月4日]]
|-
|4||3分47秒41||[[川口峻太朗]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2022年]][[10月23日]]
|-
|5||3分49秒79||[[谷本昂士郎]]||[[大牟田高等学校]]||[[2021年]][[11月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分15秒50||[[ドルーリー朱瑛里]]||[[岡山県立津山高等学校]]||[[2023年]][[8月3日]]
|-
|2||4分15秒55||[[田中希実]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2015年]][[9月22日]]
|-
|3||4分15秒58||[[市川良子]]||[[洗足学園高等学校]]||[[1992年]][[9月18日]]
|-
|4||4分16秒20||[[倉岡奈々]]||[[鹿児島市立鹿児島女子高等学校]]||[[2013年]][[7月31日]]
|-
|5||4分16秒61||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2004年]][[6月18日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分43秒26||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[1998年]][[12月14日]]
|-
|2||3分44秒87||[[長嶋幸宝]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|3||3分45秒59||[[大野聖登]]||[[秋田県立秋田工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|4||3分45秒77||[[濱口大和]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
|5||3分46秒72||[[谷本昂士郎]]||[[大牟田高等学校]]||[[2022年]][[8月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分12秒85||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2005年]][[9月19日]]
|-
|2||4分12秒87||[[澤田結弥]]||[[浜松市立高等学校]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|3||4分14秒69||[[市川良子]]||[[洗足学園高等学校]]||[[1993年]][[9月18日]]
|-
|4||4分15秒43||[[田中希実]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|5||4分15秒62||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2020年]][[10月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分37秒18||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|2||3分38秒49||[[佐藤清治]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[1999年]][[5月22日]]
|-
|3||3分41秒86||[[兵藤ジュダ]]||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|4||3分42秒22||[[間瀬田純平]]||[[佐賀県立鳥栖工業高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|5||3分44秒36||[[尾熊迅斗]]||[[東京実業高等学校]]||[[2023年]][[9月23日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分07秒86||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2006年]][[9月24日]]
|-
|2||4分14秒74||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[7月29日]]
|-
|3||4分14秒96||[[市川良子]]||[[洗足学園中学校・高等学校|洗足学園高等学校]]||[[1994年]][[6月1日]]
|-
|4||4分15秒82||[[高橋ひな]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2016年]][[7月30日]]
|-
|5||4分15秒86||[[田島愛梨]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2022年]][[5月28日]]
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分49秒02||川口峻太朗||[[岡山市立京山中学校]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|2||3分49秒72||[[石田洸介]]||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2017年]][[9月23日]]
|-
|3||3分50秒10||田中悠大||岩出市立岩出第二中学校||[[2023年]][[7月15日]]
|-
|4||3分53秒69||佐々木塁||[[盛岡市立河南中学校]]||[[2016年]][[7月16日]]
|-
|5||3分54秒49||服部凱杏||[[名古屋市立千種中学校]]||[[2016年]][[8月24日]]
|-
|6||3分54秒56||濵口大和||[[阿南市立羽ノ浦中学校]]||[[2021年]][[10月9日]]
|-
|7||3分55秒07||栗村凌||[[会津若松市立第四中学校]]||[[2022年]][[8月10日]]
|-
|8||3分55秒32||新妻遼己||[[加古川市立平岡中学校]]||[[2022年]][[8月8日]]
|-
|9||3分55秒36||佐々木哲||[[愛知工業大学名電中学校・高等学校|愛知工業大学名電中学校]]||[[2021年]][[6月13日]]
|-
|10||3分55秒44||[[林田洋翔]]||[[大村市立桜が原中学校]]||[[2016年]][[8月6日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分19秒46||[[福田有以]]||[[稲美町立稲美北中学校]]||[[2010年]][[9月26日]]
|-
|2||4分19秒93||中川文華||[[朝霞市立朝霞第三中学校]]||[[2011年]][[10月8日]]
|-
|3||4分19秒96||[[髙松智美ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校]]||[[2014年]][[6月28日]]
|-
|4||4分20秒64||[[髙松望ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校]]||[[2012年]][[8月7日]]
|-
|5||4分21秒00||高橋ひな||[[姫路市立山陽中学校]]||[[2013年]][[8月22日]]
|-
|6||4分21秒04||鈴木理子||[[板橋区立桜川中学校]]||[[2015年]][[10月3日]]
|-
|7||4分21秒18||樺沢和佳奈||[[前橋市立富士見中学校]]||[[2013年]][[10月5日]]
|-
|8||4分21秒27||杉森心音||[[浜松市立北浜中学校]]||[[2019年]][[7月20日]]
|-
|9||4分21秒41||[[宮崎安澄]]||[[熊本市立湖東中学校]]||[[1989年]][[10月21日]]
|-
|10||4分21秒46||[[廣中璃梨佳]]||[[大村市立桜が原中学校]]||[[2016年]][[3月20日]]
|}
=== 中学生に関する各種記録 ===
{| class="wikitable"
|+男子・中学1年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分04秒00||佐々木塁||[[盛岡市立河南中学校]]||[[2014年]][[11月2日]]
|-
|2||4分07秒87||花本史龍||[[福岡市立姪浜中学校]]||[[2018年]][[3月25日]]
|-
|3||4分09秒21||石田洸介||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2015年]][[9月6日]]
|-
|4||4分09秒27||岩下幾海||[[南国市立香長中学校]]||[[2023年]][[3月25日]]
|-
|5||4分10秒34||林田洋翔||[[大村市立桜が原中学校]]||[[2014年]][[11月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分28秒03||[[髙松望ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校・高等学校|大阪薫英女学院中学校]]||[[2010年]][[8月9日]]
|-
|2||4分29秒01||[[福田有以]]||[[稲美町立稲美北中学校]]||[[2008年]][[9月28日]]
|-
|3||4分29秒95||今西紗世||[[流山市立八木中学校]]||[[2019年]][[8月23日]]
|-
|4||4分31秒23||長森結愛||[[富山市立大沢野中学校]]||[[2022年]][[8月20日]]
|-
|5||4分32秒40||木村綾愛||[[さいたま市立木崎中学校]]||[[2010年]][[10月13日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学2年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分57秒36||田中悠大||[[岩出市立岩出第二中学校]]||[[2022年]][[8月20日]]
|-
|2||3分58秒96||[[石田洸介]]||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2016年]][[10月29日]]
|-
|3||3分59秒01||吉居駿恭||[[田原市立東部中学校]]||[[2017年]][[11月25日]]
|-
|4||3分59秒64||新妻遼己||[[加古川市立平岡中学校]]||[[2021年]][[10月16日]]
|-
|5||4分00秒01||佐々木塁||[[盛岡市立河南中学校]]||[[2015年]][[10月24日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分21秒24||[[髙松望ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校]]||[[2011年]][[8月22日]]
|-
|2||4分23秒07||[[髙松智美ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校]]||[[2013年]][[8月22日]]
|-
|3||4分24秒73||[[木村友香 (陸上選手)|木村友香]]||[[静岡市立籠上中学校]]||[[2008年]][[10月25日]]
|-
|4||4分24秒98||[[横江里沙]]||[[稲美町立稲美北中学校]]||[[2008年]][[10月25日]]
|-
|5||4分25秒49||[[中川文華]]||[[朝霞市立朝霞第三中学校]]||[[2010年]][[8月23日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学3年歴代5傑
! !!記録!!名前!!所属!!日付
|-
|1||3分49秒02||川口峻太朗||[[岡山市立京山中学校]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|2||3分49秒72||[[石田洸介]]||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2017年]][[9月23日]]
|-
|3||3分53秒69||佐々木塁||[[盛岡市立河南中学校]]||[[2016年]][[7月16日]]
|-
|4||3分54秒49||服部凱杏||[[名古屋市立千種中学校]]||[[2016年]][[8月24日]]
|-
|5||3分54秒56||濵口大和||[[阿南市立羽ノ浦中学校]]||[[2021年]][[10月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||4分19秒46||[[福田有以]]||[[稲美町立稲美北中学校]]||[[2010年]][[9月26日]]
|-
|2||4分19秒93||中川文華||[[朝霞市立朝霞第三中学校]]||[[2011年]][[10月8日]]
|-
|3||4分19秒96||[[髙松智美ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校]]||[[2014年]][[6月28日]]
|-
|4||4分20秒64||[[髙松望ムセンビ]]||[[大阪薫英女学院中学校・高等学校|大阪薫英女学院中学校]]||[[2012年]][[8月7日]]
|-
|5||4分21秒00||高橋ひな||[[姫路市立山陽中学校]]||[[2013年]][[8月22日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人女子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|2021||[[2020年東京オリンピック|第32回オリンピック競技大会(東京)]]||{{JPN}}||[[田中希実]]||8位||3分59秒95
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}
{{デフォルトソート:1500めえとるきようそう}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-13T09:33:42Z
|
2023-09-24T14:07:16Z
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"Template:NED",
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"Template:UZB",
"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:Lang-en",
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"Template:SUR",
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1500%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0
|
11,366 |
5000メートル競走
|
5000メートル競走(英語: 5000 metres)は、5000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。
競技場のトラックを12周と200m(12周半)走る。よってスタート位置は3000メートル競走と同様のバックストレートの出口となる。長距離種目ではあるが持久力だけでなくレース終盤のスピードや戦略も要求される。近年、特に男子では序盤からのスピードが求められる中距離走の要素が強くなっている。
陸上競技においては5000mと5km走は別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、歴代記録も別に扱う。
現在、世界的にはエチオピアやケニアを筆頭にアフリカ勢が男女とも強く、欧州勢がそれを追う展開で、女子では中国勢も上位入賞ができる力量をもっている。日本選手はオリンピックや世界選手権では男女とも8位入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、1936年ベルリンオリンピックの村社講平と1996年アトランタオリンピックの志水見千子が4位、1997年世界陸上競技選手権大会の弘山晴美と2023年世界陸上競技選手権大会の田中希実が8位で、過去4回入賞している。
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5000メートル競走は、5000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。 競技場のトラックを12周と200m(12周半)走る。よってスタート位置は3000メートル競走と同様のバックストレートの出口となる。長距離種目ではあるが持久力だけでなくレース終盤のスピードや戦略も要求される。近年、特に男子では序盤からのスピードが求められる中距離走の要素が強くなっている。 陸上競技においては5000mと5km走は別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、歴代記録も別に扱う。
|
'''5000メートル競走'''({{lang-en|5000 metres}})は、5000[[メートル]]を走るタイムを競う[[陸上競技]]のトラック種目で、[[長距離走]]に分類される。
競技場のトラックを12周と200m(12周半)走る。よってスタート位置は[[3000メートル競走]]と同様の[[バックストレート]]の出口となる。長距離種目ではあるが持久力だけでなくレース終盤のスピードや戦略も要求される。近年、特に男子では序盤からのスピードが求められる[[中距離走]]の要素が強くなっている。
陸上競技においては'''5000m'''と'''5km走'''は別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、歴代記録も別に扱う。
== 現在の競技状況 ==
現在、世界的には[[エチオピア]]や[[ケニア]]を筆頭に[[アフリカ]]勢が男女とも強く、[[ヨーロッパ|欧州]]勢がそれを追う展開で、女子では[[中国]]勢も上位入賞ができる力量をもっている{{要出典|date=2020-12}}。[[日本]]選手は[[夏季オリンピック|オリンピック]]や[[世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]では男女とも8位入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、[[1936年ベルリンオリンピック]]の[[村社講平]]と[[1996年アトランタオリンピック]]の[[志水見千子]]が4位、[[1997年世界陸上競技選手権大会]]の[[弘山晴美]]と[[2023年世界陸上競技選手権大会]]の[[田中希実]]が8位で、過去4回入賞している。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12分35秒36||[[ジョシュア・チェプテゲイ]]||{{UGA}}||[[モナコ]]||[[2020年]][[8月14日]]
|-
|2||12分37秒35||[[ケネニサ・ベケレ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2004年]][[5月31日]]
|-
|3||12分39秒36||[[ハイレ・ゲブレセラシェ]]||{{ETH}}||[[ヘルシンキ]]||[[1998年]][[6月13日]]
|-
|4||12分39秒74||[[ダニエル・コーメン]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[1997年]][[8月22日]]
|-
|5
|12分40秒45
|[[ベリフ・アレガウィ]]
|{{ETH}}
|[[ローザンヌ]]
|[[2023年]][[6月30日]]
|-
| rowspan="2" |6
| rowspan="2" |12分41秒73
|{{仮リンク|ジェイコブ・キプリモ|en|Jacob Kiplimo}}
|{{UGA}}
|[[オスロ]]
|[[2023年]][[6月30日]]
|-
|{{仮リンク|ヨミフ・ケジェルチャ|en|Yomif Kejelcha}}
|{{ETH}}
|[[オスロ]]
|[[2023年]][[6月15日]]
|-
|8||12分43秒02||[[セレモン・バレガ]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2018年]][[8月31日]]
|-
|9||12分45秒71||{{仮リンク|ジェーコブ・クロップ|en|Jacob Krop}}||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2022年]][[9月2日]]
|-
|10||12分45秒82||[[ハゴス・ゲブリウェト]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2018年]][[8月31日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||14分00秒21||{{仮リンク|グダフ・ツェガエ|en|Gudaf Tsegay}}||{{ETH}}||[[ユージーン]]||[[2023年]][[9月17日]]
|-
|2||14分05秒20||[[フェイス・キピエゴン]]||{{KEN}}||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|3
|14分05秒92
|[[ベアトリス・チェベト]]
|{{KEN}}
|[[ユージーン]]
|[[2023年]][[9月17日]]
|-
|4||14分06秒65||[[レテセンベト・ギデイ]]||{{ETH}}||[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]||[[2020年]][[10月8日]]
|-
|5||14分11秒15||[[ティルネシュ・ディババ]]||{{ETH}}||[[オスロ]]||[[2008年]][[6月6日]]
|-
|6||14分12秒59||[[アルマズ・アヤナ]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2016年]][[6月2日]]
|-
|7||14分12秒88||[[メセレト・デファー]]||{{ETH}}||[[ストックホルム]]||[[2008年]][[7月22日]]
|-
|8||14分12秒98||{{仮リンク|エジガエフ・タエ|en|Ejgayehu Taye}}||{{ETH}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[5月27日]]
|-
|9
|14分13秒42
|[[シファン・ハッサン]]
|{{NED}}
|[[ロンドン]]
|[[2023年]][[7月23日]]
|-
|10||14分15秒24||{{仮リンク|センベレ・テフェリ|en|Senbere Teferi}}||{{ETH}}||[[ヘンゲロー]]||[[2021年]][[6月8日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||12分35秒36||[[ジョシュア・チェプテゲイ]]||{{UGA}}||[[モナコ]]||[[2020年]][[8月14日]]
|-
|[[アジア]]||12分51秒96||{{仮リンク|アルベルト・ロップ|en|Albert Rop}}||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2013年]][[7月19日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||12分45秒01||[[モハメド・カティル]]||{{ESP}}||[[モナコ]]||[[2023年]][[7月21日]]
|-
|[[北アメリカ]]||12分46秒96||{{仮リンク|グラント・フィッシャー|en|Grant Fisher}}||{{USA}}||[[ブリュッセル]]||[[2022年]][[9月2日]]
|-
|[[南アメリカ]]||13分11秒57||[[フェデリコ・ブルーノ]]||{{ARG}}||[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]||[[2023年]][[4月21日]]
|-
|[[オセアニア]]||12分55秒76||[[クレイグ・モットラム]]||{{AUS}}||[[ロンドン]]||[[2004年]][[7月30日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||14分00秒21||{{仮リンク|グダフ・ツェガエ|en|Gudaf Tsegay}}||{{ETH}}||[[ユージーン]]||[[2023年]][[9月17日]]
|-
|[[アジア]]||14分28秒09||[[姜波]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||14分13秒42||[[シファン・ハッサン]]||{{NED}}||[[ロンドン]]||[[2023年]][[7月23日]]
|-
|[[北アメリカ]]||14分19秒45||[[アリシア・モンソン]]||{{USA}}||[[ロンドン]]||[[2023年]][[7月23日]]
|-
|[[南アメリカ]]||14分47秒36||[[ジョセリン・ブレア・アブレイユ]]||{{VEN}}||[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]||[[2023年]][[5月6日]]
|-
|[[オセアニア]]||14分39秒89||[[キンバリー・スミス]]||{{NZL}}||[[ニューヨーク]]||[[2009年]][[2月27日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12分43秒02||[[セレモン・バレガ]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2018年]][[8月31日]]
|-
|2||12分47秒53||[[ハゴス・ゲブリウェト]]||{{ETH}}||[[パリ]]||[[2012年]][[7月6日]]
|-
|3||12分48秒64||[[イサイア・コエチ]]||{{ETH}}||[[パリ]]||[[2012年]][[7月6日]]
|-
|4||12分52秒61||[[エリウド・キプチョゲ]]||{{KEN}}||[[オスロ]]||[[2003年]][[6月27日]]
|-
|5||12分53秒66||[[オーガスティン・キプロノ・チョゲ]]||{{KEN}}||[[ローマ]]||[[2005年]][[7月8日]]
|-
|6||12分53秒72||[[フィリップ・モーシマ]]||{{KEN}}||[[ローマ]]||[[1996年]][[6月5日]]
|-
|7||12分53秒81||[[タリク・ベケレ]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|-
|8||12分53秒98||[[ユーミフ・ケジェルチャ]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2015年]][[9月11日]]
|-
|9||12分54秒07||[[サミー・キプケテル]]||{{KEN}}||[[ローマ]]||[[2000年]][[6月30日]]
|-
|10||12分54秒19||[[アブラハム・チェルコス]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1
|14分16秒54
|[[メディナ・エイサー]]
|{{ETH}}
|[[ロンドン]]
|[[2023年]][[7月23日]]
|-
|2||14分30秒88||[[ティルネシュ・ディババ]]||{{ETH}}||[[ベルゲン]]||[[2004年]][[6月11日]]
|-
|3||14分33秒32||[[レテセンベト・ギデイ]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2017年]][[6月8日]]
|-
|4||14分35秒18||[[センタイエフ・エジグ]]||{{ETH}}||[[ベルゲン]]||[[2004年]][[6月11日]]
|-
|5
|14分37秒94
|[[Birke Haylom]]
|{{ETH}}
|[[ロンドン]]
|[[2023年]][[7月23日]]
|-
|6
|14分39秒36
|[[Melknat Wudu]]
|{{ETH}}
|[[ロンドン]]
|[[2023年]][[7月23日]]
|-
|7||14分39秒96||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|8||14分43秒29||[[エメベト・アンテネ]]||{{ETH}}||[[オスロ]]||[[2011年]][[6月9日]]
|-
|9||14分45秒33||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|-
|10||14分45秒70||[[Aynadis MEBRIT]]||{{ETH}}||[[リエージュ]]||[[2023年]][[7月12日]]
|}
=== U18世界最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|12分54秒19||[[アブラハム・チェルコス]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|14分37秒94||[[Birke Haylom]]||{{ETH}}||[[ロンドン]]||[[2023年]][[7月23日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12分51秒96||{{仮リンク|アルベルト・ロップ|en|Albert Rop}}||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2013年]][[7月19日]]
|-
|2||12分51秒98||[[サイフ・サイード・シャヒーン]]||{{QAT}}||[[ローマ]]||[[2006年]][[7月14日]]
|-
|3||12分57秒71||[[ビーハヌ・バレウ]]||{{BHR}}||[[フィレンツェ]]||[[2021年]][[6月10日]]
|-
|4.||12分58秒58||[[モウクヘルド・アル=アウタイビ]]||{{KSA}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2005年]][[7月23日]]
|-
|5||12分59秒79||[[ムッシャー・サレム・ヤウエル]]||{{BHR}}||[[パリ]]||[[2005年]][[7月1日]]
|-
|6||13分01秒14||[[ニコラス・ケンボイ]]||{{QAT}}||[[チューリッヒ]]||[[2003年]][[8月15日]]
|-
|7||13分02秒03||[[アハマド・ハッサン・アブドゥラー]]||{{QAT}}||[[ストックホルム]]||[[2004年]][[7月27日]]
|-
|8||13分04秒70||[[ジェームス・クワリア・クルイ]]||{{QAT}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2008年]][[7月20日]]
|-
|9||13分06秒73||[[ビリスマ・シュギ・ゲラッサ]]||{{BHR}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2011年]][[7月23日]]
|-
|10||13分06秒81||[[ジャマル・ベラル・サレム]]||{{QAT}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2008年]][[7月20日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||14分28秒09||[[姜波]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|2||14分29秒18||[[田中希実]]||{{JPN}}||[[ブリュッセル]]||[[2023年]][[9月8日]]
|-
|3||14分29秒82||[[董艶梅]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|4
|14分32秒33
|[[劉世香]]
|{{CHN}}
|[[ブダペスト|上海]]
|[[1997年]][[10月21日]]
|-
|5||14分39秒96||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|6||14分40秒41||[[孫英傑]]||{{CHN}}||[[プサン]]||[[2002年]][[10月12日]]
|-
|7||14分43秒64||[[邢慧娜]]||{{CHN}}||[[ヘルシンキ]]||[[2005年]][[8月13日]]
|-
|8||14分45秒33||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|-
|9||14分45秒69||[[デイジー・ジェプケメイ]]||{{KAZ}}||[[モントルイユ (セーヌ=サン=ドニ県)|モントルイユ]]||[[2022年]][[6月2日]]
|-
|10||14分45秒71||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|}
== U20アジア歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||13分17秒10||[[エッサ・イスマイル・ラシド]]||{{QAT}}||[[ヘンゲロ]]||[[2005年]][[5月29日]]
|-
|2||13分18秒41||[[スルタン・ハミス・ザマン]]||{{QAT}}||[[ヴィルヌーヴ・ダスク]]||[[2004年]][[6月26日]]
|-
|3||13分19秒27||[[アダム・イスマイル・ハミス]]||{{BHR}}||[[ペルジーネ・ヴァルスガーナ]]||[[2007年]][[7月7日]]
|-
|4||13分20秒89||[[フェリックス・キクワイ・キボレ]]||{{QAT}}||[[ニノヴ]]||[[2007年]][[8月11日]]
|-
|5||13分22秒91||[[佐藤圭汰]]||{{JPN}}||[[延岡市|延岡]]||[[2022年]][[5月4日]]
|-
|6||13分22秒99||[[吉岡大翔]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2022年]][[11月13日]]
|-
|7||13分25秒87||[[吉居大和]]||{{JPN}}||[[大阪市|大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|8||13分26秒78||[[三浦龍司]]||{{JPN}}||[[北見市|北見]]||[[2021年]][[7月14日]]
|-
|9||13分28秒78||[[折田壮太]]||{{JPN}}||[[世田谷区|東京]]||[[2023年]][[9月24日]]
|-
|10||13分30秒98||[[石原翔太郎]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2021年]][[5月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||14分39秒96||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月23日]]
|-
|2||14分45秒33||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|-
|3||14分45秒71||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|-
|4||14分45秒90||[[姜波]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[1995年]][[10月24日]]
|-
|5||14分56秒15||[[邢慧娜]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[2001年]][[11月23日]]
|-
|6||15分02秒73||[[薛飛(陸上選手)|薛飛]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[10月31日]]
|-
|7||15分03秒95||[[謝芳]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[10月31日]]
|-
|8||15分05秒40||[[廣中璃梨佳]]||{{JPN}}||[[山口市|山口]]||[[2019年]][[12月7日]]
|-
|9||15分06秒08||[[張瑩瑩]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[10月31日]]
|-
|10||15分08秒03||[[何盼]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[10月31日]]
|}
=== U18アジア最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|13分31秒19||[[佐藤圭汰]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2021年]][[10月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|14分45秒71||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月21日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||13分08秒40||[[大迫傑]]||[[ナイキ・オレゴン・プロジェクト]]||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2015年]][[7月18日]]
|-
|2||13分10秒69||[[遠藤日向]]||[[住友電工]]||[[延岡]]||[[2022年]][[5月4日]]
|-
|3||13分12秒63||[[鎧坂哲哉]]||[[旭化成]]||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2015年]][[7月18日]]
|-
|4||13分13秒20||[[松宮隆行]]||[[コニカミノルタ]]||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2007年]][[7月28日]]
|-
|5||13分13秒40||[[高岡寿成]]||[[カネボウ陸上競技部|鐘紡]]||[[ヘヒテル]]||[[1998年]][[8月1日]]
|-
|6||13分13秒60||[[佐藤悠基]]||[[日清食品グループ]]||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2013年]][[7月13日]]
|-
|7||13分16秒53||[[塩尻和也]]||[[富士通]]||[[京都]]||[[2021年]][[12月10日]]
|-
|8||13分17秒65||[[伊藤達彦 (陸上選手)|伊藤達彦]]||[[Honda陸上競技部|Honda]]||[[延岡]]||[[2023年]][[5月4日]]
|-
|9||13分18秒32||[[三津谷祐]]||[[トヨタ自動車九州]]||[[延岡]]||[[2007年]][[5月26日]]
|-
|10||13分18秒49||[[坂東悠汰]]||[[富士通]]||[[大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||14分29秒18||[[田中希実]]||[[ニューバランス|New Balance]]||[[ブリュッセル]]||[[2023年]][[9月8日]]
|-
|2||14分52秒84||[[廣中璃梨佳]]||[[日本郵政グループ]]||[[東京]]||[[2021年]][[8月2日]]
|-
|3||14分53秒22||[[福士加代子]]||[[ワコール]]||[[ローマ]]||[[2005年]][[7月8日]]
|-
|4||14分55秒83||[[新谷仁美]]||[[積水化学]]||[[熊谷市|熊谷]]||[[2020年]][[9月20日]]
|-
|5||14分59秒36||[[萩谷楓]]||[[エディオン]]||[[大阪]]||[[2021年]][[9月26日]]
|-
|6||15分02秒48||[[木村友香 (陸上選手)|木村友香]]||[[資生堂]]||[[京都]]||[[2021年]][[12月10日]]
|-
|7||15分03秒67||[[弘山晴美]]||[[資生堂]]||[[ストックホルム]]||[[1998年]][[8月5日]]
|-
|8||15分05秒37||[[小林祐梨子]]||[[豊田自動織機]]||[[静岡市|静岡]]||[[2008年]][[10月18日]]
|-
|9||15分06秒07||[[赤羽有紀子]]||[[ホクレン農業協同組合連合会|ホクレン]]||[[北見]]||[[2008年]][[7月13日]]
|-
|10||15分06秒66||[[一山麻緒]]||[[ワコール]]||[[千歳]]||[[2020年]][[7月18日]]
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分00秒17||[[リチャード・エティーリ]]||[[東京国際大学]]||[[2023年]][[5月4日]]
|-
|2||13分15秒15||[[イエゴン・ヴィンセント・キベット|イェゴン・ヴィンセント]]||[[東京国際大学]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|3||13分16秒85||[[アモス・ベット]]||[[東京国際大学]]||[[2023年]][[6月10日]]
|-
|4||13分18秒74||[[ジョセフ・ラジニ・レメティキ|ジョセフ・ラジニ]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[11月14日]]
|-
|5||13分19秒00||[[竹澤健介]]||[[早稲田大学]]||[[2007年]][[7月29日]]
|-
|6||13分19秒96||[[砂岡拓磨]]||[[城西大学]]||[[2021年]][[12月10日]]
|-
|7||13分20秒43||[[高岡寿成]]||[[龍谷大学]]||[[1992年]][[7月2日]]
|-
|8||13分20秒80||[[大迫傑]]||[[早稲田大学]]||[[2013年]][[11月17日]]
|-
|9||13分21秒49||[[上野裕一郎]]||[[中央大学]]||[[2007年]][[7月29日]]
|-
|10||13分22秒01||[[吉居駿恭]]||[[中央大学]]||[[2023年]][[9月30日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分13秒09||[[ワンジョイ・メリー・ワンガリ]]||[[立命館アジア太平洋大学]]||[[2008年]][[4月5日]]
|-
|2||15分16秒71||[[山本有真]]||[[名城大学]]||[[2022年]][[10月10日]]
|-
|3||15分17秒53||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月10日]]
|-
|4||15分20秒68||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|5||15分22秒86||[[佐藤由美]]||[[京都産業大学]]||[[1997年]][[10月3日]]
|-
|6||15分23秒70||[[藤永佳子]]||[[筑波大学]]||[[2000年]][[5月13日]]
|-
|7||15分24秒99||[[竹中理沙]]||[[立命館大学]]||[[2010年]][[12月5日]]
|-
|8||15分25秒14||[[和田有菜]]||[[名城大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|9||15分25秒50||[[西原加純]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[12月5日]]
|-
|10||15分26秒72||[[吉本ひかり]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[4月18日]]
|}
=== 日本人学生歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分19秒00||[[竹澤健介]]||[[早稲田大学]]||[[2007年]][[7月29日]]
|-
|2||13分19秒96||[[砂岡拓磨]]||[[城西大学]]||[[2021年]][[12月10日]]
|-
|3||13分20秒43||[[高岡寿成]]||[[龍谷大学]]||[[1992年]][[7月2日]]
|-
|4||13分20秒80||[[大迫傑]]||[[早稲田大学]]||[[2013年]][[11月17日]]
|-
|5||13分21秒49||[[上野裕一郎]]||[[中央大学]]||[[2007年]][[7月29日]]
|-
|6
|13分22秒01
|[[吉居駿恭]]
|[[中央大学]]
|[[2023年]][[9月30日]]
|-
|7||13分22秒60||[[田澤廉]]||[[駒澤大学]]||[[2022年]][[4月9日]]
|-
|8||13分22秒91||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[2020年|2022年]][[12月4日|5月4日]]
|-
|9||13分23秒57||[[佐藤悠基]]||[[東海大学]]||[[2006年]][[8月30日]]
|-
|10||13分24秒11||[[中野翔太]]||[[中央大学]]||[[2023年]][[6月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分16秒71||[[山本有真]]||[[名城大学]]||[[2022年]][[10月10日]]
|-
|2||15分17秒53||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月10日]]
|-
|3||15分20秒68||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|4||15分22秒86||[[佐藤由美]]||[[京都産業大学]]||[[1997年]][[10月3日]]
|-
|5||15分23秒70||[[藤永佳子]]||[[筑波大学]]||[[2000年]][[5月13日]]
|-
|6||15分24秒99||[[竹中理沙]]||[[立命館大学]]||[[2010年]][[12月5日]]
|-
|7||15分25秒14||[[和田有菜]]||[[名城大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|8||15分25秒50||[[西原加純]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[12月5日]]
|-
|9||15分26秒72||[[吉本ひかり]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[4月18日]]
|-
|10||15分26秒76||[[髙松智美ムセンビ]]||[[名城大学]]||[[2018年]][[12月2日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分22秒91||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[2020年|2022年]][[12月4日|5月4日]]
|-
|2||13分22秒99||[[吉岡大翔]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2022年]][[11月13日]]
|-
|3||13分25秒87||[[吉居大和]]||[[中央大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|4||13分26秒78||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2021年]][[7月14日]]
|-
|5||13分28秒78||[[折田壮太]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2023年]][[9月24日]]
|-
|6||13分30秒98||[[石原翔太郎]]||[[東海大学]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|7||13分31秒72||[[佐藤悠基]]||[[東海大学]]||[[2005年]][[5月21日]]
|-
|8||13分34秒20||[[飯田翔大]]||[[出水中央高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|9||13分34秒59||[[山口竣平]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|10||13分34秒74||[[石田洸介]]||[[東京農業大学第二高等学校]]||[[2020年]][[9月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分05秒40||[[廣中璃梨佳]]||[[日本郵政グループ]]||[[2019年]][[12月7日]]
|-
|2||15分10秒23||[[福士加代子]]||[[ワコール]]||[[2001年]][[7月14日]]
|-
|3||15分15秒80||[[田中希実]]||[[ND28AC]]||[[2018年]][[10月14日]]
|-
|4||15分17秒53||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月10日]]
|-
|5||15分17秒62||[[鷲見梓沙]]||[[ユニバーサルエンターテインメント]]||[[2015年]][[7月12日]]
|-
|6||15分20秒68||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|7||15分21秒37||[[小林祐梨子]]||[[豊田自動織機]]||[[2007年]][[4月7日]]
|-
|8||15分22秒68||[[藤永佳子]]||[[長崎県立諫早高等学校・附属中学校|長崎県立諫早高等学校]]||[[1999年]][[5月9日]]
|-
|9||15分23秒56||[[小笠原朱里]]||[[山梨学院中学高等学校|山梨学院高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|-
|10||15分24秒61||[[田﨑優理]]||[[ヤマダホールディングス]]||[[2020年]][[12月4日]]
|}
=== U18日本最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|13分31秒19||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2021年]][[10月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|15分23秒56||小笠原朱里||[[山梨学院中学高等学校|山梨学院高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分22秒99||[[吉岡大翔]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2022年]][[11月13日]]
|-
|2||13分28秒78||[[折田壮太]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2023年]][[9月24日]]
|-
|3||13分31秒19||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2021年]][[10月3日]]
|-
|4||13分34秒20||[[飯田翔大]]||[[出水中央高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|5||13分34秒59||[[山口竣平]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|6||13分34秒74||[[石田洸介]]||[[東京農業大学第二高等学校]]||[[2020年]][[9月27日]]
|-
|7||13分35秒16||[[山口智規]]||[[学校法人石川高等学校]]||[[2021年]][[11月14日]]
|-
|8||13分36秒57||[[伊藤大志]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2020年]][[11月15日]]
|-
|9||13分37秒46||[[長嶋幸宝]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2022年]][[5月4日]]
|-
|10||13分38秒40||[[濱口大和]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[9月24日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分22秒68||[[藤永佳子]]||[[長崎県立諫早高等学校・附属中学校|長崎県立諫早高等学校]]||[[1999年]][[5月9日]]
|-
|2||15分23秒56||[[小笠原朱里]]||[[山梨学院中学高等学校|山梨学院高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|-
|3||15分25秒87||[[矢田みくに]]||[[ルーテル学院中学校・高等学校|ルーテル学院高等学校]]||[[2016年]][[12月3日]]
|-
|4||15分27秒98||[[絹川愛]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2007年]][[9月22日]]
|-
|5||15分28秒70||[[新谷仁美]]||[[興譲館高等学校]]||[[2005年]][[12月3日]]
|-
|6||15分31秒33||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|7||15分31秒62||[[森林未来]]||[[長崎県立諫早高等学校・附属中学校|長崎県立諫早高等学校]]||[[2016年]][[12月3日]]
|-
|8||15分31秒65||[[大谷くみこ]]||[[大分東明高等学校・向陽中学校|大分東明高等学校]]||[[2012年]][[12月1日]]
|-
|9||15分31秒90||[[小林祐梨子]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2006年]][[4月8日]]
|-
|10||15分31秒92||[[向井優香]]||[[広島県立世羅高等学校]]||[[2015年]][[10月17日]]
|}
=== 高校生に関する各種記録 ===
*2002年より[[日本国籍]]のない高校生の記録は日本高校国内国際記録とされ、遡って留学生による日本高校記録も抹消された。
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分15秒44||[[チャールズ・ディランゴ]]||[[広島県立世羅高等学校]]||[[2011年]][[10月22日]]
|-
|2||13分18秒75||[[ダニエル・ディリツ]]||[[大分東明高等学校・向陽中学校|大分東明高等学校]]||[[2021年]][[11月14日]]
|-
|3||13分21秒52||[[ポール・カマイシ]]||[[広島県立世羅高等学校]]||[[2015年]][[4月19日]]
|-
|4||13分22秒01||[[コスマス・ムワンギ]]||[[広島県立世羅高等学校]]||[[2021年]][[10月2日]]
|-
|5||13分22秒58||[[ジュリアス・ギタヒ]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[1995年]][[9月15日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分02秒28||[[フェリスタ・ワンジュグ]]||[[青森山田高等学校]]||[[2008年]][[11月22日]]
|-
|2||15分03秒34||[[ジャネット・ニーヴァ]]||[[倉敷高等学校]]||[[2022年]][[5月4日]]
|-
|3||15分05秒66||[[カリバ・カロライン]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2022年]][[5月4日]]
|-
|4||15分07秒13||[[シンシア・ジェリ・バイレ]]||[[神村学園初等部・中等部・高等部|神村学園高等部]]||[[2020年]][[7月18日]]
|-
|5||15分07秒52||[[ジュディ・ジェプングテッチ]]||[[益田東高等学校]]||[[2020年]][[11月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分50秒27||[[吉岡大翔]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2020年]][[11月15日]]
|-
|2||13分54秒16||[[増子陽太]]||[[学校法人石川高等学校・石川義塾中学校|学校法人石川高等学校]]||[[2023年]][[11月12日]]
|-
|3||13分58秒93||[[遠藤日向]]||[[学校法人石川高等学校・石川義塾中学校|学校法人石川高等学校]]||[[2014年]][[12月7日]]
|-
|4||13分59秒55||[[山口智規]]||[[学校法人石川高等学校・石川義塾中学校|学校法人石川高等学校]]||[[2019年]][[11月17日]]
|-
|5||14分00秒55||[[羽生拓矢]]||[[八千代松陰中学校・高等学校|八千代松陰高等学校]]||[[2013年]][[11月17日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分29秒32||[[小笠原朱里]]||[[山梨学院中学高等学校|山梨学院高等学校]]||[[2016年]][[12月3日]]
|-
|2||15分42秒23||[[廣中璃梨佳]]||[[長崎市立長崎商業高等学校]]||[[2016年]][[10月22日]]
|-
|3||15分42秒9||[[阪田直子]]||[[立命館宇治中学校・高等学校|立命館宇治高等学校]]||[[1998年]][[11月22日]]
|-
|4||15分44秒02||[[木村友香 (陸上選手)|木村友香]]||[[筑紫女学園高等学校]]||[[2010年]][[10月16日]]
|-
|5||15分44秒5||[[野原優子]]||[[筑紫女学園高等学校]]||[[2003年]][[11月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分38秒40||[[濱口大和]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[9月24日]]
|-
|2||13分38秒96||[[吉岡大翔]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2021年]][[10月3日]]
|-
|3||13分45秒86||[[北村聡]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2002年]][[10月23日]]
|-
|4||13分46秒21||[[長嶋幸宝]]||[[兵庫県立西脇工業高等学校]]||[[2021年]][[12月5日]]
|-
|5||13分49秒81||[[山口智規]]||[[学校法人石川高等学校・石川義塾中学校|学校法人石川高等学校]]||[[2020年]][[11月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分23秒56||[[小笠原朱里]]||[[山梨学院中学高等学校|山梨学院高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|-
|2||15分25秒87||[[矢田みくに]]||[[ルーテル学院中学校・高等学校|ルーテル学院高等学校]]||[[2016年]][[12月3日]]
|-
|3||15分28秒13||[[絹川愛]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2006年]][[9月23日]]
|-
|4||15分31秒62||[[森林未来]]||[[長崎県立諫早高等学校・附属中学校|長崎県立諫早高等学校]]||[[2016年]][[12月3日]]
|-
|5||15分31秒92||[[向井優香]]||[[広島県立世羅高等学校]]||[[2015年]][[10月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13分22秒99||[[吉岡大翔]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2022年]][[11月13日]]
|-
|2||13分28秒78||[[折田壮太]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2023年]][[9月24日]]
|-
|3||13分31秒19||[[佐藤圭汰]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2021年]][[10月3日]]
|-
|4||13分34秒20||[[飯田翔大]]||[[出水中央高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|5||13分34秒59||[[山口竣平]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[11月25日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分22秒68||[[藤永佳子]]||[[長崎県立諫早高等学校・附属中学校|長崎県立諫早高等学校]]||[[1999年]][[5月9日]]
|-
|2||15分27秒98||[[絹川愛]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2007年]][[9月22日]]
|-
|3||15分28秒70||[[新谷仁美]]||[[興譲館高等学校]]||[[2005年]][[12月3日]]
|-
|4||15分31秒33||[[米澤奈々香]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|5||15分31秒65||大谷くみこ||[[大分東明高等学校]]||[[2012年]][[12月1日]]
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||14分32秒44||[[石田洸介]]||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2017年]][[12月3日]]
|-
|2||14分37秒99||五十嵐喬信||[[常陸太田市立水府中学校]]||[[2018年]][[3月25日]]
|-
|3||14分38秒99||[[森田歩希]]||[[守谷市立御所ヶ丘中学校]]||[[2011年]][[12月10日]]
|-
|4||14分41秒25||藤井雄大||[[宮崎市立住吉中学校]]||[[2023年]][[12月9日]]
|-
|5||14分41秒33||荒生実慧||[[酒田市立第一中学校]]||[[2015年]][[12月6日]]
|-
|6||14分43秒71||横田俊吾||[[五泉市立山王中学校]]||[[2015年]][[9月26日]]
|-
|7||14分47秒78||長嶋幸宝||[[加古川市立氷丘中学校]]||[[2019年]][[10月19日]]
|-
|8||14分48秒38||長谷川令||[[坂戸市立桜中学校]]||[[2012年]][[12月2日]]
|-
|9||14分49秒75||永山博基||[[湧水町立栗野中学校]]||[[2012年]][[3月18日]]
|-
|10||14分49秒76||山元育||[[甲賀市立水口中学校]]||[[1988年]][[10月18日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||16分22秒0||石井千佳||[[吹田市立青山台中学校]]||[[1989年]][[11月11日]]
|-
|2||16分48秒0||[[宮崎安澄]]||[[熊本市立湖東中学校]]||[[1988年]][[9月10日]]
|-
|3||16分55秒7||長島孝子||[[函南町立東中学校]]||[[1993年]][[4月3日]]
|-
|4||17分08秒7||山口純江||[[茨木市立北中学校]]||[[1988年]][[12月17日]]
|-
|5||17分10秒7||上田純子||[[三木市立緑が丘中学校]]||[[1984年]][[12月15日]]
|-
|6||17分11秒0||山野恵美||[[加古川市立中部中学校]]||[[1985年]][[12月14日]]
|-
|7||17分13秒1||山添優子||[[善通寺市立東中学校]]||[[1988年]][[7月24日]]
|-
|8||17分15秒7||江本由紀代||[[神戸市立小部中学校]]||[[1987年]][[12月25日]]
|-
|9||17分16秒8||広井孝子||[[加古川市立中部中学校]]||[[1987年]][[12月6日]]
|-
|10||17分20秒0||大間香織||[[八王子市立第六中学校]]||[[1997年]][[10月25日]]
|}
=== 中学生に関する各種記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15分16秒61||山野友也||[[千葉市立幕張中学校]]||[[2005年]][[12月23日]]
|-
|2||15分23秒69||井上朋哉||[[中能登町立中能登中学校]]||[[2020年]][[12月12日]]
|-
|3||15分25秒6||山本泰明||[[武雄市立川登中学校]]||[[1986年]][[11月30日]]
|-
|4||15分30秒62||[[佐藤一世]]||[[松戸市立小金中学校]]||[[2015年]][[12月23日]]
|-
|5||15分30秒64||[[志方文典]]||[[加西市立泉中学校]]||[[2005年]][[10月8日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・中学3年歴代10傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||14分32秒44||[[石田洸介]]||[[北九州市立浅川中学校]]||[[2017年]][[12月3日]]
|-
|2||14分37秒99||五十嵐喬信||[[常陸太田市立水府中学校]]||[[2018年]][[3月25日]]
|-
|3||14分38秒99||[[森田歩希]]||[[守谷市立御所ヶ丘中学校]]||[[2011年]][[12月10日]]
|-
|4||14分41秒25||藤井雄大||[[宮崎市立住吉中学校]]||[[2023年]][[12月9日]]
|-
|5||14分41秒33||荒生実慧||[[酒田市立第一中学校]]||[[2015年]][[12月6日]]
|-
|6||14分43秒71||横田俊吾||[[五泉市立山王中学校]]||[[2015年]][[9月26日]]
|-
|7||14分47秒78||長嶋幸宝||[[加古川市立氷丘中学校]]||[[2019年]][[10月19日]]
|-
|8||14分48秒38||長谷川令||[[坂戸市立桜中学校]]||[[2012年]][[12月2日]]
|-
|9||14分49秒75||永山博基||[[湧水町立栗野中学校]]||[[2012年]][[3月18日]]
|-
|10||14分49秒76||山元育||[[甲賀市立水口中学校]]||[[1988年]][[10月18日]]
|-
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1936||[[ベルリンオリンピック|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]||{{DEU1935}}||[[村社講平]]||4位||14分30秒00
|-
|}
*1936年ベルリンオリンピックで[[村社講平]]が4位入賞を果たした。なお、村社の4位入賞という成績は、ベルリン五輪から三四半世紀経った現在でもこの種目における日本人男子選手の最高成績となっている。
=== 五輪・世界選手権における日本人女子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1996||[[アトランタオリンピック|第26回オリンピック競技大会(アトランタ)]]||{{USA}}||[[志水見千子]]||4位||15分09秒05
|-
|1997||[[1997年世界陸上競技選手権大会|第6回世界陸上競技選手権大会(アテネ)]]||{{GRE}}||[[弘山晴美]]||8位||15分21秒19
|-
|2023||[[2023年世界陸上競技選手権大会|第19回世界陸上競技選手権大会(ブダペスト)]]||{{HUN}}||[[田中希実]]||8位||14分58秒99
|}
*1996年アトランタオリンピックで[[志水見千子]]が4位入賞を果たし、この種目で日本人女子選手最初の入賞者となった。
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.worldathletics.org/ ワールドアスレティックス]
* [http://www.jaaf.or.jp/fan 日本陸上競技連盟] (JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-13T09:38:30Z
|
2023-12-12T08:20:32Z
| false | false | false |
[
"Template:要出典",
"Template:NED",
"Template:AUS",
"Template:CHN",
"Template:Reflist",
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"Template:DEU1935"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/5000%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0
|
11,367 |
10000メートル競走
|
10000メートル競走(いちまんメートルきょうそう 英語: 10,000 metres, 10,000-metres run)は、10000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。競技会や関係者の間では10000m(10000メートル)や10000と略される場合がほとんどである。400mトラックを25周する。持久力だけではなくスピードも要求され、日本国内では、男女マラソンに次ぐ注目を集める長距離種目である。
距離の長い種目なので、予選・決勝とラウンドを分けずに1つのラウンドで決着がつけられることがほとんどである。その場合、参加選手が多いときは複数の組をタイムで比較して順位付けされ(タイムレース)、参加選手がおおむね50名未満の場合は出場選手全員を一斉にスタートさせること(一発決勝)が多い。1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる二段階スタートという方法が採られる。ちなみに陸上競技においては10000mと10kmは別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。前者は原則0.01秒単位、後者は1秒単位で計時される。
世界的には男子はエチオピアやケニアといったアフリカ勢が圧倒的に強く、米国や欧州勢がそれを追う展開となっている。近年までアフリカ系選手の独壇場といっても過言ではない様相を呈しており、それ以外の選手がオリンピックで上位入賞するケースは稀で、2012年ロンドンオリンピックでゲーレン・ラップが銀メダルを獲得したのは、白人選手としては1988年ソウルオリンピックのサルヴァトーレ・アンティボ以来、アメリカの選手に限ってみれば1964年東京オリンピックのビリー・ミルズ以来であった。日本人男子選手は比較的に健闘しており、1936年ベルリンオリンピックで村社講平が4位、1964年東京オリンピックで円谷幸吉が6位、1984年ロサンゼルスオリンピックで金井豊と2000年シドニーオリンピックで高岡寿成がそれぞれ7位で、過去4人が入賞を果たしている。
世界的に女子は男子同様にエチオピアやケニアといったアフリカ勢が強く、欧米勢がそれを追う展開で、中国勢も(ドーピングの疑惑がありながらも)上位入賞ができる実力をもっている。日本は1990年代半~90年代後半までは、女子トラックの個人種目の中では日本が最も世界のトップレベルの選手と戦えた種目で、多くの選手が五輪と世界選手権で入賞を果たし、1997年世界陸上アテネ大会では千葉真子が銅メダルを獲得するなど、当時は世界大会で上位入賞も比較的見られ、有望選手も多かった。2000年以降は停滞期を迎え世界大会で上位入賞は見られなくなったが、2009年世界陸上ベルリン大会で中村友梨香が10年ぶりに7位入賞を果たし、2013年世界陸上モスクワ大会で新谷仁美が5位とメダル圏内に肉薄するなど、以前と比べれば復調の兆しが見えつつある。
この種目でかつてのように日本選手の活躍が多くないのは、日本の長距離界が駅伝などのロードレースに傾倒しすぎであるからとも言われている。
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10000メートル競走は、10000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。競技会や関係者の間では10000m(10000メートル)や10000と略される場合がほとんどである。400mトラックを25周する。持久力だけではなくスピードも要求され、日本国内では、男女マラソンに次ぐ注目を集める長距離種目である。 距離の長い種目なので、予選・決勝とラウンドを分けずに1つのラウンドで決着がつけられることがほとんどである。その場合、参加選手が多いときは複数の組をタイムで比較して順位付けされ(タイムレース)、参加選手がおおむね50名未満の場合は出場選手全員を一斉にスタートさせること(一発決勝)が多い。1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる二段階スタートという方法が採られる。ちなみに陸上競技においては10000mと10kmは別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。前者は原則0.01秒単位、後者は1秒単位で計時される。
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'''10000メートル競走'''(いちまんメートルきょうそう {{lang-en|10,000 metres, 10,000-metres run}})は、10000[[メートル]]を走るタイムを競う[[陸上競技]]のトラック種目で、[[長距離走]]に分類される。競技会や関係者の間では'''10000m(10000メートル)'''や'''10000'''と略される場合がほとんどである。400mトラックを25周する。持久力だけではなくスピードも要求され、日本国内では、男女[[マラソン]]に次ぐ注目を集める長距離種目である。
距離の長い種目なので、予選・決勝とラウンドを分けずに1つのラウンドで決着がつけられることがほとんどである。その場合、参加選手が多いときは複数の組をタイムで比較して順位付けされ('''タイムレース''')、参加選手がおおむね50名未満の場合は出場選手全員を一斉にスタートさせること('''[[タイム決勝|一発決勝]]''')が多い。1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる'''二段階スタート'''という方法が採られる。ちなみに陸上競技においては'''10000m'''と'''10km'''は別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。前者は原則0.01秒単位、後者は1秒単位で計時される。
== 現在の競技状況 ==
{{独自研究|section=1|date=2022年2月7日 (月) 10:58 (UTC)}}
世界的には男子は[[エチオピア]]や[[ケニア]]といったアフリカ勢が圧倒的に強く、米国や欧州勢がそれを追う展開となっている。近年までアフリカ系選手の独壇場といっても過言ではない様相を呈しており、それ以外の選手が[[夏季オリンピック|オリンピック]]で上位入賞するケースは稀で、[[2012年]][[ロンドンオリンピック (2012年) |ロンドンオリンピック]]で[[ゲーレン・ラップ]]が[[銀メダル]]を獲得したのは、白人選手としては[[1988年]][[ソウルオリンピック]]の[[サルヴァトーレ・アンティボ]]以来、アメリカの選手に限ってみれば[[1964年東京オリンピック]]の[[ビリー・ミルズ]]以来であった。日本人男子選手は比較的に健闘しており、[[1936年]][[ベルリンオリンピック]]で[[村社講平]]が4位、[[1964年東京オリンピック]]で[[円谷幸吉]]が6位、[[1984年]][[ロサンゼルスオリンピック (1984年) |ロサンゼルスオリンピック]]で[[金井豊]]と[[2000年]][[シドニーオリンピック]]で[[高岡寿成]]がそれぞれ7位で、過去4人が入賞を果たしている。
世界的に女子は男子同様に[[エチオピア]]や[[ケニア]]といったアフリカ勢が強く、欧米勢がそれを追う展開で、中国勢も(ドーピングの疑惑がありながらも<ref>{{Cite news|title=「馬軍団」組織的ドーピングか 元エース、王軍霞さん手紙で告白|newspaper=毎日新聞|date=2016-02-06|url=http://mainichi.jp/articles/20160206/ddm/035/050/100000c|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160917002557/http://mainichi.jp/articles/20160206/ddm/035/050/100000c|archivedate=2016年09月17日|accessdate=2023-07-14}}</ref>)上位入賞ができる実力をもっている。日本は1990年代半~90年代後半までは、女子トラックの個人種目の中では日本が最も世界のトップレベルの選手と戦えた種目で、多くの選手が五輪と世界選手権で入賞を果たし、[[1997年]][[1997年世界陸上競技選手権大会|世界陸上アテネ大会]]では[[千葉真子]]が[[銅メダル]]を獲得するなど、当時は世界大会で上位入賞も比較的見られ、有望選手も多かった。2000年以降は停滞期を迎え世界大会で上位入賞は見られなくなったが、[[2009年]][[2009年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ベルリン大会]]で[[中村友梨香]]が10年ぶりに7位入賞を果たし、[[2013年]][[2013年世界陸上競技選手権大会|世界陸上モスクワ大会]]で[[新谷仁美]]が5位とメダル圏内に肉薄するなど、以前と比べれば復調の兆しが見えつつある。
{{誰範囲2|date=2023年12月|この種目でかつてのように日本選手の活躍が多くないのは、日本の長距離界が駅伝などのロードレースに傾倒しすぎであるからとも言われている。}}
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||26分11秒00||[[ジョシュア・チェプテゲイ]]||{{UGA}}||[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]||[[2020年]][[10月7日]]
|-
|2||26分17秒53||[[ケネニサ・ベケレ]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2005年]][[8月26日]]
|-
|3||26分22秒75||[[ハイレ・ゲブレセラシェ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[1998年]][[6月1日]]
|-
|4||26分27秒85||[[ポール・テルガト]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[1997年]][[8月22日]]
|-
|5||26分30秒03||{{仮リンク|ニコラス・ケンボイ|en|Nicholas Kemboi (born 1983)}}||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2003年]][[9月5日]]
|-
|6||26分30秒74||{{仮リンク|アベベ・ディンケサ|en|Abebe Dinkesa}}||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2005年]][[5月29日]]
|-
|7||26分33秒84||{{仮リンク|グラント・フィッシャー|en|Grant Fisher}}||{{USA}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2022年]][[3月6日]]
|-
|8||26分33秒93||{{仮リンク|ジェイコブ・キプリモ|en|Jacob Kiplimo}}||{{UGA}}||[[オストラヴァ]]||[[2021年]][[5月19日]]
|-
|9||26分34秒14||{{仮リンク|モハメド・アーメド|en|Mohammed Ahmed (runner)}}||{{CAN}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2022年]][[3月6日]]
|-
|10||26分35秒63||[[ミカ・コーゴ]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2006年]][[8月25日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||29分01秒03||[[レテセンベト・ギデイ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月8日]]
|-
|2||29分06秒82|| {{仮リンク|シファン・ハッサン|en|Sifan Hassan}} ||{{NED}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月6日]]
|-
|3||29分17秒45||[[アルマズ・アヤナ]]||{{ETH}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月12日]]
|-
|4||29分29秒73|| {{仮リンク|グダフ・ツェガエ|en|Gudaf Tsegay}}||{{ETH}}||[[ネルハ]]||[[2023年]][[6月23日]]
|-
|5||29分31秒78||[[王軍霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|6||29分32秒53||[[ビビアン・チェルイヨット]]||{{KEN}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月12日]]
|-
|7||29分42秒56||[[ティルネシュ・ディババ]]||{{ETH}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月12日]]
|-
|8
|29分47秒42
|[[グレース・ナワウーナ]]
|{{KEN}}
|[[ヘンゲロー]]
|[[2023年]][[6月3日]]
|-
|9||29分50秒77||{{仮リンク|カルキダン・ゲザヘグネ|en|Kalkidan Gezahegne}}||{{BHR}}||[[マイア(ポルトガルの都市)|マイア]]||[[2021年]][[5月8日]]
|-
|10||29分53秒51||{{仮リンク|アリス・アプロット・ナウォウナ|en|Alice Aprot Nawowuna}}||{{KEN}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月12日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||26分11秒00||[[ジョシュア・チェプテゲイ]]||{{UGA}}||[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]||[[2020年]][[10月7日]]
|-
|[[アジア]]||26分38秒76||{{仮リンク|アハマド・ハッサン・アブドゥラー|en|Ahmad Hassan Abdullah}}||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2003年]][[9月5日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||26分46秒57||[[モハメド・ファラー]]||{{GBR}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2011年]][[6月3日]]
|-
|[[北アメリカ]]||26分33秒84||{{仮リンク|グラント・フィッシャー|en|Grant Fisher}}||{{USA}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2022年]][[3月6日]]
|-
|[[南アメリカ]]||27分28秒12||{{仮リンク|マリウソン・ゴメス・ドス・サントス|en|Marílson Gomes dos Santos}}||{{BRA}}||[[ニールペルト]]||[[2007年]][[6月2日]]
|-
|[[オセアニア]]||27分15秒35||{{仮リンク|ジャック・ライナー|en|Jack Rayner (runner)}}||{{AUS}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2022年]][[3月6日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||29分01秒03||[[レテセンベト・ギデイ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月8日]]
|-
|[[アジア]]||29分31秒78||[[王軍霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||29分06秒82||[[シファン・ハッサン]]||{{NED}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月6日]]
|-
|[[北アメリカ]]||30分03秒82||[[アリシア・モンソン]]||{{USA}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2023年]][[3月4日]]
|-
|[[南アメリカ]]||31分47秒76||[[Carmen De Oliveira]]||{{BRA}}||[[シュツットガルト]]||[[1993年]][[8月21日]]
|-
|[[オセアニア]]||30分35秒54||[[キンバリー・スミス]]||{{NZL}}||[[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]||[[2008年]][[5月4日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||26分41秒75||[[サムエル・ワンジル|サムエル・ワンジル・カマウ]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2005年]][[8月26日]]
|-
|2||26分49秒46||[[セレモン・バレガ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2019年]][[6月17日]]
|-
|3||26分55秒73||[[Geoffrey Kipkorir Kirui]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2011年]][[9月16日]]
|-
|4||26分57秒56||[[イグレム・デメラッシュ]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2012年]][[9月7日]]
|-
|5||26分57秒88||[[Abadi HADIS]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2016年]][[6月29日]]
|-
|6||26分58秒30||[[タデッセ・ウォルク]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2021年]][[6月8日]]
|-
|7||27分02秒81||[[イブラヒム・ジェイラン]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2006年]][[8月25日]]
|-
|8||27分04秒00||[[ボニフェイス・トロイティチ・キプロプ]]||{{UGA}}||[[ブリュッセル]]||[[2004年]][[9月3日]]
|-
|9||27分04秒45||[[バーナード・キプロプ・キプイエゴ]]||{{KEN}}||[[ヘンゲロ]]||[[2005年]][[5月29日]]
|-
|10||27分06秒35||[[ジェフリー・キプサング・カムウォロレ]]||{{KEN}}||[[ユージーン]]||[[2011年]][[6月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||30分26秒50||[[リネット・マサイ]]||{{KEN}}||[[北京市|北京]]||[[2008年]][[8月15日]]
|-
|2||30分31秒55||[[邢慧娜]]||{{CHN}}||[[パリ]]||[[2003年]][[8月23日]]
|-
|3||30分39秒41||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|4||30分39秒98||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|5||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||{{JPN}}||[[京都市|京都]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|6||30分53秒53||[[Girmawit GEBRZIHAIR]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2019年]][[6月17日]]
|-
|7||30分57秒54||[[ツィギエ・ゲブレセラマ]]||{{ETH}}||[[ヘンゲロ]]||[[2019年]][[6月17日]]
|-
|8
|30分59秒39
|[[Senayet GETACHEW]]
|{{ETH}}
|[[ネルハ]]
|[[2023年]][[6月24日]]
|-
|9||30分59秒92||[[メリマ・ハシム]]||{{ETH}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2000年]][[8月5日]]
|-
|10||31分06秒20||[[ルーシー・ワゴイ・カブー]]||{{KEN}}||[[岡山県|岡山]]||[[2003年]][[9月27日]]
|}
=== ユース世界最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|27分02秒81||[[イブラヒム・ジェイラン]]||{{ETH}}||[[ブリュッセル]]||[[2006年]][[8月25日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|31分11秒26||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||26分38秒76||[[アハマド・ハッサン・アブドゥラー]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2003年]][[9月5日]]
|-
|2||26分51秒87||[[ニコラス・ケンボイ]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2005年]][[8月26日]]
|-
|3||27分07秒49||[[ビルハヌ・バレウ]]||{{BHR}}||[[オストラバ]]||[[2021年]][[5月19日]]
|-
|4||27分09秒80||[[塩尻和也]]||{{JPN}}||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|5||27分11秒08||[[アブラハム・チェロベン]]||{{BHR}}||[[ロンドン]]||[[2017年]][[8月4日]]
|-
|6||27分12秒53||[[太田智樹]]||{{JPN}}||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|7||27分13秒04||[[相澤晃]]||{{JPN}}||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|8||27分17秒14||[[キーラン・タンティヴェイト]]||{{THA}}||[[サン・ファン・カピストラーノ]]||[[2021年]][[2月20日]]
|-
|9||27分20秒97||[[エッサ・イスマイル・ラシド]]||{{QAT}}||[[ヘンゲロ]]||[[2006年]][[5月28日]]
|-
|10||27分21秒40||[[マフーブ・ハサン]]||{{BHR}}||[[ヴァーヘニンゲン]]||[[2012年]][[5月30日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||29分31秒78||[[王軍霞]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|2||29分50秒77||[[カルキダン・ゲザヘグネ]]||{{BHR}}||[[マイア(ポルトガルの都市)|マイア]]||[[2021年]][[5月8日]]
|-
|3||30分07秒20||[[孫英傑]]||{{CHN}}||[[パリ]]||[[2003年]][[8月23日]]
|-
|4||30分13秒37||[[鐘煥娣]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月8日]]
|-
|5||30分17秒64||[[キャロリン・チェプコエチ・キプキルイ]]||{{KAZ}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]][[7月16日]]
|-
|6||30分20秒44||[[新谷仁美]]||{{JPN}}||[[大阪市|大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|7||30分24秒36||[[邢慧娜]]||{{CHN}}||[[アテネ]]||[[2004年]][[8月27日]]
|-
|8||30分38秒09||[[董艶梅]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|9||30分39秒41||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|10||30分39秒71||[[廣中璃梨佳]]||{{JPN}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月16日]]
|}
== U20アジア歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||27分28秒50||[[佐藤圭汰]]||{{JPN}}||[[八王子市|八王子]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|2||27分44秒86||[[長嶋幸宝]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2023年]][[12月2日]]
|-
|3||27分59秒32||[[大野龍二]]||{{JPN}}||[[鳥取]]||[[2004年]][[6月5日]]
|-
|4||28分02秒08||[[アダム・イスマイル・ハミス]]||{{BHR}}||[[ドーハ]]||[[2006年]][[12月9日]]
|-
|5||28分03秒51||[[前田和摩]]||{{JPN}}||[[相模原市|相模原]]||[[2023年]][[6月17日]]
|-
|6||28分03秒90||[[吉居大和]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|7||28分05秒91||[[石原翔太郎]]||{{JPN}}||[[相模原市|相模原]]||[[2021年]][[5月21日]]
|-
|8||28分06秒27||[[吉居駿恭]]||{{JPN}}||[[町田市|町田]]||[[2022年]][[11月26日]]
|-
|9||28分07秒39||[[佐藤悠基]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|10||28分10秒32||[[佐藤秀和]]||{{JPN}}||[[横浜市|横浜]]||[[2004年]][[11月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||30分31秒55||[[邢慧娜]]||{{CHN}}||[[パリ]]||[[2003年]][[8月23日]]
|-
|2||30分39秒41||[[蘭麗新]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|3||30分39秒98||[[尹麗麗]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|4||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||{{JPN}}||[[京都市|京都]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|5||31分11秒26||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|6||31分17秒30||[[張瑩瑩]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[11月2日]]
|-
|7||31分21秒25||[[謝芳]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[11月2日]]
|-
|8||31分23秒07||[[陳恵栄]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[11月2日]]
|-
|9||31分23秒21||[[絹川愛]]||{{JPN}}||[[新潟市|新潟]]||[[2008年]][[10月13日]]
|-
|10||31分27秒35||[[包桂英]]||{{CHN}}||[[南京市|南京]]||[[2005年]][[10月17日]]
|}
=== ユースアジア最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|28分02秒08||[[アダム・イスマイル・ハミス]]||{{BHR}}||[[ドーハ]]||[[2006年]][[12月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|31分11秒26||[[宋麗清]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||27分09秒80||[[塩尻和也]]||[[富士通]]||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|2||27分12秒53||[[太田智樹]]||[[トヨタ自動車]]||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|3||27分13秒04||[[相澤晃]]||[[旭化成]]||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|4||27分22秒31||[[田澤廉]]||[[トヨタ自動車]]||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|5||27分25秒73||[[伊藤達彦 (陸上選手)|伊藤達彦]]||[[本田技研工業|Honda]]||[[大阪市|大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|6||27分27秒49||[[羽生拓矢]]||[[トヨタ紡織]]||[[町田市|町田]]||[[2022年]][[11月26日]]
|-
|7||27分28秒13||[[小林歩 (陸上選手)|小林歩]]||[[NTT西日本]]||[[東京]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|8||27分28秒50||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[八王子市|八王子]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|9||27分28秒92||[[田村和希]]||[[住友電工]]||[[大阪市|大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|10||27分29秒69||[[村山紘太]]||[[旭化成]]||[[町田市|町田]]||[[2015年]][[11月28日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||30分20秒44||[[新谷仁美]]||[[積水化学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
||2||30分39秒71||[[廣中璃梨佳]]||[[日本郵政グループ]]||[[2022年]][[7月16日]]
|-
||3||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
||4||30分48秒89||[[渋井陽子]]||[[三井住友海上火災保険]]||[[2002年]][[5月3日]]
|-
|5||30分51秒81||[[福士加代子]]||[[ワコール]]||[[2002年]][[10月8日]]
|-
|6||30分57秒26||[[高島由香]]||[[資生堂]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|7||30分57秒67||[[小海遥]]||[[第一生命ホールディングス|第一生命グループ]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|8||30分58秒83||[[五島莉乃]]||[[資生堂]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|9||31分09秒46||[[川上優子]]||[[沖電気工業|沖電気]]宮崎||[[2000年]][[7月1日]]
|-
|10||31分10秒02||[[絹川愛]]||[[ミズノ]]||[[2011年]][[6月22日]]
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||27分06秒88||[[リチャード・エティーリ]]||[[東京国際大学]]||[[2023年]][[4月22日]]
|-
|2||27分18秒89||[[ワンジク・チャールズ・カマウ]]||[[武蔵野学院大学]]||[[2021年]][[11月13日]]
|-
|3||27分23秒44||[[田澤廉]]||[[駒澤大学]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|4||27分24秒42||[[イエゴン・ヴィンセント・キベット|イェゴン・ヴィンセント]]||[[東京国際大学]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|5||27分25秒65||[[ジョセフ・ラジニ・レメティキ|ジョセフ・ラジニ]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[9月20日]]
|-
|6||27分27秒64||[[メクボ・ジョブ・モグス]]||[[山梨学院大学]]||[[2008年]][[5月18日]]
|-
|7||27分28秒50||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|8||27分29秒92||[[ネルソン・マンデラ・ンビディ]]||[[日本大学]]||[[2022年]][[11月12日]]
|-
|9||27分30秒69||[[鈴木芽吹]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|10||27分31秒29||[[ディラング・サイモン]]||[[日本大学]]||[[2005年]][[5月13日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|2||31分22秒34||[[小林成美]]||[[名城大学]]||[[2021年]][[7月10日]]
|-
|3||31分30秒92||[[吉本ひかり]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[4月25日]]
|-
|4||31分37秒88||[[鈴木優花]]||[[大東文化大学]]||[[2019年]][[12月7日]]
|-
|5||31分39秒86||[[加世田梨花]]||[[名城大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|6||31分46秒17||[[サラ・ワンジル]]||[[大東文化大学]]||[[2023年]][[7月8日]]
|-
|7||31分47秒76||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月11日]]
|-
|8||31分47秒82||[[藤永佳子]]||[[筑波大学]]||[[2001年]][[4月22日]]
|-
|9||31分50秒13||[[山崎りさ]]||[[日本体育大学]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|10||31分50秒17||[[関谷夏希]]||[[大東文化大学]]||[[2018年]][[12月8日]]
|}
=== 日本人学生歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||27分23秒44||[[田澤廉]]||[[駒澤大学]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|2||27分28秒50||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|3||27分30秒69||[[鈴木芽吹]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|4||27分38秒31||[[大迫傑]]||[[早稲田大学]]||[[2013年]][[4月29日]]
|-
|5||27分38秒66||[[篠原倖太朗]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|6||27分44秒30||[[鎧坂哲哉]]||[[明治大学]]||[[2011年]][[7月29日]]
|-
|7||27分45秒59||[[竹澤健介]]||[[早稲田大学]]||[[2007年]][[4月29日]]
|-
|8||27分47秒01||[[吉田礼志]]||[[中央学院大学]]||[[2023年]][[12月2日]]
|-
|9||27分47秒87||[[塩尻和也]]||[[順天堂大学]]||[[2017年]][[11月25日]]
|-
|10||27分48秒55||[[渡辺康幸]]||[[早稲田大学]]||[[1995年]][[8月5日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|2||31分22秒34||[[小林成美]]||[[名城大学]]||[[2021年]][[7月10日]]
|-
|3||31分30秒92||[[吉本ひかり]]||[[佛教大学]]||[[2010年]][[4月25日]]
|-
|4||31分37秒88||[[鈴木優花]]||[[大東文化大学]]||[[2019年]][[12月7日]]
|-
|5||31分39秒86||[[加世田梨花]]||[[名城大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|6||31分47秒76||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月11日]]
|-
|7||31分47秒82||[[藤永佳子]]||[[筑波大学]]||[[2001年]][[4月22日]]
|-
|8||31分50秒13||[[山崎りさ]]||[[日本体育大学]]||[[2023年]][[12月10日]]
|-
|9||31分50秒17||[[関谷夏希]]||[[大東文化大学]]||[[2018年]][[12月8日]]
|-
|10||31分51秒78||[[村松灯]]||[[立命館大学]]||[[2023年]][[12月10日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||27分28秒50||[[佐藤圭汰]]||[[駒澤大学]]||[[2023年]][[11月25日]]
|-
|2||27分44秒86||[[長嶋幸宝]]||[[旭化成]]||[[2023年]][[12月2日]]
|-
|3||27分59秒32||[[大野龍二]]||[[旭化成]]||[[2004年]][[6月5日]]
|-
|4||28分03秒51||[[前田和摩]]||[[東京農業大学]]||[[2023年]][[6月17日]]
|-
|5||28分03秒90||[[吉居大和]]||[[中央大学]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|6||28分05秒91||[[石原翔太郎]]||[[東海大学]]||[[2021年]][[5月21日]]
|-
|7||28分06秒27||[[吉居駿恭]]||[[中央大学]]||[[2022年]][[11月26日]]
|-
|8||28分07秒39||[[佐藤悠基]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|9||28分10秒32||[[佐藤秀和]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|10||28分12秒81||[[北村聡]]||[[日本体育大学]]||[[2004年]][[11月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||30分45秒21||[[不破聖衣来]]||[[拓殖大学]]||[[2021年]][[12月11日]]
|-
|2||31分23秒21||[[絹川愛]]||[[ミズノ]]||[[2008年]][[10月13日]]
|-
|3||31分42秒05||[[福士加代子]]||[[ワコール]]||[[2001年]][[9月29日]]
|-
|4||31分43秒7||[[千葉真子]]||[[旭化成]]||[[1995年]][[11月11日]]
|-
|5||31分47秒76||[[木村泰子]]||[[京都産業大学]]||[[1995年]][[6月11日]]
|-
|6||31分48秒50||[[原裕美子]]||[[京セラ]]||[[2001年]][[10月14日]]
|-
|7||31分58秒46||[[棟久由貴]]||[[東京農業大学]]||[[2016年]][[7月11日]]
|-
|8||31分58秒93||[[藤永佳子]]||[[筑波大学]]||[[2000年]][[4月23日]]
|-
|9||31分58秒95||[[大越一恵]]||[[ダイハツ工業|ダイハツ]]||[[2000年]][[7月1日]]
|-
|10||32分07秒98||[[小島江美子]]||[[旭化成]]||[[1998年]][[5月3日]]
|}
=== ユース日本最高記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|28分23秒18||[[村山謙太]]||[[仙台大学附属明成高等学校|明成高等学校]]||[[2010年]][[12月4日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|33分01秒5||[[増田明美]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1981年]][[10月25日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||28分07秒39||[[佐藤悠基]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|2||28分10秒32||[[佐藤秀和]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|3||28分11秒96||[[吉居駿恭]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[11月13日]]
|-
|4||28分23秒18||[[村山謙太]]||[[仙台大学附属明成高等学校|明成高等学校]]||[[2010年]][[12月4日]]
|-
|5||28分27秒39||[[上野裕一郎]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2003年]][[11月29日]]
|-
|6||28分33秒58||[[大濱逞真]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2023年]][[11月11日]]
|-
|7||28分35秒65||[[吉居大和]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2020年]][[3月8日]]
|-
|8||28分35秒8||[[渡辺康幸]]||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[1991年]][[11月21日]]
|-
|9||28分36秒67||[[緒方澪那斗]]||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2021年]][[12月4日]]
|-
|10||28分37秒50||[[石田洸介]]||[[東京農業大学第二高等学校]]||[[2020年]][[10月31日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||31分35秒27||[[絹川愛]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2007年]][[4月22日]]
|-
|2||32分48秒03||[[市橋有里]]||[[三田国際学園中学校・高等学校|戸板女子高等学校]]||[[1995年]][[5月7日]]
|-
|3||33分01秒5||[[増田明美]]||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[1981年]][[10月25日]]
|-
|4||33分13秒99||[[原裕美子]]||[[宇都宮文星女子高等学校]]||[[1999年]][[10月3日]]
|-
|5||33分24秒04||大谷くみこ||[[大分東明高等学校・向陽中学校|大分東明高等学校]]||[[2012年]][[12月22日]]
|-
|6||33分29秒98||金子るみ子||[[順天中学校・高等学校|順天高等学校]]||[[1982年]][[9月24日]]
|-
|7||33分39秒04||野見山美保||[[北九州市立高等学校|北九州市立戸畑商業高等学校]]||[[2007年]][[5月4日]]
|-
|8||33分56秒72||田中久子||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[1993年]][[6月26日]]
|-
|9||33分58秒3||宮内洋子||[[白鵬女子高等学校]]||[[2001年]][[12月26日]]
|-
|10||34分01秒75||高橋郁子||[[広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校|鈴峯女子高等学校]]||[[1988年]][[6月18日]]
|}
=== 高校生に関する各種記録 ===
*2002年より[[日本国籍]]のない高校生の記録は日本高校国内国際記録とされ、遡って留学生による日本高校記録も抹消された。
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||27分28秒60||[[ジュリアス・ギタヒ]]||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[1996年]][[10月5日]]
|-
|2||27分46秒47||[[ジョン・カリウキ]]||[[滋賀学園中学校・高等学校|滋賀学園高等学校]]||[[2004年]][[5月22日]]
|-
|3||27分51秒92||ポール・クイラ||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[2008年]][[6月1日]]
|-
|4||28分00秒14||[[サムエル・ワンジル]]||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[2004年]][[4月25日]]
|-
|5||28分02秒09||ジョセファト・ムチリ・ダビリ||[[流通経済大学付属柏中学校・高等学校|流通経済大学付属柏高等学校]]||[[2003年]][[4月20日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||32分00秒28||ワイセラ・グラティス・ワイリム||[[豊川高等学校]]||[[2008年]][[10月18日]]
|-
|2||32分23秒25||エスタ・ワンジロ・マイナ||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[1994年]][[5月8日]]
|-
|3||32分45秒70||ルーシー・ワゴイ・カブー||[[青森山田中学高等学校|青森山田高等学校]]||[[2002年]][[7月13日]]
|-
|4||33分40秒46||フェリスタ・ワボイ||[[青森山田中学高等学校|青森山田高等学校]]||[[2001年]][[7月15日]]
|-
|5||33分55秒41||ベロニカ・カニー||[[青森山田中学高等学校|青森山田高等学校]]||[[2005年]][[9月3日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||29分16秒63||林田洋翔||[[瓊浦高等学校]]||[[2017年]][[10月14日]]
|-
|2||29分48秒25||飯島圭吾||[[山梨学院大学附属高等学校]]||[[2014年]][[11月15日]]
|-
|3||29分48秒66||内堀勇||[[山梨県立巨摩高等学校]]||[[2021年]][[11月20日]]
|-
|4||29分49秒8||[[前田和浩]]||[[佐賀県立白石高等学校]]||[[1997年]][[9月27日]]
|-
|5||29分56秒2||池田圭介||[[大牟田中学校・高等学校|大牟田高等学校]]||[[1996年]][[9月7日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||28分39秒04||[[西池和人]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2009年]][[10月2日]]
|-
|2||28分45秒75||林田洋翔||[[瓊浦高等学校]]||[[2018年]][[10月12日]]
|-
|3||28分58秒08||[[服部勇馬]]||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[2010年]][[11月20日]]
|-
|4||29分00秒3||杉山智基||[[佐賀県立有田工業高等学校]]||[[1996年]][[12月14日]]
|-
|5||29分01秒66||田村優宝||[[青森山田中学高等学校|青森山田高等学校]]||[[2008年]][[10月5日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||28分07秒39||[[佐藤悠基]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|2||28分10秒32||[[佐藤秀和]]||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[2004年]][[11月27日]]
|-
|3||28分11秒96||[[吉居駿恭]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2021年]][[11月13日]]
|-
|4||28分23秒18||[[村山謙太]]||[[仙台大学附属明成高等学校|明成高等学校]]||[[2010年]][[12月4日]]
|-
|5||28分27秒39||[[上野裕一郎]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2003年]][[11月29日]]
|}
== 中学歴代 ==
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||37分14秒7||山添優子||善通寺市立東中学校||[[1988年]][[8月27日]]
|-
|2||38分08秒5||白田雅子||[[米沢市立第二中学校]]||[[1982年]][[8月29日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1936||[[1936年ベルリンオリンピック|第11回オリンピック競技大会(ベルリン)]]||{{DEU1935}}||[[村社講平]]||4位||30分25秒0
|-
|1964||[[1964年東京オリンピック|第18回オリンピック競技大会(東京)]]||{{JPN}}||[[円谷幸吉]]||6位||28分59秒3
|-
|1984||[[1984年ロサンゼルスオリンピック|第23回オリンピック競技大会(ロサンゼルス)]]||{{USA}}||[[金井豊]]||7位||28分27秒06
|-
|2000||[[2000年シドニーオリンピック|第27回オリンピック競技大会(シドニー)]]||{{AUS}}||[[高岡寿成]]||7位||27分40秒44
|-
|}
*1936年ベルリンオリンピックで[[村社講平]]が4位入賞を果たした。なお、村社の4位入賞という成績は、現在でもこの種目における日本人男子選手の最高成績となっている。
=== 五輪・世界選手権における日本人女子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1995||[[1995年世界陸上競技選手権大会|第5回世界陸上競技選手権大会(ヨーテボリ)]]||{{SWE}}||[[鈴木博美 (陸上選手)|鈴木博美]]||8位||31分54秒01
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|1996||[[アトランタオリンピック|第26回オリンピック競技大会(アトランタ)]]||{{USA}}||[[千葉真子]]||5位||31分20秒62
|-
|1996||[[アトランタオリンピック|第26回オリンピック競技大会(アトランタ)]]||{{USA}}||[[川上優子]]||7位||31分23秒23
|-
|1997||[[1997年世界陸上競技選手権大会|第6回世界陸上競技選手権大会(アテネ)]]||{{GRE}}||[[千葉真子]]||{{3位}}||31分41秒93
|-
|1999||[[1999年世界陸上競技選手権大会|第7回世界陸上競技選手権大会(セビリア)]]||{{ESP}}||[[弘山晴美]]||4位||31分26秒84
|-
|1999||[[1999年世界陸上競技選手権大会|第7回世界陸上競技選手権大会(セビリア)]]||{{ESP}}||[[高橋千恵美]]||5位||31分27秒62
|-
|2009||[[2009年世界陸上競技選手権大会|第12回世界陸上競技選手権大会(ベルリン)]]||{{GER}}||[[中村友梨香]]||7位||31分14秒39
|-
|2013||[[2013年世界陸上競技選手権大会|第14回世界陸上競技選手権大会(モスクワ)]]||{{RUS}}||[[新谷仁美]]||5位||30分56秒70
|-
|2021||[[2020年東京オリンピック|第32回オリンピック競技大会(東京)]]||{{JPN}}||[[廣中璃梨佳]]||7位||31分00秒71
|-
|2023||[[2023年世界陸上競技選手権大会|第19回世界陸上競技選手権大会(ブダペスト)]]||{{HUN}}||[[廣中璃梨佳]]||7位||31分35秒12
|}
*1995年世界陸上競技選手権大会で鈴木博美が8位入賞を果たし、この種目で日本人女子選手最初の入賞者となった。1997年世界陸上競技選手権で千葉真子が3位となり、この種目で初のメダリストとなった。
*オリンピックでは、1996年アトランタオリンピックでの千葉真子の5位入賞が最高位の成績となっている。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
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[[Category:陸上競技種目|10000めとるきようそう]]
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ハイレ・ゲブレセラシェ
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ハイレ・ゲブレセラシェ(アムハラ語: ኃይሌ ገብረ ሥላሴ、ラテン文字転写: haylē gebre silassē 、Haile Gebrselassie、1973年4月18日 - )は、エチオピアの陸上選手。専門は長距離走・マラソン。
彼の名前は「ハイレ」が本人の名前、「ゲブレセラシェ」は姓(ファミリーネーム)ではなく父親の名前(父称)である(人名#その他の文化圏における名前を参照)。その意味では本人を特定するのに「ゲブレセラシェ」と略するのは正しくないが、日本も含めたマスメディアにおいてはこれを姓とみなして表記することが多い。「ゲブレセラシェ」は日本語では「ゲブレシラシエ」とも表記される。
身長164cmと小柄ながら圧倒的な強さで『皇帝』と呼ばれる、エチオピアの国民的英雄である。5000m、10000m、ハーフマラソン、マラソンの元世界記録保持者。
1992年9月18日、世界ジュニア陸上競技選手権大会の10000メートル走において優勝したが、レース中にもかかわらずゴール直前に殴りかかられるという前代未聞の事件の当事者となった。これは、あまりに前に出ずトップの選手にぴったりとくっつく、いわゆるコバンザメのような走法に徹し、なおかつゴール直前に1位の選手を抜き去ったためである。引っ張り役を押しつけられ苛立ったケニア選手(ジョセファト・マチュカ)は、後ろからハイレの背中を殴打して突き飛ばしたが、そのまま2人ともゴールした。なお、この事件によりマチュカは失格となり、順位が繰り上がった渡辺康幸が銅メダルを獲得している。
10000m走において1993年から1999年まで世界陸上4連覇を果たし、1996年アトランタオリンピック・2000年シドニーオリンピックでも2連覇。
1998年にはワールド・アスレチック・ガラで年間最優秀選手に選ばれる。
5連覇を狙ったエドモントン世界陸上では、故障明けの影響で銅メダルに終わる。2004年アテネオリンピックは直前の故障による影響で5着に終わり、ロードレースへの転向を宣言する。
マラソン初出走の2002年ロンドンマラソンでは3位に終わったが、2005年、2度目のアムステルダムマラソンでマラソン初優勝を果たした。
2005年には10マイルの世界記録を更新する。2006年はハーフマラソンとIAAF非公認の25km走で世界記録を出す(ハーフマラソンの記録は翌年にサムエル・ワンジルに更新される)。2007年はロンドンマラソンを30kmで途中棄権したが、ベルリンマラソンではトラックでも長年ライバルであるポール・テルガトの世界記録(2時間4分55秒)を破る2時間4分26秒の世界新記録(当時)をマークした。
2008年3月10日、金メダルの最有力候補と目されていた北京オリンピックマラソン競技について、北京市の大気汚染が持病の喘息に悪影響を及ぼす恐れがあるとして10000mでの参加に切り替えた。しかし、実際に北京に来ると澄んだ空を見て「北京市の大気の状況は想像以上によく、(マラソン)欠場を後悔している」と述べた。
北京オリンピック10000mでは途中先頭に立つ場面もあったものの、第6位に終わった。尚、同種目の第1位と第2位は後輩のケネニサ・ベケレ、シレシ・シヒネであり、エチオピア勢ワンツーフィニッシュをお膳立てした形になった。
2008年9月28日、ベルリンマラソンに出場、自らが保持するマラソン世界記録を新たに塗り替える2時間3分59秒のタイムで優勝した。この記録は、2011年のベルリンマラソンにてパトリック・マカウに抜かれるまで世界記録として君臨した。
2010年には毎年1月に行われるドバイマラソンの3連覇を達成。同マラソンでは世界記録達成者に100万ドルのボーナスが支払われることになっているが、自らの記録は抜けず、ボーナス獲得には至らなかった。同年11月7日に行われたニューヨークシティーマラソンでは25キロ付近で右膝の不調のため棄権した。
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ハイレ・ゲブレセラシェは、エチオピアの陸上選手。専門は長距離走・マラソン。 彼の名前は「ハイレ」が本人の名前、「ゲブレセラシェ」は姓(ファミリーネーム)ではなく父親の名前(父称)である(人名#その他の文化圏における名前を参照)。その意味では本人を特定するのに「ゲブレセラシェ」と略するのは正しくないが、日本も含めたマスメディアにおいてはこれを姓とみなして表記することが多い。「ゲブレセラシェ」は日本語では「ゲブレシラシエ」とも表記される。
|
{{父称を含む名前|ハイレ|ゲブレセラシェ}}
{{Infobox 陸上選手
| 氏名 = ハイレ・ゲブレセラシェ
| 画像 = Haile Gebrselassie at Vienna City Marathon 2011.jpg
| 画像サイズ = 200px
| 画像説明 =
| フルネーム = ハイレ・ゲブレセラシェ
| ラテン文字 = Haile Gebrselassie
| 愛称 = 皇帝
| 国籍 = {{ETH}}
| 競技 = [[陸上競技]]
| 種目 = [[中距離走]]・[[長距離走]]・[[マラソン]]
| 所属 =
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1973|4|18}}
| 生誕地 = [[エチオピア]] {{仮リンク|アルシ地域|en|Arsi Zone}} {{仮リンク|アセラ (エチオピア)|label=アセラ|en|Asella}}
| 居住地 = [[エチオピア]] [[アディスアベバ]]
| 没年月日 =
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| 身長 = 164cm
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| personalbests = Yes
| 1500m = 3分33秒73(1999年)
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'''ハイレ・ゲブレセラシェ'''({{翻字併記|am|ኃይሌ ገብረ ሥላሴ|''haylē gebre silassē''|区=、}} 、Haile Gebrselassie、[[1973年]][[4月18日]] - )は、[[エチオピア]]の[[陸上選手]]。専門は[[長距離走]]・[[マラソン]]。
彼の名前は「ハイレ」が本人の名前、「ゲブレセラシェ」は姓(ファミリーネーム)ではなく父親の名前([[父称]])である([[人名#その他の文化圏における名前]]を参照)。その意味では本人を特定するのに「ゲブレセラシェ」と略するのは正しくないが、日本も含めたマスメディアにおいてはこれを姓とみなして表記することが多い。「ゲブレセラシェ」は日本語では「ゲブレシラシエ」とも表記される<ref name="47news">{{cite news|url=https://web.archive.org/web/20110524022445/http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000519.html|title=ゲブレ、ドバイ・マラソン3連覇 世界新記録ならず|publisher=[[共同通信社]]|date=2010-01-22|accessdate=2010-01-22}}</ref>。
== 経歴・人物 ==
身長164cmと小柄ながら圧倒的な強さで『'''[[皇帝]]'''』と呼ばれる、エチオピアの国民的英雄である。[[5000メートル競走|5000m]]、[[10000メートル競走|10000m]]、[[ハーフマラソン]]、[[マラソン]]の元世界記録保持者。
[[1992年]]9月18日、[[世界ジュニア陸上競技選手権大会]]の10000メートル走において優勝したが、レース中にもかかわらずゴール直前に殴りかかられるという前代未聞の事件の当事者となった。これは、あまりに前に出ず[[スリップストリーム|トップの選手にぴったりとくっつく]]、いわゆる[[コバンザメ]]のような走法に徹し、なおかつゴール直前に1位の選手を抜き去ったためである。引っ張り役を押しつけられ苛立ったケニア選手(ジョセファト・マチュカ)は、後ろからハイレの背中を殴打して突き飛ばしたが、そのまま2人ともゴールした<ref>[[YouTube]] [https://www.youtube.com/watch?v=RbxfKavcCdA Haile Gebreselassie Gets Punched In the Head !]</ref>。なお、この事件によりマチュカは失格となり、順位が繰り上がった[[渡辺康幸]]が銅メダルを獲得している。
10000m走において[[1993年]]から[[1999年]]まで[[世界陸上選手権|世界陸上]]4連覇を果たし、[[1996年アトランタオリンピック]]・[[2000年シドニーオリンピック]]でも2連覇。
[[1998年]]には[[ワールド・アスレチック・ガラ]]で[[IAAF世界最優秀選手賞|年間最優秀選手]]に選ばれる。
5連覇を狙ったエドモントン世界陸上では、故障明けの影響で銅メダルに終わる。[[2004年アテネオリンピック]]は直前の故障による影響で5着に終わり、ロードレースへの転向を宣言する。
マラソン初出走の[[2002年]]ロンドンマラソンでは3位に終わったが、[[2005年]]、2度目の[[アムステルダムマラソン]]でマラソン初優勝を果たした。
2005年には10マイルの世界記録を更新する。[[2006年]]はハーフマラソンと[[IAAF]]非公認の25km走で世界記録を出す(ハーフマラソンの記録は翌年に[[サムエル・ワンジル]]に更新される)。[[2007年]]はロンドンマラソンを30kmで途中棄権したが、[[ベルリンマラソン]]ではトラックでも長年ライバルである[[ポール・テルガト]]の世界記録(2時間4分55秒)を破る2時間4分26秒の世界新記録(当時)をマークした。
[[2008年]]3月10日、金メダルの最有力候補と目されていた[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]マラソン競技について、[[北京市]]の[[大気汚染]]が持病の[[喘息]]に悪影響を及ぼす恐れがあるとして10000mでの参加に切り替えた<ref>[http://sports.nikkei.co.jp/photo.cfm?news_id=3086561&date=20080311 ゲブレセラシェ、五輪マラソン出場せず] 日経新聞閲覧</ref>。しかし、実際に北京に来ると澄んだ空を見て「北京市の大気の状況は想像以上によく、(マラソン)欠場を後悔している」と述べた<ref>[https://www.recordchina.co.jp/b23062-s0-c70-d0000.html 「北京の空気はきれい」、世界記録保持者が欠場を後悔]</ref>。
北京オリンピック10000mでは途中先頭に立つ場面もあったものの、第6位に終わった。尚、同種目の第1位と第2位は後輩の[[ケネニサ・ベケレ]]、[[シレシ・シヒネ]]であり、エチオピア勢ワンツーフィニッシュをお膳立てした形になった。
2008年9月28日、ベルリンマラソンに出場、自らが保持するマラソン世界記録を新たに塗り替える2時間3分59秒のタイムで優勝した。この記録は、[[2011年]]のベルリンマラソンにて[[パトリック・マカウ]]に抜かれるまで世界記録として君臨した。
[[2010年]]には毎年1月に行われる[[ドバイマラソン]]の3連覇を達成。同マラソンでは世界記録達成者に100万ドルのボーナスが支払われることになっているが、自らの記録は抜けず、ボーナス獲得には至らなかった<ref name="47news" />。同年11月7日に行われた[[ニューヨークシティーマラソン]]では25キロ付近で右膝の不調のため棄権した。
== ハイレのマラソン世界最高記録 ==
*'''2時間04分26秒''':[[2007年]][[9月30日]] [[ベルリンマラソン]]
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! !! 5km !! 10km !! 15km !! 20km !! ハーフ !! 25km !! 30km !! 35km !! 40km !! ゴール
|-
! タイム
| 14:44 || 29:27 || 44:16 || 59:10 || 1:02:29 || 1:14:05 || 1:28:56 || 1:43:38 || 1:58:08 || 2:04:26
|-
! スプリット
| 14:44 || 14:43 || 14:49 || 14:54 || || 14:55 || 14:51 || 14:42 || 14:30 || 6:18
|}
*'''2時間03分59秒''':[[2008年]][[9月28日]] [[ベルリンマラソン]]
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! !! 5km !! 10km !! 15km !! 20km !! ハーフ !! 25km !! 30km !! 35km !! 40km !! ゴール
|-
! タイム
| 14:35 || 29:13 || 44:03 || 58:50 || 1:02:05 || 1:13:41 || 1:28:27 || 1:43:05 || 1:57:34 || 2:03:59
|-
! スプリット
| 14:35 || 14:38 || 14:50 || 14:47 || || 14:51 || 14:46 || 14:38 || 14:29 || 6:25
|}
== 主な成績 ==
* 1992年 [[世界ジュニア陸上競技選手権大会]] 5000メートル&10000メートル 金メダル
* 1993年 [[1993年世界陸上選手権|世界陸上]] 5000メートル 銀メダル、10000メートル 金メダル
* 1995年 [[1995年世界陸上選手権|世界陸上]] 10000メートル 金メダル
* 1996年 [[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]] 10000メートル 金メダル
* 1997年 [[1997年世界陸上選手権|世界陸上]] 10000メートル 金メダル
* 1997年 [[1997年世界室内陸上選手権|世界室内陸上]] 3000メートル 金メダル
* 1999年 [[1999年世界陸上選手権|世界陸上]] 10000メートル 金メダル
* 1999年 [[1999年世界室内陸上選手権|世界室内陸上]] 1500メートル 金メダル、3000メートル 金メダル
* 2000年 [[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]] 10000メートル 金メダル
* 2001年 [[2001年世界陸上選手権|世界陸上]] 10000メートル 銅メダル
* 2001年 [[世界ハーフマラソン]] 金メダル
* 2003年 [[2003年世界陸上選手権|世界陸上]] 10000メートル 銀メダル
* 2003年 [[2003年世界室内陸上選手権|世界室内陸上]] 3000メートル 金メダル
* 2008年 [[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]] 10000メートル 6位
{| class="wikitable"
|+マラソン戦績
!年 !!大会 !!開催国 !!成績 !!タイム
|-
|2002 ||[[ロンドンマラソン]] ||{{GBR}} ||{{3位}} ||2:06:35
|-
|2005 ||[[アムステルダムマラソン]] ||{{NED}} ||{{優勝}} ||2:06:20
|-
|2006 ||ロンドンマラソン ||{{GBR}} ||9位 ||2:09:05
|-
|2006 ||[[ベルリンマラソン]] ||{{GER}} ||{{優勝}} ||2:05:56
|-
|2006 ||[[福岡国際マラソン]] ||{{JPN}} ||{{優勝}} ||2:06:52
|-
|2007 ||ロンドンマラソン ||{{GBR}} ||{{DNF}} ||-
|-
|2007 ||ベルリンマラソン ||{{GER}} ||{{優勝}} ||2:04:26(世界新)
|-
|2008 ||[[ドバイマラソン]] ||{{UAE}} ||{{優勝}} ||2:04:53
|-
|2008 ||ベルリンマラソン ||{{GER}} ||{{優勝}} ||2:03:59(世界新)
|-
|2009 ||ドバイマラソン ||{{UAE}} ||{{優勝}} ||2:05:29
|-
|2009 ||ベルリンマラソン ||{{GER}} ||{{優勝}} ||2:06:08
|-
|2010 ||ドバイマラソン ||{{UAE}} ||{{優勝}} ||2:06:09
|-
|2010 ||[[ニューヨークシティマラソン]] ||{{USA}} ||{{DNF}} ||-
|-
|2011 ||[[東京マラソン2011|東京マラソン]] ||{{JPN}} ||{{DNS}} ||-
|-
|2011 ||ベルリンマラソン ||{{GER}} ||{{DNF}} ||-
|-
|2012 ||[[東京マラソン2012|東京マラソン]] ||{{JPN}} ||4位 ||2:08:17
|-
|2012 ||福岡国際マラソン ||{{JPN}} ||{{DNF}} ||-
|}
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Haile Gebrselassie}}
* [http://www.shot-web.com/news/070313a.html ハイレ・ゲブレセラシエの「ランニング」哲学]
* [http://www.shot-web.com/news/081021b.html ハイレ、ケガを克服して史上初の3分台]
* {{Twitter|HaileGebr}}
* {{Sports links}}
* [http://www.worldmarathonmajors.com/US/athletes/athlete/28 World Marathon Majors profile]
* [http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1819129_1819134_1826058,00.html "Haile Gebrselassie"] [[タイム (雑誌)|タイム誌]] "100 Olympic Athletes To Watch"
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陸上競技選手一覧
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この項目は、過去または現在において、陸上競技で活躍した選手の一覧である。
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この項目は、過去または現在において、'''[[陸上競技]]で活躍した選手の一覧'''である。
__NOTOC__
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== あ行 ==
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* [[ミシェル=リー・アイ]]
* [[青井由美子]]
* [[青木梓]]
* [[青木沙弥佳]]
* [[青木半治]]
* [[青戸慎司]]
* [[青山利春]]
* [[明石顕]]
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* [[阿久津圭司]]
* [[阿久津浩三]]
* [[浅井えり子]]
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* [[エリック・アルムレーブ]]
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* [[安西秀幸]]
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* [[飯島希望]]
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* [[五十嵐美紀]]
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* [[伊藤喜剛]]
* [[ベン・イーストマン]]
* [[アシュトン・イートン]]
* [[稲葉静子]]
* [[井上悟 (陸上選手)|井上悟]]
* [[今井正人]]
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* [[岩出玲亜]]
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* [[右代啓祐|右代啓祐]]
* [[浦田春生]]
* [[オリガ・エゴロワ]]
* [[ジョナサン・エドワーズ (陸上選手)|ジョナサン・エドワーズ]]
* [[リー・エバンス]]
* [[海老原亘]]
* [[ヒシャム・エルゲルージ]]
* [[袁琦琦]]
* [[王凱華]]
* [[王鎮]]
* [[大浦留市]]
* [[大江季雄]]
* [[大崎悟史]]
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* [[大島めぐみ]]
* [[ティヌス・オーセンダルプ]]
* [[太田裕久]]
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* [[大平美樹]]
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* [[大南博美]]
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* [[大家正喜]]
* [[尾方剛]]
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* [[小坂田淳]]
* [[尾崎朱美]]
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* [[ジョセフ・オツオリ]]
* [[小野裕幸]]
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* [[小原怜]]
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== か行 ==
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* [[ミシェル・カーター]]
* [[金井豊]]
* [[金栗四三]]
* [[金沢イボンヌ]]
* [[金子健司]]
* [[金子宗平]]
* [[金子朋未]]
* [[金子宗弘]]
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* [[国近友昭]]
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== さ行 ==
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* [[蔡澤林]]
* [[斎藤嘉彦]]
* [[酒井俊幸 (陸上選手)|酒井俊幸]]
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* [[坂本直子 (陸上選手)|坂本直子]]
* [[佐々木七恵]]
* [[佐藤敦之]]
* [[佐藤清治]]
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* [[スティーブ・ジョーンズ (陸上選手)|スティーブ・ジョーンズ]]
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* [[鈴木章介]]
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* [[マッシモ・スタノ]]
* [[ロバート・スタングランド]]
* [[ウィリー・スティール]]
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* [[ジョージ・セーリング]]
* [[宗茂]]
* [[宗猛]]
* [[ジム・ソープ]]
* [[ハビエル・ソトマヨル]]
* [[孫英傑]]
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== た行 ==
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* [[醍醐直幸]]
* [[ブリアンヌ・タイゼン=イートン]]
* [[高岡寿成]]
* [[高島由香]]
* [[高根沢威夫]]
* [[高野進]]
* [[高橋千恵美]]
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* [[高平慎士]]
* [[高見澤安珠]]
* [[武井壮]]
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* [[谷口浩美]]
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* [[ジョシュア・チェプテゲイ]]
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* [[富沢英彦]]
* [[ハイケ・ドレクスラー]]
* [[エレイン・トンプソン]]
* [[アルフレート・ドンペルト]]
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== な行 ==
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* [[内藤真人]]
* [[中田有紀 (陸上選手)|中田有紀]]
* [[中代唯]]
* [[中村孝生]]
* [[中村友梨香]]
* [[中山卓也 (陸上選手)|中山卓也]]
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== は行 ==
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* [[ファーディナンド・オムルワ]]
* [[カール=フリードリッヒ・ハース]]
* [[レイモンド・バーブチ]]
* [[ランディー・バーンズ]]
* [[アサファ・パウエル]]
* [[マイク・パウエル]]
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* [[深津卓也]]
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* [[パトリシア・ホール]]
* [[ワレリー・ボルゾフ]]
* [[キルステン・ボルム]]
* [[ウサイン・ボルト]]
* [[ミゲル・ホワイト]]
{{colend}}
== ま行 ==
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* [[前田和之 (陸上選手)|前田和之]]
* [[前田彩里 (陸上選手)|前田彩里]]
* [[ヤナ・マクシマワ]]
* [[増田明美]]
* [[松尾和美 (陸上選手)|松尾和美]]
* [[松岡理恵]]
* [[トニー・マッケイ]]
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* [[松谷浩平]]
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* [[松宮隆行]]
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* [[宮崎久]]
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* [[室伏広治]]
* [[室伏重信]]
* [[室伏由佳]]
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* [[ハンナ・メルニチェンコ]]
* [[アレクサンドル・メンコフ]]
* [[茂木善作]]
* [[森唯我]]
* [[森下広一]]
* [[森長正樹]]
* [[森本友]]
* [[ケイラ・モンゴメリー]]
* [[ティム・モンゴメリ]]
{{colend}}
== や行 ==
* [[安田覚]]
* [[安田矩明]]
* [[マーラ・ヤマウチ]]
* [[山縣亮太]]
* [[山口有希]]
* [[山﨑勇喜]]
* [[山下訓史]]
* [[山下佐知子]]
* [[山田敬蔵]]
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* [[山村貴彦]]
* [[アキレス・ヤルビネン]]
* [[ケビン・ヤング]]
* [[湯田友美]]
* [[吉岡隆徳]]
* [[吉田香織]]
* [[吉田真希子 (陸上選手)|吉田真希子]]
* [[吉本ひかり]]
* [[依田郁子]]
== ら行 ==
* [[ガブリエレ・ラインシュ]]
* [[カレル・リスモン]]
* [[オリガ・リパコワ]]
* [[劉虹]]
* [[劉翔]]
* [[李玲 (砲丸投)]]
* [[李玲 (棒高跳)]]
* [[李玲蔚 (陸上選手)|李玲蔚]]
* [[林月雲]]
* [[カール・ルイス]]
* [[ジア・ルイス=スモールウッド]]
* [[エロイス・ルスール]]
* [[ミゲル・アンヘル・ロペス (陸上選手)|ミゲル・アンヘル・ロペス]]
* [[リディアン・ロペス]]
* [[ブリアナ・ローリンズ]]
==わ行==
* [[渡辺真弓]]
* [[渡辺康幸]]
==関連項目==
*[[陸上競技]]
*[[マラソン選手一覧]]
*[[Wikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事/スポーツ/陸上競技]]
[[Category:陸上競技選手|*]]
[[Category:スポーツ選手一覧 (競技別)|りくしようきようきせんしゆいちらん]]
[[Category:陸上競技関連一覧|せんしゆ]]
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不空金剛
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不空金剛(ふくうこんごう、サンスクリット語: अमोघवज्र、Amoghavajra、アモーガヴァジュラ)は、唐の高僧、訳経僧。金剛智・善無畏によってもたらされた密教を唐に定着させた。真言宗では三蔵法師の一人である事から「不空三蔵」と尊称し、真言八祖の「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖とする。また「不空」とも略称される。四大訳経家の1人。弟子には含光・慧超・恵果・慧朗・元皎・覚超(六哲)がいる。
110部143巻もの経典を漢訳し、鳩摩羅什・真諦・玄奘三蔵とともに、四大訳経家と呼ばれる。真言宗の重要経典である理趣経や、宿曜道の所依の教典『宿曜経』なども、不空が翻訳したものである(著者説もあり)。竜樹作を訳したとされた『菩提心論』は、今日では不空自身の著作ではないかとされている。
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不空金剛は、唐の高僧、訳経僧。金剛智・善無畏によってもたらされた密教を唐に定着させた。真言宗では三蔵法師の一人である事から「不空三蔵」と尊称し、真言八祖の「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖とする。また「不空」とも略称される。四大訳経家の1人。弟子には含光・慧超・恵果・慧朗・元皎・覚超(六哲)がいる。
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{{Infobox Buddhist
|名前=不空金剛
|生没年=[[神龍 (唐)|神龍]]元年 - [[大暦]]9年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]<br />([[705年]] - [[774年]][[7月28日]])
|諡号=不空三蔵
|尊称=
|生地=インド南部もしくは唐の涼州
|没地=
|画像=[[Image:Portrait of Amoghavajra, 14 century, National Museum, Tokyo.jpg|300px]]
|説明文=
|宗旨=[[密教]]
|宗派=
|寺院=
|師=[[善無畏]]、[[金剛智]]
|弟子=[[恵果]]
|著作=
}}
'''不空金剛'''(ふくうこんごう、{{翻字併記|sa|अमोघवज्र|Amoghavajra|n|区=、}}、アモーガヴァジュラ)は、[[唐]]の高僧、[[訳経僧]]。[[金剛智]]・[[善無畏]]によってもたらされた[[密教]]を唐に定着させた。[[真言宗]]では[[三蔵法師]]の一人である事から「'''不空三蔵'''」と尊称し、[[真言宗#真言八祖|真言八祖]]の「付法の八祖」では第六祖、「伝持の八祖」では第四祖とする。また「'''不空'''」とも略称される。四大訳経家の1人。弟子には含光・[[慧超]]・[[恵果]]{{efn|空海の師であり、長安青龍寺で密教を空海に伝法した。}}・慧朗・元皎・覚超(六哲)がいる。
== 生涯 ==
* [[神龍_(唐)|神龍]]元年(705年)生まれる。出生地は諸説あり、[[インド南部]]<ref name="hasso3">[http://www.shingon.or.jp/hasso3.htm 真言宗|歴史|八祖]</ref>、[[サマルカンド]]<ref name="Lehnert"/>、唐の[[涼州]]とも言われている。父は[[インド北部]]出身の[[バラモン]]で、母は[[ソグド人|ソグド系人]]だった<ref name="Lehnert"/><ref name="Yang"/>。
* [[開元]]2年([[714年]])[[長安]]で金剛智に師事し密教を学ぶ。
* 開元29年(741年)金剛智の入寂後に、師の遺言に従って『[[金剛頂経]]』の完本を求めるとともに、勅命により『[[大日経]]』等の密経経典を請求するために[[セイロン島|セイロン]]・インド南部に渡るとともに、インドの龍智阿闍梨のもとに派遣されて、胎蔵・金剛両部にわたる伝法[[灌頂]]すなわち五部灌頂を伝授された<ref name="hasso3"/>。
* [[天宝_(唐)|天宝]]5年([[746年]])に長安に帰る。
* 天宝14年([[755年]])、[[安史の乱]]をきっかけに 精力的に教化活動を行い、[[安禄山]]が[[洛陽]]を支配すると、不空は勅命により西京長安に帰り、[[大興善寺]]に住して灌頂の壇を築き、調伏の修法を行なった<ref name="hasso3"/>。これにより、唐朝の帰依を集めた。
* [[大暦]]9年([[774年]])入寂。
== 四大訳経家 ==
110部143巻もの経典を漢訳し、[[鳩摩羅什]]・[[真諦]]・[[玄奘三蔵]]とともに、四大訳経家と呼ばれる。[[真言宗]]の重要経典である[[理趣経]]や、[[宿曜道]]の所依の教典『[[宿曜経]]』なども、不空が翻訳したものである(著者説もあり)。[[竜樹]]作を訳したとされた『[[菩提心論]]』は、今日では不空自身の著作ではないかとされている。
== 脚注 ==
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===注釈===
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===出典===
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|last = Lehnert
|first = Martin
|year = 2010
|title = Esoteric Buddhism and the Tantras in East Asia
|publisher = Brill
|page = 351
|isbn = 9789004204010
|url = https://brill.com/abstract/book/edcoll/9789004204010/Bej.9789004184916.i-1200_033.xml
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}}
</ref>
<ref name="Yang">
{{Cite book
|last = Yang
|first = Zeng
|year = 2010
|title = A Biographical Study on Bukong 不空 (aka. Amoghavajra, 705-774) : Networks, Institutions, and Identities
|publisher = University of British Columbia
|page = 23
|doi = 10.14288/1.0363332
|url = https://open.library.ubc.ca/cIRcle/collections/ubctheses/24/items/1.0363332
|language = 英語
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</ref>
}}
=== 関係論文 ===
* [[頼富本宏]]訳注『不空三蔵行状』(『現代語訳 一切経2』[[大東出版社]])
* [https://cir.nii.ac.jp/all?q=%E4%B8%8D%E7%A9%BA+-%E7%BE%82%E7%B4%A2 CiNii>不空 -羂索]
== 関連項目 ==
* [[真言宗]]
* [[訳経僧]]
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[[Category:8世紀中国の僧]]
[[Category:8世紀の翻訳家]]
[[Category:西域の僧]]
[[Category:唐代の人物]]
[[Category:密教]]
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[[Category:705年生]]
[[Category:774年没]]
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ヘルマン–ファインマンの定理
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ヘルマン–ファインマンの定理(ヘルマン–ファインマンのていり、英: Hellmann–Feynman theorem)とは、量子力学において、パラメータ依存したハミルトニアンとそのエネルギー固有値に関する定理である。量子化学および数理固体物理学において特にヘルマン–ファインマン力(ヘルマン–ファインマンりょく、英: Hellmann–Feynman force)の計算に応用され、重要である。定理の名は、ドイツの物理学者H. ヘルマン(英語版)と米国の物理学者R. P. ファインマンに因む。定理を最初に明示的な形で表したのは、P. Güttingerであるが、W. パウリやヘルマンの論文にも記されている。特にヘルマンは分子への適用に向けて、変分形式で表現した。また、1939年に当時、マサチューセッツ工科大学の学生であったファインマンは、この定理を示すともに、化学結合した原子において、電子及び他の原子核が原子核に及ぼす力は古典的な静電力として、扱えることを示した。「ヘルマン–ファインマンの定理」の名が定着したのは、J. C. スレイターがその著書の中でその名で呼んだことによる。
系のハミルトニアンが、あるパラメータ λ に依存するとして、それを ˆH(λ) と表現する。 ˆH(λ) の固有状態 |ψλ⟩ があって、 ˆH(λ)|ψλ⟩=E(λ)|ψλ⟩ 及び規格化条件 ⟨ψλ|ψλ⟩=1 が満足されるとする。このとき、
が成り立つ。これがヘルマン–ファインマンの定理の主張である。
ここで、パラメータ λ が、原子位置座標 Rα の場合、ヘルマン–ファインマン力となる。
d E ( λ ) d λ = d d λ ⟨ ψ λ | H ^ ( λ ) | ψ λ ⟩ = ( d d λ ⟨ ψ λ | ) H ^ ( λ ) | ψ λ ⟩ + ⟨ ψ λ | d H ^ ( λ ) d λ | ψ λ ⟩ + ⟨ ψ λ | H ^ ( λ ) ( d d λ | ψ λ ⟩ ) = E ( λ ) ( d d λ ⟨ ψ λ | ) | ψ λ ⟩ + ⟨ ψ λ | d H ^ ( λ ) d λ | ψ λ ⟩ + E ( λ ) ⟨ ψ λ | ( d d λ | ψ λ ⟩ ) = E ( λ ) d d λ ⟨ ψ λ | ψ λ ⟩ + ⟨ ψ λ | d H ^ ( λ ) d λ | ψ λ ⟩ {\displaystyle {\begin{aligned}{\frac {\mathrm {d} E(\lambda )}{\mathrm {d} \lambda }}&={\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}\left\langle \psi _{\lambda }\left|{\hat {H}}(\lambda )\right|\psi _{\lambda }\right\rangle \\&=\left({\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}\langle \psi _{\lambda }|\right){\hat {H}}(\lambda )|\psi _{\lambda }\rangle +\left\langle \psi _{\lambda }\left|{\frac {\mathrm {d} {\hat {H}}(\lambda )}{\mathrm {d} \lambda }}\right|\psi _{\lambda }\right\rangle +\langle \psi _{\lambda }|{\hat {H}}(\lambda )\left({\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}|\psi _{\lambda }\rangle \right)\\&=E(\lambda )\left({\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}\langle \psi _{\lambda }|\right)|\psi _{\lambda }\rangle +\left\langle \psi _{\lambda }\left|{\frac {\mathrm {d} {\hat {H}}(\lambda )}{\mathrm {d} \lambda }}\right|\psi _{\lambda }\right\rangle +E(\lambda )\langle \psi _{\lambda }|\left({\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}|\psi _{\lambda }\rangle \right)\\&=E(\lambda ){\frac {\mathrm {d} }{\mathrm {d} \lambda }}\langle \psi _{\lambda }|\psi _{\lambda }\rangle +\left\langle \psi _{\lambda }\left|{\frac {\mathrm {d} {\hat {H}}(\lambda )}{\mathrm {d} \lambda }}\right|\psi _{\lambda }\right\rangle \end{aligned}}}
ここで、 |ψλ⟩ の規格化を ⟨ψλ|ψλ⟩=1 と選んであるので、 d⟨ψλ|ψλ⟩/dλ=0 である。よって、
が得られる。
定理の応用の1つとして、分子内力(英語版)(intramolecular force)の計算があり、この手法で計算された力を特にヘルマン–ファインマン力と呼ぶ。ファインマンは1939年の「分子内の力(Forces in Molecules)」と題する論文の中で、ヘルマン–ファインマンの定理の証明を与えるとともに、分子や固体原子において、原子核に働く量子論的な力は、電子雲と他の原子核からの古典的な静電力として扱えることを示した。
電子及び位置が固定された原子核からなる系において、ポテンシャル ˆV を原子核の位置座標で微分したものは、原子核に働く力に相当する。例えば、電子の位置を ri= (xi, yi, zi) (i =1, ...,n) とし、原子核の位置を Rα=(Xα, Yα, Zα) (α =1,...,m) とする。このとき、系のハミルトニアン ˆH はボルン–オッペンハイマー近似により、運動エネルギー
とポテンシャルエネルギー
の和 ˆT+ˆV で表される。このとき、パラメータ λ として、原子核の位置座標 Rα をとったときに、その導関数
で定義される Fα=(Fα, Fα, Fα)が、古典論では原子核に働く力となる。一方、量子論では、 ˆH(λ)|ψλ⟩=E(λ)|ψλ⟩ を満たす固有状態 |ψλ⟩ により、
が対応する。ここで2行目の波動関数 ψ における座標 qi は i 番目の電子の位置座標 ri とスピン座標 σi を合わせたものであり、dV=dq1...dqn である。ファインマンの論文以前は、分子の量子力学では、これを
とエネルギー固有値の微分で計算するのが、一般的であった。ファインマンはヘルマン–ファインマンの定理によって、Fα とF′α が等しいことを示した。
実際の計算において、微分係数 dE(λ)/dλで与えられる Fα を求めるには、エネルギー固有値のパラメータ λ=Rα についての依存性の傾きを計算することになり、複数のパラメータ値に対して固有値問題を解く必要がある。一方、直接的に ⟨ψλ|dˆH/dλ |ψλ⟩ で与えられるFα では、計算の労力を減らすことができる。
Fα の具体形については、波動関数による存在確率から定まる各電子の電荷密度
の和として、全電子の電荷密度 ρ(r) を、
で導入すれば、
と書き表すことができる。第1項は電子の電荷密度と電子による電場の積であり、第2項は電荷 Zβ e を持つほかの原子核による電場の効果である。この結果を静電定理 (electrostatic theorem) と呼ぶ。
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ヘルマン–ファインマンの定理とは、量子力学において、パラメータ依存したハミルトニアンとそのエネルギー固有値に関する定理である。量子化学および数理固体物理学において特にヘルマン–ファインマン力の計算に応用され、重要である。定理の名は、ドイツの物理学者H. ヘルマンと米国の物理学者R. P. ファインマンに因む。定理を最初に明示的な形で表したのは、P. Güttingerであるが、W. パウリやヘルマンの論文にも記されている。特にヘルマンは分子への適用に向けて、変分形式で表現した。また、1939年に当時、マサチューセッツ工科大学の学生であったファインマンは、この定理を示すともに、化学結合した原子において、電子及び他の原子核が原子核に及ぼす力は古典的な静電力として、扱えることを示した。「ヘルマン–ファインマンの定理」の名が定着したのは、J. C. スレイターがその著書の中でその名で呼んだことによる。
|
'''ヘルマン–ファインマンの定理'''(ヘルマン–ファインマンのていり、{{lang-en-short|Hellmann–Feynman theorem}})とは、[[量子力学]]において、パラメータ依存した[[ハミルトニアン]]とその[[エネルギー固有値]]に関する定理である。[[量子化学]]および数理[[固体物理学]]において特に'''ヘルマン–ファインマン力'''(ヘルマン–ファインマンりょく、{{lang-en-short|Hellmann–Feynman force}})の計算に応用され、重要である。定理の名は、ドイツの物理学者{{仮リンク|H. ヘルマン|en|Hans Hellmann}}と米国の物理学者[[リチャード・P・ファインマン|R. P. ファインマン]]に因む。定理を最初に明示的な形で表したのは、P. Güttingerであるが<ref name ="guttinger1932">P. Güttinger, "Das Verhalten von Atomen im magnetischen Drehfeld". ''Z. Phys.'' '''73''' (3–4), p.169 {{doi|10.1007/BF01351211}}</ref>、[[ヴォルフガング・パウリ|W. パウリ]]やヘルマンの論文にも記されている<ref name ="pauli1933">W. Pauli, "Principles of Wave Mechanics," ''Handbuch der Physik'', '''24''', Berlin: Springer. p. 162 (1933)</ref><ref name ="hellman1937">H. Hellmann, ''Einführung in die Quantenchemie,'' Leipzig: Franz Deuticke. p. 285 (1937)</ref>。特にヘルマンは分子への適用に向けて、[[変分]]形式で表現した。また、1939年に当時、[[マサチューセッツ工科大学]]の学生であったファインマンは、この定理を示すともに、[[化学結合]]した原子において、[[電子]]及び他の[[原子核]]が原子核に及ぼす力は古典的な[[静電力]]として、扱えることを示した<ref name ="feynman1939">R. P. Feynman, "Forces in Molecules," ''Phys. Rev.'', '''56''', p.340 (1939) {{doi|10.1103/PhysRev.56.340}}</ref>。「ヘルマン–ファインマンの定理」の名が定着したのは、[[ジョン・クラーク・スレイター|J. C. スレイター]]がその著書の中でその名で呼んだことによる<ref name ="slater1975">J. C. Slater, ''Solid-State and Molecular Theory ; A Scientific Biography'', John Wily, New York and London (1975)</ref><ref name ="martin2004">R. M. Martin (2004), Chapter.3</ref>。
== 定理 ==
系のハミルトニアンが、あるパラメータ {{mvar|λ}} に依存するとして、それを {{math|''{{hat|H}}''(''λ'')}} と表現する。 {{math|''{{hat|H}}''(''λ'')}} の[[固有状態]] {{math|{{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}}} があって、 {{math|''{{hat|H}}''(''λ''){{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}{{=}}''E''(''λ''){{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}}} 及び[[規格化]]条件 {{math|{{bra-ket|''ψ<sub>λ</sub>''|''ψ<sub>λ</sub>''}}{{=}}1}} が満足されるとする。このとき、
:<math> \frac{\mathrm d E (\lambda)}{\mathrm d \lambda} = \left \langle \psi_\lambda \left | \frac{\mathrm d \hat{H} (\lambda)}{\mathrm d \lambda} \right | \psi_\lambda \right \rangle </math>
が成り立つ。これがヘルマン–ファインマンの定理の主張である。
ここで、パラメータ {{mvar|λ}} が、原子位置座標 {{math|''{{mathbf|R}}<sub>α</sub>''}} の場合、'''ヘルマン–ファインマン力'''となる。
== 証明 ==
<math>
\begin{align}
\frac{\mathrm d E (\lambda)}{\mathrm d \lambda }
&= \frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} \left \langle \psi_\lambda \left| \hat{H} (\lambda) \right | \psi_\lambda \right \rangle \\
&= \left( \frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} \langle \psi_\lambda | \right) \hat{H} (\lambda) | \psi_\lambda \rangle
+ \left \langle \psi_\lambda \left | \frac{\mathrm d \hat{H}(\lambda)}{\mathrm d\lambda} \right | \psi_\lambda \right \rangle
+ \langle \psi_\lambda | \hat{H} (\lambda) \left (\frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} | \psi_\lambda \rangle \right) \\
&= E(\lambda) \left( \frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} \langle \psi_\lambda | \right) | \psi_\lambda \rangle
+ \left \langle \psi_\lambda \left | \frac{\mathrm d \hat{H}(\lambda)}{\mathrm d\lambda} \right | \psi_\lambda \right \rangle
+ E(\lambda) \langle \psi_\lambda | \left( \frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} |\psi_\lambda \rangle \right) \\
&= E(\lambda) \frac{\mathrm d}{\mathrm d\lambda} \langle \psi_\lambda | \psi_\lambda \rangle
+ \left \langle \psi_\lambda \left | \frac{\mathrm d \hat{H}(\lambda)}{\mathrm d\lambda} \right | \psi_\lambda \right \rangle
\end{align}
</math>
ここで、 {{math|{{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}}} の規格化を {{math|{{bra-ket|''ψ<sub>λ</sub>''|''ψ<sub>λ</sub>''}}{{=}}1}} と選んであるので、 {{math|d{{bra-ket|''ψ<sub>λ</sub>''|''ψ<sub>λ</sub>''}}/d''λ''{{=}}0}} である。よって、
:<math> \frac{\mathrm d E (\lambda)}{\mathrm d \lambda} = \left \langle \psi_\lambda \left | \frac{\mathrm d \hat{H}(\lambda)}{\mathrm d \lambda} \right | \psi_\lambda \right \rangle </math>
が得られる。
== 応用 ==
=== 分子内力と静電定理 ===
定理の応用の1つとして、{{仮リンク|分子内力|en|Intramolecular force}}({{Lang|en|intramolecular force}})の計算があり<ref name ="nakatsuji">[[中辻博]]、「力の立場から見た化学現象(1)」、化学、第28巻、第1号、p.17</ref>、この手法で計算された力を特に'''ヘルマン–ファインマン力'''と呼ぶ。ファインマンは1939年の「分子内の力(Forces in Molecules)」と題する論文の中で、ヘルマン–ファインマンの定理の証明を与えるとともに、[[分子]]や[[固体原子]]において、[[原子核]]に働く量子論的な力は、[[電子雲]]と他の原子核からの古典的な静電力として扱えることを示した<ref name="feynman1939"></ref><ref name ="ezawa">[[江沢洋]]、「人物で学ぶ物理(第6回)」、数理科学、2012年1月号、サイエンス社</ref>。
電子及び位置が固定された原子核からなる系において、ポテンシャル {{math|''{{hat|V}}''}} を原子核の位置座標で微分したものは、原子核に働く力に相当する。例えば、電子の位置を {{math|''{{mathbf|r}}<sub>i</sub>''{{=}} (''x<sub>i</sub>'', ''y<sub>i</sub>'', ''z<sub>i</sub>'') (''i'' {{=}}1, …,''n'')}} とし、原子核の位置を {{math|''{{mathbf|R}}<sub>α</sub>''{{=}}(''X<sub>α</sub>'', ''Y<sub>α</sub>'', ''Z<sub>α</sub>'') (''α'' {{=}}1,…,''m'')}} とする。このとき、系のハミルトニアン {{math|''{{hat|H}}''}} は[[ボルン–オッペンハイマー近似]]により、[[運動エネルギー]]
:<math>
\hat{T} = -\sum_{i=1}^n \frac{\hbar^2}{2m} \nabla_i^2
</math>
と[[ポテンシャルエネルギー]]
:<math>
\begin{align}
\hat{V} &= \sum_{i>j} \frac{e^2}{|\boldsymbol{r}_i-\boldsymbol{r}_j|}
+ \sum_{\alpha > \beta} \frac{Z_{\alpha}Z_{\beta}e^2}{|\boldsymbol{R}_{\alpha}-\boldsymbol{R}_{\beta}|}
+ \sum_{i, \alpha} \frac{-Z_{\alpha}e^2}{|\boldsymbol{r}_i-\boldsymbol{R}_{\alpha}|} \\
&= \sum_{i>j} \hat{V}_{ij} + \sum_{\alpha > \beta} \hat{V}_{\alpha \beta} + \sum_{i, \alpha} \hat{V}_{i\alpha}
\end{align}
</math>
の和 {{math|''{{hat|T}}''+''{{hat|V}}''}} で表される。このとき、パラメータ {{math|''{{mathbf|λ}}''}} として、原子核の位置座標 {{math|''{{mathbf|R}}<sub>α</sub>''}} をとったときに、その導関数
:<math>
\boldsymbol{F}_{\alpha}= -\frac{\partial \hat{V}}{\partial \boldsymbol{\lambda}}= -\frac{\partial \hat{H}}{\partial \boldsymbol{\lambda}}
</math>
で定義される {{math|''{{mathbf|F}}<sub>α</sub>''{{=}}(''F<sup>X</sup><sub>α</sub>'', ''F<sup>Y</sup><sub>α</sub>'', ''F<sup>Z</sup><sub>α</sub>'')}}が、古典論では原子核に働く力となる。一方、量子論では、 {{math|''{{hat|H}}''(''λ''){{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}{{=}}''E''(''λ''){{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}}} を満たす固有状態 {{math|{{ket|''ψ<sub>λ</sub>''}}}} により、
:<math>
\begin{align}
\boldsymbol{F}_{\alpha}
&= - \left \langle \psi_{\boldsymbol{\lambda}} \left| \frac{\partial \hat{H}}{\partial \boldsymbol{\lambda}} \right| \psi_{\boldsymbol{\lambda}} \right \rangle \\
&= - \int \mathrm dV \,\psi^* (\boldsymbol{q}_1, \dotsc, \boldsymbol{q}_n) \frac{\partial \hat{H}}{\partial \boldsymbol{\lambda} } \psi(\boldsymbol{q}_1, \dotsc, \boldsymbol{q}_n)
\end{align}
</math>
が対応する。ここで2行目の[[波動関数]] {{mvar|ψ}} における座標 {{math|''q<sub>i</sub>''}} は {{mvar|i}} 番目の電子の位置座標 {{math|''{{mathbf|r}}<sub>i</sub>''}} と[[スピン角運動量|スピン]]座標 {{math|''σ<sub>i</sub>''}} を合わせたものであり、{{math|d''V''{{=}}d''q''<sub>1</sub>…d''q<sub>n</sub>''}} である。ファインマンの論文以前は、分子の量子力学では、これを
:<math>
\boldsymbol{F'}_{\alpha} = - \frac{\mathrm d E(\boldsymbol{\lambda})}{\mathrm d \boldsymbol{\lambda}}
</math>
とエネルギー固有値の微分で計算するのが、一般的であった。ファインマンはヘルマン–ファインマンの定理によって、{{math|''{{mathbf|F}}<sub>α</sub>''}} と{{math|''{{mathbf|F}}′<sub>α</sub>''}} が等しいことを示した。
実際の計算において、微分係数 {{math|d''E''(''{{mathbf|λ}}'')/d''{{mathbf|λ}}''}}で与えられる {{math|''{{mathbf|F}}<sub>α</sub>''}} を求めるには、エネルギー固有値のパラメータ {{math|''{{mathbf|λ}}''{{=}}''{{mathbf|R}}<sub>α</sub>''}} についての依存性の傾きを計算することになり、複数のパラメータ値に対して[[固有値問題]]を解く必要がある。一方、直接的に {{math|{{bra|''ψ<sub>{{mathbf|λ}}</sub>''}}d''{{hat|H}}''/d''{{mathbf|λ}}'' {{ket|''ψ<sub>{{mathbf|λ}}</sub>''}}}} で与えられる{{math|''{{mathbf|F}}<sub>α</sub>''}} では、計算の労力を減らすことができる。
{{math|''{{mathbf|F}}<sub>α</sub>''}} の具体形については、波動関数による存在確率から定まる各電子の[[電荷密度]]
:<math>
\rho_i(\boldsymbol{r}_i) = e \int | \psi(\boldsymbol{q}_1, \cdots, \boldsymbol{q}_n)|^2 \mathrm d\boldsymbol{q}_1 \dotsb \mathrm d\boldsymbol{q}_{i-1} d \sigma_i \mathrm d\boldsymbol{q}_{i+1} \dotsb \mathrm d\boldsymbol{q}_n
</math>
の和として、全電子の電荷密度 {{math|''ρ''(''{{mathbf|r}}'')}} を、
:<math>
\rho(\boldsymbol{r})=\sum_{i=1}^n \rho_i(\boldsymbol{r})
</math>
で導入すれば<ref>実際は {{mvar|ψ}} は位置座標について反対称化されているので、{{math|''ρ<sub>i</sub>''}} の関数形は全て同じである。</ref>、
:<math>
\boldsymbol{F}_{\alpha}= Z_{\alpha}e \int \rho(\boldsymbol{r})
\frac{\boldsymbol{R}_{\alpha}-\boldsymbol{r}}{|\boldsymbol{R}_{\alpha}-\boldsymbol{r}|^3}\mathrm d^3 \boldsymbol{r} - Z_{\alpha} e \sum_{\beta(\neq \alpha)} Z_{\beta}e \frac{\boldsymbol{R}_{\alpha}-\boldsymbol{R}_{\beta}}{|\boldsymbol{R}_{\alpha}-\boldsymbol{R}_{\beta}|^3}
</math>
と書き表すことができる。第1項は電子の電荷密度と電子による[[電場]]の積であり、第2項は電荷 {{math|''Z<sub>β</sub> e''}} を持つほかの原子核による電場の効果である。この結果を'''静電定理''' ({{Lang|en|electrostatic theorem}}) と呼ぶ。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* Richard M. Martin, ''Electronic Structure: Basic Theory and Practical Methods'', Cambridge University Press (2004) ISBN 978-0521782852 ;R. M. マーチン (著)、[[寺倉清之]]、[[寺倉郁子]]、[[善甫康成]](翻訳) 『物質の電子状態 上』 : シュプリンガー・ジャパン株式会社
== 関連項目 ==
*[[量子力学]]
*[[量子化学]]
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[[Category:量子力学の定理]]
[[Category:リチャード・P・ファインマン]]
[[Category:物理学のエポニム]]
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銀閣
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銀閣(ぎんかく)
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銀閣(ぎんかく) 銀で装飾された楼閣のこと。
慈照寺観音殿の通称。これにちなみ、慈照寺は「銀閣寺」とも呼ばれる。
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'''銀閣'''(ぎんかく)
*[[銀]]で装飾された[[楼閣]]のこと。
*[[慈照寺]]観音殿の通称。これにちなみ、慈照寺は「銀閣寺」とも呼ばれる。
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鶴川駅
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鶴川駅(つるかわえき)は、東京都町田市能ヶ谷一丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 25。副駅名は「和光大学 最寄駅」。
かつて相武電気鉄道の乗り入れと、城山線が当駅から分岐する構想があったが、どちらも実現しなかった。
町田市と1958年に合併した鶴川村に設置されたことから、「鶴川」と命名。
島式ホーム1面2線、単式ホーム1面1線の計2面3線のホームを有する地上駅。上り線のみ待避設備を持ち、朝ラッシュ時は当駅で快速急行を待避する各駅停車・通勤準急が多い。
駅舎は線路の北側にあり、跨線橋を経由してホームに出る。跨線橋にはエレベーターが設置されているが、エスカレーターは設置されていない。 下りホーム西端には係員無配置の南口改札口があり、自動券売機・自動精算機・自動改札機を設置。
空調完備の待合室は各ホーム、トイレは北口改札脇に設置されている。以前は上りホームに「Odakyu SHOP」という売店が存在したが、2018年10月をもって閉店した。跡地には自動販売機が設置された。
町田市では「東の玄関口」である同駅の利便性向上などを目的に駅舎改築を計画しており、整備後は南北自由通路を備えた橋上駅舎に改築し、北口駅前広場を再整備する予定。さらに南口にも駅前広場を整備し、周辺道路の混雑緩和を目的に、南北でバス路線の分割が検討されている。
上り線は2番ホームが主本線、3番ホームが待避線である。
待避線が設置された経緯は、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転に伴う、準急列車の10両編成化によるものである。元々、待避線は隣の柿生駅(2面4線・上下線ともに待避線を有していた)に設置されていた。しかし、柿生駅の待避線は8両編成分の有効長であり、同駅敷地が手狭で、設備改良も困難であることから、当駅に待避設備を設置したものである。のちに柿生駅は、待避線が撤去された。2020年2月9日には貸切列車「特急ロマンスカー・ゼルビア号(MSE・4両編成)」が、2023年7月9日には貸切列車「Victory Super Express・FC町田ゼルビア応援“剛”(VSE・10両編成)」が鶴川駅3番ホームから新宿駅までそれぞれ特別運行された。
2012年度の設備投資計画において行先案内表示器の新設が盛り込まれた。
2022年度の1日平均乗降人員は57,563人であり、小田急線全70駅中16位。
小田急電鉄の急行通過駅としては乗降人員が最も多い。
近年の1日平均乗降人員・乗車人員の推移は下表の通り。
駅は能ヶ谷一丁目にあり、町名としての鶴川一丁目 - 六丁目(鶴川団地を含む)は駅の1 - 3キロ北西にある。
駅北側には鶴川街道があり、交通量が多く幹線道路が交わる交差点が近いため、慢性的な渋滞が発生している。土地区画整理事業の施工とともに狭かった幅員が改良されており、2003年に駅北口付近の道路が、拡幅した新道路に付け替えられた。
北口東側にはバスロータリー、小田急マルシェ、駐車場などがある。北口西側にはタクシープールがあり、小田急マルシェ2 - 3のほか、多数の商業ビルやマンション等が建築されている。
駅南側は開発途上な部分が多い。鶴見川が流れ、その向こう側は川崎市麻生区の飛び地である。土地利用は、主に住宅が中心。
路線バスは、神奈川中央交通(町田営業所・多摩営業所)と神奈川中央交通東(橋本営業所)と小田急バス(新百合ヶ丘営業所)により運行されている。
0 - 4番のりばと降車場は北口東側、5番・臨時のりばと西口降車場は北口西側にある。
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鶴川駅(つるかわえき)は、東京都町田市能ヶ谷一丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 25。副駅名は「和光大学 最寄駅」。
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{{駅情報
|社色 = #2288CC
|文字色 =
|駅名 = 鶴川駅
|画像 = OER Tsurukawa Sta Overview.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 鶴川駅 全景(2010年5月)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|type=point|frame-width=300|marker=rail}}
|よみがな = つるかわ
|ローマ字 = Tsurukawa
|副駅名 = 和光大学 最寄駅
|前の駅 = OH 24 [[柿生駅|柿生]]
|駅間A = 1.7
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|次の駅 = [[玉川学園前駅|玉川学園前]] OH 26
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|OH|25|#2288CC|4||#2288CC}}
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|所属路線 = {{Color|#2288CC|■}}[[小田急小田原線|小田原線]]
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|座標 = {{coord|35|34|59|N|139|28|52|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]
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|乗降人員 = <ref group="小田急" name="odakyu2022" />57,563
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 =
}}
'''鶴川駅'''(つるかわえき)は、[[東京都]][[町田市]][[能ヶ谷 (町田市)|能ヶ谷]]一丁目にある、[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''OH 25'''。副駅名は「'''和光大学 最寄駅'''」。
== 歴史 ==
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月1日]] - 開業。「[[小田急小田原線#直通|直通]]」の停車駅となる。各駅停車は、新宿駅 - 稲田登戸駅(現・[[向ヶ丘遊園駅]])間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。
* [[1937年]](昭和12年)[[9月1日]] - 小田原駅方面行「直通」に限り、停車となる(片瀬江ノ島駅行「直通」は、通過)。
* [[1945年]](昭和20年)[[6月]] - 従来、新宿駅 - 稲田登戸駅間のみの運行の各駅停車が全線で運行されることとなり、各駅停車の停車駅となると同時に、「直通」は廃止される。
* [[1946年]](昭和21年)[[10月1日]] - 準急が設定され、停車駅となる。
* [[1948年]](昭和23年)9月 - [[小田急小田原線#桜準急|桜準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[1960年]](昭和35年)[[3月25日]] - [[小田急小田原線#通勤準急(2代)|通勤準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[1964年]](昭和39年)[[11月5日]] - [[小田急小田原線#快速準急|快速準急]]が設定され、休日のみ停車駅となる(こどもの国来訪客向けの[[停車 (鉄道)#臨時停車・特別停車|臨時停車]]である)。
* [[1977年]](昭和52年)[[11月21日]] - 3番ホーム(待避線)の使用開始。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[10月1日]] - 駅南側臨時改札口(現・南口改札)を平日朝ラッシュ時限定で使用開始<ref name="koho-machida19960601">『[https://www.city.machida.tokyo.jp/shisei/koho/koho/kouhoushi/index.html 広報まちだ](1990年10月11日発行)』</ref>。
* [[2002年]](平成14年)[[3月23日]] - 駅構内エレベーターの使用開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/shisei/koho/koho/kouhoushi/koho_machida/2002/20020411.files/p2.pdf|title=広報まちだ 2002年4月11日号|publisher=町田市|accessdate=2021-05-26|date=2002-04-11}}</ref>。
* [[2004年]](平成16年)[[12月11日]] - [[小田急小田原線#区間準急|区間準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[2014年]](平成26年)[[1月]]:[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|title=小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて 2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します! 新宿駅から箱根・芦ノ湖まで通しのナンバリングにより、わかりやすくご利用いただけます|publisher=小田急電鉄/箱根登山鉄道|date=2013-12-24|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210509093516/http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|accessdate=2021-05-09|archivedate=2021-05-09}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]] - [[小田急ダイヤ改正]]により通勤準急が新設され、停車駅となる。
* [[2021年]]([[令和]]3年)[[10月26日]] - 副駅名「'''和光大学 最寄駅'''」を導入。
かつて[[相武電気鉄道]]の乗り入れと、[[小田急城山線|城山線]]が当駅から分岐する構想があったが、どちらも実現しなかった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/kotsu/tetsukido/enshinkeikaku/201905281200.files/chapter_2.pdf|title=小田急多摩線延伸に関する関係者会議報告書 II.小田急多摩線延伸の取組の歩み|publisher=町田市|accessdate=2022-01-24|date=2019-03}}</ref>。
=== 駅名の由来 ===
町田市と1958年に合併した[[鶴川村]]に設置されたことから、「'''鶴川'''」と命名。
== 駅構造 ==
{|{{Railway line header}}
{{UKrail-header2|<br/>鶴川駅<br/>配線図|#2288CC}}
{{BS-table|配線}}
{{BS-colspan}}
↑[[柿生駅]]
{{BS4text|3|2|1||||}}
{{BS4||STRg|STRf||||}}
{{BS4|STR+l|ABZgr|STR||||}}
{{BS4|STR+BSl|STR+BSr|STR+BSl||||}}
{{BS4|STR+BSl|STR+BSr|STR+BSl||||}}
{{BS4|BUILDINGl|O1=STR+BSl|STR+BSr|STR+BSl||||}}
{{BS4|STRl|ABZg+r|STR|O3=BUILDINGr|||}}
{{BS4||STRg|STRf||||}}
{{BS-colspan}}
↓[[玉川学園前駅]]
|}
|}
[[島式ホーム]]1面2線、[[単式ホーム]]1面1線の計2面3線のホームを有する[[地上駅]]。上り線のみ[[待避駅|待避設備]]を持ち、朝[[ラッシュ時]]は当駅で[[小田急小田原線#快速急行|快速急行]]を待避する[[小田急小田原線#各駅停車|各駅停車]]・[[小田急小田原線#通勤準急(2代)|通勤準急]]が多い。
[[鉄道駅#地平駅舎|駅舎]]は[[線路 (鉄道)|線路]]の北側にあり、[[跨線橋]]を経由してホームに出る。跨線橋には[[エレベーター]]が設置されているが、[[エスカレーター]]は設置されていない。
下りホーム西端には係員無配置の南口[[改札|改札口]]があり、[[自動券売機]]・[[自動精算機]]・[[自動改札機]]を設置。
[[エア・コンディショナー|空調]]完備の[[待合室]]は各ホーム、[[便所|トイレ]]は北口改札脇に設置されている。以前は上りホームに「Odakyu SHOP」という[[売店]]が存在したが、2018年10月をもって閉店した。跡地には自動販売機が設置された。
町田市では「東の玄関口」である同駅の利便性向上などを目的に駅舎改築を計画しており、整備後は南北自由通路を備えた橋上駅舎に改築し、北口駅前広場を再整備する予定。さらに南口にも駅前広場を整備し、周辺道路の混雑緩和を目的に、南北でバス路線の分割が検討されている<ref>[https://www.city.machida.tokyo.jp/kurashi/sumai/toshikei/ekisyuhenmachidukuri/turukawaa/index.html 鶴川駅周辺の街づくり]町田市</ref>。
<gallery widths="200px">
OER Tsurukawa Sta Homeview.jpg|駅構内(右側より1番ホーム、2・3番ホーム)
OER Tsurukawa Sta Northview.jpg|北口改札
OER Tsurukawa Sta Eastview.jpg|北口 東側ロータリー
OER Tsurukawa Sta Westview.jpg|北口 西側ロータリー
OER Tsurukawa Sta Southview.jpg|南口改札
TsurukawaStationSign.jpg|駅名標(副駅名導入後)
</gallery>
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!ホーム!!路線!!方向!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/station/tsurukawa/ |title=鶴川駅のご案内 駅立体図 |publisher=小田急電鉄 |accessdate=2023-06-03}}</ref>
|-
!1
|rowspan=2|[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
|style="text-align:center"|下り
|[[小田原駅|小田原]]・[[片瀬江ノ島駅|片瀬江ノ島]]方面
|-
!2・3
|style="text-align:center"|上り
|[[新宿駅|新宿]]・[[File:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|15px|C]] [[東京メトロ千代田線|千代田線]]方面
|}
上り線は2番ホームが主本線、3番ホームが待避線である。
待避線が設置された経緯は、[[帝都高速度交通営団]](現・[[東京地下鉄]])千代田線との[[直通運転|相互直通運転]]に伴う、準急列車の10両編成化によるものである。元々、待避線は隣の[[柿生駅]](2面4線・上下線ともに待避線を有していた)に設置されていた。しかし、柿生駅の待避線は8両編成分の[[有効長]]であり、同駅敷地が手狭で、設備改良も困難であることから、当駅に待避設備を設置したものである。のちに柿生駅は、待避線が撤去された。[[2020年]][[2月9日]]には貸切列車「[[特急ロマンスカー]]・ゼルビア号(MSE・4両編成)」が<ref>[https://www.odakyu.jp/news/o5oaa1000001ob29-att/o5oaa1000001ob2g.pdf 2月9日 「特急ロマンスカー・ゼルビア号」運行]小田急電鉄</ref><ref>[https://trafficnews.jp/post/93671 鶴川発の特急ロマンスカー「ゼルビア号」走る 終点は「J1」 小田急×FC町田ゼルビアで]乗りものニュース</ref>、[[2023年]][[7月9日]]には貸切列車「Victory Super Express・FC町田ゼルビア応援“剛”(VSE・10両編成)」が鶴川駅3番ホームから新宿駅までそれぞれ特別運行された<ref>[https://www.zelvia.co.jp/news/news-236516/ 7/9(日)東京ヴェルディ戦 ロマンスカー「Victory Super Express ・FC町田ゼルビア応援“剛”」運行詳細決定のお知らせ]FC町田ゼルビア</ref>。
2012年度の設備投資計画において[[発車標|行先案内表示器]]の新設が盛り込まれた<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/7093_4803266_.pdf 2012年度の鉄道事業設備投資計画 (2)駅施設改良、サービスの向上 2.行先表示装置の新設]}} - 小田急電鉄(2012年4月27日閲覧)</ref>。
== 利用状況 ==
2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''57,563人'''であり<ref group="小田急" name="odakyu2022" />、小田急線全70駅中16位。
小田急電鉄の急行通過駅としては乗降人員が最も多い。
近年の1日平均'''乗降'''人員・'''乗車'''人員の推移は下表の通り。
<!--東京都統計年鑑、町田市統計書を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.machida.tokyo.jp/shisei/toukei/sogo/toukeisyo/index.html 町田市統計書] - 町田市</ref>
!年度
!1日平均<br/>乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br/>乗車人員<ref>[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref>
!出典
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|1978年(昭和53年)
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|22,039
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref>
|-
|1979年(昭和54年)
|
|22,484
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|
|22,934
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|
|23,364
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|
|23,426
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|
|23,929
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|
|24,189
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|
|24,786
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|
|25,882
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|
|26,877
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|
|28,142
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|
|28,589
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qyti0510u.htm 平成元年]</ref>
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|
|29,482
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 平成2年]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|
|29,986
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 平成3年]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|
|30,586
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|
|31,071
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|
|31,266
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
|31,126
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|
|31,167
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|
|30,723
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|
|30,956
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
|30,798
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|
|30,789
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|
|31,060
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|62,162
|31,444
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|63,734
|32,230
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|64,881
|32,885
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|66,647
|33,729
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|68,786
|34,822
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|71,034
|35,896
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|69,095
|34,849
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|68,707
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|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|68,188
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|-
|2011年(平成23年)
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|-
|2012年(平成24年)
|68,185
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|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|69,511
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|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|68,358
|34,279
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|69,261
|34,710
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|69,224
|34,668
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|69,141
|34,622
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|69,239
|34,677
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|68,992
|34,522
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|46,377
|23,241
|<ref group="*">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2020/tn20q3i004.htm 令和2年]</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2021">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230308034356/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-03-08|page=|accessdate=2023-10-03|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=2023-08-20}}</ref>51,717
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2022">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230701061413/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-07-01|page=|accessdate=2023-10-03|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=}}</ref>57,563
|
|
|}
== 駅周辺 ==
駅は能ヶ谷一丁目にあり、町名としての鶴川一丁目 - 六丁目(鶴川団地を含む)は駅の1 - 3キロ北西にある。
駅北側には[[鶴川街道]]があり、交通量が多く幹線道路が交わる交差点が近いため、慢性的な渋滞が発生している。土地区画整理事業の施工とともに狭かった幅員が改良されており、[[2003年]]に駅北口付近の道路が、拡幅した新道路に付け替えられた。
北口東側には[[バスターミナル|バスロータリー]]、[[小田急マルシェ]]、[[駐車場]]などがある。北口西側にはタクシープールがあり、小田急マルシェ2 - 3のほか、多数の商業ビルや[[マンション]]等が建築されている。
駅南側は多くが開発途上である。[[鶴見川]]が流れ、その対岸は[[川崎市]][[麻生区]]の[[飛地]]にあたる[[岡上]]の町域である。土地利用は、主に[[住宅]]が中心。
{{See also|鶴川 (町田市)|能ヶ谷 (町田市)}}
=== 駅周辺の主な施設 ===
* [[和光大学]]([[学校法人和光学園]])
* [[国士舘大学]]町田キャンパス
* [[フェリシアこども短期大学]]
* [[フェリシア高等学校]]
* [[和光中学校・高等学校]]
* [[和光鶴川小学校]]
* 和光大学ポプリホール鶴川
** 町田市役所鶴川駅前連絡所
** [[町田市立図書館|鶴川駅前図書館]]
* 川崎市麻生市民館[[岡上]]分館
* 町田市鶴川市民センター
* [[町田市立図書館|鶴川図書館]]
* [[町田消防署]]鶴川出張所
* [[鶴川郵便局]]
* [[TBSホールディングス|TBS]][[緑山スタジオ・シティ|緑山スタジオ]](横浜市青葉区緑山)
* [[小田急マルシェ]]鶴川1<ref group="注釈">出店テナントの一覧・詳細情報は小田急電鉄公式サイト「[http://www.odakyu.jp/cgi-bin/shopping/shop/shop.cgi?no=15 小田急マルシェ鶴川1 小田急でショッピング]」を参照。</ref>
* 小田急マルシェ鶴川2<ref group="注釈">出店テナントの一覧・詳細情報は小田急電鉄公式サイト「[http://www.odakyu.jp/cgi-bin/shopping/shop/shop.cgi?no=16 小田急マルシェ鶴川2 小田急でショッピング]」を参照。</ref>
* 小田急マルシェ鶴川3<ref group="注釈">出店テナントの一覧・詳細情報は小田急電鉄公式サイト「[http://www.odakyu.jp/cgi-bin/shopping/shop/shop.cgi?no=17 小田急マルシェ鶴川3 小田急でショッピング]」を参照。</ref>
* [[町田警察署]] 鶴川駅前交番
* [[小田急商事#都市型スーパーマーケット事業「Odakyu OX」|Odakyu OX]]
* [[業務スーパー|生鮮&業務スーパー]]鶴川店
* [[きらぼし銀行]]
* [[芝信用金庫]]
* [[マルエツ]]鶴川店、[[ノジマ]]NEW鶴川店
* [[こどもの国 (横浜市)|こどもの国]](横浜市青葉区奈良町)
* [[武相荘]] - [[白洲次郎]]・[[白洲正子|正子]]夫妻の旧宅。
* [[町田市立陸上競技場|町田GIONスタジアム]](町田市立陸上競技場) - [[野津田公園]]内。[[FC町田ゼルビア]]のホームスタジアム。
</div>{{clear}}
== バス路線 ==
路線バスは、[[神奈川中央交通]]([[神奈川中央交通町田営業所|町田営業所]]・[[神奈川中央交通多摩営業所|多摩営業所]])と神奈川中央交通東([[神奈川中央交通東・橋本営業所|橋本営業所]])と[[小田急バス]]([[小田急バス新百合ヶ丘営業所|新百合ヶ丘営業所]])により運行されている。
0 - 4番のりばと降車場は北口東側、5番・臨時のりばと西口降車場は北口西側にある。
{|class="wikitable" style="font-size:80%;"
!乗場!!系統!!主要経由地!!行先!!{{small|運行事業者}}
|-
!rowspan="3"|0番
|淵24||| ||[[登戸駅|登戸]] {{small|(土曜1本のみ)}}||{{color|darkorange|■}}神奈中東
|-
|町50<br />町54||{{small|金井・[[藤の台団地]]}}||[[町田バスセンター]]||rowspan="7"|{{color|darkorange|■}}神奈中
|-
|鶴57||{{small|榛名坂ヒルズ}}||やくし台センター
|-
!rowspan="6"|1番
|鶴21||{{small|真光寺}}||[[若葉台駅]]
|-
|鶴22||{{small|真光寺・若葉台駅}}||[[調布駅]]南口 {{small|(土曜1本のみ)}}
|-
|rowspan="2"|鶴23|| ||和光学園 {{small|(平日1本のみ)}}
|-
|{{small|急行}}||和光学園 {{small|(平日のみ)}}
|-
|鶴25|| ||平和台循環
|-
|鶴10|| ||千都の杜中央循環||rowspan="3"|{{color|darkorange|■}}神奈中<br/>{{color|crimson|■}}小田急
|-
!rowspan="4"|2番
|鶴13||{{small|鶴川六丁目}}||鶴川団地
|-
|鶴11||{{small|センター前}}||鶴川団地
|-
|町50||{{small|センター前}}||鶴川団地 {{small|(買物バス)}}||{{color|darkorange|■}}神奈中
|-
|鶴12||{{small|センター前}}||鶴川団地循環 {{small|(土休日1本のみ)}}||rowspan="5"|{{color|crimson|■}}小田急
|-
!rowspan="4"|3番
|鶴05|| ||[[こどもの国 (横浜市)|こどもの国]] {{small|(多客時のみ)}}
|-
|鶴06||{{small|こどもの国}}||[[三菱ケミカル]]前 {{small|(平日1本のみ)}}
|-
|鶴07||{{small|こどもの国}}||[[奈良北団地]]
|-
|鶴09||{{small|ことり橋}}||奈良北団地
|-
!rowspan="3"|4番
|鶴01|| ||フェリシアこども短期大学||{{color|darkorange|■}}神奈中
|-
|鶴08|| ||鶴川緑山住宅循環||rowspan="2"|{{color|darkorange|■}}神奈中<br/>{{color|crimson|■}}小田急
|-
|鶴26|| ||真光寺公園
|-
!rowspan="11"|5番
|淵24||{{small|図師}}||[[淵野辺駅]]北口 {{small|(土曜1本のみ)}}||{{color|darkorange|■}}神奈中東
|-
|鶴37||{{small|図師}}||淵野辺駅北口 {{small|(平日1本のみ)}}||rowspan="11"|{{color|darkorange|■}}神奈中
|-
|鶴33||{{small|川島入口}}||[[神奈川中央交通町田営業所|野津田車庫]]
|-
|鶴66||{{small|山王ガーデン}}||野津田車庫
|-
|町53||{{small|本町田}}||[[町田駅]]
|-
|鶴31|| ||[[永山駅 (東京都)|永山駅]] {{small|(平日1本のみ)}}
|-
|桜24||{{small|永山駅}}||[[聖蹟桜ヶ丘駅]]
|-
|多04||{{small|豊ヶ丘四丁目}}||[[多摩センター駅]]
|-
|rowspan="2"|鶴32||rowspan="2"|{{small|小野路}}||南野二丁目 {{small|(平日1本のみ)}}
|-
|多摩センター駅
|-
|町36||{{small|五反田・図師}}||町田バスセンター
|-
!臨時
|直行|| ||[[野津田公園]] {{small|(試合開催時のみ)}}
|}
; 西口降車場
* 途中停留所(鶴川駅西口)扱い
: 0番・1番・5番のりば系統・町田BC発の町50系統
== 隣の駅 ==
; 小田急電鉄
:[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
<!-- 有料列車の通過は記載しない -->
:: {{color|#f89c1c|■}}快速急行・{{color|#ef4029|■}}急行
:::;通過
:: {{color|#00ab76|□}}通勤準急・{{color|#00ab76|■}}準急・{{color|#18469d|■}}各駅停車(通勤準急は平日朝上りのみ、準急は平日夜下りのみ運転)
::: [[柿生駅]] (OH 24) - '''鶴川駅 (OH 25)''' - [[玉川学園前駅]] (OH 26)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
; 東京都統計年鑑
{{Reflist|group="*"|16em}}
; 小田急電鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="小田急"|3}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Tsurukawa Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[鶴川 (町田市)]]
== 外部リンク ==
* [https://www.odakyu.jp/station/tsurukawa/ 小田急電鉄 鶴川駅]
{{小田急小田原線}}
{{デフォルトソート:つるかわ}}
[[Category:東京都の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 つ|るかわ]]
[[Category:小田急電鉄の鉄道駅]]
[[Category:町田市の交通]]
[[Category:1927年開業の鉄道駅]]
|
2003-07-14T01:03:33Z
|
2023-12-23T04:25:32Z
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[
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"Template:Small",
"Template:小田急小田原線"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B7%9D%E9%A7%85
|
11,385 |
東海大学前駅
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東海大学前駅(とうかいだいがくまええき)は、神奈川県秦野市南矢名一丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅。駅番号はOH 38。
秦野市に所在するが、秦野盆地の外側に位置しており平塚市との市境が近い。徒歩約15分の距離にある東海大学湘南キャンパスが駅名の由来。
当駅の開設時は中郡大根村に位置していたことから大根駅(おおねえき)と名付けられた。その後も付近一帯(北矢名・南矢名・下大槻・鶴巻)は大根地区と呼ばれている。
1987年に現在の東海大学前駅へ改められた。橋上駅舎へ改修する際に東海大学が資金を提供した(ほぼ同時期に熊本県の東海学園前駅の建設資金も当時の国鉄に提供している)ことによりその名前が付けられた。その際に地元住民の働き掛けで旧駅名である「大根」という地名のいわれを後世に伝えるための石碑が駅前に設置された。
相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。改札階からホーム階を連絡するエレベーターが設置されている。
トイレはかつて下りホームにあったが、2007年3月に2階改札口内に移転した。移転前から多目的トイレを備えていたが、移転後はオストメイト・乳幼児対応設備が追加された。
のりばは東側を1番ホームとして、下表の通りとなる。
2014年度の設備投資計画にて行先案内表示器の新設が盛り込まれた。さらに、ホーム上家の増設工事を実施する予定である。
近年の乗降人員・乗車人員の推移は下表の通り。
北口・南口それぞれに路線バスが発着する。北口の乗り場の名称は東海大学前駅であるが、北口を出て線路沿いを秦野方面に100mほど進んだ先に乗り場がある。南口は東海大学前駅南口で、バスロータリーに発着する。
コミュニティタクシーを除いた全路線が神奈川中央交通西により運行されている。
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[
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"text": "当駅の開設時は中郡大根村に位置していたことから大根駅(おおねえき)と名付けられた。その後も付近一帯(北矢名・南矢名・下大槻・鶴巻)は大根地区と呼ばれている。",
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"title": "駅構造"
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"text": "のりばは東側を1番ホームとして、下表の通りとなる。",
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] |
東海大学前駅(とうかいだいがくまええき)は、神奈川県秦野市南矢名一丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅。駅番号はOH 38。 秦野市に所在するが、秦野盆地の外側に位置しており平塚市との市境が近い。徒歩約15分の距離にある東海大学湘南キャンパスが駅名の由来。
|
{{混同|東海学園前駅}}
{{出典の明記|date=2011年12月|ソートキー=駅}}
{{駅情報
|社色 = #2288CC
|文字色 =
|駅名 = 東海大学前駅
|画像 = OER Tōkaidaigaku-Mae station South.JPG
|pxl = 300px
|画像説明 = 南口(2008年1月6日)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|type=point|frame-width=300|marker=rail}}
|よみがな = とうかいだいがくまえ
|ローマ字 = Tokaidaigaku-mae
|副駅名 =
|前の駅 = OH 37 [[鶴巻温泉駅|鶴巻温泉]]
|駅間A = 1.1
|駅間B = 4.7
|次の駅 = [[秦野駅|秦野]] OH 39
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|OH|38|#2288CC|4||#2288CC}}
|所属事業者 = [[小田急電鉄]]
|所属路線 = {{Color|#2288CC|■}}[[小田急小田原線|小田原線]]
|キロ程 = 57.0
|起点駅 = [[新宿駅|新宿]]
|所在地 = [[神奈川県]][[秦野市]]南矢名一丁目1-1
|座標 = {{coord|35|22|23|N|139|16|16|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面2線
|開業年月日 = [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月1日]]*
|廃止年月日 =
|乗降人員 = <ref group="小田急" name="odakyu2022" />32,462
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考全幅 = * 駅名改称:<br />[[1987年]](昭和62年)[[3月9日]] 大根→東海大学前
}}
'''東海大学前駅'''(とうかいだいがくまええき)は、[[神奈川県]][[秦野市]]南矢名一丁目にある、[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]の[[鉄道駅|駅]]。駅番号は'''OH 38'''。
秦野市に所在するが、[[秦野盆地]]の外側に位置しており[[平塚市]]との市境が近い。徒歩約15分の距離にある[[東海大学]]湘南キャンパスが駅名の由来<ref>{{Cite web|和書|title=湘南キャンパス│大学の概要ページ│東海大学|url=https://www.u-tokai.ac.jp/about/campus/campus-shonan/|website=東海大学|accessdate=2021-08-22|language=ja}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月1日]] - '''大根駅'''(おおねえき)として開業。「直通」の停車駅となる。なお、各駅停車は新宿 - 稲田登戸(現・[[向ヶ丘遊園駅|向ヶ丘遊園]])間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。
* [[1945年]](昭和20年)6月 - 新宿 - 稲田登戸間のみの運行であった各駅停車が全線で運行されることとなり、停車駅となる。同時に「直通」は廃止。
* [[1946年]](昭和21年)[[10月1日]] - [[小田急小田原線#準急|準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[1960年]](昭和35年)[[3月25日]] - 通勤準急が設定され、停車駅となる。
* [[1972年]](昭和47年)[[12月18日]] - 急行の停車駅となる。
* [[1987年]](昭和62年)[[3月9日]] - '''東海大学前駅'''に改称<ref name="RJ246">{{Cite journal|和書 |date = 1987-05 |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 21 |issue = 6 |pages = 104 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref><ref name="odakyu75th">{{Cite|和書|author=小田急電鉄株式会社社史編集事務局 編|title=小田急75年史|date=2003|pages=122}}</ref>。橋上駅舎化される<ref name="RJ246" /><ref name="odakyu75th" />。
* [[2004年]]([[平成]]16年) [[12月11日]] - [[小田急小田原線#快速急行|快速急行]]・[[小田急小田原線#区間準急|区間準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[2007年]](平成19年)6月13日 - 当駅1番線ホームにおいて、乗客の指がドアに挟まれたまま発車し、列車とホームの間に転落して負傷する人身事故が発生する。<ref>[https://www.odakyu.jp/csr/safety/safety_report/2008/5/ 安全報告書2008 小田急電鉄]</ref>
* [[2008年]](平成20年)
**[[4月4日]] - 駅前広場内ロータリーと[[ペデストリアンデッキ]]を供用開始。
** [[7月19日]] - [[7月20日]] - 駅前広場ロータリーとペデストリアンデッキの完成記念イベントとして、新しくできた駅前広場で「サマーフェスタ in 大根」が開催される。
** [[9月22日]] - 駅前広場内ロータリーに東海大学前駅南口バス停が新設され、[[神奈川中央交通|神奈中バス]]が乗り入れを開始する。
* [[2012年]](平成24年)[[3月17日]] - 本厚木以西での区間準急の設定がなくなり、停車駅から外れる。
* [[2014年]](平成26年)[[1月]]:[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|title=小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて 2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します! 新宿駅から箱根・芦ノ湖まで通しのナンバリングにより、わかりやすくご利用いただけます|publisher=小田急電鉄/箱根登山鉄道|date=2013-12-24|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210509093516/http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|accessdate=2021-05-09|archivedate=2021-05-09}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)3月17日 - 伊勢原以西での準急の設定がなくなり、停車駅から外れる<ref>[https://www.odakyu.jp/rail/new/ 小田急線路線図2018]</ref>。
=== 駅名の由来 ===
[[画像:Monument of OER One station.jpg|thumb|right|240px|大根駅記念碑(南口・マクドナルド前)(2008年1月6日)]]
当駅の開設時は[[中郡]][[大根村]]に位置していたことから'''大根駅'''(おおねえき)と名付けられた。その後も付近一帯(北矢名・南矢名・下大槻・鶴巻)は大根地区と呼ばれている。
1987年に現在の'''東海大学前駅'''へ改められた。橋上駅舎へ改修する際に東海大学が資金を提供した(ほぼ同時期に[[熊本県]]の[[東海学園前駅]]の建設資金も当時の国鉄に提供している)ことによりその名前が付けられた。その際に地元住民の働き掛けで旧駅名である「大根」という地名のいわれを後世に伝えるための[[石碑]]が駅前に設置された<ref name="odakyu75th" />。
{{-}}
== 駅構造 ==
[[プラットホーム#相対式ホーム|相対式ホーム]]2面2線の[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有している。改札階からホーム階を連絡する[[エレベーター]]が設置されている。
[[便所|トイレ]]はかつて下りホームにあったが、2007年3月に2階改札口内に移転した。移転前から[[ユニバーサルデザイン|多目的]]トイレを備えていたが、移転後は[[オストメイト]]・[[乳幼児]]対応設備が追加された。
のりばは東側を1番ホームとして、下表の通りとなる。
2014年度の設備投資計画にて[[発車標|行先案内表示器]]の新設が盛り込まれた。さらに、ホーム上家の増設工事を実施する予定である<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8106_8458503_.pdf 2014年度の鉄道事業設備投資計画 (2)駅施設の改良、サービスの向上 3.行先案内表示装置の新設]}} - 小田急電鉄(2014年4月30日閲覧)</ref>。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!ホーム!!路線!!方向!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/station/tokaidaigaku_mae/ |title=東海大学前駅のご案内 駅立体図 |publisher=小田急電鉄 |accessdate=2023-06-03}}</ref>
|-
!1
|rowspan=2|[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
|style="text-align:center"|下り
|[[小田原駅|小田原]]・[[箱根湯本駅|箱根湯本]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|上り
|[[相模大野駅|相模大野]]・[[新宿駅|新宿]]・[[ファイル:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|15px|C]] [[東京メトロ千代田線|千代田線]]方面
|}
<gallery>
TokaidaigakumaeStkita.jpg|東海大学前駅北口(2006年10月28日)
Tokaidaigakumae-Sta-Platform.JPG|ホーム(2017年6月17日)
</gallery>
== 利用状況 ==
* '''小田急電鉄''' - 2021年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''32,462人'''である<ref group="小田急" name="odakyu2022" />。
*: 小田急線全70駅中30位。
*: 2020年度は[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]流行の影響で東海大学が[[遠隔教育|オンライン授業]]を採用し<ref>[https://www.u-tokai.ac.jp/news-notice/20243/ 【新入生、在学生、ご家族の皆さまへ】2020年度春学期の授業について] - 東海大学</ref>、大学へ直接通う学生が減少したため、前年度比-52.7%という小田急線内全駅の中で最大の減少率を記録した。
近年の乗降人員・[[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]の推移は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref group="*">[http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000004179/index.html 統計はだの] - 秦野市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗降人員<ref group="*">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br />乗車人員<ref group="*">[https://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/yoran.html 神奈川県県勢要覧]</ref>
!出典
|-
|1982年(昭和57年)
|35,585
|
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
|20,131
|<ref group="神奈川県統計">[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1128766_3967261_misc.pdf#search=%27%E7%B7%9A%E5%8C%BA%E5%88%A5%E9%A7%85%E5%88%A5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E4%BA%BA%E5%93%A1%EF%BC%881%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%9D%87%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移] - 21ページ</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|
|19,300
|<ref group="神奈川県統計">平成12年 - 223ページ</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
|19,474
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 平成13年]}} - 225ページ</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|
|19,509
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|39,593
|19,936
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 平成14年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|39,379
|19,853
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 平成15年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|38,997
|19,737
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 平成16年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|38,887
|19,570
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 平成17年]}} - 225ページ</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|38,311
|19,301
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 平成18年]}} - 225ページ</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|37,916
|19,111
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 平成19年]}} - 227ページ</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|38,089
|19,194
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 平成20年]}} - 231ページ</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|37,776
|19,051
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 平成21年]}} - 241ページ</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|37,917
|19,122
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 平成22年]}} - 239ページ</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|38,078
|19,189
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 平成23年]}} - 239ページ</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|38,503
|19,399
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 平成24年]}} - 235ページ</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|39,283
|19,764
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 平成25年]}} - 237ページ</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|40,589
|20,422
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 平成26年]}} - 239ページ</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|39,922
|20,072
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 平成27年]}} - 239ページ</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|41,131
|20,652
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 平成28年]}} - 247ページ</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|41,306
|20,743
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成29年]}} - 239ページ</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|40,950
|20,559
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/3406/15-30.pdf 平成30年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|39,974
|20,084
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/73942/15_2.pdf 令和元年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|38,909
|19,539
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/202015.pdf 令和2年]}} - 223ページ</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|18,421
|
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2021">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230308034356/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-03-08|page=|accessdate=2023-10-06|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=2023-08-20}}</ref>24,878
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2022">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230701061413/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-07-01|page=|accessdate=2023-10-06|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=}}</ref>32,462
|
|
|}
== 駅周辺・施設 ==
* [[小田急マルシェ]]東海大学前 - 出店店舗の一覧・詳細情報は小田急電鉄公式サイト「[http://www.odakyu.jp/cgi-bin/shopping/shop/shop.cgi?no=24 小田急マルシェ東海大学前 小田急でショッピング]」を参照。
* [[グルメシティ]] 大根店
* [[マックスバリュ東海|ザ・ビッグ]] 平塚真田店
* ヨークタウン北金目ショッピングセンター - [[ヨークマート]]北金目店を核店舗に、[[コジマ|コジマ×ビックカメラ]]・[[サンドラッグ]]などが出店。駅からは約2キロメートルほど離れており、徒歩で約30分を要する。
=== 教育機関 ===
* 秦野市立大根小学校
* 秦野市立広畑小学校
* [[秦野市立大根中学校]]
* [[神奈川県立秦野高等学校]]
* [[東海大学]]湘南キャンパス - 当駅から南に下った小高い丘の上にある。徒歩約20分。
* [[神奈川大学]]湘南ひらつかキャンパス - 東海大学の南方に位置するが、[[路線バス]]は[[秦野駅]]を発着する。
=== 金融 ===
* 秦野北矢名[[郵便局]]
* 秦野東海大学前郵便局
* [[横浜銀行]]東海大学駅前支店
* [[中栄信用金庫]]東海大学駅前支店
* [[平塚信用金庫]]東海大学駅前支店
=== 公民館・交番 ===
* [[秦野警察署]]東海大学駅前交番
* 秦野市立大根公民館
== バス路線 ==
北口・南口それぞれに路線バスが発着する。北口の乗り場の名称は'''東海大学前駅'''であるが、北口を出て線路沿いを秦野方面に100mほど進んだ先に乗り場がある。南口は'''東海大学前駅南口'''で、バスロータリーに発着する。
コミュニティタクシーを除いた全路線が[[神奈川中央交通|神奈川中央交通西]]により運行されている。
; 東海大学前駅
* [[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 東海大学北門 - 東海大学前駅方面|学01]] - オレンジヒル循環
* [[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 東海大学北門 - 東海大学前駅方面|学02]] - オレンジヒル行
; 東海大学前駅南口
* 1番乗り場
** [[神奈川中央交通西・秦野営業所#平塚駅北口 -(急行)東海大学 - 東海大学前駅方面|平70]] - 東海大学1号館前経由[[平塚駅]]北口行
** [[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 東海大学北門 - 東海大学前駅方面|巻02]]・[[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 東海大学北門 - 東海大学前駅方面|学04]] - 下大槻団地行
** [[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 神奈川大学方面|秦44]]・[[神奈川中央交通西・秦野営業所#秦野駅 - 神奈川大学方面|秦45]] - 下大槻団地経由[[秦野駅]]行
* 2番乗り場
** 巻02・秦44 - [[鶴巻温泉駅]]南口行
* 秦野市コミュニティタクシー乗り場
** おおね台循環(右回り・左回り)
== 隣の駅 ==
; 小田急電鉄
: [[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
<!-- 有料列車の通過は記載しない -->
:: {{color|#f89c1c|■}}快速急行・{{color|#ef4029|■}}急行・{{color|#18469d|■}}各駅停車
::: [[鶴巻温泉駅]] (OH 37) - '''東海大学前駅 (OH 38)''' - [[秦野駅]] (OH 39)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
<!-- 出典(脚注):追加した本文中の情報の後に脚注を導入し、実際に参考にした出典(文献参照ページ)を列挙してください。 -->
{{Reflist|2}}
; 小田急電鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="小田急"|3}}
; 小田急電鉄の統計データ
{{Reflist|group="*"}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="神奈川県統計"|26em}}
== 関連項目 ==
<!-- 関連項目:本文記事を理解する上での補足として役立つ、関連性のある項目へのウィキ間リンク(姉妹プロジェクトリンク、言語間リンク)、ウィキリンク(ウィキペディア内部リンク)。可能なら本文内に埋め込んで下さい。 -->
{{Commonscat|Tōkaidaigaku-mae Station}}
{{ウィキプロジェクトリンク|鉄道}}
* [[東海大学]]
* [[東海学園前駅]]
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
{{Osm box|n|281365071}}
* [https://www.odakyu.jp/station/tokaidaigaku_mae/ 小田急電鉄 東海大学前駅]
{{小田急小田原線}}
{{DEFAULTSORT:とうかいたいかくまえ}}
[[Category:神奈川県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 と|うかいたいかくまえ]]
[[Category:小田急電鉄の鉄道駅]]
[[Category:1927年開業の鉄道駅]]
[[Category:秦野市の交通|とうかいたいかくまええき]]
[[Category:東海大学]]
|
2003-07-14T01:11:06Z
|
2023-11-24T20:16:37Z
| false | false | false |
[
"Template:ウィキプロジェクトリンク",
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%89%8D%E9%A7%85
|
11,386 |
タラス河畔の戦い
|
タラス河畔の戦い(タラスかはんのたたかい、アラビア語: معركة نهر طلاس、中国語: 怛羅斯會戰)は、751年(A.H.133年、天宝10載)5月から9月にかけて、中央アジアのタラス地方(現在のキルギス領)で唐とアッバース朝の間で中央アジアの覇権を巡って行われた天下分け目の戦闘である。製紙法が技術的に出遅れていた西方に伝来したきっかけとなった戦いとして有名である。
750年、安西節度使として西域(東トルキスタン)に駐屯していた唐の将軍高仙芝が西のソグディアナ(西トルキスタン)に圧力をかけた。そのため、シャーシュ(石国、現在のタシュケント)の王子は、シル川以西を支配するイスラム勢力に支援を要請。
これに応じて、747年にウマイヤ朝勢力をメルヴから追ってアッバース朝のホラーサーン総督となっていたアブー・ムスリムは、部下のズィヤード・イブン・サーリフ(アラビア語: زياد ابن صالح、Ziyad ibn Salih)を派遣。一方、漢人・土着からなる3万(あるいは10万人)の唐軍は、高仙芝に率いられタラス城に入る。
751年7月、ズィヤードの率いるアッバース朝軍と高仙芝率いる唐軍は、天山山脈西北麓のタラス河畔で衝突した。戦いの最中、唐軍に加わっていた天山北麓に遊牧する遊牧民カルルクがアッバース朝軍に寝返ったため、唐軍は壊滅し数千人を残すのみとなった。高仙芝自身は、部下の李嗣業がフェルガナの軍中に血路を開くことで撤退には成功したものの、多くの兵士が捕虜となった。
唐側の被害は甚大で、イブン・アル=アスィールの『完史』によると、アッバース朝軍は「唐軍5万人を殺し、2万人を捕らえた」という。
この戦い以降、中央アジアにイスラム勢力の安定支配が確立し、ソグド人やテュルク系諸民族の間にイスラム教が広まっていった。
唐の勢力はタリム盆地に限定されることとなり、まもなく起こった安史の乱の際はかつての敵国であるアッバース朝からアラブ人の援軍を送られるまで弱体化した唐の中央アジア支配は後退していった。高仙芝と李嗣業は安史の乱で活躍するものの、両者とも非業の死を遂げた。
中国人の捕虜の中に製紙職人がいたとされ、サマルカンドに製紙工場が開かれてイスラム世界に製紙法が伝わった。
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タラス河畔の戦いは、751年(A.H.133年、天宝10載)5月から9月にかけて、中央アジアのタラス地方(現在のキルギス領)で唐とアッバース朝の間で中央アジアの覇権を巡って行われた天下分け目の戦闘である。製紙法が技術的に出遅れていた西方に伝来したきっかけとなった戦いとして有名である。
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*[[大宛]]
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'''タラス河畔の戦い'''(タラスかはんのたたかい、{{lang-ar|معركة نهر طلاس}}、{{lang-zh|怛羅斯會戰}})は、[[751年]]([[ヒジュラ暦|A.H.]]133年、[[天宝 (唐)|天宝]]10載)[[5月]]から[[9月]]にかけて、[[中央アジア]]の[[タラス川|タラス地方]](現在の[[キルギス]]領)で[[唐]]と[[アッバース朝]]の間で[[中央アジア]]の[[覇権]]を巡って行われた天下分け目の[[会戦|戦闘]]である。[[紙|製紙法]]が技術的に出遅れていた西方に伝来したきっかけとなった戦いとして有名である。
== 経過 ==
{{Seealso|{{仮リンク|ムスリムのトランスオクシアナ征服|en|Muslim conquest of Transoxiana}}}}
=== 戦闘まで ===
[[750年]]、安西[[節度使]]として[[西域]]([[東トルキスタン]])に駐屯していた唐の[[将軍]][[高仙芝]]が西の[[ソグディアナ]]([[中央アジア|西トルキスタン]])に圧力をかけた。そのため、シャーシュ(石国、現在の[[タシュケント]])の王子は、[[シルダリヤ川|シル川]]以西を支配するイスラム勢力に支援を要請。
これに応じて、[[747年]]に[[ウマイヤ朝]]勢力を[[メルヴ]]から追って[[アッバース朝]]の[[ホラーサーン]]総督となっていた[[アブー・ムスリム]]は、部下の[[ズィアド・イブン・サリ|ズィヤード・イブン・サーリフ]]({{翻字併記|ar|زياد ابن صالح|Ziyad ibn Salih|n|区=、}})を派遣。一方、漢人・土着からなる3万(あるいは10万人)の唐軍は、高仙芝に率いられタラス城に入る。
=== 戦闘 ===
[[File:Talas River.jpg|thumb|250px|キルギスのタラス川]]
[[751年]][[7月]]、ズィヤードの率いるアッバース朝軍と高仙芝率いる唐軍は、[[天山山脈]]西北麓の[[タラス川|タラス河]]畔で衝突した。戦いの最中、唐軍に加わっていた天山北麓に[[遊牧]]する遊牧民[[カルルク]]がアッバース朝軍に寝返ったため、唐軍は壊滅し数千人を残すのみとなった。高仙芝自身は、部下の[[李嗣業]]が[[フェルガナ]]の軍中に血路を開くことで撤退には成功したものの、多くの[[兵士]]が[[捕虜]]となった。
唐側の被害は甚大で、[[イブン・アル=アスィール]]の『[[完史]]』によると、アッバース朝軍は「唐軍5万人を殺し、2万人を捕らえた」という。
== 戦いの影響 ==
この戦い以降、中央アジアにイスラム勢力の安定支配が確立し、[[ソグド人]]や[[テュルク系民族|テュルク系]]諸民族の間に[[イスラム教]]が広まっていった。
唐の勢力は[[タリム盆地]]に限定されることとなり、まもなく起こった[[安史の乱]]の際はかつての敵国であるアッバース朝からアラブ人の援軍を送られるまで弱体化した唐の中央アジア支配は後退していった。高仙芝と李嗣業は安史の乱で活躍するものの、両者とも非業の死を遂げた。
中国人の捕虜の中に[[製紙]]職人がいたとされ、[[サマルカンド]]に製紙工場が開かれて[[イスラム世界]]に製紙法が伝わった。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2017年12月|section=1}}
*[[山田信夫 (歴史家)|山田信夫]]編『東西文明の交流2 ペルシアと唐』([[平凡社]]、1971年、{{全国書誌番号|73014079}}、{{NCID|BN01846257}})
*[[前嶋信次]]著「[https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001338944630656 タラス戰考:序章]」『史学』31巻 (1/2/3/4), p657-691, 1958年10月,三田史学会
*[[前嶋信次]]著「[https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282813921332480 タラス戰考:本章]」『史学』 32巻1号,1959年04月,三田史学会
== 関連項目 ==
* [[蔡倫]] - 製紙法を改良し、紙の普及に貢献した人物。
* [[杜環]] - この戦いで捕虜となり、当時のイスラム社会の記録を残したとされる人物。
*[[小前亮]]著『天涯の戦旗 タラス河畔の戦い』(2011年10月 朝日新聞出版)- タラス河畔の戦いを描いた歴史小説
== 外部リンク ==
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武蔵境駅
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武蔵境駅(むさしさかいえき)は、東京都武蔵野市境一丁目および境南町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・西武鉄道の駅である。
JR東日本・JR貨物の中央本線と、西武鉄道の多摩川線の2路線が乗り入れており、各路線ごとに駅番号が付与されている。
中央本線は旅客営業を行うJR東日本が第一種鉄道事業者、貨物営業を行うJR貨物が第二種鉄道事業者である。旅客営業において当駅を含む区間は、運行系統上は「中央線」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
多摩川線は当駅が起点である。
相対式ホーム2面2線を有する高架駅。高架化工事完成前に北口と南口の2か所にあった改札口は、2012年に南北自由通路に面する一か所に統合された。また、2013年5月9日には、商業施設「nonowa武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)の開業に先立ち、駅西側にSuica等のICカード専用の改札口である「nonowa口」が新設された。2019年7月30日には、「nonowa口」において、NewDaysでは初めてセルフレジを活用した無人店舗「NewDays 武蔵境 nonowa口」が開店した。なお、「nonowa口」には券売機はなく、SuicaなどのICカードに1,000円札のみでチャージが可能な簡易チャージ機が入場側・出場側両方に設置されている。
JR中央線コミュニティデザインが駅業務を受託する三鷹営業統括センター管理の業務委託駅。自動券売機、多機能券売機、指定席券売機、話せる指定席券売機が設置されている。
夜間2本設定される三鷹行きを除き、停車する電車は全て快速電車である。通勤快速や中央特快・青梅特快・通勤特快は停車しない。
JR中央線は、2020年代前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行う。そのため快速電車が停車する1・2番線は、ホームの12両編成対応改築工事などが実施される。
(出典:JR東日本:駅構内図)
島式ホーム1面2線を有する高架駅。ホーム番号はJRと共用していた頃からの名残でJRと通し番号になっている。
改札口は1か所。仮設駅舎時代は2007年3月18日から導入されたPASMOに対応するため、改札通路に読み取り機が設置されていたが、2008年3月29日に多摩川線の駅では初めて自動改札機が設置された。
(出典:西武鉄道:駅構内図)
通常は3番ホームを使用しているが、日曜日の早朝には4番ホームを使用する電車がある。
2003年より2009年にかけて、高架化工事が実施された。
工事開始前の時点では、1番線が単式ホーム、2・3番線が島式ホームの計2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有していた。工事前は共同使用駅でJR東日本の管轄駅であり、改札内を共用していた。当時は1番線が中央線東京方面、2番線が中央線高尾方面、3番線が西武多摩川線という割り当てになっていた。なお、2・3番線ホームにJR・西武線を分ける中間改札や柵などはなく、そのまま乗換が可能だった。また、西武多摩川線ホームの駅名標もJR東日本仕様でラインカラーが山吹色というデザインだった。
また、JRと西武鉄道の線路は東小金井側でつながっており、西武多摩川線車両の検査入場時および転配時はJR線を経由し機関車牽引で甲種輸送されていた(それ以前には旧型国電との併結だった)。このほか、1・2番線の間にホームに接しない待避線が1本あり、西武側には側線があった。その跡は現在だと広場や建物がある。
工事開始に伴い改札口は分離され、西武側に新たに駅舎が建設された。この時点では仮設の駅舎だったため、西武の駅には自動改札機は設置されなかった。また、1番線ホームにはバスターミナル付近に抜けられる臨時改札口が設置されていたが、ホーム移設時に廃止された。
2006年11月30日から2007年6月30日までの間はJR改札口 - 南口間の経路が変更され、階段とエレベーターを上って高架部分の上を跨ぎ、そこから階段・エスカレーター・エレベーターを下りる経路となった。そのため、JR - 西武の乗り換えには約4分程度かかっていた。
2006年12月8日より、西武鉄道のホームが高架に切り替えられた。切り替え直後は新設された4番ホームのみの1面1線で暫定開業で、新たにエレベーターや発車標が設置された。2008年7月19日には3番ホームも高架化され1面2線の島式ホームが完成し、中央線との渡り線も設置された。
2007年6月30日から7月1日にかけて、JRの下り線が高架に切り替えられた。この切り替えにより、仮設の南口改札が設置され、高架下通路と上り線地平ホームの連絡路も設置された。南口・西武改札 - JR構内の移動における高架またぎは解消され、2番線からは階段などを一度下りるのみで、1番線からは上下移動をほとんど要さずに南口に出られるようになった。なお、従来の経路は南口 - 北口間の自由通路として残された。
2008年9月7日にはJRと西武との連絡改札口が設置された。JR側・西武側ともに乗り継ぎの精算機は設置されず、利用できるのはPASMO・Suica等や連絡乗車券など両社に有効な乗車券類をすでに所持する旅客に限られる。ただし、有人窓口は設置されていないので、非磁気券(硬券や軟券、手書き発券した乗車券、列車内で車掌が発券した補充券など)は連絡改札を利用できず、一度改札外に出て乗り換えとなる。また、輸送障害等でどちらかの駅で入場制限が発生した場合にも連絡改札口が閉鎖される。
2009年12月6日、最後まで残っていた上り線も高架に切り替えられ、高架化が完了した。JR駅構内は2面2線に縮小され、隣接する東小金井駅の2面3線化が事実上の代替となった。
2012年3月25日、JRの上り線ホームのエスカレーター・エレベーターが設置され、JR改札口が一元化された。
2013年5月29日には、この事業に伴い生まれた高架下空間を活用し、商業施設「nonowa(ののわ)武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)が開業した。JR東日本グループの株式会社JR中央ラインモールが運営を行っている。2014年には、当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」として、同年4月より順次店舗や施設の開業が行われ、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった。その後、2016年6月10日には、東側高架下を活用し、商業施設「nonowa武蔵境EAST」が開業した。
当駅における貨物取扱は臨時車扱貨物のみで、定期貨物列車の発着はない。臨時車扱貨物は甲種車両輸送列車がまれに運行されるのみである(路線記事を参照)。
各年度の1日平均乗降人員は下表の通り。
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。
2013年5月9日開設。7時から22時までのSuica専用改札口。高架下商業施設「nonowa武蔵境WEST」に接続する。
2014年4月以降には当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」が開業した。その後、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった。
駅前の「武蔵境駅」「武蔵境駅北口」停留所に西武バス・関東バス・小田急バスの路線が乗り入れる。2015年8月16日より武蔵境駅バスロータリー改造に伴い、大幅にのりばが変更された。
駅東側にはムーバス境・三鷹循環の「五宿」停留所もあり利用可能。
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"tag": "p",
"text": "2009年12月6日、最後まで残っていた上り線も高架に切り替えられ、高架化が完了した。JR駅構内は2面2線に縮小され、隣接する東小金井駅の2面3線化が事実上の代替となった。",
"title": "駅構造"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "2012年3月25日、JRの上り線ホームのエスカレーター・エレベーターが設置され、JR改札口が一元化された。",
"title": "駅構造"
},
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "2013年5月29日には、この事業に伴い生まれた高架下空間を活用し、商業施設「nonowa(ののわ)武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)が開業した。JR東日本グループの株式会社JR中央ラインモールが運営を行っている。2014年には、当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」として、同年4月より順次店舗や施設の開業が行われ、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった。その後、2016年6月10日には、東側高架下を活用し、商業施設「nonowa武蔵境EAST」が開業した。",
"title": "駅構造"
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"tag": "p",
"text": "当駅における貨物取扱は臨時車扱貨物のみで、定期貨物列車の発着はない。臨時車扱貨物は甲種車両輸送列車がまれに運行されるのみである(路線記事を参照)。",
"title": "貨物取扱"
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"text": "各年度の1日平均乗降人員は下表の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "各年度の1日平均乗車人員は下表の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "2013年5月9日開設。7時から22時までのSuica専用改札口。高架下商業施設「nonowa武蔵境WEST」に接続する。",
"title": "駅周辺"
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"text": "2014年4月以降には当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」が開業した。その後、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった。",
"title": "駅周辺"
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"text": "駅前の「武蔵境駅」「武蔵境駅北口」停留所に西武バス・関東バス・小田急バスの路線が乗り入れる。2015年8月16日より武蔵境駅バスロータリー改造に伴い、大幅にのりばが変更された。",
"title": "バス路線"
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"text": "駅東側にはムーバス境・三鷹循環の「五宿」停留所もあり利用可能。",
"title": "バス路線"
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"text": "駅前の「武蔵境駅南口」停留所に小田急バスと京王電鉄バスの路線が乗り入れる。",
"title": "バス路線"
}
] |
武蔵境駅(むさしさかいえき)は、東京都武蔵野市境一丁目および境南町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・西武鉄道の駅である。
|
{{出典の明記|date=2012年6月}}
{{駅情報
|社色 =
|文字色 =
|駅名 = 武蔵境駅
|画像 = MusashisakaiStation-2008-11-11.JPG
|pxl = 300
|画像説明 = 南口(2008年11月)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300
|marker=rail|marker2=rail
|coord={{coord|35|42|8.2|N|139|32|41.6|E}}|title=JR 武蔵境駅
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|よみがな = むさしさかい
|ローマ字 = Musashi-Sakai
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[日本貨物鉄道]](JR貨物)
* [[西武鉄道]]([[#西武鉄道|駅詳細]])}}
|所在地 = [[東京都]][[武蔵野市]]
|乗換 =
|備考 =
}}
[[File:Musashisakai-Sta-N.JPG|thumb|北口(2016年2月)]]
'''武蔵境駅'''(むさしさかいえき)は、[[東京都]][[武蔵野市]][[境 (武蔵野市)|境]]一丁目および[[境南町]]二丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[日本貨物鉄道]](JR貨物)・[[西武鉄道]]の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
JR東日本・JR貨物の[[中央本線]]と、西武鉄道の[[西武多摩川線|多摩川線]]の2路線が乗り入れており、各路線ごとに[[駅ナンバリング|駅番号]]が付与されている。
* JR東日本:[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線 - 駅番号「'''JC 13'''」
* 西武鉄道:[[File:SeibuTamagawa.svg|18px|SW]] 多摩川線- 駅番号「'''SW01'''」
中央本線は旅客営業を行うJR東日本が[[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第一種鉄道事業者]]、貨物営業を行うJR貨物が[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第二種鉄道事業者]]である。旅客営業において当駅を含む区間は、運行系統上は「[[中央線快速|中央線]]」と案内される。運転形態の詳細については該当記事を参照のこと。
多摩川線は当駅が起点である。
== 歴史 ==
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]]:中央線の前身である[[甲武鉄道]]の新宿駅 - 立川駅間開通と同時に'''境駅'''(さかいえき)として開業<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、22頁</ref>。旅客および貨物の取り扱いを開始。
* [[1906年]](明治39年)[[10月1日]]:甲武鉄道の[[鉄道国有法|国有化]]により、[[鉄道省|官設鉄道]]の駅となる<ref name="sone05-23">[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、23頁</ref>。
* [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|線路名称]]制定により中央東線(1911年から中央本線)の所属となる{{R|sone05-23}}。
* [[1917年]]([[大正]]6年)[[10月22日]]:多摩鉄道(現在の多摩川線)が開業。
* [[1919年]](大正8年)[[7月1日]]:'''武蔵境駅'''に改称。駅名の重複を解消するためであり、同じ日にはそれまで当駅と同名を称していた2か所の「境駅」もそろって駅名を変えている(それぞれ[[境港駅]]、[[羽後境駅]]に改称)<ref>{{Cite book|和書|author=今尾恵介 |authorlink=今尾恵介 |title=日本全国駅名めぐり |year=2018 |publisher=[[日本加除出版]] |isbn=978-4-8178-4482-8 |pages=123-124}}</ref>。
** [[1921年]](大正10年)頃、東京寄りの上り線側に[[境浄水場]]への[[専用鉄道|専用線]]<ref>[{{NDLDC|1184231/124}} 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』](国立国会図書館近代デジタルライブラリー)</ref>が敷設され、資材の運搬などに使用されたが、昭和42年に廃止されている<ref name="toku">渡辺一策『追憶・西関東の鉄道貨物輸送』物流博物館、2014年、39頁</ref>。
* [[1949年]]([[昭和]]24年)[[6月1日]]:[[日本国有鉄道]]発足<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、25頁</ref>。
* [[1967年]](昭和42年)[[9月1日]]:貨物の取り扱いを廃止。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[3月31日]]:貨物の取り扱いを再開。ただし車両輸送に限り定期貨物列車の設定はない。
** [[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、中央本線の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる<ref>[[#sone05|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号]]、27頁</ref>。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[8月8日]]:JR東日本が[[自動改札機]]を設置し、使用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=183 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-27|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2004年]](平成16年)[[11月7日]]:高架化工事に伴い、西武とJR東日本の改札口を分離。西武側は分離当初仮設駅舎だったため、有人改札にて対応。
* [[2006年]](平成18年)[[12月8日]]:多摩川線の駅ホームを高架に切り替え<ref group="報道" name="seibu20061025">{{Cite press release|和書|url=http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2006/1025.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20061128165549/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/news/2006/1025.pdf|format=PDF|language=日本語|title=12月9日(土)多摩川線武蔵境駅付近連続立体交差事業において 武蔵境駅付近の約840mを高架化し、3ヵ所の踏切を解消します。|publisher=西武鉄道|date=2006-10-25|accessdate=2022-03-26|archivedate=2006-11-28}}</ref>。
* [[2007年]](平成19年)
** [[3月18日]]:西武鉄道でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-06-14|archivedate=2020-05-01}}</ref>。導入時はまだ有人改札だったため、簡易改札機での対応となった。
** [[6月30日]]:同日16時30分頃から7月1日6時20分頃にかけて、中央線下り線を高架に切り替え<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/070418/press02.pdf|title=中央線高架化工事に伴う列車の運休等について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2007-04-18|accessdate=2020-08-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200827064128/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/070418/press02.pdf|archivedate=2020-08-27}}</ref>、同時に南口改札口が新設された。
* [[2008年]](平成20年)
** [[3月29日]]:多摩川線の改札口に自動改札機を導入。
** [[7月19日]]:多摩川線の駅ホーム2本目が完成。
** [[8月29日]]:多摩川線の駅高架下に[[西武グループ]]の[[駅ナカ]]商業施設「[[Emio]]」武蔵境店開業<ref group="新聞" name="yomiuri-2008-8-29">{{Cite news|title=武蔵境駅に「エミオ」オープン きょうレストラン、スーパーなど|newspaper=[[読売新聞]]|date=2008-08-29|publisher=[[読売新聞社]]|page={{要ページ番号|date=2022年3月}}}}</ref><ref group="新聞" name="asahi-2008-8-29">{{Cite news|title=新商業施設がきょう開業 武蔵境駅南口 高架化で空いた土地|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2008-08-29|publisher=[[朝日新聞社]]|page={{要ページ番号|date=2022年3月}}}}</ref>。[[成城石井]]、[[ロック・フィールド|RF1 SELECT]] などが入店。
** [[9月7日]]:中央線と多摩川線の乗換専用改札口を設置。
* [[2009年]](平成21年)[[12月5日]]:同日21時頃から翌6日6時ころにかけて中央線上り線を高架に切り替え<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/090918/chuousen_koji.pdf|title=中央線高架化工事に伴う列車の運休等について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2009-09-18|accessdate=2020-08-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200827064033/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/090918/chuousen_koji.pdf|archivedate=2020-08-27}}</ref>、一連の高架化工事(駅舎部分を除く)が完了した。
* [[2012年]](平成24年)[[3月25日]]:初電より南北自由通路開設とJR改札口一元化。同時に仮設の改札口を廃止。
* [[2013年]](平成25年)
** [[4月1日]]:JR東日本の駅が業務委託化。委託先は株式会社[[JR中央ラインモール]]<ref group="新聞" name="kotsu20130530" />。
** [[5月9日]]:JR東日本の駅に、商業施設「nonowa武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)の開業と先行して、「nonowa口」を新設<ref group="報道" name="press/20130314_info01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20130314/20130314_info01.pdf|title=中央ラインモールプロジェクト「nonowa武蔵境」開業!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2013-03-14|accessdate=2020-06-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200612162344/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20130314/20130314_info01.pdf|archivedate=2020-06-12}}</ref>。
** [[5月29日]]:JR東日本の駅に、商業施設「nonowa武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)が開業<ref group="報道" name="press/20130314_info01" />。
* [[2016年]](平成28年)[[6月10日]]:JR東日本の駅に、商業施設「nonowa武蔵境EAST」が開業<ref group="報道" name="press/20160413_info01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/20160413/20160413_info01.pdf|title=2016年6月10日(金)nonowa武蔵境EAST開業!|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2016-04-13|accessdate=2020-06-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200612162143/https://www.jreast.co.jp/hachioji/20160413/20160413_info01.pdf|archivedate=2020-06-12}}</ref>。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[7月30日]]:JR東日本の「nonowa口」に、[[NewDays]]では初めてセルフレジを活用した無人店舗「NewDays 武蔵境 nonowa口」が開店<ref group="報道" name="jreast/press/20190723_ho01">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190723_ho01.pdf|title=2019年7月30日(火)JR武蔵境駅にNEW OPEN! NewDays初のセルフレジ専用キャッシュレス・無人店舗の展開 ~オープニング記念キャンペーンを共同で実施~|format=PDF|publisher=JR東日本リテールネット/東日本旅客鉄道|date=2019-07-23|accessdate=2020-04-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200411161933/https://www.jreast.co.jp/press/2019/20190723_ho01.pdf|archivedate=2020-04-11}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)[[2月2日]]:JR東日本の中央改札口前に駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」のテレワークブース「STATION BOOTH」が開設<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/hachioji/220121a_hc001.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220123131012/https://www.jreast.co.jp/press/2021/hachioji/220121a_hc001.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「STATION BOOTH」北府中駅・武蔵境駅にOPEN!|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社|date=2022-01-21|accessdate=2022-01-23|archivedate=2022-01-23}}</ref>。
* [[2023年]](令和5年)
** [[8月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref name="StationCd=1528_230728">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1528|title=駅の情報(武蔵境駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230728085933/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1528|archivedate=2023-07-28}}</ref>。
** 9月1日:[[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]を導入<ref name="StationCd=1528_230728" />。
== 駅構造 ==
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 武蔵境駅{{Refnest|group="*"|[[1919年]]に境駅から改称。}}
|画像 = JRE Musashi-sakai-STA Central-Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 中央改札(2022年6月)
|よみがな = むさしさかい
|ローマ字 = Musashi-Sakai
|前の駅 = JC 12 [[三鷹駅|三鷹]]
|駅間A = 1.6
|駅間B = 1.7
|次の駅 = [[東小金井駅|東小金井]] JC 14
|電報略号 = サヒ
|駅番号 = {{駅番号r|JC|13|#f15a22|1}}
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{color|#f15a22|■}}[[中央本線]]([[中央線快速|中央線]])
|キロ程 = 15.4 km([[新宿駅|新宿]]起点)<br />[[東京駅|東京]]から25.7
|起点駅 =
|所在地 = [[東京都]][[武蔵野市]][[境 (武蔵野市)|境]]一丁目1-2
|座標 = {{coord|35|42|8.2|N|139|32|41.6|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 武蔵境駅}}
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 2面2線
|開業年月日 = [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月11日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 = <ref group="JR" name="JR2022" />58,246
|乗降人員 =
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]
* [[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]設置駅<ref name="StationCd=1528_230728" />}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[高架駅]]。高架化工事完成前に北口と南口の2か所にあった改札口は、2012年に南北自由通路に面する一か所に統合された。また、2013年5月9日には、商業施設「nonowa武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)の開業に先立ち、駅西側にSuica等のICカード専用の改札口である「nonowa口」が新設された<ref group="報道" name="press/20130314_info01" /><ref group="新聞" name="kotsu20130530">{{Cite news|title=「nonowa武蔵境」開業 駅高架下空間に JR中央ラインモール|newspaper=[[交通新聞]]|date=2013-05-30|publisher=[[交通新聞社]]|page=1}}</ref>。2019年7月30日には、「nonowa口」において、[[NewDays]]では初めてセルフレジを活用した無人店舗「NewDays 武蔵境 nonowa口」が開店した<ref group="報道" name="jreast/press/20190723_ho01" />。なお、「nonowa口」には券売機はなく、SuicaなどのICカードに1,000円札のみでチャージが可能な簡易チャージ機が入場側・出場側両方に設置されている<ref group="注釈">なお、このチャージ機はカードを差し込んで利用するタイプのため[[モバイルSuica]]や[[モバイルPASMO]]は利用できない。</ref>。
[[JR中央線コミュニティデザイン]]が駅業務を受託する[[三鷹駅|三鷹営業統括センター]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]。[[自動券売機]]<ref name="StationCd=1528_230728" />、多機能券売機<ref name="StationCd=1528_230728" />、[[指定席券売機]]<ref name="StationCd=1528_230728" />、[[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]<ref name="StationCd=1528_230728" />が設置されている。
夜間2本設定される三鷹行きを除き、停車する電車は全て快速電車である。通勤快速や中央特快・青梅特快・通勤特快は停車しない。
JR中央線は、[[2020年代]]前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行う。そのため快速電車が停車する1・2番線は、ホームの12両編成対応改築工事などが実施される<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190924030537/https://www.jreast.co.jp/press/2014/20150203.pdf|format=PDF|language=日本語|title=中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について|publisher=東日本旅客鉄道|date=2015-02-04|accessdate=2020-04-21|archivedate=2019-09-24}}</ref><ref group="新聞">{{Cite news|url=https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170324011255/https://www.sankei.com/smp/economy/news/170324/ecn1703240001-s1.html|title=JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期|newspaper=産経新聞|date=2017-03-24|accessdate=2020-11-29|archivedate=2017-03-24}}</ref>。
==== のりば ====
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称。JR東日本は「○番線」と表現 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
|style="text-align:center"|上り
|[[吉祥寺駅|吉祥寺]]・[[新宿駅|新宿]]・[[東京駅|東京]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|下り
|[[立川駅|立川]]・[[八王子駅|八王子]]・[[高尾駅 (東京都)|高尾]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1528.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JRE Musashi-sakai-STA nonowa-Gate.jpg|nonowa口改札(2022年6月)
JRE Musashi-sakai-STA Seibu-line-transfer-Gate.jpg|西武線のりかえ口改札(2022年6月)
JRE Musashi-sakai-STA Platform1-2.jpg|ホーム(2022年6月)
</gallery>
{{clear}}
=== 西武鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #36C
|文字色 =
|駅名 = 西武 武蔵境駅{{Refnest|group="**"|[[1919年]]に境駅から改称。}}
|画像 = Seibu Railway Musashi-Sakai Station Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 改札口(2022年10月)
|よみがな = むさしさかい
|ローマ字 = Musashi-Sakai
|電報略号 =
|所属事業者 = [[西武鉄道]]
|所在地 = [[東京都]][[武蔵野市]][[境南町]]二丁目1-12
|座標 = {{coord|35|42|7|N|139|32|38|E|region:JP_type:railwaystation|name=西武 武蔵境駅}}
|開業年月日 = [[1917年]]([[大正]]6年)[[10月22日]]
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 1面2線
|廃止年月日 =
|乗降人員 = <ref group="西武" name="seibu2022" />26,681
|統計年度 = 2022年
|所属路線 = {{color|#ef810f|■}}[[西武多摩川線|多摩川線]]
|隣の駅 =
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 1.9
|次の駅 = [[新小金井駅|新小金井]] SW02
|駅番号 = {{駅番号r|SW|01|#ef810f|2}}
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 武蔵境
|乗換 =
|備考 =
|備考全幅 = {{Reflist|group="**"}}
}}
[[島式ホーム]]1面2線を有する[[高架駅]]。ホーム番号はJRと共用していた頃からの名残でJRと通し番号になっている。
改札口は1か所。仮設駅舎時代は2007年3月18日から導入されたPASMOに対応するため、改札通路に読み取り機が設置されていたが、2008年3月29日に多摩川線の駅では初めて自動改札機が設置された。
==== のりば ====
<!--方面表記は、西武鉄道の「駅構内図」の記載に準拠-->
{|class="wikitable"
!ホーム<!-- 事業者側による呼称。西武は「○番ホーム」と表現 -->!!路線!!行先
|-
!3・4
|[[File:SeibuTamagawa.svg|18px|SW]] 多摩川線
|[[是政駅|是政]]方面
|}
(出典:[https://www.seiburailway.jp/railway/station/musashi-sakai/ 西武鉄道:駅構内図])
通常は3番ホームを使用しているが、日曜日の早朝には4番ホームを使用する電車がある。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Seibu Railway Musashi-Sakai Station Platform.jpg|ホーム(2022年10月)
</gallery>
{{clear}}
=== 高架化工事 ===
2003年より2009年にかけて、高架化工事が実施された。
工事開始前の時点では、1番線が[[単式ホーム]]、2・3番線が[[島式ホーム]]の計2面3線の[[地上駅]]で、[[橋上駅|橋上駅舎]]を有していた。工事前は[[共同使用駅]]でJR東日本の管轄駅であり、[[改札]]内を共用していた。当時は1番線が中央線東京方面、2番線が中央線高尾方面、3番線が西武多摩川線という割り当てになっていた。なお、2・3番線ホームにJR・西武線を分ける中間改札や柵などはなく、そのまま乗換が可能だった。また、西武多摩川線ホームの駅名標もJR東日本仕様でラインカラーが山吹色というデザインだった。
また、JRと西武鉄道の線路は東小金井側でつながっており、西武多摩川線車両の[[日本の鉄道車両検査|検査]]入場時および転配時はJR線を経由し機関車牽引で[[車両輸送#甲種輸送|甲種輸送]]されていた(それ以前には旧型国電との併結だった)。このほか、1・2番線の間にホームに接しない[[停車場#線名|待避線]]が1本あり、西武側には[[停車場#側線|側線]]があった。その跡は現在だと広場や建物がある。
工事開始に伴い改札口は分離され、西武側に新たに駅舎が建設された。この時点では仮設の駅舎だったため、西武の駅には[[自動改札機]]は設置されなかった。また、1番線ホームには[[バスターミナル]]付近に抜けられる臨時改札口が設置されていたが、ホーム移設時に廃止された。
2006年11月30日から2007年6月30日までの間はJR改札口 - 南口間の経路が変更され、[[階段]]と[[エレベーター]]を上って高架部分の上を跨ぎ、そこから階段・[[エスカレーター]]・エレベーターを下りる経路となった。そのため、JR - 西武の乗り換えには約4分程度かかっていた。
2006年12月8日より、西武鉄道のホームが高架に切り替えられた<ref group="報道" name="seibu20061025" />。切り替え直後は新設された4番ホームのみの1面1線で暫定開業で、新たにエレベーターや[[発車標]]が設置された。2008年7月19日には3番ホームも高架化され1面2線の島式ホームが完成し、中央線との[[分岐器#形状による分類|渡り線]]も設置された。
2007年6月30日から7月1日にかけて、JRの下り線が高架に切り替えられた。この切り替えにより、仮設の南口改札が設置され、高架下通路と上り線地平ホームの連絡路も設置された。南口・西武改札 - JR構内の移動における高架またぎは解消され、2番線からは階段などを一度下りるのみで、1番線からは上下移動をほとんど要さずに南口に出られるようになった。なお、従来の経路は南口 - 北口間の自由通路として残された。
2008年9月7日にはJRと西武との連絡改札口が設置された。JR側・西武側ともに乗り継ぎの精算機は設置されず、利用できるのは[[PASMO]]・[[Suica]]等や連絡乗車券など両社に有効な乗車券類をすでに所持する旅客に限られる。ただし、有人窓口は設置されていないので、非磁気券(硬券や軟券、手書き発券した乗車券、列車内で車掌が発券した[[補充券]]など)は連絡改札を利用できず、一度改札外に出て乗り換えとなる。また、輸送障害等でどちらかの駅で入場制限が発生した場合にも連絡改札口が閉鎖される。
2009年12月6日、最後まで残っていた上り線も高架に切り替えられ、高架化が完了した。JR駅構内は2面2線に縮小され、隣接する東小金井駅の2面3線化が事実上の代替となった。
2012年3月25日、JRの上り線ホームのエスカレーター・エレベーターが設置され、JR改札口が一元化された。
2013年5月29日には、この事業に伴い生まれた高架下空間を活用し、商業施設「nonowa(ののわ)武蔵境」(現「nonowa武蔵境WEST」)が開業した<ref group="報道" name="press/20130314_info01" /><ref group="新聞" name="kotsu20130530" />。JR東日本グループの株式会社JR中央ラインモールが運営を行っている<ref group="報道" name="press/20130314_info01" /><ref group="新聞" name="kotsu20130530" />。2014年には、当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」として、同年4月より順次店舗や施設の開業が行われ<ref group="報道" name="press/20140318_newsrelease_sakaiwest_open">{{Cite press release|和書|url=http://www.nonowa.co.jp/company/release/20140318_newsrelease_sakaiwest_open.pdf|title=武蔵境駅西側高架下街区「ののみち サカイ西」2014年4月より順次開業 ~約1kmの高架下がつながります~|format=PDF|publisher=JR中央ラインモール|date=2014-03-18|accessdate=2020-06-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200613154319/http://www.nonowa.co.jp/company/release/20140318_newsrelease_sakaiwest_open.pdf|archivedate=2020-06-13}}</ref>、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった<ref group="報道" name="press/20141017_info_02">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20141017/20141017_info_02.pdf|title=緑×人×街 つながる 中央ラインモールプロジェクト 駅と駅がつながります ~武蔵境・東小金井駅間 高架下空間「ののみち」まちびらき~|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道八王子支社/JR中央ラインモール|date=2014-10-17|accessdate=2020-06-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200613154432/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20141017/20141017_info_02.pdf|archivedate=2020-06-13}}</ref>。その後、2016年6月10日には、東側高架下を活用し、商業施設「nonowa武蔵境EAST」が開業した<ref group="報道" name="press/20160413_info01" />。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
MusashisakaiStation-2003-9-27.JPG|高架化工事前の駅構内
MusashisakaiStation-2003-9-27-platform.JPG|旧2・3番線ホームを見る
MusashisakaiStation-2003-8-10-platform.jpg|旧2番線ホームから旧1番線ホームを見る
SeibuMusashisakaiStation.JPG|2008年3月28日までの多摩川線改札口
Chuousen Musashi-sakai eki 1.jpg|旧南口
</gallery>
== 貨物取扱 ==
[[File:Seibu Musashi-Sakai Rail Arrangement.jpg|thumb|西武武蔵境駅の配線。<br />右下の3番線から右手に分岐する西武 - JRの連絡線を介して甲種車両輸送の搬入・搬出を行う。<br />(2010年9月1日)]]
当駅における貨物取扱は臨時車扱貨物のみで、定期貨物列車の発着はない。臨時車扱貨物は[[車両輸送|甲種車両輸送列車]]がまれに運行されるのみである([[西武多摩川線#概要|路線記事]]を参照)。
{{-}}
== 利用状況 ==
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''58,246人'''である<ref group="JR" name="JR2022" />。
*: JR東日本管内の駅の中では[[新木場駅]]に次いで第64位。
* '''西武鉄道''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''26,681人'''である<ref group="西武" name="seibu2022" />。
*: 西武鉄道の中では全92駅中32位。多摩川線内全6駅の中では最も多い。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
各年度の1日平均'''乗降'''人員は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="統計">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref><ref group="統計" name="musashino">[http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/musashino_profile/1003659/index.html 統計でみる武蔵野市] - 武蔵野市</ref>
!rowspan=2|年度
!colspan=2|西武鉄道
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|<ref name="seibu1997-1998">{{Cite web|和書|url=http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010211223642/http://www.seibu-group.co.jp/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|title=駅別乗降人員 多摩川線|archivedate=2001-02-11|accessdate=2022-09-11|publisher=西武鉄道|language=日本語|deadlinkdate=2021年7月}}</ref>22,731
|
|-
|1998年(平成10年)
|<ref name="seibu1998-1999" />22,225
|−2.2%
|-
|1999年(平成11年)
|<ref name="seibu1998-1999">{{Cite web|和書|url=http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20011105093234/http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|title=駅別乗降人員 多摩川線|archivedate=2001-11-05|accessdate=2022-09-11|publisher=西武鉄道|language=日本語|deadlinkdate=2021年7月}}</ref>21,541
|−3.1%
|-
|2000年(平成12年)
|<ref name="seibu2000-2001" />22,719
|5.5%
|-
|2001年(平成13年)
|<ref name="seibu2000-2001">{{Cite web|和書|url=http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030628002426/http://www.seibu-group.co.jp:80/railways/kouhou/youran/tet/tet01_4.html|title=駅別乗降人員 多摩川線|archivedate=2003-06-28|accessdate=2022-09-11|publisher=西武鉄道|language=日本語|deadlinkdate=2021年7月}}</ref>24,862
|9.4%
|-
|2002年(平成14年)
|24,765
|−0.4%
|-
|2003年(平成15年)
|24,841
|0.3%
|-
|2004年(平成16年)
|25,927
|4.4%
|-
|2005年(平成17年)
|26,679
|2.9%
|-
|2006年(平成18年)
|26,344
|−1.3%
|-
|2007年(平成19年)
|26,359
|0.1%
|-
|2008年(平成20年)
|27,480
|4.3%
|-
|2009年(平成21年)
|28,289
|2.9%
|-
|2010年(平成22年)
|28,142
|−0.5%
|-
|2011年(平成23年)
|27,390
|−2.7%
|-
|2012年(平成24年)
|28,281
|3.3%
|-
|2013年(平成25年)
|29,194
|3.2%
|-
|2014年(平成26年)
|29,303
|0.4%
|-
|2015年(平成27年)
|30,127
|2.8%
|-
|2016年(平成28年)
|30,216
|0.3%
|-
|2017年(平成29年)
|30,493
|0.9%
|-
|2018年(平成30年)
|30,931
|1.4%
|-
|2019年(令和元年)
|30,854
|−0.2%
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="西武" name="seibu2020">{{Cite web|和書|title=駅別乗降人員(2020年度1日平均)|url=https://www.seiburailway.jp/railway/eigyo/transfer/2020joukou.pdf|page=|accessdate=2023-07-30|publisher=西武鉄道|format=pdf|language=日本語|archiveurl=|archivedate=}}</ref>21,292
|−31.0%
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="西武" name="seibu2021">{{Cite web|和書|title=駅別乗降人員(2021年度1日平均)|url=https://www.seiburailway.jp/company/passengerdata/file/2021joukou.pdf|page=|accessdate=2023-07-30|publisher=西武鉄道|format=pdf|language=日本語|archiveurl=|archivedate=}}</ref>24,123
|13.3%
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="西武" name="seibu2022">{{Cite web|和書|title=駅別乗降人員(2022年度1日平均)|url=https://www.seiburailway.jp/company/passengerdata/file/2022joukou.pdf|page=|accessdate=2023-07-30|publisher=西武鉄道|format=pdf|language=日本語|archiveurl=|archivedate=}}</ref>26,681
|10.6%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1880年代 - 1930年代) ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員
!年度
!甲武鉄道<br/>/ 国鉄
!多摩鉄道<br/>/ 西武鉄道
!出典
|-
|1889年(明治22年)
|<ref group="備考">1889年4月11日開業。</ref>
|rowspan="22" style="text-align:center"|未<br />開<br />業
|
|-
|1893年(明治26年)
|90
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806573/209?viewMode= 明治26年]</ref>
|-
|1895年(明治28年)
|109
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806575/134?viewMode= 明治28年]</ref>
|-
|1896年(明治29年)
|146
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806576/153?viewMode= 明治29年]</ref>
|-
|1897年(明治30年)
|171
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806577/135?viewMode= 明治30年]</ref>
|-
|1898年(明治31年)
|188
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806578/147?viewMode= 明治31年]</ref>
|-
|1899年(明治32年)<!--1899年度は1900年が100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく平年となるので365日間で集計-->
|172
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806579/168?viewMode= 明治32年]</ref>
|-
|1900年(明治33年)
|195
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806580/165?viewMode= 明治33年]</ref>
|-
|1901年(明治34年)
|200
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806581/188?viewMode= 明治34年]</ref>
|-
|1902年(明治35年)
|192
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806582/186?viewMode= 明治35年]</ref>
|-
|1903年(明治36年)
|184
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806583/183?viewMode= 明治36年]</ref>
|-
|1904年(明治37年)
|180
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806584/213?viewMode= 明治37年]</ref>
|-
|1905年(明治38年)
|216
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806585/196?viewMode= 明治38年]</ref>
|-
|1907年(明治40年)
|240
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806587/191?viewMode= 明治40年]</ref>
|-
|1908年(明治41年)
|215
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806589/103?viewMode= 明治41年]</ref>
|-
|1909年(明治42年)
|216
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/806591/106?viewMode= 明治42年]</ref>
|-
|1911年(明治44年)
|234
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972667/131?viewMode= 明治44年]</ref>
|-
|1912年(大正元年)
|260
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972670/134?viewMode= 大正元年]</ref>
|-
|1913年(大正{{0}}2年)
|230
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972675/127?viewMode= 大正2年]</ref>
|-
|1914年(大正{{0}}3年)
|222
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972677/386?viewMode= 大正3年]</ref>
|-
|1915年(大正{{0}}4年)
|208
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972678/348?viewMode= 大正4年]</ref>
|-
|1916年(大正{{0}}5年)
|225
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972679/383?viewMode= 大正5年]</ref>
|-
|1917年(大正{{0}}6年)
|
|<ref group="備考">1917年10月22日開業。</ref>
|
|-
|1919年(大正{{0}}8年)
|375
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972680/266?viewMode= 大正8年]</ref>
|-
|1920年(大正{{0}}9年)
|440
|29
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972681/302?viewMode= 大正10年]</ref>
|-
|1922年(大正11年)
|1,498
|30
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972682/303?viewMode= 大正11年]</ref>
|-
|1923年(大正12年)
|586
|19
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972683/294?viewMode= 大正12年]</ref>
|-
|1924年(大正13年)
|763
|
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972684/292?viewMode= 大正13年]</ref>
|-
|1925年(大正14年)
|847
|24
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448121/326?viewMode= 大正14年]</ref>
|-
|1926年(昭和元年)
|905
|18
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448138/316?viewMode= 昭和元年]</ref>
|-
|1927年(昭和{{0}}2年)
|1,033
|29
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448164/314?viewMode= 昭和2年]</ref>
|-
|1928年(昭和{{0}}3年)
|1,167
|21
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448188/346?viewMode= 昭和3年]</ref>
|-
|1929年(昭和{{0}}4年)
|1,488
|77
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448218/334?viewMode= 昭和4年]</ref>
|-
|1930年(昭和{{0}}5年)
|1,428
|86
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448245/340?viewMode= 昭和5年]</ref>
|-
|1931年(昭和{{0}}6年)
|1,377
|238
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448278/342?viewMode= 昭和6年]</ref>
|-
|1932年(昭和{{0}}7年)
|1,378
|105
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448259/315?viewMode= 昭和7年]</ref>
|-
|1933年(昭和{{0}}8年)
|1,360
|287
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446322/334?viewMode= 昭和8年]</ref>
|-
|1934年(昭和{{0}}9年)
|1,412
|299
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446161/342?viewMode= 昭和9年]</ref>
|-
|1935年(昭和10年)
|1,457
|323
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446276/340?viewMode= 昭和10年]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年) ===
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員
!年度!!国鉄 /<br/>JR東日本!!西武鉄道!!出典
|-
|1953年(昭和28年)
|13,943
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1953/tn53qa0009.pdf 昭和28年]}} - 11ページ</ref>
|-
|1954年(昭和29年)
|15,732
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1954/tn54qa0009.pdf 昭和29年]}} - 9ページ</ref>
|-
|1955年(昭和30年)
|15,617
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1955/tn55qa0009.pdf 昭和30年]}} - 9ページ</ref>
|-
|1956年(昭和31年)
|17,455
|3,859
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1956/tn56qa0009.pdf 昭和31年]}}</ref>
|-
|1957年(昭和32年)
|19,423
|4,109
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1957/tn57qa0009.pdf 昭和32年]}}</ref>
|-
|1958年(昭和33年)
|21,934
|4,827
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1958/tn58qa0009.pdf 昭和33年]}}</ref>
|-
|1959年(昭和34年)
|26,218
|5,340
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1959/tn59qyti0510u.htm 昭和34年]</ref>
|-
|1960年(昭和35年)
|28,577
|6,063
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1960/tn60qyti0510u.htm 昭和35年]</ref>
|-
|1961年(昭和36年)
|29,778
|6,985
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1961/tn61qyti0510u.htm 昭和36年]</ref>
|-
|1962年(昭和37年)
|32,094
|7,963
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1962/tn62qyti0510u.htm 昭和37年]</ref>
|-
|1963年(昭和38年)
|35,572
|9,275
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1963/tn63qyti0510u.htm 昭和38年]</ref>
|-
|1964年(昭和39年)
|37,466
|9,225
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1964/tn64qyti0510u.htm 昭和39年]</ref>
|-
|1965年(昭和40年)
|38,594
|8,593
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1965/tn65qyti0510u.htm 昭和40年]</ref>
|-
|1966年(昭和41年)
|40,985
|8,540
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1966/tn66qyti0510u.htm 昭和41年]</ref>
|-
|1967年(昭和42年)
|41,814
|8,780
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1967/tn67qyti0510u.htm 昭和42年]</ref>
|-
|1968年(昭和43年)
|41,832
|8,868
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1968/tn68qyti0510u.htm 昭和43年]</ref>
|-
|1969年(昭和44年)
|40,554
|8,168
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1969/tn69qyti0510u.htm 昭和44年]</ref>
|-
|1970年(昭和45年)
|40,373
|7,989
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1970/tn70qyti0510u.htm 昭和45年]</ref>
|-
|1971年(昭和46年)
|47,899
|8,139
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1971/tn71qyti0510u.htm 昭和46年]</ref>
|-
|1972年(昭和47年)
|48,622
|8,260
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1972/tn72qyti0510u.htm 昭和47年]</ref>
|-
|1973年(昭和48年)
|49,553
|8,542
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1973/tn73qyti0510u.htm 昭和48年]</ref>
|-
|1974年(昭和49年)
|51,386
|8,896
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1974/tn74qyti0510u.htm 昭和49年]</ref>
|-
|1975年(昭和50年)
|51,186
|8,954
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1975/tn75qyti0510u.htm 昭和50年]</ref>
|-
|1976年(昭和51年)
|52,899
|9,238
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1976/tn76qyti0510u.htm 昭和51年]</ref>
|-
|1977年(昭和52年)
|51,252
|9,277
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1977/tn77qyti0510u.htm 昭和52年]</ref>
|-
|1978年(昭和53年)
|52,016
|9,433
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref>
|-
|1979年(昭和54年)
|57,213
|9,811
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|54,424
|9,899
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|54,888
|9,540
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|53,249
|9,627
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|52,380
|9,497
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|53,205
|9,644
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|54,184
|9,690
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|54,329
|9,975
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|51,443
|10,014
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|51,340
|10,173
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|52,997
|10,318
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qa0091.pdf 平成元年]</ref>
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|55,241
|10,619
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qa0091.pdf 平成2年]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|56,484
|10,981
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qa0091.pdf 平成3年]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|57,342
|11,197
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|58,011
|11,208
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|57,271
|11,137
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|56,951
|10,869
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|57,066
|10,649
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|56,338
|10,518
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|55,819
|10,279
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>55,687
|9,943
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>57,035
|10,501
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) ===
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計" name="musashino" />
!年度!!JR東日本!!西武鉄道!!出典
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>58,543
|11,507
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>59,015
|11,488
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>58,717
|11,557
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>59,395
|12,512
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>60,084
|13,286
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>60,200
|13,134
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>60,826
|13,104
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>61,297
|13,660
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>61,670
|14,066
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>61,666
|14,011
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 平成22年]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>61,021
|13,667
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 平成23年]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>62,706
|14,075
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>65,331
|14,527
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>65,384
|14,575
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>66,772
|15,027
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>67,667
|15,041
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>68,423
|15,195
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>68,985
|15,416
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>68,907
|15,380
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>47,597
|
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>51,755
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR" name="JR2022">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>58,246
|
|
|}
;備考
{{Reflist|group="備考"}}
== 駅周辺 ==
{{See also|境 (武蔵野市)|境南町}}
=== 北口 ===
{{右|
[[File:Musashisakai station Ngate 1605-3.jpg|thumb|北口駅舎(2016年5月)]]
[[File:Musashisakai Station N-Square.jpg|thumb|駅北口広場(2016年5月)]]
}}
<!--チェーン店を含む飲食店・コンビニ・個人商店などは記載しない-->
{{columns-list|2|
* 武蔵境駅北口広場
* 複合施設「QuOLa(クオラ)」:武蔵野市役所 武蔵境市政センターなど<ref>[http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kikakuseisakushitsu/1007715.html 公民連携による武蔵境駅北口市有地の有効活用について]武蔵野市ホームページ(2018年2月10日閲覧)</ref>
* 武蔵野市民会館
* 複合施設「[[スイングビル]]」:武蔵野スイングホールなど
* [[東京消防庁第八消防方面本部#管轄消防署|武蔵野消防署]]境出張所
* 東京都水道局[[境浄水場]]
* 学校給食桜堤共同調理場
* 武蔵野境[[郵便局]]
* [[武蔵境自動車教習所]]
* [[亜細亜大学]]
* [[東京都立武蔵高等学校・附属中学校]]
* [[武蔵野市立第二小学校]]
* [[武蔵野市立桜野小学校]]
* [[武蔵野市立第二中学校]]
* [[武蔵野市立第五中学校]]
* [[武蔵野市立第六中学校]]
* [[サンヴァリエ桜堤]]
* 天誠会武蔵境病院
* [[飯田産業]]本社
* すきっぷ通り商店街
* [[いなげや]]
* [[エコス|エコスTAIRAYA]] 武蔵境店
|}}
=== 南口 ===
{{columns-list|2|
* ひと・まち・情報 創造館 武蔵野プレイス
* 武蔵野市境南コミュニティセンター
* [[杵築大社]]
* 武蔵野境南郵便局
* [[日本獣医生命科学大学]]
* [[東京神学大学]]
* [[国際基督教大学]]
* [[ルーテル学院大学]]
* [[武蔵野赤十字病院]]
** [[日本赤十字看護大学]] 武蔵野キャンパス
** 東京都西[[赤十字血液センター]] 武蔵野出張所
* [[学校法人聖徳学園 (東京都)|聖徳学園]]
** [[聖徳学園中学校・高等学校]]
* [[武蔵野市立境南小学校]]
* [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]武蔵境店 - 東館と西館があり、建物はそれぞれ独立している。
* [[JR東日本ホテルメッツ]]武蔵境 - 事前予約をすることで、駅ナカシェアオフィス「STATION WORK」が利用可能<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200903_ho04.pdf|title=シェアオフィス事業の拡大で働き方改革を加速します ~「STATION WORK」の1,000カ所展開を目指すとともに、ワーケーションの推進を行います~|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-09-03|accessdate=2020-09-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200905155129/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200903_ho04.pdf|archivedate=2020-09-05}}</ref>。
* [[三菱UFJ銀行]] 武蔵境支店
* 境南協栄会商店街
* 一番街通り商店街
* 武蔵野プレイス
** 境南ふれあい広場公園
|}}
=== nonowa口 ===
[[File:JR Musashisakai-Station-nonowa-exit-20130604.jpg|thumb|nonowa口]]
2013年5月9日開設<ref group="報道" name="press/20130314_info01" /><ref group="新聞" name="kotsu20130530" />。7時から22時までの[[Suica]]専用改札口。高架下商業施設「nonowa武蔵境WEST」に接続する。
2014年4月以降には当駅西側高架下を活用し、「ののみち サカイ西」が開業した<ref group="報道" name="press/20140318_newsrelease_sakaiwest_open" />。その後、同年11月1日には東小金井駅周辺の高架下で「ののみちヒガコ東・西」のまちびらきが行われ、当駅 - 東小金井駅間の高架下空間が一体となった<ref group="報道" name="press/20141017_info_02" />。
* [[クイーンズ伊勢丹]]
* [[Emio]] 武蔵境
== バス路線 ==
=== 北口 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
駅前の「'''武蔵境駅'''」「'''武蔵境駅北口'''」停留所に[[西武バス]]・[[関東バス]]・[[小田急バス]]の路線が乗り入れる。2015年8月16日より武蔵境駅バスロータリー改造に伴い、大幅にのりばが変更された。
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!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
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|[[西武バス滝山営業所#境線|'''境03'''・'''境05'''・'''深夜''']]:[[ひばりヶ丘駅]]
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|23時以降は深夜バス扱い
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|「境17-1」は平日1本のみ
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|23時以降は深夜バス扱い
|-
!6
|style="text-align:center;"|小田急バス
|[[小田急バス武蔵境営業所#桜堤団地線|'''境21''']]:桜堤上水端「hocco」/ 武蔵境駅北口(循環)
|循環便は平日朝3本のみ、亜細亜大学経由は1日朝1本のみ、23時以降は深夜バス扱い
|}
駅東側にはムーバス境・三鷹循環の「五宿」停留所もあり利用可能。
=== 南口 ===
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
駅前の「'''武蔵境駅南口'''」停留所に小田急バスと[[京王電鉄バス]]の路線が乗り入れる。
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!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
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|style="text-align:center;"|ムーバス
|'''3号線''':境南東循環 / 境南西循環
|
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!1
|style="text-align:center;"|京王電鉄バス
|{{Unbulleted list|[[京王電鉄バス小金井営業所#井口線|'''境81''']]:[[武蔵小金井駅]]南口|'''境82''':東小金井駅}}
|「境81」は平日朝3本、土休日朝2本のみ
|-
!2
|rowspan="3" style="text-align:center;"|小田急バス
|{{Unbulleted list|[[小田急バス武蔵境営業所#境・境南線|'''境92''']]:武蔵境駅南口(循環)|'''境93''':[[国際基督教大学]]|'''境96''':[[武蔵小金井駅]]南口|[[小田急バス武蔵境営業所#新宿線|'''宿44''']]:[[新宿駅]]西口 / 吉祥寺駅中央口}}
|「宿44」は1日2本のみ
|-
!3
|[[小田急バス狛江営業所#狛江北口線|'''境91''']]:[[狛江駅]]北口 / [[調布駅]]北口 / [[小田急バス狛江営業所|狛江営業所]]
|調布駅北口行は朝のみ、狛江営業所行は1日1本のみ
|-
!4
|{{Unbulleted list|[[小田急バス武蔵境営業所#調布・新小金井線|'''鷹57''']]:三鷹駅 / [[小田急バス武蔵境営業所|武蔵境営業所]]|'''出入庫''':武蔵境営業所 / [[新小金井駅]]|'''吉01''':吉祥寺駅 / 吉祥寺駅中央口 / 野崎}}
|「出入庫」の新小金井駅行は5時台・6時台のみ
|}
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JC line symbol.svg|15px|JC]] 中央線
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速「[[ホリデー快速おくたま]]」<!-- おくたまは定期列車扱い -->・{{Color|#ff0066|■}}通勤特快・{{Color|#0033ff|■}}中央特快・{{Color|#339966|■}}青梅特快・{{Color|#990099|■}}通勤快速
:::; 通過
:: {{Color|#f15a22|■}}快速(三鷹発着の「各駅停車」を含む)
::: [[三鷹駅]] (JC 12) - '''武蔵境駅 (JC 13)''' - [[東小金井駅]] (JC 14)
; 西武鉄道
: [[File:SeibuTamagawa.svg|18px|SW]] 多摩川線
::: '''武蔵境駅 (SW01)''' - [[新小金井駅]] (SW02)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
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==== 報道発表資料 ====
{{Reflist|group="報道"|2}}
==== 新聞記事 ====
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==== 利用状況の資料 ====
;JR東日本の1999年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|23em}}
;西武鉄道の1日平均利用客数
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;JR・私鉄の統計データ
{{Reflist|group="統計"}}
;東京府統計書
{{Reflist|group="東京府統計"|16em}}
;東京都統計年鑑
{{Reflist|group="東京都統計"|16em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=5
|title=中央本線 |date=2009-08-09 |ref=sone05 }}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Musashi-Sakai Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1528|name=武蔵境}}
* {{外部リンク/西武鉄道駅|filename=musashi-sakai}}
{{中央快速線}}
{{西武多摩川線}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ|redirect=境駅 (東京都)|日本の鉄道駅 さ|甲武鉄道の鉄道駅}}
{{DEFAULTSORT:むさしさかい}}
[[Category:日本の鉄道駅 む|さしさかい]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本貨物鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:中央線快速]]
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[[Category:西武鉄道 (初代)の鉄道駅]]
[[Category:多摩鉄道]]
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[[Category:1889年開業の鉄道駅]]
[[Category:武蔵野市の建築物]]
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MORPG
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MORPG(Multiplayer Online Role-Playing Game、マルチプレイヤーオンラインロールプレイングゲーム)は、「複数プレイヤー参加型オンラインRPG」などと訳され、オンラインゲームの一種でコンピューターRPGをベースとしたものを指す英語。複数のプレイヤーがネットワーク(インターネット)を用いて一つの世界で同時にRPGをプレイする。
MORPGとMMORPGの違いは、一般的にひとつのワールド(サーバ)への参加人数の違いが挙げられる。この場合の参加人数とは、同じゲームをプレイしている総数ではなく、実際に同一の環境変数を共有するゲーム世界=ワールド(サーバ)でプレイするプレーヤーの数のことである。MORPGは複数プレーヤー参加型オンラインRPGと訳され、これはMMORPGの概念と重る。つまり、MMORPGはMORPGの一種であり範疇の内にある英語である。
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MORPGは、「複数プレイヤー参加型オンラインRPG」などと訳され、オンラインゲームの一種でコンピューターRPGをベースとしたものを指す英語。複数のプレイヤーがネットワーク(インターネット)を用いて一つの世界で同時にRPGをプレイする。
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'''MORPG'''('''Multiplayer Online Role-Playing Game'''、マルチプレイヤーオンラインロールプレイングゲーム)は、「複数プレイヤー参加型オンラインRPG」などと訳され、[[オンラインゲーム]]の一種で[[コンピューターRPG]]をベースとしたものを指す英語。複数のプレイヤーがネットワーク([[インターネット]])を用いて一つの世界で同時に[[ロールプレイングゲーム|RPG]]をプレイする。
== MMORPGとの違い ==
MORPGと[[MMORPG]]の違いは、一般的にひとつのワールド(サーバ)への参加人数の違いが挙げられる。この場合の参加人数とは、同じゲームをプレイしている総数ではなく、実際に同一の環境変数を共有するゲーム世界=ワールド(サーバ)でプレイするプレーヤーの数のことである。MORPGは複数プレーヤー参加型オンラインRPGと訳され、これはMMORPGの概念と重る。つまり、MMORPGはMORPGの一種であり範疇の内にある英語である。
== 関連項目 ==
*[[MMORPG]]
*[[コンピューターRPG]]
*[[オンラインゲーム]]
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MMORPG
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MMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)とは、「大規模多人数同時参加型オンラインRPG」のことである。オンラインゲームの一種でコンピューターRPGをモチーフとしたものを指す。MORPGとの違いは同項目を参照。
MMORPGの基本的な要素となる複数のプレイヤーがひとつの世界に参加するという概念は1970年代後半に遡る。アメリカで1977年にCAIシステムを応用するなどして素朴ながらも複数人数が同じ世界でプレイできるゲームが作成された(PLATO system, Avatar)。それ以降、MUD(Multi User Dungeon)と呼ばれるシステムが多数作成されていく。ホストコンピューター側にひとつの世界(ファンタジー世界など)を構築し、プレイヤーはパソコン通信の端末ソフトやTELNETターミナルソフトを介してサーバーに接続し、コマンドを入力して自分のキャラクターを行動させたり、同じサーバーに接続しているほかのプレイヤーとのチャットを行うことが出来る。
最初はこのMUDは大学などのサーバで実験的に行われていたが、1983年以降、商業サービスとして提供する会社も現れた。さらにグラフィックによるインターフェースを追加する試みも行われていく。参加者が所有するキャラクター(アバター)によるチャットシステム(著名な物のひとつに「富士通Habitat」)を経て、グラフィック処理を兼ね備えた最初のMMORPG『Neverwinter Nights』が1991年、アメリカオンラインでサービス開始され、その他のサービスとともにMMORPGのシステムが形作られていった。
1996年、月額課金、3Dグラフィックによる現代的なMMORPGとしてセラーズ兄弟が設立したスタートアップ企業Archetype Interactiveが開発した『Meridian 59』が開始される。これは3DO社に買収されたが、セラーズ兄弟はジョン・ハンケと共に退職し別のゲーム会社を設立している。
シエラオンラインによる『The Realm Online』なども続くが、1997年の『ウルティマオンライン』によってこのジャンルが一般的なものとなった。すでに展開されていた『ウルティマ』のゲーム世界を拡張し、MMORPGでなければなし得なかった複雑なゲーム性を搭載した。
1990年代中盤以降インターネットが爆発的に流行し、大きな都市には時間単位料金で使えるパソコン端末を用意したインターネットカフェが乱立した。そこでプレイ出来るゲームとしてゲームソフト一本買い切りではなくユーザーアカウントごとに月課金が行われるシステムはうってつけだった。これを背景にしてMMORPGが多数制作されることになる。
それ以降、インターネットの普及とともに戦闘システムを強化した『エバークエスト』やマイクロソフトによる『Asheron's Call』を筆頭として数多くのMMORPGが制作されていった。この頃になるとアメリカのゲーム業界だけでなく、その他の国のゲーム開発会社もMMORPGのサービスを提供する動きが発生する。日本でも『ファイナルファンタジーXI』などのサービスが開始された。
常にゲーム世界が存在し、時間が流れている。ゲームサーバ内に作られた世界には時間の存在がある。仮にプレイヤーが一人も接続していなかったとしても、ゲーム世界が存在し続けており、また時間が流れている。
通常のマルチプレイヤーゲームではゲーム参加者を募った後、実際のゲームを開始するときにゲームの世界が作られ、ゲーム終了とともにその情報は(スコアなどを除いて)消去される。スポーツの試合のように翌日別のメンバーでゲームを開始しても前日とゲーム世界は変わらないのである。
MMORPGでは行動は逐次サーバに記録される。前日にレベルアップしていれば次の日からはより強い状態であるし、アイテムを何日もかけて収集していくことも可能である。
この点では一人でプレイする従来のRPGよりも難しい問題が発生する。コンピュータゲームでは操作を誤った場合やその他、前の状態に戻りたいと思うことが多々発生する。特にRPGでは一部のゲームを除いて最悪の場合に陥っても「セーブされたデータ」からやり直せることを前提としてゲームが構築されていることが多かった。MMORPGではこれは他のプレイヤーの操作との矛盾を引き起こすため、「セーブされたデータ」からやり直すという概念は存在しなくなる。MMORPGではゲーム内のキャラクターが死亡した際は以前の状態に戻るのではなく、一定のペナルティ(一定の割合の経験値を失う、一時的に能力値が低下する、アイテムをその場に放棄しなければならないなど)を受けて生き返る形で続行することになる。一方で、『Survived By』の様にゲーム内のキャラクターが死んでしまいやり直せない物もある。
そこには、仮想世界でありながら人間社会が存在する。人対人のコミュニティである以上、社会と同様に派閥もあれば、人間関係のいざこざも存在する。
MMORPGがアバターによるチャットシステムから進化したという側面もあり、MMORPGの中でも他者とチャットを行うことが出来る。これは一人でプレイする従来のRPGよりも行動の幅が広まり、プレイヤーの間で自然言語による意思疎通を行う事にも、有意義に作用する。これによりゲーム内アイテムのやり取りの条件、複数のプレイヤーが集まって特定の行動をするなど複雑な行動が可能となるのである。それが続くと自然と「仲の良いプレイヤー」という状況が発生するのである。
MMORPGではチャットシステムに(ゲームごとの違いはあるものの)そういったコミュニケーション手段を支援する仕組みが組み込まれている。フレンドリスト(他のキャラクターを登録しておいてメッセージを送信する)、ギルド(特定の目標を持って組織をつくる)などは多くのゲームで実装されており、さらに複雑なシステムを持つゲームも発生している。
ただし、自然言語でのコミュニケーションはあいまいなものになることも多く、常に十分な意思疎通が行われるとは限らない。特にアイテムの分配などゲームの進行に直接関わることをうやむやに行うと後になって不満を表明するプレイヤーが発生したり、目立った行動をするプレイヤーに対して本人にわからない場所で「陰口を叩く」ことなどはよくある風景である。
また、意識的にゲーム内で「詐欺行為」を働くことも可能となってしまった。初期のゲームではアイテムの交換などで良い条件を出しておいてそれを自分だけ遂行しないまま消えてしまう(チャットで指摘しても無視されてしまう)といったこともあった。アイテム交換専用の機能が実装されるなどの対応がとられているが、最終的にはプレイヤー間の意識の問題となる。アイテム課金で購入したアイテムをゲーム内で騙し取ったことが詐欺行為として刑事罰を認められた事例も発生している(4gamer.net「メイプルストーリー」のポイントアイテム詐欺に有罪判決)。
さらに、より単純な問題としては、チャット機能を使用してハラスメント行為(たとえば相手が女性だとわかると性的ないやがらせを想起させる単語を連続して送信するなど)を行うプレイヤーや、ゲーム中で相手の個人情報を聞き出し、嫌がらせなどに使用するといった問題も発生することになった。上記、自然言語でのコミュニーケーションとも相まって、ゲームの世界観を損なうことになる。
MMORPGを一般的にした『ウルティマオンライン』ではこういったプレイヤー間のやりとりは(セクシャルハラスメントなどを除いて)プレイヤー間で解決すべきという姿勢で制作された。特にプレイヤー間で戦闘が出来るシステムを売りの一つにしていたが、ある程度強くなったプレイヤーが他のプレイヤーを狙い撃ちして倒すというプレイヤーキラー(Player Killer、PKer)なども発生し、初期の状態では一部のプレイヤー(特にゲームを始めたばかりで対抗手段をもたない場合は致命的)が満足にプレイできない状態になったこともある。この状態に不満のあるプレイヤーはさらにそういったプレイヤーを倒すというプレイヤーキラーキラー(Player Killer Killer、PKKer)行為を行ったり、その組織(自警団)を作るなどといった試行錯誤があった。さすがにシステムを構築する側もこの問題に対処する必要を認め、ゲーム中にそういったプレイヤーキラー行為をするキャラクタを認識できるシステム(名前の色が変わるなど)や一定の不利益を与えるシステムを実装している。
一部ではあるが、基本的にPK、MPKなどの行為は禁止されているが特定のサーバーに関してのみPKやMPKを含め、露天詐欺や暴言などのノーマナー行為を許容するとし、運営は関与を行わないと明言しているタイトルも存在する。この場合でも人種差別に発展するような極めて重大な案件についてはペナルティが課せられる恐れがあるため注意が必要。
従来の操作する主体が一人のシングルプレイRPGでは物を売買するといった経済システムは、プログラム上で「販売価格」が完全に決まっていたり、「在庫の概念」がないかあっても結局は一人のプレイヤーしか存在しないため「一定の個数以上売ってくれない」といった単純なシステムにならざるを得ない。複雑な経済システムを構築しようとしても、価格や在庫を決めるための関数の入力項としては結局は単一の操作する主体のものしかないためである。
MMORPGはこれよりも複雑な経済システムを構築する余地がある。複数のプレイヤーがひとつの世界、ひいてはその世界の「経済システム」に関わることにより、その経済システムに複雑なダイナミクスな動きが発生することになる。
一例としてあげれば、NPC側が販売するアイテムを販売するごとにサーバ側で販売量をカウントし、販売量が多いアイテムは販売価格を上げていく、といった挙動をさせることができる。さらには一定時間内に販売されるアイテム量を制限したり、複数の貨幣を定義し、その間での為替レートを変動させるといったことも可能になった。
特記すべきは従来のゲームでは存在し得なかった「生産」を専門とするキャラクタが発生する余地が生じたことである。ゲーム中で使用されるアイテムを、その素材となるアイテムから作り上げるための技能を定義し、NPCからだけではなく実際に操作されているプレイヤーから生産されたアイテム(技能によっては付加価値をつけることも可能)を購入する(さらにはその生産を得意とするプレイヤーに対して素材を売る)というゲーム内における流通が発生することになった。当然その生産物の価値は生産する側と消費する側の需要と供給によって決定されるため、一定の価格は存在しない。
また、希少なアイテムもプレイヤー各自が一定の操作をすれば必ず獲得できる物だけでなく、数量が限定されたり(極端に言えば、「世界で唯一の武器」といったものも導入が出来る)、プレイヤーごとの技能で必要・不必要が発生しより必要としている他のプレイヤーに譲渡することも必要になってきた。そのため希少性や有用性によって市場価格が決定され、アイテムによっては思いもかけなかった高額の(ゲーム内での)資金が移動することもある。
これがエスカレートすると、ゲーム内での貨幣やアイテムなどを、現実世界での現金などと交換する行為も行われることになる。この仮想資産を現実世界の貨幣で購入・販売する行為をリアルマネートレーディング(RMT)と呼ぶ。RMTは一般には規約で禁止されていることが多い。
しかし、現実世界と違って中央銀行のようなものが存在しないことがほとんどで、サービス開始から年月が経過するごとにインフレが進行する場合がある。これはゲーム内で流通する通貨量を制限するシステムが存在せず、増加の一途をたどるためである。それが故に新参プレイヤーが新たに金銭を稼いで目的のアイテムを購入するという行為の難易度が上昇し、それを嫌忌してRMTによって手軽にゲーム内通貨を購入する原因のひとつとなっている。
多くの場合、MMORPGをプレイするにあたり必要な料金は以下の三つのうちの組み合わせとなる(インターネット接続のための回線は別に用意する必要がある)。
ゲームのプログラム自体を収めた媒体を購入する際に掛かる費用。一般的なゲームソフトと同じように店頭などでCD-ROMなどのパッケージを購入する必要がある場合。これは一度購入すればその後は期間を問わず使用できる。初期の頃のMMORPGや一部の大規模なゲームの場合にこの形で購入する必要がある。 またゲームによっては大規模アップデートが行われた際にアップデート分のデータを追加購入する必要がある場合もある。
一方で、ゲームプログラム自体をインターネットからダウンロードすることにより無料でゲームを開始することが出来るゲームも多い。この場合はパッケージ料金は無料ということになる。
実際に接続する場合にアカウントごとに必要な料金。初期のMMORPGでは時間単位での料金体系もあったが、現在ではほぼ「月額(一定額)を払えばその一ヶ月間は時間制限なくプレイが可能」の形に統一されている。
世界的な規模ではクレジット機能付きのカードでの支払いが圧倒的に主流。日本国内ではそれに加えて、WebMoneyなどのプリペイドシステムや店頭で購入できる独自の課金システム(『ウルティマオンライン』のゲームタイムなど)も使用できる場合がある。
なお、月額料金が必要な場合でも数日から数週間程度はお試し期間として無料でプレイできることも多い。
ゲーム中に登場するアイテムが現実世界でのお金で購入できるシステムを総称してアイテム課金という。より高性能な回復アイテムから、一定時間内の獲得経験値が倍になるようなプレイ時間を短縮するためのアイテム、自分のキャラクターを飾るだけでゲーム上有利になるわけではない物まで購入できるアイテムは多岐に渡る。キャラクターの能力値配分のやり直しなどを有料サービスとして提供している物もある。
また、一定料金を支払ってランダムなアイテム(稀にレアアイテム)が獲得できる抽選システムが用意されることも多い。
MMORPG業界が飽和気味になるに従い、パッケージ料金および月額料金も無料にして、アイテム課金のみによる運営にシフトしている傾向がある。MMORPGにとって会員数は評価に直結する要素となるため、各運営会社は出来る限り間口を広くして会員数を多くしようとしている。
ギルドやパーティなどオンラインゲーム特有の「他のプレイヤーと一緒に遊べる」ことを言い換えたワード。 各ゲーム会社がキーポイントにしている。
膨大な所要時間による依存症からの日常生活への支障、リアルマネートレード、不正行為など様々な問題が発生している。詳しくは、オンラインゲームを参照。
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"text": "ただし、自然言語でのコミュニケーションはあいまいなものになることも多く、常に十分な意思疎通が行われるとは限らない。特にアイテムの分配などゲームの進行に直接関わることをうやむやに行うと後になって不満を表明するプレイヤーが発生したり、目立った行動をするプレイヤーに対して本人にわからない場所で「陰口を叩く」ことなどはよくある風景である。",
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"text": "また、意識的にゲーム内で「詐欺行為」を働くことも可能となってしまった。初期のゲームではアイテムの交換などで良い条件を出しておいてそれを自分だけ遂行しないまま消えてしまう(チャットで指摘しても無視されてしまう)といったこともあった。アイテム交換専用の機能が実装されるなどの対応がとられているが、最終的にはプレイヤー間の意識の問題となる。アイテム課金で購入したアイテムをゲーム内で騙し取ったことが詐欺行為として刑事罰を認められた事例も発生している(4gamer.net「メイプルストーリー」のポイントアイテム詐欺に有罪判決)。",
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"text": "さらに、より単純な問題としては、チャット機能を使用してハラスメント行為(たとえば相手が女性だとわかると性的ないやがらせを想起させる単語を連続して送信するなど)を行うプレイヤーや、ゲーム中で相手の個人情報を聞き出し、嫌がらせなどに使用するといった問題も発生することになった。上記、自然言語でのコミュニーケーションとも相まって、ゲームの世界観を損なうことになる。",
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"text": "MMORPGを一般的にした『ウルティマオンライン』ではこういったプレイヤー間のやりとりは(セクシャルハラスメントなどを除いて)プレイヤー間で解決すべきという姿勢で制作された。特にプレイヤー間で戦闘が出来るシステムを売りの一つにしていたが、ある程度強くなったプレイヤーが他のプレイヤーを狙い撃ちして倒すというプレイヤーキラー(Player Killer、PKer)なども発生し、初期の状態では一部のプレイヤー(特にゲームを始めたばかりで対抗手段をもたない場合は致命的)が満足にプレイできない状態になったこともある。この状態に不満のあるプレイヤーはさらにそういったプレイヤーを倒すというプレイヤーキラーキラー(Player Killer Killer、PKKer)行為を行ったり、その組織(自警団)を作るなどといった試行錯誤があった。さすがにシステムを構築する側もこの問題に対処する必要を認め、ゲーム中にそういったプレイヤーキラー行為をするキャラクタを認識できるシステム(名前の色が変わるなど)や一定の不利益を与えるシステムを実装している。",
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"text": "一部ではあるが、基本的にPK、MPKなどの行為は禁止されているが特定のサーバーに関してのみPKやMPKを含め、露天詐欺や暴言などのノーマナー行為を許容するとし、運営は関与を行わないと明言しているタイトルも存在する。この場合でも人種差別に発展するような極めて重大な案件についてはペナルティが課せられる恐れがあるため注意が必要。",
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"text": "従来の操作する主体が一人のシングルプレイRPGでは物を売買するといった経済システムは、プログラム上で「販売価格」が完全に決まっていたり、「在庫の概念」がないかあっても結局は一人のプレイヤーしか存在しないため「一定の個数以上売ってくれない」といった単純なシステムにならざるを得ない。複雑な経済システムを構築しようとしても、価格や在庫を決めるための関数の入力項としては結局は単一の操作する主体のものしかないためである。",
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"text": "MMORPGはこれよりも複雑な経済システムを構築する余地がある。複数のプレイヤーがひとつの世界、ひいてはその世界の「経済システム」に関わることにより、その経済システムに複雑なダイナミクスな動きが発生することになる。",
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"text": "一例としてあげれば、NPC側が販売するアイテムを販売するごとにサーバ側で販売量をカウントし、販売量が多いアイテムは販売価格を上げていく、といった挙動をさせることができる。さらには一定時間内に販売されるアイテム量を制限したり、複数の貨幣を定義し、その間での為替レートを変動させるといったことも可能になった。",
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"text": "特記すべきは従来のゲームでは存在し得なかった「生産」を専門とするキャラクタが発生する余地が生じたことである。ゲーム中で使用されるアイテムを、その素材となるアイテムから作り上げるための技能を定義し、NPCからだけではなく実際に操作されているプレイヤーから生産されたアイテム(技能によっては付加価値をつけることも可能)を購入する(さらにはその生産を得意とするプレイヤーに対して素材を売る)というゲーム内における流通が発生することになった。当然その生産物の価値は生産する側と消費する側の需要と供給によって決定されるため、一定の価格は存在しない。",
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"text": "また、希少なアイテムもプレイヤー各自が一定の操作をすれば必ず獲得できる物だけでなく、数量が限定されたり(極端に言えば、「世界で唯一の武器」といったものも導入が出来る)、プレイヤーごとの技能で必要・不必要が発生しより必要としている他のプレイヤーに譲渡することも必要になってきた。そのため希少性や有用性によって市場価格が決定され、アイテムによっては思いもかけなかった高額の(ゲーム内での)資金が移動することもある。",
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"text": "これがエスカレートすると、ゲーム内での貨幣やアイテムなどを、現実世界での現金などと交換する行為も行われることになる。この仮想資産を現実世界の貨幣で購入・販売する行為をリアルマネートレーディング(RMT)と呼ぶ。RMTは一般には規約で禁止されていることが多い。",
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"text": "しかし、現実世界と違って中央銀行のようなものが存在しないことがほとんどで、サービス開始から年月が経過するごとにインフレが進行する場合がある。これはゲーム内で流通する通貨量を制限するシステムが存在せず、増加の一途をたどるためである。それが故に新参プレイヤーが新たに金銭を稼いで目的のアイテムを購入するという行為の難易度が上昇し、それを嫌忌してRMTによって手軽にゲーム内通貨を購入する原因のひとつとなっている。",
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"text": "一方で、ゲームプログラム自体をインターネットからダウンロードすることにより無料でゲームを開始することが出来るゲームも多い。この場合はパッケージ料金は無料ということになる。",
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"text": "実際に接続する場合にアカウントごとに必要な料金。初期のMMORPGでは時間単位での料金体系もあったが、現在ではほぼ「月額(一定額)を払えばその一ヶ月間は時間制限なくプレイが可能」の形に統一されている。",
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"text": "世界的な規模ではクレジット機能付きのカードでの支払いが圧倒的に主流。日本国内ではそれに加えて、WebMoneyなどのプリペイドシステムや店頭で購入できる独自の課金システム(『ウルティマオンライン』のゲームタイムなど)も使用できる場合がある。",
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"text": "なお、月額料金が必要な場合でも数日から数週間程度はお試し期間として無料でプレイできることも多い。",
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"text": "ゲーム中に登場するアイテムが現実世界でのお金で購入できるシステムを総称してアイテム課金という。より高性能な回復アイテムから、一定時間内の獲得経験値が倍になるようなプレイ時間を短縮するためのアイテム、自分のキャラクターを飾るだけでゲーム上有利になるわけではない物まで購入できるアイテムは多岐に渡る。キャラクターの能力値配分のやり直しなどを有料サービスとして提供している物もある。",
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"text": "膨大な所要時間による依存症からの日常生活への支障、リアルマネートレード、不正行為など様々な問題が発生している。詳しくは、オンラインゲームを参照。",
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MMORPGとは、「大規模多人数同時参加型オンラインRPG」のことである。オンラインゲームの一種でコンピューターRPGをモチーフとしたものを指す。MORPGとの違いは同項目を参照。
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{{Pathnav|frame=1|コンピュータゲームのジャンル|コンピュータRPG}}
{{複数の問題
|独自研究=2012年10月
|出典の明記=2012年10月
}}
'''MMORPG'''('''Massively Multiplayer Online Role-Playing Game'''、マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)とは、「大規模多人数同時参加型オンラインRPG」のことである。[[オンラインゲーム]]の一種で[[コンピューターRPG]]をモチーフとしたものを指す。[[MORPG]]との違いは同項目を参照。
== 発祥と展開 ==
MMORPGの基本的な要素となる複数のプレイヤーがひとつの世界に参加するという概念は1970年代後半に遡る。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で[[1977年]]に[[CAI]]システムを応用するなどして素朴ながらも複数人数が同じ世界でプレイできるゲームが作成された([[PLATO|PLATO system]], [[:en:Avatar (computer game)|Avatar]])。それ以降、[[MUD]](Multi User Dungeon)と呼ばれるシステムが多数作成されていく。ホストコンピューター側にひとつの世界([[ファンタジー]]世界など)を構築し、プレイヤーはパソコン通信の端末ソフトや[[TELNET]]ターミナルソフトを介してサーバーに接続し、コマンドを入力して自分のキャラクターを行動させたり、同じサーバーに接続しているほかのプレイヤーとの[[チャット]]を行うことが出来る。
最初はこのMUDは大学などのサーバで実験的に行われていたが、1983年以降、商業サービスとして提供する会社も現れた。さらにグラフィックによるインターフェースを追加する試みも行われていく。参加者が所有するキャラクター([[アバター]])によるチャットシステム(著名な物のひとつに「[[富士通Habitat]]」)を経て、グラフィック処理を兼ね備えた最初のMMORPG『[[:en:Neverwinter Nights (AOL game)|Neverwinter Nights]]』が[[1991年]]、[[アメリカオンライン]]でサービス開始され、その他のサービスとともにMMORPGのシステムが形作られていった。
1996年、月額課金、3Dグラフィックによる現代的なMMORPGとしてセラーズ兄弟が設立したスタートアップ企業Archetype Interactiveが開発した『[[:en:Meridian 59|Meridian 59]]』が開始される。これは[[3DO#3DO社|3DO社]]に買収されたが、セラーズ兄弟は[[ジョン・ハンケ]]と共に退職し別のゲーム会社を設立している。
[[シエラオンライン]]による『[[:en:The Realm Online|The Realm Online]]』なども続くが、1997年の『[[ウルティマオンライン]]』によってこのジャンルが一般的なものとなった。すでに展開されていた『[[ウルティマ]]』のゲーム世界を拡張し、MMORPGでなければなし得なかった複雑なゲーム性を搭載した。
{{要検証範囲|date=2012年10月|1990年代中盤以降}}インターネットが爆発的に流行し、大きな都市には時間単位料金で使えるパソコン端末を用意した[[インターネットカフェ]]が乱立した。そこでプレイ出来るゲームとしてゲームソフト一本買い切りではなくユーザーアカウントごとに月課金が行われるシステムはうってつけだった。これを背景にしてMMORPGが多数制作されることになる。
それ以降、インターネットの普及とともに戦闘システムを強化した『[[エバークエスト]]』や[[マイクロソフト]]による『[[:en:Asheron's Call|Asheron's Call]]』を筆頭として数多くのMMORPGが制作されていった。この頃になるとアメリカのゲーム業界だけでなく、その他の国のゲーム開発会社もMMORPGのサービスを提供する動きが発生する。日本でも『[[ファイナルファンタジーXI]]』などのサービスが開始された。
== 特徴 ==
=== ゲーム内時間 ===
常にゲーム世界が存在し、時間が流れている。ゲーム[[サーバ]]内に作られた世界には時間の存在がある。仮にプレイヤーが一人も接続していなかったとしても、ゲーム世界が存在し続けており、また時間が流れている。
通常のマルチプレイヤーゲームではゲーム参加者を募った後、実際のゲームを開始するときにゲームの世界が作られ、ゲーム終了とともにその情報は(スコアなどを除いて)消去される。スポーツの試合のように翌日別のメンバーでゲームを開始しても前日とゲーム世界は変わらないのである。
MMORPGでは行動は逐次サーバに記録される。前日にレベルアップしていれば次の日からはより強い状態であるし、アイテムを何日もかけて収集していくことも可能である。
この点では一人でプレイする従来のRPGよりも難しい問題が発生する。コンピュータゲームでは操作を誤った場合やその他、前の状態に戻りたいと思うことが多々発生する。特にRPGでは一部のゲームを除いて最悪の場合に陥っても「セーブされたデータ」からやり直せることを前提としてゲームが構築されていることが多かった。MMORPGではこれは他のプレイヤーの操作との矛盾を引き起こすため、'''「セーブされたデータ」からやり直すという概念は存在しなくなる'''。MMORPGではゲーム内のキャラクターが死亡した際は以前の状態に戻るのではなく、一定のペナルティ(一定の割合の経験値を失う、一時的に能力値が低下する、アイテムをその場に放棄しなければならないなど)を受けて生き返る形で続行することになる。一方で、『Survived By』の様にゲーム内のキャラクターが死んでしまいやり直せない物もある。
=== ゲーム内での人間関係 ===
そこには、仮想世界でありながら人間社会が存在する。人対人のコミュニティである以上、社会と同様に派閥もあれば、人間関係のいざこざも存在する。
MMORPGがアバターによるチャットシステムから進化したという側面もあり、MMORPGの中でも他者とチャットを行うことが出来る。これは一人でプレイする従来のRPGよりも行動の幅が広まり、プレイヤーの間で[[自然言語]]による意思疎通を行う事にも、有意義に作用する。これによりゲーム内アイテムのやり取りの条件、複数のプレイヤーが集まって特定の行動をするなど複雑な行動が可能となるのである。それが続くと自然と「仲の良いプレイヤー」という状況が発生するのである。
MMORPGではチャットシステムに(ゲームごとの違いはあるものの)そういったコミュニケーション手段を支援する仕組みが組み込まれている。フレンドリスト(他のキャラクターを登録しておいてメッセージを送信する)、[[ギルド]](特定の目標を持って組織をつくる)などは多くのゲームで実装されており、さらに複雑なシステムを持つゲームも発生している。
ただし、自然言語でのコミュニケーションはあいまいなものになることも多く、常に十分な意思疎通が行われるとは限らない。特にアイテムの分配などゲームの進行に直接関わることをうやむやに行うと後になって不満を表明するプレイヤーが発生したり、目立った行動をするプレイヤーに対して本人にわからない場所で「陰口を叩く」ことなどはよくある風景である。
また、意識的にゲーム内で「詐欺行為」を働くことも可能となってしまった<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=http://www.ieice-hbkb.org/files/S3/S3gun_08hen_06.pdf#page=8|title=知識ベース S3群 脳・知能・人間8編 コラボレーションシステム6章 コミュニティ|accessdate=2020-04-28|publisher=電子情報通信学会|page=9}}</ref>。初期のゲームではアイテムの交換などで良い条件を出しておいてそれを自分だけ遂行しないまま消えてしまう(チャットで指摘しても無視されてしまう)といったこともあった。アイテム交換専用の機能が実装されるなどの対応がとられているが、最終的にはプレイヤー間の意識の問題となる。アイテム課金で購入したアイテムをゲーム内で騙し取ったことが詐欺行為として刑事罰を認められた事例も発生している([https://www.4gamer.net/news/history/2006.11/20061117185047detail.html 4gamer.net「メイプルストーリー」のポイントアイテム詐欺に有罪判決])。
さらに、より単純な問題としては、チャット機能を使用してハラスメント行為(たとえば相手が女性だとわかると性的ないやがらせを想起させる単語を連続して送信するなど)を行うプレイヤーや、ゲーム中で相手の個人情報を聞き出し、嫌がらせなどに使用するといった問題も発生することになった。上記、自然言語でのコミュニーケーションとも相まって、ゲームの世界観を損なうことになる。
MMORPGを一般的にした『ウルティマオンライン』ではこういったプレイヤー間のやりとりは(セクシャルハラスメントなどを除いて)プレイヤー間で解決すべきという姿勢で制作された。特にプレイヤー間で戦闘が出来るシステムを売りの一つにしていたが、ある程度強くなったプレイヤーが他のプレイヤーを狙い撃ちして倒すという'''[[プレイヤーキラー]](Player Killer、PKer)'''なども発生し、初期の状態では一部のプレイヤー(特にゲームを始めたばかりで対抗手段をもたない場合は致命的)が満足にプレイできない状態になったこともある。この状態に不満のあるプレイヤーはさらにそういったプレイヤーを倒すという'''プレイヤーキラーキラー(Player Killer Killer、PKKer)'''行為を行ったり、その組織(自警団)を作るなどといった試行錯誤があった。さすがにシステムを構築する側もこの問題に対処する必要を認め、ゲーム中にそういったプレイヤーキラー行為をするキャラクタを認識できるシステム(名前の色が変わるなど)や一定の不利益を与えるシステムを実装している。
一部ではあるが、基本的にPK、MPKなどの行為は禁止されているが特定のサーバーに関してのみPKやMPKを含め、露天詐欺や暴言などのノーマナー行為を許容するとし、運営は関与を行わないと明言しているタイトルも存在する<ref>[http://ragnarokonline.gungho.jp/support/play-manner/trouble.html ラグナロクオンライン ユーザー間トラブルについて(Urdrサーバーはほぼ全て対象にならない旨の記載有り)]</ref>。この場合でも人種差別に発展するような極めて重大な案件についてはペナルティが課せられる恐れがあるため注意が必要。
=== 経済システムの存在 ===
従来の操作する主体が一人のシングルプレイRPGでは物を売買するといった[[経済]]システムは、プログラム上で「販売価格」が完全に決まっていたり、「在庫の概念」がないかあっても結局は一人のプレイヤーしか存在しないため「一定の個数以上売ってくれない」といった単純なシステムにならざるを得ない。複雑な経済システムを構築しようとしても、価格や在庫を決めるための関数の入力項としては結局は単一の操作する主体のものしかないためである。
MMORPGはこれよりも複雑な経済システムを構築する余地がある。複数のプレイヤーがひとつの世界、ひいてはその世界の「経済システム」に関わることにより、その経済システムに複雑なダイナミクスな動きが発生することになる。
一例としてあげれば、NPC側が販売するアイテムを販売するごとにサーバ側で販売量をカウントし、販売量が多いアイテムは販売価格を上げていく、といった挙動をさせることができる。さらには一定時間内に販売されるアイテム量を制限したり、複数の貨幣を定義し、その間での[[為替レート]]を変動させるといったことも可能になった。
特記すべきは従来のゲームでは存在し得なかった「[[生産]]」を専門とするキャラクタが発生する余地が生じたことである。ゲーム中で使用されるアイテムを、その素材となるアイテムから作り上げるための技能を定義し、NPCからだけではなく実際に操作されているプレイヤーから生産されたアイテム(技能によっては付加価値をつけることも可能)を購入する(さらにはその生産を得意とするプレイヤーに対して素材を売る)というゲーム内における流通が発生することになった。当然その生産物の価値は生産する側と消費する側の需要と供給によって決定されるため、一定の価格は存在しない。
また、希少なアイテムもプレイヤー各自が一定の操作をすれば必ず獲得できる物だけでなく、数量が限定されたり(極端に言えば、「世界で唯一の武器」といったものも導入が出来る)、プレイヤーごとの技能で必要・不必要が発生しより必要としている他のプレイヤーに譲渡することも必要になってきた。そのため希少性や有用性によって市場価格が決定され、アイテムによっては思いもかけなかった高額の(ゲーム内での)資金が移動することもある。
これがエスカレートすると、ゲーム内での貨幣やアイテムなどを、現実世界での現金などと交換する行為も行われることになる。この仮想資産を現実世界の貨幣で購入・販売する行為を[[リアルマネートレーディング]](RMT)と呼ぶ。RMTは一般には規約で禁止されていることが多い。
しかし、現実世界と違って中央銀行のようなものが存在しないことがほとんどで、サービス開始から年月が経過するごとに[[インフレ]]が進行する場合がある。これはゲーム内で流通する通貨量を制限するシステムが存在せず、増加の一途をたどるためである。それが故に新参プレイヤーが新たに金銭を稼いで目的のアイテムを購入するという行為の難易度が上昇し、それを嫌忌してRMTによって手軽にゲーム内通貨を購入する原因のひとつとなっている。
== 料金体系 ==
多くの場合、MMORPGをプレイするにあたり必要な料金は以下の三つのうちの組み合わせとなる(インターネット接続のための回線は別に用意する必要がある)。
=== パッケージ料金 ===
ゲームのプログラム自体を収めた媒体を購入する際に掛かる費用。一般的なゲームソフトと同じように店頭などで[[CD-ROM]]などのパッケージを購入する必要がある場合。これは一度購入すればその後は期間を問わず使用できる。初期の頃のMMORPGや一部の大規模なゲームの場合にこの形で購入する必要がある。
またゲームによっては大規模アップデートが行われた際にアップデート分のデータを追加購入する必要がある場合もある。
一方で、ゲームプログラム自体をインターネットからダウンロードすることにより無料でゲームを開始することが出来るゲームも多い。この場合はパッケージ料金は無料ということになる。
=== 月額などの料金 ===
実際に接続する場合にアカウントごとに必要な料金。初期のMMORPGでは時間単位での料金体系もあったが、現在ではほぼ「月額(一定額)を払えばその一ヶ月間は時間制限なくプレイが可能」の形に統一されている。
世界的な規模では[[クレジットカード|クレジット]]機能付きのカードでの支払いが圧倒的に主流。日本国内ではそれに加えて、[[ウェブマネー|WebMoney]]などのプリペイドシステムや店頭で購入できる独自の課金システム(『[[ウルティマオンライン]]』のゲームタイムなど)も使用できる場合がある。
なお、月額料金が必要な場合でも数日から数週間程度はお試し期間として無料でプレイできることも多い。
=== アイテム課金などの都度課金 ===
ゲーム中に登場するアイテムが現実世界でのお金で購入できるシステムを総称して[[アイテム課金]]という。より高性能な回復アイテムから、一定時間内の獲得経験値が倍になるようなプレイ時間を短縮するためのアイテム、自分のキャラクターを飾るだけでゲーム上有利になるわけではない物まで購入できるアイテムは多岐に渡る。キャラクターの能力値配分のやり直しなどを有料サービスとして提供している物もある。
また、一定料金を支払ってランダムなアイテム(稀に[[レアアイテム]])が獲得できる抽選システムが用意されることも多い。
MMORPG業界が飽和気味になるに従い、パッケージ料金および月額料金も無料にして、アイテム課金のみによる運営にシフトしている傾向がある。MMORPGにとって会員数は評価に直結する要素となるため、各運営会社は出来る限り間口を広くして会員数を多くしようとしている。
== コミュニティ ==
ギルドやパーティなどオンラインゲーム特有の「他のプレイヤーと一緒に遊べる」ことを言い換えたワード。
各ゲーム会社がキーポイントにしている。
== 問題点 ==
膨大な所要時間による依存症からの日常生活への支障<ref name=":0" />、リアルマネートレード、不正行為など様々な問題が発生している。詳しくは、[[オンラインゲーム#問題点|オンラインゲーム]]を参照。
==脚注==
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11,394 |
チャットボット
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チャットボット(英: chatbot)は、もともとはチャッターボット(英: chatterbot)とよばれ、テキストや音声による対話を通じて人間的な会話の模倣を目的としたソフトウェアアプリケーションで、通常はオンラインで使用される。
最近、この分野はOpenAIのChatGPTの人気によって広く注目を集めており、マイクロソフトのBing Chat(OpenAIのGPT-4を使用している)やGoogleのBardのような競合商品が続いている。このような例は、特定のタスクやアプリケーション(チャットボットの場合、人間の会話をシミュレートする)を対象とするようにファインチューニングされた、広範な基盤となる大規模言語モデルに基づいて構築される製品の最近の慣行を反映している。チャットボットはまた、さらに特定の状況や特定の主題領域を対象とするように設計または制作することもできる。
チャットボットが長い間使用されてきた主な分野は、さまざまな種類の仮想アシスタントなど、顧客サービスやサポートの分野である。最近では、さまざまな業界の企業が、最新の生成的人工知能技術を使用して、こうした分野でより高度な開発を推進し始めている。
1950年、アラン・チューリングは有名な論文「計算する機械と知性(英語版)(Computing Machinery and Intelligence)」を発表し、知能の基準として現在ではチューリング・テストと呼ばれているものを提案した。このテストは、コンピュータ・プログラムが人間になりすまし、人間の判定者と文書を通じてリアルタイムで会話し、判定者が会話の内容だけでプログラムと本当の人間を確実に区別できないかどうかで判断するものである。チューリングの提案したテストが評判になったことで、1966年に発表されたジョセフ・ワイゼンバウムのプログラム「ELIZA」は、あたかも本当の人間と会話しているかのようにユーザーをだますことができると大きな関心を集めた。しかし、ワイゼンバウム自身は、ELIZAが純粋に知的であるとは言っておらず、論文の序文ではむしろ見せかけを曝露するための練習課題として紹介している。
人工知能では ... 機械がすばらしい働きをするように作られており、経験豊富な判定者でさえ驚かせることがしばしばある。しかし、ひとたび特定のプログラムの仮面が外され、その内部の仕組みが説明されると ... その魔法は崩壊し、単なる手続きの集合であることが明らかになる。 ... 判定者は「これなら私にも書ける」と自分に語りかける。そう考えた彼は、問題のプログラムを「知性」と記された棚から骨董品棚に移してしまう。この論文の目的は、「説明」されようとしているプログラムに対して、まさにそのような再評価を促すことである。これほどまでに必要なプログラムはないだろう。
ELIZAの主要な操作方法(その後のチャットボット設計者によって模倣された)では、入力された会話文から手がかりとなる単語やフレーズを認識し、それに対応するあらかじめ用意された、あるいはプログラムされた応答を出力することで、一見して有意義な形で会話を進めることができる。たとえば「MOTHER(お母さん)」という単語を含む入力に対して、「TELL ME MORE ABOUT YOUR FAMILY(あなたの家族についてもっと教えてください)」と応答する。このようにして、表面的な処理しかしていなくても、理解したかのような錯覚が生じる。ELIZAは、このような錯覚が驚くほど簡単に起こることを示した。なぜなら、会話の応答が「知的」と解釈できる場合、人間はそれを好意的に判断しようとする傾向があるためである。
インタフェース設計者は、コンピュータの出力を純粋に会話として解釈しようとする人間の適応性を、有用な目的のために利用できると認識するようになった(たとえそれが実際にはかなり単純なパターンマッチに基づいていたとしても)。多くの人は人間らしいプログラムとの対話をいとわない。このため、ユーザーから情報を引き出す必要のある対話型システムで、その情報が比較的単純で予測可能なカテゴリに分類される限り、チャットボット型の技術が役に立つ可能性がある。たとえば、オンラインヘルプシステムでは、ユーザーが必要とする情報の分野を特定するためにチャットボット技術を有効に利用して、形式的な検索やメニューシステムよりも「使いやすい」インタフェースを提供できる可能性がある。このような使い方は、チャットボット技術をワイゼンバウムの「骨董品が並ぶ棚」から、「真に役立つ解法」と記された棚に移す可能性を秘めている。
初期のチャットボットの代表としては、ELIZA(1966年)やPARRY(1972年)があげられる。その後の注目されるチャットボットとして、A.L.I.C.E.(1995年)、Jabberwacky(1997年)などがある。ELIZAやPARRYは入力された会話をシミュレートするために使用されていたが、以降のチャットボットはゲームやネット検索などのさまざまな機能を備えてきた。1984年には、チャットボットRacter(英語版)が書いたとされる「The Policeman's Beard is Half Constructed」という本が出版された(もっとも公開されたプログラムはそのようなことはできなかったと考えられる)。
AI研究の関連分野として自然言語処理がある。一般的に「弱いAI」分野では、必要とする機能のために特別に設計されたソフトウェアやプログラミング言語が用いられた。たとえば、A.L.I.C.E.はAIMLというマークアップ言語を使用しているが、これは会話エージェント(英語版)としての機能に特化したもので、後に登場したA.L.I.C.E.のクローン(アリスボットとくくられる)でも採用された。それでも、A.L.I.C.E.は純粋なパターンマッチング技術に基づいており、推論機能はなく、1966年にELIZAが使用していた方法と同じ技術である。これは知恵や論理的な推論能力を必要とする「強いAI」ではない。
より新しいJabberwackyの設計では、静的なデータベースによって駆動するのではなく、ユーザーとのリアルタイムな対話的処理に基づいて新しい応答とコンテキストを学習するように改善された。こうしたチャットボットには、リアルタイム学習と進化的アルゴリズムを組み合わせて、会話を交わすごとにコミュニケーション能力が向上するものもある。
チャットボットのコンテストでは、チューリング・テストや、より具体的な目標に焦点が当てられてきた。そのような毎年恒例のコンテストとしてローブナー賞とThe Chatterbox Challengeがあり、人工知能として人間に近いと判定されたボットが表彰されている。2005-2006年のローブナー賞ではJabberwackyに基づいたボットが表彰された。
近年は、言語モデルとしてニューラルネットワークを使用したチャットボットが台頭してきた。2017年に発表されたトランスフォーマー(Transformer)は、大きなデータセットによる深層学習モデルを可能とし、この技術に基づく Generative Pre-trained Transformer(GPT)や Bidirectional Encoder Representations from Transformers(BERT)は、高度なチャットボットを構築するために一般的になっている。その名前が示す事前訓練(pre-training)は大規模なテキストコーパスを用いた初期訓練プロセスを意味し、タスク固有のデータ量が限られているユーザー側のタスクでモデルが優れた性能を発揮するための、堅牢な土台を提供する。GPTチャットボットの代表として ChatGPT(2022年)があり、その正確性に批判があるが、詳細な応答や歴史的な知識で注目を集めている。もう一つの例は、マイクロソフトが開発したBioGPT(2022年)で、生物医学的な質問への解答に重点を置いている。
企業の多くのチャットボットは、メッセージングアプリやSMS(ショートメッセージサービス)として動作し、B2Cでのカスタマーサービス、販売、マーケティングに使用されている。ボットは通常、ユーザーの連絡先の1つとして表示されたり、グループチャット(英語版)の参加者として機能することもある。こうしたチャットボットは、簡単な質問に答えたり、カスタマーエンゲージメント(英語版)の向上、宣伝、そして注文方法を追加する役割を担っている。
2016年の調査では、80%の企業が2020年までに導入する予定と回答し、2017年の調査では、4%の企業がチャットボットを使用していた。
ウェブサイトに組み込まれ、利用者が目的を達成することを助けることができるチャットボットもある。初期のものは、たとえばアラスカ航空の「Ask Jenn」(2008年)や、オンライン旅行会社エクスペディアの仮想顧客サービスエージェント(2011年)などに見られ、自然言語を通じて情報を集めてユーザーに回答したり関連ページを表示して時間を節約した。より新しい世代のチャットボットの例としては、2017年2月に電子商取引企業Rare CaratがIBMワトソン・コンピュータを使用して商品の購入希望者に情報を提供するものがある。
これはマーケット担当者が一連のメッセージを記述するために用いられるチャットボットである(オートレスポンダーと類似)。こうしたシーケンスは、ユーザーの加入や対話内のキーワードによって引き起こされ、次に期待されるユーザーの反応が得られるまで一連のメッセージを配信する。各ユーザーの応答は決定木に送られ、チャットボットの応答シーケンスを誘導し、正しい応答メッセージを配信するのを助ける。
また、従業員サポート、人事、あるいはIoT(モノのインターネット)プロジェクトなど、社内でチャットボットの活用を実践している企業もある。たとえば、ネット小売業のOverstock.comは、病気休暇を申請する際に、簡単だが時間のかかる特定の手続きを自動化するために、Milaという名前のチャットボットを立ち上げた伝えられている。病院や航空会社などの大企業ではIT設計者がインテリジェント・チャットボットのリファレンスアーキテクチャ(英語版)を設計しており、組織内の知識や専門経験をより効率的に活用/共有し、専門的サービスデスクからの回答ミスを大幅に削減するのに使用されている。これらのインテリジェント・チャットボットはさまざまな人工知能を利用しており、コンテントモデレーション(英語版)、自然言語理解(NLU)、自然言語生成(NLG)などの技術が含まれる。
多くの銀行組織では、顧客サービス業務に自動化されたAIベースのソリューションが統合され、ますます技術に慣れ親しんだ顧客に迅速で安価なサポートを提供している。特にチャットボットは対話を効率的に行うことで、電子メール、電話、SMSなどの他のコミュニケーションツールに取って代わることができる。銀行での主な用途には、一般的なリクエストへの対応や、取引のサポートがあげられる。
いくつかの調査では、ボットの導入によって顧客サービス費用を大幅に削減した事例が報告されており、今後10年間で数十億ドルの経済的節約につながると予想されている。2019年、ガートナーは、2021年までに世界の全ての顧客サービス対話の15%がAIによって完全に処理されるようになると予測した。Juniper Researchによる2019年の調査では、チャットボットを使った対話によってもたらされる小売業の売上高は、2023年までに1,120億ドルに達すると推計されている。
チャットボットは医療業界でも利用されている。ある調査によると、米国の医師は、医師の予約スケジューリング、病院の検索、投薬情報の提供などにチャットボットが最も有益だと考えていることがわかった。
しかし、チャットボットの使用にまだ消極的な一部の患者の集団もある。ある混合研究によると、人々は技術の複雑さへの理解不足、共感性の不足、およびサイバーセキュリティへの懸念から、医療にチャットボットを使うことに消極的であることがわかった。この調査によると、医療チャットボットの存在を聞いたことがある人は6%、使用経験がある人は3%、12ヶ月以内に使用する可能性があると認識していた人は67%であった。参加者の大半は、一般的な健康情報の収集(78%)、診療の予約(78%)、地域の医療サービスの入手(80%)に医療チャットボットの使用を考えていた。しかし、医療チャットボットは、医療検査の結果を探したり、性的な健康問題などの専門的アドバイスを求めるにはあまり適していないと認識されていた。態度変数の分析では、ほとんどの参加者が、自分の健康について医師と話し合うこと(73%)と、信頼できて正確な健康情報にアクセスすること(93%)を好むことがわかった。80%が健康を改善できる新技術に興味を持つ一方で、66%は健康上の問題が発生したときのみ医師に診てもらうと答え、65%はチャットボットが良いアイデアだと考えていた。興味深いことに、30%がコンピューターと話すことに嫌悪し、41%がチャットボットと健康問題について話し合うことに違和感を示し、約半数がチャットボットのアドバイスを信頼できるかどうか確信を持てなかった。したがって、信頼性の認識、ボットに対する個人の考え、コンピュータと話すことへの嫌悪感が、医療チャットボットの主な障壁となっている。
ニュージーランドでは、Sam(semantic analysis machine(英語版))というチャットボットが開発された。気候変動、医療、教育などの話題について、政治的な考えを共有するように設計されている。
2022年、デンマークの議会選挙に立候補する政党The Synthetic Partyに指名されたチャットボットLeader Lars(またはLeder Lars)が作られた。Leader Larsは以前の仮想政治家とは異なり、政党を率いて、客観的な候補者の姿を装わなかった。このチャットボットは、世界中のユーザーと批判的な政治的議論を交わした。
チャットボットはコンピューティングを主な目的としない玩具にも組み込まれている。マテルのハロー・バービーはインターネット接続型の人形で、子どもの発話がサーバ上のチャットボットに伝達され個別に返答を行う。これらのキャラクターの実際の行動は、特定のキャラクターをまねてストーリーラインを作り出すルールによって制約されている。また、マイ・フレンド・カイラ(英語版)は身長18インチ(46cm)の人形シリーズとして販売され、音声認識技術とAndroidやiOSのモバイルアプリを連携することで子どもの発話を認識して会話を行うことができた。これらの人形は、子どもの発話から収集されたデータを利用していることが原因で物議を醸した。
IBMのワトソン・コンピュータは、教育目的で子どもと対話することを目的としたCogniToysなどのチャットボットベースの教育玩具の基礎として使用されている。
2023年のメタ分析によると、AIチャットボット技術は当然ながら学習アシスタントとしてパラダイムシフト的なイノベーションをもたらした。学習内容に関係なく、批判的思考を除くほぼすべての教科で学習効果を高~中程度に向上させることができる。
悪意のあるチャットボットが、人間の行動や会話を模倣してチャットルームをスパムや広告で埋め尽くしたり、人をだまして銀行口座番号などの個人情報をかすめ取るためにしばしば使用される。また、出会い系サービスのウェブサイト上の偽の個人広告にチャットボットが使用されていたという報告もある。
マイクロソフトの Tay は過去のやりとりから学習するAIチャットボットであったが、Twitter上でインターネット荒らしの標的にされて大きな論争を巻き起こした。このボットは悪用され、16時間後には極めてユーザーに攻撃的なツイートを送信するようになった。このことは、ボットが経験から学習するという点で効果的であったが、悪用を防ぐための適切な安全策が取られていなかったことを示唆している。
テキストを作成して送信するアルゴリズムが人間になりすますことができれば、そのメッセージはより説得力を増す可能性がある。そのため、オンライン・アイデンティティ(英語版)を巧妙に偽装した人間のようなチャットボットが、たとえば選挙中に虚偽の主張をするなど、もっともらしいフェイクニュースを拡散する可能性がある。また、多数のチャットボットを使って偽りの社会的証明に利用する可能性もある。
チャットボットの設計と実装は、人工知能や機械学習に大きく結びついた、未だ発展途上の分野である。そのため、これを利用したソリューションは明らかな利点を示しながらも、機能やユースケースの面でいくつかの重要な制限がある。ただし、これは時間の経過とともに変化している。
最も一般的な制限を以下に列挙する。
チャットボットは、熟練した人材を必要としない定型的な作業を自動化するのに使われることが多く、ビジネスにおいてますます存在感を増している。顧客サービスは、電話だけでなくメッセージングアプリで行われるようになり、チャットボットの導入で組織に明確な投資効果をもたらすユースケースは増えている。コールセンターの従業員は、特に人工知能(AI)チャットボットによって職を追われる危険にさらされる可能性がある。
チャットボット開発者は、顧客サービスやその他の通信プロセスを自動化するアプリケーションの作成、デバッグ、および保守を担当する。必要に応じてコードを見直して最適化することも職務に含まれる。また、組織がボットを業務に導入するのを支援することもある。
Forresterの調査(2017年6月)では、2019年までに全職種の25%がAI技術の影響を受けると予測されている。
ELIZAを参考としたチャットボットは、日本でも独自の発展を遂げてきた。そうした要因として、日本語は通常分かち書きされていない(単語同士がスペースで区切られていない)ため、どこまでが単語であるかを判断するのが困難であるという点が挙げられる。現在では、自然言語処理の研究の進展や、飛躍的に向上したコンピュータの記憶容量と処理速度により、形態素解析などの日本語解析の手法を用いることで、英語などの分かち書きを行う言語に近い土俵に立てるようになったと言える。
日本ではパソコン通信のサービスのひとつ「チャット」において一般化した。当時は漢字入力ができないことが普通で、カタカナだけの会話であったため、読みやすくするために分かち書きにすることが一般的であった。そのため構文解析の手間が少なく、エンジンの洗練化が進んだ。日本国内における普及初期には現在のチャットボットに対する呼称およびその概念に相当するものとしては「人工無脳」(じんこうむのう、英: Artificial Idiocy)という語が主流であった。「人工無脳」は、「人工知能」ないし「人工頭脳」をひねったネットスラングであり、脳に比肩するほどの高度な処理は行われていないという皮肉が込められている。また、「無能」のネガティブなイメージもあり、「人工無脳」とする表記が古くからあり、好まれている。出来の良い人工無脳は人間と区別がつきにくいため、人工無脳の発言にはマークがつく仕組みになっていることもあった。
有名な人工無脳として、「おんJBot」や「ゆいぼっと」、「Chararina(旧:ペルソナウェア)」「伺か」、「よみうさ」、「人工無能うずら」、「ししゃも」、「Lainan(ライナン)」「Apricot」がある。コンピュータによる合成音声の出力ができるものもあり、K仲川の「人工無脳ちかちゃん」(IBM ViaVoiceのエンジンを利用)や、佐野榮太郎のA.R.M.S(株式会社リコーの規則音声合成エンジンを利用)がある。
インターネットが普及して以降は、GoogleアシスタントやAmazonアレクサなどのバーチャルアシスタント、FacebookメッセンジャーやDiscord、微信などのメッセージアプリ等、個々のアプリやウェブページを介して利用される例も増加した。 コンピュータゲームに応用したものとして、古い作品にはEmmyがある。SCEの開発したゲームソフトである『どこでもいっしょ』のキャラクター「トロ」をはじめとするポケットピープル(略称:ポケピ)やWindows Live メッセンジャーのアドバイザー「まいこ」なども人工無脳に類するキャラクターである。
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"text": "チャットボット(英: chatbot)は、もともとはチャッターボット(英: chatterbot)とよばれ、テキストや音声による対話を通じて人間的な会話の模倣を目的としたソフトウェアアプリケーションで、通常はオンラインで使用される。",
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"text": "最近、この分野はOpenAIのChatGPTの人気によって広く注目を集めており、マイクロソフトのBing Chat(OpenAIのGPT-4を使用している)やGoogleのBardのような競合商品が続いている。このような例は、特定のタスクやアプリケーション(チャットボットの場合、人間の会話をシミュレートする)を対象とするようにファインチューニングされた、広範な基盤となる大規模言語モデルに基づいて構築される製品の最近の慣行を反映している。チャットボットはまた、さらに特定の状況や特定の主題領域を対象とするように設計または制作することもできる。",
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"text": "チャットボットが長い間使用されてきた主な分野は、さまざまな種類の仮想アシスタントなど、顧客サービスやサポートの分野である。最近では、さまざまな業界の企業が、最新の生成的人工知能技術を使用して、こうした分野でより高度な開発を推進し始めている。",
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"text": "1950年、アラン・チューリングは有名な論文「計算する機械と知性(英語版)(Computing Machinery and Intelligence)」を発表し、知能の基準として現在ではチューリング・テストと呼ばれているものを提案した。このテストは、コンピュータ・プログラムが人間になりすまし、人間の判定者と文書を通じてリアルタイムで会話し、判定者が会話の内容だけでプログラムと本当の人間を確実に区別できないかどうかで判断するものである。チューリングの提案したテストが評判になったことで、1966年に発表されたジョセフ・ワイゼンバウムのプログラム「ELIZA」は、あたかも本当の人間と会話しているかのようにユーザーをだますことができると大きな関心を集めた。しかし、ワイゼンバウム自身は、ELIZAが純粋に知的であるとは言っておらず、論文の序文ではむしろ見せかけを曝露するための練習課題として紹介している。",
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"text": "人工知能では ... 機械がすばらしい働きをするように作られており、経験豊富な判定者でさえ驚かせることがしばしばある。しかし、ひとたび特定のプログラムの仮面が外され、その内部の仕組みが説明されると ... その魔法は崩壊し、単なる手続きの集合であることが明らかになる。 ... 判定者は「これなら私にも書ける」と自分に語りかける。そう考えた彼は、問題のプログラムを「知性」と記された棚から骨董品棚に移してしまう。この論文の目的は、「説明」されようとしているプログラムに対して、まさにそのような再評価を促すことである。これほどまでに必要なプログラムはないだろう。",
"title": "背景"
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"text": "ELIZAの主要な操作方法(その後のチャットボット設計者によって模倣された)では、入力された会話文から手がかりとなる単語やフレーズを認識し、それに対応するあらかじめ用意された、あるいはプログラムされた応答を出力することで、一見して有意義な形で会話を進めることができる。たとえば「MOTHER(お母さん)」という単語を含む入力に対して、「TELL ME MORE ABOUT YOUR FAMILY(あなたの家族についてもっと教えてください)」と応答する。このようにして、表面的な処理しかしていなくても、理解したかのような錯覚が生じる。ELIZAは、このような錯覚が驚くほど簡単に起こることを示した。なぜなら、会話の応答が「知的」と解釈できる場合、人間はそれを好意的に判断しようとする傾向があるためである。",
"title": "背景"
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"text": "インタフェース設計者は、コンピュータの出力を純粋に会話として解釈しようとする人間の適応性を、有用な目的のために利用できると認識するようになった(たとえそれが実際にはかなり単純なパターンマッチに基づいていたとしても)。多くの人は人間らしいプログラムとの対話をいとわない。このため、ユーザーから情報を引き出す必要のある対話型システムで、その情報が比較的単純で予測可能なカテゴリに分類される限り、チャットボット型の技術が役に立つ可能性がある。たとえば、オンラインヘルプシステムでは、ユーザーが必要とする情報の分野を特定するためにチャットボット技術を有効に利用して、形式的な検索やメニューシステムよりも「使いやすい」インタフェースを提供できる可能性がある。このような使い方は、チャットボット技術をワイゼンバウムの「骨董品が並ぶ棚」から、「真に役立つ解法」と記された棚に移す可能性を秘めている。",
"title": "背景"
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"text": "初期のチャットボットの代表としては、ELIZA(1966年)やPARRY(1972年)があげられる。その後の注目されるチャットボットとして、A.L.I.C.E.(1995年)、Jabberwacky(1997年)などがある。ELIZAやPARRYは入力された会話をシミュレートするために使用されていたが、以降のチャットボットはゲームやネット検索などのさまざまな機能を備えてきた。1984年には、チャットボットRacter(英語版)が書いたとされる「The Policeman's Beard is Half Constructed」という本が出版された(もっとも公開されたプログラムはそのようなことはできなかったと考えられる)。",
"title": "手法"
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"text": "AI研究の関連分野として自然言語処理がある。一般的に「弱いAI」分野では、必要とする機能のために特別に設計されたソフトウェアやプログラミング言語が用いられた。たとえば、A.L.I.C.E.はAIMLというマークアップ言語を使用しているが、これは会話エージェント(英語版)としての機能に特化したもので、後に登場したA.L.I.C.E.のクローン(アリスボットとくくられる)でも採用された。それでも、A.L.I.C.E.は純粋なパターンマッチング技術に基づいており、推論機能はなく、1966年にELIZAが使用していた方法と同じ技術である。これは知恵や論理的な推論能力を必要とする「強いAI」ではない。",
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"text": "より新しいJabberwackyの設計では、静的なデータベースによって駆動するのではなく、ユーザーとのリアルタイムな対話的処理に基づいて新しい応答とコンテキストを学習するように改善された。こうしたチャットボットには、リアルタイム学習と進化的アルゴリズムを組み合わせて、会話を交わすごとにコミュニケーション能力が向上するものもある。",
"title": "手法"
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"text": "チャットボットのコンテストでは、チューリング・テストや、より具体的な目標に焦点が当てられてきた。そのような毎年恒例のコンテストとしてローブナー賞とThe Chatterbox Challengeがあり、人工知能として人間に近いと判定されたボットが表彰されている。2005-2006年のローブナー賞ではJabberwackyに基づいたボットが表彰された。",
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"text": "近年は、言語モデルとしてニューラルネットワークを使用したチャットボットが台頭してきた。2017年に発表されたトランスフォーマー(Transformer)は、大きなデータセットによる深層学習モデルを可能とし、この技術に基づく Generative Pre-trained Transformer(GPT)や Bidirectional Encoder Representations from Transformers(BERT)は、高度なチャットボットを構築するために一般的になっている。その名前が示す事前訓練(pre-training)は大規模なテキストコーパスを用いた初期訓練プロセスを意味し、タスク固有のデータ量が限られているユーザー側のタスクでモデルが優れた性能を発揮するための、堅牢な土台を提供する。GPTチャットボットの代表として ChatGPT(2022年)があり、その正確性に批判があるが、詳細な応答や歴史的な知識で注目を集めている。もう一つの例は、マイクロソフトが開発したBioGPT(2022年)で、生物医学的な質問への解答に重点を置いている。",
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"text": "企業の多くのチャットボットは、メッセージングアプリやSMS(ショートメッセージサービス)として動作し、B2Cでのカスタマーサービス、販売、マーケティングに使用されている。ボットは通常、ユーザーの連絡先の1つとして表示されたり、グループチャット(英語版)の参加者として機能することもある。こうしたチャットボットは、簡単な質問に答えたり、カスタマーエンゲージメント(英語版)の向上、宣伝、そして注文方法を追加する役割を担っている。",
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"text": "チャットボットは医療業界でも利用されている。ある調査によると、米国の医師は、医師の予約スケジューリング、病院の検索、投薬情報の提供などにチャットボットが最も有益だと考えていることがわかった。",
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"text": "チャットボット開発者は、顧客サービスやその他の通信プロセスを自動化するアプリケーションの作成、デバッグ、および保守を担当する。必要に応じてコードを見直して最適化することも職務に含まれる。また、組織がボットを業務に導入するのを支援することもある。",
"title": "チャットボットと仕事"
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"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "Forresterの調査(2017年6月)では、2019年までに全職種の25%がAI技術の影響を受けると予測されている。",
"title": "チャットボットと仕事"
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"tag": "p",
"text": "ELIZAを参考としたチャットボットは、日本でも独自の発展を遂げてきた。そうした要因として、日本語は通常分かち書きされていない(単語同士がスペースで区切られていない)ため、どこまでが単語であるかを判断するのが困難であるという点が挙げられる。現在では、自然言語処理の研究の進展や、飛躍的に向上したコンピュータの記憶容量と処理速度により、形態素解析などの日本語解析の手法を用いることで、英語などの分かち書きを行う言語に近い土俵に立てるようになったと言える。",
"title": "日本のチャットボット"
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"text": "日本ではパソコン通信のサービスのひとつ「チャット」において一般化した。当時は漢字入力ができないことが普通で、カタカナだけの会話であったため、読みやすくするために分かち書きにすることが一般的であった。そのため構文解析の手間が少なく、エンジンの洗練化が進んだ。日本国内における普及初期には現在のチャットボットに対する呼称およびその概念に相当するものとしては「人工無脳」(じんこうむのう、英: Artificial Idiocy)という語が主流であった。「人工無脳」は、「人工知能」ないし「人工頭脳」をひねったネットスラングであり、脳に比肩するほどの高度な処理は行われていないという皮肉が込められている。また、「無能」のネガティブなイメージもあり、「人工無脳」とする表記が古くからあり、好まれている。出来の良い人工無脳は人間と区別がつきにくいため、人工無脳の発言にはマークがつく仕組みになっていることもあった。",
"title": "日本のチャットボット"
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"text": "有名な人工無脳として、「おんJBot」や「ゆいぼっと」、「Chararina(旧:ペルソナウェア)」「伺か」、「よみうさ」、「人工無能うずら」、「ししゃも」、「Lainan(ライナン)」「Apricot」がある。コンピュータによる合成音声の出力ができるものもあり、K仲川の「人工無脳ちかちゃん」(IBM ViaVoiceのエンジンを利用)や、佐野榮太郎のA.R.M.S(株式会社リコーの規則音声合成エンジンを利用)がある。",
"title": "日本のチャットボット"
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"text": "インターネットが普及して以降は、GoogleアシスタントやAmazonアレクサなどのバーチャルアシスタント、FacebookメッセンジャーやDiscord、微信などのメッセージアプリ等、個々のアプリやウェブページを介して利用される例も増加した。 コンピュータゲームに応用したものとして、古い作品にはEmmyがある。SCEの開発したゲームソフトである『どこでもいっしょ』のキャラクター「トロ」をはじめとするポケットピープル(略称:ポケピ)やWindows Live メッセンジャーのアドバイザー「まいこ」なども人工無脳に類するキャラクターである。",
"title": "日本のチャットボット"
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チャットボットは、もともとはチャッターボットとよばれ、テキストや音声による対話を通じて人間的な会話の模倣を目的としたソフトウェアアプリケーションで、通常はオンラインで使用される。 最近、この分野はOpenAIのChatGPTの人気によって広く注目を集めており、マイクロソフトのBing Chat(OpenAIのGPT-4を使用している)やGoogleのBardのような競合商品が続いている。このような例は、特定のタスクやアプリケーション(チャットボットの場合、人間の会話をシミュレートする)を対象とするようにファインチューニングされた、広範な基盤となる大規模言語モデルに基づいて構築される製品の最近の慣行を反映している。チャットボットはまた、さらに特定の状況や特定の主題領域を対象とするように設計または制作することもできる。 チャットボットが長い間使用されてきた主な分野は、さまざまな種類の仮想アシスタントなど、顧客サービスやサポートの分野である。最近では、さまざまな業界の企業が、最新の生成的人工知能技術を使用して、こうした分野でより高度な開発を推進し始めている。
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{{更新|1=チューリングテストに基づくチャットボットの評価|date=February 2023}}
[[ファイル:Automated online assistant.png|thumb|[[バーチャルアシスタント|仮想アシスタント]]型のチャットボット]]
[[ファイル:ELIZA conversation.png|thumb|[[ELIZA]]チャットボット (1966年)]]
'''チャットボット'''({{Lang-en-short|chatbot}})は、もともとは'''チャッターボット'''({{Lang-en-short|chatterbot}})とよばれ<ref name="Mauldin" />、テキストや音声による[[会話|対話]]を通じて人間的な会話の模倣を目的とした[[ソフトウェア]]アプリケーションで、通常は[[オンライン]]で使用される<ref name="target">{{cite web|url=http://searchdomino.techtarget.com/sDefinition/0,,sid4_gci935566,00.html|title=What is a chatbot?|website=techtarget.com|access-date=30 January 2017|archive-date=2 November 2010|archive-url=https://web.archive.org/web/20101102170613/http://searchdomino.techtarget.com/sDefinition/0,,sid4_gci935566,00.html|url-status=live}}</ref><ref name=":1" />。
最近、この分野はOpenAIの[[ChatGPT]]の人気によって広く注目を集めており<ref>{{cite news |url=https://www.reuters.com/technology/chatgpt-sets-record-fastest-growing-user-base-analyst-note-2023-02-01/ |title=ChatGPT sets record for fastest-growing user base - analyst note |newspaper=Reuters |date=2 February 2023 |last1=Hu |first1=Krystal}}</ref>、マイクロソフトの[[Bing Chat]](OpenAIのGPT-4を使用している)やGoogleの[[Bard]]のような競合商品が続いている<ref>{{cite web |url=https://www.cnet.com/tech/services-and-software/chatgpt-vs-bing-vs-google-bard-which-ai-is-the-most-helpful/ |title=ChatGPT vs. Bing vs. Google Bard: Which AI is the Most Helpful? |access-date=2023-07-18}}</ref>。このような例は、特定のタスクやアプリケーション(チャットボットの場合、人間の会話をシミュレートする)を対象とするように[[ファインチューニング (機械学習)|ファインチューニング]]された、広範な[[基盤モデル|基盤]]となる[[大規模言語モデル]]に基づいて構築される製品の最近の慣行を反映している。チャットボットはまた、さらに特定の状況や特定の主題領域を対象とするように設計または制作することもできる<ref name="livemint.com">{{cite web |url=https://www.livemint.com/technology/tech-news/gpt4-takes-the-world-by-storm-list-of-companies-that-integrated-the-chatbot-11679293885004.html |title=GPT-4 takes the world by storm - List of companies that integrated the chatbot |date=21 March 2023 |access-date=2023-07-18}}</ref>。
チャットボットが長い間使用されてきた主な分野は、さまざまな種類の[[仮想アシスタント]]など<ref>{{cite web |url=https://cai.tools.sap/blog/2017-messenger-bot-landscape/ |title=2017 Messenger Bot Landscape, a Public Spreadsheet Gathering 1000+ Messenger Bots |date=3 May 2017 |access-date=1 February 2019 |archive-date=2 February 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190202041707/https://cai.tools.sap/blog/2017-messenger-bot-landscape/ |url-status=live}}</ref>、顧客サービスやサポートの分野である。最近では、さまざまな業界の企業が、最新の[[生成的人工知能]]技術を使用して、こうした分野でより高度な開発を推進し始めている<ref name="livemint.com2">{{cite web |url=https://www.livemint.com/technology/tech-news/gpt4-takes-the-world-by-storm-list-of-companies-that-integrated-the-chatbot-11679293885004.html |title=GPT-4 takes the world by storm - List of companies that integrated the chatbot |date=21 March 2023 |access-date=2023-07-18}}</ref>。
== 背景 ==
{{Also|ELIZA|[[:en:ELIZA|ELIZA(英語版)]]}}
1950年、[[アラン・チューリング]]は有名な論文「''{{Ill2|計算する機械と知性|en|Computing Machinery and Intelligence}}''(''Computing Machinery and Intelligence'')」を発表し<ref name="Turing" />、知能の基準として現在では[[チューリング・テスト]]と呼ばれているものを提案した。このテストは、[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータ・プログラム]]が人間になりすまし、人間の判定者と文書を通じて[[リアルタイムシステム|リアルタイム]]で会話し、判定者が会話の内容だけでプログラムと本当の人間を確実に区別できないかどうかで判断するものである。チューリングの提案したテストが評判になったことで、1966年に発表された[[ジョセフ・ワイゼンバウム]]のプログラム「[[ELIZA]]」は、あたかも本当の人間と会話しているかのようにユーザーをだますことができると大きな関心を集めた。しかし、ワイゼンバウム自身は、ELIZAが純粋に知的であるとは言っておらず、論文の序文ではむしろ見せかけを曝露するための練習課題として紹介している。
<blockquote>人工知能では ... 機械がすばらしい働きをするように作られており、経験豊富な判定者でさえ驚かせることがしばしばある。しかし、ひとたび特定のプログラムの仮面が外され、その内部の仕組みが説明されると ... その魔法は崩壊し、単なる手続きの集合であることが明らかになる。 ... 判定者は「これなら私にも書ける」と自分に語りかける。そう考えた彼は、問題のプログラムを「知性」と記された棚から骨董品棚に移してしまう。この論文の目的は、「説明」されようとしているプログラムに対して、まさにそのような再評価を促すことである。これほどまでに必要なプログラムはないだろう<ref name="Weizenbaum" />。</blockquote>
ELIZAの主要な操作方法(その後のチャットボット設計者によって模倣された)では、入力された会話文から手がかりとなる単語やフレーズを認識し、それに対応するあらかじめ用意された、あるいはプログラムされた応答を出力することで、一見して有意義な形で会話を進めることができる。たとえば「MOTHER(お母さん)」という単語を含む入力に対して、「TELL ME MORE ABOUT YOUR FAMILY(あなたの家族についてもっと教えてください)」と応答する<ref name="Weizenbaum" />。このようにして、表面的な処理しかしていなくても、理解したかのような錯覚が生じる。ELIZAは、このような錯覚が驚くほど簡単に起こることを示した。なぜなら、会話の応答が「知的」と解釈できる場合、人間はそれを好意的に判断しようとする傾向があるためである。
インタフェース設計者は、コンピュータの出力を純粋に会話として解釈しようとする人間の適応性を、有用な目的のために利用できると認識するようになった(たとえそれが実際にはかなり単純なパターンマッチに基づいていたとしても)。多くの人は人間らしいプログラムとの対話をいとわない。このため、ユーザーから情報を引き出す必要のある対話型システムで、その情報が比較的単純で予測可能なカテゴリに分類される限り、チャットボット型の技術が役に立つ可能性がある。たとえば、[[オンラインヘルプ]]システムでは、ユーザーが必要とする情報の分野を特定するためにチャットボット技術を有効に利用して、形式的な検索やメニューシステムよりも「使いやすい」インタフェースを提供できる可能性がある。このような使い方は、チャットボット技術をワイゼンバウムの「骨董品が並ぶ棚」から、「真に役立つ解法」と記された棚に移す可能性を秘めている。
== 手法 ==
=== パターンマッチング ===
初期のチャットボットの代表としては、ELIZA(1966年)や[[PARRY]](1972年)があげられる<ref name="Güzeldere" /><ref name="comphis" /><ref name="Sondheim" /><ref name="Network" />。その後の注目されるチャットボットとして、[[Artificial Linguistic Internet Computer Entity|A.L.I.C.E.]](1995年)、[[Jabberwacky]](1997年)などがある。ELIZAやPARRYは入力された会話をシミュレートするために使用されていたが、以降のチャットボットはゲームや[[検索エンジン|ネット検索]]などのさまざまな機能を備えてきた。1984年には、チャットボット{{Ill2|Racter|en|Racter}}が書いたとされる「''The Policeman's Beard is Half Constructed''」という本が出版された(もっとも公開されたプログラムはそのようなことはできなかったと考えられる)<ref>[http://everything2.com/title/The+Policeman%2527s+Beard+is+Half+Constructed The Policeman's Beard is Half Constructed] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100204175415/http://everything2.com/title/the+policeman%2527s+beard+is+half+constructed |date=4 February 2010 }}. everything2.com. 13 November 1999</ref>。
AI研究の関連分野として自然言語処理がある。一般的に「[[弱いAI]]」分野では、必要とする機能のために特別に設計されたソフトウェアやプログラミング言語が用いられた。たとえば、A.L.I.C.E.は[[AIML]]という[[マークアップ言語]]を使用しているが<ref name=":1" />、これは{{Ill2|対話システム|en|Dialogue system|label=会話エージェント}}としての機能に特化したもので、後に登場したA.L.I.C.E.のクローン([[Artificial Linguistic Internet Computer Entity|アリスボット]]とくくられる)でも採用された。それでも、A.L.I.C.E.は純粋な[[パターンマッチング]]技術に基づいており、推論機能はなく、1966年にELIZAが使用していた方法と同じ技術である。これは[[知恵]]や論理的な推論能力を必要とする「[[強いAIと弱いAI|強いAI]]」ではない。
=== 人間との対話による学習 ===
より新しいJabberwackyの設計では、静的な[[データベース]]によって駆動するのではなく、ユーザーとの[[リアルタイムシステム|リアルタイム]]な[[ヒューマンコンピュータインタラクション|対話的処理]]に基づいて新しい応答と[[コンテキスト (言語使用)|コンテキスト]]を学習するように改善された。こうしたチャットボットには、リアルタイム学習と[[進化的アルゴリズム]]を組み合わせて、会話を交わすごとにコミュニケーション能力が向上するものもある。
チャットボットのコンテストでは、チューリング・テストや、より具体的な目標に焦点が当てられてきた。そのような毎年恒例のコンテストとして[[ローブナー賞]]とThe Chatterbox Challenge{{Efn|2015年にオフラインになったが、資料はウェブアーカイブから見つけられる<ref>{{Cite web |url=http://www.schwaebische.de/archiv_artikel,-Chatroboter-simulieren-Menschen-_arid,855141.html |title=Chatroboter simulieren Menschen |access-date=2023-04-17 |archive-date=2015-09-11 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150911052959/http://www.schwaebische.de/home_artikel,-_arid,855141.html}}</ref>。}}があり、人工知能として人間に近いと判定されたボットが表彰されている。2005-2006年のローブナー賞ではJabberwackyに基づいたボットが表彰された。
=== 大規模言語モデル(LLM) ===
{{Main|大規模言語モデル}}
近年は、[[言語モデル]]として[[ニューラルネットワーク]]を使用したチャットボットが台頭してきた。2017年に発表された[[Transformer (機械学習モデル)|トランスフォーマー]](Transformer)は、大きなデータセットによる深層学習モデルを可能とし<ref name=":02">{{Cite arXiv|arxiv=1706.03762|class=cs.CL|last=Polosukhin|first=Illia|last2=Kaiser|first2=Lukasz|title=Attention Is All You Need|date=2017-06-12}}</ref>、この技術に基づく [[Generative Pre-trained Transformer]](GPT)や [[BERT (言語モデル)|Bidirectional Encoder Representations from Transformers]](BERT)は、高度なチャットボットを構築するために一般的になっている。その名前が示す事前訓練(pre-training)は大規模な[[テキストコーパス]]を用いた初期訓練プロセスを意味し、タスク固有のデータ量が限られているユーザー側のタスクでモデルが優れた性能を発揮するための、堅牢な土台を提供する。GPTチャットボットの代表として [[ChatGPT]](2022年)があり、その正確性に批判があるが、詳細な応答や歴史的な知識で注目を集めている。もう一つの例は、[[マイクロソフト]]が開発したBioGPT(2022年)で、[[生物医学]]的な質問への解答に重点を置いている<ref name="pmid36156661">{{cite journal| authors=etal| title=BioGPT: generative pre-trained transformer for biomedical text generation and mining | journal=Brief Bioinform | year= 2022 | volume= 23 | issue= 6 | pages= | pmid=36156661 | doi=10.1093/bib/bbac409 | last1=Luo | first1=Renqian | last2=Sun | first2=Liai | last3=Xia | first3=Yingce | last4=Qin | first4=Tao | last5=Zhang | first5=Sheng | last6=Poon | first6=Hoifung | last7=Liu | first7=Tie-Yan }} </ref><ref>{{cite web|url=https://the-decoder.com/biogpt-is-a-microsoft-language-model-trained-for-biomedical-tasks/|title=BioGPT is a Microsoft language model trained for biomedical tasks|date=29 January 2023|website=The Decoder|author=Bastian, Matthias|access-date=7 February 2023|archive-date=7 February 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20230207174627/https://the-decoder.com/biogpt-is-a-microsoft-language-model-trained-for-biomedical-tasks/|url-status=live}}</ref>。
== 応用 ==
=== メッセージングアプリ ===
企業の多くのチャットボットは、[[インスタントメッセージ|メッセージングアプリ]]や[[ショートメッセージサービス|SMS]](ショートメッセージサービス)として動作し、[[小売|B2C]]でのカスタマーサービス、販売、マーケティングに使用されている<ref>{{cite book|last1=Beaver|first1=Laurie|title=The Chatbots Explainer|date=July 2016|publisher=BI Intelligence|url=https://www.businessinsider.com/chatbots-explained-why-businesses-should-be-paying-attention-to-the-chatbot-revolution-2016-7?IR=T|access-date=4 November 2019|archive-date=3 May 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190503111645/https://www.businessinsider.com/chatbots-explained-why-businesses-should-be-paying-attention-to-the-chatbot-revolution-2016-7?IR=T|url-status=live}}</ref>。ボットは通常、ユーザーの連絡先の1つとして表示されたり、{{Ill2|チャットルーム|en|Chat room|label=グループチャット}}の参加者として機能することもある。こうしたチャットボットは、簡単な[[質問応答システム|質問に答え]]たり、{{Ill2|カスタマーエンゲージメント|en|Customer engagement}}の向上<ref>{{cite web|title=She is the company's most effective employee|work=Nordea News|url=https://nordeanews-no.translate.goog/2017/09/hun-er-bankens-mest-effektive-medarbeider/?_x_tr_sl=no&_x_tr_tl=en&_x_tr_hl=no|date=September 2017|access-date=23 March 2023|archive-date=23 March 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20230323165008/https://www-nordea-com.translate.goog/no?_x_tr_sl=no&_x_tr_tl=en&_x_tr_hl=no|url-status=live}}</ref>、宣伝、そして注文方法を追加する役割を担っている<ref>{{cite web|title=Better believe the bot boom is blowing up big for B2B, B2C businesses|url=https://venturebeat.com/2016/07/24/better-believe-the-bot-boom-is-blowing-up-big-for-b2b-b2c-businesses-vb-live/|website=VentureBeat|date=24 July 2016|access-date=30 August 2017|archive-date=3 August 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170803182306/https://venturebeat.com/2016/07/24/better-believe-the-bot-boom-is-blowing-up-big-for-b2b-b2c-businesses-vb-live/|url-status=live}}</ref>。
2016年の調査では、80%の企業が2020年までに導入する予定と回答し<ref>{{cite web|url=http://www.businessinsider.com/80-of-businesses-want-chatbots-by-2020-2016-12|title=80% of businesses want chatbots by 2020|website=[[:en:Business Insider|Business Insider]]|date=15 December 2016|access-date=7 March 2018|archive-date=8 March 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180308042224/http://www.businessinsider.com/80-of-businesses-want-chatbots-by-2020-2016-12|url-status=live}}</ref>、2017年の調査では、4%の企業がチャットボットを使用していた<ref>{{cite web|url=https://www.pm360online.com/the-ai-revolution-is-underway/|title=The AI Revolution is Underway! – PM360|website=www.pm360online.com|date=18 October 2017|author=Capan, Faruk|access-date=7 March 2018|archive-date=8 March 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180308043007/https://www.pm360online.com/the-ai-revolution-is-underway/|url-status=live}}</ref>。
==== バーチャルアシスタント ====
{{See also|バーチャルアシスタント}}ウェブサイトに組み込まれ、利用者が目的を達成することを助けることができるチャットボットもある。初期のものは、たとえば[[アラスカ航空]]の「Ask Jenn」(2008年)や<ref name="nytimes.com">{{cite web|url=https://www.nytimes.com/2008/03/04/business/04road.html|title=A Virtual Travel Agent With All the Answers|date=4 March 2008|website=The New York Times|access-date=3 August 2017|archive-date=15 June 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170615183749/http://www.nytimes.com/2008/03/04/business/04road.html|url-status=live}}</ref>、オンライン旅行会社[[エクスペディア]]の仮想顧客サービスエージェント(2011年)などに見られ、自然言語を通じて情報を集めてユーザーに回答したり関連ページを表示して時間を節約した<ref name="nytimes.com" /><ref name=":0">{{cite web|url=http://www.hypergridbusiness.com/2011/10/chatbot-vendor-directory-released/|title=Chatbot vendor directory released|date=October 2011|website=www.hypergridbusiness.com|access-date=23 April 2017|archive-date=23 April 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170423153332/http://www.hypergridbusiness.com/2011/10/chatbot-vendor-directory-released/|url-status=live}}</ref>。より新しい世代のチャットボットの例としては、2017年2月に電子商取引企業Rare CaratがIBM[[ワトソン (コンピュータ)|ワトソン・コンピュータ]]を使用して商品の購入希望者に情報を提供するものがある<ref>{{cite news |title=Rare Carat's Watson-powered chatbot will help you put a diamond ring on it |date=15 February 2017 |url=https://techcrunch.com/2017/02/15/rare-carats-watson-powered-chat-bot-will-help-you-put-a-diamond-ring-on-it/ |agency=TechCrunch |access-date=22 August 2017 |archive-date=22 August 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170822133420/https://techcrunch.com/2017/02/15/rare-carats-watson-powered-chat-bot-will-help-you-put-a-diamond-ring-on-it/ |url-status=live }}</ref><ref>{{cite news |date=10 March 2017 |title=10 ways you may have already used IBM Watson |url=https://venturebeat.com/2017/03/10/10-ways-you-may-have-already-used-ibm-watson/ |agency=VentureBeat |access-date=22 August 2017 |archive-date=22 August 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20170822101320/https://venturebeat.com/2017/03/10/10-ways-you-may-have-already-used-ibm-watson/ |url-status=live }}</ref>。
==== チャットボットシーケンス ====
これはマーケット担当者が一連のメッセージを記述するために用いられるチャットボットである([[オートレスポンダー]]と類似)。こうしたシーケンスは、ユーザーの加入や対話内のキーワードによって引き起こされ、次に期待されるユーザーの反応が得られるまで一連のメッセージを配信する。各ユーザーの応答は[[決定木]]に送られ、チャットボットの応答シーケンスを誘導し、正しい応答メッセージを配信するのを助ける。
=== 企業内プラットフォーム ===
また、[[顧客サポート|従業員サポート]]、[[人事]]、あるいは[[モノのインターネット|IoT(モノのインターネット)]]プロジェクトなど、社内でチャットボットの活用を実践している企業もある。たとえば、ネット小売業のOverstock.comは、病気休暇を申請する際に、簡単だが[[費用|時間]]のかかる特定の手続きを自動化するために、Milaという名前のチャットボットを立ち上げた伝えられている<ref>{{cite news|last1=Greenfield|first1=Rebecca|title=Chatbots Are Your Newest, Dumbest Co-Workers|url=https://www.bloomberg.com/news/articles/2016-05-05/chatbots-are-your-newest-dumbest-co-workers|newspaper=Bloomberg.com|date=5 May 2016|access-date=6 March 2017|archive-date=6 April 2017|archive-url=https://web.archive.org/web/20170406040807/https://www.bloomberg.com/news/articles/2016-05-05/chatbots-are-your-newest-dumbest-co-workers|url-status=live}}</ref>。病院や航空会社などの大企業ではIT設計者がインテリジェント・チャットボットの{{Ill2|リファレンスアーキテクチャ|en|Reference architecture}}を設計しており、組織内の知識や専門経験をより効率的に活用/共有し、専門的サービスデスクからの回答ミスを大幅に削減するのに使用されている<ref>{{cite web|url=https://www.dragon1.com/watch/470340/chatbot-reference-architecture/|title=Chatbot Reference Architecture|date=1 January 2019|access-date=14 January 2019|archive-date=15 January 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190115023238/https://www.dragon1.com/watch/470340/chatbot-reference-architecture|url-status=live}}</ref>。これらのインテリジェント・チャットボットはさまざまな人工知能を利用しており、{{Ill2|コンテントモデレーション|en|Content moderation}}、[[自然言語理解]](NLU)、[[自然言語生成]](NLG)などの技術が含まれる。
=== 顧客サービス ===
多くの銀行組織では、顧客サービス業務に自動化されたAIベースのソリューションが統合され、ますます技術に慣れ親しんだ顧客に迅速で安価なサポートを提供している。特にチャットボットは対話を効率的に行うことで、電子メール、電話、SMSなどの他のコミュニケーションツールに取って代わることができる。銀行での主な用途には、一般的なリクエストへの対応や、取引のサポートがあげられる。
いくつかの調査では、ボットの導入によって顧客サービス費用を大幅に削減した事例が報告されており、今後10年間で数十億ドルの経済的節約につながると予想されている<ref name="WSBanks">{{cite web|url=https://www.marutitech.com/chatbots-transforming-wall-street-main-street-banks/|title=How Chatbots are Transforming Wall Street and Main Street Banks?|author=Hingrajia, Mirant|work=Marutitech|access-date=1 April 2019|archive-date=1 April 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190401192225/https://www.marutitech.com/chatbots-transforming-wall-street-main-street-banks/|url-status=live}}</ref>。2019年、[[ガートナー]]は、2021年までに世界の全ての顧客サービス対話の15%がAIによって完全に処理されるようになると予測した<ref>{{Cite web|url=https://www.gartner.com/smarterwithgartner/27297-2/|archive-url=https://web.archive.org/web/20191211081442/https://www.gartner.com/smarterwithgartner/27297-2/|url-status=dead|archive-date=11 December 2019|title=How to Manage Customer Service Technology Innovation|website=www.gartner.com|access-date=2 January 2020}}</ref>。Juniper Researchによる2019年の調査では、チャットボットを使った対話によってもたらされる小売業の売上高は、2023年までに1,120億ドルに達すると推計されている<ref>{{Cite web|url=https://www.juniperresearch.com/press/press-releases/chatbot-interactions-retail-reach-22-billion-2023|title=CHATBOT INTERACTIONS IN RETAIL TO REACH 22 BILLION BY 2023, AS AI OFFERS COMPELLING NEW ENGAGEMENT SOLUTIONS|publisher=Juniper Research|author=Smith, Sam|date=8 May 2019|access-date=2 January 2020|archive-date=2 January 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200102180434/https://www.juniperresearch.com/press/press-releases/chatbot-interactions-retail-reach-22-billion-2023|url-status=live}}</ref>。
=== 医療 ===
{{See also|{{ill2|ヘルスケアにおける人工知能|en|Artificial intelligence in healthcare}}}}
チャットボットは医療業界でも利用されている<ref>{{Cite web|url=https://money.cnn.com/2016/10/11/technology/baidu-doctor-ai-melody/index.html|title=Baidu is bringing AI chatbots to healthcare|first=Selena|last=Larson|date=11 October 2016|work=[[:en:CNN Money|CNN Money]]|access-date=3 January 2020|archive-date=3 January 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200103124942/https://money.cnn.com/2016/10/11/technology/baidu-doctor-ai-melody/index.html|url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.aiin.healthcare/topics/robotics/ai-chatbots-have-future-healthcare-caveats|title=AI chatbots have a future in healthcare, with caveats|website=AI in Healthcare|access-date=17 September 2019|archive-date=23 March 2023|archive-url=https://web.archive.org/web/20230323165017/https://healthexec.com/topics/artificial-intelligence/ai-chatbots-have-future-healthcare-caveats|url-status=live}}</ref>。ある調査によると、米国の医師は、医師の予約スケジューリング、病院の検索、投薬情報の提供などにチャットボットが最も有益だと考えていることがわかった<ref>{{Cite journal|title=Physicians' Perceptions of Chatbots in Health Care: Cross-Sectional Web-Based Survey|first1=Adam|last1=Palanica|first2=Peter|last2=Flaschner|first3=Anirudh|last3=Thommandram|first4=Michael|last4=Li|first5=Yan|last5=Fossat|date=3 January 2019|journal=Journal of Medical Internet Research|volume=21|issue=4|pages=e12887|doi=10.2196/12887|pmid=30950796|pmc=6473203}}</ref>。
しかし、チャットボットの使用にまだ消極的な一部の患者の集団もある。ある混合研究によると、人々は技術の複雑さへの理解不足、共感性の不足、およびサイバーセキュリティへの懸念から、医療にチャットボットを使うことに消極的であることがわかった<ref>{{Cite journal|title=Acceptability of artificial intelligence (AI)-led chatbot services in healthcare: A mixed-methods study|first1=Tom|last1=Nadarzynski|first2=Oliver|last2=Miles|first3=Aimee|last3=Cowie|first4=Damien|last4=Ridge|date=1 January 2019|journal=Digital Health|volume=5|pages=2055207619871808|doi=10.1177/2055207619871808|pmid=31467682|pmc=6704417}}</ref>。この調査によると、医療チャットボットの存在を聞いたことがある人は6%、使用経験がある人は3%、12ヶ月以内に使用する可能性があると認識していた人は67%であった。参加者の大半は、一般的な健康情報の収集(78%)、診療の予約(78%)、地域の医療サービスの入手(80%)に医療チャットボットの使用を考えていた。しかし、医療チャットボットは、医療検査の結果を探したり、性的な健康問題などの専門的アドバイスを求めるにはあまり適していないと認識されていた。態度変数の分析では、ほとんどの参加者が、自分の健康について医師と話し合うこと(73%)と、信頼できて正確な健康情報にアクセスすること(93%)を好むことがわかった。80%が健康を改善できる新技術に興味を持つ一方で、66%は健康上の問題が発生したときのみ医師に診てもらうと答え、65%はチャットボットが良いアイデアだと考えていた。興味深いことに、30%がコンピューターと話すことに嫌悪し、41%がチャットボットと健康問題について話し合うことに違和感を示し、約半数がチャットボットのアドバイスを信頼できるかどうか確信を持てなかった。したがって、信頼性の認識、ボットに対する個人の考え、コンピュータと話すことへの嫌悪感が、医療チャットボットの主な障壁となっている。
=== 政治 ===
{{See also|アルゴリズム制#人工知能政治家<!--Government by algorithm#AI politicians-->}}
ニュージーランドでは、Sam({{Ill2|意味解析 (機械学習)|en|Semantic analysis (machine learning)|label=semantic analysis machine}})というチャットボットが開発された<ref>{{Cite web|url=https://tuiainnovation.com/sam%2c-the-virtual-politician|title=Sam, the virtual politician|website=Tuia Innovation|access-date=9 September 2019|archive-date=1 September 2019|archive-url=https://web.archive.org/web/20190901151417/https://tuiainnovation.com/sam%2c-the-virtual-politician|url-status=live}}</ref>{{Efn|TouchtechのNick Gerritsenによる制作<ref>{{Cite web|url=https://www.wgtn.ac.nz/news/2017/12/meet-the-worlds-first-virtual-politician|title=Meet the world's first virtual politician|first=Victoria University of|last=Wellington|date=15 December 2017|website=Victoria University of Wellington|access-date=3 January 2020|archive-date=3 January 2020|archive-url=https://web.archive.org/web/20200103124942/https://www.wgtn.ac.nz/news/2017/12/meet-the-worlds-first-virtual-politician|url-status=live}}</ref>。}}。気候変動、医療、教育などの話題について、政治的な考えを共有するように設計されている。
2022年、デンマークの議会選挙に立候補する政党The Synthetic Partyに指名されたチャットボットLeader Lars(またはLeder Lars)が作られた<ref>{{cite news |last=Sternberg |first=Sarah |date=20 June 2022 |title=Danskere vil ind på den politiske scene med kunstig intelligens |trans-title=Danes want to enter the political scene with artificial intelligence |newspaper=[[:en:Jyllands-Posten|Jyllands-Posten]] |url=https://jyllands-posten.dk/kultur/ECE14145385/danskere-vil-ind-paa-den-politiske-scene-med-kunstig-intelligens/ |accessdate=20 June 2022 |archive-date=20 June 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220620113705/https://jyllands-posten.dk/kultur/ECE14145385/danskere-vil-ind-paa-den-politiske-scene-med-kunstig-intelligens/ |url-status=live }}</ref><ref>{{cite news |last=Diwakar |first=Amar |date=22 August 2022 |title=Can an AI-led Danish party usher in an age of algorithmic politics? |trans-title= |newspaper=[[:en:TRT World|TRT World]] |url=https://www.trtworld.com/magazine/can-an-ai-led-danish-party-usher-in-an-age-of-algorithmic-politics-60008 |accessdate=22 August 2022 |archive-date=22 August 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220822173530/https://www.trtworld.com/magazine/can-an-ai-led-danish-party-usher-in-an-age-of-algorithmic-politics-60008 |url-status=live }}</ref>。Leader Larsは以前の仮想政治家とは異なり、[[政党]]を率いて、客観的な候補者の姿を装わなかった<ref>{{cite news |last=Xiang |first=Chloe |date=13 October 2022 |title=This Danish Political Party Is Led by an AI |trans-title= |newspaper=[[:en:Vice: Motherboard|Vice: Motherboard]] |url=https://www.vice.com/en/article/jgpb3p/this-danish-political-party-is-led-by-an-ai |accessdate=13 October 2022 |archive-date=13 October 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221013143116/https://www.vice.com/en/article/jgpb3p/this-danish-political-party-is-led-by-an-ai |url-status=live }}</ref>。このチャットボットは、世界中のユーザーと批判的な政治的議論を交わした<ref>{{cite web |last=Hearing |first=Alice |date=14 October 2022 |title=A.I. chatbot is leading a Danish political party and setting its policies. Now users are grilling it for its stance on political landmines |url=https://fortune.com/2022/10/14/ai-chatbot-leader-lars-the-synthetic-party-discord-russia-ukraine-crimea-policy/ |work=Fortune |publisher= |access-date=8 December 2022 |archive-date=22 December 2022 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221222013913/https://fortune.com/2022/10/14/ai-chatbot-leader-lars-the-synthetic-party-discord-russia-ukraine-crimea-policy/ |url-status=live }}</ref>。
=== 玩具 ===
チャットボットは[[コンピューティング]]を主な目的としない玩具にも組み込まれている<ref name="virtualagentchat">{{Cite web|url=https://virtualagentchat.com/2015/02/23/conversational-toys-the-latest-trend-in-speech-technology/|title=Conversational Toys – The Latest Trend in Speech Technology|last=Amy|date=23 February 2015|website=Virtual Agent Chat|access-date=11 August 2016|archive-date=21 February 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180221035430/https://virtualagentchat.com/2015/02/23/conversational-toys-the-latest-trend-in-speech-technology/|url-status=dead}}</ref>。マテルのハロー・[[バービー]]はインターネット接続型の人形で、子どもの発話がサーバ上のチャットボットに伝達され個別に返答を行う<ref>{{cite web|url=http://www.fastcompany.com/3042430/most-creative-people/using-toytalk-technology-new-hello-barbie-will-have-real-conversations-|title=USING TOY-TALK TECHNOLOGY, NEW HELLO BARBIE WILL HAVE REAL CONVERSATIONS WITH KIDS|website=Fast Company|last1=NAGY|first1=EVIE|date=13 February 2015|access-date=18 March 2015|archive-date=15 March 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20150315034733/http://www.fastcompany.com/3042430/most-creative-people/using-toytalk-technology-new-hello-barbie-will-have-real-conversations-|url-status=live}}</ref>。これらのキャラクターの実際の行動は、特定のキャラクターをまねてストーリーラインを作り出すルールによって制約されている<ref>{{Cite web|url=https://patents.google.com/patent/US20140032471/en|title=Artificial intelligence script tool|access-date=12 December 2021|archive-date=12 December 2021|archive-url=https://web.archive.org/web/20211212003052/https://patents.google.com/patent/US20140032471/en|url-status=live}}</ref>。また、{{Ill2|マイ・フレンド・カイラ|en|My Friend Cayla}}は身長18インチ(46cm)の人形シリーズとして販売され、[[音声認識]]技術とAndroidやiOSのモバイルアプリを連携することで子どもの発話を認識して会話を行うことができた。これらの人形は、子どもの発話から収集されたデータを利用していることが原因で物議を醸した。
IBMの[[ワトソン (コンピュータ)|ワトソン・コンピュータ]]は、教育目的で子どもと対話することを目的とした''CogniToys''<ref name="virtualagentchat" />などのチャットボットベースの教育玩具の基礎として使用されている<ref>{{cite web|last1=Takahashi|first1=Dean|title=Elemental's smart connected toy taps IBM's Watson supercomputer for its brains|url=https://venturebeat.com/2015/02/23/elementals-smart-connected-toy-cognitoys-taps-ibms-watson-supercomputer-for-its-brains/|website=Venture Beat|date=23 February 2015|access-date=15 May 2015|archive-date=20 May 2015|archive-url=https://web.archive.org/web/20150520103335/http://venturebeat.com/2015/02/23/elementals-smart-connected-toy-cognitoys-taps-ibms-watson-supercomputer-for-its-brains/|url-status=live}}</ref>。
=== 教育 ===
2023年のメタ分析によると、AIチャットボット技術は当然ながら学習アシスタントとしてパラダイムシフト的なイノベーションをもたらした。学習内容に関係なく、批判的思考を除くほぼすべての教科で学習効果を高~中程度に向上させることができる<ref>{{Cite journal|last=Deng|first=Xinjie|last2=Yu|first2=Zhonggen|date=2023-01|title=A Meta-Analysis and Systematic Review of the Effect of Chatbot Technology Use in Sustainable Education|url=https://www.mdpi.com/2071-1050/15/4/2940|journal=Sustainability|volume=15|issue=4|pages=2940|language=en|doi=10.3390/su15042940|issn=2071-1050}}</ref>。
== 悪意のある使用 ==
悪意のあるチャットボットが、人間の行動や会話を模倣してチャットルームを[[スパム (メール)|スパム]]や広告で埋め尽くしたり、人をだまして銀行口座番号などの個人情報をかすめ取るためにしばしば使用される。また、出会い系サービスのウェブサイト上の偽の個人広告にチャットボットが使用されていたという報告もある<ref>{{cite web|work=Scientific American: Mind|date=October 2007|pages=16–17|url=http://drrobertepstein.com/downloads/FROM_RUSSIA_WITH_LOVE-Epstein-Sci_Am_Mind-Oct-Nov2007.pdf|title=From Russia With Love: How I got fooled (and somewhat humiliated) by a computer|access-date=9 December 2007|author=Epstein, Robert|archive-date=19 October 2010|archive-url=https://web.archive.org/web/20101019210430/http://drrobertepstein.com/downloads/FROM_RUSSIA_WITH_LOVE-Epstein-Sci_Am_Mind-Oct-Nov2007.pdf|url-status=live}}
Psychologist [[:en:Robert Epstein|Robert Epstein]] reports how he was initially fooled by a chatterbot posing as an attractive girl in a personal ad he answered on a dating website. In the ad, the girl portrayed herself as being in Southern California and then soon revealed, in poor English, that she was actually in Russia. He became suspicious after a couple of months of email exchanges, sent her an email test of gibberish, and she still replied in general terms. The dating website is not named.</ref>。
マイクロソフトの [[Tay (人工知能)|Tay]] は過去のやりとりから学習するAIチャットボットであったが、Twitter上でインターネット[[荒らし]]の標的にされて大きな論争を巻き起こした。このボットは悪用され、16時間後には極めてユーザーに攻撃的なツイートを送信するようになった。このことは、ボットが経験から学習するという点で効果的であったが、悪用を防ぐための適切な安全策が取られていなかったことを示唆している<ref>{{cite book |last1=Bird |first1=Jordan J. |last2=Ekart |first2=Aniko |last3=Faria |first3=Diego R. |title=Learning from Interaction: An Intelligent Networked-based Human-bot and Bot-bot Chatbot System in: Advances in Computational Intelligence Systems |date=June 2018 |publisher=Springer |location=Nottingham, UK |isbn=978-3-319-97982-3 |pages=179–190 |doi=10.1007/978-3-319-97982-3_15 |s2cid=52069140 |edition=1st}}</ref>。
テキストを作成して送信する[[アルゴリズム]]が人間になりすますことができれば、そのメッセージはより説得力を増す可能性がある。そのため、{{Ill2|オンライン・アイデンティティ|en|Online identity}}を巧妙に偽装した人間のようなチャットボットが、たとえば選挙中に虚偽の主張をするなど、もっともらしい[[フェイクニュース]]を拡散する可能性がある。また、多数のチャットボットを使って偽りの[[社会的証明]]に利用する可能性もある<ref>{{cite web | url= https://www.sciencenews.org/article/twitter-bots-fake-news-2016-election | author= Temming, Maria | title= How Twitter bots get people to spread fake news | work= Science News | date= 20 November 2018 | access-date= 20 November 2018 | archive-date= 27 November 2018 | archive-url= https://web.archive.org/web/20181127191003/https://www.sciencenews.org/article/twitter-bots-fake-news-2016-election | url-status= live }}</ref><ref>{{cite web
| author = Epp, Len
| url = https://lenepp.medium.com/five-potential-malicious-uses-for-chatbots-a15f4955fba7
| title = Five Potential Malicious Uses For Chatbots
| date = 11 May 2016
| access-date = 24 February 2023
| archive-date = 24 February 2023
| archive-url = https://web.archive.org/web/20230224041222/https://lenepp.medium.com/five-potential-malicious-uses-for-chatbots-a15f4955fba7
| url-status = live
}}</ref>。
== チャットボットの限界 ==
{{Also|人工知能の倫理}}
チャットボットの設計と実装は、[[人工知能]]や[[機械学習]]に大きく結びついた、未だ発展途上の分野である。そのため、これを利用したソリューションは明らかな利点を示しながらも、機能や[[ユースケース]]の面でいくつかの重要な制限がある。ただし、これは時間の経過とともに変化している。
最も一般的な制限を以下に列挙する<ref name="Meet11">{{cite news| url=https://thefinancialbrand.com/71251/chatbots-banking-trends-ai-cx/| title=Meet 11 of the Most Interesting Chatbots in Banking| newspaper=The Financial Brand| date=14 March 2018| last1=Marous| first1=Jim| access-date=1 April 2019| archive-date=1 April 2019| archive-url=https://web.archive.org/web/20190401170943/https://thefinancialbrand.com/71251/chatbots-banking-trends-ai-cx/| url-status=live}}</ref>。
* チャットボットが利用するデータベースが固定され、データ量も限られているので、格納されていない問い合わせの扱いに失敗することがある<ref name="BornBane">{{cite web |url=https://blog.bluelupin.com/chatbot-advantages-and-disadvantages/ |title=CHATBOTS: BOON OR BANE? |website=bluelupin |date=9 January 2018 |access-date=1 April 2019 |archive-date=1 April 2019 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190401192204/https://blog.bluelupin.com/chatbot-advantages-and-disadvantages/ |url-status=live}}</ref>。
* チャットボットの効率は言語処理に大きく依存しており、言葉づかいや間違いなどの不規則性によって制限される。
* チャットボットは会話に含まれる複数の文脈に対して同時に対応することができないため、会話に参加する機会が限られる<ref name="Meet11" />。
* チャットボットを訓練するには、一般に大量の会話データを必要とする。[[深層学習]]アルゴリズムに基づいて、ユーザーの入力に基づいて新しい応答を単語ごとに生成する[[生成的モデル]]は、通常、自然言語フレーズの[[テキストコーパス|大規模なデータセット]]で訓練される<ref name=":1">{{Cite journal|last1=Caldarini|first1=Guendalina|last2=Jaf|first2=Sardar|last3=McGarry|first3=Kenneth|year=2022|title=A Literature Survey of Recent Advances in Chatbots|journal=Information|publisher=MDPI|volume=13|issue=1|pages=41|doi=10.3390/info13010041|doi-access=free}}</ref>。
* チャットボットは一つの話題についてユーザーと何度もやり取りしなければならない非線形的な会話を扱うことが難しい<ref name="Grudin-Jacques">{{citation | last1 = Grudin | first1 = Jonathan | author-link = Jonathan_Grudin | chapter = Chatbots, Humbots, and the Quest for Artificial General Intelligence |last2 = Jacques| first2 = Richard | title = Proceedings of the 2019 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems – CHI '19 | year = 2019 | publisher = ACM CHI 2020 | pages = 209–219 | doi = 10.1145/3290605.3300439
| isbn = 978-1-4503-5970-2 | s2cid = 140274744 }}</ref>。
* テクノロジー主導で既存のサービスを変更する際によくあるように、一部の消費者(多くは年配世代)はチャットボットに対する理解が浅く、自身の要求が機械によって扱われていることが明らかになると不快に思うことがある<ref name="Meet11" />。
== チャットボットと仕事 ==
チャットボットは、熟練した人材を必要としない定型的な作業を自動化するのに使われることが多く、ビジネスにおいてますます存在感を増している。顧客サービスは、電話だけでなくメッセージングアプリで行われるようになり、チャットボットの導入で組織に明確な投資効果をもたらすユースケースは増えている。コールセンターの従業員は、特に人工知能(AI)チャットボットによって職を追われる危険にさらされる可能性がある<ref>{{cite news| url=https://www.bbc.com/news/business-45272835/| title=How talking machines are taking call center jobs| work=BBC News| date=23 August 2018| access-date=1 April 2019| archive-date=1 April 2019| archive-url=https://web.archive.org/web/20190401200917/https://www.bbc.com/news/business-45272835| url-status=live}}</ref>。
=== チャットボットに関わる仕事 ===
チャットボット開発者は、顧客サービスやその他の通信プロセスを自動化するアプリケーションの作成、デバッグ、および保守を担当する。必要に応じてコードを見直して最適化することも職務に含まれる。また、組織がボットを業務に導入するのを支援することもある。
Forresterの調査(2017年6月)では、2019年までに全職種の25%がAI技術の影響を受けると予測されている<ref>{{cite web
| url=https://venturebeat.com/2017/06/18/how-chatbots-are-killing-jobs-and-creating-new-ones/
| title=How chatbots are killing jobs (and creating new ones)
| date=18 June 2017
| access-date=1 April 2019
| archive-date=1 April 2019
| archive-url=https://web.archive.org/web/20190401193923/https://venturebeat.com/2017/06/18/how-chatbots-are-killing-jobs-and-creating-new-ones/
| url-status=live
}}</ref>。
== 日本のチャットボット ==
ELIZAを参考としたチャットボットは、日本でも独自の発展を遂げてきた。そうした要因として、日本語は通常[[わかち書き|分かち書き]]されていない(単語同士がスペースで区切られていない)ため、どこまでが単語であるかを判断するのが困難であるという点が挙げられる。現在では、[[自然言語処理]]の研究の進展や、飛躍的に向上したコンピュータの記憶容量と処理速度により、[[形態素解析]]などの日本語解析の手法を用いることで、英語などの分かち書きを行う言語に近い土俵に立てるようになったと言える。
日本では[[パソコン通信]]のサービスのひとつ「チャット」において一般化した。当時は漢字入力ができないことが普通で、カタカナだけの会話であったため、読みやすくするために分かち書きにすることが一般的であった。そのため構文解析の手間が少なく、エンジンの洗練化が進んだ。日本国内における普及初期には現在のチャットボットに対する呼称およびその概念に相当するものとしては「'''人工無脳'''」(じんこうむのう、{{Lang-en-short|Artificial Idiocy}})という語が主流であった。「人工無脳」は、[[人工知能|「人工知能」ないし「人工頭脳」]]をひねった[[インターネットスラング|ネットスラング]]であり、[[脳]]に比肩するほどの高度な処理は行われていないという皮肉が込められている。また、「'''無能'''」のネガティブなイメージもあり、「人工'''無脳'''」とする表記が古くからあり、好まれている<ref group="注釈">コンピュータのことを「電子頭脳」「人工頭脳」と呼ぶ例の影響も考えられる。また、成書のタイトルを見ると、『人工無脳』(1987年5月ビー・エヌ・エヌ刊)『恋するプログラム - Rubyでつくる人工無脳』(2005年4月毎日コミュニケーションズ刊)『はじめてのAIプログラミング - C言語で作る人工知能と人工無能』(2006年10月オーム社刊)となっている。</ref>。出来の良い人工無脳は人間と区別がつきにくいため、人工無脳の発言にはマークがつく仕組みになっていることもあった。
有名な人工無脳として、「おんJBot」や「ゆいぼっと」、「[[Chararina]](旧:ペルソナウェア)」「[[伺か]]」、「よみうさ」、「人工無能うずら」、「ししゃも」、「[https://lainan.one/ Lainan](ライナン)」「[https://github.com/milchchan/Apricot Apricot]」がある。コンピュータによる合成音声の出力ができるものもあり、K仲川の「人工無脳ちかちゃん」(IBM ViaVoiceのエンジンを利用)や、[[佐野榮太郎]]のA.R.M.S(株式会社リコーの規則音声合成エンジンを利用)がある。
インターネットが普及して以降は、[[Google アシスタント|Googleアシスタント]]や[[Amazon Alexa|Amazonアレクサ]]などの[[バーチャルアシスタント]]、[[Facebook Messenger|Facebookメッセンジャー]]や[[Discord (ソフトウェア)|Discord]]、[[微信]]などの[[メッセージアプリ]]等、個々の[[アプリケーションソフトウェア|アプリ]]や[[ウェブページ]]を介して利用される例も増加した。 コンピュータゲームに応用したものとして、古い作品には[[Emmy]]がある。[[ソニー・コンピュータエンタテインメント|SCE]]の開発したゲームソフトである『[[どこでもいっしょ]]』のキャラクター「[[井上トロ|トロ]]」をはじめとするポケットピープル(略称:ポケピ)やWindows Live メッセンジャーのアドバイザー「まいこ」なども人工無脳に類するキャラクターである。<!--ロイディとかもあるな
Lainanは、最近できたばかりで、知らない人も多そうだな....-->
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="comphis">{{Citation | author=Computer History Museum | title=Exhibits | chapter=Internet History—1970's | year=2006 | publisher=[[:en:Computer History Museum|Computer History Museum]] | access-date=5 March 2008 | chapter-url=http://www.computerhistory.org/internet_history/internet_history_70s.shtml | url-status=dead | archive-url=https://web.archive.org/web/20080221093646/http://www.computerhistory.org/internet_history/internet_history_70s.shtml | archive-date=21 February 2008 }}</ref>
<ref name="Güzeldere">{{Citation | last1=Güzeldere | first1=Güven | title=Constructions of the Mind | date=24 July 1995 | url=http://www.stanford.edu/group/SHR/4-2/text/dialogues.html | last2=Franchi | first2=Stefano | author-link=<!--Güven Güzeldere--> | series=SEHR | journal=Stanford Humanities Review | volume=4 | issue=2 | publisher=[[:en:Stanford University|Stanford University]] | access-date=5 March 2008 | archive-date=11 July 2007 | archive-url=https://web.archive.org/web/20070711204557/http://www.stanford.edu/group/SHR/4-2/text/dialogues.html | url-status=dead }}</ref>
<ref name=Mauldin>{{Citation | url=http://www.aaai.org/Library/AAAI/1994/aaai94-003.php | contribution=ChatterBots, TinyMuds, and the Turing Test: Entering the Loebner Prize Competition | last=Mauldin | first=Michael | author-link=<!--same--> | title=Proceedings of the Eleventh National Conference on Artificial Intelligence | year=1994 | publisher=[[:en:AAAI Press|AAAI Press]] | access-date=5 March 2008 | archive-date=13 December 2007 | archive-url=https://web.archive.org/web/20071213172751/http://www.aaai.org/Library/AAAI/1994/aaai94-003.php | url-status=live }}</ref>
<ref name=Network>{{Citation
| url=https://datatracker.ietf.org/doc/html/rfc439
| title={{IETF RFC|439}}, PARRY Encounters the DOCTOR
| author=Network Working Group
| work=[[:en:Internet Engineering Task Force|Internet Engineering Task Force]]
| year=1973
| publisher=[[:en:Internet Society|Internet Society]]
| doi=10.17487/RFC0439
| access-date=5 March 2008
| doi-access=free
| archive-date=20 February 2008
| archive-url=https://web.archive.org/web/20080220084325/http://tools.ietf.org/html/rfc439
| url-status=live
}}—Transcript of a session between Parry and Eliza. (This is ''not'' the dialogue from the ICCC, which took place 24–26 October 1972, whereas this session is from 18 September 1972.)</ref>
<ref name=Sondheim>{{Citation
|url = http://www.nettime.org/Lists-Archives/nettime-l-9707/msg00059.html
|title = <nettime> Important Documents from the Early Internet (1972)
|last = Sondheim
|first = Alan J
|year = 1997
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=== 新聞 ===
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== 関連項目 ==
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* {{ill2|人工知能の応用|en|Applications of artificial intelligence}} - 人工知能(AI)が利用されているさまざまな領域の一覧
* [[自律エージェント]] - 自律的に目的を持って行動できるシステム
* {{ill2|会話的ユーザーインタフェース|en|Conversational user interface}} - 実際の人間との会話を真似たコンピュータ用ユーザーインターフェース
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== 外部リンク ==
* [http://www.ycf.nanet.co.jp/~skato/muno/ 人工無脳は考える]
* [https://note.com/masayamori/n/nf07c68df6afc 対話するAIの歴史:チャットボットからアシスタントへ]
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アルカン
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アルカン(ドイツ語: Alkan、英語: alkane)とは、一般式 CnH2n+2 で表される鎖式飽和炭化水素である。メタン系炭化水素、パラフィン系炭化水素や脂肪族化合物とも呼ばれる。炭素数が大きいものはパラフィンとも呼ばれる。アルカンが置換基となった場合、一価の置換基をアルキル基、二価の置換基をアルキレン基と呼ぶ。環状の飽和炭化水素はシクロアルカンと呼ばれる。
IUPACの定義によれば、正式には、環状のもの(シクロアルカン)はアルカンに含まれない。しかし両者の性質がよく似ていることや言葉の逐語訳から、シクロアルカンを「環状アルカン」と称し、本来の意味でのアルカンを「非環状アルカン」と呼ぶことがある。結果的に、あたかも飽和炭化水素全体の別称であるかのように「アルカン」の語が用いられることもあるが、不適切である。
主に石油に含まれ、分留によって取り出される。個別の物理的性質などについてはデータページを参照。生物由来の脂肪油に対して、石油由来のアルカン類を鉱油(mineral oil)と呼ぶ。
アルカンは、地球上および太陽系の他の惑星上に存在するが、炭素鎖の数は100程度のものまでであり、それ以上の大きさのアルカンはごくわずかしか存在しない。軽い炭化水素、特にメタンやエタンは百武彗星の尾や炭素質球粒隕石などから検出されている。また、ガス惑星である木星、土星、天王星、海王星の大気の構成成分でもある。土星の衛星タイタン上には、かつてアルカンからなる海が存在していたと考えられており、現在でも液体のメタンが存在するとされている。
痕跡量のメタン(約0.0001 %)は地球の大気中にも存在するが、これは主に古細菌によるものである。水に対する溶解度が低いため海水中には存在しないが、高圧・低温条件ではメタンは水との共結晶であるメタンハイドレートを形成し、これらは海底に埋蔵されている。2006年現在では工業的採掘は行われていないものの、メタンハイドレートの鉱脈はエネルギー量に換算すれば現存する天然ガスと石油をあわせたものを超える量が存在するとされており、メタンハイドレートから取り出されるメタンは将来の燃料源として注目されている。
今日ではアルカンは主として天然ガスや石油から得ている。天然ガスは主にメタンやエタンからなり、少量のプロパン、ブタンを含む。石油は液体のアルカンとその他の炭化水素の混合物である。これらは共に動物プランクトン、植物プランクトンといった海洋生物の死骸が太古の海の底に沈んだのち、他の沈降物で覆われて無酸素状態に置かれ、何百万年もの間高温・高圧条件にさらされたのちに現在の状態になったと考えられている。天然ガスの生成は、例えば以下の式で表されるような反応によるものである。
これらの炭化水素は多孔質の岩石中に蓄えられ、透過性のない岩盤によって覆われている。多量に再生成が続いているメタンとは異なり、高級アルカン(炭素数9以上のアルカン)は自然にはほとんど作り出されない。現在ある量が使い果たされれば、それで終わりである。
固体のアルカンは石油を蒸発させたあとの残渣にみられ、タールと呼ばれる。天然に存在する固体アルカンの所在として知られるうちで最も大きなものの1つは、ピッチ・レイクの名で知られるトリニダード・トバゴのアスファルト湖(ピッチ湖)である。
アルカンは化学工業における原料物質として広く利用されるのみならず、世界経済に大きな影響を与える燃料でもある。
処理過程における出発物質は天然ガスまたは原油である。後者は蒸留による石油精製によって分離され、ガソリンなど様々な製品が作られる。原油から得られる種々の留分はそれぞれ異なる沸点を持ち、容易に分離することができる。各留分の沸点の幅は狭い。
アルカンごとの用途はその炭素数によってほぼ決まっているが、以下に示す分類は大まかなものである。炭素数1–4のものは暖房、料理など、いくつかの国では発電にも使われる。メタンとエタンは天然ガスの主成分である。普通は加圧下で気体のまま保存されるが、輸送の際には液体としておくのが便利である。それには圧縮か冷却が必要とされる。
プロパンとブタンはより低い圧力で液体にすることができ、液化石油ガス (LPG) として知られる。プロパンはプロパンガスバーナーなど、ブタンは使い捨てのタバコ用ライター(圧力2バール程度)などに使われる。これらはスプレーにも用いられる。
炭素数5–8のもの(ペンタンからオクタンまで)は揮発性の高い液体である。燃焼の均一性を損なう液滴を作らず容易に気化して燃焼室に導入できるため、内燃機関の燃料に使われる。枝分かれした構造を持つアルカンは、直鎖状のものと比べてノッキングの原因となる過早着火を起こしにくいため好んで用いられる。過早着火の起こりやすさはオクタン価で表され、これは基準値としてイソオクタン(2,2,4-トリメチルペンタン)を100、ヘプタンを0とするものである。燃料のほか、これら中鎖アルカンは非極性の物質の良い溶媒である。
炭素数9以上のもの、例えばヘキサデカン(炭素数16)は粘度の高い液体であり、ガソリンのような用途には適さない。それらは軽油(ディーゼル油)や航空燃料に用いられる。軽油はセタン価によって評価される。セタンはヘキサデカンの古名である。これらのアルカンは融点が高いため、寒冷地など、気温の低い所ではどろどろになって流れにくくなるなどの問題が生じることがある。
炭素数16を超える長鎖アルカンは重油(燃料油)や鉱油の主成分である。疎水性を持つため水分が金属の表面に到達するのを防ぐことから、後者は腐食防止剤として利用される。固体のアルカンは石油ワックスとして蝋燭などに使われる。名称が類似するが、蝋(ワックス)はエステルであり、アルカンとは別種の化合物である。
炭素数35以上のものは歴青やアスファルトなどに存在し、道路の舗装などに使われる。しかしながら一般に長鎖のアルカンは用途が少ないため、接触分解(クラッキング)によって短鎖アルカンへ変換される。
アルカンは自然界に様々な形で存在するが、生物学的に必須であるような場合はみられない。ジャコウジカ科 (Muchidae) のシカから得られていた麝香には炭素数14から18のシクロアルカンが含まれていた。以下には非環状であるアルカンについて述べる。
ある種の細菌はアルカンを代謝する。炭素数が奇数のものよりも分解しやすいため、彼らは偶数個のものを好む。
一方古細菌の中にはメタン菌と呼ばれるものが存在し、二酸化炭素など酸化された状態にある有機化合物を代謝してメタンを作り出す。水素の酸化によってエネルギーを得ている。
メタン菌は湿地で発生する「沼気ガス」の元でもあり、1年あたりおよそ2億トンのメタンを作り出している。大気成分中のメタンはほぼ全てがメタン菌による。メタン菌は草食する動物の体内にも存在する。特にウシなどの反芻動物は植物のセルロースなどを体内のメタン菌が分解して1日あたり150リットルのメタンをげっぷとして排出している。シロアリも摂食した木質を体内のメタン菌が分解してメタンを産生する。ヒトの腸で作られる最も単純なアルカンでもある。メタンを生産する古細菌は炭素循環の終端に位置し、大気中に放出されたあとは光合成によって再び固定される。こんにち存在する天然ガスも同様な経路で生成したと考えられている。メタンは大気中での温室効果が二酸化炭素よりも高い物質とされているが、アルカンの中では代謝される量も速度も大きく、また大きな発生源とされた家畜は人為的にも制御しやすいとされている。
生物学的な寄与の割合は小さいものの、菌類・植物・動物といった真核生物にも関わりがある。特殊な酵母である Candida tropicale、Pichia 属、Rhodotorula 属はアルカンを炭素源・エネルギー源として利用する。真菌類の一種 Amorphotheca resinae は航空燃料に含まれる長鎖のアルカンを好み、熱帯地方では飛行機の運航に支障を起こすことがある。
植物では長鎖の固体アルカンがワックスの薄い膜層、クチクラとして空気に触れる部分にみられる。これは水分が失われたり、雨で大事なミネラルが流れ出すことを防ぐ。細菌、菌、害虫などに対する防御としても働く。昆虫は柔らかいワックス状の物質に足をとられ、うまく歩くことができない。リンゴなどの表面を覆っている光沢のある膜は長鎖のアルカンからなるものである。炭素の数はたいてい20から30個であり、これらは植物によって脂肪酸から作り出されている。ワックスの成分は種によって異なり、季節や光の量・温度・湿度などの要素によっても変化する。
動物の生産物の中にもアルカンは含まれるが、不飽和炭化水素よりも重要性は低い。サメの肝油は約14%のプリスタン(2,6,10,14-テトラメチルペンタデカン、C19H40)を含む。昆虫が情報伝達の手段として使う物質であるフェロモンにはより多くのアルカンが存在する。カミキリムシの1種 Xylotrechus colonus はペンタコサン (C25H52) を主成分として3-メチルペンタコサン (C26H54)、9-メチルペンタコサン (C26H54) を持ち、躯体の接触によってにおいを移す。ツェツェバエの一種 Glossina morsitans morsitans のフェロモンには4種類のアルカン、2-メチルヘプタデカン (C18H38)、17,21-ジメチルヘプタトリアコンタン (C39H80)、15,19-ジメチルヘプタトリアコンタン (C39H80)、15,19,23-トリメチルヘプタトリアコンタン (C40H82) が含まれ、遠距離からでも作用するため有用な病害虫対策として利用される。
植物と動物の間で作用する例として、ヒメハナバチ科のサンド・ビー (Andrena nigroaenea) とランの一種、アーリー・スパイダー・オーキッド (Ophrys sphegodes) の関係が挙げられる。後者は前者に受粉を依存している。サンド・ビーは仲間の識別にフェロモンを利用しており、A. nigroaenea のメスはトリコサン (C23H48)、ペンタコサン (C25H52)、ヘプタコサン (C27H56) の3:3:1の比の混合物を放出する。オスはこのにおいのみに惹きつけられる。上記のランはこの習性を利用し、オスのサンド・ビーに花粉の収集と播種を行わせる。花がサンド・ビーの外見の類似することに加え、3種類のアルカンをメスバチと同じ比で発生させる。するとオスのサンド・ビーはこの花に誘引され、交尾しようとやってくるが、目的が達成できなかったことにがっかりして飛び去り、また次の花に移って行く。このようにして受粉が助けられる。
分子構造、特に表面積によって沸点が決まる。分子の表面積が小さいほど、分子間にはたらくファンデルワールス力が小さくなるため沸点も低くなる。枝分かれ構造を持つと表面積は小さくなる。すなわち、炭素数の大きいアルカンほど通常は高い沸点を持ち、枝分かれしたアルカンは直鎖状のものに比べて低い沸点を持つ。標準状態において、CH4からC4H10までのアルカンは気体、C5H12からC16H34までは液体、C17H36以上は固体である。メチレン鎖 (−CH2−) 1個につき沸点はおよそ20から30 °C上昇する。詳しくはデータページを参照。
アルカンはファンデルワールス結晶を形成する。プロパンを除き、融点も炭素数が増加するとともに高くなる。沸点よりも変化は緩やかで、高級アルカンではあまり変わらない。また、偶数個の炭素原子を持つアルカンは奇数個のものより高い融点を持つ傾向がある。これは偶数個のアルカンは結晶状態における充填密度がより高いためである。枝分かれしたアルカンの融点は、結晶の充填の効率によって、直鎖状のものより高くも低くもなる。この傾向はイソアルカン(2-メチル異性体)の場合に特にわかりやすく、それらはしばしば直鎖状のものより高い融点を持つ。
アルカンは電気を通さず、電場によっても分極しない。このため水素結合は作らず、水などの極性の高い溶媒には溶けない。水分子同士の水素結合はアルカンとの相互作用を介さないため、それらを混ぜ合わせると水分子間の水素結合が乱され、エントロピー的に不利になる。水分子とアルカンの間には強い結合は形成されないため、熱力学第二法則に従い、このエントロピー増加はアルカンと水の接触を最小にすることによって回避される。アルカンは水をはじくため疎水性であるといわれる。
非極性の溶媒に対する溶解度は比較的高く、その性質は親油性と呼ばれる。鎖長の異なるアルカンは互いに任意の割合で混合する。
アルカンの密度は通常炭素数の増加に伴って高くなるが、水よりも高くなることはない。ゆえに、アルカンは必ず水に浮く。
炭素−水素結合や炭素−炭素結合は安定であり、開裂させるのは容易でないことから、アルカンの反応性は低い。
イオン性の化合物や極性の高い基質とはほとんど反応しない。pKaはおおむね60以上であり、酸や塩基に対しても不活性である。この性質は「パラフィン (paraffin)」の語源であり、これはラテン語で「親和力 (affinity) を持たない」を意味する para と affinis の組み合わせである。原油中では何百万年も化学的に変化せずに存在し続けている。
アルカン中の炭素原子は高度に還元された状態であるため、酸素やハロゲンとは酸化還元反応を起こす。メタンの炭素原子の酸化数は −4 であり、これは可能な酸化状態のうちで最も低い。酸素との反応では煙を伴わない燃焼が、ハロゲンとは置換反応が起きる(詳しくは#反応を参照)。また、アルカンはある種の金属錯体と相互作用・結合することが知られている。
アルカンの反応は対を形成していない電子、フリーラジカルを伴うものがほとんどである。石油の接触分解(クラッキング)や接触改質では長鎖のアルカンが短鎖に、直鎖アルカンが枝分かれしたものに変換される。高度に枝分かれしたアルカンでは、立体的な混み合いを避けるために結合角が理想的な値(109.5°)から著しく外れる傾向を持つ。これによって分子の内部エネルギーが大きくなり、反応性が高くなる場合がある。これは立体反発と呼ばれる。
アルカンは構成元素がばらばらの状態であるよりも安定である。すなわち負の生成熱を持つ。直鎖状のものの場合、メチレン鎖1個につきおよそ−21 kJ/molの生成熱が得られる。枝分かれしたものは若干安定であり、例えばn-ペンタンと比べて2-メチルブタンは約7.5 kJ/mol、2,2-ジメチルプロパンは約21 kJ/mol生成熱が低い。
アルカン内での原子どうしの結合エネルギーは、C-C結合では355±20 kJ/mol、C-H結合では400±20 kJ/molとなっている。
およそ全ての有機化合物は炭素−炭素および炭素−水素結合を持ち、種々のスペクトル上にその特徴が現れる。アルカンは他に官能基を持たないので、アルカンのみにみられるような特徴は少ない。
IRスペクトルでは、炭素−水素伸縮振動により2980–2850 cm付近に強い吸収を示す。炭素−炭素伸縮振動による吸収は1300–800 cm付近に現れる。炭素−水素変角振動は置換基の性質によって異なり、メチル基は1450–1375 cmに、メチレン基は1465–1450 cmに吸収を示す。炭素数4以上の場合は725 cm付近に弱い吸収を示す。
NMRスペクトルでは、アルカンに限らず、メチル基のプロトンは δ 0.7–1.3 に、飽和第二級炭素のプロトンはδ 1.2–1.6に、飽和第三級炭素のプロトンはδ 1.4–1.8にピークを与える。炭素13の共鳴はついている水素原子の数によって変化し、メチルは δ 0–30、メチレンは δ 15–55、メチンは δ 25–55である。4級炭素はオーバーハウザー効果の影響をあまり受けないため、プロトンをデカップリングしたC NMRスペクトルでは特にピークが小さくなる。通常の測定条件ではピークが見つけられないこともある。
アルカンはイオン化エネルギーが大きいため、マススペクトルでの分子イオンピークは強度が低い。フラグメンテーションは一般に解釈が難しいが、枝分かれしたアルカンの場合は生成するラジカルの安定性により4級炭素の部分で解裂が起こりやすい。メチル基を失ったフラグメントイオン (M − 15) のピークは現れないことが多く、メチレン基を1個ずつ失っていくことによる14質量単位ごとのピークがよくみられる。
全てのアルカンは燃焼によって酸素と反応するが、炭素数が増すにつれて着火が困難になる。完全燃焼した場合の一般式は以下のように表され、二酸化炭素と水が生成する。
このとき多量の熱を発生するので、アルカンは燃料として用いられる。十分な酸素が無いと、一酸化炭素やススが生成する。メタンの場合を示す。
一般的にアルカンは明るくない炎を伴って燃焼し、ススはほとんど生成しない。
燃焼による標準エンタルピー変化 ΔcH はメチレン基1つにつき650 kJ/molずつ増加する。炭素数が等しい場合、枝分かれが多いほど ΔcH は低くなる。
アルカンとハロゲンはフリーラジカルハロゲン化 (free radical halogenation) と呼ばれる反応を起こす。反応は光の照射や加熱によって起こり、アルカンの水素原子がハロゲン原子と置き換わる(置換する)。フリーラジカルは反応に重要な役割を果たす活性な化学種で、これが関わると生成物は異性体の混合物になりやすい。反応は非常に発熱的で、爆発することもある。反応は(1) ホモリシス(等方性分解)によるハロゲンラジカルの発生、(2) 連鎖反応によるハロゲン化アルキルの生成、(3) ラジカルの再結合による終了、の3つの段階からなる。ラジカルハロゲン化はハロゲン化アルキルを得るための工業的方法である。
接触分解は分子を小さな破片とする反応で、加熱や触媒を用いる。加熱接触分解は等方的な開裂、すなわち結合が対称的に切断することによる1対のラジカルの発生を伴う。触媒的接触分解では酸触媒、通常アルミノケイ酸やゼオライトが使われる。これらはヘテロリシス(異方性分解)を促進し、逆の電荷を持つ1対のイオン、普通はカルボカチオンと非常に不安定なヒドリドイオンを発生させる。発生したラジカルやカルボカチオンは共に不安定で、炭素鎖の転位、C−C結合のβ位での開裂、分子間および分子内での水素あるいはヒドリド転位を起こす。これらの過程では発生する活性中間体(ラジカルやイオン)は次々に再生成し、反応は連鎖的に進行する。最後はラジカルやイオンの再結合によって停止する。
ブタン CH 3 − CH 2 − CH 2 − CH 3 {\displaystyle {\ce {CH3-CH2-CH2-CH3}}} の例を以下に示す。
ニッケル触媒の存在下で水蒸気と反応し、水素を与える。特殊な条件を要するが、クロロスルホン化やニトロ化を行うこともできる。リード反応 (Reed reaction) は二酸化硫黄と塩素の存在下に光照射を行い、アルカンからスルホニルクロリドを得る反応である。アルカンの発酵によるカルボン酸の合成は重要な技術的課題とされている。
実験室的なアルカンの合成法は多い。最もよく知られるものはアルケンの水素化とグリニャール試薬の加水分解である。ハロゲン化アルキルからコーリー・ハウス・ポスナー・ホワイトサイズ反応によって得ることもできる。バートン・マクコンビー脱酸素化(英語版)はアルコールからヒドロキシ基を除去する反応、クレメンゼン還元はアルデヒドやケトンからカルボニル基を取り除き、アルカンとする反応である。
アルカンの命名法はIUPAC命名法に従う。分岐のないアルカンは主なアルカンの節に詳しい。分岐のあるアルカンは最も長い直鎖を主幹とするアルカンにアルキル基が置換したように命名する。下のような官能基を R を用いて表すこともある。
アルキル基:他の言語
アルキル基(あるきるき、alkyl group)は直鎖のアルカンの末端から水素を1つ取り除いた官能基で、CnH2n+1 で表される。n = 1 をメチル基、n = 2 はエチル基というように、対応するアルカンの語尾を ane から yl に変える事で命名できる。 n=21までと24,30はアルカン (データ)にてアルカン名を参照できる。
アルキレン基(あるきれんき、alkylene group)は直鎖のアルカンから水素を2つ取り除いた2価の置換基で、-CnH2n-、もしくは CnH2n= と表される。命名法では、n=1 のものをメチレン基、n=2 のものをエチレン基というように、対応するアルカン名の語尾を -ane から -ylene(同一炭素から水素2個を取り除いた基の場合は -ylidene とも)に変えて示される。
アルカンの慣用名には iso-(イソ)、neo-(ネオ)を接頭辞として直鎖アルキルにつけて、異性体の慣用名とするものするものがある。ただし、全ての直鎖アルキルに対して適用できる命名ルールではなく、IUPAC命名法では次の分枝アルキルあるいは分枝アルキルを基にした置換基の名称に iso- 等から誘導される慣用名の使用を認めている。また、置換基に限って tert-、sec- などの接頭辞を付けて異性体の分枝アルキル基の慣用名の使用を認めている。しかし、これら基幹炭素鎖や置換基に使用する慣用名に対して置換命名法で更なる命名を誘導すること認めていない。いずれの場合でもIUPAC命名法は直鎖炭化水素を用いた置換命名法による分枝アルキルの命名の方を推奨している。
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"text": "アルカン(ドイツ語: Alkan、英語: alkane)とは、一般式 CnH2n+2 で表される鎖式飽和炭化水素である。メタン系炭化水素、パラフィン系炭化水素や脂肪族化合物とも呼ばれる。炭素数が大きいものはパラフィンとも呼ばれる。アルカンが置換基となった場合、一価の置換基をアルキル基、二価の置換基をアルキレン基と呼ぶ。環状の飽和炭化水素はシクロアルカンと呼ばれる。",
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"text": "IUPACの定義によれば、正式には、環状のもの(シクロアルカン)はアルカンに含まれない。しかし両者の性質がよく似ていることや言葉の逐語訳から、シクロアルカンを「環状アルカン」と称し、本来の意味でのアルカンを「非環状アルカン」と呼ぶことがある。結果的に、あたかも飽和炭化水素全体の別称であるかのように「アルカン」の語が用いられることもあるが、不適切である。",
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"text": "主に石油に含まれ、分留によって取り出される。個別の物理的性質などについてはデータページを参照。生物由来の脂肪油に対して、石油由来のアルカン類を鉱油(mineral oil)と呼ぶ。",
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"text": "アルカンは、地球上および太陽系の他の惑星上に存在するが、炭素鎖の数は100程度のものまでであり、それ以上の大きさのアルカンはごくわずかしか存在しない。軽い炭化水素、特にメタンやエタンは百武彗星の尾や炭素質球粒隕石などから検出されている。また、ガス惑星である木星、土星、天王星、海王星の大気の構成成分でもある。土星の衛星タイタン上には、かつてアルカンからなる海が存在していたと考えられており、現在でも液体のメタンが存在するとされている。",
"title": "存在"
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"text": "痕跡量のメタン(約0.0001 %)は地球の大気中にも存在するが、これは主に古細菌によるものである。水に対する溶解度が低いため海水中には存在しないが、高圧・低温条件ではメタンは水との共結晶であるメタンハイドレートを形成し、これらは海底に埋蔵されている。2006年現在では工業的採掘は行われていないものの、メタンハイドレートの鉱脈はエネルギー量に換算すれば現存する天然ガスと石油をあわせたものを超える量が存在するとされており、メタンハイドレートから取り出されるメタンは将来の燃料源として注目されている。",
"title": "存在"
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"text": "今日ではアルカンは主として天然ガスや石油から得ている。天然ガスは主にメタンやエタンからなり、少量のプロパン、ブタンを含む。石油は液体のアルカンとその他の炭化水素の混合物である。これらは共に動物プランクトン、植物プランクトンといった海洋生物の死骸が太古の海の底に沈んだのち、他の沈降物で覆われて無酸素状態に置かれ、何百万年もの間高温・高圧条件にさらされたのちに現在の状態になったと考えられている。天然ガスの生成は、例えば以下の式で表されるような反応によるものである。",
"title": "存在"
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"text": "これらの炭化水素は多孔質の岩石中に蓄えられ、透過性のない岩盤によって覆われている。多量に再生成が続いているメタンとは異なり、高級アルカン(炭素数9以上のアルカン)は自然にはほとんど作り出されない。現在ある量が使い果たされれば、それで終わりである。",
"title": "存在"
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"text": "固体のアルカンは石油を蒸発させたあとの残渣にみられ、タールと呼ばれる。天然に存在する固体アルカンの所在として知られるうちで最も大きなものの1つは、ピッチ・レイクの名で知られるトリニダード・トバゴのアスファルト湖(ピッチ湖)である。",
"title": "存在"
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"text": "アルカンは化学工業における原料物質として広く利用されるのみならず、世界経済に大きな影響を与える燃料でもある。",
"title": "精製と利用"
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"text": "処理過程における出発物質は天然ガスまたは原油である。後者は蒸留による石油精製によって分離され、ガソリンなど様々な製品が作られる。原油から得られる種々の留分はそれぞれ異なる沸点を持ち、容易に分離することができる。各留分の沸点の幅は狭い。",
"title": "精製と利用"
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{
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"text": "アルカンごとの用途はその炭素数によってほぼ決まっているが、以下に示す分類は大まかなものである。炭素数1–4のものは暖房、料理など、いくつかの国では発電にも使われる。メタンとエタンは天然ガスの主成分である。普通は加圧下で気体のまま保存されるが、輸送の際には液体としておくのが便利である。それには圧縮か冷却が必要とされる。",
"title": "精製と利用"
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"text": "プロパンとブタンはより低い圧力で液体にすることができ、液化石油ガス (LPG) として知られる。プロパンはプロパンガスバーナーなど、ブタンは使い捨てのタバコ用ライター(圧力2バール程度)などに使われる。これらはスプレーにも用いられる。",
"title": "精製と利用"
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"text": "炭素数5–8のもの(ペンタンからオクタンまで)は揮発性の高い液体である。燃焼の均一性を損なう液滴を作らず容易に気化して燃焼室に導入できるため、内燃機関の燃料に使われる。枝分かれした構造を持つアルカンは、直鎖状のものと比べてノッキングの原因となる過早着火を起こしにくいため好んで用いられる。過早着火の起こりやすさはオクタン価で表され、これは基準値としてイソオクタン(2,2,4-トリメチルペンタン)を100、ヘプタンを0とするものである。燃料のほか、これら中鎖アルカンは非極性の物質の良い溶媒である。",
"title": "精製と利用"
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"text": "炭素数9以上のもの、例えばヘキサデカン(炭素数16)は粘度の高い液体であり、ガソリンのような用途には適さない。それらは軽油(ディーゼル油)や航空燃料に用いられる。軽油はセタン価によって評価される。セタンはヘキサデカンの古名である。これらのアルカンは融点が高いため、寒冷地など、気温の低い所ではどろどろになって流れにくくなるなどの問題が生じることがある。",
"title": "精製と利用"
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"tag": "p",
"text": "炭素数16を超える長鎖アルカンは重油(燃料油)や鉱油の主成分である。疎水性を持つため水分が金属の表面に到達するのを防ぐことから、後者は腐食防止剤として利用される。固体のアルカンは石油ワックスとして蝋燭などに使われる。名称が類似するが、蝋(ワックス)はエステルであり、アルカンとは別種の化合物である。",
"title": "精製と利用"
},
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"text": "炭素数35以上のものは歴青やアスファルトなどに存在し、道路の舗装などに使われる。しかしながら一般に長鎖のアルカンは用途が少ないため、接触分解(クラッキング)によって短鎖アルカンへ変換される。",
"title": "精製と利用"
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"tag": "p",
"text": "アルカンは自然界に様々な形で存在するが、生物学的に必須であるような場合はみられない。ジャコウジカ科 (Muchidae) のシカから得られていた麝香には炭素数14から18のシクロアルカンが含まれていた。以下には非環状であるアルカンについて述べる。",
"title": "生物との関わり"
},
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"text": "ある種の細菌はアルカンを代謝する。炭素数が奇数のものよりも分解しやすいため、彼らは偶数個のものを好む。",
"title": "生物との関わり"
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"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "一方古細菌の中にはメタン菌と呼ばれるものが存在し、二酸化炭素など酸化された状態にある有機化合物を代謝してメタンを作り出す。水素の酸化によってエネルギーを得ている。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "メタン菌は湿地で発生する「沼気ガス」の元でもあり、1年あたりおよそ2億トンのメタンを作り出している。大気成分中のメタンはほぼ全てがメタン菌による。メタン菌は草食する動物の体内にも存在する。特にウシなどの反芻動物は植物のセルロースなどを体内のメタン菌が分解して1日あたり150リットルのメタンをげっぷとして排出している。シロアリも摂食した木質を体内のメタン菌が分解してメタンを産生する。ヒトの腸で作られる最も単純なアルカンでもある。メタンを生産する古細菌は炭素循環の終端に位置し、大気中に放出されたあとは光合成によって再び固定される。こんにち存在する天然ガスも同様な経路で生成したと考えられている。メタンは大気中での温室効果が二酸化炭素よりも高い物質とされているが、アルカンの中では代謝される量も速度も大きく、また大きな発生源とされた家畜は人為的にも制御しやすいとされている。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "生物学的な寄与の割合は小さいものの、菌類・植物・動物といった真核生物にも関わりがある。特殊な酵母である Candida tropicale、Pichia 属、Rhodotorula 属はアルカンを炭素源・エネルギー源として利用する。真菌類の一種 Amorphotheca resinae は航空燃料に含まれる長鎖のアルカンを好み、熱帯地方では飛行機の運航に支障を起こすことがある。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "植物では長鎖の固体アルカンがワックスの薄い膜層、クチクラとして空気に触れる部分にみられる。これは水分が失われたり、雨で大事なミネラルが流れ出すことを防ぐ。細菌、菌、害虫などに対する防御としても働く。昆虫は柔らかいワックス状の物質に足をとられ、うまく歩くことができない。リンゴなどの表面を覆っている光沢のある膜は長鎖のアルカンからなるものである。炭素の数はたいてい20から30個であり、これらは植物によって脂肪酸から作り出されている。ワックスの成分は種によって異なり、季節や光の量・温度・湿度などの要素によっても変化する。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "動物の生産物の中にもアルカンは含まれるが、不飽和炭化水素よりも重要性は低い。サメの肝油は約14%のプリスタン(2,6,10,14-テトラメチルペンタデカン、C19H40)を含む。昆虫が情報伝達の手段として使う物質であるフェロモンにはより多くのアルカンが存在する。カミキリムシの1種 Xylotrechus colonus はペンタコサン (C25H52) を主成分として3-メチルペンタコサン (C26H54)、9-メチルペンタコサン (C26H54) を持ち、躯体の接触によってにおいを移す。ツェツェバエの一種 Glossina morsitans morsitans のフェロモンには4種類のアルカン、2-メチルヘプタデカン (C18H38)、17,21-ジメチルヘプタトリアコンタン (C39H80)、15,19-ジメチルヘプタトリアコンタン (C39H80)、15,19,23-トリメチルヘプタトリアコンタン (C40H82) が含まれ、遠距離からでも作用するため有用な病害虫対策として利用される。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "植物と動物の間で作用する例として、ヒメハナバチ科のサンド・ビー (Andrena nigroaenea) とランの一種、アーリー・スパイダー・オーキッド (Ophrys sphegodes) の関係が挙げられる。後者は前者に受粉を依存している。サンド・ビーは仲間の識別にフェロモンを利用しており、A. nigroaenea のメスはトリコサン (C23H48)、ペンタコサン (C25H52)、ヘプタコサン (C27H56) の3:3:1の比の混合物を放出する。オスはこのにおいのみに惹きつけられる。上記のランはこの習性を利用し、オスのサンド・ビーに花粉の収集と播種を行わせる。花がサンド・ビーの外見の類似することに加え、3種類のアルカンをメスバチと同じ比で発生させる。するとオスのサンド・ビーはこの花に誘引され、交尾しようとやってくるが、目的が達成できなかったことにがっかりして飛び去り、また次の花に移って行く。このようにして受粉が助けられる。",
"title": "生物との関わり"
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"text": "分子構造、特に表面積によって沸点が決まる。分子の表面積が小さいほど、分子間にはたらくファンデルワールス力が小さくなるため沸点も低くなる。枝分かれ構造を持つと表面積は小さくなる。すなわち、炭素数の大きいアルカンほど通常は高い沸点を持ち、枝分かれしたアルカンは直鎖状のものに比べて低い沸点を持つ。標準状態において、CH4からC4H10までのアルカンは気体、C5H12からC16H34までは液体、C17H36以上は固体である。メチレン鎖 (−CH2−) 1個につき沸点はおよそ20から30 °C上昇する。詳しくはデータページを参照。",
"title": "性質"
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{
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"tag": "p",
"text": "アルカンはファンデルワールス結晶を形成する。プロパンを除き、融点も炭素数が増加するとともに高くなる。沸点よりも変化は緩やかで、高級アルカンではあまり変わらない。また、偶数個の炭素原子を持つアルカンは奇数個のものより高い融点を持つ傾向がある。これは偶数個のアルカンは結晶状態における充填密度がより高いためである。枝分かれしたアルカンの融点は、結晶の充填の効率によって、直鎖状のものより高くも低くもなる。この傾向はイソアルカン(2-メチル異性体)の場合に特にわかりやすく、それらはしばしば直鎖状のものより高い融点を持つ。",
"title": "性質"
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"text": "アルカンは電気を通さず、電場によっても分極しない。このため水素結合は作らず、水などの極性の高い溶媒には溶けない。水分子同士の水素結合はアルカンとの相互作用を介さないため、それらを混ぜ合わせると水分子間の水素結合が乱され、エントロピー的に不利になる。水分子とアルカンの間には強い結合は形成されないため、熱力学第二法則に従い、このエントロピー増加はアルカンと水の接触を最小にすることによって回避される。アルカンは水をはじくため疎水性であるといわれる。",
"title": "性質"
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"tag": "p",
"text": "非極性の溶媒に対する溶解度は比較的高く、その性質は親油性と呼ばれる。鎖長の異なるアルカンは互いに任意の割合で混合する。",
"title": "性質"
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"tag": "p",
"text": "アルカンの密度は通常炭素数の増加に伴って高くなるが、水よりも高くなることはない。ゆえに、アルカンは必ず水に浮く。",
"title": "性質"
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"tag": "p",
"text": "炭素−水素結合や炭素−炭素結合は安定であり、開裂させるのは容易でないことから、アルカンの反応性は低い。",
"title": "性質"
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"text": "イオン性の化合物や極性の高い基質とはほとんど反応しない。pKaはおおむね60以上であり、酸や塩基に対しても不活性である。この性質は「パラフィン (paraffin)」の語源であり、これはラテン語で「親和力 (affinity) を持たない」を意味する para と affinis の組み合わせである。原油中では何百万年も化学的に変化せずに存在し続けている。",
"title": "性質"
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"text": "アルカン中の炭素原子は高度に還元された状態であるため、酸素やハロゲンとは酸化還元反応を起こす。メタンの炭素原子の酸化数は −4 であり、これは可能な酸化状態のうちで最も低い。酸素との反応では煙を伴わない燃焼が、ハロゲンとは置換反応が起きる(詳しくは#反応を参照)。また、アルカンはある種の金属錯体と相互作用・結合することが知られている。",
"title": "性質"
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{
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"text": "アルカンの反応は対を形成していない電子、フリーラジカルを伴うものがほとんどである。石油の接触分解(クラッキング)や接触改質では長鎖のアルカンが短鎖に、直鎖アルカンが枝分かれしたものに変換される。高度に枝分かれしたアルカンでは、立体的な混み合いを避けるために結合角が理想的な値(109.5°)から著しく外れる傾向を持つ。これによって分子の内部エネルギーが大きくなり、反応性が高くなる場合がある。これは立体反発と呼ばれる。",
"title": "性質"
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"text": "アルカンは構成元素がばらばらの状態であるよりも安定である。すなわち負の生成熱を持つ。直鎖状のものの場合、メチレン鎖1個につきおよそ−21 kJ/molの生成熱が得られる。枝分かれしたものは若干安定であり、例えばn-ペンタンと比べて2-メチルブタンは約7.5 kJ/mol、2,2-ジメチルプロパンは約21 kJ/mol生成熱が低い。",
"title": "性質"
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{
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"tag": "p",
"text": "アルカン内での原子どうしの結合エネルギーは、C-C結合では355±20 kJ/mol、C-H結合では400±20 kJ/molとなっている。",
"title": "性質"
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "およそ全ての有機化合物は炭素−炭素および炭素−水素結合を持ち、種々のスペクトル上にその特徴が現れる。アルカンは他に官能基を持たないので、アルカンのみにみられるような特徴は少ない。",
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"text": "IRスペクトルでは、炭素−水素伸縮振動により2980–2850 cm付近に強い吸収を示す。炭素−炭素伸縮振動による吸収は1300–800 cm付近に現れる。炭素−水素変角振動は置換基の性質によって異なり、メチル基は1450–1375 cmに、メチレン基は1465–1450 cmに吸収を示す。炭素数4以上の場合は725 cm付近に弱い吸収を示す。",
"title": "性質"
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{
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"tag": "p",
"text": "NMRスペクトルでは、アルカンに限らず、メチル基のプロトンは δ 0.7–1.3 に、飽和第二級炭素のプロトンはδ 1.2–1.6に、飽和第三級炭素のプロトンはδ 1.4–1.8にピークを与える。炭素13の共鳴はついている水素原子の数によって変化し、メチルは δ 0–30、メチレンは δ 15–55、メチンは δ 25–55である。4級炭素はオーバーハウザー効果の影響をあまり受けないため、プロトンをデカップリングしたC NMRスペクトルでは特にピークが小さくなる。通常の測定条件ではピークが見つけられないこともある。",
"title": "性質"
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{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "アルカンはイオン化エネルギーが大きいため、マススペクトルでの分子イオンピークは強度が低い。フラグメンテーションは一般に解釈が難しいが、枝分かれしたアルカンの場合は生成するラジカルの安定性により4級炭素の部分で解裂が起こりやすい。メチル基を失ったフラグメントイオン (M − 15) のピークは現れないことが多く、メチレン基を1個ずつ失っていくことによる14質量単位ごとのピークがよくみられる。",
"title": "性質"
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{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "全てのアルカンは燃焼によって酸素と反応するが、炭素数が増すにつれて着火が困難になる。完全燃焼した場合の一般式は以下のように表され、二酸化炭素と水が生成する。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "このとき多量の熱を発生するので、アルカンは燃料として用いられる。十分な酸素が無いと、一酸化炭素やススが生成する。メタンの場合を示す。",
"title": "反応"
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{
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"tag": "p",
"text": "一般的にアルカンは明るくない炎を伴って燃焼し、ススはほとんど生成しない。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "燃焼による標準エンタルピー変化 ΔcH はメチレン基1つにつき650 kJ/molずつ増加する。炭素数が等しい場合、枝分かれが多いほど ΔcH は低くなる。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "アルカンとハロゲンはフリーラジカルハロゲン化 (free radical halogenation) と呼ばれる反応を起こす。反応は光の照射や加熱によって起こり、アルカンの水素原子がハロゲン原子と置き換わる(置換する)。フリーラジカルは反応に重要な役割を果たす活性な化学種で、これが関わると生成物は異性体の混合物になりやすい。反応は非常に発熱的で、爆発することもある。反応は(1) ホモリシス(等方性分解)によるハロゲンラジカルの発生、(2) 連鎖反応によるハロゲン化アルキルの生成、(3) ラジカルの再結合による終了、の3つの段階からなる。ラジカルハロゲン化はハロゲン化アルキルを得るための工業的方法である。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "接触分解は分子を小さな破片とする反応で、加熱や触媒を用いる。加熱接触分解は等方的な開裂、すなわち結合が対称的に切断することによる1対のラジカルの発生を伴う。触媒的接触分解では酸触媒、通常アルミノケイ酸やゼオライトが使われる。これらはヘテロリシス(異方性分解)を促進し、逆の電荷を持つ1対のイオン、普通はカルボカチオンと非常に不安定なヒドリドイオンを発生させる。発生したラジカルやカルボカチオンは共に不安定で、炭素鎖の転位、C−C結合のβ位での開裂、分子間および分子内での水素あるいはヒドリド転位を起こす。これらの過程では発生する活性中間体(ラジカルやイオン)は次々に再生成し、反応は連鎖的に進行する。最後はラジカルやイオンの再結合によって停止する。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "ブタン CH 3 − CH 2 − CH 2 − CH 3 {\\displaystyle {\\ce {CH3-CH2-CH2-CH3}}} の例を以下に示す。",
"title": "反応"
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{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "ニッケル触媒の存在下で水蒸気と反応し、水素を与える。特殊な条件を要するが、クロロスルホン化やニトロ化を行うこともできる。リード反応 (Reed reaction) は二酸化硫黄と塩素の存在下に光照射を行い、アルカンからスルホニルクロリドを得る反応である。アルカンの発酵によるカルボン酸の合成は重要な技術的課題とされている。",
"title": "反応"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "実験室的なアルカンの合成法は多い。最もよく知られるものはアルケンの水素化とグリニャール試薬の加水分解である。ハロゲン化アルキルからコーリー・ハウス・ポスナー・ホワイトサイズ反応によって得ることもできる。バートン・マクコンビー脱酸素化(英語版)はアルコールからヒドロキシ基を除去する反応、クレメンゼン還元はアルデヒドやケトンからカルボニル基を取り除き、アルカンとする反応である。",
"title": "合成"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "アルカンの命名法はIUPAC命名法に従う。分岐のないアルカンは主なアルカンの節に詳しい。分岐のあるアルカンは最も長い直鎖を主幹とするアルカンにアルキル基が置換したように命名する。下のような官能基を R を用いて表すこともある。",
"title": "命名法"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "アルキル基:他の言語",
"title": "命名法"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "アルキル基(あるきるき、alkyl group)は直鎖のアルカンの末端から水素を1つ取り除いた官能基で、CnH2n+1 で表される。n = 1 をメチル基、n = 2 はエチル基というように、対応するアルカンの語尾を ane から yl に変える事で命名できる。 n=21までと24,30はアルカン (データ)にてアルカン名を参照できる。",
"title": "命名法"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "アルキレン基(あるきれんき、alkylene group)は直鎖のアルカンから水素を2つ取り除いた2価の置換基で、-CnH2n-、もしくは CnH2n= と表される。命名法では、n=1 のものをメチレン基、n=2 のものをエチレン基というように、対応するアルカン名の語尾を -ane から -ylene(同一炭素から水素2個を取り除いた基の場合は -ylidene とも)に変えて示される。",
"title": "命名法"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "アルカンの慣用名には iso-(イソ)、neo-(ネオ)を接頭辞として直鎖アルキルにつけて、異性体の慣用名とするものするものがある。ただし、全ての直鎖アルキルに対して適用できる命名ルールではなく、IUPAC命名法では次の分枝アルキルあるいは分枝アルキルを基にした置換基の名称に iso- 等から誘導される慣用名の使用を認めている。また、置換基に限って tert-、sec- などの接頭辞を付けて異性体の分枝アルキル基の慣用名の使用を認めている。しかし、これら基幹炭素鎖や置換基に使用する慣用名に対して置換命名法で更なる命名を誘導すること認めていない。いずれの場合でもIUPAC命名法は直鎖炭化水素を用いた置換命名法による分枝アルキルの命名の方を推奨している。",
"title": "命名法"
}
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アルカンとは、一般式 CnH2n+2 で表される鎖式飽和炭化水素である。メタン系炭化水素、パラフィン系炭化水素や脂肪族化合物とも呼ばれる。炭素数が大きいものはパラフィンとも呼ばれる。アルカンが置換基となった場合、一価の置換基をアルキル基、二価の置換基をアルキレン基と呼ぶ。環状の飽和炭化水素はシクロアルカンと呼ばれる。 IUPACの定義によれば、正式には、環状のもの(シクロアルカン)はアルカンに含まれない。しかし両者の性質がよく似ていることや言葉の逐語訳から、シクロアルカンを「環状アルカン」と称し、本来の意味でのアルカンを「非環状アルカン」と呼ぶことがある。結果的に、あたかも飽和炭化水素全体の別称であるかのように「アルカン」の語が用いられることもあるが、不適切である。 主に石油に含まれ、分留によって取り出される。個別の物理的性質などについてはデータページを参照。生物由来の脂肪油に対して、石油由来のアルカン類を鉱油と呼ぶ。
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[[File:Methane-3D-space-filling.svg|thumb|right|250px|最も単純なアルカン、[[メタン]]の[[空間充填モデル]]。]]
'''アルカン'''({{Lang-de|Alkan}}、{{Lang-en|alkane}})とは、一般式 {{chem|C|n|H|2n+2}} で表される鎖式[[飽和]][[炭化水素]]である。'''メタン系炭化水素'''、'''パラフィン系炭化水素'''や'''[[脂肪族化合物]]'''<ref name="mcmurry39">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、p.39。</ref>とも呼ばれる。炭素数が大きいものは[[パラフィン]]とも呼ばれる。アルカンが置換基となった場合、一価の置換基を'''アルキル基'''、二価の置換基を'''アルキレン基'''と呼ぶ。環状の飽和炭化水素は[[シクロアルカン]]と呼ばれる。
IUPACの定義によれば、正式には、環状のもの(シクロアルカン)はアルカンに含まれない<ref name="goldbook">{{cite web
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|title=alkanes
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}}</ref>。しかし両者の性質がよく似ていることや言葉の逐語訳から、シクロアルカンを「環状アルカン」と称し、本来の意味でのアルカンを「非環状アルカン」と呼ぶことがある。結果的に、あたかも飽和炭化水素全体の別称であるかのように「アルカン」の語が用いられることもあるが、不適切である。
主に[[石油]]に含まれ、[[分留]]によって取り出される。個別の物理的性質などについては[[アルカン (データ)|データページ]]を参照。生物由来の脂肪油に対して、石油由来のアルカン類を'''鉱油'''(mineral oil)と呼ぶ。
== 存在 ==
[[File:Uranus2.jpg|thumb|right|150px|天王星。天王星や海王星が青く見えるのは大気に含まれる[[メタン]]による影響である。]]
アルカンは、地球上および太陽系の他の惑星上に存在するが、炭素鎖の数は100程度のものまでであり、それ以上の大きさのアルカンはごくわずかしか存在しない。軽い炭化水素、特に[[メタン]]や[[エタン]]は[[百武彗星]]の尾や[[炭素質球粒隕石]]などから検出されている。また、[[ガス惑星]]である[[木星]]、[[土星]]、[[天王星]]、[[海王星]]の大気の構成成分でもある。土星の衛星[[タイタン (衛星)|タイタン]]上には、かつてアルカンからなる海が存在していたと考えられており、現在でも液体のメタンが存在するとされている。<ref>https://www.natureasia.com/en/research/highlight/12924</ref>
痕跡量のメタン(約{{val|0.0001}} [[%]])は地球の大気中にも存在するが、これは主に[[古細菌]]によるものである。水に対する溶解度が低いため海水中には存在しないが、高圧・低温条件ではメタンは水との[[共結晶]]である[[メタンハイドレート]]を形成し、これらは海底に埋蔵されている。2006年現在では工業的採掘は行われていないものの、メタンハイドレートの鉱脈はエネルギー量に換算すれば現存する天然ガスと石油をあわせたものを超える量が存在するとされており、メタンハイドレートから取り出されるメタンは将来の燃料源として注目されている。
今日ではアルカンは主として[[天然ガス]]や[[石油]]から得ている。天然ガスは主にメタンやエタンからなり、少量の[[プロパン]]、[[ブタン]]を含む。石油は液体のアルカンとその他の炭化水素の混合物である。これらは共に動物[[プランクトン]]、植物プランクトンといった海洋生物の死骸が太古の海の底に沈んだのち、他の沈降物で覆われて無酸素状態に置かれ、何百万年もの間高温・高圧条件にさらされたのちに現在の状態になったと考えられている。天然ガスの生成は、例えば以下の式で表されるような反応によるものである。
: <chem>C6H12O6 -> 3CH4 + 3CO2</chem>
これらの炭化水素は多孔質の岩石中に蓄えられ、透過性のない岩盤によって覆われている。多量に再生成が続いているメタンとは異なり、高級アルカン(炭素数9以上のアルカン)は自然にはほとんど作り出されない。現在ある量が使い果たされれば、それで終わりである。
固体のアルカンは石油を蒸発させたあとの残渣にみられ、[[タール]]と呼ばれる。天然に存在する固体アルカンの所在として知られるうちで最も大きなものの1つは、[[ピッチ湖|ピッチ・レイク]]の名で知られる[[トリニダード・トバゴ]]の[[タールピット|アスファルト湖]]([[ピッチ湖]])である。
== 精製と利用 ==
[[File:ShellMartinez-refi.jpg|thumb|right|220px|[[カリフォルニア州]]マルチネスの石油精製工場]]
アルカンは化学工業における原料物質として広く利用されるのみならず、世界経済に大きな影響を与える燃料でもある。
処理過程における出発物質は天然ガスまたは[[原油]]である。後者は[[蒸留]]による[[石油精製]]によって分離され、[[ガソリン]]など様々な製品が作られる。原油から得られる種々の留分はそれぞれ異なる沸点を持ち、容易に分離することができる。各留分の沸点の幅は狭い。
アルカンごとの用途はその炭素数によってほぼ決まっているが、以下に示す分類は大まかなものである。炭素数1–4のものは暖房、料理など、いくつかの国では発電にも使われる。メタンとエタンは天然ガスの主成分である。普通は加圧下で気体のまま保存されるが、輸送の際には液体としておくのが便利である。それには圧縮か冷却が必要とされる。
プロパンとブタンはより低い圧力で液体にすることができ、液化石油ガス (LPG) として知られる。プロパンはプロパンガスバーナーなど、ブタンは使い捨てのタバコ用[[ライター]](圧力2[[バール (単位)|バール]]程度)などに使われる。これらは[[スプレー]]にも用いられる。
炭素数5–8のもの([[ペンタン]]から[[オクタン]]まで)は揮発性の高い液体である。燃焼の均一性を損なう液滴を作らず容易に気化して燃焼室に導入できるため、[[内燃機関]]の燃料に使われる。枝分かれした構造を持つアルカンは、直鎖状のものと比べてノッキングの原因となる[[過早着火]]を起こしにくいため好んで用いられる。過早着火の起こりやすさは[[オクタン価]]で表され、これは基準値として[[イソオクタン]](2,2,4-トリメチルペンタン)を100、[[ヘプタン]]を0とするものである。燃料のほか、これら中鎖アルカンは非極性の物質の良い[[溶媒]]である。
炭素数9以上のもの、例えばヘキサデカン(炭素数16)は[[粘度]]の高い液体であり、ガソリンのような用途には適さない。それらは[[軽油]](ディーゼル油)や[[航空燃料]]に用いられる。軽油は[[セタン価]]によって評価される。セタンはヘキサデカンの古名である。これらのアルカンは融点が高いため、寒冷地など、気温の低い所ではどろどろになって流れにくくなるなどの問題が生じることがある。
炭素数16を超える長鎖アルカンは[[重油]]([[燃料油]])や[[鉱油]]の主成分である。[[疎水性]]を持つため水分が金属の表面に到達するのを防ぐことから、後者は腐食防止剤として利用される。固体のアルカンは石油ワックスとして[[蝋燭]]などに使われる。名称が類似するが、[[蝋]](ワックス)は[[エステル]]であり、アルカンとは別種の化合物である。
炭素数35以上のものは[[歴青]]や[[アスファルト]]などに存在し、道路の舗装などに使われる。しかしながら一般に長鎖のアルカンは用途が少ないため、[[接触分解]](クラッキング)によって短鎖アルカンへ変換される。
== 生物との関わり ==
アルカンは自然界に様々な形で存在するが、生物学的に必須であるような場合はみられない。[[ジャコウジカ|ジャコウジカ科]] (Muchidae) のシカから得られていた[[麝香]]には炭素数14から18の[[シクロアルカン]]が含まれていた。以下には非環状であるアルカンについて述べる。
=== 細菌と古細菌 ===
[[File:Rotbuntes Rind.jpg|thumb|right|220px|ウシの内臓に存在する[[メタン菌]]は大気中の[[メタン]]の発生源である]]
ある種の[[細菌]]はアルカンを代謝する。炭素数が奇数のものよりも分解しやすいため、彼らは偶数個のものを好む。
一方[[古細菌]]の中には[[メタン菌]]と呼ばれるものが存在し、[[二酸化炭素]]など酸化された状態にある有機化合物を代謝して[[メタン]]を作り出す。[[水素]]の酸化によってエネルギーを得ている。
: <chem>CO2 + 4H2 -> CH4 + 2H2O</chem>
メタン菌は湿地で発生する「沼気ガス」の元でもあり、1年あたりおよそ2億トンのメタンを作り出している。大気成分中のメタンはほぼ全てがメタン菌による。メタン菌は[[草食]]する動物の体内にも存在する。特に[[ウシ]]などの[[反芻動物]]は植物の[[セルロース]]などを体内のメタン菌が分解して1日あたり150リットルのメタンをげっぷとして排出している。[[シロアリ]]も摂食した木質を体内のメタン菌が分解してメタンを産生する。ヒトの[[腸]]で作られる最も単純なアルカンでもある。メタンを生産する古細菌は[[炭素循環]]の終端に位置し、大気中に放出されたあとは[[光合成]]によって再び固定される。こんにち存在する[[天然ガス]]も同様な経路で生成したと考えられている。メタンは大気中での温室効果が[[二酸化炭素]]よりも高い物質とされているが、アルカンの中では代謝される量も速度も大きく、また大きな発生源とされた家畜は人為的にも制御しやすいとされている。
=== 菌類と植物 ===
[[File:Fuji apple.jpg|thumb|right|220px|リンゴの表面のワックスの薄膜にはじかれ、水は[[滴]]を形成する]]
生物学的な寄与の割合は小さいものの、菌類・植物・動物といった[[真核生物]]にも関わりがある。特殊な[[酵母]]である ''Candida tropicale''、''Pichia'' 属、''Rhodotorula'' 属はアルカンを炭素源・エネルギー源として利用する。真菌類の一種 ''Amorphotheca resinae'' は航空燃料に含まれる長鎖のアルカンを好み、熱帯地方では飛行機の運航に支障を起こすことがある。
植物では長鎖の固体アルカンがワックスの薄い膜層、[[クチクラ]]として空気に触れる部分にみられる。これは水分が失われたり、雨で大事なミネラルが流れ出すことを防ぐ。細菌、菌、害虫などに対する防御としても働く。昆虫は柔らかいワックス状の物質に足をとられ、うまく歩くことができない。リンゴなどの表面を覆っている光沢のある膜は長鎖のアルカンからなるものである。炭素の数はたいてい20から30個であり、これらは植物によって[[脂肪酸]]から作り出されている。ワックスの成分は種によって異なり、季節や光の量・温度・湿度などの要素によっても変化する。
=== 動物 ===
動物の生産物の中にもアルカンは含まれるが、[[不飽和炭化水素]]よりも重要性は低い。サメの肝油は約14%の[[プリスタン]](2,6,10,14-テトラメチルペンタデカン、{{chem|C|19|H|40}})を含む。昆虫が情報伝達の手段として使う物質である[[フェロモン]]にはより多くのアルカンが存在する。[[カミキリムシ]]の1種 ''Xylotrechus colonus'' はペンタコサン ({{chem|C|25|H|52}}) を主成分として3-メチルペンタコサン ({{chem|C|26|H|54}})、9-メチルペンタコサン ({{chem|C|26|H|54}}) を持ち、躯体の接触によってにおいを移す。[[ツェツェバエ]]の一種 ''Glossina morsitans morsitans'' のフェロモンには4種類のアルカン、2-メチルヘプタデカン ({{chem|C|18|H|38}})、17,21-ジメチルヘプタトリアコンタン ({{chem|C|39|H|80}})、15,19-ジメチルヘプタトリアコンタン ({{chem|C|39|H|80}})、15,19,23-トリメチルヘプタトリアコンタン ({{chem|C|40|H|82}}) が含まれ、遠距離からでも作用するため有用な病害虫対策として利用される。
=== 環境中での作用 ===
[[File:Ophrys sphegodes flower.jpg|thumb|right|150px|アーリー・スパイダー・オーキッド (''Ophrys sphegodes'')]]
植物と動物の間で作用する例として、ヒメハナバチ科のサンド・ビー (''Andrena nigroaenea'') と[[ラン科|ラン]]の一種、アーリー・スパイダー・オーキッド (''Ophrys sphegodes'') の関係が挙げられる。後者は前者に[[受粉]]を依存している。サンド・ビーは仲間の識別にフェロモンを利用しており、''A. nigroaenea'' のメスはトリコサン (C<sub>23</sub>H<sub>48</sub>)、ペンタコサン (C<sub>25</sub>H<sub>52</sub>)、ヘプタコサン (C<sub>27</sub>H<sub>56</sub>) の3:3:1の比の混合物を放出する。オスはこのにおいのみに惹きつけられる。上記のランはこの習性を利用し、オスのサンド・ビーに花粉の収集と播種を行わせる。花がサンド・ビーの外見の類似することに加え、3種類のアルカンをメスバチと同じ比で発生させる。するとオスのサンド・ビーはこの花に誘引され、交尾しようとやってくるが、目的が達成できなかったことにがっかりして飛び去り、また次の花に移って行く。このようにして受粉が助けられる。
== 性質 ==
=== 物理的性質 ===
分子構造、特に表面積によって[[沸点]]が決まる。分子の表面積が小さいほど、分子間にはたらく[[ファンデルワールス力]]が小さくなるため沸点も低くなる。枝分かれ構造を持つと表面積は小さくなる。すなわち、炭素数の大きいアルカンほど通常は高い沸点を持ち<ref name="mcmurry48">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、p.48。</ref>、枝分かれしたアルカンは直鎖状のものに比べて低い沸点を持つ。[[標準状態]]において、{{chem|CH|4}}から{{chem|C|4|H|10}}までのアルカンは気体、{{chem|C|5|H|12}}から{{chem|C|16|H|34}}までは液体、{{chem|C|17|H|36}}以上は固体である。メチレン鎖 (−{{chem|CH|2}}−) 1個につき沸点はおよそ20から30 °C上昇する。詳しくは[[アルカン (データ)|データページ]]を参照。
[[File:Alkanschmelzundsiedepunkt.svg|thumb|right|300px|炭素数1から14までのアルカンの融点(青)と沸点(赤)。縦軸は温度 (°C)]]
アルカンは[[ファンデルワールス結晶]]を形成する。プロパンを除き、[[融点]]も炭素数が増加するとともに高くなる<ref name="mcmurry48" />。沸点よりも変化は緩やかで、高級アルカンではあまり変わらない。また、偶数個の炭素原子を持つアルカンは奇数個のものより高い融点を持つ傾向がある。これは偶数個のアルカンは結晶状態における充填密度がより高いためである。枝分かれしたアルカンの融点は、結晶の充填の効率によって、直鎖状のものより高くも低くもなる。この傾向はイソアルカン(2-メチル[[異性体]])の場合に特にわかりやすく、それらはしばしば直鎖状のものより高い融点を持つ。
アルカンは電気を通さず、電場によっても[[分極]]しない。このため水素結合は作らず、水などの極性の高い溶媒には溶けない。水分子同士の[[水素結合]]はアルカンとの相互作用を介さないため、それらを混ぜ合わせると水分子間の水素結合が乱され、[[エントロピー]]的に不利になる。水分子とアルカンの間には強い結合は形成されないため、[[熱力学第二法則]]に従い、このエントロピー増加はアルカンと水の接触を最小にすることによって回避される。アルカンは水をはじくため[[疎水性]]であるといわれる。
非極性の溶媒に対する溶解度は比較的高く、その性質は[[親油性]]と呼ばれる。鎖長の異なるアルカンは互いに任意の割合で混合する。
アルカンの密度は通常炭素数の増加に伴って高くなるが、水よりも高くなることはない。ゆえに、アルカンは必ず水に浮く。
=== 化学的性質 ===
炭素−水素結合や炭素−炭素結合は安定であり、開裂させるのは容易でないことから、アルカンの反応性は低い。
イオン性の化合物や極性の高い基質とはほとんど反応しない。[[酸解離定数|{{pKa}}]]はおおむね60以上であり、酸や塩基に対しても不活性である。この性質は「パラフィン (paraffin)」の語源であり、これは[[ラテン語]]で「親和力 (affinity) を持たない」を意味する para と affinis の組み合わせである<ref name="mcmurry47">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、p.47。</ref>。[[原油]]中では何百万年も化学的に変化せずに存在し続けている。
アルカン中の炭素原子は高度に還元された状態であるため、[[酸素]]や[[ハロゲン]]とは酸化還元反応を起こす。メタンの炭素原子の酸化数は −4 であり、これは可能な酸化状態のうちで最も低い。酸素との反応では煙を伴わない[[燃焼]]が、ハロゲンとは[[置換反応]]が起きる(詳しくは[[#反応]]を参照)。また、アルカンはある種の金属錯体と相互作用・結合することが知られている。
アルカンの反応は対を形成していない電子、[[フリーラジカル]]を伴うものがほとんどである。石油の[[接触分解]](クラッキング)や[[接触改質]]では長鎖のアルカンが短鎖に、直鎖アルカンが枝分かれしたものに変換される。高度に枝分かれしたアルカンでは、立体的な混み合いを避けるために[[結合角]]が理想的な値(109.5°)から著しく外れる傾向を持つ。これによって分子の内部エネルギーが大きくなり、反応性が高くなる場合がある。これは[[立体反発]]と呼ばれる。
=== 熱化学 ===
アルカンは構成元素がばらばらの状態であるよりも安定である。すなわち負の[[生成熱]]を持つ。直鎖状のものの場合、メチレン鎖1個につきおよそ−21 kJ/molの生成熱が得られる。枝分かれしたものは若干安定であり、例えば''n''-ペンタンと比べて2-メチルブタンは約7.5 kJ/mol、2,2-ジメチルプロパンは約21 kJ/mol生成熱が低い。
アルカン内での原子どうしの[[結合エネルギー]]は、C-C結合では355±20 kJ/mol、C-H結合では400±20 kJ/molとなっている<ref name="mcmurry49">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、p.49。</ref>。
=== 分光学的性質 ===
およそ全ての有機化合物は炭素−炭素および炭素−水素結合を持ち、種々のスペクトル上にその特徴が現れる。アルカンは他に官能基を持たないので、アルカンのみにみられるような特徴は少ない。
==== 赤外分光法 ====
[[赤外分光法|IR]]スペクトルでは、炭素−水素伸縮振動により2980–2850 cm<sup>−1</sup>付近に強い吸収を示す<ref>[[#jones2|Jones(2006)]]、p.714。</ref>。炭素−炭素伸縮振動による吸収は1300–800 cm<sup>−1</sup>付近に現れる。炭素−水素変角振動は置換基の性質によって異なり、メチル基は1450–1375 cm<sup>−1</sup>に、メチレン基は1465–1450 cm<sup>−1</sup>に吸収を示す。炭素数4以上の場合は725 cm<sup>−1</sup>付近に弱い吸収を示す。
==== 核磁気共鳴 ====
[[核磁気共鳴|NMR]]スペクトルでは、アルカンに限らず、メチル基のプロトンは δ 0.7–1.3 に、飽和第二級炭素のプロトンはδ 1.2–1.6に、飽和第三級炭素のプロトンはδ 1.4–1.8にピークを与える<ref name="mcmurry418">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、p.418。</ref>。炭素13の共鳴はついている水素原子の数によって変化し、メチルは δ 0–30、メチレンは δ 15–55、メチンは δ 25–55である<ref>[[#jones2|Jones(2006)]]、p.745。</ref>。4級炭素は[[オーバーハウザー効果]]の影響をあまり受けないため、プロトンをデカップリングした[[炭素13核磁気共鳴|<sup>13</sup>C NMR]]スペクトルでは特にピークが小さくなる。通常の測定条件ではピークが見つけられないこともある。
==== 質量分析 ====
アルカンはイオン化エネルギーが大きいため、[[質量分析法|マス]]スペクトルでの分子イオンピークは強度が低い。フラグメンテーションは一般に解釈が難しいが、枝分かれしたアルカンの場合は生成するラジカルの安定性により4級炭素の部分で解裂が起こりやすい。メチル基を失ったフラグメントイオン (M − 15) のピークは現れないことが多く、メチレン基を1個ずつ失っていくことによる14質量単位ごとのピークがよくみられる。
== 反応 ==
=== 酸素との反応 ===
全てのアルカンは燃焼によって酸素と反応するが、炭素数が増すにつれて着火が困難になる。完全燃焼した場合の一般式は以下のように表され、[[二酸化炭素]]と水が生成する。
: <chem>2CnH2_{n + 2}{} + (3n + 1) O2 -> 2nCO2 + 2(n + 1) H2O</chem>
このとき多量の熱を発生するので、アルカンは燃料として用いられる。十分な酸素が無いと、一酸化炭素やススが生成する。メタンの場合を示す。
: <chem>2CH4 + 3O2 -> 2CO + 4H2O</chem>
: <chem>CH4 + O2 -> C + 2H2O</chem>
一般的にアルカンは明るくない[[炎]]を伴って燃焼し、ススはほとんど生成しない。
燃焼による標準エンタルピー変化 Δ<sub>c</sub>''H''<sup><s>o</s></sup> はメチレン基1つにつき650 kJ/molずつ増加する。炭素数が等しい場合、枝分かれが多いほど Δ<sub>c</sub>''H''<sup><s>o</s></sup> は低くなる。
=== ハロゲンとの反応 ===
アルカンとハロゲンは[[フリーラジカルハロゲン化]] (free radical halogenation) と呼ばれる反応を起こす。反応は光の照射や加熱によって起こり、アルカンの水素原子がハロゲン原子と置き換わる(置換する)。フリーラジカルは反応に重要な役割を果たす活性な化学種で、これが関わると生成物は異性体の混合物になりやすい。反応は非常に[[反応熱|発熱的]]で、爆発することもある。反応は(1) [[ホモリシス]](等方性分解)によるハロゲンラジカルの発生、(2) 連鎖反応による[[ハロゲン化アルキル]]の生成、(3) ラジカルの再結合による終了、の3つの段階からなる。ラジカルハロゲン化はハロゲン化アルキルを得るための工業的方法である。
=== 接触分解と接触改質 ===
接触分解は分子を小さな破片とする反応で、加熱や[[触媒]]を用いる。加熱接触分解は等方的な開裂、すなわち結合が対称的に切断することによる1対のラジカルの発生を伴う。触媒的接触分解では酸触媒、通常[[アルミノケイ酸]]や[[ゼオライト]]が使われる。これらは[[ヘテロリシス]](異方性分解)を促進し、逆の電荷を持つ1対のイオン、普通は[[カルボカチオン]]と非常に不安定なヒドリドイオンを発生させる。発生したラジカルやカルボカチオンは共に不安定で、炭素鎖の転位、C−C結合のβ位での開裂、分子間および分子内での水素あるいはヒドリド転位を起こす。これらの過程では発生する活性中間体(ラジカルやイオン)は次々に再生成し、反応は連鎖的に進行する。最後はラジカルやイオンの再結合によって停止する。
ブタン <chem>CH3-CH2-CH2-CH3</chem> の例を以下に示す。
*最も頻繁に起こる反応 (48%)。<chem>CH3-CH</chem>2 結合の開裂 — <chem>CH3{\bullet} + {\bullet}CH2-CH2-CH3</chem> が生成し、数段階の反応のあと、アルカンとアルケン <chem>CH4 + CH2=CH-CH3</chem> が得られる。
*2番目に頻繁に起こる反応 (38%)。<chem>CH2-CH2</chem> 結合の開裂 — <chem>CH3-CH2{\bullet} + {\bullet}CH2-CH3</chem> が生成し、数段階の反応のあと、上記と異なるアルカンとアルケン <chem>CH3-CH3 + CH2=CH2</chem> が得られる。
*3番目に頻繁に起こる反応 (14%)。<chem>C-H</chem> 結合の開裂 — 数段階の反応のあと、アルケンと水素ガス <chem>CH2=CH-CH2-CH3 + H2</chem> が得られる。
=== その他 ===
[[ニッケル]]触媒の存在下で水蒸気と反応し、水素を与える。特殊な条件を要するが、クロロスルホン化やニトロ化を行うこともできる。[[リード反応]] (Reed reaction) は[[二酸化硫黄]]と[[塩素]]の存在下に光照射を行い、アルカンからスルホニルクロリドを得る反応である。アルカンの[[発酵]]による[[カルボン酸]]の合成は重要な技術的課題とされている。
== 合成 ==
実験室的なアルカンの合成法は多い。最もよく知られるものは[[アルケン]]の[[水素化]]と[[グリニャール試薬]]の加水分解である。[[ハロゲン化アルキル]]から[[コーリー・ハウス・ポスナー・ホワイトサイズ反応]]によって得ることもできる。{{仮リンク|バートン・マクコンビー脱酸素化|en|Barton-McCombie deoxygenation}}はアルコールからヒドロキシ基を除去する反応、[[クレメンゼン還元]]はアルデヒドやケトンからカルボニル基を取り除き、アルカンとする反応である。
== 命名法 ==
アルカンの命名法は[[IUPAC命名法]]に従う。分岐のないアルカンは[[IUPAC命名法#鎖式有機化合物|主なアルカンの節]]に詳しい。分岐のあるアルカンは最も長い直鎖を主幹とするアルカンにアルキル基が置換したように命名する。下のような官能基を R を用いて表すこともある。
=== アルキル基 ===
<div class= "thumb tright" style="font-size:10pt">
アルキル基:他の言語
<div style="boder-style:solid;border-width:thin;text-align:left">
* [[w:en:alkyl|English]]
* [[w:de:Alkylgruppe|Deutsch]]
* [[w:nl:Alkylgroep|Nederlands]]
</div>
</div>
'''アルキル基'''(あるきるき、alkyl group)は[[直鎖]]の'''アルカン'''の末端から水素を1つ取り除いた[[官能基]]で、C<sub>n</sub>H<sub>2n+1</sub> で表される<ref name="mcmurry_alkyl">[[#mcmurry|McMurry(2004)]]、pp.41-43。</ref>。n = 1 をメチル基、n = 2 はエチル基というように、対応する'''アルカン'''の語尾を ane から yl に変える事で命名できる<ref name="mcmurry_alkyl" />。 n=21までと24,30は[[アルカン (データ)]]にてアルカン名を参照できる<ref group="注">2021年5月現在、Wikipediaではn=100までのアルカンの単独記事があり、これらの名称を確認できる。</ref>。
{|class="wikitable"
! n !! アルキル基 !! 直鎖アルカン
|-
|n= 1|| [[メチル基]] || [[メタン]]
|-
|n= 2|| [[エチル基]] || [[エタン]]
|-
|n= 3|| [[プロピル基]]|| [[プロパン]]
|-
|n= 4|| [[ブチル基]] || [[ブタン]]
|-
|n= 5|| [[ペンチル基]]|| [[ペンタン]]
|-
|n= 6|| ヘキシル基|| [[ヘキサン]]
|-
|n= 7|| ヘプチル基|| [[ヘプタン]]
|-
|n= 8|| オクチル基|| [[オクタン]]
|-
|n= 9|| ノニル基||[[ノナン]]
|-
|n= 10||デシル基||[[デカン]]
|}
=== アルキレン基 ===
'''アルキレン基'''(あるきれんき、alkylene group)は直鎖のアルカンから水素を2つ取り除いた2価の[[置換基]]で、-C<sub>n</sub>H<sub>2n</sub>-、もしくは C<sub>n</sub>H<sub>2n</sub>= と表される。命名法では、n=1 のものをメチレン基、n=2 のものをエチレン基というように、対応するアルカン名の語尾を -ane から -ylene(同一炭素から水素2個を取り除いた基の場合は -ylidene とも)に変えて示される。
=== 分枝アルカンの慣用名 ===
アルカンの慣用名には '''iso-'''('''イソ''')、'''neo-'''('''ネオ''')を接頭辞として直鎖アルキルにつけて、異性体の慣用名とするものするものがある。ただし、全ての直鎖アルキルに対して適用できる命名ルールではなく、IUPAC命名法では次の分枝アルキルあるいは分枝アルキルを基にした置換基の名称に iso- 等から誘導される慣用名の使用を認めている。また、置換基に限って ''tert''-、''sec''- などの接頭辞を付けて異性体の分枝アルキル基の慣用名の使用を認めている。しかし、これら基幹炭素鎖や置換基に使用する慣用名に対して置換命名法で更なる命名を誘導すること認めていない。いずれの場合でもIUPAC命名法は直鎖炭化水素を用いた置換命名法による分枝アルキルの命名の方を推奨している。
*'''慣用名の使用が認められている分枝アルキル'''(下段はIUPAC組織名)
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!基幹炭素鎖!!置換基
|-
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|-
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|-
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|-
|align="center" bgcolor="#ffffff" |(使用できない)|| align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン8.png|tert-Butyl-]]tert-Butyl-<br />1,1-Dimetylethyl-
|-
|align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:Isopentan.svg|110px|Isopentane]]Isopentane<br />2-Metylbutane || align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン9.png|Isopentyl-]]Isopentyl-<br />3-Methylbutyl-
|-
|align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン3.png|Neopentane]]Neopentane<br />2,2-Dimethylpropane || align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン10.png|Neopentyl-]]Neopentyl-<br />2,2-Dimethylpropyl-
|-
|align="center" bgcolor="#ffffff" |(使用できない)|| align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン11.png|tert-Pentyl-]] tert-Pentyl-<br />1,1-Dimethylpropyl-
|-
|align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン4.png|Isohexane]]Isohexane<br />2-Metylpentane || align="center" bgcolor="#ffffff" | [[画像:説明図 アルカン12.png|Isohexyl-]]Isohexyl-<br />4-Metylpentyl-
|}
== 代表的なアルカン ==
{{See|アルカン (データ)}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{cite book|和書 | title=マクマリー有機化学概説| publisher=[[東京化学同人]] | author=McMurry, John| year=2004 | isbn=4-8079-0588-0| edition=第5版|others=伊東椒・児玉三明訳|ref=mcmurry}}
*{{cite book|和書 | title=ジョーンズ有機化学| publisher=[[東京化学同人]] | author=Jones Jr., Maitland| year=2006 | isbn=4-8079-0632-1| edition=第3版|others=[[奈良坂紘一]]・[[山本学 (化学者)|山本学]]・[[中村栄一]]監訳|volume=下|ref=jones2}}
== 関連項目 ==
{{Wikibooks|有機化学 アルカン|アルカン}}
*[[炭化水素]]
*[[パラフィン]]
*[[シクロアルカン]]
*[[アルケン]]
*[[アルキン]]
{{官能基}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:あるかん}}
[[Category:炭化水素]]
[[Category:燃料]]
[[Category:官能基]]
[[Category:アルカン|*]]
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アルケン
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アルケン(ドイツ語: Alken、英語: alkene)は化学式 CnH2n (n≧2) で表される有機化合物で、C-C間の二重結合を1つ持つ。すなわち、不飽和炭化水素の一種。エチレン系炭化水素、オレフィン (olefin)、オレフィン系炭化水素とも呼ばれる。C-C二重結合を構成している2つπ結合1つとσ結合1つから成り立っており、このうちπ結合の結合エネルギーはC-H結合のものよりも小さく、付加反応が起こりやすい。例えばエテン(エチレン)と塩素の混合物に熱を与えると 1,2-ジクロロエタンが生成する。
古くから、ある種の気体は塩素を作用させると油状の物質が得られることから、ラテン語の「油(羅: oleum)」に因み、このような気体を「生油気、オレフィン・ガス(英: olefiant gas)」と呼んでいた。この気体はエチレンであることが判り、炭素の二重結合を持つ炭化水素をオレフィン系炭化水素、単にオレフィン、またはエチレン系炭化水素と総称していた。
IUPAC命名法によるアルケン類の系統名は、対応するアルカン (alkane) の語尾 -ane を -ene に変化させるだけの単純なものである。例えば、対応するアルカンがエタン (ethane) CH3-CH3 の場合、アルケン CH2=CH2 はエテン (ethene) となる。
二重結合の位置の異なる異性体(二重結合異性体)を持つ、及び置換基のあるアルケンについての命名法は以下の規則に従う。
二重結合は自由に回転しないため、二重結合の炭素それぞれが互いに異なる2つの置換基を持っている場合、立体異性体が生じる。例えば、1,2-2置換エテンの場合、以下の2つの立体異性体があり得る。
上図左のように、置換基が同じ側に並んでいる立体配置をシス (cis)、右のように、置換基が違う側に位置している立体配置をトランス (trans) と呼ぶ。これは二置換シクロアルカンのシス、トランスと同様である。直線で表す表記法では以下のように表すことができる。
これら立体化学だけが異なるアルケンの異性体をシス-トランス異性体という。シス-トランス異性体はジアステレオマーである。上図に明らかなように、シス-トランス異性体をもつ最小のアルケンは、2-ブテンである。二重結合の炭素が置換基を3つ以上有していた場合、E/Z表記法で区別する。まずカーン・インゴルド・プレローグ順位則により二重結合の炭素それぞれに存在する置換基を別々に順位付ける。そして二重結合の炭素それぞれのより優先順位の高い置換基どうしの位置関係からEかZであると決定する。すなわち、それらの置換基がシス体のように隣り合っているならば Z 配置、トランス体のように向かいにあるなら E 配置と表記する。
基官能命名法において、官能基を持つアルケンでは、主鎖及び末端の決定に、官能基が二重結合よりも大きな影響力を持つ。例えばヒドロキシ基を持つアルケンは、二重結合を持つアルコールと解釈され、「アルケノール」と命名される。アルケノールの主鎖はヒドロキシ基と二重結合を両方とも含まねばならない。また、番号付けはヒドロキシ基の番号が小さくなる方を採用する。
枝分かれや置換基を持つアルケンはアルカンと同様の方法で命名する。二重結合の位置は、アルキル基の位置に優先する。
アルケンはIUPAC命名法による名称とは別に慣用名を持つことがある。以下に例を示す。
アルケンの付加反応はC-C二重結合が求電子剤によって求電子攻撃されることから始まり、最終的にC-C二重結合が単結合になる反応である。すなわち、求電子付加反応である。反応の条件や用いる試薬によって、経緯は様々であるが、一般的に反応剤X-Yの単結合が切断され、それぞれ異なる二重結合の炭素に付加する。
下図に反応式の例を示す。
水素の付加によってC-C二重結合を飽和させ単結合とする反応。C-C二重結合を水素化するには触媒が必要である。水素は二重結合の炭素にsyn付加する。立体障害が少ない面が選択される。触媒は不均一系または均一系のいずれかである。溶媒によく用いられるのはメタノール、エタノール、酢酸、酢酸エチルなど。
触媒がなければ、H-H結合(結合解離エネルギー 104kcal/mol)を切断するのは困難である。熱的に水素分子を切断することは不可能といえるほど困難であり、水素分子は電気的に中性なので二重結合の求電子攻撃を受けない。そのため、アルケンの水素化は発熱反応であるが、高温でも起こらない。多く用いられる触媒はパラジウム、白金、ニッケルなどの不溶な物質である。不均一触媒の役目は表面に水素原子と結合し、晒すことである。
触媒を用いる水素化はsyn選択的に起こる。触媒表面に水素分子が結合すると、表面に水素原子が隣接する。C-C二重結合はまず一方のH-触媒表面結合を求電子攻撃し、触媒表面に求核攻撃する。その後、C-触媒表面 はまだ触媒表面に結合している水素に求核置換反応し、水素化は終わる。syn選択性は水素原子の付加が触媒表面という一つの側に限定されることによる。二重結合の面の上側と下側のどちらに付加するは、立体障害が十分少ないなら等価なのでラセミ体が生じ、立体障害があるなら障害が少ない側からのみ起こるので光学異性体が生じる。
C-C二重結合にプロトンHが付加してできるカルボカチオンの安定性が議論される。二重結合の炭素のうち、電子供与基の多いものにXが、電子求引基の多いものにHが付加する。
C-C二重結合に対する、求核剤X、求電子剤Yからなる化合物X-Yの付加反応を考える。Xの求核性が乏しく、溶媒に水などの求核剤を採用していた場合、Yによって生じたカルボカチオンにXではなく溶媒が作用する。求核水和反応 (nucleophilic hydration) はこれの溶媒が水の場合におこる反応であり、アルコールを与える。
ハロゲン分子X-Xの付加反応は触媒なし、非求核性溶媒中で1,2-ジハロゲン化物を生じる。このとき、anti付加体が生じる。ハロゲンのうち、塩素Cl2と臭素Br2はうまく反応する。フッ素F2は反応が激しすぎて扱いが難しく、ヨウ素I2は熱力学的に不利である。
ハロゲン分子は水素分子同様、電気的に中性であるが、その共有結合は分極しやすく、求核剤があるとヘテロリシス開裂する。以降、臭素分子Br2とアルケンの付加反応について話を進める。 C-C二重結合のπ電子が臭素分子を求核攻撃し、一方の炭素にBrと付加する。このときのカルボカチオンは環状のブロモニウムイオンであり、臭素が二重結合の炭素に架橋し、三員環が生じる。引き続く、このブロモニウムイオンに対する求核攻撃は、橋架けしているBr原子とは反対側の面に限られるため、anti選択性が生じる。
四酸化オスミウムを化学量論的に用いるか、N-メチルモルホリン N-オキシド (NMO) 等の第二の酸化剤(犠牲試薬)と組み合わせて触媒量用いることで、アルケンをsyn-1,2-ジオールに変換できる。
アルコールやエーテルの合成に用いられる。マルコフニコフ則が適用され、転位反応が起こらない。
臭素などを付加させた後に、水酸化カリウムなどによる二段階の脱ハロゲン化水素を経てアルキンへと変換される。アルコールや酢酸イオンの存在下に臭素やヨウ素を作用させるとハロゲンと酸素官能基の1,2-付加体が得られる。
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アルケン(ドイツ語: Alken、英語: alkene)は化学式 CnH2n (n≧2) で表される有機化合物で、C-C間の二重結合を1つ持つ。すなわち、不飽和炭化水素の一種。エチレン系炭化水素、オレフィン (olefin)、オレフィン系炭化水素とも呼ばれる。C-C二重結合を構成している2つπ結合1つとσ結合1つから成り立っており、このうちπ結合の結合エネルギーはC-H結合のものよりも小さく、付加反応が起こりやすい。例えばエテン(エチレン)と塩素の混合物に熱を与えると 1,2-ジクロロエタンが生成する。
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{{出典の明記|date=2018年10月}}
[[File:Ethylene-3D-vdW.png|thumb|right|250px|最も単純なアルケン、エテン([[エチレン]])の[[空間充填モデル]]]]
'''アルケン'''({{Lang-de|Alken}}、{{Lang-en|alkene}})は化学式 [[炭素|C]]<sub>''n''</sub>[[水素|H]]<sub>2''n''</sub> (''n''≧2) で表される[[有機化合物]]で、C-C間の[[二重結合]]を1つ持つ。すなわち、[[不飽和炭化水素]]の一種。'''エチレン系炭化水素'''、'''オレフィン''' (olefin)、'''オレフィン系炭化水素'''とも呼ばれる。C-C二重結合を構成している2つ[[π結合]]1つと[[σ結合]]1つから成り立っており、このうちπ結合の[[結合エネルギー]]はC-H結合のものよりも小さく、[[付加反応]]が起こりやすい。例えばエテン([[エチレン]])と[[塩素]]の混合物に熱を与えると [[1,2-ジクロロエタン]]が生成する。
== アルケン類の命名 ==
=== 慣用名の「オレフィン」===
古くから、ある種の気体は[[塩素]]を作用させると油状の物質が得られることから、ラテン語の「油({{lang-la-short|oleum}})」に因み、このような気体を「生油気、'''オレフィン・ガス'''({{lang-en-short|olefiant gas}})」と呼んでいた。この気体はエチレンであることが判り、炭素の二重結合を持つ炭化水素を'''オレフィン系炭化水素'''、単に'''オレフィン'''、または'''エチレン系炭化水素'''と総称していた。<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/オレフィン-41742 |title=コトバンク - 世界大百科事典「アルケン」|accessdate=2018-09-23}}</ref>
=== IUPAC命名法 ===
[[IUPAC命名法]]によるアルケン類の系統名は、対応するアルカン (alkane) の語尾 -ane を -ene に変化させるだけの単純なものである。例えば、対応するアルカンがエタン (ethane) {{chem|CH|3|-CH|3}} の場合、アルケン {{chem|CH|2|{{=}}CH|2}} はエテン (ethene) となる。
[[二重結合]]の位置の異なる[[異性体]](二重結合異性体)を持つ、及び置換基のあるアルケンについての命名法は以下の規則に従う。
* 二重結合を含む最も長い炭素鎖を主鎖とする。単結合だけならばより長い炭素鎖がありえたとしても、それを主鎖と認めない。
* 二重結合の炭素の位置番号は、最も小さくなるように振る。
* 二重結合の位置を、2つの炭素のうち小さいほうの位置番号で示す。[[シクロアルケン]]の場合、二重結合の位置は1番か2番と決まっているので、二重結合の位置を示す数を名前につけない。また、どちらの末端から数えても二重結合の位置が同じなら、主鎖を沿って初めに出会う置換基の番号がより小さい末端を1とする。
二重結合は自由に回転しないため、二重結合の炭素それぞれが互いに異なる2つの置換基を持っている場合、立体異性体が生じる。例えば、1,2-2置換エテンの場合、以下の2つの立体異性体があり得る。
[[File:1,2-disubstituted ethene.svg|300px|thumb|center|1位と2位に1つずつ置換基を持つ置換エテン(エチレン)の異性体]]
上図左のように、置換基が同じ側に並んでいる立体配置を[[シス (化学)|シス]] (''cis'')、右のように、置換基が違う側に位置している立体配置を[[トランス (化学)|トランス]] (''trans'') と呼ぶ。これは二置換[[シクロアルカン]]のシス、トランスと同様である。直線で表す表記法では以下のように表すことができる。
[[画像:Cis-trans.svg|300px|thumb|center|二重結合のシス-トランス異性体。]]
これら立体化学だけが異なるアルケンの異性体をシス-トランス異性体という。シス-トランス異性体は[[ジアステレオマー]]である。上図に明らかなように、シス-トランス異性体をもつ最小のアルケンは、[[2-ブテン]]である。二重結合の炭素が置換基を3つ以上有していた場合、E/Z表記法で区別する。まず[[カーン・インゴルド・プレローグ順位則]]により二重結合の炭素それぞれに存在する置換基を別々に順位付ける。そして二重結合の炭素それぞれのより優先順位の高い置換基どうしの位置関係から''E''か''Z''であると決定する。すなわち、それらの置換基がシス体のように隣り合っているならば ''Z'' 配置、トランス体のように向かいにあるなら ''E'' 配置と表記する。
{| style="margin:0 auto"
|- style="text-align:center"
| style="padding: 0 1em" | [[File:(Z)-1-Bromo-1,2-difluoroethene with CIP number.svg|250px|(''Z'')-1-ブロモ-1,2-ジフルオロエテン]]
| style="padding: 0 1em" | [[File:(E)-2,3-dimethylhept-2-ene with CIP number.svg|250px|(''E'')-2,3-ジメチルヘプタ-2-エン]]
|- style="text-align:center"
| style="padding: 0 1em" | (''Z'')-1-ブロモ-1,2-ジフルオロエテン
| style="padding: 0 1em" | (''E'')-2,3-ジメチルヘプタ-2-エン
|}
基官能命名法において、官能基を持つアルケンでは、主鎖及び末端の決定に、官能基が二重結合よりも大きな影響力を持つ。例えばヒドロキシ基を持つアルケンは、二重結合を持つ[[アルコール]]と解釈され、「アルケノール」と命名される。アルケノールの主鎖はヒドロキシ基と二重結合を両方とも含まねばならない。また、番号付けはヒドロキシ基の番号が小さくなる方を採用する。
枝分かれや置換基を持つアルケンはアルカンと同様の方法で命名する。二重結合の位置は、アルキル基の位置に優先する。
{| style="margin:0 auto"
|- style="text-align:center"
| style="padding: 0 1em" | [[File:Hex-1-ene with number.svg|200px|ヘキサ-1-エン]]
| style="padding: 0 1em" | [[File:4-Methylhex-1-ene with number.svg|200px|4-メチルヘキサ-1-エン]]
| style="padding: 0 1em" | [[File:2-Ethyl-4-methylhex-1-ene.svg|200px|2-エチル-4-メチルヘキサ-1-エン]]
|- style="text-align:center"
| ヘキサ-1-エン
| 4-メチルヘキサ-1-エン
| 2-エチル-4-メチルヘキサ-1-エン
|}
=== 慣用名 ===
アルケンはIUPAC命名法による名称とは別に慣用名を持つことがある。以下に例を示す。
{| cellspacing="5" cellpadding="2"
|-
|
| <chem>CH2=CH2</chem> || <chem>CH3CH=CH2</chem> || <chem>CH3C(CH3)=CH2</chem>
|-
| align="right" | IUPAC名: || エテン || プロペン || 2-メチルプロペン
|-
| align="right" | 慣用名: || [[エチレン]] || [[プロピレン]] || [[イソブテン]]、イソブチレン
|}
== 主なアルケン ==
* [[エチレン]](エテン) ''n'' = 2, C<sub>2</sub>H<sub>4</sub>
* [[プロピレン]](プロペン) ''n'' = 3, C<sub>3</sub>H<sub>6</sub>
* [[ブテン]] ''n'' = 4, C<sub>4</sub>H<sub>8</sub>
* [[ペンテン]] ''n'' = 5, C<sub>5</sub>H<sub>10</sub>
* [[ヘキセン]] ''n'' = 6, C<sub>6</sub>H<sub>12</sub>
* [[ヘプテン]] ''n'' = 7, C<sub>7</sub>H<sub>14</sub>
* [[オクテン]] ''n'' = 8, C<sub>8</sub>H<sub>16</sub>
* [[ノネン]] ''n'' = 9, C<sub>9</sub>H<sub>18</sub>
* [[デセン]] ''n'' = 10, C<sub>10</sub>H<sub>20</sub>
== 生成 ==
* [[アルカン]]の[[クラッキング (化学)|クラッキング]]。
* [[アルコール]]を160–170 °Cで分子内脱水して得られる。アルコールの分子内脱水は[[ザイツェフ則]]に従う。
* [[ハロゲン化アルキル]]に強塩基を加えるとハロゲン化水素の脱離反応によってアルケンが得られる。これもザイツェフ則に従う。アルコールから[[スルホン酸]][[エステル]]を経由して脱離反応によりアルケンを得る手法も一般的である。脱離反応は他に4級アンモニウムを基質とする[[ホフマン脱離]]、アミンオキシドを基質とする[[コープ脱離]]、ほか[[シュガエフ脱離]]、セレノキシド脱離、[[ランバーグ・バックランド反応]]など。
* アルケンは、C-C二重結合のそれぞれの炭素についている2つの置換基がそれぞれ異なる場合、''E'' 型([[トランス (化学)|トランス]]型)と ''Z'' 型([[シス (化学)|シス]]型)の[[幾何異性体]]を持つ。これらを選択的に合成するには[[アルキン]]からの変換反応を用いると便利である。[[リンドラー触媒]]を用いてアルキンを還元すると ''Z'' 型のアルケンが、[[バーチ還元]]の条件で[[アルカリ金属]]を作用させると ''E'' 型のアルケンが得られる。
* [[アルデヒド]]や[[ケトン]]とアルキリデン化試薬とのカップリング反応。[[ウィッティヒ反応]]、[[ホーナー・ワズワース・エモンズ反応]]、[[ピーターソン反応]]、[[ジュリア・リスゴーオレフィン化]]、[[テッベ試薬]]など。[[マクマリー反応]]は2個のカルボニル基からアルケンを作る。
== 反応 ==
=== 付加(還元)反応 ===
アルケンの[[付加反応]]はC-C二重結合が求電子剤によって求電子攻撃されることから始まり、最終的にC-C二重結合が単結合になる反応である。すなわち、求電子付加反応である。反応の条件や用いる試薬によって、経緯は様々であるが、一般的に反応剤X-Yの単結合が切断され、それぞれ異なる二重結合の炭素に付加する。
下図に反応式の例を示す。
[[File:Addition reaction to ethene.svg|thumb|center|300px|X-Yのエチレン(エテン)への付加]]
==== 触媒を用いる水素化反応 ====
[[水素]]の付加によってC-C二重結合を飽和させ単結合とする反応。C-C二重結合を[[水素化反応|水素化]]するには触媒が必要である。水素は二重結合の炭素にsyn付加する。立体障害が少ない面が選択される。触媒は[[触媒#種類|不均一系または均一系]]のいずれかである。溶媒によく用いられるのは[[メタノール]]、[[エタノール]]、[[酢酸]]、[[酢酸エチル]]など。
触媒がなければ、H-H結合([[結合解離エネルギー]] 104kcal/mol)を切断するのは困難である。熱的に水素分子を切断することは不可能といえるほど困難であり、水素分子は[[共有結合|電気的に中性]]なので二重結合の求電子攻撃を受けない。そのため、アルケンの水素化は[[発熱反応]]であるが、高温でも起こらない。多く用いられる触媒はパラジウム、白金、ニッケルなどの不溶な物質である。不均一触媒の役目は表面に水素原子と結合し、晒すことである。
触媒を用いる水素化はsyn選択的に起こる。触媒表面に水素分子が結合すると、表面に水素原子が隣接する。C-C二重結合はまず一方の''H-触媒表面''結合を求電子攻撃し、触媒表面に求核攻撃する。その後、C-触媒表面 はまだ触媒表面に結合している水素に[[求核置換反応]]し、水素化は終わる。syn選択性は水素原子の付加が触媒表面という一つの側に限定されることによる。二重結合の面の上側と下側のどちらに付加するは、立体障害が十分少ないなら等価なので[[ラセミ体]]が生じ、立体障害があるなら障害が少ない側からのみ起こるので[[光学異性体]]が生じる。
==== アルケンに対するH-Xの求電子付加反応 ====
{{See|マルコフニコフ則}}
C-C二重結合にプロトンH<sup>+</sup>が付加してできるカルボカチオンの安定性が議論される。二重結合の炭素のうち、電子供与基の多いものにXが、電子求引基の多いものにHが付加する。
==== 求核水和反応 ====
C-C二重結合に対する、求核剤X、求電子剤Yからなる化合物X-Yの付加反応を考える。Xの求核性が乏しく、溶媒に水などの求核剤を採用していた場合、Yによって生じた[[マルコフニコフ則|カルボカチオン]]にXではなく溶媒が作用する。'''求核水和反応''' (nucleophilic hydration) はこれの溶媒が水の場合におこる反応であり、アルコールを与える。
==== ハロゲン分子の求電子付加 ====
ハロゲン分子X-Xの付加反応は触媒なし、非求核性溶媒中で1,2-ジハロゲン化物を生じる。このとき、anti付加体が生じる。ハロゲンのうち、塩素Cl<sub>2</sub>と臭素Br<sub>2</sub>はうまく反応する。フッ素F<sub>2</sub>は反応が激しすぎて扱いが難しく、ヨウ素I<sub>2</sub>は熱力学的に不利である。
ハロゲン分子は水素分子同様、電気的に中性であるが、その共有結合は分極しやすく、求核剤があるとヘテロリシス開裂する。以降、臭素分子Br<sub>2</sub>とアルケンの付加反応について話を進める。 C-C二重結合のπ電子が臭素分子を求核攻撃し、一方の炭素にBrと付加する。このときのカルボカチオンは[[シクロアルカン|環状]]のブロモニウムイオンであり、臭素が二重結合の炭素に架橋し、三員環が生じる。引き続く、このブロモニウムイオンに対する求核攻撃は、橋架けしているBr原子とは反対側の面に限られるため、anti選択性が生じる。
==== ヒドロホウ素化 ====
{{See|ヒドロホウ素化}}
==== 四酸化オスミウムによる隣接シンジヒドロキシ化 ====
四酸化オスミウムを化学量論的に用いるか、[[N-メチルモルホリン N-オキシド]] (NMO) 等の第二の酸化剤(犠牲試薬)と組み合わせて触媒量用いることで、アルケンをsyn-1,2-ジオールに変換できる。
==== シクロプロパン環の生成 ====
{{See|カルベン#反応|シモンズ・スミス反応}}
==== ペリ環状反応 ====
{{See|ペリ環状反応}}
==== オキシ水銀化-脱水銀化 ====
{{Main|オキシ水銀化}}
アルコールやエーテルの合成に用いられる。マルコフニコフ則が適用され、[[転位反応]]が起こらない。
=== 重合反応 ===
* [[チーグラー・ナッタ触媒]]を使った付加重合反応によるポリアルケン([[ポリエチレン]]や[[ポリプロピレン]])の生成。
=== 酸化反応 ===
* [[過酸]]、[[過酸化水素]]を用いて[[酸化]]すると[[エポキシド]]が生成する。対応する不斉反応として[[シャープレス酸化|香月・シャープレス酸化]]、[[史不斉エポキシ化]]がある。[[シャープレス不斉ジヒドロキシ化]]はキラルな1,2-[[ジオール]]を与える。
**[[オゾン酸化|オゾン分解(オゾン酸化)]]
:[[オゾン]]で酸化した後に還元的/酸化的に処理するとC-C二重結合が切れて2本のC-O二重結合に置き換わり、2分子の[[カルボニル化合物]]を与える。
* [[ワッカー酸化]]は工業的にも重要な酸化反応である。
[[臭素]]などを付加させた後に、[[水酸化カリウム]]などによる二段階の脱[[ハロゲン化水素]]を経て[[アルキン]]へと変換される。[[アルコール]]や[[酢酸|酢酸イオン]]の存在下に臭素やヨウ素を作用させるとハロゲンと酸素官能基の1,2-付加体が得られる。
=== 遷移金属を触媒とするC−C結合生成反応 ===
* 遷移金属を触媒とする結合形成反応。[[オレフィンメタセシス]]反応、[[ヘック反応]]など。[[ヒドロホルミル化|オキソ法]]は工業的に重要。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[不飽和炭化水素]]
* [[アルカン]]
* [[アルキン]]
* [[カルベン]]
*[[カルビン]]
*[[クムレン]]
{{官能基}}
{{Cycloalkenes}}
{{Normdaten}}
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[[Category:アルケン|*]]
[[Category:官能基]]
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アルキン
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アルキン(ドイツ語: Alkin、英語: alkyne)は、分子内に炭素間三重結合を1個だけ持ち、一般式が CnH2n−2 で表される鎖式炭化水素の総称である。アセチレン系炭化水素とも呼ばれる。広義には分子内に非環式および環式の C−C 三重結合を持つ化合物全般を指し、この場合「アセチレン」の語を一般名称として用いる。
アルキンの2つの炭素原子の電子軌道は共にsp混成しており、それぞれ2つのp軌道と2つのsp混成軌道を持つ。各炭素原子はsp軌道を1つずつ提供し、それらが重なることによりσ結合を形成する。また、p軌道同士が重なり合うことによって作られる2つのπ結合も持っている。合計3つの C−C 結合からなるため、これは三重結合と呼ばれる。残りのsp軌道は他の原子とσ軌道を作る。例えば親化合物であるアセチレンでは水素原子と結合している。アルキン上の2つのsp軌道は互いに反対向きに位置しており、アセチレンでは H−C−C 結合角は180度である。合計6個の電子が関与しているため、この三重結合は非常に強く、結合エネルギーは 837 kJ/mol である。個別の結合エネルギーはσ結合 369 kJ/mol、1つめのπ結合 268 kJ/mol、2つめのπ結合 202 kJ/mol である。C−C 結合距離は 121 pm であり、これはアルケンの 134 pm、アルカンの 153 pm と比べ短い。
IUPAC命名法では、語幹に -yne を付加することによって命名する。つまり、対応するアルカン alkane の語尾 -ane を -yne に変えればよい。三重結合の位置は位置番号で表し、これが最も小さくなるように番号を与える。アルキンを2つ以上含む場合は数辞を付け -diyne (ジアルキン), -triyne (トリアルキン), ... とする。例えば、 HC ≡ CCH 2 CH 3 {\displaystyle {\ce {HC # CCH2CH3}}} は 1-ブチン 1-butyne、 CH 3 C ≡ CCH 2 CH 3 {\displaystyle {\ce {CH3C # CCH2CH3}}} は 2-ペンチン 2-pentyne、 CH 3 C ≡ CCH 2 C ≡ CCH 2 CH 2 CH 3 {\displaystyle {\ce {CH3C # CCH2C # CCH2CH2CH3}}} は ノナ-2,5-ジイン nona-2,5-diyne である。親化合物 HC≡CH は許容慣用名アセチレン acetylene を持つ。
アルキンの水素原子を1個取り除いた形である1価の置換基はアルキニル基(—き)と呼ばれる。三重結合上の水素を除いた場合はエチニル基 ethynyl (HC≡C−) など、その他の鎖上の水素原子を除いた場合はプロパ-2-イン-1-イル基 prop-2-yn-1-yl (HC≡CCH2−) などのように呼ぶ。後者は特に慣用名プロパルギル基で呼ばれることも多い。エチニルベンゼン ethynylbenzene (HC≡CC6H5)、プロパルギルアルコール propargyl alcohol (HC≡CCH2OH) などのように用いる。
アルキンはsp混成軌道でσ結合を作ることにより、各炭素原子上に1つずつ、計2つの置換基を持つことができる。このうち片方が水素原子と結合しているものを末端アルキン(まったんアルキン、terminal alkyne)と呼ぶ。例えば示性式 CH3C≡CH で表されるプロピン(メチルアセチレン)がその例である。
これに対し、2つの炭素原子上に共に水素原子以外の基を持つものを内部アルキン(ないぶアルキン、internal alkyne)と呼ぶ。置換する基はヘテロ原子である場合もある。2-ペンチン 2-pentyne などがその例である。これは示性式 CH 3 C ≡ CCH 2 CH 3 {\displaystyle {\ce {CH3C # CCH2CH3}}} で表され、2つのアルキン炭素原子はそれぞれメチル基とエチル基を持っている。
末端アルキンのプロトンはアルカンやアルケンに比べて解離しやすい。アセチレンの pKa は25であり、アンモニア (35) とエタノール (16) の中間程度で、エチレン (44)、エタン (50) よりはるかに低い。これは、生成するアセチリド C≡C 上の電子対が収容されるsp軌道のs性が高いため、負電荷が安定化されやすいからであると説明される。一般に、ある軌道のs性が高い場合、正電荷を持つ原子核との距離がより小さくなるため、そのエネルギーは低くなる。
末端アルキンに強塩基、例えば金属ナトリウム、ナトリウムアミド、n-ブチルリチウム、グリニャール試薬などを作用させると、水素を発生しながらアセチリドを生じる。
アセチリドは強い求核剤として有機合成上有用であり、C−C 結合生成反応に使われる。
他に銀アセチリドや銅アセチリドも知られる。
隣接する2つのハロゲンを持つアルカン誘導体の脱ハロゲン化水素化によって合成される。
アセチリドをハロゲン化アルキルと反応させ、炭素骨格を伸ばすことができる。
フリッツ・バッテンバーグ・ビーチェル転位 (Fritsch-Buttenberg-Wiechell rearrengement) は1,1-ジアリール-2-ブロモエチレンからアリール基が転位したアルキンを合成する反応である。中間体としてカルベンを経由する。
アルデヒドに下式に示すα-ジアゾホスホナート化合物を作用させると炭素が1個増えた末端アルキンが得られる。このホスホナートは開発者の名をとって「大平-ベストマン試薬」と呼ばれる。
アルキンは天然物としてはそれほどありふれたものではなく、よく知られている化合物は1000種類程度である。そのうち生理活性を示すものは多くないが、殺菌剤、自己防衛のための毒、あるいは誘引物質などとして知られるものもある。
例えばヤドクガエルは哺乳類や爬虫類などの捕食者から身を守るためにヒストリオニコトキシンと呼ばれる毒素を皮膚から分泌するが、これは分子内に2つのアルキンを持つ化合物である。また、アルキンを含む天然物群の一角はエンジイン構造を持つ抗生物質によって占められている。活性部位にエンジイン構造を持つカリケアミシン・ネオカルチノスタチンなどの天然物は細胞毒性または抗腫瘍活性を示すものが多く、それらは化学療法剤として利用できる可能性を持つ。
その他には、ドクゼリの毒成分シクトキシン、中国雲南省に自生するホウライタケ科の猛毒菌Trogia venenataの毒成分2R-アミノ-4S-ヒドロキシ-5-ヘキシン酸と2R-アミノ-5-ヘキシン酸などが知られる。
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アルキンは、分子内に炭素間三重結合を1個だけ持ち、一般式が CnH2n−2 で表される鎖式炭化水素の総称である。アセチレン系炭化水素とも呼ばれる。広義には分子内に非環式および環式の C−C 三重結合を持つ化合物全般を指し、この場合「アセチレン」の語を一般名称として用いる。
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{{出典の明記|date=2022年8月}}
[[Image:Alkyne general.svg|right|thumb|アルキンの一般構造]]
[[Image:Acetylene-3D-vdW.png|right|thumb|250px|最も単純なアルキン、エチン([[アセチレン]])の[[空間充填モデル]]]]
'''アルキン'''({{Lang-de|Alkin}}、{{Lang-en|alkyne}})は、[[分子]]内に[[炭素]]間[[三重結合]]を1個だけ持ち、一般式が C<sub>n</sub>H<sub>2n−2</sub> で表される鎖式[[炭化水素]]の総称である。'''アセチレン系炭化水素'''とも呼ばれる。広義には分子内に非環式および環式の C−C 三重結合を持つ化合物全般を指し、この場合「アセチレン」の語を一般名称として用いる。
== 構造 ==
[[Image:Pi-bond.jpg|thumb|π結合の模式図。アルキンは互いに直交する2つのπ結合とσ結合からなる三重結合を持つ]]
アルキンの2つの炭素原子の[[電子軌道]]は共にsp[[混成軌道|混成]]しており、それぞれ2つのp軌道と2つのsp混成軌道を持つ。各炭素原子はsp軌道を1つずつ提供し、それらが重なることにより[[σ結合]]を形成する。また、p軌道同士が重なり合うことによって作られる2つの[[π結合]]も持っている。合計3つの C−C 結合からなるため、これは[[三重結合]]と呼ばれる。残りのsp軌道は他の原子とσ軌道を作る。例えば親化合物である[[アセチレン]]では水素原子と結合している。アルキン上の2つのsp軌道は互いに反対向きに位置しており、アセチレンでは H−C−C [[結合角]]は180度である。合計6個の電子が関与しているため、この三重結合は非常に強く、[[結合エネルギー]]は 837 kJ/mol である。個別の結合エネルギーはσ結合 369 kJ/mol、1つめのπ結合 268 kJ/mol、2つめのπ結合 202 kJ/mol である。C−C 結合距離は 121 [[ピコメートル|pm]] であり、これはアルケンの 134 pm、アルカンの 153 pm と比べ短い。
==命名法==
[[IUPAC命名法]]では、語幹に -yne を付加することによって命名する。つまり、対応するアルカン alkane の語尾 -ane を -yne に変えればよい。三重結合の位置は位置番号で表し、これが最も小さくなるように番号を与える。アルキンを2つ以上含む場合は数辞を付け -diyne ('''ジアルキン'''), -triyne ('''トリアルキン'''), ... とする。例えば、<chem>HC # CCH2CH3</chem> は 1-ブチン 1-butyne、<chem>CH3C # CCH2CH3</chem> は 2-ペンチン 2-pentyne、<chem>CH3C # CCH2C # CCH2CH2CH3</chem>は ノナ-2,5-ジイン nona-2,5-diyne である。親化合物 HC≡CH は許容慣用名アセチレン acetylene を持つ。
===アルキニル基===
アルキンの水素原子を1個取り除いた形である1価の置換基は'''アルキニル基'''(—き)と呼ばれる。三重結合上の水素を除いた場合はエチニル基 ethynyl (HC≡C−) など、その他の鎖上の水素原子を除いた場合はプロパ-2-イン-1-イル基 prop-2-yn-1-yl (HC≡CCH<sub>2</sub>−) などのように呼ぶ。後者は特に慣用名プロパルギル基で呼ばれることも多い。[[フェニルアセチレン|エチニルベンゼン]] ethynylbenzene (HC≡CC<sub>6</sub>H<sub>5</sub>)、[[プロパルギルアルコール]] propargyl alcohol (HC≡CCH<sub>2</sub>OH) などのように用いる。
==末端アルキンと内部アルキン==
アルキンはsp混成軌道でσ結合を作ることにより、各炭素原子上に1つずつ、計2つの置換基を持つことができる。このうち片方が水素原子と結合しているものを'''末端アルキン'''(まったんアルキン、terminal alkyne)と呼ぶ。例えば示性式 CH<sub>3</sub>C≡CH で表される[[プロピン]](メチルアセチレン)がその例である。
これに対し、2つの炭素原子上に共に水素原子以外の基を持つものを'''内部アルキン'''(ないぶアルキン、internal alkyne)と呼ぶ。置換する基はヘテロ原子である場合もある。2-ペンチン 2-pentyne などがその例である。これは示性式 <chem>CH3C # CCH2CH3</chem> で表され、2つのアルキン炭素原子はそれぞれメチル基とエチル基を持っている。
==酸性度==
末端アルキンのプロトンは[[アルカン]]や[[アルケン]]に比べて解離しやすい。アセチレンの [[酸解離定数|p''K''a]] は25であり、[[アンモニア]] (35) と[[エタノール]] (16) の中間程度で、[[エチレン]] (44)、[[エタン]] (50) よりはるかに低い。これは、生成するアセチリド C≡C<sup>−</sup> 上の電子対が収容されるsp軌道のs性が高いため、負電荷が安定化されやすいからであると説明される。一般に、ある軌道のs性が高い場合、正電荷を持つ原子核との距離がより小さくなるため、そのエネルギーは低くなる。
=== アセチリド ===
末端アルキンに強塩基、例えば金属[[ナトリウム]]、[[ナトリウムアミド]]、[[n-ブチルリチウム]]、[[グリニャール試薬]]などを作用させると、水素を発生しながら[[アセチリド]]を生じる。
: <chem>RC # CH\ + Na -> RC # CNa\ + \frac{1}{2}H2</chem>
アセチリドは強い求核剤として有機合成上有用であり、C−C 結合生成反応に使われる。
他に銀アセチリドや銅アセチリドも知られる。
== 合成 ==
隣接する2つの[[第17族元素|ハロゲン]]を持つアルカン誘導体の[[脱ハロゲン化水素化]]によって合成される。
: <chem>RCHX-CHXR -> RC # CR\ + 2 HX</chem>
アセチリドを[[ハロゲン化アルキル]]と反応させ、炭素骨格を伸ばすことができる。
: <chem>RC # CNa + R'X -> RC # CR'</chem>
[[フリッツ・バッテンバーグ・ビーチェル転位]] (Fritsch-Buttenberg-Wiechell rearrengement) は1,1-ジアリール-2-ブロモエチレンからアリール基が転位したアルキンを合成する反応である。中間体として[[カルベン]]を経由する。
: <chem>Ar(Ar')C=CHBr{} + \mathit{base} -> ArC\equiv CAr'</chem>
[[アルデヒド]]に下式に示すα-ジアゾホスホナート化合物を作用させると炭素が1個増えた末端アルキンが得られる。このホスホナートは開発者の名をとって「[[セイファース・ギルバート増炭反応|大平-ベストマン試薬]]」と呼ばれる<ref>Ohira, S. ''Synth. Commun.'' '''1989''', ''19'', 561.</ref><ref>Müller, S.; Liepold, B.; Roth, G.; Bestmann, H. J. ''Synlett'', '''1996''', 521. DOI: [https://doi.org/10.1055/s-1996-5474 10.1055/s-1996-5474]</ref>。
[[Image:Bestmann's Reagent Scheme.png|300px|大平-ベストマン試薬]]
== 天然物 ==
[[Image:Färberfrosch Dendrobates tinctorius.jpg|thumb|ヒストリオニコトキシンはヤドクガエルの皮膚から単離された]]
アルキンは[[天然物化学|天然物]]としてはそれほどありふれたものではなく、よく知られている化合物は1000種類程度である。そのうち[[生理活性]]を示すものは多くないが、[[殺菌剤 (農薬その他)|殺菌剤]]、自己防衛のための毒、あるいは誘引物質などとして知られるものもある。
例えば[[ヤドクガエル科|ヤドクガエル]]は哺乳類や爬虫類などの捕食者から身を守るために[[ヒストリオニコトキシン]]と呼ばれる毒素を皮膚から分泌するが、これは分子内に2つのアルキンを持つ化合物である。また、アルキンを含む天然物群の一角は[[エンジイン]]構造を持つ[[抗生物質]]によって占められている。活性部位にエンジイン構造を持つ[[カリケアミシン]]・[[ネオカルチノスタチン]]などの天然物は[[細胞毒性]]または[[抗腫瘍活性]]を示すものが多く、それらは化学療法剤として利用できる可能性を持つ。
その他には、[[ドクゼリ]]の毒成分[[シクトキシン]]、[[中国]][[雲南省]]に自生する[[ホウライタケ科]]の猛毒菌''[[:en:Trogia venenata|Trogia venenata]]''の毒成分''2R''-アミノ-''4S''-ヒドロキシ-5-ヘキシン酸と''2R''-アミノ-5-ヘキシン酸<ref>[http://www.internetchemistry.com/news/2012/feb12/toxic-amino-acids.html Deadly chinese mushrooms: Amino acids revealed as cause of deaths in Yunnan province.], Internetchemistry.com, [[2012年]][[2月12日]]</ref>などが知られる。
== 主なアルキン ==
* [[アセチレン]] C<sub>2</sub>H<sub>2</sub>
* [[プロピン]](メチルアセチレン) C<sub>3</sub>H<sub>4</sub>
* ブチン([[1-ブチン]]、[[2-ブチン]]) C<sub>4</sub>H<sub>6</sub>
* [[ペンチン]]([[1-ペンチン]]) C<sub>5</sub>H<sub>8</sub>
* [[アセチレンジカルボン酸ジメチル]] (DMAD)
* [[ジフェニルアセチレン]](トラン)
* [[プロパルギルアルコール]]
== 関連項目 ==
* [[アルカン]]
* [[アルケン]]
* [[ベンザイン]] - 構造式で C≡C 三重結合が描かれる芳香族中間体。
* [[ニトリル]] - C≡N 三重結合を持つ化合物群。
* [[ポリアセチレン]] - アセチレンが重合した高分子。
* [[ポリイン]]
* [[カルビン]]
== 参考文献 ==
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居飛車
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居飛車(いびしゃ)は、将棋における戦法の二大分類の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を定位置(先手は2筋、後手は8筋)のまま据えて戦うこと。これに対して序盤で飛車を中央より左に展開する指し方は振り飛車と呼ばれ、将棋における戦法は大きく分けてこの2つに分類される。
対する相手の指し方により、両対局者が共に居飛車を採用する相居飛車と、振り飛車を相手にする対振り飛車(対抗型)に大別される。
序盤において飛車を初期位置である2筋(後手の場合は8筋)、あるいはその周辺の右翼に配置して戦うという、振り飛車に比べると自然な発想の戦法である。飛車を3筋(後手番では7筋)や4筋(後手番では6筋)に振る袖飛車や右四間飛車なども、一般的には振り飛車ではなく概ね居飛車として大別される事が多い。玉の囲いには主に相居飛車で用いられる矢倉・雁木・左美濃(対抗形でも見られる)、対抗形において用いられる急戦調の舟囲い・elmo囲い、持久戦の構えである穴熊やミレニアムなどがある。
かつては一目散に美濃囲いに組むだけで戦える振り飛車に比べると、分岐が多く覚えるべき定跡が多いとされアマチュアには敬遠されがちだったが、21世紀に入って角交換系振り飛車や振り飛車対策としての相振り飛車の登場など振り飛車も戦術が多様化するようになってからは一概にそうとも言えなくなっている。またプロ間では居飛車も振り飛車も区別せず指しこなすオールラウンダータイプが増加している他、近年では居飛車模様の出だしから玉を右辺に移動し、飛車を最下段に引いて左辺に展開する例も多い右玉など、従来の「居飛車」と「振り飛車」の枠に捕らわれない指し方も広く指されるようになっている。
相居飛車は双方が駆け引きをしながら相手の駒組に歩調を合わせて自分の駒組をすることになることが多く、その結果として相居飛車の最序盤で先手・後手が初手から互いに損のない手を指していくと、大きく分けて矢倉・角換わり・相掛かり・横歩取りのいずれか、あるいはそのバリエーションと言える形に分かれることが多い。これに加えて角換わりが通常の角換わりと、後手番が通常より早い段階で角交換を挑む後手番一手損角換わりとに大別される場合、さらに近年流行を見せている雁木囲いも加えた大きく6つに大別して分類される事もある。なおいずれにも分類できない戦型は、単に相居飛車力戦等として一括りに呼称される例も見られる。
これらの戦型ごとに様々な戦法が開発されている。相居飛車の戦法には、その戦型ならば先手でも後手でも採用可能なものもあれば、先手のみあるいは後手のみの戦法もある。
矢倉戦や角換わりでは、銀将金将を縦に並べて相手の飛車先をしっかり受け止める矢倉囲い系統の囲いを左翼に構築し、ここに玉将を囲うことが多い。一方、相掛かりや横歩取りでは、飛車先を受けないために急に戦いが始まることに加えて、飛車先交換を終えて自由になった相手の飛車が縦横無尽に走って様々な場所から攻撃を仕掛けてくるため、玉将を中央付近に置いたまま自陣全体を素早く守れる中住まい系統の囲いが使用されることが多い。
振り飛車に対して、居飛車側としては、簡易な囲いのままですぐに攻め込む急戦か、振り飛車側と同等あるいはそれ以上に固い囲いを築いてから攻め込む持久戦かを選択できる。急戦については、振り飛車側の飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。持久戦の場合はどのように攻めるかではなくどのように固く玉将を囲うかに主眼が置かれることになるので、守りの戦法たる囲いの名前がそのまま狭義の戦法の名前となる。
囲いについては、居飛車側も振り飛車側も飛車と反対側(居飛車は左翼、振り飛車は右翼)に玉将を移動し、相手の飛車が横から攻めてくるため、横からの攻めに強い形の囲いを構築するのが一般的である。居飛車側の囲いは、急戦ならば固くはないが短手数で囲える舟囲い系統の囲い、持久戦ならば手数はかかるが固い穴熊系統の囲いが選択されることが多い。振り飛車側の囲いは、短手数で囲えて固い美濃囲い系統の囲いが主に使われる。この他、居飛車側が美濃囲いを構築する左美濃や振り飛車側が穴熊囲いを構築する振り飛車穴熊などもある。
居飛車を主に採用する棋士は「居飛車党」と呼ばれる。
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居飛車(いびしゃ)は、将棋における戦法の二大分類の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を定位置(先手は2筋、後手は8筋)のまま据えて戦うこと。これに対して序盤で飛車を中央より左に展開する指し方は振り飛車と呼ばれ、将棋における戦法は大きく分けてこの2つに分類される。 対する相手の指し方により、両対局者が共に居飛車を採用する相居飛車と、振り飛車を相手にする対振り飛車(対抗型)に大別される。
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'''居飛車'''(いびしゃ)は、[[将棋]]における[[戦法]]の二大分類の一つ。[[将棋#序盤戦|序盤]]において、初形で右翼にある大駒の[[飛車]]を定位置(先手は2筋、後手は8筋)のまま据えて戦うこと。これに対して序盤で飛車を中央より左に展開する指し方は[[振り飛車]]と呼ばれ、将棋における戦法は大きく分けてこの2つに分類される。
対する相手の指し方により、両対局者が共に居飛車を採用する'''相居飛車'''と、振り飛車を相手にする対振り飛車('''対抗型''')に大別される。
== 概要 ==
序盤において飛車を初期位置である2筋(後手の場合は8筋)、あるいはその周辺の右翼に配置して戦うという、振り飛車に比べると自然な発想の戦法である。飛車を3筋(後手番では7筋)や4筋(後手番では6筋)に振る[[袖飛車]]や[[右四間飛車]]なども、一般的には振り飛車ではなく概ね居飛車として大別される事が多い。玉の囲いには主に相居飛車で用いられる矢倉・雁木・左美濃(対抗形でも見られる)、対抗形において用いられる急戦調の舟囲い・elmo囲い、持久戦の構えである穴熊やミレニアムなどがある。
かつては一目散に[[美濃囲い]]に組むだけで戦える振り飛車に比べると、分岐が多く覚えるべき[[定跡]]が多いとされアマチュアには敬遠されがちだったが、21世紀に入って角交換系振り飛車や振り飛車対策としての[[相振り飛車]]の登場など振り飛車も戦術が多様化するようになってからは一概にそうとも言えなくなっている。またプロ間では居飛車も振り飛車も区別せず指しこなすオールラウンダータイプが増加している他、近年では居飛車模様の出だしから玉を右辺に移動し、飛車を最下段に引いて左辺に展開する例も多い[[右玉]]など、従来の「居飛車」と「振り飛車」の枠に捕らわれない指し方も広く指されるようになっている。
== 相居飛車 ==
相居飛車は双方が駆け引きをしながら相手の駒組に歩調を合わせて自分の駒組をすることになることが多く、その結果として相居飛車の最序盤で先手・後手が初手から互いに損のない手を指していくと、大きく分けて矢倉・角換わり・相掛かり・横歩取りのいずれか、あるいはそのバリエーションと言える形に分かれることが多い。これに加えて角換わりが通常の角換わりと、後手番が通常より早い段階で角交換を挑む[[後手番一手損角換わり]]とに大別される場合、さらに近年流行を見せている[[雁木囲い]]も加えた大きく6つに大別して分類される事もある<ref>【増補改訂版】将棋・序盤完全ガイド 相居飛車編 (マイナビ将棋BOOKS) [ 上野裕和 ] 2018</ref>。なおいずれにも分類できない戦型は、単に相居飛車力戦等として一括りに呼称される例も見られる。
{| class="wikitable"
|+ 相居飛車四大戦型
|-
! 戦型名 !! 矢倉戦 !! 角換わり !! 相掛かり !! 横歩取り
|-
! 飛車先
| style="background-color:#aaf" | 銀将で受けて'''矢倉囲い'''を目指す<ref>矢倉戦という名称は元々両対局者が[[矢倉囲い]]を完成させて戦っていたことに由来する。しかし、現在では相手の矢倉囲いを阻止するための戦法が進歩した結果、最序盤が従来の矢倉戦と同様の進行(飛車先を受けるために銀将を上がり角道を止める)であっても実際に両者が矢倉囲いを構築しない(できない)ことが多い。このような場合も一般的には矢倉戦の戦型に含める。また、矢倉囲いは矢倉戦に限って現れるということもなく、例えば角交換をしてから矢倉囲いを構築した場合には角換わりの戦型に分類される。</ref>
| style="background-color:#aaf" | 銀将(角交換前は角行)で受ける
| style="background-color:#faa" | 受けずに'''相互に歩交換を仕掛ける'''
| style="background-color:#faa" | 受けずに相互に歩交換をする
|-
! 角道
| style="background-color:#aaf" | 開けたらすぐ銀将などで閉じる<ref>先手が5手目に7七銀と上がることで角道を閉じると同時に飛車先も受けることができる(いわゆる矢倉旧24手組)。一時期、5手目にまずは歩兵で角道を閉じておき、飛車先を受ける銀将を後回し(もちろん最終的には受ける)にする駒組(いわゆる矢倉新24手組)が流行した。しかし、[[居角左美濃急戦]]戦法が考案されて以降は矢倉新24手組で矢倉囲いに組むことは極めて困難になり、再び矢倉旧24手組が定跡となっている。</ref>
| style="background-color:#faa" | 開けて'''角交換'''をする
| style="background-color:#aaf" | しばらく開けない<ref>最序盤は閉じたまま進行するが、最終的には角行の活用のために角道を開けるのが普通である。なお、最初から角道を開けた横歩取り模様から横歩を取らずに相掛かりになることもある。</ref>
| style="background-color:#faa" | 開けて'''歩兵を横の飛車で取らせる'''
|-
! 最序盤の例
|
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|△持ち駒 なし
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|▲持ち駒 歩3
}}
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これらの戦型ごとに様々な戦法が開発されている。相居飛車の戦法には、その戦型ならば先手でも後手でも採用可能なものもあれば、先手のみあるいは後手のみの戦法もある<ref>一例を挙げれば、[[早繰り銀|角換わり早繰り銀]]戦法は先手でも後手でも使える戦法だが、[[横歩取り8五飛]]戦法は後手のみが使える戦法である。</ref>。
矢倉戦や角換わりでは、銀将金将を縦に並べて相手の飛車先をしっかり受け止める[[矢倉囲い]]系統の囲い<ref>なお、角換わりでは角交換がされているため、通常の矢倉囲いとは異なり右金を二段目にとどめて角行の打ち込みを警戒するカブト矢倉や平矢倉などの形が頻繁に使われる。また、矢倉戦では銀将の代わりに角行で飛車先を受ける[[雁木囲い]]が使われることもある。</ref>を左翼に構築し、ここに玉将を囲うことが多い<ref>左翼で飛車先を受けつつあえて玉将を右翼に配置する[[右玉]]が使われることもある。</ref>。一方、相掛かりや横歩取りでは、飛車先を受けないために急に戦いが始まることに加えて、飛車先交換を終えて自由になった相手の飛車が縦横無尽に走って様々な場所から攻撃を仕掛けてくるため、玉将を中央付近に置いたまま自陣全体を素早く守れる[[中住まい]]系統の囲いが使用されることが多い。
==対振り飛車==
[[振り飛車]]に対して、居飛車側としては、簡易な囲いのままですぐに攻め込む'''[[急戦]]'''か、振り飛車側と同等あるいはそれ以上に固い囲いを築いてから攻め込む'''[[持久戦]]'''かを選択できる。急戦については、振り飛車側の飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。持久戦の場合はどのように攻めるかではなくどのように固く玉将を囲うかに主眼が置かれることになるので、守りの戦法たる囲いの名前がそのまま狭義の戦法の名前となる。
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|△四間飛車 なし
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|▲居飛車 なし<br />急戦の例([[4六銀左戦法|斜め棒銀]])}}
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{{Shogi diagram|
|△向かい飛車 なし
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|ps|ps|bs|ps|ss|ps|ps| |ps
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|▲居飛車 なし<br />持久戦の例([[居飛車穴熊|穴熊]])
}}
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囲いについては、居飛車側も振り飛車側も飛車と反対側(居飛車は左翼、振り飛車は右翼)に玉将を移動し、相手の飛車が横から攻めてくるため、横からの攻めに強い形の囲いを構築するのが一般的である。居飛車側の囲いは、急戦ならば固くはないが短手数で囲える[[舟囲い]]系統の囲い、持久戦ならば手数はかかるが固い[[穴熊囲い|穴熊]]系統の囲いが選択されることが多い。振り飛車側の囲いは、短手数で囲えて固い[[美濃囲い]]系統の囲いが主に使われる。この他、居飛車側が美濃囲いを構築する[[左美濃]]や振り飛車側が穴熊囲いを構築する振り飛車穴熊などもある。
==居飛車の戦法==
===相居飛車===
*[[矢倉囲い|矢倉戦]]
**相矢倉:[[矢倉3七桂]]4七銀・3七桂型、[[雀刺し]]、4八銀・3七桂・2九飛型、[[矢倉3七銀]]加藤流、4六銀・3七桂型(有吉流、灘式)、3六銀・3七桂型[[三手角]]/4六角型、[[脇システム]]、[[棒銀#矢倉棒銀|矢倉棒銀]]、矢倉[[早繰り銀]]、[[森下システム]]、[[矢倉早囲い]]、[[四手角]]・相[[総矢倉]]([[千日手]]矢倉)、[[同型矢倉]]、[[銀矢倉]](腰掛け銀、袖飛車式[[3八飛戦法]])
**急戦矢倉:[[米長流急戦矢倉]](田丸流、藤森式)、[[阿久津流急戦矢倉]](中原流、郷田流、渡辺流)、[[矢倉中飛車]]、[[右四間飛車#対矢倉の右四間飛車|右四間飛車]]([[腰掛け銀]]型)、△6二飛戦法、[[棒銀#原始棒銀|原始棒銀]]、[[カニカニ銀]]/[[金立ち戦法#カニカニ金|カニカニ金]]、[[忍者銀]]、升田式[[早繰り銀]]、[[極限早繰り銀]]、居角[[左美濃]]急戦
**変化型:[[矢倉3五歩早仕掛け|▲3五歩早仕掛け]]、[[雁木囲い|雁木]]、[[陽動振り飛車]]、[[無理矢理矢倉]]
*[[角換わり]]
**[[腰掛け銀#角換わり腰掛け銀|腰掛け銀]]:相腰掛け銀/[[木村定跡]]、[[駅馬車]]定跡他。対[[棒銀]]
**その他:[[早繰り銀#角換わり|早繰り銀]]、棒銀、[[筋違い角]]
**[[後手一手損角換わり]](角換わりとは独立した戦型として扱われることもある)
*[[相掛かり]]
**相居飛車型:[[原始棒銀]]、[[棒銀#相掛かり棒銀]]、[[塚田スペシャル]]、[[相掛かり#新旧対抗型相掛かり]]、[[早繰り銀#相掛かり]]、[[中原流相掛かり]](早繰り銀他)、[[中原飛車]](5六飛)、[[腰掛け銀#相掛かり腰掛け銀|飛車先交換腰掛け銀]]・[[鎖鎌銀]]、[[UFO銀]]、再[[横歩取り]]
**変化型:[[ひねり飛車]]([[縦歩取り]])
*[[横歩取り]]
**[[横歩取り3三角|横歩取り△3三角]]:空中戦法([[内藤國雄|内藤]]流)、[[中原流]]、[[横歩取り8五飛|中座飛車]](横歩取り△8五飛)、3三飛成戦法(竹部流)
**その他:[[横歩取り3三桂|横歩取り△3三桂]]、[[横歩取り2三歩|横歩取り△2三歩]]、[[横歩取り4五角|横歩取り△4五角]]、[[相横歩取り]]、[[横歩取り4四角|横歩取り△4四角]]
===対抗型===
*対振り飛車全般
** [[引き角]]・[[雁木囲い]]
** [[居飛車穴熊]]戦法(引き角型、居角型、角交換型)
** [[左美濃]]戦法(引き角型、居角型、角交換型)、端美濃・[[串カツ囲い|串カツ戦法]]
** 位取り戦法(引き角型、居角型、角交換型)、[[玉頭位取り戦法]]、[[6筋位取り|6筋(4筋)位取り]]、[[5筋位取り]]戦法
** トーチカ戦法[[ミレニアム囲い|ミレニアム]](引き角型、居角型、角交換型)、ホラ囲い
** [[右玉|糸谷流右玉]]
** [[飯島流引き角戦法]]
** [[地下鉄飛車]]
** [[鳥刺し (将棋)|鳥刺し]]・[[嬉野流]]
** [[棒銀]]・斜め棒銀・[[居飛車舟囲い急戦]]
*対中飛車
**対ノーマル中飛車:[[棒銀]]・斜め棒銀、[[山田定跡#振り飛車△4三銀型に対する斜め棒銀]]、[[二枚銀]][[3八飛戦法]]型、加藤流[[袖飛車]]、[[4六金戦法]]、[[英春流]]右四間
**対ゴキゲン中飛車:[[横歩取り (対中飛車)]]、[[ゴキゲン中飛車#▲5八金右超急戦|▲5八金右超急戦]]、[[超速3七銀|超速▲3七銀]]、[[ゴキゲン中飛車#丸山ワクチン|丸山ワクチン]]、対中飛車角道不突き左美濃([[都成流]])、阿部流[[端角]]
*対四間飛車
**[[左銀急戦]]:[[4六銀左戦法]]・斜め棒銀・準急戦(▲3六銀型、[[二枚銀]])・[[山田定跡]]・[[4五歩早仕掛け#対四間飛車|4五歩早仕掛け]]・[[鷺宮定跡]]、[[ポンポン桂]]左銀型、中原流[[端角]]
**その他:[[4六銀右戦法]]・斜め棒銀・3八飛型、[[右四間飛車#対振り飛車の右四間飛車|右四間飛車]]、ポンポン桂右銀型
*対三間飛車
**対ノーマル三間飛車他:[[三間飛車破り]]4六銀急戦・7五歩早仕掛け、[[4五歩早仕掛け#対三間飛車|4五歩早仕掛け]]・二枚銀、[[三歩突き捨て急戦]]、英春流右四間
**対石田流三間飛車:[[棒金]]、[[きmきm金]]、二枚銀3八飛(7二飛)型
*対向かい飛車
**4六銀(左銀・右銀)戦法、5七金戦法([[金立ち戦法]])
==居飛車の囲い==
===相居飛車===
*矢倉・角換わりの囲い
**[[矢倉囲い]]系統:金矢倉、銀矢倉、総矢倉、片矢倉(天野矢倉・半矢倉)、へこみ矢倉、菱矢倉、流れ矢倉、菊水矢倉(しゃがみ矢倉)、富士見矢倉、土居矢倉、高矢倉、角矢倉、矢倉穴熊、[[カブト囲い]]
**その他:[[雁木囲い]]、[[右玉]]、[[カニ囲い]]
*相掛かり・横歩取りの囲い
**[[中住まい]]系統:[[中住まい]]、[[金開き]]、[[アヒル囲い]]、[[中原囲い]]、[[イチゴ囲い]]
**その他:[[カタ囲い]]
===対抗型===
*急戦
**[[舟囲い]]系統:舟囲い(7九銀型・6八銀型・5七銀右型(菱囲い)・5七銀左型)、[[箱入り娘 (将棋)|箱入り娘]]、セメント囲い、二枚囲い、[[elmo囲い]]、変形矢倉、居飛車[[金無双]]
*持久戦
**[[穴熊囲い|居飛車穴熊]]系統:四枚穴熊(7八金型)、6七金型穴熊、田尻穴熊、[[松尾歩|松尾]]流穴熊、神吉流、史上最強の囲いビッグ4、銀冠穴熊
**[[左美濃]]系統:左美濃、天守閣美濃8七玉型、四枚美濃、銀冠、米長玉銀冠、端美濃・[[串カツ囲い]]、角道不突・平美濃(2二玉型、3一玉型)
**位取り系統:[[5筋位取り]][[多伝囲い]]、[[6筋位取り]]金美濃、[[玉頭位取り]]銀立ち矢倉
**[[中段玉]]系統:[[珍玉]]空中楼閣、四段端玉
**その他:[[ミレニアム囲い]](カマクラ・カマボコ・トーチカとも)、[[地下鉄飛車]]
== 居飛車党 ==
居飛車を主に採用する棋士は「居飛車党」と呼ばれる。
===主な居飛車党の棋士===
* [[木村義雄 (棋士)|木村義雄]] - 実力制初代名人/十四世名人。角換わり将棋における「[[木村定跡]]」を開発。
* [[山田道美]] - 対振り飛車研究の第一人者で、打倒[[大山康晴]]を掲げ「[[山田定跡]]」を完成させた。
* [[加藤一二三]] - 元名人。[[棒銀]]、矢倉▲3七銀戦法や、対三間飛車三歩突き捨て急戦、対中飛車5七銀右袖飛車型などの対振り飛車における[[居飛車舟囲い急戦]]の礎を築き上げた。
*[[中原誠]] - 十六世名人。[[横歩取り]][[中原囲い]]、中原流[[相掛かり]]は有名。
* [[米長邦雄]] - 元名人で永世[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]。[[米長流急戦矢倉]]など、矢倉の研究において後進の棋士たちに大きな影響を与えた。
* [[田中寅彦]] - [[居飛車穴熊]]、飛車先不突矢倉、無理矢理矢倉など序盤戦術の躍進に貢献した。
* [[谷川浩司]] - 十七世名人。[[角換わり腰掛け銀]]と切れ味鋭い終盤の寄せを得意とする。
* [[森下卓]] - 相矢倉の革命的戦法である[[森下システム]]の創始者。
* [[森内俊之]] - 十八世名人。
* [[羽生善治]] - 十九世名人、永世七冠。稀に振り飛車を採用して話題になることはあるが、基本的には(9割)居飛車を採用する。
* [[丸山忠久]] - 実力制第十一代名人。[[横歩取り8五飛]]と角換わりを原動力にして名人位を奪取した。
* [[郷田真隆]] - 初手に飛車先の歩を突くことが多い居飛車の本格派。
* [[木村一基]] - 激しい将棋でも徹底して受ける棋風。
* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]] - 初代永世竜王。居飛車穴熊を得意とし、対振り飛車以外の戦形でもしばしば用いる。
* [[清水市代]] - 女流タイトル獲得数記録保持者。相掛かりや急戦、[[右四間飛車]]など[[力戦]]調の将棋を得意とする。
*[[藤井聡太]] - 最年少棋戦優勝、連勝記録保持者。角換わりを得意とする。後手を握った2手目はほとんど△8四歩と飛先を突く。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*[[塚田泰明]]監修、[[横田稔]]著『序盤戦! 囲いと攻めの形』、高橋書店、1997年<!--ISBN番号がわかる場合は記入をお願い致します。-->
* {{Cite book ja-jp | author = [[原田泰夫]] (監修)、荒木一郎 (プロデュース) | editor = [[森内俊之]]ら | year = 2004 | title = 日本将棋用語事典 | publisher = 東京堂出版 | isbn = 4-490-10660-2}}
* {{Cite book ja-jp | author = [[上野裕和]] | year = 2018 | title = 将棋・序盤完全ガイド 振り飛車編(増補改訂版) | publisher = マイナビ出版}}
==関連項目==
*[[将棋の戦法一覧]]
{{将棋の戦法}}
{{デフォルトソート:いひしや}}
[[Category:居飛車|*]]
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2003-07-14T08:17:03Z
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マリア・カラス
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マリア・カラス(Maria Callas, ギリシア語: Μαρία Κάλλας, 1923年12月2日 - 1977年9月16日)は、ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
マリア・カラスはギリシャ系移民の子としてアメリカ合衆国のニューヨークで生まれ、本名はマリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス (Maria Anna Sofia Cecilia Kalogeropoulos) であった。1937年にギリシャに渡りアテネ音楽院でエルビーラ・デ・イダルゴ(スペイン語版、英語版)に学んだ。
1938年アテネ王立歌劇場で『カヴァレリア・ルスティカーナ』(マスカーニ作曲)のサントゥッツァを歌ってデビューした。1947年にはヴェローナ音楽祭で『ラ・ジョコンダ』の主役を歌い、1950年にはミラノ・スカラ座に『アイーダ』を、1956年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に『ノルマ』を歌ってデビューし、それぞれセンセーショナルな成功を収めた。
演奏会形式でないデビュー舞台であるスッペの『ボッカチオ』、初期の『フィデリオ』、20代の頃のヴァーグナー(イタリア語で『トリスタンとイゾルデ』のイソルデ、同じくイタリア語で『パルジファル』のクンドリを歌った録音が残っている)でドイツオペラのレパートリーは(モーツァルトのイタリア語作品も含めて)ほぼ途絶えており、以後はイタリア・オペラの広いレパートリーで歌うようになった。ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらのベルカントオペラから、ヴェルディ、プッチーニなど、リリコ・スピントやドラマティコの声質むけの役柄でも並外れて優れた歌唱を行った。
カラスの特に傑出した点は、そのテクニックに裏打ちされた歌唱と心理描写と演技によって、通俗的な存在だったオペラの登場人物に血肉を与えた事であろう。持ち前の個性的な声質を武器にして、ベルカントオペラに見られるありきたりな役どころにまで強い存在感を現した。それまではソプラノ歌手のアクロバティックな聴かせどころに過ぎず、物語から遊離していた「狂乱の場」も、カラスにおいてはヒロインの悲劇を高める為の重要なドラマの一部となった。彼女によってそれまで廃れていたベルカントオペラが多く蘇演され、その作品の真価を多くの聴衆に知らしめた。特に、『ランメルモールのルチア』『ノルマ』『メデア』などは彼女によって本格的な復活上演が行われるようになったといっても良いくらいである。
各地のオペラハウスに出演する一方、辣腕音楽プロデューサーのウォルター・レッグによりEMIレーベルに次々とオペラ全曲を録音し、ジョン・カルショウ(英語版)のプロデュースによるレナータ・テバルディを主役にした英デッカのレコードとは人気を二分した。
ただし、現役時代はライバルとしてファンまでが二陣営に別れ対立したカラスとテバルディだが、歌唱パートでは重なるレパートリーはそれほど多くはない。ヴェルディのみならずヴェリズモやドラマティコ・コロラトゥーラまでの広範なレパートリーをカバーしつつも特にベルカントオペラに情熱を注いだカラスに比べると、テバルディの本領はあくまでヴェルディ中期以降やプッチーニのリリコ・スピントが中心であった。
かくも高名なマリア・カラスだが、彼女の声の絶頂期は10年ほどに過ぎなかった。長期間の訓練に裏付けられて安定していた彼女の声は、彼女のキャリアや美貌に嫉妬する数々の嫌がらせや捏造されたスキャンダルによっての心労、不摂生なプライベート生活や、ドラマティコや、ベルカントの難役を歌い続け声を酷使した為に急速に失われてしまう(カラスの当たり役の1つであるノルマは声への負担が大きい難役であった。そのため例えば優れたソプラノ歌手であったエディタ・グルベローヴァは、咽喉を傷めることを恐れキャリア晩年までこの役を忌避した)。
マリアはダイエットについて質問を受けたとき、サラダと鶏肉中心の食事療法で体重を落としたと答えている。 ローマのパネテッラ・ミルズ社側の証人は裁判でマリアはダイエットの手段として自社の「フィジオロジック・パスタ」を摂取することにより体重を減らしたと証言した。 ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ(イタリア語版)の回想によれば、カラスはサナダムシを排出してから痩せ始めたという。
1960年前後から、カラスの不調は彼女の優れた表現力をもってしても隠せなくなっていく。ソプラノの聴かせどころである高音域が徐々に不安定になり、楽譜通りに音域をカバーできない事態が増えた。オペラへの出演が減り、リサイタルに比重が移っていった。
1958年1月2日、ローマ歌劇場が行ったベッリーニ『ノルマ』に主人公ノルマ役で出演したが、カラスは病気のため第1幕だけで出演を放棄してしまった。その結果、場内は怒号の渦巻く大混乱となり、この公演はさんざんな失敗に終わった。
その後、イタリアでのスキャンダルから逃れるようにフランスのパリオペラ座と契約。1958年12月19日オペラ座にておこなわれたデビューコンサートは第一部がコンサート形式によるヴェルディやベッリーニなどオペラアリア、第二部はスカルピアにティート・ゴッビを迎えトスカの第2幕のみを舞台上演というもので(レジオンドヌール協会へのチャリティ)、ルネ・コティフランス大統領臨席の下で大成功を収める。このコンサートはフランス国営テレビで生放送され、後にほぼテレビ番組そのままを映画化(『マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ』)される。
1965年の『トスカ』の舞台を最後に事実上の引退状態に。何度か舞台復帰の噂もたったが、パゾリーニの映画『王女メディア』への出演、オペラ演出(『シチリアの晩鐘』)、EMIへの数曲の録音、ジュリアード音楽院マスタークラスの講師など散発的な活動が続いたのみであった。
1973年と1974年に来日。1974年にはジュゼッペ・ディ・ステファーノ(テノール)と国内5ヶ所でピアノ伴奏によるリサイタルを行った。この1974年の日本公演は前年から始まっていたワールドツアーの最後を飾るものであり、福岡、大阪、東京、広島と続き、札幌の北海道厚生年金会館で締めくくられた。これが彼女の生涯における最後の公式な舞台となった(東京公演の模様はNHKによってTV収録されている)。
1977年9月16日、隠棲していたパリ16区の自宅にて53歳で死去。死因は心臓発作と言われるが、カラスと公私に渡り交流のあった演出家のフランコ・ゼフィレッリは、彼女の遺産を横領したヴァッソ・デヴェッツィ(ギリシア語版)(ピアニスト)による毒殺説を唱えており、謎の部分も多い。
遺灰はパリのペール・ラシェーズ墓地に一旦は埋葬されたが、生前の希望により1979年に出身地のギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。
カラスの最初の夫は30歳年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニであったが、後にアリストテレス・オナシスのもとに出奔し離婚。オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚により終わる。その後、かつての同僚だったディ・ステファーノと恋愛関係に入る。しかしその関係も1976年12月末に終わった。
近年、彼女の功績をたたえ映画製作も相次いでいる。2002年(日本公開は2003年)にはカラスと個人的な親交もありオペラ演出家としても名高いフランコ・ゼフィレッリ監督による『永遠のマリア・カラス』が作られた。2005年(日本では2008年公開)には没後30周年企画としてカラスとオナシスの関係に焦点を当てた『マリア・カラス 最後の恋』が、2007年(日本では2009年公開)にはドキュメンタリー映画『マリア・カラスの真実』、2017年(日本では2018年公開)にはドキュメンタリー『私は、マリア・カラス』が公開されている。
自伝を書くのはいつですかとの記者のインタビューに対し、カラスは書く事が出来るのは全てを知っているカラスの夫だけと答えていた。カラスの死後にカラスの夫であるジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニが『わが妻 マリア・カラス』を執筆した。この本は手紙や写真やその他真実を物語る多くの資料によって書かれている。
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マリア・カラスは、ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
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{{参照方法|date=2011年4月}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = マリア・カラス
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| Img_capt = 1973年、[[アムステルダム・スキポール空港]]で
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| Born = [[1923年]][[12月2日]]<br />{{USA}} [[ニューヨーク]] [[マンハッタン|マンハッタン区]] [[5番街]], Flower-Fifth Avenue Hospital<ref>Library of Congress : Flower-Fifth Avenue Hospital, New York City [https://www.loc.gov/pictures/item/gsc1994015118/PP/] 2022年1月6日閲覧。<br/>現在はリハビリ中心の院で名称は "Terrance Cardinal Cooke Health Care Center" ([https://www.nymc.edu/about-nymc/history/flower-fifth-avenue-hospital/ About NYMC] NY medical college)。</ref>
| Died = {{死亡年月日と没年齢|1923|12|2|1977|9|16}}<br />{{FRA}} [[パリ]] [[16区 (パリ)|16区]] パッシー ([[:en:Passy|Passy]]), 36 de l'[[:fr:Avenue Georges-Mandel|avenue Georges-Mandel]]
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{{Portal クラシック音楽}}
'''マリア・カラス'''('''Maria Callas''', {{lang-el|Μαρία Κάλλας}}, [[1923年]][[12月2日]] - [[1977年]][[9月16日]])は、[[ギリシャ]]系[[アメリカ人]]の[[ソプラノ]][[歌手]]。[[ニューヨーク]]で生まれ[[パリ]]で没し、[[20世紀]]最高の[[ソプラノ]][[歌手]]とまで言われた。特にルチア([[ランメルモールのルチア]])、[[ノルマ (オペラ)|ノルマ]]、ヴィオレッタ([[椿姫 (オペラ)|椿姫]])、[[トスカ]]などの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
==生涯==
===生い立ち===
マリア・カラスは[[ギリシャ]]系移民の子として[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク]]で生まれ、本名は'''マリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス''' (Maria Anna Sofia Cecilia Kalogeropoulos) であった。[[1937年]]にギリシャに渡りアテネ音楽院で{{仮リンク|エルビーラ・デ・イダルゴ|es|Elvira de Hidalgo|en|Elvira de Hidalgo}}に学んだ。
===傑出した歌手===
[[1938年]]アテネ王立歌劇場で『[[カヴァレリア・ルスティカーナ]]』([[ピエトロ・マスカーニ|マスカーニ]]作曲)のサントゥッツァを歌ってデビューした。[[1947年]]には[[ヴェローナ音楽祭]]で『[[ラ・ジョコンダ]]』の主役を歌い、[[1950年]]には[[ミラノ・スカラ座]]に『[[アイーダ]]』を、[[1956年]]には[[ニューヨーク]]の[[メトロポリタン歌劇場]]に『ノルマ』を歌ってデビューし、それぞれセンセーショナルな成功を収めた。
演奏会形式でないデビュー舞台である[[スッペ]]の『[[ボッカチオ (オペレッタ)|ボッカチオ]]』、初期の『[[フィデリオ]]』、20代の頃の[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]](イタリア語で『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』のイソルデ、同じくイタリア語で『[[パルジファル]]』の[[クンドリ]]を歌った録音が残っている)でドイツオペラのレパートリーは(モーツァルトのイタリア語作品も含めて)ほぼ途絶えており、以後はイタリア・オペラの広いレパートリーで歌うようになった。[[ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ|ロッシーニ]]、[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]、[[ガエターノ・ドニゼッティ|ドニゼッティ]]らのベルカントオペラから、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]、[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]など、リリコ・スピントやドラマティコの声質むけの役柄でも並外れて優れた歌唱を行った。
カラスの特に傑出した点は、そのテクニックに裏打ちされた歌唱と心理描写と演技によって、通俗的な存在だったオペラの登場人物に血肉を与えた事であろう。持ち前の個性的な声質を武器にして、ベルカントオペラに見られるありきたりな役どころにまで強い存在感を現した。それまではソプラノ歌手のアクロバティックな聴かせどころに過ぎず、物語から遊離していた「狂乱の場」も、カラスにおいてはヒロインの悲劇を高める為の重要なドラマの一部となった。彼女によってそれまで廃れていたベルカントオペラが多く蘇演され、その作品の真価を多くの聴衆に知らしめた。特に、『[[ランメルモールのルチア]]』『ノルマ』『[[メデア (オペラ)|メデア]]』などは彼女によって本格的な復活上演が行われるようになったといっても良いくらいである。
各地のオペラハウスに出演する一方、辣腕[[音楽プロデューサー]]の[[ウォルター・レッグ]]により[[EMI]][[レコードレーベル|レーベル]]に次々とオペラ全曲を録音し、{{仮リンク|ジョン・カルショウ|en|John Culshaw}}のプロデュースによる[[レナータ・テバルディ]]を主役にした英[[デッカ・レコード|デッカ]]のレコードとは人気を二分した。
ただし、現役時代はライバルとしてファンまでが二陣営に別れ対立したカラスとテバルディだが、歌唱パートでは重なるレパートリーはそれほど多くはない。ヴェルディのみならずヴェリズモやドラマティコ・コロラトゥーラまでの広範なレパートリーをカバーしつつも特にベルカントオペラに情熱を注いだカラスに比べると、テバルディの本領はあくまでヴェルディ中期以降やプッチーニのリリコ・スピントが中心であった。
=== 衰え ===
かくも高名なマリア・カラスだが、彼女の声の絶頂期は10年ほどに過ぎなかった。長期間の訓練に裏付けられて安定していた彼女の声は、彼女のキャリアや美貌に嫉妬する数々の嫌がらせや捏造されたスキャンダルによっての心労、不摂生なプライベート生活や、[[ドラマティコ]]や、[[ベルカント]]の難役を歌い続け声を酷使した為に急速に失われてしまう(カラスの当たり役の1つであるノルマは声への負担が大きい難役であった。そのため例えば優れたソプラノ歌手であった[[エディタ・グルベローヴァ]]は、咽喉を傷めることを恐れキャリア晩年までこの役を忌避した)。
マリアはダイエットについて質問を受けたとき、サラダと鶏肉中心の[[食事療法]]で体重を落としたと答えている<ref>Interview with Edward Downes (quizmaster). La Divina Complete, CD 4. EMI Classics</ref>。
ローマのパネテッラ・ミルズ社側の証人は裁判でマリアは[[ダイエット]]の手段として自社の「フィジオロジック・パスタ」を摂取することにより体重を減らしたと証言した<ref>Scott, Michael (1992). Maria Meneghini Callas. Boston: Northeastern University Press. ISBN 1-55553-146-6.</ref>。
{{仮リンク|ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ|it|Giovanni Battista Meneghini}}の回想によれば、カラスはサナダムシを排出してから痩せ始めたという。
[[1960年]]前後から、カラスの不調は彼女の優れた表現力をもってしても隠せなくなっていく。ソプラノの聴かせどころである高音域が徐々に不安定になり、楽譜通りに音域をカバーできない事態が増えた。オペラへの出演が減り、リサイタルに比重が移っていった。
1958年1月2日、[[ローマ歌劇場]]が行った[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]『[[ノルマ (オペラ)|ノルマ]]』に主人公ノルマ役で出演したが、カラスは病気のため第1幕だけで出演を放棄してしまった。その結果、場内は怒号の渦巻く大混乱となり、この公演はさんざんな失敗に終わった。
その後、イタリアでのスキャンダルから逃れるようにフランスの[[ガルニエ宮|パリオペラ座]]と契約。[[1958年]][[12月19日]]オペラ座にておこなわれたデビューコンサートは第一部がコンサート形式によるヴェルディやベッリーニなどオペラアリア、第二部はスカルピアに[[ティート・ゴッビ]]を迎え[[トスカ]]の第2幕のみを舞台上演というもので<ref>[http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1426215400004/ 今週末見るべき映画「マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ」]</ref>([[レジオンドヌール勲章|レジオンドヌール]]協会へのチャリティ)、[[ルネ・コティ]]フランス大統領臨席の下で大成功を収める。このコンサートは[[フランス・テレビジョン|フランス国営テレビ]]で生放送され、後にほぼテレビ番組そのままを映画化(『マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ』)される。
[[1965年]]の『トスカ』の舞台を最後に事実上の引退状態に。何度か舞台復帰の噂もたったが、[[ピエル・パオロ・パゾリーニ|パゾリーニ]]の映画『[[王女メディア (映画)|王女メディア]]』への出演、オペラ演出(『[[シチリアの晩鐘 (ヴェルディ)|シチリアの晩鐘]]』)、EMIへの数曲の録音、ジュリアード音楽院マスタークラスの講師など散発的な活動が続いたのみであった。
1973年と[[1974年]]に来日。1974年には[[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]](テノール)と国内5ヶ所でピアノ伴奏によるリサイタルを行った。この1974年の日本公演は前年から始まっていたワールドツアーの最後を飾るものであり、福岡、大阪、東京、広島と続き、札幌の[[北海道厚生年金会館]]で締めくくられた。これが彼女の生涯における最後の公式な舞台となった(東京公演の模様は[[日本放送協会|NHK]]によってTV収録されている)。
=== 謎の死 ===
[[Image:Grave callas pere lachaise.jpg|thumb|[[ペール・ラシェーズ墓地]]にあるカラスの墓碑]]
[[1977年]]9月16日、隠棲していた[[16区 (パリ)|パリ16区]]の自宅にて53歳で死去。[[死因]]は[[心臓発作]]と言われるが、カラスと公私に渡り交流のあった演出家の[[フランコ・ゼフィレッリ]]は、彼女の遺産を横領した{{仮リンク|ヴァッソ・デヴェッツィ|el|Βάσω Δεβετζή}}(ピアニスト)による毒殺説を唱えており、謎の部分も多い。
遺灰はパリの[[ペール・ラシェーズ墓地]]に一旦は埋葬されたが、生前の希望により[[1979年]]に出身地の[[ギリシャ]]沖の[[エーゲ海]]に[[散骨]]された。
==人物==
カラスの最初の夫は30歳年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニであったが、後に[[アリストテレス・オナシス]]のもとに出奔し離婚。オナシスとの愛人関係は[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]大統領未亡人[[ジャクリーン・ケネディ・オナシス|ジャッキー]]とオナシスの結婚により終わる。その後、かつての同僚だったディ・ステファーノと恋愛関係に入る。しかしその関係も1976年12月末に終わった。
近年、彼女の功績をたたえ映画製作も相次いでいる。2002年(日本公開は2003年)にはカラスと個人的な親交もありオペラ演出家としても名高い[[フランコ・ゼフィレッリ]]監督による『[[永遠のマリア・カラス]]』が作られた。2005年(日本では2008年公開)には没後30周年企画としてカラスとオナシスの関係に焦点を当てた『[[マリア・カラス 最後の恋]]』が、2007年(日本では2009年公開)にはドキュメンタリー映画『マリア・カラスの真実』、2017年(日本では2018年公開)にはドキュメンタリー『私は、マリア・カラス』が公開されている。
自伝を書くのはいつですかとの記者のインタビューに対し、カラスは書く事が出来るのは全てを知っているカラスの夫だけと答えていた。カラスの死後にカラスの夫であるジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニが『わが妻 マリア・カラス』を執筆した。この本は手紙や写真やその他真実を物語る多くの資料によって書かれている。
== 主要なレパートリー ==
*[[ガエターノ・ドニゼッティ|ドニゼッティ]]:『[[ランメルモールのルチア]]』、『[[アンナ・ボレーナ]]』
*[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]:『[[ノルマ (オペラ)|ノルマ]]』、『[[清教徒 (オペラ)|清教徒]]』、『[[夢遊病の女]]』、
*[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]:『[[マクベス (ヴェルディ)|マクベス]]』、『[[椿姫 (オペラ)|椿姫]]』、『[[イル・トロヴァトーレ]]』
*[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]:『[[トスカ]]』、『[[トゥーランドット]]』
*[[ルイジ・ケルビーニ|ケルビーニ]]:『[[メデア (オペラ)|メデア]]』
== ディスコグラフィ ==
=== オペラ全曲 ===
*『ラ・ジョコンダ』(1952年、{{仮リンク|チェトラ・レコード|label=チェトラ|it|Cetra (casa discografica)}})[[アントニーノ・ヴォットー]]指揮[[トリノ・イタリア放送交響楽団]]演奏:カラス(ジョコンダ)、[[ジャンニ・ポッジ]](エンツォ)、{{仮リンク|パオロ・シルヴェーリ|it|Paolo Silveri}}(バルナバ)、{{仮リンク|フェドーラ・バルビエーリ|it|Fedora Barbieri}}(ラウラ)
*『ランメルモールのルチア』(1953年、コロムビア=[[EMI]])[[トゥリオ・セラフィン]]指揮[[フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団]]演奏:カラス(ルチア)、[[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]](エドガルド)、[[ティート・ゴッビ]](エンリーコ)、[[ラファエル・アリエ]](ライモンド)
*『清教徒』(1953年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮[[ミラノ・スカラ座管弦楽団]]演奏:カラス(エルヴィラ)、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(アルトゥーロ)、[[ロランド・パネライ]](リッカルド)、[[ニコラ・ロッシ=レメーニ]](ジョルジオ)
*『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1953年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(トゥリッドゥ)、カラス(サントゥッツァ)、ロランド・パネライ(アルフィオ)、アンナ・マリア・カナーリ(ローラ)
*『トスカ』(1953年、コロムビア=EMI)[[ヴィクトル・デ・サバタ]]指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(トスカ)、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(カヴァラドッシ)、ティート・ゴッビ(スカルピア)
*『椿姫』(1953年、チェトラ)[[ガブリエーレ・サンティーニ]]指揮トリノ・イタリア放送交響楽団演奏:カラス(ヴィオレッタ)、{{仮リンク|フランチェスコ・アルバネーゼ|it|Francesco Albanese}}(アルフレード)、{{仮リンク|ウーゴ・サヴァレーゼ|it|Ugo Savarese}}(ジョルジョ)
*『ノルマ』(1954年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(ノルマ)、[[マリオ・フィリッペスキ]](ポリオーネ)、[[エベ・スティニャーニ]](アダルジーザ)、ニコラ・ロッシ=レメーニ(オロヴェーゾ)
*『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』(1954年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(カニオ)、カラス(ネッダ)、ティート・ゴッビ(トニオ)、ロランド・パネライ(シルヴィオ)
*『[[運命の力]]』(1954年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(レオノーラ)、[[リチャード・タッカー]](ドン・アルヴァーロ)、{{仮リンク|カルロ・タリアブーエ|it|Carlo Tagliabue}}(ドン・カルロ)、{{仮リンク|エレーナ・ニコライ|it|Elena Nicolai}}(プレツィオジッラ)、ニコラ・ロッシ=レメーニ(修道院長)
*『[[イタリアのトルコ人]]』(1954年、コロムビア=EMI)[[ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ]]指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(ドンナ・フィオリッラ)、[[ニコライ・ゲッダ]](ドン・ナルチーゾ)、ニコラ・ロッシ=レメーニ(セリム)、{{仮リンク|フランコ・カラブレーゼ|it|Franco Calabrese}}(ドン・ジェローニオ)、[[ピエロ・デ・パルマ]](アルバザール)
*『[[蝶々夫人]]』(1955年、コロムビア=EMI)[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(蝶々さん)、ニコライ・ゲッダ(ピンカートン)、マリオ・ボリエッロ(シャープレス)、{{仮リンク|ルチア・ダニエリ|it|Lucia Danieli}}(スズキ)
*『アイーダ』(1955年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(アイーダ)、リチャード・タッカー(ラダメス)、フェドーラ・バルビエーリ(アムネリス)、ティート・ゴッビ(アモナスロ)、{{仮リンク|ジュゼッペ・モデスティ|it|Giuseppe Modesti}}(ラムフィス)、[[ニコラ・ザッカリア]](エジプト王)
*『[[リゴレット]]』(1955年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ティート・ゴッビ(リゴレット)、カラス(ジルダ)、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(マントヴァ公爵)、ニコラ・ザッカリア(スパラフチーレ)、{{仮リンク|アドリアーナ・ラッツァリーニ|it|Adriana Lazzarini}}(マッダレーナ)
*『[[イル・トロヴァトーレ]]』(1956年、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(マンリーコ)、カラス(レオノーラ)、フェドーラ・バルビエーリ(アズチェーナ)、ロランド・パネライ(ルーナ伯爵)、ニコラ・ザッカリア(フェランド)
*『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』(1956年、コロムビア=EMI)アントニーノ・ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(ロドルフォ)、カラス(ミミ)、ロランド・パネライ(マルチェッロ)、[[アンナ・モッフォ]](ムゼッタ)、ニコラ・ザッカリア(コッリーネ)
*『[[仮面舞踏会 (ヴェルディ)|仮面舞踏会]]』(1956年、コロムビア=EMI)アントニーノ・ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(リッカルド)、カラス(アメリア)、ティート・ゴッビ(レナート)、フェドーラ・バルビエーリ(ウルリーカ)、{{仮リンク|エウジェニア・ラッティ|it|Eugenia Ratti}}(オスカル)
*『[[セビリアの理髪師]]』(1957年、コロムビア=EMI)[[アルチェオ・ガリエラ]]指揮[[フィルハーモニア管弦楽団]]演奏:カラス(ロジーナ)、[[ルイジ・アルヴァ]](アルマヴィーヴァ伯爵)、ティート・ゴッビ(フィガロ)、ニコラ・ザッカリア(ドン・バジリオ)
*『夢遊病の女』(1957年、コロムビア=EMI)アントニーノ・ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(アミーナ)、ニコラ・モンティ(エルヴィーノ)、ニコラ・ザッカリア(ロドルフォ)、エウジェニア・ラッティ(リーザ)、[[フィオレンツァ・コッソット]](テレーザ)
*『[[トゥーランドット]]』(1957年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(トゥーランドット)、{{仮リンク|エウジェニオ・フェルナンディ|it|Eugenio Fernandi}}(カラフ)、[[エリーザベト・シュヴァルツコップ]](リュー)、ニコラ・ザッカリア(ティムール)、マリオ・ボリエッロ(ピン)、ピエロ・デ・パルマ(ポン)
*『[[マノン・レスコー (プッチーニ)|マノン・レスコー]]』(1957年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(マノン)、ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(デ・グリュー)、ジュリオ・フィオラヴァンティ(レスコー)
*『メデア』(1957年、[[マーキュリー・レコード]]/[[リコルディ]]/コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(メデア)、{{仮リンク|ミルト・ピッキ|it|Mirto Picchi}}(ジャゾーネ)、[[レナータ・スコット]](グラウチェ)、{{仮リンク|ミリアム・ピラッツィーニ|it|Miriam Pirazzini}}(ネリス)
*『ランメルモールのルチア』(1959年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:カラス(ルチア)、[[フェルッチョ・タリアヴィーニ]](エドガルド)、[[ピエロ・カプッチルリ]](エンリーコ)
*『ラ・ジョコンダ』(1959年、コロムビア=EMI)アントニーノ・ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(ジョコンダ)、{{仮リンク|ピエル・ミランダ・フェラーロ|it|Pier Miranda Ferraro}}(エンツォ)、ピエロ・カプッチルリ(バルナバ)、フィオレンツァ・コッソット(ラウラ)
*『ノルマ』(1960年、コロムビア=EMI)トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏:カラス(ノルマ)、[[フランコ・コレッリ]](ポリオーネ)、[[クリスタ・ルートヴィヒ]](アダルジーザ)、ニコラ・ザッカリア(オロヴェーゾ)
*『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』(1964年、HMV=EMI)[[ジョルジュ・プレートル]]指揮[[パリ・オペラ座管弦楽団]]演奏:カラス(カルメン)、ニコライ・ゲッダ(ドン・ホセ)、{{仮リンク|アンドレア・ギオー|fr|Andréa Guiot}}(ミカエラ)、{{仮リンク|ロベール・マサール|fr|Robert Massard}}(エスカミーリョ)、[[ジャーヌ・ベルビエ]](メルセデス)
*『トスカ』(1964年、HMV=EMI)ジョルジュ・プレートル指揮[[パリ音楽院管弦楽団]]演奏:カラス(トスカ)、[[カルロ・ベルゴンツィ]](カヴァラドッシ)、ティート・ゴッビ(スカルピア)
== 日本のテレビ番組出演 ==
*[[スター千一夜]](フジテレビ、1974年11月4日)
== マリアを扱った作品 ==
* 2022年10月、[[パブロ・ラライン]]が伝記映画を監督することが決まった。[[アンジェリーナ・ジョリー]]がマリアを演じる。
==脚注==
{{reflist}}
[[Image:Rosa Maria Callas01.jpg|thumb|250px|[[バラ]]「マリア・カラス」(HT) Meilland (1965)]]
== 日本語参考文献 ==
*ピエール=ジャン・レミ『マリア・カラス ひとりの女の生涯』[[矢野浩三郎]]訳、みすず書房、1984年
*ジョバンニ・バッティスタ・メネギーニ『わが妻マリア・カラス』[[南條年章|南条年章]]訳、音楽之友社、1984年
*クリスティーナ・G.キアレッリ『マリア・カラス情熱の伝説』吉岡芳子訳、新潮社、1987年
*デーヴィッド・A.ロウ編 『マリア・カラス 批評・思い出・記録』千代田晶弘訳、新書館、1988年
*ナディア・スタンチョフ 『マリア 回想のマリア・カラス』[[蒲田耕二]]訳、音楽之友社、1989年
*ジョン・アードイン『マリア・カラスオペラの歌い方 ジュリアード音楽院マスタークラス講義』西原匡紀訳、音楽之友社、1989年
*レンツォ・アッレーグリ『真実のマリア・カラス』[[小瀬村幸子]]訳、フリースペース、1994年
*マリア・ディ・ステーファノ、フランカマリア・トラーパニ『わが敵マリア・カラス』井内美香訳、新書館、1994年
*ミヒャエル・ブリックス『マリア・カラス舞台写真集』浅野洋、鳴海史生訳、アルファベータ、1997年
*レンツォ・アッレーグリ、ロベルト・アッレーグリ『カラスbyカラス 写真と言葉が伝えるマリア・カラスの生涯』小瀬村幸子訳、音楽之友社、1998年
*アッティラ・チャンパイ『マリア・カラス 伝説の肖像 写真集』小松淳子訳、アルファベータ、1999年
*野口典久『評伝 ひとつの時代を築きあげた二人のギリシア人の軌跡を辿る 今世紀最高のオペラ歌手マリア・カラスと世界一の海運王オナシスの生涯』創栄出版、1999年
*『マリア・カラス伝説の名唱集』音楽之友社、2002年
*ユルゲン・ケスティング『マリア・カラス』鳴海史生訳、アルファベータ、2003年(叢書・20世紀の芸術と文学)
*[[アン・エドワーズ]] 『マリア・カラスという生きかた』岸純信訳、音楽之友社、2003年
*ステリオス・ガラトプーロス『マリア・カラス 聖なる怪物』高橋早苗訳、白水社、2004年
*[[永竹由幸]]『マリーア・カラス 世の虚しさを知る神よ』東京書籍、2007年
== 関連項目 ==
*[[オペラ]]
*[[ソプラノ]]
*[[ディーヴァ (オペラ)|ディーヴァ]]
*[[歌手]]
*[[セレブリティ]]
*[[映画]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Maria Callas}}
* [http://www.maria-callas.com/jp/ Maria Callas - Official Website] {{ja icon}}
*[https://web.archive.org/web/20060505014800/http://www.callas.it/ 公式サイト] {{en icon}} {{it icon}}
* [https://wmg.jp/mariacallas/ Maria Callas / マリア・カラス |Warner Music Japan]
*[http://www.emimusic.jp/classic/callas/ EMIミュージック・ジャパン内] {{ja icon}}
*{{MySpace|mariacallas|Maria Callas}}
*[http://www.cetera.co.jp/callas/ CALLAS ASSOLUTA マリア・カラスの真実]
* {{Kotobank|カラス(Maria Callas)}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:からす まりあ}}
[[Category:アメリカ合衆国のソプラノ歌手]]
[[Category:ギリシャ系アメリカ人]]
[[Category:ギリシャの美術家]]
[[Category:50 great voices]]
[[Category:アリストテレス・オナシス]]
[[Category:ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された人物]]
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]]
[[Category:EMIグループのアーティスト]]
[[Category:1923年生]]
[[Category:1977年没]]
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障害走
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障害走(しょうがいそう)は、障害物を飛越・通過する速さを競う競技やスポーツ。
中世から近世にかけて王侯貴族が馬に乗り、教会の尖塔を目指して障害物を飛び越していく「Steeplechase」を起源とする。これが19世紀後半から始まった近代陸上競技に持ち込まれ障害物や水濠を跳び越す障害物競走となった。ハードル競走も同じ原点を有するが、1837年に英イートン大で行われたのが起源とされている。
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'''障害走'''(しょうがいそう)は、障害物を飛越・通過する速さを競う競技や[[スポーツ]]。
中世から近世にかけて王侯貴族が[[ウマ|馬]]に乗り、教会の尖塔を目指して障害物を飛び越していく「Steeplechase」を起源とする<ref name="okao">{{Cite web|和書|author=岡尾恵市|title=陸上競技のルーツをさぐる7 |url=https://tsukuba-ac-ob.com/kiko/okao_20180903/ |website=筑波大学陸上競技部 |access-date=2023-09-01 |language=ja}}</ref>。これが19世紀後半から始まった近代陸上競技に持ち込まれ障害物や水濠を跳び越す[[障害物競走 (陸上競技)|障害物競走]]となった<ref name="okao" />。ハードル競走も同じ原点を有するが<ref name="okao" />、1837年に英イートン大で行われたのが起源とされている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202308220000264.html|title=【世界陸上】泉谷駿介が日本人初決勝5位入賞の男子110障害、なぜ100ではなく110なのか|publisher=日刊スポーツ|date=2023-08-22|accessdate=2022-08-22}}</ref>。
== 陸上競技 ==
* [[ハードル競走]] - ハードル走(ハードル競走)のこと<ref>{{Cite web|和書|title=障害編|work=|date=|url=https://www.jpnsport.go.jp/anzen/Portals/0/anzen/kenko/jyouhou/pdf/jirei/jirei23-3.pdf|accessdate=2023-08-23|publisher=日本スポーツ振興センター}}</ref>。レーンごとに設置された[[ハードル]]を飛越する[[陸上競技]]で、競技規則(Technical Rules:TR)22で定められている<ref name="TR">{{Cite web|和書|title=競技規則・第2部 トラック競技|work=|date=|url=https://www.jaaf.or.jp/pdf/about/rule/2021/p157_218.pdf|accessdate=2023-08-23|publisher=公益財団法人日本陸上競技連盟}}</ref>。
* [[障害物競走 (陸上競技)]] - トラックの周回上に設置された障害物や水濠を越えていく[[陸上競技]]で、競技規則(Technical Rules:TR)23で定められている<ref name="TR" />。障害物競走の「障害物」はレーンごとに設置されるものではなく、ハードル競走の「ハードル」と区別されている<ref name="TR" />。
== 競馬 ==
* [[障害競走]]
== 運動会種目 ==
* [[障害物競走]]
== 脚注 ==
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エリーザベト・シュヴァルツコップ
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デイム・オルガ・マリア・エリーザベト・フリーデリケ・レッグ=シュヴァルツコップ(Dame Olga Maria Elisabeth Friederike Legge-Schwarzkopf, DBE、1915年12月9日 - 2006年8月3日)は、ドイツ-英国の声楽家(ソプラノ)。音楽教育者。特にドイツ・オーストリアの歌曲の第一人者であり、モーツァルト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどのオペラやオペレッタにおける優れた歌唱でも知られる。現在でも数多くの重要な音楽評論家、指揮者、声楽家たちなどから、20世紀後半を代表するソプラノ歌手の一人として、重要性はマリア・カラスに匹敵するとみなされている。
姓についてはシュヴァルツコップフまたはシュワルツコップと表記されることがある。
また、英国の市民権を得て、英国で叙勲されていることから、英語読みでデイム・エリザベス・シュワルツコフ, DBEと表記されることがある。
ドイツ帝国・プロイセン王国ポーゼン州(英語版、ドイツ語版)(現ポーランド、ヴィエルコポルスカ県)のヤロチン(英語版)(独: Jarotschin, ポーランド語: Jarocin)で、ギムナジウムの教師フリードリヒ・シュヴァルツコップと妻エリーザベト(旧姓フレーリッヒ)の一人っ子として生まれた。幼少期から音楽に興味を持ち、歌の他にピアノ、ギター、ヴァイオリン、オルガンを習った。13歳の時に、マグデブルクで行われたグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』の学校公演でエウリディーチェを歌った。
1933年、ナチスが政権を握った直後に、校長を務めていたシュヴァルツコップの父親は、彼の学校でのナチ党会議を拒否したため、当局により解任され、他の教育のポストに就くことも禁止された。17歳のエリーザベトはアビトゥーアを取得した後に医学の道に進んだ可能性があったが、解任された教師の娘として、大学 (Universität) に入ることを許されず、音楽の勉強を始めた。
1934年、ベルリン高等音楽学校 (Berliner Hochschule für Musik)(現:ベルリン芸術大学)に入学し声楽を学んだ。最初はコントラルトとして出発し、ルーラ・ミシュ=グマイナーに師事してメゾソプラノとなる訓練を受けた。後に歌手で名教師のマリア・イーヴォギュン、そしてハインリヒ・エゲノルフに師事し、コロラトゥーラ・ソプラノに転向した。また、ゲオルク・フォラートゥーンの歌曲の教室にも通った。
1938年4月15日、シャルロッテンブルクのドイツ・オペラハウス(現:ベルリン・ドイツ・オペラ)でワーグナー『パルジファル』の2番目の花の乙女を歌いデビューした。彼女はベルリンに4年間滞在しているが、1940年に芸術面での突破口が開いた。リヒャルト・シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』踊り子ツェルビネッタでのデビューの際、自身もコロラトゥーラ・ソプラノであるマリア・イーヴォギュンの関心を引き、イーヴォギュンはシュヴァルツコップを自分の個人的な門下生として、ソプラノのレパートリーと歌曲を教えた。同年にシュヴァルツコップはドイツ・オペラハウスとの完全契約を獲得したが、その条件はナチへの入党であった。
シュヴァルツコップは、ときには非難されたことでもあるが、自然な音色というものは重視しなかった。彼女が重視したのはそれぞれの曲に合った精緻な音色と想像力であった。彼女はイタリアオペラのように音色を変化させることはしなかった。最盛期には絶対的に正確な「イントネーション」を持ち合わせていた。彼女は晩年までそれを保持し続けた。
1942年には、カール・ベームのベルリン公演の際にベームの目にとまり、ウィーン国立歌劇場に招かれて契約した。そこで彼女は、モーツァルト『後宮からの誘拐』コンスタンツェを演じ、後にプッチーニ『ラ・ボエーム』ミミ、ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタを歌った。
シュヴァルツコップは、ドイツ帝国の宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスのために5本の長編映画に出演し、演技、歌、ピアノ演奏を披露している。
第二次世界大戦後、ウィーン国立歌劇場の代替会場だったアン・デア・ウィーン劇場で再びミミとヴィオレッタを演じた。ヨーゼフ・クリップスとヘルベルト・フォン・カラヤンは、彼女を中心として、高名なウィーン・モーツァルト=アンサンブルを結成した。1947年と1948年のウィーン国立歌劇場のヨーロッパツアーでは、彼女は1947年9月16日にモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラとしてロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに登場した。ロイヤル・オペラ・ハウスでの公式デビューは1948年1月16日に英語で歌われたモーツァルト『魔笛』パミーナということになっている。1948年にはミラノのスカラ座においてリヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』マルシャリン(元帥夫人)を演じ、これは彼女の代名詞というべき生涯で最も重要な役の一つとなった。
スカラ座への公式デビューは1950年6月29日のベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』である。1950年代初頭には、シュヴァルツコップは生涯で唯一様々な役柄で主役を歌っている。ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』メリザンド、ヘンデル『ヘラクレス』イオレ、グノー『ファウスト』マルグリート、ワーグナー『ローエングリン』エルザ、ピッコラ・スカラ座でのモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージなどである。1951年9月11日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場でストラヴィンスキー『放蕩児の遍歴』世界初演でアンを歌った。ザルツブルク音楽祭では、主にモーツァルトのオペラで定期的に出演し、バイロイト音楽祭にも出演。ベーム以外にもカラヤンやフルトヴェングラーともしばしば共演した。1952年にはマルシャリンをスカラ座においてカラヤンの指揮で歌い、成功を収めた。以来、この役は彼女を代表する役柄として定着した。1960年には映画(ライブ録音をもとに、映像は舞台上で別途再現撮影することで鮮明さを確保)も制作され、今なお名作としてDVDなどで親しまれている。また、各地で歌曲のリサイタルを数多く行った。1964年10月13日、マルシャリン役でメトロポリタン・オペラにデビュー。ジョージ・セル指揮のリヒャルト・シュトラウスの管弦楽付き歌曲『4つの最後の歌』の録音(1965年)は2020年現在でも伝説となって語り継がれている。
1946年3月、ヘルベルト・フォン・カラヤンは「音源探し」でウィーンにいた当時の英国EMI(„His Master’s Voice“, HMV)のプロデューサーでフィルハーモニア管弦楽団の創設者でもあるウォルター・レッグを若きシュヴァルツコップに紹介した。レッグはロッシーニ『セビリアの理髪師』ロジーナを歌うシュヴァルツコップを聴き、即座にレコード録音の契約を申し出た。しかし、当時から完全主義者だった彼女がきちんとオーディションをするよう自ら望むと、レッグは厳しいオーディションを行った。ヘルベルト・フォン・カラヤンがグランドピアノを弾き、オーディションに共同で加わった。ヴォルフの「誰がお前を呼んだのか」(Wer rief dich denn?:『イタリア歌曲集』中の1曲)を繰り返し様々な表情で歌わせるというもので、これを1時間以上も続けたという。カラヤンはあまりの執拗さに、レッグに対し「あなたは余りにもサディスティックだ」と言い置いて立ち去った。しかし、シュヴァルツコップはレッグの要求以上の才能を見せ、2人はその夜EMIへの専属録音契約を交わした。それ以来レッグは彼女のマネージャーと音楽上のパートナーを務め、仕事上の協力関係は個人的な関係にも発展し、1953年10月19日にイギリスのサリー州のエプソムで2人は結婚した。レッグとの共同作業によって、彼女は、クールで「銀」の滑らかさ、超越的な美しい声質、微妙なニュアンス、そして同時代の偉大な歌手たちとは常に少し距離を置いた演奏という、紛れもない独自の歌唱スタイルを形成していった。彼女のレパートリーは常に19世紀と後期ロマン派のドイツ歌曲の伝統に忠実であった。
レッグの助言により、シュヴァルツコップはその後、舞台のレパートリーを一部の主役のみに絞っていった。『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラ、モーツァルト『フィガロの結婚』伯爵夫人、『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージ、リヒャルト・シュトラウス『カプリッチョ』伯爵令嬢マドレーヌ、『ばらの騎士』マルシャリン。ときにはヴェルディ『ファルスタッフ』アリーチェ・フォードも歌い好評を博した。ただし、EMIレーベルでは、フランツ・レハール『メリー・ウィドウ』やヨハンシュトラウス2世『ジプシー男爵』など、いくつかの「シャンパンオペレッタ」の録音を行っている。
1958年にBBCの『デザート・アイランド・ディスク』で8つのお気に入りのレコードを選ぶように招かれたシュヴァルツコップは、自分の録音のうち7つと、8番目にカラヤンが指揮した『ばらの騎士』の前奏曲を選び、一緒に仕事をした人たちとの思い出を呼び起こした。
シュヴァルツコップは1971年12月31日、ブリュッセルのモネ劇場で当たり役であるマルシャリン(第一幕のみ)で最後のオペラに出演した。以後、彼女はドイツ歌曲に専念し、1979年3月17日にチューリッヒで最後のリサイタルを行った。
同日、ウォルター・レッグは深刻な心臓発作を起こした。 彼は安静にするようにという医師の指示を無視し、当日のチューリッヒでのシュヴァルツコップの最後のリサイタルに出席した。 5日後、彼は亡くなった。
1980年代になると、シュヴァルツコップはマスタークラスで歌を教え始めた。彼女は自分自身に課していたものと同様な冷徹な厳酷さを生徒たちにも課し、明瞭なアーティキュレーションとフレージング、声の完成度を限りなく求めようとした。彼女が恐れられたのと同じくらい、レッスンによって得られる知識やスキルは垂涎の的となっていた。 彼女はマスタークラスで500人近くの歌手を指導した。門下生には、クリスティアン・ゲルハーヘル、トーマス・ハンプソン、マティアス・ゲルネ、ハンス=ギュンター・ドッツァウアー、ヨゼフィーネ・ピラース・デ・ピラー、シモーネ・ケルメス、コルネリウス・ハウプトマン、アネット・イリク、アガ・ミコライなどがいる。日本人では白井光子と小濱妙美がシュヴァルツコップの教えを受けている。なお、ピアニストの大場俊一が伴奏と通訳を務めていた。
2002年からはフォアアールベルクに住み、個人レッスンを続けた。1988年にシュトゥットガルトのフーゴ・ヴォルフ・アカデミーで行われた2回目のマスタークラス、2003年にウィーンで行われたフーゴ・ヴォルフの歌曲による最後のマスタークラスの様子は映像で記録されている。彼女の90歳の誕生日には、バリトンのマティアス・ゲルネが、エリック・シュナイダーをピアノに迎え、彼女が選んだフーゴ・ヴォルフ歌曲によりホーヘネムスでリサイタルを行った。
オーストリアの歴史家オリファー・ラートコルプの1982年の論文で取り上げられて以来、シュヴァルツコップとナチスとの関係はメディアや専門家の文献で繰り返し取り上げられてきた。シュヴァルツコップは、戦後間もない時期と1980年代、1990年代に行われた暴露に対して事実に反する発言をし、とりわけ1940年以降のナチス入党(党員番号7,548,960)を最初は否定し、その後、様々な発言でそれを撤回し自己弁護したことが批判されてきた。一例として、彼女は教育者の地位を失った父親のアドバイスに従って入党しただけだと発言した。しかし批評家たちは、シュヴァルツコップはナチス時代の典型的な従属例であり、単なる経歴至上主義だとして非難した。
他の出版物では、彼女が武装親衛隊のパーティーイベントや駐屯中の部隊の前で演奏していることが言及されている。シュヴァルツコップの擁護者たちは、彼女が常に芸術と政治を厳密に分離しており、彼女自身は政治的な人間ではないと主張している。2006年8月4日の追悼記事で、FAZは次のように総括している「彼女が自分の過ちを隠蔽していたことは、問題が公になったとき、ナチスの文化体制の受益者であったこと以上に非難された」。
2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアールベルク州シュルンスの自宅で90歳で死去した。死因は明らかにされていない。彼女の遺骨は、1982年から2003年まで住んでいたチューリッヒ近郊のツミコンに、夫のウォルター・レッグと一緒に家族の墓に埋葬された。彼女が書いた遺書は、ホーヘネムスのシューベルティアーデ・フォアアールベルクのエリザベート・シュヴァルツコップ博物館で見ることができる。博物館は2011年8月に開館した。
彼女のディスコグラフィーは質、量ともにかなりのもので、モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのオペラの描写、リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』の録音、リートの録音、特にヴォルフの録音などで知られている。特にヴォルフに関しては「リート歌手としての私の使命は、ヴォルフを歌うことにあるような気がする」と自ら語っているほどである。
オペレッタの録音にも非常に熱心で、オットー・アッカーマンとカラヤン(『こうもり』のみ)の指揮のもと、全曲録音6点とアリア集を残し、EMIの名物シリーズの礎を築いた。『メリー・ウィドウ』はマタチッチ指揮でステレオ再録音も行った。
他人を誉めることは少なかったが、フィッシャー=ディースカウを「神のような存在」、白井光子とハルトムート・ヘルのリート・デュオに「世界最高の音楽家夫婦」と賛辞を送っている。フィッシャー=ディースカウとは理知的な歌唱、技術の高さ、広範なレパートリーでドイツ声楽界をリードした業績などが男女の双璧といわれるが、ドイツ語に強い誇りとこだわりを持つ点も共通している。言葉のニュアンスを十分理解せずに歌う行為を嫌い、自身も外国語の歌唱には比較的慎重であった。
シュヴァルツコップは、20世紀の最も偉大なドイツのリリックソプラノであり、「描写できないほど美しい」声を持つ最高の歌手の一人であると一般的に考えられている。
シュヴァルツコップの「オペラ歌手のグローブ・ブック」には次のように書かれている。"彼女はナチに所属していたことを職業上必要だったまでとしたが、彼女の評判は、活発な党員であったと思われることによって汚されたままである。"
1964年、スウェーデン国王グスタフ6世アドルフは彼女に "Litteris et artibus" の勲章を授与した。1983年には、科学と芸術のためのプール・ル・メリット勲章を授与された。1990年にはバーデン=ヴュルテンベルク州の教授に任命された。また、シュヴァルツコップは、ケンブリッジ大学(1976年)、アメリカン大学(1982年)、グラスゴー大学(1990年)から名誉博士号を授与されている。1992年、イギリス女王エリザベス2世はシュヴァルツコップを大英帝国勲章のデイム司令官として叙勲し、DBE (Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire) の称号(ナイト爵に相当し、女性に与えられる)を授与した。
(作曲者名のみ)
など
※音源は日本版Amazonだけでも1,000件以上にのぼり、下記はほんの一部にすぎない。
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"text": "レッグの助言により、シュヴァルツコップはその後、舞台のレパートリーを一部の主役のみに絞っていった。『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラ、モーツァルト『フィガロの結婚』伯爵夫人、『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージ、リヒャルト・シュトラウス『カプリッチョ』伯爵令嬢マドレーヌ、『ばらの騎士』マルシャリン。ときにはヴェルディ『ファルスタッフ』アリーチェ・フォードも歌い好評を博した。ただし、EMIレーベルでは、フランツ・レハール『メリー・ウィドウ』やヨハンシュトラウス2世『ジプシー男爵』など、いくつかの「シャンパンオペレッタ」の録音を行っている。",
"title": "経歴"
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"text": "1958年にBBCの『デザート・アイランド・ディスク』で8つのお気に入りのレコードを選ぶように招かれたシュヴァルツコップは、自分の録音のうち7つと、8番目にカラヤンが指揮した『ばらの騎士』の前奏曲を選び、一緒に仕事をした人たちとの思い出を呼び起こした。",
"title": "経歴"
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"text": "シュヴァルツコップは1971年12月31日、ブリュッセルのモネ劇場で当たり役であるマルシャリン(第一幕のみ)で最後のオペラに出演した。以後、彼女はドイツ歌曲に専念し、1979年3月17日にチューリッヒで最後のリサイタルを行った。",
"title": "経歴"
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"text": "同日、ウォルター・レッグは深刻な心臓発作を起こした。 彼は安静にするようにという医師の指示を無視し、当日のチューリッヒでのシュヴァルツコップの最後のリサイタルに出席した。 5日後、彼は亡くなった。",
"title": "経歴"
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"text": "1980年代になると、シュヴァルツコップはマスタークラスで歌を教え始めた。彼女は自分自身に課していたものと同様な冷徹な厳酷さを生徒たちにも課し、明瞭なアーティキュレーションとフレージング、声の完成度を限りなく求めようとした。彼女が恐れられたのと同じくらい、レッスンによって得られる知識やスキルは垂涎の的となっていた。 彼女はマスタークラスで500人近くの歌手を指導した。門下生には、クリスティアン・ゲルハーヘル、トーマス・ハンプソン、マティアス・ゲルネ、ハンス=ギュンター・ドッツァウアー、ヨゼフィーネ・ピラース・デ・ピラー、シモーネ・ケルメス、コルネリウス・ハウプトマン、アネット・イリク、アガ・ミコライなどがいる。日本人では白井光子と小濱妙美がシュヴァルツコップの教えを受けている。なお、ピアニストの大場俊一が伴奏と通訳を務めていた。",
"title": "経歴"
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"text": "2002年からはフォアアールベルクに住み、個人レッスンを続けた。1988年にシュトゥットガルトのフーゴ・ヴォルフ・アカデミーで行われた2回目のマスタークラス、2003年にウィーンで行われたフーゴ・ヴォルフの歌曲による最後のマスタークラスの様子は映像で記録されている。彼女の90歳の誕生日には、バリトンのマティアス・ゲルネが、エリック・シュナイダーをピアノに迎え、彼女が選んだフーゴ・ヴォルフ歌曲によりホーヘネムスでリサイタルを行った。",
"title": "経歴"
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"text": "オーストリアの歴史家オリファー・ラートコルプの1982年の論文で取り上げられて以来、シュヴァルツコップとナチスとの関係はメディアや専門家の文献で繰り返し取り上げられてきた。シュヴァルツコップは、戦後間もない時期と1980年代、1990年代に行われた暴露に対して事実に反する発言をし、とりわけ1940年以降のナチス入党(党員番号7,548,960)を最初は否定し、その後、様々な発言でそれを撤回し自己弁護したことが批判されてきた。一例として、彼女は教育者の地位を失った父親のアドバイスに従って入党しただけだと発言した。しかし批評家たちは、シュヴァルツコップはナチス時代の典型的な従属例であり、単なる経歴至上主義だとして非難した。",
"title": "経歴"
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"text": "他の出版物では、彼女が武装親衛隊のパーティーイベントや駐屯中の部隊の前で演奏していることが言及されている。シュヴァルツコップの擁護者たちは、彼女が常に芸術と政治を厳密に分離しており、彼女自身は政治的な人間ではないと主張している。2006年8月4日の追悼記事で、FAZは次のように総括している「彼女が自分の過ちを隠蔽していたことは、問題が公になったとき、ナチスの文化体制の受益者であったこと以上に非難された」。",
"title": "経歴"
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"text": "2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアールベルク州シュルンスの自宅で90歳で死去した。死因は明らかにされていない。彼女の遺骨は、1982年から2003年まで住んでいたチューリッヒ近郊のツミコンに、夫のウォルター・レッグと一緒に家族の墓に埋葬された。彼女が書いた遺書は、ホーヘネムスのシューベルティアーデ・フォアアールベルクのエリザベート・シュヴァルツコップ博物館で見ることができる。博物館は2011年8月に開館した。",
"title": "経歴"
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"text": "彼女のディスコグラフィーは質、量ともにかなりのもので、モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのオペラの描写、リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』の録音、リートの録音、特にヴォルフの録音などで知られている。特にヴォルフに関しては「リート歌手としての私の使命は、ヴォルフを歌うことにあるような気がする」と自ら語っているほどである。",
"title": "評価"
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"text": "オペレッタの録音にも非常に熱心で、オットー・アッカーマンとカラヤン(『こうもり』のみ)の指揮のもと、全曲録音6点とアリア集を残し、EMIの名物シリーズの礎を築いた。『メリー・ウィドウ』はマタチッチ指揮でステレオ再録音も行った。",
"title": "評価"
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"text": "他人を誉めることは少なかったが、フィッシャー=ディースカウを「神のような存在」、白井光子とハルトムート・ヘルのリート・デュオに「世界最高の音楽家夫婦」と賛辞を送っている。フィッシャー=ディースカウとは理知的な歌唱、技術の高さ、広範なレパートリーでドイツ声楽界をリードした業績などが男女の双璧といわれるが、ドイツ語に強い誇りとこだわりを持つ点も共通している。言葉のニュアンスを十分理解せずに歌う行為を嫌い、自身も外国語の歌唱には比較的慎重であった。",
"title": "評価"
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"text": "シュヴァルツコップは、20世紀の最も偉大なドイツのリリックソプラノであり、「描写できないほど美しい」声を持つ最高の歌手の一人であると一般的に考えられている。",
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"text": "シュヴァルツコップの「オペラ歌手のグローブ・ブック」には次のように書かれている。\"彼女はナチに所属していたことを職業上必要だったまでとしたが、彼女の評判は、活発な党員であったと思われることによって汚されたままである。\"",
"title": "評価"
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"text": "1964年、スウェーデン国王グスタフ6世アドルフは彼女に \"Litteris et artibus\" の勲章を授与した。1983年には、科学と芸術のためのプール・ル・メリット勲章を授与された。1990年にはバーデン=ヴュルテンベルク州の教授に任命された。また、シュヴァルツコップは、ケンブリッジ大学(1976年)、アメリカン大学(1982年)、グラスゴー大学(1990年)から名誉博士号を授与されている。1992年、イギリス女王エリザベス2世はシュヴァルツコップを大英帝国勲章のデイム司令官として叙勲し、DBE (Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire) の称号(ナイト爵に相当し、女性に与えられる)を授与した。",
"title": "受賞歴(抜粋)"
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"text": "(作曲者名のみ)",
"title": "代表的なレパートリー"
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"text": "など",
"title": "代表的なレパートリー"
},
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"text": "※音源は日本版Amazonだけでも1,000件以上にのぼり、下記はほんの一部にすぎない。",
"title": "ディスコグラフィー"
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] |
デイム・オルガ・マリア・エリーザベト・フリーデリケ・レッグ=シュヴァルツコップは、ドイツ-英国の声楽家(ソプラノ)。音楽教育者。特にドイツ・オーストリアの歌曲の第一人者であり、モーツァルト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどのオペラやオペレッタにおける優れた歌唱でも知られる。現在でも数多くの重要な音楽評論家、指揮者、声楽家たちなどから、20世紀後半を代表するソプラノ歌手の一人として、重要性はマリア・カラスに匹敵するとみなされている。 姓についてはシュヴァルツコップフまたはシュワルツコップと表記されることがある。 また、英国の市民権を得て、英国で叙勲されていることから、英語読みでデイム・エリザベス・シュワルツコフ, DBEと表記されることがある。
|
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = エリーザベト・シュヴァルツコップ<br />{{lang|de|Dame<br />Elisabeth Schwarzkopf<br />DBE}}
| Img = Uitreiking Edisons in Grand Gala Du Disque, Bestanddeelnr 912-9837.jpg
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| Background = classic
| Born = {{生年月日|1915|12|9}}
| Birth_name = Olga Maria Elisabeth Friederike Schwarzkopf
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| Current_members = <!-- グループのみ -->
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{{Portal クラシック音楽}}
'''[[デイム]]・オルガ・マリア・エリーザベト・フリーデリケ・レッグ=シュヴァルツコップ'''(Dame Olga Maria Elisabeth Friederike Legge-Schwarzkopf, [[大英帝国勲章|DBE]]、[[1915年]][[12月9日]] - [[2006年]][[8月3日]])は、[[ドイツ]]-[[イギリス|英国]]<ref>Schwarzkopf erhielt 1953 durch ihre Heirat mit Walter Legge die britische Staatsbürgerschaft.(ウォルター・レッグとの結婚によりイギリス市民権を取得)</ref>の[[声楽家]]([[ソプラノ]])。[[音楽教育者]]。特にドイツ・[[オーストリア]]の[[歌曲]]の第一人者であり、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]<ref name="Macy2008">{{cite book|author=Laura Williams Macy|title=The Grove Book of Opera Singers|url=https://books.google.com/books?id=N0zthpCZuAUC&pg=PA442|year=2008|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-533765-5|pages=442–}}</ref><ref name="HendersonStacey2014">{{cite book|author1=Lol Henderson|author2=Lee Stacey|title=Encyclopedia of Music in the 20th Century|url=https://books.google.com/books?id=m8W2AgAAQBAJ&pg=PA565|date=27 January 2014|publisher=Routledge|isbn=978-1-135-92946-6|pages=565–}}</ref>などの[[オペラ]]や[[オペレッタ]]における優れた歌唱でも知られる。現在でも数多くの重要な[[音楽評論家]]、[[指揮者]]、声楽家たちなどから、20世紀後半を代表するソプラノ歌手の一人として、重要性は[[マリア・カラス]]<ref>カラスとシュヴァルツコップは1957年の『[[トゥーランドット]]』全曲盤アルバムで共演している(トゥーランドット:カラス、リュー:シュヴァルツコップ)</ref>に匹敵するとみなされている。
姓については'''シュヴァルツコップフ'''または'''シュワルツコップ'''と表記されることがある。
また、英国の市民権を得て、英国で叙勲されていることから、英語読みで'''デイム・エリザベス・シュワルツコフ, DBE'''と表記されることがある。
== 経歴 ==
=== ドイツでの若年期 ===
[[ドイツ帝国]]・[[プロイセン王国]]{{仮リンク|ポーゼン州|en|Province of Posen|de|Provinz Posen}}(現[[ポーランド]]、[[ヴィエルコポルスカ県]])の{{仮リンク|ヤロチン|en|Jarocin}}({{lang-de-short|Jarotschin}}, {{lang-pl|Jarocin}})で、[[ギムナジウム]]の教師フリードリヒ・シュヴァルツコップと妻エリーザベト(旧姓フレーリッヒ)の一人っ子として生まれた<ref>[[湾岸戦争]]時の[[アメリカ中央軍|米中央軍]]司令官[[ノーマン・シュワルツコフ]]陸軍大将は彼女の甥と言われていたことがあったが、ドイツ語版Wikipediaに「einziges Kind(一人っ子)」と明記されており、エリーザベトに兄弟姉妹はないので、これは[[都市伝説]]である。</ref>。幼少期から音楽に興味を持ち、歌の他に[[ピアノ]]、[[ギター]]、[[ヴァイオリン]]、[[オルガン]]を習った。13歳の時に、[[マクデブルク|マグデブルク]]で行われた[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]の『[[オルフェオとエウリディーチェ]]』の学校公演でエウリディーチェを歌った。
1933年、[[ナチス]]が政権を握った直後に、校長を務めていたシュヴァルツコップの父親は、彼の学校でのナチ党会議を拒否したため、当局により解任され、他の教育のポストに就くことも禁止された。17歳のエリーザベトは[[アビトゥーア]]を取得した後に医学の道に進んだ可能性があったが、解任された教師の娘として、大学 (Universität) に入ることを許されず、音楽の勉強を始めた。
1934年、ベルリン高等音楽学校 ([[:de:Berliner Hochschule für Musik|Berliner Hochschule für Musik]])<ref>ルーツは[[シュテルン音楽院]]である。</ref><ref>Hochschule も日本では「大学」と訳される場合があり、「ベルリン音楽大学」という記述も誤りとはいえない。ただしドイツでは Hochschule と Universität は区別されている。</ref>(現:[[ベルリン芸術大学]]<ref>国立ベルリン美術学校と合併してベルリン芸術学校となったのが1975年、大学(Universität)の資格を得て「[[ベルリン芸術大学]]」となったのは2001年である。</ref>)に入学し声楽を学んだ。最初は[[コントラルト]]として出発し、[[:de:Lula Mysz-Gmeiner|ルーラ・ミシュ=グマイナー]]に師事して[[メゾソプラノ]]となる訓練を受けた。後に歌手で名教師の[[マリア・イーヴォギュン]]、そしてハインリヒ・エゲノルフに師事し、[[コロラトゥーラ]]・ソプラノに転向した。また、[[ゲオルク・フォラートゥーン]]の歌曲の教室にも通った。
1938年4月15日、シャルロッテンブルクのドイツ・オペラハウス(現:[[ベルリン・ドイツ・オペラ]])で[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]『[[パルジファル]]』の2番目の花の乙女を歌いデビューした<ref name="Dame Elisabeth Schwarzkopf">{{Cite web|url=https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/culture-obituaries/music-obituaries/1525522/Dame-Elisabeth-Schwarzkopf.html|title=Dame Elisabeth Schwarzkopf|website=The Telegraph|date=4 August 2006|accessdate=1 December 2015}}</ref>。彼女はベルリンに4年間滞在しているが、1940年に芸術面での突破口が開いた。リヒャルト・シュトラウス『[[ナクソス島のアリアドネ]]』踊り子ツェルビネッタでのデビューの際、自身もコロラトゥーラ・ソプラノであるマリア・イーヴォギュンの関心を引き、イーヴォギュンはシュヴァルツコップを自分の個人的な門下生として、ソプラノのレパートリーと歌曲を教えた。同年にシュヴァルツコップはドイツ・オペラハウスとの完全契約を獲得したが、その条件はナチへの入党であった<ref>{{Cite book|title=Guilty Victim: Austria from the Holocaust to Haider|page=89|first=Hella|last=Pick|year=2000|isbn=978-1860646188|quote=Schwarzkopf who justified Party membership as a passport to performance|date=2000|publisher=London ; New York : I.B. Tauris}}</ref>。
シュヴァルツコップは、ときには非難されたことでもあるが、自然な音色というものは重視しなかった。彼女が重視したのはそれぞれの曲に合った精緻な音色と想像力であった。彼女はイタリアオペラのように音色を変化させることはしなかった。最盛期には絶対的に正確な「[[イントネーション]]」を持ち合わせていた。彼女は晩年までそれを保持し続けた。
=== ウィーンでの活躍 ===
1942年には、[[カール・ベーム]]のベルリン公演の際にベームの目にとまり、[[ウィーン国立歌劇場]]に招かれて契約した。そこで彼女は、モーツァルト『[[後宮からの誘拐]]』コンスタンツェを演じ、後に[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』ミミ、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[椿姫 (オペラ)|椿姫]]』ヴィオレッタを歌った<ref>『ラ・ボエーム』『椿姫』共にドイツ語による上演であった</ref>。
シュヴァルツコップは、ドイツ帝国の宣伝大臣[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]<ref>{{cite web|url=https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/7611528/Alan-Jefferson.html|title=Alan Jefferson|work=The Telegraph|date=20 April 2010|accessdate=1 December 2015}}</ref><ref>{{cite web|url=https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/book-review-her-masters-voice-1319665.html|title=BOOK REVIEW / Her Masters' voice|work=The Independent|author=Michael Church|date=23 October 2011|accessdate=1 December 2015}}</ref>のために5本の長編映画に出演し、演技、歌、ピアノ演奏を披露している<ref name="Dame Elisabeth Schwarzkopf" />。
[[File:Elisabeth Schwarzkopf FDC 76 1858.3.jpg|thumb| 1948年[[ルツェルン音楽祭]]でのシュヴァルツコップ <br />Max Albert Wyss<br /> - Stiftung Fotodokumentation Kanton Luzern ]]
[[第二次世界大戦]]後、ウィーン国立歌劇場の代替会場だった[[アン・デア・ウィーン劇場]]で再びミミとヴィオレッタを演じた。[[ヨーゼフ・クリップス]]と[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]は、彼女を中心として、高名なウィーン・モーツァルト=アンサンブルを結成した。1947年と1948年のウィーン国立歌劇場のヨーロッパツアーでは、彼女は1947年9月16日にモーツァルト『[[ドン・ジョヴァンニ]]』ドンナ・エルヴィーラとして[[ロンドン]]の[[ロイヤル・オペラ・ハウス]]に登場した。ロイヤル・オペラ・ハウスでの公式デビューは1948年1月16日に英語で歌われたモーツァルト『[[魔笛]]』パミーナということになっている。1948年には[[ミラノ]]の[[スカラ座]]においてリヒャルト・シュトラウス『[[ばらの騎士]]』マルシャリン(元帥夫人)を演じ、これは彼女の代名詞というべき生涯で最も重要な役の一つとなった。
スカラ座への公式デビューは1950年6月29日の[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]『[[ミサ・ソレムニス]]』である。1950年代初頭には、シュヴァルツコップは生涯で唯一様々な役柄で主役を歌っている。[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]『[[ペレアスとメリザンド (ドビュッシー)|ペレアスとメリザンド]]』メリザンド、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]『[[ヘラクレス (ヘンデル)|ヘラクレス]]』イオレ、[[シャルル・グノー|グノー]]『[[ファウスト (グノー)|ファウスト]]』マルグリート、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]『[[ローエングリン]]』エルザ、ピッコラ・スカラ座でのモーツァルト『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』フィオルディリージなどである。1951年9月11日、[[ヴェネツィア]]の[[フェニーチェ劇場]]で[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]『[[放蕩児の遍歴]]』世界初演でアンを歌った。[[ザルツブルク音楽祭]]では、主にモーツァルトのオペラで定期的に出演し、[[バイロイト音楽祭]]にも出演。ベーム以外にもカラヤンや[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー|フルトヴェングラー]]ともしばしば共演した。1952年にはマルシャリンをスカラ座においてカラヤンの指揮で歌い、成功を収めた。以来、この役は彼女を代表する役柄として定着した。1960年には映画(ライブ録音をもとに、映像は舞台上で別途再現撮影することで鮮明さを確保)も制作され、今なお名作としてDVDなどで親しまれている。また、各地で歌曲のリサイタルを数多く行った。1964年10月13日、マルシャリン役で[[メトロポリタン・オペラ]]にデビュー。[[ジョージ・セル]]指揮のリヒャルト・シュトラウスの管弦楽付き歌曲『[[4つの最後の歌 (リヒャルト・シュトラウス)|4つの最後の歌]]』の録音(1965年)は2020年現在でも伝説となって語り継がれている。
=== ウォルター・レッグ ===
1946年3月、ヘルベルト・フォン・カラヤンは「音源探し」でウィーンにいた当時の英国[[EMI]](„His Master’s Voice“, [[HMV]])のプロデューサーで[[フィルハーモニア管弦楽団|フィルハーモニア管弦楽団の]]創設者でもある[[ウォルター・レッグ]]<ref>{{Cite web|title=Answers - The Most Trusted Place for Answering Life's Questions|url=https://www.answers.com/search|website=Answers|accessdate=2020-08-13|language=en}}</ref>を若きシュヴァルツコップに紹介した。レッグは[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]『[[セビリアの理髪師]]』ロジーナを歌うシュヴァルツコップを聴き、即座にレコード録音の契約を申し出た。しかし、当時から完全主義者だった彼女がきちんとオーディションをするよう自ら望むと、レッグは厳しいオーディションを行った。ヘルベルト・フォン・カラヤンがグランドピアノを弾き、オーディションに共同で加わった。[[フーゴ・ヴォルフ|ヴォルフ]]の「誰がお前を呼んだのか」(''Wer rief dich denn?'':『イタリア歌曲集』中の1曲)を繰り返し様々な表情で歌わせるというもので、これを1時間以上も続けたという。カラヤンはあまりの執拗さに、レッグに対し「あなたは余りにもサディスティックだ」と言い置いて立ち去った。しかし、シュヴァルツコップはレッグの要求以上の才能を見せ、2人はその夜EMIへの専属録音契約を交わした。それ以来レッグは彼女のマネージャーと音楽上のパートナーを務め、仕事上の協力関係は個人的な関係にも発展し、1953年10月19日にイギリスの[[サリー (イングランド)|サリー]]州の[[エプソム]]で2人は結婚した。レッグとの共同作業によって、彼女は、クールで「銀」の滑らかさ、超越的な美しい声質、微妙なニュアンス、そして同時代の偉大な歌手たちとは常に少し距離を置いた演奏という、紛れもない独自の歌唱スタイルを形成していった。彼女のレパートリーは常に19世紀と後期[[ロマン派音楽|ロマン派]]のドイツ歌曲の伝統に忠実であった。
レッグの助言により、シュヴァルツコップはその後、舞台のレパートリーを一部の主役のみに絞っていった。『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラ、モーツァルト『[[フィガロの結婚]]』伯爵夫人、『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』フィオルディリージ、リヒャルト・シュトラウス『[[カプリッチョ (オペラ)|カプリッチョ]]』伯爵令嬢マドレーヌ、『ばらの騎士』マルシャリン。ときにはヴェルディ『[[ファルスタッフ]]』アリーチェ・フォードも歌い好評を博した。ただし、EMIレーベルでは、[[フランツ・レハール]]『[[メリー・ウィドウ]]』や[[ヨハン・シュトラウス2世|ヨハンシュトラウス2世]]『[[ジプシー男爵]]』など、いくつかの「シャンパンオペレッタ」の録音を行っている。
1958年に[[BBC]]の『[[:en:Desert Island Discs|デザート・アイランド・ディスク]]』で8つのお気に入りのレコードを選ぶように招かれたシュヴァルツコップは、自分の録音のうち7つ<ref>{{cite web|url=http://www.bbc.co.uk/programmes/p009y865|title=BBC Radio 4 – ''Desert Island Discs'', Elisabeth Schwarzkopf|publisher=Bbc.co.uk|date=1958-07-28|accessdate=2012-11-06}}</ref>と、8番目にカラヤンが指揮した『ばらの騎士』の前奏曲を選び、一緒に仕事をした人たちとの思い出を呼び起こした<ref>Elisabeth Schwarzkopf, Alan Jefferson (1996). "In any case, this famous ''Desert Island Discs'' broadcast has gone down in legend, immediately identifying Schwarzkopf for many who had never previously heard of her."</ref><ref>''Gramophone'', vol. 83 (2006). "1958 Appears on ''Desert Island Discs'' and raises eyebrows by ..."</ref><ref>''Gramophone'', vol. 83 (2005), Letters. "Schwarzkopf's ''Desert Island Discs'' Talk has come up again of Elisabeth Schwarzkopf and her ''Desert Island Discs'' broadcast in 1958 [and recently repeated on Radio 3] with her unique choice of seven of her ..."</ref><ref>Prima donna: a history, Rupert Christiansen (1995). "It made Schwarzkopf into a uniquely self-conscious interpreter: it was perfectly natural to her that when asked on the BBC radio programme ''Desert Island Discs'' to select eight recordings to be shipwrecked with, she should choose only her ..."</ref>。
=== 別れ ===
シュヴァルツコップは1971年12月31日、[[ブリュッセル]]の[[モネ劇場]]で当たり役であるマルシャリン(第一幕のみ)で最後のオペラに出演した。以後、彼女はドイツ歌曲に専念し、1979年3月17日に[[チューリッヒ]]で最後のリサイタルを行った。
同日、ウォルター・レッグは深刻な心臓発作を起こした。 彼は安静にするようにという医師の指示を無視し、当日のチューリッヒでのシュヴァルツコップの最後のリサイタルに出席した。 5日後、彼は亡くなった。
=== 声楽の教育者 ===
1980年代になると、シュヴァルツコップはマスタークラスで歌を教え始めた。彼女は自分自身に課していたものと同様な冷徹な厳酷さを生徒たちにも課し、明瞭な[[アーティキュレーション (音楽)|アーティキュレーション]]とフレージング、声の完成度を限りなく求めようとした<ref>Mirko Weber: [http://www.zeit.de/2005/50/M-Schwarzkopf/komplettansicht ''Feinfühlig auf Distanz''.] In: ''[[Die Zeit]]'', Nr. 50/2005</ref>。彼女が恐れられたのと同じくらい、レッスンによって得られる知識やスキルは垂涎の的となっていた。 彼女はマスタークラスで500人近くの歌手を指導した。門下生には、[[クリスティアン・ゲルハーヘル]]、[[トーマス・ハンプソン (バリトン歌手)|トーマス・ハンプソン]]、[[マティアス・ゲルネ]]、ハンス=ギュンター・ドッツァウアー、ヨゼフィーネ・ピラース・デ・ピラー、シモーネ・ケルメス、コルネリウス・ハウプトマン、アネット・イリク、アガ・ミコライなどがいる。日本人では[[白井光子]]と[[小濱妙美]]がシュヴァルツコップの教えを受けている。なお、[[ピアニスト]]の[[大場俊一]]が[[伴奏]]と[[通訳]]を務めていた。
2002年からは[[フォアアールベルク州|フォアアールベルク]]に住み、個人レッスンを続けた。1988年に[[シュトゥットガルト]]のフーゴ・ヴォルフ・アカデミーで行われた2回目のマスタークラス、2003年に[[ウィーン]]で行われたフーゴ・ヴォルフの歌曲による最後のマスタークラスの様子は映像で記録されている。彼女の90歳の誕生日には、[[バリトン]]のマティアス・ゲルネが、エリック・シュナイダーをピアノに迎え、彼女が選んだフーゴ・ヴォルフ歌曲により[[ホーエネムス|ホーヘネムス]]でリサイタルを行った。
=== ナチス入党による批判 ===
オーストリアの歴史家[[:de:Oliver Rathkolb|オリファー・ラートコルプ]]の1982年の論文で取り上げられて以来、シュヴァルツコップと[[ナチス]]との関係はメディアや専門家の文献で繰り返し取り上げられてきた<ref name="nazi guardian">{{Cite web|author=Kater|first=Michael H.|title=The Nazi past of the late, great German soprano Elisabeth Schwarzkopf|url=https://www.theguardian.com/music/2006/aug/24/classicalmusicandopera.secondworldwar|website=The Guardian|accessdate=13 October 2017|date=24 August 2006}}</ref>。シュヴァルツコップは、戦後間もない時期と1980年代、1990年代に行われた暴露に対して事実に反する発言をし、とりわけ1940年以降のナチス入党(党員番号7,548,960)<ref>Parteimitglied seit 1. März 1940, auf ihren Antrag vom 26. Januar 1940. Vgl. Fred K. Prieberg: ''Handbuch Deutsche Musiker 1933–1945''. Kiel 2004, CD-ROM-Lexikon, S. 9461.</ref>を最初は否定し、その後、様々な発言でそれを撤回し自己弁護したことが批判されてきた。一例として、彼女は教育者の地位を失った父親のアドバイスに従って入党しただけだと発言した<ref name="wapo_obit">{{Cite news|newspaper=[[The Washington Post]]|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/03/AR2006080301675_2.html|title=Renowned Coloratura Soprano Elisabeth Schwarzkopf, 90|first=Adam|last=Bernstein|date=August 4, 2006|accessdate=August 4, 2015}}</ref>。しかし批評家たちは、シュヴァルツコップはナチス時代の典型的な従属例であり、単なる経歴至上主義だとして非難した。
他の出版物では、彼女が[[武装親衛隊]]のパーティーイベントや駐屯中の部隊の前で演奏していることが言及されている<ref name="wapo_obit2">{{Cite news|newspaper=[[The Washington Post]]|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/03/AR2006080301675_2.html|title=Renowned Coloratura Soprano Elisabeth Schwarzkopf, 90|first=Adam|last=Bernstein|date=August 4, 2006|accessdate=August 4, 2015}}</ref>。シュヴァルツコップの擁護者たちは、彼女が常に芸術と政治を厳密に分離しており、彼女自身は政治的な人間ではないと主張している<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1983/03/17/arts/germans-explore-ties-of-musicians-of-nazis.html|first=John|last=Tagliabue|title=Germans Explore Ties of Musicians of Nazis|newspaper=[[The New York Times]]|date=March 17, 1983}}</ref>。2006年8月4日の追悼記事で、[[フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング|FAZ]]は次のように総括している「彼女が自分の過ちを隠蔽していたことは、問題が公になったとき、ナチスの文化体制の受益者であったこと以上に非難された」<ref>John Tagliabue: ''Germans Explore Ties of Musicians of Nazis''. In: ''The New York Times'', 17. März 1983, S. 17. Hendrik Bebber: [http://www.berliner-zeitung.de/archiv/alan-jeffersons-umstrittene-schwarzkopf-biographie-ist-gestern-in-london-erschienen--es-war-ein-wundervolles-leben-,10810590,9066284.html ''Es war ein wundervolles Leben''.] ''Alan Jeffersons umstrittene Schwarzkopf-Biographie ist gestern in London erschienen''. In: ''Berliner Zeitung'', 12. Januar 1996. David Mermelstein: ''Hoopla With Dark Undertones''. In: ''The New York Times,'' 4. August 1996, S. 22; siehe dazu die [http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0CE2D91331F93BA2575BC0A960958260 Kritik]. James R. Oestreich: [http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C05E6DE1238F933A15754C0A961958260&sec=&pagewanted=all ''Video View: Maestros Serving Other Masters''.] In: ''The New York Times,'' 20. Juli 1997, S. 22. Anthony Tommasini: [http://www.nytimes.com/2006/08/04/arts/music/04schwarzkopf.html?ei=5090&en=7ff28dfa0fe3e3da&ex=1312344000&partner=rssuserland&emc=rss&pagewanted=all ''Elisabeth Schwarzkopf, Opera Singer, Dies at 90''.] In: ''[[ニューヨーク・タイムズ|New York Times]]'', 4. August 2006. Gerhard R. Koch: [http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/buehne-und-konzert/oper-die-jahrhundertsaengerin-zum-tod-von-elisabeth-schwarzkopf-1355217.html ''Die Jahrhundertsängerin: Zum Tod von Elisabeth Schwarzkopf''.] In: ''[[フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング|FAZ]]'', 4. August 2006. Cornelius Hauptmann</ref>。
[[ファイル:E. Schwarzkopf-Legge.jpg|thumb| ツミコンの墓標 ]]
=== 死去 ===
2006年8月3日、オーストリア西部の[[フォアアールベルク州]][[シュルンス]]の自宅で90歳で死去した。死因は明らかにされていない。彼女の遺骨は、1982年から2003年まで住んでいた[[チューリッヒ]]近郊のツミコンに、夫のウォルター・レッグと一緒に家族の墓に埋葬された。彼女が書いた遺書は、ホーヘネムスの[[:de:Schubertiade Vorarlberg|シューベルティアーデ・フォアアールベルク]]のエリザベート・シュヴァルツコップ博物館で見ることができる。博物館は2011年8月に開館した<ref>{{Cite web|title=Elisabeth-Schwarzkopf-Museum - Stadtverwaltung Hohenems|url=https://www.hohenems.at/de/kultur/museen/elisabeth-schwarzkopf-museum-1|website=www.hohenems.at|accessdate=2020-08-16}}</ref>。
== 評価 ==
彼女のディスコグラフィーは質、量ともにかなりのもので、モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのオペラの描写、リヒャルト・シュトラウスの『4つの最後の歌』の録音、リートの録音、特にヴォルフの録音などで知られている。特にヴォルフに関しては「リート歌手としての私の使命は、ヴォルフを歌うことにあるような気がする」<ref>フーゴ・ヴォルフ「ゲーテ歌曲集」CD ライナーノーツ 西野茂雄</ref>と自ら語っているほどである。
オペレッタの録音にも非常に熱心で、[[オットー・アッカーマン]]とカラヤン(『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』のみ)の指揮のもと、全曲録音6点とアリア集を残し、EMIの名物シリーズの礎を築いた。『[[メリー・ウィドウ]]』は[[ロヴロ・フォン・マタチッチ|マタチッチ]]指揮でステレオ再録音も行った。
他人を誉めることは少なかったが、[[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ|フィッシャー=ディースカウ]]を「神のような存在」、白井光子と[[ハルトムート・ヘル]]のリート・デュオに「世界最高の音楽家夫婦」と賛辞を送っている。フィッシャー=ディースカウとは理知的な歌唱、技術の高さ、広範なレパートリーでドイツ声楽界をリードした業績などが男女の双璧といわれるが、ドイツ語に強い誇りとこだわりを持つ点も共通している。言葉のニュアンスを十分理解せずに歌う行為を嫌い、自身も外国語の歌唱には比較的慎重であった。
シュヴァルツコップは、20世紀の最も偉大なドイツのリリックソプラノであり、「描写できないほど美しい」声を持つ最高の歌手の一人であると一般的に考えられている。
シュヴァルツコップの「オペラ歌手のグローブ・ブック」には次のように書かれている。"彼女はナチに所属していたことを職業上必要だったまでとしたが、彼女の評判は、活発な党員であったと思われることによって汚されたままである。"
== 受賞歴(抜粋) ==
* 1950:リリー=レーマン=メダル、[[ザルツブルク]]
* 1959:第1回「オルフェオ・ドーロ」、[[マントヴァ]]
* 1961:レコード普及協会エジソン賞、[[アムステルダム]]
* 1961:ドイツの[[宮廷歌手]]
* 1964:[[スウェーデン王立音楽アカデミー]]名誉会員
* 1967:ストックホルムテレビ賞(最優秀ヨーロッパ・ソプラノ賞)
* 1969:[[パリ]]のリリック・ディスクアカデミーの「Orphée d'or」レコード賞
* 1971:フーゴ=ヴォルフ=メダル
* 1974:[[ドイツ連邦共和国功労勲章|ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章]]
* 1982:[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]市のモーツァルト=メダル
* 1983:[[ウィーン国立歌劇場名誉団員|ウィーン国立歌劇場名誉会員]]、宮廷歌手
* 1986:[[芸術文化勲章]]コマンドゥール([[フランス]])
* 1991:[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]のモーツァルト=メダル
* 2002:[[:de:Ehrenmedaille der Bundeshauptstadt Wien|連邦首都ウィーン名誉勲章]]
* 2006:[[エコー賞]](ライフワークに対して)
* 2012:[[:en:Gramophone Hall of Fame|グラモフォンの殿堂]]<ref>{{cite web|title=Elisabeth Schwarzkopf (soprano)|url=http://www.gramophone.co.uk/HallofFame/ArtistPage/Schwarzkopf|publisher=Gramophone|accessdate=11 April 2012}}</ref>
1964年、スウェーデン国王[[グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ6世アドルフ]]は彼女に "Litteris et artibus" の勲章を授与した。1983年には、科学と芸術のための[[プール・ル・メリット勲章]]を授与された。1990年には[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]の[[教授]]に任命された。また、シュヴァルツコップは、[[ケンブリッジ大学]](1976年)、[[アメリカン大学]](1982年)、[[グラスゴー大学]](1990年)から[[名誉博士号]]を授与されている。1992年、[[イギリス]]女王[[エリザベス2世]]はシュヴァルツコップを[[大英帝国勲章]]の[[デイム]]司令官として叙勲し、[[大英帝国勲章|DBE]] (Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire) の称号([[ナイト]]爵に相当し、女性に与えられる)を授与した<ref>{{cite web|url=http://www.london-gazette.co.uk/issues/52767/supplements/7|title=Viewing Page 7 of Issue 52767|publisher=London-gazette.co.uk|date=1991-12-30|accessdate=2012-11-06}}</ref>。
== 代表的なレパートリー ==
=== オペラ ===
* [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]] : 『[[フィガロの結婚]]』の伯爵夫人、『[[ドン・ジョヴァンニ]]』のドンナ・エルヴィーラ、『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』のフィオルディリージ
* [[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]] : 『[[ファルスタッフ]]』のアリーチェ・フォード
* [[リヒャルト・シュトラウス]]『[[ばらの騎士]]』のマルシャリン(元帥夫人)、『カプリッチョ』の伯爵夫人
=== 歌曲 ===
(作曲者名のみ)
* [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]
* [[フランツ・シューベルト|シューベルト]]
* [[ロベルト・シューマン|シューマン]]
* [[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]
* [[グスタフ・マーラー|マーラー]]
* [[フーゴ・ヴォルフ|ヴォルフ]]
* [[リヒャルト・シュトラウス]]
など
== ディスコグラフィー ==
※音源は日本版Amazonだけでも1,000件以上にのぼり<ref>{{Cite web|和書|title=Amazon.co.jp : シュヴァルツコップ|url=https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%97&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&ref=nb_sb_noss_1|website=www.amazon.co.jp|accessdate=2020-12-12|language=ja-jp}}</ref>、下記はほんの一部にすぎない。
=== オペラ・オペレッタ全曲 ===
*『[[後宮からの誘拐]]』(1945年9月6日ラジオ放送、Gala)[[ルドルフ・モラルト]]指揮
*『[[フィガロの結婚]]』(1950、コロムビア=EMI)[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]演奏:[[エーリッヒ・クンツ]](フィガロ)、[[イルムガルト・ゼーフリート]](スザンナ)、[[ジョージ・ロンドン (バス・バリトン歌手)|ジョージ・ロンドン]](アルマヴィーヴァ伯爵)、シュヴァルツコップ(伯爵夫人)、[[セーナ・ユリナッチ]](ケルビーノ)、{{仮リンク|エリーザベト・ヘンゲン|de|Elisabeth Höngen}}(マルチェリーナ)
*『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』(1951年7~8月バイロイト音楽祭、コロムビア=EMI/Naxos)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
*『[[ディドとエネアス]]』(1952、HMV=EMI)ジェレイント・ジョーンズ指揮マーメイド管弦楽団演奏:[[キルステン・フラグスタート]](ディド)、シュヴァルツコップ(ベリンダ)
*『[[メリー・ウィドウ]]』(1953、コロムビア=EMI)[[オットー・アッカーマン]]指揮[[フィルハーモニア管弦楽団]]演奏:シュヴァルツコップ(ハンナ)、エーリッヒ・クンツ(ダニロ)、[[ニコライ・ゲッダ]](カミーユ)、{{仮リンク|エミー・ローゼ|de|Emmy Loose}}(ヴァランシェンヌ)
*『[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]』(1953、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:{{仮リンク|エリーザベト・グリュンマー|de|Elisabeth Grümmer}}(ヘンゼル)、シュヴァルツコップ(グレーテル)、{{仮リンク|ヨーゼフ・メッテルニヒ|de|Josef Metternich (Sänger)}}(ペーター)
*『[[微笑みの国]]』(1953、コロムビア=EMI)オットー・アッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(リーザ)、ニコライ・ゲッダ(スー・チョン)、エーリッヒ・クンツ(グストル)、エミー・ローゼ(ミー)
*『[[ウィーン気質 (オペレッタ)|ウィーン気質]]』(1954、コロムビア=EMI)オットー・アッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ニコライ・ゲッダ(ツェドラウ伯爵)、シュヴァルツコップ(ガブリエーレ)、エーリッヒ・クンツ(ヨーゼフ)、{{仮リンク|エリカ・ケート|de|Erika Köth}}(フランツィスカ)、エミー・ローゼ(ペピ)
*『[[ヴェネツィアの一夜]]』(1954、コロムビア=EMI)オットー・アッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ニコライ・ゲッダ(グイド)、シュヴァルツコップ(アンニーナ)、エミー・ローゼ(チボレッタ)
*『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』(1954、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(フィオルディリージ)、{{仮リンク|ナン・メリマン|en|Nan Merriman}}(ドラベッラ)、{{仮リンク|リーザ・オットー|de|Lisa Otto}}(デスピーナ)、{{仮リンク|レオポルド・シモノー|fr|Léopold Simoneau}}(フェルランド)、[[ロランド・パネライ]](グリエルモ)、[[セスト・ブルスカンティーニ]](ドン・アルフォンソ)
*『[[ナクソス島のアリアドネ]]』(1954、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(アリアドネ)、イルムガルト・ゼーフリート(作曲家)、{{仮リンク|リタ・シュトライヒ|de|Rita Streich}}(ツェルビネッタ)、[[ルドルフ・ショック]](バッカス)、[[ヘルマン・プライ]](道化師)
*『[[ジプシー男爵]]』(1954、コロムビア=EMI)オットー・アッカーマン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ニコライ・ゲッダ(シャーンドル)、シュヴァルツコップ(ザッフィ)、ヘルマン・プライ(ホモナイ伯爵)、エーリッヒ・クンツ(カールマーン)、エリカ・ケート(アルゼーナ)
*『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』(1955、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ニコライ・ゲッダ(アイゼンシュタイン)、シュヴァルツコップ(ロザリンデ)、{{仮リンク|ヘルムート・クレプス|de|Helmut Krebs}}(アルフレート)、リタ・シュトライヒ(アデーレ)
*『バグダードの理髪師』(1956、コロムビア=EMI)[[エーリヒ・ラインスドルフ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(マルジアーナ)、ニコライ・ゲッダ(ヌレッディン)、ヘルマン・プライ(カリフ)
*『[[ファルスタッフ]]』(1956、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:[[ティート・ゴッビ]](ファルスタッフ)、[[ルイジ・アルヴァ]](フェントン)、ロランド・パネライ(フォード)、[[ニコラ・ザッカリア]](ピストーラ)、シュヴァルツコップ(アリーチェ)、[[アンナ・モッフォ]](ナンネッタ)、{{仮リンク|フェドーラ・バルビエーリ|it|Fedora Barbieri}}(クイックリー夫人)、ナン・メリマン(メグ)
*『賢い女』(1956、コロムビア=EMI)[[ヴォルフガング・サヴァリッシュ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(賢い娘)、ヘルマン・プライ(第2の浮浪者)
*『[[ばらの騎士]]』(1956、コロムビア=EMI)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(元帥夫人)、[[クリスタ・ルートヴィヒ]](オクタヴィアン)、{{仮リンク|テレサ・スティッチ=ランドール|en|Teresa Stich-Randall}}(ゾフィー)、[[オットー・エーデルマン]](オックス男爵)、[[エバーハルト・ヴェヒター]](ファニナル)、ニコライ・ゲッダ(イタリア人歌手)、{{仮リンク|リューバ・ヴェリッチュ|de|Ljuba Welitsch}}(マリアンネ)
*『[[トゥーランドット]]』(1957、コロムビア=EMI)[[トゥリオ・セラフィン]]指揮[[ミラノ・スカラ座管弦楽団]]演奏:[[マリア・カラス]](トゥーランドット)、{{仮リンク|エウジェニオ・フェルナンディ|it|Eugenio Fernandi}}(カラフ)、シュヴァルツコップ(リュー)、ニコラ・ザッカリア(ティムール)、マリオ・ボリエッロ(ピン)、[[ピエロ・デ・パルマ]](ポン)
*『[[カプリッチョ (オペラ)|カプリッチョ]]』(1957、コロムビア=EMI)ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(マドレーヌ)、ニコライ・ゲッダ(フラマン)、[[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ]](オリヴィエ)、[[ハンス・ホッター]](ラ・ロッシュ)、クリスタ・ルートヴィヒ(クレロン)、アンナ・モッフォ(イタリア人歌手)
*『[[ドン・ジョヴァンニ]]』(1959、コロムビア=EMI)[[カルロ・マリア・ジュリーニ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:エバーハルト・ヴェヒター(ドン・ジョヴァンニ)、[[ジョーン・サザーランド]](ドンナ・アンナ)、ルイジ・アルヴァ(ドン・オッターヴィオ)、シュヴァルツコップ(ドンナ・エルヴィーラ)、[[ジュゼッペ・タッデイ]](レポレッロ)、[[ピエロ・カプッチルリ]](マゼット)、[[グラツィエラ・シュッティ]](ツェルリーナ)
*『フィガロの結婚』(1959、コロムビア=EMI)カルロ・マリア・ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ジュゼッペ・タッデイ(フィガロ)、アンナ・モッフォ(スザンナ)、エバーハルト・ヴェヒター(アルマヴィーヴァ伯爵)、シュヴァルツコップ(伯爵夫人)、[[フィオレンツァ・コッソット]](ケルビーノ)、ピエロ・カプッチルリ(アントニオ)
*『[[魔笛]]』(1960、HMV=EMI)[[オットー・クレンペラー]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:ニコライ・ゲッダ(タミーノ)、ヴァルター・ベリー(パパゲーノ)、[[グンドゥラ・ヤノヴィッツ]](パミーナ)、[[ルチア・ポップ]](夜の女王)、シュヴァルツコップ(第一の侍女)、クリスタ・ルートヴィヒ(第二の侍女)
*『メリー・ウィドウ』(1962、HMV=EMI)[[ロヴロ・フォン・マタチッチ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(ハンナ)、エバーハルト・ヴェヒター(ダニロ)、ニコライ・ゲッダ(カミーユ)、ハニー・シュテフェク(ヴァランシェンヌ)
*『コジ・ファン・トゥッテ』(1962、HMV=EMI)[[カール・ベーム]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:シュヴァルツコップ(フィオルディリージ)、クリスタ・ルートヴィヒ(ドラベッラ)、ハニー・シュテフェク(デスピーナ)、[[アルフレード・クラウス]](フェルランド)、ジュゼッペ・タッデイ(グリエルモ)、[[ヴァルター・ベリー]](ドン・アルフォンソ)
*『[[ホフマン物語]]』(1964、HMV=EMI)[[アンドレ・クリュイタンス]]指揮[[パリ音楽院管弦楽団]]演奏:ニコライ・ゲッダ(ホフマン)、{{仮リンク|ジャンナ・ダンジェロ|en|Gianna D'Angelo}}(オランピア)、シュヴァルツコップ(ジュリエッタ)、[[ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス]](アントニア)、ジョージ・ロンドン(コッペリウス)、[[エルネスト・ブラン]](ダペルトゥット)
=== 歌曲・コンサート等 ===
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップが歌う''シューベルト、シューマン、リヒャルト・シュトラウスの歌曲''』(EMI)
* 『4つの最後の歌、[[アラベラ (オペラ)|アラベラ]](ハイライト)』(1953/54、EMI/[[Naxos]])[[オットー・アッカーマン|アッカーマン]]、[[ロヴロ・フォン・マタチッチ|マタチッチ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏
* 『[[レクイエム (ヴェルディ)]]』(1954、EMI)[[ヴィクトル・デ・サバタ|ビクトル・デ・サバタ]]指揮ミラノ・スカラ座オーケストラ&合唱団:エリーザベト・シュヴァルツコップ、{{仮リンク|オラリア・ドミンゲス|es|Oralia Domínguez|en|Oralia Domínguez}}、[[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]]、[[チェーザレ・シエピ]]
* 『トロイラスとクレシダ(ハイライト)』(1955、EMI)[[ウィリアム・ウォルトン]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:[[リチャード・ルイス]](トロイラス)、シュヴァルツコップ(クレシダ)
* 『モーツァルト16の歌曲』(1955、EMI)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、[[ヴァルター・ギーゼキング]](ピアノ)
* 『カーネギー・ホール・リサイタル』(1956、EMI)"Great Performances of the Century", 1989<ref>[http://articles.chicagotribune.com/1989-04-30/entertainment/8904100568_1_emi-songs-piano "Elisabeth Schwarzkopf Recital"], review by John von Rhein, ''[[Chicago Tribune]]'', 30 April 1989</ref>
* 『フーゴ・ヴォルフ:ゲーテ歌曲集』(1956/57、EMI)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、[[ジェラルド・ムーア]](ピアノ)
* 『[[ミサ・ソレムニス]] (ベートーヴェン) 』(1958)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮[[ロンドン交響楽団]]演奏:エリーザベト・シュヴァルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッダ等
* 『ヴォルフ、シューベルト、シュトラウス、[[ヘンリー・パーセル|パーセル]]、アルネ&[[ロジャー・クィルター|クィルター]]の歌曲』(1958、RIASアーカイブ)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、[[ミヒャエル・ラウハイゼン]](ピアノ)
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップが歌う[[オペレッタ]]:[[ヨハン・シュトラウス2世|ヨハン・シュトラウス]]、[[カール・ツェラー]]、[[カール・ミレッカー]]、[[フランツ・レハール]]ほか』(1959、EMI)[[オットー・アッカーマン]]指揮
* 『[[マタイ受難曲]]』(1961、Warner Classics)オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏
* 『[[ドイツ・レクイエム]]』(1961、EMI)オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
* 『[[レクイエム (ヴェルディ)]] 』(1964、EMI)[[カルロ・マリア・ジュリーニ]]指揮フィルハーモニア管弦楽団演奏:エリーザベト・シュヴァルツコップ、[[クリスタ・ルートヴィヒ]]、[[ニコライ・ゲッダ]]、[[ニコライ・ギャウロフ]]
* 『ザ・ベスト・オブ・シュヴァルツコップ』(1952,1955,1956,1965、EMI)ヴァルター・ギーゼキング、ジェラルド・ムーア、[[エドウィン・フィッシャー|エドヴィン・フィッシャー]]、ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)
* 『フーゴ・ヴォルフ:イタリア歌曲集』(1965/66、EMI)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、[[ジェラルド・ムーア]](ピアノ)
* 『フーゴ・ヴォルフ:スペイン歌曲集』(1966/67、DG)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、ジェラルド・ムーア(ピアノ)
* 『4つの最後の歌と12のオーケストラ伴奏の歌曲』(1965/1969、EMI)ジョージ・セル指揮[[ベルリン・ドイツ交響楽団|ベルリン放送交響楽団]]/ロンドン交響楽団演奏:エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
== フィルモグラフィー ==
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップ - 歌手の肖像』ヴォルフ=エバーハルト・フォン・レヴィンスキー監督作品。制作:ザールラント放送。1985年12月の70歳の誕生日を記念して[[Das Erste]]で放送
* 『執拗な芸術 ー エリーザベト・シュヴァルツコップによる歌曲のマスタークラス』シルトス・J・ドレーハー監督作品、92分、シュトゥットガルト 1988年、南ドイツ放送。短縮版(60分)は南西ドイツ放送3、スイス放送、クラシカで放送。原題『厳しくしたくはありませんが、E.シュヴァルツコップの教えは一番の近道であり、後には変わるのです』6つのレッスンから成る。例:「声の出し方」「レガート」「文章の理解」「ピアノの弾き方」。最後の「遺産」は30分のインタヴュー。
* 『「聞こえました!」エリーザベト・シュヴァルツコップがフーゴ・ヴォルフの歌曲を教える』ノルベルト・バイルハルツ監督作品、60分、製作:南西ドイツ放送、初回放送:2003年10月12日<ref>[https://www.welt.de/print-welt/article235221/Die-heilige-Elisabeth.html Besprechung] in der ''[[Die Welt|Welt]]''</ref><ref>Reportage in der [http://www.zeit.de/2003/09/Hugo_Wolf ''Zeit'']</ref>
* 『国際フーゴ=ヴォルフ=アカデミー=シュトゥットガルトのウィーンにおける最後のマスタークラスのドキュメンタリ-』出演:エフゲニア・グレコワ、ラドゥ・コヨカリウ、グンドゥラ・シュナイダー、アグスト・オラフソン、ヤエ・ユン・リー。ハルトムート・ヘル(ピアノ)ー『エリーザベト・シュヴァルツコップ・マスタークラス』は同じ映画を15分短縮したもの。
* 『ばらの騎士』パウル・ツィンナー監督映画。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮:シュヴァルツコップ、[[オットー・エーデルマン|エーデルマン]]、[[セーナ・ユリナッチ|ユリナッチ]]、[[エーリッヒ・クンツ|クンツ]]、[[アンネリーゼ・ローテンベルガー|ローテンベルガー]]。ザルツブルク 1960年 192分 DVD
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップ。ウィーンの夕べ』[[ヴィリー・ボスコフスキー]]指揮:1963年10月31日のウィーンのリサイタルの記録、[[カナダ放送協会|ラジオ・カナダ]]、DVD、白黒、49分、フォーマット4:3、NTSC、地域コードに注意。エリーザベト・シュヴァルツコップが歌う『ウィーン気質』『怒らないで』『チロルでは薔薇が贈り物』『ヴィリヤの歌』『ウィーンはウィーン』
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップ ソプラノ コンサートの記録』1961年ロンドン、1970年ロンドン(ピアノ:ジェラルド・ムーア)、1967年パリ(指揮者:[[:de:Berislav Klobučar|ベリスラフ・クロブチャール]])一部白黒。DVD MEDICIC ARTS NTSC
* R. フェルナウ、ハインリッヒ・ゲオルゲとの共演による長編映画 "[[:de:Derteidiger hat das Wort|Derteidiger hat das Wort]]" (ドイツ、1943年/1944年)と、1939年/1940年の短編映画 "Das Mädchen von Saint Coeur" (どちらもベルリン=ヴィルマーズドルフの連邦映画アーカイヴズに保管。ムルナウ財団が権利を保有)への参加
* 『フィルムポートレート』アラン・ベンソン監督1986年イギリス映画。60分。エリーザベト・シュヴァルツコップが自分の人生とキャリアについて語る。[[オールドバラ]]でのマスタークラスの感想で映画が完結する。
* 『エリーザベト・シュヴァルツコップ・マスタークラス』ドイツ、2000年、60分。彼女が最後のマスタークラスでロシアの歌手エフゲニア・グレコワをどのように指導したか見ることができる。二人は一緒にモーツアルトのパミーナを練習している。
* [[アウグスト・エファーディング]]との対談。Da Capo。初回放送 1986年5月17日 60分
* [[:de:Karl Löbl|カール・レーブル]]との対談。2004年12月12日、ウィーン国立歌劇場からの生中継。55分
*
== 脚注 ==
<references />
== 参考文献 ==
* 『レッグ&シュヴァルツコップ回想録 レコードうら・おもて』(原題 : ''On and Off the Records'' )シュヴァルツコップ著、河村錠一郎訳、1986年 [[音楽之友社]] ISB4-276-20352-X C1073 他
* Jefferson, Alan ''Elisabeth Schwarzkopf'' Northeastern University Press (August 1996) {{ISBN2|1-55553-272-1}} [https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/books/first/j/jefferson-elisabeth.html Chapter One extract]
* [[ウォルター・レッグ|Legge, Walter]]; postscript by Schwarzkopf, Elisabeth; ed. Sanders, Alan ''Walter Legge: Words and Music'' Routledge (1998) {{ISBN2|0-415-92108-2}}
* Liese, Kirsten, ''Elisabeth Schwarzkopf.'' ''From Flower Maiden To Marschallin''. English translation: Charles Scribner. Molden, Vienna 2007. {{ISBN2|978-3-85485-218-6}}; Amadeus Press, New York, 2009. {{ISBN2|978-1-57467-175-9}}
* Sanders, Alan ''The Schwarzkopf Tapes: An artist replies to a hostile biography'', Classical Recordings Quarterly and The Elisabeth Schwarzkopf/Walter Legge Society, (2010) {{ISBN2|978-0-9567361-0-9}}
* Sanders, Alan and Steane, John B. ''Elisabeth Schwarzkopf: A Career on Record'', Amadeus Press (January 1996) {{ISBN2|0-931340-99-3}}
* Schwarzkopf, Elisabeth ''Les autres soirs'' Tallandier (August 16, 2004) {{ISBN2|2-84734-068-8}}
* Schwarzkopf, Elisabeth ''On and Off the Record: A Memoir of Walter Legge'' Faber and Faber (December 31, 1982) {{ISBN2|0-571-11928-X}}; Scribner (March 1982) {{ISBN2|0-684-17451-0}}; (paperback) {{ISBN2|0-571-14912-X}}; University of British Columbia Press (January 1, 2002) {{ISBN2|1-55553-519-4}}
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[[Category:ドイツの声楽家]]
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11,404 |
3000メートル障害
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3000メートル障害(3000mしょうがい, 英語: 3000 metres steeplechase)は、陸上競技の障害物競走の一種で、障害を通過しながら3000メートルを走るタイムを競う。一般的に3000mSCと表記され、「SC」とは「スティープルチェイス」(Steeplechase)の略である。 日本では3000m障害又はサンショーと略して呼ばれている。
Steeple(教会の尖塔)を追う、という意味の競技名が示す通り、昔、ヨーロッパの各々の村が教会を中心としたコミュニティーであった時代に、ある村の教会を出発点とし、別のある村の教会をゴールとした徒競走(もしくは馬術競走)をする際に村境を示す柵や堀を飛び越えて行ったことに由来する、ヨーロッパなどで人気の高いクロスカントリーのレースを、トラック上で再現するためにつくられたと言われている。競馬の障害競走も英語でSteeplechaseであり、陸上競技と競馬とでどちらが先にSteeplechaseの名称を用いて、他方に流用されたかについては諸説ある。
3000mを走るうちに障害物(平均台に類似した形状でハードルと同様のペイントを施したもの)を28回、障害物の着地点に水濠がある障害を7回越えなくてはならない。スタート後にフィニッシュラインを初めて通過してから、各周に5個の障害物があり、その4番目の障害物は水濠である。水濠以外の4つの障害物は移動式であるが、倒れることはなく手や足をついて越えるのは許されているが、外側や内側を通ったりくぐったりする行為は失格となる。障害物の高さは、男子が91.4cm、女子が76.2cmである。水濠は、男女とも最深部の深さが0.7メートル、長さが3.66メートルで、障害に近いほど深い。競技場によって、水濠がトラックの内側に設置されている場合(内水濠)と外側に設置されている場合(外水濠)がある(日本では外水濠が圧倒的に多いが、近年国際大会で使用されるトラックが8レーンではなく9レーンのため世界的には内水濠が多い)。外水濠の場合は1周の距離は421メートル、内水濠の場合は1周の距離は390メートルとなる。 上述の設置パターンの違いゆえに、競技場によってスタート位置やレースパターン にも違いが見られ、内水濠の方が記録は出やすいと言われているが、記録上は同一条件として扱われる。 日本では1954年以降、内水濠を日本記録として公認している。
3000メートルという比較的長い距離を走りながらも、約80メートルおきに跳躍しなければならないため、スムーズなレース運びのためには、ある程度のスピード維持が必要となる。また、ハードルと違って障害は足をかけても倒れないため、転倒事故も起こりうる非常に危険なレースとなる。さらにジャンプ時の着地や水濠の通過、シューズ自体も水を吸って重くなる、といった要素によって相当な体力を奪われることになり、ペース配分を考えないと好記録はおろか完走すらおぼつかなくなるという様相で、メディア中継においては「トラック種目で最も過酷な競技」の一つとして紹介されることもある。なお、夏季オリンピックにおいての本種目は、男子は1900年パリオリンピックから、世界陸上でも第1回の1983年世界陸上ヘルシンキ大会からの正式種目であるが、女子は競技の過酷さから、正式種目となったのは2008年北京オリンピックからで、世界陸上でも2005年世界陸上ヘルシンキ大会からと遅いものであった。
現在、世界的に男子では、ケニアやエチオピアを中心としたアフリカ勢のレベルが高く、ヨーロッパ勢がそれを追う形になっている。女子も男子同様にアフリカ勢が強く、ヨーロッパ勢(特にロシア)がアフリカ勢を追う形になっている。この種目においてアジア(主に中東出身)の選手は、男女とも8位以内入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、しばしば上位入賞ができる力量をもっている。日本人選手は比較的に健闘しており、1972年ミュンヘンオリンピックで小山隆治が9位、2003年世界陸上パリ大会で岩水嘉孝が11位、2005年世界陸上ヘルシンキ大会で早狩実紀が12位と、入賞こそ果たせなかったものの、過去3人が決勝進出を果たし、日本人選手の可能性を示してきたが、ついに2021年東京オリンピックで、三浦龍司が7位に入り、初の入賞を果たした。
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3000メートル障害は、陸上競技の障害物競走の一種で、障害を通過しながら3000メートルを走るタイムを競う。一般的に3000mSCと表記され、「SC」とは「スティープルチェイス」(Steeplechase)の略である。
日本では3000m障害又はサンショーと略して呼ばれている。
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[[ファイル:3000 steeple final Berlin 2009.jpg|thumb|320px|[[2009年世界陸上競技選手権大会]]における水濠]]
[[ファイル:Osaka07 D1M W3000M Steeplechase Heat.jpg|thumb|320px|[[2007年世界陸上競技選手権大会]]における障害<br>(いずれも障害の上部に乗って踏み越すことは可能)]]
'''3000メートル障害'''(3000mしょうがい, {{lang-en|3000 metres steeplechase}})は、[[陸上競技]]の[[障害物競走 (陸上競技)|障害物競走]]の一種で、障害を通過しながら3000[[メートル]]を走るタイムを競う。一般的に'''3000mSC'''と表記され、「SC」とは「スティープルチェイス」('''Steeplechase''')の略である。
日本では'''3000m障害'''又は'''サンショー'''と略して呼ばれている。
== 概要 ==
Steeple(教会の尖塔)を追う、という意味の競技名が示す通り、昔、ヨーロッパの各々の村が[[教会 (キリスト教)|教会]]を中心としたコミュニティーであった時代に、ある村の教会を出発点とし、別のある村の教会をゴールとした徒競走(もしくは馬術競走)をする際に村境を示す柵や堀を飛び越えて行ったことに由来する、[[ヨーロッパ]]などで人気の高い[[クロスカントリー]]のレースを、[[トラック (陸上競技)|トラック]]上で再現するためにつくられたと言われている。[[競馬]]の[[障害競走]]も英語でSteeplechaseであり、陸上競技と競馬とでどちらが先にSteeplechaseの名称を用いて、他方に流用されたかについては諸説ある。
3000mを走るうちに障害物([[平均台]]に類似した形状で[[ハードル]]と同様のペイントを施したもの)を28回、障害物の着地点に[[水濠]]がある障害を7回越えなくてはならない。スタート後にフィニッシュラインを初めて通過してから、各周に5個の障害物があり、その4番目の障害物は水濠である。水濠以外の4つの障害物は移動式であるが、倒れることはなく手や足をついて越えるのは許されているが、外側や内側を通ったりくぐったりする行為は失格となる。障害物の高さは、男子が91.4[[センチメートル|cm]]、女子が76.2cmである。水濠は、男女とも最深部の深さが0.7[[メートル]]、長さが3.66メートルで、障害に近いほど深い。競技場によって、水濠がトラックの内側に設置されている場合('''内水濠''')と外側に設置されている場合('''外水濠''')がある(日本では外水濠が圧倒的に多いが、近年国際大会で使用されるトラックが8レーンではなく9レーンのため世界的には内水濠が多い)。外水濠の場合は1周の距離は421メートル、内水濠の場合は1周の距離は390メートルとなる。
上述の設置パターンの違いゆえに、競技場によってスタート位置やレースパターン<ref>水濠がトラックの内側に設置されている場合は、1周目は400mコースの方を走り270m(スタートからフィニッシュラインまで)は障害は設置せず水濠も通らない。</ref> にも違いが見られ、内水濠の方が記録は出やすいと言われているが、記録上は同一条件として扱われる。
日本では[[1954年]]以降、内水濠を日本記録として公認している<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号321p</ref>。
3000メートルという比較的長い距離を走りながらも、約80メートルおきに跳躍しなければならないため、スムーズなレース運びのためには、ある程度のスピード維持が必要となる。また、ハードルと違って障害は足をかけても倒れないため、転倒事故も起こりうる非常に危険なレースとなる。さらにジャンプ時の着地や水濠の通過、シューズ自体も水を吸って重くなる、といった要素によって相当な体力を奪われることになり、ペース配分を考えないと好記録はおろか完走すらおぼつかなくなるという様相で、メディア中継においては「トラック種目で最も過酷な競技」の一つとして紹介されることもある。なお、夏季オリンピックにおいての本種目は、男子は[[1900年]][[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]から、世界陸上でも第1回の[[1983年]][[1983年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ヘルシンキ大会]]からの正式種目であるが、女子は競技の過酷さから、正式種目となったのは[[2008年]][[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]からで、世界陸上でも[[2005年]][[2005年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ヘルシンキ大会]]からと遅いものであった。
現在、世界的に男子では、[[ケニア]]や[[エチオピア]]を中心とした[[アフリカ]]勢のレベルが高く、[[ヨーロッパ]]勢がそれを追う形になっている。女子も男子同様に[[アフリカ]]勢が強く、[[ヨーロッパ]]勢(特に[[ロシア]])がアフリカ勢を追う形になっている。この種目においてアジア(主に中東出身)の選手は、男女とも8位以内入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、しばしば上位入賞ができる力量をもっている。日本人選手は比較的に健闘しており、[[1972年]][[ミュンヘンオリンピック]]で[[小山隆治]]が9位、[[2003年]][[2003年世界陸上競技選手権大会|世界陸上パリ大会]]で[[岩水嘉孝]]が11位、[[2005年]][[2005年世界陸上競技選手権大会|世界陸上ヘルシンキ大会]]で[[早狩実紀]]が12位と、入賞こそ果たせなかったものの、過去3人が決勝進出を果たし、日本人選手の可能性を示してきたが、ついに[[2021年]][[2020年東京オリンピック|東京オリンピック]]で、[[三浦龍司]]が7位に入り、初の入賞を果たした。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||7分52秒11||{{仮リンク|ラメチャ・ギルマ|en|Lamecha Girma}}||{{ETH}}||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|2||7分53秒63||[[サイフ・サイード・シャヒーン]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2004年]][[9月3日]]
|-
|3||7分53秒64||[[ブライミン・キプロプ・キプルト]]||{{KEN}}||[[モンテカルロ]]||[[2011年]][[7月22日]]
|-
|4||7分54秒31||{{仮リンク|ポール・キプシエレ・コエチ|en|Paul Kipsiele Koech}}||{{KEN}}||[[ローマ]]||[[2012年]][[5月31日]]
|-
|5||7分55秒28||[[ブラヒム・ブーラミ]]||{{MAR}}||[[ブリュッセル]]||[[2001年]][[8月24日]]
|-
|6||7分55秒72||{{仮リンク|バーナード・バルマサイ|en|Bernard Barmasai}}||{{KEN}}||[[ケルン]]||[[1997年]][[8月24日]]
|-
|7||7分55秒76||[[エゼキエル・ケンボイ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2011年]][[7月22日]]
|-
|8||7分56秒16||[[モーゼス・キプタヌイ]]||{{KEN}}||[[ケルン]]||[[1997年]][[8月24日]]
|-
|9||7分56秒68||{{仮リンク|スフィアネ・エルバカリ|en|Soufiane El Bakkali}}||{{MAR}}||[[モナコ]]||[[2023年]][[5月29日]]
|-
|10||7分56秒81||{{仮リンク|リチャード・キプケンボイ・メートロング|en|Richard Mateelong}}||{{KEN}}||[[ドーハ]]||[[2012年]][[5月11日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||8分44秒32||{{仮リンク|ベアトリス・チェプコエチ|en|Beatrice Chepkoech}}||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2018年]][[7月21日]]
|-
|2||8分50秒66||{{仮リンク|ウィンフレドムチレ・ヤビ|en|Winfred Yavi}}||{{BHR}}||[[ユージーン]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|3||8分52秒78||{{仮リンク|ルース・ジェベト|en|Ruth Jebet}}||{{BHR}}||[[パリ]]||[[2016年]][[8月27日]]
|-
|4||8分53秒02||{{仮リンク|ノラ・ジェルト・タヌイ|en|Norah Jeruto}}||{{KAZ}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|5||8分54秒61||{{仮リンク|ワークハ・ゲタチュー|en|Werkuha Getachew}}||{{ETH}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|6||8分56秒08||{{仮リンク|メキデス・アベベ|en|Mekides Abebe}}||{{ETH}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|7
|8分57秒35
|[[ジャックリーン・チェプコエチ]]
|{{KEN}}
|[[ロンドン]]
|[[2023年]][[7月23日]]
|-
|8||8分57秒77||{{仮リンク|コートニー・フレリックス|en|Courtney Frerichs}}||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|9||8分58秒78||{{仮リンク|セリフィン・チェスポル|en|Celliphine Chespol}}||{{KEN}}||[[ユージーン]]||[[2017年]][[5月26日]]
|-
|10||8分58秒81||[[グルナラ・ガルキナ|グルナラ・サミトワ=ガルキナ]]||{{RUS}}||[[北京市|北京]]||[[2008年]][[8月17日]]
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||7分52秒11||{{仮リンク|ラメチャ・ギルマ|en|Lamecha Girma}}||{{ETH}}||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|[[アジア]]||7分53秒63||[[サイフ・サイード・シャヒーン]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2004年]][[9月3日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||8分00秒09||[[マイディーヌ・メキシベナバ]]||{{FRA}}||[[パリ]]||[[2013年]][[7月6日]]
|-
|[[北アメリカ]]||8分00秒45||[[エヴァン・イェーガー]]||{{USA}}||[[パリ]]||[[2015年]][[7月4日]]
|-
|[[南アメリカ]]||8分14秒41||[[ワンダー・ド・プラド・モウラ]]||{{BRA}}||[[マル・デル・プラタ]]||[[1995年]][[3月22日]]
|-
|[[オセアニア]]||8分14秒05||[[ピーター・レンナー]]||{{NZL}}||[[コブレンツ]]||[[1984年]][[8月29日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||8分44秒32||[[ベアトリス・チェプコエチ]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2018年]][[7月21日]]
|-
|[[アジア]]||8分50秒66||{{仮リンク|ウィンフレドムチレ・ヤビ|en|Winfred Yavi}}||{{BHR}}||[[ユージーン]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||8分58秒81||[[グルナラ・ガルキナ=サミトワ]]||{{RUS}}||[[北京市|北京]]||[[2008年]][[8月17日]]
|-
|[[北アメリカ]]||8分57秒77||[[コートニー・フレリックス]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2021年]][[8月21日]]
|-
|[[南アメリカ]]||9分24秒38||[[タチアネ ラケル・ダ シウバ]]||{{BRA}}||[[イングランド]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|[[オセアニア]]||9分14秒28||[[ジェネビーブ・ラカーズ]]||{{AUS}}||[[パリ]]||[[2016年]][[8月27日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||7分58秒66||[[サイフ・サイード・シャヒーン|ステファン・チェロノ]]||{{KEN}}||[[ブリュッセル]]||[[2001年]][[8月24日]]
|-
|2||8分01秒16||[[コンセスラス・キプルト]]||{{KEN}}||[[上海]]||[[2013年]][[5月18日]]
|-
|3||8分03秒74||[[レイモンド・ヤーター]]||{{KEN}}||[[モナコ]]||[[2000年]][[8月18日]]
|-
|4||8分05秒52||[[ブライミン・キプルト]]||{{KEN}}||[[ヘンゲロ]]||[[2004年]][[5月31日]]
|-
|5||8分06秒96||[[ギルバート・キプランガト・キルイ]]||{{KEN}}||[[ロンドン]]||[[2013年]][[7月27日]]
|-
|6||8分07秒18||[[ムサ・アメル・オバイド]]||{{QAT}}||[[アテネ]]||[[2004年]][[3月24日]]
|-
|7||8分07秒69||[[ポール・コスゲイ]]||{{KEN}}||[[ストックホルム]]||[[1997年]][[7月7日]]
|-
|8||8分07秒71||[[ヒラリー・キプサング・イェゴ]]||{{KEN}}||[[上海]]||[[2011年]][[5月15日]]
|-
|9||8分08秒37||[[アモス・キルイ]]||{{KEN}}||[[ローマ]]||[[2017年]][[6月8日]]
|-
|10||8分09秒37||[[アベル・ヤゴート・ヤウエル・サレム|アベル・チェルイヨット]]||{{KEN}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2003年]][[8月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||8分58秒78||[[セリフィン・チェスポル]]||{{KEN}}||[[ユージーン]]||[[2017年]][[5月26日]]
|-
|3
|9分00秒71
|[[Sembo ALEMAYEHU]]
|{{ETH}}
|[[フィレンツェ]]
|[[2023年]][[6月2日]]
|-
|2
|9分02秒43
|[[ジャックリーン・チェプコエチ]]
|{{KEN}}
|[[ブリュッセル]]
|[[2022年]][[9月8日]]
|-
|4
|9分06秒14
|[[Faith CHEROTICH]]
|{{KEN}}
|[[チューリッヒ]]
|[[2022年]][[9月8日]]
|-
|5||9分07秒94||[[ペルース・チェムタイ]]||{{UGA}}||[[モナコ]]||[[2018年]][[7月20日]]
|-
|6||9分10秒74||[[ウィンフレッド・ヤヴィ]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2018年]][[7月20日]]
|-
|7||9分16秒41||[[ゼルフェ・ウォンデマゲン]]||{{ETH}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月4日]]
|-
|8||9分20秒37||[[ビルトゥカン・アダム]]||{{ETH}}||[[ローマ]]||[[2011年]][[5月26日]]
|-
|9||9分20秒55||[[ルース・ジェベト]]||{{BHR}}||[[チューリッヒ]]||[[2014年]][[8月28日]]
|-
|10||9分20秒65||[[ティゲスト・ゲテント]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|}
=== U18世界最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|8分17秒28||[[ジョナサン・ディク]]||{{KEN}}||[[ブィドゴシュチュ]]||[[2008年]][[7月13日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|9分09秒19||[[Sembo ALEMAYEHU]]||{{ETH}}||[[パリ]]||[[2022年]][[6月18日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||7分53秒63||[[サイフ・サイード・シャヒーン]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2004年]][[9月3日]]
|-
|2||8分06秒13||[[タレク・ムバラク・サレム・タヘル]]||{{BHR}}||[[アテネ]]||[[2009年]][[7月13日]]
|-
|3||8分07秒18||[[ムサ・アメル・オバイド]]||{{QAT}}||[[アテネ]]||[[2004年]][[8月24日]]
|-
|4||8分08秒14||[[サード・シャダッド・アル・アスマリ]]||{{KSA}}||[[ストックホルム]]||[[2002年]][[7月16日]]
|-
|5||8分09秒62||[[ジョン・キベト・コエチ]]||{{QAT}}||[[ドーハ]]||[[2016年]][[5月6日]]
|-
|6||8分09秒91||[[三浦龍司]]||{{JPN}}||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|7||8分10秒46||[[孫日鵬]]||{{CHN}}||[[上海]]||[[1997年]][[10月19日]]
|-
|9
|8分11秒20
|[[アビナシュ ムクンド・サブレ]]
|{{IND}}
|[[バーミンガム]]
|[[2022年]][[8月6日]]
|-
|8||8分11秒67||[[ジャマル・ベラル・サレム]]||{{QAT}}||[[ヘンゲロ]]||[[2005年]][[5月29日]]
|-
|10||8分13秒45||[[ハミス・アブドゥラー・サイフェルディン]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2002年]][[8月30日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||8分52秒78||[[ルース・ジェベト]]||{{BHR}}||[[パリ]]||[[2016年]][[8月27日]]
|-
|2
|8分53秒02
|[[ノラ・ジェルト・タヌイ]]
|{{KAZ}}
|[[ユージーン]]
|[[2022年]][[7月20日]]
|-
|3||8分56秒55||[[ウィンフレッド・ヤヴィ]]||{{BHR}}||[[パリ]]||[[2022年]][[6月18日]]
|-
|4
|9分15秒77
|[[Daisy JEPKEMEI]]
|{{KAZ}}
|[[ストックホルム]]
|[[2022年]][[6月30日]]
|-
|5||9分19秒76||[[ラリタシバジ・ババル]]||{{IND}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月13日]]
|-
|6||9分20秒32||[[張新艶]]||{{CHN}}||[[紹興市|紹興]]||[[2021年]][[4月8日]]
|-
|7||9分20秒65||[[ティゲスト・ゲテント]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
|8||9分26秒25||[[劉念]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[11月2日]]
|-
|9||9分26秒55||[[スダ・シン]]||{{IND}}||[[上海市|上海]]||[[2016年]][[5月14日]]
|-
|10||9分29秒51||[[Parul CHAUDHARY]]||{{IND}}||[[ロサンゼルス]]||[[2023年]][[5月26日]]
|}
== U20アジア歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||8分07秒18||[[ムサ・アメル・オバイド]]||{{QAT}}||[[アテネ・オリンピックスタジアム|アテネ]]||[[2004年]][[8月24日]]
|-
|2||8分09秒92||[[三浦龍司]]||{{JPN}}||[[国立競技場|東京]]||[[2021年]][[7月30日]]
|-
|3||8分16秒26||[[タレク・ムバラク・サレム・タヘル]]||{{BHR}}||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2005年]][[7月23日]]
|-
|4||8分16秒96||[[ジョン・キベト・コエチ]]||{{BHR}}||[[ストックホルム]]||[[2013年]][[8月22日]]
|-
|5||8分18秒52||[[ムスタファ・アハマッド・シェブト]]||{{QAT}}||[[ブリュッセル]]||[[2004年]][[9月3日]]
|-
|6||8分20秒29||[[サメル・カマル・アリ]]||{{QAT}}||[[ヘルシンキ]]||[[2006年]][[7月26日]]
|-
|7||8分21秒87||[[アリ・アハマッド・アル・アムリ]]||{{KSA}}||[[アルジェ]]||[[2006年]][[6月22日]]
|-
|8||8分24秒23||[[アベル・ヤゴート・ヤウエル・サレム]]||{{BHR}}||[[スタッド・ドフランス|サン=ドニ]]||[[2003年]][[7月4日]]
|-
|9||8分24秒87||[[孫日鵬]]||{{CHN}}||[[北京市|北京]]||[[1993年]][[9月11日]]
|-
|10||8分25秒71||[[ザクリャ・アリ・カミル]]||{{QAT}}||[[レーヴァークーゼン]]||[[2007年]][[8月10日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||9分10秒74||[[ウィンフレッド・ヤヴィ]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2018年]][[7月20日]]
|-
|2||9分20秒55||[[ルース・ジェベト]]||{{BHR}}||[[チューリッヒ]]||[[2014年]][[8月28日]]
|-
|3||9分20秒65||[[ティゲスト・ゲテント]]||{{BHR}}||[[モナコ]]||[[2015年]][[7月17日]]
|-
|4||9分26秒25||[[劉念]]||{{CHN}}||[[武漢市|武漢]]||[[2007年]][[11月2日]]
|-
|5||9分43秒60||[[趙艶妮]]||{{CHN}}||[[蘇州市|蘇州]]||[[2008年]][[6月28日]]
|-
|6||9分48秒33||[[金源]]||{{CHN}}||[[ロサンゼルス]]||[[2007年]][[6月3日]]
|-
|7||9分49秒30||[[吉村玲美]]||{{JPN}}||[[リエージュ]]||[[2019年]][[7月17日]]
|-
|8||9分49秒55||[[尹安娜]]||{{CHN}}||[[合肥市|合肥]]||[[2011年]][[9月10日]]
|-
|9||9分53秒72||[[高見澤安珠]]||{{JPN}}||[[パリ]]||[[2015年]][[9月13日]]
|-
|10||9分54秒01||[[菊英蘭]]||{{CHN}}||[[上海市|上海]]||[[2003年]][[9月13日]]
|}
=== U18アジア最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|8分32秒72||[[陳明]]||{{CHN}}||[[天台県|天台]]||[[2002年]][[10月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|9分43秒60||[[趙艶妮]]||{{CHN}}||[[蘇州市|蘇州]]||[[2008年]][[6月28日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||8分09秒91||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[パリ]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|2||8分18秒93||[[岩水嘉孝]]||[[トヨタ自動車]]||[[パリ]]||[[2003年]][[8月23日]]
|-
|3||8分19秒52||[[新宅雅也]]||[[ヱスビー食品]]||||[[1980年]][[7月8日]]
|-
|4||8分19秒96||[[山口浩勢]]||[[愛三工業]]||[[大阪]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|5||8分20秒09||[[青木涼真]]||[[本田技研工業|Honda]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|6||8分21秒60||[[小山隆治]]||[[クラレ]]||||[[1974年]][[6月22日]]
|-
|7||8分23秒93||[[阪口竜平]]||[[SGホールディングス]]||[[東京]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|8||8分25秒49||[[潰滝大記]]||[[富士通]]||[[大阪]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|9||8分25秒70||[[楠康成]]||[[阿見AC]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|10||8分26秒36||[[砂田晟弥]]||[[プレス工業]]||[[大阪]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||9分33秒93||[[早狩実紀]]||[[京都光華女子大学|京都光華AC]]||[[ヒュースデン=ゾルダー]]||[[2008年]][[7月20日]]
|-
|2||9分38秒19||[[山中柚乃]]||[[愛媛銀行]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|3||9分38秒95||[[西出優月]]||[[ダイハツ]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|4||9分39秒28||[[西山未奈美]]||[[三井住友海上]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|5||9分39秒86||[[吉村玲美]]||[[大東文化大学]]||[[大阪]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|6||9分44秒22||[[高見澤安珠]]||[[松山大学]]||[[名古屋]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|7||9分45秒27||[[森智香子]]||[[積水化学]]||[[名古屋]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|8||9分46秒44||[[藪田裕衣]]||[[大塚製薬]]||[[大阪]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|9||9分48秒76||[[石澤ゆかり]]||[[エディオン]]||[[大阪]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|10||9分49秒85||[[三郷実沙希]]||[[スズキアスリートクラブ|スズキ浜松AC]]||[[福島]]||[[2014年]][[6月8日]]
|-
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分09秒91||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|2||8分25秒80||[[新宅雅也]]||[[日本体育大学]]||[[1979年]][[10月28日]]
|-
|3||8分26秒77||[[岩水嘉孝]]||[[順天堂大学]]||[[2001年]][[6月9日]]
|-
|4||8分27秒80||[[小原響]]||[[青山学院大学]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
||5||8分28秒16||[[菖蒲敦司]]||[[早稲田大学]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|6||8分28秒67||[[ダニエル・ジェンガ]]||[[流通経済大学]]||[[1996年]][[5月6日]]
|-
|7||8分29秒14||[[塩尻和也]]||[[順天堂大学]]||[[2018年]][[6月24日]]
|-
|8||8分29秒71||[[ビズネ・ヤエ・トゥーラ]]||[[亜細亜大学]]||[[1993年]][[6月13日]]
|-
|9||8分29秒85||[[阪口竜平]]||[[東海大学]]||[[2019年]][[6月29日]]
|-
|10||8分31秒27||[[愛敬重之]]||[[中京大学]]||[[1983年]][[8月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||{{0}}9分39秒86||[[吉村玲美]]||[[大東文化大学]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|2||{{0}}9分44秒22||[[高見澤安珠]]||[[松山大学]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|3||{{0}}9分53秒87||[[中村真悠子]]||[[筑波大学|筑波大学(大学院)]]||[[2014年]][[6月8日]]
|-
|4||{{0}}9分55秒01||[[西出優月]]||[[関西外国語大学]]||[[2020年]][[12月4日]]
|-
|5||{{0}}9分58秒31||[[秋山祐妃]]||[[大東文化大学]]||[[2020年]][[8月23日]]
|-
|6||{{0}}9分58秒81||[[瀬川帆夏]]||[[大東文化大学]]||[[2016年]][[5月8日]]
|-
|7||{{0}}9分58秒98||[[森智香子]]||[[大東文化大学]]||[[2014年]][[5月24日]]
|-
|8||{{0}}9分59秒17||[[岡田佳子]]||[[松山大学]]||[[2016年]][[9月4日]]
|-
|9||{{0}}9分59秒35||[[出水田眞紀]]||[[立教大学]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|10||10分00秒40||[[向井智香]]||[[名城大学]]||[[2016年]][[5月1日]]
|-
|}
=== 日本人学生歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分09秒91||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2023年]][[6月9日]]
|-
|2||8分25秒8{{0}}||[[新宅雅也]]||[[日本体育大学]]||[[1979年]][[10月28日]]
|-
|3||8分26秒77||[[岩水嘉孝]]||[[順天堂大学]]||[[2001年]][[6月9日]]
|-
|4||8分27秒80||[[小原響]]||[[青山学院大学]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|5||8分28秒16||[[菖蒲敦司]]||[[早稲田大学]]||[[2023年]][[6月2日]]
|-
|6||8分29秒14||[[塩尻和也]]||[[順天堂大学]]||[[2018年]][[6月24日]]
|-
|7||8分29秒85||[[阪口竜平]]||[[東海大学]]||[[2019年]][[6月29日]]
|-
|8||8分31秒27||[[愛敬重之]]||[[中京大学]]||[[1983年]][[8月9日]]
|-
|9||8分32秒51||[[青木涼真]]||[[法政大学]]||[[2019年]][[7月17日]]
|-
|10||8分32秒89||[[潰滝大記]]||[[中央学院大学]]||[[2015年]][[6月26日]]
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分09秒92||[[三浦龍司]]||[[順天堂大学]]||[[2021年]][[7月30日]]
|-
|2||8分31秒27||[[愛敬重之]]||[[中京大学]]||[[1983年]][[8月9日]]
|-
|3
|8分32秒12
|[[永原颯磨]]
|[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高校]]
|[[2023年]][[8月6日]]
|-
|4||8分37秒25||[[黒田朝日]]||[[青山学院大学]]||[[2023年]][[5月21日]]
|-
|5||8分39秒19||[[服部壮馬]]||[[順天堂大学]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|6
|8分40秒71
|[[黒田然]]
|[[岡山県立玉野光南高等学校]]
|[[2023年]][[8月6日]]
|-
|7||8分41秒64||[[村尾雄己]]||[[順天堂大学]]||[[2022年]][[7月16日]]
|-
|8||8分41秒73||[[山本豪]]||[[日本大学]]||[[1992年]][[9月20日]]
|-
|9||8分41秒91||[[池田義幸]]||[[専修大学]]||[[1992年]][[9月18日]]
|-
|10||8分42秒74||[[中島阿廉]]||[[黒崎播磨]]||[[2021年]][[6月26日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||{{0}}9分49秒30||[[吉村玲美]]||[[大東文化大学]]||[[2019年]][[7月17日]]
|-
|2||{{0}}9分53秒72||[[高見澤安珠]]||[[松山大学]]||[[2015年]][[9月13日]]
|-
|3||{{0}}9分59秒17||[[岡田佳子]]||[[松山大学]]||[[2016年]][[9月4日]]
|-
|4||10分00秒40||[[向井智香]]||[[名城大学]]||[[2016年]][[5月1日]]
|-
|5||10分00秒49||[[西山未奈美]]||[[松山大学]]||[[2018年]][[7月13日]]
|-
|6||10分05秒33||[[宮内志佳]]||[[日本体育大学]]||[[2021年]][[9月19日]]
|-
|7||10分05秒52||[[清水萌衣乃]]||[[東京農業大学]]||[[2016年]][[9月4日]]
|-
|8||10分06秒33||[[山中柚乃]]||[[愛媛銀行]]||[[2019年]][[7月22日]]
|-
|9||10分07秒79||[[高柳恵]]||[[松山大学]]||[[2011年]][[9月11日]]
|-
|10||10分08秒92||[[柴田佑希]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2016年]][[5月1日]]
|}
=== U18日本最高記録 ===
*樹立年の12月31日時点で年齢が18歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|8分39秒37||[[三浦龍司]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[6月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|10分08秒92||[[柴田佑希]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2016年]][[5月1日]]
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分32秒12||[[永原颯磨]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[8月6日]]
|-
|2||8分39秒37||[[三浦龍司]]||[[洛南高等学校]]||[[2019年]][[6月27日]]
|-
|3||8分39秒79||[[黒田朝日]]||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|4||8分40秒71||[[黒田然]]||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2023年]][[8月6日]]
|-
|5||8分44秒77||[[櫛部静二]]||[[宇部鴻城高等学校]]||[[1989年]][[9月16日]]
|-
|6||8分45秒47||[[遠藤大成]]||[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]||[[2023年]][[8月6日]]
|-
|7||8分45秒66||[[塩尻和也]]||[[群馬県立伊勢崎清明高等学校]]||[[2014年]][[7月27日]]
|-
|8||8分46秒85||[[辻本桜寿]]||[[浜松開誠館中学校・高等学校|浜松開誠館高等学校]]||[[2023年]][[8月6日]]
|-
|9||8分46秒86||[[井中将貴]]||[[米子松蔭高等学校|米子商業高等学校]]||[[1998年]][[10月1日]]
|-
|10||8分47秒81||[[高橋尚孝 (陸上選手)|高橋尚孝]]||[[松戸市立松戸高等学校]]||[[1994年]][[11月1日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||10分07秒48||[[吉村玲美]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2018年]][[6月23日]]
|-
|2||10分08秒92||[[柴田佑希]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2016年]][[5月1日]]
|-
|3||10分15秒07||[[野末侑花]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2018年]][[4月21日]]
|-
|4||10分19秒73||[[丹羽七海]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2012年]][[8月26日]]
|-
|5|||10分20秒57||[[佐藤美杏樹]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2012年]][[8月26日]]
|-
|6|||10分25秒14||[[白川朝陽]]||[[大阪府立大塚高等学校]]||[[2022年]][[6月25日]]
|-
|7|||10分25秒25||[[西山未奈美]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|-
|8||10分27秒81||[[清水萌衣乃]]||[[神奈川県立逗子高等学校]]||[[2014年]][[11月1日]]
|-
|9||10分30秒08||[[尾崎聡美]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2011年]][[8月20日]]
|-
|10||10分30秒60||[[中本香]]||[[兵庫県立宝塚高等学校]]||[[2019年]][[9月8日]]
|}
=== 高校学年別歴代記録 ===
*2002年より[[日本国籍]]のない高校生の記録は日本高校国内国際記録とされた。
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校国内国際歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分19秒21||[[ダニエル・ジェンガ]]||[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高等学校]]||[[1994年]][[6月21日]]
|-
|2||8分21秒30||[[フィレモン・キプラガット]]||[[倉敷高等学校]]||[[2017年]][[8月2日]]
|-
|3||8分35秒08||[[サムエル・キバティ]]||[[倉敷高等学校]]||[[2022年]][[5月28日]]
|-
|4||8分36秒49||[[ルカ・ムセンビ]]||[[仙台育英学園高等学校]]||[[2017年]][[8月2日]]
|-
|5||8分42秒27||[[チェボティビン・エゼキエル]]||[[福岡第一高等学校]]||[[2009年]][[8月2日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||9分02秒82||[[辻本桜寿]]||[[浜松開誠館中学校・高等学校|浜松開誠館高等学校]]||[[2021年]][[10月30日]]
|-
|2||9分05秒47||[[大山憲明]]||[[大牟田高等学校]]||[[2011年]][[8月7日]]
|-
|3||9分08秒70||[[大竹実吹]]||[[東京農業大学第二高校]]||[[2023年]][[6月19日]]
|-
|4||9分10秒78||[[三浦龍司]]||[[洛南高等学校]]||[[2017年]][[9月15日]]
|-
|5||9分12秒06||[[長谷川大翔]]||[[須磨学園中学校・高等学校|須磨学園高等学校]]||[[2022年]][[9月16日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||10分56秒84||[[長峯野々花]]||[[三浦学苑高等学校]]||[[2019年]][[3月30日]]
|-
|2||10分57秒14||[[冨田紗帆]]||[[川口市立高等学校]]||[[2022年]][[8月20日]]
|-
|3||11分01秒64||[[白川朝陽]]||[[大阪府立大塚高等学校]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|4||11分16秒98||[[中野公美子]]||[[三浦学苑高等学校]]||[[2016年]][[3月26日]]
|-
|5||11分17秒07||[[小林里沙子]]||[[兵庫県立須磨友が丘高等学校]]||[[2011年]][[6月25日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||8分46秒56||[[三浦龍司]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2018年]][[9月14日]]
|-
|2||8分49秒32||[[辻本桜寿]]||[[浜松開誠館中学校・高等学校|浜松開誠館高等学校]]||[[2022年]][[10月29日]]
|-
|3||8分51秒21||[[永原颯磨]]||[[佐久長聖高等学校]]||[[2022年]][[4月30日]]
|-
|4||8分52秒41||[[土橋啓太]]||[[大牟田高等学校]]||[[2001年]][[10月16日]]
|-
|5||8分53秒74||[[網岡昌隆]]||[[広島県立広島井口高等学校]]||[[2000年]][[10月17日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||10分19秒73||[[丹羽七海]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2012年]][[8月26日]]
|-
|2|||10分25秒14||[[白川朝陽]]||[[大阪府立大塚高等学校]]||[[2022年]][[6月25日]]
|-
|3||10分34秒85||[[清水萌衣乃]]||[[神奈川県立逗子高等学校]]||[[2013年]][[8月25日]]
|-
|4||10分37秒46||[[佐藤美杏樹]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2011年]][[8月20日]]
|-
|5||10分39秒67||[[瀬畠愛美]]||[[夙川中学校・高等学校|夙川学院高等学校]]||[[2006年]][[10月22日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|8分32秒12
|[[永原颯磨]]
|[[佐久長聖中学校・高等学校|佐久長聖高等学校]]
|[[2023年]][[8月6日]]
|-
|2
|8分39秒37
|[[三浦龍司]]||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[6月27日]]
|-
|3||8分39秒79||[[黒田朝日]]||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|4
|8分40秒71
|[[黒田然]]
|[[岡山県立玉野光南高等学校]]
|[[2023年]][[8月6日]]
|-
|5||8分44秒77||[[櫛部静二]]||[[宇部鴻城高等学校]]||[[1989年]][[9月16日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||10分07秒48||[[吉村玲美]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2018年]][[6月23日]]
|-
|2||10分08秒92||[[柴田佑希]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2016年]][[5月1日]]
|-
|3||10分15秒07||[[野末侑花]]||[[北九州市立高等学校]]||[[2018年]][[4月21日]]
|-
|4||10分20秒57||[[佐藤美杏樹]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2012年]][[8月26日]]
|-
|5||10分25秒25||[[西山未奈美]]||[[白鵬女子高等学校]]||[[2017年]][[6月25日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|2021||[[2020年東京オリンピック|第32回オリンピック競技大会(東京)]]||{{JPN}}||[[三浦龍司]]||7位||8分16秒90
|-
|2023||[[2023年世界陸上競技選手権大会|第19回世界陸上競技選手権大会(ブダペスト)]]||{{HUN}}||[[三浦龍司]]||6位||8分13秒70
|}
*2021年東京オリンピックで[[三浦龍司]]が7位入賞を果たし、この種目で日本人男子選手最初の入賞者となった。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://www.iaaf.org/ 国際陸上競技連盟](IAAF)
* [http://www.jaaf.or.jp/ 日本陸上競技連盟](JAAF)
* [http://www.mastersathletics.net マスターズ陸上競技]
{{陸上競技}}
{{デフォルトソート:3000めえとるしようかい}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-14T10:01:42Z
|
2023-09-17T06:00:01Z
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[
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"Template:AUS",
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/3000%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E9%9A%9C%E5%AE%B3
|
11,405 |
400メートルハードル
|
400メートルハードル(英語: 400 metres hurdles)は、10台のハードルを跳び越えながら400メートルを走るタイムを競う陸上競技。オリンピック、世界陸上競技選手権大会の実施種目であり、ワールドアスレティックス(WA)、日本陸上競技連盟(JAAF)の指定種目である。しかし、中学生の指定種目ではないので、中学生の競技会では実施されない。略してヨンパーとも呼ばれる。
ただし、7位の岡田時人に関しては、ハードルの高さが0.762m(女子400mHの高さ)である。
|
[
{
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"text": "400メートルハードル(英語: 400 metres hurdles)は、10台のハードルを跳び越えながら400メートルを走るタイムを競う陸上競技。オリンピック、世界陸上競技選手権大会の実施種目であり、ワールドアスレティックス(WA)、日本陸上競技連盟(JAAF)の指定種目である。しかし、中学生の指定種目ではないので、中学生の競技会では実施されない。略してヨンパーとも呼ばれる。",
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"text": "ただし、7位の岡田時人に関しては、ハードルの高さが0.762m(女子400mHの高さ)である。",
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400メートルハードルは、10台のハードルを跳び越えながら400メートルを走るタイムを競う陸上競技。オリンピック、世界陸上競技選手権大会の実施種目であり、ワールドアスレティックス(WA)、日本陸上競技連盟(JAAF)の指定種目である。しかし、中学生の指定種目ではないので、中学生の競技会では実施されない。略してヨンパーとも呼ばれる。
|
{{出典の明記|date=2021-08-25}}
'''400メートルハードル'''({{lang-en|400 metres hurdles}})は、10台の[[ハードル]]を跳び越えながら400[[メートル]]を走るタイムを競う[[陸上競技]]。[[近代オリンピック|オリンピック]]、[[世界陸上競技選手権大会]]の実施種目であり、[[ワールドアスレティックス]](WA)、[[日本陸上競技連盟]](JAAF)の指定種目である。しかし、中学生の指定種目ではないので、中学生の競技会では実施されない。略して'''ヨンパー'''とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20210626113716/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021062600488&g=spo |title=黒川、最強「ヨンパー」証明 攻めの走りで激戦制す―陸上日本選手権 |publisher=時事ドットコム |date=2021-06-26 |accessdate=2021-08-03}}</ref>。
== 概要 ==
*最初のハードルまでの距離は45.0メートル。そこから35.0メートル間隔で10台設置されていて、最後のハードルからゴールまでは40.0メートルである。ハードルの高さは、男子が91.4[[センチメートル|cm]](=3[[フィート|ft]])、女子が76.2cm(=2ft6[[インチ|in]])。18歳未満の競技者が対象であるIAAF世界ユース陸上競技選手権では男子84.0cmの高さで実施されている。(高校生も含め、日本の大会では全て通常規定通りのハードル高)
*110メートル(100メートル)ハードルと異なる特徴として、「後半の速度低下にともなってハードル間の歩数が増えること」およびそれに付随して「前に振り上げる足と後ろで踏み切る足の左右を途中で入れ替える」という点が挙げられる(後者は'''逆足(ぎゃくあし)'''と呼ばれる)。同じ足でしか踏み切り・振り上げができないと、ハードル間の歩数調整が2歩ずつ単位となってしまい、中盤以降のハードリングで詰まりや間延びを起こして失速の原因になりやすい。逆足でのハードリングを習得することによってこれを1歩ずつ刻みで可能にし、急激な速度低下を防ぐのが狙いである。トップレベルの選手のハードル間歩数は男子で13歩~15歩、女子で15~17歩前後である。
*夏季オリンピックにおいて本競技は男子は[[1900年パリオリンピック]]からの正式種目であるが、女子の正式種目となったのは[[1984年ロサンゼルスオリンピック]]からと遅いものであった。
*世界的には男子は北アメリカやアフリカ勢を中心としたアフリカ系選手がオリンピックや世界選手権で上位を占めることが多く、欧州勢がそれを追う展開となっている。女子では男子同様にアメリカやジャマイカを中心としたアフリカ系選手がオリンピックや世界選手権で上位を占めることが多いが、欧州(主に東欧出身)の選手もほぼ拮抗した成績を残している。この種目においてアジアの選手は8位以内入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、少数ながら上位入賞を果たした選手もいる。
*1990年代後半〜2000年代前半までは、男子トラックの個人種目の中では日本が最も世界のトップレベルの選手と戦えた種目で、[[山崎一彦]]が[[1995年世界陸上競技選手権大会|世界陸上イエテボリ大会(1995年)]]で7位入賞を果たし、[[為末大]]が[[2001年世界陸上競技選手権大会|エドモントン大会(2001年)]]、[[2005年世界陸上競技選手権大会|ヘルシンキ大会(2005年)]]で2度[[銅メダル]]を獲得する快挙を達成。当時は世界的な大会で上位入賞も比較的見られ、有望選手も多かった。しかし、近年は為末の後継と目されていた期待の[[成迫健児]]らが伸び悩み、その後に続く選手も少なく、以前と比べ世界との差が開きつつあるのが現状である。
*[[ケビン・ヤング]]の世界記録46秒78以降、彼の記録更新はおろか46秒台すらマークされる事はなかった。しかし2018年に[[アブデラマン・サンバ]]が46秒98を記録してから、46秒台の記録が立て続けに輩出されることになる。2021年7月には遂に[[カールステン・ワーホルム]]が46秒70と世界記録を29年振りに更新し、さらに一ヶ月後の[[2020年東京オリンピックの陸上競技|東京五輪]]の決勝ではそれをさらに0.76秒短縮する45秒94という驚異的なタイムを叩き出す。なお同レースでは、2位3位の選手の記録もそれぞれ46秒17、46秒72という五輪記録(46秒78)を上回る好記録であった。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||45秒94||[[カールステン・ワーホルム]]||{{NOR}}||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|2||46秒17||[[ライ・ベンジャミン]]||{{USA}}||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|3||46秒29||{{仮リンク|アリソン・ドス・サントス|en|Alison dos Santos}}||{{BRA}}||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|4||46秒78||[[ケビン・ヤング]]||{{USA}}||[[1992年]][[8月6日]]
|-
|5||46秒98||[[アブデラマン・サンバ]]||{{QAT}}||[[2018年]][[6月30日]]
|-
|6||47秒02||[[エドウィン・モーゼス]]||{{USA}}||[[1983年]][[8月31日]]
|-
|7||47秒03||{{仮リンク|ブライアン・ブロンソン|en|Bryan_Bronson}}||{{USA}}||[[1998年]][[6月21日]]
|-
|8||47秒08||[[カイロン・マクマスター]]||{{VGB}}||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|9||47秒10||[[サミュエル・マテテ]]||{{ZAM}}||[[1991年]][[8月7日]]
|-
|10||47秒19||[[アンドレ・フィリップス]]||{{USA}}||[[1988年]][[9月25日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||50秒68||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[2022年]][[7月22日]]
|-
|2||51秒45||{{仮リンク|フェムケ・ボル|en|Femke Bol}}||{{NED}}||[[2021年|2023年]][[8月4日|7月23日]]
|-
|3||51秒58||[[ダリラ・ムハンマド]]||{{USA}}||[[2019年|2021年]][[8月4日]]
|-
|4||52秒34||[[ユリア・ペチョンキナ]]||{{RUS}}||[[2003年]][[8月8日]]
|-
|5||52秒39||{{仮リンク|シャミアー・リトル|en|Shamier Little}}||{{USA}}||[[2021年]][[7月4日]]
|-
|6||52秒42||[[メレーン・ウォーカー]]||{{JAM}}||[[2009年]][[8月20日]]
|-
|7||52秒47||[[ラシンダ・ディーマス|ラシンダ・デムス]]||{{USA}}||[[2011年]][[9月1日]]
|-
|8||52秒61||[[キム・バッテン]]||{{USA}}||[[1995年]][[8月11日]]
|-
|9||52秒62||[[トーニャ・ビュフォード=ベイリー]]||{{USA}}||[[1995年]][[8月11日]]
|-
|10||52秒70||[[ナタリア・アントユフ]]||{{RUS}}||[[2012年]][[8月8日]]
|-
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||47秒10||[[サミュエル・マテテ]]||{{ZAM}}||[[チューリッヒ]]||[[1991年]][[8月7日]]
|-
|[[アジア]]||46秒98||[[アブデラマン・サンバ]]||{{QAT}}||[[パリ]]||[[2018年]][[6月30日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||45秒94||[[カールステン・ワーホルム]]||{{NOR}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|[[北アメリカ]]||46秒17||[[ライ・ベンジャミン]]||{{USA}}||[[東京]]||[[2021年]][[8月3日]]
|-
|[[南アメリカ]]||46秒29||[[アリソン・ドス・サントス]]||{{BRA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|[[オセアニア]]||48秒28||[[ローハン・ロビンソン]]||{{AUS}}||[[アトランタ]]||[[1996年]][[7月31日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||52秒90||[[ネザ・ビドゥアン]]||{{MAR}}||[[セビリア]]||[[1999年]][[8月25日]]
|-
|[[アジア]]
|53秒09||[[ケミ・アデコヤ]]||{{BHR}}||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月24日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||51秒45||[[フェムケ・ボル]]||{{NED}}||[[東京|ロンドン]]||[[2021年|2023年]][[8月4日|7月23日]]
|-
|[[北アメリカ]]||50秒68||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月22日]]
|-
|[[南アメリカ]]||53秒69||[[ヒアンナ・ウォードルフ]]||{{PAN}}||[[ユージーン]]||[[2022年]][[7月20日]]
|-
|[[オセアニア]]||53秒17||Debbie Flintoff-King||{{AUS}}||[[ソウル特別市|ソウル]]||[[1988年]][[9月26日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|47秒34
|[[Roshawn CLARKE]]
|{{JAM}}
|[[2023年]][[8月21日]]
|-
|2||47秒85||[[シーン・バレル]]||{{USA}}||[[2021年]][[6月11日]]
|-
|3||48秒02||[[ダニー・ハリス]]||{{USA}}||[[1984年]][[6月17日]]
|-
|4||48秒26||[[ジェヒュー・ゴードン]]||{{TRI}}||[[2009年]][[8月18日]]
|-
|5||48秒28||[[アリソン・ドス・サントス]]||{{BRA}}||[[2019年]][[9月30日]]
|-
|6
|48秒42
|[[エゼキエル・ナサニエル]]
|{{NGR}}
|[[2022年]][[5月15日]]
|-
|7||48秒51||[[カーロン・クレメント]]||{{USA}}||[[2004年]][[7月16日]]
|-
|8||48秒52||[[ジョニー・ダッチ]]||{{USA}}||[[2008年]][[6月29日]]
|-
|9||48秒62||[[ブランドン・ジョンソン]]||{{USA}}||[[2004年]][[7月16日]]
|-
| rowspan="2" |10.|| rowspan="2" |48秒68||[[バヤノ・カマニ]]||{{USA}}||[[1999年]][[6月4日]]
|-
|[[ジェシュア・アンダーソン]]||{{USA}}||[[2008年]][[7月11日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||52秒75||[[シドニー・マクラフリン]]||{{USA}}||[[2018年]][[5月13日]]
|-
|2||54秒40||[[王星]]||{{CHN}}||[[2005年]][[10月21日]]
|-
|3||54秒58||[[Ristananna Tracey]]||{{JAM}}||[[2011年]][[6月24日]]
|-
|4||54秒70||[[ラシンダ・デムス]]||{{USA}}||[[2002年]][[7月19日]]
|-
|5||54秒93||Li Rui||{{CHN}}||[[1997年]][[10月22日]]
|-
|6||55秒05||[[ゼニー・ファンデルウォルト]]||{{RSA}}||[[2018年]][[5月17日]]
|-
|7||55秒07||シャミール・リトル||{{USA}}||[[2014年]][[6月13日]]
|-
|8||55秒11||[[カリース・スペンサー]]||{{JAM}}||[[2006年]][[8月17日]]
|-
|9||55秒15||黄瀟瀟||{{CHN}}||[[2001年]][[11月22日]]
|-
|10||55秒20||[[レスリー・マキシー]]||{{USA}}||[[1984年]][[6月6日]]
|-
|10||55秒20||[[ヤナ・ピットマン]]||{{AUS}}||[[2000年]][[3月18日]]
|-
|10||55秒20||[[アンナ・コックレル]]||{{USA}}||[[2016年]][[7月22日]]
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||46秒98||[[アブデラマン・サンバ]]||{{QAT}}||[[2018年]][[6月30日]]
|-
|2||47秒53||[[ハディ・スーアン・アル・ソマイリ]]||{{SAU}}||[[2000年]][[9月27日]]
|-
|3||47秒89||[[為末大]]||{{JPN}}||[[2001年]][[8月10日]]
|-
|4||47秒93||[[成迫健児]]||{{JPN}}||[[2006年]][[5月6日]]
|-
|5||48秒17||Mubarak Faraj Al-Nubi||{{QAT}}||[[1998年]][[9月11日]]
|-
|6||48秒26||[[山崎一彦]]||{{JPN}}||[[1999年]][[5月8日]]
|-
|7||48秒34||[[苅部俊二]]||{{JPN}}||[[1997年]][[10月5日]]
|-
|8||48秒41||[[岸本鷹幸]]||{{JPN}}||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|9||48秒46||Yevgeniy Meleshenko||{{KAZ}}||[[2001年]][[8月31日]]
|-
|10||48秒47||[[豊田兼]]||{{JPN}}||[[2023年]][[10月1日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||53秒39||[[ケミ・アデコヤ]]||{{BHR}}||[[2023年]][[8月22日]]
|-
| rowspan="2" |2|| rowspan="2" |53秒96||[[韓青]]||{{CHN}}||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|[[宋英蘭]]||{{CHN}}||[[2001年]][[11月22日]]
|-
|4||54秒00||黄瀟瀟||{{CHN}}||[[2007年]][[8月28日]]
|-
|5||54秒34||Tatyana Pavlova||{{UZB}}||[[1985年]][[8月2日]]
|-
|6||54秒40||[[王星]]||{{CHN}}||[[2005年]][[10月21日]]
|-
|7||54秒47||Guo Yue||{{CHN}}||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|8||54秒50||Natalya Alimzhanova||{{KAZ}}||[[2000年]][[5月27日]]
|-
|9||54秒52||Ling Xueyan||{{CHN}}||[[1993年]][[9月9日]]
|-
|10||54秒78||Tatyana Azarova||{{KAZ}}||[[2007年]][[5月11日]]
|}
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||47秒89||[[為末大]]||[[法政大学]]||[[エドモントン]]||[[2001年]][[8月10日]]
|-
|2||47秒93||[[成迫健児]]||[[筑波大学]]||[[大阪]]||[[2006年]][[5月6日]]
|-
|3||48秒26||[[山崎一彦]]||[[デサント]]TC||[[大阪]]||[[1999年]][[5月8日]]
|-
|4||48秒34||[[苅部俊二]]||[[富士通]]||[[東京]]||[[1997年]][[10月5日]]
|-
|5||48秒41||[[岸本鷹幸]]||[[法政大学]]||[[大阪]]||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|6
|48秒47
|[[豊田兼]]
|[[慶應義塾大学]]
|[[新潟]]
|[[2023年]][[10月1日]]
|-
|7
|48秒58
||[[黒川和樹]]||[[法政大学]]||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月21日]]
|-
|8||48秒62||[[野澤啓佑]]||[[ミズノ]]||[[リオデジャネイロ]]||[[2016年]][[8月15日]]
|-
|9||48秒64||[[斎藤嘉彦]]||綜合ガード||[[熊本]]||[[1998年]][[10月4日]]
|-
|10||48秒65||[[千葉佳裕]]||[[順天堂大学]]||[[横浜市|横浜]]||[[2001年]][[5月20日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||55秒34||[[久保倉里美]]||[[新潟アルビレックスランニングクラブ|新潟アルビレックス]]||[[大阪]]||[[2011年]][[6月26日]]
|-
|2||55秒89||[[吉田真希子 (陸上選手)|吉田真希子]]||FSGカレッジリーグ||[[横浜市|横浜]]||[[2003年]][[6月8日]]
|-
|3||55秒94||[[青木沙弥佳]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[大分]]||[[2008年]][[10月4日]]
|-
|4||55秒99||[[田子雅]]||[[中央大学]]||[[大阪]]||[[2010年]][[5月8日]]
|-
|5||56秒06||[[山本亜美]]||[[立命館大学]]||[[大阪]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
|6||56秒21||[[米田知美]]||[[中央大学]]||||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|rowspan=2|7
|rowspan=2|56秒50||[[イブラヒム愛紗]]||[[札幌国際大学]]||[[新潟市|新潟]]||[[2020年]][[10月3日]]
|-
||[[宇都宮絵莉]]||[[長谷川体育施設]]||[[東京]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|9||56秒63||[[吉良愛美]]||[[アットホーム]]||[[大阪]]||[[2014年]][[5月11日]]
|-
|10||56秒75||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学]]||[[川崎]]||[[2016年]][[5月8日]]
|-
|}
== 学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||47秒89||[[為末大]]||[[法政大学]]||[[2001年]][[8月10日]]
|-
|2||47秒93||[[成迫健児]]||[[筑波大学]]||[[2006年]][[5月6日]]
|-
|3||48秒41||[[岸本鷹幸]]||[[法政大学]]||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|4
|48秒47
|[[豊田兼]]||[[慶應義塾大学]]||[[2023年]][[10月1日]]
|-
|5||48秒58||[[黒川和樹]]||[[法政大学]]||[[2023年]][[8月21日]]
|-
|6||48秒65||[[千葉佳裕]]||[[順天堂大学]]||[[2001年]][[5月20日]]
|-
|7||48秒68||[[斎藤嘉彦]]||[[法政大学]]||[[1993年]][[6月12日]]
|-
|8||48秒84||[[山内大夢]]||[[早稲田大学]]||[[2021年]][[5月9日]]
|-
|9||48秒91||小川大輝||[[東洋大学]]||[[2023年]][[9月17日]]
|-
|10||48秒95||庄形和也||[[筑波大学]]||[[2005年]][[9月19日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||55秒94||[[青木沙弥佳]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[2008年]][[10月4日]]
|-
|2||55秒99||田子雅||[[中央大学]]||[[2010年]][[5月8日]]
|-
|3||56秒06||山本亜美||[[立命館大学]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
|4||56秒21||米田知美||[[中央大学]]||[[2012年]][[6月9日]]
|-
|5||56秒50||イブラヒム愛紗||[[札幌国際大学]]||[[2020年]][[10月3日]]
|-
|6||56秒73||[[久保倉里美]]||[[福島大学陸上競技部|福島大学]]||[[2004年]][[10月3日]]
|-
|7||56秒75||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学]]||[[2016年]][[5月8日]]
|-
|8||56秒79||梅原紗月||[[立命館大学]]||[[2016年]][[9月4日]]
|-
|9||56秒92||[[三木汐莉]]||[[東大阪大学]]||[[2011年]][[6月12日]]
|-
|10||56秒96||関本萌香||[[早稲田大学]]||[[2020年]][[7月26日]]
|-
|}
== U20日本歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満である選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||49秒09||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|2||49秒10||[[斎藤嘉彦]]||[[法政大学]]||[[1991年]][[10月17日]]
|-
|3||49秒19||[[黒川和樹]]||[[法政大学]]||[[2020年]][[9月13日]]
|-
|4||49秒46||[[安部孝駿]]||[[中京大学]]||[[2010年]][[7月23日]]
|-
|5||49秒75||吉田良一||[[順天堂大学]]||[[1984年]][[10月20日]]
|-
|6||49秒86||[[岸本鷹幸]]||[[法政大学]]||[[2009年]][[10月18日]]
|-
| rowspan="2" |7|| rowspan="2" |49秒90||出口晴翔||[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高等学校]]||[[2019年]][[10月20日]]
|-
|紺野稜真||[[筑波大学]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|9||49秒93||[[垣守博]]||[[中央大学]]||[[1987年]][[6月7日]]
|-
|10||49秒96||渡部佳朗||[[城西大学]]||[[2016年]][[5月22日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||56秒75||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学]]||[[2016年]][[5月8日]]
|-
|2||56秒90||[[瀧野未来]]||[[京都橘中学校・高等学校|京都橘高等学校]]||[[2023年]][[10月1日]]
|-
|3||57秒04||山本亜美||[[立命館大学]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|4||57秒35||[[三木汐莉]]||[[東大阪大学]]||[[2010年]][[7月24日]]
|-
|5
|57秒57
|松岡萌絵
|[[中央大学]]
|[[2022年]][[6月12日]]
|-
|6||57秒65||山形依希子||[[福井県立敦賀高等学校]]||[[1992年]][[6月13日]]
|-
| rowspan="2" |7|| rowspan="2" |57秒73||関本萌香||[[早稲田大学]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|大野瑞奈||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|9||57秒85||津川瑠衣||[[早稲田大学]]||[[2020年]][[8月15日]]
|-
|10||57秒87||小山佳奈||[[早稲田大学]]||[[2017年]][[6月24日]]
|-
|}
== 高校歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||49秒09||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|2||49秒90||出口晴翔||[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高等学校]]||[[2019年]][[10月20日]]
|-
|3||50秒01||稲垣誠司||[[広島県立西条農業高等学校]]||[[1991年]][[10月14日]]
|-
|4||50秒03||[[垣守博]]||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1985年]][[8月31日]]
|-
|5||50秒11||[[安部孝駿]]||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2009年]][[10月3日]]
|-
|6
|50秒14
|下田隼人
|[[豊川高等学校]]
|[[2023年]][[8月4日]]
|-
|7||50秒16||豊田将樹||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2015年]][[10月18日]]
|-
|8||50秒17||[[岸本鷹幸]]||[[青森県立大湊高等学校]]||[[2008年]][[10月5日]]
|-
|9||50秒17||[[紺野稜真]]||[[九里学園高等学校]]||[[2022年]][[6月11日]]
|-
|10||50秒27||高田一就||[[法政大学第二中・高等学校|法政第二高等学校]]||[[2015年]][[7月31日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||56秒90||[[瀧野未来]]||[[京都橘中学校・高等学校]]||[[2023年]][[10月1日]]
|-
|2||57秒09||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[7月31日]]
|-
|3||57秒43||山本亜美||[[京都橘中学校・高等学校|京都橘高等学校]]||[[2020年]][[10月3日]]
|-
|4||57秒65||山形依希子||[[福井県立敦賀高等学校]]||[[1992年]][[6月13日]]
|-
|5||57秒73||大野瑞奈||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|6
|57秒85
|千葉史織
|[[宮城県仙台第一高等学校]]
|[[2023年]][[8月4日]]
|-
|7||57秒90||江口幸子||[[横浜雙葉高等学校]]||[[2001年]][[6月10日]]
|-
|8
|57秒98
|タネル舞璃乃
|[[埼玉栄高等学校]]
|[[2021年]][[7月31日]]
|-
|9
|58秒01
|河内瀬桜
|[[東大阪大学敬愛高等学校]]
|[[2021年]][[7月18日]]
|-
|10||58秒03||小山佳奈||[[川崎市立橘高等学校]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|}
=== 高校学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||51秒32||高橋遼将||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|2||52秒26||加藤誠也||[[埼玉県立松山高等学校]]||[[2008年]][[7月31日]]
|-
|3||52秒40||成瀬元気||[[明徳学園相洋高等学校]]||[[2009年]][[10月18日]]
|-
|4||52秒56||出口晴翔||[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高等学校]]||[[2017年]][[7月31日]]
|-
|5||52秒91||有阪朋貴||[[新島学園高等学校]]||[[2015年]][[10月11日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||59秒17||村上夏美||[[成田高等学校・付属中学校|成田高等学校]]||[[2015年]][[10月18日]]
|-
|2||60秒09||村上瑞季||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[3月30日]]
|-
|3
|60秒25
|岸本礼菜
|[[大阪府立咲くやこの花中学校・高等学校]]
|[[2022年]][[6月18日]]
|-
|4||60秒26||津川瑠衣||[[八王子学園八王子高等学校・中学校|八王子学園八王子高等学校]]||[[2017年]][[9月3日]]
|-
|5||60秒40||東田望||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1988年]][[9月9日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||50秒71||岩瀧佑貴||[[福岡県立修猷館高等学校]]||[[2003年]][[10月26日]]
|-
|2||50秒73||高橋遼将||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2020年]][[7月24日]]
|-
|3||50秒76||松本岳大||[[兵庫県立加古川東高等学校]]||[[2011年]][[10月8日]]
|-
|4
|50秒89
|渕上翔太
|[[東福岡高等学校]]
|[[2022年]][[8月5日]]
|-
|5||50秒92||山本厚||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1987年]][[10月27日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||57秒77||山本亜美||[[京都橘中学校・高等学校|京都橘高等学校]]||[[2019年]][[10月5日]]
|-
|2||58秒43||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2014年]][[6月21日]]
|-
|3||58秒49||[[三木汐莉]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2008年]][[10月19日]]
|-
|4
|58秒54
|瀧野未来
|[[京都橘高等学校]]
|[[2022年]][[8月5日]]
|-
|5||58秒64||水口萌||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2019年]][[6月15日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||49秒09||[[為末大]]||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[1996年]][[10月14日]]
|-
|2||49秒90||出口晴翔||[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高等学校]]||[[2019年]][[10月20日]]
|-
|3||50秒01||稲垣誠司||[[広島県立西条農業高等学校]]||[[1991年]][[10月14日]]
|-
|4||50秒03||[[垣守博]]||[[奈良県立添上高等学校]]||[[1985年]][[8月31日]]
|-
|5||50秒11||[[安部孝駿]]||[[岡山県立玉野光南高等学校]]||[[2009年]][[10月3日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 女子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||57秒09||[[石塚晴子]]||[[東大阪大学敬愛高等学校]]||[[2015年]][[7月31日]]
|-
|2||57秒43||山本亜美||[[京都橘中学校・高等学校|京都橘高等学校]]||[[2020年]][[10月3日]]
|-
|3||57秒45||瀧野未来||[[京都橘中学校・高等学校|京都橘高等学校]]||[[2023年]][[8月4日]]
|-
|4||57秒65||山形依希子||[[福井県立敦賀高等学校]]||[[1992年]][[6月13日]]
|-
|5||57秒73||大野瑞奈||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|}
== 中学歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+ 男子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||53秒9||足立俊治||[[丹波市立柏原中学校]]||[[1990年]][[10月13日]]
|-
|2||57秒85||山田渉太||袋井市立袋井南中学校||[[2002年]][[10月13日]]
|-
|3||58秒29||松井聰||函館市立潮光中学校||[[2018年]][[9月30日]]
|-
|4||58秒98||峯正隆||[[茨城県立古河中等教育学校]]||[[2016年]][[10月1日]]
|-
|5||59秒02||加藤慶彦||[[札幌市立北野台中学校]]||[[2009年]][[10月10日]]
|-
|6||59秒25||モーゼス未来||[[尼崎市立小田北中学校]]||[[2001年]][[9月8日]]
|-
|7||59秒59||岡田時人||八王子市立八王子第四中学校||[[2018年]][[8月5日]]
|-
|8||59秒87||水口海||[[札幌市立青葉中学校]]||[[2016年]][[9月25日]]
|-
|9||60秒02||西藪優一||[[東大寺学園中学校・高等学校|東大寺学園中学校]]||[[2016年]][[11月6日]]
|-
|10||60秒20||茂呂碧斗||[[茨城県立古河中等教育学校]]||[[2016年]][[10月1日]]
|-
|}
ただし、7位の岡田時人に関しては、ハードルの高さが0.762m(女子400mHの高さ)である。
{| class="wikitable"
|+ 女子
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||63秒10||平河香||田原本町立田原本中学校||[[1996年]][[9月8日]]
|-
|2||63秒24||東田望||大和郡山市立郡山南中学校||[[1987年]][[5月2日]]
|-
|3||63秒51||出水楓||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教中学校]]||[[2012年]][[9月2日]]
|-
|4||65秒10||原田紗斗子||[[周南市立鹿野中学校]]||[[2000年]][[5月4日]]
|-
|5||66秒33||天野早紀||[[静岡県立浜松西高等学校・中等部|浜松西高併中学校]]||[[2005年]][[4月16日]]
|-
|6||66秒69||西理絵||札幌市立北栄中学校||[[2001年]][[9月23日]]
|-
|7||67秒24||津和佑子||[[西宮市立苦楽園中学校]]||[[1995年]][[10月7日]]
|-
|8||67秒25||西海美憂||未来の森アスリートクラブ||[[2009年]][[5月30日]]
|-
|9||67秒76||宮田志帆||[[札幌市立向陵中学校]]||[[2002年]][[9月23日]]
|-
|10||68秒53||岡本あかり||[[奈良市立伏見中学校]]||[[1995年]][[9月10日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"
!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|1995||[[1995年世界陸上競技選手権大会|第5回世界陸上競技選手権大会(ヨーテボリ)]]||{{SWE}}||[[山崎一彦]]||7位||49秒22
|-
|2001||[[2001年世界陸上競技選手権大会|第8回世界陸上競技選手権大会(エドモントン)]]||{{CAN}}||[[為末大]]||{{3位}}||47秒89
|-
|2005||[[2005年世界陸上競技選手権大会|第10回世界陸上競技選手権大会(ヘルシンキ)]]||{{FIN}}||[[為末大]]||{{3位}}||48秒10
|-
|}
*1995年世界陸上競技選手権大会400mハードルで[[山崎一彦]]が決勝進出、日本人として初めてこの種目でファイナリスト(7位)となった。2001年世界陸上競技選手権大会で[[為末大]]が3位となり、この種目で初のメダリストとなっている。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
{{Commonscat|400 m hurdles}}
{{陸上競技}}
{{DEFAULTSORT:400めとるはとる}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-14T10:58:26Z
|
2023-12-14T04:54:02Z
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[
"Template:出典の明記",
"Template:JAM",
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"Template:Cite web",
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https://ja.wikipedia.org/wiki/400%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB
|
11,406 |
110メートルハードル
|
110メートルハードル(英語: 110 metres hurdles)は、陸上競技のハードル競走の一種で、10台のハードルを跳び越えながら110メートルを走るタイムを競う競技。主に男子の競技であり、女子では100メートルハードルが行われる。略してトッパ(ー)とも呼ばれる。
一般に99.1cmの高さのハードルをジュニアハードル(JH)と言い、日本では主にU20日本陸上競技選手権、U18日本陸上競技選手権、国体少年区分(中学3年生から高校3年生)で採用されている。世界ジュニア選手権でも、2006年から採用されている。なお、99.06cmを切り上げて99.1と表記されることもある。また、91.4cmのハードルをユースハードルと言う(2008年から表記は110mMH(ミドルハードル)→110mYH(ユースハードル)に変更)。ユースハードルは男子400メートルハードルで用いられる高さである。
なお、ハードルの高さ・長さが、それぞれ半端な数字になるのは、もともとイギリスの一般的な単位であるインチ、フィート、ヤードからきているからである。もともと、ハードルの高さは、3.5フィート(3フィート6インチ)であり、それをもとに現在のジュニアハードルの高さは3.25フィート(3フィート3インチ)、ミドルハードルは3フィートになった。
また、110mHのスタートから1台目のハードルの長さである13.72mは15ヤード(45フィート)、インターバルの9.14mは10ヤード(30フィート)が元になっている。110mHが110mというほかの競技と違いきりのいい数字ではない理由も、120ヤードがもとであり、その後メートル法になる際、120ヤードは109.7mと110mにほぼ同じなので、110mHとなったからである。
インターバルの歩数は一般的に「3歩」と表現されるが、これは振り上げた前足がハードルを超えて着地するのを「0歩目」と換算していることによる。それに対して後からハードルを越えてきた反対の足が1歩目および3歩目を担当し、3歩目がそのまま次のハードルの踏み切り足となるので、常に同じ足で踏み切っている状態が3歩と表現されている。スタートから1台目までの歩数は長らく8歩が主流であったが、選手の体格や加速力向上の影響から8歩では距離が詰まってしまう選手も増えており、近年では7歩に短縮を図った選手の台頭も目立つ。
・以下、ジュニア規格(99.1cm)で実施された記録5傑。
・以下、ジュニア規格(高さ99.1cm)で実施された記録。
|
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"text": "インターバルの歩数は一般的に「3歩」と表現されるが、これは振り上げた前足がハードルを超えて着地するのを「0歩目」と換算していることによる。それに対して後からハードルを越えてきた反対の足が1歩目および3歩目を担当し、3歩目がそのまま次のハードルの踏み切り足となるので、常に同じ足で踏み切っている状態が3歩と表現されている。スタートから1台目までの歩数は長らく8歩が主流であったが、選手の体格や加速力向上の影響から8歩では距離が詰まってしまう選手も増えており、近年では7歩に短縮を図った選手の台頭も目立つ。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "・以下、ジュニア規格(99.1cm)で実施された記録5傑。",
"title": "日本U20歴代10傑"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "・以下、ジュニア規格(高さ99.1cm)で実施された記録。",
"title": "高校歴代10傑"
}
] |
110メートルハードル(英語: 110 metres hurdles)は、陸上競技のハードル競走の一種で、10台のハードルを跳び越えながら110メートルを走るタイムを競う競技。主に男子の競技であり、女子では100メートルハードルが行われる。略してトッパ(ー)とも呼ばれる。
|
{{出典の明記|date=2019年8月17日 (土) 11:14 (UTC)}}
'''110メートルハードル'''({{lang-en|110 metres hurdles}})は、[[陸上競技]]の[[ハードル競走]]の一種で、10台の[[ハードル]]を跳び越えながら110[[メートル]]を走るタイムを競う競技。主に男子の競技であり、女子では[[100メートルハードル]]が行われる。略して'''トッパ(ー)'''とも呼ばれる。
== 概要 ==
*最初のハードルまでの距離13.72メートル。(45[[フィート|ft]]) -「アプローチ」と呼ばれる。
*ハードル間の距離9.14メートル。(30ft) -「インターバル」と呼ばれる。
*最後のハードルからゴールまでの距離14.02メートル。(46ft) -「ランイン」と呼ばれる。
{|class="wikitable"
|+ ハードルの高さ
|-
!区分!!表記!!高さ!!フィート(実寸)
|-
|一般||110mH||<center>106.7cm</center>||<center>3.5(106.68cm)</center>
|-
|U20<br>U18||110mJH||<center>99.1cm</center>||<center>3.25(99.06cm)</center>
|-
|中学||110mYH||<center>91.4cm</center>||<center>3(91.44cm)</center>
|}
一般に99.1cmの高さのハードルをジュニアハードル(JH)と言い、日本では主に[[U20日本陸上競技選手権大会|U20日本陸上競技選手権]]、[[U18日本陸上競技選手権大会|U18日本陸上競技選手権]]、[[国体]]少年区分(中学3年生から高校3年生)で採用されている。[[世界ジュニア選手権]]でも、2006年から採用されている。なお、99.06cmを切り上げて99.1と表記されることもある。また、91.4cmのハードルをユースハードルと言う(2008年から表記は110mMH(ミドルハードル)→110mYH(ユースハードル)に変更)。ユースハードルは男子[[400メートルハードル]]で用いられる高さである。
なお、ハードルの高さ・長さが、それぞれ半端な数字になるのは、もともとイギリスの一般的な単位である[[インチ]]、[[フィート]]、[[ヤード]]からきているからである。もともと、ハードルの高さは、3.5フィート(3フィート6[[インチ]])であり、それをもとに現在のジュニアハードルの高さは3.25フィート(3フィート3インチ)、ミドルハードルは3フィートになった。
また、110mHのスタートから1台目のハードルの長さである13.72mは15ヤード(45フィート)、インターバルの9.14mは10ヤード(30フィート)が元になっている。110mHが110mというほかの競技と違いきりのいい数字ではない理由も、120ヤードがもとであり、その後メートル法になる際、120ヤードは109.7mと110mにほぼ同じなので、110mHとなったからである。
インターバルの歩数は一般的に「3歩」と表現されるが、これは振り上げた前足がハードルを超えて着地するのを「0歩目」と換算していることによる。それに対して後からハードルを越えてきた反対の足が1歩目および3歩目を担当し、3歩目がそのまま次のハードルの踏み切り足となるので、常に同じ足で踏み切っている状態が3歩と表現されている。スタートから1台目までの歩数は長らく8歩が主流であったが、選手の体格や加速力向上の影響から8歩では距離が詰まってしまう選手も増えており、近年では7歩に短縮を図った選手の台頭も目立つ。
== 世界歴代10傑 ==
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12秒80||style="text-align:right"|+0.3||[[アリエス・メリット]]||{{USA}}||[[ブリュッセル]]||[[2012年]]9月7日
|-
|2||12秒81||style="text-align:right"|+1.8||[[グラント・ホロウェイ]]||{{USA}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2021年]]6月26日
|-
|3||12秒84||style="text-align:right"|+1.6||{{仮リンク|デヴォン・アレン|en|Devon Allen}}||{{USA}}||[[ニューヨーク]]||[[2022年]]6月12日
|-
|4||12秒87||style="text-align:right"|+0.9||[[ダイロン・ロブレス]]||{{CUB}}||[[オストラヴァ]]||[[2008年]]6月12日
|-
|5||12秒88||style="text-align:right"|+1.1||[[劉翔]]||{{CHN}}||[[ローザンヌ]]||[[2006年]]7月11日
|-
|6||12秒89||style="text-align:right"|+0.5||[[デビッド・オリバー]]||{{USA}}||[[サン=ドニ]]||[[2010年]]7月16日
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|12秒90||style="text-align:right"|+1.1||[[ドミニク・アーノルド]]||{{USA}}||[[ローザンヌ]]||[[2006年]]7月11日
|-
|style="text-align:right"|+0.7||[[オマール・マクレオド]]||{{JAM}}||[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]||[[2017年]]6月24日
|-
|9||12秒91||style="text-align:right"|+0.5||[[コリン・ジャクソン]]||{{GBR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1993年]]8月20日
|-
|rowspan="3"|10||rowspan="3"|12秒92||style="text-align:right"|-0.1||[[ロジャー・キングダム]]||{{USA}}||[[チューリッヒ]]||[[1989年]]8月16日
|-
|style="text-align:right"|+0.9<br>+0.2||[[アレン・ジョンソン]]||{{USA}}||[[アトランタ]]<br>[[ブリュッセル]]||[[1996年]]6月23日<br>[[1996年]]8月23日
|-
|style="text-align:right"|+0.6||[[セルゲイ・シュベンコフ]]||{{RUS}}||[[セーケシュフェヘールヴァール]]||[[2018年]]7月2日
|}
== エリア記録 ==
{|class="wikitable"
|-
!エリア!!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||13秒11||style="text-align:right"|+1.8||[[アントニオ・アルカナ]]||{{RSA}}||[[プラハ]]||[[2017年]][[6月5日]]
|-
|[[アジア]]||12秒88||style="text-align:right"|+1.1||[[劉翔]]||{{CHN}}||[[ローザンヌ]]||[[2006年]][[7月11日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||12秒91||style="text-align:right"|+0.5||[[コリン・ジャクソン]]||{{GBR}}||[[シュトゥットガルト]]||[[1993年]][[8月20日]]
|-
|[[北アメリカ]]||12秒80||style="text-align:right"|+0.3||[[アリエス・メリット]]||{{USA}}||[[ブリュッセル]]||[[2012年]][[9月7日]]
|-
|[[南アメリカ]]||13秒17||style="text-align:right"|+0.4||[[Rafael PEREIRA]]||{{BRA}}||[[リオデジャネイロ]]||[[2022年]][[6月23日]]
|-
|[[オセアニア]]||13秒29||style="text-align:right"|+0.6||[[カイル・バンダー=カイプ]]||{{AUS}}||[[ヨーテボリ]]||[[1995年]][[8月11日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
*106.7cm規格。樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満であるジュニア選手のみが対象となる。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||13秒12||style="text-align:right"|+1.6||[[劉翔]]||{{CHN}}||[[ローザンヌ]]||[[2002年]]7月2日
|-
|2||13秒23||style="text-align:right"|±0.0||[[レナルド・ニアマイア]]||{{USA}}||[[チューリッヒ]]||[[1978年]]8月16日
|-
|3||13秒28||style="text-align:right"|+0.5||[[村竹ラシッド]]||{{JPN}}||[[大阪]]||[[2021年]]6月24日
|-
|4||13秒32||style="text-align:right"|+0.7||[[De'Jour Russell]]||{{JAM}}||[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]||[[2017年]]6月24日
|-
|5||13秒36||style="text-align:right"|-0.6||[[泉谷駿介]]||{{JPN}}||[[福岡市|福岡]]||[[2019年]]6月30日
|-
|6||13秒39||style="text-align:right"|±0.0||[[ケイロン・スチュアート]]||{{JAM}}||[[ニューヨーク]]||[[2008年]]6月8日
|-
|7||13秒40||style="text-align:right"|-1.0||[[史冬鵬]]||{{CHN}}||[[上海]]||[[2003年]]9月14日
|-
|rowspan=2|8||rowspan=2|13秒44||style="text-align:right"|-0.8||[[コリン・ジャクソン]]||{{GBR}}||[[アテネ]]||[[1986年]]7月19日
|-
|style="text-align:right"|-0.8||[[Damion Thomas]]||{{JAM}}||[[ユージーン]]||[[2018年]]6月6日
|-
|rowspan=2|10||rowspan=2|13秒45||style="text-align:right"|±0.0||[[ウォーレン・ウィア]]||{{JAM}}||[[ニューヨーク]]||[[2008年]]6月8日
|-
|style="text-align:right"|-0.5||[[Jordan Moore]]||{{USA}}||[[ジェファーソン]]||[[2012年]]5月12日
|}
== アジア歴代10傑 ==
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12秒88||style="text-align:right"|+1.1||[[劉翔]]||{{CHN}}||[[ローザンヌ]]||[[2006年]][[7月11日]]
|-
| rowspan="2" |2|| rowspan="2"|13秒04||style="text-align:right"|-0.9||[[泉谷駿介]]||{{JPN}}||[[大阪]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
| -0.9
|[[村竹ラシッド]]
|{{JPN}}
|[[熊谷市|熊谷]]
|[[2023年]][[9月16日]]
|-
|4||13秒10||+0.6||[[高山峻野]]||{{JPN}}||[[平塚]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|5||13秒16||style="text-align:right"|+1.7||[[金井大旺]]||{{JPN}}||[[広島市|広島]]||[[2021年]][[4月29日]]
|-
|6||13秒17||style="text-align:right"|+0.7||[[謝文駿]]||{{CHN}}||[[上海]]||[[2019年]][[5月18日]]
|-
|7||13秒19|| style="text-align:right" |+1.7||[[史冬鵬]]||{{CHN}}||[[大阪市|大阪]]||[[2007年]][[8月31日]]
|-
|8
|13秒20
|+0.9
|[[野本周成]]
|{{JPN}}
|[[福井市|福井]]
|[[2023年]][[7月29日]]
|-
| rowspan="2" |9|| rowspan="2" |13秒25|| style="text-align:right" |-0.1||{{仮リンク|李トウ (陸上選手)|label=李トウ|en|Li Tong (athlete)}}||{{CHN}}||[[リンツ]]||[[1994年]][[7月4日]]
|-
|style="text-align:right"|−0.1||[[朱勝龍]]||{{CHN}}||[[瀋陽市]]||[[2023年]][[6月29日]]
|-
|}
== 日本歴代10傑 ==
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|rowspan="2"|1||rowspan="2"|13秒04||style="text-align:right"|-0.9||[[泉谷駿介]]||[[住友電工]]||[[長居陸上競技場| 大阪]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
| style="text-align:right" |-0.9||[[村竹ラシッド]]||[[順天堂大学]]||[[熊谷スポーツ文化公園陸上競技場|熊谷]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|3||13秒10||style="text-align:right"|+0.6||[[高山峻野]]||[[ゼンリン]]||[[平塚競技場|平塚]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|4||13秒16||style="text-align:right"|+1.7||[[金井大旺]]||[[ミズノ]]||[[広島広域公園陸上競技場|広島]]||[[2021年]][[4月29日]]
|-
|5||13秒20|| style="text-align:right" |+0.9||[[野本周成]]||[[愛媛陸協]]||[[福井市|福井]]||[[2023年]][[7月29日]]
|-
|6||13秒29|| style="text-align:right" |+1.1||[[豊田兼]]||[[慶應義塾大学]]||[[東安湖体育公園|成都]]||[[2023年]][[8月4日]]
|-
|7||13秒33|| style="text-align:right" |+0.9||[[横地大雅]]||[[Team SSP]]||[[福井市|福井]]||[[2023年]][[7月29日]]
|-
|8||13秒36|| style="text-align:right" |+0.8||[[石川周平]]||[[富士通]]||[[横浜国際総合競技場|横浜]]||[[2023年]][[5月21日]]
|-
|9||13秒39|| style="text-align:right" |+1.5||[[谷川聡]]||[[ミズノ]]||[[アテネ]]||[[2004年]][[8月24日]]
|-
|10||13秒40|| style="text-align:right" |±0.0||[[増野元太]]||[[ヤマダ電機]]||大阪||[[2017年]][[6月24日]]
|-
|}
=== 日本パフォーマンス歴代10傑 ===
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|rowspan="2"|1||rowspan="2"|13秒04||style="text-align:right"|-0.9||[[泉谷駿介]]||[[住友電工]]||[[大阪]]||[[2023年]][[6月4日]]
|-
|style="text-align:right"|-0.9||[[村竹ラシッド]]||[[順天堂大学]]||[[熊谷市|熊谷]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|13秒06||style="text-align:right"|+1.2||泉谷駿介||[[順天堂大学]]||[[大阪]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.3||泉谷駿介||住友電工||[[ロンドン]]||[[2023年]][[7月23日]]
|-
|5||13秒07||style="text-align:right"|+0.8||泉谷駿介||住友電工||横浜||[[2023年]][[5月21日]]
|-
|rowspan="2"|6||rowspan="2"|13秒10||style="text-align:right"|+0.6||[[高山峻野]]||[[ゼンリン]]||[[平塚]]||[[2022年]][[8月6日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.9||泉谷駿介||住友電工||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2023年]][[9月17日]]
|-
| rowspan="2" |8|| rowspan="2"|13秒16||style="text-align:right"|+1.7||[[金井大旺]]||[[ミズノ]]||[[広島市|広島]]||[[2021年]][[4月29日]]
|-
|style="text-align:right"|-0.2||泉谷駿介||住友電工||[[ブダペスト]]||[[2023年]][[8月21日]]
|-
|10
|13秒18
| +0.9
|村竹ラシッド
|順天堂大学
|[[福井市|福井]]
|[[2023年]][[7月29日]]
|-
|}
== 日本学生歴代10傑 ==
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒04|| style="text-align:right" |-0.9||[[村竹ラシッド]]||[[順天堂大学]]||[[2023年]][[9月16日]]
|-
|2||13秒06||style="text-align:right"|+1.2||[[泉谷駿介]]||[[順天堂大学]]||[[2021年]][[6月27日]]
|-
|3||13秒29||+1.1||[[豊田兼]]||[[慶應義塾大学]]||[[2023年]][[8月4日]]
|-
|rowspan="2"|4||rowspan="2"|13秒45||style="text-align:right"|+1.8||[[石田トーマス東]]||[[国際武道大学]]||[[2019年]][[11月2日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.3||[[横地大雅]]||[[法政大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|6||13秒47||style="text-align:right"|+0.7||[[藤原孝輝]]||[[東洋大学]]||[[2022年]][[9月10日]]
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|13秒50||style="text-align:right"|+0.1||[[内藤真人]]||[[法政大学]]||[[2001年]][[10月17日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.9||[[町亮汰]]||[[国際武道大学]]||[[2023年]][[10月1日]]
|-
|9||13秒53||style="text-align:right"|+1.8||[[金井大旺]]||[[法政大学]]||[[2017年]][[7月22日]]
|-
|10||13秒54||style="text-align:right"|+2.0||[[大室秀樹]]||[[筑波大学]]||[[2012年]][[6月23日]]
|-
|}
== 日本U20歴代10傑 ==
*樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満であるジュニア選手のみが対象となる。以下、一般規格(106.7cm)で実施された記録10傑。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒28||style="text-align:right"|+0.5||[[村竹ラシッド]]||[[順天堂大学]]||[[2021年]][[6月26日]]
|-
|2||13秒36||style="text-align:right"|-0.6||[[泉谷駿介]]||[[順天堂大学]]||[[2019年]][[6月30日]]
|-
|3||13秒67||style="text-align:right"|+1.4||[[藤原孝輝]]||[[東洋大学]]||[[2021年]][[9月19日]]
|-
|4||13秒69||style="text-align:right"|+1.4||[[西徹朗]]||[[名古屋高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|5||13秒73||style="text-align:right"|+0.4||[[古谷拓夢]]||[[早稲田大学]]||[[2016年]][[6月25日]]
|-
|6||13秒76||style="text-align:right"|+1.7||[[近藤翠月]]||[[東海大学]]||[[2021年]][[7月17日]]
|-
|7||13秒78||style="text-align:right"|+1.9||[[小池綾]]||[[法政大学]]||[[2022年]][[9月18日]]
|-
|8||13秒81||style="text-align:right"|+0.9||[[清水功一朗]]||[[関西学院大学]]||[[2019年]][[9月14日]]
|-
|9||13秒84||style="text-align:right"|+1.9||[[廣冨葵士]]||[[国際武道大学]]||[[2023年]][[9月23日]]
|-
|10||13秒85||style="text-align:right"|+1.4||[[金井直]]||[[川崎市立橘高等学校]]||[[2015年]][[8月2日]]
|-
|}
・以下、ジュニア規格(99.1cm)で実施された記録5傑。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付!!場所
|-
|1||13秒19||style="text-align:right"|-0.6||[[泉谷駿介]]||順天堂大学||2019年10月19日||名古屋
|-
|2||13秒28||style="text-align:right"|+0.6||村竹ラシッド||順天堂大学||2020年10月23日||広島
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|13秒31||style="text-align:right"|+0.2||古谷拓夢||早稲田大学||2016年7月21日||ブィドゴシュツ
|-
|style="text-align:right"|+1.5||多和田旭||大垣商業高校||2018年10月7日||福井
|-
|5||13秒33||style="text-align:right"|+0.5||[[金井大旺]]||[[法政大学]]||2014年6月14日||台北
|}
== 高校歴代10傑 ==
*一般規格(高さ106.7cm)で実施された記録に限る。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒69||style="text-align:right"|+1.4||西徹朗||[[名古屋高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|2||13秒83||style="text-align:right"|+0.7||[[古谷拓夢]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2014年]][[10月3日]]
|-
|rowspan=2|3||rowspan=2|13秒85||style="text-align:right"|+1.4||金井直||[[川崎市立橘高等学校]]||[[2015年]][[8月2日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.4||近藤翠月||[[新潟産業大学附属高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|rowspan=2|5||rowspan=2|13秒91||style="text-align:right"|+1.1||森戸信陽||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2017年]][[10月29日]]
|-
|style="text-align:right"|-0.1||村竹ラシッド||[[千葉県立松戸国際高等学校]]||[[2019年]][[6月17日]]
|-
|rowspan=2|7||rowspan=2|13秒93||style="text-align:right"|+0.9||[[泉谷駿介]]||[[武相中学校・高等学校|武相高等学校]]||[[2017年]][[10月15日]]
|-
|style="text-align:right"|+2.0<br>+1.4||小池綾||[[大塚高等学校]]||[[2021年]][[6月6日]]<br>[[2021年]][[8月1日]]
|-
|rowspan=2|9||rowspan=2|13秒95||style="text-align:right"|-1.6||藤原孝輝||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2020年]][[11月6日]]
|-
|style="text-align:right"|+1.4||樋口隼人||[[埼玉県立松山高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|}
=== 学年別歴代記録 ===
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校1年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||14秒13||style="text-align:right"|+1.3||高橋遼将||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2019年]][[10月6日]]
|-
|2||14秒26||style="text-align:right"|+0.5||西徹朗||[[名古屋中学校・高等学校|名古屋高等学校]]||[[2019年]][[10月26日]]
|-
|3||14秒32||style="text-align:right"|+1.9||池田海||[[愛媛県立松山北高等学校]]||[[2018年]][[10月13日]]
|-
|4||14秒41||+1.2||浅井惺流||[[東海大学付属静岡翔洋高等学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|5||14秒43||style="text-align:right"|+0.7||北條友葵||[[三田国際学園高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校2年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒92||style="text-align:right"|+0.4||[[古谷拓夢]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2013年]][[8月3日]]
|-
|2||13秒97||style="text-align:right"|+0.9||藤原孝輝||[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]||[[2019年]][[6月16日]]
|-
|3||14秒02||style="text-align:right"|+2.0||近藤翠月||[[新潟産業大学附属高等学校]]||[[2019年]][[7月14日]]
|-
|4||14秒05||style="text-align:right"|+0.3||高橋遼将||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2020年]][[7月19日]]
|-
|5||14秒12||style="text-align:right"|+0.2||川村直也||[[東海大学付属大阪仰星高等学校・中等部|東海大学付属仰星高等学校]]||[[2013年]][[10月7日]]
|-
|}
{|class="wikitable"
|+ 男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒69||style="text-align:right"|+1.4||西徹朗||[[名古屋高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|-
|2||13秒83||style="text-align:right"|+0.7||[[古谷拓夢]]||[[相洋中学校・高等学校|相洋高等学校]]||[[2014年]][[10月3日]]
|-
|rowspan=2|3||rowspan=2|13秒85||style="text-align:right"|+1.4||金井直||[[川崎市立橘高等学校]]||[[2015年]][[8月2日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.4||近藤翠月||[[新潟産業大学附属高等学校]]||[[2020年]][[11月3日]]
|-
|rowspan=2|5||rowspan=2|13秒91||style="text-align:right"|+1.1||森戸信陽||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2017年]][[10月29日]]
|-
|style="text-align:right"|-0.1||村竹ラシッド||[[千葉県立松戸国際高等学校]]||[[2019年]][[6月17日]]
|-
|}
・以下、ジュニア規格(高さ99.1cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|+男子・高校3年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付!!場所
|-
|1||13秒31||style="text-align:right"|+1.5||多和田旭||大垣商業高校||2018年10月7日||福井
|-
|2||13秒40||style="text-align:right"|-0.1<br>+0.5||樋口陸人||奈良育英高校||2017年10月8日<br>2017年10月20日||松山<br>名古屋
|-
|3||13秒41||style="text-align:right"|-0.5||西徹郎||名古屋高校||2021年10月21日||松山
|-
|4||13秒47||style="text-align:right"|+0.5||平賀健太郎||洛南高校||2017年10月20日||名古屋
|-
|5||13秒48||style="text-align:right"|-0.5||山中恭介||船橋市立船橋高等学校||2023年8月27日||和歌山
|}
== 中学歴代10傑 ==
*中学規格(高さ91.4cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒50||style="text-align:right"|-1.2||髙城昊紀||[[宮崎県立宮崎西高等学校・附属中学校|宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校]]||[[2023年]][[8月25日]]
|-
|2||13秒51||style="text-align:right"|+0.4||岩本咲真||[[豊前市立八屋中学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|3||13秒68||style="text-align:right"|+0.4||村田隼||[[尼崎市立立花中学校]]||[[2022年]][[8月7日]]
|-
|4||13秒74||style="text-align:right"|+0.5||田原歩睦||[[奈良市立平城東中学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|5||13秒76||style="text-align:right"|+1.5||山田真大||松阪市立三雲中学校||[[2018年]][[10月21日]]
|5||13秒76||style=″text-align:right"|-1.2||佐々木空||[[坂井市立春江中学校]]||[[2023年]][[8月25日]]|-
|6||13秒79||style="text-align:right"|+1.8||鹿田真翔||[[丸亀市立飯山中学校]]||[[2018年]][[8月5日]]
|-
|7||13秒82||style="text-align:right"|+0.4||酒井大輔|||[[笠岡市立金浦中学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|rowspan="2"|8||rowspan="2"|13秒84||style="text-align:right"|+0.6||[[矢澤航]]||[[横浜市立岩崎中学校]]||[[2006年]][[8月21日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.5||紺野稜真||[[白鷹町立白鷹中学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|rowspan=2|10||rowspan=2|13秒85||style="text-align:right"|+1.3||芳賀智文||[[江東区立東陽中学校]]||[[2003年]][[7月12日]]
|-
|style="text-align:right"|+0.8||久保田倖輔||[[播磨町立播磨南中学校]]||[[2016年]][[7月17日]]
|}
* 以下、ジュニア規格(高さ99.1cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|-
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒84||style="text-align:right"|+1.5||髙城昊紀||[[宮崎県立宮崎西高等学校・附属中学校|宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校]]||2023年10月22日
|-
|2||13秒98||style="text-align:right"|+0.6||岩本咲真||[[豊前市立八屋中学校]]||2022年10月23日
|-
|3||14秒03||style="text-align:right"|-0.2||鹿田真翔||[[丸亀市立飯山中学校]]||2018年10月14日
|-
|4||14秒15||style="text-align:right"|-0.2||山田真大||松阪市立三雲中学校||2018年10月14日
|-
|5||14秒18||style="text-align:right"|+0.4||佐々木空||[[坂井市立春江中学校]]||2023年10月22日
|-
|6
|14秒19
| +1.0
|橋本悠
|[[熊谷市立三尻中学校]]
|2021年10月24日
|-
|7
|14秒22
| +0.7
|櫛野カリック
|[[江東区立東陽中学校]]
|2023年8月27日
|-
|8
|14秒24
| +0.5
|仲田祥平
|[[西脇市立西脇中学校]]
|2007年10月28日
|-
|9||14秒26|| style="text-align:right" |+1.8||加藤誠也||[[さいたま市立宮原中学校]]||2007年10月28日
|-
| rowspan="2" |10|| rowspan="2" |14秒32|| style="text-align:right" |+1.0||白田耕平||[[葛飾区立高砂中学校]]||2008年9月13日
|-
|style="text-align:right"|+0.9||金井直||[[川崎市立稲田中学校]]||2012年10月28日
|}
=== 学年別歴代記録 ===
* 以下、中学規格(高さ91.4cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|+ 中学1年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||15秒00||style="text-align:right"|±0.0||原稜介||[[枚方市立枚方中学校]]||[[2016年]][[11月19日]]
|-
|2||15秒44||style="text-align:right"|+1.7||近藤翠月||柏崎市立東中学校||[[2015年]][[9月21日]]
|-
|3||15秒52||style="text-align:right"|-0.6||牧俊佑||[[河南町立中学校]]||[[2018年]][[3月31日]]
|-
|4||15秒57||style="text-align:right"|-1.7||中村仁||[[播磨町立播磨南中学校]]||[[2003年]][[3月27日]]
|-
|5||15秒60||style="text-align:right"|+1.4||石関佑一朗||[[堺市立月州中学校]]||[[2018年]][[3月31日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 中学2年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒90||style="text-align:right"|+0.5||高城昊紀||[[宮崎県立宮崎西高等学校・附属中学校|宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校]]||[[2022年]][[11月5日]]
|-
|2||14秒26||style="text-align:right"|+1.6||後藤大樹||[[四街道市立四街道北中学校]]||[[2023年]][[7月2日]]
|-
|3||14秒41||style="text-align:right"|+1.5||久保田倖輔||[[播磨町立播磨南中学校]]||[[2016年]][[3月26日]]
|-
|4||14秒48||style="text-align:right"|-0.5||村田隼||[[尼崎市立立花中学校]]||[[2022年]][[3月26日]]
|-
|5||14秒49||style="text-align:right"|+1.6||原稜介||[[枚方市立枚方中学校]]||[[2017年]][[10月21日]]
|}
{|class="wikitable"
|+ 中学3年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒50||style="text-align:right"|-1.2||髙城昊紀||[[宮崎県立宮崎西高等学校・附属中学校|宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校]]||[[2023年]][[8月25日]]
|-
|2||13秒51||style="text-align:right"|+0.4||岩本咲真||[[豊前市立八屋中学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|3||13秒68||style="text-align:right"|+0.4||村田隼||[[尼崎市立立花中学校]]||[[2022年]][[8月7日]]
|-
|4||13秒74||style="text-align:right"|+0.5||田原歩睦||[[奈良市立平城東中学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|5||13秒76||style="text-align:right"|+1.5||山田真大||松阪市立三雲中学校||[[2018年]][[10月21日]]
|}
* 以下、ジュニア規格(高さ99.1cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|+中学3年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒84||style="text-align:right"|+1.5||髙城昊紀||[[宮崎県立宮崎西高等学校・附属中学校|宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校]]||[[2023年]][[10月22日]]
|-
|2||13秒98||style="text-align:right"|+0.6||岩本咲真||[[豊前市立八屋中学校]]||[[2022年]][[10月23日]]
|-
|3||14秒03||style="text-align:right"|-0.2||鹿田真翔||[[丸亀市立飯山中学校]]||[[2018年]][[10月14日]]
|-
|4||14秒15||style="text-align:right"|-0.2||山田真大||松阪市立三雲中学校||[[2018年]][[10月14日]]
|-
|5||14秒18||style="text-align:right"|+0.4||佐々木空||[[坂井市立春江中学校]]||[[2023年]][[10月22日]]
|}
*以下、一般規格(高さ106.7cm)で実施された記録。
{|class="wikitable"
|+中学3年歴代5傑
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!日付
|-
|1||14秒93||style="text-align:right"|+1.2||村田隼||[[尼崎市立立花中学校]]||[[2022年]][[10月29日]]
|-
|2||15秒21||style="text-align:right"|+0.6||小池綾||[[堺市立金岡南中学校]]||[[2019年]][[3月30日]]
|-
|3||15秒22||style="text-align:right"|+1.8||宮崎匠||[[福岡市立香椎第三中学校]]||[[2016年]][[6月5日]]
|-
|4||15秒30||style="text-align:right"|+1.8||境悠也||[[福岡市立和白中学校]]||[[2016年]][[6月5日]]
|-
|5||15秒31||style="text-align:right"|+1.8||北條友葵||[[三田国際学園中学校・高等学校|三田国際学園中学校]]||[[2020年]][[11月15日]]
|}
== 五輪・世界選手権における日本人入賞者 ==
=== 五輪・世界選手権における日本人男子入賞者 ===
{| class="wikitable" style="text-align:left; font-size:small"!年!!大会!!開催国!!選手名!!成績!!記録
|-
|2023||[[2023年世界陸上競技選手権大会|第19回世界陸上競技選手権大会(ブダペスト)]]||{{HUN}}||[[泉谷駿介]]||5位||13秒19
|-
|}
*2023年世界陸上競技選手権大会で[[泉谷駿介]]が5位入賞を果たし、この種目における日本人男子選手最初の入賞者となった。
== 関連項目 ==
* [[100メートルハードル]]
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
{{陸上競技}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-14T11:03:45Z
|
2023-11-10T22:59:39Z
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[
"Template:Lang-en",
"Template:RSA",
"Template:BRA",
"Template:JPN",
"Template:陸上競技",
"Template:CHN",
"Template:GBR",
"Template:出典の明記",
"Template:USA",
"Template:仮リンク",
"Template:JAM",
"Template:AUS",
"Template:CUB",
"Template:RUS",
"Template:HUN"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/110%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB
|
11,407 |
100メートルハードル
|
100メートルハードル(英: 100 metres hurdles)は、陸上競技のハードル競走の一種で、10台のハードルを跳び越えながら100メートルを走るタイムを競う競技。主に女子の競技であり、男子では主に110メートルハードルが行われる。
ハードル間の距離は「インターバル」と呼ばれる。
100mYHの少年Bは、中学3年と高校1年が対象だが、日本では主に国体やジュニアオリンピックで実施されている。
|
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100メートルハードルは、陸上競技のハードル競走の一種で、10台のハードルを跳び越えながら100メートルを走るタイムを競う競技。主に女子の競技であり、男子では主に110メートルハードルが行われる。
|
{{出典の明記|date=2019年8月17日 (土) 11:14 (UTC)}}
'''100メートルハードル'''({{lang-en-short|100 metres hurdles}})は、[[陸上競技]]の[[ハードル競走]]の一種で、10台の[[ハードル]]を跳び越えながら100[[メートル]]を走るタイムを競う競技。主に女子の競技であり、男子では主に[[110メートルハードル]]が行われる。
== 概要 ==
* 最初のハードルまでの距離はいずれも13.0m。そこから8.5m間隔で10台設置されていて、最後のハードルからゴールまでは10.5mである。ハードルの高さは、84.0cm。
* 夏季オリンピックにおいて本競技は[[1932年ロサンゼルスオリンピック]]からの正式種目であったが、1932年から[[1968年メキシコシティーオリンピック]]までは8台の[[ハードル]]を跳び越える80メートルハードルが行われていた。100mに変更されたのは[[1972年ミュンヘンオリンピック]]からである。
* 世界的にヨーロッパ勢が強く、北アメリカ勢がそれを追う展開となっている。この種目においてアジアの選手は8位以内入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、僅かながら上位入賞を果たした選手もいる。
* [[依田郁子]]が[[1964年東京オリンピック]]で5位に入賞を果たした。当時はまだ80メートルハードルで行われており、現在の距離で日本記録が公認されるようになったのは[[1969年]]からである<ref>[[陸上競技マガジン]][[1999年]]記録集計号327p</ref>。
{| class="wikitable"
|+
!区分!!表記!!高さ!!フィート(実寸)!!ハードル間!!最終ハードル - ゴール
|-
|一般||100mH|| style="text-align"center" |84.0cm||2.75(83.82cm)|| style="text-align"center" |8.5m|| style="text-align"center" |10.5m
|-
|少年B||100mYH|| style="text-align"center" |76.2cm||2.50(76.20cm)|| style="text-align"center" |8.5m|| style="text-align"center" |10.5m
|-
|中学||100mJH|| style="text-align"center" |76.2cm||2.50(76.20cm)|| style="text-align"center" |8.0m|| style="text-align"center" |15.0m
|}
ハードル間の距離は「インターバル」と呼ばれる。
100mYHの少年Bは、中学3年と高校1年が対象だが、日本では主に[[国民体育大会|国体]]や[[ジュニアオリンピック陸上競技大会|ジュニアオリンピック]]で実施されている。
* インターバルの歩数は一般的に「3歩」と表現されるが、これは振り上げた前足がハードルを超えて着地するのを「0歩目」と換算している。それに対して反対の足が1歩目および3歩目となり3歩目がそのまま踏み切り足となるので、常に同じ足で踏み切っている状態が3歩と表現されることになる。スタートから1台目までの歩数は8歩が主流である。
== 世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||12秒12||{{仮リンク|トビ・アムサン|en|Tobi Amusan}}||{{NGR}}||[[2022年]]7月24日
|-
|2||12秒20||{{仮リンク|ケンドラ・ハリソン|en|Kendra Harrison}}||{{USA}}||[[2016年]]7月22日
|-
|3||12秒21||[[ヨルダンカ・ドンコワ]]||{{BGR1971}}||[[1988年]]8月20日
|-
|4||12秒25||[[ギンカ・ザゴルチェワ]]||{{BGR1971}}||[[1987年]]8月8日
|-
|rowspan="3"|5||rowspan="3"|12秒26||[[リュドミラ・エンクイスト]]||{{RUS}}||[[1992年]]6月6日
|-
|[[ブリアナ・ローリンズ]]||{{USA}}||[[2013年]]6月22日
|-
|[[ジャスミン・カマチョ=クイン]]||{{PUR}}||[[2021年]]8月1日
|-
|8||12秒28||[[サリー・ピアソン]]||{{AUS}}||[[2011年]]9月3日
|-
|9||12秒30||[[ニア・アリ]]||{{USA}}||[[2023年]]7月21日
|-
|10||12秒31||{{仮リンク|ブリタニー・アンダーソン|en|Britany Anderson}}||{{JAM}}||[[2022年]]7月24日
|-
|}
== エリア記録 ==
{| class="wikitable"
|+
!エリア!!タイム!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|[[アフリカ]]||12秒12||{{仮リンク|トビ・アムサン|en|Tobi Amusan}}||{{NGR}}||[[ユージーン (オレゴン州)|ユージーン]]||[[2022年]][[7月24日]]
|-
|[[アジア]]||12秒44||[[オルガ・シシギナ]]||{{KAZ}}||[[ルツェルン]]||[[1995年]][[6月27日]]
|-
|[[ヨーロッパ]]||12秒21||[[ヨルダンカ・ドンコワ]]||{{BUL}}||[[スタラ・ザゴラ]]||[[1988年]][[8月20日]]
|-
|[[北アメリカ]]||12秒20||{{仮リンク|ケンドラ・ハリソン|en|Kendra Harrison}}||{{USA}}||[[ロンドン]]||[[2016年]][[7月22日]]
|-
|[[南アメリカ]]||12秒71||[[マウレン・マギ]]||{{BRA}}||[[マナウス]]||[[2001年]][[5月19日]]
|-
|[[オセアニア]]||12秒28||[[サリー・ピアソン]]||{{AUS}}||[[テグ]]||[[2011年]][[9月3日]]
|}
== U20世界歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||12秒71||{{仮リンク|ブリタニー・アンダーソン|en|Britany Anderson}}||{{JAM}}||[[2019年]]7月24日
|-
|2||12秒74||{{仮リンク|ディオール・ホール|en|Dior Hall}}||{{USA}}||[[2015年]]6月13日
|-
|rowspan="2"|3||rowspan="2"|12秒75||{{仮リンク|シャネル・ブリセット|en|Chanel Brissett}}||{{USA}}||[[2018年]]5月13日
|-
|[[ケリカ・ヒル]]||{{JAM}}||[[2023年]]4月22日
|-
|5||12秒76||Ackera Nugent||{{JAM}}||[[2021年]]5月29日
|-
|6||12秒83A||{{仮リンク|トビ・アムサン|en|Tobi Amusan}}||{{NGR}}||[[2016年]]4月30日
|-
|rowspan="2"|7||rowspan="2"|12秒84||{{仮リンク|アリウスカ・ロペス|en|Aliuska López}}||{{CUB}}||[[1987年]]7月16日
|-
|{{仮リンク|ティア・ジョーンズ|en|Tia Jones}}||{{USA}}||[[2016年]]6月25日
|-
|9||12秒85||{{仮リンク|エリビラ・ヘルマン|en|Elvira Herman}}||{{BLR}}||[[2016年]]7月24日
|-
|10||12秒86||Cortney Jones||{{USA}}||[[2018年]]6月7日
|}
== アジア歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||12秒44||[[オルガ・シシギナ]]||{{KAZ}}||[[1995年]]6月27日
|-
|2||12秒61||スベトラーナ・グサロワ||{{KAZ}}||[[1985年]]8月3日*
|-
|3||12秒64||張瑜||{{CHN}}||[[1993年]]9月9日
|-
|4||12秒68||{{仮リンク|ナタリア・イヴォニンスカヤ|en|Natalya Ivoninskaya}}||{{KAZ}}||[[2012年]]6月19日
|-
|5||12秒69||Anastasiya Pelepenko||{{KAZ}}||[[2012年]]6月9日
|-
|6||12秒72||[[呉水嬌]]||{{CHN}}||[[2014年]]10月1日
|-
|rowspan="3"|7||rowspan="3"|12秒73||{{仮リンク|劉華金|en|Liu Huajin}}||{{CHN}}||[[1990年]]10月2日
|-
||[[トレシア・ロバーツ]]||{{THA}}||[[1998年]]7月13日
|-
||[[福部真子]]||{{JPN}}||[[2022年]]9月25日
|-
|10||12秒74||Zeng Yan||{{CHN}}||[[1997年]]10月18日
|-
|}
* 記録を出した当時はソビエト連邦
== 日本歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|+
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12秒73|| style="text-align:right" |+1.1||[[福部真子]]||日本建設工業||[[岐阜メモリアルセンター長良川競技場|岐阜]]||[[2022年]]9月25日
|-
|rowspan=2|2||rowspan=2|12秒86|| style="text-align:right" |-0.2||[[青木益未]]||[[七十七銀行]]||[[新潟市陸上競技場|新潟]]||[[2022年]]4月10日
|-
| style="text-align:right" |+0.7<br>+0.4||[[寺田明日香]]||ジャパンクリエイト||[[長居陸上競技場|大阪]]<br>[[横浜国際総合競技場|横浜]]||[[2023年]]5月7日<br>2023年5月21日
|-
|4||12秒89|| style="text-align:right" |+0.4||[[田中佑美]]||[[富士通]]||[[横浜国際総合競技場|横浜]]||2023年5月21日
|-
|5||12秒96|| style="text-align:right" |+0.4||[[清山ちさと]]||いちご||[[横浜国際総合競技場|横浜]]||[[2023年]]5月21日
|-
|6
|12秒97
| +2.0
|大松由季
|サンドリヨン
|[[岐阜市|岐阜]]
|[[2023年]]9月24日
|-
| rowspan="2" |8|| rowspan="2" |13秒00|| style="text-align:right" |+0.7||[[金沢イボンヌ]]||[[佐田建設]]||[[札幌市|札幌]]||[[2000年]]7月16日
|-
| style="text-align:right" |+1.5||鈴木美帆||[[長谷川体育施設]]||[[鳥取市|鳥取]]||[[2021年]]6月6日
|-
|rowspan=2|10|| rowspan="2" |13秒02|| style="text-align:right" |+1.4||[[井村久美子|池田久美子]]||[[スズキ (企業)|スズキ]]||[[広島広域公園陸上競技場|広島]]||[[2007年]]4月29日
|-
| style="text-align:right" |-0.6||[[紫村仁美]]||佐賀陸協||[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|調布]]||[[2013年]]6月8日
|-
|}
=== 日本パフォーマンス歴代10傑 ===
{| class="wikitable"
|+
! !!タイム!!風速!!名前!!所属!!場所!!日付
|-
|1||12秒73|| style="text-align:right" |+1.1||[[福部真子]]||日本建設工業||[[岐阜市|岐阜]]||[[2022年]]9月25日
|-
|2||12秒82|| style="text-align:right" |+0.9||福部真子||日本建設工業||[[ヘイワード・フィールド|ユージーン]]||[[2022年]]7月24日
|-
|rowspan="3"|3||rowspan="3"|12秒86|| style="text-align:right" |-0.2||[[青木益未]]||[[七十七銀行]]||[[新潟市|新潟]]||[[2022年]]4月10日
|-
| style="text-align:right" |+0.7||[[寺田明日香]]||ジャパンクリエイト||[[大阪市|大阪]]||[[2023年]]5月7日
|-
| style="text-align:right" |+0.4||寺田明日香||ジャパンクリエイト||[[横浜市|横浜]]||[[2023年]]5月21日
|-
|rowspan="2"|6||rowspan="2"|12秒87|| style="text-align:right" |+0.6||寺田明日香||ジャパンクリエイト||[[大阪市|大阪]]||[[2021年]]6月1日
|-
| style="text-align:right" |+1.8||青木益未||七十七銀行||[[鳥取市|鳥取]]||[[2021年]]6月6日
|-
|8||12秒88||±0.0||福部真子||日本建設工業||[[山梨市|山梨]]||[[2022年]]8月27日
|-
|rowspan="3"|9||rowspan="3"|12秒89|| style="text-align:right" |+0.3||寺田明日香||ジャパンクリエイト||[[大阪市|大阪]]||[[2021年]]6月1日
|-
| style="text-align:right" |+1.8||寺田明日香||ジャパンクリエイト||[[鳥取市|鳥取]]||[[2021年]]6月6日
|-
| style="text-align:right" |+0.4||[[田中佑美]]||[[富士通]]||[[横浜市|横浜]]||[[2023年]]5月21日
|-
|}
== 学生歴代10傑 ==
{| class="wikitable"
|-
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒15||[[紫村仁美]]||[[早稲田大学]]||[[2012年]][[4月29日]]
|-
|2||13秒18||田中佑美||[[立命館大学]]||[[2019年]][[8月17日]]
|-
|3||13秒20||田中きよの||[[駿河台大学]]||[[2022年]][[6月10日]]
|-
|rowspan="2"|4||rowspan="2"|13秒22||相馬絵里子||[[筑波大学]]||[[2013年]][[10月9日]]
|-
|本田怜||順天堂大||[[2023年]][[4月21日]]
|-
|6||13秒23||芝田愛花||[[環太平洋大学]]||[[2021年]][[9月19日]]
|-
|7||13秒25||伊藤彩香||福岡大||[[2023年]][[4月21日]]
|-
|rowspan="2"|8||rowspan="2"|13秒26||[[城下麗奈]]||[[青山学院大学]]||[[2009年]][[6月26日]]
|-
|玉置菜々子||[[国士館大学]]||[[2021年]][[9月19日]]
|-
|10||13秒27||伊藤愛里||[[関西大学]]||[[2011年]][[5月12日]]
|-
|}
== U20日本歴代10傑 ==
* 樹立年の12月31日時点で年齢が20歳未満であるジュニア選手のみが対象となる。
{| class="wikitable"
|-
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒05||[[寺田明日香]]||[[北海道ハイテクノロジー専門学校|北海道ハイテクAC]]||[[2009年]]6月26日<br>[[2009年]]7月12日
|-
|2||13秒34||小林歩未||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2018年]]8月2日
|-
|3||13秒36||島野真生||[[日本体育大学]]||[[2020年]]9月13日
|-
|4||13秒38||松田晏奈||[[長崎日本大学高等学校]]||[[2023年]]10月16日
|-
|5||13秒40||[[青木益未]]||[[環太平洋大学]]||[[2013年]]6月22日
|-
|6||13秒41||岩佐茉結子||[[東京学芸大学]]||[[2021年]]9月19日
|-
|7||13秒42||芝田愛花||[[北海道恵庭南高等学校]]||[[2018年]]10月8日
|-
|rowspan="2"|8||rowspan="2"|13秒44||森本明子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1994年]]6月17日
|-
|清山ちさと||[[宮崎県立宮崎商業高等学校]]||[[2009年]]8月2日
|-
|10||13秒45||吉田唯莉||[[筑波大学]]||[[2018年]]6月9日
|}
== 高校歴代10傑 ==
* 一般規格(高さ84.0cm・インターバル8.5m)で実施された記録に限る。
{| class="wikitable"
|-
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒34||小林歩未||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2018年]][[8月2日]]
|-
|2
|13秒38
|松田晏奈
|[[長崎日本大学中学校・高等学校|長崎日本大学高等学校]]
|[[2023年]][[10月16日]]
|-
|3 ||13秒39||[[寺田明日香]]||[[北海道恵庭北高等学校]]||[[2007年]][[7月21日]]
|-
| rowspan="2" |4 || rowspan="2" |13秒42||芝田愛花||[[北海道恵庭南高等学校]]||[[2018年]][[10月8日]]
|-
|谷中天架
|[[大分県立大分雄城台高等学校]]
|[[2023年]][[10月16日]]
|-
| rowspan="2" |6|| rowspan="2" |13秒44||森本明子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1994年]][[6月17日]]
|-
|清山ちさと||[[宮崎県立宮崎商業高等学校]]||[[2009年]][[8月2日]]
|-
|rowspan="2"|8|| rowspan="2" |13秒46||田中佑美||[[関西大学第一中学校・高等学校|関西大学第一高等学校]]||[[2016年]][[7月23日]]
|-
|林美希||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2022年]][[5月22日]]<br>[[2022年]][[6月11日]]
|-
|10||13秒47||[[ヘンプヒル恵]]||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教高等学校]]||[[2014年]][[6月7日]]
|-
|}
=== 高校学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 高校1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒65||柳久美子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[2001年]][[11月3日]]
|-
|2||13秒72||城島直美||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1984年]][[10月13日]]
|-
|3||13秒74||福部真子||[[広島県立広島皆実高等学校]]||[[2011年]][[8月7日]]
|-
|4||13秒75||松本佳音彩||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2019年]][[6月21日]]
|-
|5||13秒78||山西桃子||[[白梅学園高等学校]]||[[2017年]][[10月20日]]
|-
|}
{| class="wikitable"
|+ 高校2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1
|13秒38
|松田晏奈
|[[長崎日本大学中学校・高等学校|長崎日本大学高等学校]]
|[[2023年]][[10月16日]]
|-
|2
|13秒42
|谷中天架
|[[大分県立大分雄城台高等学校]]
|[[2023年]][[10月16日]]
|-
|3||13秒46||林美希||[[中京大学附属中京高等学校]]||[[2022年]][[5月22日]]<br>[[2022年]][[6月11日]]
|-
|4||13秒54||[[寺田明日香]]||[[北海道恵庭北高等学校]]||[[2006年]][[8月6日]]
|-
| rowspan="2" |5|| rowspan="2" |13秒56||藤森菜那||[[浜松市立高等学校]]||[[2014年]][[6月20日]]
|-
|吉田江梨花||[[園田学園中学校・高等学校|園田学園高等学校]]||[[2021年]][[8月1日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 高校3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒34||小林歩未||[[船橋市立船橋高等学校]]||[[2018年]][[8月2日]]
|-
|2||13秒39||[[寺田明日香]]||[[北海道恵庭北高等学校]]||[[2007年]][[7月21日]]
|-
|3||13秒42||芝田愛花||[[北海道恵庭南高等学校]]||[[2018年]][[10月8日]]
|-
|rowspan="2"|4||rowspan="2"|13秒44||森本明子||[[埼玉栄中学校・高等学校|埼玉栄高等学校]]||[[1994年]][[6月17日]]
|-
|清山ちさと||[[宮崎県立宮崎商業高等学校]]||[[2009年]][[8月2日]]
|-
|}
== 中学歴代10傑 ==
* 中学規格(高さ76.2cm・インターバル8.0m)で実施された記録に限る。
{| class="wikitable"
|-
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒42||香取奈摘||[[古河市立三和中学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|2||13秒47||谷中天架||シュブスタンス北九州||[[2021年]][[11月7日]]
|-
|3||13秒56||澤田イレーネオギモンギ||KMC陸上クラブ||[[2012年]][[6月3日]]
|-
|4||13秒61||中里百葉||佐野市立田沼東中学校||[[2019年]][[7月30日]]
|-
|5||13秒62||岩佐茉結子||白井市立七次台中学校||[[2017年]][[8月8日]]
|-
|6||13秒64||中山璃子||[[岩見沢市立明成中学校]]||[[2017年]][[8月22日]]
|-
|7||13秒66||藤原かれん||[[神河町立神河中学校]]||[[2019年]][[8月11日]]
|-
|8||13秒67||吉永優衣||[[諫早市立西諫早中学校]]||[[2023年]][[8月24日]]
|-
|rowspan="3"|9||rowspan="3"|13秒68||梅原紗月||[[京都文教中学校・高等学校|京都文教中学校]]||[[2009年]][[7月27日]]
|-
|納村琉愛||深川市立一已中学校||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|福田花奏||[[神河町立神河中学校]]||[[2023年]][[7月2日]]
|}
=== 中学学年別歴代記録 ===
{| class="wikitable"
|+ 中学1年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||14秒06||香取奈摘||[[古河市立三和中学校]]||[[2021年]][[8月8日]]
|-
|2||14秒08||安達楓恋||[[美濃加茂市立東中学校]]||[[2014年]][[8月20日]]
|-
|3||14秒22||福田花奏||[[神河町立神河中学校]]||[[2023年]][[3月25日]]
|-
|4||14秒25||石原南菜||[[足利市立第二中学校]]||[[2021年]][[8月8日]]
|-
|5||14秒35||澤田イレーネオギモンギ||KMC陸上クラブ||[[2011年]][[3月30日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 中学2年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒42||香取奈摘||[[古河市立三和中学校]]||[[2022年]][[8月21日]]
|-
|2||13秒68||福田花奏||[[神河町立神河中学校]]||[[2023年]][[7月2日]]
|-
|3||13秒75||宮﨑叶和||[[長崎日本大学中学校・高等学校|長崎日本大学中学校]]||[[2019年]][[8月24日]]
|-
|4||13秒81||澤田イレーネオギモンギ||[[調布市立第四中学校]]||[[2011年]][[8月22日]]
|-
|5||13秒92||三好美羽||[[福山市立神辺西中学校]]||[[2023年]][[11月12日]]
|}
{| class="wikitable"
|+ 中学3年歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒46||香取奈摘||[[古河市立三和中学校]]||[[2023年]][[8月8日]]
|-
|2||13秒47||谷中天架||シュブスタンス北九州||[[2021年]][[11月7日]]
|-
|3||13秒56||澤田イレーネオギモンギ||KMC陸上クラブ||[[2012年]][[6月3日]]
|-
|4||13秒61||中里百葉||佐野市立田沼東中学校||[[2019年]][[7月30日]]
|-
|5||13秒62||岩佐茉結子||白井市立七次台中学校||[[2017年]][[8月8日]]
|}
* 100mYH(高さ76.2cm・インターバル8.5m)
{| class="wikitable"
|+ 中学歴代5傑
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒54||吉永優衣||諫早市立西諫早中学校||[[2023年]][[10月16日]]
|-
|2||13秒58||恩田未来||館林市立第四中学校||[[2019年]][[10月6日]]
|-
|3||13秒59||坂田涼音||[[木更津市立太田中学校]]||[[2022年]][[10月23日]]
|-
|4||13秒66||藤森菜那||[[浜松市立入野中学校]]||[[2012年]][[10月7日]]
|-
|5||13秒74||岸本礼菜||[[大阪府立咲くやこの花中学校・高等学校|大阪府立咲くやこの花中学校]]||[[2021年]][[9月5日]]
|}
* 以下、中学1年男子の記録を示す。一般規格(0.840m/8.5m)で実施された記録に限る。
{| class="wikitable"
|+中学1年歴代5傑(男子)(0.840m/8.5m)
! !!タイム!!名前!!所属!!日付
|-
|1||13秒84||岩本聖||東海学園東海中学校||2009年10月24日
|-
|2||13秒92||渡辺直人||横浜市立潮田中学校||2005年10月28日
|-
|3||14秒06||小林竜也||笠間市立笠間中学校||2004年10月22日
|-
|4||14秒07||中村仁||播磨町立播磨南中学校||2002年10月25日
|-
|5||14秒11||近藤翠月||柏崎市立柏崎東中学校||2015年8月2日
|}
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* {{仮リンク|女子100メートルハードル世界記録の推移|en|Women's 100 metres hurdles world record progression}}
* [[110メートルハードル]]
* [[陸上競技の世界記録一覧]]
* [[陸上競技のオリンピック記録一覧]]
* [[世界陸上競技選手権大会#大会記録|世界陸上競技選手権大会 大会記録]]
* [[ダイヤモンドリーグ]]
* [[陸上競技の日本記録一覧]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)]]
* [[日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (女子)]]
* [[オリンピックの陸上競技・男子メダリスト一覧]]
* [[オリンピックの陸上競技・女子メダリスト一覧]]
{{陸上競技}}
{{DEFAULTSORT:100めえとるはあとる}}
[[Category:陸上競技種目]]
|
2003-07-14T11:09:11Z
|
2023-11-16T14:13:44Z
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[
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https://ja.wikipedia.org/wiki/100%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB
|
11,408 |
ホン
|
フォン (phon) あるいはホン、ホーンは、ラウドネス(音の聴覚的な強さ)のレベルの単位である。1997年9月30日までは、計量法における法定計量単位であった(計量法に基づく計量単位一覧#廃止された法定計量単位)。それ以降は、非法定計量単位となっており、取引・証明に用いることはできない。
基準音圧を20μPaとした音圧レベルのデシベル (dB) 値を周波数ごとに補正した値であり、
という特徴を持つ。
なお、過去には「ホン」が騒音レベルの単位として使われていたことから、時に混同されるが、ラウドネスレベルの「フォン」と騒音レベルの「ホン」は下記のように異なる定義を持つ物理量である。
1000ヘルツの純音のフォンは、その音圧レベルを表すdBに等しい。これ以外の周波数のフォン値は、同じラウドネスに聞こえる1000ヘルツの純音のデシベル値に等しい。したがって、同じフォンの音は(個人差等もあるがほぼ)同じ大きさに聞こえる。
音圧レベルのdB値とフォンの関係は等ラウドネス曲線に一致するはずだが、実際には測定条件や個人差などの違いにより、研究者ごとに異なる等ラウドネス曲線が導き出されている。フォンの算出には、ISO 226:2003で規格化された等ラウドネス曲線を使う。
なお、等ラウドネス曲線が等間隔でないため、同じ周波数で音圧が1dB増えてもラウドネスレベルが1フォン増えるとは限らない。
ラウドネス「レベル」ではない、ラウドネスの単位にソーンがある。フォンとソーンには「フォン ÷ 10 - 4 = log2ソーン」の関係がある。ラウドネスはISO532で規格化されている。
騒音レベルは、周波数ごとに定められた特性値を音圧レベルのdBに足して得られる。音圧で考えれば、周波数ごとに定められた値を掛けていることになる。
騒音レベルは騒音計で測定される。通常、レベル化する際には時間的に平滑化するために時間重み特性をかける。
特性には、IEC 61672:2003で規格化されたA特性(または周波数重み付けA)、B特性(ほとんど使わない)、C特性があり、それらを使って得られた騒音レベルは、かつてはホン(A)、ホン(B)、ホン(C)で表された。ただしこの意味でのホンは、計量法により1997年(平成9年)9月30日で廃止され、現在は単にデシベル(dB)を使う。
かつてはA特性であることを明示する場合にdB(A)、dBAなどと書いていたが、現在は単にdBとだけ書く。なぜならば、ISOやJISのJIS Z8203では、単位記号 (dB) に余計な記号を付けることは推奨されないからである。
騒音は多数の周波数の音が混合しているため、実際の測定では、騒音を周波数分解して、それぞれの周波数ごとの音圧に特性のデシベルを比に換算した値を掛け、それらを足し合わせてデシベルに換算する。
なお、騒音レベルは聴覚補正はされているが、電気回路化が容易であるように、特性が実際の等ラウドネス曲線より単純な曲線であることと、デシベルでの単なる加減算であることから、ラウドネスレベルとはあまり一致せず、同じデシベル値を持つ騒音レベルでも、周波数の違いにより同じ大きさに聞こえるとは限らない。また、単なる加減算であるため、同じ周波数なら音圧が1dB増えれば騒音レベルも1dB増える。
|
[
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"text": "フォン (phon) あるいはホン、ホーンは、ラウドネス(音の聴覚的な強さ)のレベルの単位である。1997年9月30日までは、計量法における法定計量単位であった(計量法に基づく計量単位一覧#廃止された法定計量単位)。それ以降は、非法定計量単位となっており、取引・証明に用いることはできない。",
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"text": "1000ヘルツの純音のフォンは、その音圧レベルを表すdBに等しい。これ以外の周波数のフォン値は、同じラウドネスに聞こえる1000ヘルツの純音のデシベル値に等しい。したがって、同じフォンの音は(個人差等もあるがほぼ)同じ大きさに聞こえる。",
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"text": "音圧レベルのdB値とフォンの関係は等ラウドネス曲線に一致するはずだが、実際には測定条件や個人差などの違いにより、研究者ごとに異なる等ラウドネス曲線が導き出されている。フォンの算出には、ISO 226:2003で規格化された等ラウドネス曲線を使う。",
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"text": "なお、等ラウドネス曲線が等間隔でないため、同じ周波数で音圧が1dB増えてもラウドネスレベルが1フォン増えるとは限らない。",
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"text": "ラウドネス「レベル」ではない、ラウドネスの単位にソーンがある。フォンとソーンには「フォン ÷ 10 - 4 = log2ソーン」の関係がある。ラウドネスはISO532で規格化されている。",
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"text": "騒音レベルは、周波数ごとに定められた特性値を音圧レベルのdBに足して得られる。音圧で考えれば、周波数ごとに定められた値を掛けていることになる。",
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"text": "騒音レベルは騒音計で測定される。通常、レベル化する際には時間的に平滑化するために時間重み特性をかける。",
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"text": "特性には、IEC 61672:2003で規格化されたA特性(または周波数重み付けA)、B特性(ほとんど使わない)、C特性があり、それらを使って得られた騒音レベルは、かつてはホン(A)、ホン(B)、ホン(C)で表された。ただしこの意味でのホンは、計量法により1997年(平成9年)9月30日で廃止され、現在は単にデシベル(dB)を使う。",
"title": "騒音レベル"
},
{
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"text": "かつてはA特性であることを明示する場合にdB(A)、dBAなどと書いていたが、現在は単にdBとだけ書く。なぜならば、ISOやJISのJIS Z8203では、単位記号 (dB) に余計な記号を付けることは推奨されないからである。",
"title": "騒音レベル"
},
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"text": "騒音は多数の周波数の音が混合しているため、実際の測定では、騒音を周波数分解して、それぞれの周波数ごとの音圧に特性のデシベルを比に換算した値を掛け、それらを足し合わせてデシベルに換算する。",
"title": "騒音レベル"
},
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"text": "なお、騒音レベルは聴覚補正はされているが、電気回路化が容易であるように、特性が実際の等ラウドネス曲線より単純な曲線であることと、デシベルでの単なる加減算であることから、ラウドネスレベルとはあまり一致せず、同じデシベル値を持つ騒音レベルでも、周波数の違いにより同じ大きさに聞こえるとは限らない。また、単なる加減算であるため、同じ周波数なら音圧が1dB増えれば騒音レベルも1dB増える。",
"title": "騒音レベル"
}
] |
フォン (phon) あるいはホン、ホーンは、ラウドネス(音の聴覚的な強さ)のレベルの単位である。1997年9月30日までは、計量法における法定計量単位であった(計量法に基づく計量単位一覧#廃止された法定計量単位)。それ以降は、非法定計量単位となっており、取引・証明に用いることはできない。 基準音圧を20μPaとした音圧レベルのデシベル (dB) 値を周波数ごとに補正した値であり、 1000ヘルツの純音に対しては音圧レベルのデシベル値に等しい。
同じ音圧でも周波数によって聴覚的な聞こえ方が異なるので、同じデシベル値を示す音圧レベルでも周波数が違えば異なる値を示す。 という特徴を持つ。 なお、過去には「ホン」が騒音レベルの単位として使われていたことから、時に混同されるが、ラウドネスレベルの「フォン」と騒音レベルの「ホン」は下記のように異なる定義を持つ物理量である。
|
{{otheruses}}
[[ファイル:Lindos1.svg|thumb|フォン(ラウドネスレベル)と音圧レベルを表すデシベル (dB) との関係(等ラウドネス曲線)]]
'''フォン''' (phon) あるいは'''ホン'''、'''ホーン'''は、[[音の大きさ|ラウドネス]](音の聴覚的な強さ)のレベルの[[単位]]である。1997年9月30日までは、[[計量法]]における[[法定計量単位]]であった([[計量法に基づく計量単位一覧#廃止された法定計量単位]])。それ以降は、非法定計量単位となっており、[[計量法#取引、証明とは|取引・証明]]に用いることはできない。
基準[[音圧]]を20[[マイクロ|μ]][[パスカル (単位)|Pa]]とした[[音圧レベル]]の[[デシベル]] (dB) 値を周波数ごとに補正した値であり、
*1000[[ヘルツ (単位)|ヘルツ]]の[[純音]]に対しては音圧レベルのデシベル値に等しい。
*同じ[[音圧]]でも周波数によって聴覚的な聞こえ方が異なるので、同じデシベル値を示す音圧レベルでも周波数が違えば異なる値を示す。
という特徴を持つ。
なお、過去には「ホン」が[[騒音レベル]]の単位として使われていたことから、時に混同されるが、ラウドネスレベルの「フォン」と騒音レベルの「ホン」は下記のように異なる定義を持つ[[物理量]]である。
== ラウドネスレベル ==
1000ヘルツの純音のフォンは、その音圧レベルを表すdBに等しい。これ以外の周波数のフォン値は、同じラウドネスに聞こえる1000ヘルツの純音のデシベル値に等しい。したがって、同じフォンの音は(個人差等もあるがほぼ)同じ大きさに聞こえる。
音圧レベルのdB値とフォンの関係は[[等ラウドネス曲線]]に一致するはずだが、実際には測定条件や個人差などの違いにより、研究者ごとに異なる等ラウドネス曲線が導き出されている。フォンの算出には、[[国際標準化機構|ISO]] 226:2003で[[標準化|規格化]]された等ラウドネス曲線を使う。
なお、等ラウドネス曲線が等間隔でないため、同じ周波数で音圧が1dB増えてもラウドネスレベルが1フォン増えるとは限らない。
ラウドネス「レベル」ではない、ラウドネスの単位に[[ソーン (単位)|ソーン]]がある。フォンとソーンには「フォン ÷ 10 - 4 = log<sub>2</sub>ソーン」の関係がある。ラウドネスはISO532で規格化されている。
== 騒音レベル ==
[[騒音レベル]]は、周波数ごとに定められた特性値を音圧レベルのdBに足して得られる。音圧で考えれば、周波数ごとに定められた値を掛けていることになる。
騒音レベルは[[騒音計]]で測定される。通常、レベル化する際には時間的に平滑化するために[[移動平均|時間重み特性をかける]]。
特性には、[[国際電気標準会議|IEC]] 61672:2003で規格化された[[A特性]](または周波数重み付けA)、[[B特性]](ほとんど使わない)、[[C特性]]があり、それらを使って得られた騒音レベルは、かつてはホン(A)、ホン(B)、ホン(C)で表された。ただしこの意味でのホンは、[[計量法]]により[[1997年]]([[平成]]9年)[[9月30日]]で廃止され、現在は単に[[デシベル]](dB)を使う。
かつてはA特性であることを明示する場合にdB(A)、dBAなどと書いていたが、現在は単にdBとだけ書く。なぜならば、[[国際標準化機構|ISO]]や[[日本産業規格|JIS]]のJIS Z8203<ref>[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrDisuseJISStandardList?show&jisStdNo=Z8203 日本産業標準調査会:データベース-廃止JIS規格リスト Z8203]</ref>では、単位記号 (dB) に余計な記号を付けることは推奨されないからである。
騒音は多数の周波数の音が混合しているため、実際の測定では、騒音を周波数分解して、それぞれの周波数ごとの音圧に特性のデシベルを比に換算した値を掛け、それらを足し合わせてデシベルに換算する。
なお、騒音レベルは聴覚補正はされているが、[[電気回路]]化が容易であるように、特性が実際の等ラウドネス曲線より単純な曲線であることと、デシベルでの単なる加減算であることから、ラウドネスレベルとはあまり一致せず、同じデシベル値を持つ騒音レベルでも、周波数の違いにより同じ大きさに聞こえるとは限らない。また、単なる加減算であるため、同じ周波数なら音圧が1dB増えれば騒音レベルも1dB増える。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
*[[等ラウドネス曲線]]
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競泳
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競泳(きょうえい、英: swimming race, swimming match, swimming competition)とは、一定の距離を定められた泳法で泳ぎ、タイムを競う競技のこと。
個人種目としては、「自由形」「背泳ぎ」「平泳ぎ」「バタフライ」の4つの泳法があり、さらに4つの泳法を順番に泳ぐ「個人メドレー」がある。→#種目
一般的に10レーンまたは8レーンからなる50mの長水路または25mの短水路のプールで行われる。短水路の方がターン回数が多く好記録になるため、長水路の記録と短水路の記録は別に扱われる。
競泳は近代オリンピック(夏季オリンピック)第1回大会からの正式競技でもある。
2013年現在、国際水泳連盟(現世界水泳連盟)には203の国と地域が加盟しており、参加者が最も多い国際競技大会と言われるワールドマスターズゲームズでは、実施競技の中でも参加者が多い競技の一つとなっており、最も参加者が多い年もある。文部科学省が調査した世界各国のスポーツの参加状況調査では、イギリス、スウェーデン、カナダ、オーストラリアなどの調査対象となった欧米圏各国の全てで上位にランクインしており、Global HABITが調査した「アジア14都市の人気スポーツ」ではウォーキング、ジョギング(ランニング)、バドミントン、サイクリングに次ぐ競技人口第5位となっている。いずれの国でも一般人が参加できる大会が整備された競技スポーツとしては第1位~第3位となっている。日本国内では、スイミングスクールやスポーツクラブの充実などにより「習い事ランキング」では第1位、笹川スポーツ財団(2004年)と社会生活基本調査(2011年)による競技人口調査ではウォーキング・軽い体操、ボウリングに次ぐ第3位、内閣府(2009年)による競技人口調査ではウォーキング、軽い体操、ボウリング、ランニングに次ぐ第5位となっており、いずれも一般人が参加できる大会が整備された競技スポーツとしては第1位となっている。
これだけ水泳が行われている理由として、地球のほとんどが水で覆われていることだけを考えても、泳ぎが苦手なヒトにとって水泳を習得する意義は大きく、水泳を行う機会も多いことが考えられる。加えて、全身の筋肉を使った運動であること、全身の瞬発力を必要とすること、1時間当たりの消費カロリーが最も高い運動であること、柔軟でしなやかな動きを必要とすること、水中で激しく動いても水の抵抗を受けないように体の軸を保つ体幹を必要とすることなど、水泳は己の身体のみを使って総合的な身体能力が養えるスポーツなので、幼い頃から水泳を行うことは身体能力向上のために最適であり、成人や身体能力のピークを過ぎた年齢になってもトレーニングやダイエット、健康のための運動としても最適であることが考えられる。以上のような理由から、他のスポーツと比べて男女間や年齢に偏りがなく、老若男女問わず幅広く行われているため、非常に古い歴史と共に日本国内においても世界的にも競技人口が多い普遍的でメジャーなスポーツとなっている。
人が泳ぎ始めた時期については資料が無くはっきりとは分かっていないが、人類は二足歩行を始めた原始時代から生活を維持していくための食物として、川や海などに棲む魚貝類の捕獲を必要としたことや、移動のための川の横断、水害からの避難、衛生のための洗身、宗教的信仰のための水浴などの機会を通して水の浮力の存在を知り、浮力を利用して泳ぐ技術を覚えたとされており、水泳は己の身体のみを使って一人で行う最も普遍的な運動の一つとして人間の生活とともに始まったとされている。地球の70%が海であり、陸地にも川や湖、池が多数存在することから、人類の誕生から生活のために水泳が必要不可欠であったことは当然と考えられる。およそ9000年前に人が泳いでいる姿を示す壁画があったといわれ、古代ギリシア時代には水泳が盛んであったことも当時の絵画や彫刻からわかる。古代ギリシア・古代ローマ時代の身体訓練では水泳が重要な科目とされており、文化人の条件としても文字が読めることと並んで水泳ができることが必要とされていた。3000年前に西南アジアにあった古代王国アッシリアの旧地から発掘されたレリーフには、兵士が泳いで川を渡っている姿が描かれている。記録としては、古代エジプトのパピルス文書(紀元前2000年)、アッシリアのニムルド出土の兵士の図(紀元前9世紀)、古代中国の荘子、列子、淮南子などがある。
古代ギリシア時代の祭りであるオリュンピア大祭(古代オリンピック)が行われていた時期には、既に水泳が重要な科目として盛んに行われていたのだが、古代オリンピックの競技には採用されていなかった。はっきりとした理由は不明だが、あまりにも当たり前のように行われていたためとする説や祭りの時期になるとオリンピアの川の水が無くなって泳げなくなってしまうためとする説がある。そもそも、主に現在の陸上競技の原型となる種目が行われていたため、水泳を行うには別の場所で行わなければならないなど馴染まなかったとも考えられる。
最初期の泳ぎは動物の模倣で、犬掻きや平泳ぎに似ているものであったとされている。中世においても動物の泳ぎを模倣した段階であったが、19世紀に入ってイギリスの産業革命後、スポーツの近代化とブルジョワジーが賭けレースをするようになったことを背景として泳ぎにスピードが求められるようになった。そのため泳ぎに改良が加えられていき、もっとも原始的な泳ぎの形であるとともに平泳ぎの原型となる「両手で同時に水を掻き、両足で同時に水を後方に押しやる泳ぎ」から「両手で同時に水を掻き、両足を左右に開いたのち勢いよく水を挟んで前進力を得る『蛙股(現在のウェッジキック)』」が考案され、現在の平泳ぎが完成した。
これまで身体訓練や娯楽、生活の一部として世界各地で行われていた様々な運動が、19世紀の産業革命後、イギリスで起こった「スポーツの近代化」によって現在のスポーツ競技として成立していった。水泳もこの時代になると、これまでのレクリエーションとしての水泳に飽き足らなくなったイギリス上流階級の子弟を中心とする青少年たちにより学校対抗の形式で競技が始められていく。ロンドンにあるハイド・パークのサーペンタイン・レイク(池)をプールのように区切って1837年に世界初の水泳大会が行われ、1869年にロンドン水泳協会が設立された。1896年に開催された第1回オリンピックでは正式競技として採用され、現在まで一度も外されることなく行われており(第1回大会から継続して行われ続けている競技は、競泳・陸上競技・体操競技・フェンシングの4競技のみである。)、後半の陸上競技とともに前半のオリンピックにおける花形競技となっている。第1回大会の種目は自由形のみが行われ、実質平泳ぎで競われた。1900年パリオリンピックから背泳ぎが種目として加わり、自由形ではクロール泳法が登場して、1904年セントルイスオリンピックから平泳ぎは独立種目となった。1952年ヘルシンキオリンピックでは平泳ぎにおいて多数の選手がバタフライの手の掻きを用いるようになり、1956年メルボルンオリンピックからバタフライが独立種目となった。距離は当初、ヤードまたはマイルとしても実施されていたが、徐々に種目の整理がなされ、1908年ロンドンオリンピックからはメートルのみの実施となっている。また、同年、このロンドンオリンピックがきっかけとなって国際水泳連盟(FINA、現世界水泳連盟)が設立された。 現在は、小学校や中学校で体育の授業で水泳を習っている。(クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ)
競技は種目と距離、性別によって分けられている。
個人種目としては、男女それぞれにバタフライ・背泳ぎ・平泳ぎ・自由形の4泳法と、これを個人で順に行う個人メドレーがある。
距離は、自由形では 50m・100m・200m・400m・800m・1500m があり、多くの大会で女子1500mと男子800mは省略されてきたが2020年東京オリンピックより正式種目に採用された。
平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライでは 50m・100m・200m があり、個人メドレーでは200m・400m がある。
短水路の場合のみ、100m個人メドレーも行われる。競技者は低年齢から高齢者まで幅広いため、低年齢の短水路競技会では25m種目が行われることも多い。最も競技人口が多い種目は自由形短距離で、次いで多いのが平泳ぎとされている。また、短い距離ほど参加人数が多い傾向にある。
団体種目としては、男女別に4人が1チームとして順に泳ぐリレーが行われる。4人とも自由形で泳ぐフリーリレーと、4人がそれぞれ背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順に泳ぐメドレーリレーがある。国際大会の場合はフリーリレーは 4×100m・4×200m が、メドレーリレーは 4×100m が行われるのが一般的である。日本ではフリーリレーとメドレーリレーの 4×50m も記録として認められている。低年齢や高齢者で短水路の場合は4×25mも行われる。
2013年の規則改正で混合フリーリレー、混合メドレーリレーが新設され、1チーム男子2名+女子2名の4名で行われる。
競技会によって、オープンウォータースイミングは競泳の一種目として扱われる場合と、独立した競技として実施される場合がある。
詳細はそれぞれのページを参照。
スタート時は、審判長の合図の後に飛び込み台に乗り(背泳ぎの場合は入水し、グリップをもって壁に足をつけて待機)、出発合図員の「take your marks」のかけ声で構える。このとき、号砲までは静止しなければならないので、体を振って勢いなどをつける事はできない。号砲の後は各種目で指定されたルールに従って泳ぐ。
国際大会や主要な大会では自動審判計時装置を使用するが、この装置のセンサーであるタッチ板の厚さが1センチメートルあるため、タッチ板を装着していない状態の長水路のプールの長さは50.02メートル、短水路のプールの長さは25.01メートルである。
世界水泳連盟では一般規則(GR)第5条と細則(BL)で以下のとおり規定している。
周りが海に囲まれ、内陸部でも流れの早い川が多い日本では、水泳は馴染み深いものだった。古くから泳法が発達しており、水中での格闘技術や馬上水練、立ち泳ぎでの弓や鉄砲の取り扱いは、武士の嗜みともされていた。明治維新以降、欧米のスポーツが普及するにつれて、「スイミング」もまた日本人の興味をひくところとなり、1914年に初めて全国水泳大会が開催され、1924年には末弘厳太郎の尽力により大日本水上競技聯盟(現・日本水泳連盟)が発足した。 ちなみに日本における最初の競泳大会は、1856年に東京・越中島で講武所の上覧水泳が開かれた際に行われたとされている。
1930年代から1940年代にかけては世界No.1の実力を誇り、競泳は日本のお家芸と呼ばれた。オリンピックでは、1932年ロサンゼルスオリンピックで、男子全6種目中5種目で金メダルを獲得。100m背泳ぎでは、金銀銅メダルを独占した。次の1936年ベルリンオリンピックでもライバルのアメリカ合衆国を圧倒した。1940年から第二次世界大戦や太平洋戦争の勃発によりオリンピックが中断。1948年ロンドンオリンピックに日本は出場出来ず、世界から敗戦国日本の実力を疑われていたが、1949年の全米選手権に日本選手団が参加し、世界記録を連発。戦前からの力が衰えていない事を示した。
もともと体格的に劣るという面で不利なタイム競技である競泳において世界の競泳レベルがアップしていく中、日本は国際競争力を少しずつ落として行き、1964年東京オリンピック以降は完全に低迷期に入った。1988年ソウルオリンピックでは、鈴木大地が100m背泳ぎで金メダルを獲得して日本競泳陣に16年ぶりの金メダルをもたらし、日本人の短距離種目での金メダル獲得が当時の日本のスポーツ界に大きな影響を与え、1992年バルセロナオリンピックでは、岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダルを獲得して14歳6日の競泳最年少記録で金メダリスト(オリンピックメダリスト日本人最年少記録)になるなど、競泳界から国民的英雄を輩出して単発的にメダルを獲得する事はあったが、競泳界全体のレベルは上がらず、1968年メキシコシティオリンピック、1976年モントリオールオリンピック、1984年ロサンゼルスオリンピック、1996年アトランタオリンピックでは、メダルもゼロに終わった。
競泳大国が国を挙げて強化に取り組む中、日本も近年ようやく組織的な強化に着手し、2004年アテネオリンピックでは、北島康介が平泳ぎで2冠を達成し、メドレーリレーでは銅メダルに導くなどの活躍で久しぶりにメダル8個(金メダル3個)を獲得した。北島は、続く2008年北京オリンピックでも2冠を果たし、日本人史上初となるオリンピック2大会連続2種目制覇を達成した(平泳ぎでの2大会連続2種目制覇は世界初である)。2012年ロンドンオリンピックでは、戦後最多・歴代2位タイとなる11個のメダルを獲得した(金メダルは0個)。中でもメドレーリレーにおいては、男子が銀メダル、女子が銅メダルを獲得し、日本競泳史上初となる男子のこの種目での銀メダル獲得・3大会連続でのメダル獲得、そして男女両方でのメダル獲得の快挙を果たした。
ちなみに、夏季オリンピックの水泳種目で日本人が最も多くの金メダルを獲得している種目は平泳ぎであり、次いで自由形である。
かつて日本の競泳では競技開始前に出場者を紹介する際、『第1のコ~~~~~ス、○○くん』と「コ」を長く延ばす独特のアナウンスが行われていた。日本で競泳が始まった当初は選手の名前が一覧できるプログラムや掲示板などがなく、関係者や観客、記者には場内放送以外に出場者など競技の基本的な情報源がなかったため、競技の内容を記録する時間をとるためにこのようなアナウンスが行われるようになったといわれている。現在は競技の情報源が整えられており、時間を作る必要性がなくなっているため、このようなアナウンスは行われなくなっている。
2022年現在は「コース」ではなく「レーン」を用いているので「第1レーン、○○くん(所属)。」となる。
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"text": "1930年代から1940年代にかけては世界No.1の実力を誇り、競泳は日本のお家芸と呼ばれた。オリンピックでは、1932年ロサンゼルスオリンピックで、男子全6種目中5種目で金メダルを獲得。100m背泳ぎでは、金銀銅メダルを独占した。次の1936年ベルリンオリンピックでもライバルのアメリカ合衆国を圧倒した。1940年から第二次世界大戦や太平洋戦争の勃発によりオリンピックが中断。1948年ロンドンオリンピックに日本は出場出来ず、世界から敗戦国日本の実力を疑われていたが、1949年の全米選手権に日本選手団が参加し、世界記録を連発。戦前からの力が衰えていない事を示した。",
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"text": "もともと体格的に劣るという面で不利なタイム競技である競泳において世界の競泳レベルがアップしていく中、日本は国際競争力を少しずつ落として行き、1964年東京オリンピック以降は完全に低迷期に入った。1988年ソウルオリンピックでは、鈴木大地が100m背泳ぎで金メダルを獲得して日本競泳陣に16年ぶりの金メダルをもたらし、日本人の短距離種目での金メダル獲得が当時の日本のスポーツ界に大きな影響を与え、1992年バルセロナオリンピックでは、岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダルを獲得して14歳6日の競泳最年少記録で金メダリスト(オリンピックメダリスト日本人最年少記録)になるなど、競泳界から国民的英雄を輩出して単発的にメダルを獲得する事はあったが、競泳界全体のレベルは上がらず、1968年メキシコシティオリンピック、1976年モントリオールオリンピック、1984年ロサンゼルスオリンピック、1996年アトランタオリンピックでは、メダルもゼロに終わった。",
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"text": "競泳大国が国を挙げて強化に取り組む中、日本も近年ようやく組織的な強化に着手し、2004年アテネオリンピックでは、北島康介が平泳ぎで2冠を達成し、メドレーリレーでは銅メダルに導くなどの活躍で久しぶりにメダル8個(金メダル3個)を獲得した。北島は、続く2008年北京オリンピックでも2冠を果たし、日本人史上初となるオリンピック2大会連続2種目制覇を達成した(平泳ぎでの2大会連続2種目制覇は世界初である)。2012年ロンドンオリンピックでは、戦後最多・歴代2位タイとなる11個のメダルを獲得した(金メダルは0個)。中でもメドレーリレーにおいては、男子が銀メダル、女子が銅メダルを獲得し、日本競泳史上初となる男子のこの種目での銀メダル獲得・3大会連続でのメダル獲得、そして男女両方でのメダル獲得の快挙を果たした。",
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競泳とは、一定の距離を定められた泳法で泳ぎ、タイムを競う競技のこと。
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{{出典の明記|date=2023-1}}
[[File:Phelps 400m IM Missouri GP 2008.jpg|thumb|right|220px|[[平泳ぎ]]]]
'''競泳'''(きょうえい、{{lang-en-short|swimming race, swimming match, swimming competition}})とは、一定の距離を定められた泳法で[[水泳|泳ぎ]]、タイムを競う<u>[[競技]]</u>のこと<ref name="suieirenmei">[http://www.swim.or.jp/compe_swim/ 日本水泳連盟サイト「競泳」]</ref>。
== 概要 ==
個人種目としては、「[[自由形]]」「[[背泳ぎ]]」「[[平泳ぎ]]」「[[バタフライ]]」の4つの泳法があり、さらに4つの泳法を順番に泳ぐ「[[個人メドレー]]」がある<ref name="suieirenmei" />。→[[#種目]]
一般的に10レーンまたは8レーンからなる50[[メートル|m]]の[[長水路]]または25mの[[短水路]]の[[プール]]で行われる。短水路の方がターン回数が多く好記録になるため、長水路の記録と短水路の記録は別に扱われる。
競泳は[[近代オリンピック]]([[夏季オリンピック]])第1回大会からの正式競技でもある。
[[2013年]]現在、[[国際水泳連盟]](現世界水泳連盟)には203の国と地域が加盟しており、参加者が最も多い国際競技大会と言われる[[ワールドマスターズゲームズ]]では、実施競技の中でも参加者が多い競技の一つとなっており、最も参加者が多い年もある。文部科学省が調査した世界各国のスポーツの参加状況調査では、イギリス、スウェーデン、カナダ、オーストラリアなどの調査対象となった欧米圏各国の全てで上位にランクインしており、Global HABITが調査した「アジア14都市の人気スポーツ」では[[ウォーキング]]、[[ジョギング]]([[ランニング]])、[[バドミントン]]、[[サイクリング]]に次ぐ競技人口第5位となっている。いずれの国でも一般人が参加できる大会が整備された競技スポーツとしては第1位~第3位となっている<ref>[http://www.hakuhodo.co.jp/archives/reporttopics/6465 アジア14都市の人気スポーツ]</ref>。日本国内では、[[スイミングスクール]]や[[スポーツクラブ]]の充実などにより「習い事ランキング」では第1位、笹川スポーツ財団(2004年)と社会生活基本調査(2011年)による競技人口調査ではウォーキング・軽い体操、[[ボウリング]]に次ぐ第3位、内閣府(2009年)による競技人口調査ではウォーキング、軽い体操、ボウリング、ランニングに次ぐ第5位となっており、いずれも一般人が参加できる大会が整備された競技スポーツとしては第1位となっている<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3976.html 種目別スポーツ人口]</ref><ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3976a.html 日本人の行うスポーツ]</ref><ref>[http://www.arc.or.jp/ARC/201102/ARC1102gatu/1102chousa.pdf 最も多く実施されたのは「ウォーキング」]</ref>。
これだけ水泳が行われている理由として、地球のほとんどが水で覆われていることだけを考えても、泳ぎが苦手なヒトにとって水泳を習得する意義は大きく、水泳を行う機会も多いことが考えられる。加えて、全身の筋肉を使った運動であること、全身の瞬発力を必要とすること、1時間当たりの消費カロリーが最も高い運動であること、柔軟でしなやかな動きを必要とすること、水中で激しく動いても水の抵抗を受けないように体の軸を保つ体幹を必要とすることなど、水泳は己の身体のみを使って総合的な身体能力が養えるスポーツなので、幼い頃から水泳を行うことは身体能力向上のために最適であり、成人や身体能力のピークを過ぎた年齢になってもトレーニングやダイエット、健康のための運動としても最適であることが考えられる。以上のような理由から、他のスポーツと比べて男女間や年齢に偏りがなく、老若男女問わず幅広く行われているため、非常に古い歴史と共に日本国内においても世界的にも競技人口が多い普遍的でメジャーなスポーツとなっている。
== 歴史 ==
人が泳ぎ始めた時期については資料が無くはっきりとは分かっていないが、人類は二足歩行を始めた原始時代から生活を維持していくための食物として、川や海などに棲む[[魚貝類]]の捕獲を必要としたことや、移動のための川の横断、水害からの避難、衛生のための洗身、宗教的信仰のための水浴などの機会を通して水の浮力の存在を知り、浮力を利用して泳ぐ技術を覚えたとされており、水泳は己の身体のみを使って一人で行う最も普遍的な運動の一つとして人間の生活とともに始まったとされている。地球の70%が海であり、陸地にも川や湖、池が多数存在することから、人類の誕生から生活のために水泳が必要不可欠であったことは当然と考えられる。およそ9000年前に人が泳いでいる姿を示す壁画があったといわれ、[[古代ギリシア]]時代には水泳が盛んであったことも当時の絵画や彫刻からわかる。古代ギリシア・[[古代ローマ]]時代の身体訓練では水泳が重要な科目とされており、文化人の条件としても文字が読めることと並んで水泳ができることが必要とされていた。3000年前に西南アジアにあった古代王国[[アッシリア]]の旧地から発掘されたレリーフには、兵士が泳いで川を渡っている姿が描かれている。記録としては、[[古代エジプト]]のパピルス文書(紀元前2000年)、アッシリアのニムルド出土の兵士の図(紀元前9世紀)、[[古代中国]]の[[荘子]]、[[列子]]、[[淮南子]]などがある。<ref name="history">[http://100.yahoo.co.jp/detail/水泳/ 水泳の歴史]{{リンク切れ|date=2013年12月}}</ref>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
古代ギリシア時代の祭りであるオリュンピア大祭([[古代オリンピック]])が行われていた時期には、既に水泳が重要な科目として盛んに行われていたのだが、古代オリンピックの競技には採用されていなかった。はっきりとした理由は不明だが、あまりにも当たり前のように行われていたためとする説や祭りの時期になるとオリンピアの川の水が無くなって泳げなくなってしまうためとする説がある。そもそも、主に現在の陸上競技の原型となる種目が行われていたため、水泳を行うには別の場所で行わなければならないなど馴染まなかったとも考えられる。<ref>[http://muta-tosu.seesaa.net/article/290176366.html]</ref>
最初期の泳ぎは動物の模倣で、[[犬掻き]]や[[平泳ぎ]]に似ているものであったとされている。[[中世]]においても動物の泳ぎを模倣した段階であったが、[[19世紀]]に入って[[イギリス]]の産業革命後、スポーツの近代化と[[ブルジョワジー]]が賭けレースをするようになったことを背景として泳ぎにスピードが求められるようになった。そのため泳ぎに改良が加えられていき、もっとも原始的な泳ぎの形であるとともに平泳ぎの原型となる「両手で同時に水を掻き、両足で同時に水を後方に押しやる泳ぎ」から「両手で同時に水を掻き、両足を左右に開いたのち勢いよく水を挟んで前進力を得る『蛙股(現在のウェッジキック)』」が考案され、現在の平泳ぎが完成した。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
これまで身体訓練や娯楽、生活の一部として世界各地で行われていた様々な運動が、19世紀の産業革命後、イギリスで起こった「スポーツの近代化」によって現在のスポーツ競技として成立していった。水泳もこの時代になると、これまでの[[レクリエーション]]としての水泳に飽き足らなくなったイギリス上流階級の子弟を中心とする青少年たちにより学校対抗の形式で競技が始められていく。[[ロンドン]]にある[[ハイド・パーク]]の[[サーペンタイン・レイク]](池)をプールのように区切って[[1837年]]に世界初の水泳大会が行われ、[[1869年]]にロンドン水泳協会が設立された。[[1896年]]に開催された[[アテネオリンピック (1896年)|第1回オリンピック]]では正式競技として採用され、現在まで一度も外されることなく行われており(第1回大会から継続して行われ続けている競技は、競泳・[[陸上競技]]・[[体操競技]]・[[フェンシング]]の4競技のみである。)、後半の陸上競技とともに前半のオリンピックにおける花形競技となっている。第1回大会の種目は[[自由形]]のみが行われ、実質平泳ぎで競われた。[[1900年]][[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]から[[背泳ぎ]]が種目として加わり、自由形では[[クロール (泳法)|クロール]]泳法が登場して、[[1904年]][[セントルイスオリンピック]]から平泳ぎは独立種目となった。[[1952年]][[ヘルシンキオリンピック]]では平泳ぎにおいて多数の選手が[[バタフライ]]の手の掻きを用いるようになり、[[1956年]][[メルボルンオリンピック]]からバタフライが独立種目となった。距離は当初、ヤードまたはマイルとしても実施されていたが、徐々に種目の整理がなされ、[[1908年]][[ロンドンオリンピック (1908年)|ロンドンオリンピック]]からはメートルのみの実施となっている。また、同年、このロンドンオリンピックがきっかけとなって[[国際水泳連盟]](FINA、現世界水泳連盟)が設立された。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
現在は、小学校や中学校で体育の授業で水泳を習っている。(クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ)
== 種目 ==
競技は種目と距離、性別によって分けられている。
個人種目としては、男女それぞれに'''[[バタフライ]]・[[背泳ぎ]]・[[平泳ぎ]]'''・'''[[自由形]]'''の4泳法と、これを個人で順に行う'''[[個人メドレー]]'''がある。
距離は、自由形では 50m・100m・200m・400m・800m・1500m があり、多くの大会で女子1500mと男子800mは省略されてきたが[[2020年東京オリンピック]]より正式種目に採用された<ref>[https://tokyo2020.org/jp/news/notice/20170610-01.html 東京2020オリンピック競技大会実施種目決定!]</ref>。
平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライでは 50m・100m・200m があり、個人メドレーでは200m・400m がある。
短水路の場合のみ、100m個人メドレーも行われる。競技者は低年齢から高齢者まで幅広いため、低年齢の短水路競技会では25m種目が行われることも多い。最も競技人口が多い種目は自由形短距離で、次いで多いのが平泳ぎとされている。また、短い距離ほど参加人数が多い傾向にある。
団体種目としては、男女別に4人が1チームとして順に泳ぐ[[駅伝制|リレー]]が行われる。4人とも自由形で泳ぐ'''[[フリーリレー]]'''と、4人がそれぞれ背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順に泳ぐ'''[[メドレーリレー]]'''がある。国際大会の場合はフリーリレーは 4×100m・4×200m が、メドレーリレーは 4×100m が行われるのが一般的である。日本ではフリーリレーとメドレーリレーの 4×50m も記録として認められている。低年齢や高齢者で短水路の場合は4×25mも行われる。
2013年の規則改正で混合フリーリレー、混合メドレーリレーが新設され、1チーム男子2名+女子2名の4名で行われる。
競技会によって、[[オープンウォータースイミング]]は競泳の一種目として扱われる場合と、独立した競技として実施される場合がある。
== ルール ==
詳細はそれぞれのページを参照。
スタート時は、審判長の合図の後に飛び込み台に乗り(背泳ぎの場合は入水し、グリップをもって壁に足をつけて待機)、出発合図員の「take your marks」のかけ声で構える。このとき、号砲までは静止しなければならないので、体を振って勢いなどをつける事はできない。号砲の後は各種目で指定されたルールに従って泳ぐ。
国際大会や主要な大会では自動審判計時装置を使用するが、この装置のセンサーである[[タッチ板]]の厚さが1[[センチメートル]]あるため、タッチ板を装着していない状態の長水路のプールの長さは50.02メートル、短水路のプールの長さは25.01メートルである。
=== 服装 ===
世界水泳連盟では一般規則(GR)第5条と細則(BL)で以下のとおり規定している。
* 全ての競技者が着用する服装(水着、帽子、ゴーグル)は、公序良俗に反せず、個人スポーツの規則に適合するものであって、許可された以外のいかなるシンボルもつけてはならない。
** 補足:商標については、その面積の合計が1商品において16 平方センチメートル以下とするよう別途具体的な定めがある。
* いかなる水着も非透過でなければならない。
* 競技会では、競技者はワンピースもしくはツーピースの水着を1枚着用できる。(キャップは2枚着用できる。)
*男子はヘソからヒザまで、女子は首を覆ったり肩を超えずヒザまでの線維材料のもの(FINA水着承認要件に従って承認されたもの)を着用しなければならない。アームバンドやリストバンドは水着のパーツとみなさない。
*競技役員は、規則に適合しない水着等を着用している競技者を除外する権限を持つ(通常は招集所で招集員により水着に国際水連の承認済バーコードが入っているかチェックが行われる)。
* 競技会で使用される新たなデザイン・設計・材料の水着は、製造業者が事前に国際水連(FINA)に提出し承認を得なければならない。
* 水着の製造業者は、許可を得た新たな水着が、特定の競技者のためのものであってはならないことを理解しなければならない。
** 補足:オリンピックや世界選手権で着用できる水着については、参加するすべての選手に満遍なく行き渡るようにする製造体制が取られていることが、許可の条件となっている。このため、各メーカーでは、最新式の水着を出す場合には、まず代表クラスにのみ供給し、徐々に販売する選手のレベルを下げて行くようにしており、物によっては発表から1年たってようやくエンドユーザー向けに発売したり、一般向けには一切発売しないということもある。
== 各国の競泳 ==
=== 日本 ===
周りが[[海]]に囲まれ、内陸部でも流れの早い[[川]]が多い[[日本]]では、水泳は馴染み深いものだった。古くから[[日本泳法|泳法]]が発達しており、水中での[[格闘]]技術や馬上水練、[[立ち泳ぎ]]での[[弓 (武器)|弓]]や[[火縄銃|鉄砲]]の取り扱いは、[[武士]]の嗜みともされていた。明治維新以降、欧米のスポーツが普及するにつれて、「スイミング」もまた日本人の興味をひくところとなり、[[1914年]]に初めて全国水泳大会が開催され、[[1924年]]には'''[[末弘厳太郎]]'''の尽力により大日本水上競技聯盟(現・[[日本水泳連盟]])が発足した。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}} ちなみに日本における最初の競泳大会は、[[1856年]]に東京・[[越中島]]で講武所の上覧水泳が開かれた際に行われたとされている。<ref>[http://www.swim.or.jp/11_committee/01_swim/intro.html 競泳の歴史 - 日本水泳連盟]</ref>
[[1930年]]代から[[1940年]]代にかけては世界No.1の実力を誇り、競泳は日本のお家芸と呼ばれた。オリンピックでは、[[1932年]][[ロサンゼルスオリンピック (1932年)|ロサンゼルスオリンピック]]で、男子全6種目中5種目で金メダルを獲得。100m背泳ぎでは、金銀銅メダルを独占した。次の[[1936年]][[ベルリンオリンピック]]でもライバルの[[アメリカ合衆国]]を圧倒した。[[1940年]]から[[第二次世界大戦]]や[[太平洋戦争]]の勃発によりオリンピックが中断。[[1948年]][[ロンドンオリンピック (1948年)|ロンドンオリンピック]]に日本は出場出来ず、世界から敗戦国日本の実力を疑われていたが、[[1949年]]の全米選手権に日本選手団が参加し、世界記録を連発。戦前からの力が衰えていない事を示した。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
もともと体格的に劣るという面で不利なタイム競技である競泳において世界の競泳レベルがアップしていく中、日本は国際競争力を少しずつ落として行き、[[1964年東京オリンピック]]以降は完全に低迷期に入った。[[1988年]][[ソウルオリンピック]]では、'''[[鈴木大地]]'''が100m背泳ぎで[[金メダル]]を獲得して日本競泳陣に16年ぶりの金メダルをもたらし、日本人の短距離種目での金メダル獲得が当時の日本のスポーツ界に大きな影響を与え、[[1992年]][[バルセロナオリンピック]]では、'''[[岩崎恭子]]'''が200m平泳ぎで金メダルを獲得して14歳6日の競泳最年少記録で金メダリスト(オリンピックメダリスト日本人最年少記録)になるなど、競泳界から国民的英雄を輩出して単発的にメダルを獲得する事はあったが、競泳界全体のレベルは上がらず、[[1968年]][[メキシコシティオリンピック]]、[[1976年]][[モントリオールオリンピック]]、[[1984年]][[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]、[[1996年]][[アトランタオリンピック]]では、メダルもゼロに終わった。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
競泳大国が国を挙げて強化に取り組む中、日本も近年ようやく組織的な強化に着手し、[[2004年]][[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]では、'''[[北島康介]]'''が平泳ぎで2冠を達成し、メドレーリレーでは[[銅メダル]]に導くなどの活躍で久しぶりにメダル8個(金メダル3個)を獲得した。北島は、続く[[2008年]][[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]でも2冠を果たし、日本人史上初となるオリンピック2大会連続2種目制覇を達成した(平泳ぎでの2大会連続2種目制覇は世界初である)。[[2012年]][[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]では、戦後最多・歴代2位タイとなる11個のメダルを獲得した(金メダルは0個)。中でもメドレーリレーにおいては、男子が[[銀メダル]]、女子が銅メダルを獲得し、日本競泳史上初となる男子のこの種目での銀メダル獲得・3大会連続でのメダル獲得、そして男女両方でのメダル獲得の快挙を果たした。<ref name="history"/>{{リンク切れ|date=2013年12月}}
ちなみに、[[夏季オリンピック]]の水泳種目で[[日本人]]が最も多くの[[日本の夏季オリンピック金メダル|金メダル]]を獲得している種目は平泳ぎであり、次いで自由形である。<ref>[http://www.nihonjiten.com/jinbutsu/olympic/index.html 日本人オリンピック金メダリスト]</ref>
==== 場内アナウンス ====
{{出典の明記|date=2020年10月}}
かつて{{いつ|date=2020年10月}}日本の競泳では競技開始前に出場者を紹介する際、『第1のコ~~~~~ス、○○くん』と「コ」を長く延ばす独特のアナウンスが行われていた。日本で競泳が始まった当初は選手の名前が一覧できるプログラムや掲示板などがなく、関係者や観客、記者には場内放送以外に出場者など競技の基本的な情報源がなかったため、競技の内容を記録する時間をとるためにこのようなアナウンスが行われるようになったといわれている{{誰|date=2020年10月}}。現在{{いつ|date=2020年10月}}は競技の情報源が整えられており、時間を作る必要性がなくなっているため、このようなアナウンスは行われなくなっている。
2022年現在{{いつ|date=2020年10月}}は「コース」ではなく「レーン」を用いているので「第1レーン、○○くん(所属)。」となる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[競泳の世界記録一覧]]
* [[競泳のアジア記録一覧]]
* [[競泳の日本記録一覧]]
* [[競泳の日本高校記録一覧]]
* [[競泳の日本中学記録一覧]]
* [[競泳の日本学童記録一覧]]
* [[競泳競技のオリンピック記録一覧]]
* [[オリンピックの競泳競技]]
* [[パラ水泳]]
* [[水泳]]
** [[飛込競技]]
** [[アーティスティックスイミング]]
** [[水球]]
** [[オープンウォータースイミング]]
** [[日本泳法]]
* [[ウォータースポーツ]]
* [[プール]]
* [[水着]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Competitive swimming}}
* [https://www.worldaquatics.com/ World Aquatics(世界水泳連盟)]
* [https://swim.or.jp/ 日本水泳連盟]
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11,410 |
自由形
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自由形(じゆうがた、freestyle)は、競泳の種目の一つ。自由な泳法で速く泳ぐことを競うものである。水泳選手を中心に「フリー」「フリ」という略称が用いられる。なお、「自由型」と表記されることもあるが、競技規則上は自由形である。
「自由形」の名の通り泳法は指定されておらず、定められた距離をより短いタイムで泳ぐことを競う種目である。泳法は自由であり、レース中に泳法を変えてもよい。現在では、50mのように短時間で勝負が決まるものから1500mのように時間がかかるものまで種目が豊富にある。マスターズ水泳などの短水路の大会では、より短い25m種目も存在する。
「自由形」という種目は、第一回アテネオリンピックから存在している歴史の古い種目である。ただし、第一回オリンピックでは参加者全員が「平泳ぎ」で泳いだ。オリンピックを数回重ねる間に、選手たちに選ばれる泳法はいくつか変化した。 ⇒#歴史
現在では、4泳法のうちクロール以外の3泳法は種目として独立しており、事実上クロール泳法のみで競われている。また、メドレーリレーおよび個人メドレー種目における「自由形」とはバタフライ、平泳ぎ、背泳ぎ以外の泳法(スタイル)と規定されているため、これも事実上クロール泳法となる。そのため、自由形(フリースタイル)とはいっても多種の泳法で競われることはほとんどなく、「自由形=クロール」というように「4泳法中の1泳法」という印象を持っている人は多い。なお、障害者スポーツの自由形においては、選手個々の障害において泳法を決めるため、クロール以外の泳法で泳ぐ選手も存在する。
2018年時点でのルールは以下の通り。
なお、長距離(主に800m、1500m)に限り、時間がかかるために制限時間を設けている大会も存在する。これは規定時間以内に指定された距離を通過しなければ退水(リタイア)となるというものである。この場合、完泳していないので記録はつかない。
また1500mでは、800m通過時の途中時間は「正式時間」として記録が公認される(ただし、800m以後に途中棄権した場合は認められない)。
自由形という種目は、第一回アテネオリンピックから存在している歴史の古い種目である。
第一回オリンピックでは参加者全員が平泳ぎで泳いだ。第一回大会当時、全ての泳法は常に水面から顔を出しているものであり、息継ぎのある泳法は知られておらず、息継ぎがあるクロール泳法も存在しなかったためである。
しかし、第一回オリンピック後の大会で背泳ぎで泳ぐ(当時の背泳ぎは平泳ぎを裏返したもの)選手が複数出て、背泳ぎを選ぶ選手らが勝利した。当時、平泳ぎが歴史と伝統のある美しい泳法であると考えられており、オリンピック委員らは、水しぶきをあげて泳ぐ背泳は「男らしくない」「美しくない」と考えられていた。そこで、伝統ある平泳ぎを選ぶ人がいなくならないように第二回オリンピックから背泳ぎを新たな種目として独立させることにした。
ところが、さらにクロールという目新しい泳法が登場し、自由形で泳ぐ選手が出てきた。これにより、オリンピック委員らは、「新しい速い泳法が出るたびに新しい泳法を独立させる」という方法ではなく、オリンピックで歴史と伝統のある平泳ぎをする選手が毎回見られるように、平泳ぎの方を新たな種目として独立させた。
結果として、自由形で平泳ぎを選ぶ選手はいなくなり、自由形ではほとんどの選手がクロールを、背泳ぎではバッククロールを選ぶ状態となっている。
その後、事実上はほとんどの選手がクロール泳法を選んでいるが、まれにクロール以外を選ぶ選手もいる。例えば、日本人が初めてオリンピックの水泳に参加した時、日本人はクロールを知らず、また試合を見たこともなく他国の選手がどのような泳法を選ぶか知らなかったので、日本国内で予選を行った時、ほぼ全員が日本人にとって伝統的な泳法である「横泳ぎ」を選んだ。その結果、横泳ぎを選んだ選手が代表に選ばれ、実際のオリンピックの「自由形」でも横泳ぎで泳いだ(クロールよりも遅くなるため、結果は惨敗であった)。また、映画『東京オリンピック』の制作に参加していた写真家の細江英公の近代五種競技の水泳300メートル自由形についての証言では、「モデルとしてレンズに入れる選手を韓国の張選手に決めていたのだが、カメラを廻してみると、驚いたことに三〇〇メートルを全部平泳ぎで泳ぎきったのである。五〇メートルもの差がついてしまったが、後で聞くと、前日肩を痛めたので、平泳ぎしかできなかったのだとわかった」(『別冊キネマ旬報 東京オリンピック』より)とある。
2000年シドニーオリンピックの400メートルフリーリレーにおいて、オーストラリアの第一泳者マイケル・クリム選手が、選手らが激しく競り合ったレースでゴール前の数メートル程度を手はクロールの動きなのに足はドルフィンキックという泳法(「ドルフィン・クロール」と呼ばれる泳法)で接戦を制し、100メートル自由形の世界記録を更新した。これにより、ばた足のクロールよりも速いドルフィン・クロールは、現時点である意味「人類最速の泳法」と言えることになるが、体力を非常に消耗するため、レース全てをドルフィン・クロールで泳いで勝つことは今のところ困難であり、勝利した記録も無い。ただし、今後はレース全てをドルフィン・クロールで泳ぎ切るかその割合を増やすことで勝利する選手が出てくる可能性がある。
クロールには6ビート、4ビート、2ビート等、さまざまな泳ぎ方に細分され、短距離のトップ選手は6ビート、長距離では4ビート、2ビートが多い。
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自由形(じゆうがた、freestyle)は、競泳の種目の一つ。自由な泳法で速く泳ぐことを競うものである。水泳選手を中心に「フリー」「フリ」という略称が用いられる。なお、「自由型」と表記されることもあるが、競技規則上は自由形である。
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'''自由形'''(じゆうがた、freestyle)は、[[競泳]]の種目の一つ。自由な[[泳法]]で速く泳ぐことを競うものである。水泳選手を中心に「フリー」「フリ」という略称が用いられる。なお、「自由型」と表記されることもあるが、競技規則上は自由形である。
== 概要 ==
「自由形」の名の通り泳法は指定されておらず、定められた距離をより短いタイムで泳ぐことを競う種目である。泳法は自由であり、レース中に泳法を変えてもよい。現在では、50mのように短時間で勝負が決まるものから1500mのように時間がかかるものまで種目が豊富にある。[[マスターズ水泳]]などの短水路の大会では、より短い25m種目も存在する。
「自由形」という種目は、第一回アテネオリンピックから存在している歴史の古い種目である。ただし、第一回オリンピックでは参加者全員が「[[平泳ぎ]]」で泳いだ。オリンピックを数回重ねる間に、選手たちに選ばれる泳法はいくつか変化した。 ⇒[[#歴史]]
現在では、4泳法のうち[[クロール (泳法)|クロール]]以外の3泳法は種目として独立しており、事実上'''クロール泳法のみで競われている'''。また、[[メドレーリレー]]および[[個人メドレー]]種目における「自由形」とは[[バタフライ]]、[[平泳ぎ]]、[[背泳ぎ]]以外の泳法(スタイル)と規定されているため、これも事実上クロール泳法となる。そのため、自由形(フリースタイル)とはいっても多種の泳法で競われることはほとんどなく、「自由形=クロール」というように「4泳法中の1泳法」という印象を持っている人は多い。なお、[[障害者スポーツ]]の自由形においては、選手個々の障害において泳法を決めるため、クロール以外の泳法で泳ぐ選手も存在する<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.jsad.or.jp/about/referenceroom_data/competition-guide_02.pdf |title = かんたん!水泳ガイド |publisher = 日本障がい者スポーツ協会 |accessdate = 2021-10-23}}</ref>。
=== ルール ===
2018年時点でのルールは以下の通り。
*審判長の笛の合図の後、スタート台に乗り、静止。出発合図員の「''' ''Take your marks...'' '''」<ref>2017年3月まで日本では「よーい」だった</ref>で'''構えたあとは号砲まで静止しなければならない'''。号砲までに動作をおこした場合、失格となる<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170308/k00/00m/050/097000c スタート合図を英語に 4月の日本選手権から] - 毎日新聞デジタル 2017年3月7日配信</ref>。
*号砲後飛び込み、'''[[プール]]の壁(端)まで自分のレーン以外のところに行ったりコースロープに触れたり、プールの底を歩いたり蹴ったりしなければどのような泳法でも可(立つだけなら失格とはならない)。'''
**ただし、'''スタート後及びターン後の潜水は壁から15メートルまでとされ、それ以外の競技中は体の一部が水面上に出ていなければならない。'''そのため、全く泳ぎ方に制限がないわけではない。
なお、長距離(主に800m、1500m)に限り、時間がかかるために制限時間を設けている大会も存在する。これは規定時間以内に指定された距離を通過しなければ退水(リタイア)となるというものである。この場合、完泳していないので記録はつかない。
また1500mでは、800m通過時の途中時間は「正式時間」として記録が公認される(ただし、800m以後に途中棄権した場合は認められない)。
;制限時間の例 (大会により設定時間は変わる)
:*800m自由形は、700m通過時のタイムが15分30秒以内
:*1500m自由形は、1400m通過時のタイムが25分00秒以内
== 歴史 ==
自由形という種目は、[[1896年アテネオリンピック|第一回アテネオリンピック]]から存在している[[1896年アテネオリンピックの競泳競技|歴史の古い種目]]である。<ref name="chiko">NHK『[[チコちゃんに叱られる!]]』2018年4月27日放送。{{出典無効|date=2022-03-06}}</ref>
第一回オリンピックでは参加者全員が平泳ぎで泳いだ。第一回大会当時、全ての泳法は常に水面から顔を出しているものであり、息継ぎのある泳法は知られておらず、息継ぎがある[[クロール (泳法)|クロール]]泳法も存在しなかったためである。<ref name="chiko" />
しかし、第一回オリンピック後の大会で[[背泳ぎ]]で泳ぐ(当時の背泳ぎは平泳ぎを裏返したもの)選手が複数出て、背泳ぎを選ぶ選手らが勝利した。当時、平泳ぎが歴史と伝統のある美しい泳法であると考えられており、オリンピック委員らは、水しぶきをあげて泳ぐ背泳は「男らしくない」「美しくない」と考えられていた。そこで、伝統ある平泳ぎを選ぶ人がいなくならないように[[1900年パリオリンピック|第二回オリンピック]]から[[1900年パリオリンピックの競泳競技|背泳ぎを新たな種目として独立]]させることにした。<ref name="chiko" />
ところが、さらに[[クロール (泳法)|クロール]]という目新しい泳法が登場し、自由形で泳ぐ選手が出てきた。これにより、オリンピック委員らは、「新しい速い泳法が出るたびに新しい泳法を独立させる」という方法ではなく、オリンピックで歴史と伝統のある平泳ぎをする選手が毎回見られるように、平泳ぎの方を新たな種目として独立させた。<ref name="chiko" />
結果として、自由形で平泳ぎを選ぶ選手はいなくなり、自由形ではほとんどの選手がクロールを、背泳ぎではバッククロールを選ぶ状態となっている。<ref name="chiko" />
その後、事実上はほとんどの選手がクロール泳法を選んでいるが、まれにクロール以外を選ぶ選手もいる。例えば、[[1920年アントワープオリンピックの競泳競技|日本人が初めてオリンピックの水泳に参加した時]]、日本人はクロールを知らず、また試合を見たこともなく他国の選手がどのような泳法を選ぶか知らなかったので、日本国内で予選を行った時、ほぼ全員が日本人にとって伝統的な泳法である「[[横泳ぎ]]」を選んだ。その結果、横泳ぎを選んだ選手が[[1920年アントワープオリンピックの日本選手団|代表に選ばれ]]、実際のオリンピックの「自由形」でも横泳ぎで泳いだ(クロールよりも遅くなるため、結果は惨敗であった)<ref name="chiko" /><ref>[[内田正練]](北大)と[[斎藤兼吉]](東京高師) 。内田と斎藤はこの大会の経験からクロールを習得し、この新たな泳法を日本に普及する先駆者となった。</ref>。また、映画『[[東京オリンピック (映画)|東京オリンピック]]』の制作に参加していた写真家の[[細江英公]]の[[1964年東京オリンピックの近代五種競技|近代五種競技]]の[[:en:Modern_pentathlon_at_the_1964_Summer_Olympics_–_Men's_individual#Swimming|水泳]]300メートル自由形についての証言では、「モデルとしてレンズに入れる選手を韓国の張選手に決めていたのだが、カメラを廻してみると、驚いたことに三〇〇メートルを全部平泳ぎで泳ぎきったのである。五〇メートルもの差がついてしまったが、後で聞くと、前日肩を痛めたので、平泳ぎしかできなかったのだとわかった」(『別冊キネマ旬報 東京オリンピック』より)とある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www-lib.icu.ac.jp/Column/MsDeepWorld/20150721.htm|title=図書館ブログ:国際基督教大学図書館|accessdate=2018.4.28|publisher=国際基督教大学図書館}}</ref>。
[[2000年シドニーオリンピック]]の400メートルフリーリレーにおいて、オーストラリアの第一泳者[[マイケル・クリム]]選手が、選手らが激しく競り合ったレースでゴール前の数メートル程度を手はクロールの動きなのに足はドルフィンキックという泳法(「[[ドルフィン・クロール]]」と呼ばれる泳法)で接戦を制し、100メートル自由形の世界記録を更新した。これにより、ばた足のクロールよりも速いドルフィン・クロールは、現時点である意味「人類最速の泳法」と言えることになるが、体力を非常に消耗するため、レース全てをドルフィン・クロールで泳いで勝つことは今のところ困難であり、勝利した記録も無い。ただし、今後はレース全てをドルフィン・クロールで泳ぎ切るかその割合を増やすことで勝利する選手が出てくる可能性がある。<ref name="chiko" />
== 競泳の自由形におけるクロール泳法 ==
クロールには6ビート、4ビート、2ビート等、さまざまな泳ぎ方に細分され、短距離のトップ選手は6ビート、長距離では4ビート、2ビートが多い。
== 歴代日本人金メダリスト ==
=== 男子 ===
* [[宮崎康二]] 100m(1932)
* [[北村久寿雄]] 1500m(1932)
* [[寺田登]] 1500m(1936)
=== 女子 ===
* [[柴田亜衣]] 800m(2004)
== 主な自由形の選手 ==
=== 男子 ===
; {{USA}}
* [[マーク・スピッツ]]
* [[マット・ビオンディ]]
* [[ゲーリー・ホール・ジュニア]]
; {{AUS}}
* [[イアン・ソープ]]
* [[グラント・ハケット]] - 800m(短水路)の世界記録保持者
* [[イーモン・サリバン]]
; {{FRA}}
* [[アラン・ベルナール]]
* [[フローラン・マナドゥ]] - 50m(短水路)の世界記録保持者
* [[アモリ・ルボー]] - 100m(短水路)の世界記録保持者
* [[ヤニック・アニエル]] - 400m(短水路)の世界記録保持者
; {{NED}}
* [[ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド]]
; {{GER}}
* [[:de:Paul Biedermann|パウル・ビーデルマン]]
; {{RUS}}
* [[アレクサンドル・ポポフ (競泳選手)|アレクサンドル・ポポフ]]
; {{BRA}}
* [[セーザル・シエロ]] - 50mと100m(いずれも長水路)の世界記録保持者
; {{PRC}}
* [[孫楊]] - 1,500m(長水路)の世界記録保持者
; {{JPN}}
* [[奥村幸大]]
* [[内田翔]]
* [[藤井拓郎]]
* [[佐藤久佳]]
* [[松田丈志]] - 800m(長水路)の日本記録保持者
* [[萩野公介]] - 400m(長水路)の日本記録保持者
* [[塩浦慎理]] - 50m(長水路)のアジア記録保持者
* [[中村克]] - 100m(短水路)のアジア記録保持者、100m(長水路)の日本記録保持者
* [[松元克央]] - 200m(長水路)の日本記録保持者
* [[江原騎士]] - 400mと800m(いずれも短水路)の日本記録保持者
=== 女子 ===
; {{USA}}
* [[シャーリー・ババショフ]]
* [[ジャネット・エバンス]]
* [[ブルック・ベネット]]
* [[ケイティ・レデッキー]] - 400mと800mと1,500m(いずれも長水路)の世界記録保持者
; {{AUS}}
* [[ドーン・フレーザー]]
* [[シェーン・グールド]]
* [[ジョディ・ヘンリー]]
* [[リスベス・トリケット]]
* [[ケイト・キャンベル]] - 100m(短水路)の世界記録保持者
; {{FRA}}
* [[ロール・マナドゥ]]
; {{NED}}
* [[インヘ・デブルーイン]]
* [[ラノミ・クロモウィジョジョ]] - 50m(短水路)の世界記録保持者
; {{ITA}}
* [[フェデリカ・ペレグリニ]] - 200m(長水路)の世界記録保持者
; {{SWE}}
* [[サラ・ショーストレム]] - 50mと100m(いずれも長水路)及び200m(短水路)の世界記録保持者
; {{ESP}}
* [[ミレイア・ベルモンテ]] - 400mと800mと1,500m(いずれも短水路)の世界記録保持者
; {{JPN}}
* [[中森智佳子]]
* [[千葉すず]]
* [[源純夏]]
* [[山田沙知子]] - 1,500m(短水路)のアジア記録保持者、800m(長水路)の日本記録保持者
* [[柴田亜衣]] - 400mと1,500m(いずれも長水路)及び800m(短水路)の日本記録保持者
* [[上田春佳]]
* [[内田美希]]
* [[五十嵐千尋]] - 400m(短水路)の日本記録保持者
* [[池江璃花子]] - 100mと200m(いずれも長水路)及び50mと100mと200m(いずれも短水路)のアジア記録保持者、50m(長水路)の日本記録保持者
== 脚注 ==
<references />
== 関連項目 ==
* [[スポーツ]]
* [[フリースタイル]]
* [[クロール (泳法)|クロール]]
* [[競泳の世界記録一覧]]
* [[競泳の日本記録一覧]]
* [[競泳100メートル自由形の世界記録の変遷]]
==外部リンク==
{{commonscat|Freestyle swimming}}
*[https://www.swim.or.jp/ 財団法人日本水泳連盟]
*[https://www.fina.org/ 国際水泳連盟(英語)]
{{水泳競技}}
[[Category:水泳|しゆうかた]]
[[he:שחייה תחרותית#חופשי]]
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2003-07-14T12:49:28Z
|
2023-12-01T03:46:56Z
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11,411 |
背泳ぎ
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背泳ぎ(せおよぎ、英: backstroke)は、水泳で、仰向けの姿勢で泳ぐ泳ぎ方である。音読みで「背泳」(はいえい)とも呼ばれるが、競技規則では背泳ぎである。
水泳選手を中心に「バック」という略称が用いられている。
背泳ぎが行われるようになった時期は明らかでない。古代エジプトのラムセス2世の葬祭殿のレリーフにあるカディシュの戦いの描写では、海上で背浮きらしき動作をする兵士や背泳ぎの姿勢で人命救助を行う兵士が描かれている。しかし、記述として背泳ぎについて詳細に述べた歴史書は16世紀初頭の「コリュンペテス」が最初といわれている。
競泳の種目としてはオリンピックでは第2回のパリ大会(1900年)より採用されている。
かつては背泳ぎも平泳ぎと同様の動作で水をけり、同時に両手も動かして水をかいていた。のちにクロールが泳がれるようになって、現在の泳法として発達した。
他の泳法では飛び込みによるスタートが行われるが、背泳ぎ(及び背泳ぎから開始するメドレーリレー)では、水に入った状態でスタートする。
審判長の笛の合図の後、各コースに入水。専用のグリップに手をかけ、プールの壁に足をかける。この際、指先が水面から出ないようにしなければならなかったが、2006年の改正で「壁や溝等に足の指をかけないこと」となり、指先が水面から出ても良いことになった。国内ルールでは「つま先を含む足の位置は、水面の上下いずれに位置しても良いが、プールのへり、タッチ板の上端、排水溝より上に足の指が出てはならない。」と表現されている。
出発合図員の「Take your marks...」で、体を壁にひきつけ構えた後は、号砲まで静止しなければならない。このときもしも静止しなかった場合は失格となる。号砲後水面よりやや上方に飛び出して着水した後、15m以内に頭が水面上に出なければならない。15mを超えると失格。競技中はターン時を除いて常に仰向けの状態で泳ぐ。
スタート時に足が滑って失敗する可能性があったが、バックストロークレッジと呼ばれる細長い楔状の断面の板をスタート時のみ設置してこれを防いでいる。
なお、ターン時については
バサロ泳法(潜水泳法)はスタート及びターンから15mまでと規定されている。これは規定のなかった1980年代、本来の背泳ぎではない潜水泳法による距離が長い選手が優位に立っており、競技としての形骸化が指摘されたためである。1988年ソウルオリンピックで鈴木大地が30mのバサロ泳法により金メダルを獲得したことを契機に規定が設けられ、オリンピック直後のルール改正によりバサロ泳法の距離は10mに制限された。1991年に15mに緩和され、現在に至る。ゴール時のみは潜ってからのタッチが良しとされていたが2014年以降はゴール時に体の一部が水面上に出ていないと失格という新たな規制が加わった。
なお、背泳ぎを含む種目(個人メドレーなど)を実施する際には、両壁から5m地点の上空にフラッグ付きのロープがかかっている。また、15m地点にロープが張られる。
背泳ぎは速力が遅く、進行方向の確認ができない欠点がある。しかし、本来の背泳ぎは、水中に顔を入れることなく泳ぎ続けられる長所をもっている。このため、呼吸法を習得していない初心者にも受け入れられやすい。また、遭難者救助の場合は、遭難者の状況を見つつ、自らの呼吸も常に確保できる泳法である。救命胴衣を着用している場合は、うつぶせの泳ぎ方ができないため、必然的に背泳ぎとなる。
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"text": "背泳ぎは速力が遅く、進行方向の確認ができない欠点がある。しかし、本来の背泳ぎは、水中に顔を入れることなく泳ぎ続けられる長所をもっている。このため、呼吸法を習得していない初心者にも受け入れられやすい。また、遭難者救助の場合は、遭難者の状況を見つつ、自らの呼吸も常に確保できる泳法である。救命胴衣を着用している場合は、うつぶせの泳ぎ方ができないため、必然的に背泳ぎとなる。",
"title": "サバイバル術としての背泳ぎ"
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] |
背泳ぎは、水泳で、仰向けの姿勢で泳ぐ泳ぎ方である。音読みで「背泳」(はいえい)とも呼ばれるが、競技規則では背泳ぎである。 水泳選手を中心に「バック」という略称が用いられている。
|
[[Image:BackstrokeSwimming.jpg|thumb|300px|背泳ぎ]]
'''背泳ぎ'''(せおよぎ、{{Lang-en-short|backstroke}})は、[[水泳]]で、仰向けの姿勢で泳ぐ泳ぎ方である。音読みで「'''背泳'''」(はいえい)とも呼ばれるが、競技規則では背泳ぎである。
水泳選手を中心に「'''バック'''」という略称が用いられている。
== 歴史 ==
背泳ぎが行われるようになった時期は明らかでない<ref name="satake">{{Cite journal|和書|author=佐竹弘靖 |date=2020-03 |url=https://doi.org/10.34360/00011023 |title=水と文明 |journal=専修ネットワーク&インフォメーション |ISSN=1347-1449 |publisher=専修大学ネットワーク情報学会 |volume=28 |pages=17-35 |doi=10.34360/00011023 |accessdate=2022-12-29}}</ref>。[[古代エジプト]]の[[ラムセス2世]]の葬祭殿のレリーフにある[[カデシュの戦い|カディシュの戦い]]の描写では、海上で背浮きらしき動作をする兵士や背泳ぎの姿勢で人命救助を行う兵士が描かれている<ref name="satake" />。しかし、記述として背泳ぎについて詳細に述べた歴史書は16世紀初頭の「コリュンペテス」が最初といわれている<ref name="satake" />。
[[競泳]]の種目としては[[近代オリンピック|オリンピック]]では[[1900年パリオリンピックの競泳競技|第2回のパリ大会]]([[1900年]])より採用されている。
かつては背泳ぎも[[平泳ぎ]]と同様の動作で水をけり、同時に両手も動かして水をかいていた。のちに[[クロール (泳法)|クロール]]が泳がれるようになって、現在の泳法として発達した<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B0%B4%E6%B3%B3/%E6%B3%B3%E6%B3%95%E3%81%AE%E7%A8%AE%E9%A1%9E/ Yahoo!百科事典 - 水泳:泳法の種類]</ref>。
== ルール ==
他の泳法では飛び込みによるスタートが行われるが、背泳ぎ(及び背泳ぎから開始する[[メドレーリレー]])では、水に入った状態でスタートする<ref name="jasf_rule_4">[http://www.swim.or.jp/10_league/rule/r_swim.html 日本水泳連盟 競泳競技規則 第4条 出発](P11)</ref>。
審判長の笛の合図の後、各コースに入水。専用のグリップに手をかけ、プールの壁に足をかける。この際、指先が水面から出ないようにしなければならなかったが、2006年の改正で「壁や溝等に足の指をかけないこと」となり、指先が水面から出ても良いことになった。国内ルールでは「つま先を含む足の位置は、水面の上下いずれに位置しても良いが、プールのへり、タッチ板の上端、排水溝より上に足の指が出てはならない。」<ref name="jasf_rule_4"/>と表現されている。
出発合図員の「''Take your marks...''<ref>2017年3月までは日本では、「用意」だった</ref>」で、体を壁にひきつけ構えた後は、'''号砲まで静止しなければならない'''。このときもしも静止しなかった場合は失格となる。号砲後水面よりやや上方に飛び出して着水した後、15m以内に頭が水面上に出なければならない<ref name="jasf_rule_7">[http://www.swim.or.jp/10_league/rule/r_swim.html 日本水泳連盟 競泳競技規則 第7条 背泳ぎ](p.13)</ref>。15mを超えると失格。競技中はターン時を除いて常に仰向けの状態で泳ぐ<ref name="jasf_rule_7"/>。
スタート時に足が滑って失敗する可能性があったが、バックストロークレッジと呼ばれる細長い楔状の断面の板をスタート時のみ設置してこれを防いでいる。
なお、ターン時については
*折返しを行っている間に、泳者の身体の一部が壁に触れなければならない。<ref name="jasf_rule_7"/>
*折返しの動作中は、肩が胸の位置に対して垂直に倒れ、その後は連続した一本の腕のかき、あるいは連続した同時の両腕のかきを、折返しの初期の動作に使用できる。一度でも身体が仰向けの状態でなくなったら、いかなる足のけりや腕のかきについても連続した折返し動作の一部でなければならない。足が壁から離れれば、仰向けの姿勢に戻らなければならない。<ref name="jasf_rule_7"/>
[[バサロ泳法]](潜水泳法)はスタート及びターンから15mまでと規定されている。これは規定のなかった1980年代、本来の背泳ぎではない潜水泳法による距離が長い選手が優位に立っており、競技としての形骸化が指摘されたためである。[[1988年ソウルオリンピック]]で[[鈴木大地]]が30mのバサロ泳法により金メダルを獲得したことを契機に規定が設けられ、オリンピック直後のルール改正によりバサロ泳法の距離は10mに制限された。[[1991年]]に15mに緩和され、現在に至る。ゴール時のみは潜ってからのタッチが良しとされていたが2014年以降はゴール時に体の一部が水面上に出ていないと失格という新たな規制が加わった。
なお、背泳ぎを含む種目([[個人メドレー]]など)を実施する際には、両壁から5m地点の上空にフラッグ付きのロープがかかっている。また、15m地点にロープが張られる。
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== サバイバル術としての背泳ぎ ==
背泳ぎは速力が遅く、進行方向の確認ができない欠点がある。しかし、本来の背泳ぎは、水中に顔を入れることなく泳ぎ続けられる長所をもっている。このため、呼吸法を習得していない初心者にも受け入れられやすい。また、遭難者救助の場合は、遭難者の状況を見つつ、自らの呼吸も常に確保できる泳法である。救命胴衣を着用している場合は、うつぶせの泳ぎ方ができないため、必然的に背泳ぎとなる。
== 歴代日本人金メダリスト ==
=== 男子 ===
*[[清川正二]] 100m (1932)<ref>この大会は銀メダルが[[入江稔夫]]、銅メダルが[[河津憲太郎]]と、日本勢が表彰台を独占した。詳細は[[1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技]]を参照。</ref>
*[[鈴木大地]] 100m (1988)
== 主な背泳ぎの選手 ==
=== 男子 ===
; {{USA}}
* [[ジョン・ネーバー]]
* [[レニー・クレーゼルバーグ]]
* [[アーロン・ピアソル]] - 200m(長水路)の世界記録保持者
* [[ライアン・ロクテ]]
* [[ライアン・マーフィー (競泳選手)|ライアン・マーフィー]] - 100m(長水路)の世界記録保持者
; {{FRA}}
* [[フローラン・マナドゥ]] - 50m(短水路)の世界記録保持者
; {{JPN}}
* [[清川正二]]
* [[入江稔夫]]
* [[河津憲太郎]]
* [[福島滋雄]]
* [[鈴木大地]]
* [[糸井統]]
* [[森田智己]]
* [[古賀淳也]] - 50m(短水路)のアジア記録保持者、50m(長水路)の日本記録保持者
* [[入江陵介]] - 100mと200m(いずれも長水路)のアジア記録保持者
=== 女子 ===
; {{USA}}
* [[ナタリー・コーグリン]]
; {{HUN}}
* [[クリスティーナ・エゲルセギ]]
* [[ホッスー・カティンカ|カティンカ・ホッスー]] - 100mと200m(いずれも短水路)の世界記録保持者
; {{ZIM}}
* [[カースティ・コベントリー]]
; {{JPN}}
* [[田中聡子]]
* [[中村真衣]]
* [[中尾美樹]]
* [[萩原智子]]
* [[伊藤華英]]
* [[中村礼子]] - 200m(長水路)の日本記録保持者
* [[寺川綾]] - 100m(長水路)のアジア記録保持者、50m(長水路及び短水路)の日本記録保持者
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[スポーツ]]
* [[競泳の世界記録一覧]]
* [[競泳の日本記録一覧]]
== 外部リンク ==
{{commonscat|Backstroke}}
* [http://www.swim.or.jp/ 公益財団法人日本水泳連盟]
* [http://www.fina.org/ 国際水泳連盟(英語)]
{{水泳競技}}
[[Category:水泳|せおよき]]
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平泳ぎ
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平泳ぎ(ひらおよぎ、英: breaststroke)は、水泳で、左右対称に「手を胸の前で一かき」、「足を後方に一蹴り」という動作を繰り返す泳ぎ方である。
競泳選手を中心にブレストとも呼ばれている。
俗にカエル泳ぎという言い方もあるが、手足のタイミングが異なる等、カエル泳ぎと競技の平泳ぎでは異なる部分がある。
平泳ぎの歴史は古く旧約聖書イザヤ書第25章には両腕を広げるように伸ばして泳ぐ記述がみられる。世界最古の水泳指導書といわれるニコラス・ビィンマンの『コリュンベ(COLYNBE)』(1538年)の平泳ぎの章ではカエルの泳ぎを十分に観察するように述べている。しかし、泳法の改良により現代の平泳ぎはカエルの泳法とは大きく異なるものになっている。
近代オリンピックでは、1896年の第1回アテネオリンピックより競泳が採用されたが、種目は「自由形」のみで当時は実質平泳ぎのみであった。しかし、第1回アテネオリンピック後、息継ぎを必要としない背泳ぎで泳ぐ選手が登場して競泳界を席巻するようになった。そこで1900年の第2回パリオリンピックで背泳ぎを独立種目とした。ところが、同時期にクロールの泳法が整えられ、自由形でクロール泳法を選ぶ選手が登場した。そこで1904年の第3回セントルイスオリンピックで平泳ぎのほうを独立種目とし、以後、自由形はクロール泳法の独壇場となった。
一方、平泳ぎ種目ではバタフライ泳法を採用する選手が増えたため、1956年の第16回メルボルンオリンピックからバタフライが独立種目となった。
水泳初心者にとって大きな壁である息継ぎ動作が比較的簡単に習得でき、かつ顔を上げたままの泳法がほかの泳法よりも容易であること、また人間にとって本能的に行える最も普遍的な泳法であることなどから、競技者以外も含めると最も多く泳がれている泳法である。しかし、競技における平泳ぎは4泳法中で最も大きく加速と減速を繰り返す泳法であり、実際はクロールよりも遥かに、そしてバタフライよりもエネルギー効率が悪く、スタミナを多く使う。そのため、オープンウォータースイミングやトライアスロンなどの長距離競泳競技では、最も効率の良いクロールが用いられている。効率が悪いがゆえ、4泳法の中で抵抗の減らし方等の技術が最も必要と言われている。その影響か、他の種目と比べて技術面に勝敗を左右する要素が多い傾向にあるとも言われているため、アジア人にとって体格的に不利な短距離タイム競技の競泳で、オリンピックにおいて日本人が最も多数の金メダルを獲得している種目となっている。ただし、メダルの獲得数は200m種目に偏っており、100m種目や50m種目(世界選手権)での獲得は少なく、短距離における体格差の壁は平泳ぎにおいても大きいと言える。
推進効率の悪さという短所がある一方で、平泳ぎは、容易に正面を向いて泳ぎ続けられる長所をもっているため、呼吸法を習得していない初心者にも受け入れられやすく、また、遭難者に接近する泳法としても重宝されていた。船舶が沈没した際、重油まみれだったり、障害物が多数浮遊する海面を泳ぐ際も、顔を水に付けない平泳ぎは、極めて有効である。競技としての平泳ぎはスピード向上の研究が常に図られているが、近年、サバイバル泳法としても見直されてきている。4泳法の中で牽引泳では最も重い重量を引くことができる馬力がある泳法であり、特に平泳ぎのキックによる推力は4泳法中最大であることから、ロープで物を引っ張りながら泳ぐ際に平泳ぎのキックを使うこともある。
抵抗を減らすための研究や、ルール変更の影響を受け、その時代ごとに主流とされる泳ぎが大きく変化している。特に、後述のバタフライ泳法の分離や、潜水泳法の禁止があった時期には世界記録が後退するということもあった。現在、泳ぐ方法は大雑把に区別してウェーブ泳法(ウェイブ泳法)とフラット泳法がある。また、キックにはウェッジキックとウィップキックがあり、プルには外掻きと内掻きがある。主流とされる泳ぎの変遷は、フォーマルブレスト⇒ナチュラルブレスト⇒ウェーブ泳法⇒フラット泳法と辿ることができる。
当初、平泳ぎの泳法規定は「うつぶせで、左右の手足の動きが対称的な泳法」とだけ定められていた。ここから1935年にアメリカのJack Sieg選手が現在のバタフライのような手の掻きの新型泳法を開発し(脚の動きは平泳ぎのまま)、1936年のベルリンオリンピックで好成績を収めた。それからしばらくの間は、従来の平泳ぎと新型泳法と潜水泳法(当時は潜水の距離に制限はなかった)が入り交じる状態が続いていたものの、研究が進むにつれ“新型泳法”と従来の平泳ぎの差は大きくなり、1952年のヘルシンキオリンピックではほとんどの選手が“新型泳法”で泳いだ。そのため、国際水泳連盟は1955年にバタフライという種目を新設し、“新型泳法”は平泳ぎから独立した。現在、平泳ぎ競技でバタフライキックの動作を用いることは(スタート・ターン後のひとかきひとけり動作中の1度のドルフィンキックを除き)認められていない。
審判長の笛の合図の後、スタート台に上がる。出発合図員の「Take your marks...」の号令でスタート台前方に少なくとも一方の足の指をかけスタートの姿勢を取る。スタートの姿勢を取ったあとは、出発合図まで静止しなければならない。出発合図の前にスタートの動作を起こした場合、失格となる。スタート、および折り返し後には水没状態でのひとかき・ひとけりが許されている。このひとかきの動作はヒップラインを越えて脚のところまで完全にかききってよく、このとき、最初の平泳ぎの蹴りの動作を行う前に1度だけドルフィンキックの使用が認められている(2015年FINAのルール改正により、ひとけりの動作はひとかきの動作とは無関係に行えるようになった)。スタート、折り返し後の二かき目の動作が内向きの動きに入るまでに頭の一部が水面上に出ていなければならない。
泳ぎのサイクルは「一度掻いて一度蹴る」であり、この順序で行う組み合わせでなければならない。このため、折り返し及びゴールタッチの直前でタイミングをあわせるためにサイクルを無視した連続での掻きや蹴りは違反となる。両手は、スタートおよび折返し後のひとかきを除き、ヒップラインより後まで掻いてはならない。両腕両脚の動作は左右対称でなければならず、ひじを水面より上に出してはならない(ターンやゴールタッチの最後のひとかきを除く)。また、足の甲で水を蹴ってはならないが(あおり足やドルフィンキックなど)、足が水面より出ただけでは失格とはならない。スタート、折り返し後の一サイクル(一掻き一蹴り)を除き、泳ぎの各サイクルの間に必ず頭の一部が水面から出なければならない(常に出ている必要はない)。ターン・ゴールのタッチは両手同時にしなければならない。動作が左右対称であれば、手は水面の上下どちらでもいいし、同じ高さでなくてよい。ほかの種目と同様に、自分のレーンを逸脱したり、コースロープを掴んだり引っ張ったり、プールの底を歩いたり蹴ったりした場合は失格である。
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"text": "審判長の笛の合図の後、スタート台に上がる。出発合図員の「Take your marks...」の号令でスタート台前方に少なくとも一方の足の指をかけスタートの姿勢を取る。スタートの姿勢を取ったあとは、出発合図まで静止しなければならない。出発合図の前にスタートの動作を起こした場合、失格となる。スタート、および折り返し後には水没状態でのひとかき・ひとけりが許されている。このひとかきの動作はヒップラインを越えて脚のところまで完全にかききってよく、このとき、最初の平泳ぎの蹴りの動作を行う前に1度だけドルフィンキックの使用が認められている(2015年FINAのルール改正により、ひとけりの動作はひとかきの動作とは無関係に行えるようになった)。スタート、折り返し後の二かき目の動作が内向きの動きに入るまでに頭の一部が水面上に出ていなければならない。",
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"text": "泳ぎのサイクルは「一度掻いて一度蹴る」であり、この順序で行う組み合わせでなければならない。このため、折り返し及びゴールタッチの直前でタイミングをあわせるためにサイクルを無視した連続での掻きや蹴りは違反となる。両手は、スタートおよび折返し後のひとかきを除き、ヒップラインより後まで掻いてはならない。両腕両脚の動作は左右対称でなければならず、ひじを水面より上に出してはならない(ターンやゴールタッチの最後のひとかきを除く)。また、足の甲で水を蹴ってはならないが(あおり足やドルフィンキックなど)、足が水面より出ただけでは失格とはならない。スタート、折り返し後の一サイクル(一掻き一蹴り)を除き、泳ぎの各サイクルの間に必ず頭の一部が水面から出なければならない(常に出ている必要はない)。ターン・ゴールのタッチは両手同時にしなければならない。動作が左右対称であれば、手は水面の上下どちらでもいいし、同じ高さでなくてよい。ほかの種目と同様に、自分のレーンを逸脱したり、コースロープを掴んだり引っ張ったり、プールの底を歩いたり蹴ったりした場合は失格である。",
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平泳ぎは、水泳で、左右対称に「手を胸の前で一かき」、「足を後方に一蹴り」という動作を繰り返す泳ぎ方である。 競泳選手を中心にブレストとも呼ばれている。 俗にカエル泳ぎという言い方もあるが、手足のタイミングが異なる等、カエル泳ぎと競技の平泳ぎでは異なる部分がある。
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[[File:Phelps 400m IM Missouri GP 2008.jpg|thumb|right|220px|競技としての平泳ぎ]]
[[File:swimming.breaststroke.arp.750pix.jpg|thumb|right|220px|レクリエーションやリラクゼーションとしての平泳ぎ]]
'''平泳ぎ'''(ひらおよぎ、{{Lang-en-short|breaststroke}})は、[[水泳]]で、左右対称に「手を胸の前で一かき」、「足を後方に一蹴り」という動作を繰り返す泳ぎ方である。
競泳選手を中心に'''ブレスト'''とも呼ばれている。
俗に[[カエル]]泳ぎという言い方もあるが、手足のタイミングが異なる等、カエル泳ぎと競技の平泳ぎでは異なる部分がある。
== 概要 ==
平泳ぎの歴史は古く[[旧約聖書]][[イザヤ書]]第25章には両腕を広げるように伸ばして泳ぐ記述がみられる<ref name="satake">{{Cite journal|和書|author=佐竹弘靖 |date=2020-03 |url=https://doi.org/10.34360/00011023 |title=水と文明 |journal=専修ネットワーク&インフォメーション |volume=28 |pages=17-35 |doi=10.34360/00011023 |id={{CRID|1390853649761369600}} |ISSN=1347-1449 |publisher=専修大学ネットワーク情報学会 |accessdate=2022-12-12}}</ref>。世界最古の水泳指導書といわれるニコラス・ビィンマンの『コリュンベ(COLYNBE)』(1538年)の平泳ぎの章ではカエルの泳ぎを十分に観察するように述べている<ref name="satake" />。しかし、泳法の改良により現代の平泳ぎはカエルの泳法とは大きく異なるものになっている<ref name="satake" />。
近代オリンピックでは、1896年の[[アテネオリンピック (1896年)|第1回アテネオリンピック]]より競泳が採用されたが、種目は「自由形」のみで当時は実質平泳ぎのみであった<ref name="IOC">{{Cite web|和書|author=|date= |url=https://olympics.com/ja/news/%E7%AB%B6%E6%B3%B3-%E6%B0%B4%E6%B3%B3-%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%A8%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%AF%E7%AB%B6%E6%8A%80%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90 |title=競泳(水泳)の起源と歴史|オリンピック競技の起源|work=国際オリンピック委員会 |accessdate=2022-12-12}}</ref>。しかし、第1回アテネオリンピック後、息継ぎを必要としない[[背泳ぎ]]で泳ぐ選手が登場して競泳界を席巻するようになった<ref name="IOC" />。そこで[[1900年]]の[[パリオリンピック (1900年)|第2回パリオリンピック]]で背泳ぎを独立種目とした<ref name="IOC" />。ところが、同時期に[[クロール (泳法)|クロール]]の泳法が整えられ、自由形でクロール泳法を選ぶ選手が登場した。そこで[[1904年]]の[[セントルイスオリンピック|第3回セントルイスオリンピック]]で平泳ぎのほうを独立種目とし、以後、自由形はクロール泳法の独壇場となった<ref name="IOC" />。
一方、平泳ぎ種目ではバタフライ泳法を採用する選手が増えたため、[[1956年]]の[[メルボルンオリンピック|第16回メルボルンオリンピック]]からバタフライが独立種目となった<ref name="IOC" />。
== 速度と効率 ==
水泳初心者にとって大きな壁である息継ぎ動作が比較的簡単に習得でき、かつ顔を上げたままの泳法がほかの泳法よりも容易であること、また人間にとって本能的に行える最も普遍的な泳法であることなどから、競技者以外も含めると最も多く泳がれている泳法である。しかし、競技における平泳ぎは4泳法中で最も大きく加速と減速を繰り返す泳法であり、実際はクロールよりも遥かに、そして[[バタフライ]]よりも[[エネルギー効率]]が悪く、スタミナを多く使う。そのため、[[オープンウォータースイミング]]や[[トライアスロン]]などの長距離競泳競技では、最も効率の良いクロールが用いられている。効率が悪いがゆえ、4泳法の中で抵抗の減らし方等の技術が最も必要と言われている。その影響か、他の種目と比べて技術面に勝敗を左右する要素が多い傾向にあるとも言われているため、アジア人にとって体格的に不利な短距離タイム競技の競泳で、オリンピックにおいて日本人が最も多数の金メダルを獲得している種目となっている。ただし、メダルの獲得数は200m種目に偏っており、100m種目や50m種目(世界選手権)での獲得は少なく、短距離における体格差の壁は平泳ぎにおいても大きいと言える<ref>[http://www.nihonjiten.com/jinbutsu/olympic/index.html 日本人オリンピック金メダリスト]</ref>。
== サバイバル術としての平泳ぎ ==
推進効率の悪さという短所がある一方で、平泳ぎは、容易に正面を向いて泳ぎ続けられる長所をもっているため、呼吸法を習得していない初心者にも受け入れられやすく、また、遭難者に接近する泳法としても重宝されていた。船舶が沈没した際、重油まみれだったり、障害物が多数浮遊する海面を泳ぐ際も、顔を水に付けない平泳ぎは、極めて有効である。競技としての平泳ぎはスピード向上の研究が常に図られているが、近年、[[サバイバル]]泳法としても見直されてきている。4泳法の中で牽引泳では最も重い重量を引くことができる馬力がある泳法であり、特に平泳ぎのキックによる推力は4泳法中最大であることから、ロープで物を引っ張りながら泳ぐ際に平泳ぎのキックを使うこともある<ref name="history"/>。
== 競技としての平泳ぎ ==
抵抗を減らすための研究や、ルール変更の影響を受け、その時代ごとに主流とされる泳ぎが大きく変化している。特に、後述の[[バタフライ泳法]]の分離や、[[潜水泳法]]の禁止があった時期には[[世界記録]]が後退するということもあった。現在、泳ぐ方法は大雑把に区別して[[ウェーブ泳法]](ウェイブ泳法)と[[水没泳法|フラット泳法]]がある。また、キックにはウェッジキックとウィップキックがあり、プルには外掻きと内掻きがある。主流とされる泳ぎの変遷は、[[フォーマルブレスト]]⇒[[ナチュラルブレスト]]⇒ウェーブ泳法⇒フラット泳法と辿ることができる。
== 平泳ぎから生まれたバタフライ ==
当初、平泳ぎの泳法規定は「うつぶせで、左右の手足の動きが対称的な泳法」とだけ定められていた。ここから[[1935年]]にアメリカのJack Sieg選手が現在のバタフライのような手の掻きの新型泳法を開発し(脚の動きは平泳ぎのまま)、[[1936年]]の[[ベルリンオリンピック]]で好成績を収めた。それからしばらくの間は、従来の平泳ぎと新型泳法と潜水泳法(当時は潜水の距離に制限はなかった)が入り交じる状態が続いていたものの、研究が進むにつれ“新型泳法”と従来の平泳ぎの差は大きくなり、[[1952年]]の[[ヘルシンキオリンピック]]ではほとんどの選手が“新型泳法”で泳いだ。そのため、国際水泳連盟は[[1955年]]にバタフライという種目を新設し、“新型泳法”は平泳ぎから独立した。現在、平泳ぎ競技でバタフライキックの動作を用いることは(スタート・ターン後のひとかきひとけり動作中の1度のドルフィンキックを除き)認められていない<ref name="history"/>。
== ルール ==
=== スタート・折返し ===
審判長の笛の合図の後、スタート台に上がる。出発合図員の「''Take your marks...''<ref>2017年3月まで日本では、「用意」だった</ref>」の号令でスタート台前方に少なくとも一方の足の指をかけスタートの姿勢を取る。スタートの姿勢を取ったあとは、出発合図まで静止しなければならない。出発合図の前にスタートの動作を起こした場合、失格となる。スタート、および折り返し後には水没状態でのひとかき・ひとけりが許されている。このひとかきの動作はヒップラインを越えて脚のところまで完全にかききってよく、このとき、最初の平泳ぎの蹴りの動作を行う前に'''1度だけ'''ドルフィンキックの使用が認められている(2015年FINAのルール改正により、ひとけりの動作はひとかきの動作とは無関係に行えるようになった)。スタート、折り返し後の二かき目の動作が内向きの動きに入るまでに頭の一部が水面上に出ていなければならない。
=== 泳法 ===
泳ぎのサイクルは「'''一度掻いて一度蹴る'''」であり、この順序で行う組み合わせでなければならない。このため、折り返し及びゴールタッチの直前でタイミングをあわせるためにサイクルを無視した連続での掻きや蹴りは違反となる。'''両手'''は、スタートおよび折返し後のひとかきを除き、ヒップラインより後まで掻いてはならない。両腕両脚の動作は左右対称でなければならず、ひじを水面より上に出してはならない(ターンやゴールタッチの最後のひとかきを除く)。また、足の甲で水を蹴ってはならないが(あおり足やドルフィンキックなど)、足が水面より出ただけでは失格とはならない。スタート、折り返し後の一サイクル(一掻き一蹴り)を除き、泳ぎの各サイクルの間に必ず頭の一部が水面から出なければならない(常に出ている必要はない)。ターン・ゴールのタッチは両手同時にしなければならない。動作が左右対称であれば、手は水面の上下どちらでもいいし、同じ高さでなくてよい。ほかの種目と同様に、自分のレーンを逸脱したり、コースロープを掴んだり引っ張ったり、プールの底を歩いたり蹴ったりした場合は失格である。
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File:Breaststroke2.gif
File:Breaststroke3.gif
</gallery>
== 歴代日本人金メダリスト ==
=== 男子 ===
* [[鶴田義行]] 200m (1928,1932)
* [[葉室鐵夫]] 200m (1936)
* [[古川勝]] 200m (1956)
* [[田口信教]] 100m (1972)
* [[北島康介]] 100m (2004,2008)、200m (2004,2008)
=== 女子 ===
* [[前畑秀子]] 200m (1936)
* [[岩崎恭子]] 200m (1992)
* [[金藤理絵]] 200m (2016)
== 主な平泳ぎの選手 ==
=== 男子 ===
; {{USA}}
* [[マイク・バローマン]]
* [[ブレンダン・ハンセン]]
* [[ジョン・ヘンケン]]
; {{GBR}}
* [[ウィリアム・ロビンソン (競泳選手)|ウィリアム・ロビンソン]]
* [[ジェームズ・ギブソン (競泳選手)|ジェームズ・ギブソン]]
* [[アダム・ピーティ]]
; {{GER}}
* [[エルヴィン・ジータス]]
; {{DDR}}
* {{仮リンク|エゴン・ヘニンガー|de|Egon Henninger}}
; {{FRA}}
* {{仮リンク|ユーグ・デュボス|en|Hugues Duboscq}}
; {{ITA}}
* [[ドメニコ・フィオラバンティ]]
; {{AUS}}
* [[ブレントン・リカード]]
; {{NOR}}
* [[アレクサンドル・ダーレ・オーエン]]
; {{RSA}}
* [[キャメロン・ファンデルバーグ]]
; {{JPN}}
* [[鶴田義行]]
* [[葉室鐵夫]]
* [[古川勝]]
* [[吉村昌弘]]
* [[田口信教]]
* [[高橋繁浩]]
* [[林享]]
* [[北島康介]]
* [[小関也朱篤]]
* [[渡辺一平]]
=== 女子 ===
; {{USA}}
* [[アマンダ・ビアード]]
* [[レベッカ・ソニ]]
* [[ジェシカ・ハーディ]]
* [[リリー・キング]]
; {{AUS}}
* [[リーゼル・ジョーンズ]]
; {{RUS}}
* [[ペネローペ・ヘインズ]]
; {{LTU}}
* [[ルータ・メイルティーテ]]
; {{CHN}}
* [[羅雪娟]]
; {{JPN}}
* [[前畑秀子]]
* [[長崎宏子]]
* [[岩崎恭子]]
* [[田中雅美]]
* [[金藤理絵]]
* [[鈴木聡美]]
* [[渡部香生子]]
* [[寺村美穂]]
* [[青木玲緒樹]]
== 記録 ==
=== 世界記録 ===
{{See|競泳の世界記録一覧}}
; 長水路
{|class="wikitable" style="font-size: 85%;"
!種目!!記録!!選手!!国籍!!樹立日!!大会!!場所
|-
|align=right|男子50m
|align=right|25秒95
|[[アダム・ピーティー]]
|{{GBR}}
|[[2017年]][[7月25日]]
|[[2017年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|HUN}} [[ブダペスト]]
|-
|align=right|男子100m
|align=right|56秒88
|アダム・ピーティー
|{{GBR}}
|[[2019年]][[7月21日]]
|[[2019年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|KOR}} [[光州]]
|-
|align=right|男子200m
|align=right|2分06秒12
|{{仮リンク|アントン・チュプコフ|en|Anton Chupkov}}
|{{RUS}}
|[[2019年]][[7月26日]]
|[[2019年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|KOR}} 光州
|-bgcolor=#DDDDDD
|colspan=7|
|-
|align=right|女子50m
|align=right|29秒40
|[[リリー・キング]]
|{{USA}}
|[[2017年]][[7月30日]]
|[[2017年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|HUN}} ブダペスト
|-
|align=right|女子100m
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|リリー・キング
|{{USA}}
|[[2017年]][[7月25日]]
|[[2017年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|HUN}} ブダペスト
|-
|align=right|女子200m
|align=right|2分19秒11
|{{仮リンク|リッケ・ペダーセン|en|Rikke Møller Pedersen}}
|{{DEN}}
|[[2013年]][[8月1日]]
|[[2013年世界水泳選手権|世界水泳選手権]]
|{{flagicon|ESP}} [[バルセロナ]]
|}
; 短水路
{|class="wikitable" style="font-size: 85%;"
!種目!!記録!!選手!!国籍!!樹立日!!大会!!場所
|-
|align=right|男子50m
|align=right|25秒25
|[[キャメロン・ファンデルバーグ]]
|{{RSA}}
|[[2009年]][[11月14日]]
|{{仮リンク|2009 FINA競泳ワールドカップ|en|2009 FINA Swimming World Cup}}
|{{flagicon|GER}} [[ベルリン]]
|-
|align=right|男子100m
|align=right|55秒61
|キャメロン・ファンデルバーグ
|{{RSA}}
|[[2009年]][[11月15日]]
|2009 FINA競泳ワールドカップ
|{{flagicon|GER}} ベルリン
|-
|align=right|男子200m
|align=right|2分00秒16
|{{仮リンク|キリル・プリゴダ|en|Kirill Prigoda}}
|{{RUS}}
|[[2018年]][[12月13日]]
|{{仮リンク|2018年世界短水路選手権|en|2018 FINA World Swimming Championships (25 m)}}
|{{flagicon|CHN}} [[杭州]]
|-bgcolor=#DDDDDD
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|-
|align=right|女子50m
|align=right|28秒56
|{{仮リンク|アリア・アトキンソン|en|Alia Atkinson}}
|{{JAM}}
|[[2018年]][[10月6日]]
|{{仮リンク|2018 FINA競泳ワールドカップ|en|2018 FINA Swimming World Cup}}
|{{flagicon|HUN}} [[ブダペスト]]
|-
|rowspan="3" align=right|女子100m
|rowspan="3" align=right|1分02秒36
|[[ルータ・メイルティーテ]]
|{{LTU}}
|[[2013年]][[10月12日]]
|{{仮リンク|2013 FINA競泳ワールドカップ|en|2013 FINA Swimming World Cup}}
|{{flagicon|RUS}} [[モスクワ]]
|-
|アリア・アトキンソン
|{{JAM}}
|[[2014年]][[11月6日]]
|[[2014年世界短水路選手権|世界短水路選手権]]
|{{flagicon|QAT}} [[ドーハ]]
|-
|アリア・アトキンソン
|{{JAM}}
|[[2016年]][[8月26日]]
|[[2016年世界短水路選手権|世界短水路選手権]]
|{{flagicon|FRA}} [[シャルトル]]
|-
|align=right|女子200m
|align=right|2分14秒57
|[[レベッカ・ソニ]]
|{{USA}}
|[[2009年]][[12月18日]]
|{{仮リンク|米国欧州対抗戦|en|2009 Duel in the Pool}}
|{{flagicon|GBR}} [[マンチェスター]]
|}
=== 日本記録 ===
{{See|競泳の日本記録一覧}}
; 長水路
{|class="wikitable" style="font-size: 80%;"
!種目!!記録!!選手!!所属!!樹立日!!大会!!場所!!備考
|-
|align=right|男子50m
|align=right|26秒94
|[[小関也朱篤]]
|[[ミキハウス]]
|[[2018年]][[6月17日]]
|ヨーロッパGPモナコ大会
|{{flagicon|MON}} [[モナコ]]
|
|-
|align=right|男子100m
|align=right|58秒78
|小関也朱篤
|ミキハウス
|[[2018年]][[6月17日]]
|ヨーロッパGPモナコ大会
|{{flagicon|MON}} モナコ
|アジア記録
|-
|align=right|男子200m
|align=right|2分06秒67
|[[渡辺一平]]
|[[早稲田大学]]
|[[2017年]][[1月29日]]
|第10回東京都選手権水泳競技大会
|{{flagicon|JPN}} [[東京辰巳国際水泳場]]
|アジア記録
|-bgcolor=#DDDDDD
|colspan=8|
|-
|align=right|女子50m
|align=right|30秒10
|[[鈴木聡美]]
|ミキハウス
|[[2023年]][[10月8日]]
|第37回静岡招待スプリント選手権水泳競技大会
|{{flagicon|JPN}} 静岡県富士水泳場
|
|-
|align=right|女子100m
|align=right|1分05秒88
|[[渡部香生子]]
|[[ジェイエスエス|JSS立石]]
|[[2014年]][[6月19日]]
|[[ジャパンオープン (50m)|ジャパンオープン2014 (50m)]]
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|
|-
|align=right|女子200m
|align=right|2分19秒65
|[[金藤理絵]]
|Jaked Elite Team
|[[2016年]][[4月9日]]
|第92回日本選手権水泳競技大会
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|アジア記録
|}
; 短水路
{|class="wikitable" style="font-size: 80%;"
!種目!!記録!!選手!!所属!!樹立日!!大会!!場所!!備考
|-
|align=right|男子50m
|align=right|26秒02
|小関也朱篤
|ミキハウス
|[[2018年]][[10月28日]]
|世界短水路代表選手選考会
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|
|-
|align=right|男子100m
|align=right|56秒11
|小関也朱篤
|ミキハウス
|[[2019年]][[10月26日]]
|第61回日本短水路選手権
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|アジア記録
|-
|align=right|男子200m
|align=right|2分01秒30
|[[瀬戸大也]]
|[[全日本空輸|ANA]]
|[[2017年]][[11月19日]]
|{{仮リンク|2017 FINA競泳ワールドカップ|en|2017 FINA Swimming World Cup}}
|{{flagicon|SGP}} [[シンガポール]]
|アジア記録
|-bgcolor=#DDDDDD
|colspan=8|
|-
|align=right|女子50m
|align=right|30秒06
|[[青木玲緒樹]]
|[[ミズノ]]
|[[2019年]][[10月27日]]
|第61回日本短水路選手権
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|
|-
|align=right|女子100m
|align=right|1分04秒05
|[[寺村美穂]]
|[[セントラルスポーツ]]
|[[2016年]][[10月25日]]
|{{仮リンク|2016 FINA競泳ワールドカップ|en|2016 FINA Swimming World Cup}}
|{{flagicon|JPN}} 東京辰巳国際水泳場
|アジア記録
|-
|align=right|女子200m
|align=right|2分15秒76
|金藤理絵
|Jaked Elite Team
|[[2016年]][[10月9日]]
|2016 FINA競泳ワールドカップ
|{{flagicon|QAT}} [[ドーハ]]
|アジア記録
|}
== 関連項目 ==
* [[スポーツ]]
* [[競泳の世界記録一覧]]
* [[競泳の日本記録一覧]]
== 脚注 ==
{{Reflist|refs=
<ref name="history">[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B0%B4%E6%B3%B3/ 水泳の歴史]{{リンク切れ|date=2020年2月}}</ref>
}}
== 外部リンク ==
{{commonscat|Breaststroke}}
* [http://www.swim.or.jp/ 公益財団法人日本水泳連盟] {{ja icon}}
* [http://www.fina.org/ 国際水泳連盟] {{en icon}}
{{水泳競技}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ひらおよき}}
[[Category:水泳]]
[[he:שחייה תחרותית#חזה]]
|
2003-07-14T13:57:43Z
|
2023-11-21T13:38:59Z
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[
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|
11,417 |
ジェンダー
|
ジェンダー(英: gender)は、生物学的な性(英: sex)とは異なる多義的な概念であり、性別に関する社会的規範と性差を指す。性差とは、個人を性別カテゴリーによって分類し、統計的に集団として見た結果、集団間に認知された差異をいう。ジェンダーの定義と用法は年代によって変化する。ジェンダーという概念は、性別に関して抑圧的な社会的事実を明らかにするとともに、ジェンダーをめぐる社会的相互作用をその概念自身を用いて分析するものである。
語源はラテン語: "genus"(産む、種族、起源)である。共通の語源を持つ言葉として"gene"(遺伝子)、"genital"(生殖の)、フランス語: genre(ジャンル)などがある。「生まれついての種類」という意味から転じて、性別のことを指すようになった。
この生物学的性のイメージを基にして、20世紀初頭には、"gender"はフランス語などにおける有性名詞の性による分類ないし分類クラスをさす文法的な用語として用いられるようになっていた。
英米語におけるgenderには、以下のような用法がある。
1950年代から1960年代にかけ、アメリカの心理学者・性科学者ジョン・マネー John Money、精神科医ロバート・ストラー Robert Stoller らは、身体的な性別が非典型な状態の性分化疾患の研究において、その当事者に生物学的性別とは別個にある男性または女性としての自己意識、性別の同一性があり、臨床上の必要から「性の自己意識・自己認知(性同一性)」との定義で “gender” を用いた。1960年代後半から “gender identity” とも用いられた(以降も医学・性科学では “gender (identity)” は「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の定義で用いられており、後の社会学において定義される意味とは異なる)。
1970年代より、一部の社会科学の分野において"gender"は生物学的性よりもむしろ社会的性の意味で用いられるようになった。しかし1970年代の時点では、"gender"と"sex"をどのような意味で用いるかについての合意は存在しなかった。たとえば1974年版の"Masculine/Feminine or Human"というフェミニストの本においては、「生得的なgender」と「学習されたsex role(性的役割)」という現代とは逆の定義がみられている。しかし同著の1978年の版ではこの定義が逆転している。1980年までに、大半のフェミニストは"gender"は「社会・文化的に形成された性」を、"sex"は「生物学的な性」として使用するようになった。このように、社会科学の分野においてジェンダーという用語が社会・文化的性別のこととして用いられ始めたのは比較的最近のことであることが分かる。
現在、英語圏では、"gender"は生物学的な性も社会的な性も指す単語として用いられる。前者の場合、単に「sex」の婉曲あるいは公的な表現として使用されていることになる。例えば、女子のスポーツ競技において、生まれつきの性別を確認するために染色体検査が行われることがあるが、これを指す用語として英語ではジェンダーベリフィケーション(英語: gender verification)という用語を用いる。
複数の英英/英和辞書において"gender"は、第一に「言語学的性(文法上の性)」として、第2に、古くから使われてきた「生物学的性別(sex)」として記述されている(出典:ジーニアス英和辞典、ウェブスターの辞書)。それらに続き、社会科学の分野において用いられる「社会的・文化的役割としての性」という意味の語として記述がなされることがある(出典:英語版ウィキペディア)。「言語学的性」とは、例えば男性を代名詞で「"he"、女性を"she"と分けて表記するようなことである。「生物学的性(sex)」とは、ロングマン現代英英辞典によれば、「the fact of being male or female(男性または女性であることの事実)」と説明され、「male(男性)」は「子供を産まない性」、「female(女性)」は「子供を産む性」と定義される。またヒト以外の動物の雌雄を記述する場合にも用いられる。「社会的文化的役割としての性」とは、その性(sex)から想起される「男らしさ」「女らしさ」といった様々な特徴のことである。
ジョーン・W・スコットの著書『ジェンダーと歴史学』によれば、近年、欧米の社会学において、"gender"という用語はほとんど(7割程度)の場合、「女性」と同義で使用されている(例:"gender and development" 女性とその経済力向上)。
日本において、ジェンダーという言葉が社会的に認知されたのは1990年代である。『男女行動計画2000年プラン』では、ジェンダーは不平等を指摘し、それを是正する文脈で用いられるようになった。ジェンダーは「ジェンダー・フリー」という表現に用いられることによって、性別二分法システム、性別カテゴリー自体の打破を視野に入れている。ジェンダーの用法の広がりとともに、ジェンダー概念についての確認と捉え直しが必要になってきている。
社会と同様に、「ジェンダー」(ここでは社会的・文化的性としての意味)は絶えず変化する。また、総力戦となった第二次世界大戦時の連合国および枢軸国では、男性が徴兵され戦場に出向いている間、女性が工場労働に従事することになり、その後に労働力として社会参加することの大きなきっかけとなった。
歴史的には、科学は男性が追求するものとして描かれており、女性の参加には非常に大きな障害があった。19世紀に大学が女性の入学を許可した後であっても、依然として大部分の女性は家政学、看護学、発達心理学などの特定の科学分野に降格させられた。また、女性はよく退屈な低賃金の仕事を割り当てられ、キャリアアップの機会を拒否されてきた。こうした行為は、女性は生まれつき、創造性、リーダーシップ、知性が必要な仕事よりも、集中、忍耐、手先の器用さが必要な仕事により向いている、というステレオタイプによって正当化されることが多かった。こうしたステレオタイプは現代には払拭されたが、たとえば物理学などの権威ある「ハードサイエンス」などの分野では、女性はいまだに過小評価されており、高いランクのポジションを持てる可能性は低い。国連の持続可能な開発計画目標 5などのグローバル・イニシアティブは、この状況の是正を試みている。
人間だけでなく、動物、植物、昆虫などの性(英語: sex)を表現するために用いる。性交との混同を避ける為に、生物学の分野では意識的に用いる必要があったからである。このため、欧米では一般でもジェンダー(gender)は、性(sex)と同義の言葉として婉曲的に用いられるようになった。生物学者は、研究対象が生物学的に雄であるか雌であるかを表現する為にジェンダー(gender)という用語を使う。
スポーツ選手の生物学的な性別検査(スポーツにおける性別確認を参照)は英語で「ジェンダーヴェリフィケイション(gender verification)」と呼ばれ、人間の生物学的な「男女の産み分け」を「ジェンダーセレクション(英語: gender selection)」と呼ぶ。また、昆虫の雌雄を判断し、より分けることを「雌雄判別(英語: gender selection)」と呼ぶ。
性別が理由で教育を受けられない場合も多く、学校に通えない女子児童・生徒が2018年時点で世界中に約1億3200万人(約5人に1人)いると推定されている。この背景には貧困や児童婚、教育環境などがあるとされ、SDGsにおいても開発途上国での女子教育の推進を掲げている。
また、国際的な学習到達度テスト(PISA)では女子の点数の方が男子の点数よりも高い傾向にある一方で(性差#学力差も参照)、大学進学率は男子の方が高い傾向にある。例えば2021年度の日本の四年制大学進学率は、男子が57.4%だったのに対して女子は51.3%であった。この背景にも、所得水準の他に進路指導におけるジェンダー格差が指摘されている。また、大学入試において女性差別的な不正入試が行われることもある。
兵士が男性のみである国家が比較的多く、徴兵制であれば義務が、志願制であれば権利が、女性にはないことが多い。
ジェンダーの平等は、持続可能な開発のための2030アジェンダを構成する17のグローバル目標の一つであり、また、そのターゲット5.cにおいてジェンダー平等の促進が謳われている。
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"text": "現在、英語圏では、\"gender\"は生物学的な性も社会的な性も指す単語として用いられる。前者の場合、単に「sex」の婉曲あるいは公的な表現として使用されていることになる。例えば、女子のスポーツ競技において、生まれつきの性別を確認するために染色体検査が行われることがあるが、これを指す用語として英語ではジェンダーベリフィケーション(英語: gender verification)という用語を用いる。",
"title": "語源と用法"
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"text": "複数の英英/英和辞書において\"gender\"は、第一に「言語学的性(文法上の性)」として、第2に、古くから使われてきた「生物学的性別(sex)」として記述されている(出典:ジーニアス英和辞典、ウェブスターの辞書)。それらに続き、社会科学の分野において用いられる「社会的・文化的役割としての性」という意味の語として記述がなされることがある(出典:英語版ウィキペディア)。「言語学的性」とは、例えば男性を代名詞で「\"he\"、女性を\"she\"と分けて表記するようなことである。「生物学的性(sex)」とは、ロングマン現代英英辞典によれば、「the fact of being male or female(男性または女性であることの事実)」と説明され、「male(男性)」は「子供を産まない性」、「female(女性)」は「子供を産む性」と定義される。またヒト以外の動物の雌雄を記述する場合にも用いられる。「社会的文化的役割としての性」とは、その性(sex)から想起される「男らしさ」「女らしさ」といった様々な特徴のことである。",
"title": "語源と用法"
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"text": "ジョーン・W・スコットの著書『ジェンダーと歴史学』によれば、近年、欧米の社会学において、\"gender\"という用語はほとんど(7割程度)の場合、「女性」と同義で使用されている(例:\"gender and development\" 女性とその経済力向上)。",
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"text": "日本において、ジェンダーという言葉が社会的に認知されたのは1990年代である。『男女行動計画2000年プラン』では、ジェンダーは不平等を指摘し、それを是正する文脈で用いられるようになった。ジェンダーは「ジェンダー・フリー」という表現に用いられることによって、性別二分法システム、性別カテゴリー自体の打破を視野に入れている。ジェンダーの用法の広がりとともに、ジェンダー概念についての確認と捉え直しが必要になってきている。",
"title": "語源と用法"
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"text": "社会と同様に、「ジェンダー」(ここでは社会的・文化的性としての意味)は絶えず変化する。また、総力戦となった第二次世界大戦時の連合国および枢軸国では、男性が徴兵され戦場に出向いている間、女性が工場労働に従事することになり、その後に労働力として社会参加することの大きなきっかけとなった。",
"title": "社会的・文化的性の意識の変化"
},
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"text": "歴史的には、科学は男性が追求するものとして描かれており、女性の参加には非常に大きな障害があった。19世紀に大学が女性の入学を許可した後であっても、依然として大部分の女性は家政学、看護学、発達心理学などの特定の科学分野に降格させられた。また、女性はよく退屈な低賃金の仕事を割り当てられ、キャリアアップの機会を拒否されてきた。こうした行為は、女性は生まれつき、創造性、リーダーシップ、知性が必要な仕事よりも、集中、忍耐、手先の器用さが必要な仕事により向いている、というステレオタイプによって正当化されることが多かった。こうしたステレオタイプは現代には払拭されたが、たとえば物理学などの権威ある「ハードサイエンス」などの分野では、女性はいまだに過小評価されており、高いランクのポジションを持てる可能性は低い。国連の持続可能な開発計画目標 5などのグローバル・イニシアティブは、この状況の是正を試みている。",
"title": "ジェンダーと社会"
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"text": "人間だけでなく、動物、植物、昆虫などの性(英語: sex)を表現するために用いる。性交との混同を避ける為に、生物学の分野では意識的に用いる必要があったからである。このため、欧米では一般でもジェンダー(gender)は、性(sex)と同義の言葉として婉曲的に用いられるようになった。生物学者は、研究対象が生物学的に雄であるか雌であるかを表現する為にジェンダー(gender)という用語を使う。",
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"text": "スポーツ選手の生物学的な性別検査(スポーツにおける性別確認を参照)は英語で「ジェンダーヴェリフィケイション(gender verification)」と呼ばれ、人間の生物学的な「男女の産み分け」を「ジェンダーセレクション(英語: gender selection)」と呼ぶ。また、昆虫の雌雄を判断し、より分けることを「雌雄判別(英語: gender selection)」と呼ぶ。",
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"text": "性別が理由で教育を受けられない場合も多く、学校に通えない女子児童・生徒が2018年時点で世界中に約1億3200万人(約5人に1人)いると推定されている。この背景には貧困や児童婚、教育環境などがあるとされ、SDGsにおいても開発途上国での女子教育の推進を掲げている。",
"title": "ジェンダーと社会"
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"tag": "p",
"text": "また、国際的な学習到達度テスト(PISA)では女子の点数の方が男子の点数よりも高い傾向にある一方で(性差#学力差も参照)、大学進学率は男子の方が高い傾向にある。例えば2021年度の日本の四年制大学進学率は、男子が57.4%だったのに対して女子は51.3%であった。この背景にも、所得水準の他に進路指導におけるジェンダー格差が指摘されている。また、大学入試において女性差別的な不正入試が行われることもある。",
"title": "ジェンダーと社会"
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{
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"text": "兵士が男性のみである国家が比較的多く、徴兵制であれば義務が、志願制であれば権利が、女性にはないことが多い。",
"title": "ジェンダーと社会"
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"text": "ジェンダーの平等は、持続可能な開発のための2030アジェンダを構成する17のグローバル目標の一つであり、また、そのターゲット5.cにおいてジェンダー平等の促進が謳われている。",
"title": "国連・持続可能な開発目標"
}
] |
ジェンダーは、生物学的な性とは異なる多義的な概念であり、性別に関する社会的規範と性差を指す。性差とは、個人を性別カテゴリーによって分類し、統計的に集団として見た結果、集団間に認知された差異をいう。ジェンダーの定義と用法は年代によって変化する。ジェンダーという概念は、性別に関して抑圧的な社会的事実を明らかにするとともに、ジェンダーをめぐる社会的相互作用をその概念自身を用いて分析するものである。
|
{{otheruses|社会的・心理的性別|その他|性 (曖昧さ回避)}}
{{人類学}}
'''ジェンダー'''({{lang-en-short|gender}}<!--{{lang-zh-short|社會性別}}<ref>[https://www.gender.ey.gov.tw/Multimedia/System/Lexicon/DealData.aspx?sn=j4OJB%24x9ZkKPvc%24vmatJ4g%40%40 Gender在這裡-性別視聽分享站 - 性平知多少]、2021年12月27日閲覧。</ref>-->)は、生物学的な性({{lang-en-short|sex}})とは異なる多義的な概念であり、性別に関する社会的[[規範]]と[[性差]]を指す<ref name="Osawa2012">{{Cite book|和書|title=現代社会学事典|location=東京|isbn=978-4-335-55148-2|oclc=820689382|editors1= 大澤真幸|editors2=吉見俊哉|editors3=鷲田清一|others=見田宗介|year=2012|publisher=弘文堂}}</ref>{{Rp|499}}。性差とは、個人を性別カテゴリーによって分類し、統計的に集団として見た結果、集団間に認知された差異をいう{{R|Osawa2012|page=500}}<ref name="Maruzen2010">{{Cite book|和書|title=社会学事典|isbn=978-4-621-08254-6|editors= 日本社会学会社会学事典刊行委員会|year=2010|publisher=[[丸善出版]]}}</ref>{{Rp|409}}。ジェンダーの定義と用法は年代によって変化する{{R|Osawa2012|Maruzen2010}}。ジェンダーという概念は、性別に関して抑圧的な社会的事実を明らかにするとともに、ジェンダーをめぐる社会的相互作用をその概念自身を用いて分析するものである{{R|Osawa2012|Maruzen2010}}。
{{main2|生物学的性別に関しては[[性別]]を}}
== 語源と用法 ==
{{出典の明記|section=1|date=2022年7月}}
[[ファイル:Combotrans.svg|thumb|right|生物の[[雄]]と[[雌]]を示すジェンダー・シンボル([[性別記号]])。それぞれ[[火星]]と[[金星]]を表す惑星記号に由来する。]]
語源は{{Lang-la|"genus"}}(産む、種族、起源)である。共通の語源を持つ言葉として{{Lang|en|"gene"}}([[遺伝子]])、{{Lang|en|"genital"}}(生殖の)、{{Lang-fr|genre}}(ジャンル)などがある。「生まれついての種類」という意味から転じて、[[性別]]のことを指すようになった。
この生物学的性のイメージを基にして、20世紀初頭には{{要出典|date=2010年5月}}、{{Lang|fr|"gender"}}{{要出典|date=2011年1月}}<!-- フランス語ではgenreが普通である。gennderという出典はあるか? -->は[[フランス語]]などにおける有性名詞の性による分類ないし分類クラスをさす文法的な用語として用いられるようになっていた。
英米語における'''gender'''には、以下のような用法がある。
#言語学における文法上の[[性 (文法)|性]]のこと。
#生物一般における生物学的[[性別|性]]のこと。雌雄の別。
#医学・心理学・性科学の分野における「性の自己意識・自己認知」のこと。[[性同一性]]。
#社会科学の分野において、生物学的性に対する、「[[社会]]的・[[文化的]]に形成された性」のこと。男性性・女性性、男らしさ・女らしさ。
#社会学者の[[イヴァン・イリイチ]]の用語で、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。
#電子工学・電気工学の分野における[[コネクター]]の嵌め合い形状(オスとメス)の区別のこと。プラグとジャック、雄ネジと雌ネジなど。
1950年代から1960年代にかけ、アメリカの心理学者・性科学者ジョン・マネー ''John Money''、精神科医ロバート・ストラー ''Robert Stoller'' らは、身体的な性別が非典型な状態の[[性分化疾患]]の研究において、その当事者に生物学的性別とは別個にある男性または女性としての自己意識、性別の[[同一性]]があり、臨床上の必要から「性の自己意識・自己認知([[性同一性]])」との定義で “gender” を用いた{{R|Maruzen2010|page=408}}<ref>中村美亜 「[http://subsite.icu.ac.jp/cgs/pdf/journal002.pdf 新しいジェンダー・アイデンティティ理論の構築に向けて—生物・医学とジェンダー学の課題]」『ジェンダー&セクシュアリティ』 国際基督教大学ジェンダー研究センタージャーナル、2006年12月31日。</ref><ref>山内俊雄 「性同一性障害とは—歴史と概要」『Modern Physician 25-4 性同一性障害の診かたと治療』 新興医学出版社、2005年(2005年4月15日発行)、367–368頁。</ref>。1960年代後半から “gender identity” とも用いられた(以降も医学・性科学では “gender (identity)” は「性の自己意識・自己認知(性同一性)」の定義で用いられており、後の社会学において定義される意味とは異なる)。
1970年代{{R|Maruzen2010|page=408}}より、一部の社会科学の分野において{{Lang|en|"gender"}}は生物学的性よりもむしろ社会的性の意味で用いられるようになった。しかし1970年代の時点では、{{Lang|en|"gender"}}と{{Lang|en|"sex"}}をどのような意味で用いるかについての合意は存在しなかった。たとえば1974年版の{{Lang|en|"Masculine/Feminine or Human"}}という[[フェミニスト]]の本においては、「生得的な{{Lang|en|gender}}」と「学習された{{Lang|en|sex role}}(性的役割)」という現代とは逆の定義がみられている。しかし同著の1978年の版ではこの定義が逆転している。1980年までに、大半の[[フェミニスト]]は{{Lang|en|"gender"}}は「社会・文化的に形成された性」を、{{Lang|en|"sex"}}は「生物学的な性」として使用するようになった<ref>[http://www.utsukushii-nippon.org/mondai.html 「ジェンダー」という言葉について]</ref>。このように、社会科学の分野においてジェンダーという用語が社会・文化的性別のこととして用いられ始めたのは比較的最近のことであることが分かる。
現在、英語圏では、{{Lang|en|"gender"}}は[[生物学]]的な性も社会的な性も指す単語として用いられる。前者の場合、単に「{{Lang|en|sex}}」の婉曲あるいは公的な表現として使用されていることになる。例えば、女子のスポーツ競技において、生まれつきの性別を確認するために[[染色体]]検査が行われることがあるが、これを指す用語として英語ではジェンダーベリフィケーション({{Lang-en|gender verification}})という用語を用いる。
複数の英英/英和辞書において{{Lang|en|"gender"}}は、第一に「言語学的性(文法上の性)」として、第2に、古くから使われてきた「生物学的性別({{Lang|en|sex}})」として記述されている(出典:ジーニアス英和辞典、ウェブスターの辞書)。それらに続き、社会科学の分野において用いられる「社会的・文化的役割としての性」という意味の語として記述がなされることがある(出典:[[:en:gender|英語版ウィキペディア]])。「言語学的性」とは、例えば男性を代名詞で「{{Lang|en|"he"}}、女性を{{Lang|en|"she"}}と分けて表記するようなことである。「生物学的性({{lang|en|sex}})」とは、ロングマン現代英英辞典によれば、「{{Lang|en|the fact of being male or female}}(男性または女性であることの事実)」と説明され、「{{Lang|en|male}}(男性)」は「子供を産まない性」、「{{Lang|en|female}}(女性)」は「子供を産む性」と定義される。またヒト以外の動物の雌雄を記述する場合にも用いられる。「社会的文化的役割としての性」とは、その性({{Lang|en|sex}})から想起される「男らしさ」「女らしさ」といった様々な特徴のことである。
ジョーン・W・スコットの著書『ジェンダーと歴史学』によれば、近年、欧米の社会学において、{{Lang|en|"gender"}}という用語はほとんど(7割程度)の場合、「[[女性]]」と同義で使用されている(例:{{Lang|en|"gender and development"}} 女性とその経済力向上)。
日本において、ジェンダーという言葉が社会的に認知されたのは1990年代である<ref name="Tachi1998">{{cite journal|和書|title=ジェンダー概念の検討|author=舘かおる|journal=ジェンダー研究|volume=第1号|publisher=お茶の水女子大学ジェンダー研究センター|year=1998}}</ref>{{Rp|81}}。『男女行動計画2000年プラン』では、ジェンダーは不平等を指摘し、それを是正する文脈で用いられるようになった{{R|Tachi1998|page=83}}。ジェンダーは「ジェンダー・フリー」という表現に用いられることによって、性別二分法システム、性別カテゴリー自体の打破を視野に入れている{{R|Tachi1998|page=84}}。ジェンダーの用法の広がりとともに、ジェンダー概念についての確認と捉え直しが必要になってきている{{R|Tachi1998|page=84}}。
== 社会的・文化的性の意識の変化 ==
[[ファイル:WomanFactory1940s.jpg|thumb|right|300px|[[第二次世界大戦]]の間、[[輸送機]]の部品を作るために工場で労働する女性。]]
社会と同様に、「ジェンダー」(ここでは社会的・文化的性としての意味)は絶えず変化する。また、総力戦となった[[第二次世界大戦]]時の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]および[[枢軸国]]では、男性が[[徴兵]]され戦場に出向いている間、女性が[[工場]]労働に従事することになり、その後に労働力として社会参加することの大きなきっかけとなった。
== ジェンダーと社会 ==
=== 科学 ===
歴史的には、科学は男性が追求するものとして描かれており、女性の参加には非常に大きな障害があった<ref>{{cite book|last1=Schiebinger|first1=Londa|title=Has Feminism Changed Science?|journal=Signs|volume=25|issue=4|pages=1171–5|date=2001|publisher=Harvard University Press|location=Cambridge, Mass.|isbn=978-0-674-00544-0|edition=2nd|pmid=17089478|doi=10.1086/495540}}</ref>。19世紀に大学が女性の入学を許可した後であっても、依然として大部分の女性は[[家政学]]、[[看護学]]、[[発達心理学]]などの特定の科学分野に降格させられた<ref name="Sheffield2006">{{cite book|title=Women and Science: Social Impact and Interaction|date=2006|publisher=Rutgers University Press|isbn=978-0-8135-3737-5|location=New Brunswick, NJ|pages=129–134|last1=Sheffield|first1=Suzanne Le-May}}</ref>。また、女性はよく退屈な低賃金の仕事を割り当てられ、キャリアアップの機会を拒否されてきた<ref name="Sheffield2006" />。こうした行為は、女性は生まれつき、創造性、リーダーシップ、知性が必要な仕事よりも、集中、忍耐、手先の器用さが必要な仕事により向いている、というステレオタイプによって正当化されることが多かった<ref name="Sheffield2006" />。こうしたステレオタイプは現代には払拭されたが、たとえば[[物理学]]などの権威ある「[[ハードサイエンス]]」などの分野では、女性はいまだに過小評価されており、高いランクのポジションを持てる可能性は低い<ref name="Eisenhart1998">{{cite book|title=Women's Science: Learning and Succeeding from the Margins|journal=Science Education|volume=84|issue=6|last2=Finkel|first2=Elizabeth|date=1998|publisher=University of Chicago Press|isbn=978-0-226-19544-5|location=Chicago|pages=[https://archive.org/details/womenssciencelea0000eise/page/34 34–36]|last1=Eisenhart|first1=Margaret A.|bibcode=2000SciEd..84..793A|doi=10.1002/1098-237X(200011)84:6<793::AID-SCE6>3.0.CO;2-K|url=https://archive.org/details/womenssciencelea0000eise/page/34}}</ref>。国連の[[持続可能な開発目標#17の目標|持続可能な開発計画目標 5]]などのグローバル・イニシアティブは、この状況の是正を試みている<ref>{{Cite web|title=Sustainable Development Goal 5: Gender equality|url=https://www.unwomen.org/en/news/in-focus/women-and-the-sdgs/sdg-5-gender-equality|access-date=2020-09-23|website=UN Women|language=en}}</ref>。
{{See also|{{仮リンク|科学における女性|en|Women in science}}}}
=== 生物学 ===
[[ファイル:Biology_Illustration_Animals_Insects_Drosophila_melanogaster.svg|thumb|right|オス(右)とメスの[[ショウジョウバエ]] ''D. melanogaster''。 メスは二本のX染色体の存在により決定される。]]
{{要出典範囲|人間だけでなく、動物、植物、昆虫などの性({{lang-en|sex}})を表現するために用いる。性交との混同を避ける為に、生物学の分野では意識的に用いる必要があったからである。このため、欧米では一般でもジェンダー({{lang|en|gender}})は、性({{lang|en|sex}})と同義の言葉として婉曲的に用いられるようになった。生物学者は、研究対象が生物学的に雄であるか雌であるかを表現する為にジェンダー({{lang|en|gender}})という用語を使う|date=2023年1月}}。
{{要出典範囲|スポーツ選手の[[生物学]]的な[[性別]][[検査]]([[スポーツにおける性別確認]]を参照)は[[英語]]で「ジェンダーヴェリフィケイション({{lang|en|gender verification}})」と呼ばれ、人間の生物学的な「男女の産み分け」を「ジェンダーセレクション({{Lang-en|gender selection}})」と呼ぶ|date=2023年1月}}。また、昆虫の雌雄を判断し、より分けることを「雌雄判別({{Lang-en|gender selection}})」と呼ぶ<ref>[http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/020128.html カイコ幼虫の斑紋による雌雄性の判別]</ref>。
=== 教育格差 ===
性別が理由で教育を受けられない場合も多く、学校に通えない女子児童・生徒が2018年時点で世界中に約1億3200万人(約5人に1人)いると推定されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.worldvision.jp/children/education_05.html |title=【世界の女子教育】女の子が学校に通えない3つの原因 |publisher=World Vision |accessdate = 2022-03-19}}</ref>。この背景には[[貧困]]や[[児童婚]]、教育環境などがあるとされ、[[持続可能な開発目標|SDGs]]においても[[開発途上国]]での女子教育の推進を掲げている。
また、国際的な学習到達度テスト([[OECD生徒の学習到達度調査|PISA]])では女子の点数の方が男子の点数よりも高い傾向にある一方で<ref>{{Cite web |url=https://www.oecd.org/pisa/publications/PISA2018_CN_JPN_Japanese.pdf |title=PISA RESULTS FROM PISA 2018 |publisher=OECD |accessdate=2021-12-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/03_result.pdf |title=OECD 生徒の学習到達度調査(PISA)2018年調査国際結果の要約 |publisher=[[国立教育政策研究所]] |accessdate=2021-12-13}}</ref>([[性差#学力差]]も参照)、大学進学率は男子の方が高い傾向にある。例えば2021年度の日本の四年制大学進学率は、男子が57.4%だったのに対して女子は51.3%であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://nordot.app/873395231001296896 |title=ハードルを越えて進学した女性たちの手応え データでみる都道府県のジェンダー平等(2)後編 |date=2022-03-18 |website=47NEWS |publisher=株式会社全国新聞ネット |accessdate = 2022-03-19}}</ref>。この背景にも、所得水準の他に進路指導におけるジェンダー格差が指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://nordot.app/872430222028685312 |title=女子の大学進学「東京7割」「鹿児島3割」これって公平? データでみる都道府県のジェンダー平等(2)前編 |date=2022-03-17 |website=47NEWS |publisher=株式会社全国新聞ネット |accessdate = 2022-03-19}}</ref>。また、大学入試において[[女性差別]]的な不正入試が行われることもある。
{{See also|2018年に発覚した医学部不正入試問題}}
=== 軍隊 ===
兵士が男性のみである国家が比較的多く、[[徴兵制度|徴兵制]]であれば義務が、[[志願制度|志願制]]であれば権利が、女性にはないことが多い。
{{see also|徴兵制度#女性兵士の徴兵}}
=== 宗教 ===
{{出典の明記|section=1|date=2012年8月26日 (日) 08:49 (UTC)}}
;キリスト教
:世界人口の4割を占める[[キリスト教]]では、神が男性であるというイメージが保持されている。かつては神の使者たる天使も成人男性の姿でイメージされていたが、近世以降は赤子や女性のイメージで描かれることも多い。[[カトリック教会|カトリック]]や[[正教会|オーソドクス]]では聖職者の特定の地位になることが男性にしか許されていない。[[プロテスタント]]では女性の[[教職者]]が認められている教派が多い。
;仏教
:[[大乗仏教]]では、[[仏陀]]は男性であるとの主張が[[法華経]]の一節の解釈から生じており女性は[[成仏]]しないが来世に男性として輪廻すれば、成仏する可能性があるとの考えが一部存在する。また、法華経という経典において、法華経の功徳で、女性が今生で男性に変化して成仏する場面が説かれている([[変成男子]])。
:[[上座部仏教]]では、あくまで悟りを目的としており成仏を目的としていない。経典で複数の女性が在家、出家を問わずに涅槃に到達しており([[阿羅漢]]果という)仏が必ず男であるなどという大乗仏教の考えは大乗仏教の異端性を示すものとして捉えられている。
;神道
:日本の[[神道]]では、明治以降は最高神が女性である[[アマテラス]]とされている。また、[[国産み]]は男神・[[イザナギ]]と女神・[[イザナミ]]の共同で行なわれている。
;道教
:[[道教]]では、陰と陽はそれぞれ女性と男性の属性であり、女性は月に、男性は太陽に支配されていると考えられている。
== 国連・持続可能な開発目標 ==
ジェンダーの平等は、[[持続可能な開発目標|持続可能な開発のための2030アジェンダ]]を構成する17のグローバル目標の一つであり、また、そのターゲット5.cにおいてジェンダー平等の促進が謳われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/ic/gic/page3_001387.html |title=「持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択する国連サミット |website=外務省 |date= |accessdate=2016-11-30}}</ref>。
== 関連文献 ==
* [[Ivan Illich]]''Gender'' (1982) ISBN 0-394-52732-1
**[[イヴァン・イリイチ]] 『ジェンダー――女と男の世界』([[岩波書店]]、1984年)
*[[村田晶子]]編著『復興に女性たちの声を―「3・11」とジェンダー』[[早稲田大学出版部]] (2012/10)ISBN 978-4-657-12316-9
*[[加藤秀一]]著『ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい』[[朝日新聞社]] (2006/11)ISBN 4-02-330373-9
*[[上野千鶴子]]・[[宮台真司]]・[[斎藤環]]・[[小谷真理]]・[[鈴木謙介]]・[[後藤和智]]・[[澁谷知美]]・[[山口智美 (文化人類学者)|山口智美]]・[[荻上チキ]]他共著 『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』 双風舎 (2006/06/26) ISBN 4-902465-09-4
*川本敏編『論争・少子化日本』中公新書(2001/05/15)ISBN 4-12-150006-7
*[[渡辺真由子]]著『オトナのメディア・リテラシー』 リベルタ出版 (2007/10)
*[[アン・ファウスト=スターリング]]著『ジェンダーの神話―[性差の科学]の偏見とトリック』池上千寿子ほか訳 [[工作舎]] (1990/5)ISBN 4-87502-167-4
*[[ロンダ・シービンガー]]著『ジェンダーは科学を変える!?―医学・霊長類学から物理学・数学まで』小川眞里子ほか訳 [[工作舎]] (2002/1)ISBN 978-4-87502-362-3
*[[トマス・ラカー]]著『セックスの発明―性差の観念史と解剖学のアポリア』高井宏子ほか訳 [[工作舎]] (1998/4)ISBN 4-87502-294-8
*内田旺希著『人間の鼻の美学ージェンダーと鼻の特異点』
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{multicol}}
*[[ウィキペディアにおけるジェンダーバイアス]]
*[[ジェンダーバイオレンス]]
*[[ジェンダーフリー]]
*[[ジェンダーチェック]]
*[[性差]]
*[[社会学]]
**[[家族社会学]]
***[[主婦]]
***[[主夫]]
***[[夫婦]]
**[[ジェンダーの社会学]]
***[[母性]]
***[[父性]]
*[[夫婦別姓]]
*[[性科学]]
*[[人間の性]]
{{multicol-break}}
*[[性差別]]
**[[女性差別]]
**[[男性差別]]
*{{仮リンク|性の不平等|en|Gender inequality}}(ジェンダー・エニクオリティー)
** [[ジェンダー・ギャップ指数]]
*[[性別]]
*[[セクシュアリティ]]
**[[セックス]]
***[[男性]]
***[[女性]]
***[[半陰陽|インターセックス]]
***[[性分化疾患]]
**[[性役割]]
***[[男らしさ]]
***[[女らしさ]]
**[[性同一性]]
***[[性同一性障害]]
**[[ジェンダーパターン]]
***[[トランスジェンダー]]
***[[Xジェンダー]]
{{multicol-break}}
*[[ジェンダー研究]]
**[[女性学]]
**[[男性学]]
**[[国際ジェンダー学会]]
**[[ジェンダー史学会]]
*[[フェミニズム]]
**[[ラディカル・フェミニズム]]
**[[ジェンダー・フェミニズム]]
*[[メンズリブ]]
*[[反フェミニズム]]
**[[バックラッシュ (社会学)]]
**[[マスキュリズム]]
*[[ダイバーシティ・マネジメント]]
{{multicol-end}}
== 外部リンク ==
*[http://worldbank.org/gender 男女平等と女性の経済力促進], [[世界銀行]]"Gender and Development"
*[http://worldbank.org/gender/events ジェンダーイベント], [[世界銀行]]"Gender and Development"
*[https://www.gender.go.jp/ 内閣府 男女共同参画局]
*[http://genderstereotype.nomaki.jp/ Gender Stereotypes - Changes in People's Thoughts] 夫婦の性役割に関する[[内閣府]]世論調査に基づくレポート
*[https://letstalkgender.jp/ 「Let's Talk Gender」] - [[Tinder]]
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潜水泳法
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潜水泳法(せんすいえいほう)とは、水に潜ったままで水中を進む泳ぎ方である。競泳競技においては、水面近くを進行する際に生じる造波抵抗を軽減あるいは無くすことで高速の推進をすることを目的として用いる。
通常、腕は頭の上に伸ばした姿勢で、脚は潜水泳法時代はカエル足で潜水泳法禁止後はバタフライキック(ドルフィンキック)で泳ぐ。無呼吸状態により血中の酸素を大量に消費するため、選手には相応の体力が要求される。五輪競技では1956年のメルボルン五輪までは潜水は禁止されていなかったが、潜水で距離を伸ばす選手が出てきたことや危険性を理由に潜水距離が規制された。
1954年にバタフライ泳法が平泳ぎから分離したあと、潜水の距離を伸ばすことによって記録更新が計られた。1954年の日本選手権水泳競技大会100m平泳ぎで日本新記録で木村基が優勝、その後大阪の国際水上100m平泳ぎでも世界新記録(長水路世界最高記録)で優勝、200mも優勝した。1955年には古川勝が世界新記録を樹立、1956年メルボルンオリンピックで金メダル獲得といった活躍をする。このメルボルンオリンピック200m平泳ぎでは吉村昌弘が銀メダルを獲得している。
しかし、メルボルンオリンピック直後に国際水泳連盟はルールを改正し、スタート、ターン後のひと掻きひと蹴りとゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止した。
背泳ぎでの潜水泳法のことを特にバサロ泳法(バサロえいほう)と言う。1970年代後半、400m個人メドレーなどで世界記録を樹立したアメリカのジェシー・バサロ(英語版)が個人メドレーでバタフライから背泳ぎへ切り替える際、リズムを整える目的で考案した。ただし、「バサロ」というのは日本くらいで他の国では単に潜水泳法と呼んでいる。
1980年代に入り、背泳ぎ競技にバサロ泳法を取り入れて泳ぐ選手が多くなっていき、潜行距離が長い選手が主要大会の上位を独占するようになっていったが、それとともに背泳ぎ競技の形骸化や限度を超えた潜行の危険性を懸念する声も増加していった。そして国際水泳連盟は1988年ソウルオリンピックの直後、背泳ぎの潜水距離を10mに制限するルール改正を行った。1991年にこの制限は15mに緩和され、現在に至る。
1995年頃から青山綾里が100mバタフライの競技でスタートから30m以上潜行するスタイルで、1997年に世界短水路新記録を樹立、1998年パース世界選手権100mバタフライで銀メダルを獲得し活躍する。
しかし、この世界選手権の後にバタフライもスタートとターンの後の潜行可能距離が15mに制限されるルール改正が発表される。また、この改正で(本来自由であるはずの)自由形までも15m制限のルールが追加された。
この15m制限以後、50mや100mの競技では15mいっぱいまで潜行する選手が多く見られるものの、200mの競技ではそもそも体力の関係もあり3回のターンで平均5~7m程度の潜行で浮上するのが世界レベルでも一般的であり、潜水によって記録を伸ばそうという考え方は小さくなった。しかし、2007年世界選手権でマイケル・フェルプスが200m自由形、バタフライで平均12mもの潜行を見せ、この2種目を含む5種目世界新記録7冠を達成したことで再び重要視されるようになる。
現在では特に背泳ぎ、バタフライにおいて15mまでを制限いっぱい潜行できるか、その15mをどれだけ速く泳げるかが勝負の重要な要素となっている。
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潜水泳法(せんすいえいほう)とは、水に潜ったままで水中を進む泳ぎ方である。競泳競技においては、水面近くを進行する際に生じる造波抵抗を軽減あるいは無くすことで高速の推進をすることを目的として用いる。 通常、腕は頭の上に伸ばした姿勢で、脚は潜水泳法時代はカエル足で潜水泳法禁止後はバタフライキック(ドルフィンキック)で泳ぐ。無呼吸状態により血中の酸素を大量に消費するため、選手には相応の体力が要求される。五輪競技では1956年のメルボルン五輪までは潜水は禁止されていなかったが、潜水で距離を伸ばす選手が出てきたことや危険性を理由に潜水距離が規制された。
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{{出典の明記|date=2012年7月}}
'''潜水泳法'''(せんすいえいほう)とは、水に潜ったままで水中を進む泳ぎ方である。競泳競技においては、水面近くを進行する際に生じる[[造波抵抗]]を軽減あるいは無くすことで高速の推進をすることを目的として用いる。
通常、腕は頭の上に伸ばした姿勢で、脚は潜水泳法時代はカエル足で潜水泳法禁止後はバタフライキック(ドルフィンキック)で泳ぐ。無呼吸状態により血中の酸素を大量に消費するため、選手には相応の体力が要求される。五輪競技では1956年のメルボルン五輪までは潜水は禁止されていなかったが、潜水で距離を伸ばす選手が出てきたことや危険性を理由に潜水距離が規制された<ref>[http://sportsneta.com/swimming-hiraoyogi 実はルール違反ではなかった!?『潜水泳法』の複雑な国際事情]</ref>。
== 平泳ぎと潜水泳法 ==
1954年に[[バタフライ]]泳法が[[平泳ぎ]]から分離したあと、潜水の距離を伸ばすことによって記録更新が計られた。1954年の[[日本選手権水泳競技大会]]100m平泳ぎで日本新記録で木村基が優勝、その後大阪の国際水上100m平泳ぎでも世界新記録(長水路世界最高記録)で優勝、200mも優勝した。1955年には[[古川勝]]が世界新記録を樹立、1956年[[メルボルンオリンピック]]で金メダル獲得といった活躍をする。このメルボルンオリンピック200m平泳ぎでは[[吉村昌弘]]が銀メダルを獲得している。
しかし、メルボルンオリンピック直後に[[国際水泳連盟]]はルールを改正し、スタート、ターン後のひと掻きひと蹴りとゴール前のひと掻きを除いて平泳ぎでの潜水を禁止した。
== 背泳ぎと潜水泳法 ==
[[背泳ぎ]]での潜水泳法のことを特に'''バサロ泳法'''(バサロえいほう)と言う。1970年代後半、400m[[個人メドレー]]などで世界記録を樹立した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の{{仮リンク|ジェシー・バサロ|en|Jesse_Vassallo}}が個人メドレーで[[バタフライ]]から背泳ぎへ切り替える際、リズムを整える目的で考案した。ただし、「バサロ」というのは日本くらいで他の国では単に潜水泳法と呼んでいる。
1980年代に入り、背泳ぎ競技にバサロ泳法を取り入れて泳ぐ選手が多くなっていき、潜行距離が長い選手が主要大会の上位を独占するようになっていったが、それとともに背泳ぎ競技の形骸化や限度を超えた潜行の危険性を懸念する声も増加していった。そして国際水泳連盟は[[ソウルオリンピック|1988年ソウルオリンピック]]の直後、背泳ぎの潜水距離を10mに制限するルール改正を行った。1991年にこの制限は15mに緩和され、現在に至る。
== 背泳ぎの潜水距離制限以後 ==
1995年頃から[[青山綾里]]が100mバタフライの競技でスタートから30m以上潜行するスタイルで、1997年に世界短水路新記録を樹立、[[1998年世界水泳選手権|1998年パース世界選手権]]100mバタフライで銀メダルを獲得し活躍する。
しかし、この世界選手権の後にバタフライもスタートとターンの後の潜行可能距離が15mに制限されるルール改正が発表される。また、この改正で(本来'''自由'''であるはずの)[[自由形]]までも15m制限のルールが追加された。
この15m制限以後、50mや100mの競技では15mいっぱいまで潜行する選手が多く見られるものの、200mの競技ではそもそも体力の関係もあり3回のターンで平均5~7m程度の潜行で浮上するのが世界レベルでも一般的であり、潜水によって記録を伸ばそうという考え方は小さくなった。しかし、[[2007年世界水泳選手権|2007年世界選手権]]で[[マイケル・フェルプス]]が200m自由形、バタフライで平均12mもの潜行を見せ、この2種目を含む5種目世界新記録7冠を達成したことで再び重要視されるようになる。
現在では特に背泳ぎ、バタフライにおいて15mまでを制限いっぱい潜行できるか、その15mをどれだけ速く泳げるかが勝負の重要な要素となっている。
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[潜水反応]]
*[[フィンスイミング]]
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地球の大気
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地球の大気(ちきゅうのたいき、英: earth's atmosphere)とは、地球の表面を層状に覆っている気体のこと。地球科学の諸分野で「地表を覆う気体」としての大気を扱う場合は「大気」と呼ぶが、一般的に「身近に存在する大気」や「一定量の大気のまとまり」等としての大気を扱う場合は「空気」と呼ぶ。
大気が存在する範囲を大気圏(たいきけん)、その外側を宇宙空間という。大気圏と宇宙空間との学術的な境界は、何を基準に考えるかによって幅があるが、一般的には、大気がほとんど無くなる高度100kmのカーマン・ラインより外側を宇宙空間とする。国際航空連盟やアメリカ航空宇宙局 (NASA) は、活動を円滑に進めるために便宜的にこの定義を用いている。
地球を覆う気体の層であることを強調する場合は「大気圏」、その気体そのものを指す場合地球科学では「大気」、それ以外では「空気」と言い、使い分けられる。
英語では大気圏や大気を指す場合「atmosphere」、空気を指す場合は「air」と呼ぶ。
大気は、温度(気温)変化を基準にして、鉛直方向に4つの層(外気圏を含めれば5つ)に区分されている。これを「地球大気の鉛直構造」という。高度が高くなるにつれ、鉛直方向では気圧や密度が単調に低下するほか、大気の流れの性質、分子組成などが変化する。
成層圏と中間圏は1つの大気循環で混合しているため、2つをあわせて中層大気と呼ぶことがある。
熱圏のさらに上部に外気圏をおく場合もある。
鉛直構造とは別の視点から命名されているものもある。
地球の大気は、太陽放射の量が最も多い赤道と最も少ない極との間での熱輸送を担っており、これにより水平方向に循環構造を持っている。大きく分けて、対流圏の循環と中層大気の循環の2つがある。
対流圏の大規模な循環は、3つの風系が北半球と南半球に1セットずつの計6つの風系からなる。赤道を挟んだ低緯度には、地表加熱による上昇気流を原動力としたハドレー循環があり、地表では熱帯収束帯と呼ばれる上昇気流の中心線に向かう北東・南東の貿易風が吹く。極を中心とした高緯度には、地表冷却による下降気流を原動力とした極循環があり、地表では極高圧帯から周囲に吹き出す北東・南東の極東風が吹く。中緯度には、間接循環のフェレル循環が存在する。年平均の風向を見ると、熱帯収束帯で上昇した空気が下降してくる亜熱帯高圧帯から高緯度低圧帯に向かって風が吹いているように見えるが、実際には温帯低気圧や移動性高気圧により南北の風向は変化が大きく、それよりも西寄りの偏西風が特徴的である。中緯度では、偏西風の南北蛇行である傾圧不安定波により熱が低緯度から高緯度へ輸送されている。
対流圏ではこれよりも小さな循環が存在する。赤道付近では、太平洋西部で上昇気流、インド洋・大西洋や太平洋東部で下降気流が強く、これをウォーカー循環という。また、大陸と海洋の間で1年を周期に風向が変化する季節風も循環構造を持っている。
中層大気では、低緯度上空や夏の極上空で上昇気流、冬の極上空で下降気流が強く、これをブリューワー・ドブソン循環という。
地表付近の大気の主な成分は、比率が高い順に、窒素が78.08%、酸素が20.95%、アルゴンが0.93%、二酸化炭素が0.03%(急激な排出量増大で現在は0.04%強)である。水蒸気は最大4%程度になるが1%を下回ることもあり、場所や時間によって大きく変動する。水蒸気の影響を除くため、一般的に地球大気の組成は「乾燥大気」での組成で表される。
二酸化炭素、オゾンのほかいくつかの微量成分の濃度も場所や時間によって大きく異なる。地表にそれらの気体の発生源や吸収源が存在するためで、例えば二酸化炭素は、空間的には都市で濃度が高く、時間的には植物の活動が活発化する夏に濃度が減少する。なお二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、六フッ化硫黄、フロン類などの温室効果ガスの濃度は、20世紀中盤以降増加を続けていて、気候変動研究を目的に監視が続けられている。また、排気ガスなどに含まれ大気汚染を引き起こす二酸化硫黄、窒素酸化物、一酸化炭素、炭化水素などいくつかの気体成分は、固体の浮遊粒子状物質などとともに常時測定が行われており、日本では高濃度になった際に都道府県は大気汚染注意報を発表して排出制限や住民への注意の呼び掛けを行う。
なお、水蒸気、二酸化炭素、オゾンは地表付近に発生源があるため、鉛直方向でも比率が大きく変化する。これら以外の主成分は、高度上昇とともに気圧が下がっても比率は一定で、中間圏界面の上高度90km付近まではほとんど変化しない。
大気の鉛直方向の温度や組成の分布は、緯度によって異なり、また季節や測定毎に異なる。しかし、科学では実験や大気について論じるとき、また産業面では工業や航空で大気の物性を知る必要があるときに、基準となるものが必要である。そのため、近代よりさまざまな標準大気モデルが作られている。
現在工業の分野では、国際標準化機構 (ISO) 標準であるISO 2533:1975の「国際標準大気」を世界標準として、各国の国内基準が作られている。また米国標準大気(1976)(英語)のほか、航空ではICAO Doc 7488-CDのICAO標準大気が標準として用いられている。宇宙工学ではNRLMSISE-00(英語)が用いられる。
地球大気の歴史については、確証は得られていないが、以下のようなことが考えられている。
星間中の塵やガスから誕生した46億年前の地球では、内部からの噴火による脱ガスにより揮発成分が大量に放出されて原始大気(げんしたいき、英: primordial atmosphere)を形成した。星間ガスは、水素とヘリウムが圧倒的に多く、次いでCO(一酸化炭素)、H2O(水)、NH3(アンモニア)、HCHO(ホルムアルデヒド)、HCN(シアン化水素)の順で多い。原始大気もこれに準じた成分で、高温高圧だった。これは現在の太陽の大気と似た成分である。水蒸気による温室効果が原始地球を高温高圧に保っていたという説もある。水素が多いため、大気は還元的だったと考えられる。このうち水素、ヘリウムなど軽い成分は、原始太陽の強力な太陽風によって数千万年のうちにほとんどが宇宙空間へ吹き飛ばされてしまったと考えられている。
水素を失った大気では、一酸化炭素が水から酸素を奪って二酸化炭素になり(太陽に近い地球ではメタンは大気の主成分にはならなかった)、高温によりアンモニアから窒素分子と水素分子が生成された。こうして新たに生じた水素も散逸し、原始大気の主成分は二酸化炭素、水蒸気、窒素となった。やがて太陽風は太陽の成長とともに次第に弱くなってくる。原始大気は100気圧程度もあり、高濃度の二酸化炭素が温室効果により地球が冷えるのを防いでいた。現在の金星の大気に近いものであったと考えられている。この頃の大気に酸素はほとんど含まれない。太陽からの紫外線により水蒸気が光解離して酸素を形成した過程はあるものの、地殻を構成する鉄などの金属のほとんどは還元状態にあり、酸素は酸化に使われすぐに消費されて大気中にはほとんど残らなかったためである。
古い変成岩に含まれる堆積岩の痕跡などから、43 - 40億年前頃に海洋が誕生したとみられる。この海洋は、原始大気に含まれていた水蒸気が、火山からの過剰な噴出と温度低下によって凝結し、雨として降り注いで形成されたものであった。初期の海洋は、原始大気に含まれていた亜硫酸や塩酸を溶かしこんでいたため強い酸性となった。強酸性の原始海水は地殻に含まれるカルシウム、マグネシウム、鉄などの金属イオンと反応し、中和物を生じて沈殿し海洋の酸性度を下げたと考えられている。酸性度が下がった海洋は二酸化炭素が溶解できるようになり、これも金属イオンと反応して方解石、苦灰岩、菱鉄鉱などを生じて沈殿し、やがて海水にはナトリウム、カリウム、塩素などの水溶性のいわゆる「食塩」の成分が相対的に多く残ることになった。こうして原始大気の半分とも推定される大量の二酸化炭素を吸収して大気圧が急降下し、温室効果が下がって気温も低下した。
やがて生命が誕生し、二酸化炭素を用いて光合成を行う生物が誕生すると、それらは水を分解して酸素を発生するようになる。さらに、二酸化炭素が生物の体内に炭素として蓄積されるようになり(炭素固定)、長い時間をかけて過剰な炭素は化石燃料、生物の殻からできる石灰岩などの堆積岩といった形で固定される。植物が現れて以降は酸素が著しく増え、二酸化炭素は大きく減少する。大気中の酸素は、初期の生物の大量絶滅とさらなる進化を導いた。
また、酸素は紫外線に反応しオゾンをつくった。酸素濃度が低かったころは地表にまで及んでいたオゾン層は、濃度の上昇とともに高度が高くなり、現在と同じ成層圏まで移動した。これにより地表では紫外線が減少し、生物が陸上にあがる環境が整えられた。
最初のうちは酸素濃度は上昇し続けたが、2億8500万年前のペルム紀後期を境に酸素濃度が徐々に減少を始める。この頃は酸素を消費するさまざまな好気性細菌が誕生し、木材腐朽菌なども発生して、後に石炭となる形でそれまで地下に封じ込められてきた植物を芯まで分解するなどして徐々に炭素循環サイクルが変わっていった。そして2億6100万年前に大大陸パンゲアが出現し、すべての陸地が一つの大陸として集まっていた頃、プレートテクトニクスによる火山活動が活発化し、それに伴いメタンや硫黄化合物などがまき散らされ、それらと化学反応を起こして突然酸素濃度が急降下した影響で海洋無酸素事変が2000万年も続き、ペルム紀末の大量絶滅を招く原因となった。また、火山ガスが放出されたことで水蒸気、二酸化炭素、メタン、硫黄化合物などといった温室効果ガスが大量に撒き散らされた。これによりメタンハイドレートが気化し水蒸気とメタンが間散らされるなどしてさらなる気温上昇が生じるというスパイラルが発生。低温、高酸素環境に慣れた原生代の生態系に致命的な影響を与えた。
人類は大気中の酸素濃度が18%を下回ると酸素欠乏症に陥るため酸素濃度が18%より低い約3.5億年より前の地球は人類が生きられない環境であったことになる。
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"text": "対流圏ではこれよりも小さな循環が存在する。赤道付近では、太平洋西部で上昇気流、インド洋・大西洋や太平洋東部で下降気流が強く、これをウォーカー循環という。また、大陸と海洋の間で1年を周期に風向が変化する季節風も循環構造を持っている。",
"title": "地球大気の区分"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "中層大気では、低緯度上空や夏の極上空で上昇気流、冬の極上空で下降気流が強く、これをブリューワー・ドブソン循環という。",
"title": "地球大気の区分"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "地表付近の大気の主な成分は、比率が高い順に、窒素が78.08%、酸素が20.95%、アルゴンが0.93%、二酸化炭素が0.03%(急激な排出量増大で現在は0.04%強)である。水蒸気は最大4%程度になるが1%を下回ることもあり、場所や時間によって大きく変動する。水蒸気の影響を除くため、一般的に地球大気の組成は「乾燥大気」での組成で表される。",
"title": "成分"
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"text": "二酸化炭素、オゾンのほかいくつかの微量成分の濃度も場所や時間によって大きく異なる。地表にそれらの気体の発生源や吸収源が存在するためで、例えば二酸化炭素は、空間的には都市で濃度が高く、時間的には植物の活動が活発化する夏に濃度が減少する。なお二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、六フッ化硫黄、フロン類などの温室効果ガスの濃度は、20世紀中盤以降増加を続けていて、気候変動研究を目的に監視が続けられている。また、排気ガスなどに含まれ大気汚染を引き起こす二酸化硫黄、窒素酸化物、一酸化炭素、炭化水素などいくつかの気体成分は、固体の浮遊粒子状物質などとともに常時測定が行われており、日本では高濃度になった際に都道府県は大気汚染注意報を発表して排出制限や住民への注意の呼び掛けを行う。",
"title": "成分"
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"text": "なお、水蒸気、二酸化炭素、オゾンは地表付近に発生源があるため、鉛直方向でも比率が大きく変化する。これら以外の主成分は、高度上昇とともに気圧が下がっても比率は一定で、中間圏界面の上高度90km付近まではほとんど変化しない。",
"title": "成分"
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{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "大気の鉛直方向の温度や組成の分布は、緯度によって異なり、また季節や測定毎に異なる。しかし、科学では実験や大気について論じるとき、また産業面では工業や航空で大気の物性を知る必要があるときに、基準となるものが必要である。そのため、近代よりさまざまな標準大気モデルが作られている。",
"title": "大気モデル"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "現在工業の分野では、国際標準化機構 (ISO) 標準であるISO 2533:1975の「国際標準大気」を世界標準として、各国の国内基準が作られている。また米国標準大気(1976)(英語)のほか、航空ではICAO Doc 7488-CDのICAO標準大気が標準として用いられている。宇宙工学ではNRLMSISE-00(英語)が用いられる。",
"title": "大気モデル"
},
{
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"text": "地球大気の歴史については、確証は得られていないが、以下のようなことが考えられている。",
"title": "地球大気の「進化」"
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"tag": "p",
"text": "星間中の塵やガスから誕生した46億年前の地球では、内部からの噴火による脱ガスにより揮発成分が大量に放出されて原始大気(げんしたいき、英: primordial atmosphere)を形成した。星間ガスは、水素とヘリウムが圧倒的に多く、次いでCO(一酸化炭素)、H2O(水)、NH3(アンモニア)、HCHO(ホルムアルデヒド)、HCN(シアン化水素)の順で多い。原始大気もこれに準じた成分で、高温高圧だった。これは現在の太陽の大気と似た成分である。水蒸気による温室効果が原始地球を高温高圧に保っていたという説もある。水素が多いため、大気は還元的だったと考えられる。このうち水素、ヘリウムなど軽い成分は、原始太陽の強力な太陽風によって数千万年のうちにほとんどが宇宙空間へ吹き飛ばされてしまったと考えられている。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
{
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"text": "水素を失った大気では、一酸化炭素が水から酸素を奪って二酸化炭素になり(太陽に近い地球ではメタンは大気の主成分にはならなかった)、高温によりアンモニアから窒素分子と水素分子が生成された。こうして新たに生じた水素も散逸し、原始大気の主成分は二酸化炭素、水蒸気、窒素となった。やがて太陽風は太陽の成長とともに次第に弱くなってくる。原始大気は100気圧程度もあり、高濃度の二酸化炭素が温室効果により地球が冷えるのを防いでいた。現在の金星の大気に近いものであったと考えられている。この頃の大気に酸素はほとんど含まれない。太陽からの紫外線により水蒸気が光解離して酸素を形成した過程はあるものの、地殻を構成する鉄などの金属のほとんどは還元状態にあり、酸素は酸化に使われすぐに消費されて大気中にはほとんど残らなかったためである。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
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"text": "古い変成岩に含まれる堆積岩の痕跡などから、43 - 40億年前頃に海洋が誕生したとみられる。この海洋は、原始大気に含まれていた水蒸気が、火山からの過剰な噴出と温度低下によって凝結し、雨として降り注いで形成されたものであった。初期の海洋は、原始大気に含まれていた亜硫酸や塩酸を溶かしこんでいたため強い酸性となった。強酸性の原始海水は地殻に含まれるカルシウム、マグネシウム、鉄などの金属イオンと反応し、中和物を生じて沈殿し海洋の酸性度を下げたと考えられている。酸性度が下がった海洋は二酸化炭素が溶解できるようになり、これも金属イオンと反応して方解石、苦灰岩、菱鉄鉱などを生じて沈殿し、やがて海水にはナトリウム、カリウム、塩素などの水溶性のいわゆる「食塩」の成分が相対的に多く残ることになった。こうして原始大気の半分とも推定される大量の二酸化炭素を吸収して大気圧が急降下し、温室効果が下がって気温も低下した。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
{
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"tag": "p",
"text": "やがて生命が誕生し、二酸化炭素を用いて光合成を行う生物が誕生すると、それらは水を分解して酸素を発生するようになる。さらに、二酸化炭素が生物の体内に炭素として蓄積されるようになり(炭素固定)、長い時間をかけて過剰な炭素は化石燃料、生物の殻からできる石灰岩などの堆積岩といった形で固定される。植物が現れて以降は酸素が著しく増え、二酸化炭素は大きく減少する。大気中の酸素は、初期の生物の大量絶滅とさらなる進化を導いた。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
{
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"text": "また、酸素は紫外線に反応しオゾンをつくった。酸素濃度が低かったころは地表にまで及んでいたオゾン層は、濃度の上昇とともに高度が高くなり、現在と同じ成層圏まで移動した。これにより地表では紫外線が減少し、生物が陸上にあがる環境が整えられた。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
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"text": "最初のうちは酸素濃度は上昇し続けたが、2億8500万年前のペルム紀後期を境に酸素濃度が徐々に減少を始める。この頃は酸素を消費するさまざまな好気性細菌が誕生し、木材腐朽菌なども発生して、後に石炭となる形でそれまで地下に封じ込められてきた植物を芯まで分解するなどして徐々に炭素循環サイクルが変わっていった。そして2億6100万年前に大大陸パンゲアが出現し、すべての陸地が一つの大陸として集まっていた頃、プレートテクトニクスによる火山活動が活発化し、それに伴いメタンや硫黄化合物などがまき散らされ、それらと化学反応を起こして突然酸素濃度が急降下した影響で海洋無酸素事変が2000万年も続き、ペルム紀末の大量絶滅を招く原因となった。また、火山ガスが放出されたことで水蒸気、二酸化炭素、メタン、硫黄化合物などといった温室効果ガスが大量に撒き散らされた。これによりメタンハイドレートが気化し水蒸気とメタンが間散らされるなどしてさらなる気温上昇が生じるというスパイラルが発生。低温、高酸素環境に慣れた原生代の生態系に致命的な影響を与えた。",
"title": "地球大気の「進化」"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "人類は大気中の酸素濃度が18%を下回ると酸素欠乏症に陥るため酸素濃度が18%より低い約3.5億年より前の地球は人類が生きられない環境であったことになる。",
"title": "地球大気の「進化」"
}
] |
地球の大気とは、地球の表面を層状に覆っている気体のこと。地球科学の諸分野で「地表を覆う気体」としての大気を扱う場合は「大気」と呼ぶが、一般的に「身近に存在する大気」や「一定量の大気のまとまり」等としての大気を扱う場合は「空気」と呼ぶ。 大気が存在する範囲を大気圏(たいきけん)、その外側を宇宙空間という。大気圏と宇宙空間との学術的な境界は、何を基準に考えるかによって幅があるが、一般的には、大気がほとんど無くなる高度100kmのカーマン・ラインより外側を宇宙空間とする。国際航空連盟やアメリカ航空宇宙局 (NASA) は、活動を円滑に進めるために便宜的にこの定義を用いている。
|
{{Otheruses|地球の大気|天体における大気の一般的解説|大気圏}}
[[ファイル:Meteotek08 atmosfera06.jpg|thumb|300px|上空から見た地球の大気の層と雲]]
[[ファイル:Sunset from the ISS.JPG|thumb|300px|[[国際宇宙ステーション]](ISS)から見た[[日没]]時の地球の大気。対流圏は[[夕焼け]]のため黄色やオレンジ色に見えるが、高度とともに青色に近くなり、さらに上では黒色に近くなっていく。]]
[[ファイル:MODIS Map.jpg|thumb|300px|[[MODIS]]で可視化した地球と大気の衛星映像]]
[[ファイル:Atmosphere layers-ja.svg|thumb|150px|大気の各層の模式図([[縮尺]]は正しくない)]]
{{読み仮名_ruby不使用|'''地球の大気'''|ちきゅうのたいき|{{Lang-en-short|earth's atmosphere}}<ref>{{Cite book|和書|author=文部省|authorlink=文部省|coauthors = [[日本物理学会]]編|title = [[学術用語集]] 物理学編|year = 1990|publisher = [[培風館]]|isbn = 4-563-02195-4|page=}}</ref>}}とは、[[地球]]の表面を層状に覆っている[[気体]]のこと<ref name="ydictaiki">[[Yahoo! Japan]]辞書([[大辞泉]])[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=大気&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=11115700 たい‐き【大気】] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130729191814/http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A4%A7%E6%B0%97&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=11115700 |date=2013年7月29日 }}</ref>。[[地球科学]]の諸分野で「地表を覆う気体」としての大気を扱う場合は「大気」と呼ぶが、一般的に「身近に存在する大気」や「一定量の大気のまとまり」等としての大気を扱う場合は「[[空気]]」と呼ぶ。
大気が存在する範囲を{{読み仮名_ruby不使用|'''[[大気圏]]'''|たいきけん}}<ref name="ydictaikiken">[[Yahoo! Japan]]辞書([[大辞泉]])[http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=大気&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=11116200 たいき‐けん【大気圏】] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130729185037/http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A4%A7%E6%B0%97&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=11116200 |date=2013年7月29日 }}</ref>、その外側を'''[[宇宙空間]]'''という。大気圏と宇宙空間との学術的な境界は、何を基準に考えるかによって幅があるが、一般的には、大気がほとんど無くなる高度100kmの[[カーマン・ライン]]より外側を宇宙空間とする<ref>{{Cite web|和書|url = https://fanfun.jaxa.jp/faq/detail/103.html |title = 空と宇宙の境目はどこですか? |work = ファン!ファン!JAXA! |accessdate = 2019-07-11}}</ref>。[[国際航空連盟]]や[[アメリカ航空宇宙局]] ({{Lang|en|NASA}}) は、活動を円滑に進めるために便宜的にこの定義を用いている。
== 用法 ==
地球を覆う気体の層であることを強調する場合は「大気圏」、その気体そのものを指す場合地球科学では「大気」、それ以外では「空気」と言い、使い分けられる<ref name="ydictaiki" /><ref name="ydictaiki" />。
英語では大気圏や大気を指す場合「{{Lang|en|atmosphere}}」<ref group="注">「{{lang|en|atmosphere}}」は[[ギリシャ語]]で蒸気や気体を意味する「{{lang|el|ατομς}}」と、[[球体]]や圏を意味する「{{lang|el|σφαιρα}}」に由来する。</ref>、空気を指す場合は「{{Lang|en|air}}」と呼ぶ<ref>スペースアルク 語源辞典"[http://home.alc.co.jp/db/owa/etm_sch?instr=atmosphere&stg=1 atmosphere] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130518121341/http://home.alc.co.jp/db/owa/etm_sch?instr=atmosphere&stg=1 |date=2013年5月18日 }}"</ref>。
== 地球大気の区分 ==
=== 地球大気の鉛直構造 ===
大気は、温度([[気温]])変化を基準にして、[[鉛直]]方向に4つの層(外気圏を含めれば5つ)に区分されている<ref name="rikanenpyo">[https://official.rikanenpyo.jp/posts/6156 超高層大気 理科年表オフィシャルサイト]</ref>。これを「地球大気の鉛直構造」という。高度が高くなるにつれ、鉛直方向では[[気圧]]や[[密度]]が単調に低下するほか、大気の流れの性質、分子組成などが変化する。
; [[対流圏]]<ref>{{Lang-en|links=no|troposphere}}</ref>
: [[1_E4_m|0 - 9/17km]]。高度とともに気温が低下。さまざまな気象現象が起こる。上層よりも[[水]]([[水蒸気]])の比率が高い。質量比では大気の成分の半分以上が対流圏に存在する。赤道付近では17km程度と厚く、極では9km程度と薄い。対流圏の中は、気流が地表の摩擦([[粘度|粘性]])の影響を受ける[[大気境界層]]とほとんど受けない[[自由大気]]に分かれ、また大気境界層の中はさらにいくつかに分類されている。成層圏との境界は[[対流圏界面]]<ref>{{lang-en|links=no|tropopause}}</ref>と呼ぶ。
; [[成層圏]]<ref>{{Lang-en|links=no|stratosphere}}</ref>
: [[1_E5_m|9/17 - 50km]]。高度とともに気温が上昇。[[オゾン層]]が存在する。中間圏との境界は'''[[成層圏界面]]'''<ref>{{Lang-en|links=no|stratopause}}</ref>と呼ぶ。
; [[中間圏]]<ref>{{Lang-en|links=no|mesosphere}}</ref>
: [[1_E5_m|50 - 80km]]。高度とともに気温が低下。熱圏との境界は'''中間圏界面'''<ref>{{Lang-en|links=no|mesopause}}</ref>と呼ぶ。
; [[熱圏]]<ref>{{Lang-en|links=no|thermosphere}}</ref>
: [[1_E6_m|80 - 約800km]]。高度とともに気温が上昇。外気圏との境界は'''熱圏界面'''<ref>{{Lang-en|links=no|thermopause}}</ref>また'''は外圏底'''<ref>{{Lang-en|links=no|exobase}}</ref>と呼ぶ。熱圏と外気圏との境界は定義が難しく500 - 1,000kmと幅がある。
成層圏と中間圏は1つの大気循環で混合しているため、2つをあわせて'''中層大気'''<ref>{{Lang-en|links=no|middle atmosphere}}</ref>と呼ぶことがある。
熱圏のさらに上部に[[外気圏]]<ref>{{Lang-en|links=no|exosphere}}</ref>をおく場合もある<ref name="rikanenpyo"/>。
=== その他の鉛直構造区分 ===
鉛直構造とは別の視点から命名されているものもある。
; [[電離層]]<ref>{{lang-en|links=no|ionosphere}}</ref>
: 大気中の[[原子]]や[[分子]]が主に[[紫外線]]を受けて[[光イオン化|光電離]]し、[[イオン]]が大量に存在している層。中間圏と熱圏の間にあたる[[1_E4_m|60km]] - [[1_E5_m|500km]]付近に存在する。
; [[オゾン層]]<ref>{{lang-en|links=no|ozonosphere}}</ref>
: 高度約[[1_E4_m|10 - 50km]]。成層圏の中にある。
; [[磁気圏]]<ref>{{lang-en|links=no|Magnetosphere}}</ref>
: 地球[[磁場]]と[[太陽風]]の圧力がつり合う境界の内側。高度[[1_E6_m|1,000km]]以上。太陽側は高度6 - 7万km、太陽とは逆側に100万km以上の尾を引く。電離圏とは[[磁力線]]でつながる。
: 磁気圏の中で地球に近い内側領域には太陽からの高エネルギー[[荷電粒子]]の密度が高い領域があり、これを[[ヴァン・アレン帯]]<ref>{{lang-en|links=no|Van Allen radiation belts}}</ref>という。[[放射線]]の放出が強い。特に[[赤道]]上空で顕著。
; [[プラズマ圏]]<ref>{{lang-en|links=no|plasmasphere}}</ref>
: 低温の[[プラズマ]]がほぼ地球の自転とともに回転している、赤道で高度2万km程度以下の領域。
; 均質圏<ref>{{lang-en|links=no|homosphere}}</ref>
: 大気成分が均質な層。地表から[[1_E4_m|80 - 90km]]付近まで。この外側を非均質圏<ref>{{lang-en|links=no|heterosphere}}</ref>といい、高度が上がるにつれて[[分子量]]の大きい成分から順に減っていく。分子量に応じて各分子が持つ[[スケールハイト]]に対応して気体が分離し、約[[1_E5_m|170km]]以上では[[酸素]]が主成分、約[[1_E6_m|1,000km]]以上では[[ヘリウム]]が主成分、さらに外側の数千km以上では[[水素]]が主成分というふうに変遷していく。2つの境界を均質圏界面<ref>{{lang-en|links=no|homopause}}</ref>という。
; 乱流圏<ref>{{lang-en|links=no|turbosphere}}</ref>
: [[乱流]]による分子の拡散が分子自身の[[熱運動]]による拡散を上回っている層。地表から[[1_E5_m|100 - 110km]]付近まで。この外側を拡散圏<ref>{{lang-en|links=no|Diffusosphere}}</ref>といい、熱運動による拡散が上回っている。2つの境界を乱流圏界面<ref>{{lang-en|links=no|Turbopause}}</ref>という。
=== 地球大気の水平構造 ===
地球の大気は、太陽放射の量が最も多い赤道と最も少ない極との間での[[熱]]輸送を担っており、これにより水平方向に循環構造を持っている。大きく分けて、対流圏の循環と中層大気の循環の2つがある。
対流圏の大規模な循環は、3つの風系が北半球と南半球に1セットずつの計6つの風系からなる。赤道を挟んだ低緯度には、地表加熱による[[上昇気流]]を原動力とした[[ハドレー循環]]があり、地表では[[熱帯収束帯]]と呼ばれる上昇気流の中心線に向かう北東・南東の[[貿易風]]が吹く。極を中心とした高緯度には、地表冷却による[[下降気流]]を原動力とした[[極循環]]があり、地表では[[極高圧帯]]から周囲に吹き出す北東・南東の[[極東風]]が吹く。中緯度には、間接循環の[[フェレル循環]]が存在する。年平均の風向を見ると、熱帯収束帯で上昇した空気が下降してくる[[亜熱帯高圧帯]]から[[高緯度低圧帯]]に向かって風が吹いているように見えるが、実際には[[温帯低気圧]]や移動性[[高気圧]]により南北の風向は変化が大きく、それよりも西寄りの[[偏西風]]が特徴的である。中緯度では、偏西風の南北蛇行である[[傾圧不安定波]]により熱が低緯度から高緯度へ輸送されている。
対流圏ではこれよりも小さな循環が存在する。赤道付近では、太平洋西部で上昇気流、インド洋・大西洋や太平洋東部で下降気流が強く、これを[[ウォーカー循環]]という。また、大陸と海洋の間で1年を周期に風向が変化する[[季節風]]も循環構造を持っている。
中層大気では、低緯度上空や夏の極上空で上昇気流、冬の極上空で下降気流が強く、これを[[ブリューワー・ドブソン循環]]という。
== 成分 ==
{{main|空気#成分}}
地表付近の大気の主な成分は、比率が高い順に、[[窒素]]が78.08%、[[酸素]]が20.95%、[[アルゴン]]が0.93%、[[二酸化炭素]]が0.03%(急激な排出量増大で現在は0.04%強)である。[[水蒸気]]は最大4%程度になるが1%を下回ることもあり、場所や時間によって大きく変動する。水蒸気の影響を除くため、一般的に地球大気の組成は「乾燥大気」での組成で表される。
二酸化炭素、[[オゾン]]のほかいくつかの微量成分の濃度も場所や時間によって大きく異なる。地表にそれらの気体の発生源や吸収源が存在するためで、例えば二酸化炭素は、空間的には[[都市]]で濃度が高く、時間的には[[植物]]の活動が活発化する[[夏]]に濃度が減少する<ref group="注">気象庁のページ[https://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/info_kanshi.html 二酸化炭素分布情報]等も参照。</ref>。なお二酸化炭素、[[メタン]]、[[一酸化二窒素]]、[[六フッ化硫黄]]、[[フロン]]類などの[[温室効果ガス]]の濃度は、20世紀中盤以降増加を続けていて、[[気候変動]]研究を目的に監視が続けられている<ref name="jmaghg8">[[気象庁]] 「{{PDFLink|[https://www.data.jma.go.jp/gmd/env/info/wdcgg/GHG_Bulletin-14_j.pdf WMO温室効果ガス年報 気象庁訳]}}」2012年11月</ref>。また、排気ガスなどに含まれ[[大気汚染]]を引き起こす[[二酸化硫黄]]、[[窒素酸化物]]、[[一酸化炭素]]、[[炭化水素]]などいくつかの気体成分は、固体の[[浮遊粒子状物質]]などとともに常時測定が行われており<ref>[[環境省]] 大気汚染物質広域監視システム(そらまめくん)「[http://soramame.taiki.go.jp/index/setsumei/koumoku.html 大気汚染物質(常時監視測定項目)について]」</ref>、[[日本]]では高濃度になった際に[[都道府県]]は[[大気汚染注意報]]を発表して排出制限や住民への注意の呼び掛けを行う。
なお、水蒸気、二酸化炭素、オゾンは地表付近に発生源があるため、鉛直方向でも比率が大きく変化する。これら以外の主成分は、高度上昇とともに気圧が下がっても比率は一定で、中間圏界面の上高度90km付近まではほとんど変化しない。
{| class="wikitable"
|+ 表1: 乾燥大気の主要成分<ref>kikakurui.com 「[http://kikakurui.com/w/W0201-1990-01.html JIS W 0201:1990 標準大気]」</ref>
|-
! 成分|| 化学式 || 体積比(%)
|-
| [[窒素]] || N<sub>2</sub> || 78.084
|-
| [[酸素]] || O<sub>2</sub> || 20.9476
|-
| [[アルゴン]] || Ar || {{0}}0.934
|-
| [[二酸化炭素]] || CO<sub>2</sub> || {{0}}0.032
|}
== 大気モデル ==
大気の鉛直方向の温度や組成の分布は、緯度によって異なり、また季節や測定毎に異なる。しかし、科学では実験や大気について論じるとき、また産業面では工業や航空で大気の物性を知る必要があるときに、基準となるものが必要である。そのため、近代よりさまざまな標準大気モデルが作られている。
現在[[工業]]の分野では、[[国際標準化機構]] (ISO) 標準であるISO 2533:1975の「[[国際標準大気]]」を世界標準として、各国の国内基準が作られている。また[[米国標準大気]](1976)<sub>([[:en:U.S. Standard Atmosphere|英語]])</sub>のほか、[[航空]]では[[国際民間航空機関|ICAO]] Doc 7488-CDのICAO標準大気が標準として用いられている。[[宇宙工学]]では[[NRLMSISE-00]]<sub>([[:en:NRLMSISE-00|英語]])</sub>が用いられる。
== 地球大気の「進化」 ==
[[ファイル:Sauerstoffgehalt-1000mj2.png|thumb|350px|過去10億年の大気中の酸素濃度の変化]]
{{See also|地球史年表|太陽系の形成と進化}}
地球大気の歴史については、確証は得られていないが、以下のようなことが考えられている。
星間中の塵やガスから誕生した46億年前の地球では、内部からの[[噴火]]による脱ガスにより揮発成分が大量に放出されて{{読み仮名_ruby不使用|'''原始大気'''|げんしたいき|{{Lang-en-short|primordial atmosphere}}<ref>{{Cite book|和書|editor=文部省|editor-link=文部省|title = [[学術用語集]] 地学編|year = 1984|publisher = [[日本学術振興]]|isbn = 4-8181-8401-2|page = 27}}</ref>}}を形成した。[[星間ガス]]は、[[水素]]と[[ヘリウム]]が圧倒的に多く、次いで{{Chem|CO}}([[一酸化炭素]])、{{Chem|H<sub>2</sub>O}}([[水]])、{{Chem|NH<sub>3</sub>}}([[アンモニア]])、{{Chem|HCHO}}([[ホルムアルデヒド]])、{{Chem|HCN}}([[シアン化水素]])の順で多い<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.ogeochem.jp/pdf/manual/chap1/1_6_cosmochem.pdf|title=1.6 有機地球化学|publisher=[[日本有機地球化学会]]|accessdate=2018-11-22}}</ref>。原始大気もこれに準じた成分で、高温高圧だった。これは現在の[[太陽]]の大気と似た成分である。[[水蒸気]]による[[温室効果]]が原始地球を高温高圧に保っていたという説もある。水素が多いため、大気は[[還元|還元的]]だったと考えられる<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2007/2007_01_0005.pdf|title=2007年、創立125周年記念解説『大気の進化』|publisher=[[日本気象協会]]|author=阿部豊、田近英一|accessdate=2018-11-22}}</ref>。このうち水素、ヘリウムなど軽い成分は、原始太陽の強力な[[太陽風]]によって数千万年のうちにほとんどが宇宙空間へ吹き飛ばされてしまったと考えられている。
水素を失った大気では、一酸化炭素が水から酸素を奪って[[二酸化炭素]]になり(太陽に近い地球では[[メタン]]は大気の主成分にはならなかった)、高温によりアンモニアから[[窒素分子]]と水素分子が生成された{{Refnest|group=注|[[太陽系]]で大気中に窒素が大量に存在するのは地球と[[土星]]の[[衛星]]の[[タイタン (衛星)|タイタン]]だけであり、窒素ガスの形成は同様の過程が考えられている。タイタンの場合、高温となった原因に巨大隕石との衝突があったとする説が提唱されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.k.u-tokyo.ac.jp/news/20110509sekine.html|publisher=[[東京大学]]大学院新領域創成科学研究科|title=冷たい第2の地球、土星衛星タイタンの窒素大気の起源を解明|accessdate=2018-11-22}}</ref>。}}。こうして新たに生じた水素も散逸し、原始大気の主成分は二酸化炭素、水蒸気、窒素となった。やがて{{要出典|date=2018-11-22|太陽風は太陽の成長とともに次第に弱くなってくる}}。原始大気は100気圧程度もあり、高濃度の二酸化炭素が温室効果により地球が冷えるのを防いでいた。現在の[[金星の大気]]に近いものであったと考えられている。この頃の大気に酸素はほとんど含まれない。太陽からの[[紫外線]]により水蒸気が[[光分解|光解離]]して酸素を形成した過程はあるものの、地殻を構成する[[鉄]]などの金属のほとんどは還元状態にあり、酸素は[[酸化]]に使われすぐに消費されて大気中にはほとんど残らなかったためである。
古い[[変成岩]]に含まれる[[堆積岩]]の痕跡などから、43 - 40億年前頃に[[海洋]]が誕生したとみられる。この海洋は、原始大気に含まれていた水蒸気が、火山からの過剰な噴出と温度低下によって凝結し、[[雨]]として降り注いで形成されたものであった。初期の海洋は、原始大気に含まれていた[[亜硫酸]]や[[塩酸]]を溶かしこんでいたため強い[[酸性]]となった。強酸性の原始海水は地殻に含まれる[[カルシウム]]、[[マグネシウム]]、[[鉄]]などの[[金属イオン]]と反応し、[[中和 (化学)|中和]]物を生じて沈殿し海洋の酸性度を下げたと考えられている。酸性度が下がった海洋は二酸化炭素が溶解できるようになり、これも金属イオンと反応して[[方解石]]、[[苦灰岩]]、[[菱鉄鉱]]などを生じて沈殿し、やがて海水にはナトリウム、カリウム、[[塩素]]などの水溶性のいわゆる「[[食塩]]」の成分が相対的に多く残ることになった。こうして原始大気の半分とも推定される大量の二酸化炭素を吸収して大気圧が急降下し、温室効果が下がって気温も低下した。
やがて[[生命の起源|生命が誕生]]し、二酸化炭素を用いて[[光合成]]を行う[[生物]]が誕生すると、それらは水を分解して酸素を発生するようになる。さらに、二酸化炭素が生物の体内に[[炭素]]として蓄積されるようになり([[炭素固定]])、長い時間をかけて過剰な炭素は[[化石燃料]]、生物の殻からできる[[石灰岩]]などの堆積岩といった形で固定される。[[植物]]が現れて以降は酸素が著しく増え、二酸化炭素は大きく減少する。大気中の酸素は、初期の生物の[[大量絶滅]]とさらなる[[進化]]を導いた。
また、酸素は紫外線に反応しオゾンをつくった。酸素濃度が低かったころは地表にまで及んでいたオゾン層は、濃度の上昇とともに高度が高くなり、現在と同じ成層圏まで移動した。これにより地表では紫外線が減少し、生物が陸上にあがる環境が整えられた。
最初のうちは酸素濃度は上昇し続けたが、2億8500万年前のペルム紀後期を境に酸素濃度が徐々に減少を始める。この頃は酸素を消費するさまざまな好気性細菌が誕生し、木材腐朽菌なども発生して、後に[[石炭]]となる形でそれまで地下に封じ込められてきた植物を芯まで分解するなどして徐々に炭素循環サイクルが変わっていった。そして2億6100万年前に大大陸[[パンゲア]]が出現し、すべての陸地が一つの大陸として集まっていた頃、プレートテクトニクスによる火山活動が活発化し、それに伴いメタンや硫黄化合物などがまき散らされ、それらと化学反応を起こして突然酸素濃度が急降下した影響で海洋無酸素事変が2000万年も続き、[[ペルム紀末の大量絶滅]]を招く原因となった。また、火山ガスが放出されたことで水蒸気、二酸化炭素、メタン、硫黄化合物などといった[[温室効果ガス]]が大量に撒き散らされた。これによりメタンハイドレートが気化し水蒸気とメタンが間散らされるなどしてさらなる気温上昇が生じるというスパイラルが発生。低温、高酸素環境に慣れた原生代の生態系に致命的な影響を与えた。
[[人類]]は[[大気圏|大気]]中の[[酸素]]濃度が18%を下回ると[[酸素欠乏症]]に陥るため<ref>、{{Cite web|和書|title=酸素欠乏症とは|url=https://lab-brains.as-1.co.jp/article/scienceknowledge/2021/10/8129/|website=Lab BRAINS|accessdate=2021-12-25|language=ja}}</ref>{{独自研究範囲|date=2022年10月|酸素濃度が18%より低い約3.5億年より前の[[地球]]は人類が生きられない[[環境]]であったことになる}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|author = 小倉義光
|title = 一般気象学
|edition = 第2版
|year = 1999
|publisher = [[東京大学出版会]]
|isbn = 4-13-062706-6
}}
* 岩槻秀明 『最新気象学のキホンがよ〜くわかる本』第2版、秀和システム、2012年、ISBN 978-4-7980-3511-6。
* 東北大学惑星大気研究室 「{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20160304094911/http://pat.gp.tohoku.ac.jp/archive/edu02.pdf 地球大気の基礎事項]}}」 - [[ウェイバックマシン]](2016年3月4日アーカイブ分)
* {{Cite web|和書
|author = 小林憲正
|date = 2010年2月
|url = http://elekitel.jp/elekitel/special/2010/19/sp_02_a.htm
|archiveurl = https://archive.fo/PCUzK
|title = 特集2.アストロバイオロジーと化学進化
|work = ゑれきてる
|publisher = [[東芝]]
|accessdate = 2011-02-15
|archivedate = 2013-5-1
|deadlinkdate = 2021年12月28日
}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Earth's atmosphere}}
* [[気象学]]、[[地球物理学]]、[[地球科学]]、[[大気科学]]、[[天気予報]]
* [[地球温暖化]]
* [[大気汚染]]
* [[大気循環]]
* [[大気圧]]
* [[大気圏]]
* [[大気圏再突入]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank|大気}}
{{地球の大気}}
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[[Category:大気|*ちきゆう]]
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柿生駅
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柿生駅(かきおえき)は、神奈川県川崎市麻生区上麻生5丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 24。
現在の川崎市麻生区にある駅としては小田急小田原線開業時からある一番古い駅の一つである。現在、麻生区の中心駅となっている東隣の新百合ヶ丘駅は1974年(昭和49年)開業であり、その他の区内の駅も戦後新興住宅地の開発に合わせて作られた駅ばかりなので、区内で戦前からある鉄道駅としては唯一である。
禅寺丸柿の原産地であり、柿の名産地であったことから名付けられた「柿生村」という地名から、「柿生」と名付けられる。なお柿生村自体は1939年4月に川崎市に編入されており、地名としては現存しない。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。
新百合ヶ丘駅開業前は島式ホーム2面4線を有していたが、ホーム延伸の必要性などから現在の規模に縮小された。直後に鶴川駅にて上り待避線の運用が開始されている。
改札口は東(南口、下りホーム)および西(北口、上りホーム)にある。特急券売り場は南口にある。改札口と跨線橋を連絡するエレベーターが設置されている。トイレは下りホームに設置されている。
上りホームには改札付近にOX SHOPが2018年8月23日まで出店していた。なお、2009年3月31日までは下りホームに箱根そばが出店していた。
2012年度の設備投資計画において行先案内表示器の新設が盛り込まれた。
2022年度の1日平均乗降人員は31,978人である。小田急線全70駅中31位。
近年の1日平均乗降人員・乗車人員の推移は下表の通り。
南口には商店街、麻生警察署柿生駅前交番、川崎信用金庫柿生支店、柿生郵便局およびJAセレサ川崎柿生支店、ファミリーマート、セブンイレブン、セイジョー、日高屋がある。商店街の東方は丘陵を造成した大規模な住宅地であり、到達するには急な坂を経由する必要がある。また、北口には2軒のスーパーマーケット(マルエツ柿生店・そうてつローゼン柿生店)、横浜銀行柿生支店、川崎市麻生消防署柿生出張所、ファミリーマートがある。
路線バス乗り場は南口(東側)と北口(西側)、タクシー乗り場は南口にある。
駅前の道路と駅前広場は極端に狭い。その原因は、津久井道の旧道がそのまま駅前商店街になっているという歴史的経緯や、駅開業当初の土地買収の方法などに起因しているため、2011年現在、再開発事業で30階建てのタワーマンションが建つ計画されている。道路事情の悪さについてはマスメディアでも何度か紹介されており、駅周辺では交通整理をする警備員の姿が常時見られる。
駅前道路の安全性確保のため、2007年4月1日から駅南口隣接地に暫定のバスターミナルを設置した。これを契機に再開発事業が計画されている柿生町田線の駅前部分180mを先行開発することも進められている。
駅北部に川崎市立柿生小学校、麻生図書館柿生分館、NTT東日本の電話局および柿生緑地がある。川としては麻生川および片平川が流れている。片平川は駅西部で麻生川に流入し、麻生川は下麻生において鶴見川に流入する。小田急線は駅南部において麻生川を横断する。駅北部においては小田急線は麻生川と並行して走り、麻生川沿岸には600m程に渡って桜並木および集合住宅群がある。また、駅南部には川崎市立柿生中学校や柿生地区会館(麻生区役所柿生出張所)がある他、麻生川に沿って3つの病院(麻生総合病院・麻生リハビリ総合病院・柿生記念病院)が並んでいる。その西方には麻生環境センター(下水処理場)および緑の広場がある。
主要道路は、駅西部を小田急線と並行に走り拡幅計画のある津久井道(県道3号)、および南部で枝分かれして柿生陸橋となり麻生川と平行に走る横浜上麻生道路(県道12号)である。なお、津久井道は鶴川駅北東において鶴川街道と合流する。
西部は東京都町田市能ヶ谷に接し、南部は同市三輪町に接している。日立製作所王禅寺センタなどが付近にある。
当駅から鴨志田団地循環のバスに乗車して「寺家ふるさと村停留所」で下車、または市が尾駅・桐蔭学園方面行のバスに乗車して「鉄町(くろがねちょう)停留所」で下車すると、寺家ふるさと村(横浜市青葉区寺家町)がある。ここには昔のこの辺りの農村の姿と民家が保存されている。
フェリシア高等学校(町田市三輪町)は鶴川駅および当駅が最寄り駅である。また、神奈川県立麻生総合高等学校(片平)は当駅が最寄り駅であるほか、桐蔭学園へのバスアクセスができる駅の一つである。
路線バスは、小田急バス、川崎市交通局(川崎市バス)、東急バス、神奈川中央交通(神奈中バス)、神奈川中央交通東(神奈中バス)の5事業者が乗り入れている。以前は東急東横線綱島駅まで運行されるバス路線もあったが、東急田園都市線開業に伴い路線が分断されており、現在では東急線方向へは田園都市線各駅までの運行となっている。付近の多摩丘陵が宅地開発される以前から運行されている比較的長距離の路線が多い。なお、番号が付いていないバス停があるため、本項の記載は「バス停番号なし」とした上で、バス停の設置位置を併記する。
バス停留所名は、川崎市バス・東急バスが「柿生駅前(行先表示は柿生駅)」、小田急バスが「柿生駅南口」である。
バス停留所名は、全社共通で「柿生駅北口」である。
以前は北口改札口が朝のラッシュ時のみの開設だった為、北口バスのりばへは一旦南口改札を出て北側にある踏切を経由する必要があったが、1990年代に解消された。
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柿生駅(かきおえき)は、神奈川県川崎市麻生区上麻生5丁目にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 24。
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{{駅情報
|社色 = #2288CC
|文字色 =
|駅名 = 柿生駅
|画像 = KakioStation(SouthExit).jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 南口(2016年10月)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|type=point|frame-width=300|marker=rail}}
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|副駅名 =
|前の駅 = OH 23 [[新百合ヶ丘駅|新百合ヶ丘]]
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|所属路線 = {{Color|#2288CC|■}}[[小田急小田原線|小田原線]]
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|乗降人員 = <ref group="小田急" name="odakyu2022" />31,978
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}}
{|{{Railway line header}}
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↑[[新百合ヶ丘駅]]
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↓[[鶴川駅]]
|}
|}
[[File:Kakio-Sta-N.JPG|thumb|北口(2017年6月)]]
[[File:Kakio-Sta-N-Gate.JPG|thumb|北口改札口(2017年6月)]]
[[File:Kakio-Sta-Platform.JPG|thumb|ホーム(2017年6月)]]
'''柿生駅'''(かきおえき)は、[[神奈川県]][[川崎市]][[麻生区]][[上麻生 (川崎市)|上麻生]]5丁目にある、[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]の[[鉄道駅|駅]]である。[[駅ナンバリング|駅番号]]は'''OH 24'''。
== 歴史 ==
現在の川崎市麻生区にある駅としては小田急小田原線開業時からある一番古い駅の一つである。現在、麻生区の中心駅となっている東隣の[[新百合ヶ丘駅]]は[[1974年]](昭和49年)開業であり、その他の区内の駅も戦後新興住宅地の開発に合わせて作られた駅ばかりなので、区内で戦前からある鉄道駅としては唯一である。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[4月1日]] - 開業。「直通」の停車駅となる。各駅停車は新宿駅 - 稲田登戸駅(現・[[向ヶ丘遊園駅]])間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。
* [[1937年]](昭和12年)[[9月1日]] - 小田原駅方面行「直通」に限り停車となる(片瀬江ノ島駅行「直通」は、通過)。
* [[1945年]](昭和20年)6月 - 従来、新宿駅 - 稲田登戸駅間のみの運行の各駅停車が全線で運行されることとなり、各駅停車の停車駅となると同時に、「直通」は廃止される。
* [[1946年]](昭和21年)[[10月1日]] - [[小田急小田原線#準急|準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[1948年]](昭和23年)9月 - 桜準急が設定され、停車駅となる。
* [[1960年]](昭和35年)[[3月25日]] - 通勤準急が設定され、停車駅となる。
* [[1977年]](昭和52年)[[11月20日]] - [[待避駅|待避線]](副本線)の使用が中止され、後に解体される。
* [[1999年]]([[平成]]11年) - 北口に[[自動改札機]]を設置<!--小田急線で最後に残った有人改札3つ目-->。
* [[2004年]](平成16年)[[12月11日]] - [[小田急小田原線#区間準急|区間準急]]が設定され、停車駅となる。
* [[2007年]](平成19年)4月1日 - 南口に暫定バスターミナルを設置。
* [[2014年]](平成26年)[[1月]]:[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|title=小田急線・箱根登山線・箱根ロープウェイ・箱根海賊船にて 2014年1月から駅ナンバリングを順次導入します! 新宿駅から箱根・芦ノ湖まで通しのナンバリングにより、わかりやすくご利用いただけます|publisher=小田急電鉄/箱根登山鉄道|date=2013-12-24|url=http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|format=PDF|language=日本語|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210509093516/http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/8052_1284200_.pdf|accessdate=2021-05-09|archivedate=2021-05-09}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]] - [[小田急ダイヤ改正]]により通勤準急が新設され、停車駅となる。
=== 駅名の由来 ===
[[禅寺丸|禅寺丸柿]]の原産地であり、[[カキノキ|柿]]の名産地であったことから名付けられた「[[柿生村]]」という地名から、「'''柿生'''」と名付けられる。なお柿生村自体は[[1939年]][[4月]]に川崎市に編入されており、地名としては現存しない。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線を有する[[地上駅]]である。
[[新百合ヶ丘駅]]開業前は[[島式ホーム]]2面4線を有していたが、ホーム延伸の必要性などから現在の規模に縮小された。直後に[[鶴川駅]]にて上り待避線の運用が開始されている。
[[改札|改札口]]は東(南口、下りホーム)および西(北口、上りホーム)にある。[[特別急行券|特急券]]売り場は南口にある。改札口と[[跨線橋]]を連絡する[[エレベーター]]が設置されている。[[便所|トイレ]]は下りホームに設置されている。
上りホームには改札付近に[[小田急商事#ショップ・コンビニエンス事業|OX SHOP]]が2018年8月23日まで出店していた。なお、[[2009年]][[3月31日]]までは下りホームに[[箱根そば]]が出店していた。
=== のりば ===
{|class="wikitable"
!ホーム!!路線!!方向!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/station/kakio/ |title=柿生駅のご案内 駅立体図 |publisher=小田急電鉄 |accessdate=2023-06-03}}</ref>
|-
!1
|rowspan=2|[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
|style="text-align:center"|下り
|[[小田原駅|小田原]]・[[片瀬江ノ島駅|片瀬江ノ島]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|上り
|[[新宿駅|新宿]]・[[File:Logo of Tokyo Metro Chiyoda Line.svg|15px|C]] [[東京メトロ千代田線|千代田線]]方面
|}
2012年度の設備投資計画において[[発車標|行先案内表示器]]の新設が盛り込まれた<ref>{{PDFlink|[http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/7093_4803266_.pdf 2012年度の鉄道事業設備投資計画 (2)駅施設改良、サービスの向上 ②行先表示装置の新設]}} - 小田急電鉄(2012年4月27日閲覧)</ref>。
== 利用状況 ==
2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''31,978人'''である<ref group="小田急" name="odakyu2022" />。小田急線全70駅中31位。
近年の1日平均乗降人員・[[乗降人員#乗車人員|乗車人員]]の推移は下表の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降・乗車人員<ref>[http://www.city.kawasaki.jp/shisei/category/51-4-15-0-0-0-0-0-0-0.html 川崎市統計書]</ref>
!年度
!1日平均<br/>乗降人員<ref>[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref>
!1日平均<br>乗車人員<ref>[https://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/yoran.html 神奈川県県勢要覧]</ref>
!出典
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|
|19,029
|<ref group="*">[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1128766_3967261_misc.pdf#search=%27%E7%B7%9A%E5%8C%BA%E5%88%A5%E9%A7%85%E5%88%A5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E4%BA%BA%E5%93%A1%EF%BC%881%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%9D%87%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移] - 21ページ</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|
|18,316
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|
|18,225
|
|-
|1998年(平成10年)
|
|18,143
|<ref group="*">神奈川県県勢要覧(平成12年度)- 223ページ</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|
|17,847
|<ref group="*" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 神奈川県県勢要覧(平成13年度)]}} - 225ページ</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|
|17,706
|<ref group="*" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|
|17,715
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 神奈川県県勢要覧(平成14年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|34,655
|17,413
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 神奈川県県勢要覧(平成15年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|34,478
|17,367
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 神奈川県県勢要覧(平成16年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|35,029
|17,391
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 神奈川県県勢要覧(平成17年度)]}} - 225ページ</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|35,143
|17,482
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 神奈川県県勢要覧(平成18年度)]}} - 225ページ</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|35,288
|17,574
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 神奈川県県勢要覧(平成19年度)]}} - 227ページ</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|35,390
|17,671
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 神奈川県県勢要覧(平成20年度)]}} - 231ページ</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|35,443
|17,701
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 神奈川県県勢要覧(平成21年度)]}} - 241ページ</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|34,825
|17,373
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 神奈川県県勢要覧(平成22年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|34,876
|17,412
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 神奈川県県勢要覧(平成23年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|34,736
|17,335
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 神奈川県県勢要覧(平成24年度)]}} - 235ページ</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|35,258
|17,603
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 神奈川県県勢要覧(平成25年度)]}} - 237ページ</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|35,933
|17,923
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 神奈川県県勢要覧(平成26年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|35,809
|17,882
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成27年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|36,832
|18,406
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 神奈川県県勢要覧(平成28年度)]}} - 247ページ</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|37,413
|18,703
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成29年度)]}} - 239ページ</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|37,504
|18,764
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/3406/15-30.pdf 神奈川県県勢要覧(平成30年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|38,270
|19,163
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/15.pdf 神奈川県県勢要覧(令和元年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|37,634
|18,843
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/85489/202015.pdf 神奈川県県勢要覧(令和2年度)]}} - 223ページ</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|28,163
|14,133
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/15.pdf 神奈川県県勢要覧(令和3年度)]}} - 215ページ</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2021">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230308034356/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-03-08|page=|accessdate=2023-10-03|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=2023-08-20}}</ref>29,628
|
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="小田急" name="odakyu2022">{{Cite web|和書|url=https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230701061413/https://www.odakyu.jp/company/railroad/users/|title=鉄道部門:駅別乗降人員・輸送人員ほか
|archivedate=2023-07-01|page=|accessdate=2023-10-03|publisher=小田急電鉄|format=|language=日本語|deadlink=}}</ref>31,978
|
|
|}
== 駅周辺 ==
[[画像:Asaogawa-SakuraNamiki.jpg|thumb|麻生川の桜並木(2005年4月10日)]]
南口には[[商店街]]、[[麻生警察署]]柿生駅前交番、[[川崎信用金庫]]柿生支店、柿生郵便局および[[セレサ川崎農業協同組合|JAセレサ川崎]]柿生支店、[[ファミリーマート]]、[[セブン-イレブン|セブンイレブン]]、[[セイジョー]]、[[日高屋]]がある。商店街の東方は[[丘陵]]を造成した大規模な住宅地であり、到達するには急な坂を経由する必要がある。また、北口には2軒の[[スーパーマーケット]]([[マルエツ]]柿生店・[[そうてつローゼン]]柿生店)、[[横浜銀行]]柿生支店、川崎市麻生消防署柿生出張所、[[ファミリーマート]]がある。
[[路線バス]]乗り場は南口(東側)と北口(西側)、[[タクシー]]乗り場は南口にある。
駅前の道路と[[広場#交通広場と駅前広場|駅前広場]]は極端に狭い。その原因は、[[東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線|津久井道]]の旧道がそのまま駅前商店街になっているという歴史的経緯や、駅開業当初の土地買収の方法などに起因しているため、[[2011年]]現在、[[都市再開発|再開発]]事業で30階建てのタワーマンションが建つ計画されている。道路事情の悪さについては[[マスメディア]]でも何度か紹介されており<ref>[[TBSテレビ|TBS]]『[[噂の!東京マガジン]]』「川崎・柿生駅前の道路事情」2004年4月4日放送。</ref>、駅周辺では交通整理をする警備員の姿が常時見られる。
駅前道路の安全性確保のため、[[2007年]][[4月1日]]から駅南口隣接地に暫定の[[バスターミナル]]を設置した。これを契機に再開発事業が計画されている柿生町田線の駅前部分180mを先行開発することも進められている。
駅北部に[[川崎市立柿生小学校]]、麻生[[図書館]]柿生分館、[[東日本電信電話|NTT東日本]]の電話局および柿生緑地がある。川としては[[麻生川]]および片平川が流れている。片平川は駅西部で麻生川に流入し、麻生川は下麻生において[[鶴見川]]に流入する。小田急線は駅南部において麻生川を横断する。駅北部においては小田急線は麻生川と並行して走り、麻生川沿岸には600m程に渡って桜並木および集合住宅群がある。また、駅南部には[[川崎市立柿生中学校]]や柿生地区会館(麻生区役所柿生出張所)がある他、麻生川に沿って3つの[[病院]](麻生総合病院・麻生リハビリ総合病院・柿生記念病院)が並んでいる。その西方には麻生環境センター([[下水処理場]])および緑の広場がある。
主要道路は、駅西部を小田急線と並行に走り拡幅計画のある津久井道(県道3号)、および南部で枝分かれして柿生陸橋となり麻生川と平行に走る[[神奈川県道12号横浜上麻生線|横浜上麻生道路(県道12号)]]である。なお、津久井道は[[鶴川駅]]北東において[[鶴川街道]]と合流する。
西部は[[東京都]][[町田市]][[能ヶ谷 (町田市)|能ヶ谷]]に接し、南部は同市[[三輪町 (町田市)|三輪町]]に接している。[[日立製作所]]原子力事業部王禅寺センタ<ref group="注釈">かつてはシステム開発研究所(現在の横浜研究所)も存在していた。</ref>などが付近にある。
当駅から鴨志田団地循環のバスに乗車して「寺家ふるさと村停留所」で下車、または[[市が尾駅]]・[[学校法人桐蔭学園|桐蔭学園]]方面行のバスに乗車して「鉄町(くろがねちょう)停留所」で下車すると、[[寺家ふるさと村]](横浜市青葉区寺家町)がある。ここには昔のこの辺りの農村の姿と民家が保存されている。
[[フェリシア高等学校]](町田市三輪町)は鶴川駅および当駅が最寄り駅である。また、[[神奈川県立麻生総合高等学校]](片平)は当駅が最寄り駅であるほか、[[桐蔭学園]]へのバスアクセスができる駅の一つである。
== バス路線 ==
路線バスは、[[小田急バス]]、[[川崎市交通局]](川崎市バス)、[[東急バス]]、[[神奈川中央交通]](神奈中バス)、[[神奈川中央交通|神奈川中央交通東]](神奈中バス)の5事業者が乗り入れている。以前は東急東横線綱島駅まで運行されるバス路線もあったが、東急田園都市線開業に伴い路線が分断されており、現在では東急線方向へは田園都市線各駅までの運行となっている。付近の[[多摩丘陵]]が宅地開発される以前から運行されている比較的長距離の路線が多い。なお、番号が付いていないバス停があるため、本項の記載は「バス停番号なし」とした上で、バス停の設置位置を併記する。
=== 南口 ===
[[画像:Kakio Sta Bus Terminal.jpg|thumb|柿生駅前バスターミナル(南口)]]
バス停留所名は、川崎市バス・東急バスが「'''柿生駅前'''(行先表示は柿生駅)」、小田急バスが「'''柿生駅南口'''」である。
* 1番のりば
** [[川崎市バス鷲ヶ峰営業所#柿生線|柿04]] - 琴平下・稗原経由 鷲ヶ峰営業所行(川崎市バス)
** [[小田急バス新百合ヶ丘営業所#柿生駅 - 下麻生 - こどもの国方面|柿21]] - 真福寺・下麻生・すみよし台経由 [[こどもの国 (横浜市)|こどもの国]]行(小田急バス) ※休日1本のみ
* 2番のりば(東急バス)
** [[東急バス虹が丘営業所#柿生線|柿01]] - 琴平下・保木入口経由 [[たまプラーザ駅]]行
** [[東急バス虹が丘営業所#柿生線|柿02]] - 琴平下・虹が丘一丁目・[[虹ヶ丘団地|虹が丘団地]]経由 [[すすき野]]団地行
** 柿02 - 琴平下・王禅寺坂上経由 虹が丘団地行 ※平日1本のみ
** 柿02 - 琴平下・王禅寺坂上・虹が丘団地経由 すすき野団地行 ※土休日2本のみ
** [[東急バス虹が丘営業所#柿生線|柿33]] - 王禅寺中央中学校前・王禅寺坂上・虹が丘団地経由 すすき野団地行 ※平日1本のみ
=== 北口 ===
バス停留所名は、全社共通で「'''柿生駅北口'''」である。
以前は北口改札口が朝の[[ラッシュ時]]のみの開設だった為、北口バスのりばへは一旦南口改札を出て北側にある[[踏切]]を経由する必要があったが、[[1990年代]]に解消された。
* 4番のりば(小田急バス)
** [[小田急バス新百合ヶ丘営業所#柿生駅 - 下麻生 - 桐蔭学園方面|柿22]] - 下麻生経由 [[学校法人桐蔭学園|桐蔭学園]]行
** [[小田急バス新百合ヶ丘営業所#柿生駅 - 下麻生 - 桐蔭学園方面|柿23]] - 下麻生・桐蔭学園入口経由 [[市が尾駅]]行
** [[小田急バス新百合ヶ丘営業所#柿生駅 - 下麻生 - 桐蔭学園方面|柿25]] - 下麻生経由 鴨志田団地・寺家町循環
* 5番のりば(小田急バス)
** [[小田急バス新百合ヶ丘営業所#柿生駅 - 片平中央 - 稲城・若葉台方面|柿24]] - [[稲城駅]]行
** 柿24 - [[駒沢学園女子中学校・高等学校|駒沢学園]]行 ※平日・土曜1本のみ
** 柿24 - [[はるひ野駅]]入口経由 [[若葉台駅]]行 ※休日1本のみ
** 柿24 - [[矢野口駅]]経由 [[調布駅]]南口行 ※休日1本のみ
** 柿24 - 下黒川行 ※最終1本のみ
** 系統なし - 平尾団地行 ※休日1本のみ
* バス停番号なし、[[マルエツ]][[駐車場]](小田急バス)
** 柿22 - 桐蔭学園行 ※平日・土曜の朝7~8時に使用
* バス停番号なし、津久井道沿い・かもめ薬局前(神奈中バス)
** [[神奈川中央交通東・橋本営業所#淵野辺駅 - 鶴川駅 - 登戸方面|淵24]] - [[淵野辺駅]]北口行 ※土曜朝1本のみ
** [[神奈川中央交通町田営業所#若葉台駅 - 柿生駅 - 市が尾駅方面|柿26]] - 市が尾駅行 ※土曜1本のみ
* バス停番号なし、津久井道沿い・NTT前(神奈中バス)
** 淵24 - [[登戸駅|登戸]]行 ※土曜朝1本のみ
** 柿26・柿27 - 下黒川経由 若葉台駅行 ※土曜各1本のみ
== 隣の駅 ==
;小田急電鉄
:[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] 小田原線
<!-- 有料列車の通過は記載しない -->
:: {{color|#f89c1c|■}}快速急行・{{color|#ef4029|■}}急行
:::; 通過
:: {{color|#00ab76|□}}通勤準急・{{color|#00ab76|■}}準急・{{color|#18469d|■}}各駅停車(通勤準急は平日朝上りのみ、準急は平日夜下りのみ運転)
::: [[新百合ヶ丘駅]] (OH 23) - '''柿生駅 (OH 24)''' - [[鶴川駅]] (OH 25)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
;神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="*"|22em}}
; 小田急電鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="小田急"|3}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Kakio Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[たいせつなひと]] - [[2001年]][[8月22日]]に[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]]からリリースされた[[19 (音楽グループ)|19]]の8枚目[[シングル]]。カップリング曲として当駅をテーマにした「小田急柿生」が収録されている。
== 外部リンク ==
* [https://www.odakyu.jp/station/kakio/ 小田急電鉄 柿生駅]
{{小田急小田原線}}
{{DEFAULTSORT:かきおえき}}
[[Category:麻生区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 か|きお]]
[[Category:小田急電鉄の鉄道駅]]
[[Category:麻生区の交通]]
[[Category:麻生区の建築物]]
[[Category:1927年開業の鉄道駅]]
|
2003-07-14T20:18:54Z
|
2023-11-30T03:52:42Z
| false | false | false |
[
"Template:Cite web",
"Template:Commonscat",
"Template:小田急小田原線",
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"Template:BS4",
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"Template:UKrail-header2",
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"Template:駅情報",
"Template:Color",
"Template:BS2text"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E7%94%9F%E9%A7%85
|
11,423 |
玄宗
|
玄宗(げんそう)は、東アジアにおける皇帝・王の廟号の一つ。
|
[
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"text": "玄宗(げんそう)は、東アジアにおける皇帝・王の廟号の一つ。",
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] |
玄宗(げんそう)は、東アジアにおける皇帝・王の廟号の一つ。 唐の玄宗
ベトナム黎朝の玄宗(黎玄宗、黎維䄔)
|
'''玄宗'''(げんそう)は、[[東アジア]]における[[皇帝]]・[[王]]の[[廟号]]の一つ。
* [[唐]]の[[玄宗 (唐)|玄宗]](李隆基、[[唐]]の第6代皇帝、在位:712年 - 756年)
* ベトナム[[黎朝]]の玄宗([[黎玄宗]]、黎維䄔)
== 関連項目 ==
*[[同諡号廟号一覧]]
{{DEFAULTSORT:けんそう}}
[[Category:廟号]]
{{aimai}}<!--人名ではない-->
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2021-01-07T07:42:25Z
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"Template:Aimai"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%AE%97
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11,425 |
太宗
|
太宗(たいそう)は、東アジア世界における王朝における君主(主に太祖に次ぐ皇帝)の廟号の一つ。以下の人物に贈られた。
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太宗(たいそう)は、東アジア世界における王朝における君主(主に太祖に次ぐ皇帝)の廟号の一つ。以下の人物に贈られた。
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{{混同|太祖}}
'''太宗'''(たいそう)は、[[東アジア]]世界における[[王朝]]における君主(主に[[太祖]]に次ぐ皇帝)の[[廟号]]の一つ。以下の人物に贈られた。
==中国==
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* [[五胡十六国|十六国]][[成漢|成]]の太宗武皇帝([[李雄 (成漢)|李雄]]、在位:[[304年]] - [[334年]])
* [[東晋]]の太宗[[簡文帝 (東晋)|簡文皇帝]](司馬昱、在位:[[371年]] - [[372年]])
* [[前秦]]の太宗高皇帝([[苻登]]、在位:386年 - 394年)
* [[北魏]]の太宗[[明元帝|明元皇帝]](拓跋嗣、在位:[[409年]] - [[423年]])
* [[南北朝時代 (中国)|南朝]][[宋 (南朝)|宋]]の太宗[[明帝 (南朝宋)|明皇帝]](劉彧、在位:[[465年]] - [[472年]])
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* [[唐]]の[[太宗 (唐)|太宗]]孝皇帝(李世民、在位:626年 - 649年)
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* [[清]]([[後金]])の太宗文皇帝([[ホンタイジ]]、在位:[[1626年]] - [[1643年]])
=== 追尊君主 ===
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* [[西夏]]の太宗光聖皇帝([[李徳明]])
* [[元 (王朝)|元]]の太宗英文皇帝([[オゴデイ]])
* [[周 (1678年-1681年)|呉周]]の太宗孝恭皇帝([[呉応熊]])
==朝鮮半島==
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== ベトナム ==
* [[李朝 (ベトナム)|李朝]]大瞿越の{{仮リンク|李太宗|label=太宗|zh|李太宗}}慈孝皇帝(李仏瑪、在位:[[1028年]] - [[1055年]])
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* [[黎朝|後黎朝]]大越の[[黎太宗|太宗]]文皇帝(黎元龍、在位:[[1433年]] - [[1442年]])
* [[莫朝]]大越の太宗文皇帝([[莫登エイ|莫登{{Lang|ko|瀛}}]]、在位:[[1530年]] - [[1540年]])
=== 追尊君主 ===
* [[阮朝]]大南の太宗孝哲皇帝({{仮リンク|阮福瀕|zh|阮福瀕}})
== 関連記事 ==
* [[同諡号廟号一覧]]
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極限
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数学においては、数列など、ある種の数学的対象をひとまとまりに並べて考えたものについての極限(きょくげん、英: limit)がしばしば考察される。直感的には、数の列がある値に限りなく近づくとき、その値のことを数列の極限あるいは極限値といい、この数列は収束するという。収束せず正の無限大、負の無限大、振動することを発散するという。
極限を表す記号として、lim (英語: limit, リミット、ラテン語: limes)という記号が一般的に用いられる。例えば次のように使う:
実数の数列が収束する (converge) あるいは有限の極限を持つ若しくは極限が有限確定であるとは、番号が進むにつれてその数列の項がある1つの値に限りなく近づいていくことをいう。このとき確定する値をその数列の極限値という。収束しない数列は発散する(diverge)といい、それらはさらに極限を持つものと持たないものに分かれる。発散する数列のうち極限を持つものには、正の無限大に発散するものと負の無限大に発散するものがあり、極限が確定しないものは振動する(oscillate)という。
自然数の逆数の列 1, 1/2, 1/3, ..., 1/n, ... を考えると、n を限りなく大きくしていくと一般項 1/n は限りなく 0 に近づいていく。このときこの数列は 0 に収束するといい、このことを
あるいは
と書く。
カール・ワイエルシュトラスは「限りなく近づく」という曖昧な表現は使わず、イプシロン-デルタ論法を用いて厳密に収束を定義した。これによれば、数列 {an} がある一定の値 α に収束するとは、次が成り立つことである(この場合はイプシロン-エヌ論法とも言う):
これを用いると、an = 1/n の極限値は 0 であることを以下のようにして示すことができる。
数列が収束しないとき、その数列は発散するという。特に、番号 n を限りなく大きくしていくとき、数列の項の値 an が限りなく大きくなることを、数列 {an} は正の無限大に発散するといい、
または
のように表す。イプシロン-エヌ論法では、数列の正の無限大への発散は、
のように定式化される。
また、番号 n を限りなく大きくしていくとき、数列の項の値 an が限りなく小さくなることを、数列 {an} は負の無限大に発散するといい、
または、
と表す。数列 {an} が負の無限大へ発散することは、各項 an を反数にした数列 {bn} (bn = −an, n = 1, 2, 3, ...) が正の無限大に発散することと同値である。あるいは絶対値をとって得られる数列 が正の無限大に発散すると言っても同じである。イプシロン-エヌ論法では、
となる。
数列が収束せず、また正の無限大にも負の無限大にも発散しない場合、その数列は振動するという。振動も発散の一種である。
実数の列 ( x n ) n {\displaystyle \left(x_{n}\right)_{n}} がある数 R {\displaystyle R} について R < x n {\displaystyle R<x_{n}} を満たしているとき(数列 ( x n ) n {\displaystyle \left(x_{n}\right)_{n}} が下に有界なとき)、 ( x n ) n {\displaystyle \left(x_{n}\right)_{n}} の下極限と呼ばれる数
を定めることができる。同様にして、上に有界な数列に対しその上極限
が定義される。
( lim ̄ {\displaystyle \varlimsup } を lim sup {\displaystyle \limsup } 、 lim _ {\displaystyle \varliminf } を lim inf {\displaystyle \liminf } と記しても同じ意味である)
数列 ( x n ) n {\displaystyle \left(x_{n}\right)_{n}} が極限を持つのは lim _ n → ∞ x n = lim ̄ n → ∞ x n {\displaystyle \textstyle \varliminf \limits _{n\to \infty }x_{n}=\varlimsup \limits _{n\to \infty }x_{n}} となる場合であり、このとき
となる。さらに、有界な数列のなすベクトル空間 l ∞ N {\displaystyle l_{\infty }\mathbf {N} } に対して抽象的な関数解析の構成を適用し、任意の有界な数列 ( x n ) n {\displaystyle \left(x_{n}\right)_{n}} に対してバナッハ極限と呼ばれる数 L I M x n {\displaystyle {\mathrm {LIM} }\;x_{n}} を、古典的な極限の拡張となるように定めることができる。
ユークリッド空間のように、距離 d の定まった空間における点の列についての収束の概念を、実数の列の収束の概念を拡張して定めることができる。すなわち、点列 (xn)n が点 y に収束するとは、正の実数列 (d(xn, y))n が 0 に収束することである。この概念をさらに一般化して、自然数によって数え上げられるとは限らない「列」とその収束性を一般の位相空間に対して定式化することができる。(#位相空間を参照のこと)
距離 d に関する極限であることを明示するために lim の代わりに d-lim などと書くこともある。
f(x) を実関数とし、c を実数とする。式
または
とは、x の値を c に“十分に近づければ”f(x) の値を L に望む限りいくらでも近づけることができることを意味する。このとき「x を c に近づけたとき f(x) の極限は L である」という。これはイプシロン-デルタ論法により
という形で厳密に定義される。このとき、この極限と関数 f(x) の x = c における値は無関係であり、f(c) ≠ L であることもあれば、f が c において定義されている必要もないのである。
このことを理解するために次の例を挙げる。
x が 2 に近づくときの f(x) = x/(x + 1) の値を考える。この場合、f(x) は x が 2 のときに定義されており、値は 0.4 である。
x が 2 に近づくにつれて f(x) が 0.4 に近づいていく。したがって、 lim x → 2 f ( x ) = 0.4 {\displaystyle \lim _{x\to 2}f(x)=0.4} である。このように f ( c ) = lim x → c f ( x ) {\displaystyle f(c)=\lim _{x\to c}f(x)} であるとき、f(x) は x = c で連続であるという。しかし、このようなことが常に成り立つとは限らない。
例として、
を考える。x が 2 に近づくときの g(x) の極限は 0.4 であるが、 lim x → 2 g ( x ) ≠ g ( 2 ) {\displaystyle \lim _{x\to 2}g(x)\neq g(2)} である。このとき g(x) は x = 2 で連続でないという。
また、x → c のとき、f(x) の値が限りなく大きくなることを、「x が c に限りなく近づくとき関数 f(x) は正の無限大に発散する」といい、
または、
と表す。このことは次のように厳密に定義される。
逆に、x → c のとき、f(x) の値が限りなく小さくなることを、「x が c に限りなく近づくとき関数 f(x) は負の無限大に発散する」といい、
または、
と表す。これは次のように厳密に定義される。
連続な実関数 f(x) が x → c とする極限において発散するならば、f(x) は x = c において定義できない。なぜなら、定義されていたとすると x = c は不連続点となるからである。
一般には x がある有限の値に近づくときを考えることが多いが、x が正か負の無限に近づくときの関数の極限を定義することもできる。
ある無限区間 (a, ∞)(を含む集合)で定義される関数 f(x) において、x が限りなく大きくなると関数 f(x) の値がある値 L に近づくとき、「x が限りなく大きくなるとき f(x) は L に収束する」といい、
または、
と表す。
これは次のように定義される。
例えば、 f ( x ) = 2 x x + 1 {\displaystyle f(x)={\frac {2x}{x+1}}} を考える。
x が十分大きくなるにつれて、f(x) は 2 に近づく。このとき lim x → ∞ f ( x ) = 2 {\displaystyle \lim _{x\to \infty }f(x)=2} と表す。
また、ある無限区間 (−∞, a) で定義される関数 f(x) において、x が限りなく小さくなると関数 f(x) の値がある値 L に近づくとき、「x が限りなく小さくなるとき f(x) は L に収束する」といい、
または、
と表す。
これは次のように定義される。
関数の無限における極限においても、関数の発散を考えることができる。
ある無限区間 ( a , ∞ ) {\displaystyle (a,\infty )} で定義される関数 f(x) において、x が限りなく大きくなると関数 f(x) の値も限りなく大きくなるとき、「x が限りなく大きくなるとき f(x) は正の無限大に発散する」といい、
または、
と表す。
これは次のように定義される。
また、ある無限区間 ( − ∞ , a ) {\displaystyle (-\infty ,a)} で定義される関数 f(x) において、x が限りなく小さくなると関数 f(x) の値が限りなく大きくなるとき、「x が限りなく小さくなるとき f(x) は正の無限大に発散する」といい、
または、
と表す。
これは次のように定義される。
同様に、 x → ∞ {\displaystyle x\rightarrow \infty } や x → − ∞ {\displaystyle x\rightarrow -\infty } における負の無限大への発散を定義することができる。
x → ∞ {\displaystyle x\rightarrow \infty } や x → − ∞ {\displaystyle x\rightarrow -\infty } において、関数 f(x) が収束もせず、また正の無限大にも負の無限大にも発散しない場合、その関数は数列と同様に振動するという。
I ⊂ R , f n , f : I → R {\displaystyle I\subset \mathbb {R} ,\;f_{n},f\colon I\rightarrow \mathbb {R} } とする。
{fn} が f に I 上各点収束するとは、
が成り立つことである。これは、
と同値である。これを各点収束の定義とすることもある。
{fn} が f に I 上一様収束するとは、次が成り立つことである:
これは、
と同値である。上で定義したノルムをスープノルム(または無限大ノルム、上限ノルム)と言う。スープノルムの収束をもって一様収束を定義することもある。
また、区間 I の任意のコンパクト集合上一様収束することを広義一様収束という。I の任意の有界閉区間上一様収束することを広義一様収束ということもある。
定義より、「fn が I 上一様収束⇒fn が I 上各点収束」が成り立つ(逆は必ずしも成り立たない)。関数の一様収束性は、lim と ∫ の順序交換や、函数項級数(英語版)の項別積分や項別微分の可能性を保証する(逆に言えば、一様収束が保証されていない段階では、勝手に lim と ∫ の順序を交換したりなどしてはいけない)。
関数の一様収束性を証明するには、上のようにスープノルムの収束を示すのが一般的である。関数項級数の一様収束性ではワイエルシュトラスのM判定法も用いられる。
点列の収束の概念は、一般の位相空間においても収束先の近傍系をもちいて定式化される。しかし、一般的な位相空間の位相構造は、どんな点列が収束しているかという条件によって特徴付けできるとは限らない。そこで、ネットやフィルターといった、点列を拡張した構成とその収束の概念が必要になる。任意の位相空間 X に対し、X 上で収束している(収束先の情報も込めた)フィルターの全体 CN(X) や、あるいは収束しているフィルターの全体 CF(X) を考えると、これらからは X の位相が復元できる。
圏 C における図式を「添字圏」 J から C への関手と見なすことにする。特定の図式に対応する関手が与えられたとき、C の対象 X と射の族 (φi: X → Fi)i∈Obj(J) に対して次のような条件を考えることができる:
このような条件を満たす X(と族 φi)のことを F が表す図式の極限(あるいは射影極限、逆極限)と呼ぶ。極限の満たす普遍性により、それぞれの図式に対する極限は(あったとして)自然な同型をのぞき一意に定まる。
極限の典型的な例として、対象の族 (Xi)i∈I の直積 ∏i< Xi や二つの射 f, g: X → Y の等化射が挙げられる。特定の形 J の図式について必ず C における極限が存在するとき、図式から極限への対応は図式圏 C への対角関手 ⊿ C → C に対する右随伴関手としてとらえることができる。
この双対概念は余極限(あるいは帰納極限や順極限)と呼ばれる。
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"text": "連続な実関数 f(x) が x → c とする極限において発散するならば、f(x) は x = c において定義できない。なぜなら、定義されていたとすると x = c は不連続点となるからである。",
"title": "関数"
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{
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"tag": "p",
"text": "一般には x がある有限の値に近づくときを考えることが多いが、x が正か負の無限に近づくときの関数の極限を定義することもできる。",
"title": "関数"
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{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "ある無限区間 (a, ∞)(を含む集合)で定義される関数 f(x) において、x が限りなく大きくなると関数 f(x) の値がある値 L に近づくとき、「x が限りなく大きくなるとき f(x) は L に収束する」といい、",
"title": "関数"
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"text": "または、",
"title": "関数"
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"text": "と表す。",
"title": "関数"
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"text": "これは次のように定義される。",
"title": "関数"
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"text": "例えば、 f ( x ) = 2 x x + 1 {\\displaystyle f(x)={\\frac {2x}{x+1}}} を考える。",
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"text": "x が十分大きくなるにつれて、f(x) は 2 に近づく。このとき lim x → ∞ f ( x ) = 2 {\\displaystyle \\lim _{x\\to \\infty }f(x)=2} と表す。",
"title": "関数"
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"text": "また、ある無限区間 (−∞, a) で定義される関数 f(x) において、x が限りなく小さくなると関数 f(x) の値がある値 L に近づくとき、「x が限りなく小さくなるとき f(x) は L に収束する」といい、",
"title": "関数"
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"text": "または、",
"title": "関数"
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"text": "と表す。",
"title": "関数"
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"text": "これは次のように定義される。",
"title": "関数"
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"text": "関数の無限における極限においても、関数の発散を考えることができる。",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "ある無限区間 ( a , ∞ ) {\\displaystyle (a,\\infty )} で定義される関数 f(x) において、x が限りなく大きくなると関数 f(x) の値も限りなく大きくなるとき、「x が限りなく大きくなるとき f(x) は正の無限大に発散する」といい、",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "または、",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "と表す。",
"title": "関数"
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"text": "これは次のように定義される。",
"title": "関数"
},
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"text": "また、ある無限区間 ( − ∞ , a ) {\\displaystyle (-\\infty ,a)} で定義される関数 f(x) において、x が限りなく小さくなると関数 f(x) の値が限りなく大きくなるとき、「x が限りなく小さくなるとき f(x) は正の無限大に発散する」といい、",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "または、",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "と表す。",
"title": "関数"
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"tag": "p",
"text": "これは次のように定義される。",
"title": "関数"
},
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"paragraph_id": 61,
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"text": "同様に、 x → ∞ {\\displaystyle x\\rightarrow \\infty } や x → − ∞ {\\displaystyle x\\rightarrow -\\infty } における負の無限大への発散を定義することができる。",
"title": "関数"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "x → ∞ {\\displaystyle x\\rightarrow \\infty } や x → − ∞ {\\displaystyle x\\rightarrow -\\infty } において、関数 f(x) が収束もせず、また正の無限大にも負の無限大にも発散しない場合、その関数は数列と同様に振動するという。",
"title": "関数"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "I ⊂ R , f n , f : I → R {\\displaystyle I\\subset \\mathbb {R} ,\\;f_{n},f\\colon I\\rightarrow \\mathbb {R} } とする。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "{fn} が f に I 上各点収束するとは、",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "が成り立つことである。これは、",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "と同値である。これを各点収束の定義とすることもある。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "{fn} が f に I 上一様収束するとは、次が成り立つことである:",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "これは、",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "と同値である。上で定義したノルムをスープノルム(または無限大ノルム、上限ノルム)と言う。スープノルムの収束をもって一様収束を定義することもある。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "また、区間 I の任意のコンパクト集合上一様収束することを広義一様収束という。I の任意の有界閉区間上一様収束することを広義一様収束ということもある。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "定義より、「fn が I 上一様収束⇒fn が I 上各点収束」が成り立つ(逆は必ずしも成り立たない)。関数の一様収束性は、lim と ∫ の順序交換や、函数項級数(英語版)の項別積分や項別微分の可能性を保証する(逆に言えば、一様収束が保証されていない段階では、勝手に lim と ∫ の順序を交換したりなどしてはいけない)。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "関数の一様収束性を証明するには、上のようにスープノルムの収束を示すのが一般的である。関数項級数の一様収束性ではワイエルシュトラスのM判定法も用いられる。",
"title": "関数列の収束"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "点列の収束の概念は、一般の位相空間においても収束先の近傍系をもちいて定式化される。しかし、一般的な位相空間の位相構造は、どんな点列が収束しているかという条件によって特徴付けできるとは限らない。そこで、ネットやフィルターといった、点列を拡張した構成とその収束の概念が必要になる。任意の位相空間 X に対し、X 上で収束している(収束先の情報も込めた)フィルターの全体 CN(X) や、あるいは収束しているフィルターの全体 CF(X) を考えると、これらからは X の位相が復元できる。",
"title": "位相空間"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "圏 C における図式を「添字圏」 J から C への関手と見なすことにする。特定の図式に対応する関手が与えられたとき、C の対象 X と射の族 (φi: X → Fi)i∈Obj(J) に対して次のような条件を考えることができる:",
"title": "圏論"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "このような条件を満たす X(と族 φi)のことを F が表す図式の極限(あるいは射影極限、逆極限)と呼ぶ。極限の満たす普遍性により、それぞれの図式に対する極限は(あったとして)自然な同型をのぞき一意に定まる。",
"title": "圏論"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "極限の典型的な例として、対象の族 (Xi)i∈I の直積 ∏i< Xi や二つの射 f, g: X → Y の等化射が挙げられる。特定の形 J の図式について必ず C における極限が存在するとき、図式から極限への対応は図式圏 C への対角関手 ⊿ C → C に対する右随伴関手としてとらえることができる。",
"title": "圏論"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "この双対概念は余極限(あるいは帰納極限や順極限)と呼ばれる。",
"title": "圏論"
}
] |
数学においては、数列など、ある種の数学的対象をひとまとまりに並べて考えたものについての極限がしばしば考察される。直感的には、数の列がある値に限りなく近づくとき、その値のことを数列の極限あるいは極限値といい、この数列は収束するという。収束せず正の無限大、負の無限大、振動することを発散するという。 極限を表す記号として、limという記号が一般的に用いられる。例えば次のように使う: lim n → ∞ x n lim x → 0 sin x x = 1
|
{{Otheruses|数学|その他|リミット}}
{{出典の明記|date=2015-10}}
[[数学]]においては、[[数列]]など、ある種の数学的対象をひとまとまりに並べて考えたものについての'''極限'''(きょくげん、{{lang-en-short|''limit''}})がしばしば考察される。直感的には、数の列がある値に限りなく近づくとき、その値のことを数列の'''極限'''あるいは'''極限値'''といい、この数列は'''収束する'''という。収束せず正の無限大、負の無限大、振動することを'''発散する'''という。
極限を表す記号として、lim ({{lang-en|limit}}, リミット、{{lang-la|limes}})という記号が一般的に用いられる。例えば次のように使う:
*<math>\lim_{n \to \infty}x_n</math>
*<math>\lim_{x \to 0}\frac{\sin x}{x}=1</math>
== 数列の極限 ==
{{main|数列の極限}}
{{see also|収束級数}}
[[実数]]の[[数列]]が'''収束する''' ({{lang|en|converge}}) あるいは'''有限の極限を持つ'''若しくは'''極限が有限確定である'''とは、番号が進むにつれてその数列の項がある1つの値に限りなく近づいていくことをいう。このとき確定する値をその数列の'''極限値'''という。収束しない数列は'''発散する'''({{lang|en|diverge}})といい、それらはさらに極限を持つものと持たないものに分かれる。発散する数列のうち極限を持つものには、'''正の無限大に発散する'''ものと'''負の無限大に発散する'''ものがあり、極限が確定しないものは'''振動する'''({{lang|en|oscillate}})という。
=== 数列の収束 ===
[[自然数]]の[[逆数]]の列 {{math2|1, {{sfrac|1|2}}, {{sfrac|1|3}}, …, {{sfrac|1|''n''}}, …}} を考えると、{{mvar|n}} を限りなく大きくしていくと一般項 {{math|{{sfrac|1|''n''}}}} は限りなく {{math|0}} に近づいていく。このときこの数列は {{math|0}} に収束するといい、このことを
:<math>\lim_{n \to \infty} \frac{1}{n} = 0</math>
あるいは
:<math>\frac{1}{n} \to 0 \quad (n\to\infty)</math>
と書く。
[[カール・ワイエルシュトラス]]は「限りなく近づく」という曖昧な表現は使わず、[[イプシロン-デルタ論法]]を用いて厳密に収束を定義した。これによれば、数列 {{math|{{mset|''a{{sub|n}}''}}}} がある一定の値 {{mvar|α}} に収束するとは、次が成り立つことである(この場合は[[イプシロン-エヌ論法]]とも言う):
:<math>\forall \varepsilon >0, \exists n_0 \in \mathbb{N}\text{ s.t. } \forall n \in \mathbb{N} \left[n>n_0 \Rightarrow |a_n - \alpha|< \varepsilon \right]</math>
:(どんなに小さな正の数 {{mvar|ε}} をとっても、その {{mvar|ε}} に対して適切な番号 {{math|''n''{{sub|0}}}} を十分大きく定めれば、{{math|''n''{{sub|0}}}} より先の番号 {{mvar|n}} に対する {{mvar|a{{sub|n}}}} は {{mvar|α}} から {{mvar|ε}} ほども離れない範囲に全部入るようにすることができる)
これを用いると、{{math2|1=''a{{sub|n}}'' = {{sfrac|1|''n''}}}} の極限値は {{math|0}} であることを以下のようにして示すことができる。
<div style="margin:1ex 0 1em 2em">
(証明)<div style="text-indent:1em">自然数は上に[[有界]]でない([[アルキメデスの性質]])から、<div style="text-indent:1em"><math>\forall \varepsilon >0, \exist n_0; \forall n \left[n>n_0\Longrightarrow n>\frac{1}{\varepsilon}\right] .</math></div>従って<div style="text-indent:1em"><math>\left|\frac{1}{n}-0\right|=\frac{1}{n}<\varepsilon\ (n>n_0)\Longleftrightarrow \lim_{n\to\infty}\frac{1}{n}=0 .\;\;\mbox{□}</math></div></div>
</div>
=== 極限値の性質 ===
* 数列が収束するとき、その極限値はただ一つに限る。
*:<math>\lim_{n\to\infty} a_n =\alpha, \lim_{n\to\infty} a_n =\beta \Longrightarrow \alpha=\beta</math>
* 収束する数列から項を有限個取り除いても、得られた数列は同じ値に収束する。
* 収束する数列は数の集合として有界である。
*:<math>\lim_{n\to\infty} a_n=\alpha \Longrightarrow \exist K>0; \forall n \; |a_n|<K</math>
*<math>\forall n\; a_n \le b_n,\; \lim_{n\to\infty} a_n =\alpha,\; \lim_{n\to\infty} b_n=\beta \Longrightarrow \alpha \le \beta</math>
=== 数列の発散 ===
数列が収束しないとき、その数列は'''発散する'''という。特に、番号 {{mvar|n}} を限りなく大きくしていくとき、数列の項の値 {{mvar|a{{sub|n}}}} が限りなく大きくなることを、数列 {{math|{{mset|''a{{sub|n}}''}}}} は'''正の無限大に発散する'''といい、
:<math>\lim_{n\to\infty}a_n=\infty</math>
または
:<math>a_n\to\infty\; (n\to\infty)</math>
のように表す。イプシロン-エヌ論法では、数列の正の無限大への発散は、
:<math>\forall K>0, \exist n_0 \in \mathbb{N}; \forall n \in \mathbb{N}\;\bigg[n>n_0 \Longrightarrow a_n > K\bigg]</math>
のように定式化される。
また、番号 {{mvar|n}} を限りなく大きくしていくとき、数列の項の値 {{mvar|a{{sub|n}}}} が限りなく小さくなることを、数列 {{math|{{mset|''a{{sub|n}}''}}}} は'''負の無限大に発散する'''といい、
:<math>\lim_{n\to\infty}a_n=-\infty</math>
または、
:<math>a_n\to -\infty\; (n\to\infty)</math>
と表す。数列 {{math|{{mset|''a{{sub|n}}''}}}} が負の無限大へ発散することは、各項 {{mvar|a{{sub|n}}}} を[[反数]]にした数列 {{math2|1={{mset|''b{{sub|n}}''}} (''b{{sub|n}}'' = −''a{{sub|n}}'', ''n'' = 1, 2, 3, …)}} が正の無限大に発散することと[[同値]]である。あるいは絶対値をとって得られる数列 {{math2|{{mset|''c{{sub|n}}''}} (''c{{sub|n}}'' = {{abs|''a{{sub|n}}''}}, ''n'' = 1, 2, …)}} が正の無限大に発散すると言っても同じである。イプシロン-エヌ論法では、
:<math>\forall K<0, \exist n_0 \in \mathbb{N}; \; \forall n \in \mathbb{N}\; \bigg[n>n_0 \Longrightarrow a_n < K\bigg]</math>
となる。
数列が収束せず、また正の無限大にも負の無限大にも発散しない場合、その数列は'''振動する'''という。振動も発散の一種である。
=== 様々な極限 ===
{{Main|上極限と下極限}}
実数の列 <math>\left(x_n\right)_n</math> がある数 <math>R</math> について <math>R<x_n</math> を満たしているとき(数列 <math>\left(x_n\right)_n</math> が下に有界なとき)、 <math>\left(x_n\right)_n</math> の'''下極限'''と呼ばれる数
:<math>\varliminf_{n\to\infty}x_n</math>
を定めることができる。同様にして、上に有界な数列に対しその'''上極限'''
:<math>\varlimsup_{n\to\infty}x_n</math>
が定義される。
(<math>\varlimsup</math> を <math>\limsup</math>、<math>\varliminf</math> を <math>\liminf</math> と記しても同じ意味である)
数列 <math>\left(x_n\right)_n</math> が極限を持つのは <math>\textstyle\varliminf\limits_{n\to\infty}x_n = \varlimsup\limits_{n\to\infty}x_n</math> となる場合であり、このとき
:<math>\lim_{n\to\infty} x_n = \varliminf_{n\to\infty}x_n = \varlimsup_{n\to\infty}x_n</math>
となる。さらに、有界な数列のなす[[ベクトル空間]] <math>l_{\infty}\mathbf{N}</math> に対して抽象的な関数解析の構成を適用し、任意の有界な数列 <math>\left( x_n\right)_n</math>に対して'''バナッハ極限'''と呼ばれる数 <math>{\mathrm{LIM}} \; x_n</math> を、古典的な極限の拡張となるように定めることができる。
=== 点列 ===
[[ユークリッド空間]]のように、[[距離函数|距離]] {{mvar|d}} の定まった空間における点の列についての収束の概念を、実数の列の収束の概念を拡張して定めることができる。すなわち、点列 {{math|(''x{{sub|n}}''){{sub|''n''}}}} が点 {{mvar|y}} に収束するとは、正の実数列 {{math|(''d''(''x{{sub|n}}'', ''y'')){{sub|''n''}}}} が {{math|0}} に収束することである。この概念をさらに一般化して、自然数によって数え上げられるとは限らない「列」とその収束性を一般の[[位相空間]]に対して定式化することができる。([[#位相空間]]を参照のこと)
距離 {{mvar|d}} に関する極限であることを明示するために lim の代わりに ''d''-lim などと書くこともある。
== 関数 ==
{{main|関数の極限}}
=== 変数の収束に伴う関数の挙動 ===
{{math|''f''(''x'')}} を実関数とし、{{mvar|c}} を実数とする。式
:<math> \lim_{x \to c}f(x) = L </math>
または
:<math>f(x) \rightarrow L \quad (x \rightarrow c)</math>
とは、{{mvar|x}} の値を {{mvar|c}} に“十分に近づければ”{{math|''f''(''x'')}} の値を {{mvar|L}} に望む限りいくらでも近づけることができることを意味する。このとき「{{mvar|x}} を ''c'' に近づけたとき {{math|''f''(''x'')}} の極限は {{mvar|L}} である」という。これは[[イプシロン-デルタ論法]]により
:<math>\forall \varepsilon >0,\; \exist \delta>0; \; \forall x \; \bigg[ 0<|x-c|<\delta \Longrightarrow |f(x)-L|<\varepsilon \bigg]</math>
という形で厳密に定義される。このとき、この極限と関数 {{math|''f''(''x'')}} の {{math2|''x'' {{=}} ''c''}} における値は無関係であり、{{math2|''f''(''c'') ≠ ''L''}} であることもあれば、{{mvar|f}} が {{mvar|c}} において定義されている必要もないのである。
このことを理解するために次の例を挙げる。
{{mvar|x}} が {{math|2}} に近づくときの {{math|1=''f''(''x'') = ''x''/(''x''{{sup|2}} + 1)}} の値を考える。この場合、{{math|''f''(''x'')}} は {{mvar|x}} が {{math|2}} のときに定義されており、値は {{math|0.4}} である。
* <math>f(1.9)=0.4121</math>
* <math>f(1.99)=0.4012</math>
* <math>f(1.999)=0.4001</math>
{{mvar|x}} が {{math|2}} に近づくにつれて {{math|''f''(''x'')}} が {{math|0.4}} に近づいていく。したがって、 <math>\lim_{x\to 2}f(x)=0.4</math> である。このように <math>f(c) = \lim_{x\to c} f(x)</math> であるとき、{{math|''f''(''x'')}} は {{math|1=''x'' = ''c''}} で[[連続関数|連続]]であるという。しかし、このようなことが常に成り立つとは限らない。
例として、
:<math>g(x)=\begin{cases}
\dfrac{x}{x^2+1}, & \mbox{if }x\ne 2 \\
0, & \mbox{if }x=2
\end{cases}</math>
を考える。{{mvar|x}} が {{math|2}} に近づくときの {{math|''g''(''x'')}} の極限は {{math|0.4}} であるが、<math>\lim_{x\to 2}g(x)\neq g(2)</math> である。このとき {{math|''g''(''x'')}} は {{math|1=''x'' = 2}} で連続でないという。
また、{{math|''x'' → ''c''}} のとき、{{math|''f''(''x'')}} の値が限りなく大きくなることを、「{{mvar|x}} が {{mvar|c}} に限りなく近づくとき関数 {{math|''f''(''x'')}} は正の無限大に発散する」といい、
:<math>\lim_{x\to c}f(x)=\infty</math>
または、
:<math>f(x)\to \infty\quad (x\to c)</math>
と表す。このことは次のように厳密に定義される。
:<math>\forall K >0, \exist \delta>0; \; \forall x \; \bigg[0<|x-c|<\delta \Longrightarrow f(x)>K \bigg]</math>
逆に、{{math2|''x'' → ''c''}} のとき、{{math|''f''(''x'')}} の値が限りなく小さくなることを、「{{mvar|x}} が {{mvar|c}} に限りなく近づくとき関数 {{math|''f''(''x'')}} は負の無限大に発散する」といい、
:<math>\lim_{x\to c}f(x)=-\infty</math>
または、
:<math>f(x)\to -\infty\quad (x\to c)</math>
と表す。これは次のように厳密に定義される。
:<math>\forall K <0, \exist \delta>0; \; \forall x \; \bigg[0<|x-c|<\delta \Longrightarrow f(x)<K \bigg]</math>
連続な実関数 {{math|''f''(''x'')}} が {{math|''x'' → ''c''}} とする極限において発散するならば、{{math|''f''(''x'')}} は {{math2|''x'' {{=}} ''c''}} において定義できない。なぜなら、定義されていたとすると {{math2|''x'' {{=}} ''c''}} は不連続点となるからである。
=== 無限遠点における挙動 ===
一般には {{mvar|x}} がある有限の値に近づくときを考えることが多いが、{{mvar|x}} が正か負の[[無限]]に近づくときの関数の極限を定義することもできる。
ある無限区間 {{math|(''a'', ∞)}}(を含む集合)で定義される関数 {{math|''f''(''x'')}} において、{{mvar|x}} が限りなく大きくなると関数 {{math|''f''(''x'')}} の値がある値 {{mvar|L}} に近づくとき、「{{mvar|x}} が限りなく大きくなるとき {{math|''f''(''x'')}} は {{mvar|L}} に収束する」といい、
:<math>\lim_{x\to\infty}f(x)=L</math>
または、
:<math>f(x)\rightarrow L\quad (x\rightarrow\infty)</math>
と表す。
これは次のように定義される。
:<math>\forall \varepsilon>0,\; \exist X>0; \; \forall x \; \bigg[x>X \Longrightarrow |f(x)-L|<\varepsilon \bigg]</math>
例えば、<math>f(x)=\frac{2x}{x+1}</math> を考える。
* <math>f(100) = 1.9802</math>
* <math>f(1000) = 1.9980</math>
* <math>f(10000) = 1.9998</math>
{{mvar|x}} が十分大きくなるにつれて、{{math|''f''(''x'')}} は {{math|2}} に近づく。このとき <math>\lim_{x \to \infty} f(x) = 2</math> と表す。
また、ある無限区間 {{math|(−∞, ''a'')}} で定義される関数 {{math|''f''(''x'')}} において、{{mvar|x}} が限りなく小さくなると関数 {{math|''f''(''x'')}} の値がある値 {{mvar|L}} に近づくとき、「{{mvar|x}} が限りなく小さくなるとき {{math|''f''(''x'')}} は {{mvar|L}} に収束する」といい、
:<math>\lim_{x\to -\infty}f(x)=L</math>
または、
:<math>f(x)\rightarrow L\quad (x\rightarrow -\infty)</math>
と表す。
これは次のように定義される。
:<math>\forall \varepsilon>0, \exist X<0; \forall x \; \bigg[x<X \Longrightarrow |f(x)-L|<\varepsilon \bigg]</math>
関数の無限における極限においても、関数の発散を考えることができる。
ある無限区間 <math>(a,\infty)</math> で定義される関数 {{math|''f''(''x'')}} において、{{mvar|x}} が限りなく大きくなると関数 {{math|''f''(''x'')}} の値も限りなく大きくなるとき、「{{mvar|x}} が限りなく大きくなるとき {{math|''f''(''x'')}} は正の無限大に発散する」といい、
:<math>\lim_{x\to\infty}f(x)=\infty</math>
または、
:<math>f(x)\rightarrow \infty \quad (x\rightarrow\infty)</math>:
と表す。
これは次のように定義される。
:<math>\forall K >0, \exist X>0; \forall x \; \bigg[x>X \Longrightarrow f(x)>K \bigg]</math>
また、ある無限区間 <math>(-\infty,a)</math> で定義される関数 {{math|''f''(''x'')}} において、{{mvar|x}} が限りなく小さくなると関数 {{math|''f''(''x'')}} の値が限りなく大きくなるとき、「{{mvar|x}} が限りなく小さくなるとき {{math|''f''(''x'')}} は正の無限大に発散する」といい、
:<math>\lim_{x\to -\infty}f(x)=\infty</math>
または、
:<math>f(x)\rightarrow \infty \quad (x\rightarrow -\infty)</math>
と表す。
これは次のように定義される。
:<math>\forall K>0, \exist X<0; \forall x \; \bigg[x<X \Longrightarrow f(x)>K \bigg]</math>
同様に、<math>x\rightarrow \infty</math> や <math>x\rightarrow -\infty</math> における負の無限大への発散を定義することができる。
<math>x\rightarrow \infty</math> や <math>x\rightarrow -\infty</math> において、関数 {{math|''f''(''x'')}} が収束もせず、また正の無限大にも負の無限大にも発散しない場合、その関数は数列と同様に振動するという。
== 関数列の収束 ==
<math>I \sub \mathbb{R},\;f_n,f\colon I \rightarrow \mathbb{R}</math> とする。
{{math|{{mset|''f{{sub|n}}''}}}} が {{mvar|f}} に {{mvar|I}} 上'''[[各点収束]]'''するとは、
:<math>\forall \varepsilon >0, \forall x \in I, \exist n_0 \in \mathbb{N}; \forall n \in \mathbb{N} \; \bigg[n \ge n_0 \Rightarrow |f_n(x) - f(x)|< \varepsilon \bigg]</math>
が成り立つことである。これは、
:各 <math>x \in I</math> に対して、<math>|f_n(x)-f(x)| \rightarrow 0 \quad (n \rightarrow \infty )</math>
と[[同値]]である。これを各点収束の定義とすることもある。
{{math|{{mset|''f{{sub|n}}''}}}} が {{mvar|f}} に {{mvar|I}} 上'''[[一様収束]]'''するとは、次が成り立つことである:
:<math>\forall \varepsilon >0, \exist n_0 \in \mathbb{N}; \forall x \in I, \forall n \in \mathbb{N} \bigg[n \ge n_0 \Rightarrow |f_n(x) - f(x)|< \varepsilon\bigg]</math>
これは、
:<math>\| f_n-f \|_{\infty} := \sup_{x \in I} |f_n(x)-f(x)| \rightarrow 0 \quad (n \rightarrow \infty )</math>
と同値である。上で定義したノルムをスープノルム(または[[無限大ノルム]]、上限ノルム)と言う。スープノルムの収束をもって一様収束を定義することもある。
また、区間 ''I'' の任意の[[コンパクト空間|コンパクト集合]]上一様収束することを'''[[広義一様収束]]'''という。''I'' の任意の有界閉区間上一様収束することを広義一様収束ということもある。
定義より、「{{mvar|f{{sub|n}}}} が {{mvar|I}} 上一様収束⇒{{mvar|f{{sub|n}}}} が {{mvar|I}} 上各点収束」が成り立つ(逆は必ずしも成り立たない)。関数の一様収束性は、lim と ∫ の順序交換や、{{ill2|函数項級数|en|Function series}}の項別積分や項別微分の可能性を保証する(逆に言えば、一様収束が保証されていない段階では、勝手に lim と ∫ の順序を交換したりなどしてはいけない)。
関数の一様収束性を証明するには、上のようにスープノルムの収束を示すのが一般的である。関数項級数の一様収束性では[[ワイエルシュトラスのM判定法]]も用いられる。
{{See also|関数空間}}
== 位相空間 ==
点列の収束の概念は、一般の[[位相空間]]においても収束先の近傍系をもちいて定式化される。しかし、一般的な位相空間の位相構造は、どんな点列が収束しているかという条件によって特徴付けできるとは限らない。そこで、[[ネット (数学)|ネット]]や[[フィルター (数学)|フィルター]]といった、点列を拡張した構成とその収束の概念が必要になる。任意の位相空間 ''X'' に対し、''X'' 上で収束している(収束先の情報も込めた)フィルターの全体 CN(''X'') や、あるいは収束しているフィルターの全体 CF(''X'') を考えると、これらからは ''X'' の位相が復元できる。
== 圏論 ==
{{main|極限 (圏論)}}
[[圏 (数学)|圏]] ''C'' における[[図式 (圏論)|図式]]を「[[添字圏]]」 ''J'' から ''C'' への[[関手]]と見なすことにする。特定の図式に対応する関手が与えられたとき、''C'' の[[対象 (圏論)|対象]] ''X'' と[[射 (圏論)|射]]の[[族 (数学)|族]] (φ{{sub|''i''}}: ''X'' → ''F{{sub|i}}''){{sub|''i''∈Obj(''J'')}} に対して次のような条件を考えることができる:
# ''J'' の任意の射 ''j'' について ''F''(''j'') φ{{sub|''i''{{sub|0}}}} = φ{{sub|''i''{{sub|1}}}} が成り立つ。ここで ''i''{{sub|0}} = dom ''j''、''i''{{sub|1}} = ran ''j'' である。
# ''C'' の任意の対象 ''Y'' と射の族 (φ{{sub|''i''}}: ''X'' → ''F{{sub|i}}''){{sub|''i''∈Obj(''J'')}} で、1. と同様の条件を満たすものについて射 ''g'': ''Y'' → ''X'' で φ{{sub|''i''}} ''g'' = ψ{{sub|''i''}} (''i'' ∈ Obj(''J''))を満たすものが一意的に存在する。
このような条件を満たす ''X''(と族 φ{{sub|''i''}})のことを ''F'' が表す図式の[[極限 (圏論)|極限]](あるいは[[射影極限]]、逆極限)と呼ぶ。極限の満たす[[普遍性]]により、それぞれの図式に対する極限は(あったとして)自然な同型をのぞき一意に定まる。
極限の典型的な例として、対象の族 (''X{{sub|i}}''){{sub|''i''∈''I''}} の[[直積 (圏論)|直積]] ∏{{sub|''i''}}< ''X{{sub|i}}'' や二つの射 ''f'', ''g'': ''X'' → ''Y'' の[[等化射]]が挙げられる。特定の形 ''J'' の図式について必ず ''C'' における極限が存在するとき、図式から極限への対応は[[函手圏|図式圏]] ''C{{sup|J}}'' への[[対角関手]] ⊿ ''C'' → ''C{{sup|J}}'' に対する[[右随伴関手]]としてとらえることができる。
この[[双対 (圏論)|双対概念]]は[[余極限]](あるいは[[帰納極限]]や順極限)と呼ばれる。
{{See also|有向集合}}
== 関連項目 ==
*[[片側極限]]
*[[極限の一覧]]
*[[サイモン・アントワーヌ・ジャン・リュイリエ]] - [[1786年]]に記号として"lim"を初めて使用
{{Analysis-footer}}
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[[Category:無限]]
[[Category:極限 (数学)|*]]
[[Category:数学に関する記事]]
[[Category:位相空間論]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E9%99%90
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振り飛車
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振り飛車(ふりびしゃ)は、将棋の二大戦法の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を左翼へ展開するもの。この反対は居飛車で、飛車を右翼の定位置の筋のまま攻める。
振り飛車が居飛車と戦う戦型は対抗型と呼ばれる。両対局者が共に振り飛車にすると相振り飛車となり、対抗型とは異なる展開となるが、本項では対抗型における振り飛車を中心に記述する。
振り飛車は飛車を動かす場所により、中飛車・四間飛車・三間飛車・向かい飛車の4つに大別される。
振り飛車側は、これらの飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。特に、どの筋に飛車を振る場合でも、角交換を防ぐために角道を閉じて駒組をする角道クローズドと、必要なときに角交換できるように角道を開けたままにして角交換を利用して駒組をする角道オープンと、どちらにするかを選択することができる。そして角道クローズドでは途中から角道を開けて角交換を迫る振り飛車と角を交換せずに捌いて指す振り飛車とに、角道オープンでは角交換をせず角道を開けたまま主導権を握って駒をさばいていく振り飛車と、振り飛車側から角交換をして駒組を進める振り飛車とに選択が可能である。角道オープン・角交換振り飛車や、角道クローズドで角道をあけ交換を迫る指し方は、居飛車穴熊など角交換を避ける対振り飛車戦法が台頭してきたため、こうした現象が起こることになった。穴熊側が角交換を避けるのは、陣形的に大駒の打ち込みに弱く、また重要な攻防の駒が交換によって盤上から消える状態になるのは戦法の特質を損なうことになるためである。このため、ノーマル系の陣においても振り飛車が角道が開いた状態で相手の陣を角が睨んで指すことが可能となっていった。
なお、上図では戦型について理解しやすいように角道クローズドのノーマル系▲6七銀型を記載した(角交換系については角交換振り飛車の記事を参照)。
振り飛車がいつごろ考案されたのかについては分かっていない。しかし将棋史上最も古い棋譜である、初代大橋宗桂対本因坊算砂の対局で既に振り飛車(二枚銀向かい飛車)が指されていることから、少なくとも江戸時代初期からある戦法ということは分かっている。尤も江戸中期以降は平手で指すのは損な戦法と考えられており、もっぱら駒落ち(特に左香落ち)で弱点となる左辺を守るための戦法として使われていた。
昭和になって振り飛車をプロの一線級に復活させたのが大野源一である。大野は独自の研究により、振り飛車が平手でも通用することを明らかにした。さらに大野の弟弟子の升田幸三、大山康晴両巨頭らがこれを流行させ、振り飛車は再びプロの戦法として認識されるに至った。特に、升田は、升田式石田流を考案し、後に流行する角交換も辞さない攻撃的振り飛車の魁となった。
振り飛車が一躍脚光を浴びたのは、左辺に飛角を集めることで右辺で自玉を効率的に守れる(短手数で固い美濃囲いが構築できる)こと、角筋で敵玉方向を睨んでいるので居飛車側が簡単に固い囲いを構築できないこと、互いの玉が互いの飛車から遠い側に囲われるので相居飛車とは異なり一度の攻めで勝負が付くことはないことなどのメリットがあるためである。がこれらのメリットゆえに、振り飛車側は、相手に攻めさせて、その反動で駒を捌いていけば(「捌く」とは、駒をよく働かせることを指す将棋の専門用語である。盤上の駒を持ち駒にすることによって働きが増すと考えられる場合は、駒を交換することもまた「捌き」の一つである)、最終的に玉の堅さを活かして勝つことができるというものであった。また居飛車に比べて覚えるべき定跡が少ないという点もアマチュアに受け、「振り飛車党」と呼ばれる遣い手たちが棋界を席巻した。
しかしその後居飛車党の田中寅彦や南芳一らによって、仕掛けの権利を握ったまま振り飛車側の美濃囲いと同等以上に固く囲うことを可能にし、振り飛車のカウンターを封じる居飛車穴熊や左美濃が普及し、単純な捌き合いでは勝てないことが増えたことから、振り飛車党の棋士は一時なりを潜めた。故にこれ以降の振り飛車は、前述のような戦い方だけではなく、居飛車穴熊をいかに克服するかをテーマに多様な戦い方をする戦法となっている。
居飛車穴熊・左美濃の対策として注目を集めたのが、藤井猛が考案し、1998年に竜王位を奪取する原動力となった四間飛車の藤井システムである。藤井システムは、居飛車穴熊囲いが組まれる寸前に総攻撃を仕掛けるという攻めの戦法であり、カウンターを狙う受けの戦法と考えられていた振り飛車の概念を覆し、「振り飛車の革命」と呼ばれた。
また藤井システムと前後して角交換も可能な「攻める中飛車」と呼ばれるゴキゲン中飛車が台頭してからは中飛車も流行するようになり、その流行ぶりは居飛車党が後手番で主導権を握るための戦術として採用するほどであった。従来振り飛車では、角は敵玉を睨むと同時に相手の飛車先を受けるために使っているため、角交換は損とされていた。しかし、居飛車穴熊への対抗策として、駒が偏るので打ち込みの隙が多いという穴熊の弱点をつくために角交換を可能にしたのがゴキゲン中飛車の特徴である。
その後も居飛車穴熊対策として、升田式石田流を改良した新石田流・角交換四間飛車・ダイレクト向かい飛車などの角道を止めずかつ積極的に角交換していく振り飛車が注目され、プロの振り飛車党の間で流行した。
横山泰明、戸辺誠など若手の振り飛車党が急増したのに加え、居飛車党である佐藤康光や深浦康市が飛車を振るようになるなど振り飛車の勢力が拡大、今や居飛車党をも巻き込みつつある。さらに将棋界の第一人者である羽生善治がタイトル戦という大舞台でも後手番で振り飛車を選択するケースが増えた。
こうした対抗系を前提に振り飛車党を名乗る棋士への対策として、居飛車党が相居飛車の感覚を求めて相振り飛車にするような戦略も生じ、振り飛車党も相振り飛車をマスターする必要性が出てきた。
人間を上回ったコンピューター将棋は居飛車を評価し振り飛車を評価しない傾向であることが知られており、振り飛車冬の時代が訪れた。コンピューター将棋で経験を積んだ藤井聡太は、藤井猛とは対照的に居飛車党である。
広瀬章人・永瀬拓矢など、元来は振り飛車党であった棋士が居飛車党に転向する事例も多く、純粋な振り飛車党は減少傾向となった。タイトルは藤井聡太を筆頭に居飛車党が占めることが多くなった。
一方でコンピューター将棋ソフトは居飛車局面が頻出するために対振り飛車に弱いところがあり、藤井聡太も同様の傾向がある。
振り飛車を主に採用する棋士は「振り飛車党」と呼ばれる。
(特に藤井猛、久保利明、鈴木大介の3人は「振り飛車御三家」と呼ばれる。)
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"text": "振り飛車がいつごろ考案されたのかについては分かっていない。しかし将棋史上最も古い棋譜である、初代大橋宗桂対本因坊算砂の対局で既に振り飛車(二枚銀向かい飛車)が指されていることから、少なくとも江戸時代初期からある戦法ということは分かっている。尤も江戸中期以降は平手で指すのは損な戦法と考えられており、もっぱら駒落ち(特に左香落ち)で弱点となる左辺を守るための戦法として使われていた。",
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振り飛車(ふりびしゃ)は、将棋の二大戦法の一つ。序盤において、初形で右翼にある大駒の飛車を左翼へ展開するもの。この反対は居飛車で、飛車を右翼の定位置の筋のまま攻める。 振り飛車が居飛車と戦う戦型は対抗型と呼ばれる。両対局者が共に振り飛車にすると相振り飛車となり、対抗型とは異なる展開となるが、本項では対抗型における振り飛車を中心に記述する。
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'''振り飛車'''(ふりびしゃ)は、[[将棋]]の二大[[戦法]]の一つ。[[将棋#序盤戦|序盤]]において、初形で右翼にある大駒の[[飛車]]を左翼へ展開するもの。この反対は[[居飛車]]で、飛車を右翼の定位置の筋のまま攻める。
振り飛車が[[居飛車]]と戦う戦型は'''対抗型'''と呼ばれる。両対局者が共に振り飛車にすると'''[[相振り飛車]]'''となり、対抗型とは異なる展開となるが、本項では対抗型における振り飛車を中心に記述する。
== 概要 ==
振り飛車は飛車を動かす場所により、[[中飛車]]・[[四間飛車]]・[[三間飛車]]・[[向かい飛車]]の4つに大別される。
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|+ 振り飛車の分類
|-
! 名称 !! 中飛車 !! 四間飛車 !! 三間飛車 !! 向かい飛車
|-
! 飛車を振る筋
| 左から5番目(5筋)
| 左から4番目(先手6筋・後手4筋)
| 左から3番目(先手7筋・後手3筋)
| 左から2番目(先手8筋・後手2筋)
|-
! 最序盤の例
|
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|}}
|}
振り飛車側は、これらの飛車を振る筋に応じて様々な戦法がある。特に、どの筋に飛車を振る場合でも、角交換を防ぐために角道を閉じて駒組をする'''角道クローズド'''と、必要なときに角交換できるように角道を開けたままにして角交換を利用して駒組をする'''角道オープン'''と、どちらにするかを選択することができる。そして角道クローズドでは途中から角道を開けて角交換を迫る振り飛車と角を交換せずに捌いて指す振り飛車とに、角道オープンでは角交換をせず角道を開けたまま主導権を握って駒をさばいていく振り飛車と、振り飛車側から角交換をして駒組を進める振り飛車とに選択が可能である。角道オープン・角交換振り飛車や、角道クローズドで角道をあけ交換を迫る指し方は、居飛車穴熊など角交換を避ける対振り飛車戦法が台頭してきたため、こうした現象が起こることになった。穴熊側が角交換を避けるのは、陣形的に大駒の打ち込みに弱く、また重要な攻防の駒が交換によって盤上から消える状態になるのは戦法の特質を損なうことになるためである。このため、ノーマル系の陣においても振り飛車が角道が開いた状態で相手の陣を角が睨んで指すことが可能となっていった。
なお、上図では戦型について理解しやすいように角道クローズドのノーマル系▲6七銀型を記載した(角交換系については[[角交換振り飛車]]の記事を参照)。
{{Shogi diagram|
|△居飛車 持ち駒 なし
|lg|ng| |gg| |gg|sg|ng|lg
| |rg| |sg| |kg| |hs|
|pg| |pg|pg|pg|pg| |pg|pg
| |pg| | | | |pg| |
| | | | | | | | |
| | |ps| | | | | |
|ps|ps| |ps|ps|ps|ps|ps|ps
| | | |rs| | |ks| |
|ls|ns|ss|gs| |gs|ss|ns|ls
|▲四間飛車 持ち駒 角<br />角交換型振り飛車の一例
}}
==歴史==
=== 黎明期 ===
振り飛車がいつごろ考案されたのかについては分かっていない。しかし将棋史上最も古い棋譜である、初代大橋宗桂対[[本因坊算砂]]の対局で既に振り飛車(二枚銀向かい飛車)が指されていることから、少なくとも[[江戸時代]]初期からある戦法ということは分かっている。尤も江戸中期以降は平手で指すのは損な戦法と考えられており、もっぱら駒落ち(特に左香落ち)で弱点となる左辺を守るための戦法として使われていた。
=== 昭和時代 ===
==== 大山・升田時代 ====
[[昭和]]になって振り飛車をプロの一線級に復活させたのが[[大野源一]]である。大野は独自の研究により、振り飛車が平手でも通用することを明らかにした。さらに大野の弟弟子の[[升田幸三]]、[[大山康晴]]両巨頭らがこれを流行させ、振り飛車は再びプロの戦法として認識されるに至った。特に、升田は、[[石田流|升田式石田流]]を考案し、後に流行する角交換も辞さない攻撃的振り飛車の魁となった。
振り飛車が一躍脚光を浴びたのは、左辺に飛角を集めることで右辺で自玉を効率的に守れる(短手数で固い美濃囲いが構築できる)こと、角筋で敵玉方向を睨んでいるので居飛車側が簡単に固い囲いを構築できないこと、互いの玉が互いの飛車から遠い側に囲われるので相居飛車とは異なり一度の攻めで勝負が付くことはないことなどのメリットがあるためである。がこれらのメリットゆえに、振り飛車側は、相手に攻めさせて、その反動で駒を捌いていけば(「捌く」とは、駒をよく働かせることを指す将棋の専門用語である。盤上の駒を持ち駒にすることによって働きが増すと考えられる場合は、駒を交換することもまた「捌き」の一つである)、最終的に玉の堅さを活かして勝つことができるというものであった。また居飛車に比べて覚えるべき定跡が少ないという点もアマチュアに受け、「振り飛車党」と呼ばれる遣い手たちが棋界を席巻した。
==== 居飛車穴熊・左美濃による苦境 ====
しかしその後居飛車党の[[田中寅彦]]や[[南芳一]]らによって、仕掛けの権利を握ったまま振り飛車側の美濃囲いと同等以上に固く囲うことを可能にし、振り飛車のカウンターを封じる[[穴熊囲い|居飛車穴熊]]や[[左美濃]]が普及し、単純な捌き合いでは勝てないことが増えたことから、振り飛車党の棋士は一時なりを潜めた。故にこれ以降の振り飛車は、前述のような戦い方だけではなく、居飛車穴熊をいかに克服するかをテーマに多様な戦い方をする戦法となっている。
=== 平成時代 ===
==== 藤井システム・ゴキゲン中飛車の登場(1990年代~2010年代前半) ====
居飛車穴熊・左美濃の対策として注目を集めたのが、[[藤井猛]]が考案し、1998年に[[竜王戦|竜王]]位を奪取する原動力となった四間飛車の'''[[藤井システム]]'''である。藤井システムは、居飛車穴熊囲いが組まれる寸前に総攻撃を仕掛けるという攻めの戦法であり、カウンターを狙う受けの戦法と考えられていた振り飛車の概念を覆し、'''「振り飛車の革命」'''と呼ばれた。
また藤井システムと前後して角交換も可能な'''「攻める中飛車」'''と呼ばれる[[ゴキゲン中飛車]]が台頭してからは中飛車も流行するようになり、その流行ぶりは居飛車党が後手番で主導権を握るための戦術として採用するほどであった。従来振り飛車では、角は敵玉を睨むと同時に相手の飛車先を受けるために使っているため、角交換は損とされていた。しかし、居飛車穴熊への対抗策として、駒が偏るので打ち込みの隙が多いという穴熊の弱点をつくために角交換を可能にしたのがゴキゲン中飛車の特徴である。
その後も居飛車穴熊対策として、升田式石田流を改良した新石田流・[[角交換振り飛車|角交換四間飛車]]・[[ダイレクト向かい飛車]]などの角道を止めずかつ積極的に角交換していく振り飛車が注目され、プロの振り飛車党の間で流行した。
[[横山泰明]]、[[戸辺誠]]など若手の振り飛車党が急増したのに加え、居飛車党である[[佐藤康光]]や[[深浦康市]]が飛車を振るようになるなど振り飛車の勢力が拡大、今や居飛車党をも巻き込みつつある。さらに将棋界の第一人者である[[羽生善治]]がタイトル戦という大舞台でも後手番で振り飛車を選択するケースが増えた。
こうした対抗系を前提に振り飛車党を名乗る棋士への対策として、居飛車党が相居飛車の感覚を求めて相振り飛車にするような戦略も生じ、振り飛車党も相振り飛車をマスターする必要性が出てきた。
==== 2010年代後半~ ====
人間を上回った[[コンピューター将棋]]は居飛車を評価し振り飛車を評価しない傾向であることが知られており、振り飛車冬の時代が訪れた。コンピューター将棋で経験を積んだ[[藤井聡太]]は、藤井猛とは対照的に居飛車党である<ref name="suisho"/>。
[[広瀬章人]]・[[永瀬拓矢]]など、元来は振り飛車党であった棋士が居飛車党に転向する事例も多く、純粋な振り飛車党は減少傾向となった。タイトルは藤井聡太を筆頭に居飛車党が占めることが多くなった。
一方でコンピューター将棋ソフトは居飛車局面が頻出するために対振り飛車に弱いところがあり、藤井聡太も同様の傾向がある<ref name="suisho">[https://originalnews.nico/223718 半年後に将棋の神様が現れるかもしれない話──最強将棋ソフト開発者が語る“ディープラーニング勢の台頭による将棋ソフトの進化” | ニコニコニュース オリジナル] </ref>。
==振り飛車の戦法==
*角道クローズド(ノーマル型):
**角不換型中飛車:[[ツノ銀中飛車]]、[[風車 (将棋)|風車]]、[[英ちゃん流中飛車]]、5筋歩交換型、[[原始中飛車]]、[[先手中飛車]]、[[5五の龍|5五龍中飛車]]、中飛車[[早繰り銀]]・[[矢倉流中飛車]]
**角交換型中飛車:[[角交換振り飛車#角交換型中飛車|角交換型中飛車]]、[[角交換振り飛車#角交換型ツノ銀中飛車|角交換型ツノ銀中飛車]]
**角不換型四間飛車:腰掛け銀型・[[玉頭銀]]・ダイヤモンド美濃、▲5六歩(△5四歩)型、▲5八金(△5二金)型、7八金(△3二金)型、▲6筋(△4筋)位取り型
**角交換型四間飛車:[[角交換振り飛車#錆刀戦法(宗歩四間飛車)|錆刀戦法]](宗歩四間飛車)、[[角交換振り飛車#4五歩(6五歩)ポン|4五歩(6五歩)ポン]]
**角不換型三間飛車:腰掛け銀型・玉頭銀・ダイヤモンド美濃、▲5六歩(△5四歩)型、△3筋(▲7筋)位取り型、[[石田流]](本組)、大野流三間飛車(▲5七銀(△5三銀)型)、真部流三間飛車(▲6筋(△4筋)位取り)、[[中田功XP]]、[[下町流三間飛車]]、[[カナケンシステム]]、[[久保システム]]
**角交換三間飛車:[[2手目△3二飛#初手八飛戦法|初手▲7八飛]]、[[2手目△3二飛]]、▲6七金(△4三金)型三間飛車
**角不換型向かい飛車:▲5八金(△5二金)型向かい飛車、[[角交換振り飛車#7八金型向かい飛車|▲7八金(△3二金)型向かい飛車]]、[[メリケン向かい飛車]]
**角交換型向かい飛車:7八金(△3二金)型向かい飛車・腰掛け銀型・[[玉頭銀]]
*角道オープン:
**角不換型中飛車:[[ゴキゲン中飛車]]、[[原始中飛車]]、[[先手中飛車]]、[[5筋位取り中飛車]]
**角交換型中飛車:[[ゴキゲン中飛車]]、[[平目 (将棋)|平目]]
**角不換型四間飛車:[[藤井システム]]
**角交換型四間飛車:[[角交換四間飛車]]、[[レグスペ]]、[[立石流四間飛車]]
**角不換型三間飛車:三間飛車藤井システム・[[トマホーク (将棋)|トマホーク]]
**角交換型三間飛車:[[石田流]](早石田・升田式石田流)、[[鬼殺し (将棋)|鬼殺し]]、[[角交換振り飛車#菅井流角交換三間飛車|菅井流△3三金型三間飛車(阪田流三間飛車)]]、やんちゃ三間飛車(菅井流ゴキゲン三間飛車)、[[2手目△3二飛#初手八飛戦法|初手▲7八飛]]、[[2手目△3二飛]]
**角交換型向かい飛車:[[角交換四間飛車|二手損向かい飛車]]<ref>一度四間飛車に振り、角交換をした後に向かい飛車に振り直す。</ref>、[[ダイレクト向かい飛車]]<ref>角交換四間飛車に対して、ダイレクトに向かい飛車に降るため、こう呼ばれる。</ref>、[[阪田流向かい飛車]]、[[角交換振り飛車#升田流向かい飛車|升田流向かい飛車]]、[[角交換振り飛車#大野流向かい飛車|大野流向かい飛車]]、[[角交換振り飛車#4手目△3三角戦法|4手目△3三角戦法]]、[[筋違い角]]向かい飛車
== 振り飛車の囲い ==
*[[美濃囲い]]系統:金美濃、高美濃・銀冠・銀美濃・片美濃・ダイヤモンド美濃・木村美濃
*[[穴熊囲い|振り飛車穴熊]]系統:振り飛車穴熊、片穴熊
*その他:[[壁囲い]](早囲い)、[[平目 (将棋)|平目]]、[[風車 (将棋)|風車]]
==振り飛車党==
振り飛車を主に採用する棋士は「振り飛車党」と呼ばれる。
===主な振り飛車党の棋士===
*[[大野源一]] - 現代振り飛車の祖であり、「振り飛車の神様」の異名を持つ。▲5七銀(△5三銀)型三間飛車での捌きを得意とした。[[升田幸三]] ・[[大山康晴]] ・[[大内延介]]・[[久保利明]]・[[近藤正和]] に大きな影響を与えた。
*[[松田茂役]] - ツノ銀中飛車からの力戦を得意とし、「ムチャ茂」の異名をとった。大野と並ぶ現代振り飛車の祖。
*[[升田幸三]] - 升田幸三は升田式石田流や升田式向かい飛車などの角交換振り飛車を得意とした。独創的な棋風で新手一生を掲げた。
*[[大山康晴]] - 元々は正統派の居飛車党であったが、大野の影響により振り飛車党に転向した。相振り飛車は極端に嫌っており、相手が飛車を振った時は必ず居飛車で対抗しているため、対抗型党ともいえる。四間飛車隆盛のもとを築いた。
*[[大内延介]] - 振り飛車穴熊やツノ銀中飛車を得意とする。
*[[森安秀光]] - 「だるま流」と称される粘り強い指し回しは、後進の棋士に強い影響を与えた。
*[[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]] - 「スーパー四間飛車」の著者。
*[[伊藤果]] - [[風車 (将棋)|風車戦法]]の創始者。
*[[中田功]] - 三間飛車における[[中田功XP]]の創始者。その[[棋風]]はコーヤン流と称されトッププロにも高評価を受けている。
*[[杉本昌隆]] - 四間飛車を得意とする。「相振り革命」シリーズの著者でもある。
*[[藤井猛]] - 振り飛車に革命を起こした[[藤井システム]]の創始者。[[四間飛車]]を得意とする。対抗型における居飛車も高勝率を誇る。序盤研究は緻密かつ独創的で、棋界一とも言われている。大駒を切って駒損を恐れず豪快に攻め込む棋風は、「ガジガジ流」と称される。
*[[久保利明]] - 元は▲5七銀(△5三銀)型のノーマル三間飛車を好んで指していた。現在は[[石田流]]とゴキゲン中飛車を得意とする。駒の捌きを重視する棋風から「捌きのアーティスト」と称される。
*[[鈴木大介 (棋士)|鈴木大介]] - 豪快にして繊細な棋風で力戦をいとわない。四間飛車から三間飛車に変更し石田流に組み替えることを得意とする。
*[[近藤正和]] - ゴキゲン中飛車の創始者。受けが常識である中飛車に革命を起こす。
*[[窪田義行]] - 窪田流とも言うべき独特の力強い棋風。
*[[佐々木慎]] - あらゆる振り飛車を指しこなす、振り飛車のオールラウンダー。手厚い受けが得意で着実な棋風でありつつ、独特でユニークな理論にも定評がある。久保利明は同じ振り飛車党で期待している後輩に佐々木慎の名を挙げている。
*[[菅井竜也]] - 「菅井流」と称される序盤の研究を重視した棋風で、新手を数多く編み出している。
*[[里見香奈]] - 力戦中飛車、ゴキゲン中飛車などを得意とする。
*[[西山朋佳]] - ゴキゲン中飛車、三間飛車を得意とする。終盤の逆転が多く「豪腕」と称される。
*[[香川愛生]] - 相手が振り飛車で来た場合は、自分も振って相振り飛車にすることが多い。
(特に藤井猛、久保利明、鈴木大介の3人は'''「振り飛車御三家」'''と呼ばれる。)
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*[[塚田泰明]]監修、[[横田稔]]著『序盤戦! 囲いと攻めの形』、[[高橋書店]]、1997年<!--ISBN番号がわかる場合は記入をお願い致します。-->
* {{Cite book ja-jp | author = [[原田泰夫]] (監修)、荒木一郎 (プロデュース) | editor = [[森内俊之]]ら | year = 2004 | title = 日本将棋用語事典 | publisher = [[東京堂出版]] | isbn = 4-490-10660-2}}
* {{Cite book ja-jp | author = [[上野裕和]] | year = 2018 | title = 将棋・序盤完全ガイド 振り飛車編(増補改訂版) | publisher = [[マイナビ出版]]}}
==関連項目==
*[[将棋の戦法]]
*[[相振り飛車]]
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番勝負
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番勝負(ばんしょうぶ)は、主として、囲碁の棋戦や将棋の棋戦などにおいて、同じ2名の対局者が複数回の対局を行い、勝数が多い方を優勝者等とする仕組みを指す言葉である。「番」は対局の局数(回数)を意味する助数詞であり、本来は「七番勝負」のように漢数字を冠して表記するが、様々な番数の勝負の総称として「番勝負」と言う。囲碁では「番碁」(ばんご)という言葉を使うことも多い。
番勝負には、次のようにいくつかの形態がある。
現在の番勝負では決着をつける必要があるため、奇数番の勝負が普通である。
三番勝負であれば先に2勝した方が、五番勝負であれば先に3勝した方が、七番勝負であれば先に4勝した方が勝ちとなる。 現代では勝敗が決した段階で残りの対局はキャンセルされるのが一般的だが、過去には将棋の王将戦における「指し込み制」のように、必ず決まった対局数まで対局を行う例もあった。なおキャンセルされた対局について、会場となる施設へのキャンセル料等の支払いは原則として行わないが、代わりに翌年の同棋戦で前半の対局を割り振るなどの配慮は行われるという。また前夜祭等のイベントについては、内容を「(タイトル保持者)を囲む会」などに変更して行われることもある。
囲碁の七大タイトル戦、将棋の全8タイトル戦は、すべて、タイトル保持者と挑戦者1名との番勝負で優勝者を決める。
なお、黒番(先番)と白番の回数が不平等にならないように、第1局開始時にニギリで第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、ニギリが行われる。
また、昔の番勝負(囲碁の手合割を参照)とは異なり、現代の番勝負ではコミが採用されている。
なお、先手番と後手番の回数が不平等にならないように、第1局開始時に振り駒で第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、振り駒が行われる。棋王戦挑戦者決定戦二番勝負については2局とも振り駒が行われる。
江戸時代から明治・大正にかけては棋士の数が少なく、そのため強さの序列をつけるのに同じ相手と何局も戦い、その結果によって決めていた。特に必要がある場合に期間を決めてまとめて打つこと、指すことがあった。
有名なものとして、次のようなものが挙げられる。
昔は上のように偶数番の番勝負が普通であった。というのも、二局一組の手合割というのがあったため不公平のないように、また実力伯仲、あるいは実力差が手合割に見合うものならばあえて勝負をつける必要がないという考えがあったためである。
チェスでも大きな大会の決勝などでは、同じ相手と複数回対局するシステムが取られ、これをマッチ(match)と言う。局数を明示する場合は、たとえば4番勝負なら best of four match と呼ぶ。
囲碁や将棋とは違い対局数は偶数で、白と黒を同じ回数ずつ持つ。通常は引き分けを0.5勝と数え、過半数の勝数をあげれば勝ちとなるが、引き分けを数えず、決まった局数を勝ったほうが勝ちとなる場合もある。対局数を偶数とするのは、先後の回数による有利不利をなくすためと、引き分けが多いために囲碁・将棋のように奇数局としても番勝負全体での引き分けをなくすことができないためである。
その他、北米4大プロスポーツリーグのうちMLB(ワールドシリーズ)・NBA(NBAファイナル)・NHL(スタンレー・カップ・ファイナル)や、大学野球(カレッジ・ワールドシリーズ)大学ソフトボール(ウィメンズカレッジ・ワールドシリーズ)、日本プロ野球(クライマックスシリーズ・日本シリーズ)など、各国のスポーツのポストシーズンではこの方式を採用しているものが多い(多くは5戦3勝制、あるいは7戦4勝制)。
プロレスでは、「未来のエースと目された若手レスラーの試練」などの理由で、「○○十番勝負」という企画が行われることがある。大物レスラー十人が対戦相手を務める。ジャンボ鶴田の「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」、藤波辰巳の「飛龍十番勝負」などが有名。七番勝負の場合もある。
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番勝負(ばんしょうぶ)は、主として、囲碁の棋戦や将棋の棋戦などにおいて、同じ2名の対局者が複数回の対局を行い、勝数が多い方を優勝者等とする仕組みを指す言葉である。「番」は対局の局数(回数)を意味する助数詞であり、本来は「七番勝負」のように漢数字を冠して表記するが、様々な番数の勝負の総称として「番勝負」と言う。囲碁では「番碁」(ばんご)という言葉を使うことも多い。
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{{出典の明記|date=2023-07-18 20:50(UTC)}}
'''番勝負'''(ばんしょうぶ)は、主として、[[棋戦 (囲碁)|囲碁の棋戦]]や[[棋戦 (将棋)|将棋の棋戦]]などにおいて、同じ2名の対局者が複数回の対局を行い、勝数が多い方を優勝者等とする仕組みを指す言葉である。「番」は対局の局数(回数)を意味する[[助数詞]]であり、本来は「七番勝負」のように漢数字を冠して表記するが、様々な番数の勝負の総称として「番勝負」と言う。囲碁では「'''番碁'''」(ばんご)という言葉を使うことも多い。
==形態==
番勝負には、次のようにいくつかの形態がある。
*1人と1人が複数回戦うもの(= 典型的な番勝負)
:予選を勝ち抜いた挑戦者がタイトル保持者・前回優勝者に挑戦するとき(囲碁界では「[[挑戦手合制|挑戦手合い]]」と呼ぶ)のほか、一部の[[トーナメント方式|トーナメント戦]]の決勝戦、タイトル戦の予選の最後となる挑戦者決定戦等がこの形態に属する。
:スポーツなどにおける、同一相手との複数回の対戦で勝敗を決める際の「○番勝負」の表現もこの形態に属する。
*1人が1回ごとに相手を変えつつ複数人と戦うもの
:後述の[[瀬川晶司]]のプロ編入試験やプロレスの場合はこの形態である。
:他に有名なものとして、[[山口瞳]]の「血涙十番勝負」や映画の「[[新吾十番勝負]]」が挙げられる。
*複数人同士が戦うもの
:囲碁や将棋の月刊雑誌の企画としてよく行われるのがこの形態である。
:複数人がチームを組んで戦う点は[[団体戦]]と同じだが、通常の団体戦と異なるのは、選手が一堂に会して一斉に対局を行うのではなく、1人ずつ順番に対局するという点である。
*1人と1人が1回だけ戦うもの(一番勝負)
:予選を勝ち抜いた挑戦者がタイトル保持者・前回優勝者と1回だけ対戦する形態であり、通常は番勝負の範疇には入らない。ただし、タイトルマッチであることをわかりやすく表現するため、「一番勝負」の表記が用いられることがある。
:囲碁の[[王冠戦]](後述)が、その例である。
== 囲碁・将棋 ==
=== 現代の番勝負 ===
現在の番勝負では決着をつける必要があるため、[[奇数]]番の勝負が普通である。
'''三番勝負'''であれば先に2勝した方が、'''五番勝負'''であれば先に3勝した方が、'''七番勝負'''であれば先に4勝した方が勝ちとなる。<!---通常、それ以上も○番勝負の○には奇数が入り、その数の1つ多い数の半分を勝った時点で勝利となる。---> 現代では勝敗が決した段階で残りの対局は[[キャンセル]]されるのが一般的だが、過去には将棋の[[王将戦]]における「[[王将戦#過去の制度|指し込み制]]」のように、必ず決まった対局数まで対局を行う例もあった。なおキャンセルされた対局について、会場となる施設へのキャンセル料等の支払いは原則として行わないが、代わりに翌年の同棋戦で前半の対局を割り振るなどの配慮は行われるという<ref>[https://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2008/12/post-d024.html 【質問】キャンセル料は?] - 竜王戦中継Plus・2008年12月17日</ref>。また前夜祭等のイベントについては、内容を「(タイトル保持者)を囲む会」などに変更して行われることもある<ref>[https://www.shogi.or.jp/event/2018/03/post_1565.html?mi=rlt_match 「久保王将を囲む会」のご案内] - 日本将棋連盟・2018年3月16日</ref>。
囲碁の七大タイトル戦、将棋の全8タイトル戦は、すべて、タイトル保持者と挑戦者1名との番勝負で優勝者を決める。
==== 囲碁の番勝負 ====
* 七大タイトル戦
** 七番勝負:[[棋聖 (囲碁)|棋聖戦]]、[[名人 (囲碁)|名人戦]]
** 五番勝負:[[王座 (囲碁)|王座戦]]、[[天元戦]]、[[本因坊戦]](78期までは七番勝負)、[[碁聖|碁聖戦]]、[[十段 (囲碁)|十段戦]]
* 女流の挑戦手合い
** 五番勝負:[[女流本因坊戦]]
** 三番勝負:[[女流名人戦 (囲碁)|女流名人戦]]、[[女流棋聖戦]]、[[女流立葵杯]]
* 地方のタイトル戦での挑戦手合い
** 一番勝負:[[王冠戦]]
** 三番勝負:[[関西棋院第一位決定戦]]
* その他
** 変則三番勝負:棋聖戦挑戦者決定戦(Sリーグ優勝者は1勝[[アドバンテージ]])
** 三番勝負:[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]決勝、[[新竜星戦]]決勝
なお、黒番(先番)と白番の回数が不平等にならないように、第1局開始時に[[ニギリ]]で第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、ニギリが行われる。
また、昔の番勝負([[囲碁の手合割]]を参照)とは異なり、現代の番勝負では[[コミ]]が採用されている<ref group="注">ただし、コミのルールは、現代では番勝負に限ったことではない。</ref>。
==== 将棋の番勝負 ====
*タイトル戦
**七番勝負:[[竜王戦]]、[[名人戦 (将棋)|名人戦]]、[[王位戦 (将棋)|王位戦]]、[[王将戦]]
**五番勝負:[[叡王戦]](第1・2期は三番勝負、第3期 - 第5期は七番勝負)、[[王座戦 (将棋)|王座戦]](タイトル戦へ格上げ前は三番勝負)、[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]、[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]
*女流タイトル戦
**七番勝負:[[白玲戦]]
**五番勝負:[[清麗戦]]、[[マイナビ女子オープン]]、[[女流王座戦]]、[[女流名人戦 (将棋)|女流名人戦]](第7期までは三番勝負)、[[女流王位戦]]
**三番勝負:[[女流王将戦]](第17期~第30期は五番勝負)、[[大山名人杯倉敷藤花戦]]
*その他公式戦
**竜王戦挑戦者決定戦三番勝負
**叡王戦挑戦者決定戦三番勝負(第4期から第5期)
**棋王戦挑戦者決定戦'''二番勝負'''(無敗で勝ち上がった者は1勝、敗者復活で勝ち上がった者は2連勝が必要)(第17期までは一番勝負)
**[[新人王戦 (将棋)|新人王戦]]決勝三番勝負
**[[加古川青流戦]]決勝三番勝負
*非公式戦
**[[ABEMAトーナメント]]:大半の対局(第1・2回は全対局、第3回は予選のみ)が三番勝負にて行われる。
**[[新銀河戦]]決勝三番勝負
*終了棋戦
**七番勝負:[[十段戦 (将棋)|十段戦]](竜王戦の前身のタイトル戦)、[[十段戦 (将棋)|九段戦]](十段戦の前身のタイトル戦)(第6期までは五番勝負)
**五番勝負:[[朝日オープン将棋選手権]](準タイトル戦)、[[朝日オープン将棋選手権|全日本プロトーナメント]]決勝(第8回までは三番勝負)
**三番勝負:[[早指し王位決定戦]]決勝、[[最強者決定戦]]決勝、[[名将戦]]決勝、[[鹿島杯女流将棋トーナメント]]決勝(第8回からは一番勝負)
*[[将棋のアマチュア棋戦|将棋大会]](アマチュア)
**朝日アマ名人戦三番勝負([[将棋のアマチュア棋戦#主要な個人戦の歴代優勝者一覧|アマチュア主要個人戦6棋戦]]の中で唯一、前年度優勝者と挑戦者との[[挑戦手合制|タイトルマッチ]]が行われる。)
なお、先手番と後手番の回数が不平等にならないように、第1局開始時に[[振り駒]]で第1局の先後を決めた後は、1局ごとに先後を入れ替えて対局する。勝負が最終局までもつれ込んだ場合は、再度、振り駒が行われる。棋王戦挑戦者決定戦二番勝負については2局とも振り駒が行われる。
===== 将棋の番勝負の例外 =====
*プロ編入試験
**[[瀬川晶司#編入試験の経過|瀬川晶司のプロ編入試験]](六番勝負) - 制度化される前の特例によるプロ編入試験。瀬川がプロ棋士など6人と対局し、瀬川の3勝でプロ編入を認めるものとなった。毎局振り駒が行われた。
**[[棋士 (将棋)#棋士編入試験制度|制度化以降のプロ編入試験]](五番勝負) - プロ編入希望者が新人プロ棋士5人と対局する。第1局と最終局に振り駒が行われる。
*[[将棋電王戦|電王戦]]
**第1期以降、[[コンピュータ将棋]]ソフトとプロ棋士の二番勝負。
*その他の非公式戦
**史上最年少14歳でプロ入りした[[藤井聡太]]が、プロ入り初年度に[[ABEMA|AbemaTV]]の企画番組「[[藤井聡太#藤井聡太四段 炎の七番勝負 - New Generation Story -|炎の七番勝負]]」で先輩棋士7人と対局した。
*俗な用法
:同じ対局者同士が同時期に複数の番勝負を戦う場合、俗に、すべての番勝負の数字を加えた数を用いて「○○番勝負」と表現することがある。
:* 2005年度の将棋のタイトル戦では、連続する3つのタイトル戦、[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]五番勝負、[[王位戦 (将棋)|王位戦]]七番勝負、[[王座戦 (将棋)|王座戦]]五番勝負に[[羽生善治]]と[[佐藤康光]]が登場し、「十七番勝負」と呼ばれた。
:* 2021年度は、将棋の王位戦・[[叡王戦]]・[[竜王戦]]の3棋戦で[[豊島将之]]と藤井聡太が登場したため「十九番勝負」と称された<ref>[https://www.chunichi.co.jp/article/321232 藤井VS豊島、3たび決戦 異例の「19番」勝負] - 中日新聞・2021年8月31日</ref>。
:また、タイトル戦で[[入玉|持将棋]]が成立した場合は1局として数えるため、七番勝負が第8局に突入する例がある。特に2020年の[[第5期叡王戦]]では、七番勝負で1度の千日手と2度の持将棋があり、最終的に第9局(千日手局含めて実質「10局」)までもつれ込む展開となった。
:[[千日手]]も「指し直し」扱いではあるものの日を改めて行われる例があり、[[第40期順位戦|第40期]]の[[名人戦 (将棋)|名人戦]]はフルセットに持将棋1回、千日手指し直しが2回あり、俗に「十番勝負」と呼ばれた<ref>[https://www.sankei.com/article/20170630-4QA255J6QBKETAMEGHAJH4QX6I/ 【加藤一二三・九段引退会見(2)】伝説の十番勝負で名人奪取「魂燃やして戦った」] [[産経新聞社]]、2017年6月30日(2018年1月26日閲覧)。</ref>。
=== 江戸 - 大正時代 ===
江戸時代から明治・大正にかけては棋士の数が少なく、そのため強さの序列をつけるのに同じ相手と何局も戦い、その結果によって決めていた。特に必要がある場合に期間を決めてまとめて打つこと、指すことがあった。
有名なものとして、次のようなものが挙げられる。
*囲碁
*;[[本因坊道悦]] - [[安井算知]]:算知の碁所襲位に異を唱えたもの。道悦[[定先]]の[[囲碁の手合割|手合割]]で60番の予定であったが、16番目終了時に道悦が6番勝ち越して手合割が先先先に直ったため20番で終了し、算知は碁所を引退。
*;[[井上道節因碩]] - [[本因坊道知]]:道知が独り立ちできるかの試験碁で、10番を2度打っている。<ref group="注">手合割は1度目は道知の定先。2度目は不明(おそらく道知の先先先)</ref>ただし、目的を達したのか2度目は7番で終了している<ref group="注">一度目はすべて棋譜が残っているのに、こちらの方はなぜか棋譜が一局も残っていない。</ref>。
*;[[本因坊察元]] - [[井上春碩因碩]]:名人碁所決定戦。互先20番の予定だったが初番を持碁<ref group="注">上記の道悦・算知が争碁を打つ前に御城碁で対戦することになり、申し合わせで持碁にしたことから、その故事に倣ったものらしい</ref>のあと察元が5連勝して圧倒したためその後自然消滅。
*;[[本因坊秀策]] - [[太田雄蔵]]:手合割は互先、17番目で秀策が4番勝ち越しとなり雄蔵の先先先に直る。30番の予定であったが23番で終了。
*;[[呉清源]]の十番碁:相手を変えて何度も行われたため、第一の形態と第二の形態の混合になっているほか、ずばり第二の形態のものも行われている。
*将棋
*;[[大橋宗銀 (6代)|大橋宗銀]]-[[伊藤印達]]
:まだ若い<ref group="注">宗銀は16歳(年齢は[[数え年]])、'''印達は12歳'''。</ref>跡目二人に対し、将来の名人将棋所を実力で決めさせようという意図があったという見方が有力だが、家元同士の代理戦争だったのではという俗説もある将棋界唯一の争い将棋。途中から4連勝手直りという条件が加わり、結果印達が宗銀を[[角落ち]]にまで指し込む。対局者双方が体を壊したため57番(56番とも言われる)で打ち切られ、その後対局者双方とも2年を経ずして亡くなるという壮絶な結末を迎えた。予定番数は不明だが一説には100番であったといわれている。
昔は上のように偶数番の番勝負が普通であった。というのも、二局一組の手合割<ref group="注">囲碁の互先は本来1局毎に互いに先手番と後手番を交換して打つという意味であり、将棋の平手も同様である。また囲碁では定先と二子の間に先二、将棋では平手と香落ちと間に平香交じり(半香ともいう)というのがある。</ref>というのがあったため不公平のないように、また実力伯仲、あるいは実力差が手合割に見合うものならばあえて勝負をつける必要がないという考えがあったためである。
== チェス ==
チェスでも大きな大会の決勝などでは、同じ相手と複数回対局するシステムが取られ、これをマッチ(match)と言う。局数を明示する場合は、たとえば4番勝負なら best of four match と呼ぶ。
囲碁や将棋とは違い対局数は偶数で、白と黒を同じ回数ずつ持つ。通常は引き分けを0.5勝と数え、過半数の勝数をあげれば勝ちとなるが、引き分けを数えず、決まった局数を勝ったほうが勝ちとなる場合もある。対局数を偶数とするのは、先後の回数による有利不利をなくすためと、引き分けが多いために囲碁・将棋のように奇数局としても番勝負全体での引き分けをなくすことができないためである。
== スポーツ ==
その他、[[北米4大プロスポーツリーグ]]のうち[[メジャーリーグベースボール|MLB]]([[ワールドシリーズ]])・[[NBA]]([[NBAファイナル]])・[[ナショナルホッケーリーグ|NHL]]([[スタンレー・カップ・ファイナル]])や、大学野球([[カレッジ・ワールドシリーズ]])大学ソフトボール([[ウィメンズカレッジ・ワールドシリーズ]])、[[日本野球機構|日本プロ野球]]([[クライマックスシリーズ]]・[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]])など、各国のスポーツの[[ポストシーズン]]ではこの方式を採用しているものが多い(多くは5戦3勝制、あるいは7戦4勝制)。
[[プロレス]]では、「未来のエースと目された若手[[プロレスラー|レスラー]]の試練」などの理由で、「○○十番勝負」という企画が行われることがある。大物レスラー十人が対戦相手を務める。[[ジャンボ鶴田]]の「[[ジャンボ鶴田試練の十番勝負]]」、[[藤波辰爾|藤波辰巳]]の「飛龍十番勝負」などが有名。七番勝負の場合もある。
==脚注==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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竜王戦
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竜王戦(りゅうおうせん)は、読売新聞社および日本将棋連盟主催の将棋の棋戦で、タイトル戦の一つ。第1期は1987年だが、前身の十段戦・更にその前身の九段戦(第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で名人戦(第1期は1935 - 1937年)に次いで2番目に長い歴史を有している。七番勝負の勝者は竜王のタイトル称号を得る。竜王は名人とともに、別格のタイトルとされる。
読売新聞社が主催していた「十段戦」が発展的に解消され、1988年に発足した。
全棋士にアマも参加 超大型の「竜王戦」
将棋界最高の公式戦創設(社告)
読売新聞社は昭和37年以来、将棋十段戦を紙面に掲載、将棋ファンから好評を博して参りましたが、このたび十段戦を第26期(今期)限りで発展的に解消し、日本将棋連盟と共同主催によって、新たに将棋界最高の公式戦「竜王戦」を発足させることになりました。「竜王戦」はこれまでの棋戦をあらゆる面で大幅にこえる超大型棋戦で、竜王獲得者は棋士として“最高の栄誉”をもって処遇されるほか、将棋界空前の賞金2600万円が贈られます。
出典:「読売新聞」1987年10月1日朝刊
1987年10月1日付の読売新聞1面に「将棋界最高の公式戦創設」として記事を掲載、同10月8日に読売新聞社と日本将棋連盟との間で契約調印式が行われた。
名人戦を超える格を有する棋戦の創設について、歴代名人の了承を取る必要があった。中原誠(当時名人に在位、十六世名人資格保持者)が連盟に一任したのに対して、大山康晴(十五世名人、当時連盟会長)と升田幸三(実力制第四代名人)は反対した。折衝の末、賞金額1位を公表してもよいが(棋戦の序列は上)、タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということで話がまとまった。
「竜王戦」という棋戦名は、竜は古来中国で皇帝の権威の象徴として神格化されていた最強者のシンボルであること、将棋の駒の「竜王」(「飛車」の成り駒)は将棋で最強の駒であることの2点を理由として命名された。
田丸昇によると、新棋戦名候補として、他に「棋神戦」「最高峰戦」「巨人戦」「巨星戦」「棋宝戦」「達人戦」「将棋所」などがあったという。しかし、「棋神戦」は宗教絡みの問題が心配、「巨人」は同じく読売新聞傘下のプロ野球球団・読売ジャイアンツの通称(同じく「巨人」)と紛らわしいなどそれぞれに問題があった。当時読売新聞社で竜王戦の創設に携わった観戦記者の山田史生によると、「竜王戦」という候補に対しても、読売ジャイアンツのライバルであったプロ野球中日ドラゴンズを連想するからよくないという意見があったという。また、竜王は最も強い駒ではあるが、最も価値の高い駒は取られたら負けとなる王将であるから、王将戦の上に竜王戦を設けるのは「ヘボ将棋 王より飛車を 可愛がり」という著名な格言(川柳)の教えに反するとの指摘もある。最終的には候補を一つずつ消していき、最後まで残った「竜王戦」が棋戦名に決まった。
山田史生によれば、「竜王戦」と「龍王戦」のどちらを正式な棋戦名とするかでも議論となった。一般的な将棋の駒には「龍王」と記されているが、読売新聞社では常用漢字外の「龍」を原則使用しないとしていたためである。元々、竜と龍は異体字であるが、竜は龍の略字であり新字であると同時に古字でもあるという関係にある。そこで、略字扱いされていた竜こそが正統な字であるという根拠によって「竜王戦」を正式な棋戦名とした。これ以降、日本将棋連盟は駒の正式な名前は「竜王」であり、実在の駒に「龍王」と記されているのは書体の都合であるという立場をとっている。
竜王就位式で渡される竜王杯は秩父宮雍仁親王寄贈で、九段戦、十段戦から引き継ぎ使用されている。
1組から6組に分かれたトーナメント(竜王ランキング戦)、本戦トーナメント、および竜王戦七番勝負からなる。毎年11月ごろから竜王ランキング戦が始まり、翌年夏に本戦トーナメントが行われて8〜9月ごろに挑戦者が決まり、竜王戦七番勝負は10月から12月ごろにかけて行われる。
html5将棋盤を使用したシリーズは叡王戦に続いて2例目だが、公式はadobeのサービス終了までflash将棋盤が使用されていた。
竜王戦となってからタイトル戦の中で最も高い賞金を誇るようになり、第1期竜王戦の優勝賞金は2600万円、第2期は3000万円であった。第36期の優勝賞金は4400万円、準優勝賞金は1650万円である。また、本戦以降の対局料も公表されており、竜王の七番勝負対局料は632万円、挑戦者決定戦進出者の三番勝負対局料は460万円である。なお、賞金や対局料は何度も変更されている(下表参照)。
第30期(2017年)からは七番勝負第1局に東急グループの協賛がつき、同グループが保有しているセルリアンタワー地下の能楽堂での部分公開対局が行われるようになったほか、就位式の会場提供も行っている。同グループはそのまま第31期(2018年)から竜王戦全体の協賛に加わった。さらに同じ第31期からは野村ホールディングスが特別協賛として加わったほか、明治も「明治ヨーグルトR-1」名義で協賛している。
前期竜王戦の勝者の棋士が今期竜王戦に敗れると前竜王となり、他にタイトルを持っていない場合に、次期竜王戦終了まではタイトルに準ずる称号として「前竜王」と名乗ることが出来た。棋士の序列としては「前名人」と同様の位置づけであった。
第1期竜王の島朗、第2期竜王の羽生善治、第6期竜王の佐藤康光の3人が竜王失冠後に前竜王を称したが、第10期竜王の谷川浩司以降、藤井猛(第13期竜王)、森内俊之(第26期竜王)、糸谷哲郎(第27期竜王)、羽生善治(第30期竜王)、広瀬章人(第31期竜王)らがいずれも前竜王の称号を辞退し、「前名人」ともども20年以上名乗った者がいない実情を踏まえ、2020年2月に日本将棋連盟は「前竜王」の称号を「前名人」ともども廃止すると発表した。
竜王と名人は、他のタイトルとは別格の扱いを受ける。
永世称号である永世竜王は、竜王を連続5期もしくは通算7期以上保持した棋士に与えられる。
2021年11月現在、永世竜王の資格を持つ棋士は、渡辺明(連続5期、第17期-第21期)と羽生善治(通算7期、第2期,5,7-8,14-15,第30期)の2名である。
独自のランキング戦と決勝トーナメント(本戦)によって挑戦者(本戦優勝者)を決定し、竜王と挑戦者は七番勝負を行う。組が上位であるほど、また、1組、2組では組の中での成績順位が上位であるほど、竜王在位者への挑戦権を得やすいシステムとなっている。
なお、2005年に制度が見直され、第18期(2005年)以前と第19期(2006年)以後で異なる部分がある。また、第1期竜王戦については後述する。
竜王戦の予選は、1組から6組までに分かれたトーナメント戦で始まり、これを「竜王ランキング戦」と呼ぶ。1組の上位5名、2組の上位2名、3組から6組までの優勝者各1名の合計11名が本戦に出場する。
第18期までの本戦出場は、1組から4名、2組・3組から各2名、4組から6組までから各1名であったが、第19期から、1組から5名、3組から1名に変更された。同時に、各組の昇級枠・降級枠の人数も変更され、全ての組の間で各々4名となった(第18期までの各組間の昇級枠は、1組-4組間では各々3名、4組-6組間では各々4名だった)。
現役棋士が在籍する組の一覧は、将棋棋士の在籍クラス を参照。
竜王戦の各組とも原則として、1敗の時点では敗退とならず、2敗するまでは昇級(1組は本戦出場)の可能性が残るシステムになっている。また、ランキング戦・昇級者決定戦(出場者決定戦)で1勝すると、原則として降級対象から外れて残留以上が決まる。
各組のランキング戦において決勝戦まで勝ち抜いた者を優勝(1位)、決勝戦の敗者を2位として、1位と2位の2名は次期昇級者になる。 また、各組の優勝者および1-2組の2位は本戦進出となる。
ランキング戦の準決勝までに敗れた棋士(女流枠、アマチュア枠、奨励会員枠の出場者を除く)は、変則パラマストーナメント形式で行われる敗者復活の昇級者決定戦(1組は本戦出場者決定戦)に回る。 1組の「本戦出場者決定戦」は3位-5位決定戦の3つのグループに分かれており、それぞれを勝ち抜いた3位-5位の3名は本戦に進出となる。2組から6組では、「昇級者決定戦」を2つのグループに分けて行い、勝ち抜いた者(各組2名)は3位として次期昇級者になる。
このように、本戦出場者・昇級者はいずれも、ランキング戦・昇級者決定戦を通じて全勝か1敗だけの者であり、2敗した者は敗退となる。
敗退者のうち、全敗者(1-3組では0勝2敗、4-5組では0勝3敗)は次期降級となる。 各組のランキング戦の1回戦の敗者は「昇級者決定戦(1組は本戦出場者決定戦)」の1回戦に回り、この「決定戦1回戦」での敗者(当年度成績「0勝2敗」の者)は、1組から3組ではそのまま次期降級者(各組4名)となる。 4組と5組の「昇級者決定戦1回戦」での敗者の各8名は、更に「残留決定戦」へ回り、この「残留決定戦」の敗者(当年度成績「0勝3敗」の各組4名)が次期降級者となる。
昇級は原則として一つ上のクラスに上がり、降級は一つ下のクラスに下がる。例外として、2組以下のクラスへの昇級予定者が七番勝負挑戦者となる場合は、挑戦者に決まった時点で1組への一足飛びでの昇級となる。
前述のように3組以下のクラスからの本戦進出者が当期の挑戦者となり次期の1組が定員超過する場合や、1-5組在籍の棋士が引退などの理由で以降の棋戦に不参加となり次期の当該クラスで欠員が出る場合は、昇級者枠または降級者枠を増やして人数の調整が行われる。
「決勝トーナメント」を「本戦」とも呼ぶ。
ランキング戦の組と順位により、右図のように位置があらかじめ定められたトーナメントを行う。本戦シードは(第1期以外)一切存在せず、他のタイトルホルダーであろうが前期の番勝負敗者であろうが、ランキング戦を勝ち抜かなければ本戦に出場できない。
現行の制度(第19期以降)では、1組から5名(優勝者/2-5位)、2組から2名(優勝者/2位)、3組以下からはランキング戦優勝者の各1名の計11名が本戦出場となる。同じ組でも順位が高いほど、また、同じ順位でも上の組ほど挑戦者決定戦進出に必要な勝数が少なくなる。1組の優勝者は1勝すれば挑戦者決定戦へ進出できるが、同じ1組でも2位〜4位では2勝、5位では3勝しなければ挑戦者決定戦に進出できない。また、2組2位は挑戦者決定戦に3勝必要で、2組優勝・1組2位より1回多い。また、1-5組の優勝者は挑戦者決定戦進出には組番号と同じ勝数が必要であり、5組と6組の優勝者は挑戦者決定戦への進出には5勝しなければならない。
挑戦者決定戦(本戦決勝)のみ三番勝負で行い、先に2勝したものが挑戦者となる。第1局は振り駒で、どちらが先手か後手か先後を決め、第2局は第1局と先後を逆にし、第3局は再度振り駒で先後を決める。
現行の制度(第19期以降)では、1組の2位と3位は1組優勝者とは挑戦者決定戦まで当たらないようになっているのに対し、1組の4位と5位は1組優勝者に勝たないと挑戦者決定戦に進出できない。これは、1組竜王ランキング戦は早く負けるほど本戦出場者決定戦で当たる相手が弱くなり有利になる側面があるため、わざと早く負けて低位通過を狙う棋士が出てくるのを防ぐためである。1組優勝者と挑戦者決定戦まで当たらない3位以上で通過するためには準決勝まで進出しなければならないが、その準決勝で勝てば2位以上が確定するため、わざと負けるのは意味がないことになる。
本戦の持ち時間は各5時間。ランキング戦でのチェスクロック方式での計時に対し、本戦での計時はストップウォッチ方式で行う。
なお前述のとおり、今期の在籍クラスに関係なく挑戦者は次期1組へ昇級する。そのため、3組以下の優勝者が挑戦者となる場合、次期1組は定員より1人多い17人で争われることになる(挑戦者の当初の昇級予定クラスでは欠員1名となる)。
初期(第2期-第18期)の決勝トーナメントの制度では、1組からは4名(優勝者/2位/3位/3位)、2-3組からは各2名(優勝者/2位)、4-6組はランキング戦優勝者の各1名の計11名により争われた。在籍クラス(組)ごとに挑戦者決定戦進出に必要な勝ち数が決まっており、1組と2組からは順位に関係なく2勝、3組と4組からは3勝、5組と6組からは4勝が必要だった。1組3位として本戦進出する2名が、1組3位の出場枠2つのどちらになるのかは抽選により決定された。
第1期の決勝トーナメントは、第26期十段タイトル保持者(準決勝シード)と永世十段資格者2名(準々決勝シード)の計3名をランキング戦を免除した本戦シード者とし、第2期以降の本戦進出者と同様の11名と合わせた計14名により争われた。決勝を七番勝負、準決勝を挑戦者決定三番勝負とした形式により行われ、2組以上からの出場者及び3組優勝は4回戦からの参加とし、3組2位および4組以下の優勝者はパラマストーナメントにより4回戦進出者を決定した。
竜王と本戦を勝ち抜いた棋士が七番勝負を戦う。先に4勝したほうが新たな竜王となる。七番勝負は全国各地の旅館やホテルなどで開催される。第29期以前における第1局は日本国外での対局が行われたことがある(下記)。第30期以降の第1局は前述のとおり、セルリアンタワー能楽堂での部分公開対局が恒例となっている。
持ち時間は各8時間、計時はストップウォッチ方式、1局を2日かけて実施する2日制で行われる。1日目の終わりには封じ手を行い、2日目の開始まで次の手を考えて有利になることがないようにする。
近年は第6局までに決着した場合、竜王が残りの対局会場に予定されていた場所を訪問し、前夜祭の代わりに祝勝会を行うのが恒例になっている。
竜王戦の実績に基づく昇段は、現行の規定では次のとおりに定められている。
「竜王ドリーム」
1組優勝者のジンクス(第1期-第31期)
女流棋士が公式戦で棋士に初勝利(第7期)
「"初代永世竜王"決定戦」とタイトル戦七番勝負初の「3連敗4連勝」(第21期)
「引退対局」での有終の美(第23期・第28期)
将棋ソフト不正使用疑惑による挑戦者変更(第29期)
最年少棋士と最年長棋士との対局(第30期)
羽生善治、永世七冠達成(第30期)
戦後最長手数記録420手(第31期)
勝てば「タイトル通算100期」負ければ「27年ぶりの無冠」(第31期)
第36期終了時点まで
七番勝負の模様は、名人戦七番勝負と同様、「将棋竜王戦」という番組名でNHKでテレビ放送されていた。
ネット配信では2020年現在、ABEMA・将棋チャンネルで七番勝負の完全生中継が行われている。2019年まではニコニコ生放送でも配信されていた。
藤井聡太竜王に広瀬章人八段が挑戦者となった2022年の第35期竜王戦七番勝負は、竜王戦史上初となるテレビCMが制作され、日本テレビとBS日テレで放送された。
1987 - 1988年に行われた第1期は、竜王戦の前身が十段戦であったということで、最後の十段となった「第26期十段」と、永世十段資格者2名の計3名が本戦にシードされた。
ランキング戦の1-6組の組分けの順序は、十段戦終了1期前の「第25期十段」と十段以外のタイトル保持者を優先し、以下、「第46期順位戦」の順位序列で決められた。
本戦は14人によるトーナメントで、2つの準決勝は三番勝負、決勝は七番勝負で行われ、決勝を制した島朗六段が初代竜王となった。
(表中、「L残」は第26期十段リーグ残留の成績を挙げた者。称号や段位は当時のもの)
特記なしはすべて読売新聞社から刊行
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"text": "読売新聞社は昭和37年以来、将棋十段戦を紙面に掲載、将棋ファンから好評を博して参りましたが、このたび十段戦を第26期(今期)限りで発展的に解消し、日本将棋連盟と共同主催によって、新たに将棋界最高の公式戦「竜王戦」を発足させることになりました。「竜王戦」はこれまでの棋戦をあらゆる面で大幅にこえる超大型棋戦で、竜王獲得者は棋士として“最高の栄誉”をもって処遇されるほか、将棋界空前の賞金2600万円が贈られます。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "出典:「読売新聞」1987年10月1日朝刊",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "1987年10月1日付の読売新聞1面に「将棋界最高の公式戦創設」として記事を掲載、同10月8日に読売新聞社と日本将棋連盟との間で契約調印式が行われた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "名人戦を超える格を有する棋戦の創設について、歴代名人の了承を取る必要があった。中原誠(当時名人に在位、十六世名人資格保持者)が連盟に一任したのに対して、大山康晴(十五世名人、当時連盟会長)と升田幸三(実力制第四代名人)は反対した。折衝の末、賞金額1位を公表してもよいが(棋戦の序列は上)、タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということで話がまとまった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "「竜王戦」という棋戦名は、竜は古来中国で皇帝の権威の象徴として神格化されていた最強者のシンボルであること、将棋の駒の「竜王」(「飛車」の成り駒)は将棋で最強の駒であることの2点を理由として命名された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "田丸昇によると、新棋戦名候補として、他に「棋神戦」「最高峰戦」「巨人戦」「巨星戦」「棋宝戦」「達人戦」「将棋所」などがあったという。しかし、「棋神戦」は宗教絡みの問題が心配、「巨人」は同じく読売新聞傘下のプロ野球球団・読売ジャイアンツの通称(同じく「巨人」)と紛らわしいなどそれぞれに問題があった。当時読売新聞社で竜王戦の創設に携わった観戦記者の山田史生によると、「竜王戦」という候補に対しても、読売ジャイアンツのライバルであったプロ野球中日ドラゴンズを連想するからよくないという意見があったという。また、竜王は最も強い駒ではあるが、最も価値の高い駒は取られたら負けとなる王将であるから、王将戦の上に竜王戦を設けるのは「ヘボ将棋 王より飛車を 可愛がり」という著名な格言(川柳)の教えに反するとの指摘もある。最終的には候補を一つずつ消していき、最後まで残った「竜王戦」が棋戦名に決まった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "山田史生によれば、「竜王戦」と「龍王戦」のどちらを正式な棋戦名とするかでも議論となった。一般的な将棋の駒には「龍王」と記されているが、読売新聞社では常用漢字外の「龍」を原則使用しないとしていたためである。元々、竜と龍は異体字であるが、竜は龍の略字であり新字であると同時に古字でもあるという関係にある。そこで、略字扱いされていた竜こそが正統な字であるという根拠によって「竜王戦」を正式な棋戦名とした。これ以降、日本将棋連盟は駒の正式な名前は「竜王」であり、実在の駒に「龍王」と記されているのは書体の都合であるという立場をとっている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "竜王就位式で渡される竜王杯は秩父宮雍仁親王寄贈で、九段戦、十段戦から引き継ぎ使用されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "1組から6組に分かれたトーナメント(竜王ランキング戦)、本戦トーナメント、および竜王戦七番勝負からなる。毎年11月ごろから竜王ランキング戦が始まり、翌年夏に本戦トーナメントが行われて8〜9月ごろに挑戦者が決まり、竜王戦七番勝負は10月から12月ごろにかけて行われる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "html5将棋盤を使用したシリーズは叡王戦に続いて2例目だが、公式はadobeのサービス終了までflash将棋盤が使用されていた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "竜王戦となってからタイトル戦の中で最も高い賞金を誇るようになり、第1期竜王戦の優勝賞金は2600万円、第2期は3000万円であった。第36期の優勝賞金は4400万円、準優勝賞金は1650万円である。また、本戦以降の対局料も公表されており、竜王の七番勝負対局料は632万円、挑戦者決定戦進出者の三番勝負対局料は460万円である。なお、賞金や対局料は何度も変更されている(下表参照)。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "第30期(2017年)からは七番勝負第1局に東急グループの協賛がつき、同グループが保有しているセルリアンタワー地下の能楽堂での部分公開対局が行われるようになったほか、就位式の会場提供も行っている。同グループはそのまま第31期(2018年)から竜王戦全体の協賛に加わった。さらに同じ第31期からは野村ホールディングスが特別協賛として加わったほか、明治も「明治ヨーグルトR-1」名義で協賛している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "前期竜王戦の勝者の棋士が今期竜王戦に敗れると前竜王となり、他にタイトルを持っていない場合に、次期竜王戦終了まではタイトルに準ずる称号として「前竜王」と名乗ることが出来た。棋士の序列としては「前名人」と同様の位置づけであった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "第1期竜王の島朗、第2期竜王の羽生善治、第6期竜王の佐藤康光の3人が竜王失冠後に前竜王を称したが、第10期竜王の谷川浩司以降、藤井猛(第13期竜王)、森内俊之(第26期竜王)、糸谷哲郎(第27期竜王)、羽生善治(第30期竜王)、広瀬章人(第31期竜王)らがいずれも前竜王の称号を辞退し、「前名人」ともども20年以上名乗った者がいない実情を踏まえ、2020年2月に日本将棋連盟は「前竜王」の称号を「前名人」ともども廃止すると発表した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "竜王と名人は、他のタイトルとは別格の扱いを受ける。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "永世称号である永世竜王は、竜王を連続5期もしくは通算7期以上保持した棋士に与えられる。",
"title": "「永世竜王」の称号"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "2021年11月現在、永世竜王の資格を持つ棋士は、渡辺明(連続5期、第17期-第21期)と羽生善治(通算7期、第2期,5,7-8,14-15,第30期)の2名である。",
"title": "「永世竜王」の称号"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "独自のランキング戦と決勝トーナメント(本戦)によって挑戦者(本戦優勝者)を決定し、竜王と挑戦者は七番勝負を行う。組が上位であるほど、また、1組、2組では組の中での成績順位が上位であるほど、竜王在位者への挑戦権を得やすいシステムとなっている。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "なお、2005年に制度が見直され、第18期(2005年)以前と第19期(2006年)以後で異なる部分がある。また、第1期竜王戦については後述する。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "竜王戦の予選は、1組から6組までに分かれたトーナメント戦で始まり、これを「竜王ランキング戦」と呼ぶ。1組の上位5名、2組の上位2名、3組から6組までの優勝者各1名の合計11名が本戦に出場する。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "第18期までの本戦出場は、1組から4名、2組・3組から各2名、4組から6組までから各1名であったが、第19期から、1組から5名、3組から1名に変更された。同時に、各組の昇級枠・降級枠の人数も変更され、全ての組の間で各々4名となった(第18期までの各組間の昇級枠は、1組-4組間では各々3名、4組-6組間では各々4名だった)。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "現役棋士が在籍する組の一覧は、将棋棋士の在籍クラス を参照。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "竜王戦の各組とも原則として、1敗の時点では敗退とならず、2敗するまでは昇級(1組は本戦出場)の可能性が残るシステムになっている。また、ランキング戦・昇級者決定戦(出場者決定戦)で1勝すると、原則として降級対象から外れて残留以上が決まる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "各組のランキング戦において決勝戦まで勝ち抜いた者を優勝(1位)、決勝戦の敗者を2位として、1位と2位の2名は次期昇級者になる。 また、各組の優勝者および1-2組の2位は本戦進出となる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "ランキング戦の準決勝までに敗れた棋士(女流枠、アマチュア枠、奨励会員枠の出場者を除く)は、変則パラマストーナメント形式で行われる敗者復活の昇級者決定戦(1組は本戦出場者決定戦)に回る。 1組の「本戦出場者決定戦」は3位-5位決定戦の3つのグループに分かれており、それぞれを勝ち抜いた3位-5位の3名は本戦に進出となる。2組から6組では、「昇級者決定戦」を2つのグループに分けて行い、勝ち抜いた者(各組2名)は3位として次期昇級者になる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "このように、本戦出場者・昇級者はいずれも、ランキング戦・昇級者決定戦を通じて全勝か1敗だけの者であり、2敗した者は敗退となる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "敗退者のうち、全敗者(1-3組では0勝2敗、4-5組では0勝3敗)は次期降級となる。 各組のランキング戦の1回戦の敗者は「昇級者決定戦(1組は本戦出場者決定戦)」の1回戦に回り、この「決定戦1回戦」での敗者(当年度成績「0勝2敗」の者)は、1組から3組ではそのまま次期降級者(各組4名)となる。 4組と5組の「昇級者決定戦1回戦」での敗者の各8名は、更に「残留決定戦」へ回り、この「残留決定戦」の敗者(当年度成績「0勝3敗」の各組4名)が次期降級者となる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "昇級は原則として一つ上のクラスに上がり、降級は一つ下のクラスに下がる。例外として、2組以下のクラスへの昇級予定者が七番勝負挑戦者となる場合は、挑戦者に決まった時点で1組への一足飛びでの昇級となる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "前述のように3組以下のクラスからの本戦進出者が当期の挑戦者となり次期の1組が定員超過する場合や、1-5組在籍の棋士が引退などの理由で以降の棋戦に不参加となり次期の当該クラスで欠員が出る場合は、昇級者枠または降級者枠を増やして人数の調整が行われる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "「決勝トーナメント」を「本戦」とも呼ぶ。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ランキング戦の組と順位により、右図のように位置があらかじめ定められたトーナメントを行う。本戦シードは(第1期以外)一切存在せず、他のタイトルホルダーであろうが前期の番勝負敗者であろうが、ランキング戦を勝ち抜かなければ本戦に出場できない。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "現行の制度(第19期以降)では、1組から5名(優勝者/2-5位)、2組から2名(優勝者/2位)、3組以下からはランキング戦優勝者の各1名の計11名が本戦出場となる。同じ組でも順位が高いほど、また、同じ順位でも上の組ほど挑戦者決定戦進出に必要な勝数が少なくなる。1組の優勝者は1勝すれば挑戦者決定戦へ進出できるが、同じ1組でも2位〜4位では2勝、5位では3勝しなければ挑戦者決定戦に進出できない。また、2組2位は挑戦者決定戦に3勝必要で、2組優勝・1組2位より1回多い。また、1-5組の優勝者は挑戦者決定戦進出には組番号と同じ勝数が必要であり、5組と6組の優勝者は挑戦者決定戦への進出には5勝しなければならない。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "挑戦者決定戦(本戦決勝)のみ三番勝負で行い、先に2勝したものが挑戦者となる。第1局は振り駒で、どちらが先手か後手か先後を決め、第2局は第1局と先後を逆にし、第3局は再度振り駒で先後を決める。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "現行の制度(第19期以降)では、1組の2位と3位は1組優勝者とは挑戦者決定戦まで当たらないようになっているのに対し、1組の4位と5位は1組優勝者に勝たないと挑戦者決定戦に進出できない。これは、1組竜王ランキング戦は早く負けるほど本戦出場者決定戦で当たる相手が弱くなり有利になる側面があるため、わざと早く負けて低位通過を狙う棋士が出てくるのを防ぐためである。1組優勝者と挑戦者決定戦まで当たらない3位以上で通過するためには準決勝まで進出しなければならないが、その準決勝で勝てば2位以上が確定するため、わざと負けるのは意味がないことになる。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "本戦の持ち時間は各5時間。ランキング戦でのチェスクロック方式での計時に対し、本戦での計時はストップウォッチ方式で行う。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "なお前述のとおり、今期の在籍クラスに関係なく挑戦者は次期1組へ昇級する。そのため、3組以下の優勝者が挑戦者となる場合、次期1組は定員より1人多い17人で争われることになる(挑戦者の当初の昇級予定クラスでは欠員1名となる)。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "初期(第2期-第18期)の決勝トーナメントの制度では、1組からは4名(優勝者/2位/3位/3位)、2-3組からは各2名(優勝者/2位)、4-6組はランキング戦優勝者の各1名の計11名により争われた。在籍クラス(組)ごとに挑戦者決定戦進出に必要な勝ち数が決まっており、1組と2組からは順位に関係なく2勝、3組と4組からは3勝、5組と6組からは4勝が必要だった。1組3位として本戦進出する2名が、1組3位の出場枠2つのどちらになるのかは抽選により決定された。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "第1期の決勝トーナメントは、第26期十段タイトル保持者(準決勝シード)と永世十段資格者2名(準々決勝シード)の計3名をランキング戦を免除した本戦シード者とし、第2期以降の本戦進出者と同様の11名と合わせた計14名により争われた。決勝を七番勝負、準決勝を挑戦者決定三番勝負とした形式により行われ、2組以上からの出場者及び3組優勝は4回戦からの参加とし、3組2位および4組以下の優勝者はパラマストーナメントにより4回戦進出者を決定した。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "竜王と本戦を勝ち抜いた棋士が七番勝負を戦う。先に4勝したほうが新たな竜王となる。七番勝負は全国各地の旅館やホテルなどで開催される。第29期以前における第1局は日本国外での対局が行われたことがある(下記)。第30期以降の第1局は前述のとおり、セルリアンタワー能楽堂での部分公開対局が恒例となっている。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "持ち時間は各8時間、計時はストップウォッチ方式、1局を2日かけて実施する2日制で行われる。1日目の終わりには封じ手を行い、2日目の開始まで次の手を考えて有利になることがないようにする。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "近年は第6局までに決着した場合、竜王が残りの対局会場に予定されていた場所を訪問し、前夜祭の代わりに祝勝会を行うのが恒例になっている。",
"title": "方式"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "竜王戦の実績に基づく昇段は、現行の規定では次のとおりに定められている。",
"title": "竜王戦の規定による昇段"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "「竜王ドリーム」",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "1組優勝者のジンクス(第1期-第31期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "女流棋士が公式戦で棋士に初勝利(第7期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "「\"初代永世竜王\"決定戦」とタイトル戦七番勝負初の「3連敗4連勝」(第21期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "「引退対局」での有終の美(第23期・第28期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "将棋ソフト不正使用疑惑による挑戦者変更(第29期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "最年少棋士と最年長棋士との対局(第30期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "羽生善治、永世七冠達成(第30期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "戦後最長手数記録420手(第31期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "勝てば「タイトル通算100期」負ければ「27年ぶりの無冠」(第31期)",
"title": "エピソード"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "第36期終了時点まで",
"title": "記録"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "七番勝負の模様は、名人戦七番勝負と同様、「将棋竜王戦」という番組名でNHKでテレビ放送されていた。",
"title": "放送・配信"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "ネット配信では2020年現在、ABEMA・将棋チャンネルで七番勝負の完全生中継が行われている。2019年まではニコニコ生放送でも配信されていた。",
"title": "放送・配信"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "藤井聡太竜王に広瀬章人八段が挑戦者となった2022年の第35期竜王戦七番勝負は、竜王戦史上初となるテレビCMが制作され、日本テレビとBS日テレで放送された。",
"title": "放送・配信"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "1987 - 1988年に行われた第1期は、竜王戦の前身が十段戦であったということで、最後の十段となった「第26期十段」と、永世十段資格者2名の計3名が本戦にシードされた。",
"title": "第1期竜王戦"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "ランキング戦の1-6組の組分けの順序は、十段戦終了1期前の「第25期十段」と十段以外のタイトル保持者を優先し、以下、「第46期順位戦」の順位序列で決められた。",
"title": "第1期竜王戦"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "本戦は14人によるトーナメントで、2つの準決勝は三番勝負、決勝は七番勝負で行われ、決勝を制した島朗六段が初代竜王となった。",
"title": "第1期竜王戦"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "(表中、「L残」は第26期十段リーグ残留の成績を挙げた者。称号や段位は当時のもの)",
"title": "第1期竜王戦"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "特記なしはすべて読売新聞社から刊行",
"title": "書籍"
}
] |
竜王戦(りゅうおうせん)は、読売新聞社および日本将棋連盟主催の将棋の棋戦で、タイトル戦の一つ。第1期は1987年だが、前身の十段戦・更にその前身の九段戦(第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で名人戦に次いで2番目に長い歴史を有している。七番勝負の勝者は竜王のタイトル称号を得る。竜王は名人とともに、別格のタイトルとされる。
|
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2023年8月
| 独自研究 = 2023年8月
| 大言壮語 = 2023年8月
| 百科事典的でない = 2023年8月
}}
{{Infobox 棋戦
|イベント名称=竜王戦
|分類=タイトル戦
|旧名称=[[十段戦 (将棋)|九段戦・十段戦]](前身)
|開催時期=予選:前年12月 - 5月<br />本戦:6月 - 9月<br />タイトル戦:10月 - 12月
|初回開催=1988年度(第1期)
|持ち時間={{nowrap|七番勝負:8時間{{small|(2日制/ストップウォッチ方式)}}<br />本戦:5時間{{small|(ストップウォッチ方式)}}<br />{{small|ランキング戦}}:5時間{{small| ({{sup|※}}チェスクロック使用)}}<br />{{small|出場者決定戦}}:5時間{{small| ({{sup|※}}チェスクロック使用)}}<br />{{small|昇級者決定戦}}:5時間{{small| ({{sup|※}}チェスクロック使用)}}<br /> 残留決定戦:3時間{{small| (チェスクロック使用)}}<br />{{small|({{sup|※}}は36期からチェスクロック使用)}}}}
|番勝負=七番勝負
|優勝賞金=4,400万円<ref name="ryuoshokin"/>
|主催=[[読売新聞社]]、[[日本将棋連盟]]|協賛=[[野村ホールディングス]](特別協賛)<br>[[東急]]・[[UACJ]]・[[ヘーベルハウス]]・[[あんしん財団]]・[[日本中央競馬会|JRA]]・[[ニトリ]]
|URL=[https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/index.html 竜王戦:日本将棋連盟]
|種類=竜王
|前期優勝=[[藤井聡太]](第36期)
|永世資格=[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](永世竜王資格)<br />[[羽生善治]](永世竜王資格)
|最多優勝=渡辺明(11期)
|最長連覇=渡辺明(9連覇)
|備考=
}}
'''竜王戦'''(りゅうおうせん)は、[[読売新聞社]]および[[日本将棋連盟]]主催<ref group="注">2021年現在、竜王戦中継ブログのトップページには主催として両者が併記されており、日本将棋連盟のサイトでも「日本将棋連盟主催棋戦一覧」のページに竜王戦を載せている。</ref>の[[将棋]]の[[棋戦 (将棋)|棋戦]]で、[[棋戦 (将棋)#タイトル戦|タイトル戦]]の一つ。第1期は1987年だが、前身の[[十段戦 (将棋)|十段戦]]・更にその前身の[[十段戦 (将棋)|九段戦]](第1期は1950年)から数えると、タイトル戦の中で[[名人戦 (将棋)|名人戦]](第1期は1935 - 1937年)に次いで2番目に長い歴史を有している。[[#竜王戦七番勝負|七番勝負]]の勝者は'''竜王'''のタイトル称号を得る。竜王は[[名人 (将棋)|名人]]とともに、別格のタイトルとされる。
== 概要 ==
=== 沿革 ===
読売新聞社が主催していた「[[十段戦 (将棋)|十段戦]]」が発展的に解消され、1988年に発足した。
<blockquote>
'''全棋士にアマも参加 超大型の「竜王戦」'''
'''将棋界最高の公式戦創設(社告)'''
読売新聞社は昭和37年以来、将棋十段戦を紙面に掲載、将棋ファンから好評を博して参りましたが、このたび十段戦を第26期(今期)限りで発展的に解消し、日本将棋連盟と共同主催によって、新たに将棋界最高の公式戦「竜王戦」を発足させることになりました。「竜王戦」はこれまでの棋戦をあらゆる面で大幅にこえる超大型棋戦で、竜王獲得者は棋士として“最高の栄誉”をもって処遇されるほか、将棋界空前の賞金2600万円が贈られます。
出典:「読売新聞」1987年10月1日朝刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20191208-00154153/ |title=羽生善治、谷川浩司、森内俊之、そして豊島将之 将棋界の頂点を極めた「竜王・名人」の系譜(松本博文) - 個人 - Yahoo!ニュース |date=2019-12-08 |access-date=2019-12-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230319212723/https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20191208-00154153/ |archive-date=2023-03-19}}</ref>
</blockquote>
1987年10月1日付の読売新聞1面に「将棋界最高の公式戦創設」として記事を掲載、同10月8日に読売新聞社と日本将棋連盟との間で契約調印式が行われた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/column/2016/11/whatsday.html |title=【今日は何の日?】29年前の11月13日、第1期竜王戦が開幕|将棋コラム|日本将棋連盟 |date=2016-11-13 |accessdate=2016-11-13}}</ref>。
名人戦を超える格を有する棋戦の創設について、歴代名人の了承を取る必要があった。[[中原誠]](当時名人に在位、十六世名人資格保持者)が連盟に一任したのに対して、[[大山康晴]](十五世名人、当時連盟会長)と[[升田幸三]](実力制第四代名人)は反対した。折衝の末、賞金額1位を公表してもよいが(棋戦の序列は上)、タイトルホルダーとしての序列は名人と同格ということで話がまとまった。
{{see|十段戦 (将棋)#沿革|棋戦 (将棋)#竜王と名人}}
=== 棋戦名 ===
「竜王戦」という棋戦名は、竜は古来中国で皇帝の権威の象徴として神格化されていた最強者のシンボルであること、将棋の駒の「[[竜王 (将棋の駒)|竜王]]」(「[[飛車]]」の成り駒)は将棋で最強の駒であることの2点を理由として命名された。
[[田丸昇]]<ref>{{Cite web|和書|title=竜王戦が誕生した成り立ちと棋戦名の由来: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き |url=http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-c6aa.html |website=tamarunoboru.cocolog-nifty.com |access-date=2023-03-18}}</ref>によると、新棋戦名候補として、他に「棋神戦」「最高峰戦」「巨人戦」「巨星戦」「棋宝戦」「達人戦」「[[将棋所]]」などがあったという。しかし、「棋神戦」は宗教絡みの問題が心配、「巨人」は同じく読売新聞傘下の[[日本野球機構|プロ野球]]球団・[[読売ジャイアンツ]]の通称(同じく「巨人」)と紛らわしいなどそれぞれに問題があった。当時読売新聞社で竜王戦の創設に携わった観戦記者の[[山田史生 (観戦記者)|山田史生]]<ref>[https://shogipenclublog.com/blog/2015/06/04/ryuousen-8/ 竜王戦誕生秘話] 将棋ペンクラブ</ref>によると、「竜王戦」という候補に対しても、読売ジャイアンツのライバルであったプロ野球[[中日ドラゴンズ]]を連想するからよくないという意見があったという。また、竜王は最も強い駒ではあるが、最も価値の高い駒は取られたら負けとなる王将であるから、[[王将戦]]の上に竜王戦を設けるのは「ヘボ将棋 王より飛車を 可愛がり」という著名な格言([[川柳]])の教えに反するとの指摘もある。最終的には候補を一つずつ消していき、最後まで残った「竜王戦」が棋戦名に決まった。
山田史生によれば、「'''竜'''王戦」と「'''龍'''王戦」のどちらを正式な棋戦名とするかでも議論となった。一般的な将棋の駒には「龍王」と記されているが、読売新聞社では常用漢字外の「龍」を原則使用しないとしていたためである。元々、竜と龍は[[異体字]]であるが、竜は龍の略字であり新字であると同時に古字でもあるという関係にある。そこで、略字扱いされていた竜こそが正統な字であるという根拠によって「竜王戦」を正式な棋戦名とした。これ以降、日本将棋連盟は駒の正式な名前は「竜王」であり、実在の駒に「龍王」と記されているのは書体の都合であるという立場をとっている。
=== 開催方式 ===
竜王就位式で渡される竜王杯は[[秩父宮雍仁親王]]寄贈で、九段戦、十段戦から引き継ぎ使用されている。
1組から6組に分かれたトーナメント(竜王ランキング戦<ref group="注">昇級者・降級者決定戦も含む。</ref>)、本戦トーナメント、および竜王戦七番勝負からなる。毎年11月ごろから竜王ランキング戦が始まり、翌年夏に本戦トーナメントが行われて8〜9月ごろに挑戦者が決まり、竜王戦七番勝負は10月から12月ごろにかけて行われる。
html5将棋盤<ref>{{Cite web|和書|url =https://web.archive.org/web/20181204190245/https://www.yomiuri.co.jp/s/ims/ryuou31thkifu/kifu_4_w.html |title =第31期竜王戦七番勝負第5局 ライブ中継 |publisher =www.yomiuri.co.jp |date = |accessdate =2019-01-31 }}</ref>を使用したシリーズは叡王戦に続いて2例目だが、公式はadobeのサービス終了までflash将棋盤が使用されていた。
=== 賞金および対局料 ===
竜王戦となってからタイトル戦の中で最も高い賞金を誇るようになり、第1期竜王戦の優勝賞金は2600万円<ref name="第1期賞金"/>、第2期は3000万円<ref name="第2期賞金"/>であった。第36期の優勝賞金は4400万円<ref name="ryuoshokin">[https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/rules.html 竜王戦の賞金(竜王ランキング戦・決勝トーナメントについて)日本将棋連盟] 2017年6月9日閲覧</ref><ref name="20220624第35期本戦">{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20220624-OYT8T50045/ |archive-url=https://web.archive.org/web/20220629214940/https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20220624-OYT8T50045/ |title=【動画】挑戦者の本命は“研究仲間”、対抗は「左の山」の若手3人…藤井竜王が本戦を展望 : 読売新聞オンライン |date=2022-06-24 |access-date=2022-06-24 |archive-date=2022-06-29}}</ref>、準優勝賞金は1650万円<ref name="20220624第35期本戦" />である。また、本戦以降の対局料も公表されており、竜王の七番勝負対局料は632万円<ref name="20220624第35期本戦" />、挑戦者決定戦進出者の三番勝負対局料は460万円<ref name="20220624第35期本戦" />である。なお、賞金や対局料は何度も変更されている(下表参照)<ref group="注">たとえば、第9期は勝者賞金3200万円、敗者賞金800万円、竜王対局料1350万円、挑戦者対局料675万円、挑戦者決定三番勝負の対局料330万円。第19期は勝者賞金3200万円、敗者賞金800万円、竜王対局料1450万円、挑戦者対局料700万円、挑戦者決定三番勝負の対局料330万円。第22期・第23期は、竜王対局料3900万円、敗者賞金1500万円、挑戦者決定三番勝負の対局料350万円。</ref><ref>[https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/22/hon.html 第22期決勝トーナメント(日本将棋連盟)] 2009年9月29日閲覧。第30期は優勝賞金4320万円、準優勝1620万円。</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「と金ドリーム」が叶う竜王戦は優勝賞金が3900万円: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き |url=http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/3900-18d4.html |website=tamarunoboru.cocolog-nifty.com |date=2009-10-05 |access-date=2023-03-18}}</ref>。
{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:right"
|+style="text-align:left"|竜王戦七番勝負・決勝トーナメントの優勝賞金と対局料(判明分)
!
!colspan="2"|賞金
!colspan="13"|対局料
!rowspan="3" !style="vertical-align:bottom"|出典
|-
!rowspan="2" style="vertical-align:bottom"|期
!rowspan="2"|優勝<br/>賞金
!rowspan="2"|準優勝<br/>賞金
!colspan="2"|七番勝負
!rowspan="2"|挑決<br/>三番勝負
!colspan="2"|準決勝
!colspan="3"|3回戦
!colspan="3"|2回戦
!colspan="2"|1回戦
|- style="line-height:120%"
!竜王!!挑戦者
!colspan="2"|準々決勝 勝者
!1組1-4位!!2組1-2位!!{{small|2回戦勝者}}
!3組1-2位!!4組1位!!{{small|1回戦勝者}}
!5組1位!!6組1位
|-
!第1期
|2600万円||(不明)
|(不明)||(不明)
|(不明)
|colspan="2"|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|<ref name="第1期賞金">{{リスト|{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/849816?page=4|title=三冠獲得・藤井聡太が次に狙う「竜王戦」の歴史… 羽生善治19歳、渡辺明20歳が頂点に昇り詰めるまで《優勝賞金4400万円》(4/4) - 将棋 - Number Web - ナンバー|author=[[田丸昇]]|date=2021-09-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210919083420/https://number.bunshun.jp/articles/-/849816?page=4|access-date=2021-09-19||archivedate=2021-09-19}}|{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/column/2016/11/whatsday.html|title=【今日は何の日?】29年前の11月13日、第1期竜王戦が開幕|将棋コラム|日本将棋連盟|author=[[君島俊介]]|date=2016-11-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170114210852/http://www.shogi.or.jp/column/2016/11/whatsday.html|access-date=2017-01-14||archivedate=2017-01-14}}}}</ref>
|-
!第2期
|3000万円||(不明)
|(不明)||(不明)
|(不明)
|colspan="2"|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|<ref name="第2期賞金">{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/column/2017/09/post_233.html |title=優勝賞金4320万円、アマチュアでも参加できる「竜王戦」の仕組みとは?|将棋コラム|日本将棋連盟 |author=相崎修司 |date=2017-09-07 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190321024421/https://www.shogi.or.jp/column/2017/09/post_233.html |access-date=2019-03-21 |archive-date=2019-03-21}}</ref>
|-
!第7期
|3200万円||{{0}}800万円
|{{0}}950万円||425万円
|300万円
|colspan="2"|100万円
|{{0}}80万円||{{0}}70万円||{{0}}70万円
|{{0}}45万円||{{0}}40万円||{{0}}35万円
|{{0}}35万円||{{0}}30万円
|<ref>以下のサイト内で引用の「将棋世界1994年10月号」掲載図より{{Cite web|和書|url=https://shogipenclublog.com/blog/2020/08/25/ryuousen-28/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220518031505/https://shogipenclublog.com/blog/2020/08/25/ryuousen-28/|title=行方尚史四段(当時)「羽生さんの世代に続くのは僕だ、とアピールするいい機会だと思います」 | 将棋ペンクラブログ |date=2020-08-25 |accessdate=2022-05-18|archivedate=2022-05-18}}</ref>
|-
!第9期
|3200万円||{{0}}800万円
|1350万円||675万円
|330万円
|colspan="2"|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|(不明)
|
|-
!15-18
|3200万円||{{0}}800万円
|1450万円||700万円
|330万円
|colspan="2"|120万円
|{{0}}90万円||{{0}}80万円||{{0}}80万円
|{{0}}50万円||{{0}}45万円||{{0}}40万円
|{{0}}40万円||{{0}}35万円
|<ref>{{リスト|{{Cite web|和書|url=http://www.shogi.or.jp:80/kisenhyo/ryuuou/15/hon/index.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20021216222938/http://www.shogi.or.jp:80/kisenhyo/ryuuou/15/hon/index.html|title=第15期竜王戦本戦|accessdate=2002-12-16|archivedate=2002-12-16}}|{{Cite web|和書|url=http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/kitei.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030811202544/http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/kitei.html|title=竜王戦について|accessdate=2003-08-11|archivedate=2003-08-11}}|{{Cite web|和書|url=http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/mihon/index.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030824043607/http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/mihon/index.html|title=竜王戦本戦見本|accessdate=2003-08-24|archivedate=2003-08-24}}|{{Cite web|和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/ryuoh2005.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20051028111947/http://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/ryuoh2005.htm|title=第18期竜王戦七番勝負 : 竜王戦 : 囲碁・将棋 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)|date=2005-10-19|accessdate=2005-10-28|archivedate=2005-10-28}}}}</ref>
|-
!rowspan="2" style="vertical-align:bottom"|期
!rowspan="2"|優勝<br/>賞金
!rowspan="2"|準優勝<br/>賞金
!colspan="2"|七番勝負
!rowspan="2"|挑決<br/>三番勝負
!colspan="2"|準決勝
!colspan="2"|準々決勝
!colspan="2"|3回戦
!colspan="2"|2回戦
!colspan="2"|1回戦
!rowspan="2" !style="vertical-align:bottom"|出典
|- style="line-height:120%"
!竜王<br/>在位者!!挑戦者
!1組優勝!!準々決勝<br/>勝者
!1組2-4位<hr/>{{small|3回戦勝者}}!!2組優勝
!1組5位<hr/>2組2位!!3組優勝<hr/>{{small|2回戦勝者}}
!4組優勝!!1回戦<br/>勝者
!5組優勝!!6組優勝
|-
!rowspan="2"|19-21
|3200万円||{{0}}800万円
|1450万円||700万円
|330万円
|(不明)||(不明)
|(不明)||(不明)
|(不明)||(不明)
|(不明)||(不明)
|(不明)||(不明)
|
|-
|colspan="15" |{{align|left|< 賞金 +700万円 / 七番勝負対局料 -700万円 / 賞金+対局料の合計は変更なし // 次期 第22期 より>}}||
|-
!22-23
|3900万円||1500万円
|750万円|| -{{000}}
|350万円
|150万円||130万円
|{{0}}90万円||{{0}}80万円
|{{0}}80万円||{{0}}60万円
|{{0}}45万円||{{0}}40万円
|{{0}}40万円||{{0}}35万円
|<ref>{{リスト|{{Cite web|和書|url=http://live.shogi.or.jp/ryuou/23/tournament.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110828103855/http://live.shogi.or.jp/ryuou/23/tournament.html|title=第23期決勝トーナメント以降|accessdate=2011-08-28|archivedate=2011-08-28}}}}</ref>
|-
!24-29
|4200万円||1550万円
|600万円|| -{{000}}
|440万円
|190万円||160万円
|115万円||100万円
|100万円||{{0}}75万円
|{{0}}55万円||{{0}}50万円
|{{0}}50万円||{{0}}45万円
|<ref>{{リスト|{{Cite web|和書|url=http://live.shogi.or.jp/ryuou/images/tournament29.gif|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170706202259/http://live.shogi.or.jp/ryuou/images/tournament29.gif|title=第29期決勝トーナメント以降|accessdate=2017-07-06|archivedate=2017-07-06}}}}</ref>
|-
!30-32
|4320万円||1620万円
|620万円|| -{{000}}
|450万円
|195万円||165万円
|120万円||103万円
|103万円|| 77万円
| 57万円|| 52万円
| 52万円|| 46万円
|<ref>{{リスト|{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20171026-OYT8I50053-1.jpg|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230718032207/https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20171026-OYT8I50053-1.jpg|title=第30期決勝トーナメント以降|accessdate=2023-07-18|archivedate=2023-07-18}}}}</ref>
|-
!33期以降
|4400万円||1650万円
|632万円|| -{{000}}
|460万円
|200万円||167万円
|121万円||104万円
|104万円|| 78万円
| 58万円|| 53万円
| 53万円|| 47万円
|<ref>{{リスト|{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210617-OYT8I50043-1.jpg|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210617042445/https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210617-OYT8I50043-1.jpg|title=第34期決勝トーナメント以降|accessdate=2021-06-17|archivedate=2021-06-17}}|{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/06/20220624-OYT8I50050-1.jpg|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220624081052/https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/06/20220624-OYT8I50050-1.jpg|title=第35期決勝トーナメント以降|accessdate=2022-06-24|archivedate=2022-06-24}}|{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/06/20230623-OYT8I50001-1.jpg|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230628014627/https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/06/20230623-OYT8I50001-1.jpg|title=第36期決勝トーナメント以降|accessdate=2023-06-28|archivedate=2023-06-28}}|}}</ref>
|}
第30期(2017年)からは七番勝負第1局に[[東急グループ]]の協賛がつき<ref>{{Cite web|和書|title=第30期竜王戦七番勝負 日程・開催地の発表について|将棋ニュース|日本将棋連盟|url=https://www.shogi.or.jp/news/2017/06/30.html|website=www.shogi.or.jp|accessdate=2019-02-10|language=ja}}</ref>、同グループが保有している[[セルリアンタワー]]地下の能楽堂での部分公開対局が行われるようになったほか、就位式の会場提供も行っている。同グループはそのまま第31期(2018年)から竜王戦全体の協賛に加わった。さらに同じ第31期からは[[野村ホールディングス]]が特別協賛として加わったほか<ref>[https://www.shogi.or.jp/news/2017/12/31.html [将棋]第31期竜王戦 野村ホールディングスの特別協賛が決定] - 日本将棋連盟・2017年12月18日</ref>、[[明治 (企業)|明治]]も「[[明治ヨーグルトR-1]]」名義で協賛している<ref>[https://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/2018/08/post-422b.html 協賛ドリンク] - 竜王戦中継plus・2018年8月14日</ref>。
=== 「前竜王」の称号 ===
前期竜王戦の勝者の棋士が今期竜王戦に敗れると前竜王となり、他に[[棋戦 (将棋)|タイトル]]を持っていない場合に、次期竜王戦終了まではタイトルに準ずる称号として「前竜王」と名乗ることが出来た。棋士の序列としては「前名人」と同様の位置づけであった。
第1期竜王の[[島朗]]、第2期竜王の[[羽生善治]]、第6期竜王の[[佐藤康光]]の3人が竜王失冠後に前竜王を称したが、第10期竜王の[[谷川浩司]]<ref group="注">谷川は竜王失冠直後「前名人・前竜王」の称号を名乗ることができたが、いずれの称号も辞退した。なお、それ以前に谷川は前名人の称号を名乗ったことはある。</ref>以降、[[藤井猛]](第13期竜王)、[[森内俊之]](第26期竜王)<ref group="注">森内は竜王失冠直後「前名人・前竜王」の称号を名乗ることができたが、いずれの称号も辞退した。</ref>、[[糸谷哲郎]](第27期竜王)、[[羽生善治]](第30期竜王)、[[広瀬章人]](第31期竜王)らがいずれも前竜王の称号を辞退し、「前名人」ともども20年以上名乗った者がいない実情を踏まえ、2020年2月に日本将棋連盟は「前竜王」の称号を「前名人」ともども廃止すると発表した<ref>{{Cite web|和書|title=将棋の「前竜王」や「前名人」の肩書廃止…20年以上、誰も名乗らず : 竜王戦 : 囲碁・将棋 : ニュース|url=https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20200218-OYT1T50226/|website=読売新聞オンライン|date=2020-02-18|accessdate=2020-02-18|language=ja|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200218132336/https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20200218-OYT1T50226/|archivedate=2020-2-18}}</ref>。
=== 竜王と名人 ===
竜王と[[名人 (将棋)|名人]]は、他のタイトルとは別格の扱いを受ける。{{see|棋戦 (将棋)#竜王と名人}}
== 「永世竜王」の称号 ==
[[棋戦 (将棋)#永世称号|永世称号]]である'''永世竜王'''は、竜王を'''連続5期'''もしくは'''通算7期'''以上保持した棋士に与えられる。
2021年11月現在、永世竜王の資格を持つ棋士は、[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](連続5期、第17期-第21期)と[[羽生善治]](通算7期、第2期,5,7-8,14-15,第30期)の2名である。
== 方式 ==
独自のランキング戦と決勝トーナメント(本戦)によって挑戦者(本戦優勝者)を決定し、竜王と挑戦者は[[番勝負|七番勝負]]を行う。組が上位であるほど、また、1組、2組では組の中での成績順位が上位であるほど、竜王在位者への挑戦権を得やすいシステムとなっている。
なお、2005年に制度が見直され、第18期(2005年)以前と第19期(2006年)以後で異なる部分がある。また、第1期竜王戦については[[#第1期竜王戦|後述]]する。
=== ランキング戦 ===
竜王戦の予選は、1組から6組までに分かれたトーナメント戦で始まり、これを「竜王ランキング戦」と呼ぶ。1組の上位5名、2組の上位2名、3組から6組までの優勝者各1名の合計11名が本戦に出場する。
第18期までの本戦出場は、1組から4名、2組・3組から各2名、4組から6組までから各1名であったが、第19期から、1組から5名、3組から1名に変更された<ref name="200509竜王戦19期">第19期からの本戦については、2005年9月5日の読売新聞紙面上で公表された。また読売新聞のよみくま氏がネット掲示板「竜王戦@将棋パイナップル」に書き込みをしている[https://web.archive.org/web/20110209205335/http://shogi-pineapple.com/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=pro&tn=0041&rs=211&re=240&rf=no 竜王戦@将棋パイナップル(当該書き込み)]。変更当初は1組の定員を16人固定とし、3組以下から挑戦者が出た場合は1組から5人目の降級者を決定することとしていた。「本戦が終了し3組以下の棋士の挑戦が決まると、表●、裏○●の1勝2敗者4人で降級決定戦のトーナメントを行い、5人目の降級者を決めるので17人にはなりません。本戦に5人出て、3組以下の棋士の挑戦を許したら、それは1組の棋士の責任という考え方です。」</ref>。同時に、各組の昇級枠・降級枠の人数も変更され、全ての組の間で各々4名となった(第18期までの各組間の昇級枠は、1組-4組間では各々3名、4組-6組間では各々4名だった<ref>昇降級枠について、3組以下からの挑戦により1組が定員超過した期には、1組の降級枠が本来の3名から4名となった(第2期、3期、5期、11期、18期)。また、引退・死去により各組で欠員がある場合には都度、昇降級枠の人数調整が行なわれている(事例多数)。</ref>)。
現役棋士が在籍する組の一覧は、''[[将棋棋士の在籍クラス]]'' を参照。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small; white-space:nowrap"
|-
!rowspan="2"|クラス!!rowspan="2"|定員!!rowspan="2"|本戦出場<br>{{smaller|(決勝トーナメント)}}!!rowspan="2"|昇級!!rowspan="2"|降級
! 賞金
| colspan="3" |{{small|(参考)過去の賞金(万円)}}
! rowspan="2" |備考
|-
!{{small|第33期以降<ref name="ryuoshokin"/><br>(万円)}}
|{{small|第30期-<br>第32期<ref name="ryuoshokin"/>}}
|{{small|第24期-<br>第29期}}<ref>[https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/24/1hon.html 第24期竜王戦ランキング戦(日本将棋連盟)]2011年6月1日閲覧</ref>
|{{small|第23期<br/>まで}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/kitei.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030811202544/http://www.shogi.or.jp/kisenhyo/ryuuou/kitei.html|title=竜王戦について|accessdate=2003-08-11|archivedate=2003-08-11}}</ref>
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!1組
|16名||5名<br>{{small|(優勝者、準優勝者、<br>3位、4位、5位)}}||-||4名{{small|【0勝2敗】}}<br>{{small|(5位決定戦1回戦 敗退者)}}
|優勝470<br />{{small|準優勝116}}||優勝460<br />{{small|準優勝115}}||{{small|優勝450<br/>準優勝110}}||{{small|優勝360<br/>準優勝90}}
|{{small|18期までの本戦出場枠は4名<br/>(優勝者、準優勝者、3位2名)<br/>18期までの降級枠は3名}}
|-
!2組
|16名||2名<br>{{small|(優勝者、準優勝者)}}||4名<br>{{small|(決勝進出者 2名、<br>および 3位 2名)}}||4名{{small|【0勝2敗】}}<br>{{small|(昇級者決定戦1回戦 敗退者)}}
|優勝366<br />{{small|準優勝94}}||優勝360<br />{{small|準優勝93}}||{{small|優勝350<br/>準優勝90}}||{{small|優勝280<br/>準優勝70}}
|{{small|18期までの昇降級枠は3名}}
|-
!3組
|16名||1名<br>{{small|(優勝者)}}||4名<br>{{small|(同上)}}||4名{{small|【0勝2敗】}}<br>{{small|(同上)}}
|優勝261<br />{{small|準優勝63}}||優勝260<br />{{small|準優勝62}}||{{small|優勝250<br/>準優勝60}}||{{small|優勝200<br/>準優勝50}}
|{{small|18期までの本戦出場枠は2名<br/>(優勝者、準優勝者)<br/>18期までの昇降級枠は3名}}
|-
!4組
|32名||1名<br>{{small|(優勝者)}}||4名<br>{{small|(同上)}}||4名{{small|【0勝3敗】}}<br>{{small|(残留決定戦 敗者)}}
|優勝209<br />{{small|準優勝53}}||優勝205<br />{{small|準優勝52}}||{{small|優勝200<br/>準優勝50}}||{{small|優勝160<br/>準優勝40}}
|{{small|18期までの昇級枠は3名}}
|-
!5組
|32名||1名<br>{{small|(優勝者)}}||4名<br>{{small|(同上)}}||4名{{small|【0勝3敗】}}<br>{{small|(同上)}}
|優勝157<br />{{small|準優勝42}}||優勝155<br />{{small|準優勝41}}||{{small|優勝150<br/>準優勝40}}||{{small|優勝120<br/>準優勝30}}||
|-
!6組
|{{small|1-5組以外の<br>現役棋士}}||1名<br>{{small|(優勝者)}}||4名<br>{{small|(同上)}}||-
|優勝94<br />{{small|準優勝21}}||優勝93<br />{{small|準優勝20}}||{{small|優勝90<br/>準優勝20}}||{{small|優勝70<br/>準優勝17}}||align="left"|{{small|女流枠4名<ref group="注" name="女流枠">第29期・第30期・第31期の[[加藤桃子]]や第32期の[[西山朋佳]]ら、女流タイトル保持者の奨励会員が女流枠から出場する場合もある。</ref><br>奨励会員枠1名<br>アマチュア枠4名<ref group="注" name="アマチュア枠">アマチュア枠4名の内訳は「[[将棋のアマチュア棋戦#アマチュア竜王戦|アマチュア竜王戦]]」の上位4名(第34期以降)。第21期 - 第33期の間ではアマチュア枠は前述4名に加え「[[将棋のアマチュア棋戦#全国支部将棋対抗戦個人戦(支部名人戦)|支部名人]]」1名を加えた計5名のアマチュア枠。詳細は下記参照。<br>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/ivory_pawn/status/1608087225241337857 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230105231747/https://twitter.com/ivory_pawn/status/1608087225241337857 |title=「一昨年から規定上アマチュア枠4名でやっており、HPの竜王戦規定は更新を忘れていたとのことでした。したがって、今後も支部名人は竜王戦に出場できないようです。」 |access-date=2023-01-05 |archive-date=2023-01-05}}<br>{{cite web |url=https://pbs.twimg.com/media/FlESzxAaYAEoWn1?format=png |archive-url=https://web.archive.org/web/20230105231750/https://pbs.twimg.com/media/FlESzxAaYAEoWn1?format=png&name=medium |title=「アマチュア招待枠を4名に変更することにつきましては、一昨年の第34期竜王戦より読売新聞社と将棋連盟棋戦運営部で話がまとまっており(中略)来期以降につきましても竜王戦のアマチュア招待枠は4名(以下略)」 |access-date=2023-01-05 |archive-date=2023-01-05}}。</ref>}}
|}
竜王戦の各組とも原則として、1敗の時点では敗退とならず、2敗するまでは昇級(1組は本戦出場)の可能性が残るシステムになっている。また、ランキング戦・昇級者決定戦(出場者決定戦)で1勝すると、原則として降級対象から外れて残留以上が決まる。
各組のランキング戦において決勝戦まで勝ち抜いた者を'''優勝(1位)'''、決勝戦の敗者を'''2位'''として、1位と2位の2名は次期昇級者になる。
また、各組の優勝者および1-2組の2位は本戦進出となる。
ランキング戦の準決勝までに敗れた棋士(女流枠、アマチュア枠、奨励会員枠の出場者を除く)は、変則パラマストーナメント形式で行われる[[敗者復活戦|敗者復活]]の'''昇級者決定戦'''(1組は'''本戦出場者決定戦''')に回る。
1組の「本戦出場者決定戦」は3位-5位決定戦の3つのグループに分かれており、それぞれを勝ち抜いた3位-5位の3名は本戦に進出となる。2組から6組では、「昇級者決定戦」を2つのグループに分けて行い、勝ち抜いた者(各組2名)は'''3位'''として次期昇級者になる。
このように、本戦出場者・昇級者はいずれも、ランキング戦・昇級者決定戦を通じて全勝か1敗だけの者であり、2敗した者は敗退となる。
敗退者のうち、全敗者(1-3組では0勝2敗、4-5組では0勝3敗)は次期降級となる。
各組のランキング戦の1回戦の敗者は「昇級者決定戦(1組は本戦出場者決定戦)」の1回戦に回り、この「決定戦1回戦」での敗者(当年度成績「0勝2敗」の者)は、1組から3組ではそのまま'''次期降級者'''(各組4名)となる。
4組と5組の「昇級者決定戦1回戦」での敗者の各8名は、更に「残留決定戦」へ回り、この「残留決定戦」の敗者(当年度成績「0勝3敗」の各組4名)が'''次期降級者'''となる。
昇級は原則として一つ上のクラスに上がり、降級は一つ下のクラスに下がる。例外として、2組以下のクラスへの昇級予定者が七番勝負挑戦者となる場合は、挑戦者に決まった時点で1組への一足飛びでの昇級となる。
; 本戦出場者決定戦(1組のみ)
* 1組の3位決定戦は、ランキング戦準決勝の敗者2名で行い、勝者が'''1組3位'''となる。
* 1組の4位決定戦は、ランキング戦2回戦の敗者4名によるトーナメントで、勝ち抜いた1名が'''1組4位'''となる。
* 1組の5位決定戦は、ランキング戦1回戦の敗者8名によるトーナメントで、勝ち抜いた1名が'''1組5位'''となる。
** このように1組の'''3-5位決定戦の決勝での敗者は本戦に出場できない'''(2敗敗退)。
**竜王戦の1組のシステムでは「3位決定戦」の敗者は4位ではなく、また「4位決定戦」の敗者は5位ではない点に留意が必要となる。
* 1組の5位決定戦1回戦(兼 降級者決定戦)敗退者4名は、'''2組へ降級'''する。
**第19-26期では、3組以下から挑戦者が出た場合の1組からの降級者は5名とし、5位決定戦2回戦敗者2名で残留決定戦を行うとしていた<ref name="200509竜王戦19期"/><ref name="2007竜王戦定員">[https://web.archive.org/web/20071026002144/http://www.shogi.or.jp/osirase/2007-0921.html 竜王戦ランキング戦の定員について(2007年9月21日)]</ref><ref name="1組2組5名降級">{{リスト|第26期まではランキング戦1-2組の説明に「3組以下から挑戦者が出た場合は、降級者は5名になります。その際は、5位決定戦の1回戦に勝って2回戦で敗れた2名の棋士で残留決定戦を行います。」としていた。「[https://web.archive.org/web/20140702094204/http://www.shogi.or.jp/kisen/ryuuou/kitei.html 竜王ランキング戦・決勝トーナメントについて(第26期)]」|第27期からは第26期まで記載されていた「当該表記」は記載されていない。「[https://web.archive.org/web/20141103110354/http://www.shogi.or.jp:80/kisen/ryuuou/kitei.html 竜王ランキング戦・決勝トーナメントについて(第27期)]」}}</ref>。しかし、当該期間に3組以下からの挑戦者は出ず第19-26期においては残留決定戦は行われなかった。
; 昇級者決定戦(2組以下)
* 昇級者決定戦を勝ち抜いた各組2名は、'''昇級'''する。なお、昇級者決定戦はランキング戦でより上位で敗退した棋士ほど有利なトーナメントとなっており、1回戦を戦うのはランキング戦1回戦で敗れた棋士のみであり、準決勝で敗れた各組2名は1勝するだけで昇級が決定する。
* 2組・3組の昇級者決定戦の1回戦(兼 降級者決定戦)で敗れた各組4名は、'''降級'''する。
**第19-26期では、3組以下から挑戦者が出た場合の2組からの降級者は5名とし、昇級者決定戦2回戦敗者2名で残留決定戦を行うとしていた<ref name="2007竜王戦定員"/><ref name="1組2組5名降級"/>。しかし、当該期間に3組以下からの挑戦者は出ずに残留決定戦は行われなかった。
* 4組・5組の昇級者決定戦の1回戦で敗れた各組8名は、'''残留決定戦'''に回る。
* 昇級者決定戦の組合せは、何回戦で敗退したかで自動的に決まる。ただし、アマチュア・女流棋士・奨励会員は出場資格がないため、これらの参加者がランキング戦の上位まで勝ち残っている場合は、昇級者決定戦のトーナメントが変則的になるため、昇級者決定戦出場資格がない該当者がランキング戦の戦いを終えるまでは、当該の組では昇級者決定戦の組合せは行われない。
* [[順位戦#規定によるフリークラス編入者の引退|フリークラスの年限を満了しての引退]]が確定し次期竜王戦の出場資格がない棋士であっても、当期の昇級者決定戦には参加可能である。引退が確定した棋士が昇級者決定戦を勝ち抜いて3位になって、他に勝ち残っている棋戦がない場合、現役最終局を白星で飾って引退することとなる(2023年時点で先例は無し)。
; 残留決定戦
*4組・5組では残留決定戦が毎期行われる。1-3組では人数調整の場合に実施される。
* 4組・5組での残留決定戦は、対象者8名(昇級者決定戦の初戦敗退者)を4つの組に分けて一対一で対局を行ない、その敗者4名が'''降級'''となる。
*持ち時間は各3時間(チェスクロック方式)で行われる。
* [[順位戦#規定によるフリークラス編入者の引退|フリークラスの年限を満了しての引退]]が確定し次期竜王戦の出場資格がない棋士であっても、当期の残留決定戦には参加可能である。引退が確定した棋士が残留決定戦に勝利したとしても次期の出場はならないが、他に勝ち残っている棋戦がない場合、現役最終局を白星で飾って引退することとなる(先例あり、エピソード#有終の美にて後述)。
;定員過不足の調整
前述のように3組以下のクラスからの本戦進出者が当期の挑戦者となり次期の1組が定員超過する場合や、1-5組在籍の棋士が引退などの理由で以降の棋戦に不参加となり次期の当該クラスで欠員が出る場合は、昇級者枠または降級者枠を増やして人数の調整が行われる。
*3組以下のクラスからの本戦進出者が当期の挑戦者になる場合、挑戦者に決まった時点で1組への一足飛びでの昇級が決まる。この場合に人数調整を行わないと、次期の1組では定員から1人超過の17人で行われ、また、挑戦者が昇級予定だったクラスでは本来の定員から1人欠員となる。第17期に4組在籍の[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]が挑戦者となったことで、'''翌'''第18期では1組で定員超過・3組で定員不足となり、1-2組の降級者が各1人増やされた。<br/>そのため、第20-26期の規定では、挑戦者が出たクラスよりも上のクラスにおいては、「'''当期'''の降級枠」が1名増の5名降級となり、'''5人目の降級者'''として5位決定戦(2組以下では昇級者決定戦)の'''決定戦2回戦の敗者2人で「残留決定戦」'''を行い、以下同様に人数調整が必要となる組まで順次、降級者枠が追加されるとしていた<ref name="1組2組5名降級"/><ref name="2007竜王戦定員"/>。ただし、第19-26期においては3組以下からの挑戦者は出ず、この規定は適用されなかった。<br/>第27期以降では、「当期の降級枠」を追加する規定はなくなり<ref>[https://web.archive.org/web/20141103110354/http://www.shogi.or.jp:80/kisen/ryuuou/kitei.html 竜王ランキング戦・決勝トーナメントについて(第27期)]</ref>、'''次期'''は定員超過もしくは不足の状態で行い「'''次期'''の昇級者ないし降級者の枠」を増やすことで人数を調整している。'''5人目の昇級者'''は、各クラスの'''3位決定戦敗者2名による「5位決定戦」'''を行い決定する。<br/>(例:第27期で3組から挑戦者→翌第28期で1組からの降級者1増、第34期で2組から引退者→翌第35期で3組以下からの昇級者1増)
*欠員が2名以上生じても'''人数調整は1期につき各組1人分のみ'''となる<ref group="注">第21期では、4組([[真部一男]]の死去による)と5組([[小野修一]]の引退による)で欠員が生じていたが、4組の欠員解消を優先したため、第22期では、5組は欠員のままとなった。さらに1組でも欠員が生じた([[中原誠]]の引退による)ため、1組の降級者枠を減らしたほか、3組と4組で追加の昇級者決定戦が組まれたが、すでに欠員があった5組では昇級者枠の追加がなかったため、第23期は4組で欠員が生じた。(5組は6組で昇級者の追加があったため、欠員が解消された。)</ref>。
*[[第28期竜王戦|第28期]]では5組在籍のまま引退した[[淡路仁茂]]九段の欠員補充として、6組の3位決定戦敗者2名のうちの一人である[[佐藤慎一 (棋士)|佐藤慎一]]五段が、「5位決定戦」を行うことなく5組に昇級した<!--佐藤慎一五段は第27期6組の成績比較したときのランキング上位者//同様のケースは人数超過の第28期1組で5位決定戦1回戦にランキング下位者の谷川九段が割り振られたケースがある-->。
; 持ち時間
: [[持ち時間]]の規定は[[第36期竜王戦|第36期]]から一部変更され、ランキング戦・1組の出場者決定戦および2組以下の昇級者決定戦は各5時間(第36期からチェスクロック方式)、4組と5組の残留決定戦は各3時間(チェスクロック方式)で行われる。
: 第35期までの[[持ち時間]]の規定は、ランキング戦・1組の出場者決定戦および2組以下の昇級者決定戦は各5時間(ストップウォッチ方式)で行われていた。
; 対局料
: ランキング戦などの対局料について具体的な金額は非公開だが、システムの概要については過去に[[田丸昇]]が自身のブログで明らかにしている<ref name="tamaru">{{Cite web|和書|title=森内俊之竜王の就位式と竜王戦の対局料システム: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き |url=http://tamarunoboru.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-1e57.html |website=tamarunoboru.cocolog-nifty.com |access-date=2023-03-18}}</ref>。
: ランキング戦の対局料は、原則として1組を基準として以下組が下がる毎に「1つ上の組の75%」で算出される。ただ実際の対局料は対局者の段位にも影響され、同じ組でも段位が高いと対局料は高くなる(実際田丸は(八段から九段に)昇段して「2割ほど対局料が増えた」という<ref name=tamaru />)。また昇級者決定戦の対局料はランキング戦の80%、残留決定戦は同30%となる。なお女流棋士は一律6組の通常の対局料の75%、奨励会三段は女流棋士の75%(≒6組の通常の対局料の約56%)に減額される。アマチュア選手は持ち時間(竜王戦の場合は5時間)に応じた[[商品券]]が支給される。ただし、アマチュアでも勝ち進んで本戦や決勝に進出した場合、棋士と同じ基準で現金が支給されるようである<ref name=tamaru />。
:また古田靖氏の著書によれば2005年12月2日に行われた第19期竜王戦予選6組1回戦におけるプロアマ双方の対局料、および記録係の手当はそれぞれ[[瀬川晶司]]新四段(当時)の対局料が10万円、清水上徹アマ竜王の対局料が商品券5万円、記録係の手当が2万円であった。なお瀬川は同年11月の戦後初のプロ編入試験の合格によりプロ入りし、本局がプロとしての公式戦初戦だった。よって竜王戦は6組所属、フリークラス所属のため順位戦は未参加のため、『最も弱い(対局経験の少ない)四段の竜王戦予選1回戦の対局料が10万円(2005年当時)』となる<ref>{{Cite book|author=古田靖|title=瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか|date=2006/03/20|year=2006|accessdate=|publisher=河出書房新社|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
==== 在籍期限を満了したフリークラス編入棋士の特例参加 ====
: [[順位戦#フリークラス|フリークラス規定]]の在籍期限を満了した棋士<ref group="注">60歳以上で順位戦C級2組から降級した棋士を含む。</ref>は、原則として在籍期限に達した時点で参加している全公式戦の対局終了後に引退となるが、竜王戦については、フリークラス宣言により転出した者を除いたフリークラス編入棋士<ref group="注">順位戦C級2組からの降級・棋士編入試験の合格・奨励会三段リーグで次点(リーグ3位)2回獲得によりフリークラスに編入した棋士が対象となる。</ref>は、在籍期限を経過しても、以下の要件に該当する場合は当棋戦への継続参加が出来る(2010年7月9日以降)<ref group="注">なお、竜王戦以外の棋戦についても同様に当該棋戦のみ参加可能な特例があるが、2020年時点で竜王戦以外での適用例はない。</ref>。
:* 4組以上の在籍者は、5組へ降級しない限り竜王戦への継続参加が出来る。5組へ降級しても即座に引退とはならず、5組在籍者と同じ条件となる。5組から4組以上への昇級者が再度5組へ降級する場合は、5組在籍残り期間において参加が可能となる。
:* 5組在籍者、もしくは4組から5組への降級者は6組へ降級しない限り2年間の継続参加が出来る。6組へ降級したら即引退となる。期間内に4組に昇級出来なくても引退となる。
:* {{要出典|フリークラス在籍期限満了時点で6組在籍の棋士は、ランキング戦決勝進出や昇級者決定戦で5組昇級に相当する成績を挙げた場合でも、次期竜王戦には参加出来ず引退となる<!-- ランキング戦優勝して本戦も勝ち抜いて挑戦者になった場合に次期参加できるかは不明。(1組飛び昇級で竜王戦のみの現役維持があり得るが、フリークラス在籍期限10年超の棋力でタイトル挑戦にたどり着くのは難しいと思われるので、備忘録としてコメントアウト扱い) -->|date=2023年9月}}。
:2010年に制定された規定<ref group="注">[[棋士 (将棋)#引退]]を参照のこと。なお、2009年度に引退が決定したにもかかわらず同年度の竜王戦5組への「残留」を果たした大内延介と[[有吉道夫]]は、この規定による現役延長に1年度の差で間に合わなった。</ref>が初めて適用され、竜王戦に限定した公式戦継続参加が認められた棋士は、[[第33期竜王戦|第33期]]で5組残留を維持した[[藤倉勇樹]]と[[桐山清澄]](ともに[[第34期竜王戦|第34期]]-[[第35期竜王戦|第35期]]の2年間)がいる。両者とも規定適用1期目も5組に残留したが、2期目はランキング戦1回戦と昇級者決定戦1回戦で敗れたことで、第36期以降の参加条件である「次期4組昇級」は満たせず、残留決定戦が現役最終局となって引退した<ref group="注">藤倉・桐山は残留決定戦も敗れ、6組降級相当の結果となった。</ref>。また、第36期開始時点で4組に在籍していた[[川上猛]]も、2023年度以降は竜王戦のみの公式戦参加になる。
==== 棋士以外の出場者 ====
; 棋士以外の出場枠数と組合せ
: 6組には[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]枠<ref group="注" name="女流枠" />(第7期に2名枠で新設、第22期より4名)、[[新進棋士奨励会|奨励会]]員枠(第25期より、年度前期三段リーグ次点者<ref group="注">次点2回による昇段者が発生した場合はその次位の者。</ref>1名)とアマチュア枠([[将棋のアマチュア棋戦#アマチュア竜王戦|アマチュア竜王戦]]の上位4名)がある。第20期 - 第32期では前述4名に[[将棋のアマチュア棋戦#全国支部将棋対抗戦個人戦(支部名人戦)|支部名人]]<ref group="注">過去には支部名人戦準優勝者が出場資格を得る例(第28期竜王戦)もあった。また前期竜王戦で優れた成績を残したアマチュアが連続出場する場合もある。</ref> を加えた5名が出場、第33期には支部名人の未出場者2名が出場し<ref group="注">第34期以降枠削減となる支部名人枠で未出場の支部名人2名が第33期にともに出場。</ref>計6名のアマチュアが出場している。また、第5期にも5名のアマチュアが出場している<ref group="注" name="アマチュア枠" />。
: 6組ランキング戦の組合せは、女流棋士4名は4つのブロックに分かれて配置され、女流棋士が全員勝ち進んだ場合でも女流棋士同士の対局は準決勝までは生じない。アマチュアにおいても同様に配置される。また同一ブロック内でも女流棋士とアマチュアは別の山に配置され、女流棋士対アマチュアの対局は準々決勝まで生じない(6組参加人数64人超の場合を除く)。アマチュア枠が5名の場合にはアマチュア同士の対局が準々決勝までは生じないように配置されていた。なお、28期までは1回戦でアマチュア4名と初参加の新四段4名との対局が組まれていたが、29期よりその制約はなくなった。ただし、6組の人数が64名を超える第33期以降では、アマチュアと女流棋士・奨励会員・新四段のいずれかとの対局が先ず1回戦で組まれている。
: なお、第24期では女流棋士が絡む6組1回戦の4局が同日一斉対局として行われた。
; 棋士以外の出場者の昇級条件
: 6組ランキング戦で5組昇級の条件(6組3位以上)を満たす成績を挙げた場合、女流・アマチュア・奨励会員であっても5組に昇級することができる。ただし、棋士以外の出場者はいずれも昇級者決定戦には参加できない。そのため、棋士以外の出場者は6組3位(昇級者決定戦の勝者)には規定上なれず、この場合の5組昇級の必須条件は決勝進出(6組1位または2位)に限られる。
: 前例が無いため明文の規定は無いが、棋士以外の出場者が5組に昇級した場合、特別枠として扱われる予定。たとえばアマチュアが5組に昇級すると、次期の6組には従来通り5人(2009年現在)のアマチュアが出場し、5組はアマチュア昇級者を加えて、定員より1人多くなる。棋士以外は5組以上で1勝以上しても残留はできず、昇級以外の中途敗退は、次期の出場枠自体を失う。ただし、5組で敗退した場合は、次期は6組での出場を推薦される可能性が高いとしている<ref>『将棋世界』2009年4月号「竜王戦6組でアマ・女流が昇級した場合」</ref>。
: また、奨励会員・アマチュアが棋戦進行中に四段昇段して棋士となり、四段昇段の後にランキング戦敗退となるケースが考えられるが、四段昇段後のランキング戦敗退者が昇級者決定戦に進むかどうかは、第35期時点で前例がなく不明である<ref group="注">2022年12月開始の第36期竜王戦では、アマチュアとして出場した[[小山怜央]]が、並行して行われていた[[棋士編入試験]]に2023年2月に合格し同2023年4月1日付での四段昇段が決まっていた。勝ち進めば竜王戦棋戦進行中に四段昇段者となる初の例となるところであったが、小山アマは3月に行われた6組ランキング戦4回戦で敗退したため第36期はこの時点で終了となり、竜王戦勝ち残り中の四段昇段とはならなかった。</ref>。
:上述のように、6組ランキング戦決勝に進出し5組昇級を果たした女流・奨励会員・アマチュアは第36期までに未だ出ていない。これまでのアマチュアの最高成績は第34期の[[小山怜央]]アマ(4勝1敗=準決勝敗退)<ref group="注">[[泉正樹]]八段、[[門倉啓太]]五段、[[出口若武]]四段、[[西山朋佳]]女流三冠に勝利。</ref>および第36期の水谷創アマ(4勝1敗=準々決勝敗退)<!-- 第4期の[[天野高志]]アマ(準決勝敗退=3勝1敗)<ref group="注">[[佐藤秀司]]新四段、[[木下浩一]]四段、[[沼春雄]]五段に勝利するが、準決勝で[[丸山忠久]]新四段(後の名人)に敗れる。</ref> -->、女流棋士の最高成績は第19期の[[清水市代]](2勝1敗)、奨励会員<!-- 女流棋士枠からの出場者として -->の最高成績は第33期の[[西山朋佳]]三段・女流二冠(準決勝敗退=4勝1敗)<ref group="注">西山朋佳三段・女流二冠の出場資格は奨励会員枠からではなく、組み合わせ決定時に[[マイナビ女子オープン|女王位]]と[[女流王座戦|女流王座位]]の女流タイトル保持者であることによる女流棋士枠での出場</ref><ref group="注">[[小林宏 (棋士)|小林宏]]七段、[[田中寅彦]]九段、[[青野照市]]九段、[[長谷部浩平]]四段に勝利するが、準決勝で[[星野良生]]四段に敗れる。</ref>および<!-- 奨励会員枠の最高成績は -->第36期の上野裕寿三段(準々決勝敗退=4勝1敗)<ref>箭子涼太アマ、横山友紀四段、西田拓也五段、岡部怜央四段に勝利した後、準々決勝で狩山幹生四段に敗れる。</ref>である。
: 新たに規定された事項として、'''竜王戦ランキング戦で優勝した女流棋士とアマチュア'''には(6組優勝に限らず)'''[[棋士_(将棋)#棋士編入試験制度|棋士編入試験]]の受験資格'''が与えられ、奨励会三段の者には'''奨励会三段リーグでの次点1が付与される'''ことが、2021年2月に日本将棋連盟から発表された。竜王戦6組に参加する奨励会員は基本的に各年度前期三段リーグでの次点を獲得した者となる<ref group="注">次点獲得者が昇段した場合は違う。第34期に参加した横山友紀は次点を持っていない。</ref>ため、この場合は6組で優勝すると棋士四段への昇段資格を得ることになる<ref group="注">ただし、進行中の三段リーグで降段点を取った場合は竜王戦での次点は取り消される</ref>。
=== 決勝トーナメント(本戦) ===
{{右|
[[画像:Ryuosen honsen 19.png|thumb|250px|right|決勝トーナメント(第19期以後)]]
}}
「決勝トーナメント」を「本戦」とも呼ぶ。
ランキング戦の組と順位により、右図のように位置があらかじめ定められたトーナメントを行う。本戦シードは(第1期以外)一切存在せず、他のタイトルホルダーであろうが前期の番勝負敗者であろうが、ランキング戦を勝ち抜かなければ本戦に出場できない。
現行の制度(第19期以降)では、1組から5名(優勝者/2-5位)、2組から2名(優勝者/2位)、3組以下からはランキング戦優勝者の各1名の計11名が本戦出場となる。同じ組でも順位が高いほど、また、同じ順位でも上の組ほど挑戦者決定戦進出に必要な勝数が少なくなる。1組の優勝者は1勝すれば挑戦者決定戦へ進出できるが、同じ1組でも2位〜4位では2勝、5位では3勝しなければ挑戦者決定戦に進出できない。また、2組2位は挑戦者決定戦に3勝必要で、2組優勝・1組2位より1回多い。また、1-5組の優勝者は挑戦者決定戦進出には組番号と同じ勝数が必要であり、5組と6組の優勝者は挑戦者決定戦への進出には5勝しなければならない。
挑戦者決定戦(本戦決勝)のみ[[番勝負|三番勝負]]で行い、先に2勝したものが挑戦者となる。第1局は[[振り駒]]で、どちらが先手か後手か先後を決め、第2局は第1局と先後を逆にし、第3局は再度振り駒で先後を決める。
現行の制度(第19期以降)では、1組の2位と3位は1組優勝者とは挑戦者決定戦まで当たらないようになっているのに対し、1組の4位と5位は1組優勝者に勝たないと挑戦者決定戦に進出できない。これは、1組竜王ランキング戦は早く負けるほど本戦出場者決定戦で当たる相手が弱くなり有利になる側面があるため、わざと早く負けて低位通過を狙う棋士が出てくるのを防ぐためである。1組優勝者と挑戦者決定戦まで当たらない3位以上で通過するためには準決勝まで進出しなければならないが、その準決勝で勝てば2位以上が確定するため、わざと負けるのは意味がないことになる。
本戦の持ち時間は各5時間。ランキング戦でのチェスクロック方式での計時に対し、本戦での計時はストップウォッチ方式で行う。
なお前述のとおり、今期の在籍クラスに関係なく'''挑戦者は次期1組へ昇級する'''。そのため、3組以下の優勝者が挑戦者となる場合、次期1組は定員より1人多い17人で争われることになる(挑戦者の当初の昇級予定クラスでは欠員1名となる)。
==== 決勝トーナメント(過去の形式) ====
{|class="none" style="float:right;"
|
[[画像:Ryuosen honsen.png|thumb|250px|right|決勝トーナメント(第2期 - 第18期)]]
|
[[画像:Ryuosen honsen_01.png|thumb|250px|right|決勝トーナメント(第1期)]]
<!-- {|class="wikitable" style="font-size:70%; text-align:center; white-space:nowrap; "
|+ 第1期 決勝トーナメントの形式
!決勝<br/>七番勝負
|colspan="5"|'''七番勝負 進出'''
|colspan="9"|'''七番勝負 進出'''
|- style=" vertical-align:bottom"
!挑戦者決定<br/>三番勝負
|
|colspan="4"|
|colspan="3"|
|colspan="6"|
|- style="vertical-align:bottom"
!準々決勝
!rowspan="6"|{{縦書き|本戦シード・第26期十段}}
|colspan="2"|
|colspan="2"|
|
|colspan="2"|
|
|colspan="5"|
|- style="vertical-align:bottom"
!4回戦
| || || ||
!rowspan="5"|{{縦書き|本戦シード・永世十段}}
|
|
!rowspan="5"|{{縦書き|本戦シード・永世十段}}
|
|colspan="4"|
|- style="vertical-align:bottom"
!3回戦
!rowspan="5"|{{縦書き|1組2位}}
!rowspan="5"|{{縦書き|3組優勝}}
!rowspan="5"|{{縦書き|1組3位}}
!rowspan="5"|{{縦書き|2組優勝}}
!rowspan="5"|{{縦書き|2組2位}}
!rowspan="5"|{{縦書き|1組3位}}
!rowspan="5"|{{縦書き|1組優勝}}
|
|colspan="3"|
|- style="vertical-align:bottom"
!2回戦
!rowspan="3"|{{縦書き|3組2位}}
|
|colspan="2"|
|- style="vertical-align:bottom"
!1回戦
!rowspan="2"|{{縦書き|4組優勝}}
|
|
|- style="line-height:120%"
!
!{{縦書き|5組優勝}}
!{{縦書き|6組優勝}}
|} -->
|}
初期(第2期-第18期)の決勝トーナメントの制度では、1組からは4名(優勝者/2位/3位/3位)、2-3組からは各2名(優勝者/2位)、4-6組はランキング戦優勝者の各1名の計11名により争われた。在籍クラス(組)ごとに挑戦者決定戦進出に必要な勝ち数が決まっており、1組と2組からは順位に関係なく2勝、3組と4組からは3勝、5組と6組からは4勝が必要だった。1組3位として本戦進出する2名が、1組3位の出場枠2つのどちらになるのかは抽選により決定された。
第1期の決勝トーナメントは、'''第26期十段タイトル保持者'''(準決勝シード)と'''永世十段'''資格者2名(準々決勝シード)の計3名をランキング戦を免除した'''本戦シード者'''とし、第2期以降の本戦進出者と同様の11名と合わせた計14名により争われた。決勝を七番勝負、準決勝を挑戦者決定三番勝負とした形式により行われ、2組以上からの出場者及び3組優勝は4回戦からの参加とし、3組2位および4組以下の優勝者は[[トーナメント方式#パラマストーナメント(ステップラダー)|パラマストーナメント]]により4回戦進出者を決定した。
=== 七番勝負 ===
竜王と本戦を勝ち抜いた棋士が七番勝負を戦う。先に4勝したほうが新たな竜王となる。七番勝負は全国各地の旅館やホテルなどで開催される。第29期以前における第1局は日本国外での対局が行われたことがある(下記)。第30期以降の第1局は前述のとおり、セルリアンタワー能楽堂での部分公開対局が恒例となっている。
[[持ち時間]]は各8時間、計時はストップウォッチ方式、1局を2日かけて実施する2日制で行われる。1日目の終わりには[[封じ手]]を行い、2日目の開始まで次の手を考えて有利になることがないようにする。
近年は第6局までに決着した場合、竜王が残りの対局会場に予定されていた場所を訪問し、前夜祭の代わりに祝勝会を行うのが恒例になっている。
; 日本国外での対局
:* {{0}}第3期(1990年)[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]](ドイツ)
:* {{0}}第4期(1991年)[[バンコク]](タイ)
:* {{0}}第5期(1992年)[[ロンドン]](イギリス)
:* {{0}}第6期(1993年)[[シンガポール]]
:* {{0}}第7期(1994年)[[パリ]](フランス)
:* {{0}}第8期(1995年)[[北京市|北京]](中華人民共和国)
:* {{0}}第9期(1996年)[[ロサンゼルス]](アメリカ)
:* 第10期(1997年)[[ゴールドコースト (クイーンズランド州)|ゴールドコースト]](オーストラリア)
:* 第11期(1998年)[[ニューヨーク]](アメリカ)
:* 第13期(2000年)[[上海市|上海]](中華人民共和国)
:* 第15期(2002年)[[台北市|台北]](台灣)
:* 第17期(2004年)[[ソウル特別市|ソウル]](韓国)
:* 第19期(2006年)[[サンフランシスコ]](アメリカ)
:* 第21期(2008年)パリ(フランス)
:* 第27期(2014年)[[ハワイ]](アメリカ)
== 竜王戦の規定による昇段 ==
{{main|将棋の段級}}
竜王戦の実績に基づく昇段は、現行の規定では次のとおりに定められている。
{|class="wikitable" style="!background-color:#FFF"
|-
! !!現行の昇段規定{{small|(2005年11月17日施行/★は改正前からの規定)}}!!{{small|改正前の規定<ref>[https://web.archive.org/web/20041017234834/http://www.shogi.or.jp/kisen/kitei.html 昇段規定(web.archive.orgによるアーカイブ、2004年10月時点)]</ref>(2005年11月17日廃止)}}
|-
!五段<br/>昇段
|{{リスト
|竜王ランキング戦 連続2回昇級<ref group="注" name="連続2回昇級">過去に在籍歴がない組への初昇級のみが対象。過去に在籍・降級歴がある組への再昇級は対象外。</ref>
|竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''}}
|style="font-size:smaller"|{{リスト
|(四段昇段後) '''竜王挑戦'''
|(四段昇段後) 竜王ランキング戦 '''連続2回優勝'''
|(四段昇段後) 竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''}}
|-
!六段<br/>昇段
|{{リスト
|(五段棋士) 竜王ランキング戦 連続2回昇級<ref group="注" name="連続2回昇級"/>
|(五段棋士) 竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''
|'''竜王戦2組に昇級'''(五段以下の棋士の飛び付き昇級可)<!-- <ref group="注">但し、五段以下の4組在籍棋士が2期連続昇級で2組に昇級しても六段にしか昇段しない(連続昇級による昇段の方が2組昇級による昇段より先に処理される。2組昇級による六段に昇段した後、連続昇級により七段に昇段するということはない。)。</ref> -->
}}
|style="font-size:smaller"|{{リスト
|五段昇段後 '''竜王挑戦'''<ref>この規定による六段昇段者は4名([[第2期竜王戦|第2期]]の[[羽生善治]]、[[第10期竜王戦|第10期]]の[[真田圭一]]、[[第12期竜王戦|第12期]]の[[鈴木大介_(棋士) |鈴木大介]]、[[第17期竜王戦|第17期]]の[[渡辺明_(棋士)|渡辺明]])。昇段日は挑戦決定後の10月1日付。</ref>
|五段昇段後 竜王ランキング戦 '''連続2回優勝'''
|五段昇段後 竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''}}
|-
!七段<br/>昇段
|{{リスト
|(六段棋士) 竜王ランキング戦 連続2回昇級<ref group="注" name="連続2回昇級"/>
|(六段棋士) 竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''
|'''竜王戦1組に昇級'''
|'''竜王挑戦'''(六段以下の棋士の飛び付き昇級可)<ref group="注">この規定による七段昇段者は2名([[第27期竜王戦|第27期]]の[[糸谷哲郎]]、[[第36期竜王戦|第36期]]の[[伊藤匠]])。昇段日は挑戦決定の対局日の日付。</ref><ref group="注">竜王挑戦すれば自動的に1組に昇級するので1組昇級による昇段と本質的には変わらない。</ref>
}}
|style="font-size:smaller"|{{リスト
|六段昇段後 '''竜王挑戦'''<ref group="注">この規定による七段昇段者は2名([[第6期竜王戦|第6期]]の[[佐藤康光]]、[[第11期竜王戦|第11期]]の[[藤井猛]])。昇段日は挑戦決定後の10月1日付。</ref>
|六段昇段後 竜王ランキング戦 '''連続2回優勝'''
|六段昇段後 竜王ランキング戦 '''通算3回優勝'''}}
|-
!八段<br/>昇段
|
{{0| }}★ '''竜王位 1期獲得'''<ref group="注">この規定による八段昇段者は1名([[第27期竜王戦|第27期]]の[[糸谷哲郎]])。糸谷は初挑戦(七段昇段)での竜王位獲得(直ちに八段昇段)により、六段から七段、七段から八段へと同一年度に2回昇段している。</ref>
|style="font-size:smaller"|{{リスト|竜王位 1期在位<br/>(七段の資格のない場合は七段昇段後1年後に昇段)<ref>飛び付き昇段・同一年度の複数回数昇段はなく、該当者は各年10月1日付で該当段位まで年々段位1つずつの昇段となる。[[第2期竜王戦|第2期]]挑戦者の[[羽生善治]]五段(当時)、[[第17期竜王戦|第17期]]挑戦者の[[渡辺明_(棋士)|渡辺明]]五段(当時)は竜王挑戦により六段昇段(挑戦決定後の10月)、竜王挑戦・獲得により七段昇段(獲得翌年の10月)している。</ref>}}
|-
!九段<br/>昇段
|
{{0| }}★ '''竜王位 2期獲得<ref group="注">七段の棋士が竜王を獲得し、その翌期に防衛して連覇した場合、肩書としての八段を名乗ることなく九段に昇段する。2018年時点で、[[藤井猛]]と[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]の2名が達成している。</ref>
* '''通算3期目のタイトルとして竜王獲得'''<ref group="注">七段の棋士が2期目のタイトル(竜王以外)を獲得し、その直後の竜王戦で竜王を獲得した場合、肩書としての八段を名乗ることなく九段に昇段する。</ref>
|style="font-size:smaller"|{{リスト
|竜王位 2期在位
|通算3期目のタイトルとして竜王獲得<br/>(八段の資格のない場合は八段昇段後1年後に昇段)}}
|- style="font-size:smaller"
!
|{{リスト|原則として、同一年度内に2回以上昇段することはない。(※竜王戦による昇段は除く<ref>{{リスト|当初の表記は「竜王獲得による八段昇段は除く」だった。[https://web.archive.org/web/20051210154346/http://www.shogi.or.jp/kisen/kitei.html 昇段規定(2005年12月時点)](web.archive.orgによるアーカイブ)。|2006年5月の時点で「竜王戦による昇段は除く」の表記となっている。[https://web.archive.org/web/20060515215256/http://www.shogi.or.jp/kisen/kitei.html 昇段規定(2006年5月時点)](web.archive.orgによるアーカイブ)。}}</ref>)|竜王ランキング戦優勝による昇段については、昇段前の優勝も昇段の条件になる。|連続2回昇級における昇段については、降級直後の連続昇級は除外する。(2016年5月追加)<ref>本項目の明文化は2016年5月以降の時点で確認できる。[https://web.archive.org/web/20160508094428/http://www.shogi.or.jp/kisen/kitei.html 昇段規定(2016年5月時点)](web.archive.orgによるアーカイブ)。</ref>}}
|{{リスト|原則として、同一年度内に2回以上昇段することはない。|竜王ランキング戦優勝による昇段については、<br/>昇段前の優勝も昇段の条件になる<ref>この規定の公表日は不明だが、遅くとも2003年8月には明文化されている。[https://web.archive.org/web/20030811014601/http://www.shogi.or.jp/kisen/kitei.html 昇段規定(2003年8月時点)](web.archive.orgによるのアーカイブ)</ref>。}}
|}
== 歴代七番勝負および本戦出場者 ==
{| border="1" class="wikitable" style="font-size:80%"
|
;番勝負勝敗(竜王・挑戦者決定戦勝者側から見た勝敗)
:○:勝ち ●:負け 千:[[千日手]] 持:[[持将棋]]
;竜王戦七番勝負
:{|
| style="background-color:#ffcccc ;border:1px solid;"|{{0}}'''太字'''{{0}}||:竜王獲得者(七番勝負勝者)
| style="background-color:#ff6699 ;border:1px solid;"|{{0}}'''太字'''{{sup|永}}{{0}}|| :永世資格獲得者(七番勝負勝者)
|}
;決勝トーナメント
:{|
| {{colorbox|#ffcccc|{{sup|☆}}{{0}}}}||:挑戦権獲得者(七番勝負勝者)
| {{colorbox|#ccf|{{sup|7}}{{0}}}} || :挑戦権獲得者(七番勝負敗者)
| {{colorbox|#ffd|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}{{0}}}} || :挑戦者決定三番勝負の敗者
|}
|}
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:80%; white-space:nowrap"
|- style="line-height:120%;"
!rowspan="2"|期!!rowspan="2"|年度!!colspan="3"|決勝<br/>竜王戦 七番勝負!!colspan="3"|準決勝<br/>挑戦者決定 三番勝負!!colspan="22"|決勝トーナメント<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller"> (名前右欄の数字は本戦勝利対局数 / '''見出し'''の(数字)は挑戦までの必要勝利数 / 勝利数には三番勝負3局を含む)</span>
|- style="line-height:120%;"
!{{0}}勝者{{0}}!!勝敗!!{{0}}敗者{{0}}!!挑戦者!!勝敗!!挑決敗者
!colspan="2" rowspan="2"|本戦シード<br/>(3名)
!colspan="8" |準決勝(挑決)シード<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(2勝)</span>
!colspan="12"|準々決勝シード<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(3勝)</span>
|-
!rowspan="3"|[[第1期竜王戦|1]]
|rowspan="3"|[[1988年度の将棋界|1988]]
|rowspan="3" style="background-color: #ffcccc;"|'''[[島朗]]'''
|rowspan="3"|○○○○--- ||rowspan="3"|[[米長邦雄]]
|米長邦雄 ||○●○|| 高橋道雄
|colspan="7" align="center" style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[高橋道雄]]||1
|colspan="5" align="center" style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[中原誠]]||2
|colspan="5" align="center"|[[大山康晴]]||0
|- style="line-height:120%;"
!挑戦者!!勝敗!!挑決敗者
!colspan="2"|1組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|1組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="4"|1組3位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|2組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|2組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|3組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|3組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|4組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(6勝)</span>
!colspan="2"|5組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(7勝)</span>
!colspan="2"|6組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(7勝)</span>
|- style="line-height:120%;"
|島朗 ||●○○|| 中原誠
|[[桐山清澄|桐山]]||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}[[米長邦雄|米長]]||4
|style="line-height:0%"|{{0|__}}<br/>[[南芳一|南]]||0
|[[中村修 (棋士)|中村{{sub|修}}]]||0
|[[大内延介|大内]]||1
|[[東和男|東]]||1
|[[小野修一|小野{{sub|修}}]]||0
|style="background-color: #ffcccc;"|{{sup|☆}}[[島朗|島]]||5
|[[羽生善治|羽生]]||1
|[[飯野健二|飯野]]||0
|[[先崎学|先崎]]||1
|}
{| class="wikitable" style="font-size:77%; text-align:right; white-space:nowrap"
|- style="line-height:120%;"
!rowspan="2"|期!!rowspan="2"|年度!!colspan="3"|竜王戦 七番勝負!!colspan="2"|挑戦者決定<br/>三番勝負!!colspan="22"|決勝トーナメント<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller"> (名前右欄の数字は本戦勝利対局数 / '''見出し'''の(数字)は挑戦までの必要勝利数 / 勝利数には三番勝負3局を含む)</span>
|- style="line-height:120%;"
!竜王!!勝敗!!挑戦者!!勝敗!!挑決敗者
!colspan="2"|1組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|1組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="4"|1組3位 <span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)<br/>[対 2組2位/対 2組優勝]</span>
!colspan="2"|2組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|2組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|3組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|3組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|4組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|5組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(6勝)</span>
!colspan="2"|6組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(6勝)</span>
|-
![[第2期竜王戦|2]]
|[[1989年度の将棋界|1989]]
|style="text-align:center;"|島朗
|style="text-align:center;"|{{small|○持○●●●○●}}
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[羽生善治]]'''
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|森下卓
|中原||0
|南{{0}}||0
|[[内藤國雄|内藤]]||1
|大山||1
|[[勝浦修|勝浦]]||0
|[[田中寅彦|田中{{sub|寅}}]]||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}羽生||5
|[[佐伯昌優|佐伯]]||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[森下卓|森下]]||3
|[[小林宏 (棋士)|小林{{sub|宏}}]]||1
|[[長沼洋|長沼]]||0
|-
![[第3期竜王戦|3]]
|[[1990年度の将棋界|1990]]
|style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|●●●○●--
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[谷川浩司]]'''
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|石田和雄
|[[青野照市|青野]]||1
|中原||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}谷川||4
|[[福崎文吾|福崎]]||1
|[[塚田泰明|塚田{{sub|泰}}]]||0
|[[脇謙二|脇]]{{0}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[石田和雄|石田{{sub|和}}]]||3
|[[西川慶二|西川{{sub|慶}}]]||0
|[[佐藤康光|佐藤{{sub|康}}]]||1
|[[有森浩三|有森]]||1
|[[畠山成幸|畠山{{sub|成}}]]||0
|-
![[第4期竜王戦|4]]
|[[1991年度の将棋界|1991]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''谷川浩司'''
|style="text-align:center;"|{{small|持○●●○○○-}}
|style="text-align:center;"|[[森下卓]]
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|小林宏
|島{{0}}||0
|福崎||0
|塚田{{sub|泰}}||1
|勝浦||1
|[[児玉孝一|児玉]]||0
|石田和||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}森下||5
|[[日浦市郎|日浦]]||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}小林{{sub|宏}}||3
|[[畠山鎮|畠山{{sub|鎮}}]]||0
|[[丸山忠久|丸山]]||1
|-
![[第5期竜王戦|5]]
|[[1992年度の将棋界|1992]]
|style="text-align:center;"|谷川浩司
|style="text-align:center;"|{{table2|class=none|cols=3|style=border-spacing:0;line-height:90%|○|[[千日手|千]]<br/>○|●●●○●}}
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''羽生善治'''
|style="text-align:center;"|●○○
|style="text-align:center;"|佐藤康光
|脇{{0}}||1
|米長||0
|高橋||0
|中原||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}羽生||4
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}佐藤{{sub|康}}||3
|[[村山聖|村山{{sub|聖}}]]||2
|[[神谷広志|神谷]]||1
|[[泉正樹|泉]]{{0}}||0
|[[藤原直哉 (棋士)|藤原]]||0
|[[深浦康市|深浦]]||1
|-
![[第6期竜王戦|6]]
|[[1993年度の将棋界|1993]]
|style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○●○●●●-
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[佐藤康光]]'''
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|森内俊之
|島{{0}}||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}佐藤{{sub|康}}||4
|南{{0}}||1
|谷川||0
|塚田{{sub|泰}}||1
|勝浦||0
|大内||0
|内藤||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[森内俊之|森内]]||3
|[[井上慶太|井上{{sub|慶}}]]||0
|[[真田圭一|真田]]||2
|-
![[第7期竜王戦|7]]
|[[1994年度の将棋界|1994]]
|佐藤康光
|style="text-align:center;"|●●●○○●-
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''羽生善治'''
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|行方尚史
|高橋||0
|南{{0}}||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}羽生||4
|米長||1
|村山{{sub|聖}}||0
|中村{{sub|修}}||0
|森内||0
|[[屋敷伸之|屋敷]]||2
|[[中田宏樹|中田{{sub|宏}}]]||0
|深浦||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[行方尚史|行方]]||4
|-
![[第8期竜王戦|8]]
|[[1995年度の将棋界|1995]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''羽生善治'''
|style="text-align:center;"|●○○○●○-||佐藤康光
|style="text-align:center;"|{{center|{{table2|class=none|cols=2|style=border-spacing:0;line-height:90%|[[千日手|千]]<br/>○|●○}}}}
|style="text-align:center;"|先崎学
|中原||1
|森下||1
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}佐藤{{sub|康}}||4
|谷川||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}先崎||3
|小野{{sub|修}}||0
|日浦||1
|[[西村一義|西村]]||1
|[[阿部隆|阿部{{sub|隆}}]]||0
|行方||1
|[[鈴木大介 (棋士)|鈴木{{sub|大}}]]||0
|-
![[第9期竜王戦|9]]
|[[1996年度の将棋界|1996]]
|style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○●●●●--
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''谷川浩司'''
|style="text-align:center;"|○○-
|style="text-align:center;"|佐藤康光
|高橋||1
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}谷川||4
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}佐藤康||2
|南{{0}}||0
|森内||1
|日浦||0
|丸山||0
|[[浦野真彦|浦野]]||0
|井上{{sub|慶}}||1
|[[飯塚祐紀|飯塚]]||2
|[[川上猛|川上]]||0
|-
![[第10期竜王戦|10]]
|[[1997年度の将棋界|1997]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''谷川浩司'''
|style="text-align:center;"|○○○○---||style="text-align:center;"|[[真田圭一]]
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|屋敷伸之
|塚田{{sub|泰}}||0
|佐藤{{sub|康}}||1
|森内||0
|脇{{0}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}屋敷||3
|先崎||1
|行方||0
|阿部{{sub|隆}}||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}真田||5
|[[松本佳介|松本]]||0
|[[近藤正和|近藤{{sub|正}}]]||2
|-
![[第11期竜王戦|11]]
|[[1998年度の将棋界|1998]]
|style="text-align:center;"|谷川浩司
|style="text-align:center;"|●●●●---||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[藤井猛]]'''
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|羽生善治
|南{{0}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}羽生||3
|屋敷||1
|高橋||0
|丸山||1
|[[森雞二|森雞]]||0
|[[郷田真隆|郷田]]||1
|鈴木{{sub|大}}||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}[[藤井猛|藤井{{sub|猛}}]]||5
|[[大野八一雄|大野{{sub|八}}]]||0
|[[北島忠雄|北島]]||1
|-
![[第12期竜王戦|12]]
|[[1999年度の将棋界|1999]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''藤井猛'''
|style="text-align:center;"|○○○●○--
|style="text-align:center;"|[[鈴木大介 (棋士)|鈴木大介]]
|style="text-align:center;"|{{center|{{table2|class=none|cols=2|style=border-spacing:0;line-height:90%|[[千日手|千]]<br/>○|●○}}}}
|style="text-align:center;"|丸山忠久
|森内||1
|佐藤{{sub|康}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}丸山||3
|谷川||0
|郷田||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}鈴木{{sub|大}}||4
|井上{{sub|慶}}||2
|畠山{{sub|鎮}}||1
|[[久保利明|久保]]||0
|[[木下浩一|木下{{sub|浩}}]]||1
|[[佐藤紳哉|佐藤{{sub|紳}}]]||0
|-
![[第13期竜王戦|13]]
|[[2000年度の将棋界|2000]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''藤井猛'''
|style="text-align:center;"|○●○○●●○||style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|佐藤康光
|中原||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}羽生||4
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}佐藤{{sub|康}}||2
|谷川||1
|屋敷||0
|米長||0
|畠山{{sub|成}}||1
|青野||0
|[[三浦弘行|三浦]]||2
|[[山本真也|山本{{sub|真}}]]||1
|[[田村康介|田村]]||0
|-
![[第14期竜王戦|14]]
|[[2001年度の将棋界|2001]]
|style="text-align:center;"|藤井猛
|style="text-align:center;"|●○●●●--||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''羽生善治'''
|style="text-align:center;"|{{center|{{table2|class=none|cols=3|style=border-spacing:0;line-height:90%|●|[[千日手|千]]<br/>○|○}}}}
|style="text-align:center;"|木村一基
|谷川||0
|中村{{sub|修}}||1
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}羽生||4
|郷田||0
|井上{{sub|慶}}||0
|畠山{{sub|鎮}}||1
|[[富岡英作|富岡]]||0
|脇{{0}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}[[木村一基|木村{{sub|一}}]]||4
|北島||0
|[[伊奈祐介|伊奈]]||2
|-
![[第15期竜王戦|15]]
|[[2002年度の将棋界|2002]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''羽生善治'''
|style="text-align:center;"|{{table2|class=none|cols=2|style=border-spacing:0;line-height:90%|[[千日手|千<br/>千]]<br/>○|○●●●○○}}
|style="text-align:center;"|[[阿部隆]]
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|中田宏樹
|森下||0
|藤井{{sub|猛}}||1
|森内||1
|佐藤{{sub|康}}||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}阿部{{sub|隆}}||4
|真田||0
|木村一||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}中田{{sub|宏}}||4
|[[野月浩貴|野月]]||2
|[[松尾歩|松尾]]||2
|[[宮田敦史|宮田{{sub|敦}}]]||0
|-
![[第16期竜王戦|16]]
|[[2003年度の将棋界|2003]]
|style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|●●●●---||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[森内俊之]]'''
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|中原誠
|佐藤{{sub|康}}||1
|谷川||1
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}森内||4
|中村{{sub|修}}||0
|木村{{sub|一}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}中原||3
|[[杉本昌隆|杉本{{sub|昌}}]]||0
|久保||1
|北島||0
|[[山崎隆之|山崎]]||2
|[[高野秀行 (棋士)|高野{{sub|秀}}]]||0
|-
![[第17期竜王戦|17]]
|[[2004年度の将棋界|2004]]
|style="text-align:center;"|森内俊之
|style="text-align:center;"|●○○●●○●||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]'''
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|森下卓
|谷川||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}森下||2
|屋敷||1
|羽生||1
|先崎||0
|杉本{{sub|昌}}||0
|神谷||1
|森雞||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}[[渡辺明 (棋士)|渡辺{{sub|明}}]]||5
|[[矢倉規広|矢倉]]||1
|[[西尾明|西尾]]||0
|-
![[第18期竜王戦|18]]
|[[2005年度の将棋界|2005]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○○○○---||style="text-align:center;"|[[木村一基]]
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|三浦弘行
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}三浦||2
|森内||1
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}木村{{sub|一}}||4
|行方||0
|阿部{{sub|隆}}||0
|中村{{sub|修}}||1
|塚田{{sub|泰}}||0
|島{{0}}||0
|川上||1
|[[増田裕司|増田{{sub|裕}}]]||0
|[[片上大輔|片上]]||2
|}
{| class="wikitable" style="font-size:77%; text-align:right; white-space:nowrap"
|- style="line-height:120%;"
!rowspan="2"|期!!rowspan="2"|年度!!colspan="3"|竜王戦 七番勝負!!colspan="2"|挑戦者決定<br/>三番勝負!!colspan="22" |決勝トーナメント<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller"> (名前右欄の数字は本戦勝利対局数 / '''見出し'''の(数字)は挑戦までの必要勝利数 / 勝利数には三番勝負3局を含む)</span>
|- style="line-height:120%;"
!竜王!!勝敗!!挑戦者!!勝敗!!挑決敗者
!colspan="2"|1組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(3勝)</span>
!colspan="2"|1組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|1組3位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|1組4位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|1組5位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|2組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(4勝)</span>
!colspan="2"|2組2位<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|3組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(5勝)</span>
!colspan="2"|4組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(6勝)</span>
!colspan="2"|5組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(7勝)</span>
!colspan="2"|6組優勝<br/><span style="font-weight:normal;font-size:smaller">(7勝)</span>
|-
![[第19期竜王戦|19]]
|[[2006年度の将棋界|2006]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|●●○○○●○||style="text-align:center;"|佐藤康光
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|丸山忠久
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}丸山||1
|森内||1
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}佐藤{{sub|康}}||4
|畠山{{sub|鎮}}||1
|杉本{{sub|昌}}||1
|森下||0
|鈴木{{sub|大}}||0
|松尾||1
|佐藤{{sub|紳}}||0
|[[中座真|中座]]||0
|[[中村亮介|中村{{sub|亮}}]]||2
|-
![[第20期竜王戦|20]]
|[[2007年度の将棋界|2007]]
|style="text-align:center;background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○●○○●○-||style="text-align:center;"|佐藤康光
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|木村一基
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}木村{{sub|一}}||2
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}佐藤{{sub|康}}||4
|羽生||1
|中原||0
|谷川||2
|深浦||0
|富岡||0
|久保||1
|片上||1
|伊奈||1
|[[戸辺誠|戸辺]]||0
|-
![[第21期竜王戦|21]]
|[[2008年度の将棋界|2008]]
|style="text-align:center; background-color: #ff6699"|'''渡辺明'''{{sup|永}}
|style="text-align:center;"|●●●○○○○||style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|木村一基
|丸山||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}木村{{sub|一}}||3
|郷田||1
|深浦||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}羽生||5
|山崎||0
|久保||0
|[[阿久津主税|阿久津]]||1
|増田{{sub|裕}}||0
|[[糸谷哲郎|糸谷]]||2
|[[豊島将之|豊島]]||0
|-
![[第22期竜王戦|22]]
|[[2009年度の将棋界|2009]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○○○○---||style="text-align:center;"|森内俊之
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|深浦康市
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}深浦||2
|羽生||1
|高橋||0
|久保||1
|松尾||1
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}森内||4
|森下||0
|片上||1
|田中{{sub|寅}}||0
|豊島||2
|[[稲葉陽|稲葉]]||0
|-
![[第23期竜王戦|23]]
|[[2010年度の将棋界|2010]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○○●●○○-||style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|久保利明
|丸山||0
|松尾||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}羽生||4
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}久保||2
|郷田||1
|藤井{{sub|猛}}||0
|三浦||0
|阿久津||2
|[[村山慈明|村山{{sub|慈}}]]||0
|戸辺||2
|[[中村太地 (棋士)|中村{{sub|太}}]]||0
|-
![[第24期竜王戦|24]]
|[[2011年度の将棋界|2011]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○○●○○--||style="text-align:center;"|[[丸山忠久]]
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|久保利明
| style="background-color: #ccf;" |{{sup|7}}丸山||3
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}久保||3
|羽生||0
|深浦||1
|佐藤康||1
|[[橋本崇載|橋本{{sub|崇}}]]||1
|山崎||1
|[[佐藤天彦|佐藤{{sub|天}}]]||0
|[[佐藤秀司|佐藤{{sub|秀}}]]||0
|稲葉||0
|[[永瀬拓矢|永瀬]]||2
|-
![[第25期竜王戦|25]]
|[[2012年度の将棋界|2012]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○○○●○--||style="text-align:center;"|丸山忠久
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|山崎隆之
|深浦||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}山崎||3
|[[飯島栄治|飯島]]||1
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}丸山||4
|三浦||1
|佐藤{{sub|天}}||0
|藤井{{sub|猛}}||0
|豊島||1
|稲葉||1
|永瀬||0
|[[大石直嗣|大石]]||1
|-
![[第26期竜王戦|26]]
|[[2013年度の将棋界|2013]]
|style="text-align:center;"|渡辺明
|style="text-align:center;"|●●○●●--||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''森内俊之'''
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|郷田真隆
|佐藤{{sub|康}}||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}森内||4
|羽生||1
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}郷田||3
|山崎||1
|[[小林裕士|小林{{sub|裕}}]]||0
|豊島||0
|谷川||1
|永瀬||1
|[[及川拓馬|及川]]||0
|[[金井恒太|金井]]||1
|-
![[第27期竜王戦|27]]
|[[2014年度の将棋界|2014]]
|style="text-align:center;"|森内俊之
|style="text-align:center;"|●●○●●--||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[糸谷哲郎]]'''
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|羽生善治
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}羽生||2
|屋敷||0
|阿久津||0
|郷田||1
|深浦||1
|行方||1
|三浦||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}糸谷||5
|中村{{sub|太}}||1
|[[高見泰地|髙見]]||0
|[[藤森哲也|藤森]]||1
|-
![[第28期竜王戦|28]]
|[[2015年度の将棋界|2015]]
|style="text-align:center;"|糸谷哲郎
|style="text-align:center;"|○●●●●--||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|永瀬拓矢
|羽生||0
|阿久津||0
|豊島||0
|佐藤{{sub|康}}||0
|藤井{{sub|猛}}||0
|稲葉||1
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}渡辺{{sub|明}}||5
|真田||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}永瀬||5
|[[斎藤慎太郎|斎藤{{sub|慎}}]]||1
|[[千田翔太|千田]]||0
|-
![[第29期竜王戦|29]]
|[[2016年度の将棋界|2016]]
|style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''渡辺明'''
|style="text-align:center;"|○●●○○●○|| style="text-align:center; line-height:120%" |三浦弘行<br/>{{0}}↓{{sub|{{refnest|name=challengerchange1|[[第29期竜王戦|第29期]]の挑戦者決定三番勝負の勝者は三浦弘行であったが、三番勝負敗者の丸山忠久が繰り上げで挑戦者になった<ref name=challengerchange>{{Cite web|和書|url=https://www.shogi.or.jp/news/2016/10/29_13.html|title=第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について|publisher=[[日本将棋連盟]]|date=2016-10-12|accessdate=2016-10-12}}</ref>。詳しい経緯は[[将棋ソフト不正使用疑惑]]を参照のこと。|group=注}}}}<br/>丸山忠久
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|丸山忠久
|style="background-color:#ccf; line-height:90%" |{{sup|3→7{{0}}}}<br>丸山<br>{{refnest|name=challengerchange1|group=注}}||2
|久保||1
|style="background-color:#ffd; line-height:90%" |{{sup|7→変更}}<br>三浦{{0}}<br>{{refnest|name=challengerchange1|group=注}}||4
|深浦||1
|豊島||0
|郷田||0
|[[阿部健治郎|阿部{{sub|健}}]]||1
|永瀬||0
|中座||0
|[[黒沢怜生|黒沢]]||0
|[[青嶋未来|青嶋]]||3
|-
![[第30期竜王戦|30]]
|[[2017年度の将棋界|2017]]
|style="text-align:center;"|渡辺明
|style="text-align:center;"|●●○●●--||style="text-align:center; background-color: #ff6699"|'''羽生善治'''{{sup|永}}
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|松尾歩
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}松尾||2
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}羽生||4
|丸山||0
|久保||1
|阿久津||0
|稲葉||1
|佐藤{{sub|康}}||0
|村山{{sub|慈}}||1
|[[佐々木勇気|佐々{{sub|勇}}]]||1
|[[増田康宏|増田{{sub|康}}]]||0
|[[藤井聡太|藤井{{sub|聡}}]]||1
|-
![[第31期竜王戦|31]]
|[[2018年度の将棋界|2018]]
|style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|○○●●○●● ||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[広瀬章人]]'''
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|深浦康市
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}[[広瀬章人|広瀬]]||3
|豊島||0
|松尾||0
|久保||1
|佐藤{{sub|康}}||0
|三浦||1
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}深浦||4
|[[千葉幸生|千葉]]||0
|増田{{sub|康}}||2
|藤井{{sub|聡}}||1
|[[都成竜馬|都成]]||0
|-
![[第32期竜王戦|32]]
|[[2019年度の将棋界|2019]]
|style="text-align:center;"|広瀬章人
|style="text-align:center;"|●●●○●--||style="text-align:center; background-color: #ffcccc"|'''[[豊島将之]]'''
|style="text-align:center;"|○●○||style="text-align:center;"|木村一基
|渡辺{{sub|明}}||0
|永瀬||1
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}木村一||3
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}豊島||4
|久保||0
|佐藤{{sub|天}}||0
|橋本{{sub|崇}}||0
|鈴木{{sub|大}}||1
|藤井{{sub|聡}}||2
|[[近藤誠也|近藤{{sub|誠}}]]||1
|[[梶浦宏孝|梶浦]]||0
|-
![[第33期竜王戦|33]]
|[[2020年度の将棋界|2020]]
|style="text-align:center; background-color:#ffcccc;"|'''豊島将之'''
|style="text-align:center;"|○●○○○--||style="text-align:center;"|羽生善治
|style="text-align:center;"|●○○||style="text-align:center;"|丸山忠久
| style="background-color: #ccf;" |{{sup|7}}羽生||3
|[[佐藤和俊|佐藤{{sub|和}}]]||0
|久保||1
|佐藤{{sub|康}}||0
|木村{{sub|一}}||0
|佐々{{sub|勇}}||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}丸山||4
|藤井{{sub|聡}}||0
|[[石井健太郎 (棋士)|石井]]||0
|梶浦||4
|[[高野智史|高野{{sub|智}}]]||0
|-
![[第34期竜王戦|34]]
|[[2021年度の将棋界|2021]]
|style="text-align:center;"|豊島将之
|style="text-align:center;"|●●●●---||style="text-align:center; background-color:#ffcccc;"|'''[[藤井聡太]]'''
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|永瀬拓矢
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}永瀬||1
|久保||0
|山崎||0
|羽生||0
|佐藤{{sub|天}}||0
|style="background-color: #ffcccc"|{{sup|☆}}藤井{{sub|聡}}||4
|[[八代弥|八代]]||2
|[[三枚堂達也|三枚堂]]||0
|梶浦||3
|青嶋||1
|[[折田翔吾|折田]]||0
|-
![[第35期竜王戦|35]]
|[[2022年度の将棋界|2022]]
|style="text-align:center; background-color:#ffcccc;"|'''藤井聡太'''
|style="text-align:center;"|●○○○●○-||style="text-align:center;"|広瀬章人
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|山崎隆之
|永瀬||0
|佐藤{{sub|天}}||1
|丸山||0
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}山崎||2
|稲葉||1
| style="background-color: #ccf;" |{{sup|7}}広瀬||4
|森内||0
|高見||1
|[[大橋貴洸|大橋]]||0
|[[佐々木大地 (棋士)|佐々{{sub|大}}]]||0
|[[伊藤匠|伊藤{{sub|匠}}]]||2
|-
![[第36期竜王戦|36]]
|[[2023年度の将棋界|2023]]
|style="text-align:center; background-color:#ffcccc;"|'''藤井聡太'''
|style="text-align:center;"|○○○○--- ||style="text-align:center;"|[[伊藤匠]]
|style="text-align:center;"|○○-||style="text-align:center;"|永瀬拓矢
|稲葉||0
|羽生||1
|style="background-color:#ffd;"|{{sup|3}}永瀬||2
|丸山||0
|広瀬||0
|豊島||0
|佐藤{{sub|康}}||0
|三浦||1
|大石||0
|style="background-color:#ccf;"|{{sup|7}}伊藤{{sub|匠}}||7
|[[出口若武|出口]]||0
|}
== 各期の昇級者・降級者一覧 ==
{{竜王戦各期の昇級者・降級者一覧}}
== エピソード ==
'''「竜王ドリーム」'''
* 将棋の最高位のタイトル戦ながら、若手にもタイトル奪取のチャンスがあり、アマチュアや女流棋士も参加できる<ref>[[#棋士以外の出場者]]</ref>。実際、[[島朗]]・[[羽生善治]]・[[佐藤康光]]・[[藤井猛]]・[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]・[[糸谷哲郎]]など、初のタイトル獲得が竜王位だったケースも多数ある<ref name="歴代七番勝負">[[#歴代七番勝負および本戦出場者]]</ref>。「最も低いクラスからの竜王奪取」は4組からで、藤井猛・渡辺明の2名、他に[[真田圭一]]が「4組からの挑戦」、[[伊藤匠]]が「5組からの挑戦」に至った(伊藤以外は18期以前)<ref name="歴代七番勝負"/>。「6組からの挑戦」は2023年時点で先例はないが、7期で竜王戦初参加だった[[行方尚史]]が挑戦者決定戦へ進出した<ref>[https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=130235 同世代対決を制した伊藤五段が6組優勝 第35期竜王戦]日本将棋連盟、2022年5月20日(2023年8月20日閲覧)。</ref>。
*第19期以降の本戦新フォーマット以降の「最も低いクラスからの竜王奪取」は3組から出場した[[糸谷哲郎]]<ref name="歴代七番勝負"/>。
'''1組優勝者のジンクス'''(第1期-第31期)
* 棋戦創設以来長らく1組の優勝者が挑戦者になったことがなく、いわゆる「将棋界の七不思議」の一つとされていた<ref name="1組優勝七不思議">{{Cite web|和書|url=https://shogipenclublog.com/blog/2017/10/20/satoyasumitsu-27/ |title=知られていなかった棋界七不思議のうちの一つ {{!}} 将棋ペンクラブログ |date=2017-10-20 |archive-url=https://web.archive.org/web/20220625175323/https://shogipenclublog.com/blog/2017/10/20/satoyasumitsu-27/ |access-date=2022-06-25 |archive-date=2022-06-25}}</ref>。第17期までは挑戦者決定三番勝負へ進出したことさえなかった(第18期に初めて1組優勝の[[三浦弘行]]が三番勝負に進出)<ref name="1組優勝七不思議"/>。第19期からの本戦トーナメント表は、上記の図のとおり1組優勝者に有利なものに変更されたが、第23期まで1組優勝者は挑戦者になれなかった<ref name="1組優勝七不思議"/>。第24期にそれまで3度1組優勝を果たしながら挑戦者になれなかった[[丸山忠久]]が、4度目の1組優勝を果たした上で自身初の挑戦権を獲得。しかし奪取は成らなかった。その後、[[第31期竜王戦|第31期]]で1組優勝の広瀬章人が竜王を獲得し、当ジンクスに終止符を打った。
'''女流棋士が公式戦で棋士に初勝利'''(第7期)
* [[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]の[[中井広恵]]が、[[第7期竜王戦|第7期]]の6組ランキング戦1回戦で棋士の[[池田修一]]を破った。女流棋士と棋士が対局する公式戦で、女流棋士の初勝利となった<ref>[https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20211209-00271923 【将棋名勝負プレイバック】1993年12月9日、中井広恵女流名人、女性で初めて男性棋士に公式戦勝利] 松本博文、2021年12月9日(2022年1月6日閲覧)。</ref>。
'''「"初代永世竜王"決定戦」と[[棋戦 (将棋)#タイトル戦|タイトル戦七番勝負]]初の「3連敗4連勝」'''(第21期)
* [[第21期竜王戦|第21期]](2008年)は、4連覇中の[[渡辺明_(棋士)|渡辺明]]に通算6期獲得の[[羽生善治]]が挑戦し、どちらでも勝った方が初代永世竜王資格を得られる戦いとなった。このような「永世称号決定戦(永世シリーズ)」は全タイトル戦通じて史上初。結果は羽生の3連勝の後に渡辺が4連勝して逆転防衛を果たし、初代永世竜王資格を獲得した。また、七番勝負のタイトル戦での3連敗4連勝(3連勝4連敗)も、将棋界では史上初の出来事であった<ref>[https://www.shogi.or.jp/column/2016/12/1218.html 羽生vs渡辺、100年に1度の大勝負。12月18日は初永世竜王が誕生した日] 日本将棋連盟、2016年12月18日(2023年8月16日閲覧)</ref>。
'''「引退対局」での有終の美'''(第23期・第28期)
* 竜王戦は各期の開幕(ランキング戦開始)が12月・昇級者決定戦が翌年3月・残留者決定戦がそれ以降に行われる関係上、昇級者決定戦もしくは残留者決定戦が当期限りで引退が確定した棋士の現役最終局となるケースが多い。上述の通り、引退が確定し次期竜王戦の出場資格がない棋士でも、当期の昇級者決定戦及び残留者決定戦には参加可能で、昇級者決定戦を勝ち抜いて3位になった、もしくは残留者決定戦に勝って、他に勝ち残っている棋戦がない場合、現役最終局を白星で飾って引退することとなる。 2023年現在、出場可能な最終年度の竜王戦で昇級者決定戦を勝ち抜いて昇級に相当する成績を残して引退した先例は無いものの、5組の残留決定戦に勝って“有終の美”を飾る形で引退したケースは2例。[[2010年]][[4月20日]]・[[第23期竜王戦|第23期]]で[[大内延介]]が[[石田和雄]]に、[[2015年]][[5月21日]]・[[第28期竜王戦|第28期]]で[[淡路仁茂]]が[[森雞二]]に、いずれも5組残留決定戦で勝利し、6組への“降級”を回避し、“有終の美”を飾る形で引退した。 尚、第23期では大内と同様に引退が確定し次期竜王戦の出場資格がなかった[[有吉道夫]]も5組残留決定戦で[[木下浩一]]に勝利し、現役最後の竜王戦の対局を“有終の美”とした<ref group="注">有吉は当対局終了時点で[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|第60回NHK杯]]本戦第1回戦([[高橋道雄]]戦)及び[[第36期棋王戦]]予選第4回戦([[矢倉規広]]戦)への出場権を残し、残留者決定戦後に行われた当該2局に敗れて引退となったため、現役最後の対局を白星で飾るには至らなかった。</ref>。
'''将棋ソフト不正使用疑惑による挑戦者変更'''(第29期)
{{see| [[将棋ソフト不正使用疑惑騒動]]}}
'''最年少棋士と最年長棋士との対局'''(第30期)
* [[2016年]]12月24日のランキング戦6組1回戦にて同年9月に史上最年少の14歳2か月で四段に昇段した[[藤井聡太]]のデビュー戦、かつ第30期の開幕局として、奇しくも<ref group="注">6組ランキング戦1回戦は関東所属棋士同士、関西所属棋士同士が対戦するのが慣例である。しかし第30期は関東所属棋士と関西所属棋士の対戦が加藤一二三対藤井聡太戦含め2つあった。</ref>これまでの四段昇段最年少記録を保持していた[[加藤一二三]]との対局が行われた。対局当時、'''藤井は14歳5か月で現役最年少、加藤は76歳11か月で現役最年長、二人の年齢差62歳'''という将棋の公式戦史上'''最大年齢差対局'''となった。対局の結果は110手で藤井四段の勝ちとなり、藤井は'''公式戦での最年少勝利'''{{small|(14歳5か月)}}を記録した。一方、加藤は将棋界史上初めて、「19世紀生まれの棋士」「20世紀生まれの棋士」「21世紀生まれの棋士」それぞれを相手に公式戦で対局した棋士となった。のちに加藤九段は2016年度実施の[[第75期順位戦]]C級2組で3つ目の降級点を喫し同年度末での引退が決定したので、当時最年少と最年長の両者が共にエントリーした棋戦は、この「第30期竜王戦」と「第43期棋王戦」「第66回NHK杯戦」の3棋戦のみであり<ref group="注">ただし棋王戦とNHK杯戦は加藤は関東、藤井は関西所属である関係上、別々のブロックに組まれており、両者が当たるためには共に予選を通過し本戦に進出することが絶対条件だった。結局、加藤は共に初戦で敗れたため再び顔を合わせることはなかった。(藤井は共に本戦に進出した。)</ref>、両者による再戦は実現しなかった。
'''羽生善治、永世七冠達成'''(第30期)
* 前述の通り、第21期で3連勝後の4連敗で復位と永世竜王の資格の獲得に失敗した羽生はその後、第25期と第29期を除く全てで挑戦者決定トーナメントに進み、第23期では挑戦者になるも2-4で再び渡辺に敗れた。そして第30期、挑戦者決定三番勝負で[[松尾歩]]を下し、2010年の第23期以来の挑戦となった。2017年12月5日の第5局で4勝目をあげ、4勝1敗で自身15期ぶりとなる竜王を奪取。これにより竜王通算7期を満たして永世竜王の資格を取得、同時に永世七冠を達成した。ちなみに竜王初獲得から永世竜王の資格を得るまでに28期(年)かかったが、これは羽生、ならびに[[谷川浩司]]が[[名人戦_(将棋)|名人戦]]で名人初獲得から永世名人の資格を得るまでに要した14期(年)を遥かに超える永世資格取得の最長の到達所要期間である。
'''戦後最長手数記録420手'''(第31期)
* 2018年2月27日に行われたランキング戦6組の[[牧野光則]]対[[中尾敏之]]において'''戦後最長手数である420手で[[持将棋]]が成立'''した。これまで棋譜が確認されている戦後最長記録は昭和44年の第23期[[順位戦]]B級1組の[[芹沢博文]]対[[原田泰夫]]戦の389手で、'''棋譜が確認されている中で初めて400手を超えた'''。指し直し局は100手で牧野の勝ち。休憩含めて約19時間に及ぶ激闘となった<ref>{{Cite web|和書|author= |date= |url=http://www.hochi.co.jp/topics/feature/TO000659/20180301-OHT1T50024.html|title=将棋で史上最長の420手!中尾五段対牧野五段戦が19時間の死闘|publisher=[[スポーツ報知]] |accessdate=2018/03/04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180329122547/http://www.hochi.co.jp/topics/feature/TO000659/20180301-OHT1T50024.html|archivedate=2018-03-29}}</ref>。なお、この対局は2017年度の将棋大賞の一つである名局賞特別賞を受賞している。
'''勝てば「タイトル通算100期」負ければ「27年ぶりの無冠」'''(第31期)
* 第31期では、[[羽生善治]]の通算獲得タイトル100期が懸かる防衛戦では、挑戦者[[広瀬章人]]との七番勝負が第7局までもつれ、タイトル通算100期か27年ぶりの無冠、どちらかが決まる大一番となったが、この対局に破れた羽生は27年ぶりに無冠へ陥落<ref>{{Cite web|和書|url =https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20181222-OYT8T50004/ |title =広瀬新竜王終盤力 将棋界戦国時代 |publisher =www.yomiuri.co.jp |date =2018-12-22 |accessdate =2019-02-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190201171816/https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20181222-OYT8T50004/|archivedate=2019-02-01}}</ref>。
== 記録 ==
第36期終了時点まで
{| class="wikitable" style="text-align:right;"
|-
! !!最多!!連続最長!!最年長!!最年少
|-
!竜王獲得
|<!--最多-->{{align|left|[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]}}{{0}}通算11期
|<!--連続-->{{align|left|渡辺明}}{{0}}連続{{0}}9期
|<!--最年長-->{{align|left|[[羽生善治]]([[第30期竜王戦|第30期]])}}<br>{{age in years and days|1970|09|27|2017|12|05|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(在位は{{age in years and days|1970|09|27|2018|12|21|age=yes|to=none}}まで)}}
|<!--最年少--> {{align|left|羽生善治([[第2期竜王戦|第2期]])}}<br>{{align|right|{{age in years and days|1970|09|27|1989|12|27|age=yes|to=none}}}}
|-
!竜王防衛
|<!--最多-->{{align|left|[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]}}{{0}}通算{{0}}9期
|<!--連続-->{{align|left|渡辺明}}{{0}}連続{{0}}7期
|<!--最年長-->{{align|left|[[谷川浩司]]([[第10期竜王戦|第10期]])}}<br>({{Age in years and days|age=yes|to=none|1962|4|6|1997|11|19}})<!-- <br/>{{small|(在位は{{age in years and days|1962|4|6|1998|11|19|age=yes|to=none}}まで)}} -->
|<!--最年少--> {{align|left|[[藤井聡太]]([[第35期竜王戦|第35期]])}}<br>{{align|right|{{age in years and days|2002|07|19|2022|12|03|age=yes|to=none}}}}
|-
!番勝負出場
|<!--最多-->{{align|left|[[羽生善治]]}} {{0}}通算16期
|<!--連続-->{{align|left|渡辺明}}{{0}}連続10期
|rowspan="2"|<!--最年長-->{{align|left|羽生善治([[第33期竜王戦|第33期]])}}<br><ref group="注">タイトル戦第1局目1日目時点。最終局2日目時点では{{age in years and days|1970|09|27|2020|12|06|age=yes|to=none}}。</ref> {{age in years and days|1970|09|27|2020|10|09|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(挑戦決定は{{age in years and days|1970|09|27|2020|09|19|age=yes|to=none}})}}
|rowspan="2"|<!--最年少-->{{align|left|羽生善治([[第2期竜王戦|第2期]])}}<br><ref group="注">タイトル戦第1局1日目時点。</ref> {{age in years and days|1970|09|27|1989|10|19|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(挑戦決定は{{age in years and days|1970|09|27|1989|09|18|age=yes|to=none}})}}
|-
!挑戦
|<!--最多-->{{align|left|羽生善治}} {{0}}通算{{0}}9期
|<!--連続-->{{align|left|佐藤康光}} 連続{{0}}2期<br/>{{align|left|丸山忠久}} 連続{{0}}2期
|-
!決勝T進出<br/>{{small|(竜王在位含む)}}
|<!--最多-->{{align|left|羽生善治}} {{0}}通算27期
|<!--連続-->{{align|left|渡辺明}}{{0}}連続10期
|rowspan="2"|<!--最年長-->{{align|left| [[大山康晴]]([[第2期竜王戦|第2期]])}}<br/><ref group="注">決勝トーナメント1局目時点。決勝トーナメント敗退時は{{age in years and days|1923|3|13|1989|08|25|age=yes|to=none}}</ref> {{age in years and days|1923|3|13|1989|08|04|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(進出決定は{{age in years and days|1923|3|13|1989|07|11|age=yes|to=none}})}}
|rowspan="2"|<!--最年少-->{{align|left|[[藤井聡太]]([[第30期竜王戦|第30期]])}}<br><ref group="注">決勝トーナメント1局目時点。</ref> {{age in years and days|2002|07|19|2017|06|26|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(進出決定は{{age in years and days|2002|07|19|2017|05|25|age=yes|to=none}})}}
|-
!決勝T進出<br/>{{small|(竜王在位除く)}}
|<!--最多-->{{align|left|羽生善治}} {{0}}通算20期
|<!--連続-->{{align|left|久保利明}}{{0}}連続{{0}}6期
|-
!1組在籍<br/>{{small|(竜王在位含む)}}
|<!--最多-->{{align|left|羽生善治}} {{0}}通算33期
|<!--連続-->{{align|left|羽生善治}}{{0}}連続31期
|<!--最年長-->{{align|left| 大山康晴([[第5期竜王戦|第5期]])}}<br/><ref group="注">逝去時点。大山は1組在籍のまま第6期のエントリー前に逝去。</ref> {{age in years and days|1923|3|13|1992|07|26|age=yes|to=none}}
|<!--最年少-->{{align|left|羽生善治([[第2期竜王戦|第2期]])}}<br><ref group="注">タイトル戦第1局1日目時点。</ref> {{age in years and days|1970|09|27|1989|10|19|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(挑戦決定は{{age in years and days|1970|09|27|1989|09|18|age=yes|to=none}})}}
|-
!棋戦出場<br>{{small|(対局日基準)}}
|{{center|-}}||{{center|-}}
|<!--最年長-->{{align|left|[[加藤一二三]]([[第30期竜王戦|第30期]])}}<br><ref group="注">6組昇級者決定戦1回戦対局時点。</ref> {{age in years and days|1940|01|01|2017|06|20|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(2017年6月20日対局)}}
|<!--最年少-->{{align|left|[[藤井聡太]]([[第30期竜王戦|第30期]])}}<br><ref group="注">6組ランキング戦1回戦対局時点。</ref> {{age in years and days|2002|07|19|2016|12|24|age=yes|to=none}}<br/>{{small|(2016年12月24日対局)}}
|}
* 初参加から竜王獲得までに要した最短期数(第1期参加者を除く)
:; 所要4期での竜王挑戦・獲得
:* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](14期より参加 - 18期竜王)
:; 所要5期での竜王挑戦・獲得
:* [[藤井聡太]](30期より参加 - 34期竜王)
*竜王の復位
**[[谷川浩司]](1992年失冠=[[羽生善治]]が奪取、1996年に羽生善治から奪取・復位<ref group="注">羽生善治はこの間に一旦佐藤康光から竜王を奪われている(詳細はこの項目に後述)。</ref>)
**[[森内俊之]](2004年失冠=[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]が奪取、2013年に渡辺明から奪取・復位<ref group="注">渡辺明は、森内からの竜王奪取し森内に竜王奪取されるまでの間、竜王を9連覇(最長記録)し保持し続けていた。</ref>)
**[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](2013年失冠=[[森内俊之]]が奪取、2015年に[[糸谷哲郎]]から奪取・復位)
**[[羽生善治]]:竜王に4度復位(最多記録)。
***1990年失冠=[[谷川浩司]]が奪取、1992年に谷川浩司から奪取・復位(1度目)
***1993年失冠=[[佐藤康光]]が奪取、翌1994年に佐藤康光から奪取・復位(2度目)
***1996年失冠=[[谷川浩司]]が奪取、2001年に[[藤井猛]]から奪取・復位(3度目)
***2003年失冠=[[森内俊之]]が奪取、2017年に渡辺明から奪取・復位(4度目、奪取により'''永世竜王'''、'''永世七冠達成''')
; ランキング戦に関する記録
* ランキング戦連続優勝
{| class="wikitable" style="margin-left:3em;font-size:small;"
|+
!
!1組連続優勝
!2組からの<br/>連続優勝
!3組からの<br/>連続優勝
!4組からの<br/>連続優勝
!5組からの<br/>連続優勝
!6組からの<br/>連続優勝
|-
!5期連続<br/>優勝
| -
| -
| -
| -
| -
| colspan="4"|[[藤井聡太]]<br/>(30期6組-34期2組)<br/>※初参加から連続優勝
|-
!4期連続<br/>優勝
| -
| -
| -
| -
| -
| -
|-
!3期連続<br/>優勝
| -
| -
| -
|[[木村一基]]<br/>(14期4組-16期2組)
| -
|[[永瀬拓矢]]<br/>(24期6組-26期4組)<br/>[[梶浦宏孝]]<br/>(32期6組-34期4組)
|-
!2期連続<br/>優勝
|[[丸山忠久]](23-24期)<br/>[[羽生善治]](27-28期)<br/>[[永瀬拓矢]](34-35期)
| -
|[[郷田真隆]]<br/>(11期3組-12期2組)<br/>[[佐藤天彦]]<br/>(24期3組-25期2組)
|羽生善治<br/>(1期4組-2期3組)<br/>[[森内俊之]]<br/>(6期4組-7期3組)
|[[稲葉陽]]<br/>(24期5組-25期4組)<br/>[[増田康宏]]<br/>(30期5組-31期4組)
| colspan="2"|[[行方尚史]]<br/>(7期6組-8期5組)<br/>[[豊島将之]]<br/>(21期6組-22期5組)<br/>[[伊藤匠]]<br/>(35期6組-36期5組)
|}
* ランキング戦連続昇級
:; 5期連続昇級
:('''※太字''':初参加から6期での1組昇級決定者)
:* '''※[[佐藤康光]]'''(1期6組 - 2期5組 - 3期4組'''優勝''' - 4期3組 - 5期2組 - 6期1組)<br/>:第6期の竜王獲得も「1組からの昇級」扱いとすれば「6期連続昇級」
:* '''※[[鈴木大介 (棋士)|鈴木大介]]'''(8期6組'''優勝''' - 9期5組 - 10期4組 - 11期3組 - 12期2組 - 13期1組)
:* '''※[[橋本崇載]]'''(15期6組 - 16期5組 - 17期4組 - 18期3組 - 19期2組 - 20期1組):全て昇級者決定戦による昇級
:* [[佐藤天彦]](21期6組 - 22期5組 - 23期4組 - 24期3組'''優勝''' - 25期2組'''優勝''' - 26期1組)
:* '''※[[藤井聡太]]'''(30期6組'''優勝''' - 31期5組'''優勝''' - 32期4組'''優勝''' - 33期3組'''優勝''' - 34期2組'''優勝''' - 35期1組/昇級決定後に第34期竜王獲得)<br/>:5期連続昇級の'''全てがランキング戦優勝'''での昇級
:* [[都成竜馬]](31期6組'''優勝''' - 32期5組 - 33期4組 - 34期3組 - 35期2組 - 36期1組)
:; 4期連続昇級
:* [[行方尚史]](7期6組'''優勝''' - 8期5組'''優勝''' - 9期4組 - 10期3組'''優勝''' - 11期2組)
:* [[三枚堂達也]](29期6組 - 30期5組 - 31期4組 - 32期3組 - 33期2組)
<!--
:; 3期連続昇級
:* [[先崎学]](6期4組 - 7期3組 - 8期2組'''優勝''' - 9期1組)
:* [[郷田真隆]](10期4組 - 11期3組'''優勝''' - 12期2組'''優勝''' - 27期1組)
:* [[松尾歩]](18期4組 - 19期3組'''優勝''' - 20期2組 - 21期1組)
:* [[糸谷哲郎]](20期6組 - 21期5組'''優勝''' - 22期4組 - 23期3組)
:* [[広瀬章人]](22期6組 - 23期5組 - 24期4組 - 25期3組)
:* [[豊島将之]](24期4組 - 25期3組'''優勝''' - 26期2組 - 27期1組)
:* [[稲葉陽]](24期5組'''優勝''' - 25期4組'''優勝''' - 26期3組 - 27期2組)
:* [[永瀬拓矢]](24期6組'''優勝''' - 25期5組'''優勝''' - 26期4組'''優勝''' - 27期3組)
:* [[及川拓馬]](26期5組'''優勝''' - 27期4組 - 28期3組 - 29期2組)
:* [[斎藤慎太郎]](30期4組 - 31期3組 - 32期2組 - 33期1組)
:* [[千田翔太]](31期5組 - 32期4組 - 33期3組 - 34期2組)
:* [[梶浦宏孝]](32期6組'''優勝''' - 33期5組'''優勝''' - 34期4組'''優勝''' - 23期3組)
-->
* ランキング戦連続降級
:; 4期連続降級
:* [[阿部隆]](27期1組 - 28期2組 - 29期3組 - 30期4組 - 31期5組)
:; 3期連続降級
:* [[勝浦修]](13期2組 - 14期3組 - 15期4組 - 16期5組)
:* [[日浦市郎]](18期1組 - 19期2組 - 20期3組 - 21期4組)
:* [[高田尚平]](23期3組 - 24期4組 - 25期5組 - 26期6組)
:* [[谷川浩司]](28期1組 - 29期2組 - 30期3組 - 31期4組)
:* [[小林裕士]](34期2組 - 35期3組 - 36期4組 - 37期5組)
* 下位クラスからの1組昇級(竜王在位を含む)
:; 5組からの1組昇級
:* [[伊藤匠]](36期5組 - 37期1組)
:; 4組からの1組昇級
:* [[真田圭一]](10期4組 - 11期1組)
:* [[藤井猛]](11期4組 - 12期竜王)
:* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](17期4組 - 18期竜王)
* 初参加から1組昇級までに要した最短期数(第1期参加者を除く)
:; 所要3期での1組昇級
:* [[伊藤匠]](34期より参加 - 37期1組)
:; 所要4期での1組昇級
:* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](14期より参加 - 18期竜王)
* 現役引退公示棋士の竜王戦参加に関する記録(2010年の規定制定後)
:; 最高4組での参加
:* [[川上猛]](2022年度末に他棋戦の参加資格喪失後、37期'''4組'''、38期5組以上に参加)
:; 最高5組での参加
:* [[桐山清澄]](2019年度末に他棋戦の参加資格喪失後、34期5組、35期5組に参加)
:* [[藤倉勇樹]](2019年度末に他棋戦の参加資格喪失後、34期5組、35期5組に参加)
; 竜王戦・順位戦の在籍クラスに関する記録
* 竜王戦1組在籍棋士の順位戦下位クラス在籍
{{shogi-stub}}
* 順位戦A級在籍棋士の竜王戦下位クラス在籍
{{shogi-stub}}
; 連勝に関する記録
:; 番勝負における最多連勝
:* [[渡辺明 (棋士)|渡辺明]](10連勝 - [[第21期竜王戦|第21期]]七番勝負第4-7局、[[第22期竜王戦|第22期]]七番勝負第1-4局、[[第23期竜王戦|第23期]]七番勝負第1-2局 )
:; 同一年度内最多連勝(七番勝負含む)
:* [[藤井聡太]](12連勝<ref group="注">竜王戦史上初となる、'''ランキング戦からの勝ち上がりでの同一年度内無敗'''を記録。</ref> - [[第34期竜王戦|第34期]]ランキング戦(2組)4勝、本戦 2勝、挑決三番勝負 2勝0敗、七番勝負 4勝0敗)
:* [[伊藤匠]](12連勝 - [[第36期竜王戦|第36期]]ランキング戦(5組)5勝、本戦 5勝、挑決三番勝負 2勝0敗)
== 通算成績 ==<!--- 通算成績の更新はタイトル戦が終わってから。進行中の状態では更新しない。 --->
{| class="wikitable" style="font-size:89%; :" font-size:89%" border:1"
|
*「棋士別通算成績」は決勝T進出・1組所属した棋士に限り記載。
*'''太字'''は永世位獲得者または最多記録。
*1組所属期間は竜王在位期間も含む。
|}
{| class="wikitable sortable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:center; font-size:smaller"
! colspan="15"|棋士別通算成績
|-
! rowspan="2" |氏名
! colspan="2" |竜王在位
! colspan="2" |七番勝負出場<br/>(竜王・挑戦者)
! colspan="2" |挑戦者決定戦進出<br/>(竜王在位含む)
! colspan="2" |決勝T進出<br/>(竜王在位含む)
! colspan="2" |1組所属<br/>(竜王在位含む)
! rowspan="2" |1組優勝
! rowspan="2" |各組優勝
! rowspan="2" |決勝T<br/>最高成績
! rowspan="2" |最高<br/>所属組
|-
!通算!!連続!!通算!!連続!!通算!!連続!!通算!!連続!!通算!!連続
|-style="line-height:1em; white-space:nowrap;"
! style="border-top:hidden; font-size:89%; line-height:0.75em;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" | !! style="border-top:hidden;" |
|-
|'''渡辺明'''
|'''11'''{{refnest|name=challengerchange1|group=注}}
|'''9'''
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|13
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|14
|'''10'''
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|1
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| colspan="2" |{{Sort|A|'''永世竜王'''}}
|-
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|'''33'''
|'''31'''
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| colspan="2" |{{Sort|A|'''永世竜王'''}}
|-
|谷川浩司
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|3
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|22
|18
|2
|3
| colspan="2" |{{Sort|B|竜王}}
|-
|藤井猛
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|3
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|4
|4
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| colspan="2" |{{Sort|B|竜王}}
|-
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|3
|3
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|-
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|2
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|3
|3
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|9
|9
|0
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|-
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|2
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|2
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|-
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|2
|3
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|-
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|1
|3
|2
|3
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| colspan="2" |{{Sort|B|竜王}}
|-
|島朗
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|2
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|2
|2
| colspan="2" |{{Sort|B|竜王}}
|-
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|1
|2
|2
|2
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|-
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|'''8'''
| colspan="2" |{{Sort|C|挑戦者}}
|-
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|-
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|3
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|-
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|-
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|-
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|-
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|-
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|16
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|9
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|7
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|6
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|4
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|4
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|3
|3
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|2
|2
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|-
|澤田真吾
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|{{Sort|E01|1組}}
|}
{| class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:center; font-size:smaller"
!colspan="8"|女流棋士別出場実績
|-
!氏名!!通算!!連続!!出場期!!初出場!!最新出場!!勝利数!!最高成績
|- style="height:1.2em"
! !! !! !! !! !! !! !!
|-
|[[清水市代]]||20||18||7,9-26,28||第7期||第28期||7||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第19期)
|-
|[[中井広恵]]||9||4||7-10,12,14,16-18,25||第7期||第25期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト16進出 第7,8,9期)
|-
|[[里見香奈]]||8||5||22-24,32-36||第22期||第36期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト32進出 第33,34,36期)
|-
|[[伊藤沙恵]]||7||6||29,31-36||第29期||第36期||2||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト32進出 第29,32期)
|-
|[[甲斐智美]]||6||3||24-25,27-29,31||第24期||第31期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[加藤桃子]]||6||3||29-31,34-36||第29期||第36期||4||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト32進出 第30,31,34,36期)
|-
|[[香川愛生]]||5||5||27-31||第27期||第31期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[西山朋佳]]||5||5||32-36||第32期||第36期||8||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 4勝 (6組ベスト4進出 第33期)
|-
|[[矢内理絵子]]||4||3||20,22-24||第20期||第24期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[斎田晴子]]||4||1||8,11,15,21||第8期||第21期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第21期)
|-
|[[上田初美]]||3||3||25-27||第25期||第27期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第26期)
|-
|[[渡部愛]]||2||2||32-33||第32期||第33期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト32進出 第33期)
|-
|[[石橋幸緒]]||2||1||13,22||第13期||第22期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[岩根忍]]||2||1||23,30||第23期||第30期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[千葉涼子]]||1||1||19||第19期||第19期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[本田小百合]]||1||1||26||第26期||第26期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[中村真梨花]]||1||1||26||第26期||第26期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[鈴木環那]]||1||1||27||第27期||第27期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[山田久美]]||1||1||28||第28期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[室谷由紀]]||1||1||30||第30期||第30期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|colspan="8"|{{align|left|この表の成績には女流棋士転向前の出場成績も含めている。}}
|}
{| class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:center; font-size:smaller"
!colspan="8"|アマチュア選手別出場実績
|-
!氏名!!通算!!連続!!出場期!!初出場!!最新出場!!勝利数!!最高成績
|- style="height:1.2em"
! !! !! !! !! !! !! !!
|-
|早咲誠和||13||7||6,10,12-14,19,21-27||第6期||第27期||9||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第24期)
|-
|横山大樹||6||5||24,31-35||第24期||第35期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第32期)
|-
|[[小山怜央]]||6||5||30,32-36||第30期||第36期||8||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 4勝 (6組ベスト4進出 第34期)
|-
|遠藤正樹||6||3||6,11-13,20,28||第6期||第28期||5||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第11期)
|-
|[[今泉健司]]||5||2||16-17,19-20,26||第16期||第26期||7||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第16,26期)
|-
|桐山隆||5||2||9-10,15-16,32||第9期||第32期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[古作登]]||3||3||31-33||第31期||第33期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|鈴木純一||3||2||7-8,11||第7期||第11期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト16進出 第8期)
|-
|渡辺俊雄||3||2||16-17,21||第16期||第21期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|古屋皓介||3||2||18,22-23||第18期||第23期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第23期)
|-
|天野高志||3||1||4-5,26||第4期||第26期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト4進出 第4期)
|-
|渡辺健弥||3||1||9,11,14||第9期||第14期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト16進出 第11期)
|-
|加藤幸男||3||1||18,20,22||第18期||第22期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第20期)
|-
|清水上徹||3||1||19,22,26||第19期||第26期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|横山公望||2||2||4-5||第4期||第5期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|蛭川敦||2||2||7-8||第7期||第8期||2||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト8進出 第7期)
|-
|林隆弘||2||2||12-13||第12期||第13期||2||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第12,13期)
|-
|吉沢大樹||2||2||14-15||第14期||第15期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第14期)
|-
|金内辰明||2||2||18-19||第18期||第19期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|早川俊||2||2||20-21||第20期||第21期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|渡辺誠||2||2||29-30||第29期||第30期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第29期)
|-
|小野内一八||2||2||33-34||第33期||第34期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|古賀一郎||2||1||1,6||第1期||第6期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組ベスト8進出 第1期)
|-
|竹中健一||2||1||2,9||第2期||第9期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|田尻隆司||2||1||2,12||第2期||第12期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|宮本浩二||2||1||3,9||第3期||第9期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第3期)
|-
|菊田裕司||2||1||5,7||第5期||第7期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|下平雅之||2||1||14,28||第14期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中川慧梧||2||1||25,27||第25期||第27期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第25期)
|-
|吉本悠太||2||1||29,35||第29期||第35期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第29期)
|-
|知花賢||2||1||33,35||第33期||第35期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト32進出 第35期)
|-
|水谷創||2||1||28,36||第28期||第36期||4||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 4勝 (6組ベスト8進出 第36期)
|-
|小林庸俊||1||1||1||第1期||第1期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|谷川俊昭||1||1||1||第1期||第1期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|小島一宏||1||1||1||第1期||第1期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|沖元二||1||1||2||第2期||第2期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第2期)
|-
|西本太郎||1||1||2||第2期||第2期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|金子タカシ||1||1||3||第3期||第3期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|野山知敬||1||1||3||第3期||第3期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|西山実||1||1||3||第3期||第3期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|柳浦正明||1||1||4||第4期||第4期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|北村公一||1||1||4||第4期||第4期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|新井田基信||1||1||5||第5期||第5期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|永森広幸||1||1||5||第5期||第5期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中野博文||1||1||6||第6期||第6期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|山本薫||1||1||7||第7期||第7期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中村知義||1||1||8||第8期||第8期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|青柳敏郎||1||1||8||第8期||第8期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|加賀屋浩美||1||1||10||第10期||第10期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|樋田栄正||1||1||10||第10期||第10期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組3回戦進出 第10期)
|-
|森岡正幸||1||1||11||第11期||第11期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|篠田正人||1||1||13||第13期||第13期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中藤誠||1||1||15||第15期||第15期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|細川大市郎||1||1||15||第15期||第15期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|小牧毅||1||1||16||第16期||第16期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第16期)
|-
|東野徹男||1||1||17||第17期||第17期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|伊藤大悟||1||1||17||第17期||第17期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中川俊一||1||1||18||第18期||第18期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第18期)
|-
|才田信之||1||1||20||第20期||第20期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|野島崇宏||1||1||21||第21期||第21期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|山口直哉||1||1||21||第21期||第21期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|鈴木勝裕||1||1||22||第22期||第22期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|秋山太郎||1||1||23||第23期||第23期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|加來博洋||1||1||23||第23期||第23期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|竹内俊弘||1||1||23||第23期||第23期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|中村裕介||1||1||24||第24期||第24期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|浅倉孝幸||1||1||24||第24期||第24期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|武田俊平||1||1||24||第24期||第24期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第24期)
|-
|[[稲葉聡]]||1||1||25||第25期||第25期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第25期)
|-
|佐伯紘一||1||1||25||第25期||第25期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|千葉成人||1||1||25||第25期||第25期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|川西勇作||1||1||26||第26期||第26期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第26期)
|-
|伊ヶ崎博||1||1||27||第27期||第27期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|林秦佑||1||1||27||第27期||第27期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|吉岡大和||1||1||27||第27期||第27期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|小泉卓也||1||1||28||第28期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|笠井将生||1||1||28||第28期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|城間春樹||1||1||29||第28期||第28期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第29期)
|-
|藤本裕行||1||1||29||第28期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|桶屋郁夫||1||1||29||第28期||第28期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|石井直樹||1||1||30||第30期||第30期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第30期)
|-
|中島灯希||1||1||30||第30期||第30期||3||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第30期)
|-
|長森優作||1||1||30||第30期||第30期||1||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第30期)
|-
|藤原結樹||1||1||31||第31期||第31期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|野島進太郎||1||1||31||第31期||第31期||2||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第31期)
|-
|久保田貴洋||1||1||31||第31期||第31期||2||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第31期)
|-
|橋嵜卓万||1||1||32||第32期||第32期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|禰保拓也||1||1||33||第33期||第33期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|天野倉優臣||1||1||34||第34期||第34期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|箭子涼太||1||1||36||第36期||第36期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|鈴木肇||1||1||36||第36期||第36期||0||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|}
{| class="sortable wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="text-align:center; font-size:smaller"
!colspan=5|奨励会員別出場実績
|-
!氏名!!通算!!連続!!期!!最高成績
|- style="height:1.2em"
! !! !! !! !!
|-
|[[石井健太郎 (棋士)|石井健太郎]]||1||1||第25期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[宮本広志]]||1||1||第26期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト16進出 第26期)
|-
|[[西田拓也]]||1||1||第27期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[佐々木大地 (棋士)|佐々木大地]]||1||1||第28期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第28期)
|-
|石川泰||1||1||第29期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 3勝 (6組ベスト8進出 第29期)
|-
|[[黒田尭之]]||1||1||第30期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|甲斐日向||1||1||第31期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 1勝 (6組2回戦進出 第31期)
|-
|枡田悠介||1||1||第32期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[古賀悠聖]]||1||1||第33期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト32進出 第33期)
|-
|[[横山友紀]]||1||1||第34期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 0勝
|-
|[[柵木幹太]]||1||1||第35期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 2勝 (6組ベスト32進出 第35期)
|-
|[[上野裕寿]]||1||1||第36期||style="text-align:left;"|6組ランキング戦 4勝 (6組ベスト8進出 第36期)
|-
|colspan="5"|{{align|left|奨励会在籍当時に女流棋士枠で出場した西山朋佳は「女流棋士別出場実績」に掲載。}}
|}
== 放送・配信 ==
七番勝負の模様は、名人戦七番勝負と同様、「将棋竜王戦」という番組名で[[日本放送協会|NHK]]でテレビ放送されていた。{{main|[[名人戦 (将棋)#テレビ放送]]}}
ネット配信では2020年現在、[[ABEMA]]・[[ABEMA 将棋チャンネル|将棋チャンネル]]で七番勝負の完全生中継が行われている。2019年までは[[ニコニコ生放送]]でも配信されていた。
藤井聡太竜王に広瀬章人八段が挑戦者となった2022年の第35期竜王戦七番勝負は、竜王戦史上初となるテレビCMが制作され、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と[[BS日本|BS日テレ]]で放送された<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20220930-SYT8T3376231/ 【動画】藤井聡太竜王と広瀬章人八段が駒をビシッ! 第35期竜王戦七番勝負のCMが完成] - 読売新聞オンライン(2022年9月30日)</ref>。
== 第1期竜王戦 ==
{{main|第1期竜王戦}}
1987 - 1988年に行われた第1期は、竜王戦の前身が十段戦であったということで、最後の十段となった「[[第26期十段戦_(将棋)|第26期十段]]」と、永世十段資格者2名の計3名が本戦にシードされた。
ランキング戦の1-6組の組分けの順序は、十段戦終了1期前の「[[第25期十段戦_(将棋)|第25期十段]]」と十段以外のタイトル保持者を優先し、以下、「[[第46期順位戦]]」の順位序列で決められた。
本戦は14人によるトーナメントで、2つの準決勝は三番勝負、決勝は七番勝負で行われ、決勝を制した[[島朗]]六段が初代竜王となった。
(表中、「L残」は第26期十段リーグ残留の成績を挙げた者。称号や段位は当時のもの)
{| class="wikitable" style="text-align: center;font-size:90%;"
|-
!クラス!!人数!!本戦出場!!構成<br/>(第46期[[順位戦]]順位など)!!備考
|-
|本戦<br/>準決勝シード||colspan="2"|1名||align="left"|第26期十段<br/>[[高橋道雄]]十段・棋王||align="left"|準決勝三番勝負で米長に1勝2敗で敗れる。
|-
|本戦<br/>準々決勝シード||colspan="2"|2名||align="left"|永世十段資格者<br/>[[中原誠]]名人<br />[[大山康晴]]十五世名人||align="left"|中原が準決勝三番勝負に<br />進出するが島に1勝2敗で敗れる。
|-
|1組||14名||4名||align="left"|[[福崎文吾]]七段(第25期十段、L残)<br />[[米長邦雄]]九段(第23・24期十段、L残)
'''以上、1組予選2回戦より出場'''<br />[[桐山清澄]]棋聖(A級3位、L残)<br />[[谷川浩司]]王位(A級2位、L残)<br />[[塚田泰明]]王座(B級1組13位)<br />[[中村修 (棋士)|中村修]]王将(B級2組4位)<br />A級5-10位<ref group="注">第26期十段リーグで陥落相当の成績に終わった有吉道夫九段は、A級8位で1組に組み分けされた。</ref><br />B級1組1位、2位
| align="left" |1組2位で本戦出場の[[米長邦雄]]九段が<br />竜王決定七番勝負に進出するが島に敗れる。
|-
|2組||16名||2名||align="left"|B級1組3-12位<br />B級2組1,2,5-8位||
|-
|3組||16名||2名||align="left"|B級2組9-19,21-23位<br />C級1組1,2位||align="left"|3組2位から本戦出場の<br/>[[島朗]]六段(B級2組9位)が初代竜王に。
|-
|4組||32名||1名||align="left"|C級1組3-24位<br />C級2組1-10位<ref group="注">第26期十段リーグで陥落相当の成績に終わった泉正樹五段は、C級2組8位で4組に組み分けされた。</ref>||
|-
|5組||32名||1名||align="left"|C級2組11-42位||
|-
|6組||残り全員<br>(19名)||1名||align="left"|C級2組43位以下11名<br />C級2組からの降級者1名<ref group="注">[[関屋喜代作]]六段。第1期が行われた当時は、[[順位戦#フリークラス|フリークラス]]の制度が存在していなかった。</ref><br />新四段3名<br />アマチュア4名||
|}
==書籍==
特記なしはすべて読売新聞社から刊行
*第一期竜王決定七番勝負 激闘譜―九段・米長邦雄 六段・島朗 1989/1/1
*第二期竜王決定七番勝負 激闘譜 1990/3/1
*第三期竜王決定七番勝負 激闘譜―竜王・羽生善治 王位王座・谷川浩司 1991/2/1
*第四期竜王決定七番勝負 激闘譜―谷川浩司‐森下卓 1992/3/1
*竜王決定七番勝負 激闘譜〈第5期〉竜王・谷川浩司‐王座棋王・羽生善治 1993/2/1
*竜王決定七番勝負 激闘譜〈第6期〉竜王・羽生善治‐七段・佐藤康光 1994/2/1
*データブック 竜王決定七番勝負 激闘譜 第六期 1994/5/1
*第七期竜王決定七番勝負 激闘譜―竜王 佐藤康光 名人 羽生善治 1995/2/1
*第八期竜王決定七番勝負 激闘譜―羽生善治VS佐藤康光 1996/2/1
*第九期 竜王決定七番勝負 激闘譜―羽生善治 VS 谷川浩司 1997/2/1
*第十期竜王決定七番勝負 激闘譜―竜王谷川浩司VS六段真田圭一 1998/2/1
*第十一期竜王決定七番勝負激闘譜―竜王谷川浩司・七段藤井猛 1999/2/1
*第十二期竜王決定七番勝負激闘譜―藤井猛VS鈴木大介 2000/2/1
*第十三期竜王決定七番勝負 激闘譜―藤井猛vs羽生善治 2001/2/1
*第十四期竜王決定七番勝負激闘譜―藤井猛vs羽生善治 2002/2/1
*第十五期竜王決定七番勝負 激闘譜―羽生善治vs.阿部隆 2003/3/1
*竜王決定七番勝負―激闘譜 (第16期) 2004/2/1
*第十七期竜王決定七番勝負 激闘譜―森内俊之vs.渡辺明 2005/2/1
*第十八期竜王決定七番勝負 激闘譜―渡辺明vs.木村一基 2006/2/1
*第十九期竜王決定七番勝負激闘譜―竜王・渡辺明vs.棋聖・佐藤康光 2007/3/1
*第二十期竜王決定七番勝負 激闘譜―竜王・渡辺明×二冠・佐藤康光 2008/3/1
*第二十一期竜王決定七番勝負 激闘譜―渡辺明vs.羽生善治 2009/3/1
*竜王戦全集 第1期〜第32期 書籍編集部編 マイナビ出版刊行 2020/3/11
== 関連項目 ==
* [[女流名人戦 (将棋)]] - [[報知新聞社]]主催の将棋の女流タイトル戦
* [[棋聖 (囲碁)]] - 読売主催の[[囲碁]]の最高[[棋戦 (囲碁)|棋戦]]。
* [[ポケモンワールドチャンピオンシップス#ポケモン竜王戦|ポケモン竜王戦]] - [[ポケモン_(企業)|株式会社ポケモン]]主催の『[[ポケットモンスター]]』シリーズのゲーム、カードゲーム大会。参加資格は期ごとでまちまちである<ref group="注">第1期は[[未就学児]]を含む小学生以下。第2期は小学生のみ。第3期は年齢制限が無くなった。</ref>。「竜王戦」の冠は日本将棋連盟公認で、読売新聞社、日本将棋連盟が共催に加わっている<ref>[http://www.pokemon.co.jp/ex/pokemonryuoh/ ポケモン竜王戦] - 株式会社ポケモン(第1期サイト)</ref><ref>[http://www.pokemon.co.jp/ex/pokemonryuoh2/ 『ポケモン竜王戦』公式サイト] - 株式会社ポケモン(第2期サイト)</ref><ref>[http://www.pokemon.co.jp/ex/pokemonryuoh3/ 「第3回 ポケモン竜王戦」公式サイト] - 株式会社ポケモン(第3期サイト)</ref><ref>[https://www.shogi.or.jp/event/2014/03/post_961.html ポケモン竜王戦 決勝大会レポート 更新: 2014年3月26日 11:17] - 日本将棋連盟</ref>。優勝者は「第○期ポケモン竜王」の称号を与えられる。また、第2期までは世界大会・[[ポケモンワールドチャンピオンシップス]]本戦の招待出場権<ref group="注">[[シード|シード権]]付与に加え、旅費・交通費主催者負担となる。</ref>を得られた。
* [[ほほえみの宿 滝の湯]] - 本棋戦にちなんで名付けられた「竜王の間」がある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|2|group=注}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
== 外部リンク ==
* [https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/ 竜王戦 : 読売新聞オンライン]
* [http://live.shogi.or.jp/ryuou/ TOPページ|竜王戦中継]
* [https://www.shogi.or.jp/match/ryuuou/ 竜王戦 |棋戦|日本将棋連盟]
* [https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/blog/ 竜王戦中継ブログ]【第35期七番勝負以降】
* [https://kifulog.shogi.or.jp/ryuou/ 竜王戦中継plus(中継ブログ)]【第20期-第34期および第35期挑決】
* [https://web.archive.org/web/20060822192053/http://www.iijnet.or.jp:80/shogi/ 第19期竜王戦中継ブログ](web.archive.orgによるアーカイブ)
* [https://web.archive.org/web/20081021163444/http://ryuoh.weblogs.jp/ 第19期竜王戦中継ブログ (2006年6月23日-12月21日)](web.archive.orgによるアーカイブ)
* [https://web.archive.org/web/20070701085246/http://live.shogi.or.jp:80/ryuou-19/ 竜王戦中継サイト]【第19期】(web.archive.orgによるアーカイブ)
* かつての竜王戦サイト ryuoh.jp(読売新聞)[https://web.archive.org/web/20011121113525/http://www.ryuoh.jp/ (web.archive.orgによるアーカイブ)]
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2003-07-15T02:43:47Z
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11,434 |
猪苗代駅
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猪苗代駅(いなわしろえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字千代田字扇田(おうぎだ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
相対式ホーム2面2線 を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。駅舎側の1番線を主本線とした一線スルーとなっているため、列車交換がない場合、上り・下り列車とも1番線に発着する。2番線は列車交換時に下り列車が使用する。
JR東日本東北総合サービス運営の業務委託駅で、会津若松駅が当駅を管理する。自動券売機、指定席券売機、簡易Suica改札機が設置されている。
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は499人である。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
駅前から会津バス、タクシーの連絡があり、磐梯朝日国立公園の入り口となっている。
「猪苗代駅」停留所にて、以下の路線バスやタクシーが発着する。
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"text": "駅前から会津バス、タクシーの連絡があり、磐梯朝日国立公園の入り口となっている。",
"title": "駅周辺"
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"text": "「猪苗代駅」停留所にて、以下の路線バスやタクシーが発着する。",
"title": "バス路線"
}
] |
猪苗代駅(いなわしろえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字千代田字扇田(おうぎだ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 猪苗代駅
|画像 = JR Inawashiro sta 001.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅舎(2013年7月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|32|46.73|N|140|6|11.08|E}}}}
|よみがな = いなわしろ
|ローマ字 = Inawashiro
|前の駅 = [[川桁駅|川桁]]
|駅間A = 3.3
|駅間B = 4.4
|次の駅 = [[翁島駅|翁島]]
|電報略号 = イロ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]<ref name="StationCd=151" />
|キロ程 = 36.7
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字千代田字扇田<ref name="StationCd=151" />
|座標 = {{coord|37|32|46.73|N|140|6|11.08|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="StationCd=151" /><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線
|乗車人員 = 499
|統計年度 = 2022年
|備考 = [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]
|備考全幅 =
}}
'''猪苗代駅'''(いなわしろえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字千代田字扇田(おうぎだ)にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="StationCd=151" />。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]:[[岩越鉄道]]の駅として開業<ref name="StationCd=151" />{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1956年]]([[昭和]]31年)3月:駅本屋改築<ref>『仙台鉄道管理局40年史』仙台鉄道管理局、1960年、216頁</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[9月1日]]:貨物の取り扱いを廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。[[自動券売機]]を設置<ref>{{Cite news |title=三線の営業体制近代化実施 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1972-08-30 |page=1 }}</ref>。
* [[1973年]](昭和48年):この頃、駅舎内にハンバーガー店の営業を開始<ref>{{Cite news |和書|title=車窓 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1973-05-03 |page=2 }}</ref>。
* [[1974年]](昭和49年)[[4月1日]]:[[みどりの窓口]]営業開始<ref>{{Cite news |和書|title=小牛田駅など七駅にも |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1974-03-31 |page=3 }}</ref><ref>国鉄監修『交通公社の時刻表』1974年5月号</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|停車場}}<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2014年]]([[平成]]26年)4月1日:[[ICカード]]「[[Suica]]」が仙台エリアとして利用開始となる<ref>[http://www.jreast.co.jp/press/2013/20131114.pdf Suica の一部サービスをご利用いただける駅が増えます] - 2013年11月29日東日本旅客鉄道株式会社</ref>。
* [[2018年]](平成30年)[[7月1日]]:業務委託化<ref>{{PDFlink|[https://sa43ec6269b327851.jimcontent.com/download/version/1528794086/module/7542921761/name/%E5%96%B6%E6%A5%AD%E8%81%B7%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%96%BD%E7%AD%96%E3%81%AE%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%81%A8%E8%AA%AC%E6%98%8E%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf 営業職場の施策の提案と説明について]}}</ref>。
* [[2022年]]([[令和]]4年)
** [[10月31日]]:みどりの窓口の営業を終了<ref name="StationCd=151">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=151|title=駅の情報(猪苗代駅):JR東日本|language=日本語|accessdate=2022-10-07|publisher=東日本旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221007025106/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=151|archivedate=2020-10-07}}</ref>。
** 11月1日:[[指定席券売機]]を導入<ref name="StationCd=151" />。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-20}}</ref> を有する[[地上駅]]。互いのホームは[[跨線橋]]で連絡している。駅舎側の1番線を主本線とした[[一線スルー]]となっているため、列車交換がない場合、上り・下り列車とも1番線に発着する。2番線は列車交換時に下り列車が使用する。
[[JR東日本東北総合サービス]]運営の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]で、[[会津若松駅]]が当駅を管理する。[[自動券売機]]<ref name="StationCd=151" />、[[指定席券売機]]<ref name="StationCd=151" />、簡易[[Suica]]改札機が設置されている。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center;"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list0151">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0151.html |title=時刻表 猪苗代駅 |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2022-08-20}}</ref>
|-
!1・2
|style="text-align:center;"|下り
|rowspan="2"|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list0151" />
|}
* 2番線は列車交換時のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Inawashiro Station Gate, Fukushima Pref 20230422.jpg|改札口と切符売り場(2023年4月)
JR East Inawashiro Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Inawashiro Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は'''499人'''である<ref group="利用客数" name="passenger/2022_06" />。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 85%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="3"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|2000年(平成12年)
|style="text-align:right;"|847
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2000_03.html|title=各駅の乗車人員(2000年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|style="text-align:right;"|830
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2001_03.html|title=各駅の乗車人員(2001年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|style="text-align:right;"|807
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2002_03.html|title=各駅の乗車人員(2002年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|style="text-align:right;"|785
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2003_03.html|title=各駅の乗車人員(2003年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|style="text-align:right;"|798
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2004_03.html|title=各駅の乗車人員(2004年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|style="text-align:right;"|804
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2005_03.html|title=各駅の乗車人員(2005年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|style="text-align:right;"|784
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2006_03.html|title=各駅の乗車人員(2006年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|style="text-align:right;"|743
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2007_04.html|title=各駅の乗車人員(2007年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|style="text-align:right;"|702
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2008_04.html|title=各駅の乗車人員(2008年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|style="text-align:right;"|652
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2009_04.html|title=各駅の乗車人員(2009年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|style="text-align:right;"|611
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2010_04.html|title=各駅の乗車人員(2010年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|style="text-align:right;"|551
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2011_04.html|title=各駅の乗車人員(2011年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|style="text-align:right;"|570
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2012_07.html|title=各駅の乗車人員(2012年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|style="text-align:right;"|601
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2013_07.html|title=各駅の乗車人員(2013年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|style="text-align:right;"|582
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2014_07.html|title=各駅の乗車人員(2014年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|style="text-align:right;"|595
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2015_07.html|title=各駅の乗車人員(2015年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|style="text-align:right;"|596
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2016_07.html|title=各駅の乗車人員(2016年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|style="text-align:right;"|600
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2017_06.html|title=各駅の乗車人員(2017年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2018-07-09}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|style="text-align:right;"|585
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2018_06.html|title=各駅の乗車人員(2018年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-07-21}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|style="text-align:right;"|545
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2019_06.html|title=各駅の乗車人員(2019年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2020-07-13}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|style="text-align:right;"|414
|<ref group="利用客数" name="passenger/2020_07">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2020_07.html|title=各駅の乗車人員(2020年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2021-07-25}}</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|style="text-align:right;"|413
|<ref group="利用客数" name="passenger/2021_07">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2021_07.html|title=各駅の乗車人員(2021年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2022-08-10}}</ref>
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|style="text-align:right;"|499
|<ref group="利用客数" name="passenger/2022_06">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2022_06.html|title=各駅の乗車人員(2022年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-07-12}}</ref>
|}
== 駅周辺 ==
駅前から[[会津乗合自動車|会津バス]]、タクシー<ref name="zeneki"/>の連絡があり、[[磐梯朝日国立公園]]の入り口となっている。
* [[猪苗代磐梯高原インターチェンジ|猪苗代磐梯高原IC]] - [[磐越自動車道]]
* [[道の駅猪苗代]]
* [[国道115号]]
* [[福島県道204号猪苗代停車場線]]
* 猪苗代町役場
* [[猪苗代警察署]]
* 猪苗代駅前郵便局
* [[猪苗代郵便局]]
* [[猪苗代町立千里小学校]]
* [[猪苗代町立猪苗代中学校]]
* [[福島県立猪苗代高等学校]]
* [[会津乗合自動車]]旧猪苗代営業所 - 駅のすぐ向かい側、駅から向かって左手。[[夢街道会津号]]の一部が発着する。
* [[猪苗代スキー場]] - 当駅からシャトルバスが運行されている。
== バス路線 ==
<!--バス路線の記述は[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、必要最小限の情報に留めています。特に経由地については、[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]の観点から、記載しないでください。-->
「猪苗代駅」停留所にて、以下の路線バスやタクシーが発着する。
* 路線バス
** [[会津乗合自動車]]
*** '''上戸駅線''':猪苗代病院入口 / [[上戸駅 (福島県)|上戸駅]]
*** '''北窪・金の橋線''':北窪 / [[金の橋・銀の橋|金の橋]]
*** '''慧日寺線''':猪苗代病院入口 / [[恵日寺 (福島県磐梯町)|慧日寺]]資料館
*** '''桧原線''':桧原
*** '''休暇村線''':[[休暇村]]裏磐梯
*** '''千貫線''':千貫
*** '''磐梯桧原湖畔ホテル線''':磐梯桧原湖畔ホテル
*** '''中ノ沢線''':達沢
*** '''川桁駅線''':[[川桁駅]]
** [[福島交通]]
*** '''郡山~裏磐梯線(スキーシーズン)運行<ref>[https://www.fukushima-koutu.co.jp/upd/detail.php?update_id=2768&t=&f=2 グランデコスノーリゾートへのスキーバス「郡山~裏磐梯線」を運行いたします(2023年12月16日より)]</ref>''':グランデコマウンテンセンター・EN RESORT Grandeco Hote ※予約制
* 高速バス
** [[夢街道会津号]]([[会津乗合自動車|会津バス]]・[[ジェイアールバス関東|JRバス関東]])
*** [[バスタ新宿|バスタ新宿(新宿駅新南口)]]
*** [[東京駅のバス乗り場|東京駅]]
*** [[東京ディズニーランド]](夜行便)
* 空港リムジン
** [[会津タクシー]]
*** [[福島空港]]
== その他 ==
* 「手書きの駅名看板が、レトロな雰囲気を醸し出す駅舎」を有するとして、[[2002年]](平成14年)、[[東北の駅百選]]に選定された<ref name="zeneki"/>。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: [[磐梯熱海駅]] - '''猪苗代駅''' - [[磐梯町駅]]
:: {{Color|red|□}}快速(上下各1本)<ref name="timetable/list0151" />・{{Color|gray|■}}普通
::: [[川桁駅]] - '''猪苗代駅''' - [[翁島駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====-->
{{Reflist|3}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="利用客数"|3}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=151|name=猪苗代}}
{{磐越西線}}
{{東北の駅百選}}
{{DEFAULTSORT:いなわしろ}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 い|なわしろ]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅|いなわしろえき]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|いなわしろえき]]
|
2003-07-15T03:10:51Z
|
2023-12-06T08:41:22Z
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] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E8%8B%97%E4%BB%A3%E9%A7%85
|
11,435 |
猪苗代町
|
猪苗代町(いなわしろまち)は、福島県の会津地方に位置し、耶麻郡に属する町。
猪苗代湖の北岸に面し、東西北の三方を会津磐梯山をはじめとする山々に囲まれた自然豊かな町。日本海式気候で、冬は積雪1~2mとなる。医師であり世界的な細菌学者の野口英世の生誕地としても知られる。
近代に入り、猪苗代湖畔に皇族の別邸が建てられて以来、リゾート地として賑わいを見せている。特に昭和天皇と香淳皇后が新婚旅行先として猪苗代町に訪れてからは、一般にも広く知れ渡るようになった。猪苗代湖の湖水浴やスキーが代表的な観光である。
特産品は、米の生産調整対策に伴う転作作物としてのそばをはじめ、磐梯トマト、七ツ森牛乳、磐梯黄金みそ、あげまんじゅう、笹だんご、ふなの甘露煮、山菜加工品、湯の華、中ノ沢こけし、つる細工、清酒などである。
北西に磐梯山がそびえ、南には猪苗代湖を湛える。活火山を3つも抱える珍しい自治体である。
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に特別豪雪地帯に指定されている。
この他、福島県立富岡高等学校国際スポーツ科のサテライトキャンパスが猪苗代高校に間借りする形で設置されている。
猪苗代町は、福島県中通り地方と会津地方を結ぶ主要街道の中継地点として古来より交通の要衝として戦略上重要視されてきた。現在も福島市・郡山市と会津若松市の中間地点、また観光地裏磐梯への玄関口として交通上重要な役割を果たしている地域である。
2009年にフリースタイルスキー世界選手権が猪苗代町で開催されたが、開催までには紆余曲折があった。契約書を全く理解せずに誘致するという組織委員会の不手際等で、当初の財務計画5億7900万円をはるかに超える21億円以上の予算となることが発覚した。開催地である猪苗代町の負担は財政的にも不可能であり、福島県に差分を補填してもらう以外に手段は無かった。非常に難しい情勢であったが、大会は予定通り3月2日から3月8日まで行われ、上村愛子が2個の金メダルを獲得するなど話題を集めた。(2009年フリースタイルスキー世界選手権参照)
|
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"text": "猪苗代町は、福島県中通り地方と会津地方を結ぶ主要街道の中継地点として古来より交通の要衝として戦略上重要視されてきた。現在も福島市・郡山市と会津若松市の中間地点、また観光地裏磐梯への玄関口として交通上重要な役割を果たしている地域である。",
"title": "交通"
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"text": "2009年にフリースタイルスキー世界選手権が猪苗代町で開催されたが、開催までには紆余曲折があった。契約書を全く理解せずに誘致するという組織委員会の不手際等で、当初の財務計画5億7900万円をはるかに超える21億円以上の予算となることが発覚した。開催地である猪苗代町の負担は財政的にも不可能であり、福島県に差分を補填してもらう以外に手段は無かった。非常に難しい情勢であったが、大会は予定通り3月2日から3月8日まで行われ、上村愛子が2個の金メダルを獲得するなど話題を集めた。(2009年フリースタイルスキー世界選手権参照)",
"title": "その他"
}
] |
猪苗代町(いなわしろまち)は、福島県の会津地方に位置し、耶麻郡に属する町。
|
{{日本の町村
| 画像 = Nagahama Iwanashiroko.jpg
| 画像の説明 = [[猪苗代湖]]
| 旗 = [[ファイル:Flag of Inawashiro, Fukushima.svg|100px|border|猪苗代町旗]]
| 旗の説明 = 猪苗代[[市町村旗|町旗]]<div style="font-size:smaller">[[1975年]][[12月12日]]制定
| 紋章 = [[ファイル:Emblem of Inawashiro, Fukushima.svg|70px|猪苗代町章]]
| 紋章の説明 = 猪苗代[[市町村章|町章]]<div style="font-size:smaller">[[1975年]][[12月12日]]制定</small><ref>図典 日本の市町村章 p49</ref>
| 自治体名 = 猪苗代町
| 区分 = 町
| 都道府県 = 福島県
| 郡 = [[耶麻郡]]
| コード = 07408-0
| 隣接自治体 = [[福島市]]、[[二本松市]]、[[郡山市]]、[[会津若松市]]、[[耶麻郡]][[磐梯町]]、[[北塩原村]]<br />[[山形県]][[米沢市]]
| 木 = [[ナナカマド]]
| 花 = [[サギソウ]]
| シンボル名 = 町の鳥
| 鳥など = [[ハクチョウ]]
| 郵便番号 = 969-3192
| 所在地 = 耶麻郡猪苗代町字城南100番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-07|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Inawashiro town office.JPG|center|250px]]
| 外部リンク = {{Official website}}
| 位置画像 = {{基礎自治体位置図|07|408|image=Inawashiro in Fukushima Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}
| 特記事項 =
}}
[[ファイル:Mount Bandai in Autumn.jpg|thumb|250px|[[磐梯山]]]]
[[ファイル:Central Inawashiro.JPG|thumb|250px|猪苗代町中心部]]
[[ファイル:View of Inawashiro.JPG|250px|thumb|right|亀ヶ城公園から眺めた猪苗代町内([[2002年]]([[平成]]14年)4月撮影)]]
'''猪苗代町'''(いなわしろまち)は、[[福島県]]の[[会津地方]]に位置し、[[耶麻郡]]に属する[[町]]。
== 概要 ==
[[猪苗代湖]]の北岸に面し、東西北の三方を会津[[磐梯山]]をはじめとする山々に囲まれた自然豊かな町<ref name="fukushima">[http://www.fksm.jp/youran/074080.html 猪苗代町] 福島県市町村要覧2015(財)福島県市町村振興協会</ref>。[[日本海式気候]]で、冬は積雪1~2mとなる<ref name="fukushima"/>。医師であり世界的な細菌学者の[[野口英世]]の生誕地としても知られる。
[[近代]]に入り、[[猪苗代湖|猪苗代湖畔]]に[[皇族]]の別邸が建てられて以来、リゾート地として賑わいを見せている。特に[[昭和天皇]]と[[香淳皇后]]が[[新婚旅行]]先として猪苗代町に訪れてからは、一般にも広く知れ渡るようになった。猪苗代湖の湖水浴やスキーが代表的な観光である。
特産品は、米の生産調整対策に伴う転作作物としての[[蕎麦|そば]]をはじめ、磐梯トマト、七ツ森牛乳、磐梯黄金みそ、あげまんじゅう、笹だんご、ふなの甘露煮、山菜加工品、湯の華、中ノ沢こけし、つる細工、清酒などである<ref name="fukushima"/>。
== 地理 ==
北西に[[磐梯山]]がそびえ、南には[[猪苗代湖]]を湛える。[[活火山]]を3つも抱える珍しい自治体である。
* 山:[[磐梯山]]、[[安達太良山]]、[[吾妻山]]、大滝山、[[川桁山]]、名倉山
* 河川:[[長瀬川 (福島県)|長瀬川]]、[[酸川]]、大倉川
* 湖沼:[[猪苗代湖]]、[[秋元湖]]
* 島:[[翁島]]([[無人島]])
== 気候 ==
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な[[大陸性気候]]である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に[[特別豪雪地帯]]に指定されている。{{Weather box|location=猪苗代(1991年 - 2020年)|single line=Y|metric first=Y|Jan record high C=10.8|Feb record high C=13.9|Mar record high C=20.2|Apr record high C=26.8|May record high C=30.7|Jun record high C=31.5|Jul record high C=33.9|Aug record high C=34.2|Sep record high C=32.2|Oct record high C=26.9|Nov record high C=22.1|Dec record high C=17.3|year record high C=34.2|Jan high C=1.1|Feb high C=2.0|Mar high C=6.1|Apr high C=13.5|May high C=19.5|Jun high C=22.9|Jul high C=26.3|Aug high C=27.7|Sep high C=23.3|Oct high C=17.2|Nov high C=10.9|Dec high C=4.1|year high C=14.5|Jan mean C=-2.1|Feb mean C=-1.7|Mar mean C=1.6|Apr mean C=7.9|May mean C=13.9|Jun mean C=18.1|Jul mean C=21.7|Aug mean C=22.7|Sep mean C=18.6|Oct mean C=12.4|Nov mean C=6.2|Dec mean C=0.7|year mean C=10.0|Jan low C=-5.5|Feb low C=-5.8|Mar low C=-2.7|Apr low C=2.6|May low C=8.4|Jun low C=13.9|Jul low C=18.0|Aug low C=18.7|Sep low C=14.6|Oct low C=8.1|Nov low C=2.1|Dec low C=-2.5|year low C=5.8|Jan record low C=-16.8|Feb record low C=-17.5|Mar record low C=-14.7|Apr record low C=-7.8|May record low C=-1.1|Jun record low C=4.6|Jul record low C=8.0|Aug record low C=10.0|Sep record low C=3.3|Oct record low C=-1.9|Nov record low C=-9.6|Dec record low C=-16.4|year record low C=-17.5|Jan precipitation mm=72.0|Feb precipitation mm=53.5|Mar precipitation mm=69.3|Apr precipitation mm=74.9|May precipitation mm=86.5|Jun precipitation mm=123.4|Jul precipitation mm=206.6|Aug precipitation mm=142.9|Sep precipitation mm=132.2|Oct precipitation mm=119.6|Nov precipitation mm=89.3|Dec precipitation mm=92.7|year precipitation mm=1263.0|unit precipitation days=1.0 mm|Jan precipitation days=15.6|Feb precipitation days=13.1|Mar precipitation days=13.7|Apr precipitation days=11.0|May precipitation days=10.9|Jun precipitation days=11.4|Jul precipitation days=13.9|Aug precipitation days=11.2|Sep precipitation days=11.9|Oct precipitation days=11.8|Nov precipitation days=13.1|Dec precipitation days=16.1|year precipitation days=153.7|source 1=[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php Japan Meteorological Agency ]|source 2=[[気象庁]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=36&block_no=0290&year=&month=&day=&view= |title=猪苗代 過去の気象データ検索 |accessdate=2023-03-31 |publisher=気象庁}}</ref>|Dec sun=82.3|Nov sun=113.4|Oct sun=132.8|Sep sun=135.5|Aug sun=182.6|Jul sun=144.9|Jun sun=156.5|May sun=198.2|Apr sun=169.9|Mar sun=137.7|Feb sun=96.5|Jan sun=84.5|year sun=1627.6|Dec snow cm=129|Nov snow cm=14|Oct snow cm=0|Sep snow cm=0|Aug snow cm=0|Jul snow cm=0|Jun snow cm=0|May snow cm=0|Apr snow cm=11|Mar snow cm=101|Feb snow cm=172|Jan snow cm=203|year snow cm=627}}
== 隣接している自治体 ==
* '''福島県'''
** [[福島市]]
** [[二本松市]]
** [[郡山市]]
** [[会津若松市]]
** [[耶麻郡]][[磐梯町]]
** 耶麻郡[[北塩原村]]
* '''[[山形県]]'''
** [[米沢市]]
== 歴史 ==
=== 古代・中世 ===
* [[948年]]([[天暦]]2年) - [[小平潟天満宮]]が建立される。
* [[鎌倉時代]]初期 - [[猪苗代経連]]が[[猪苗代城]]を築城。これ以降約400年間、猪苗代の地は[[猪苗代氏]]によって支配される。
* [[1411年]]([[応永]]18年) - [[観音寺(川桁)|観音寺]]に石造[[宝篋印塔]]が造られる。
* [[1589年]]([[天正]]17年) - [[伊達政宗]]が[[蘆名義広]]と摺上原で戦い、[[蘆名氏]]を滅亡させる。([[摺上原の戦い]])
=== 近世 ===
* [[1590年]](天正18年) - 会津が[[蒲生氏郷]]の所領となり、[[蒲生氏郷|氏郷]]家臣の[[玉井貞右]]が[[猪苗代城]]に入る。
* [[1598年]]([[慶長]]3年) - 会津は[[上杉景勝]]領となり、[[猪苗代城]]には[[水原親憲]]が入る。
* [[1601年]](慶長6年) - 会津は再び蒲生領(領主は氏郷の子・[[蒲生秀行 (侍従)|秀行]])となり、[[猪苗代城]]には[[関一利]]が入り、後に[[岡定俊]]が城代となる。
* [[1627年]]([[寛永]]4年) - 会津は[[加藤嘉明]]領となり、その重臣・[[堀主水]]が猪苗代城代となる。
* [[1643年]](寛永20年) - [[保科正之]]が会津領主となる。
* [[1672年]]([[寛文]]12年) - [[保科正之]]死去。見祢山(赤埴山)山麓に葬られる。
* [[1673年]]([[延宝]]元年) -[[土津神社]]を造営。
* [[1674年]](延宝2年) - [[土田堰]]開削。
=== 近現代 ===
* [[1868年]]([[明治]]元年) - [[母成峠の戦い]]。[[会津藩]]・[[新撰組]]ら東軍が[[薩摩藩]]・[[土佐藩]]を中心とした西軍に敗れる。
* [[1876年]](明治9年) - [[野口英世]]が生まれる。
* [[1883年]](明治16年) - [[安積疏水]]完成。
* [[1888年]](明治21年) - [[磐梯山]][[1888年の磐梯山噴火|大爆発]]。
* [[1898年]](明治32年) - 岩越鉄道(現[[磐越西線]])郡山~会津若松間が開通。
* [[1900年]](明治33年) - [[安達太良山]]沼ノ平噴火。
* [[1911年]](明治40年) - [[沼尻鉱山]]の[[硫黄]]採掘をおこなうため、日本硫黄株式会社が発足する。
* [[1912年]](明治41年) - [[有栖川宮威仁親王]]別邸([[天鏡閣]])が建設される。
* [[1913年]]([[大正]]2年) - [[磐梯急行電鉄|沼尻軌道]]が開通。
* [[1915年]](大正4年) - [[沼尻スキー場]]が開場。
* [[1921年]](大正10年) - [[沼尻温泉]]が現在地へ移転。
* [[1922年]](大正11年) - [[高松宮宣仁親王]]別邸(現[[福島県迎賓館]])が建設される。
* [[1966年]](昭和41年) - 国立磐梯青年の家(現・[[国立磐梯青少年交流の家]])が開設される。
* [[1969年]](昭和44年) - [[磐梯急行電鉄]](沼尻鉄道)が廃止される。
* [[1989年]]([[平成]]元年)
** [[平成元年台風13号|台風13号]]の来襲で大倉川が決壊し、11人の死者・行方不明者をだす。
** 土湯トンネルが開通。
* [[1991年]](平成3年) - [[磐越自動車道]]が[[猪苗代磐梯高原IC]]と[[会津坂下IC]]間の供用を開始。
=== 行政区域変遷 ===
* [[1889年]]([[明治]]22年) - [[町村制]]施行に伴い、耶麻郡'''猪苗代町'''が成立。
* [[1941年]]([[昭和]]16年) - [[磐瀬村]]、[[磐保村]]を[[日本の市町村の廃置分合#編入|編入]]。
* [[1955年]](昭和30年)
** [[3月1日]] - [[吾妻村 (福島県)|吾妻村]]、[[翁島村]]、[[千里村 (福島県)|千里村]]、[[月輪村]]と新設合併し、改めて'''猪苗代町'''が発足。
** [[7月20日]] - [[長瀬村 (福島県)|長瀬村]]を編入。
== 人口 ==
{{人口統計|code=07408|name=猪苗代町}}
== 教育 ==
=== 小学校 ===
{{See also|福島県小学校の廃校一覧#耶麻郡}}
* [[猪苗代町立猪苗代小学校]]
* [[猪苗代町立翁島小学校]]
* [[猪苗代町立千里小学校]]
* [[猪苗代町立長瀬小学校]]
* [[猪苗代町立吾妻小学校]]
* [[猪苗代町立緑小学校]]
=== 中学校 ===
{{See also|福島県中学校の廃校一覧#耶麻郡}}
* [[猪苗代町立猪苗代中学校]]
=== 高校 ===
* [[福島県立猪苗代高等学校]]
この他、[[福島県立富岡高等学校]]国際スポーツ科のサテライトキャンパスが猪苗代高校に間借りする形で設置されている。
=== 特別支援学校 ===
* [[福島県立猪苗代支援学校]]
== 産業 ==
* 観光
* 農業(特に[[蕎麦]]栽培が盛ん<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC090Y60Z00C21A6000000/|title=福島の猪苗代そば 豊かな水のたまもの|publisher=日本経済新聞|date=2021-06-18|accessdate=2022-03-28}}</ref>)
== 郵便 ==
* [[猪苗代郵便局]](集配局)
* 吾妻郵便局
* 猪苗代駅前郵便局
* 川桁郵便局
* 月輪郵便局
* 沼尻郵便局
* 野口英世の里郵便局
== 交通 ==
猪苗代町は、福島県[[中通り]]地方と[[会津]]地方を結ぶ主要街道の中継地点として古来より交通の要衝として戦略上重要視されてきた。現在も福島市・郡山市と会津若松市の中間地点、また観光地[[裏磐梯]]への玄関口として交通上重要な役割を果たしている地域である。
=== 鉄道 ===
[[ファイル:Inawashiro-stn.jpg|thumb|250px|猪苗代駅]]
; [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
* [[磐越西線]]:[[上戸駅 (福島県)|上戸駅]] - (臨)[[猪苗代湖畔駅]] - [[関都駅]] - [[川桁駅]] - [[猪苗代駅]] - [[翁島駅]]
=== 廃止された鉄道路線 ===
; [[磐梯急行電鉄]](1969年3月27日廃止)
* 川桁駅 - [[白津駅]] - [[内野駅 (福島県)|内野駅]] - [[会津下館駅]] - [[荻窪駅 (福島県)|荻窪駅]] - [[白木城駅]] - [[会津樋ノ口駅]] - [[名家駅]] - [[酸川野駅]] - [[木地小屋駅]] - [[沼尻駅 (福島県)|沼尻駅]]
=== 路線バス ===
* [[会津乗合自動車]]
=== 高速バス ===
* [[夢街道会津号]]([[東京駅のバス乗り場|東京駅]]・[[バスタ新宿|バスタ新宿(新宿駅新南口)]] - 猪苗代駅・会津若松駅)<[[ジェイアールバス関東|JRバス関東]]・[[会津乗合自動車]]の共同運行>
=== 道路 ===
; [[高速自動車国道]]
* {{Ja Exp Route Sign|E49}} [[磐越自動車道]] <small>(郡山・いわき方面 - [[猪苗代磐梯高原インターチェンジ|猪苗代磐梯高原IC]] - 会津若松・新潟方面)</small>
*: いわきJCTまで約80km、新潟中央ICまで約115km
; [[一般国道]]
* [[国道49号]] <small>(いわき方面 - 郡山 - 熱海 - '''猪苗代''' - 河東 - 会津若松 - 新潟方面)</small>
* [[国道115号]] <small> (相馬方面 - 福島 - 土湯 - '''猪苗代''')</small>
* [[国道459号]] <small>(浪江方面 - 二本松 - 土湯 - '''猪苗代''' - 北塩原 - 喜多方 - 新潟方面)</small>
; [[主要地方道]]
* [[山形県道・福島県道2号米沢猪苗代線]]
* [[福島県道7号猪苗代塩川線]]
* [[福島県道9号猪苗代湖南線]]
* [[福島県道24号中の沢熱海線]]([[母成グリーンライン]])
* [[福島県道30号本宮土湯温泉線]]
* [[福島県道70号福島吾妻裏磐梯線]]([[磐梯吾妻道路|磐梯吾妻スカイライン]]([[日本の道100選]])、[[第二磐梯吾妻道路|磐梯吾妻レークライン]])
; [[都道府県道|一般県道]]
* [[福島県道201号上戸停車場線]]
* [[福島県道202号関都停車場金田線]]
* [[福島県道203号川桁停車場堅田線]]
* [[福島県道204号猪苗代停車場線]]
* [[福島県道205号翁島停車場線]]
* [[福島県道206号翁島停車場磐根線]]
* [[福島県道227号下舘停車場線]]
* [[福島県道322号壷楊本町線]]
* [[福島県道323号野老沢川桁停車場線]]
* [[福島県道324号猪苗代スキー場線]]
; [[道の駅]]
* [[道の駅猪苗代]]
=== 港湾 ===
* 翁島港(地方港湾、猪苗代湖)
== 文化財・天然記念物 ==
[[ファイル:Tenkyokaku.jpg|thumb|250px|天鏡閣]]
=== 国指定 ===
* [[天鏡閣]](重要文化財)
* 旧高松宮翁島別邸(現[[福島県迎賓館]])(重要文化財)
* 旧馬場家住宅([[会津民俗館]]に保存)(重要文化財)
* 製蝋用具及び蝋釜屋(会津民俗館に保管)(重要有形民俗文化財)
* [[会津藩主松平家墓所]]([[保科正之]]墓所)(史跡)
* 猪苗代湖ミズスギゴケ群落(天然記念物)
* [[見祢の大石]](天然記念物)
* 猪苗代湖のハクチョウ及びその渡来地(天然記念物)
=== 県指定 ===
* 石造[[宝篋印塔]]([[観音寺(川桁)|観音寺]])〔県重文〕
* 旧佐々木家住宅(会津民俗館に保存)〔県重文〕
* 猪苗代兼載書八代集秀逸〔県重文〕
* [[猪苗代城]]跡〔県史跡〕
* 達沢大山祇神社社叢〔県天然〕
== 観光 ==
=== 温泉 ===
* [[中ノ沢温泉]]
* [[沼尻温泉]]
* [[横向温泉]]
* [[裏磐梯川上温泉]]
* [[猪苗代はやま温泉]]
* [[布森山温泉]]
* 押立温泉
* 猪苗代温泉
* 磐梯温泉
=== 旧跡・名勝 ===
* [[母成峠の戦い|母成峠]]:[[戊辰戦争]]中の[[会津戦争]]における激戦の地
* [[小平潟天満宮]]
* [[三忠碑]]([[摺上原の戦い]]で敗れた蘆名氏の家臣3名の記念碑。古戦場跡に建つ。江戸時代に[[会津藩]]が建立)
* [[猪苗代城]]跡(亀ヶ城、福島県指定史跡)
* [[土津神社]](会津藩主[[保科正之]]を祀る。奥の院には正之の墓所がある。)
* 天鏡台(昭和の森)
* [[見祢の大石]](国の[[天然記念物]])
* [[観音寺(川桁)|観音寺]]
* [[磐椅神社]]([[会津五桜]]の一つ・大鹿桜が境内にある)
* [[天司の欅]]
* [[達沢不動滝]]
* [[福島県迎賓館]]:重要文化財。
==== [[猪苗代湖]]北岸の浜 ====
* [[志田浜]]
* [[上戸浜]]
* [[小平潟天満宮#天神浜|天神浜]](冬は[[しぶき氷]]で有名、[[日本の白砂青松100選]])
* [[長浜 (福島県耶麻郡猪苗代町)|長浜]]
* [[白鳥浜]]
=== 観光スポット・博物館・資料館 ===
[[ファイル:Hideyo Noguchi Memorial Hall.JPG|thumb|250px|野口英世記念館]]
* [[野口英世記念館]]
* [[世界のガラス館]]
* [[猪苗代ハーブ園]]
* [[南ヶ丘牧場#管理牧場|南ヶ丘牧場]]
* [[猪苗代緑の村]]
* [[会津民俗館]]
=== スキー場 ===
[[ファイル:Giant slalom Akahani Mineroeria.jpg|thumb|250px|[[猪苗代スキー場]]からみた猪苗代湖]]
* [[猪苗代スキー場]]
* [[リステルスキーファンタジア]]
* [[箕輪スキー場]]
* [[猪苗代リゾートスキー場]]
* [[沼尻スキー場]]
=== ゴルフ場 ===
* ボナリ高原GC
* 猫魔ホテル猪苗代GC
=== 特産品・催事・その他 ===
* [[蕎麦]](特産品)
* [[磐梯朝日国立公園]]
* [[磐梯まつり]]
== 施設 ==
* [[天鏡閣]] - 旧有栖川宮別邸、国の[[重要文化財]]。
* [[福島県迎賓館]] - 旧[[高松宮]]別邸、国の重要文化財。
* [[国立青少年交流の家|国立磐梯青少年交流の家]] - 青少年用教育・研修施設。
* [[猪苗代町体験交流館]](付属図書館)
* [[猪苗代町総合体育館]](愛称:カメリーナ)
* [[いわはし館]]
== 作品 ==
=== 音楽 ===
* [[高原列車は行く]] (作詞:[[丘灯至夫]]、作曲:[[古関裕而]]) - [[磐梯急行電鉄|沼尻軽便鉄道]]がモデルとされている。
=== ドラマ ===
* [[いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう]]([[2016年]]、[[フジテレビ]])- 主人公である曽田練の出身地
=== アニメ ===
* [[宙のまにまに]] (2009年)
== 出身有名人 ==
; 猪苗代氏
* [[猪苗代兼載]]([[連歌|連歌師]])
* [[猪苗代盛国]]([[武将]])
* [[猪苗代盛胤]](武将)
; 政治
* [[小林温]](政治家、[[経済産業大臣政務官]])
* [[新妻駒五郎]]([[政治家]]、[[大分県]][[都道府県知事|知事]])
; 経済
* [[川井源八]]([[実業家]]、[[三菱電機]]会長)
; 軍人
* [[野口坤之]]([[軍人]])
* [[原田覚]](軍人)
;教育
* [[小林栄]](教育者)
* [[野口英世]]([[細菌学|細菌学者]])
* [[師茂樹]]([[仏教学者]]、[[花園大学]][[教授]])
;文化
* [[井上和郎]]([[漫画家]])
;芸能
* [[逢初夢子]]([[俳優|女優]])
;スポーツ
* [[菅沼守人]]([[合気道|合気道家]])
* [[鈴木猛史]]([[チェアスキー|チェアスキー選手]])
* [[古川奈苗]]([[女子プロレスラー]]、女優、特殊メイクアシスタント)
== その他 ==
2009年に[[フリースタイルスキー世界選手権]]が猪苗代町で開催されたが、開催までには紆余曲折があった。契約書を全く理解せずに誘致するという組織委員会の不手際等で、当初の財務計画5億7900万円をはるかに超える21億円以上の予算となることが発覚した。開催地である猪苗代町の負担は財政的にも不可能であり、福島県に差分を補填してもらう以外に手段は無かった。非常に難しい情勢であったが、大会は予定通り3月2日から3月8日まで行われ、[[上村愛子]]が2個の金メダルを獲得するなど話題を集めた。([[2009年フリースタイルスキー世界選手権]]参照)
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* {{Official website}}
* [https://www.bandaisan.or.jp/ 猪苗代観光協会]
{{Geographic Location
|Centre = 猪苗代町
|North = [[山形県]][[米沢市]]
|Northeast = [[福島市]]
|East = [[二本松市]]
|Southeast = [[郡山市]]
|South = ([[猪苗代湖]])
|Southwest = [[会津若松市]]
|West = [[磐梯町]]
|Northwest = [[北塩原村]]
|image =
}}
{{福島県の自治体}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:いなわしろまち}}
[[Category:耶麻郡]]
[[Category:福島県の市町村]]
[[Category:猪苗代町|*]]
[[Category:観光圏]]
[[Category:会津地方]]
[[Category:1889年設置の日本の市町村]]
[[Category:1955年設置の日本の市町村]]
|
2003-07-15T03:14:55Z
|
2023-12-17T13:06:25Z
| false | false | false |
[
"Template:Ja Exp Route Sign",
"Template:Official website",
"Template:Normdaten",
"Template:Weather box",
"Template:See also",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Commonscat",
"Template:Geographic Location",
"Template:福島県の自治体",
"Template:日本の町村",
"Template:人口統計"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E8%8B%97%E4%BB%A3%E7%94%BA
|
11,437 |
成田エクスプレス
|
成田エクスプレス(なりたエクスプレス、Narita Express、N'EX)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が大船駅・八王子駅・新宿駅 - 成田空港駅間で運行する特別急行列車である。
本項目では同区間で運行された臨時列車「ウイングエクスプレス」についても記載する。詳細はこちら。
成田国際空港(運行開始当時は新東京国際空港)と、東京都心や神奈川県横浜市および東京近郊の主要都市を結ぶ空港アクセス列車として、1991年3月19日に運行を開始した。国際空港アクセス列車であることから、外国人乗客を意識して、英語名の Narita Express から N'EX(ネックス)と略されることがある。
成田空港の開港は1978年5月20日であるが、開港後の鉄道アクセスは長い間京成本線の旧成田空港駅(現・東成田駅)から、専用のバスに乗り換える必要があった。
運輸大臣石原慎太郎(当時)の指示により、建設が中断されたままとなっていた成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用し、1991年3月19日にJR東日本と京成電鉄がそれぞれ成田空港に乗り入れを開始した(詳細は「成田国際空港#空港へのアクセス」を参照)。
2022年10月1日現在の運行概況は下記のとおり。
本列車は、山手線を経由して新宿駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「新宿方面発着列車」とする)と、東海道本線を経由して大船駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「横浜方面発着列車」とする)に大別される。これに加えて、中央本線の八王子駅を発着する列車が、朝と夜間にのみ運行される。全体では27往復の定期列車が設定されている。
横浜方面発着列車の大半は、新宿方面発着列車と東京駅にて分割・併合を行い、東京駅 - 成田空港駅間は両者が併結運転を行う。ただし、新宿方面発着列車のほうが本数が多いため、併結運転を行わない列車も半数程度存在する。東京駅 - 成田空港駅間の所要時間は1時間前後である。
日中の運転間隔は、新宿駅 - 東京駅 - 成田空港駅間では概ね30分間隔、大船駅 - 東京駅間では概ね1時間間隔である。朝は運転間隔が狭まり、夜間はいずれの区間も概ね1時間間隔での運転となる。八王子駅発着列車は、朝に下り(成田空港行き)が、夜間に上り(八王子行き)が計2往復運転される。
本列車は都心と成田国際空港間を東京駅経由で結ぶ空港アクセス列車であるため、毎時1本が途中の千葉駅に停車するのを除き東京駅 - 空港第2ビル駅間を途中無停車で運行する。ただし、朝の上り列車と夕方以降の下り列車は千葉駅、四街道駅、佐倉駅(一部を除く)、成田駅にも停車する。
なお、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行に伴う利用客の減少により、2020年5月1日から日中に運行される列車は当面の間運休としていたが、2022年3月12日から一部列車、2022年10月1日から全列車の運転が再開された。
全ての列車が、鎌倉車両センター所属のE259系により運転される。運行開始当初は253系が使用されていたが、2009年10月1日より後継車両の本形式が投入され、2010年6月30日をもって253系での運転は終了した。
定期列車27往復のうち16往復は、東京駅で分割・併合を行う。これは運行開始当初より行われており、当初は東京駅 - 成田空港駅間は6両編成を基本とし、号車番号は1号車からではなく4号車から付番されていた。横浜方面列車と新宿方面列車が併結して運転する列車の場合、上下ともに横浜方面編成が前にくるようになっている。すなわち、成田空港行きは1-6号車が新宿方面発、7-12号車が横浜方面発となり、逆に空港発の列車は1-6号車が横浜方面行き、7-12号車が新宿方面行きとなる。2019年3月のダイヤ改正の時点では新宿方面発着のみの17・18・21・22号が6両での運転とされていたが、2020年3月のダイヤ改正以降は全列車が12両で運転されるようになった。横浜方面と新宿方面に分かれる列車は東京駅以東を、それぞれの方面に単独で向かう列車は全区間で12両で走行する。
全列車が全席座席指定席である。
1991年の運行開始当初から2010年6月30日までは、専用車両である253系が使用されていた。この車両の大部分はかつて奇数番号の席と偶数番号の席が通路で分離されていたほか、A - D がボックス席単位で固まっているなど、普通車の座席配列が他の特急形車両と大幅に異なった。その関係で、ほかの特急形車両と同様の配列になって以降も指定席券売機などで普通車の特急券を購入する場合は座席の細かい位置が購入者自身で指定できなかったが、2010年7月1日に使用車両がE259系に統一されたことにより普通車でも指定席券売機での座席位置選択が可能になった。
また、253系の大部分の普通車の座席の配列は集団見合い式(以前はボックスシート)となっており、着席者の半分は後方向きに座ることになる上に座席のリクライニング機能はない。ただし、ごく一部の253系とE259系は回転式リクライニングシートを採用しているためこれらの問題はない。富士急行線直通列車では途中の富士山駅で進行方向が変わるため、成田空港行き列車では後方向きに座席がセットされている。
デッキとコンパートメント(グリーン個室)席を除き運転開始当初から禁煙とされていた。なお、2003年3月1日よりデッキ禁煙化とともに 1 - 2 両の喫煙席を設けたが、2005年12月10日から全車禁煙となった。
なお、「ウイングエクスプレス」が「成田エクスプレス」に統合された際に数日間253系の手配がつかず、183系によって代走したことがある。
車内販売は東京駅 - 成田空港駅間のみ実施されていたが、2015年3月13日をもって車内販売を終了。運転開始当初はグリーン車利用客向けに無料のドリンクコーナーが設けられていたが、普通車利用客の持ち去りが絶えないことなどから後に廃止された。
また、E259系では車体に無線LAN用のアンテナ(WiMAX / Wi-Fi レピータ)が設置され、インターネット接続サービスを提供している。当初はUQコミュニケーションズの UQ WiFi とBBモバイルポイント(ソフトバンクテレコム、「Yahoo! JAPAN 無線 LANサービス」などのローミングも含む)契約者向けサービスを提供していたが、2016年よりこれに代わり、無料の公衆無線LANサービス「JR-EAST FREE Wi-Fi」を提供している。
臨時列車として以下の列車が運行された。ともに本列車群の補助的な役割であったが、使用車両が183系やE257系など専用車両である253系・E259系以外のため、名称に翼を示すウィングの名称を使用して運行されることが多く、関東以外からの成田国際空港への利用客も取り込んだ。
成田エクスプレス運行開始当初、当時の使用車両である253系の車両数では増発に限りがあったため、183系9両編成または6両編成によって特急「ウイングエクスプレス(1992年3月16日から1998年9月27日まではウイング)」が運転された。東京駅・新宿駅・八王子駅(1992年3月23日から6月30日まで) - 成田駅(1990年7月21日から1991年2月24日まで)・成田空港駅(1991年7月20日から)での運転で、9両編成のみ自由席とグリーン車が連結され、東京駅・錦糸町駅・船橋駅・千葉駅・成田駅・成田空港駅に停車した。 なお当時の東京駅 ‐ 成田空港駅間にはウイングエクスプレスと同様に成田エクスプレスの補完目的で特別快速「エアポート成田」が運行されており、こちらは上記停車駅に加えて津田沼駅に停車した。
また2001年12月1日から2004年3月13日までにおいても、大宮駅 - 成田空港駅間において183系普通車のみ8両編成の全車座席指定席で特急「ウイングエクスプレス」が運転された。不定期的に普通車のみの6両編成で運転されることもあった。2002年6月16日のFIFAワールドカップ輸送の際は、新潟駅発で運行された。
2007年8月10日から8月19日においても新宿発成田空港行きが運転され、このときは下り成田空港行きのみながら中央線快速 - (御茶ノ水駅) - 総武緩行線 - (錦糸町駅) - 総武快速線経由とし、秋葉原駅・錦糸町駅・船橋駅・空港第2ビル駅にも停車した。また、定期券と指定席特急券の組み合わせでも乗車することができた。この列車はE257系500番台が使用された。
八王子駅発成田空港行きでは2008年4月25日から4月27日まで運転され、中野駅にも停車した。これにはE257系0番台が使用された。なお、4月26日は使用車両の183系で使われていたロゴマークを車両前面の表示器の上にステッカーとして貼付して運転した。また、2008年8月9日から8月12日も運転されたが、このときは千葉駅を通過した。
また、定期列車の延長の形態で以下の列車も運転された。
特急料金は、同区間を運行するほかの特急列車が低廉な「B特急料金」を適用するのに対し、成田エクスプレスは伊豆方面の「サフィール踊り子」と同様に割高な「A特急料金」が適用される(ただし、JRE POINTをチケットレス特急券に交換する場合は他の列車と同じ料金体系となる)。
グリーン料金は200km以内のみの設定で一律2,800円と他列車とは別体系を採用しており、成田空港駅・空港第2ビル駅 - 東京都区内間などが該当する100km以下ではJR東日本の他の列車より高額となる。
国際線利用客を主眼とした空港連絡列車であること、全車座席指定席の特急列車であるため、長らく定期券と特急券との組み合わせを一部を除き原則として認めていなかったが、2021年10月1日から普通車での指定席特急券と定期券との組み合わせを認めるようになった。
また、全座席指定席であることから、座席指定特急券か、満席時に発売される立席特急券による乗車が行われたが、2015年3月14日から販売方法が変更。立席特急券の発売は取り止めとなり、座席指定特急券のほかに、常磐線の特急「ひたち」「ときわ」などと同様に乗車日と乗車区間のみ指定して列車と座席は指定しない座席未指定券が新たに発売される。
富士急行線内も2017年3月4日から特急料金が必要になった。特急料金は従来から運行されている富士急行線内の特急列車(「フジサン特急」「富士山ビュー特急」)の料金体系が適用され、JR線と跨って利用する場合はJRの特急料金との合算となる。富士急行線内の特急列車同様、河口湖線区間(富士山駅 - 河口湖駅間)のみ利用する場合に限り特急料金は不要である。
2005年12月9日まではグリーン車コンパートメント席について乗車7日前よりグリーンコンパートメント券および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」と称される特別企画乗車券が設定されていた。全列車で設定されており、成田空港駅・空港第2ビル駅 - 東京都区内間・吉祥寺駅・三鷹駅と成田空港駅・空港第2ビル駅 - 大船駅・大宮駅・高尾駅の各駅間で設定されていた。なお、12月10日以降グリーン料金の改訂が行われ、区間にかかわらず以下のように変更された。
さらに、2009年1月6日から3月31日まで、グリーン車コンパートメント席について乗車14日前よりグリーンコンパートメント券および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」を発売していた。
JR東日本のインターネット予約「えきねっと」にて成田エクスプレスの指定席をチケットレス予約を受け付けており、この方法で購入した場合、200円の割引(2012年3月までは400円)を受けられる。2022年3月12日以降は一部区間においてより割引率の高い「N'EXえきねっとトクだ値(チケットレス特急券)」も発売されている。
また、東京駅・品川駅・新宿駅・池袋駅 - 千葉駅・四街道駅・成田駅各相互間で有効なものとして「房総料金回数券」が発売されていた(「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年2月11日をもって発売を終了)。かつては品川駅→大船駅間について「N'EX料金4回券」と称される特急回数券が設定されていたが、2006年3月末で廃止された。
2007年3月28日から訪日外国人向けに「Suica&N'EX」の発売を開始した。これは成田空港駅・空港第2ビル駅の両駅から東京電車特定区間内各駅までの乗車券および最寄りの停車駅までの当列車の普通車指定席特急券とオリジナルデザインの無記名式Suicaをセットにしたもので、片道のみである。当列車への乗車用の乗車券・特急券部分の有効期間は発行日当日のみとなっている。
背景として、冒頭に掲げた東京都心と成田国際空港間を結ぶ公共アクセスとして最も高額とされ、また利用する乗客の層としても日本人が多いとされており、少しでも外国人利用客を増やす意図がある。なお、訪日外国人向けのジャパンレールパスとJR East Rail Passでも当列車に乗車することが可能である。
JR東日本のびゅうプラザ・提携販売センターと主な旅行会社で、成田空港発着の国内旅行・海外旅行商品または成田空港発着航空券の購入・提示と同時に発売される特別企画乗車券。普通車指定席用で2枚または3枚を1セットとして発売される。設定区間は東京電車特定区間各駅 - 空港第2ビル・成田空港間。発売額はおとな2枚分4,800円、同3枚分7,200円、こども1枚1,200円。
2013年3月をもって廃止され、代替として後述の「N'EX往復きっぷ」が発売されている。
2013年3月1日よりJR東日本の首都圏の主な駅の指定席券売機、びゅうプラザ、提携販売センターや主な旅行会社などで購入可能(ただし、成田空港駅・空港第2ビル駅(および両駅のJR東日本訪日旅行センター)では取り扱っていない)。1か月前から前日までの発売で、当日購入はできない。
有効期間は14日間で、普通車用とグリーン車用がある。途中下車はできない。みどりの窓口では購入できないが、有効期間内で未使用の場合、または「かえり」券片が未使用の場合に限り、払い戻しが可能となっている。
N'EXクーポンと比較した場合、発駅によって料金が変動するようになったため、東京都内よりの料金は従来と変わらず据え置きとなった一方で、他の区間の料金は値上げされ、割高になっている。
「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年2月9日をもって発売を終了した。
大口法人向けに発売されている特別企画乗車券で、普通車用指定席・乗車券の回数券であり、一般の利用者は購入することが出来ない。
区間内・経路上に様々な特例が存在する。また、運賃・料金のどちらにも適用されるもの、いずれかのみの適用となるもの、適用の可否を選択出来るか否かも特例により異なる。このため、運賃計算経路と料金計算経路が異なる場合もあるので、注意が必要である。例示しているものは実際の乗車経路と異なる経路の適用により低廉となる主な例。
2021年10月1日からは全列車・全区間で定期券と特急券での利用が可能となった。
それ以前は定期券併用が可能な列車や区間が限定されており、千葉駅と成田駅の両方に停車する全列車で池袋駅・品川駅 - 東京駅 - 成田駅間の各停車駅相互間および成田空港発の列車のうち成田エクスプレス38号以降の列車の東京駅 → 横須賀駅間に限り、定期券と特急券(指定席)ないしは立席特急券(2015年3月14日廃止)、または当該区間で有効な指定席特急回数券やえきねっとトクだ値(料金券のみ)・えきねっとチケットレスサービス等で普通車に乗車することができた。
なお、上述のとおり列車特定区間の対象であるため、代々木駅 - 錦糸町駅間が中央本線・総武本線(御茶ノ水駅)経由の定期券でも途中下車をしない限りそのまま乗車できる。
JR線(構想当初は日本国有鉄道(国鉄))で東京と成田空港を結ぶ最初の構想は、未成線に終わった成田新幹線計画である。しかし在来線においては、成田線経由で運行されたエル特急「あやめ」や総武本線直通の快速列車より最寄駅となる成田駅を介したバス連絡で行っていた。
成田空港駅開業前の1989年から1991年にかけて「ウィング踊り子」が成田駅 - 伊豆急下田駅間で、1990年から1991年にかけて「ウイングエクスプレス」が成田駅 - 新宿駅間で運行されていた。
そして1991年3月19日に、成田新幹線計画の遺構(土屋 - 成田空港)を利用した成田空港駅の開設により成田駅直通の快速列車を延伸する形で運行を開始した「エアポート成田」や「成田エクスプレス」の運行開始により、JRによる成田空港アクセスが開始された。なお運行開始時は、一部列車を除いて、千葉県庁所在地かつ政令指定都市である千葉市の表玄関・千葉駅を通過することに対して地元から批判が起き、地域新聞である『千葉日報』も紙面で取り上げた。
当初は、東京駅 - 成田空港駅間を6両で運行し、東京駅で分割し新宿・横浜方面へそれぞれ3両編成で運行することや、新宿方面へは品川駅より目黒川信号場経由で山手貨物線経由での運行を行うなど運行上の妙があったものの、東京都心直通とりわけ山手線沿線の東京23区西部への鉄道による直通運転は初めてであることや、バブル景気を背景とした海外旅行客を利用者の核としたことから利用が定着した。1993年までには末端区間でも6両編成での運行となり、運転区間の拡大も行われた。また、東京駅地下にグリーン車利用客専用のラウンジが設置されたが、1990年代中盤頃に廃止された。また、当初は1992年頃を目途に東京駅で搭乗手続きが行えるチェックインサービスを実施する予定であったが、最終的に実施は見送られている。
その後、1990年代後半以降のバブル崩壊に伴う日本経済の低迷により、空港利用客の少ない早朝の空港発・夕ラッシュ時の空港行きについては千葉駅など途中停車駅を増やし、通勤客の着席輸送に供されるようにもなったほか、首都圏各線区や観光地への延長運転も行われるようになった。
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"text": "成田エクスプレス(なりたエクスプレス、Narita Express、N'EX)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が大船駅・八王子駅・新宿駅 - 成田空港駅間で運行する特別急行列車である。",
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"text": "本項目では同区間で運行された臨時列車「ウイングエクスプレス」についても記載する。詳細はこちら。",
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"text": "成田国際空港(運行開始当時は新東京国際空港)と、東京都心や神奈川県横浜市および東京近郊の主要都市を結ぶ空港アクセス列車として、1991年3月19日に運行を開始した。国際空港アクセス列車であることから、外国人乗客を意識して、英語名の Narita Express から N'EX(ネックス)と略されることがある。",
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"text": "成田空港の開港は1978年5月20日であるが、開港後の鉄道アクセスは長い間京成本線の旧成田空港駅(現・東成田駅)から、専用のバスに乗り換える必要があった。",
"title": "概要"
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"text": "運輸大臣石原慎太郎(当時)の指示により、建設が中断されたままとなっていた成田新幹線(東京駅 - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用し、1991年3月19日にJR東日本と京成電鉄がそれぞれ成田空港に乗り入れを開始した(詳細は「成田国際空港#空港へのアクセス」を参照)。",
"title": "概要"
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"text": "2022年10月1日現在の運行概況は下記のとおり。",
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"text": "本列車は、山手線を経由して新宿駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「新宿方面発着列車」とする)と、東海道本線を経由して大船駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「横浜方面発着列車」とする)に大別される。これに加えて、中央本線の八王子駅を発着する列車が、朝と夜間にのみ運行される。全体では27往復の定期列車が設定されている。",
"title": "運行概況"
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"text": "横浜方面発着列車の大半は、新宿方面発着列車と東京駅にて分割・併合を行い、東京駅 - 成田空港駅間は両者が併結運転を行う。ただし、新宿方面発着列車のほうが本数が多いため、併結運転を行わない列車も半数程度存在する。東京駅 - 成田空港駅間の所要時間は1時間前後である。",
"title": "運行概況"
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"text": "日中の運転間隔は、新宿駅 - 東京駅 - 成田空港駅間では概ね30分間隔、大船駅 - 東京駅間では概ね1時間間隔である。朝は運転間隔が狭まり、夜間はいずれの区間も概ね1時間間隔での運転となる。八王子駅発着列車は、朝に下り(成田空港行き)が、夜間に上り(八王子行き)が計2往復運転される。",
"title": "運行概況"
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"text": "本列車は都心と成田国際空港間を東京駅経由で結ぶ空港アクセス列車であるため、毎時1本が途中の千葉駅に停車するのを除き東京駅 - 空港第2ビル駅間を途中無停車で運行する。ただし、朝の上り列車と夕方以降の下り列車は千葉駅、四街道駅、佐倉駅(一部を除く)、成田駅にも停車する。",
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"text": "なお、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行に伴う利用客の減少により、2020年5月1日から日中に運行される列車は当面の間運休としていたが、2022年3月12日から一部列車、2022年10月1日から全列車の運転が再開された。",
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"text": "全ての列車が、鎌倉車両センター所属のE259系により運転される。運行開始当初は253系が使用されていたが、2009年10月1日より後継車両の本形式が投入され、2010年6月30日をもって253系での運転は終了した。",
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"text": "定期列車27往復のうち16往復は、東京駅で分割・併合を行う。これは運行開始当初より行われており、当初は東京駅 - 成田空港駅間は6両編成を基本とし、号車番号は1号車からではなく4号車から付番されていた。横浜方面列車と新宿方面列車が併結して運転する列車の場合、上下ともに横浜方面編成が前にくるようになっている。すなわち、成田空港行きは1-6号車が新宿方面発、7-12号車が横浜方面発となり、逆に空港発の列車は1-6号車が横浜方面行き、7-12号車が新宿方面行きとなる。2019年3月のダイヤ改正の時点では新宿方面発着のみの17・18・21・22号が6両での運転とされていたが、2020年3月のダイヤ改正以降は全列車が12両で運転されるようになった。横浜方面と新宿方面に分かれる列車は東京駅以東を、それぞれの方面に単独で向かう列車は全区間で12両で走行する。",
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"text": "全列車が全席座席指定席である。",
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"text": "1991年の運行開始当初から2010年6月30日までは、専用車両である253系が使用されていた。この車両の大部分はかつて奇数番号の席と偶数番号の席が通路で分離されていたほか、A - D がボックス席単位で固まっているなど、普通車の座席配列が他の特急形車両と大幅に異なった。その関係で、ほかの特急形車両と同様の配列になって以降も指定席券売機などで普通車の特急券を購入する場合は座席の細かい位置が購入者自身で指定できなかったが、2010年7月1日に使用車両がE259系に統一されたことにより普通車でも指定席券売機での座席位置選択が可能になった。",
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"text": "また、253系の大部分の普通車の座席の配列は集団見合い式(以前はボックスシート)となっており、着席者の半分は後方向きに座ることになる上に座席のリクライニング機能はない。ただし、ごく一部の253系とE259系は回転式リクライニングシートを採用しているためこれらの問題はない。富士急行線直通列車では途中の富士山駅で進行方向が変わるため、成田空港行き列車では後方向きに座席がセットされている。",
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"text": "また、E259系では車体に無線LAN用のアンテナ(WiMAX / Wi-Fi レピータ)が設置され、インターネット接続サービスを提供している。当初はUQコミュニケーションズの UQ WiFi とBBモバイルポイント(ソフトバンクテレコム、「Yahoo! JAPAN 無線 LANサービス」などのローミングも含む)契約者向けサービスを提供していたが、2016年よりこれに代わり、無料の公衆無線LANサービス「JR-EAST FREE Wi-Fi」を提供している。",
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"text": "臨時列車として以下の列車が運行された。ともに本列車群の補助的な役割であったが、使用車両が183系やE257系など専用車両である253系・E259系以外のため、名称に翼を示すウィングの名称を使用して運行されることが多く、関東以外からの成田国際空港への利用客も取り込んだ。",
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"text": "成田エクスプレス運行開始当初、当時の使用車両である253系の車両数では増発に限りがあったため、183系9両編成または6両編成によって特急「ウイングエクスプレス(1992年3月16日から1998年9月27日まではウイング)」が運転された。東京駅・新宿駅・八王子駅(1992年3月23日から6月30日まで) - 成田駅(1990年7月21日から1991年2月24日まで)・成田空港駅(1991年7月20日から)での運転で、9両編成のみ自由席とグリーン車が連結され、東京駅・錦糸町駅・船橋駅・千葉駅・成田駅・成田空港駅に停車した。 なお当時の東京駅 ‐ 成田空港駅間にはウイングエクスプレスと同様に成田エクスプレスの補完目的で特別快速「エアポート成田」が運行されており、こちらは上記停車駅に加えて津田沼駅に停車した。",
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"text": "また2001年12月1日から2004年3月13日までにおいても、大宮駅 - 成田空港駅間において183系普通車のみ8両編成の全車座席指定席で特急「ウイングエクスプレス」が運転された。不定期的に普通車のみの6両編成で運転されることもあった。2002年6月16日のFIFAワールドカップ輸送の際は、新潟駅発で運行された。",
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"text": "2007年8月10日から8月19日においても新宿発成田空港行きが運転され、このときは下り成田空港行きのみながら中央線快速 - (御茶ノ水駅) - 総武緩行線 - (錦糸町駅) - 総武快速線経由とし、秋葉原駅・錦糸町駅・船橋駅・空港第2ビル駅にも停車した。また、定期券と指定席特急券の組み合わせでも乗車することができた。この列車はE257系500番台が使用された。",
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"text": "八王子駅発成田空港行きでは2008年4月25日から4月27日まで運転され、中野駅にも停車した。これにはE257系0番台が使用された。なお、4月26日は使用車両の183系で使われていたロゴマークを車両前面の表示器の上にステッカーとして貼付して運転した。また、2008年8月9日から8月12日も運転されたが、このときは千葉駅を通過した。",
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"text": "また、定期列車の延長の形態で以下の列車も運転された。",
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"text": "特急料金は、同区間を運行するほかの特急列車が低廉な「B特急料金」を適用するのに対し、成田エクスプレスは伊豆方面の「サフィール踊り子」と同様に割高な「A特急料金」が適用される(ただし、JRE POINTをチケットレス特急券に交換する場合は他の列車と同じ料金体系となる)。",
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"text": "国際線利用客を主眼とした空港連絡列車であること、全車座席指定席の特急列車であるため、長らく定期券と特急券との組み合わせを一部を除き原則として認めていなかったが、2021年10月1日から普通車での指定席特急券と定期券との組み合わせを認めるようになった。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "また、全座席指定席であることから、座席指定特急券か、満席時に発売される立席特急券による乗車が行われたが、2015年3月14日から販売方法が変更。立席特急券の発売は取り止めとなり、座席指定特急券のほかに、常磐線の特急「ひたち」「ときわ」などと同様に乗車日と乗車区間のみ指定して列車と座席は指定しない座席未指定券が新たに発売される。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "富士急行線内も2017年3月4日から特急料金が必要になった。特急料金は従来から運行されている富士急行線内の特急列車(「フジサン特急」「富士山ビュー特急」)の料金体系が適用され、JR線と跨って利用する場合はJRの特急料金との合算となる。富士急行線内の特急列車同様、河口湖線区間(富士山駅 - 河口湖駅間)のみ利用する場合に限り特急料金は不要である。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "2005年12月9日まではグリーン車コンパートメント席について乗車7日前よりグリーンコンパートメント券および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」と称される特別企画乗車券が設定されていた。全列車で設定されており、成田空港駅・空港第2ビル駅 - 東京都区内間・吉祥寺駅・三鷹駅と成田空港駅・空港第2ビル駅 - 大船駅・大宮駅・高尾駅の各駅間で設定されていた。なお、12月10日以降グリーン料金の改訂が行われ、区間にかかわらず以下のように変更された。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "さらに、2009年1月6日から3月31日まで、グリーン車コンパートメント席について乗車14日前よりグリーンコンパートメント券および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」を発売していた。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "JR東日本のインターネット予約「えきねっと」にて成田エクスプレスの指定席をチケットレス予約を受け付けており、この方法で購入した場合、200円の割引(2012年3月までは400円)を受けられる。2022年3月12日以降は一部区間においてより割引率の高い「N'EXえきねっとトクだ値(チケットレス特急券)」も発売されている。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "また、東京駅・品川駅・新宿駅・池袋駅 - 千葉駅・四街道駅・成田駅各相互間で有効なものとして「房総料金回数券」が発売されていた(「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年2月11日をもって発売を終了)。かつては品川駅→大船駅間について「N'EX料金4回券」と称される特急回数券が設定されていたが、2006年3月末で廃止された。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2007年3月28日から訪日外国人向けに「Suica&N'EX」の発売を開始した。これは成田空港駅・空港第2ビル駅の両駅から東京電車特定区間内各駅までの乗車券および最寄りの停車駅までの当列車の普通車指定席特急券とオリジナルデザインの無記名式Suicaをセットにしたもので、片道のみである。当列車への乗車用の乗車券・特急券部分の有効期間は発行日当日のみとなっている。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
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"tag": "p",
"text": "背景として、冒頭に掲げた東京都心と成田国際空港間を結ぶ公共アクセスとして最も高額とされ、また利用する乗客の層としても日本人が多いとされており、少しでも外国人利用客を増やす意図がある。なお、訪日外国人向けのジャパンレールパスとJR East Rail Passでも当列車に乗車することが可能である。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "JR東日本のびゅうプラザ・提携販売センターと主な旅行会社で、成田空港発着の国内旅行・海外旅行商品または成田空港発着航空券の購入・提示と同時に発売される特別企画乗車券。普通車指定席用で2枚または3枚を1セットとして発売される。設定区間は東京電車特定区間各駅 - 空港第2ビル・成田空港間。発売額はおとな2枚分4,800円、同3枚分7,200円、こども1枚1,200円。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2013年3月をもって廃止され、代替として後述の「N'EX往復きっぷ」が発売されている。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "2013年3月1日よりJR東日本の首都圏の主な駅の指定席券売機、びゅうプラザ、提携販売センターや主な旅行会社などで購入可能(ただし、成田空港駅・空港第2ビル駅(および両駅のJR東日本訪日旅行センター)では取り扱っていない)。1か月前から前日までの発売で、当日購入はできない。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "有効期間は14日間で、普通車用とグリーン車用がある。途中下車はできない。みどりの窓口では購入できないが、有効期間内で未使用の場合、または「かえり」券片が未使用の場合に限り、払い戻しが可能となっている。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "N'EXクーポンと比較した場合、発駅によって料金が変動するようになったため、東京都内よりの料金は従来と変わらず据え置きとなった一方で、他の区間の料金は値上げされ、割高になっている。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年2月9日をもって発売を終了した。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "大口法人向けに発売されている特別企画乗車券で、普通車用指定席・乗車券の回数券であり、一般の利用者は購入することが出来ない。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "区間内・経路上に様々な特例が存在する。また、運賃・料金のどちらにも適用されるもの、いずれかのみの適用となるもの、適用の可否を選択出来るか否かも特例により異なる。このため、運賃計算経路と料金計算経路が異なる場合もあるので、注意が必要である。例示しているものは実際の乗車経路と異なる経路の適用により低廉となる主な例。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
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"text": "2021年10月1日からは全列車・全区間で定期券と特急券での利用が可能となった。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
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"text": "それ以前は定期券併用が可能な列車や区間が限定されており、千葉駅と成田駅の両方に停車する全列車で池袋駅・品川駅 - 東京駅 - 成田駅間の各停車駅相互間および成田空港発の列車のうち成田エクスプレス38号以降の列車の東京駅 → 横須賀駅間に限り、定期券と特急券(指定席)ないしは立席特急券(2015年3月14日廃止)、または当該区間で有効な指定席特急回数券やえきねっとトクだ値(料金券のみ)・えきねっとチケットレスサービス等で普通車に乗車することができた。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "なお、上述のとおり列車特定区間の対象であるため、代々木駅 - 錦糸町駅間が中央本線・総武本線(御茶ノ水駅)経由の定期券でも途中下車をしない限りそのまま乗車できる。",
"title": "運賃・料金・乗車制度の特例"
},
{
"paragraph_id": 49,
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"text": "JR線(構想当初は日本国有鉄道(国鉄))で東京と成田空港を結ぶ最初の構想は、未成線に終わった成田新幹線計画である。しかし在来線においては、成田線経由で運行されたエル特急「あやめ」や総武本線直通の快速列車より最寄駅となる成田駅を介したバス連絡で行っていた。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "成田空港駅開業前の1989年から1991年にかけて「ウィング踊り子」が成田駅 - 伊豆急下田駅間で、1990年から1991年にかけて「ウイングエクスプレス」が成田駅 - 新宿駅間で運行されていた。",
"title": "沿革"
},
{
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"tag": "p",
"text": "そして1991年3月19日に、成田新幹線計画の遺構(土屋 - 成田空港)を利用した成田空港駅の開設により成田駅直通の快速列車を延伸する形で運行を開始した「エアポート成田」や「成田エクスプレス」の運行開始により、JRによる成田空港アクセスが開始された。なお運行開始時は、一部列車を除いて、千葉県庁所在地かつ政令指定都市である千葉市の表玄関・千葉駅を通過することに対して地元から批判が起き、地域新聞である『千葉日報』も紙面で取り上げた。",
"title": "沿革"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "当初は、東京駅 - 成田空港駅間を6両で運行し、東京駅で分割し新宿・横浜方面へそれぞれ3両編成で運行することや、新宿方面へは品川駅より目黒川信号場経由で山手貨物線経由での運行を行うなど運行上の妙があったものの、東京都心直通とりわけ山手線沿線の東京23区西部への鉄道による直通運転は初めてであることや、バブル景気を背景とした海外旅行客を利用者の核としたことから利用が定着した。1993年までには末端区間でも6両編成での運行となり、運転区間の拡大も行われた。また、東京駅地下にグリーン車利用客専用のラウンジが設置されたが、1990年代中盤頃に廃止された。また、当初は1992年頃を目途に東京駅で搭乗手続きが行えるチェックインサービスを実施する予定であったが、最終的に実施は見送られている。",
"title": "沿革"
},
{
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"tag": "p",
"text": "その後、1990年代後半以降のバブル崩壊に伴う日本経済の低迷により、空港利用客の少ない早朝の空港発・夕ラッシュ時の空港行きについては千葉駅など途中停車駅を増やし、通勤客の着席輸送に供されるようにもなったほか、首都圏各線区や観光地への延長運転も行われるようになった。",
"title": "沿革"
}
] |
成田エクスプレスは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が大船駅・八王子駅・新宿駅 - 成田空港駅間で運行する特別急行列車である。 本項目では同区間で運行された臨時列車「ウイングエクスプレス」についても記載する。詳細はこちら。
|
{{半保護}}
{{Infobox 列車名
|列車名=成田エクスプレス
|ロゴ=logo of NEX.png
|ロゴサイズ=100px
|画像=JR東日本E259系.jpg
|画像サイズ=300px
|画像説明=[[JR東日本E259系電車|E259系]]「成田エクスプレス」<br>(2023年6月 [[佐倉駅]] - [[物井駅]]間)
|国={{JPN}}
|種類=[[特別急行列車]]
|現況=運行中
|地域=[[神奈川県]]・[[東京都]]・[[千葉県]]
|前身=
|運行開始=[[1991年]][[3月19日]]
|運行終了=
|後継=
|運営者=[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|旧運営者=[[富士急行]]<!-- 臨時列車扱いではあるものの、2015年3月1日から2019年3月10日までのほぼ全ての土休日で延長運転されていたため、ここに記す -->
|平均乗客数=
|起点=[[八王子駅]]・[[新宿駅]]・[[大船駅]]
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|終点=[[成田空港駅]]
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|平均所要時間=
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|列車番号=
|使用路線=[[中央本線]]・[[山手線]]・[[東海道本線]]・[[総武本線]]・[[成田線]]
|クラス=[[グリーン車]]・[[普通車]]
|身障者対応=多目的室・車椅子対応トイレ:6・12号車<br />車椅子対応座席:5・11号車
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|車運車=
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|その他=
|車両=[[JR東日本E259系電車|E259系電車]]([[鎌倉車両センター]])
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|線路所有者=[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br />(八王子駅・大船駅-[[成田線]]分岐点間 第1種鉄道事業者)<br />[[成田空港高速鉄道]]<br />(成田線分岐点-成田空港駅間 第3種鉄道事業者)
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|路線図表示=<!--collapsed-->
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{| {{Railway line header}}
{{UKrail-header2|成田エクスプレス 経路図|#ff3333}}
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|}
|}
'''成田エクスプレス'''(なりたエクスプレス、''Narita Express''、''N'EX'')は、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)が[[大船駅]]・[[八王子駅]]・[[新宿駅]] - [[成田空港駅]]間で運行する[[特別急行列車]]である。
本項目では同区間で運行された臨時列車「'''ウイングエクスプレス'''」についても記載する。詳細は[[成田エクスプレス#ウイングエクスプレス|こちら]]。
== 概要 ==
[[成田国際空港]](運行開始当時は新東京国際空港)と、[[東京]][[都心]]や[[神奈川県]][[横浜市]]および東京近郊の主要都市を結ぶ[[空港連絡鉄道|空港アクセス列車]]として、[[1991年]][[3月19日]]に運行を開始した。国際空港アクセス列車であることから、外国人乗客を意識して、[[英語]]名の '''Narita Express''' から '''N'EX'''(ネックス)と略されることがある。
成田空港の開港は[[1978年]][[5月20日]]であるが、開港後の鉄道アクセスは長い間[[京成本線]]の旧成田空港駅(現・[[東成田駅]])から、専用のバスに乗り換える必要があった。
[[運輸大臣]][[石原慎太郎]](当時)の指示により、建設が中断されたままとなっていた[[成田新幹線]]([[東京駅]] - 成田空港駅間)の路盤と駅などの設備の一部を活用し、1991年3月19日にJR東日本と[[京成電鉄]]がそれぞれ成田空港に乗り入れを開始した(詳細は「[[成田国際空港#空港へのアクセス]]」を参照)。
== 運行概況 ==
2022年10月1日現在の運行概況は下記のとおり。
本列車は、山手線{{Efn2|運転系統上は湘南新宿ライン。}}を経由して新宿駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「新宿方面発着列車」とする)と、東海道本線{{Efn2|運転系統上は横須賀線。ただし横浜駅 - 戸塚駅については一部列車が東海道本線に転線する。}}を経由して大船駅 - 成田空港駅間を運行するもの(以下「横浜方面発着列車」とする)に大別される。これに加えて、中央本線の八王子駅を発着する列車が、朝と夜間にのみ運行される。全体では27往復の定期列車が設定されている。
横浜方面発着列車の大半は、新宿方面発着列車と東京駅にて[[増解結|分割・併合]]を行い、東京駅 - 成田空港駅間は両者が併結運転を行う。ただし、新宿方面発着列車のほうが本数が多いため、併結運転を行わない列車も半数程度存在する。東京駅 - 成田空港駅間の所要時間は1時間前後である<ref name="diagram2021"/>。
日中の運転間隔は、新宿駅 - 東京駅 - 成田空港駅間では概ね30分間隔、大船駅 - 東京駅間では概ね1時間間隔である<ref name="diagram2021"/>。朝は運転間隔が狭まり、夜間はいずれの区間も概ね1時間間隔での運転となる。八王子駅発着列車は、朝に下り(成田空港行き)が、夜間に上り(八王子行き)が計2往復運転される。
本列車は都心と成田国際空港間を東京駅経由で結ぶ空港アクセス列車であるため、毎時1本が途中の[[千葉駅]]に停車するのを除き東京駅 - [[空港第2ビル駅]]間を途中無停車で運行する。ただし、朝の上り列車と夕方以降の下り列車は千葉駅、[[四街道駅]]、[[佐倉駅]](一部を除く)、[[成田駅]]にも停車する。
なお、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]流行に伴う利用客の減少により、2020年5月1日から日中に運行される列車は当面の間運休としていたが'''<ref name="diagram2021"/>'''、2022年3月12日から一部列車<ref name="c20220128" group="報道" />、2022年10月1日から全列車の運転が再開された<ref group="報道" name="jre20220922"/>。
[[File:Series-E259 Linking-Ikebukuro-STA.jpg|thumb|E259系の連結部分。一部の列車は東京駅にて分割・併合を行う。]]
=== 停車駅 ===
; 成田空港駅 - 東京駅間
: [[成田空港駅]] - [[空港第2ビル駅]] - ([[成田駅]]) - ([[佐倉駅]]) - ([[四街道駅]]) - ([[千葉駅]]) - [[東京駅]]
:
; 東京駅 - 新宿駅間
: 東京駅 - ([[品川駅]]) - [[渋谷駅]] - [[新宿駅]]
:
; 東京駅 - 八王子駅間
: 東京駅 - 渋谷駅 - 新宿駅 - [[吉祥寺駅]] - [[三鷹駅]] - [[国分寺駅]] - [[立川駅]] - [[八王子駅]]
:
; 東京駅 - 大船駅間
: 東京駅 - 品川駅 - [[武蔵小杉駅]] - [[横浜駅]] - [[戸塚駅]] - [[大船駅]]
* ( )は一部の列車が停車。
** 品川駅は、東京駅で分割・併合する列車(15往復)のうち、横浜方面発着列車が停車、新宿方面発着列車が通過し、分割・併合を行わない列車{{Efn2|4・8・9・11・12・13・16・17・20・21・24・25・28・29・32・33・36・37・41・42・44・45・48・49号。13・42号以外は全て新宿方面発着である。}}は全て停車する。従って、品川駅対成田空港駅で見ると27往復全ての列車が停車する。なお、横浜方面発着の臨時列車は品川駅を通過する場合がある。
** 千葉駅は1・2・4・5・6・9・10・13・14・15・18・19・22・23・26・27・30・31・34・35・38・39・42・43・46・47・49・51・53号のみ停車{{Efn2|原則として横浜方面発着列車は停車し、東京駅で分割・併合を行わない新宿方面発着列車は通過する。ただし、前者は3・7・40・50・52・54号が通過、後者は4・9・49号が停車となる。}}。
** 成田駅・四街道駅は2・4・6・47・49・51・53号のみ停車。
** 佐倉駅は2・6・51・53号のみ停車。
** 26・30号は横浜駅手前で[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]に転線し、横浜駅6番線に停車ののち、戸塚駅にて横須賀線に再度転線する。
* このほか、毎年1月1 - 3日の間は[[成田山新勝寺]]への[[初詣]]参拝客の便宜を図るため、日中の一部列車が成田駅に臨時停車する。2012年は成人の日3連休に、2014年は4 - 5日が土曜・日曜日にあたるため追加で臨時停車あり。
==== 延長運転 ====
; 大船駅 - 横須賀駅
: 大船駅 - [[北鎌倉駅]] - [[鎌倉駅]] - [[逗子駅]] - [[横須賀駅]]<ref>[http://ekikara.jp/newdata/detail/1301291/24826.htm 成田エクスプレス29号列車詳細] - えきから時刻表 2015年2月23日時点のアーカイブ</ref>。
* 2014年([[平成]]26年)[[3月15日]]から横浜駅・大船駅発着の一部列車を[[横須賀駅]]まで[[臨時列車]]として、繁忙期の休日に限り延長運転していた<ref group="報道">{{Cite press release|和書|date=2014-01-24 |url=http://www.jreast.co.jp/press/2013/20140110.pdf |title=春の増発列車のお知らせ |format=PDF |publisher=JR東日本 |accessdate=2014-12-11}}</ref>。
* 利用状況の伸び悩みを理由に、2017年1月より延長運転は休止となった<ref>{{Cite web|和書|date=2019-04-03|url=http://www.pref.kanagawa.jp/docs/gd6/cnt/f7140/documents/02_yokosukasen30-0328131822.pdf|title= 神奈川県鉄道輸送力増強促進会議 平成30年度 要望・回答(横須賀線)|format=PDF |publisher=神奈川県|accessdate=2019-04-08}}</ref>。
; 新宿駅 - 河口湖駅
: 新宿駅 - 立川駅 - 八王子駅 - [[大月駅]] - [[都留文科大学前駅]]([[河口湖駅]]行きのみ停車)- [[富士山駅]] - [[富士急ハイランド駅]] - 河口湖駅
* 2014年(平成26年)[[7月26日]]より土曜・休日に限り、新宿駅発着のうち1往復を[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士急行線]]に直通し、河口湖駅まで臨時列車として延長運転すると発表された<ref name="fujikyu20140609">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20140609/20140609_info_01.pdf 成田空港から富士山へ一直線!! 特急「成田エクスプレス」を富士急行線河口湖まで初めて直通運転します]}} 東日本旅客鉄道・富士急行 2014年6月9日</ref> 。当初は[[9月28日]]までの土曜・休日の予定だったが、利用者数が好調だったため、[[11月30日]]までの土曜・休日に期間を延長し、2015年(平成27年)3月1日以降も運転された<ref group="報道">{{PDFlink|[http://www.fujikyu.co.jp/data/news_pdf/pdf_file2_1424257127.pdf 今年は春の行楽シーズンから運転「成田エクスプレス」を河口湖まで直通運転]}} - 富士急行 2015年2月18日</ref>。
* 2019年3月のダイヤ改正以降は、定期特急列車「[[富士回遊]]」の設定に伴い、延長運転は休止となった<ref group="報道" name="fujikyuko20190306">{{Cite press release|和書|date=2019-03-06 |url=http://www.fujikyu-railway.jp/news/info.php?no=340 |title=【グッズ】「ありがとうホリデー快速富士山号記念入場券セット 」の販売について |publisher=富士急行 |accessdate=2019-03-06}}</ref>。
=== 使用車両・編成 ===
{|style="float:right; align:right; text-align:center; margin:0em 0em 0em 1em; border:solid 1px #999;"
|+ 2020年3月14日現在の編成図
|style="background:#eee; border-bottom:solid 4px #ff3333;"|成田エクスプレス<!--赤地に黒文字は視覚障害のある人にとっては見えにくい-->
|-
|style="font-size:80%;"|{{TrainDirection|大船・新宿・八王子|成田空港}}<!--定期列車のみ-->
|-
|
{|class="wikitable" style="font-size:80%; float:center; margin:auto;"
|-
|1||2||3||4||5||6||7||8||9||10||11||12
|-
|指||指||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G||指||指||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G
|}
|-
|style="font-size:80%; text-align:left;"|
* 全車禁煙
; 凡例
: {{bgcolor|#cf9|G}}=[[グリーン車]][[座席指定席|指定席]]
: 指=[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]指定席
|}
全ての列車が、[[鎌倉車両センター]]所属の[[JR東日本E259系電車|E259系]]により運転される。運行開始当初は[[JR東日本253系電車|253系]]が使用されていたが、[[2009年]]10月1日より後継車両の本形式が投入され<ref group="報道" name="E259">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2007_2/20080202.pdf 成田エクスプレスに新型車両を導入!]}} - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2008年2月22日</ref>、2010年6月30日をもって253系での運転は終了した<ref>『JR時刻表』2010年6月号(交通新聞社)</ref>。
定期列車27往復のうち16往復は、東京駅で分割・併合を行う。これは運行開始当初より行われており、当初は東京駅 - 成田空港駅間は6両[[編成 (鉄道)|編成]]を基本とし、号車番号は1号車からではなく4号車から付番されていた。横浜方面列車と新宿方面列車が併結して運転する列車の場合、上下ともに横浜方面編成が前にくるようになっている。すなわち、成田空港行きは1-6号車が新宿方面発、7-12号車が横浜方面発となり、逆に空港発の列車は1-6号車が横浜方面行き、7-12号車が新宿方面行きとなる。2019年3月のダイヤ改正の時点では新宿方面発着のみの17・18・21・22号が6両での運転とされていたが、2020年3月のダイヤ改正以降は全列車が12両で運転されるようになった。横浜方面と新宿方面に分かれる列車は東京駅以東を、それぞれの方面に単独で向かう列車は全区間で12両で走行する。
全列車が全席[[座席指定席]]である。
==== 過去の使用車両 ====
1991年の運行開始当初から2010年6月30日までは、専用車両である253系が使用されていた。この車両の大部分はかつて奇数番号の席と偶数番号の席が通路で分離されていたほか、A - D がボックス席単位で固まっているなど、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]の[[鉄道車両の座席|座席配列]]が他の[[特急形車両]]と大幅に異なった。その関係で、ほかの特急形車両と同様の配列になって以降も[[自動券売機|指定席券売機]]などで普通車の特急券を購入する場合は座席の細かい位置が購入者自身で指定できなかったが、2010年7月1日に使用車両がE259系に統一されたことにより普通車でも指定席券売機での座席位置選択が可能になった。
また、253系の大部分の普通車の座席の配列は[[鉄道車両の座席|集団見合い式]](以前はボックスシート)となっており、着席者の半分は後方向きに座ることになる上に座席のリクライニング機能はない。ただし、ごく一部の253系とE259系は回転式リクライニングシートを採用しているためこれらの問題はない。富士急行線直通列車では途中の富士山駅で進行方向が変わるため、成田空港行き列車では後方向きに座席がセットされている。
デッキとコンパートメント(グリーン個室)席を除き運転開始当初から[[禁煙]]とされていた。なお、[[2003年]][[3月1日]]よりデッキ禁煙化とともに 1 - 2 両の[[交通機関の喫煙規制|喫煙席]]を設けた<ref group="報道" name="press030107">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2002_2/20030107.pdf|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|title=「成田エクスプレス」の分煙化を進めます|date=2003-01-23|accessdate=2015-04-06}}</ref>が、2005年12月10日から全車禁煙となった<ref group="報道" name="press050915">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2005_1/20050915.pdf|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|title=2005年12月ダイヤ改正について|date=2005-09-30|accessdate=2015-04-06}}</ref>。
なお、「ウイングエクスプレス」が「成田エクスプレス」に統合された際に数日間253系の手配がつかず、183系によって代走したことがある。
<gallery>
File:Narita express.jpg|253系(2006年12月19日 戸塚駅 - 大船駅間)
File:Seat of JR 253.JPG|普通車のシート(253系)
File:Green Car's Seat of JR 253.JPG|グリーン車のシート(253系)
File:JREastSeries253GreenCompartment.JPG|グリーン個室のシート(253系)
File:JREast253-rollsign2.jpg|号車番号と目的地の表示板(253系)
</gallery>
=== 車内サービス ===
[[車内販売]]は東京駅 - 成田空港駅間のみ実施されていたが、2015年3月13日をもって車内販売を終了。運転開始当初はグリーン車利用客向けに無料のドリンクコーナーが設けられていたが、普通車利用客の持ち去りが絶えないことなどから後に廃止された<ref group="新聞">[[山之内秀一郎]]『JRはなぜ変われたか』([[毎日新聞社]]、2008年)p.167</ref>。
また、E259系では車体に[[公衆無線LAN|無線LAN]]用のアンテナ([[モバイルWiMAX|WiMAX]] / [[Wi-Fi]] レピータ)が設置され、[[インターネット]]接続サービスを提供している。当初は[[UQコミュニケーションズ]]の UQ WiFi と[[BBモバイルポイント]]([[ソフトバンクテレコム]]、「[[Yahoo! JAPAN]] 無線 LANサービス」などの[[ローミング]]も含む)契約者向けサービスを提供していたが、[[2016年]]よりこれに代わり、無料の公衆無線LANサービス「JR-EAST FREE Wi-Fi」を提供している。
== 臨時列車 ==
臨時列車として以下の列車が運行された。ともに本列車群の補助的な役割であったが、使用車両が[[国鉄183系電車|183系]]や[[JR東日本E257系電車|E257系]]など専用車両である253系・E259系以外のため、名称に[[翼]]を示す'''ウィング'''の名称を使用して運行されることが多く、[[関東]]以外からの成田国際空港への利用客も取り込んだ。
=== ウイングエクスプレス ===
成田エクスプレス運行開始当初、当時の使用車両である253系の車両数では増発に限りがあったため、183系9両編成または6両編成によって特急「'''ウイングエクスプレス'''([[1992年]][[3月16日]]から[[1998年]][[9月27日]]までは'''ウイング''')」が運転された。東京駅・新宿駅・八王子駅([[1992年]][[3月23日]]から[[6月30日]]まで) - 成田駅([[1990年]][[7月21日]]から[[1991年]][[2月24日]]まで)・成田空港駅([[1991年]][[7月20日]]から)での運転で、9両編成のみ自由席とグリーン車が連結され、東京駅・錦糸町駅・船橋駅・千葉駅・成田駅・成田空港駅に停車した。
なお当時の東京駅 ‐ 成田空港駅間にはウイングエクスプレスと同様に成田エクスプレスの補完目的で[[横須賀・総武快速線#特別快速「エアポート成田」|特別快速「エアポート成田」]]が運行されており、こちらは上記停車駅に加えて津田沼駅に停車した。
また[[2001年]][[12月1日]]から[[2004年]][[3月13日]]までにおいても、大宮駅 - 成田空港駅間において183系普通車のみ8両編成の全車座席指定席で特急「'''ウイングエクスプレス'''」が運転された。不定期的に普通車のみの6両編成で運転されることもあった。[[2002年]]6月16日の[[2002 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ]]輸送の際は、[[新潟駅]]発で運行された{{Efn2|同15日の夜に大宮着で運行された列車の車両を新潟駅に送り込み、当日未明の同列車に間に合わせたという。新潟駅の次の停車駅は[[高崎駅]]であった。}}。
[[2007年]][[8月10日]]から[[8月19日]]においても新宿発成田空港行きが運転され、このときは下り成田空港行きのみながら[[中央線快速]] - ([[御茶ノ水駅]]) - [[中央・総武緩行線|総武緩行線]] - ([[錦糸町駅]]) - [[横須賀・総武快速線|総武快速線]]経由とし、[[秋葉原駅]]・錦糸町駅・[[船橋駅]]・空港第2ビル駅にも停車した。また、[[定期乗車券|定期券]]と指定席特急券の組み合わせでも乗車することができた。この列車は[[JR東日本E257系電車#500番台|E257系500番台]]が使用された。
八王子駅発成田空港行きでは[[2008年]][[4月25日]]から[[4月27日]]まで運転され、[[中野駅 (東京都)|中野駅]]にも停車した。これには[[JR東日本E257系電車#0番台|E257系0番台]]が使用された。なお、4月26日は使用車両の183系で使われていたロゴマークを車両前面の表示器の上にステッカーとして貼付して運転した。また、2008年[[8月9日]]から[[8月12日]]も運転されたが、このときは千葉駅を通過した。
=== 定期列車の延長運転 ===
また、定期列車の延長の形態で以下の列車も運転された。
* 特急「'''[[あずさ (列車)|ウイングあずさ]]'''」
** 千葉駅発着の定期列車を成田空港駅まで延長する形で、1991年3月21日から1993年9月26日まで運転された。佐倉駅で「成田エクスプレス」を待避した。
* [[寝台列車|寝台]]特急「'''[[東北本線優等列車沿革|ウイングはくつる]]'''」
** [[上野駅]] - [[青森駅]]間で運行されていた「はくつる」の臨時列車で、大宮駅 - [[東北貨物線]] - [[山手貨物線]] - (新宿駅) - 中央線快速 - (御茶ノ水駅) - 総武緩行線 - (錦糸町駅) - 総武快速線というルートで、1991年4月25日から4月30日までと8月9日から8月13日まで青森発片道のみで運転された。
== 競合する主な公共交通機関 ==
{{see|成田国際空港#空港へのアクセス}}
== 運賃・料金・乗車制度の特例 ==
=== 特急料金 ===
[[特別急行券|特急料金]]は、同区間を運行するほかの特急列車が低廉な「B特急料金」を適用するのに対し、成田エクスプレスは[[伊豆半島|伊豆]]方面の「[[踊り子 (列車)#サフィール踊り子|サフィール踊り子]]」と同様に割高な「A特急料金」が適用される{{Efn2|ただし、[[JRE POINT]]をチケットレス特急券に交換する場合は他の列車と同じ料金体系となるほか、[[2024年]][[3月16日]]からは成田空港駅・空港第2ビル駅を含まない区間においては「[[しおさい]]」などの千葉県を走行する特急列車と同時に、常磐線特急「ひたち・ときわ」、中央本線特急「あずさ・かいじ」などと同じ料金体系に移行し、成田エクスプレスの場合は値下げされる予定。}}。
[[グリーン券|グリーン料金]]は200km以内のみの設定で一律2,800円と他列車とは別体系を採用しており、成田空港駅・空港第2ビル駅 - [[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]間などが該当する100km以下ではJR東日本の他の列車より高額となる。ただし、2024年3月16日からはグリーン料金についても他の列車と同じ料金体系に変更され値下げされる予定。
国際線利用客を主眼とした[[空港連絡鉄道|空港連絡列車]]であること、全車座席指定席の特急列車であるため、長らく定期券と特急券との組み合わせを一部を除き原則として認めていなかったが、2021年10月1日から普通車での指定席特急券と定期券との組み合わせを認めるようになった。
また、全座席指定席であることから、座席指定特急券か、満席時に発売される立席特急券による乗車が行われたが、[[2015年]][[3月14日]]から販売方法が変更。立席特急券の発売は取り止めとなり、座席指定特急券のほかに、乗車日と乗車区間のみ指定して列車と座席は指定しない座席未指定券が新たに発売された{{Efn2|name="未指定券"|座席未指定券を利用して乗車する列車を決めた場合は、事前に追加料金なしでその列車の座席の指定を受けることも可能である点も含め[[常磐線]]の特急[[ひたち (列車)|「ひたち」「ときわ」]]、中央本線特急列車などの首都圏の一部特急と同名・同内容の制度となっているが、前述のとおり成田エクスプレスの場合はA特急の扱いのままとなっており価格が異なっている。[[特別急行券]]も参考。}}{{Efn2|name="shutokenexp"|ただし、前述のとおり成田駅 - 東京駅・大船駅・新宿駅方面間停車駅の相互利用は、2024年3月16日から「ひたち・ときわ」の常磐線特急列車、「かいじ・あずさ」などの中央本線特急列車、「踊り子・湘南」の東海道線特急列車」、高崎線特急列車「あかぎ」と同価格となる}}。
富士急行線内も[[2017年]][[3月4日]]から特急料金が必要になった<ref>[http://www.fujikyu-railway.jp/news/info.php?no=223 【お知らせ】3/4(土) JR線直通列車における富士急行線内の料金新設について]富士急行ホームページ</ref>。特急料金は従来から運行されている富士急行線内の特急列車(「フジサン特急」「富士山ビュー特急」)の料金体系が適用され、JR線と跨って利用する場合はJRの特急料金との合算となる。富士急行線内の特急列車同様、河口湖線区間([[富士山駅]] - 河口湖駅間)のみ利用する場合に限り特急料金は不要である。
[[2005年]][[12月9日]]まではグリーン車コンパートメント席について乗車7日前より[[グリーン券|グリーンコンパートメント券]]および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」と称される[[特別企画乗車券]]が設定されていた。全列車で設定されており、成田空港駅・空港第2ビル駅 - 東京都区内間・[[吉祥寺駅]]・[[三鷹駅]]と成田空港駅・空港第2ビル駅 - 大船駅・大宮駅・高尾駅の各駅間で設定されていた。なお、[[12月10日]]以降グリーン料金の改訂が行われ、区間にかかわらず以下のように変更された。
* 4人用コンパートメント席:1室6,000円
* 開放席:2,000円
さらに、[[2009年]][[1月6日]]から[[3月31日]]まで、グリーン車コンパートメント席について乗車14日前よりグリーンコンパートメント券および特急料金に割引を適用した「N'EXグリーン個室料金券」を発売していた。
=== 特別企画乗車券類 ===
{{main|[[えきねっと#えきねっとチケットレスサービス|えきねっとチケットレスサービス]]}}
<!--成田エクスプレス用として設定されたもののみ掲載。-->
JR東日本のインターネット予約「[[えきねっと]]」にて成田エクスプレスの指定席をチケットレス予約を受け付けており、この方法で購入した場合、200円の割引([[2012年]]3月までは400円、2024年3月16日以降は100円)を受けられる。一部区間においてはより割引率の高い「N'EXえきねっとトクだ値(チケットレス特急券)」も発売されているが、2024年3月16日以降は前述した特急料金値下げに伴い、成田空港駅・空港第2ビル駅を含む区間のみの設定となる予定。
また、東京駅・品川駅<!--・渋谷-->・新宿駅・池袋駅 - 千葉駅・四街道駅・成田駅各相互間で有効なものとして「[[房総料金回数券]]」が発売されていた(「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年[[2月11日]]をもって発売を終了)。かつては品川駅→大船駅間について「N'EX料金4回券」と称される特急回数券が設定されていたが、[[2006年]]3月末で廃止された。
==== Suica&N'EX ====
[[2007年]][[3月28日]]から訪日外国人向けに「'''Suica&N'EX'''」の発売を開始した。これは成田空港駅・空港第2ビル駅の両駅から[[電車特定区間#東京附近|東京電車特定区間内各駅]]までの[[乗車券]]および最寄りの停車駅までの当列車の普通車[[特別急行券|指定席特急券]]とオリジナルデザインの無記名式[[Suica]]をセットにしたもので、片道のみである。当列車への乗車用の乗車券・特急券部分の有効期間は発行日当日のみとなっている。
背景として、冒頭に掲げた東京都心と成田国際空港間を結ぶ公共アクセスとして最も高額とされ、また利用する乗客の層としても日本人が多いとされており、少しでも外国人利用客を増やす意図がある。なお、訪日外国人向けの[[ジャパンレールパス]]と[[ジャパンレールパス#JR East Pass|JR East Rail Pass]]でも当列車に乗車することが可能である。
==== N'EXクーポン ====
JR東日本の[[びゅうプラザ]]・提携販売センターと主な[[旅行会社]]で、成田空港発着の国内旅行・[[海外旅行]]商品または成田空港発着航空券の購入・提示と同時に発売される特別企画乗車券。普通車指定席用で2枚または3枚を1セットとして発売される。設定区間は東京電車特定区間各駅 - 空港第2ビル・成田空港間。発売額はおとな2枚分4,800円、同3枚分7,200円、こども1枚1,200円<ref>「[http://www.jreast.co.jp/tickets/info.aspx?GoodsCd=1744 N'EXクーポン]」JR東日本「えきねっと」サイト</ref>。
[[2013年]]3月をもって廃止され、代替として後述の「'''N'EX往復きっぷ'''」が発売されている。
==== N'EX往復きっぷ ====
2013年[[3月1日]]よりJR東日本の首都圏の主な駅の指定席券売機、[[びゅうプラザ]]、提携販売センターや主な旅行会社などで購入可能(ただし、成田空港駅・空港第2ビル駅(および両駅のJR東日本訪日旅行センター)では取り扱っていない)。1か月前から前日までの発売で、当日購入はできない。
有効期間は14日間で、普通車用とグリーン車用がある。途中下車はできない。[[みどりの窓口]]では購入できないが、有効期間内で未使用の場合、または「かえり」券片が未使用の場合に限り、払い戻しが可能となっている。
N'EXクーポンと比較した場合、発駅によって料金が変動するようになったため、東京都内よりの料金は従来と変わらず据え置きとなった一方で、他の区間の料金は値上げされ、割高になっている。
「えきねっと」割引商品拡大に伴い、2022年[[2月9日]]をもって発売を終了した。
==== ビジネスライナーきっぷ N'EX ====
大口法人向けに発売されている特別企画乗車券で、普通車用指定席・乗車券の回数券であり、一般の利用者は購入することが出来ない。
=== 運賃・料金計算の特例 ===
区間内・経路上に様々な特例が存在する。また、運賃・料金のどちらにも適用されるもの、いずれかのみの適用となるもの、適用の可否を選択出来るか否かも特例により異なる。このため、'''運賃計算経路と料金計算経路が異なる場合もある'''ので、注意が必要である。例示しているものは実際の乗車経路と異なる経路の適用により低廉となる主な例。
; [[列車特定区間]]によるもの
: [[代々木駅]] - [[錦糸町駅]]間が経路に含まれる場合は中央本線・総武本線([[千駄ケ谷駅]]・[[浅草橋駅]])経由で、[[赤羽駅]] - 池袋駅間が経路に含まれる場合は[[赤羽線]]([[十条駅 (東京都)|十条駅]])経由で運賃・'''料金'''を計算できる(任意)。
:* これは後述の電車大環状線の規定が区間内発または着となる場合の料金には適用されないため設定されている。
; [[経路特定区間]]によるもの
: 品川駅 - [[鶴見駅]]が経路に含まれる場合、[[川崎駅]]経由で運賃・'''料金'''を計算する。
; [[電車大環状線]]にかかる場合の特例によるもの
:錦糸町駅以東(千葉駅方面) - 品川駅以西([[武蔵小杉駅]]・大船駅方面)・新宿駅以西([[吉祥寺駅]]・高尾駅方面)・赤羽駅以北([[浦和駅]]・大宮駅方面)の相互発着の場合、電車大環状線内は最短となる経路で運賃・'''料金'''が計算される。
:* 錦糸町駅 - 赤羽駅間は、総武本線・東北本線([[浅草橋駅]]・[[西日暮里駅]]・[[上中里駅]])経由で運賃・'''料金'''が計算される。
:* 錦糸町駅 - 新宿駅間は、上記列車特定区間の規定によらず総武本線・中央本線経由で運賃・'''料金'''が計算される。
: 電車大環状線内に発着駅がある場合、[[電車大環状線]]内は迂回して乗車できるため、乗車経路より短い経路で運賃を計算できる('''運賃のみ''')。
:* 錦糸町駅 - 渋谷駅間:総武本線・中央本線経由(浅草橋駅・千駄ケ谷駅経由)
:* 錦糸町駅 - 池袋駅間:総武本線・東北本線・山手線経由(浅草橋駅・西日暮里駅・[[駒込駅]]経由)
; 大都市近郊区間によるもの
:「成田エクスプレス」が走行する区間は[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]に含まれるため、大都市近郊区間相互発着の乗車券の運賃は乗車経路にかかわらず最安運賃(最短経路)となる経路で計算できる('''運賃のみ''')。
:* 成田駅 - 池袋駅・新宿駅間:成田線(我孫子[[支線]])・[[常磐線]]・東北本線・山手線経由([[下総松崎駅]]・[[北柏駅]]・[[三河島駅]]・[[日暮里駅]]・駒込駅経由)
:* 成田駅 - 大宮駅間:成田線(我孫子支線)・常磐線・[[武蔵野線]]・東北本線(下総松崎駅・北柏駅・[[南流山駅]]・浦和駅)経由
:* 成田駅 - 西国分寺駅間:成田線(我孫子支線)・常磐線・武蔵野線経由(下総松崎駅・北柏駅・南流山駅・[[北朝霞駅]]経由)
; 特定特急料金によるもの
: 渋谷駅 - 千葉駅間(品川駅経由で53.2キロ)は50キロ以下のA特急料金と同額となる。列車特定区間が適用され50キロ以下に抑えられる新宿駅 - 千葉駅間のA特急料金より高くなるのを防ぐためである。
=== 定期券併用時の特例 ===
2021年10月1日からは全列車・全区間で定期券と特急券での利用が可能となった<ref>[https://www.jreast.co.jp/press/2021/20210830_ho02.pdf START!New 通勤 Style 「えきねっと」が新しい通勤を応援します!]</ref>。
それ以前は定期券併用が可能な列車や区間が限定されており、千葉駅と成田駅の両方に停車する全列車で池袋駅・品川駅 - 東京駅 - 成田駅間の各停車駅相互間および成田空港発の列車のうち成田エクスプレス38号以降の列車の東京駅 → 横須賀駅間に限り、定期券と特急券(指定席)ないしは立席特急券(2015年3月14日廃止)、または当該区間で有効な[[特別企画乗車券|指定席特急回数券]]や[[えきねっと#トクだ値・お先にトクだ値・お先にトクだ値 スペシャル|えきねっとトクだ値(料金券のみ)]]・えきねっとチケットレスサービス等で普通車に乗車することができた。
なお、上述のとおり列車特定区間の対象であるため、[[代々木駅]] - 錦糸町駅間が中央本線・総武本線(御茶ノ水駅)経由の定期券でも途中下車をしない限りそのまま乗車できる。
== 沿革 ==
JR線(構想当初は[[日本国有鉄道]](国鉄))で東京と成田空港を結ぶ最初の構想は、[[未成線]]に終わった[[成田新幹線]]計画である。しかし[[在来線]]においては、[[成田線]]経由で運行された[[エル特急]]「[[あやめ (列車)|あやめ]]」や[[総武快速線|総武本線直通の快速列車]]より最寄駅となる成田駅を介したバス連絡で行っていた。
成田空港駅開業前の[[1989年]]から1991年にかけて「[[踊り子 (列車)|ウィング踊り子]]」が成田駅 - [[伊豆急下田駅]]間で、[[1990年]]から1991年にかけて「ウイングエクスプレス」が成田駅 - 新宿駅間で運行されていた。
そして1991年3月19日に、成田新幹線計画の遺構([[ウイング土屋|土屋]] - 成田空港)を利用した成田空港駅の開設により成田駅直通の[[快速列車]]を延伸する形で運行を開始した「エアポート成田」や「成田エクスプレス」の運行開始により、JRによる成田空港アクセスが開始された。なお運行開始時は、一部列車を除いて、[[千葉県庁]]所在地かつ[[政令指定都市]]である[[千葉市]]の表玄関・[[千葉駅]]を通過することに対して地元から批判が起き、地域新聞である『[[千葉日報]]』も紙面で取り上げた。
当初は、東京駅 - 成田空港駅間を6両で運行し、東京駅で分割し新宿・横浜方面へそれぞれ3両編成で運行することや、新宿方面へは品川駅より[[目黒川信号場]]経由で山手貨物線経由での運行を行うなど運行上の妙があったものの、東京都心直通とりわけ山手線沿線の[[東京都区部|東京23区]]西部への鉄道による直通運転は初めてであることや、[[バブル景気]]を背景とした海外旅行客を利用者の核としたことから利用が定着した。1993年までには末端区間でも6両編成での運行となり、運転区間の拡大も行われた。また、東京駅地下にグリーン車利用客専用の[[待合室|ラウンジ]]が設置されたが、1990年代中盤頃に廃止された。また、当初は1992年頃を目途に東京駅で[[搭乗手続き]]が行えるチェックインサービスを実施する予定<ref>『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』1991年3月号 p.118</ref>であったが、最終的に実施は見送られている{{Efn2|日本の空港連絡列車でのチェックインサービスは[[関西国際空港]]と結ぶ関空特急「[[はるか (列車)|はるか]]」で1994年の運転開始当初から[[京都駅]]で、[[関空快速・紀州路快速|関空快速]]で1996年から[[JR難波駅]]で実施していたが、前者は[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、[[アメリカ合衆国]]が空港以外での手荷物検査を認めなくなったことの影響から2002年で、後者は利用率低迷で1998年にそれぞれ廃止された。}}。
その後、[[1990年代]]後半以降の[[バブル崩壊]]に伴う日本経済の低迷により、空港利用客の少ない早朝の空港発・夕[[ラッシュ時]]の空港行きについては千葉駅など途中停車駅を増やし、通勤客の着席輸送に供されるようにもなったほか、[[首都圏 (日本)|首都圏]]各線区や観光地への延長運転も行われるようになった。
=== 年表 ===
{|style="float:right; align:right; text-align:center; margin:0em 0em 0em 1em; border:solid 1px #999;"
|+ 過去の編成図
|style="background:#eee; border-bottom:solid 4px green;"|成田エクスプレス
|-
|style="font-size:80%;"|{{TrainDirection|東京・品川・新宿・横浜|成田空港}}<!--定期列車のみ-->
|-
|
{|class="wikitable" style="font-size:80%; float:center; margin:auto;"
|+253系(-2010年6月30日)
|1||2||3||4||5||colspan="2"|6||7||8||9||10||11||colspan="2"|12
|-
|指||指||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G||style="background-color:#cf9;"|G個4||指||指||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G||style="background-color:#cf9;"|G個4
|}
|-
|
{|class="wikitable" style="font-size:80%; float:center; margin:auto;"
|+253系(2009年10月1日-)
|1||2||colspan="2"|3||4||5||colspan="2"|6||7||8||9||10||11||colspan="2"|12
|-
|指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G個4||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G個4||指||指||指||指||指||style="background-color:#cf9;"|G||style="background-color:#cf9;"|G個4
|}
|-
|style="font-size:80%; text-align:left;"|
* 全車禁煙
* 6号車と7号車(2009年10月1日以前は3号車と4号車も)の通り抜けはできない。
; 凡例
: {{bgcolor|#cf9|G}}=グリーン車座席指定席
: {{bgcolor|#cf9|G個4}}=グリーン車4人用個室
: 指=普通車座席指定席
|}
* 1989年([[平成]]元年)4月29日 - 1991年(平成3年)1月6日:幕張電車区(現・[[幕張車両センター]])配置の[[国鉄183系電車|183系]]6両編成を使用し、「[[踊り子 (列車)|'''ウイング踊り子''']]」が成田駅 - [[伊豆急下田駅]]間で運転。日本での「ウイング」の列車名の初出とされる{{Efn2|[[京浜急行電鉄]]の「[[京急ウィング号]]」は[[1992年]]に運転開始。}}。
* 1990年(平成2年)7月21日:臨時列車として幕張電車区の183系9両編成を使用し、「'''ウイングエクスプレス'''」が新宿駅 - 成田駅間で運転開始(1991年2月24日まで)。
** 「ウイング踊り子」と「ウイングエクスプレス」の成田駅 - 成田空港間は前記の[[ジェイアールバス関東八日市場支店|JRバス関東]]([[国道51号]]・[[国道295号]]経由、のちに廃止)での連絡。
* 1991年(平成3年)
** 3月19日:[[成田線]]成田駅 - 成田空港駅間開業と同時に「'''成田エクスプレス'''」が運転開始<ref>[[#JR10th|『特急10年』 pp.62-63]]</ref>。
** 3月21日:「'''ウイングあずさ'''」が運転開始。
** 7月20日:「ウイングエクスプレス」が成田空港駅へ乗り入れ開始し、東京駅発着に変更。
* [[1992年]](平成4年)
**需要の増加に伴い、6両編成が横浜駅・新宿駅・池袋駅発着編成とするように組み替える。このため、徐々に東京駅 - 成田空港駅間で4号車を池袋駅・横浜駅方先頭車とする列車は減少していった。
** 「ウイングエクスプレス」が「'''ウイング'''」に改称(同年3月16日から1998年9月27日まで)。
** 12月3日:空港第2ビル駅が開業し、全列車停車となる<ref name="10th 78">[[#JR10th|『特急10年』 p.78]]</ref>。また、立席特急券の取り扱いを開始する<ref name="10th 78" />。
* [[1993年]](平成5年)
** 3月18日:横浜駅発着列車の一部を大船駅まで延長。また、6両編成を基本とする車両増強が終了し、1号車を池袋・横浜方先頭車として運行<ref>[[#JR10th|『特急10年』 pp.80-81]]</ref>。
** 9月27日:「ウイングあずさ」が廃止。
* [[1994年]](平成6年)12月3日:品川駅への停車を開始<ref>{{Cite news |title=新ダイヤ 停車記念セレモニー JR東日本 「品川駅」NEX 茅ヶ崎駅「湘南ライナー」 |newspaper=『[[交通新聞]]』 |publisher=交通新聞社 |date=1994-12-07 |page=3 }}</ref>。
* [[1996年]](平成8年)4月25日:車内販売を開始<ref name="10th 132">[[#JR10th|『特急10年』 p.132]]</ref>。
* [[1998年]](平成10年)12月8日:池袋駅発着列車の一部が[[大宮駅 (埼玉県) |大宮駅]]まで延長<ref>{{Cite journal ja-jp |year =1999年発行 |title =1998年12月8日JRグループダイヤ改正のニューフェース |journal =[[鉄道ピクトリアル]] |volume =49 |issue =3 |serial =666 |publisher =[[電気車研究会]] |page =76 }}</ref>。
* [[1999年]](平成11年)12月4日:高尾駅発着列車の1往復が運転開始。
* [[2001年]](平成13年)12月1日:臨時列車として「ウイングエクスプレス」の運転再開。大船駅発着の全列車が新たに戸塚駅に停車。
* [[2002年]](平成14年)12月1日:東京駅 - 成田駅間の[[#定期券併用時の特例|定期券乗車特例]]の適用が開始。新宿方面発着の一部の列車が新たに[[渋谷駅]]に停車<ref>{{Cite journal|和書 |title = 鉄道記録帳2002年12月 |date = 2003-03-01 |journal = RAIL FAN |issue = 2 |volume = 50 |publisher = 鉄道友の会 |page = 24 }}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)10月1日:品川駅の停車列車が追加。一部列車が新たに四街道駅に停車。
* [[2004年]](平成16年)
** 3月13日:「ウイングエクスプレス」が「成田エクスプレス」に統合されて廃止。定期券乗車特例が拡大。
** 10月1日:品川駅・四街道駅の停車列車が追加。一部の横浜方面発着列車の編成は一部分割し池袋駅発着列車を増発。大宮駅発着の1.5往復は池袋駅発着に見直し。また一部列車の増結を行い、東京駅 - 成田空港駅間を6両編成で運転する列車が消滅。
** 12月18日:1往復を大船駅から[[小田原駅]]まで臨時列車として多客時に延長運転開始。途中の停車駅は[[藤沢駅]]、[[茅ケ崎駅]]、[[平塚駅]]。
* [[2007年]](平成19年)8月10日 - 8月19日:新宿駅発成田空港行きで臨時列車として特急「ウイングエクスプレス」が運転(3年5か月ぶりの運行)。
* [[2008年]](平成20年)3月15日:2往復増発。新たに品川駅発着列車が運転開始。
* [[2009年]](平成21年)10月1日:E259系が26往復中10往復で営業運転開始<ref group="報道">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20090811.pdf 新型成田エクスプレス「E259系」10月1日いよいよ営業運転開始!!]}} - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2009年8月11日</ref>。また一部列車の増結を行い、3両編成および9両編成で運転される列車は消滅。東京駅 - 成田空港駅間は全列車が12両編成での運転になる。
* 2010年(平成22年)
** 3月13日:ダイヤ改正により、以下のように変更<ref group="報道">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2009/20091215.pdf 2010年3月ダイヤ改正について]}} - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2009年12月15日</ref>。
**# 新型車両E259系が増投入。
**# 「成田エクスプレス」が1往復増発され、27往復になる。
**# 東京駅で分割・併合を行う列車が増加し、新宿方面・横浜方面の列車ともに増発。
**# [[横須賀線]]武蔵小杉駅開業に伴い、同駅および品川駅に横浜駅・大船駅発着の全列車の停車を開始。渋谷駅にも新宿方面発着の全列車が停車。
**# 高尾駅発着列車が1往復増発され、2往復になる。
**# 「[[えきねっと]]」にて携帯電話を利用したチケットレスサービスが開始。
** 7月1日:使用車両がE259系に統一。車内販売を全列車で実施するようになる。
* 2011年(平成23年)
** [[3月11日]]:[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生。以降、全列車が運休になる。
** 4月4日:運転再開。ただし[[福島第一原子力発電所事故]]などに伴う電力供給の逼迫のため、一部の列車は運休。
** 9月3日:全列車が運転再開。
* 2012年(平成24年)[[3月17日]]:一部列車の大船駅・横浜駅・新宿駅 - 東京駅間が廃止または臨時列車化される。なお品川駅 - 成田空港駅間の列車の運行本数自体に変動はなく、結果的に東京駅 - 成田空港駅間を6両編成で運転する列車が復活する。
* 2013年(平成25年)[[3月16日]]:8・47号が四街道駅に停車するようになる。
* 2014年(平成26年)
**[[3月15日]]:横浜駅・大船駅発着の一部列車を[[横須賀駅]]まで臨時列車として、繁忙期の土日祝に延長運転を行う。
** [[7月26日]]<ref name="fujikyu20140609"/>:新宿駅発着のうち1往復(8・41号)を[[富士山麓電気鉄道富士急行線|富士急行線]]([[富士急行]]大月線・河口湖線)に直通し、[[河口湖駅]]まで臨時列車として、土休日に限り延長運転する。
* [[2015年]](平成27年)
** [[3月14日]]:ダイヤ改正により、以下のように変更<ref group="報道" name="press141222">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2014/20141222.pdf|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|title=2015年3月ダイヤ改正について|date=2014-12-19|accessdate=2014-12-24}}</ref>。
**# 一部列車が佐倉駅に停車するようになる。
**# 成田空港駅を12時台に到着・発車する1往復を増発し、早朝時間帯に運転している1往復を廃止。
**# 乗車日・区間のみを指定し、列車・座席を指定しない特急券「座席未指定券{{Efn2|前述のとおりA特急料金のまま座席未指定券を導入している。[[特別急行券]]も参照。}}」の発売を開始し、従前より満席時のみに発売している立席特急券の発売を取り止め。
**# 車内販売を廃止<ref group="報道" name="jreast 20150116 press">{{Cite press release|和書|url=http://www.jreast.co.jp/press/2014/20150110.pdf|format=PDF|publisher=[[東日本旅客鉄道]]|title=一部の新幹線・在来線特急列車の車内販売サービスと新幹線「グリーンアテンダント」によるサービスの終了について|date=2015-01-16|accessdate=2015-01-16}}</ref>。
** [[12月1日]]:品川駅→大船駅間の定期券乗車特例を東京駅→横須賀駅間に拡大。
* [[2017年]](平成29年)3月4日:ダイヤ改正により新宿駅発が2往復増発。10時台から18時台は30分間隔になる。一方、横浜大船方面の列車を上り3本、下り1本削減。横浜発着の25、26,49号が東京駅で連結することになり、横浜発着で単独運転する列車がなくなる。
* [[2019年]](平成31年)
** 3月10日:同年3月16日実施のダイヤ改正で特急「[[富士回遊]]」が運行開始されることに伴い、繁忙期の土日祝に行われていた富士急行線河口湖駅への延長運転を休止<ref group="報道" name="fujikyuko20190306" />。
** 3月16日:横須賀線増発に伴い、7時台の大船駅始発の列車(9号)を新宿駅始発に変更。この時間帯の新宿駅発は2本になる。
* [[2020年]]([[令和]]2年)
** 3月14日:東京駅 - 成田空港駅間において全ての列車が12両での運転となる。また、横浜方面は日中1時間間隔とし、始終着を大船駅に統一する。
** [[4月24日]]:JR東日本が、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症(COVID-19)]]の流行拡大に伴う海外渡航需要減少等の影響を理由に、同年5月1日 - 6月30日まで以下の措置を実施することを発表<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200424_ho01.pdf|title=特急「成田エクスプレス」号の一部運転取りやめと指定席発売の見合わせについて|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-04-24|accessdate=2020-04-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200425065624/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200424_ho01.pdf|archivedate=2020-04-25}}</ref>。
**# 同年5月1日 - 5月29日まで、1 - 7・38・40・42・46・47・49 - 54号以外の全列車を運休。
**# 2・6・47号は東京駅 - 新宿駅間、4号は新宿駅 - 池袋駅間、38号は新宿駅・東京駅 - 成田空港駅間が運休。また、2・6・47号は東京駅 - 大船駅間は6両から12両での運転となる。
**# 同年6月1日 - 6月30日まで、5月中に運休する列車の指定席車両の販売を見合わせ。
** [[5月13日]]:JR東日本が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大防止により、以下の運転計画の実施を発表<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200513_1_ho.pdf|title=発売見合わせ中の新幹線および在来線特急等の運転計画・指定席発売について|format=PDF|publisher=東日本旅客鉄道|date=2020-05-13|accessdate=2020-05-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200514052224/https://www.jreast.co.jp/press/2020/20200513_1_ho.pdf|archivedate=2020-05-14}}</ref>。
**# 同年5月1日 - 5月29日に実施していた列車の運休措置を、同年6月1日以降も継続して実施。
**# 同年5月30日・5月31日は、渋谷駅での線路切替工事実施のため、同年5月1日以降に運転を継続している列車は、区間運休や両数変更を実施。
* [[2021年]](令和3年)
** [[3月13日]]:同日実施のダイヤ改正により、下記の通り変更。
**# 8号を新宿行から池袋行に延長<ref group="報道" name="c20201218">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/chiba/20201218_c01.pdf|title=2021年3月ダイヤ改正について|format=PDF|language=日本語|publisher=[[東日本旅客鉄道千葉支社]]|date=2020-12-18|accessdate=2020-12-18}}</ref>{{Efn2|2020年4月から継続して運休となっていたが、翌2022年のダイヤ改正で大宮・池袋発着の成田エクスプレスが新宿発着に短縮された為、池袋行として一度も運行されないまま再び新宿行に短縮された。}}。
**# 3・7・50・52号の運行区間が八王子駅・大船駅 - 成田空港駅間となり、八王子駅 - 高尾駅間の運転を取りやめ<ref group="報道" name="c20201218" /><ref group="報道" name="hc20201218">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2020/hachioji/20201218_hc01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201219011408/https://www.jreast.co.jp/press/2020/hachioji/20201218_hc01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=2021年3月ダイヤ改正について|publisher=東日本旅客鉄道株式会社八王子支社|date=2020-12-18|accessdate=2020-12-19|archivedate=2020-12-19}}</ref>。
**# 2020年6月1日以降実施されていた列車の運休措置を、当面の間継続<ref name="diagram2021"/>。
*[[2022年]](令和4年)
**[[3月12日]]:同日実施のダイヤ改正により、下記の通り変更<ref group="報道" name="c20211217">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/chiba/20211217_c01.pdf|title=2022年3月ダイヤ改正について|format=PDF|language=日本語|publisher=[[東日本旅客鉄道千葉支社]]|date=2021-12-17|accessdate=2021-12-18}}</ref>。
**#日中時間帯において毎時1本程度が千葉駅に停車し、千葉駅停車本数を下り16本、上り13本とする。
**#新宿駅 - 大宮駅間の運転を全列車取りやめ、池袋駅・大宮駅発着の列車を新宿駅発着に短縮する。
**#17・36号の東京駅 - 大船駅間での運転を取りやめ、新宿駅発着のみの運転とする。
**#成田空港駅または空港第2ビル駅発着の「えきねっとトクだ値(チケットレス特急券)」を新設し、「N'EX往復きっぷ」の発売を同年2月9日を以て終了。
**#前回のダイヤ改正以降運休していた列車のうち、千葉駅に新規停車する列車の運転を再開する<ref group="報道" name="c20220128">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2021/20220128_ho02.pdf|title=特急「成田エクスプレス」の運転計画について|format=PDF|language=日本語|publisher=[[東日本旅客鉄道]]|date=2021-01-28|accessdate=2021-02-27}}</ref>。
**10月1日:運休となっていた新宿駅発着の全ての列車の運転を再開<ref group="報道" name="jre20220922">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2022/20220922_ho01.pdf|title=特急「成田エクスプレス」の運転再開について|format=PDF|language=日本語|publisher=東日本旅客鉄道|date=2022-09-22|accessdate=2022-09-22}}</ref>。
*[[2024年]](令和6年)
**[[3月16日]]:同日実施のダイヤ改正により、下記の通り変更(予定)<ref group="報道" name="c20231215">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2023/chiba/20231215_c01.pdf|title=2024年3月ダイヤ改正について|format=PDF|language=日本語|publisher=[[東日本旅客鉄道千葉支社]]|date=2023-12-15|accessdate=2023-12-15}}</ref>。
**# 朝時間帯の成田空港駅行き列車において運転間隔の調整が行われ、7時 - 19時までおおむね30分間隔での運転となる。
**# 朝夕に千葉駅・佐倉駅に停車する列車が増加。
**# 新宿駅 - 八王子駅間の中央線快速電車への直通運転を全列車取りやめ、八王子駅発着の列車を新宿駅発着に短縮。
**# 特急料金区分などを見直し、「成田空港駅・空港第2ビル駅を含む利用」と「成田空港駅・空港第2ビル駅を含まない利用」で2種類の料金に変更{{Efn2|成田空港駅・空港第2ビル駅発着は、A特急料金のまま維持されるが[[特別急行券#シーズン別の指定席特急料金|通年同額]]に変更され、成田駅以遠東京駅・大船駅・新宿駅方面の各停車駅間相互の利用は「[[しおさい (列車)|しおさい]]」や「[[さざなみ (列車)|(新宿)さざなみ]]」、「[[わかしお (列車)|(新宿)わかしお]]」と共に中央線特急や常磐線特急などの「首都圏の新たな特急料金制度」に変更となる。}}。同時に「E259系によって運行される列車の[[グリーン券|特別車両料金(グリーン料金)]]」の成田エクスプレス専用制度を廃止し、通常の特別車両料金(グリーン料金)とする{{Efn2|よって、成田空港駅・空港第2ビル駅発着の場合は100キロまでのグリーン料金となる利用、成田駅以遠東京駅・大船駅・新宿駅方面各停車駅間相互利用の場合はグリーン車・普通車利用は値下げとなる。}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="diagram2021">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/ltd_exp/pdf/20210313_nex.pdf|title=特急「成田エクスプレス」号の運転計画|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2021-03-15}}</ref>
}}
==== 報道発表資料 ====
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==== 新聞記事 ====
{{Reflist|group="新聞"}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |title=JR特急10年の歩み |publisher=[[弘済出版社]] |date=1997-05-15 |isbn=4-330-45697-4 |ref=JR10th}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Narita Express}}
* [[空港連絡鉄道]]
* [[成田新幹線]]
* [[スカイライナー]] - 競合列車として、[[京成電鉄]]が運行する空港特急列車。
* [[エアポート常磐]]
* [[はるか (列車)]] - [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[阪和線]]で運行されている空港連絡特急。
== 外部リンク ==
* [https://www.jreast.co.jp/train/express/nex.html 成田エクスプレス(E259系)] - JR東日本
* [https://www.jreast.co.jp/ltd_exp/index.html?line=narita 首都圏発着 在来線特急のご案内 成田エクスプレス] - JR東日本
{{成田国際空港のアクセス}}
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[[Category:日本の特急列車]]
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2003-07-15T04:06:34Z
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メガアダプタ
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メガアダプタは、セガ・エンタープライゼスが販売したメガドライブ用の周辺機器である。1989年1月26日発売。価格4,500円。
セガの家庭用8ビットゲーム機セガ・マークIII用ソフトを、メガドライブで使用可能にするアダプタ。メガドライブ最初期のソフト不足をカバーするための製品である。ある程度ソフトが出揃うと製品としての役割を終えたため販売期間は短い。また、あまり積極的に販売もされていなかったため、出荷数・現存数が少ない。
セガ・マークIIIの周辺機器である3Dグラスや、海外マスターシステム用の光線銃はメガアダプタでも使用することができる。
メガアダプタ本体には、セガ・マークIII用のROMカートリッジスロットとマイカードスロット、ポーズボタンのみが装備されており、メガドライブ本体のカートリッジスロットに挿して使用する。 メガドライブは、セガ・マークIII用ROMカートリッジを接続すると自動的に、セガ・マークIII互換の動作モードに切り替わるようになっていた。そのため、メガアダプタの内部構造はポーズボタン用の割り込み回路がある以外、アドレスとデータ(下位8ビットのみ)バスをそのまま結んでいるだけで、ほとんどがピン配列の変換パーツで占められている。ただし単に結線しただけではマークIIIとメガドライブのBIOSの違いにより一部のレジスタが初期化されない(一部のタイトルで不具合が出る)ため、純正のメガアダプタではわずかなICの追加で対処されている。
コントローラはメガドライブ付属のものが使用でき、方向ボタンとBボタン・Cボタンのみ使用する。ただし、『ボンバーレイド』や『エイリアンシンドローム』など、別売のマスターシステム用パッド(製品番号#3020)でないと動かないソフトが数本程度存在する。
SG-1000用のカートリッジやマイカード、及びSG-1000の画面モードを使用する『F-16 ファイティングファルコン』は使用できない。また、セガ・マークIII用トラックボールコントローラー『セガ スポーツパッド』には非対応のため、専用ソフトである『スポーツパッドサッカー』と『グレートアイスホッケー』の2本も使えない。
セガ・マークIIIとマスターシステムのFM音源はメガドライブ本体のFM音源部とは仕様が異なるため、メガアダプタ使用時の対応サウンドは全てPSG音源のみである。
カートリッジスロット周辺の形状が異なるため、メガドライブ(初代機)以外の互換機に直接接続することはできない。なお、メーカー保証外であるものの、コンバータの後ろの突起部分を切断したり、外装を取り払って基板を剥き出しにしたり、など、物理的に接続が可能な状態に出来さえすれば、メガドライブ2でも使用可能になる。
北米メガドライブのGENESIS用メガアダプタは、POWER BASE CONVERTERという名称である。メガCD一体型コンパクトタイプのマルチメガでも使用することができる。
マスターシステムが任天堂のファミリーコンピュータとほぼ互角のシェア争いを展開したヨーロッパでは、欧州版メガドライブが発売されてからもマスターシステムの市場が健在で、ユーザーからの要望も高かった。そのため、初代メガドライブ用のほかに、欧州版メガドライブ2への接続にも対応した両機種対応型の『POWER BASE CONVERTER II』が販売された。初代機より遥かにコンパクトになった代わりに、マイカードソフトが使用できなくなった。
2023年現在、中古価格は高騰している。
なお、サイバーガジェットより発売されているレトロフリーク用ギアコンバーターにより、メガアダプタを購入せずとも、同等の機能をメガドライブに持たせることが容易になった。同社の公式アカウントでも、メガアダプタがメガドライブ2に物理的に接続できない問題を解決できる旨を述べている。逆に、初代メガドライブで初代ギアコンバーターを使用する際はカートリッジのロック部品が引っかかるため、正常に動作しない。限定カラーのギアコンバーターSには切り欠きがつけられており初代メガドライブで使用する際の物理的な問題は指摘されていない。なお海外版マスターシステム用カセットに対応したレトロフリーク用GEAR CONVERTER for SMSは前者と同じく物理的なロック機構の干渉が指摘されている。
また、非純正の互換品も販売されている。非純正品の中にはマイカード用スロットを備えず、カードキャッチャが必要になるものもある。
一方、2018年に一部店舗で発売された、MSXでSG-1000シリーズ用ソフトを動作させるエミュレータ「MEGA MSX ADAPTER」は、メガアダプタを介してSG-1000用カセットやマイカードを接続する仕様のため、メガアダプタまたは相当品が必須である。時期的にはちょうど上記のレトロフリーク用ギアコンバータが流通していたが、全てのSG-1000用ソフトが全てのMSXで動作するわけではない。
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"text": "北米メガドライブのGENESIS用メガアダプタは、POWER BASE CONVERTERという名称である。メガCD一体型コンパクトタイプのマルチメガでも使用することができる。",
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"text": "一方、2018年に一部店舗で発売された、MSXでSG-1000シリーズ用ソフトを動作させるエミュレータ「MEGA MSX ADAPTER」は、メガアダプタを介してSG-1000用カセットやマイカードを接続する仕様のため、メガアダプタまたは相当品が必須である。時期的にはちょうど上記のレトロフリーク用ギアコンバータが流通していたが、全てのSG-1000用ソフトが全てのMSXで動作するわけではない。",
"title": "現状"
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] |
メガアダプタは、セガ・エンタープライゼスが販売したメガドライブ用の周辺機器である。1989年1月26日発売。価格4,500円。
|
{{Infobox_コンシューマーゲーム機
|名称 = メガアダプタ<br />POWER BASE CONVERTER
|ロゴ =
|画像 = [[File:Mega_Adaptor.jpg|200px]]<br />[[File:Mega_Adaptor_with_Mega_Drive.jpg|240px]]
|画像コメント = メガアダプタ(上)<br />メガアダプタをメガドライブに接続した様子(下)
|メーカー = [[セガ|セガ・エンタープライゼス]]
|種別 = [[ゲーム機|ゲーム機周辺機器]]
|世代 =
|発売日 = '''POWER BASE CONVERTER'''<br />{{Flagicon|JPN}} [[1989年]][[1月26日]]<br />{{Flagicon|USA}} 1989年<br />{{flagicon|EU}} [[1990年]]<br />{{Flagicon|BRA}} 1990年<br />'''POWER BASE CONVERTER II'''<br />{{flagicon|EU}} [[1993年]]
|CPU = メガドライブ本体内蔵[[Z80]]を流用
|GPU =
|メディア = [[ロムカセット]]<br />[[マイカード]]
|ストレージ = [[バッテリーバックアップ]]
|コントローラ = メガドライブ用パッドを使用
|外部接続端子 =
|オンラインサービス =
|出荷台数 =
|最高売上ソフト =
|互換ハード = [[セガ・マークIII]]
|前世代ハード =
|次世代ハード =
}}
'''メガアダプタ'''は、[[セガ・エンタープライゼス]]が販売した[[メガドライブ]]用の[[周辺機器]]である。[[1989年]][[1月26日]]発売。価格4,500円。
== 概要 ==
セガの家庭用[[8ビット]]ゲーム機[[セガ・マークIII]]用ソフトを、メガドライブで使用可能にするアダプタ。メガドライブ最初期のソフト不足をカバーするための製品である。ある程度ソフトが出揃うと製品としての役割を終えたため販売期間は短い。また、あまり積極的に販売もされていなかったため、出荷数・現存数が少ない。
セガ・マークIIIの周辺機器である3Dグラスや、海外マスターシステム用の光線銃はメガアダプタでも使用することができる。
== ハードウェア ==
メガアダプタ本体には、セガ・マークIII用の[[ロムカセット|ROMカートリッジ]]スロットと[[マイカード]]スロット、ポーズボタンのみが装備されており、メガドライブ本体のカートリッジスロットに挿して使用する。
メガドライブは、セガ・マークIII用ROMカートリッジを接続すると自動的に、セガ・マークIII互換の動作モードに切り替わるようになっていた。そのため、メガアダプタの内部構造はポーズボタン用の割り込み回路がある以外、アドレスとデータ(下位8ビットのみ)バスをそのまま結んでいるだけで、ほとんどがピン配列の変換パーツで占められている<ref>サードパーティ製品の結線例 - {{Cite web|url=https://www.raphnet-tech.com/downloads/markIII_to_smd_schematic.png|title=Sega MarkIII/Japanese master system to Megadrive/Genesis cartridge adapter|format=[[Portable Network Graphics|PNG]]|publisher=raphnet technologies|accessdate=2019-07-02}}</ref>。ただし単に結線しただけではマークIIIとメガドライブのBIOSの違いにより[[レジスタ (コンピュータ)#スタックポインタ|一部のレジスタ]]が初期化されない(一部のタイトルで不具合が出る)ため、純正のメガアダプタではわずかなICの追加で対処されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.raphnet.net/electronique/markIII_to_smd/index_jp.php|title=日本のマスターシステム、マークIII→メガドライブへアダプター|publisher=raphnetlabs|date=2015-04-03|accessdate=2019-07-02}}</ref>。
コントローラはメガドライブ付属のものが使用でき、方向ボタンとBボタン・Cボタンのみ使用する。ただし、『[[ボンバーレイド]]』や『[[エイリアンシンドローム]]』など、別売のマスターシステム用パッド(製品番号#3020)でないと動かないソフトが数本程度存在する。
[[SG-1000]]用のカートリッジやマイカード、及びSG-1000の画面モードを使用する『[[F-16 ファイティングファルコン (セガ・マークIII)|F-16 ファイティングファルコン]]』は使用できない。また、セガ・マークIII用トラックボールコントローラー『セガ スポーツパッド』には非対応のため、専用ソフトである『スポーツパッドサッカー』と<!--[[ファンタシースター]]のバーコードを貼って応募する懸賞で当選したユーザー1,000名に配布された非売品-->『グレートアイスホッケー』の2本も使えない。
セガ・マークIIIと[[セガ・マスターシステム|マスターシステム]]の[[FM音源]]はメガドライブ本体のFM音源部とは仕様が異なるため、メガアダプタ使用時の対応サウンドは全て[[Programmable Sound Generator|PSG音源]]のみである。<!--しかし後に同人ハード作家によって別途[[YM2413|OPLL音源]]を乗せてカートリッジ端子にあるオーディオ入力に合成させる形でFM音源対応を実現させた同人基板が製作され、コミケットやネットオークションで少数ながら販売された。-->
カートリッジスロット周辺の形状が異なるため、メガドライブ(初代機)以外の互換機に直接接続することはできない。なお、メーカー保証外であるものの、コンバータの後ろの突起部分を切断したり、外装を取り払って基板を剥き出しにしたり、など、物理的に接続が可能な状態に出来さえすれば、メガドライブ2でも使用可能になる。
== 海外版 ==
[[File:Sega-Genesis-Power-Base-Converter-1.jpg|thumb|220px|POWER BASE CONVERTER]]
[[File:Sega-Genesis-Power-Base-Converter.jpg|thumb|260px|POWER BASE CONVERTEをGENESISに接続した様子]]
北米メガドライブのGENESIS用メガアダプタは、POWER BASE CONVERTERという名称である。[[メガCD]]一体型コンパクトタイプの[[メガドライブのバリエーション|マルチメガ]]でも使用することができる。
マスターシステムが[[任天堂]]の[[ファミリーコンピュータ]]とほぼ互角のシェア争いを展開した[[ヨーロッパ]]では、欧州版メガドライブが発売されてからもマスターシステムの市場が健在で、ユーザーからの要望も高かった。そのため、初代メガドライブ用のほかに、欧州版メガドライブ2への接続にも対応した両機種対応型の『POWER BASE CONVERTER II』が販売された。初代機より遥かにコンパクトになった代わりに、マイカードソフトが使用できなくなった。
== 現状 ==
[[2023年]]現在、中古価格は高騰している<ref>[https://www.suruga-ya.jp/product/detail/164000553 メガアダプタ | 予約 | メガドライブハード | 通販ショップの駿河屋] ‐ [[エーツー|駿河屋]]</ref>。
なお、[[サイバーガジェット]]より発売されているレトロフリーク用ギアコンバーターにより、メガアダプタを購入せずとも、同等の機能をメガドライブに持たせることが容易になった<ref name="cybergadget">[http://www.cybergadget.co.jp/products/4544859022616.html レトロフリーク用ギアコンバーター|サイバーガジェット]</ref>。同社の公式アカウントでも、メガアダプタがメガドライブ2に物理的に接続できない問題を解決できる旨を述べている<ref>{{Twitter status|cybergadget|735379888618778625|サイバーガジェット公式アカウント、2016年5月25日の発言}} ‐ {{Accessdate|2019-06-16}}</ref>。逆に、初代メガドライブで初代ギアコンバーターを使用する際はカートリッジのロック部品が引っかかるため、正常に動作しない<ref name="cybergadget" />。限定カラーのギアコンバーターSには切り欠きがつけられており初代メガドライブで使用する際の物理的な問題は指摘されていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cybergadget.co.jp/products/4544859028656/|title=レトロフリーク用ギアコンバーターS販売終了|publisher=サイバーガジェット|accessdate=2023-06-24}}</ref>。なお海外版マスターシステム用カセットに対応したレトロフリーク用GEAR CONVERTER for SMSは前者と同じく物理的なロック機構の干渉が指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cybergadget.co.jp/products/4544859027093.html|title=レトロフリーク用ギアコンバーター for SMS販売終了|publisher=サイバーガジェット|accessdate=2023-06-24}}</ref>。
また、非純正の互換品も販売されている<ref>[http://www5b.biglobe.ne.jp/~g-take/itemdc.htm DC-セガ系ハード関連商品一覧]</ref>。非純正品の中にはマイカード用スロットを備えず、カードキャッチャが必要になるものもある。
一方、2018年に一部店舗で発売された、[[MSX]]で[[SG-1000]]シリーズ用ソフトを動作させるエミュレータ「MEGA MSX ADAPTER」は、メガアダプタを介してSG-1000用カセットやマイカードを接続する仕様のため、メガアダプタまたは相当品が必須である。時期的にはちょうど上記のレトロフリーク用ギアコンバータが流通していたが、全てのSG-1000用ソフトが全てのMSXで動作するわけではない<ref>{{Cite web|和書|url=https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/1144475.html|title=MSXでSG-1000のゲームを動かすためのアダプタ「MEGA MSX ADAPTER」|publisher=AKIBA PC Hotline!|date=2018-09-25|accessdate=2020-05-05}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
== 外部リンク ==
* [https://sega.jp/history/hard/megadrive/devices.html 関連・周辺機器 | メガドライブ | セガハード大百科 | セガ]
{{家庭用ゲーム機/セガ}}
{{デフォルトソート:めかあたふた}}
[[Category:メガドライブ]]
[[Category:コンピュータゲームの周辺機器]]
|
2003-07-15T04:19:11Z
|
2023-10-31T13:25:09Z
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[
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"Template:家庭用ゲーム機/セガ",
"Template:Infobox コンシューマーゲーム機",
"Template:脚注ヘルプ"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%AC%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF
|
11,439 |
通勤ライナー
|
通勤ライナー(つうきんライナー)
|
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通勤ライナー(つうきんライナー) JRが平日ラッシュ時を中心に運行する、運賃以外の料金を必要とする普通列車。定員制ないしは座席指定制が多い。「ホームライナー」を参照。
私鉄が上記のものと同様の時間帯で運行する、座席指定席制などの特別な料金の体系を持つ列車。「ホームライナー#私鉄・第三セクターにおける類似列車」を参照。
上記のものと同様の運転時間帯で運行される、運賃以外の料金は要しない快速列車の愛称。
西日本旅客鉄道(JR西日本)が中国地方で朝夕の通勤時間帯に運行する、全車自由席の快速列車の愛称。
呉線で運行する列車については「安芸路ライナー」を参照。
その他の列車は、各路線記事を参照。
WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)が宮福線で朝の通勤時間帯に運行する、全車自由席の快速列車の愛称。宮福線の記事を参照。
|
'''通勤ライナー'''(つうきんライナー)
* [[JR]]が平日[[ラッシュ時]]を中心に運行する、[[運賃]]以外の料金を必要とする普通列車。[[定員#定員制|定員制]]ないしは[[座席指定席|座席指定制]]が多い。「[[ホームライナー]]」を参照。
* 私鉄が上記のものと同様の時間帯で運行する、座席指定席制などの特別な料金の体系を持つ列車。「[[ホームライナー#私鉄・第三セクターにおける類似列車]]」を参照。
* 上記のものと同様の運転時間帯で運行される、運賃以外の料金は要しない[[快速列車]]の''愛称''。
** [[西日本旅客鉄道]](JR西日本)が[[中国地方]]で朝夕の通勤時間帯に運行する、全車[[自由席]]の快速列車の愛称。
*** 呉線で運行する列車については「[[安芸路ライナー]]」を参照。
*** その他の列車は、各路線記事([[山陽本線 (広島地区)]]、[[可部線]]、[[芸備線]]、[[山陰本線]]、[[山口線]])を参照。
** [[WILLER TRAINS]](京都丹後鉄道)が[[京都丹後鉄道宮福線|宮福線]]で朝の通勤時間帯に運行する、全車自由席の快速列車の愛称。宮福線の記事を参照。
== 関連項目 ==
* [[列車種別]]
* [[通勤列車]]
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[[Category:日本の列車]]
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|
11,440 |
川桁駅
|
川桁駅(かわげたえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字川桁字新町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。列車は原則として本線である駅舎側の1番線を使用する。通過列車は郡山方のポイントで50km/hの速度制限を受ける。かつては駅舎反対側の下りホームは島式ホームで3番線まで存在した2面3線の線路配置であった。
会津若松駅管理の無人駅である。
2004年度の1日平均乗車人員は107人であった。
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"text": "相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。列車は原則として本線である駅舎側の1番線を使用する。通過列車は郡山方のポイントで50km/hの速度制限を受ける。かつては駅舎反対側の下りホームは島式ホームで3番線まで存在した2面3線の線路配置であった。",
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"text": "会津若松駅管理の無人駅である。",
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"text": "2004年度の1日平均乗車人員は107人であった。",
"title": "利用状況"
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川桁駅(かわげたえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字川桁字新町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 川桁駅
|画像 = JR East Kawageta Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|32|8.30|N|140|8|12.83|E}}}}
|よみがな = かわげた
|ローマ字 = Kawageta
|前の駅 = [[関都駅|関都]]
|駅間A = 2.4
|駅間B = 3.3
|次の駅 = [[猪苗代駅|猪苗代]]
|電報略号 = ケタ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 33.4
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字川桁字新町<ref name="eki"/>3605
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|32|8.30|N|140|8|12.83|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[8月4日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 107
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>
|備考全幅 =
}}
{{駅情報
|社色 = #ccc
|文字色 = #000
|駅名 = 川桁駅
|画像 =
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = かわげた
|ローマ字 = KAWAGETA
|駅間B = 1.1
|次の駅 = [[白津駅|白津]]
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 川桁
|所属事業者 = [[磐梯急行電鉄]]
|所属路線 = 磐梯急行電鉄
|開業年月日 = [[1913年]]([[大正]]2年)[[5月11日]]
|廃止年月日 = [[1969年]]([[昭和]]44年)[[3月27日]]
}}
'''川桁駅'''(かわげたえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字川桁字新町にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=524 |title=JR東日本:各駅情報(川桁駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[8月4日]]<ref name="eki"/> - 岩越鉄道の貨物駅として開業{{R|sone06-14}}。
* [[1900年]](明治33年)[[11月3日]] - 旅客営業開始{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]] - 岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1913年]]([[大正]]2年)[[5月11日]] - 日本硫黄沼尻鉄道(後の[[磐梯急行電鉄]])開業に伴い、同線の起点駅として開業{{R|sone06-14}}。
* [[1914年]](大正3年)[[3月26日]] - 電報取扱開始<ref>『逓信省告示第169号』大正3年3月20日官報第491号3ページ</ref>。
* [[1968年]]([[昭和]]43年)[[10月14日]] - 磐梯急行電鉄休止<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、16頁</ref>。
* [[1969年]](昭和44年)[[3月27日]] - 磐梯急行鉄道廃止<ref name="sone06-17">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[1978年]](昭和53年)[[9月10日]] - 貨物取扱廃止<ref name=停車場>{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。
* [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]] - 急行「いなわしろ」が快速に格下げされ、急行列車の停車がなくなる。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]] - 磐越西線CTC化に伴い駅無人化<ref>{{Cite news |title=「通報」●磐越西線上戸駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1983-03-10 |page=3 }}</ref>。[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|sone06-17}}{{R|停車場}}。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-22}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは[[跨線橋]]で連絡している。列車は原則として本線である駅舎側の1番線を使用する。通過列車は郡山方のポイントで50km/hの速度制限を受ける。かつては駅舎反対側の下りホームは[[島式ホーム]]で3番線まで存在した2面3線の線路配置であった。
[[会津若松駅]]管理の[[無人駅]]である<ref name="zeneki"/>。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list0524">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0524.html |title=時刻表 川桁駅 |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2022-09-20}}</ref>
|-
!1・2
|style="text-align:center"|下り
|rowspan="2"|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list0524" />
|}
* 2番線は一部列車のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Kawageta Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Kawageta Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は107人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|145
|-
|2001
|140
|-
|2002
|123
|-
|2003
|115
|-
|2004
|107
|}
== 駅周辺 ==
* 川桁郵便局
* 猪苗代町立東中学校
* 猪苗代町役場 こども課・さくらこども園
* [[リステルスキーファンタジア]]([[スキー場]])
* [[福島県道203号川桁停車場堅田線]]
* [[福島県道323号野老沢川桁停車場線]]
* [[会津バス]]「川桁駅」停留所
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速「[[あいづ]]」
::: '''通過'''
:: {{Color|red|□}}快速(上下各1本のみ停車)<ref name="timetable/list0524" />
::: [[磐梯熱海駅]] - '''川桁駅''' - [[猪苗代駅]]
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[関都駅]] - '''川桁駅''' - 猪苗代駅
=== かつて存在した路線 ===
; 磐梯急行電鉄
::: '''川桁駅''' - [[白津駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=524|name=川桁}}
{{磐越西線}}
{{磐梯急行電鉄}}
{{DEFAULTSORT:かわけた}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 か|わけた]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅|かわけたえき]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|かわけたえき]]
|
2003-07-15T04:22:24Z
|
2023-11-20T21:47:38Z
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[
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"Template:駅情報",
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"Template:Cite web",
"Template:Cite journal",
"Template:外部リンク/JR東日本駅",
"Template:磐梯急行電鉄",
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"Template:磐越西線"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%A1%81%E9%A7%85
|
11,441 |
新人類
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新人類(しんじんるい)とは、栗本慎一郎が作り出した造語で、1980年代に用いられた。1979年頃からテレビやラジオ、大衆週刊誌などのマスメディアでも広く使われ、当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。また、現在では後節のようにマーケティング上の世代区分の名称としても使用されている。
この用語は、インベーダーゲームや大学入試における共通一次試験などに象徴される、それ以前の時代とは違う画一化社会に迎合し、無気力的傾向のある若者をアイロニーを込めて命名したものだが、ビジネス分野において、1984年、これら若者が新社会人層を形成する時期となったことで、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が職業人としてのこれら若者を取り上げた。また、同年には筑紫哲也が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が、『朝日ジャーナル』に連載された。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられたが、「新人類」という用語が認知される一助となった。「新人類」は、1986年の新語・流行語大賞に選出されている。大林宣彦は「『新人類』という言葉は、PFFでかわなかのぶひろが、手塚眞と今関あきよしのことを言ったのが始まり」と述べている。
広義には当時の若者全体を指して使われるようにもなり、1980年代半ばに入社してきた当時の新入社員を指して当時の管理職(世代的には焼け跡世代に相当)が、「一風変わった若者 = 新人類」と呼んだ。ただし、当時の若者を漠然とさしていたため、明確な世代区分はなく、しかも現在では若者のことを新人類とは呼ぶことはなく、死語となってしまったが、マーケティングにおけるセグメンテーションでは現在でも世代名として用いられており、「1961年 - 1970年度生まれ(の概ね後期しらけ世代〈末期断層の世代〉からバブル世代までの世代)」(人口規模 1,690万人)と定義されることが多い(後節参照)。
大塚英志は、「新人類文化もオタク文化も同じようなものだったのに、ある日突然「新人類」だけが変わったわけです。あれは元は広告代理店がつくった言葉でした。それを(筑紫哲也氏が編集長を務めていた)「朝日ジャーナル」という権威あるメディアで「新人類」とタグを付けてもらったことで、新人類は「文化人」になった。」と批判的に述べている。
学界・言論界では中森明夫、野々村文宏、田口賢司、浅田彰(当時京都大学人文科学研究所助手)など。芸能界では新御三家(西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎)、明石家さんま、島田紳助、泉麻人、秋元康、石原良純、たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)、とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)、吉川晃司、ダウンタウン(浜田雅功・松本人志)、浅野ゆう子、浅野温子、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、哀川翔、B'z(松本孝弘・稲葉浩志)など。野球界では、当時の西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に在籍していた選手たちが、ファッションや言動などこれまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた工藤公康、渡辺久信、清原和博や、この当時ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の選手として在籍していた長嶋一茂が代表的な存在。
1980年代、「新人類」としてマスコミによって取り上げられていた代表的な人物として、いずれも1955年(昭和30年)度から1967年(昭和42年)度生まれである、秋元康、尾崎豊、北尾光司、とんねるず、清原和博、戸川純、いとうせいこう、みうらじゅんなどが挙げられる。また、社会学者の稲増龍夫(1952年生まれ)は当時、これら「新人類に」対する発言を多く行っており、これもきっかけとなって当時希少であった社会心理学の観点からの現代芸能風俗研究の専門家としてマスコミから重用され、首都圏キー局の芸能情報番組などでのコメンテーターとしてのメディア露出が増えた。
前述の朝日ジャーナルの連載『新人類の旗手たち』(後に、『新人類図鑑』として単行本化)に登場したのは、以下の人物であった。
新人類は、概要や「新人類」と呼ばれた人物に書かれている通り、1950年代後半から1960年代前半までに生まれた世代を指す場合が多かったが、明確に定義されていたわけではない。現在、新人類を明確に定義しているものとしてマーケティング上の世代区分があり、1961年(昭和36年)から1970年(昭和45年)生まれまでと定義されている。。1960年代前半生まれは共通一次試験を初めて経験した、「共通一次世代」とも重なる。
成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。音楽でもテクノポップの流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、ニューアカデミズムのように一種のファッションとして存在を許された。一方、評論家の竹熊健太郎は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。
新人類世代の共有体験は、受験勉強以外にも、テレビ番組や漫画・アニメ、ロック、テクノポップ、洋楽などといったサブカルチャーの体験を特徴とする。1980年代は「ネクラ」「ネアカ」という言葉が流行り、社交的で軽く明るい性質が賞賛される傾向が強くなったが、新人類が生み出した若者文化は「ネアカ」志向であった。フォークソングは湿っぽいとして廃れ始め、ロック音楽が流行り、ヘヴィメタルが台頭し始めた。
1980年代半ば頃は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、日本企業の国際的な地位が高まりビジネス環境が成熟してきた時代ともされ、市場開拓ではなく量的拡大を求められており、スマートに段取りよくPDCA(計画、実行、評価、改善)を回せることが優秀とされた。
新人類が子育ての時期に入った1990年代は教育不信や公務員不信のムードが強まり、一部の親は学校社会において「モンスターペアレント問題」などを引き起こした。また、子供の義務教育期間中に公立学校で実施されていたゆとり教育に対する不満や不信も強く、大都市圏を中心に、子供を中学受験させて、私立の中高一貫校に行かせる傾向がさらに強まった。
親子の葛藤は少ないというのも特徴の一つである。親子間の文化の壁が小さく、いわゆる「友達親子」(一卵性母娘)型家族が増えたのもこの世代の特徴である。
オウム真理教の幹部にも新人類世代は多かった。オウムの拡大には新人類世代の感性があったとも言われる。
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新人類(しんじんるい)とは、栗本慎一郎が作り出した造語で、1980年代に用いられた。1979年頃からテレビやラジオ、大衆週刊誌などのマスメディアでも広く使われ、当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。また、現在では後節のようにマーケティング上の世代区分の名称としても使用されている。
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{{Otheruses|日本における戦後[[社会史]]・[[文化史]]上の新人類||}}
'''新人類'''(しんじんるい)とは、[[栗本慎一郎]]が作り出した造語<ref>【nippon.com】[https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00535/ 団塊、バブル、氷河期、ゆとり : それぞれの世代の特徴は?]2019年9月6日</ref>で、[[1980年代]]に用いられた。[[1979年]]頃から[[テレビ]]や[[ラジオ]]、大衆[[週刊誌]]などの[[マスメディア]]でも広く使われ、当時の[[若者]]を「従来とは異なった[[感性]]や[[価値観]]、行動[[規範]]を持っている」と規定し、否定的にも肯定的にも(要するに、都合良く)扱った。また、現在では[[#新人類 (世代)|後節]]のように[[マーケティング]]上の[[世代]]区分の名称としても使用されている。
== 概要 ==
この用語は、[[インベーダーゲーム]]や大学入試における[[共通一次試験]]などに象徴される、それ以前の時代とは違う画一化社会に迎合し、無気力的傾向のある若者をアイロニーを込めて命名したものだが、ビジネス分野において、[[1984年]]、これら若者が新社会人層を形成する時期となったことで、マーケティング情報誌の『アクロス』([[パルコ]]刊)が職業人としてのこれら若者を取り上げた<ref>[http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_28.html INTEC JAPAN「新人類世代は企業カルチャーを変えるか」インテック・ジャパン(2006年11月6日)]</ref>。また、同年には[[筑紫哲也]]が10代から20代の[[若者]]との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が、『[[朝日ジャーナル]]』に連載された。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられたが、「新人類」という用語が認知される一助となった。「新人類」は、[[1986年]]の[[新語・流行語大賞]]に選出されている。[[大林宣彦]]は「『新人類』という言葉は、[[PFF]]で[[かわなかのぶひろ]]が、[[手塚眞]]と[[今関あきよし]]のことを言ったのが始まり」と述べている<ref>[http://www.webdice.jp/dice/detail/3735/ 『スター・ウォーズ』のプロデューサーに「この映画はぜんぶNGだね」と褒め言葉を言った ]</ref>。
広義には当時の若者全体を指して使われるようにもなり、1980年代半ばに入社してきた当時の新入社員を指して当時の管理職([[世代]]的には[[焼け跡世代]]に相当)が、「一風変わった若者 = 新人類」と呼んだ<ref>[http://www.intecjapan.com/forum/2006/11/post_28.html 新人類世代は企業カルチャーを変えるか] インテック・ジャパン(2006年11月6日)</ref>。ただし、当時の若者を漠然とさしていたため、明確な世代区分はなく、しかも現在では若者のことを新人類とは呼ぶことはなく、[[廃語|死語]]となってしまったが、[[マーケティング]]における[[セグメンテーション]]では現在でも世代名として用いられており、「[[1961年]] - [[1970年]]度生まれ(の概ね[[後期しらけ世代]]〈[[断層の世代|末期断層の世代]]〉から[[バブル世代]]までの世代)」(人口規模 1,690万人<ref>平成16年国勢調査に基く算出</ref>)と定義されることが多い<ref>[http://www.jmrlsi.co.jp/concept/report/consumption/hakusho2006sp_10.pdf バブル体験世代と消費] 日本マーケティング研究所(2006年)</ref><ref>[http://www.jmr-g.co.jp/proposal/192.html 世代区分 -30年周期の世代交代] 日本マーケティング研究所(2006年)</ref><ref>[http://hrclub.daijob.com/hrclub/?p=722 「クルマ買うなんてバカじゃないの ? 」社員の台頭 ( その 2 )]</ref><ref>[http://www.heri.or.jp/201304/02roubun1.pdf 「アベノミクス」効果を「嫌消費」世代の消費喚起にどう結びつけるか]</ref>([[#新人類 (世代)|後節]]参照)。
[[大塚英志]]は、「新人類文化も[[オタク]]文化も同じようなものだったのに、ある日突然「新人類」だけが変わったわけです。あれは元は[[広告代理店]]がつくった言葉でした。それを(筑紫哲也氏が編集長を務めていた)「朝日ジャーナル」という権威あるメディアで「新人類」とタグを付けてもらったことで、新人類は「文化人」になった。」と批判的に述べている<ref>[https://business.nikkei.com/atcl/interview/16/100100031/102300012/ セゾン文化はオタク消費に飲み込まれた:日経ビジネス電子版]</ref>。
== 「新人類」と呼ばれた人物 ==
学界・言論界では[[中森明夫]]、[[野々村文宏]]、[[田口賢司]]、[[浅田彰]](当時京都大学人文科学研究所助手)など。芸能界では[[新御三家]]([[西城秀樹]]・[[郷ひろみ]]・[[野口五郎]])、[[明石家さんま]]、[[島田紳助]]、[[泉麻人]]、[[秋元康]]、[[石原良純]]、[[たのきんトリオ]]([[田原俊彦]]・[[近藤真彦]]・[[野村義男]])、[[とんねるず]]([[石橋貴明]]・[[木梨憲武]])、[[吉川晃司]]<ref>{{Cite journal |和書 |author=中村邦彦・高樹真二 |title=もはや風俗現象そのもの! 本人時代の象徴だって 小泉今日子と吉川晃司 なぜかモテモテ流行学|journal = [[週刊現代]] |issue=1985年4月13日号 |publisher=[[講談社]] |pages=172–175頁 }}</ref>、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]([[浜田雅功]]・[[松本人志]])、[[浅野ゆう子]]、[[浅野温子]]、[[松田聖子]]、[[河合奈保子]]、[[岩崎良美]]、[[哀川翔]]、[[B'z]]([[松本孝弘]]・[[稲葉浩志]])など。野球界では、当時の西武ライオンズ(現・[[埼玉西武ライオンズ]])に在籍していた選手たちが、ファッションや言動などこれまでの球界の常識を打ち破り、当時在籍していた[[工藤公康]]、[[渡辺久信]]、[[清原和博]]や、この当時ヤクルトスワローズ(現・[[東京ヤクルトスワローズ]])の選手として在籍していた[[長嶋一茂]]が代表的な存在。
1980年代、「新人類」として[[マスメディア|マスコミ]]によって取り上げられていた代表的な人物として、いずれも[[1955年]](昭和30年)度から[[1967年]](昭和42年)度生まれである、[[秋元康]]、[[尾崎豊]]、[[北尾光司]]、とんねるず、[[清原和博]]、[[戸川純]]、[[いとうせいこう]]、[[みうらじゅん]]などが挙げられる。また、[[社会学者]]の[[稲増龍夫]](1952年生まれ)は当時、これら「新人類に」対する発言を多く行っており、これもきっかけとなって当時希少であった[[社会心理学]]の観点からの現代芸能風俗研究の専門家としてマスコミから重用され、首都圏キー局の芸能情報番組などでのコメンテーターとしてのメディア露出が増えた。
前述の朝日ジャーナルの連載『新人類の旗手たち』(後に、『新人類図鑑』<ref>『新人類図鑑 1』『新人類図鑑 2』 筑紫哲也著、朝日新聞社、1986年</ref>として単行本化)に登場したのは、以下の人物であった。
<div style="width:40%;float:left">
*『新人類図鑑』PART1に掲載
**[[遠藤雅伸]](ゲーム・デザイナー、[[1959年]]生まれ)
**[[中森明夫]](エディター、[[1960年]]生まれ)
**[[小曽根真]](ピアニスト、[[1961年]]生まれ)
**木佐貫那子(ダンサー)
**[[原律子]](漫画家、[[1962年]]生まれ)
**[[吉川洋一郎]](作曲家、[[1957年]]生まれ)
**[[原田大三郎]](テクノ・アーティスト、[[1956年]]生まれ)
**[[甲田益也子]](ファッション・モデル、1960年生まれ)
**[[川西蘭]](作家、1960年生まれ)
**加藤かおる(島の先生、シンガーソングライター)
**[[高見裕一]](リサイクル運動家、1956年生まれ)
**李泰栄(CM ディレクター、[[1955年]]生まれ)
**[[辻元清美]](国会議員、1960年生まれ)
**[[三好和義]](写真家、[[1958年]]生まれ)
**安西英明(バード・レンジャー、1956年生まれ)
**[[三上晴子]](オブジェ・アーティスト、1961年生まれ)
**[[泉麻人]](コラムニスト、1956年生まれ)
</div><div style="width:60%;float:left">
*『新人類図鑑』PART2に掲載
**[[北村信彦]](デザイナー、[[1962年]]生まれ)
**高野生、高野大(『ヒストリーズラン』編集部)
**[[野々村文宏]](テクノ・コラムニスト、1961年生まれ)
**[[川村毅]](劇作家、1959年生まれ)
**萬處雅子(トライアスリート)
**[[小野寺紳]](謎々プログラマー、1959年生まれ)
**今井アレキサンドル(環境アーティスト)
**桜井さとみ(イラストレーター)
**[[樋口尚文]](映画批評家、1962年生まれ)
**[[結城恭介]](作家、1964年生まれ)
**[[秋元康]](作詞家、1958年生まれ)
**[[滝田洋二郎]](映画監督、1955年生まれ)
**[[藤原ヒロシ]](リミキサー、[[1964年]]生まれ)
**[[西和彦]](エンジニア、1956年生まれ)
**[[洞口依子]](女優、[[1965年]]生まれ)
**[[平田オリザ]] (学生(のち劇作家)、[[1962年]]生まれ)
</div>{{clear|left}}
== 新人類 (世代) ==
[[File:Population of Japan by generation.svg|thumb|right|450px|[[日本の人口]]ピラミッド([[世代]]を注記)]]
新人類は、[[#概要|概要]]や[[#「新人類」と呼ばれた人物|「新人類」と呼ばれた人物]]に書かれている通り、[[1950年代]]後半から[[1960年代]]前半<ref group="注釈">上記にあるようにマスコミから新人類と言われた有名人の年代は[[1955年]](昭和30年)[[4月2日]]〜[[1968年]](昭和43年)[[4月1日]]生まれ。</ref><ref name="nikkei160412">[https://r.nikkei.com/article/DGXMZO98989500Z20C16A3I10000 「団塊」「バブル」「ロスジェネ」「ゆとり」… / サラリーマン世代論 解を探しに・引き算の世界(1)] - 日本経済新聞 (2016年4月12日)</ref>までに生まれた世代を指す場合が多かったが、明確に定義されていたわけではない。現在、新人類を明確に定義しているものとして[[マーケティング]]上の[[世代]]区分があり、[[1961年]](昭和36年)から[[1970年]](昭和45年)生まれまでと定義されている。<ref>『読売ウイクリー』 2006年7月16日号</ref>。1960年代前半生まれは[[共通一次試験]]を初めて経験した、「'''共通一次世代'''」とも重なる。
=== 特徴 ===
成熟した成人として、社会を構成する一員の自覚と責任を引き受けることを拒否し、社会そのものが一つのフィクション(物語)であるという立場をとるとされた。音楽でも[[テクノポップ]]の流行など、社会的にも無機質な変容が感じられた時代に、高尚な哲学や思想を語ることも、[[ニューアカデミズム]]のように一種のファッションとして存在を許された。一方、評論家の[[竹熊健太郎]]は、オタクと新人類は同一のものであり、「同じ人格類型のバリエーション」であると唱えている。
新人類世代の共有体験は、受験勉強以外にも、テレビ番組や漫画・アニメ、[[ロック (音楽)|ロック]]、[[テクノポップ]]、[[洋楽]]などといったサブカルチャーの体験を特徴とする。1980年代は「[[ネクラ]]」「[[ネアカ]]」という言葉が流行り、社交的で軽く明るい性質が賞賛される傾向が強くなったが、新人類が生み出した[[若者文化]]は「ネアカ」志向であった。[[フォークソング]]は湿っぽいとして廃れ始め、[[ロック (音楽)|ロック]]音楽が流行り、[[ヘヴィメタル]]が台頭し始めた。
1980年代半ば頃は、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、日本企業の国際的な地位が高まりビジネス環境が成熟してきた時代ともされ、'''市場開拓'''ではなく'''量的拡大'''を求められており、スマートに段取りよくPDCA(計画、実行、評価、改善)を回せることが優秀<ref name="nikkei160412"/>とされた。
新人類が子育ての時期に入った1990年代は教育不信や公務員不信のムードが強まり、一部の親は学校社会において「[[モンスターペアレント]]問題」などを引き起こした。また、子供の義務教育期間中に公立学校で実施されていた[[ゆとり教育]]に対する不満や不信も強く、大都市圏を中心に、子供を[[中学受験]]させて、私立の[[中高一貫校]]に行かせる傾向がさらに強まった。
親子の葛藤は少ないというのも特徴の一つである。親子間の文化の壁が小さく、いわゆる「[[友達親子]]」(一卵性母娘)型家族が増えたのもこの世代の特徴である<ref name="jr">小谷 敏『三田社会学』「仮面ライダーたちの変貌--新人類世代と新人類ジュニア世代 (特集:子どもたちと他者--コミュニケーションの変貌と現代社会)」三田社会学会 {{ISSN|1349-1458}}, No.11, 2006.</ref>。
[[オウム真理教]]の幹部にも新人類世代は多かった。オウムの拡大には新人類世代の感性があったとも言われる<ref>[[東浩紀]] [https://web.archive.org/web/20090723161511/http://www.hirokiazuma.com/archives/2006_01.html ライブドアとオウム?2]</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
*[[ポストモダン]]
*[[ジェネレーションW]](W世代、後述するしらけ世代/断層の世代のアメリカ版)
*[[ジェネレーションX]](X世代、新人類のアメリカ版)
*[[しらけ世代]]/[[断層の世代]]
*[[バブル世代]]
*[[就職氷河期#氷河期世代|氷河期世代]]([[ロストジェネレーション|ロスジェネ世代]])
*[[校内暴力]]
*[[女子大生]]
*[[ゆとり世代]] (子供の世代)
== 関連書籍 ==
*『[[若者たちの神々]]』1~4(筑紫哲也編、朝日新聞社、1984年~1985年) - [[1984年]]から[[1985年]]の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
*『[[若者たちの大神]]』(筑紫哲也編、朝日新聞社、1987年) - [[1986年]]から[[1987年]]の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
*『元気印の女たち』(筑紫哲也編著、すずさわ書店、1987年) - 39人の活躍する女性たちとの対談集。
*『「新人類」なんて言わせない』([[メディアファクトリー|リクルート出版]]編、1987年1月 ISBN 4-88991-064-6) - 副題は【明日の主役カタログ】。“「若者たちの神々」の次の世代”の20人が、それぞれの 考え方・思うところ を述べる<!--- 対談ではない --->。
==外部リンク==
*[https://www.ne.jp/asahi/search-center/internationalrelation/cfbr/bbboom2.htm Tirom「新人類世代の現在」]
{{Japan-culture-stub}}
{{日本の世代}}
{{歴代の新語・流行語大賞の受賞者 (年間大賞選定以前)}}
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[[Category:日本のサブカルチャー]]
[[Category:ポストモダニズム]]
[[Category:流行語]]
[[Category:バブル景気]]
[[Category:日本の世代]]
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11,443 |
関都駅
|
関都駅(せきとえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字関都字南切立(みなみきりたて)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。駅名は付近の2つの集落の名前(関脇(せきわき)と都沢(みやこざわ))を合成したものである。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは構内踏切で連絡している。駅舎側(1番線)が通過線となる一線スルーの構造である。上下列車とも主に1番線を使用する。
会津若松駅管理の無人駅。元は民家風の駅舎を持っていたが、解体され2001年(平成13年)にレンガ風の新駅舎に改築された。ホームにはひと抱えもある老木が並び、特色となっている。
2004年度の1日平均乗車人員は36人であった。
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関都駅(せきとえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字関都字南切立(みなみきりたて)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。駅名は付近の2つの集落の名前(関脇と都沢)を合成したものである。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 関都駅
|画像 = JR East Sekito Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|30|56.34|N|140|8|37.09|E}}}}
|よみがな = せきと
|ローマ字 = Sekito
|前の駅 = [[上戸駅 (福島県)|上戸]]*
|駅間A = 3.7
|駅間B = 2.4
|次の駅 = [[川桁駅|川桁]]
|電報略号 = セト
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 31.0
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字関都字南切立<ref name="eki"/>814
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|30|56.34|N|140|8|37.09|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 36
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>
|備考全幅 = *この間には[[猪苗代湖畔駅]](駅間1.7 km)があるが、現在休止中。
}}
'''関都駅'''(せきとえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字関都字南切立(みなみきりたて)にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=905 |title=JR東日本:各駅情報(関都駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-21}}</ref>。駅名は付近の2つの集落の名前(関脇(せきわき)と都沢(みやこざわ))を合成したものである。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]:[[岩越鉄道]]の駅として開業<ref name="eki"/>{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1961年]]([[昭和]]36年)[[10月1日]]:貨物の取り扱いを廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[9月1日]]:[[チッキ|荷物]]取り扱い廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第192号 |newspaper=[[官報]] |date=1972-08-28 }}</ref>。旅客の取り扱いについては[[無人駅|駅員無配置駅]]となる<ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●磐越西線中山宿駅及び関都駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1972-08-28 |page=4 }}</ref>(運転要員のみ配置<ref>{{Cite news |和書|title=仙鉄の営業近代化計画 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1972-07-15 |page=1 }}</ref>)。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]]:磐越西線CTC化に伴い駅無人化。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2001年]]([[平成]]13年):駅舎改築<ref name="zeneki"/>。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-21}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは構内[[踏切]]で連絡している<ref name="zeneki"/>。駅舎側(1番線)が通過線となる[[一線スルー]]の構造である。上下列車とも主に1番線を使用する<ref name="zeneki"/>。
[[会津若松駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。元は民家風の駅舎を持っていたが、解体され2001年(平成13年)にレンガ風の新駅舎に改築された<ref name="zeneki"/>。ホームにはひと抱えもある老木が並び、特色となっている<ref name="zeneki"/>。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center" | 上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list0905">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0905.html|title=時刻表 関都駅|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-08-13}}</ref>
|-
!1・2
|style="text-align:center" | 下り
|rowspan="2"|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list0905" />
|}
* 2番線は列車交換時のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Sekito Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Sekito Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
JR East Sekito Station Premises railroad crossing.jpg|構内踏切(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は36人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|49
|-
|2001
|58
|-
|2002
|49
|-
|2003
|38
|-
|2004
|36
|}
== 駅周辺 ==
* [[国道49号]]
* [[福島県道202号関都停車場金田線]]
* [[福島県道322号壷楊本町線]]
* 月輪郵便局<ref name="map">{{Cite web|和書|url=http://sasp.mapion.co.jp/cm/jreast/?icon=jreast|140.8.48.0%2c37.30.45.0&scl=3000 |title=「福島県耶麻郡猪苗代町関都」付近地図(1/3000) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-21}}</ref>
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: '''通過'''
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[上戸駅 (福島県)|上戸駅]] - ([[臨時駅|臨]])[[猪苗代湖畔駅]](休止中) - '''関都駅''' - [[川桁駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=905|name=関都}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:せきと}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 せ|きと]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅|せきとえき]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|せきとえき]]
|
2003-07-15T06:46:51Z
|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E9%83%BD%E9%A7%85
|
11,444 |
猪苗代湖畔駅
|
猪苗代湖畔駅(いなわしろこはんえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字壺楊(つぼよう)字南浜にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅(臨時駅、休止駅)である。
夏季のみ営業する臨時駅であったが、かつては春・秋の休日にも停車したことがあった。猪苗代駅との混同を避けるため、車内放送では「湖畔駅」と呼ばれていた。2007年(平成19年)度以降は営業を行っていない。
1962年(昭和37年)7月20日から1967年(昭和42年)8月21日まで、現・猪苗代湖畔駅より少し踏切よりに志田浜仮乗降場が営業していた。その後、国道49号の渋滞に嫌気がさした湖水浴客が上戸駅や関都駅から徒歩で志田浜湖水浴場に向かうケースが増えたため、1986年に3両編成が停車可能なホームを設置し、さらに6両編成までの対応に改良されている。
当駅周辺へは、猪苗代駅より磐梯東都バスで約15分の志田浜停留所、または関都駅より徒歩約20分でアクセスできる。
単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅開業時は乗車券を臨時発売したことがある。駅の管理は会津若松駅が行っている。
2004年度の1日平均乗車人員は0人であった。
国道49号に面しており、「栄光の女神」像が立っている。猪苗代湖に最も近い駅で、最寄の水泳場は志田浜である。
|
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猪苗代湖畔駅(いなわしろこはんえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字壺楊(つぼよう)字南浜にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅(臨時駅、休止駅)である。
|
{{駅情報
|社色 = green
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|駅名 = 猪苗代湖畔駅
|画像 = Inawashirokohan_station.JPG
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|画像説明 = ホーム(2009年8月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|30|1.78|N|140|8|51.05|E}}}}
|よみがな = いなわしろこはん<ref name="eki"/>
|ローマ字 = Inawashirokohan
|前の駅 = [[上戸駅 (福島県)|上戸]]
|駅間A = 2.0
|駅間B = 1.7
|次の駅 = [[関都駅|関都]]
|電報略号 = イコ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 29.3
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 =
[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字壺楊字南浜<ref name="eki"/>113
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|30|1.78|N|140|8|51.05|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1986年]]([[昭和]]61年)[[7月20日]]<ref name="eki"/>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面1線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 0
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[臨時駅]]<ref name="zeneki"/>(夏季のみ営業)
|備考全幅 = [[2007年]]([[平成]]19年)より通年休止中<ref name="zeneki"/>
}}
'''猪苗代湖畔駅'''(いなわしろこはんえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字壺楊(つぼよう)字南浜にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]([[臨時駅]]、[[休止駅]])である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=152 |title=JR東日本:各駅情報(猪苗代湖畔(臨時)駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-21}}</ref>。
== 概要 ==
夏季のみ営業する[[臨時駅]]であったが、かつては春・秋の休日にも停車したことがあった。[[猪苗代駅]]との混同を避けるため、車内放送では「湖畔駅」と呼ばれていた。2007年([[平成]]19年)度以降は営業を行っていない<ref name="zeneki"/>。
[[1962年]]([[昭和]]37年)[[7月20日]]から[[1967年]](昭和42年)[[8月21日]]まで、現・猪苗代湖畔駅より少し踏切よりに'''志田浜仮乗降場'''が営業していた。その後、[[国道49号]]の渋滞に嫌気がさした湖水浴客が[[上戸駅 (福島県)|上戸駅]]や[[関都駅]]から徒歩で[[志田浜]]湖水浴場に向かうケースが増えたため、1986年に3両編成が停車可能なホームを設置し、さらに6両編成までの対応に改良されている。
当駅周辺へは、[[猪苗代駅]]より[[磐梯東都バス]]で約15分の志田浜停留所、または[[関都駅]]より徒歩約20分でアクセスできる。
== 歴史 ==
* [[1986年]]([[昭和]]61年)[[7月20日]]:[[日本国有鉄道]]の臨時駅として旅客取扱開始<ref name="eki"/><ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。[[無人駅|駅員無配置]]<ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●磐越西線猪苗代湖畔臨時乗降場の開業について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1986-06-25 |pages=1-2 }}</ref>。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる{{R|停車場}}。
* [[2007年]]([[平成]]19年):停車する列車がなくなり、営業休止<ref name="zeneki"/>。
== 駅構造 ==
[[単式ホーム]]1面1線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-21}}</ref>を有する[[地上駅]]。駅開業時は乗車券を臨時発売したことがある。駅の管理は[[会津若松駅]]が行っている。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Inawashirokohan station 3.JPG|駅入口の看板(2009年8月)
Inawashirokohan station 2.JPG|乗車券販売窓口(2009年8月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は0人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|5
|-
|2001
|5
|-
|2002
|3
|-
|2003
|0
|-
|2004
|0
|}
== 駅周辺 ==
[[国道49号]]に面しており、「栄光の女神」像が立っている<ref name="zeneki"/>。[[猪苗代湖]]に最も近い駅で、最寄の[[水泳場]]は[[志田浜]]である<ref name="zeneki"/>。
== その他 ==
* 電化する以前の旧線は当駅付近から分岐していた。ホームから見て線路の外側に見える草むらが旧線跡である。[[用水路]]を越える[[ビーム橋]]も残っている。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: [[上戸駅 (福島県)|上戸駅]] - '''猪苗代湖畔駅''' - [[関都駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=152|name=猪苗代湖畔(臨時)}}
{{磐越西線}}
{{Eki-stub}}
{{DEFAULTSORT:いなわしろこはん}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 い|なわしろこはん]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の臨時乗降場]]
[[Category:日本の臨時駅|休いなわしろこはん]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅|休いなわしろこはん]]
[[Category:1986年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|いなわしろこはんえき]]
[[Category:猪苗代湖]]
|
2003-07-15T06:52:30Z
|
2023-11-28T04:03:55Z
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[
"Template:Cite journal",
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"Template:外部リンク/JR東日本駅"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E8%8B%97%E4%BB%A3%E6%B9%96%E7%95%94%E9%A7%85
|
11,445 |
上戸駅 (福島県)
|
上戸駅(じょうこえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字山潟字大橋道西にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の磐越西線の駅である。
単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計2面3線を有したが、下り1番、下り本線の順に撤去され棒線化された。
会津若松駅管理の無人駅。
2004年度の1日平均乗車人員は60人であった。
|
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"text": "上戸駅(じょうこえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字山潟字大橋道西にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の磐越西線の駅である。",
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"text": "単式ホーム1面1線を有する地上駅。かつては単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計2面3線を有したが、下り1番、下り本線の順に撤去され棒線化された。",
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"text": "会津若松駅管理の無人駅。",
"title": "駅構造"
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"text": "2004年度の1日平均乗車人員は60人であった。",
"title": "利用状況"
}
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上戸駅(じょうこえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字山潟字大橋道西にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 上戸駅{{Refnest|group="*"|[[1915年]]に山潟駅から改称{{R|sone06-15}}。}}
|画像 = JR East Jōko Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|29|16.81|N|140|9|48.15|E}}}}
|よみがな = じょうこ
|ローマ字 = Jōko
|前の駅 = {{Refnest|group="*"|この間に[[沼上信号場]]有り(当駅から2.3 km先)。}}[[中山宿駅|中山宿]]
|駅間A = 6.5
|駅間B = 3.7
|次の駅 = [[関都駅|関都]]{{Refnest|group="*"|この間には[[猪苗代湖畔駅]](駅間2.0 km)があるが、現在休止中。}}
|電報略号 = セコ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 27.3
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字山潟字大橋道西<ref name="eki"/>1712
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|29|16.81|N|140|9|48.15|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[3月10日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面1線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 60
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
'''上戸駅'''(じょうこえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字山潟字大橋道西にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=842 |title=JR東日本:各駅情報(上戸駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-21}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)
** [[3月10日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]]の'''山潟駅'''(やまがたえき)として開業<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-20}}</ref>{{R|sone06-14}}。開業当時は[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]方面からの終着駅であった{{R|sone06-14}}。
** [[7月15日]]:山潟駅 - [[会津若松駅|若松駅]]間開業{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1915年]]([[大正]]4年)[[6月1日]]:'''上戸駅'''に改称<ref name="sone06-15">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、15頁</ref>。
* [[1972年]]([[昭和]]47年)[[9月1日]]:貨物取扱廃止<ref name=停車場>{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。
* [[1983年]]([[昭和]]58年)3月10日:磐越西線CTC化に伴い駅無人化<ref>{{Cite news |title=「通報」●磐越西線上戸駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1983-03-10 |page=3 }}</ref>。[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* 年月日不詳:下り線を撤去、棒線化。
== 駅構造 ==
[[単式ホーム]]1面1線<ref name="zeneki"/>を有する[[地上駅]]。かつては単式ホーム1面1線、[[島式ホーム]]1面2線の計2面3線を有したが、下り1番、下り本線の順に撤去され棒線化された。
[[会津若松駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Jōko Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Jōko Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は60人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|85
|-
|2001
|79
|-
|2002
|71
|-
|2003
|71
|-
|2004
|60
|}
== 駅周辺 ==
* [[上戸浜]]<ref name="zeneki"/>
* 猪苗代町立山潟小学校
* [[国道49号]]
* [[福島県道201号上戸停車場線]]
* [[会津乗合自動車]]「上戸駅」停留所<ref name="eki"/><ref>{{PDFlink|[https://www.aizubus.com/rosen/pdf/20210501/06_atamiekimae.pdf 勝田内 - 上戸 - 熱海駅前]}} - 会津乗合自動車、2021年4月28日閲覧</ref>
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: '''通過'''
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[中山宿駅]] - ([[沼上信号場]]) - '''上戸駅''' - ([[臨時駅|臨]])[[猪苗代湖畔駅]](休止中) - [[関都駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=842|name=上戸}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:しようこ}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 し|ようこ]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅|しようこえき]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|しようこえき]]
|
2003-07-15T06:54:23Z
|
2023-11-11T11:19:07Z
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"Template:Cite journal"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%88%B8%E9%A7%85_(%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C)
|
11,446 |
中山宿駅
|
中山宿駅(なかやまじゅくえき)は、福島県郡山市熱海町中山字早稲田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
かつては勾配型スイッチバックの駅であったが、1997年(平成9年)に800m会津若松寄りの中山トンネル脇の本線上に移転し、スイッチバックではなくなった。
スイッチバック時代の旧駅跡はそのまま残されており、2015年(平成27年)の「ふくしまデスティネーションキャンペーン」に際して、鉄道遺産として地元が説明看板や駅名標などの整備を行って公開した。以降、ホーム跡が見学可能になっている。
単式ホーム1面1線を有する地上駅。スイッチバック時代は島式ホーム1面2線だった。
郡山駅管理の無人駅。駅舎はなく小さな待合所のみである。
2004年度の1日平均乗車人員は11人であった。
踏切付近から当駅に向かう舗装道路が旧線路跡であり、駅駐車場の先は旧・中山トンネルへと続いている。
|
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"text": "スイッチバック時代の旧駅跡はそのまま残されており、2015年(平成27年)の「ふくしまデスティネーションキャンペーン」に際して、鉄道遺産として地元が説明看板や駅名標などの整備を行って公開した。以降、ホーム跡が見学可能になっている。",
"title": "歴史"
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"text": "単式ホーム1面1線を有する地上駅。スイッチバック時代は島式ホーム1面2線だった。",
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"text": "郡山駅管理の無人駅。駅舎はなく小さな待合所のみである。",
"title": "駅構造"
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"text": "2004年度の1日平均乗車人員は11人であった。",
"title": "利用状況"
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"text": "踏切付近から当駅に向かう舗装道路が旧線路跡であり、駅駐車場の先は旧・中山トンネルへと続いている。",
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中山宿駅(なかやまじゅくえき)は、福島県郡山市熱海町中山字早稲田にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 中山宿駅
|画像 = JR East Nakayamajuku Station Entrance.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅出入口(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|29|44.49|N|140|13|10.68|E}}}}<!--地図が表示されないバグを防止するため、座標を挿入しています。-->
|よみがな = なかやまじゅく
|ローマ字 = Nakayamajuku
|前の駅 = [[磐梯熱海駅|磐梯熱海]]
|駅間A = 5.4
|駅間B = 6.5
|次の駅 = [[上戸駅 (福島県)|上戸]]*
|電報略号 = ナク
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]<ref name="eki"/>
|キロ程 = 20.8
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地 = [[福島県]][[郡山市]]熱海町中山字早稲田<ref name="eki"/>
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|37|29|44.49|N|140|13|10.68|E|type:railwaystation_region:JP-07|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="eki"/>{{R|交通970127}}<ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面1線<ref name="zeneki"/>{{R|交通970127}}
|乗車人員 = 11
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>
|備考全幅 = * この間に[[沼上信号場]]有り(当駅から4.2 km先)。
}}
'''中山宿駅'''(なかやまじゅくえき)は、[[福島県]][[郡山市]]熱海町中山字早稲田にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1114 |title=JR東日本:各駅情報(中山宿) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-21}}</ref>。
== 歴史 ==
かつては勾配型[[スイッチバック]]の駅であったが、[[1997年]](平成9年)に800m会津若松寄りの中山トンネル脇の本線上に移転し、スイッチバックではなくなった<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-21}}</ref><ref name="交通970127">{{Cite news |title=東北唯一のスイッチバック廃止へ 磐越西線中山宿駅 3月新ダイヤ駅移転に伴い |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1997-01-27 |page=3 }}</ref>。
スイッチバック時代の旧駅跡はそのまま残されており、2015年(平成27年)の「ふくしまデスティネーションキャンペーン」に際して、鉄道遺産として地元が説明看板や駅名標などの整備を行って公開した。以降、ホーム跡が見学可能になっている<ref name = "福島民報20150501">{{Wayback |url= https://www.minpo.jp/news/detail/2015050122530|title= 「スイッチバック方式」方式導入 郡山の旧中山宿駅跡、観光地に (福島民報 2015年5月1日)|date=20150714005440}}</ref>。
=== 年表 ===
* [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]]の仮停車場として開業{{R|sone06-14}}。
* [[1899年]](明治32年)[[3月10日]]:仮駅から移転して正式な駅となる{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[3月26日]] - 電報取扱開始<ref>『逓信省告示第169号』大正3年3月20日官報第491号3ページ</ref>。
* [[1963年]]([[昭和]]38年)
** [[3月31日]]:電報取扱廃止<ref>{{Cite book|和書 |title=東北電信電話史資料 事業史39-10 |publisher=東北電気通信局 |page=197 |year=1964年}}</ref>。
** [[5月22日]]:勾配型スイッチバックを[[スイッチバック#スイッチバックの分類|通過不可能形]]から[[スイッチバック#スイッチバックの分類|通過可能形]]に改良<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、16頁</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[9月1日]]:貨物、[[チッキ|荷物]]取り扱い廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第192号 |newspaper=[[官報]] |date=1972-08-28 }}</ref>。旅客の取り扱いについては[[無人駅|駅員無配置駅]]となる<ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●磐越西線中山宿駅及び関都駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1972-08-28 |page=4 }}</ref>(運転要員のみ配置<ref>{{Cite news |和書|title=仙鉄の営業近代化計画 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1972-07-15 |page=1 }}</ref>)。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]]:磐越西線CTC化に伴い駅無人化。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[1997年]]([[平成]]9年)[[3月22日]]:勾配型スイッチバックを廃止し、800m会津若松寄りの本線上に移転{{R|交通970127}}。
* [[2015年]](平成27年):スイッチバック時代の旧駅跡を観光用に整備<ref name = "福島民報20150501" />。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Nakayamajuku-oldST.JPG|観光用に整備される前の旧中山宿駅(中央にホーム跡、後方には現在の本線が見える)(2006年9月)
Kyunakayamajuku.jpeg|観光用に整備後の旧中山宿駅(ダミーの駅名標などが設置されている)(2022年5月)
</gallery>
== 駅構造 ==
[[単式ホーム]]1面1線<ref name="zeneki"/>を有する[[地上駅]]{{R|交通970127}}。スイッチバック時代は[[島式ホーム]]1面2線だった。
[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。駅舎はなく小さな[[待合所]]のみである<ref name="zeneki"/>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Nakayamajuku Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Nakayamajuku Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
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== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は11人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|14
|-
|2001
|11
|-
|2002
|11
|-
|2003
|11
|-
|2004
|11
|}
== 駅周辺 ==
踏切付近から当駅に向かう舗装道路が旧線路跡であり、駅駐車場の先は旧・中山トンネルへと続いている。
* 中山トンネル(磐越西線)
* [[国道49号]]
* 五百川
* [[磐越自動車道]] - [[磐越自動車道#主要構造物|新中山トンネル]]
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: '''通過'''
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[磐梯熱海駅]] - '''中山宿駅''' - ([[沼上信号場]]) - [[上戸駅 (福島県)|上戸駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nakayamajuku Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1114|name=中山宿}}
* [https://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=1151399&dispType=1 1976年(昭和51年)頃の旧・中山宿駅周辺] - 地図・空中写真閲覧サービス([[国土地理院]])
: 旧・中山宿駅構内と通過可能形の勾配型スイッチバックが見える。
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:なかやましゆく}}
[[Category:日本の鉄道駅 な|かやましゆく]]
[[Category:郡山市の鉄道駅]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
|
2003-07-15T07:06:04Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%AE%BF%E9%A7%85
|
11,447 |
磐梯熱海駅
|
磐梯熱海駅(ばんだいあたみえき)は、福島県郡山市熱海町熱海4丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
「熱海」の地名は静岡県の熱海温泉の名を鎌倉時代に拝借したもの(磐梯熱海温泉を参照)で、駅名は静岡県熱海市の熱海駅と区別するために「磐梯」を冠している。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。かつては単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計2面3線であり、3番線は当駅始発列車と主に普通列車の待避に使われていた。のちに、旧3番線は架線もレールも取り払われている。構内の安子ケ島方が急カーブとなっているため、40km/hの速度制限を受ける。2015年3月14日改正のダイヤでは1日5往復当駅で交換を行っている。信号設備上では駅舎側の1番線が上下本線となっており、交換がないときは両方向とも1番線から発着する。
郡山駅が管理し、JR東日本東北総合サービスが受託する業務委託駅。自動券売機が設置されている。駅舎は、なだらかな三角屋根をもつコンクリート平屋のもので、トイレは水洗式である。自動改札機は未設置で、代わりに簡易Suica改札機設置。
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は200人である。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
駅のすぐ近くや、南側の五百川沿いに磐梯熱海温泉の温泉街が広がっており、宿泊施設なども多い。
|
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}
] |
磐梯熱海駅(ばんだいあたみえき)は、福島県郡山市熱海町熱海4丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。 「熱海」の地名は静岡県の熱海温泉の名を鎌倉時代に拝借したもの(磐梯熱海温泉を参照)で、駅名は静岡県熱海市の熱海駅と区別するために「磐梯」を冠している。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 磐梯熱海駅{{Refnest|group="*"|改称経歴<br />- [[1925年]] 熱海駅→岩代熱海駅<ref name="sone06-15">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、15頁</ref><br />- [[1965年]] 岩代熱海駅→磐梯熱海駅<ref name="sone06-16">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、16頁</ref>}}
|画像 = JR East Bandaiatami Station building.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=15|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|28|50.94|N|140|16|14.85|E}}}}
|よみがな = ばんだいあたみ
|ローマ字 = Bandaiatami<!-- 現行の駅名標の表記に従う -->
|前の駅 = [[安子ケ島駅|安子ケ島]]
|駅間A = 3.6
|駅間B = 5.4
|次の駅 = [[中山宿駅|中山宿]]
|電報略号 = タミ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]<ref name="StationCd=1263" />
|キロ程 = 15.4
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地 = [[福島県]][[郡山市]][[熱海町 (福島県)|熱海町]]熱海4丁目<ref name="StationCd=1263" />
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|37|28|50.94|N|140|16|14.85|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="StationCd=1263" /><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 200
|統計年度 = 2022年
|備考 = [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
'''磐梯熱海駅'''(ばんだいあたみえき)は、[[福島県]][[郡山市]][[熱海町 (福島県)|熱海町]]熱海4丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="StationCd=1263" />。
「熱海」の地名は[[静岡県]]の[[熱海温泉]]の名を鎌倉時代に拝借したもの<ref name="zeneki"/>([[磐梯熱海温泉]]を参照)で、駅名は静岡県[[熱海市]]の[[熱海駅]]と区別するために「磐梯」を冠している。
== 歴史 ==
* [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="StationCd=1263" />:[[岩越鉄道]]の'''熱海駅'''(あたみえき)として開業{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1925年]]([[大正]]14年)[[3月20日]]:'''岩代熱海駅'''(いわしろあたみえき)に改称{{R|sone06-15}}。
* [[1965年]]([[昭和]]40年)[[6月1日]]:'''磐梯熱海駅'''に改称{{R|sone06-16}}。
* [[1978年]](昭和53年)[[9月10日]]:貨物の取り扱いを廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=514}}</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|停車場}}<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2002年]]([[平成]]14年):[[東北の駅百選]]に選定される。
* [[2009年]](平成21年)4月1日:業務委託化。磐梯熱海駅長(郡山駅助役待遇)廃止。
* [[2014年]](平成26年)[[4月1日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」が仙台エリアとして利用開始となる<ref>[http://www.jreast.co.jp/press/2013/20131114.pdf Suica の一部サービスをご利用いただける駅が増えます] - 2013年11月29日東日本旅客鉄道株式会社</ref>。
* [[2022年]]([[令和]]4年)[[10月31日]]:この日をもって[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref name="StationCd=1263">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1263|title=駅の情報(磐梯熱海駅):JR東日本|language=日本語|accessdate=2022-10-07|publisher=東日本旅客鉄道|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221007024857/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1263|archivedate=2022-10-07}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2018-07-09}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは[[跨線橋]]で連絡している。かつては[[単式ホーム]]1面1線、[[島式ホーム]]1面2線の計2面3線であり、3番線は当駅始発列車と主に普通列車の待避に使われていた。のちに、旧3番線は架線もレールも取り払われている。構内の安子ケ島方が急カーブとなっているため、40km/hの速度制限を受ける。2015年3月14日改正のダイヤでは1日5往復当駅で交換を行っている。信号設備上では駅舎側の1番線が上下本線となっており、交換がないときは両方向とも1番線から発着する。
[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]が管理し、[[JR東日本東北総合サービス]]が受託する[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]。[[自動券売機]]が設置されている。駅舎は、なだらかな三角屋根をもつコンクリート平屋のもので、[[便所|トイレ]]は[[水洗式便所|水洗式]]である。[[自動改札機]]は未設置で、代わりに簡易[[Suica]]改札機設置。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
! 1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
| style="text-align:center" | 上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list1263">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list1263.html|title=時刻表 磐梯熱海駅|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-08-13}}</ref>
|-
!1・2
|style="text-align:center" | 下り
|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list1263" />
|}
* 2番線は列車交換時のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Bandaiatami Station Gate.jpg|改札口と切符売り場(2022年9月)
JR East Bandaiatami Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Bandaiatami Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は'''200人'''である<ref group="利用客数" name="passenger/2022_07" />。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 85%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="3"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|2000年(平成12年)
|style="text-align:right;"|449
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2000_04.html|title=各駅の乗車人員(2000年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|style="text-align:right;"|418
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2001_04.html|title=各駅の乗車人員(2001年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|style="text-align:right;"|393
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2002_04.html|title=各駅の乗車人員(2002年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|style="text-align:right;"|399
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2003_04.html|title=各駅の乗車人員(2003年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|style="text-align:right;"|389
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2004_04.html|title=各駅の乗車人員(2004年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|style="text-align:right;"|382
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2005_04.html|title=各駅の乗車人員(2005年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|style="text-align:right;"|373
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2006_04.html|title=各駅の乗車人員(2006年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|style="text-align:right;"|377
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2007_04.html|title=各駅の乗車人員(2007年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|style="text-align:right;"|360
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2008_04.html|title=各駅の乗車人員(2008年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|style="text-align:right;"|336
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2009_04.html|title=各駅の乗車人員(2009年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|style="text-align:right;"|299
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2010_04.html|title=各駅の乗車人員(2010年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|style="text-align:right;"|302
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2011_04.html|title=各駅の乗車人員(2011年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|style="text-align:right;"|301
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2012_08.html|title=各駅の乗車人員(2012年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|style="text-align:right;"|302
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2013_08.html|title=各駅の乗車人員(2013年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|style="text-align:right;"|284
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2014_08.html|title=各駅の乗車人員(2014年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|style="text-align:right;"|281
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2015_08.html|title=各駅の乗車人員(2015年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|style="text-align:right;"|262
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2016_08.html|title=各駅の乗車人員(2016年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|style="text-align:right;"|247
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2017_08.html|title=各駅の乗車人員(2017年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2018-07-09}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|style="text-align:right;"|254
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2018_07.html|title=各駅の乗車人員(2018年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-07-21}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|style="text-align:right;"|244
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2019_07.html|title=各駅の乗車人員(2019年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2020-07-13}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|style="text-align:right;"|167
|<ref group="利用客数" name="passenger/2020_07">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2020_07.html|title=各駅の乗車人員(2020年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2021-07-25}}</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|style="text-align:right;"|172
|<ref group="利用客数" name="passenger/2021_07">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2021_07.html|title=各駅の乗車人員(2021年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2022-08-10}}</ref>
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|style="text-align:right;"|200
|<ref group="利用客数" name="passenger/2022_07">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2022_07.html|title=各駅の乗車人員(2022年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-07-12}}</ref>
|}
== 駅周辺 ==
駅のすぐ近くや、南側の五百川沿いに[[磐梯熱海温泉]]の温泉街が広がっており、宿泊施設なども多い<ref name="zeneki"/>。
* [[ほっとあたみ]]
** 郡山市役所熱海行政センター
** 磐梯熱海観光物産館
** 熱海フットボールセンター
* 熱海[[郵便局]]
* [[郡山北警察署]]熱海駐在所
* [[郡山地方広域消防組合]]郡山消防署熱海分署
* 郡山市立熱海中学校
* [[日本きもの文化美術館]]
* [[磐梯熱海アイスアリーナ]]
* [[磐梯熱海スポーツパーク]]
* [[安達太良山]]南登山口
* 母成高原
* [[郡山石筵ふれあい牧場]]
* [[銚子ケ滝]]
* 郡山市ケヤキの森
* 駅前に[[足湯]]
* [[かんぽの宿]]郡山
* [[郡山ユラックス熱海]]
* [[福島交通]]熱海車庫(駅より約1.2km)
* [[福島県道8号本宮熱海線]]
* [[福島県道24号中の沢熱海線]]
* [[福島県道200号磐梯熱海停車場線]]
* [[国道49号]]
* [[磐越自動車道]][[磐梯熱海インターチェンジ|磐梯熱海IC]]
* [[五百川]]
* [[福島交通]]・[[会津乗合自動車|会津バス]]「熱海駅前」停留所
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Bandai atami 02.jpg|駅前広場
Bandai atami 01.jpg|磐梯熱海駅前足湯
Bandai atami 04.jpg|温泉宿(四季彩一力)
</gallery>
== その他 ==
* 「山あいの温泉の駅として親しまれている駅舎」として、[[東北の駅百選]]に選定された<ref name="zeneki"/>。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速「[[あいづ]]」
::: [[喜久田駅]] - '''磐梯熱海駅''' - [[猪苗代駅]]
:: {{Color|red|□}}快速
::: 喜久田駅 - '''磐梯熱海駅''' - (一部[[川桁駅]]) - 猪苗代駅
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[安子ケ島駅]] - '''磐梯熱海駅''' - [[中山宿駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====-->
{{Reflist}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="利用客数"|3}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[熱海駅]] - 静岡県熱海市にある駅。
* [[喜劇 駅前温泉]] - '''岩代熱海駅'''周辺が舞台の[[東宝]][[映画]]。旧駅舎および構内、昭和中期の駅前の様子が見られる。
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1263|name=磐梯熱海}}
{{磐越西線}}
{{東北の駅百選}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ|redirect=熱海駅 (福島県)|日本の鉄道駅 あ|岩越鉄道の鉄道駅}}
{{DEFAULTSORT:はんたいあたみ}}
[[Category:郡山市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 は|んたいあたみ]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1898年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
|
2003-07-15T07:11:49Z
|
2023-12-06T14:57:41Z
| false | false | false |
[
"Template:駅情報",
"Template:R",
"Template:Commonscat",
"Template:磐越西線",
"Template:東北の駅百選",
"Template:Color",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
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"Template:Cite journal",
"Template:リダイレクトの所属カテゴリ",
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"Template:外部リンク/JR東日本駅",
"Template:Cite book"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E6%A2%AF%E7%86%B1%E6%B5%B7%E9%A7%85
|
11,448 |
安子ケ島駅
|
安子ケ島駅(あこがしまえき)は、福島県郡山市熱海町安子ヶ島字出日にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。上り列車は上下本線である1番線のみ使用可能であり、列車交換時は下り列車が2番線(下り1番線)を使用する。
郡山駅管理の無人駅である。乗車駅証明書発行機設置。
2004年度の1日平均乗車人員は77人であった。
|
[
{
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"text": "安子ケ島駅(あこがしまえき)は、福島県郡山市熱海町安子ヶ島字出日にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。",
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"text": "相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。上り列車は上下本線である1番線のみ使用可能であり、列車交換時は下り列車が2番線(下り1番線)を使用する。",
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"text": "郡山駅管理の無人駅である。乗車駅証明書発行機設置。",
"title": "駅構造"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2004年度の1日平均乗車人員は77人であった。",
"title": "利用状況"
}
] |
安子ケ島駅(あこがしまえき)は、福島県郡山市熱海町安子ヶ島字出日にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 安子ケ島駅
|画像 = JR East Akogashima Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|28|19.47|N|140|18|36.43|E}}}}
|よみがな = あこがしま
|ローマ字 = Akogashima
|前の駅 = [[喜久田駅|喜久田]]
|駅間A = 3.9
|駅間B = 3.6
|次の駅 = [[磐梯熱海駅|磐梯熱海]]
|電報略号 = アコ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]<ref name="eki"/>
|キロ程 = 11.8
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地 = [[福島県]][[郡山市]]熱海町安子ヶ島字出日<ref name="eki"/>
|座標 = {{ウィキ座標2段度分秒|37|28|19.47|N|140|18|36.43|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref><ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=514}}</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 77
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>(乗車駅証明書発行機 有)
|備考全幅 =
}}
'''安子ケ島駅'''(あこがしまえき)は、[[福島県]][[郡山市]]熱海町安子ヶ島字出日にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=43 |title=JR東日本:各駅情報(安子ケ島駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-20}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]:[[岩越鉄道]]の駅として開業<ref name="eki"/>{{R|sone06-14}}{{R|停車場}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}{{R|停車場}}。
* [[1962年]]([[昭和]]37年)[[4月1日]]:貨物取扱廃止{{R|停車場}}。
* [[1968年]](昭和43年)[[2月1日]]:運転扱いが磐梯熱海駅からの遠隔操作となる(RC化)。
* [[1972年]](昭和47年)11月1日:[[チッキ|荷物]]扱い廃止<ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第295号 |newspaper=[[官報]] |date=1972-10-31 }}</ref>。[[無人駅]]となる<ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●磐越西線安子ケ島駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1972-10-31 |page=6 }}</ref>。跨線橋を設置<ref>{{Cite news |和書|title=三線の営業体制近代化実施 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1972-08-30 |page=1 }}</ref>。
* [[1981年]](昭和56年):駅舎改築<ref name="zeneki"/>。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|停車場}}<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-20}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは[[跨線橋]]で連絡している<ref name="zeneki"/>。上り列車は上下本線である1番線のみ使用可能であり、列車交換時は下り列車が2番線(下り1番線)を使用する<ref name="zeneki"/>。
[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>である。[[無人駅#乗車駅証明書発行機|乗車駅証明書発行機]]設置。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
| style="text-align:center" | 上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list0043">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0043.html|title=時刻表 安子ケ島駅|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-08-13}}</ref>
|-
!1・2
| style="text-align:center" | 下り
|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list0043" />
|}
* 2番線は列車交換時のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Akogashima Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Akogashima Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は77人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|93
|-
|2001
|96
|-
|2002
|85
|-
|2003
|82
|-
|2004
|77
|}
== 駅周辺 ==
* 安子ヶ島郵便局<ref name="map8">{{Cite web|和書|url=http://sasp.mapion.co.jp/cm/jreast/?icon=jreast|140.18.49.0%2c37.28.8.0&scl=8000 |title=「福島県郡山市熱海町安子島出シ」付近地図(1/8000) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-20}}</ref>
* 郡山市立安子ヶ島小学校<ref name="map8"/>
* [[国道49号]]<ref name="map8"/>
* [[福島県道8号本宮熱海線]]
* [[福島県道199号安子ヶ島停車場線]]
** 福島交通「安子ヶ島」バス停
* [[五百川]]
* [[安子島城]]<ref name="zeneki"/>
* [[大鏑神社]]
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: '''通過'''
:: {{Color|gray|■}}普通
::: [[喜久田駅]] - '''安子ケ島駅''' - [[磐梯熱海駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=43|name=安子ケ島}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:あこかしま}}
[[Category:郡山市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 あ|こかしま]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1898年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
|
2003-07-15T07:15:33Z
|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AD%90%E3%82%B1%E5%B3%B6%E9%A7%85
|
11,449 |
喜久田駅
|
喜久田駅(きくたえき)は、福島県郡山市喜久田町堀之内字椚内(くぬぎうち)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。互いのホームは跨線橋で連絡している。ほとんどの列車は駅舎側の1番線に停車する。
郡山駅管理の無人駅。自動券売機設置。駅舎はとても簡易なもので、ホームの空きスペースに建てられた。取り壊された旧駅舎土台跡が残る。
トイレは男女兼用の汲取式。
2004年度の1日平均乗車人員は279人であった。
最寄りのバス停は「喜久田駅前」であった(2021年4月1日、「喜久田駅前」バス停は廃止)。
|
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喜久田駅(きくたえき)は、福島県郡山市喜久田町堀之内字椚内(くぬぎうち)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 喜久田駅*
|画像 = JR East Kikuta Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図 = {{Infobox mapframe|zoom=14|type=point|frame-width=300|marker=rail|coord={{coord|37|27|6.12|N|140|20|31.02|E}}}}
|よみがな = きくた
|ローマ字 = Kikuta
|前の駅 = [[郡山富田駅|郡山富田]]
|駅間A = 4.5
|駅間B = 3.9
|次の駅 = [[安子ケ島駅|安子ケ島]]
|電報略号 = キク
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]<ref name="eki"/>
|キロ程 = 7.9
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|開業年月日 = [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 279
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>(自動券売機 有)
|備考全幅 = * [[1915年]]に堀ノ内駅から改称<ref name="zeneki"/><ref name="sone06-15">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、15頁</ref>。
}}
'''喜久田駅'''(きくたえき)は、[[福島県]][[郡山市]]喜久田町堀之内字椚内(くぬぎうち)にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=544 |title=JR東日本:各駅情報(喜久田駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-20}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1898年]]([[明治]]31年)[[7月26日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]]の'''堀ノ内駅'''(ほりのうちえき)として開業<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-20}}</ref>{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1915年]]([[大正]]4年)[[4月10日]]:'''喜久田駅'''に改称{{R|sone06-15}}。
* [[1963年]]([[昭和]]38年)[[3月1日]]:貨物取扱廃止<ref>{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=514}}</ref>。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]]:磐越西線CTC化に伴い駅無人化<ref>{{Cite news |title=「通報」●磐越西線上戸駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1983-03-10 |page=3 }}</ref>。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2017年]]([[平成]]29年)[[3月4日]]:定期快速の全列車が停車するようになる。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki"/>を持つ[[地上駅]]。互いのホームは[[跨線橋]]で連絡している。ほとんどの列車は駅舎側の1番線に停車する<ref name="zeneki"/>。
[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。自動券売機設置。駅舎はとても簡易なもので、ホームの空きスペースに建てられた。取り壊された旧駅舎土台跡が残る。
トイレは男女兼用の[[汲み取り式便所|汲取式]]。
=== のりば ===
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
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|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面<ref name="timetable/list0544">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0544.html|title=時刻表 喜久田駅|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-08-13}}</ref>
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!1・2
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="timetable/list0544" />
|}
* 2番線は列車交換時のみ使用
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Kikuta Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Kikuta Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は279人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|271
|-
|2001
|290
|-
|2002
|263
|-
|2003
|274
|-
|2004
|279
|}
== 駅周辺 ==
* 郡山市役所喜久田行政センター
* 郡山市立喜久田小学校<ref name="map">{{Cite web|和書|url=http://sasp.mapion.co.jp/cm/jreast/?icon=jreast|140.20.43.0%2c37.26.54.0&scl=3000 |title=「福島県郡山市喜久田町堀之内南椚内」付近地図 |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-20}}</ref>
* 郡山市立喜久田中学校
* 喜久田郵便局
* [[郡山北警察署]]喜久田駐在所
* [[郡山地方広域消防組合]]郡山消防署喜久田分署
* [[国道49号]]
* 福島交通「地田下」バス停
* [[福島県道29号長沼喜久田線]]
* [[福島県道296号荒井郡山線]]
* [[福島県道357号岩根日和田線]]
* [[東北自動車道]][[郡山インターチェンジ (福島県)|郡山IC]](駅南方向・約6km)
* 東北・[[磐越自動車道]][[郡山ジャンクション|郡山JCT]](駅東北方向、約5km)
* [[藤田川 (郡山市)|藤田川]]
* [[福島交通]]「地田下」停留所
最寄りのバス停は「喜久田駅前」であった(2021年4月1日、「喜久田駅前」バス停は廃止<ref>{{PDFlink|[https://www.fukushima-koutu.co.jp/upd/attache/files/jigyokeikaku_oshirase_20210329.pdf 2021年4月1日 路線バス ダイヤ改正等のお知らせ]}} - 福島交通、2021年5月4日閲覧</ref>)。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: [[郡山富田駅]] - '''喜久田駅''' - [[磐梯熱海駅]]
:: {{Color|gray|■}}普通
::: 郡山富田駅 - '''喜久田駅''' - [[安子ケ島駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=544|name=喜久田}}
{{磐越西線}}
{{リダイレクトの所属カテゴリ|redirect=堀ノ内駅 (福島県)|日本の鉄道駅 ほ|岩越鉄道の鉄道駅}}
{{DEFAULTSORT:きくた}}
[[Category:郡山市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 き|くた]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1898年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
|
2003-07-15T07:16:14Z
|
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E4%B9%85%E7%94%B0%E9%A7%85
|
11,450 |
翁島駅
|
翁島駅(おきなしまえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字磐根中(いわねなか)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
駅開設当時、所在地が翁島村(おきなじまむら)であったことが駅名の由来。なお、翁島村の名は猪苗代湖にある唯一の島・翁島からとられている。かつて猪苗代湖畔には有栖川宮・高松宮の翁島別邸が設けられ(天鏡閣および現在の福島県迎賓館)が設けられ、翁島駅がその最寄駅であったことから、旧駅舎には貴賓室が設置されていた。駅舎改築にともない、旧駅舎は町営緑の村に移築・保存されている。かつて、上野からの急行「ばんだい」が走っていたころ、1往復臨時停車していたこともあった。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは構内踏切で連絡している。1983年に無人化と同時に駅舎をコンクリート製のカプセル型に改築している。会津若松駅管理の無人駅。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2004年度の1日平均乗車人員は27人であった。
|
[
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"title": "駅構造"
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"text": "2004年度の1日平均乗車人員は27人であった。",
"title": "利用状況"
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] |
翁島駅(おきなしまえき)は、福島県耶麻郡猪苗代町大字磐根中(いわねなか)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
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|駅名 = 翁島駅
|画像 = JR East Okinashima Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|33|10.08|N|140|3|15.37|E}}}}
|よみがな = おきなしま
|ローマ字 = Okinashima
|前の駅 = [[猪苗代駅|猪苗代]]
|駅間A = 4.4
|駅間B = 10.1
|次の駅 = [[磐梯町駅|磐梯町]]*
|電報略号 = オナ←ヲナ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 41.1
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字磐根中<ref name="eki"/>2477
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|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|33|10.08|N|140|3|15.37|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 27
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>
|備考全幅 = * この間に[[更科信号場]]有り(当駅から4.5 km先)。
}}
'''翁島駅'''(おきなしまえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[猪苗代町]]大字磐根中(いわねなか)にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=364 |title=JR東日本:各駅情報(翁島駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。
== 歴史 ==
[[ファイル:磐越西線・翁島駅・旧駅本屋(移築保存)・緑の村(1993.5.5)(s43-15).jpg|thumb|町営緑の村に移築された旧翁島駅本屋(1993年5月)]]
駅開設当時、所在地が[[翁島村]](おきな'''じま'''むら)であったことが駅名の由来。なお、翁島村の名は[[猪苗代湖]]にある唯一の島・[[翁島]]からとられている。かつて猪苗代湖畔には[[有栖川宮]]・[[高松宮]]の翁島別邸が設けられ([[天鏡閣]]および現在の福島県迎賓館)が設けられ、翁島駅がその最寄駅であったことから、旧駅舎には[[貴賓室]]が設置されていた<ref name="zeneki"/>。駅舎改築にともない、旧駅舎は[[猪苗代緑の村|町営緑の村]]に移築・保存されている<ref name="zeneki"/>。かつて、上野からの急行「ばんだい」が走っていたころ、1往復臨時停車していたこともあった。
=== 年表 ===
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]]により開業{{R|sone06-14}}。[[一般駅]]。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1915年]]([[大正]]4年)9月:[[野口英世]]が一時帰郷。この駅で地元住民の歓迎を受ける。
* [[1963年]]([[昭和]]38年)[[3月1日]]:貨物取り扱い廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=515}}</ref>。
* [[1972年]](昭和47年)[[9月1日]]:[[チッキ|荷物]]取り扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]]:磐越西線[[列車集中制御装置|CTC]]化に伴い駅無人化<ref>{{Cite news |title=「通報」●磐越西線上戸駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1983-03-10 |page=3 }}</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)[[9月26日]]:[[お召し列車]]が運転され、[[昭和天皇]]夫妻が下車。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2016年]](平成28年):旧本屋(駅舎)は「磐越西線鉄道施設群」の一部として、[[土木学会選奨土木遺産]]に選ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.general-museum.fks.ed.jp/02_moyoshi/09_other_kouza/20161210_2.pdf |title=平成28年度 土木学会選奨土木遺産 認定 磐越西線鉄道施設群 |access-date=2022年6月9日 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180302164239/http://www.general-museum.fks.ed.jp/02_moyoshi/09_other_kouza/20161210_2.pdf |deadlinkdate=2022/06/09 |archive-date=2 Mar 2018 |publisher=[[福島県立博物館]]}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=土木学会 平成28年度選奨土木遺産 磐越西線鉄道施設群 |url=http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2016_03.shtml |website=www.jsce.or.jp |access-date=2022-06-09}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[相対式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 23 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-22}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは構内[[踏切]]で連絡している。1983年に無人化と同時に駅舎をコンクリート製のカプセル型に改築している。[[会津若松駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。
=== のりば ===
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center"|下り
|[[会津若松駅|会津若松]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/364.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Okinashima Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Okinashima Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
JR East Okinashima Station Premises railroad crossing.jpg|構内踏切(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は27人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|41
|-
|2001
|38
|-
|2002
|30
|-
|2003
|27
|-
|2004
|27
|}
== 駅周辺 ==
* 翁島温泉
* 西ノ沢温泉
* 玉の湯旅館
* [[天鏡閣]](旧[[有栖川宮]]・[[高松宮]]翁島別邸)
* [[福島県迎賓館]](旧高松宮翁島別邸)
* [[野口英世記念館]]
* 野口英世の里[[郵便局]]
* [[福島県道7号猪苗代塩川線]]
* [[福島県道205号翁島停車場線]]
* [[福島県道206号翁島停車場磐根線]]
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速「[[あいづ]]」
::: '''通過'''
:: {{Color|red|□}}快速(上下各1本のみ停車)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast-timetable.jp/timetable/list0364.html?_ga=2.203195542.600999656.1663647897-941756229.1655092991 |title=時刻表 翁島駅 |access-date=2022-09-20}}</ref>・{{Color|gray|■}}普通
::: [[猪苗代駅]] - '''翁島駅''' - ([[更科信号場]]) - [[磐梯町駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=364|name=翁島}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:おきなしま}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 お|きなしま]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅|おきなしまえき]]
[[Category:猪苗代町の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線|おきなしまえき]]
[[Category:土木学会選奨土木遺産]]
|
2003-07-15T07:18:04Z
|
2023-12-01T00:00:18Z
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[
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"Template:外部リンク/JR東日本駅",
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"Template:脚注ヘルプ",
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"Template:駅情報"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%81%E5%B3%B6%E9%A7%85
|
11,452 |
磐梯町駅
|
磐梯町駅(ばんだいまちえき)は、福島県耶麻郡磐梯町大字磐梯字東松山にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
島式ホーム1面2線を有する地上駅。構内は広く側線が多数敷設されている。ホームは駅舎や道路より高いところにあり、駅舎との間を地下道が結んでいる。駅舎は木造駅舎で、2010年(平成22年)に改装され大切に使われている。また、改装にあわせて従来の地下道を延長して東側とつなげ東西自由通路を設置した。ホーム上の上屋なども木造で、電気設備にがいし引き配線が残るなど古くからの雰囲気をよく残している。
会津若松駅管理の簡易委託駅で、窓口が設置されている。窓口の営業時間は日中時間帯のみとなっており、営業時間以外の近距離乗車券の購入は現在ではできず、東西自由通路の中央に設置されている乗車駅証明書発券機を使って乗車するようになる。
(出典:JR東日本:駅構内図)
かつては猪苗代第二発電所および猪苗代第三発電所建設時に、東京電燈(現・東京電力)の専用軌道である大寺専用鉄道が当駅に接続していた。また、当駅の西側に荷卸場が設置されていた。明治、大正時代は東に延びる形で、列車の暴走を防ぐための避難線(キャッチサイディング)が付けられていた。
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は98人である。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
駅周辺は磐梯町の中心である。
|
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磐梯町駅(ばんだいまちえき)は、福島県耶麻郡磐梯町大字磐梯字東松山にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 磐梯町駅{{Refnest|group="*"|[[1965年]]に大寺駅から改称{{R|sone06-16}}。}}
|画像 = JR East Bandaimachi Station building (West Exit).jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 駅舎(西口)(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|33|28.29|N|139|59|35.56|E}}}}
|よみがな = ばんだいまち
|ローマ字 = Bandaimachi
|前の駅 = {{Refnest|group="*"|この間に[[更科信号場]]有り(当駅から5.6 km先)。}}[[翁島駅|翁島]]
|駅間A = 10.1
|駅間B = 6.0
|次の駅 = [[東長原駅|東長原]]
|電報略号 = イマ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 51.2
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 = [[福島県]][[耶麻郡]][[磐梯町]]大字磐梯字東松山<ref name="eki"/>1341-1
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|33|28.29|N|139|59|35.56|E|type:railwaystation_region:JP-07|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 98
|統計年度 = 2022年
|備考 = [[日本の鉄道駅#簡易委託駅|簡易委託駅]]
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[ファイル:JR East Bandaimachi Station East Exit.jpg|thumb|東口(2022年9月)]]
'''磐梯町駅'''(ばんだいまちえき)は、[[福島県]][[耶麻郡]][[磐梯町]]大字磐梯字東松山にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1264 |title=JR東日本:各駅情報(磐梯町駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]]の'''大寺駅'''(おおでらえき)として開業<ref name="zeneki"/>{{R|sone06-14}}。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone06-14}}。
* [[1965年]]([[昭和]]40年)[[6月1日]]:'''磐梯町駅'''に改称<ref name="sone06-16">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、16頁</ref>。
* [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]]:急行「いなわしろ」快速格下げ列車と急行「ばんだい」郡山発着列車のみ停車駅となる。
* [[1984年]](昭和59年)
** [[1月15日]]:([[専用鉄道|専用線]]発着車扱貨物を除く)貨物の取り扱いを廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=516}}</ref>。
** [[2月1日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1985年]](昭和60年)[[3月1日]]:専用線発着車扱貨物の取り扱いを廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|停車場}}<ref name="sone06-17">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[12月1日]]:快速あがのが新型車両投入に伴い、快速ばんだいに変更。快速・普通列車は全列車停車となる。
* [[2003年]](平成15年)[[10月1日]]:特急「あいづ」が快速「あいづライナー」に格下げに伴い定期列車は全列車停車駅となる。
* [[2010年]](平成22年)
** [[3月20日]]:駅舎をリニューアル<ref name="renewal">{{Cite press release|和書|url=http://jr-sendai.com/doc/100319-1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101124141023/http://jr-sendai.com/doc/100319-1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=磐越西線「磐梯町駅」駅舎リニューアル記念セレモニー開催について|publisher=東日本旅客鉄道仙台支社|date=2010-03-19|accessdate=2020-12-11|archivedate=2010-11-24}}</ref>。
** [[4月12日]]:東西自由通路が開通する<ref name="zeneki"/><ref name="turo"/>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Bandaimachi.jpg|改装前の駅舎(2005年5月)
</gallery>
== 駅構造 ==
[[島式ホーム]]1面2線を有する[[地上駅]]<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 24 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-22}}</ref>。構内は広く[[停車場#側線|側線]]が多数敷設されている。ホームは駅舎や[[道路]]より高いところにあり、駅舎との間を地下道が結んでいる。駅舎は[[木造駅舎]]で、[[2010年]](平成22年)に改装され<ref name="zeneki"/><ref name="renewal"/>大切に使われている。また、改装にあわせて従来の地下道を延長して東側とつなげ東西自由通路を設置した<ref name="zeneki"/><ref name="turo">{{Cite web|和書|url=http://www1.town.bandai.fukushima.jp/t_navi/lg/2010/05/011_eki_jiyu_tsuro.htm |title=磐梯町駅自由通路開通式が行われました |publisher=磐梯町役場 |date=2010-05-06 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。ホーム上の上屋なども木造で、電気設備に[[がいし引き工事|がいし引き配線]]が残るなど古くからの雰囲気をよく残している。
[[会津若松駅]]管理の[[日本の鉄道駅#簡易委託駅|簡易委託駅]]で、窓口が設置されている。窓口の営業時間は日中時間帯のみとなっており、営業時間以外の近距離[[乗車券]]の購入は現在ではできず、東西自由通路の中央に設置されている乗車駅証明書発券機を使って乗車するようになる。
=== のりば ===
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center"|下り
|[[会津若松駅|会津若松]]・[[喜多方駅|喜多方]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1264.html JR東日本:駅構内図])
かつては[[猪苗代第二発電所]]および[[猪苗代第三発電所]]建設時に、[[東京電燈]](現・[[東京電力]])の[[専用鉄道|専用軌道]]である[[東京電燈専用軌道#大寺専用鉄道|大寺専用鉄道]]が当駅に接続していた<ref>{{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-05/02-05-0283.pdf 『土木建築工事画報』第2巻5号(大正15年発行)]}} - 土木図書館・デジタルアーカイブス。</ref>。また、当駅の西側に荷卸場が設置されていた。明治、大正時代は東に延びる形で、列車の暴走を防ぐための避難線(キャッチサイディング)が付けられていた<ref>地図で楽しむ日本の鉄道([[今尾恵介]]・著、[[洋泉社]]、2018年9月7日初版)p.175</ref>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Bandaimachi Station West Exit Waiting room.jpg|西口待合室(2022年9月)
JR East Bandaimachi Station East Exit Waiting room.jpg|東口待合室(2022年9月)
JR East Bandaimachi Station Underground Passage.jpg|地下道(2022年9月)
JR East Bandaimachi Station Boarding Ticket.jpg|乗車駅証明書発行機(2022年9月)
JR East Bandaimachi Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
JR東日本によると、2022年度(令和4年度)の1日平均乗車人員は'''98人'''である<ref group="利用客数" name="passenger/2022_08" />。
2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。
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|-
!colspan="3"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|2000年(平成12年)
|style="text-align:right;"|234
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2000_05.html|title=各駅の乗車人員(2000年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2001年(平成13年)
|style="text-align:right;"|202
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2001_05.html|title=各駅の乗車人員(2001年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|style="text-align:right;"|199
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2002_05.html|title=各駅の乗車人員(2002年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|style="text-align:right;"|188
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2003_05.html|title=各駅の乗車人員(2003年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|style="text-align:right;"|196
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2004_05.html|title=各駅の乗車人員(2004年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|style="text-align:right;"|185
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2005_05.html|title=各駅の乗車人員(2005年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|style="text-align:right;"|172
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2006_05.html|title=各駅の乗車人員(2006年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|style="text-align:right;"|170
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2007_05.html|title=各駅の乗車人員(2007年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|style="text-align:right;"|163
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2008_05.html|title=各駅の乗車人員(2008年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|style="text-align:right;"|149
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2009_05.html|title=各駅の乗車人員(2009年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|style="text-align:right;"|151
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2010_05.html|title=各駅の乗車人員(2010年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|style="text-align:right;"|151
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2011_04.html|title=各駅の乗車人員(2011年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|style="text-align:right;"|158
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2012_09.html|title=各駅の乗車人員(2012年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|style="text-align:right;"|164
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2013_09.html|title=各駅の乗車人員(2013年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|style="text-align:right;"|150
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2014_08.html|title=各駅の乗車人員(2014年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|style="text-align:right;"|146
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2015_08.html|title=各駅の乗車人員(2015年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|style="text-align:right;"|152
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2016_08.html|title=各駅の乗車人員(2016年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-02-24}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|style="text-align:right;"|156
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2017_08.html|title=各駅の乗車人員(2017年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2018-07-09}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|style="text-align:right;"|158
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2018_08.html|title=各駅の乗車人員(2018年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2019-07-21}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|style="text-align:right;"|147
|<ref group="利用客数">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2019_08.html|title=各駅の乗車人員(2019年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2020-07-13}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|style="text-align:right;"|105
|<ref group="利用客数" name="passenger/2020_08">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2020_08.html|title=各駅の乗車人員(2020年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2021-07-25}}</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|style="text-align:right;"|93
|<ref group="利用客数" name="passenger/2021_08">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2021_08.html|title=各駅の乗車人員(2021年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2022-08-10}}</ref>
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|style="text-align:right;"|98
|<ref group="利用客数" name="passenger/2022_08">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/passenger/2022_08.html|title=各駅の乗車人員(2022年度)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-07-12}}</ref>
|}
== 駅周辺 ==
駅周辺は磐梯町の中心である。
* [[恵日寺 (福島県磐梯町)|慧日寺]](えにちじ)跡
* 磐梯町役場
* 磐梯郵便局
* 磐梯ふるさと森公園
* リオンドール磐梯店
* 磐梯町立磐梯第一小学校
* 磐梯町立磐梯中学校
* 磐梯町保育所
* 猪苗代消防署磐梯出張所
* [[日曹金属化学]]会津工場 - かつて駅から専用線が延びていた。
* シグマ(株)
* 曹鉄メタル
* [[福島県道7号猪苗代塩川線]]
* [[福島県道207号磐梯町停車場線]]
* [[会津バス]]「磐梯町駅」停留所
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速(「[[あいづ]]」を含む)
::: [[猪苗代駅]] - '''磐梯町駅''' - [[会津若松駅]]
:: {{Color|red|□}}快速(一部列車)・{{Color|gray|■}}普通
::: [[翁島駅]] - ([[更科信号場]]) - '''磐梯町駅''' - [[東長原駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====-->
{{Reflist|3}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="利用客数"|3}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1264|name=磐梯町}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:はんたいまち}}
[[Category:福島県の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 は|んたいまち]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅]]
[[Category:磐梯町の建築物|はんたいまちえき]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
|
2003-07-15T07:25:04Z
|
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|
11,453 |
東長原駅
|
東長原駅(ひがしながはらえき)は、福島県会津若松市河東町熊野堂字一本木にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
当駅の向かいに東長原事業所が位置する昭和電工が、従業員輸送を目的として全額会社負担により当駅を建設した。また事業所構内に専用線を引き込む工事も同時に行われ、当駅から2段のスイッチバックにより登っていく構造とされていた。廃止後もその痕跡が確認できる。
単式ホーム2面2線を有する地上駅。互いのホームは構内踏切で連絡している。
会津若松駅管理の無人駅。有人駅だった頃の駅舎は撤去され、簡易な待合所がある。
(出典:JR東日本:駅構内図)
2004年度の1日平均乗車人員は101人であった。
|
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東長原駅(ひがしながはらえき)は、福島県会津若松市河東町熊野堂字一本木にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
|
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 東長原駅
|画像 = JR East Higashi-Nagahara Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|33|59.74|N|139|56|52.88|E}}}}
|よみがな = ひがしながはら
|ローマ字 = Higashi-Nagahara
|前の駅 = [[磐梯町駅|磐梯町]]
|駅間A = 6.0
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|次の駅 = [[広田駅|広田]]
|電報略号 = ヒカ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 57.2
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|所在地 = [[福島県]][[会津若松市]]河東町熊野堂字一本木<ref name="eki"/>3213
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|開業年月日 = [[1940年]]([[昭和]]15年)[[12月20日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-15">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、15頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
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}}
'''東長原駅'''(ひがしながはらえき)は、[[福島県]][[会津若松市]]河東町熊野堂字一本木にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1296 |title=JR東日本:各駅情報(東長原駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。
== 歴史 ==
当駅の向かいに東長原事業所が位置する[[昭和電工]]が、従業員輸送を目的として全額会社負担により当駅を建設した<ref name="zeneki"/><ref name="RP849">{{Cite journal | 和書 | author = 根本幸男 | title = 会津通いの半世紀から | journal = [[鉄道ピクトリアル]] | year = 2011 | month = 6 | volume = 849 | pages = pp.97 - 103 | publisher = 電気車研究会}}</ref>。また事業所構内に[[専用鉄道|専用線]]を引き込む工事も同時に行われ、当駅から2段の[[スイッチバック]]により登っていく構造とされていた<ref name="RP849"/>。廃止後もその痕跡が確認できる<ref name="zeneki"/><ref name="RP849"/>。
=== 年表 ===
* [[1940年]]([[昭和]]15年)[[12月20日]]:[[鉄道省]]の駅として開業<ref name="eki"/>{{R|sone06-15}}。
* [[1972年]](昭和47年)[[9月1日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=516}}</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)[[1月15日]]:[[チッキ|荷物]]扱い廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本の駅となる{{R|停車場}}<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[1993年]]([[平成]]5年)[[3月19日]]:[[会津若松駅]]からの駅員派遣中止。完全無人化。
== 駅構造 ==
[[単式ホーム]]2面2線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 24 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-22}}</ref>を有する[[地上駅]]。互いのホームは構内[[踏切]]で連絡している。
会津若松駅管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。有人駅だった頃の駅舎は撤去され、簡易な待合所がある<ref name="zeneki"/>。
=== のりば ===
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|下り
|[[会津若松駅|会津若松]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1296.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Higashi-Nagahara Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Higashi-Nagahara Station Platform 1.jpg|1番線ホーム(2022年9月)
JR East Higashi-Nagahara Station Platform 2.jpg|2番線ホーム(2022年9月)
JR East Higashi-Nagahara Station Premises railroad crossing.jpg|構内踏切(2022年9月)
</gallery>
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は101人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|112
|-
|2001
|118
|-
|2002
|115
|-
|2003
|110
|-
|2004
|101
|}
== 駅周辺 ==
* 東長原郵便局
* 昭和電工東長原事業所 - かつては当駅から専用線が伸びていた
* [[日橋川]]
* [[福島県道337号喜多方河東線]]
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速「[[あいづ]]」
::: '''通過'''
:: {{Color|red|□}}快速(一部列車のみ停車)・{{Color|gray|■}}普通
::: [[磐梯町駅]] - '''東長原駅''' - [[広田駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=6 |title=磐越東線・只見線・磐越東線 |date=2009-08-16 |ref=sone06 }}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1296|name=東長原}}
* [https://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=1140442&dispType=1 1976年(昭和51年)頃の東長原駅周辺] - 地図・空中写真閲覧サービス([[国土地理院]])
: 東長原駅構内南側に昭和電工東長原事業所への2段スイッチバック専用線が見える。
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:ひかしなかはら}}
[[Category:日本の鉄道駅 ひ|かしなかはら]]
[[Category:会津若松市の鉄道駅]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
[[Category:1940年開業の鉄道駅]]
|
2003-07-15T07:26:40Z
|
2023-11-24T21:44:11Z
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"Template:外部リンク/JR東日本駅",
"Template:磐越西線"
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%95%B7%E5%8E%9F%E9%A7%85
|
11,454 |
広田駅
|
広田駅(ひろたえき)は、福島県会津若松市河東町広田字中島戊(なかじまぼ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)磐越西線の駅である。
地上駅。形状は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有するが、旧・3番線は信号機の使用を停止しているため、実質は相対式ホーム2面2線となっている。互いのホームは構内踏切で連絡している。会津若松駅管理の無人駅。
有人駅時代に建てられた木造の駅舎があったが、2007年(平成19年)12月に火災が発生し、半焼した。火災前の駅舎は、事務室の部分が「まちの駅 河東」として利用され、待合所の改札口脇に近距離乗車券の自動券売機が設置されていた。待合室内部は無事だったが、火元となった倉庫やホーム側の雁木、信号設備のあった部分は焼失した。
焼失した旧駅舎に代わる新駅舎は2008年(平成20年)6月に完成し、使用が開始された。新駅舎は、鉄骨平屋建て床面積85m。会津らしさを意識した和風の外観で、無人駅のため周辺から見通せるよう窓を多くし、死角を極力減らした。建設費は約3,000万円。
かつては猪苗代第四発電所建設時に、東京電燈(現・東京電力)の専用軌道である広田専用軌道が当駅に接続していた。
現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。
かつては、住友大阪セメント広田サービスステーションへ至る専用線が存在した。この施設へ青海駅発送のセメントを輸送するために、火曜日 - 木曜日の朝方(2006年3月改正時、需要の変動で指定運転日でも運休する場合があった)に貨物列車が到着していた。しかし、2007年3月14日到着分を以て到着する貨物が無くなり、翌3月15日に機関車が単機で到着し、前日に到着してセメントを取り降ろした空車を引き取って、専用線の運行は終了した。専用線には住友大阪セメント所有のオレンジ色の日立製作所製スイッチャー1機が存在していた。
また1980年代までは、三菱製鋼広田製作所への専用線も存在した。
2004年度の1日平均乗車人員は211人であった。
旧河沼郡河東町の中心に位置するため、駅前は住宅地となっている。駅前には小さいながらも駅前広場を有する。 駅に隣接してタクシー会社があるのでタクシーの利用には不自由しない。
|
[
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"text": "広田駅(ひろたえき)は、福島県会津若松市河東町広田字中島戊(なかじまぼ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)磐越西線の駅である。",
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"text": "地上駅。形状は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを有するが、旧・3番線は信号機の使用を停止しているため、実質は相対式ホーム2面2線となっている。互いのホームは構内踏切で連絡している。会津若松駅管理の無人駅。",
"title": "駅構造"
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{
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"text": "有人駅時代に建てられた木造の駅舎があったが、2007年(平成19年)12月に火災が発生し、半焼した。火災前の駅舎は、事務室の部分が「まちの駅 河東」として利用され、待合所の改札口脇に近距離乗車券の自動券売機が設置されていた。待合室内部は無事だったが、火元となった倉庫やホーム側の雁木、信号設備のあった部分は焼失した。",
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"text": "焼失した旧駅舎に代わる新駅舎は2008年(平成20年)6月に完成し、使用が開始された。新駅舎は、鉄骨平屋建て床面積85m。会津らしさを意識した和風の外観で、無人駅のため周辺から見通せるよう窓を多くし、死角を極力減らした。建設費は約3,000万円。",
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"text": "かつては猪苗代第四発電所建設時に、東京電燈(現・東京電力)の専用軌道である広田専用軌道が当駅に接続していた。",
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"text": "現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。",
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"title": "貨物取扱"
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"text": "また1980年代までは、三菱製鋼広田製作所への専用線も存在した。",
"title": "貨物取扱"
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"text": "2004年度の1日平均乗車人員は211人であった。",
"title": "利用状況"
},
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"text": "旧河沼郡河東町の中心に位置するため、駅前は住宅地となっている。駅前には小さいながらも駅前広場を有する。 駅に隣接してタクシー会社があるのでタクシーの利用には不自由しない。",
"title": "駅周辺"
}
] |
広田駅(ひろたえき)は、福島県会津若松市河東町広田字中島戊(なかじまぼ)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)磐越西線の駅である。
|
{{出典の明記|date=2014年4月}}
{{駅情報
|社色 = green
|文字色 =
|駅名 = 広田駅
|画像 = JR East Hirota Station building.jpg
|pxl = 300px
|画像説明 = 駅舎(2022年9月)
|地図= {{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=300|type=point|marker=rail|coord={{coord|37|32|57.04|N|139|55|59.54|E}}}}
|よみがな = ひろた
|ローマ字 = Hirota
|前の駅 = [[東長原駅|東長原]]
|駅間A = 2.8
|駅間B = 4.6
|次の駅 = [[会津若松駅|会津若松]]
|電報略号 = ロタ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)<br/>[[日本貨物鉄道]](JR貨物)
|所属路線 = {{Color|#cb7b35|■}}[[磐越西線]]
|キロ程 = 60.0
|起点駅 = [[郡山駅 (福島県)|郡山]]
|所在地幅 = long
|所在地 = [[福島県]][[会津若松市]]河東町広田字中島戊<ref name="eki"/>265イ6
|座標 = {{ウィキ座標度分秒|37|32|57.04|N|139|55|59.54|E|region:JP-07_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/><ref name="sone06-14">[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、14頁</ref>
|廃止年月日 =
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 2面2線<ref name="zeneki"/>
|乗車人員 = 211
|統計年度 = 2004年
|備考 = [[無人駅]]<ref name="zeneki"/>(乗車駅証明書発行機 有)
|備考全幅 =
}}
'''広田駅'''(ひろたえき)は、[[福島県]][[会津若松市]]河東町広田字中島戊(なかじまぼ)にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[日本貨物鉄道]](JR貨物)[[磐越西線]]の[[鉄道駅|駅]]である<ref name="eki">{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1345 |title=JR東日本:各駅情報(広田駅) |publisher=東日本旅客鉄道 |accessdate=2014-10-22}}</ref>。
== 歴史 ==
* [[1899年]]([[明治]]32年)[[7月15日]]<ref name="eki"/>:[[岩越鉄道]] 山潟(現:上戸)- 会津若松間開通と同時に開業{{R|sone06-14}}。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]<ref name="停車場">{{Cite book|和書|author=石野哲(編)|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=516}}</ref>。
* [[1906年]](明治39年)[[11月1日]]:岩越鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]、[[官設鉄道]]の駅となる{{R|sone06-14}}。
* [[1939年]]([[昭和]]14年)[[3月]]:駅舎を改築する。
* [[1982年]](昭和57年)[[8月1日]]:専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止{{R|停車場}}。
* [[1983年]](昭和58年)[[3月10日]]:[[チッキ|荷物]]の取扱を廃止{{R|停車場}}。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により、JR東日本・JR貨物の駅となる{{R|停車場}}<ref>[[#sone06|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 6号]]、17頁</ref>。
* [[2007年]]([[平成]]19年)
** [[3月15日]]:[[貨物列車]]の最終運行日。
* [[2008年]](平成20年)
** [[1月16日]]:プレハブの仮駅舎を設置<ref>[http://www.kfb.co.jp/news/index.cgi?n=2008011612 火災のJR広田駅に仮駅舎(福島放送 2008年1月16日)]{{リンク切れ|date=2014年10月}}</ref>
** [[6月22日]]:新駅舎が完成し、使用開始<ref name="new">{{Cite web|和書|url=http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/_files/00035941/200613_hirota.pdf |title=磐越西線「広田駅」新駅舎落成 記念セレモニー開催について |publisher=会津若松市、東日本旅客鉄道株式会社仙台支社 |date=2008-06-13 |accessdate=2014-10-23}}</ref>。
== 駅構造 ==
[[地上駅]]。形状は[[単式ホーム]]1面1線と[[島式ホーム]]1面2線、合計2面3線<ref name="zeneki">{{Cite journal|和書 |date = 2013-08-04 |journal = 週刊JR全駅・全車両基地 |issue = 50 |page = 24 |publisher = 朝日新聞出版 |accessdate = 2014-10-22}}</ref>のホームを有するが、旧・3番線は信号機の使用を停止しているため、実質は[[相対式ホーム]]2面2線となっている。互いのホームは構内[[踏切]]で連絡している<ref name="zeneki"/>。[[会津若松駅]]管理の[[無人駅]]<ref name="zeneki"/>。
有人駅時代に建てられた[[木構造 (建築)|木造]]の駅舎があったが、[[2007年]](平成19年)<ref name="zeneki"/>12月に火災が発生し、半焼した。火災前の駅舎は、事務室の部分が「まちの駅 河東」として利用され、[[待合所]]の改札口脇に近距離乗車券の[[自動券売機]]が設置されていた。待合室内部は無事だったが、火元となった倉庫やホーム側の雁木、信号設備のあった部分は焼失した。
焼失した旧駅舎に代わる新駅舎は[[2008年]](平成20年)6月に完成し、使用が開始された。新駅舎は、鉄骨平屋建て床面積85[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]。会津らしさを意識した和風の外観で<ref name="new"/><ref name="zeneki"/>、無人駅のため周辺から見通せるよう窓を多くし、死角を極力減らした<ref name="new"/>。建設費は約3,000万円。
=== のりば ===
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!--事業者側呼称-->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan="2"|{{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
|style="text-align:center"|上り
|[[郡山駅 (福島県)|郡山]]方面<ref name="stations/1345">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1345.html|title=駅構内図(広田駅)|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2020-02-02}}</ref>
|-
!2
|style="text-align:center"|下り
|[[会津若松駅|会津若松]]方面<ref name="stations/1345" />
|-
!{{color|gray|3}}
|style="background:beige;" colspan="3"|{{color|gray|(使用休止中)}}
|}
かつては[[猪苗代第四発電所]]建設時に、[[東京電燈]](現・[[東京電力]])の[[専用鉄道|専用軌道]]である[[東京電燈専用軌道#広田専用軌道|広田専用軌道]]が当駅に接続していた<ref>{{PDFlink|[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-05/02-05-0283.pdf 『土木建築工事画報』第2巻5号(大正15年発行)]}} - 土木図書館・デジタルアーカイブス。</ref>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR East Hirota Station Waiting room.jpg|待合室(2022年9月)
JR East Hirota Station Boarding Ticket.jpg|乗車駅証明書発行機(2022年9月)
JR East Hirota Station Platform.jpg|ホーム(2022年9月)
JR East Hirota Station Premises railroad crossing.jpg|構内踏切(2022年9月)
Hirota Station premises.jpg|貨物運行時代のホーム。右手に焼失前の旧駅舎が見える。(2006年10月)
</gallery>
== 貨物取扱 ==
現在、JR貨物の駅は[[車扱貨物]]の臨時取扱駅となっており、[[貨物列車]]の発着は無い。貨物設備は無く、[[専用鉄道|専用線]]も当駅には接続していない。
かつては、[[住友大阪セメント]][[セメント包装所|広田サービスステーション]]へ至る[[専用鉄道|専用線]]が存在した。この施設へ[[青海駅 (新潟県)|青海駅]]発送の[[セメント]]を輸送するために、火曜日 - 木曜日の朝方(2006年3月改正時、需要の変動で指定運転日でも運休する場合があった)に貨物列車が到着していた。しかし、[[2007年]][[3月14日]]到着分を以て到着する貨物が無くなり、翌[[3月15日]]に機関車が単機で到着し、前日に到着してセメントを取り降ろした空車を引き取って、専用線の運行は終了した。専用線には住友大阪セメント所有のオレンジ色の[[日立製作所]]製[[貨車移動機|スイッチャー]]1機が存在していた。
また1980年代までは、[[三菱製鋼]]広田製作所への専用線も存在した。
== 利用状況 ==
2004年度の1日平均乗車人員は211人であった<ref>[https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/20826.xls 第120回福島県統計年鑑]</ref>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: center; font-size: 80%;"
|- style="background: #ddd;"
!colspan="2"|乗車人員推移
|-
!年度
!1日平均乗車人員
|-
|2000
|238
|-
|2001
|241
|-
|2002
|227
|-
|2003
|225
|-
|2004
|211
|}
== 駅周辺 ==
旧河沼郡河東町の中心に位置するため、駅前は住宅地となっている。駅前には小さいながらも駅前広場を有する。<br />
駅に隣接して[[タクシー]]会社があるので[[タクシー]]の利用には不自由しない。
* 会津若松市河東支所(旧・[[河東町]]役場)
* 広田郵便局
* 広田保育所
* [[広田タクシー]]
* 會津藩校日新館
* やすらぎの郷会津村
* 十文字屋(食堂)10月1日より会津村入口付近に移転
* [[八葉寺]]
* 学校法人温知会仁愛福祉専門学校(介護福祉科)
* 会津若松市立河東学園小学校
* 会津若松市立河東中学校
* 会津若松市コミュニティプール『♪~る(おんぷ~る)』<ref name="bus">{{Cite web|和書|url=http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2007081000453/files/26leafletura.pdf |title=みなづる号リーフレット裏面(平成26.4.1版) |publisher=会津若松市 |date=2014-04-01 |accessdate=2014-10-23}}</ref>
* [[住友大阪セメント]]広田サービスステーション
* [[三菱製鋼]]広田製作所
* [[マコト精機]]
* [[福島県道33号会津坂下河東線]]
* [[福島県道69号北山会津若松線]]
* [[福島県道327号広田停車場線]]
* [[リオンドール]]河東店
* [[コメリ]]河東店
== バス路線 ==
* [[会津乗合自動車]]
** 河東・湊線<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aizubus.com/rosen/pdf/20210501/01_kawahigashi-minato-takasaka.pdf|title=若松⇒河東⇒湊⇒高坂|accessdate=2021年9月30日|publisher=会津乗合自動車}}</ref>:高坂 / [[西若松駅]]東口 「広田駅」停留所および「広田駅前」停留所に発着する。
** 米代・河東線 : 島 / 米代二丁目 「広田駅前」停留所に発着する。
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: {{Color|#cb7b35|■}}磐越西線
:: {{Color|red|□}}快速「[[あいづ]]」
::: '''通過'''
:: {{Color|red|□}}快速(一部列車のみ停車)・{{Color|gray|■}}普通
::: [[東長原駅]] - '''広田駅''' - [[会津若松駅]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<!--=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===-->
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commonscat}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1345|name=広田}}
{{磐越西線}}
{{DEFAULTSORT:ひろた}}
[[Category:会津若松市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 ひ|ろた]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本貨物鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:岩越鉄道の鉄道駅]]
[[Category:1899年開業の鉄道駅]]
[[Category:磐越西線]]
|
2003-07-15T07:27:51Z
|
2023-11-21T17:29:35Z
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11,455 |
戸塚駅
|
戸塚駅(とつかえき)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。
JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記することがある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。
横浜市戸塚区の中央部、東海道(国道1号)の戸塚宿のほぼ中心に位置し、駅周辺は横浜市南西部の商業・行政の中核になっている。西口と東口の間は、地下1階の自由通路と、2階のペデストリアンデッキでつながっており、24時間自由に行き来することができる。
詳細は、駅周辺の項で後述する。
JR東日本の各線(後述)と、横浜市営地下鉄のブルーライン(1号線)の合計4路線が乗り入れる接続駅となっている。
JR東日本の駅に乗り入れる路線は、線路名称上では東海道本線のみである(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)が、運転系統としては以下の3系統が停車する。それぞれ専用の線路が割り当てられており、当駅以東(東京方面)では停車駅および経路が異なっている。また、当駅はこれら各系統同士の乗換駅(対面乗り換え)としての役割を果たしている。
また当駅は特定都区市内制度における「横浜市内」に属するが、東海道本線においては当駅がその西限となる。
島式ホーム2面4線を有する地上駅。直営駅で、管理駅として東戸塚駅を管理下に置いている。改札口は橋上と地下の2ヶ所にあり、それぞれ東口・西口の両側への出入口へ通じている。ホームの大船寄りは柏尾川を跨いでいる。ホームは2020年度に嵩上げされた。1・2番線ホームの脇には東海道貨物線の線路があるがホームはない。
東海道線と横須賀線の分離運転(SM分離)以前は、現在の1・2番線ホームがなく、1番線(現:3番線)が東海道・横須賀上り線、2番線(現:4番線)が東海道・横須賀下り線であった。また現在の貨物線がなく、現在の1・2番線ホームがあるところに旧貨物線があった。その後分離直前までには島式ホームが2つあり、2番線を東海道・横須賀線上り、3番線を同・下りとして使用していた。
東海道本線と横須賀線は方向別配線となっており、同一ホームで相互に対面乗り換えができる。上野東京ラインと湘南新宿ライン相互の対面乗り換え可能な駅は、東北本線区間を含めて当駅が唯一(年末年始終夜運転時の大宮駅を除く)。終電同士以外では駅や指令から特別な指示がない限り接続を取らない。
湘南新宿ラインの東海道線直通列車、新宿方面発着の東海道線特急列車(当駅通過)は、大船方で東海道線に転線する。特急「鎌倉」など、横浜駅を東海道線ホームに発着する横須賀線直通列車は、大船方で横須賀線に転線する。
2001年12月1日のダイヤ改正から特急「成田エクスプレス」が当駅に停車するようになったが、それ以外の特急列車は当駅を通過している。ただし、臨時で運転される特急(「日光」など)は例外として当駅に停車することがある。
2007年3月18日のダイヤ改正から東海道線の快速「アクティー」の全列車が当駅に停車するようになった。これにより湘南新宿ライン快速・特別快速は停車するのに快速アクティーは通過する千鳥停車が解消された。また快速アクティーが停車するまでは、通過駅の中で唯一の乗り換え駅でもあった。なお、東海道線の通勤快速は引き続き通過していたが、2021年3月のダイヤ改正で通勤快速が廃止となり、当駅はすべての快速・普通列車が停車するようになった。
(出典:JR東日本:駅構内図)
横須賀線ホームではスイッチ、東海道線ホームでは東洋メディアリンクス制作のメロディを使用している。
崎陽軒が販売を行っており、売店は橋上改札外と地下改札外にある。主な駅弁は下記の通り。また、かつては大船軒の出店が地下改札内で駅弁販売を行っていた時期があった。
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。改札口は地下2階、ホームは地下3階にある。地下1階が地下自由通路となっており、JRの地下改札口がある。 駅長所在駅。戸塚管区駅として当駅 - 上永谷間を管理している。
横浜市営地下鉄第3期工事計画では、当初は上永谷駅から当駅までの延伸が予定されていた。しかし後述の通り西口の再開発事業が難航して西口の地下に駅を設置することが困難になったため、1985年(昭和60年)に隣駅の舞岡駅までの先行開業(横浜市営地下鉄第3期開業)となった。その後、駅の位置は国鉄(現 JR)の直下(約77m)と東口バスターミナル・ラピス戸塚2の直下に変更されたが、国鉄の分割民営化の時期に重なったことと、軟弱な地盤により国鉄直下の委託工事が難航した。そのため戸塚駅開業100周年に間に合わせるべく、暫定開業に最低限必要な国鉄直下の11mと東口バスターミナル・ラピス戸塚2の直下を使った4両分(約100m)のホームを持つ仮設駅として、1987年(昭和62年)5月24日に暫定開業した(横浜市営地下鉄第4期開業)。当時は6両編成で運行していたため、関内駅側の2両はドアカットで対応していた。国鉄と地下鉄の乗り換えのために建設していた国鉄の地下改札口・自由通路も完成していなかったため、出入口は東口バスターミナル側に設けられた。
横浜市制100周年・横浜博覧会の会期中に間に合わせるべく急ピッチで工事が行われ、1989年(平成元年)8月27日、6両分のホームを持つ本設駅として本開業した。
1999年に当駅-湘南台駅間が延伸開業するまでは終着駅であったため、あざみ野方にシーサスポイントが設置されており、延伸後の現在も残されている。なお、湘南台延伸後は当駅発着の定期列車は設定されておらず(非常時に湘南台駅-当駅間や当駅-あざみ野駅間で折り返し運転が行われたことはある)、代わりに引き上げ線を有する隣の踊場駅発着の列車が設定されている。
近年の1日平均乗降人員推移は下記の通り。
近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。
駅北側の国道1号が交差する、かつての東海道踏切(戸塚大踏切)は「開かずの踏切」として有名であり、特に平日の朝は東海道線と横須賀線の上下、貨物線を走るライナーと貨物列車でほとんど踏切の開く時間がなく、朝夕は渋滞を防ぐために車両通行止めになっていた。そのバイパスとして国道1号の西側に戸塚道路が建設された。また2014年(平成26年)1月18日に戸塚大踏切の上に人道橋「戸塚大踏切(とつかおおふみきり)デッキ」(歩行者・自転車用跨線橋)が、2015年(平成27年)3月25日に戸塚アンダーパス(自動車専用アンダーパス)が完成したため、東海道踏切は閉鎖・廃止された。
西口・東口には約50のバス路線が発着するバスターミナルが形成されている。東口は再開発事業や横浜市営地下鉄1号線(ブルーライン)の開通により、駅前広場やバスターミナルが整備された。その後、西口でも再開発事業により、2010年4月18日に戸塚バスセンターが第1交通広場へ移転、2013年3月3日にタクシー乗り場のある第2交通広場が完成し、利便性が向上した。
西口は東海道(国道1号)沿いにあり、古くから小規模な商店が密集し、戸塚駅西口商店街や旭町通商店街が形成されていた。横浜市営地下鉄戸塚駅の建設計画をきっかけとして、1970年(昭和45年)7月に西口の再開発が開始されたものの、権利者の多さと利害関係の対立から交渉が難航し、2006年7月まで事業計画が確定していなかった。そのため、2002年に完成していた店舗用のビルは一度も使われなかった。このうち、2005年にエスカレーターとエレベーターが開放された。その後再開発事業計画の確定により、2007年より再開発地域全体を封鎖する形で本格的な工事に着手し、同年6月1日には商店街で営業していた店舗群が仮入居するビル「戸塚ウエスト」がオープンした。この「戸塚ウエスト」も2010年3月に閉鎖、7月頃に解体された。その後「戸塚ウエスト」に入居していた店舗群が移転し、2010年3月に開業した商業施設「戸塚パルソ」、翌4月に開業した「トツカーナ」に出店した。2013年3月3日「戸塚ウエスト」跡地に戸塚区総合庁舎が完成、戸塚区役所が移転。総合庁舎1階にタクシー・一般自動車の乗降場となる第2交通広場が完成し、これをもって再開発事業が完了した。
東口の柏尾川右岸は昭和10年代に開発が始まった工業地帯で、日立製作所や日立グループ各社など大規模な工場が複数存在する。東口再開発事業によりラピス戸塚1・2・3が建設され、そのうちラピス戸塚2は直下にある地下鉄駅をビルの基礎として利用している。さらに駅南側では2016年3月7日より、中外製薬株式会社が日立製作所戸塚工場の土地を横浜研究拠点として購入する契約締結が決定し、物件引き渡しに向け工事が進められている。
横浜市では、当駅周辺地区を横浜市都市計画マスタープラン・戸塚区プランとして街づくりを考えている。1981年策定の「よこはま21世紀プラン」では当駅周辺地区が副都心に指定されていたが、現在では生活拠点という扱いに変わっている。
交通広場としての名称は「戸塚東口バスターミナル」である。
東口出口すぐのJR線に面したバスターミナルである。JR橋上改札と接続するペデストリアンデッキ、および地下鉄コンコースからも接続されている。
交通広場としての名称は、『戸塚西口バスセンター』である。神奈川中央交通戸塚営業所管内の中心拠点であり、戸塚駅以西の地域の交通結節点である。バスセンターは国道1号沿いに設置されているため、東口や戸塚駅の改札口から向かうには、西口のトツカーナビル内の通路(約100メートル)を通り抜ける必要がある。
旧・戸塚バスセンターは戸塚郵便局の向かいにあったため、バスセンターを出入りするバスと国道1号バスセンター前交差点を通過する自動車、交差点の横断歩道を渡る歩行者が交錯するため、バスセンターには交通整理のためのバス誘導員が配置されていた。特に通勤通学・帰宅時間帯には、バス誘導員を増員する必要があるほど混み合った。またバスセンターの敷地が狭いため、プラットホームに二重駐車して乗客を降車させたり、バス待ちの行列がプラットホームに収まりきらずに隣の道路まで伸びたり、到着・出発待ちのバスが集中して国道1号を塞いでしまうこともしばしばあり、これによる周辺の交通渋滞も問題になっていた。そこで西口の再開発を機に、北側の第1交通広場(戸塚西口バスセンター)にバスセンターを移設した。また付近の道路混雑を軽減するため、バスは戸塚バスセンターを一旦通り過ぎ、JR戸塚駅駅舎の横にある戸塚駅西口バス停に停車したあと、北側に回って戸塚バスセンターに進入する設計になっている。一方、戸塚バスセンター発のバスは、戸塚バスセンターの南側から交差点に出る設計になっているため、戸塚駅西口バス停を経由しない。
2011年9月20日に都市計画道路の戸塚駅前線(横浜市道戸塚第519号線、バスセンター前交差点 - 戸塚大踏切デッキ直下)開通と共に新設されたバス停。JR戸塚駅駅舎のすぐ隣にある。1963年4月まではこの場所に神奈川中央交通戸塚営業所があった。前述の通り戸塚バスセンター発のバスは、当バス停は経由しない。また、当バス停は降車専用である。
交通広場としての名称は、『戸塚西口第2バスセンター』である。JR戸塚駅橋上改札口で西口の階段から、北に約170メートルの場所に設置されている。
戸塚バスセンター行きのバス停は、戸塚バスセンターの向かい側、サクラス戸塚の南側にある。戸塚バスセンター行のバスの乗客は、混雑する時間帯は乗り換え時間短縮のために当バス停で下車し、バス停そばのスロープから戸塚バスセンター上空のペデストリアンデッキを通って戸塚バスセンター・戸塚駅に移動する者も多い。かつては横浜新道に近い場所(西に約210メートル。反対車線の矢沢バス停と同じ場所。)に設置されていたが、戸塚バスセンター移設に伴いバスセンター前交差点周辺の交通渋滞緩和のため、現在地に移転した。
当駅の近くに富塚八幡宮があり、富塚→戸塚に変わったとされている。
|
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"text": "JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記することがある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。",
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"text": "横浜市戸塚区の中央部、東海道(国道1号)の戸塚宿のほぼ中心に位置し、駅周辺は横浜市南西部の商業・行政の中核になっている。西口と東口の間は、地下1階の自由通路と、2階のペデストリアンデッキでつながっており、24時間自由に行き来することができる。",
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"text": "島式ホーム1面2線を有する地下駅である。改札口は地下2階、ホームは地下3階にある。地下1階が地下自由通路となっており、JRの地下改札口がある。 駅長所在駅。戸塚管区駅として当駅 - 上永谷間を管理している。",
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"text": "横浜市営地下鉄第3期工事計画では、当初は上永谷駅から当駅までの延伸が予定されていた。しかし後述の通り西口の再開発事業が難航して西口の地下に駅を設置することが困難になったため、1985年(昭和60年)に隣駅の舞岡駅までの先行開業(横浜市営地下鉄第3期開業)となった。その後、駅の位置は国鉄(現 JR)の直下(約77m)と東口バスターミナル・ラピス戸塚2の直下に変更されたが、国鉄の分割民営化の時期に重なったことと、軟弱な地盤により国鉄直下の委託工事が難航した。そのため戸塚駅開業100周年に間に合わせるべく、暫定開業に最低限必要な国鉄直下の11mと東口バスターミナル・ラピス戸塚2の直下を使った4両分(約100m)のホームを持つ仮設駅として、1987年(昭和62年)5月24日に暫定開業した(横浜市営地下鉄第4期開業)。当時は6両編成で運行していたため、関内駅側の2両はドアカットで対応していた。国鉄と地下鉄の乗り換えのために建設していた国鉄の地下改札口・自由通路も完成していなかったため、出入口は東口バスターミナル側に設けられた。",
"title": "駅構造"
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"paragraph_id": 18,
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"text": "横浜市制100周年・横浜博覧会の会期中に間に合わせるべく急ピッチで工事が行われ、1989年(平成元年)8月27日、6両分のホームを持つ本設駅として本開業した。",
"title": "駅構造"
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"paragraph_id": 19,
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"text": "1999年に当駅-湘南台駅間が延伸開業するまでは終着駅であったため、あざみ野方にシーサスポイントが設置されており、延伸後の現在も残されている。なお、湘南台延伸後は当駅発着の定期列車は設定されておらず(非常時に湘南台駅-当駅間や当駅-あざみ野駅間で折り返し運転が行われたことはある)、代わりに引き上げ線を有する隣の踊場駅発着の列車が設定されている。",
"title": "駅構造"
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"text": "近年の1日平均乗降人員推移は下記の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "近年の1日平均乗車人員推移は下記の通り。",
"title": "利用状況"
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"text": "駅北側の国道1号が交差する、かつての東海道踏切(戸塚大踏切)は「開かずの踏切」として有名であり、特に平日の朝は東海道線と横須賀線の上下、貨物線を走るライナーと貨物列車でほとんど踏切の開く時間がなく、朝夕は渋滞を防ぐために車両通行止めになっていた。そのバイパスとして国道1号の西側に戸塚道路が建設された。また2014年(平成26年)1月18日に戸塚大踏切の上に人道橋「戸塚大踏切(とつかおおふみきり)デッキ」(歩行者・自転車用跨線橋)が、2015年(平成27年)3月25日に戸塚アンダーパス(自動車専用アンダーパス)が完成したため、東海道踏切は閉鎖・廃止された。",
"title": "駅周辺"
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"text": "西口・東口には約50のバス路線が発着するバスターミナルが形成されている。東口は再開発事業や横浜市営地下鉄1号線(ブルーライン)の開通により、駅前広場やバスターミナルが整備された。その後、西口でも再開発事業により、2010年4月18日に戸塚バスセンターが第1交通広場へ移転、2013年3月3日にタクシー乗り場のある第2交通広場が完成し、利便性が向上した。",
"title": "駅周辺"
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"text": "西口は東海道(国道1号)沿いにあり、古くから小規模な商店が密集し、戸塚駅西口商店街や旭町通商店街が形成されていた。横浜市営地下鉄戸塚駅の建設計画をきっかけとして、1970年(昭和45年)7月に西口の再開発が開始されたものの、権利者の多さと利害関係の対立から交渉が難航し、2006年7月まで事業計画が確定していなかった。そのため、2002年に完成していた店舗用のビルは一度も使われなかった。このうち、2005年にエスカレーターとエレベーターが開放された。その後再開発事業計画の確定により、2007年より再開発地域全体を封鎖する形で本格的な工事に着手し、同年6月1日には商店街で営業していた店舗群が仮入居するビル「戸塚ウエスト」がオープンした。この「戸塚ウエスト」も2010年3月に閉鎖、7月頃に解体された。その後「戸塚ウエスト」に入居していた店舗群が移転し、2010年3月に開業した商業施設「戸塚パルソ」、翌4月に開業した「トツカーナ」に出店した。2013年3月3日「戸塚ウエスト」跡地に戸塚区総合庁舎が完成、戸塚区役所が移転。総合庁舎1階にタクシー・一般自動車の乗降場となる第2交通広場が完成し、これをもって再開発事業が完了した。",
"title": "駅周辺"
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"text": "東口の柏尾川右岸は昭和10年代に開発が始まった工業地帯で、日立製作所や日立グループ各社など大規模な工場が複数存在する。東口再開発事業によりラピス戸塚1・2・3が建設され、そのうちラピス戸塚2は直下にある地下鉄駅をビルの基礎として利用している。さらに駅南側では2016年3月7日より、中外製薬株式会社が日立製作所戸塚工場の土地を横浜研究拠点として購入する契約締結が決定し、物件引き渡しに向け工事が進められている。",
"title": "駅周辺"
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"text": "横浜市では、当駅周辺地区を横浜市都市計画マスタープラン・戸塚区プランとして街づくりを考えている。1981年策定の「よこはま21世紀プラン」では当駅周辺地区が副都心に指定されていたが、現在では生活拠点という扱いに変わっている。",
"title": "駅周辺"
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"text": "交通広場としての名称は「戸塚東口バスターミナル」である。",
"title": "バス路線"
},
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"tag": "p",
"text": "東口出口すぐのJR線に面したバスターミナルである。JR橋上改札と接続するペデストリアンデッキ、および地下鉄コンコースからも接続されている。",
"title": "バス路線"
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"text": "交通広場としての名称は、『戸塚西口バスセンター』である。神奈川中央交通戸塚営業所管内の中心拠点であり、戸塚駅以西の地域の交通結節点である。バスセンターは国道1号沿いに設置されているため、東口や戸塚駅の改札口から向かうには、西口のトツカーナビル内の通路(約100メートル)を通り抜ける必要がある。",
"title": "バス路線"
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"text": "旧・戸塚バスセンターは戸塚郵便局の向かいにあったため、バスセンターを出入りするバスと国道1号バスセンター前交差点を通過する自動車、交差点の横断歩道を渡る歩行者が交錯するため、バスセンターには交通整理のためのバス誘導員が配置されていた。特に通勤通学・帰宅時間帯には、バス誘導員を増員する必要があるほど混み合った。またバスセンターの敷地が狭いため、プラットホームに二重駐車して乗客を降車させたり、バス待ちの行列がプラットホームに収まりきらずに隣の道路まで伸びたり、到着・出発待ちのバスが集中して国道1号を塞いでしまうこともしばしばあり、これによる周辺の交通渋滞も問題になっていた。そこで西口の再開発を機に、北側の第1交通広場(戸塚西口バスセンター)にバスセンターを移設した。また付近の道路混雑を軽減するため、バスは戸塚バスセンターを一旦通り過ぎ、JR戸塚駅駅舎の横にある戸塚駅西口バス停に停車したあと、北側に回って戸塚バスセンターに進入する設計になっている。一方、戸塚バスセンター発のバスは、戸塚バスセンターの南側から交差点に出る設計になっているため、戸塚駅西口バス停を経由しない。",
"title": "バス路線"
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"text": "2011年9月20日に都市計画道路の戸塚駅前線(横浜市道戸塚第519号線、バスセンター前交差点 - 戸塚大踏切デッキ直下)開通と共に新設されたバス停。JR戸塚駅駅舎のすぐ隣にある。1963年4月まではこの場所に神奈川中央交通戸塚営業所があった。前述の通り戸塚バスセンター発のバスは、当バス停は経由しない。また、当バス停は降車専用である。",
"title": "バス路線"
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"text": "交通広場としての名称は、『戸塚西口第2バスセンター』である。JR戸塚駅橋上改札口で西口の階段から、北に約170メートルの場所に設置されている。",
"title": "バス路線"
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"paragraph_id": 33,
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"text": "戸塚バスセンター行きのバス停は、戸塚バスセンターの向かい側、サクラス戸塚の南側にある。戸塚バスセンター行のバスの乗客は、混雑する時間帯は乗り換え時間短縮のために当バス停で下車し、バス停そばのスロープから戸塚バスセンター上空のペデストリアンデッキを通って戸塚バスセンター・戸塚駅に移動する者も多い。かつては横浜新道に近い場所(西に約210メートル。反対車線の矢沢バス停と同じ場所。)に設置されていたが、戸塚バスセンター移設に伴いバスセンター前交差点周辺の交通渋滞緩和のため、現在地に移転した。",
"title": "バス路線"
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"paragraph_id": 34,
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"text": "当駅の近くに富塚八幡宮があり、富塚→戸塚に変わったとされている。",
"title": "地名の由来"
}
] |
戸塚駅(とつかえき)は、神奈川県横浜市戸塚区戸塚町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・横浜市交通局(横浜市営地下鉄)の駅である。 JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記することがある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。
|
{{統合文字|塚|[[File:U+FA10.svg|17px]]}}
{{駅情報
|駅名 = 戸塚駅
|よみがな = とつか
|ローマ字 = Totsuka
|画像 = Totsuka-Sta-East.JPG
|pxl = 300
|画像説明 = 橋上東口(2011年10月)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|type2=point|zoom=15|frame-align=center|frame-width=300
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|所在地 = [[横浜市]][[戸塚区]][[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]
|所属事業者 = {{Plainlist|
* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[横浜市交通局]]([[#横浜市営地下鉄|駅詳細]])}}
}}
[[File:Totsuka-Sta-W.JPG|thumb|橋上西口(2011年8月)]]
'''戸塚駅'''(とつかえき)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[戸塚区]][[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[横浜市交通局]]([[横浜市営地下鉄]])の[[鉄道駅|駅]]である。
JR東日本では「塚」を旧字体の「塚」で表記することがある。横浜市営地下鉄の案内サインでは旧字体の「塚」で表記している。
== 概要 ==
横浜市戸塚区の中央部、[[東海道]]([[国道1号]])の[[戸塚宿]]のほぼ中心に位置し、駅周辺は横浜市南西部の商業・行政の中核になっている。西口と東口の間は、地下1階の自由通路と、2階の[[ペデストリアンデッキ]]でつながっており、24時間自由に行き来することができる。
詳細は、駅周辺の項で後述する。
== 乗り入れ路線 ==
JR東日本の各線(後述)と、横浜市営地下鉄の[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン(1号線)]]の合計4路線が乗り入れる接続駅となっている。
* JR東日本:各線(後述) - [[駅ナンバリング#スリーレターコード|スリーレターコード]]「{{駅番号|#000000|white|TTK}}」
* 横浜市交通局:[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] [[横浜市営地下鉄ブルーライン]] - 駅番号「'''B06'''」
JR東日本の駅に乗り入れる路線は、線路名称上では[[東海道本線]]のみである(詳細は路線記事および「[[鉄道路線の名称]]」を参照)が、運転系統としては以下の3系統が停車する。それぞれ専用の線路が割り当てられており、当駅以東(東京方面)では停車駅および経路が異なっている。また、当駅はこれら各系統同士の乗換駅([[対面乗り換え]])としての役割を果たしている。
* [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]:東海道本線[[大船駅]]以西の[[藤沢駅]]・[[小田原駅]]方面に直通する[[中距離電車]]([[湘南電車]])。[[東京駅]]発着系統と、東京駅・[[上野駅]]経由で[[宇都宮線]]・[[高崎線]]に直通する[[上野東京ライン]]が乗り入れる。下り普通列車は、当駅以西は東海道本線の各駅に停車する。上り列車は[[横浜駅]]まで無停車の[[急行線]]としての役割も果たしている。 - [[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]「'''JT 06'''」
* [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀線]]:東海道本線([[品鶴線]]経由)を経て、下り列車は大船駅より線路名称上の[[横須賀線]]を走る。上り列車は横浜駅まで各駅に停車する緩行線としての役割を果たすとともに、多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通する。 - 駅番号「'''JO 10'''」
* [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] [[湘南新宿ライン]]:東海道本線(品鶴線経由)を経て、当駅から[[西大井駅]]まで横須賀線と同一の線路を使用し、[[新宿駅]]経由で東海道線と高崎線間、横須賀線と宇都宮線間をそれぞれ直通する。 - 駅番号「'''JS 10'''」
また当駅は[[特定都区市内]]制度における「横浜市内」に属するが、東海道本線においては当駅がその西限となる。
== 歴史 ==
{{Vertical images list
|幅 = 240px
|1 = Totsuka Station original.jpg
|2 = 明治・大正期の戸塚駅(現在の西口)
|3 = Totsuka Station c1934.jpg
|4 = 昭和初期の戸塚駅(現在の西口)
}}
* [[1887年]]([[明治]]20年)[[7月11日]]:[[日本国有鉄道|国鉄]]東海道本線の[[桜木町駅|横浜]] - [[国府津駅|国府津]]間開通と同時に開業。[[旅客]]・[[鉄道貨物|貨物]]の取り扱いを開始。[[横須賀線]]開業後は[[横須賀・総武快速線|横須賀線直通列車]]も停車。
: [[東海道]]の[[宿場]]である戸塚の地に開設された。当初は旧宿場町側の西口が多く利用されたが、戸塚競馬の開催とともに東口も次第に賑わうようになった。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)- [[1929年]](昭和4年):鶴見駅 - 横浜駅間6線化、横浜駅 - 平塚駅間複々線化により貨客分離。
* [[1930年]](昭和5年)[[3月15日]]:横須賀線の[[鉄道の電化|電車化]]、東海道線は当駅を全列車通過となる<ref>{{Cite book|和書 |url=https://books.google.co.jp/books?id=JSAS57-fgCsC&hl=ja&pg=RA1-PA52#v=onepage&q&f=false |title=昭和四年度 鉄道省年報 |page=137 |author=鉄道省}}</ref>。
* [[1932年]](昭和7年):[[日本の廃止・休止競馬場一覧#関東地方_2|戸塚競馬場]]開設。
* [[1937年]](昭和12年):戸塚競馬の開催に伴い、東口を開設。
* [[1939年]](昭和14年)7月27日:[[ニコン|日本光学]]工場裏手の駅構内線路内で、同社社員約500人が同僚の見送りを行っていたところに準急列車が進入。15人が死傷<ref>線路内で見送りの群れに列車、十五人死傷(昭和14年7月28日 東京朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p85 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
* [[1954年]](昭和25年):戸塚競馬場廃止、[[川崎競馬場]]へ移転。
* [[1962年]](昭和37年)3月:戸塚駅前地区[[土地区画整理事業]][[都市計画 (都市計画法)|都市計画]]決定(約21.8[[ha]])<ref name=pamp6 />。
* [[1969年]](昭和44年)[[3月26日]]:[[橋上駅]]が完成<ref>{{ウェブアーカイブ|deadlink=no|title=歴史>キッズまちを調べよう「いつできた」横浜市戸塚区役所公式サイト|url=http://archive.city.yokohama.lg.jp/totsuka/kids/history/itudekita.html|archiveurl=https://archive.is/sIeGk|archiveservice=[[archive.is]]|archivedate=2019-07-16}}</ref>。
* [[1970年]](昭和45年)[[5月1日]]:貨物の取り扱いを廃止。
* [[1971年]](昭和46年):[[神奈川中央交通]]の旧・'''戸塚バスセンター'''が戸塚町4018番地に完成<ref name=hamarepo2013>[http://hamarepo.com/story.php?story_id=2252 戸塚西口にある「旧戸塚バスセンター」の跡地はどうなっている?] [[はまれぽ.com]]、2013年9月15日、2019年7月16日閲覧。</ref>。
* [[1979年]](昭和54年)[[10月1日]]:[[東海道貨物線]] [[鶴見駅|鶴見]] - [[横浜羽沢駅|横浜羽沢]] - 当駅間が開通<!--戸塚 - 平塚は以前から複々線-->。
* [[1980年]](昭和55年)10月1日:戸塚駅 - 大船駅間6線化により東海道本線と横須賀線が分離運転(SM分離)され、東海道線普通列車の当駅停車が復活。現在のホーム配置となる。
* [[1982年]](昭和57年)4月:戸塚駅東口地区第一種[[都市再開発#市街地再開発事業|市街地再開発事業]]事業計画決定<ref name=pamp6 />。
: 戸塚駅周辺の市街地再開発事業は、東口地区は第一種(権利変換方式)、西口地区は第二種([[用地買収]]方式)で行われた<ref name=pamp6 />。違いについては「[[都市再開発#第1種・第2種の違い]]」を参照。
* [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:[[チッキ|手荷物]]取り扱いを廃止。
* [[1986年]](昭和61年)11月:東口駅前再開発ビル「[[ラピス戸塚]]」オープン。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]により東日本旅客鉄道の駅となる。鶴見駅から横浜羽沢駅を経由する支線の終点が、戸塚駅から東戸塚駅に変更される。
** [[5月24日]]:横浜市営地下鉄の駅が仮設駅として開業<ref>{{Cite news |title=舞岡-戸塚間24日に開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1987-05-20 |page=1 }}</ref>。ホームが4両分しか設けられず、後部2両の扉を[[ドアカット]]していた。
** 7月11日:開業100周年を迎える。
* [[1989年]]([[平成]]元年)[[8月27日]]:横浜市営地下鉄の駅が本設置となり、ドアカットは廃止。
* [[1990年]](平成2年)3月:戸塚駅東口地区第一種市街地再開発事業完了<ref name=pamp6 />。
* [[1993年]](平成5年)
** [[5月26日]]:JR東日本の橋上改札に自動改札機を設置し、供用開始<ref name="JRR1994">{{Cite book|和書 |date=1994-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '94年版 |chapter=JR年表 |page=186 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-115-5}}</ref>。
** [[6月9日]]:JR東日本の地下改札に自動改札機を設置{{R|JRR1994}}。
* [[1994年]](平成6年)10月:戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業都市計画決定<ref name=pamp6 />。
* [[1997年]](平成9年)3月:戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業開始<ref name=pamp6 />。
* [[1999年]](平成11年)[[8月29日]]:横浜市営地下鉄 当駅 - [[湘南台駅|湘南台]]間開業<ref name=pamp6 /><ref>{{Cite journal|和書 |journal=[[鉄道ピクトリアル]] |date=1998-11 |volume=49 |issue=11 |page=109 |publisher=[[電気車研究会]] }}</ref>。延伸により中間駅となる。
* [[2001年]](平成13年)
** [[11月18日]]:JR東日本で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
** [[12月1日]]:湘南新宿ライン運転開始。[[成田エクスプレス]]の停車駅となる。
* [[2002年]](平成14年)12月:戸塚駅前地区中央土地区画整理事業事業計画決定<ref name=pamp6 />。
* [[2004年]](平成16年)[[10月16日]]:湘南新宿ラインの増発により新設された「特別快速」の停車駅となる。
* [[2007年]](平成19年)
** [[3月18日]]:[[東海道線 (JR東日本)#快速「アクティー」|快速「アクティー」]]の停車駅となる。横浜市営地下鉄でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる。
** [[6月1日]]:西口再開発地区全体を封鎖する形で大規模な街区解体工事を開始。西口駅前に既存商店街の仮設店舗ビルとして建設された「戸塚ウエスト」オープン<ref name=pamp6 />。
** [[7月11日]]:駅開業120周年を迎える。
** [[8月18日]]:横浜市営地下鉄で[[ホームドア]]の使用開始。
* [[2009年]](平成21年)[[11月27日]]:西友戸塚店跡地に、西口駅前再開発ビル「[[サクラス戸塚]]」オープン<ref name="taihan-news-2009-10-8-10">“Saclass(サクラス)戸塚 神奈川県横浜市 ヒマラヤ・三和・ニトリ”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2009年10月8日)</ref>。[[東急不動産]]が運営。建設は[[東横グループ|東横地所]]<ref>[https://www.tokyu-land.co.jp/news/2009/index_036.html 「Saclass(サクラス)戸塚」11月27日(金)午前10時、いよいよオープン!!] 東急不動産ニュースリリース、2009年11月24日、2019年7月21日閲覧。</ref>
* [[2010年]](平成22年)
** 3月:仮店舗ビル「戸塚ウエスト」閉鎖(7月頃に解体)。西口駅前再開発ビル「[[トツカーナ#戸塚パルソ|戸塚パルソ]]」オープン、店舗が順次移転し営業開始。
** 4月1日:西口駅前再開発ビル「[[トツカーナ]]」プレオープン。トツカーナに隣接する第1交通広場に自転車駐輪場(約3100台収容)が完成し使用開始。駅とトツカーナ、第1交通広場は[[ペデストリアンデッキ]]「中央プロムナード」で結ばれる<ref name=koyoko734>{{ウェブアーカイブ|deadlink=no|title=広報よこはま 全市版 平成22年(2010年)4月号 No.734|url=http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/koho/koyoko/734/001-2.html|archiveurl=https://archive.is/eFWmH#selection-119.0-119.25|archiveservice=[[archive.is]]|archivedate=2019-07-16}}</ref>。
** [[4月2日]]:「トツカーナ」グランドオープン<ref name=koyoko734 />。
** [[4月17日]]:旧・戸塚バスセンターが、この日の終車(翌18日0時19分発の[[深夜バス]])をもって使用終了。
** [[4月18日]]:第1交通広場が[[路線バス]]・[[タクシー]]乗降場として使用開始<ref name=koyoko734 />。戸塚バスセンターは18日始発より第1交通広場に移転し[[バリアフリー]]化される<ref name=koyoko734 />。バスセンター移転に伴い[[神奈川中央交通戸塚営業所|神奈川中央交通]]・[[藤沢神奈交バス]]でダイヤ改正。
* [[2011年]](平成23年)[[9月20日]]:[[都市計画道路]]戸塚駅前線の開通と同時に、西口駅前にバス降車場(降車専用[[バス停留所|バス停]])を設置。第1交通広場まで行かなくても降車可能になる<ref name=pallso01>[https://www.totsuka-pallso.jp/oshaberi/01.html 特別企画 横浜市担当者に突撃インタビュー!!今回は戸塚駅周辺開発事務所に伺いました!!] 「パルちゃんのおしゃべり大好き」戸塚パルソ公式サイト、2019年7月16日閲覧。</ref>。
* [[2012年]](平成24年)[[4月10日]]:[[docomo Wi-Fi]]による[[公衆無線LAN]]サービス開始。
* [[2013年]](平成25年)[[3月3日]]:「戸塚ウエスト」跡地に戸塚区総合庁舎が完成、戸塚区役所が移転。総合庁舎1階に第2交通広場(タクシー・一般車の乗降場、自転車駐輪場)使用開始。これをもって戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業完了<ref name=pamp6>[https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/jokyo/sakaihatsu/totsusai/pamphlet.files/0002_20190314.pdf 進めよう とつか再開発〈完成版〉戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業 パンフレット Vol.6] 横浜市公式サイト、2013年3月、2019年11月12日閲覧。</ref>。
* [[2014年]](平成26年)[[1月18日]]:[[戸塚道路]]の戸塚大踏切上空に、歩行者専用の[[人道橋]]「戸塚大踏切デッキ」使用開始。当日は完成記念式典が行われた<ref>[https://www.totsuka-pallso.jp/mailmagazine/yado/13-1.html 戸塚大踏切デッキ完成記念 箱根駅伝:絶対王者敗れる!運命の戸塚大踏切] 「戸塚パルソ通信 第13号」戸塚パルソ公式サイト、2019年11月12日閲覧。</ref>。
* [[2015年]](平成27年)
** [[2月20日]]:区役所跡地が[[医療法人]]横浜柏堤会に、旧・戸塚バスセンター跡地が[[三菱地所レジデンス]]にそれぞれ売却される<ref>[https://www.kanaloco.jp/article/entry-56687.html 戸塚区役所跡地、開発事業予定者に医療法人] [[神奈川新聞]] カナロコ、2015年2月21日、2019年7月16日閲覧。</ref>。旧・バスセンター跡地は移転後長らく更地となり、西口再開発工事の資材置き場として使用されていた<ref name=hamarepo2013 />。
** [[3月25日]]:戸塚道路の清源院入口から矢部団地まで、[[自動車専用道路]]の[[アンダーパス]]が開通し、戸塚大踏切(正式名称・東海道踏切道、キロ程40K807M)が16時で完全閉鎖される<ref>[https://www.kanaloco.jp/article/entry-55630.html 戸塚大踏切 アンダーパスは3月25日開通] 神奈川新聞 カナロコ、2015年01月22日、2019年11月12日閲覧。</ref>。開通に先立ち3月1日には[[防災訓練]]、3月14日には記念式典が行われた<ref>[http://www.totsuka-navi.jp/tn_underpass.html 開かずの「戸塚大踏切」が解消します 戸塚アンダーパス 3月25日(水)ついに開通!] 戸塚区[[ポータルサイト]]とつかNavi、2015年3月、2019年11月12日閲覧。</ref>。
** [[7月18日]]:横浜市営地下鉄のダイヤ改正により、[[横浜市営地下鉄ブルーライン#列車種別|快速]]の停車駅となる<ref>[http://rail.hobidas.com/news/info/article/718.html 横浜市営地下鉄ブルーライン 7月18日より快速運転開始] 鉄道ホビダス「最新鉄道情報」[[ネコ・パブリッシング]]、2015年5月14日、2019年11月12日閲覧。</ref>。
== 駅構造 ==
=== JR東日本 ===
{{独自研究|section=1|date=2021年8月}}
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 戸塚駅
|画像 = JRE Totsuka-STA Upper-level-Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 橋上改札口(2023年1月)
|よみがな = とつか
|ローマ字 = Totsuka<br /> {{駅番号s|black|#ffffff|TTK}}<!--スリーレターコード-->
|電報略号 = トツ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所在地 = [[横浜市]][[戸塚区]][[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]
|座標 = {{coord|35|24|2.2|N|139|32|3.1|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 戸塚駅}}
|開業年月日 = {{Nowrap|[[1887年]]([[明治]]20年)[[7月11日]]}}
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面4線
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 93,018
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 3
|所属路線1 = {{Color|#f68b1e|■}}[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]{{Refnest|group="*"|name="tokaido-line"|いずれも線路名称上は[[東海道本線]]。}}
|前の駅1 = JT 05 [[横浜駅|横浜]]
|駅間A1 = 12.1
|駅間B1 = 5.6
|次の駅1 = [[大船駅|大船]] JT 07
|駅番号1 = {{駅番号r|JT|06|#f68b1e|1}}
|キロ程1 = 40.9
|起点駅1 = [[東京駅|東京]]
|所属路線2 = {{color|#0067c0|■}}[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]<ref group="*" name="tokaido-line" /><br />{{Color|#f68b1e|■}}{{color|#0067c0|■}}[[湘南新宿ライン]]<ref group="*" name="tokaido-line" />
|前の駅2 = JO 11 JS 11 [[東戸塚駅|東戸塚]]
|駅間A2 = 4.2
|駅間B2 = 5.6
|次の駅2 = 大船 JO 09 JS 09
|駅番号2 = {{駅番号r|JO|10|#0067c0|1}} {{駅番号r|JS|10|#e21f26|1}}
|キロ程2 = 東京から品鶴線経由で43.8
|起点駅2 =
|乗換 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
* [[みどりの窓口]] 有
* [[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]導入駅{{Refnest|group="*"|橋上改札に導入<ref name="StationCd=1057_231212" />。}}<ref name="StationCd=1057_231212" />
* [[File:JR area HAMA.png|15px|浜]] [[特定都区市内|横浜市内]]駅}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
[[島式ホーム]]2面4線を有する[[地上駅]]。直営駅で、管理駅として[[東戸塚駅]]を管理下に置いている。[[改札|改札口]]は橋上と地下の2ヶ所にあり、それぞれ東口・西口の両側への出入口へ通じている。ホームの大船寄りは[[柏尾川]]を跨いでいる。ホームは2020年度に嵩上げされた。1・2番線ホームの脇には[[東海道貨物線]]の線路があるがホームはない。なお、橋上改札には[[駅集中管理システム|お客さまサポートコールシステム]]が導入されており、終日改札係員は不在となっている<ref name="StationCd=1057_231212">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1057|title=駅の情報(戸塚駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2023-12-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20231212115926/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=1057|archivedate=2023-12-12}}</ref>。
東海道線と横須賀線の分離運転(SM分離)以前は、現在の1・2番線ホームがなく、1番線(現:3番線)が東海道・横須賀上り線、2番線(現:4番線)が東海道・横須賀下り線であった。また現在の貨物線がなく、現在の1・2番線ホームがあるところに旧貨物線があった。その後分離直前までには島式ホームが2つあり、2番線を東海道・横須賀線上り、3番線を同・下りとして使用していた。
東海道本線と横須賀線は方向別配線となっており、同一ホームで相互に[[対面乗り換え]]ができる。上野東京ラインと湘南新宿ライン相互の対面乗り換え可能な駅は、[[東北本線]]区間を含めて当駅が唯一(年末年始終夜運転時の大宮駅を除く)。終電同士以外では駅や指令から特別な指示がない限り接続を取らない。
湘南新宿ラインの東海道線直通列車、新宿方面発着の東海道線特急列車(当駅通過)は、大船方で東海道線に転線する。[[鎌倉 (列車)|特急「鎌倉」]]など、横浜駅を東海道線ホームに発着する横須賀線直通列車は、大船方で横須賀線に転線する。
[[2001年]][[12月1日]]のダイヤ改正から特急「成田エクスプレス」が当駅に停車するようになったが、それ以外の特急列車は当駅を通過している。ただし、臨時で運転される特急(「[[日光 (列車)|日光]]」など)は例外として当駅に停車することがある。
[[2007年]][[3月18日]]のダイヤ改正から東海道線の[[東海道線 (JR東日本)#快速「アクティー」|快速「アクティー」]]の全列車が当駅に停車するようになった。これにより湘南新宿ライン快速・特別快速は停車するのに快速アクティーは通過する[[千鳥停車]]が解消された。また快速アクティーが停車するまでは、通過駅の中で唯一の乗り換え駅でもあった。なお、東海道線の通勤快速は引き続き通過していたが、2021年3月のダイヤ改正で通勤快速が廃止となり、当駅はすべての快速・普通列車が停車するようになった。
==== のりば ====
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!rowspan=2| 1
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[横須賀・総武快速線|横須賀・総武線(快速)]]
|style="text-align:center"|上り
|[[横浜駅|横浜]]・[[品川駅|品川]]・[[東京駅|東京]]・[[千葉駅|千葉]]方面<br />{{Color|#0067c0|■}}特急「[[成田エクスプレス]]」
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center"|北行
|[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|-
! rowspan="2" | 2
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
| rowspan="2" style="text-align:center" |上り
| rowspan="2" |横浜・[[川崎駅|川崎]]・品川・東京・[[上野駅|上野]]方面
|-
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] [[上野東京ライン]]
|-
! 3
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
| rowspan="2" style="text-align:center" |下り
|[[大船駅|大船]]・[[小田原駅|小田原]]・[[熱海駅|熱海]]方面
|-
!rowspan=2| 4
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線
|大船・[[鎌倉駅|鎌倉]]・[[久里浜駅|久里浜]]方面
|-
|[[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
|style="text-align:center"|南行
|[[藤沢駅|藤沢]]・[[平塚駅|平塚]]・小田原方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1057.html JR東日本:駅構内図])
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
JR Totsuka Station Underground Gates.jpg|地下改札口(2019年6月)
JRE Totsuka-STA Platform1-2.jpg|1・2番線ホーム(2023年1月)
JRE Totsuka-STA Platform3-4.jpg|3・4番線ホーム(2023年1月)
Totsuka-Sta-JR-Platforms.JPG|ホーム外観([[横浜駅]]方面より眺望)<br />(2011年8月)
Totsuka sta point.JPG|[[横須賀・総武快速線|横須賀線]]⇔[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]の転線ポイント
</gallery>
==== 発車メロディ ====
横須賀線ホームでは[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]、東海道線ホームでは[[東洋メディアリンクス]]制作のメロディを使用している。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]]
|木もれ陽の散歩道
|-
!2
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]]
|Gota del Vient
|-
!3
|[[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]]
|Cielo Estrellado
|-
!4
|[[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]]
|蝶々のように
|}
* [[2000年]]前後に発車メロディが数回変更された。当初は1・2番線が「Gota del Vient」、3・4番線が「Cielo Estrellado」であったが、[[1999年]][[6月14日]]に1番線が「ホリデイ」、2番線が「秋桜」([[テイチクエンタテインメント|テイチク]]制作)に変更され、さらに同年[[7月7日]]に2番線が「Gota del Vient」に戻り、2000年[[6月6日]]に1・4番線が「ホリデイ」(総武快速線[[船橋駅]]・[[津田沼駅]]・[[稲毛駅]]と同様の音色違いバージョン)に、2001年[[3月7日]]に2・3番線がそれぞれの低音程バージョンに変更された。[[2016年]][[3月30日]]に1番線が「木もれ陽の散歩道」、4番線が「蝶々のように」に変更され、現在に至っている。
==== 駅弁 ====
[[崎陽軒]]が販売を行っており、売店は橋上改札外と地下改札外にある。主な[[駅弁]]は下記の通り<ref>{{Cite journal|和書|year=2023|publisher=[[JTBパブリッシング]]|journal=JTB時刻表|issue=2023年3月号|page=148-149}}</ref>。また、かつては[[大船軒]]の出店が地下改札内で駅弁販売を行っていた時期があった。
{{Div col||20em}}
* 幕の内弁当
* 横濱中華弁当
* お赤飯弁当
* かながわ味わい弁当(季節により内容が変わる:春・初夏・夏・秋・冬)
* 炒飯弁当
* [[シウマイ弁当]]
* しょうが焼弁当
* おべんとう(季節により内容が変わる:春・初夏・夏・秋・冬)
* 横濱チャーハン
* 横濱ピラフ
* いなり寿司
{{Div col end}}
==== 駅構内設備 ====
{{columns-list|2|
* [[みどりの窓口]]
* [[エスカレーター]]
* [[エレベーター]]
* [[売店]]など
** [[NewDays]]
*** 橋上改札外と地下改札外にある。
** NewDays ミニ - 橋上改札内。
** [[あきんどスシロー|スシロー To Go]] - 橋上改札外
** [[ファミリーマート]] - 地下1階改札付近
** [[有隣堂]] - 地下1階[[横浜信用金庫]]付近
** [[キュービーネット|QBハウス]] - 地下鉄改札脇
* [[飲食店]]
** [[日本レストランエンタプライズ|いろり庵きらく]]
** [[BECK'S COFFEE SHOP]]
* [[横浜市]]戸塚駅[[行政]]サービスコーナー
|}}
=== 横浜市営地下鉄 ===
{{駅情報
|社色 = #0d6aad
|文字色 =
|駅名 = 横浜市営地下鉄 戸塚駅
|画像 = 戸塚駅地下鉄線改札.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 地下改札口(地下2階)<br />(2004年11月)
|よみがな = とつか
|ローマ字 = Totsuka
|副駅名 =
|前の駅 = B05 [[踊場駅|踊場]]
|駅間A = 1.7
|駅間B = 1.6
|次の駅 = [[舞岡駅|舞岡]] B07
|電報略号 =
|駅番号 = {{駅番号r|B|06|#005ba5|6}}
|所属事業者 = [[横浜市交通局]]([[横浜市営地下鉄]])
|所属路線 = {{color|#005ba5|■}}[[横浜市営地下鉄ブルーライン|ブルーライン(1号線)]]
|キロ程 = 12.3 km([[関内駅|関内]]起点)<br />[[湘南台駅|湘南台]]から7.4
|起点駅 =
|所在地 = [[横浜市]][[戸塚区]][[戸塚町 (横浜市)|戸塚町]]12番地1<ref>『横浜市高速鉄道建設史II』 横浜市交通局、2004年3月、72ページ</ref>
|座標 = {{coord|35|24|3.3|N|139|32|3|E|region:JP_type:railwaystation|name=横浜市営地下鉄 戸塚駅}}
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1987年]]([[昭和]]62年)[[5月24日]]
|廃止年月日 =
|乗降人員 = 77,204
|統計年度 = 2022年
|乗換 =
|備考 = [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]}}
島式ホーム1面2線を有する[[地下駅]]である。改札口は地下2階、ホームは地下3階にある。地下1階が地下自由通路となっており、JRの地下改札口がある。
[[駅長]]所在駅。戸塚管区駅として当駅 - [[上永谷駅|上永谷]]間を管理している<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/ex/reiki/reiki_honbun/g202RG00001001.html 横浜市交通局現業機関設置規程]</ref>。
横浜市営地下鉄第3期工事計画では、当初は[[上永谷駅]]から当駅までの延伸が予定されていた。しかし後述の通り西口の再開発事業が難航して西口の地下に駅を設置することが困難になったため、[[1985年]](昭和60年)に隣駅の舞岡駅までの先行開業(横浜市営地下鉄第3期開業)となった。その後、駅の位置は国鉄(現 JR)の直下(約77m)と東口バスターミナル・[[ラピス戸塚]]2の直下に変更されたが、国鉄の分割民営化の時期に重なったことと、軟弱な地盤により国鉄直下の委託工事が難航した。そのため戸塚駅開業100周年に間に合わせるべく、暫定開業に最低限必要な国鉄直下の11mと東口バスターミナル・ラピス戸塚2の直下を使った4両分(約100m)のホームを持つ仮設駅として、[[1987年]](昭和62年)[[5月24日]]に暫定開業した(横浜市営地下鉄第4期開業)。当時は6両編成で運行していたため、[[関内駅]]側の2両は[[ドアカット]]で対応していた<ref name="Kensetsushi_111-115" />。国鉄と地下鉄の乗り換えのために建設していた国鉄の地下改札口・自由通路も完成していなかったため、出入口は東口バスターミナル側に設けられた。
横浜[[市制]]100周年・[[横浜博覧会]]の会期中に間に合わせるべく急ピッチで工事が行われ、[[1989年]](平成元年)[[8月27日]]、6両分のホームを持つ本設駅として本開業した<ref name="Kensetsushi_93-95" /><ref name="Kensetsushi2_67" />。
[[1999年]]に当駅-[[湘南台駅]]間が延伸開業するまでは終着駅であったため、あざみ野方に[[シーサスポイント]]が設置されており、延伸後の現在も残されている。なお、湘南台延伸後は当駅発着の定期列車は設定されておらず(非常時に湘南台駅-当駅間や当駅-あざみ野駅間で折り返し運転が行われたことはある)、代わりに引き上げ線を有する隣の[[踊場駅]]発着の列車が設定されている。
<gallery>
YMSB Totsuka - Kasio no Irodori.jpg|構内に設置されているレリーフ<br />九つ井 陶郷「柏尾の彩」
YMSB Totsuka - Motomachi Betudo.jpg|構内に設置されている大判タイル画<br />[[歌川広重]]「[[東海道五十三次 (浮世絵) |東海道五拾三次]] 戸塚・元町別道」
</gallery>
==== のりば ====
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!行先<ref>{{Cite web|和書|url=https://navi.hamabus.city.yokohama.lg.jp/koutuu/pc/detail/Station?id=00002195 |title=戸塚の駅情報 駅構内図 |publisher=横浜市交通局 |accessdate=2023-06-04}}</ref>
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] ブルーライン
|[[湘南台駅|湘南台]]方面
|-
!2
|[[あざみ野駅|あざみ野]]方面
|}
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Yokohama-municipal-subway-B06-Totsuka-station-platform.jpg|ホーム(2008年3月)
</gallery>
{{-}}
== 利用状況 ==
[[File:Number of Passenger at Totsuka Sta.png|thumb|1日あたり乗車人員の推移]]
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''93,018人'''である<ref group="利用客数">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員] - JR東日本</ref>。
*: JR東日本管内の駅では[[国分寺駅]]に次いで第32位。
* '''横浜市営地下鉄''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''77,204人'''(乗車人員:38,410人、降車人員:38,794人)である<ref group="乗降データ" name="yokohamatoukei">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/tokeisho/09.html 横浜市統計書] - 横浜市</ref>。
*: ブルーラインでは横浜駅に次いで第2位。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
近年の1日平均'''乗降'''人員推移は下記の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="乗降データ" name="yokohamatoukei" />
!rowspan=2|年度
!colspan=2|横浜市営地下鉄
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
|-
|1999年(平成11年)
|53,618
|
|-
|2000年(平成12年)
|63,950
|19.3%
|-
|2001年(平成13年)
|67,318
|5.3%
|-
|2002年(平成14年)
|69,195
|2.8%
|-
|2003年(平成15年)
|71,115
|2.8%
|-
|2004年(平成16年)
|73,012
|2.7%
|-
|2005年(平成17年)
|74,884
|2.6%
|-
|2006年(平成18年)
|76,544
|2.2%
|-
|2007年(平成19年)
|78,980
|3.2%
|-
|2008年(平成20年)
|80,507
|1.9%
|-
|2009年(平成21年)
|81,561
|1.3%
|-
|2010年(平成22年)
|83,296
|2.1%
|-
|2011年(平成23年)
|83,509
|0.3%
|-
|2012年(平成24年)
|84,981
|1.8%
|-
|2013年(平成25年)
|86,948
|2.3%
|-
|2014年(平成26年)
|87,837
|1.0%
|-
|2015年(平成27年)
|88,698
|1.0%
|-
|2016年(平成28年)
|89,463
|0.9%
|-
|2017年(平成29年)
|89,349
|−0.1%
|-
|2018年(平成30年)
|90,133
|0.9%
|-
|2019年(令和元年)
|88,836
|−1.4%
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|63,850
|−28.1%
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|70,441
|10.3%
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|77,204
|9.6%
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1987年 - 2000年) ===
近年の1日平均'''乗車'''人員推移は下記の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="乗降データ" name="yokohamatoukei" />
!年度!!JR東日本!!横浜市営地下鉄!!出典
|-
|1987年(昭和62年)
|
|11,145
|
|-
|1988年(昭和63年)
|
|15,132
|
|-
|1989年(平成元年)
|
|16,952
|
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|
|18,881
|
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|100,344
|20,058
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|102,528
|19,794
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|102,796
|20,667
|
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|102,828
|21,079
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|101,923
|20,762
|<ref group="乗降データ">[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/1128766_3967261_misc.pdf#search=%27%E7%B7%9A%E5%8C%BA%E5%88%A5%E9%A7%85%E5%88%A5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E4%BA%BA%E5%93%A1%EF%BC%881%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%9D%87%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB%27 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|102,072
|21,247
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|100,335
|21,533
|
|-
|1998年(平成10年)
|99,521
|21,301
|<ref group="神奈川県統計">平成12年</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>98,054
|<ref group="備考">1999年8月29日に戸塚 - 湘南台間が延伸開業</ref>26,704
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 平成13年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>97,391
|31,407
|<ref group="神奈川県統計" name="toukei2001" />
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) ===
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="乗降データ" name="yokohamatoukei" />
!年度
!JR東日本
!横浜市営<br />地下鉄
!出典
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>98,168
|33,042
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 平成14年]}}</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>98,869
|34,454
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 平成15年]}}</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>100,374
|35,227
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 平成16年]}}</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>99,853
|36,135
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 平成17年]}}</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>101,458
|37,020
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 平成18年]}}</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>103,402
|37,776
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 平成19年]}}</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>105,904
|39,064
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 平成20年]}}</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>106,301
|39,917
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 平成21年]}}</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>105,491
|40,512
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 平成22年]}}</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>105,662
|41,314
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 平成23年]}}</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>105,538
|41,398
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 平成24年]}}</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>107,681
|42,161
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 平成25年]}}</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>109,988
|43,124
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 平成26年]}}</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>108,933
|43,613
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 平成27年]}}</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>110,797
|44,016
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 平成28年]}}</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[http://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>111,405
|44,416
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 平成29年]}}</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>111,725
|44,370
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/3406/15-30.pdf 平成30年]}}</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>112,606
|44,761
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/73942/15_2.pdf 令和元年]}}</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>112,598
|44,137
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/85489/202015.pdf 令和2年]}}</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>82,817
|31,737
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/96367/15.pdf 令和3年]}}</ref>
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>85,198
|35,019
|<ref group="神奈川県統計">{{PDFlink|[https://www.pref.kanagawa.jp/documents/46041/202215.pdf 令和4年]}}</ref>
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/index.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>93,018
|38,410
|
|}
;備考
{{Reflist|group="備考"}}
== 駅周辺 ==
[[File:Totsuka station area.jpg|thumb|駅周辺(2014年3月)]]
=== 概説 ===
駅北側の[[国道1号]]が交差する、かつての東海道踏切(戸塚大踏切)は「[[開かずの踏切]]」として有名であり、特に平日の朝は東海道線と横須賀線の上下、貨物線を走るライナーと貨物列車でほとんど踏切の開く時間がなく、朝夕は渋滞を防ぐために車両通行止めになっていた。そのバイパスとして国道1号の西側に[[戸塚道路]]が建設された。また[[2014年]](平成26年)[[1月18日]]に戸塚大踏切の上に人道橋「戸塚大踏切(とつかおおふみきり)デッキ」(歩行者・自転車用跨線橋)<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/koho/pdf/p1312/1312hyo.pdf 正式名称が、「戸塚大踏切デッキ」に決定しました] 広報よこはま 戸塚版 2013年12月号</ref>が、[[2015年]](平成27年)[[3月25日]]に戸塚アンダーパス(自動車専用アンダーパス)が完成<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/koho/pdf/p1501/p1502/1502hyo.pdf 戸塚アンダーパスがついに開通!!] 広報よこはま 戸塚版 2015年2月号</ref>したため、東海道踏切は閉鎖・廃止された。
{{See also|戸塚道路#戸塚大踏切}}
西口・東口には約50のバス路線が発着する[[バスターミナル]]が形成されている。東口は再開発事業や横浜市営地下鉄1号線(ブルーライン)の開通により、駅前広場やバスターミナルが整備された。その後、西口でも再開発事業により、2010年4月18日に戸塚バスセンターが第1交通広場へ移転、2013年3月3日に[[タクシー]]乗り場のある第2交通広場が完成し、利便性が向上した。
西口は東海道(国道1号)沿いにあり、古くから小規模な商店が密集し、戸塚駅西口商店街や旭町通商店街が形成されていた。横浜市営地下鉄戸塚駅の建設計画をきっかけとして、[[1970年]](昭和45年)7月に西口の再開発が開始されたものの、権利者の多さと利害関係の対立から交渉が難航し<ref name="Kensetsushi_93-95">『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、93-95ページ</ref><ref name="Kensetsushi2_67">『横浜市高速鉄道建設史II』 横浜市交通局、2004年3月、67ページ</ref>、[[2006年]]7月まで事業計画が確定していなかった。そのため、[[2002年]]に完成していた店舗用のビルは一度も使われなかった。このうち、[[2005年]]に[[エスカレーター]]と[[エレベーター]]が開放された。その後再開発事業計画の確定により、[[2007年]]より再開発地域全体を封鎖する形で本格的な工事に着手し、同年[[6月1日]]には商店街で営業していた店舗群が仮入居するビル「戸塚ウエスト」がオープンした。この「戸塚ウエスト」も[[2010年]]3月に閉鎖、7月頃に解体された。その後「戸塚ウエスト」に入居していた店舗群が移転し、2010年3月に開業した商業施設「[[トツカーナ#戸塚パルソ|戸塚パルソ]]」、翌4月に開業した「[[トツカーナ]]」に出店した。2013年3月3日「戸塚ウエスト」跡地に戸塚区総合庁舎が完成、戸塚区役所が移転。総合庁舎1階にタクシー・一般自動車の乗降場となる第2交通広場が完成し、これをもって再開発事業が完了した。
東口の[[柏尾川]]右岸は昭和10年代に開発が始まった工業地帯で、[[日立製作所]]や[[日立グループ]]各社など大規模な工場が複数存在する。東口再開発事業により[[ラピス戸塚]]1・2・3が建設され、そのうちラピス戸塚2は直下にある地下鉄駅をビルの基礎として利用している<ref name="Kensetsushi_111-115">『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、111-115ページ</ref><ref>『横浜市高速鉄道建設史』 横浜市交通局、1987年12月、231-233ページ</ref>。さらに駅南側では2016年3月7日より、[[中外製薬|中外製薬株式会社]]が日立製作所戸塚工場の土地を横浜研究拠点として購入する契約締結が決定し<ref>[https://www.chugai-pharm.co.jp/news/detail/20160307150000.html 事業用地購入に関するお知らせ (中外製薬株式会社)]-2016年3月7日</ref>、物件引き渡しに向け工事が進められている。
[[横浜市]]では、当駅周辺地区を横浜市都市計画マスタープラン・戸塚区プランとして街づくりを考えている<ref name="totuka_matidukuri_1">{{Cite web|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/kusei/tosimasu.html |title=横浜市 戸塚区役所 戸塚のまちづくりTOP - |accessdate=2014-1-16 |author=横浜市}}</ref>。[[1981年]]策定の「よこはま21世紀プラン」では当駅周辺地区が副都心に指定されていたが、現在では生活拠点という扱いに変わっている<ref name="totuka_hamarepo_1">{{Cite web|和書|url=http://web1.hamarepo.com/story.php?story_id=1279 |title=上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは? |accessdate=2014-1-16 |author=はまれぽ.com}}</ref>。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Old Totsuka Oo Fumikiri.jpg|東口が再開発される前の戸塚大踏切
Kotobuki-dori at Totsuka station west side area.jpg|現在の戸塚バスセンターの場所に存在していた「ことぶき通り」
</gallery>
=== 商業施設 ===
==== 東口エリア都市型商業施設 ====
; ラピス戸塚1([[モディ#戸塚モディ|戸塚モディ]])
{{columns-list|2|
* [[丸井#出店形態|まるい食遊館]]戸塚店(戸塚モディ)
* [[メニコン|エースコンタクト]]戸塚モディ店
* [[ABCマート]]戸塚モディ店
* [[ゴールドジム]]戸塚神奈川店
* [[大創産業|ザ・ダイソー]]戸塚モディ店
* [[有隣堂]]戸塚モディ店
|}}
; ラピス戸塚2
* 有隣堂戸塚カルチャーセンター・戸塚ミュージックサロン
; ラピス戸塚3
* [[河合塾]]マナビス戸塚校
; [[アピタ戸塚店]]
{{columns-list|2|
* [[キクチメガネ]]戸塚店
* [[大創産業|ザ・ダイソー]]アピタ戸塚店
* [[ドラッグセガミ]]戸塚店
* [[夢屋書店]]アピタ戸塚店
* [[ハックドラッグ]]戸塚東口店
|}}
; その他
{{columns-list|2|
* [[セイジョー|くすりセイジョー]]戸塚店
* [[コナカ]]戸塚東口店
* [[TSUTAYA]]戸塚駅東口店
* [[ティップネス]]戸塚店
* [[トヨタレンタリース|トヨタレンタリース横浜]]戸塚駅東口店
* [[日産レンタカー]]戸塚駅東口店
* [[ニッポンレンタカー]]戸塚駅前営業所
* [[有隣堂]]戸塚駅地下売店
|}}
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Totsuka modi.JPG|ラピス戸塚1(戸塚モディ)
Totsuka-Daifumikiri.JPG|戸塚大踏切
Totsuka Dai-fumikiri Deck02.jpg|戸塚大踏切デッキ
</gallery>
==== 東口エリア郊外型商業施設 ====
* [[ウエルシア薬局]]戸塚舞岡店
* [[大創産業|ザ・ダイソー]]横浜戸塚吉田店
* [[イオン戸塚店]]
* [[ハックドラッグ]]戸塚店
==== 西口エリア都市型商業施設 ====
[[File:Totsukana 2.JPG|thumb|トツカーナ(東急プラザ戸塚およびトツカーナモール)]]
; [[トツカーナ]]([[東急プラザ|東急プラザ戸塚]]およびトツカーナモール)
{{columns-list|2|
* [[東急プラザ|東急プラザ戸塚]]
** [[東急ストア|戸塚東急ストア]]
** [[良品計画|無印良品]]東急プラザ戸塚店
** [[有隣堂]]戸塚駅西口トツカーナ店
** [[ライトオン]]東急プラザ戸塚店
** [[ユニクロ]]東急プラザ戸塚店
* トツカーナモール
** [[マツモトキヨシ]]トツカーナモール店
** コンタクトのアイシティ戸塚トツカーナモール
** [[湘南薬品]]戸塚西口薬局・戸塚西口店
|}}
; 戸塚区総合庁舎
* 戸塚区地産地消直売コーナー
* [[ハックドラッグ]]戸塚区役所店
; 戸塚パルソ
* 西通り(新バスターミナル側)1~4ブロック
** [[相鉄フレッサイン]]横浜戸塚
** チェリー薬局
; [[サクラス戸塚]]
{{columns-list|2|
* [[エフエム戸塚]]サクラス戸塚スタジオ
* [[ABCマート]]サクラス戸塚店
* [[コイデカメラ]]戸塚サクラス店
* [[三和]]サクラス戸塚店
* [[東急スポーツオアシス]]戸塚店
* [[ニトリ]]戸塚店
* [[ハックドラッグ]]サクラス戸塚店
* [[ヒマラヤ]]スポーツ&ゴルフ サクラス戸塚店
* [[メガネドラッグ]]戸塚店
|}}
; その他
* [[業務スーパー]]戸塚店
* [[ABCハウジング|戸塚住宅公園]]
* [[マツモトキヨシ]]戸塚町店
==== 西口エリア郊外型商業施設 ====
{{columns-list|2|
* [[業務スーパー]]山手台店
* [[セイジョー]]戸塚深谷店
* [[ヤマダデンキ]]家電住まいる館YAMADA戸塚店
* [[ヨークマート]]戸塚深谷店
* [[ライフコーポレーション|ライフ]]戸塚汲沢店
|}}
=== 金融機関 ===
{{columns-list|2|
* [[野村證券]]戸塚支店
* [[大和証券]]戸塚支店
* [[三菱UFJ銀行]]戸塚支店・戸塚駅前支店・東戸塚支店
* [[三井住友銀行]]戸塚支店
* [[みずほ銀行]]戸塚支店
* [[りそな銀行]]戸塚支店
* [[横浜銀行]]戸塚支店・新戸塚支店
* [[スルガ銀行]]横浜戸塚支店
* [[静岡銀行]]戸塚支店
* [[横浜信用金庫]]戸塚支店・戸塚東口支店
* [[湘南信用金庫]]戸塚支店
|}}
=== 郵便局 ===
* [[戸塚郵便局]]
* 横浜矢部郵便局
* 横浜上倉田郵便局
=== 企業 ===
{{columns-list|2|
* 日立コンシューマエレクトロニクス株式会社<ref group="注釈">旧[[日立製作所]] 横浜工場。</ref>
* 日立製作所ITプロダクツ統括本部
* 日立製作所通信ネットワーク事業部 跡地
* [[ブリヂストン]] 横浜工場
* [[BASF]]コーティングスジャパン 本社・戸塚工場(旧:日本油脂BASFコーティングス戸塚工場←[[日本油脂]]戸塚工場)
* [[ポーラ化粧品]]
* メディセオ神奈川ALC
|}}
=== 公共施設 ===
{{columns-list|2|
* 戸塚区総合庁舎
* 戸塚税務署
* 横浜市戸塚図書館
* [[戸塚警察署 (神奈川県)|神奈川県戸塚警察署]]
* 戸塚地区センター
|}}
=== 学校 ===
{{columns-list|2|
* [[明治学院大学]] 横浜キャンパス
* [[横浜薬科大学]]
* [[横浜未来看護専門学校]]
* 湘南とつか[[YMCA]]([[横浜YMCAスポーツ専門学校]]等々)
* [[公文国際学園中等部・高等部]]
* [[横浜市立戸塚高等学校]]
* [[神奈川県立横浜桜陽高等学校]]
* [[神奈川県立上矢部高等学校]]
* [[神奈川県立舞岡高等学校]]
* [[神奈川県立金井高等学校]]
* [[横浜市立戸塚中学校]]
* [[横浜市立舞岡中学校]]
* [[横浜市立領家中学校]]
* [[横浜市立東戸塚小学校]] - 元[[戸塚競馬場]]の跡地を利用して建設された、横浜市で一番校庭の広い小学校。
* [[横浜市立戸塚小学校]]
* [[横浜市立南戸塚小学校]]
* [[横浜市立矢部小学校]]
* [[横浜市立舞岡小学校]]
* [[横浜市立鳥が丘小学校]]
* [[横浜市立東汲沢小学校]]
* [[横浜市立下郷小学校]]
* [[横浜市立柏尾小学校]]
* [[横浜市立汲沢小学校]]
|}}
=== 道路 ===
* [[国道1号]](東海道)
* [[神奈川県道22号横浜伊勢原線]]([[長後街道]])
* [[神奈川県道203号大船停車場矢部線]]
== バス路線 ==
[[File:Totsuka Ward Office Building area.jpg|thumb|左上が戸塚バスセンター、右側中央が戸塚駅東口バスターミナル]]
=== 東口 ===
; 戸塚駅東口([[神奈川中央交通]]・[[高速バス]])・戸塚駅([[江ノ電バス]])
交通広場としての名称は「戸塚東口バスターミナル」である。
東口出口すぐのJR線に面したバスターミナルである。JR橋上改札と接続するペデストリアンデッキ、および地下鉄コンコースからも接続されている。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!1
|colspan="2"|(降車専用)
|-
!2
|rowspan="2" style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス鎌倉営業所#飯島団地線|'''T1''']]:[[飯島町 (横浜市)|飯島]]団地循環 / [[横浜市立飯島小学校|学校]]下|[[江ノ電バス鎌倉営業所#下倉田花立線|'''T2''']]:見晴橋|[[江ノ電バス鎌倉営業所#下倉田循環線|'''T3''']]:下倉田循環 / ちからいし}}
|-
!rowspan="2"|3
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス鎌倉営業所#戸塚線|'''T4''']]:[[大船駅]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#戸塚線 2|'''ST09''']]:[[鶴岡八幡宮|鎌倉八幡宮]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#平島 - 戸塚線|'''T45'''・'''T49''']]:[[江ノ電バス鎌倉営業所|平島]]}}
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|[[南海バス]]|[[和歌山バス]]}}
|[[南海バス#夜行高速バス|'''夜行高速''']]:湊町バスターミナル(OCAT)
|-
!4<br />([[国道1号]]・平戸桜木町線方面)
|rowspan="4" style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 井土ヶ谷 - 横浜駅方面|'''戸01''']]:[[井土ヶ谷下町]]|'''戸03''':[[神奈川県庁舎|県庁入口]]|'''戸25''':[[神奈川県立こども医療センター|こども医療センター]]|'''横43'''・'''横44''':[[横浜駅]]東口|'''戸45''':[[桜木町駅]]|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 狩場町 - 保土ケ谷駅方面|'''戸38''']]:[[保土ケ谷駅|保土ヶ谷駅]]東口|''横46''':横浜駅西口}}
|-
!5<br />(県道22号線方面)
|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 舞岡方面|'''戸22''']]:[[神奈川中央交通舞岡営業所|舞岡]]
|-
!6<br />(瀬谷柏尾線方面)
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚駅東口 - 岡津 - 弥生台駅方面|'''戸12'''・'''戸39''']]:[[弥生台駅]]|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚駅東口 - 岡津 - 三ツ境駅方面|'''戸13''']]:[[神奈川中央交通戸塚営業所|上飯田車庫]]|'''戸16'''・'''戸17'''・'''戸19''':[[三ツ境駅]]|'''戸18''':下岡津}}
|-
!7<br />(名瀬道路方面)
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通舞岡営業所#戸塚駅東口 - 秋葉 - 緑園都市駅・東戸塚駅方面|'''戸09''']]:[[緑園都市駅]]|'''戸33''':[[東戸塚駅]]東口}}
|-
!8
|style="text-align:center;"|江ノ電バス
|{{Unbulleted list|[[江ノ電バス鎌倉営業所#舞岡台線|'''T5''']]:[[舞岡町|舞岡]]台循環 / 坂下口|'''T55''':[[神奈川県立舞岡高等学校|舞岡高校]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#京急ニュータウン線|'''T6''']]:[[京急ニュータウン]]|[[江ノ電バス鎌倉営業所#小田急分譲地線|'''T7''']]:小田急分譲地循環 / 第一公園|[[江ノ電バス鎌倉営業所#明治学院大学南門線(幸ヶ丘線)|'''T8'''・'''T89''']]:[[明治学院大学]]南門|'''T85''':平島}}
|}
=== 西口 ===
; 戸塚バスセンター
[[File:Totsuka-Bus-center.JPG|thumb|戸塚バスセンター(2011年8月)]]
[[File:Old_Totsuka_Bus_Center.jpg|thumb|旧・戸塚バスセンター(1984年1月)]]
交通広場としての名称は、『戸塚西口バスセンター』である。[[神奈川中央交通戸塚営業所]]管内の中心拠点であり、戸塚駅以西の地域の[[交通結節点]]である。バスセンターは国道1号沿いに設置されているため、東口や戸塚駅の改札口から向かうには、西口の[[トツカーナ]]ビル内の通路(約100メートル)を通り抜ける必要がある。
旧・戸塚バスセンターは[[戸塚郵便局]]の向かいにあったため、バスセンターを出入りするバスと[[国道1号]]バスセンター前交差点を通過する自動車、交差点の横断歩道を渡る歩行者が交錯するため、バスセンターには交通整理のためのバス誘導員が配置されていた。特に通勤通学・帰宅時間帯には、バス誘導員を増員する必要があるほど混み合った。またバスセンターの敷地が狭いため、プラットホームに二重駐車して乗客を降車させたり、バス待ちの行列がプラットホームに収まりきらずに隣の道路まで伸びたり、到着・出発待ちのバスが集中して国道1号を塞いでしまうこともしばしばあり、これによる周辺の交通渋滞も問題になっていた。そこで西口の再開発を機に、北側の第1交通広場(戸塚西口バスセンター)にバスセンターを移設した。また付近の道路混雑を軽減するため、バスは戸塚バスセンターを一旦通り過ぎ、JR戸塚駅駅舎の横にある戸塚駅西口バス停に停車したあと、北側に回って戸塚バスセンターに進入する設計になっている。一方、戸塚バスセンター発のバスは、戸塚バスセンターの南側から交差点に出る設計になっているため、戸塚駅西口バス停を経由しない<ref>http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/totsusai/image/pdf/jigyou18.pdf/</ref>。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!rowspan="2"|1
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通東
|[[神奈川中央交通東・藤沢営業所#藤沢駅北口 - 戸塚バスセンター方面|'''戸81''']]:[[藤沢駅]]北口
|-
|style="text-align:center;"|[[成田空港交通]]
|[[成田空港交通#空港連絡バス|'''空港連絡''']]:[[成田国際空港|成田空港]]
|-
!2
|rowspan="5" style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 横浜医療センター - 横浜薬科大学・ドリームハイツ方面|'''戸50''']]:[[横浜ドリームランド#ドリームハイツ|ドリームハイツ]]|'''戸52'''・'''戸55''':俣野公園・[[横浜薬科大学|横浜薬科大]]|'''戸56''':[[国立病院機構横浜医療センター|横浜医療センター]]}}
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|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 通信隊前 - 立場ターミナル方面|'''戸60''']]:[[立場駅|立場ターミナル]]
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|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 金井 - 大船駅方面|'''戸71'''・'''戸72''']]:[[大船駅]]西口|'''戸75''':金井高校|'''戸77''':ヒルズ南戸塚|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 金井 - 戸塚台中央循環|'''戸93''']]:戸塚台循環|'''戸95''':戸塚台中央}}
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|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 汲沢団地・鳥が丘方面|'''戸53''']]:汲沢団地|'''戸79''':弥生台駅}}
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|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚バスセンター - 立場ターミナル・上飯田車庫方面|'''戸58''']]:立場ターミナル|'''戸61''':[[神奈川中央交通戸塚営業所|上飯田車庫]]|'''戸64''':いちょう団地}}
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; 戸塚駅西口(降車専用)
[[2011年]][[9月20日]]に都市計画道路の戸塚駅前線(横浜市道戸塚第519号線、バスセンター前交差点 - 戸塚大踏切デッキ直下)開通と共に新設されたバス停。JR戸塚駅駅舎のすぐ隣にある。[[1963年]]4月まではこの場所に[[神奈川中央交通戸塚営業所]]があった。前述の通り戸塚バスセンター発のバスは、当バス停は経由しない。また、当バス停は降車専用である。
; 戸塚駅
[[File:Totsuka Dai-2 West Bus Center.jpg|thumb|戸塚駅西口第2バスセンター(2階は駐輪場)]]
[[File:Old Totsuka Dai-2 West Bus Center.jpg|thumb|旧・戸塚駅西口第2バスセンター]]
交通広場としての名称は、『戸塚西口第2バスセンター』である。JR戸塚駅橋上改札口で西口の階段から、北に約170メートルの場所に設置されている。
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!1
|style="text-align:center;"|神奈川中央交通
|{{Unbulleted list|[[神奈川中央交通戸塚営業所#戸塚駅 - 上矢部循環|'''戸90''']]:[[上矢部町|上矢部]]循環|'''戸91'''・'''戸99''':上矢部高校|'''戸96'''・'''戸97''':ラムーナ横浜戸塚|'''戸98''':上矢部・ラムーナ横浜戸塚循環}}
|}
; 矢沢
戸塚バスセンター行きのバス停は、戸塚バスセンターの向かい側、サクラス戸塚の南側にある。戸塚バスセンター行のバスの乗客は、混雑する時間帯は乗り換え時間短縮のために当バス停で下車し、バス停そばのスロープから戸塚バスセンター上空の[[ペデストリアンデッキ]]を通って戸塚バスセンター・戸塚駅に移動する者も多い。かつては横浜新道に近い場所(西に約210メートル。反対車線の矢沢バス停と同じ場所。)に設置されていたが、戸塚バスセンター移設に伴いバスセンター前交差点周辺の交通渋滞緩和のため、現在地に移転した。
* 神奈川中央交通
** '''戸53'''・'''戸58'''・'''戸61'''・'''戸64'''・'''戸79''':戸塚バスセンター
== 地名の由来 ==
当駅の近くに[[富塚八幡宮]]があり、富塚→戸塚に変わったとされている<ref>[https://www.city.yokohama.lg.jp/totsuka/shokai/rekishi/ayumi.html 戸塚の地名の由来]</ref>。
== その他 ==
* [[ポケモンスタンプラリー]]のポケモンスタンプが[[2005年]]から[[2009年]]まで設置されたが、<!---[[トツカーナ]]が完成したからか--->[[2010年]]からスタンプが設置されなくなった。その代わりに[[保土ケ谷駅]]にスタンプが設置されるようになった。
== 隣の駅 ==
<!--テンプレートは不評意見が多いようです。もしご意見があれば [[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅/各路線の駅一覧のテンプレート・隣りの駅]]で議論されています。-->
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JT line symbol.svg|15px|JT]] 東海道線
::{{Color|#18a629|■}}普通
::: [[横浜駅]] (JT 05) - '''戸塚駅 (JT 06)''' - [[大船駅]] (JT 07)
: [[File:JR JO line symbol.svg|15px|JO]] 横須賀線(東京駅 - 大船駅間は東海道本線)
:* 特急「[[成田エクスプレス]]」停車駅
:: {{Color|#18a629|■}}普通
::: [[東戸塚駅]] (JO 11) - '''戸塚駅 (JO 10)''' - 大船駅 (JO 09)
: [[File:JR JS line symbol.svg|15px|JS]] 湘南新宿ライン
:: {{Color|#0099ff|■}}特別快速・{{Color|#f68b1e|■}}快速(いずれも高崎線 - 東海道線直通)
::: 横浜駅 (JS 13) - '''戸塚駅 (JS 10)''' - 大船駅 (JS 09)
:: {{Color|#18a629|■}}普通(宇都宮線 - 横須賀線直通)
::: 東戸塚駅 (JS 11) - '''戸塚駅 (JS 10)''' - 大船駅 (JS 09)
; 横浜市営地下鉄
:[[File:Yokohama Municipal Subway Blue Line symbol.svg|15px|B]] ブルーライン(1号線)
:: {{Color|red|■}}快速
::: [[踊場駅]] (B05) - ''' 戸塚駅 (B06)''' - [[上永谷駅]] (B09)
::{{Color|#006bf0|■}}普通
::: 踊場駅 (B05) - ''' 戸塚駅 (B06)''' - [[舞岡駅]] (B07)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
{{Reflist|2}}
=== 利用状況 ===
; JR・地下鉄の1日平均利用客数
{{Reflist|group="利用客数"}}
; JR東日本の1999年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|23em}}
; JR・地下鉄の統計データ
{{Reflist|group="乗降データ"}}
; 神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="神奈川県統計"|16em}}
== 関連項目 ==
{{commonscat|Totsuka Station}}
* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1057|name=戸塚}}
* [https://navi.hamabus.city.yokohama.lg.jp/koutuu/pc/detail/Station?id=00002195 横浜市交通局 戸塚駅]
* {{ウェブアーカイブ|deadlink=no|title=横浜市公式サイト「進めよう とつか再開発」|url=http://archive.city.yokohama.lg.jp/toshi/totsusai/|archiveurl=https://archive.fo/wpbyu|archiveservice=[[archive.is]]|archivedate=2019-07-16}}
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/jokyo/sakaihatsu/totsusai/pamphlet.html 戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業 パンフレット] - パンフレット一覧(Vol.1 - Vol.6)横浜市公式サイト
* [https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/jokyo/sakaihatsu/totsusai/pamphlet.files/0002_20190314.pdf 進めよう とつか再開発〈完成版〉戸塚駅西口第1地区第二種市街地再開発事業 パンフレット Vol.6] 2013年3月、横浜市公式サイト
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[[Category:横浜市の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 と|つか]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
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[[Category:東海道線 (JR東日本)|とつかえき]]
[[Category:横須賀・総武快速線|とつかえき]]
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[[Category:戸塚区の交通|とつかえき]]
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大井町駅
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大井町駅(おおいまちえき)は、東京都品川区大井一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄・東京臨海高速鉄道(TWR)の駅である。
品川区役所の最寄駅の一つである。
以下の3社3路線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線である(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)が、当駅には電車線を走る京浜東北線電車のみが停車し、列車線を走る東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また、特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。
JR東日本ステーションサービスが駅業務を受託している品川駅管理の業務委託駅。島式ホーム1面2線を有する地上駅。京浜東北線に並行して東側には東海道線の線路があるが、ホームはない。ホーム中央付近に中央口(アトレ大井町)、品川寄りに東口(アトレ大井町2)と西口(東急大井町駅に隣接)が存在する。品川寄りの東口と西口は線路を挟んですぐそばにある。自動改札機、指定席券売機、話せる指定席券売機設置駅。また、大森方すぐの場所に踏切があるため当駅の京浜東北線の南行きは通過禁止駅に指定されている。
(出典:JR東日本:駅構内図)
当駅の発車メロディはクラシック音楽が使われている。首都圏では発車メロディ用に作られた曲ではない曲を初めて採用した事例であり、この楽曲が導入された理由は、メロディ導入時の同駅駅長の趣味だったという。メロディを導入したごく初期は、1番線でバッハ作曲『平均律クラヴィーア曲集』の第2巻5番、2番線でベートーヴェン作曲『交響曲第8番』の第1楽章の一部分がそれぞれ使用されていた。
頭端式ホーム1面2線を有する高架駅である。新玉川線(現・田園都市線渋谷 - 二子玉川間)が開通する前は田園都市線の起点駅だった。1999年から2006年2月まで改良工事を実施し、駅舎とホームが大きく変更され、連絡改札口がなくなった。基本的に各駅停車が1番線、急行が2番線から発着することが多い。ホーム長は6両編成に対応するものであったが延長工事が行われ、2017年11月からは7両編成に対応するものとなった。
ホームドアの設置については品川区や国土交通省などを含めた協議がなされ、2011年度までに供用を開始するものとされた。その後、上記のほか東京都による補助金交付を受け事業化され、2012年3月3日から供用を開始している。
駅長所在駅であり、「大井町駅管内」として、当駅 - 荏原町駅間の各駅を管理している。
東急電鉄最東端の駅である。
以前は2番線の反対側に降車ホームがあった。
単式ホーム1面1線が二層構造となっている地下駅である。駅部トンネルのうち線路・ホーム部分は2本の単線シールド工法(挿入式拡径親子シールド)で、改札等の駅施設部分は開削工法で構築され、シールド部と開削部がホーム中央部分で連結されている。
JRとは品川寄りと大森寄りのそれぞれの駅舎(JR中央口)で、東急とは品川寄りの駅舎のみで連絡している。改札口から品川寄り駅舎へ向かう途中にイトーヨーカドー大井町店の地下1階フロアに直結する出入口がある。JR中央口改札階とりんかい線改札階を連絡するエスカレーターは44 mの長さがある。西隣の大崎駅と異なり、JRとの改札内での乗り換えはできない。ホーム番号や自動券売機も完全に別のものとなっている。
当駅から渋谷・新宿・池袋方面へは、りんかい線は大崎駅からJR埼京線に直通することから利便性は高い。ただし、運賃はりんかい線とJR線の合算となるため割高となる。大崎駅まででもりんかい線を使うと210円(IC同額)、JR品川経由では170円(IC:167円)である。
2011年公開の映画『GANTZ』は、冒頭の地下鉄シーンのロケが当駅で実施され、都内で初めて線路上に降りての撮影が行われた。
発車メロディは東洋メディアリンクス製の「Cielo Estrellado」と「Water Crown」を使用しているが、当駅は2010年7月から2021年6月まで劇団四季の専用劇場の四季劇場[夏]およびキャッツ・シアターの最寄り駅であったことから、同劇場でミュージカルが上演されている期間に限り、発車メロディがそのミュージカルのテーマ曲に変更されていた。
近年の1日平均乗降人員の推移は以下の通り(JRを除く)。
各年度の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
各年度の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
各年度の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
駅周辺には、品川区の公共施設が集中している。
JR大井町駅中央口に駅ビルの「アトレ大井町」、JR大井町駅東口駅舎に「アトレ大井町2」がそれぞれ併設されている。
東京総合車両センターの出入口が当駅の北側にあるほか、駅周辺には小規模の飲食店が多く立地する。
中央口の東側および西側にそれぞれロータリーが存在している。「東急大井町駅」停留所は道路上に存在している。
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大井町駅(おおいまちえき)は、東京都品川区大井一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄・東京臨海高速鉄道(TWR)の駅である。 品川区役所の最寄駅の一つである。
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{{駅情報
|駅名 = 大井町駅
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|ローマ字 = Ōimachi
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|画像説明 = [[駅ビル]]「[[アトレ]]大井町」(2021年7月)
|地図 = {{maplink2|frame=yes|zoom=15|frame-width=300|plain=yes|frame-align=center
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}}
|所在地 = [[東京都]][[品川区]][[大井 (品川区)|大井]]一丁目
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* [[東日本旅客鉄道]](JR東日本・[[#JR東日本|駅詳細]])
* [[東急電鉄]]([[#東急電鉄|駅詳細]])
* [[東京臨海高速鉄道]]([[#東京臨海高速鉄道|駅詳細]])}}
}}{{座標一覧}}
[[File:Oimachi-Sta-from-Bridge.JPG|thumb|跨線橋から見た駅ビルとJRホーム(2016年6月)]]
'''大井町駅'''(おおいまちえき)は、[[東京都]][[品川区]][[大井 (品川区)|大井]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)・[[東急電鉄]]・[[東京臨海高速鉄道]](TWR)の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
以下の3社3路線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。
* JR東日本:[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] [[京浜東北線]] - [[駅ナンバリング|駅番号]]「'''JK 19'''」
* 東急電鉄:[[File:Tokyu OM line symbol.svg|15px|OM]] [[東急大井町線|大井町線]] - 駅番号「'''OM01'''」
* 東京臨海高速鉄道:[[File:Rinkai Line symbol.svg|15px|R]] [[東京臨海高速鉄道りんかい線|りんかい線]] - 駅番号「'''R 07'''」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は[[東海道本線]]である(詳細は路線記事および[[鉄道路線の名称]]参照)が、当駅には[[電車線・列車線|電車線]]を走る京浜東北線電車のみが停車し、[[電車線・列車線|列車線]]を走る[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。また、[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|東京都区内]]」に属する。
<gallery>
JRE-Oimachi-STA East.jpg|JR・東京臨海高速鉄道・東急大井町駅西口(2021年7月)
JRE-Oimachi-STA East-Entrance.jpg|JR大井町駅東口から見た西口(2021年7月)
</gallery>
== 歴史 ==
* [[1901年]]([[明治]]34年)
** [[3月15日]]:[[鉄道省|国有鉄道]]東海道本線に大井聯絡所を開設する。
** [[8月1日]]:大井聯絡所 - 大崎駅間の[[山手線]]支線が開通する<ref name="k19010621">{{国立国会図書館デジタルコレクション|2948688/2|逓信省告示第257号 官報 第5389号(1901年6月21日)|format=EXTERNAL}}</ref>。
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[12月20日]]:京浜線(京浜東北線の前身)運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし'''大井町駅'''が開業する([[日本の鉄道駅#旅客駅|旅客駅]])<ref name="k19141205">{{国立国会図書館デジタルコレクション|2952811/3|鉄道院告示第113号 官報 第704号(1914年12月5日)|format=EXTERNAL}}</ref>。
* [[1916年]](大正5年)[[4月16日]]:大崎駅 - 大井町駅間の山手線支線を廃止する<ref name="k19160330">{{国立国会図書館デジタルコレクション|2953206/6|鉄道院告示第116号 官報 第1096号(1916年3月30日)|format=EXTERNAL}}</ref>。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)[[7月6日]]:[[目黒蒲田電鉄]](現・東急電鉄)大井町線大井町 - 大岡山間が開通する<ref name="RP912_202-203">{{Cite journal|和書|author=関田克孝|title=東横線ターミナル駅の変遷と記憶|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2015-12-10|volume=65|issue=第12号(通巻912号)|pages=202 - 203|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。
* [[1942年]](昭和17年):[[東京横浜電鉄]](現・東急電鉄)の駅舎を改築<ref name="RP912_202-203" />。同時に降車ホームを設置する<ref name="RP912_202-203" />。
* [[1957年]](昭和32年)
** [[7月29日]]:国鉄西口駅舎が改築される<ref group="新聞">{{Cite news |title=大井町駅新西口本屋が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1957-07-26 |page=1 }}</ref>。
** [[9月15日]]:京浜東北線ホームが品川駅方面へ延長され、国鉄の駅と東京急行電鉄(現・東急電鉄)の駅を結ぶ連絡跨線橋が完成する<ref name="RP912_202-203" />。
* [[1972年]](昭和47年)[[3月15日]]:国鉄駅での[[チッキ|荷物]]の取扱を廃止する。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]:[[国鉄分割民営化]]に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[7月5日]]:JR東日本の駅ビル着工<ref name=JRR1991>{{Cite book|和書 |date=1991-08-01 |title=JR気動車客車編成表 '91年版 |chapter=JR年表 |page=191 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-112-0}}</ref>。
* [[1991年]](平成3年)[[8月31日]]:JR東日本の駅で[[自動改札機]]を設置し、使用開始<ref>{{Cite book|和書 |date=1992-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '92年版 |chapter=JR年表 |page=181 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-113-9}}</ref>。
* [[1993年]](平成5年)[[3月11日]]:駅ビル「アトレ大井町」が完成<ref group="新聞">{{Cite news |title=開業日は来月11日 JR東日本など開発 駅ビル「アトレ大井町」 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-02-05|page=1}}</ref>。東西自由通路の供用開始<ref group="新聞">{{Cite news |title=JR東日本 「アトレ大井町」開業 駅の東西自由通路も|newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-03-12 |page=3 }}</ref>。発車メロディの使用を開始。なお、現行のメロディに変更されたのは同年7月頃から。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:JR東日本の駅で[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190727044949/https://www.jreast.co.jp/press/2001_1/20010904/suica.pdf|title=Suicaご利用可能エリアマップ(2001年11月18日当初)|format=PDF|language=日本語|archivedate=2019-07-27|accessdate=2020-04-23|publisher=東日本旅客鉄道}}</ref>。
* [[2002年]](平成14年)
** [[11月25日]]:JR東日本の東口新駅舎の使用を開始する。
** [[12月1日]]:東京臨海高速鉄道りんかい線の駅が開業する<ref group="報道" name="twr20020712">{{Cite press release|和書|url=http://www.twr.co.jp/zensen2002_set.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20021209101402/http://www.twr.co.jp/zensen2002_set.html|language=日本語|title=「りんかい線」今年12月1日に大崎駅まで全線開業!|publisher=東京臨海高速鉄道|date=2002-07-12|accessdate=2022-03-27|archivedate=2002-12-09}}</ref><ref name="JRC605">{{Cite journal|和書 |title = 鉄道記録帳2002年12月 |date = 2003-03-01 |journal = RAIL FAN |issue = 2 |volume = 50 |publisher = 鉄道友の会 |page = 25 }}</ref>。りんかい線の駅で「Suica」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2002_2/20021004.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171105133949/http://www.jreast.co.jp/press/2002_2/20021004.pdf|format=PDF|language=日本語|title=Suicaがもっと便利に! 東京臨海高速鉄道(株)との相互利用開始!|publisher=東日本旅客鉄道|date=2002-10-08|accessdate=2020-02-04|archivedate=2017-11-05}}</ref>。
* [[2005年]](平成17年)[[3月6日]]:東急大井町線のホームが拡幅される<ref>{{Cite web|和書|url=http://hot.tokyu.co.jp/railway/hot/0503/0503.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170202062315/http://hot.tokyu.co.jp/railway/hot/0503/0503.pdf|title=HOTほっとTOKYU No.292 2005年3月号 > 大井町線 大井町駅ホームを拡幅|archivedate=2017-02-02|date=2005-02-20|accessdate=2020-05-02|publisher=東京急行電鉄|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
* [[2007年]](平成19年)[[3月18日]]:東急電鉄でICカード「[[PASMO]]」の利用が可能となる<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf|format=PDF|language=日本語|title=PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー|publisher=PASMO協議会/パスモ|date=2006-12-21|accessdate=2020-05-05|archivedate=2020-05-01}}</ref>。
* [[2008年]](平成20年)[[3月20日]]:駅ビル「アトレ大井町」がリニューアル<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://company.atre.co.jp/company/news/pict/54_20080228oimachi.pdf|title=アトレ大井町 Brand New Open 2008.3.20 Thu at10:00|format=PDF|publisher=東京圏駅ビル開発|language=日本語|date=2008-02-28|accessdate=2020-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200521144943/https://company.atre.co.jp/company/news/pict/54_20080228oimachi.pdf|archivedate=2020-05-21}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年)[[3月3日]]:JR東日本の東口新駅舎に駅ビル「アトレ大井町2」がオープン<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://company.atre.co.jp/company/news/pict/180_atre_ooimachi2_0214pdf.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200427114730/https://company.atre.co.jp/company/news/pict/180_atre_ooimachi2_0214pdf.pdf|format=PDF|language=日本語|title=『アトレ大井町 2』2011年3月3日(木)グランドオープン!|publisher=アトレ|date=2011-02-15|accessdate=2020-04-27|archivedate=2020-04-27}}</ref>。
* [[2012年]](平成24年)3月3日:東急大井町線ホームで[[ホームドア]]の使用を開始<ref name="hot385">{{Cite web|和書|url=http://hot.tokyu.co.jp/uploads/2012/03/201204.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150508234112/http://hot.tokyu.co.jp/uploads/2012/03/201204.pdf|title=HOTほっとTOKYU No.385 2012年4月号 > 大井町線 大井町駅にホームドアを設置しました|archivedate=2015-05-08|date=2012-03-20|accessdate=2020-05-02|publisher=東京急行電鉄|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
* [[2018年]](平成30年)
** [[2月14日]]:京浜東北線ホームでホームドアの使用を開始<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2016/tokyo/20160407_t01.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190510023513/https://www.jreast.co.jp/press/2016/tokyo/20160407_t01.pdf|format=PDF|language=日本語|title=赤羽駅・上野駅・大井町駅3駅の京浜東北線ホームドア工事着手について|publisher=東日本旅客鉄道東京支社|date=2016-04-07|accessdate=2020-04-08|archivedate=2019-05-10}}</ref>。
** [[3月31日]]:[[びゅうプラザ]]の営業を終了。
* [[2019年]]([[令和]]元年)[[12月1日]]:JR東日本の駅が業務委託化<ref name="2019-11-15">{{Cite web|和書|url=http://jrtu-tokyo.sakura.ne.jp/job/jobfiles/2019eigyou_no2.html|title=2019年度営業関係施策(その2)|accessdate=2019-11-15|publisher=東日本ユニオン東京地本|archivedate=2019-11-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191101011144/http://jrtu-tokyo.sakura.ne.jp/job/jobfiles/2019eigyou_no2.html}}</ref>。
* [[2020年]](令和2年)
** [[2月16日]]:りんかい線2番線でホームドアの使用を開始<ref group="報道" name="2020-02-12">{{Cite press release|和書|url=https://www.twr.co.jp/Portals/0/resources/info/2020/homedoor_20200212.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200213101839/https://www.twr.co.jp/Portals/0/resources/info/2020/homedoor_20200212.pdf|format=PDF|language=日本語|title=りんかい線大井町駅 ホームドア運用開始について|publisher=東京臨海高速鉄道|date=2020-02-12|accessdate=2020-02-13|archivedate=2020-02-13}}</ref>。
** [[2月24日]]:りんかい線1番線でホームドアの使用を開始<ref group="報道" name="2020-02-12"/>。
* [[2021年]](令和3年)[[4月30日]]:東急電鉄の定期券売り場の営業を終了<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/eca549ce97d87500e3e5b7c261b5ce8f8950eac2.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210319161740/https://www.tokyu.co.jp/image/information/pdf/eca549ce97d87500e3e5b7c261b5ce8f8950eac2.pdf|format=PDF|language=日本語|title=定期券のお買い求めや払いもどしは、モバイルPASMO・Apple PayのPASMO・券売機のご利用が便利です!|page=2|publisher=東急電鉄|date=2021-03-18|accessdate=2021-03-19|archivedate=2021-03-19}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)
** [[10月31日]]:[[みどりの窓口]]の営業を終了<ref name="StationCd=307">{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=307|title=駅の情報(大井町駅):JR東日本|publisher=東日本旅客鉄道|accessdate=2022-09-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220930084007/https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=307|archivedate=2022-09-30}}</ref><ref name="jtsu-20220727">{{Cite web|和書|url=https://www.jtsu-e-tokyo.org/_files/ugd/57fa70_ca25e4d04ed34d9d92c37b3ec680b1da.pdf|title=営業関係施策(その1)について提案を受ける!!|format=PDF|publisher=輸送サービス労組 東京地本|date=2022-07-27|accessdate=2022-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220727151103/https://www.jtsu-e-tokyo.org/_files/ugd/57fa70_ca25e4d04ed34d9d92c37b3ec680b1da.pdf|archivedate=2022-07-27}}</ref>。
** [[11月1日]]:[[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]を導入<ref name="StationCd=307" /><ref name="jtsu-20220727" />。
== 駅構造 ==
=== JR東日本 ===
{{駅情報
|社色 = #008000
|文字色 =
|駅名 = JR 大井町駅
|画像 = JRE-Oimachi-STA Central-Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 中央口改札(2021年7月)
|よみがな = おおいまち
|ローマ字 = Ōimachi
|所在地 = [[東京都]][[品川区]][[大井 (品川区)|大井]]一丁目2-1
|座標 = {{coord|35|36|22.4|N|139|44|5.5|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title|name=JR 大井町駅}}
|電報略号 = オマ←ヲマ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1914年]]([[大正]]3年)[[12月20日]]
|廃止年月日 =
|乗車人員 = <ref group="JR" name="JR2022" />77,463
|乗降人員 =
|統計年度 = 2022年<!--リンク不要-->
|所属路線 = {{color|#00b2e5|■}}[[京浜東北線]]<br />(線路名称上は[[東海道本線]])
|駅番号 = {{駅番号r|JK|19|#00b2e5|1}}
|前の駅 = JK 20 [[品川駅|品川]]
|駅間A = 2.4
|駅間B = 2.2
|次の駅 = [[大森駅 (東京都)|大森]] JK 18
|キロ程 = 9.2 km([[東京駅|東京]]起点)<br />[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]から39.5
|起点駅 =
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="2019-11-15"/>
* [[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]設置駅<ref name="StationCd=307" />
* [[File:JR area KU.svg|15px|区]] [[特定都区市内|東京都区内]]駅}}
}}
[[JR東日本ステーションサービス]]が駅業務を受託している[[品川駅]]管理の[[日本の鉄道駅#業務委託駅|業務委託駅]]<ref name="2019-11-15" />。[[島式ホーム]]1面2線を有する[[地上駅]]。京浜東北線に並行して東側には[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]の線路があるが、ホームはない。ホーム中央付近に中央口([[アトレ|アトレ大井町]])、品川寄りに東口(アトレ大井町2)と西口(東急大井町駅に隣接)が存在する。品川寄りの東口と西口は線路を挟んですぐそばにある。[[自動改札機]]、[[指定席券売機]]、[[指定席券売機#アシストマルス|話せる指定席券売機]]<ref name="StationCd=307" />設置駅。また、大森方すぐの場所に踏切があるため当駅の京浜東北線の南行きは通過禁止駅に指定されている。
==== のりば ====
<!--方面表記は、JR東日本の駅の情報の「駅構内図」の記載に準拠-->
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|rowspan=2|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線
|style="text-align:center"|北行
|[[東京駅|東京]]・[[上野駅|上野]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|-
!2
|style="text-align:center"|南行
|[[蒲田駅|蒲田]]・[[横浜駅|横浜]]・[[大船駅|大船]]方面
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/307.html JR東日本:駅構内図])
<gallery>
JRE-Oimachi-STA East-Gate.jpg|東口改札(2021年7月)
Oimachi-STA West-Gate.jpg|西口改札(2021年7月)
JRE-Oimachi-STA Platform 20210701 130814.jpg|ホーム(2021年7月)
</gallery>
==== 発車メロディ ====
当駅の[[発車メロディ]]は[[クラシック音楽]]が使われている。首都圏では発車メロディ用に作られた曲ではない曲を初めて採用した事例であり、この楽曲が導入された理由は、メロディ導入時の同駅駅長の趣味だったという。メロディを導入したごく初期は、1番線で[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]作曲『[[平均律クラヴィーア曲集]]』の第2巻5番、2番線で[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]作曲『[[交響曲第8番 (ベートーヴェン)|交響曲第8番]]』の第1楽章の一部分がそれぞれ使用されていた。
{|border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
|rowspan="2"|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]]
|[[四季 (ヴィヴァルディ)#協奏曲第1番ホ長調 RV 269「春」(La Primavera)|四季第一楽章「春」]]
|-
!2
|[[四季 (ヴィヴァルディ)#協奏曲第3番ヘ長調 RV 293「秋」(L'Autunno)|四季第三楽章「秋」]]
|}
{{clear}}
=== 東急電鉄 ===
{{駅情報
|社色 = #ee0011
|文字色 =
|駅名 = 東急 大井町駅
|画像 = Tokyu-Oimachi-STA Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 改札口(2021年7月)
|よみがな = おおいまち
|ローマ字 = Ōimachi
|副駅名 =
|隣の駅 =
|前の駅 =
|駅間A =
|駅間B = 0.8
|次の駅 = [[下神明駅|下神明]] OM02
|駅番号 = {{駅番号r|OM|01|#f18c43|3}}
|所属事業者 = [[東急電鉄]]
|所属路線 = {{color|#f18c43|■}}[[東急大井町線|大井町線]]
|キロ程 = 0.0
|起点駅 = 大井町
|所在地 = [[東京都]][[品川区]][[大井 (品川区)|大井]]一丁目1-1
|座標 = {{coord|35|36|27.5|N|139|44|5|E|region:JP_type:railwaystation|name=東急 大井町駅}}
|駅構造 = [[高架駅]]
|ホーム = 1面2線
|開業年月日 = [[1927年]]([[昭和]]2年)[[7月6日]]<ref name="RP912_202-203" />
|乗降人員 = <ref group="東急" name="tokyu2022" />105,157
|統計年度 = 2022年<!--リンク不要-->
|乗換 =
|備考 =
}}
[[頭端式ホーム]]1面2線を有する[[高架駅]]である。新玉川線(現・[[東急田園都市線|田園都市線]][[渋谷駅|渋谷]] - [[二子玉川駅|二子玉川]]間)が開通する前は田園都市線の起点駅だった。[[1999年]]から[[2006年]]2月まで改良[[工事]]を実施し、駅舎とホームが大きく変更され<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/east/pr/omchi_dento_omchi.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131109110719/http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/east/pr/omchi_dento_omchi.html|title=大井町線改良・田園都市線複々線化工事 大井町駅改良工事|archivedate=2013-11-09|accessdate=2021-07-11|publisher=東京急行電鉄|language=日本語|deadlinkdate=2021年7月}}</ref>、連絡改札口がなくなった。基本的に各駅停車が1番線、急行が2番線から発着することが多い。ホーム長は6両編成に対応するものであったが延長工事が行われ<ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyu.co.jp/171012-21.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190303180427/http://www.tokyu.co.jp/171012-21.pdf|format=PDF|language=日本語|title=都心方面への輸送力を増強し混雑緩和を推進します! 大井町線急行列車の7両編成化と新型車両6020系の導入|publisher=東京急行電鉄|date=2017-10-12|accessdate=2020-05-07|archivedate=2019-03-03}}</ref>、2017年11月からは7両編成に対応するものとなった。
[[ホームドア]]の設置については品川区や[[国土交通省]]などを含めた協議がなされ、2011年度までに供用を開始するものとされた<ref group="新聞">{{Cite news|url=https://shinagawa.keizai.biz/headline/1212/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210501135207/https://shinagawa.keizai.biz/headline/1212/|title=品川区が2011年度の予算案発表-東急大井町線にホームドア設置も|newspaper=[[みんなの経済新聞ネットワーク|品川経済新聞]]|date=2011-02-07|accessdate=2021-05-01|archivedate=2021-05-01}}</ref><ref group="報道">{{Cite press release|和書|url=http://www.mlit.go.jp/common/000135244.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110323175432/http://www.mlit.go.jp/common/000135244.pdf|format=PDF|language=日本語|title=「第1回 ホームドアの整備促進等に関する検討会」の結果について|publisher=国土交通省鉄道局|date=2011-02-09|accessdate=2020-05-31|archivedate=2011-03-23}}</ref>。その後、上記のほか東京都による[[補助金]]交付を受け事業化され、2012年3月3日から供用を開始している<ref name="hot385"/>。
[[駅長]]所在駅であり、「大井町駅管内」として、当駅 - [[荏原町駅]]間の各駅を管理している<ref name="RP912">{{Cite journal|和書|author=佐藤悠歩(東京急行電鉄鉄道事業本部運転車両部保安課)、佐藤宏至(東京急行電鉄鉄道事業本部運輸営業部サービス課)|title=駅務、乗務区のあらまし|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2015-12-10|volume=65|issue=第12号(通巻912号)|page=47|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>。
東急電鉄最東端の駅である。
==== のりば ====
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!行先
|-
!1・2
|[[File:Tokyu OM line symbol.svg|15px|OM]] 大井町線
|[[自由が丘駅|自由が丘]]・[[二子玉川駅|二子玉川]]・[[溝の口駅|溝の口]]方面<ref>{{Cite web|和書| |url=https://www.tokyu.co.jp/railway/timetable/pdf/202303_om01_ooimachi2.pdf |title=大井町線標準時刻表 大井町駅 溝の口方面 |publisher=東急電鉄 |accessdate=2023/03/18}}</ref>
|}
以前は2番線の反対側に降車ホームがあった<ref name="RP912_202-203" />。
<gallery>
Tokyu-Oimachi-STA Home1-2.jpg|東急大井町線ホーム(2022年3月)
</gallery>
{{clear}}
=== 東京臨海高速鉄道 ===
{{駅情報
|社色 = #00418e
|文字色 =
|駅名 = りんかい線 大井町駅
|画像 = Rinkai-Oimachi-STA Gate.jpg
|pxl = 300
|画像説明 = 改札口(2022年5月)
|よみがな = おおいまち
|ローマ字 = Oimachi
|副駅名 =
|前の駅 = R 06 [[品川シーサイド駅|品川シーサイド]]
|駅間A = 1.6
|駅間B = 1.7
|次の駅 = [[大崎駅|大崎]] R 08
|電報略号 = オマ
|駅番号 = {{駅番号r|R|07|#00418e|6|#ADD8E6}}
|所属事業者 = [[東京臨海高速鉄道]]
|所属路線 ={{color|#00418e|●}}[[東京臨海高速鉄道りんかい線|りんかい線]]
|キロ程 = 10.5
|起点駅 = [[新木場駅|新木場]]
|所在地 = [[東京都]][[品川区]][[大井 (品川区)|大井]]一丁目2-10
|座標 = {{coord|35|36|26.7|N|139|44|4.5|E|region:JP_type:railwaystation|name=東京臨海高速鉄道 大井町駅}}
|駅構造 = [[地下駅]]
|ホーム = 計2面2線(2層式)
|開業年月日 = [[2002年]]([[平成]]14年)[[12月1日]]<ref group="報道" name="twr20020712" /><ref name="JRC605"/>
|廃止年月日 =
|乗車人員 = 26,623
|乗降人員 =
|統計年度 = 2021年<!--リンク不要-->
|乗換 =
|備考 =
}}
[[単式ホーム]]1面1線が二層構造となっている[[地下駅]]である。駅部トンネルのうち線路・ホーム部分は2本の[[単線]][[シールドトンネル#シールド工法|シールド工法]](挿入式拡径親子シールド)で、改札等の駅施設部分は開削工法で構築され、シールド部と開削部がホーム中央部分で連結されている<ref>{{Cite journal|和書|author=小林素一、深沢成年、高久寿夫|url=https://www.nikko-pb.co.jp/photos/logmok/c_0302.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200917154159/https://www.nikko-pb.co.jp/photos/logmok/c_0302.pdf|title=拡径シールドによる地下駅の建設 =伸縮スポーク方式によるシールドの挿入式拡径と異径の地中接合=|archivedate=2020-09-17|accessdate=2020-09-17|publisher=日本工業出版|journal=建設機械|date=2003-02|pages=10 - 15|format=PDF|language=日本語}}</ref>。
JRとは品川寄りと大森寄りのそれぞれの駅舎(JR中央口)で、東急とは品川寄りの駅舎のみで連絡している。改札口から品川寄り駅舎へ向かう途中にイトーヨーカドー大井町店の地下1階フロアに直結する出入口がある。JR中央口改札階とりんかい線改札階を連絡する[[エスカレーター]]は44 mの長さがある。西隣の[[大崎駅]]と異なり、JRとの改札内での乗り換えはできない。ホーム番号や[[自動券売機]]も完全に別のものとなっている。
当駅から[[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・[[池袋駅|池袋]]方面へは、りんかい線は大崎駅からJR[[埼京線]]に直通することから利便性は高い。ただし、運賃はりんかい線とJR線の合算となるため割高となる。大崎駅まででもりんかい線を使うと210円(IC同額)、JR品川経由では170円(IC:167円)である。
[[2011年]]公開の映画『[[GANTZ (映画)|GANTZ]]』は、冒頭の地下鉄シーンのロケが当駅で実施され、都内で初めて線路上に降りての撮影が行われた<ref>{{Cite web|和書|title=『GANTZ』、二宮&松ケン転送シーンは都内史上初!?りんかい線大井町駅で線路上に降りての撮影に!|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0029464|website=[[シネマトゥデイ]]|date=2011-01-07|accessdate=2020-11-12}}</ref>。
==== のりば ====
<!--番線欄のカラーは発車標などでの上り下りの色分け-->
{|class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!階層!!路線!!方向!!colspan="2"|行先<ref>{{Cite web |url=https://www.twr.co.jp/route/tabid/119/Default.aspx?TabModule1411=0 |title=大井町駅 時刻表 |publisher=東京臨海高速鉄道 |accessdate=2023-06-06}}</ref>
|-
! 1
|地下3階
|rowspan="2"|[[File:Rinkai Line symbol.svg|15px|R]] りんかい線
|style="text-align:center"|下り
| style="background:#00b48d" |
|[[大崎駅|大崎]]・[[File:JR JA line_symbol.svg|15px|JA]] [[埼京線]]([[渋谷駅|渋谷]]・[[新宿駅|新宿]]・[[池袋駅|池袋]])方面
|-
! 2
|地下5階
|style="text-align:center"|上り
| style="background:#0072ff" |
|[[新木場駅|新木場]]方面
|}
<gallery>
Rinkai-Oimachi-STA Home1.jpg|1番線ホーム(2022年5月)
Rinkai-Oimachi-STA Home2.jpg|2番線ホーム(2022年5月)
</gallery>
==== 発車メロディ ====
[[発車メロディ]]は[[東洋メディアリンクス]]製の「Cielo Estrellado」と「Water Crown」を使用しているが、当駅は2010年7月から2021年6月まで[[劇団四季]]の専用劇場の[[四季劇場[夏]]]および[[キャッツ・シアター]]の最寄り駅であったことから、同劇場でミュージカルが上演されている期間に限り、発車メロディがそのミュージカルのテーマ曲に変更されていた。
{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:Rinkai Line symbol.svg|15px|R]]
| Water Crown
|-
!2
| Cielo Estrellado
|}
* 2011年6月21日から2013年1月27日まで - ミュージカル『[[美女と野獣]]』のテーマ曲
** 上り線(新木場方面行き)は「ビ アワ ゲスト(おもてなし)」、下り線(大崎方面行き)は「美女と野獣」が流れていた<ref group="新聞">{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110622k0000m040112000c.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110621223407/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110622k0000m040112000c.html|title=発車ベル:りんかい線・大井町駅の曲「美女と野獣」に|newspaper=毎日新聞|date=2011-06-21|accessdate=2020-06-23|archivedate=2011-06-21}}</ref>。
* 2013年10月25日から[[2017年]]4月9日まで - ミュージカル『[[リトル・マーメイド]]』のテーマ曲
** 上り線(新木場方面行き)は「アンダー・ザ・シー」、下り線(大崎方面行き)は「パート・オブ・ユア・ワールド」が流れていた<ref>[https://web.archive.org/web/20131031165445/http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2013/10/28_03.php りんかい線・大井町駅発車ベルが『リトルマーメイド』のメロディーに 『リトルマーメイド』キャストが一日駅長に就任] - シアターガイド(2013年10月28日付、同月30日閲覧)</ref>。
* 2019年3月7日から2021年6月21日10時30分まで - ミュージカル 『[[キャッツ (ミュージカル)|キャッツ]]』のテーマ曲
** 上り線(新木場方面行き)は 「スキンブルシャンクス-鉄道猫」、下り線(大崎方面行き)は「メモリー」が流れていた<ref group="新聞">{{Cite news|url=https://shinagawa.keizai.biz/headline/3814/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210705102200/https://shinagawa.keizai.biz/headline/3814/|title=大井町のキャッツ・シアター閉館 キャッツ発着ベル終了、駅には感謝のメッセージも|newspaper=品川経済新聞|date=2021-06-22|accessdate=2021-07-05|archivedate=2021-07-05}}</ref>。
== 利用状況 ==
* '''JR東日本''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''77,463人'''である<ref group="JR" name="JR2022" />。
*: 同社では[[仙台駅]]に次いで第47位。
* '''東急電鉄''' - 2022年度の1日平均[[乗降人員|'''乗降'''人員]]は'''105,157人'''である<ref group="東急" name="tokyu2022" />。
* '''東京臨海高速鉄道''' - 2021年度の1日平均'''乗車'''人員は'''26,623人'''である<ref group="利用客数">[https://www.twr.co.jp/contact/tabid/224/Default.aspx よくあるご質問|お問い合わせ|お台場電車 りんかい線] (ページ上段)</ref>。
*: りんかい線内8駅中第2位。
=== 年度別1日平均乗降人員 ===
近年の1日平均'''乗降'''人員の推移は以下の通り(JRを除く)。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗降人員<ref group="統計">[https://www.train-media.net/report.html レポート] - 関東交通広告協議会</ref><ref group="統計" name="shinagawatoukei" />
!rowspan=2|年度
!style="text-align:center" colspan="2"|東京急行電鉄<br />/ 東急電鉄
!style="text-align:center" colspan="2"|東京臨海<br />高速鉄道
|-
!1日平均<br />乗降人員
!増加率
!1日平均<br />乗降人員<!--品川区の統計より記載-->
!増加率
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|95,558||
|style="text-align:center" colspan="2" rowspan="7"|未<br />開<br />業
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|93,180||−2.5%
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|93,712||0.6%
|-
|1998年(平成10年)
|92,500||−1.3%
|-
|1999年(平成11年)
|92,120||−0.4%
|-
|2000年(平成12年)
|91,718||−0.4%
|-
|2001年(平成13年)
|89,109||−2.8%
|-
|2002年(平成14年)
|<ref name="RJ749_28">{{Cite journal|和書|author=村上潤(東京急行電鉄鉄道事業本部運転車両部運転課)|title=輸送と運転 近年の動向|journal=[[鉄道ピクトリアル]]|date=2004-07-10|volume=54|issue=第7号(通巻749号)|page=28|publisher=[[電気車研究会]]|issn=0040-4047}}</ref>92,280||3.6%
|<ref group="備考" name="TWR">2002年12月1日開業。開業日から翌年3月31日までの計121日間を集計したデータ。</ref>31,994||
|-
|2003年(平成15年)
|<ref name="RJ749_28" />102,604||11.2%
|38,582||20.6%
|-
|2004年(平成16年)
|104,360||1.7%
|42,349||9.8%
|-
|2005年(平成17年)
|106,158||1.7%
|47,102||11.2%
|-
|2006年(平成18年)
|109,705||3.3%
|53,485||13.6%
|-
|2007年(平成19年)
|114,924||4.8%
|59,822||11.8%
|-
|2008年(平成20年)
|121,109||5.4%
|65,060||8.6%
|-
|2009年(平成21年)
|125,417||3.6%
|66,857||2.8%
|-
|2010年(平成22年)
|126,395||0.8%
|66,427||−0.6%
|-
|2011年(平成23年)
|127,424||0.8%
|65,690||−1.1%
|-
|2012年(平成24年)
|132,564||4.0%
|72,642||10.6%
|-
|2013年(平成25年)
|137,025||3.4%
|75,846||4.4%
|-
|2014年(平成26年)
|137,052||0.0%
|79,256||4.5%
|-
|2015年(平成27年)
|139,151||1.5%
|81,121||2.4%
|-
|2016年(平成28年)
|141,196||1.5%
|83,531||3.0%
|-
|2017年(平成29年)
|143,269||1.5%
|85,632||2.5%
|-
|2018年(平成30年)
|144,699||1.0%
|88,619||3.5%
|-
|2019年(令和元年)
|143,527||−0.8%
| ||
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="東急" name="tokyu2020">{{Cite web|和書|author=東急電鉄株式会社|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/data/passengers/2020.html |title=2020年度乗降人員 |東急電鉄|type= |page= |date= |accessdate=2023-07-07}}</ref>92,592||−35.5%
|||
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="東急" name="tokyu2021">{{Cite web|和書|author=東急電鉄株式会社|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/data/passengers/2021.html |title=2021年度乗降人員 |東急電鉄|type= |page= |date= |accessdate=2023-07-07}}</ref>97,074||4.8%
|||
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
||<ref group="東急" name="tokyu2022">{{Cite web|和書|author=東急電鉄株式会社|url=https://www.tokyu.co.jp/railway/data/passengers/ |title=2022年度乗降人員 |東急電鉄|type= |page= |date= |accessdate=2023-07-07}}</ref>105,157||8.3%
|||
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1910年代 - 1930年代) ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員
!年度
!国鉄
!目黒蒲田電鉄
!出典
|-
|1914年(大正{{0}}3年)
|<ref group="備考">1914年12月20日開業。</ref>
|style="text-align:center" rowspan="10"|未<br />開<br />業
|
|-
|1915年(大正{{0}}4年)
|1,299
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972678/347?viewMode= 大正4年]</ref>
|-
|1916年(大正{{0}}5年)
|2,065
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972679/382?viewMode= 大正5年]</ref>
|-
|1919年(大正{{0}}8年)
|5,451
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972680/266?viewMode= 大正8年]</ref>
|-
|1920年(大正{{0}}9年)
|6,749
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972681/302?viewMode= 大正10年]</ref>
|-
|1922年(大正11年)
|11,322
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972682/303?viewMode= 大正11年]</ref>
|-
|1923年(大正12年)
|14,494
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972683/294?viewMode= 大正12年]</ref>
|-
|1924年(大正13年)
|18,699
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972684/292?viewMode= 大正13年]</ref>
|-
|1925年(大正14年)
|19,378
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448121/326?viewMode= 大正14年]</ref>
|-
|1926年(昭和元年)
|20,699
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448138/316?viewMode= 昭和元年]</ref>
|-
|1927年(昭和{{0}}2年)
|21,912
|<ref group="備考">1927年7月6日開業。開業日から翌年3月31日までの計239日間を集計したデータ。</ref>3,074
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448164/314?viewMode= 昭和2年]</ref>
|-
|1928年(昭和{{0}}3年)
|23,668
|8,671
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448188/347?viewMode= 昭和3年]</ref>
|-
|1929年(昭和{{0}}4年)
|24,923
|5,428
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448218/335?viewMode= 昭和4年]</ref>
|-
|1930年(昭和{{0}}5年)
|24,602
|6,184
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448245/340?viewMode= 昭和5年]</ref>
|-
|1931年(昭和{{0}}6年)
|24,006
|6,267
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448278/343?viewMode= 昭和6年]</ref>
|-
|1932年(昭和{{0}}7年)
|24,781
|6,500
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448259/316?viewMode= 昭和7年]</ref>
|-
|1933年(昭和{{0}}8年)
|25,335
|6,615
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446322/334?viewMode= 昭和8年]</ref>
|-
|1934年(昭和{{0}}9年)
|25,876
|6,663
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446161/342?viewMode= 昭和9年]</ref>
|-
|1935年(昭和10年)
|26,640
|6,955
|<ref group="東京府統計">[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446276/340?viewMode= 昭和10年]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年) ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計" name="tokyo-nenkan">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/tn-index.htm 東京都統計年鑑] - 東京都</ref><ref group="統計" name="shinagawatoukei">[https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/PC/kuseizyoho/kuseizyoho-siryo/kuseizyoho-siryo-toukei/hpg000030691.html 品川区の統計] - 品川区</ref>
!年度
!国鉄 /<br />JR東日本
!東京急行電鉄
!出典
|-
|1953年(昭和28年)
|39,728
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1953/tn53qa0009.pdf 昭和28年]}} - 13ページ</ref>
|-
|1954年(昭和29年)
|42,582
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1954/tn54qa0009.pdf 昭和29年]}} - 10ページ</ref>
|-
|1955年(昭和30年)
|44,786
|
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1955/tn55qa0009.pdf 昭和30年]}} - 10ページ</ref>
|-
|1956年(昭和31年)
|74,031
|39,740
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1956/tn56qa0009.pdf 昭和31年]}} - 10ページ</ref>
|-
|1957年(昭和32年)
|63,924
|44,080
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1957/tn57qa0009.pdf 昭和32年]}} - 10ページ</ref>
|-
|1958年(昭和33年)
|51,395
|46,827
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1958/tn58qa0009.pdf 昭和33年]}} - 10ページ</ref>
|-
|1959年(昭和34年)
|54,267
|49,103
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1959/tn59qyti0510u.htm 昭和34年]</ref>
|-
|1960年(昭和35年)
|57,740
|52,014
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1960/tn60qyti0510u.htm 昭和35年]</ref>
|-
|1961年(昭和36年)
|59,064
|55,593
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1961/tn61qyti0510u.htm 昭和36年]</ref>
|-
|1962年(昭和37年)
|60,287
|59,188
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1962/tn62qyti0510u.htm 昭和37年]</ref>
|-
|1963年(昭和38年)
|60,678
|60,416
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1963/tn63qyti0510u.htm 昭和38年]</ref>
|-
|1964年(昭和39年)
|61,014
|59,528
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1964/tn64qyti0510u.htm 昭和39年]</ref>
|-
|1965年(昭和40年)
|61,356
|57,210
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1965/tn65qyti0510u.htm 昭和40年]</ref>
|-
|1966年(昭和41年)
|67,733
|57,272
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1966/tn66qyti0510u.htm 昭和41年]</ref>
|-
|1967年(昭和42年)
|62,891
|59,027
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1967/tn67qyti0510u.htm 昭和42年]</ref>
|-
|1968年(昭和43年)
|62,285
|58,962
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1968/tn68qyti0510u.htm 昭和43年]</ref>
|-
|1969年(昭和44年)
|56,767
|56,763
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1969/tn69qyti0510u.htm 昭和44年]</ref>
|-
|1970年(昭和45年)
|63,738
|58,071
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1970/tn70qyti0510u.htm 昭和45年]</ref>
|-
|1971年(昭和46年)
|91,712
|59,104
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1971/tn71qyti0510u.htm 昭和46年]</ref>
|-
|1972年(昭和47年)
|91,458
|60,063
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1972/tn72qyti0510u.htm 昭和47年]</ref>
|-
|1973年(昭和48年)
|91,753
|60,836
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1973/tn73qyti0510u.htm 昭和48年]</ref>
|-
|1974年(昭和49年)
|95,764
|61,767
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1974/tn74qyti0510u.htm 昭和49年]</ref>
|-
|1975年(昭和50年)
|91,671
|62,879
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1975/tn75qyti0510u.htm 昭和50年]</ref>
|-
|1976年(昭和51年)
|94,665
|62,863
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1976/tn76qyti0510u.htm 昭和51年]</ref>
|-
|1977年(昭和52年)
|91,652
|62,085
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1977/tn77qyti0510u.htm 昭和52年]</ref>
|-
|1978年(昭和53年)
|89,802
|62,111
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1978/tn78qyti0510u.htm 昭和53年]</ref>
|-
|1979年(昭和54年)
|84,162
|54,492
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1979/tn79qyti0510u.htm 昭和54年]</ref>
|-
|1980年(昭和55年)
|76,158
|47,830
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1980/tn80qyti0510u.htm 昭和55年]</ref>
|-
|1981年(昭和56年)
|73,908
|46,721
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1981/tn81qyti0510u.htm 昭和56年]</ref>
|-
|1982年(昭和57年)
|72,910
|46,111
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1982/tn82qyti0510u.htm 昭和57年]</ref>
|-
|1983年(昭和58年)
|73,864
|47,740
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1983/tn83qyti0510u.htm 昭和58年]</ref>
|-
|1984年(昭和59年)
|74,175
|45,869
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1984/tn84qyti0510u.htm 昭和59年]</ref>
|-
|1985年(昭和60年)
|72,919
|47,323
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1985/tn85qyti0510u.htm 昭和60年]</ref>
|-
|1986年(昭和61年)
|71,247
|47,403
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1986/tn86qyti0510u.htm 昭和61年]</ref>
|-
|1987年(昭和62年)
|70,791
|47,776
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1987/tn87qyti0510u.htm 昭和62年]</ref>
|-
|1988年(昭和63年)
|71,933
|47,935
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1988/tn88qyti0510u.htm 昭和63年]</ref>
|-
|1989年(平成元年)
|75,528
|48,625
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1989/tn89qyti0510u.htm 平成元年]</ref>
|-
|1990年(平成{{0}}2年)
|76,621
|49,431
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1990/tn90qyti0510u.htm 平成2年]</ref>
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|77,810
|49,976
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1991/tn91qyti0510u.htm 平成3年]</ref>
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|78,025
|49,348
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1992/TOBB510P.HTM 平成4年]</ref>
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|78,721
|48,934
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1993/TOBB510Q.HTM 平成5年]</ref>
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|77,090
|47,781
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1994/TOBB510R.HTM 平成6年]</ref>
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|77,869
|48,584
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1995/TOBB510S.HTM 平成7年]</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|78,392
|47,375
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1996/TOBB510T.HTM 平成8年]</ref>
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|78,192
|48,036
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1997/TOBB510U.HTM 平成9年]</ref>
|-
|1998年(平成10年)
|77,699
|47,449
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1998/TOBB510J.PDF 平成10年]}}</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/1999.html 各駅の乗車人員(1999年度)] - JR東日本</ref>78,534
|47,306
|<ref group="東京都統計">{{PDFlink|[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/1999/TOBB510K.PDF 平成11年]}}</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>78,996
|46,882
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2000/00qyti0510u.htm 平成12年]</ref>
|}
=== 年度別1日平均乗車人員(2001年以降) ===
各年度の1日平均'''乗車'''人員の推移は以下の通りである。
<!--東京都統計年鑑を出典にしている数値については、元データが1,000人単位で掲載されているため、*1000/365 (or 366) で計算してあります-->
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計" name="tokyo-nenkan" /><ref group="統計" name="shinagawatoukei" />
!年度
!JR東日本
!東京急行電鉄<br />/ 東急電鉄
!東京臨海<br />高速鉄道
!出典
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>77,728||45,191||style="text-align:center" colspan="1"|未開業
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2001/01qyti0510u.htm 平成13年]</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>79,300
|46,244||<ref group="備考" name="TWR" />16,165
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0510u.htm 平成14年]</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>84,052
|50,503||19,597
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0510u.htm 平成15年]</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>84,883
|51,104||21,521
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0510u.htm 平成16年]</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>86,298
|52,020||23,982
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0510u.htm 平成17年]</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>88,880
|53,803||27,238
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0510u.htm 平成18年]</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>92,420
|56,970||30,278
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0510u.htm 平成19年]</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>93,664
|59,929||32,868
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0510u.htm 平成20年]</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>94,209
|62,156||33,678
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2009/tn09q3i004.htm 平成21年]</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>94,715
|62,762||33,495
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2010/tn10q3i004.htm 平成22年]</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>95,225
|63,366||33,124
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2011/tn11q3i004.htm 平成23年]</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>97,865
|65,688||36,554
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2012/tn12q3i004.htm 平成24年]</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>100,403
|68,132||38,133
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2013/tn13q3i004.htm 平成25年]</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>101,246
|68,338||39,749
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2014/tn14q3i004.htm 平成26年]</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>103,139
|69,493||40,645
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2015/tn15q3i004.htm 平成27年]</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>104,230
|70,562||41,855
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2016/tn16q3i004.htm 平成28年]</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>104,412
|71,803||42,961
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2017/tn17q3i004.htm 平成29年]</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>105,838
|72,548||44,308
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2018/tn18q3i004.htm 平成30年]</ref>
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>104,619
|72,030||43,945
|<ref group="東京都統計">[https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/tnenkan/2019/tn19q3i004.htm 平成31年・令和元年]</ref>
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>70,429
| ||26,283
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>70,324
| ||26,623
|
|-
|2022年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR" name="JR2022">[https://www.jreast.co.jp/passenger/ 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>77,463
| ||
|
|}
; 備考
{{Reflist|group="備考"}}
== 駅周辺 ==
駅周辺には、品川区の公共施設が集中している。
JR大井町駅中央口に[[駅ビル]]の「[[アトレ]]大井町」、JR大井町駅東口駅舎に「アトレ大井町2」がそれぞれ併設されている。
[[東京総合車両センター]]の出入口が当駅の北側にあるほか、駅周辺には小規模の[[飲食店]]が多く立地する。
=== 東側 ===
{{See also|東大井|南品川}}
[[File:Sasasasawnaunda - Sasasasawnaunda 's file 品川区立総合区民会館(愛称・きゅりあん).jpg|thumb|right|品川区総合区民会館「きゅりあん」(2015年3月)]]
{{columns-list|2|
* [[品川区立総合区民会館]]「きゅりあん」
** [[ヤマダデンキ]]LABI品川大井町
** [[西友]]大井町店
* アトレ大井町2
* [[しながわ水族館]] - バスロータリーより無料送迎バスが発着している。
* [[東京品川病院]]
** 旧・東芝病院
*** 元・薩摩鹿児島藩島津家抱屋敷跡
* ゼームス坂
** 高村智恵子終焉の地
* 仙台坂
** 仙台藩品川下屋敷跡
** 東京都味噌工業協同組合 八木合名会社仙台味噌醸造所
* 元・越前鯖江藩間部家下屋敷跡|}}
; 企業
* [[三菱鉛筆]]本社ビル
* [[三愛石油]]大井町オフィス
* [[佐藤製薬]]品川開発センター
* ミモザ株式会社本社
; 公共機関
* 東京消防庁大井消防署
* 品川区立大井林町高齢者複合施設
; 教育
{{columns-list|2|
* 都立品川特別支援学校
* 品川区立浅間台小学校
* 品川区立立会小学校
* 品川区立品川保育園
* [[品川エトワール女子高等学校]]
* 池見東京医療専門学校
* 池見東京歯科衛生士専門学校
* 東京健康科学専門学校
* [[創研学院]]大井町校
* 武田塾大井町校
* 七田チャイルドアカデミー
* [[東進ハイスクール]]大井町校
* LITALICOジュニア大井町東口教室
* 森永教室
|}}
; 金融機関・郵便局
* [[品川郵便局]]
* [[ゆうちょ銀行]]品川店
=== 西側 ===
{{See also|大井 (品川区)|広町 (品川区)|二葉 (品川区)}}
[[File:Hankyu Ohimachi garden.jpg|thumb|right|阪急大井町ガーデン<br />(2014年7月)]]
{{columns-list|2|
* アトレ大井町
* [[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]大井町店
* 阪急大井町ガーデン - [[阪急百貨店#阪急大井食品館|阪急百貨店 大井食品館]]
* [[ブリリア大井町ラヴィアンタワー]]
* シティタワー大井町
* 伊藤博文別邸跡
|}}
; ホテル
{{columns-list|2|
* [[阪急百貨店#阪急大井食品館|アワーズイン阪急]](シングル館・ツイン館)- 阪急大井町ガーデン
* [[ヴィアイン]]東京大井町
* [[東横イン]]品川大井町
* [[ホテルルートイン]]品川大井町
* 東京バニアンホテル
|}}
; 企業
{{columns-list|2|
* 東日本旅客鉄道[[東京総合車両センター]]
* JR東日本健康推進センター
* [[大成温調]]本社ビル
* アクセス大井町ビル - [[日学]]本社
* [[寺岡製作所]]本社
* [[ドウシシャ]]東京本社第1ビル
* [[インフォテリア]]本社
* かんべ土地建物株式会社
* [[住友不動産|住友大井町ビル]]
* [[日本理化工業所]]本社
* [[日本電気|NEC]]事務所
** フォワード・インテグレーション・システム・サービス株式会社(FISS)
* [[ダイワボウ情報システム]]東京支社
* [[三菱電機コントロールソフトウェア]]トータルソリューション事業所
* [[リコー]]大井事業所
* [[東京湾アクアライン#東京湾横断道路株式会社|東京湾横断道路株式会社]]
* 住友不動産大井町駅前ビル
** [[東京都住宅供給公社]](JKK東京)大井町窓口センター
** [[日本たばこ産業|JT]]東京研修センター
** 郵船港運([[日本郵船]]グループ)東京支店
** ユニ産業
|}}
; 行政機関
{{columns-list|2|
* [[品川区役所]]
** [[東京法務局]]品川出張所
** 東京都第二建設事務所
** 東京都品川都税事務所
** 品川区保健所
** しながわ防災体験館
** 中小企業センター
** 公益財団法人品川区国際友好協会
** 品川区議会
** 品川区環境情報活動センター
* 大井町サービスコーナー - 「アトレ」中央西口階段下
* 品川区消費者センター
* しながわ観光協会
* 大井保健センター
* [[大井警察署]]大井町駅前交番
; 教育
* 品川区立ひろまち保育園
* 品川区立山中小学校
* [[東京マックス美容専門学校]]
* [[青稜中学校・高等学校]]
* [[品川翔英中学・高等学校]]
* いぶき学院 本校
* [[SAPIX]]大井町校
* [[日能研]]大井町校
* [[栄光ゼミナール]]大井町校
* [[河合塾]]マナビス大井町校
* [[ena (予備校)]] 大井町校
* LITALICOジュニア大井町教室
|}}
; 金融機関・郵便局
{{columns-list|2|
* [[中央労働金庫]]大井支店
* [[静岡銀行]]大井町支店
* [[みずほ銀行]]大井町支店
* [[三井住友銀行]]大井町支店・荏原支店
* [[大東京信用組合]]大井支店
* [[城南信用金庫]]大井支店
* [[芝信用金庫]]大井支店
* 品川区役所前郵便局
* 品川大井三郵便局
|}}
; その他
* 今川氏真館跡
== バス路線 ==
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述法]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
中央口の東側および西側にそれぞれロータリーが存在している。「東急大井町駅」停留所は道路上に存在している。
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先!!備考
|-
!colspan="4"|東側ロータリー(大井町駅東口)
|-
!1
|style="text-align:center;"|[[都営バス]]
|[[都営バス品川営業所#井92系統|'''井92''']]:[[八潮 (品川区)|八潮パークタウン]](循環)
|
|-
!3
|colspan="3"|(降車専用)
|-
!4
|rowspan="2" style="text-align:center;"|都営バス
|[[都営バス港南支所#井98系統|'''井98''']]:[[東京港#大井埠頭|大井水産物埠頭前]]
|休日は運休
|-
!5
|[[都営バス港南支所#井96系統|'''井96''']]:[[天王洲アイル]](循環)
|
|-
!6
|rowspan="2" style="text-align:center;"|[[東急バス]]
|[[東急バス荏原営業所#しながわ水族館送迎バス|'''直行''']]:[[しながわ水族館]]
|[[無料送迎バス]]
|-
!7
|{{Unbulleted list|[[東急バス池上営業所#競馬線|'''直行''']]:[[大井競馬場]]|[[東急バス池上営業所#大田品川線|'''井09''']]:[[東急バス池上営業所|池上営業所]]}}
|{{Unbulleted list|無料送迎バス・競馬開催日のみ運行|「井09」は土曜に1本のみ運行}}
|-
!colspan="4"|西側ロータリー(大井町駅)
|-
!1
|rowspan="2" style="text-align:center;"|東急バス
|{{Unbulleted list|[[東急バス池上営業所#大田品川線|'''井03'''・'''品94''']]:[[蒲田駅]]|'''井09'''・'''品94''':[[池上駅]]}}
|
|-
!2
|[[東急バス荏原営業所#大井町線|'''井05''']]:[[西大井駅]]
|
|-
!rowspan="2"|3
|style="text-align:center;"|[[京浜急行バス]]
|[[京浜急行バス大森営業所#大井町線|'''井19''']]:[[大森駅 (東京都)|大森駅]]東口 / [[ビッグファン平和島|レジャーランド平和島]]
|{{Unbulleted list|両系統共に「大井町駅東口」停留所にも停車|レジャーランド平和島行きは1日3本のみ運行}}
|-
|style="text-align:center;"|{{Unbulleted list|京浜急行バス|[[東急トランセ]]}}
|{{Unbulleted list|[[東京国際空港|羽田空港]]|'''直行''':[[大崎駅#大崎駅西口バスターミナル|大崎駅西口]]}}
|{{Unbulleted list|羽田空港行きは乗車のみ|大崎駅西口行きは降車のみ}}
|-
!4
|rowspan="3" style="text-align:center;"|東急バス
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|「大井町駅東口」停留所にも停車
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|[[東急バス目黒営業所#品川線|'''渋41''']]:[[渋谷駅]]
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|'''井01''':[[東急バス荏原営業所|荏原営業所]]
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|style="text-align:center;"|京浜急行バス
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|rowspan="2" style="text-align:center;"|東急バス
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|{{Unbulleted list|'''井01''':[[東急バス荏原営業所|荏原営業所]]|'''井50''':[[武蔵小山駅]]|[[東急バス目黒営業所#品川線|'''井51''']]:武蔵小山駅}}
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|}
== 隣の駅 ==
<!--テンプレートは不評意見が多いようです。もしご意見があれば [[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/駅/各路線の駅一覧のテンプレート・隣りの駅]]で議論されています。-->
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線
:: {{Color|#ff0066|■}}快速・{{Color|#00b2e5|■}}各駅停車
::: [[品川駅]] (JK 20) - '''大井町駅 (JK 19)''' - [[大森駅 (東京都)|大森駅]] (JK 18)
; 東急電鉄(東急)
: [[File:Tokyu OM line symbol.svg|15px|OM]] 大井町線
::{{Color|#ef3123|■}}急行
::: '''大井町駅 (OM01)''' - [[旗の台駅]] (OM06)
:: {{Color|#29b35d|□}}各駅停車(二子新地・高津は通過)・{{Color|#1359a9|■}}各駅停車(二子新地・高津にも停車)
:::'''大井町駅 (OM01)''' - [[下神明駅]] (OM02)
; 東京臨海高速鉄道
: [[File:Rinkai Line symbol.svg|15px|R]] りんかい線
:: {{Color|#ff0066|■}}通勤快速・{{Color|#0099ff|■}}快速・{{Color|#00ac9a|■}}各駅停車<!-- カラーはE233系のフルカラーLED方向幕に準拠 -->
::: [[品川シーサイド駅]] (R 06) - '''大井町駅 (R 07)''' - [[大崎駅]] (R 08)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
<!--==== 注釈 ====
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-->
==== 出典 ====
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===== 報道発表資料 =====
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===== 新聞記事 =====
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=== 利用状況 ===
;JR・私鉄の1日平均利用客数
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;JR東日本の1999年度以降の乗車人員
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; 東急電鉄の1日平均利用客数
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;JR・私鉄の統計データ
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;東京府統計書
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;東京都統計年鑑
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== 関連項目 ==
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* [[日本の鉄道駅一覧]]
== 外部リンク ==
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=307|name=大井町}}
* {{外部リンク/東急電鉄駅|filename=56}}
* [https://www.twr.co.jp/route/tabid/118/Default.aspx 東京臨海高速鉄道 大井町駅]
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東神奈川駅
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東神奈川駅(ひがしかながわえき)は、神奈川県横浜市神奈川区東神奈川一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
当駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線と横浜線の2路線で(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)、そのうち東海道本線を当駅の所属線としているが、東海道本線は電車線を走行する京浜東北線電車のみが停車し、列車線を走行する東海道線列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。したがって、当駅は京浜東北線と横浜線との乗換駅として案内されている。また横浜線は当駅が起点となっているが、一部電車は京浜東北線とともに横浜駅を経て根岸線へ直通する。
特定都区市内制度における「横浜市内」に属する。
東神奈川駅は東海道本線上にある駅であるが、この区間の東海道本線開通時にはまだなく、横浜と八王子を結ぶことを目的として建設された私鉄の横浜鉄道(後の横浜線)が、東海道本線との接続駅として建設した。横浜鉄道では、横浜側の接続駅として神奈川駅や平沼駅などを検討していたが、土地が狭いなどの理由で、東神奈川駅の位置において接続する方針となった。こうして1908年(明治41年)9月23日に、横浜鉄道線の開通とともに東神奈川駅は開設された。国鉄側の設備も含めて横浜鉄道の費用負担で建設されている。
さらに横浜鉄道では、経営陣を同じくする横浜倉庫を通じてこのあたりの沖合を埋め立てて岸壁と倉庫を建設し、そこに鉄道を乗り入れて海陸連絡を図る構想を持っていた。このため東神奈川駅からさらに海側へ延伸する免許を取得し、1911年(明治44年)12月10日に海神奈川駅までの支線が開通した。しかし結局より沖合の埋立免許を取得して岸壁を建設することができなかったため、この支線は横浜倉庫の倉庫群への連絡鉄道に留まった。この当時、東神奈川駅のすぐ海側にはすでに京浜電車(後の京急本線)が通っていたため、貨物支線を通すために仲木戸駅(現:京急東神奈川駅)付近を高架化する工事を行っている。この横浜鉄道線は1910年(明治43年)4月1日から国鉄が全線を借り受けて営業することになり、1917年(大正6年)10月1日付で正式に国有化され、国鉄横浜線となった。
大正時代初期の、1912年(大正元年)9月現在の停車場平面図によれば、線路の海側に駅本屋があり、これに面する番線を横浜鉄道が使用し、また駅舎の両側に側線群があった。さらに島式ホームが2つあり、これらの島式ホームに挟まれた2本の番線を国鉄東海道本線が使用する構造となっていた。海神奈川へ至る支線は、駅より北側で分岐して海へ向けてカーブを切っていた。
1914年(大正3年)12月20日、東京駅の開業に合わせて東京と高島町(2代目横浜駅付近に位置していた駅)の間で京浜線電車(後の京浜東北線)の運転が開始された。しかし開業を急ぐあまり準備が不十分で故障が相次ぎ、12月26日に運転中止に追い込まれた。運転再開は1915年(大正4年)5月10日となった。また、京浜線電車の運転が開始されたのちも、しばらくの間は東海道本線の蒸気機関車牽引列車が東神奈川駅にも停車していた。1915年(大正4年)12月30日から蒸気機関車列車の停車は廃止された。京浜線電車開通に伴う東神奈川駅付近の配線変更などは判然としない。1917年(大正6年)6月17日には、高島駅までの東海道本線貨物支線が開通した。
国鉄買収後の横浜線は、東京に近くかつダイヤが過密でないという特性が便利であったこともあり、各種の試験に用いられたが、その一環として1925年(大正14年)4月4日には当駅から原町田駅(現在の町田駅)までの区間が電化されている。これは横浜線に電車を運転するためのものではなく、東海道本線における電車や電気機関車の運転を担当する乗務員の訓練や試験に用いるものであった。この設備を生かして横浜線の電車運転が開始されるのは、1932年(昭和7年)10月1日からであった。この電車運転開始に合わせて、京浜線と横浜線の間の渡り線の新設やホームの扛上などが行われ、横浜線の電車が京浜線に乗り入れて桜木町駅まで走るようになった。横浜線が蒸気機関車で運転されていた時代には、駅舎側のホームの行き止まりになる部分に1番線があり、ここで横浜線の列車が発着していたが、電車運転開始により桜木町への直通のために2番線使用が普通となり、後に1番線は埋め立てられて倉庫などに転用された。
第二次世界大戦に際しては、1945年(昭和20年)5月29日に横浜大空襲で東神奈川駅舎は全焼した。また横浜線電車の桜木町直通は、いったん戦時中に打ち切りとなり、戦後1959年(昭和34年)4月13日から再開されている。この間、横浜港における貨物輸送の変化などから、海神奈川および東高島への支線が1959年4月1日に同時に廃止となった。
1960年(昭和35年)に橋上駅舎が使用開始され、これに合わせて自由通路も併設された。1968年(昭和43年)3月20日付で、横浜線の東神奈川 - 大口間の複線化が完成した。この際に東神奈川構内の配線変更が行われ、3番線が横浜線専用となった。これにより京浜東北線北行と同一プラットホームでの乗換ができるようになった。
1985年(昭和60年)3月10日のダイヤ改正に際して、横浜線の輸送改善のためにそれまで2面3線であった当駅の配線を、2面4線化する改良工事が行われた。具体的には、2番線のあるプラットホームの海側に1番線を新設し、それまで約100 m新子安側にずれていた京浜東北線南行ホームを北行ホームとほぼ同じ位置に揃えるように工事を行った。この変更後、1番線が京浜東北南行、2番線と3番線が横浜線、4番線が京浜東北北行という配置になった。またこの工事に合わせて、国鉄で最初の電子連動装置の実運用が開始された。
2013年(平成25年)3月16日付のダイヤ改正で、4番線が京浜東北線専用ホームから京浜東北線と横浜線の兼用ホームに変更になり、横浜方面から直通する横浜線の一部(平日のみ)が、4番線の発着となった(それ以前は臨時列車やダイヤ混乱時のみ横浜線の4番線発着があった)。そのため、誤乗防止の目的でラインカラーを点灯するインジケーター付のLED照明器具が導入された(運用開始は9月15日)。
10両編成対応の島式ホーム2面4線を有し、橋上駅舎が設置されている地上駅である。ホームは北東から南西に延び、東口および西口を持つ。改札とホームは南側から階段・エレベーター・上下各1台のエスカレーターで連絡しているほか、北側に乗換え専用の階段がある。
当駅の北方で京浜東北線の複線の内側から横浜線の複線が分岐し、高架で東海道・横須賀・京浜東北の各線を乗り越えていく。外側2線を京浜東北線、内側2線を横浜線が使用する。また、横浜線および京浜東北線・根岸線の車両基地として鎌倉車両センター東神奈川派出所が北東側に併設されている。
番線は東から順に付番され、東側のホームに1・2番線、西側のホームに3・4番線を設置している。京浜東北線電車と横浜線電車で使用番線を分けているが、一部2番線から京浜東北線電車が発車する。
(出典:JR東日本:駅構内図)
1996年2月21日より、全てのホームで東洋メディアリンクス制作の発車メロディを使用していたが、2015年8月26日に、2・3番線のメロディをスイッチ制作のものに変更している。
改札内駅コンコースには、2~3店分の店舗用地が確保されている。
当駅周辺には、2つの運賃計算の特例が設定されている。いずれも途中下車しない限り横浜駅 - 当駅間の折り返し乗車を認めるものであるが、両者は別個の規定であり、適用範囲が異なっている。
以上を表にまとめると、以下のようになる。なお、以下の表の○は特例が適用されるもの、×は適用されないものである。そして、横須賀線経由としての特例が適用されるのは、新川崎駅・武蔵小杉駅・西大井駅で乗降する場合、あるいは武蔵小杉駅から南武線経由の場合のみである (※)。横須賀線で品川 - 鶴見間を乗り通すと、経路特定区間により東海道線経由とみなされる。
2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は32,010人である。横浜線の起点駅だが、利用者は少ない。この理由の一つは、当駅の隣の駅が横浜駅であるため、利用者の多くがそちらに流れるためである。ただし、当駅発着の横浜線電車利用客の大半は京浜東北・根岸線の横浜方面や川崎方面への乗換え客のため、ラッシュ時は特に混雑する。
近年の推移は下記の通り。
当駅は横浜市神奈川区の中心駅であり、公共施設なども周辺に集中している。
周辺はかなっくシティと呼ばれ、再開発が進んでいる。また、付近を走る京急本線の京急東神奈川駅が駅前にあり、両駅を結ぶペデストリアンデッキ(歩道橋、愛称「かなっくウォーク」)が整備されていて、乗換えが可能であるが、このペデストリアンデッキには屋根がない。なお、京急東神奈川駅(当時は仲木戸駅)との連絡運輸は従来実施していなかったが、2008年3月15日より定期券に限り開始することとなった。さらに、乗換駅であることをより分かりやすくするべく2020年3月に仲木戸駅は京急東神奈川駅に改称された。また、駅ビルのCIAL PLATが2009年10月7日に開業した。
以前から歩道橋が整備されていたが、東口再開発と合わせてペデストリアンデッキに再整備、バスロータリーも整えられた。
どちらの路線も1959年(昭和34年)4月1日廃止
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"text": "10両編成対応の島式ホーム2面4線を有し、橋上駅舎が設置されている地上駅である。ホームは北東から南西に延び、東口および西口を持つ。改札とホームは南側から階段・エレベーター・上下各1台のエスカレーターで連絡しているほか、北側に乗換え専用の階段がある。",
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"text": "番線は東から順に付番され、東側のホームに1・2番線、西側のホームに3・4番線を設置している。京浜東北線電車と横浜線電車で使用番線を分けているが、一部2番線から京浜東北線電車が発車する。",
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"text": "以上を表にまとめると、以下のようになる。なお、以下の表の○は特例が適用されるもの、×は適用されないものである。そして、横須賀線経由としての特例が適用されるのは、新川崎駅・武蔵小杉駅・西大井駅で乗降する場合、あるいは武蔵小杉駅から南武線経由の場合のみである (※)。横須賀線で品川 - 鶴見間を乗り通すと、経路特定区間により東海道線経由とみなされる。",
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"text": "近年の推移は下記の通り。",
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"text": "以前から歩道橋が整備されていたが、東口再開発と合わせてペデストリアンデッキに再整備、バスロータリーも整えられた。",
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"text": "どちらの路線も1959年(昭和34年)4月1日廃止",
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東神奈川駅(ひがしかながわえき)は、神奈川県横浜市神奈川区東神奈川一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
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{{Otheruses|JR東日本の東神奈川駅|隣接する京浜急行電鉄の駅|京急東神奈川駅}}
{{駅情報
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|coord={{coord|35|28|40.5|N|139|38|0|E}}|title=東神奈川駅
|coord2={{coord|35|28|38.3|N|139|38|4.1|E}}|title2=京急東神奈川駅
|marker-color=008000|marker-color2=00bfff}}右下は京急東神奈川駅
|よみがな = ひがしかながわ
|ローマ字 = Higashi-Kanagawa
|電報略号 = ヒナ
|所属事業者 = [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)
|所在地 = [[横浜市]][[神奈川区]][[東神奈川]]一丁目
|座標 = {{coord|35|28|40.5|N|139|38|0|E|region:JP_type:railwaystation|display=inline,title}}
|開業年月日 = [[1908年]]([[明治]]41年)[[9月23日]]
|駅構造 = [[地上駅]]([[橋上駅]])
|ホーム = 2面4線
|廃止年月日 =
|乗車人員 = <ref group="JR" name="JR2022" />32,010
|統計年度 = 2022年
|乗入路線数 = 2
|所属路線1 = {{color|#00b2e5|■}}[[京浜東北線]]<br/>(線路名称上は[[東海道本線]])
|前の駅1 = JK 14 [[新子安駅|新子安]]
|駅間A1 = 2.2
|駅間B1 = 1.8
|次の駅1 = [[横浜駅|横浜]] JK 12
|駅番号1 = {{駅番号r|JK|13|#00b2e5|1}}
|キロ程1 = 27.0 km([[東京駅|東京]]起点)<br/>[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]から57.3
|起点駅1 =
|所属路線2 = {{color|#7fc342|■}}[[横浜線]]
|前の駅2 = {{Refnest|group="*"|一部電車は京浜東北線に直通。}}(横浜)
|駅間A2 = -
|駅間B2 = 2.2
|次の駅2 = [[大口駅|大口]] JH 14
|駅番号2 = {{駅番号r|JH|13|#7fc342|1}}
|キロ程2 = 0.0
|起点駅2 = 東神奈川
|乗換 = [[京急東神奈川駅]]([[京急本線]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jreast.co.jp/renrakuteiki/pdf/00.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200408015123/https://www.jreast.co.jp/renrakuteiki/pdf/00.pdf|title=●JR線と連絡会社線との乗り換え駅|archivedate=2020-04-08|accessdate=2020-04-08|publisher=東日本旅客鉄道|format=PDF|language=日本語}}</ref>
|備考 = {{Plainlist|
* [[日本の鉄道駅#直営駅|直営駅]]([[日本の鉄道駅#管理駅|管理駅]])
* [[みどりの窓口]] 有
* [[File:JR area HAMA.png|15px|浜]] [[特定都区市内|横浜市内]]駅}}
|備考全幅 = {{Reflist|group="*"}}
}}
{{駅情報
|社色 = #ccc
|文字色 = #000
|駅名 = 東神奈川駅
|画像 =
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = ひがしかながわ
|ローマ字 = Higashi-Kanagawa
|副駅名 =
|前の駅1 =
|駅間A1 =
|駅間B1 = 2.0
|次の駅1 = [[海神奈川駅|海神奈川]]
|所属事業者1 = [[日本国有鉄道]]
|所属路線1 = [[東海道本線]]貨物支線
|キロ程1 = 0.0
|起点駅1 = 東神奈川
|前の駅2 =
|駅間A2 =
|駅間B2 = 1.5
|次の駅2 = [[東高島駅|東高島]]
|所属事業者2 = [[日本国有鉄道]]
|所属路線2 = [[東海道本線]]貨物支線
|キロ程2 = 0.0
|起点駅2 = 東神奈川
|開業年月日 = {{Plainlist|
* [[1911年]](明治44年)[[12月10日]](海神奈川への支線)
* 1917年(大正6年)6月17日(東高島への支線)}}
|廃止年月日 = [[1959年]](昭和34年)[[4月1日]](どちらの支線とも)
}}
[[File:Higashikanagawa-Sta-W.JPG|thumb|西口(2015年7月)]]
'''東神奈川駅'''(ひがしかながわえき)は、[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]][[東神奈川]]一丁目にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[鉄道駅|駅]]である。
== 乗り入れ路線 ==
当駅に乗り入れている路線は、線路名称上は[[東海道本線]]と[[横浜線]]の2路線で(詳細は路線記事および[[鉄道路線の名称]]参照)、そのうち東海道本線を当駅の[[日本の鉄道駅#所属線|所属線]]としているが、東海道本線は[[電車線・列車線|電車線]]を走行する[[京浜東北線]]電車のみが停車し、[[電車線・列車線|列車線]]を走行する[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]列車は停車せず、旅客案内では「東海道(本)線」は使用されていない。したがって、当駅は京浜東北線と横浜線との乗換駅として案内されている。また横浜線は当駅が起点となっているが、一部電車は京浜東北線とともに[[横浜駅]]を経て[[根岸線]]へ直通する。
* [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線 - 電車線を走行する東海道本線・東北本線の近距離電車。[[横浜駅]]から[[根岸線]]への直通運転も実施している。[[駅ナンバリング#JR東日本・東京モノレール・東京臨海高速鉄道|駅番号]]「'''JK 13'''」
* [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線 - 当駅を起点として横浜市と多摩地域を結ぶ路線。駅番号「'''JH 13'''」
[[特定都区市内]]制度における「[[特定都区市内#設定区域一覧|横浜市内]]」に属する。
== 歴史 ==
東神奈川駅は東海道本線上にある駅であるが、この区間の東海道本線開通時にはまだなく、横浜と八王子を結ぶことを目的として建設された[[私鉄]]の[[横浜鉄道]](後の横浜線)が、東海道本線との接続駅として建設した。横浜鉄道では、横浜側の接続駅として[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]]や[[平沼駅 (国鉄)|平沼駅]]などを検討していたが、土地が狭いなどの理由で、東神奈川駅の位置において接続する方針となった<ref>『横浜線百年』p.68</ref>。こうして1908年(明治41年)9月23日に、横浜鉄道線の開通とともに東神奈川駅は開設された。国鉄側の設備も含めて横浜鉄道の費用負担で建設されている<ref name = "横浜の鉄道物語_70">『横浜の鉄道物語』p.70</ref>。
さらに横浜鉄道では、経営陣を同じくする[[横浜倉庫]]を通じてこのあたりの沖合を埋め立てて岸壁と倉庫を建設し、そこに鉄道を乗り入れて海陸連絡を図る構想を持っていた。このため東神奈川駅からさらに海側へ延伸する免許を取得し、1911年(明治44年)12月10日に[[海神奈川駅]]までの支線が開通した。しかし結局より沖合の埋立免許を取得して岸壁を建設することができなかったため、この支線は横浜倉庫の倉庫群への連絡鉄道に留まった<ref>『神奈川の鉄道』pp.62 - 64</ref>。この当時、東神奈川駅のすぐ海側にはすでに京浜電車(後の[[京急本線]])が通っていたため、貨物支線を通すために仲木戸駅(現:[[京急東神奈川駅]])付近を高架化する工事を行っている<ref name = "横浜の鉄道物語_70" />。この横浜鉄道線は1910年(明治43年)4月1日から国鉄が全線を借り受けて営業することになり、1917年(大正6年)10月1日付で正式に国有化され、国鉄横浜線となった<ref>『日本国有鉄道百年史』第6巻 pp.521 - 523</ref>。
大正時代初期の、1912年(大正元年)9月現在の停車場平面図によれば、線路の海側に駅本屋があり、これに面する番線を横浜鉄道が使用し、また駅舎の両側に側線群があった。さらに島式ホームが2つあり、これらの島式ホームに挟まれた2本の番線を国鉄東海道本線が使用する構造となっていた。海神奈川へ至る支線は、駅より北側で分岐して海へ向けてカーブを切っていた<ref>『横浜線百年』pp.116-117</ref>。
1914年(大正3年)12月20日、[[東京駅]]の開業に合わせて東京と高島町(2代目横浜駅付近に位置していた駅)の間で京浜線電車(後の京浜東北線)の運転が開始された。しかし開業を急ぐあまり準備が不十分で故障が相次ぎ、12月26日に運転中止に追い込まれた。運転再開は1915年(大正4年)5月10日となった<ref>『横浜の鉄道物語』p.56</ref>。また、京浜線電車の運転が開始されたのちも、しばらくの間は東海道本線の蒸気機関車牽引列車が東神奈川駅にも停車していた<ref>{{Cite journal|和書 |author = [[和久田康雄]] |title = 京浜間電車運転開始 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |issue = 435 |year = 1984 |month = 8 |publisher = 電気車研究会 |pages = 18 - 19}}</ref>。1915年(大正4年)12月30日から蒸気機関車列車の停車は廃止された<ref>{{Cite web|和書| url = https://trafficnews.jp/post/123594/2 | author = 杉山淳一 | title = なぜ鶴見駅に東海道線が停まらなくなったのか 150年の日本最古級駅「せめて相鉄直通を…」 | publisher = のりものニュース | date = 2023-01-05 | accessdate = 2023-01-05}}</ref>。京浜線電車開通に伴う東神奈川駅付近の配線変更などは判然としない。1917年(大正6年)6月17日には、[[高島駅 (神奈川県)|高島駅]]までの東海道本線貨物支線が開通した。
国鉄買収後の横浜線は、東京に近くかつダイヤが過密でないという特性が便利であったこともあり、各種の試験に用いられたが、その一環として1925年(大正14年)4月4日には当駅から原町田駅(現在の[[町田駅]])までの区間が電化されている。これは横浜線に電車を運転するためのものではなく、東海道本線における電車や電気機関車の運転を担当する乗務員の訓練や試験に用いるものであった。この設備を生かして横浜線の電車運転が開始されるのは、1932年(昭和7年)10月1日からであった<ref name="kanalco20210516">{{Cite news|url=https://www.kanaloco.jp/news/social/article-504006.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210524120724/https://www.kanaloco.jp/news/social/article-504006.html|title=横浜駅まで行かない横浜線(上)東神奈川駅の朝、まるで苦行|newspaper=神奈川新聞|date=2021-05-16|accessdate=2021-05-24|archivedate=2021-05-24}}</ref><ref>『かながわの鉄道』p.110</ref><ref>『横浜の鉄道物語』p.71</ref>。この電車運転開始に合わせて、京浜線と横浜線の間の渡り線の新設やホームの[[扛上]]<ref group="注釈">ホーム面を嵩上げする工事のこと。</ref>などが行われ<ref>『横浜線と其電化』</ref>、横浜線の電車が京浜線に乗り入れて桜木町駅まで走るようになった<ref>『横浜の鉄道物語』p.58</ref>。横浜線が蒸気機関車で運転されていた時代には、駅舎側のホームの行き止まりになる部分に1番線があり、ここで横浜線の列車が発着していたが、電車運転開始により桜木町への直通のために2番線使用が普通となり、後に1番線は埋め立てられて倉庫などに転用された<ref>『かながわの鉄道』pp.112 - 113</ref>。
[[第二次世界大戦]]に際しては、1945年(昭和20年)5月29日に[[横浜大空襲]]で東神奈川駅舎は全焼した。また横浜線電車の桜木町直通は、いったん戦時中に打ち切りとなり、戦後1959年(昭和34年)4月13日から再開されている。この間、横浜港における貨物輸送の変化などから、海神奈川および東高島への支線が1959年4月1日に同時に廃止となった<ref>『かながわの鉄道』pp.110 - 111</ref><ref>『横浜の鉄道物語』pp.72 - 73</ref>。
1960年(昭和35年)に橋上駅舎が使用開始され、これに合わせて自由通路も併設された<ref name = "東神奈川駅改良">{{Cite journal|和書 |author = 佐藤荘一郎 |title = 東神奈川駅改良 |journal = 交通技術 |volume = 39 |issue = 6 |year = 1984 |month = 6 |pages = 170 - 173 |publisher = 交通協力会}}</ref>。1968年(昭和43年)3月20日付で、横浜線の東神奈川 - 大口間の複線化が完成した。この際に東神奈川構内の配線変更が行われ、3番線が横浜線専用となった。これにより京浜東北線北行と同一プラットホームでの乗換ができるようになった<ref>{{Cite journal|和書 |title = 3月のメモ帳 |journal = [[鉄道ピクトリアル]] |issue = 209 |year = 1968 |month = 5 |publisher = 電気車研究会 |pages = 82}}</ref>。
1985年(昭和60年)3月10日のダイヤ改正に際して、横浜線の輸送改善のためにそれまで2面3線であった当駅の配線を、2面4線化する改良工事が行われた。具体的には、2番線のあるプラットホームの海側に1番線を新設し、それまで約100 m新子安側にずれていた京浜東北線南行ホームを北行ホームとほぼ同じ位置に揃えるように工事を行った。この変更後、1番線が京浜東北南行、2番線と3番線が横浜線、4番線が京浜東北北行という配置になった。またこの工事に合わせて、国鉄で最初の[[連動装置|電子連動装置]]の実運用が開始された<ref name = "東神奈川駅改良" /><ref>{{Cite journal|和書 |author = 山本正幸・楠穣 |title = 横浜線輸送力増強計画に伴う東神奈川駅改良 |journal = 鉄道土木 |volume = 27 |issue = 11 |year = 1985 |month = 11 |pages = 690 - 694 |publisher = [[日本鉄道施設協会]]}}</ref>。
2013年(平成25年)3月16日付のダイヤ改正で、4番線が京浜東北線専用ホームから京浜東北線と横浜線の兼用ホームに変更になり、横浜方面から直通する横浜線の一部(平日のみ)が、4番線の発着となった(それ以前は臨時列車やダイヤ混乱時のみ横浜線の4番線発着があった)。そのため、誤乗防止の目的でラインカラーを点灯する[[インジケーター]]付のLED照明器具が導入された(運用開始は9月15日)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.tlt.co.jp/tlt/press_release/p130725/p130725.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170711113040/http://www.tlt.co.jp/tlt/press_release/p130725/p130725.htm|language=日本語|title=インジケータ付LEDホーム照明をJR東神奈川駅に納入|publisher=東芝ライテック|date=2013-07-25|accessdate=2021-05-24|archivedate=2017-07-11}}</ref>。
=== 年表 ===
* [[1908年]]([[明治]]41年)[[9月23日]]:横浜鉄道線(後の横浜線)が[[八王子駅]]まで開通し、[[日本国有鉄道|国鉄]]東海道本線と横浜鉄道線の接続駅として開業。
** 当時、国鉄に[[神奈川駅 (国鉄)|神奈川駅]](後に廃止)が存在したため、頭に「東」を冠した。
* [[1911年]](明治44年)[[12月10日]]:横浜鉄道の貨物支線が[[海神奈川駅]]まで開通。
* [[1914年]]([[大正]]3年)
** [[12月20日]]:京浜電車(京浜東北線の前身)運行開始。
** [[12月26日]]:京浜電車の故障頻発により運転中止。
* [[1915年]](大正4年)
** 5月10日:京浜電車運転再開。
** 12月30日:蒸気機関車列車の停車廃止。
* [[1917年]](大正6年)
** [[6月17日]]:[[高島駅 (神奈川県)|高島駅]]までの貨物支線開通。
** [[10月1日]]:横浜鉄道が国有化。
* [[1925年]](大正14年)[[4月4日]]:横浜線東神奈川 - 原町田(現町田)間電化完成。
* [[1930年]]([[昭和]]5年)4月1日:東神奈川までの貨物支線が、横浜線から東海道本線に所属変更。
* [[1932年]](昭和7年)10月1日:横浜線原町田までの電車運転開始、桜木町までの乗り入れ開始<ref name="kanalco20210516" />。
* [[1945年]](昭和20年)[[5月29日]]:[[横浜大空襲]]で駅舎が全壊する。
* [[1959年]](昭和34年)
** [[4月1日]]:営業範囲を「一般運輸営業」から「旅客、[[チッキ|手荷物]]及び小荷物。ただし、配達はしない。」へ改正し<ref>昭和34年3月日本国有鉄道公示第83号「東海道本線東神奈川及び横浜線菊名の各停車場の営業範囲を改正する件」</ref>、貨物取り扱いを廃止。同時に[[東高島駅]]および海神奈川駅までの貨物支線が廃止<ref>昭和34年3月日本国有鉄道公示第85号「東海道本線東神奈川・東高島間及び東神奈川・海神奈川間の運輸営業を廃止する件」</ref>。
** [[4月13日]]:横浜線の桜木町乗り入れ再開。
* [[1960年]](昭和35年):橋上駅舎化および自由通路開設。
* [[1966年]](昭和41年)[[7月31日]]:[[横浜市電]]の東神奈川駅前電停(東口)が廃止になる。
* [[1968年]](昭和43年)
** [[3月20日]]:横浜線東神奈川 - 大口間複線化完成、これに合わせて東神奈川構内の配線変更。
** [[8月31日]]:横浜市電の東神奈川駅西口電停が廃止になる。
* [[1974年]](昭和49年)10月1日:営業範囲を「旅客、荷物」へ改正する<ref>昭和49年9月日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:荷物の取り扱いを廃止<ref>昭和59年1月日本国有鉄道公示第174号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
* [[1985年]](昭和60年)[[3月10日]]:1番線を増設して2面4線化工事完成、国鉄最初の[[連動装置|電子連動装置]]の実運用を開始([[大同信号]]製)。
* [[1987年]](昭和62年)
** [[3月31日]]:荷物(新聞紙に限る)の取り扱いを再開<ref>昭和62年2月日本国有鉄道公示第210号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
** 4月1日:[[国鉄分割民営化]]に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[6月12日]]:自動改札機を設置し、使用を開始する<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=182 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref>。
* [[1996年]](平成8年)[[2月21日]]:[[発車メロディ]]を導入。
* [[2001年]](平成13年)[[11月18日]]:[[ICカード]]「[[Suica]]」の利用が可能となる。
* [[2013年]](平成25年)[[9月15日]]:インジケーター付き照明の運用開始。
* [[2015年]](平成27年)[[8月26日]]:2・3番線の発車メロディを変更。
* [[2018年]](平成30年)[[12月27日]]:1・4番線で[[ホームドア]]の使用を開始<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jreast.co.jp/press/2018/yokohama/181122_y03.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200617074043/https://www.jreast.co.jp/press/2018/yokohama/181122_y03.pdf|format=PDF|language=日本語|title=東神奈川駅のホームドア使用開始日について|publisher=東日本旅客鉄道横浜支社|date=2018-11-22|accessdate=2020-06-17|archivedate=2020-06-17}}</ref>。
== 駅構造 ==
10両編成対応の[[島式ホーム]]2面4線を有し、[[橋上駅|橋上駅舎]]が設置されている[[地上駅]]である。ホームは北東から南西に延び、東口および西口を持つ。改札とホームは南側から[[階段]]・[[エレベーター]]・上下各1台の[[エスカレーター]]で連絡しているほか、北側に乗換え専用の階段がある。
当駅の北方で京浜東北線の複線の内側から横浜線の複線が分岐し、高架で東海道・[[横須賀線|横須賀]]・京浜東北の各線を乗り越えていく。外側2線を京浜東北線、内側2線を横浜線が使用する。また、横浜線および京浜東北線・根岸線の[[車両基地]]として[[鎌倉車両センター]]東神奈川派出所が北東側に併設されている。
=== のりば ===
番線は東から順に付番され、東側のホームに1・2番線、西側のホームに3・4番線を設置している。京浜東北線電車と横浜線電車で使用番線を分けているが、一部2番線から京浜東北線電車が発車する。
<!--方面表記は、JR東日本の「駅構内図」の記載に準拠-->
{| class="wikitable"
!番線<!-- 事業者側による呼称 -->!!路線!!方向!!行先!!備考
|-
!1
|rowspan="2"|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線<!--JR東日本の「駅構内図」では「根岸線」の記載はなし-->
|rowspan="2" style="text-align:center;"|南行
|rowspan="2"|[[横浜駅|横浜]]・[[関内駅|関内]]・[[大船駅|大船]]方面
|
|-
!rowspan="2"|2
|[[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線から直通
|-
|rowspan="3"|[[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線
|rowspan="3" style="text-align:center;"|下り
|rowspan="3"|[[新横浜駅|新横浜]]<!--新幹線のアイコンは[[プロジェクト:鉄道#過剰なマークアップは控える]]より使用は非推奨-->・[[町田駅|町田]]・[[橋本駅 (神奈川県)|橋本]]・[[八王子駅|八王子]]方面
|一部列車は1番線
|-
!3
|一部列車は4番線
|-
!rowspan="2"|4
|
|-
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線
|style="text-align:center;"|北行
|[[品川駅|品川]]・[[東京駅|東京]]・[[上野駅|上野]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮]]方面
|一部列車は2番線
|}
(出典:[https://www.jreast.co.jp/estation/stations/1276.html JR東日本:駅構内図])
* 京浜東北線においては、早朝と平日朝[[ラッシュ時]]に各1本横浜方面へ、平日夕方に1本東京方面へ、それぞれ当駅始発電車が設定されている。
** 留置線から4番線へは直接進入できない構造になっている。このため、京浜東北線北行(東京方面)の平日16時台の当駅始発は2番線を使用する。
<gallery widths="180" style="font-size:90%;">
Higashi-Kanagawa-STA Gate.jpg|改札口(2023年5月)
Higashi-Kanagawa-STA Platform1-2.jpg|1・2番線ホーム(2023年5月)
Higashi-Kanagawa-STA Platform3-4.jpg|3・4番線ホーム(2023年5月)
The departures from Higashi-Kanagawa station in 2016.jpg|当駅始発の京浜東北線と横浜線(2016年)
</gallery>
=== 発車メロディ ===
1996年2月21日より、全てのホームで[[東洋メディアリンクス]]制作の発車メロディを使用していたが、2015年8月26日に、2・3番線のメロディを[[スイッチ (音楽制作会社)|スイッチ]]制作のものに変更している。
{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!1
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px]]
|Water Crown
|-
!2
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px]] [[File:JR JH line symbol.svg|15px]]
|窓の花飾り
|-
!3
|[[File:JR JH line symbol.svg|15px]]
|木もれ陽の散歩道
|-
!4
|[[File:JR JK line symbol.svg|15px]] [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]]
|Verde Rayo
|}
=== 駅構内設備 ===
* [[売店]]など
** [[NewDays]]東神奈川店 - 改札外。改札を出て左手すぐ
** [[キヨスク|KIOSK]]東神奈川3号店 - 改札外。改札を出て右手すぐ
** 日栄軒([[立ち食いそば・うどん店|立ち食いそば屋]]) - 3・4番線ホーム横浜方階段下
** 大船軒([[駅弁]]など) - 改札内駅コンコース
** シュークリーム専門店 ビアードパパ
* [[みどりの窓口]]、[[自動券売機]]、[[自動改札機]]、[[自動精算機]]設置。
* [[便所|トイレ]]は改札階、1・2番線へのエレベーター付近にある。
改札内駅コンコースには、2~3店分の店舗用地が確保されている。
== 乗車券の区間外乗車の特例 ==
{{See also|区間外乗車}}
当駅周辺には、2つの運賃計算の特例が設定されている。いずれも[[途中下車#国鉄・JRの途中下車|途中下車]]しない限り[[横浜駅]] - 当駅間の折り返し乗車を認めるものであるが、両者は別個の規定であり、適用範囲が異なっている。
#当駅に停車しない列車<ref group="注釈">[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]・[[横須賀線]]は全列車が該当するが、それに限られず、例えば「[[かいじ (列車)#臨時列車|はまかいじ]]」も(当駅で乗降できないので)該当する。</ref>に乗車して、[[大口駅|大口]]以遠 - [[新子安駅|新子安]]以遠<ref group="注釈">横須賀線も新子安以遠の[[鶴見駅]]で分岐している扱いのため、適用される。</ref>を乗り継ぐ場合([[定期乗車券|定期券]]を除く)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/kippu/1105.html#10 |title=分岐駅を通過する列車に乗車する場合の特例 |publisher=[[東日本旅客鉄道]] |accessdate=2012-06-05}}</ref>。
#(横須賀線の[[新川崎駅]]・[[武蔵小杉駅]]・[[西大井駅]]、あるいは武蔵小杉駅から[[南武線]]経由の各駅) - (当駅あるいは当駅から横浜線経由の各駅)間に乗車する場合<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jreast.co.jp/kippu/1106.html |title=特定の分岐区間に対する区間外乗車の特例 |publisher=[[東日本旅客鉄道]] |accessdate=2012-06-05}}</ref>。
以上を表にまとめると、以下のようになる。なお、以下の表の○は特例が適用されるもの、×は適用されないものである。そして、横須賀線経由としての特例が適用されるのは、新川崎駅・武蔵小杉駅・西大井駅で乗降する場合、あるいは武蔵小杉駅から南武線経由の場合のみである (※)。横須賀線で品川 - 鶴見間を乗り通すと、[[経路特定区間]]により東海道線経由とみなされる。
{|class="wikitable"
!colspan="2" rowspan="2"|\
!colspan="3"|乗降駅
|-
!当駅で乗降!!横浜線(非定期券)!!横浜線(定期券)
|-
!rowspan="3"|乗車路線
!東海道線
|×||○||×
|-
!横須賀線 (※)
|○||○||○
|}
== 利用状況 ==
2022年(令和4年)度の1日平均[[乗降人員#乗車人員|'''乗車'''人員]]は'''32,010人'''である<ref group="JR" name="JR2022" />。横浜線の[[起点駅]]だが、利用者は少ない。この理由の一つは、当駅の隣の駅が[[横浜駅]]であるため、利用者の多くがそちらに流れるためである。ただし、当駅発着の横浜線電車利用客の大半は京浜東北・根岸線の横浜方面や[[川崎駅|川崎]]方面への乗換え客のため、ラッシュ時は特に混雑する。
近年の推移は下記の通り。
{|class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%;"
|+年度別1日平均乗車人員<ref group="統計">[https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/yokohamashi/tokei-chosa/portal/tokeisho/09.html 横浜市統計書] - 横浜市</ref>
!年度
!1日平均<br />乗車人員
!出典
|-
|1991年(平成{{0}}3年)
|22,635
|
|-
|1992年(平成{{0}}4年)
|23,285
|
|-
|1993年(平成{{0}}5年)
|23,600
|
|-
|1994年(平成{{0}}6年)
|23,903
|
|-
|1995年(平成{{0}}7年)
|23,681
|<ref group="統計">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/life/992578_3227111_misc.pdf 線区別駅別乗車人員(1日平均)の推移]}} - 17ページ</ref>
|-
|1996年(平成{{0}}8年)
|23,984
|
|-
|1997年(平成{{0}}9年)
|23,381
|
|-
|1998年(平成10年)
|23,553
|<ref group="*">神奈川県県勢要覧(平成12年度) - 220ページ</ref>
|-
|1999年(平成11年)
|23,719
|<ref group="*" name="toukei2001">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369557.pdf 神奈川県県勢要覧(平成13年度)]}} - 222ページ</ref>
|-
|2000年(平成12年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2000_01.html 各駅の乗車人員(2000年度)] - JR東日本</ref>23,980
|<ref group="*" name="toukei2001" />
|-
|2001年(平成13年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2001_01.html 各駅の乗車人員(2001年度)] - JR東日本</ref>24,236
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369552.pdf 神奈川県県勢要覧(平成14年度)]}} - 220ページ</ref>
|-
|2002年(平成14年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2002_01.html 各駅の乗車人員(2002年度)] - JR東日本</ref>25,867
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369547.pdf 神奈川県県勢要覧(平成15年度)]}} - 220ページ</ref>
|-
|2003年(平成15年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2003_01.html 各駅の乗車人員(2003年度)] - JR東日本</ref>26,869
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369542.pdf 神奈川県県勢要覧(平成16年度)]}} - 220ページ</ref>
|-
|2004年(平成16年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2004_01.html 各駅の乗車人員(2004年度)] - JR東日本</ref>27,813
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369533.pdf 神奈川県県勢要覧(平成17年度)]}} - 222ページ</ref>
|-
|2005年(平成17年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2005_01.html 各駅の乗車人員(2005年度)] - JR東日本</ref>28,751
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369528.pdf 神奈川県県勢要覧(平成18年度)]}} - 222ページ</ref>
|-
|2006年(平成18年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2006_01.html 各駅の乗車人員(2006年度)] - JR東日本</ref>29,352
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/369523.pdf 神奈川県県勢要覧(平成19年度)]}} - 224ページ</ref>
|-
|2007年(平成19年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2007_01.html 各駅の乗車人員(2007年度)] - JR東日本</ref>29,354
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/35540.pdf 神奈川県県勢要覧(平成20年度)]}} - 228ページ</ref>
|-
|2008年(平成20年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2008_01.html 各駅の乗車人員(2008年度)] - JR東日本</ref>29,952
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/773803.pdf 神奈川県県勢要覧(平成21年度)]}} - 238ページ</ref>
|-
|2009年(平成21年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2009_01.html 各駅の乗車人員(2009年度)] - JR東日本</ref>30,373
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/161682.pdf 神奈川県県勢要覧(平成22年度)]}} - 236ページ</ref>
|-
|2010年(平成22年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2010_01.html 各駅の乗車人員(2010年度)] - JR東日本</ref>30,965
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/427362.pdf 神奈川県県勢要覧(平成23年度)]}} - 236ページ</ref>
|-
|2011年(平成23年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2011_01.html 各駅の乗車人員(2011年度)] - JR東日本</ref>31,615
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/706868.pdf 神奈川県県勢要覧(平成24年度)]}} - 232ページ</ref>
|-
|2012年(平成24年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2012_01.html 各駅の乗車人員(2012年度)] - JR東日本</ref>32,553
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/707631.pdf 神奈川県県勢要覧(平成25年度)]}} - 234ページ</ref>
|-
|2013年(平成25年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2013_01.html 各駅の乗車人員(2013年度)] - JR東日本</ref>33,899
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20150926_003_17.pdf 神奈川県県勢要覧(平成26年度)]}} - 236ページ</ref>
|-
|2014年(平成26年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2014_01.html 各駅の乗車人員(2014年度)] - JR東日本</ref>34,119
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/resource/org_0101/pol_20160609_001_15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成27年度)]}} - 236ページ</ref>
|-
|2015年(平成27年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2015_01.html 各駅の乗車人員(2015年度)] - JR東日本</ref>35,304
|<ref group="*">{{PDFlink|[http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/877254.pdf 神奈川県県勢要覧(平成28年度)]}} - 244ページ</ref>
|-
|2016年(平成28年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2016_01.html 各駅の乗車人員(2016年度)] - JR東日本</ref>35,984
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20180614094521if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成29年度)]}} - 236ページ</ref>
|-
|2017年(平成29年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2017_01.html 各駅の乗車人員(2017年度)] - JR東日本</ref>36,690
|<ref group="*">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20190702120542if_/http://www.pref.kanagawa.jp/docs/x6z/tc10/documents/15.pdf 神奈川県県勢要覧(平成30年度)]}} - 220ページ</ref>
|-
|2018年(平成30年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2018_01.html 各駅の乗車人員(2018年度)] - JR東日本</ref>37,378
|
|-
|2019年(令和元年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2019_01.html 各駅の乗車人員(2019年度)] - JR東日本</ref>37,577
|
|-
|2020年(令和{{0}}2年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2020_01.html 各駅の乗車人員(2020年度)] - JR東日本</ref>27,918
|
|-
|2021年(令和{{0}}3年)
|<ref group="JR">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_01.html 各駅の乗車人員(2021年度)] - JR東日本</ref>29,423
|
|-
|2022年(令和{{0}}4年)
|<ref group="JR" name="JR2022">[https://www.jreast.co.jp/passenger/2022_01.html 各駅の乗車人員(2022年度)] - JR東日本</ref>32,010
|
|}
== 駅周辺 ==
{{see also|東神奈川}}
当駅は横浜市神奈川区の中心駅であり、公共施設なども周辺に集中している。
=== 東口 ===
[[File:京急東神奈川への乗り換え案内.png|thumb|京急東神奈川駅への乗り換え案内]]
周辺は[[かなっくシティ]]と呼ばれ、[[都市再開発|再開発]]が進んでいる。また、付近を走る[[京急本線]]の[[京急東神奈川駅]]が駅前にあり、両駅を結ぶ[[ペデストリアンデッキ]](歩道橋、愛称「かなっくウォーク」)が整備されていて、乗換えが可能であるが、このペデストリアンデッキには屋根がない。なお、京急東神奈川駅(当時は仲木戸駅)との[[連絡運輸]]は従来実施していなかったが、[[2008年]][[3月15日]]より[[定期乗車券|定期券]]に限り開始することとなった。さらに、乗換駅であることをより分かりやすくするべく2020年3月に仲木戸駅は'''京急東神奈川駅'''に改称された。また、[[駅ビル]]の[[CIAL PLAT]]が[[2009年]][[10月7日]]に開業した。<!-- 周辺施設に関しては飲食店・コンビニ・個人商店・チェーン店などは載せないようにお願いします。 -->
==== 周辺施設 ====
{{columns-list|2|
* [[神奈川台場|神奈川台場跡]] - 横浜港の開港に合わせて[[勝海舟]]が設計
* 駅ビル[[CIAL PLAT]]
* [[京急東神奈川駅]]
* [[横浜市区民文化センター|かなっくホール]]
* かなっくシティ東部療育ビル
* [[横浜市立神奈川小学校]]
* 横浜市かながわ保育園
* 神奈川警察署東神奈川駅前交番
* [[神奈川警察署|神奈川県神奈川警察署]]
* [[成仏寺 (横浜市)|成仏寺]]
* 東神奈川駅前郵便局
* [[国道15号|第一京浜]]
* [[首都高速道路]][[首都高速神奈川1号横羽線|横羽線]][[東神奈川出入口]]
|}}
=== 西口 ===
以前から歩道橋が整備されていたが、東口再開発と合わせて[[ペデストリアンデッキ]]に再整備、バスロータリーも整えられた。
==== 周辺施設 ====
{{columns-list|2|
* 神奈川区総合庁舎
* [[横浜市神奈川公会堂]]
* [[横浜市立図書館|横浜市立神奈川図書館]]
* [[反町公園]]
* [[神奈川スケートリンク|横浜銀行アイスアリーナ]]
* [[神奈川簡易裁判所]]
* 済生会東神奈川リハビリテーション病院
* 横浜西神奈川郵便局
* [[東海アルミ箔#東神奈川トーカイプラザ|東海プラザ]]
** [[イオン (店舗ブランド)|イオンスタイル]]東神奈川{{smaller|(旧・東神奈川[[サティ (チェーンストア)|サティ]]→イオン東神奈川店)}}
** [[北陸銀行]]横浜支店
* 東急東横線[[東白楽駅]]
* 東急東横線[[反町駅]]
* [[国道1号|第二京浜]]・[[横浜上麻生道路]]・[[横浜新道]]
* [[神奈川県立神奈川総合高等学校]]
* [[神奈川県立神奈川工業高等学校]]
* [[神奈川大学]]横浜キャンパス
* [[学校法人大原学園|学校法人大原学園 横浜校]]
** 一号館:大原簿記情報ビジネス専門学校 横浜校
** 二号館:大原医療秘書福祉保育専門学校 横浜校
** 三号館:大原法律公務員専門学校 横浜校
** 四号館:資格の大原 横浜校
* [[学校法人三幸学園]]
** 横浜こども専門学校
** 横浜リゾート&スポーツ専門学校
** 横浜ビューティー&ブライダル専門学校
** 横浜カフェ&スイーツ専門学校
* 孝道山([[孝道教団]]本部)
|}}
== バス路線 ==
<!--[[プロジェクト:鉄道#バス路線の記述]]に基づき、経由地については省略して記載しています。-->
{| class="wikitable" style="font-size:80%;"
!のりば!!運行事業者!!系統・行先
|-
!colspan="3"|東神奈川駅前(東口)
|-
!-
|style="text-align:center;"|[[横浜市営バス]]
|[[横浜市営バス鶴見営業所#48系統|'''48''']]:[[横浜駅]]前
|-
!colspan="3"|東神奈川駅西口
|-
!1
|rowspan="7" style="text-align:center;"|横浜市営バス
|[[横浜市営バス保土ケ谷営業所#31系統|'''31''']]:[[大口駅]]
|-
!2
|[[横浜市営バス浅間町営業所#59系統|'''59''']]:[[新綱島駅]] / 大豆戸交差点
|-
!3
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス鶴見営業所#7・29系統|'''7''']]:[[川崎駅]]西口|'''29''':[[鶴見駅]]前(東口)}}
|-
!4
|colspan="2"|(降車専用)
|-
!5
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス浅間町営業所#36系統|'''36''']]:菅田町・[[横浜市営バス緑営業所|緑車庫]]|[[横浜市営バス浅間町営業所#82系統|'''82''']]:八反橋|'''82'''・[[横浜市営バス浅間町営業所#88系統|'''88''']]:[[神大寺]]入口}}
|-
!6
|{{Unbulleted list|[[横浜市営バス港北営業所#38系統|'''38''']]:鶴見駅西口|[[横浜市営バス緑営業所#39・373系統|'''39''']]:緑車庫・[[中山駅 (神奈川県)|中山駅]]|'''88''':[[横浜市立市民病院|市民病院]]}}
|-
!8
|{{Unbulleted list|'''7'''・'''29''':横浜駅前(東口)|'''31'''・'''36'''・'''38'''・'''39'''・'''59'''・'''82'''・'''326(急行)''':横浜駅西口}}
|}
== その他 ==
* 横浜駅 - [[甲府駅]]・[[松本駅]]間を京浜東北線、横浜線、[[中央本線]]、[[篠ノ井線]]を経由して運行していた臨時[[特別急行列車|特急]]「[[かいじ (列車)|はまかいじ]]」は、下り・上りとも当駅に停車していたが、[[自動列車保安装置]]を切り替えるため<ref group="注釈">京浜東北線の[[自動列車制御装置#D-ATC|ATC]]から横浜線の[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]へ、またはその逆。</ref>の[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]であり、旅客が当駅で乗降することはできなかった。このため、乗車する際は横浜駅または新横浜駅まで向かう必要があった。
* [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の当初計画は、当駅起点で横浜線と直通運転するというものだった。
== 隣の駅 ==
<!-- リンクは1か所のみでお願いします -->
; 東日本旅客鉄道(JR東日本)
: [[File:JR JK line symbol.svg|15px|JK]] 京浜東北線
:: {{Color|#ff0066|■}}快速・{{Color|#00b2e5|■}}各駅停車
::: [[新子安駅]] (JK 14) - '''東神奈川駅 (JK 13)''' - [[横浜駅]] (JK 12)
: [[File:JR JH line symbol.svg|15px|JH]] 横浜線(横浜駅 - 当駅間は東海道本線(京浜東北線))
:: {{Color|#ff0066|■}}快速
::: 横浜駅 (JK 12) - '''東神奈川駅 (JH 13)''' - [[菊名駅]] (JH 15)
:: {{Color|#7FC342|■}}各駅停車
::: 横浜駅 (JK 12) - '''東神奈川駅 (JH 13)''' - [[大口駅]] (JH 14)
=== かつて存在した路線 ===
: 日本国有鉄道
:: 東海道本線貨物支線
::: '''東神奈川駅''' - [[海神奈川駅]]
:: 東海道本線貨物支線
::: '''東神奈川駅''' - [[東高島駅]]
どちらの路線も1959年(昭和34年)4月1日廃止
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 記事本文 ===
==== 注釈 ====
{{Reflist|group="注釈"}}
==== 出典 ====
{{Reflist|2}}
=== 利用状況 ===
{{Reflist|group="統計"}}
;JR東日本の2000年度以降の乗車人員
{{Reflist|group="JR"|22em}}
;神奈川県県勢要覧
{{Reflist|group="*"|22em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |title = 停車場変遷大事典 国鉄・JR編 |date = 1998-10-01 |edition = 初版 |publisher = [[JTBパブリッシング|JTB]]}}
* {{Cite book|和書 |editor = [[野田正穂]]・[[原田勝正]]・[[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]]・[[老川慶喜]] |title = 神奈川の鉄道 1872-1996 |date = 1996-09-10 |edition = 第1版 |publisher = [[日本経済評論社]] |isbn = 4-8188-0830-X}}
* {{Cite book|和書 |author = 長谷川弘和 |title = 横浜の鉄道物語 |date = 2004-11-01 |edition = 初版 |publisher = [[JTBパブリッシング]] |isbn = 4-533-05622-9}}
* {{Cite book|和書 |author = 長谷川弘和・吉川文夫 |title = かながわの鉄道 |year = 1983 |month = 9 |edition = 第2版 |publisher = 神奈川合同出版}}
* {{Cite book|和書 |author = サトウマコト |title = 横浜線百年 |date = 2008-09-23 |edition = 第一刷 |publisher = 230クラブ |isbn = 978-4-931353-28-2}}
* {{Cite book|和書 |title = [[日本国有鉄道百年史]] |volume = 6 |date = 1972-10-01 |publisher = [[日本国有鉄道]]}}
* {{Cite book|和書 |title = 横浜線と其電化 |url = http://memories.lib.city.yokohama.jp/cats/doc/01/9010532216_web.pdf |format = PDF |date = 1932-10-01 |publisher = 東京鉄道局}}
== 関連項目 ==
* [[日本の鉄道駅一覧]]
* [[コットンハーバー地区]](横浜市都心臨海部再生マスタープランにおける「東神奈川臨海部周辺地区」の一部)
* [[国際オリムピック大会選手予選会]]([[金栗四三]]が日本初の五輪選手に選ばれた大会で、当駅がマラソンの折り返し地点となった)
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Higashi-Kanagawa Station}}
* {{Wikinews-inline|JR横浜線で電車が車掌と乗客を乗せないまま発車 車掌はタクシーで追いかける}}
* {{外部リンク/JR東日本駅|filename=1276|name=東神奈川}}
{{京浜東北・根岸線}}
{{横浜線}}
{{東海道貨物線 (廃止区間)}}
{{DEFAULTSORT:ひかしかなかわ}}
[[Category:神奈川区の鉄道駅]]
[[Category:日本の鉄道駅 ひ|かしかなかわ]]
[[Category:東日本旅客鉄道の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の鉄道駅]]
[[Category:横浜鉄道]]
[[Category:京浜東北・根岸線]]
[[Category:1908年開業の鉄道駅]]
|
2003-07-15T08:18:23Z
|
2023-12-25T06:13:29Z
| false | false | false |
[
"Template:Reflist",
"Template:Cite news",
"Template:Commonscat",
"Template:横浜線",
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"Template:Unbulleted list",
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"Template:Wikinews-inline",
"Template:外部リンク/JR東日本駅",
"Template:東海道貨物線 (廃止区間)",
"Template:Otheruses",
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"Template:Cite journal",
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"Template:京浜東北・根岸線",
"Template:See also"
] |
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E9%A7%85
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11,459 |
ミサイル
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ミサイル(英: missile)とは、目標に向かって誘導を受けるか自律誘導によって自ら進路を変えながら、自らの推進装置によって飛翔していく軍事兵器のことである。誘導弾(ゆうどうだん、英: guided missile)ともいう。誘導ミサイルと呼ばれることもある。
単語自体の原義については「呼称」の節も参照。
以下にミサイルの分類を示す。必ずしもすべてのミサイルが下記の内の1種類に分類される訳ではなく、空対地ミサイル (ASM) が同時に対戦車ミサイル (ATM) や巡航ミサイルであるなど、同時に複数に分類できるものがある。
対地ミサイルは地上の目標を攻撃するミサイルである。1人で扱う小型のものから巨大なICBMまでさまざまな種類がある。
巡航ミサイル (CM:英: cruise missile)は発射プラットフォームにかかわらず大気圏内を目標まで水平に動力飛行するミサイルのうち、特に射程が長いミサイルである。長距離を飛翔するために固定翼航空機と同等に、主翼とジェットエンジンを備えることが多く、長い航続距離を得る代わりに音速以下での揚力による飛行を行うものが多い。破壊対象は地上目標もしくは艦船であり、長距離の対地ミサイルや対艦ミサイルの別称といえる。航空機同様に撃墜を避けるために低空飛行を行うことが求められ、地表高度に沿いながら防空レーダー網を左右に避けながら複雑な飛行ルートを行うなどの、高度な誘導装置を備えることで知られている。核弾頭を積んだ戦略ミサイルと通常弾頭を積んだ戦術ミサイルがある。ステルス性能の向上と並んで超音速巡航能力が求められており、2008年現在はいくつかの超音速巡航ミサイルの配備が始まっているとされている。
極超音速ミサイル(ごくちょうおんそくミサイル)とはマッハ5.0以上の極超音速:ハイパーソニック (hypersonic speed)で飛行するミサイルである。(cf. 極超音速機)。
下記の事例がある。(詳細は英語版 Wikipedia を参照)
対艦ミサイルは水上艦船を攻撃するミサイルである。艦船の移動速度は車両と同等のため、対艦ミサイルを対地ミサイルの一部として扱う事がある。この場合の略号は ship ではなく surface を用いる。洋上は彼我共に探知範囲が大きくなるため対艦ミサイルは一般的な対地ミサイルより射程が長く、中には弾道ミサイルに匹敵する射程を持つミサイルもあり、これらは対艦用の巡航ミサイルとも呼べる。
対潜ミサイルは水中の潜水艦を攻撃するミサイルで、その多くが弾頭相当として短魚雷を備えて着水時に分離する。ミサイルであると共に対潜兵器でもある。
対空ミサイルは空中の目標を攻撃するミサイルである。
日本語で言うところのミサイルは一般には推進装置と誘導装置を持つ兵器を指し、推進装置だけで誘導装置を持たないロケット弾や、推進装置を持たず誘導装置だけを持つ誘導爆弾や誘導砲弾とは区別される。一方でこの分類はかならずしも普遍的なものではなく、AGM-62のような推進装置を持たない誘導弾が「ミサイル」に分類されることもあるし、ロシアにおいては誘導装置を持たないロケット弾も「ミサイル」に分類される。一般の爆弾や砲弾は推進装置も誘導装置も有しない。推進装置は一般に固形ロケットを使用するが、大陸間弾道弾には液体ロケットを使用するもの、巡航ミサイルには燃費の良いジェットエンジンを使用するものがある。
軍用航空機は空を飛ぶことで目標を攻撃するが、自ら目標に向かって失われることは想定されておらず、砲弾と大砲の関係のように、別の投射体を放つためのプラットフォームとなっている兵器である。近代兵器としてのミサイルの黎明期には、「戦闘機」や「爆撃機」として分類されたものも存在する(F-99 ボマーク、B-62 スナーク 等)。
無人で放たれた後は短時間の1度限りの使用であるため、高熱や振動・圧力に起因する強度低下や再使用の整備は考慮せずに済み、比較的新しい技術を導入しやすい。
排気煙の視認を避けるため、白煙の元となるアルミニウム粉を用いない固体推進剤、さらに排気炎を出さないものが研究されている。外殻を金属からプラスチックへ変更し、ステルス性を高める研究が行われている。
発射地点から攻撃可能な目標地点までの最大距離が射程である。地対空ミサイルや艦対空ミサイルでは重力に逆らって上昇するのに推進力が消費されるため、水平距離だけでなく高さも含めて表現されることが多い。小型ミサイルでは多くの場合、弾頭部の種類別にミサイルの型名が付けられているため、射程も一意に決まるが、大型ミサイルでは弾頭を変更可能な場合、重い弾頭を運搬する場合と軽い弾頭を運搬する場合では射程が異なることがある。すべてのミサイルは発射時には爆発しないように作られており、その多くが安全装置や誘導装置の動作手順の都合によって、最短有効距離や最小有効射程などと呼ばれる攻撃に使用しても動作が保証されない距離が設定されている。
多くのミサイルは、飛翔体の他にも外部での誘導や発射にさまざまな装置を必要とする。以下に主要なミサイル・システムの構成要素を示す。簡易な肩撃ち式の対戦車ミサイルでは、射撃統制に複雑な装置は必要とせず、追尾レーダーも飛翔体に内蔵したものだけで済ますミサイルもある。
「ミサイル」とは、原義では投射体、飛び道具、投石を指すが、現代で「ミサイル」と呼ぶ場合は主に推進システムと誘導システムを持つ兵器を指し、近代以前の投射武器(投石、矢、焙烙玉など)を指すことは少ない。
語源はラテン語の動詞 mittere(投げる)から派生した形容詞 missile(投げられるもの)であり、ローマ時代では“ミッシレ”と呼ばれていた。
語としては、語源のラテン語を綴りをそのまま自言語の読みにしたもの(missile:英語-ミッスル、フランス語-ミシール、イタリア語-ミシーレ、等)の他に、ラテン語の発音を自言語の綴りに直したもの(スペイン語: Misil、デンマーク語: Missil、等)、近代兵器としての概念を訳したもの(ドイツ語: Lenkflugkörper、Lenkrakete-直訳すると「操縦(される)飛行体」及び「操縦(される)ロケット(弾)」、中国語:导弹(繁体字:導弾、dǎodàn)等。後述の日本語の「誘導弾」「誘導飛翔体」もこれに含まれる)、がある。
また、ロシア語やポーランド語では総じて「Ракета(ラケータ、ロケットのロシア語表記/読み)」、「Pocisk odrzutowy(直訳すると「噴射弾」)」と呼称され、無誘導の「ロケット弾」および航空宇宙用語としての「ロケット」と区別されないことがあるが、後者二つも含めて世界的に通称としてラテン語綴りの「missile」及び英語風発音の「ミサイル」で通じることがほとんどである。
正式な軍事用語として「ミサイル」が登場するのは、1947年にアメリカ空軍が発足した際に航空兵器全般の正式な命名規則を制定し、それまでは定まった名称がなかった誘導ロケット系や飛行爆弾系の兵器をあらたな定義である「ミサイル」に一括分類したときである。なお、具体的な由来や命名者は不明である。
日本での訳語としては「誘導弾(ゆうどうだん)」という呼称が用いられており、これは公式な名称として自衛隊を始めとして用いられているが、「誘導飛翔体(ゆうどう-ひしょうたい)」という語が用いられることもある。現代では「誘導弾」「誘導飛翔体」の呼称は防衛省の公的呼称以外にはあまり使われておらず、英語風のカタカナ表記である「ミサイル」が特に解説を要しない名詞として用いられていることが多い。
「ロケット弾」の和訳語が「噴進弾()」であることから、「誘導(式)噴進弾()」という用語もある。
尚、各種のミサイルのうち、弾道ミサイルのみは「弾道弾(だんどう-だん)」の呼称が和訳語として用いられており、“弾道誘導弾”とは呼称されない。
ミサイルの飛翔体は、ほぼ同じような構造から成り立っており、構成する装置類を頭部から後部に向かって順に示す。モジュール化構造を備えた飛翔体では、筐体となる外殻と特にそのモジュール同士の接続部に高い強度が求められる。
推進ブースターが発射時の加速補助のために外部装着される事もある。ジェットエンジンが採用されていれば弾体の一部に開口部が設けられ、空気取り入れ口が装備される。そういったミサイルでは操向翼とは別に主翼とも呼べる大きな翼を備えるものが多い。巡航ミサイルは誘導装置の一部として電波高度計を備えるのが一般的で、衛星位置情報システムや地形地図情報システムも備えるものが多く、そういった装置のアンテナが露出される。小型ミサイルでは誘導用のワイヤーを尾部より繰り出すものがある。
目標を捜索(英: search)、発見・識別するシステム。索敵装置にはレーダー、ソナーなどの捜索システムと発見した目標の識別を行う敵味方識別装置(IFF:英: identification friend or foe)が含まれる。赤外線誘導ミサイルや長射程のミサイル、対地ミサイルの場合、ミサイル本体に搭載されていることも多く、英語ではこれをシーカー(英: seeker)と呼ぶ。
誘導装置はミサイルの先端付近に取り付けられ、目標を追跡(英: tracking)し目標の現在位置とミサイル自身の進行方向とのずれを随時計算して操縦装置へ進路補正を指示する。英語ではガイダンス・システム(英: guidance system)、ホーミング・システム(英: homing system)と呼ぶ。ミサイルには複数種類の誘導装置が搭載される事があり、それぞれ使用される時点に応じて中間誘導装置(英: intermediate guidance system)、終末誘導装置(英: terminal guidance system)と呼ばれる。一種類しか搭載されていない場合は単に誘導装置と呼ばれる。
操向用の操舵翼とは別に安定翼(=固定翼)によって飛翔の安定性を高めるのが通常である。主翼とも呼ばれる。固定式と展張式のものがある。 展張式安定翼では、ミサイル内に格納されているものと、ミサイルの周囲を囲むように折り畳まれているものがある。多くがスプリングによって発射直後に展張する。 操舵翼も展張式のものがある。
弾頭は誘導装置の直後に置かれる事が多く、ミサイルが目標を破壊するために必要な装置である。英語ではウォーヘッド(英: warhead)と呼ぶ。
弾頭を起爆するための装置で、弾頭に組み込まれて使用される。英語ではフューズ(英: fuse)という。基本的には以下の種類があり、多くの高性能信管では設定によって複数の基本的な機能を組み合わせて起爆できるようになっている。
ミサイルの推進燃料を収めている区画であり、ミサイル後部で大きな位置を占める。
円筒形のロケット形態を採る限りは、電気配線などが燃料区画をまたいで上下をつなぐのにエレガントな解決策がなく、外部側面に張り付いている場合が多い。
ミサイルの飛行方向を制御するには以下の方式がある。
ミサイルを飛翔させる主エンジンには以下の種類がある。
固体燃料ロケットは「ロケットモーター」であり、液体燃料ロケットは「ロケットエンジン」とする名称の使い分けも存在するが、定着した使われかたであるかは不明である。
ミサイルの発射には複数の方式がある。
主に艦船から発射されるミサイルでは、戦闘による被弾時や平時の火災時の誘爆を回避できないか検討されている。
固体推進剤は通常、爆燃せずに燃焼するのみであるが、火災で長時間加熱を受けると、ミサイル内部の推進剤全体が自己発火寸前の状態(スロークックオフ)となり、やがて何らかのきっかけで爆轟することが知られ(英駆逐艦シェフィールドの沈没原因)ている。
艦船用ミサイルの推進剤に限らず、同様のリスクを低減するための弾薬はLOVA:英: low vulnerability ammunition(低脆弱性弾薬)とも呼ばれ、研究が進められている。 1988年から米国防省は三軍共同で、熱や衝撃によっても予定外には爆発しない弾薬類とその周辺システムの開発を目指した、IM:英: insensitive munition(不感弾薬)プロジェクトを開始した。
例えば、固体推進剤を納めた外殻をらせん状の薄い鋼板3-4層で構成し、火災による過熱や被弾による衝撃でらせんが解けるように製造する。固体推進剤が燃える場合でも閉鎖されたモーターケース内部で爆燃や爆轟せずに、開放環境で燃焼するようなものが開発されている。
スロークックオフへの対策として、コンポジット推進剤の基材では主流となる過塩素酸アンモニウム (AP) の中に自己発火点がAPより100度程度低い硝酸アンモニウム (AN) を少量加えることで、APより先にANに発火させ爆轟以前に燃焼で済ます工夫が行われている。
同様に、推進剤に固体と液体の2種類を使うハイブリッド・ロケットエンジンは、燃焼に必要な燃料と酸化剤がミサイル内でも離れて収められているために、火災や衝撃によってもそれほど急速に両者が反応せず、比較的安全が保たれると期待されている。液体の酸化剤もゲル化できないか検討されている。
ミサイルの有効性を計る数値にSSKPとSSHPがある。
SSKP:英: single shot kill probabilityは主として対空ミサイルの評価に使用される。
SSHP:英: single shot hit probabilityは主として対艦ミサイルや対戦車ミサイルの評価に使用される。
とりわけ「物体が何かしらの対象物に高速で突撃することで被害を与えるさま、もしくはその物体や操作」に対し、比喩的に「ミサイル」の語が使われる事例が多々存在する。
核磁気共鳴画像法(MRI)を扱う現場で、強い磁場の発生によって磁性体(金属製品)が診察装置や中の患者に向かって飛んで行くことを「ミサイル効果」と呼ぶ。非常に危険なため、徹底した安全管理が求められる。
ロケット花火のうち、安定翼を模したものが取り付けられているタイプの製品には「ミサイル花火」「台付きミサイル」等の商品名がつけられているものがある。
ファンタジー創作物のうち、魔法が登場する作品には、「マジックミサイル(英語: MagicMissile)」と呼ばれる、魔法による攻撃手段(「魔法で作られた矢」か「魔法エネルギーの弾丸のようなもの」を作り発射する)が登場する作品が、アメリカのロールプレイングゲーム『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を始めとしていくつか存在する。
呼称の項目にある通り、『「ミサイル」とは、原義では投射体、飛び道具、投石を指す』言葉である。そも、弓やスリング(投石器)などの投射・遠隔武器は、missile weaponで括られる。語彙的にも「魔力で作った投射体」であり、特異な使用例ではない。
むしろ、無誘導のロケット飛翔体をミサイルと呼称しているビデオゲーム・アニメ作品の方が多い。80年代のシューティングゲームにおいては、直進するだけのものをミサイル。敵を追尾するものをホーミングミサイルと呼称するものが多く見られた。
自動車競技に用いられる自動車で、損傷・廃車覚悟の練習/走行会専用車両のことをミサイルと呼ぶことがある。
また、トヨタ・プリウスがコンビニエンスストア等の店舗や建物に衝突する交通事故を起こしやすいことを揶揄して、プリウス・ミサイルというインターネットスラングが使用されることもある。
|
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"text": "ミサイル(英: missile)とは、目標に向かって誘導を受けるか自律誘導によって自ら進路を変えながら、自らの推進装置によって飛翔していく軍事兵器のことである。誘導弾(ゆうどうだん、英: guided missile)ともいう。誘導ミサイルと呼ばれることもある。",
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"text": "単語自体の原義については「呼称」の節も参照。",
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"text": "以下にミサイルの分類を示す。必ずしもすべてのミサイルが下記の内の1種類に分類される訳ではなく、空対地ミサイル (ASM) が同時に対戦車ミサイル (ATM) や巡航ミサイルであるなど、同時に複数に分類できるものがある。",
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"text": "対地ミサイルは地上の目標を攻撃するミサイルである。1人で扱う小型のものから巨大なICBMまでさまざまな種類がある。",
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"text": "巡航ミサイル (CM:英: cruise missile)は発射プラットフォームにかかわらず大気圏内を目標まで水平に動力飛行するミサイルのうち、特に射程が長いミサイルである。長距離を飛翔するために固定翼航空機と同等に、主翼とジェットエンジンを備えることが多く、長い航続距離を得る代わりに音速以下での揚力による飛行を行うものが多い。破壊対象は地上目標もしくは艦船であり、長距離の対地ミサイルや対艦ミサイルの別称といえる。航空機同様に撃墜を避けるために低空飛行を行うことが求められ、地表高度に沿いながら防空レーダー網を左右に避けながら複雑な飛行ルートを行うなどの、高度な誘導装置を備えることで知られている。核弾頭を積んだ戦略ミサイルと通常弾頭を積んだ戦術ミサイルがある。ステルス性能の向上と並んで超音速巡航能力が求められており、2008年現在はいくつかの超音速巡航ミサイルの配備が始まっているとされている。",
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"text": "極超音速ミサイル(ごくちょうおんそくミサイル)とはマッハ5.0以上の極超音速:ハイパーソニック (hypersonic speed)で飛行するミサイルである。(cf. 極超音速機)。",
"title": "分類"
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"text": "下記の事例がある。(詳細は英語版 Wikipedia を参照)",
"title": "分類"
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"text": "対艦ミサイルは水上艦船を攻撃するミサイルである。艦船の移動速度は車両と同等のため、対艦ミサイルを対地ミサイルの一部として扱う事がある。この場合の略号は ship ではなく surface を用いる。洋上は彼我共に探知範囲が大きくなるため対艦ミサイルは一般的な対地ミサイルより射程が長く、中には弾道ミサイルに匹敵する射程を持つミサイルもあり、これらは対艦用の巡航ミサイルとも呼べる。",
"title": "分類"
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"tag": "p",
"text": "対潜ミサイルは水中の潜水艦を攻撃するミサイルで、その多くが弾頭相当として短魚雷を備えて着水時に分離する。ミサイルであると共に対潜兵器でもある。",
"title": "分類"
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"text": "対空ミサイルは空中の目標を攻撃するミサイルである。",
"title": "分類"
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"text": "日本語で言うところのミサイルは一般には推進装置と誘導装置を持つ兵器を指し、推進装置だけで誘導装置を持たないロケット弾や、推進装置を持たず誘導装置だけを持つ誘導爆弾や誘導砲弾とは区別される。一方でこの分類はかならずしも普遍的なものではなく、AGM-62のような推進装置を持たない誘導弾が「ミサイル」に分類されることもあるし、ロシアにおいては誘導装置を持たないロケット弾も「ミサイル」に分類される。一般の爆弾や砲弾は推進装置も誘導装置も有しない。推進装置は一般に固形ロケットを使用するが、大陸間弾道弾には液体ロケットを使用するもの、巡航ミサイルには燃費の良いジェットエンジンを使用するものがある。",
"title": "特徴"
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"text": "軍用航空機は空を飛ぶことで目標を攻撃するが、自ら目標に向かって失われることは想定されておらず、砲弾と大砲の関係のように、別の投射体を放つためのプラットフォームとなっている兵器である。近代兵器としてのミサイルの黎明期には、「戦闘機」や「爆撃機」として分類されたものも存在する(F-99 ボマーク、B-62 スナーク 等)。",
"title": "特徴"
},
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"text": "無人で放たれた後は短時間の1度限りの使用であるため、高熱や振動・圧力に起因する強度低下や再使用の整備は考慮せずに済み、比較的新しい技術を導入しやすい。",
"title": "特徴"
},
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"text": "排気煙の視認を避けるため、白煙の元となるアルミニウム粉を用いない固体推進剤、さらに排気炎を出さないものが研究されている。外殻を金属からプラスチックへ変更し、ステルス性を高める研究が行われている。",
"title": "特徴"
},
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"text": "発射地点から攻撃可能な目標地点までの最大距離が射程である。地対空ミサイルや艦対空ミサイルでは重力に逆らって上昇するのに推進力が消費されるため、水平距離だけでなく高さも含めて表現されることが多い。小型ミサイルでは多くの場合、弾頭部の種類別にミサイルの型名が付けられているため、射程も一意に決まるが、大型ミサイルでは弾頭を変更可能な場合、重い弾頭を運搬する場合と軽い弾頭を運搬する場合では射程が異なることがある。すべてのミサイルは発射時には爆発しないように作られており、その多くが安全装置や誘導装置の動作手順の都合によって、最短有効距離や最小有効射程などと呼ばれる攻撃に使用しても動作が保証されない距離が設定されている。",
"title": "特徴"
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"text": "多くのミサイルは、飛翔体の他にも外部での誘導や発射にさまざまな装置を必要とする。以下に主要なミサイル・システムの構成要素を示す。簡易な肩撃ち式の対戦車ミサイルでは、射撃統制に複雑な装置は必要とせず、追尾レーダーも飛翔体に内蔵したものだけで済ますミサイルもある。",
"title": "特徴"
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"text": "「ミサイル」とは、原義では投射体、飛び道具、投石を指すが、現代で「ミサイル」と呼ぶ場合は主に推進システムと誘導システムを持つ兵器を指し、近代以前の投射武器(投石、矢、焙烙玉など)を指すことは少ない。",
"title": "特徴"
},
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"text": "語源はラテン語の動詞 mittere(投げる)から派生した形容詞 missile(投げられるもの)であり、ローマ時代では“ミッシレ”と呼ばれていた。",
"title": "特徴"
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"text": "語としては、語源のラテン語を綴りをそのまま自言語の読みにしたもの(missile:英語-ミッスル、フランス語-ミシール、イタリア語-ミシーレ、等)の他に、ラテン語の発音を自言語の綴りに直したもの(スペイン語: Misil、デンマーク語: Missil、等)、近代兵器としての概念を訳したもの(ドイツ語: Lenkflugkörper、Lenkrakete-直訳すると「操縦(される)飛行体」及び「操縦(される)ロケット(弾)」、中国語:导弹(繁体字:導弾、dǎodàn)等。後述の日本語の「誘導弾」「誘導飛翔体」もこれに含まれる)、がある。",
"title": "特徴"
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"text": "また、ロシア語やポーランド語では総じて「Ракета(ラケータ、ロケットのロシア語表記/読み)」、「Pocisk odrzutowy(直訳すると「噴射弾」)」と呼称され、無誘導の「ロケット弾」および航空宇宙用語としての「ロケット」と区別されないことがあるが、後者二つも含めて世界的に通称としてラテン語綴りの「missile」及び英語風発音の「ミサイル」で通じることがほとんどである。",
"title": "特徴"
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"text": "正式な軍事用語として「ミサイル」が登場するのは、1947年にアメリカ空軍が発足した際に航空兵器全般の正式な命名規則を制定し、それまでは定まった名称がなかった誘導ロケット系や飛行爆弾系の兵器をあらたな定義である「ミサイル」に一括分類したときである。なお、具体的な由来や命名者は不明である。",
"title": "特徴"
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"text": "日本での訳語としては「誘導弾(ゆうどうだん)」という呼称が用いられており、これは公式な名称として自衛隊を始めとして用いられているが、「誘導飛翔体(ゆうどう-ひしょうたい)」という語が用いられることもある。現代では「誘導弾」「誘導飛翔体」の呼称は防衛省の公的呼称以外にはあまり使われておらず、英語風のカタカナ表記である「ミサイル」が特に解説を要しない名詞として用いられていることが多い。",
"title": "特徴"
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"text": "「ロケット弾」の和訳語が「噴進弾()」であることから、「誘導(式)噴進弾()」という用語もある。",
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"text": "尚、各種のミサイルのうち、弾道ミサイルのみは「弾道弾(だんどう-だん)」の呼称が和訳語として用いられており、“弾道誘導弾”とは呼称されない。",
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"text": "ミサイルの飛翔体は、ほぼ同じような構造から成り立っており、構成する装置類を頭部から後部に向かって順に示す。モジュール化構造を備えた飛翔体では、筐体となる外殻と特にそのモジュール同士の接続部に高い強度が求められる。",
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"text": "推進ブースターが発射時の加速補助のために外部装着される事もある。ジェットエンジンが採用されていれば弾体の一部に開口部が設けられ、空気取り入れ口が装備される。そういったミサイルでは操向翼とは別に主翼とも呼べる大きな翼を備えるものが多い。巡航ミサイルは誘導装置の一部として電波高度計を備えるのが一般的で、衛星位置情報システムや地形地図情報システムも備えるものが多く、そういった装置のアンテナが露出される。小型ミサイルでは誘導用のワイヤーを尾部より繰り出すものがある。",
"title": "特徴"
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"text": "目標を捜索(英: search)、発見・識別するシステム。索敵装置にはレーダー、ソナーなどの捜索システムと発見した目標の識別を行う敵味方識別装置(IFF:英: identification friend or foe)が含まれる。赤外線誘導ミサイルや長射程のミサイル、対地ミサイルの場合、ミサイル本体に搭載されていることも多く、英語ではこれをシーカー(英: seeker)と呼ぶ。",
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"text": "誘導装置はミサイルの先端付近に取り付けられ、目標を追跡(英: tracking)し目標の現在位置とミサイル自身の進行方向とのずれを随時計算して操縦装置へ進路補正を指示する。英語ではガイダンス・システム(英: guidance system)、ホーミング・システム(英: homing system)と呼ぶ。ミサイルには複数種類の誘導装置が搭載される事があり、それぞれ使用される時点に応じて中間誘導装置(英: intermediate guidance system)、終末誘導装置(英: terminal guidance system)と呼ばれる。一種類しか搭載されていない場合は単に誘導装置と呼ばれる。",
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"text": "操向用の操舵翼とは別に安定翼(=固定翼)によって飛翔の安定性を高めるのが通常である。主翼とも呼ばれる。固定式と展張式のものがある。 展張式安定翼では、ミサイル内に格納されているものと、ミサイルの周囲を囲むように折り畳まれているものがある。多くがスプリングによって発射直後に展張する。 操舵翼も展張式のものがある。",
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"text": "ミサイルの推進燃料を収めている区画であり、ミサイル後部で大きな位置を占める。",
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"text": "円筒形のロケット形態を採る限りは、電気配線などが燃料区画をまたいで上下をつなぐのにエレガントな解決策がなく、外部側面に張り付いている場合が多い。",
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"text": "ミサイルを飛翔させる主エンジンには以下の種類がある。",
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"text": "固体燃料ロケットは「ロケットモーター」であり、液体燃料ロケットは「ロケットエンジン」とする名称の使い分けも存在するが、定着した使われかたであるかは不明である。",
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"text": "艦船用ミサイルの推進剤に限らず、同様のリスクを低減するための弾薬はLOVA:英: low vulnerability ammunition(低脆弱性弾薬)とも呼ばれ、研究が進められている。 1988年から米国防省は三軍共同で、熱や衝撃によっても予定外には爆発しない弾薬類とその周辺システムの開発を目指した、IM:英: insensitive munition(不感弾薬)プロジェクトを開始した。",
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"text": "例えば、固体推進剤を納めた外殻をらせん状の薄い鋼板3-4層で構成し、火災による過熱や被弾による衝撃でらせんが解けるように製造する。固体推進剤が燃える場合でも閉鎖されたモーターケース内部で爆燃や爆轟せずに、開放環境で燃焼するようなものが開発されている。",
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"text": "スロークックオフへの対策として、コンポジット推進剤の基材では主流となる過塩素酸アンモニウム (AP) の中に自己発火点がAPより100度程度低い硝酸アンモニウム (AN) を少量加えることで、APより先にANに発火させ爆轟以前に燃焼で済ます工夫が行われている。",
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"text": "同様に、推進剤に固体と液体の2種類を使うハイブリッド・ロケットエンジンは、燃焼に必要な燃料と酸化剤がミサイル内でも離れて収められているために、火災や衝撃によってもそれほど急速に両者が反応せず、比較的安全が保たれると期待されている。液体の酸化剤もゲル化できないか検討されている。",
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"text": "ミサイルの有効性を計る数値にSSKPとSSHPがある。",
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"text": "ロケット花火のうち、安定翼を模したものが取り付けられているタイプの製品には「ミサイル花火」「台付きミサイル」等の商品名がつけられているものがある。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
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"paragraph_id": 49,
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"text": "ファンタジー創作物のうち、魔法が登場する作品には、「マジックミサイル(英語: MagicMissile)」と呼ばれる、魔法による攻撃手段(「魔法で作られた矢」か「魔法エネルギーの弾丸のようなもの」を作り発射する)が登場する作品が、アメリカのロールプレイングゲーム『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を始めとしていくつか存在する。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
},
{
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"tag": "p",
"text": "呼称の項目にある通り、『「ミサイル」とは、原義では投射体、飛び道具、投石を指す』言葉である。そも、弓やスリング(投石器)などの投射・遠隔武器は、missile weaponで括られる。語彙的にも「魔力で作った投射体」であり、特異な使用例ではない。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
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"text": "むしろ、無誘導のロケット飛翔体をミサイルと呼称しているビデオゲーム・アニメ作品の方が多い。80年代のシューティングゲームにおいては、直進するだけのものをミサイル。敵を追尾するものをホーミングミサイルと呼称するものが多く見られた。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
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"text": "自動車競技に用いられる自動車で、損傷・廃車覚悟の練習/走行会専用車両のことをミサイルと呼ぶことがある。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
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"text": "また、トヨタ・プリウスがコンビニエンスストア等の店舗や建物に衝突する交通事故を起こしやすいことを揶揄して、プリウス・ミサイルというインターネットスラングが使用されることもある。",
"title": "軍事以外の「ミサイル」"
}
] |
ミサイルとは、目標に向かって誘導を受けるか自律誘導によって自ら進路を変えながら、自らの推進装置によって飛翔していく軍事兵器のことである。誘導弾ともいう。誘導ミサイルと呼ばれることもある。 単語自体の原義については「呼称」の節も参照。
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{{複数の問題
|出典の明記=2020年12月
|脚注の不足=2020年12月
|独自研究=2020年12月}}
[[画像:Jupiter Launch.jpg|thumb|300px|発射後上昇する[[中距離弾道ミサイル]]、[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター]]]]
'''ミサイル'''({{lang-en-short|missile}})とは、目標に向かって誘導を受けるか自律誘導によって自ら進路を変えながら、自らの推進装置によって飛翔していく軍事[[兵器]]のことである。'''誘導弾'''(ゆうどうだん、{{lang-en-short|guided missile|links=no}})ともいう。'''誘導ミサイル'''と呼ばれることもある。
単語自体の原義については「呼称」の節も参照。
== 分類 ==
[[画像:Exocet-mil.jpg|thumb|250px|right|[[エグゾセ]]ミサイル発射の瞬間]]
以下にミサイルの分類を示す。必ずしもすべてのミサイルが下記の内の1種類に分類される訳ではなく、空対地ミサイル (ASM) が同時に対戦車ミサイル (ATM) や巡航ミサイルであるなど、同時に複数に分類できるものがある。
<!--地艦空の順。陸海空の順ですね。-->
{{Main|ミサイル一覧}}
=== 対地ミサイル ===
対地ミサイルは地上の目標を攻撃するミサイルである。1人で扱う小型のものから巨大な[[大陸間弾道ミサイル|ICBM]]までさまざまな種類がある。
; [[弾道ミサイル]]
: [[大気圏]]上層や大気圏外を弾道飛行して目標へ到達するミサイル。射程で分類されるが明確な基準はない。ICBMだけは[[第二次戦略兵器制限交渉|SALT-II]]で射程5,500km以上の弾道ミサイルと規定されている。[[核弾頭]]を積んだ戦略ミサイルと通常弾頭を積んだ戦術ミサイルがある。
:; [[大陸間弾道ミサイル]] (ICBM:{{lang-en-short|intercontinental ballistic missile}})
:; [[中距離弾道ミサイル]] (IRBM:{{lang-en-short|intermediate-range ballistic missile}})
:: 射程2,000-6,000km程度のもの。
:; [[準中距離弾道ミサイル]] (MRBM:{{lang-en-short|medium-range ballistic missile}})
:: 射程800-1,600km程度のもの。
:; [[短距離弾道ミサイル]] (SRBM:{{lang-en-short|short-range ballistic missile}})
:: 射程約800km以下のもの。[[スカッド|スカッドミサイル]]もこれに入る。
:; [[潜水艦発射弾道ミサイル]] (SLBM:{{lang-en-short|submarine-launched ballistic missile}})
:: 射程の長短にかかわらず[[潜水艦]]から発射される弾道ミサイルはすべてSLBMに分類される。
:; [[空中発射弾道ミサイル]] (ALBM:{{lang-en-short|air-launched ballistic missile}})
:: 射程の長短にかかわらず[[航空機]]から発射される弾道ミサイルはすべてALBMに分類される。現在までに攻撃兵器として実戦配備されたALBMは無いが、弾道弾迎撃ミサイルの標的としてはいくつか実用化されている。
:; [[対艦弾道ミサイル]](ASBM:{{lang-en-short|anti-ship ballistic missile}})
:: 海上の艦船を対象としたもの
:
; [[地対地ミサイル]] (SSM:{{lang-en-short|surface-to-surface missile}})
: 地上から発射される対地ミサイル。
; [[空対地ミサイル]] (ASM:{{lang-en-short|air-to-surface missile}})
: 航空機から発射される対地ミサイル。
; [[艦対地ミサイル]] (SSM:{{lang-en-short|ship-to-surface missile}})
: 艦船から発射される対地ミサイル。地対地ミサイル(surface-to-surface missile)の略語もSSMで混同を防ぐため、艦対地ミサイル(ship-to-surface missile)を特に区別してShSMと呼ぶこともある。
; [[対レーダーミサイル]] (ARM:{{lang-en-short|anti-radiation missile}})
: [[レーダー]]を攻撃するミサイル。誘導装置が通常の対地ミサイルとは異なるため、専用に開発・運用される。主な目標は地上配備のレーダーであるが、[[巡洋艦]]などに搭載されている艦載レーダーも攻撃することができる。航空機である[[早期警戒機]]のレーダー波を探知するミサイルは対空ミサイルに分類される。
; [[対戦車ミサイル]] (ATM:{{lang-en-short|anti-tank missile}})
: 対戦車ミサイルは、地上の[[戦車]]や装甲/非装甲車両を攻撃することを主目的とするミサイルである。[[歩兵]]、車両、[[ヘリコプター]]から運用される。運用上の制限から小型である事が多く、誘導能力が無い[[対戦車ロケット]]も平行して配備されている。
=== 巡航ミサイル ===
[[巡航ミサイル]] (CM:{{lang-en-short|cruise missile}})は発射プラットフォームにかかわらず大気圏内を目標まで水平に動力飛行するミサイルのうち、特に射程が長いミサイルである。長距離を飛翔するために[[固定翼機|固定翼航空機]]と同等に、主翼と[[ジェットエンジン]]を備えることが多く、長い[[航続距離]]を得る代わりに[[音速]]以下での[[揚力]]による飛行を行うものが多い。破壊対象は地上目標もしくは艦船であり、長距離の対地ミサイルや対艦ミサイルの別称といえる。航空機同様に撃墜を避けるために低空飛行を行うことが求められ、地表高度に沿いながら防空レーダー網を左右に避けながら複雑な飛行ルートを行うなどの、高度な誘導装置を備えることで知られている。[[核弾頭]]を積んだ戦略ミサイルと通常弾頭を積んだ戦術ミサイルがある。[[ステルス性|ステルス性能]]の向上と並んで[[超音速]]巡航能力が求められており、2008年現在はいくつかの超音速巡航ミサイルの配備が始まっているとされている。
=== 極超音速ミサイル ===
[[File:X-43A (Hyper - X) Mach 7 computational fluid dynamic (CFD).jpg|thumb|マッハ7到達時の極超音速飛行機の、コンピュータ計算による流体解析の等高線図]]
{{See also|極超音速兵器}}
極超音速ミサイル(ごくちょうおんそくミサイル)とはマッハ5.0以上の極超音速:ハイパーソニック (hypersonic speed)で飛行するミサイルである。(cf. [[極超音速機]])。
下記の事例がある。(詳細は英語版 Wikipedia を参照)
*[[Shaurya (missile)]] Ballistic Missile - {{flagicon|India}} [[インド]] (Entered Production)
*[[BrahMos-II]] Cruise Missile - {{flagicon|India}} {{flagicon|Russia}} (開発中)
*[[9K720|9K720 Iskander]] Short-range ballistic missile {{flagicon|Russia}} [[ロシア]] (運用中)
*[[3M22 ツィルコン]] 極超音速対艦ミサイル {{flagicon|Russia}} (量産・配備中 2022年-)
*[[R-37 (missile)]] Hypersonic air-to-air missile {{flagicon|Russia}} (in service)
*[[Kh-47M2 キンジャール|Kh-47M2 Kinzhal]] 極超音速空対地ミサイル {{flagicon|Russia}} (運用中)
=== 対艦ミサイル ===
[[対艦ミサイル]]は水上艦船を攻撃するミサイルである。艦船の移動速度は車両と同等のため、対艦ミサイルを対地ミサイルの一部として扱う事がある。この場合の略号は {{lang|en|ship}} ではなく {{lang|en|surface}} を用いる。洋上は彼我共に探知範囲が大きくなるため対艦ミサイルは一般的な対地ミサイルより射程が長く、中には弾道ミサイルに匹敵する射程を持つミサイルもあり、これらは対艦用の巡航ミサイルとも呼べる。
; [[地対艦ミサイル]](SSM:{{lang-en-short|surface-to-ship missile}})
: 陸上から発射される対艦ミサイル。沿岸防備用兵器として配備される事が多い。車両に搭載した移動発射式のものが主体である。
; [[艦対艦ミサイル]](SSM:{{lang-en-short|ship-to-ship missile}})
: 水上艦から発射される対艦ミサイル。明示的に艦対艦ミサイルとする場合は潜水艦から発射される対艦ミサイルは含まれない事が多い。
; [[空対艦ミサイル]](ASM:{{lang-en-short|air-to-ship missile}})
: 航空機から発射される対艦ミサイル。航空機は機動力に優れるため、このグループのミサイルの射程は他のプラットフォームから発射される対艦ミサイルより短いものが多い。
=== 対潜ミサイル ===
[[対潜ミサイル]]は水中の[[潜水艦]]を攻撃するミサイルで、その多くが弾頭相当として短[[魚雷]]を備えて着水時に分離する。ミサイルであると共に対潜兵器でもある。
=== 対空ミサイル ===
[[画像:ASAT missile launch.jpg|thumb|250px|母機から切り離されたASATミサイル]]
対空ミサイルは空中の目標を攻撃するミサイルである。
; [[地対空ミサイル]](SAM:{{lang-en-short|surface-to-air missile}})
: 地上から発射される対空ミサイル。拠点防空用の長射程ミサイルと野戦防空用の中短射程ミサイルに分けられる。
; [[艦対空ミサイル]](SAM:{{lang-en-short|ship-to-air missile}})
: 艦船から発射される対空ミサイル。個艦防空用の短射程ミサイルと艦隊防空用の長射程ミサイルに分けられる。
; [[空対空ミサイル]](AAM:{{lang-en-short|air-to-air missile}})
: 航空機から発射される対空ミサイル。航空機同士の戦闘で使用される兵器である。視程外距離戦闘で用いられる長射程ミサイルと近距離で使用される短射程ミサイルがある。短射程ミサイルは[[ヘリコプター]]や低脅威度の航空目標への攻撃や格闘戦に用いられる。
; [[弾道弾迎撃ミサイル]](ABM:{{lang-en-short|anti-ballistic missile}})
: 空中の弾道ミサイルを迎撃するミサイル。[[宇宙空間]]の飛行中や大気圏の落下中の高速度の目標ミサイルを迎撃するためには、高度な技術が求められる。
; [[対衛星ミサイル]](ASAT:{{lang-en-short|anti-satellite missile}})
: 衛星軌道上の[[人工衛星]]を攻撃するミサイル。技術的にも政治的にもかなり特殊なミサイルである。
== 特徴 ==
日本語で言うところのミサイルは一般には推進装置と誘導装置を持つ兵器を指し、推進装置だけで誘導装置を持たない[[ロケット弾]]や、推進装置を持たず誘導装置だけを持つ[[誘導爆弾]]や誘導砲弾とは区別される。一方でこの分類はかならずしも普遍的なものではなく、[[AGM-62]]のような推進装置を持たない誘導弾が「ミサイル」に分類されることもあるし、ロシアにおいては誘導装置を持たないロケット弾も「ミサイル」に分類される。一般の[[爆弾]]や[[砲弾]]は推進装置も誘導装置も有しない。推進装置は一般に固形[[ロケット]]を使用するが、[[大陸間弾道弾]]には[[液体ロケット]]を使用するもの、[[巡航ミサイル]]には燃費の良い[[ジェットエンジン]]を使用するものがある。
軍用[[航空機]]は空を飛ぶことで目標を攻撃するが、自ら目標に向かって失われることは想定されておらず、砲弾と大砲の関係のように、別の投射体を放つためのプラットフォームとなっている兵器である。近代兵器としてのミサイルの黎明期には、「戦闘機」や「爆撃機」として分類されたものも存在する<br/>([[ボマーク (ミサイル)|F-99 ボマーク]]、[[スナーク (ミサイル)|B-62 スナーク]] 等)。
無人で放たれた後は短時間の1度限りの使用であるため、高熱や振動・圧力に起因する強度低下や再使用の整備は考慮せずに済み、比較的新しい技術を導入しやすい。
排気煙の視認を避けるため、白煙の元となるアルミニウム粉を用いない固体推進剤、さらに排気炎を出さないものが研究されている。外殻を金属からプラスチックへ変更し、ステルス性を高める研究が行われている。
発射地点から攻撃可能な目標地点までの最大距離が射程である。地対空ミサイルや艦対空ミサイルでは重力に逆らって上昇するのに推進力が消費されるため、水平距離だけでなく高さも含めて表現されることが多い。小型ミサイルでは多くの場合、弾頭部の種類別にミサイルの型名が付けられているため、射程も一意に決まるが、大型ミサイルでは弾頭を変更可能な場合、重い弾頭を運搬する場合と軽い弾頭を運搬する場合では射程が異なることがある。すべてのミサイルは発射時には爆発しないように作られており、その多くが安全装置や誘導装置の動作手順の都合によって、最短有効距離や最小有効射程などと呼ばれる攻撃に使用しても動作が保証されない距離が設定されている。
多くのミサイルは、飛翔体の他にも外部での誘導や発射にさまざまな装置を必要とする。以下に主要なミサイル・システムの構成要素を示す。簡易な肩撃ち式の対戦車ミサイルでは、射撃統制に複雑な装置は必要とせず、追尾レーダーも飛翔体に内蔵したものだけで済ますミサイルもある。
* 射撃統制装置(=発射プラットフォーム側の誘導装置)
** 捜索レーダー、追尾レーダー、IFF装置
** 射撃計算機、発射機、通信装置
* 運搬装置
* ミサイル(飛翔体)<ref name="ミサイル技術のすべて">[[防衛技術ジャーナル]]編集部編 『ミサイル技術のすべて』 (財)防衛技術協会 2006年10月1日初版第1刷発行</ref>
=== 呼称 ===
「ミサイル」とは、原義では投射体、[[飛び道具]]、[[投石]]を指すが、現代で「ミサイル」と呼ぶ場合は主に推進システムと誘導システムを持つ兵器を指し、近代以前の投射武器(投石、[[矢]]、[[焙烙火矢|焙烙玉]]など)を指すことは少ない。
語源は[[ラテン語]]の動詞 {{lang|la|mittere}}(投げる)から派生した形容詞 {{lang|la|missile}}(投げられるもの)であり、[[ローマ時代]]では“ミッシレ”と呼ばれていた。
語としては、語源のラテン語を綴りをそのまま自言語の読みにしたもの({{lang|la|missile}}:[[英語]]-ミッスル、[[フランス語]]-ミシール、[[イタリア語]]-ミシーレ、等<ref group="注">カタカナでの表記はあくまでも一例であるので注意を要する。</ref>)の他に、ラテン語の発音を自言語の綴りに直したもの({{lang-es|Misil}}、{{lang-da|Missil}}、等)、近代兵器としての概念を訳したもの({{lang-de|Lenkflugkörper}}、{{lang|de|Lenkrakete}}-直訳すると「操縦(される)飛行体」及び「操縦(される)ロケット(弾)」、[[中国語]]:{{lang|zh-Hans|导弹}}(繁体字:{{lang|zh-Hant|導弾}}、{{lang|zh-Latn|dǎodàn}})等。後述の[[日本語]]の「誘導弾」「誘導飛翔体」もこれに含まれる)、がある。
また、[[ロシア語]]や[[ポーランド語]]では総じて「{{lang|ru|Ракета}}(ラケータ、ロケットのロシア語表記/読み)」、「{{lang|pl|Pocisk odrzutowy}}(直訳すると「噴射弾」)」と呼称され、無誘導の「ロケット弾」および航空宇宙用語としての「ロケット」と区別されないことがあるが<ref group="注">軍用兵器としての「ロケット」を特に区別する場合は、ロシア語」では「{{lang|ru|Ракетное оружие}}(「ロケット兵器」の意)と表記する。また、ミサイルではない「ロケット」を意味するポーランド語は「{{lang|pl|Rakieta}}(ラキエータ)」である。</ref>、後者二つも含めて世界的に通称としてラテン語綴りの「{{lang|la|missile}}」及び英語風発音の「ミサイル」で通じることがほとんどである。
正式な軍事用語として「ミサイル」が登場するのは、1947年に[[アメリカ空軍]]が発足した際に航空兵器全般の正式な命名規則を制定し、それまでは定まった名称がなかった誘導ロケット系や[[飛行爆弾]]系の兵器をあらたな定義である「ミサイル」に一括分類したときである。なお、具体的な由来や命名者は不明である。
日本での訳語としては「誘導弾(ゆうどうだん)」という呼称が用いられており、これは公式な名称として[[自衛隊]]を始めとして用いられているが、「誘導飛翔体(ゆうどう-ひしょうたい)」という語が用いられることもある。現代では「誘導弾」「誘導飛翔体」の呼称は[[防衛省]]の公的呼称以外にはあまり使われておらず、英語風のカタカナ表記である「ミサイル」が特に解説を要しない[[名詞]]として用いられていることが多い。
「ロケット弾」の和訳語が「{{読み仮名|噴進弾|ふんしん-だん}}」であることから、「{{読み仮名|誘導(式)噴進弾|ゆうどう(しき)-ふんしん-だん}}」という用語もある。
尚、各種のミサイルのうち、[[弾道ミサイル]]のみは「'''弾道弾(だんどう-だん)'''」の呼称が和訳語として用いられており、“弾道誘導弾”とは呼称されない。
=== 構造 ===
[[ファイル:Drawing of Missile in japanese.png|サムネイル|300x300ピクセル|ミサイルの構造]]
ミサイルの飛翔体は、ほぼ同じような構造から成り立っており、構成する装置類を頭部から後部に向かって順に示す。モジュール化構造を備えた飛翔体では、筐体となる外殻と特にそのモジュール同士の接続部に高い強度が求められる。
推進[[ブースター]]が発射時の加速補助のために外部装着される事もある。ジェットエンジンが採用されていれば弾体の一部に開口部が設けられ、空気取り入れ口が装備される。そういったミサイルでは操向翼とは別に主翼とも呼べる大きな翼を備えるものが多い。巡航ミサイルは誘導装置の一部として電波高度計を備えるのが一般的で、衛星位置情報システムや地形地図情報システムも備えるものが多く、そういった装置のアンテナが露出される。小型ミサイルでは誘導用のワイヤーを尾部より繰り出すものがある。
;索敵装置
目標を捜索({{lang-en-short|search}})、発見・識別するシステム。索敵装置には[[レーダー]]、[[ソナー]]などの捜索システムと発見した目標の識別を行う[[敵味方識別装置]](IFF:{{lang-en-short|identification friend or foe}})が含まれる。赤外線誘導ミサイルや長射程のミサイル、対地ミサイルの場合、ミサイル本体に搭載されていることも多く、英語ではこれをシーカー({{lang-en-short|seeker}})と呼ぶ。
;誘導装置
{{main|ミサイルの誘導方式}}
誘導装置はミサイルの先端付近に取り付けられ、目標を追跡({{lang-en-short|tracking}})し目標の現在位置とミサイル自身の進行方向とのずれを随時計算して操縦装置へ進路補正を指示する。[[英語]]ではガイダンス・システム({{lang-en-short|guidance system}})、ホーミング・システム({{lang-en-short|homing system}})と呼ぶ。ミサイルには複数種類の誘導装置が搭載される事があり、それぞれ使用される時点に応じて中間誘導装置({{lang-en-short|intermediate guidance system}})、終末誘導装置({{lang-en-short|terminal guidance system}})と呼ばれる。一種類しか搭載されていない場合は単に誘導装置と呼ばれる。
;安定翼
操向用の操舵翼とは別に安定翼(=固定翼)によって飛翔の安定性を高めるのが通常である。主翼とも呼ばれる。固定式と展張式のものがある。
展張式安定翼では、ミサイル内に格納されているものと、ミサイルの周囲を囲むように折り畳まれているものがある。多くがスプリングによって発射直後に展張する。
操舵翼も展張式のものがある。
=== 弾頭 ===
弾頭は誘導装置の直後に置かれる事が多く、ミサイルが目標を破壊するために必要な装置である。英語ではウォーヘッド({{lang-en-short|warhead}})と呼ぶ。
; 通常弾頭
: 核兵器や生物兵器、化学兵器以外の弾頭であり、弾頭部の重量は携帯ミサイルの数キログラムから対艦ミサイルの数百キログラムまでの幅がある。ミサイルは飛翔するために軽量であることが要求され、多くの爆弾と比べれば弾殻は薄く、肉厚高抗張力合金鋼やチタン合金で作られているものが多い。
:* 榴弾弾頭:高性能火薬を主体とした弾頭である。通常型榴弾弾頭は均質な弾殻に高性能火薬が詰められ、起爆のタイミングの違いによって内爆型と外爆型とがある。調整破片型({{lang-en-short|pre-formed fragment}})榴弾弾頭は弾殻に規則的な割れ目があるか、多数の鋼鉄球や鋼鉄片、タングステン・ペレットが配置されており、加害効果を高めている。
:* 集束型弾頭:多数のフレシェット({{lang-en-short|flechette}})と呼ばれる三角帽子状の矢となる鋼鉄棒が収められており、爆発によって無駄なく計画された方向へと飛び、軟目標を加害する。ヘリコプターや兵員への攻撃に使用される。
:* ロッド型弾頭:弾頭内に多数の金属ロッドが収められており、隣り合うロッド間の連接の有無によって連続ロッド型と不連続ロッド型がある。連続ロッド型では弾頭が爆発するとロッド同士が空中でいくつかの大きな輪を作る。不連続ロッド型ではロッド同士がバラバラで放たれる。共に航空機やミサイルの撃墜を目的に使用される。
:* 指向性爆薬弾頭:単純な炸裂弾ではなく、爆薬の爆発エネルギーによって前方や下方といった1方向にだけ高速で金属を打ち出す仕組みを持つ。[[成形炸薬弾|成形炸薬]]弾頭では[[モンロー/ノイマン効果]]により、直近にある口径の6-8倍の厚さの均質圧延鋼板を打ち抜く。前後に2つの成形炸薬弾を並べたタンデム型もある。対戦車ミサイルの弾頭で使用される。[[自己鍛造弾|自己鍛造破片]]({{lang-en-short|self forming fragment}})弾頭では高速 (2,000-3,000m/s) の金属塊を打ち出しミズネ・シャルダン効果({{lang-en-short|Misne-Schardin effect}})によって、口径の1,000倍の距離までの1倍の均質圧延鋼板を打ち抜く。上面装甲を狙うトップアタック式(オーバーフライ式)の対戦車ミサイルの弾頭で使用さる。また、榴弾弾頭に近い構成で、爆薬に複数の起爆点を持たせて爆発のエネルギーと破片を特定方向に集中させるタイプの指向性爆薬弾頭もある<ref name="ミサイル技術のすべて" />。
:* ディスペンサー:[[クラスター爆弾]]のように対人、対戦車、対滑走路用の子弾子(サブミュニション、小型爆弾)を内部に多数抱えて目標上空でこれらを散布するための運搬容器であるディスペンサーを弾頭として持つものがある。これらによって目標周辺を広範囲に制圧することができる。短距離地対地ミサイルや巡航ミサイルに搭載されている。[[MLRS]]や[[MGM-140 ATACMS|ATACMS]]の対戦車子弾子BATには誘導装置が組み込まれており、小型の[[誘導爆弾]]となっている。[[炭素繊維]]のフィラメント・ボビンを無数に詰めたディスペンサー弾頭は電力設備の配線をショートさせる。
; 核弾頭
: [[核弾頭]]は数キロトンの威力を持つ[[原子爆弾]]から戦略兵器の[[熱核爆弾]](水爆など)の数メガトンまでの幅があり、多弾頭やデコイ、機動バスなどの多様なバリエーションがある。
; 生物/化学兵器弾頭
: [[生物兵器]]や[[化学兵器]]を搭載した弾頭。いずれも国際条約によって使用が禁止されている。
; 無弾頭
: 直撃によって目標を破壊する [[THAADミサイル]]のような運動エネルギー迎撃体({{lang-en-short|kinetic kill vehicle}})と呼ばれるミサイルは爆発するような弾頭を備えていない。ただし、[[パトリオットミサイル|パトリオットPAC-3ミサイル]]のように直撃によって目標を破壊する形式でも破片散布型弾頭を備えているものもある。
=== 信管 ===
{{main|信管}}
弾頭を起爆するための装置で、弾頭に組み込まれて使用される。英語ではフューズ({{lang-en-short|fuse}})という。基本的には以下の種類があり、多くの高性能信管では設定によって複数の基本的な機能を組み合わせて起爆できるようになっている。
; 触接信管
: 目標へ衝突した瞬間に動作する信管。接触信管、衝撃信管とも呼ばれる。対戦車ミサイルなどで使用されるほか、大部分のミサイルでバックアップ用に装備されている。
; 遅延信管
: 目標へ衝突した瞬間からタイマーを働かせて、設定したわずかな時間の後に起爆する信管。対艦ミサイルなどで使用される<ref name="ミサイル技術のすべて" />。
; 近接信管
: 信管から電磁波を発し、その反射波が一定以上の強さになった時点で動作する信管である。信管から一定の距離以内に目標が侵入した時点で動作する。最初期から現在まで最も一般的な近接信管は電波を利用する物であり、信管から発する電波の反射波が一定以上の強度になると動作する。最近ではレーザー光線を利用する近接信管も開発されている。
; 時限信管
: 起動から一定時間後に動作する信管。現在では他の信管のバックアップや失中時の自爆用に装備される。
; 高度信管
: 電波高度計によって、ミサイルが地上から一定の高度に達した際に作動する信管。主に弾道ミサイルに搭載された核弾頭に使用される。
; 深度信管
: 圧力信管とも呼ばれ、事前に調定された一定の水圧(深度)に達した際に作動する信管。[[対潜ミサイル]]の弾頭に装備される。
=== 燃料 ===
ミサイルの推進燃料を収めている区画であり、ミサイル後部で大きな位置を占める。
円筒形のロケット形態を採る限りは、電気配線などが燃料区画をまたいで上下をつなぐのにエレガントな解決策がなく、外部側面に張り付いている場合が多い。
; 固体ロケット燃料
: 固体燃料ロケットでは外殻内部に高度技術を駆使して固体推進剤が詰められ、外殻がロケットモーターの圧力容器を兼ねている。液体燃料に比べて[[比推力]]は総じて劣り、圧力容器として作るために外板が重くなるが、外殻一杯に充填出来、特別な燃焼装置が空間を占めることもないために、液体燃料方式と比べてそれほど劣ることはない。
; 液体ロケット燃料
: 液体燃料ロケットでは多くの場合、ロケットの外殻とは別に内部に球形やシリンダー形状の燃料タンクを備えている。液体[[酸化剤]]と液体[[燃料]]という2種類のタンクを備える。2つの液体は極低温保存が求められたり、致死性で危険な薬品や金属を徐々に腐食したりするものが多く保守管理が難しい。極低温保存の液体燃料は初期のICBMにおいて用いられたが、常時ミサイルのタンクにこれらの液体を入れておくには問題が多い。しかし、後に常温で保存できるものが開発され、これは推力が固体燃料と比べて大きく、常温液体燃料ならば即応性もそれなりにあるため東側諸国では重用された。
; ジェット燃料
: 推進機に[[ジェットエンジン]]が採用されていれば液体のジェット燃料がタンクに保管される。一般に、ジェット燃料タンクの外皮がミサイル外殻の一部を構成し、前方の誘導部、または弾頭部と隔壁を経由して接合され、後方は小型ジェットエンジン部と隔壁を経由して接合される。燃料区画の一部をジェットエンジン用の空気ダクトが占めるレイアウトのものが多い。酸化剤は不要なため、重量と容積で有利となり、ターボジェットという燃料効率の良さも手伝って長距離飛行を可能とするが、ジェットエンジンの重量容積とコストでは不利となる。
; 固体ラムジェット燃料
: 推進機に固体燃料ラムジェットエンジンが採用されている、大気圏内専用ミサイルの一群がある。ブースターとなる固体燃料をラムジェットエンジン内部(燃焼室とノズル)に充填し燃焼させ、燃え尽きた後に生じる空間(ダクト)をラムジェットの燃焼室とジェットノズルとして使用する固体ロケット・ラムジェット統合推進システムまたはインテグラル・ロケット・ラムジェット(Integral Rocket Ramjet、IRR)と呼ばれるものと、ブースターを別に設けて初期加速させ切り離すものがあり、他にこれ等の初期加速機構を省くも起動可能初期速度以上の航空機などから投射運用される場合も理論上あり得る。
=== 飛翔制御 ===
{{main|ミサイルの飛翔制御方式}}
ミサイルの飛行方向を制御するには以下の方式がある。
; 排気ベーン
: ノズルの中に排気ベーン、またはジェットベーンと呼ばれる推力偏向板を設置し、これを動かすことで推力方向を任意の方向へ向けて機体を制御する。史上最初の[[弾道ミサイル]]である[[V2ロケット|V2/A4]]には[[黒鉛]]でできた排気ベーンが採用されていた。V2/A4の直接の子孫である[[スカッド|R-17 (SS-1B Scud)]]でも排気ベーンが採用されている。
; 翼による空力制御
: ミサイルに取りつけた翼を動かすことでミサイルの姿勢を制御する。現状では最もポピュラーな制御方法である。宇宙空間に進出する弾道ミサイルではこの方法は使用できない。またミサイルの側面に翼が取りつけられるため体積効率が良く無い。このため保管の際には分解しておき発射直前に翼をとりつけたり、翼を機体内に格納したり機体まわりに折り畳んでおき、発射後に自動的に伸展する方法が取られる。一般には後退翼や三角翼がもちいられ、[[動翼]]と静翼の二組が取りつけられる。静翼はミサイルの方向安定を司り、大きな面積を持つ。動翼はミサイルの操縦を司り、誘導装置からの信号を元に操縦装置によって駆動される。多くは動翼を後翼とするが高機動ミサイルでは動翼を前翼とする設計もある。三角翼では翼幅が大きくなるため、スペースに制約がある艦載ミサイルでは[[スタンダードミサイル]]や[[ESSM|発展型シースパロー(ESSM)]][[艦対空ミサイル]]のようにミサイルの全長に渡って取り付けられた細長い翼を静翼とする設計が用いられる。[[ロシア]]では[[短距離弾道ミサイル]] {{lang|ru-Latn|OTR-21 Tochka}} (SS-21) に採用された「すのこ尾翼」が[[空対空ミサイル]]の R-77 でも採用された。この形式の尾翼は最小限の体積で表面積を大きく取れるため有効な操縦が可能とされる。
; 可動ノズルによる推力偏向制御(TVC:{{lang-en-short|thrust vector control}})
: ロケットエンジンのノズルを[[ジンバル]]やスイベルなどに載せて可動とし、ノズルの方向を変える事で推力の方向を変更しミサイルを操縦する。翼による空力制御と異なり大気圏外でも使用できるほか、翼が不要になればミサイルはコンパクトとなり体積効率が良くなる。航空機では狭い機内や機外により多くのミサイルを搭載できるようになる。ノズルの機構は複雑になる。アメリカの[[ジュピター (ミサイル)|ジュピター]][[中距離弾道ミサイル]]、[[ポラリス (ミサイル)|ポラリス]][[潜水艦発射弾道ミサイル]]、[[RUM-139 VLA|VL-ASROC]][[対潜ミサイル]]等で採用されている。
; バーニアノズルによる制御
: 主エンジンとは別に[[姿勢制御]]用の小型ノズル(バーニアノズル)を設置し、適宜噴射して姿勢を制御する。史上最初の[[大陸間弾道弾]]である[[R-7 (ロケット)|R-7]]のRD-107/RD-108エンジンでは合計12基のバーニアノズルで姿勢を制御していた。バーニアノズルは独立したロケットエンジンである場合と主エンジンの排気を導く場合がある。
=== 操向装置 ===
; 操舵翼
: 操舵翼によって飛翔方向を決めるミサイルでは、弾体を効果的に操向するために、操舵翼(=動翼)は前部か後部の比較的端部に備わっている。
; スラスト・ベクトル装置
: ノズル噴射流の偏向によって飛翔方向を決めるミサイルでは、ベーンや可動ノズルが備わっている。
:
; 操舵の動力源
: 姿勢制御を行う操舵装置を駆動する動力源には以下の物がある。
:; 気体タンク
:: タンクに蓄えられた高圧ガスの圧力
:; ホットガス
:: 薬品の反応によって生じるガスの圧力
:; バッテリー、発電機
:: 電動モーターによる駆動
=== エンジン ===
ミサイルを飛翔させる主エンジンには以下の種類がある。
; 固体燃料ロケットエンジン
: 現代のミサイルは[[ロケットエンジンの推進剤#固体燃料ロケット|固体燃料]]を用いるロケットエンジンが主流となっている。これは構造が簡単なため安価であり整備が簡便である点が大きい。
; 液体ロケットエンジン
: [[ロケットエンジンの推進剤|液体燃料]]を用いるロケットエンジンは固体燃料ロケットエンジンに比べておおむね比推力に優れているため、初期のミサイルや長射程を要求される弾道ミサイルで採用されていた。ただし燃料ポンプを始めとする機構的な複雑さや燃料自体の危険性により一定の整備が必要になる。
; ジェットエンジン
: [[ジェットエンジン]]は空気中の酸素を酸化剤として用いることで酸化剤タンクを廃し、その分燃料タンクを大きくする事で一般的なロケットエンジンより長射程を得ることができる。終始大気圏内を飛行し、長射程を要求される巡航ミサイル、対艦ミサイル等で採用されている。空気が無い宇宙空間や海中では使用できないほか、ジェットエンジンは液体ロケットエンジンと同様に機構的な複雑さを持つため、エンジンとしては高価になる。ただしジェットエンジンは航空機用エンジンとして大量生産されているため設計や生産ラインを流用する事で調達コストを削減する事ができる。
; ラムジェット
: [[ラムジェットエンジン]]は圧縮機とタービンが無く、超音速で飛翔する際のラム圧をそのまま空気の圧縮に利用するジェットエンジンである。エンジンに可動部が少ないため生産コストを削減する事が可能となる。ジェットエンジンと同様に空気中の酸素を酸化剤として利用できるため酸化剤を搭載しなくてもよく、その分を燃料の搭載に当てることができるためジェットエンジンに並ぶ長射程を実現できる。ラムジェットエンジンは静止時には作動せず、作動させるためには飛翔体を超音速まで加速する必要があり、そのために[[ブースター]]を組み合わせて使用する。ブースターは外装とされる事が多いが、全体にかさばるためロシアやフランスのミサイルでは統合型ラムジェットエンジンが採用されている。同エンジンは固体燃料ロケットで上昇・加速し、固体燃料が燃え尽きるとその空隙に空気取り入れ口から取り入れた超音速流を導き、燃料を吹き込んで燃焼させるもので、ブースターを外装とせずラムジェットと統合・一体化させているため極めてコンパクトになるエンジンである。
固体燃料ロケットは「ロケットモーター」であり、液体燃料ロケットは「ロケットエンジン」とする名称の使い分けも存在するが<ref name="ミサイル技術のすべて" />、定着した使われかたであるかは不明である。
=== 発射方式 ===
ミサイルの発射には複数の方式がある。
* 航空機発射
** オンランチャ式
** オフランチャ式
** パラシュート式
* 車両発射
** ブースターロケットモーター式
** 分離型ブースターロケットモーター式
** 無反動ガス発生装置式
* 艦船発射
** ブースターロケットモーター式
** 分離型ブースターロケットモーター式
* 潜水艦
** ガス発生装置式
** 圧縮空気式
* 地下サイロ
** ブースターロケットモーター式
** 圧縮空気式
* 人間
** 分離型ブースターロケットモーター式
** 無反動ガス発生装置式<ref name="ミサイル技術のすべて" />
=== 安全性 ===
主に艦船から発射されるミサイルでは、戦闘による被弾時や平時の火災時の誘爆を回避できないか検討されている。
固体推進剤は通常、[[爆燃]]せずに燃焼するのみであるが、火災で長時間加熱を受けると、ミサイル内部の推進剤全体が自己発火寸前の状態(スロークックオフ)となり、やがて何らかのきっかけで[[爆轟]]することが知られ(英駆逐艦[[シェフィールド (駆逐艦)|シェフィールド]]の沈没原因)ている。
艦船用ミサイルの推進剤に限らず、同様のリスクを低減するための弾薬はLOVA:{{lang-en-short|low vulnerability ammunition}}(低脆弱性弾薬)とも呼ばれ、研究が進められている。
1988年から米国防省は三軍共同で、熱や衝撃によっても予定外には爆発しない弾薬類とその周辺システムの開発を目指した、IM:{{lang-en-short|insensitive munition}}(不感弾薬)プロジェクトを開始した<ref name="ミサイル技術のすべて" />。<!--Insensitive Munitionsの訳が[[低感度装備品]]では違いすぎてリンクが付けられません。不感性弾薬類や無感度弾火薬類、非敏感性燃料弾薬類、インセンシティブ・ミュニションぐらいですか?-->
例えば、固体推進剤を納めた外殻をらせん状の薄い鋼板3-4層で構成し、火災による過熱や被弾による衝撃でらせんが解けるように製造する。固体推進剤が燃える場合でも閉鎖されたモーターケース内部で爆燃や爆轟せずに、開放環境で燃焼するようなものが開発されている。
スロークックオフへの対策として、コンポジット推進剤の基材では主流となる過塩素酸アンモニウム (AP) の中に自己発火点がAPより100度程度低い硝酸アンモニウム (AN) を少量加えることで、APより先にANに発火させ爆轟以前に燃焼で済ます工夫が行われている。
同様に、推進剤に固体と液体の2種類を使うハイブリッド・ロケットエンジンは、燃焼に必要な燃料と酸化剤がミサイル内でも離れて収められているために、火災や衝撃によってもそれほど急速に両者が反応せず、比較的安全が保たれると期待されている。液体の酸化剤もゲル化できないか検討されている。
== 有効性 ==
{{also|平均誤差半径}}
ミサイルの有効性を計る数値にSSKPとSSHPがある。
:ロックオン確率:終末誘導装置が目標をロックオンする確率
:誘導確率:規定のミスディスタンス内に誘導する確率
:任務信頼度:発射から弾頭の作動までのミサイルの信頼度
:弾頭効果:規定のミスディスタンス内で弾頭が目標を破壊する確率
;SSKP
SSKP:{{lang-en-short|single shot kill probability}}は主として対空ミサイルの評価に使用される。
:SSKP = ロックオン確率 × 誘導確率 × 任務信頼度 × 弾頭効果
;SSHP
SSHP:{{lang-en-short|single shot hit probability}}は主として対艦ミサイルや対戦車ミサイルの評価に使用される。
:誘導確率:目標に直撃出来る誘導の確率
:SSHP = ロックオン確率 × 誘導確率 × 任務信頼度<ref name="ミサイル技術のすべて" />
== 軍事以外の「ミサイル」 ==
とりわけ「物体が何かしらの対象物に高速で突撃することで被害を与えるさま、もしくはその物体や操作」に対し、比喩的に「ミサイル」の語が使われる事例が多々存在する。
=== 医療 ===
[[核磁気共鳴画像法]](MRI)を扱う現場で、強い[[磁場]]の発生によって[[磁性体]](金属製品)が診察装置や中の患者に向かって飛んで行くことを「ミサイル効果」と呼ぶ。非常に危険なため、徹底した安全管理が求められる。
=== 花火 ===
[[花火#おもちゃ花火|ロケット花火]]のうち、安定翼を模したものが取り付けられているタイプの製品には「ミサイル花火」「台付きミサイル」等の商品名がつけられているものがある。
=== ゲーム ===
[[ファンタジー]]創作物のうち、[[魔法]]が登場する作品には、「マジックミサイル({{lang-en|MagicMissile}})」と呼ばれる、魔法による攻撃手段(「魔法で作られた[[矢]]」か「魔法エネルギーの弾丸のようなもの」を作り発射する)が登場する作品が、アメリカの[[ロールプレイングゲーム]]『[[ダンジョンズ&ドラゴンズ|ダンジョンズ&ドラゴンズ]]』を始めとしていくつか存在する。
呼称の項目にある通り、『「ミサイル」とは、原義では投射体、[[飛び道具]]、[[投石]]を指す』言葉である。そも、弓やスリング(投石器)などの投射・遠隔武器は、missile weaponで括られる。語彙的にも「魔力で作った投射体」であり、特異な使用例ではない。
むしろ、無誘導のロケット飛翔体をミサイルと呼称しているビデオゲーム・アニメ作品の方が多い。80年代のシューティングゲームにおいては、直進するだけのものをミサイル。敵を追尾するものをホーミングミサイルと呼称するものが多く見られた。
=== 自動車 ===
[[自動車競技]]に用いられる自動車で、損傷・[[廃車 (自動車)|廃車]]覚悟の練習/走行会専用車両のことをミサイルと呼ぶことがある。{{Main|ドリ車}}
また、[[トヨタ・プリウス]]が[[コンビニエンスストア]]等の[[店舗]]や[[建物]]に衝突する[[交通事故]]を起こしやすいことを揶揄して、[[プリウス・ミサイル]]という[[インターネットスラング]]が使用されることもある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{脚注の不足|date=2016年12月|section=1}}
*『世界のミサイル (光文社文庫 ミリタリー・イラストレイテッド 8)』(ISBN 978-4-334-70129-1) [[ワールドフォトプレス]]:刊 1985年
*[[小郡元]]:著『ミサイル事典』(ISBN 978-4-88317-266-5) [[新紀元社]]:刊 1996年
*小郡元:著『世界のミサイル 弾道ミサイルと巡航ミサイル』(ISBN 978-4-88317-289-4) 新紀元社:刊 1997年
*小郡元:著『ミサイル事典 世界のミサイル・リファレンス・ガイド』(ISBN 978-4-88317-352-5) 新紀元社:刊 2000年
*[[坂本明]]:著『大図解 世界のミサイル・ロケット兵器(世界の傑作機別冊 グラフィックアクションシリーズ) 』(ISBN 978-4-7663-3327-5) [[グリーンアロー出版社]]:刊 2001年
*小郡元:著『最新 ミサイル全書』(ISBN 978-4-7753-0303-0) 新紀元社:刊 2004年
*[[久保田浪之介]]:著『トコトンやさしいミサイルの本 (B&Tブックス 今日からモノ知りシリーズ) 』(ISBN 978-4-526-05350-4) [[日刊工業新聞社]]:刊 2004年
*防衛技術ジャーナル編集部:編『ミサイル技術のすべて(防衛技術選書 兵器と防衛技術シリーズ 3)』(ISBN 978-4-9900298-2-1) 防衛技術協会:刊 2006年
*坂本明:著『最新版 世界のミサイル・ロケット兵器(世界の傑作機別冊 グラフィックアクションシリーズ) 』(ISBN 978-4-89319-198-4) [[文林堂]]:刊 2011年
== 関連項目 ==
{{commonscat|Missiles}}
{{wiktionary|ミサイル|missile}}
* [[ミサイル一覧]]
* [[ミサイルの誘導方式]]
* [[ロケット・ミサイル技術の年表]]
* [[ロケット]]
* [[ミサイルポッド]]
* [[核ミサイル]]
* [[ミサイル防衛]] (MD)
* [[衛星攻撃兵器]]
* [[ミサイル万能論]]
* [[キューバ危機|キューバミサイル危機]]
* [[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)]]
* [[テポドン (ミサイル)]]
* [[パトリオットミサイル]] (PAC-3)
* [[イージスシステム]]・[[イージス艦]]
* [[アメリカ合衆国のミサイル一覧]]
* [[ミサイル・ロケットの命名規則 (アメリカ合衆国)]]
== 外部リンク ==
* [http://missile.index.ne.jp/jp/ Missile.index] ミサイルのデータベース{{ja icon}}
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京浜急行線
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京浜急行線(けいひんきゅうこうせん)は、かつて存在した、神奈川県鎌倉市から藤沢市に至る道路(道路運送法上の自動車道)である。この道路は、1950年より京浜急行電鉄が所有・運営していたため、通称「京浜急行自動車専用道路」、「京浜急行有料道路」といわれていた。現在は市道に移管し、鎌倉市部分が「鎌倉市道大船西鎌倉線」、藤沢市部分が「藤沢市道片瀬西鎌倉線」となっている。事業廃止にあたり、鎌倉市部分と藤沢市部分を分割譲渡した関係で、登記上、鎌倉市部分が「京浜急行線」、藤沢市部分が「市境-龍口寺下」とされた。本項では「市境-龍口寺下」を含む全区間を取扱う。
当道路は1926年(大正15年)11月15日に国から事業免許を受け、1931年(昭和6年)7月4日に供用開始した、神奈川県の鎌倉市大船-藤沢市片瀬間の道路運送法上の民間運営道路。道路運送法による道路としては日本初の有料道路、自動車専用道路とされている。
ルートは湘南モノレール線が走っている区間にほぼ相当する。かつては鉄道線敷設計画(後述)があったが実現せず、1970年に湘南モノレール線が開業するまでは、公共交通機関としては長らく路線バスのみが運行されていた。
沿道の市街化のため事業継続が困難となったため、1984年(昭和59年)7月1日に鎌倉市部分5.7kmを鎌倉市に9億8千万円で有償譲渡した。引き続き市境-龍口寺下間の藤沢市部分1.1kmで事業を継続したが、経営悪化と地元の要望により、1989年(平成元年)3月31日に藤沢市に上記区間を無償譲渡した。
大船側、片瀬側ともに料金所付近に三菱商社燃料部(現在の三菱商事エネルギー)による給油所が設けられた。片瀬側の給油所は1969年に営業を終えたが、大船側の給油所については代理店の変遷がありながらも2007年ごろまで営業が行われていた。料金所自体はブースなどは特になく大船側は大船方面車線外側に、片瀬側は片瀬方面車線外側に小屋が設置されている簡易的なものであった。
料金所の大船側は台二丁目交差点付近(現在は道路が改良されたが、改良される前の工場線踏切すぐの大船側)モノレール下あたりに、片瀬側は目白山下駅のモノレール大船側分岐器の真下あたり(以前は龍口寺付近)に存在した。
開通当時、日本における自動車保有台数は6万台強であり、アスファルトによる道路自体が珍しく、住民は履物を脱いで道路を歩き始めたという逸話がある。
当道路の起源は、大正時代の鉄道敷設計画に遡る。沿線の不動産開発を目的として大船より鵠沼を経て茅ケ崎に至る鉄道建設のため東海土地電気が設立されたが、発起人の多くは1923年の関東大震災により鉄道計画から離れ、事業は1926年に設立された江ノ島電気鉄道に引き継がれた。
江ノ島電気鉄道は1928年に現在の江ノ島電鉄線を譲受した後、バス事業から1929年をもって一時撤退して鉄道経営に専念していることから、新規路線の開業はこの時点で放棄したものと考えられる。
江ノ島電気鉄道の経営に関わっていた菅原通済は、大船-片瀬間の鉄道計画の沿線にあたる深沢村の山林を高級別荘地として分譲することを計画し、当地を「鎌倉山」と命名した。従来交通の不便な当地を分譲するためには公共交通機関の整備が不可欠であり、菅原は江ノ島電気鉄道の新規鉄道計画と並行して乗合自動車の開通を計画した。このため、菅原は江ノ島電気鉄道の出資で日本自動車道を設立し、鉄道計画のために江ノ島電気鉄道が取得していた用地を一部転用して自動車専用道路を建設し、東海道線のダイヤと連携した乗合自動車を走らせ、江の島への観光経路として確立させるとともに、鎌倉山別荘地への主要交通機関とした。
開通時期と跨線橋完成時期、登記上の供用開始日に誤差があるものの概ね1930年には専用道路として開通していたものと考えられる。なお、当初は密接な関わりのあった江ノ島電気鉄道とは、1933年までに資本関係を解消しており、また、1938年に京浜電気鉄道の傘下に入り、その後合併したことから、当道路とこれに付帯する路線バス事業は京浜電気鉄道の後身である京浜急行電鉄へと受け継がれていくことになる。
第二次世界大戦後、東京急行電鉄から分離独立した京浜急行電鉄が1950年に路線バスの運行を再開し、同時に有料道路の営業を開始した。高度経済成長期以降、鎌倉市の深沢地域、西鎌倉、および藤沢市の片瀬山などで大規模宅地開発があり、また三菱電機鎌倉製作所や国鉄大船工場といった大規模工場の増加など、沿線環境が変化し、平面交差する道路も増えたため、片側1車線の当道路は次第に自動車専用道路の趣を失い、地域の生活道路と化していった。数ヶ所に料金収受員を置いて有料道路を維持していたが、収受員の置かれていない交差点での流出入に対応できない状況となり、1984年に大部分が鎌倉市に売却され、1989年には残る区間も藤沢市に譲渡されたことで「有料道路」としての使命を終えた。
一般市道化されたとはいえ、自動車専用道路として建設されたために歩道がほとんど整備されておらず、両自治体によりモノレール駅周辺を中心に歩道整備が進められている。小袋谷跨線橋については、予定ルートが重なる都市計画道路腰越大船線の整備に併せて、神奈川県による架橋、歩道設置が実施される(大船立体)。2014年3月28日に旧橋の使用を終了したが、新ルートの暫定使用中は歩道整備は行われない。
当道路は大船駅前交通広場から南に離れた交差点で神奈川県道301号大船停車場線から分岐する。かつては交通広場の場所に京浜急行バス乗り場(狭隘なため転車台が設置されていた)があり、当道路もバス乗り場出口にある交差点を起点としていたが、大船停車場線の整備により起点が変更された。今後、都市計画道路腰越大船線の整備進捗により、起点がさらに変更となる可能性がある。
大船から片瀬にかけては、境川水系の柏尾川、片瀬川が低地を流れているが、当道路はそれには沿わず、跨線橋で横須賀線と神奈川県道302号小袋谷藤沢線を越えた後、江戸時代の江の島道に近接した経路で湘南町屋駅付近の丘陵地帯を越える。麓の平野部は三菱電機鎌倉製作所などの工場が立地している。山頂側には野村不動産の開発した住宅街が広がる。
一直線に急傾斜の坂道を下ると深沢の中心部に入る。この付近は新田義貞による鎌倉攻めの際に大規模な戦闘が行われた「洲崎古戦場」だが、山頂まで連なる住宅の姿に往時の面影はない。かつては横須賀海軍工廠深沢分工場があり、その跡地に国鉄大船工場が操業していたが、2006年に正式に廃止され、広大な跡地が広がっている。「深沢支所西」交差点付近には小規模な商店街が形成されている。
神奈川県道32号藤沢鎌倉線を跨道橋で越えると、鎌倉山ロータリーまで登り坂となる。ここまで上空を走っていた湘南モノレールの軌道は、鎌倉山トンネルに入るため右に分かれる。山頂付近にある鎌倉山ロータリーの中心には、1968年(昭和44年)に菅原通済が堤義明を介して入手した、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の鳥居を流用した石碑が建っている。
分水嶺を越え、当道路は神戸川(ごうどがわ)水系の谷に向かい坂を下る。「赤羽」交差点で神奈川県道304号腰越大船線と直交した後、西鎌倉駅まで並行する。付近は西武鉄道が開発した住宅街が広がる。
腰越大船線と分かれ、住宅街の横を再び登る。片瀬山駅付近で湘南モノレールの軌道が地上に近接し、当道路に並行する。湘南モノレールの軌道を挟み三井不動産が開発した住宅街が広がるが、当道路はそれを避けるように目白山下駅方面にカーブしながら再び下り坂となり、湘南モノレールが片瀬山トンネルで抜ける龍口寺裏山の山腹を左回りに下っていくと、 国道467号に接続する龍口寺前の終点となる。
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※()は交差地点。
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"text": "第二次世界大戦後、東京急行電鉄から分離独立した京浜急行電鉄が1950年に路線バスの運行を再開し、同時に有料道路の営業を開始した。高度経済成長期以降、鎌倉市の深沢地域、西鎌倉、および藤沢市の片瀬山などで大規模宅地開発があり、また三菱電機鎌倉製作所や国鉄大船工場といった大規模工場の増加など、沿線環境が変化し、平面交差する道路も増えたため、片側1車線の当道路は次第に自動車専用道路の趣を失い、地域の生活道路と化していった。数ヶ所に料金収受員を置いて有料道路を維持していたが、収受員の置かれていない交差点での流出入に対応できない状況となり、1984年に大部分が鎌倉市に売却され、1989年には残る区間も藤沢市に譲渡されたことで「有料道路」としての使命を終えた。",
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"text": "一般市道化されたとはいえ、自動車専用道路として建設されたために歩道がほとんど整備されておらず、両自治体によりモノレール駅周辺を中心に歩道整備が進められている。小袋谷跨線橋については、予定ルートが重なる都市計画道路腰越大船線の整備に併せて、神奈川県による架橋、歩道設置が実施される(大船立体)。2014年3月28日に旧橋の使用を終了したが、新ルートの暫定使用中は歩道整備は行われない。",
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"text": "当道路は大船駅前交通広場から南に離れた交差点で神奈川県道301号大船停車場線から分岐する。かつては交通広場の場所に京浜急行バス乗り場(狭隘なため転車台が設置されていた)があり、当道路もバス乗り場出口にある交差点を起点としていたが、大船停車場線の整備により起点が変更された。今後、都市計画道路腰越大船線の整備進捗により、起点がさらに変更となる可能性がある。",
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"text": "腰越大船線と分かれ、住宅街の横を再び登る。片瀬山駅付近で湘南モノレールの軌道が地上に近接し、当道路に並行する。湘南モノレールの軌道を挟み三井不動産が開発した住宅街が広がるが、当道路はそれを避けるように目白山下駅方面にカーブしながら再び下り坂となり、湘南モノレールが片瀬山トンネルで抜ける龍口寺裏山の山腹を左回りに下っていくと、 国道467号に接続する龍口寺前の終点となる。",
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京浜急行線(けいひんきゅうこうせん)は、かつて存在した、神奈川県鎌倉市から藤沢市に至る道路(道路運送法上の自動車道)である。この道路は、1950年より京浜急行電鉄が所有・運営していたため、通称「京浜急行自動車専用道路」、「京浜急行有料道路」といわれていた。現在は市道に移管し、鎌倉市部分が「鎌倉市道大船西鎌倉線」、藤沢市部分が「藤沢市道片瀬西鎌倉線」となっている。事業廃止にあたり、鎌倉市部分と藤沢市部分を分割譲渡した関係で、登記上、鎌倉市部分が「京浜急行線」、藤沢市部分が「市境-龍口寺下」とされた。本項では「市境-龍口寺下」を含む全区間を取扱う。
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{{Otheruses|かつて京浜急行電鉄が運営していた道路|同社の鉄道路線|京浜急行電鉄#路線}}
{{Infobox_road
|種別・系統 = [[道路運送法]]上の[[自動車道]](廃止)
|名前 = 京浜急行線<br /><small>(市境-龍口寺下)</small>
|名前の補足 = →鎌倉市道大船西鎌倉線(鎌倉市部)<br />→藤沢市道片瀬西鎌倉線(藤沢市部)
|副名 = 京浜急行自動車専用道路<br />京浜急行有料道路
|総距離 = 6.8 [[キロメートル|km]]
|制定年 = [[1926年]]
|開通年 = [[1931年]]
|廃止年 = [[1984年]](一部区間)、[[1989年]](全線)
|起点 = [[鎌倉市]]
|終点 = [[藤沢市]]
|接続する主な道路 = <!-- 県道以上を記入、立体交差の場合は(立体交差)と注記 -->[[神奈川県道301号大船停車場線]]<br />[[神奈川県道302号小袋谷藤沢線]](立体交差)<br />[[神奈川県道32号藤沢鎌倉線]](立体交差)<br />[[国道467号]]
}}
'''京浜急行線'''(けいひんきゅうこうせん)は、かつて存在した、[[神奈川県]][[鎌倉市]]から[[藤沢市]]に至る[[道路]]([[道路運送法]]上の[[自動車道]])である。この道路は、[[1950年]]より[[京浜急行電鉄]]が所有・運営していたため、通称「京浜急行自動車専用道路」、「京浜急行有料道路」といわれていた。現在は[[市町村道|市道]]に移管し、鎌倉市部分が「'''鎌倉市道大船西鎌倉線'''」、藤沢市部分が「'''藤沢市道片瀬西鎌倉線'''」となっている。事業廃止にあたり、鎌倉市部分と藤沢市部分を分割譲渡した関係で、登記上、鎌倉市部分が「'''京浜急行線'''」、藤沢市部分が「'''市境-龍口寺下'''」とされた<ref name="kantei">[https://www.kantei.go.jp/jp/singi/road/dai18/18siryou1.pdf 道路関係四公団民営化推進委員会(第18回)討議参考資料1「高速道路の法的性質に関わる論点」]を参照のこと。</ref>。本項では「市境-龍口寺下」を含む全区間を取扱う。
== 概要 ==
当道路は[[1926年]](大正15年)[[11月15日]]に国から事業免許を受け、[[1931年]](昭和6年)[[7月4日]]に供用開始した、神奈川県の鎌倉市[[大船]]<ref>{{ウィキ座標度分秒|35|20|58.7|N|139|31|54.3|E}}</ref>-藤沢市[[片瀬 (藤沢市)|片瀬]]<ref>{{ウィキ座標度分秒|35|18|39.4|N|139|29|20.5|E}}</ref>間の道路運送法上の民間運営道路。道路運送法による道路としては[[交通に関する日本初の一覧#道路|日本初]]の[[有料道路]]、[[自動車専用道路]]とされている。
ルートは[[湘南モノレール江の島線|湘南モノレール線]]が走っている区間にほぼ相当する。かつては鉄道線敷設計画(後述)があったが実現せず、[[1970年]]に湘南モノレール線が開業するまでは、公共交通機関としては長らく[[路線バス]]のみが運行されていた<ref>この路線の前身については[[京浜急行バス鎌倉営業所]]に詳しい。</ref>。
沿道の市街化のため事業継続が困難となったため、[[1984年]](昭和59年)[[7月1日]]に鎌倉市部分5.7kmを鎌倉市に9億8千万円で有償譲渡した。引き続き市境-[[龍口寺]]下間の藤沢市部分1.1kmで事業を継続したが、経営悪化と地元の要望により、[[1989年]](平成元年)[[3月31日]]に藤沢市に上記区間を無償譲渡した<ref name="kantei"/>。
大船側、片瀬側ともに[[料金所]]付近に三菱商社燃料部(現在の[[三菱商事エネルギー]])による[[ガソリンスタンド|給油所]]が設けられた。片瀬側の給油所は[[1969年]]に営業を終えたが、大船側の給油所については代理店の変遷がありながらも[[2007年]]ごろまで営業が行われていた。料金所自体はブースなどは特になく大船側は大船方面車線外側に、片瀬側は片瀬方面車線外側に小屋が設置されている簡易的なものであった。
料金所の大船側は台二丁目交差点付近(現在は道路が改良されたが、改良される前の工場線踏切すぐの大船側)モノレール下あたりに、片瀬側は目白山下駅のモノレール大船側分岐器の真下あたり(以前は龍口寺付近)に存在した。
開通当時、日本における自動車保有台数は6万台強であり、[[アスファルト]]による道路自体が珍しく、住民は履物を脱いで道路を歩き始めたという逸話がある。
=== 路線データ ===
* 起点 :神奈川県鎌倉市大船
* 終点 :神奈川県藤沢市片瀬
* 主な経由地 :神奈川県鎌倉市[[鎌倉山]]
* 路線延長 :6.8[[キロメートル|km]]
== 歴史 ==
=== 鉄道敷設計画の挫折 ===
当道路の起源は、[[大正時代]]の[[鉄道]]敷設計画に遡る。沿線の不動産開発を目的として[[大船駅|大船]]より[[鵠沼駅|鵠沼]]を経て[[茅ケ崎駅|茅ケ崎]]に至る鉄道建設のため東海土地電気が設立されたが、発起人の多くは[[1923年]]の[[関東大震災]]により鉄道計画から離れ、事業は[[1926年]]に設立された[[江ノ島電鉄|江ノ島電気鉄道]]に引き継がれた。
* [[1922年]](大正11年)12月22日:東海土地電気に'''大船-鵠沼'''-[[辻堂駅|辻堂]]-茅ケ崎間の鉄道免許認可
* 1923年(大正12年)9月1日:関東大震災
* 1926年(大正15年)7月10日:江ノ島電気鉄道設立(東海土地電気は解散)
* 1926年(大正15年)7月17日:'''大船-鵠沼'''間鉄道敷設免許再申請
* 1926年(大正15年)11月26日:'''大船-片瀬'''間に変更し追願
* 1926年(大正15年)12月10日:'''大船-片瀬'''間鉄道免許認可<ref name="misei">『鉄道未成線を歩く・私鉄編』185頁。</ref>
* [[1928年]](昭和3年)7月1日:[[東京電燈]]江ノ島線(現[[江ノ島電鉄線]])営業権譲受
* 1929年(昭和4年)4月1日:[[小田急電鉄|小田原急行鉄道]][[小田急江ノ島線|江ノ島線]][[片瀬江ノ島駅]]開業(片瀬-茅ケ崎間免許に抵触するため駅舎は仮登記<ref>経緯は[[片瀬江ノ島駅]]に詳しい。</ref>)
* [[1930年]](昭和5年)1月31日:片瀬-茅ケ崎間免許失効<ref name="misei"/><ref>[[江ノ島電鉄]]も参照のこと。</ref>
江ノ島電気鉄道は1928年に現在の江ノ島電鉄線を譲受した後、バス事業から1929年をもって一時撤退して鉄道経営に専念していることから、新規路線の開業はこの時点で放棄したものと考えられる。
=== 鎌倉山開発と自動車専用道路建設 ===
江ノ島電気鉄道の経営に関わっていた[[菅原通済]]は、大船-片瀬間の鉄道計画の沿線にあたる[[深沢村 (神奈川県)|深沢村]]の山林を高級[[別荘]]地として分譲することを計画し、当地を「鎌倉山」と命名した。従来交通の不便な当地を分譲するためには公共交通機関の整備が不可欠であり、菅原は江ノ島電気鉄道の新規鉄道計画と並行して乗合自動車の開通を計画した。このため、菅原は江ノ島電気鉄道の出資で[[日本自動車道]]を設立し、鉄道計画のために江ノ島電気鉄道が取得していた用地を一部転用して自動車専用道路<ref>将来的に鉄道に転用させる計画もあったという。</ref>を建設し、[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]]の[[ダイヤグラム|ダイヤ]]と連携した乗合自動車を走らせ、[[江の島]]への観光経路として確立させるとともに、鎌倉山別荘地への主要交通機関とした。
* 1926年(大正15年)11月15日:事業免許取得<ref name="kantei"/><ref>『江ノ電-懐かしの電車名鑑』129頁によれば、江ノ島電気鉄道と日本自動車道の免許が競願になり、調整を行った結果、鉄道が起業廃止となったという。</ref>
* 1929年(昭和4年):鎌倉山別荘地分譲開始<ref name="kamakurayama">[[鎌倉山]]も参照のこと。</ref>
* 1930年(昭和5年):日本自動車道が日本最初の自動車専用道路として'''大船-片瀬'''間を開通させる
* 1930年(昭和5年)7月25日:'''大船駅-江ノ島口'''、[[高徳院|大仏]]前-鎌倉山間乗合自動車開業
* 1931年(昭和6年):[[小袋谷]]跨線橋完成(1930年とする説もある)
* 1931年(昭和6年)7月4日:登記上の供用開始日<ref name="kantei"/>
* [[1933年]](昭和8年):'''新大船-江ノ島'''間の鉄道敷設権を江ノ島電気鉄道より譲受<ref name="njkoubunsyo">「第一門・監督・第一種・二、地方鉄道・イ、免許・日本自動車道(元江ノ島電気鉄道)・起業廃止・昭和八年~昭和九年」鉄道省監督局総務課([[国立公文書館]]所蔵、請求番号:本館-3A-013-03・昭47運輸00357100)を参照のこと。</ref><ref>『江ノ電-懐かしの電車名鑑』95頁によれば、この年、江ノ島電気鉄道が保有していた日本自動車道の株式を全て放出し、両社は関連企業ではなくなった。</ref>
* [[1934年]](昭和9年):'''新大船-江ノ島'''間の鉄道起業を廃止(免許失効)<ref name="misei"/><ref name="njkoubunsyo"/>
* [[1938年]](昭和13年):[[京浜急行電鉄|京浜電気鉄道]]の傘下に入る
* [[1941年]](昭和16年)5月1日:湘南半島自動車に合併
* 1941年(昭和16年)11月1日:湘南半島自動車、京浜電気鉄道に合併
* [[1942年]](昭和17年)5月1日:京浜電気鉄道、[[東京横浜電鉄]]に合併、[[東急|東京急行電鉄]]となる([[大東急]])
開通時期と跨線橋完成時期、登記上の供用開始日に誤差があるものの概ね1930年には専用道路として開通していたものと考えられる。なお、当初は密接な関わりのあった江ノ島電気鉄道とは、1933年までに資本関係を解消しており、また、1938年に京浜電気鉄道の傘下に入り、その後合併したことから、当道路とこれに付帯する路線バス事業は京浜電気鉄道の後身である京浜急行電鉄へと受け継がれていくことになる。
=== 京浜急行有料道路として再開後 ===
[[ファイル:ShonanMonorail-M8676.jpg|thumb|250px|かつての京浜急行線の上を行く[[湘南モノレール江の島線]]([[湘南町屋駅]] - [[湘南深沢駅]]間)]]
[[第二次世界大戦]]後、東京急行電鉄から分離独立した京浜急行電鉄が[[1950年]]に路線バスの運行を再開し、同時に有料道路の営業を開始した。[[高度経済成長]]期以降、鎌倉市の[[深沢地域]]、[[西鎌倉 (大字)|西鎌倉]]、および藤沢市の片瀬山などで大規模宅地開発があり、また[[三菱電機]]鎌倉製作所や[[日本国有鉄道|国鉄]][[東日本旅客鉄道大船工場|大船工場]]といった大規模工場の増加など、沿線環境が変化し、平面交差する道路も増えたため、片側1車線の当道路は次第に自動車専用道路の趣を失い、地域の生活道路と化していった。数ヶ所に料金収受員を置いて有料道路を維持<ref>[[富士見町駅 (神奈川県)|富士見町駅]]付近、深沢バス停付近、龍口寺付近など。ゲートはなく、収受員が路面に立って料金を徴収していた。</ref>していたが、収受員の置かれていない交差点での流出入に対応できない状況となり、1984年に大部分が鎌倉市に売却され、1989年には残る区間も藤沢市に譲渡されたことで「有料道路」としての使命を終えた。
* [[1948年]](昭和23年)6月1日:京浜急行電鉄設立
* [[1950年]](昭和25年)7月5日:京浜急行電鉄、'''大船-鎌倉山-江ノ島'''バス路線運行開始
* 1950年(昭和25年)9月8日:京浜急行電鉄、'''大船-江ノ島'''間有料道路営業開始
* 1970年(昭和45年)3月7日:湘南モノレール線、大船-[[西鎌倉駅|西鎌倉]]間が開業(鎌倉山付近を除き本路線上空に軌道を構築)※翌年7月1日に西鎌倉-[[湘南江の島駅|湘南江の島]]間全線開通
* 1984年(昭和59年)7月1日:沿道の市街化のため事業継続が困難となり、鎌倉市部分5.7kmを市に9億8000万円で有償譲渡<ref name="kantei"/>(藤沢市部分は引き続き京浜急行電鉄が所有・経営)
* 1989年(平成元年)3月31日:経営悪化と地元要望により、藤沢市部分1.1kmを市に無償譲渡<ref name="kantei"/>
一般市道化されたとはいえ、自動車専用道路として建設されたために歩道がほとんど整備されておらず、両自治体によりモノレール駅周辺を中心に歩道整備が進められている。小袋谷跨線橋については、予定ルートが重なる[[神奈川県道304号腰越大船線|都市計画道路腰越大船線]]の整備に併せて、神奈川県による架橋、歩道設置が実施される('''大船立体'''<ref>http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f4866/p13953.html</ref>)。2014年3月28日に旧橋の使用を終了したが、新ルートの暫定使用中は歩道整備は行われない。
== 地理 ==
当道路は大船駅前交通広場から南に離れた交差点で[[神奈川県道301号大船停車場線]]から分岐する。かつては交通広場の場所に京浜急行バス乗り場(狭隘なため[[転車台]]が設置されていた)があり、当道路もバス乗り場出口にある交差点を起点としていたが、大船停車場線の整備により起点が変更された。今後、都市計画道路腰越大船線の整備進捗により、起点がさらに変更となる可能性がある。
大船から片瀬にかけては、[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]水系の[[柏尾川]]、片瀬川が低地を流れているが、当道路はそれには沿わず、跨線橋で[[横須賀線]]と[[神奈川県道302号小袋谷藤沢線]]を越えた後、[[江戸時代]]の[[江の島道]]に近接した経路で[[湘南町屋駅]]付近の丘陵地帯を越える。麓の平野部は三菱電機鎌倉製作所などの工場が立地している。山頂側には[[野村不動産]]の開発した住宅街が広がる。
一直線に急傾斜の坂道を下ると[[深沢地域|深沢]]の中心部に入る。この付近は[[新田義貞]]による鎌倉攻めの際に大規模な戦闘が行われた「洲崎古戦場」だが、山頂まで連なる住宅の姿に往時の面影はない。かつては[[横須賀海軍工廠深沢分工場]]があり、その跡地に国鉄大船工場が操業していたが、[[2006年]]に正式に廃止され、広大な跡地が広がっている。「深沢支所西」交差点付近には小規模な商店街が形成されている。
[[神奈川県道32号藤沢鎌倉線]]を跨道橋で越えると、鎌倉山ロータリーまで登り坂となる。ここまで上空を走っていた湘南モノレールの軌道は、鎌倉山トンネルに入るため右に分かれる。山頂付近にある鎌倉山ロータリーの中心には、1968年(昭和44年)に菅原通済が[[堤義明]]を介して入手した、関東大震災で倒壊した[[鶴岡八幡宮]]の[[鳥居]]を流用した[[石碑]]が建っている<ref name="kamakurayama"/>。
[[分水嶺]]を越え、当道路は神戸川(ごうどがわ)水系の谷に向かい坂を下る。「赤羽」交差点で[[神奈川県道304号腰越大船線]]と直交した後、西鎌倉駅まで並行する。付近は[[西武鉄道]]が開発した住宅街が広がる。
腰越大船線と分かれ、住宅街の横を再び登る。[[片瀬山駅]]付近で湘南モノレールの軌道が地上に近接し、当道路に並行する。湘南モノレールの軌道を挟み[[三井不動産]]が開発した住宅街が広がるが、当道路はそれを避けるように[[目白山下駅]]方面にカーブしながら再び下り坂となり、湘南モノレールが片瀬山トンネルで抜ける龍口寺裏山の山腹を左回りに下っていくと、 [[国道467号]]に接続する龍口寺前の終点となる。
=== 道路施設 ===
* 小袋谷跨線橋(2014年3月28日に大船立体暫定供用へ交通切り替え)
== 路線バス ==
※'''太字'''区間が当道路部分
=== 大船駅発着 ===
* [[京浜急行バス]]
** 船2 大船駅 - '''富士見町 - 深沢''' - 梶原口 - 梶原
** 船3 大船駅 - '''富士見町 - 深沢''' - 梶原口 - 梶原 - 富士見台 - 梶原口(循環)
** 船4 大船駅 - '''富士見町 - 深沢 - 鎌倉山'''
** 船5 大船駅 - '''富士見町 - 深沢 - 鎌倉山''' - 西鎌倉入口 - '''諏訪ヶ谷 - [[青蓮寺 (鎌倉市)|鎖大師]]入口 - 鎌倉山'''(循環)
** 船6 大船駅 - '''富士見町 - 深沢 - 鎌倉山 - 諏訪ヶ谷 - 龍口寺''' - 江ノ島
** 船7 大船駅 - '''富士見町 - 深沢''' - 梶原口 - 大仏前 - 鎌倉駅
** 船8 大船駅 - '''富士見町 - 深沢''' - 梶原口 - 梶原 - 梶原口 - 大仏前 - 鎌倉駅
** 船9 大船駅 - '''富士見町 - 深沢 - 鎌倉山''' - 大仏前 - 鎌倉駅
** 船50 大船駅 - '''<small>(富士見町)</small> - 湘南鎌倉総合病院前 - <small>(町屋入口)</small>''' - 山の上ロータリー - 桔梗山※(当道路上では湘南鎌倉総合病院前のみ停車)
=== 鎌倉駅発着 ===
*京浜急行バス
** 船7 鎌倉駅 - 大仏前 - 梶原口 - '''深沢 - 富士見町''' - 大船駅
** 船8 鎌倉駅 - 大仏前 - 梶原口 - 梶原 - 梶原口 - '''深沢 - 富士見町''' - 大船駅
** 船9 鎌倉駅 - 大仏前 - '''鎌倉山 - 深沢 - 富士見町''' - 大船駅
** 鎌5 鎌倉駅 - 大仏前 - '''鎌倉山''' - 西鎌倉入口 - '''諏訪ヶ谷 - 鎖大師入口 - 鎌倉山'''(循環)
** 鎌6 鎌倉駅 - 大仏前 - '''鎌倉山 - 諏訪ヶ谷 - 龍口寺''' - 江ノ島
=== 藤沢駅発着 ===
* [[江ノ電バス|江ノ電バス藤沢]]
** [[藤沢駅]](南口) - 藤ヶ谷 - 片瀬山 - '''片瀬山入口 - 諏訪ヶ谷''' - 西鎌倉入口 - 手広 - 富士見ヶ丘 - 藤沢駅(南口)(循環)
** 藤沢駅(南口) - 藤ヶ谷 - 片瀬山 - '''片瀬山入口 - 諏訪ヶ谷''' - 西鎌倉入口 - 手広 - 手広車庫
** 藤沢駅(南口) - 藤ヶ谷 - 片瀬山 - '''片瀬山入口 - 諏訪ヶ谷''' - 西鎌倉入口 - 津村
** 藤沢駅(南口) - [[アズビル]]前 - '''湘南深沢 - <small>(深沢)</small>''' - 笛田2番 - 教養センター - 笛田4番 - 笛田2番(循環)※(当道路上では湘南深沢のみ停車)
== 交差する道路 ==
※()は交差地点。
* [[神奈川県道301号大船停車場線]](鎌倉市大船)
* [[神奈川県道302号小袋谷藤沢線]](鎌倉市小袋谷・立体交差)
* [[神奈川県道32号藤沢鎌倉線]](鎌倉市笛田・立体交差)
* [[国道467号]](藤沢市片瀬)
== 並行する道路 ==
* [[神奈川県道304号腰越大船線]]
※終点から先、小袋谷跨線橋付近で当道路と重なる予定区間も存在する。
== 参考文献 ==
* 江ノ島電鉄編『江ノ電の100年』江ノ島電鉄、2002年
* 森口誠之編著『鉄道未成線を歩く・私鉄編』JTB、2001年 ISBN 4533039227
* 湘南倶楽部『江ノ電-懐かしの電車名鑑』JTB、2003年 ISBN 4533050069
* [http://www.enoden.co.jp/kenbunroku/ 「江ノ島電鉄:当方見聞録」] 江ノ島電鉄
* [http://kugenuma.sakura.ne.jp/02-04.html 「鵠沼地区交通史年表」] 鵠沼を語る会
* [http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/06_08.html 「土木建築工事画報」昭和5年8月号「工事タイムス」][[土木学会]]附属土木図書館
* [http://www.keikyu.co.jp/corporate/history/his/his-0.shtml 「写真で見る京急100年の歩み」]京浜急行電鉄
== 関連項目 ==
* [[京浜急行電鉄]]
* [[湘南モノレール江の島線]]
* [[江ノ島電鉄]]
* [[鎌倉山]]
* [[菅原通済]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
{{Road-stub}}
{{DEFAULTSORT:けいひんきゆこうせん}}
[[Category:神奈川県の道路]]
[[Category:鎌倉市の歴史]]
[[Category:一般自動車道|廃けいひんきゆうこう]]
[[Category:無料開放された道路]]
[[Category:京急グループの歴史]]
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